2020年になったのでドラゴン狩りじゃぁぁぁ!!! (蒲焼丼)
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CHAPTER 0 カウント、ゼロ Time Count, Zero
1.叢がる雲たち *


主人公2人が出会うまで。拙いですが挿絵挟んでます。神絵師になりたい……!

※公式では明言されていませんが、物語が始まった日時を2020年の3月31日に設定しています。



 

 

 

 星という名の畑に種を巻き、育て、やがてそれを刈り取る。

 

 ある者はそれを『農業』と言い、

 

 ある者はそれを『放牧』と呼び、

 

 そしてある者はそれを 殺戮 と言った。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 2020年──東京、霞ヶ関。

 

 

「……マカベくん、報告を」

 

 

 現日本総理大臣、イヌヅカ首相が口火を切る。

 国防長官を勤めるマカベが静かに、努めて冷静に紙の上で非常事態を告げる文字を読み上げた。

 

 

「2時間ほど前、新宿区にて『マモノ』の発生事件がありました」

「またか……今年に入って、これで4件目だぞ」

 

 

『マモノ』。近年見られるようになった、動物とも獣とも違う異形の生物。

 比較的人が集まる都市部で発生するマモノの存在は世間を騒がせていた。

 人の腕で抱えられる小型の獣から、乗用車を超える大型の怪物まで姿や性質は様々。共通点は、異常な凶暴性を持っているということ。生命力も犬猫の比ではなく、銃火器さえも通じにくい。一般人が出会った場合はまず逃げるしかない。

 

 

「発生場所は東京都庁……マモノは多数の小型獣、危険度はCです。すでに市民の避難は完了。現在は、自衛隊の一個中隊を使ってマモノを都庁内に閉じ込めているところです」

 

 

 総理の脇に座るアリアケ議員とハタノ議員が眉を寄せる。今までのマモノの発生事件は自衛隊が鎮圧してきた。掃討作戦を実行しないのは何かトラブルがあったからか、それとも一個中隊が手こずるほど凶暴な相手だからか。

 

 

「閉じ込める……? なぜ、掃討作戦に移らないのです?」

「それは──」

 

 

「私の方で、そうお願いしたからですわ」

 

 

 入り口の扉が開く。

 パンツスーツを着た麗人が入室してくる。紋が入った紫の羽織り、水引のように束ねられたつややかな髪を揺らし、彼女は深く一礼した。

 

 

「誰です? あれ……」

日暈 棗(ヒカサ ナツメ)……ムラクモの親玉だよ」

「ムラクモ……? ああ、マモノ討伐の専門機関とかいう──」

 

 

 議員が女性に奇異の目を向けて声を落とす。それを尻目にイヌヅカ総理はちらりと時計を見やった。

 

 

「ナツメくん……5分遅刻だな」

「申し訳ありません。少し、手続きに手間取りまして……」

「……それで、人員の方は? 集まったのかね?」

「ええ、滞りなく……」

「……了解した。では、総理権限により『ムラクモ機関』の活動を許可しよう」

「……ありがとうございます」

 

 

 イヌヅカは日本トップの肩書きである己の役職の下に許可をおろす。

 ムラクモ機関のリーダーであるナツメは再度頭を下げ、優雅にマントをなびかせて退室した。

 

 

「これで一安心、ですな」

「……しかし、最近はマモノが多いですな。ムラクモにも、人員補強が必要では?」

 

 

 国を守るため日々訓練を重ね、銃火器を扱いに慣れた自衛隊でも簡単にマモノは倒せない。

 諸々の懸念を抱え手を組むアリアケ議員に、総理は「それは心配ない」と返した。

 

 

「……今回のマモノ討伐、新人選抜が目的だそうだ」

 

 

 

 

 

──────────────

CHAPTER 0 カウント、ゼロ

  Time Count, Zero

──────────────

 

 

 

 

 

 床──足を着けている車のフェルトシートを爪先で強く弾く。

 外装と同じく黒一色の車内に、タンッタンッタンッ、と音が響いた。リズミカルとは程遠い、鼓動を無理やり急かして息切れさせるような不快な音だ。

 

 

「シキ、やめなさい」

 

 

 助手席からやんわりと、しかし芯の通った声が飛んできた。

 次はないわよという警告の念を察知し、フンッと強く鼻を鳴らして背中を分厚いシートに預ける。

 ある提案をされてから、言葉で態度でずっとずっと嫌だと訴えてきたというのに、腹立たしいことに効果はなかったようだ。

 それでもやっぱり嫌だ。嫌なものは嫌なんだ。

 こんな嫌悪感とそれを抱かせている原因は自分のために、そして自分が所属する組織の能率を下げないためにも即刻排除すべきなのに。

 

 

「私出ない。絶対に出ないから。時間と体力の無駄」

「無駄にはならないわ。『あなたに最低限の協調性を植え付ける』という目的と、それによって他のメンバーとの連携を学んで、『任務遂行の確率が上がる』というメリットがあるのよ」

「……散々駆り出しておいて、私じゃ力不足だと? へぇ~」

「勘違いしないで。あなたの負担を減らすためでもあるのよ」

「勘違いしないで。負担なんか感じたことない」

「頼もしいわね。それで他の人間と連携をとれるようになったらもっと頼もしいんでしょうけど」

 

 

 隠す気もなく、むしろ全身全霊を込めて舌打ちを返した。

 後部座席に座るベテランが「おいおい」と呆れ顔になり、運転席でハンドルを握る眼鏡の副官が「まあまあ、落ち着いて……」とやんわり会話に入る。

 

 

「シキ。君にとっても、今日はいい経験になると思うよ。君は確かに10班と同じく僕らの主力だけど、遠距離から攻撃したり、メディスなしで傷を治療できはしないだろう? 不得手をフォローしてくれる仲間と出会えれば、戦うときの自由度は飛躍的に上がると思うんだ」

「フォローね。とろすぎて足手まといにならなきゃいいけど」

 

 

 ダメだこりゃとでも思ったのか、前と後ろで同時にため息が漏れる。

 後部座席からひげを生やした顎が突き出され、大きな手が頭を鷲づかみにしてきた。

 

 

「おう、シキよ。おまえ最低1人でもいいから、援護してくれる仲間を持て。腕や脚を怪我して動けなくなったときに助けを求められる人間がいなかったらそこで死ぬぞ。それぐらいわかってんだろ」

「雑魚のマモノに死ぬ寸前まで追い詰められるわけないでしょ。そんな間抜けな失態犯すのは素人。一緒にしないで」

「だあーから、おめえちょっとは謙虚になれ! ああ言えばこう言うんだからよ、ほんっと変わんねえな!」

「痛い。無駄なことに無駄な筋肉使うのやめて」

 

「……ナツメさん」

「大丈夫よキリノ。シキには前もって言い聞かせてきたし、いざとなったら力尽くでも放り込むわ。それに今日集まる候補生も、彼女と同じS級の能力者なのだから。いい人材が見つかるはずよ」

「そうですね……。もうすぐ到着します。10班とシキは準備を」

 

 

 ああ、最悪だ。

 

 青く青く晴れ渡った空とは裏腹に、胸中には不快感が立ち込めていた。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 * * *

 

 

 

 

 

 立ち並ぶビル群。その間を縫うアスファルトの道路。その上を走っていく車たち。

 都会の景色は変わらない。車窓の向こう側はいつも通り、灰色と銀色が中心だ。

 

 ただし、今日はちょっと違う。

 

 

「あ、桜」

(春休みあっという間だったな……明日から大学生か。……やっていけるかな)

 

 

 横に流れていく景色に彩を添える淡いピンクを見て、新しい季節の訪れと春休みの終わり、そして自分がまた年を重ねることを実感する。

 来年には大人と言われる年齢になる。自立の時期が迫っているのはわかっているけれど、いまいちポジティブなイメージを持てない。

 20歳になるとき、自分は大人と言えるような人間になっているのだろうか?

 1人で生きていくための準備を重ねている……はずだ。なのに、ちゃんと現実を捉え切れていないでいる。

 

 

「ねえ、また『マモノ』が出たらしいよ」

「ああ、マモノがたくさんいるから都庁が閉鎖されたってやつ? 物騒だよね」

 

「……」

 

 

 隣に座っている女性たちの言葉にはぁ、とため息が出た。

 本来なら、今日自分は関西にいたはずなのだ。

 食い倒れの地として有名な大阪府でお好み焼きとたこ焼きを食べ、現在日本を席巻している大人気アイドルユニットのライブできゃーきゃー歓声を上げているはずだったのに。

 

 いや、チケットの抽選で外れたから、全部空想にすぎないのだが。

 

 とにかく、用事があるのでこうして電車に揺られている。

 腹側に抱えた鞄の中に視線を落とす。

 今は春休み。高校は先日卒業した。大学にはまだ入学していない。なので参考書の類はなし。中に入っているのは財布や携帯といった貴重品、筆記用具とルーズリーフ。

 

 そして、「志波(シバ) (ミナト) 様」と自分の名前と自宅の住所が書かれ、謎の判がおされた封筒。

 

 

《ご乗車ありがとうございました。間もなく終点、新宿です。お忘れ物ないようにご注意ください》

 

 

 ファスナーを閉めて鞄を背負い直す。スムーズに改札を抜けられるようICカードを手に握り、他の乗客と一緒にドアの前に並ぶ。

 ドアが開かれ、飽和状態だった電車が乗客を一気に吐き出す。

 人の波に流されるままにホームの階段を下り、スマートフォンを起動した。

 目的地へは駅の西口から抜けて徒歩10分ほどらしい。バスを利用することも考えていたが、この程度の距離なら自分の足で行ける。

 

 ……道に迷わなければ、時間に余裕を持って到着できるはずだ。

 

 

「東京都庁かぁ」

 

 

 ついさっき、電車の中で聞いた乗客の会話が甦る。

 そのマモノが出て現在封鎖されている都庁に、鞄の中の封筒の差出人がいるであろう都庁に、自分は今から向かうのだ。

 薄手のコートの左胸、やや下側。厄除けのお守りが入っている内ポケットの位置に手を当て、呼吸を落ち着かせる。

 

 西口と表記されている黄色い看板を目印に、及び腰の1歩を踏み出した。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 新宿、東京都庁広場。

 閉鎖されているため、都庁を職場とする一般人は出入りしておらず、現場は閑散としている。

 職員の代わりにいるのは、ムラクモ機関のメンバーと、選抜試験に協力している自衛隊、そして物々しい戦車数台だ。

 バンの中から一同が会する広場を覗く。

 ぱっと見て、10代から20代を中心とした男女が十数人。彼らが今回の選抜試験に招集された候補生か。

 

 ナツメがスーツの上に羽織った紫のマントをなびかせ、キリノとガトウを引き連れ悠々と歩いていく。一般人の右往左往する様子と違い、迷いのない、余裕を感じさせる足取り。

 この事態を把握している人物だと感じ取ったのか、候補生の視線が一気にナツメに集中した。

 彼らに向かって中央にナツメ、右にガトウ、左にキリノが立つ。

 

 

「……集まった候補生たちは、これで全員かしら?」

「しょ、少々お待ちを……!」

 

 

 やんわりと首を傾げたナツメに、キリノが束になっている資料を捲り、名簿とこの場にいる候補生の擦り合わせを行う。

 学校での出欠確認のように、キリノが名前を呼んでは誰かが返事をしていき、

 

 

「あと1名ですね。しかし時間が押していますし、このまま始めて……」

 

「は、はあっ、ちょっとま……ちょっと待ってくださ──い゛っ!?」

 

 

 後方の階段を駆け上がってきた女が何もないところで躓き、候補者たちが成す列に盛大に転がり込んできた。

 

 

「……」

「……」

「……」

 

 

 自衛隊もムラクモも候補生も、緊張で引き締まっていた空気をぶち破った1人に無言で視線を注ぐ。

 起き上がった女──たぶん、自分より年上──は、ムラクモ機関の判がされた封筒を、真っ赤になった顔を隠すように提示した。今回招集された候補生の中で、直接捕まえて話ができなかった者に送られた手紙だ。

 

 

「えー……リストによると──あそこにいる者が、最後の1名のようです」

「そう。全員揃ったようで何よりだわ」

「さあ、君もこちらへ。名前を名乗ってもらえますか?」

 

「……大丈夫ですか?」

「す、すみません……」

 

 

 傍にいた候補生の手を借りて女が立ち上がる。

 上着や脚に付着した砂埃を払い落とし、素直に指示に従って歩み出る最後の候補生は、緊張からか少し震えているように見えた。

 

 

「では、そこに並んで聞いてください」

 

 

 キリノに促されて女が下がる。再び空気が引き締まる中、ナツメが前に歩み出て、表情は柔らかいまま凛とした声で口火を切った。

 

 

「まずは、突然の招致に応じてくれたみなさんに感謝します。紹介が遅れました……私は、ムラクモ機関の長、日暈 ナツメ」

 

 

 ムラクモ機関。

 

 その名前が広場に響いた瞬間、候補生たちは一様に目を見開いて動揺を露にした。不安そうに首を傾げ、隣に立つ人間と顔を見合わせ、目を泳がせる。

 1つの小石が池に放り込まれ、波紋が外に広がるように、ざわめきが湧き始めた。

 

 ムラクモ機関が一般人と接点を持つことはない。それでも名前だけは知れ渡っているようで、少しの間のあとに何人かが「あの、」と声を上げた。

 

 

「ムラクモ機関って……あの、マモノ退治の……?」

「……よくご存知ね。都市伝説として語られることもあるから、そのせいかしら?」

「エリートしか入れない、秘密組織とかって……」

「……それは事実よ。私たちの機関に入るには、厳しい審査にパスする必要があるわ。そしてあなたたちは……今まさに、その審査の場にいるってわけ」

 

「マ、マジかよ……!」

「審査って……ボクはいきなり連れてこられただけで……!」

 

 

 神経が図太い人間は好奇心に目を輝かせ、逆に何人かは顔を青くして抗議の声を上げる。

 ナツメは微笑を崩さずに無言で候補生たちの言葉を受け止め、全員が落ち着いて静かになるのを見計らい、背後にそびえ立つ都庁を振り仰いで説明を再開した。

 

 

「審査の方法は例年、違うんだけど……現在、あの都庁内に多数のマモノが入り込んでいるの。今年は、そのマモノの討伐によって、審査を行います」

「そ、そんなこと急に言われても……」

「拒否権はもちろん、あるわ。でも、ムラクモの候補生として選ばれるなんて、それだけでも名誉なことなのよ? それは、あなたたちがムラクモ機関……いえ、日本政府に認められた『S級』の才能の持ち主だということ」

 

 

 ムラクモ機関という一組織からこの国を束ねる日本政府へ、話のスケールがどんどん大きくなっていく。

 未だに戸惑っている人間が多いが、周囲に待機している本物の自衛隊と戦車の威圧感、ナツメやガトウがまとう、一般人の平和な日常から切り離された雰囲気。それらに当てられたのか、候補生たちは場の空気を現実として受け入れるように目を瞬かせた。

 

 

「日本政府のお墨付きか……」

「お、俺はやるぜ! ムラクモの話、聞いたことあるし」

「じ、じゃあボクも……こんなチャンスは……もう、ないよな……」

 

「少なくとも、拒否する者はいない……そう認識してよさそうね……キリノ、試験の説明を」

「……はい。みなさんへの課題は『マモノ討伐』です。そのために、まずは3名チームを組んでもらいます。単身、2名でのチームも認めはしますが……安全性の問題もありますので、オススメしません。チームの編成はあちらの端末……『ターミナル』で行えます。お互いに能力を補えるような、バランスの良いチームを組むと良いでしょう」

 

 

 キリノの言葉を聞き、何人かがさっと周囲に視線を巡らせた。自身の能力を把握したうえで誰に声をかけるか考えているのだろう、頭が回る奴は既に駆け引きを始めている。

 

 

「マモノ討伐については実地で教官から説明があります」

「今回、あなたたちの審査を担当する教官の1人を紹介しておくわ。……ガトウ」

 

 

 離れた場所に設置されている情報端末にチームの情報を入力するようキリノが指示を出し、次いでナツメが後ろに控えているガトウを振り返った。

 前に出てきた男のいかつい顔立ちに輪郭を縁取る髭、頬に走る傷跡を見て、何人かが気圧されたように後ずさる。

「ムラクモ第10班のガトウだ」と自己紹介をした後、不安げな表情を浮かべている候補生を端から端まで見回し、ガトウは豪快に笑った。

 

 

「ガハハハッ! 辛気臭い顔すンじゃねえよ! 俺に従って行動してりゃ大丈夫だ!」

 

 

 快活な笑みに緊張をほぐされたのか、何人かが肩から力を抜く。

 ガトウと同じようにナツメも目の前に立つ男女たちひとりひとりに力強い眼差しを送り、顔を上げて宣言した。

 

 

「……それでは、現時刻をもって第75回、ムラクモ選抜試験をはじめます。みんなの活躍、期待しているわ」

 



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 叢がる雲たち②

第1話はここまで。戦闘は次回からです。


 

 

「よォし……! じゃあ、まずは言われた通り3名チームを組め! それが終わった奴から、都庁のエントランスで待機だ!」

 

 

 ガトウが踵を返して都庁に向かって走っていく。それと同時に候補生たちは一斉に視線を飛ばし声をかけ、少しでも優位に立てるように互いの情報収集を始めた。

 

 一部始終彼らを眺めていたが、見る限り雑魚に瞬殺されるような弱者はいない。S級の能力持ちと判断され、国とムラクモに目をかけられた人間であるのは確かなようだ。

 しかし、目を惹くような強者というわけではなさそうだ。所詮「素質がある一般人」止まりか。

 

 バンの中で1人、ため息をついてシートに背を預ける。

 なぜ自分が文字通りの素人たちとチームを組まなければいけないんだろう。まったくもって理解できないし、何より不愉快だ。

 学校の部活やスポーツとは話が違うのだ。「最初は誰でも初心者だから気楽に」なんて考えは通用しない。

 

 

「……」

 

 

 視線を感じて、目だけを動かして外を見やる。

 ナツメがこっちを見ている。車の窓ガラス越しに、言葉を使わずに「早く参加しなさい」と有無を言わさぬ圧を送ってきていた。

 

 

(結局こうなるか)

 

 

 思い切り舌を出し、バンのドアを開ける。

 イライラする。年月で言えばそれなりの付き合いなのに、なぜあの女を前にするとこんなにも怒りが募るのだろう。

 嫌悪感と共に念を飛ばすも、ナツメはどこ吹く風で受け流し、追い越し際に声をかけてきた。

 

 

「あなたの場合、コミュニケーションも審査対象よ」

「っ~~~」

 

 

 精一杯の抵抗として、ふんっと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

 何が審査対象だ。自分は既にムラクモ機関の一員だし、0点になろうが満点になろうが、結局はこき使うくせに。

 細かい理由など考える必要もない。ナツメを嫌いな理由はナツメが嫌いだから。嫌いだから嫌い。単純に嫌だからだ。それだけで充分だ。

 

 無尽蔵の怒りに無理矢理結論をつけ、頭の中を上司から目の前にいる候補生たちに切り替える。

 

 

(誰と組むか)

 

 

 候補生たちのほとんどは既に3人組になり、チーム登録するためにターミナルの前に並んでいた。残りの者たちも焦りながら傍にいる者同士でスリーマンセルを結成し、足早に駆けていこうとする。

 

 

「……ん?」

(これだと1人余る)

 

 

 3人が抜け、珍しいことに2人で行こうと決めた者たちが抜け、さらに3人が抜けていく。

 そうして間引きされるように人が消えていき、最後に情けない顔の人間が独り、ぽつんと残った。

 取り残されてもまだ状況が飲み込めないのか、しきりに首をひねるばかりで動こうとしない。

 

 

(ていうかこいつ、さっき派手に転んでた奴……)

 

 

 状況把握の遅さ、行動を起こせない消極的な姿勢、そして鈍さ。本来ならこういう人間が真っ先に脱落する。

 強敵との戦いなら組むのはごめんだが、今回は素人向けの選抜試験だ。大して苦にはならないだろう。こいつが行動不能にならない程度に庇ってやって戦えばいい。

 

 しかし、この女は本当にS級の力の持ち主なのか?

 

 

「ちょっと」

 

 

 未だにうんうん唸っている女に近付く。

 背後から服をつかんで引っ張れば、「ぐえっ」と間抜けな声が漏れた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 汗を吸った服の襟を摘まみ、首もとに風を送ろうとしたまま、現状を理解できずに固まっていた。

 

 

「……それでは、現時刻をもって第75回、ムラクモ選抜試験をはじめます。みんなの活躍、期待しているわ」

「よォし……! じゃあ、まずは言われた通り3名チームを組め! それが終わった奴から、都庁のエントランスで待機だ!」

 

 

 いやいやいやいや待て待て待て待て待て。

 

「ちょっと待って!!?」とツッコミを入れたくなった。

 

 

(マモノ討伐? S級の能力? そもそも……ムラクモ機関って何。知らないの私だけ?)

 

 

 ゲームでしか聞かないような単語が頭の中でわんわん響く。

 落ち着こう。一旦状況を整理しよう。

 

①まず、自分が持っている灰色の封筒。これは自分宛に送られてきた。

 中に入っていた手紙には難しい言葉がずらりと並んでいて、ざっくり要約すると、

「あなた個人の能力を査定するので、指定された日時にこの手紙を持って東京都庁に来てほしい」

 と記されていた。(中身を隅から隅までしっかり読み込むことはしなかった。間抜けだ)

 

②4月から通い始める大学が都内にあるため、入学の事前説明の類の案内かと思い込んで新宿に来た。

 本来ならもっと余裕を持って到着できるはずだったが、交通事故で道が塞がれていたり、この周辺の地理には詳しくないのにお年寄りに道を尋ねられたりと見計らっていたかのように道を阻まれ、ここに辿り着けたのはつい先ほど。(マモノがいることは知っていたが中止の報せは来ないし、てっきり1、2匹程度ですぐに始末されるだろうと思っていた。危機感がない)

 

③そして現在。

 最近世間を騒がせている凶暴な生物「マモノ」の駆除を引き受けている組織、「ムラクモ機関」が機関員の選抜試験を開催した。

 自分はその参加者としてここに立っている。(やっぱり資料を読み込んでいなかった。間抜けだ)

 

 

 状況整理終わり。

 

 

(……いやいやいやいやいやいやいや?)

 

 

 ツッコミどころが多すぎる。というか自分迂闊すぎないか。

 

 他の参加者、候補生の言葉を聞く限り、ムラクモ機関というのは公には知られていない組織らしい。彼らが退治するマモノの存在も、最近どこからともなく現れて騒がれるようになったのだから、知名度が低くて当然のこととは思うが。

 

 この試験は、ムラクモ機関に新しい人材……マモノ退治に携わる人員の確保が目的らしい。

 その候補生として自分が選ばれた理由は、日本政府お墨付きの「S級の能力」を持っているため。

 具体的にどんな能力なのか……もちろん、マモノと戦うための能力だろう。

 

 戦う。

 

 

「……」

 

 

 無意識に両手の指を組み合わせていた。

 

 マモノなんて化け物と戦う力。

 普通ならありえないが、心当たりがある。

 けれどそんなもの、使う機会なんてなかった。自分は一般人と変わらない。

 今までずっと隠して生きてきたはずだ。なのになぜ、知られているのか。

 

 

(どうしよう)

 

 

 試験への参加は強制ではない。今から辞退を申し出ても、おそらく許してくれる。

 しかし帰してもらったとして、その後何の接触もしてこないとは限らない。

 

 ムラクモ機関に対する疑問。そして、彼らが自分を呼び出す決め手となった、自分に備わっている「力」。

 向こう側の話を聞いただけで、何も知らないままでいいのだろうか。

 恐怖とそれから来る危ない好奇心が、息を吸うたび体の中に流れ込んでくる気がした。

 

 

(でもこれ、踏み込んだら絶対引き返せないやつだよね……合格したら尚更……大学と両立するなんて無理だし──)

 

 

「ちょっと」

 

 

「──ぐえっ」

 

 

 背後から声をかけられ、無遠慮に上着が引かれた。

 襟が容赦なく首に入り、気道が圧迫されて息が詰まる。

 2、3歩たたらを踏んで激しく咳き込む。息を整えて振り返ると、いかにも仏頂面といった表情の少女がこちらを見上げていた。

 

 

(うわ、)

 

 

 日の光を吸って艶を出している黒髪に目を奪われる。

 

 高校生、いや、中学生だろうか。袖や襟の縁から黒いレースを覗かせるセーラー服と、同じくレースで縁取られた赤のサイハイソックスを着用している。

 この制服には見覚えがある。デザインが可愛らしく女子の憧れだということで有名な、中高一貫校の制服だ。

 少女の端正な顔立ちもあって、その立ち姿に見入ってしまう。

 

 しかし彼女はハーネスや胸当て、さらに大腿にはナイフホルダー、左腕には籠手といった厳つい道具を身に着けている。

 何より心臓を射抜くような鋭い目付きに、この子もマモノと戦う人間なんだと現実に引き戻された。

 

 

「チーム組んでないの、あとあんただけなんだけど」

「え?」

 

 

 少女の言葉に周囲を見回す。

 気が付けば、左右に並んでいた男女らは全員3人または2人1組に分かれ、既に都庁の入り口を潜るところだった。

 しまった。ぐだぐだ悩んでいるうちに置いていかれてしまった。

 

 いや、しかしこれはこれでよかったのではないか。ちょうど試験を辞退して帰るか帰らないか悩んでいたところだ。あぶれものになったことで葛藤をする必要もなくなった。

 

 

(うん、帰ろう、帰って寝よう)

 

 

 この数分間の出来事は、貴重な体験として日記にでも綴ろう。

 

 少し乱暴ながらも自分に声をかけてくれた少女に向けて、できる限り穏やかな笑顔を浮かべてみせる。

 

 

「教えてくれてありがとう。おかげで決心がついたよ」

「そうね。私もわざわざ人を探す手間が省けたわ」

「うん?」

「じゃ、いくわよ。ターミナルにあんたの情報登録して」

「えっ、えっちょ、ま、待って……待って待って!」

 

 

 おかしい、会話が噛み合っていない。

 自分の腕をつかんで引きずり出した少女に声を上げれば、「何よ?」と睨まれる。怒りを滲ませた表情は触れれば切れそうな雰囲気を放っていた。

 

 

「私、辞退しようと思ってたんだ。こういうの向いてないと思うから……だからその、悪いんだけど……」

「悪いけど、無理」

「えっ、でも拒否権はあるってあの人……日暈さんが」

「そうね。でも私はあの女から『おまえは絶対にチームを組め』って言われてるの。で、その相手がもうあんたしかいない。だから私とペアになって試験受けて」

「え、え、えーちょっと待って本当に私無理なの無理なんだけど」

「キリノ。ナツメ」

「人の話聞いてる!?」

 

 

 小さな体からは想像できない力でキャリーバッグのように引きずられていく。

 資料を確認している眼鏡を掛けた男性と、ムラクモ機関の長だと名乗った女性の前まで来て、少女はヘッドロックをするように肩に手を回し、空いている片手で「こいつ」と遠慮なく指を差してきた。

 

 

「私、こいつと組むことにしたから。ペアで試験受ければ問題ないでしょ?」

「2人かい? 君は大丈夫だろうけど、そちらの候補生は……」

「大怪我しない程度に庇えば問題ない。普通のマモノ相手ならいける」

 

(……暗に「多少の怪我は覚悟しろ」って言われてる気が)

 

「あ、の! 自分ホントに……申し訳ないんですけど、無理です! 運動ができるわけでもないし、経験もないのに戦うなんて……」

 

 

 少女の拘束からなんとか抜け出そうとあがいていると、ふわりと花のような香りが頬を撫でる。

 

 顔を上げると、少女とはまた違う、たおやかで美しい女性が目の前で微笑んでいた。上品ながらもどこか妖艶な雰囲気に思わず生唾を飲み込んでしまう。

 女性──日暈ナツメは笑みを絶やさずに自分の顔を眺めて口を開いた。

 

 

「この子が乱暴でごめんなさいね。あなたは確か、」

「あ、え……、シバです。志波湊、と、言います……」

「シバさん。よければもう少し詳しく、辞退しようと思った理由を教えてもらってもいいかしら」

「えっと……だって、昨日まで私、S級とか、マモノとか能力とか、本当に何も知らずに生きてきて、それで、その、いきなりマモノと戦おうなんて言われても……怖いっていうか」

 

 

「怖い、ね」とナツメは最後の言葉を復唱し、こちらの瞳の奥底を探るように目を瞬かせた。

 

 

「その『怖い』は、マモノに対して? それとも……あなたの『超能力』に対して?」

 

「え゙っ」

 

「知っているわ。でも安心して。その力があるからあなたをどうこうしようなんて考えたことはない。私たちにとって、あなたたち『異能力者』は貴重な人材であり、尊い存在なのだから」

 

 

『異能力者』。

 数年前から世間に認知され始めた存在であり、人の枠を超える力を持つ者たちの総称だ。

 筋力や俊敏性など、身体能力が異常に高いスポーツマン。何のタネも仕掛けもなく、科学の法則を無視した現象を起こせる宗教組織の教祖。たった1人で世界中のインターネットを混乱させて指名手配されたハッカー。

 老若男女を問わず、偶然か故意か、注目を浴びてはマスコミに取り上げられていることがしばしばある。

 

 そして自分も、その類の力を持っている。

 

 

(けど、)

 

 

 けど、それを他人に自ら教えた覚えはない。

 しかしナツメは知っていた。心臓が止まるかと錯覚するのと同時に、目の前の女性に対して隠し事など意味を成さないのだと思い知らされる。

 驚愕と混乱のままに口をぱくぱくと開閉していると、ナツメは「落ち着いて」と母性を漂わせる笑みを浮かべたまま言葉を続ける。

 

 

「その力は普通の人間にはない物。あなたみたいに超常現象を起こせる特異能力者、『サイキック』は特にね」

「は、はあ」

「能力を持っていることで、大変な思いをしたり、問題に巻き込まれたことがあったかもしれない。……確かめてみたいと思ったことはない?」

「え、何をです、か……?」

「あなたの力の使い道と、その価値を。あなたぐらい慎重なら大丈夫。きっとその能力で、良い結果を引き寄せることができるはず」

「……」

 

 

 ナツメは、「異能力」を怖がっていない。普通なら力を見せた途端に顔色を変えて後退りするだろうに。

 自分の姿を映す、知性を湛えた目を見てわかった。この女性は自分や他の人の「力」を理解している。肯定的に受け止めて必要としてくれている。

 親には受け入れてもらっていたけれど、積極的に力を使うことを是とする人と会うのは初めてだ。

 

 

「もちろん今ここで辞退するのは構わないし、試験を受けて合格したとしても、意思が変わらないのなら無理にムラクモに入ることはない。ただ、生まれてからずっと抱えてきたその力を、自分の思うがままに発揮できる機会は、今しかないわ」

 

「今、しか」

 

 

 自分の体に備わっている能力について、最初は漫画やゲームの世界でしかありえないものを持っているんだと高揚した。ただ、やはり不安やトラブルも表裏一体だった。

 幼い頃の経験から自制を学び、今まで上手く隠し通してこれたとは思うが、「思い切り使ったらどうなるのか」「この力を自分が持ったのはなぜか」と、気が付けばいつも悶々としていた。

 ずっと抱いていた疑問を解くチャンスが目の前にある。しかも、自分以外にも能力を持った人が、ここにはたくさんいる。

 

 身の安全のことならたぶん心配ないだろうと、ナツメが自分を捕まえる少女の肩に手を置いた。

 

 

「この子は強いから、都庁内にいるマモノなら簡単に倒してくれるはずよ。ただ、実力を審査するための試験だから、あなたにも能力を使って戦ってもらうけれど」

 

 

「どうする?」と問われる。

 

 力を持った理由。使い道。その限界。

 

 

(……わかるんだとしたら)

 

 

 見てみたい、かもしれない。

 可能なら知りたい。自分の力のことを。

 独りで抱えていくんじゃなくて、同じ境遇の誰かにも理解してほしい。

 この力を持っていてもいいんだという根拠が、欲しい。

 

 頭の中に好奇心と欲求が湧き始める。つい先ほどまで頑なにNOと言っていた理由が、少しずつ霞んでいった。

 

 

「……じゃあ、あの、とりあえず試験だけ……」

「そう、よかった。協力ありがとう。今の日本には、あなたたちの力が必要なの。……健闘を祈るわ」

 

 

「じゃ、決まりね」と少女が拘束を解き、ターミナルのほうに歩いていく。

 やはり及び腰になりつつも、志波 湊は少女について1歩踏み出した。

 



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2.偶然=始まりの2人

試験開始~屋上到達まで。
資料を取るために戻ってきたという都庁職員さん、どうやって中に入ったんですかねぇ……?


 

「ね、ねえ、あの」

「何」

 

 

 大股でターミナルに向かう少女に声をかける。

 こちらを振り返る素振りも見せず足早に歩く彼女は、自分とペアを組んで選抜試験に挑んでくれる相手だ。最低限のコミュニケーションは取れるようにしなければ。

 

 

「えーっと、名前は何ていうの? どう呼べばいいかな」

「シキ。みんなそう呼んでる」

「シキちゃんね。さっき聞いたと思うけど、私は志波 湊です。よろしくね」

 

 

 隣を歩きながら右手を出す。

 セーラー服のところどころに防具を身に付けた少女、シキはその手を一瞥する。数秒眉間にしわを寄せてから「ああ、握手か」と、籠手を着けていない右手を出してきた。

 小さな手と握手を交わす。しかしほんの一瞬ですぐに解かれて、シキは目の前のターミナルに体を向けた。

 

 両手の指が慣れた動きでパネルに触れていく。黒一色だった画面が発光し、その向こうに幼い女の子の顔が映った。

 

 

『こちらムラクモ本部……ターミナルの起動を確認しました。この端末では、新規メンバーの登録やチーム構成の変更が可能です』

 

 

「まずは『ENTRY』でメンバーを……」と言いかけ、女の子の言葉が途切れる。

 画面の中のあどけない瞳がぱちぱち瞬き、シキを見て、こちらを見て、もう一度シキを見た。

 

 

『シキ、チーム、組めたんですか?』

「選ぶの面倒だったし、残ってた奴を引き入れたの。3人じゃなくて2人だけど、これでチーム登録して」

『……了解。情報の入力をお願いします』

 

 

 表情の変化が乏しい女の子に促され、シキが個人の名前と能力を入力する。それに倣い名前と能力(確かナツメが「サイキック」と言っていた)を入力し、シキと合わせて2人でチーム登録をする。

 事務的なチーム結成に、一部始終を見守っていたキリノとナツメが満足そうに頷いた。

 

 

「中でガトウさんの指示に従ってください。くれぐれも気をつけて」

「それじゃあいってらっしゃい。シキ、万が一がないように、ちゃんとフォローしてあげてね?」

「言われなくてもわかってる。行くわよ」

「うん」

 

 

 キリノとナツメに見送られ、都庁の入り口に向かう。

 ガラス張りのドアの前で待っていたガトウに「遅れてすみません」と頭を下げた。

 

 

「おう、チーム編成をチェックしてやるぜ。って……おまえらは2人組みか? 他にも2人組はちらっといたが……キリノの話、聞いてただろ?」

「仕方ないでしょ。余ってたのが1人だったんだから」

「試験に呼ぶ人数は3で割り切れるようにはしてる。中にいる奴らと相談すれば3人組で組み直せる。3人で組ませるのは、おまえらの安全のためだ。1人や2人でおまえらの身に何かあっても、こっちは責任は持てねェぞ。それでもいいのか?」

 

 

 再三忠告するガトウだが、それでもシキは「問題ない」と押し通した。

 

 

「S級の中から厳選して招致したんなら過保護になるのやめなさいよ。……教官殿は自分の目利きが不安みたいね?」

「ほっほォ……大した自信だな! 嫌いじゃないぜ、そういうのは! そこまで言うなら認めてやろう」

 

 

 ガトウもガトウで、危険な試験で監督を務めるにもかかわらずころっと乗り気になる。彼は平穏より刺激を求める人間なのかもしれない。

 好戦的に笑うその目が、シキからこっちに移った。

 

 

「おい、隣の姉ちゃん。おまえ職業(クラス)は?」

「く、くら……?」

「どの能力を持ってるかってこと。あんたサイキックなんでしょ」

 

 

 ガトウの質問に首を傾げ、シキに囁かれて「サイキックです」と答える。

 なら、と掌サイズの小さなケースを手渡される。中には小さな円錐のような何かが10個入っていた。

 

 

「えーっと、これは?」

「サイキック専用の武器だ。指先にはめて使え。そうそう、それでいい。……前衛と後衛のバランスは、問題ないみてェだな。だが審査中でもターミナルに戻りゃ、チーム編成はできる、ってのは覚えときな」

「は、はい」

「じゃあ、行くぞ。他の奴らは、もう入ってるンでな。おまえらのチームが最後だ」

 

 

 ガトウに続いて入り口を潜る。それぞれ距離を取って固まっている他チームと、今しがた入った自分たちを見回して人数を確認した後、選抜試験の教官は大きく頷いた。

 

 

「よォし……全員揃ってるな? 外で伝えた通り……おまえらには、これからマモノを狩ってもらう」

 

「あの……マモノってどんなやつなんですか……? なんとなく、噂で聞いたことはあるけど……実物で見たことはなくて──ひ、ひィッ!?」

 

 

 手を挙げて質問を始めた候補生の声が途中で裏返る。

 恐怖に開かれた目が向くほうに顔を向けると、体躯数十センチの異形の動物が2体、威嚇しながらこちらに距離を詰めてきていた。

 

 

「うさぎ……?」

「ラビね。ウサギ型のマモノ」

 

 

 頭から縦に伸びた長い耳、口から覗く2本の前歯。一見、その愛らしさでペットとして可愛がられているウサギのようだ。

 だがよくよく観察すれば、普通のウサギよりもずっと大きい。目は血を固めたような真紅で、尾はヒレのような形をしている。前歯は異常に長く鋭く、歯というよりも牙のようだ。

 放たれている獅子のような威圧感も、普通の動物とはまったく違う。正真正銘のマモノだろう。

 

 意気込んでいた候補生が一瞬で尻込みになるのを見て、ガトウは大口を開けて笑った。

 

 

「……ダハハハッ! 良かったじゃねェか、本物が見れて! そいつがマモノだ。だが、そんなにビビることはねェぜ? ちっとばかり凶暴な、獣くらいのもンだ。そうだな……」

 

 

 右から左へ、彼の目が吟味するように候補生を眺める。

 後退る者、思わず顔を逸らす者、大半が後ろ向きな姿勢を見せる中、ガトウはシキに声をかけた。

 

 

「とりあえず、おまえがやってみろ。誰かがやらにゃ、他も動きそうにねェしな」

「……」

 

 

 無言でシキが前に出る。

 防具を身に付けてはいるものの彼女は丸腰だ。マモノ2体相手にどう戦うというのか。

 そうこう考えているうちにマモノたちはさらに距離を詰め、大きな後ろ足で床を蹴り上げた。上下に開けられた顎から生える牙が少女に迫る。

 

 

「あっ、危な──!」

 

 

 い、と叫ぼうとした瞬間、彼女はわずかに体を傾ける。

 赤いサイハイを穿いた脚が高く上げられた。

 

 ドッ、と肉を打つ鈍い音がエントランスに重く響く。

 プリーツスカートを大きくはためかせて繰り出されたハイキックが、相手2体の頭部を同時に捉えて床に激突させる。

 ラビたちはもんどりうって、断末魔を上げる間もなく動かなくなった。

 

 

『……』

 

 

 わずか一瞬でマモノの命を狩りとった中高生の少女に、しかし周囲からは賞賛の拍手も声も上がらない。

 

 

「……さ、」

(参考にならない!!)

 

 

 いやすごいのはわかる。体の使い方もキック1発でマモノを屠ってしまう力も、異能力者というだけでは説明しきれない。

 とにかくシキ本人がすごいことはわかるのだが、そもそも異能力者やマモノについての知識はほとんどないし、マモノに対する具体的な戦い方とか、マモノはどんな動きをするのかとか、もっと詳しく知りたいことがあったのに。

 それを数秒もしないうちに片付けられてしまって、呆然とすることしかできない。

 

 

「これでいいでしょ」

「……おう、上出来だ」

 

 

 今までと変わらない様子で首を鳴らすシキに、渋い顔をしたガトウが若干呆れを滲ませて頷く。

 説明が面倒になったのか、彼は後ろで呆気に取られている候補生たちに「ま、こンな感じでやりゃあいい」と振り返った。

 

 

「その戦いの様子を見ながら、おまえらの審査をさせてもらうってワケだ。だが、このフロアはマモノが少ないンでな……本格的な審査は上でやる。あとおまえ。怪我したンなら、これで治しとけ。1チームだけ負傷スタートじゃ、公平じゃねェからな」

 

 

 ガトウが簡易治療薬のメディスを宙に放る。

 ラビを迎え撃ったときに牙がかすったのかもしれない。メディスを受け取ったシキの脛は、ソックスの生地が擦れてわずかに血が滲んでいた。

 

 

「じゃ、とりあえず……全員マモノを始末しながら3階まで来い。根性ねェやつはそこでバイバイだ」

 

 

 大雑把なチュートリアルを終えて、ガトウが階段を上がっていく。

 わずかな沈黙の後、候補生たちの視線がこちらに、主にシキに集まり始めた。

 

 

「チーム分け、マズったかなぁ」

「さっき戦った子、2人組だったよな。今なら……」

 

「適当にマモノを狩って3階まで飛ばす。さっさと行くわよ」

「あ、うん……ねえ、今なら、新しく誰かをチームに誘えるかもしれないよ?」

「そうしたらまたターミナルで情報登録しなきゃいけないでしょ。1人増えたって大して変わらないし、余計な時間食いたくない」

「ちょ、ちょっと待って、速い……」

 

 

 怪我の治療もそこそこに、シキはソックスを穿き直して周囲の視線を振り切り階段に向かう。

 軽やかに駆け上がっていくパートナーに置いていかれないよう、1段飛ばしでセーラー服の背中を追った。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「キリノ、あの2人はどう?」

「順調に進んでいます。シバさんのほうは少しぎこちないですが、能力の扱いには慣れているようです。ただ……」

「ただ?」

「シキのペースについていくのがやっとなようで、2人とも連携やコミュニケーションは、その……」

「前途多難ね……大丈夫だとは思うけど」

「シキがいるならチームとしては合格になると思いますが、シバさん個人の査定はどうなるんですか?」

「もちろん、彼女個人の能力も見るわ。シキもそれはわかっているだろうから、ちゃんと彼女も戦闘に参加させるでしょう」

「もし、合格したとしても、シバさんに入る意思がなければ……」

「ふふ、キリノは心配性ね。でも大丈夫」

「え?」

 

「彼女はムラクモに来るわ。……そういう人間だって、わかるもの」

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 初めて力を使ったのは3歳の頃だった……みたいだ。

 

 母親曰く、幼い自分は暗闇が嫌いで、夜になるたび泣いて腕を振り回していた。その指先にはいつもビー玉ほどの大きさの火花が散っていたらしい。

 驚きと困惑で信じることができなかったと言っていた。それを聞いた幼い自分も当時を覚えていないため、「ほんとー?」と訝しんだ。

 しかし、大きな地震で電気やガスが止まって夕飯を作れずに困り果てていたとき、自分の掌の上にテニスボールサイズの火が灯ったことで、冗談ではなかったのだと認識した。

 母子揃ってぎゃーぎゃー悲鳴を上げたが空腹には勝てず、その火でバーベキューをしたことは今ではいい思い出である。

 それからは紆余曲折あって、能力の存在を誰にも知られないように隠してきた。事故を引き起こしてしまわないように、長い間こっそり力をコントロールする訓練もしてきた。

 

 そして現在。

 

 

「わーっ! 火が植木鉢にー!」

「ちょっと、消せないなら出力調整して! 私にも燃え移るでしょ!」

 

 

 能力を使うことには慣れているが、それを戦闘に使うのは初めてで攻撃の加減がわからない。味方に飛び火しないように四苦八苦するだけの時間が続いている。

 自分たちが進んできた跡を残すように、都庁の通路には焼け焦げた跡やマモノの死体がぽつぽつと転がっていた。

 マモノに追われ襲われ、なんとか撃退という流れを繰り返してどのくらい時間が経っただろう。

 3階の奥、さらに上階に続く階段の前まで来て、仁王立ちして待っていたガトウに合流する。

 

 

「……遅かったな。しかしまあ、マモノ退治の筋は悪くねェから……それでプラマイゼロってとこか……っと、怪我してるじゃねえか」

 

 

 外傷なく余裕を保っているシキと、一方マモノから受けた傷に服のところどころが焼け焦げ汚れている自分を見て、ガトウは哀れみの視線を送ってきた。

 

 

「仕方ねェ……簡単な傷の処置くらいは教えといてやる、自分で治しとけ」

「あ、ありがとうございます……」

「シキ、おまえちゃんとフォローしてやってんのか?」

「他の候補生もこいつと同じで素人でしょ。協力しなきゃいけないとはいえ、戦闘も治療も全部私がやってたらそいつらに対して不公平じゃない」

「本音は」

「面倒」

「……おまえ、辞書で協力の意味調べてこい」

 

 

 3個渡されたメディスは既に2個使ってしまったので、回復手段が増えるのはありがたい。

 スムーズに行われていく応急処置は自分が知っているのとは少し違うもので、しかしでたらめには見えないガトウの手際を見逃すまいと観察する。

 ほんの数分で治療は終わり、始終の手順を確認して頭に叩き込んでからガトウに礼を言った。

 

 

「もう大丈夫です。ありがとうございます」

「ンじゃ、上に行くぞ。そこにもう1人の教官が──」

 

『……こちらナガレ! ガトウさん、聞こえますか?』

 

 

 ガトウの表情が面をかぶるようにさっと変わった。彼は険しい顔つきになって通信機に手を当てる。

 ノイズと共に流れてくる大声と銃声が、空気を震わせて通信機を着けていない自分たちにも聞こえてきた。

 

 

「……どうした? 何か問題か?」

 

『やたらデカいマモノが入り込んでます! 俺1人ではとても……クソッ、こいつ……!』

 

「やれやれ……教官が苦戦してたンじゃ、候補生の連中に示しがつかねェだろうが……おまえらも一緒に来い。どうもキナ臭ェ感じがするンでな」

「わかった」

「えっ」

 

 

 すんなり頷くシキとは反対に足が鈍る。

 大変な思いをしてここまで来たのに合格じゃないのか。まだ先があるのか。というか今までのマモノ以上に手強い相手がいるのか。

 

「あのー」と手を挙げると、シキがくるりと振り向いて、試験開始時にガトウが言った言葉を口にした。

 

 

「『根性ねェやつはそこでバイバイだ』。帰るの?」

「う……」

 

 

 圧をまとう声に、抵抗の意思が塩をかけられたナメクジのように萎んで消えていく。

 試験に合格したとしてもムラクモに入る気はないが、ここまで来られたのだから、最後までやり通したほうがいい……のかもしれない。

 がっくり項垂れて進む意を口にする。

 なら行こうと当たり前のように階段を上るガトウ、シキと共に進んで4階に入ると、

 

 

「あ、あんな化け物……ヒーーーーーーッ!」

 

 

 アーマーを身に付けた大の大人の男が涙目で、脱兎のような速さで目の前を駆け抜けていった。

 

 

「……い、今の人、自衛隊? の人だよ、ね」

「泣いて逃げるとか情けないわね」

「いや、普通のマモノとなら自衛隊も何度か戦りあってるはずだ。ナガレも苦戦してるみてェだしな。いったいどンなやつが……」

 

「ガトウさん!」

 

 

 ため息をつくパートナー、顎に手を当てる教官と並んで歩を進めていくと、ガトウより若い赤髪の男性が息を荒げ、前方から駆けてきた。

 まず男前な顔立ちに思わず目が引き寄せられ、次いで自分と同じように体のところどころに見られる擦り傷や火傷を見て、体が固まってしまう。

 ガトウが男性をナガレと呼び、戦闘の激しさを物語る姿に首をひねった。

 

 

「おまえが尻尾巻いて逃げるとはなァ……そんなヤバい相手がいるもんか?」

「……見ればわかりますよ。デカさも外見も、他のマモノとは根本的に──」

 

「あ、あのー……」

 

 

 酸素とともに勇気を吸い込み、手を挙げて控えめに会話に割り込む。

 羽虫の羽音並みの自己主張は気付いてもらえたようで、ナガレはこちらを見て、そしてシキを見て、もう1度こちらを見て、さらにまたシキを見た。

 

 

「シキ……。君、チーム組めたのかい?」

 

 

 ガトウが小さく吹き出し、シキの額に青筋が浮かぶ。

 そういえばチーム情報を登録する際に画面の向こう側の女の子に同じ質問を受けていたなと思い返す。同時にいくつかトーンを落としたシキの声が静かに漏れた。

 

 

「馬鹿にしないでくれる? 私でも声かけるぐらいできるから」

「ごめんごめん、そんなに睨まないで……じゃあ君は、彼女のチームメイトかい?」

「あっ、はい、シバと言います。それであの、私たちは、これからどうすれば……?」

 

 

 ナガレに頭を下げて挨拶し、言いかけていた質問を口にする。

 するとガトウが意地の悪い笑みを浮かべた。上がった口角から歯が覗く獰猛な笑顔と悪寒に、思わず肩を竦める。

 ガトウはナガレに、厄介なマモノがいるという部屋の前まで案内をさせ、そのドアの前で自分とシキを振り返った。

 

 

「俺たちはこれから、この部屋の中にいるマモノと楽しいバトルのお時間なンだが……今回は特例に、おまえらも同行させてやる。どうだ、嬉しいだろ?」

「えっ、え……っ!?」

 

 

 いや、嬉しくない嬉しくない。

 

 胸中で頭を全力で横に振る。シキも不満があるのか、「ちょっと待ってよ」と1歩踏み出した。

 

 

「『特例に』って何? 私は普段から戦ってるから」

 

(ツッコむところそこ!?)

 

 

 というか、ナツメやキリノ、ガトウたちとの接し方に、次々と現れるマモノたちを鮮やかに処理していく姿。シキは候補生ではなく既にムラクモ機関の一員なのかもしれない。

 ならばなぜ、彼女は試験を受けているのだろう。というか、自分は彼女とチームを組んでいていいのだろうか。これはもう反則なのでは。

 彼女たちならば大丈夫だろうが、そこに自分も加わって、ムラクモの戦闘員さえ手こずる相手と戦うのか? と頭を抱える。

 

 同じく自分の存在が気にかかるのか、ナガレが「ちょっと待ってください!」と慌てて言った。

 

 

「こ、候補生を使うんですか? そんなことして何かあったら――」

「おまえが苦戦する相手だ。戦力は多いに越したことはねェ。それに……最近のマモノの出現頻度から見りゃ、後進の育成は必要だろ。おまえと俺だけで、日本全国のマモノを退治して回るわけにゃいかねェしな」

「まあ、それは確かに……。あー……そういうわけだから、準備してくれるかい?」

 

(おーーーいっ!?)

 

 

 あっさり意見が覆った。それでいいのか。

 

 

「断っても、多分無駄だと思うよ。ガトウさん、楽しくなってきちゃってるし……。でも、あれは、ヤバい。とにかく、万全の準備を整えたら……後は腹をくくって、ガトウさんについていこう」

「準備ならもうできてる」

 

 

 申し訳なさそうに笑い、せめてものお詫びに、というように耳打ちをしてくるナガレに対し、シキが即答した。

 そして、2人の教官と1人のチームメイトが、無言で視線を送ってくる。

 

 

「……」

 

 

 ついていく勇気など湧かない。しかし断る勇気も湧かない。

 背中を押したのは置いていかれることへの恐怖心と、もうどうにでもなれという自棄だった。

 

 

「……いき、ま……す」

「準備は万全か?」

「……はい」

「よォし……そンじゃ、ご対面といくか」

 

 

 何の躊躇いもなく、扉が開けられる。

 身にまとう雰囲気を刃のように研ぎ澄ませ、部屋に3人が飛び込んでいく。

 

 

(……わーーっ!!)

 

 

 決死の思いでその後に続き、

 

 

「あっ」

 

 

 自分を出迎えたマモノの姿を見た瞬間、本能で後ろに飛び退き、背中からドアに衝突して入り口を閉じてしまった。

 

 

「何こいつ……?」

「な、普通じゃないだろう? どう見ても」

 

 

 シキが訝しげに眉を寄せ、ナガレが銃とナイフを構えた。

 目の前にいるのは巨大なマモノ。確かに今まで相手にしたものとは段違いである。

 大きさも、その重圧も殺気もあまりに違いすぎて、段違いというよりは、まったく別の、「上位」の存在だと思った。

 

 

「り……竜?」

 

 

 丸太よりも太く厳めしい2本の脚には、間接に1本、足の先に鋭い爪が2本生えている。

 青い表皮に包まれた翼は大きく、車の2、3台は余裕で覆い隠せてしまうだろう。

 付け根から先まで強靭な筋肉が詰まっているように見える長い尾は、戦闘慣れしているガトウたちがそれぞれ得物を手にしても悠々と左右に揺れている。

 

 どこからどう見ても、ファンタジーの世界に出てくる竜そのものが、目の前にいた。

 



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 偶然=始まりの2人②

 

 

 

『本日は晴天です。桜も例年より早く満開になり、花見日和になるでしょう』

 

 

「それでは気を付けて、いってらっしゃい!」とにこやかに自分を送り出してくれたお天気お姉さんの笑顔を思い出す。

 そう、今日は3月31日。冬の寒さも鳴りを潜め、淡い色の花たちが優しく咲く、そんな穏やかな気候。まさしく春なのだ。

 

 Q.なのになぜ、自分はどこか別世界にも思える戦場に立っているのか?

 A.自分をここへ誘った手紙の内容をちゃんと把握していなかったから。

 

「バカ」の一言で済ませられる悲しい答えだった。現実逃避終わり。

 

 

 目の前で竜が唸り、遠のいていた意識が戻ってくる。

 ガトウの唇が歪んで弧を描いた。

 

 

「なるほど。確かにこいつは大物だ。だが、厄介な相手ほど燃えてくるのが男の性分よ……行くぞおまえら!」

『了解!』

 

 

 ちょっと待ってこの人たち頭おかしい。

 

 

「う、嘘でしょ!?」

「嘘じゃない!」

 

 

 思わず出してしまった叫びを即座に否定し、シキが右、ナガレが左、ガトウが真っ直ぐ飛び出す。

 黄色く濁った目玉が散り散りになった3人を捉える。ナガレとの戦闘で傷を負っているからか、瞬時に自分たちを敵と認識したようで、化け物は殺気を部屋中に迸らせた。

 

 

「おらぁっ!」

 

 

 負けじとガトウの怒号が響く。

 捕食しようと真っ直ぐ突き出された巨大な顎を跳んで躱し、彼は年季の入った大振りの剣を振り下ろした。

 刃は長い首を見事に捉えたが、さすがにラビのようにやわくはないようで、硬い物同士が衝突して削り合う音が鳴り、小さく火花が散った。

 

 

「駄目です、ガトウさん! そいつ、体表がすごく強固なんです。白い部分、腹側を狙ってください!」

「馬鹿野郎、そういうことは先に言え!」

 

「……腹、ね?」

 

 

 横に回って死角に潜んでいたシキが、肩を回してごきりと鳴らす。

 ナガレが銃で気を逸らし、ガトウが巨大な歯を受け止めている隙を見て、クラウチングスタートのような姿勢を取り、竜に向かって駆け出した。

 上体を落とし、小柄な体を活かして彼女は標的の体と床のわずかな間に潜り込む。前転し、頭と肩、そして両手を床に付け、倒立するように体を伸ばした。

 

 

「ふっ!」

 

 

 気合を乗せた息が勢い良く吐かれる。伸ばすというよりも射出に近い勢いで繰り出された両足が竜の腹にめり込んだ。

 がふうっ、と竜が息を吐き、広い部屋の半分以上を埋める巨体がわずかに浮かび上がる。

 続いてシキは跳躍し、今度は顎に強烈なアッパーを叩き込む。

 ナックルを装備している拳に打ち上げられ、下顎と上顎がぶつかった竜は天を仰ぐように大きく首を反らす。

 

 人間ができる技じゃないと鳥肌を立てていると、シキが鋭い目付きでこちらを振り返った。

 

 

「追撃!!」

「え!?」

「え? じゃなくて、追撃! これだけデカい相手なら外しようも遠慮もないでしょ! 突っ立ってないで早く!」

「あ、は、はい……っ!!」

 

 

 脳を(脳があればだが)揺らされているのか、呆けたように頭を左右に振っている竜に掌を向ける。

 遠慮はいらないと言われた。なら思いっきりやったほうがいいだろう。

 ガトウとナガレが自分の攻撃に巻き込まれないよう脇に下がる。

 

 意識を自分と標的だけに集中させ、エネルギーが真っ直ぐ的に向かうイメージを作る。

 それを保ったまま全身に力を入れれば、体の奥底から何かが唸りを上げて手に殺到し、火が螺旋を描いて手首から指先を包んだ。

 

 

「ん、ぐ……っう……!」

 

 

 今までもそうだったが、大きな力は簡単にコントロールできない。火力全開となればなおさらで、暴れ馬の手綱を握っているような感覚に指が痺れる。

 膨れ上がり、捩れ、それでも神経をつぎ込んで力を操る。試験前に支給された武器の助けもあり、火は標的に衝突してくれた。

 赤い熱に舐められ、竜の青い表皮が焦げて爛れていく。

 

 

「や、やった……」

「まだだ、いくぞ!」

「やるじゃないか。候補生でも、さすがS級だ!」

 

 

 間髪入れずにガトウとナガレが跳び上がった。

 ガトウが大上段の斬撃を入れ、だらしなく開いて舌が垂れる口に向けて、ナガレが銃とナイフで連撃を叩きこむ。

 今度は火花ではなく血の花弁が宙に散った。刃と銃弾をくらった竜からとめどなく血が溢れ出る。

 

 

「シキ、とどめだ!」

 

 

 ガトウが叫ぶ。

 指示を受けたシキは大きく伸びをしてから膝を曲げ、床全体を振動させて跳び、逆さになって天井に着地。

 真下にいる相手に向け、大砲となって突っ込んだ。

 

 

「──だあっ!!」

 

 

 下から顎にくらわせたアッパーとは逆に、上から激しい縦回転を加えた踵が振り下ろされる。

 小さな足が突き破る勢いで脳天に埋まり、ゴギンッ、という嫌な音を立てて竜の頭蓋が陥没した。

 

 断末魔に部屋中の空気がビリビリと震える。

 竜は集中砲火を受けた腹と頭から血をほとばしらせて倒れ、ピクリとも動かなくなった。

 

 ナガレがふう、と一息ついて得物を仕舞う。続いてガトウとシキが戦闘態勢を解くのを見て、無事に敵を倒せたのだと気付く。

 

 

「はっ──……」

 

 

 緊張の糸が切れるのと同時に体中から汗が噴き出し、腰が抜けた。

 ダルマが転がるようにして、汚れた床に情けなく尻餅をついてしまう。

 

 

「お疲れ様。大丈夫?」

「だ……だい、じ、だいじょばない……です……」

 

 

 整った容姿の男性が自分を心配してくれることだけが唯一の救いだ。

 深呼吸をして胸の内で暴れる心臓を落ち着かせ、疲労と恐怖に震えながらも、ナガレが差し伸べてくれた手を支えになんとか立ち上がる。

 床とドラゴンに残る焦げ跡を「派手にやったなァ」と眺め、ガトウがこちらを向いた。

 

 

「戦いには慣れてきたみてェだな? ムラクモの新人としても、まずまずの合格レベルだ」

「……どうも……」

 

 

 これが慣れてきたように見えるのだろうか。

 なぜこうも平然としていられるのだろうか。やはり彼らは頭がおかしい……いや、この場所にいつづけてなじめない自分の方がおかしいのかもしれない。

 

 

「しかし、このレベルのマモノ……一体どこから湧いてきやがった……? 他のフロアも確認しといた方がいいだろうな。このまま進むぞ」

 

 

 ヒュッ、と喉が鳴り、危うく悲鳴を上げかけた。

 

 これだけの怪物と戦って、まだ動く?

 

 チームメイトに視線で助けを求める。しかしそのチームメイトであるシキはほんの少し視線を合わせて肩を竦めただけで、労いも励ましも言ってくれない。

 ムラクモの人間にとってはこんなハードな戦いも許容範囲内だというのか。

 

 

(もう、何言ってもダメなんだろうなあ……)

 

 

 諦めを抱き、重苦しい倦怠感が圧し掛かる体に鞭を打って歩く。

 すると5階に続く階段まで来たところで、不意にガトウが足を止めた。

 反応が遅れてその背にぶつかったシキが「急に止まらないでよ」と鼻を押さえる。

 ガトウは適当に頷き、何やら渋い顔でこちらを振り返った。

 

 

「そンじゃあ、俺とナガレは他のフロアを調査してくるぜ」

「なんで? 急にどうしたの」

「あちこち咲いてる、妙な花も気がかりだ……ちっと、ヤバい気配がする」

「花?」

 

 

 ガトウの言葉に周囲を見回す。

「妙な花」というのは、部屋の隅や壁にバラバラに生えている植物のことでいいのだろう。

 言われてみれば確かに妙だ。花の咲き方、並び方には統一性もデザイン性もなく、内装だとは思えない。というかついこの間まで一般人に使われていた建物の中に繁茂する時点でおかしい。

 

 腰を落とし、足元に咲いている1輪を観察してみる。

 花弁は内側から外に向かうにつれて、眩しい白からオレンジ、燃えるような紅蓮に染まり、小さな火のように見えた。

 その色だけなら綺麗なのだが、花弁に縦に走る線が血管を連想させてしまう。紫の茎と葉も相まって、「美しい」ではなく「不気味」という感想が先に浮かんだ。

 

 

(この花、なんていうんだろ……)

 

 

 あとで調べてみようと、幸い壊れていないスマホを取り出し、ピントを合わせて写真を撮る。

 その横では、シキがガトウに対し抗議の声を上げていた。

 

 

「ヤバいって何それ。なら私たちも……」

「おまえは相棒と一緒に、そっちのエレベーターを使って屋上に行け。他の合格者が、そこで待機してるはずだ」

「なんでよ!」

 

 

 納得できないようで食い下がる少女に、「忘れるなよ」とガトウは声を低くする。

 

 

「おまえも、そこのサイキック姉ちゃんも、ここに1人でいるわけじゃねェ。いいか? おまえらは、『2人でチームを組んで』試験受けてンだ。この試験が終わるまで、候補生の立場だってことを忘れるな」

「なっ、でもさっき戦えたし!」

「おまえのパートナーはもうへろへろじゃねェか。正式なムラクモでもない人間をこれ以上仕事に付き合わせる気はねェ。合格だから屋上行って一緒に休んでろ」

「……」

 

「じゃあな。行くぞ、ナガレ」

「はい。2人ともお疲れ。合格おめでとう」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 

 階段の奥に消えていく背中を見送り、握り拳を作って立つシキにおずおずと声をかける。

 

 

「……えっと、行く?」

「……」

 

 

 文句も言わず鼻も鳴らさず、眉間に深い溝を刻み、少女は大股で歩き出す。

 慌てて後ろについてエレベーターに向かう。不満気なシキには悪いが、能力を使うことで体力だけでなく気力も多大に消費していた自分としては、ガトウの判断に感謝せざるを得ない。体も頭も文字通りエネルギーを失い、思考が鈍ってきていたのだ。

 合格したことや、今後ムラクモ機関に入るか入らないかということは一旦置いておき、これでやっと休める。今日はいい天気だし、屋上で日差しを浴びれば気持ちよく熟睡してしまうかもしれない。

 

 気が抜けて思わずあくびが漏れそうになる。まあいいかと大口を開けて息を吸い込んで──、

 

 

『エマージェンシーコール』

 

 

 ──聞き覚えのある声が都庁内に響き渡り、あくびが中途半端なところで止まってしまった。

 この声は確か、都庁前広場でナツメの隣に立っていた男性、キリノのものだ。

 誰かと会話という様子ではなく、キリノは若干早口で放送を続ける。

 

 

『……緊急事態です。巨大なマモノが、都庁屋上に降り立ったと観測班から報告がありました。ガトウ、ナガレの2名は審査を中断し、直ちに該当のマモノを討伐してください』

 

「屋上?」

 

 

 シキの肩が小さく揺れる。次いで候補生用に支給されていた通信機から、ガトウの声が聞こえた。

 

 

『ちっ……本命は屋上かよ! おいシキ、聞こえるか?』

「聞こえる」

『俺たちもこれから屋上に向かうが……おまえらの方が場所が近い。屋上に向かって、他の連中の援護をしろ』

 

 

 ガトウの指示に今度は自分の顔が引きつった。

 

 

(屋上に向かって、援護……?)

 

 

 それは、それは、つまり。

 

 

『ヤバそうなら逃げても構わねェ。……頼ンだぞ』

「逃げるわけないでしょ。あんたたちが来る前に、さっさと終わらせる!」

 

 

「いくわよ!」と自分を振り返ったシキの顔は、満面の不敵な笑みだった。

 

 

「……嘘ですよね?」

「嘘じゃない! 行くわよ!」

「そんな……ま、待って、待ってよぉー……!」

 

 

 年甲斐もなく涙が零れる。しかし進むという選択肢は消えなかった。

 屋上は合格者が集まる唯一のゴール地点であるし、何より人がいる。人命が関わっているのなら、面倒くさがっていてはいけない。

 疲れた体に鞭打って屋上に続くエレベーターに乗り込む。

 

 キリノは「巨大なマモノ」と言っていた。もしかしたら、さっき戦ったドラゴンと同種かもしれない。

 またあんな化け物と戦うのかと考えると冷や汗が止まらない。屋上にいる合格者たちが無事に倒してくれているのを祈るばかりだ。

 

 目の前が暗くなっていく自分とは裏腹に、傍らに立つシキは防具を着用しなおし、英気を養っているように見える。その無尽蔵の闘志はどこから湧いてくるのだろう。

 

 

「……ねえ、どうしてそんなに戦いたがるの?」

「戦いたいからに決まってるでしょ」

 

 

 屋上に登っていく小さな箱の中、まだかまだかとドアを見据えるシキに質問する。

 てっきり無視されるか突っぱねられるかと思っていたが、彼女はあっさり応答してくれた。

 

 

「戦って、私1人でも問題ないってナツメたちに証明する。今日は無理矢理試験に放り込まれたけど、逆に考えれば素人とは違うってことを見てもらう機会だし、改めて『チームなんか絶対に組まない』って意思表明する」

 

「なる、ほど……」

(まあ実際、踵落としでドラゴン殺してたしなぁ……)

 

「あんたは」

「え?」

「戦うの? それなりの能力は持ってるってわかったわけだけど」

「あー……えっと、とりあえずこの試験が終わるまでは」

「ふーん」

 

 

 会話からも自分からも興味が消えたようで、シキはそれ以上喋らない。

 そうこうしているうちにエレベーターは屋上に着いたようで、チーンと音が鳴り、ドアが左右にスライドする。

 

 

「じゃ、ガトウたちが来る前に倒すわよ」

「う、うん」

 

 

 意気込むパートナーに続いて屋上に出た。

 生温い風に迎えられ、それに含まれる鉄のような匂いに顔をしかめる。

 

 

「……あれ……?」

(今、何時だっけ?)

 

 

 空が赤い。

 

 今はまだ昼のはずだ。なのに、都庁に入る前は青かった空が夕暮れのように赤い。屋内で見た妖しい花のような色に染まっている。

 

 鳥の群れだろうか。空の彼方を、ゴマのように小さな無数のシルエットが飛んでいるのが見えた。

 



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3.赤、紅、朱 - Encount ウォークライ -

いよいよウォークライさんが登場。ナナドラ恒例の負けイベントだ!




 

 

 

 屋上に見える異形の影。つい先刻倒した、大型のドラゴンと同じマモノだ。

 数は1体。しかしその1体に、自分たちよりも先に到着していた合格者たちは無残に蹂躙されていた。

 

 

(赤い)

 

 

 赤い花が一面に咲いている。屋内でも見た花だ。

 そしてそれとは別に、黒ずんだ赤が地面のあちこちにべったりと飛び散っている。屋上に漂う鉄臭さはこの赤が放っているようだ。

 

 

(これって、)

「血──」

 

 

 花弁ではなく血液だと気付くのと同時に、ドラゴンが牙を剥く。

 数メートル先に立っていた男がもろに一撃をくらった。鮮血が宙に吹き散り、ボールのように体が跳ねて転がる。

 

 

「う……ぐ……」

 

 

 体中にできた傷や歯形、そして口の端からどろりと血が流れる。

 男は目を半分開けたまま、微動だにしなくなった。

 

 

「──」

 

 

 全身が粟立ち、手足の指先から体の芯まで熱が消えていく。

 ゲームや漫画での場面なら大丈夫だ。紙面で霧吹きで吹いたように細かく飛び散るインクに、画面の中で弾けてはいつの間にか消えていく赤い光。

 けれど目の前にあるのは現実で、自分が生きている世界だ。嗅覚は鉄臭さを嗅ぎ取り、聴覚は嫌な音と悲鳴を拾い上げ、視覚は血肉のまだらの赤を忠実に捉える。

 

 目の前の男を入れて、屋上には6人の男女が転がっていた。誰もが全身から血を流して力なく横たわっている。

 

 

「っあ、そうだ、応急手当!」

「ダメ」

 

 

 駆け出そうとした瞬間、シキに腕をつかまれる。

 どうしてと振り返ると、自分より年下の少女は冷静に倒れている人間を観察し、淡々と言い放った。

 

 

「もう全員死んでる」

「嘘……」

「嘘じゃない」

 

 

 3度目になるやり取りを交わし、時間が止まったような沈黙が降りる。

 それを食い破るように、口を血に濡らしたドラゴンがこちらを向いた。

 

 

「これだけ殺しておいて懲りないなんて、やっぱりマモノってのは徹底的に駆除しないとダメね」

 

 

 下がってと肩を押される。シキは目の前の化け物を見据えて肩を回した。

 

 

「仇討ちだと思って戦えば。動けないなら下がってて。あんたが死んだらナツメたちに何て言われるか」

 

 

 竜が吠える。空気を振るわせる咆哮に臆することなくシキは走り出した。

 さっきは教官のガトウとナガレがいたが、今2人はここにいない。

 候補生とはいえ、S級の能力持ちだと判断されムラクモに呼ばれた異能力者たちを殺した敵に、実質1対1だ。本来なら加勢すべきだろう。

 

 けれど、

 

 

(なんで)

 

 

 足から根でも生えたのか、自分の意思では1歩も動くことができない。

 目の前で人が死んだのだ。1時間ほど前に広場で自分の左右に立っていた人間が、惨い死体になって転がっている。

 

 

(あっけない)

 

 

 長い尾が鞭のように薙ぎ払われる。シキは地面に伏せ、自分の頭上を掠める尾に下から跳びついた。

 

 

(ついさっきまで生きてた)

 

 

 少女を振り落とそうとドラゴンは暴れ、激しく尾を振り回す。

 シキは振り落とされないよう体の向きを変えながら尾の先端にしがみつく。そのまま、死んだ誰かが使っていたであろう刃物をつかみ取った。

 

 

(死ぬって、こんな簡単に)

 

 

 痺れを切らしたのか、尾が根元から高く高く上げられる。

 その先端が塔のように天に向いた瞬間、シキが手を離して跳んだ。

 

 

「くらえ!!」

 

 

 右手に剣を、左手には腿のホルダーから抜いたナイフを握り、空を仰いだマモノの両眼に突き立てる。

 屋上に耳障りな絶叫が響く。

 

 

「……嘘だ……」

 

 

 現実が受け入れられない。

 こんなの、自分が知っている世界じゃない。

 なんであの子は平気なんだ。

 

 少女が両目が潰れた相手に追い討ちをかけていく。

 彼女が竜の息の根を止めるまで、茫然自失で立ち尽くすことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「おい、無事か!?」

 

 

 竜が倒れるのと同時にドアが開け放たれた。

 ガトウたちが屋上に駆け込んできて、その惨状に足を止める。

 息を切らして肩を上下させながら、ナガレが俯いて頭を横に振った。

 

 

「犠牲者を出してしまったか……」

「……おまえらはよくやった。責任を感じることはねェぞ」

「別に」

 

 

 ガトウの言葉も、シキの素っ気ない返事も頭に入ってこない。

 血の臭いに視界が霞む。汗ばむ手で服の裾を握り締めていると、肩にガトウの拳が軽く当てられた。

 

 

「おい、大丈夫か?」

「あっ……、……はい。大丈夫です」

「俺たちは、他にもそのデカブツがいないかもう1度確認してくる。おまえらは、ここで待機してろ。あとで迎えを来させる……いいな?」

「はい」

「シキ、頼んだぞ」

 

 

 無言で頷いたシキに頷き返し、ガトウはナガレと共に踵を向けた。

 遠ざかっていく足音を聞き流しながら少しずつ我に返る。

 そういえば、結局動けないままシキに1人で戦わせてしまった。大きな怪我はしていないものの彼女の防具には傷が付き、セーラー服のところどころは小さく切れて汚れている。

 

 

「……あの、ごめんね、1人で戦わせちゃって」

「別に。足引っ張ってくれなければいい」

「メディス、使う?」

「いい。大して怪我してない」

「……そっか」

 

 

 ぽつりぽつり、ごめんなさいと呟く。シキへの謝罪か、そこで転がっている人間への謝罪かは自分でもわからない。

 ただ、自分が文句を言わずに頑張って進んでいればもう少し早く屋上に着いたかもしれない。他の候補生たちと一緒に戦って、犠牲が出ることはなかったかもしれない。

 ガトウは責任を感じることはないと言っていたが、「そうですか。じゃあ」と流せるわけがない。せめて、目の前で殺されてしまった男を助けられる可能性はあったはずだ。

 

 

「……? っ──」

 

 

 何も言わずに佇んでいたシキが、不意に空を見上げる。

 そして大股で自分に歩み寄り、腕をつかんで引き寄せた。

 

 

「わ、な、何?」

「あれ」

「ん……?」

「何よ、あれ……」

 

 

 シキの眉間にぐっとしわが寄る。今までのように怒りや不満ではなく、焦りと疑問で歪んだ表情に見える。

 その視線を追って空を見上げる。

 色は相変わらず怪しい赤色で、たくさんの鳥の影が舞っていた。本当に夕方になってしまったかのようだ。

 

 

「え」

 

 

 違う。鳥じゃない。

 

 影たちはじわりじわりとこちらに近付いている。1秒が過ぎるごとにそのシルエットは鮮明になり、大きすぎる翼が、いかつい口や体が、そして揺れる長い尾の形が見えた。

 

 

「あれ、全部……」

 

 

 今度はシキが「嘘でしょ」と呟いた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「……わかりました」

 

 

 ご苦労様ですとガトウたちを労ってキリノは通信を切る。

 バンの中で待機していたナツメがドアを開けて歩み寄ってきた。試験の経過への問いに、キリノは表情を曇らせて報告を始める。

 

 

「イレギュラーです。……多くの犠牲者が、出てしまいました」

「気の毒なことをしたわ……でも、もう立ち止まっている時間はない」

 

 

(犠牲者だって……!?)

 

 

 2人から少し離れた場所に立つ自衛隊員の堂島 凛は目を見開いた。

 

 一体、何を言っているんだ。

 

 マモノを討伐せずに都庁内に閉じ込めどうするのかと思えば、ムラクモ機関が行う選抜試験での誘導を命じられ、その受験者はほとんどが学生の若者たちだった。しかも彼らは、近年稀に見られる異常な能力を持つ人間だというではないか。

 得体の知れない組織に得体の知れない人間。どちらも詳細は知らないが、死者が出るなんて聞いていない。

 

 状況がまったくつかめない。自分はこのままここに立っているだけでいいのか?

 

 

(これじゃ、まるで案山子(かかし)じゃないか)

「……何が誘導だ」

 

 

 自衛隊がいるこの場で、出してはいけない死者が出たことに、堂島は歯を食い縛った。

 そんな彼女の思いを知ることなく、ムラクモ機関の2人は会話を続ける。

 

 

「……合格者は?」

「1チームだけのようです。シキと、シバさんの……」

「そう──」

 

 

 緊急事態を告げる警報が鳴り響き思考を断ち切る。

 

 ナツメは合格者たちがいるであろう屋上から現在位置に視線を戻す。

 キリノは耳もとの通信機に手を当て、本部の通信室に声を飛ばした。

 

 

「……どうした!?」

『都庁上空に生体反応あり。高速で接近中!』

 

「まさか……!」

 

 

 上空、と聞いて一斉に空を見上げる。

 銃を片手に持った自衛隊員が目を見開いて2、3歩後退った。

 

 

「な、何だありゃ……!?」

 

 

 都庁の上を、無数の翼を持った影が飛ぶ。

 その中でも一際大きく赤い個体が、咆哮を轟かせて急降下してくる。

 開かれた顎に人の頭よりも大きい牙を確認した瞬間、その口腔から吐き出された剛火が広場の一部を吹き飛ばした。

 

 

「──え?」

 

 

 宙を舞う人間と車の破片を、全員が呆然と見上げる。

 数秒経って相手が桁違いの化け物だと本能が悟り、彼らは恐怖に飲み込まれた。

 赤い怪物は広場に降りたち、周囲にいる人間に牙を向けたものの、まるでここに獲物はいないというようにすぐに飛び立ち、都庁の屋上に昇っていく。

 入れ替わるように、都庁内と屋上で確認されたという巨大なマモノたちが次々と広場に降り立ってきた。

 もうムラクモも自衛隊も関係ない。人間の存在を容易く消してしまう威圧感を持った存在に追われ、広場はパニックに陥った。

 

 大きな翼に長い尾。巨体と鋭利な牙。

 その姿に、逃げることも忘れてナツメは立ち尽くす。

 

 

「これ、は……!?」

「まさか、こんな数のマモノが……!? 今の……我々では……」

 

「撤収します! 都庁内の合格者にも、帰還するよう命令を!」

 

 

 ナツメが指示を出す。

 シキとミナトの無事を祈りながら、キリノは通信機を都庁内の全体放送に切り替えた。

 

 

「緊急事態発生、全ての生存者は都庁内から帰還せよ! 繰り返す! ただちに、都庁内から──」

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

『緊急事態発生、都庁内から帰還せよ! 繰り返す!』

 

 

 キリノの声が響く。

 事態の詳細は把握できないが、上空を滑空していくマモノの大群を見れば、試験どころでないというのは考えずともわかった。

 

 

「なにこれ……!? ねえ、どうすればいいの!?」

「こんな数、いくらなんでも捌けるわけない。キリノに従って一旦ここから、っ!?」

「わっ……!?」

 

 

 強風が背中を叩く。危うく態勢を崩しそうになって踏み止まるが、続いて起きた大きな揺れに膝を着いてしまう。

 地の底から湧き上がるような唸りを聞いて振り返る。

 屋内で戦ったものよりもさらに大きい、赤い怪物が自分たちを睨んでいた。

 

 

「何、こいつ……!?」

「マモノ……じゃ、ない」

 

 

 マモノの類なのかもしれないが、この試験の中で自分が知ったマモノとは全てが違う。

 規格外だ。体の大きさだけではない。存在感も、そこから窺える獰猛さも、何もかもが根本的に。

 

 

「──ドラゴン」

 

 

 今度こそ確信する。

 目の前に舞い降りた生物は、マモノと一括りにしていい存在ではない。

 



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 赤、紅、朱 - Encount ウォークライ -② *

都庁から逃げるところまで。
都庁前広場にいたガトウさんたちこの時めちゃくちゃ頑張ってくれてたんだよなぁ……。

2020/11/01 挿絵追加しました。



 

 

 

『……聞こえ……か? ただちに……撤退……! 繰り返……ただ……に撤退を…………』

 

 

 ブツンッ、と通信が切れた。次いで体が重くなるような錯覚に襲われる。

 駄目だ、少しでも動けば真っ先に狙われる。狙われて、噛み砕かれるのを通り越して怪物の胃袋の中に落ちるだろう。

 同じ恐怖を抱いているのか、シキも微動だにしない。

 しかしほんの数秒で屋上全体を押さえつける威圧感から抜け出し、彼女は1歩前に踏み出した。

 

 

「……いい? 私がこいつの相手するから、あんたはできるだけ速く、全力で逃げて」

「え、何、何を……無理だよこんなの相手に!」

「死にたくないならあんたがまず先に逃げて。じゃないと私が退けない!」

 

 

 実力のある自分が囮になって、それから逃げるのが2人ともに生存率が高い方法だと断言される。

「行け! 早く!」と怒鳴りつけ、勇敢か無謀か、シキは赤いドラゴンに向かって走り出した。

 

 

(そんな……!)

 

 

 駄目だと本能が告げていた。

 いくら彼女でも、あのドラゴン相手は危険すぎる。戦闘の経験がなくてもわかる。勝てるはずがない。

 

 赤くて巨大な鼻面に拳が飛ぶ。

 少女の拳に装備されたナックルは真正面からドラゴンの顔面を捉え……鈍い音をたてて弾き返された。

 

 

「な……っ!?」

 

 

 ドラゴンが天に向かって吠え、大きく息を吸い込んだ。

 口から赤い炎が漏れ出るのを見て、過程を飛ばし、事実のみが頭に突きつけられる。

 

 このままだと、死ぬ。死体も残らず全てが消える。

 

 足の裏が地面から剥がれた。

 

 

(に、逃げ、逃げなきゃ)

 

 

 そうだ、もう何かを考えている場合ではない。死ねばおしまいなのだ。

 一刻も早くここから……。

 

 1歩、2歩。

 扉に向かい──、

 

 

「……っ!!」

 

 

 反転し、よろめくシキのもとに向かう。

 

 ドラゴンが顔を下ろし、大きく開いた口をこちらに向けた。途端に熱気が見えない波となって押し寄せ、熱さが皮膚を襲う。

 それでも走った。棒のように固まり、力が入らない足で地面を蹴って、少女の背中に縋る。

 シキが驚いた顔で振り向く。

 なんで、と彼女の口が動くのと同時に、ドラゴンが火球を吐き出した。

 

 

 屋内に咲いていた花を思い出した。白、オレンジ、赤の暖色のグラデーション。

 目に焼きつく浮世離れした不気味さと、畏怖を覚える美しさ。

 それと同じ色をした炎が目前に迫る。

 

 

(やばい)

 

 

 やばい、やばい、やばい。

 死──

 

 

 

 

 

(──に、たく、ない)

 

 

 両手を前にかざす。

 掌からドラゴンのとは別の、この試験の中で散々使ってきた自分の火が溢れ出す。

 目の前が真っ白に染まる。

 

 

「   」

 

 

 目が焼ける。

 熱が全身を包んで、全ての感覚が吹き飛んだ。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「チッ……! 数が多すぎるぜ、こりゃ!」

「ナツメさん、早く! これ以上はもちません!」

 

 

 迫りくる竜をガトウが斬り飛ばす。

 辛うじて包囲されていない広場で、キリノはムラクモ機関の総長に車に乗るよう叫んだ。

 しかしナツメは動かない。顔に焦りを浮かべつつも凛とした佇まいを崩さず、都庁を見上げる。

 

 

「……まだ合格になった子が、シキとシバさんが戻ってきてないんでしょう?」

「しかし、このままでは……!」

「もう少し……あと5分だけ、待たせて」

「し、しかし……!」

「その点についちゃ、俺も賛成だ! ここであいつら見殺しにしたんじゃ、何のために審査やったかもわからねェ!」

 

 

 ナガレとともにガトウは絶えず剣を振るう。

 

 まだまだ小さな子どもだが、シキの諦めの悪さ……もとい根性は折り紙つき。ガトウ含めムラクモ全員が呆れるほどだ。

 一緒に行動していたシバという女性は戦闘に向いているとは思えないが、まったく戦えないわけでもないだろう。

 ハードな選抜試験を潜り抜けたのだ。あの2人は必ず戻ってくる。

 

 確信を持って戦い続けていると、頭上で大きな爆発音がした。遅れて風が吹きつけ、髪をばらばらに乱れさせる。

 全員が顔を上げる。赤い空を背景にそびえ立つ都庁の屋上が、轟々と燃え盛っていた。

 

 

「シキ……!」

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「いや~、やっと着いた……エレベーター使えなくなってんだもんな~」

「運動不足のおまえには丁度いい……」

「……それ、遠回しにデブって言ってない?」

 

 

 痛い。

 

 頭に誰かの声がガンガン響く。

 

 痛い。体中が痛い。痛くない場所がわからない。

 

 

「そんなことより、見ろ……」

「アレが『ドラゴン』ってやつ……?」

「……だろうな。タケハヤの言った通りだ」

 

 

 うるさい。喋らないで。

 

 肌に吹きつける風も、誰かの声も、全てが体を痛める刺激に変わる。

 意識が朦朧とする中、なんとか目蓋を持ち上げる。

 目の前には相変わらず赤く不気味な空が広がっていて、仰向けに倒れる自分の上に、何かが乗っていた。

 

 何が起こった? どうして自分は倒れている?

 確か、巨大な竜型のマモノと戦って、突っ込んでみたが火を吹かれて……それで。

 曖昧な記憶が正しければ、相手が吹いたのはただ倒れる程度の火ではなかったはずだ。生き物だろうが無機物だろうが、全てを焼き尽くすような火炎。

 至近距離で、真正面からまともにくらったというのに、灰にならずに五体満足で生きていられるなんて……。

 

 

「……!?」

 

 

 痛みを堪えて体を起こす。

 自分の上に乗っていたものが、ごろりと横に転がった。

 

 

「……あんた……」

 

 

 ほとんど焦げた冬物の上着。つい先ほどまで一緒に試験を受けていた女性だ。

 

 そこでようやく思い出した。自分が突っ込んで火に焼かれそうになった瞬間、この女に引き寄せられた。そして彼女は何を思ったのか両手をかざし、今まで見た中でも大きな炎を派手に吹き出したのだ。

 それでも相手の火力にはてんで敵わず、2人まとめて吹き飛ばされたのだが。

 

 確か彼女の名前は……、

 

 

「……! 背中!!」

 

 

 まともに動かない四肢を引きずって傍に寄る。

 うつ伏せに転がる女性は脇から背中にかけて大きな火傷を負っていた。

 後ろに突き飛ばされた自分は比較的軽傷だが、目の前で火に覆われた彼女の火傷はひどい。箇所によっては炭化しているようにさえ見える。痕が残る程度の問題ではない。

 

 口に手を当てる。今にも消えそうではあるが、小さい吐息が手の甲に吹いた。

 

 

(まだ生きてる……!)

 

 

 ポケットに手を突っ込む。ひびが入っているが中身は漏れ出していない治療薬を取り出し、蓋を開けて背中に振りかけた。しかしこれでは応急処置にもならない。

 

 不意に生温かい息が顔にかかった。

 

 

「っ、」

 

 

 目の前に堂々と立っている竜が、何を考えているかわからない目で自分たちを見下ろしている。

 その余裕な態度に本来なら腸が煮えくり返っていたことだろう。しかし今は怒る気力も体力もない。思考は痛みに遮られ、どうすれば逃げられるかもわからない。

 

 

(それでも、)

 

 

 諦めたらそこで終わりだ。自分も彼女も、まだ生きている。生きているならどうにかできる可能性は必ずある。

 

 隣で彼女が死にかけているのは、焦って突っ込んだ自分の責任だ。

 何としてでも、いざとなったら屋上から飛び降りてでも脱出して、まともな治療ができる場所まで避難しなければ。

 

 意気も虚しく膝が崩れる。

 威勢だけではどうにもならないのだと突きつけられるように、意識に霞がかかり始めた。

 

 

「ん~? アレ、生きてるよね……?」

「……みたいだな」

「ど~する? 助けるギリもないけど」

「目の前で死なれるのは寝覚めが悪い……ネコ、援護しろ」

「はいはい……ダイゴならそう言うと思ったけどさ~」

 

 

 足音が近付いてくる。

 丸太のような太い足、滑らかな線の足が、項垂れる視界の端にわずかに入り込んだ。

 

 

「でも知らないよ? 余計なことして、後でタケハヤに怒られても」

「……おまえが黙っていれば済む話だ」

 

 

 火に炙られて痛む体に冷気が吹きつけ、次いでその隣から湧き上がる大きな闘志を肌で感じる。

 

 巨大で圧倒的な化け物を前に軽口を叩き合う2人の人影が臨戦態勢を取る。

 大きな力が弾けて竜に向かうのを見て、再び意識が落ちた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 同刻、アメリカ、ホワイトハウス──

 

 

「わかった……そのまま警戒を続けてくれ」

『──了解』

 

「……何か、問題が?」

 

 

 組んだ両手を顎に当てていると、部屋のドアが開き、1人の女性が入ってきた。

 

 

「南アフリカにも、やつらが現れたそうだ。EU、中国、日本……恐らくロシアもだろうな。これで5件目──いや、我が国を入れて6件目か」

「……被害状況は?」

「他の国については、どうだろうな……情報がほとんど入ってこないのでね。しかし、まあ……まともに戦えるのは我々だけだろう」

 

 

 決して外の国を馬鹿にしているわけではない。世界中に出現しているであろう未知の敵に対し、世界各国の中でもこちらには情報のアドバンテージがあるのだ。

「まったく、君の予見通りというわけだ」と、アメリカ合衆国大統領のミュラーは目の前に立つ女性に苦笑いを浮かべた。

 

 

「君を今の地位に引き上げたのは、正解だった」

「全ては、閣下が私の言葉を信じて下さったからかと」

「正直なところ……全てを信じていたわけではないよ。ただ、私は君の持つ知識と技術が必要だった……それだけの話でね。

 まあ、こうしてドラゴンが現れた以上、今は君の言葉を、誰よりも信じているが……」

「奴らは強大な相手です。これでも、勝てるかどうかは……」

「我々は、やれることをやるだけさ。引き続き前線の指揮は頼むよ、」

 

 

 エメル。と名を呼ばれ、どこか異国の雰囲気を漂わせる女性は力強く頷く。

 

 

「心得ています、閣下……」

 

 

 エメルは大きく一礼をし、ミュラーに踵を向ける。

 

 

(勝ってみせる……今度こそ、な)

 

 

 背筋を伸ばし、ぴっちりまとめられた金の髪をなびかせて、彼女は大統領の一室を後にした。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 どのくらい時間が経ったのか。5分をとうに越えたのは確かだ。

 広場にいる竜をほとんど倒し、ガトウたちが滴る汗を拭っていると、都庁入り口のドアが開く。

 シキたちが戻ってきたかと振り向いた一同の目に映ったのは2人の男女で、その姿にナツメはわずかに眉を寄せた。

 

 

「生き残りはこいつらで最後だ……さっさとここから離脱しろ」

 

 

 筋骨隆々の大柄な男が、脇に抱えていた少女と女性を地面に下ろす。

 待ちに待っていたシキとミナトの2人は気を失っていて、共に大きな怪我を負っていた。

 

 

「……まさか、あなたたちがムラクモの人間を助けるとはね……」

「……タケハヤからの伝言だ」

 

 

 ナツメの言葉には反応せず、男は淡々と伝言を告げる。

 

 

「『こっちはこっちで好きにやる。手を出してくるんじゃねえぞ、バァさん』」

「……」

「にゃはははは! 怒るとシワが増えるよ~!」

「じゃあな」

 

 

 2人組はさっさと去っていく。

 その背から倒れ伏すシキとミナトに視線を移し、2人の傷に顔色を変えたナツメはキリノたちを振り向いた。

 

 

「彼女たちを収容して! すぐに撤収します、急いで!」

 

 

 傷口を広げないよう、慎重かつ素早く2人が運び込まれる。

 全員を乗せたバンがUターンをして脱出する後を追って、都庁には赤い花が波のように咲き乱れた。

 

 そして同時刻。都庁の屋上に君臨する赤いドラゴンと同じく、一際大きな影が6つ、東京各地に散っていった。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 桜が枯れ果て赤い毒花が咲く。青かった空が暗雲と異常な暖色と、竜たちの影に覆われていく。

 

 最小の1を裏返せば最大の6になる賽のように、世界は反転した。

 

 

 

SEVENTH DRAGON 2020

 




挿絵の8人は2020-iiをプレイしたときに新しく加わった弊13班メンバーです。それぞれがそれぞれの場所で被災しててんやわんやでした。
本来はルシェの男女も加えて10人なのですが、ルシェ組はこの時点ではまだ生まれていないので……。
うちのオタク♂くんはキャラTではなく迷言Tシャツ着てる設定です。この日はアイドル♂のライブの手伝いで裏方仕事をしていたので「裏方」とプリントされた物を着ていました。



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4.全ての竜を狩り尽くせ

長い間気を失ったことがないのでわからないのですが、普通の人間は1か月以上も意識不明、点滴だけで大丈夫なんですかね?


 

 

 

 暖色よりも寒色が、特に青色が好きだった。

 女は群れていないと不安になってしまう生き物らしく、自分も例外ではなかったし、そういう事情を抜きにしても友達と一緒にいるのは楽しい。

 だから小、中、高校時代は家の外では大体誰かと一緒にいた。

 高校ではさすがにみんな人の輪を重んじるようになり、誰かに無理強いをするようなことはなかった。

 けれどその考え方がまだ未熟な小、中では、常に我の強いリーダー格に従うのが当たり前で、ことある毎に「仲良しの印」として同じアイテムを色違いで買っていた気がする。

 ピンクに赤といった女の子らしい色はいつも最初に取られてしまう。自分は青や緑といった残り物の寒色しか選べなかった。

 

 だからだろうか。服も小物もゲームのキャラクターも、馴染みのある青を中心に冷えた色を自然に選ぶようになり、いつの間にかその色が好きになっていた。

 

 それを自覚してからも、赤という色に触れたことは、あまりない。

 

 赤は何の色だった。

 

 

(血だ)

 

 

 赤は何の色だった。

 

 

(火だ)

 

 

 熱い。熱い。

 痛い。

 

 

(やめて)

 

 

 赤は 何の  色   だった

 

 

(火が──!)

 

 

「──あああっ!!」

「っうわ!?」

 

 

 自分の絶叫で目が覚める。すぐ隣でガシャンと大きな音がした。

 

 目に映る世界が黒一色の暗闇から知らない部屋へと一転した。

 眼だけを動かして見回してみる。カーテンで囲いが付いているベッドと、何かの機械が複数。白を貴重とした清潔感のある部屋。おそらく医務室の類だ。

 

 なぜこんなところにいるのだろう。そもそもここはどこだ。部屋ではなく地名が知りたい。自分は今どんなところにどういった事情で寝ていたのか。

 

 

「っつー……いきなり飛び起きないでよ! びっくりした……」

「え、あ、う、すみません……? えっと、」

 

 

 誰、と言いかけて、相手を見る。

 目鼻立ちがはっきりしている少女だった。すらりとした小柄な体はお洒落なセーラー服を見事に着こなしている。格好からしておそらく中高生だろう。

 この顔、この子、見覚えがある。

 冷水を被ったように意識が冴えた。

 

 

「……えっと、シキ、ちゃん? ですか」

「……そうだけど」

 

 

 やれやれと頭を振って、床に尻餅をついていたシキは立ち上がる。同じように床に転がっているパイプ椅子を見るに、自分の起き方に驚いて倒れてしまったのだろう。

 その姿をまじまじと見つめ、あることに気付く。聞いてはいけない気もするが、強かな彼女のことだ、大丈夫かもしれない。

 

 

「ねえ、その、髪。どうしたの……?」

「髪? ああ、これね。燃えた。大したことないけど」

「燃えた!?」

「あんたも例外なく燃えたからね。髪、短くなってるでしょ」

 

 

 黒絹のように風になびいていた少女の髪が、まだロングの長さではあるが短くなっている。

 失恋したから切ったという少女マンガのような理由ではなかった。次元が違った。というか自分もそれなりに短くなっていた。

 そして「燃えた」という言葉が頭に引っかかる。

 その単語が芋づる式のように次々と記憶を引きずり出し、やっと何があったのかを思い出した。

 

 

(そうだ。確かムラクモ機関の選抜試験に来て、何か変なのがいっぱい出てきて……)

「すごい大きなドラゴンに、火を吹かれて、」

 

「火」。

 

 全身が疼く。燃え上がるような痛みに体を曲げて苦悶すると、シキが頭の上にタオルを放り、ペットボトルを突き出してきた。

 飲み口が無理矢理口にねじ込まれ、水が流れ込んでくる。その冷たさに体温が少し下がったような気がした。

 タオルで強引に汗を拭いながら少女が尋ねてくる。

 

 

「まだ飲む?」

「ンーンンンーッ!」

「あっそ」

 

 

 首を横に振って口からボトルが抜かれる。

 フタを閉めながら椅子に座り、シキは現状の説明を始めた。

 

 

「私たちは都庁の屋上で、あの赤い竜にやられた。で、このシェルターに運び込まれて治療を受けて眠ってたの」

「シェルター?」

「ムラクモが所持してる地下シェルターよ。都庁の中で戦った、青くて大きいマモノは覚えてる?」

「ああ、うん……あのドラゴンみたいなやつ」

「外ではあれが大量発生してる。普通のマモノとは強さが段違いだってことで、無事な奴らを連れて一旦避難したみたいよ」

「へえ……ねえ、今日何日?」

 

 

 おもむろに首を傾げて訊ねると、シキは一瞬思い返す素振りを見せて日付を教えてくれる。

 

 

「今日は……、──月──日ね」

「そっか、いつの間に……、うん?」

 

 

 ちょっと待て。

 

 シキが口にしたのは、最後に意識があったときから30日以上先の日付だった。

 

 

「え……? 月変わってない?」

「まあ実感湧かないわよね。1ヶ月も寝てれば」

「いっか……!?」

 

 

 慌てて携帯電話を探す。枕もとの横に置いてあるのを見つけて手に取るが、1ヶ月も放置していれば当然バッテリーが切れていた。

 他に日時を確認できるものがないか見回す自分に、シキは冷静に「嘘なんてついてないから」と言った。

 

 

「落ち着きなさいよ。とりあえず話聞いて」

「いやいや落ち着けないよ! 1ヶ月だよ!? 1ヶ月も……せめて家族に連絡……!」

「……」

「痛っ!?」

 

 

 腕に巻いてある包帯の上から皮膚をつねられる。まだ怪我が治っていないのかそれとも強くつねられたのか、想像以上の痛みに涙が零れた。

 恨みを込めて睨みつける。しかしシキは怯む素振りも悪びれる素振りも見せず、むしろ少し怒ったように眉を寄せて顔を近付けてきた。

 落ち着くように言い聞かされ、両手でぐっと肩をつかまれる。

 

 

「聞いて。いい? 時間かかってもいいから落ち着いて」

「な……なんでそんな……」

「落ち着かなきゃやってられないのよ、こんな状況。……あんたが考えてる以上に、外は、今、やばい」

「……?」

 

 

 ぐう、と腹が鳴る。

 

 

「……お腹、空いた……」

「……まずは食事か。動けるでしょ。ついてきて」

 

 

 シキに促され、恐る恐るベッドから降りる。

 脚から肉が削げ落ちて力が入らず心もとないが、なんとか床を踏みしめ、部屋から出た。

 

 

「……?」

 

 

 サイレンが鳴り、それに背中を押されるように武装した男が数人走っていく。

 そういえば、選抜試験の会場には自衛隊もいたのだと思い出していると、強面に髭を生やした男がこちらに向かって歩いてきた。

 

 

「おまえ、目が覚めたのか……!」

「あ、えっと……ガトウさん?」

「ああ。シキ、どこに連れて行くつもりだ?」

「食事」

 

 

「一度、部屋に戻れ」と言われ、2人揃って目を瞬かせる。

 

 

「ちっとばかり、説明しときたいンでな……」

 

 

 部屋に戻り、ベッドに腰掛ける。

 シキと同じように、ガトウはあの規格外の化け物の存在を口に出した。

 

 

「おまえらがブッ倒れてから1ヶ月……その1ヶ月で、世界は様変わりしちまった」

「あの、一体何があったんですか? 今、どうなってるんですか?」

「俺たちが都庁で会った巨大なマモノ……『ドラゴン』が世界中に現れて、今や世界は壊滅状態よ。生き残りは、このシェルターに逃げ延びたが……」

 

 

 外じゃ、一体何億人死んだやら。

 

 

「え」

 

 

 億。8桁。そしてガトウは「世界」と言った。

 

 

「ガハハハハッ! 何の冗談……って顔してやがるぜ? そりゃあ、いきなり信じられンよなァ」

「あ……あの」

「何だ?」

「世界が、壊滅って……何億人死んだ、って……じょ、冗談ですよね? だってそんな」

 

 

 もし、冗談ではないとしたら。

 

 

「わ、私の家族は? 友だちは? みんな……」

「そうだな。冗談だったら……運が良けりゃあ、生きてるかもな」

 

 

「外には出るなよ」と釘を刺される。

 

 

「出たところで、おまえ1人じゃドラゴンには勝てねェ。化け物相手に助かったんだ。死にたくないなら探しにいくのはまだやめておけ」

 

 

 頭が真っ白になるのと同時に、シキが念入りに落ち着けと言っていたのはこのことだったのかと悟る。

 確かに、ガトウの言うことが真実だとすれば、そんな状況では落ち着かなければやっていけない。

 いや、

 

 

(そんなの)

 

 落ち着いていたってやっていけるわけないじゃないか。

 

 

「……おまえ、これからどうする。食料が尽きるまで、この地下で寝て過ごすか?」

「そ、そんなこと言われたって……それ以外に、何が」

「そんなのはゴメンだ、ってンなら……まあ、やれることがねぇワケじゃねェ。……ま、ゆっくり考えな」

「……ガトウ、さんは、どう……」

「……ん、俺か? 俺は『そんなのはゴメンだ』ってクチさ。いやァ、厄介な相手ほど、燃えるねェ。……こりゃ性分だな」

 

 

 それだけ言って部屋を後にするガトウの背中を見て、何か別の生き物のようだと思った。

 なぜあんなに平然としていられるのか。いや、内心は彼も動揺しているかもしれない。それでも、なぜあんなふうに振る舞えるのか。

 隣に立っているシキもそうだ。

 

 

「……聞いてもいい?」

「……何」

「シキちゃんの……家族は?」

「家族って呼べる人間はいない」

「その制服、中高一貫校のでしょ。学校の友だちとか、部活の先輩後輩とか……」

「別に。いない。ナツメに通わされてただけだし」

「……そっか……」

 

 

 少女は相変わらず年不相応の無表情だ。無表情で、世間一般からすれば「かわいそう」と認識される身の上をすらすら述べていく。

 

 ムラクモの人間はみんなそうなのだろうか。みんな特殊な事情があり、親しい人間がいないか、いたとしても、その人たちが死んでも平気でいられる精神を持っているのだろうか。

 

 

『コール。シキ、いますか?』

 

 

 部屋に設置されていたターミナルから聞き覚えのある声が漏れる。試験当日、チーム編成を登録したときに見た女の子の声だ。

 名前を呼ばれたシキがターミナルの前まで行って応答する。

 

 

「いるけど。何?」

『試験であなたとチームを組んでいた方が目を覚ましたと聞きました。その人と状況を把握し次第、廊下の突き当たりにある会議室へ向かってください』

「わかった」

 

 

 短い会話が終わり、シキが振り向く。行くわよと手首をつかまれ、誘導されるがままに部屋を出る。

 

 

「……起きたのね」

 

 

 丁度会議室から出てきたナツメが、落ち着いた笑みを浮かべて歩み寄ってくる。

 この笑顔が偽りではありませんように。救いになってくれますように。

 身勝手とも思える祈りを胸中で唱えながら、彼女の言葉を待った。



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 全ての竜を狩り尽くせ②

CHAPTER0はここまで。
ナツメは死ぬつもりはないくせに説得の際「残り少ない日々」なんて言うのがずるいよなぁと思いました。


 

 

 

「ガトウから聞いていると思うけど……世界は今、ドラゴンによって滅亡寸前よ」

 

 

 ナツメまで世界が終わりそうだと言う。未だに信じられない自分の考えは正常なのか。現実逃避なのか。

 

 

「でも、諦めるつもりはない。我々『ムラクモ』はドラゴンとの戦いを始めるわ」

「た、戦うって、あんなやつらと? 世界中にいるんでしょう?」

「マモノ退治はムラクモ機関の使命……あなたたち『S級』の才能を束ね、人類の敵を打ち倒すことが、我々の存在理由よ。……シキ」

 

 

 ナツメが少女の名を呼ぶ。

 シキはムラクモ機関総長の声に若干不満そうに眉を寄せ、自分の隣からナツメの傍に移動した。

 

 

「隠す気なかったし、気付いてたと思うけど」

 

 

 シキはナツメから赤い腕章を受け取って左腕に装着する。

 歯車のような輪に剣が1本、その上に生き物の頭をモチーフとしたマークが重なった紋。ガトウとナガレも同じものを腕に巻いていた。

 

「一応、自己紹介する」とシキがこちらを振り返る。

 

 

飛鳥馬 式(アスマ シキ)。ガトウと同じで、ムラクモ機関に所属してる。よろしく……するかどうかは、まだ決まってないか」

「……そうね」

 

 

 シバさん、とナツメに名前を呼ばれる。

 

 

「……前回の都庁での戦い、見事でした。ドラゴンからシキを守ってくれたんでしょう? シキから、サイキックとして素晴らしい力を持っていると聞いたわ。この子がここまで人を評価するなんて初めてよ」

「恩があるだけ。力を見たのは試験の中だけだし、本当かどうかはわからない」

「素直じゃないのね。……本題に入るわ。シバさん」

 

 

 ナツメにもう1度名前を呼ばれた。

 返事ができない。どうしても嫌な予感が拭えない。

 

 

「あなたが望むなら……たった今から、あなたをムラクモ機関員として認定します。……でもそれは、命を賭した果てのない戦いへの幕開けとなる。だから、拒否しても構わないわ。このまま、残り少ない日々を地下で隠れて暮らすのもいいでしょう。……あなたは、どうしたい? もし、今すぐ決められるなら……教えて」

 

 

 嫌な予感が的中してしまった。

 

 とんとんと話が進んでいく。世界からも人間からも置き去りにされていた。

 今は非常時だ。自然災害ともテロとも違う。文字通り「未曾有の」厄災が世界を巻き込んで起こっているのだ。なのになぜ彼女たちはこうも冷静でいられるのだろう。

 すぐに返事を求められて、首を縦に振ることなどできるはずがない。

 

 

「……もう少し、時間をください」

「いいわ……簡単には決められないわよね。だけど、これだけは覚えておいて」

 

 

 ナツメの目が自分を捉える。

 彼女に説得されるのはこれで2度目だ。しかし都庁で優しく自分を諭したときとは違う。組織の頂点に立つ統制者の目だ。畏怖を感じさせる、強大な者の目。

 

 

「あなたには力がある。他人が望んでも得られなかった力──戦うための力を、あなたは持っているのよ」

 

 

 見えない圧が肩に圧し掛かる。

 命令にも近い説得に、それでも自ら死地に飛び込む気にはならない。

 状況を理解しきれない困惑。理解したくない恐怖。過去を思い返すたびに体を襲う痛み。

 

 

「……戦う、ため?」

 

 

 そんな、まるで「兵器」みたいな言い方。

 ムラクモと接触してからだ。ムラクモ機関から手紙が送られてきてから、全てがおかしくなってしまった。

 自分は平凡な一般人のはずだ。高校を卒業して、春休みを終えて大学生になる、ただの一般人のはずだった。たとえ異能力者で超能力を持っていたって、普通に生きて普通に過ごしていれば、普通の枠から外れない人生を過ごしていたはずだ。

 

 なのに。

 

 

「……戦う力があるなら、戦わなきゃいけないんですか? 素人でも?」

「今回のムラクモ試験で、あなたに基準以上の能力があることは充分証明されたわ。あなたが戦ってくれなければ……」

 

 

 かっ、と頭に血がのぼった。

 

 

「だからってそんな、そんなの!」

 

 

 背中を向ける。

 全身の痛みなんてどうでもいい。ただ逃げたい。

 

 廊下を駆けて部屋に戻り、自分が寝ていたベッドに飛び込む。

 布団にくるまって必死に念じた。こんな仕打ちを受けるほど悪いことなんてしていない。夢なら覚めてくれ。痛いのも怖いのも死ぬのも嫌だ。もうたくさんだ。

 けれど、握り拳に爪を立てても、唇に歯を突き立てても、何度枕に頭を擦りつけても、何も起きない。

 じわじわと現実だけが押し寄せる。心臓が冷たい水に少しずつ浸っていくみたいだ。

 大声で泣けば、何か変わるだろうか。

 

 

 枕に涙を滲ませて何分経っただろう。

 すぐ隣でぼすんと音がして、ベッドが傾いた。

 

 

「どうすんのよ」

 

 

 シキの声だ。隣に腰掛けているのだろう。薄いシーツの壁の向こうに、ぼんやりと背中の輪郭が見える。

 

 

「別に強制じゃないわよ。ナツメには従わなくても問題ない」

「……シキちゃんは? どうするの?」

「あの赤い竜を殴りにいく」

 

 

 間髪入れず答えが返ってくる。少女の声は揺るぎない。布越しに感じられる闘志は矢尻となって、あの都庁に向けられていた。

 理解できない。

 

 

「一応確認するけど、あんたは?」

「……できないよ」

「なんで」

 

 

 理由なんてわかるじゃないか。

 

 

「できるわけないじゃん。あんな、ドラゴンなんて、戦えるわけない」

「けど、あんたは試験中に戦えてた」

「それはガトウさんたちがいたから……試験だからだよ。生きるか死ぬかじゃなくて、いざとなったら助けが入ってくれる試験だったでしょ!? 死人が出るなんて……あんなことになるなんて想像できるはずないじゃん!」

 

 

 自分は人間だ。嬉しかったら笑うし、悲しければ泣く。許せないことがあれば怒る。

 好きな食べ物がある。嫌いな食べ物もある。得意なことと苦手なことがある。できることとできないことがある。

 これは、できない。

 

 

「……ねえ、なんでそんな平気でいられるの? 億でしょ? 日本だけじゃなくて、世界中……死んでない人のほうが少ないんでしょ。 生きてるほうが奇跡なんでしょう? なのになんでまた戦おうとするの……?」

「そんなこと言われてもね。私はあいつにやられて悔しかったからやり返しにいくだけ。ケンカと同じよ」

 

 

 ケンカなんかじゃないだろう。これは一方的な殺戮で、自分たちは殺戮されている側だ。

 非現実的な存在はどこかへ行ってしまえ。消えてしまえ。ドラゴンなんて誰も望んじゃいない。

 そんなことより、家族を。友人を。

 

 

「みんなどこにいるの?」

「……」

「お母さんは……友だちは? ……知り合いは? ドラゴンなんてどうでもいいよ、みんなはどうしてるの……!?」

 

「……これ」

 

 

 シキがスマートフォンを出してきた。

 

 

「私の。一応バッテリーは充電してある。繋がるか試してみたら」

「……」

 

 

 受け取って、覚えのある電話番号を手当たり次第に入力する。

 しかし繋がらない。本人はおろか、繋がらないことを知らせる案内も聞こえない。呼び出しの電子音が繰り返し鳴るだけだ。

 メールも同じだった。打って送信を試みては、送信できませんでしたのメッセージのやりとりが続く。インターネットにも接続できない。通信を成立させるための基地局もネットワークセンターも、全てが機能していないのだ。

 

 生活水準の枠などとっくに崩壊している。文明も技術も破壊された理不尽な世界。

 

 

「もう携帯電話は役に立たない。もちろんパソコンも。今まで通りの方法で誰かと繋がったり、情報をやりとりすることは不可能になった」

 

 

 けど、と続けながらシキは自分の手からスマートフォンを抜き取る。

 

 

「今すぐには無理だけど。経験を積んでまともにドラゴンと戦えるようになれば、行動範囲は広がる。いつかはあんたの身内も探しにいけるかもしれない。……ドラゴン討伐優先だから、『いつかは』、だけどね」

 

 

 こちらも選抜試験のときとは違う。高圧的ではなく、ナツメとは反対に、わずかながら気遣いが感じられる声音だった。

 

 

「この状況で私たちみたいに戦闘能力を持つ異能力者は貴重な存在だから、無下に扱うようなことはしない。危険が伴うことに変わりはないけど、作戦に参加する以上は、ナビとか防具とか、サポートも入る。文字通り各分野の人間が尽力して、連携して挑んでいくことになる。私は、ドラゴンとの戦いは無謀だとは思わない」

 

 

 戦うか戦わないか。外に出るかでないか。

 

 もし自分が普通の、ごく普通の人間だったら、涙を飲んで地下に居続けることを選んだだろう。

 しかし今は。今ここにいる自分は。ムラクモに接触し、自分が持つ力を試すために試験に臨み、それがきっかけでここまで来てしまった自分は。

 守られる側の一般人でいるには多くのことを見すぎてしまった。多くの事実を知ってしまった。持ってはいけない力を持ってしまっていた。

 手に宿る力は、ドラゴンと同じ「非現実」。この理不尽な生存競争で命をつなぐための足掛かりになるかもしれない。

 でも。

 

 

(……怖い……!)

 

「やめよう。あんな、あんなのに襲われて、せっかく命を落とさずに済んだんだから……私たち頑張ったじゃん。みんなに任せたって誰も文句言わないよ。まだ戦えなんておかしいよ、私たちじゃなくてもいいよね……?」

「……私は行く。30分後までに、ナツメに答えて」

「待って、どうして!」

 

「都庁の屋上で」

 

 

 こちらを振り向いてシキは言う。

 

 

「あの竜を相手にしたとき。私はあんたに……あんた以外にも誰かいたけど、あんたに助けられた」

「え……?」

 

 

 ベッドの側に戻ってきてずいと顔を寄せ、促すつもりはないと強く念を押しながらシキは続ける。

 

 

「だから、私はその借りを返す。今後あんたが死なないように最低限のフォローはする」

「……」

「いい? 何度も言うけど、強制する意図はないから。それを前提として、これだけは刻んでおいて。今後生きるか死ぬかの場面に直面したとき、生きるために動けるように」

 

 

「あんたはそこらへんにいるただの人間。冴えないし動けないし、意気地がない。その様子じゃ、今までもこれからもそう。慌てて怯えて泣いて喚いて生きていくんだろうけど、」

 

「そんなあんたが確かにやったことは、『あんた自身の力で私の命を助けたこと』」

 

 

 手が握られる。自分よりも小さな手と指で力強く熱を与えながら、見せつけるように顔の高さまで持ち上げられた。

 

 

「あんたのこの手は、『何かを為せる』」

 

 

 じゃあね、とシキは出ていった。

 扉の向こうで足音が遠ざかり、聞こえなくなる。

 シーツから顔を出してぼうっとしていると、体をつつかれる。

 ゆっくり頭を動かせば、小学生くらいの小さな女の子が視界に入った。

 

 

「……おねえちゃん、ドラゴンと、戦うの?」

「……」

「だったら、これ、あげる……」

 

 

 ちゃぷんと水が動く音がする。ムラクモ試験で支給されたものと同じ傷薬だ。

 色がついた透明の容器と液体を通して、虚ろな目をした女の子と見つめ合う。

 

 

「パパとママのカタキ、討ってほしいから……」

 

 

 緩慢に揺れ動き、やがて収まっていく波をずっと見つめていた。そんな自分を、女の子もずっと見つめていた。

 

 腕が動いたのは何分後のことだったろう。

 ゆっくりと腕を動かし、小さな両手で持ち上げられた薬を指で摘む。

 そして、下がろうとした女の子をそっと腕で包んだ。

 温かい。小さな体はふわふわしていて柔らかい。

 血潮が流れる体だ。心臓が動いて、細胞が生み出され、息を吸っては吐くのを繰り返す、生命が宿る体。

 

 

「……温かい」

「……うん」

「……私たち、生きてるんだね」

「……うん」

 

 

 頷く女の子の声がわずかに震える。

 襟が濡れていくのを感じながら、小さな体をめいっぱい抱きしめた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「……シバさんは?」

「見てわからない?」

「そう。説得は失敗したのね」

「失敗じゃない。あいつ自身が決めることでしょ」

 

 

 シキはナツメの言葉につっけんどんに返していく。

 そうだ。相手は一般人だ。命を守るために必要なことは、逃げるか戦うかのどちらかで、彼女は逃げるという選択肢を選んだだけ。

 間違いではない。場合によっては、それが最も賢い。

 目もとを赤く腫れ上がらせて泣いていた女性の選択を、肯定はしないが否定もしない。これはその人間次第という他ない。

 

 ならなぜ、自分は少し惜しく思っているのか。

 

 

「別に、あいつがいなくても私はやれる。戦力が増えたって、素人じゃ足手まといになる可能性のほうが高いんだから」

 

 

 胸にわきあがるもやを、ばかばかしいと振り払う。

 ここから先は文字通りの戦場になる。お手軽に入って好きなタイミングで退場なんて催し物ではない。

 

 さっさと動こうとナツメを促そうとしたそのとき、コツリ、と固い足音が響いた。

 

 

「……、あんた」

 

 

 開いた目が丸くなる。

 彼女が廊下の角から表れ、自分たちに向かって真っ直ぐ進んできたのだ。

 数メートル間を空けて彼女は立ち止まる。ナツメが進み出た。

 

 

「……気持ちは決まったかしら? さあ、返事を聞かせて」

「その前に、いいですか」

「何かしら」

「その、ドラゴンを倒して、一件落着して余裕ができたら……家族を、親や友だちを、探しに行かせてください」

「……わかりました。協力しましょう」

 

 

 女性は顔を上げて挑むようにナツメを見つめる。

 対するナツメの双眸に、偽るような色はなかった。

 

 いつ終わるかも、そもそも勝機があるかもわからない戦い。その渦中に踏み入ってしまった。

 それでも、まだほんの少しの希望がある。

 自身の目で直接身内の死を見たわけではない。何もかもがなくなるという絶望を味わったわけではない。家族も友人も、誰だって上手く逃げ延びて生きているかもしれない。

 風前の灯のような望みだが、縋れるものはそれしかない。

 

 はっきりと宣戦布告する。

 

 

「一緒に、戦います」

 

「ありがとう……あなたの、勇気と才能に感謝するわ」

 

 

 ナツメは赤い腕章を取り出した。手渡されたそれを左腕に巻いてシキの隣に並ぶ。

 

 

「今この時より、飛鳥馬 式、志波 湊たちをムラクモ機関、機動13班として認定します。……ようこそ、ムラクモ機関へ」

 

 

 こんなに嬉しくない「ようこそ」は初めてだ。

 

 ナツメは踵を返して歩いていく。その後について、正式にコンビとなったシキとミナトは会議室に入った。

 

 絶望的な状況。歯が立たない脅威。変わり果てた世界。

 破壊されたものを取り戻す手段はただひとつ。全ての竜を狩り尽くせ。

 

 CHAPTER0 END

 



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CHAPTER0 あらすじ

各チャプターごとにあらすじとその時点で載せられる主人公2人の情報を設置しました。話の内容をざっくり把握したいときにどうぞ~。



      CHAPTER 0

カウント、ゼロ Time Count , Zero

 

 

 ~あらすじ~

 

 舞台は日本の首都、東京。時は西暦2020年3月31日。

 凶暴な異形の生物『マモノ』と、超常的な能力を持つ人間『異能力者』の存在が認知されはじめ、世間を騒がせていた頃。

 

 日本政府に異能力者の中でもS級と判断された力を持つ人間が東京都庁に招致され、対マモノ組織『ムラクモ機関』の人員を選抜するための試験が開始される。

 候補生の1人、志波 湊(シバ ミナト)は招致の詳細を確認せずにのんきに都庁へ。ムラクモの機関員である飛鳥馬 式(アスマ シキ)と半ば強引にチームを組まれ試験に挑戦することに。

 他の参加者に後れを取りつつも、2人は無事試験に合格。新たなマモノ出現の報もあり、そのまま都庁の屋上へ向かう。

 直後、都庁屋内で戦った強大な怪物が多数東京に襲来。他の合格者は全員命を落とす。一際大きく凶暴な怪物の炎によって、ミナトとシキも重傷を負った。

 

 一命を取りとめて目を覚ましたのは1ヶ月後。地球は怪物──宇宙から飛来した生命体『ドラゴン』の襲撃を受け、人類滅亡の危機に陥っていた。

 ミナトは途方に暮れる中、ムラクモ機関の長日暈 棗(ヒカサ ナツメ)から説得を受け、不安を抱きながらも、家族、友人の無事を祈ってムラクモに加入。シキと正式にチームを組む。

 

 異界の赤い花『フロワロ』に沈んだ世界。シキとミナトは機動13班として、ドラゴンたちとの戦いに身を投じることになった。

 少女と女性の竜を狩る物語は、小さな地下シェルターから始まる。

 

 * * *

 

主人公(物語開始時・2020年3月31日時点)

 

【飛鳥馬 式 / アスマ シキ】

 スチューデント♀ / デストロイヤー

 ボイスタイプG(S.R様)

 14歳(中等部2年生。3年生へ進級前日)

 主人公その1。ムラクモ出身のチート気味女子(詳細は追々)。

 実際のボイスみたいに明るくない。完全に戦闘時の男前ボイスで選びました。性格キツめ。過去に色々と因縁を持つ枠。

 

【志波 湊 / シバ ミナト】

 サイキック

 ボイスタイプC(H.Y様)

 18歳(高校卒業。大学へ入学と誕生日前日)

 主人公その2。一般家庭出身。

 実際のボイスみたいな余裕はない。後々成長するんで……。ビジュアル未定/なしの方です。

 劇中、平和な日常から死ぬかもしれない非日常へ転がり落ちる雰囲気を出すため、ミナト視点でCHAPTER0の03/31が「誕生日前日」と描写したので誕生日が自然と04/01になりました。日常から非日常に巻き込まれる枠。

 

 

 主人公については物語が進む中で追記・編集していきます。

 



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CHAPTER 1 戦場の呼び声 The Warcry
5.逆サ都庁へ


ここからCHAPTER1です。
この時点で開発班の3人を訪ねても「今なにもないんだ」としょぼ~んとしてましたね……。
犬塚総理たちは都庁にいる描写はありませんでしたが、職場がすぐ近くだから無事に避難できたんでしょうか。


 

 

 

─────────────

CHAPTER 1 戦場の呼び声

   The Warcry

─────────────

 

 

 

 

 

 ナツメに続いて扉を潜る。

 会議室に足を踏み入れると、スーツを着て椅子に座る中年の男たちが一斉に振り向いてこちらを見た。

 後ろを歩くミナトが怯んで立ち止まりそうになり、シキは仕方なく彼女の手を引いて部屋の奥に移動する。

 

 自分たちの左腕に巻かれたムラクモ機関の腕章を見て、案の定政治家の男たちは疑念や屈辱が混ざったような渋面を作った。しかしそんなものは慣れっこだし、いちいち構ったところで何のメリットもない。気付いていない振りをする。

 

 会議室の奥、大きなモニターの前まで移動する。

 

 

「シバさん……君をムラクモ機関員として歓迎します。仲間になってくれて、ありがとう」

 

 

 自分たちを待っていたキリノが眼鏡越しに腕章を身に付けているミナトを確認し、自分も同じものを巻いた左腕を見せて挨拶をした。

 

 

「改めて、自己紹介するよ。僕は桐野 礼文(キリノ アヤフミ)……キリノでもレイブンでも、好きに呼んでください」

「あ、試験のときの……。志波 湊です。改めて、よろしくお願いします」

 

 

 あだ名を交えて名乗るキリノにミナトは丁寧に頭を下げ、数秒、不思議そうに彼を見つめた。

 

 

「あの、キリノさん……も、ドラゴンと戦われるんですか?」

「いや。僕はムラクモ所属の科学者で、ナツメさんの補佐官も兼任してる。言ってみれば雑用係かな……」

「ではキリノ、状況の説明を」

 

 

 ナツメに促されて椅子に座る。

 青く発光するモニターに東京の地図が映り、キリノはぽつぽつと現状の説明を始めた。

 

 

「まず、残念なことから言うと……日本全土の98%は、既にドラゴンの支配下にあります。圧倒的かつ未知の戦力相手に……人類の知恵や武装は、ほとんど……役に立ちませんでした。まさに一瞬にして、日本……いや世界は、ドラゴンの領土に塗り替えられてしまったんです」

「ほ、ほとんど? でも、」

 

 

 試験会場には自衛隊がいて、戦車も出ていたはずだとミナトはこぼす。次いで不安そうに揺らぐ瞳をこちらに向けてきたが、キリノが言ったことは全て事実だ。

 

 

「銃火器持ちで普通のマモノに手こずるんだから、それが規格外のドラゴンに通じるなんて期待、しないほうがいい」

「私たちの力は通じたよね? 都庁の中にいた青いほうのドラゴンは、倒せたし……」

「マモノとかドラゴンとか、そういう化け物に対しては、私たち異能力者、ムラクモの力が有効みたいよ。マナが扱えるからね」

「ま、な……?」

 

 

 異能力者でありながら自覚がなさそうにチームメイトは目を見張る。

 

 

「そこで」

 

 

 話題が逸れかけた自分たちを制するようにナツメが小さく咳払いをして、ミナトは申し訳なさそうに居住まいを正した。

 

 

「我々ムラクモは少数精鋭による局地戦を始めようと思っています。少しずつ、ドラゴンの領土を狩り取り……人類の手に取り戻していくの。たとえ、何十年かかったとしてもね」

 

 

 何十、という言葉にミナトの表情が曇る。連絡が取れない身内の心配をしているのだろう。

 ドラゴンを倒し、一件落着して余裕ができたら家族を探しに行かせてくれと彼女はナツメに願い出た。

 ナツメはそれを了承したが、ドラゴンは世界中に現れている。まともに捜索範囲を広げられるまで、どのくらいかかるかの見当もついていない。

 だから、ムラクモ機関が動く。ドラゴンたちに驚異的な繁殖能力がなければ駆逐は可能だろうし、何より敵は自分の手で狩るつもりだ。

 

 

「……現在、ガトウたち先遣隊は始まりの地である、東京都庁を攻略中です。都庁に住むドラゴンを一掃し、人類の拠点として取り戻すという作戦です。作戦は既に70%の段階まできていて、あとは最上階に巣食うボス『帝竜』の討伐が最大の難関です」

「最上階?」

「キリノ、その帝竜っていうのは」

「……そう、君たちも遭遇したあの巨大な赤いドラゴンです」

 

 

 キリノの言葉に都庁の屋上で自分たちが見た光景が甦る。

 殺されてしまった候補生。赤い花。

 そして、自分たちを一瞬で吹き飛ばしたあのドラゴン。

 

 諸々を思い出して、今になって怒りが湧いてきた。

 完膚なきまでにやられたのだ。たとえ人智を超えた相手だとしても、倍返しにしなければ気が済まない。

 

 

「あなたたちも、ムラクモ13班としてその作戦に参加してほしいの」

「リベンジってことね。だったらさっさと都庁屋上に……」

「いいえ、帝竜と戦うのはあなたたちじゃないわ」

「は?」

「帝竜との実戦に、いきなりあなたたちを投入するのはリスクが高すぎる。まずは、体を慣らしながら、ガトウたち先遣隊の後方支援をお願い。あなたたちと自衛隊が、万全の後方支援を行いながら……ガトウ隊が帝竜を討伐する。この作戦で、現状の『都庁奪還ミッション』を遂行します」

「ちょ、ちょっと待って……後ろで指くわえて見てろってこと!?」

「あのねシキ。あなた1人ならまだしも、今はシバさんがいるのよ。彼女と班を組んだんだから、今後は単独ではなく班の考え方を身に付けなさい。……いいわね?」

 

 

 言葉が出ずに、口をパクパクと開閉させる。

 念を押すナツメと歯軋りをする自分をミナトが交互に見て、身を縮めて頭を下げた。

 

 

「えっと……ごめんね?」

「……、……あんたを、戦えるようにすれば問題ない」

「えっ」

「ガトウたちに置いていかれないようにビシバシいくから。ちゃんとついてきなさいよ!」

「が、頑張ります!?」

「いい? ナツメ。すぐに後方支援から前線に上がってやるから!」

「意気込むのはいいけど、安全が第一。今回は前に出ないように。活躍、期待してるわよ」

「言われなくても! だから早く都庁に──」

 

「……っと、その前に、」

 

 

 子を宥めるようなナツメの余裕の笑みにプライドが刺激される。

 席を立って戦線に行こうと踵を向けると、後ろからキリノに肩をつかまれた。

 

 

「君たちの体調のチェックだけさせてください。何せ、君は2週間、シバさんは1ヶ月も寝たままだったんだから……一旦部屋に戻っていてくれますか? 僕もすぐに行きます」

「はあっ?」

「シキちゃん、1回部屋に戻ろう? ね……」

「っ~~、……はぁ……」

 

 

 ミナトのか細い声に爆発寸前だった怒りから空気が抜けていく。

 一刻も早く都庁に行きたくてうずうずしている足を抑え、仕方なく部屋に戻ることにした。

 

 キリノを待つ間トレーニングでもしようかと思ったが、使えそうな器具はない。加えてあまり動きすぎないようにと言われている。

 手持ち無沙汰でベッドに寝転がると、ミナトが顔を覗きこんできた。

 

 

「ねえ、シキちゃん」

「何」

「試験のときからずっと気になってたんだけど……私さ、自分のこの力……超能力を家族以外の人に見せたことないし、家の外で使ったことは……子どもの頃ちょっとあったけど、まったく、ほとんどないの。それをなんでナツメさんは知ってたのかなって。……何かわからないかな?」

「ムラクモは代々異能力者を管理してまとめる組織だから。日本政府とも繋がってるし、国民の個人情報なんて調べようと思えば調べられる。それに異能力者は差別されやすいから、力を表に出す奴は少ない。ただでさえ貴重な戦力が雲隠れしないように、ナツメは日本の異能力者の情報は全部把握してる」

「へ、へえ……」

 

 

 ミナトの眉が引きつる。こめかみあたりを流れたのはおそらく冷や汗だろう。

 よくよく考えてみれば恐ろしい話だ。地位も権力もある人間に、個人情報や秘密裏に抱える事情まで知られている。その気になれば社会的に抹殺することが可能なのだ。

 まあ能力を重視するナツメが、素質のある異能力者を潰すなんてことはしないと思うが。

 

 

「やあ、待たせたね」

 

「あ、キリノさん。……と……?」

 

 

 扉が開き、キリノが部屋に入ってきた。

 その後ろについて一緒に来た幼い少年と少女にミナトが首を傾げる。

 

 

「これから君たちのメディカルチェックをするんだけど、その前に……ちょっと。……ほら、挨拶を」

 

「ムラクモ機関、第2班所属。NAV3.6だ」

「同じく、第2班所属のNAV3.7です……」

 

「あ、えっと、シキちゃんとチームを組ませていただきました、志波 湊です。よろしく……」

 

 

 ナビゲーターの役職を勤める2人が自己紹介をする。

 頭にはヘッドセット、腰にはアクセラレータを装着しているサイバーパンクじみた出で立ちと、数字とアルファベットで構成された名称に、ミナトは間抜け面で挨拶を返した。

 

 

「この子たちはムラクモ第2班、通称『情報支援班』……君たち前線のサポートを行うのが仕事です。ちょっと変わり者なところもあるけど、よろしくしてやってくれ」

「……変わり者はおまえだろ」

 

 

 キリノの補足に少年のほうが眉を寄せ、唇を尖らせて反論した。

 

 

「今回、オレはガトウたちの担当だ。アイサツだけで悪いけど、これで」

 

「すいません、彼はちょっとぶっきらぼうなところがあって……。今回の都庁奪還作戦、シキチームは私がナビゲートを担当することになりました。よろしくお願いします。それでは、のちほど……現場で」

 

 

 尖った雰囲気を隠さずに少年が部屋を出て行く。

 少女がミナトに向き直り、画面の中と同じ無表情で頭を下げ、少年に続いて部屋を後にした。

 口を半開きにしたままその背を見送り、新人のチームメイトはやはり間抜け面で喋る。

 

 

「……ナビゲートって、あの子たちが、ですか」

「ナビが子どもでびっくりしたかい? でも、任務においての能力は申し分ないはずだ……現場では彼らの指示に従うように。……では、メディカルチェックを始めようか」

「あっはい」

 

 

 キリノの指示に従ってミナトは様々な機器に体の一部を通し、スムーズに検査を済ませていく。

 部屋にはしばらく機械の稼働音とキリノの相槌だけが聞こえていた。ミナトが一通り検査を終え、続いてキリノは自分を手招きする。

 

 

「シキ、次は君だよ」

「……やだ。どうせ最後に『あれ』する気でしょ」

「ああ、まあそうだけど……でも早く済ませないと、外に出られないよ」

「……」

「こうしている間にも、作戦はどんどん先に進んでいるんじゃないかな」

「…………」

 

 

 別に検査が嫌ではないのだ。大人しくしていれば数分で済む。

 嫌なのは、場合によっては検査後に待ち構える「あれ」だ。

 しかしここで駄々をこねていては、戦線に復帰できないまま時間が過ぎてしまう。

 

 

(……あのむかつく竜の一撃に比べればマシか)

 

 

 諦めに似た覚悟を決めて検査を受ける。

 一足先にチェックを終えたミナトは自分たちの会話が気になるようで、「『あれ』とは……?」と首を傾げていた。

 

 

「ふむ……内臓器官は問題なし。ちょっと筋肉がなまっているかな……やはり、簡単な任務からこなして眠っている力を目覚めさせていこうか」

「眠っている力……ですか?」

「戦いの中で、君たちの潜在能力を覚醒させていくんだ。『13班』は欠番のエースナンバー……ナツメさんは、君たちを買ってるんだね」

 

 

「まだまだ大きな力を身に付けられるはずだよ」とキリノは背を向け、後ろのワゴンに置いてあった掌サイズの医療器具を組み立てていく。

 何をしているのかと、背伸びをしてキリノの手もとを遠目に覗き込んだミナトの顔が再び引きつる。

 振り返ったキリノの手には、1本の注射器が握られていた。先端に立つ針が電灯の光をぎらぎらと反射し、その存在を眩く誇張している。

 

 

「さーて、最後はお注射の時間だ。体を早く戦闘にならすための……ま、栄養補助剤みたいなものだね」

「あ、あの……随分、大きな注射器ですね」

「そうかい? 心配しなくてもいいよ。針を刺す場所を間違えたりはしないから」

「えっと、そういうことではなくて……普通の注射器よりも……その、サイズがかなり違うというか……あ! そういえば私、先端恐怖症だった気が……」

 

(あ、こいつ逃げる気だ)

 

 

 さりげなく席を立とうとするミナトを後ろから椅子に押さえつける。

 自分だってこれを受けるのだ。これを受けなければ前線に出られないのだ。ミナトには悪いが身動きを取れなくさせてもらう。

 

 

「キリノ、今のうち! 早く!」

「さ、シバさん、腕をまくって……!」

「えええま、待ってください、心の準備が!」

「痛くないよ、痛くないからね……!」

「そういうこと言うのは大抵痛いときですよね!? や、やだ針太い! やめ──」

 

 

 ッア゛ーーーーッッ!!?

 

 

「……悪いわね。最初にするよりちょっとは慣れた2回目のほうが比較的痛くないのよ。だからあんたにはってちょっとキリノ何黙って注射──」

 

 

 ッイ゛ーーーーッッ!!?

 

 

「よし、終わり! って……あははは、そんなに痛かった? ごめんごめん……。じゃ、準備ができたらゲートの前へ。そこで、初めての任務について説明するよ」

 

 

 キリノは手早く注射器を解体し、ワゴンを片付けた。

 ぷくっと膨らむ小さな血の球を絆創膏で覆い、しばらく揉んでから涙を拭って立ち上がる。同時にターミナルに通信が入り、少女のナビからメインゲートの前に集合するようにと通達が入った。

 

 体に異常がないか確認し、促されるがままシェルターの出口、メインゲート前に向かう。壁を透かして外を見るようにゲートと向き合っていたナツメが、真剣な面持ちで自分たちを振り返った。

 

 

「ムラクモ13班、あなたたちに、任務を通達します。13班は、これから都庁に赴き、ドラゴン討伐を行う。その際、ドラゴンの死体から手に入れられる『Dz』を3単位回収する……これがあなたたちの任務よ。道中のマモノ、そしてドラゴンとの実戦を経験しつつ、まずは戦力を高めてちょうだい」

「あの、ディー? っていうのは、いったい……?」

「『Dz』は武器の原料にもなる素材よ。それを回収し、支援用の武装を増産するという目的もあるわ」

「それだけでいいの? ガトウたちは?」

「ガトウとナガレは、既に帝竜討伐隊として都庁に侵攻しているわ。彼らの戦いを支援するためにも、資材の確保は重要なファクターなの。しっかりやってちょうだいね?」

「……わかった」

「は、はい」

 

「いい? 大事なのは任務の完遂……無理だと感じたら、一度引き返しなさい。生きて使命を果たすのよ」

 

 

 言われずとも、死ぬつもりなど毛頭ない。

 

 緊張からか汗を流していかり肩になっているミナトを小突く。

 死なないようにフォローはしてやると伝えれば、情けなく脱力した笑みでの「ありがとう」が返ってきた。

 

 キリノがシェルターを開けるように指示を出す。地上と地下を固く断絶していた出入り口がゆっくり開き、風が体に吹きつけた。

 

 

「行くわよ」

「……うん」

 

 

 待ちきれずにゲートが開ききる前に歩き出し、間に体を滑り込ませて地上に出る。

 周囲に敵影がないことを確認して、2人は出会いの地でありドラゴンとの因縁の地でもある東京都庁に向かった。

 



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 逆サ都庁へ②

都庁から一度シェルターに帰還するまで。
※脱出ポイントについての個人的な解釈が描写されています。
ミナトはゲロインじゃないです。げ、ゲロインのつもりで書いたんじゃないんだからね! フリじゃないからね!



 

 

 

「……何だ、君たちは?」

「ムラクモ機関所属、機動13班。帝竜討伐部隊の後方支援として派遣された。入らせてもらうから」

「すみません。よろしくお願い、します……」

 

 

 都庁の広場で自衛隊員に呼び止められる。

 前を歩くシキが赤い腕章を見せて最低限の説明をした。ムラクモ所属と聞いて、都庁の入り口周辺を警戒していた自衛隊員数人が顔をしかめる。

 選抜試験を通してうすうす感じていたのだが、どうもムラクモ機関と自衛隊は折り合いが悪いようだ。

 できるだけ誠意を込めて頭を下げても、嫌な雰囲気は払拭されなかった。

 

 挨拶もそこそこに、そそくさと都庁の入り口を潜る。

 1ヶ月ぶりに見る1階のエントランスは、記憶の中のものと類似点を残しつつもどこかがずれて歪み、禍々しい空気に満ちていた。まるで異界に足を踏み入れたようだ。

 

 違和感を拭えずに辺りを見回していると、通信が入る。聞き覚えのある声だった。

 

 

『……よォシキ。あと、シバ、だったか』

「ガトウさん。お、お疲れ様です」

『結局、ドラゴンと戦うことにしたってな? おまえも物好きなやつ──』

「ガトウ」

『……何だよ』

 

 

 シキがガトウとの会話の間に割り込み、「何か、都庁の中身、逆さまになってない?」と首を傾げた。

 

 

『……あン? 都庁が、逆さまだァ? 知ってるよ、見てのとおりだからな』

「……ほんとだ。床と天井が逆……!」

 

 

 違和感の正体に納得して、下と頭上に目を凝らす。

 受付を行うカウンターデスクや椅子、観葉植物の鉢植えが天井に張り付いてこちらを見下ろしている。

 頭上の空間がやけに暗いのに対し床が明るいのは、本来自分たちを上から照らす電灯が足もとに回っているからだろう。

 

 

『なんでも、帝竜ってやつは、自分の根城を、好きな姿に変えちまうらしい。ホント、無茶苦茶だぜ。他の地域も、どうなってることやら』

「他の地域?」

『帝竜はこの都庁の1体だけじゃねェ。外にも複数いるんだと』

「ふ、複数ですか!? あんなやつが!?」

『……って、今する話じゃねェな。ここで俺たちが覚えとくのは、下に降りりゃ、先の階に進むってことだけだ。……しっかりやれよ、シキ。新入り』

「は、はい……」

 

 

 通信が切れる。

 都庁屋上に君臨している驚異的なドラゴン、帝竜。世界中が竜の襲撃を受けているのだから、都庁だけでなく他の場所にもいるであろうことは、言われてみれば考えられる。

 しかし、あんな恐ろしい存在がまだまだいるというのは、正直気が滅入ってしまう。

 

 

「……前途多難すぎない……?」

「ここまできて今さら何言ってるの? ほら、行くわよ。丁度そこに穴が開いてる」

「あ、ほんとだ。大きい穴……ちょっと待って」

「今度は何?」

 

 

 ドラゴンが作ったのか、強行策として人為的に作られたのか。エントランスの奥の床……もとい、元天井の床の数メートル先にぽっかりと穴が開いている。

 下から吹く空気に乗せて赤い花弁を吐き出す大きなそれは、火を吹くドラゴンの口を彷彿とさせた。

 さらに帝竜の好みなのか、電灯が光っているとはいえ建物の中は暗い。夜の自然な暗闇ではなく、黒いカーテンで陽光を無理矢理遮断したような、閉塞感を伴った闇だ。

 穴の下はおそらく先の階の天井だろうが、この中に飛び込めというのは……。

 

 

「……エレベーター使おう?」

「動いてると思う?」

「か、階段は」

「大体上と下が逆転してるんだから、エレベーターも階段も、出入り口は天井……あー、今天井になってる床側にあるでしょ。届かないし使えないから」

「ほ、本当だ! 階段があんな高いところに!」

「あーもう、ごちゃごちゃ言ってないで早く!」

「嘘でしょー!?」

「久しぶりに聞いたわねそれ」

 

 

 物怖じしないシキに襟を掴まれて体が宙に浮かぶ。

 一瞬の浮遊感の直後、重力に引かれて尻から下に落ちた。ドスンッという鈍い音と共に脳が揺れて目が眩む。

 腰と頭を押さえて呻いていると、通信機に少女の声が入った。

 

 

『コール、13班。こちらNAV3.7……聞こえますか?』

「聞こえる。今2階に上が……降りたところ」

『……通信は正常のようですね。では、これよりナビゲートを開始します。今回の任務は「3Dz」の回収です』

「『Dz』……確かドラゴンから取れるっていう……」

『はい。「Dz」とは、ドラゴンの肉体から採取できる資材の総称で……1体のドラゴンから採取できる量が1Dz。つまり、今回のミッションは、ドラゴンを3体倒せばコンプリートということになります。まずは、ドラゴンのいる下のフロアに向かってください』

「了解」

 

 

 シキとナビの通話を聞きながら周囲を見回す。エントランスと同様、床と天井が逆転していて、足もとにある電灯が下から空間を照らしていた。

 お化け屋敷のような光景に競り上がってくる恐怖を抑えていると、キーッという獣のような鳴き声が鋭く響いた。

 

 

「ま、マモノだ! こんなときにも……」

「人を襲うって点で見たら、ドラゴンたちの下っ端みたいなもんか……さっさと片付けてドラゴン探すわよ」

「ちょ、ま、待って、置いてかないで……!」

 

 

 試験でも見たウサギのマモノのラビ。鮮やかな青い羽から鱗粉を飛ばす蝶形のブルーグラス。他にも鹿や熊など、動物を原型としたマモノたちが、進むたびに物陰や曲がり角から飛び出してくる。

 しかしシキは顔の向きを進行方向に固定したまま、一瞥もくれることなくマモノたちを拳と足で一蹴していく。

 小型のドラゴンであれば1対1でも戦える彼女にとっては大した障害にならないようで、援護する間もなくマモノたちは消えていった。

 

 

『そこで止まって』

 

 

 探索を始めて数分後、ナビの声に足を止める。

 通路の前方、暗闇の奥で大きな影が蠢いていた。大型のマモノよりもずっと大きく、体の端々が壁に当たってはズンズンと音を立てている。

 

 

「あれは、もしかして」

「もしかしなくてもドラゴンね」

『前方に見えるのが、討伐対象のドラゴンです。名をドラゴハンマード……巨大なハンマー型の頭を持つ強敵です。戦闘には能力を惜しまず戦ってください』

 

「どうする? 作戦とか……」

「あのドラゴンがいる通路は狭い。2人で暴れるのは難しいから、私だけで行く。あんたは……ここ暗いから、火で照らして」

 

(照明代わり!?)

 

 

 シキが駆け出す。その背中が暗闇に溶けるのと同時に、轟音と衝撃がフロア中に響き始めた。

 

 

「わっ、ひ、火……!」

 

 

 手の中に火を生み出し、細かく分割して空中に散らせた。ぽつぽつと火の玉が床の電灯に加わって部屋を照らし出す。

 赤い光を浴びてようやく視界に現れたシキは、キリノが言ったように筋肉がなまっているようには見えなかった。

 

 ドラゴンの頭から生えている巨大な岩のハンマーに拳が振り下ろされる。

 火を灯すわずかな間にどれだけ猛攻したのだろうか、ところどころにヒビが入っていたハンマーはシキの一撃に一際大きな亀裂を広げ、根元から砕け落ちた。

 

 

「武器がなくなればこっちのもん!!」

 

 

 ドラゴンの鼻面に両手両足が叩き込まれていく。

 狭い通路から逃げ出せないままドラゴハンマードは剛拳のラッシュをくらい続け、いつぞやのドラゴンのように頭部から血を流して倒れこんだ。

 

 

「……シキちゃん、すごいね……」

『コール、13班。……なかなかの腕前ですね。ドラゴハンマード1体の討伐、及び、1Dzの回収を確認しました。このフロアには、他にもドラゴンの出没情報があります。……任務を続行しましょう』

「了解」

 

 

 大した疲労も見せずにシキは立ち上がった。ついさっきまでドラゴンと死闘を繰り広げておきながら、何事もなかったようにセーラー服に付いた砂埃を払う姿に、宇宙人を見ているような気分になってしまう。

 一方、照明の代わりとして火を灯していただけの自分は、まだまともな戦力として機能していない。この調子でドラゴンと渡り合えるようになるのだろうか。

 

 

(私、全然働ける気がしない……)

 

 

 けろっとしているシキに「行くわよ」と促される。

 先を急ぐ必要もあるが、進む前に、周囲に散らした火を消した方がいいかもしれない。万が一火事になって退路を塞がれてしまっては大変だ。

 しかし、掌の上に発生させている状態ならまだしも、一度放ってしまった火はコントロールできるものなのだろうか。

 

 試してみようとして手を伸ばす。

 

 

(あ、れ)

 

 

 不定形に揺れる赤色と向き合った途端に目が霞む。

 今さらになって熱に当てられたのか、額と首からじわじわと汗が滲み出てきた。

 気のせいだろうか。少し息苦しい。

 

 

「ちょっと、何ぼーっとしてるの?」

「あ、ごめん……何でもないよ」

 

 

 何でもなくない。足がふらつく。気持ち悪い。

 

 

(これは、やばい)

 

 

 不快な感覚が胃の底から迫り上がってくる。

 

 動きの鈍さを怯えによるものと判断したのか、シキが呆れ顔で自分の手首をつかんで歩き出した。

 

 

「この程度でいちいち休憩なんてしてられないわよ。経験積まなきゃいけないし、次からは一緒に戦ってもらうから」

「う、うん……」

 

 

 一応、自分の健康状態には敏感なつもりだ。

 いや、そうでなくてもわかる。これはやばい。

 

 

「あと、ドラゴンを2体倒せばいいんだっけ……?」

「そ。で、Dzを回収して一旦帰還。まあ肩慣らしには丁度いいでしょ」

 

 

 あと2体だ。自分だけではない。シキもいる。

 このミッションを終えるまではもつはずだ……たぶん。

 地面が揺れているのではと錯覚するほどのめまいに耐えて前を向く。

 

 そこから先の記憶は飛び飛びでほとんど覚えていない。

 ただ、シキに言われて火を出すたびに意識が白く塗り潰されそうになったことだけはわかった。

 

 

『コール、13班。3Dzの回収を確認……任務終了です。ガトウ隊ほどではないですが……シキたちも頼りになりそうですね』

「一言余計よ。で? そっちに帰ればいいの?」

『はい。シェルターへ帰投し、4班……開発班に3Dzを渡してください。あなたたちの部屋の、隣の部屋です。なお、帰投には「脱出キット」かこのフロアにある「脱出ポイント」の使用をオススメします』

「脱出……何?」

『帝竜が作った巣……異界化した空間は不規則に歪んでいて、どこかに外に繋がる小さな穴が存在します。それが「脱出ポイント」です。「脱出キット」はシキたちに渡した装置です。ひとつにつき一度きり、観測班との連携が必要で時間制限もありますが、人為的に脱出ポイントを作ることができます』

「なるほどね……まだ余裕あるんだけど、進んじゃ駄目なの?」

『そこから先は、作戦行動の範囲外です。移動許可はおりていません。速やかに帰還してください。では、私のナビもこれにて。……オーヴァ』

 

 

 少女2人の会話を、どこか遠くで流れているラジオのように聞いていた。

 

 やばい、体が異常に発熱している。

 あの赤色だ。火の赤だ。あれを目にしてからだ。

 

 

(これは、たぶん……)

 

 

 心当たりはある。けれど、それがわかったところで今はどうしようもない。体調が回復する術はない。

 喉の奥が酸っぱくなってきた。

 

 

(やばい、やばい、やばい)

 

「──シキちゃん!!」

「っ、何!?」

「早く帰ろう、早く!」

 

 

 肩をつかんで揺らしながら急かすと、案の定シキは少し怒った様子で「何よ、なんでよ!?」と自分の変わりように疑念を申し立ててくる。

 

 

「説明なら後でするから! だから早く! じゃないと──」

「じゃないと何よ!」

 

「──吐く」

「は?」

 

 

 脱出キットを使ってシェルターに帰還する。

 最初に出迎えてくれたのはナツメでもキリノでもなく、真っ先に駆け込んだトイレの便器だった。

 

 ああ、前途多難だ。

 



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6.暗天の異界

お勉強タイムですわ~!
※注意…異能力者・異能力・スキル諸々の個人的な解釈が入ります。

CHAPTER0でも描写していましたが、ビジュアルコレクション収録のスケッチブックページやドラマCDのパッケージなどを参考に、ガトウはサムライ、ナガレはスイッチ型のトリックスターにしています。



 

 

 

「ただいま。開発班はここで合ってるわね?」

 

 

 自分とミナトが眠っていた部屋の隣に入る。

 顔見知りである年配の男性、ワジが「待っておったぞ、13班」と振り返った。

 

 

「早速だがDzを預からせてもらおう、時間が惜しいのでな」

「ん。これ」

 

 

 ドラゴンの血と埃で薄汚れている資材を手渡す。ワジはタオルで丹念に汚れを拭き取り、隅々まで目を凝らして資材の状態をチェックし始めた。

 

 

「ふむ、ふむ……これだけあれば、発注を受けていた装備は何でも作れそうだな。新人13班に任せたと聞いて、少し不安ではあったが……なかなかいい腕をしてるようじゃないか。……ケイマ、レイミ!」

「バッチリ、任せとけ!」

「はーい! すぐに取りかかりますね☆」

 

 

 名前を呼ばれ、ワジと同じエプロンを身に付けた青年とメイド服姿の女性が各々ミトンをはめて資材を弄り始める。

 若手2人の背中からシキに向き直り、そういやとワジは首を傾げた。

 

 

「シキ、おまえは新人と組んで13班を結成したと聞いたが。そのもう1人はどうした?」

「ああ、あいつね……」

 

 

 帰還して真っ先にトイレに走っていった背中を思い出す。

 そこそこ時間が経った。まだ便器にしがみついて吐いているのだろうか。

 

 

(ていうか、吐くほど嫌なことなんてあった?)

 

 

 血が苦手なのだろうか。しかし選抜試験でマモノやドラゴンを倒しても彼女が止まることはなかった。ならば、何が原因なのだろう。

 大丈夫なのかと懸念を抱きつつ、「もうすぐ戻ってくるんじゃないの」と心身ともにタフネスであるシキは適当に返した。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「火が怖い?」

 

「……恐怖症って言うほどじゃないとは思うんですけど、火が、駄目になったみたいで……」

 

 

 キリノにごめんなさいと頭を下げる。

 

 トイレで散々吐いて倒れそうになっていたところをナツメに発見され、帝竜に叩きのめされたとき同様にベッドの上に運ばれて数分。

 隣の部屋で開発班とやりとりをしているであろうシキへの申し訳なさに胸を痛めながら、ミナトはキリノに説明した。

 

 

「たぶん、帝竜にやられたときのことがきっかけだと思います。小さな火傷なら何度もしたことはあるんですけど、真正面からあんなふうに火を浴びたのは初めてで……火を見ると……痛みとか、熱さとか、吐き気が一気に……」

「なるほど。トラウマになってしまったのか……」

 

 

 一命はとりとめられたものの、ウォークライの剛火球は深い爪痕を刻んだ。

 平時だったならもう少しきれいに治っていたかもしれない。だが全世界で同時に竜が現れていたあの時は、命をつなぎとめるだけで精いっぱいだっただろう。自分の皮膚は、火傷を通り越して炭化さえしていたという。まともな治療ができる時間や設備は存在しなかった。

 背中に手を滑らせると、ごつごつとした不快な感触がする。背筋を伸ばすと硬くなった皮膚が軋んで強張る。

 もう痛みはないが、鏡で見れば恐ろしく醜い痕になっているだろう。目覚めた後も、塗り薬と包帯が欠かせない。

 

 潤みかけている目を隠すのも兼ねて、キリノに頭を下げた。

 

 

「すみません、出鼻を挫くような真似をしてしまって」

「いや。むしろケアが行き届いていなかったね。こちらこそすまない。初任務、お疲れ様。しかし、トラウマか……うーん」

 

 

 口には出さずとも、腕を組んで考え込んでいるキリノの眉間のしわは「参ったな」と語っていた。

 S級の能力者といえど、攻撃手段である火が扱えないとなれば、木偶の坊と変わりない。

 

 

「肉体的な負担なら、開発班に装備を改良してもらえばいくらかは軽減できるけど、精神的なものは治し方も時間も人それぞれだからね」

「あの、このままだと……作戦は……」

「君を無理に送り出すわけにはいかないし、問題が解決するまではシキ1人で動いてもらうしかないかな」

 

 

 欠番のエースナンバーをもらった13班だというのに、結成から数時間で瓦解の危機だ。

 都庁に行って火を点けて嘔吐して、自分は何をしてきたのだろう。このままでは文字通り役立たずだ。

 

 

(そんなの嫌だ……何かある? 精神安定剤? 催眠術とか?)

 

 

 今すぐ戦線に復帰できる手段はないか。未だに残る吐き気で鈍る頭でなんとか思考する。が、そうそう都合よく火の代わりになる戦い方など思いつくはずもなく。

 いっそ吐きながらでもいいから火を使おうと手に意識を集中させたが、火が出るよりも先にまた吐き気がこみ上げ、はっきりしない意識にさらに靄がかかる。

 

 

「う、うっぷ……」

「シバさん、大丈夫かい?」

「すみません……」

 

「失礼するわ。キリノ、シバさんの調子はどう?」

 

 

 根性だけではどうしようもないのかと意気消沈していると、ナツメが紋入りのマントを揺らして部屋に入ってくる。

 気を遣う優しげな声にまた涙腺が緩み、涙目で振り向き頭を下げた。

 

 

「ナツメさん、ごめんなさい! ……今のままだと、戦えそうにないです……」

「……詳しく、話を聞かせてもらえる?」

 

 

 困ったように苦笑を浮かべるナツメに、キリノのとき同様に説明をする。

 火を怖いと思ってしまうこと。見たり使おうと意識すると、吐き気が出てきて意識が遠のくこと。加えて、帝竜によって大火傷を負った体が痛むこと。

 話を聞いたナツメは、少し考えるように俯いてから、「確認したいのだけど」と顔を覗きこんできた。

 

 

「あなた自身、これ以上戦うことは無理だと思う?」

「……役には立てないと思います」

「役に立てないとして、諦めはつく?」

「? えっと、どういう……」

「異能力者には無限の可能性があるわ。あなたのようなS級となれば、それは尚更。火が使えなくなって、それで全てが終わってしまうようなら、私は選抜試験にあなたを呼んではいない」

 

 

 これは役に立たないと怒られているのだろうか。それとも褒められているのだろうか……たぶん、後者だろう。

 しかし、ナツメが何を伝えたいのかいまひとつ理解できない。困って首を傾げると、ナツメは「聞かせて」と真剣な眼差しを向けてきた。

 

 

「あなた自身の意思を聞かせて。もちろん戦えないからといって外に放り出したりはしないわ。……戦うのは諦める? それとも、他の方法を探してでも、戦いたい?」

「た……、……はっきり戦いたい、とは断言できませんけど……せめて都庁を奪還するまでは……能力が使えなくても、作戦をお手伝いしたい、です」

「そう。よかった。その意思があるなら、きっとできるはずよ。少し早いと思うけど……あなたのスキル開発を進めてみましょう。キリノ」

「スキル開発……そうか!」

 

「? あの……」

 

 

 ナツメに呼ばれてキリノが頷く。見覚えのある医療器具が乗った銀のワゴンに向かってキリノが作業を始める傍らで、ナツメが軽い身振り手振りを交えて、異能力者についての話を始めた。

 

 

「シバさんは、異能力者についてどのくらいの知識があるのかしら?」

「え? えっと……人と違う、何かの力を持っていることぐらいしか……」

「広い意味で捉えればそうね。私たちムラクモ機関の研究の見方はもう少し穿っているわ。一つ、その体の内に、『凡人にはない規格外の力、潜在能力を秘めている』。そしてもう一つ、その『潜在能力を極地まで引き出して扱える』。そんな力ある者を、私たちは異能力者として把握し、マモノたちに対する有効戦力として協力を募っているわ。S級の異能力者をね」

 

 

「勉強の時間ね」とナツメは滑らかに片手を花開かせ、細い五指を伸ばした。

 

 

「ムラクモ機関は異能力者を能力別に、5種類の職業に分類しているの。まず『サムライ』。身体能力Sランク。特に剣の腕に秀でた者から選抜しているわ」

「サムライ……そうだ、ガトウさんが戦うときに大きな剣を使っていたんですけど……」

「そう。彼もサムライね。海外で傭兵として働いていたところをスカウトしたの」

 

 

「次に」と、親指に続いて人差し指が折られた。

 

 

「『トリックスター』。これに該当するのはナガレね。会ったことはある?」

「はい。試験時に1度お会いしました。ガトウさんと一緒にいた、ナイフと銃を持った人ですよね?」

「ええ。俊敏性Sランク。戦況によって銃とナイフを使い分けて戦うの。見事な銃の早撃ちもナイフ捌きも、場合によっては別の武器も扱える。ずば抜けた器用さ、彼らにしかできない特殊技巧が持ち味ね」

 

 

 都庁でドラゴン相手に、まるで手足の一部であるかのように武器を操っていたナガレの姿を思い出す。確かに、ただ器用というだけでは説明がつかない指の動きだった。

 

 次いで、ナツメは中指を折る。

 

 

「次に『デストロイヤー』ね。これに当たるのは、誰だかわかる?」

「……あ、シキちゃんですか?」

 

 

「破壊」を意味する英単語の「destroy」からもじったであろう恐ろしい名称に肩が竦む。

 ドラゴンと1対1で肉弾戦を繰り広げるタフさ、そして一見華奢な手足で敵を粉砕するパワーを持つ少女が頭に浮かんだ。

 

 

「そう。あの子をはじめ、デストロイヤーは運動能力Sランク。武道で達人級の腕を持っているわ」

「なんか、サムライと似てますね?」

「そうね。ただサムライと違って、特に筋力が優れているの。サムライが剣を使って『技』で戦う職業だとしたら、デストロイヤーは生来の『力』をそのまま活かした格闘家ね」

「そうなんだ……シキちゃん、すごかったです。小さいマモノも大きいドラゴンも、全部パンチとキックで倒しちゃって」

「あの子は小さい頃からずっと訓練してきたのよ。……それでも歯が立たなかったのだから、帝竜は恐ろしいわ。さあ、次よ」

 

 

 薬指が折られ、職業の説明は4種類目に入った。

 

 

「4つ目は『ハッカー』。情報技能Sランク。メカマニアというのかしら……機械の扱いに優れる彼らは、肩書き通りハッキングができるわ。ただ普通のハッカーと違い、その力は人間やマモノにも及ぶ。敵を妨害し、私たち味方をサポートしてくれる支援型の異能力者よ。……ときどきサイバーテロを起こしたりして世間を騒がせているけど」

「……そういえば、試験でチームを組むときに『俺は国際指名手配されてるだけのしがないハッカーだ』って、自己紹介してる人が、いたんですが……」

「……それでも、貴重な戦力なのよね」

 

 

 自分以外の多数の異能力者と顔を合わせたのは選抜試験のときだけで、あくまでその短時間での個人的な感想だが、ハッカーは癖のある人間が多かった気がする。

 そんなことを考えているうちに、「じゃあ、これで最後ね」と、最後まで立っていた小指が折られた。

 

 

「『サイキック』。該当するのはあなたよ、シバさん」

 

 

 サイキック。特異能力者。

 

 

「……超能力、ですよね」

「ええ。サイキックは異能力者の中でも特殊で珍しい存在。なぜだかわかるかしら」

「えー……っと……わかりません。どうしてですか?」

「超能力……それを引き起こすSランクの『超感覚』を持つ人間が少ないからよ」

「超感覚……?」

 

 

 聞き慣れない単語に首を傾げる。「今までの話を思い出して」とナツメは他の職業の特徴を振り返った。

 

 

「サムライ、トリックスター、デストロイヤーの前衛は、筋力や素早さといった『生来の体の能力』を使うスペシャリスト。フィジカルが優れている人間の極地にいる者よ。ハッカーの力は、サイキックと似て超常に触れる先天的要素も必要だけれど……何より専門的な知識や経験の積み重ねが必要。そうして高みに至った者が持つ、『技術の結晶』と言えるわ。対して、サイキックの『超感覚』は、生まれつき誰もが持っているものじゃない」

「……あ、そっか。筋肉とか骨とか、運動するための器官は普通に体にあるけど、超能力を使うための機能なんて、普通人間にはないですよね」

「そう。人間の身だけでは起こせるはずのない超常現象を発現させ、意のままに操る力……。後天的な開発も無理ではないけれど、ほぼ不可能に近いわ。そんな力を先天的に持っている人間なんでごくわずかしかいないの。サイキックが『特異能力者』と呼ばれる由縁ね。さらにS級の力を持つのは、ほんの一握り」

「へえ……」

 

 

 抑揚と緩急をつけて進んでいくナツメの語りは、意識が体から抜かれて吸い込まれていくような魅力があった。

 自惚れる暇も、そんな身でないことも承知している。してはいるが……こんな風に話を聞くと、なんだか自分の力に心酔しそうな気分になってきてしまう。

 

 

「科学では説明できない、常識から隔離された超能力を行使する……簡単に言えば、現代の魔法使いみたいなものね」

「ま、まほーつかい……!?」

 

 

 胸の奥のツボがぐっと刺激される。

 魔法使い。憧れであり素敵な響きだ。空を飛んだり物を操ったり、恨みのある相手に呪いをかけたり(少し違う)。何度も空想しては実現するはずがないと諦めてきた、まさに手の届かない夢そのもの。

 そんな存在に自分が。

 

 

「……」

「……シバさん、もしかしてファンタジー好きかしら?」

「はい、家にはハ○ー・○ッターシリーズ全巻揃って……あっ、いえ!! 何でもないです!」

 

 

 寝物語を聞いているようだ。言葉の一音一音が無理なく頭に入ってきて、いつの間にか抜け出せなくなっている。麻酔みたいに。

 魔性の魅力を持つ人だなとナツメを見つめる。彼女はくすくす笑いながら「それで」と話を続けた。

 

 

「サイキックは属性攻撃を扱える能力なのよ」

「属性……っていうと、あれですか? あの、火とか水とか、風とか……」

「ええ、その属性。そしてそれとは別のカテゴリーの『治癒魔法』。ごく稀に『特殊能力』も存在するわ。テレポートやテレパシーとかね」

 

 

 ナツメ曰く、凡人からすれば異能力は特別なものだが、それを持つ異能力者自身が自分の力を特別視しすぎてはいけない。自分の体の一部であるように扱えるようになることが理想だという。

 

 

「S級のサイキックであるあなたの力は、火を使うだけじゃない。もっと様々な現象を起こせるはず。スキル開発を進めていけば、きっと多岐にわたる手段で戦えるようになるわ。……そのために、」

「そのために? ……っ!!」

 

 

 ナツメが後ろを振り返る。

 2人で話している間に作業していたキリノが、「準備完了です」と、数時間前に自分の腕を貫いたものと同じ注射器を手に握っていた。

 

 

「……あの……? それ、は」

「前のと同じ補助剤だよ。体に有害な成分はないとはいえ、時間を置かずに何度も投与するのはあまりおすすめできないんだけどね。時間もないし、まだ2本目だから大丈夫だろう」

「あ、あの、そういう問題ではないというか、なんでその注射器、そんなに針が太いんですか? え、今度は1本目とは反対の腕に? こっちも? む、無理です無理です! やめ、や──」

 

 

 っゔあーーーーーーっっっ!!?

 

 

 ベッドに突っ伏して腕を押さえる。

 この世のものとは思えない痛みにひいひい悶える自分を見て、キリノは申し訳なさそうに後頭部をかいた。

 

 

「やっぱり、そんなに痛いかな……?」

「すごく……痛いです……」

「ごめんなさいね。でも必要なことだから、我慢してちょうだい。……さて、あとはあなた自身よ」

 

 

 何がですかと目尻に浮かぶ涙を拭う。

「時間は限られているわ」とナツメは優しい面持ちから真剣な表情に変わった。

 

 

「火以外の属性が使えないか、試してみましょう。今、隣の部屋で開発班が装備を準備しているだろうから、時間はそれが終わるまでの間よ」

「う、は、はい!」

 

 

 注射されて痛みが残る腕をさすりながら自分の掌を見る。

 これ以上何ができるかはわからない。でもやらないよりはマシだ。ナツメの話を聞くうちに、催眠術にでもかかったように、今まで以上に力を操ることができる気がしてきた。

 

「少し待っていて」とナツメは部屋を出て、すぐに何かを抱えて戻ってきた。

 

 

「お待たせ。はい、これ」

「……これ、は?」

 

 

 とても大きくて重い、分厚い本を渡された。ハードカバーも厚くて固く、鈍器のように見えてしまう。これで思いっきり殴ったらどんな暴漢も倒れるんじゃないだろうか。

 早速見当違いなことを考えて本を上下に揺らしていると、ナツメが八の字眉になって苦笑した。

 

 

「研究室とは別に、このシェルターに保管しておいた古い資料なの。最新版じゃないから少し内容が違うかもしれないけれど……あなたの超能力、サイキックのスキルに関する資料よ」

「へえ……」

 

 

 ベッドに座り、本を膝に置いて開いてみる。黄ばんで乾燥した古い紙に、小さな文字がびっしりと綴られていた。

 試しに読んでみるが、専門用語だらけで難しい。内容を理解できずに目が滑る。

 再び都庁に出発するまで数時間もないというのに、これで何かが得られるのだろうか。

 早くも諦めかけて紙をめくると、新しく出てきたページの右上に、何かが埋まっていた。

 

 

「ん……?」

(何だろう、これ)

 

 

 序盤のページから最後のページまで、四角くくり抜かれてできたスペースにそれは収まっていた。

 確か、子どもの頃訪れた博物館で、鉱物のコーナーに展示されていた資料も、こんな風に本の中に石が入っていたなと思い出す。

 指先で摘んで取り出したそれは、宝石の原石にも、ただの金属の塊にも見える不思議な物体だった。手の中で回してみるが、固くて冷たいことぐらいしかわからない。

 

 

「それはね、異能力開発に使用する媒体よ」

「媒体?」

「サイキックは特別な道具がなくても超能力は使えるわ。けれどいくら素質があっても、初めて力を使ったり、新しい能力を発現させるには、感覚をつかまないと難しいの。他の異能力者も、属性を含めた技でサイキックと同じように力を使う。それを手助けする媒体がこれ」

 

 

「思い出して」とムラクモ試験のときのことを掘り返される。

 

 

「あのとき、候補生には武器が支給されたでしょう? サイキックの武器はクロウ。超能力をより大きくスムーズに引き出すための補助装置。肉声に対するマイクみたいな役割ね。それを媒体と呼ぶのだけど……今あなたが持つそれは、武器の形になる前の媒体よ」

「へえー……」

 

 

 ナツメが続けるには、ムラクモのサイキックはこれを使って超能力の源……マナというエネルギーを扱う感覚をつかむらしい。

 そして自分は今回、炎以外の属性開発を試みる。

 目次を確認する。「属性について」と書かれている項目を読み込んでみると、前まで自分が使っていた炎以外にも、氷、雷、風など複数種類があると記述されていた。

 

 

「えっと、どの属性を覚えればいいんでしょうか? ウォークライは火を吐いてたから……氷、とか?」

「そうね。属性の相性は大体あなたの持つイメージで合ってるわ。今回はウォークライと戦うことはないと思うけれど、どれか一つの属性を扱えるようになれば、戦闘でも十分に貢献できるわ」

「でも、具体的にはどうすれば……」

「シバさん。炎は使えなくても、マナを動かす感覚は覚えているでしょう?」

 

 

 ナツメに言われ、体の内側に意識を集中させる。

 胸のずっと奥。腹の底。臓器とはまた違う別の箇所。具体的な言葉では表せないが、蛇がとぐろを解いて起きるように何かが湧きあがる。そんな感じがする。

 小さい頃、自分の力を自覚したときから知っていた感覚だ。

 これが「超感覚」。マナの流れだと改めて自覚する。

 

 さあ、とナツメが呼びかけてきた。

 

 

「早速始めましょう。何の属性でも構わないわ。どれが一番イメージしやすいかしら?」

「うーん……雷、はあんまり……風、いや、氷、かな……?」

「なら、マナを操って、導いて。媒体にマナが集まったら、イメージを付けて外へ出すの。映像でも感覚でも、あなたが知る『冷たさ』を」

「冷たさ……」

 

 

 野球ボール程度の大きさのそれを両手で持って立ち上がる。

 大丈夫、大丈夫。火は出さなくていい。まずはマナを体から媒体に流し込むだけ。

 操作だけなら難しくはない。幼い頃、自分の力に恐怖を感じたときからずっと、コントロールの訓練を重ねてきたのだから。

 

 

(冷たさ、冷たさか……)

 

 

 だめだ、目を開けていると集中できない。

 まぶたを下ろして視覚を遮断する。暗闇の中、記憶から、知識から感覚を思い起こす。

 

 夏に飛び込んだプール。飲み物に入れた氷。触れれば体温を吸い取る金属鍋の冷たさ。

 舌を痺れさせる凍ったアイス。針のように肌に突き刺さる木枯らし。

 固くてゴツゴツしていて、たくさんの曲線が刻まれていたスケートリンク。手袋と靴から染み入り、指先をかじかませた雪。

 

 白かったり、薄い青だったり、鋭い固体。触れていると痛いくらいに冷やされる。その感覚すらも奪われていくような──。

 

 

(熱を殺す。火を……)

 

 

 自分を焼いたあの赤さえも、塗り潰す。

 

 想像して想像して、ひたすらマナにイメージを絡めていく。

 何だろう。パキ、パキ、と硬質な音が聞こえた。

 

 

「な、ナツメさん……」

「しっ。……静かに」

 

 

 目を見開いて固まるキリノに呼びかけられ、ナツメは人差し指を立てる。

 冷えていく空気の中、煌めく霜を見つめ、顎に指を添えた。

 

 

(ドラゴンを倒すためとはいえ、シバさんは戸惑いそうね)

 

 

 これからミナトは繰り返し自問するだろう。なぜ地球に溢れていた人間の中で、自分が異能力を持つのかと。つい1ヶ月前まで何も知らない一般人として生きていたのだから、恐れるのも無理はない。

 彼女を安心させられるような答えはない。神の意思や悪魔の悪戯ではなく、まさに偶然、天賦と言うしかないのだ。

 

 自信を持って贈れる言葉はただ1つ。「あなたはまさしくS級」。

 

 ああ、と熱い息が漏れる。

 

 

「……素晴らしいわ」

 

 

 そして美しい。

 

 

「シバさん、目を開けて」

 

 

 呼びかけるとサイキックの女性は目を開け、息を吞んで周囲を見回す。

 足もとに波紋が広がり固まっている。

 

 地下シェルターの一室は、白銀と薄青の氷に彩られていた。

 



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 暗天の異界②

 

 

 

 普段の生活圏から避難して身を隠さなければいけない状況になり、さらに通信機器がほとんど使えなくなった。

 その時点で予想はついていたが、ドラゴンの襲来があってから、とにかく物が足りず、流通は壊滅状態らしい。

 もちろん今まで使っていた金……小銭や紙幣もただのゴミ同然だと、ワジは錆びた10円玉を弄んだ。

 

 

「今では、貨幣の代わりに、資材を直接やりとりするのが主流になってる。おまえたちが集めてきたDzの他にも……『Az』という雑多資源がある。大抵の物は、それで用意できるはずだ」

「Az……マモノからも取れるやつ?」

「ああ、それだ」

 

 

 これかとDzよりも小さく、掌に収まるサイズの資材をポケットから取り出す。

 

 地上に不気味な赤い花が咲き乱れてから1ヶ月。世界はかなり様変わりしてしまったようだ。瀕死になりながらもなんとか順応できているのは人間の長所だろう。

 ドラゴンを狩り尽くし、平和が戻ってくればまた生活模式も戻る。いや、元に戻るまでかなりの時間かかかるだろうから、下手すれば今までの通貨とはお別れか。

 金銭に代わる資材をどこに保管するかの思考は、「……よっしゃ、できたぜ!」というケイマの声に掻き消された。

 メイド服のエプロンに付いた汚れを払いながら、レイミが満面の笑みで歩いてくる。

 

 

「お待たせしました♪」

「……何これ?」

 

 

 ケイマとレイミの腕が抱える見慣れない装備に首を傾げる。自衛隊の新しい装備一式、ムラクモ製だとケイマが胸を張った。

 

 

「それを、都庁で戦ってる自衛隊に届けてやってくれ。ガタがきちまった、ポンコツの武器で頑張ってるはずだからな」

「自衛隊に?」

「おいおい、そんな嫌そうな顔すんなよ。確かに俺たち、何か毛嫌いされてるけどさ。今はケンカしてる場合じゃないだろ?」

 

 

 ケンカしている場合ではないのに、あからさまに嫌悪感を態度に出すから嫌なのだ。

 ムラクモ機関は公に広く知られている組織ではないし、全容がわからないから警戒するのは理解できるが、いい年をした大人が自分のような年下相手にもツンケンするのは気に食わない。

 シキが装備を受け取るのを渋っていると、通信機越しに話を聞いていたのか、『行ってください』とナビの声が聞こえた。

 

 

『コール、13班。ナツメ総長からも、準備が出来次第自衛隊に届けるように、との指令が出ています。都庁に戻り、上階──いえ、下方を目指してください。……オーヴァ』

「もう次の任務か? やれやれ、忙しいこったなぁ……」

「ほんとにね。ま、おつかい程度の任務だから1人でも楽勝だろうけど」

「だが都庁にはドラゴンがいる。補佐がないときついだろう」

 

 

「相方の新人はまだ戻らないのか」というワジの問いかけに、背後のドアを振り返る。

 

 

(ほんと、いつになったら来るんだか……)

 

 

 まさかこのまま戻ってこないことはないだろうな、と頼りない相方の姿を思い浮かべる。ついこの間まで一般人だったとはいえ、今は四の五の言っている場合ではない。

 動けないというのなら、自分だけで都庁に行ってガトウたちに合流するまでだ。

 

 一応様子を見に行こうと入り口に向かう。

 手を伸ばしたそのとき、触れるよりも先にノブがぐるっと回り、ドアが開く。

 視界いっぱいに人間の顔が広がったと認識した瞬間、ゴツッと音を立てて額が揺れた。

 

 

「痛った!」

「いたあっ!?」

 

 

 仰け反ってたたらを踏み、痛む額を押さえて眼前を睨みつける。

 しかしそこには誰も立っておらず、視線を下げれば自分にぶつかったであろう人物が顔を押さえて床に転がっていた。

 

 

「っ~~~! いだいぃ……っ」

「……何してんの?」

 

 

 呆れが怒りに勝り、床で悶絶している女性に手を差し伸べる。

 シキの額が衝突したのは眉間あたりだったらしい。真っ赤な鼻面に涙を浮かべ、ミナトは謝りながら手を取って起き上がった。

 

 

「うー……ごめんね。大丈夫?」

「別に平気だけど。あんたもういいの? 吐けるだけ吐いた?」

「あ、はい、その点に関してはご迷惑をおかけしました……。もう大丈夫、だと思いたい……」

「ふーん。じゃあ、早速だけどまた都庁に行くわよ。自衛隊に新しい装備を届けろって任務が入ったから」

「わかった……えっと、初めまして。志波 湊です」

 

 

 シキの背後に立つ開発班の3人にミナトが頭を下げる。

 ワジが彼女を上から下まで眺めて口を開いた。

 

 

「ケイマ、レイミ」

「あいよ」

「はーい☆」

 

 

 ケイマとレイミが作業台に載っていた道具の山から武器と防具を取り出す。

 

 

「自衛隊の装備のついでに、端材で武器作っておいたぜ! 急造品だけど今使ってるのよりはマシだろ」

「レイミも防具作りました! ぜひぜひ、お役に立ててください! 感想も聞かせてくださいね!」

「わわわ……!?」

 

 

 自分が携わった物を身に着けてもらうことに喜びを感じているのか、きらきらと瞳を輝かせて2人が歩み寄ってくる。

 手渡された装備をさっさと着用する自分の横で、ミナトがぼろぼろの上着を脱がされ防具を着せられた。

 

 

「これがあんたの武器。急造だからサイズ云々は勘弁な」

「? ネイルチップ……?」

「そ。新しく入ったサイキックが女だって聞いたからさ、指にはめるゴツイのよりはこういう形のがいいだろって思って」

「わぁ、ネイルなんて着けるの初めて」

 

 

 ケイマから渡されたネイルチップ型のクロウを手の指先ひとつひとつに着用していく彼女を眺めながら、シキは新しいローファーを履いた。

 

 

「めんどくさいわね、サイキックの装備って」

「シキさーん、靴の履き心地はいかがですか? 格闘は戦うときに足技も使いますから、前々から構造をケイマくんと相談してたんですけど……足のサイズは大丈夫ですか?」

「問題ない。戦ってたらすぐに履き潰れると思うけど」

「オッケーです! じゃんじゃん使ってあげてください!」

 

 

 腕に籠手を装着し、拳を覆う武器、ナックルを装備する。

 着け心地に違和感がないことを念入りに確認して、未だ両手の指先を見つめ続けているミナトを小突いた。彼女は我に返り、ケイマとレイミに礼を言って頭を下げる。

 

 

「装備ありがとうございます。頑張ります!」

「頑張るのはいいけど、また吐いて倒れたりしないでよ」

「……頑張ります……」

 

 

 若干顔を青くしたミナトを見て、不意にワジが「よし」と頷いた。

 

 

「忙しいおまえたちに、開発班直伝の技を教えておいてやろう。意識を失ったときにな、ガッ! と目を覚まさせる気付けの技だ。居眠りする作業員に使っとる」

「き、気付け……」

「ワジの得意技ね。結構効くわよ」

 

 

 教わるのは良いが、実際にこれを使うときが来ないことを祈る。いろいろと面倒そうだ。

 

 

「まったく、上の連中は人使いが荒い……体には気をつけてな」

「出発前に、欲しいものがあったらレイミたちに相談してくださいね! 資材さえあれば、何でも提供しちゃいます☆」

 

 

 気付けの仕方を頭に叩き込み、開発班の3人の笑顔に見送られ、シキとミナトは再びシェルターから外に出た。

 

 

「観測班! 脱出ポイント経由で都庁に入る。座標固定して。……よし、行くわよ」

「うん」

 

 

 観測班に協力してもらい、外とダンジョン空間を繋げる脱出ポイントを辿って都庁内に入った。明るい場所から暗い異空間に戻ったことで、鬱屈とした嫌な感覚が甦る。

 身震いするミナトと向き合い現在地と進行方向の確認をしていると、ナビから通信が入った。

 

 

『コール、13班。今、自衛隊の指揮をとっているのは、堂島凛三佐という方です。堂島三佐の部隊は、11階で現場を制圧しているようです。上……いえ、下へ向かいましょう』

「了解」

「りょ、了解。あの、ナビさん。ガトウさんたちは今どこらへんに……」

 

 

 自分たち13班が作戦に加わってからかなり時間が経った気がする。

 もしかしたら、ガトウたち機動10班は既に都庁の屋上に到達しているかもしれない。遅れを取りすぎては、万が一の事態が起きた場合に出遅れてしまうかもしれない。

 

 ミナトがナビにガトウたちの居場所を尋ねると、少女の声は答えようとして、「……待ってください」と口をつぐんだ。

 

 

『ガトウから通信が入りました。繋ぎます』

 

『……ガトウだ』

「ガトウさん!」

『元気でやってっか、新入り? もうヘコたれてンじゃねェだろうな?』

「……い、1回ダウンしましたけど、まだいけます。大丈夫です。そちらは大丈夫ですか?」

『さすがに慣れてきたけどよ……サカサマっつーのは、何か座りが悪いもんだな。鏡の中を進んでるみてーだぜ』

 

 

 青い顔で空元気の握り拳を作るミナトに、返ってくるガトウの声も以前より精気が削がれている。

 マモノにドラゴンたちとの戦闘。異界と化してしまった世界。こんな環境で人間が生きていけるわけがない。心身ともに消耗しきる前に、帝竜を倒さなければ。

 

 

「ガトウ、あんた大丈夫なの? なんなら帝竜討伐、代わってやってもいいけど」

『馬鹿野郎。おまえのほうこそ作戦と役割無視して相棒振り回してんじゃねェだろうな?』

「そんなわけないでしょ。ちゃんと従って順調に進んでるわよ」

『本当か? まあいい。さてと……俺たちはこれから、帝竜の野郎とランデブーする』

「は? え、もう屋上にいるの!?」

『なーに、地獄の底までエスコートしてやるよ。帝竜から都庁を奪還して、人類の反撃開始といこうじゃねェか!』

「ちょっと待ってよ、私がリベンジする予定だったのに!」

『おい、やっぱり作戦無視してるだろ』

 

 

 ガトウたちは既に最下層、もとい最上階に到達しているようだ。

 相手の帝竜もそう簡単にやられはしないだろうが、ガトウとナガレは経験を積んだベテランだ。もしかしたら討伐戦に参加することはおろか、生きているあいつを見ることさえ叶わないかもしれない。

 

 止めていた足を動かし、急いで都庁の中を進む。

 急いた息切れが通信を通して向こうに聞こえたようで、ガトウは「おいおい、こっち突っ込んでくんなよ?」と笑って釘を刺してきた。

 

 

『……それじゃ、退路の確保は任せたぞ。さすがにアイツとヤリあったら、こっちにも余力は残らねェだろうからな』

 

 

 通信が切れる。

 ふざけるな。あれだけぼこぼこにされたのだ。自分の手で直接倍返しにしてやらないと気が済まない。

 足を止めず走りながらぎりりと歯噛みしていると、ミナトが相変わらずの及び腰で「まあまあ……」と宥めてきた。

 

 

「今回の私たちの仕事は、Dzの回収と、自衛隊の人たちに装備を届けること。で、ガトウさんたちの支援なんでしょ? ……ですよね、ナビさん?」

『……退路確保は、11階にいる自衛隊の担当です。彼らに武器を届けること、イコールガトウ隊への支援ということです』

「だから、ここは堪えたほうがいいんじゃないのかな」

「……あんた、悔しくないの?」

 

 

 自分たちを殺そうとしたあの赤い竜が憎くはないのかと訊ねる。しかし2、3歩後ろを走るミナトは腑抜けた笑みを浮かべた。

 

 

「悔しいっていうのはわかるけど……たぶん、敵わないもん。私たち、大怪我して1ヶ月も寝込んでてさ、今日起きたばかりでしょ?」

「私はあんたより2週間早く起きたっ」

「え、そうなんだ! すごい……あ、いや、すごいけど、それでも体鈍ってるだろうし、そうじゃない1ヶ月前も吹き飛ばされちゃったでしょ? 私吐いちゃったし……よっぽどのことがない限り、無理しないほうがいいんじゃないかな」

「……ほぼあんたが足引っ張ってるじゃない」

 

 

 人差し指を向けて指摘する。ミナトは申し訳なさそうに苦笑いをして、それでもやんわりと、あくまでも作戦から逸脱しない行動をしようと説得を繰り返した。

 ぶぅっと口に空気を溜め、頬を膨らませて黙り込む。その沈黙を承諾の意として汲み取ったのか、ナビが『13班』と呼びかけてきた。

 

 

『前方の壁の大穴が見えますか?』

「穴? ……っ」

 

 

 待ったをかけるように吹きつけた突風に足が止まる。

 誘導されて辿り着いたのは通路の突き当たり。本来なら下に続く道はないが、目の前の壁には大きな穴が開いていた。

 呼吸をするように生温い風が吹き、真紅の花弁が光の粒子と共にゆらりと舞い踊る。

 

 

『現状、11階に向かうには……そこから外に出て、庁舎外周を下っていくしかありません』

「……えっと、都庁は今、帝竜の影響で逆さまになってるんだよね。だけど地上から侵入できて、でも逆さになってるのに屋上じゃなくて屋内1階からスタートして、上に下っていって……んん、今さらだけどこのダンジョンどうなってるの……?」

「どうせ外に出るんだから、直接見たほうが早いでしょ。行くわよ」

 

「お、おい、君たち」

 

「?」

 

 

 ミナトがガトウから聞いた話を思い出して首を捻る。百聞は一見にしかずと一歩踏み出そうとしたとき、背後から声をかけられた。

 自衛隊員だ。銃を両腕で抱えていて、心なしか顔が青い気がする。

 

 

「どうして女の子がこんなところに……」

「女の子じゃない。ムラクモ機関所属、機動13班よ。今から帝竜討伐の支援をするために11階に向かう」

「む、ムラクモ? マモノ退治の……君らが?」

 

 

 左腕の赤い腕章を突き出し、これでもかと主張する。

 自衛隊員は半信半疑で、しかし自分たちがここまで潜っていることと、身に着けている武具を見て納得したのか、そうかと頷いた。

 

 

「外に出るのかい? 命綱もなしに?」

「命綱?」

「俺は無理だ。進めなかった……」

「……ナビ。外どうなってんの?」

『外は……やや常識外の光景ですが、今の東京では、もはや日常でしょう』

 

 

 答えになっていない。しかし命綱という言葉から、危険ということだけはわかった。高度があって、もしかしたらドラゴンもいるかもしれない。

 自衛隊員から大穴に向き直る。ちらりとミナトに視線を送ると、彼女は複雑な表情になりながらも、大丈夫だというように頷いた。

 

 

「準備は?」

「できてるよ。……たぶん」

 

 

 ゆっくり歩いて穴を潜る。拒絶か歓迎か、風が一層強く吹き、妖しい光が目に飛び込んだ。

 



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7.復讐戦   - Revenge ウォークライ -

逆サ都庁のあの浮遊岩礁?(名前忘れた)最初に見た時すっごくきれいだと思った覚えがあります。デザイン手がけた人すごい。



 

 

 

 異世界だ。

 

 崩れた外壁が浮いている。ここ数時間で幾度となく見た赤い花弁が、重力を無視して下から上に螺旋を成して昇っていく。

 ミナトは息を呑んで、無意識に胸を押さえた。

 ナビの言葉通りの「常識外の光景」。

 恐怖、感嘆、疑問、好奇。これほどいくつもの感情を湧き起こす景色は、普通に生きていれば絶対に見ることはなかっただろう。

 

 

「……これ、どうなってるの……?」

 

 

 言葉が風にさらわれていく。

 

 平時の都庁とドラゴンに支配された都庁。同じ建物ではあるが、見える景色はまったくの別物だ。

 墨を塗ったような黒一色の空に、文字通り「逆さま」になった都庁が浮いている。屋上よりもさらに下には、光の輪が輝いていた。

 いや、ただの輪ではなく太陽の輪郭なのだろうか。暗黒の空間唯一の光源である恒星に黒い天体が重なり、金環日食のような光輪ができあがっている。

 

 食虫植物のようだ。鮮やかな色で虫をおびき寄せ、触れたところを捕えて食す。

 そして今、帝竜は自分たちを誘い込んでいるのかもしれない。

 

 

「……こうして見ると、距離あるわね」

 

 

 隣に立って下を見ているシキが呟く。

 現在地から11階に行くには、宙の所々に岩礁のように浮遊している大きな瓦礫を伝って下るしかない。しかし瓦礫と瓦礫の間には距離も高低差もある。とても渡れるとは思えない。

 というか、高すぎる。目的地までいったい何十メートルあるのだろう。

 怖い。行ける気がしない。

 恥を忍んでシキの顔を見た。

 

 

「シキちゃん、あのさ……」

「何? お喋りしてる時間ないんだけど」

「あの……私、行けないかもしれない」

「は?」

「いやあの、これ、私、ほんと、根性とかじゃなくてね。……肉体的に数メートルの高さを跳んで着地できるフィジカルがない、っていうか……」

「……」

 

 

 はああー、と盛大にため息をつかれる。

 ああ、これはこのままここに置いていかれてしまうかもしれない。

 

 

(後ろにいる自衛隊の人と一緒に留守番かなあ……)

 

「まあ、サイキックって幅広い特殊能力使える代わりに、他の異能力者より体弱いって聞いたことあるし……仕方ないわね、ちょっとこっち向いて」

「え? うん。わっ!?」

 

 

 自分より背が低いパートナーと向き合った瞬間、スパンッ、と足払いをかけられて体が浮く。

 次いでふくらはぎと太腿の間に籠手を着けた左腕が入り、背が右腕に押さえられた。互いに抱き合うような形で抱え上げられている。いわゆる俵担ぎという格好だ。

 

 

「足手まといだけど置いていったら何か言われそうだし、このまま行くわよ。滑り落ちないようにちゃんとつかまってよね」

「うん。……うん? 行くの? もう? 命綱は?」

「そんなものないし、用意してる暇があると思う?」

「ちょ、ちょっと待って心の準備が……あああぁぁぁ!?」

 

 

 シキが地面を蹴って軽やかに跳んだ。

 ほんの一瞬の浮遊感の直後、重力によって落下に入った。風が肌を下から上へ撫でるのと同時に粟立つような感覚が迫り上がってくる。

 意識が白く染まりそうになったところでシキが着地し、衝撃が体に伝わって目が覚めた。

 これはダメだ。下手な絶叫系アトラクションより性質が悪い。

 自分たちは命綱を着けていない。もしシキが足を滑らせるかバランスを崩すようなことがあれば、真っ暗な天空に落ちてしまうのだ。

 銃を抱えて震えていた自衛隊員の気持ちが今ならよくわかる。

 

 

「し、心臓もたないんですが……」

「慣れろ」

 

 

 もう少し優しく跳んでほしいという意見は打ち返されるように却下され、言葉のキャッチボールはわずか数秒で強制終了される。

 そこから約2、3分の間、一瞬の浮遊と気が遠くなる落下を繰り返し、11階に到着したときにはすっかり精神が摩り減ってしまっていた。

 

 

「ナビ、11階着いた」

『パートナーの方は大丈夫ですか?』

「だ、大丈夫です……」

『通路を直進、左右に分かれているところを右に曲がってください。その先に自衛隊が待機しています』

「了解」

 

 

 肩から降ろされて廊下に足がついた。落下の感覚が残る体で、なんとかシキについていく。

 案内に従って廊下を進み、角を右に曲がって少し開けた部屋に入る。

 暗闇の中に佇んでいた複数の影が、こちらの足音を聞いて振り返る。傷が付いたアーマーに無骨な銃火器、自衛隊の面々だ。

 

 

「ん……? おまえたちは、ムラクモの……アタシたちに何の用だ」

「この階を制圧している自衛隊にこれを届けろって任務で来た」

「これは……」

 

 

 赤い腕章を見て、ベリーショートの赤髪の女性が怪訝そうに眉をひそめた。

 自衛隊員たちの中で唯一の女性。彼女が堂島凛三佐だろうか。

 つっけんどんな態度にむっとしながらも、シキが背負っていた荷物……自衛隊装備一式を手渡す。堂島の隣に立っていた男性の表情が明るくなった。

 

 

「おお、新しい装備に……弾薬か! 恩に着るよ!」

「あの、一応メディス……即効性の傷薬も預かってきたんですけど、よかったら使ってください」

 

 

 自衛隊の装備と共に準備しておいた薬品を差し出す。

 男性は礼を述べた後、こちらを無言で注視して不思議そうに口を開いた。

 

 

「君も、ムラクモ機関のメンバーだよな? ……戦うのか?」

「あ、えっと、私は今日正式に入ったばかりのド新人で……なんとか彼女に庇ってもらって戦えているって感じなんですけど」

「そうか」

 

 

 実戦にほとんど参加できていないことを恥じて苦笑する。

 男性隊員は自分からシキに視線を移し、複雑そうな顔で周囲の隊員に装備と弾薬、傷薬の分配を始めた。

 

 

「君らみたいな女の子も前線に出すのか、ムラクモは……」

「従来の銃火器じゃマモノ相手は限界があるでしょ。サイズも強さも規格外のドラゴンなら尚更。こういうときは私たち異能力者が動いたほうが早い。性別と歳は関係ない」

「ちょ、ちょっとシキちゃん……。あ、あの! でも、」

 

 

 悪気はなしに事実を述べているのだろう。それでもシキがため息とともに発した言葉に、自衛隊員たちは押し黙り顔を歪めた。

 

 国を守るために日々厳しい訓練を耐え抜き、有事の際には体を張って武器を手に取ってきた。しかしそれも、ドラゴンという化け物相手には意味を成さず、世界は壊滅状態に陥っている。

 それでも彼らは武器から手を離すことはしない。戦いでも災害でも、何かを守るために危険な現場に立っている。たとえそれがドラゴンたちにとっては微々たるものでも、無駄ではないはずだ。

 

 生まれ持った能力でぽっと戦場に出てきた自分が言えることはないかもしれないが、それでもミナトは言葉を紡ぐ。

 困っていて、助けてもらって、「ありがとう」と「どういたしまして」が交わされる。そういうあたりまえを、こういうときだからこそ大切にしたい。

 受け入れたくないほど過酷な現実でも、世界が廃れても、人の想いは捻じ曲がらなくていいはずだ。

 

 

「自衛隊の皆さんがいてくれなかったら、1ヶ月前、被害はもっと広がっていたでしょうし、都庁の攻略もこんなスムーズにいかなかったと思います。だから、その……ありがとうございます。お疲れ様です」

「ああ……ありがとう」

 

 

 焼け石に水ではあるが、重苦しい空気が和らいだ気がした。

 自衛隊員たちは2人1組になって片方が周囲を見張りながら装備を新調していく。

 

 

「使えそうなものは、ほとんど討伐隊に回してたからな……。おかげでかなり苦戦してたんだが……これで、討伐隊が戻るまでこの場所をキープでき──」

 

『……れか……』

 

「……!?」

 

 

 かすれたうめき声が漏れる。

 この場の誰かではなく、通信機から発せられたものだと気付いたときには堂島が「おい、どうした!?」と声を響かせていた。

 

 

『誰……応答……くれ……討伐……隊……壊滅……至急……増援を……ッ!』

 

 

 討伐隊が壊滅。

 

 そんな、と悲痛な声が上がった。

 

 

「討伐隊が、壊滅……!? おい、どうなってるんだムラクモ! そんな話、こっちには全く……」

「そんなの、私たちだって聞いてないわよ! ていうか壊滅って!? ガトウは何してんの!?」

「あ、ありえない……だって、ウチの一番優秀なヤツらと、おまえたちんとこのベテランが組んだんだぜ? それが敵わなかったら、俺たちどうするって言うんだよ……!」

 

 

 血相を変えて詰め寄ってくる堂島にシキの声が高くなる。それが火種であるかのように、他の自衛隊員にも動揺が広がり、一気にフロアが騒然とした空気に包まれた。

 いけない。パニックになりかけている。討伐隊が壊滅したというだけで大きなマイナスだが、退路であるここ11階の統制が取れなくなっては本当に最悪の事態に陥ってしまうかもしれない。

 不安に駆られて声を上げたくなるのを堪え、ミナトは状況を確認できないかと自分の耳にはまる通信機に手を当てた。

 

 

「な、ナビさん、ガトウさんたちは!? 帝竜は!?」

『……こちらでも、詳細はつかめていません。屋上付近は、帝竜の影響で……ほとんどモニタリングがきかないんです。至急、状況を確認します。しばらくお待ち──』

 

「そんな悠長に待ってられるか……ッ! 総員、出動準備だ! これより、屋上へ進軍し……討伐隊の援護を行う!」

 

 

 堂島が切羽詰まった声で指示を出した。今にも駆け出しそうな自衛隊だが、それを押し留めるように冷静にナビが呼びかける。

 

 

『堂島凛三佐に通達……本部からの命令は「現状維持」です。あくまで、このエリアを死守することにのみ努めるように、と』

「な……ッ! 仲間を見殺しにしろってのか!?」

『みなさん自衛隊の現有戦力では、屋上に到達する段階で、生存率18.7%……。それは作戦とは呼べません』

「グッ……!」

 

 

 淡々と告げていくナビの声に、堂島は唇を噛んで下を向く。

 しかし今すぐ援護に向かわなければ、屋上にいる者たちはどうなってしまうのか。

 シキを振り返る。

 少女はこの場で最年少ながらも冷静に、静かに腕を組んでいた。しかしやはり屋上と討伐隊のことが気になるらしく、眉間には深い溝が刻まれている。

 ここで待機するしかないのだろうかと歯噛みしたとき、ナビから13班に向けて指示が下った。

 

 

『13班は、現地へ。直視にてガトウ隊の状況確認を行います……速やかに作戦を遂行されたし。ガトウ隊は屋上です。フロア北西の穴から下に向かいましょう』

 

 

 ッパン! と乾いた音が大きく響く。シキが片方の掌に拳を打ちつけた音だった。

 

 

「急いで行くわよ。もしかしたら帝竜とかち合う可能性もあるから、気を抜かないで」

「お、屋上に行くの……!?」

「指示聞こえてなかったの? どうしても嫌だっていうなら、ここに待機しててもいいけど」

 

 

 決断を促すように鋭い視線が送られてくる。

 

 

(討伐隊が壊滅で、至急増援ってことは……救助を求める危機的状況ってことで、つまり……)

 

 

 帝竜が生きている可能性が高い。

 

 

(そして、ガトウさんたちは……)

 

 

 無事である可能性は低い。

 

 もしかしたらシキの言うとおり、自分たちが帝竜と再び対峙することになるのかもしれない。

 

 血の臭い、どす黒い赤色。光を放つ圧倒的な炎。屋上に転がっていた複数の死体。唾液と血を滴らせ、ぬらりと光る大きな牙。

 あの赤色と、ドラゴンと、また。

 

 汗が滲み出て頬を伝う。大して歩いてもいないのに、足から感覚が消え、小刻みに揺れだした。

 ただでさえ暗い視界が少しずつ黒く染まっていく。

 生唾を飲み込んで「無理」の一言が喉から──、

 

 

「くそっ……」

 

 

 ──喉から出ようとして、堂島の声がそれを遮った。

 

 口を手で押さえ、ゆっくりと振り返る。

 

 

「くそ、くそっ……アタシたちだって……!」

「……」

 

 

 女性の隊長は顎が砕けんばかりに歯を食い縛っていた。目からは悔しさや闘志と共に涙が溢れ出しそうになっている。

 その肩に、さっきまで話していた男性隊員が手を置いて自分を、シキを見た。

 

 

「……早く行ってやってくれ。じゃないと、俺たちが飛び出しちまうぞ」

 

 

 暗闇の中で、絶望的な状況の中で、それでも自衛隊の目は光っていた。自分たちが死ぬ可能性もあるかもしれないのに、後退ではなく前進しようとしている。

 それはそうだ。同僚が、仲間がいるのだから。

 ドラゴンに瞬く間に蹂躙され、誰もが引き裂かれ、切り離されてしまった世界で、これ以上親しい人間を失うなんて。

 

 選抜試験のとき、屋上にいた合格者たちは全員殺されてしまった。助けられなかった。

 

 今度は、今度は。

 

 

「……シキちゃん」

「何、残る?」

「行く、よ。行こう!」

 

 

 足が完全に動かなくなる前に。体の芯まで恐怖に染まってしまう前に。

 

 

「その、行ってきます。11階は……お願いします!」

 

 

 嫌な感覚を払うように振り返り、自衛隊に思い切り頭を下げる。

 彼らが返事をするより早く踵を返し、シキと共に床を蹴った。

 

 

 通路をひた走る。時折物陰や部屋からマモノ、ドラゴンが出てくるが、勢いをつけたシキに的確に急所を突かれて倒れていく。手伝うまでもなかった。

 

 照明が灯す光の点が、非常口を示す緑のランプが、ぐんぐん後ろへ流れていく。

 体が軽い。いつもなら少し走っただけで息が切れるのに、今はそれほどきつくない。

 ナツメとキリノに能力開発を受けてからだ。シキには届かないが、身体能力が著しく上がっていると実感する。

 これが異能力者の力なのか、キリノが自分に注射した「栄養補助剤」というのがやばい薬だったのか。

 でも、誰かを助けられる力に繋がるのであれば。

 

 全力疾走する体に裂かれる空気の音を割り、通信が入ってきた。

 

 

『……13班、私よ』

「ナツメさん!」

『討伐隊とは相変わらず、連絡が取れない状況が続いているわ。最悪の場合、既に全滅している可能性もある……急いで屋上へ向かって状況を確認して』

 

 

 背筋が粟立つ。今も走り続けているのに、屋上が遥か先のように思えてしまう。

 

 

『もし討伐隊が生存しているなら……彼らの救出を最優先に行動してちょうだい。今、ガトウとナガレを失うわけにはいかないの。……頼んだわよ』

「了解」

「はい、了解です!」

 

『……ミッション変更、承認。「討伐隊の救出」が最優先のミッションとなりました』

 

 

 ナツメの声がナビに切り替わる。

「それから……」と続ける少女の声にノイズが被さり、ザーザーと通信をかき乱した。

 

 

『これより先は、電波障害が強いため、私からの通信が一旦断絶します。細心の注意を払って、任務を遂行してください』

「わかった。……あそこね」

 

 

 シキが返事をするのと同時に、今進んでいる通路の先に大穴が見えた。

 彼女がわずかに振り返る。視線と視線がぶつかって、とにかく頷いた。

 

 この先が最上階および屋上。希望を見出すゴール地点になるか、それとも絶望に叩き落とされる死地になるか。

 

 シキが跳ぶ。続いてミナトも跳んだ。 

 しっかり足もとを見て、不恰好ながらも着地する。

 耳もとで鳴っていたノイズが、ブツンという音を立てて完全に途切れた。だがもう一度通信が繋がる。

 本部との通信は断絶したはず。ならば、このフロアの誰かと繋がったのだろうか。

 

 

『ナ……レ……ッ! クソ……れがァッ!!』

 

「ガトウ!?」

 

 

 シキが叫ぶ。

 ここでも相変わらずノイズがひどいが、通信機の向こうから漏れてきた男の声は激しく息切れ、怒りに燃えていた。

 

 

『すみま……ん……ガト…………俺は……もう……』

 

「ナガレさんも……!」

 

 

 虫の息になっている声に、選抜試験で出会ったトリックスターの男性の笑顔を思い出した。

 最悪の事態が頭をよぎる。

 

 

『……トウさ……だけ……も……逃げ…………』

『バ……野郎……ッ! 今さ……逃げ……かよ……! 刺し違……もカタ…………討っ……やる…………』

 

 

 ──覚悟しやがれ、ドラゴンがッ!

 

 

「!」

 

 

 通信とは別に、遠くから雄叫びが響いてきた。

 このフロアで進める道は1本しかない。ここは最上階だ。

 つまり、前方の暗闇に紛れて見える光が、

 

 

『人間……の底力……せてや…………ッ!』

 

 

 通信が切れた。

 

 

「くそっ!」

 

 

 シキが吐き捨てて走り出す。

 後に続いて進んでいくと、廊下の左右にぼろぼろの自衛隊員たちが転がっていた。そのほとんどが血染めになって絶命し、生きている者もほぼ瀕死になって肩を震わせている。

 

 

「大丈夫ですか!?」

「ちょっと! 構ってる暇なんて……」

「先に行って、すぐ追い付くから!」

 

 

 シキの肩を押して、生きている自衛隊員に駆け寄る。

 舌打ちをして走っていくシキの背を見つめながら、男性隊員のアーマーを外し、自分たちのとは別に用意していた予備のメディスと簡易治療道具を取り出す。

 

 

「これ飲んでください。すみません、応急処置しかできませんけど……」

「いい……」

「え?」

 

 

「いいんだ」と呻く隊員は、血と共に涙を流していた。

 

 

「俺たち以外の仲間はみんな……ここまで避難した奴だって、あっという間に……うっ……ううっ……」

「……」

「ムラクモの、方ですよね」

 

 

 反対側の壁にもたれかかっていた、傷だらけの隊員に呼びかけられて振り返る。

「治療なら、自分でできます」と彼は力なく笑って見せた。

 

 

「お願い、します……僕らじゃもう、役に立てないから……あの2人を……ドラゴンを……」

 

「あの2人は……俺たちを下がらせて、まだ、屋上で……。どうか、助け、に──」

 

 

 奥に座っていた隊員が項垂れ、突撃銃を抱えていた腕から力が抜ける。

 がしゃん、と転がった銃を追うように、ゆっくり、ゆっくりと血溜まりが広がった。

 目の前で仲間が事切れたのを皮切りに、すすり泣く声が静かに流れて通路に沈んでいく。

 

 

「……!」

 

 

 背を向けて、転びそうになりながら駆け出す。

 

 なぜだ。なぜ。

 どうしてこんなに死ななきゃいけない。いったいどこまで蹂躙されれば。

 

 

「う、っ……!!」

 

 

 泣き声にもならない叫びが喉を震わせる。

 こみ上げる涙を拭うのも惜しんで、目の前に広がる最後の大穴に飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 1ヶ月前、普通の生活は唐突に終わった。

 

 

「おまえら……! どうして、来やがった……ッ!」

 

 

 あの日に何も起きなければ、大学生になって、大人に近付いた自覚もなくのんびり過ごしているはずだった。

 そのまま誕生日を迎え、母と一緒に大きなケーキを頬張るはずだった。

 

 

「下がってろ……! こいつは俺がやる……ッ!」

 

 

 あと1年で成人か、成人式の振袖どうしようね、なんてことを楽しんで話し合う。そういう年になるはずだった。

 目の前で誰かが死ぬなんて、なかったはずだ。

 

 

「ナガレのカタキ、は……俺、が……!」

 

 

 光輪をまとう黒い天体。宙に浮かび上がる瓦礫たち。

 屋上の隅に広がっている毒々しい赤い花。

 そこら中に転がる金、銀の空薬莢。壊れた銃と防具の欠片。

 

 転がり込んだ屋上で、全身から血を流すガトウが呻く。

 その脇に倒れるナガレの瞳は、既に光を失っていた。

 

 

「……久しぶり。ずいぶん派手にやりあったみたいね」

 

 

 地獄から這い上がってきたような声でシキが呟く。

 彼女が声をかけた帝竜の体には、無数の傷が見受けられた。角と爪が折れ、翼が途中でもげ落ち、息を荒くして流血している。自衛隊とガトウたちが文字通り命を削って戦った証だ。

 

 

「ガトウ、ナガレつれて下がって。おいしいとこ持ってくようで悪いけど、ここからは私がいく」

「ふざけんな! 俺ぁまだまだ……!」

「ナガレがっ!!」

 

 

 満身創痍で尚も立ち上がろうとするガトウを、シキの喝が押し留めた。

 

 

「ナガレが。……それ以上ぼろぼろになる前に。下がんなさいよ。早く」

 

「シキちゃん!」

 

 

 帝竜の威嚇に負けじとミナトは前に進み出る。

 俯くガトウを追い越して隣に並ぶと、今まで通りの仏頂面でシキはちらりと視線を送ってきた。

 

 

「……戦えんの?」

「たぶん。……シェルターを出る直前に、ナツメさんとキリノさんに色々教えてもらったから」

「あっそ」

 

 

 背後を振り返る。

 ガトウは歯を食い縛り、ナガレを抱えて屋上入り口まで下がっていた。

 

 2人で目の前の仇敵を睨み上げる。

 

 

「1ヶ月前にやられた分、倍返しにしてやる……復讐戦(リベンジ)よ!」

「うん!」

 

 

 デストロイヤーがナックルを打ち合わせ、サイキックは指先からマナを放つ。

 新手を前に、紅蓮の帝竜ウォークライは怒りを滲ませた咆哮を轟かせた。

 



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 復讐戦   - Revenge ウォークライ -②

戦闘描写、どんなふうに動いているか、何が起きているかわかるようにと心がけているんですが、そのせいで冗長になってしまっている気がします。
文字でスピード感のある描写……難しい……。



 

 

 

 暗闇に浮かぶ魔窟、逆サ都庁の屋上に、轟雷のような咆哮が響く。

 聴覚を痛めつける叫びを浴びる。笑いそうになる膝に喝を入れ、ミナトは目の前の帝竜を睨みつけた。

 

 

「あんたはなるべく距離とって攻撃して! 狙われたらすぐ下がる!」

「わ、わかった!」

 

 

 前に飛び出すシキとは逆に後ろに数歩下がる。

 ウォークライは真っ先に自分の懐に飛び込んできたシキに黄色い眼球を向けた。

 1ヶ月前は出会い頭に剛火球で吹き飛ばされてしまったが、今のウォークライの口からは火でなく血混じりの唾液だけが垂れている。見る限り、すぐに大規模な攻撃は撃てないだろう。

 

 振り下ろされる右腕を躱し、シキは大胆にもさらに距離を詰めた。その鼻先に跳び上がり、ひねりを加えて拳を見舞う。

 ナックルが深く深く眉間に埋まった。

 たった1発でくぐもった呻きが上がる。ウォークライは確実に弱っている。

 

 

「前までの威圧感はどうしたのよ!」

 

 

 鼻を蹴りつけて離脱、華麗に着地したシキにドラゴンの目が血走る。

 先に排除すべき敵だと認識したのだろう。屋上を回るように移動する彼女についていこうと体の向きを変えた。

 

 

(攻撃……攻撃……!)

 

 

 シェルターに帰投し、再び都庁に来てから始めて戦う相手がボスというのは不安しかないが、相手の注意はシキが引きつけてくれている。少しでもダメージを与えられるよう、なるべく大きな攻撃を仕掛けるのだ。

 

 指の先に意識を集中させる。体の奥から湧き起こす力は──

 

 

『いい? サイキックは魔法……属性攻撃ができる。物理攻撃とは違って、属性によっては相手に大きなダメージを与えることが可能なのよ。シバさん、火は苦手になってしまったのよね』

『はい……』

『場合によっては火を扱えた方がいいときがくるかもしれないけれど、今回は大丈夫よ。属性の点から考えれば──』

 

 

(──火よりも氷のほうが!)

 

 

 渦を巻くように体の周囲を冷気が包む。

 狙うのは硬い表皮ではなく、内臓が詰まっている柔らかい腹部。

 

 ウォークライが前屈みになっていた体を起こした瞬間を見計らい、クロウを着けた両手を前に突き出した。

 

 

「……いけっ!!」

 

 

 冷気が形を成して氷となり、指先の向きに従って放たれる。

 短時間のレクチャーでなんとか習得した属性、氷は地面を這って伸びていき、鋭く盛り上がってウォークライの脇に衝突した。細かく枝分かれした切っ先が腹に埋まり、新しい傷を作って血に濡れる。

 

 

「効いてる……!」

 

「こっち向け!!」

 

 

 ウォークライが頭をもたげたタイミングでシキが飛び込んだ。

 こっちに敵意を向かせまいと次々に拳戟が叩き込まれる。ドラゴンの巨体を挟んでいても、拳が空を切る音が繰り返し響いてきた。たびたび見える鬼気迫る表情、宙に散る汗の飛沫の激しさが、相手の息の根を必ず止めるという意志を語る。

 ウォークライは耐えるように身を屈めているが、その脚ががくりがくりと揺れていた。

 

 このまま休む暇を与えず猛攻を仕掛け続ければ、勝てる。

 

 体の内側に意識を集中させる。相手に属性攻撃、氷が有効なのは先ほど判明した。なるべく大きな一撃を、隙を逃さず的確に叩き込む。

 

 

(よし、もう一度……!)

 

 

 指先から力を放とうとしたその瞬間、ウォークライが前に曲げていた身を起こし、喉がはちきれんばかりの雄叫びを上げた。

 

 

「っ!!」

「うあ……!」

 

 

 空が割れるような轟音に体が痺れる。一瞬遅れて起きた衝撃波が、屋上から足の裏をもぎ取った。

 入口の外壁に頭から勢いよく衝突する。後頭部の皮膚がブチッ、と嫌な音をたてて裂けるのがわかった。意識が飛ばなかったのは、異能力者として目覚め始めた自分の体と、注射で打たれた薬のおかげという他ない。

 だが大きなダメージをくらったことは変わりない。受け身も取れずに床に落ちる。

 

 軋むような頭痛と、血がどろりと首を濡らす不快感をこらえて顔を上げる。

 自分と同じく吹き飛ばされたシキが、屋上から大きく弾き出されていた。

 

 

「っう……!」

 

 

 ほとんど感覚が残っていない腕を上げる。ウォークライではなくシキへ、今まさに落下しはじめた彼女の下に向けて氷を放つ。

 自分がいる端から向かい側の端へ氷は前進し、屋上を飛び出して道となり、間一髪でシキを受け止めた。

 ほっと一息つきたいが許されない。

 

 帝竜の目が、こっちを向いた。

 

 ウォークライが大きく息を吸い始める。その喉下が赤く染まって発熱しはじめた。

 

 ドクッ、と体全体が大きく脈打つ。

 

 考えなくてもわかる。1ヶ月前にくらったあの炎だ。今度は自分たちが追い詰められている。

 視界を埋め尽くした赤色がフラッシュバックする。今すぐ屋上から飛び降りたい衝動に駆られた。

 

 

(だめだ)

 

 

 逃げなければ。今度こそ逃げなければ。

 喉の奥に溜まっていく赤は、記憶の中のものよりずっと鮮烈だ。かすりでもすれば灰も残らずこの世から消えるだろう。

 

 逃げて……、

 

 

『お願い、します……僕らじゃもう、役に立てないから……あの2人を……ドラゴンを……』

 

『あの2人は……俺たちを下がらせて、まだ、屋上で……。どうか、助け、に──』

 

『……トウさ……だけ……も……逃げ…………』

 

 

「……だめだ……!」

 

 

 自衛隊員の涙が、最後に聞いたナガレの声が楔となって、吹き消えそうになっていた戦意を繋ぎ止めた。

 

 ここまでの道は誰が開いた。1ヶ月前、自分は誰に生かされた。

 帝竜の巣と化してしまった東京都庁は何人の血と涙を吸ってきたのだろう。今この瞬間も、背後の屋内に、11階に、命を賭して武器を持つ自衛隊員がいる。

 放棄してはいけない。諦めて逃げれば、本当に終わりに繋がってしまう。

 

 

「ガトウさん、できるだけ伏せて……!」

「シバ……!?」

 

 

 倒れる自分と、ナガレの遺体に覆い被さって伏せるガトウを包むように氷の盾を張る。そして狙いを定め、ウォークライの下に氷を出現させた。

 刺すのではなく、突く。

 氷柱は勢いをつけて伸び上がり、ウォークライの顎を下から打つ。

 ほぼ同時にその大口が開けられ、剛火球が吐き出された。

 

 

「──」

 

 

 世界から音が消える。

 

 なぶり殺されるかと思うほどの激震に感覚がパンクした。目を固く閉ざしても、瞼の裏が白一色に塗り潰される。

 

 嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。死ぬ。

 怖い! 助けて!

 

 全てが終わっても、自分はただの肉塊になったのだと錯覚したままその場に転がっていた。

 

 

「あ、……?」

 

 

 意識がある。痛みがある。

 生きている。

 

 熱い。

 

 目を開ける。全身がずぶぬれになり湯気を立てていた。盾として張った氷が炎によって溶けて熱湯となり、それをかぶったみたいだ。

 首を回す。ガトウとナガレは無事だ。背後の最上階も、屋根の部分がごっそり消えているが、中にいる人間たちもおそらく無事。

 帝竜の攻撃を防ぐことなどできない。だから顎に攻撃して狙いを逸らした。なんとか首の皮1枚繋がった。

 

 安堵と同時に1ヶ月前のあのときがフラッシュバックし、炎に対する恐怖がこみ上げた。

 

 

「ぅ……おっ、え……!!」

 

 

 吐き気を抑える力も残されていなかった。胃液を吐き出し、その場に倒れ込む。

 体だけじゃない。頭が回らない。脳が役割を果たしていない。

 辛うじて、ナツメの言葉を思い出した。

 

 

『サイキックの属性攻撃は強力。異能力者の中でもトップクラスの火力よ。でも気を付けて。あなたたちサイキックは、攻撃する際にマナを消費するわ』

『まな、ですか』

『異能力者が操ることができる、精神的、自然的なエネルギーのこと。これを使えば、攻撃に属性を付けたり、相手に不利な効果を与えることができるの。けれど、体力を消費すれば疲れて動けなくなるように、体のマナを消費しすぎれば、それ由来の力の行使もできなくなる。あなたの戦闘スキルは開発始め。経験を積めば成長するでしょうけど、今はまだ未熟だわ。限界には注意して』

 

 

 そうか、自分はマナを消費しすぎたんだ。限界がきてしまったのか。

 依然、頭から流れ出ている血で真っ赤に濡れる視界を、ウォークライの全身が埋める。重く大きい足音を響かせ、少しずつ、少しずつこちらに向かってきていた。

 死が近付いてくる。1歩1歩、確実に。化け物の形を成して。

 ガトウが自分の名を呼び、逃げろと叫ぶ。それでも体は動かない。

 せめて痛くないようにと祈りながら、そのときを待つ。

 

 それを否定するように、ダッ、ダッ、ダンッと力強いリズムが刻まれた。

 

 

「動けええええええええーーーっ!!!」

 

 

 雄叫びが轟き、シキがその身を弾丸にしてウォークライの頭に突っ込んだ。一際大きい打撃音が響き渡り、ウォークライの頭部を覆っていた甲殻が砕ける。

 破片と一緒に、シキが放った細長い容器が落ちてくる。

 

 

「動け!! 生きてるくせに諦めるな! じゃなきゃ私があんたを殺す!!」

 

 

 横暴だ。火球を吐いて高温になっている竜の頭をつかみ、手が焼け爛れても少女の威勢は変わらない。

 動けと叫びながら、シキは死に物狂いでウォークライの顔に蹴りと拳を叩き込む。思わず苦笑いが漏れた。

 

 そうだ、まだ終わっていない。あと少し。

 

 目の前に転がる細い容器。ひび割れた箇所から薄青く透ける液体が流れ、自分が流した血と混ざり合う。

 思い切ってその液溜まりに口を突っ込み、鉄臭さと埃っぽさ、薬特有の苦さを全力で飲み下した。

 

 

「ま、ずい……っ!」

 

 

 少し遅れて、鉛を詰められたように鈍っていた頭がすっと冴える。停滞していた体にわずかな活力が戻った。

 全身の毛穴が開くほど、残る気力を全てつぎ込み手を動かす。

 細く、鋭く、そして、硬く。

 

 死力を尽くして伸ばした氷にシキの手が伸びるのを見届けた瞬間、ブツンと意識が切れた。

 

 

「……!」

 

 

 シキはミナトが作り上げた氷をつかんでへし折る。

 顔から自分を払おうとする爪を潜り、少女はウォークライの上顎に片手を、下顎に両足をかけた。

 

 

「ぐっ、あああああ……っ!!」

 

 

 筋肉と骨が悲鳴を上げるのを無視し、全身を伸ばして口をこじ開ける。

 背を反らし、腕を振りかぶり、唾液と、自分たちが来る前に喰らったであろう人間の血で濡れる喉を睨みつけた。

 

 そっちから仕掛けた戦いだ。二度と馬鹿な気を起こさないよう、おまえたちの存在を否定してやる。

 

 

「人間を──舐めるなあっ!!!」

 

 

 腕を振り抜く。

 高温の吐息で溶けるよりも早く、氷の槍は帝竜の口蓋を貫いた。

 

 

「──」

 

 

 断末魔を上げることもできずに、ウォークライの目から光が消える。

 一瞬時が止まったように場が沈黙し、紅蓮の帝竜は前のめりにくず折れた。

 

 衝撃でシキの体が飛ばされる。ミナトの氷の名残である水溜りの上で2、3回弾み、熱湯の飛沫と血をまき散らして転がった。

 

 

「……」

 

 

 その場で呆然としていたガトウが我に帰る。

 

 

「おい、シキ! シバ!!」

 

 

 ナガレを抱えながらにじり寄り、仰向けに転がる少女とうつ伏せに倒れる女性の顔を覗く。

 2人は目を閉じ、完全に沈黙していた。シキからは意識と一緒に眉間のしわも消え去っていた。

 嘘だろ、と顔を近付ける。

 

 

「っ……」

「う、……ん……」

 

 

 生きている。

 今にも消えそうではあるが、双方呼吸は止まっていない。

 

 

『通信状態、回復! ……ガトウ、ナガレ、応答せよ!』

『13班、状況を報告してください!』

 

 

 最上階に入ってからずっと沈黙していた通信機が息を吹き返す。何十分ぶりか何時間ぶりか。ナビの声が耳に届いた。

 

 

『……あ、れ? 帝竜の反応がない……こ、これって……!』

『まさか……!』

 

『やったのね、13班……!』

 

 

 通信にナツメの声が加わる。

 その瞬間、ドッ、と真下からの衝撃に突き上げられた。

 

 

「おい、何だこりゃ、くそッ!」

 

 

 ナガレに加え、シキとミナトを抱え込む。

 もう何度目か、数えるのも放棄した激しい揺れが空間を襲っている。

 目の前の帝竜はぴくりとも動かない。こいつの仕業ではない。

 だとすれば……。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「うわぁあああっ!」

「お、おい! 地面が……体が引っ張られる! みんな、そのへんに捕まっとけ!」

 

 

 11階。待機中の自衛隊は、激しい揺れに立つことすらできなかった。

 つい数分前も、隕石が衝突したのかと思うほどの衝撃に見舞われたばかりだ。しかし今度は揺れ方が違う。

 都庁全体が激しく身震いし、身体があらぬ方向へ引っ張られて二転三転する。まるで重力が居場所を求めてさまよっているような。

 

 ふと、数十分前に自分たちを追い越していった人間を思い出した。強気な少女とおどおどした女性の2人組。

 

 まさか、まさか。

 

 

「も、もしかして、あいつら……帝竜を倒したのか……!?」

 

 

 汚れが払拭されるように、都庁の歪んだ空気が希薄になっていく。

 足もとに咲いていた不気味な花が、ぱっと散った。

 

 

 わずかな時間で全てを竜に喰われた世界。地表を赤い毒花に塗り替えられた星。

 その中の小さな島国。その中の小さな都市。たった1つの建物。

 帝竜が消えた東京都庁は、元の姿を取り戻した。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

『と、都庁が……元に戻った……!!』

『あなたたち、よくやったわ……! ガトウとナガレは!?』

 

 

 ナツメが呼びかける13班は、気を失っているためもちろん応答できない。

 揺れが収まった屋上にシキとミナトを寝かせ、代わりにガトウが通信機を取った。

 

 

「俺は、なんとか……生きてる……」

『ガトウ、無事だったのね!』

「ああ。だが……ナガレが……! くそッ……! すまねェ……!」

 

『え……う、嘘だろ!?』

『そんな、ナガレ……!』

 

 

 通信機の向こうで、はっ、と息を呑む音が聞こえる。

 ナビの2人が震える声でナガレの名を呟いた。

 

 

『キリノ! すぐ都庁に向かうわよ……動ける人間は全員、駆り出して!』

『了解! 13班、聞こえるか!? これから人を向かわせる……君たちは、そこで休んでいてくれ』

 

 

 感涙しているのだろうか。キリノがわずかに鼻を啜った。

 

 

『いいかい、聞いてくれ。君たちは、取り戻したんだ……僕たちの……いや、人間の居場所を……!』

 

「……キリノ。悪いがこいつら……13班は聞いてないぜ。2人とも瀕死状態だ。早く救護寄越してくれや」

『ひ、瀕死!? 大変だ、みんな、急いで!』

 

 

 通信機の向こうがドタバタと騒がしくなる。ガトウは大きく息を吐いて頭上を振り仰いだ。

 

 そうだ、空は青いものだった。

 当たり前のことを思い出しながら、天から差しこむ光の眩しさに目を細める。

 

 

「やったぜ、ナガレ……。俺じゃなくて、新人どもがな」

 

 

 ナガレの遺体は全身傷だらけだ。戦闘服が髪と同じ赤色に染まっている。

 だというのに、彼の表情は穏やかな笑顔だった。やりましたねなんて今にも言い出しそうだ。

 

 

「悪ィな。女房がいんのによ」

 

 

 謝らなければなるまい。自分の横で眠る部下の帰りを待つ、彼の妻に。

 伝えなければならない。ナガレの生き様を。彼が命を燃やしたその姿を。

 そして、

 

 

「なあ、ナガレよう。女2人に手柄を取られちまうたァ、俺たちもまだまだってことだな」

 

 

 生き残った者として、見守らなければなるまい。熟睡するようなアホ面で今も生死の境をさまよっている、この新人たちを。

 

 

「……っこの、クソトカゲ。図体でかいだけで、生意気……」

「うう……い、いっ、痛い。痛いよぉ……」

 

「やれやれ……」

 

 

 気を失いながら未だに格闘しているシキとミナトの顔を見て、ガトウは呆れとともに笑みを浮かべた。

 





実際にゲームでウォークライに勝てたときは12レベルでした。
最初は10レベルで挑んだんですが余裕で3連敗しました。パーティに1人いないだけできっつい……!


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後日談

ウォークライを倒したその後。
キリノとナツメの漫才(?)シーンはおもしろかった。



 

 

 

 ウォークライを倒してから数日経った。

 ミナトは帝竜討伐の翌々日に目が覚めた。

 体を包むふわふわとした心地よさに、ああここは天国かと思った。が、自身の鼓動に体を揺らされ、ベッドの中で覚醒した。どうやら死なずに済んだらしい。

 

 当たり前のように人間を襲い、簡単に蹂躙してしまう生物、ドラゴン。

 勝ち目なんてないのと同じ。しかし戦わなければ死んでしまう。

 

 背水の陣で飛び込んだ死地から五体満足で生還という事実を確認できたときは、思わず泣いてしまった。

 

 

「ああ~!! よかった、私生きてるうぅぅぅ」

「なに泣いてんのよ。これでやっとスタート地点なんだからね」

 

 

 相変わらず厳しい年下のチームメイト、シキが隣のベッドで煩わしそうに手の包帯をいじる。人より回復の早い彼女は、手指のストレッチを終えるとベッドから抜け出した。

 毎度のことながらうーんとうなってしまう。この少女には疲れという概念がないのだろうか。

 

 

「どこいくの?」

「食事」

「あ、じゃあ私も……」

 

 

 ついていこうと体を起こす。

 ずりずりとベッドの端に移動し、足を下ろそうとした瞬間、

 

 ビギイッ!! と体に亀裂が走る感覚がした。

 

 

「いぐう!?」

 

 

 全身が硬直し、受け身もとれずに転がり落ちる。

 顔面から着地し、「んぐぃっ!」と変な声が漏れた。

 

 

「ちょっとあんた、何してんの!?」

「か、から、体が痛い……動かない……」

「はあっ?」

 

 

 思い切り打ち付けた後頭部もそうだが、全身が痛い。少しでも身じろぐたびに、剣山に刺されるような痛みが体を貫いていく。

 体の状態をできるだけ具体的に述べると、シキは非常事態と察知したのか「医者!」と声を張って走っていった。

 何だこの痛みは。もしや、死闘による後遺症だろうか。マンガでよく見る「大怪我して体のどこかが動かせなくなる」という展開の……。

 嫌な予感が脳裏をよぎる。

 

 

(ま、まさか、このまま一生動けなくなるとか……)

 

 

 生涯介護生活、という文字が浮かんで頭を抱えたくなる。そのための腕も、ひどい痛みにひきつって動かない。

 

 

「うわあああ!?」

「お、下ろしてくれー!」

 

 

 悲鳴を上げる医者とキリノを担いでシキが戻ってくる。

 彼らはベッドから落ちた体勢のまま固まっているミナトを見てまた悲鳴を上げ、その体をベッドに横たえ、冷や汗を流して診察を始めた。

 数分後、2人は手を止め、なんてことだと息を漏らす。

 

 

「これは……なんてひどい……」

「ひどいって何、どうなってんのよ!」

 

 

 シキが詳細を話すよう詰め寄る。

 医者は頭を横に振り、キリノは深刻そうに頷き、なんてひどいと繰り返した。

 

 

「なんてひどい……、筋肉痛なんだ……っ!!」

 

 

「は?」

「へ?」

 

 

 筋肉痛?

 

 

「ぜ、全身筋肉痛……?」

「シバくん。先日の都庁奪還作戦、君はいつもより体が動くと言っていたね」

「あ、はい。……キリノさんに2回注射された栄養剤のおかげ、ですよね」

「そう。あれは異能力者専用の栄養剤、まあ今の君の場合はほぼドーピングなんだけど……」

「ど、ド……!? じゃあ、その副作用ってことですか!?」

 

 

 ドーピングと聞いて良いイメージはない。スポーツでは不正行為とされているからだ。しかしキリノは慌てて否定した。

 

 

「少し特殊だけど、違法な成分は入ってないよ! もちろん副作用もない! 即効性の点滴みたいなものなんだ」

 

 

 それにドラゴンたちとの戦いはスポーツではないし、脅威と渡り合うための有効な手段だと加えて話が戻される。

 

 

「シキはずっと昔から訓練を重ねてたからどうってことはないけど、シバさんはあんなに過酷な戦闘は初めてだっただろう? 異能力者といえど、体に負荷がかかりすぎたんだ」

 

 

 それゆえの反動だと結論付けられる。医者とキリノは筋肉痛の仕組みを説明し、これで体の筋肉が新しいものに変わり、身体能力が向上していくはずだと言った。

 

 

「……えーっと、つまり」

「体が動かなくなる心配はない。安心していいよ」

「ああ、よかった……」

 

 

 ほーっ、と息を吐く。

 ふと視線を感じて顔を上げると、黙って話を聞いていたセーラー服の少女が、世界一くだらない漫才を見せられたような顔になっていた。

 

 

「……筋肉痛? ただの?」

「あ、あは、ご心配おかけしましたー……」

「食事行ってくる」

「ま、待って! 私の分も持ってきてください!」

「うるさいバカ!」

 

 

 バーカバーカバーカと繰り返しながらチームメイトは行ってしまう。

 空腹で腹を鳴らして涙目になるミナトにキリノが苦笑いを浮かべた。

 

 

「は、はは、シバさんの分の食事は僕が持ってくるよ……」

「うう、またシキちゃん怒らせちゃった……」

 

 

 昔からそうだ。要領が良いと言えない自分は、もたついて誰かを怒らせて呆れさせてしまうことがたびたびあった。

 帝竜を倒した喜びも一転、うなだれる自分にキリノがまあまあと声をかける。

 

 

「そんなに落ち込まなくていいよ。シキは普段からあんな感じなんだ」

 

 

 医者を帰し、キリノは丸椅子を持ってきて腰掛ける。

「改めて、帝竜討伐、おめでとう」という柔らかい賛辞に、ミナトは素直に応えた。

 

 

「ありがとうございます。でもこれで終わりじゃないんですよね? ドラゴンは世界中にいるみたいですし……」

「そうだね。君たち13班には、引き続きドラゴンの討伐に力を貸してもらうことになる」

 

 

 大丈夫かな、とキリノの気遣わしげな視線が向けられる。

 任せてくださいなんて言うことはできない。その代わりにゆっくり頷く。

 できるかどうかはわからない。けれど、1度死線を越えたことは確かだ。化け物相手に勝つことができた。ほとんどダメージを与えたのはシキだけれど。

 

 

「頑張ります。でも、シキちゃんに付いていけるか不安です。私、ほんのちょっと戦っただけで力尽きちゃって、あの子に戦わせっぱなしでした」

「それはもう仕方のないことだ。シキは経験者、君は初心者なんだから。これから努力していけばいいよ。それに……」

「?」

 

 

 キリノは部屋の扉を振り返った。 誰もいないことを確認し、彼は少し声を小さくして話を続ける。

 

 

「君がまだ眠っていたとき、先に目覚めたシキが『また助けられた』って言ってたんだ」

「え?」

「『借りができた』って、なぜか怒ってたよ」

 

 

 キリノが思い出し笑いで頬をかく。

「助けられた」とは、ウォークライに吹き飛ばされ、都庁から落下しそうになった彼女をフォローしたことだろうか。

 そういえば、地下シェルターでもシキは「あんたに助けられたからフォローする」というようなことを言っていた。実際戦闘ではブツクサ言いながらも面倒を見てくれている。

 

 

「あの子、シキちゃんは……義理堅いんでしょうか? ……あと私は嫌われてるんでしょうか」

「い、いや……シキはプライドが高いんだ。ナツメさんやガトウさんたち大人に混ざって鍛えられてきたからね、警戒心とか負けん気がすごく強くてさ」

 

 

 なるほど、英才教育というやつだろうか。ムラクモのトップたちに揉まれてきたのなら、非常時のポーカーフェイスや戦闘能力も頷ける。

 キリノはシキのことを「自分にも他人にも厳しすぎて、1の失敗で10鍛え直すような子なんだ」と言い表した。

 

 

「チームワークの大切さを知ってほしくてムラクモ試験にシキを参加させたのは正解だったかな。あの子は自分1人で任務ができないことに苛立ってるみたいだけど、シバさんのフォローが助けになっているのは確かだし、これからも力を貸してあげてほしい」

「はい。頑張ります」

「うん。それじゃあ、君の分の料理を持って……」

 

 

 くるよ、とキリノが立ち上がるのと同時にドアが動く。膨れっ面のシキが部屋に戻ってきた。

 湯気を漂わせる盆を片手に、シキはミナトのベッドにボスリと腰掛ける。

 

 

「あんた、いつになったら治るわけ?」

「え? さあ……明日、明後日ぐらいには」

「筋肉痛で動けないとか、体貧弱すぎるでしょ」

 

 

 ズバッと言い放ちながらスープをすくったスプーンが、顔の目の前まで持ち上げられる。 

 意図を察せず瞬きを繰り返すと、少女はますます不機嫌な表情になった。

 

 

「私は早く訓練したいの。時間潰さないようにさっさと食べて。口は動かせるんでしょ」

「……」

 

 

 要は「口を開けろ」ということ。……食べさせてくれるらしい。

 脇に立っていたキリノと視線が絡む。しばらく見つめ合った後、ぷっ、と同時に息を吹き出した。

 

 

「ふ、あは、食べさせてくれるの?」

「あんなに怒ってたのに、どうしたんだい?」

「……熱々のスープひっくり返すわよ」

「それはやめて! いただきます!」

 

 

 シキが怒り出す前に、ありがたく目の前のスプーンを口にくわえる。

 これからドラゴン相手に勝っていけるかは別として、案外、このチームメイトとはうまくやっていけそうだ。

 

 

「おいしい! シキちゃん、自分の分は?」

「もう食べたし」

 

 

 なら今度は一緒に食事ができるぐらい仲良くなろう。

 密かに心に決め、ミナトは2口目を飲み込んだ。

 

 

 

 -後日談・CHAPTER 1 End-

 



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CHAPTER1 あらすじ

 各チャプターごとにあらすじとその時点で載せられる主人公2人の情報を設置しました。話の内容をざっくり把握したいときにどうぞ。


   CHAPTER 1

戦場の呼び声 The Warcry

 

 ~あらすじ~

 

 2020年。突如地球に襲来し、猛威を振るいはじめた生命体『ドラゴン』。

 滅亡寸前に陥った人類が勝つための条件はただひとつ。すべての竜を狩り尽くすこと。

 ムラクモ試験で出会ったデストロイヤーの飛鳥馬 式(アスマ シキ)、サイキックの志波 湊(シバ ミナト)は機動13班を結成し、地上を跋扈するドラゴンに立ち向かう。

 

 

 人類の拠点を取り戻すため、ムラクモ機関は東京都庁奪還作戦を開始。シキとミナトの13班も途中から参加することに。

 最初のミッションであるDzの回収をこなせたはいいものの、ミナトはウォークライの炎に焼かれたことで火がトラウマになっていた。戦闘経験の少なさ、技術の拙さでできることは少ないが、ナツメとキリノの助けを借りて氷属性の習得に成功。シキに引っ張られて異界化した都庁をなんとか進んでいく。

 作戦は順調に進んでいたが、機動10班と自衛隊員たちからなる帝竜討伐隊が壊滅。彼らを救出するため13班は屋上に急行。1ヶ月前に殺されかけた因縁の相手、帝竜ウォークライと対峙する。

 

 討伐隊により深手を負い、それでも圧倒的な力を持つ相手に13班は辛勝。大きな犠牲を出しながらも、都庁の奪還作戦は成功した。

 拠点を地下シェルターから都庁に移し、人間はわずかながらに復興への1歩を踏み出した。

 

 * * *

 

主人公(年齢・学年は現時点【4月末〜5月上旬】のもの)

 

【飛鳥馬 式 / アスマ シキ】

 スチューデント♀ / デストロイヤー / ボイスタイプG(S.R様)

 14歳(世界が崩壊していなければ中等部3年生)

 主人公その1。ムラクモ出身のチート気味女子。性格キツめ。

 ムラクモで生活していたこともあり、戦闘には慣れたもの。ただし連携のれの字も協力のきの字もチームワークのちの字も知らないし我が強い。CHAPTER0で協調性を身につけろとムラクモ試験に放り込まれるほど。

 チームメイトが貧弱サイキックなため壁兼ダメージソースを担うデストロイヤー。

 

【志波 湊 / シバ ミナト】

 サイキック / ボイスタイプC(H.Y様)

 19歳(高校卒業。世界が崩壊していなければ大学1年生)

 主人公その2。一般家庭出身。ヘタレ。後々成長するんで……。ビジュアル未定/なしの方です。

 この章で2回吐いたけどあくまで豆腐メンタルのための描写でありゲロインではない、はず。

 ウォークライに殺されかけたことがきっかけで火属性が扱えない。

 

 

 主人公については物語が進む中で情報を追加・編集していきます。

 



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CHAPTER 1.5 生存者 SKY and The Others
8.ここから始まる


1.5章掲載開始。
ウォークライを倒すまで1か月ほどかかりましたが、討伐後も拠点の移動やらフロアの改修やらで数週間経っているのではと思います。
個人的には
物語開始時:2020/03/31
CHAPTER1:2020/04/30~5月上旬(1か月寝ていた)
1.5章開始時:5月中旬~下旬
かなと思っています。あくまでも個人的な感覚です。

みなさんの世界線でドラゴンが襲来したのは今年の何月頃でしょうか?




 

 

───────────

CHAPTER 1.5 生存者

SKY and The Others

───────────

 

 

 

 

 

 東京都庁奪還作戦。

 ムラクモ機関と自衛隊の共同戦線が展開された本作戦。目標である帝竜ウォークライの討伐を達成。

 しかし、帝竜討伐に大きく貢献したムラクモ機関機動10班、機動13班の隊員がいずれも重傷。討伐隊は壊滅。自衛隊員数人とムラクモ機関の異能力者1名が死亡。多大な犠牲を出してしまった。

 都庁が本来の姿に戻り、待機していた自衛隊員らは死傷者を保護。屋内にいた残りのマモノを掃討し、安全を確認。拠点の移動を開始した。

 

 国民を守るため、身を賭して未知の脅威に立ち向かっていった彼らに、この場を借りて最大の感謝と敬意を贈りたい。

 新たな住居であり拠点である東京都庁を足がかりとして、人類生存のため、我々は新たな1歩を踏み出す所存である。

 

                      ――日本政府代表・日本国第101代内閣総理大臣

                                      犬塚源一郎

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

『コール、13班。起床の時間ですよ』

「……うーん」

「んー……」

 

『13班。聞こえてますか?』

「……あと、5分」

「ん……」

 

『13班。今何時かわかっていますか?』

「……わか、ら……」

「……」

 

 

『起きてくださーい!!』

 

「うあ!?」

「んっ!?」

 

 

 都庁の中で13班に与えられた部屋。少女の柔らかくも甲高い声が鼓膜の奥まで響き、弾かれたようにまぶたが上がる。

 ミナトは背筋を伸ばしたまま跳ねてベッドから転がり落ち、シキは部屋の入り口近くに設置されているターミナルに駆け寄った。

 

 

『ふぅ……やっと起きた。ナビを目覚し時計の代わりにしないように』

「しまった、朝の訓練逃すなんて……!」

「おはようございます、すみません……」

『今日は、これからのドラゴン討伐作戦について話し合う日です』

 

 

 先日の討伐作戦で13班のナビを務めたNAV3.7の言葉にえっ、と声が重なる。

 

 

『ちゃんと覚えてます……よね?』

 

「……」

「……」

 

『みなさん、すでに7階の会議室に集まってますよ。あなたたちも、はやく来て下さいね』

 

 

 そういえば、先日キリノに同じようなことを話された気がする。

 確か集合時間は9時ちょうど。壁に掛けられている時計の時刻は9時30分。

 最低限の身なりを整え簡易食を口に突っ込み、2人は部屋を飛び出した。

 

 ムラクモ総長ナツメ、補佐のキリノ、イヌヅカ内閣総理大臣、政治家のアリアケ議員とハタノ議員、そしてマカベ国防長官と、自衛隊代表の堂島凛三佐。

 テレビで見たことのある重鎮と、ついこの間知った大物たちが沈黙する部屋に、女2人で飛び込む。

 

 

「……おはよう、13班。36分の遅刻ですが、」

 

「ね、寝坊した……」

「すみ、ま、せん。おはようご、ざ……います」

 

「……まあ許しましょう」

「もう……今回だけよ?」

 

 

 汗を流し、肩で大きく呼吸する自分たちを見てキリノとナツメが苦い笑顔を浮かべる。

 これだから最近の若者はとでも言いたげな政治家たちの視線に気付かない振りをして、ミナトとシキは会議室入り口付近の席に着いた。

 

 議題はナビが言っていたように、今後のドラゴン討伐について。

 なぜその重要な会議に、ガトウではなく自分たち子どもが呼ばれたのか(ミナトはほぼ成人だが、この場で見れば2番目に幼い)。考えずとも、10班の部屋で休息を取るガトウの怪我を見ればわかることだった。

 ウォークライを討伐し、東京都庁に拠点を移してから数週間が経とうとしている。

 ミナトとシキは若さゆえか全快できたが、ガトウはまだ傷が完治していない。

 チームメイトであるナガレを失い1人となってしまったガトウの代わりとして、また、同等の主戦力になれるよう、彼が最前線から離れる間、13班がムラクモの戦闘員代表、ドラゴン討伐の要になることになったのだ。

 

 

(けど、シキちゃんはともかく、私は……)

 

 

 シキがガトウに負けず劣らずの戦力なのはわかる。彼女が中心になるなら、チームを組んだ自分がセットで呼ばれるのも、まあわかる。

 だが、自分の実力はまだまだ未熟だ。ウォークライ戦では、新しく習得した氷の属性攻撃を数回使っただけで精神的エネルギー……マナの限界がきてしまった。

 文字通り死の間際まで追い詰められ、それでもなんとか倒すことができた。

 帝竜は他にもいる。この先また、あんな戦いを続けなければならないのか。

 

 

(……頑張らないと)

 

 

 ムラクモ機関に入るとき、ある程度の覚悟は持ったつもりだ。だが、それは死ぬ覚悟じゃない。

 ドラゴンは怖い。マモノも怖い。怪我をするのも怖い。

 けど、1番怖いのは死ぬこと。

 生きたい。死にたくない。生きて、ドラゴンを倒して、家族と友人のもとに行く。

 

 勝つためでなく「死なないために頑張る」。臆病な人間が胸に据えた、臆病なりの覚悟だった。

 

 

「今日は、今後の作戦について話し合うため、みなさんに集まってもらったのですが……その前に、重大なニュースをお伝えします」

 

 

 キリノの声で我に帰る。重大なニュース、という言葉に、会議室すべての視線が集まった。

 

 

「つい1時間前、緊急回線を通じてアメリカから呼びかけがありました」

「なんだって!?」

 

 

 巌のように静座していた大人たちが跳び上がらんばかりの声を上げる。

 

 

「アメリカは無事だったのか……!」

「助かった!! これで我々は、救われたも同然だ!!」

 

「……」

 

 

 ミナトも喜ぼうとした。が、対照的に静かなままのキリノやナツメが気になってどうすることもできない。

 

 

「そこで、今から衛星通信による正式な国家会議を開くことになりました。先ほど、総理にお伝えしたとおりです」

「……うむ」

「時刻はそろそろ……のはずですが」

 

「……! 総理……! つ、通信、来ました!」

「おお、来たか……!」

 

 

 マカベ国防長官が振り返り、総理がほっと息をつく。

 会議室の大きなモニターに、これまたテレビで見たことがある有名人が映った。

 アメリカ合衆国のトップ、ミュラー大統領。画面越しにも感じ取れる偉人のオーラに、無意識に背筋が伸びる。

 

 その口が開かれ、流れ出る流暢な英語に総理も英語で応答する。数拍遅れて国防長官が翻訳を始めた。

 

 

『ふむ……こうして会議を行うのが、ひどく懐かしく感じるよ。まずは日本が無事であったこと……実に喜ばしい限りだ』

「ミスター・ミュラー……! 世界はどうなっているのです? 他の国の状況は?」

『気持ちはわかるが、少し落ちつきたまえ』

 

 

 ミュラーも、その後ろに控える赤い服を着た女性も、こちらとは打って変わって落ち着いている。

 

 

『実は、日本よりも先にEU本部と連絡を取ることができた。……だが、それだけだ。他の国からは、何の応答もない状況が続いている。そしてEUも……あの様子では、もう間もなく落ちるだろう』

「で、では……日本に援軍を!」

 

 

 少しずつ不安が募っていく。議員たちは助かったも同然だと言っていたが、それはアメリカからの助力を期待しているということで。

 だが、ドラゴンは世界中にいる。アメリカも例外ではないはず。となると……。

 

 

「駐日米軍をヨコスカに戻すだけでも……!」

『……それは不可能だ。我々ですら、貴重な専門家の手を借りて、やっと均衡が保てている状態なのだよ』

「しかし、我々も決して楽観視できる状態ではないのです! どうにか支援を──」

『無論、支援したい気持ちはある。が……まずは自国のドラゴンを討伐するのが先決だ。それまでは、どうにか自国の力で日本を守ってもらいたい』

「そ、そんな……! 先日、再締結した安保条約はどうなるのです!? 日米にとって最重要項目だったのでは!!」

 

『イヌヅカ総理……事はもう、そういった次元の話ではなくなっているのだよ』

 

 

 自分たちの危機にもかかわらず、向こう側の判断に納得してしまう。

 単純だ。何かに襲われたら、まずは自分の身を守る。死んでも誰かの盾になろうと動く人間なんてごく少数だろう。

「……今回はここまでにしておこう」とミュラーが言った。

 

 

『互いの生存確認のために、今後も定期的に連絡を行いたいと思っている。それでは、健闘を祈る……』

 

 

 モニターが真っ暗になる。

 数分前まで盛り上がっていた空気が嘘だったかのように、大人たちは泣き出しそうな顔をしていた。

 

 

「通信、切れました……」

「わ、我々だけでどうにかしろというのか! そんな、いったいどうすれば──」

 

「……今できることを行い、東京奪還に向けて前進するしかありません。まずは、変異した土地を調査すること。それから、ドラゴンへの対抗策を練ること……」

 

 

 会議中、ずっと静かにしていたナツメが口を開く。

 

 

「対抗策……!? 君たちには何か有効な案があると……」

「……あります。我々、ムラクモ機関になら」

「……もはや、その方面に関しては、君たちに頼る他ないということか……。……わかった」

 

 

 もう政府としてできることはない、と総理は言う。その言葉は悩んだ末の決断というよりも、諦めや投げやりの色が強かった。

 

 

「都庁の全権は、君たちに委ねよう。空いているフロアは自由に使ってくれ。そしてなるべく早く、対抗策を……」

「……承知しました。キリノ、会議を進めてちょうだい」

 

 

 政治家たちが出ていき、会議室にいるのはナツメ、キリノ、13班、堂島三佐の5人だけになった。

 

 

「では、現状を整理しよう……」

 

 

 キリノが自分たちと、少し離れた場所に座っている堂島を交互に見る。

 

 

「我々はドラゴンの手から地上の一部を……人間の拠点を取り戻した。これからは、その拠点を中心として、東京都内に潜む、すべての『帝竜』を倒していくのが最終目標になる。……そこまでは、いいね?」

「はい」

「ん」

「……」

「だが、あてにしていた他国の支援も受けられない今――我々には戦力も情報も、圧倒的に足りない。そこで……当面の2つの目標を提案します」

 

(……目標ってことは、いきなり「帝竜を倒してこい」ってわけじゃない、よね?)

(そうでしょ。装備だってまともなものじゃないのに)

 

 

 耳打ちすると、当たり前だと返しつつも、シキは少し不満そうにしていた。そんなに暴れたいのだろうか。

 

 

「1つは、ドラゴンとの戦いに備え都庁の機能を拡充すること。ドラゴンを調査するための『研究室』、情報を管理するための『ムラクモ本部』の2つの施設を作っておきたい。これは、13班に担当してもらう。君たちは『渋谷』エリアに向かい、ドラゴンを討伐しつつ、都庁改修の資源となる『Dz』を集めるんだ」

 

 

 ドラゴンは帝竜だけではない。帝竜はボス格。基本的には周囲にあふれる手下のドラゴンたちと戦うのだ。

 横をちらりと見ると、シキの目が獲物を見つけた捕食者の光を放っていた。

 

 

「2つめの目標は、他のエリアへの移動経路を探索すること。堂島三佐……その任務は、自衛隊に担当してもらえないでしょうか……?」

 

 

 キリノの声がやや弱くなる。無言で腕を組む堂島は、他多数の自衛隊員同様、ムラクモのことを快く思っていないようだ。

 

 

「都内のあらゆる地下道を調査し、少しでも、行動範囲を広げておきたいんです」

「……わかってるよ。おまえたちに指図されるまでもない」

 

(誰も指図なんてしてないでしょ)

 

 

 ぼそりとシキが呟く。喧嘩腰の声音にはらはらするが、幸い堂島には聞こえなかったようだ。

 ご協力感謝しますと頭を下げ、キリノが声を張る。

 

 

「では、各自解散! 目標任務を達成してください! ……そうだ、もうひとつ」

 

 

 堂島がさっさと部屋を出る。負けじと大股で踏み出すシキと続く自分を、キリノが呼び止めた。

 

 

「渋谷に行く前に、エントランスにいるミヤという女性からチュートリアルを受けてくれ。シキは面識があるね?」

「ミヤ? ……ああ、あいつか」

「知ってるの?」

「ムラクモの人員だしね。何回か顔あわせた程度だけど」

「彼女は建築のエキスパート。都庁改修の責任者をやってもらっているんだ」

「わかった。じゃあさっさと行くわよ。ぼさっとしないで」

「あ、うん。それじゃあ、いってきます」

 

 

 シキの顔に嫌悪の色は浮かんでいない。ムラクモの中での人間関係は悪くないみたいだ。

 

 ……いつか自分もそうなれるだろうか。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「ミヤ」

 

 

 1階のエントランスまで下りてシキが声をかけた女性は、切れ長の目が特徴的な美女だった。「シキか。何だ」と返す男性的な言葉遣いも声の高さも落ち着いていて、かっちりとしたパンツスーツに合っている。

 しかしムラクモ機関、女性の比率が多く見えるのは気のせいか。

 

 そんなことを考えていると、ミヤの黒目がちの瞳がこちらを捉えた。

 

 

「見ない顔だな……新入りか?」

「あっ、はい! シキちゃんと13班を組ませてもらいました、志波 湊です。よろしくお願いします!」

「私は第8班……通称『建築班』のミヤだ。よろしく。……そうか、しかしシキがチームを……」

「ああもうそういう反応いらない。みんな何回言えば気が済むのよ」

「はは、既に言われていたか。すまない」

 

(シキちゃんがチーム組むのってそんなに珍しいのかな……)

 

 

 ナビ、ナガレに続いてこれで3人目だ。シキは手を振って相手の言葉を遮り、本題に入る。

 

 

「ミヤからチュートリアルを受けろって言われて来たんだけど」

「ああ、連絡は受けているよ。キリノからは、研究室とムラクモ本部の改修依頼を受けているが……その前に、都庁フロアの改修について基本的なことを教えてやろう。フロア改修にはドラゴンから手に入る資材……Dzが必要だ。まあ、ドラゴン退治の13班なら、それらを手に入れるのは問題なかろう」

 

 

 ミヤは手に握っていた資料をカウンターに広げる。都庁の見取り図だ。ここ1階のエントランスから最上階まで、1階ずつ見取り図が記載されているが、その大半に赤い×印が付けられていた。

 

 

「多くのフロアは、未だ復旧の計画が立っていなくてな。入ることさえできないが、おまえたちがドラゴンを討伐すればするだけ資材が集まり、復旧計画も追加されるだろう」

「で、最初にムラクモ本部と研究室ってこと」

「そうだな……まずはムラクモ本部を改修しよう。おまえたちのスキル開発にも役立つしな。7Dzあれば改修することが可能だ。次に研究室だが……」

 

「な、何か問題でも……?」

 

 

 ミヤが顎に手を当てる。首を傾げて尋ねると、「人手が足りない」と彼女は正直に言った。

 

 

「この作業には、協力者が必要になるだろう。……ムラクモ級の根性を持った作業員が、な。外から探してくるしかないが……なにせ、あれから1ヶ月。生き残りがいるかさえ、怪しいところだ」

 

「生き残り……」

 

 

 ミヤの言葉に胸が締まる。

 ドラゴンが地球に降り立ってから1ヶ月以上が経過している。ただ単に居場所を失っただけではない。人間を食らう捕食者が溢れているのだ。

 サバイバル能力云々の話ではない。「異能力」と「武器」。この2つを揃えていないとドラゴン相手に立ち回ることはできないだろう。

 

 

(みんなは……)

 

 

 母親に友人の顔が浮かんでは消える。少なくとも、ムラクモを知る以前の自分の周囲に異能力者はいなかった。

 

 

(いや、生きてる。絶対、みんな無事でいる!)

 

 

 首を振って嫌な予感を頭から追い出す。

 絶望するのはまだ早い。自分の大切な人も知らない人も、姿が見えないだけで隠れているだけだ。へたれな自分がこうして生きていられるのだから、きっと誰も彼もが無事なはず。

 今はただ信じて、できることをやるしかない。

 

 いずれにせよドラゴンは倒さねばと気合いを入れた。そこから少し離れたところで、堂島の声が響く。

 

 

「第1小隊、出動する! あいつらに遅れをとるなあっ!」

 

「ふふふっ……あの堂島隊長は、どうもおまえたちに対抗意識があるようだな。おまえたちも、負けないよう頑張ってくれ」

「負けるわけないでしょ、相手は一般人よ」

「ま、まあ、私たちだけじゃないのは頼もしいよね」

「それじゃ……資材の件、よろしく頼んだぞ」

 

 

 ミヤに送られて都庁を出る。入り口を警備している自衛隊員に会釈し、渋谷を目指して歩き出した。

 

 

「……あ、そういえば。シキちゃん、渋谷への道は知ってるの?」

「何よいきなり」

「いや、私、あまり都内を回ったことなくて……土地勘とかないんだ。だから渋谷にはどうやって行けばいいのか……」

「ほんっと1人じゃ行動できそうにないわよね、あんた」

「う、すみません……」

「とりあえず覚えておきなさいよ。ここから渋谷へは、……、……」

「……? 渋谷へは?」

「……」

「……」

「……ルートを表示するのはナビの役目よ。本部、こちら13班!」

(わからなかったんだな……)

 



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 ここから始まる②

グチとイノとの邂逅。そして名(迷)NPC? の彼のエピソードを収録!
NPCが魅力的なシリーズなので彼の登場シーンは外せなかったんだぜ!

※ナビ達の生体スキャンやバイタルの観測などの個人的解釈(説明が入ります)
 戦闘や生存者の状態を遠く離れた場所のモニター越しにするにはこのぐらい連携しないと難しいのでは?



 

 

 

 異能力者の脚力に物を言わせて明治通りを疾走し、シキとミナトは渋谷に着いた。

 

 

『ポイント428……モニターOK、ロケーション確認。おい、13班』

 

 

 都庁で自分たちをナビゲートしてくれた少女とは違う、少年の声が通信機の向こうから聞こえる。確か、NAV3.6と名乗っていた少年だ。

 少女のほうもそうだが、情報支援班の2人は何と呼べばいいのかわからない。

 

 

『今回のナビは俺が担当になった』

「そっか。えーと、ナビさん、じゃなくて、男の子だからナビくんか。よろしくお願いします」

『ナビくん? ……ま、よろしくな』

 

 

 ぶっきらぼうな挨拶が返ってくる。

 シキ同様、ナビの少年少女も親しみやすいとは言いがたかった。何度かスキンシップを試みたものの、「気が散るからあっち行け」と追い払われてしまったのは記憶に新しい。

 

 

『今回の任務は「Dzの回収」と「生存者の探索」か……そんなもんいるのかなぁ』

『13班、聞こえる? 今回は私も参加させてもらうわ』

「あ、ナツメさん」

「……なんであんたも……」

『シキ、何か言った?』

「別に」

『よろしい。それにしても……ひっくり返った都庁の次は、渋谷の繁「花」街とはね。帝竜たちのセンスは理解しがたいわ……』

 

(あっ、なるほど)

 

 

 繁華街の「華」と「花」をかけられているのか。思わず感心してしまう。

 都会の一角、渋谷。立ち並ぶビルの隙間を埋めるように、鬱蒼と木々が根を張っていた。苔や蔦、草など植物が茂る街にも、もちろんドラゴンと魔物がいる。赤い花もおなじみだ。

 

 

『右側の道は、現在通行禁止だ。今回は左の道……道玄坂付近を捜索する。では、とっとと向かってくれ。……オーヴァ』

「あ……切れちゃった」

 

 

 最低限の指示を出して静かになる通信機に、寂しさを感じながらも装備を確認する。開発班の最新作である武器と防具。傷薬のメディスにマナを回復するマナ水、脱出キットなどの道具。最後に左腕に巻くムラクモの赤い腕章。よし、忘れ物はしていない。

 右側の道に立つ自衛隊員と挨拶を交わし、ミナトとシキは左側の道に入った。

 

 本来なら多くの人間で賑わっていただろう街中は閑散としている。自分たち以外に何かがいるとしても、

 

 

「生きてるやつがいたら寄ってくるわよね」

「うわ……なんか気持ち悪い……」

 

 

 犬ほどの大きさの蛙、標識を生やした緑色のスライムなどのマモノたちが群がってくる。その動きに気付いたドラゴンらしき影も、ゆっくりとこちらに向かって飛んできていた。

 

 

『おい、こいつら毒持ってるぞ。気を付けろ』

「え? ……わっ!」

 

 

 ナビの言葉と一緒に蛙型のマモノが大きく口を開き、濁った液体を吐き出してくる。避ける前まで自分が立っていた場所に着弾したそれは、ジュワァッと音を立ててアスファルトの上で蒸発した。

 

 

『軽い溶解効果もあるみたいだ。解毒剤あるから毒は対処可能だろうけど、直撃しないようにしろよ』

「は、はい……」

「ちっ、いつの間にかドラゴンも近くに来てるし。って──ちょっと、」

 

 

 脚を鞭のようにしならせてマモノを屠るシキが「ナビ!」と呼びかける。

 前方数十メートル離れたところで何かが蠢いている。目を凝らすと五体満足の人影と、それに迫るマモノを数匹確認できた。

 

 

「ううっ……た、助けてくれ……!」

 

『お、おい、人がいるぞ……!! 13班、急いで救助してくれ!』

「で、でもこっちにもまだマモノとドラゴンが……」

「……仕方ない」

 

 

 ぐわしっ、と襟首をつかまれた。

 

 

「あの男のとこまで投げるわよ」

「え、投げるって……え?」

「こいつらは私が引きつけておくから、あんたはさっさとあいつ救助して。マモノもあれだけの数なら片付けられるでしょ」

「ちょ、ちょっと待って投げるって――うあああああっ!!?」

 

 

 デストロイヤーの腕が、ハンドボール投げのように自分を投擲した。

 

 わあ、渋谷の街並みが見渡せる。アマゾンのような見事な樹海。

 アマゾン行ったことないけど。

 

 

「いやあああーっ!!」

 

 

 空高く弧を描き、今にも男性に飛びかかろうとしているマモノの中に突っ込んだ。

 

 下敷き兼クッションとなってくれた1匹がグゲェッ! と潰れて絶命する。

 全身が痛い。普通の人間なら衝撃で動けなくなるだろうが、自分は日々異能力者としての訓練とスキル開発を受けている身。新人ながらも背中が痺れるぐらいの痛みで済んだ。

 こんなの無茶苦茶だと涙を浮かべながら、呆気にとられて動きを止めているマモノに手を向ける。

 これだけ近ければ外さない。指先から発生した氷は、残りのマモノの胸部を貫いた。

 

 

「うう……だ、大丈夫ですか?」

「あ、はい。……あの、そちらは大丈夫ですか……?」

「だ、大丈夫、です。たぶん」

 

 

 大丈夫なはず、と背中をさする。

 背骨が折れていないことを確認して、マモノたちを殴り飛ばすシキの加勢に向かう。

 ケミカルドラグという強力な毒を吐くドラゴンにはてこずったものの、10分ほど暴れ続けたかいがあり、入り口付近の敵は一掃できた。

 

 

「あ、ありがとう……でも……君たちは、一体……」

 

 

 マモノに追われていたこともあるだろうが、男性は自分たちにも若干恐怖しているようだ。礼の言葉尻が震えている。

 

 

『シバ、そいつの正面に移動しろ』

「え。こ、こう?」

『ああ。なるべく瞬きするなよ……視界データ、モニター、リンク。スキャン開始』

 

 

 ナビに言われるまま男性の正面に移動し、道路に座り込む体を見つめる。すると視界でちかちかと何かが瞬き、電子の光が男性を照らし出した……ように見えた。

 

 

『……メディカルスキャン完了。骨折が2ヵ所、裂傷が15ヵ所か……衰弱はしているが、バイタルは正常値内だ』

『やっぱり……生存者がいたようね』

「な、何ですか今の? なんか目が……」

 

 

 光の名残か白くかすむ目をこすり、通信機の向こうに尋ねる。「何だっていいだろ」と流すナビに苦笑し、ナツメが簡単な説明をしてくれた。

 

 

『出発前に装着してもらったデバイスがあるでしょう? あれを通して、ナビは前線に出ている人間が捉える情報を共有させてもらっているの。今のはあなたの視界とムラクモ本部の機器を連携させて、そこの生存者の生体情報を読み取らせてもらったわ』

「そ、そんなことできるんですね」

『はじめは慣れないだろうけど、協力してちょうだい。13班はこのまま、生存者の救出に当たって。きっとまだ誰か──』

『おい、13班! あそこ!』

 

 

 ナツメの声が遮られる。木々が続く道のさらに奥で、1人の女性が逃げ惑っていた。白く清潔感のある制服と、頭にかぶる特徴的な帽子。看護師だろうか。

 そして後ろには牙を向くドラゴン。ダンジョンになっていた都庁でも何度か見た蛇のような竜、サラマンドラだ。獲物を確実に捕らえようとゆっくりにじり寄る。

 

 

「い、いやっ……! 助けて!」

 

「いくわよ!」

「う、うん!」

 

 

 シキが走り出し、真横からサラマンドラの長い首めがけてとび蹴りを見舞う。ミナトは女性を背後に庇い、マナを消費しすぎないよう調整して氷を飛ばした。

 サラマンドラは抵抗するように火を噴くが、帝竜のウォークライに比べれば規模も熱さも可愛いもの。倒すのに時間はかからなかった。

 

 

「大丈夫ですか? 怪我は?」

「わ、私……助かったの……? っう、わあー!」

「わっ」

 

 

 呆ける女性を安心させようと笑いかける。女性は目尻に溜めていた涙を散らして抱きついてきた。

 

 

「あ、あの」

「一緒に逃げてた人たちも……みんな……死んじゃって……私も、もうダメだって……思った……ぐすっ……」

「……もう大丈夫ですよ。ね」

 

 

 震える背中に手を添えて繰り返し撫でる。女性はしばらく泣きじゃくってミナトの肩を濡らしていたが、ひとしきり涙を流すとごめんねと離れた。

 

 

「えへへ……ダメだね、ほっとしたらなんだか涙腺ゆるんじゃった!」

『生存者は都庁で引き受けるわ。13班は、引き続き任務にあたって』

「はい。あの、渋谷入り口のほうに自衛隊の方がいます。そこまで歩けますか?」

 

 

 渋谷に入ってそう時間は経っていない。マモノとドラゴンも入り口に寄ってくることはないだろう。

 女性と男性に入り口までの道を教え、先ほど顔を合わせた自衛隊員と合流するように指示する。2人は繰り返し頭を下げ、互いに支えあって歩いていった。

 

 

「探してみるといるもんだね、生存者」

「死んでるやつは倍以上いるけどね」

 

 

 シキが地面に転がっている死体を見下ろす。

 街中を進みながら周囲を見渡してみる。青々とした葉の群れがトンネルのように頭上を覆い、それを太陽の光が透かして、空気とアスファルトがほんのり緑色に染まっていた。

 森林浴に来たみたいだ。これだけなら悪くないと思えていたかもしれない。

 

 だがシキが言うように、右も左も死体だらけだ。

 

 

「……ひどい」

 

 

 竜に襲われたのか、体に大きな歯形が残るもの。上半身と下半身が分かれているもの。肉がほとんど腐って男女の区別もつかないもの。

 清涼感のある緑と赤い血痕のコントラストにめまいがした。正気を失わないよう頬をつねる。

 すると、ナビがまた視覚に細工をしたのか、街並みを捉える自分の視界に英単語が表示された。「生体反応」と和訳すると同時に、通信が入る。

 

 

『おい、13班。前方200メートルに2名、生存者確認だ』

「よかった、生きてる人がまだ……」

「ちょっと待って」

 

 

 駆け出しそうになる体をシキが押さえる。人間相手だというのに、マモノと出くわしたように敵意を滲ませる彼女を見て、進むに進めなくなってしまった。

 瓦礫や木の根につまずかないよう、注意して進んでいく。互いの姿がはっきり視認できる距離まで近付いたとき、生存者が自分たちに気付いた。

 

 

「あっれ~? またまた生き残りはっけぇ~ん♪」

「やったぜ、これで今日のノルマ達成ー!」

 

「ノルマ……?」

 

 

 もしかして、この2人も生存者の救出活動に当たっているのだろうか。ノルマとは1日のうちに見つけようという人数……?

 

 首をひねっていると、心を読まれたのか「んなわけないでしょ」とシキが呟いた。

 女性が笑顔で手のひらを向けてくる。

 

 

「それじゃ、食べ物とー酒とータバコとー、とりあえず持ってるもの全部出してみ?」

「え?」

「え? じゃないって。聞こえなかったの? 持ち物出せって言ってんの」

 

「……これは、」

「カツアゲね」

 

 

 ぴかぴかに光る金髪。両耳から垂れる大きなピアスに派手なメイク。

 そして、足元に散らばるタバコの吸殻。

 

 

(ふ、不良だー!!)

 

 

 苦手な人種との遭遇に冷や汗が吹き出る。同時に、非常時だというのに人から物を取りあげようという姿勢に、疑問と怒りが少し。

 

 

「なんで、こんなときにカツアゲなんて……」

「バッカじゃねーの? こんなときだからカツアゲしてんじゃん」

「ば……!?」

 

 

 男から当たり前のように言われて固まる。シキが遠慮なく相手を見下す表情になって口を開いた。

 

 

「タバコも酒も持ってないし、持ってたとしても素直に出すと思う?」

「ぎゃはははは! 出さなきゃ無理にでも出してもらうっつーの!」

「あれ? ていうかよく見たらあの腕章……タケハヤの言ってたムラクモってヤツじゃん?」

「うおっ、マジかよ!? したらカツアゲやめてフツーにボコっぺ!」

「そーだね、そっちのがタケハヤも喜ぶし! よーし、予定へんこー!」

 

「えええ……!?」

「ったく、めんどくさい」

 

 

 急な展開についていけない。自分たちが巻く赤い腕章を見て急変する不良の男女と、当たり前のように拳を構えて臨戦態勢になるシキに、「ちょっと待って!」と声を上げてしまった。

 

 

「相手ドラゴンでもマモノでもないよ、人間だよ! 普通の人間に異能力なんか向けたら……」

「どこが普通なの? よく見なさいよ」

「え?」

 

 

 顔をしかめるシキに言われて男女を見る。

 ムラクモ所属でもないのにどこから調達したのか、男性は当たり前のように剣を構え、女性はその手の上に火を躍らせていた。

 

 

「こいつらも異能力者よ。サムライとサイキックね」

「え、えええー……」

「ああもういい。邪魔。私が片付けるからそこで見てて」

 

 

 ばっさりと切り捨てられその場に立ち尽くしてしまう。シキは腰を落としてから全身を伸ばし、地面をひと蹴りして不良たちに肉薄した。

 

 

「は? ってぶはっ!!」

「え、ちょっとグチ!? あんた何するわけー!?」

 

 

 小さな拳が容赦なく男の右頬に埋まる。おもしろいくらい回転して吹っ飛んでいく男性をグチと呼んだ女性が、シキに向けて炎を飛ばした。

 

 

「え、ちょ……危ない!」

 

 

 慌てて氷を放つ。火と氷がぶつかりあって蒸発し、わずかではあるが勝った冷気が女性の体に叩き付けられた。

 悲鳴を上げて女性が倒れ、思わず目が丸くなる。火を防ごうと思っただけで攻撃するつもりはなかったし、さほどの威力でもなかったのだ。自分が強いとは思えないし、かといって相手が弱いのかもわからない。

 初めての対人戦、異能力者同士の衝突でありながらあっけなく終わってしまった戦いに、わけもわからず立ち尽くしてしまう。

 

 

「クッソ……なんだよこいつら! シャレになんねーし!」

「痛~いっ! もーやだ、ネイル割れたし! 中止ちゅーしー!!」

 

 

 さっきまでの強気な態度はどこへやら、不良2人は背を向けて渋谷の奥に逃げていく。

 頭の中を代弁するように、ナビがぼそりと呟いた。

 

 

『なんだ、あいつら……?』

「さ、さあ……とりあえず、先に」

 

 

 行こう、と言おうとした瞬間、どこからかゴトンッ、と硬い音が響いた。

 

 

『おい、13班。何か物音がする、気を付けろ』

「え、え、何、また不良!?」

 

 

 慌てて辺りを見回すが、人影は見当たらない。するとシキが腕を上げ、前方を指差した。

 太い木のうろ、くぼみとなっているそこにゴミ箱がはまっている。物音はゴミ箱からしたようだ。まるで焦るように、その蓋がわずかに震えた気がした。

 マモノでも潜んでいるのだろうか。身構える自分とは対照的に、シキがさっさと歩いていってゴミ箱を蹴り上げる。

 ひときわ大きな音を立て宙でさかさまになったゴミ箱から飛び出たのは、不良でもマモノでもなく、全身がひどく汚れている男性だった。

 

 

「なんだ、にんげ──」

「うわぁあああああっ! おっ、お見逃しをっ!」

 

 

 大音量の絶叫に心臓が飛び上がる。破裂しそうな胸を押さえて見ると、ゴミ箱から飛び出た男性は異臭を放ちながら土下座をした。

 

 

「私はご覧の通り、ゴミにまみれたゴミ人間! 財産と言えばこのゴミ箱ひとつだけ! どーか、どーか命だけは!」

 

「えっ、と……あの」

「私たち、一応生存者の救助に来てるんだけど。あんたもそうね?」

「って、え?」

 

 

 シキの言葉に男性は恐る恐る起き上がり、こちらの顔をまじまじと見つめてくる。自己紹介がてらここにいる経緯を話すと、彼は自身が助かったことをようやく理解したのか、じわじわと笑顔になった。

 

 

「あんたたち、救助隊だったんだ? ってことは俺、助かった……?」

「はい、もう大丈夫で……」

「ひゃっほーい!!」

 

 

 男が満面の笑みになって飛び上がる。その体から落ちるゴミが降りかかり、シキとミナトは慌てて離れた。

 

 

「あ、あの?」

「いやあ、ドラゴンだけなら、このマイゴミ箱に隠れてやり過ごす自信あったんだけどさ……この辺じゃ『SKY』とかいう不良集団が生存者探して食料とか巻き上げたりしてて、そっちに見つかるほうが怖かったよ……」

「スカイ?」

「ともかく、俺は先に都庁とやらに行くね! 一刻も早く風呂に入りたいし! さらば我が家、90リットルのマイホーム! 待ってろよ、屋根と寝床のある生活~っ!」

 

 

 何かを説明する暇もなく、男性は体に付着しているゴミを落としながら渋谷入り口に駆けていってしまう。

 

 

『げ、あのゴミ男、こっち来るのかよ!?』

『ナビ、消臭剤を準備しときなさい。……一番強力なやつね』

『え? あ、はい……』

 

 

 通信機の向こうでガサゴソと音がする。おそらく消臭剤を探しているのだろう。

 

 

「……臭い」

「……臭かったね……」

 

 

 場に残る異臭に鼻を押さえつつ、とりあえず生存者の捜索を再開した。

 



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 ここから始まる③

殺伐とした世界で支えになってくれた我らが後輩の登場。
ビシッとしたお辞儀のモーションはゲーム内でここが初出かと思うのですが、足を揃えて、崩してっていう動きが好きです。


 

 

 

 マンホールの下に繋がる下水道に潜んでいた女性。立派な木の上でマモノたちから逃れていた自衛隊関係の公務員。あの臭い男性と一緒に逃げていたがはぐれて道に迷っていたという女性。

 生存者をぽつぽつと見つけては救助しているうちに、いつの間にか道玄坂の奥にまで来ていた。その間にもマモノやドラゴンと戦ったこともあり、溜まってきていた疲労にふう、と息を吐く。

 

 

「けっこう見つけたね。でも……」

 

 

 気になることがあった。

 救助した生存者のうち数名が、ドラゴンと同時に「SKY」という存在を恐れていた。話を聞く限りだと、ここ渋谷を根城として生活している不良グループということだけはわかった。あとは、異能力者がいるということか。

 まったく、とシキがため息をつく。

 

 

「異界化してるってことはここにも帝竜がいるってことでしょ? それだけで厄介なのに、そんなやつらまで……」

「うん……、あれ?」

 

 

 足もとに不自然な揺れを感じて立ち止まる。

 直後、大きな咆哮が静謐な空気を引き裂き、木々を震え上がらせた。

 

 

「この鳴き声……!」

「ドラゴンね。しかもでかい!」

 

 

 シキが走り出す。後に続きながら、サラマンドラやケミカルドラグとも違う重圧のあるドラゴンの叫びに、嫌な予感がして頭を押さえた。

 

 森と化した街中を走り抜け、開けた場所に出る。

 まず目に入ったのが、4トントラックほどの大きな体躯を持つドラゴン。

 次に2人の女性。片方は先ほど助けた看護師と同じナースの制服を着ていて、彼女を背後に庇うように、赤いサイドテールの女性がドラゴンと対峙していた。

 ドラゴンの唸りにナースが涙をこぼす。赤髪の女性が大丈夫というように笑顔で振り返った。

 

 

「……あのビルの角まで、走ってくださいね! 私がちゃんと引きつけてますから!」

「で、でも……そんなの……」

 

 

 ドラゴンと戦う勇気などないが、人を見捨てることもできないのだろう。ナースが必死に頭を横に振る。

 

 

「だーいじょうぶですって! さっきオニギリ食べたんで、戦えます!」

 

 

 女性はにっこりと笑ってガッツポーズを作る。しかしドラゴンに向き直った顔は唇を引き結び、静かに汗を流していた。どう見ても空元気だろう。

 狙いを定め、今まさに襲いかかろうとドラゴンが牙を剥く。緊迫した空気が一気に動き出そうとして、それよりも早くシキが飛び出した。

 

 

「ふんっ!!」

 

 

 太いどてっぱらにドロップキックが見舞われる。見事不意打ちをくらったドラゴンは横に転がるようにして倒れた。

 

 

「こいつ硬い。あと重い」

「ま、ちょ、待って……!」

 

「あなたたちは……!?」

 

 

 ドラゴンに突撃したシキと遅れて出てきたミナトを交互に見て、女性は目を丸くする。彼女たちを安全なところまで下がらせ、13班は起き上がるドラゴンと対峙した。

 4足歩行の体を武者鎧のような黄色い甲殻が覆い、頭からは2本の巨大な角が生えている。既にその得物で人間を仕留めたのか、角の先が赤く汚れていた。

 

 

『スモウドラグだ。あの角で突進くらったらやばいぞ』

「……みたいね。私が接近するから、あんたも隙見て攻撃して」

「りょ、了解!」

 

 

 鼻息荒く怒るスモウドラグにシキが走り出す。その背中を見守りながらマナ水のビンを1本空け、消費していたマナを回復させた。

 狩りを邪魔されたスモウドラグの目にはシキしか映っていないようだ。ステップを利かせてヒット&アウェイを繰り返す少女を意地でも捕らえようと、巨体が左右に動き、ずしんずしんと地面が揺れる。

 

 

(援護、援護……火、使えないかな)

 

 

 手のひらに意識を集中させる。体内のエネルギーを指先に向かわせ、今まで何度か繰り返していたように火を出そうとした。

 が、やはり1ヶ月前のウォークライの炎がフラッシュバックし、汗と吐き気がこみ上げる。

 

 

「うえっ……」

「だ、大丈夫ですか!?」

「あ、出てきちゃだめ──」

 

 

 うずくまりそうになったところに女性が駆け寄ってくる。慌てて戻るように言おうとした瞬間、スモウドラグの顔がこちらを向いた。

 その間を逃すはずもなくシキが動く。攻撃を集中させてヒビが入っていた甲殻の一部をつかみ、躊躇なく引き剥がした。

 甲殻と肉はつながっていたようで、ブチブチッと繊維が千切られる音が響く。あまりの痛々しさとスモウドラグの叫びに耳をふさぎ目を閉じると、「何してんの!」とシキが怒鳴った。

 

 

「これで攻撃が通りやすくなるでしょ、攻撃!」

「っぃ~~~!」

 

 

 薄目を開けて敵の姿を捉え、力をつぎ込んで氷を発生させる。

 ぎりぎりのタイミングでシキが飛び退き、その場で悶えていたスモウドラグは氷の剣山に串刺しになった。

 野太い断末魔が響き渡った。攻撃した身でありながら、胸中でごめんなさいと謝ってしまう。

 緊張が解け、一気に息を吐いて座り込む。今度こそ安全だと告げると、赤髪の女性は背筋を伸ばし、びしっと腰を曲げて礼をした。

 

 

「あ、あの……ありがとうございます! ひとりじゃ、たぶん無理でした……」

「いえいえ、おふたりとも無事でよかったです……」

「私、雨瀬(ウノセ)アオイっていいます。何かお礼を──」

 

『……アオイ?』

 

 

 女性が名乗ると、間髪入れずにナツメが反応した。

 

 

『もしかして……ナビ、照合をお願い』

『了解。──サーチ完了。声紋、虹彩が99.8%一致……第74回ムラクモ選抜試験の候補者だ』

 

「え……え!? てことは、この人も異能力者?」

「あんた、SKYって連中の仲間じゃないわよね」

「す、スイカ? よくわかりませんけど、たぶん違います!」

 

 

 シキが眉間にしわを刻み、鋭い声で訊ねる。

 その剣幕にたじたじになりながらも、女性、雨瀬アオイはSKYとの関係を否定した。

 

 

『……なるほどね。対ドラゴンでの判断力、気迫──訓練前としてはかなり優秀だわ』

『だけど、試験は連絡なしですっぽかしてる。……使えるのか?』

『S級の才能を持つ人間は、どんなに愚鈍でも、凡人……数十人分の戦力よ。……今日の収穫はこれで充分ね。──13班、聞こえる?』

「あ、はい!」

『その子を連れて帰還しなさい。私は彼女を迎え入れる準備をしておくわ。ナビ、後は頼むわね』

 

 

 本部との通信は繋がったまま、ナツメとの会話が終わる。ムラクモ総長の言葉を聞く限りでは、アオイも対ドラゴンの戦力として迎えられることになりそうだ。

 悠長なことを言っていられる状況ではないが、危険を脱したというのに再び前線に出されることになるなんて、かわいそうというかなんというか。

 

 

「ふ~ん……結構やるじゃん」

 

 

 不意に、風に乗って高い声が届く。

 慌てて振り向くと、誰かが悠然とこちらに向かって歩いてきていた。

 どこで売っていたのだろう、大きな猫耳がついたパーカーを着た眼鏡の女性と、プロレスラーもかくやの筋肉に刺青を刻んだ男の2人組だ。

 シキが何も言わずに目を細める。不穏な空気を察知したのか、ナースが後退り、アオイが彼女を背後に庇うように立った。

 

 数メートル手前で止まり、相手の女性のつり気味の目が、品定めするように見つめてくる。

 

 

「イノとグチが手抜きした……ってわけじゃなさそうだね」

「……さっきはうちの仲間が迷惑かけたな」

 

「ど、どちら様で……?」

「……あんたたち、SKYね」

 

 

 男の言葉にシキが身構えた。

 また人間相手の戦闘になるのかと体が強張る。対する男は「戦う気はない」ときっぱり告げた。謝罪と落ち着いた物腰からして、先ほど戦った不良たちよりは理知的な人間らしい。

 しかし、その眼差しに敵意がないというわけではない。男は棒立ち、女性はリラックスしたように体を揺らしているが、2人からは妙な威圧感を感じた。

 

 

「カツアゲの件はこっちの統制ミスだ。今……うちの大将が、がっつり説教している。……だが、渋谷は俺たちのシマだ。これ以上、介入するつもりなら容赦はしない」

「特に、うちらはムラクモってやつが大っ嫌いだからね~」

「はあ? いきなり何?」

 

 

 意味がわからないとシキが声を荒げた。疑問に答えることなく男女は背を向ける。

 

 

「今回は警告だけにしておく。わかったら、さっさと消えろ……」

 

 

 男が歩き出す。女性も1歩踏み出し、ちらりとこちらを振り返った。

 その猫目が何度か瞬いて、ばちりとミナトの視線と交差する。

 

 

「どっちでもよかったんだけど、生きてたんだね~。しかもその力、アタシと同じとか」

「?」

「な~んにも覚えてないのかぁ……ま、いいけどさ♪」

「?? えっと、どういう……」

「んじゃね~!」

 

『……?』

 

 

 気ままな猫のように、女性は軽やかに駆けていく。

 初めに出会ったSKYメンバーのイノ・グチのときのように、通信機の向こうでナビが「何だったんだ?」と呟いた。

 

 

『とにかく、必要な人材も手に入った。一旦都庁へ帰還してくれ。……ああ、Dzの収拾も忘れるなよ』

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 渋谷入り口の自衛隊員のもとに集まっていた生存者とともに、沈んでいく夕日に追われるように都庁に帰還する。

 エントランスに入り、自分たち以外にも無事だった人間が集まっているのを見て、アオイたちはわっと湧きたった。

 

 

「すごい……都庁がこんなことになってたなんて……!」

「本当にありがとうございました! 何か、お役に立てたらいいのですが……」

 

 

 ナースのナミとユキが涙ぐみながら繰り返し頭を下げてくる。

 いやいやそんなと応答していると、触発されたのかアオイも居住まいを正して頭を下げてきた。

 

 

「あの……ありがとうございました。みなさん、かっこよかっです! ちょっと、憧れちゃいました!」

『おまえ、一度医者に見てもらっとけよ。ドラゴンと戦ったんだ、怪我してないほうがおかしいからな』

「はい。でも私、昔から体だけは丈夫なんです」

 

「じゃ、私たちは行くね。ほんとに、ありがと!」

 

 

 見たところ、さすが異能力者というべきか、アオイはほぼ無傷だし病気もなさそうだ。大して衰弱もしていない。彼女はこの場に残り、他の一般人は治療を受けるためにこの場を離れていく。

 

 

『ふう……疲れた……オレはもう休みたいぞ。都庁の改修のことは、おまえたちとミヤに任せるよ……じゃあな!』

「あっ、ナビくんお疲れ様……切れちゃった」

 

 

 ナビからの通信も完全に切れる。とりあえず集めたDzをミヤに渡すため、シキとミナトはアオイをつれてカウンターに向かう。

 

 

「ミヤさん。ただいま帰りました」

「ああ、おまえたちか。お帰り。頼んでいたものは、集まったか? こちらはいつでも動けるぞ」

「これだけあれば足りるでしょ」

 

 

 すべてのDzをシキがカウンター上に積み上げていく。ドラゴンから回収した未知の素材に、ミヤはおもしろそうに目を細めた。

 

 

「充分な量だ。ではこれより、ムラクモ本部と研究室の改修に入る。ちなみに、ムラクモ本部フロアの責任者はマサキという男だ。スキル開発の担当でもあるから、後日会いにいくように」

 

「あ、あの!」

 

 

 そこで、今まで黙していたアオイが勢いよく挙手をする。視線を移すミヤに自己紹介をしてから、彼女は手伝えることはないかと進み出た。

 

 

「私、この人たちに助けてもらって。まだまだ体力がありあまってますし、怪我もしてないので働く余裕があります! もしかしたらムラクモに入ることになると思うんですけど、ドラゴンとうまく戦えるかわからないし……今のうちに、できることから役に立てたらなって。お手伝いさせてください!」

「ほう?」

 

 

 ミヤは興味深そうにアオイを眺める。シキが「こいつも異能力者よ」と顎をしゃくると、大人の女性は意地が悪そうな笑みを浮かべた。

 

 

「なら、遠慮はいらないな。仕事なら山ほどある。手始めにこれを運んでもらおうか」

「はい! 任せてください!」

 

 

 シキほど楽々とはいかないが、アオイは大量のDzを両腕に抱えて運び始める。

 錯覚だろうか。一瞬ミヤが舌なめずりをしたように見えた。

 

 

「あのアオイって新人、いいね。なかなか、しごきがいがありそうだな……。おまえたちはもう充分に働いた。少し休め、その間に改修を済ませておく」

「そうさせてもらう」

「お、おやすみなさい……」

 

 

 ミヤに背を向けて歩き出そうとする。

 しかし踵を返した瞬間、「ヘイ!」と夜の空気に似合わない陽気な声に引き止められた。

 新しい避難民だろうか。今日会った不良たちにも負けず劣らず、露出の高い衣装に身を包んだ派手な女性が、長いスカートを揺らして歩いてくる。

 

 

「……そこのオマエは、ちょっと暇人? ウマイ話があるんだけれど!」

 

「……、……誰よあんた?」

 

 

 服装といいテンションといい、そんな軽い調子でどうやってここまで来たのか、ドラゴンやマモノには襲われなかったのかなど、数々の疑問が浮かぶ。

 考えがまとまらなかったのか、シキが思考を放棄したように首を傾げた。

 

 

「私たち疲れてるから、他の人に……」

「……えっ、ナニナニ、何だって? 聞こえないから、ワンモアリスニン!」

「私たち疲れてんの。ていうか、避難してきたんならまず手続きを……」

「ワンモアリスニン!」

「だ! か!! ら!!!」

「シキちゃん! 話は私が聞いておくよ! 私が聞いておくから、先に休んでて。ね? お疲れ様!」

「……」

 

 

 深く長いため息をつき、何も言わずにシキは階段を上がっていく。

 彼女の背中を見送り、ミナトは明るくも怪しい、形容しがたい女性に向き直った。

 

 

「えーと、その、ウマイ話というのは……?」

「ナイス食いつきバッチリじゃん! それじゃ、ここは遠慮なく──」

 

(無理やり食いつかせられたんだけどな……)

 

「アタシの名前は、古菅(フルスガ)チェロン! 世界救済会の人!」

「フルスガ……? 世界救済?」

 

 

 どこかで聞いたような名前だ。しかし思い出せない。

 

 

「ドゥーユーノー世界救済会? NGOだよ、えぬ・じー・おー!」

「NGO……非政府の」

 

 

 何だっけ、と高校生だったころの記憶を探る。

 NGOというのは社会科の授業で習った。確か、政府には属さない民間人・民間団体が作る組織のことだった気がする。

 

 

「主なワークは『人助け』! ドラゴン来襲? 上等じゃん! って、人助けを続けてたけど……どうにもこうにもヴェリハード! 人もいないし、仲間もいない!」

「は、はあ」

「……そこで見つけた、この都庁! 人助けには、うってつけ! ってなわけで、勝手にオープンクエストオフィス! ……オマエも協力するだろう?」

「くえすと?」

 

 

 ポンポンポンッと飛ぶように話が進む。

 思わずミヤの顔を見てしまった。彼女は肩をすくめ、「いいんじゃないか?」と適当に返す。

 

 

「商売ならともかく、人助けならまあ問題ないだろう。一応、総長とキリノには報告するが」

「い、いいんですか」

「働かざるもの、イートはナッシン! でも、働くヤツなら大歓迎? ってなわけで、みんなのコエを集めるよ! そんでオマエがズバッと解決! タッグじゃん? イケそうじゃん! 暇があったら、ドーゾよろしく!」

「あ、どうもご丁寧に」

 

 

 名刺を差し出され、反射的に両手で受け取ってしまう。

 ミヤの隣、空だったカウンターに入り、古菅チェロンは白い歯を見せて眩しく笑った。

 

 

「……んじゃ、お疲れのとこ、ソーリーでした! お部屋に戻って、おやすみグッナイ!」

「おやすみなさーい……」

 

(……疲れた……)

 

 

 工事の作業音を聞きながら部屋に戻る。今日1日で大勢の人間と顔を合わせたため、頭の中がこんがらがってうまく機能しない。

 シキは既にベッドに潜っていた。起こしてしまわないように電気を消し、暗闇に目が慣れてから就寝のための身支度を始める。

 

 

(ていうか、あの人たちは……SKYは何だったんだろう)

 

 

 渋谷は自分たちのエリアだと宣言した男。ムラクモは大嫌いだと言い放った女性。

 ある程度の人数が集まっているとはいえ、帝竜がいる渋谷に住むのは危ない。それでも都庁に合流しない理由は、ムラクモを嫌う理由は何なのだろう。

 自分のベッドに入る。とたんに、休息を求めていた体が鉛のように重くなり始めた。

 

 

(どんどん人が集まり始めてる)

 

 

 新しい仲間に人材、無事だった人々。そして、残念ながら相容れそうにない者まで様々だ。

 今のところ、大きな障害はない。今のところは。

 

 

(このまま、ドラゴン退治も上手くいってくれれば……)

 

「ね、むい……」

 

 

 意識が頭から抜け落ちる。

 眠気に抗わず、この先に何が待っているのかを考える余裕もなく、ミナトはまぶたを下ろした。

 





チェロンからは何が何でも行かせないという強い意思を感じました(遠い目)。
劇中ではネコの去り際のように、キャラクターが実際に言っていた既存のセリフに加え、こちらとの会話も兼ねてセリフを足したりしていることもあります。


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9.SKY - VS ダイゴ・ネコ -

渋谷で彼らとひと悶着起こすまで。
タグにもあるように、ナビはミロク(NAV3.6)にお願いしました。たぶんミイナの方が人気なんだろうけど(実況で見るのもほとんど彼女)、男女比の偏りが著しいので。ミロクもかっこよくてかわいいですよ~。

2020-Ⅱを再プレイするときは逆にミイナでいこうかなと迷っているところです。



 

 

 

『おい、13班。……よく寝てられるなぁ、こんなヤカマシイのに』

 

「んん……? ナビさん……いや、ナビくん? おはよう……」

 

 

 少年の声で目が覚めた。次いで、何かを削ったり組み立てたり、工事の音が絶え間なく響いてくる。

 自分が呟いた呼び名が気に入らなかったのか、通信相手の少年は「NAV3.6だ」と訂正を入れてきた。

 

 

『総長が、次の任務を伝えたいってさ。研究室で待ってるぞ』

「ぁい……あれ?」

 

 

 ターミナルに返事をしながら着替え始めたところで、部屋の中にいるのが自分だけということに気付く。

 首を回して名前を呼ぼうとして、そのチームメイトが戻ってきた。

 

 

「シキちゃん、おはよう」

「……おはよ」

「どこ行ってたの? 朝の訓練?」

「まあね。朝食も食べた。あんたもさっさと支度して。先に研究室行ってるわよ」

「あ、はい」

 

(うーん……)

 

 

 汗を拭ったタオルを放り、さっさと出て行ってしまうシキに八の字眉になってしまう。

 

 13班として彼女と一緒に行動するようになってから少し経つ。シキは「命を助けられた借りを返す」と宣言した通り最低限のフォローはしてくれるが、まだまだ距離は縮まらない。

 他のムラクモのメンバーと彼女のやり取りを見て、羨ましく思ってしまう毎日だ。

 

 

(歳が離れてるっていうのもあるのかな。そういえばあの子、いくつなんだろ……中高生だから15、16歳ぐらい?)

 

 

 自分よりは下だろう。しかし……目付きが鋭いとはいえ、まだあどけなさの残る美少女が慣れた動きでドラゴンと戦う姿は非現実感が半端ない。

 今までどれだけの経験を積んできたんだろう。以前着替えるとき見たシキの体は、目立たないものの多くの傷跡が刻まれていた。

 珍しく彼女より早起きし、興味本位で寝顔を観察したとき、豊かで美しい黒髪に覆われた頭皮にもそれを見つけた。切り傷のような、真っ直ぐに走った一本線の傷跡だ。

 

 

(あんなところまで怪我して……いつからムラクモの戦闘員として戦ってたんだろう)

 

 

 少女の人生に疑問を持ちながら、配給でもらった朝食を適当に噛んで飲み下していく。贅沢は言えないが、以前は毎日のように食べていた親の料理と比べ、やはり味気ない。

 郷愁に胸を詰まらせつつ部屋を出る。自分と同じように新しくムラクモに入った作業員たちと挨拶を交わし、小走りに研究室に向かった。階段を上り、それぞれの扉のプレートを指差して名前を確認していく。

 

 

「研究室、研究室……ここだ。失礼しまーす……あっ、おはようございます」

 

 

 胸を張って扉を開くと、研究員の何人かが無言で会釈を返し、奥にいるナツメたちが手を振った。

 なるべく足音を立てないように移動して、シキの隣に並ぶ。

 

 

「研究室の改修、お疲れ様……おかげで、ドラゴンの研究が始められるわ」

「ここでドラゴンの分析をするんですね。いろいろある……」

 

 

 文字の羅列を浮かべるコンピューターに、室内を行き来する研究員。デスクだけでなく床にも積み上げられている資料をみて、途方もない量の情報がここで飛び交っているのだと感じる。

 少し離れた場所ではキリノが、大小様々な機材と向き合っていた。なぜかいつもと比べて気分が高揚しているように見える。

 

 

「さっそくだけど、君たちのマップ機能を拡張しているんだ。もうちょっとで完成するからね……! ああ、やっぱり……やっぱり研究は楽しいなぁ~!」

 

「……キリノさん、楽しそうですね」

「ふぅ……相変わらずね……。でも、たった数時間でエネミーレーダーを作ってしまうなんて……さすがキリノと言うべきかしら」

 

 

 ナツメの補佐官でもあるが、本業は研究者なのだろう。作業に熱中する彼にため息をつき、ナツメは居住まいを正した。

 

 

「では……キリノを待っている間に、次の作戦任務について話しておくわ。前回の任務で『SKY』という組織に気付いたでしょ?」

「ああ、渋谷に近付くなとか何とか言ってたわね、あいつら」

「彼らは、この有事の東京で人に危害を加えて生きている……それは、到底許せることではないわ。今、人間はひとつになって協力しあうべき時……そうでない者は排除すべきだと、私は思う」

 

「排、除?」

 

 

 なんだか物騒な単語が聞こえた気がする。

 こちらの反応を観察するように数拍置いて息を吸い、ナツメは信じがたい命令を出した。

 

 

「……あなたたちには、再び渋谷に出向いて、SKYを討伐してもらいたいの」

 

 

 討伐。

 

「そんな!」と声を出す。

 思っていたよりも鋭く響いて、研究員たちの動きが止まった。慌てて彼らに頭を下げ、ナツメに迫る。

 

 

「何言ってるんですか!? 人間同士で戦うなんて……!」

「……気持ちはわかるわ。でも、彼らをこのまま放っておけば、さらなる犠牲が出る可能性もある。ドラゴンと安心して戦うためにも、人間同士で裏切りあうような……そんな憂いを、取り除いておきたいのよ。……やってくれるわね?」

「……」

 

 

 今度は声が出ない。

 ナツメの言うことは……合理的だ。ドラゴン相手に戦うには、多くの人員、資材がいる。準備万端で挑んでも、多大な犠牲が出る可能性が十二分にある。そんなときに人間同士が争っていてはいけないというのもあたりまえのことで。

 しかし、討伐というのはいくらなんでも……。

 

 どうしても返事をできずに固まっていると、シキが立ちはだかるように、ずいっと前に出た。

 

 

「わかった。邪魔な奴らは叩きのめしておく」

「……ありがとう。でも、彼らはかなりの手練のようだわ。深追いは、避けてちょうだい。ガトウが動けない今……あなたたちを失うわけにはいかないのよ」

「わかってる。死ぬつもりなんてない。……そうでしょ?」

 

 

 シキが振り返る。有無を言わさず自分に合わせろと語る目つきに、口を閉ざしてなんとか頷いた。

 

 

「で、話は終わり?」

「……ああ、そうだわ。任務にあたって、あなたたちの専属ナビゲーターを決めようと思うの。そのほうが、何かと意思疎通が取りやすいでしょう?」

「専属……」

「NAV3.6と3.7……2人から選んでちょうだい。それぞれ仕事をしたことはあるはずね?」

 

 

 ナツメの脇には、都庁攻略と昨日の渋谷探索でナビを務めてくれた少年と少女が立っている。情報支援班の2人は相変わらずの無表情でこちらを見上げていた。

 

 

「……ま、どっちを選んでも、能力的には大差ないよ」

「私たち、双子ですから……仕事がやりやすかったほうを選んでいただければいいと思います」

 

「だそうだけど、どうする?」

「え、私? シキちゃんは?」

「別に。どっちでもいい」

 

 

 いきなり判断を任せられても、と首を傾げながら双子を交互に見る。

 選ぶと言っても、ついこの間知り合ったばかりで彼らの人となりも知らないのに。

 何より、無機質の「物」はともかく、意思を持つ「人」の選択は苦手だ。体育の授業でチームを組むときや、修学旅行での部屋割り……中学、高校生活でのほろ苦い記憶がよみがえる。

 どんな意図や理由があれ、自分が選ぶ立場になった場合、選ばなかった方に対して罪悪感を感じてしまう。

 

 

(どうしよう、どうしよう。うっ、頭が……あっ、そうだ!)

「じゃ、じゃあ……これを!」

 

 

 傍らのデスクに置いてあった消しゴムを取り上げる。天井に向かって高く掲げると、一同が首を傾げながら目で追ってきた。

 

 

「今からこれを落とします。この消しゴムの丸い部分が向いた方にいた子に、ナビをお願いしたいと思います」

 

 

 これなら優劣も個人の意思も関係ない。そのときの運だけで決める方法なのだから平等なはずだ。優柔不断とか言ってはいけない。

 何も考えずに掌を返す。支えをなくした消しゴムは素直に床に落ちて、何度か弾み……、

 

 

「……あ」

 

 

 声を上げた少年、NAV3.6に向かって倒れた。

 

 

「よ、よし。じゃあ、君に頼んでもいいかな?」

「……了解。おまえもそれで問題ないよな、ミイナ」

「ミイナ?」

「あ……ミイナというのは、私のあだ名です。私たちは研究室の生まれで、個別の名前を持たないものですから……」

 

 

 個別の名前を持たない、という言葉を理解するのに数秒要した。

 その言葉からして、「研究室の生まれ」というのは研究員同士が結婚して子どもが生まれたのではなく、

 

 

(『生み出された』ってこと? それって、)

 

 

「人工生命」という言葉が脳裏にちらつく。

 深みにはまりそうになった思考は、続く少女の言葉に歯止めをかけられた。

 

 

「3.7の語呂合わせで『ミイナ』……3.6は『ミロク』……。近しい方にはそう呼ばれています」

「そ……そうなんだ」

「おまえたちも別にそう呼んでくれて構わないぞ? それとも他の呼び名でも考えてみるか? オレの担当は、おまえたちだけだし……」

 

「シキちゃん、どうする?」

「別に何でも。いちいち相談して決めることじゃないでしょ」

 

 

 シキは相変わらず無頓着だ。だが彼女の言う通りでもあるかもしれない。自分のことは自分で決めるという考えは大事だ。

 とりあえず、変にひねった名前にしても馴染まないだろうし、近しい人物に呼ばれているなら、そのままでいいだろう。

 

 

「じゃあ、これからはナビくんじゃなくて、私もミロクって呼んでもいい?」

 

 

 今までと同じでも、違っていても変わらない。この子たちも人間だ。大人へ成長していく時間の中で、名前の意味は自分で見出すだろう。

 

 

「これからは13班専属のナビ、ミロクとしてさ、よろしくね」

「専属、か……。わかったよ、これからは、そう名乗ろう。13班専属の、ミロク……」

「どうしたの?」

「こういうの初めてだからな。なんか、妙な気分だ。専属……センゾク……」

 

「ミロク、少し嬉しそうです」

「え、そうなの?」

「はい」

 

 

 なんともいえない表情で首をひねるミロクを見て、片割れであるミイナが小さく呟いた。

 耳を寄せると頷いて、それからほんの少しだけ、眉の端が下がった……気がした。

 

 

「私だって、なかなか上手くできていたと思うのですが……」

「あ、えっと……私、ナビゲートとか全然詳しくないから、2人の差とか考えてないし、ナビさんもてきぱきしててわかりやすかったよ!」

「はい。能力で判断されたわけではないことはわかっています。でも、結果的に私は10班……ガトウ隊の専属です。ガトウには、よく遊んでもらっています。だから……よかったです」

「そ、そっか。……ねえ」

 

 

 呼びかけると、日本人離れした琥珀色の眼が見上げてくる。

 少し腰を落として目線を近付け、「ミイナって呼んでもいい?」と尋ねれば、少女は何度か瞬きをして首を傾げた。

 

 

「あなたのことも、ナビさんじゃなくて、ミイナって呼んでいいかな? 10班専属ナビのミイナ」

「……はい。構いませんが……」

「うん。ありがとう」

 

 

 感謝される理由がわからないのか、ミイナは不思議そうに瞬きを繰り返す。

 まつ毛が長いな、きれいな顔だな、これは将来別嬪さんに育つぞ、なんて思考がずれそうになったところで、キリノの声が研究室に響く。

 

 

「……やったああぁ! エネミーレーダー、完成だ!」

 

 

 眼鏡が傾いているのも気にせずに、キリノは2つの機械を持って走ってきた。

 

 

「ついつい盛り上がってしまってね……ムダに新機能を追加してしまったよ!」

 

 

 レーダーを手渡しながら、それに備え付けられている機能をキリノは熱く語りだした。

 

 まず、観測班とナビゲーターの連携で、自分たちが踏み込んだ地域の情報が分析され、ミニマップとして構築されていく。そしてそのミニマップには、生命反応を元に要救助者とドラゴンたちが表示され、マモノとの遭遇確率を警告してくれるエンカウントゲージなる機能も搭載されているらしい。

 便利なものだとレーダーを眺めていると、ナツメが表情を引き締め、改めて自分たちに指令を出した。

 

 

「それじゃあ……準備を整えて渋谷に向かってちょうだい。SKYのこと、頼んだわよ」

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 渋谷の入り口に立つのはこれで2度目だ。

 青々とした植物が群生しているのは相変わらずで、変わったといえばドラゴンを倒したためあの赤い花が減り、若干すっきりしていることか。

 

 研究員から聞いたところ、あの赤い不気味な花は「フロワロ」というらしい。ただの花ではなく、海の中でも溶岩の上でも、文字通りどこにでも咲く脅威の生命力から「立派な外地球生命体」とみなされているようだ。

「ドラゴンの存在を示すように彼らがいる地に咲き、他の生き物にとって毒となる瘴気を漂わせる」「フロワロに触れるだけで生命力が削られる」。

 まさに毒花。諸説を聞いたときはぞっとして、今まで普通にその傍らで活動していた自分の体をまさぐってしまったが、自分たちは眠っていた1ヶ月の間に充分な抗体を生成したらしい。普通の人間でも抗体を作れる程度の毒だったのが幸いして、今では何も問題はないそうだ。

 ……その後に、花が進化して毒性が強くなる可能性もあるなんて言われて結局震えてしまったが。

 

 風に揺れるフロワロから距離を取っていると、本部にいるミロクと通信が繋がった。

 

 

『おい、13班。自衛隊から伝言だ』

「伝言?」

『「渋谷通りのバリケードは撤去した。以後自由に通行されたし」。おそらく、バリケードはSKYが作ったものなんだろう。SKYは以前から、渋谷通りやセンター街を根城に活動していたみたいだからな』

「……てことは、右の道がSKYの本拠地に繋がってるってこと?」

 

 

 先日自分たちが入った、道玄坂に続く道の反対側を封鎖していた壁がなくなっている。

 自衛隊は何者かが封鎖していると言っていたが、SKYが自分たちの縄張りを主張、守るためのものだったのか。

 

 

『じゃ、渋谷通り……右の道から捜索を始めてくれ。……オーヴァ』

 

「……」

 

 

 歩き出し始めたばかりだが、足取りが重くなっていく。

「SKYの討伐」。……本当に、やらなければならないのだろうか。彼らがムラクモを嫌っていても、協力はできずとも、互いに干渉しないようにすれば、争いを避けられる可能性はある。

 それに、アオイを助けたときに出会った男はわざわざ謝ってきた。仲間が迷惑をかけた、カツアゲは統制ミスだと。嘘をついているようには見えなかったし、統制ミスが本当なら、積極的に人を襲っているわけではないということだ。

 

 

「うじうじしてたって仕方ないでしょ」

 

 

 前を歩くシキがズバッと言い切った。

 

 

「ここには帝竜がいる。私たちはそいつを倒さなきゃいけないんだから、どうしたってここを歩き回ることになる。だったらあいつらと顔を合わせることは避けられないじゃない」

「それは、そう、だけど……死んじゃったでしょ、たくさんの人が」

「? 何、今さらなことを……」

「うん。今のこの世界じゃ、生きるか死ぬかっていうのは当たり前のことなんだろうけど。みんながみんな、死にたくて死ぬわけじゃないと思うんだ。私たちは、生きるためにドラゴンを倒さなきゃいけないけど。人を……、……そういう対象としては、見たくないな」

 

 

 ぽつりぽつりと変えたくない考えを告げる。SKYは人に危害を及ぼしてはいるが、その手で命を狩るようなことはしていない。

「人類のため」といって彼らに力を向けることは、果たして正しいことなのか。

 

 

「どのみち、襲ってくるような奴らは返り討ちにするけどね。……まあ、コテンパンにして実力の差を見せ付ければ、大人しくさせることはできるんじゃないの」

「え?」

「あんた、もしかして『SKYの奴らを殺せ』って命令されたと思ってるの?」

「ち、違うの? シキちゃんもそれをわかって……」

 

 

 シキは立ち止まり、「勘違いしないで」と体ごと向き直る。

 

 

「私は戦闘員でナツメは総長。組織内の立場は部下と上司だけど、私はキリノみたいに心からナツメに従ってるわけじゃない。命令だとしても、必要ないのに殺人なんて犯すわけないでしょ」

「えっと、つまり……」

「『討伐しろ』とは言われたけど、『殺せ』とは言われてない。現地で動く私たちの解釈でいいのよ。SKYは倒す。私たちにたてつく余裕がなくなるよう無力化する。でも殺さない。殺人犯になんかなりたくないし。……この通信、ナツメは聞いてないわよね?」

 

 

 はっきりと宣言してから、シキは耳にはまる通信機を指でつついた。

 

 強かな彼女も、「倒す」と「殺す」の間に線引きをしている。

 実力者が「殺さない」と言った。これから自分たちがとる行動は命令違反になってしまうかもしれないが、自分と近い考えをシキが持ってくれていたことが嬉しくて歩み寄る。

 

 

「あ、ありがとう! よかった、そうだよね。殺す必要なんてないよね! もしかしたら、時間をかけて仲良くなることだってできるかもしれないし」

「はあ? いきなり何よ。ていうか仲良くなるとまでは言ってない」

「よかった、安心した! シキちゃんすごいねぇ。強いし、しっかりしてるし。歳は離れてるけど、女同士、同じチームになれてよかったー……」

「……あんたが弱くて抜けてるだけよ」

 

 

 驚いたように目を見開いていたシキは瞬き数回で元の仏頂面に戻り、そっぽを向いてしまった。相変わらずの辛口だが、心なしか棘が少ないように思える。

 大きな不安が和らいだことで体と心が軽くなった。歩調を上げて少女の隣に並ぶ。

 

 

「そうだ、昨日の夜会った人のことだけどさ」

「ああ……あのわざと聞こえない振りしてた奴ね。何だったの? いつのまにかミヤの隣陣取ってたけど」

「それがね、NGOの世界救済会っていう組織の人で、人助けをしてるんだって。都庁に避難してきた人たちから寄せられる要望を集めて、私たちに紹介してくれることになったの。タダ働きってわけじゃなくて、ちゃんと報酬ももらえるって。信用はできるみたいだよ」

「ふーん」

 

「おいおいおい~!」

 

「?」

 

 

 不意に挟まれた声によって会話が中断された。

 数メートル先に男が2人立っている。考えなくともわかる。SKYのメンバーだ。

 獲物を見つけたというようなにやにや笑いが、シキが殴り飛ばしたグチそっくりだ。

 

 

「おまえ、ここがどこだかわかってんのか? 聞いて驚け、SKYの縄張りだぜぇ?」

「っつーかこいつ、ムラクモじゃね? ダサい腕章してっしよぉ!」

「あんたたちの髪型のほうがダサい。あと脅し文句もダサい」

「そうそ……なんだとぉっ!?」

 

 

 合いの手のようにシキが軽快に返した。金髪に不釣合いな相手のしょうゆ顔が怒りで赤く染まる。

 

 

「おうおう、ムラクモのねーちゃんよぉ、人んチに土足で踏み込んどいて詫びもねーとかありえないよなぁ?」

「無理やりにでも、土下座してってもらおーぜ!」

 

「戦うわよ、いいわね?」

「う、うん! 無力化する、だよね!」

 

 

 数々の生存者から恐れられているだけあり、男たちの身体能力は目を見張るものがある。

 が、それは「一般人から見れば」の話。同じ異能力者であり、S級と判断されているムラクモの敵ではない。

 

 

「ふん」

 

「いでぇ!?」

「んがっ!」

 

 

 手加減はしているだろうが、シキが拳と足の裏を数回当てただけで相手2人は踊るように体勢を崩して地面に落ちる。ミナトが援護するまでもなかった。

 うめく男たちに歩み寄り、小さな拳がごきっと鳴らされる。

 

 

「まだやる気?」

「ちょっ……ちょっと待て! ありえねえだろ、この強さよぉ!?」

「ムラクモってこんなヤベー奴らなのかよ? マジ聞いてねぇっつの! グチの野郎、吹きやがって……」

「くっそ、イテテテテ……先に行きたきゃ行けよ。オレらはもう降参だ!」

 

 

 あっさりと負けを認め、不良たちは逃げていく。

 今は亡き選抜試験候補生たちのほうがまだ強かったのではとこぼすと、シキが籠手を着け直しながら「そりゃそうよ」と言った。

 

 

「ムラクモ試験に集められるのは、厳選されたS級の異能力者たちよ。私たちが今まで戦ったSKYの奴らは……たぶんC級程度。よくてもB級止まりね」

「でも、ナツメさんが手練だって言ってたよね……」

「ていうかナビ。じゃなくてミロク。あいつら『ここはSKYの縄張り』って言ってたけど?」

 

 

 シキが不機嫌そうに通信機に手を当てる。

 13班専属ナビとなったミロクは、「なんだ、もうSKYのアジトだったんだな」と他人事のように呟いた。

 

 

「だった、って……」

『仕方ないだろ……SKYかどうかなんて、生体反応からじゃ区別できないんだからさ』

「あんたナビでしょ? ちゃんと仕事しなさいよ」

『何だよ、まさかオレが悪いとでも?』

 

「ま、まあまあまあ。無事に撃退できたしさ。これからは気を付けて──」

 

『背面、9時の方向にドラゴン反応!』

「え」

「っ、もう!」

「え……わっ!?」

 

 

 ピリピリと尖っていく会話に割り込もうとした瞬間、それまで言い合っていた2人が同時に動く。

 シキに突き飛ばされた直後、目の前を緑に濁った液体が飛んでいく。見覚えのあるそれ──ケミカルドラグが吐いた毒の溶解液はすぐ側の木々に着弾した。

 激しく蒸発する音を立て、太い幹が複数傾く。

 

 

「った……!」

 

 

 頭上に迫る影から慌てて逃げる。細い小枝の先端が耳から頬をかすめ、眼前で巨木が次々と倒れた。

 その重さに引きずられるように建物もいくつか倒壊し、シキとミナトの間を埋めていく。

 

 

「しまった──」

『シキ!』

 

 

 ミロクに呼びかけられて背後を振り返る。ケミカルドラグとサラマンドラ数体が接近してきていた。

 身構えつつ、数メートルの高さに積みあがった木と瓦礫の向こうに呼びかける。

 

 

「ちっ、さっきの騒ぎで気付かれた……! ちょっと、そっち大丈夫なの!?」

「え、なんとか平気……じゃなかった! ドラゴンが2体!」

 

 

 再び舌打ちをする。複数を相手に狭い場所で戦っても不利だ。まずは開けた場所へ移動し、確実にドラゴンを始末するのを優先して動いたほうがいいだろう。

 その旨を大声で伝えると、悲鳴混じりに「わかったぁぁ」と返事が飛んでくる。

 何度か氷が炸裂する音が響いた後、ミナトのものと思われる足音とドラゴンの雄叫びが一緒に遠ざかっていった。

 

 

「さて、と」

 

 

 自分に有利な間合いを保ちつつ、シキはレーダーのマップで現在位置と逃げ道、戦闘に使えそうな場所を確認する。

 まずは面倒な毒を吐いてくるケミカルドラグから片付けよう。その後にサラマンドラだ。

 

 

「ミロク、私はいいからあいつのサポートして。こっちはこっちでなんとかする」

『ああ、わか……あれ?』

 

 

 数はこちらのほうが多いが、経験の差からして危険なのはミナトのほうだ。

 ミロクにミナトのナビに回るよう指示を出す。が、ミロクはしばらく沈黙し、「やばい」と呟いた。

 

 

『通信が繋がらない』

「は? 電波でも悪いの?」

『いや、電波以前に反応が、……まさか、通信機、壊れたとか?』

 

「…………はあああああああっ!!?」

 

 

 怒りの叫びとともに、ケミカルドラグを殴り飛ばす音が渋谷に響いた。

 



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 SKY - VS ダイゴ・ネコ -②

今回ちょっと長いです。3分割しようかなとも思ったのですが、なかなかいい切りどころが見つからず……ご容赦ください!



 

 

 

 サラマンドラが2体。シキのサポートなしでのドラゴン戦は恐怖でしかなかったが、幸い炎の属性を持つ相手。距離をとって逃げつつ氷の属性攻撃を繰り返しぶつけることで事なきを得た。

 目の前では、体表のところどころを氷に覆われた赤いドラゴンが2体が、折り重なるようにして絶命している。「やった!」よりは「グロい」というのが率直な感想だった。

 

 

「……これ、私がやったのかぁ……ていうかDzってどうやって回収するんだったっけ……」

 

 

 記憶の中のシキの動きを思い出しつつ、見よう見まねでなんとかドラゴンの死骸からDzを回収する。

 

 やれやれ、とりあえずは危機を脱した。彼女と合流しなければ。

 通信機がはまる片耳に手を添え、

 

 

「もしもし……あれ?」

 

 

 通信機がない。

 もう片方の耳にも手を添える。だがやはりはまっていない。両手の指先が両耳の穴にすぽっと入るだけ。

 服のポケットをまさぐり、袖口に手を突っ込み、数回その場で跳ねてみる。

 ない。

 

 

「……そういえば」

 

 

 思い出した。

 

 今いる場所に逃げてくる前、ケミカルドラグの毒で溶解した木やら建物にシキと分断されてしまったとき。鋭く尖った小枝が耳と頬を引っかいていった。

 そのときに通信機が外れ、見えない力に引かれるように地面に転がり落ちて……。

 パギッ、と、見事瓦礫たちの下敷きになってしまったのだ。

 

 

「ここ、どこ」

 

 

 わからない。

 

 

「ミロク?」

 

 

 もちろん返事はない。

 

 

「シキちゃん?」

 

 

 いない。

 

 

「…………んんん!!?」

 

 

 現在の状況を把握して、小さなパニックに陥る。

 

 東京には何度も来たことがある。行こうと思えば行ける、自宅からそう遠くない距離だし、何より進学先の大学が都内にあるので、受験シーズンは頻繁に行ったり来たりしていた。

 だが、あくまで訪れていたのは大学だけ。積極的に遊び歩くわけでもなく、ティッシュ配りの人間もあしらえない自分にとっては、新宿も原宿も池袋も、今いる渋谷さえも怖くて踏み込めない未知の土地だった。地理など把握しているはずがない。

 

 頼みの綱である通信機は壊れた。

 

 たった1人の味方ともはぐれた。

 

 ここはドラゴンが蔓延る、不良集団SKYの島。

 

 

「……死んだ……」

 

 

 だだっ広いスクランブル交差点で立ち尽くし、空を仰ぐ。

 

 嫌だ。こんなところで孤独に死んでいくなんて。ドラゴンに食われるのはごめんだが、孤独なまま誰にも気付かれずに死んでいくのも嫌だ。

 人がいるにはいるが、異能力を振りかざして生きるための糧をまき上げる、性質の悪い人間たちだ。しかもその一員である(良識はあるみたいだが)眼鏡の女性と筋骨隆々な男性の2人には、ムラクモが渋谷に寄ったら容赦しないとまで言われた。

 

 あれ、もしかして、

 

 

(このままSKYに見つかったら、私やばいんじゃ……?)

 

 

 背筋が粟立つ。

 相手は人間。ドラゴンのような強大な力はないが、代わりに知恵がある。捕まれば何をされるかわからない。

 

 目が無意識に左腕を見る。

 赤い生地にムラクモ機関の刻印がある腕章は、力強く存在をアピールしていた。

 

 

「……」

 

 

 大丈夫、大丈夫。

 

 外すだけだ。シキと合流するまで、通信機のように破損してしまわないよう、大事にしまっておくだけ。

 決して、決してムラクモ機関機動13班のメンバーであることを放棄するわけではなく、保存しておくだけだ。

 

 そろそろと腕章を外し、こそこそと上着の内側に忍ばせる。

 安堵か情けなさか深く長いため息が漏れて、

 

 

「おい」

 

「ひいっ!?」

 

 

 背後から聞こえた声に心臓が膨張し、数十センチ垂直に跳び上がる。

 

 金切り声を上げて距離を取った自分に、声をかけてきた人間は不審者を見るような視線を向けてきた。それに捉えられる前に、咄嗟にクロウをつけた指先を袖に引っ込める。

 背の高い、ニヒルな雰囲気の青年が立っていた。不良というよりはチョイ悪、というのだろうか。いやよくわからない。無理に当てはめるのはやめておこう。

 青年の隣には不思議な風貌の女性が立っている。白い洋風の羽織に、目を惹く鮮やかな青い髪。赤い目。

 日本人離れしているというか、人間離れしている。不思議な美しさだ。

 

 

「……」

「おい」

「あああすみません! 金目の物は持ってないです、ごめんなさい!」

「……」

 

 

 幻想的な女性に見惚れていると再び青年に声をかけられた。

 反射的に対SKY用の謝罪を口にすると、青年は呆れたような表情を作り「違えよ」と言った。今まで絡んできた不良たちと違い、言葉には威圧感も棘もない。

 

 

「カツアゲするつもりはねえから安心しな。こんなところで何やってる?」

「え? えっと……」

 

 

「SKY討伐に来ました!」なんて言えば、この青年はどんな反応をするのか。それは彼の立場で変わる。

 見たところ、服は汚れていないし怪我もしていない。ドラゴンから逃げ、SKYから隠れる一般人は全員汚れか傷をつけていたが、彼は一見清潔だ。ということは、ここを根城にして生活しているSKYの人間である可能性が高い。

 そして何より(失礼ではあるが)目つきに雰囲気が、好青年というよりも不良に近いような気もする。

 どちらにせよ、自分がムラクモの人間だということは、今は隠しておいたほうがいいかもしれない。

 

 

「……えっと、道に、迷いまして……」

「それで立ち尽くしてたってことか。どこに行こうとしてた?」

「い、家に、帰りたいなと」

 

 

 嘘は言っていない。住居という意味でなら今は東京都庁が家だし、本当の家にだって帰りたい。

 帰って、みんなを探したい。

 自分が住んでいた町は、今どうなっているのだろう。

 

 

「……家、ね」

 

 

 物思いにふけろうとしたとき、青年が小さく笑った。そこにわずかに含まれる皮肉めいた響きに胸が締まる。

 

 

「街、見てきただろ。嫌なこと尋ねるが、おまえの家は無事だと思うか?」

「……わかりません。潰れてるかも」

 

 

 彼に便乗して笑えばいいのか、ひどいと怒って泣いていいのか判断がつかない。うつむいた自分の顔が変な形に歪んでいくのがわかる。

 本当に嫌だが的を射ている。フロワロは気候も場所も問わずそこら中に繁茂している。ドラゴンの存在を証明する赤い毒花。都庁の屋上から見下ろした街並みは、すべからくフロワロに覆われていた。

 かつて人間がそうだったように、今はドラゴンが地上に、世界中にいる。自分の地元だけが無事だとは思えない。

 

 

「でも、帰りたいし」

 

 

 だからこそ、ありえずとも希望を持ちたい。そうして自分はドラゴンと戦っている。そうでなければやっていけない。

 人間、死ぬほどの自棄を起こせば意外と何でもできるのだ。地べたを這ってでも生にしがみつくことだってできる。

 ヘタレな自分だってこうして生きてこれた。きっと、家族も友人も、みんな死ぬ気で生き延びている。

 

 

「確認したいんです。それでもし無事なら、間に合うなら、助けたい」

「……そういう覚悟はできてるみてえだな」

 

 

 黙って自分を見ていた青年が息を吐いた。

 

 

「渋谷を抜けたいなら案内してやる」

「えっ」

「抜けるまでだ。外にもドラゴンとマモノがうじゃうじゃいるだろうが、まあその姿を見る限りなんとかやってこれてるみてえだし、大丈夫だろ?」

 

 

 シニカルだが憎めない笑みを浮かべ、彼は自身の頬を指でつついてみせる。

 慌てて頬を拭うと、結構な量の泥がついていたらしく、袖が茶色く汚れた。

 

 

「うわ、泥だらけ!?」

「服もあちこち破れてるしよ。よく1人で逃げてこれたな」

「あ、1人じゃないんです。友だち……、…………って言っていいのかわからないんですけど、一緒に行動してくれている子がいて、はぐれ、ちゃっ、て……。……そうだっ」

 

 

 そうだ、シキと合流しなければ。

 だがその場合、この青年に自分たちがムラクモ機関の人間だと知られてしまう。そして彼がSKYだったら……。

 

 

「ツレがいたのか。ならついでにそいつも探していくか」

「え、でも、あの……」

「ここは俺たちの生活圏だから路地裏のことまで知ってる。そう苦労しねえだろ。気にすんなよ」

「えっと」

 

 

 自分が流す汗を、青年は仲間を心配していることによるものだと思っているようだ。

 危機感もそうだが、罪悪感が重いガスとなって胸に充満し始める。

 青年はこの渋谷で生活していると言った。いよいよ彼はSKYの人間である可能性が高い。

 

 

『SKYを討伐してきてほしいの』

 

 

 任務として課せられた言葉が頭の中で反響する。

 討伐。ナツメはそれをSKYに向けて、ドラゴンに対するときと同じ響きで使っていた。

 シキが言い切ったこともあり、殺すという意味ではなく無力化することを目標としてSKYの本拠地を目指しているが、自分だけでは……。

 

 

(どうしよ──)

 

「……」

 

「──っ!?」

 

 

 すぐ傍に人の気配を感じて我に帰る。

 赤い目が、至近距離で自分の顔を覗きこんでいた。慌てて2、3歩後退る。

 青い髪の女性だ。少女のように無垢で、大人のように美しい顔がすぐ目の前にある。

 曲線を描く唇が、小さく動いた。

 

 あ、な、た、は、

 

 

「……『狩る者』?」

 

「え?」

 

「……おいアイテル。今何て言った?」

 

 

 青年の声が、何かを探るように低くなる。

 尋ねられた女性アイテルは、長く重たげな睫毛を伏せて、ゆっくり頭を横に振った。

 

 

「わからない。わからないけれど……彼女から、感じる」

 

 

 再び、胸中も頭も全て見透かすような瞳を向けられ、思わずたじろぐ。

「タケハヤ」と、アイテルは青年を呼んだ。

 

 

「一旦、戻りましょう。この子の友だちが来ているわ」

「えっ、えっ」

 

 

 何が起きているのかよくわからずに固まる。

 ただ、彼女が言った「この子の友だち」がシキを示し、タケハヤという青年の呼び名が、SKYの不良たちが口にしていた名で、

 

 

「……なあ」

「……は、い」

「おまえ、異能力者か?」

「……は……い」

 

 

 今、あまり喜ばしくない状況だということはわかった。

 

 

「ムラクモ機関。知ってるか」

 

「……ごめんなさい」

 

 

 もう隠すことはできなかった。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 ミナトが懐から赤い腕章を取り出して頭を下げる一方で、

 

 

「ふぅ……悪いな、ちょっとヤバかったぜ……。…………ていうか、おまえらムラクモ……? ききき今日は、これくらいで勘弁してやるよっ!」

「あ、ありがと……助かったよ。ってか、あんた誰? あんま見ない顔だけど……その腕章……まさか、ムラクモ……!? ヤ、ヤバ……ッ!」

 

「ったく、どいつもこいつも……!」

 

 

 シキの側ではドラゴンを倒して助けた生存者がSKYのメンバーだったという事態が繰り返されていた。

 途中、昨日殴り飛ばした男女が待ち伏せていて仕返しとばかりに襲い掛かってきたが同じように撃退した。それも含めて出会う人間はSKYばかりだ。一般人の生存者はもういないのかもしれない。

 

 

『またSKYか……結果的にSKYを助ける羽目になっちゃったな……まあ、仕方ないか。ドラゴンを討伐するのは最優先の任務だからな』

「あいつらを倒すはずなのに、どうして逆に救助するような形になってるのよ!」

 

 

 汗を拭い、傷を雑に治療しながらレーダーを見る。

 走り回って奮闘していた甲斐あって、ドラゴンと見られる生体反応は一帯から消失していた。

 人間の生体反応は多数。連絡が取れず、居場所がわからないミナトがいるとするなら、この反応の中のどれかだ。

 

 

『SKYと普通の人間を見分ける方法がないのが厄介だぜ……。逃げ出すくらいだから、大したヤツじゃないか』

「……この先に一番人が集まってる。すぐそこが拠点っぽいわね」

『今も周りから集まってきてるみたいだ。シバを見つけるのもそうだけど、やっぱ、幹部を倒すことが先決だな。先を急ごう』

「……あいつ、ドラゴンにやられてたりしないわよね?」

 

 

 新人チームメイトの無事を疑わしく思いつつ、荷物を整理してさらに進む。街中を抜け、渋谷通りに出た。

 が、そこで行き止まりだ。

 

 

「……誰だっ!?」

 

 

 こちらの足音を聞き取り、下っ端らしき男が振り返る。

 通りの一部分を、コンテナやドラム缶で区切られたスペース。どうやらこの場所が拠点みたいだ。集まっていたSKYメンバーと思われる人間たちが睨み付けてくる。

 その奥から見覚えのある姿が進み出てきて、自分を見るなり首を振った。

 

 

「……来てしまったか」

「アタシは、来るって思ってたけどね。あのしつこい年増オンナの部下でしょ?」

 

 

 筋肉男と、ネコ耳フードのパーカーを着た女。この2人だけは、今まで戦った雑魚とは雰囲気が違う。ナツメが言う手練だろう。

 

 

「悪いわね。あんたたちがいう年増オンナに命令されたのよ」

「……おまえは上に言われた通り動いてるだけだろうが、約束は約束だ。俺は一度警告をした……渋谷には、近付くなってな」

「ダイゴは優しいからね~……だけど、アンタたちはそれを破った。……ってあれ、もう片方の地味なのは?」

「さあね。どこかでドラゴンと戦ってるんじゃない?」

 

 

 言葉を交わす間に、外堀を埋めるように周囲のSKYメンバーたちが距離を詰めてくる。

 先にこいつらを片付けるか、と振り返ろうとした瞬間、筋肉男が「やめろ」と静かに声を放った。

 

 

「おまえたちは手を出すな。何人か返り討ちにされただろう。ネコもさがっていろ」

「ええ? ダイゴだけでやる気?」

「充分だ」

 

 

 聞き捨てならない言葉だった。

 

 

「……ミロク、生体反応は?」

『ドラゴンはなし。あと3人がこっちに向かってきてる。ここにシバはいないから、この3人のうちの1人って考えていいかもな』

「ここにいるのはSKYだけ。なら遠慮なく暴れても問題ないわね」

 

 

 腰を落として身構える。男も同じく拳を握った。どうやら互いにデストロイヤーのようだ。ますます気に食わない。

 

 

「『自分だけじゃ無理でした』って、さっきの言葉訂正してもらうから」

「力づくでもお引き取り願おう。ついでに、二度とここに来たくなくなるよう土産もつけて、な」

 

 

 数秒の睨み合いが続く。

 誰かの「やっちまえ!」という野次を合図に、同時に1歩踏み出した。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 気まずい。どうしてこうなった。

 

 というか、自分はムラクモだというのに、なぜ前を歩く2人は自分をSKYの拠点に案内しているのだろう。

 色々と気になるが突っ込める雰囲気ではなく、沈黙したまま渋谷の街を進んでいく。

 道中転がっているドラゴンの死体はまだ新しいものだ。その肉体の要所が切り取られているのを見るに、シキが倒してDzを回収していったのだろう。

 

 

「これはおまえがやったのか?」

「ち、違います。たぶん、その、さっきまで一緒にいた子だと……」

 

 

 青年、タケハヤの問いに頭を横に振る。

「なるほどな」とタケハヤは足の先でドラゴンの死骸を小突いた。

 

 

「おまえのお友だちもムラクモか。なかなかのやり手みてぇだな」

「あ、あの」

「何だ?」

「どうして、私を、あなたたちの拠点に……」

 

 

 意を決して尋ねると、タケハヤは笑って振り向いた。

 

 

「おまえが何をどこまで知ってるかはわからねぇが……強いて言うなら興味本位だな」

「興味?」

「ああ。……おっと」

 

 

 不意にタケハヤが立ち止まる。

 一瞬遅れてミナトも止まり、目の前に立つ広い背中から顔を出した。

 広い通りに多数のコンテナが積み上げられてひとつのスペースが出来上がっている。そこでSKYと思われる人間たちが大きな円陣となり、「いけー!」「そこだっ!」と声を張り上げていた。

 

 

「……?」

 

 

 人と人のわずかな隙間に目を細める。

 円陣の中央で、大きい影と小さい影が激しく衝突しあっている。硬いものがぶつかり、肉を打つ鈍い音が空気を揺らす。

 大きい影が昨日出会った男で、小さい影が自分のチームメイトだと気付いた瞬間、男の丸太のような腕が少女を殴り飛ばしていた。

 

 

「ぐぅっ!」

 

 

 すんでのところで左腕を滑り込ませた少女……シキだが、大きな音とともに籠手が割れ、錐揉むように吹き飛ぶ。

 宙で体勢を直して着地し、彼女の靴底が激しい摩擦音とわずかな煙を出した。

 

 

(あれ、シキちゃんだ──シキちゃんが押されてる!?)

 

 

 歯噛みするシキと涼しい顔の男を見て愕然とする。

 ドラゴンを拳で粉砕するS級のムラクモが、1対1で苦戦している。

 単純に考えれば、帝竜までとはいかずとも、あの男はそこらへんのドラゴンより強い。

 

 

(あの人も、S級の異能力者……?)

 

 

 踏み出す男にシキが構える。闘志はまだ燃え盛っているようだが、先ほど攻撃を防いだ左腕がわずかに痙攣していた。

 

 

「まだやるか」

「こっちの台詞だ!!」

 

 

 口調が粗くなるシキに、男が静かにため息をついた。そしてゆっくりと腰を落とす。

 その皮膚に血管が盛り上がるのを見て、まずいと思った。

 

 

「す──す、す、ストップー!!」

 

 

 声を上げて走り出す。

 左腕に巻き直した腕章を見て、SKYメンバーが「新手のムラクモだ!」と迫ってくる。

 自分を捕まえようと腕を広げる人垣を無理矢理かいくぐり、円陣の中央に転がり込みながらシキと男の間に氷を放った。

 

 

「む」

「あ、来た! 地味なほう!」

 

「あんた……!」

「ご、ごめん、お待たせ!」

 

 

 男が怯み、眼鏡の女性が指を差す。

 膝を着くシキに大丈夫かと手を差し出せば、少女はほっ、と息を吐いて手を伸ばし、

 

 

「遅い!!」

「ふぐ!?」

 

 

 自分の胸倉をつかんで猛スピードで前後に揺らしはじめた。

 

 

「遅い、遅い! 何やってたのよ!? なんで通信繋がらないのよ!? ドラゴンは倒したんでしょうね!?」

「た、倒しました! Dzも回収しました! 通信機は倒れた木の下敷きになって壊れちゃいました! 遅れた理由は道に迷って現在地がわからなかったからです!」

「視覚情報の地図があるでしょうが!」

 

「……あ……」

 

「今気付いたって顔するなあああああ!!」

「うわあぁぁごめんなさいぃぃ」

 

 

 頭と視界が上下に激しくシェイクされて目が回る。涙を溜めながらひたすら謝り続けると手が離れ、アスファルトの上に尻餅をついた。

 

 

「うう、ぐらぐらする……」

「ふんっ。でもまあ、ちょうどいいわ。あんたまだ戦えるわね? あいつぶっ飛ばすわよ」

 

「そーはさせないよん!」

 

 

 ぴょんっ、と女性が男の隣に飛び出してくる。眼鏡のレンズがきらりと光り、棒付きキャンディをくわえる口が綺麗な弧を描いた。

 

 

「アタシも混ざりたくてうずうずしてたんだよね~。でも2対1でぼこぼこにするのは気が引けるし、地味子ちゃんが来てくれてよかった。これで2対2っしょ?」

「じ、地味子……っ!?」

 

 

 昨日のバカに続いて地味と言われた。お洒落な人間ではないという自覚はあったが、こうも真正面から言われるとぐさりとくる。

 あなただって猫耳パーカーなんてあざといアイテム着てるくせにと言ってやりたかったが、生憎女性は可愛らしい顔立ちをしている。そのうえスタイルがいい。悲しいかな、愛嬌を感じさせる猫目と癖毛に猫耳はとてもよく似合っていた。

 それとは別に「ぼこぼこ」というフレーズが癇に障ったらしく、シキが「なんだと……?」と眉を引きつらせる。

 

 

「こいつら……ぶっ潰す!」

「や、やっぱり戦う流れ……?」

 

「……いい加減終わらせよう。ネコ、やるぞ」

「そーだね、ちゃっちゃと片付けちゃお。いっくよー!」

 

 

 ネコと呼ばれた女性が腕を上げる。その指先、爪が光を放ち、冷気が渦を巻いた。

 

 

(あの子もサイキック……!)

 

 

 相手の指先に集まる冷気は自分の比ではない。急速に冷えていく空気に、地面やコンテナのところどころに霜が降りた。

 女性、ネコが楽しげに笑いながら腕を振り下ろす。

 ミナトのように氷が放たれるかと思いきや、冷気は男の腕に一気に巻き付き、

 

 

「──おらあっ!!」

 

 

 男が跳び、氷をまとう拳を地面に叩きつけた。

 

 ッッゴッ!!! と一帯が激しく揺れる。アスファルトが粉々に砕けて陥没し、同時にそり立つ氷が津波のように押し寄せてきた。

 

 

「え──」

「何してんのよ! 早く……、っ!」

 

 

 言葉をなくす自分にシキが怒鳴る。彼女は応戦しようと身構えるが、その顔が痛々しげに歪み、歯を食い縛って左腕を押さえた。

 そうこうしている間にも、氷の壁は突風のような勢いで大挙してくる。

 

 

(やばい……!)

 

 

 もう避けられる間合いではない。

 攻撃の選択肢を捨て、ありったけのマナを込める。波全体にではなく自分たちの正面一点に氷を放ち、シキに覆いかぶさって体を屈めた。

 

 氷と氷が互いを食らいあって砕ける音が響く。

 腕で頭を庇い目を閉じていたためはっきりとはわからないが、相殺しきれなかったのだろう。一瞬体を冷たい空気が撫でたかと思えば、硬い氷に打たれて突き飛ばされた。

 

 

「痛った……!?」

 

 

 シキと一緒に地面に叩きつけられた。ウォークライとの戦いほどではないが痛みに体が痺れ、涙が滲む。

 腕の中にいるシキが脚を振り乱して起き上がる。劣勢に立たされ続けていることが我慢ならないようで、今にもこめかみの青筋が音を立てて切れそうだった。

 

 

「こいつらっ!!」

 

「……へぇ、面白そうなことやってんじゃねぇか」

 

「!?」

「あ……」

 

 

 場の空気が一気に変わる。

 タケハヤがアイテルとともに進み出てくる。「俺も、混ぜてもらおうか」と、自分たちの間に悠々と割って入ってきた。

 

 

「タケハヤ……」

 

 

 男が拳を納め、ネコがクロウを着けた指先を隠すように手を丸める。

 どうやらタケハヤはSKYのリーダー格らしい。鶴の一声というのか、それまで汚く野次を飛ばしていたメンバーたちが一気に静まり返った。

 

 

「……おまえら、渋谷に近付くなって忠告されなかったか? つっても……それを聞くような組織じゃねーか」

 

 

 タケハヤは自分を「興味本位」でここに導いた。それは戦いでの実力を見極めるためだったのだろうか。

 自分たちと向き合う彼の意図がわからず、何も言えずにいると続いて質問される。

 

 

「……正直に言えよ。何が目的で、ここに来た?」

「SKYを倒すために……決まってんでしょ!」

 

 

 左腕にぶら下がる籠手の残骸を振り落としてシキが噛み付く。タケハヤは一瞬目を丸くし、口を歪めてくっくと笑う。

 

 

「そりゃ無理な話だ。おまえら、ダイゴとネコが手加減してんのもわかっちゃいねぇだろ? そんな力で俺たちを潰そうなんて、無謀もいいとこだぜ」

「手加減……!?」

 

 

 あれでか、と痛む体をさする。改めて相手は自分たちより格上だという事実を突き付けられた。

 

 

「それにしても『SKY狩り』とはね……」

 

 

 タケハヤの顔が歪む。怒りを体現するように、眉間に深い溝がいくつも刻まれた。

 

 

「相変わらず、胸糞悪りぃバァさんだぜ。何を吹き込んだかは知らねぇが……よほど俺たちが邪魔らしい」

 

「バァさん? って……」

「ナツメのことね。ナツメが嫌いなのは同意するけど、惑わせようったって──」

「そんなつもりはねぇよ……俺はこう見えて優しいからな。無知なおまえらに、忠告してやってんのさ。知らないうちに、クソの溜まり場へ足を突っ込んでるかも……ってな」

 

「クソの溜まり場、ね。自己紹介になってるわよ」

 

 

 シキは周囲をぎろりと睨み付けた。せせら笑っていた下っ端たちが鋭い視線に射抜かれて後退る。

 

 

「そもそも私たちがここに来たのは、あんたたちが生存者に危害を加えるからよ! ただでさえドラゴンがいるのに迷惑もいいとこだわ!」

「……渋谷に入ってこなきゃ、俺たちが危害を加えることはねぇさ。まあ、俺の目の届かないところでバカやってる奴はいるかもしれねぇが……」

 

 

 タケハヤも下っ端たちを見渡す。イノとグチを始め、何人かがさっと目を逸らした。

 タケハヤの目が、再び自分たちを捉える。

 

 

「だからっておまえらが正しいとは限らねぇわな?」

 

 

 カツアゲの件は置いておいて、確かに、力でねじ伏せるやり方は正しいとは思えない。……自分たちの行動も、恐喝と大差はない、のかもしれない。

 

 

「……ま、おまえらはド新人みてーだし、すぐに理解しろってのも無理な話か」

「ド新人はこいつだけよ! 一緒にしないで!」

「ひ、ひどい! その通りだけど……!」

 

 

 シキに容赦なく指を向けられ3本目の棘が胸に刺さる。

 いまいち緊張感に欠ける会話にタケハヤが肩を竦めた。

 

 

「話の腰を折るなよ。やっぱり理解できてねぇみたいだな」

「できるわけないでしょうが!」

「だが、俺たちと一緒に来れば、すぐにその意味もわかるようになる」

 

「……どうだ、SKYに入らねぇか?」

 

『は?』

 

 

 突飛な提案に時が止まる。思わずこぼれた自分の声とシキの声が重なって響いた。

 その話の流れからなぜいきなりそうなるのか。

 SKYのメンバーたちも同様の反応を示した。ダイゴが固まり、ネコがわけがわからないというように目を見開く。

 

 

「た、タケハヤ!?」

 

「冗談だ……行くぞ」

 

 

 再び肩を竦め、小さく笑いながらタケハヤは仲間に声をかける。

 踵を向けて歩いていくその背中を数秒見つめ、からかわれたのだと気付いたシキが飛び出しそうになるのを慌てて押さえた。

 

 

「待て、この!!」

「シキちゃん抑えて! 気持ちはわかるけど抑えて!」

 

「──シキ?」

 

 

 不意にタケハヤが足を止めた。ネコがその背にぶつかり、「んにゃっ」と潰れた声を上げる。

 自分たちを振り返った青年の顔は、もう笑っていない。

 

 

「おい。……おまえ、名前は?」

「なんであんたに名乗らなきゃいけないわけ……っ!?」

 

 

 背中から腕を回すミナトから逃れようと暴れつつ、シキが犬歯をむき出しにする。

 そんな彼女をしばらく見つめ、次にタケハヤはミナトに視線を移した。

 

 

「おまえは?」

「え、私の名前ですか? 志波 湊ですけど」

「何バカ正直に答えてんのよ!!」

「えっごめんなさい!?」

 

 

 ぼこぼこと仲間の頭を叩くシキと痛い痛いと呻くミナトを交互に見て、タケハヤは今度こそ踵を向けた。続いてネコもダイゴも、下っ端たちもこの場を去っていく。

 

 彼らの姿が完全に見えなくなり、2人だけがぽつんと取り残された。

 シキが腕から抜け出し、またもや自分の胸倉をつかむ。

 

 

「なんっで邪魔するのよ! 悔しくないの!?」

「いや、でも、シキちゃん怪我してるでしょ!?」

 

 

 激しく揺さぶられる頭に意識が飛ばないようにして指摘すれば、ぴたりとその腕が止まる。

 シキの拳に手を添え、ゆっくりセーラー服の袖をまくれば、青紫色に染まりぱんぱんに腫れ上がる腕が現れた。

 籠手を着けていたのにこのひどさだ。防具の着いていない箇所に食らっていれば、少女の細い体はどうなっていたか……考えたくもない。

 

 

「うわっ、痛そう……ちょっと座って」

「いらないわよ、手当てなんて! 骨折はしてないし」

「まあまあ。念には念を入れって言うしさ。ね? ……できるかな……?」

「何よいったい……」

 

 

 怒りが収まらないシキを「まあまあ」を連発して宥め、なんとかその場に座らせる。

 深呼吸で鼓動を落ち着かせ、少女の腕の青痣と、その上にかざす自分の手に意識を集中させた。

 ふっ、と指先に淡い光が宿る。

 徐々にマナを注いでいけば、ほんの少しずつではあるが、痣の腫れが引いていく。

 

 

「……あんた、これ」

「なんだっけ。ナツメさんが言うには『治癒魔法』らしいんだけど。うーん……まだ上手くできないな……ごめんね、大して効果が出せなくて」

 

 

 経験を積んで磨いていくしかないか、と息を吐きながら、手のひらサイズの氷を作る。ハンカチを取り出して氷を包み、それをシキの腕に巻きつけた。

 

 

「気休めにしかならないけど、冷やしておこう。一応メディスも使っておこうか。……私も体痛いし」

 

 

 シキはぶすくれた顔で一気にメディスをあおる。機嫌はまだ直らないようで、歯と歯の間に挟まれたビンが器用に上下に振られた。

 

 

「それにしてもさ、あの人……タケハヤさん、何か知ってるっぽかったね」

『ガラの悪い連中の言うことだ。どうせ、99%ウソばっかだろう』

 

 

 それまで静観していたミロクが通信で会話に入ってくる。

 タケハヤたちはどこかに行ってしまったが、この場合どうすればいいのだろう。通信機の向こうでミロクは大きく息を吐いた。

 

 

『……けど、上手くあしらわれたもんだ。これはミッション失敗──』

 

 

 彼が言い終わらないうちに、ビーッ! と聞き慣れないアラームが鳴る。

 

 

『……!』

「ミロク? どうしたの?」

「ていうか、今の音……」

『地下道の調査をしていた自衛隊から、救難信号だ。何かあったらしい……! 急いで地下道に向かってくれ。都庁からも、応援を向かわせる』

 

 

 2人で顔を見合わせる。自分よりも先にシキがため息をついた。

 次から次へとてんてこ舞いだ。装備を整え立ち上がり、服に付く砂を払い落とす。

 

 

「SKYの奴らはいつか倍返しにしてやる。今は自衛隊のところに行くわよ」

「うん」

 

 

 シキに続いて踏み出し、数歩で止まって振り返る。

 ついさっきまで自分たちが戦っていた(一方的に攻撃を受けただけだが)場所には戦闘の跡がこれでもかというほど刻まれている。

 これもそうだが、一番頭に刻みついて離れないのは、タケハヤに対する疑問だ。

 

 なぜ彼はムラクモの人間だと知ってからも自分を助けてくれたんだろう。興味本位とは、結局自分たちの何に対してだったのだろう。なぜ、こちらの名前を改まって確認してきたのか。

 

 考えれば考えるほど疑問が尽きない。彼は……味方とはいえないが、敵とも言い切れない不思議な何かを持っている。

 新人とはいえムラクモ機関員である自分が知らない何かを、ムラクモ機関員でない彼は知っている。

 

 

「ちょっと、何してるの?」

「あ、ごめん」

 

 

 シキに呼ばれて意識が戻る。口の端に残るメディスの滴を舐め取り、ミナトは渋谷入り口に戻った。

 



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10.自衛隊

地下道で自衛隊メンバーを救助するまで。
横洞のダンジョン、集合体恐怖症というか、細かい小さな物がたくさん集まっている物を気持ち悪く感じてしまう方にはキツかったんじゃないでしょうか。自分は目が回りそうで大変でした。色も痛々しい蛍光色だし。

中野駅は実在しますが北戸線って路線はないらしいですね。



 

 

 

 自衛隊隊長の堂島が片足を引きずって歩く。

 同僚であり、救難信号を発信している同僚のイコマを見て、彼女の中で怒りが弾けた。

 

 

「なんで勝手に救難信号を出した!? これは、アタシたち自衛隊の問題だろう!」

「落ち着けって、リン! 隊員たちはみんなバラバラだ。俺たちはろくな機材も持ってない」

 

 

 激昂する三佐の怒声が地下講道内にわんわんと反響する。それに対し、イコマは冷静に言葉を返した。

 

 

「なにより……『アイツ』が相手なんだ。あのくらい横胴で、全員を無事救出するなんて不可能だろ?」

 

 

 現在の状況と自衛隊の戦力、そしてあの存在。

 客観的で的確な判断だ。しかしそれを認められない堂島は、頭を左右に振って自分の立場を主張する。

 

 

「イコマ……たとえおまえがアタシの同期でも、今、この小隊の隊長はアタシだ! 『アイツ』がまた襲ってくる前に、アタシがみんなを救出す──っ痛……!」

「ほら見ろ、おまえも怪我してんだ。無茶せず助けを待とう」

 

 

 得体の知れないムラクモなどに頼ってたまるか。

 しかし、このままでは八方ふさがりだ。

 相反する意思と事実が胸中でせめぎあう。

 

 

「……くそッ!! どうしてアタシが……こんな……っ!」

 

 

 怒りで全身が発熱する。

 堂島は歯軋りをして、その場に佇むことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 シキとミナトは地下鉄講道に入った。

 もちろん、電気は通っていない。先が見通せない暗さの中で足音だけが反響し、なんだか不安になる。

 瓦礫に躓かないようめちゃくちゃになった線路の上を歩いていくと、視界に見覚えのある赤い髪が浮かび上がった。

 

 

「あ、あれ……アオイさん?」

「あっ、お疲れ様です!」

「……ガトウも?」

「……よォ。怪我もぼちぼち治ってきたンで、リハビリがてら、手伝いに来たぜ」

 

 

 名前を呼ぶと、赤いサイドテールはくるりと振り返り、快活な笑顔を浮かべて頭を下げた。

 その横に立つ、紫のバンダナを首元にゆるく巻いたガトウを見て、シキが目を瞬かせる。少し驚いたように目を丸くする少女に、ガトウは大粒の白い歯を見せて笑った。

 

 

「ガトウさんはともかく、アオイさんは、どうしてここに? 本当にムラクモ機関に入ったんですか?」

「はい。実は私、以前ムラクモの試験に呼ばれていたりしたのですが……試験当日に、会場にたどり着けなくて……」

 

 

 そういえば、渋谷で出会ったときにミロクとナツメがそんなことを話していた気がする。

 都庁で避難民手続きをしたあと、アオイはやはりムラクモに迎えられたらしい。左腕に巻いた赤い腕章を見せ、彼女はガトウの横でほんの少し誇らしげに背筋を伸ばした。

 

 

「今回、改めてお誘いを受けたので、本日からガトウ隊に所属することになりました!」

「今回は、俺は口も手も出さずに見守るさ。不手際があったらぜーんぶこいつの責任ってことで、ひとつヨロシク!」

「ええええ~っ!? お、脅かすのやめてくださいよぅ……」

「ガハハハハッ! ま、そンくらいの気持ちでやりゃあおまえもヘマしないだろ!」

「そ、そうです……よね! センパイ、ふつつかものですがよろしくお願いします!」

 

「あ、はい、よろしくお願いします……って、『センパイ』?」

 

 

 自分たちとは違い、前に立つ2人はころころと表情が変わる。

 ついていけずに立っている自こちらに改めて頭を下げてきたアオイの言葉に、ミナトは首を傾げた。

 

 

「『センパイ』って……シキちゃんはそうかもしれないですけど、私はまだド新人で……」

「え、そうなんですか? でも危ないところを助けていただいて、ドラゴンと戦うところもかっこよかったですし!」

「え、あ、えへへ……どうも。えっと、ちなみにアオイさんはおいくつなんですか?」

「今年で22です!」

「年上!?」

 

 

 年功序列精神が叩き込まれているため腰が低くなってしまうミナトに対し、アオイは「いいんです!」と力強く首を振った。

 

 

「私よりおふたりはずっと強くて、何より命の恩人ですから。ぜひ、センパイと呼ばせてください!」

 

(いい人だ!!)

 

 

 洞窟内が明るくなったように感じられる眩しい笑顔に当てられ、ミナトだけでなくシキも思わず目を細めてしまう。続いてグローブをはめたアオイの手が伸びてきて、2人は求められるがまま握手に応じた。

 

 

「歳のほうも気にしないでください。私のことはアオイでいいですから!」

「いや、でも、それはさすがに」

 

『……じゃあ、あいさつもすんだし、ミッションに移るぞ』

 

 

 へこへこと頭を下げあう自分たちをミロクが咳払いをして遮る。

 本来の目的を忘れかけていたミナトは慌てて体を起こし、新しく支給された通信機に手を当てた。

 

 

『この先の駅舎内に救難信号の発信者がいるらしい。まずは、そいつらに事情を聞いてくれ』

「了解」

「私たちはここで、レスキューの準備をしてますね。救助者がいたら、すぐに駆けつけますから!」

「はい。それじゃあ、いってきます」

 

 

 10班に見送られ、2人は講道の奥に小走りで向かう。

 半歩前を進むシキの足取りが今までよりも軽やかに見えて、ミナトは思わず声をかけた。

 

 

「……嬉しい?」

「は? 急に何?」

「いや、ガトウさんが復帰してきてさ、なんかシキちゃん、嬉しそうに見えたから」

「物足りなかっただけよ。ずっとあんたの面倒見てばかりで、満足に戦えなかったから」

「あ、はい、すみません」

 

 

 やはり心理的距離はまだまだ遠い。

 ただのチームメイトという枠から抜け出せていない事実を辛口で突きつけられ、がくりとうなだれた瞬間、地下道内が大きく揺れた。

 

 

「うわっ?」

「何、地震?」

 

 

 足を止め、崩落の危険がないか頭上や壁を確認する。

 数秒遅れ、先ほど自分たちがいた入り口方向からひゃああと、そして通信機からも悲鳴が響いてきた。

 

 

『ひゃああああっ! 私の食べかけのチョコバーがあああ……』

『任務中に菓子を食うなよ! ってか落ちたモンを拾って食うな! ったく……仕方ねェな。これでも食ってろ、胃袋娘』

『あ、飴……くれるんですか……!? うわああああっ! 一ヶ月ぶりですよ、飴ちゃんなんて~! ううっ……もったいなくて食べられないよう……』

『はあ~……好きにしろよ』

 

 

 恐怖を煽る暗闇の中、緊張感のない10班の会話に肩から力が抜ける。今の状況よりも食べ物の心配をするとは、初任務だというのにアオイは肝が太い。

 

 

『しっかし、なんだ今の揺れは……良くねえ予感がすんぜ?』

 

 

 ガトウの疑問に「こちらでは、地震は観測されていない」とミロクが答えた。

 

 

『局地的な地盤の変動か……? とりあえずそのまま探索を続けてみてくれ』

『おいおい、こっちゃあナビの情報が頼りなんだ。早いところ分析頼むぜ。13班、落盤が起こる可能性がある。安全確保を優先して動けよ!』

「はい! ……あ」

 

 

 暗闇に慣れてきた目が、「中野駅」と書かれた看板を捉える。

 開けたプラットホームの中央には、傷付いたアーマーを装着する自衛隊員が2人立っていた。1人は堂島三佐、もう1人はイコマ隊員だ。

 

 

「すみません! 自衛隊の方ですよね?」

 

「おまえたち……!」

「ムラクモの13班か……! 協力、感謝する」

「救難信号を受け取って来た。何があったか事情を説明して」

「ああ……リン、おまえが隊長だ。おまえから説明してくれ」

「くっ……!」

 

 

 毛嫌いしている存在に助けられることが屈辱なのか、イコマ隊員が笑みを浮かべる傍ら、堂島は唇を引き結んで横を向く。

 視線で説明を促すと、顔を歪めたまま、ぽつりぽつりと堂島は語りだした。

 

 

「……我々は、地下道確保のため、五丁目駅付近で線路内の瓦礫撤去を行っていた……。そのとき急に辺りが激しく揺れて……『アイツ』が現れたんだ」

「『アイツ』?」

「とにかく、全員逃げるのに必死で……気付いたら3人の部下とはぐれてしまった。おそらくみんな、横洞のほうに逃げたんだと思う。……怪我をしている隊員も、いるはずだ」

 

 

「アイツ」という呼称に疑問を感じるが、詳細を聞いている暇はなさそうだ。焦りの表情を浮かべて、イコマが踏み出してくる。

 

 

「横洞のドラゴンには……俺たち自衛隊の装備じゃ歯が立たない。こんなことを頼むのは悔しいが、どうか、隊の奴らを救出してやってくれ!」

 

 

 必死の懇願を断る理由はない。渋谷での対SKYのように誰かを傷付けるのではなく、助けるためになら、臆病な自分でも戦える。

 ためらうことなく頷く。自分たちが一度通り過ぎた道に横洞があるとミロクに指示され、地下鉄道を戻り、ぽっかりと壁に開いている穴に入った。

 

 

「わ、ここも異界化してる……!」

 

 

 コンクリートが丘のように盛り上がって蛇行跡のような道を作り出し、地面には苔がびっしりと繁茂して、青や緑が混ざったまだら模様の絨毯となっている。

 植物が群生しているのは渋谷と共通しているが、この洞窟内は樹海ではなく湿原のような雰囲気を感じる。

 いずれにせよ、これも帝竜の力だろう。横洞の中は、人工の土地ではありえない異様な空間と化していた。地面に空いている複数の穴も合わさってまるで蛇の巣のようだ。

 

 

「ここも地面に穴があるね。都庁のときみたいに下に進むのかな」

「ミロク、この穴どうなってるかわかる?」

『ちょっと待ってろ。……下に何かあるわけでもなさそうだな。もっと近付いてくれ』

 

 

 足を滑らせないように注意して接近する。中を覗き込もうとミナトは淵にしゃがんで穴に顔を近付けた。

 

 直後、

 

 

『ドラゴン反応、接近! 気を付けろ!』

「はぁっ!? どこから……、くっ!」

 

 

 狩りをする肉食獣のような素早さで、暗闇から大型犬ほどの影が飛び出す。

 反応したシキが新調した籠手で攻撃を防ぐ。しかし奇襲に体勢を崩し、その足が半歩下がって、後ろにいたミナトの背中を押した。

 

 

「え」

 

 

 ふわり、と体が浮く。

 黒一色に染まった穴に、ミナトは頭から転げ落ちた。

 

 

「ちょ、嘘……わああぁっ!? ぶっ!! いっ!」

 

 

 2秒ほど風を受けて顔から着地する。そのまま重力に引きずられ、傾斜のついた穴の中を前転していき、尻と腰を壁に打ち付けることでようやく止まった。

 

 

『お、おいシキ! シバが穴に落ちた!』

「知ってる! この、こいつ素早い……潰れろ!!」

 

 

 痺れを切らした声と共に、硬いものを砕く音と不快な断末魔が響き渡る。

 相手はドラゴンだったからDzを回収していたのだろう。少し時間を置いて、上からシキの声が降ってきた。

 

 

「ちょっと、生きてるっ?」

「……生きてる……ぅあいたたっ」

 

 

 土まみれで痛む体に涙を浮かべながら起き上がる。

 自分が顔を打ちつけた場所に戻って見上げると、こちらを覗くシキらしき輪郭が見えた。目測で穴の深さは数メートル……建物2階分ほどだろうか。

 とりあえず手を振って無事を知らせながら、痛みはあるものの怪我もなく鼻血も流していない自分の体に静かに唸る。前衛のシキには遠く及ばないが、自分も確実に一般人の枠から外れつつあるのがなんだか切ない。

 

 

「そっちに敵は? 穴の中どうなってんの?」

「マモノもドラゴンもいないよ。でも落とし穴ってわけじゃないみたい……ちょっと待って」

 

 

 穴の直径は2メートルほどで、体を屈める必要はなかった。今度は腰と尻をぶつけた場所に歩いて戻る。

 行き止まりで顔を上げる。やはり暗くてはっきりとしないが、どうやら別の空間に繋がっているようだった。

 

 

「別の場所に繋がってる! ここを伝えば、たぶん壁も越えて移動できるよ!」

「なるほどね」

 

 

 シキも穴の中に飛び込んでしなやかに着地する。

 傍まで来た彼女は自分を見て顔をしかめ、左腕を顔に押し付けてきた。

 

 

「う、な、どうしたの?」

「土付いてる」

 

 

 謝罪のつもりだろうか。籠手で顔から泥を拭い落とし、仕上げに指先でぺしぺしと頬を軽く叩かれる。

 シキは満足したように鼻を鳴らし、自分を越して穴から出ていった。

 

 

「敵影は……なし。ミロク、生体反応は?」

『周囲30メートル圏内に生体反応はなし。あの小さいドラゴンもいないみたいだ』

「よし」

「ま、待って……よいしょっと」

 

 

 安全確認の会話を聞きながら、ミナトもなんとか穴をよじ登った。爪の間に入った土をかき出して、先行するシキの後についていく。

 穴は自分が落ちたものだけではなくあちこちに点在していた。迷路のようにうねる道もあって、戻れなくなってしまわないかと何度も後ろを振り返ってしまう。

 おまけにフロワロもそこら中に咲いている。要救助者たちは無事なのだろうか。

 

 

「……ん? ねえ、シキちゃん」

「何」

「ここも異界化してるってことは……帝竜がいるってこと?」

「さあ。帝竜反応があるとは知らされてないし、心配しなくていいんじゃないの。今はさっさと要救助者を救助……あ」

 

 

 シキが立ち止まってレーダーを見る。倣ってミナトも自分のレーダーを見ると、画面の端に人間の生体反応が1点映っていた。

 

 

「人だ! 自衛隊の隊員さんかな」

「一般人の可能性もあるわね。とりあえずこの場所にいくわよ。道中何体かドラゴンいるけど」

「あ、ほんと……あの、ドラゴンの反応、多くない? しかも移動速度が速い」

「さっき戦った奴ね。小型で素早いから油断しないで」

「って、あああ、1体こっち来る!」

 

 

 レーダーを頼りに、ドラゴン反応が急接近してくる方向に向き直る。

 暗闇から跳ねるようにして現れたのは、体長2メートルほどの4足歩行のドラゴンだった。

 名前はリトルドラグというらしい。落ち着きなく動き回る様やがちがちと噛み合わせられる顎、そして小さな体躯といい、ドラゴンというよりは犬のようだ。じゃれつかれたら死ぬだろうけれど。

 

 いつもなら真っ先に飛び出すシキが、忌々しそうに顔をしかめて腰を落とした。先制ではなく攻撃を受け止める構えだ。

 

 

「ど、どうしたの? あのドラゴンは強いの?」

「さっき戦ったやつと同じ。素早いのよ。受け身になって捕まえたほうが仕留めやすい」

 

 

 言葉を出すよりも先に、リトルドラグが跳躍した。小さな牙が隙間なく生えた口を大きく開いて突進してくる。

 シキは衝撃を殺そうと脚を曲げる。

 しかしリトルドラグは距離を詰めた瞬間、宙で身を縮め、伸ばすと同時に口から火球を吐き出した。

 

 

「なっ!」

「シキちゃん!?」

 

 

 ドボンッ、と炸裂する音と共にシキが炎に包まれる。

 チームメイトを助けるべきか敵を攻撃すべきかで右往左往していると、少女を仕留めたと判断したらしい相手が、赤い舌を出してこちらを見た。

 

 

「え……っ!」

 

「──ふんっ!!」

 

 

 リトルドラグが唾液を散らして跳んだ瞬間、真横の火の塊から脚が突き出された。

 槍のように鋭い突きが胴にめり込み、ドラゴンはマンガのワンシーンのように残像を出しながら回転して吹き飛んでいく。

 ドゴーン、と音を立てて洞窟の壁に埋まるのを見て、冷や汗と苦笑いが出てしまった。

 

 火球の仕返しといわんばかりに蹴りを放ったシキが、火を払って飛び出してくる。セーラー服のところどころを焦がしながらも大きな怪我はしていないようだ。

 

 

「シキちゃん、大丈夫!? 火傷とかは……」

「してない。装備新しくしておいて正解だったわね」

 

 

 全身をパタパタと払うシキの言葉を聞いて思い出す。そういえば、自分たちが今身に付けている武器と防具は開発班の新作だ。

 

 前に戦った帝竜ウォークライ。炎を吐くことから考えられたように、紅蓮のドラゴンは火の属性に特化していた。

 通常のドラゴンよりも強固で上質な素材をムラクモが見逃すはずがなく、ファクトリーに運び込まれたウォークライの骸は骨の髄まで解体されたらしい。

 ナツメには何か考えがあるらしくほとんどは保管という形になったが、小さな端材は開発班に回され、13班のための装備が作られた。武器は火の属性を宿し、防具は火炎に対して強い耐性を持つという。

 一見今までと同じ服だが、性能を見れば立派な装備と言えるだろう。

 

 

「わー、開発班の人たちってすごいんだねぇ……」

「感心するのは後。人命救助は時間勝負でしょ。進むわよ」

 

 

 そうだ、武装しているとはいえ、マモノとドラゴンが徘徊する迷路に3人も人間がいるのだ。彼らの安全確保を最優先に動かなければ。

 どうか無事でいてくれますようにと両手を組んで、薄暗い洞窟の中を進む。リトルドラグやマモノの奇襲に警戒しながらレーダーが示す要救助者マークのポイントまで行くと、片脚を庇うようにして座り込む自衛隊員の姿が見えた。

 

 

「あ、あの、自衛隊の方ですよね」

「まさか……助け、か……?」

「はい、ムラクモ機関の13班です。堂島三佐とイコマ隊員から要請を受けて、救助に来ました」

「ムラクモ?」

 

 

 左胸にマキタと記されるネームパッチを付けた自衛隊員は目を瞬かせる。よくよく見れば、彼は逆サ都庁攻略のときに見た顔だ。

 相手も自分たちを見て「あのときの2人か」と呟き、と安堵のため息をつく。

 

 

「あの頭でっかちの女三佐のことだ、とっくに見捨てられたと……思っていたが……。ムラクモが救助に来てくれるとは……感謝……する……」

「い、いえ……あ、そうだ、10班に連絡!」

「とっくにしてる。たぶんもう着くでしょ」

 

「センパーイ!」

 

 

 道中既にシキが通信していたらしく、向こうから軽快な足音を響かせてアオイが走ってきた。

 

 

「はぁ、はぁ……アオイ救急便、参上しましたっ! センパイ、怪我人の搬送は任せてくださいっ!」

「お疲れ様です、アオイさん。ドラゴンとマモノは倒してきましたけど、一応気を付けてください」

「はい! あと、アオイでいいですよ!」

「うーん、でも、やっぱり年上ですし……」

 

「……」

 

 

 互いに胸の前で手を振り合うミナトとアオイ。傍から見れば知り合ったばかりの女子大生の会話だ。

 しかしその左腕には赤い腕章。マキタは複雑そうな顔でシキを見上げる。

 

 

「……君はいくつだ? まだ学生だろう?」

「歳のこと? 今年度で15だけど」

「……」

 

 

 今度こそマキタは言葉をなくした。

 大人の男(銃火器持ち)が敵わない相手を倒してしまうのが、馴染みのない組織に所属する若い女で、しかもそれが複数人。

 防衛組織の人間のプライドは傷付くことだろう。だからといって気遣ったりしないが。

 

 

「じゃ、じゃあ、これからはアオイ……ちゃんで。よろしく」

「はーい、よろしくお願いします!」

 

 

 呼び名と敬語合戦はアオイに軍配があがったらしい。さん呼びをちゃん呼びに変え、タメ口で話すようになったミナトに、アオイは満足そうに笑った。

 彼女はそのまま笑みをマキタに向け、彼の脇に腕を通して立ち上がる。

 

 

「もう大丈夫ですから、一緒に安全なところへ行きましょう。さ、ここにつかまって……」

 

 

 アオイはこちらに軽く会釈し、マキタを支えて歩いていく。

 

 

『1人目、救助完了だな。あと2名も横洞にいるはずだ……探索を続けてくれ』

「了解」

 

 

 メディスとマナ水で軽傷の手当とマナの補充を済ませ、2人は再び進み出す。

 

 

「入り口から離れた場所だけど、自衛隊員さん、無事でよかったね」

「まだわからないわよ。他2人はマモノたちに食われてるかも」

「そ、そういう怖いこと言うのはやめよう?」

 

 

 渋谷に転がっていたたくさんの遺体を思い出して悪寒が走る。不安を払うようにレーダーに映る生存者マークを目指して走ると、暗闇と同化するように、息を潜め縮こまる背中が見えた。

 乱れてはいるが呼吸の音が聞こえるから、生きている。

 2人目も無事だったようだ。堂島たちに教えられた風貌と照らし合わせて、カマチ隊員と判断する。

 

 

「ちょっと」

「ヒッ……!?」

「あっ、敵じゃないです。ムラクモ機関です、救助に来ました!」

 

 

 シキが声をかけると、背中はびくりと跳ね上がる。

 勘違いさせてしまわないよう口早に身分と名前を伝えれば、カマチはゆっくり肩の力を抜いた。

 

 

「た、助かったの、か……? 助けに、来て──あぁああああああぁっ!」

 

 

 視界がぶれる。横洞に入る以前にもあった大きな震動が空間全体を揺り動かした。

 自分たちが驚きの声を上げるよりも先にカマチが絶叫し、頭を抱え、かすれた声で叫ぶ。

 

 

「い、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! 来る! ヤツが来るうううぅぅ……」

 

『錯乱してるみたいだな……何があったんだ……?』

「と、とりあえず、アオイちゃんに連絡しよう」

 

 

 連絡を入れれば、息せき切ってアオイが洞窟内を駆けてくる。汗を吸って顔に張り付く髪を拭い、彼女は未だ震えているカマチに静かに薬を打った。

 

 

「安定剤を投与しました。あとはこちらで搬送しますので……ご心配なく」

「もう1人いる。そのときはまた呼ぶから」

「はい、お任せください!」

 

 

 シキに応え、アオイはカマチに明るい声をかけながら離れていく。

 通信機の向こうで、うん、とミロクが頷いた。

 

 

『これで、あと1人だな。さっきの震動も気になる……急いだほうがいい』

「あの人、すごく怖がってたね。堂島三佐が言ってた『アイツ』って存在のことかな?」

「『アイツ』……まあ、たぶんドラゴンだろうけど。揺れとセットみたいだから大型の――、っ!」

 

 

 シキの言葉を遮るように、地下に入ってから3度目の大きな揺れが足をもつれさせる。

 

 

『ま、また揺れたっ!?』

『……横洞のほうだな。気を付けろよ、13班……』

 

 

 通信が繋がったままの耳もとからアオイとガトウの声が聞こえた。

 ガトウがよくない予感がすると言っていたが、徐々にその予感が強くなってきた。揺れと揺れの間隔が短くなり、この異界内の空気が呻くような音を立てている。

 まさか、崩れることはないかもしれないが……。

 

 

(いや)

 

 

 シキは頭を横に振って考えを打ち消した。

 ここはドラゴンたちの縄張りの中だ。人間の常識は通用しない。いくら考えと対策を巡らせたところで、相手はそれを軽く覆すイレギュラーな存在なのだ。

 

 予測できない、イレギュラー、と頭の中で繰り返し、シキは自分の後ろについて歩くミナトをちらりと見やる。

 

 

(確か……治癒魔法、とか)

 

 

 ナツメやキリノから聞いたことはある「治癒魔法」。サイキック──特異能力者、または超能力者──の力のひとつだ。

 

 サムライ、デストロイヤー、トリックスターのような白兵戦で力を発揮する異能力者と違い、後衛であるサイキック。同じ後衛のハッカーと比べても、肉体の耐久力は最低。代わりに、火や氷といった属性の現象を人為的に起こせる力を持つ。稀に、その中にも当てはまらない特殊能力を有する者もいる。

 ミナトが扱う属性攻撃は一般的(世間一般ではなく異能力者の中の一般)なサイキックが持つそれだ。しかし、ナツメが言うにはサイキックで複数の属性を扱える人間は珍しいらしい。

 ミナトのことをどれだけ調べているのかはわからないし、ミナト本人も自身の力をよくわかっていないようだが、サイキックの中でも素質があるゆえに彼女はS級と判断されたのだと、ムラクモ総長は惚れ惚れしたようなため息をついていた。

 

 

『超能力者って言われてるのに治癒魔法って……結局超能力なのか魔法なのかどっちだーって話だよね。現代風に言うなら超能力なのかもしれないけど』

 

 

 数時間前、シキの左腕を手当てをするミナトは苦笑しながら言っていた。そして、「習得したばかりだからあまり効果は出せない」とも。

 初めて顔を合わせた選抜試験の日、彼女は火しか使えず、満足なコントロールもできていなかった。

 この新人がムラクモに入隊してから、ウォークライを討伐し、今日に至るまでそれほど経っていない。なのに、いつの間にか火に代わる新しい属性を武器として扱い、先日は治癒も自力で行うときた。

 

 その治癒に加え、シキ持ち前の身体の自己再生で、大分具合がよくなった左腕を籠手の上から押さえる。

 

 

(まあ、新人がいきなり過酷な状況に放り込まれればこの成長も当然か)

 

 

 経験は濃くともその総量はまだ浅い。選抜試験の日、シキがミナトに命を助けられたのは事実だが、またミナトもシキがついていなければやっていけないのは確かなのだ。

 

 チームメイトについての思考に浸かろうとしていた意識を、野太い咆哮が引き戻す。

 

 

「この声」

「ひ……っ、リ、リトルドラグじゃない、よね」

 

 

 ミナトが肩を竦ませる。

 一度静かになった空間で耳を済ませると、数秒の間を置いて、再び恐怖を増長させる咆哮と、それに重なるように銃声、野太い叫び声が響いてきた。

 

 

「誰か戦ってる!?」

「自衛隊の3人目かもね。行くわよ!」

 

 

 どこかから届く音とレーダーを頼りに走る。同じように音に反応しているのか、道中続々と飛び出してくるリトルドラグたちとの戦闘を繰り返し、Dzを回収しながらシキとミナトは休むことなく走り続けた。

 



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  自衛隊②

みんな大好き(?)流石なサスガさん登場! ドラマCDでは声のイメージぴったりで驚きました。ナナゾゾとナナゾジは本当にNPCが魅力的ですよねぇ……。

1.5章はここまで。次からみんなのトラウマその1が始まる。



 

 

 

 息を切らして数分、間に合えと念じながらかなり奥深くまで到達した13班が見たのは、リトルドラグとは比にならない、頭から尾まで10メートル以上はある大型の首長竜だった。

 その巨体の向こう側で、1人の自衛隊員が突撃銃を腰だめに構えて連射している。

 発砲された銃弾はことごとく硬い表皮に弾かれ、ついにはカチンッ、と小気味いい音が鳴った。

 

 

「くそっ! もう弾ギレだっつーの……! こっち来んなってんだよ……!」

 

 

 執行猶予を与えてやったというように、ゆっくりとドラゴンが動き出す。

 自衛隊員は泣き笑いを顔に浮かべ、自棄になったように銃を放り出しその場にへたり込んでしまった。

 

 

「あーーッ!? 穴ぐらン中で、誰にも知られず殉職かぁッ!? もっとかっこよく死にたかったぜ!」

 

「うるさい」

「だ、大丈夫です、ちゃんと見てましたよ!」

 

「えっ、誰!?」

 

 

 洞窟に反響する声に顔をしかめ、シキが呟く。

 言葉と同時に飛び上がった少女は、自衛隊員に迫るドラゴンの太くて短い足を蹴りつける。ミナトはフォローの言葉を口にしながら、自衛隊員から気を逸らせようと氷塊をドラゴンにぶつけた。

 傾いだ巨体をなんとか持ち直し、狩りの邪魔をされたドラゴン、グラナロドンが唸ってこちらを振り向く。次いで全身を震わせ、大きな頭と先がハンマーのようになっている尾をあちこちに衝突させた。

 

 

「おまえたちは……!?」

「人のことより自分のこと気にしなさいよ! 助けにきてやったんだから、最低限自分の身は自分で守って!」

「わっ、わ! あちこち崩れてくる! 地震の原因ってこのドラゴンだったの!?」

 

 

 激しく揺れる地面に膝を着き、崩落してくる岩石から逃げ惑う。

 この場で随一の身体能力を持つシキが、グラナロドンの独壇場にさせまいと地面を蹴った。大小様々なつぶての雨をかいくぐり、腕を引き絞って拳打を見舞う。

 激しい衝突音と硬い手応え。しかしグラナロドンは少し揺らいだだけで大きなダメージを食らった様子はない。逆に、ナックルを持つこちらの腕が反動に痺れた。

 

 

「硬……っ!」

 

 

 デストロイヤーの拳でさえも防ぐ甲殻。腕全体に広がる鈍い痛み。

 顔を歪めたシキの視界に、空を切る音と共にグラナロドンの尾が入り込んだ。

 

 

「っ!!」

 

 

 間一髪身を引いた場所に、都庁で戦ったドラゴハンマードよりも凶暴な鉄槌が叩きつけられる。

 一際大きな破砕音を轟かせて地面が砕ける。その欠片が体を打ち、渋谷でもらったダイゴとネコの一撃を思い出しながらシキは吹き飛んだ。

「シキちゃん!」とミナトが名前を叫ぶ。彼女は自衛隊員を守っていたようだ。瓦礫の中でも大きな物を複数氷で覆い繋げて屋根を作り、その下に2人で避難している。

 しかし、その上にグラナロドンが足を移動させた。

 

 

「そこから出て! 逃げろ早く!!」

 

 

 シキの叫びに従って、ミナトと自衛隊員が飛び出した直後、軽くトンはいくであろう体重をかけた踏み付けがその場を粉砕する。

 2人は無事だが、自衛隊員のほうは精神的についていけないのか、白目を剥いて泡を吹いていた。

 

 

「む、無理! 物理も属性も通じないって、どうすれば……!」

「外側が硬すぎ。ていうか、あいつがこのまま暴れ続けたら、ここ崩れるわよ」

 

 

 未だ痺れが残る腕をさする。何としてでも生き埋めは避けたい。

 どうしたものかと考えていると、意見があるというようにミナトが挙手をした。

 

 

「ひっくり、返せないかな? ほら、あのドラゴン自身もよくぐらついてるし、また大きな揺れを起こしたときに、片側に傾けられれば……」

 

 

 そういえば、攻撃したとき、揺れを起こしたとき、グラナロドンはぐらりぐらりと揺れていた。

 タイミングを見計らって仕掛ければ、やれるかもしれない。

 

 

「……じゃあ、合図したらいくわよ」

「うん!」

 

 

 自衛隊員はミナトに任せ、シキはグラナロドンに肉薄し、一撃離脱を始めていく。

 視界を左右に飛び回る存在。人間の視点で見れば虫が耳障りな音を立てて飛んでいるようなものだろう。それまで緩慢な動きで迎え撃っていたグラナロドンは、荒々しく威嚇し、シキを潰そうと体の片側を上げた。

 

 

「今!」

 

 

 シキが声を張り、地面から離れた足に突進する。ミナトも両手のクロウから地面伝いに氷を流した。

 

 

「っ……でぇっ!!!」

 

 

 気合の一声が横洞内で重なり合う音すべてを打ち消し、渾身のストレートがドラゴンの巨躯を突き飛ばす。

 続いてそこに殺到する氷が傾斜を作り、押し上げるようにして足をすくう。

 さらに踏みとどまらせないようシキが追撃を仕掛ければ、ほぼ地面と水平に傾いたグラナロドンは長い尾と首を振り乱して転倒した。

 

 

「やったぁ!」

「あとは……起き上がらないように殴り続けるだけね。腹は背中より硬くなさそうだし」

 

 

 シキが拳と手のひらを打ち合わせる。

 

 その後は立ち上がらないようにミナトが氷で動きを抑え、仰向けになったグラナロドンの腹に上ったシキが、吹き飛ばしたお返しといわんばかりにパンチとキックを繰り出し続けるだけだった。

 驚異的な硬さを持つグラナロドンだが、執念深い打撃を食らい続けて数分後、その体を包む甲殻は周囲の岩石同様砕け散り、内臓を突かれて断末魔を上げた。

 

 

「はいはいはーい! アオイ救急便参上ですっ! お怪我はありませんか?」

 

 

 通信を飛ばせば「いやあ、すごい揺れでしたね!」とアオイがすっ飛んでくる。

 彼女が倒れている自衛隊員に応急処置を施し始めると、彼は目を白黒させ、気の抜けたような薄ら笑いを浮かべた。

 

 

「あ、あれ……? 助かったと思ったけど、やっぱりオレ、死んじゃってるの……? ドラゴンに食われると思ったらこんな可愛い子に介抱されてるとか、なにこの天国……でへへへへ……」

「うわー、かなり混乱してますね! センパイ、ここは私に任せて先に進んでくださいっ!」

「そうね、まだ何匹かドラゴン反応があるし……私たちはもう少しここを回ってみる」

 

 

 サスガと名乗った自衛隊員が鼻の下を伸ばしながらアオイに引きずられていくのを見送り、シキとミナトは今までの道のりを振り返りながら探索を始める。

 

 横洞を残りのドラゴンを狩って回る。自衛隊以外にも生存者がいたようで、何度も訪れる揺れに涙を流していた一般人を保護、誘導した。

 

 

『……よし、これで全員だ。駅に戻って、2人に報告しよう』

 

 

 ミロクがレーダーから生体反応がなくなったと告げる。

 現時点で可能な人命救助とドラゴン退治、Dzの回収を終えた13班は横洞の外に出た。同時に、自衛隊員と一般人を連れて入り口に戻ったアオイから通信が入る。

 

 

『センパイ、すべての隊員さんのレスキューを終えました! 私たちは先に戻ってナツメさんに報告をしておきますね。後はよろしくお願いします!』

『……ってことらしいぞ。駅の場所は覚えてるよな? このトンネルを、奥へ進んだところだ』

「了解です。……はぁ~、みんな救助できてよかったね」

「油断しないでよ、無事に帰るまでが任務だから」

 

 

 入り口とは反対方向へ地下道を進む。北戸線中野駅まで戻ると、カマチ隊員を除いて、救助した自衛隊員2名、堂島、イコマ隊員が集まっていた。自分たちの足音を聞いて、全員が同時に顔を上げる。

 

 

「……これで全員か。カマチは?」

「命に別状はないが、錯乱状態だったので先に都庁に搬送してもらった」

「そうか……みんな無事か……良かった……」

 

 

 マキタの返事に堂島の肩から力が抜ける。しかしマキタは眉間にしわを刻んだまま、怪我を負っている自分の足をさすって言葉を続けた。

 

 

「こういうことは言いたくないが……今回の件、隊長の判断ミスだ。出世を気にするのもいいが……部下の命を預かっているという自覚をもう少し持ってくれ」

「……!」

 

 

 物申すマキタに堂島の顔が強張る。

 全員が無事だったというのに、救助する前よりも剣呑になった空気に気まずさを感じていると、イコマが優しく、努めて穏やかな声を出した。

 

 

「……マキタ。こいつはずっとおまえらのこと心配してた……ムラクモに助けを求めたのも、リンの判断だ」

「イコマ……?」

 

 

 戸惑う視線を送る堂島に、しかしイコマは応えない。

 アオイに介抱されて正気に戻ったサスガが信じられないというように頭を左右に振った。

 

 

「おいおい、本当かよ。このムラクモ嫌いの隊長が……?」

「こいつなりに、いろいろ考えて動いてんだ……足りないところがあるのは、本人も自覚してる。もう少し長い目で見てやってくんねーか?」

「……わかった。おまえに免じて、そういうことにしておこう。……さっきの言葉は撤回する。俺も言い過ぎた」

「…………」

 

 

 マキタが謝罪し、暗闇に走っていた緊張感が幾分和らぐ。

 気付かれないようにミナトがゆっくり息を吐くと、場の空気を入れ替えるように、イコマが声のトーンを高くした。

 

 

「よし、それじゃ帰るか。ここに長居するのは危険だからな……」

 

 

 一時はどうなることかと思ったが、犠牲者を出さずに救助を終えられた。

 ドラゴンの討伐に、自衛隊員と一般人の生存者の救出。SKYのことを差し引いてもまずまずの成果と言えるはず。

 こちらが回収したDzや道具を確認している間に、自衛隊は一足先に地上に向かっていった。

 

 

『任務完了だな。おまえたちも、都庁に戻って──……ん?』

 

 

 通信で帰還を指示するミロクの声が、途中で止まる。

 

 

「うん? ミロク、どうしたの?」

『何か妙な反応が……ま、いっか。そろそろご飯の時間だし、早くしてくれよ』

「ま、いっか……って……」

「ちょっと、渋谷でもこんなことあったでしょ」

 

 

 大雑把に話を流すミロクに苦笑が漏れる。眉を寄せるシキも食欲には逆らえないようだ。ご飯という言葉を聞いて腹を押さえ、静かになった地下道を2人だけで歩く。

 

 

「そういえば、渋谷ではぐれたときさ、シキちゃんだけでドラゴン退治して回ってたの?」

「ああ、大変だったわね。あんたは何してたの? ずっと迷ってただけ?」

「それがね、途中で──」

 

 

 ミナトが渋谷で迷子になっていたときにタケハヤに助けられたことを伝えようとしたとき、不意にシキの足が止まった。

 

 

「? どうしたの?」

「……」

 

 

 シキは答えずに、険しい表情で背後を振り返った。

 沈黙したまま数秒目を閉じ、そっと開ける。

 

 

「──何か来る」

 

 

 そう呟いたのと、地下道に異常な揺れが訪れたのはほぼ同時だった。

 

 カタッ、と看板が揺れ、

 ゴンッ、とコーンが転がり、

 ガリガリガリと線路がたわみ、軋んでいく。

 はっとミロクが息を呑む音が聞こえた。

 

 

『地震……? それにこの反応、まさか……!』

 

 

 空気が破裂する。

 

 

「うあっ!?」

「ちょっと……!」

 

 

 轟音が衝撃となって押し寄せる。

 壁、床、天井を抉り、地下道の奥から巨大な影が現れた。

 

 

「あ……っ、あ、あれって!?」

「こんなときに!」

 

『帝竜だ!! すぐに地上に脱出してくれ!!』

 

 

 言われなくても駆け出していた。

 

 視界がぶれて定まらなくなるほどの全力。速く、もっと速くと念じるあまり、意識が体を抜け出して疾走しているような気さえした。

 なのに引き離せない。むしろ距離が縮まっている。巨大な帝竜は地下道を隙間なく埋め、蛇のようにのたくり、あらゆるものを巻き込み潰して自分たちを飲み込もうと迫ってきていた。

 

 

『追いつかれる……このままじゃ、マズい……!』

「見えた! 出口!」

 

 

 地上に続く縦穴と、その壁にかかる梯子を見つけてシキが叫ぶ。

 あともう少しだと前方の希望に踏み出したところで、

 

 

「っ」

 

 

 まるで見えない何かが虎視眈々と狙っていたかのように、地震で崩れた足場に躓く。

 ミナトは線路の上に粉塵を散らして転がった。

 

 

「なっ──」

 

 

 シキが絶句して足を地面に着ける。

 

 

「止まっちゃだめ! 行って!!」

 

 

 振り返ろうとした背中に、喉を震わせて叫ぶ。

 そしてああ、と自身の足を呪った。

 

 

(ごめん、お母さん……!)

 

 

 未だ連絡が取れない肉親を思う。

 健康に歳をとって老衰で死にたかった、と涙を滲ませて両手を組み──、

 

「諦めるな!!」

 

「へぶっ!?」

 

 

 ──思い切り頬を引っ叩かれた。

 

 間髪入れずに腕を引かれ、無理やり立たされる。

 自分を助け起こした力強い手に、なんでと言うよりも早く、シキはミナトの手を引いて走り出す。

 帝竜との距離は10メートルもない。

 それでもシキは諦めない。

 

 

「言ったでしょ! あんたが死なないように最低限のサポートはするって!」

 

 

 自分よりも幼く小柄なセーラー服の背中を呆然と見つめる。

 

 

「嫌いなのよ! 犯罪者でもないのに理不尽なことで殺されるとか!」

 

 

 周囲を覆う暗闇。地下の閉塞的な空気。すぐ背後に迫る帝竜。

 すべての絶望を少女の声が吹き飛ばす。

 

 

「ドラゴンは狩る! むかつく奴は殴る! で、私がむかつくのは……」

 

 

 一瞬だけ振り返った瞳が、暗闇の中で強い光を宿した。

 

 

「口先だけで行動しない雑魚と……あんたみたいに、命がかかってるっていうのにもうダメだってあっさり諦める、意志の弱い奴よ!!」

 

 

 ぐん、とシキのスピードが上がる。

 繋がる手と手の熱さに視界が滲み、目尻から涙がもがれて宙に散った。

 

 そうだ、シェルターでも、ウォークライの時も、彼女がその手で真っ暗な世界をこじ開けてくれた。どんな時も道はあると教えてくれたのだ。

 今諦めたら、意志薄弱だけじゃない。ここまで導いてくれたシキを裏切ることにもなってしまう。そんな最低最悪な死に方は嫌だ。

 

 

(あと少し、あと少し、あと少し!!)

 

「っ……し、死にたくないーっ!!」

「なら走れぇっ!!」

 

 

 揃って雄叫びを上げて突っ走る。

 縦穴の真下、地上から地下に差し込む光のもとに躍り出たそのとき、

 

 ガガガガガガッ!!! と轟音を立て、帝竜が急停止した。

 

 

「は、げほっげほ! ぅ……え?」

「動、かない?」

『止まった……? ひょっとして、光を嫌って──』

 

 

 固唾を呑んで帝竜からの逃走を見守っていたミロクが、喉に詰めていた酸素を吐き出す。

 一筋の光で明るくなった視界に、闇に紛れていた帝竜の姿が浮かび上がる。頭から盛り上がるコブ。そこから生える2本の触覚。紫色の線が走る顎。

 ムカデを思わせる帝竜は、光を浴びるシキとミナトに近寄ろうとしない。低く唸りながら、じりじりと後退する。

 

 

『まあいい、今のうちだ! 地下道の外へ!』

 

 

 ミロクの声で我に返り、2人は大急ぎで梯子を上った。

 

 

『外だー!!』

 

 

 意図せず声を揃えて転がり出る。

 地面の下に潜っていたのはわずか数時間なのに、雲が浮かぶ天を見るのは何年ぶりかのような感動が胸の底から湧き上がった。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 口を半開きにして、ほぼ放心状態で都庁に戻ってきた。

 

 

「あ、自衛隊」

 

 

 都庁入り口前の広場に集まる数人を見てシキが呟く。彼らから少し離れた場所には、ガトウとアオイの機動10班が立っていた。

 広場を進み、都庁入り口まで歩いてきた13班を迎えた自衛隊員たちは、さっきまで地下にいた面々だった。

 中にはかわいそうなぐらい錯乱していたカマチもいて、すっかり落ち着いた様子の彼は恥ずかしそうに口を開く。

 

 

「……おかえり、13班。無事に脱出できたみたいで、よかった。あの後『アイツ』が出たって聞いて……心配してたんだ」

 

「……『アイツ』って、グラナロドンじゃなかったんだね」

「よくよく考えりゃ、早とちりだったわね。地震の正体もあの帝竜か」

 

 

 大丈夫だったかと尋ねられ、とりあえず帝竜の存在を報告する。

 横洞に逃げ込んだときのことを思い出したのか、自衛隊員らは恐怖を堪えるように唇を噛み締めた。

 

 

「君……シバさんといったか。顔は大丈夫なのか? なんだかひどい腫れが……」

「え? あー、これは色々ありまして、問題ないのでお気遣いなく……」

「帝竜から逃げるときにすっ転んで泣き出すもんだから、諦めるなって1発はたいた」

「うわあ言わないで! あと泣いてないよ、目にゴミが入っただけだもん!」

「どっちにしろ泣いてたのには変わりないし」

「泣いてないってば!」

 

 

 ミナトが口を押さえようと手を伸ばす。それをシキはひょいっと避ける。

 

 

「泣いた」

「泣いてない!」

「泣いた。見た」

「泣いてない! 見られても……あれ、見られてた?」

「ばっちりね」

「いやいやいや泣いてないって! シキちゃんちょっとおもしろがってるでしょ!?」

 

『……』

 

 

 その場で鬼ごっこを始める女性と少女に自衛隊は目を瞬かせ、一気に吹き出した。

 

 

「はははっ、帝竜ウォークライを倒したムラクモ13班っていっても……普通の女の子だな」

「いやいや、でもこの2人すごかったっすよ! オレ、でっけードラゴンにやられそうになったんですけど、間一髪助けられて……少年マンガみたいでした!」

「ホント、危ないところだったよ。……みんなを助けてくれて、ありがとな。13班がいなきゃ、俺たちは全滅してたかもしれない」

 

 

 カマチ、サスガ、イコマの温かい言葉に動きを止め、ミナトはいやいやと頬をかく。

 暗くて息苦しく湿っていた地下の空気から解放され、誰もが明るい気分になっていた。

 

 一同から離れて立っている、堂島以外は。

 

 イコマが困ったように眉を下げて堂島を呼ぶ。

 

 

「リン、おまえも礼を──」

 

「……手柄を譲ってやった、だけだ」

 

「おい! なんだよ、その言い方!」

「……やめろ」

 

「…………」

 

 

 低い女性の声にマキタが眦を吊り上げる。イコマが静かにそれを制した隙に、堂島は無言で都庁入り口の前に立った。

 

 

「おい、リン!」

 

「アタシは……! アタシは、ただ──」

 

 

 イコマの呼びかけに頭を振り、堂島は声を絞り出して駆けていく。

 エントランスの中に消える背中を見つめたあと、イコマはこちらに向き直った。

 

 

「あいつ……本当はみんなに、認められたいだけなんだよ。前任の隊長が戦死して、急に抜擢されたもんだからさ……自信がなくて空回り、しちまってんだ」

「戦死? ……それって、1ヶ月前の……」

「ああ、ドラゴンが東京に来た日だ」

 

 

 成す術なく人類が億単位で蹂躙されたあの日。犠牲者には立場も歳も関係なかった。前線に出動したであろう自衛隊に死者が出ていないはずがない。

 人間同士の争いではない。現代の技術がまったく通用しない恐怖の生物、ドラゴンとの戦い。その前線に立つことになった堂島の肩には、どれだけの重圧がかかっているのだろう。

 

 返す言葉が見つからずに口をつぐむと、「君たちが責任を感じる必要はないさ」とイコマは優しく笑った。

 

 

「……今回は、本当に迷惑かけちまったな。すまなかった、ありがとう」

 

 

 自衛隊員たちは背筋を伸ばして敬礼する。

 彼らが都庁に入っていった後、傍らで様子を伺っていたアオイとガトウが歩み寄ってきた。

 

 

「センパイ! 帝竜っていうボスみたいなドラゴンに襲われたんですよね? 大丈夫でしたか?」

「あ、アオイちゃん。大きな怪我はしてないよ。大丈夫」

「そうですか、よかったぁ。……でも、自衛隊の人も、いろいろ大変みたいですね。みんなで仲良くできたらいいのに……」

「そこが人間の難しいところ、だが……まあ焦ることはねェさ。そのうち分かり合える日ってのは来る」

 

 

 しみじみとガトウが頷く。歳を重ねた人間特有の雰囲気をかもし出す彼を見て、アオイが表情を緩めた。

 

 

「んふふ……」

「……何だ」

「いやあ、見かけによらず……優しいこと言うんだなあ、と思って」

「……褒めてるか、それ?」

 

『おい、みんな。ナツメ総長から通信だ。切り替えるぞ』

 

『……任務、ご苦労様。渋谷の件についても報告は受けているわ』

「ナツメさん、お疲れ様です」

 

 

 ナツメと挨拶を交わすミナトの横で、シキがむすっと顔をしかめる。おそらく渋谷の一件を思い出しているのだろう。

 ミナトも任務失敗という結果に対する上司の反応に怯えていたが、意外なことにナツメから咎めの言葉はなかった。

 

 

『SKYはひとまず放置するしかなさそうね。やはり、一筋縄ではいかないようだし……それから自衛隊救出の件……あの程度の任務で、あなたたちを駆り出して申し訳なかったわ』

「え? いえ、そんな」

『あなたたちの活躍には本当に助けられてる。しばらく任務はないと思うから、部屋でゆっくり休んでちょうだい……以上よ』

 

 

 静かに通信が切れる。

 なんだろう、なんだか、……ずいぶん、淡々としている。冷たいとも思えるほどに。

 

 

「……あの程度の任務、ねぇ」

 

 

 ガトウがぽつりと呟き、頭をかいてあくびをした。

 

 

「俺は部屋に戻る。おまえらも適当なところで休めよ。……それからミロク!」

 

 

 不意に名前を呼ばれ、「な、何だよ」と通信機の向こうでミロクの声が強張る。

 動揺する少年ナビゲーターに対し、ガトウは13班が危うく帝竜の餌食になりかけたことを話題に上げた。

 

 

「おまえがしっかりしねェと、俺たちは、簡単に死ンじまうんだ。もう、出会った頃のガキじゃねェんだろ? ちったぁ、成長したところ見せやがれ」

『……わ、わかってるよ!』

 

 

 それだけ言って、自分たちにひらりと手を振りガトウは歩き出す。アオイがこっちを振り返って頭を下げた。

 

 

「ということで、不肖ながらムラクモ10班に配属となりました! お近付きの印に……これからよろしくお願いします!」

 

 

 グローブをはめた手から茶色のビニールに包まれた棒を渡される。

 チョコバーという表記を見た瞬間、ミナトの口の中で一気に唾液があふれた。

 

 

「チョコバー! うわあ、お菓子なんてすごい久しぶり……ありがとう!」

「えへへ、喜んでもらえてよかったです! それじゃあお疲れ様でした、センパイ! 私、これからガトウさんと報告書を書かなきゃいけないんで……! ガトウさーん! ちょっと待ってくださいよ~!」

 

 

 ガトウの背中を追い、アオイも都庁の中に戻っていく。

 2人の背中を見送りながら大切にチョコバーを抱えるミナトをシキが小突いた。

 

 

「さっさと戻って休むわよ。次の日に疲れなんか残さないようにストレッチしておかなきゃ」

「うん、そうだね。チョコバーはそのあと食べようか」

 

 

 見張りに立つ自衛隊員たちに頭を下げ、ミナトとシキは疲労で凝り固まった体をほぐしながら都庁に入った。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 頭が痛い。

 変な景色が見える。

 あいつが憎い。

 

 

「……」

 

 

 寝苦しさに追い出されるように意識が浮上し、シキは目を開けた。

 

 眠いのに寝ることができない。時間の無駄だ。

 ちっ、と舌打ちして、隣のベッドでミナトが寝ていることを思い出し、口を閉ざした。

 

 時刻は24時を回ったところだ。日々ドラゴン対策に奔走している都庁の人々は、22時を過ぎた頃には大体疲れて寝静まっている。起きているのは事務作業に追われる役職の者か、

 

 

『起きてるかい?』

 

 

 今ドアをノックした、キリノを含めるムラクモの研究員だろう。

 

 

「……」

 

 

 黙ったままドアを開ける。

 キリノは自身も目もとにくまを作って「夜遅く、邪魔して悪い」と謝罪した。

 

 

「大変な任務が続いているようだけど……体は大丈夫かい? ナツメさんも心配してる。『せめて体調だけでも気をつけてあげて』……ってね」

「それで健診しに来たの? あいつは起こす?」

「いや、簡単なチェックをするだけだから大丈夫。シバくんは寝かせておいてあげよう」

 

 

 眠気を伴いながらも、キリノの顔が真剣なものに変わった。

 こちらに近寄り、彼は控えめな声をさらに小さくする。

 

 

「……渋谷で、タケハヤに会ったと聞いた」

「それが?」

「おそらく彼は……ムラクモ機関について、何か言っていたんじゃないか?」

 

 

 タケハヤ。あの澄ました顔をした、いけ好かないSKYの筆頭。

 昼間聞いた彼の言葉を思い出そうとするシキに、キリノは手を振る。

 

 

「……いや、答える必要はないよ。彼とは昔、会ったことがあるんでね……ちょっと気になったんだ」

「昔……?」

 

 

 その口ぶりからして、ムラクモ機関とタケハヤは浅からぬ因縁があるらしい。

 普段ならそれを追及しようとしたかもしれないが、今頭の中を占めているのは睡眠欲だ。話を長引かそうとは思わない。

 

 お互い少しでも睡眠時間を確保したい者同士、シキとキリノは協力して速やかに健診を済ませる。熟睡して深い寝息を立てるミナトの体調もチェックし、問題がないことを確認してキリノは持参していたバインダーにペンを走らせた。

 

 

「ふむ……問題なし。でも、ゆっくり体を休めたほうがいいね。起こして悪かった。……それじゃ、おやすみ」

 

 

 ぱたん、とドアが閉まる。

 シキは大きく体を伸ばして筋肉をほぐし、自分のベッドに潜った。

 

 帝竜にSKY、そして自衛隊。

 課題も壁も山積みだ。めんどくさいことこの上ない。

 唯一確定しているのは、明日からも戦いと苦労の日々ということだけ。

 

 

「むぅ……こっち、来ない、でぇー……」

 

 

 そして、間抜けな寝言を口走る女性が、自分の隣に立つことだけ。

 

 

「はあ……」

 

 

 大きく息を吐き出し、目を閉じる。

 今度は寝苦しくもなく、嫌な夢を見ることもなく、眠りの中に落ちていった。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

『……帝竜「W」認識。アトランティスDCデータ、70%解除。「W」登録……DC解析率、80%』

 

 

「あと2つ……サンプルが必要……」

 

 

 CHAPTER1.5 END

 



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CHAPTER1.5 あらすじ

 各チャプターごとにあらすじとその時点で載せられる主人公2人の情報を設置しました。話の内容をざっくり把握したいときにどうぞ~。



 

 

 

     CHAPTER 1.5

 SKY and The Others 生存者

 

 

 ~あらすじ~

 

 

 帝竜ウォークライの討伐に成功し、人々は東京都庁に拠点を移した。

 先輩である機動10班ガトウ隊は先の戦いでナガレを亡くし、ガトウも傷が癒えず、少しの間最前線から離脱する。その間はシキとミナトの新人13班が主戦力として活動することに。

 

 本格的なドラゴン戦に備え、施設拡充の資材を集めるために13班は渋谷へ。ムラクモ候補の雨瀬(ウノセ)アオイをはじめ、生存者を救助しつつドラゴン退治に励むも、渋谷を根城にする不良グループ『SKY(スカイ)』と遭遇。ムラクモを嫌い、生存者から金品を巻き上げる彼らを敵とみなし、ナツメはSKY討伐の命を下した。

 しかしSKY幹部のネコ、ダイゴとの実力差、人と戦うことへの迷いから13班は目的を達成できず。思わせぶりに振る舞うタケハヤの態度に悶々としつつ渋谷を出る。同時刻に移動経路の確保にあたっていた自衛隊から救援要請を受けて地下道に向かい、アオイが加わった10班と連携して救助活動に当たった。

 

 専属ナビとなったNAV3.6 ――ミロクとの連携不足に、帝竜との思わぬ遭遇。堂島 凛(ドウジマ リン)三佐をはじめとする自衛隊との衝突。そしてSKYの存在。ドラゴンに限らず、13班の前には障害が山積みだった。

 

 * * *

 

13班メンバー

 

【飛鳥馬 式 / アスマ シキ】

 スチューデント♀ / デストロイヤー / ボイスタイプG(S.R様)

 主人公その1。ムラクモ出身のチート気味女子。性格キツめ。

 今までの障害は殴れば大体どうにかなっていたが、今回ばかりは周囲との協力が不可欠。協調性Cランクの本人は現時点でいろいろフラストレーションが溜まっている。自分なりにミナトを気遣っているつもりではあるが、別の人間だったらきっと班が崩壊している。

 相手が大人の男でも遠慮しない恐れ知らず。

 

【志波 湊 / シバ ミナト】

 サイキック / ボイスタイプC(H.Y様)

 主人公その2。一般家庭出身。ヘタレ。後々成長するんで……。ビジュアル未定/なしの方です。

 ウォークライに殺されかけたことがきっかけで火属性が怖くて扱えない。イメージのしやすさもあって氷属性がメインに。貴重な回復系スキルも習得し、少しずつサイキックとして伸びてきている。

 13班が空中分解しないのはミナトがビビりすぎてシキについていくことしか考えられない、というのが大きい。

 

 

 主人公については物語が進む中で情報を追加・編集していきます。

 



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CHAPTER 2 天の超電磁砲 The Jigowatt
11.雷電轟く


CHAPTER2掲載開始。
ここでの言動を想像して、自分の13班メンバーてこんなスタンスだなーと人物像を固めていった方もいるのでは。

SKYとの遭遇からしばらく(1、2週間?)経っている認識。
時期としては5月終わり〜6月くらいでしょうか。
マサキさんとナガレ夫人が登場。2人とも作中での憩いのような存在。



 

 

─────────────

CHAPTER 2 天の超電磁砲

   The Jigowatt

─────────────

 

 

 

 

 

「揺れ」という現象は日本では日常茶飯事だ。常に地震や火山の噴火などの災害が起きるこの国で生まれ育てば、危機感ではなく「またか」と思うだけの者も多くなる。

 だが、ドラゴンが来襲してからは、そんな当たり前も恐怖に塗り替えられた。

 

 

「っだ!?」

「ぅあっ」

 

 

 早朝、目覚ましでもなくナビの声でもなく、都庁を襲うすさまじい揺れでミナトとシキは目を覚ました。背中を突き上げられて数十センチ浮き上がり、ベッドに落下する。

 朝一番にムラクモ本部及びミロクと連絡を取ることを習慣にしている2人はベッドから抜け出す。部屋に設置されているターミナルの端末を起動すると、寝癖をつけたミロクの顔が映った。

 

 

『おい、13班! 今の衝撃……気付いたか!?』

「き、気付いた……おはようミロク」

「この揺れで起きない奴なんていないでしょ。何があったの?」

『緊急アラートだ。13班にも召集命令がかかってる。すぐに会議室に向かってくれ』

 

 

 嫌な予感しかしない。

 顔を見合わせる。考えなくてもほぼ確定だ。本能が告げている。

 

 

「ドラゴン」

「かもね」

 

 

 テーブルの上に置いてある差し入れを口に放り込み、最低限の身支度を整えて部屋を飛び出す。

 会議室には既に政治家、自衛隊、ムラクモの面々が集合していた。モニター前にはキリノが登壇していて、目配せだけで挨拶をしてくる。

 

 

「……全員揃ったわね。それでは、緊急会議を始めます。キリノ、状況の説明を」

「はい」

 

 

 13班の着席を確認し、ナツメが早口でキリノを促した。

 

 

「まず、先ほどの大きな揺れですが……かなり、危険なものです」

 

 

 まだ完全に覚醒していない頭が危険という単語に反応する。キリノのいつにない緊張した声音もあり、会議室の空気は既に下降気味だった。

 

 

「分析では、あの揺れは強力なレーザーによる爆発である、と判明しました。威力は、TNT換算で80メガトン」

 

(ティーエヌ……メガトン?)

 

 

 難しいカタカナ単語が並ぶ。とりあえずレーザーの攻撃ということはわかるのだが、頭に浮かぶレーザーは糸のように細い光の線というイメージだ。

 が、キリノの次の言葉で一気に目が冴えてしまう。

 

 

「あの爆発で、高田馬場付近は消滅──巨大なクレーターと化しました」

「しょうめ……!!?」

「レーザーの発射元は、豊島区──池袋上空500m」

「ごっ」

 

 

 開いた口が塞がらない。

 

 

「街1つ消滅……? そんな、馬鹿な……」

 

 

 堂島の呟きは会議室にいる人間全員の思いを代弁していた。街1つ。ドラゴンが人を襲うどころのスケールではない。

 渋谷のときとも違う、地下鉄道のときよりも巨大な恐怖の対象が、東京の空に。

 

 

「まだ、正確なところはわかりませんが……おそらく、電磁力を用いた帝竜の攻撃。攻撃目標はあいまいで……至近の都市部を、ランダムに攻撃するものである。というのが、我々の推測です。近くにある街を、適当に焼き払っていく……というのが、正しい言い方かもしれません」

「……笑えない適当さだわ。この都庁が標的になるのは、明日かもしれない、来年かもしれない……というわけね」

 

 

 防ぐ術などないだろう。都庁の屋上に君臨していたウォークライや、地下で自分たちを飲み込もうとした帝竜が良心的とさえ思えてしまう。

 

 ナツメが額に手を当て息を吐いた。閉じられていた目は確かな意思を宿して開かれる。

 

 

「いずれにせよ帝竜である以上、これを放置しておくわけにはいかないわ。……キリノ、一刻も早く討伐作戦を」

 

 

 さすがというべきか、年も場数も段違いのムラクモ総長は冷静に素早く対処に動き始めていた。キリノも努めて平静に振る舞い、研究者を代表して現在明らかになっていることを説明していく。

 

 

「望遠カメラの映像によると、帝竜は、都市部の線路をカゴ状に絡ませた巨大ダンジョン──そのダンジョンの中心に、いるようです。また、そのダンジョンのあちこちに、対侵入者用と思しき『電磁砲』が多数設置されているのを確認しました。これは、巨大なダンジョンに対しての……極めて多面的かつ、大規模な作戦が必要です。ムラクモ戦闘班、および自衛隊の連携による攻略作戦を提言します」

「──承認します。各部隊、必要な準備を整え、ただちに作戦を開始するように」

 

 

 考える間もなく話が進んでいく。

 周囲と同様、落ち着いた様子のシキと違って、ついていけずにぱくぱくと口を開閉させていると、キリノがこちらを向いた。

 

 

「この作戦においては、自衛隊の兵装を強化するための『自衛隊駐屯区』が必須だ。Dz資材が足りないようであれば、君たちも協力してあげてくれ。装備に不安があるのなら、『工業開発区』も改修しておくといい」

「工業開発区って、ワジたちがいるファクトリーのことでしょ? そっちは地下シェルターから都庁に移ったときに済ませた」

「さすが、行動が早い。それでは、各自作戦任務の準備を。──解散!」

 

 

 迅速に作戦会議が終了し、早々に人が去っていく。

 

 

「えーっと、私たちはDzを集めて、自衛隊の人たちに協力すればいいのかな」

「そうね。自衛隊だけじゃDzを集めるのは不可能だろうし」

「そ、そういうことは言っちゃいけな……ぶっ」

 

 

 不意に立ち止まったシキの後頭部に顔をぶつける。

 扉に手をかけたまま動かずにいる彼女の後ろから外を覗くと、会議室前の廊下にナツメと堂島がいた。立ち去ろうとする自衛隊隊長の背に、ナツメが声をかける。

 

 

「待って、堂島三佐」

「……なんだ? おまえはどうせ、アタシたちを信用してないんだろ?」

「そんなことはないわ。ただ、お互いに足りないところを補ったほうが、成果は出やすい。……わかるわよね?」

「フン……」

 

(何の話してるのかな)

(適材適所。分をわきまえろってことじゃないの)

(た、たぶん違うかと……)

 

「あとで正式に、自衛隊に作戦協力を依頼するわ。この戦い、あなたたちの力が必要なの」

「……わかった。アタシたちにできることなら、何でもするさ」

 

 

 おや、と瞬きをする。思いの外堂島が協力的な言動をしたことに対する驚きだ。

 堂島が去り、ナツメもどこかへ歩いていく。気配が消えたことを確認してから、ミナトとシキは会議室から出た。

 

 

「自衛隊駐屯区の改修には、7Dz必要だってキリノさん言ってたね。今手もとにあるのは……」

「2Dz。足りないわね。だから帝竜が出たのとは別の地下道に入って、雑魚ドラゴン探すわよ」

 

 

 会議室を出てエントランスに降りる。出口に向かって進んでいると、不意に1人の女性に呼び止められた。

 

 

「おはよう。少しいいかしら」

「お、おはようございます。何か……?」

 

 

 ムラクモでも自衛隊でもなく、一般人の女性だ。肩に不自然に力が入ってしまう。

 都庁で暮らす一般市民は、ほとんどが自分たちの力を見て驚いていた。

 社会人でもない子どもが未知の力を振るい、マモノやドラゴンを狩る。簡単には受け入れがたいのだろう。完全に拒絶されているわけではないが、警戒はされている。

 自覚もあるし覚悟もしていたけれど、「普通の人間」の彼らと「異能力者」である自分たちの交流は、円満とは言い難い。チェロンのクエストオフィスを通じて依頼をこなす以外に彼らから声をかけられることはほとんどなかった。

 

 しかし、目の前の女性は穏やかな笑みを浮かべ、自然な様子でこっちに寄ってくる。

 彼女は首を傾げる自分たちを眺め、左腕に巻かれている赤い腕章を確認して納得したように頷いた。

 

 

「居住区を改修してくれたっていう、ムラクモの……。たしか、シバさんと……アスマ シキさん、だったかしら」

 

 

 シキが目を丸くして瞬かせる。普段人に呼ばせている名前はともかく、姓のほうまで知られているとは思わなかったのだろう。

 女性は2人の足を止めたことを詫び、居住区Aの責任者だと自己紹介をした。

 

 居住区A。たしか、ミヤが「ナガレ」という女性が責任者だと言っていた。

 

 あっ、とするこちらを見て、女性は柔らかい笑みを作る。

 

 

「……そう。私はナガレ・ミキ。殉職したムラクモ、ナガレの妻よ」

「ナガレの……」

「アスマさん。あなたのことは夫とガトウさんからよく聞いていたわ。小さいけど、根性と体力は人一倍ある女の子だって」

「……どうも」

 

 

 ぽつりと言いながらシキが会釈する。

 数秒沈黙に包まれ、黙っていることに耐えきれなくなったミナトはナガレ夫人に向き合って頭を下げた。

 

 

「あ、あの……」

「なに?」

「あの……ナガレさん、を……助けられず、すみませんでした……。その、」

 

 

 あなたは、ムラクモを恨んでいますか。

 

 自ら相手の地雷を踏むような愚行だと思う。けれど尋ねずにはいられなかった。

 現場にいながらナガレを救助できなかった。彼を死なせてしまった。彼は、目の前の女性の唯一無二の伴侶だったのに。

 

 謝罪と、続いてこぼれた疑問に、ナガレ夫人は頭を横に振った。

 

 

「とんでもないわ。シェルターで、夫の任務を聞かされたときから、覚悟はしていたもの。もちろん、言いたいことはあるけれど……夫は、みんなのために最高にかっこいい仕事をしたと思う」

「……」

「……っと、いけない。今日は改修のお礼だったわよね」

 

 

 夫人が歩み寄ってくる。

 ポケットから折り畳まれた紙片を取り出し、彼女はそれを開きながら、メモされている事柄をわかりやすく説明してくれた。

 

 

「これね、夫から『いざってときはこう動け』って教わったものなの。いいかしら?」

「……これは、技、ですか……?」

「敵に見つかりにくくなるんですって。ちょっと臆病だった、あの人らしいでしょう?」

 

 

 優しい笑みに、一瞬悲しみの影が差す。

 何も言えずに見つめ返すシキとミナトに「そんな顔しないで」と夫人は微笑んだ。

 ああ、強い人だな。とミナトは思う。この人は、強くて優しい。

 ナガレの傍にいた人間から彼の思い出や面影を探しているのかもしれない。夫人はシキの頭を優しくなでている。シキは何も言わず、無表情で受け入れていた。

 

 

「……それじゃ、任務、頑張ってね。夫の分も応援しているわ」

 

 

 手を振るナガレ夫人の目は潤んでいた。その瞳に揺らぐ光が網膜に焼きつく。

 

 

(お母さん……)

 

 

 たおやかで強い彼女に母の影が重なる。

 それを振り切るようにミナトは強く瞬きをして、シキとともに都庁の外に飛び出した。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 豊島方面の地下道の環境は、先日探索した地下道と同じく異界化していた。自分たちに向かってくるドラゴンも先日と同じ種類。もしかしたら、東京の地下全体が1体の帝竜の縄張りになっているのかもしれない。

 異界化した際に電車に乗っていたのか、横洞には何人か生存者が隠れていた。

 

 

「大丈夫かな、またレーザー撃たれたりとかしないよね?」

「それを防ぐためにやるべきことをやってるんでしょ。口より手を動かして」

 

 

 いつ自分たちに帝竜のレーザーが向けられるかわからない恐怖と焦りが、皮肉にも作業をはかどらせる。救出した生存者と共に都庁に帰り、集めたDzをミヤに預けるまでそう時間はかからなかった。

 自衛隊駐屯区の整備が進められている間はどうしようか、腕を組みながらその場を去ろうとするミナトとシキを、「ちょっといいか」とミヤが呼び止める。

 

 

「時間があるなら、ムラクモ本部のほうに顔を出してやってくれ。マサキがおまえたちに会いたがっていたぞ」

「マサキが? ……ああ、そういやまだ行ってなかったっけ」

 

 

 シキが思い出したように頭を掻く。どんな人物か尋ねると、「説明しづらい。直接会えばわかる」と少女は歩き出した。

 

 

「あんた、火が使えなくて攻撃手段は氷だけなんだっけ?」

「う、恥ずかしながら」

「ならちょうどいいわ。時間があるうちに修行するわよ」

「修行?」

「マサキは異能力者に関わる研究をしてて──」

 

 

 ムラクモ本部のフロア、ミロクとミイナたちがいる部屋とは別のドアにシキが手を伸ばす。

 その指先が触れる直前にドアが動き、バンッと内側から開けられた。

 

 

「おお、13班! そろそろ来ると思っていたんダ」

「げ」

 

 

 突然目の前に現れた男性にシキが後退る。

 男性はシキに笑いかけた後、後ろにいるミナトに近付き、手を握って上下に振った。

 

 

「初めまして。君がシキと13班を結成した──」

「えっと、志波 湊です」

「そうそう、シバ ミナトくんだね? 私ばかりが一方的に知っていたからね。こうして話せて嬉しいヨ」

「は、はあ……あなたが、マサキさんですか?」

「そう。私はマサキ。ムラクモ機関で、能力の管理と開発を担当している者だヨ。地下シェルターでは何もできなかったが、帝竜ウォークライが討伐され、都庁を取り戻すとともに研究施設の確保ができた。君たちの努力の甲斐あって、こうしてまた、義務が果たせる。お礼代わりではないが、君たちが能力を引き出すための手伝いをさせてもらうヨ」

 

 

 ああ、それでシキは「修行」と言っていたのか。

 都庁攻略のときはナツメとキリノに攻撃手段についてレクチャーされたが、本来はマサキの仕事らしい。

 彼は一息に自己紹介を終えると、デスクに乗る資料の中から分厚い紙の束を2つ取り出し、赤いパイプファイルに挟んだものをシキに、青いパイプファイルに挟んだものをミナトにそれぞれ渡す。

 手だけでは支えきれないその重さに、ミナトは危うくファイルを落としそうになった。

 

 

「重っ……!? あの、これは」

「ムラクモ機関は1000年の歴史を持つ組織。その資料は、先人たちが培ってきた異能力者の研究結果が凝縮された結晶ダ。君はサイキックの、シキはデストロイヤーのものを渡したけど、その他の職業とか、他にも知りたいことがあれば遠慮なく聞いてほしい。もちろん、時間があれば訓練にも付き合うヨ」

「これを活用すれば、今よりはマシになるってこと?」

「うんうん、シキは既に経験を積んでいるし、習うより慣れろというタイプだろうけど、頭で理解してから体で覚えるという方法のほうが、能力の本質を理解しているからより扱いやすくなる。これで君たちのスキルの幅も広がるはずダ。いいかい?」

 

 

 デストロイヤーの腕で難なく資料を開くシキと、サイキックの両腕で抱えるのがやっとというミナトに、マサキはアンテナのように立てた人差し指を向ける。

 

 

「今の君たちに大事なのは、いろいろなスキルを習得していくことダ。ひとつに凝るのも悪くはないが、それでは新しい発見がない。あらゆる敵に対処し、自分の必勝パターンを生み出すには、まず選択肢を増やすことだネ」

「は、はい、頑張ります……重い」

「それから、これはオマケだよ。ムラクモ特製の注射だ」

 

「え? 注──」

 

 

 いつの間にかマサキが視界から消えている。

 と思えば、彼は無駄のない洗練された動きで2人の後ろに回り込み、華麗な手捌きでそれぞれの腕に注射を打ち込んだ。

 ぎゃああっ、と2人分の悲鳴が廊下に響き渡る。さらにミナトは厚さ10センチ超えの資料を手から落とし、その重さすべてが足の小指に直撃した。

 

 

「っ~~~、だから嫌いなのよ、あんた!」

「はっはっは! いいじゃないか、疲労回復・体力増強の特効栄養剤なんだから。資料、うまく使うんだよ。じゃあ、活躍に期待してるからネ!」

 

 

 声もなく崩れ落ちるミナトと、腕を押さえて涙ぐむシキにひらりと手を振り、マサキは部屋に引っ込んでいく。

 

 

「ったく……。ちょっと、気絶してる暇ないわよ! この時間で新しいスキル習得するんだから!」

「あ、あし、アシ、足が……」

 

 

 半透明の何かが口から出ているミナトを引きずり、シキは早速修行開始だと暴れられる場所を探しにいく。

 

 都庁前広場でそれぞれ戦い方の見直しと戦闘技術の学習に励んで数時間後、自衛隊駐屯区の改修が終わり、集合するようミロクから通信が入った。

 



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  雷電轟く②

 逆サ都庁の岩礁と同じでこのダンジョンも壮観なんですけど、あちこちで悲劇が起きるし情報量多くて大変でした。ここから地獄が始まる。



「……来たか、13班」

 

 

 一隊員に案内されて部屋の奥に進む。

 資料に目を通していた堂島が声をかけられて振り返り、こちらを見るなり歓迎からはほど遠い仏頂面になった。

 

 

「先に説明しておくが……この池袋作戦は、自衛隊が主体となって作戦を展開することになった。おまえたちも、我々の指揮に従ってもらうぞ。既にナツメも了承済みだ」

 

 

 自衛隊との協力という話を聞き、会議室前でナツメとそのようなやり取りをしていたところを見ていたため、なんとなく予想はできていた。

 よろしくお願いしますとミナトは頭を下げる。しかしこれも予想通りというか、堂島の剣幕にシキは返事もせず動きもせず、そっぽを向いたまま突っ立っている。セーラー服の袖をちょいちょいと引いてもまったく効果がなかった。

 

 早速尖り始めた空気に参っていると、助け舟を出すようにイコマが間に入る。

 

 

「……おい、そういう言い方はないだろ。お互いに命をかけて、戦うんじゃないか。どっちが従うもないだろ」

 

 

 絡まった糸をほぐすようにやんわりと言葉が挟まれる。続いてサスガが自身の胸を張り、勢いよく握り拳を当てた。

 

 

「俺は、13班に命を助けられた。恩返しのつもりで戦うよ。それに今回の作戦、地下道で助けてくれたあの天使ちゃんも出るんだろ? へっへっ……格好つけるにはちょうどいいや」

 

「天使? ……あ、アオイちゃんのことか」

「今回は10班と13班同時突入らしいから、ガトウとアオイは私たちと一緒に池袋を攻略することになるわね」

 

「…………」

 

 

 すっかり顔馴染みという感じで言葉を交わす13班と一部の自衛隊員に、堂島の表情は依然渋いままだ。

 

 棘が残っているものの、なんとか結託して作戦に挑もうという空気を破ったのは、非常事態を告げるブザーの音だった。

 ミロクの鬼気迫る声が都庁内に響き渡る。

 

 

『観測班より、緊急連絡! たった今、池袋上空にて巨大な電磁エネルギーの収束を確認!』

 

「なっ、またあのレーザー!?」

 

 

 シキが目を見開いて池袋の方角を向く。

 迅速に準備を進めていたというのに、それでも間に合わなかったことに自衛隊員からも驚愕の声が上がった。

 

 

『各自、衝撃に備えてくれ! 都庁への命中確率……32.7%!』

 

「32%って、おいっ……!」

 

 

 ミロクが告げる数字に、全員の顔から血の気が失せる。

 ミナトは思わず拙い計算を始め、弾き出された結果に頭の中が白くなった。

 

 

「それって、3分の1の確率で死──」

「いいから伏せろ!」

 

 

 言い終わらないうちにシキに頭をつかまれ床に押し付けられる。

 

 

「各員!! 耐ショック準備!!」

 

 

 堂島の号令で自衛隊員が頭を抱えてしゃがみこむ。

 地震とは段違いの衝撃が轟いた。世界が重力を忘れたかのように体が浮かび上がり、体勢を崩して床を転がる。

 

 誰も口を開けずに頭を抱えたままでいると、ミロクがふーっと長く息を吐いて現状を報告した。

 

 

『……レーザーは都庁を逸れた。被弾したのは、市ヶ谷周辺みたいだ』

 

「ふぅ、生きてるよな……俺……」

 

 

 目を開け、今いる場所があの世ではなく現世であることを確認する。

 床にへばりついたままのイコマが頭から勢いよく離脱したヘルメットをかぶり直し、顎の下でベルトを固定した。

 悠長にしている暇はない。ナツメたち上層からナビを通して出動の命が下る。

 

 

『司令部より通達。ムラクモ13班、および自衛隊の各員、速やかな作戦開始を求む』

 

「はいはい、わかってますよ。……おまえたち、いけるか?」

「大丈夫だ。俺は、いつでもいける!」

「こっちもOKだ!」

 

「じゃあ私たちも……」

「待て」

 

 

 堂島にマキタ、サスガ、イコマたちが敬礼を返す。部屋から出ようと立ち上がる13班には、まだだと彼女は言った。

 

 

「アタシたちは池袋に先行し、ダンジョン内で作戦を展開しておく。……おまえたちは、30分遅れでついてこい」

「30分? なんで」

「ダンジョン内の電磁砲は、アタシたちがやる。おまえたちは、ドラゴンと……帝竜を倒す。役割分担ってヤツさ。お互い、やれることをやるだけだ。……わかりやすいだろ? よし、出動するぞ!」

 

 

「急げ!」というかけ声に、乱れのない動きで自衛隊が動き出す。

 ドラゴンのいない世界でなら、その背中はとても頼もしいものに見えただろう。

 しかし、逆サ都庁でドラゴンおよび帝竜の恐ろしさを知ったミナトは、嫌な予感を消しきれずに胸を押さえる。

 

 30分後、ミロクとミイナから通達を受け、機動10班・13班は動き出した。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 逆サ都庁のとき以上の驚きだった。

 

 

「うげっ!? なんだよ、この巨大な毛糸玉みてーのは……」

 

 

 ガトウが視線を上に向けて仰天した。

 黄金に染まった空が眩しい。それを背景にして、天空にまで伸びる巨大なダンジョンがそびえたっている。

 現在地は池袋駅の山手線側。プラットホームを抜ける線路は地から剥がされ、引き寄せられ、絡み合って幹となり、大樹にも地球儀にも見える巣を形成していた。

 壮大な帝竜の居城。その中央に見える電光を見て、アオイがはーっ、と息を吐く。

 

 

「中心に、磁場があるみたいですね。線路がひしゃげるほど、強い磁力を操る帝竜……」

「用心してかからねーと、俺らもああなる、ってわけだ」

『主砲はもちろんですが、点在している電磁砲の殺傷力もあなどれません。もちろん、ドラゴンも多数徘徊しています。厳しい作戦になりそうですね……』

 

「……の、登るの? あれを?」

 

 

 会話しながら突入準備を整える10班を他所に、冷や汗を垂らすミナトを見て、シキが「あんたまさか」と顔を覗き込む。

 

 

「高いところは無理、とかいうんじゃないでしょうね」

「無理です。無理……だけど、行くしか、ないんだよね」

「わかってるならいい」

 

 

 わかってはいたことだが、拒否権などない。

 ドラゴンたちとの戦いを経て身に付けた技「考えることをやめる」を使う。頭の中で行きたくないと泣き叫ぶ自分を押し潰し、諦めを以って精神を落ち着かせる。

 

 装備を確認し、気を引き締めて浮かぶ線路に足をかけたところで、背後から声をかけられた。

 

 

「お、13班! ……ちょうどいいところに来たな」

「あ、イコマさん! お疲れ様です。どうされたんですか?」

 

 

 呼び止めたことを詫びながら歩み寄ってきたイコマは、申し訳なさそうに頭に手をやりながら「頼みがあるんだ」とまじめな表情を作る。

 

 

「俺たち、怪我した仲間を補助して回れって、命じられちまってさ……前線で指揮を取ってるリンが心配だから、おまえたち、頼まれてくれないか?」

「リンって……堂島三佐のことですか?」

「ああ。あいつ、意地っ張りだけど、一生懸命で……結構いいやつなんだよ。だから……死なせないでやってくれ」

 

 

 まっすぐに向き合い真剣に頼んでくるイコマを見て、地下道での一件を思い出す。堂島がマキタたちに隊長としての振る舞いを咎められたときも、1人輪を抜けて都庁に戻ったときも、イコマは常に堂島を気遣っていた。

 

 

「大げさ。なんでそこまで世話焼くの?」

「ちょ、ちょっとシキちゃん……」

「あいつ、一応隊長なんでしょ? 自分の身の安全を確保するぐらいはできるはずよ」

「……そうなんだけどな」

 

 

 シキの手厳しい応対にイコマは苦笑いを浮かべる。

 

 

「あいつ、俺の同期なんだよ。なんだかんだあって付き合いも長い。俺は周りからよく『過保護だ』って言われるけど、あいつが1人で頑張ってるの見てると、どうしても放っておけなくてな……」

「同期……」

 

 

 高校の友人たちを思い出す。

 彼女たちは無事だろうか。ドラゴンを前に、成す術なく殺されてしまっていたら。

 イコマが堂島を心配し続ける気持ちは痛いほどわかる。

 

 

(そうだよ、心配だよね)

 

「……イコマさん、あの、どこまでできるかわかりませんけど、私にできることならします。任せてください」

「おう、頼んだぜ! ……っと、足止めしてちゃよくないな」

 

 

 まだかまだかとこちらを眺める10班に向かってイコマは頭を下げ、背中を向けながら手を振った。

 

 

「俺たちも、じきに出る。経路は確保されてるはずだが、どこから何が飛んでくることか……気を付けろよ!」

 

 

「……『私にできることならします』って、何するつもり? 勝手な行動は厳禁よ」

 

 

 手を振り返す後ろで、シキがしかめっつらで腰に手を当てる。

 

 

「ていうか、できることなんてあるの?」

「うん。1つだけ。……ドラゴンと戦うことだよね」

 

 

 だから、どんなに危険な場所でも行くしかない。恐怖と戦う覚悟は決まった。

 

 まともな答えを返されるとは思っていなかったのか、シキは驚いたように瞬きを繰り返し、「そこは倒すって言いなさいよ」と訂正を入れる。

 

 宙に続く線路の上り坂を進み、10班と13班は帝竜の領域に踏み込んでいった。

 

 

 

 

 

 ―高度100m地点―

 

 

「このフロアは……既に制圧済みだな」

 

 

 木版と木版の間につま先を挟みそうになり、ガトウが足を下ろす位置を変える。

 地面に着いていれば問題ないが、空中だと線路は穴の空いた通だ。足もとを気にせず進むのは、安全面でも精神面でも無理な話だった。

 

 

「……さっきまでの威勢は?」

「高い高い怖いごめんなさい」

 

 

 下から吹き上げる風に髪を撫でられ、ミナトは顔を真っ青にしてシキにしがみつく。

 異能力者として能力開発に励み、少しずつ運動能力が上がってきているとはいえ、幼い頃から刻まれている感覚は簡単には変えられない。マンションの3、4階にいるだけで目がくらむのに、その何倍もある高度、壁や屋根がない幅2メートル程度の道の上で平然としていられる訳がない。

 

 膝が笑うのを押さえるので精一杯だという一方、アオイは全然大丈夫だという様子で、こっちの恐怖を和らげようと背中をさすってくれていた。

 

 

「大丈夫ですよ、センパイ! ほら、見方を変えればいい眺め──ひえっ……!」

「? アオイちゃん?」

「あ、あそこに転がってるの……!」

 

 

 体を仰け反らせて、アオイが前方を指差す。

 従って見てみると、人の形をした黒い固まりが線路の上に転がっていた。

 

 

「あ、あれって、まさか」

「……自衛隊員だな。焦げてやがる……レーザーで狙い撃ちにされたんだろう」

「あそこだけじゃない! 他にも……たくさん……」

 

 

 風の音に混じって、耳を塞ぎたくなるうめきが流れてくる。

 宙に曲線を描く線路の上で、何人もの自衛隊員が死傷している。

 

 

「……っ!!」

 

 

 辺りを漂う焼け焦げるような臭いが何かを察し、ミナトはばっと鼻と口を覆った。

 

 

「決死隊にしたって、こりゃ多すぎるぜ……」

 

「!?」

(『決死』……!)

 

 

 聞き間違いではないだろう。ガトウは確かに「決死隊」と言った。

 作戦開始前にはそんなこと、一度も聞いていない。

 

 堂島が自分たちに下した指示の本当の意味を理解する。

 

『30分遅れでついてこい』。

 

 それは、つまり。

 

 

『──自衛隊より入電。「地上700m地点に、帝竜の姿を確認。速やかに進軍されたし」とのこと……急ごう!』

 

「……あいつら……。ちょっと、ガト──」

 

 

 シキも作戦の内容に気付いたのか、ガトウの背中に声をかける。

 ガトウが振り返るよりも先に、エネミーレーダーがドラゴン反応を知らせる警報を鳴らした。

 

 

「あ、あそこに自衛隊員さんが! ドラゴンに襲われてます!」

「マモノも集まってきやがった。13班、手分けするぞ! ドラゴンのほう頼めるか!」

「言われなくても! 行くわよ!」

「う、うん……!」

 

 

 分岐する道を左右に分かれ、バランスを崩さないよう注意しながら突撃する。

 黄緑色の長い体に透明の羽を生やしたホバードラグは、追加の食事とでも思ったのか、視界に入ってきた13班に大口を開けて咆哮する。

 その喉の奥に集まる冷気を見て、シキは線路に腹這いに伏せた。

 

 

「え? シキちゃ──っ冷たぁっ!?」

 

 

 耳もとの空気が凍る音を聞き、後頭部を打つのもかまわず仰向けに倒れて回避する。

 直後にフリーズブレスが頭上を駆け抜け、周囲の空気が一気に凍り付いた。あのまま突っ立っていれば頭部がシャーベットのようになって砕けていたかもしれない。

 

 シキが体を起こしながら疾駆し、拳を振りかぶる。狙いを定めて繰り出される攻撃だが、ホバードラグは空高く舞い上がって回避した。

 

 

「っ、こんの……!」

 

 

 翼を持たないシキは舌打ちをして空を見上げる。飛べない人間を嘲笑うようにガチガチと顎を噛み合わせるドラゴンを睨み、苛立ちをぶつけるように彼女はこっちを向いて怒鳴った。

 

 

「手伝いなさいよ! あんたなんとかできないの!?」

「で、た、たぶんできるかもしれないけど、そいつ動きが速くて当てられるかどうか」

「ああもう! ほら、かかって来い!」

 

 

 照準を合わせるようにミナトが指先を左右させるのを見かねたシキが、迎撃の構えをとって挑発する。

 身動きしない彼女に向かって急降下し、ホバードラグは噛み付こうと口を開ける。

 頭から飲み込もうとする牙をシキがつかんで受け止め、ホバードラグの動きが鈍る。

 その一瞬を逃さず、クロウに集めていたエネルギーを解放した。

 

 

(イメージ、イメージ。速くて鋭くて、空から落ちる……っ)

「当たれ!」

 

 

 ドラゴンの頭上が渦巻く。

 シキが巻き込まれないようにその場を離脱した直後、ホバードラグめがけて光の柱が突き立った。

 

 

「この技……」

「や、やった、できた。プラズマジェイルっていう……飛んでる敵に有効だって書いてあったやつ」

 

 

 自衛隊駐屯区改修中、屋上で資料を読み込んでは自分なりに噛み砕き、実践を繰り返して習得につないだ技が、ホバードラグの命を刈り取った。

 まだ鍛錬して精度を上げる必要があるが、これで氷以外の属性も扱えるようになった。

 

 

「この技空属性ってあったんだけど、空って何だろう……風属性とは別みたいで……」

「そこは今どうでもいいでしょ、自衛隊員は?」

「あ」

 

 

 そうだ、元はといえば、ドラゴンに襲われていた自衛隊員を助けるため戦っていたのだ。

 

 

「おまえたちが、ムラクモか……」

 

 

 立ちすくんでいた自衛隊員に慌てて駆け寄る。治療を申し出ると、なぜか彼は不機嫌そうに眉を寄せて断った。

 

 

「人のこと気にしてる場合か? みんなムラクモ様を待ちかねてんだ、さっさと行けよ」

「ちょっと、何その言い方」

「なんだ、言葉遣いまで丁寧にしないとお気に召さないか」

「はあ? あんたが無意味に突っかかってくるからでしょ」

「だから言ってるだろ! 俺たちに構うんじゃねえ、さっさと行けよ!」

「こいつ──」

 

「シキちゃん、待って……」

 

 

 怒声を上げる自衛隊員に踏み出そうとするシキの肩をつかむ。

 何だと振り返ろうとした少女は、さっきまで怒鳴っていた自衛隊員が声を震わせるのを聞いて動きを止めた。

 

 

「行け……行けよ……誰のための道だと思ってるんだ……!」

 

 

 噛み締められる唇から、行き場のない怒りをはらんだ声がこぼれ落ちる。それすらも風にさらわれ、聞こえるのは負傷して苦しむ誰かのうめき声だけ。

 自衛隊員は頭をかきむしってその場に座り込む。

 

 

「……行こう。先に進もう」

「……」

 

 

 決して涙は見せまいとする意思を汲み、ミナトは目の前の背中を押す。

 シキは依然眉間に溝を刻んだまま彼を見つめる。やがてその視線をダンジョンの奥に移し、自衛隊員に治療薬が入ったポーチを放った。

 

 ──決死隊にしたって、こりゃ多すぎるぜ……──

 

 ガトウの言葉が頭の中でちらつく。

 

 

(堂島三佐は……)

 

 

 イコマに頼まれた自衛隊隊長の女性を思い出し、ミナトはシキに続いて早足になった。

 



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12.ガトウ

あのシーンまで。

「感動する物語に救われた」とか「前向きな歌を聴いて顔を上げた」とかはもう通用しない、いわゆる「情緒」では生きていけなくなった厳しすぎる世界で、人として戦う自分の心はどんな形をしているのか、みたいな……個人の感覚が大きく問われるのが2章だったと思います。
平和な一般家庭で育ったからこそ悲劇を絶対に許容できないサイキックが、ありんこレベルの意地を見せる回。

公式のビジュアルブックのスケッチブックのページを参考に、アオイはトリックスター(銃)にしています。



 

 

 

 ―高度200m地点―

 

 

 あちこちに光の線が走っている。

 ただの光ではなくレーザーだと気付けたのは、砲台から放たれているそれを、目の前で自衛隊員が受け止めているからだ。

 

 

「うっ……ううっ……! 誰か……早くこの電磁砲を……! もうこの盾は……もたん……っ!」

 

 

 ガトウたちの気配を感じたのか、今にも溶けそうな盾の陰で中年の自衛隊員が声を張る。

 

 

「やべぇな。いくぞ!」

「はい!」

 

 

 ガトウがアオイを引き連れて線路を走っていく。自衛隊員に向かってレーザーを放ち続ける電磁砲に、2人は奇襲を仕掛けた。

 ガトウの大剣に続いて、アオイがホルスターから抜いた銃を発砲する。

 休みのない早撃ちに踊る赤い髪。物怖じせず奮闘するその背中に、今は亡きナガレの姿が重なった。

 

 

「アオイちゃん、トリックスターだったんだ……!」

「感心してる場合じゃない。私たちもいくわよ」

 

「シキ! 来い!」

 

 

 電磁砲の固さに攻めあぐねていたガトウがシキを呼ぶ。

 反応した少女は大胆にも線路から線路へ離れた距離を跳び移り、ムラクモ試験のときにも見せた踵落としを繰り出した。

 同じ場所に集中攻撃をくらい続けた砲身に穴が空き、電磁砲が爆発する。

 

「やった!」と声を上げてアオイが振り返る。

 しかし、その先で転がっている自衛隊員を見て、笑顔はすぐ悲嘆に塗り替えられた。

 

 

「センパイ! あの自衛隊員さんが……!」

「大丈夫ですか!? ……っ」

 

 

 ミナトは真っ黒になった線路に倒れる自衛隊員に駆け寄る。

 数分前まで構えられていた盾は中央を穿たれ、胴をぐずぐずに焼かれている彼は、既に生命活動を停止していた。

 

 

「死んでる……」

「……生身の人間と強化セラミックの盾じゃこうなるのは当然だ」

「そんな……」

「……ちっ、任務外だが、このまま放っておくわけにもいかねェ」

 

 

 通信機に手を当て、ガトウがミイナと言葉を交わす。

 ミイナは『了解。作戦を変更します』と応えてから4人の視界にマップを展開させ、現場の生体反応と電磁砲の位置を割り出していった。

 

 

「13班、一時的に自衛隊をバックアップ。先にこのフロアの電磁砲を破壊するぞ」

「了解」

「りょ、了解です」

 

 

 ガトウの指示を受けて宙に広がる線路を進む。レーダーのように人を感知する機能があるのか、四方にはびこるマモノやドラゴンを無視して、10メートルほど先にある電磁砲が砲口こっちに向ける。

「止まれーっ!!」と、先にいる若い自衛隊員が叫んだ。

 

 

「そこから進むと、レーザーに撃たれるぞ!! お、俺がオトリになってひきつけるから……! その間に電磁砲を……頼む……!」

「そんな、だめですよ! その盾じゃ──」

 

 

 全身が震えている自衛隊員は制止に引き下がることもせず、馬鹿にするなと怒ることもせず、精一杯の笑顔を浮かべて飛び出した。

 

 

「うおぉーーーっ!!」

 

 

 響き渡る雄叫びに電磁砲が反応した。振り返って発射されたレーザーが盾に直撃し、嫌な音とともに火花が散る。

 

 

「もうやだ、どうして……!」

「盾が溶ける前に破壊するわよ!」

 

 

 電磁砲を破壊する。戦闘は3分にも満たない時間だったが、盾が塵になるには充分だった。

 薄笑いを浮かべたまま全身を焦がした自衛隊員の目もとは、まだ濡れていた。

 

 手が届かない。どれだけ早く駆けても、電磁砲を破壊するたびに惨い死体が増えていく。

 いっそ放棄して逃げてしまえばいいのに、自衛隊員は誰1人として退くことはなく、

 

 

「諦めんなおまえら! こいつが最後だ!」

「このっ!!」

 

 

 フロア最後の電磁砲を破壊し、ようやく助けることができた自衛隊員も、立つことが困難なほど傷だらけだった。

 

 

「くっ……かはっ……ゲホゲホ……ご協力……感謝する……!」

「そんな、お礼を言うのは私たちのほうです! こんな、たくさんのひとが……」

「……悪かったわね。もっと早く助けられなくて」

「13班にそう言ってもらえるとこちらも命を張ってるかいが……ゲホッ……あるってもんだよ……ははっ……」

 

 

 ミナトがキュアとメディスを使い治療を施す。

 少しずつ傷が癒え、なんとか動けるようになった自衛隊員は、ふらつきながらも自身の両脚で立ち上がる。

 

 安堵するのもつかの間、振り絞られた言葉を聞いて、思考が停止した。

 

 

「おまえたちを……無傷で……帝竜のところまで連れてく……! あんたたちのボスの……依頼だからな……」

 

「──え?」

 

 

 なんだ、それは。

 

 下の階層で助けた自衛隊員の言葉を思い出す。

 

 

『行け……行けよ……誰のための道だと思ってるんだ……!』

 

 

 ガトウが言っていた「決死隊」という言葉。30分遅れでついてこいと言った堂島。

 シキが自衛隊員に歩み寄り、火傷を負っている顔を下から見上げた。

 

 

「……誰の命令で、こんな危険な作戦を?」

「おまえたち、ボスから聞いてないのか?」

 

 

 自衛隊員は数秒目を瞬かせ、シキの質問の意味を理解したのか、空を見上げてむなしく笑った。

 

 

「ははっ……そうか……知らないか……」

「…………」

「ボスって……もしかして、ナツメさんのことですか!?」

「ああ……そうだ。俺たちはあの女から直々に、栄誉ある先発隊を……依頼されたんだ。俺たちにできるのは……体を張ることくらいだってことさ」

 

 

 母性を漂わせる優美なムラクモ総長。脳裏に浮かぶその像が、自衛隊員の一言を耳にするたび、黒くかすんで薄れていく。

 アオイが2、3歩下がる。よろけてバランスを崩した彼女を、ガトウが後ろから肩をつかんで支えた。

 

 

「そんな……だから下であんなにたくさんの人が亡くなってたってこと……!? ひどい……ひどすぎます、そんなの!」

「……それが戦争ってヤツだ。それに付け加えるなら、アホな指令に従って死ぬのも……兵隊の仕事のうちってことだ」

「……知ってたんですか?」

「……。……納得できない気持ちはわかるぜ。だが今は、目的の遂行だけを考えろ」

 

 

 アオイ、ミナト、シキの視線を受け止めるガトウは揺らがずに言葉を続ける。

 

 

「現場で兵士が勝手に動いても余計な被害が増えるだけだ。俺たちにできることは、1日でも早く帝竜を倒して、人間の世界を取り戻すことだろ? そうだろ、13班?」

 

「……ま、その通りね。それが一番手っ取り早い」

 

「センパイまで……そんなこと……」

「ただ」

 

 

 俯くアオイの言葉を遮り、シキはガトウを含め、目の前に広がる理不尽なダンジョンを睨みつけた。

 

 

「『死ぬのも仕事』なんて考え、私はごめんよ。ガトウ、あんたさっき『アホな指令』って言ったわね。ナツメは違うの? ムラクモ側はできることを尽くして、それでもどうにもならないからこの作戦を提示したの? 出し惜しみしてるなんてことないでしょうね」

「おいおい……」

「それに」

 

 

 シキが振り返る。

 唇を噛み締め、握り拳を作ってうつむく自分を見て、少女は肩をすくめた。

 

 

「こっちはこの間まで一般人だったのよ。納得したくない。そうでしょ」

「……」

 

 

 頷いてシキに同意する。ダンジョンに突入してから今までで擦り減ってしまった勇気を振り絞り、まっすぐにガトウを見た。

 

 

「ガトウさん」

「なんだ」

「死ぬのが……兵隊の仕事って、さっき仰いましたよね。アホな指令に従って、て……。それって、そういうことを言い切れるのは……私たちが、ガトウさん自身が、異能力者だから、ではないんですか」

 

 

 ガトウのまぶたが大きく持ち上げられるのがやけにゆっくり見えた。シキも目を丸くする。物申すとまでは予想していなかったのだろう。

 自分だってどうかと思う。1か月と少し前に初めてムラクモ機関を知って入隊したばかりの下っ端が、戦場に立つことを生業にしてきたベテランに意見するなんて。

 でも、これだけは自分自身の言葉と態度で示さなければ。今ばかりは、前にならえで流されてはいけない。本心じゃないとしても、嘘でも振りでも、納得なんてしてしまえば、志波 湊という人間が、自分が生きるこの世界が、救いようのないものになってしまう気がする。

 

 

「ドラゴンに対抗する力を持っているから、最悪独りになっても戦えるし逃げられるけど……もし、私たち全員、異能力者じゃない普通の人間だったら、こんな場所に踏み込んだ時点で死んじゃいますよね……? それがわかっているうえで、いけって命令を出されたら……素直に、納得して、従うことってできるんですか?」

 

 

 もし現役で軍属している人間が自分を見たらどう思うだろう。たぶん、「甘い」。「無知」。現実を認識できていないわがままと断じられる気がする。

 けれど、死ぬことが前提とされた作戦なんて、正しいと言いたくない。

 そんな命令を出すならおまえが手本を見せてみろということでもない。ただ死にたくないだけ。危険なんて百も承知で、死が身近にあるなんて言われなくてもわかっている。

 望むのはただ「生きる」ことだけ。「殺されたくない」「理不尽な形で死にたくない」。

 それを受け入れ、誰かを送り出すなんて……自衛隊を殺しているのはドラゴンや電磁砲だけでなく、自分たちも含まれてしまうのではないか。

 

 それはそれとして、上官に異議を唱えてしまったこともやはり怖い。自分の頭から血の気が引いていくのを感じる。めまいさえしてきた。

 

 汗ばんで震えが止まらない握り拳が、優しい温もりに包まれる。

 はっと顔を上げると、アオイが手を添えてくれていた。5本の指に力を込めて、揺らがない光を灯した目で自分を見つめている。

 

 

「センパイ」

「……うん」

 

 

 そうだ、私たちがムラクモに入ったのは。

 

 同時に頷き、シキとも視線を交わしてガトウを見る。

 女3人が揃って納得しない姿勢を見て、彼は息を吐いて腕を組んだ。

 

 

「……ま、おまえたちらしいと言やお前たちらしい答えだが、そんな考えじゃこの先キツいぜ?」

「……」

「とにかく、今は先に進むしかない……怒りも不満も、無事帰ってからぶちまけろ。ほら、行くぜ!」

「はい──きゃあっ!」

 

 

 激しい震動がダンジョンを揺らす。

 次の瞬間、自衛隊員が数人、逆さになって宙に現れた。

 

 

「えっ──」

 

 

 見開かれた目と目が交差する。

 反射的に腕を伸ばした。だが、あまりにも遠い。

 

 指先はかすりもせず、彼らは泣き笑いを浮かべ、口を動かして落ちていく。

 最後の言葉も聞き取れず全員が絶句する中、アオイが消えそうな声で呟いた。

 

 

「……こんなの……おかしいよ……」

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 ―中枢ポイント―

 

 

「くっ……なんだこのデカブツは……!」

 

 

 巨大な電磁砲が、空に張り巡る線路の中央に鎮座している。

 中枢ポイントは地上500メートルだ。作戦会議でキリノから聞いた情報からして、街を吹き飛ばしたのはこの電磁砲だろうか。

 

 撃っても撃っても弾かれてしまう銃弾。意に介さずというように、電磁砲はびくともしない。

 堂島は通信機を介してナツメに尋ねる。

 

 

「確認するが……応援戦力、なんてのは期待できないんだよな?」

『……残念ながら。多少のイレギュラーがあっても、作戦は予定通り、遂行してもらうしかない。……本当にごめんなさい』

「……わかってるよ」

 

 

 薄々無駄だとわかりつつも、堂島は部下たちとともに引き金を引き続ける。

 銃身が燃えるような熱気を放つ。発砲音と火花を何度も何度も散らし続け、弾が残りわずかになったところで、堂島は再び通信機の向こう側に叫んだ。

 

 

「ナツメ、聞こえるか!? だめだ、デカブツの攻略方法が見つからない!」

 

 

 こんな絶望的な世界があってたまるか。

 誰も守れず、多くの仲間を犠牲にして何も成し遂げられないなんて。

 

 

(何が13班だ)

 

 

 マモノもドラゴンも、彼女たちでなければ歯が立たないなんて。

 

 

(戦場に立つのは、アタシたち自衛隊の役目だろうが!!)

 

 

 武器を持ち歩く必要なんてない。いつ化け物に襲われるかなんて怯える必要なんてない。この国は平和だったはずだ。

 

 その平和の中で、先日まで学校に通っていたような子どもを、自分が守るべき国民を、戦場に立たせなければいけないなんて!

 

 

「このままじゃ、刺し違えるってのも無理そうだ……。現場はそっちでも見えてるんだろ? なにか……意見をもらえないか」

 

 

 否定してほしかった。最悪の一手を。

 自分たち自衛隊が、立派な防具と銃火器を持って命をかけていることは無駄じゃないと、肯定してもらいたかった。

 

 しかし現実は非情で。

 

 

『……。堂島三佐、あなたが考えていることが、多分、唯一の方法よ……』

 

「……っは! そうか……やっぱり、な……」

 

『私に、そのトリガーは引けない……すべては、あなたたちの気持ち次第よ』

 

 

 返事ができない。

 力尽きるように銃がすべての弾を吐き出し、カチン、と弾切れを知らせた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 磁場に巻き込まれているのは線路だけではなかった。何台もの電車、鉄筋がはみ出るコンクリート。金属を含む物は例外なく引き寄せられ、自分たちが踏みしめる足場となっている。

 

 

「大きさが桁違い……あれが高田馬場と市ヶ谷を吹き飛ばしたやつ? それとも帝竜?」

「早く止めなきゃ! って、あれ、堂島三佐……?」

 

 

 フロア中央の巨大電磁砲と堂島たち自衛隊員4人を見つけ、迷わず傍に駆け寄る。

 都庁で会ったときとは違い、いやに落ち着いている堂島の雰囲気に、足が鈍った。

 

 

「……来たか、13班。……みんな、すまない。さっき話した、作戦の通りだ」

「了解!」

「うっ……う、ううっ! 了解です!」

 

 

 彼女は後ろに控えていた3人の自衛隊員を振り返る。

 うち2人が間髪入れずに敬礼を返し、新人らしき若者が遅れて顔を上げた。その姿を見つめるガトウの眉が、わずかにしわを寄せる。

 

 堂島がこちらを振り返った。以前のような憎たらしさや刺々しさはもう浮かんでいない。

 

 

「おい、13班……あの超電磁砲は、1発撃つと次弾が装填されるまで180秒かかる。アタシたちがしくじったら……あとは、まかせる」

 

 

 どういう意味だと思うと同時に、直感が答えを出していた。

 背中を向ける4人と、砲口に電気を溜める電磁砲を交互に見て、アオイが息を呑む。

 

 

「……まさか!」

 

「じゃあな!」

 

 

 堂島たちが電磁砲に向かって走り出す。

 下で電磁砲の餌食になって死んでいった自衛隊員たちの姿が浮かんでは消える。

 堂島たちも同じだ。自ら犠牲になって、電磁砲のレーザーを止める気だ。

 

 

「ダメっ……! ダメだよそんなの……!!」

 

 

 アオイが涙を散らしながら何度も繰り返し、頭を横に振る。

 彼女の体が前に傾くのを見たガトウが素早く手を伸ばすが、アオイはそれをすり抜けて自衛隊の後を追った。

 

 

「アオイちゃん!」

「くっ…バカ野郎がッ……!!」

「ちょっ、ガトウ!?」

 

 

 ガトウが大剣を抜いて走り出す。

 

 一瞬だった。無骨な獲物を手にした男は誰よりも速く空間を走り抜け、アオイの肩をつかむ。

 そのまま連れ戻すと思っていた。しかしガトウは止まらなかった。

 アオイをこっちに放り、自衛隊を押し退け、大剣を振りかざす。

 

 

「うおおぉぉッ!!」

 

 

 雄叫びを焼き付け、大上段の1文字斬りが叩き込まれる。

 

 同時に放たれたレーザーの光が衝突し、大きな背中は光に塗り潰された。

 

 

「うわあぁっ!?」

「きゃあっ!!」

 

 

 轟音と熱がすべてを押し退ける。辛うじて顔を覆うことしかできなかった一同は、爆風が体に叩き付けられて線路の上を転がった。

 

 

「う、く、……っ……」

 

「ガトウさん!!」

 

 

 アオイの叫び声に目を開ける。

 

 服も肌も焼け焦がし、煙を上げるガトウの体が目の前に転がっていた。

 

 

「ガ、ト──」

「じ、13班……! ぼさっと……すんなッ……!」

 

 

 黒煙を吐きながら喉を絞るガトウの声にはっと我に返る。

 電磁砲もガトウと同じようにぼろぼろだった。砲身にまっすぐ刻まれた一閃から飛び散る火花と不気味な稼働音が、大打撃を与えられたことを知らせている。

 まだ完全に破壊できた訳ではないようで、ガタガタと揺れながらも砲口がこちらを向いた。

 

 

「だ、だめ!」

 

 

 反射的にミナトがプラズマジェイルを放つ。上から落とされた光は強力とは言えなかったが、砲身の傷はさらに広がる。

 派手に火花を散らして空回りする超電磁砲を見て、ガトウがシキに笑みを向けた。

 

 

「へっ。終わりだな……いけ、シキ……あと1発、だ……」

「……」

 

 

 ゴキリッ、と拳を鳴らし、シキは立ち上がる。

 

 

「……撃っていいのは撃たれる覚悟がある奴だけ、って教わらなかった?」

 

 

 自分よりも小さな少女に怯えるように、電磁砲は砲台ごと震えだす。

 

 

「さっさと、止まれっ!!」

 

 

 足場ごと沈むように大きく踏み込み、右腕を上に向かって振り抜く。

 電磁砲の砲身は轟音を立てて根元から吹き飛ばされた。

 

 

「……やった、か……」

「おい、しっかりしろ!」

 

 

 今度こそ沈黙した電磁砲を見て、ガトウから力が抜ける。

 堂島の声にも応えられない姿を見て、アオイが地に膝をついた。

 

 

「や……やだ……起きてくださいよ! 私のこと、叱ってくださいよ!!」

「へ……へへ……この胃袋娘が! なんつって……ザマぁねえな……。さんざ戦争だなんだ……カッコつけといて……一時の感情に流されて死ぬなんてよ……」

「し、死ぬなんて言わないでください! 今治療しますから……! アオイちゃん、手伝って!」

 

 

 唇をわななかせぼろぼろと涙を流すアオイを見上げて、ガトウは怒りも責めもせずただ笑う。

 ミナトがキュアをかけ、アオイが渡された治療薬の容れ物を開けた。

 皮膚の傷は消えていくが、それよりも早く、ガトウの呼吸は小さくなっていく。

 

 

「……だけどな、戦場で……一兵卒として……46年生きてきて……最後にこんな……人間くせえ死に方ができるとは……思わなかったぜ……。おい、シキ!」

 

 

 涙と汗を流しながらあがく2人にため息をつき、ガトウは電磁砲を破壊したまま立ち尽くしているシキを呼んだ。

 びくりと肩を揺らし、事態を受け入れられていない、困惑した顔が振り返る。

 

 いつも不機嫌そうに吊っていた少女の眉が八の字に垂れているのを見て、ガトウは喀血しながら笑い声を上げた。

 

 

「がはは! 何だぁその顔……おまえが一番混乱してるじゃねぇか……!」

「……いつまで寝てんの? さっさと起きなさいよ」

「見りゃわかんだろ。あんな一撃もらっちまったんだぞ……五体満足なだけマシってもんだ」

「そうよ。腕も足も千切れてないんだから、このまま死ぬわけ、」

「シキ。ムラクモの主力はおまえだ。……強いんだから、それをちゃんとチームワークに活かせよ。おまえなら、大丈夫だろ……。それからシバ」

「喋らないでください! なんで……なんで、キュアが効かない……!」

「一緒にいてわかったと思うが、シキはまだガキだ。根性あるのはいいことだが、突っ走りすぎて……周りが見えなくなる前に、パートナーのおまえが、ブレーキかけてやってくれや……」

 

 

 まるで遺言のようだ。いや、このままでは本当に遺言になってしまう。

 

 マナがごっそり削られていくのもかまわずにキュアをかけ続ける。ガトウが言い聞かせるようにやめろと告げるが、やめられるわけがない。

 汗が滴り手が震え、眼球が異常に発熱し、鼻の奥から血が流れ落ちる。それでも止めない。

 救わなければ。助けなければ。命を繋ぎ留められずして、何のために自分は戦場に立っているのか。

 

 

(効いてよ、効いてよ! 頼むから……!!)

 

 

 死力を尽くす周囲とは反対に、ガトウの声は穏やかだった。

 

 

「13班……。俺は後悔……してねぇ……『俺の意思』で戦って、死ぬんだ……。おまえたちも……後悔のねェ生き方を……しろよな……」

 

「ちょっと……、ちょっと、ガトウ!」

 

 

 シキの声が、虚ろになっていくガトウの目を瞬かせる。

 

 

「休みに勝負する約束はどうすんの!? 今度こそあんたに勝つって宣言したの忘れないでよ、このまま勝ち逃げするつもり!?」

「はっ……おまえもミロクもミイナも……ビービー泣いて、大人を困らせてた、がきんちょが……よくここまで大きくなったもんだ……」

 

 

「もうちょい……手伝って……たかったが……悪いな、先に──」

 

 

 風が凪ぐ。

 

 ふっ、と小さく息を吐き、ガトウは呼吸を止めた。

 

 

『ガ、ガトウ……?』

 

 

 ミロクが通信機から呼びかける。耳もとのそれが震えても、ガトウは応えない。

 

 マナが底をついて治癒魔法の光が消えた。痛むのも気に留めず、ミナトは拳を地面に叩きつける。

 アオイから漏れた引き絞るような悲鳴が、深く鋭く心臓に刺さった。

 

 

『……な、なんてこと……! 一度体制を立て直します……! すぐに戻りなさい!』

 

 

 ナツメの声がどこか遠くから聞こえる。足場に転がる複数の治療薬の容器がこすれ合って音を立てる。

 

 

『聞こえなかったの!? すぐに都庁に戻りなさい!』

 

 

 誰も返事をしない。

 

 ガトウの首から焦げたバンダナが外れ、風に乗って黄金色の空に舞い上がる。

 

 

「……?」

 

 

 それを見上げ、五感が薄れていくような感覚に、シキは無意識にセーラー服の胸もとを握った。

 




リンのムラクモへの風当たりがキツかったのは、私情もあるんでしょうけど「本来脅威から人を守るのは自衛隊の役目」という覚悟と、それに反してムラクモ(一般人だった人間まで含める)に頼らなければならないという現実に対するやりきれない思いがあったからではないかと解釈しました。
劇中、会議室で13班と打ち解けるメンバーを見て(それでいいのか……?)と思っていたので、ドラゴンに太刀打ちできない悔しさと、普段は学校に通っていたはずの未成年が戦場に立つことへの心配、自身の不甲斐なさに苛ついている、というように見えたので。


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  ガトウ②

逆サ都庁も十分に辛かったけど、ここはさらにトラウマになるレベルでしたね……(遠い目)
人命がかかっている戦いでの初めての敗走と、決意を新たにするまで。

作戦の内容もあるしそもそも地球にとって竜の存在が理不尽すぎるから、誰かが死んだのはおまえのせいだなんてお門違いではあるけど、「たら」「れば」が言えるのって、助けられる可能性があったということだと思います。



 

 

 

(ガトウさんが死んだ)

 

 

 わかることはそれだけだ。

 どうやって戻ってきたのかは覚えていない。誰かに手をつかまれ、脱出ポイントを経由して外に出たような気がする。

 気が付けば都庁前に立っていて。

 

 

『……おい、13班……。……緊急……会議だ。会議……室に……』

 

「ガトウさん……ごめんなさい、ガトウさん……!!」

 

 

 通信機から流れるミロクの嗚咽と、都庁に運び込まれるガトウの遺体にしがみつくアオイの泣き声が、ひどく鮮明に響いていた。

 

 世界の終わりが訪れたような、いや、とっくに終わっているのかもしれない。

 そんな荒廃した空気を吸いながら、頭は空っぽのまま、足だけが意思を持っているように動く。

 辿り着いた会議室には既に一同が集まっていた。

 

 

「……失態だわ、私の作戦ミスね」

 

 

 努めて冷静に口を開くナツメに、目もとを赤く泣き腫らしたアオイが頭を横に振った。

 

 

「……あんなの……作戦じゃない……!」

「みんなで手を取り合って……勝利できたら、いいでしょうね」

 

 

 まるでそんなことは不可能だというように言葉を紡ぐナツメに、堂島が上半身を傾けた。頭を下げようとしたのか、俯いたのかはわからない。

 

 

「ガトウは……アタシたちの代わりに……本当にすまない……」

「あなたたちのせいじゃないわ……もっと、徹底すべきだった」

 

 

 映画を見ているのかもしれない。ミナトはぼんやり考えていた。

 世界は舞台、人間は役者。自分はスクリーンに浮かぶこの光景を、暗い映画館の中でただ1人、ぽつんと椅子に座って眺めている。救いのない、光が潰えてしまう物語を観賞している。

 

 ナツメが数拍息を吸い、惨い言葉を絞り出した。

 

 

「伝えるべきだった、犠牲を伴う作戦だと。自衛隊は、捨てゴマだと……!」

「ナツメさん、やめてください!」

「ドラゴンに立ち向かうには才能が必要なのよ……S級の非凡さがね。彼らには……力ある者には……凡人100人以上の価値がある」

 

「価値がなくて、悪かったな!!」

 

 

 キリノの制止を無視して続けられる発言に、堂島が肩を震わせて怒鳴った。

 

 

「でも……あいつらだって……死んでいった、あいつらだって……!! みんな家族のために、人類のために命を張ってたんだ! 無価値なんかじゃない!!」

「おい、隊長! やめとけ!」

 

 

 マキタが激高する堂島を羽交い締めにして止める。しかし彼女は涙を散らしながらナツメに怒鳴り続けた。

 その姿を見て、ナツメの目がすっと細くなる。理解しがたいものを見る、冷たい目。

 

 

「人間の価値は……『力』だけなのかよっ!」

 

「……あなた、」

 

 

 ナツメが口を開いた。

 その表情で何を言おうとしているのかを悟る。同時に胸にどす黒い何かが沸き上がった。

 何をしようとしたのかは自分でもわからない。ただその感情に従って顔を上げて、踏み出そうとして、

 

 赤いサイドテールが目の前を横切って、

 

 

「参謀候補って聞いてたけど、そんな単純計算もできな──」

 

 

 パンッ、と乾いた音が響き渡る。

 

 アオイが腕を振り抜き、ナツメの頬を張った音だった。自分まで殴られたような気がして、ミナトははっと立ち止まった。

 

 

「痛ッ……!!」

「あ、アオイくん……!?」

 

 

 困惑するキリノや顔をゆがめるナツメにかまわず、普段の天真爛漫な姿からは想像できない低い声で、アオイはまっすぐ言い放つ。

 

 

「……恥ずかしい女」

「くっ……!」

 

 

 沈黙する会議室。痛いくらいの無音が続いた後、キリノが手を上げた。

 

 

「……総長。作戦を、提案します」

「……」

「帝竜ウォークライの『生体サンプル』を使わせてください」

 

 

 一触即発の空気を撫でて落ち着かせるようにキリノは言葉を紡ぐ。

 応えないナツメに、彼は淡々と続けた。

 

 

「帝竜から得た素材を加工し、自衛隊の兵装を強化しましょう。それであのレーザーにも多少は、耐えられるはずです」

 

「……出し惜しみしてたのね」

 

 

 ずっと黙っていたシキが眉間にしわを刻んで口を開く。

 少女に責めるような視線を向けられても、ナツメは頭を縦には振らなかった。

 

 

「──却下します」

「ナツメ!」

「あれは、ムラクモの切り札よ。……ガトウに……与えるはずだった」

 

「ナツメさん……住んでくれる人がいないんじゃ、東京を取り戻したって、悲しいですよ……」

 

 

 フロワロで赤く染まった地上。焦土と化してしまった高田馬場と市ヶ谷。

 竜が占拠する世界を元に戻すこともそうだが、その先、全てが解決した後のことも見通して、キリノは続ける。

 

 

「死ぬために戦っているんじゃあない。目の前の犠牲に目をつぶって……我々は、何のために戦っているんですか」

「……」

「君たちはどうです、13班?」

 

 

 キリノが尋ねる。シキがこちらを振り返る。

 今度は自分に注目が集まっていると気付く。ミナトはなんとか今までの会話を思い出して答えた。

 

 

「……悲しい、です」

 

 

 悲しい。目の前で消えていく命をどうすることもできなかった。手は届いていたのに、指の隙間からすり抜けてしまった。

 悲しくてやりきれなくて惨めで痛くて、胸が裂ける。涙がこぼれる。

 

 

「機械じゃないんです。何も感じないわけ、ないじゃないですか……!」

「そうでしょう? 僕たちは……みんなで生き残るために戦っているんだ。ガトウさんは言った。後悔のないように生きろと……。だから僕は、僕のやれることをやりたい。僕の科学者としての才能を、より多くの命を生かすために使いたい! 受け入れてもらえないかもしれない。でも、それが『僕の意思』です」

 

 

 キリノの真摯な言葉が胸を揺らす。

 やがて、ナツメはうなだれるようにして頷いた。

 

 

「……わかりました──承認します」

「ナツメさん……!」

 

「……私が、間違っていたのかもしれません。今回の作戦、私は外れます。キリノ……あとはお願い」

 

「な、ナツメさん……?」

 

 

 紫の羽織を揺らしてナツメは会議室を出ていく。

 

 総長の退場により、現状作戦の指揮に立つことになったキリノは、13班と自衛隊、アオイたちから一斉に目を向けられて踵を浮かせる。

 一度咳払いをして気を取り直し、彼はナツメに意思を伝えたときと同じ力強い目で指示を出した。

 

 

「と、ともかく……作戦は承認されました。自衛隊兵装の強化開発も含め、1日で結果を出します。……みなさん、どうかお待ちください!」

「……キリノさん……」

「シバくん、シキ、自衛隊の兵装については僕が必ずなんとかする……ああ、必ずだ。だから、君たちは体を休めてくれ。すべては明日、勝つために……!」

「……はい」

 

 

 唇を噛み締めて頷き、会議室を出る。

 ナツメをはたいたときの怒りは萎んだようで、アオイは頭を下げた。

 

 

「センパイ、私、部屋に戻りますね」

「あ、アオイちゃん……その、」

 

 

 えっと、と言葉が詰まる。

 地下道で見せてくれた笑顔は影もない。涙と一緒に気力を流してしまったような顔の彼女に、なんて声をかければいいのだろう。

 そもそも、どうして自分は彼女を呼んだのだろう。慰めようとしたのか。逆に自分が慰めてもらいたいのか。

 

 心の整理がつかないまましどろもどろになっていると、結ばれていたアオイの唇が開かれた。

 

 

「私は……『作戦』という一言で、散る命を見過ごせるほど、兵士になれません……。ナツメさんを叩いたことも、間違ってないと思っています」

「……うん。私は、その、ナツメさんを叩いたことは置いておいて。あの人の言葉を止めたのは……間違ってはいないと思う……。私も」

 

 

 あれ以上は聞きたくなかった。

 無傷で帝竜に勝とうと思うのは無謀なのかもしれない。だが、犠牲が出るのは当たり前と考えて計算するのはもっと嫌だ。

 

 回らない頭で言葉を選んで伝えると、アオイは礼の言葉を呟き、しかしすぐに視線を落としてしまった。

 

 

「でも……私の甘さが、ガトウさんを殺したんです……それも、わかっているから……」

 

 

 口をつぐみ、彼女は10班の部屋に戻ると言って歩いていく。

 赤いサイドテールが悲しげに揺れていた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 都庁に戻ってきたときに聞いた嗚咽が耳から離れず、ミナトの足は自然とムラクモ本部に向いていた。

 

 

「……失礼します……」

 

 

 音を立てないようにドアを開け、コンピューターが並ぶ部屋に入る。

 奥のモニター前で左右に分かれて座る2人のナビは、同じように背中を曲げて俯いていた。

 いつもなら迷いのない速さでキーボードの上を滑る両手も、生気をなくしてだらりと垂れ下がっていた。かける言葉も見つからないまま近付く。

 

 

「ガトウ……どうして……嫌……だよ……」

 

 

 ガトウが倒れてから動けずにいたのかもしれない。右の席に座るミイナが、「生体反応消失」と表示された画面の前で静かに涙を流していた。

 

 

「私がナビだったのに……止められなかった……ごめんなさい……」

 

 

 ごめんなさい。ごめんなさい。

 幼い少女は何度も謝罪を繰り返しながらしゃくり上げる。

 痛々しい姿を直視することができずに、頭が下を向く。

 

 

「ガトウは」

 

 

 こちらに気付いたのか、左に座るミロクが不意に呟いた。

 

 

「ガトウは何度もムラクモに召集されてるから、オレたちも、小さい頃から知ってるんだ……。会うたびにさ、あのでっかい手で叩きやがって、『大きくなったな』って……」

 

 

 声がわずかに震えている。ぽた、ぽた、と小さく音を立て、少年の膝に水滴が落ちた。

 

 

「成長するのなんて、当たり前なのにさ……それ、なんだか……嬉しかったんだ……」

「……ミロク……」

 

 

 無意識に名前を呼んでしまう。少年は振り返らずに背中を向けたまま、赤い服の袖で顔を拭った。

 

 

「キリノが、自衛隊の盾を強化するそうだ。……今日はあいつを信じて、休んでくれ」

 

「まだよ」

 

「え?」

「え……」

 

 

 ドアが開く音と一緒にカツカツと足音がすぐ傍まで近付いてくる。ウォークライに殺されそうになったときに自分を叱咤したのと同じ、力強い足音。

 誰のものなのか悟るのと同時に、後ろから二の腕をつかまれる。

 

 

「シキちゃん……? ちょっ、」

「私たちにもまだやれることがあるわ。休むのはその後」

 

 

 それだけ言って、シキは驚くナビをよそに自分を引きずってムラクモ本部を出た。少女はずんずんと階下へ歩き始める。

 

 

「ちょ、ちょっと、シキちゃん? なんで……。私たちにやれることって?」

「……ちょっとは成長したかと思ったのに、やっぱりド新人ね。あんた、このまま本当にベッドに潜り込む気?」

 

 

 エレベーターには乗らず、シキはミナトを引きずり階段を下り続ける。

 エントランスを突っ切って表に出る。薄暗い屋内から、空の自然な光の下に出た。

 都庁前広場の隅。今となっては壁としてしか意味をなさなくなった戦車の横に、マサキが白衣をはためかせて立っていた。

 

 

「お、来たね。待ってたヨ」

「ま、マサキさん? なんで」

 

「あんたに訊くわ」

 

 

 シキがこっちに向き直る。長い黒髪が風になびいて旗のように波打った。

 

 

「自衛隊は死傷者多数。ムラクモはガトウが死んで主戦力が欠けた。……キリノが本当に電磁砲をなんとかしてくれるとしても、この状態で帝竜に挑んで、勝てると思う?」

「……それは」

 

 

 都庁攻略を思い出す。

 ナガレを失い、たくさんの死人を出し、ガトウたちが追いつめた傷だらけの帝竜は、それでも討伐するのに苦難を強いられた。万全の状態で挑んだはずの自分とシキが、満身創痍になってやっと倒せた。

 

 なら、今回は?

 

 ガトウもナガレもいない。実質、主戦力と言えるのはシキ1人だけで、ミナトとアオイは経験も日も浅い新人だ。

 ダンジョンは屋内ではなく、空中に展開される要塞。巨大電磁砲は破壊できたといっても、上層部にはまだ通常の電磁砲が残っている。ドラゴンだってそうだ。電磁砲を対処できても、そこを襲われる可能性もある。

 ダンジョン突入前にミイナが言っていた「厳しい作戦になりそうですね」の意味が、やっと身に染み込んで理解できた。

 

 崖の淵に追い詰められていることを知り、言葉が出ない自分に向けて、シキはやるしかないと断言する。

 

 

「誰かの死とか、認めたくないこととか、それぞれが抱えるものを全部無駄にしたくないなら、私たちはドラゴンを倒すしかない。そのために、強くなるしかない」

「や……やれるの?」

「やらないの? ていうか悔しくないの?」

 

 

 逆に質問されてしまう。都庁奪還作戦のときも、渋谷でSKYを相手にしたときもそう問いかけられた。

 

 

「私は相手を倒せなきゃむかつく。自分が何もできない雑魚だなんて思いたくない。どんなに理不尽な敵でも、手が届く可能性があるなら強くなってぶっ飛ばす。……けど、1人じゃ難しい。認めたくないけどね」

 

 

 腕がまっすぐ向けられた。ぴんと伸ばされた指先が、まっすぐ自分の顔を捉える。

 

 

「ガトウは私にずっと言ってた。単独だけじゃなくてチームを組めって。そして最期に言った。私の強さをチームワークに活かせって」

 

「……ガトウは言った。あんたに、私のブレーキ役になれって。……『チームを解消しろ』じゃない。私たちがこれからも同じ13班で戦っていくこと前提の言い方だった」

 

「つまり」

 

 

 風に雲が流されていく。たなびくそれは池袋の方角に向かっていた。あの帝竜の要塞に吸い寄せられているように。

 

 

「私とあんたには力があって、それを組み合わせて事に当たれば、どうにかなるかもしれない。あいつはそう考えてた。……おとなしく従うのは癪だけど、ガトウは私より場数を踏んでるし、強かったし、人を判断する目も確かよ。だから、あいつの最期の言葉を信じる」

 

 

「私たちがやるのよ」と、シキは断言する。地下道で帝竜に追われたときと同じ、絶望を切り裂く強い眼光が、茜色に染まり始めている空を映していた。

 

 

「まだ時間はある。マサキ、今何時?」

「今? ……午後4時だネ」

「作戦開始はキリノ次第だけど、明朝として……睡眠時間を引いて最低でも5時間、いければ6、7時間ね。今からみっちり訓練よ」

「く、訓練?」

「私たちには伸びしろがある。今のままじゃまだ足りない。これから新しい技を習得して、あとは持ってる技を磨く。そして、明日池袋の帝竜に挑む。……もう一度訊くわよ」

 

 

 悔しくないか、と問われる。

 

 

「いきなり現れて、全部壊しまくって、我が物顔であぐらをかかれて、悔しくないの?」

 

 

 身内を襲われ、多くを失くし、それでも竜たちは人間を抹消せんと死を迫る。

 そんな終わり方、歓迎できるわけがない。

 自分はガトウを助けられなかった。傷を癒すはずの治癒魔法は、目の前で彼の命が消えるのに歯止めもかけられなかった。

 

 

「……悔しい」

 

 

 悔しくないわけがない。悔しくないわけがない。

 悔しくないわけがないのだ、自分の力は彼を救えたかもしれないのに、弱かったから無理でしたなんて!

「手は届いたけど引き上げる力がないから離れてしまいました」など納得できるか。あそこで唯一、ガトウを救える可能性があったおまえは何をしていた!?

 

 

「悔しいよ。もう負けたくない。今度は絶対……っ!」

「だったら」

「訓練する! 強くなる!」

 

 

 竜は人間の都合など汲んではくれない。ならば自分自身が奴らの土俵を踏み越えるしかない。

 崖から突き落とされたら壁に指を突き立てろ。風雨に耐えて必ず地表まで這いあがれ。喉元に喰らいついて、最後に立ち上がることができれば勝ちだ。

 

 

「大きな怪我だって治せるようになりたい! 電磁砲だって吹き飛ばせるような力が欲しい!! シキちゃん、マサキさん、お願いします!」

 

 

 目の前の2人に頭を下げる。自分の腹からこんなに大きな声が出るなんて初めて知った。

 ようやく燃え始めた闘志によしと頷くシキに、マサキがやれやれと肩をすくめる。

 

 

「スパルタだネ。シバくんは君と違って、生まれも育ちも、戦いを知らない一般市民だったんだヨ?」

「それでドラゴンに勝てればこんなに苦労してない。……それに、もうこいつはムラクモよ。マサキ、今回はあんたにもみっちり付き合ってもらうから」

「もちろん。能力研究・開発は私の役目だからネ」

 

 

 異能力者の研究資料を持ち上げ、マサキはにっこりと笑った。

 





地の分に「!」を入れることってあまりないのでどうしようか悩みましたが、今回はミナトの竜災害に対する姿勢が変わるきっかけになったので入れてみました。


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13.リン - VS ジゴワット -

ジゴワット戦まで。

あの人まで本当にあっさり退場しすぎて初見時に「え?」と漏らしました。電磁砲ほんと許さない。



 

 

 

『おい、13班』

 

 

 ミロクの声に意識が浮上する。不思議と頭が冴えて、眠気に引きずられることなく起床することができた。

 ベッドから出て身支度を済ませる。同じタイミングで目を覚ましたシキとともにターミナルに寄ると、目もとが若干赤くなったミロクの顔が画面に映った。

 

 

「ミロク……おはよう」

『……おはよう。キリノが会議室に来いってさ』

「わかった。今から行くね」

『ああ。昨日のあいつ……ちょっとかっこよかったよな。って、本人には言うなよ? 会議室に向かってくれ。……盾、上手くできてるといいな』

「……そうだね」

 

 

 腕や脇腹を揉みほぐしながら向かった会議室では、キリノと開発班のワジ、ケイマ、レイミの4人が揃って目の下に大きな隈を作って待っていた。

 

 

「おはようございます、みなさん!」

 

「お、おはようございます……」

「キリノ、顔とテンションが一致してないわよ」

 

 

 白くなり、心なしかやつれた顔で満面の笑みを浮かべるキリノにシキがつっこむ。

 だが、昨日の今日でこうも笑っていられるとは、おそらく取り組んでいた課題は上手くクリアできたのだろう。

 普段のおとなしい様子から打って変わって、キリノの言動は晴れ晴れとしていた。自衛隊の面々が若干引いている。

 

 

「一睡もしていませんが……僕は気分最高、気分快調です! いやー、気持ちいいなあ!」

「おいおい、一晩中手伝わされた身にもなってみろよ……」

「……おまえ、楽しんでたじゃあないか」

「見たことのない素材……あの出会いと感触は……奇跡ですっ!」

 

 

 13班の武具に使われた端材ではなく、保存されていた帝竜ウォークライの素材に思う存分触れたようだ。順に喋るケイマ、ワジ、レイミも高揚しているように見える。

 周囲と自分たちの温度差に我に返り、キリノは咳払いをして、真面目な表情になった。

 

 

「……コホン。昨晩、開発班の皆さんに協力してもらい、自衛隊の兵装を強化することに成功しました。ウォークライの外翼部を削り出し、対レーザー用の皮膜を形成しています」

 

 

 赤みがかった黒い布が取り出される。異様な存在感を放ち、かつて都庁屋上で死闘を繰り広げた帝竜を彷彿とさせるそれには、有無を言わさぬ説得力があった。

 これで盾を包み、レーザーを受け止めるのだとキリノは説明する。

 

 

「非情に薄く軽いコートですが、レーザーに対しては、飛躍的に防御性能が向上しています」

 

「……それで、」

 

 

 不意に堂島が口を挟む。

 

 

「アタシたちはまた囮をやればいいんだろ」

「……」

 

「いや、いいんだ。昨日のおまえの言った言葉、嬉しかった」

 

 

 キリノを責めているわけではないと、堂島は訂正を挟みながら喋る。今までと違い今度こそ、彼女の言葉や雰囲気からは棘が消えていた。

 

 

「理屈じゃないかもしれないけどさ……アタシたちの取り戻した東京に、1人でも多くの人間が生き残るといいよな。アタシたちには、特別な才能はない。だから、ドラゴンを倒す刃になるのは無理だ。それは13班に任せるよ。……でも、盾にはなれる」

 

 

 開発班とキリノの手からコートを受け取り、出撃予定の隊員たちに渡すようにと堂島はマキタに預ける。

 向き直った顔は、誇りを持った笑みを浮かべていた。

 

 

「人を1人でも多く守るための盾だ。死ぬためにやるなんて、馬鹿げてた。……おまえのこの武装、信頼していいんだろ?」

「ええ、もちろん!」

「……やろうぜ、俺たちは自衛隊だ。人々を守る力になるんだ」

「ああ、1人でも多く生き残るために! これは『アタシたちの意思』だ!」

 

 

 意思。自分の能力を誰かのために使いたいというキリノの意思。誰かを守るという自衛隊の意思。

 チームメイトと目と目を合わせる。

 帝竜を倒す。強くなって、理不尽を乗り越える。これはきっと、自分たちの意思なのだ。

 

 

「昨日体に叩き込んだこと、忘れてないわよね」

「うん。……ありったけ、全部活かそう」

 

「……それでは、出撃開始! 総員、池袋に向かってください!」

 

 

 キリノに送り出されてエントランスに降りる。

 都庁から踏み出そうとしたしとき、裾をくいっと何かが引っ張った。

 

 

「え……、ミイナ?」

「……呼び止めて、すみません」

 

 

 ほとんど表情を変えない、人形めいたナビゲーターの少女。彼女からこんな風に近付かれるのは初めてだ。

 膝を曲げて視線の高さを合わせると、ミイナは唇を引き結び、何度か顔を上げ下げして、両手で抱えていた包みを差し出す。

 戸惑いながら受け取ると、布の間にメモ用紙が挟まれているのを見つけた。書かれている文字を読み取る。

 

 

『待機命令、出されちゃいました……私の分も……よろしくお願いします! ──アオイ』

 

「これ……」

「私とアオイは、待機だそうです……ごめんなさい……後のこと、頼みます……」

 

 

 ミイナは顔を上げない。小さく鼻を啜り、ぺこりと頭を下げて踵を返した。

 

 

「あ……ま、待って!」

 

 

 小さな手をつかむ。今度こそ何か言わなければと、必死に頭を回して言葉を探した。

 

 

「これ、ありがとう……。あの、あのさ、私……昨日、シキちゃんと一緒にね、マサキさんに見てもらいながら、訓練したんだ」

「……?」

 

 

 ミイナが不思議そうな顔をして、ほんの少しだけ振り返る。

 近しい者を亡くした少女の心に届くかはわからない。それでも何かを伝えたかった。それが何かもわからなくても、目が回り出すくらい脳を回転させ、想いを言葉に変換する。

 

 

「だから、その……帝竜には、負けないから。自衛隊の人たちと協力して、絶対勝って、帝竜の首、取って持って帰ってくるから!」

「……」

「……」

 

「……帝竜から採取するのは首ではなくて、検体と、Dzだけです」

「あ、はい……すみません……」

 

「時間厳守。さっさと行くわよ」

 

 

 結局自分は何が言いたかったのだろう。ミイナに冷静につっこまれて終わってしまった会話にうなだれる襟を、シキがつかんで引きずり出す。

 

 観測班と連携し、脱出ポイントから再び池袋のダンジョンに入っていく13班の背中を見つめ、ミイナはミロクに呼び戻されるまでエントランスに佇んでいた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 再び線路の上に降り立つ13班を、ドラゴンとマモノの鳴き声が出迎える。

 本部とつながる通信機が、ミロクの声を耳に届けた。

 

 

『おい、13班。任務を確認するぞ。目的地は要塞頂上部。自衛隊と協力し、電磁砲を破壊しつつ、進軍。そして、最終目標である帝竜を討伐する。……いいな?』

「了解」

「うん。了解」

『……みんなで、生き残ろうぜ! ──オーヴァ!』

 

「……ドラゴン反応は、まだあるね」

「ここまでは削れたけどね。上に登ればまた混戦開始……。レーザーを防ぐための自衛隊員たちもいる。被害を出さないように慎重に、けど手っ取り早く済ませるわよ」

「うん」

 

「手」

「え?」

 

 

 試すような視線をこちらに送り、シキは手のひらを見せている。

 

 

「帝竜がいるのは地上700メートル地点。ここからもっと高くなる。怖いなら、手つないでやってもいいけど?」

「え、う……」

「冗談よ。手なんかつないでたら戦えな──」

 

「? シキちゃん?」

 

 

 ある一点を見て固まるシキに首を傾げる。

 その瞳が見つめる先を追うと、見覚えのある小さな色が視界に入った。シキが歩み寄り、線路の橋に引っかかって揺れていたそれをそっと拾い上げる。

 

 

「……それ、ガトウさんの!」

「……あいつ、気に入ってたわね、このバンダナ」

 

 

 ほとんどが焦げついてしまっている紫のバンダナ。ガトウが首に巻いていた、今となっては遺品である布。

 シキはしばらくの間それを見つめ、ミナトに渡した。

 

 

「これ、あの電磁砲をくらっても消滅しなかったぐらいだから、たぶん防具として何かしらの機能があるかもしれない。あんた身に着けておいて」

「えっ!? 私!? いや、でも、ガトウさんと付き合いの長いシキちゃんが持ってたほうが……」

「いい。私があいつに守られてちゃ意味がない。それにあんたのほうが弱いんだから」

 

 

 早くと急かされ、ミナトはもたつきながら、自分の腕章に挟み込むようにして紫の布を巻き付ける。

 赤い腕章と紫のバンダナを見つめ、シキはダンジョンの上層を見上げる。

 

 

「……勝負よ、ガトウ」

 

 

 もしガトウ本人がこの場にいたら、「相変わらずだな」と呆れたかもしれない。

 そんなことを思いながら、シキはミナトと共に進み始めた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 昨日戦ったホバードラグを始め、飛行型のマモノたちを倒しながら進む。

 上のフロアに上がると、ドラゴンに見つからないよう身を固めていた自衛隊員3人が目ざとく自分たちを見つけ、見せつけるように盾を持ち上げた。

 

 

「おお、来たな13班!」

「お疲れ様です。あの、レーザーは大丈夫なんですか?」

 

 

 昨日の惨状を思い出して尋ねるミナトに、自衛隊員はにやりと笑い、キリノたちが開発したコートを指でなでた。

 

 

「この盾、なかなかの優れものだ。ちょっとした銃弾ならショックもなくはじいちまう。ただのナヨい兄ちゃんかと思ってたが、あのキリノって男、なかなかやるじゃないか」

「これがあれば、あのレーザーも耐えられそうだ。安心して戦ってくれ! よし、行くぞッ!」

 

「え、ちょ……!」

 

 

 呼び止める間もなく、1人の隊員が電磁砲の前に飛び出した。電磁砲は人間の存在を漏らすことなく反応し、何人もの自衛隊員を殺したレーザーを発射する。

 白い殺人光線と黒い盾が衝突する。自衛隊員が焼け焦げる様を想像して、ミナトは悲鳴を上げた。

 

 

「だ、だめ……早く助けないと!」

「落ち着きなさいよ。あんた、キリノたちを信用してないの?」

「そうじゃなくて、でも早くいかなきゃ……!」

 

 

 言葉を遮る大きな足音に一同が固まり、シキがちっと舌打ちをする。

 網膜に焼き付くようなレーザーの眩い光に誘われるように、ドラゴンが1体接近してきていた。長い4本足にとがった顎を持つバッタのようなドラゴン、タワードラグだ。

 

 

「しょうがない。あんたは電磁砲を破壊して。私はこいつの相手するから」

「え、わ、私1人で!?」

「つべこべ言ってると、あの自衛隊員が焦げるかもしれないわよ」

「は、はいぃ!」

 

 

 2人は同じタイミングで、反対方向に駆け出す。

 電磁砲は盾を持つ自衛隊員に照準を定めているから、よっぽど馬鹿なことをしなければミナト1人でも大丈夫だろう。シキは目の前で顎を開くタワードラグに集中することにした。

 

 

「さっさと来なさい、返り討ちにしてやるから!」

 

 

(どうしようどうしようどうしよう……もしあの人が焦げてたら……!)

 

 

 堂々とドラゴンに立ち向かうシキとは反対に、ミナトはとにかく電磁砲に技を放ち続けていた。

 キリノや開発班の腕を信じていないわけじゃない。だが、昨日嫌というほど目に焼き付いた黒く焦げる死体は、記憶から簡単に消えない。

 涙目になりながら電磁砲にとどめのプラズマジェイルを放つ。

 たて続けに属性攻撃を浴びた電磁砲は、轟音を立てて爆発した。

 

 

「だ、大丈夫ですかーっ!?」

 

 

 感極まって、シュウシュウと煙を立てる盾に向かって叫ぶ。

 数秒間を置いて、黒い盾の影からひょっこりと自衛隊員が顔を出した。

 

 

「へっへ……任務完了! 生きてる生きてる、俺は生きてるぞ!」

「あ、いき、生きてた……よかった……」

 

 

 胸をなでおろしていると、自衛隊員が心配するなと手を振る。

 

 

「俺らが守る、おまえら叩く。ちゃんと協力すればイケるじゃんか、なあ?」

「そう、ですね。これなら、今度は……」

「他の奴らもスタンバイしてる。後は任せたぜ!」

 

「そういうこと。レーザーならもう心配ないでしょ」

「シキちゃん? ドラゴンは?」

「毒攻撃にさえ気を付ければいける。電磁砲よりは固くない」

 

 

 くい、と顎をしゃくってシキが示した場所には、足をばきばきに折られたタワードラグの胴が転がっていた。綺麗にDzが切り取られた死骸を、戦闘を見守っていた自衛隊員たちが恐る恐るつついている。

 一見華奢な体でドラゴンの四肢をもぎ取る美少女の絵面に苦笑いを浮かべていると、遠方からカマチの声が飛んできた。

 

 

「おい、13班! こっちの電磁砲も頼む!」

「ほら、呼ばれてる。行くわよ」

「う、うん!」

 

 

 大きく広がるフロアを駆けずり回る。

 続いて破壊した電磁砲のレーザーを受け止めていた自衛隊員は、昨日堂島とともに特攻を仕掛けようとしていた新人の男性だった。

 

 

「ご協力、ありがとうございました!」

「腕……大丈夫ですか?」

 

 

 レーザーの勢いに押されたのか、片腕の服が焦げていた。

 新人隊員は脂汗を流しながら笑い、こっちに向かって頭を下げる。

 

 

「自分は未熟ですから帝竜との戦いには手出しできませんが……気持ちだけは一緒に戦っています! どうか、自分の分まで戦ってください!」

「あ、ありがとうございます!」

 

「電磁砲は……あと1台ね」

「ここは線路が大回りになってるな……外周を使って、うまく回り込んでくれ」

「了解」

 

 

 シキが背筋を伸ばし、遠くにある電磁砲を視界に捉えた。

 

 新人隊員のもとに自分たちを呼んだカマチが、フロアの輪から大きくずれて外に広がる線路に誘導する。

 言われた通りに進むと、異界化に巻き込まれていたのか、気を動転させて震える一般人を保護しているサスガと出会った。

 

 

「あ、おーい、13班! なあ、イコマの奴を見なかったか?」

「イコマさんですか?」

「配備表にも書かれてなくてさ。あいつ、どこにいるんだ?」

「私は……昨日、ダンジョンの入り口で声をかけられたとき以外は見てないですけど。シキちゃんは?」

「会ってない」

 

 

 イコマの人当たりのいい笑みが浮かぶ。そういえば、堂島を助けてやってほしいと頼まれたあのときを最後に、彼の姿は見かけていない。

 おそらく、怪我人か生存者の救助にてんてこまいなのだろう。昨日は他人のことを考える暇がないほど混乱した戦況だったから、自衛隊のほうでも情報の漏れがあるのかもしれない。

「ったくよぉ」と拗ねたようにサスガが唇を突き出す。

 

 

「こんな一大決戦のときに、何してるんだか……戻ったら、一緒に説教してやろうぜ!」

「あはは……。はい。それじゃあ、私たちは進みますね。お気を付けて!」

「おう、そっちもな!」

 

 

 なぜだろう。昨日よりも高い場所に来ているのに、昨日よりは怖くない。

 顔に吹き付ける風も、空気が線路の木版と木版の間を抜けて立てる音も、そこまで恐怖を煽らない。

 きっと、みんながいるからだ。名ばかりの協力体制ではない。今度こそ互いの意思を持って築かれた共同戦線が、孤独ではないと心を奮い立たせている。

 向かい風とぶつかりながら、残りの電磁砲を目指して走り続けた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「あれが最後の電磁砲ね!」

「あれさえ壊せば……! ……あれ、堂島三佐?」

「……本当だ。あの隊長」

 

 

 電磁砲から離れた場所に佇む赤髪に、走る速度が緩む。

 ミナトとシキを見つけ、堂島が片耳に手を当てた。同時に通信がつながる。

 

 

『……13班、アタシだ。聞こえるか?』

「聞こえます。あの、電磁砲はそれ以外、全部破壊できました」

『そうか。……助かる』

 

 

 途切れた会話をつなぐように、ヒュウ、と一陣の風が吹いた。

 そういえば、彼女との間にはまだわだかまりがある。面と向かって話せてもいない。

 

 気まずい空気にどうしたものかと悩み、ミナトはイコマの行方を堂島に尋ねる。

 

 

「あ、あの……サスガさんに訊かれたんですけど、イコマさん、どこにいるかご存じないですか?」

 

『……イコマ?』

 

「はい。配備表にも書かれていないと言ってまして……」

 

 

 そうだ。今は無理だが、作戦が終わった後に、イコマに挨拶に行かなければ。

 まだムラクモと自衛隊の折り合いが悪く、空気がギスギスしていたとき、真っ先に緩衝剤の役目をしてくれたのはいつも彼だった。優しい気遣いに何度助けられたかわからない。

 

「お礼をしたいんですが」と言うと、堂島は風に髪を揺らし、ゆっくりと唇を動かす。

 

 

『さっき下でさ、イコマに会えたよ』

「え? ……『会えた』?」

 

『真っ黒になっちゃってさ、顔もわかんないのに……なんでかな、ちゃんと誰だかわかるんだ』

 

「真っ黒、って……」

 

 

 比喩ではない。泥に汚れたとか、そういう話でもない。あの電磁砲に撃たれて死んだ。

 彼の名前が配備表に書かれていなかったというのは、情報の漏れでも何でもない。よく考えてみれば、国防組織の自衛隊がそんなミスをするわけがないのだ。

 

 イコマという人間は、死んだ。

 

 

「──」

 

 

 言葉が消える。頭の中が真っ白になった。

 

 

「……私、イコマさんに、頼まれたんです。堂島三佐を死なせないでやってくれって」

『イコマが……? あいつらしいな。最後まで、人の心配か』

「任せてって……答えました。私にできることを、しますって」

『ああ、だから、この電磁砲を破壊してほしい』

 

 

 堂島は他の自衛隊員同様、コートに包まれた盾を構える。

 

 

『……最後の砲台は、アタシが引き付ける。イコマには隊長が無茶すんなって怒られるだろうけど。ごめん……今だけは勝手させて。いくよ、13班!』

 

 

 堂島が電磁砲に接近した。電磁砲はぐるりと振り返り、レーザーを発射する。

 シキが肩でとん、と小突いてきた。

 

 

「……電磁砲。あれが最後。破壊するわよ」

「……」

 

 

 指示されるがままに力を振るう。最後の電磁砲は一際派手に爆発した。

 同時に堂島が片腕を押さえる。通信機は必要ない。声が聞き取れる距離まで接近すると、痛みに震える彼女の声が風に乗って流れてきた。

 

 

「つうっ……怪我、しちゃったよ。やっぱり駄目だ。アタシに実戦は向いてない。だけど……やれただろ、ちゃんと」

「まあ、立派にやり遂げたんじゃない」

「……立派に、か。あいつも……褒めてくれるかな……」

「けど、まだこれから」

 

 

 口を開けないミナトの代わりにシキが喋る。

 

 

「上には帝竜がいる。頭を討ち取らなきゃ全部終わらない」

「くっ……はは……」

 

 

 元凶の存在を指摘すると、堂島は静かに笑った。

 風に乗って散るのは粉塵だけじゃない。透明な滴が、黄金色の光に輝きながら細かくはじけていく。

 目尻からこぼれるそれを堂島は拭おうとしない。静かに笑って、泣いて、体の中の酸素を入れ替えるように深い呼吸を繰り返した。

 

 

「そうだよな、まだ何も終わってない。泣いてる場合じゃないんだな。さあ、奴を……帝竜を倒しにいこう。最後はおまえたちの仕事だ。見送りくらいは、させてくれるだろ?」

 

 

 彼女の後について上にのぼる。中枢ポイントと同じく脱出ポイントがあるそこで、5人の自衛隊員が待機していた。

 

 

「この先が、帝竜のいるフロアだ」

「わかった。……で、」

 

 

 シキが振り返る。

 抜け殻のようになって、ついてきているだけのミナトを睨み、シキは下がったままの肩を揺する。

 

 

「あんたいつまでそんな調子なの? 戦闘に集中できないなら置いていくわよ」

 

「そんな、1人で行く気か?」

「いやでも、あの子ならやれるかもしれないぞ」

「1人でドラゴン、ぼこぼこにしてたもんな……」

 

 

 後ろでぼそぼそと言葉を交わす自衛隊員に顔をしかめ、シキはミナトの肩を前後に動かし続ける。

 様子を見かねたのか、堂島が心配そうに踏み出してきた。

 

 

「おい、大丈夫か?」

「……イコマさん」

「ん?」

「イコマさん、死んじゃったんですね……」

「……ああ、そうだよ。言っておくけど、おまえたちのせいなんかじゃないぞ。変に気負うな。これからなんだろ?」

「……」

 

「……あああ、もう! 肝心なときに動けなくてどうするのよ! もういい、私1人で──」

 

 

 頭を掻きむしってシキが背を向ける。

 1、2、と歩を進めたところで、その手をミナトが捕まえた。

 

 

「……シキちゃん」

「……何」

 

「──殴って!」

 

「ふんっ!!」

「痛ったあ!!?」

 

 

 ぶあっちん、と大きな音が鳴る。

 アオイがナツメをはたいたとき以上の張り手に堂島が顔を青くし、少女の片手で数メートル吹き飛ばされる女性に自衛隊員たちがきゃーっと叫んだ。

 口に何を入れてるんだというぐらいに腫れ上がった頬を押さえ、ミナトは起き上がる。

 

 

「ひ、ひどい……気絶するかと思った」

「あんたが殴ってって言ったんでしょ? ……それに、そっちのほうが気兼ねなく泣けるでしょ。泣きなさいよ。ほら」

 

 

 なんだそのいじめっ子みたいな言い方は。

 

 

「……。うっ」

 

 

 今までどうやって押さえていたのだろう。蛇口を一気にひねったように、涙腺から涙がほとばしった。

 

 

「うっ、ぐ、うっぐっ、うぅぅ……!」

「お、おい……本当に大丈夫か?」

 

 

 顔と服を濡らしていくミナトに堂島が駆け寄る。

 涙でぼやける視界の中、胸の奥に沈殿していた思いを吐き出した。

 

 

「ごめんなさい……ガトウさんもイコマさんも死んじゃった……! 私の治癒魔法、弱くて全然使えないし、ミロクもミイナも、アオイちゃんも励ませないし……あの人たちを助けられなくて、助けてくれたお礼も言えなくて……っ」

「ああ……イコマはお人好しだから、いろんなやつらと仲良くなれるんだ。おまえたちともだったんだな」

「……私、帝竜、倒します。これ以上、犠牲者なんて出したくない」

 

 

 いつまでもぐずぐずしているわけにはいかない。10班やキリノたち、自衛隊が繋いでくれた道だ。帝竜は絶対に倒さなければ。

 

 

「シキちゃん、ごめんね。もう大丈夫。いける」

「……これであんたも死んだら、洒落にならないからね」

「うん。わかってる」

 

 

 今度は自分の両手で、挟むように両の頬を叩く。

 堂島がわずかに微笑み、自衛隊員とともに1列に並んだ。

 

 

「13班に──敬礼ッ!」

 

 

 直立し、寸分違わず揃った敬礼が贈られる。

 共に戦った仲間に見送られ、シキとミナトは要塞頂上に続く線路を駆け上がった。

 



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  リン - VS ジゴワット -②

ジゴワット戦終わり。
また1歩前進した13班でした。

※設定上、ミナトが2章では覚えられないスキルを習得しています。



 

 

 

 ―高度700m 帝竜決戦地点―

 

 

 障害物がない、一際開けた最上層に出る。

 東京を一望できる高さで侵入者を待っていた帝竜は、ドラゴンと形容するには疑問を感じるフォルムをしていた。

 

 

「竜、っていうか」

「虎、いや、熊……?」

 

 

 磁力に引き寄せられた線路、電車、瓦礫が固まる舞台を踏みしめる四肢。ミサイルのような大きな砲を背負う胴。こちらを捉える、赤い光を放つレンズのような両眼。

 空を飛ぶ竜ではなく、地を駆ける獣のような姿の帝竜に、警戒しながら首を傾げる。

 

 

『おい、13班』

 

 

 身構えるシキとミナトに、ミロクから通信が入る。

 ミロクは深呼吸を繰り返して、少年には無理がある低い声を無理矢理出す。

 

 

『「ボサっとすんじゃねえッ……! しくじったら、承知しねえぞ!」』

 

 

 あごひげを生やし、大剣を担いで笑う10班のリーダーを真似た台詞だ。

 ふっ、とシキが笑った。

 

 

「なかなか似てるんじゃない?」

『……へへ。きっと見てるよ、おまえたちの活躍!』

 

 

 ミロクは照れくさそうに笑う。

 13班は気を引き締めて帝竜と向き合った。

 

 

「街吹き飛ばしたり、厄介な電磁砲出しまくったり、ずいぶん好き勝手してくれたわね、こいつ」

「100倍……ううん、万倍返しだね!」

 

 

 ナックルが鈍く光り、クロウがマナを収束させる。

 第2の帝竜ジゴワットは、目の前に立つ人間2人を見て高らかに咆哮した。

 

 

「シキちゃん、ちょっと待って……えい!」

 

 

 ミナトが五指を伸ばし、指先から冷気を放つ。

 いつも使っている固体の氷ではなく、砂金のようにキラキラ輝く冷気がシキの体を包んだ。

 昨晩、屋上で練習していた技の1つだ。「失敗したらどうしよう」とばかり言っていたが、数えるのが億劫になるほど積み重ねた練習量は裏切らないだろう。

 

 あとは「そのとき」に上手く発動してくれることを願い、シキは真正面から堂々とジゴワットに向かって進み始める。

 

 

『シキ、あいつの背中に乗ってるのも電磁砲だ。強力だと思う。注意しろ!』

「了解」

 

 

 ジゴワットが吠える。

 獣のような姿をしているからてっきりその爪か牙で襲ってくると思っていたら、帝竜は早速、ガシャンと機械的な音を立てて背の電磁砲をシキに向けた。背後にいるミナトが慌てて射線から逃れようと走り出す。

 電磁砲のようなレーザーではない、砲弾のような電気の塊が連続で発射された。

 

 

(速い!)

 

 

 一度左に跳び、止まらず右に跳ぶ。

 ほんのわずかの時間差で発射された3発目は避けきれず、両腕を交差して防御した。

 肌の上で電気が弾け、バチバチと髪が逆立つ。麻痺にかかったと気付くのと同時に、がくりと膝が崩れた。

 体の関節が痺れて動きが鈍る。開発班が作った電気の影響を軽減する防具を身に着けていても多大な影響を与える電撃。連続してくらっては危険だろう。

 だが接近しなければ攻撃できないし、自分が注意を引きつけなければ後衛が狙われる。

 

 

「シキちゃん!」

 

 

 ミナトが手を振るう。青い光が体を包んで麻痺を取り除いた。体に出た悪影響を打ち消すリカヴァという術。これも昨日学んでいた技だ。

 やればできるじゃないかと口の端を上げ、前進を再開する。

 射撃戦ではなく白兵戦の間合いまで距離を詰められたジゴワットは、電磁砲を背に下ろして脚を曲げ、野獣のように飛びかかってきた。

 

 

「っ!!」

 

 

 振り上げられた前足を、避けずにあえて受け止める。

 小さな体に比類ない重さが襲いかかり、膝がみしりと軋む。

 頑強なデストロイヤーでも帝竜の勢いは相殺できない。体には負荷がかかるが、今に限っては相手から寄ってきてくれて好都合だ。

 

 ふわりと、セーラー服の周囲に浮かんでいた冷気が動く。

 ミナトがシキに施していた氷の鎧、ゼロ℃ボディが牙を剥き、ジゴワットの四肢が凍り付く。

 全身でつかむ大きな足を回るようにしてひねり、背後に流す。バランスを崩したジゴワットの顔に、シキはカウンターを打ち込んだ。

 

 

「まだまだぁ!」

 

 

 ひるんだ隙を逃さず、回転して勢いをつけた裏拳をくらわせる。

 銅鑼を叩くような音を響かせて金属の巨体が揺れ、その両眼の表面がわずかに欠けた。

 

 

「動かない……でっ!」

 

 

 離れた場所にいるミナトが追撃する。氷が押し寄せ、機械の体に衝突するのと同時に足場とジゴワットを接着させた。

 氷の戒めが割れないうちに、シキは握った拳を突き出す。ウエストを回し、ひねりを加えたダブルフックを叩き込んだ。

 運動エネルギーが伝わっていく確かな手応え。しかし帝竜も負けじと身じろぎ、激しい動きで氷を削ぎ落しながらシキに襲いかかる。

 

 

「シキちゃん……!」

「構うな! 自分の役割に集中!」

 

 

 肉弾戦が生み出す衝突音の嵐の向こうから、チームメイトの震える声が聞こえてくる。

 巨大な敵と殴り合う体が挫けないよう、ミナトには徹底的にキュアとリカヴァ、そしてゼロ℃ボディを使わせた。ガトウを救えなかったことを悔やみ、彼女が死に物狂いで特訓を繰り返していた治癒魔法は昨日よりも効果を発揮し、体に刻まれる傷を消していく。

 

 ウォークライのような肉と骨でできた体なら脚の1本は折ることができたかもしれない。だがジゴワットの鋼体はこの要塞を象徴するかのような堅さだった。殴っても殴っても決定打が与えられない。

 

 

(打撃が、効きにくい……!)

 

『シキ! ジゴワットが電気を溜めてる! でかいのが来るぞ!』

「くそっ! 電磁砲警戒! 防御!」

「りょ、了解!」

 

 

 至近距離で電撃をもらうのはごめんだ。上から振り下ろされた足を避け、ステップを重ねて離れる。

 ミナトに指示を飛ばすのとほぼ同時に、電磁砲が溜めていた電気を放った。

 ジゴワット自身がいる舞台が崩壊しないよう威力の調整はすると踏んでいたが、物理と違って手につかめない電撃は上手く防ぐ方法がない。強力な掃射が2人を襲う。

 

 何度目かわからない麻痺に、汗が頬を伝う。ミナトもなんとか凌ぎきったようだが、シキ同様麻痺しているようで回復行動に移れていない。

 

 敵が止まった好機を見逃すはずもなく、ジゴワットが再び電気を蓄積し始める。

 

 

「! まずい……、──!?」

 

 

 バキバキバキと足もとに亀裂が走る。

 1台、2台、3台。ダンジョンの一部となって足場を形成していた電車の車両が引き抜かれて宙に浮かぶ。

 そうだ、忘れていた。アオイが言っていたじゃないか。

 

 

『中心に、磁場があるみたいですね。線路がひしゃげるほど、強い磁力を操る帝竜……』

 

(この帝竜は電気と、磁力を操る──!)

 

 

 ジゴワットが天を仰いで吠える。

 その巨躯にため込まれていた電気が、砲弾ではなく網のように放たれ2人を襲った。

 

 

「ぐっ!?」

「い……った……!?」

 

 

 決戦地点全体に網を張るように雷の筋が走り抜ける。防御もできず呑まれた2人の視界で光が弾け、体の中が破裂するような音を聞いた。

 

 硬直する体が縫いとめられるように地面に接着される。金属の足場と、素材に金属が使われている防具が磁石のように引かれ合っているのだ。籠手をはめている左腕は完全に封じられた。

 

 

「くっそ……!」

 

 

 全身が痙攣して呼吸も満足にできないまま、右手の指を開いてなんとかナックルを外し、腰のポーチまで引きずっていく。

 仰向けに倒れたまま目だけを動かし、来るなら来いと睨みつける。

 しかし帝竜は体の向きを変え、離れた場所で転がるミナトに近付きはじめた。

 

 

「!!」

(まずい!)

 

『シバ! 逃げろシバ!!』

 

 

 辛うじて壊れずにすんだ通信機からミロクが叫ぶ。

 ウォークライ戦のときと同じだ。だが今回はシキは動けない。

 ミナトがのたうち、その指先が繰り返し上下に跳ねる。目を細めて首をひねる女性の上に、大きな影が覆い被さった。

 

 この帝竜に口はあっただろうか。見えないし、思い出すこともできない。

 獲物を捕食するように、ジゴワットの顔が上からミナトに衝突する。

 

 グシャッ、と、潰れる音を確かに聞いた。

 

 

『っ』

 

「──くっそぉぉおっ!!」

 

 

 背中を仰け反らせて絶叫する。

 浮いていた電車が鉄槌となって振り下ろされる。

 轟音と粉塵を上げて、少女がいた場所が陥没した。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 電磁砲やドラゴンが退治できていても、マモノの存在は油断ならない。

 堂島を含めた自衛隊員たちは、13班の戦いに不利益な乱入者が出ないよう周囲を警戒していた。

 シキとミナトの背中が線路を上って見えなくなったときから、彼女たちの帰りを信じ、堂島はあえて背を向けている。

 だが新人隊員が突然「隊長!」と金切り声で指を差すのには逆らえず、彼女はついに最上フロアを振り仰いだ。

 

 

「!? 何だ、あれは……!?」

「電車です!」

「それは見ればわかる!」

 

 

 要塞を構成していた電車が、ひとりでに浮かび上がっている。

 つながった複数の車両は意思があるかのようにくねり、決戦地点の一点に狙いを定めて殺到した。

 大きな震動がダンジョン全体に伝わっていく。サスガがつまずき、マキタが膝を着き、フロアの端に立っていた者は危うく足を踏み外しそうになった。

 

 

「あれも帝竜の……!? む、無理だ、無理だ! もしそんな奴が下に降りてきたら……!!」

「無理とか言うんじゃねえ! あそこで13班が戦ってるんだ!」

「その13班は大丈夫なのか……!?」

「だだだだ大丈夫に決まってんだろ!? ウォークライを倒した13班だぞ!?」

 

 

 頭を抱える隊員をマキタが毅然と、サスガがどもって一喝していく。

 

 

「13班……頼む……!」

 

 

 鉄塊が突っ込んで一部陥没している決戦地点に銃をきつく握りしめ、堂島は彼女たちの勝利を祈って目を閉じた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

『シキ! シバ! お、応答しろ!! おい!』

『じ、13班! 応答してください……!』

 

 

 ミロクが繰り返し叫ぶ。池袋の再攻略を無言で見守っていたミイナも、堪らず声を出していた。

 

 

『なんで視界情報が表示されないんだよ! 目開けろ、返事しろって! そんな奴に負けるなよ、シキ!』

『て、帝竜の首を持って帰るって言ってたじゃないですか! 起きてください! ねえ、シバ……!』

 

 

 何度呼びかけても返事はない。

 池袋の磁力に巻き込まれないよう設置したカメラが捉える決戦地点は、依然粉塵がもうもうと立ち昇り、ジゴワットらしき巨大な影しか映っていない。

 

 超電磁砲をくらって倒れたガトウを思い出す。「ウソだ」と声が漏れた。

 

 そんな、ウソだ。ここまで上手くいっていたじゃないか。自衛隊と協力して、電磁砲なんて簡単に攻略できたじゃないか。

 みんなで生き残ろうって言ったじゃないか。好き勝手してくれた帝竜に、倍返しすると意気込んでいたじゃないか。

 

 なんで、返事がないんだ?

 

 

『13班……? ……し、死ん──』

 

 

「生きてるーーーーーーーっっっ!!!」

 

 

 深海のように停滞した空気を、甲高い叫びが引き裂く。

 視界情報が再接続され、粉塵の中から飛び出したダンプカー並みの氷塊がジゴワットを突き飛ばした。

 四肢を振り乱して帝竜が転がっていく。続いて、

 

 

「勝手に……殺すなあああああーーーっ!!!」

 

 

 ッゴガン!! と、決戦地点に垂直に突き立っていた電車が跳ね飛ばされる。

 

 帝竜に向かって腕を振り抜いた姿勢のミナトと、頭上に拳を突き上げて仁王立ちするシキに、双子は驚きと喜びが入り混じった悲鳴を上げた。

 

 

『13班!! 無事だったんだな!』

「これのどこが無事に見えるのよ! 生きてはいるけど! ていうかあんたはなんで生きてんの!?」

「えっ、生きてちゃダメだったの!!?」

「そういう意味じゃない!」

 

 

 髪もセーラー服も血に染めて、陥没した場所から出てきたシキがミナトを指差す。

 仰向けに地面に縫い付けられていたためはっきり見たわけではないが、確かにジゴワットはミナトを攻撃した。彼女が潰れたであろう嫌な音を確かに聞いたのだ。

 しかしミナトは生きている。服が破れてくびれの上あたりに大きな傷があるが、致命傷とはいえない。

 

 

「あんたも私と同じで動けなかったはずよ。いったい何したの?」

「ああ、それか……いや、サイキックって、超能力って便利だよね! 頑張ればいちいち大きく動かなくても力使えるなんてさ、昨日死ぬ気で特訓した甲斐があ……」

「答えになってない!」

「あうあうあうあうっ」

 

 

 渋谷のSKY本拠地でやったように、シキがミナトの体を揺さぶる。

 ミナトは頭を前後させアシカのように喘ぎながらもシキを制し、何が起きたのかは後で説明すると言った。

 

 

「ていうか、シキちゃんだって、電車に潰されてたよね!?」

「だから潰されてないわよ! ぎりぎりパラエルとメディス使って、潰れないように踏ん張ってたの!」

「え、電車の車両複数台受け止めてたってこと? それはそれでかなりやばい気が……な、何でもないです。今は帝竜に集中しよう! ありったけの氷ぶつけたんだ。チャンスだよ!」

「わかってるわよっ。……」

 

 

 空になった麻痺症状を取り除く薬とメディスの容器を、粉塵の向こうに放り投げる。

 2本はそのまま地面に落ちるかと思いきや、空に走った電気に貫かれ、水が弾けるような音を立てて砕け散った。

 怒りの駆動音を響かせてジゴワットが粉塵を吹き払う。ミナトの氷をもろに受けた体の右側がひしゃげ、ひびが入る両眼は爛々と赤く光っていた。

 

 

「うわ……あれ怒ってるよね……」

「さっき自分でチャンスだって言ったじゃない。向こうもかなり弱ってる。畳み掛けるわよ。援護して」

「うん、了解!」

 

 

 シキは体に刺さるガラス片や鉄くずを取り除き、ナックルをはめ直して走り出す。

「気を付けて!」というミナトの声とともに、キュアが傷を治療し、ゼロ℃ボディの冷気が体を包み込む。

 まっすぐ突っ込むシキに対して再び電磁砲が動くが、照準を合わせる前にシキは横に跳んで、ジゴワットの右側に回り込んだ。

 

 

「そんなに顔が嫌なら、こっち狙ってやる!」

 

 

 パチパチと火花を散らす右前脚の関節に拳と足を集中させる。さきほどのミナトの氷に加え、ジャブからダブルフック、回し蹴りのコンボを受けた脚は、大小さまざまな部品をまき散らして瓦解した。

 

 

「もう電磁砲は使わせない!」

 

 

 マナ水を飲み干したミナトが、電磁砲ごとジゴワットの背を凍らせる。

 脚を1本破壊され、亀の甲のように氷を背負わされたジゴワットは自身を支えきれずに転がった。起き上がろうと必死にもがく脚に休まず追撃を加えていく。

 一撃一撃拳を繰り出すごとに勢いを付けていくシキは、ウォークライにとどめを刺したときのようにジゴワットの急所を探し、ミナトに氷で錐を作れと言った。

 

 

「す、錐? 錐ってこう……杭みたいな?」

「そう、円錐でも四角錐でもいいから早く! でかいの2本!」

「は、はい! 錐、すい、スイ……」

 

 

 頭の中で錐をイメージする。先が鋭く、幹が太く、堅い物でも貫くような……。

 ジゴワットの巨体に合わせ、太めで10メートルほどの長さの錐を作り上げる。

 無骨で大きなそれをシキは難なく持ち上げ、ジゴワットが電磁砲でそうしていたように、先端で狙いを定めた。

 

 

「いくわよ……覚悟しろ!」

 

 

 距離を取り、助走を付けてシキは高く跳躍する。

 

 

「くらえええっ!!」

 

 

 腕力、体重、重力、武器の重さをすべて乗せた突進が、ジゴワットの胸部に衝突する。何度も打撃を与え続け脆くなった体は押し負け、錐の切っ先が深く埋まった。

 金属が破られる耳障りな摩擦と、大きく電気が弾ける音が重なる。ぎしりとジゴワットの巨躯が軋んだ。

 間髪入れずもう1本の錐を持ち上げ、シキはそれを帝竜の頭部に突き刺す。

 さらに、自分を潰し損ねて半分に折れた電車の車両を持ち上げ、釘を打つように2柱の氷に叩き付けた。

 

 

「え、あ、あの、あの……シキさん……?」

「こいつは機械の体よ。核っぽいところを破壊しなきゃたぶん止まらないわ」

 

 

 ジゴワットはもう動いていない。しかしシキはまだ油断ならないと、巨大な得物を何度も何度も打ち付ける。

 ガンゴンベキギズボゴンと叩かれ、徐々に帝竜の体に沈み、ヒビを広げ、火花を飛ばし、ついには氷自体も崩れ始めたところで手が止まった。

 胸部に完全な風穴が空いたのを確認し、シキは頭のほうに移動する。

 

 とことこと歩き、空を仰ぐようによいしょと体を仰け反らせ、

 

 

「ふん……ぬあっ!!!」

 

 

 逆襲の鉄槌がジゴワットの頭を潰した。

 

 

「ひい!」

 

 

 勢いのあまり弾き飛ばされた金属片がミナトの頬をかすめていく。

 オーバーキル!! とアナウンスが流れそうな帝竜の残骸にシキが満足そうに腕を組んだところで、ミロクが控えめに呼びかけてきた。

 

 

『おい、13班。……帝竜の活動停止を確認した』

「や、やった……? やったね、勝った……!? ちょっとやりすぎな気もしたけど!」

「何言ってんの? こんな奴、徹底的に叩きのめしてあまりあるわよ」

『よし、サンプルを採取したら、都庁に帰還しよう』

 

 

 スンッ、と小さく鼻を啜る音が聞こえた。深く、ゆったりと息を吸って、噛み締めるようにミロクは告げる。

 

 

『……みんな、生きてるぞ』

「……うん。死にそうになったけど、生きてる」

「さてと、じゃあDz回収するから。ウォークライの時は意識跳んでたから、サンプルの回収方法教えて」

 

(……イコマさんも、いてほしかったな)

 

 

 目を閉じる。地上700メートルを吹き抜ける風は穏やかで、痛みや悲しみを優しく抱えてどこかへ運んでいくように思えた。

 

 

(……自衛隊の皆さん、イコマさん、)

 

 

 ありがとうございます。勝ちました。

 堂島三佐は大丈夫です。私なんかよりずっと強くて、立派な隊長です。

 

 今度はミナトが鼻を啜る番だった。喪失の苦しさと勝利の温かさが入り混じる胸に手を当て、ぎゅっと握る。

 てっきり怒られると思っていたが、シキは何も言わずにジゴワットの体を調べ、検体を採取していた。ミナトも自分の頬を軽く叩いて意識を切り替え、Dzの回収を手伝う。

 

 

「帝竜すごいね。盾に使った素材もそうだけど、Dzが普通のドラゴン3体分も取れるんだ」

「ま、雑魚とは段違いに強いんだから、これぐらい取れなきゃふざけるなって話でしょ。そうだ、さっき聞きそびれた話の続きだけど……眩しっ」

 

 

 Dzを仕舞いながらシキが質問しようとした瞬間、帝竜の体が明滅を始める。

 すかさずミロクが分析して、息を呑んだ。

 

 

『……!? 電磁波……!? 危ない、爆発する!!』

 

「は?」

「え?」

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「お、音が止んだぞ……。どうなったんだ?」

「電気とか、電車が動いたりとかもなくなったな……」

 

 

 自衛隊は不安そうに決戦地点を見上げていた。

 目が潰れるほどのスパークや、脳が揺れるほどの轟音、衝撃が連続して起こるのは恐怖だが、その現象がなくなればなくなったでまた不安が生じる。

 

 これは嵐が過ぎ去った後なのか、それとも更なる嵐の前の静けさなのか。

 

 固唾を飲んで、13班と帝竜の姿が見えないかと目を動かす。

 そこに、ムラクモ本部から通信が入った。

 

 

『コール、堂島三佐。こちらムラクモ本部』

「こちら堂島だ。どうした? 戦いはどうなったんだ?」

『つい先ほど、帝竜の活動停止を確認しました。……作戦成功です』

「……え、え!?」

『13班は帝竜との戦闘で負傷しています。彼女たちがそちらに戻り次第、一緒に都庁に帰還してください』

 

 

 成功の意味を理解するのに数秒かかり、堂島は自分に注目する自衛隊員らに笑顔を向けた。

 

 

「やった、やったぞ! 13班が勝った!! アタシたちの勝ちだ!」

「え……ええっ!?」

「マジかよ……!」

 

「っ~~~」

 

「よっしゃあああーーーっ!!!」

 

 

 野太い歓声が共鳴してダンジョンに響いた。

 ある者は肩を組み、ある者は抱き合い、ある者は感極まって涙を流す。

 マキタにサスガもうおーっとガッツポーズをして、やんややんやのお祭り騒ぎになったところ、

 

 

「あああああああああーーーーーーっっっ!!!!!」

 

 

 と、上から女性2人の叫びが流れてきた。

 

 

「13班だ! 帰ってきたぞ!」

「はは、浮かれてら。あの2人もあんな声出すんだな」

 

「あ、降りてきた……っておい、全身ぼろぼろじゃないか! 血もあんなに!」

「その割には結構元気だな。すげー全速力……」

 

 

「……何か、様子がおかしくないか?」

 

 

 螺旋階段のように渦を巻く線路を、女性2人が猛スピードで走り降りてくる。

 

 

「だから言ったじゃん! だから言ったじゃん! やりすぎな気がするって言ったじゃん! きっと怒ったんだよジゴワット!」

「うるさいわね! やりすぎかやりすぎじゃないかだったら何度だってやりすぎを選ぶわよ! 相手は帝竜よ!? 私たちを潰して殺そうとしたんだから自業自得よ!」

 

 

 声をキンキンと響かせながら肩を並べて走る13班に、とりあえず手を振ってみる。

 シキとミナトは、声を揃えて「走って!!」と叫んだ。

 

 

「帝竜が自爆する!!」

「どのくらいの規模になるかわからない!! 早く逃げてー!!」

 

 

 全員の顔から血の気と笑みが消えた。2人に感化されたように絶叫をほとばしらせ、てんでばらばらに走り出す。

 ぎゃあああと合唱しながら下へ下へと駆け抜ける。

 地上500メートルの中枢ポイントに転がり込んだところで、背中が強烈な光に照らされた。

 

 

 その日、東京各地に隠れていた生存者たちは、池袋方面の空に汚い花火が咲くのを目撃したという。

 





爆発落ちなんてサイテー!!!(言ってみたかっただけ)

ジゴワットが自爆した後に画面が何もなかったようにワールドマップに戻るのはシュールでしたね! 2章は次回で終わります!


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14.消えた恐怖/増えた謎 - Revenge ダイゴ・ネコ -

ジゴワット討伐後のあのイベント。

帝竜討伐直後に駆り出されるなんて仕方ないとはいえ人員不足が過ぎません???



 

 

 

 ムラクモ本部司令室。堂島たちに作戦成功の旨を告げたミイナは、自分の席に座って目の前のモニターを見上げていた。

 

 現場に出動しているムラクモの目を通して表示される視界情報のウィンドウは暗く、中央で「生体反応消失」という文字が浮かんでいる。

 日付は昨日の午後。このウィンドウを接続していたガトウが死んだ時間で止まったままだ。

 大きくていつも汚れていて、けど誰よりも頼もしかった背中も、自分のものよりずっと高い目線も、もう見られない。

 

 

「……」

 

 

 自分の髪をまとめるリボンにそっと触れた。

 

 双子で顔が瓜二つなミロクと自分の区別をつけるため、女の子だからと伸ばすことになった髪。手入れもせずに伸ばし放題だったのを見かね、ある日ガトウとナガレがこのリボンを持ってきた。

 自分たちがまとう服と腕章、ムラクモの紅と同じ赤いリボン。

 大きく武骨な手で悪戦苦闘し、ガトウはガシガシと頭をかいた。

 

 

『俺じゃあダメだな。ナガレ、お前が発案者だろ? 結んでやれよ』

『あ? できない? しょうがねえ。総長か女の研究員に頼んで結んでもらえ』

『おうおう、ずいぶんスッキリしたじゃねぇか』

 

 

 似合ってるぞと頭に置かれた手はガサガサしていて、硬くて、温かくて。

 

 ミイナは涙を流す。けれど、昨日と違って苦しくない。鼻の奥がつんとすることもない。

 うまく言葉にできない温もりと、今までの思い出と、挨拶を込めた一筋だけの涙。

 

 これから自分たちは、ずっと一緒にいてくれた2人を追い越して進んでいく。

 もう頭は撫でてもらえない。肩に手は置かれない。背中は叩いてもらえない。

 ……寂しい。けど大丈夫。

 振り返ったそこに何も見えなくても、2人が笑って手を振ってくれている気がする。

 

 遺体を見てもガトウが死んだと受け入れたくなくて、モニターの端に寄せていた彼用のウィンドウを、ミイナは静かに閉じる。

 

 

「……さよなら、ガトウ」

 

 

 ついに接続が切れたウィンドウに別れの言葉を呟いた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「……みんな、よくやってくれたわ!」

 

「うっ」

「わぶ」

 

 

 会議室に入った瞬間、シキとミナトはナツメに抱きしめられた。

 体の所々に血が滲んでいるのも気にせず、目一杯の抱擁で2人を迎えたムラクモ総長は体を離し、優しい手つきで頭をなでる。

 

 

「貴重なサンプルは使ってしまったけど……作戦が成功したのなら、なによりだわ」

 

「……だが負傷者は多数出てしまった。ふがいないが、うちの隊長もだ」

 

 

 13班とキリノが挨拶を交わす様子を見守っていたマキタが、堂島の代理として現状をナツメに報告する。

 前々から発案されていた医療設備の拡充。今回の作戦で死傷者が多数出てしまったのもあり、今すぐにでも取りかかりたいところだが。

 

 

「……医務室の改修は?」

「はい、話は進めています。ただ……必要な資材が、まだ届いていません。補給部隊の帰還が遅れていて……」

「何か連絡はあったの?」

「現在、音信不通です……帝竜の自爆のせいで、通信機が麻痺してしまったのかもしれません」

「参ったわね……」

 

「……」

「……」

 

 

 腕を組み、眉を寄せて閉口してしまう上司2人を見て、シキとミナトは顔を見合わせる。言葉にせずとも互いに言いたいことはわかっていた。

 

 ジゴワットも帝竜の肩書きを持つ通り桁違いの強さだったが、今回はスキル開発を進めていたこともあって、気を失わずに勝つことができた(死にそうになったことには違いないが)。

 負け惜しみのような大爆発から逃れて池袋を出た後は、都庁に帰る車の中でできる限りの治療はした。アオイからの差し入れも腹に収めたため、体力にはまだ余裕がある。

 

 

「あの、私たちまだ動けます。大きな傷は処置済みなのでたぶん問題ないです」

「こっちも医務室でちゃんとした治療受けたいし、そういうことはさっさと終わらせたほうがいいんじゃない?」

 

 

 帝竜と戦った直後で出動を申し出る13班に一同は目を見張る。

 だめだと止められないのは、13班が行ったほうが1番確実だということを全員わかっているからだ。自衛隊の中にも動ける者はいるが、彼らはマモノはともかくドラゴンへの対抗手段を持っていない。

 

 キリノが目を伏せ、ナツメが「そうね」と申し訳なさそうに頷いた。

 

 

「お願い、13班。補給部隊を迎えに行ってもらえないかしら? ドラゴンに襲われている可能性もあるわ。様子を見てきてほしいの」

「補給部隊は首都高を通って物資を集めている。たぶん、その道中にいるはずだ。

 目的地のおおよその位置は、ミロクに頼めば算出してくれると思う。ムラクモ本部で話を聞いてみてくれ」

「了解」

「了解です」

 

 

 では早速と背中を向ける。歩き出そうとしたとき、「シキ、シバさん」と名前を呼ばれて振り返った。

 呼び止めてきたナツメは微笑を浮かべている。ガトウを失って帰還した際に見せた非情な司令の顔ではなく、信頼と感謝の念を漂わせる優しい女性の笑顔だった。

 

 

「……ごめんなさいね、色々と。あなたたちがいてくれて、本当によかったわ」

 

「別に。ドラゴンを倒すのは私たちの役目だし」

「お役に立ててよかったです」

 

 

 検体サンプルとDzを預け、ジゴワット討伐の報を聞いた職員や作業員から祝いと労いの言葉を受け取りながら、ムラクモ本部に向かう。

 ドアを開けると、奥のモニター前で作業をしていたナビの2人と、その傍らにいたアオイがバッと振り返った。

 

 

「来た! お疲れ、13班」

「……お疲れ様です」

「センパイ! お帰りなさい!」

「ただいま」

「あれ、アオイちゃんも?」

「一度ここに来るとお聞きしたので、待ってました」

 

 

 アオイもある程度元気を取り戻したようだ。笑顔で出迎え、シキとミナトそれぞれに頭を下げる。

 

 

「センパイ、帝竜のこと……ありがとうございました」

「いや、お礼を言われるようなことじゃ」

「そんなことないです。センパイたちがいなかったら、今頃どうなってたか……。キリノさんにね、私が落ち込んでいたら、ガトウさんの死に失礼だって言われました……」

 

 

 一語一語呼吸を整えて喋りながら「そうですよね」と自分に刻むように言い、アオイは顔を上げる。雲に隠れていた太陽が現れるような、迷いを晴らした表情だった。

 

 

「だから私、胸を張ります。間違ってなかったぞ、って……!」

「そうよ、ナガレもガトウもいなくなった今、10班の戦闘員はあんただけなんだから。しっかりしなさいよ」

「はい、センパイたちに追いつけるように頑張ります!」

「あと、からあげ弁当うまかった」

「あ、食べてくれたんですね。心を込めて作った甲斐がありました!」

 

 

 シキと話すアオイの影から、ミイナがそっと顔を覗かせた。

 数秒瞳と瞳で見つめ合う。ミイナは何か言いたいことがあるのかもしれないが、言葉が見つからないのか唇を小さく開いては閉じてを繰り返すだけだった。こちらから話しかけてみる。

 

 

「……ごめんね、首持って帰るって言ったのに。ジゴワット自爆しちゃったからさ、Dzとサンプルしか回収できなかったよ」

「……それで、大丈夫だと思います」

 

 

 ミナトに応えて、ミイナはためらいがちに笑顔を作った。

 

 

「アオイだけの10班は、少し頼りないですが……これから一緒に、頑張ってみます」

「うん。頼りにしてるね」

「はい」

 

 

 ミイナに笑い返す。ガトウのことについてはもう心配ないだろう。彼を始めたくさんの人が亡くなった事実は傷跡として残るけれど、ただ痛かったで終わらせないためにも、都庁に集まる人間たちで進んでいくのだ。

 

 

「キリノから聞いてるよ。補給部隊の位置、算出しておいた」

 

 

 ミロクが自分の席のモニターを指差し、複数のアイコンが浮いた地図を見せる。

 場所は首都高1号線。物資の補給部隊の反応は、ここで消えてしまったらしい。

 ジゴワットの爆発が原因かどうかはさておき、物資も人員も行方がつかめないのは死活問題だ。

 

 

「最後の通信からずいぶん時間が経ってる……急いだほうがいいかもしれないな」

「そうだね。早く迎えにいかなきゃ」

 

「……ところでおまえら、体は平気なのかよ?」

 

「うん? 体?」

「い、いや、任務が続いてるからな。さっきまで帝竜と戦ってたんだし、運動量からしても結構な値だし、何か問題が起こる前に、って……!」

 

 

 心配してくれているのかと尋ねる。ミロクは気まずそうな表情を作った。「いや」とか「別に」を繰り返し、そっぽを向いてわざとらしく咳をする。

 少年ナビはシキとミナトのぼろぼろになった全身と血に染まる包帯を指差し、貴重な戦闘員が倒れてしまうのは困るからと早口で説明した。

 

 

「が、ガトウも言ってただろ。おまえたちはムラクモの主力なんだから、体調管理はきちんとしなきゃいけないんだぞっ」

「わかってるわよ。そのためにこれから補給部隊迎えにいくんだから。じゃあ行ってくる」

「行ってきまーす」

 

 

 3人に手を振ってムラクモ本部を出る。エントランスのワジの道具屋でメディスとマナ水を補給し、シキとミナトは首都高に向かった。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 風の音が寂しげに響いていた。

 ドラゴン襲来の際に乗り捨てられたのだろう。乗り手のいない車が何台も放置され、道路は障害物走のコースのように混沌としている。

 

 

「ここは異界化してないね」

「フロワロも少ない。強いドラゴンがいるとは考えにくいけど……」

 

 

 首都高を歩きながら、今までの経験と照らし合わせて考えた。

 ムラクモの研究者は、フロワロはドラゴンの存在の象徴であり、ドラゴンがいなくなれば自然と消えると分析している。実際その通りで、都庁や池袋を攻略したときは、ダンジョンを中心とした一帯のフロワロが払われた。

 山手線天球儀から見下ろした街が光に包まれ、ベールのように覆い被さっていた赤色を散らせて元の景色に戻った光景は、今も鮮明に思い出せる。

 

 

『おい、13班。補給部隊は、たぶんこの辺りにいるはずだ。……ん、なんだ? 人かいるぞ?』

 

 

 指定されたポイントまで進むと、レーダー上に複数の生体反応が現れた。

 自衛隊だろうかという予想はすぐに消える。防衛組織とは正反対の、派手な軽装の人間がぞろぞろと進み出てきたのだ。

 日本人の顔つきに、染めた髪色と金属のアクセサリー。風に乗って漂うヤニの臭い。

 

 既視感のある出で立ちと不遜なニヤニヤ笑いに、2人で「ああ……」とため息をつく。

 

 

「おいおいおーい、ダレだぁ、チミタチ? こっから先は、通行禁止だぞっと」

「残念だけど、引き返してくれるゥ? ここ、ウチらSKYの縄張りだから──って……また、あんたたち!?」

「げ、あのムラクモかよ……」

 

 

 威圧的に歩み寄ってくる相手も、自分たちを思い出したようだ。まぶたに過剰にアイラインを引いた女性、イノがたちまち笑みを引きつらせて1歩下がる。

 渋谷で(主にシキに)据えられた灸がよっぽど効いているのか、SKYメンバーである4人の男女は逃げ出すタイミングを見計らうようにじりじりと後退していく。

 

 

「や、やべーって! ここは、ネコさんとダイゴさんに任せようぜ……」

「あ、ああ……」

 

『……ネコ? ダイゴ? もしかして、補給部隊はSKYに襲われてるのか? 嫌な予感がする……急ごう、13班』

「渋谷とここって、そこそこ距離あるよね……いつの間に縄張り広げたのかな?」

「広げたんじゃなくて、勝手にそう言ってるだけでしょ。行くわよ」

 

 

 シキが大きく踏み出せば、4人は慌てて道を空ける。

 戦意の欠片もない下っ端たちを置いて先に進むと、1人の自衛隊員と見覚えのある2つの背中が道路の中央で対峙していた。

 

 

「このっ……!」

 

 

 自衛隊員は背後の輸送車をかばうように銃を構えた。相手2人は素早く身を躍らせ、嘲笑うように射線から逃れる。明らかに常人離れした身のこなしに、自衛隊員は悔しそうに歯噛みした。

 女性がくすくす笑って猫耳が着いたフードを揺らす。

 

 

「あらら~♪ おとなしく言うこと聞いてくれれば、怪我しないですむのにさ?」

「黙れ! おまえらなんかに、この大事な医療物資を渡せるか!」

「ふ~ん……? じゃ、ちょっとばかり……痛い目にあってもらうしか、ないよね?」

 

「恐喝の次は強盗?」

 

 

 シキが腹から発声する。

 毅然とした声は風に乗って首都高に流れ渡り、今まさに動こうとしていたネコとダイゴを振り向かせた。

 

 

「おっと、やっぱり来ちゃったか」

「……やはり、おまえらの仲間か」

 

「た、助かった……そいつらが物資を奪いにきて──」

 

 

 SKY幹部の2人の向こうから、補給部隊の隊員が震える声で助けを求める。

 しかしそのSOSが聞き捨てならないのか、ネコが勢いよく振り返ってとんでもないと口を挟む。

 

 

「あのね、うちらだって、最初は話し合いで解決しようとしたじゃん? そっちがまるで取り合わないから、仕方なく奪うハメになってるんだっつーの!」

「う、うるさい! みんなが……この医療物資を待ってるんだ!」

 

「……それがないと怪我人の治療ができないんです。渋谷で、『カツアゲはこっちの統制ミスだ』って言ってましたよね? 奪うなんてどうして……」

 

 

 ミナトが、渋谷でアオイを助けた際に遭遇したダイゴの言葉を訴える。

 ダイゴはバツが悪そうに顔を歪めたが、頭を横に振って引き下がらない意思を示した。

 

 

「ま、そっちの言い分はわかるが、俺たちにも事情があってな……おまえらが、このまま引き下がってくれるなら手荒な真似はしないですむんだが──」

 

 

 対立する自分たちに向かって、ダイゴがまるで気遣うような言葉を口にする。

 彼の視線が自分たちの体の包帯に向いていることに気付き、シキが「余計なお世話よ」と指の骨を鳴らす。続いてミナトも身構えるのを見て、彼は深く息を吐いた。

 

 

「……と言って、納得する連中じゃないか。仕方ない……。……ネコ。悪いが、こいつらにお引き取り願うぞ!」

「ほいほ~い♪」

 

「渋谷での借り、ここで返すわよ!」

「うん、今回ばかりは負けられない……!」

 

 

 相手側に事情があっても、引き下がるわけにはいかない。

 言葉で通じ合えないのなら力で。もはや暗黙の了解となった方式に従い、13班とSKYは相対した。

 

 

「怪我人が無理しちゃって。うちら、弱い者いじめする趣味はないのに」

「弱いかどうかは、私たちに負けた後に判断してくれる?」

「ふ~ん……? ならいくよ、べろべろべーっだ!」

 

 

 駆け出すシキにネコが舌を出す。同時にシキの体を妖しい光が包んだ。

 

 

「……?」

「どうした、来ないのか?」

「うるさいわね、今……ぶっ飛ばす!」

 

 

 振り上げられた拳がダイゴに直撃する。しかし彼は少し眉をひそめただけで、巌のように道路を踏みしめる足は1歩も動かない。

 

 

「ぬん!」

「っ!」

「攻めてくよー! 凍っちゃいな!」

 

 

 おかえしとばかりに振り下ろされる拳を間一髪かわす。

 アスファルトの地面が簡単に窪むのを見て息を呑むシキに、ネコが氷を放って追撃した。

 迫る氷に今度はミナトが飛び出し、こちらも迷うことなく氷で迎撃した。薄青の剣山は互いを噛み砕き、冷気を放つ欠片が陽光に煌めきながら道路に散らばる。

 

 隣まで飛び退ってきたシキにミナトはリカヴァをかける。シキは両の拳を開閉しながら自分の調子を確かめた。

 

 

「大丈夫? さっきのあの技で具合が悪くなったりとか……」

「……上手く力が入らなかった。そういう効果があるのかもね」

「リカヴァは効いた?」

「たぶん。あんたはサイキック女の相手して。私はあの筋肉男、今度こそぶん殴る」

「わかった」

 

 

 冷静に話し合う2人に渋谷のときとは違う何かを見出したのか、ネコが探るように目を細める。

 

 

「あれ、怒りんぼちゃんに地味子ちゃん、ちょっとはやるようになったみたいじゃん?」

「誰が怒りんぼちゃんよ」

「……地味子は余計……」

「な~に~? 聞こえない……よっと!」

 

 

 ネコが冷気を操る。ミナトが応戦して首都高一帯の空気が冷えていく中、シキは再びダイゴに突進した。

 

 

「正面からぶつかってばかりで勝てると思っているのか」

「自分の心配したら? 帝竜に比べれば、あんたなんかアリみたいなもんよ!」

 

 

 拳と拳の衝突が空気を震え上がらせる。

 自衛隊員が補給車の荷台に、グチたちが車の影に避難してハラハラと見守る中、2対2の勝負は拮抗する。どちらの攻撃も平等に受け止めるアスファルトが削れる音が何度も響いた。

 

 シキは攻めを繰り返しながら、マサキの助言を思い出した。

 

 

『シキ、果敢に攻めるのは良いことだけど、君はもう少しデストロイヤーの特性を理解したほうがいい』

『自分の肉体を武器にするヘヴィファイターでしょ? 何が違うの』

『攻撃だけなら誰でもできる。ただデストロイヤーは、鋼のように頑健な肉体そのものが利点なんだヨ。破壊力の高い武器になり、すべての攻撃に耐えうる盾にもなる。だから、ただの速攻だけじゃ効果が薄い』

『なんですって』

『シキは意識してないみたいだけど、「D深度」も活用するに越したことはない。どの異能力者よりも重い技を放てる君の特権ダ』

『……デストロイ深度』

『そう。総長直々に教育を受けてきた君なら知っているだろう? デストロイヤーの拳は、その重さゆえに攻撃を当てた相手の体に余波を残す。上手く攻撃を重ねれば波は大きくなり、より破壊的な一撃を叩き込めるのさ。その感覚をつかむことができれば、かなり役立つはずだよ』

 

『合言葉を覚えておこう。いいかい?』

 

 

(『辛抱強く』、『確実に』!)

 

 

 目の前から迫る一撃を、籠手で受け流して衝撃を逃がす。

 ジゴワットの爪痕が残る腕が痛むが、耐えられないほどではない。

 

 

「っ……らあ!!」

「ぐっ!」

 

 

 入れ違いに雄叫びを上げ、正拳突きを打ち込んだ。

 

 

 小さな拳から伝わる衝撃が、波紋のように体の奥にまで響く。

 打ち崩されることはないものの、何度拳を交えても勢いを保ったまま着実に一撃を届かせてくるシキに、ダイゴは舌を巻いた。

 

 

「ダイゴ何やってんの!? そんなチビさっさと……」

「シキちゃんの邪魔しないで!」

「あーもう! こいつナマイキ!」

 

 

 少し離れた場所では、少女のパートナーであるサイキックの女性もネコ相手に善戦していた。術を衝突させては薬をあおり、隙を見てシキの回復もこなしている。ドラゴンたちを相手に立ち回ったことで、思ったよりも成長したようだ。

 

 猪突猛進なだけの少女と素人の女性という印象は、既に過去のものとなっていた。

 2人の腕ではためくムラクモの腕章、その深紅が以前よりも鮮烈に見える。

 

 ダイゴたちはこの2人が首都高に来る前に何をしていたのか知っている。

 頬に貼られたガーゼや手足に巻かれた包帯のこともあって痛めつけるのは気が引けていたが、認識を改めよう。こちらも出せる力は出さねばなるまい。

 

 

「ネコ、正念場だ!」

「オッケー! いくよ、ダイゴ!」

 

 

 ダイゴが声を張る。ネコが軽快なステップでミナトから離れ、逆巻く冷気をダイゴの腕に誘導させた。

 シキとミナトはすぐに気付いた。渋谷で自分たちを蹴散らした技だ。しかも前より大きく、強い。

 

 

「これでぶん殴っちゃって!」

「狼藉御免……!」

 

 

 ダイゴがその巨体に似合わぬ動きで迫る。

 回避することも考えたが、自分たちが立つ首都高は左右に壁があって逃げ場がない。拳の衝撃も巻き起こる氷の波も、隙間を埋めて殺到してくるはず。

 

 

「ちっ……! 下がって!」

 

 

 防御してもただではすまないだろう。覚悟を決めてシキはミナトを背に回す。

 しかしその腕をつかみ、庇うはずのパートナーは前に躍り出た。

 

 

「は!?」

『シバ!? 何考えてるんだよ!』

 

「おらあっ!!」

 

 

 ミロクが悲鳴に近い声を上げ、一瞬ダイゴも驚きの表情を浮かべたが、ためらうことなく氷の槌となった拳を振り下ろす。

 銅鑼を何重にも重ねたような破砕の音が轟き、地にクレーターが刻まれる。

 迫る衝撃と氷の嵐をミナトは受け止め、

 

 ビキッ、とその姿がひび割れて消えた。

 

 次の瞬間、ダイゴとネコの間に彼女が降り立つ。

 

 

「何……っ」

「にゃ!?」

 

「っそれ!」

 

 

 その両手から稲妻がほとばしり、SKYの2人を正確に貫いた。

 

 ネコが悲鳴を上げて背から転がる。ダイゴは辛うじて立っていたが、体が痙攣して動きが鈍い。

 味方が作った道と隙は見逃さない。両脚に力を込め、一息で肉薄する。

 真正面からの攻撃だが、麻痺で身動きが取れないダイゴに防ぐ術はなく、

 

 

「取ったあっ!!」

 

 

 槍のような渾身の飛び蹴りが胴を打つ。

 圧迫された体から息が吐き出され、ダイゴはついに地に膝を着いた。

 



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  消えた恐怖/増えた謎 - Revenge ダイゴ・ネコ -②

後半です。ちょっとした因縁が見られる回。
※弊13班の設定を挟むためオリジナル展開っぽくなります。



 

 

 

「よっし!」

「やったぁ!」

 

 

 先日は歯噛みして見上げることしかできなかった相手が地に膝をつく。

 雪辱を晴らした13班は声を揃えてガッツポーズを作った。

 

 

「ぬ……!」

「……こ、こんなに強かったっけ?」

 

「ウソだろ、ダイゴさんとネコさんが!」

「ちょっと、マジで!?」

 

 

 自分たちのリーダー格が勝つと信じて疑わなかったSKYメンバーたちが走り寄ってくる。

 仲間に助け起こされながら、ダイゴは自分たちを下したシキとミナトを両眼でしっかりと捉えた。

 

 

「……これが……アイテルの言っていた『狩る者』の資質か……」

「あ~も~! ダイゴのせいだからね! こんなやつら、助けなきゃよかったんだよ……」

「……」

「シカトかよ……」

 

「……俺たちの負けだ。だが、このままスゴスゴと帰るわけにもいかん」

 

 

 麻痺が残る手足をばたつかせて過去を後悔するネコには応えず、ダイゴは進み出る。

 まだやる気かと身構えるが、ついさっきまで放っていた戦意はない。

 

 

「ムラクモよ、頼む。物資を、少し分けてもらうことはできないか?」

 

 

 ダイゴは広く強固な背を前に倒し、誠意を持って頭を下げてきた。

 予想外の行動に呆気に取られ、体から力が抜ける。

 

 

「えっ、え?」

「何よいきなり。今更頼まれたって、」

「おまえらと同じように、俺たちにも仲間がいる。……こんなご時勢だ。怪我人も、病人もな」

「……」

 

 

 ネコが唇を噛み締める。

 グチたち4人も悔しげに俯いたり、気まずそうに爪をいじったり、ダイゴに倣っているのか、会釈程度に首を傾ける者もいた。

 

 勝敗がついてあっさり解散するかと思っていたが、まさかこんなことになるとは。どうすればいいのだろう。そもそも自分たちが勝手に物資をあれこれしていいものなのか。

 シキとミナトはしばらく固まり、目を合わせ、ダイゴたちを見、また目を合わせて、最後に補給車の荷台から顔を覗かせる自衛隊員を見た。

 

 

「え、え~と……ここは、君らに任せるよ。君らがいなきゃ、奪われてた物資だしさ」

「ええ? そんな……」

『オレも、この件はお前らに任せるよ。言わないほうがいいなら、本部にも黙っとく』

「ミロク、あんたまで……」

「渡すなら、君らから渡してやってくれ……俺は見てない、ってことで」

「あ、ちょっと!」

 

 

 車両から飛び出して駆け寄り、2人に医療物資の一部を押し付け、隊員はまた車両に戻っていく。

 シキが睨むのにも気付かない振りをし、彼は荷台に積まれた物資の影でわざとらしく口笛を吹き始めた。

 ありがたいはずの医療物資をシキは厄介そうにもてあそぶ。

 

 

「……渡す義理、ある?」

「……うーん……」

 

 

 SKYたちの切羽詰まった表情が偽りだとは思えない。異能力者の集まりとはいえ、ドラゴンやマモノが徘徊する渋谷で生活している彼らも「被災者」なのだ。

 数分前まで叩き潰さんと戦っていた相手だが、助けを求める声を無視して去ることには間違いなく罪悪感がつきまとう。耳にはまる通信機に助けを求めた。

 

 

「……ねえミロク。この通信、他の人には聞かれないよね? あとで記録を探られたりとかもない?」

『……ちょっと待て。……おいミイナ……』

 

 

 通信機の向こうで椅子が軋む音がした。同じく司令室で業務をこなしているであろうミイナと二言三言交わし、ミロクは小声で「大丈夫だ」と言った。

 

 

『ミイナも何も言わない。ログも削除しておくよ』

「ナツメさんには」

『聞かれてないし、言わない』

 

「オッケー。わかった、ありがとう。……シキちゃん」

「言うと思った」

 

 

 はああ、と大きくため息をつきながらも、シキはSKYたちに向かって歩き出し、ダイゴの数メートル手前に物資が入った袋を置いて戻る。そしてミナトがリカヴァを使い、ネコとダイゴから麻痺を取り除いた。

 体を癒す淡い光に目を丸くし、2人は渡された医療物資を確認する。

 

 なんだか渡した自分たちも気まずくなってしまい、シキとミナトはあさっての方角を向いた。ダイゴとネコの声が風に乗って耳に届く。

 

 

「……感謝する」

「とりあえず、お礼は言っとくよ♪ ……ありがと」

 

「……別に」

「まあ、『困ったときはお互い様』って言葉もありますし……」

 

 

 今更になって、これをナツメが知ったらどうなるかと危機感を抱く。彼女は顔を真っ赤にして激高するだろうか。それとも優美な笑顔のまま親指を下に向けるタイプだろうか。

 

 そんな想像は、補給車の向こう側から1人の男が姿を見せたことで終わりを迎えた。

 

 

「あっ」

「あんたは……」

 

「タケハヤ……!」

 

 

 ダイゴの声が驚きを帯び、足取りの重い青年を止めるようにネコが傍に駆け寄る。

 

 

「だ、だいじょーぶなの!? ムリしちゃダメだって──」

「……るせェな、平気だっつの。それより、」

 

 

 ネコの声を遮り、しかめっ面がニヒルな笑みに変わる。

 ダイゴたちとの戦いではなく、帝竜ジゴワットとの戦闘でできた傷を負うシキとミナトを見て、タケハヤはご苦労なことだと肩をすくめた。

 

 

「池袋の戦い……見てたぜ。あのバァさんらしい、ゲスい作戦だな。まったく、ホレボレしたよ」

 

「それは……!」

 

 

 場の空気が剣呑なものに変わる。反射的に口を開くが、様々な思いが喉で絡み合って言葉が出ない。

 

 否定はできない。確かに非人道的な作戦だったと思う。後半の作戦が上手くいっただけに、前半の問題が余計浮き彫りになった気もする。

 結局ミナトが紡ぐことができたのは、同意寄りの言葉だった。

 

 

「……そう、かも、しれないですけど。でも……」

「おまえさぁ……そう思うんなら、辞めようとか思わねぇの?」

 

「辞めてどうすんのよ」

 

 

 間髪入れずシキが叩き返した。ムラクモを辞める選択肢など存在しないと言い切る少女に、SKYもミナトも注目する。

 

 

「辞めてどうすんの? 今、衣食住と生活環境が一番整ってるのはムラクモの拠点よ。対ドラゴンの戦力が集まってるのもムラクモの拠点。ドラゴンの分析、道具と装備の開発、拠点の改修に、防衛に回る自衛隊。必要なものが揃ってるあそこを抜けて、どこに行けって?」

「ふん、もう染まっちまった、てか……?」

「ナツメの考え方にって意味なら大外れよ。勘違いしないで。あいつの部下イコール忠誠を誓ってるわけじゃない。私はあいつのためにじゃなくて、ドラゴンを狩るためにムラクモにいる」

 

 

 親指を立てて斜め後ろにいるミナトを示し、シキはきっぱりと自分の考えを述べていく。

 

 

「戦力が増えて、やっと帝竜とも渡り合える状況になってきた。一番確実な方法を捨てて、何の補佐もなしにあいつらに突っ込んでいくほどバカじゃないってだけよ」

 

 

「戦力」。

 間違いない、シキは自分のことをそう言った。

 不意にくらわされた言葉に頬が熱くなる。しかし今はシリアスな雰囲気だ。唇を噛んで、顔が緩みそうになるのを堪えた。

 

 タケハヤは一見納得したようにふーんと頷くが、シキへの問いは止まらない。

 

 

「なるほど。……なら、ドラゴンを狩り尽くした後はどうなんだ?」

「は?」

 

「ドラゴンがいなくなって、世の中が平和になったら、おまえはどうするんだ?」

 

 

「ドラゴンの存在なんか知らない、あいつらが現れるずっと前から、どうしておまえはムラクモにいた?」

 

 

 タケハヤの問いに、今度はシキが目を見開いた。まるでそんなことを問われるとは思っていなかったというように。

 

 

「? シキちゃん……?」

 

 

 音もなく、言葉もなく、固まるシキの口から酸素が抜けていく。

 ドク、ドク、ドク。何回鼓動が鳴っただろう。沈黙する首都高の上、私が、とシキがかすれた声を出した。

 

 

「……私が、私の、ずっと前……?」

 

「……話は変わるが」

 

 

 言葉を遮り、タケハヤはすっと目を細める。

 

 

「この間の話は考えてくれたか? こっちに来るのか来ないのか」

「な……」

「どうなんだ?」

 

 

 この間の話というのは、おそらくSKYへの誘いのことだろう。けれどあれは冗談ではなかったのか。

 この男の真意がつかめない。

 ネコとダイゴも訝しげにタケハヤを見つめる。

 

 再び沈黙が訪れ、まったく動かない少女を心配するミナトは、自分の目を疑った。

 

 

「──」

 

 

 シキが俯いた。

 目を逸らした。何者に対しても、どんな状況でもまっすぐに立ち向かう少女が。

 目の前の青年から逃げるように。自分に投げかけられた問を拒絶するように。声も出さず、睨みもせず、真っ先に。

 

 異常なまでに動揺する彼女は頭を下げ、見開いたままの目を自身のつま先に向ける。

 

 その様子から返答は得られないと判断したのか、「だんまりかよ。残念だ」とタケハヤは呟いた。

 

 

「……ま、それでも? 2匹の帝竜を狩ったのは、たいしたもんだ」

 

 

 話は終わりだというように青年は背を向ける。

 

 

「おまえらが、アイテルの探してる奴らなら……俺たちとは、また会うことになるな」

 

「あ、ま……待って、待ってくださいタケハヤさん!」

 

 

 声をかけられるとは思っていなかったのだろう。ミナトが呼び止めると、彼は驚いたように振り返る。

 

 

『ドラゴンの存在なんか知らない、あいつらが現れるずっと前から、どうしておまえはムラクモにいた?』

 

 

 渋谷で言葉を交わしたときから疑問に思っていた。その疑問が、今のやりとりとシキへの言葉、彼女の様子で確信に変わった。

 

 

「何を知ってるんですか? あなたは……ムラクモについて、何か知ってるんですよね?」

「ああ、知ってる」

 

 

 知りたいという欲と教えてもらえるかもしれないという希望は、

 

 

「ま、何も知らずに命令に従ってるバカどもよりは……知ってんじゃねぇかな」

 

 

 答えてもらえず、ばっさりと切り捨てられた。

 

 

「さてと……ネコ、ダイゴ、行くぞ」

 

 

 タケハヤは仲間を呼び、もう一度だけシキを見やる。

 依然視線を下げたままの少女を見つめるその目が、ほんの少し歪んだように見えるのは気のせいだろうか。

 

 

「あばよ」

 

 

 今度こそ背を向け、青年とSKYの面々が去っていく。

 

 彼らの後ろ姿が小さな点になったところで、補給車の中で息を殺していた自衛隊員がほーっと息を吐いた。

 

 

「なんかよく、わからないけど……とりあえず助かったよ」

「あ、はい……」

「んじゃ、都庁まで送るから後ろに乗ってくれ。みんなを待たせてる……飛ばすぞ!」

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「……これ、君らが必要な物らしいね。先に渡しておくよ」

 

 

 車から降りたミナトたちに医療物資を引き渡し、自衛隊員は自分の口の前に人差し指を立てる。

 

 

「SKYとの話は秘密にしとく……たぶん、そのほうがいいんだよな?」

「そうですね、どうか秘密でお願いします」

「もちろん。今日はとんだ厄介に巻き込まれたよ……。でも、君らのおかげで無事に輸送任務を完遂できた。ありがとう! じゃ、俺はこれで!」

 

 

 緊張状態から解放されたことでテンションが上がったのか、隊員は爽やかな笑顔で走り去っていった。

 

 

『ふぅ……これで医務室が改修できそうだな』

「あ、ミロク! その」

『わかってるよ。秘密、だろ? オレはキリノに完了報告を出しておくから、改修のほう、おまえらに任せたぞ。……オーヴァ』

 

「……」

 

 

 ミロクとの通信も切れる。

 ミナトは都庁前に置かれた医療物資とシキを交互に見て、どう振る舞えばいいかさんざん悩んだ結果、いつも通りの調子でいくことにした。

 何も覚えてませんよという風に努めて明るい声で少女に呼びかける。

 

 

「シキちゃん、これ、中に運んじゃおう。ほら、自衛隊員さんたちもそうだけど、私たちもユキさんとかナミさんにちゃんと治療してもらわなきゃ」

 

 

 今日最後の仕事だと物資を運び込む2人を、ミヤとアオイが出迎える。物資とともにDzも渡し、準備万端で待機していた建築班は早速医務室の改修に取りかかった。

 改修と言っても、部屋は清潔に掃除され、寝具や薬品棚などは都庁の中で調達できているし、医療器具もムラクモの医療班のものがある。

 補給部隊が病院から回収してきてくれた薬品や包帯、機器を備え付ければ、即席ではあるがちゃんとした医務室が完成した。

 労われるのと同時に「あなたたちも治療!」とナースに引っ張られてきた13班を、先に治療を受けていた自衛隊が笑顔で迎えた。

 

 

「……あ、13班! おまえらが、補給物資を取ってきてくれたんだって?」

「まったく、おまえらにはいつもオイシイところを持ってかれちまう……ちょっと悔しいよ。……あれ? 何か怪我が増えてないか?」

「あはは、ひと悶着ありまして……」

「……まったくよ。あいつらいい加減にしてほしいわ」

 

 

 ミナトに続いてシキがサコン隊員に答える。

 不意に口を開いたのには驚いたが、調子を取り戻しつつあるように見える少女に、ミナトは聞こえないように安堵のため息をついた。そこにマキタが話しかける。

 

 

「この前の作戦だが、その……うちの隊長、少しは隊長らしくなってきたよな? ガトウさんや、おまえたちのおかげだと思う。自衛隊を代表して礼を言うよ。俺たちの隊長を……死なせないでくれてありがとう」

「いえ、そんな……こちらこそ、本当にありがとうございます。みなさんにはとても危険な役目を任せてしまって」

「なんてことないさ。俺たちは守りのスペシャリストだぜ。なっ?」

「いっててて……へへっ……名誉の負傷です!」

 

 

 椅子に座っている新人隊員の肩がバンと叩かれる。一瞬うめいて脂汗を流すが、新人は誇らしそうな笑みを作ってみせた。

 

 

「せっかくだから、リンの様子でも見てってくれよ。今さっき、薬を打ったから……起きるかどうか、わからないけどさ」

 

『……おい、13班。報告が完了した。今日の仕事は終わりだ。よく働いたからな、ゆっくり休め。……オーヴァ』

 

 

 マキタとミロクからそれぞれ言葉を受け取り、シキとミナトはベッドに横たわる堂島を覗き込む。

 

 

「……」

 

 

「大丈夫そうだね」「じゃないと困る」と控えめに話す2人の背中と、穏やかな寝顔の堂島を見つめ、マキタは一足先に逝ってしまった彼を思った。

 いつも軽口ばかり叩いているムードメーカーで、常に人と人の橋渡しをし、同僚である堂島を最初から最後まで心配していた、彼のことを。

 

 

「雨降って地固まる……か。隊長はよくやったよ、なぁイコマ……」

 

 

 入隊して武器を手に取った瞬間から覚悟はしていた。ドラゴンに襲われるなんて想像していなかった事態の中、何度も地獄を見たけれど。

 大勢の仲間が死んだ痛みは胸の底で淀んでいる。同時に、わずかにでも世界に光が差しているのを、確かに感じた。

 まだ現実味がなく、負の感情に呑まれそうになるけれど、今あるものとしっかり向き合おう。顔を上げて歩まなければ。

 

 無理をしないようにと看護師に注意を受ける13班を見て、マキタは深く息を吐いた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 ベッドの上で、シキがシーツを殻に丸くなって眠っている。

 窒息してしまわないだろうかと心配しながら自分のベッドに横になろうと片足をかけたとき、小さくドアがノックされた。こんな時間に誰だろう。

 

 

「はーい……」

 

「……失礼、よく眠れてるかい?」

 

 

 そっと開けると、廊下の窓から差し込む月光を背に、キリノが立っていた。

 

 

「このところ、あまりにハードだったから、少し様子を見ておこうと思ってね」

「えーと、医務室で診てもらったので特に問題はないと思うんですけど……シキちゃんも起こしたほうがいいですか?」

「いや、彼女は夕方に済ませてしまったから、君だけで大丈夫だよ」

 

 

 部屋から出てドアを閉める。夜更けの廊下は静かで、人がいないためか少し肌寒い気もした。

 

 そういえば、ドラゴンは夜行性なのだろうか。傷の具合を確かめられながら考える。新宿、池袋辺りのドラゴンが討伐できたとはいえ、討ち漏らしがあるかもしれないし、別の場所から移動してくることもあるかもしれない。人の気配を嗅ぎ付けて、都庁が襲撃される、なんてことはないのだろうか。

 さらに、生殖機能があって、繁殖が可能だとすれば……。

 

 ぶるっと背筋を震わせる。こうして夜にぐっすりと眠れるのは、当たり前のようで奇跡なのだ。

 

 

(いや、でも、昼間あんな活発に動いてるんだから、きっと夜はぐっすり眠ってる、はず……かも……)

 

 

 大昔生き物は、暗闇の中では獲物を捕らえられず無駄にエネルギーを消費してしまうため、夜に睡眠を取るようになったという話を聞いた気がする。

 真実かどうかは置いておき、それに当てはめれば、ドラゴンも夜に活動を休止するのではと希望的観測で思考を終わらせる。

 

 携帯器具でテキパキと検査を進めていたキリノがうんと頷いた。

 

 

「よし……問題ない。惚れ惚れするくらい、強靭な肉体だ。僕にもこんな体があれば、君たちと一緒に前線で戦えたのにな」

「そ、そうですか」

「……そ、そうだ。ちょっと雑談したいんだけど、迷惑かな?」

「そんなことないです」

 

 

 前半の言葉はセクハラになりませんかというツッコミは抑えておく。

 眠気で上手く回らない頭で頷くと、キリノは何やら落ち着かないように体を揺らし、小さく声を出した。

 こんな時間になぜとも思ったが、冷静に考えればキリノの様子は少し不自然だし、真夜中に訪ねてきたのも気になる。雑談とは名ばかりで、相談事かもしれない。

 

 突っぱねる気にはなれず、ミナトはキリノの横で壁に背を預けた。

 

 

「こっちもいろいろ、お話を聞きたかったので」

「……よかった。僕は意外と口ベタでね……どう切り出したらいいか、困ってたんだ」

 

 

 ミナトと同じように壁に寄りかかり、キリノは意を決したように口を開く。

 

 

「今回の……ナツメさんのこと、君はどう思った?」

「今回……池袋の作戦のことですよね」

「ああ」

「作戦は、ひどすぎると思いました。……前に、ガトウさんが言っていたんです。『それが戦争ってヤツだ』『アホな指令に従って死ぬのも……兵隊の仕事のうちってことだ』って」

 

 

 実力と経験があり、戦うことを生業としていた人間の言葉だ。今まで守られていた側だった自分には決してない、重さと説得力のある言葉だった。

 しかしそれゆえに、納得もしたくなかった。そんなむごいこと、真実だと肯定したくない。

 

 

「ドラゴンにとっての戦力を大事にするって考え方はわかります。でもそれは、たくさんの犠牲を払ってもいい理由にはならないと思うんです」

「そうか……」

「ウォークライの盾、本当にすごかったです。ムラクモも、自衛隊もみんなひとつになって、帝竜を倒せました。だから……みんなで全力を尽くせば、犠牲を必要としなくたって、ドラゴンには勝てますよね? 私たちは死ぬためじゃなくて、生きるために戦ってるんですよね?」

「うん、そうだ」

 

 

 同意をもらえたことに安堵する。

 思いを吐き出し空になった胸で呼吸をする。しばらくの沈黙の後、今度はキリノが自身の思いを語り始めた。

 

 

「ナツメさんは真面目だけど、少し不器用なところもある人でね。誤解されることも多いけど、悪気があるわけじゃあないと思うんだ……君たちにも、感謝してるはずだよ」

「それは……わかってはいます」

「……理解してくれてありがとう。なんだかんだ言っても、僕はナツメさんのことを尊敬してるし、信頼してるんだ」

 

 

 不意に柔らかくなる声にどきりとした。気付かれないように、そっと横目でキリノを見上げる。

 月明かりの銀色に照らされる彼は優しく笑っていた。まるで目の前の空に浮かぶ月がナツメであるかのように、憧憬の眼差しで見上げている。

 

 

(あれ、)

 

 

 これは、もしや。

 

 むくりと野次馬根性が首をもたげる。

 いやいやまさか、決めつけるのはまだ早い。キリノとの付き合いは浅いが、今までの彼を見る限り、研究が恋人というタイプの人間じゃないか。

 だが、しかし。

 

 

(……そういうことですか!?)

 

 

 表情筋を引き締める。なんでもない風を装い、視線を自分の前の壁に戻して質問した。

 

 

「キリノさんは、本当にナツメさんを信頼なさってますね。どうしてですか?」

「それはやっぱり……憧れの人だからだろうな」

「ほう? 憧れの人」

「ああ、憧れって言ってもい、異性として……ってわけじゃないよ? ムラクモの一員として、さ」

「そうなんですかー……」

 

 

 はたしてそれは本当かな、と謎のテンションで問いたくなる。まさかこんな殺伐とした世界で上司と恋バナまがいの会話をする日が来るとは。

 好奇にうずく邪な心を沈めるために深呼吸を繰り返す。

 隣にいる部下がにやにやしていることなど露ほども知らず、キリノは話を続けた。

 

 

「……ナツメさんは、武術も座学も一通りこなせるうえに、研究者としても大きな成果を残してきた。ミロクたちも、実はナツメさんの研究から生まれたんだよ。遺伝子の情報を操作して、常人離れした記憶野を持つ天才児を生み出したんだ」

 

 

 にやけ笑いが消える。

 思いがけず知らされた双子の出生。だが以前にしていた予想が的中しただけだ。そこまで驚きはしない。

 いろいろと悶々とするところはあるが、今すぐに答えを出せるものではないだろう。それに、ミロクとミイナに対する自分の姿勢は変わらない。時間をかけて、仲良くなることができればと思っている。

 

 

「ナツメさんは、君たちのように特化したS級の能力は持ってないかもしれないけど……あらゆる場面でA級の才能を発揮できる、上に立つ人間として理想的な人だと思うよ。……っと、ちょっと喋りすぎたかな」

 

 

 手首に巻かれる腕時計を見て、キリノは壁から背を離す。

 

 

「僕は仕事に戻るよ」

「え、まだ寝ないんですか?」

「研究者の仕事は、君たちが帰ってきた後なんだ。少しでもドラゴン研究を進めておかないと。君たちは、まだ疲れが取れてないだろう。もう少し体を休めてくれ」

「あ、はい。おやすみなさい……」

 

 

 キリノが廊下の角を曲がって見えなくなったところで思い出す。

 しまった。タケハヤのことを聞きそびれていた。彼とムラクモについて尋ねたいことがあったのに。

 

 

「いや、言わないほうがよかったのかな……?」

 

 

 首都高でSKYと出くわしたことは、当事者である13班と補給部隊員との間での秘密なのだ。タケハヤのことを質問すれば、何があったのか勘繰られてしまう。

 彼の言葉とシキの様子が今も胸中でぶら下がり、自己主張するように揺れているが、こればかりはナツメやキリノに知られるわけにはいかない。自分で考えるしかないのだ。

 

 

「……」

 

 

 新しい帝竜を倒して状況はマシになったかと思ったが、依然、謎は多いままだ。まだまだ先は長い。

 自分を見下ろす月に背を向け、ミナトは部屋に入った。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 世界が崩壊しても、地球の自転は止まらない。

 東から昇った日が、木々とビルの間を通して早朝の渋谷に優しく降り注いでいる。

 

 ねぐらから出てきたアイテルの青い髪が美しく輝く。朝日を反射する白いマントをまとう神秘的な出で立ちは宝石のようだ。宝石など見たこともないが。

 タケハヤは眩しそうに目を細めながら、仲間の具合を尋ねた。

 

 

「……怪我人の様子はどうだ?」

「落ち着いたわ……ダイゴとネコのおかげね」

「ムラクモの、だろ……。ちっ……あんな奴らに借りを作るとはな……」

 

 

 帰った後でネコとダイゴに詳しく話を聞いた。

 ムラクモの2人の女は、予想以上に強くなっていたらしい。負けた上に、サイキックの方に麻痺の治療もされたとぼやくネコは実に悔しそうにして、静電気でバラバラに浮く髪をなでつけていた。

 池袋の帝竜と戦って満身創痍だった人間にやられるとは油断したものだ。いや、それだけ向こうが成長していたということか。

 

 少しずつ頭角が見え始めた彼女たちは、全てのドラゴンに一矢報いる刃になるかもしれない。

 だがそれを視野に入れても、「ムラクモに」属しているということが、はらわたを煮え繰り返す。

 

 タケハヤの仏頂面を見て、アイテルが穏やかに語りかけた。

 

 

「……ムラクモのことは、今の私たちには、過去の話だわ」

 

「……わかってるよ!」

 

 

 思わず声を荒げる。

 わかっている。頭では理解できているのだ。

 

 

「確かに、いつまでも過去の亡霊に縛られてちゃ仕方ねぇ。だが、拭い去れねぇんだ。俺の体からも……記憶からも……」

 

 

「もう昔のこと」なんて陳腐な表現では片付けられない。

 何千何万という針が生える穴に突き落とされたように、全身が苦しみで埋め尽くされたあの過去。現実に存在した胸糞の悪い生き地獄は、消えない負を体に刻んだ。

 

 それを推し量り、自身も味わうように目を閉じて頷き、アイテルは赤い瞳でタケハヤを見つめる。

 

 

「……わかってる。そして、その苦しみの始まりは……私。だから、タケハヤ……残された時間は、せめて自分のために生きて。もう、私のことは――」

 

 

 いつまでも自分を守ってきてくれていた彼を、これ以上傷だらけにするわけにはいかない。

 

 アイテルが言いかけた瞬間、タケハヤの体がくの字に折れ曲がった。

 

 

「グッ……!」

「タケハヤ!」

 

 

 駆け寄ったアイテルの足もとに、ぼたりぼたりと脂汗が落ちる。

 タケハヤの顔は崩れ落ちそうなほどに歪んでいた。全身は小刻みに震え、青い血管が皮膚に浮き、立てられた爪が衣服の布ごと胸板に食い込んでいる。

 

 体が苛まれる中、彼の口だけが弧を描いて笑っていた。

 

 

「ぐっ……はは……はははは! 大丈夫だ……こんなもん、おまえの、長い苦しみに比べれば……! クソみてーなモンだっつーの……」

「でも……」

 

「もう時間がねぇ……」

 

 

 あばらの下で激しく脈打つ鼓動を感じながら顔を上げる。

 

 脳裏で赤がちらついた。あの2人の左腕に巻かれている赤だ。

 獅子のような姿勢で勇猛に攻めかかる少女に、後方支援を行うどこか頼りなさげな女性。2人組はまだちぐはぐながらも、場数を踏んで着実に成長している。

 

 

「あいつらが……『狩る者』なのか……直接……俺たちが試してやるよ……」

 

 

 もし違っていたそのときは。

 

 黒髪をなびかせる少女を思い出す。小さな体にセーラー服をまとい、どこからどう見ても子どものくせに、その身に不釣り合いな力を持っている女の子。

 

 シキという名を聞いたときから疑問に思っていた。その疑問が、昨日のやりとりと彼女の様子で確信に変わった。

 気に食わないのは、彼女自身が「わからない」という顔で当惑していたことだ。

 どういうことかは容易に想像がつくが、確かめる必要もある。

 

 もしその通りであれば。

 

 

「あの腕章、力づくでもひっぺがしてやる……もうてめぇに好き勝手はさせねぇ……!」

 

 

 朝を迎えた空に向かい、青年は渇いた喉で吠えた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

『……帝竜「J」認識。「J」登録……DC解析率、90%』

 

 

「残り、あと1つ……」

 



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後日談-2

これで2章は終わり。
次回から3章掲載開始です。



 

 

 

 鋭い動きを繰り返す体に空気が振り回され、ブンッ、と音が生まれた。

 手足の全てが空を切る。物足りない。

 それはそうだ。受ける相手がいないのだから。

 

 

「……」

 

 

 いつも通りの訓練のメニューはこなした。時間を確認して屋内に引っ込む。

 時刻は現在午後20時。体の感覚は普段と同じ。夕食はほとんど消化され、あと1、2時間すれば空腹になるはずだ。

 避難民が利用する居住区とは別の、ムラクモ専用のシャワー室に入る。汗に濡れた肌着と下着をカゴに放り込み、端のスペースに入った。

 鉄製のコックを思い切りひねる。

 

 

「……っ、冷たっ!」

 

 

 頭に冷水が降りかかり、自分の声が響く。そこでシキはようやく我に返った。

 いつから自分は意識を失っていたのか。いや意識はあったが、ほとんど無心だった。

 何も考えず、ただ体に刻まれた感覚のままに訓練をこなし、この部屋に入ってコックに触った。この間、頭は空っぽだった。

「ぼーっとする」なんて、よほど疲れていない限り時間の無駄になる。何かすることはないか。

 ……そうだ、現状を確認しよう。

 

 徐々に温まるシャワーが治りかけの傷にしみる。気が抜けるのを防ぐにはちょうどいい。ジンジンと肌を這う痛みを頼りに、シキは自我を頭の中央にたぐり寄せる。

 今までの成果を振り返ろう。良い点、悪い点をまとめ、次に繋げるために情報を整える。

 

 

(帝竜を2体倒した。ムラクモと自衛隊の結束も前よりはマシ。あいつも……なんだかんだいってついてきてる。治癒魔法も前より効果が出るようになってた)

 

 

 ドラゴンたちとの戦いはギリギリだ。だが崖っぷちに追い込まれるからこそ、こちらも目に見える成長がある。

 反対に、今まで受けた被害は……、

 

 

(1番痛いのは、ガトウとナガレがいないこと。事実上、機動10班はもう戦力が……)

 

 

 そこまで考えて、頭を洗っていた手が止まった。

 

 ガトウ。そしてナガレ。

 

 ドラゴンが来るよりもずっと前、幼かった自分の訓練が始まる前にムラクモと関係を結んでいた1人と、その数年後に入ってきた1人。

 今よりもずっと背が低かった頃を思い出す。体格も技術も未熟すぎた自分は彼らに勝てないのが悔しくて、時間があれば勝負を挑んでいた。ガトウは今と変わらず豪快に笑い、ナガレは少し困ったような柔和な笑みで相手をしていた。

 

 ……いや、してくれていたのか。

 

 戦うときの体捌きを教えてくれた彼はウォークライ戦で倒れ、自分の技を何度も受け止めてくれた彼は超電磁砲を止めて散った。

 そうだ、2人はもういない。訓練中、なにか物足りないと思ったのは……、

 

 

「……?」

 

 

 裸の胸に手を当てる。あばらの内側、心臓とは違うどこかが、何かが軋んだような気がした。 

 

 

「! ああもうっ」

(何よこれ、ぼーっとするな!)

 

 

 先に行こうとする思考を押し止める。

 対ドラゴンから脱線しかけているじゃないか。これ以上、形のない考えに浸って何になる。

 髪を振り乱して頭を左右に振った。湯が飛び散り弾けて大きな音が連鎖する。

 体を洗い、包帯とガーゼを交換して寝巻きに着替えた。早くストレッチをして、消化の良い物を少し食べて、しばらくしてから眠ろうと計画を立てつつ部屋に向かう。

 

 

「あ、あの」

 

 

 少し先の床を睨みつけながら歩きはじめたところを、誰かに呼び止められた。

 

 

「何よ──アオイ?」

「はい、アオイです!」

 

 

「こんばんは!」と会釈しながら、10班唯一の戦闘員がぱたぱたと駆けてくる。

 なぜだかわからないが、この年上の後輩を見ると少しだけ気分が凪ぐ。裏表のない礼儀正しさに感化されるのだろうか。

 眉間からしわを消す自分に、アオイは少し緊張した様子で背筋を伸ばした。

 

 

「お疲れさまです! あの、帝竜討伐、本当にありがとうございました!」

「それもう聞いたけど」

「あ、そうでしたね。でも、改めて言いたかったんです。……それで、あの」

 

 

 いつものはつらつさとは違い、口ごもるアオイに首を傾げる。

 悪いがこっちは暇じゃないのだ。できれば早めに予定を済ませて睡眠時間を確保したい。

 促すようにあくびをすると、アオイは慌てて口を開いた。

 

 

「ああ、すみません! ……あのう、センパイたち、いつも自主トレしてますよね?」

「してるけど。それが?」

「それ、明日から私も参加させてもらえませんか!?」

 

 

 なんだ、そんなことかと瞬きをする。

 

 

「私、今回の作戦で色々至らないところがあるなって……今さらなんですけど、思ったんです。ほんの少しでも強くならなきゃって。だからお願いします。センパイたちの訓練、私も混ぜていただけないでしょうか!」

 

 

 断る理由はない。むしろアオイはミナトより動ける前衛タイプの異能力者だし、歯応えのある組み手ができそうだ。

 

 

「別にいいけど。やるからには毎日続けなきゃ意味ないわよ」

「はい、もちろんです!」

「……じゃあ明日からね。最低でも午前・午後・夕方で基礎トレとスキルの習得をする。あと勉強も。ムラクモ本部フロアにマサキって奴がいるからそいつ訪ねて」

「は、はい! よろしくお願いします!」

 

 

 ありがとうございますーと手を振って去っていくアオイに背を向け、13班の部屋に戻る。ミナトがマサキからもらったサイキックの資料を広げたまま、ベッドの上で爆睡していた。

 部屋の電気は点けっぱなし。勉強中に寝落ちしたのか。ため息を吐いて彼女に掛け布団を重ねる。

 

 泣くわ吐くわで騒がしいが、彼女は死にも諦めもせずここまで戦い抜いてきた。

 無茶振りしないわ、なんてナツメが言ったはずが、ムラクモに入ったその日から帝竜討伐に付き合わされたこともあって彼女の成長は著しい。次々と新しい術を覚えている。

 

 

「『デコイミラー』、だっけ」

 

 

 先日の帝竜戦で発揮し、首都高でSKYの2人と戦ったときにも見せた技。

 帝竜もダイゴもネコも見抜けない、というか自分もわからなかった。

 術者を守る虚像の盾。囮の鏡。さすが特異能力者と言うべきなのか、摩訶不思議なスキルだと思う。

 池袋からの帰り、自衛隊とともに乗り込んだ車の中、ミナトは帝竜戦前に真っ先にこのスキルを覚えたと言っていた。

 カウンターにつながるゼロ℃ボディといい、臆病な彼女らしい「守り」の選択。

 相変わらずビビリだが、有用性はとても高い。

 

 この調子をキープできれば、自分もアオイもさらに成長できれば、次の帝竜も倒せるはず。

 

 

(そうだ。立ち止まってる暇はない)

 

 

 のんびりするのもぼーっとするのも、全てが終わってからだ。ドラゴンに負けてしまえば、なにもかも無になってしまうのだから。

 部屋を片付けて明日の着替えを用意する。

 シャワー中に胸を蝕んでいた虚無感を忘れ、シキはいつも通りストレッチを始めた。

 



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CHAPTER2 あらすじ

 各チャプターごとにあらすじとその時点で載せられる主人公2人の情報を設置しました。話の内容をざっくり把握したいときにどうぞ~。


 

 

 

   CHAPTER 2

天の超電磁砲 The Jigowatt

 

 

 ~あらすじ~

 

 

 人命救助、都庁の改修、装備とスキルの習得。地道に作業を進めているとき、地下とは別に帝竜の反応が確認された。

 新たな脅威、池袋上空500メートルから放たれる巨大レーザー。一発で街をクレーターに変えた兵器を止めるため、ムラクモと自衛隊は池袋に向かう。

 作戦は、道中の電磁砲を自衛隊が身を呈して防ぎ、ムラクモが進むという非情なもの。次々と犠牲者が出ていき、ついには特攻をしかける堂島たち、止めようと飛び出したアオイを庇ったガトウが死んでしまう。

 

 ドラゴンに対抗できるムラクモを優先するあまり、自衛隊を捨て駒としていたナツメは本作戦から離脱。キリノのもと作戦を見直し、一同は再び帝竜を目指す。それぞれの仲間の死を乗り越え、ムラクモと自衛隊は結束。帝竜ジゴワットの討伐を成し遂げた。

 

 一件落着後、負傷者のための医療物資が届かないと聞き、13班は首都高へ。そこで再びSKYのネコ、ダイゴと遭遇して戦闘に突入。帝竜たちとの戦いで成長したシキとミナトは渋谷でのリベンジを果たす。

 強奪は阻止したが、ダイゴの頼みを足蹴にできず、2人は物資の一部を分けることにする。それを受け取りつつもその場に居合わせたタケハヤは、ナツメへの不信を、そしてシキとムラクモについて疑問を抱かせるような発言を残していった。

 

 * * *

 

13班メンバー

 

【飛鳥馬 式 / アスマ シキ】

 スチューデント♀ / デストロイヤー / ボイスタイプG(S.R様)

 主人公その1。ムラクモ出身のチート気味女子。性格キツめ。

 ムラクモ機関が家でもあるので基本作戦や命令には従うが、納得できなければ躊躇なく異を唱える。

 古株のガトウとはナビたちと共に幼少の頃から面識があった。池袋作戦後に手合わせの先約をしていたが、彼が殉職して叶わぬものに。

 都庁でナガレ、池袋でガトウ、知り合っていた者たちが次々といなくなることに関してはほぼ痛みを感じていない……少なくとも、現時点ではそこまでの情緒がない。

 

【志波 湊 / シバ ミナト】

 サイキック / ボイスタイプC(H.Y様)

 主人公その2。一般家庭出身。ヘタレ。後々成長するんで……。ビジュアル未定/なしの方です。

 ガトウを助けられる可能性を逃してしまったため、自責の念が大きい。今回はそれを闘志に変換し、「自分が死なないように」だった意識が「自分以外の誰かも助けられるように」という前向きなものに変わった。

 氷属性と治癒魔法を鍛えまくり、支援・回復役としては及第点。

 

 

 主人公については物語が進む中で情報を追加・編集していきます。

 



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CHAPTER 3 終わらない月夜  The Lore-A-Lua
15.ミッドナイトパープル


3章掲載開始。四ッ谷も四ッ谷怪談もよく知らない。
ちょっと用事があるので早めに投稿しました。



 

 

 

───────────────

CHAPTER 3 終わらない月夜

   The Lore-A-Lua

───────────────

 

 

 

 

「おい、13班……起きろ。召集だ」

 

 

 ミロクの呼びかけに、いつもなら返ってくるはずの挨拶はなかった。

 

 池袋攻略作戦の疲れが尾を引いて深く眠りこけているのか。いや、あれからしばらく経った。医者監督のもと、怪我の治療も休息も充分にできたはず。

 繰り返し呼んでみるものの返事はない。寝言どころか何の物音もしない。

 

 

「おい、おい……13班! おい、ねぼすけ!」

 

 

 返事はない。

 ずっと前に、声をかけても起きない人間に向かって誰かが使っていた「ただの屍のようだ」というフレーズが脳裏をよぎる。

 一応、プライベートを過ごす部屋なので、都庁の個室にカメラはない。

 入り口付近に設置してあるターミナルだけでは室内の確認ができず、13班の姿が視認できないことが不安を増加させた。

 

 ウソだろ、と司令室を飛び出そうとして、あることに気付く。

 

 

「あ。そうだ、もしかして……」

 

 

 ターミナルではなく、少女と女性の通信機それぞれに通信をつなげる。

 案の定、部屋ではなく都庁前広場から反応が2つ確認された。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 ビュッ、バッ、と鋭く空気を切る音が響く。

 シキが白くしなやかな四肢を振るうたび、汗の珠が宙にちりばめられて朝日に輝く。

 

 仮想の相手と組手をするように力強く舞う少女を遠目に眺めながら、ミナトは自分の指先に意識と精神力を集中させていた。

 

 

「うー……ん」

 

『スキルというとネ、何か特別なことのように感じるだろう? しかし実際は、単に「君の体が元から備えている力」だ。日本語が喋れますとか、自転車に乗れますと大差はないんだヨ』

『つまり何が言いたいかって、もっと当たり前にスキルを使えってことサ。じゃないとこの先、厳しいヨ?』

 

 

「ふん!」

 

 

 意を決して、待機させていたマナを外に出す。

 爪の先が発熱して空気が蜃気楼のように揺らいだ途端、思い出すまいとしていた瞬間が集中をこじ開けてよみがえってくる。

 酸っぱいものが胃からこみ上げ、耐えきれずに後ろに転がった。

 

 

「ぶはっ! ……ああ、ダメだ……」

「……さっきから何してんの?」

 

 

 地面に大の字になるミナトにシキが歩み寄ってくる。

 投げられたタオルを顔で受け取りながら、マサキのアドバイスを思い出して火が使えないかどうか試してみたが上手くいかないと正直に答えた。

 

 ドラゴンが地球に飛来してからそれなりに時間が経った。倒した帝竜はウォークライとジゴワットの2体。

 シキに感化され、毎日自主訓練をするようになってからは異能力が着実に成長していた。今日も今日とて新しいスキルの習得と、既に獲得している術の修練に取り組んでいる。

 

 ムラクモ試験のあの日からどれだけ成長したのか。今使えるスキルを属性・用途別に、スマートフォンのメモ機能に打ち込んでみる。

 

 

『氷…

 ・フリーズ

 ・ゼロ℃ボディ

 

 雷…

 ・エレキ

 

 空…

 ・プラズマジェイル

 

 防御…

 ・デコイミラー

 

 回復…

 ・キュア

 ・リカヴァ』

 

 

「うーん……」

 

(……技名って誰が考えてるんだろう)

 

 

 という疑問はさておき。

 

 何が足りないのかはわかっている。火だ。火属性のスキルが一切ない。

 だからこうして訓練しているのだが、一向に改善されない。火が出る予兆を感じるだけで、ウォークライの火炎が頭の中を埋め尽くす。恐怖が吐き気になり、すべてを体の外側に押しやるように流れ出てしまうのだ。

 ガスコンロもライターも、どんな状況、物であれ火がまったくダメになってしまった。おかげで自炊ができない。死活問題である。

 

 キリノやナツメ、医務室にいるナースや医者たちがカウンセリングをしてくれるが、それでも前進しない。

 何かいい方法はないものか。

 

 大きくため息をつく。するとポケットにしまってある通信機からミロクの声が流れた。

 

 

『おい、13班!』

「あ、ミロク」

「おはよう、ミロク」

『ああ、おはよう……って、そうじゃない。外行くなら前もって言ってくれ』

 

 

 専属ナビゲーターが朝に呼びかけてくるということは、自分たちに出動が要請される案件が来たということだ。

 モーニングコールに感謝を込めてミロクに礼を言うと、彼は微妙に声をうわずらせて「別に」と返した。

 少年がそっぽを向く様を想像していると、その声がふと真剣なものに変わる。

 

 

『四ツ谷で新たな帝竜が発見された。至急、会議室に集合してくれ』

 

「帝竜……!」

「これで3匹目ね」

 

 

 熱くなって戦車の上に脱いでおいた服を片付ける。動き続けていたのに疲れを見せないシキは、肌着の上にセーラーを着て、丈の短いスカートから伸びる脚にサイハイソックスを履いていく。

 布地に包まれていく柔肌と少女を眺めながら、ミナトはふと先日の夜中にキリノから聞いた話を思い出した。

 ミロクとミイナは、ナツメが生み出した命。2人の呼び名は愛称で、正式な姓名があるわけではない。

 

 ではシキは?

 

 彼女は、自分に親はいないと言っていた。ガトウとのやりとりや戦闘慣れした様子を思い出す限り、おそらくミロクたちのように昔からムラクモにいたと推測できる。

 彼女も、生まれたのではなく、生み出されたのだろうか。

 

 

(いや、でも姓名があるし……)

「何ぼーっとしてんの。行くわよ」

「あ、うん」

 

 

 思考が途中で中断された。

 尋ねてみたいが個人の深いところに突っ込んでしまう話だし、たぶん答えてくれないだろう。

 

 

(……私、この子のこと何も知らないなあ)

 

 

 ムラクモ試験で出会ったときよりは意思疎通ができているが、やっぱりまだ距離がある。

 

 シキ本人にそのつもりはないかもしれないが、彼女は自分に喝を入れてここまで引っ張ってきてくれた。こちらが親しみを感じるには充分なやりとりを重ねてきている。

 もう行きずりだけの縁ではないと思う。だが、仲良くなりたいという願望は余計なのだろうか。

 

 頭の中で複雑に絡み合う念を払って屋内に入る。会議室には一足先に訓練を終えていたアオイを加え、いつもの面子が集まっていた。

 

 

「……全員、揃ったようね。ではキリノ、概要を」

「はい、今回の議題は……新たな帝竜が発見された四ツ谷についてです。四ツ谷の異常については、観測班からの報告でご存知の方もいるでしょう」

 

 

 会議室のモニターに東京の地図が映る。

 新宿区の中の一部分、四ツ谷が赤く染まり、望遠で撮影されたと思われる画像が表示される。

 紫がかった黒い空。銀砂のようにちりばめられた星と輝く満月が、異界と化した街を妖しく照らし出していた。

 

 

「ずっと夜が続いている、って聞いたが……やっぱり帝竜の仕業か」

「現在もなお、四ツ谷上空では『終わらない夜』……夜空と月が、常時確認されています。夜のエリアでは、ウォークライが逆サ都庁において重力干渉していたときと同じ反応があるため──我々は、この夜の現象も帝竜による現実干渉と判断しました」

 

 

 堂島とマキタが負傷しているため、代わりに自衛隊代表としてやってきたカマチがうーんとうなる。

 

 フロワロの開花だけでは収まらない、現実にはありえない空間の変化。

 間違いない。今まで相対した帝竜はまだ2体だが、その濃密すぎる経験によって研がれた本能が告げている。討つべきドラゴンがここにいると叫んでいる。

 

 

「しかし、現在四ツ谷は、レーダーを遮断してしまう力が働いていて、内部の情報がまったく把握できていません」

「そこで、四ツ谷に部隊を送り込んで……実地で調査を行いたい、と考えています。実働は13班に、バックアップは自衛隊にお願いしたいのだけれど……」

 

 

 キリノの言葉をつないでナツメが振り返るが、カマチは「すまない」と頭を横に振った。

 

 

「協力したいのは山々だが……隊員のほとんどが、まだ動ける状態じゃない」

「……でしょうね。これ以上無理はさせられません。かといって、13班単独任務というのもリスクが高いわ。……さて、どうしたものかしら」

 

 

 ナツメの危惧に「私たちだけでもいける」とシキが立ち上がる予感がしたが、彼女は口を閉じたまま静かに会議を聞いていた。

 いや、聞いているというよりはそんな風に見えるだけで、心ここにあらず、といった感じだった。目はモニターを映しているだけで、何か別の、ここにはないものを見つめている。

 

 彼女の頭の中と四ツ谷調査の問題がどちらも気になり、視線が少女とナツメの間を右往左往する。

 しかし意外な人物が挙手したことで、会議室の視線が一点に集まった。

 

 

「……僕に、行かせてください」

 

 

 緊張した面持ちでキリノが手を挙げていた。ナツメが一瞬意外そうな顔をして、考えを話すように促す。

 

 

「今回は、四ツ谷に『探査機』を持ち込んで、実地で調査をすることになります。……となれば、技術者のバックアップは必須かと」

「──承認します。現場経験ゼロのあなたに頼むのはやや不安がありますが……。今はそんなことを言っていられる場合でもありませんね……キリノを信用します」

「あ、ありがとうございます」

 

 

 出会ったばかりのときは総長の従者というイメージが強かったが、池袋の一件以来、より積極性を見せるキリノの姿勢は認められたようだ。

 

 頷いたナツメに、眼鏡の奥の瞳がぱっと輝くのをミナトは見逃さなかった。いつもより活き活きしているキリノをみて、思わず顔がにやけそうになるのを抑える。

 

 

「では、僕が技師として同行します」

「ただ、1人だけ護衛を付けさせて。……アオイ、やってもらえるかしら」

「はい、任せてください!」

 

「では、作戦は以上とします。それぞれ、準備を進めてちょうだい」

 

「13班、四ツ谷までは僕がバンを出すよ。準備ができたら、外に出てくれ」

「了解です」

「……了解」

 

 

 準備といっても、メディスやマナ水などの道具は常日頃から補充する習慣をつけている。

 装備のほうも、ファクトリーで新調された武具がある。数回の訓練を重ねて、使い心地も調整も完璧だ。

 

 最後に医務室で出発前の健康診断を済ませる。シキとミナトはアオイと一緒に都庁前広場に出て、黒バンの後部座席に乗り込んだ。

 

 

「シバさん」

「はい! あ、ナツメさん……?」

「こんな少人数での作戦は初めてね。経験を積んだあなたたちなら、大丈夫だと信じているけれど……。そうでなくても、四ツ谷は状況が知れないわ。今まで以上に注意してちょうだい。……これ」

 

 

 窓から顔を出すと、珍しく見送りに降りてきたナツメが、差し入れだと言って人数分の弁当を手渡した。

 

 ムラクモ総長は少し恥ずかしそうに、そして心配そうに、自分だけに聞こえるよう声を小さくして告げる。

 

 

「池袋の任務では、迷惑をかけてごめんなさいね。これからもよろしくお願いするわ。体に気を付けて頑張ってちょうだい」

「……もう大丈夫ですよ。体調のほうも、そっちのほうも、全部問題ないです!」

「そう? それじゃあ、キリノ、お願いね」

「はい!」

 

 

 バンから離れて手を振るナツメに、キリノは力んだ笑顔で応える。続いて彼はハンドルを握り、肩を上げ下げしてふんす、と鼻を鳴らした。

 

 

「運転なんて久しぶりだなぁ! 少しワクワクするよ……!」

 

「……」

「……」

「……」

 

「……えーと、君たち。なんで座席にしがみついてるんだい?」

「暴走しそうな気がして」

「ちゃ、ちゃんと安全運転だよ!」

 

 

 失敬なというようにキリノは丁寧にハンドルを回し、バンは静かに都庁を出発した。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 今はまだ午前のはずだ。腕時計の短針は間違いなく9と10の間を差している。

 しかし自分たちを迎え入れたのは、太陽の代わりに月が昇り、青空の代わりに夜空が広がり、白い雲の代わりに星が浮かぶ、まさに真夜中の世界だった。

 

 

「な、な、なんだ? ここは……まるでホラー映画の世界じゃないか」

「あれー? キリノさんってば、もしかして震えてます?」

「こ、こら! バカなことを言うんじゃない」

 

 

 そういえば、今まで都庁の内側で働いてきたキリノが、帝竜の領域に踏み入るのは初めてだ。目の前に広がる異界におののく彼を、すっかり(というか初めからだったが)慣れた様子のアオイがからかう。

 

 キリノは冷や汗を浮かべながら気を鎮めるように眼鏡を上下させた。

 

 

「僕はこれでも科学者だ。科学で解明できないことは、この世にないと思ってるクチだからね。ただ、ちょっと……その……寒気が……しないか……?」

「え~、そうですかね? あ! キリノさん、お腹空いてるんじゃないですか? 食べかけでよければ、チョコバーどうぞ!」

「いらーん! というか、任務中はおやつ禁止だ!」

 

『おい、13班』

 

 

 おどろおどろしい景色に似合わぬコントのようなやりとりを繰り広げる2人をよそに、ミロクが現状の説明を始める。

 

 

『こっちからスキャンを試してみてるけど……やっぱりエラーコードが返ってくる。そっちは完全に情報が遮断されてるみたいだ。帝竜の居場所はおろか、周辺の地形すら、把握できない……マップ表示も不可能だ』

「ま、マップも? 通信以外は何もできないってこと?」

『そうなる。……なあ、キリノ。本当に、こんな何のデータもない状況で作戦を実行するのか? オレは……反対だ』

「……とはいっても、待っているだけじゃデータは集まってくれないからね。こちらで探査機を展開すれば、四ツ谷の状況だって、明らかにできるはずだ。……というわけで、まずはダンジョン解析のために13班には探査機の設置をお願いしたい」

 

 

 ターミナルを設置し終えたキリノが、両手で持てる大きさの機械をシキとミナトに2つずつ手渡す。しげしげと見下ろす2人の顔を丸いレンズが映し出した。

 帝竜の異界化もすごいが、それをこの機械4台で解析できるなら人間の技術もあなどれない。

 圧倒的な規模の異世界と小さな技術の結晶。まるでドラゴンと人間の対比のようだ。

 

 

「ダンジョン全域をカバーできるように一定の間隔を空けて4台の探査機を設置してほしいんだ。そして、その探査機から送られてくる情報をこのベースで集積し……僕がチューニングした上で、ナビに送る。このチューニングって作業がポイントでね。職人的なカンと数学的な分析能力が双方要求される……非常に難度の高い──」

 

「はーい、そこまで!」

 

 

 延々と続けられそうな説明にアオイが割り込む。このままではいつまでたってもダンジョン攻略が始められないとキリノを遮り、彼女は13班に笑顔を向けた。

 

 

「ではセンパイ、気を付けて行ってくださいね! 探査機さえ設置すれば、キリノさんが速やか~にマップを復旧してくれるらしいですから」

「せっかくの僕のターンなのに……しかしとにかく、僕はチューニングに集中したい。とても繊細な作業なんだよ。ナビはミロクに任せたぞ」

 

『……了解』

 

「キリノさん……アオイちゃんも、大丈夫? もしここにもドラゴンとかマモノが出てきたら……」

「ここはダンジョンの入り口なので、奥に行かなければ大丈夫ですよ! キリノさんのことは、私がしーっかり見てるんで、心配無用です。センパイこそ、こんな不気味な場所を単独チームで探索なんて……あ、そうだ! せめてこれを持っていってください!」

「え、チョコバー? いいの?」

「ダンジョンの中じゃ、ゆっくりお弁当を食べるわけにもいかないでしょう?」

 

 

 アオイが腰に巻き付けたポーチからチョコバーを取り出し、移動しながら食べられて、意外と腹にもたまるのだと利点を述べる。彼女はCMモデルばりの笑顔で自分の好物をかじってみせた。

 

 

「こんなこともあろうかと、今日はたくさん持ってきてるんです。ファイトですよ!」

「うん……ありがとう!」

 

 

 ターミナルと睨み合う上司と天真爛漫な後輩に見送られ、背骨を模したような大橋を渡り、夜の街に踏み込んだ。

 



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  ミッドナイトパープル②

探索再開まで。一気にバイ◯ハザー◯のような世界観に。



 

 

 

『おい、13班。さっそく探査機の設置にかかるぞ。最初は、そこから100mくらい先だ。マップにマーカーを付けて──って、使えないのか』

 

 

 ミロクのため息に、彼と同じくムラクモ本部に常駐しているスズキという職員の言葉を思い出す。

 自分たちの視界を共有するモニターと、各種反応を映し出すモニター、そして膨大な数値データ。ナビはそれらを同時に処理していて、並の人間にできる技ではないと彼は言っていた。

 しかし今回は探査機を設置するまでその超絶技術にも頼れない。

 

 作業量が減って手持ち無沙汰なのか、通信機からギイギイと椅子の背もたれを揺らす音が聞こえてきた。

 

 

『まったく……こんなに機能が制限されてるのに、どうしろっていうんだよ……』

「ミロク、大丈夫?」

『ああ。とにかく、そのまま道なりに進んでくれ。それっぽい場所で声をかけてくれれば、オレが判断するからさ』

「うん。わかった……怖くない、怖くない……」

 

 

 今にも「出そう」な雰囲気を醸し出す暗闇の中に、自身に暗示をかけて1歩ずつ入り込んでいく。

 本来はどんな街だったのか知らないが、今の四ツ谷はビル街だ。自分たちは建物の屋上に立っていて、ビルからビルへ、入り口と同じ骨の形をした橋が架かっている。見る限り、地上に降りることはなさそうだ。

 

 ミロクに言われた通り道なりに進み、時折鉄製の階段を上がって高いところまでのぼり現在地を確認する。

 進んできた道を確認するためでもあるが、何かが後ろにいるのではという恐怖も手伝ってしょっちゅう振り返ってしまう。持参したメモ帳に道順を書き込みながら、ミナトは後ろにいるシキを見た。

 

 

「な、なんかやけに静かだよね。気のせいか肌寒いし……」

「……」

「シキちゃーん……?」

 

 

 少女は返事をしない。無視しているわけではなく、聞こえていないのだ。

 首都高でタケハヤに会ったときからだ。シキは考え事をしているように地面を見つめ、ほとんど口を開かない。今も、後ろからついてくるだけ。

 

 ナビの補助もなく、いつもダンジョンを突っ走っていたチームメイトも動かない。

 途方に暮れそうになる気を引き締め、マモノやドラゴンの影がない広い場所を探した。

 

 

「ミロク、ここはどう?」

『……うん、距離も地形も問題ないな。そこに1台目を設置してくれ』

「了解」

 

 

 鞄に入れていた探査機を1台足もとに下ろす。

 折り畳まれていた脚を開いて設置された探査機は起動音をたて、忙しなくアンテナとレンズを動かし始めた。

 

 数秒して、キリノから通信が入る。

 

 

『……13班、聞こえるか? 1台目の探査機の設置を確認した……早速チューニングを始めるよ。その1台だけでも、基本的なマップ機能ならすぐに復旧できると思う』

「本当ですか? お願いします。もうマップがないと不安で不安で……」

『不便だと思うが、もうちょっと我慢して──……う……う……ぶえーっくしょい!!』

「わっ!?」

 

 

 鼓膜を揺らす大音量に小さく飛び上がる。

 おとなしそうな風貌にそぐわず豪快なくしゃみをしたキリノに、アオイも小さく悲鳴を上げた。

 

 

『ちょっと、キリノさん!? 大丈夫ですかー?』

『ずびっ……が、がぜでもびいたかな……』

 

 

 鼻を啜るキリノに苦笑していると、探査機がガチリと変な音をたてる。

 故障したのかと慌ててしゃがみ込む。しかし電源ランプは正常な緑色で、全体を観察しても異常が見られる箇所はない。

 

 ただひとつ、カメラが斜め前方を向いたまま固まっていた。

 そしてシキも、同じ方向をじっと見つめている。

 

 

「……?」

 

 

 つられて視線を移動させる。

 

 空中に青い火の玉と数人の人影が浮かんでいた。

 

 180度反対方向に回した首がグキッ!! と嫌な音をたてた。

 

 

『ひ、ひえっ! センパイ、今のなんですか!?』

「な、なななななんあなな何か見えた?」

『何かって、見えたじゃないですか、人影と……人魂みたいなの!』

「みみみ見てないよ! 私何も見てない!」

 

「……エキセントリックね……」

『えっ、何が? 何の話だい?』

 

『みんなして、ボケないでくださいよぉ! もー……キリノさんって、肝心なときに頼りないなぁ……』

『い、いや、そんなこと言われても……そうだ、ミロクはどうだい? 何か見え──』

『み、見えてないことにする!!』

 

 

 見えてはいけないものを見た一同は、シキとキリノを除いて小パニックになる。

 キリノの問いかけが終わる前にミロクが早口で否定の言葉をまくしたてた。

 

 

『だってオカシイだろ、あんなの! 変な場所だし、何かと見間違えたんだ。に、人間の肉眼なんて……信用できないからな。確かなデータがない限り、オレは見たものを認めないぞ!』

『えぇ~……? 自分の目で見てるのに……?』

『ナビに必要なのは、確かなデータだけだ! それより、探査機の2台目を置きにいくぞ。シキ、シバ、もっと奥に進んでくれ。……いろいろ不安定なんだから、寄り道はやめてくれよ』

 

「了解。……いつまでしゃがんでんの?」

「いや、あの、く、首、首が……」

 

 

 人影と人魂は跡形もなく消えている。

 一騒動でようやく我に返ったシキが首を押さえてうめく自分を引きずって歩き出した。墓地と卒塔婆が壁のように並ぶ屋上を回り込んでいく。

 さっきはとぼけてしまったが、墓石の周囲を漂う青い炎は人魂としか言えないだろう。

 不気味な燐光に照らされながら、これはあくまで帝竜の趣味であって、現実世界に実在しているわけではないのだと胸中で自身に言い聞かせる。

 

 長い橋に足をかける。凹凸がある足場につまずかないよう渡っていくと、暗闇の中に人影が浮かび上がった。

 一瞬歩みを止めかけるが、「橋の上で立ち往生できないわよ」とシキが先に行ってしまう。

 

 慌てて後を追うと、足も影もある自衛隊員が笑顔で2人を待っていた。

 

 

「君たちは……13班じゃないか……!」

「あ、あれ? 自衛隊さん?」

「よくここまで来たね……仲間たちも待ってたんだ。さあ、一緒に会いにいこう……なぁに、すぐそこだ」

 

 

 現在地よりさらに奥に銃を向け、自衛隊員は進んでいく。

 どういうことだろう。カマチが言うには今回は出動できないとのことだったが。無事な隊員を集めて応援に来たのだろうか。

 

 

『なんだ、自衛隊が先行してたのか』

「ドラゴンとマモノがうようよしてるのによくここまで来れたわね」

「暗いから身を隠しやすかったとか?」

『まったく……そんな作戦データ、もらってないぞ。総長から注意してもらわなきゃな』

 

 

 今にも夜に溶けてしまいそうな背中を追いかける。

 アーチのように湾曲した橋を渡ってしばらく進むと、ぽつりぽつりと自衛隊員たちが現れ始めた。

 

 

「やぁ……来てくれて、嬉しいよ……」

「本当に13班だ……ゲヒッ……」

「どこへ行くんだ? みんなはこっちじゃないぞ」

 

『……? そいつ、やけに顔色が悪くないか? モニターの彩度の問題かな……』

「このダンジョン暗いし、灯りも青白いのばかりだからそう見えるんじゃない?」

「……にしても、こいつらちょっと気味悪いわね」

 

 

 ダンジョンを染める薄紫色がかかる自身の肌を見ながら適当に応える。

 シキの素直な感想に苦笑しながら先に進み続けると、一画の屋上に、自分たちを誘った自衛隊員がいた。

 同じタイミングでキリノから連絡が入る。

 

 

『……13班、聞こえるか? ひとまずのチューニングは完了した……。これで、マップ機能は復活すると思う。ナビ、データリンク頼む』

『了解。データ受け取り準備中……』

 

 

 マップ復旧を待つ間、屋上の隅、落下防止の柵が外れて崩れ掛っているところに案内される。

 自衛隊員はゆるりと笑みを浮かべ、何もない宙を示した。

 

 

「さあ、着いた……みんなはこの下にいる、ここから飛び降りるんだ」

「へ?」

「どうした……? 何をためらってるんだ、最も勇敢なはずのムラクモ13班が……」

「なーに、簡単だ。目をつぶって飛び降りればいい。さあ、早く……早く……」

 

 

 飛び出せと言われた空間を振り返る。

 どう見たって空中だ。足場もなければつかむ物もない。

 高い場所にいるからだろうが、地面は闇に塗り潰されて見えなかった。ここから飛び降りれば、シキはともかく自分は無事では済まない。

 

 しかし、目が虚ろな隊員、生気のない隊員、顔色が悪い隊員はそれぞれ足を踏み出して間隔を縮めてきた。まったく覇気がないというのに、空気ごと体を押してくるような圧に、無意識に後退する。

 1歩、また1歩と下がった踵が屋上の端からはみ出て、危うくバランスを崩しそうになった。

 

 

『データリンク完了。マップ機能と反応検知、復旧――……あ、あれ?』

「ど、どうしたのミロク?」

 

『そのあたり、13班以外の生体反応が見当たらないぞ……!』

 

「え」

『どういうことだ……? モニターに映ってる自衛隊員は、一体……』

 

「さあ……さあ……! 早く飛ぶんだ、ムラクモ13班……」

「飛べ……飛べ……飛べええええッーー!!」

 

「敵確定」

「わぁ!?」

 

 

 シキが自分を脇に抱え、宙ではなく屋上の中央に跳んだ。

 崖っぷちから安全な位置まで移動して、飛び越した自衛隊員を振り返る。

 彼らは変わらずそこにいたが、文字通り化けの皮が剥がれていた。

 青白く腐りかけた肌が揺れ、深く落ち窪んだ目もとからは血走った眼球がこぼれ落ちそうになっている──いわゆるゾンビだ。

 

 

「ひっ……!」

(これは帝竜が作った偶像? まさか、本物のゾンビなんかじゃ……)

 

 

 瞳孔が開ききった目。黒目がまぶたの向こうに裏返った白目。異常に腫れ上がった涙袋からは血涙が滲み出し、腐臭を放つ肉片とともにベチャリと足もとに落ちていく。

 

 

(うわ、やだ──)

 

 

 落ち着け。これはきっと幻だ。そりゃ、こんな世界では人間の死体なんてあちこちに転がっているだろうが、マモノだってあふれているダンジョンでわざわざそれを選ぶなんて手間をドラゴンがかけるはずがない。

 けれど、濁った声を発しながら己の体を引きずって近付いてくる姿は、作り物というにはリアルだ。体の揺れ、嫌な足音、姿と一緒に近付いてくる腐臭。緊張の糸が引き千切れんばかりに張り詰める。

 

 

「ヴ、ぁ、あ゛」

 

 

 肉が腐り落ちて骨がむき出しになっている腕で銃を向けられた瞬間、ふっと視界が白く染まる。

 

 どこか遠くで、キャア、キャア、キャアと鳥の鳴き声のような笑い声が響いた気がした。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 誰かの声が聞こえる。自分を呼んでいる。

 

 血が通っている温もりのある肌が、頬を軽く叩いていた。

 

 

『大丈夫かい、13班! 急に戦闘に入ったから、驚いたよ……シバくんは?』

「ちょっと待って。……あんた起きなさいよ。起きろってば」

『センパーイ! しっかりしてください、朝ですよー! 夜ですけどー!』

「どっちよ」

 

「ん、う」

 

 

 頬をつねられて目を開け、瞳のピントを調整する。

 時間をかけて鮮明になった視界は、夜空とともに自分を見下ろすシキの顔を映した。

 

 

「……シキちゃん」

「あ、起きた」

「あれ……? 何がどうなって……?」

 

 

 気を失ったことしか把握できていない自分に、シキが呆れ顔で何があったのかを語った。

 恐らくゾンビを認識してパニックになったのだろう。聞いたことのない絶叫を上げ、「やだやだやだやだムリムリムリムリ!」「こっち来ないでええーっ!!」とかなんとか喚きながらむちゃくちゃに攻撃を始めたらしい。そしてゾンビたちが動かなくなると、真似するように倒れたのだという。

 

 体を起こす。ゾンビたちがいた方向には大小様々な氷山ができて、ただでさえ薄ら寒い空気を冷やしていた。

 

 

「私の出番がないぐらいの暴れっぷりだったわ。まあ腐った体にあまり触りたくなかったからいいけど」

「そ、そうなんだ……う、ううう怖かったぁー……!」

「ちょっと、引っ付かないで」

 

 

 セーラー服に引っ付くと鬱陶しそうに体を引き離された。

 パートナーの少女は相変わらずドライだ。ゾンビもだが彼女の冷たいあしらいも結構こたえる。不覚にもまた泣きそうになってしまった。

 

 

「火が駄目、高いところも駄目、ゾンビも駄目。あんた弱点多すぎない?」

「あと虫が苦手です」

「……」

「そんな顔しないでよぉ……しょうがないじゃん!」

 

『あれは、一見すると自衛隊だったが、ナビ、ドラゴンの反応は?』

『……ない』

『……となると、見た通りに言えば「死者が蘇った」ってことか。にわかには信じられないが……帝竜なら、それくらいできたとしても……』

 

『……そんなことあるかよ!』

 

 

 バンッ、とデスクを叩く音が通信機から響く。ミロクもゾンビの存在に慌てているようだ。しかしミナトの恐怖とは違う、焦りや困惑を孕んだ声だった。

 

 

『死者が蘇るなんて……だから生体反応がないっていうのか? そんなデータ見たことないぞ……!』

「そ、そうですよキリノさん。マモノを操るとかならともかく、故人を手駒にするなんて……きっと幻の類ですよ! うん、そうじゃないと困ります!」

『ま、まぁまぁ……データにはないかもしれないが、自衛隊ゾンビとは、実際に戦っているわけ──』

 

『あ・り・え・な・いっ!!』

 

 

 一音一音がぎん、ぎん、ぎん、ぎん、ぎんと脳に衝突する。

 ナビとは対照的にまったく動揺を見せないシキは「ちょっとうるさい」と言って通信機を耳から離す。

 ミロクは聞く耳持たず、同じくキリノに物申したいミナトも置き去りにして霊的存在を否定し続けた。

 

 

『みんな、現場の雰囲気に呑まれてるだけだ! 変なことばっか言ってさ……おい、シキ! シバ! 一度、入り口に戻って、マップを見ながら攻略しなおすぞ! 今度はデータを取りながらいくからな!』

 

「はあ? 別にこのまま進んだって」

「も、ももも戻ろう! ぜひ戻ろう! ここで戻らなきゃ死んじゃう!」

「だから引っ付くな! あんたたちちょっと落ち着きなさいよ!」

 

 

 こっちでも向こうでも騒がしい仲間を一喝し、仕方ないとシキは進んできた道を戻り始める。

 入り口に戻るまで、ゾンビはいなかったもののゴーストのようなマモノと何度か遭遇し、ミナトは情けない悲鳴を上げ続けた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「おかえり、13班」

「お疲れ様です、センパイ!」

「あ、あ、あ……」

 

 

 キリノたちの姿が見えた途端、シキの脇にしがみついていたミナトは突っ走ってアオイに飛びつく。

 彼女がいるだけで世界が明るい。気分は巨大なデパートではぐれた親と再会できた迷子だ。頭をアオイのニットに埋めてすりつける。

 

 

「うわあああー怖かったよー!!」

「わ! ……センパイ、大丈夫ですか?」

「む、無理……ゾンビ、リアルすぎて本当に怖かった……」

 

 

 ミナトの頭をなでながらの、少し気を落ち着かせようというアオイの提案で小休止に入る。

 すっかり食いそびれていたチョコバーを口に詰め込み、リスのように膨らんだ頬を動かしながらはーっと息を吐いた。

 

 

「ダンジョンの中、すごい……腐ったような臭いがひどくてさ。お弁当どころかチョコバーも食べられなかったよ」

「今思うと、ゾンビの匂いだったのね。死臭ってやつ。……ごちそうさま」

「あ、ゴミお預かりします。じゃあ余計に疲れたでしょうね。まだお腹減ってませんか? よかったら、チョコバーどうぞ!」

「アオイくん……それ、何本持ってきてるんだ……」

「まだまだありますよ!」

「もらう」

「いただきます」

「2人とも食べるんだね……」

 

 

 もうおやつ禁止と言わなくなったキリノを除いて、アオイと13班は包装ビニールを破った。しばらくの間チョコバーをかじる音が3人分重なり合う。

 自分たちがいる入り口を含め、四ツ谷は相変わらず夜のままだ。薄いベールをかけられたように輪郭が淡く紫がかる街並、その中央にそびえ立つ骨の城、天守閣を眺めながらアオイが「それにしても……」と首を傾げる。

 

 

「なんで四ツ谷に骨なんでしょうね? 帝竜が四ツ谷怪談好き……とか? それはそれで、親近感ありすぎですね……」

「ドラゴンが人間の文化に興味なんて持つのかな……言葉だって通じないのに」

「世界中めちゃくちゃに踏み荒らされてるし、知的好奇心で近付いてきたってことはないんじゃない」

 

『おい、13班。もう充分休めただろ? ……気を取り直して、再出発しよう。』

 

 

 ミロクの呼びかけにシキが立ち上がり、ミナトが息を詰まらせる。

 

 

『今度は慎重に……雰囲気に呑まれないようにな』

「それなら、僕はチューニングに戻る。マップは復帰したけど……まだ、中心部が暴けていなくてね。帝竜も見つけないとならない。13班にも、引き続き残り3つの探査機を設置してもらいたい」

 

「だそうだけど」

「……」

「目を逸らすな」

 

 

 駄々をこねている場合ではないのはわかっている。ただでさえ人員も情報も少ないのだ。

 だが、行きたいか行きたくないか問われれば「帰りたい」と叫ぶ心もごまかせない。

 ほんの少しでも時間稼ぎができないかと、ゴミを丁寧に畳んで袋に入れる。

 

 

「次の設置場所は、さっき自衛隊ゾンビに会った辺りだ。よろしく頼んだよ!」

「頑張ってくださいね、センパイ!」

「うう……キリノさん、異能力者にエクソシストとか、陰陽師みたいな人はいないんですか?」

「あんたどんだけ苦手なのよ」

 

 

 シキに襟首をつかまれる。

 嫌だあああああと叫びながらパートナーに引きずられていくミナトに、キリノとアオイはそっと両手を合わせた。

 



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16.暗闇を抜けて

アオイを含め戦闘員が5人にも満たず、情報が限られているという劇中でも厳しい条件の任務なのに劇中で最も気の抜けていた章だと思います。
道中助けてくれたあの人、本当はツッコミに来たんじゃないだろうか……。

ミナトは自衛隊ゾンビを幻だと決めつけて気付いてないふりをしてたんですが、描写不足だったので前の15話をちょっとだけ加筆しました。



 

 

 

 使えるようになったマップを展開する。得体の知れないダンジョンの中、ムラクモ本部とつながっている情報が1つ増えただけでも大分心強い。

 改めてダンジョンの地形や区画を把握しながら進んでいく。世界から切り離され、空気が淀んで停滞したような街を進みながら、ミナトは思い切ってシキに質問してみた。

 

 

「あのさ、シキちゃん。この間……首都高でタケハヤさんに会ってからずっと何か考えてるみたいだけど……その、悩み事でもあるの?」

「ない」

「え、でも」

「ないったらない。あんないけ好かない奴のせいで悩むとか時間の無駄」

「そ、そっか……」

 

 

 話は終わりだというようにシキがミナトを追い越して先導する。

 悩み事でも考え事でも、彼女は何かを抱えている。だが誰かに話す気などないのだ。

 話しても解決するものではないからか。それとも、ただ相手が信じられないだけか。

 

 ものの数秒で一刀両断されて沈む中、自分たちを死の淵に導きかけた自衛隊ゾンビに会った地点に到着する。

 

 

『おい、13班。そこから北東に進んだところに、2台目の探査機を設置してくれ』

 

 

 ミロクが指示を出すものの、2人の目の前、渡らなければいけない橋を背に、自衛隊員がぽつんと立っていた。

 

 

「あの、自衛隊がいるんだけど……」

「ゾンビが邪魔してるんだけど」

『……やっぱり「いる」のか? 本当に、そこに? ……13班。ちょっと、つついてみてくれ』

「つつく!?」

 

 

 腰が引けて動けない。シキがめんどくさそうに足もとの小石を拾い上げ、無造作に投げた。

 小石は放物線を描き、こつんと自衛隊員のヘルメットに当たる。

 

 

「う……うが……うがあああァアアッ!」

「先手必勝」

 

 

 刺激が引き金となって暴れ始めるゾンビに、シキが右ストレートをくらわせる。

 胴体に運動エネルギーを受け取ったゾンビは上半身と下半身があっけなく分かれる。何かが潰れるような嫌な音を響かせてくずおれた。

 あらわになる血肉や原型を留めない遺骸もシキは気にしない。自身の白いセーラーに返り血や汚れが付着していないか確認するだけだ。

 

 

「はあ、あと何体ゾンビがいるんだか」

「シキちゃん、すごい冷静だね……?」

「あんた、この死臭気にならないの? これ絶対服に染み込んでるわ。さっさと終わらせて、都庁に帰ったら服も装備も洗濯しないと……あとシャワー」

「え」

 

 

 慌てて服の襟を引っ張り、鼻先を押し当てる。

 臭い。臭いのだが……服に染み込んだ臭いなのか、ダンジョン中に漂う臭いなのか、もはや嗅ぎ分けができない。長い間この空間に潜っているため嗅覚が麻痺してしまった。

 もう臭い云々は諦めて橋を渡る。

 途中で脱出ポイントを見つけてミロクを通し観測班に連絡する。さらに進んだ先に言われていた広いスペースがあったので、探査機の2台目を設置した。

 

 

「ミロク、探査機2台目、設置できたよ」

『あ、えーと……設置完了だよな?』

「見えてないの? バッチリ設置したよ。ちゃんと作動してるし」

『いや、見えてるんだけど……。……そう、だよな。ああ、とにかく、置けてるならいいや』

 

「……大丈夫?」

『……いや、やっぱり不安だ!』

「ええ!?」

『本当は置けてないとか……そもそも、13班がそこにいないとか……そういうことは、ないよな?』

 

『……ミロク。そんなに心配することないだろう?』

 

 

 さっきよりも情報環境が整ってきているというのに、ミロクは反比例するように任務の進行状況を疑っていた。

 ゾンビどころかシキとミナトも疑い出す始末に、見かねたのかキリノが通信に入ってくる。

 

 

『13班の行動は、ちゃんとモニタリングされているはずだ。もうちょっと、君の目を信じていいんだよ』

『だって……モニターだけじゃ、心配なんだ。いつもは、もっと膨大なデータがあって、どれも信じられるのに……今回は……。……もしかして、今話してるキリノもニセモノなんじゃないか? オレを惑わして、13班をハメようとする――』

「ミロク大丈夫!? 疑心暗鬼になりすぎだよ!?」

『はぁ……これは重症だな。僕はチューニングに専念したいのに……』

『それなら、私が代わりにナビしましょうか?』

『気持ちはありがたいけど、君の方向感覚のすばらしさは、よく知ってるよ……』

 

 

 アオイの申し出をキリノはやんわりと断った。

 そういえばアオイは去年のムラクモ試験に招集された際、会場まで辿り着くことができなかったと言っていた。さらに今の話からして、彼女は方向音痴の気があるのだろうか。

 

 

「あの、キリノさん。大丈夫でしょうか、色々と……」

『ミロクはずっと、データを頼りに仕事をしてきたからね。……こういうことに、馴れていないんだ。死者が蘇るなんて、とんでもないことだし……正直言って、さっきは僕だって驚いたよ』

『ホント、顔を真っ青にして腰まで抜かしていましたもんね!』

『そこまで言わなくてよろしい!』

「大丈夫よ。パニック起こして気絶した奴がここにいるから」

「や、やめて! 掘り返さないで!」

 

『……とにかく、君たちは設置作業を続けてくれ。残りは2台……距離的には、次のエリアかな? こちらもチューニングを急ぐよ。……オーヴァ』

 

 

 混乱しているミロクのお株を奪う形でキリノが通信を終わらせた。指示通りに進み、「墓標エリア3」とマップに表示された区画に入る。

 今までは2人の足音とゾンビのうめきだけが聞こえる静かな世界だったが、やがて帝竜の領域にはつきものの障害が現れた。ドラゴンだ。

 

 

「こいつ強そうね。帝竜に比べたら大したことないだろうけど」

「後ろでフロワロが壁になってる。今までにもこんなのあったよね……ミロク、なんだかわかる?」

『あ、ああ、「壁フロワロ」だ。1つの個体と1つのフロワログループが、遺伝子レベルで強固な結びつきをしているから、帝竜を倒してもまとめて消えないんだ。……って、研究者の奴が言ってた』

「なるほど」

 

 

 シキが拳を合わせて指を鳴らす。

 目の前で仁王立ちしている、青い体に黄色の線模様が刻まれた2足歩行のドラゴンは、張り合うように両腕の筋肉を盛り上がらせた。

 ミロクがデストロイドラグだと言うのと同時に突進してくる。2階建ての家ほどはある巨体が動くたびに、屋上に走っているヒビが広がった。

 

 

「わ、わ、揺れる!」

「建物が崩れる前に片付けるわよ!」

 

 

 デストロイドラグがメリケンサックをはめた手を振りかぶり、シキも負けじとばかりに攻撃を仕掛ける。

 

 巨大な凶器と小さなナックルが正面衝突し、割れ鐘のような轟音を響かせた。

 

 デストロイドラグが後ろに仰け反り、少女の体が大きく浮き上がる。危うく屋上から吹き飛ばされそうになった彼女を受け止めた。

 2人分のゼロ℃ボディ、自分自身にデコイミラーをかけてから、意識を散らすために別方向に走り出す。

 案の定、前衛の背から飛び出したミナトにドラゴンは鋭い視線を向けた。

 

 

「よし……捕まえた!」

 

 

 大木のような足が踏み出す前にプラズマジェイルを落とす。

 暗い世界を強烈に照らし出した光に、鉄仮面から覗く目が固く閉ざされた。

 

 

「腕が鳴る。いくわよ!」

 

 

 シキが一息で巨体の真下に踏み込み、一気に距離を詰めて跳び上がる。

 

 

「っせい!!」

 

 

 繰り出されたアッパーが巨大な顎を打ち上げ、鉄仮面が破壊されるのと一緒に骨の砕ける音が響いた。

 細腕から繰り出された衝撃に頭蓋を打たれ、デストロイドラグはゆっくりと仰向けに倒れる。

 強力な攻撃をもらう前に畳み掛けることに成功した2人は、ドラゴンが完全に絶命していることを確認してDzの回収に移った。

 コンビでの戦い方はしっかり板についてきている。だがシキは大して喜ぶ様子を見せなかった。

 

 

「よかった、順調だね」

「今のところはね」

 

 

 今のところは、という言葉に、Dzを切り取る手が止まる。

 何を言わんとしているか悟って、明後日の方向に逃げようとした視線をシキが捉えた。

 

 

「ここに来るまでに出てきたマモノ……でかいカマキリとか幽霊みたいな奴とか黒いカエルとか、後は自衛隊のゾンビもそうだったけど。ミロクが記録してた戦闘データからして、あいつら基本的に火が弱点よ」

「そ、そうだったね」

 

『ぐぬぬ……』

 

「別に雑魚だからどうとでもなるけど、相手がドラゴンだったら手こずるし、帝竜だったらもっと苦戦するわよ。最悪、決め手を逃したことで全滅って結果もあり得る」

「そ、そう、だね」

 

『むぅ……』

 

「火に対してトラウマがあることはキリノから聞いたし、あんたが努力してるのは知ってるけど。もし、火しか効かない相手が出てきたらどうする?」

「う……」

「一般人が武器を持ってもできるのはただの物理攻撃だけ。異能力者はその先、マナを込めたスキルを使うことができる。中でも属性攻撃に突出してるのがサイキックよ。……氷に雷、空属性。治癒魔法に防護術。それだけ使い慣れてきて、火が無理っていうのは致命的――」

 

『この数値がここで……うーん……』

 

「キリノ、マイク入ってるんだけど!」

『うわぁっ、13班!! ……す、すまないね。作業に集中すると、どうも周りが見えなくて』

 

 

 会話に紛れ込むタイピング音とうめきに、シキが眉間に大きくしわを刻んだ。

 鋭い喝に応える申し訳なさそうな声に、ミナトは彼が苦笑いしながら頭を掻いている姿を想像する。

 

 

「チューニングは難航してますか?」

『いや、いい線までは来てるんだ。だけどそこから先が……その……あはは……。というわけで、集中して作業をするためにいったん通信を遮断させてもらう』

 

「えっ」

「は?」

 

『すまんっ! 幸運を祈ってるよ!』

 

『おい、キリノ!? いくらなんでも、投げっぱなし――』

 

 

 ブチン。

 

 耳の中で紛れもない遮断の音が鳴る。

 通信機の向こうに静寂が広がり、ミロクの声以外何も聞こえなくなった。

 

 

『はぁ……もう、何なんだよ……オレにどうしろって言うんだよ……』

 

 

 愚痴続きのミロクを隣で見て色々心配になったのだろうか。彼と同じく任務の様子をムラクモ本部で伺っているであろうミイナが通信をつないでくる。

 

 

『……コール、13班。……ミロクに何を言ったんですか?』

「私たちは何も言ってないわよ」

「うん。今のはキリノさんがいけない。アオイちゃんから何か聞いてない?」

『アオイはずっとチョコバーを食べてばかりで、状況がわかりません。もうっ……』

「アオイちゃん……マイペースだなー……」

 

 

 今までで最も難しいといえる条件で任務に挑んでいるのに、13班と外の人間でだいぶ温度差があるのはなぜだろう。

「超リアルで大きすぎるお化け屋敷(ドラゴン・マモノ・ゾンビ付き)」という感じのダンジョンを進む苦労を分かち合える相手がまったくいない。唯一無二のナビゲーターも、理不尽な状況に怒りを感じて、ぶすっと鼻から息を吐く音が聞こえた。

 

 

「……ミロク、大丈夫? 戻る?」

『それは……ダメだ。ちゃんと任務をこなさないと……』

「探査機の設置は? どうするのよ」

『……わかってる。任務続行だ。探査機の3台目を設置しよう。そのまま3台目のマーカーを目指して進んでくれ』

 

「……この任務、大丈夫かなぁ」

「色々いい加減すぎない?」

 

 

 残業が重なるサラリーマンのように疲れを滲ませた少年の声に、思わず顔を見合わせてしまう。

 シキはすっかり説教する気をなくしたようだ。肩をすくめ、静かにため息をついて歩き始める。

 

 ミロクがレーダー上につけた赤いマーカーを目指して骨の橋を渡る。

 腐臭にむせそうになりながら屋上の中ほどまで進むと、シキがベルトに下げるナックルを装備して素早く振り向いた。

 慌てて半回転し、人影が音もなく背後に迫っていたことに目を見張る。

 

 

「わ、いつの間に……!?」

『自衛隊の……ゾンビ、だよな? 敵……でいいんだろ? って……く、来るぞ!!』

 

 

 自衛隊のゾンビたちが操り人形のように揺れながら銃を向ける。

 咄嗟にしゃがんで一斉掃射を避けた。銃弾は背後の橋や屋上に当たったらしく、発砲音と硬い物を抉る音が夜に響く。

 

 

「今度は気絶しないでよ!」

 

 

 ミナトに釘を刺し、シキがゾンビに突っ込んだ。既に死んでいるのだから遠慮はいらないと、アーマーごと脆い体を打ち砕く。

 速攻で2体が地に伏せた。直後、背後から新たに3体が現れて挟まれる。

 さすがに怖いと泣いてはいられない。両手から氷を放って防壁を築いた。

 

 波立つ心を落ち着かせ、1体ずつ確実に倒していく。

 しかしその穴を埋めるように、1つ、また1つと人影が腐った足で固い地面を踏み鳴らした。

 

 

『ま、また来た……! キリノも応答しないし……どうしたら……』

「態勢を立て直すしかないでしょ!」

「に、逃げ道を探すのは駄目でしょうか!?」

『……そ、それは無理だ。周辺から続々と集まってるみたいで……完全に囲まれてる! くそっ……データが役に立たない相手に……どうしたら……』

 

 

 ゾンビは生体反応がないので、要救助者、マモノ、ドラゴンのマークでは表示されない。

 だが逐一確認しなくても、360度包囲されていることはわかる。どれだけ首を回しても、見えるものは血が通っていない腐った肌の群れだ。

 

 

「ちょっと! こういうときこそ火よ、火を出して! 本当に使えないの!?」

「し、死ぬ気でやれば、もしかしたら……!」

「だったら早く――」

「死臭がひどすぎるのもあって絶対に吐いて倒れると思うけど、それでもいいなら」

「やめて」

 

 

 殴打、刺突、斬撃。自分たちの攻撃がゾンビの肉体を破壊する音がやけにリアルで思わず耳を塞ぎそうになる。この世界に君臨する帝竜は、池袋のジゴワットと違う意味で趣味が悪い。よくもここまで恐ろしい世界を創造できるものだ。

 

 

「だ、だめ、本物にしかみえない……」

「は? こいつら本物でしょ?」

「え?」

 

 

 久しぶりに「嘘でしょ」と呟いた。シキも何を言ってるんだという顔でこっちを向く。

 

 

「だ、だって幻、じゃ……ないの? ほら、ミロクだって……生体反応がないって……そうしたら幻としか」

「なんで現場にいるあんたまで斜め上の現実逃避してんのよ。五感は正常でしょ? 血肉も骨も、臭いもこれだけできてて、幻なわけないじゃない。幻覚でゾンビを見せるなら、わざわざ自衛隊の姿にしなくたっていいでしょ」

「あ……で、でも、なんで四ツ谷に?」

「国防組織なんだから、ドラゴンがこっちに来た日に出動したとかじゃないの。……自衛隊の死体は、全国中に転がっててもおかしくない」

 

 

 なら、自分たちが今まで戦っていたこの屍たちは。

 

 

「なんで、よりによってこの人たちを……!」

 

「武装してるし、獲物をしとめるにはちょうどいいからでしょうね」

 

 

 国防を担う、本来自分たちを守ってくれるはずの存在を、命懸けで脅威に立ち向かった者を、人間に差し向ける。

 ドラゴンは何を考えているんだろう。なぜここまで惨いことを。

 理解できない。狂ってる。頭がおかしいんじゃないのか。

 

 背中合わせになりながら、呆然とシキの顔を見つめた。

 

 

「……! あんたっ、前!」

「え」

 

 

 顔の向きを元に戻す。すぐ傍にゾンビたちが押し寄せてきていた。

 ぼたりぼたりと皮を落としながら無数の腕が迫る。こっちにおいでと呼ばれている気がした。

 動けない。体も頭も、すべての時間が止まったみたいだ。

 

 

「あ――」

 

 

 青白い指先が首にかかろうとした瞬間、

 

 

「コラアアアアッ!!」

 

 

 野太い雄叫びがダンジョン中に木霊した。

 

 まるで雷を落とされたようにゾンビたちが麻痺する。

 ミナトは慌てて距離をとり、声の発信源を探した。

 

 離れた場所、屋上の縁に誰かが立っている。暗色の服装が闇に馴染んで、鮮明な姿形は確認できない。

 

 

「おい、ボサッとしてんじゃねぇ……ナビは何やってんだ?」

 

『……!』

 

「まーた……データがどうとかこうとか、グジグジ言ってやがるんじゃねェだろうな?」

 

 

 聞き覚えのある声だった。自分たちを観察していたような口調で、ずばりと今の状況を言い当てていく。

 ぼんやりとした後ろ姿のまま、彼はわざとらしい調子で発破をかける。にっと意地の悪い笑顔が目に浮かぶようだ。

 

 

「あーあ、かわいそうに……ナビがオロオロ悩んでるうちに、13班はオダブツだ」

 

 

『いつもは偉っそうにしてるクセに、肝心なとこはお子様のままってかぁ?』

 

 

 通信機越しに、胸を抉るような痛い指摘が届く。ミロクの額から汗が滲み出した。

 

 

「そんな……オレは……」

 

 

 地下道で帝竜の存在に気付けずに、危うく13班を死なせてしまうところだった。

 池袋の天球儀では彼が死んでしまった。

 そして今度は13班が。

 

 嫌だ。だって、約束したのだ。池袋で、自分がナビゲートをする彼女たちと、「みんなで生き残ろうぜ」って。

 そうだ、自分は、

 

 

『そんなんじゃない……っ! オレは!』

 

 

 ガチャンッ! と大きな音が鳴る。両手が無意識にキーボードを強く叩いていた。

 

 

「オレは、13班の専属ナビゲーターだ! だ、誰だか知らないけどバカにすんな! 絶対……なんとかしてみせるからな!」

 

 

 画面の向こう、姿が見えない誰かに向かって啖呵を切る。

 

 

『おうおう、言うねぇ……!』

 

 

 誰かはミロクの言葉を受け取り、なぜか楽しそうに鼻を鳴らす。

 そして固まったままのミナトに視線を移した。

 

 

「それからそこの姉ちゃん」

「……わ、私?」

「戦うって決めたんなら何が相手でもやり通せ。中途半端な覚悟で臨んでんじゃねえ。パートナーを1人にするな」

「え……あ、あ……、っ、はい!」

 

 

 自分への叱咤に背中を押され、頭を振って恐怖と遠慮を追い出す。

 

 相手が本物の自衛隊でも、倒さなければ進めない。逆に自分がゾンビになったとして、永遠に操られて人間を襲うなんて嫌だ。

 今ここで倒すことが、ドラゴンに囚われた彼らの解放になると信じて。

 

 変わらずゾンビを殴り、蹴り続けていたシキの傍に戻る。ごめんなさいと胸中で謝りながら、ミナトは氷と雷を放つ。

 

 

「ドラゴンならともかく、人間のゾンビにやられちゃ死んでも死にきれないわよ!」

「ただでさえ怖いし苦しいのに、もっと辛い思いして死ぬのは嫌だ!」

 

「そう……おまえらのそのクソ生意気なところ、俺は結構、気に入ってたんだぜ? ……だからボサッとすんな! なんでもいい、ほら、声を出せ!」

 

『……っ! じ、13班! 今から指示を出す、ちょっと待ってろ!』

 

 

 シキが蹴散らす。ミナトがマナを放つ。ミロクが頭を回して指を滑らせる。

 

 

「ったく……。……世話が焼ける奴らだぜ」

 

 

 彼は調子を取り戻し始めた13班を眺める。

 笑みを浮かべて息を吐くと、戦いの音が響く夜の街を、ほんの一瞬光が満たした。

 ビルとビルの間、橋の上に彼女が現れる。

 その青い髪を見て、もう時間切れだと彼は悟った。

 

 

「……おっと、お迎えか」

 

 

 何も言わず赤い瞳に自分の姿を映す彼女の視線に、「わかってるよ」と返す。

 

 

「……これ以上、手は出さねぇ。ホントなら、俺はここにいちゃいけねぇんだ」

 

 

 最後に一目、彼は暴れる少女と女性を見つめ、遠い場所で彼女たちの支援を行っているであろう少年を思い浮かべる。

 じゃじゃ馬に意気地なしにお子様。まだまだ不揃いで頼りないが、あのときと比べれば成長しているといえる。よくここまで来れたものだ。

 

 ふと、女性の腕章に焦げた紫の布切れが巻かれているのを見つける。

 らしいなと苦笑して、彼は13班に別れを告げた。

 

 

「……頼むぜ。安心して眠らせてくれよ?」

 

「え、そんな……」

「ちょっと待ってよ、あんた――!」

 

 

 シキが呼び止める。

 しかし彼は手をひらっと振って、溶けるように消えてしまった。

 

 

『い、今のは……って、その前に……! おい、13班! そいつらのデータを、探査機の測定情報から洗ってみる! ……やっぱり、オレはデータを信じたい。絶対何か、あるはずだ』

「データは通じないって言ってたじゃない」

「えーと、根拠は?」

 

『根拠は……くやしいけど……オレの勘!』

 

 

 勘。

 一瞬2人は動きを止め、戦闘中にも関わらずぶはっと吹き出してしまった。

 

 

「まあ、情報戦はあんたに任せるしかないしね」

「ミロクを信じるよ。お願いね!」

『ああ! 時間、稼いでくれ! すべての可能性を計算してみる!』

 



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  暗闇を抜けて②

ナビ活躍回。アオイの胃袋も大活躍(?)
次回は帝竜戦です。



 

 

 

「……よし!」

 

 

 ミロクはモニターに映る13班から思い切るように目を離し、探査機とつながるウィンドウを解析し始める。

 目を皿にして情報を読み取り、息継ぎなしで暗算や記号を呟いていく片割れは鬼気迫る表情をしていた。

 戦う者の目だ、とミイナは思う。場所も役割も関係ない。仲間を信じ、自分の力で障害を越えようとする勇猛な目つき。

 

 

「……」

 

 

 自分が操作するモニターを見上げる。

 唯一の班員である赤髪の女性は、相変わらず幸せそうにチョコバーを頬張っていた。

 

 

「……コール、10班! アオイ、もうチョコバーはやめてください! 下腹部に脂肪が蓄積します!」

 

 

 胸に溜まる鬱憤を吐き出しながら、ミイナはバンバンとデスクを叩く。

 その横で、ミロクが「そうか!」と身を起こした。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

『おい、13班、わかったぞ! 音だ! こいつら、音に操られてる!』

「音!? でも何も聞こえないよ!?」

『このダンジョンの中に「聞こえない音」が鳴り響いてて……生物の神経を誤作動させてるみたいだ! たとえそれが死体だったとしても、操り人形みたいに動き出すような……!』

「操り人形……文字通りってことね……!」

 

 

 本物の人形なら、糸を切れば動きは止まる。だがゾンビたちには糸などないし、そもそも人間である自分たちに聞き取れない音など捉えようがない。

 いっそガキ大将のように大声で歌ってみるかと自棄を起こしそうになったとき、ちゃんと策を用意していたミロクが指示を出した。

 

 

『今から、探査機を使って全パターンの音波妨害をかけてみる! 上手くいくかは、わからない……だけど、やれるだけやってみる! うるさいかもしれないから……耳、塞いでろ!』

 

 

 ゾンビたちが包囲網を縮めて突進してくる。

 視界を埋める亡者の群れに消えそうになる意地を奮い立たせ、何より自分たちの専属ナビゲーターを信じ、耳を塞いだ。

 

 

 ――――ッッ!!!

 

 

 耳をがっちり覆っているのもお構いなしに、金切り声のような音波が鼓膜を貫く。

 

 細い針金で縛られたように硬直する体を起こす。目の前に動く敵影はいない。

 

 

『動きが……止まった……?』

 

 

 死屍累々とはこのことだろう。それこそ糸が切れた操り人形のように、ゾンビたちは折り重なって倒れている。

 

 シキとミナトはどっと尻餅をついた。

 

 

「はあ……ちょっと休憩」

「も、もう終わった? 大丈夫? もうゾンビパニックない?」

『ああ。やった、効いたぞっ……!』

 

 

 はーっ、と3人のため息が束になって吐かれる。

 各々が体をほぐし、疲労が溜まった筋肉にケアを施す。ミナトはマナ水を飲み干して、逆転の一手を決めたミロクに礼を言った。

 

 

「助かったよ。ありがとう、ミロク」

『……あ、あのさ』

「ん?」

 

『さっきオレのことを叱ったの……あれって、やっぱり……』

 

「……想像通りだと思うよ」

「世話焼きな奴だったわね」

『…………。こんなありえない記録、履歴データとしては残せない』

 

 

 パチリ、パチリ、とキーボードが弾かれる音が聞こえる。

 

 

『……だけど、オレにはちゃんと伝わった。それでいいんだよな。……それじゃ、3台目の探査機を設置しちゃおうぜ! ここから東のマーカーに向かってくれ』

 

 

 自身に言い聞かせたのだろう。返事を待たずにミロクは指示を出す。もうナビゲートに迷いは感じられなかった。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「よし……っと。これでいいの?」

 

 

 シキが探査機をいじって地面に置く。機器は1、2台目と同じように緑のランプを点してレンズを回し始めた。

 

 

『3台目、セット確認。残り……あと1台だな! 探査機の設置が完了すれば、帝竜の居場所だって、わかるはずだ。……さ、次のエリアに向かおうぜ』

「このまま今日中に帝竜が倒せれば上出来ね」

「えっ、今日中にチャレンジするの……?」

 

 

 空は変わらず暗いまま、時刻は午後に移っていた。

 夜の中に浸っているせいで体内時計がおかしくなりそうだ。幸いミロクが自分たちの視覚情報をムラクモ本部の機器と連繋させているので、正しい時刻や任務の経過時間は視界の端に表示される数字で確認できる。

 

 あと1時間ほどすれば日が暮れ始めるなと考えながら墓標エリア4に入った。

 もうゾンビの姿は見えないが、代わりに屋上のところどころに大小様々な紫の水たまりがある。色やぽこぽこ泡が沸く様子からして、危険なものであるのは明らかだ。

 

 

『このフロア、毒沼があるな……通過するときは、気を付けるんだぞ』

「ゾンビの次は毒沼ね……探査機はどこに置けばいい?」

『4台目の設置場所は、東南方向の隅が適切だと思う。マーカーをつけておいたぞ!』

「わかった」

 

 

 紫の液体に接触しないよう気を付けて歩く。

 途中までは問題なく進めたが、ミロクがマーカーをつけたエリアの屋上は、一面が毒沼だった。

 

 

「……ミロク、探査機を設置できそうな場所が見当たらないんですが……」

『目の前に何列か墓標が並んでるから、入り口からじゃ見えないと思う。奥の隅に、毒沼に浸ってないスペースが少しだけあるんだ』

 

「少し」

『少し』

「奥」

『奥』

「隅っこ」

『隅っこ』

 

「……」

 

 

 屋上全体を覆い、シュウシュウと音を立てる毒沼に血の気が引く。探査機を設置するためにはここを通らなければいけない。

 行きたくねぇという心情が体の揺れとして表れたとき、シキが「私が行く」と事も無げに言った。

 

 

「だ、大丈夫なの?」

「ポワゾルも毒対策の装備も持ってきてる。それに……」

 

 

 シキは膝小僧に手を当てて屈伸をした。次いで両脚を揃え、その場で何度か跳ねる。

 

 

「『毒沼を通らなきゃいけない』なんてルールは……ないでしょ!」

 

 

 一際深く膝と腰を曲げ、少女は跳躍した。

 屋上で列を成す墓標に着地、そのまま次の列に飛び移るというパフォーマンスを数回行い、あっという間にミロクが指定したポイントに到達する。

 彼女は新体操選手のようにくるくると舞いながら、唯一コンクリートの素肌がさらされている場所に着地した。探査機を設置すれば、機器は待ってましたと言わんばかりにうなりを上げる。

 

 

「……さすが、運動能力Sランク……」

「違う。日頃の訓練よ。異能力者なら誰でもこうってわけじゃないから」

(聞こえてた!?)

 

 

 聴力もずば抜けている。小さな独り言はしっかりと拾われていた。日々の鍛錬を忘れるなとシキに睨まれる。

 棘のある口調は表面だけだと「他の奴らと一緒にするな」という響きを持たせるが、周りを貶しているわけじゃない。彼女は「素質に修練を課すことで磨かれた力だ」と言っているのだ。異能力者の肩書きに甘んじない上昇志向が感じ取れる。

 

 離れた場所からでもしっかりと刺さる視線に身を縮めると、キリノから通信が入った。

 

 

『こちらキリノ、聞こえるか? すべての探査機の設置を確認した。そして……ふふふ……チューニングも、バッチリ完了済みだ!』

 

「やっとか」

「あ、忘れてた……お疲れ様です!」

 

『不整合の原因を割り出すのに、ずいぶん時間と頭を使ったけれど……さっきのすごい音で、ピンときてね! この四ツ谷には、聞こえない音が――』

 

 

 キリノが語り出した途端、その声量がぐっと下がった。

 通信機の不調かと思い首を傾げると、声の大きさは元に戻る。そしてまた小さくなり、また戻る。

 それが何度か繰り返されるうちに、シキとミナトはミロクが音量をいじっているのだと気付いた。

 

 

「ちょっとミロク、何してんの」

『さっき説明したんだから、キリノの話は聞かなくてもいいだろ。……ていうか、その音はオレが……まぁ、役に立ったならいいけどさ』

「……拗ねてる?」

『す、拗ねてなんかいない!』

 

 

 まあ確かに、聞こえない音の存在については既に知っているから聞かなくても大丈夫なのだが。

 

 

『っと、データ受信……100%コンプリート。スキャン完了した!』

 

 

 自分の声が弄ばれているとは露知らず、キリノはアオイのストップが入るまで数分間語り続けた。

 その間に送られてきたデータをミロクが受け取り、解明された四ツ谷の全貌を把握してため息をつく。

 

 

『なるほど……こんな地形だったのか。このままやみくもに進んでも、永遠に帝竜には辿り着けなかったな……』

『ああ……ずいぶんと巧妙に隠されたものさ。だけど、それは既に破られた』

 

「何かすごい気になる話し方してるね」

「たぶん聞いても私たちじゃわからないわよ」

 

 

 それもそうかと、少年と上司が交わす専門用語で埋められた会話を聞き流す。

 再びアオイにストップを入れられ、空気を改めるようにキリノが咳払いをした。

 

 

『では、これより――』

『これより、四ツ谷探索を「帝竜討伐作戦」に切り替える。13班は、オレの指示に従って、最奥の帝竜を討伐してくれ』

『――承認します。台詞まで、すっかりとられちゃったなぁ……。討伐にあたっては、注意を怠らないように。13班、ミロク、頼んだよ!』

 

『了解!』

「了解」

「了解です!」

 

 

 今までとは一味違うナビゲーターの意気込みが心強い。再び墓標から墓標へ飛び移って戻ってきたシキを迎え、目標を帝竜に変えて進み始める。

 

 そういえば、帝竜はどこにいるのだろう。

 逆サ都庁、山手線天球儀は帝竜の反応はすぐに確認できたし、それぞれ最下と最上にいたわけだが、ここの帝竜もそうなのだろうか。だとしたらダンジョンの中枢にそびえ立つ天守閣が怪しい。

 

 アーチ状の橋を渡る。探査機設置のために走り回っていたエリアからは離れていた区画に入った。

 

 

『おい、13班。ここは、四ツ谷で最も厄介な「迷路エリア」だ』

「迷路? 確かにちょっと複雑に見えるけど……」

『帝竜の出す音と、変な地形のせいで……方向感覚がメチャクチャに狂わされて、絶対にゴールに辿り着けない。でも、オレがナビするから言う通り進んでくれれば大丈夫だ。じゃ、まず北西から……マップにマーカーをつけておいたから、その通りに進んでくれ』

「了解」

 

 

 一見何の仕掛けもないが、そう思っている時点で既に帝竜の思惑に嵌まってしまっているのかもしれない。ミロクを信じてマップに表示される印を確認し、指示通り北西に向かってみる。

 マーカーがついた角から屋上を出て橋を渡る。どこが迷路なんだと首を傾げながら次に入ったところで、既視感のある光景に足が止まった。

 

 

「……ん?」

「あれ? ここ、さっきの」

 

 

 ビルの高さ。所々にいる(認めたくないが)亡霊、ゾンビと思しき不気味な人影。暗い空間にフットライトのような彩りを添えるフロワロ。

 すべてが寸分違わない。目の前に広がるのはついさっきいた場所と瓜二つの景色だ。

 

 

『第一ステップ、完了! 戻ってきたように感じるだろうけど、帝竜に近付いてるぞ』

「え、そうなの?」

『よし、次はそのまま直進だ。マーカーを確認して、南東の道に進んでくれ』

「迷路ってこういうこと……確かに厄介」

 

 

 現場にいる自分たちは進んでいるという実感を得られないが、違う視点から帝竜の領域を捉えるミロクやキリノには違う景色が見えているのかもしれない。

 ピコンと音をたててマーカーが光る。大人しく屋上を真っ直ぐ走り抜けて橋を渡れば、再び見覚えのある景色が広がった。

 

 

『第二ステップ完了! よし、次は……今来た道を、引き返してくれ』

「ええっ、逆? いいの?」

『ややこしいよなぁ……帝竜は、よっぽど隠れたかったみたいだ。迷路を越えて、ご対面といこうぜ!』

「……遊ばれてる気がしてきたんだけど」

 

 

 しかし他にあてもないので引き返す。

 その場で半回転して橋に足をかけたところで、不自然に強い月光に反射的にまぶたを閉じた。

 

 

「ねえ、何か月が大きくなってない?」

「月? 別に普通……、んっ」

 

 

 それまで気にしていなかったシキも顔を上げて目を瞬かせる。

 四ツ谷に来たときには星とともにぼんやりと光っていただけの月が、空を覆わんばかりに巨大になっている。

 

 そして全身に刺さる視線に気配。周りには誰もいないのに、じっと観察されているような気がする。

 

 背中を舐められるような不快な感覚に悪寒が走る。急ぎ足で橋を渡り、袂に飛び降りた。同時に迎えるように強い風が吹き、シキとミナトは背後を振り返る。

 

 

「わ、高い……!」

『……よし、抜けた! これで迷路エリアは突破したぞ』

 

 

 池袋の地上700mには劣るが、高層ビルでも飛び出ている、四ツ谷が一望できる場所に出ていた。ダンジョンの中心、入り口から遠くに見えた天守閣に辿り着いたのだ。

 探査機設置のために東奔西走していた街を見下ろす。幾度となく渡った骨の橋が建物と建物を繋ぐ様は、さながらだまし絵のように見えた。闇の中に、マモノとドラゴンらしき影がちらほらと確認できる。

 

 

『あとは帝竜目指して先に進むだけだ。いくぞ、13班!』

「了解。帝竜もだけど、雑魚ドラゴンたちもまだ街にいるだろうから、後で狩るわよ」

「あ、そっか。今回あまりドラゴンと戦ってないもんね。Dzはちゃんと回収しておかないと」

 

 

 鉄の階段を使ってさらに上に行く。夜空の月はクレーターや影の細かい箇所が目視できるほど大きく迫っていた。

 このまま地上に衝突する気かと恐怖を感じながら最後の大橋を渡る。視界に入るビルは両手の指で数えられるほどになった。

 次の屋上に移ろうとして、足が止まる。

 橋が折れている。屋上と屋上の間は5m程度だが、ミナトにとっては驚異的な距離だ。

 

 

「な、こ、こんなところで障害が……!」

「障害って、ただ飛び移ればいいでしょ。都庁のときと比べれば良心的じゃない」

「シキちゃんならそうかもしれないけど、私は自信が……」

 

 

 話を聞く気はないのか、シキが言葉を遮って跳ぶ。向こう側に着地して振り返り、早く来いというように片腕を伸ばした。

 

 

「ほら。万が一届かなくても私が跳んでキャッチすればいいでしょ」

「ううう……。……そうだ! 氷で橋を造れば!」

「ダメ。異能力者なんだから身体能力も一般人とは違う。訓練よ。自力でこっちに跳んで」

「ええええ」

 

 

 抗議は眼力よって一瞬でねじ伏せられ、ミナトは歯を食いしばる。

 確かに、超能力に頼りきりではなく、体も使えたほうがいいのはわかっているが……。

 

 

(……考えてる場合じゃない! 帝竜のところまで行かないと!)

 

 

 大丈夫、走り幅跳びは比較的得意なほうだった。

 頬をつねって気合いを入れ、シキが毒沼を越えるときにやっていたように屈伸と伸脚をする。

 南無三と唱え、助走をつけて踏み切る。生温い風にくすぐられて胆が縮むが、1歩分の余裕を残して跳び移ることができた。

 

 

「……あ、い、いけた!?」

「だから言ったじゃない。次行くわよ」

「え、ま、待って、もうちょっと心に余裕を!」

 

 

 お構いなしに進むシキに涙目でついていく。階段のように少しずつ高くなっていくビルの道を跳び続け、2人は天守閣の頂点に辿り着いた。

 目の前に月が見える、骨の牙に飾られた舞台。肝心の帝竜は確認できないが、空から降り注いでくる気味の悪さはごまかせない。

 

 

『おい、13班! あの月から帝竜反応を検知した。討伐対象は、月に擬態した帝竜と認定。もう隠れはさせないぞ……!』

「何か見られてるなーって思ってたけど、帝竜の視線だったんだね」

「……出てきなさいよ! いつまで隠れてるつもり?」

 

 

 シキが挑発するように手招きをする。すると月の丸い輪郭が歪み、数回明滅して霧散した。

 フロワロの花が揺れ、ざざざざと不気味にざわめく。身構えるシキとミナトの頭上で、擬態を解いたドラゴンが顕現した。

 白を基調とした体。風を起こす翼には黒のマーブル模様が浮かぶ。鳥のようなフォルムは、ウォークライやジゴワットと違って女性的な曲線だ。

 

 四ツ谷の天に羽ばたく帝竜ロア=ア=ルアを捕捉し、ミロクが力強く宣戦布告した。

 

 

『いくぞ、13班! ……死者をもてあそんだ罪、償ってもらわないとな!』

 



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17.月を砕け - VS ロア=ア=ルア -

帝竜戦開始。
デストロとサイキのパーティだと必然的に迎撃スタンス+ヒート(ゼロ℃)ボディ戦法になるんですが、盲目状態でこれをすると相手のスウェイリアクト(回避すると+1ターン)にはまり、攻撃をくらう→カウンター発動→回避される→リアクトという無限ループの地獄に……うっ、頭が!!



「こっのぉぉ……サスガの奴、調子に乗りやがってぇ!」

 

 

 医務室でマキタが歯軋りする。

 彼を含め池袋攻略作戦で負傷した自衛隊員たちは、数日間の静養と医師たちの尽力により、ほとんどが訓練を始められる状態まで回復していた。ムラクモには及ばないが一般人とも違う強靭な肉体に、看護師たちは尊敬半分、呆れ半分のため息をつく。

 

 仲間たちとともに健康検査を受けていたマキタは、落書きつきの包帯が取れたことで、体の自由と同僚に対する怒りを解放させていた。

 

 

「何が『アオイちゃんは天使』だ! 勝手に人の包帯に書き込みやがって……! 絶対に許さん!」

「まあまあ、ほら、包帯に落書きするのはお約束だろ?」

「内容を考えろってことだよ!」

 

 

 医務室に誰かが訪ねてくるたび、でかでかと書かれた文字は笑い種になった。

 サスガではなくマキタがムラクモの女性に想いを寄せているなんて噂まで立ちそうになり、誤解を解くため必死に動かしつつけた口はからからに渇いている。

 早速お調子者のあいつに一発かましにいこうと意気込むマキタを誰かが宥める。

 

 怒りが収まらない彼を仲間が押さえる様子に苦笑していた堂島に、見舞いに来ていたカマチが声をかけた。

 

 

「そうだ、隊長。さっきムラクモ本部から連絡が入った」

「ムラクモから連絡? ……そういえば、13班は四ツ谷の攻略に行っているんだったか」

「ああ。その作戦の進行状況の定時報告だ。なんでもついさっき、13班が四ツ谷の帝竜と戦闘に入ったらしい」

「13班が帝竜と……!?」

 

 

 堂島の声に、騒いでいた自衛隊員たちが一気に静かになった。

 どうなっているんだろう。今度の帝竜はどんな竜なのか、異界化した四ツ谷はどんな世界に成り果てているのか、13班は大丈夫なのか。

 

 沈黙に包まれる医務室で、今年入隊したばかりの新人隊員がぽつりと呟いた。

 

 

「すごいですね……おれ、マモノと戦うだけで精一杯だったのに……」

 

 

 今までの戦いが思い返される。はじめはマモノの発生だった。それだけなら自衛隊が動けば問題なかったのだが、今は違う。

 ドラゴンが地球に降り立った時点で、人類は崖っぷちギリギリまで追い詰められていた。そこに出てきたムラクモ機関の存在でなんとか踏みとどまり、自分たちは1歩、また1歩と東京奪還に向けて前進している。

 

 

「帝竜って、何体いるんだっけ?」

「さあ。でも……」

 

 

 ドラゴンの生態はまだまだ未知数だ。しかし四ツ谷の帝竜が倒せれば、圧倒的な力を持つ帝竜を、3体も撃破したことになる。

 一生かかるかもしれないと思われていたドラゴンの駆逐。実際はものすごいスピードで進んでいるのではないだろうか。

 希望が見えるのと同時に、自衛隊はゆっくりと肩を落とす。

 13班、ムラクモがいれば竜は狩れる。なら、自衛隊は?

 立てる土俵がなければ、自分たちはお払い箱なのではないか。

 

 

「今回は完全な、13班単独での作戦ですよね? ダンジョンの攻略もドラゴン討伐も、生存者の救出も全部……それじゃあ、おれたちは……」

 

「いや」

 

 

 新人の言葉を堂島は遮る。視線が向けられるのを感じながら、彼女は池袋で学んだことを語り始めた。

 

 

「確かに、アタシたちじゃドラゴンには太刀打ちできない。ダンジョンの攻略も、帝竜の討伐も、結局はムラクモに……13班に任せるしかない。けど、あの2人だって、アタシたちと同じ人間だ。……シキって呼ばれてるほうはわからないけど、シバって子は、ドラゴンと戦うことに怯えてる」

 

 

 地下シェルターでガトウたちとともに都庁に出発しようとしていた堂島は、女性の悲痛な声を聞いた。

 

 

『できるわけないじゃん、あんな、ドラゴンなんて、戦えるわけない』

『お母さんは……友だちは? ……知り合いは、先生は、先輩は? ドラゴンなんてどうでもいいよ、みんなはどうしてるの……!?』

『ねえ、やめよう? あんな、あんなのに襲われて、せっかく命を落とさずに済んだんだから……私たち頑張ったじゃん。みんなに任せたって誰も文句言わないよ。まだ戦えなんておかしいよ、兵士でもないのに……!!』

 

 

 異能力者であれ人なのだ。異能力を宿しただけの、ただの人間なのだ。それでも彼女は戦場に出てきた。

 異界化した土地に踏み込んでドラゴンと対峙するたび、一般人から戦闘員になった彼女は成長している。経験を積み、それと同時に、体と心に傷を刻んでいる。

 自分たちよりずっと強い。だが完璧ではない。無茶を重ねて故障を繰り返すアスリートのように、何度も挫けて立ち上がる。

 

 

「なんでも任せていいわけがない。補助がない分、時間も負担もかかる」

 

 

 これまでの戦いで学んだだろう。ドラゴンを倒すことができなくとも、自分たちは人々を守るための盾。誰かを守るために動くことはできると。

 

 

「今回は何も手伝えなかったけど、次からは必ず……誰かを守って、13班の負担を減らす。アタシたちよりもずっと年下の女の子2人におんぶに抱っこなんて、情けないだろ?」

「……そうだ。俺たちにも、できることはある」

 

 

 再び、自分たちの意思を確認する。

 人々を守るために。誰かを助けるために。自分たちは自衛隊だ。

 いくつもの視線は固く結束し、全員でうんと頷く。

 

 

「よーし、13班が帰ってきたら、派手に迎えてやろうぜ!」

 

「よーっす! 隊長、みんな、元気かー?」

「来やがったなサスガあああっ!!! とりあえず一発くらえええっ!!」

「誰かマキタを止めろー!」

 

「やれやれ……。……負けるなよ、13班」

 

 

 陽気に現れたサスガにマキタが豹変して飛びかかる。

 わーぎゃーと騒がしくなる医務室で、堂島は自分のアーマーを磨き始めた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 月に擬態してこちらを観察。死体を操り襲う。複雑な迷路を形成する。

 まわりくどいやり口から予想はできていた。ウォークライやジゴワットと違い、この帝竜は圧倒的な破壊力を持っているわけではない。そのかわり自在に空を飛び回り、中距離から攻撃してくる。さらにこちらの体が不調を起こす効果──いわゆる「状態異常」──を複数扱うタイプだった。

 

 夜空を舞うロア=ア=ルアが、球の形に収束させたエネルギーを打ち出してくる。それをよける間に相手は高らかに吠え、何やら自身に呪文をかけている。

 

 数分間同じ応酬を繰り返し、シキとミナトは体力を削られていくまま、帝竜に攻撃を当てられずにいた。

 

 

『シキ! 来るぞ!』

「わかってる!」

 

 

 ミロクに応えながらシキが身構える。

 同時に帝竜が翼を折り畳み、魚を狙う海鳥のように急降下した。地上すれすれで翼が広げられて暴風が巻き起こる。

 シキとミナトの体が浮かび上がった。待っていたというように紅の爪が光り、体勢を崩したシキに叩き込まれる。

 

 

「ぐぅ……っ!」

 

 

 大きな足と固い地面に挟まれて少女がうめく。

 体重をかけても挫けない獲物をそのまま啄もうと思ったのか、ロア=ア=ルアが嘴を開く。

 

 

「だめ!」

 

 

 ミナトが指先から雷を飛ばす。雷光は宙を駆け抜けて相手の頭部をかすめた。

 痛みに喚き、頭を振りながら帝竜は空に逃げ出す。その隙にシキに駆け寄り、押し潰されそうになっていた体を助け起こした。

 体中の骨を鳴らしながら、くそっ、と少女が吐き捨てる。

 

 

「さっきからザクザク何度も何度も……!」

「ま、待って、いきなり動いちゃダメだよ! 今治療するから……」

 

 

 ミロクが分析したところ、ロア=ア=ルアの両足と両翼の先にある爪は、傷口を広げ出血を促すような効果があるらしい。状態異常の内の1つだろう。

 シキはその爪を何度も頂戴している。どの傷も深くはないものの静かに血を流し続け、彼女の白いセーラーは黒ずんだ赤に染め上げられていた。

 

 先にリカヴァをかけてからキュアに移る。しかし一連の行為を相手が見守ってくれるはずなどなく、再びマーブル模様の弾が降ってきた。

 

 

「もう、治療もまともにできないなんて……!」

『シバ! 今度はそっちにいくぞ!』

 

 

 シキから引き離されて歯噛みするミナトをロア=ア=ルアが見下ろす。

 慌てて見上げた瞬間、血が固まったような赤い目が鋭い光を放った。

 

 

「え……、うっ!?」

 

 

 ざっと視界に黒いもやがかかる。目に墨をかけられたわけでもゴミが入ったわけでもない。今までにも何度かかけられた、視界をふさぐ状態異常だ。

 眼球を取り出して丸洗いしたい衝動を抑えてリカヴァを使い、なんとかもやを取り除く。

 

 鮮明になった視界に映り込んだのは、ロア=ア=ルアの鋭い鉤爪。

 

 ザクッ、ゴリッ、という嫌な音が耳に届き、燃えるような痛みが肩を襲った。

 

 

「い゙、っ゙、~~っ!!?」

 

 

 生温い血液が迸って顔にかかる。あまりの激痛に涙がこぼれた。

 気を失わず、叫ばずに堪えている自身を褒めてやりたい。咄嗟に身をひねったことが幸いして頭を持っていかれずに済んだものの、帝竜の爪は左肩の肉と鎖骨の一部をごっそり削り取っていた。

 

 

(デコイミラーは……さっきのエネルギー弾で消されちゃったんだ……!)

 

「こ……のっ!!」

 

 

 シキがミナトと帝竜の間に飛び込む。放たれた拳はかわされた。

 

 

「ちょっと、生きてる!?」

「……死にそう」

「しっかりしろ!」

 

 

 痛みで散漫しそうになる意識をなんとか引き止め、再びリカヴァをかけてから治癒魔法を肩に集中させる。

 治癒魔法も万能ではない。なんとか止血は終えたが流した血は戻らないし、抉られた肉は非常にゆっくりとしか再生しない。

 火で炙るような痛みが、左肩から先は使い物にならないことを告げていた。

 

 

『シバ、シバ! 大丈夫か? 立て直せるか!? 今シキが踏ん張ってる! 負けるな!』

「……っ、大丈夫かな、これ。左腕、落ちたりしないよね……」

『大丈夫、ちゃんとつながってる!』

 

 

 ミロクの声も苦しそうだ。足腰に力を入れて立とうとすると、もう少し怪我の治癒に集中しろと止められる。

 

 

『あいつがおまえたちの体に与える異常は、激しい出血。目を塞ぐ盲目効果。それから、マナの消費を大きく増やすダウナー効果だ』

「マナの消費……? ダウナー……?」

『しっかりしてくれ! 戦いが終わったら、医務室でがっつり治療が受けられるから!』

 

 

 泣き出しそうな声にごめんと謝る。

 画面の向こう側で見ていることがもどかしいのだろうか。ミロクは通信機の向こうでがたがたと音を鳴らして声援を飛ばしていた。

 

 

『あの聞こえない音だ。ダンジョンでオレたちの方向感覚を狂わせてたみたいに、精神に干渉してきてる。それでマナのコントロールが上手くできないようにしてるんだ』

「言われてみれば、なんかどの技もあまり威力が出てなかったかな……」

 

 

 血の流れすぎかマナの使いすぎか、頭がぼうっとして上手く働かない。

 メディスと一緒にマナ水を飲み、尽きかけていたマナを補充する。そこら中に転がる大量の薬の空容器が、自分たちが状態異常に繰り返し苦戦していることを物語っていた。

 

 

『……この帝竜、思った以上に強敵だ。今までの戦い方があまり通用してない』

「……ぽいね。薬も結構消費しちゃったし、このままだと、ジリ貧……」

 

 

 シキがロア=ア=ルアに食らいつき、爪を受け止めて殴り返す。文字通り彼女が壁になって踏ん張ってくれていた。

 目の前で繰り広げられる肉弾戦に逸る気持ちを抑え、治癒に集中する。少しずつ回復していく体と頭に、ミロクの「だから」という声が響いた。

 

 

『だから、今回はおまえが攻撃の要だ』

 

「うん──え?」

 

 

 わずか一瞬、痛みを忘れる。

 

 ミロクは今何と言った? シキではなく、自分が攻撃の要?

 自分が要。要。頭の中で言葉が繰り返される。

 幾人もいる候補者の中、隅っこに紛れて隠れていたのに、自分が罰ゲームの対象に選ばれて引きずり出された気分だった。

 

 

『シキは接近戦特化のデストロイヤーだ。どんなに動くことができても、ロア=ア=ルアは空が飛べるから避けられる。だからおまえがやるしかない。サイキックの属性攻撃なら、射程は長いし、上手くいけばあいつを撃ち落とせる!』

 

「……そんな」

 

 

 どうしてこんなときに負け犬根性が出てきてしまうのだろう。

 いけないとわかっていながらも、反射的に無理だと答えてしまっていた。

 

 

「無理だよ。わ、私が? シキちゃんのほうが強いのに? あの子があんなに苦戦してるのに、私がやれるわけない」

『何言ってるんだよ、これが一番勝てる可能性が高いんだぞ!』

「だ、だって、私は今まで補助で……ついていくのが精一杯だったのに……いきなり要って言われたってっ」

 

 

 今日だって、ダンジョンの中で散々情けない姿をさらした。

 

 

『あんたが努力してるのは知ってるけど。もし、火しか効かない相手が出てきたらどうする?』

『氷に雷、治癒魔法に防護術。それだけ使い慣れてきて、火ができないっていうのは致命的──』

 

 

「……火が、使えない」

 

 

 ぽろっ、と、弱音がこぼれる。

 

 火が怖い。火が使えない。サイキックは属性攻撃のスペシャリストなのに。

 1つの弱点に苦しみ、吐いて、もがいて克服できないでいる。なんて無様な。

 誰かが自分を指差して笑っている気がした。

 

 

「いつまでたっても前進しないの。ウォークライは倒したはずなのに、ずっとあの炎が忘れられなくて。……何日経っても火が怖い。こんな、自分のこともどうにかできないのに、シキちゃんに代わって帝竜に向かうなんて」

 

 

 今まで進んでこれたのは、少女の背中があったからだ。彼女より前に出るなんて、想像がつかない。

 

 再び無理だと言おうとした瞬間、「バカ!!!」とミロクが叫んだ。

 

 

『ここで怯えてたらそれこそ何も変わらないだろ! やるしかないんだ!』

「で、でも……!」

『火なんかどうでもいい! 怖いならそんなの後でいいじゃんか! 今は帝竜に勝つことだけ考えろ! それに、おまえを攻撃の要にしようって言ったのはシキなんだぞ!』

「え、シキちゃんが……?」

 

『「戦うって決めたんなら何が相手でもやり通せ」!』

 

 

 いつか自分に向けられた喝を、今度はミロクが怒鳴った。

 

 

『「中途半端な覚悟で臨んでんじゃねえ。パートナーを1人にするな」!!』

 

 

「そういうことよ」

「わ……!?」

「ったく、あの帝竜ほんとむかつく……!!」

 

 

 いつの間にかシキが隣で大の字になっていた。ロア=ア=ルアに吹き飛ばされたらしい。

 嘲笑うような鳴き声に歯軋りをする彼女の額はぱっくり割れて血を流していた。頭から足まで全身を血に染めて、なおも少女は立ち上がる。

 

 

『2人とも、帝竜が何か仕掛けてくるぞ!』

 

 

 ミロクが息を呑む。

 ロア=ア=ルアが胸を反らし、嘴を大きく開いた。

 

 

「!?」

 

 

 くわあぁぁん、と音が反響する。トンネルの中にいるように、何度も何度も音波が跳ね返る。

 

 脳が圧迫されるような感覚に襲われ、ミナトは昏倒した。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「お母さん」

 

 

 母が鼻歌まじりに料理をしている。

 鼻をくすぐる香りは、自分が好きなカレーだ。けれど、その香りを嗅いでも、気持ちは雨雲がたれ込めるように沈んだまま。

 

 もう一度母を呼ぶ。

 

 

「お母さん」

「ん? 晩ご飯ならあと10分ぐらいで……」

「ごめんなさい」

 

 

 謝罪と一緒に涙があふれた。

 後悔と自己嫌悪が胸を締め付ける。何度謝ったとしても晴れることはない。それでも、母親への謝罪は続けなければと思った。

 

 

「ごめんなさい。ごめん、ごめんね。私のせいで」

 

「頑張るから、もう、同じことにならないように頑張る! だから──」

 

 

 ごめんなさい。私のせいで。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

『シバ! シキ!』

 

 

 キッチンが消える。母が消える。目の前に夜空が広がる。

 

 シキが自分の上に覆い被さるようにして倒れている。

 

 

「シキちゃん!?」

「いっ……」

 

 

 肩を揺する。シキは後頭部を押さえて起き上がった。

 彼女のもう片方の手は自分の首に回っている。気付け薬のナノエイドを打ってくれていたらしい。

 シキは気絶した自分を手当てして……その際に攻撃されたのだろうか。

 

 顔を上げるミナトの目に、ゾンビが映り込んだ。

 

 

「っ!?」

 

 

 なんでゾンビが。しかも自衛隊員の。四ツ谷にはまだ彼らの死体が転がっているのか。

 

 

「っつー……思いっきり殴ってくれたわね……」

 

 

 シキが頭を横に振る。すぐ傍らに1体のゾンビと、真新しい血に濡れた銃が転がっていた。どうやら彼女は銃で頭を殴られたらしい。ちゃんとお返ししたようだが。

 だがこうして起き上がっている間にも、周囲にゾンビが湧き始めている。

 

 夜空に浮かぶロア=ア=ルアが自分たちを見下ろし、さも愉快そうに笑っていた。

 キャア、キャア、キャア。と帝竜の哄笑が響き渡る。

 

 

『なんだよこいつ……仮死状態にすることもできるのかよ……! 何度もくらったら危険だぞ!』

 

 

 ミロクが悔しそうに声を絞り出す。自分はロア=ア=ルアの状態異常攻撃で死に近い状態になっていたのか。

 

 キャア、キャア、キャア。

 

 

「……この声……」

 

 

 思い出した。この笑い声は、初めてゾンビを見て気絶したときに自分を笑っていた声だ。

 足場を赤く染める血も、何度も目を塞いできた黒いもやも、マナを余計に浪費してしまうのも。

 

 さっき倒れたのも。

 

 昔のことを夢に見たのも。

 

 死者がゾンビとなって操られているのも。

 

 自分のパートナーが血だらけになって倒れているのも。

 

 全部あいつが。いや、半分は自分の情けなさが。

 

 

「……」

 

 

 バチンと指先で紫電が爆ぜる。

 

 

「シキちゃん、ごめんね」

 

 

 シキの肩に手を置き、キュアで彼女の傷を癒して立ち上がる。

 頭が熱い。血潮が激しく体を駆け巡る。

 人の死も想いも傷も、あの帝竜にとってはお遊びでしかないのだ。ウォークライやジゴワットのように凶暴でない分胸糞悪い。

 

 ずっと昔の、自分だけの過去に勝手に踏み込まれ。

 身命を賭して戦った人たちを愚弄し。

 チームメイトを痛めつけ。

 あの鳥竜は人の逆鱗をことごとく逆なでしたあげく嗤っている。

 というか、なぜ自分はそこまで好き勝手やらせてしまったんだ。

 

 堪忍袋の緒が切れた。

 憎い。むかつく。許せない。

 

 

「……私があいつを攻撃すればいいんだよね?」

「そうよ。私も攻撃できるように、あいつを落として……」

「わかった」

 

 

 シキが引き付けてくれていたおかげで充分回復できた。メディスもマナ水も充分飲んだ。

 火は相変わらず使えない。それでも、やる。片翼ぐらいは。

 

 

「許さないから」

 

 

 激しい怒りは体力も精神力も持っていく。けれど一時的になら、傷の痛みを麻痺させ、力を振るうこと集中させてくれる劇薬だ。

 体に鞭打ちマナを呼び起こす。サイキックにとっての銃口である指先を帝竜に向け、ミナトは吠えた。

 

 

「絶対──落とす!!」

 



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  月を砕け - VS ロア=ア=ルア -②

帝竜戦終わり。CHAPTER3もうちょい続きます。
今までの話で既に気付かれていると思いますが、こんな感じでサブクエや都庁で話しかけたときのセリフも練り込んで書いていきます。思い出のあんなシーンやこんなシーンを振り返れるように書ければなと思います。



 

 胸糞悪い。怒りで体中が熱い。

 明けない夜空に浮かぶ帝竜、ロア=ア=ルア。死者も生者も冒涜する、見た目が綺麗なだけの性格ブス。

 他の帝竜も例外なく討伐はするが、こいつは絶対に生かしてはおけない。

 

 

(集中!!)

 

 

 頬を叩いて気合いを入れる。

 デコイミラーとゼロ℃ボディを張り直し、ミナトは手を空に向けた。

 

 

「笑う──な!」

 

 

 振り下ろされる指先にマナが導かれる。

 未だに自分たちを嘲笑っていたロア=ア=ルアにプラズマジェイルの光が直撃し、ギャッ、と帝竜の笑いが叫びに変わった。

 間髪入れず追撃する。空高く舞い上がった冷気が巨大な塊となって、宙で硬直する帝竜の脳天を打ち据えた。

 

 

『シバ! こいつ、プラズマジェイルが一番効いてる!』

「わかった……ガンガン落とす!」

 

 

 もう状態異常の無限ループはごめんだ。また厄介な状況を展開される前に、翼を削りきる。的はでかいのだからやれるはずだ。

 マナ水はすべて飲んでも構わない。最低限の余力を残しておけば、こいつを地に落とせば、きっとシキがなんとかしてくれる。

 

 決戦地に幾本も光の柱が叩きつけられる。

 夜を塗り潰さんばかりに炸裂する光に、シキは目もとを手で庇った。

 

 

「あいつ、キレてるの? なんで……?」

『そういうのは後で! シバに邪魔が入らないように、ゾンビをなんとかしないと!』

「そうだった、面倒ね!」

 

 

 後頭部を硬い銃身で殴られたが、幸い少しの出血で大したことはない。

 体に異常がないことを確認し、シキは接近してくる新手を迎え撃つ。腐った肉を打つ手応えは不快だが、帝竜にがむしゃらにプラズマジェイルを落とすミナトの邪魔をさせるわけにはいかない。

 

 

「っはぁ!!」

 

 

 2人の気合いの一声が重なる。ゾンビ数体がボーリングのピンのように吹き飛び、一際大きな光の鎚が空から落ちた。

 

 

『よし、この調子なら……! っ、2人とも! 帝竜が動くぞ!』

 

 

 ミロクが「警戒!」と言うのと同時に、影が蠢く。

 ミナトの怒りの猛攻にさらされていたロア=ア=ルアが叫んだ。立て続けに雷光に打たれていた体は宙で不安定に揺れている。

 集中して狙っていた左翼は壊れかけの傘のようだが、撃墜させるには至っていない。翼の付け根、人間で例えるなら肩甲骨に当たる箇所を無理矢理動かし、その巨体が宙に浮かぶ。

 

 動きが今までと違う。まだ技を隠し持っているかもしれない。

 

 

「これ着けて! たたみかけるわよ!」

「うん!」

 

 

 ゾンビを一掃し終えたシキが戻り、ポーチから取り出した小物を受け取り首に下げて走り出す。

 ロア=ア=ルアはもう笑わない。相手は玩具ではなく抹消すべき敵だとようやく気付いたのだろう。赤い目をぎらつかせ、翼で全身を覆う。

 白く丸まった姿が満月のようだと思った瞬間、苛烈な極彩色の光とマナの波が2人を襲った。

 

 

「わぁっ!」

「っ!」

 

 

 風でもなく衝撃波でもない魔法独特の力が押し寄せる。ミナトは耐えきれず仰向けに倒れ、シキは屈んで膝を着く。

 ロア=ア=ルアお得意の状態異常が体を蝕もうとした瞬間、先刻身に着けたアクセサリーが熱を放って抵抗する。

 確率は五分五分と聞いたが、開発班に渡された防具、ブラインドガードは見事盲目効果を防いでみせた。

 

 

「よし……っ、いける!」

 

 

 ダウナーにはかかってしまったが問題ない。相手は満身創痍。マナが尽きる前にしとめればいい。

 シキはポーチから、ミナトはヒップバッグから最後のマナ水を取り出して一滴残さず飲み尽くす。

 おののくように不安定に羽ばたく帝竜に、2人は瓶を投げ捨て、薬の色に染まった舌を出してみせた。

 

 

「どうしたのドラゴン様! まさか怖いとかいうんじゃないでしょうね!」

「出血を予防できるアクセサリーもあるし、もう状態異常は通じないよ! 五分五分だけど!」

『ほら、どうした臆病者!』

 

 

 ミロクも加わり3人がかりで挑発する。ロア=ア=ルアが今まで聞いた中で最も不快な叫びを上げた。

 

 突っ込んでくる帝竜に対しシキは前傾姿勢になり、背中をミナトに支えさせ、腹の底から声を出した。

 

 

「っぁああ!!!」

 

 

 帝竜の巨体と13班が衝突する。

 ドンッ、と空気が膨張し、足もとに亀裂が走る。

 直接ぶつかったわけではない。それでも少女の背から伝わる衝撃だけでミナトは意識を飛ばしそうになった。

 

 傷を負っているとはいえども人智を越えたドラゴン。いつもいつも、相対するたびに死の淵に落とされそうになる。

 だが、

 

 

「捕まえた!!」

 

 

 帝竜の巨体を受け止める自分たちは、その向こうにある勝利に手を伸ばすのだ。

 

 ゼロ℃ボディが発動する。絶対零度のカウンターがロア=ア=ルアを捕えた。

 氷に覆われていく自身の体に、ロア=ア=ルアは最初で最後の恐怖による悲鳴を上げる。

 

 悪あがきに羽ばたこうとする帝竜を2人掛かりで押さえつけ、ミナトは氷で刃物を生み出した。

 

 

「シキちゃん、これ!」

「よし!」

 

 

 シキが氷の刃を振りかぶり、一閃。

 乱暴な縦一文字の斬撃を受け、ついに左翼がロア=ア=ルアの体から断ち切られた。

 

 痛々しい鳴き声にかけてやる慈悲など存在しない。そのまま引導を渡してやる。

 

 

「とどめぇっ!!」

 

 

 鉄拳が頭に。氷槍が胸に。

 地面ごと頭蓋を粉砕され、胸に大きな風穴を開けられ、帝竜の命はフロワロとともに散った。

 

 

『……よし! 四ツ谷地区の帝竜──討伐完了!』

 

「っは……」

「お、終わったぁ~!」

『お、おい、大丈夫か!?』

 

 

 シキは脱力する。ミナトも腰を抜かし、2人は同時に転がった。

 興奮状態で忘れていたが、全身切り傷だらけだ。ミナトにいたっては左肩の一部を大きく抉られている。傷口が塞がっているとはいえ、致命傷一歩手前だ。

 

 落ち着くことで湧き上がってきた痛みと疲労にうめく。心配するミロクになんとか大丈夫だと応え、ロア=ア=ルア検体の回収を始める。

 

 帝竜の強固な肉に息を切らしながら解体に当たっていると、アオイとキリノから通信が入った。

 

 

『わ~い、お疲れ様でした!』

『君はホントにチョコバー食べに来ただけだったね……。ナツメさんからも信号連絡が来てる。えーと、なになに……「よ・く・や・っ・た・わ」……6文字かい!』

 

「……キリノさん、今日はツッコミが冴え渡ってますね」

 

『え、そ、そうかい?』

 

 

 今日に限らず、都庁奪還を祝うパーティの席でナツメとともに漫才を披露していたときも彼のツッコミはキレキレだったのだが、自覚がないのだろうか。

 

 

『……よし、都庁に戻ろう。僕は熱いお風呂に入りたいよ』

「そうですね、全身臭くなってるみたいだから徹底的に洗いたいです……」

「Dzと検体、回収完了。今からそっちに帰還する」

 

 

 シキは立ち上がって荷物をまとめる。

 地面に転がったまま眠りに落ちそうになっていたこちらを爪先で小突き、仕方のない奴と手を差し伸べた。

 

 

「ほら、ミナト。さっさと帰るわよ」

「あ、うん、う……。……、…………うん???」

「? なによ」

「……今、なんて言った?」

「は?」

 

 

 今になって状態異常にかかったのだろうか。依然大の字になったまま目を何度も瞬かせるパートナーに、シキはしゃがみこんで顔を近付ける。

 

 

「帰るわよって言ったの。このまま置いていかれたいの?」

「え、いや、そうじゃなくて……。それだけじゃなくて、さっきの台詞。もう1回言ってみて」

「……さっき?」

 

 

 えーと、と数秒前を思い返す。

 

 

「『ほら、ミナト。さっさと帰るわよ』」

 

「……」

「……」

「……」

 

「……なによ!?」

 

 

 わけがわからずに声を荒げる。

 

 対するミナトはなぜかきらきらと瞳を光らせ、次にはへらぁっ、と笑みを浮かべた。

 

 

「や……っと、名前呼んでくれた!」

 

 

 美しいなんて言えない、可愛いともほど遠い。顔面の筋繊維がすべて緩んだようなだらしなさ。しかも目尻がわずかに濡れている。

 ただ温かい。

 

 夜が明けたと思わせるような笑顔に、今度はシキが目を白黒させた。

 

 

「何……名前?」

「そうだよ! ムラクモ試験で自己紹介してから早数ヶ月! シキちゃんってば『あんた』とか『こいつ』って言ってばかりで、全っ然名前呼んでくれないんだもん! すっごい寂しかったんだよ!?」

「……へぇ」

「あー、心当たりないって顔してる! ……ふふっ、嬉しいなぁ」

 

 

 ミナトは体を起こしてくすくす揺れる。

 いつもと少し雰囲気が違うパートナーを見て、そういえばこいつ自分より年上だったな、とシキはぼんやり思った。

 

 ミナトは足を大きく開いて、敷居を跨ぐようにシキの傍らに立つ。何やら距離が近い。

 

 

「なんなのあんた」

「へへーへへへー」

「鬱陶しい」

 

 

 顔はにへらにへらと笑ったままで、頬の肉をつついても引っ張っても変わらないので放っておくことにした。

 

 とりあえず、いつまでも死臭漂うダンジョンにいるわけにもいかない。辿ってきた道を戻り、ミロクのナビに従って残っていたドラゴンたちを狩っていく。

 

 最後の1匹を倒してDzを回収すると、ミロクが「げっ、またかよ!」と焦った声を出した。

 

 

『おい、13班! 前方に、生体反応がない個体を発見!』

「生体反応がないって……ゾンビ?」

「あ、本当だ。でも1人だけだね」

『ああ、たぶんこいつが最後の1体だ。倒してくれ、13班!』

 

 

 1体の自衛隊ゾンビが静かに、のろのろとこちらへ近付いてくる。

 迎え撃とうと踏み出したシキの体がふらつく。帝竜を倒してなお戦闘を続け、疲労が限界に達しているのだろう。ミナトが慌てて肩をつかんで支えてきた。そのまま彼女は片手を伸ばし、指先の照準をゾンビに合わせる。

 

 

「できるの?」

「1人だけなら大丈夫だよ。任せて!」

 

 

「ごめんなさい」という呟きの後にプラズマジェイルが落ちる。

 光の柱に包まれ、ゾンビはまるで昇天するように朽ちて消えていった。

 

 

「やるじゃない。ぎゃーぎゃー騒いでたのが嘘みたい」

「えへへ、1歩前進って感じかな。……あれ、何か落ちた」

 

 

 跡形もなくなった場所に、カチャンと音を立ててブローチのようなものと隊服の切れ端が転がった。

 

 歩み寄って、薄汚れた2つを拾い上げる。ゾンビの胸もとに着いていた階級章と勲章だ。

 

 

「これは……この人の遺品になるのかな。ミロク、これで身元はわからない?」

『一佐の階級章に、六つ星の勲章……? 自衛隊の隊長格だったのか。死体を操られて……ん?』

 

 

 ミロクの声が途切れる。

 次いで、カチ、カチ、と歯を噛み合わせる音が聞こえてきた。

 

 

「どうしたの?」

『もう、帝竜はいないんだよな』

「何言ってんの。ちゃんと倒したじゃない。Dzと検体だって回収したし」

『だよ、な?』

 

 

『死体を操ってた帝竜は、討伐したよな?』

 

 

「……」

「……」

 

 

『なら、なんで──』

「──」

「──」

『……』

 

 

 ガチガチ、と音が鳴る。

 

 隣を見ると、ミナトがミロクと同じように歯を鳴らしていた。

 その口がひゅっと息を吸うのを見て、シキは素早く耳を塞ぐ。

 

 

 世界中に響いたのではないだろうか。超音波にも負けない悲鳴が四ツ谷を揺らした。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 倒れたパートナーを背負い、くたびれた様子の少女が四ツ谷の街を歩いていく。

 その姿をビルの屋上から見つめ、ダイゴが静かに呟いた。

 

 

「……3匹目の帝竜を倒したようだ」

「ねぇ……アタシ、あんなダサい奴に負けたの?」

 

 

 少女の背中で気絶している女性を見て、ネコが飴を舐めながら目を細める。

 ダサいというのは、ついさっきこの世の終わりのような絶叫を上げて倒れたことを言っているのだろう。ストレートな悪口にタケハヤは思わず笑う。

 

 

「言ってやるなよ。頑張ってたじゃねぇか」

「だぁってさぁー……なんか、なーんか納得いかないんだよねー。わかるでしょ?」

 

 

 確かに、フルネームを馬鹿正直に名乗ったり、何も知らずにムラクモに協力していたり、帝竜を倒したと思ったらゾンビ1体にひっくり返ったりと抜けているところがある。

 しかしネコがあの女性のことを意識するのには、もっと別の理由がありそうだ。同じサイキックだから引っかかっているのだろうか。それとも歳が近そうだからか。ネコ自身もよくわかっていないのが少しおもしろい。

 まあ、彼女を観察している点で言えば、自分も同じなのだが。

 

 シバ ミナトといったか。毎度危なっかしいとはいえ、一般人上がりの戦闘員にしてはなかなか根性がある。

 

 

「……見た感じじゃ、悪人ってわけじゃなさそうだな」

「油断しちゃダメだって。あのオバさんの部下だよ?」

「わかってるよ。……っ」

 

 

 胸が痛んで息が詰まる。

 咳を飲み込んだタケハヤを、ネコとダイゴが同時に振り返った。

 

 

「タケハヤっ、大丈夫?」

「あまり無理はするな」

「ああ。大丈夫だ」

 

 

 今はな、と小さく付け加える。

 辛そうに顔を歪ませるネコの頭を乱暴に撫で、タケハヤはもう一度、四ツ谷の出口に向かう13班を見た。

 

 疲れたのか、少女が一度女性を下ろして肩を回す。そうして再び女性を抱え上げる手は決して雑ではなく、思い入れのあるものに触れている……ように見えた。

 少女自身が気付いているかどうかは別として、彼女は天涯孤独というわけではないようだ。

 

 

「俺の体も、長くはもたねぇ……そろそろハッキリさせるときかもな」

 

 

 確かめなければなるまい。彼女たちのことを。

 

 腰に下げている剣に触れる。

 

 

「ダイゴ、ネコ……手ぇ貸してもらえるか?」

「もちろんだ」

「……うん」

 

 

 帝竜の撃破を祝福するようにフロワロの花びらと光が散る中、SKYの3人は遠ざかっていく13班の背中を見つめていた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 なけなしの体力を振り絞ってダンジョンから戻ってきたシキを、笑顔のアオイが手を振って迎えた。

 

 

「センパイ、お帰りなさーい! 途中でキリノさんが通信切っちゃうからどうなってるか、すごく心配してたんですよ!」

「いやいや、こっちだってチューニングに必死だったんだよ! ま、無事に討伐できたんだから良しとしようじゃないか! ……って2人ともひどい怪我じゃないか! シバくんは大丈夫なのかい!?」

「できるだけの応急処置はした」

 

 

 緊張感があるのかないのか、最初から最後までマイペースな2人と背中でぐったりしているミナトに、シキはやれやれと肩をすくめる。

 

 

「こいつ、最後の最後で気絶したのよ。私だって怪我してるのにおぶらせるなんて」

「あ、もしかしてさっきの悲鳴、センパイのだったんですか? ずっと奥からきゃーって聞こえてきましたよ!」

「100%こいつね。……ま、今回は帝竜を追い詰めた奮闘に免じて、寝かせておいてやるけど」

 

「……シキ、珍しく機嫌がいいじゃないか。なにかあったのかい?」

「機嫌がいい?」

 

 

 帝竜と戦って怪我を負い、疲労困憊している自分を見て「機嫌がいい」など何の冗談だ。

 キリノにおまえの目は節穴なのかそれとも嫌みかと問いただすより先に、アオイが「確かにそうですね」と手を合わせる。

 

 

「私、センパイの笑顔、初めて見た気がします」

「笑顔?」

「センパイ、ちょこっとだけですけど、さっき笑ってませんでした?」

「……」

 

 

 ぐにぐにと頬の内側の肉を噛んでみる。

 何がおかしいのか、キリノとアオイは首をひねるシキを見て小さく笑った。

 

 

「それに、水入らずのおかげなのかな? ミロクともずいぶん仲良くなったみたいだけど」

『邪魔が入らなかったからな。話が弾んだよ!』

「じ、邪魔……? そ、そういうこと言わないでくれよ……寂しいなあ。はぁ……帰りはアオイくんが運転してくれ。確か免許、持ってたよね?」

 

 

 キリノの問いかけに、アオイは頷いて肯定する。

 

 

「ペーパーでよければ」

 

「僕が……運転するよ……」

 

 

 ダンジョン突入時から帰還まで、こいつらはコントの練習でもしていたのだろうか。もうツッコむ気力もないので無視させてもらおう。

 ミナトと機材を車内に運び込み、バンは夜の街から抜け出していく。

 

 夕闇に染まる東京都庁の入り口、今朝と変わらない位置にナツメが立っていた。

 

 

「おかえりなさい──」

「ナツメ、医務室に行ってもいい? 帝竜の検体はアオイに持たせてあるから」

 

 

 挨拶もせず(いつものことだが)、気を失ったままのミナトを抱えて車から降りてきたシキに、ナツメはきょとんと呆けたような顔をする。

 

 

「ええ、もちろん。……今回も苦戦したのね」

「……圧勝できなきゃ不満だって?」

「頑張ったのねっていう意味よ。行ってきなさい」

 

 

 ミナトをしっかり抱えるシキを見て、ナツメは優しく微笑んだ。

 

 

「仲良くなれたのかしら?」

「は?」

「なんでもないわ。お疲れ様」

 

 

 何なんだとぼやきながら都庁に入っていくシキの背を見送る。

 愛想がないのは相変わらずだが、それ以外で何かが少し変わったようだ。

 そのきっかけとなったであろうミナトに心の中で感謝する。

 

 

「……よくやったわ、13班。それから、キリノとアオイもね」

「いえ、ナツメさんが信頼してくださったからですよ」

「ふふ……それはよかったわ。それで、帝竜の生体サンプルは?」

「はい、これです!」

 

 

 ロア=ア=ルアの検体が入ったケースをアオイが手渡す。

 第3の帝竜の生体サンプルを受け取り、ナツメは感慨深そうにケースを持つ手に力を込めた。

 

 

「確かに、受け取ったわ。さ、疲れたでしょう。今日はゆっくり休んでちょうだい」

「はい、では……お言葉に甘えて」

 

「お腹減ったぁ……! なんかフライが食べたいな……アジフライ、カキフライ、イカフライ!」

「君はずっとチョコバー食べてただろ……」

 

 

 腹をさするアオイと呆れ顔のキリノが都庁に入るのをじっと見つめ、頭上に視線を移す。

 東京の夜空に浮かぶ本物の月は優しく、黄金色に輝いていた。

 春にドラゴンが来て、桜を散らせてから月日が経った。季節は夏に近付いている。

 

 

「……あっという間だったわね……」

 

 

 爽やかな夜の風に背を押され、ナツメは屋内に戻っていった。

 



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18.五風十雨とその終わり

束の間の休息。クエストとNPC回になります。
メインストーリー以外の寄り道も魅力的なゲームなので、後々の地獄ラッシュが始まる前にこういうのも書いておきたかった。



 

 

 

「……あれ、シキちゃん。そんなところで何してるの? ……え、え! どうしたの、なんで泣いてるの!?」

「あんた……いったい何考えてるの……?」

「な、何のこと?」

「帝竜を3体倒せて、これからってときに……なんで大阪に行くわけ!?」

「は、大阪? ……ってうわあーっ!? 私の右手に春に開催していた人気アイドルユニットの全国ツアー大阪ライブのプラチナチケットがー!? 私抽選外れたはずなのになんで!?」

「なんではこっちの台詞よ! ドラゴン討伐とアイドルのライブ、どっちを選ぶの!?」

「え……え、えー……」

「迷ってんじゃないわよ!! もういい、私行くから」

「ま、待って! 3日、3日考えさせてください!」

「無理よ」

 

 

「……だってこれ、夢だし」

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「夢かい!!!」

 

 

 振り上げた右手が、ボゴッと何かに衝突する。

 

 まぶたを持ち上げると、医務室の天井を背景に、自分の拳が埋まっているサスガの顔が見えた。

 

 

「……は、え……わー! サスガさん!?」

「な、なかなか……いい拳、持ってるじゃねぇか……」

 

 

 ドシャァァ、とスローモーションでサスガが倒れる。他の自衛隊員に呆れ顔で回収される彼の手には極太の油性マジックが握られていた。

 事態が把握できずに、目を白黒させるミナトの顔を堂島が覗きこむ。

 

 

「ごめん、サスガがおまえの包帯に落書きしようとしてたんだ。気にしないでくれ。むしろ灸を据えてくれて助かったよ。いいパンチだった」

「あ、そ、そうなんですか……ありがとうございます……?」

 

 

 あくびをしながら、最早時計と音楽プレーヤーになってしまっている自分のスマートフォンで時刻を確認する。

 午前9時。四ツ谷の帝竜ロア=ア=ルアを倒してから7回目の朝を、ミナトは医務室で迎えた。

 

 帝竜3体目討伐の報と血まみれの13班の帰還で都庁は大騒ぎだったらしいが、ある程度日が経ち、人々は落ち着きを取り戻していた。

 

 枕元を見れば、メッセージカードに折り鶴、チョコバーに手作り弁当など様々な品が積まれている。

 自分と入れ替わりで復帰した自衛隊を含め、キリノにナツメ、アオイにマサキ、チェロンや彼女のクエストを通して知り合った避難民が代わる代わる見舞いにきてくれたのだ。地下シェルターで傷薬をくれた女の子も、昨日押し花を持ってきてくれた。

 

 

「悪い夢でも見てたのか? うなされてたみたいだけど」

「えーっと、私が好きなユニットのライブのチケットがあって、シキちゃんに『ドラゴン退治とライブどっちを選ぶんだ』って怒られる夢でした」

「ああ、それでプラチナチケットとかなんとか言ってたのか」

「私、全国ツアーに手当たり次第応募してたんです。でも抽選から外れちゃって。ていうかその日にムラクモの試験があってドラゴンが来て……」

 

 

 今思うと、ライブの抽選に外れたのは、運命やら宿命と呼ばれる類の縁だったのかもしれない。

 もし当選していれば自分は都庁ではなく大阪に行っていて、異能力もまともに使えずドラゴンに食われていたはずだ。

 

 ドラゴンは日本だけでなく世界中にいるというのだから、誰もが例外なく害を被っているはず。ならば、当時大阪にいたはずのアイドルたちも……。

 

 自分の知っているものがことごとく破壊されていくのは堪え難い。

 友人でも知り合いでもないが心配だ。日々自分の耳に響いていた可憐な歌声の持ち主たちは無事なのだろうか。

 

「大丈夫かな」とぽつりと呟くと、サコンが興味深そうな顔をして寄ってきた。

 

 

「もしかして、そのユニットってあの子たちのことか?」

「あ、ご存知ですか?」

 

 

 サコンが口にした単語はまさしくそのユニットの名前だった。

 意外や意外、マキタにカマチ、他の自衛隊員たちも「俺も好きだぜ」「おれも」「CD全部持ってる」と手を挙げる。

 国防組織に勤める人間はストイックで仕事一筋なイメージがあったが、趣味や娯楽にも全力で打ち込んでいるらしい。同じ人間同士、人気アイドルの話題で盛り上がるのは一般人もムラクモも自衛隊も関係ないようだ。

 

 

「ニーナ可愛いよなぁ~っ。歌も上手いし」

「ばっかおまえ、ミウミウが一番に決まってんだろ!」

「おいおい、シホりんを忘れてるんじゃないか?」

「オレの天使はアオイちゃ──」

「サスガ、ちょっと黙ってような」

 

「みなさーん、ここは医務室ですよ、お静かに!」

 

 

 推しメンや好きな曲談義で医務室が賑やかになる。そこにナースのナミが薬と包帯を持って顔を出した。

 

 

「あ、ナミさんおはようございます」

「おはようミナトちゃん。さ、検診だよ」

「だそうだ。ほら、男は医務室から出た出た」

 

 

 堂島が自衛隊員らを医務室の外に追いやる。男性たちがドアの向こうに消えたのを確認し、ナミの手を借りてミナトは服を脱いだ。

 

 医者とナースの手厚い看護と自分の治癒魔法で治療を進めた甲斐あって、大怪我を負っていた左肩はほぼ元通りになってきていた。

 皮膚まで再生した左肩をゆっくり回すミナトを見て、ナミははーっと息を吐く。

 

 

「自衛隊のみなさんもだけど、ムラクモの人も本当にタフだね……。シキちゃんなんて4日でほとんどの怪我治っちゃったよ。これも異能力者の力なの?」

「たぶんそうだと思います。マサキさんやキリノさんがそんなことを言ってました。いつ新しい帝竜が見つかるかわかりませんし、怪我の治りが早いのは助かります」

「……でも、痛い思いをするのには変わりないんだからね?」

 

 

 血肉や骨が無事再生したとはいえ、今まで戦ってきた帝竜の攻撃は体中に爪痕を残していた。

 ウォークライ戦では背中の火傷・変色に加え、後頭部の頭皮に裂傷の痕。ジゴワット戦ではくびれ。ロア=ア=ルア戦では左肩。鎖骨辺りから首の付け根付近にかけて、皮膚の色がわずかに違う。目立ちはしないがじっくり注視すればわかるだろう。

 

 ナミは軟膏を全ての傷跡に念入りに塗っていく。白くて細い指が優しく触れるたび、じんわりと体温が移ってきて心地がいい。

 

 

「きれいになれ……きれいに……」

 

 

 たびたび漏らされるひとりごとはおそらく無意識だ。思わず笑いそうになってしまって、くしゃみをする振りで咄嗟にごまかす。

 たっぷりの薬を丁寧に塗り終えた看護師は満足げに頷いた。

 

 

「うん、ちょっとずつだけど綺麗になってきてるね」

「すみません、貴重なお薬を毎日……」

「なに言ってるの! あんなドラゴン相手に女の子が傷だらけになって戦ってるのに、薬を惜しむなんてことしてられないでしょう」

 

「ナミー、こっち手伝える?」

「今行く! ……はい、今日の分は終わり。もう動いても大丈夫だけど、絶対無茶はしないでね。怪我してなくても毎日医務室に来ること!」

 

 

 シキやミナトの手当てをするたび、彼女含めナースたちは自分のことのように胸を痛めている。力を持つ者が戦うのは当たり前だなどと思わずに、ムラクモ以前に人として自分たちと向き合ってくれているのだ。その心がとても温かくて嬉しい。白衣の天使なんて言葉があるが、ここの看護師たちにぴったりの言葉だろうなと感じ入る。

 ユキに呼ばれて去っていくナミに、感謝を込めて頭を下げる。

 傍にいた堂島も彼女の背中を見つめて「いい人だよな」と言った。

 

 

「アタシたちもずいぶん世話になった。ドラゴンと戦う以上、無傷でいるのは無理だけど、なるべく心配かけないようにしないと」

「ですね。……あ、そうだ!」

 

 

 大切なことをすっかり忘れていた。ミナトは四ツ谷で出会った自衛隊員のゾンビのことを話そうと堂島に向き直る。

 

 

「堂島さん、私たち、四ツ谷で、その」

「ああ、これのことか?」

「あ……はい、そうです」

 

 

 どう切り出せばいいかわからずに口ごもっていると、堂島がズボンのポケットに手を入れる。

 取り出された階級章と勲章を見て頷くミナトに、彼女は「聞くだけ聞いてくれるか」と話し出した。

 

 

「シキから聞いたよ。おまえたちが持ち帰ってきてくれたこの勲章は、前任の隊長──タチバナ隊長のものだ」

「前任の隊長の……」

「タチバナさんは、ドラゴン来襲の日に、別の現場で亡くなった。そのときは、どこも大混乱だったから……遺体の確認すらできなくて。だけど、せめて遺品くらい、誰か心当たりがあるんじゃないかって思ってたんだ。探すのを13班にも協力してもらえないか……ってさ。四ツ谷にいたんだろ?」

「はい」

 

 

 大体のことはシキが話してくれていたらしい。

 血と砂埃でくすんでいた章飾は隅々まで綺麗に磨かれていた。電灯の光を反射するそれを、堂島の指が撫でる。

 

 

「ゾンビが出たなんてな、まさか、そんなことがあるのかって驚いたよ」

「あの、自衛隊の方の……死体を、帝竜が操っていたらしくて」

「気にしないでいいよ。むしろ隊長たちを解放してくれて……感謝してる。今から言うことは、おまえのパートナーにも言ったことだけど。……今、遺品を探そうと思ったのは……報告したかったからさ」

 

 

 手の中にある勲章から顔を上げ、堂島は正面からミナトと目を合わせた。見たことのある……いや、自分自身もしたことのある表情だ。怖い物、嫌な過去と向き合う度胸を胸に据えた、静かな雄々しさ。

 目の前の彼女は唇を震わせ、一度ぐっと引き結んでから口を開く。

 

 

「正直ね……隊長に選ばれたこと、ずっと後悔してたんだ。ハズレを引いた、アタシには無理なのに……って。でも、言い出せなくてさ……いっぱい空回りして……ムラクモにも、八つ当たりした……。それでも最近やっと、心から頑張ろうって思えたんだよ。それを報告したかったんだ。やり遂げることを誓う、って意味でもさ。……言葉にすると、ちょっと恥ずかしいな」

 

 

 凛と引き締まっていた顔から力が抜ける。

 少しだけ頬を染めて頭を掻く堂島は、自衛隊隊長ではなく、一途で一生懸命な1人の女性に見えた。

 

 

「かっこいいです。私もそんな風になりたいな……いつもシキちゃんに頼りっぱなしなので」

「何言ってるんだ。おまえも十分よくやってるよ。助けてもらったアタシが保証する」

「そうですか? ありがとうございます」

 

 

 互いに気恥ずかしさで笑いながら、医務室を出て上の階に向かう。

 並んで階段を上る中、ミナトは四ツ谷でシキに名前を呼んでもらったことを思い出し、意を決して堂島に言った。

 

 

「あの、堂島三佐。……もしよければ、これから私のことはミナトって呼んでくれませんか?」

「え? どうしたんだ、急に」

「さっき、シキちゃんのことを名前で呼んでいましたよね」

「ああいや、それはあいつの苗字がわからなかったから……」

「あの子の苗字は飛鳥馬、アスマです。でも、呼び方は変わらないでしょう? だから私のことも名前で呼んでください。お近付き……? の印に、ぜひ!」

 

 

 何やらナンパのような言い方になってしまったが気にしない。根拠はないが今なら仲良くなれそうな気がする。押せ押せだ。

 背が高い堂島を間近で見上げて熱心に視線を送り続ければ、彼女は少したじろいで、ぎこちなく頷いた。

 

 

「わ、わかった。……じゃあ、アタシのことも名前で呼んでくれ」

「え、いいんですか?」

「もちろん。一緒にドラゴンに向かう仲間だしな。先日は席を空けてすまなかった。今日からバッチリ、任務復帰だ。まだ未熟なところもあるけどさ……見ててくれ、アタシの精一杯!」

 

 

 自衛隊駐屯区に着いた。自分はムラクモ本部に行くので、ここで別れることになる。

 階段から外れて廊下に出る堂島、もといリンは笑って手を振った。

 

 

「じゃあ、お大事に。これからも……頑張ろうな!」

「はい! 頑張りましょう、リンさん!」

 

 

 ひとしきり手を振って別れる。

 自衛隊隊長と距離が縮まったことを実感し、鼻歌を流しながらミナトは階段を上がってムラクモ本部フロアに入った。

 よし、次なるターゲットはあの2人だ。

 歩幅を広げて司令室に入れば、あっとミロクが、つられてミイナが振り返る。

 

 

「ミロク、ミイナ、おはよう。朝からお疲れ様」

「シバ、やっと来た! 左肩、大丈夫なのか?」

「なんとか。もう動けるよ」

「本当か? 思いっきりやられてたよな」

 

 

 モニター越しに見てもあの一撃はひどかったらしく、心配してくれていたのだろう。じっと左肩を注視される。

 

 

「……見る?」

「ばっ……いいよ、別に! 治ってるなら、それでいい」

 

 

 疑り深い視線に襟をめくって肩を出そうとすると、ミロクはしわが寄るくらい固く目を閉じて顔を逸らした。男の子らしい反応に思わず笑い声が漏れる。

 笑うなと言って軽く振られる拳を受け止めながらミイナにも労いの言葉を送ると、彼女は少し疲れた様子で頷いた。

 

 

「帝竜討伐、お疲れ様でした」

「ミイナ、大丈夫? 疲れてるみたいだけど」

「……この間から、サクサクサクサクってチョコバーを食べる音が頭に響いて……」

「あああー……」

 

 

 詳細を聞かずともわかる。アオイのことだ。

 彼女の代名詞として認識しつつある菓子の名前を呟いただけで、ミイナは辛そうに頭に手を当てる。

 花よりならぬ竜より団子。ガトウやナガレがいた頃から一転、敏腕ナビは延々とチョコバーを頬張る班員にお手上げのようだ。

 

 

「アオイはもう……最後までチョコバーで……太っても知らないんだから!」

「ドンマイ。まあアオイもそのうちしっかりしてくるだろ。……たぶん」

 

 

 頬を膨らませてぷりぷり怒るミイナに苦笑いを浮かべ、ミロクがミナトを見上げる。

 

 

「作戦、成功したな」

「うん、上手くいったね。助かったよ」

 

 

 ミロクとミイナが扱う情報には、ダンジョン攻略だけでなく帝竜戦でもとても助けられた。

 今日も今日とて数字とアルファベットの羅列を流し続けるモニターを覗いてみるが、自分の頭では何が表示されているのか理解できない。

 目を回していると無理するなと言いながらミロクが椅子に腰掛ける。

 

 

「ムラクモ機関のマシンは、どれも特注の超高性能機器なんだ。……それこそ、使い手が限られるくらいのな」

「聞いたよ。ミロクたちは、……すっごく頭がいいんだって」

「ああ。こんな数値の羅列、常人じゃまず捌けない。だから、データ処理に秀でたオレたちがナビゲートしてるってわけだ。……ちょっとは見直したか?」

「うん。すごいよ。本当にすごい」

 

 

 戦場に立つのはたった2人。けれど戦っているのは、都庁のみんなで。13班がドラゴンと対峙する際、ナビもまたナビにしかできない方法で戦ってくれているのだ。

 自分は孤独なんかじゃない。それに気付いた今、無理だ無理だと地下シェルターで泣いていた過去が少し恥ずかしい。

 防衛は自衛隊が、能力開発ではマサキが、装備は開発班が、物資の調達では作業班が、ドラゴンの生体については研究班が。それぞれが様々な形で互いを支え合っている。今までの戦いでよくわかった。その心強さと温かさも。

 

 朝から晩まで機器に向かい、自分たちのサポートをしてくれる双子。小さくも頼もしい背中に、胸の内側から親愛が湧き出てくる。

 

 よし、踏み込んでみよう。ここも押せ押せだ。

 

 

「ミロク、ミイナ。こっち来てもらってもいい?」

「なんだ?」

「なんですか?」

 

 

 手招きをすれば、2人は警戒せずにとことこと寄ってくる。

 それだけ信じてもらえていることに嬉しくなって、ミナトは思い切り笑った。

 

 

「遅くなっちゃったけど……四ツ谷攻略おめでとう! はいっ」

「……!?」

 

 

 ミロクの左手、ミイナの右手。それぞれを取って小さくハイタッチする。

 双子は目を瞬かせ、驚いたように同時に飛び退いた。

 白い肌が真っ赤に染まり、若干瞳を潤ませて少年と少女の体は小刻みに揺れる。

 

 

「な、な、何するんだよ!? は……恥ずかしいだろ、馬鹿……」

「こ、これは……その……ちょっとくすぐったい気分、です……」

 

 

 あ、やべ、可愛い。

 

 矢がハートを射抜く音がした。

 

 

「ぐ、うっ……! これが、これが萌え……!?」

「ど、どうしたんだシバ!? 傷が痛むのか!?」

「シバ、しっかりしてください!」

 

 

 強烈な感情の波に悶えるミナトに、今度は警戒しつつミロクとミイナが寄ってくる。

 2人の頭を撫でくり回したい衝動を抑え、大丈夫だと顔を上げた。そしてやっと本題に入る。

 

 

「そ、そうだ、名前のことなんだけどさ……2人はシキちゃんのこと、名前で呼んでるでしょ? これからは私も名前のほうで、ミナトって呼んでくれない?」

「別に、いいけど。えっと、ミナト?」

「ミナト……体は大丈夫なんですか?」

「……全然……全然、平気! ありがとう、これからもよろしく!」

 

 

 小さな手を握り、ありがとうありがとうと繰り返し上下に振って立ち上がる。

 これ以上長居すれば仕事の邪魔になってしまう。名残惜しいがそろそろ退出しなければ。

 

 歓喜のテンションについていけずに呆けるミロクとミイナに手を振り、司令室から出る。

 最後に目指すは都庁前広場。ミナトは意気揚々と階段を駆け下りた。

 



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  五風十雨とその終わり②

これで3章は終わりです。次回から4章入ります。



 

 

 

「たーっ!」

 

 

 青空の下、元気な掛け声が響く。

 アオイがトリックスターの駿足を活かして華麗な飛び蹴りを繰り出した。

 が、受け身・カウンターの動きを体に染み込ませたシキは難なくそれを受け止める。

 

 

「ふん」

「きゃっ!」

 

 

 脚をつかまれてアオイの体が回転する。背中から湿り気の残る地面に落ちて、彼女は可愛らしい悲鳴を上げた。

 

 

「ううう……センパイ、強すぎです! 全然歯が立たない……」

「これでも帝竜には苦戦してる」

「ドラゴン基準じゃないですよ! 人間としては充分すぎます……」

「この先どんな奴が出てくるかわからない。強くなっておいて損は――」

 

「おはよう、シキちゃん、アオイちゃん! 私、今日から復帰だよー!」

 

 

 ミナトが勢いよく広場に飛び出てくる。

 復帰と起床時間に対して遅いと理不尽な注意しても、彼女は笑顔でごめんと返してきた。

 今日はやけに上機嫌だ。いや、四ツ谷を攻略したときからか。にやけ顏が以前より3割増になった気がする。

 それと、少し前向きにもなったように見える。

 

 天まで抜ける青とそこに浮かぶ太陽と相まって、なんだか眩しい。シキは思わず瞬きをした。

 

 

「いやあ、昨日の夜ざんざん降りだったこともあっていい天気だねぇ。でも夕方あたりからまた雨が降りそうだって、観測班の人が言ってたよ」

「そうなんですか? 最近降ったり止んだりが続いてますね。季節的に梅雨っぽいから仕方ないですけど」

 

 

 ドラゴンたちと戦っている間に時は経ち、雨と晴れが入り乱れる時期になってきた。

 本来なら雨に濡れる紫陽花や、雨音とともに流れてくるカエルの鳴き声などが楽しめるのだが、動植物は人間同様ドラゴンに蹂躙されてしまった。世界は相変わらず荒廃した建造物の群れに、偉業の化け物と赤い毒花だらけだ。

 

 地上は生きるか死ぬかの世界。眺めて気持ちいいものといえば空ぐらいしかない。

 

 日課と気分転換を兼ね、シキはアオイとともに広場に溜まる雨水をモップで捌けて組手をしていた。

 医者の許しを得て出てこれたミナトのリバビリも含めて今日1日は訓練を考えていたが、観測班の予想が当たれば、夜になる前に南の空に浮かぶ分厚い雲がやってきてしまうだろう。

 

 

「ちょっと、あんたも訓練……」

「……」

「……ミナト。あんたも雨になる前にできるだけ訓練しておきなさいよ。休んだ分のブランクは取り戻して」

「うん、了解!」

「あ、じゃあ私も勉強しようっと」

 

 

 名前を呼べばミナトは笑って返し、広場の地面に腰を下ろす。

 彼女はマサキに渡されたサイキックのファイルに目を通しながら氷や雷を操り始め、アオイもそれに倣ってトリックスターのファイルを覗き、銃をいじり始めた。

 

 

「アオイちゃん、基本は銃だけど、ナイフは使わないの?」

「うーん、個人的には銃のほうがしっくりくるというか、近接戦ならナイフより格闘のほうがやりやすいんです。刃物の扱いは他のムラクモさんの見よう見まねって感じで」

 

「……」

 

 

 ムラクモの戦闘員は基本大人数でチームを組まない。大昔から今に至るまでの長い歴史の中で、単独~少数精鋭での機動戦を展開する戦術を確立させた。現在、チームは基本的に3人構成だ。

 過去、ムラクモに招集されたガトウ率いる機動班も3人構成だった。

 そこまでムラクモに入れ込んでいなかった1人が班を抜け、ナガレもガトウもいなくなって、今ではアオイだけとなってしまっているが。

 

 機動13班はシキとミナトの2人、そして10班はアオイ1人。よく考えてみれば3人だ。

 

 

(デストロイヤーと、サイキックと、トリックスター……)

 

 

 壁と肉弾戦担当のシキ。後衛からの援護・回復のミナト。

 そこにスピード・手数型のアオイが加われば、バランスの取れたチームになるのでは?

 単純な戦力としてもそうだし、アオイ持ち前の明るさ(明るすぎるところもあるが)や、ドラゴンを前にしても動じない胆があれば、臆病なミナトの精神的な支えになるはず。

 トリックスターとしての技術はナガレに劣るが、訓練には積極的に取り組んでいるし、S級なのだから鍛えていけば化ける可能性は大いにある。

 

 

(一考する価値はある……なんで気付かなかったんだ。ナツメに進言――)

 

「あ、アオイちゃん、銃弾っぽいのが転がっていってるけどいいの?」

「へ? わー! いつの間に!? ああ、あっちにもこっちにも! 早く拾わ……っわひゃぁ!」

「うわあ!?」

 

(――するのはまだ早いか)

 

 

 足を滑らせてすっ転ぶアオイと巻き込まれて倒れるミナトを見て、熱を帯び始めていた思考はさっと冷めた。

 

 

「……3体目、か」

 

 

 ウォークライ、ジゴワット、そしてロア=ア=ルア。

 日本の首都の地に根を張る3つの巨悪が消え去った。街並みはまだ7割ほどフロワロの赤に覆われているが、ドラゴン討伐は順調に進んでいると言える。

 都庁での生活基盤も安定してきた。エンジンのかかったムラクモはこのまま竜を狩り続け、東京の地を取り戻し、いずれは日本中に蔓延る竜を根絶やしにするだろう。

 

 

『ドラゴンがいなくなって、世の中が平和になったら、おまえはどうするんだ?』

 

 

 知るか、そんな先のこと。今はドラゴンを狩ることだけを考えるんだ。

 

 

『ドラゴンの存在なんか知らない、あいつらが現れるずっと前から、どうしておまえはムラクモにいた?』

 

 

 タケハヤの言葉が頭に響く。無視しようとしても頭から離れてくれない。

 何なんだこれは。どうしてずっと意識の隅に居座り続けている。そこに何かあるというのだろうか。

 ずっと前のことなんて、いちいち覚えているはずが……。

 

 

「っ」

 

 

 ざっ、と頭の中に黒い砂嵐がかかる。

 今日は晴れているし低気圧じゃない。帝竜戦の傷も癒えている。

 なのに頭が痛いのはなぜだ。

 

 

「……ずっと、前」

 

「? シキちゃん、どうしたの? 何か言った?」

「あんたたち2人は、ドラゴンが来る前何してた?」

「え?」

 

 

 質問の意図がつかめなかったのか、ミナトとアオイは首をひねる。

「ムラクモ試験前のことだよね」と付け加え、ミナトが空を見上げて思い返すように口を開いた。

 

 

「どういう生活をしてたかって意味なら、私は普通に学校通ってたよ。ムラクモ試験のときは高校卒業して春休み最終日だったな。……死ぬ気で受験通ったのに大学に入れなかったのは……今思うと……うん、踏んだり蹴ったりだね……」

「私、学生時代は海外にいました。去年のムラクモ試験の折に戻ってきた感じです。……参加できませんでしたけど」

「アオイちゃん帰国子女だったの!?」

 

「そのもっと前は? 子どもの頃」

「子ども……? ……普通、の生活としか。あ、小さいときに自分に超能力があるのがわかったから、間違って事故を起こさないようにこっそりコントロールの練習をしてたかな」

「私はムラクモからお手紙が来るまで自分が異能力者だとは思いませんでした。ただ、人より運動が得意だなっていう自覚はありましたけど」

 

「ふーん……」

 

 

 そのまま考え込む素振りを見せ、シキはおもむろにトレーニングを再開する。

 ミナトとアオイは少し訝しげな顔をしていたが、なんでと質問するようなことはせず、各々学習と訓練に戻っていった。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 観測班の天気予報通り、雨は夕焼けとともにやってきた。

 雨に打たれて訓練をするわけにもいかないので、シキ、ミナト、アオイの3人はおとなしく屋内に引っ込んだ。

 シキは動き足りないようで未改修フロアの瓦礫や荷物の片付けに行っている。手伝おうかと声をかけたが「いい」の一言でピシャリと断られてしまった。

 なので、ミナトはアオイとともに10班の部屋で、都庁の人々から差し入れられた弁当を頬張っている。

 

 

「ムラクモで能力開発受けたりドラゴンたちと戦うようになってから、すっごくお腹が減るようになっちゃった……」

「私も元から食べるほうですけど、都庁に来てからもっと食べるようになった気がします」

 

 

 最近はいつでも空腹という感じで、食事のサイクルが朝・昼・夕・夜の4回になっているのだ。おまけにときどき間食も挟む。

 はじめは太ってしまわないか、生活習慣病になってしまわないか不安だったが、ナツメたちムラクモの人間は口を揃えて「異能力を扱い戦うのだから当たり前だ」と言っていた。念には念を入れ、定期的に医務室で血圧や血糖値を計ってもらっているが、問題はない。

 

 確かに、普通の人間の手に余るような力を使ってドラゴンたちと戦闘を繰り広げているのだから、一般人と同じカロリーでは足りないのかもしれない。

 しかし前々から何度も思っていたことだが、自分の体が少しずつ「世間一般」の枠組みからずれていくというのは、不安を感じてしまう。

 

 雨の音が部屋の外から聞こえてくる。薄暗い天候もあってか、気付けばため息をこぼしていた。

 

 

「ねえ、アオイちゃん」

「なんですか?」

「……もしさ、えーと……私たちが持ってるこの力、異能力を怖がられちゃったら、どうする?」

 

 

 薮から棒だったのだろう。アオイは目をぱちくりとさせてこっちを見てきた。

 

 

「ごめん。急にこんなこと言われたって困るか。なんて言うんだろう……今はドラゴンがそこら中にあふれてるから、私たちみたいな異能力者が探し出されて、戦力として必要とされてるでしょ? でも、その必要がなくなったら、どうなるんだろうなーって……」

 

 

 自分と違う存在を恐れるのは、生き物として当然の性。

 共に戦線に立つ自衛隊。クエストオフィスに依頼を寄せる避難民。「一般人」の枠組みにある彼らは、自分たち異能力者を初めて目の前にしたとき、必ずとは言わずとも大方が戸惑いや驚き、そして警戒の色を浮かべていた。

 

 日本は漫画やアニメ、ゲームなどのサブカルチャーで世界に名を馳せている部分がある国だ。紙面や画面の向こうにいる魅力的なキャラクターたちが、普通の生活を過ごしたり、人間にはあり得ない力を使って戦ったり。内容は多岐に渡るが、そんな世界は人々の心を惹き付けて止まない。

 

 だが、非現実を楽しめるのは、「それがあくまで『非現実』であるから」だ。「どうしたって『叶わない夢』であるから」だ。

 

 人間は魔法や超能力は使えない。武器を持って暴れ回ることなどできない。空は飛べないし助走なしの跳躍で建物の上には上がれないし、自分の身1つで化け物を吹っ飛ばせたりしない。硬い壁にひびが入るほど強く叩き付けられたら体は破裂するだろうし、血が1/3以上体外に流れれば高確率で死ぬ。

 それらを覆す異能力者の存在。目立たないはずがない。

 

 

「突然現れて地球を侵略するドラゴンと、それに渡り合える力を持つ人間……。私たちは当事者だけどさ、すごく非現実的でしょ」

 

 

 現実に現れた、ドラゴンという名の理不尽な非現実。

 そして、それを討伐する異能力者という非現実。

 ありえないものが実在となり生きている。

 

 そのとき、現実で生きる人々はどう思うか。

 

 

「午前中、シキちゃんの質問で色々と思い出しちゃって。無性に不安になっちゃったの。異能力者が戦う必要がなくなったとき、私、普通に暮らせるのかなって」

 

 

 世界が「元通り」になったとき、ドラゴンが消えて異能力者が残ったとき、自分は人々からどう見られるのだろう。

 何度目かわからないため息が流れ出る。

 

 

「ごめんね、こんなどうしようもないこと言って。ただ1人で考え続けるとドツボにはまっちゃいそうで……誰かに聞いてほしかったんだ」

 

 

 もう一度アオイに謝ると、彼女は「えーっと」と困ったように言った。

 

 

「す、すみません。私、そこまで考えてませんでした……」

「へ?」

 

「わ、私、ドラゴン退治が終わったら何食べようかなーとか、マモノやドラゴンは食べられないのかなーとか、そんなことばかり考えてました!」

 

 

 手に握っていた箸が落ちてカチャンと音を立てる。

 悪事を暴かれそうになり、それならば自分から白状してしまえ、とでもいうようにアオイは目を見開いた。

 

 

「前まではお腹いっぱいおいしい料理が食べられたのに、ドラゴンが来てからは常に食糧不足じゃないですか。フロワロがあちこちに咲いて、田んぼや畑や牧場とかみんなダメになっちゃっただろうし、だからそこをどうにかしないと! ……って」

「……」

「な、なんかすみません……。でも、そこまで心配しなくてもいいんじゃないですか?」

「え……どうして?」

「どうしてって……」

 

 

 アオイは実に不思議そうに首を傾げる。まるで「忘れたんですか?」と尋ねられているようだ。

 

 

「センパイも、ガトウさんも、お話で聞いたナガレさんも、みなさんは誰かを守るために危険と戦ってきたんでしょう?」

「あー、前々からムラクモにいた人はそうみたいだね。私はドラゴンから身を守るためって感じだったから、そんなにたいしたものじゃないけど」

「えーとえーと、そういうことじゃなくて!」

 

 

 駄々っ子が親に懸命に訴えるように、アオイは両手で握り拳を作ってぶんぶんと上下させる。

 そして勢いよく上半身を前に倒し、手を力強くつかんできた。

 

 

「センパイ方は、私を助けてくれたじゃないですか!」

 

 

(あ)

 

 

 目の前の女性と、記憶の中の友人の姿が重なる。

 ずっと前、色々あって超能力を使ってしまったとき。おおらかな友人もそんなことを言っていた。悪用するわけじゃないなら気にする必要はないと。

 

 

「ドラゴンから私を助けてくれたセンパイ方、とってもかっこよかったです。何も問題ないと思います!」

「……」

 

「センパイっ」

 

 

 綺麗な指が、池袋の時のように自分の冷えた指先を温かく包み込む。

 

 

「どうせなら、悪いことより良いことに期待しましょう! 嫌なことは気にしないで、こうなったらいいなーとか、良いことを信じましょうよ!」

 

 

 ――あんたのこの手は、「何かを為せる」。

 

 

 同じように手を握ってくれたシキの言葉を思い出す。

 嫌な話はもう終わり、と湿った空気を打ち払うようにアオイは笑って頷き、魔法瓶から紙コップに熱い紅茶を注いだ。

 

 

「私、ガトウさんが死んじゃった後……ナガレさんにお会いしたんです。すごく優しい人でした」

 

 

 ナガレ夫人はアオイとも会っていたのか。自分たち13班と同じように、彼女はアオイに穏やかに微笑んで温かい言葉を贈ったのだろうか。

 

 

「苦笑いしてました。『ムラクモの精鋭さんは可愛い子ばかりになっちゃったわね』って」

「……ナガレさんらしいね」

 

 

 湯気を立てる紅茶がなみなみ注がれたコップが寄せられる。ありがたく受け取り、ゆっくりと飲み込んだ。

 温かい。喉を優しくなでられる感触も、鼻をくすぐるいい香りも、手に触れる紙コップの感触も、生きているからこそ感じられるものだ。

 そんな当たり前がとてもありがたくて、愛おしいとすら思う。熱さが体の奥に染みていく。

 

 

「大丈夫ですよ、きっと。だから頑張りましょう、センパイ!」

「……うん、そうだね! ……ありがとう。私、アオイちゃんとシキちゃんがいてくれて、本当によかったなぁ」

「こちらこそです! センパイたちがいてくれてよかった」

 

 

 アオイの笑顔が温かい。自分たちがいるこの部屋だけ、先に梅雨が明けたように思えた。

 へへへ、と笑い合う。彼女は相変わらず、真っ直ぐで眩しい。

 長い間忘れていた気がする。友だちとお喋りをしているときはいつもこんな感じだった。

 親しい人と他愛のない話をして、ときどき悩みを相談して、喧嘩をして。協力して宿題に取り組んだりして、少しずつ互いのことを理解していく。

 なんてことはない普通の、けれどとても尊い時間。まさかこんなにめちゃくちゃになってしまった世界で新しい友達ができて、こうして過ごすことができるなんて。

 

 シキも呼ぼう。1人より2人、2人より3人。友だちと一緒だと食事は倍美味しい。

 

 

「もしもし、シキちゃん? 一緒にご飯食べようよ。そろそろお腹へってきたでしょ?」

『夕食? 別にこっちはこっちで……まあいいけど』

 

 

 通信機で誘い、物資が雑多に詰まれるフロアを無心で片付けていたシキが戻ってくる。

 3人の夕食は四ツ谷攻略を祝う流れになり、弁当を食べた後はひたすらチョコバーを食らう会に変わった。お喋りをしながら腹を満たした後は、シキの指導によりスキルの勉強会に移る。

 

 きりのいいところで寝支度を整え寝間着に着替えていると、ターミナルからミイナの声が流れた。

 

 

『コール、10班。……あれ、シキにミナトもいるんですか?』

「あ、ミイナちゃん。そうですよー、センパイたちとご飯食べてお勉強してたんです! 今度ミイナちゃんとミロクくんも一緒にご飯食べましょうよ!」

『え……ふぁ……んんっ……』

 

 

 アオイの報告と突然の誘いに、画面に映るミイナの顔が戸惑うような表情を作る。

 イエスかノーの返事の代わりに、控えめなあくびが少女の口からこぼれ出た。

 

 

『す、すみません……。最近、少し寝不足気味で……』

 

「寝不足? 忙しいの?」

 

 

 ミナトの問いにミイナは目をこすりながら頭を横に振る。

 いくら情報処理能力に優れているとはいえ、ナビは幼い子ども。睡眠はしっかりと取るようにキリノたちから言われているらしい。

 

 

『夜中に、研究室の階から物音が聞こえるんです。それで怖――いえ、寝付けなくて……』

「研究室? キリノあたりが何か作業してるんじゃないの?」

『そう、ですよね。もう、騒がしくなるなら、時間は選んでほしいです』

「寝る前にストレッチをすると熟睡できるっていうよ。試してみたら?」

 

『おい、13班。10班の部屋にいたんだな』

 

 

 ミロクの声が加わり部屋の中がわいわいと賑やかになる。

 ああ、楽しい。頭の中で学生服を着た思い出が陽気に跳ねる。修学旅行をしているみたいだ。この時間がずっと続けばいいのに。

 まあ、限りのある時間だからこそ、次の機会を期待して待つという楽しみもあるわけで。そろそろ就寝時間だ。穏やかな眠気と、規則正しい生活を送るべしという使命を無視するわけにもいかない。

 

 

『オレたちもう寝るけど、おまえらも早く寝ろよ』

『そ、そうです。私もそれを言おうと……ちゃんと寝てくださいね』

「うん、おやすみ。……私たちも寝ようか。部屋に戻るね。おやすみ、アオイちゃん」

「おやすみ」

「はい、おやすみなさい」

 

 

 ターミナルの画面が暗くなる。ミナトとシキもアオイと挨拶を交わし、自分たち13班の部屋に戻る。

 シキともおやすみと言葉を交わし、ミナトは充分に温まった体でベッドの中に潜り込んだ。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 昔の記憶がない。

 

 暗闇の中、シキは今まで分析してきた自分の頭の中の空白を、そう結論付けた。

 

 気付くきっかけとなったのはタケハヤの言葉だ。

 

 

『ドラゴンの存在なんか知らない、あいつらが現れるずっと前から、どうしておまえはムラクモにいた?』

 

 

 ずっと前から、自分はムラクモにいた。それは知っている。親の顔は知らないが、生まれた頃からムラクモに所属していたということは、なぜか自信を持って断言できる。

 

 けれど、思い出がない。具体的な記憶がないのだ。些細なことも思い出せない。

 それに気付いて、自分なりに出自や生い立ちに関することを調べてみた。研究員たちにそれとなく昔話を振ってみたり、カマをかけてみたりと、できることは限られていたが。

 

 自分は記憶喪失なのだろうか。

 しかしそれに当てはめるには、失っている記憶の範囲が狭い。頭の中の空白は、幼少の頃なのだ。

 

 もう一度、目を閉じて記憶を辿る作業に没入する。

 中等部に通っていた記憶、ムラクモとコネがあるという中高一貫校を受験させられた記憶、ランドセルを背負っていた記憶……、

 

 

(……10歳よりも、前?)

 

 

 そうだ、小学校に入学したときの記憶はある。

 

 入学早々、乱暴者のガキ大将のような男子が髪を思い切り引っ張ってきたから殴り飛ばした。そのとき自分には既に戦う力があり、手加減せずに拳を振るったので相手は軽傷では済まなかった。

 後に聞いたところ、彼は「気になる子にはちょっかいを出す」タイプだったらしい。

 それを交えて教師に暴力はいけないとお説教をされ、「イミわかんない。先にこうげきしてきたのそっちだし。やられたらやりかえす」と言い返してさらに騒ぎが大きくなった。

 

 目の前で事なかれ主義を語り無理に仲直りさせようとする大人たちを心底バカバカしいと思って睨みつけていた。そのときの苛立ちは、記憶とともに確かに刻まれている。

 

 

(6歳のとき? それより前は……)

 

 

 大体の予測を立てる。

 この世に生を受けてまだ両手の指を折らない時期。そのあたりで、通行止めされるように回想と思考が停止した。

 さらに先に踏み込もうと集中すると、必ず頭痛に襲われる。

 

 頭の働かせすぎかとも思ったがたぶん違う。むしろこの痛みが、秘密があることを知らせている気がした。

 

 

『――は、信じるな』

 

 

 誰かの言葉が浮かぶ。

 自分でそう考えたわけじゃない。約束事のように、真剣に説かれたのだ。あいつは信じてはいけないと。

 けど、肝心の名前が思い出せない。

 それだけじゃない。すべてが曖昧だ。

 

 あいつとは誰だ。おまえは誰だ。

 

 私の頭の片隅にいるのは、一体誰だ。

 

 

(タケハヤは……私がムラクモにいたことを知っていた。あいつは何かを隠してる)

 

 

 SKYはただの不良グループじゃない。タケハヤ……おそらくダイゴとネコも、ムラクモとの因縁がある。

 自分の昔の記憶がないことと、何か関係があるかもしれない。

 

 あの男は言った。自分たち13班が、アイテルという者が探している存在なら、また会うことになると。

 正直何を言っているのかさっぱりだったが、直感が告げていた。近いうち、SKYとはまた会うだろう。

 首都高では情けない姿を見せてしまったが、もうあんな醜態はさらさない。

 

 

(待ってろ)

 

 

 知っていることを洗いざらい吐き出させてやろう。会話で駄目なら、力づくで。

 

 目を閉じる。自分でも驚くほど簡単に、不自然なほど強い眠気が意識を闇に誘った。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

『帝竜「L」認識。「L」登録……DC解析率、100%』

 

 

「これで全てがそろった……さようなら、みんな」

 



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CHAPTER3 あらすじ

 各チャプターごとにあらすじとその時点で載せられる主人公2人の情報を設置しました。話の内容をざっくり把握したいときにどうぞ~。


 

 

 

     CHAPTER 3

終わらない月夜 The Lore-A-Lua

 

 

 ~あらすじ~

 

 

 ひとまずの平穏を取り戻した都庁。そこに「四ツ谷付近の夜が明けない」という異常な報告が舞い込んだ。

 空間を思うままに塗り替える力。ムラクモは四ツ谷に第3の帝竜がいると判断。キリノとアオイを伴い、シキとミナトは常夜の四ツ谷に乗り込む。

 ダンジョン攻略のため機器の設置を進める中、2人は今回出動していないはずの自衛隊と遭遇。彼らは帝竜の力によってゾンビとなった死者だった。

 混迷、逼迫する事態の中、思わぬ人物の激励を受け、13班はミロクとの連携でなんとか危機を脱出。迷路を抜けて夜空に浮かぶ帝竜に迫る。

 

 死者を操る帝竜ロア=ア=ルア。ウォークライやジゴワットとは違う搦め手に苦戦する中、ミナトが自身のふがいなさと帝竜のやり口に憤慨して猛反撃。勢いに乗った13班は帝竜の撃破に成功する。勝利を喜び、シキ・ミナト・ミロクの3人は出会ったときよりも距離を縮めた。

 

 ミナトが都庁の仲間たちと親交を深める中、シキは自身の過去の記憶が一部欠けていることに疑問を感じ、何かを知っているタケハヤから情報を引き出そうと決める。

 順調に進むドラゴン退治。東京都庁は次の戦いに向けて勢いに乗っていく。

 水面下で動き始めた存在には気付かないままで。

 

 * * *

 

13班メンバー

 

【飛鳥馬 式 / アスマ シキ】

 スチューデント♀ / デストロイヤー / ボイスタイプG(S.R様)

 主人公その1。ムラクモ出身のチート気味女子。性格キツめ。

 我が強いのは変わらないが、戦況に合わせて仲間の援護に回るくらいの意識は身に付いてきた。

 ホラーは苦手というよりうっとうしい。きもいし汚いし触りたくない。絡んでくるならぶっ飛ばす。

 基本、交流がない相手の名前は呼ばないタイプ。1話でミナトと出会ってから数か月後、初めてパートナーの名前を呼び、心の壁を無意識に下げた。

 

【志波 湊 / シバ ミナト】

 サイキック / ボイスタイプC(H.Y様)

 主人公その2。一般家庭出身。ヘタレ。ちょっと成長した。ビジュアル未定/なしの方です。

 バ○オやラ○アスはぎりぎり耐えられるがサイ○ブレ○クやサイ○ントヒ○は倒れるかもしれない。

 絶叫必至のダンジョンから生還し、シキと距離を縮めて和むのもつかの間、次章で待ち受ける最大の試練を彼女はまだ知らない。

 次章、「燃え盛るダンジョンでミナト死す」。デュエルスタンバイ!

 

 

 主人公については物語が進む中で情報を追加・編集していきます。

 



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CHAPTER 4 熱砂のDプラント  The Tri - Nitro
19.いない


今回から4章掲載開始です。
あっちもこっちもすっからかんでビビり散らしました。あからさまに横暴な態度のモブも消えていたことにほっとしてしまったのは秘密。



 

 

 

───────────────

CHAPTER 4 熱砂のDプラント

  The Tri - Nitro

───────────────

 

 

 

 

 

 音がする。なんだろう。

 鞠を弾くような、柔らかいものを叩くような単調な音。

 

 

 ──ねえ、一緒に来ない?

 

「え?」

 

 

 誰かに呼びかけられた。こっちにおいでと手招きされる。

 

 なんとなく手を伸ばそうとして、止める。

 行っちゃいけない気がした。

 だって、まだやらなければいけないことがある。

 

 

「ごめんなさい、そっちには行けない」

 

 ──そう、……残念。

 

 

 これは夢なんだろうか。

 

 誰かがどこかへ歩いていく。一度も振り返らず、ぽたりぽたりと何かをこぼして歩いていってしまう。

 

 

 なんだか、寂しい夢だ。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「は……8時!?」

 

 

 シキの声で目が覚める。

 反射的にスマホで時刻を確認すると、確かにデジタル時計は8:11と表示していた。

 

 驚き3、眠気3、焦り4の割合で上半身を起こす。目覚まし機能は朝の6時半にかけたはずだ。だが音を聞いた記憶は微塵もない。

 おかしい。就寝時間が少し遅くなったとはいえ、毎日決まった時刻に起きるように習慣づけているのだから目が覚めるはずなのに。

 

 シキがベッドから降りて小走りで部屋の中を行き来している。

 ミナトはあくびでひねり出した涙で目もとをこすり、髪をなでつけるパートナーの邪魔にならないようにターミナルに這い寄った。

 

 

「えーと……このボタンだっけ……。ミロク、ミロク。起きてる?」

 

 

 機器を操作して、いつもとは逆にこちらからナビに呼びかけてみる。

 真っ暗になっていた画面に光が点り、髪のあちこちに癖をつけたミロクが顔を出した。

 

 

『ミナト! 起きてたか』

「おはよう。私たち今起きたんだけど、ミロクも?」

『あ、ああ、いつもはもっと早いのに、オレもミイナも今起きて……』

 

 

 ナビもそろって寝坊とは珍しい。

 いや、それよりも。この寝坊で何か大事な用事を逃してしまってはいないだろうか。

 ナツメやキリノたちから指令を受理したわけではないが、ムラクモの戦力の中心として扱ってもらっている身、もっと早くに起きてすぐ動けるように備えておくべきなのに。

 ともかく、実にぐっすりと健康的な睡眠時間をとってしまったため、眠気は既に沈黙していた。

 

 ハンガーに掛けておいた上着を着る。シキのように髪が長く多いわけではないので、身だしなみを整えるのに時間はかからなかった。

 

 

「あああ……! また朝の訓練逃した! これで2度目よもう!」

 

 

 自分で自分を叱っているシキの視界に入らないよう移動し、ミナトは恐る恐るドアを開ける。

 朝の8時はいつもならムラクモや自衛隊員が起床してとっくに活動を始めている時間だ。そこに自分たちがいないことで何か支障が起きてはいないか──。

 

 

「……、あれ?」

 

 

 しーん、とした静かな空気が廊下を満たしていた。

 右を見て、左を見て、もう一回右を見る。さらにもう一度左。

 

 

「……誰もいない?」

 

「あ、センパイ!? おはようございます!」

 

 

 大きな音を立ててとなりの部屋のドアが開き、肌着姿のアオイが10班の部屋から飛び出してくる。歯ブラシを口に突っ込み、結んでいない赤い髪を振り乱す彼女も、たった今起きたような寝ぼけまなこだ。

 

 

「あ、アオイちゃん! もしかしてそっちも今起きた?」

「はい、もう朝ご飯が配給される時間ですよね!?」

「そこを気にするんだね……!?」

 

 

 相変わらずだと驚くが空腹なのは確かだ。部屋のテーブルの上に置いてあったゼリー系栄養食のパックをつかみ取る。

 蓋を開けて中身を吸い始めると同時に、耳がしゃくりあげるような泣き声を拾う。

 声を追うと、年端もいかない少年がぽつんと廊下に立っていた。子ども特有の高い泣き声が朝の空気を刺激し、それを聞き取ったのかシキが眉間にしわを寄せて出てくる。

 

 

「ひっく……ひっく……、お父さん……お母さん……」

 

「なんでこんなところに子どもがいるの? 一般人は立ち入り禁止――」

「ちょ、シキちゃん追い詰めちゃダメ! ……ねえ君、どうしたの? 迷子?」

 

「起きたら、お父さんとお母さんがいなかったの……」

 

 

 ミナトが声をかけると、少年は顔を上げて真っ赤に腫れ上がった目を瞬かせた。

 聞けば、都庁入口から南13階の工業開発区まで1人で歩き回っていたという。それでも親は見つからなかったそうだ。

 

 

「隣のお姉ちゃんも、ケービのおじちゃんも、みんないなくて……ぼく……ぐすっ……。みんな……どこだよぉ……お父さんーっ! お母さんーっ!」

「あっ、待って!」

 

 

 少年は大粒の涙を散らして走っていく。

 慌てて追おうと踏み出す手前で、キリノから通信が入った。

 

 

『13班、起きてるかい!?』

「あ、き、キリノさん? おはようございます」

『ああ、よかった……! 君たちには、異常がないようだね……。……フロアの様子は見たかい?』

 

 

 キリノに言われ、改めて周囲を見回す。

 

 

「じょ、冗談でしょ……!? 確かに、パートナー変えてって言っちゃったけど……」

「ウソ……みんなは……?」

 

 

 ある作業員はうろたえて自分のパートナーを探し、ある作業員は震える声でチームメンバーの名前を呼んでいる。

 

 シキが人差し指の先を左右させ、「いない」と呟いてキリノに報告した。

 

 

「ずいぶん静かだけど。ていうかほとんど人がいない」

『そう、その通りだ……』

「あ、あと、迷子が入り込んでいたんですが……」

『そうか……親を探して……くそっ……どれだけ被害者がいるんだ……!』

 

「被害者?」

「どれだけ?」

 

 

 ミナトとシキはそれぞれ違うワードに注目し、アオイと顔を合わせ3人で首を傾げた。

 依然事態が把握できていないままだが、何か起きていることには違いない。施設改修の工事音、炊き出しの煙や人の話し声、昨日まであったはずの賑わいが影も見えない。

 今になって、その静けさが悪寒に代わって肌をなぞった。3人を代表してミナトがキリノに尋ねる。

 

 

「あの、何があったんですか?」

『……いいかい、13班。あまりに唐突で、僕もまだ混乱してるんだが……実は――』

 

 

『昨夜から本日未明にかけて、都庁から多数の住民が、失踪した』

 

 

「え!?」

「は……!?」

 

『さらに深刻なことに、その失踪者の中には、ナツメさんもいるらしい……』

 

 

 まさに青天の霹靂だ。朝の暖かな空気が一瞬にして凍る。

 大勢の住民にムラクモ機関の総長までもが姿を消したという一報に、シキはくしを、ミナトはゼリー食のパックを、アオイは歯ブラシを廊下に落とした。

 

 

「失踪!? そんな、大勢でいったいどこへ――」

『原因も行方もわからない。警備にあたっていた自衛隊員も、昨晩の記憶だけ抜けている始末だ』

 

 

 なんだ、その都合の悪すぎる状況は。

 あまりに唐突で非現実的すぎる事態に、キリノは「ドラゴンによる干渉があった可能性もある……」と、それしか考えられないように言った。

 

 

『今、捜索の手配を進めて――』

『おい、キリノ! アメリカとの会談5分前だ。そろそろ会議室に戻らないと……』

『あ、ああ……』

 

「アメリカから連絡があったんですか?」

『うん、最悪のタイミングで、アメリカからの会談要請があってね……でも、彼らから聞き出せる情報もあるかもしれない。ナツメさん不在で、僕だけっていうのも不安だし……13班も、同席してくれないか? 会議室で待ってるよ』

 

 

 ミロクの焦った声が割り込み、どたどたと慌ただしい足音とともにキリノからの通信が途絶える。

 

 手を動かしながらも頭の中はとっ散らかったままだ。自分たちは寝坊し、都庁からは住民が消え、ドラゴン戦線の指揮に立つナツメもいない。いや、寝坊は関係ないのかもしれないが。

 

 アオイが不安に表情を歪めて肌着の胸もとを握った。

 

 

「やだな……なんでこんなに胸騒ぎがするんだろう……」

「と、とりあえず、私たち会議室に行ってくるね!」

「はい、いってらっしゃい!」

「それ、私もちょうだい」

 

 

 顔を近付けてきたシキの口に、もう片方の手に持っていたパックのチューブを入れる。

 ゼリーを一気に飲み干し、2人は空になったパックをゴミ箱に放って走り出した。

 

 

「本当に人がいない……どうなってるんだろう……」

「キリノが言ってたみたいに、ドラゴンの仕業だとしか思えないけど。でも、今までの帝竜は都庁を襲うことは……っと、」

「わっ」

 

 

 シキに腕をつかまれ直角に方向転換する。靴底が床とこすれてギュギュッと音が鳴った。

 

 会議室に駆けこんだ自分たちを、イヌヅカ総理、アリアケ議員、マカベ国防長官、リンが振り返る。……ナツメ、そしてハタノ議員を除いて、いつもの面子が集まっていた。

 リンが自分たちの姿を見て安堵したように息を吐く。事態は把握しているようで、小声で「無事でよかった」と言ってくれた。こちらも会釈で返して椅子に座る。

 

 

「……これで全員のようだ。では、回線を繋げてくれ」

 

 

 マカベ国防長官が静かにキリノに言う。廊下で浴びた眩い朝日とは裏腹に、総理の顔は青ざめていた。

 総理を追い込むようにモニターに機械的な冷たい光が点灯する。久し振りに見るミュラー大統領の顔が映った。

 映像越しなので機微まで読み取るのは難しいが、ホワイトハウス屋内はきれいに整頓され、中央に控える大統領も顔色は悪くない。それだけでアメリカはまだ牙城を保てていることがわかる。

 先方も同様にこちらの無事を悟ったようだ。ジャック=ミュラーは優しい笑顔を作る。

 

 

『お互い無事で何よりだ。……まずはこちらから、朗報を聞かせよう。我々は昨夜、6匹目の帝竜を討伐し終えた』

 

 

 しん、と会議室が水を打ったように静まる。

 

 

『確認されている限り、我が国に残る帝竜は1匹――その1匹を討伐できれば、そちらへの戦力派遣も現実的になる』

 

「おお……っ!」

 

 

 イヌヅカ総理の震える声を引き金に、政治家一同が歓喜の声をあげる。沈殿した空気がかき混ぜられて鼓膜を揺らした。

 同じ人間である彼らがほぼ全ての帝竜討伐を成し遂げた。人間は竜に勝てる。人類は滅びの運命を覆せる。その可能性が証明された瞬間だ。

 非常事態であることはさておき、その場の皆が希望に喜ぶ中、

 

 

「――は?」

 

 

 隣から漏れたシキの低い声にミナトはびくりと体を震わせる。

 ゆっくりと目を向ければ、少女は画面の向こうに広がるホワイトハウスの一室を、敵地と言わんばかりに睨みつけていた。

 彼女は隣に座る自分にしか聞こえない小声でぶつぶつと呟き始める。

 

 

「6……? 私たちの倍?」

「あ、あの、シキちゃん? なんでそんなに怒って……」

「お こ っ て な い」

「はひっ」

 

「日本と同じ日に向こうにもドラゴンが来たとして、今日までで6体……帝竜の出現頻度もあるけどそれを考えても向こうのほうが早い……なにそれ、いったいどんな手を……」

 

 

 集団失踪に大統領との会談と、目の前の大きな事象はそっちのけでシキは爪をかじっている。だだ漏れになっている思考を拾うに、自分たちよりもずっとスマートにドラゴンを対処している相手がいることにプライドを刺激されたのだろう。

 そこはとても心強い仲間として見るべきではないのかと思ったが、良くも悪くも向上心が飛び抜けている彼女の目に、アメリカはライバルとして映ったみたいだ。

 少女の絹肌の頬が空気を含んで膨らむ。年相応のいじけ方に思わず苦笑が漏れた。

 

 

『……そちらの状況はどうだね?』

 

「総長の日暈が不在のため、私が代わりに報告させていただきます」

 

 

 前に進み出るキリノの応答を受け、こちらを観察する大統領が訝しげに細められる。

 

 

『……不在とは? 体調でも崩しているのかね?』

「いえ、少々トラブルがありまして……」

『ふむ……まあ、いい。先に報告を聞かせてもらおう』

 

「現在、ムラクモ機関と自衛隊の共闘により3匹目の帝竜の討伐を完了させています。しかし、ドラゴンに対し優勢と言い切るには、まだまだ不安要素が多い状態です……」

 

 

 モニターの中でミュラー大統領の目が動く。日本人にはない碧眼が会議室の一人一人と目を合わせ左右した後、自分たちを捉えた。

 政治家に自衛隊、ムラクモの補佐官の他に、なぜ若い一般人がいるのかというような疑問の視線を受けて、思わず背筋が伸びる。

 

 

『そこの女性2人は、自衛隊ではなさそうだな。前の通信でも姿を見たが……ムラクモの戦闘員かね? 彼女たちが帝竜と?』

「え、ええ……機動班所属の異能力者です」

 

 

 キリノの返答に大統領は驚いたように目を丸くし、一文字に引き結んでいた口を緩めた。

 

 

『なるほど……感嘆するよ。限られた戦力でよくやっているようだ』

 

(だ、大統領に褒められた……!?)

 

 

 世界の先頭に立っていると言っても過言ではない偉人が、自分たちに笑みを向けている。

 ミナトは思わず腰を直角に折って頭を下げていた。シキも驚いたように目を瞬かせてから、適当に一礼する。

 大統領は「頑張ってくれ」と嬉しい一言を付け加えて視線をキリノに戻した。

 

 

『うちの研究チーフによれば、帝竜は、その地方で最も人口の多いエリアに、7匹で群れを構成しているらしい。以前の欧州との会談でも、やはり7匹の帝竜の存在が確認されていた。とすれば……東京に、あと4匹の帝竜が存在することになる』

「あと、4匹も……」

『あまり悲観的にならないでくれ。既に7匹のうち3匹を討伐できている……ということでもある。我々も最後の帝竜を討伐でき次第すぐに援軍を送る準備を始める。それまでは、なんとか現有戦力で踏ん張ってもらいたい』

「……最善を尽くします」

 

『我々の対ドラゴン研究チーフ――エメルからひとつ質問があるそうだ。一度、代わろう』

 

 

 赤いマントをなびかせ、輝く金髪をまとめた麗人が大統領の横に歩み寄る。確か、以前のアメリカとの会談にもいた女性だ。

 エメルと紹介された彼女は、ほんの数秒黙してこちらを見つめた後、よく通る声で喋り始めた。

 

 

『……単刀直入に聞く。ナツメがこの場にいない理由は?』

「それが……こちらでも把握できていないのです。実は、本日未明――都庁内半数の市民や自衛隊たちが……忽然と姿を消しました。そして、ナツメも……その行方不明者の中に含まれているのです。現在、原因を調査中ですが、詳しいことは……まったく」

 

 

 キリノの返答に大統領が目を見開いた。

 対照的にエメルは綺麗な眉間にしわを寄せ、「帝竜の影響か、あるいは」と思考を巡らせるような素振りを見せる。

 

 

『――いや、今はあらゆる可能性を考慮に入れ速やかな事態の解決を図ってくれ。彼女と私が共有しているデータは……歴史を超えた、非常に貴重なものだ。失われてはかなわん』

「……? それは――」

 

 

 アメリカの対ドラゴン研究者とナツメに縁があるなど初耳だ。

 尋ねようとしたキリノにエメルは頭を横に振る。これ以上詳しく教える気はないらしい。

 わかったのは、集団失踪については彼女たちも考えが及ばない、ということだけだ。モニターを見上げるキリノの肩がわずかに下がる。

 

 

『我々はこれから最後の帝竜討伐に向けて作戦を立てる。作戦の成功次第、また連絡をしよう。その時まで、日本が無事であることを祈っている』

 

 

 大統領の粛々とした礼を最後に、アメリカからの通信は途絶えた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 正直に言うと、一度目の会談の際は犬塚総理の青ざめた顔を見て、日本も落ちるだろうと思ってしまった。

 そして今回。彼らもなんとか歩を進められていたことには感心したし、また組織の重役が姿を消したということも、悪い意味で驚いた。

 自国でもそうだったが、やはりこの未曽有の災厄……竜災害のなかでは何が起こるか予想できない。

 

 

「……集団で行方不明か。しかもムラクモ機関のトップがいないとは。エメル、心当たりはないのかね?」

「……」

 

 

 投げかけられる問いに、エメルは動かずに沈黙する。

 頭の中でいくつもの可能性が入り乱れていた。

 集団失踪。そして、ムラクモ機関の長であるあの女……日暈ナツメの行方も不明。

 

 

(仮に、帝竜が干渉しているとして……?)

 

 

 日本の対ドラゴン戦線の本拠地は東京都庁だ。以前はウォークライという帝竜に支配されていたが、ムラクモ機関は最初にその帝竜を討伐して都庁を取り戻したらしい。

 ならば、その土地に別の帝竜が巣食っている可能性は低い。

 大人数の失踪事件。老いも若きも役職も関係なく、都庁に集っていた人々の約半数が姿を消した……被る損害は計り知れない。

 そんな大規模な事件を起こすとしたら、残っている帝竜が、自分の居城から出て都庁を襲撃した線が濃厚か。だが、帝竜が己の領域から出るということは「今までには」ない。

 帝竜は決まった場所に己の巣であるダンジョンを作る。ダンジョンの規模や形は様々で、小さくても街1つは簡単に飲み込むほどだが、裏を返せば外には出ない。外を徘徊して生命体を襲うのは雑魚ドラゴンとマモノの仕事だ。

 

 では、遠距離から都庁を巻き込むほど広範囲にかけて力を放ったのか。だとしたらなぜこのタイミングで? そんな力があるのなら、抵抗する人間たちを早々に滅ぼしているはず。

 

 考えが定まらない。

 

 エメルは眉間を指で解し、大統領の問に「いいえ」と頭を振った。

 

 

「日本のことは、当人たちに任せるしかないでしょう。今は、このアメリカにいる最後の帝竜の討伐に集中するべきかと」

「……うむ。君の言う通りだ。残るはただ1体。7体目を倒せば、後は雑魚たちを殲滅するだけ。そうだろう?」

「ええ。未だに帝竜たちが蔓延っている外の国に、手を差し伸べることも可能になるでしょう」

「そうか。しかし驚いた。日本では女の子2人が帝竜を討伐しているとは。前の会談のときはどうなるのかと思ったが……」

「見た目だけでは実力の判断はできません。それが異能力者ですから。……それでは、彼らを呼びましょう」

 

 

 そう、これでアメリカの竜を駆逐できる目処は立った。今度こそ、勝利してみせるのだ。

 思考を海の向こう側からこの国に戻し、エメルはアメリカの最前線に立つドラゴン討伐部隊を招集した。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「キリノくん……一体これから我々は……いや、この国はどうなってしまうんだ……?」

 

 

 アメリカで意気込んでいるミュラー大統領とは反対に、日本のトップであるイヌヅカ総理は相変わらず弱気だった。

 

 

「都庁の半数の人間が消え……指揮官であるナツメくんまで消えた。大統領はああ言っていたが、たとえアメリカ国内の竜を全滅させたとして、本当に援軍を送ってくれるかどうか……」

「イヌヅカ総理……」

 

 

 都庁を取り戻したばかりのときと変わらない及び腰の総理に、キリノがどう対応したものかと声を濁らせる。

 不安なのはわかる。だが彼は国を動かす側の人間だ。うろたえてばかりではいけないだろうし、味方であるアメリカに依存しておきながら彼らを疑うなどもってのほかだ。

 

 シキは未だに明後日の方向を向き、アメリカに熱い思いを馳せている。

 この空気は自分がどうにかしなければ。ミナトは空気を吸って腹から声を出した。

 

 

「だ、大丈夫です! 私たちが守……れるように、頑張ります!」

「13班……」

「帝竜は7体で、3体倒せてます。あと4体、今が折り返し地点です! 私たち頑張るので……力を合わせて切り抜けましょう!」

「ああ……そうだ、その通りだな……。すまない、君たちにばかり負担をかけて……」

 

 

 両手で握り拳を作って上下に振る。

 守ってみせるとは言い切れないし、若干挙動不審になってしまった気がするが、ドラゴン退治の中枢である立場なのが幸いしたのか、自分の言葉にイヌヅカ総理の強張っていた顔は徐々に緩んでいく。

 

 

「本来は私たちひとりひとりが向き合わなければならない問題だ。全員が力を合わせて……この難局を切り抜けよう! そうだ、まずは落ち着いて行動を……」

 

 

 総理は力強く頷き返してくれる。

 そして自分たちに背を向け……泣き出しそうな声で会議室を飛び出していった。

 

 

「ナツメくん! ナツメくんはどこだ!」

「総理! 落ち着いてください!」

「で、では我々は失礼する。頼んだよ。……総理、お待ちを!」

 

 

 マカベ国防長官とアリアケ議員が慌てて後を追う。

 

 会議室に残された自衛隊とムラクモの面々は、完全に威厳を失ってしまった総理大臣の様相に沈黙していた。人間、自分よりもパニックに陥っている者を見るとかえって冷静になるというがまさにそれだ。

 

 

「……頼りな」

「しーっ!! 言っちゃダメ!!」

 

 

 遠慮なく政界の要人を酷評しようとしたシキの口をふさぐ。

 世界の終わりに直面したように取り乱す総理と入れ替わりに、キリノに呼ばれたアオイが会議室に入ってくる。

 気を取り直し、キリノは作戦会議の口火を切った。

 



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  いない②

引越しの経験があるんですが、不動産サイトでいい物件を見つけたときに住所が高田馬場だと「焦土になるからダメだな……」で、国分寺だと「砂漠になるから危ないな……」とナチュラルに考えていました。ていうか東京都内は全て危ない。
ダンジョン突入は次回から!



 

 

 

「では、今後の具体的な方針についてですが……観測班からの報告で、都内の2箇所から新たな帝竜の反応が観測されました」

「2体も……!?」

「1箇所は『国分寺』。もう1箇所はかなり微弱な反応で、都内の中心地を徘徊しています。また、この2つの帝竜反応の出現とナツメさんたちが都庁から消えたタイミングがほとんど同時だったということもわかりました」

「同時ってことは……」

 

 

 偶然というには怪しすぎるタイミング。やはり、帝竜が何らかの力を使って人々を連れ去ったのだろうか。

 

 

「……つまり、そのどちらかとナツメさんたちの失踪が関わってるってこと……ですか?」

「ああ、その可能性が高いと思う。よって、これから二手に分かれてこの2つの帝竜反応を追ってみたいと思う」

 

 

 首を傾げたアオイにキリノが頷く。続く彼の提案に、リンが都内の地図を広げ、都庁と国分寺の間を指先でなぞった。

 

 地図の隅に書いてある尺度で計ると、直線距離で約20キロ。徒歩で考えると4、5時間の距離だ。異能力者の自分たちが一定の速さで走れば……道中マモノとの戦闘も挟むかもしれないが、2時間程度で行けるだろうか。

 今までは池袋に渋谷、四ツ谷など近場だったが、今回は現場まで距離がある。

 

 

「国分寺はかなり遠いな……」

「ええ、だから国分寺の探索は、一番機動力のある13班に行ってもらうつもりです」

「だが、移動の経路はどうする? 地下道を通り抜ければ辿り着けるとは思うが、ルート上に地下の帝竜がいる。あいつは光に弱いらしいから、照明が点けば一旦退散させることもできると思うが……」

 

 

 マキタが地下帝竜の存在を指摘しながらわずかに体を震わせた。肩をすくめて渋い顔をしているあたり、かつて遭遇した帝竜は大きな恐怖になっているらしい。自分もときどき、あいつに追いかけられたときの過去を夢で見てしまうことがある。

 キリノが腕を組み、天井の電灯を見上げる。

 

 

「謎の『地下帝竜』か……今は活動を休止しているようなので、あまり刺激したくはないですが……やはり、照明を使うしかないでしょうね。となると『発電室』が必要か……。最近は、都庁内で使用する電力も心細くなってきたところだ。考えておいたほうがいいかもしれない」

「それはつまり……改修ってことでいいですか?」

「ああ、13班は一度ミヤくんに相談してみてくれないか。発電室を作る方法はないかってね」

 

 

 Dzは四ツ谷で集めたものが大量に保管されている。フロアの回収自体は可能だろう。けれど発電室ということは、電気を生み出すための設備も準備しなければいけない。

 今は一刻を争う事態。できればすぐにでも国分寺に向かいたいのに、今回の改修工事はいつもより長くなりそうだ。

 

 ようやっとアメリカから自分たちの側に意識を戻したシキが「もう一方はどうするの」と首を傾げた。

 

 

「反応が微弱ってことは、そんなに強いわけでもなさそうじゃない。先にそっちを探して討伐したほうがいいんじゃないの?」

「ああ、それなんだけど……僕が行くよ」

「キリノが?」

「僕はもう一方の帝竜反応を追って、四ツ谷方面に向かってみる。データの収集は得意だし」

「いや、あんただけじゃダメでしょ。帝竜に接近するのよ? もし見つかりでもしたらどうすんの」

 

 

 四ツ谷攻略で外に出たことが自信になっているのかもしれないが、キリノがとろうとしている行動は、ダンジョンの入口から通信を介したサポートではなく自ら直接帝竜に接近するということだ。

 マモノや雑魚ドラゴンだけならどうにかなるかもしれないが、反応が微弱とはいえ相手は帝竜。そしてキリノは異能力者でも自衛隊でもないただの人間。

 自力では帝竜に対抗できないだろう。接近に気付かれ遠距離から砲撃を喰らい、あっけなくお釈迦……なんて事態もありえる。

 

 ナツメに加えておまえまでいなくなられたら困ると注意するシキにたじたじとなるキリノ。しかし彼も食い下がり、ならどうするかとなったところで、凛々しい声が会議室に響いた。

 

 

「じゃあ……私が護衛します!」

 

「アオイくん!?」

 

 

 バッと勢いよく挙手し、キリノの護衛を申し出たのはアオイだった。

 

 

「今回は13班と一緒じゃないんだ。僕が言うのもなんだけど……危険だよ?」

「キリノさん1人じゃ心配だし、……前に、ナツメさんに言い過ぎちゃったの、謝りたいから」

 

 

 池袋攻略作戦のときを思い出す。自衛隊を捨て駒とし、力で人間の取捨選択をするナツメの言葉を止めたのはアオイだ。あの時彼女が口にした「恥ずかしい女」という言葉は刃物のように鋭利だった。

 

 キリノ単独での行動を拒否していたシキが、アオイの立候補により「ならいいんじゃない」とあっさりOKを出す。

 

 

「アオイなら戦えるだろうし。トリックスターは身を隠すのも逃走も上手いから斥候向きだしね。危険はぐっと減るでしょ」

「はい、マサキさんに見せてもらったトリックスターのデータで色々勉強しました! ドラゴンやマモノたちから逃げのびた居住区の方々直伝の技もありますし、センパイたちとたくさん訓練もしましたし、前よりは戦える自信があります!」

 

 

 帝竜ジゴワットを倒した後から、アオイも自分たちの訓練に参加するようになった。元がS級というのもあって、マモノ相手なら難なく倒せるほどに実力を伸ばしている。

 伊達にチョコバーを食べていたわけではないのだとアオイは胸を張る。

 

 

「それに、私もムラクモの一員です。いつまでもセンパイに頼ってばかりじゃダメですもんね!」

「まったく……すっかり頼もしくなっちゃったなぁ……」

 

 

 機動10班の戦闘員の姿にキリノは笑って頬を掻いた。どうやらアオイとともに行動することは確定したようだ。

 2体の帝竜への対処が決まったところで、ではとリンが都庁の防衛を申し出る。

 

 

「アタシたち自衛隊は、ここを守ればいいんだな?」

「はい。ナツメさんもいない今……都庁の守りをお任せできるのは、自衛隊の皆さんだけです。我々の最終防衛線を、どうか、よろしくお願いします!」

「――了解。四ツ谷攻略の間に、休ませてもらったからね。体調のほうもバッチリだ」

「……専守防衛は俺たちの本領だからな。任せてくれ」

 

 

 リンとともにマキタも笑う。キリノは周囲を見回し、それぞれと視線を交わして力強く頷いた。

 

 

「13班はまず発電室を。その後、地下道から国分寺へ侵攻し、帝竜反応の調査を行ってくれ。……頼んだぞ!」

「了解」

「了解です!」

 

 

 作戦会議が終了し、自衛隊は駐屯区へ、キリノとアオイは捜索の準備へ、13班はエントランスに向かう。

 早速とカウンターに駆け込み、早口で事情を説明するシキとミナトを、ミヤはいつも通りのポーカーフェイスで受け入れた。

 

 

「……ふむ、発電室か」

「地下の帝竜は光に弱いらしい。地下道の照明を使えれば進路が確保できるって見込みなんだけど」

「なるほど、地下道の照明ね……都庁で使っている、地下大ケーブルを分岐させればいけると思うが……資材さえあれば、作ってやることはできるぞ」

「本当?」

「開発班が、帝竜ジゴワットのサンプルから、電磁波を取り出す方法を考案していたみたいだからな。こっちは、頑丈な壁と設置場所を作ってやるだけだ」

 

 

 とりあえず1つ目の課題はクリアできそうだ。とはいえ悠長にはしていられない。多人数の人命がかかっている緊急事態、国分寺へはなるべく早く出発したい。

 十分すぎる働きをしてもらっていることは承知しつつ、ミナトはおそるおそるミヤの顔色をうかがう。

 

 

「あの……どのくらいでできそうですか?」

「……急ぎか?」

「急ぎよ。なるたけ早く」

 

 

 間髪入れずにシキが頷く。

 ふむと相槌を打ったミヤは、首もとまで締めていたネクタイを緩め、わずかに口角を持ち上げながら背を向けた。

 

 

「急造になるかもしれないが、正午までには終わらせる。おまえたちが任務から帰ってくる頃には、ちゃんとした発電室にしておこう」

「ミヤさん……! よろしくお願いします!」

「さすが、総理大臣よりよっぽど頼りにな――」

「シキちゃん総理を引き合いに出しちゃダメ!」

 

「では、これより発電室の改修に入る。おまえたちも、準備のほうをしっかりな」

 

 

 パンツスーツが似合うキャリアウーマンは、雰囲気が落ち着いていれば靴音も落ち着いている。

 スレンダーな後ろ姿を見せて颯爽と歩いていくミヤを見て、ミナトはほーっと息を吐いた。

 

 

「はー、すごいねぇミヤさん。できる女って感じで素敵……」

「同感だけど見とれてる場合じゃないでしょ。発電室ができるまで時間がある。今から訓練するわよ」

「うん」

 

 

 エントランスを進んでいく。人が少なくなったのは、決して気のせいではないだろう。

 ガラスのドア越しに見える都庁前広場には、愛嬌のある女性といつも風邪気味だった男性がいた。帝竜と戦って帰ってきた自分たちを「今日も派手にやったねぇ!」なんて迎えてくれた2人の男女は、今はいない。

 

 

(……ハルさんもタナカさんも、オーモリさんもいない)

 

 

 個性的な喋り方をするムラクモ準候補の2人。娘が都庁に辿り着いたら1番に迎えてやるんだと、毎日入口近くのソファで手を組んで祈っていた男性もいない。

 自分たちが普段過ごしている4階のムラクモ居住区からは、8人中6人の作業員が姿を消していた。いったい何人が都庁から消えてしまったのか。

 

 通信機にスイッチを入れてムラクモ本部に繋げる。ガガガガとキーボードを絶え間なく叩く音と、ナビたちの慌てる声が聞こえてきた。

 

 

『集団催眠……? いったいどうやって……!? くそっ、痕跡がなさすぎる……』

『もっと感知領域を広げて……! 何でもいいから、手がかりを見つけないと……』

 

 

 通信が繋がっていることにも気付いていない。それほど2人とも集中し、能力を駆使して作業にあたっているのだ。自分が無闇に突っ込んだところでかえって邪魔になってしまう。

 通信機を静かに切る自分を、シキが肘で小突いてきた。

 

 

「どうせまた、ネガティブなこと考えてるんでしょ」

「だって……」

「私たちは国分寺に向かう。そして帝竜を倒す。あれもこれも考えてたらまともな結果出せないわよ。自分ができる最善のことに集中したほうがいい」

 

 

 自分ができる最善のこと。自分だからこそできること。

 危険に瀕している人に直接手を差し伸べられないことがとてももどかしい。けれど自分が数少ない戦力である以上は、戦いに集中しなければいけない。

 

 

(……まずは、ドラゴンを倒すこと)

 

「センパーイ! 訓練ですよね? 私も参加します! 残りの準備はキリノさんがしてくれるみたいなので!」

「おーい13班! それから10班! 工業開発区の改修にDz出してくれただろ? 新製品入ったから任務の準備に見ていけよ!」

 

 

 ついつい嫌なことを連想してしまう思考を打ち切ったところで、アオイが手を振ってこちらへ駆けてきた。続いてケイマが声をかけ、3人はファクトリーで装備を一新してから都庁前広場に出る。

 新しい武具に慣れるため訓練を始めてしばらく、建築班から発電室が完成したとの連絡が入った。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 ― 東京地下道 至国分寺 ―

 

 

「あ、明るい」

 

 

 東京地下道、最後に入ったのは何週間か前だった気がする。

 電気が点いたことで明るくなった地下に降り立ち、シキとミナトは不審な影がないかじっと目を凝らす。

 マモノとドラゴンの姿は見えない。廃れた地下道に崩れそうな気配はないが、以前出くわした帝竜が残したものと見られる大きな蛇行跡が上下左右に見られた。

 

 

『おい、13班。帝竜の反応を確認。距離、約300メートル……やっぱり、少し遠ざかってるぞ!』

「ほ、ほんと? もう追いかけられたりしないよね?」

『ああ。よし、今のうちに国分寺まで抜けようぜ。直進して、駅の先だ!』

 

 

 ミロクのナビを受けて進み始めるものの、地下道を埋める巨大な帝竜に追いかけられたときの恐怖は簡単には拭えない。身を縮めながらそろそろと前進する。

 過去に救難信号を受け取って向かった北戸線の中野駅を通って次のエリアに入った瞬間、巨大な何かが目の前に現れた。

 

 

「うわっ、これって……!」

「静かに!」

 

 

 危うく悲鳴を上げそうになった口をシキに塞がれる。

 2人の目の前、壁から壁を突き抜けて、地下道を巨大な胴が横断していた。

 白い甲殻に赤と紫の線、この色合いには見覚えがある。

 

 

『目の前のバカでかいのが地下帝竜の胴体だ。今は寝てるみたいだけど、起こしたら厄介だ……近付くなよ』

「線路を直通ってわけにはいかないわね。横洞経由するわよ」

「う、うん」

 

 

 一挙一挙に集中し、できるだけ音を殺して、地下道の壁に開いた穴から横洞に入る。依然、そこは青と緑のまだらが渦巻く世界だった。

 レーダーがマモノとドラゴン数体の反応を点として表示する。自衛隊救助の際には行けなかった場所だ。

 ドラゴンは数体しかいないのでさっさと片付けてしまおう。……ところで、戦闘の音で帝竜が起きてしまうことはないだろうか。

 狭いし音も響く環境でどう戦うか相談しているところに、アオイとキリノから通信が入る。

 

 

『あー、あー。センパイ、聞こえますか~?』

『こちらは、今出発した。13班は順調か?』

 

「今のところ問題ありません。帝竜が地下道を分断してしまっているので、少し時間がかかりそうですけど、横洞経由で国分寺を目指そうと思います」

 

『ほら、キリノさん。言ったじゃないですか。センパイたちは大丈夫ですよ! 私たちのほうが頑張らなきゃ……』

 

「そうね。私はそっちのほうが心配だわ」

 

 

 シキが言うとアオイは慌てて、チョコバーもいざというときのためにちゃんと食べずに取ってあると謎の返事をよこした。

 彼女のチョコバーに対する異常な信頼はどこから来るのだろう。武器になるというのなら納得だが、自分たちが知る限りチョコバーはただのお菓子だ。身に迫る危険に対しては何の効果もない。馬の耳に念仏、豚に真珠、猫に小判、ドラゴンにチョコバー。……どれも違うか。

 

 謎の思考に陥りながら横洞の中を進んでいると、通信機の向こうでキリノが素っ頓狂な声を上げた。

 

 

『って……あ、あれ? 帝竜反応がなくなったぞ!? いや……微弱だが反応は続いてる……? う~ん、なんだかよくわからんなぁ……』

『ちょっとちょっと……キリノさんってば、しっかりしてくださいよー!』

『ははは、ダイジョーブダイジョーブ』

 

「あ、あの、大丈夫ですか? 本当に大丈夫なんですか?」

 

 

 四ツ谷の時から変わっていない、若干緊張感に欠ける会話にミナトが突っ込む。

 大事なことなので2回言いましたというように繰り返される確認に、キリノはリラックスした声音で応答した。

 

 

『ナツメさんと一緒にいなくなった人の中にはムラクモの人間も何人かいるんだ。この程度の反応しかない弱い帝竜なら、ナツメさんたちだけでも対抗できるんじゃないかなあ。いや、もしかしたら既に討伐にかかっているから……こんなに反応が不安定なのかもしれない。なんにしろ、こちらは心配無用だ。13班は国分寺の探索に集中してくれ』

「りょ、了解……」

 

 

 ぷつんと通信が切れる。

 申し訳ないがやはり不安だと視線でシキにメッセージを送る。彼女は肩をすくめ、あの2人はあれがデフォルトなのだろうから放っておけと呆れて返した。

 

 

「とりあえず、国分寺までは長い。ドラゴンを倒してDzを回収しつつ、突っ走っていくわよ」

「わかった……なるべく揺れも音もたてないようにしないとね」

 

 

 横洞の中を駆ける。穴に飛び込んでは別のエリアに這い出し、ミロクに現在地を確認してもらいながら進んでいく。

 不意打ち、ミナトの氷での拘束を中心とした戦闘でドラゴンを仕留め、曲がりくねった迷路を探索し、なんとか帝竜の胴を迂回して横洞から出た頃には、1時間近くが経過していた。

 

 

「うう、やっと抜けられた……あ、通信」

 

『おーい、13班! 今、こちらは皇居のあたりまで来ています。そちら、生体反応はありますか? こっちはまったく見当たりません……』

『……相変わらず、安定しない帝竜反応だなぁ……おかげで発信位置がサッパリだ。もうしばらく付近を捜索して消息がつかめなければ、一旦都庁に帰還するか……』

 

「なによ、収穫はなしなの?」

 

『目標が定まらないときは、ベースに戻って作戦を立て直すのが定石だ。って、これもナツメさんの受け売りだけどね』

 

 

 定期的に連絡をすると言って2度目の通信が終了する。向こうも向こうで苦戦しているらしい。

 どちらも帝竜が相手。そう簡単にはいかないかとため息をついていると、シキがゆっくりと首をひねった。

 

 

「……ねえ。キリノたちの言葉を聞くに、帝竜はうろちょろ動いてるってことよね」

「? そうだね。都内の中心を徘徊してるって言ってたし。小型の帝竜なのかな?」

「大きさはたぶん関係ない。あいつらは雑魚竜とは格が違う。ムラクモの人間が一緒にいたとしても、そう簡単に倒せるはずがない。……帝竜は本当に弱ってるの? 反応が弱いのは、また別の理由があるとかじゃなくて?」

「そんな怖いこと……、はっ! そ、そうだね、どんなに小さくても侮っちゃいけない……」

「……なに考えてる?」

「ドラ○ンボール思い出してたの。ベ○ットがアメ玉にされちゃって、それでも結局強いからブ○を圧倒したって話……サイズで実力は計れないよね。ナツメさんたち無事だといいんだけど……!」

「あんたも染まってきたわね。キリノたちのこと言えないわ」

 

 

 日の光がない地下にいるとき、明るい雰囲気はありがたい。が、ここまでアホになる必要はない。

 声を低くし冷めた目で見つめれば、脳天気なんだかネガティブなんだかわからないパートナーは申し訳なさそうに姿勢を正した。

 

 気を取り直して地下道を走り出す。横洞のようにひねくれた構造ではないが、こちらはこちらで、走っても走っても出口が見えないことに対する焦燥があった。繰り返し反響して耳に飛び込んでくる足音を聞いていると、もしかして1歩も先に進めていないのではないかと思い込みそうになってしまう。

 また、異能力者でも休みなしで長距離を疾走し続けるのはキツい。ときどき小休憩と水分補給を挟み、シキとミナトはひたすら線路の上を進み続ける。

 

 足音に混じって自分たちの息切れが響くようになったとき、ミロクが大丈夫かと声をかけてくれた。

 

 

『おい、13班。ずいぶん長い道が続いてるな』

「ほん、ほんと……長すぎ……」

「ミロク……あと、どのくらいよ……」

『目的地まで、ちょうど1キロ……もう少しで国分寺だぞ!』

「やっとか……!」

 

 

 互いにマッサージと柔軟体操を施し、軽食をとって立ち上がる。

 ランナーズハイというのだろうか。変に盛り上がった気分でやっと辿り着いた北戸線国分寺駅は、中野駅と違って明かりが点いていなかった。

 

 

『おい、13班。こっちの駅は暗いな……電気は通ってるはずなんだけど』

「で、出口はどこ?」

 

 

 ヒップバッグからペンライトを取り出し、小さな光を頼りに駅構内を歩く。

 プラットホームの奥に出入り口らしき四角を見つけたが、枠の中にシャッターが降りていた。

 

 

『シャッターも降りてる……。電気が通ってるのについていない……ってことは、ブレーカーが落ちてるんじゃないか? 探してみてくれ』

 

「別に、シャッター吹っ飛ばせばいい話でしょ?」

「いや、その音で帝竜が起きちゃうかも……」

「これだけ離れてるんだから平気でしょうよ。面倒ね」

 

 

 行き場をなくした握り拳を揺らすシキとともに、暗中模索でプラットホームを歩き回る。

 探し始めて数分、シキの「あ」という声と何かがぶつかる音、ギギギ、ガシャンと錆びた金属が擦れて落ちる音が響いた後、駅の中が明るくなった。

 シキがブレーカーを見つけたようだ。その手に赤いレバーが握られている。シャッターも上がって、出口となる階段が覗いていた。

 

 

『よし、シャッターが上がった。あそこから外に出られそうだな。ここを抜けたら国分寺だ』

「やっと外に出られるんだ……! 前に地下道に入った時もだけど、今回は特に長かったねぇ……!」

「ほんと、閉塞感半端なかったわ」

『なんだか、モグラになった気分だな……』

 

 

 そうか、自分たちが地下道を走っている間、ナビをしているミロクもモニターに映る暗闇をずっと見つめていたのだ。ならば、表に出て存分に日の光を目に焼き付けよう。

 国分寺が帝竜によって異界と化していても、地球を照らす太陽は1つ。地下の暗くじめじめとした空気に影響されていた自分たちを明るく迎えてくれるに違いない。

 ……太陽が擬態した帝竜というオチでなければだが。

 

 日の光が差し込む出口目指して階段を上がる。

 

 地面の下から駆け上がった2人を、強い日差しと乾いた空気が迎え、

 

 

「……へ?」

「……なにこれ」

 

 

 今まで響かせていたカツカツという靴音が、ざふり、と砂に埋まる。

 

 唖然とするシキとミナトの目の前には、突き抜ける碧空と、熱を放つ砂漠が広がっていた。

 



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20.炎熱の向こうに

遅くなりました。20話です。
「暑い」と「熱い」のどちらを使うか悩んだんですが、たぶん気温の問題なので「暑い」と書いてます。



 

 

 

『おい、13班』

「ミロク、ここ……国分寺、だよね? 鳥取砂丘じゃなくて」

『ああ、間違いない。位置情報に狂いはないぞ』

 

 

 ミロクが言うならそうなのだろう。ここは国分寺だ。乾燥した風に熱砂が舞う、国分寺。

 

 ……という名の、砂漠。

 

 熱烈すぎる紫外線を吸収し、あっという間に髪に熱がこもっていく。

 暑い。日本の夏は湿度が高くじめじめとした暑さだが、ここは違う。乾いた空気が熱をはらみ、体から水分を吸い出すように肌に吹き付ける。砂の大地も気候も、砂漠そのものだ。砂漠に行ったことはないけど。

 

 

『まさか、こんな風になってるなんて……ここからはしばらく、砂漠みたいだ。生体反応は確認できないが、この先に、大量の熱反応が感知できている。行方不明になった人間の可能性があるな。砂漠を抜けて、先を目指そう』

 

 

 よく見ると熱砂の大地のあちこちに、建物の一部と見られるコンクリートの角や色の付いた屋根が顔を出している。町は丸々砂漠に沈んでしまったようだ。

 とりあえず踏み出そうとしたシキとミナトを、ミロクが呼び止めた。

 

 

『ちょっと待て。砂漠のあちこちにドラゴン反応がある』

「え? でも1体も見えないよ」

『これは……そうか、砂の中に隠れてるんだ。接近すると飛び出してくるかもしれない。気を付けて進むんだぞ』

 

 

 まるで地雷じゃないか。日本なのに砂漠、砂漠なのに地雷原、今までのダンジョンは人智の域を超越していたがここも相当だ。

 暑さにやられないうちに先に行こうと進み始める。

 靴底にまとわりつく砂を払いながら右足を前に出した瞬間、ずぼっと膝小僧までが砂地に沈んだ。

 

 

「わっ!?」

『ミナト大丈夫か!? って、10時の方向からドラゴン反応接近! 来るぞ!』

「えっ、え!?」

 

 

 方向がわかっていても姿が見えないため、構えが緩くなる。というか動けない。

 バランスを崩したまま固まっていると、シキに襟をつかまれ後ろに引っこ抜かれた。

 

 直後に自分がいた場所の砂が弾け、何かが飛び出す。薄い緑の鱗に赤いヒレ、口に鋭い歯を隙間なく生やした魚型のドラゴンだ。

 

 

「向こうから来てくれたわね。好つご――うぶっ!?」

「シキちゃん!?」

 

 

 宙を泳ぐドラゴンに飛びかかろうとしたシキが、砂に脚を取られて前のめりに転ぶ。

 ミロクとの視覚モニターリンクにより、視界の端にドラゴフォルバルと名前が表示されたドラゴンは、砂に出鼻を挫かれた2人にこれ幸いとブレスを見舞った。

 

 

「ミロク……! ドラゴンどこ!?」

『前方10mに浮遊! プラズマジェイルが有効かもしれない!』

「わかった!」

 

 

 風が熱砂を巻き込んで熱が肌に突き刺さる。

 叫びたくなるのを堪え、視界が塗り潰される中、なんとか相手の影を捉えてプラズマジェイルを落とす。

 叩き付けられた光の柱は有効打になったようで、ドラゴフォルバルは一瞬動きを止めた。

 

 

「こん……のっ!!」

 

 

 シキが今度はしっかり砂地を蹴り上げて飛びかかる。

 脳天に鉄槌を叩き付けられたドラゴフォルバルは頭から砂漠に突っ込み、尾びれを痙攣させて動かなくなった。

 

 

「くそ、地面が砂に変わっただけで相当やりにくい」

「シキちゃんが転ぶところ初めて見た……」

「なんか言った?」

「い、いいえなにも! あーっ、何だろうあの建物!?」

 

 

 持ち前の眼力で睨みをきかせてくる少女の視線を誘導する。わざとらしい口調にむすりとしながら、シキは遠くに見える建造物に顔を向けた。

 ミロクがモニターを操作して、視界の中に小さく映る建物をズームしていく。紅白の色が付いた巨大な菱形のそれは、太く大きな煙の柱を空に向かって吹き出していた。

 

 

『あれは……。熱反応は、あの建物からのようだ。あそこにみんながいるんだろうか……』

 

 

「……行くのね、あそこへ」

 

 

 柔らかな声が流れてくる。

 

 いつからいたのだろう、世界にとけ込んでいたかのように彼女は自然と現れ、砂丘を越えてこちらに歩いてきた。

 快晴の空より少し深い青い髪。それとは対照的な赤い瞳。白いマントは一切の穢れなく、どこか触れがたい雰囲気をまとっている。

 

 

『この女……たしか、タケハヤと一緒にいた……SKYがなぜ、こんなところに?』

 

「あなたは……アイテル、さん?」

 

 

 渋谷でタケハヤと遭遇したとき、隣にいた彼女の神秘的な容貌に目を奪われたことを覚えている。

 

 タケハヤが呼んでいた名前を口にすると、女性は静かに頷いた。

 

 

「……私はアイテル、星を守る者。もうすぐタケハヤも、ここに来るわ。だから、見せてほしい……あなたたちの力を……」

 

『……タケハヤも、ここに? 何を言ってるんだ……? この失踪事件……SKYに関係が……?』

「タケハヤさんたちが連れ去った……? いやでも、さすがにそこまでする人たちには見えないし……」

 

 

 ミロクとミナトが首をひねる中、シキがアイテルに尋ねる。

 

 

「あいつは、私たちに絡んでくる予定だってことね?」

「ええ」

 

 

 アイテルは後ろを振り返り、謎の建物を振り返る。

 

 

「この先に、工場があるわ……竜に取り込まれ、竜を生み出す工場……。あなたたちは、そこに向かって。彼も間もなく、やってくるはずだから……」

 

 

「おまえらとは、また会うことになる」。タケハヤはそう言っていた。

 シキは気合を込めて拳と拳を合わせる。アイテルも力を見せてほしいと言っているし、もしかしなくてもタケハヤ率いるSKYと戦闘になるのだろう。こちらとしては好都合だ。

 

 

「いくわよミナト!」

「えっ、待ってまだDz回収してない……!」

 

 

 慌ててドラゴフォルバからDzを回収し、ミナトはやる気満々のパートナーを追って駆け出す。

 

 2人は砂の大地を突っ切る。工場に勢いよく飛び込んだはいいが、外以上の熱気に肌を焼かれそうになり、入口で足を止めた。

 

 

「っ!? 熱い……!!」

「う、わ……! なにこれ」

 

 

 世界中の熱さを集めたかのような灼熱。左右に揺らめく空気に当てられ、その熱を吸っては吐き出す金属の壁と床。

 グツグツという音を疑い、自分たちが立っている橋から下を覗いてみる。

 金網床の隙間から見えるのは、眩しく発光するほど煮え立つマグマ。それが川となって流れているのを見て、ミナトは魂が口から出そうになった。

 

 

「ちょ、ちょっと待って……ここ、ここを進んでいくの?」

「あんたまさか、これも無理とか言うんじゃないでしょうね?」

「無理じゃない、けど……これ、絶対火を使う敵出てくるよ。そうなったら気絶しない自信がない……あ、そうだ!」

 

 

 熱いと叫び出しそうになるのを堪え、体の中と指先に意識を集中する。

 なんとかひねり出したマナは冷気に変換され、ベールのようにシキとミナトの体を包み込んだ。焼き殺す勢いで2人を苛んでいた熱気が軽減される。

 

 喉を痛めない適温の空気を吸えるようになったシキが目を丸くする。

 

 

「へえ、これゼロ℃ボディ? 快適になった」

「効果あるみたいでよかった……でもこれだけじゃ安全とは言えないよね」

『空気が熱すぎるからな。気道熱傷になる可能性があるし、脱水症状、熱中症にも注意だ。おまえたちのバイタルはこっちで確認しておくから、水分補給を怠らないようにしろよ』

「了解」

「飲み物多めに持ってきて正解だった……」

 

 

 そのうち建物自体が溶けて崩れやしないだろうかと不安になりながら中に進む。

 橋を渡ったところには、菱形と菱形を合体させたような大きな装置が鎮座していた。

 

 

『これは……なにかの工場……なのか……?』

「アイテルさんがここは竜を生み出す工場だって言ってたよね」

「なら、100%帝竜がいると見て間違いないか」

『もしかして、さっき感知した熱反応は、その装置が発するもの――』

 

「やっぱり来てたな、13班」

 

 

 武器を構えて振り返る。ひねる胴に引きずられ、薬が詰められたヒップバッグがガチャンと音を立てた。

 

 敵意を向けられたにもかかわらず、また焼却炉のような熱の中にいるにもかかわらず、タケハヤは涼しい顔でシキとミナトの視線を受け止めた。

 彼はシニカルな笑みを浮かべ、ネコ、ダイゴとともに揺らめく熱気を払って近付いてくる。

 

 

「ハッ、こんな辺境くんだりまでご苦労なこった。……だが、俺の目的にはちょうどいい。誰の邪魔も入らねェからな」

「……何を言ってるんですか」

「なァに……ちょっと、おまえらに用事があってね」

 

 

 やはり、何かを企てているようだ。

 こうしている間にも、失踪した都庁の人々は危機にさらされているかもしれない。

 正直、付き合っている暇はないと突っぱねてやりたかったが、彼らの姿を見た瞬間首をもたげた数々の疑問が、その言葉を引き止めた。

 

 臨戦態勢は崩さない。しかしタケハヤたちはやる気があるのかないのか、肩の力を抜いたまま、なんてことはないと口を開く。

 

 

「そう、おまえらをこれから……ちょっと『テスト』してやろうと思ってな」

「は、テスト?」

「おまえらがアイテルの探してる相手なのか、確かめておきたいんだよ」

 

「……」

 

 

 2人で一瞬だけ目を合わせ、すぐタケハヤに戻す。

 相変わらず、核心を直接伝えてくれない男だ。テストとはなんだ、まさかクイズでも出すわけではないだろうに。

 シキが棘たっぷりの声音で言い返す。

 

 

「テスト『してやろう』なんてずいぶん上から目線ね。ていうか、こっちが素直に従うとでも思ってんの?」

「……ハァ? おまえが従うとか、どうでもいいんだよ。おまえたちがどう思おうが、俺たちは勝手にやるだけだからな」

「こいっつ――」

 

 

 傍若無人なレスポンスにシキのこめかみに青筋が浮かぶ。

 踏み出そうとした少女の肩に手を添えて落ち着かせる。ミナトは彼女同様煮えそうになる胸を抑えてタケハヤと向き合った。

 

 

「私たちはやらなきゃいけないことがあるんです。時間があるときならまだしも……こんなときにそんな勝手なテストは受けられません」

「はぁ……いつだって拍子抜けする奴らだよ。じゃ、わかりやすく言おうか?」

「最初からそうしてくれると助かるんですけど」

 

 

 暑さで苛立っていることもあってかミナトも言葉に棘を含ませ、回りくどいやり口はやめろと伝える。シキには負けるがつっけんどんに言ってみれば、今度はネコが進み出ようとした。向こうも向こうで野良猫のように険しい目つきで睨み返してくる。

 ダイゴが彼女を抑え、タケハヤは「言うようになったじゃねェか」と笑った。

 

 

「おまえらは、この工場の帝竜を倒しにきたんだろ? だが俺たちは……それを邪魔するかもな、ってことだ」

 

「……はあ!!?」

 

 

 シキ、ミナト、ミロクの声が重なって工場内に反響した。

 

 

「別に竜の味方をしたいわけじゃあねェ。単なるテストさ、命がけのな。お互い、帝竜のもとに無事に辿り着けるか……そんな単純なテストだ」

「ふざっけんな! 相っ変わらずヘラヘラヘラヘラ意味不明で勝手なことを……! なんであんたたちに振り回されなきゃいけないわけ!?」

「あ、シキちゃ……シキちゃん抑えて! 私も1発かましたいけど抑えて! ここで暴れたら帝竜までもたないよ!」

「なんで抑えなきゃいけないのよ!! そこの溶岩に放り込んでやる!!」

 

「はっ。そうそう、その意気だ。俺たちもここから同時にスタートする。だから、汚ぇワナなんぞは仕掛けてねえぜ?」

 

 

 暴れ牛のロデオのようにくんずほぐれつ踊る2人を笑い、タケハヤ、ネコ、ダイゴは装置を挟むように2人の隣に並んだ。

 

 

「言っとくが、遊びじゃねぇ。本気でかからねーと、おまえらは死ぬ。……そういうことだ」

 

「……始めるか」

「そだね! それじゃ、よおーい……」

 

 

 ネコがくわえていたキャンディを噛み潰し、棒を高く放った。

 白い棒は回転し、足場となっている鉄網の隙間を抜けてマグマの川に落ちていく。

 

 ネコが一瞬こちらに顔を向け……可愛らしく、しかし挑発的に舌を出す。

 

 13班・ナビの頭の中の糸が切れるのと、棒がジュッ、と燃え尽きるのは同時だった。

 

 

「ドン!!」

 

 

 SKYの3人は疾走し、分かれた道の左側に入っていく。

 

 仲間たちが失踪し、灼熱のダンジョンで汗だくになり、こんなところまで妨害されて喧嘩を売られ。

 暑さに揺らぐ空気の中で、シキとミナトは髪を振り乱して歯噛みした。

 

 

『一体、何が目的だ……!?』

「知るか!」

「なんなのあの人たち!」

『と、とにかく、あいつらより先に、帝竜のところへ――……!? 近くにドラゴン反応あり! 注意しろ!』

「はあ!!?」

 

 

 再び怒りを帯びた声が重なる。同時にシキとミナトのすぐ傍にある装置が光をまとって明滅した。

 赤い本体の表面が盛り上がり、熱によって液状になった金属が宙に浮かんだ。金属は細く長く形を整え、その先端が見慣れた顎を形作る。

 

 銀色の体に生を受けたマシーナルドラグは、産声とともに目の前にいた2人に炎のブレスを吐き出した。

 

 

「っ、この!」

 

 

 固まるミナトを抱え横っ飛びに回避し、シキが突っ込む。

 前進の勢いを活かしたアッパーが下顎に入り、相手の細長い機体が縦線を描いて浮き上がった。

 あとは言われずともわかっていた。炎を使う相手には氷が効く。

 クロウにマナを溜めてとにかく撃ち出す。高温をまとう体に何度も冷気が叩き付けられ、マシーナルドラグは体にヒビを走らせて凍り付いた。

 

 

『この装置……もしかして、ドラゴン製造機なのか……?』

「くそ、出遅れた!」

 

 

 苛立ちか念押しか、シキの正拳突きが氷の彫像となったドラゴンを粉々に打ち砕く。

 マシーナルドラグの残骸からDzを回収し、ついでにドラゴンを生み出したと思われる装置をスクラップになるまで破壊して、シキとミナトは遅れてスタートを切った。

 

 

「あんた、火は平気なの!?」

「全然平気じゃないです! でも距離があるならなんとか……うっ、吐き気が……!」

『このダンジョン、マモノも火を使うみたいだ。気を付けろよ!』

 

 

 マグマが固まったようなスライムに、小さな火山を背負う亀。工場を囲む砂漠もそうだったが、国分寺はとことん熱・炎推しらしい。

 未だ火が苦手な身としてはふざけろの一言に尽きる。これはあれか、「どうしたって怖いなら荒療治しろ」という神の思し召しなのだろうか。

 

 ロア=ア=ルア戦のときに、火が怖いなら後でいいとミロクに言われたのを思い出す。

 これ以上火と触れ合う機会はないだろう。もしかしたら、今回がそのときなのかもしれない。

 

 

「……」

 

 

 走りながら指先を見つめる。

 今回身に着けているクロウは、今までのようなネイルチップとは違う。指の付け根をバンドで固定し、第一関節から先までを金属の本体が覆うような、いかにも獣の爪といった感じの武器だ。

 これなら近接戦で攻撃することもできるとケイマが言っていたが、デストロイヤーと同じ間合いで立ち回れる自信はない。おまけに指先での作業がしにくい。

 

 

(……なんか、トン○リコーンを被せてるみたいなんだよなぁ……)

 

 

 見た目からしても個人的にはネイルタイプのほうが好みだ。

 出発前の訓練で扱いには慣れたし、国分寺攻略はこのクロウで試してみるが、果たして。

 

 いずれにせよ、今いるダンジョンの環境はチャンスだ。ここで自分にとって最大のハードルを越えるしかない。

 

 絶え間なく流れる汗を拭いながら走り続けていると、キリノから通信が入った。

 

 

『13班、聞こえるか? ミロクから報告があったらしいが、SKYが接触してきたらしいな』

 

「ご存知の通りよ。おまけにテストだなんだ言って帝竜討伐の邪魔ときたし!」

 

『こんなときになんだって厄介なことを……ま、愚痴っても仕方ない。すまないが、そのテストとやらに付き合って彼らの動向を探ってくれないか? この時期に妙な行動を起こしているのは、今回の失踪事件について……何か関係があるのかもしれない』

 

 

 彼らに振り回されるのはごめんだが、無視することもできない。

 これはもう徹底的にSKYの目的と、彼らが自分たちになにを求めているのかを追求するしかない。帝竜討伐を第一に据えて、タケハヤたちの追跡を行おうと指針を固める。

 

 

『あと、こっちの報告ですが……帝竜反応が途絶えてしまったので、一旦追跡を断念します。もう少しだけ港区の周辺を探索してみて、その後、都庁に戻ります!』

 

 

 キリノ側の進捗も芳しくないようだ。アオイが申し訳なさそうに報告を続けた。

 

 

『あっ、そうそう! 途中で見つけた問屋さんの倉庫で、お菓子を大量にゲットしました~! 都庁のみんなが戻ってきたら、パーティーしましょうね!』

「おっ、お菓子パーティーか。いいね! ……アイスは……ないよね」

『あー、アイスはないですね。アイスお好きなんですか?』

「好きなのもあるけど、こっちすごく暑くてさ……」

 

「お喋りしてる場合じゃない。進むわよ!」

『倒れないように気を付けて。それじゃ、お互い頑張ろう!』

 

 

 通信が切れる。

 続いて、2人の視界にダンジョンの構造を1フロアごとに分解した図が浮かび上がった。最上階の部屋が赤く明滅し、帝竜のマークが表示される。

 

 

『おい、13班。工場頂上部で帝竜反応を確認した』

「上を目指せばいいのね? ……誰かさんたちが邪魔しなければ、スムーズに行けるはず」

『うん、SKYがどんな妨害をしてくるかわからない……あいつらより先に、上を目指そう!』

 

 

 前方十数メートル先、大きな扉にミロクが矢印をつけた。

 

 

『そこのエレベーターを使って、上に――』

 

「おっ! エレベーター発見~♪」

 

「あ!?」

 

 

 エレベーターの扉が開くのと同時に、視界に黒と青で服装を統一した3人が走り込んでくる。

 タケハヤがこちらを振り返って、誘うように笑った。

 

 

「13班、モタモタしてるとおいてっちまうぜ……?」

 

『まずい、行っちゃうぞ! アイツらのあとを追うんだ!』

 

 

 汗を散らして走り出す。扉が閉まる寸前、シキとミナトは無理矢理体を割り込ませて転がり込んだ。

 



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  炎熱の向こうに②

続きになります。平和な世界だったらもっと違った場所で気兼ねなくタケハヤさんと恋バナできたんだろうか……。



 

 

 

 エレベーターは上昇を始め、壁が上から下へと滑っていく。

 円形の部屋の端と端。息を切らせて汗を流す13班とは反対に、SKYの余裕そうな佇まいが余計に神経を逆なでした。

 

 

「……なんだ? 物言いたげな顔しやがって」

「別に話すことなんてない」

 

 

 不機嫌を隠そうとしないシキにタケハヤが片眉を上げてくっくと笑った。

 

 

「……下手なウソだな。聞きたいことが、山ほどあるって顔に書いてあるぜ」

「書いてない!」

 

 

 ふんっ、とシキはそっぽを向く。タケハヤたちには見えないが、ミナトがそっと伺うとシキは悔しそうに歯軋りをしている。タケハヤの指摘は図星だったみたいだ。意地が勝って反射的に拒否反応を示す彼女は、視線を後ろに向けようとしては戻すのを繰り返している。

 鬱憤がたまっているのは同じだが、キリノには彼らの動向を探るように言われているし、その指示がなくても気になることがある。シキがこの状態だと自分が話すしかない。

 

 自分たちにゼロ℃ボディをかけ直しながらタケハヤたちのほうを向いた。

 

 

「あの……このテスト、何の意味があるんですか?」

「さァ……その質問に答える前に、逆に尋ねよう。……シバ、つったか。おまえはなんで戦ってる?」

「え、『なんで』? なんでって……成り行き上というか……」

「はははははッ! そう言い切っちまうなら世話ねェや」

「な、なんで笑うんですか?」

「いや、なるほどな……よくわかるぜ。上手くコトが運んだもんだ」

 

 

 なにがおかしいのかわからない。戦わなければ死ぬじゃないか。

 生きるか死ぬかどちらか選べと言われたらもちろん生を取る。そのためにはドラゴンと戦わなければいけなくて、自分には戦う力があって、だから戦うしかなかった。腰を上げるまでにかなりの時間を要したが。

 今はそれだけじゃない。自分が戦うことは、わずかながらも誰かの助けになっている。誰だって殺されるのは嫌なはずだ。

 

 自分を守るため、そして誰かを守るため。

 

 たどたどしくそれを口にすると、タケハヤは「なるほど、ご立派だ」と頷いた。

 

 

「だが、なぜ守る必要がある? 大多数の人類なんてのは、おまえらには何の関係もないだろ?」

「それは、……」

「おいおい! 今まで……何の疑問もなく、こき使われてきたってか? ったく……気の毒になるくらいバカ正直なヤツだぜ、おまえはよ……」

 

「気の毒……っ?」

 

 

 哀れむようなタケハヤの眼差しに、頭の中で再び糸が切れる音がした。

 

 戦うのは命を張る仕事だ。帝竜戦ではいつも死の淵ギリギリだった。戦車も通用しないドラゴン相手に自ら挑むなんて、相応の安全の保障やメリットがなければやっていけないという気持ちが……わずかにある。

 

 けれど、家族でも友だちでなくても、目の前で誰かが殺されるなんて嫌だ。この気持ちは本物だ。

「助ける」という選択を否定されたくない。今ばかりは、自分が言い負かされるのは絶対に許されない。

 

 

「関係ないからって……それこそ関係ないです!!」

 

 

 円筒の空間に声が木霊する。

 目の前の3人が一瞬固まり、シキが驚いたようにこちらを向いた。

 

 

「誰かを見殺しにするより、一緒に生き残るほうがいい! あたりまえのことでしょう!? 目の前で人が無残に殺されるのを見て喜ぶ人間なんていますか? ……いたとしても、私は嫌です!」

 

 

 自分が13班としてここまで来れたのは、決してS級の力を持っていたからではない。

 ムラクモ試験で、逆サ都庁で、池袋で、四ツ谷で。パートナーを始め、自分の前に立っていた人、肩を並べた人、背中を守ってくれた人たちがいた。

 アオイにキリノ、ナツメにナビたち。ナガレ夫人に都庁の人々。

 ウォークライと戦い抜いたナガレを、電磁砲にためらいなく飛び込んだガトウの背中を、自分は絶対に忘れない。

 

 

「私たちは今までたくさんの人に助けてもらってきた! その分この力でドラゴンを倒すことが、私がその人たちのためにできることです! 池袋の攻略のときに……みんなで生き残るって決めたんだから!」

 

 

 ら、ら、ら、と語尾が反響する。

 気温に興奮が相まって体が火照る。リアクションがなく静まり返るものだから、なんだか恥ずかしくなってきた。真っ赤になっているだろう自分の顔を両手で仰ぐ。

 エレベーターの中、再びタケハヤの笑い声が響いた。

 

 

「ははははッ! たいしたヤツだよ、おまえは。こんな状況で、それでも人間を……信じるってか。……さすがだよ、俺にゃ真似できそうもない」

 

「……そっちになにがあったか知らないけど」

 

 

 ずっと黙っていたシキが眉間にしわを寄せて振り向く。頭が冷えたのか、彼女の声はさっきよりも落ち着いていた。

 

 

「話すり替えないで。次はあんたの番よ」

「ああ……悪い悪い。俺がなんでこんなことしてるのか、だっけ?」

 

 

「ま、一言でいや、惚れた女のためだな」

 

 

 さらっと相手の口から流れ出た答えに、シキとミナトは首を傾げた。

 

 こいつ今、なんて言った?

 

 

「惚れ、ほ……?」

「すみません、よくわからなかったのでもう1回……」

「2度は言わねえよ。聞こえてただろ?」

 

 

 頭の中がミキサーのようにかき混ぜられる。

 

 惚れた女のため。好きな女性のため。

 つまるところラブアンドピース。いや、ピースはいらない。

 

 

「……」

 

 

「愛」の1文字が頭に浮かび、ミナトはゆっくりと片腕を上げ、手のひらで顔を覆った。

 

 

「シキちゃん。パス」

「は? あんた顔真っ赤……ってちょっと押さないでよ! なに隠れようとしてんの!?」

「だだだだって、だって! 敵対してた人たちと散々衝突した末にいきなり恋バナが始まるなんて想像してなかったんだもん! なんかいたたまれない! パス!」

「知るか! 寄りかかるな! 背中に隠れようとするな!!」

 

「……タケハヤ、あいつら凍らせてもいい?」

「やめとけ」

 

 

 取っ組み合いの末にじゃんけんを始める13班に飛びかかっていきそうなネコをたしなめ、タケハヤは呆れ半分、面白さ半分の笑みを浮かべる。

 グーとチョキで負けたミナトが、水分補給をして汗を拭い、咳払いをして呼吸を落ち着けながらSKYに向き直った。

 

 

(惚れた女? タケハヤさんが? えーっとえーっと)

 

 

 タケハヤの周りにいた女性、彼が知っている女性を、知る限り思い返してみる。

 騒がしくなる脳内会議につられて左右する視界に、真っ先に飛び込んだのはネコだった。

 

 

「惚れた女って……もしかして、ネコ……さん? のこと?」

 

「はにゃぁあああっ!?」

 

 

 ネコが叫んだ。顔を真っ赤にして両腕を振り回すように跳び上る。

 

 

「ち、ちちちがうよね、タケハヤ!?」

「くはははっ……いや、まァそういうことにしといてもいいけどな」

 

(……この反応は、)

 

 

 笑うタケハヤに赤くなったままのネコが「からかわないでよ!」と拳を当てる。

 いきなり指摘されたとはいえ大げさすぎる彼女の反応に、以前キリノに対して抱いた邪な思考が目を覚ました。

 

 

「へえ、違うんですか……? 違うんだ……?」

「違う違う違う! アンタなにニヤニヤしてんの!?」

「してないですよ。で、違うんですよね?」

「にゃああーっ!! タケハヤ、こいつぶっ飛ばしていいよねえ!?」

「あとでな、あとで」

 

 

 フードに付いている猫耳の間をタケハヤがぼふぼふ撫でる。ネコは喜怒哀楽がない交ぜになったようにふにゃふにゃと表情を崩して俯いてしまった。

 

 しかし身近にいる彼女ではないとなると、一体誰がタケハヤの想い人なのだろう。

 あ、もしや。

 

 

「まさか……ナツメさん!?」

「そうそう、俺っていわゆるツンデレってヤツだから――って、おまえ……ここで死ぬか……?」

「嘘です違いますよねすみませんでした」

 

 

 腰に下げている剣を抜こうとするタケハヤに全力で頭を下げる。彼のノリが意外にいいことと、ツンデレというレベルではないほどにナツメを嫌悪していることが明らかになった。

 

 誰だ。目の前のニヒルな二枚目の心を射止めた女性というのはいったい誰だ。

 なぜだかわからないが正解を当てなければいけないという焦燥に汗が流れる。だが、自分が知っている中でタケハヤと接点のある女性なんてこのぐらいしか思いつかない。

 

 首を傾げて数秒うなったところで、青い髪が脳裏をよぎった。

 

 

「あ」

「今度は誰だよ」

「……アイテル、さん?」

 

「……ま、そういうことだな」

 

 

 タケハヤの笑みがほんのわずかに柔らかくなった……ような、気がする。

 

 

「人類のために命張るつもりなんてさらさらねェけどよ。アイツのためなら、死んでみるのも悪くねぇ……俺にとっちゃ、アイテルはそういう存在だ」

 

 

 命をかけられるほど愛おしい相手だなんて言葉、簡単に口にできない。

 タケハヤは躊躇なく言ってみせた。嘘の欠片など微塵もない。本気であの青い髪の女性を愛しているのだろう。

 静かな情熱を覗かせる彼の一面、聞いているこっちが恥ずかしくなってくる。

 

 

「……おまえらにはいねェのか? そういう相手が」

「え!? いや、私は……、…………彼氏いない歴=年齢なので……」

「そんなものいらない」

 

 

 しどろもどろで密かな劣等感をさらすミナトと言い切ってみせるシキに、タケハヤは適当に相づちを打ち、にやりと笑ってみせた。

 

 

「その点じゃ、俺はおまえらより幸せ者かもな……命かけられるような相手がいるんだからよ」

「……アイテルさんは、恋人なんですか?」

「ハッ、恋人ねぇ……そう言われたら、そういうもんなのかもしれねェな。……ただ、残念ながら片思いさ。アイツはもっとデッカいんだ……俺なんかアイツの生きてる世界じゃ、小石みたいなモンかもしれねぇ」

 

 

 あれだけ語っていたのに、タケハヤの想いは一方通行らしい。

 かわいそうというか、報われない気がする。しかし当の本人はそれを気にしている様子はない。

 そんな彼の、真っ直ぐな線を描く眉と眉が、わずかに寄せられて険しくなった。

 

 

「そんな女がさ……苦しんでるのを知っちまった」

 

「苦しんでる……?」

「『星を守る』だかなんだかしらねぇが、アイツは、そのためだけに生きてるんだ……長い間、独りぼっちでよ。気が遠くなるくらいの時間、『狩る者』ってのを探し続けてる」

 

 

「狩る者」。

 

 まただ、とシキと顔を見合わせる。

 SKYへの疑問の1つだった言葉。そのまま意味を考えればドラゴンを倒す人間のことだろう。しかし、それなら他のムラクモもSKYも該当する。

 タケハヤたちの言う「狩る者」は、もっと重く、限られた意味を持っているんだろうか。

 

 

「その狩る者っていうのは……タケハヤさんたちのことなんですか?」

「……うまくいかねェもんでな、ニセモノの俺の力じゃ『狩る者』には、なれねェんだとさ」

「じゃあ誰よ、私たちのこと?」

「はっ、言うねぇ……! じゃあその力、俺に見せてくれよ。おまえらがアイツを救える存在なのか……それを見極めなきゃ、俺は死にきれねェ」

 

「だから、1人で話を進めないでちゃんと説明を……」

 

 

 シキの抗議はエレベーターの停止と、その大きな音によって遮られてしまう。

 開いた扉からさっさと外に出て、意識を切り替えるようにタケハヤはごきりと首を鳴らした。

 

 

「さてと……オシャベリはここまでだ。ここからが本番だぜ。ネコ、ダイゴ、いくぞ!」

 

「あ、ちょっと待て! っ、もうっ!」

 

 

 待たずに駆けていくSKYを追って走り出す。

 SKYの目的と自分たちに接触してくる理由は判明したが、彼らの答えはさらなる疑問を呼んだ。

「狩る者」の意味。その称号と青い髪の女性、アイテルの関係。わからないことはまだ多い。

 シキもエレベーターの中の問答だけでは納得できていないらしい。つくづく自分たちを振り回すことに長けているSKYに苛立ちを浮かべ、開いている通路に飛び込んで階段を駆け上がる。

 

 

『階段を上がったところにドラゴン反応が複数。……見たことがないヤツもいるな。できるだけ分析しておくから、状態異常対策のアクセサリーの装備はしっかりな! あと水分補給も!』

 

 

 ミロクの注意喚起に2人は一旦立ち止まってボトルを取り出した。スポーツドリンクをあおりながら工場内を見回す。

 

 

「あ、タケハヤさん!」

「は、どこ!?」

 

 

 ぶんぶん回り出すシキの頭がミナトの指先に従って固定される。

 階下左方、マグマの上を通る道で青い布がはためいた。

 

 

「ジャマだっつってんだろーがよォ!」

 

 

 雄々しい声とともに黄金の剣が抜刀される。

 タケハヤに襲いかかろうとしていたドラゴンは牙を剥く間もなく両断された。音を聞きつけ続々と群がる敵を彼は豪快に薙ぎ払って進んでいく。

 戦う姿を見るのは初めてだが、間違いない。タケハヤもネコ・ダイゴと同じように異能力者だ。そして、あの2人よりも遥かに強い。

 

 

「すごい、援護もなしに1人で…!」

『なんだアイツ……どう見てもS級に匹敵する能力だ……! デカい口叩くだけのことはあるな。クソ……こっちも急ぐぞ!』

 

 

 ミロクに促され、自分たちの行く先を見上げる。

 赤く染まった空気の向こうに大小様々な影が見える。階段を上った先はドラゴンとマモノだらけだ。

 熱気のせいか火のせいか、霞がかかりつつある視界に喝を入れ、ミナトは顔に張り付く髪を払う。

 

 

(大丈夫、まだいける。そもそも、帝竜のところに着いてもいない)

「……克服しなきゃ!」

 

 

 覚悟を決めて新しいフロアに踏み込む。

 ドラゴン戦の邪魔にならないよう先にマモノを倒し始めたとき、敵とは違う生体反応がレーダーに飛び込んできた。

 

 

『おい、13班。誰か来るぞ! ……って、ネコ?』

 

 

「……っとっとっと~♪」

 

 

 ネコがパーカーの裾を踊らせて行く手に乱入してくる。

 彼女は背後から追ってくるドラゴンをちらりと一瞥し、身を翻らせて足を止めた。

 

 

「アタシ、追いかけられてるのよね~♪ ちょっと、助けてくんない?」

「はあ!? まっぴらごめんよ!」

「そんなこと、言わないでさぁ……か弱い乙女のピンチ、助けてちょうだいよぉ」

『なにが、か弱いだよ! 竜をここまで、おびきよせてくるなんて……』

「それ以前にか弱い乙女はこんなところに来ないと思います!」

 

 

 その気になれば退けるのも逃げ切るのも容易いだろうに、ネコはフードの猫耳を揺らしながら、迫ってくるドラゴンに怯える仕草をする。13班のツッコミを右から左へ聞き流し、だめ押しというように目を潤ませてみせた。

 

 

「にゃーっ! ドラゴンがこっち来るぅ~!」

 

『くそ、仕方ない……! やるぞ、13班!』

「Dz、Dzが取れると思えば……!」

「こいつ、後でぶっ飛ばす……!!」

 

 

 シキが迎撃の構えを取ってドラゴンを挑発する。

 渋谷で見たケミカルドラグの亜種、マテリアルドラグは張り合うようにこちらに狙いを変えた。

 

 

『体内に熱を溜めてる……こいつもブレス使ってくるみたいだ!』

「ミナト、あんた後ろに下がって! 速攻でいくわよ!」

「りょ、了解!」

 

 縦一列になるようシキの後ろに飛び込んだ瞬間、マテリアルドラグは炎のブレスを撒き散らした。

 

 

「その手はもう……くらうか!」

 

 

 シキがブレスを避けてカウンター、ミナトのフリーズ・プラズマジェイル・ゼロ℃ボディで追撃。国分寺を進む中で編み出した対ドラゴン戦法だ。

 

 ダンジョンの熱と炎にさらされ、今にも溶け出しそうな手すりと足場を氷で包みながら追い討ちをかけていく。

 連撃を浴びたマテリアルドラグは虚ろになりながらも、一矢報いようと緑色の息を吐き出した。

 

 

「シキちゃん!」

「いい!」

 

 

 殴るために距離を詰めていたためブレスは防ぎようがない。シキはそのまま毒霧に飛び込み、飛び出し、拳打を叩き込む。

 抱えていた球体を砕き、人間の鳩尾にあたる部分に拳が埋まり、マテリアルドラグは白目をむいて落下する。次いでシキも着地し、咳き込んで膝を着いた。

 

 

「シキちゃん、大丈夫!?」

「このぐらいっ、ポワゾル飲めば、問題ないっ」

「一応リカヴァもかけとくね」

 

「……ふ~ん? 結構やるんじゃん?」

 

 

 渋谷のときとは違いすっかり戦い慣れた様子を見て、ネコが「でもまだまだ先は長いよ?」と首を傾げて2人を茶化した。

 シキが解毒剤を一気に飲み干し、空になった瓶を投げたがもちろん避けられてしまう。

 

 

「そこ動くな! ぶっ飛ばすって言ったでしょうが!」

「にゃはははは! じゃ、ゴールで待ってるからね~!」

 

 

 ネコは名前の通り軽やかな身のこなしで下の道に飛び降りる。しっぽのようなアクセサリーを誘うように揺らしながら、彼女は先に駆けていった。

 

 

「くっそ……! ミロク! 近道とかないの!?」

『もう少し先に進むと下り道がある! そこを降りて隣のフロアに入って、エレベーターで上に上がってくれ!』

「シキちゃん、あんまり激しく動かないほうが……毒は大丈夫なの?」

「もう消えた!!」

「早い!!」

 

 

 雨にも負けずを体現するシキが駆け出し、その後に暑さだけでやられそうなミナトが続く。

 

 群がる敵に吐き出されるブレス。火傷や毒や石化を発生させる空気が立ちこめる中、薬を飲みつつドラゴンをちぎっては投げちぎっては投げていく2人の背を、タケハヤが遠目に見つめていた。

 

 

「ネコのイタズラくらいじゃ、びくともしねェか……ま、そうでなくちゃな。この分じゃ、ダイゴのほうもどうだかな……」

 

 

 この調子で突き進めば、おそらく帝竜もそう遠くはない。

 13班の姿がエレベーターに消えるのを確認し、タケハヤは上を目指して走り出した。

 



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  炎熱の向こうに③ *

3になります。挿絵あり。オーバーパースで描いてみました。タケハヤが俯瞰構図なのでシキもアオリか俯瞰にしたほうがよかったかな……。
武器も背景もよくわかりません。シキのナックルは心の目で見てね!!!(圧)



 

 

 

 ダンジョン、国分寺灼熱砂房の攻略。今回は四ツ谷の時よりも人員が少ない。ミロクのサポートがあるとはいえ、作戦に参加しているのは自分たち2人だけ。

 ただでさえ厳しい状況、環境で突き進んでいるから体力の消耗が激しい。おまけにSKYの邪魔が入ってくるときた。

 そしてここでも。

 

 

「……」

 

 

 上昇するエレベーターの中、シキとミナトは視線を落として口をわななかせていた。

 1階、また1階と上がるにつれ、2人が確認するレーダーの中にドラゴン反応が増えていく。

 

 赤い点が集まって大きな点になり、尚増えていくのを見て2人はレーダーの確認をやめた。

 

 

「……これ、どうしよう……」

「フロアに散らばってるならまだしも、こんな風に密集してるんじゃ1匹ずつおびき寄せるってのも難しそうね」

 

 

 かといって正面から突っ込むのは最もリスクが高い。最終目標の帝竜もそうだし、SKYとも戦う可能性もある。できれば体力も物資も温存しておきたい。

 ミロクから送られてきたフロアの地形とドラゴン反応を確認し、シキは仕方ないと提案した。

 

 

「私が正面から突っ込む。あんたは時間差で、ドラゴンに気付かれないように後ろ側に回り込んで氷連発。できるわね?」

「ちょ、ちょっと待って。それはシキちゃんが危なすぎるよ」

「炎のブレス数体分が来る可能性大よ。あんた動ける?」

 

 

 想像するように視線を上に向け、うっと息を詰まらせるミナトを見て、有無を言わさず作戦会議を終了させる。

 エレベーターが動きを止めて開いた瞬間、今まで以上の熱気が2人を出迎えた。

 

 

『おい、13班! なんだこの部屋……すごい数の竜が固まってる……!』

「あ、あつ、熱……!?」

 

 

 その場にいるだけで焼けてしまいそうな熱気にミナトがゼロ℃ボディをかけ直す。

 揺らめく視界の中、前方にドラゴンが隊列を成し、さらに奥には見覚えのある巨漢の影が揺らめいていた。

 

 

「見せてもらうぞ、おまえらの力」

 

 

 厳かとも思えるほど低く落ち着いた声。互いにフロアの端と端に立っているというのに、その言葉はしっかりと耳に届く。

 ダイゴはひしめくドラゴンたちに背を向け、上階に続く梯子を登っていった。

 

 

『くっ……またSKYの仕掛けか? まったく厄介な奴らだ……』

「いくわよ。準備できてる?」

「う、うん……!」

「ミロク、ドラゴンの位置情報の確認頼むわよ」

『ああ、任せろ!』

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「……どうだ、アイテル?」

 

 

 マシーナルドラグの群れが螺旋を描くように迎撃する。

 強引に火中に飛び込む少女と、静かにフロアを迂回してドラゴンたちの背後に回り込む女性を、ダイゴとアイテルは静かに観察していた。

 

 火が爆ぜる中で拳が振るわれ、氷塊が現れては溶けていく。

 赤い熱気と青い冷気が入り交じっていく中、アイテルはドラゴンを挟撃する2人に、ほんの少し目を見張った。

 

 

「あの子たちからは星のような力のきらめきを感じる……」

 

 

 渋谷で出会ったときから予感していた。その予感が、度重なる戦いの中で確信に変わった。

 

 幾星霜、追い求めていた光が2つ。自分たちの眼下に瞬いている。

 

 

「彼女たちは確かに『狩る者』――私が探し求め、竜との戦いに導かなくてはならない星の加護を受けた戦士」

「そうか……それがわかれば充分だ」

 

 

 ダイゴはアイテルの答えに頷き、今頃疾走しているであろうSKYのリーダーを思い浮かべ上を見上げる。

 

 

「……あとはタケハヤだな。あの男はどうしても、自らの手であいつらの力を計りたいはずだからな」

 

 

 アイテルが納得したところで終わりはしない。それ以外にも確かめたいことがある。

 はっきりさせなければ、気が済まないことがある。タケハヤはそう言っていた。

 

 ガシャン、と堅い物か砕ける音が響く。

 

 闘争は終わったらしい。再び見下ろせばドラゴンの骸が折り重なっていて、装備のあちこちを焦がした少女がくずおれるところだった。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「シキちゃん!」

 

 

 今日で何回名前を叫ばれただろう。

 マナを大量に消費してふらつきながら駆けてくるミナトの靴音を聞きながら、手からナックルを外して額を押さえた。

 水分補給はちゃんとしている。今の戦闘で負った火傷も傷も、メディスとオゾナール、ミナトの治癒魔法で治療している。

 

 それでも、調子は芳しくない。

 

 

(頭が痛い)

 

 

 国分寺に入り、砂漠でアイテルと会ったあたりから頭痛が止まらない。

 

 相変わらずだ。自分の過去を辿り、空白になった幼い頃の記憶を掘り起こそうとすればするほどひどくなる鈍痛。まるで、それ以上深く踏み入ることをはね除けるような。

 

 傷が治っても低迷している自分にミナトも異変を感じたらしい。背中をさする手でキュアをかけながら顔を覗き込んでくる。

 

 

「シキちゃん、ほんとに大丈夫……って、顔真っ青だよ!? ミロク、生体スキャンして!」

『もうしてる。……けど、バイタルは平常だ。貧血ってわけでもなさそうだし……おいシキ、大丈夫か?』

「問題ない。……時間が経てば、良くな――」

 

『センパーイ! やりました、見つけました!』

 

「あ゛あ゛あ゛シキちゃん!?」

 

 

 通信機から飛び込んできた大きな声が頭痛に上乗せされ、一瞬意識が遠のく。

 仰向けに傾く体をミナトに支えられながら耳を押さえた。

 

 アオイたちからの通信だ。なんだか久々に声を聞いた気がする。

「13班、こちらは現在港区の芝公園」とキリノが現在地を報告した。

 

 

『さきほど……多数の生命反応を感知した。この付近に都庁の市民がいると思われる』

「え、本当ですか!?」

『生命反応があるってことは、みんな無事ってことですよね! ふぅ……良かったぁ……』

 

 

 通信の向こう側のアオイと同時にミナトも胸をなでおろす。混乱の種はなんとか回収できそうだ。

 あとは自分たちが帝竜を倒し、SKYをどうにかすれば騒ぎは丸く収まるだろう。

 

 

『僕たちはこれから、都庁の市民やナツメさんの居場所を特定する作業に入る。君たちは引き続き、国分寺の帝竜を討伐することに集中してくれ』

「わかってる。私たちももう少しで目標到達よ」

『お手伝いできないのが残念ですけど……私の分までガツンとお見舞いしてやってくださいね!』

「うん。早く倒して、そっちに向かえるようにするね!」

 

 

 互いに声援を送りあって通信が終わる。

 

 弛緩していた体に力を入れ立ち上がる。依然続いている頭痛同様、ミナトも変わらず心配そうな表情を浮かべてこちらを見ていた。

 

 

「……ねえ、ちょっと休憩しよう。たぶんこの先にはSKYがいるし、傷とかマナはなんとかできても、体調が優れないんじゃやられちゃうよ」

「大丈夫だって言ってるでしょ。こうしてる間にもあいつらと帝竜が上でふんぞり返ってる。1秒だって早くぶっ飛ばさなきゃやってらんないわ」

「でも、足ふらふらじゃん。半分は負担を偏らせちゃってる私のせいなんだけど……暑いのは私がなんとかできるからさ、ちょっと横になろう」

 

「だから、大丈夫だって……!」

 

「だめ!」

 

 

 強く両肩をつかまれて動きを止められる。滲み出ていた脂汗が落ちて、ジュワッと蒸発した。

 ミナトの両手で頬を挟まれた。冷たい手のひらが心地よくて、無意識に目を閉じてしまう。

 

 

「目が霞んで体にあまり力が入ってないでしょ? 私も同じようなことがあったからわかるけど、このまま動き続けたら倒れちゃうよ」

 

 

 取り出したタオルで汗が拭われる。慣れているような手つきで顔と首回りを拭きながら、パートナーはもう一度休もうと言い聞かせてきた。

 

 

「どこか痛かったりする?」

「……頭」

「頭痛か……鎮痛剤あるけど、飲む? 眠くならないタイプだからここで飲んでも問題ないと思うけど」

「そんなものまで持ってきてんの?」

「け、怪我が痛むの嫌なんだもん……」

 

 

 自分を苛む頭痛はたぶん病気の類ではないので効果があるかは不明だが、気休めにはなるかもしれない。渡された錠剤を口に放り込んで水と一緒に飲み下す。

 ミナトは相変わらず自分の顔をじろじろと観察し、タオルを仰いで風を送っては汗を拭いていた。

 

 地下シェルターにいたときは自分のことだけで手一杯というように泣いていたのに。世話好きなのだろうか。

 

 

「あんたもよくやるわね。こんなに甲斐甲斐しく……」

「え、だってそりゃあ、友だちが辛そうにしてるのに気にしないわけには……」

 

「は?」

 

「え?」

 

 

 首を傾げるとミナトも首を傾げる。自分が何を言ったか自覚がないのだろうか。

 

 

「友だち?」

「え、友だち? うん。……え? ……え」

 

 

 沈黙が訪れる。

 ミナトの笑顔が固まり、真顔になり、ほんの少しずつ歪んでついにはものすごく不安そうに青ざめた。

 

 

「え、わ……私たち、友だち、だよ、ね?」

 

「……」

「……」

「……」

 

「何か言ってーっ!!」

「わ、わかった、わかったからっ」

 

 

 今にも泣き出しそうなミナトを宥め、シキは未だ痛む頭で考える。

「友だち」とは何だろう。

 国語辞典に載っているような定義は知っているが、それらしい間柄の人間はいないので、こうして考えることなど今まで一度もなかった。

 

 

(そういや私、こいつのこと深く考えたことなかった)

 

 

 深く考える必要などなかったのだ。チームを組みドラゴンと戦い、同じ部屋で過ごして、一緒に訓練をするようになって、一緒に食事をするようになって。

 

 そうして生活してきて、「そ、そっか、足手まといが『私たち友だちだよね』とかうざいだけか、ははは……」と渇いた笑いを浮かべている目の前の人間は、一般人上がりで根性がなく、だが変わらず自分の隣にいるということがわかった。

 ただそれだけ。

 

 

 ――私は志波 湊。ミナトでいいよ。よろしくね。

 ――や……っと、名前呼んでくれた!

 

 

「友だち」。

 

 目を閉じて、頭の中で繰り返してみる。

 まだよくわからない。が、

 

 

(こいつがずっと隣にいることは……悪いわけじゃ、ない)

 

 

 ならそれでいいんだろう。たぶん。

 

 

「そんなに友だちがいいなら、友だちでいいんじゃないの」

「え、いいの!? キモいとか思ってない!?」

「別に」

「そ……そっかぁ~! よかったー!」

 

 

 四ツ谷のときのようにミナトが笑う。

 表情筋が崩れただらしない笑み。でも嫌いじゃない笑み。

 

 

「……ほんと、緊張感ない奴」

 

 

 と言いつつ、気付けば口角が上がっていて。

 その3秒後、なにやら感動したらしいミナトに抱きつかれた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「んんん~~っ?」

 

 

 凍らせた柵に寄りかかって下を覗いていたネコが、不意に肩を怒らせて首をひねった。

 

 

「おいネコ、あいつら何してる?」

「なんか……よく聞こえないけど、地味なほうが小っちゃいほうに世話焼いてる」

「なんだそりゃ」

「体力を消耗しているように見えた。小休止しているんじゃないか」

 

 

 ネコとタケハヤに遅れ、13班にドラゴンをけしかけたダイゴが言う。

 ネコが柵から離れ、ステップを踏むように傍に戻ってきた。

 

 

「あと1回2回上にのぼるだけじゃん。根性ないったら!」

「あいつらは俺たちよりも多くの敵と戦っている。無理もないだろう」

「フォローしてどーすんの? これからあいつらと戦うってのにさ」

 

「……タケハヤ。体は、大丈夫なの?」

 

 

 寛容なダイゴにネコが頬を膨らませるのを尻目に、アイテルがタケハヤの隣に並んだ。タケハヤは大丈夫だと返す。

 大丈夫じゃなくともやることは変わらない。誰かに正しい指摘をされても、自分自身の目で、呼吸で、意思で確認しなければ納得できないことがある。

 

 

「やることやって、さっさとこのクソ暑いところから出たいもんだ」

「……あまり無理は……」

「心配すんな。おまえのほうこそ、巻き込まれないように下がってろよ。……そろそろあいつらが来る」

 

 

 人間の雄叫びにドラゴンの断末魔。戦いの音が少しずつ近く、大きくなって聞こえてくる。

 アイテルは「気を付けて」と小さく呟き、憂いを帯びた足取りで離れていく。

 

 ネコとダイゴを傍に呼ぶ。剣の柄に手をかけるのと同時に、待ちわびていた2人が梯子の昇降口から顔を出した。

 目が合った瞬間、少女がひと欠片の遠慮なく舌打ちした。思わず笑みが漏れる。

 

 

「やれやれ……待ちくたびれて、帰っちまおうかと思ったぜ」

「はいはい、寂しかったんでしょ? 待たせて悪かったわね」

「……ずいぶん余裕だな。その自信は、どっから来るんだか」

 

 

 いつもと様子が違う気がするのは気のせいだろうか。てっきり怒鳴りながら突撃してくるものと思っていたが、工場入口にいたときとは打って変わって落ち着いている。

 それならそれで好都合だ。ヒートアップしすぎて肝心なところでスタミナ切れなど、望んでいない。

 

 

「ま、なんにせよ、ここまで辿り着いたことは褒めてやるよ。ネコやダイゴから言わせりゃまぁ合格点……って話らしいが――俺はやっぱり、自分で確かめないと気がすまねェタチなんでな……」

 

 

 剣を抜く。抜き身になった自分の分身は熱を吸収し、工場内の揺らめく空気を金色に染めた。

 

 さすがに予想はできていたようで、13班は腰を落として構えを取る。

 

 

「テストやらはまだ終わってないって?」

「そう、これが最終試験ってワケだ……!」

 

 

 全て明らかにする。そのために、全てをぶつけよう。

 

 

(見てろ、アイテル。俺もこの目に焼き付ける)

 

 

 「狩る者」。愛する者の希望になりうる存在の力を。

 この2人が本当に、本物だったら。命を燃やす価値はある。

 

 

「3対2でも手は抜かねぇ。さぁ戦ろうぜ、13班!」

 

 

 

【挿絵表示】

 

 



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21.空を越えろ - VS タケハヤ・ダイゴ ・ネコ -

遅くなりました。SKYとの戦闘開始!

THE ORAL CIGARETTES様の『狂乱 Hey Kids!!』を聴きながら作業してました。
ノリが良くてかっこいい曲で、それぞれ因縁を抱えながら何度もぶつかり合って後に好敵手になっていくシチュに合うと思います。歌の一部もこのときの戦闘BGMに似て、スピード感と哀愁が入り混じっている感じがあって大好きです。



 

 

 

 ネコとダイゴだけなら勝つ自信はあるが、そこにSKYの真打ちとなるタケハヤが加われば話は別。確認しなくともこっちが不利だ。

 シキがタケハヤとダイゴを迎え撃ち、ミナトはネコと戦いつつできる限り援護をする。2対3の状況は考える余地もなくこの流れを生んだ。

 

 頭は変わらず悲鳴を上げている。しかし1対2では痛みを感じる余裕もない。

 

 止まることなく思考と反射を繰り返し、拳と剣を避け、防ぎ、叩き落とす。

 カウンターで撃ち出した正拳突きをかわすタケハヤは眼を爛々と光らせていた。

 

 

「はっ、成長期だな! 前より速くなってんじゃねーか!」

「べちゃくちゃうっさい! バカにしてんの!?」

「バカになんかしてねぇさ。だが……力のほうは敵わねえだろ?」

 

 

 鍔迫り合いの均衡が崩れる。タケハヤが身を引いたことで前のめりになったシキを影が覆う。ダイゴの太い腕だ。 

 

 

「っ──」

「危なーーーいっ!!」

 

 

 真横から頭上に大きな氷塊が飛んでくる。

 振り下ろそうとしていた腕を弾かれ、ダイゴの動きがほんの一瞬止まった。

 シキは隙を見てダイゴの腹を狙うが、こちらもタケハヤの剣が突き出されたことで脚を止められた。

 

 

「余所見とかずいぶんヨユーじゃん!」

「余裕じゃないわ手一杯だあー!」

 

 

 視界の隅では、ミナトが両手を振り回してネコと属性攻撃の応酬を繰り広げている。

 氷が瞬く間に溶ける異常な暑さと、休むことを許さない目まぐるしさに、彼女の口調も荒くなっていた。

 

 

「あのねーこっちは異界化に巻き込まれた人たちの救助も兼ねてダンジョン進んできたのー!! どこかの誰かさんが妨害工作したからいつもよりずっとハードだったのー!! これで余裕あるように見えてるんならあなた眼鏡かけてる意味ないよねええーっ!!」

「こっちだって好き好んでこんなあっついとこ来たわけじゃないっつーの!! 悪いのは全部ムラクモなんだからあーっ!!」

「だっからなにがあったかっていう肝心な部分を省いてイチャモンつけられたって対応に困るだけなんだってば!! 説明しないまま好き勝手言うわ妨害するわ振り回すわ妨害するわタゲってくるわ妨害するわいい加減にしてー!!」

「そんなに妨害してないでしょお!?」

「した!」

「してない!」

「したっ!!」

「してないっ!!」

 

 

 諸々の音が反響しあって非常にうるさい。これだけ騒いでいるのに上から帝竜が降りてこないのが不思議になってくる。

 もしかして、離れた場所に立ってこっちを観察するアイテルのように、帝竜も自分たちの戦いを見ているのだろうか。自分の元に辿り着くのはどちらか高みの見物を……、ああ、くそ。

 

 

「むかつく」

 

「あ?」

「むかつく!!」

 

 

 呟きをタケハヤに聞き取られ、怒りに任せて拳を振るう。ナックルと剣が衝突してギャリンと音を立てた。

 

 

「暑すぎるこんな場所も帝竜も! 自分勝手なことするあんたたちも! わけわかんないこの頭痛も!」

「頭痛だぁ?」

「ストレス溜まってんのよ!!」

 

 

 後ろに引き付け、半回転して繰り出した拳を受けてタケハヤが浮く。蹴り飛ばして開けた間にダイゴが割り込み、デストロイヤー同士の拳が衝突して空気を振るわせた。

 

 

「邪魔するなっつってんでしょ! 本当にドラゴンと一緒に討伐するわよ!」

「敵とみなしてくれて構わん。俺たちにとっても……ムラクモは敵だ」

「上等……ぶっ飛ばす!!」

 

 

 ダンジョンの熱に感化されるように少女の瞳に炎が燃え上がる。

 工場の攻略と2対1の戦闘で疲労が溜まっているはずだ。だというのにシキの拳は重さが増している。

 一方、サイキック同士の戦闘は佳境に入りつつあるようだ。ミナトが氷の連撃に雷を混ぜ、先にスタミナ切れを起こしたネコが押され始める。

 さらにミナトが隙を見て手を振れば、シキの体を新しい冷気の衣が包み込んだ。

 

 おいおい、とタケハヤは舌を巻く。いくらなんでも成長しすぎだろう。

 3対2。正直13班がどこまでもつかと考えていたが実は逆だ。劣勢なのは自分たちかもしれない。

 

 

(だったら……?)

 

 

 汗の飛沫が熱気に触れて蒸気となる中、タケハヤはシキではなくミナトに向かって駆け出した。

 予想と違い、シキは追いかけてこない。

 

 

「ミナト! そっち行った!」

「了解!」

 

 

 ミナトも冷静に目でタケハヤを捉えて薬を飲む。

 

 

「せいあぁっ!!」

「むっ……!?」

 

 

 気合い一声、シキがダイゴをタケハヤたちに寄せるように蹴り飛ばす。

「射程圏内!」と笑うミナトの指先に踊る紫電を見て、タケハヤは咄嗟にネコを背後に庇った。

 

 ミナトを中心に雷の波紋がほとばしる。以前目にした池袋の死闘、帝竜ジゴワットを彷彿とさせる放電がSKYの3人に襲いかかった。

 

 

「うげ、マジかよっ……!」

「あにゃにゃにゃにゃっ!?」

「ぐぬぅ……!!」

 

「つ、追撃ぃ……」

「言われなくても!」

 

 

 時間差でスタミナが切れたミナトが膝を折る。入れ替わりに跳躍したシキが容赦なく突っ込んだ。

 3人が散り散りに避ける。重い音を立て金属の地面をへこませたシキは再びタケハヤとダイゴに躍りかかった。

 

 

「タケハヤ、ダイゴ──」

「させるかーっ!!」

「にゃあ!?」

 

 

 仲間のカバーに入ろうとするネコにミナトが体当たりを喰らわせた。

 熱された地面に転がった2人は熱い熱いと跳び上がり、互いに涙目で睨み合う。

 

 

「もう何なのアンタ!? 超うざいんだけど!」

「ならさっさと降参してよ! そうすれば私たちは帝竜を倒して帰るし、そっちだってここから出られるでしょ!?」

「降参~!? 降参なんて誰がするかあっ!」

 

 

 ネコが腕を振り下ろす。が、指先から出た冷気は雀の涙程度で、すぐに蒸発した。

 理由は至極単純。長期戦で休むことなく魔法を使い続けたことによるマナ切れだ。

 

 

「にゃああー! ウソでしょーっ!?」

 

(チャンス!)

「よし、このサイキック勝負、私の勝ち──」

 

 

 だ! と言って伸ばされたミナトの指先。

 クロウから飛び出した冷気もまた、雀の涙だった。

 

 プシュウ、と気の抜ける音を立てて冷気が消える。

 

 

「え」

「……あっはっは! アンタだって同じじゃん!」

「う、うるさいな!」

 

「……」

 

 

 ミナトとネコはしばらくの間自分の手を見つめる。

 ミナトはヒップバッグに手を突っ込んでみる。メディス系は残っているが、マナを回復する薬は底を尽きていた。

 もちろん、ムラクモという異能力者に関する組織のバックアップがないネコも、マナ水を持っているはずがない。

 それぞれ仲間のサポートに回ることも考えたが、魔法の使えないサイキックが乱入したところで邪魔になるだけ。

 

 

「……あああもおおーっ!!!」

「んにゃあああああーっ!!!」

 

 

 苛立ちによる絶叫をあげ、超能力者2人はまさかの取っ組み合いを始めた。

 

 一方の白兵戦、シキが休まず連撃を仕掛け続け、無理矢理ねじ込んだジャブがタケハヤに当たる。

 大した手応えはない。しかし予想以上に効いたようで、タケハヤは胸部を押さえて咳き込んだ。

 

 

「っぐ……がは!」

「タケハヤ!」

 

 

 ダイゴのカウンターパンチに吹き飛ばされる。

 溶けかかっている靴底で着地しながら、シキは敵の大将の様子を見て眉をひそめた。

 何やら様子がおかしい。剣を支えに立ち上がろうとするタケハヤの顔は苦悶に歪んでいる。

 

 

(まさかあいつも)

 

 

 何か抱えているのかと疑問が浮かぶ。

 しかしじっくり考えている暇はない。なかなか崩れない相手の動きが鈍ったのなら、卑怯と思われようがそこを叩かなければ。

 当然相手も同じ考えに至るだろう。ダイゴがタケハヤを背後に立ちふさがる。

 

 シキの舌打ちと同時にタケハヤが顔を上げる。苦しみさえ楽しむような歪な笑顔だった。

 

 

「へっ……これ以上ちんたらしてらんねェな。──ネコ! ダイゴ! やるぞ!」

「ああ」

 

「ちょっと待って! ……あーもー、邪魔だっつの!」

「あ痛たっ!」

 

 

 拙い殴り合いを解き、ネコが体を縮めてミナトを蹴り飛ばす。

 

 

「待……、っ!?」

 

 

 タケハヤたちのもとに駆け出すネコにシキは追撃を仕掛けようとするが、しっかり踏みしめたはずの片脚ががくんと崩れる。

 膝頭に力が入らない。太腿が重い。

 

 さらに追い討ちをかけるように、鳴りを潜めていた頭痛が強くなってきた。

 

 

「くそ、こんなところで……っ!!」

「シキちゃん、大丈夫!?」

 

 

 事態を察知したミナトがシキに駆け寄る。

 立ち上がることができずに悶える少女を支える中、SKYは容赦なく準備を始めていた。

 遠慮はなしだと言うようにタケハヤがこっちを見て笑う。

 

 

「上げてこうか?」

「そう焦るな」

 

 

 ダイゴの体から闘気が立ち上り、タケハヤとネコに送られる。ネコが汗を流し、ふらつきながらもクロウにマナを溜め出した。

 

 

「張り切ってこー!」

「ネコ、少し落ち着け」

「わかってるもん!」

 

 

 ネコを台風の目にして、フロア全体を冷気がうねり、暴れ始める。

 マナが尽きて疲労困憊のはずなのに、どこにそんな力があるのか。灼熱から極寒に塗り替えられる空気が、目の前のサイキックに集まっていく。

 

 

(……まずい!)

 

 

 頭の中で警鐘が鳴らされる。

 SKYはここで勝負を決める気だ。S級の3人は今まで見た攻撃の中でも最高の決定打、全身全霊の一撃を放とうとしている。

 本能が思考を飛ばして、絶対に避けられないと結論を告げていた。

 

 

(どうする?)

 

 

 防ぐか。シキなら……、ダメだ、負担が大きすぎる。

 万全でない今の状態では、どんな一撃も耐え凌いできた彼女でも、今度こそ倒れてしまう。

 

 

(ならどうする!?)

 

 

 逃げるか。ダメだ。こんなところで引き下がるなんて、負けを認めるのと同義だ。

 

 

(どうする……どうする、どうすればいい!?)

 

 

 こんなところで諦めてたまるか。SKYを倒し、帝竜を倒し、都庁に帰るんだ。みんなと一緒に生きるんだ。

 ほんの少しでもいい。1%でもいいから、可能性の高い選択肢を。

 絶対的な相手の冷気を打ち破る何かを、何か──

 

 

『火に対してトラウマがあることはキリノから聞いたし、あんたが努力してるのは知ってるけど。もし、火しか効かない相手が出てきたらどうする?』

 

『ここで怯えてたらそれこそ何も変わらないだろ! やるしかないんだ!』

『火なんかどうでもいい! 怖いならそんなの後でいいじゃんか!』

 

『コラアアアアッ!!』

『戦うって決めたんなら何が相手でもやり通せ。中途半端な覚悟で臨んでんじゃねえ。パートナーを1人にするな!』

 

 

 ──ああ、なるほど。

 

 今が「そのとき」か。

 

 

「……シキちゃん、ちょっといい?」

「……?」

 

 

 頭痛に苛まれ、返事もできずに顔を上げるシキに、ミナトは顔を近付ける。

 耳に囁かれた簡潔な提案にパートナーの少女は目を見開く。次いで何かを言おうとして、言えずに口を引き結んだ。

 

 

「……わかった。それが一番、可能性がある」

「お願いね」

「そっちこそ、踏ん張りなさいよ。……任せたからね」

 

 

 シキがセーラーの赤いスカーフを解き、力を込めて渡してくる。

 

 

「作戦会議は終わりかぁっ!?」

 

 

 ネコの冷気がタケハヤの剣を包む。黄金の芯に薄青の刃をまとわせ、SKYの武器は太陽のように眩く煌めいていた。

 

 

「SKYを、舐めんなよぉ……」

「ネコ! ……いけ、タケハヤ!」

 

 

 限界に達して倒れるネコをダイゴが受け止め、タケハヤの背に檄を飛ばす。

「見てろ、アイテル!」と叫んでタケハヤが1歩踏み切った。

 

 同時にミナトも霜柱が立つ地面を蹴り上げて走り出す。シキの左腿からコンバットナイフを、自分のヒップバッグからDz回収用のナイフを抜いて。

 2本のナイフを重ねて逆手に持ち、シキのスカーフで手ごとキツく縛り上げて固定する。

 

 

(大丈夫……集中、集中)

 

 

 散々悩まされてきた。何度も克服しようとして、失敗して、何度も吐いた。

 トラウマがなんだ。マグマスライムにカザンガメ、マテリアルドラグにマシーナルドラグ。サラマンドラだって。熱も炎も、何度もこの身に浴びてきたじゃないか。

 今度こそ打ち勝ってやる。こんなところで止まるわけにはいかない。

 

 たとえ先に待ち受けている帝竜が、炎を扱うドラゴンだとしても。

 自分にトラウマを植え付けたウォークライが相手だとしても。

 

 

「ミナト、いけっ!!」

 

 

 自分の後ろには、世界一頼もしいパートナーがいる。

 

 

(シキちゃんがいてくれるなら!)

 

 

 ──負ける気はしない!

 

 

「来い!!」

 

 

 タケハヤと自分に向けて叫ぶ。

 なけなしのマナを振り絞る。腹の奥底でエネルギーが奔流を作り、体中を駆け巡って指先に殺到するのがわかった。

 

 クロウから溢れ出て両手ごとナイフを包むのは、青ではなく赤。

 今の今まで、恐怖の象徴だった炎。

 けれど、この瞬間は。

 

 

「くらえ! これが俺たちのッ!!」

 

「これが……私たちのっ!!」

 

 

 タケハヤが跳躍し、剣を振り下ろす。

 ミナトは頭上に迫る刃に合わせて腕を振り上げ、ナイフを衝突させた。

 

 ビキッ、とナイフに亀裂が走る。手首と指が嫌な音を立てて軋む。

 

 単騎でタケハヤを撃破できるなんて思っていない。ナイフを2本持ったのも、スカーフで手を固定したのも、炎もすべて、ただの抵抗だ。

 やることは1つ。

 

 

(この攻撃を……全力で、)

 

「っ~~~逸らす!!」

 

 

 ナイフの刃が欠け、ほんのわずかに頭上の剣が滑った。

 見逃さずに身をひねって腕を外側に振り切る。

 

 タケハヤの剣が斜めに逸れる。切っ先が頬をかすめて地面に叩き付けられた。

 

 長剣と打ち負けたナイフが割れる。冷気を受け止めて炎が消えていく。デコイミラーもゼロ℃ボディも断たれ、最後にクロウが砕け散る。

 剣戟の余波のみでミナトは吹き飛ばされ、

 

 

「今!!」

 

 

 声を重ねて入れ替わりにシキが飛び出した。

 

 

『向こうのサイキックはもうマナ切れだから、あれだけ大きな技を使えばもう戦闘には参加できなくなるはず。それで残りの2人だけど……私が道を作るから。シキちゃんはいつも通り、ぶっ飛ばしちゃって!』

 

 

 作戦とは言いがたい単純な策。けれど確かに道は作られた。

 あとはいつも通り、ぶっ飛ばすだけ。

 

 技を放った本人にも相当な負荷がかかったのだろう、タケハヤは剣を振り下ろしたまま動けずにいる。

 懐に飛び込む。見開かれる彼の瞳に、汗を散らす自分の顔が映った。

 

 遠慮はなしだ。全て打ち込め!

 

 

「だっ……ああ!!」

 

 

 ジャブ、正拳突き、ダブルフック、前蹴り、膝蹴り。

 一打一打が限界を超えた力で放たれ、胸板に嵐を見舞われたタケハヤが息を止める。

 

 血混じりの唾液をわずかに吐きながらも彼は崩れず、剣を振り上げた。

 

 だが遅い。

 

 パートナーが死に物狂いで最大の一撃を凌ぎ、つかみ取った好機。逃がしてたまるか。

 

 

「歯ぁ食いしばれ!!」

 

 

 地面を砕かんばかりの跳躍。

 

 体全体で繰り出した回し蹴りがタケハヤの胴に埋まる。

 そのまま勢いを殺さず、目の前に迫っていたダイゴの鉄拳に右腕を撃ち出す。

 

 

 拳と拳が激突し、

 

 

「ぐ、」

 

 

 自分のナックルが割れ、

 

 

「あっ、」

 

 

 相手のグローブの鉄鋲が砕け、

 

 

「──あああああっ!!」

 

 

 血を噴く小さな素手が大きな拳をはね除け、ダイゴを殴り飛ばした。

 

 

「がはぁっ!」

「ぐあ……っ!!」

 

 

 剣士が沈み格闘家が崩れる。

 

 静寂が訪れた場で唯一、立っているのは少女だけ。

 

 

「……勝っ……、……っ──」

 

 

 勝った。

 

 シキは血にまみれた拳を握り、短く吠えた。

 



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  空を越えろ - VS タケハヤ・ダイゴ ・ネコ -②

続きになります。戦闘終了から帝竜のもとに行くまで。帝竜との戦闘は次回から。

冒頭に出てくる人たちは2020-IIに登場する彼らです。
  ↓
※ 2021/01/25 追記
この話と58ページ目「錯走する繁花街②」、60ページ目「あがけ地を駆る2本足  - VS スリーピーホロウ -②」の彼らの描写を一部修正しました。生存報告兼ねて活動報告でも詳細記載してます。



 

 

 どふぼすごすずどばんだだだっっっ、と鈍い殴打音が炸裂している。

 

 

「トニー! 今何時だと思ってんだ。早く寝ろよ」

「待ってくれ、興奮して眠れねえんだ! もう少し暴れさせてくれ!」

 

 

 サンドバッグを文字通りぼろ雑巾のようにしている仲間に呆れてため息をつく。

 

「色々音が聞こえてきて怖い」と涙声のクレームが寄せられ、リーダーに命令されてトレーニングルームを覗けば案の定だ。

 ある者たちはマシンガンで的を蜂の巣にし、ある者たちは炎や氷をまき散らし、部屋の中央にあるリングでは、数人がカンフー映画のように奇声を上げて格闘戦を繰り広げている。

 

 どいつもこいつも熱を入れすぎだ。明日、いや、もう今日か。今日はついに、国に巣食う最後の帝竜の討伐作戦だというのに。体力を消耗しすぎて動けなくなったらなど考えてもいない。

 

 

「……? いねぇな」

 

 

 闘志を燃え上がらせて暴れているメンバーを数えていくが、あと1人がいない。彼女も仲間たちのように血の気が多く、この騒ぎにじっとしていられるはずがないのだが。

 

 じっと目を凝らして探してみる。

 いた。トレーニングルームの外、窓のガラス越しに彼女の姿を捉える。

 彼女は剣を振っていた。インナーと同じ、お気に入りのビビッドピンクの刃が空を斬って鋭い音を連続させる。

 

 他の仲間とは違い息を切らして静かに斬撃を放ち続ける姿を見て、無意識にため息を吐いてしまっていた。

 呆れではなく感嘆だ。やはり、素質は頭1つ飛び抜けている。

 だからこそもったいない。本人が自身の力を自覚せず、ひたすら自分のあとをついてくるだけなのは惜しい。

 

 

「……おい! いつまで訓練してる気だ?」

「え?」

 

 

 声をかけると、彼女──妹は剣を振るのをやめる。

 そして自分を見て、ぱっと顔を輝かせて走り寄ってきた。

 幼い頃から変わらないなと思いながら、軽く手刀をくらわせる。

 

 

「睡眠はちゃんと取っとけ。いよいよ本番なんだぞ」

「わかってるよ。でもさ、あと1匹だって思うとウズウズしちゃって……! あーあ、もう最後か。思ってたより手応えなかったね。物足りない」

「こんな災害、早く終わらせるに越したことはないだろ。それに忘れるな。俺たちだけじゃなくて、軍のバックアップと、俺たちを信頼してくれたエメル女史の協力があってここまで来れたんだぞ」

「でも、ドラゴンを狩ったのはアタシたちでしょ? 普通の人間じゃできない。普通の軍人でもできない。他の誰でもないアタシたちが帝竜を倒してきたんだから」

 

 

 相変わらずの自信だ。それが妹の長所ではあるが、彼女の場合は若干周りを見下してしまうきらいがある。もう少し謙虚になってほしいのだが。

 まあ、上がってきている調子を削いでしまうのは気が引けるし、注意や説教諸々は、最後の帝竜を倒した後にしよう。

 

 そんなことを考えていると、「そういえば」と妹が汗を拭って首を傾げた。

 

 

「夕飯食べてるときに、エメル女史と大統領が日本と話してたんだよね。あっちはどうなってんの?」

「ああ、なんとかやってこれてるらしいぜ。リーダーたちに聞いたが、帝竜を3体倒したみたいだ」

 

「3体!? ()()? ()()()()?」

 

 

 あははと高い笑い声が上がる。声は案外大きく響いて、なんだなんだと仲間たちが窓際に寄ってきた。

「日本人って、ほんっとルーズ!」と語る妹の話を聞き、彼らも一様に笑い始める。

 

 

「言ってやるなよ。向こうが締まらないのはいつものことじゃないか!」

「そうそう、日本だけじゃない。どこの国を相手にしたって、世界で一番優れているのは俺たちステイツのソルジャーなんだから」

「帝竜を倒したら、日本に援軍として行くんだっけ? もうこの際、世界中のドラゴン倒して回って、世界中に恩売っちゃえばいいんじゃない?」

「むしろ、EUもダメだったのにまだ持ちこたえてるんだ。褒めてやろうぜ」

 

 

「……本当に遅いと思うか?」

 

 

 わざとらしく声を低くして呟いてみる。

 その一声に、全員の笑いがぴたりとおさまった。

 

 

「日本は、俺たちアメリカよりも戦力が少ない。ドラゴンに通じるのは近代兵器じゃない、俺たち異能力者の力だ。向こうの自衛隊は優れた戦力だが、こっちと同じで後方支援とマモノ退治が限界だろう」

「……向こうの異能力者は何人いるの?」

 

「メインとしてドラゴンと戦ってる異能力者は……たった2人だそうだ」

 

 

 全員から表情が消えた。

 誰かが「はあ?」と間抜けな声を上げる。

 

 

「しかもこの間は、ダンジョンの攻略から帝竜の討伐まで、その2人がやり遂げたらしい。どうだ、帝竜3体討伐は、遅いと思うか?」

 

「……何それ」

 

 

 妹の声から抑揚が消えた。ぐっと眉間にしわを寄せ、吊り気味のまなじりがさらに吊り上がる。相手を強く意識した証拠だ。

 

 

「そいつら、どんなヤツなの?」

「そこまでは知らねぇよ。大統領が、若い女の子2人組だとは言ってたけどな。どんなかわいこちゃんなんだろうなぁ」

 

「……」

 

 

 全員が沈黙した後、背を向けて部屋の中に戻っていく。

 数分前までの興奮は消えている。しかしその動きはさきほどよりも機敏で重く、さらに鋭くなっていた。

 

 日本からの報はいい火種になった。仲間たちは皆、日本人の異能力者を競争相手とみなしたみたいだ。かくいう自分もかなり気になっている。

 アメリカと日本は半日ほど時差がある。現在の時刻から考えると、向こうは昼と夕方の間あたりだろう。

 たった2人の異能力者は、今もドラゴンたちと戦っているのだろうか。

 

 それはそれとして。

 

 闘牛が地を殴るような足音を聞き取り、妹の首根っこをつかんで素早く部屋から退出する。

 暗闇に潜む自分たちには気付かず、眉間にグランドキャニオン級のしわを刻んだリーダーが通り過ぎる。彼は部屋の扉を破る勢いで開け放ち、大砲もかすむ声量で怒鳴った。

 

 

「おまえらあっ!! いつまで訓練続けてんだ、さっさと寝ろっ!!」

『イエッサー!!!』

 

 

 ヒートアップしていたメンバーへの一喝が深夜の空に轟く。

 あいつらはどこに行ったと自分たちの名前を呼ぶ声に、妹が肩をすくめる。

 

 

「あっぶなー……ほんっと、リーダーってばキレるとカバみたいに凶暴だよね」

「言ってやるな。俺たちをまとめて最前線に立ち続けてんだ。苦労してるんだよ」

「……」

「何だ?」

「いっそのこと、リーダーになっちゃえばいいのに」

「俺が?」

「絶対向いてるよ」

 

 

 何を言うのかと思えば藪から棒だ。ただの一隊員に過ぎない自分がリーダーとは。

 

 ……まあ、今のリーダーに不満はない、と言えば噓になるが。

 他とは少しだけ出自が違う自分たちに対し、リーダーは若干風当たりが強い。差別とまではいかないまでも、客観的に見れば頭が固い印象はある。

「子どもなんだよ」と妹が鬱憤を口にした。

 

 

「いい年してカッコ悪い。……あたしたちさ、ドラゴンとの戦いでかなり強くなったでしょ。みんなも認めてくれてる。この戦いが終わって落ち着いたら、決闘でもして、リーダーの座、もぎとってやろうよ!」

「おまえなー。そういうことは軽々しく口にするもんじゃないぞ。わざわざ手を振ってアピールしなくても、」

「『神様だけが知っていればいい』。でしょ?」

「わかってるならオーケーだ」

 

 

 部屋からはずいぶん距離を取ったのに、静まらない仲間たちの熱気とリーダーの怒声がまだ響いてくる。ついには戦闘音まで聞こえ始めた。

 危うく難を逃れた兄妹は笑いを嚙み殺し、あくびをひとつして寝床へ向かった。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「ミナト!」

「……うぐぅ……」

 

 

 場外ホームランと言っていい勢いでタケハヤにかっ飛ばされたミナトは、十数m以上離れたフロアの端で伸びていた。

 軽く叩いても起きないので、残り少ない飲み水でタオルを濡らし顔を拭く。

 何度か頬をつねったところで、パートナーはやっと目を覚ました。

 

 

「ぅん……あぇ……シキちゃん」

「終わった。私たちの勝ち」

「え……え!?」

 

 

 ミナトは不自然な動きで身を起こす。

 SKYの3人が倒れていることを確認し、数秒呆けて、がっと目を見開いた。

 

 

「や、やった……!! やっと終わったんだ、3度目の正直だあ!」

 

 

 渋谷、首都高、そしてここ国分寺。3回に至る真剣勝負を制したことにミナトは素直に喜ぶ。

 だがそれも束の間、笑みはすぐに歪みに変わり、両手を開いて見下ろした。

 タケハヤの一太刀によってクロウは破壊され、指を覆う物は何もない。熱気の中にさらされる手は、右の親指に人差し指に中指、左の小指と薬指が青紫に腫れ上がっていた。

 

 

「あちゃあ……骨折してないといいんだけど……」

「グロテスクね」

「まあ、指が全部くっついてるだけラッキーか。クロウが指先にはめるやつだったから、グリップガード代わりになってくれたみたい。ケイマさんにお礼を……あれ、シキちゃん、右腕どうしたの? 変に伸びてるけど」

「右肩外れた」

「脱臼!? って待った待った、無理矢理はめないほうがいいよ!」

 

 

 底をついた薬と体力、体の負傷。帝竜戦並みに消耗が激しい。

 改めて、2対3でよく勝てたなとミナトは思う。

 

 

「……合格……だな……さすが、ホンモノの『狩る者』ってか」

 

 

 現状を確認し、一度都庁に帰還したほうがいいかもしれないと話し合う2人の視界の端で、意識を取り戻したタケハヤたちが身じろいだ。

 

 

「どうだアイテル、見てたか?」

「……ええ、タケハヤ」

 

 

 SKYと13班の戦いを最初から最後まで見ていたアイテルが、ゆっくりと顔を歪めてタケハヤを助け起こす。

 

 

「ごめんなさい……あなたに、また無理をさせてしまった」

「いいんだよ……『ニセモノ』がホンモノを試すのが一番だからな」

 

「……一段落したことだし、いい加減詳しい事情を聞いてもいい?」

 

 

 ゼロ℃ボディが切れ、何の加護もないまま熱気の中で汗を流すシキが息を吐いた。

 

 

「あんたたちには吐いてもらいたいことが山ほどあるんだけど」

「あ? ああ……いいぜ。長話はできねえが、ちょっとだけなら付き合ってやるよ」

「じゃあ、あんたがさっき言ったのはどういうこと? 『ニセモノ』って、何の? あんたたちはこの勝負で何を試したのよ」

「ああ……俺たちは、おまえら狩る者の模造品なのさ。人工的に作られた力……ニセモノの天才戦士、なんてとこか」

 

『人工?』

 

「ミロク?」

 

 

 遠慮を知らず矢継ぎ早に出されるシキの質問に、タケハヤは肩をすくめて答える。

 彼の回答にいち早く反応したのは、ここにいる誰でもなく、通信機を通して会話を聞くミロクだった。

 

 

『人工的に作られた……天才……? それって……』

 

 

 シキの蹴りを喰らった鳩尾をさすって荒い息を整えるタケハヤに代わり、アイテルが口を開く。

 

 

「この星には、ごく稀に……星の意思を受け、飛び抜けた『力』を持つ戦士が生まれてくる。それは、この星に訪れる災厄──『竜』に対抗できる、『S級』の力を持つ戦士」

 

「力……? それって異能力……異能力者のこと?」

 

「ええ、そう。タケハヤたちとの戦いを見て確信した……あなたたちは、確かに……『竜を狩る者』」

 

 

 糸と糸が結ばれていくように、謎と謎がうっすらと明るみに出ていく。

 謎の名称「狩る者」。そしてアイテルとタケハヤたちが確認したかったこと。

 シキが面倒そうに頭をかき、手櫛を通して髪を払った。

 

 

「つまり、私たちはS級の力を持つ戦士で、その力で竜を狩る者ってこと?」

「……フン、そういうことだ。おまえらが、竜を狩れる特別な存在ならそれを自覚してほしいってな……アイテルの頼みで、それを伝えにきたのさ」

「それは……わざわざご苦労様。でも、」

 

 

 タケハヤたちの想いや苦労を一蹴するようなつもりではなく、ただ疑問に思っただけなのだろう。シキは「そんなの」と続ける。

 

 

「S級の異能力者なんてドラゴンが来る前にわかってたことだし、ドラゴンを狩るのは今まで当たり前にやってたことじゃない。……違う?」

「ああ、言われてみればそうだね。ただ、その行為の重みとか意味とか……もっとこう、心構えを問いたかったんじゃないかなぁ……。ほら、星の意思を受けるってアイテルさんも言ってたし」

「……? 要は自分の力を自覚して戦えってことでしょ?」

「えーと、何のために戦うのかとか、他のことも考えろみたいな?」

「自分のためじゃなくて他所のために戦えってこと? そんなの嫌なんだけど」

「いや、さすがにそこまでは……んんっ、自分で言っててわかんなくなってきた……!!」

 

 

 要領を得られず首を傾げる2人にタケハヤが苦笑いを浮かべる。別に何も難しいことは言っていないと告げ、彼は立ち上がった。

 

 

「俺たちと違って、おまえらはホンモノなんだ……だから、覚悟を決め──」

 

 

 不意に言葉が途切れたと思えば、目の前の青年は息を詰まらせ膝を折る。彼は胸を押さえて激しく咳き込んだ。

 

 

「がはっ……うぐぁああッ……」

「タケハヤ……!」

「……だ……大丈夫だ……」

 

 

 アイテルがか細い悲鳴を上げ、ネコがふらつきながら駆け寄る。

 体に添えられる手に応えながら上げられるタケハヤの顔は、見たこともない表情を浮かべていた。

 単純な形容詞では表せない。悔恨、怨嗟、痛み、懇願。数えきれず抱えることもできない激情が溢れて渦を巻いている。

 

 思わず硬直してしまう13班に、脂汗を流しながら歪んだ笑みが向けられる。

 

 

「ち……くしょう、くやしいったらねェぜ……あの狂ったババァにいじくりまわされて……押し付けられたのが、ニセモノの力だったなんてな……」

 

「ババァ、って……」

 

「……フン、気付いたか? 俺をこんな体にしたヤツの正体によ」

 

 

 タケハヤはじめSKYの人間が乱暴に言い表す人物、1人しか頭に浮かばない。

 

 そんな、まさか。

 

 

「……ナツメ?」

 

 

 シキがあっさりと自分たちのリーダーの名前を出す。

 

 

「……そういうことだ」

 

 

 タケハヤは頷き、荒れた呼吸を落ち着かせる。彼は仲間に支えられながらかすれた声でぽつりぽつりと語り出した。

 

 

「あの女の一族は昔から、ムラクモ機関ってS級の力を管理する組織の長だった。だがな、その長である自分がS級の力を持って産まれなかった……それが相当にお気に召さなかったらしい」

 

 

 ごつごつした手が自身の服をつかみ、めくる。

 汗をかいた肌に均整の取れた筋肉、脂肪が少ないため痩せているようにも見える体だが、目を引くのはそこじゃない。

 

 

「──っ!」

「……、」

 

 

 1本の縦線に数本の横線。その手術跡が何重にも刻まれた胴がさらされる。竜との戦いで傷を刻んだ自分たちとは違う。同じ生き物である……はずの、人間の手によって刻まれた傷だ。

 ミナトは息を呑み、シキの唇が固まる。

 そんな顔するなというように手を振り、服を適当に整えながらタケハヤは話し続けた。

 

 

「狂った人体実験を繰り返して、人工的なS級の力を作り出すことに、ずっとご執心だったよ。その実験台が、孤児だった俺たちなのさ」

「俺もネコも同じだ。親を失ったあと、ムラクモという機関に引き取られ、あの女の実験台となった。タケハヤを追って研究所を逃げ出すまで……痛みと苦しみの、地獄の日々だったよ」

 

 

 ダイゴが続き、ネコが渋面を作ってそっぽを向く。

 

 人体実験。ナツメ個人の独断か。それとも……他の人間も関わった、組織ぐるみのものだったのか。

 すっかり見慣れて描けるようにもなったムラクモ機関のマークがぐにゃりと歪む。今まで当たり前にあると思っていた地面が消え、奈落に突き落とされるような感覚が背筋を這い上がってくる。

 

 シキは思い出す。池袋にジゴワットがいると判明する前、キリノがタケハヤについて尋ねてきたことを。

 

 

『……渋谷で、タケハヤに会ったと聞いた』

『おそらく彼は……ムラクモ機関について、何か言っていたんじゃないか?』

『……いや、答える必要はないよ。彼とは昔、会ったことがあるんでね……ちょっと気になったんだ』

 

 

「……それ、キリノは関係あんの?」

「クッハッハ……あのヒョロい兄ちゃんか? アイツはそこまでのタマじゃねェよ。……どうだ? 俺たちがムラクモを嫌う理由がわかったか?」

「……まあ」

 

「とはいえ、今やムラクモは人類のための正義の組織みたいだからな……余計なちょっかいは、かけねえって思ってたのさ。だが……気を付けな? あの女が望んでるのは、別のことかもしれねぇ」

 

 

 嘘を言っているようには見えない。

 もし今言われたことがすべて真実だとしたら、どれだけの無念を抱えて日々を過ごしてきたのか。

 

 なぜだろう。今まで戦ってきたドラゴンよりも、これから戦うであろうドラゴンよりも、ついさっき見せられた傷のほうがおぞましい。何年もかけて苔むしたように、脳裏に焼き付いて離れてくれない。

 

 

「さぁて……言いたいこと言って、スッキリしたぜ。……俺たちの役目はここまでだ。『正義の味方』は、おまえらに任した」

 

 

 感じたことのない重苦しさに浸るシキの意識を、タケハヤの声が引き戻した。痛みは治まったようで、ふーっと一息ついて立ち上がる。

 支えるようにアイテルが傍らに立ち、開いた手をほんの少しだけこっちに向けて伸ばしてきた。

 

 

「もし、あなたたちがこの星のために戦ってくれるのなら……私は、あなたたちを導くことができる」

 

「どうかしら……私たちと一緒に、来ない?」

 

 

 3度目の誘い。今度は意味をわかっている分、重さが違う。

 

 しかし、時間をかけずにシキは「悪いけど」と答えた。

 

 

「私たちは都庁が拠点。対ドラゴンに必要な物資も協力者も、現時点じゃそこ以外は考えられない」

「そう……そうよね。あなたたちには心強い仲間がいるものね。わかったわ……」

「それに、一緒に行動するって言ったとしても……」

 

 

 タケハヤに視線が向かう。彼は表情を緩めて肩を上下させた。

 

 

「……本心じゃねえだろ? 顔に書いてあるぜ。おまえには、おまえの仲間がいるはずだ」

「でも、まだ聞きたいこともある」

「なんだよ」

 

「あんたは、首都高で私に言った」

 

 

『ドラゴンの存在なんか知らない、あいつらが現れるずっと前から、どうしておまえはムラクモにいた?』

 

 

「あれ、どういう意味?」

「……どういう意味、ってのは?」

「とぼけないで。私がムラクモ出身のムラクモ育ちっていうのを知らなきゃ、あんな尋ね方しないでしょ」

 

 

 シキにとってはここからが本題だった。1歩踏み出し、早口で言葉を紡ぐ。

 

 

「私には昔の記憶がない。たぶん10年前。これ、あんたたちとムラクモの因縁と関係があるの?」

「え、え? シキちゃん……?」

 

「10年前?」

「タケハヤ、それって……」

 

 

 ミナトが初耳だとパートナーを見て、ダイゴとネコがタケハヤを見る。

 少女も青年も仲間には応えず、互いの目を見つめあっていた。

 

 

「……あんた、私のこと、何か知ってんの?」

「……」

 

 

 ──誰?

 ──う、うん、がんばる。

 ──にげて。

 

 ──バイバイ。

 

 

「……いや、知らねぇな」

「……」

「睨むなよ。ブサイクになってんぞ」

「ぶっ」

 

 

 ますます顔を歪めるシキにタケハヤは自身の眉間を指して笑う。

 一気に湧き上がる怒りに追求する気が失せる。ふんっと鼻を鳴らし腕を組もうとして、右肩が脱臼していたため左腕が宙をさまよう不自然な格好になった。それにまたタケハヤが笑い、シキはぎぎぎと歯軋りする。

 

 結論が出た。やっぱりこいつむかつく。

 

 

「もういい、もうどうでもいいわ。これ以上ここにいたら時間が無駄になる!」

「ああそうだ。こっちのことは気にせず、好きに戦えばいい。俺にとっちゃ……おまえが、おまえらが狩る者として戦ってくれりゃ、それでいいんだ」

「そうね、タケハヤ。私は遠くから……見守りましょう。私にとっては、あなたたちが竜と戦い続けてくれるのなら……それで充分よ」

 

 

 アイテルがゆっくりと頷き、13班に笑みを向ける。

 道は違えど、竜を狩ることは変わらない。希望が潰えないと安心したのか、初めて見る穏やかな微笑みだった。

 

 

「おい、ムラクモ13班。このエレベーターを上がると、帝竜の住処だ」

 

 

 SKYとアイテルの4人は各々左右に退き、工場最上階に続くエレベーターを示す。

 

 

「頼んだぜ……とは言わねェよ。おまえらは、おまえらの意思で戦えばいい。ただ、俺たちにはできなかったことをおまえらはできるんだ……それだけは、忘れないでくれ。……じゃあな、いってこい!」

 

 

 大人だ、とミナトは思う。

 もちろん彼らは自分より年上で成人しているのだろうが、そういう意味じゃない。

 今までの因縁も嫌な過去も、体に負う痛みもすべてひっくるめて想いをぶつけあった果てに、自分たちに笑みを向けてくれているタケハヤたちは大人だ。

 彼らが背中を押してくれる。それだけでも胸の内に新しい火が点くほど心強い。

 

 ……それを重々理解して、

 場の空気を壊してしまうことも承知つつ、

 

 

「ちょっと、いいですか」

 

 

 ミナトは真っ直ぐ手を挙げた。

 

 

「なんだよ、まだなにか」

「私たち装備が壊れて手とか腕とか怪我して体力消耗してマナもないし回復薬は尽きててこんな状態で帝竜に挑んだら瞬殺されると思うんですあと私火がトラウマでしてついさっきやっと使えるようになったはいいんですけど完全に克服できたわけじゃないみたいで今になって吐き気が出てきてるんですよ総じて言うとめちゃくちゃヤバい状態なんです30分でいいので休憩させてくださあああい!!!」

 

 

 本日1番の心の叫びに、タケハヤたちが素で「あ」と声をこぼす。

 勇み足でエレベーターに向かい始めていたシキも、「……忘れてた」と脱臼した右肩をさすって戻ってきた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 脱出ポイントから都庁に帰還し、治療(結局ミナトは吐いた)と装備の新調(ケイマとレイミは新作の武具が数時間で粉々になったことに涙を流した)、道具の補充を済ませる。

 

 数十分後、小休止を終えた13班は工場内に戻ってエレベーターに乗り込んだ。

 

 

「やっと帝竜か」

「長かったねぇ……」

 

 

 エレベーターの中で水分補給をしながら深呼吸する。自衛隊の後方支援がないのは前回と同じだが、今回はSKYとの避けられない戦いもあった。結局、帝竜までの道のりは今までと変わらず長かったと感じる。

 さあ、このエレベーターが止まれば、帝竜のいるフロアだ。気を引き締めなければと装備の確認をする。

 

 

『……なあ。あのさ、』

 

 

 シキが医師に接いでもらった右肩を回し、同じくミナトが看護師に接いでもらった両手の指をテーピングで固定していると、それまで沈黙していたミロクの声が聞こえた。

 

 

『アイツらの言ったこと……本当かどうか、わからないけどさ。おまえたちが竜を倒せる力を持ってるってのは、オレが保証するよ』

「ミロク? どうしたの、急に」

『……ずっと傍で、見てきたからな。だから、なんにも心配してないぞ。この工場の帝竜も、倒してやろうぜ……!』

「言われなくてもそのつもりよ」

 

 

 エレベーターが止まり、扉が開く。一度大きく息をしてから降りる。

 

 さらに上に続く階段を上がって踊り場に出た瞬間、ざっと耳障りな音が響いた。

 

 反射的に耳に手を当てる。ひどいノイズが通信機を震わせていた。

 

 

『キリ……さん……これ……一体ど……なってる……ですか……!?』

『くそっ……こ……先は……!!』

 

「!? ちょっと、なにこれ! キリノとアオイ!?」

『な、何があった!? キリノ!! 応答しろ……キリノ!! おい、あっちはヤバいみたいだ。こっちの帝竜を片付けて、すぐ行かないと……』

 

 

 ミロクが繰り返し呼びかける。だが返ってくるのは変わらず砂嵐のような雑音だけだ。

 

 

『セ……パイ、聞こ……ます……か!? こち……には大量の……が……』

『いけ……い……逃……ろ……!』

 

「あ、アオイちゃん!? キリノさん!?」

『くそ、何が起きてるんだ!! 落ち着け……落ち着け……ミイナ、そっちはどうなってる? すぐにキリノの追跡を!』

『もうやってます! でも……何……? 港区ごと覆い隠すような物凄いジャミングが……!』

 

『13班は、引き続き帝竜討伐の任務にあたってくれ。こっちはこっちで、最善を尽くすんだ!』

 

「……!」

 

 

 どうしよう、と無言でシキを見る。

 焦りか頭痛か、少女は額を押さえながらくそっ、と吐き捨て頭上を睨み付けた。

 

 

「行くしかないでしょ。いつも通り、ぶっ飛ばしてやるわよ!」

 

 

 逸る気持ちが足を動かす。一息に階段を上がり切った2人は、ドラゴンもマモノも装置も、一切の障害物がない広大な部屋に出る。

 工場の中枢、ブレインルームと称されたフロアの中央にそいつはいた。

 

 

『こいつが工場の主……高熱の流体金属でできた帝竜か……!』

 

 

 工場の中で見た装置と同じ、菱形の赤いユニットから銀色の体が生えている。

 今までのドラゴンと違い、腕や足などの器官はない。歪な片翼に数本の尾、2本の長い首に目のない頭。それぞれが独立したように蠢き、自分の領域に踏み込んできた2人の存在を捕捉する。

 

 

『キリノの件はこっちに任せて、13班は討伐に集中してくれ! ──頼んだぞ!』

「了解、すぐ片付ける!」

「りょ……了解!」

 

 

 合わせられたナックルがガンッと音を立て、クロウを装着した指先で氷輪が散る。

 帝竜トリニトロはアシンメトリーの体を大きく伸ばし、高熱で赤く染まる顎を開いて咆哮した。

 



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22.ターニングポイント - VS トリニトロ -

文字通り話数的にも本編的にも折り返し地点。
4章はSKY戦がメインだったので、帝竜戦はペペロンチーノのようにあっさりと。

今回はどちらかというとサブクエも混ぜて捜索、シキの方に焦点を当てています。ちょっとキリが悪いですが3分割です。



 

 

 

 早く、早く。もっと早く。

 

 

「──はあっ!」

 

 

 気合いとともに氷の散弾を撃ち出す。

 息継ぎも忘れる早さで魔法を使い、ミナトは早速マナ水を1本飲み干した。

 

 

『おいミナト、飛ばしすぎだ!』

「でも、早く倒して戻らないと!」

 

 

 正直、帝竜の存在はあまり意識していない。頭の中を占めるのは、数分前に通信が途切れてしまったキリノとアオイたちだ。

 ノイズと途切れ途切れの声ですべてを聞き取ることはできなかった。が、最後にキリノが「逃げろ」と叫んでいた。彼らに危険が迫っていると判断するには充分だ。

 

 

(向こうで何が……急がないと!)

 

 

『前方注意!』

 

 

 ミロクが叫ぶ。直後にトリニトロが顎を開き、大きな火球を連続して撃ち出した。

 横っ飛びに避けると火球は数秒前までいた場所に着弾し、鉄でできた床を溶かした。

 足場の一部は太い金網でできていて下が見える。覗けばすぐそこでマグマが煮えていた。このまま床を溶かされ続ければ自分たちはこの中に落ちるだろう。

 しかし攻撃をいちいち相殺するのは馬鹿げているし、やはり速攻で帝竜を倒すしかない。

 だが。

 

 

「んっ、の!」

 

 

 薙がれる尾の刃をシキが殴り落とす。

 竜の頭蓋すら砕く一打をくらえど尾は折れも割れもせず、ぐにゃりと曲がって元に戻るだけだ。

 

 

「くそ! 下の機械のドラゴンは倒せたのに!」

 

 

 マシーナルドラグも装置から生み出されたばかりの状態ではあったが、ちゃんと金属の固さを持っていた。

 対照的に、フロア中央で鎌首をもたげるトリニトロは流体金属。液体ではないが固体にもなりきっていない体は不気味な柔軟さを持っていて、散々物理攻撃を浴びせても崩れる気配すらない。

 

 

「シキちゃん、右肩は大丈夫!?」

「今はね。あんたこそ手は大丈夫なの?」

「私は直接殴るわけじゃないから平気……!」

 

 

 トリニトロは間違いなく火の属性を持っている。弱点の氷属性を扱うことに長けたミナトを主軸にぶつかるというのも視野にはある。だが後衛の射程では撃ち出されてから当たるまでの間に氷が幾分溶けてしまう。離れた場所にも氷は出せるが、相手を一気に削ることは難しい。

 かといって白兵戦に劣る彼女を無理に接近させることもできない。ようやくトラウマを乗り越えたもののミナトはまだ火が苦手だ。無尽蔵の火炎と、盾にも刃にもなる体を持つ帝竜の攻撃を捌くことはできないだろう。

 

 トリニトロが吠え、食事をするように口を動かす。体が赤く染まり、一部が溶けてぼたりと落ちた。

 

 

『こいつ、熱気を取り込んで力溜めと回復を同時に……! このペースじゃいくら攻撃しても倒せないぞ!』

「だから今速攻で倒すしかないって攻めてるんだけ……どっ!!」

 

 

 どれだけ攻撃を繰り返しても、熱で体を溶かして再生される。終わりの見えない攻防に精神が摩耗し、ついには痛み止めを打った肩が痛み出した。

 

 

(環境が悪すぎる!)

 

 

 逆サ都庁、池袋の山手線天球儀、四ツ谷の常夜の丘。

 どのダンジョンも帝竜のもとまで行けばこっちのものだったが、ここ国分寺灼熱砂房は違う。街の入口からダンジョンの中枢まで例外なく熱気で満たされていた。その熱を利用し、トリニトロは高熱の流体金属という体で顕現している。

 

 意のままに世界を塗り替える力。帝竜は心臓で、広大なダンジョンそのものが相手の体。

 空間や環境が帝竜の味方をしている。長期戦に持ち込まれたら勝てない。

 

 シキの拳だけではダメ。ミナトの魔法だけでもダメ。自分たちの最大火力を合わせ、なんとか好条件で撃ち込まなければ……。

 

 

『熱、金属……弱点は……、……そうだ!』

 

 

 同じように考えを巡らせていたミロクが声を上げる。

「聞いてくれ!」と呼びかけられ、シキとミナトはトリニトロの猛攻をなんとか凌ぎながら耳を傾けた。

 

 

『まず、帝竜をあの場所から離すんだ!』

「場所?」

 

 

 そういえば、トリニトロはフロアの中央に浮遊したまま移動しようとしない。

 

 汗を拭いながら視線を向ける。不定形に変形する金属の体、それが生える赤い菱形……。全身に視線を巡らせ、その下の床に開いている大穴に目を留めた。

 ブレインルームのすぐ下、マグマの大河から陽炎が昇っている。それに当てられてトリニトロの体の下部は常にドロドロに溶けていた。

 

 

『あいつが浮いてるあの場所が、一番炎熱の影響を受けるんだと思う。まずはそこからできるだけ引き離すんだ』

「その後は?」

『ミナトの氷の属性攻撃であいつを一気に冷やす。そこをシキが思い切り叩けば……もしかしたら、割れるかもしれない』

「割れる?」

『あの帝竜の体は金属だ。温められて体積が膨張してる。だから急に冷やされると表面が収縮して亀裂が……ああもう、とにかく冷やせ! カッチコチに固めればシキの拳で砕けるだろ! これしか思いつかないけど、やってみる価値はあると思う!』

 

 

 確かに、熱せられた金属を急に冷やすと脆くなるという話は聞いたことがある。

 確証はないが他に案も思いつかない。どのみちこのまま戦い続けてもジリ貧なのだ、やるしかないだろう。

 

 

『トリニトロの体温が急上昇してる。もうすぐでかい攻撃が来るはずだ。なんとか対処して、あいつが動き始める前に仕掛けられれば……、警戒!』

 

「……いい? 最大火力よ。ここの熱に負けない自信はある?」

「試したことないけどやってみるよ。ありったけぶつければいいんだよね」

 

『来るぞ!』

 

 

 体勢を低くして構えるのと同時にトリニトロが動く。

 2本の首が円を描いて絡み合い、双頭から凝縮された火炎の線が発射された。苛烈な熱がほとばしり、床を抉りマグマをかき混ぜ炎が迫ってくる。

 近付くだけで肌を焼く炎熱。しかしシキは退かない。

 一度都庁に戻った際に耐火性特化の服と装備に着替え、その上からミナトのゼロ℃ボディと氷で体を保護している。この炎では数分もつかもわからないが、それだけあれば充分。

 

 あとは、自分の技量でどうにかすればいい。新しい武器を習得しているのはミナトだけじゃない。

 

 

「火とは嫌ってほどぶつかってる……!」

 

 

 ウォークライの火に惨敗したあの日から、マサキやミロクらをつついて過去の資料とデータを漁った。そして国分寺の戦闘で場数を踏んで洗練してきた。

 

 自分は拳ですべてを破壊する武闘家。ターゲットは形あるものだけにとどまらない。

 相手が帝竜でも、ブレスでさえ破壊できずして、なにがデストロイヤーだ。

 

 一直線に走り出す。鼻先に火炎が迫った。

 

 

「──吹き、裂くっ!」

 

 

 固体ではないそれの「核」を見極め、ナックルをはめた裏拳を繰り出す。

 言葉では表せない独特の手応え。直後に猛炎のブレスは花吹雪のように吹き散った。

 

 ミナトとミロクが「よし!」と声を重ねる。だがまだ終わりじゃない。

 

 

「足もと凍らせるね!」

 

 

 ミナトの声とともに、二股に分かれた青い空気がシキを挟んで追い越していく。

 濁流はトリニトロの真下、ミロクが言っていた陽炎を生む穴に殺到して栓となった。

 ぎ、とわずかにトリニトロがうめく。

 間髪入れずシキが帝竜の巨体と氷の床の間に滑り込み、拳を握った。

 

 

「らあっ!!」

 

 

 ストレートにアッパー、飛び膝に回転蹴り。氷に覆われた四肢を砲弾に跳ねては殴り、跳ねては蹴って帝竜を打ち上げる。

 

 

「シキちゃん、いくよ!」

 

 

 ミナトが追いつき巨大な氷柱を生み出す。部屋の中央に現れた氷の大樹はトリニトロを押し上げ、天井まで伸びて帝竜の体を飲み込んだ。

 追加で作られた足場を飛び移り、シキも上にのぼっていく。

 

 酷寒の容れ物に閉じ込められたトリニトロ。ついさきほどまで紅に色付いていた体は銀一色になり、化石のように停滞している。

 

 そこに走る小さな亀裂を見つけてミロクが叫んだ。

 

 

『いける! シキ、叩け!』

 

 

 まず1発。氷柱の表面が割れる。

 続いてもう1発。氷柱全体が破砕され、硬直した帝竜が宙に投げ出される。

 

 

「ミナト!」

「うん!」

 

 

 頭上と敵の落下点に氷が現れる。

 逆さまに地面と向き合ったシキは氷を踏みつけ、トリニトロに向かって飛び出した。回転して勢いをつけながら落ちていく。

 

 ムラクモ試験で初めてドラゴンを倒したときと同じ、だが今回は一味違う。

 

 

「だありゃあああっ!!!」

 

 

 両手を組んでナックルを振り下ろした。

 隕石のように殴り落とされ、下で待ち受けていた氷山に叩き付けられた帝竜の体は大きく砕ける。

 

 トリニトロは絶叫し、弱々しく萎んで消えていった。

 

 

『いよっし!』

「やったー!」

 

 

 ミロクがデスクを叩いたのか、通信機の向こうでバンと音が聞こえた。続いてミナトが両腕を上げて飛び跳ねる。

 

 

「シキちゃん、最後の技ダブルスレッジハンマーだよね! またの名をダブルアックスハンドル! かっこよかった!」

「……あんたなんでプロレス技の名前知ってんの?」

「あ、でもね、両手の指を組む形だと骨折しちゃう可能性が高くて、握り拳をもう片方の手で握るか、両手の握り拳をくっつけて振り下ろすのがいいらしいんだけど……」

「おい聞け」

 

 

 抱きつこうとしてくるパートナーを片手で押さえながら、シキはわずかに首を傾げていた。

 

 なにかが、違う。おかしい気がする。

 やけに静かだと思う。圧倒的存在感を放つ帝竜がいなくなったからかもしれないが、いつもならもっとなにかが……。

 

 

「フロワロ」

「え?」

「フロワロが、散ってない」

 

 

 帝竜を倒したのなら、そのエリアのフロワロはなくなるはずだ。

 しかし、視界ではまだ赤い花が咲いている。

 

 

『……なんだ? 反応が消えてないぞ……』

 

 

 ミロクの訝しむ声に数秒前を思い返す。確かにトリニトロは倒した。倒したはずだ。

 撃破され粉々になった帝竜は……塩をかけたナメクジのように縮んで消えた。

 

 いや、

 

 

「……」

 

 

 前方を見る。

 数メートル先にはトリニトロが「生えていた」ユニットが転がっている。

 違う。奴は消えたんじゃない。

 

 

 あの中だ。

 

 

 ドンッ、と大きな音が響き激しい地震が起きる。

 はしゃいでいたミナトが転び、シキも立っていられず膝を着いた。

 

 

「ミロク、なにが起きてる!?」

『な、なんだ……? フロアの圧力が急上昇してる!』

「え、え、まだ終わりじゃないの!?」

『まさか……工場ごと自爆する気か……!?』

「工場ごと!?」

 

 

 絶えず音が響く。

 ミナトの氷で蓋をされていたブレインルーム中央が弾け、抑えられていた熱気が噴き上がる。その上にユニットが舞い戻り、赤く光って黒煙を噴いた。

 

 紅炎にユニットが包まれる。中央を流れる煌々とした光は、さっき打ち砕いたはずの帝竜の炎。

 

 

『あのユニットの中央に、帝竜反応!』

「そんな……! 早くなんとかしないと!」

『だけど、これじゃ……』

 

 

 ミナトがゼロ℃ボディをまとい直して駆け出そうとする。

 が、片足を踏み出した瞬間冷気がかき消され、小さい悲鳴が上がった。

 

 

「うぁっ! ぃ……あつ……!」

『大丈夫か!? うかつに近付くと、黒焦げだぞ……!』

「でもこのままじゃ、一番近い脱出ポイントに向かっても間に合わない! タケハヤさんたちもまだここにいるかもしれないし、脱出キットはあるけど……!」

『ダンジョンの最奥じゃ、脱出ポイントを作るまでには時間がかかる。くそ、どうしたら──』

 

 

 熱波が牙を剥いて襲いかかってくる。近付くことはおろか目を開けることも呼吸もままならない。トリニトロは文字通り、命を燃やしてなにもかも消し飛ばすつもりらしい。

 

 フロアが溶け始めている。熱地獄に苛まれ、肌が炎症を起こし始めていた。

 熱い。苦しい。このまま燃えてしまうのか。

 

 

『座標固定──ダメだ、このままじゃ……!』

「くそ、あれも、ぶっ壊しておけば……っ」

 

 

「……なーにやってんだか」

 

 

 暢気な声が耳に届く。

 

 いつの間に来たのだろう、傍らにタケハヤがいた。

 彼が壁になるようにシキとミナトの前に立ち、吹き付けてきた熱気が和らぐ。

 

 

「タケ、ハヤ……さん」

「こんなんじゃ、正義の味方は名乗れねぇぞ……?」

「ちょっと、あんた、なにして」

 

 

 ぽすん、とシキの頭に手が置かれた。

 

 

「下がってろ……」

 

 

 つかむでもなく撫でるでもなく、ただ髪の上に置かれた手。

 その感触に息が止まった。

 

 

(これ、前に、)

 

 

 どこかで。

 

 視界がかすむ。

 意識が揺らぐ。

 

 タケハヤが歩いていく。

 

 

 待て。

 

 

 待 て。

 

 

 こ の  背      中

 

 

                  は

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 目の前に鍵が落ちている。ぼろぼろでほとんど原形を保っていない鍵だ。

 目の前に扉がある。なんの飾りもない薄い扉。背景に溶け込んで消えそうだ。

 鍵と扉。お粗末な1組。

 けど、ずっと探していたもの。

 

 鍵を拾い、扉に近付き、鍵穴に差し込む。

 回す。かちりと音が鳴った。

 

 瞬間。

 

 

「!!?」

 

 

 真っ白な世界にどす黒い闇が飛び出した。

 白い腕が伸びてくる。頭をつかまれ、異常に伸びた爪が食い込み、脳が悲鳴を上げる。

 

 

「シキ、シキ、シキ」

 

 

 悪い子。悪い子。

 覗いてはいけないのに。せっかく消したのに。

 

 さあ、すべて忘れて。

 

 これは不要なものだから。

 

 

「痛、い!!」

 

 

 頭蓋が万力のような力で締め上げられ、ギシギシと不快な音が鳴る。

 痛い、痛い。

 

 い──

 

 

「……い」

「さあ、帰りなさい。すべて忘れて──」

 

「うるさい」

 

 

 石膏のような手をつかむ。手を生やす闇が蠢いた。

 

 

「シキ、なにを」

「うっさい。デストロイヤーの腕力なめんな」

 

 

 頭をつかむ両手を引きはがす。

 

 

「邪魔するな。私はこの先に行かなきゃいけない」

 

 

 なんでこのタイミングでって思うけど、見つけなきゃいけない。

 

 

「この間からよくもまあ、ズキズキズキズキズキズキズキズキ好き勝手痛めつけてくれたわね」

 

 

 すべてを破壊するのがデストロイヤーだ。

 むかつくものはぶっ飛ばす。壁は越える。それが自分だ。

 今も痛みがひどいけど。たとえ頭が割れても。

 

 

「そこを……どけえっ!!!」

 

 

 渾身の蹴りを見舞う。腕が引っ込み、闇が吹き飛んで消えていく。

 扉の向こうに転がり込む。

 

 最高潮に達した頭痛が弾けて、目の前が真っ白になった。

 



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  ターニングポイント - VS トリニトロ -②

3章終了時点での各フロアと人をリストアップして確認したら、本当にかなりの人数が消えていました。ムラクモ居住区とかほんとにひどい……。



 

 

 

「シキちゃん!? シキちゃん!」

 

 

 フロア全体が熱に当てられ発光する中、ミナトは腕の中で脱力した体を揺する。

 

 なんの前触れもなくシキが倒れた。脱水症状でも熱中症でもなく、頭から血を流して。

 古傷が開いたのだろうか。以前眠っている彼女を観察したときに見つけたつむじの1本線の傷跡から流血している。パートナーの少女は完全に意識を失っていた。

 

 そうしている間にも赤い嵐は吹き荒れ、しかしタケハヤは散歩でもするような足取りでフロア中央に歩いていく。

 今にも破裂しそうなユニットを見上げて熱風を浴びる彼を、ミロクが慌てて制止した。

 

 

『何をする気だ!? 生身では──』

 

「アイテルの希望……潰すわけにはいかねェ……!」

 

 

 ごきり、と指が鳴らされる。

 タケハヤは跳躍し、一切の躊躇なくユニット中央に腕を突っ込んだ。

 

 

「コソコソ……隠れ……やがって……チンケな帝竜だぜ……!」

 

 

 帝竜の悲鳴が耳をつんざく。紅炎が荒れ狂い空気までもが赤く染め上げられていく。

 懇願にも最後の抵抗にも見える暴走を無視し、タケハヤは叫んだ。

 

 

「今さら暴れンじゃねェ……おとなしく、してやがれッ!」

 

 

 ユニットから腕が抜かれる。

 

 それまでの地獄が嘘だったかのように熱が霧散した。

 タケハヤは溶けかけていた地面に着地し、手中で煌々と光るなにかを見下ろす。

 帝竜の命だったのだろうか。それはオレンジの炎とともに、花びらのような白い光を散らして消えた。

 

 

『て……帝竜反応、消失……』

 

 

 元の静けさを取り戻したブレインルームで、空になったユニットを確認したミロクが呆然と告げる。

 

 

「……うそ……倒し、た……?」

「そういうことだ」

 

 

 気絶したシキとへたりこむミナトを振り返り、タケハヤがしてやったりとほくそ笑む。

 

 

「後は……たの……む……──」

 

 

 焦げたマフラーを揺らし、青年は静かに倒れ込んだ。

 

 ダイゴとネコがフロアに駆け込んでくる。

 

 

「タケハヤ!」

「な、何コレ!? ひどい火傷じゃん!」

 

 

 春先にウォークライに負けた自分たちと同じように惨い火傷を負うタケハヤを見て2人は息を呑んだ。

 治癒魔法をかけようとするミナトを呼び止め、ミロクがダイゴたちに声をかける。

 

 

『急いでそいつを連れて、都庁に帰還しろ。医療班を待機させといてやる!』

「い、いいの?」

『さっきから話は聞こえてた……責任もって、治療を引き受けたい』

 

 

 ダイゴが倒れ伏すタケハヤを見下ろす。

 

 

「……すまない」

 

 

 タケハヤをダイゴが担ぎ、シキをミナトが抱える。

 5人は下へ降り、アンテルとともに脱出ポイントから都庁に飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 ミロクから連絡を受けて待機していた看護師たちは、13班とSKYの3人、特にタケハヤとシキを見て悲鳴を上げた。

 

 

「大変! 彼、早く治療しないと!」

「誰か水と氷、もっと持ってきて!」

「ストレッチャー早く! 男性の方は向こう、13班はこちらへ!」

「え、いや、私は大丈夫なので……」

「なに言ってるんですか、あなたたちも要治療ですよ! 帝竜と戦ってきたんでしょう!」

 

 

 タケハヤが医務室の奥へ運ばれ、ミナトは依然ぐったりとしたままのシキと一緒に引きずられていく。

 ドタバタと騒がしい足音を聞きながら、ネコはわずかに眉を寄せて周囲を見回した。

 

 

「久しぶりのムラクモ機関か……イヤなこと、思い出しそ」

「背に腹は変えられん。……あの男、死ぬにはまだ早すぎる」

 

 

 皮膚のあちこちにまだらの炎症を負っていた13班を気にしつつ、ミロクはどこか浮いているように見える2人を見上げた。

 

 

「……ネコ、ダイゴ、おまえたちも、治療を受けてけよ?」

「……え? ア、アタシはいいよ!」

「……恩に着る。ネコ、ここは素直に聞いておけ」

 

 

 ダイゴたちも医務室に入る。

 

 ミナトとSKYの2人の治療が終わって数分後、生気を失ったミイナの声が通信機から届いた。

 

 

『コール、13班、ミロク。一応報告です……キリノ隊、返信ありません……』

「了解……。みんな、どこに行っちまったんだ……?」

 

 

 見つけた失踪者たちはまだ行方知らずのようだ。

 せっかく事件解決に近付いたのに、振り出しに戻されてしまった。しかも新たにキリノとアオイの連絡途絶も加わって。

 

 ミナトがどうしようと口を開こうとしたとき、小さく体が傾く。

 ミロクがどこを見るでもなく視線をさまよわせ、治療に合わせて新調した服の裾をつかんでいた。琥珀色の目がゆっくりと自分の顔を映し、不安そうに揺らぐ。

 

 

「なぁ、おまえたちは……どこにも行ったりしないでくれよな?」

「……うん、大丈夫」

「……探索は、オレたちが続けておくから。何かわかるまで、ミナトは部屋で休んでいてくれ」

「ううん。まだ」

「え?」

「私、1回都庁を見て回ってくるよ。なるべく早く戻るから」

 

 

 なにかを言おうとしたミロクを置いて、ミナトは階段を上り始めた。

 

 状況が改善されるわけじゃない。けどのんびり休む気にはなれない。それぞれのフロアの状況を確認してみよう。

 誰かがいつも通りの定位置にいないからといって行方不明とは限らないが、都庁を回る中で見つけられなければ、集団失踪に巻き込まれていると考えるべきか。

 

 国分寺に出発する前、1階のエントランスと自分が生活する4階では計10人が消えている。

 今までいた2階医務区はナミやユキをはじめ医療関係者たちは無事だったが、都庁内を行き来するのに地図が手放せないというそそっかしい女性が消えていた。

 

 

(自衛隊駐屯区は……?)

 

 

 3階に入ろうとしたところでカマチにぶつかりそうになる。互いに短く叫んで飛び退いた。

 

 

「わっ、カマチさん!」

「おわ! ああシバさんか。帝竜討伐してきたんだって? お疲れさん」

「ありがとうございます。今、都庁の中を確認してるところなんですけど……その……自衛隊で、行方不明になった方は……?」

「自衛隊の被害は少なかったんだ。催眠にかかるまでもなく、みんな爆睡してたからかもな……」

 

 

 催眠。

 未だ集団失踪の原因は判明していないが、帝竜による大規模な集団催眠という仮定で調査が続けられているらしい。

 

 

「被害は少ないっちゃ少ないんだけどさ、ミカサ幕僚長とシキシマ一佐がいないし、ハツセに、アメリカから来たっていうジョンも消えちまった。無線で連絡取れないかって試しても誰も応答しない」

「……あの、行方不明者の方たちのリストとかは……」

「ああ、これだ。……見るか?」

「見ます!!」

 

 

 言葉を被せて飛びつき、半ばひったくるようにカマチから紙束を受け取る。

 

 ここから上、5階のムラクモ本部では、ミロク、ミイナ達の情報支援班に所属していたスズキとオイカワに、マサキの補佐官とムラクモ準候補が消えている。

 6階の研究室は研究員が3人、7階の会議室フロアはハタノ議員に総理の秘書に船乗りだったという男性、8・9の居住フロアAとBからは合わせて12人が行方不明となっていた。

 

 総計、40人近く。

 

 

「嘘……こんなに……」

 

 

 声が震える。指先に力が入り、紙にくしゃりとしわが走った。

 

 都庁にいる人間は全員覚えている。ムラクモも自衛隊も一般市民も、みんながこの拠地で共に過ごしてきた。その中の半分はダンジョン探索のときに救助した人々だ。

 マモノやドラゴンを倒す自分とシキに驚き、手を差し出せば涙を浮かべた彼らの顔は忘れない。

 

 

『助けてくれてありがとう』

 

 

 泣いて、笑って、手を握り返してくれたあの人たちの顔を忘れられるはずがない。

 

 項垂れながらカマチにリストを返す。

 

 

「すみません……ありがとうございます……」

「そ、そんな落ち込むなって! 聞いた話じゃ、キリノとアオイちゃんたちが見つけたって……大丈夫、きっとあの2人も、みんなと一緒に戻ってくるさ! それに13班が帝竜を討伐して、残るは3体なんだろ?」

 

 

 カマチがフォローしてくれるが、裏を返せばそれだけだ。自分はドラゴンを倒せても、人を探せない。

 

 無念からごめんなさいと謝罪を口にしようとしたところで、「ああ、ムラクモさん!」と上に続く階段から声が振ってきた。

 見上げると髪に少し白髪が混ざった男性が降りてくる。

 新しくできた居住フロアCの責任者だ。確か名前はフジタだったか。

 

 

「お帰りになったんですね、お待ちしておりました……!」

「フジタさん? えっと、なにか」

「決まっているじゃないですか、集団失踪のことですよ! 一体どうなっているのです! 一夜で都庁内がスッカラカンだなんて……」

 

 

 普段温厚なフジタは眉を八の字に下げ、冷や汗を浮かべている。

 カマチが慌てて間に入って落ち着くように言い聞かせるが、手を組んで哀願してくるフジタの気持ちは痛いほどわかるので止めきれない。

 

 

「こちらにも、身内が行方不明になった人がいて……もう気が気じゃありません。彼らに、事情を説明してやってください!」

「そ、そうは言っても……私たちのほうでもまだ」

「何でもいいんですよ! ムラクモさんが説明することが、大事なんです!」

 

 

 責められているわけではないし、彼の言うことはもっともだ。

 人間が生きていけない世界で、唯一ドラゴンを狩ることができるムラクモは生命線となっている。その主力に据えられているのが自分たち13班だという自負もある。

 大勢の人間から頼りにされる立場。望んで就いたわけじゃない。

 けど彼らもそうだ。好きで都庁の庇護下にいるわけじゃない。本当は自分の足で失踪者を探しにいきたいだろう。それすらもできないから、切に助けを求めてきているのだ。

 

 自分にできることがあるなら。

 

 

「……わかりました。カマチさん、お仕事の邪魔をしてすみませんでした。失礼します」

「あ、いや……あまり無理するなよ。パートナーが倒れてるんだろ」

「大丈夫です。ありがとうございます」

 

 

 心配してくれるカマチにリストを返し、会釈してフジタについていく。

 10階の居住フロアCに上がると、フジタは慇懃に頭を下げた。

 

 

「お願いしますよ。では……おーい! オオヤマさんにコスギさん! ちょっとこっちに来てくれ~!」

 

「……」

「……」

 

「……ふぅ。こちら、ご家族が行方不明になった、オオヤマさんとコスギさんです」

 

 

 廊下の隅、剣呑な表情で話し込んでいた男性2人が呼ばれて歩いてくる。

 互いを睨み付けながら並ぶ2人にフジタは苦笑いを浮かべ、中年のほうをオオヤマ、青年のほうをコスギと紹介した。

 

 ミナトが頭を下げた瞬間、「聞いてくれ!」とオオヤマが詰め寄ってくる。彼は震える声でコスギを指差した。

 

 

「こいつが、俺の娘をさらったんだ……夜中に、トイレに連れてく振りをして……!」

「違ぇっつってんだろ! 第一、いなくなったのはおまえの娘だけじゃねぇ。俺の家内だって一緒だ!」

「うちのユウカが、自分から消えたって言うのか! んなわけあるか! あの子は、まだ甘えん坊で──」

「なら、しっかり自分で見とけよ! テメェがグースカ寝てっから、ユウカちゃんは、便所に俺を起こしたんだろ! 俺だって、そっから先の記憶はねぇし、その間に家内が消えちまうし──」

 

「お、落ち着いて、2人とも! ムラクモさん、説明を頼みますよ!」

 

 

 今にも取っ組み合いを始めそうな2人を制し、フジタが助けを求めるようにこっちを振り返る。

 

 

「はじめにですが……原因は、わかってないんです。ごめんなさい」

「そ、そんな……じゃ、じゃあ、今から原因を探しましょう!」

「はい。ムラクモの方でも調査は進めているんですが……昨晩、何か変わったことはありませんでしたか? 些細なことでもいいので、何か、違和感とか、覚えていることがあれば……」

「……ほら、2人も情報提供してくださいよ!」

 

 

 フジタがさあどうぞと促す。

 しかしさきほどの勢いはどこへやら、コスギもオオヤマも腕を組んで首を傾げるにとどまった。

 

 

「っていってもなぁ……あの前の晩、なんだかスゲェ眠くって……ユウカちゃんに、便所行くって起こされたのは覚えてるけど……そこから先はサッパリ……」

「俺なんて、ずっと寝っぱなしだ……起きたらユウカもみんなも、いなくなってて……フジタさん、あんたはどうだ?」

「ええっ、私!? 私はいつも通り、イビキをかいて──……あ、そういえば、眠る直前に、変な音を聞いた気がしますね。単調で、眠気を誘うような……」

 

「音?」

 

 

 音。単語が頭の中で引っかかる。

 

 

「音……? ああ、ポーンポーンってやつか? それなら俺も……ユウカちゃんに起こされたときに、聞いた……気がしなくもない……」

 

「……そうだ。その音、私も聞きました! 一定のリズムでポーン、ポーンって……」

 

 

 失踪が起きた朝、目覚める前に見た夢を思い出す。誰かに一緒に来ないかと誘われる夢。

 行かないと答えたら、その人はどこかへ去ってしまった。その音と一緒に。

 

 オオモリが「それだ、きっとそれだ!」と手を叩く。

 

 

「おい、ムラクモさん、きっと音だよ! あんたのところの研究室で、音を調べてきてくれよ!」

「ううん……じゃあムラクモさん、とりあえずその線で、調べてもらえますか?」

「そうですね、でも時間がかかるかもしれません」

「なにかわかるなら待ちますよ。研究員さんに聞いてもらって……違ったら、そのときは諦めるので……」

「わかりました。じゃあ、行ってきます!」

 

 

 階段を駆け下りて6階に入る。

 ここもここで研究職の人間が忙しなく行き来しているが、誰かに話をこぎつけないことには始まらない。とりあえず通りすがりの研究員を捕まえた。

 

 

「あの、すみません!」

「……はい、なんでしょう? って、13班……!?」

 

 

 研究室が住居と言ってもいい研究員と顔を合わせる機会は多くはない。彼もその1人で、初めて見る顔だ。

 あわあわと体を震わせる相手に早口で事情を説明を始めた。

 嫌われているのか、人と離すこと自体慣れていないのか、研究員は頭を横に振り続ける。

 

 

「住民失踪の原因が、音? な、なんですか……唐突に……」

「市民の方々からお話を聞いたんですけど、共通して音を聞いていたらしいんです。眠気を誘うとかすごく眠かったとか言っていましたし、もしかしたらって。私も聞いたんです! こう、ポーンポーンって、柔らかいボールを弾くような音なんですけど……」

「……と言われましても。うーん……音なんて、もうとっくに調べてみましたよ。そもそも、今さら調べたところで──」

「お願いします、もう1回だけ調べてください! お願いします!」

「う、ううん……13班にそう言われてしまうと、やらないわけにも……」

 

 

 頭を下げたまま動かないでいると、研究員は諦めたように息を吐いた。

 

 

「……わかりました。もう一度、念入りに調べてみましょう。しばらくお待ちいただけますか?」

「はい、ありがとうございます!」

 

 

 足早に研究室に入っていく背中に再び頭を下げる。

 すると後ろから声をかけられた。

 

 

「シバくん?」

「あ、マサキさん」

 

 

 マサキと女性の研究員だ。2人とも、他の研究員と同じく、文字で埋め尽くされた資料を脇に抱えていた。彼らにも話を聞いてみよう。

 



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  ターニングポイント - VS トリニトロ -③

4章はこれで終わり。次回から地獄ラッシュの5章に入ります。



 

 

「ああ、よかった。君は倒れていなかったんだネ? ひどい火傷で帰ってきたっていうから心配したヨ。シキは……」

「シキちゃんは医務室で寝てます。あの、集団失踪について、なにか新しくわかったことってありますか?」

 

 

 ミナトが訊くと、マサキと女性研究員は気まずそうに顔を見合わせた。どうやら進捗は芳しくないらしい。

 

 

「失踪の想定時刻は、昨夜の夜半頃から、本日の午前──その期間、都庁及び周囲数キロにわたり、催眠電波のようなものがあてられた可能性があります。よほど強力な、装置か……力か……どちらにせよ、このような方法をとられると行方が捜索しにくいですね……」

 

「催眠電波……」

 

 

 女性の説明にこちらも眉を寄せる。やはり、人ならざるものの力が干渉しているという見立てでいいのだろうか。

 人ならざるものの力……異能力?

 

 

(いや、考えすぎかな)

 

「……マサキさん」

「ん? なんだい?」

 

 

 昨晩見た夢を話す。

 あの不可解な音と一緒に誰かがいた。自分へ呼びかけて、こちらに来ないか誘ってきたのだ。

 

 

「集団失踪の、その原因が催眠だとしたら……誰かがその、そういう力を使ったとかは、考えられませんか。私と同じような異能力者……そう、サイキックとかハッカーとか。催眠術みたいな精神干渉みたいな……そういう力を使える異能力者はいないんですか?」

「この規模、この人数に同時に催眠をかける? ありえない! 人間業なものか! そんなスキルを使える人間がいれば、SS級として、機関の名簿にリストアップされてるだろうヨ!」

「そう、ですか」

 

 

 さすがに夢は関係ないのか。異能力者に専門的に携わるマサキがありえないというのだから、この考えは違うだろう。

 人ならざるものではない、異能力者ではない。なら竜か。弱々しい帝竜の反応を追っていた途中でキリノたちは失踪者と思しき反応を見つけたと言っていたし、やはりその帝竜の仕業なのか。

 

 マサキと女性はそれぞれの持ち場に戻っていく。自分1人だけではできることもなく、廊下のソファに座って足を揺らす。

 しばらくした後、音の調査を依頼していた研究員が帰ってきた。

 

 

「お待たせしました」

「あ、お疲れ様です。どうでした……?」

「一通り、都庁周辺の音を洗ってみたのですが──微弱な異音が、1つ」

「え!!?」

 

 

 やっぱりと身を乗り出す。

 研究員は腕に抱えるボードやファイルを盾にして「決まったわけじゃありません!」と慌てて付け加えた。

 

 

「疑ってかからなければ、気付かない……実際、何の関係もないかもしれない音です。発生源は、都庁の屋上なのですぐ確認に行けますが……どうします?」

「都庁屋上? わかりました、すぐに行ってきます!」

「わかりました。では、屋上へ向かいましょう……ってあああ、待ってください! 人が入らないように鍵がかかっているので開きませんよ! 僕が鍵を持ってるんです、待ってください!」

 

 

 ぜえひいと息を切らして研究員がついてくる。

 エレベーターを使うという選択肢を忘れ、がむしゃらに階段を駆け上がり、最上階のさらに上、都会の街並みが一望できる都庁屋上に出た。

 

 風に前髪をかき上げられる。

 フロワロに覆われ赤く染まった景色にいきそうになる目を、なにかが屋上の中に引き止めた。

 一匹の、ひとりでに動いている、4足歩行の……獣。

 

 

「……え、あれは。まも、の……?」

「異音の発生源はアレ……みたいですね。調査するにも、まずは捕獲しないと……お願いできますか?」

「は、はい、もちろん!」

 

 

 安全な場所まで下がる研究員とは反対に、ミナトは前に進み出る。

 足音を聞き取ったマモノがくるりと振り返った。

 

 ポン、ポン、と聞き覚えのある音が鳴る。

 

 

(この音、昨夜聞いた音に似てる……!)

 

 

 ポンポコ!

 

 

「ポンポコ!?」

 

 

 銀の毛と爪を鋭く光らせ、タヌキの姿をしたマモノが腹太鼓を鳴らす。

 

 間抜けな音にずっこけそうになってしまったが、このマモノはおそらく強い。目でぎらつく捕食者の光がマモノというよりドラゴンに近い。今はシキがいないから余計に油断できない。

 弱腰になってはいけないと頰を叩く。

 

 

(やるんだ、私1人でも! できることをしなきゃ!)

「大人しくしなきゃ、タヌキ鍋にするからね!」

 

 

 望むところだというように歯を剥くマモノに、ミナトはクロウを着けて走り出した。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 両親は自分が生まれてすぐに事故で死んだらしい。なんとなく気になって尋ねたら、あっさりとそう返された。

 といっても、自分には親の生前の職場、ムラクモという居場所がある。最低限の面倒を見てくれる人間もいる。だからそんなに悲しくはなかった。

 物心ついたときから、自分から接しにいっても周りから接触があっても、どちらも淡白で業務的なもの。だから人間関係に執着したことはない。むしろ1人のほうが楽だった。

 

 けれどどうやら、自分にも世間一般の感情が備わっていた時期があったらしい。外からの刺激を受け取ったまま、素直に笑って泣いていた。あのときは。そして、その記憶を失うまでは。

 

 いや、

 

 

(『消されるまでは』、か)

 

 

 ぼんやり考えながら目を開ける。

 医務室の天井が目に入った。なにも寄せ付けない潔癖の色。

 あのときいた施設もそうだ。無機質な色のない世界。そこで自分はもがいていた。

 

 思い出した。記憶を消した人物をはじめ、あのとき一緒にいた人間も、暗闇に埋もれていた言葉も。

 

 ベッドから身を起こし、周囲を囲むカーテンを滑らせる。

 隣のベッドも仕切りのカーテンが閉められていた。遠慮なく開ける。

 自分と同じ病衣を着る青年が、静かな寝息を立てていた。

 

 

(……なんで)

 

 

『日暈ナツメは信じるな』

 

 

 10年前、あんたが言った言葉じゃないか。声は出さずに唇が動く。

 こいつは自分を知っていた。昔一緒にいた。

 なのになぜ、国分寺での問に頭を横に振ったのだろう。

 

 

「……タケ」

 

 

 ハヤと名前を呼ぼうとしたところで、「あ、シキちゃん!」と声をかけられる。

 振り返ると、ユキが看護服の裾を揺らして歩いてくるところだった。

 

 

「目が覚めたんだね、よかった。そっちの彼はまだ寝かせてあげて。衰弱がひどいのよ」

「……わかった」

「もしかして、知り合い?」

「別に。ミナトは?」

「ミナトちゃんなら治療を受けて戻ったよ。たぶん部屋じゃないかな」

 

 

 帝竜との戦闘後、ミナトが起きていて自分が気絶するのは初めてだ。

 

 タケハヤのベッドのカーテンを閉め、自分のスペースに引っ込む。

 軽くストレッチをして動けることを確認し、病衣から新しいセーラー服に着替えた。

 

 

「ちょ、ちょっとシキちゃん? なにしてるの?」

「戻る。治療ありがと」

「ええ!? 待って、まだ充分じゃな……もう、治療はちゃんと受けないとだめなのに!」

 

 

 怒るユキの声を背に受けながら素早く医務室を出る。

 ムラクモ居住区に戻って自分たちの部屋に入るが、パートナーの姿はない。代わりに包みが1つ、テーブルの上に置いてあった。

 

 

『チョコバーばっかりだったので、違うものを買ってみました。おすそわけです! ──アオイ』

 

 

 カードに綴られた元気な文字。書いた女性とはまだ連絡がとれない。

 メッセージカードが添えられた幕の内弁当は手がつけられていない。

 心配性のミナトのことだ、国分寺から帰ったあとも、部屋に戻らず都庁を回っているのかもしれない。

 

 通信機のスイッチを入れる。1コールも終わらないうちにパートナーは出た。

 

 

『あ、もしもし、シキちゃん!? いきなり頭から血を流して倒れるからびっくりしたんだよ、体は大丈夫?』

「平気。あんたどこにいんの?」

『6階の研究室前。集団失踪のことでちょっと調査を……』

「今そっち行く」

 

 

 向こうがなにか言い終わらないうちに通信を切る。

 小走りで6階に行くと、腕に包帯、両頬と鼻筋にガーゼを当てたミナトがいた。

 

 

「……国分寺でそんなとこまで怪我してた? 火傷?」

「えーっと、引っかき傷。銀のタヌキを捕獲するのに苦戦して」

「は?」

 

「13班……!」

 

 

 かすれた声が廊下に響く。研究員が文化系とは思えないスピードでこっちに突進してきた。

 

 

「すごい、すごいことがわかりました! あのマモノ、帝竜ロア=ア=ルアと酷似した細胞を持っているんです!」

「え!? あの四ツ谷の帝竜と!?」

 

「……ちょっと待って。話進める前に私にも説明して」

 

 

 身振り手振りをするミナトが言うには、市民から集団失踪についての説明と調査を頼まれ、失踪前夜に聞いた音を手がかりに調査をしたら、都庁屋上に怪しいマモノがいたので捕獲したとのこと。腕と顔の傷は、そのタヌキ型のマモノと格闘した証らしい。

 

 

「それで、その変な音の発信源だったタヌキが、四ツ谷の帝竜と酷似した細胞を持ってたってこと?」

「そうなんです! 覚えていますか、ヤツの性質……音を使って、死体までも操る技を! それと同じ性質が備わっているなら……集団失踪は、あのマモノが音で引き起こした催眠とも考えられます」

「そうだったんだ……遠距離からじゃなくて、この都庁の中で催眠を……でもなんで、帝竜討伐後の都庁にマモノが……?」

「確証はないし、解決策にもならないのですが……住民の方に、そう伝えてもらえますか? 私は、研究を続けてみますので……失礼します!」

 

 

 研究員はこちらに背を向け足早に去っていく。

 13班の部屋にミナトがいなかったときは、帝竜戦直後になにをしているんだと思ったが、どうやら無駄な行動ではなかったようだ。

 こっちも依頼を済ませようと背を向ける。

 

 行くわよと言おうとした瞬間、シキの鍛えられた聴覚が小さな呟きを拾った。

 

 

「あれは細胞が酷似しているというより、無理矢理移植された、と言ったほうが正しいかも……」

 

「……!?」

 

「一体誰が、なぜ……ぶつぶつ……」

 

 

 腕を組んで言葉を漏らし続ける研究員の背が、廊下の角を曲がって消える。

 

 

「……」

「シキちゃん? どうしたの、行くよ?」

 

 

 なにも聞こえていなかったらしいパートナーに呼ばれ、今度こそ踵を返す。

 

 調査の依頼をしたというフジタはミナトの説明を受け、彼女の言葉を嚥下するように深く頷いた。

 

 

「なるほど、そういうことでしたか……。あの2人には、私から話をしておきましょう。ちょっとばかり、厄介な話になりそうですから……」

「たぶん可能性は高いんですけど、まだ確証が取れていないんです。すみません、力になれず……」

「いえいえそんな! むしろ真剣に向き合ってくださってありがとうございます。……確かに、オオヤマさんたちは納得しきれないかもしれません。でもね、ムラクモさん。身内が消えていない、私に言わせれば……次に同じことが起きる可能性が消えた……それだけで、充分な成果です」

 

 

 頭を下げるミナトにフジタも頭を下げ、声を潜めて悲しそうな苦笑いをした。

 

 

「こんなこと、あの2人の前では言えませんけどね……。来てくださって、ありがとうございました」

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「なに考えてる?」

「うぇっ」

 

 

 間抜けな声とともに、ミナトの口に近付いていた箸から梅干しが落ちる。

 コップの中に落ちる寸前にそれを挟み取り、シキは他のおかずと一緒に口に放り込んだ。

 

 アオイからの差し入れを食べはじめて数分経つが、ミナトはまったく箸が進んでいない。部屋に戻ってからずっと視線を宙にさまよわせている。

 

 

「ごめんね、なんて?」

「今度はなに考えてたのよ」

「……お母さんと友だちのこと」

 

 

 ぴたり、とシキの箸も止まる。

 ミナトは桜大根をザクザクいわせて飲み込み、米に箸を突っ込んだ。

 

 

「無事だといいな、みんな。……無事だよね、みんな」

 

 

 それだけ言ってパートナーは食事を続ける。

 一定のペースで料理を食べながら、今も彼女の意識は外の街を飛び回って身内を捜しているのだろう。失踪の件とキリノ隊との連絡途絶がかなり響いている。

 

 

「……大丈夫でしょ。いざというときのためにチョコバーたくさん持ったって、アオイ言ってたんだし」

「え? ……ああ、そうだね。言ってた言ってた」

 

 

 わずかに笑うミナトを見て、聞こえないようにため息を吐く。

 

 別に周りが静かなことも、誰かに元気がないことも、知ってる顔と連絡が取れないことだっていつもあった。そして、だからといって苦労することはなかった。

 けれど今は、いつもへらへらしているパートナーがしょげているだけで気詰まりを感じる。

 いつの間に自分は、ここまで人を気にするようになったのだろう。

 

 

(……あんたたちのせいだからね、キリノ、アオイ)

 

「居場所がわかり次第、すぐに行くことになる。あんた国分寺から戻ってきて休んでないでしょ。早く食べて仮眠でも取りなさいよ」

「うん。……あれ、どこか行くの?」

「ミロクたちのところ。話すことがある」

 

 

 寂しそうな視線が背中に刺さるのを感じたが、振り切って部屋を出る。

 傾き始めた日を浴びながらムラクモ本部の司令室に入り、自分に気付かず機器を操作する小さな背中に声をかけた。

 

 

「ミロク、ミイナ」

「なんだよ。今忙しいんだから……って、わっ、シキ!」

「目が覚めたんですね。傷は大丈夫なんですか?」

「問題ない。それより、捜索どうなってる?」

「キリノからの報告通り、一時期は人の反応が感知できたんだけど……通信の断絶とともに、反応もロストしたんだ。今は、港区を中心に探査を続けてる」

「2人の捜索は、私たちが仕切ります。だから、今のうちに休息を。どこにいるの……キリノ……アオイ……」

 

 

 シキの来訪に驚く双子だったが、またすぐ浮かない表情に戻る。

 自分たちもそうだが、休息を取らないといけないのはミロクとミイナも同じだろう。

 

 

「ねえ。使えるかもしれないんだけど」

「え?」

 

 

 迷う暇も理由もない。シキはフジタの依頼の一連を話した。

 

 怪しい音とその発信源。ミナトが捕まえたマモノ。

 ロア=ア=ルアの細胞を移植されたマモノなんてそうそういるわけがなければ、そいつが偶然都庁の屋上にいることだってありえない。断定や確証がなくたって、これが原因としか思えない。

 

 話を聞き終えたナビ2人はキーボードを叩く指を止めて目を見開いた。

 

 

「ロア=ア=ルアの細胞……!? そうか、それなら集団催眠も……!」

「これを原因と仮定するなら、帝竜ロア=ア=ルアの周波数が失踪者の捜索に使えるんじゃない? 帝竜それぞれのデータ、あるでしょ。……言っておくけど、仮定だからね」

「いいえ、可能性は高いと思います。今すぐロア=ア=ルアの周波数を感知に組み込んでみます!」

 

 

 ナビは再びモニターと向き合い、膨大な情報を処理、操作していく。

 観測班や作業班が都内に設置したカメラから送られてくる映像が次々と切り替わるのを眺め、シキはあの言葉を思い出していた。

 

 

『日暈ナツメは信じるな』

『気を付けな? あの女が望んでるのは、別のことかもしれねぇ』

 

 

 どちらもタケハヤが口にした言葉だ。

 

 自分の記憶を消した人物が脳裏に浮かぶ。

 

 

(……ナツメ)

 

 

 あの女が普通の人間よりも異能力者に価値を見出すのは、彼女に関わった者なら知っている。ムラクモが清廉潔白なだけの組織ではないことも、なんとなく悟られているだろう。それを知ってムラクモを抜けた人間だっていた。

 

 ナツメも、自分たちが清濁併せ持つ存在ということは重々承知しているはず。

 

 けど、

 

 

(私の記憶を消した理由は?)

 

 

 10年前、なんであんたは私の記憶を消した。

 

 幼少期は生きるか死ぬかの訓練の毎日。誰かと交流する暇もなければ、自分以外の子どもがムラクモで訓練を……人体実験を受けていることも知らなかった。それを知った──子供心に悟ったのは、初めてタケハヤと出会った時だ。

 

 あいつと過ごしただけのわずかな間の記憶を、なぜわざわざ頭をいじってまで塗り潰した。タケハヤ達の話を聞いて、私がSKYに寝返ることを恐れていたのか。

 

 

「……」

 

 

 つむじの手術痕を指でなぞる。

 

 彼女を問い詰めなければならない。そのためには一刻も早く見つけ出さなければ。

 

 ムラクモ機関総長、日暈ナツメ。

 

 あんたは今、どこにいる。

 

 

 CHAPTER4 End

 



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CHAPTER4 あらすじ

 各チャプターごとにあらすじとその時点で載せられる主人公2人の情報を設置しました。話の内容をざっくり把握したいときにどうぞ~。



 

 

    CHAPTER 4

熱砂のDプラント The Tri-Nitro

 

 

 ~あらすじ~

 

 

 ある朝、一般、自衛隊、ムラクモを問わず大勢の住民が忽然と姿を消してしまう。その中にはナツメも含まれていた。

 混乱する中、新たに2体の帝竜反応が観測された。失踪した人々の捜索をキリノ、アオイに任せ、13班は1体の帝竜討伐を目標に国分寺に向かう。

 砂漠と化した国分寺。その中央にある工場に入った13班を、タケハヤ、ネコ、ダイゴが待ち受けていた。3人から工場の攻略勝負を挑まれ、ミナトとシキは帝竜のもとへ急ぐ。しかしミナトは未だ火に対するトラウマに、シキは謎の頭痛に悩まされ、思うように進めない。

 

 なんとか工場の奥まで進んだ13班はSKYとの3度目の勝負に挑む。戦いの中、ミナトはついに火を使い、シキも意地で危機をねじ伏せ、SKYを打ち破った。その戦いを見ていたアイテルが、勝利した2人を『竜を狩る者』と見極める。

 ドラゴンの存在、SKYがムラクモを敵視する理由。明らかにされる事情を聞いた13班は、想いを新たに工場の主、帝竜トリニトロに挑み、撃破に成功。自爆に巻き込まれそうになるが、タケハヤの決死の行動で九死に一生を得た。

 攻略途中で音信普通となったアオイたちの安否を気にしつつも、大怪我を負ったタケハヤを治療するため、13班はネコ、ダイゴとともに都庁に戻る。

 

 よみがえったシキの記憶。その記憶を消したのはナツメという事実。そして、都庁の屋上で発見された、集団失踪に絡んでいたかもしれないマモノの存在。

 キリノとアオイが見つからないまま、事態は不穏な方向へ動き始めていた。

 

  * * *

 

13班メンバー

 

【飛鳥馬 式 / アスマ シキ】

 スチューデント♀ / デストロイヤー / ボイスタイプG(S.R様)

 主人公その1。ムラクモ出身のチート気味女子。性格キツめ。

 自身も相手も「友だち」と認識した相手はミナトが初めて。本人は別に友だちがいようがいまいが気にしないが、14年生きてきて初めての友人関係を築く。

 幼少期の頃、タケハヤと出会っていたことを思い出す。彼に対する態度も若干柔らかく……だめだやっぱムカつく。ということでつんけんするのは変わらない。

 

【志波 湊 / シバ ミナト】

 サイキック / ボイスタイプC(H.Y様)

 主人公その2。一般家庭出身。ヘタレ。ちょっと成長した。ビジュアル未定/なしの方です。

 吐いちゃったけどゲロインではない……はず。万全ではないがようやく火属性を扱えるようになった。

 シキと友人関係を築けて1歩前進。バイタリティも成長した。

 あとはキリノとアオイを始め、失踪者さえ見つかれば……。

 

 

 主人公については物語が進む中で情報を追加・編集していきます。

 



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CHAPTER 5 目覚めた狂気 The Sleepy - Hollow
23.アオイ


半分を突っ切りました。今回から5章掲載開始。
一番ショッキングだったあのシーンが皮切りです。地獄の釜の蓋が開く。



 

 

 

─────────────

CHAPTER 5 目覚めた狂気

 The Sleepy - Hollow

─────────────

 

 

 

 

 

「はい、こちらムラクモ本部……タケハヤが?」

 

 

 ロア=ア=ルアのデータをインプットするナビたちのもとに1本の通信が入る。

 ミロクが呟いた名前を耳聡く聞き取り、シキはぴくりと肩を揺らした。

「了解」と返して通信を切ったミロクは作業する手は止めずにシキに声をかける。

 

 

「おい、シキ。……おまえはゆっくり休めたか?」

「まあ」

「さっき、タケハヤが目を覚ましたみたいだ。まだ医務室にいるはずだから、一度、話を聞きにいってみてくれ。竜のこと、総長のこと……なにかわかることがあるかもしれない」

「わかった」

「ミナトも呼ぶか?」

「いい。休ませといて。私が行く」

 

 

 自分は幼い頃からムラクモで訓練を受けてきたので非常事態が続いても対応できる。

 しかしミナトは違う。戦闘に慣れたとはいえ軍人ではない彼女の体はそろそろ限界が近い。少しでも休ませておいたほうがいい。

 

 捜索をナビに任せ、1人で医務室に向かう。

 ドアを開けると、ほのかに料理の匂いが漂う中、ユキが鼻息を荒くしてネコを説得していた。

 

 

「ちょっと……ちゃんと全部食べなさい! 怪我、治らないわよ?」

「だってアタシ、魚嫌いだもん……」

「ネコちゃんなのに?」

「ネコじゃないってば! アタシの名前は寧子! っていうか、そんなに怪我してないし! 太るからあんま食べなくてい~の!」

 

 

「ね、い、こ!」と自分の本名を連呼しつつ、ネコはおかずの焼き魚を遠ざけようとする。

 意地を張る彼女にユキは思わせぶりに腕を組んでため息を吐いた。

 

 

「ふぅん……? ちょっとぽっちゃりしてるくらいのほうが男受けはいいのにねー……?」

「うっそ!? マジで!」

「だから、ちゃんと食べなきゃダメよ? 貴重な食料なんだしね。……あ」

 

 

 ユキがこっちに気付いた。傍にいたナミに食事が乗っているプレートを渡し、早足で寄って来る。

 

 

「シキちゃん! やっと戻ってきた。さあ、包帯を巻き直すからこっちに来て」

「……タケハヤは?」

「あら、お見舞い? それなら、ここで待ってて。タケハヤくんも、すぐに戻ってくると思うから」

 

 

 先刻医務室を抜け出したことを怒っているのだろう。有無を言わさぬ勢いで小さなスペースに引きずり込まれ、服を脱がされ、じっくりと薬を塗られ、手早くきつめに新しい包帯を巻かれる。

 

 

「はい、おしまい。あなたも新しく来た子たちも、治療はちゃんと受けなきゃダメなんだからね?」

「それじゃあ、なにかあったらナースコールで呼んでください」

 

 

 ユキはナミと一緒に持ち場に戻っていく。

 カーテンを開けてスペースから出て、とりあえずダイゴとネコに声をかけた。

 

 

「タケハヤの目が覚めたんだって?」

「……おまえか。いろいろ世話をかけてしまったな。もう1人はどうした」

「休憩中」

「そうか……。こいつは口が裂けても言わないだろうから、俺がこいつの分まで言っておく。……ありがとう」

 

 

 軽く頭を下げるダイゴにどう返していいかわからず、別にと返す。

 むぐむぐと口を動かしていたネコが水と一緒に料理を飲み下し、聞き捨てならないというように口を挟んだ。

 

 

「だって、うちらがムラクモにされてきたこと考えたら……貸しのほうがずーっと多いじゃん!?」

「……まあ、な。だが、考えてみれば俺たちはそのおかげでタケハヤに出会えたし、SKYの仲間もできた。そう悪い人生でもなかったのかもしれないぞ?」

「あんたたちがタケハヤのこと好きだっていうのはわかった。 で……」

「はええええ!? べべべべつにアタシはそーゆーんじゃないよ!?」

「人の話は最後まで聞け」

 

 

 悲鳴を上げて飛び上がるネコに耳を塞ぐ。顔を赤くして猫耳を揺らす彼女の慌てぶりに、ダイゴがやれやれと呟いた。

 

 

「ネコ、おまえはわかりやすすぎる。ま、あいつは俺とネコの恩人だからな。慕うのも当たり前の話だ」

「恩人?」

「ああ。……タケハヤがいなくなって半年ぐらい後、俺たちもムラクモを脱走した。ボロボロの俺たちは、どこに行くなんてアテもなく……きっと野垂れ死ぬんだろうと思っていた。そこに、あいつが助けにきてくれたんだ。俺たちの噂を聞きつけて、東京中駆けずり回ってな……」

 

 

 あの男が息せき切って街を駆け回る?

 そんな姿想像もつかない。頭に浮かぶのはいつも通りの皮肉な笑みだ。

 とりあえず、ダイゴの話通り3人が合流したことがSKYの始まりらしい。

 

 ムラクモでの過去を話すときとは一転、渋谷に思いを馳せるネコは楽しそうに宙を見上げた。

 

 

「だけど、渋谷に来てからは天国だったよね~♪ お腹は毎日ペコペコだったけど……痛いことされないし、遊んでても怒られないしさぁ」

「そんな生活をしている間に1人2人って仲間が増えてな……SKYってグループになったわけだ」

「つまり、SKYって一体どんな組織よ?」

「勘違いされると困るんだが……SKYは組織と言うほどお堅いモノじゃない」

「そう、あそこはうちらの……居場所。うちらは家族とか、いないからさ。SKYが家族みたいなモン♪ タケハヤがパパで、ダイゴがママ?」

 

「……ママ……?」

 

「俺がママって柄か……」

 

 

 ネコが口にしたポジションの違和感にダイゴを見上げる。大柄で筋骨隆々、顎ヒゲを生やし黒い肌に刺青を入れたママは、いやいやと頭を横に振った。

 同調して頭を振っていると、不意にネコが声を潜めて名前を呼んでくる。

 

 

「ねえ、シキだっけ。あんたもそうなの?」

「なにが」

 

「……10年前さ、アタシたちと同じとこにいた?」

 

「……」

「アタシたちは知らなかったけど……タケハヤが研究所を抜け出したときさ、誰かと一緒にいたっていうのはなんとなく覚えてるの。それがあんたで、だからタケハヤはこっちに来ないかって誘ったのかなって」

「……」

「あんたも10年前の記憶がないとか言ってたでしょ? あんな人体実験なんて受けてたら、記憶が飛んだっておかしくないし──」

 

「よォ……来てたのか」

 

 

 答えずに黙っているとタケハヤが戻ってきた。

 反射的に眉間にしわが寄ってしまう。直そうと思わなかったこともないが、意識しても気が付けばこうなっているのでやめた。

 

 睨むように見つめてもタケハヤは表情を変えない。

 国分寺では5人の中で最もひどい怪我を負っていたのに、歩く姿は自然体だ。青いマフラーの下からわずかに見える包帯を除いて。

 

 

「なんで出歩いてるの? 重傷者は休んでなさいよ」

「あ? おまえ……俺のこと心配してんのか?」

「な、別に心配なんて」

「かっかっか、柄じゃねェよ! 元がオンボロの体だからな。多少の怪我じゃ、今さら変わんねェ」

「だから心配なんてしてない!」

「そうかい。……正直、この見慣れねェ部屋で目覚めたときはビビったぜ? あの10年前に、戻っちまったんじゃねェかとな……」

 

 

 タケハヤは首を傾け、医務室を見回した。

 

 

「ま、悪気があったわけじゃねェようだし? 好意は受け取っておくけどよ」

 

 

 だから医務室を出て都庁をほっつき歩いていたのだろうか。

 安全確認はできたようで、彼は肩の力を抜き看護師たちの仕事風景を眺める。そしてふと真剣な顔になってこっちを見てきた。

 

 

「……アイテルに聞いたぜ。ナツメが消えて、仲間たちとも連絡が取れてねェらしいな」

「……まあね」

 

「あのクソ女が消えたのはバンザイだけどさ、仲間がいなくなっちゃうのは……ツラいじゃんね……」

「どこかでなにか、おかしなことが起こってる……そんな予感がする。タケハヤ、俺たちもそろそろ渋谷に──」

 

『おい、13班!』

 

 

 ミロクの声が割り込んで会話が中断された。

 どうしたと訊く間もなく少年は「キリノたちの居場所を特定した!」と告げる。

 

 

『シキ、ミナト! 至急、司令室に来てくれ!』

 

「なに、仲間って、キリノがいなくなってたの?」

 

 

 ネコが首を傾げる。知ってるのか振り返ると彼女はうんと頷いた。

 

 

「キリノとは研究所にいた最後のほうで、ちょっとだけ会ったことあるよ? って言っても、向こうはそのときド新人でめちゃくちゃテンパりまくってたから覚えてないだろうけどね……」

「ふーん……私はムラクモ本部に行くけど、あんたたちどうすんの?」

「関係ない話ではなさそうだからな。俺たちも聞かせてもらう」

 

 

 ダイゴとネコが1歩進み出る。

 タケハヤは黙ってなにかを考え込んでいたが、シキが医務室を出ると後についてきた。

 

 ムラクモ本部に上がって司令室に入る。先に来ていたリン、マキタとミナトが振り返って4人を迎えた。

 

 

「シキも来たか! ん……おまえたちは?」

「昔ナツメに世話になったモンだ。よかったら、一緒に話を聞かせてくれ」

「……そうか、わかった」

 

(世話って……)

(ネコ、黙ってろ)

 

 

 後について入室してきたタケハヤたちにリンは目を瞬かせる。ぶつくさ言い始めようとしたネコを素早くダイゴがたしなめた。

 この人たちは大丈夫ですというように頷くミナトにリンも頷き、ナビたちに向き直る。

 

 

「時間がかかってしまって、すみません……やっと、キリノたちの居場所を特定できました」

「4点ロケート演算からの推測値出力……ポイントX35.686、Y139.745……衛星接続作動」

「観測班、モニタリングどうぞ」

「このポイントは……東京タワー……?」

 

 

 モニターに紅白の鉄塔が現れた。カメラはタワー全体から下部分へ視点を移し、地上を映し出す。

 

 

「は、」

 

「え……」

 

 

 無音になった司令室に「なに、これ」と声が漏れる。

 ネコの呟きと気付くのにかなりの時間がかかった。それほど、画面の中の世界を認識するのは困難すぎる。

 

 目の前に地獄がある。

 

 自衛隊、ムラクモ、一般、都庁から消えていた多数の人間がそこにいた。

 文字通りの血の海で、全員が倒れている。五体満足であればそうでない者も、目を閉じていれば見開いている者もいる。

 人間だけじゃない、同じように何体ものドラゴンも転がっていた。

 

 

「……な、なに……これ……みんな……死んでるの……?」

「悪趣味だな……なんか、胸クソ悪ぃものを……思い出すぜ」

 

 

 ネコが唇をわななかせ、タケハヤが眉間にしわを刻み服の胸元を握った。

 

 

「おい、キリノは……? アオイは……? まさか……!」

 

 

 リンの声にさらに戦慄が走る。

 息を呑む音、体が震えて起きる衣擦れが連続する中、口もとを押さえていたミナトが上擦る声で叫んだ。

 

 

「キリノさん! アオイちゃん!」

「どこっ?」

「下、左のほう!」

 

 

 クロウを着けていない指先が画面に向かって伸び、生きている人間を探し出す。

 死体ばかりが転がる中、キリノとアオイだけが辛うじて立っていた。

 

 

『セ……パイ、聞こ……ます……か!? こち……には大量の……が……』

『いけ……い……逃……ろ……!』

 

 

 国分寺で受けたノイズのひどい通信を思い出す。自分たちがトリニトロと戦っていたとき、アオイたちはドラゴンに襲われていたのだ。

 

 人もドラゴンも等しく、どちらのものかわからない血肉を飛び散らせ事切れている。

 画面越しの惨状をくまなく観察し、シキは気付いた。

 

 

(いない)

 

 

 いない、いない。

 

 あの女が、いない。

 

 

「まさか……」

 

 

 満身創痍のアオイが銃を落として膝を着く。キリノが震えてかすれた声を絞り出した。

 

 

『ア……オイ……くん……もういい……やめて……くれ……』

 

『ダメ……都庁のみんなを、守れなかった……。だからせめて……キリノさん……だけは……!』

 

 

 涙をこぼし、声を震わせながらもアオイは奮い立つ。弾切れで使えなくなった銃をしまい、彼女はナイフを取り出した。

 

 

『センパイに……約束……したんだから……』

 

 

 ずたずたになったムラクモの腕章がはらりと地に落ちる。

 赤い髪を乱し、それでも唇を噛み締めて立つ姿に胸が締まった。

 

 もういい、逃げろ。アオイまで死んだら──。

 

 

『この結界の中で……まだ生きてるなんて、さすがね』

 

 

 声が響く。

 

 腹に力が込められたわけでも喉を絞った叫びでもない。だがその一声は圧倒的な威圧感をまとい、耳を通って体中に轟いた。

 

 宙に誰かが浮いている。

 

 振り返ったアオイとキリノは、涙が滲む目をゆっくりと見開いた。

 

 

『な……なんで……あなたが……?』

 

 

 ふふっ、と妖艶な吐息が響く。

 そいつは姿を消し、緩慢な動作で、しかし一瞬で地上に降り立った。

 

 

『でも、しぶとさだけがS級なんて、見苦しいわ……』

 

 

 妖しい桃色の髪。体に引かれた同色のライン。ドラゴンのような黄色の2対の目。

 人間じゃない。人間じゃないが、姿形の原型は人間だ。

 顔は似ても似つかないけれど、下肢に穿くパンツスーツには嫌というほど見覚えがある。 

 

 そいつが誰か理解するのと同時に、シキは大量失踪事件の真相を悟る。

 

 

「ナツメ……!!」

 

 

 化け物の名前を口にすると、そんなと誰かが悲痛な声をこぼした。

 

 

『……醜い、姿』

 

 

 画面の中、立ち尽くすアオイは、ナツメの背から生える触手を見て吐き捨てる。

 

 

『やっぱり……あんた……恥ずかしい女だ』

 

『ふふふ……相変わらずね、あなた』

 

 

 ナツメは口の端を吊り上げ、狂気じみた笑顔を作った。

 

 ず、と触手が蠢く。

 

 

『くっ……!!』

 

 

 アオイが渾身の力で投げたナイフは、玩具のように絡め取られる。

 

 ぐ、と触手が力んで硬直した。

 

 やめろ、とキリノが懇願する。

 

 

『や……やめろ……これ以上……もう見たくない……っ!』

 

 

 だめ、と後ろに立つミナトが呟く。

 

 

「だめ、だめ……っ、アオイちゃん、逃げて!!!」

 

 

 声は届いたんだろうか。

 

 アオイが何かを探すように視線を彷徨わせる。

 画面の中の目と確かに視線が絡んで、

 

 

 せんぱい、とその口が動いた。

 

 

「やめ──っ!!!」

 

 

 画面いっぱいに赤が破裂する。

 衣服の切れ端、飛び散る肉片、ボロボロになった鞄から転げ落ちるチョコバー。

 

 一目でわかる。綿毛をさらうように、命を摘み取る一閃。

 体から大量の血潮を吹いて、アオイは倒れた。

 

 

『うぁああああああああーーっ!!』

 

『あーらあらあら! ハラワタが丸見えになっちゃったわねぇ……まったく……恥ずかしい女!』

 

 

 キリノの絶叫にナツメの声が上書きされた。愉快で仕方がないというような彼女の哄笑が木霊する。

 

 

『あはっ……あはははは!!』

 

 

 その声に共鳴するように、ぐにゃり、と東京タワーが歪んだ。

 地響きが大地を揺らす。ある者はよろめき、ある者は何かにしがみつき、モニターの中の景色を見て目を見張った。

 

 333mの鉄塔が伸びていく。曲がりねじれながら雲を突き抜け、星の浮かぶ黒い宙へ。それこそ竜のように。

 

 

『ようやく、時が来た……新たな神を祝う、宴の始まりよ』

 

 

 異形の塔の最上、空を抜けて宇宙へ至った彼女の声が、世界に響く。

 

 

『みんな、久しぶりね……。私、いくつか誤解していたわ……まず、それだけは謝らないと』

 

『いつか、凡人は無価値だと言ったわね。それは……間違っていたみたい』

 

 

 日暈ナツメは──日暈ナツメだったその存在は、口角を目のすぐ下まで持ち上げて笑った。

 

 

『凡人でも、かき集めれば──神の居城を築く、生け贄程度にはなれたんだから……!』

 

 

 ナビが息を呑んで、カメラを作動させる。

 ついさっきまで地に転がっていた大勢の遺体は、跡形もなく消えていた。

 

 

「生け贄って、まさか……!」

「あいつ……っ!!」

 

『頑張った「仲間」たちに、お礼をしないとね。遠慮なく、楽しみなさい……。ねぇ、キリノ……聞こえてる?』

 

 

 キリノは微動だにせず、赤く濡れた地面で項垂れていた。

 彼の返事など最初から期待していなかったのか、彼女はお構いなしに喋り続ける。

 

 

『愚かで悲しいあなたに、最後の役目を与えるわ。この私の力が、いかに素晴らしく偉大なものか……見届けるの。光栄な役目でしょう? ふふ……あははは……! 他のみんなも、充分に役立ってくれたわ! あなたたちのおかげで、私は「狩る者」を越える、宇宙最高の力……「竜の力」を手に入れたのだから』

 

 

「我が名は」。

 おぞましい女の声が直接頭の中に響いてくる。

 

 

『我が名は「人竜ミヅチ」……新たなる神の名、覚えておきなさい。さて……まずは、あの邪魔な野良犬を懲らしめてあげなくてはね』

 

 

 かつてドラゴンを狩るためムラクモ機関で指揮をとっていた長は、最悪の竜として宣誓した。

 

 司令室のモニターに移っていた反応が一瞬にして消える。

 

 

「も、目標の反応……西に移動……一体……なにを……?」

 

 

 ミロクが機器を操作して反応を追う。

 自らを竜と名乗った彼女の反応が渋谷から検知された。

 

 

『眠れる帝竜よ……目覚めなさい……』

 

 

 心臓を鷲づかみにされるような声に続き、ビーッ!! とレーダーが警報を鳴らす。

「Warning」という単語と共に、今まで4回見たことのある印がモニターに表示される。帝竜の反応を示すマークだ。

 

 

「……な、なにが起きてるんだ……!? 渋谷の帝竜反応が……活性化してる!」

 

「し、渋谷って……!」

「あのアマ……ふざけた真似しやがって……っ!!」

 

 

 ネコが顔を青くして渋谷がある方角に体を向け、噛み締められたタケハヤの歯がギシリと音を立てる。

 

 

『次はアメリカね……あの女、生きているかしら?』

 

 

 最後に呟きを残して、ミヅチの声は聞こえなくなる。

 どこにも反応が見られないことを確認して、ナビ2人の手が力なく垂れ下がった。

 

 

「ナツメ総長が……そんなバカな……」

「人竜……ミヅチ……」

 

「変わってねェ……あのババァ……なにひとつ、10年前から変わってねェ……」

「やはり、俺たちを実験台にしたのも己の欲望のためだったか……!」

 

 

 タケハヤとダイゴの顔が憤怒の色に染まる。

 対ドラゴン戦線の先頭に立っていた女性はもういない。彼女は私利私欲から人類の敵である竜へと変貌した。

 

 ミロクが乾燥で充血した目を瞬かせ、ミイナが大粒の涙をこぼす。

 

 

「……オレたちは……だまされてたのか……?」

「うっ……うっ……アオイが……キリノが……」

「ば、バカ! まだ死んだと決まったわけじゃない! ……救助に行くんだ! マキタ、レンジャー技能者を召集しろ! あと、看護師の手配を!」

 

 

 リンがモニターに背を向けて振り返る。目に動揺の色を浮かべながらも、彼女はマキタに素早く指示を出した。

 

 

「我々自衛隊は、キリノ、アオイ……および、生き残った民間人救出のため今すぐ東京タワーに向かう!」

「了解!」

 

「俺たちは、渋谷に戻る!」

「……渋谷はうちらの街だ。あのババァの好きには……させない!!」

 

「おまえらは……どうする?」

 

 

 人竜ミヅチは消える直前に「次はアメリカ」と言っていた。そして反応が見られないなら、あいつは実際にアメリカに飛んだと考えられる。

 なら、今最優先で対処しなければいけないのは渋谷の帝竜だ。反応が活性化しているなんて、嫌な予感しかしない。

 タケハヤに尋ねられ、シキはミナトを振り返る。

 

 

「ミナト、私たちも──」

 

「あ……アオイちゃん、は?」

 

 

 蚊の羽音よりも弱い声でミナトが言う。

 

 

「アオイちゃん……キリノさんも……助けないと」

 

 

 視線が絡まない。彼女の焦点は不安定にぶれる。

 まずい。無意識にブレーキをかけているが今にも我を失いそうだ。

 

 足に根が生えたように動かないミナトの両肩を、リンが力強くつかんだ。

 

 

「それは、こっちが引き受ける! それより……渋谷の帝竜をなんとかしたほうがいい」

「これ以上の犠牲が出る前に、な……」

 

 

 言われなくてもそのつもりだと頷く。

 タケハヤにも伝えると、彼は異形の東京タワーが映るモニターを一瞬見やり、「……そうか、好きにしろ」と目を逸らした。

 

 

「タケハヤ、急ごう」

「……」

「おまえらを待ってはいられねェ……! 俺たちは先に行ってるぜ!」

 

 

 怒りを露にするダイゴとネコを率いて、タケハヤが飛び出していく。

 シキは未だ呆然とするパートナーの手を握り、体を引き寄せた。

 

 

「いい、渋谷に行くわよ!? このままじゃとんでもないことになる。被害が広がる前に帝竜を倒すの。今はそれだけに集中するの。いい? 帝竜よ。わかった!?」

「……ぁ、うん……」

 

 

 大声で指示を叩き込まれ、ミナトはなんとか頭を縦に振る。

 

 

「我々も、行くぞ! ……渋谷のこと、任せたよ」

「……東京タワーのほう、頼んだから」

 

 

 リンと視線を交わして頷き合う。

 自衛隊の面々も出て行った司令室には4人だけが残され、ミイナの悲痛な声が空気を震わせていた。

 

 

「アオイ……アオイ……っ! あなたまでいなくなったら、私……! お願い、応答してください! アオイっ、キリノっ!」

「13班は渋谷へ! 渋谷のことなら、SKYが一番詳しいはずだ。協力して、帝竜討伐を! くそっ、反応の活性化が止まらない……」

 

 

 何度も何度もキーボードを弾き、幼い顔が歪む。

 ミロクは椅子から飛び降りてこっちに駆け寄り、小さな手でシキとミナトの手をつかんだ。

 

 

「シキ! ミナト! おまえらは絶対、生きて戻れよ……!」

「死んだりなんかしない。いつも通りあいつらを狩るだけよ。……ミナト、行くわよ!」

「……うん」

 

 

 エントランスに駆け下りて都庁前広場に飛び出したところで、視界にマップデータが表示される。

 

 

『……駅前に、正体不明の帝竜反応だ! このまま行くのは危険だな……別の入口から渋谷に侵入しよう』

「了解!」

 

(アオイ、キリノ、こんなところで死なないでよ!)

 

 

 通信機から流れるミロクの案内に従い、シキはミナトの手を引いて走り出した。

 



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24.錯走する繁花街

この時点でデストロイヤーは〜也系のスキルを覚えているので、相手の動きを読めれば大抵の戦闘はどうにかなるのですが、ティラノザウラスは攻撃力が桁違いすぎて何度か死にました。
電磁砲とゾンビの後は同士討ちとか考える手がエグすぎる。



 

 

 

 アメリカ、サンフランシスコ上空──

 

 

 戦闘機が3機、空を切り裂き三角編隊で飛んでいる。

 先頭を飛ぶ1機のパイロットは操縦桿を握り締め、胃の底からうめき声を上げた。

 

 

「くっ……なんだあのドラゴン! こっちはマッハ4で飛んでるんだぞ!? どうして引き離せない……くそっ、くそっ!」

 

『落ち着け、ライトニングV』

 

 

 低くて渋い声が耳に流れ込む。左後方を飛ぶ同僚からの通信だ。

 同期の中でも精神的に落ち着いている彼は淡々と彼我の距離を口にして、右後方を飛ぶもう1人と手短な作戦会議を済ませた。

 

 

『俺たちがここで奴を迎え撃つ。おまえは、その隙に回り込め!』

 

 

 2機は機首の向きを変え、Uターンして後方に飛んでいく。

 

 

『さあ来い、クソドラゴン! 俺たちUSAFが相手に──』

 

 

 昂る声は、一瞬にして爆発音に掻き消された。

 

 

「ライトニングF! G!? おい、どうした……まさか……!」

 

 

 応答はない。

 レーダー上の仲間の反応が、あっけなく消える。

 

 雲海の上で独り取り残されたパイロットは、皮膚の下で顔の筋肉が硬直するのを感じた。

 

 ふわり、と何かが機首に降り立つ。音速で飛んでいることを感じさせない、緩やかな動き。

 レーダーには自分と敵の2つの反応しかない。そして、2つはぴったりと重なっている。

 なら、こいつが。

 

 コックピット越しに、4つの目が自分を映した。

 

 

「はは……おい、ウソだろ……」

 

 

 笑うことしかできない彼に、目の前の存在もまた笑う。

 

 

「ドラゴンじゃなくて、女……? そんな、馬鹿な──」

 

 

 機体が爆破する。

 最新鋭の戦闘機は、火を起こして雲の中に沈んでいった。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 渋谷繁花樹海・宮下公園。

 

 以前よりもミナトの身体能力が成長しているため、走って到着するのに時間はかからなかった。

 目の前の問題の解決に尽力すべしと、なんとか思考を割り切ったのだろう。彼女は前を見つめて唇を引き結んでいる。

 これなら帝竜討伐に集中できそうだと、シキは視線を前方に向ける。

 視覚支援で視界に生体反応が表示され、ミロクが「おい、13班」と呼びかけてきた。

 

 

『あそこにSKYの人間がいる。なにか知っているかもしれない……話を聞いてみよう』

「? あ、あいつ、確か……、って──」

 

 

 1歩踏み出した足が止まる。

 道ばたに人が3人倒れていた。SKYメンバーと思しき男女と、1人の自衛隊員。

 いずれも瞳孔を開いて身じろぎひとつしない。死んでいる。

 

 

「くそ、もう犠牲者が……!」

 

 

 渋谷の帝竜は積極的に動くタイプなんだろうか。今までのようにじっくりダンジョンを進んでいては間に合わない。

 ミロクは帝竜の活動が活性化していると言っていた。ナツメ……いや、ミヅチの働きかけもあって激しく暴れているのかもしれない。

 

 けれど違和感がある。

 

 アスファルトの上に転がる死体はそこまで損傷していない。体に傷を負ってはいるが、ドラゴン特有の牙や爪で付けられたようには見えないのだ。

 

 

(むしろ、これ)

 

 

 鋭い切り傷に、肌に穴をあける銃創。これはまるで。

 

 

「ちょっとあんた!」

 

 

 道の中央にぽつんと立っている青年に話しかける。

 目の前で人が死んでいるというのに、彼の表情はどこ吹く風だった。生気の宿らない目に何度呼びかけても反応がない。

 

 思い切って頬を張ると、ようやく青年は目を瞬かせた。

 

 

「あ……?」

「目、覚めたわね。これどういう状況? 何が起きてる?」

 

 

 矢継ぎ早に質問する。彼は数秒シキを見つめ、ゆっくりと目を見開いた。

 右、左。瞳がさまよい、地面で事切れている3人を認識する。

 

 

「う、うわああっ!」

 

 

 途端、青年は腕をむちゃくちゃに振り回して突き飛ばしてきた。

 

 

「った!? あんた何を、」

「俺じゃねぇ……俺が殺したんじゃねぇ……! や、やめろ……! 誰も来るんじゃねぇよ!」

「は?」

「俺はなにもやってないんだ! なにも知らないんだよォ!」

 

 

 青年は頭を振り乱し、渋谷の街中へ逃げていく。

 その背中を見て「あいつ……確か、SKYのグチとかいうやつだよな」とミロクが呟いた。

 

 

『かなり錯乱してた、一体何があったんだ……?』

「とりあえず、嫌な状況だってことは確かね。行くわよ」

 

 

 宮下通りに入る。当たり前だが人影はない。

 手がかりはないか辺りを見回すと、はるか向こうの空に大きな影が飛んでいた。ドラゴンかと身構える。

 

 

『おい、13班!! 上空から強大な反応が近付いてきてる!! これは……帝竜……!?』

「帝竜?」

 

 

 再び空を見上げた。影は猛スピードで渋谷の空を滑空して向かってきている。

 進行方向には自分たち、後方にSKYメンバーが2人いた。首都高で出会ったタオとアキラだ。

 

 

「に、逃げようぜ……やっぱり、俺たちだけじゃ──」

「バカかっ! タケハヤが戻ってくるまでの辛抱だろうが!」

「く、来るっ!」

 

 

 2人は身構えるが、高速で空を飛ぶ帝竜を真正面で迎え撃つのは無理だろう。そしてこの距離と帝竜のスピードでは彼らを助けるのも無理だ。

 

 ミナトの襟をつかんで、異界化で生い茂る緑の中に飛び込んだ。

 息を潜めて振り向いた瞬間、巨大な何かが視界を突っ切る。

 シキとミナトを烈風が襲い、2人は団子になって転がった。

 

 

「っぅ!」

「わぁ……っ!」

『シキ! ミナト! 大丈夫か!?』

「問題ない……あの2人は!?」

 

 

 葉や小枝を引っかけて顔を上げる。

 帝竜は進路を変えずに、空を赤く染めてタオとアキラの上を飛び過ぎた。

 

 

「く……っ!?」

 

 

 赤いもやのような何かが舞う。

 それを浴びた2人はしばらく呆然としていたが、ぐにゃりと不自然に身をひねった。

 

 

「な、なんだよ、逃げやがった……は、はは……あは……ひ、ひひひ……!」

「なんだアレ……逃げちまいやんの……うへ、ひゃ、ひゃはは……!」

 

『あいつら、様子がおかしい。今のは……なんだ……!?』

 

 

 帝竜反応が遠ざかったことを確認して路上に出る。

 靴底が音をたてた瞬間、笑い続けるタオとアキラが振り向く。不自然に血走った目があちこち動いて、ギョロリとこっちを捉えた。

 

 

「い、ひひ……なんだよ、おまえら……? 俺を殺そう、ってのかよ……あ? 文句あンのか!?」

 

「……正気じゃないわね」

 

 

 男たちはわかりやすく正気を失っている。だらしなく開いた口から罵声と一緒に唾液が飛んだ。

 さっきまでは普通だった。攻撃をくらって頭を打ったわけでもない。こいつらが狂った原因は……、

 

 足もとを見下ろす。アスファルトの上にうっすらと、赤い粉が落ちていた。

 

 

(これは)

 

『あの帝竜がまいていった。たぶん鱗粉だ』

「鱗粉?」

 

 

 ミロクの支援で画像が表示される。広がる木の葉とその向こうにある巨体。帝竜を見た瞬間だ。

 

 ムラクモ本部の機器と13班の視覚は繋がっている。さすが敏腕ナビと言うべきか、ミロクはシキたちが目視した一瞬を使って帝竜の姿を捉えていたらしい。

 画像に写る派手な羽に細長い胴体、複数本の脚。今回の帝竜は蝶のような姿をしていた。

 

 

「俺を殺すんじゃねえ……俺を……殺すんじゃねぇよ!!」

「こええよぉおお……頭ン中かき混ぜられてるみてェだ……!」

 

 

 タオが凄み、アキラが頭を抱えてうずくまる。

 医者に見せたほうがいいかもしれないが、帝竜を倒すことが最優先だ。こんなところで時間は食えない。

 

 たじろぐミナトを下がらせてシキはステップを踏む。

 足取りが覚束ない相手の剣を避け、アキラの鳩尾に拳を、タオの首に手刀を入れた。

 

 

「が、ぁ……」

 

「よし、気絶させた。しばらくは起きないでしょ」

『やっぱり様子がおかしいぞ……あの帝竜、どうやら人の精神を錯乱させる能力を持っているみたいだ。……だとしたら……まさか……この街の惨状は……人間同士で……!?』

「人間同士!?」

 

 

 ミナトが血の気のない顔をさらに青くさせる。

 数分前に自分たちがいた入口を振り返る。死んでいた3人と、今気絶させた2人。全員があの帝竜に狂わされたのか。

 

 

『これは……やばいぞ……一刻も早くあの帝竜を止めないと……!』

 

 

 地面に降りかかる鱗粉。フロワロ。そして流れる血。

 赤に染まりつつある渋谷の街を、13班は走り出す。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 同刻、アメリカ、ホワイトハウス──

 

 

「……報告です! 『人竜M』の攻撃を受け、帝竜討伐部隊はすべて壊滅……! 人竜Mは、そのまま高速度でこちらに近付いてきています!」

 

 

 軍と大統領室の連絡を担うマクガイバー氏が駆け込んでくる。

 彼の口から嫌な報告を受け、エメルは唇を噛んだ。

 

 

(ナツメめ……我々にとって、最悪の敵になったな……)

「人竜に対し、迎撃準備! すべての戦術兵器の使用を許可する!」

「ハッ!」

 

 

 マクガイバー氏は堅苦しいスーツ姿から想像できない速さで走っていく。

 彼を見送るエメルの背中に、ミュラー大統領が静かに声をかけた。

 

 

「……なぜ、黙っていたんだい?」

 

 

 もちろん、日暈ナツメもとい人竜ミヅチのことだ。

 

 ミヅチの声は、日本だけでなく地球上の人間の頭に届いていた。さらに彼女は宣戦布告後アメリカに現れ、たった1人で軍を翻弄している。

 ただの竜ではなく人竜。元人間。そして恐ろしい力を持って暴れている狂気。

 エメルは眉間にしわを寄せたまま大統領を振り返る。

 

 

「彼女の存在は、計算外でした。『アレ』をそんな目的のために使うなんて──」

「ふむ……『アレ』とは、なんだね」

 

 

 人竜だけでなく、ドラゴン襲撃時から臭っていた謎。

 エメルがいい顔をしないので追求はしなかったが、今の惨事と関係があるのなら、知らなければならない。

 

 

「君はいつも口をつぐんでいたが……そろそろ、教えてくれてもいいのでは?」

「……」

 

 

 エメルは目を閉じ、すうっと息を吸い込んで口を開く。

 

 

「『ドラゴンクロニクル』」

 

 

 ドラゴンクロニクル。聞いたことのない言葉だった。

 

 

「有史以前の戦いから引き継いだ、ドラゴンの神を殺傷せしめる……鍵です」

 

 

 黙って話を聞きつつも、大統領の傍らに立つデイビッドは混乱して目を瞬かせる。

「有史以前の戦い」に「ドラゴンの神」、それを殺傷せしめる、「鍵」。

 なんだそれは、と口が動きそうになった。

 

 ミュラーが大統領になる以前から、エメルは不可思議なことを言っていた。そしてドラゴンが来てから指揮に立ち、その手腕を遺憾なく発揮している。

 加えて今言った内容。

 まるで、ドラゴンなんて怪物がはるか昔から存在していて、彼女はそれを「知っていた」、ような。

 

 デイビッドが宇宙人を見るような目を向けるのも意に介さず、エメルは続ける。

 

 

「日本に『狩る者』の芽が育ちつつあり……私はかつて、その組織の長と協力関係にあった。そのときの……致命的なミスです」

 

「有史以前──ずいぶんと昔の話だ」

 

 

 デイビッドと比べ、大統領は冷静に頷く。

 

 

「かつて人類は、ドラゴンと刃を交えたことがあると?」

「そうです、古代の海洋帝国の時代……ドラゴンの神は人類を襲った。そのとき私が作っていたのが、神を殺すための技術……ドラゴンクロニクル。当時は未完成だったアレを、ナツメは、自らの欲望のために完成させた。……それも、最悪な形で」

 

 

 よりによって、ドラゴンを殺すために積み上げてきた物が、ドラゴンの側になることに利用された。

 ナツメは腹に一物含んでいるような雰囲気があるとは思っていた。だが彼女は人間だ。

 人間だと……思っていた。

 まさかこんな形で。

 

 変にごまかしても意味はない。エメルは率直に事実を述べる。

 

 

「人竜は、私の戦いの経験にもない……。おそらく、この国での戦いは……」

 

 

「負けです」

 

 

 痛いほどの沈黙が部屋を包む。

 

 

「ふむ……」

 

 

 ミュラー大統領は何も言わなかった。

 エメルを責めもせず、ミヅチに対する怨嗟も言わず、部下の名前を呼んだ。

 

 

「……デイヴ!」

「……はい」

「生き残っている市民を、バンカーに誘導しろ。すぐにだ」

「し、しかし、それは……!」

「反論の許可は与えない……急げ!」

「は、はい!」

 

 

 秘書官は走っていく。

 2人きりになった部屋で、大統領は組んだ手に顎を乗せた。

 

 

「君が言うのだから、おそらく我々は……人竜とやらに勝てないのだろう。だが、我が国は世界の代表としてね……そう簡単に剣を退くわけにはいかないんだ。死んでいった世界の同胞たちに、ただ『負けました』などと……報告できない。あがけるだけ、あがいてみるさ」

 

「……」

 

 

 太古の景色を思い出す。青く美しい海で、今は亡き種族が繁栄していた時代。

 

「あがけるだけ、あがく」。

 

 その末につかむのは、悲願の勝利か、繰り返される破滅か。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 以前よりも荒廃している街中を進む。

 活性化しているのは帝竜だけではないらしく、あちこちから獣のうなり声が聞こえた。

 それから、狂ったような人の声も。

 

 

「くっそ、邪魔ね!」

「急がないと……! ……あ、」

 

 

 牙を剥いて襲いかかってくるマモノたちを薙ぎ倒していく。

 走る調子を上げようとしたシキとミナトの前に、ふわりと人影が現れた。

 

 

「アイテル……」

 

 

 そういえば、トリニトロと戦い、国分寺から都庁に移動していた間、彼女はどこにいたのだろう。

 

 

「星が壊れていく……またこの光景を見ているのね」

 

 

 さざ波のように風がざわめく。長い髪をなびかせ、アイテルは目に憂いを湛えた。

「また」とはどういう意味だろう。まさか彼女は、2020年以前にもドラゴンと遭遇したことがあるのか。

 

 

「……タケハヤが待ってるわ。帝竜を倒すために、あなたたちにも協力してほしいの」

「もちろん。こっちはそのつもりで来たのよ」

「……よかった。正義の味方、だったかしら?」

 

 

「タケハヤも言っていたわ」とアイテルは笑う。

 路上にいるのは彼女と自分たちだけで、青いマフラーなびかせる彼はいない。

 もう帝竜と戦っていることはないだろうが、傷だらけの体で動き回っていては……。

 

 

「タケハヤは?」

「SKYのアジトに、みんなと一緒にいるわ。強がってるけど、あの子の体はもうボロボロ……だからお願い、タケハヤを助けてあげて」

 

 

 やはりと舌打ちする。ベッドから身を起こしてそう時間が経っていないのに、帝竜に突っ込むつもりか。

「あのバカ」と呟くと、アイテルが優しく目を瞬かせた。

 

 

「心配してくれているの?」

「だからそんなんじゃない。別に……あんたほどあいつに思い入れないし」

「思い入れ……そう、ね」

 

 

 シキの言葉を肯定し、アイテルはゆっくりと頷いた。

 

 

「……タケハヤたちと暮らして、私は少し変わった……変わってしまった。今、私があなたたちを呼んだのは『星を守る者』として……? それとも、1人の女として……?」

 

 

 赤い瞳が渋谷の空を見上げる。

 翼をばたつかせて逃げる鳥を、何倍も大きいドラゴンが噛み砕いた。

 頭上から降る千切れた羽を両手で受け止め、彼女は苦しげに頭を横に振る。

 

 

「なんだか不思議な気持ちよ。この街を汚す帝竜を、私は許しておけない」

 

 

 彼女も抗う気は充分なようだ。ローブを大きく翻し、背を向ける。

 

 

「アジトはここから西──待ってるわ」

 

 

 アイテルは西に続く道を歩いていく。

 儚げな雰囲気をまとう背中は、瞬きひとつすると消えていた。

 

 

『おい、13班。とりあえず……言われたとおりアジトに行こうぜ。ここはSKYとの協力が得策だ』

 

 

 以前までいがみ合っていた連中と共闘になるなんて。

 あまり想像できないが、やるしかないだろう。ここは彼らの領域だ。

 

 ミロクの案内に従い宮下路地に入る。

 路地の中も──ドラゴンが来た時点で平和とはほど遠いが──以前にもまして凄惨な状態だった。

 

 

「グチ、どこ行ったのよォ……アハ、ハハ……! なんかマジ、ウケるんですけど……! 寂しいとか思っちゃってアタシ……! アハ、ハ、ハ……!」

「異常、ないし……うへ、へへ、へへ……!」

 

「ひどい、こんな……」

 

 

 イノにスイ、正気を失い路上で立ち尽くすSKYメンバーたちを見てミナトが顔を歪める。どうしようという表情で彼女は振り返った。

 このままでは危ないが、SKYメンバーは何人いるかわからない。被害が把握できていないまま1人ずつ救助していては、先に渋谷が壊滅するかもしれない。

 

 

「ドラゴンがいなければ放置しても……いや、同士討ちも起こしてるんだった。ドラゴンを狩りながら、錯乱がひどい奴は気絶させていく。あんた、気絶させるなんて技は持ってないでしょ。私がやるから、その間ドラゴン押さえられる?」

「うん、やってみるよ」

 

 

 ミナトの返事を待っていたかのように咆哮が響き渡る。

 木や朽ちかけた建物を薙ぎ倒し、帝竜に勝るとも劣らない巨大なドラゴンが現れた。

 

 

「な、でか!?」

「これ……ティ、ティラノザウルスってやつ……っ?」

『気を付けろ! デカいだけあってパワーも強いぞ!』

 

 

 後ろの2本足で立つドラゴン、ティラノザウルスならぬティラノザウラスが再び吼える。

 頭から尾まで大きな紫の棘が生える赤い巨体。その向こうの開けた場所に、ちらりと人影が見えた。

 SKYの人間だ。このまま戦ったら巻き込まれる。

 

 

「シキちゃん、行って! あの人たちをお願い!」

 

 

 ミナトが両手から冷気の嵐を放った。ティラノザウラスが複数の氷柱に拘束される。

 冷たい突風に乗って、シキは脇を駆け抜けた。

 すれ違い様に観察してみる。見るからにパワー型のドラゴンだ。ミナトの足止めもそうもたないだろう。暴れ出す前にSKYの人間を離れた場所に移さなければ。

 

 

「あんたたち! 後ろのドラゴンが見えないの!?」

 

 

 ふらふらと立っている2人を怒鳴りつけてみるが、やはりまともな応答はない。

 気絶させるしかないかと手を振り上げたところで、片方の女が引きつけのような笑い声を上げた。

 

 

「ひはは……私たち、ひひ……ホント、仲良し3人組だよね!!」

「おう、俺、マキ、ユウ、トラ、ジン! 3人あわせれば怖いものなんてねーって!」

「へひひ……そう思うよねぇ、ユウ?」

 

 

 ユウと呼びかけ、女は脇を見る。

 虚ろな目は地面に転がる死体を見て、しかし何の反応もなく目の前に立つ男性に戻された。

 おそらくついさっきまで生きていたであろう、ユウという誰か。そして、傍で絶命している別の2人。

 

 

「ギハハッ……おれたち4人の友情は永遠だな……!」

「にしてもさあ……ひゃひひ……ホントに私たちって──」

 

 

 男女は泣きながら同じ会話を繰り返していた。

 

 

「……」

 

 

 やりきれずに、鳩尾に拳を叩き込む。倒れる2人を担ぎ、充分離れた茂みに放り込んだ。

 氷が連続して砕ける音を聞き、シキはパートナーのもとに走っていく。

 



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  錯走する繁花街②

渋谷マラソン大会。帝竜との戦闘は次回になります。
実際にプレイしてる時に何度も道に迷って大変でした。
そういやなんでドラゴン来た時ダイゴとネコは都庁にいたのかという疑問もあったのでそこの個人的解釈も入れています。



 

 

 

 ──アメリカ、ニューヨーク下町──

 

 

 血と硝煙の臭いしかしない。死体が転がっていない場所がない。

 

 か細い泣き声を聞き取り、走る体を方向転換させる。

 粉塵で辺りが覆われている中、瓦礫に足を挟まれ動けなくなっていた子どもを救助した。

 

 

「おい、大丈夫か!」

 

 

 子どもは泣きながらなんとか頷いた。足からは血が流れているが、そこまで深い傷じゃない。応急処置でも大丈夫だ。

 ……応急処置してくれる時間を与えてくれるのなら、だが。

 

 殺気を感じ、子どもを抱えて走り出す。

 次の瞬間、自分たちがいた場所が爆発して地が抉れた。

 

 

『──兄! ──兄!?』

 

 

 通信機の向こうで妹が呼んでいる。

 強い彼女のことだからあまり心配はしていないが、今暴れている奴は普通のドラゴンとはケタが違う。

 なるべく声を潜めて「バカ!」と怒鳴った。

 

 

「俺は大丈夫だから大声上げるな! 気付かれるぞ!」

『気付かれたって戦えば──』

「勝てると思ってんのか!?」

『でも……!』

「空軍がほとんど壊滅したんだぞ。近代兵器と異能力者の違い云々の話じゃねえ、奴は相手にするなっ! それより──」

 

 

 轟音と同時に壁にしていた建物が弾け飛ぶ。

 焼けるような空気、むせるような血煙、降り注ぐ礫。持ち前の身体能力を以てしても、すべては避けきれなかった。子どもを庇い、背中に礫を浴びる。

 

 

「ううう……っ!!」

「大丈夫だ。だから声は出すなよ!」

 

 

 体が痛む中、泣きじゃくる子どもを抱えて走る。

 走って走って、息を潜めて走り続けて、足の感覚が鈍ってきた頃、ようやく追撃が止んだ。

 

 

『大丈夫!?』

「だから大声出すな、俺は大丈夫だから! 大統領から市民をバンカーに誘導するよう指令が出たのを思い出せ。今の俺たちの使命は戦うことじゃない……1人でも多くの命を救うことだ」

『……』

 

 

「なんで」と、困惑した声が届いた。

 

 

『なんで、なんで? 帝竜は全部倒したはずでしょ? ついさっき、確かに7体目を仕留めたでしょ!? 雑魚ドラゴンだって、あたしたちほとんど倒したじゃん! なのに、なんで……』

「……なあ、」

 

 

 妹の名前を呼ぶ。兄には素直な彼女は、混乱していてもすぐに返事をした。

 

 

「俺たちが帝竜を倒したのは事実だ。誰にも文句は言わせねぇ、誇りにしていい。けど、死んだら元も子もないだろ。……全員聞け!」

 

 

 本来ならばリーダーにあるはずの指揮権は、今は自分が握っている。彼は帝竜との戦闘、そして直後に現れた化け物がもたらす災禍の中で連絡が取れなくなっていた。

 チームの中でリーダーだけの消息がつかめない。死んでしまったのか、通信機の破損か、詳細すらもわからない。それだけ、地上を襲っている嵐は大きすぎる。

 今は自分たちができることをするしかない。声を張って指示を飛ばす。

 

 

「大統領のオーダー通り、生きてる市民を発見次第、保護してバンカーに送れ! おまえら、なにがなんでも死ぬんじゃねぇぞ!」

 

『了解!』

 

 

 チーム全員の声が重なる。

 

 バンカーに飛び込む。救急隊員に子どもを預けて再び外に出た。

 街に燃え広がる炎は消える気配がない。消防もごくわずかな者しか出動できないのだ。空にあいつがいるから。

 

 

「なんなんだよ、おまえは……!」

 

 

 チームメンバーたちの無事を祈りながら、銃を抜きそうになる手を抑える。

 

 

「ねえ、絶望の声を聞かせて……それが……力を持つ者だけに許された、最高の喜びよ……!」

 

 

 何の前触れもなく現れた、恐ろしい化け物。

 人竜ミヅチはアメリカの地を蹂躙していく。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 渋谷通り、SKYアジト。

 

 辛うじて鱗粉の被害を免れたメンバーが宥めるのを無視し、ネコはクロウから冷気を流していた。

 

 

「ねぇ……まだなの……? アタシ、あのクソ蝶々……絶対に殺すから」

「ネコ、落ち着け。確実に仕留めるためにはあいつらの協力が──」

 

「いた!」

 

 

 タケハヤの言葉を遮ってアジトに飛び込む。SKYメンバーは一斉にこっちを振り向いた。

 

 

「あんたたち……」

「……渋谷の様子、見たか?」

「まあね。ひどかったとだけ言っておく」

「……だろうな」

「許せない。でしょ」

「……ああ、許せない」

 

 

 ダイゴがズシリと重い1歩を踏み出す。

 居場所と称していた街、家族と称していた仲間たちの様子を目の当たりにしたのだろう。普段はネコをたしなめる側の彼も、肌に感じられるほどの怒気を身にまとっていた。

 

 

「早く指示をくれ、タケハヤ……おまえは俺たちのリーダーなんだろ?」

「……ああ、わかってる。13班も来たことだ、そろそろ始めるか」

 

 

「だが、」と言って間が置かれる。

 ダイゴとネコの怒り肩が少しずつ下がっていくのを待ち、タケハヤは静かに言い聞かせた。

 

 

「怒りで突っ走るんじゃねぇぞ? 死人が増えるだけだからな」

「……心得た」

「……」

 

『……待ってくれ。作戦もなしに帝竜に挑むのは、危険すぎる』

「ミロク?」

 

 

 ミロクから通信が入る。耳にはまる通信機がカチリと音を立て、タケハヤたちにも声が届くスピーカーに切り替わった。

 場に揃っている者の中で最も幼い13班専属ナビは、アジトに来るまでの惨状と帝竜の情報を冷静に述べた。

 

 

『あの帝竜は、人間を錯乱させる力がある……つまり、大人数での行動は同士討ちになる危険があるってことだ。もう1つは、帝竜の居場所の問題。さっきからチョコマカと移動してて……くそ……こっちのレーダーでは捕捉しきれない。空を飛んでる相手を全員で追いかけ回すような戦い方じゃ……まるでラチがあかないぞ?』

 

「──んなこたァ、わかってる。だがな、ここ渋谷は俺たちの庭……街のこたァ、隅から隅まで知り尽くしてんだよ」

 

 

 考えなしじゃないとタケハヤは言う。

 節くれ立ち、小さな傷跡がいくつも刻まれた彼の指が3本伸びた。

 

 

「俺、ダイゴ、ネコで3手に分かれて、少数精鋭でアイツの居場所を突き止める。そこに13班が合流して、一気に叩く。飛んで逃げる暇なんざ与えねぇようにな。……こんな作戦でどうだ?」

 

 

 ネコとダイゴが確認を求めるようにこっちを向く。

 ミロクは数秒黙り込み、何度か呼吸を繰り返して了承の意を示した。

 

 

『……なるほど、了解。確かに、現状ではそれが一番早い方法かもな』

 

「俺たちSKYが……草の根分けても奴を探し出す」

「……13班が来るまでに、倒しちゃうかもしんないけどね」

「おまえらは、ここに残って俺たちの報告を待ってろ。……帝竜を見つけたら、すぐに連絡するからよ」

 

 

 ちょっと待てと異を唱えようとして、タケハヤと目が合う。

 据わった目を見て、何を言っても彼は止まらないとシキは悟った。

 ミロクに言われ、予備の通信機をSKYに渡す。

 

 

「よし……行くぞッ!」

 

 

 タケハヤの号令にSKY全員が基地を飛び出していった。

 

 

「……あいつ、死ぬ気?」

「タケハヤさんたちなら大丈夫だよ。……大丈夫だって、思わなきゃ」

 

 

 黙っていたミナトが、自身に言い聞かせるように言葉を漏らした。

 顔をしかめる。作戦中は渋谷から出られないし、帝竜の動きを捉えるまではここで待機していなければならない。最前線にいるのに戦えないことが、自分たちの代わりに怪我人を頼りにしなければならないのがもどかしい。

 

 いつものように仮想の相手を想像し、シキは1人で演武を始める。

 

 しばらく経ち、ウォーミングアップを終えても、通信機は鳴らなかった。

 

 

『もう、そろそろ20分経つぞ……あいつら……大丈夫かな」

 

 

 痺れを切らしたミロクが通信を繋げる。キーボードを叩く音、靴が固いアスファルトを蹴る音、走り続けて乱れる息遣いが混ざり合って耳になだれ込んできた。

 

 

『おい、SKY! 誰か報告ぐらいしろよ! 集団作戦の意味がないぞ!』

 

『ちっ……るせぇガキだな……まだだ、こっちにゃ見当たらねえ』

『こちらダイゴ。神北町方面も、いないようだ。ネコはどうだ』

『はあっ……はあっ……もうちょい……! 追いつきそう……!』

『!!』

 

『い、いたっ……! 帝竜、発見! アジトのすぐ南、渋谷通りに来てる!』

 

 

 無言で立ち上がって手にナックルをはめる。ようやく自分たちの出番だ。

 

 

『よし、ポイント捕捉……! 行き先はマークしといたぞ、急げ!』

 

 

 ミロクに急かされて走り出す……前に、シキはミナトを振り返る。

 

 

「ミナト。今回の帝竜も飛び回るタイプよ。しかもロア=ア=ルアより素早い。わかってるわね?」

「うん。しかもやっかいな鱗粉がある。……やることはちゃんと、把握してるよ」

 

 

 なら充分だ。

 今回は2人だけじゃない、SKYの協力もある。なるべく速く帝竜をしとめる。

 SKYアジトを飛び出し、シキとミナトは再び樹海に飛び込んだ。

 

 目的地を目指して走る中、フーッ、フーッ、と荒れた呼吸が聞こえてくる。

 ネコが獲物を狙う獣のように唸り、自分たちを急かしてきた。

 

 

『13班……早く来てよ……? アタシ……我慢できないかもしんない……』

『おい、やめろ! 1人で手を出すんじゃねェ!』

 

『……くそ、急ごう! 南西のマーカーに向かってくれ!』

「了解!」

 

 

 SKYアジトからすぐの渋谷通りに駆け込む。同時に氷の砕ける音が連続して響いた。

 冷気を発散させるネコが帝竜と向かい合っている。力尽きた仲間たちを庇い、滝のように汗を滴らせて彼女は歯を食いしばった。

 

 

「ハァッ……ハァッ……うちらの家族をよくも……!」

 

 

 傷付いた眼鏡のレンズ越しに猫目が燃ゆる。

 立っているのは彼女1人。帝竜に歯を剥き、かすれた声を絞り出す。

 

 

「こいつだけは……絶対に……!!」

 

「ネ……ネコ!」

 

 

 ミナトが叫ぶ。

 帝竜の前に躍り出る2人の背中を見て、ネコは潤んだ目を見開いた。

 

 

「13班……! お願い……アイツを……」

 

 

 最後まで言葉を紡げず、彼女はがくりと膝を着く。

 シキとミナトが身構えると、帝竜は新たな獲物に興奮するように不快な雄叫びを上げた。

 

 

『鱗粉には気を付けろ! おまえたちまで錯乱したら終わりだぞ!』

「わかってる!」

 

 

 ミロクに言われずとも、精神をかき乱す攻撃の厄介さは身を以て知っている。ロア=ア=ルア戦を思い出し、手早くコンフュカットを身に付けた。

 目に痛い色の羽が大きく動く。一帯の空気がかき乱され、妖しい色の粉が渦を巻いた。

 

 

「しょっぱなから鱗粉……!」

 

 

 だが効かない。開発班の技術の粋が、錯乱を誘う鱗粉を無効化する。

 赤く染まる空気の向こうで帝竜が動くのを見て、シキは構えを変えた。

 細長い前足が鞭のようにしなり、鋭い2本爪が襲いかかる。

 

 

「くらうか!」

 

 

 目の前で舞う赤い霧が歪むのに合わせて身をひねる。伸びてきた前足をナックルで殴り飛ばすと、ギイッと金属をこすったような鳴き声が上がった。

 帝竜は羽ばたいて距離をとる。

 

 今度は何を仕掛けてくるかと思いきや、ふわりと空に上がって飛び去っていった。

 

 

「逃げた!」

 

「くっそ……!」

 

 

 ミロクに追跡を頼む傍らで、ネコが拳を道路に叩きつける。

 すぐに手当をと駆け寄るミナトの手をつかみ、眼鏡をかけ直して彼女は顔を上げた。

 

 

「……アタシは……へーき。だから、早くアイツを追って……!」

「で、でもその怪我は」

「いいから! 忘れたの? アタシ、あんたと同じサイキックなんですけど!」

 

 

 ナメないで、ていうか早く行けと突き飛ばすようにして送り出す。

 

 走っていくシキとミナトを見届け、ネコは路上に倒れこんだ。近くで倒れる仲間を見て、ちくしょうと呟きが漏れる。

 わずかだが、鱗粉を吸い込んでしまった。錯乱ではないようだが、手足が麻痺して動かない。

 まともな足止めにもなれなかった。あの帝竜は小賢しく、四ツ谷にいた奴よりも質が悪い。

 

 

「ちくしょう……」

 

 

 マナを操り、少しずつ麻痺を治療していく。

 首都高で13班に負けたあの日、自分に雷撃を見舞ったミナト本人が麻痺を取り除いたのが悔しくて、治癒魔法をこっそり練習してきた。

 それでも力及ばないのが、また悔しい。

 

 

「ちくしょぉ……!」

 

 

 目の前に横たわる仲間と、今まで死んでいった仲間に誓う。

 あのババアの好きにさせてなるもんか。

 手のひらの上で踊らせているつもりだろうが、10年前のように、あがいてあがいて抜け出してやる。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

『おい、13班! こっちでも反応をキャッチ……帝竜の行き先をマーキングした! 引き続き、帝竜追跡中! 宮下路地エリアの北出口に向かってくれ!』

『ってことは……神北方面かよ。ちょこまか飛び回りやがって……!』

 

 

 ミロクのナビゲーションとタケハヤの舌打ちを聞きながら、宮下通り北に突入する。

 しかし既に帝竜の影はなく、SKYメンバーが頭を抱えて悶えていた。

 

 

「うぐっ……頭が……痛い……!」

『間に合わなかったか……! くそ、追跡も途切れちまった──』

「なによあいつ、速すぎる!」

 

 

 全力で走ったのに追いつけない。複雑に入り組む路地を進むだけでも手間だというのに、ジャングルとなって木々が根を張る街は真っ直ぐ走ることも難しい。

 

 

『……こちらダイゴ!』

 

 

 建物や木を跳び移っていくほうが速いかと顔を上げたとき、ダイゴから通信が入った。

 

 

『帝竜発見、道玄坂エリアだ……上空からこっちに向かってきている! ここは通さんぞ……この○○○で△△△の虫けらが……!』

 

『え……今、なんて……? と、ともかく道玄坂エリアだな……目的地までの道順をマークしておいたぞ!』

 

「す……まね……後、頼む……!」

 

 

 耳を疑いたくなる罵倒は聞き流し、苦しむソウに薬をパスして踵を返す。

 また迷路のような路地を行き来しなければならないのかと舌打ちする。するとタケハヤから通信が入った。

 

 

『おい、シキ! 道玄坂エリアに行くなら、抜け道を使え!』

「抜け道?」

『SKYのメンバーしか知らねェ、秘密の通路ってヤツだ。おまえらが今いるエリアのマンホールから、水路に入ることができる。そこを抜ければ、すぐ道玄坂だ! 俺は万が一に備えて……罠を張っておくことにするぜ』

 

 

 罠って何だ。嫌な予感しかしない。

 

 

(あいつ、また体張るつもり?)

 

 

 国分寺で危機に陥ったとき、タケハヤは生身で帝竜を握り潰して自分たちを助けてくれたとミナトは言っていた。

 ここでも似たようなことをするつもりかもしれない。

 

 

「だから重傷者は寝てろって言ったのよ、あのアホ!」

「あ、焦らないで。心配しなくてもタケハヤさんなら大丈夫だよ」

「焦ってない! あと心配なんてしてないってさっきから言ってる!」

 

 

 怒鳴りながらマンホールを蹴り上げるようにして開ける。

 水路を抜けて道玄下路地に出ると、ドゴンッと大きな音が空気を震わせた。

 地震でもドラゴンが暴れる音でもない。

 何度も自分で聞いたからわかる。拳が何かを殴る音。

 

 

『おい、13班! 隣のエリアに、帝竜反応だ……!』

「了解!」

 

 

 道玄坂に入る。ダイゴが帝竜に飛びかかるのが見えた。

 

 

「ぬうんッ!!」

 

 

 ダイゴの拳が確かに胴に埋まる。しかし帝竜はすぐに身をくねらせ、宙を泳いで衝撃を殺した。

 

 

「なんとしぶとい虫ケラよ……! くうっ……」

 

 

 歯軋りをするダイゴに帝竜が鱗粉を見舞う。

 物理なら耐えられたかもしれないが、鱗粉は屈強な体を内から蝕む。ダイゴの体が不自然に弛緩し、彼は脂汗を滲ませた。

 

 

「ダイゴ!」

「来たか……! なんとしても、ここで仕留めてみせる。SKYの名にかけて……!」

 

 

 ダイゴの隣に並ぶ。帝竜は自分たちを見た瞬間、ネコのときと同じように羽ばたいた。

 

 

「錯乱なら効かな……、っ!」

 

 

 緑色の鱗粉が吹き荒れる。

 跳び退るもわずかに吸い込んでしまった。体が冷や汗を噴くのがわかる

 

 

「こいつ、毒まで……!」

「毒!? ちょっと待って!」

 

 

 ミナトが指先を振り、リカヴァで毒を取り除いてくれる。

 アスファルトを蹴り上げて繰り出した拳は、ダイゴのように容易く避けられた。

 帝竜はギョロロと鳴いて、再び飛び去ってしまう。

 

 

「くそ、また逃げられた!」

「ちいッ……あと……少しというところで……!」

 

 

 ダイゴが咳き込み、喉を押さえて膝を着く。彼は震える手で南の空を指差した。

 

 

「はあっ……はあっ……ヤツは南に向かっている……頼む……13班」

『ほォ、南か……待ち伏せしてて、正解だったな』

「タケハヤ……?」

 

『ダイゴたちが殺りそこねたら、こっちに来るだろうと思ってな……!』

 

 

 通信機の向こうでジャリン、と金属質な音がする。タケハヤが抜刀したのだ。

 

 

『たまには俺にも活躍させやがれ。体はオンボロだが、根性はまだまだサビついちゃいねェよ!』

「だめだタケハヤ、無理をするな!」

『心配いらねェっての……最悪、足止めくらいはできんだろうぜ』

 

 

 不穏な言葉を残して通信が切れる。ダイゴが繰り返しだめだと頭を振った。

 

 

「すまん……! 急いでタケハヤの元に、向かってくれ……! アイツの体は……もう……」

「やっぱり、まずいのね」

「ああ。頼む、俺も回復したらすぐに追う……!」

 

 

 無言で背を向ける。南に向かって駆け出した。

 

 

『タケハヤの現在地を捕捉! 道玄坂を南に下った、駅前エリアだ! 間に合ってくれよ……!』

 

 

 走りながら、自分の眉間にしわが寄っていくのを感じる。

 タケハヤが何を考えているのか理解できない。なぜ自分の体を大事にしないのか。このまま戦えば死ぬだけだというのに。

 そういえば、国分寺で彼は言っていた。命を懸けてでも守りたいものがあるとか、惚れた女のために体を張るとか。

 

 死ねば格好がつくとでも思っているのか? 好きな女を守って、渋谷を守って、また平和な毎日に戻る。あいつはそんなゴールを目指す気がないのか?

 わからない。

 

 

(なんで死に急ぐのよ、バカ!)

 

「邪魔するな!!」

 

 

 進路に飛び出してきたドラゴンを、怒りを込めて殴り飛ばした。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 渋谷入口、駅前交差点。

 

 何度も何度も攻防を繰り返し、尚も悠々と羽ばたく帝竜にタケハヤはくそ、と吐き捨てた。

 

 

「タケハヤ! もうやめて……」

「おまえはすっこんでろ……! これは俺たちの、ケジメの問題だ」

 

 

 アイテルの声を振り切り、剣の柄を握りしめる。

 気味の悪い羽、形容しがたい鳴き声、虫と竜が混ざり合ったような姿、すべてが憎い。

 何より、ナツメが働きかけたというのが癪に障る。

 

 

「そのウス汚ェ羽で、俺たちの空を汚しやがってッ……!」

 

 

 跳躍して接近する。

 渾身の剣閃を浴びせていくが、帝竜は墜ちない。その目で虎視眈々とタケハヤの動きを追う。

 足が地に着く直前、帝竜はぶるりと身を震わせ、十八番の鱗粉を放った。

 

 体が硬直した。全身が悲鳴を上げる。

 

 

「ガッ……!」

「ッ……!」

 

 

 視界が霞んでめまいに襲われる。アイテルが息を呑んで駆けてこようとするのを制して立ち上がった。

 ここで逃がしてなるものか。1秒でも長く、こいつをこの場で食い止める。

 

 そうすれば、きっと、

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 世界中が赤い花に沈んだその日、樹海に変貌した自分たちの街を眺めながら、ネコとダイゴを問いただしていたのは記憶に新しい。

 

 

「……で? 勝手に都庁に行って、あの組織の試験に忍び込んで、死にかけてた人間2人助けて、バアさん挑発して帰ってきたって?」

「……」

「……」

 

 

 様子が変だと思えば、自分をのけ者にして何をやっているのか。

 ぐうの音も出ないという様子で黙ったままの2人を「何か言えよ」と促す。

 謝罪が来ると思いきや、都庁に行ったことを漏らしたネコが言い訳を始めた。

 

 

「だって、10年前にあいつらが喋ってたこと、ホントだったじゃん! ドラゴンなんて何言ってんだって思ってたけど……」

「あの女が俺たちにしていた実験は、このためだったのかもしれん。今後、戦力増強という名目で、SKYに手を出してくる可能性があると思ってな」

「……自分の腹黒いとこ知ってる相手に接近するなんて真似、あの女がするわけねぇだろ。やるとしても、動くのは下っ端だろうな」

 

 

 ドラゴンの獰猛な咆哮が聞こえる。

 ずいぶん物騒になっちまったなぁと思いながら、再び街に巡らせていた視線を2人に戻す。

 

 

「俺を置いていった理由は?」

「……具合、悪そうだったから」

「だから、問題ねぇから気ぃ遣うなっつったろ」

 

 

 ネコは反省せずに頬を膨らませる。ダイゴがすまんと頭を下げた。

 

 

「ムラクモの動向もそうだが、本来の目的も忘れていない。ドラゴンも、あの場に集まっていた異能力者も、おそらく全員見ることができた」

 

 

 本来の目的。

 ドラゴンの存在の確認と、アイテルが言っていた「狩る者」。この星の守り手を見つけること。

 自分ではなることができない、彼女の救世主だ。

 

 SKY以外に力を持つ者が集まる場、狩る者になるであろうS級の異能力者が集う機会といえば、ムラクモしか思いつかない。

 事前に調べて選抜試験を知り、そいつがいるかどうか、ついでにドラゴンの情報も集めにいく。……はずだった。

 ネコとダイゴに置いていかれたうえに世界が崩壊してしまったので、もうどうしようもないが。

 

 

「で、どうだったんだよ。ヒーローはいたか?」

「死んでいた」

「あ?」

「ほとんど死んでた。みーんな雑魚ドラゴンにやられちゃって。アタシたちよりずっと弱いよ」

「なんだそりゃ。外れだったってことか。……おまえらが助けた2人ってのは?」

 

 

 尋ねると、目の前の2人は顔を見合わせて首を傾げた。

 

 

「助けたときは死んでなかったけど、無事かどうかはわかんない。2人ともほとんど黒焦げ。治療する余裕も義理ないし、あのオバさんたちに渡したよ」

「他の候補者とそう変わらんだろう。あの様子じゃ、狩る者とは呼べん」

「狩る者、なんていうぐらいだから超強そうなの想像してたけど、そんな感じの奴いなかった。死んでなかった2人だって、アタシと同じぐらいの女と、年下っぽい女の2人だったし」

「女かよ。総長も女だし、物騒な組織のくせして男っ気ねーなムラクモは」

 

 

 狩る者探しは振り出しか。

 首の骨を鳴らして木の幹に背を預ける。

 

 ムラクモの動きと狩る者の存在。そしてドラゴン。

 加えて、ネコとダイゴには話していないが、探りたいものはもう1つあった。

 

 彼女の居場所。

 あわよくば連れてこれないかとも思っていたけれど。

 

 

(この状況じゃ、俺たちの身を守るので手一杯か)

 

 

 だが、諦めない。

 ムラクモには……わずかにだが、良心というものを持っている人間もいる。

 しかし彼女は特別で、あの女に目を付けられていた。

 もし苦しんでいるのだとしたら、早く救い出さなければ。

 今度こそ助ける。必ず隣に立てるときが来る。そんな確信があるのだ。

 

 きっと、きっと、

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 きっと、また出会う。

 

 

 思いを裏打ちするように、だだだだだだだ、と迫ってくる足音。

 

 

「そこを」

 

「ど」

 

「け」

 

「え」

 

「ええぇぇーっ!!!」

 

 

 ゴガンッ!! と景気のいい音が轟いた。

 帝竜が悲鳴を上げる。

 

 

「……やっとおでましか」

 

 

 自分と一回りほど離れているように見える少女。小さな体。そこからは想像もできない頑丈さ。

 

 心配いらなかったな、とタケハヤは苦笑する。

 

 

「遅いぜ……正義の味方……」

 

 

 空から降ってきたシキは、渋谷の地に2本足でしっかりと着地した。

 



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25. あがけ地を駆る2本足  - VS スリーピーホロウ -

帝竜戦になります。
実際に戦うとひとつでも状態異常かかれば全滅につながって大変でした。デストロイヤーの爪砕く也と凶転ず也がめちゃくちゃ役に立った。



 

 

 

 10年振りにやっと出会えた彼女を「竜を狩る者」とアイテルが言ったときは、つくづく運命というものを呪った。

 

 涙と鼻水で顔をグシャグシャにしていた小さな女の子。聞けば歳はまだ4つだという。血に濡れる手で顔を拭い余計汚れてしまっていた、庇護欲をかき立てるような幼い命。

 この子はいずれ、ムラクモに殺される。地獄のような人体実験で苦痛を刻まれた本能が、そう告げていた。

 

 過去、自分に力がなかったばかりに助けられなかった彼女。

 今度こそ救えると思っていた矢先、狩る者と判明してしまった彼女。

 

 この世はまるで蜘蛛の巣だ。

 大きすぎる因縁が、醜い誰かの欲望が、胸糞悪い運命が、無数の糸となって絡みつく。

 そして彼女は糸が導くまま、星規模の戦いに身を投じていく。

 

 愛する女性アイテルが抱える使命。その使命を背負う少女。

 少女を操る糸を切ることは、アイテルの望みを断ち切ってしまうことになる。いったいどうすればいい。

 

 

 ……なんて、

 

 

(馬鹿だったな、俺も)

 

 

 今思うと酔っていた。板挟みになる悩みなど、エゴに過ぎなかった。

 ネコにもダイゴにも、アイテルにさえも言えない。墓場まで持っていくことにした、いわゆる「黒歴史」だ。

 

 だってそうだろう。

 

 

「早く下がって。あんたの出番はもうおしまい。こっからは……私たちの仕事よ!」

 

「……わかってるよ」

 

 

 成長した少女はこんなにも強く馬鹿正直で、自身の意思でここに立っているのだから。

 

 

「ミナト! 準備できてる?」

「大丈夫、いけるよ!」

 

 

 初対面時の情けなさが嘘のように成長した女性が少女の隣に並んだ。13班の2人は敵に得物を向ける。

 相手はシキの1発に怒っているようで、ギョロロロと濁った鳴き声を上げた。

 

 不気味なほどつぶらな4つの眼。大きく広がる蛍光緑の翅。

 頭部にはヒレのような紅の器官が生えて並んでいる。まるで花に包まれているようだ。

 東洋の細長い「龍」と蝶が一体化したような体。今までとはまた一風違う姿。

 

 帝竜、スリーピーホロウは渋谷の空に舞い上がった。

 

 

『鱗粉で確認できてるのは、錯乱と毒だ。それ以外にも種類があるかもしれない。薬以外にもミナトのリカヴァが頼りだ。状態異常にならないのが一番だし防具もあるけど、万が一を考えて戦ったほうがいい』

「それにあいつは空を飛ぶ。行動を制限する意味でも、今回はサイキックの能力が重宝するわ。頼んだわよ」

「う、うん。頑張る!」

 

 

 シキが振り返るとパートナーは何度も頭を縦に振った。見るからに力んでいて少しハラハラするが、前みたいに無理と怖がらないのは大きい成長だと思う。

 ミナトがいつもの氷ではなく炎を手の周りに踊らせる。動きがぎこちないが、火への恐怖も順調に克服しつつあるようだ。

 シキはタケハヤたちが安全な場所まで下がったのを確認し、気合いを入れ直して身構える。

 

 スリーピーホロウはまたもや羽を震わせて鱗粉を放ってきた。

 予想通りだと1歩下がり、ミナトと入れ替わる。

 

 

「──燃えろ!」

 

 

 赤い鱗粉が地上に降りるよりも先に、紅蓮のカーテンが宙に広がった。鱗粉は花火のように焼かれ、続く毒の鱗粉も火の粉になって散っていく。

 

 よし、鱗粉はミナトに任せて大丈夫だ。このまま早めに終わらせてやる。

 

 暖色に染まる空に跳び上がる。

 

 

「好き放題暴れたこと、後悔しろっ!」

 

 

 逃げ回られて溜まった鬱憤を拳に乗せて叩きつける。

 今度の攻撃はちゃんと入った。力を入れてねじれば、柔い体がくの字に曲がる。

 スリーピーホロウも負けじと羽ばたいた。体勢を立て直し、前脚を振り回す。

 

 

(速い!)

 

 

 ムカつくが相手は帝竜。雑魚とはスペックが違う。今まで戦ったドラゴンの中でも、こいつは速くしなやかだ。

 ただでさえ巨大な相手に殴るため接近しているのだから、その攻撃は突然現れるように視界の外から割り込んでくる。いちいち動きを見ては追い付けない。

 

 

(そういえば、ナガレによく言われた)

 

 

 タケハヤを忘れムラクモで過ごしていた頃、若かったナガレに訓練だと言って無理矢理飛びかかっていたとき。

 年端の行かないお子様と肉体が完成した青年という時点でかなり差があったが、さすが俊敏性Sランク。彼は攻撃の回避やいなしが上手く、何度も捕まえようとしては避けられてよく転んだ。

 

 

『なんでよ! なんで当たんないの!?』

『ちょ、シキ、泣かれても困るよ──』

『泣いてない!! なんでよけられるの!!』

『ごめんごめん! えーとほら、シキは戦うときに相手のどこを見てる?』

『殴るところ!!』

『正直だね……』

 

 

 半分べそをかく自分に、ナガレは「視野を広げるんだよ」と言って両腕を広げてみせた。

 

 

『相手は生き物。どんなタイミングでどういう風に反撃してくるかわからないだろ?』

『別に、やられたらやり返すだけだし』

『話を聞いて……。相手の攻撃を防ぐか避けようと思ったら、相手全体を見るんだ』

『全体?』

『そう。視界を絵みたいに切り取るイメージ。腕や足だけの一部分じゃなくて、相手の体全体を眺めるように捉える。そうすれば、巨大な相手とか素早い相手とか、集団のマモノの動きもつかみやすい』

 

 

(一部分から、全体へ)

 

 

 風景画を眺めるように、帝竜を含め目の前の景色を捉える。

 

 

(右)

 

 

 向かって右側の前脚が弧を動いた。上体を反らしすれすれの距離で避ける。

 

 

(左下)

 

 

 もう片方の前脚が跳ね上がった。背を打とうとする一撃を左腕の籠手で受け流す。

 

 

『デストロイヤーは異能力者の中で最も遅いなんていうけど、見方を変えれば強みにつながるし、そういう前提は訓練を積めば覆せると俺は思ってる。シキは努力家だし、反射神経を鍛えれば速い敵だってどうにかできるさ。……訓練、続ける?』

 

 

『そう、腹の底に重心を保ったまま、回って!』

 

 

 寄り添うような声が耳もとで響いた気がした。

 

 スリーピーホロウの尾がしなる。

 迫る薙払いに合わせて体を回し、ベリーロールの形で回避する。

 攻撃全てを対処され、信じられないというように帝竜の頭が小刻みに震えた。

 

 ショックを受けているところ悪いが、攻撃を終えて元の体勢に戻るということは、尾の位置も戻るということで。

 体の真下を通り過ぎようとした尾の先にしがみつけば、半円を描いてスリーピーホロウの背後に回る。

 視線がこっちを振り返る前に動き、顔面に突っ込んだ。

 

 

「へし折る!」

 

 

 長く尖ったくちばしにナックルが当たる。確かな手応え。

 スリーピーホロウは殴り飛ばされて悲鳴を上げる。

 

 よし、このまま、と意気込んだ瞬間、虫のような黒一色の目がギョロリとこっちを向いた。

 

 

「シキちゃん、あまり離れないで!」

 

 

 ミナトの声と同時にスリーピーホロウがけたたましく叫ぶ。目の前で霧のような白いモヤが広がった。

 いや、霧でもモヤでもない。鱗粉だ。今までのと色が違う。

 咄嗟に呼吸を止めるがわずかに吸い込んでしまう。

 ぐにゃり、と視界が歪んで体から力が抜けた。

 

 

(しまった、くそ……!)

 

 

 大嫌いな状態異常。不自然に睡眠欲が増大して思考が鈍る。ここ一番というときに眠くなるなんてどういうことだ。

 頭から固い地面に叩きつけられるわけにはいかない。なんとか体を起こして着地するが、膝に力が入らず四つん這いになってしまう。

 ミナトのリカヴァの光に包まれて鮮明になった視界に、大きな爪が飛び込んできた。

 

 

「っ!」

 

 

 転がって避ける。すぐ横のアスファルトが砕け、欠片に頬を打たれる。

 追撃を仕掛けようとするスリーピーホロウをミナトの放った火炎が止めた。

 

 起き上がると、ぼたりと音を立てて地面が赤く濡れた。嫌な予感がして頬に手をやると激痛が走り、反射的に指先を離す。

 わずかに触れただけでもわかるほど深く皮膚が削がれている。さっきのアスファルトの欠片に持っていかれたらしい。

 少し急ぎすぎたか。やっぱり一筋縄じゃかない。

 

 

「シキちゃん、大丈夫!?」

「平気! 今行く!」

 

 

 反省してミナトのもとに走る。

 パートナーは必死の形相で猛火を操りながら器用にマナ水を飲んでいたが、戻ってきた自分を見てぎゃっと悲鳴を上げる。くわえられていた瓶が口から落ちた。

 

 

「シキちゃん! 顔、顔が……!」

「わかってるわよ。治してくれるんでしょ?」

「あ、うん……。! 待って、来る!」

 

 

 燃やされてはたまらないと思ったのか、スリーピーホロウが炎の渦から飛び出してくる。

 

 

『火が弱点みたいだ! 効いてるぞ!』

 

 

 ミロクが言うとおり巨体はあちこちが焦げていた。スリーピーホロウは地団太を踏むように激しく羽ばたいている。

 

 

『錯乱に毒に、催眠作用……ロア=ア=ルア並に厄介だな!』

「錯乱と毒は対策できてる。催眠に気を付ければいける」

『ああ。行動パターンを分析してみる。注意して戦ってくれ!』

「了解。……ミナト、頼んだわよ!」

 

 

 帝竜に向けて飛び出すと、後ろにいるパートナーは火を引っ込めてキュアを使った。治癒魔法が頬の痛みを取り除く。

 続いて全身が温かい何かに包まれた。温かいといっても、それで汗をかくわけじゃない。体に寄り添う不思議な熱気。

 国分寺で火のトラウマを克服してから、ミナトはさらに伸び続けているようだ。まったくと舌を巻く。

 

 サイキックは属性攻撃と回復のスペシャリストだという。身近に複数の属性を使い分けられるサイキックがいなかったから知識でしか知らなかったが、実際にミナトの支援を受けることで強く感じた。1人いるのといないのとでは戦いやすさが違う。

 

 

「──っと!」

 

 

 スリーピーホロウが再び爪を見舞おうと急降下してくる。

 横に回避すると案の定、すれ違い様に鱗粉が放たれた。さっきの攻防で味を占めたのか、また眠気を誘う白い鱗粉だ。

 しかしこっちにはサイキックのサポートがある。

 

 赤い波が宙を舐めていく。生き物のように鱗粉を絡めて飲み干した。

 ギュロロと濁った鳴き声を上げ、スリーピーホロウがターゲットをミナトに変える。

 

 

「させるか!」

 

 

 跳び上がり、胴を狙って落下する。背面から蹴りつけるように着地すれば、スリーピーホロウはうめきながらも爪で反撃を仕掛けてきた。

 速い。が、

 

 

「軽い!」

 

 

 ウォークライやジゴワット、今までの帝竜に比べれば軽いほうだ。

 今度は避けずにすべて受け止める。ナックルと籠手が爪に衝突してギャリギャリと不快な金属音が鳴った。

 そのまま握りつぶさんとスリーピーホロウが押せば、熱気が牙を剥く。ゼロ℃ボディならぬ、火属性のヒートボディだ。体から上がった陽炎が火に変換される。

 爪を辿って腕から胴へ、そして翅へ。焼かれる自分の体を見て帝竜は金切り声を上げた。火を払うように宙でもがき、必死の身震いに振り落とされる。

 着地して見上げると、スリーピーホロウはまたもや空に舞い上がって逃げようとしていた。

 

 

『あいつ、また逃げようとしてるぞ!』

「まずい!」

 

 

 渋谷中を走り回って体力は限界に近く、SKYも自分たちも余力がない。

 後に退く選択肢はない。絶対にここでとどめを刺さなければ、人竜ミヅチに世界を滅ぼす時間を与えてしまう。

 

 届かないとわかっていても跳んで手を伸ばす。

 

 指先が虚しく空を切り、

 

 

「逃げんじゃ……ねェッ!!!」

 

 

 鱗粉と火の粉を突っ切って、黄金の長剣が帝竜の翅に突き立った。

 

 ギャアアッと帝竜が叫んで落下を始める。

 振り返ればタケハヤが腕を振り抜いていて、着地した自分に咳き込みながら声を張り上げた。

 

 

「やれ、シキ!!」

 

「──言われ、なくてもっ!!」

 

 

 ミナトが氷を操り、目の前に階段を作りあげる。行き先はもちろん、片羽の根本を斬られバランスを崩す帝竜だ。

 

 蹴って、蹴って、蹴って駆け上がり、ありったけの力で階段を踏み砕いて跳躍する。

 キャビアのように丸く潤んだ複眼が、逃げ場を探すようにギョロギョロ蠢いた。

 

 

「ぶっ……飛べえっ!!!」

 

 

 頭部の中央にナックルが埋まる。

 錐揉み吹き飛ぶ巨体を迎えるのは、ミナトが広げた業火の膜、そしてビルの壁。

 

 紅蓮に突っ込み火だるまになったスリーピーホロウは、ファッションビルに叩きつけられて墜落した。

 

 

『帝竜、沈黙! ドラゴン反応……渋谷からすべて消失! 討伐成功、任務完了だ!』

 

「……よし」

 

 

 ミロクのアナウンスが終止符を打った。振り向き、ミナトと互いにガッツポーズを作る。

 

 光が渋谷を満たし、街に繁茂していたフロワロと共に弾けた。

 

 

「っはー……」

「タケハヤ……!」

 

 

 やれやれと道路の上に座り込むタケハヤの肩にアイテルが手を添える。

 同じようにミナトも体から力を抜き、呆けるように空を見上げた。

 

 

「ミナト」

 

 

 光と花弁が舞い降りてくる中、功労者であるパートナーの名前を呼ぶ。

 

 

「焦りすぎて周りが見えずに途中でドラゴンに襲われて死ぬ。なんてことにならないって約束できるなら、先に行っていい」

 

「……! ありがとう」

 

 

 言葉の意味を悟った彼女は、律儀にタケハヤに頭を下げ、「私行くね!」と渋谷から飛び出していった。

 

 黒焦げになって転がるスリーピーホロウの死骸からDzを回収し、今もしっかりと翅の根本に刺さっている剣を引き抜く。

 一緒に炎を浴びてビルに衝突したというのに、まったく損傷していない。タケハヤが振るう長剣はずしりと重く、ムラクモの開発班が作る武具より強い輝きを放っていた。

 

 

「……」

 

「おい」

「!」

 

 

 タケハヤに呼ばれて我に返る。

 一仕事終えて気が抜けていたとはいえ、剣に見惚れるなんて。頭の中で自分を張り飛ばす。

 

 振り向き、未だに荒々しい呼吸を繰り返すタケハヤに剣を返して胸を張った。

 

 

「どう? 私たちの実力がわかったんなら、怪我人はベッドでぬくぬく休んでることね」

「はっ、……ったく。大丈夫だって言ってんのによ、おまえ本当に心配性だな」

「はぁ!? だから心配なんてしてない!! いやこれ何回目よ!」

「わかったよ。ま、上出来だと言っとくぜ……」

 

「タケハヤーッ!」

 

 

 ネコとダイゴが走ってくる。鱗粉のダメージから回復したようだ。

 2人は自分たちと、変わり果てた帝竜の死骸を交互に見て頭を振った。

 

 

「……! やった、のか……?」

「ああ、これで、この街も静かになんだろ……」

「でも──」

 

 

 心なし、ネコのフードの猫耳が垂れたように見えた。彼女はふらりと力なく街を振り返る。

 今までと同じように、帝竜を倒したことで周囲のフロワロは払われ、渋谷は平和と静寂を取り戻したと言える。

 けれど、街並みは悲惨すぎた。

 血に粉塵。割れた道に倒壊した木と建物。

 ほんの少しでも目を動かせば視界に飛び込んでくる、誰かの亡骸。

 

 

「もう渋谷は……おしまいだね……」

「……少なくとも、俺たちは生きてる」

「……だけどっ! 街もみんなもボロボロじゃんか!」

 

 

 ダイゴの言葉にネコは目を吊り上げ、足もとの小石を蹴り飛ばす。

 彼女の言うとおり、今の渋谷は町というより廃墟の方が当てはまる。フロワロが散っても、そこら中が赤く染まって影も形もない。拠点としての機能は失われてしまったかもしれない。

 何より、犠牲が多すぎた。

 

 

「またドラゴンに襲われたら、もう無理だよ?」

「だったら、どうする? また逃げるのか? 逃げたとして……どこに行く? SKYには、もう行き場なんかない……」

 

「? いや、あるでしょ」

 

 

 首を傾げると、SKYの3人は同時にこっちを見た。

 なんでそんな驚いた顔をしているんだ。異能力者も一般市民もひっくるめて、人類の拠点となっている場所が前からあるじゃないか。

 

 

「都庁に来ればいい」

「……えっ?」

「……」

「何その反応。なんでぽかんとしてんのよ。都庁に合流して、一緒に戦えばいい話でしょ?」

 

「……そうきたか。でも、そういうワケにはいかねェだろ」

 

 

 タケハヤに否定される。

 またこいつは変な意地をと苛立って口を開くより先に、アイテルが動いた。タケハヤの傷だらけの手を両手で包んで呼びかける。

 

 

「意地を張らないで」

「意地じゃねぇ……それが、お互いのためなんだよ」

「……」

 

『来いよ……オレたちのところ』

 

「……ミロク?」

 

 

 静寂の中で小さな声がこぼれた。

「帝竜討伐、お疲れ」と労ってから、声の主である少年は続ける。

 

 

『オレ、責任者でもなんでもないから、こんなこと言う権利、ないのかもしれないけどさ……、……ほっとけないんだよ』

「ハッ……ありがとうよ。おめェは良い子なんだろうさ。だからな、俺たちとは無関係でいたほうがいい」

 

『……無関係なんかじゃない! オレも……おまえらと一緒なんだ……』

 

 

 一緒と言われて怪訝そうに眉を寄せるタケハヤたちに、ミロクはぽつりぽつりと彼自身の体のことを話す。

 通信機から漏れる声は、少しかすれていた。

 

 

『ムラクモで産まれた、人工的な天才ってヤツ……あちこちボロボロでさ……すぐ疲れちゃうし、大人になるまで生きてられない体なんだってさ……』

 

「……!」

 

『……そんなオレたちが家族になるのは、そんなに気に入らないか?』

 

「……」

 

 

 そう遠くない自分の死を見つめる子どもの切実な問いかけに、3人は顔を見合わせる。

 最初に沈黙を破ったのはダイゴだった。

 

 

「……俺たちの、負けだな」

「しゃあねえ……キョーダイ分に言われたら、毒ッ気も抜けちまったよ」

 

 

 あーあとタケハヤが空を仰ぎ肩をすくめた。

 彼は改めて、自分とミロクに向き合う。

 

 

「……つまらんこと言わせちまったな。悪かった、謝る。こっちからお願いするよ。……SKYを、都庁に迎え入れてくれないか」

 

『──承認する』

 

 

 ミロクとは長い間ムラクモで一緒に育ってきたが、こんなに優しい声を聞くのは初めてだ。

 

 

『みんなで、帰ってこいよ。……待ってるからさ』

 

 

 都庁の本部で、モニターに映る自分たちに笑いかけるミロクの姿が見える気がした。

 



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  あがけ地を駆る2本足  - VS スリーピーホロウ -②

アメリカでの戦いと、渋谷から都庁に戻るまで。
大統領のあのシーンはかっこよかったけど辛かった……。

時間の流れとしては午前中〜昼過ぎまで国分寺攻略、午後に渋谷攻略といった認識です。アオイたち東京タワー側の戦闘が日を跨ぐまで悠長に続くとは思えないので。そりゃナビも倒れますわ。



 

 

 

 同刻、アメリカ、ホワイトハウス──

 

 

『こちら32小隊! もうダメです! ヤツを……食い止められません!』

『既に我が隊は、壊滅……本部、応答願う! 援軍を──』

『クソッタレッ! クソッタレクソッタレクソッタレがあああっ!』

 

 

 ブツンと通信が途絶える。

 

 

「残念だが……ここまでのようだな」

 

 

 アメリカ合衆国大統領ジャック=ミュラーは、深く息を吸って、吐いて、立派な革張りの椅子に背を預けた。

 

 

「力が足りず、申し訳ありません」

 

 

 ピシリと整えられた髪も伸びた背筋も冷静な声音も、出会ったときからエメルは変わっていない。

 いつもと同じように腰を折って頭を下げる彼女に、ミュラーはそんなことはないと頭を振る。

 

 

「いや、君はよくやってくれた……しがない地方議員だった私がここまで来れたのも、君の存在あってこそだ」

「ご謙遜を……」

「しかし、まだやることは残っている」

 

 

 アメリカをここまで導いてくれた彼女も打つ手なしと言う。

 文字通り万策尽きたが、最後まで戦い抜くと決めた。無駄なあがきになろうと退く気はない。

 ここまで自分を導いてくれた女性に、願いながら視線を向ける。

 

 

「……付き合ってくれるかね?」

 

 

 美しい金髪が横に揺れる。

 だろうなと思わず苦笑する。予想はできていたが、徹頭徹尾揺るがない彼女の意思は刃のような冷たささえ感じる。年甲斐もなく切なくなってしまった。

 

 

「残念ですが、閣下……私にも、やることが残っているのです。『星を守る者』の1人として」

「星を守る者か……君の口から聞かされるのは、途方もない話ばかりだ」

 

 

 ドラゴンに有史以前に狩る者、そして星を守る者。何を聞かされても驚かなくなってきた。もう笑みしか出てこない。

 彼女はきっと、自分たち人間とは違う次元でドラゴンと戦っているのだろう。

 せめてもの花向けとして「グッドラック」と呟く。

 

 

「この状況では、なにもしてあげられないが……せめて無事を祈るよ──」

「閣下こそ、ご無事で」

「……ああ、ありがとう。結局、君は最後まで私とのデートに付き合ってくれなかったね。それだけが、心残りだよ」

 

 

 デイビッドが部屋に駆け込んできた。乱れた髪も汗も気にせず、荒れた息で報告する。

 

 

「市民の、バンカーへの収容を完了しました! 大統領閣下も急いで地下へ──」

「気遣いは無用だ。既に多くの兵士が散っていった……今さら私だけ助かろうなどとは思わんよ」

「し、しかし……!」

 

「私の分のスペースは君が使うんだ、デイヴ」

 

 

 部下は「は!?」と目を見開き、乱れた語気に慌てて口を閉ざした。

 仕事熱心な彼は同期の中では結婚が遅く、家庭を築いて間もない。もうすぐ念願の第1子が産まれるのだとも言っていた。ここで死ぬべき人間じゃないだろう。

 

 

「君はまだ若い……そして、若者のために何かを残すのが、為政者の務めだというものだろう?」

「私は、閣下を差し置いて生き残りたいなどとは──」

「デイヴ……君の新妻を泣かせたくないのだよ。嫌だと言っても、これは命令だ」

「……」

 

「さあ、行け……! そして、産まれてくる君の娘に伝えてくれ。素晴らしい大統領のおかげで、人類の未来は守られたのだ……とね」

 

 

 格好をつけても、部下は動かない。

 

 

「……」

「……行け」

 

 

 ほんのわずかに懇願を込めて命令する。

 部下はぶるぶると全身を震わせ、しわのある目尻から涙をこぼした。

 

 

「こ、このご恩は、決して……!」

 

 

 靴音を響かせ、デイビッドは走っていく。

 背中を見送り、いい歳をして泣くんじゃないと微笑むミュラーに、今度はエメルが向き合った。

 

 

「閣下、それでは、私も……」

「ああ、元気で」

「……閣下も、お元気で」

 

 

 白く短いマントをはためかせてエメルは背を向けた。

 踵を返したが、歩き出さずに立ったままの彼女に首を傾げる。そして次に、ミュラーは大きく目を見張った。

 

 

「……!?」

 

 

 女性の体が光を放つ。人工のものでもなく自然のものでもない、煌々とした不可思議な光。

 

 背後で大統領が息を呑む音を聞きながら、エメルはホワイトハウスの天井の向こうに空を見た。

 無限の星が浮かんでいても、宙は1つ。この空が繋ぐ彼方の地にイメージを飛ばす。

 

 

(アイテル、おまえはどうしている……?)

 

 

 目を閉じ、青い髪の片割れを思い浮かべながら、エメルは「跳んだ」。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 暗闇の中は、鉄臭さと人々の嗚咽で満ちていた。

 しとしとと世界に降る雨のようだ。兵士も市民も関係なく包んでいく。

 

 絶望の前ではすべてが平等だった。

 ドラゴン襲来当初、パニックになって自分たちに戦えとがなりたてていた老若男女はもう何も言ってこない。最新鋭の兵器と精鋭の兵士を掛け合わせた、世界に誇る軍が砂の城のように容易く崩されてしまったことで、人類の限界があの敵の足下にも届かないことを思い知ったという感じだ。

 

 血みどろになってうめく兵を見て群衆は言葉に詰まり、高層ビルが並び建つ銀色の都会がドミノのように倒壊するのを見て言葉をなくし、大統領が国全体に避難勧告を出したことで息をも詰まらせ、自分たちが爆発の雨の中生存者を救助してきたことで泣き出した。

 今君臨している敵がどれだけ恐ろしい存在か、バンカーに入ってやっと実感したらしい。

 

 あなたたちは悪くないわ。ひどいことを言ってごめんよ。家族を助けてくれてありがとう。今までこうして戦ってくれていたんだね。君たちは我々の誇りだ。

 

 本当なら嬉しいはずの声。しかし何を聞いても、喜びの欠片も湧いてこなかった。

 戦争に勝利して言われるはずだった賞賛が、慰めの哀れみとなっているのだから。

 

 

(あたしたちは、負けるの?)

 

 

 嘘だ、信じたくない。

 だって、アメリカに帝竜はもういない。この手で、兄の手で、仲間の手で、7体のドラゴンの息の根を止めたはずだ。フロワロという毒の花だって、もうほとんど消えていた。USAは平和に向かっていたはずなのに。

 

 いったいどこから狂い始めた。

 

 おぞましい女の高笑いが聞こえてくる気がした。

 あいつだ。全部あいつが現れてからだ。

 

 

(あの女のせいであたしたちの国は……!)

 

 

 ヒカサ・ナツメ。確かエメル女史はそう言っていた。

 海を越えた彼方、日本という島国の、対ドラゴン組織。そのリーダーだったはずの女。

 なんでアメリカなんだ。なんでアタシたちを真っ先に狙う。滅ぼすなら自分の国を滅ぼせばいいのに。

 いや、あの人竜は世界をまるごと破壊する気だろう。アメリカが滅べば次は日本か。いや、すでに滅ぼされているのだろうか。

 納得ができないし、全身が大きく震えるほど怒りが止まらない。

 

 膝を抱えて唇を噛みしめる自分から少し離れて、兄が誰かと静かに通信していた。

 

 

「できる限りは救助しました。……いえ。使命を遂行できず、申し訳ありません」

 

 

 兄が丁寧な言葉遣いで、心の底から謝罪を口にしている。強くてフランクで、口だけの政治家の毒にも屈せず、自分たちに誇りを持っている大好きな兄が。

 たぶん、相手はミュラー大統領だ。彼はまだ、自分の執務室にいるのだろうか。

「ご武運を」と力強い声を送り、兄はこっちに戻ってきた。

 

 

「全員、いるか」

 

 

 声を聞いて、兄の周りにメンバーみんなが集まってくる。

 

 

「大統領は、『最後』まで残るみたいだ」

「それって……」

 

 

 バンカーへの避難指示。そして「最後まで」という言葉。

 まさかとは思っていた。でも、そんな。本当に。

 

 

「さっき向こうから通信をくれた。俺たちに、直々のメッセージだ」

 

 

 みんなで作った輪の中心に、兄が通信端末を置く。

 画面にミュラーの姿が映った。ビデオメッセージだ。

 大統領はいつもと変わらない。大樹のように、穏やかだけれど揺るがない笑みを浮かべていた。

 

 

『やあ、勇敢なるステイツのソルジャーである諸君。君たちは無事かい? ……聞き飽きているかもしれないが、大統領として、個人としても言わせてもらおう。7体の帝竜討伐、見事だった。おめでとう。君たちとエメルの働きには感謝してもしきれない』

 

 

 大統領はいくつか言葉を紡いだ。

 この戦いで多くの、本当に多くの命が潰えたこと。その中で、人間はドラゴンに勝利できるという希望を見出せたこと。これからも何かが失われるかもしれないが、悲しみに暮れないでほしいということ。

 

 

『現在猛威を奮っている人竜ミヅチ……。元は日本のムラクモ機関の総長だった彼女だが、おそらくこの事件は彼女自身の独断だ。以前、6体目の帝竜討伐の報告をした際にムラクモのメンバーと話したが……向こうはリーダーが突然消えて困惑している様子だったよ。真実は定かではないがね。もしも今後、日本が助けを求めてくるようなことがあれば、力を貸してやってほしい。知る限り、彼らは我々以外で唯一ドラゴンに抵抗できている国だ。人類滅亡のシナリオは、実現させてはならない』

 

『君たちのことだ、悔やんでいるだろう。……聞いてほしい。そして受け取ってくれ。今から言うことは慰めではなく事実で、私からの賛辞だ』

 

 

 そしてミュラーは深く呼吸し、思わず息を呑んでしまうほどの煌めきを瞳に灯した。

 

 

『数ヶ月前、戦車もミサイルも歯牙にもかけない化け物が出現した。世界が恐怖し、孤立して占領されていく中、私はエメルに導かれて奴らに対抗しうる希望を見つけた。……それが、君たちだ』

 

『驚いたよ。ほぼ成人しているとはいえ、軽装の若者が鮮やかに獣たちを狩っていくんだ。君たちが1体目の帝竜を倒したときのことはよく覚えている。実に清々しく、痺れたものだ。興奮を抑えきれなかったよ。ヒーローはここにいたのだ、と』

 

 

「誇れ」と、彼の言葉が背を叩く。

 

 

『この星に生きる人々の希望の先駆けとなったことを。帝竜を討伐し、国土のほぼすべてを取り戻したという偉業を。君たちは負けていない。胸を張って、世界と向き合いなさい』

 

『日本の最前線で戦う異能力者がたった2人と知って君たちがヒートアップしたと聞いたが、焦らなくていい』

 

『……ここだけの話だがね?』

 

『私は、君たちこそが、世界で最高のソルジャーだと知っているよ。ああ、そうだとも。心の底から、確信している。サインをもらっておくべきだった』

 

 

 時間だ。それでは。

 

 

 最初から最後まで、大統領の笑みは変わらなかった。

 

 メッセージが終わる。

 誰も何も言わなかった。兄は床に置いた端末を回収しようともせず、暗くなった画面をじっと見つめていた。

 

 

「……ジャック=ミュラー……」

 

 

 誰かが彼の名前を呼んだ。もちろん返事は帰ってこない。

 

 

「……──」

 

 

 アタシは。

 アタシたちは。

 

 

 淀む地下の空気に、無力を呪う叫びがこだました。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 ついさっきまでエメルが立っていた場所を、ミュラーは呆然と見つめていた。

 彼女は光に包まれて「消えた」。1歩も動かず、体から不思議なエネルギーを発して。まるでテレポートだ。

 

 

「夢を、見ているのか……ふふっ、夢ならどんなに良いだろうな」

 

 

 最後の最後で度肝を抜かれるとは。彼女はエンターテイナーだったのかもしれない。

 

 しばらく呆けてから我に返った。このままではいかんなと、傍らにある機器を操作して合図を送る。

 

 

「……私だ。5分後に全弾を発射しろ」

『──了解しました。閣下とともに逝けること、光栄に思います!』

 

「私は、できれば彼女と一緒がよかったのだがな……」

 

『は……?』

「……いや、こっちの話さ」

 

 

 勇敢な兵士に軽い挨拶を済ませ、わずかな間未来に思いを馳せる。

 たとえ己が死んだとて、生き残った者たちが人竜を倒せば、人類は希望を見出せる。

 今回の事件で、地球の日常はすっかりスリリングになってしまったが、きっと大丈夫だろう。上手くやっていけるはずだ。

 

 椅子から立ち上がって窓に歩み寄る。外では相変わらず火と煙が上がっていた。

 波乱な時代に生まれてしまったものだとしみじみ思いながら、最後に浮かぶのは、やはり笑みだ。

 絶望はしない。この先に希望があると確信しているから。

 

 

「……」

 

 

 自信を持って言えよう。

 悪い人生では、なかった。

 

 

「神よ……願わくば、我らに──人類に、勝利を……!」

 

 

 窓の外が白む。眩さに視界が塗り潰されていく。

 

 祈りを捧げて、ミュラーは目を閉じた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「これで、どうにか全員運び終えたな……」

 

 

 入口から奥地まで渋谷を回り、見落としがないことを確認して汗だくになったタケハヤたちが座り込む。

 あの後、倒れたSKYメンバーたちを搬送するため動かせる車を見つけ、何度か渋谷と都庁の間を行き来した。怪我だけならまだいいが、中にはスリーピーホロウの鱗粉で錯乱している者もいて一筋縄ではいかず、思ったよりも時間がかかってしまった。

 

 

「つーか、シキ。おまえ、体力無尽蔵すぎだろ……」

「鍛え方が違うのよ。伊達にムラクモで育ってないわ」

 

 

 タケハヤ、ネコ、ダイゴは帝竜討伐直後の自分を気遣ってきたが、全身ボロボロの人間に無茶するなと言われても説得力がない。

 半数以上の人数を運んで尚体力が残っているシキに、彼らは呆れたような視線を向けた。

 

 

「色々と世話になったな。まあ、世話になるのはこれからかもしれねェが──」

 

 

 ズドンッ、と真下から突き上げられるように地面が揺れる。

 一瞬足が地面を離れ、全員がバランスを崩した。

 

 

「うおっ……!? 地下帝竜も、お目覚めってわけか……」

 

 

 そうだ、この地面の下で、かつて自分とミナトを飲み込もうとした帝竜が蠢いている。まだ安心できる状況じゃない。

 みんなで地面を注視する中、アイテルだけが空に視線を漂わせている。

 彼女は唇を引き結んでうつむいた。

 

 

「遠い東の大陸でも……たった今、万の命の灯火が消えたわ」

「ケッ……次々とよォ……! あのバァさんの仕業か……? とことんまで、俺たちをいたぶるつもりだな……」

 

「……ここでぐずぐずしてても仕方ない。私たちもさっさと休む」

 

 

 タケハヤたちを連れて歩いていく。

 都庁入り口まで行くと、リンが「おかえり」と迎えてくれた。

 

 

「……出迎えがアタシだけで悪いね」

「別に。今どうなってる? ミロクたちから連絡が入ってないんだけど」

「双子は体力の限界みたいだ……最後の収容指示を出し終えて、倒れたよ。今は医務室に寝かしてある」

「……そう」

 

 

 そういえば、ミロクとミイナは国分寺の件からずっと働きっぱなしだった。あの体にはかなりの重労働だっただろう。

 ため息をつく自分からタケハヤたちに視線を移し、リンは現状の報告を続けてくれる。

 

 

「SKYとかいうやつらの受け入れも、無事完了したよ。コワモテが多いんで、みな不安がってたが……以外と素直で驚いていたところさ」

「そうか、助かる」

 

「それと、もう1つ……キリノのこと」

 

 

 はっとして顔を上げる。

 そうだ、スリーピーホロウとSKYのことで頭がいっぱいだったが、大きな問題はもう1つあった。

 東京タワー側は一体どうなったのか。胸が早鐘を打ち始める。

 

 

「ナビは、おまえたちに気を遣って伝えてなかったみたいだね」

「な、何それ、まさか……!?」

「いや、違う違う!! キリノは無事収容できた、命に別状はない。ただ……もう現場に戻るのは無理そうだ……」

 

 

 リンは気遣わしげな目で都庁を見上げる。その視線が向かう部屋に、キリノはいるのだろうか。

 現場に戻るのが無理そうというのは、怪我ではなく精神的な意味でだと説明される。

 

 

「ナツメのことも、アオイのことも……想像を絶するようなショックだったと思う。少し休ませてやってほしいと、医者からは言われてる。……命があっただけ、よかったけどさ」

「ちょっと待って。……ミナト、戻ってきてない? 先に行かせたんだけど」

「……ああ、戻ってきた」

 

 

 リンは静かに、ゆっくりと頷いた。

 その様子で予想はできてしまったが、聞かずにはいられない。

「どうしてる」と尋ねると、リンは何度か口を開閉する。

 今にも消えそうな声が、スローモーションのように流れ出た。

 

 

「アオイの傍にいる」

「……アオイは」

 

「ごめん」

 

 

 目を閉じ、頭を横に振られた。

 

 

「ごめん、本当にごめん……っ」

「謝んないで。あんたが謝ることじゃない。これは……誰も悪くないでしょ」

「ああ、悪い……。ミナトは……大丈夫と言っていたが、少しの間、そっとしておいたほうがいいと思う」

「……わかった」

 

 

 現状は把握できた。……夢だったらどんなにいいかと思わずにはいられない事態だと、痛感する。

 渋谷のときよりも重く苦しい沈黙が肩にのしかかるような気さえする。

 

 

「しかし……これから、どうしたものかね……」

 

 

 迷路に迷い込んだように、リンの途方に暮れた呟きが風にさらわれる。

 

 東京、つまり日本にいる帝竜は残り2体。加えてナツメの裏切り。新しい脅威、人竜の出現。

 どうするもなにも、戦うしかないだろう。でなければ死ぬ。憎いほどわかりやすい。

 

 しかし。

 

 

(……どうする……)

 

 

 具体的な作戦が湧かない。

 総長が敵に回り、ミロクとミイナが倒れ、キリノは復帰困難。今の都庁には、参謀や敵の分析に適した人物がいない。

 ああくそ、と前髪をかきあげ根本をくしゃりと握る。

 すると、マキタが全速力でこっちに走ってくるのが見えた。

 

 

「隊長!!」

「……どうした?」

「たった今、報告があった……」

 

 

 

 

 

「アメリカが──消滅した」

 




アメリカはミヅチの攻撃で滅んだのではなく、劇中の描写からして自滅覚悟で核(ビジュアルワークス スケッチブックページにそれを匂わせるイラストがあったような)か何かを全弾発射→アメリカ焦土化と解釈しています。
Ⅲのノベル「未完のユウマ」だと、弱った帝竜にミサイルかなんかの近代兵器が通用していた場面があったので、異能力者の手ではない銃火器も威力が高くてデカイならドラゴンに通じる可能性がワンチャン……? でも未完のユウマは70年後の話だから、兵器の性能が2020年よりずっと進んでいたためってのもありそうですね。
とりあえずミヅチが生きていたのは核が着弾する前にアメリカから離脱したからかなと思ってます。さすがに核は効いてくれないと、「13班や異能力者が対抗できる=核以上の力??? それともマナが絡むとまったく質の違う攻撃になる???」みたいに捉え方がややこしくなりそうなので。


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26.キリノ

元々は竜を憎むべきだけど、生き残ったのが自分1人ならサバイバーズ・ギルトに陥ってしまうのもしかたなさそう……。
今回はそんな彼が立ち上がるまで。

アオイの遺体、人竜ミヅチのあのシーンについて、ちょっと劇中描写に自分の解釈を加えてます。
詳細はあとがきで。



 

 

 

 重力から逃れた先に広がるのは、銀の砂を撒いたように無数の星々が瞬く宇宙だ。

 地に足を着けている人間には見られない景色。眼下の星を眺めながら、宙に抱かれる浮遊感。

 

 万能な己にしか味わえない感覚に酔いしれ、日暈棗の名を捨てた人竜ミヅチは両腕を広げた。

 

 

「これで、最後の希望も消えた。皆、絶望に嘆いていることでしょう……!」

 

 

 そう、アメリカは消滅した。

 日本よりも人口・兵器・狩る者に恵まれ、竜を狩り鼻高々だったであろう世界最強の国は滅んだ。

 大統領に手を貸していたあの女も。竜についての深い知識と経験を持ち、対抗する術を編み出す可能性を持つあの女も。一緒に消し飛んだだろう。

 まさに、希望は消えた。

 

 

「あとは、私の故郷を滅ぼして──人の歴史を、終わりにする。ふふ……ふふふ……そう、その瞬間、私は全ての頂点に立つ存在となる……」

 

 

 無限に広がる宇宙を見回し、自分が人として生まれた青い星を見下ろす。

 否、青いとは言い難い。全土をフロワロに覆われ、文字通り血の海に溺れ、生命に満ちあふれていたこの星は赤く染まっていた。

 ああ、なんとちっぽけであっけない。やはり、人から竜へ昇華した自分は、間違っていなかった。

 

 

「人の殻は、あまりに窮屈だった……。なに1つままならない、持たざるものだった、凡人だった私……。しかし、私は自らの力で、自らの力を克服した! ……そして、私は、神になる。私は、竜の眷属として宇宙を支配する存在になる……!」

 

 

 今もどこかで、いや世界中で、人間どもは泣き叫んでいるのだろう。

 もっと喘ぐがいい。無力を嘆き、何もできずに淘汰される運命に呑まれ、存分に断末魔を上げればいい。それが、この星を破滅に導く自分への讃歌だ。

 

 数十億年の歴史も、幾世紀を経て築いた文明も、すべてを一瞬にして超越した。そうして自分は今ここにいる。

 考えるだけで笑いが止まらない。やはり真に価値あるものは「力」なのだ。

 

 

「あはッ……あはははッ……! すべては『力』……! 『力』とは、なんて素晴らしいの!!」

 

 

 さあ、幕を下ろして終わりとしよう。

 

 破滅をもたらすまでのカウントを始め、ゆっくりと手を上げる。

 指先が天を突いた。

 

 そのとき。

 

 ザッと視界がぶれ、

 刹那にも満たないわずかな間、光が被さった。

 

 

「……!?」

 

 

 後ろを振り返る。

 理由は単純。()()()()()()()()

 

 誰もいないはずの宇宙で、何者かの視線が、脳髄や脊髄、心の臓を貫いた。

 

 

『ほう……ほう……』

 

 

「な……に……?」

 

 

 誰だ。

 

 この私を()()()()()()()のは、誰だ。

 

 

『数多の星の中で……初めてだ。足掻くはずが、自ら滅ぼそうとするとは……』

 

 

 姿は見えない。ここにはいない。今この場に浮かんでいるのは、自分1人だけだ。

 

 なのに、呑まれる。

 

 

『面白い。実にコッケイで、面白い……』

 

 

「ま……さか……」

 

 

 呑まれる。

 

 違う。「喰われる」。

 

 

「まさか……オマエは──」

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 目覚めは最悪だった。

 ばちりと目を開け、緑色の天井を睨みつける。

 無機物に熱い視線を送っても、何かが起きるわけじゃない。

 さあ、これから動かなければ。

 

 

「ったく」

 

 

 ベッドから身を起こし、仕切りの向こうにあるベッドを覗く。

 本来ならミナトが枕を抱きしめているはずのそこは、もぬけの殻だった。

 

 ゆっくりとため息をつく。

 現在、午前8時。アメリカが消滅したという、世界滅亡まで秒読みの状態だというのに。ぐっすり眠って新しい日を迎えてしまった。どんな時でも、体は疲労に正直だ。

 ナツメ、いやミヅチはどうしているのだろう。今のところ動きは見られない。

 東京タワーと渋谷の惨事にアメリカの消滅など、やりたい放題やってエネルギーが尽きたのか。それとも飽きたのか。

 

 なんにせよ、まだ日本は形を保っている。1秒も時間は無駄にできない。

 

 ターミナルに通信が入る。

 肌着の上にセーラーを着ながら画面を覗くと、ナビではなくリンの顔が映し出された。

 

 

『おはよう、13班。アタシからの召集で悪いね……』

「おはよう。別に悪くないけど、ナビたちはまだ回復しきってない感じね」

『ああ。でも目は覚めたみたいで、今みんなで会議室にいる。とりあえず、報告会でもしないか? 現状の共有くらいは、と思ってさ』

「……そうね。行くのは私1人でもいい?」

 

 

 リンは一瞬首を傾げ、ああと眉を下げて優しく頷いた。

 

 ミナトはダメだ。まだ立てる状態じゃない。

 無理矢理引きずり上げることも考えたが、できるだけ1人でいられる時間を与えたほうがいい気がする。誰かが傍にいたら、臆病なあいつは気を遣って何もできないだろう。

 

 ローファーを履いてドアノブに手をかけようとしたところで、テーブルの上に何かが置かれていることに気付く。

 布に包まれた長方形……誰かからの差し入れか。

 ちょうどいいから朝食としてかきこんでいこうと包みを広げると、見覚えのない字のメモが現れた。

 

 

『うちのモンを頼んだぞ』

 

「……あいつか」

 

 

 わかったからいいものの、名前ぐらい書け。

 というかいつの間に部屋に届けに来たんだ。ていうかこれ誰が料理したんだ。まさかおまえか。

 

 胸中でツッコみながら箸を手に取る。

 中身は少し贅沢な弁当で、むず痒い気持ちになりながらいただきますと口にする。

 

 

「……」

 

 

 おい、待て。

 自分が調理した物よりも美味い。

 

 

「タケハヤぁぁぁーっ!」

 

 

 数分で弁当を平らげ、送り主の名前を怒鳴りながら会議室へ走る。

 リン、マキタ、ネコ、ダイゴ、ミロク、ミイナの6人は部屋に突撃してきた自分を見て怪訝そうにまばたきした。

 

 

「……来たか、13班。それじゃ、報告会を始めようと思う」

 

 

 場の空気を引き締めるようにリンが咳払いをし、不意に会議室奥を振り返る。

 何かあるのかと顔を向けると、白衣を着た頼りない背中がこっちを向いていた。

 

 

「キリノ、それでいいか……?」

 

「は、はい……すみません……」

 

 

 思わず全員で顔を見合わせる。

 リンが頭を横に振り、マキタが報告を始めた。

 

 

「じゃあ、まずは自衛隊からだ。タワー周辺を探索した結果を報告する。日暈棗……以後、ミヅチと称するが、ヤツが拉致したと思われる人間の中で、生き残っていたのはキリノだけだ」

 

「……あのババァ……」

 

 

 タワーやナツメの単語が出るたび、部屋の隅で痛々しくキリノが呻く。

 つい昨日起きた災厄を忘れられるはずがない。ネコが犬歯を剥き出しにして唸った。

 

 

「遺体も、東京タワーの変貌にあわせて、溶けて消えてしまった……。言い方は悪いが、あの塔を作るための養分にされた……そんな感じだった」

 

「僕のせいだ……」

 

「……」

 

 

 キリノの自責の言葉にリンが苦しそうに顔をしかめる。

 それとは別にマキタの報告が引っかかり、シキはリンに寄って極力声を潜めて尋ねた。

 

 

(ちょっと待って、アオイの遺体は)

(……キリノが守ってた。それで吸収されるのは免れたみたいだ)

 

 

 昨日、ミナトの様子を尋ねた際、リンは「アオイの傍にいる」と答えた。つまり彼女の遺体は残っていると解釈していいのだろう。

 リンが言うには、他の者たちが吸収されていく中、キリノは必死にアオイを抱えていたという。

 

 司令部のモニターで見た、彼女が倒れる瞬間。目を閉じただけで鮮烈に浮かんでくる。アオイは本当に、死んでしまったのだ。

 あの地獄の中、キリノはいったい、どんな思いで。

 

 事実を噛みしめながら無言で元の場所に戻る。ナビ2人がちらりとこっちを見上げて報告を引き継いだ。

 

 

「……オレたちからは、観測班と情報支援班の分析報告だ。アメリカの消失後、東京タワー付近でミヅチの姿を確認……頂上部にその姿が確認できた。その直後、タワー周辺に正体不明の『障壁』が出現し、対象をロスト」

「多角的に調査してみましたが……おそらくは、バリアのようなもの──観測や攻撃すべてを遮断する、強力なエネルギー障壁のようです」

 

「じゃあ、現状では近付くこともできない……ってことになるね」

「……残念ながら」

 

 

 ミイナがもどかしそうに頷く。

「SKYはどうだ?」とリンは振り向くが、ダイゴとネコの反応も同様だった。

 

 

「SKYからは特にないが……しばらく我々に戦力は期待しないでくれ。渋谷の帝竜討伐で、半数以上のメンバーが死亡した。残りのメンバーも怪我人が多い。しばらく前線は無理だろう」

「そうか……クソ……思ってた以上に状況は厳しいな。ちなみに、13班は」

「大体あんたたちが考えてるとおりよ。察して」

 

「……」

「……」

「……」

 

「……こんなとこで顔つき合わせて黙り込んでても仕方ないぞ」

 

 

 術なし、と垂れ込める沈黙を払うようにダイゴが言う。彼は唯一輪に加わっていないキリノのほうを向いた。

 

 

「キリノ……何か考えはないのか?」

 

「すみません……僕には……。ミヅチのこともよくわからないし……戦力も足りていない。僕の指示じゃ……また人が死ぬだけかもしれません。……アオイくんも、僕なんかについてきたばっかりに……犠牲になってしまった……」

 

 

 予想通り、キリノは頭を横に振る。

 追いつめる気はないが、無闇に励ますべきでもない。現場にいなかった人間が何を言っても雑言にしかならないだろう。

 言葉を出せずに沈黙する中、キリノは雨粒が垂れるようにぽつぽつと続ける。

 

 

「僕はダメです……皆の前に立つ資格なんかない……本当にすみません……」

「別におまえが悪いわけじゃない」

「……」

 

 

 ほとんど抜け殻になっているキリノから自分たちの輪に向き直り、リンはかぶりを振った。

 

 

「仕方ない……報告会は一旦解散にしよう。また何かあったら、声を掛け合うということで」

「……了解」

 

 

 マキタの沈んだ返事を合図に、自衛隊とSKYの4人は部屋を出ていく。

 ナビも顔を見合わせ、小走りで会議室を後にする。キリノも、いつの間にかいなくなっていた。

 

 このままだと何も進まない。とはいえ良い案も思いつかない。

 しばらく時間を置いてそれぞれの考えを聞きにいけば、少しは進展するか。

 

 

(SKYは医務室。ナビたちは司令室。自衛隊は駐屯区。キリノは……たぶん研究室)

 

 

 学校の勉強はある程度公式や型があるから問題なかった。

 けれど今からする作業は実に難解だ。前進するためには必須だが、大勢の人間のもとを回り意見を集めて擦り合わせるというのは……暗中模索じゃないか。

 

 

「こういうのはキリノの仕事でしょうが」

 

 

 でも、この膠着状態、とにかく誰かが動かないと始まらない。

 どうなるか見当もつかないが、やるしかないかとシキは会議室を出た。

 

 研究室に行くのは最後だ。まずは、最も近い7階の司令室。

 

 

「邪魔するわよ」

 

 

 部屋に入り、今日も今日とて膨大なデータを垂れ流すモニターに近付くと、ナビ2人が足音を聞いて振り向いた。

 

 

「あ……シキ。昨日はごめんな、出迎えもせずに寝ちまってて」

「別に。休みなしで働いてたんだから仕方ない」

「お詫びといったらなんだけど、総長の行動分析を始めてみたんだ」

「行動分析?」

 

 

 ミロクとミイナが操作している機器の画面を覗く。

 液晶には、懐かしく感じる人間だったナツメの画像が大量に表示されていた。最近から今よりも若く見える数年前まで様々だ。

 

 

「こんなのよく見つけてきたわね」

「片っ端から掘り出したんだ。朝ごはんから寝るとこまで、全部追っかけてみたら、何かヒントが見えてくるかもって」

「でも、どこから手をつけていいか……見当もつかないんです」

 

 

 ミイナが俯いた頭と一緒に華奢な体を揺らし、小さな手でぺちぺちと頬を挟む。そうして上げられた彼女の顔は、あまり血の気がない。まだ疲れが溜まっているみたいだ。

 

 

「よーし、今日も徹夜しよう……せめて私たちだけでも頑張らなきゃ! ……ゲホッ、ゲホッ」

「ちょっとミイナ、ていうかミロクも。あんたたち休みなさいよ。そんなにタフじゃないんだから」

「いいえ、ダメです。……10班の分まで、頑張りたいんです」

 

 

 10班。今はメンバーが誰もいなくなってしまった機動班。

 叱れなくなって口を閉じる。ミイナは赤くなったまぶたをこすり、さっきよりも強く、空気を振り払うように頭を左右に振った。

 

 

「10班……ガトウ隊は、事実上解散したことになります。それでも私は……最後まで戦った彼らの遺志を、尊重したい。ここで諦めちゃ、ダメなんです……!」

「攻略のカギ……絶対見つける! オレにできることなら、何だって……!」

 

 

「うん!」と頷きあい、ミロクとミイナは小走りで椅子の上に飛び乗る。

 声をかけても返事はない。ナビたちは全神経を情報の海に投じ、小さな両手の指はミシンの針のように動き続けて止まらなかった。

 

 

(……仕方ない)

 

 

 次に移る。自衛隊駐屯区だ。

 

 覇気のない自衛隊員たちと簡単に挨拶を交わし、壁に掛かる銃火器の黒光りを抜けて進んでいく。

 作戦会議室の扉を開くと、こちらでもリンとマキタが額を突き合わせていた。

 

 

「おい、挨拶もなしに誰……ああ、シキか」

「いろいろ確認しにきた。自衛隊の現状は?」

「……正直、なにが何だかわからない……ってのが本音だ。俺たちに何ができるのか……このまま都庁を守っていればいいのか……」

 

 

 マキタが答えてリンが俯く。

 しばらく考え込んでいた自衛隊隊長は、小声で、しかし固く確かな声音で呟いた。

 

 

「攻勢に……出るときなのかもな」

 

 

 守りから攻めへ、盾から矛へ。

 その一言にマキタが一瞬驚くが、彼も腕を組んで思案する。

 

 

「そうかもしれない。1匹でも多くの帝竜を仕留めれば──それだけ犠牲も減る」

「そうだ、特にあの『地下帝竜』……休眠状態だけど、いつ動き出すかわかんない。今ならその隙を突いて、ありったけの兵器を叩き込めば……!」

 

「……ちょっと、」

 

「都庁の守りはどうする?」

「すぐに倒して帰ってくれば……たぶん大丈夫だろ!?」

 

「ちょっと、」

 

「シキ、作戦が決まったら、おまえたちも協力してくれよな?」

 

「いやちょっと、」

 

「ムラクモが動けない今こそ、アタシたちが頑張るときだ! ……って思って、いろんな作戦を考えたんだ。今ならいけそうな気がする……!」

「ここまで話が広がると、いよいよ、俺たちの範囲外だ……隊長の意見がまっとうな気さえしてきたぞ……う、うーむ……」

 

「……」

 

 

 ドラゴンに現代の兵器は通用しなかっただろうというツッコミは、2人の熱のこもった激しい談議にかき消される。

 

 ダメだ、と背を向け作戦会議室から出た。

 

 

(こっちも進展なし。次は……)

 

 

 2階の医務室。階段を下り、薬や備品を運ぶ看護士たちの邪魔にならないよう、廊下の壁際を進んで部屋に入る。

 部屋がまだ回復しきっていないSKYメンバーで溢れる中、奥のベッドではタケハヤが横になっていて、ネコとダイゴ、アイテルが沈んだ表情で傍に立っていた。

 

 

「う……ううっ……」

 

 

 ベッドに横になっているタケハヤがうめく。聞いたことのない苦悶の声。普段飄々としている彼からは想像もつかない。痛みが伝染してくる気さえした。

 

 昨日渋谷から都庁に移った後、SKYメンバーはもれなく医務室に連行された。

 医療班と研究員たちが分析した結果、スリーピーホロウの鱗粉は神経や精神に強い異常を起こす作用を持つと判明。同時に、厄介なものだということは変わらないが、外傷を負うものではないと告げられた。

 大多数の者は怪我が軽傷だったので、意識が回復した後、服を取り替え体を徹底的に洗わされることで一段落着いた。

 

 しかし、元から体がぼろぼろだったタケハヤは。

 

 

「クソ……ナ……ツメ……」

 

 

 汗が滲む彼の顔を見つめ、自分に気付いたダイゴが重々しく口を開く。

 

 

「タケハヤの傷が癒えたら……我々はナツメを倒しにいこうと思う」

「バリアがあるの忘れたの? あらゆる攻撃を遮断するって言ってたでしょ」

「例のバリアとやらは……なーに、根性で! なんとかするさ!」

 

「だめよ……そんなの無理」

 

 

 あんたもうちょっと冷静だったでしょとツッコむ前に、アイテルが窘める。

 ネコがまなじりを吊り上げ、「やってみなきゃわかんないでしょ!」と腕を振り回した。

 

 

「なによ、お母さん面して! あたしのママはダイゴなんだからね!」

「……おい。……ともかく、このまま手をこまねいているわけにはいくまい。次のことを考えねばな」

「次も何も、問題があのクソババァなら、もうブッ倒すしかないっしょ!」

「帝竜を駆逐したところで、ミヅチがいてはな……渋谷の礼もある……やはりヤツを……」

 

 

 とにかく2人は東京タワーから意識が離れないらしい。医務室内の空気はヒートアップしていて収まらない。

 ダメだこりゃとため息をつく自分を見て、アイテルが首を傾げた。

 

 

「彼女はどうしたの?」

「神出鬼没のあんたなら、知ってるんじゃないの」

 

 

 ミナトを探しているのか、アイテルの視線がどこでもない場所をふらりとさまよう。

 しばらくしてこっちに向き直り、彼女は「あの子もなのね」と頷いた。

 

 

「……あいつ、戦えると思う?」

 

 

 この中で最も長くミナトの傍にいたのは自分だが、今回ばかりは見当がつかない。

 狩る者だの星の防衛機能だの、重要なことを知っているアイテルなら何かわかるのではと尋ねてみる。しかし彼女はわからないと答えた。

 

 

「それは、自分で決めること。私は導きこそすれど、あなたたちの意思には干渉できない」

「まあ、そうね」

「人は、絶望から立ち上がる力を持っている。私は幾度も、それを見てきた……。だけどそれは、再び戦いに戻るということ。その辛さもまた、見てきたわ……」

 

 

 ここで踏ん張るか、折れるか。どっちに転んでもおかしくないし、苦しむことに変わりはない。

 一般住民たちには最低限の説明がされたらしいが、だからといって納得、切り替えができる奴はいない。立場年齢性別関係なく、都庁の雰囲気は最悪。崖っぷちから踵がはみ出しているような状態だ。

 悔しいことに、立ち上がれる未来などこれっぽっちも見えない。

 

 

(だからって……諦めるのは癪!)

 

 

 今にも暴れ出しかねないネコたちとそれを宥める看護士たちに背を向けて医務室を出た。

 上階の研究室を目指して、階段を駆け上がる。

 

 ダメだ、やっぱりキリノがいないと。

 みんながみんなバラバラの方角を向いて暴走している。自分もいい案が浮かばない。

 意見をまとめて、今本当に必要な目標と手段を見つけられる者が……率直に言えばみんなの手綱を握ることができる頭が必要だ。

 

 最適なのはあいつしかいない。

 





冒頭の人竜ミヅチのシーン、初めてプレイしたときはタイミング的にエメルが彼女を足止めしているんだと思っていました。
でも(Ⅲ劇中の真竜になりかけている場面は除いて)ヒュプノス姉妹が直接戦っている描写って見たことがないし、戦えるならアイテルはともかく、エメルは知恵を授けるだけじゃなく勇んで竜との戦闘に参加するのでは……?
以上の点と、7章でミヅチがナツメの姿でとった行動を見て、自分の中では人竜ミヅチに接触したのはエメルではなくあいつなんじゃないかと考えました。このシーンでのブンッていう音と光も、後に13班に語りかけてきた場面と共通してるし。
少なくとも自分はそこに関しての公式の説明を見ていないです。ナナゾゾ・ゾジについてはビジュアルワークスの情報を参考にさせていただいていますが、そっちにもエメルとミヅチが接触したという記述はなかったので、個人の考えで補填してます。

あくまで上記は個人の解釈で公式ではないので、参考程度に捉えていただければ。

アオイの遺体については、お別れがあんな形なんて絶対嫌っていうのもありましたが、※2020-iiに登場するNPCの裏設定※を考えて、東京タワーの養分にはなっていないと自己解釈しました。※はビジュアルワークス内に記述有りです。


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  キリノ②

5章はもうちょっとだけ続きます。次回で終わりです。



 

 

 

「キリノ!」

 

 

 研究室のドアを思い切り開け放つ。

 大きな音に研究員全員が驚いてこっちを見る。それから自分が呼んだ名前を聞いて顔を見合わせ、そっと部屋の隅に視線を向けた。

 

 研究室の隅にキリノはいた。が、相変わらず壁にひっついて外側に背を向けている。

 

 デジャヴを感じながら歩み寄って、ローファーの爪先を踵に当てる。

 コツンと小さく揺らされ、キリノの肩がわずかに跳ね、くすんだ眼鏡のレンズがこっちを向いた。

 

 

「……ああ、君ですか。すみません、僕が不甲斐ないばかりに……」

「まだ何も言ってないわよ。これからどうしたらいい?」

「ハハ……僕にもどうしていいやら……」

「……何かできることは?」

「そ、そうですね……えーと……何をお願いすればいいのかな……」

 

 

 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10。

 頭の中でいくら秒針が進んでも、キリノはしどろもどろとして唇が波打つだけ。

 今回の事件で心にひどい傷を負ったのだから、刺激してはいけないのはわかっている。

 苛つかない、苛つかないと自分に言い聞かせて待っていたが、結局彼が紡いだのは謝罪の言葉だけだった。

 

 

「……すみません、頼りなくて。僕は今まで、ナツメさんの言うことに従ってきただけだったから……。こんなとき、どうしていいかわからないんです……」

「今までのナツメに倣って動いてみればいいでしょ。……こういうの、私も他の奴でもできない。いつもナツメの傍にいて手伝ってたあんたじゃないと」

「ナツメさんは僕なんかよりずっとずっと、優れた人だった……。僕がその後を継いで──ましてやナツメさんを敵に回すなんてできるはずないんです」

 

 

 ダメだ。苛つくな。パートナーのミナトがそうであるように、キリノもまだ立ち上がれていないのだから。無理に引っ張ったって腕がもげるだけ。

 

 でも、なけなしの励ましスキルを振り絞っても反応がこれでは。

 

 

(ちょっと!)

 

 

 一旦キリノから離れ、ぐるりと研究室内を見渡す。

 こっそりこちらの様子を伺い、引っ込もうとしていた研究員5人の首根っこを捕まえた。

 

 

(キリノはずっとあんななの!? 何言っても回復する気がしないんだけど!)

(人生相談なら、他当たれ……)

(こ、こういうときはヒーローが現れるのがテンプレであります!)

(やー……んー……人を励ましたり動かしたりは、専門外どころか苦手項目だからねぇ……。と、とりあえず……コーヒーでもどうかな、うん)

(キリノさんは、やはりまだ……。あっ、よろしければ、新作のお注射でも……)

(注射はいらん!)

(あら、いりませんか……)

 

 

 普段やりたいようにやっているマッドでサイコな精神的猛者たちも、こればかりはお手上げというように目をつむる。

 頼る人物を間違えたか。いや、たぶん誰を頼っても同じような結果だと思う。今の都庁に、迷路の出口を見つけられている者はいない。

 

「よその国と連絡が取れればねぇ」と、相変わらず眠そうにしている研究員が呟いた。

 

 

(ヨーロッパの秘密研究所の噂、知ってるか……? 噂話だから、呼称はオカルト的だけどさ、なんでもそこは、ずっと前からドラゴンの研究をしていたとかで……。で~……なんだっけ? ふぁぁぁ~……)

(……おい)

(ん~、まあ、もし噂が本当なら、そこに助けを求められないかって思ったけど……ずっと前のアメリカとの会議で、EUも落ちるかもしれないって言われたんだろ? 期待しないほうがいいかぁ……)

 

 

 連絡を取って策があったとして、約1万キロ離れている外国からそれを調達する時間など、人竜ミヅチが与えるわけがない。

 結局お手上げか? もう本当にどん詰まりなのか?

 

 両手でがしがしがしと頭をかきむしる。

 するといつの間に動いていたのか、コーヒーを勧めてきた研究員が、湯気を立てるカップを持っていた。

 

 

(キリノが本当にダメダメなら、もうドラゴンなんて一切見えないところに隠すしかないんじゃない? でも、あれは意外と、そういう男じゃないはずだけどなー。シキ、尻叩いて上げたら?)

(なに、あいつの尻殴ればいいの?)

(いや物理じゃなくて! やりすぎない程度に発破かけてみたらってこと)

 

(……私が人を励ますなんてできると思う?)

 

(無理だな)

(難しいね)

(結果を求めないなら大丈夫さ!)

(自分新人なのでわからないであります!)

(私たちでもできるかどうか……)

 

(おい!!)

 

 

 いけるとか頑張れとか期待していたがダメだ。自分を含め、この場にいる面子はキリノとの付き合いが長いが、コミュニケーション能力はC級以下だろう。言葉で誰かを励ますとか柄じゃないし技術もない。

 

 しかしやるしかない。今にもミヅチが動き出したっておかしくないのだから。

 

 気を遣ってダメなら、思うまま。

 

 

「キリノ!!」

「え、何ですか……、っ!!?」

 

 

 ドゴンッ、と研究室が揺れる。

 振動でぐらついたコンピューターやガラスケースを、研究員たちが慌てて押さえた。

 

 半分だけこっちを振り向いたままキリノが固まっている。

 両手を壁に叩きつけ、自分と壁の間に彼を閉じこめた状態、いわゆる「壁ドン」。

 ……を、勢いのまましたはいいが、何も考えてない。

 

 

「えっと、えー、あ~~~……っ」

 

 

 ちくしょう、こんなときにミナトがいれば。いや泣き言はいい。

 難しく考えすぎるな。何も浮かばないなら今あるものをすべてぶつけるしかない。

 

 

「シキ、すみません、僕は……」

 

「自衛隊が地下帝竜を倒すって!!」

「え?」

「リンたちが、地下帝竜を倒すって! 討伐作戦始めたんだけど!」

「そ、そうですか……。しかも、ち……地下帝竜を? 今あの帝竜を刺激したら、大惨事になるかもしれませんし……。もっと綿密に計画してからのほうが……」

 

「SKYはミヅチ!!」

「え、え……?」

「東京タワーに突撃するって言ってたわよ!」

「東京タワーのミヅチに突撃する……? 障壁はどうするんですか? ナビたちの報告では、近付くことができないって話でしたよね……。そんなことをしたら、危ないのでは……」

 

「そのナビたちはナツメ行動記録を分析するとか!!」

「ナビたちがナツメさんの記録を……?」

「しかも徹夜で研究! 完徹! オールナイト!!」

「闇雲にそんなことをやっても意味が……し、しかも徹夜をしてですって? 彼らは体が弱いんです、そんな無茶をしたらダメですよ……」

 

 

 ぜえはあと乱れた息を整える中、リンから通信が入る。

 

 

『おい、13班も集まってくれ。アタシたちに名案があるんだよ……! みんな待ってるから、よろしくな』

 

 

 一方的に言って通信が切れる。嫌な予感しかしない。

 キリノも通信が聞こえていたようで、アホみたいに何度も目を瞬かせる。

 しかしたいした反応はなく、結局俯いてしまった。

 

 

「す、すみません、僕はやめておきます……どうせ役立たずですから。本当にごめんなさい……」

「あー!! この、この……眼鏡!! 根性なし!!」

「ボキャブラリー!」

 

 

 怒りで低下した語彙力にツッコんでくる研究員を睨みつけ、出口まで歩く。

 ドアを開け、最後に振り返って怒鳴った。

 

 

「いい、キリノ!? 私はこれから地下帝竜に突っ込んで徹夜でナツメの研究して東京タワーに突撃するわよ!! 本当にするわよ!? いいわね!! 後悔するなよ!!」

 

 

 今度は返事もなかった。「ヘタレ!」と捨て台詞が出る。

 くそ、結局ダメだった。人の顔色をうかがって気を遣うミナトなら、上手く説得できていたのだろうか。

 もうたられば言っても仕方がない。会議室に行こう。

 

 

「……」

 

「……え? 痛い!」

 

 

 せめてもの抵抗というか悪足掻きというか憂さ晴らしだ。キリノの顔をつかんで耳に指を突っ込む。

 

 

「動くな。無理だって思うんなら、絶対そこから動かないでよ?」

 

 

 情けなく目をぱちくりさせる彼に背を向け、今度こそ会議室に向かった。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 約1時間ぶりの会議室。今朝のメンバーが再び集まり、わいわいと意見交換をしていた。ずんずんと入室すれば全員が振り返る。

 

 

「お、来てくれたか。おまえも相談に加わってくれよ」

「ええ、ええ。で、名案って何」

 

 

 適当に頷いて先を促す。前回と同じようにリンが口火を切った。

 

 

「まず、自衛隊からの提案なんだけどさ……。アタシたちは、やっぱり帝竜の脅威を取り除くべきだと思うんだ。特にあの地下帝竜! いつ大暴れするかわかんないだろ? ……一刻を争うと思うんだよな」

 

 

 自衛隊駐屯区を訪れたときを思い出す。

 

 

『隊長が、あれこれと作戦を立案してるんです。でも、自分たちにできるんでしょうか? 役割を誤れば、また池袋のときみたいに……』

 

 

 帝竜討伐に勢いづいていくリンとマキタを見て、部下のサネダ隊員が池袋攻略作戦を思い出してハラハラしていた。

 地下帝竜討伐は、隊長であり指揮権を持つリンの提案だが、自衛隊の総意なのだろうか。

 

 次に、ダイゴがガッツポーズを作り二の腕の筋肉を盛り上げる。

 

 

「俺たちは……ナツメを倒す。この大惨事を目の当たりにして奴を放っておくのはあまりに危険だ。個人的な恨みもある……怪我が治り次第、全SKYメンバーを動かし、東京タワーに突撃する!」

「異議ナ~シ♪」

 

 

 ネコが賛成して頷く。

 怪我が治り次第というが、負傷していても全快していても、タケハヤ、ネコ、ダイゴ以外のSKYメンバーに戦える力はあるのか。

 SKYは異能力者の集まりという貴重な存在だが、異能力者の中でもドラゴンと戦えるのがS級だとムラクモは言っていた。

 人竜ミヅチは1体でアメリカを消した。おそらく帝竜よりも、強い。

 そんな相手に突っ込んで勝算があるかは……考えたくない。

 というかタケハヤの許可は得たのか? あいつはまだ寝ているだろうに。

 

 最後に、ミロクとミイナがばっと手を挙げた。

 

 

「オレたちは、ミヅチの研究を始める。総長の行動記録を分析すれば……きっと、弱点とか、そういうのがわかるだろ?」

「もしかしたら、ドラゴンの謎なんかにも迫れるかもしれません……! 不眠不休で頑張ります!」

 

 

 双子は目の下の隈がひどく、顔色も優れない。

 前線に出ていた経験から考えると、対象の分析は間違っていない。今までの帝竜攻略は密な研究と分析から作戦を立ててきた。

 しかし、相手は人竜。人の形でありドラゴンの力を持つ、前例のない存在。どのドラゴンとも違う。

 人間だった頃を分析しても、見つかるのは人間だったナツメの弱点なのでは。

 

 

「そうとも、みんなで力を合わせれば、なんでもできるんだよ!」

 

 

 全員を見回し、リンが鼻息荒く頷いた。

 

 

「……アタシたち、ちょっとキリノに甘えすぎてた。あいつだけに負担させちゃダメだよな。みんなで平和な東京を取り戻したら……あいつも元気になるんじゃないかな!?」

 

「……」

 

「なあ、シキ。13班として……みんなの意見、おまえはどう思う?」

 

 

 期待と熱に浮かされたような6人の視線が一斉に刺さる。

 

 結論から言って、

 

 

(死ぬ)

 

 

 何度も思い知ったことだが、自分に言葉で人を導く力はない。

 だから、今の状況を改善する能力もない。頭の中は空っぽだ。

 

 

(どうすんのよこれ)

 

 

 たぶん、ミナトやタケハヤなら待ったをかける。バラバラに動くのはよくないんじゃないですかとか、冷静になって考えてみろなんて言うだろう。

 しかし、よりによってこんなときに2人はいない。

 

 おい、おい、おい。どうする。私はどうすればいい。

 

 ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐると、頭の中が狂ったように回る。変に息苦しい。

 

 

「……」

 

「シキ?」

 

 

 ……よし。

 

 プライドは捨てる。最後の手段だ。

 これでダメなら、もうやりたいようにやってやろう。別に自分は死ぬつもりなんてないし。

 

 通信機を耳から外す。

 研究室を出てからずっとスイッチを入れていたそれを、唯一の相手に繋げていたそれを、

 

 幸い、通信が切られていなかったそれを口に寄せ、思い切り声を張り上げた。

 

 

「いいと思う!! 一緒に頑張るわーっ!!」

 

 

「だ、ダメーーーーッ!」

 

 

 バアンッ!! と扉が開いた。

 

 息を切らして輪の中に飛び込んできた男性に、全員が目を見張る。

 

 まったく、やっと来た。

 いっつもどこか頼りなくて情けないのに、こういうときだけかっこよく見えるってどういうことだ。

 緊張していた表情筋がほぐれていくのを感じる。

 

 言い聞かせたとおり、研究室の隅で動かず、耳にねじ込んだ通信機越しに今までの会話を聞いていたのだろう。

 

 膝に手を着いて体を上下させ、桐野礼文は頭を横に振った。

 

 

「……全然、ダメです。そんなの……上手くいきません……」

 

「おまえは心も体も傷付いている……。みんなの言うとおり、ゆっくり休んでいるんだ」

 

 

 ダイゴの気遣いにキリノは俯く。

 傷心に沈んでいた彼の姿を忘れられないのだろう。ミロクとリンが続いて明るい声をかけた。

 

 

「オレたちに任せてくれ! 必ず東京を取り戻してみせるからさ……!」

「だから安心して……おまえはゆっくり寝ていてくれ……!」

 

 

 キリノの顔がさらに下を向き、前髪が垂れて表情が見えなくなる。

 まるでしだれ柳のような、ひょろりと背の高い体が細かく震えた。

 

 

「ね……」

 

「ね?」

「根?」

「値?」

 

「寝ていられるかーーーッ!!!」

 

 

 天にも轟く絶叫が都庁を揺るがす。

 ドラゴンの咆哮に勝るとも劣らない声量に、全員が吹き飛ばされた。

 

 

「ハアッ……ハアッ……」

 

 

 みんなで体を仰け反らせる中、キリノは再び息を切らして呼吸を整える。

 そして眼鏡のレンズがギラリと光り、おののく6人を見回した。

 

 

「……自衛隊、君たちが帝竜を倒しにいったら誰が都庁を守ってくれるんです? まさか、帝竜を倒してすぐに帰ってくればいい……なんて思ってないですよね!?」

「え? ……あ、う……」

「まぁ……そうだよ……な……」

 

「あと、SKY! ミヅチを倒すって……準備もなく、SKYだけで? 大体、障壁はどうするんです!! お得意の根性論ですか!?」

「う、ぐむ……」

「だけどさ……ほ、ほら、ムカつくじゃん?」

 

「そこ、ナビの2人! ナツメさんの朝ごはんから寝るまでを分析って……それで何がわかるんですか! ナツメさんの好物が厚焼き玉子だったとかですか!? しかも、体が弱い君たちが不眠不休で……? 君たちに倒れられちゃ困るんですよ!」

「え、えっと……」

「はわわ……」

 

「もう……どうしてこんなことになるんですか……。はぁ……」

 

 

 ノンブレスで一通り言い終え、キリノはがっくりと肩を落とす。

 今のでエネルギーを出し切ったのか、覇気がなくなりナイーブになった瞳が自分を映した。

 

 

「……シキ?」

「なに」

「僕はてっきり、君がいつもみたいにばっさり切り捨ててくれると思ったんですが。君は頑固だけど、バカじゃないはずだ」

「私は戦うのが仕事なの。殴るのが得意な私の言葉と考えるのが得意なあんたの言葉、どっちが効くと思う?」

「……」

「それに、これは私じゃ無理だった。だからワラにも縋る思いであんたを頼ったんだけど。私だって不安になるのよ。それで負けたりしないけどね」

「君は、相変わらず意地っ張りだね……」

「ふん」

 

 

 さておき、とりあえず成功だ。親指と人差し指で通信機を挟んでぷらぷら揺らしてみせる。

 数分前にシキが耳に突っ込んだ通信機を外し、キリノは恨めしげにこっちを見て体を起こした。

 

 

「お…… キ、キリノ……?」

 

 

 前とは違いまっすぐ伸びた背筋に、リンが瞬きをする。

 今まで作戦会議で何度も使ってきた、横に伸びた半円卓まで歩き、彼はぼそりと呟いた。

 

 

「会議を……始めますか」

「おい、キリノ! おまえは……」

「いーんです、僕がやります! 僕が司令官になります。放っておくと、何が起きるかわからないし……君たちのやってることは滅茶苦茶だ」

 

 

 マキタの制止を遮り、キリノはズバリと言い切る。

 それぞれが一生懸命に立てた策だろうが、痛いところを突かれて論破されてはぐうの音も出ない。

「ごめんなさい……」と頭を下げたミイナに優しく笑い、キリノは頬をかいた。

 

 

「いえ……いいんです。みんなの気持ち、嬉しいです。僕は贅沢者だ……こんなに支えてくれる人がいるんだから。ガトウさんにも、アオイくんにも支えてもらった命……使わなきゃ、バチが当たりますよね」

 

 

(『支えてもらった』、ね)

 

 

 そういう考えもあるのかと、他人事のように感心する。

 

 人間は死んだらそこまで。生きることと死ぬことにはそれ以上も以下もないと思っていた。

 振り返れば、ナガレもガトウも笑って死んでいった。死ぬというのに、後悔はないというように。

 死を美化するつもりはないが、なんとなく、わかった気がする。

 

 

『すみま……ん……ガト…………俺は……もう……』

 

『俺は後悔……してねぇ……「俺の意思」で戦って、死ぬんだ……』

 

『センパイに……約束……したんだから……』

 

 

 自分たちはバトンを渡された。だから、彼らの分までゴールに辿り着くのが、今すべきことだ。

 

 

「ふっ……」

「なんだよ、人を心配させといて……!」

「め、面目ない……」

 

 

 ダイゴかかすかに笑い、ミロクが小突いてキリノが謝る。

 どん底から持ち直してみんなが和気藹々とする中、シキは会議室の扉を開いた。

 

 

「……シキ? どこに行くんだい?」

「悪いけど、会議はもう少し待ってくれる」

 

 

 みんなの動きがはたと止まった。

 

 まだ人数は揃っていない。

 自分のパートナーだけが、ここにいない。

 

 

「あと1人、呼んでくる」

 

 

 あいつを置き去りにしたままでは進めないだろう。

 わかったと頷くキリノたちに感謝し、彼女を探して駆け出した。

 



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27.終わらせずに終わらせるための1歩

今日は原作ゲームの発売日! 9周年おめでとうございます!

【挿絵表示】


アオイたちは本編中の会話を参考に、いったん都庁に帰ってきた認識です。お弁当や手紙は出発前にはなかったので。
これで5章は終わり。次回から6章掲載開始です。



 

 

 

 司令室で東京タワーの様子を見てから、記憶が曖昧だ。

 長い間、地面がなくなったように足もとがフワフワしていた。渋谷に行って蝶のような帝竜を倒したことは覚えている。

 

 渋谷を出て、東京タワーに向かおうとしていたところで、自衛隊から都庁に戻るよう呼びかけがあった。

 どのくらい時間が経っていたのかわからない。はっきりと意識を取り戻したのは都庁のエントランスに駆け込んでから。

 自分を迎えてくれたリンを見て、頭の隅に隔離されていた東京タワーの地獄が鮮明によみがえってきた。

 

 

「リンさん!」

「ミナト……」

「あ、あ、アオイちゃんは? アオイちゃんは無事なんですよね!?」

「それは……」

「だって、あの子、私より強いし、」

「……ミナト」

「タフだし、何があったって……」

 

「ミナト」

 

 

 名前を呼ばれて言葉を遮られた。

 リンが何かを差し出してきた。銀色の回転式銃。

 彼女の銃だ。でも、なんで、持ち主がいないんだろう。

 

 

「……会いたい?」

 

 

 会いたいに決まっている。

 けれど、

 

 

「アオイちゃんは?」

「……」

「リンさん、アオイちゃんは」

 

 

 ごめん。助けられなかった。

 

 その言葉を聞いた瞬間、ぐにゃりと視界が歪み──

 

 

 

 

 

 部屋の中に立っていた。

 

 いつの間に戻ってきたのかと360度見回して、奥のベッドに服が置いてあるのを見つける。

 手に取って見てみる。自分のではないしシキの服でもない。サイズが緩くて、下に何か着るタイプの緑のニット。

 

 

(あ)

 

 

 アオイの服だ。

 

 ということは、ここは10班の部屋か。

 

 丸テーブルの上、小さな包みと一緒に手紙が置いてある。見たことのある字だった。

 

 

『センパイへ! 都庁のみんなを探している途中に、補給部隊さんに会ったので、これを託します。……こちらはまだ手がかりがなく、いつ戻れるかわかりません。センパイの手伝いもできないので、せめて、私のスーパースキルをお伝えします!』

 

 

 トリックスター視点で編み出した技や、効率的なトレーニング法の説明がわかりやすく書かれている。

 試行錯誤したのだろう。何度も字が書かれては消された跡に、テーブルには消しゴムのカスの山。手紙には「私だってやればできるんですよ!」と綴られていた。

 

 

『どーですか? 私よりも役に立ったりして! ……や、それは寂しいなぁ。とにかく、次に会うときは、もーっと強くなってるって、期待してます! 私も頑張ろっと! ああ、それから……しばらく会えないので、これも!』

 

 

 ほどいた包みの中身はチョコバーだった。包みの布からテーブルに転がって、包装紙がカサリと音を立てる。

 

 

『それじゃ、また都庁で! みんなもキリノさんも、必ず連れて帰ります! ──アオイ』

 

 

「帰ります」。

 アオイはちゃんと帰ってきた。都庁に戻ってきた。

 

 でも。

 

 視界が滲み──

 

 

 

 

 

「……」

 

 

 暗い部屋の中、シートがかけられたストレッチャーが、壁際に寄せられていた。

 シートはなだらかに膨らみ、下からわずかに赤い髪が垂れている。

 指先でそっとすくい上げ、ゆっくり、ゆっくりとシートをめくる。

 

 蒼白い顔が見えた。

 

 目は閉じられていて、口もとが赤く汚れている。

 けれど、唇は緩やかに端が上がっている。笑っていたのだ。

 

 膝から力が抜けて座り込む。腰で上体を支えられずに、ストレッチャーの脚に寄りかかった。

 腕を伸ばし、なんとかシートを被せ直す。手探りで、冷たく固くなった手を見つけてつかんだ。

 

 

「──」

 

 

 何が言いたかったんだろう。言葉が出てこない。

 酸欠になった金魚みたいにはくはくと口を動かし、ぷつりと糸が切れて、目を閉じた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 隣にシキが座っていた。

 

 自分とは反対に、ストレッチャーの脚に背を預けている。

 髪の隙間から彼女の横顔を見ると、彼女も目だけを動かして自分を見てきた。

 何も起きないまま時間が過ぎる。

 

 先にシキが視線を外し、淡々と現状を説明してきた。

 

 

「みんな会議室に集まってる。ナツメのバカがドラゴン側に寝返ったわけだから、代わりにキリノか司令官になった」

 

「……」

 

「当面の課題は3つね。渋谷に触発されたのか、活動を始めつつある地下帝竜。最後の帝竜。そして人竜ミヅチ」

 

「……」

 

 

 シキの唇が動く。

 ためらったんだんだろうか、ほんのわずかに唇を上下させ、深く息を吸って少女は告げた。

 

 

「あんた、リタイアでもいいわよ。どうする」

 

 

「……、……訊いてもいい?」

 

 

「何?」

 

「なんでそんなに平気なの?」

 

 

 シキの顔がこっちを向いた。けれど相変わらずの無表情で、何を考えているかちっともわからない。

 

 

「初めて会ったときからそうだったよね。目の前で、人が血を流して殺されても、全然平気そうだった。……責めてるわけじゃないよ。でもわからないの。なんでそんなに平気そうにしていられるの?」

 

 

 シキは決してブレない。揺らがない。目の前でみんなが死んでいっても、その屍を乗り越えてドラゴンに向かっていく。

 

 

「私が弱いだけなのか、シキちゃんが強すぎるのかわからない。私は泣くし吐きもする。いちいち面倒な奴って思われても、これが本心なんだもん。しかたないじゃん。誰かが死ぬのは嫌だし悲しいよ。しかも寿命とか病死じゃなくて殺されるんだよ? 何も考えずに次に進むなんてできない」

 

 

 声が震え始める。鼓動が早鐘を打ち始めて、頭の中で嵐が暴れ始めた。

 もう一度問う。シキはやっぱり無表情で語り出した。

 

 

「ムラクモで、ナツメたちのもとで育てられたからでしょうね。ランドセル背負う前からマモノと戦わされて大怪我なんてしょっちゅうだったし。私にとって、戦闘は生活の一部よ」

 

 

 聞かずともわかっていたことだ。今までの戦いの中で、シキは似たようなことを言っていた。

 同じ人間でも生い立ちが違えばまったく異なる人になる。

 自分は平和で恵まれた一般家庭出身。シキはムラクモ生まれのムラクモ育ち。体も心も異質な者同士。

 

 

「私、みんなみたいに強くなれない」

 

「そんなこと、最初からわかってたことでしょ」

 

 

 よく考えて見ろと指を目の前に突き出される。

 

 

「リンたちは国防組織の自衛隊。タケハヤたちはムラクモに利用されたことがある、異能力者の集まりの頭。私やナビ、キリノはムラクモ。あんたは?」

 

「……一般人」

 

「そういうことよ。ついこの間まで異能力者の異の字も知らずに生きてきたくせに、私たちみたいになろうなんて飛躍しすぎ。でも、」

 

 

 シキは立ち上がった。スカートを払い、首や肩を回し指を鳴らして、

「ほら、」と手を差し伸べてきた。

 

 

「こうすれば、あんたは来るでしょ」

「……?」

「今までの数ヶ月で、私が志波 湊についてわかったことはこれだけ。泣き虫で弱い。おまけに優柔不断。けど、」

 

 

 

 

 

「結局、私の隣にいる」

 

 

 

 

 

「……」

 

 

 もう嫌だ。

 

 変わってない。この子は初めて会ったときから全然変わってない。

 

 ストイックで自分にも他人にも厳しすぎる。ひいひい言いながら戦う自分に怒るし、心配してくれないし、滅多に褒めてくれないし、喧嘩っ早いし。

 諦めようとするとはたいてくるし。美人だから怒るとめちゃくちゃ様になってすごく怖いし。本当に横暴だ。

 

 だけど。

 

 

(私が、)

 

 

 どんなに弱くて腰抜けで立つことすらできなくても。

 立ちたいという意思を見せれば、それを笑ったり、否定してくることは一度もなかった。

 

 

「そ、そんな、そんなこと言われたら、立つしかないじゃん」

「そうね」

「なんで『あんたには無理』とか言ってくれないの? 切り捨ててくれたら諦められるのに」

「可能性があるものポイ捨てするわけないでしょ。私バカじゃないから」

「──う」

 

 

 うわあっ、と情けない泣き声が出た。

 

 

「シキちゃん、あ、あお、アオイちゃん、死んじゃった……!」

「ん」

「みんなと帰ってくるって手紙にあったのに!」

「手紙?」

「10班の部屋に、手紙っ、とチョコバーが、あ、あって。私たちにっ」

「……」

「せ、せっかく、せっかくジゴワット倒して、一緒に訓練だってしてたのに!」

「そうね。私、あいつと私たち2人でチーム組めるかと思ってた」

 

 

 手を引かれてぐらぐらと立ち上がる。

 安置所となっている部屋の出口に向かいながら、アオイを振り返った。

 

 ああ、お別れになってしまう。

 死なないでほしかった。生きて戻ってきて欲しかった。こんなめちゃくちゃになった世界で、新しくできた、私の友だち。

 お菓子が大好きで、私たちより年上なのに敬語を使っていた。明るく礼儀正しかった素敵な友だち。

 最後の最期まで前を向いて、勇気に溢れていた、自慢の友だち。

 

 

「あ、アオイちゃん、アオイちゃん! 待ってて、絶対、絶対勝ってくるから! ドラゴンを倒して、東京を平和にするから……! アオイちゃんの分まで、絶対負けないからーっ!!」

「当然。……アオイ、安心してガトウたちと待ってなさいよ。あ、あとナガレによろしく」

 

 

 静かに扉が閉じる。

 廊下に出て、深呼吸で嗚咽を沈めると、シキが背中を叩いてきた。

 衝撃で目に溜まっていた涙がすべて飛び出る。すぐに新しい涙が湧いて出てきた。

 

 

「……助けられなかった」

「ん」

「死んじゃった、みんな死んじゃった」

「まだ生きてる奴もいる」

「悔しい……悔しい……っ!」

「……私も悔しい」

 

 

 手を引かれて頼りない足取りで進む。涙を抑える気にはならなかった。全て吐き出しながら階段を上った。

 そのまま数分間歩いて、会議室前で涙腺にけじめをつける。

 

 部屋に入ると、既に着席していたみんなが振り返る。

 目もとはきっと赤く腫れている。鼻水だってすすっていたし、今の自分は格好のつかない不細工だろう。

 でもうつむいたりはしない。これから、彼らと共にドラゴンと戦うのだ。同じようにぼろぼろになって、それでも立ち上がることを選んだみんなと、一緒に。

 

 深呼吸して口を開ける。

 

 

「すみません、おまたせしました……!」

 

 

 キリノがうなずき、光を宿した力強い目で机に手を着いた。

 

 

「……では、みなさん席に着いてください。作戦会議を始めましょう!」

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 全員が揃った。以前まで総理や政治家たちが座っていた椅子に、今度は自分たちが座る。

 

 

「コホン、では改めて……作戦会議を始めます」

 

 

 中央のモニター前にキリノが登壇した。

 

 

「まず、現状の我々の目標を整理します。

 1.残り2匹の帝竜を討伐する。

 2.タワー周辺の障壁を破壊する。

 ……この2つです。残り2匹の帝竜については、既に調査は進めていました。以前遭遇した、巨大な地下帝竜と……お台場を氷結させた、新たな帝竜です」

 

 

 お台場が氷結。丸ごと氷に包まれるなんて、海沿いの街は今どうなっているのだろう。国分寺の灼熱砂房と真反対の環境だが、段取り良く作戦を進めなければ。

 

「その中で」という声に反応し、モニターに表示されていた地下帝竜の文字が明滅した。

 

 

「まず、地下帝竜から討伐を開始しましょう。あまり活動していないとはいえ、奴が本格的に暴れ始めたら……都内全体が崩壊する危険があります。それは自衛隊の皆さんの言うとおりですね。光を苦手とするという情報から、既に新兵器の開発も進めていました。……それを使って、地下帝竜を攻略します」

 

「お、おお……?」

「そういうのは、早く言ってくれよ……」

「……すみません。1つ1つ、問題を片付けていたので……」

 

 

 そうか、初めて地下帝竜と遭遇したのは、池袋攻略よりも前。

 そのときから自分たちが他の帝竜の討伐を進めている間、他の人員も動き続けていたのだ。

 これなら帝竜のほうはどうにかなるかもしれない。なら問題は、

 

 

「そして厄介なのが、東京タワーの障壁についてですが……それは、僕が引き受けましょう」

「どうやってだ?」

 

 

 ダイゴが眉を寄せる。

 キリノは難題を思考するように考え込み、「心当たりが……ないわけではありません」と絞り出した。

 

 

「ナツメさんが、竜の力を得るために使ったデータを調べ上げてみました。……名を『ドラゴンクロニクル』と言うようです」

 

「ドラゴン……」

「クロニクル?」

 

 

 聞いたことのない単語を復唱して首をひねる。

 意味がわかるものは誰もいないようだ。みんな一様に怪訝そうな顔をしていた。

 唯一知識のあるキリノが説明を続ける。

 

 

「その中身は、今までに討伐した帝竜の分析データと……DCコードと呼ばれる、ドラゴンにまつわる膨大なデータ群で構築されていました。

 DCコードは、出先も詳細も不明……完全に未知の領域で、僕の手には負えません。

 しかし、他のデータでそれを補えれば……ナツメさんの力に対抗する手段が見つかると思います」

「……できるのか?」

「わかりません……僕はナツメさんほど優秀ではないですから……。でも、研究者として、僕は師……ナツメさんを越えてみたい」

 

 

 彼女に憧れていたキリノは、「ナツメさんの研究は己のためのものでした」と言い切った。

 

 

「僕の目的はまた……違います。研究者として、違う道から僕はナツメさんを追って……越えてみたい。そのためにも、13班には、残り2種の帝竜のサンプルを採ってきてほしいんです。ナツメさんが持っていた謎のデータ群……あれに匹敵する価値を持つのは、7匹全ての帝竜のデータだと思っています」

「要するに、残り2匹の帝竜を倒して、今までの帝竜も含めて7匹分……すべての帝竜サンプルをお前に渡してやればいいってわけだな?」

「そういうことです。……協力していただけますか?」

 

「なんだよ、すっかり顔つきまで変わっちまって……。ふん、なんだって協力してやるよ!」

「なるほど、わかった。俺たちの出番はもう少し先になりそうだな」

 

 

 マキタが鼻を啜って腕を組んだ。ダイゴとネコも頭が冷えたようで、そういうことならと大人しく頷く。

 

 彼らが準備を進めている間、自分たちがやることはいつもと同じだ。一番の力仕事、帝竜を倒すこと。

 

 

「……13班。地下帝竜に関しては、別働隊を手配します。準備が出来次第討伐に向かってください!」

 

「了解」

「了解です!」

 

「それでは、各自任務に当たってください──解散!」

 

 

 椅子から立ち上がり、それぞれの持ち場に向かう。

 

 1人だけ残った会議室で、キリノは静かに息を吐いた。

 

 

(ナツメさん……僕はあなたを超えられますか……?)

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「うわっ!」

「あ痛っつ!」

 

 

 マナが弾けて吹っ飛ばされる。

 場所は都庁前広場。腕を押さえて転がる自分たちを見て、マサキがふははと笑った。

 

 

「言っただろう? 一朝一夕でできるものじゃないヨ。というか国分寺に渋谷と、しっかりした休みなしで帝竜と戦ってきたんダ。今回の訓練はほどほどにして、既存のスキルを磨くに止めたほうがいい」

「試すに越したことはないでしょ!」

「でも20回やって失敗なら、さっさと他に移ったほうが時間を無駄にしなくていいと思うけどネ」

「んぐ……っ」

 

「うーん……」

 

 

 ぎりりとシキが歯軋りをする横で指を揉む。爪が抗議するようにひりひりと痛んだ。

 

 30分ほど前、薬を補充し装備を新調し腹ごしらえも済ませて、帝竜攻略の準備が終わった。まだ出発していないのは、シキにちょっと待ったと言われたからだ。

 自分はマサキとともに引きずられ、都庁前広場に連れ出された。

 マサキがいる時点でスキルや技の訓練だと想像はできたが、シキの考えは1歩先だった。

 

 

「国分寺でSKYと戦ったときのこと覚えてるでしょ」

「え、うん」

「あれは素晴らしかったネ! ドラゴンでなく、同じ知性とコンビネーションを持つ異能力者同士での戦いは、良い機会になっただろう?」

「それよ、コンビネーション」

 

 

 うん? と首を傾げる。

 先に理解したらしいマサキが「ああ、なるほど!」とおもしろそうに笑った。

 

 

「もしかして、ダイゴくんとネコくんがやっていた技を君たちでやるつもりかい?」

「そういうこと」

「えっ!」

 

 

 思わず大きな声が出る。

 渋谷と首都高で一度ずつ、そして国分寺でグレードアップバージョンというか、タケハヤが加わってさらに強烈になった凄技。それをやるとシキは言っているのだろう。

 いやでもあれは、危険なんじゃないだろうか。

 ネコとダイゴはあっさりとやっていたが、よく考えると、自分の属性攻撃を仲間の腕にまとわせているのだ。サイキックがコントロールを間違えれば、デストロイヤーの腕は軽い怪我では済まない。下手したらもげる。

 

 以上をたどたどしく伝えると、マサキが「そうだろうネ」と顎に手を添えた。

 

 

「拳から腕にかけて属性攻撃をまとわせるなんて普通やらないだろう。失敗する可能性のほうが圧倒的に高い」

「でも、SKYの2人は普通にやってたでしょ」

「それは『彼らだから』サ。少し事情をお伺いしたけど、彼らの生い立ちは大変なものだったんだろう? 生来でなく植え付けられたS級の力を幼い頃から訓練で飼い慣らし、ずっと一緒に生きてきた、家族とも言える間柄。10年以上の歳月で培った素養と信頼関係があるからこそ、可能な技なんだと思うヨ」

 

 

 思い出して、と片手の指がシキに、もう片方の指が自分に向けられる。

 

 

「君たち、知り合って何年だい?」

「……年もいってないわよ」

「まあ、それなりに……?」

「その程度であの技に挑戦するのは早すぎる。君らはやっとお互いの動きをつかめてきた。戦う前は密な作戦会議が欠かせないし、声に出して指示を出さなきゃ動きが食い違ってしまう。SKYは阿吽の呼吸。コンビネーションの大先輩。13班は同じ部活になったもののお昼を数回食べただけでプライベートの付き合いはない学生みたいなものだろう?」

「なによその例え!」

「妙に説得力がある……」

 

 

 そんなこんなで始めたものの、互いに生来のS級異能力者でも、予想以上に上手くいかない。

 

 くっそ、とシキが地面に転がりながら唇を噛んだ。

 

 

「なんであの筋肉男は腕を凍らせて平気なわけ……?」

「たぶん体格も絡んでるだろうネ。ほら、彼ものすごくガッシリしてるじゃないか。筋肉とか、皮膚とか皮下脂肪とか……私は医者じゃないからよくわからないけど、その助けがあるんじゃないかい?」

「うーん、本当にいろんな要素が組み合わさって実現してるって感じですね。難しい……」

「ああ、もう」

 

 

 悔しそうにするシキがごろごろと転がり回る。

 子どもらしい動作に笑いながら、マサキが人差し指を立てた。

 

 

「いつかできるようになるとしても、デストロイヤーは難しいだろう。デストロイヤーならネ」

「なによ、ぶっ飛ばされたいの!?」

「頭が固いな。視点を変えてみようって話サ。……シキならできるんじゃないかナ? 腕っ節で不可能を可能にするのは君の十八番だろう?」

「?」

「?」

 

 

 2人揃って眉をひそめる。

 マサキは新しい遊びを思いついた子どものように満面の笑みで、白衣の下から分厚いファイルを取り出した。自分たちが世話になってきた、異能力者のデータが詰まった資料だ。

 

 

「君たちはコンビネーションが未熟でも、今までの戦いで個人の能力が磨かれてきたはず。なら、これからはさらなる高みを目指しつつ、視野を広げる段階ダ」

 

 

「さらなる高み」に「視野を広げる」。なんだか重要な話になりそうだ。

 

 説明が始まってしばらくした後、各人員の準備が完了したと連絡が入った。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 新しい目標に向けて動きだした者たちの影響か、都庁の雰囲気はほんのわずかに持ち直し始めた。

 ここは日本の対ドラゴン戦線拠点。人類最後の生命線。戦う者だけでなく、戦えない者もいる。恐怖に縮みながら、それでも生きたいと安息を求めずにはいられない。

 負けるわけにはいかない。唯一ドラゴンに善戦していた大国アメリカが破れてしまった今、自分たちの手でなんとかするしかない。

 

 使命を胸に刻みつつ、キリノは研究室でコンピューターに向かう。

 喉がエナジードリンクを飲み下す音。指がキーボードを弾く音。機械の無機質な稼働音。それらに混じり、ゆったりとした足音が近付いてくる。

 

 振り向かずに作業を続けるキリノの背を見つめ、タケハヤは口を開いた。

 

 

「……『ドラゴンクロニクル』」

 

 

 研究者のような知識はない。だが、普通の人間とは違う過去から予想できる存在ではある。

 

 

「ムラクモでさんざ実験台にされた俺だ。どんなものかは……想像がつく。それが完成できたとして……おまえ、どうするつもりだい」

「君が心配することじゃない。傷を癒すことに、専念してくれ」

 

 

 しらを切るというか、隠し通すつもりか。

 

 タケハヤは数歩歩み寄った。

 目の前の男が考えていることは、学のない頭でもわかる。

 

 

「……自分が犠牲になればいいとか、つまんねェこと考えてるンじゃねえだろうな?」

「……」

 

「……なんで俺に言わねェんだ。このオンボロの命、皆のために捧げてくれってよ」

 

「馬鹿なこと、言わないでくれ!」

 

 

 今度こそ作業を止め、キリノが振り返った。

 

 

「君は充分に辛い目にあってきた……たとえ短い時間でも、幸せになる権利があるはずだ」

 

 

 まるで生まれてこのかた不幸続きだったみたいな言いぐさだ。

 自分を気遣う大人の姿がおかしく見えて、くっくと笑いが漏れた。

 

 

「……幸せねぇ……。おまえがどう考えてるか知らねぇが、俺はそれなりに幸せだったぜ。家族もできた。愛する女もできた。そりゃ、ちーとばかり、痛い目にもあったがな」

 

 

 ちょっとどころじゃないだろうというようにキリノの表情が歪む。しかしタケハヤは微笑を浮かべたまま肩をすくめた。

 

 

「おまけに見ろ、おまえら良い子ちゃんたちのおせっかいのおかげで……こんなに家族が増えちまった。充分すぎんだ……この俺にはよ」

「タケハヤ……」

「ハッ、とんだアマちゃん司令官だ」

 

「知ってるぜ。あの日の晩……ネコとダイゴを逃がしたのも、おまえだろ」

 

「……!」

 

 

 やっぱりそうだったか。こんなお人好しがよくムラクモでやってこれたものだ。

 まあ、キリノのように良心的な人間がいたなら、シキも不幸一色ではなかったんだろう。

 

 

「助ける必要も、なくなったしな」

「え?」

「こっちの話だ」

 

 

 コンピューターの青い光に瞳が痛む。

 わずかにかすみがかっている目を閉じ、改めて自身の体の具合を悟った。

 

 

「……。どのみち、俺の体はもうもたねェ……あんたが心を痛める必要はないんだ」

 

 

 余命を気にしながら穏やかに生きていくなんてできっこない。

 またあちこちから大人しくしていろとお節介な説教を食らうだろうが、これだけは譲れない。

 

 

「最後くらい、カッコイイ役やらせてくれよ。柄じゃねェけど……憧れてんだ。『正義の味方』ってやつによ」

 

 

 あの少女たちのようにはなれなくても。最後まで貫く決意は変わらない。

 

 薄暗い部屋の中、モニターから放たれるブルーライトが向かい合う2人を照らしていた。

 



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修正前の手紙 *

挿絵挟んでます。



 

 

 

 シキセンパイ、ミナトセンパイへ

 

 

 お疲れ様です! 私とキリノさんは相変わらず手がかりがなくて四苦八苦しています。

 でも諦めません! きっと消えたしまった人たちを見つけるので、センパイたちも帝竜討伐、頑張ってください!

 

 先日、ミナトセンパイと「ドラゴンを倒し終わったら」というお話をしましたよね。その後、いろいろと考えさせられたので、現状の報告も兼ねてこうして手紙にまとめました。

 

 

 まずは初めて会ったとき。あのときは助けてくださって、本当にありがとうございました!

 センパイもご存じでしょうけど、いきなりドラゴンやマモノが襲ってきたあの日、街中がパニック状態だったんです。道路では車がたくさん衝突するし、そこら中に人が溢れて入り乱れて、そこを襲われたり……パニック映画を見ているみたいでした。あんなめちゃくちゃな状況から逃げてこられたのは、私が異能力者だからだったんでしょうね。

 でも、それでも目の前ではばたばた人が死んでいって、私は何もできなくて……逃げる途中でお会いしたユキさんたちと一緒に移動するので精一杯でした。

 途中までは気合いと根性でどうにかなっていたんですが、あの大きなドラゴンと遭遇したときは、さすがに死ぬかと思いました。本当にヤバかったんです。相手はマモノと違って全然隙がなくて、下手をしたら私どころかユキさんまで危なかったと思います。

 そんなときにセンパイたちが駆けつけてくれたんです! シキセンパイは私より小さくてかわいい女の子なのに、ドロップキックでドラゴンを吹き飛ばして、ミナトセンパイは指先から氷を出すなんて、魔法使いみたいでした。

 それから、去年私が試験に参加できなかったムラクモ機関と偶然合流、しかもセンパイたちはそのセンパイで、既に帝竜を倒していたなんて。

 本当にすごい偶然ですよね。そのうち、偶然じゃなくて運命なんじゃないのかな、とか思っちゃったり。

 

 

 最初はすごく奮い立ってました。私もセンパイみたいに戦って、みんなを助けたいって意気込んでました。

 でも、私がそんな風に突っ走って、ガトウさんは死んでしまった。

 あのとき言ったように、私は「犠牲を出したくない」と動いたことを間違いだとは思っていません。でも、もっと上手くやっていれば、自衛隊の方々も、ガトウさんも死なずに済ませられたかもしれないんです。ガトウさんは私よりずっと強くて、センパイたちも頼りにしている人でしたから。

 だから、池袋攻略作戦が終わってからは、私もセンパイたちの特訓に参加することにしたんです! おこがましいかもしれないですけど、ガトウさんがいなくなってしまった穴を埋めて、あの人と同じかそれ以上に強くなって、みんなを助けられればなって。……まだまだ、ほど遠いですけどね。

 

 

 私が特訓している間にも、センパイたちはどんどん先に進んで、すごいなと思ってました。四ツ谷は私たちがサポートしていましたけど、ほぼ2人だけで最初から最後まで戦ってましたし。

 2人が血まみれの傷だらけで帰ってきたときは本当にびっくりしました! ミナトセンパイなんて左肩をぶらぶらさせて。帰ってきたとき都庁は大騒ぎでしたよ。

 でもそんな大怪我も治っちゃうんですから、びっくりしました。もうびっくりしっぱなしです。

 2人ともすごくタフだな、私も見習って鍛えないと! と意気込んではみたものの、すぐに追いつけるはずはなく……。

 

 

 私もムラクモなのに、このままでいいのかなって焦り始めていたとき、ミナトセンパイとあのお話をしました。

 ドラゴンを倒し終わって、私たち異能力者の力が必要ではなくなる日が来たとき、私たちは普通に生活できるのか。

 寝耳に水というか、目から鱗(使い方合ってますか?)でした。私は戦いが終わった後をまったく考えていなかったので、ミナトセンパイの言葉を聞いて驚きました。

 決して悪い意味ではないので、気を悪くしないでいただきたいのですが。センパイがそういうことに悩んでいるのを見て、とても意外に思ったんです。強くて勇気のある人が、化け物との戦いより、人間関係や周りにどう見られるかを怖がっているなんて。でも、センパイにとっては本当に大切なことなんですよね。

 あのときも言いましたけど、きっと大丈夫ですよ。

 そりゃあ、ドラゴンをあっという間に倒しちゃったり、シキセンパイの怪力や、ミナトセンパイの超能力を見て驚きはしました。でも、その後センパイたちは私に手を差し伸べてくれました。

 私と会う前からも会ってからも、同じようにたくさんの人を救ってきたんですよね? ならきっと大丈夫です。少なくとも助けられた私たちは、センパイたちがその力を良いことに使うって知ってますから!

 もし何かいちゃもんをつけてくる人がいたら、私ががつんと言ってやります!

 だから安心してください。きっと大丈夫。ドラゴンがいなくなって世界は平和になりますし、異能力者とか普通の人とか関係なく、みんな仲良くご飯を食べられる日が来ますよ。

 それでも不安なら、私が今よりもーっと強くなって、センパイをお守りします!

 それでは!

 

 

 アオイ

 

 

 

 

 

「……うーん、余計なお世話かなぁ。ミナトセンパイにはシキセンパイがついてるし。うん、これは没!」

『コール、10班。アオイ、そろそろ探索を再開します。キリノが下で待ってますよ』

「はーい、もう少しだけ待ってください! どうしよう、もっと有益な情報とかを……あ、そうだ、チョコバーも添えておこうっと」

 

 

 センパイ、頑張りましょう。折り返し地点ですよ。

 帝竜を倒して、みんなを見つけて、ぱーっとお祝いしましょう。そうしてまた、頑張っていきましょう。

 

 センパイ、

 

 センパイ、

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 ──センパイ。私は諦めませんから。

 何があっても、どんな形でも、最後まで一緒に戦います。

 

 

「やっぱり……あんた……恥ずかしい女だ……」

 

『ふふふ……相変わらずね、あなた』

 

 

 センパイ。私より年下の、かっこいいセンパイたち。

 すごく強くて頼りになるシキセンパイ。

 ちょっと臆病だけど、人に寄り添える優しいミナトセンパイ。

 2人ならきっと大丈夫。キリノさんは必ず都庁にお帰しします。

 

 

「や……やめろ……これ以上……もう見たくない……っ!」

 

 

 ガトウさん、都庁の皆さん、ごめんなさい。

 短い間だったけど、たくさんの人に会えたこと、センパイたちのお手伝いができたこと、誇りに思います。

 

 

『あはっ……あはははは!!』

 

 

 2人とも、こんな奴に負けないで。

 

 絶対勝ちましょうね、センパイ。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 



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CHAPTER5 あらすじ

各チャプターごとにあらすじとその時点で載せられる主人公2人の情報を設置しました。話の内容をざっくり把握したいときにどうぞ~。



 

 

     CHAPTER 5

The Sleepy-Hollow 目覚めた狂気

 

 

 ~あらすじ~

 

 

 連絡が取れていなかったキリノとアオイ、失踪者の居場所をナビが突き止める。

 場所は東京タワー。そこには失踪者たちが死体となって転がっていた。アオイもキリノを守り何者かの凶刃に倒れてしまう。

 大量失踪、そして虐殺。一連の事件を引き起こしたのは、帝竜のデータを体に取り込んで竜となり、自らを『人竜ミヅチ』と名乗る日暈 ナツメだった。

 ミヅチは東京タワーを自分の城に変え、残りの帝竜を活性化。人類を破滅させようと動き出す。

 

 自衛隊は生存者の救出のため東京タワーに、13班はタケハヤたちと共に帝竜がいる渋谷へ向かい共同作戦を開始。精神を錯乱させる鱗粉に苦しみながらも、帝竜スリーピーホロウを打ち倒す。

 渋谷が崩壊し行き場をなくしたタケハヤたちに、シキは都庁に来るよう提案。ナビの説得もあり、SKYはムラクモ機関と合流することになった。

 

 その後、ナツメに殺された人々は養分としてタワーに吸収され、アオイは助からず。唯一生き残ったキリノを救出し、自衛隊が都庁に帰還していた。

 組織の長ナツメの裏切り。茫然自失となるキリノ。アメリカの消滅に、無事だった民間人から上がる不安と疑念の声。そしてまだ残っている2体の帝竜。

 先日から一転、東京都庁は絶望的な状況に追い込まれた。ナビ、自衛隊、SKY、13班は意見を出し合うがまとまらない。

 斜め上の行動をとろうとするメンバーを、様子を見ていたキリノが一喝。立ち直った彼が新しい司令官となり、ミナトも傷を負いながらも奮い立った。

 一同は地下にいる6体目の帝竜討伐に動き出す。

 

 * * *

 

13班メンバー

 

【飛鳥馬 式 / アスマ シキ】

 スチューデント♀ / デストロイヤー / ボイスタイプG(S.R様)

 主人公その1。ムラクモ出身のチート気味女子。性格キツめ。

 タケハヤを始め実験体となっていた子どもたちの存在を知った時の記憶をナツメに消されていた。

 生まれてこのかたワンマンプレーだったため、会議というシチュエーションが不得手。異議がなければ何も考えずに従うし、嫌な意見は絶対受け入れようとしないため、折衷案を生み出すことができない。キリノが来るまで内心めっちゃ焦っていた。

 ミナトのメンタルを考え「リタイアでもいい」なんて言ったがいいわけない。ここでも焦っていたのは秘密。

 

【志波 湊 / シバ ミナト】

 サイキック / ボイスタイプC(H.Y様)

 主人公その2。一般家庭出身。ヘタレ。ちょっと成長した。ビジュアル未定/なしの方です。

 心が追い詰められると頭がフリーズして何も考えられなくなる。

 アオイはドラゴン襲来後に初めてできた友だち(互いに友人と認識したタイミングはシキより早かった)。その友人が殺されるのも初めて。ウォークライの火は克服できたがこればかりは一生消えない傷になった。

 

 

 主人公については物語が進む中で情報を追加・編集していきます。

 



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CHAPTER 6 暗闇と大洞の王 The Scaber
28.再び地下へ


6章掲載開始です。
今回は帝竜戦突入まで。

時期をざっくり考えると、3章の四ツ谷攻略が5月末〜6月中。4章、5章(1、2日しか経ってないんですよね……)が6月中。6章で6月中旬〜下旬あたりですかね。適当です。

最近投稿時間をバラバラにしていますが、何時頃がいいんだろう……アンケート設置してみようかな……



 

 

 

───────────────

CHAPTER 6 暗闇と大洞の王

    The Scaber

───────────────

 

 

 

 

 

 数ヶ月前に砂の城のように崩された日本の首都、東京。

 血と毒花の赤で染め上げられた都会だが、春に比べればかなり……依然崩壊したままだが、かなり状況は持ち直しつつある。

 

 アメリカから共有された情報によれば、国にはびこるドラゴンの長、帝竜は7体。

 都庁のウォークライ、池袋のジゴワット、四ツ谷のロア=ア=ルア、国分寺のトリニトロと渋谷のスリーピーホロウ。片手の指を全て折る数の帝竜を討伐した。

 残るは、あと……。

 

 

『おい、13班。残る帝竜は2匹──まずは「地下帝竜」だな。「地下道・至台場」に向かってくれ』

 

 

 1日で異界化した2つの町を攻略し、帝竜を2体討伐するという強行軍をこなしてから2日。キリノを新たな司令官とし、今後の方針を固めた翌日。

 アオイたちの死からまだ2回しか昼夜が巡っていないため、都庁の雰囲気はいまだ落ち着かない。

 けれど、東京崩落の危険性と人竜ミヅチの動きを考えると悠長にしてはいられない。今日中に地下を這いずり回る帝竜を討伐するのだ。

 

 装備を確認しながらエントランスへ下りる中、ミロクが都庁から地下道までのマップを視界に表示してくれる。

 ミナトは薬を始め携帯した荷物を指差しで確認する。忘れ物はなさそうだ。

 

 

「うん、よし。私たちは準備できてるけど、他のみんなは大丈夫だよね?」

『ああ。バッチリだ。ちなみに今回の作戦、心強いメンバーも参加してもらえることになった。現地でビックリすんなよな』

 

 

「心……」

「強い?」

 

 

 シキと互いに目を合わせる。けれど見当がつかない。帝竜討伐作戦で自衛隊や10班と協力したことはあれど、それ以外の戦闘員や作業員とは直接顔を合わせたことがない。いったい誰が。

「いいから」とミロクに急かされて都庁を出る。

 

 

「確か、今回の地下帝竜討伐は……あの帝竜が光が苦手だってわかってたから、それを利用した新兵器でなんとかとか、キリノさん言ってたよね」

「そうね。いろいろ手間がかかりそうだけど、またあいつに轢き殺されそうになるのはごめんだし、さっさと合流してやることやるわよ」

 

 

 四ツ谷付近にある台場地下道から地下に入る。ひやりと湿っぽい空気が肌に吸い付いた。

 水道工事の護衛やマモノの駆除で何度か足を踏み入れてはいるものの、あの帝竜に追われた恐怖は消えない。息も忘れて全力疾走した記憶が蘇る。

 前に遭遇したときと入り口が違うが、自分たちの足音を聞いてこっちに向かってきたりしないんだろうか。

 

 不安を抱きつつ地下道を歩く。暗闇の中を1歩進む毎に、視界にぼんやりと人影が浮かんできた。

 

 

「……あれ?」

「あ」

 

 

 先に立っているのは6人。そのうち3人は銃を構え周囲を警戒している自衛隊員だ。

 そして残りの3人は……。

 

 

「ヤダヤダヤダぁ!! ムリですってば、そんなのぉ~!」

「テメ、ここまで来といて泣き言かよ!?」

 

「あんたたち……」

「レイミさん、ケイマさん? ワジさんも!」

 

 

 驚いて上げた声が地下道に反響した。いつもと同じ作業用の手袋にエプロン姿の開発班の3人は、待ちわびたようにこっちを振り返る。

 相変わらずの仏頂面で「ようやく来たか……」とワジが肩を揉んだ。

 

 

「待ちくたびれて、干からびるかと思ったぞ」

「……10年前から干物だろ?」

「ふん……そういうおまえは、若いだけが取り柄ってわけか?」

「あーハイハイ! ともかく本題──『地下帝竜討伐作戦』だ」

 

 

 大木のように動じないワジに呆れたのか勝てないと思ったのか、ケイマは自分から打ち切って背筋を伸ばす。

 

 

「あいつ……地下帝竜のヤロウが光に弱いってのおまえたちも知ってるよな? それを利用して、あいつの動きを封じ込め、倒すってのが今回の作戦だ」

「で、その光を利用した新兵器っていうのは?」

 

 

 シキが腕を組んで辺りを見回す。周囲にそれらしい物は見当たらない。

 ムラクモが兵器と言うから、てっきり強力な光線を出す大砲か何かと思っていたが、破壊兵器ではないようだ。

「ランプだ」というワジの答えに、13班の2人はぱちりと瞬きをした。

 

 

「ランプって、ライトのランプ?」

「魔法のランプとでも思ったか。まあ、ただのランプじゃない。今日のために、開発員総出で超強力なハロゲンランプを用意しておいた。平和な東京じゃ、舞台やナイターの照明に使われてた技術なんだがね……」

「ああ、野球場にあるおっきな照明ですね。確かにあれは遠目に見ても眩しい……」

「そう。こいつで光の囲いを作って、奴を身動きできなくしてしまうのさ」

 

 

 要はスポットライトのような、かなりしっかりした照明器具ということか。

 以前、自分たちを襲おうとした帝竜が動きを止めたのは、地上から差し込んでいた明かりだったことを思い出す。あれはまさに一筋の光だった。

 

 

「確かに……あのときは地上から射し込んでた光だけで、帝竜は動きを止めてた」

 

 

 なら、開発班が手を加えた「超強力な光」ではどうか。

 

 

「これは……」

「うん、いけるかも!」

 

 

 そうだろうとケイマが胸を張る。対するレイミはグロッキー状態だが。

 

 

「つーわけで、俺たちはこれから、このランプを帝竜のねぐらに仕掛けに行く」

「え、帝竜に接近するんですか!?」

「無理に決まってんでしょ、何考えてんの!」

「心配はいらねえ、奴が活動休止してる時間は調査済みだ。今はお昼寝タイムってわけよ」

 

「でも……寝てるだけってことは起こしちゃったら終わりじゃないですかぁ……」

 

 

 レイミがうなだれて頭を横に振る。しかしワジが何でもないことのように、彼女の腰に下がっている、銃……のような何かを指さした。

 

 

「そのときは、おまえのライフルグレネードでもお見舞いしてやればいい」

「え……? レイミの可愛いグレネリンコたん、使っちゃっていいんですか……!? ウッソ、やったぁーー! 今まで絶対に使用許可降りなかったから、実戦使用とか超諦めてたんですけど! いや~ん!! ワジ様最高ですぅ~! ムラクモに入ってて良かったぁ~!」

 

 

 電球がぱっと点灯するように目を輝かせ、ふりふりとメイド服のロングスカートを揺らす。ついさっきまでの恐怖はどこに行ったのか。

 

 

(でも……)

 

 

 物怖じしない開発班を見て、ミナトは顔が強張っていくのがわかる。

 脳裏には先日までの光景が浮かんでいた。自分の出番だと意気込む後輩と司令官。彼らが向かった先で起こった惨事。冷たくなって帰ってきた体。

 何も言えずに立ち尽くす自分たちに、ワジがちらりと視線を向けた。

 

 

「心配するな。……と言っても無理かもしれんが。そんな深刻そうな顔をするな」

「でも、もしものことがあったら……」

「そのときは、おまえたちが助けてくれるだろう」

 

 

 今回は大丈夫だと、初老の職人は腕を組んで自信たっぷりに言ってみせる。

 

 

「同じ地下道にいる。走ってすぐに駆けつけられる距離だ。もし帝竜の目が覚めても、逃げるくらいの体力はある。安心しろ。異能力者のような力はないが……同じことを繰り返すほど、不用心じゃあない」

「……そこまで言うなら、信じてもいいのね?」

「ふん、ケイマとレイミはともかく、こっちはおまえが生まれる前からムラクモで働いてきたんだぞ。赤ん坊同然の娘になめてもらっちゃ立つ瀬がない」

 

 

 ワジに言われてむっとしたシキだが、納得したように頷いて、肩に手を置いてくる。

 意志の強い黒目が真っ直ぐ自分を見つめ、大丈夫と言い聞かせてきた。

 

 

「……」

 

 

 正直、情けないことに信じきれない。

 だが、信じるしかない。それにワジが言うとおり、何かあったら今度こそ助ければいいのだ。

 

 無言で頷く。開発班も笑って頷き返してくれた。

 

 

「おまえたち13班には、ランプ用の電源テーブル確保を頼みたい。実は、横洞に電源ケーブルがあるんだが、帝竜が暴れたせいで……断線してしまったんだ。そいつを、つなげてきてほしい」

「わかりました。それが完了次第、帝竜との戦闘ですね」

「できれば帝竜討伐だけに専念させたかったが……なにせ横洞はドラゴンの巣だ。すまんが、おまえたちに任せるしかない」

「とりあえず、俺たちはランプの設置、おまえたちは電源の接続だ、よろしく頼むぜ!」

「任せて。適材適所よ」

 

『なるほど……断線箇所は4箇所だな』

 

 

 早くもミロクが機器を操作して視界に目的地を表示した。複雑に入り組む横洞の図の中で、赤いマークが4つ点滅する。

 

 

『断線箇所は、マップにマークしておいた。確認しながら進んでくれ。そこの横洞からだ、行こう!』

「了解」

「了解。……あの、気を付けてください」

 

「おう、そっちもな!」

「頼んだぞ」

 

 

 互いに無事を祈って横洞に入る。相変わらずあちこちに穴が空いて、ほんの少しでも油断すると迷ってしまいそうだ。ナビがいるから大丈夫だが。

 

 

「ミロク。マップにちらほら生存者反応も出てるよ! まだ生きてる人がいたんだ……!」

『ああ、帝竜とドラゴン、あとマモノのせいで地下から抜け出せなかったんだろうな。ケーブルと一緒にそいつらも保護していこう』

 

 

 生存者は複数いるようだが、いずれもかなり奥にいるようだ。マモノとドラゴンを倒しながら、まずは最も近い1箇所目のケーブルを目指す。

 暗くうねる道を進んでいくと、バチンバチンと耳に痛い、何かが鋭く破裂するような音が聞こえてくる。属性攻撃で雷を扱うときも、こんな風に音をたてて指先で電気が弾けていた。

 

 

「電気の音だ……きっとこの先にケーブルがあるよ」

「よし、さっさと繋げましょ」

 

 

 さらに歩を進めると、音に光が加わり目を刺激する。辿り着いた突き当たりで、巨大なプラグがバチバチと火花を散らしていた。

 大腿くらいの太さのコードが伸びて壁を這っている。きっとこれがケーブルだ。

 

 

「あった! これで間違いないよね」

「じゃああとは繋げ……。……」

「シキちゃん? どうしたの?」

「……これ、普通に触って大丈夫なの? 感電しないわよね」

「……聞き忘れてたね……」

 

 

 開発班と連絡を取ってアドバイスを請う。

 しばらくの間、自分たちは両手を上げ下げしては右往左往する挙動不審な状態になった。開発班に「ドラゴンよりビビってどうする」とツッコまれながらなんとかケーブルを繋ぎ終えて一息つく。

 

 

『おい、13班! こっちでも通電を確認した。この調子であと3箇所、とっとと片付けようぜ!』

 

「よ、よし……」

「繋げ方はわかったね……」

 

 

 息を切らしてミロクのアナウンスを聞く。

 自分もシキもそこまで手先が器用ではないのに加え、感電しないか心配でなかなか作業が進まず悪戦苦闘してしまった。

 が、これは最初だ。横洞にはまだ3箇所ケーブルがある。

 

 

「やばい、作業の手順忘れそう……っ!」

「無駄に緊張するしいい気分じゃないわ。早く次行くわよ!」

 

 

 頭の中がぐちゃぐちゃにならないうちに早足でで進む。そして1箇所目と同じように弾ける電気が見えるやいなや飛びついた。

 焦って粗相をしないよう細心の注意を払いながら、2箇所目の接続を終える。

 

 

『13班、聞こえるか? 電力値の上昇を確認した……そっちは順調そうだな、さすがだぜ』

「だ、大丈夫ですよね。繋ぎ方間違ってませんよね? あとで爆発したりとか……」

『ないない、そんな怖がんなって! 落ち着けよ』

 

 

 通信機の向こうではははとケイマが笑う。すると被さるようにして「やだー!」と甲高い悲鳴が聞こえてきた。

 

 

『やっぱヤです! 帰る! 帰るって──むぐぐ』

『こっちも至極順調! 心配無用ォ!』

「ちょっと、今帰るって聞こえたんだけど」

『気のせい気のせい! あと2箇所かな、頼んだぜ!』

 

 

 半ば切断されるようにして通信が終わる。

 

 

「ったく、レイミは勇敢なんだかビビりなんだか」

「今にも泣きそうだったね……なんか、悲鳴聞いたら落ち着いてきちゃった」

「……私も」

 

 

 自分よりパニックになっている者がいるとかえって落ち着く法則が発生し、3箇所目は不思議なほど冷静に取り組むことができた。

 比較的スムーズに作業を終え、「よし、通電を確認した」とミロクが教えてくれる。

 

 

『ラスト1箇所だな。しかし、開発班のほうはちゃんとやってるんだろうな?』

「帰ってなきゃいいけどね」

「かえ、帰らないでしょ、さすがに。……たぶん……」

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 地下道と繋がる貯水池は高さ数十メートルの巨大な空間だ。横幅もプール程度の広さで、人工の「池」というが、奈落の穴と言ったほうがしっくりくる。

 それが複数連なるうちの1つに、開発班はいた。

 

 控えめな金属音が反響する。

 

 

「ぅぅううう……ひぃぃぃ……っ」

 

 

 壁際の柵にしがみつくレイミは恐る恐る背後を振り向き、視界に入った物体に呻き声をひねり出した。

 

 自分たちがいる陸部よりも中央、貯水池の池の部分、隣の貯水池に繋がる穴から出ている「それ」。

 帝竜の尾は、ゆったりと水に浮かんで揺れていた。

 足が生えておらずミミズのようだが、二又に分かれている先の部分はムカデを連想させる。

 というかいくらなんでも巨大すぎやしないか。パッと見で横幅10m以上ってどういうことだ。いったい体長は何十mあるのだろう。こんな奴が今まで東京の地下を這いずっていたなんて。

 ワジから愛銃の使用許可が下りたとはいえ、怖いものは怖い。

 

 

「や、やっぱ……レイミにはムリですぅ……」

「これだから小娘は……わめくだけで、仕事にならん……」

 

(やれやれ)

 

 

 ぶるぶる震えるレイミとぶつぶつ言うワジに、ケイマは聞こえないようにため息をついた。

 13班が横洞を走り回って頑張っているというのに自分たちがこれでは、いつまで経っても本番にいけない。兵器となる機材を扱えるのは開発班しかいないのだから、グズグズなんてできないのに。

 

 

「おい、レイミ! そこのナット取ってくれ、8インチのヤツ!」

 

 

 ハロゲンランプをいじりながらレイミに声をかける。しかし彼女は相変わらず震えていて、腰の後ろで結ばれているエプロンの紐が小刻みに揺れていた。

 怒鳴りたいのを我慢して、手は止めずに発破をかける。

 

 

「それからそことそこ、溶接しろ。手伝わなきゃ、テメーの武装コレクション、溶かして釘にでもすんぞ!」

「コレクション!? ひ、ひやだぁああああ……うええええ……!」

 

 

 飛び上がるように立ったレイミの顔は涙と鼻水に濡れて崩壊していた。呂律の回らない舌でやめてーと叫び、ようやく手伝い始める。

 

 

「まったく……最初からやればいいものを……開発班の名が泣くぞ!」

「ずびばぜんんん~!」

 

 

 ワジの叱咤とレイミの泣き声が貯水池にわんわん響く。

 かなりやかましいが帝竜は動かない。水面下で狩りの準備が進められているのも知らずに今も眠っている。

 

 最後のランプの調整が完了する。

 

 

「よーし、これで仕舞いだぁ。帝竜さんよ、目にモノ見せてやるぜ……!」

 

 

 ケイマがにやりと笑うのと同時に、横洞の中では4箇所目のケーブルが繋がった。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

『おい、13班。最終チェックするから、待ってろよ』

 

 

 通信はシキに任せ、ミナトは道中で保護した生存者たちを介抱する。

 一般人もいるが、今回はムラクモの準候補が多かった。さすがムラクモに見出された人材というべきか、息も絶え絶えの一般人に比べて余力が残っているように見えた。

 

 

『18地区南、地下ケーブル電圧……正常! 問題なし! 開発班、応答せよ。こっちの作業は完了した!』

 

『おう、もう終わったか……こっちも準備完了だ!』

『ここは精神衛生上、非常に問題あります! お早めに出動お願いし……むぐぅッ!』

 

 

「おまえは静かにしてろ!」「むむーっ!」と騒がしいやりとりが聞こえてくる。ため息がつかれて、通信相手がワジに交代された。

 

 

『……13班、ここからが作戦の本番だ。地下帝竜が目覚めるまでまだ時間がある。しっかり準備を整えてから、こっちに来い!』

「了解。お疲れ」

「お疲れさまです、あとは任せてください!」

 

 

 残りの生存者を探し出し、横洞を出て自衛隊に彼らを預ける。回復剤もそれほど減っていないし、このまま帝竜に突撃できそうだ。

 

 

『この先は貯水池……帝竜のねぐらだ。準備はいいか?』

 

 

 ミロクにバッチリだと返そうとしたところで、ふとあることが思い浮かぶ。

 ちょっと待ってと呼び止めると、シキが不思議そうに振り向いた。

 

 

「何、なんか不備でもあった?」

「ううん、そうじゃなくて……貯水池ってことは、帝竜は水辺にいるんだよね?」

「ああ、そういえば」

「じゃあ、一旦都庁に戻れないかな? 念のためさ、残ってる開発班の人にスパイク用意してもらおうよ」

 

『スパイク?』

 

 

 シキとミロクの声が被る。

 

 

「こっちから接近するときに水中を泳ぐわけにはいかないでしょう?」

 

 

 指先のクロウに霜を光らせる。

 ミナトは近くにある脱出ポイントを指さし、再び都庁への帰還を提案した。

 



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  再び地下へ②

都庁の様子にフォーカスを。
帝竜戦は次回から。



 

 

 

 13班が戻ってきたと聞き、ワジは通信機に指を当てた。

 

 

「13班、準備はできたのか」

『できた。問題ない』

『お待たせしました、いけます!』

「ほう、いい返事だ」

 

 

 自分がいるのは帝竜の顔、頭の部分。胴の部分にはレイミが、尾の部分にはケイマがついている。

 今までにも何度か物音をたてたが、帝竜はのんきに目を閉じたままだった。

 

 

「帝竜の奴は、何も気付かずぐっすり寝ている……おかげでこっちの首尾は上々だ。いいか? おまえたちが入ったら我々が一気にランプを点灯し、光の囲いを作る。かなり動きを制限できるはずだ」

『で、その間に私たちは尾、胴、頭の順に攻めていけばいいわけね』

「ああ。タフな強敵には変わりないだろうが、大暴れして、トンネルごとぶち壊す……なんてまねはもうできない」

 

 

 ドラゴンが来てから数ヶ月。自分たちを散々悩ませてきた種の1つが刈り取られる。もう地震に不安になることなく、ぐっすり眠ることができそうだ。

 

 

「尻尾から頭まで、遠慮なく叩いてくれ。さぁ……いつでも、こい!」

 

『いくぞ、13班! 戦闘開始だ!』

 

 

 ミロクの号令が響き、13班が湾岸貯水池に突入する。

 

 

「よし、今だっ! ランプを出力最大で全点灯!」

 

「ひー! 13班様、早く来てぇぇ!」

 

「そらッ! 喰らいやがれ! これが開発班の心意気だあッ!」

 

 

 ケイマ、レイミ、ワジが同時に指に力を込めてスイッチを入れた。

 貯水池の3つのエリアでガチンッ!!! と大きな音が重なり、暗かった地下が真っ白に染め上げられる。

 焼き尽くす勢いで視界を照らす光に、ミナトとシキは思わず顔を覆った。

 

 

「うわぁ、眩し……っ!」

「下手したら目が潰れるわよ、これ」

『照度32000ルクス……これは強烈だ……! おい、13班! 今のうちに尻尾から攻めていくぞ!』

 

「おっしゃー! イケイケイケ、いっちまえーーーっ!」

 

 

 ライトの向きを調整するケイマが声を張り上げて腕を振り回す。

 光が満ちる貯水池の中、パートナーと互いに頷き、武器を構えて帝竜に向き合った。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「おい、ネコ。何してる」

「んにゃっ」

 

 

 背後から声をかけられ肩がはねる。

 ムラクモ本部司令室のドアから体を離し、ネコはダイゴを振り向いて口の前に指を立てた。

 

 

「ちょっと、しーっ! バレちゃうじゃん!」

「なぜ聞き耳を立てている。13班なら心配いらないと思うが……そんなに気になるなら状況を確認すればいいだろう」

「心配なんてしてないしっ。のんびり待機するとか暇だしさ、今どこらへんまで進んでるのかなって」

 

「ちょうど帝竜との戦闘が始まったところです」

 

「んにゃあっ!?」

 

 

 いつの間にかドアが開き、ミイナが立っていた。反射的にびょーんと跳び退る。

 数秒前のネコのように、落ち着いた少女ナビはしっと口の前に指を立てて眉を寄せた。

 

 

「静かにしてください。ミロクがナビに集中できません」

「ナビって……」

 

 

 視線をミイナから司令室の中に移す。

 部屋の奥、壁いっぱいが画面になったモニター前にミロクの背中が見える。

 彼は小さな握り拳を上げて、赤い袖をばたばたと振っていた。

 

 

「いけシキ! ミナト、そこだー!」

 

「……あれ、ナビ?」

「ナビです! 応援もナビの役目です。それ以前にちゃんとアナウンスもしてます!  あなたたちの出番はまだ後です。怪我も癒えきってないんですから、大人しく待っていてください」

 

 

「13班のことはご心配なく」とぐいぐい背中を押され、目の前で扉が閉じる。

 

 

「だそうだ。言われたとおり、俺たちは大人しく待っていよう」

「むー……」

 

 

 しかたない。東京タワーに突撃しようとしたのをキリノに叱られたばかりだ。

 それにSKYが誰か1人でも戦うとなれば、タケハヤが放っておかない。都庁にいる誰よりもぼろぼろの体で、誰よりも勇ましく前線に突っ込んでいくだろう。

 仲間の自分やダイゴが止めても、彼が愛するアイテルが止めても、シキが止めてもきっと止まらない。タケハヤはそういう男だ。

 

 わかってしまう。ずっと一緒にいたから。

 

 ムラクモ本部から離れ、タケハヤの様子でも見に行こうと医務室を目指す。

 階段を1段飛ばしで下って自衛隊駐屯区の階まで降りたとき、野太い怒鳴り声が耳に飛び込んできた。

 

 

「なんだ、騒がしいな」

「ケンカ? あ、もしかしてグチあたりが……」

 

 

 顔を出して廊下を覗く。真っ先に目に入ったのは人集りだった。自衛隊員と一般人数人が入り乱れている。そのほとんどが両手を出してまあまあと言っている様子を見るに、何かを宥めているようだ。

 彼らの中心にはいかにも頑固な面をした男がいて、何度か顔を合わせたマキタという隊員に噛みついている。

 

 

「だから、おかしいって言ってんだろ!? いつまでムラクモと一緒にいなきゃいけねえんだ! なんであんたたちはあいつらに従ってるんだよ、脅されてんのか!?」

「ムラクモは味方です、彼らがいなければドラゴンは倒せません。安全が確保できないままです」

「そうだ、そうやって今まで都庁で生活してきて……何が起きた! みんな死んじまったじゃねえか! ムラクモの総長に殺されたんだ!」

 

「……」

「そういうことか」

 

 

 やれやれとダイゴが息を吐いた。ネコは怒鳴り続ける男を眺める。

 

 

「おれたちは本当に信じてたんだ。ムラクモがいるなら大丈夫だって、ドラゴンに殺されることもないって。それがどうだ、ムラクモはせっせとドラゴン倒して、いろんなもん拾い集めて……それをあの女が使って化け物になった! 最初からこれが狙いだったんだ!」

「それは違う! すべて日暈ナツメの独断で、ムラクモも騙されたんだ!」

「そんなの信じられるわけねぇだろ!」

 

 

 唾を飛ばして叫ぶのは彼1人だけだが、他の一般人も不安そうな顔をしていた。ある者は同調するように頷き、ある者は戸惑った顔で自衛隊を見る。

 

 日暈ナツメに付けられた傷跡は消えない。

 もう起きてしまった事件は消せない。死んだ人間は戻ってこない。失ってしまった信用は簡単には取り戻せない。

 あの惨劇は未だに、いや、これからもずっとくすぶり続けるだろう。

 日々不安の声を上げる市民への対応に追われて自衛隊は疲弊しているようだが、こればかりはどうにもできない。

 

 

「ネコ、行くぞ」

「うん」

 

 

 SKYメンバーはいないし、自分たちが出ることでもないなと引っ込もうとして、

 

 

「あの13班って女2人もそうだ!」

 

 

 指先が震え、廊下の壁に爪が立った。

 

 

「なんで自衛隊でもない子どもが普通に武器持ってマモノやドラゴンと戦ってんだ? 手から火を出したり、普通だったら死ぬような大怪我がほんの少しで治っちまったりすんだよ? あの2人も日暈って奴と同じだろ!? その気になりゃ人を殺せるじゃねえか!! 今までそんな奴らと一緒にいたのがおかしかったんだよ!」

 

「……」

 

 

 唇に歯が食い込む。

 

 止まらず火山が噴火するようにがなり立てる男に、マキタの声もわずかに前のめりになった。

 

 

「ドラゴンに対抗できるのは異能力者しかいないんだ! ムラクモは、彼女たちはその力を使い、命を懸けて戦ってくれている! 彼女たちを信じてくれ!」

「だからあんなことがあって信じられるかって言ってんだよ!」

 

「……暴れるなよ」

 

 

 ダイゴの声が耳に届いて、いつの間にか自分が歩き出していることに気付いた。

 無意識に動いていたことに驚いたけれど、歩みは止めない。すたすたと集りに近付き、人と人の間に両腕をねじ込む。

 

 

「ドラゴンを倒したって変わらねえ! 何が異能力者だ、ドラゴンの代わりに化け物じみた奴らが近くにいて、どうやって安心しろっつーんだ──」

 

「いい加減にしなよおっさん」

 

 

 大人を押し退けて声を出す。

 思わぬ方向から咎められて驚いたのか、「は!?」と男は目を見開いてこっちを見た。

 

 

「なんだあんた、こっちは大事な話を……」

「大事な話? 文句言ってるだけにしか聞こえなかったけど」

 

 

 なっ、と相手が息を呑む。代わりに神経質そうな女性が眉間にしわを寄せて注意してきた。

 

 

「あなた、新しく都庁に来た子でしょう? 知らないかもしれないけど──」

「知ってるから口挟んだの。アタシも、アタシたちもあんたらと同じ被害者だよ。あのババァが渋谷の帝竜起こしたせいで、家族が……たくさん殺された」

 

 

 同じ被害者であることを言えば、口を開いていた一般人は一瞬静かになる。

 ネコはくわえていた棒付きキャンディを口から抜き、沈黙に言いたいことをねじ込んでいく。

 

 

「あたしたちは最初からムラクモが大っ嫌いだった。ドラゴン以前に、日暈ナツメにいろんなことされてきたから。だから13班も信用してなかった。……でもあいつら、ババァに利用されてるのも知らずにあくせく働いてた。池袋じゃ、誰かを助けられなかったって泣いてたし。アタシたちが邪魔したことだってあったのに、薬を分けてきたりさ」

 

 

 大人の中で1人喋り続けるという慣れない状態は窮屈だ。けど、あのまま目の前の男が好き勝手言うのはもっと不快だ。

 渋谷で起きたことを端折って説明すると、自衛隊も一般人も完全に沈黙する。

 

 

「言っておくけど、大切な人が殺されたのは13班もなんだからね? あいつらも騙されてたの。あたしたちと同じで、クソババァに踊らされてた。それであの女に友だち殺されて、片っぽはびーびー泣いてた。自分だって大怪我してんのに、助けられなくてごめんねって」

 

 

 ばっかみたいと吐き捨てる。

 日暈ナツメも、あの妙にびくびくした地味な女も、自分も、ぎゃあぎゃあ騒ぐ大人たちも。みんなバカだ。

 なのに13班は今も命懸けで帝竜と殴り合いをしている。なんだかもう、いろんな意味で救いようがない。

 けれど、彼女たちが誰よりも前に出て、道を切り拓いていることは事実だ。

 

 

「13班は、ムラクモは諦めないで『どうにかできるかも』って戦ってるんだよ? 今、地下にいる6匹目の帝竜と戦ってんの。アタシはずっと前にムラクモにされたこと、絶対忘れない。でも、今のムラクモは前とは違うみたいだから、嫌いだけど手伝う。日暈ナツメと13班は違う。あいつらも大切なもの奪われて、戦ってんの! ……それにいちゃもんつけたら、もうどうしようもないじゃん」

 

 

 このわだかまりは消えない。あの大量虐殺は、「ムラクモ機関の総長が起こした」と、ずっと人の意識に刻まれていく。

 けど、13班はそれに真正面から立ち向かっている。信じきれなくたって、真っ先にドラゴンとぶつかっている彼らと進んでいくしかない。

 

 それともう1つ。

 

 

「あとさ」

 

 

 パーカーの袖をめくる。

 目を瞬かせていた人々は、自分が手のひらの上に氷を出すのを見てぎょっと身を仰け反らせた。

 

 

「あんたらは、もし自分の手の中に武器があったら、それで人殺すわけ?」

「な、な……っ?」

「おっさんたちが知らないだけで、異能力者はそこらへんにいるよ。でも、だからってほいほい人を殺すわけないじゃん。アタシたちも、あんたらと同じ人間なんだっつーの。家に包丁あったってじゃあ人を刺そうなんて思うわけないじゃん。そうやって化け物化け物喚くから、本当に人に力を使う奴が出てくるし、行くとこなくなっちゃう奴がいるんだよ」

 

 

 SKYはメンバーのほとんどが異能力者だ。ムラクモのようなS級、A級のエリート集団ではないが、わずかに力が使える。

 そしてそれが原因で、居場所をなくして流れてきた者が、少なからずいる。

 

 異能力者は化け物じゃない。本当の化け物は、彼らを「化け物」と罵って石を投げ、本物の化け物に仕立て上げる人間のほうだ、と思う。

 そして今、自分たちが倒さなきゃいけない本当の「敵」で「化け物」なのは、ドラゴンとあの女だ。

 

「そうでしょ?」と問い、答えは待たずに背中を向ける。

 

 

「どうしても信じられないならしょうがないし、都庁から出るなりなんなりすりゃいいじゃん。けど、あいつらの邪魔すんのはやめてよね」

 

 

 すっ、と頭が空になって冴える。言うだけ言えて満足した。

 キャンディを口にくわえなおし、もう一度人をかき分けて歩き出す。

 

 階段に戻ると、踊り場でダイゴが待っていた。頭の後ろで手を組む自分を見て、ふっと笑う。

 

 

「いつにもまして饒舌だったな」

「う、うるさいな! 夜まで騒がれたら眠れなくて困るし……」

「そのわりにはずいぶん13班を擁護していたが」

「にゃーっ! うるさいってば! あいつらを倒すのはSKYだって言いたかったの! とくにあの、地味な方! 同じサイキックでも力を使って戦ってきたのは絶対アタシのほうが長いし、今度こそコテンパンにしてやるって……」

 

「へえ?」

 

 

 大柄なダイゴの陰から、ひょいとタケハヤが顔を出す。

 んにゃあああっ、と本日一番の叫びが都庁に木霊した。

 

 

「た、タケハヤ、いつの間に……!」

「上の階がギャーギャーやかましくて眠れなかったんでな。物申そうと思って上がってきたら、一気に静かになって驚いたぜ。いったい何だって思ったら、おまえが説教してるじゃねェか。 何だっけな、『日暈ナツメと13班は違う』……」

「にゃーーーっ!!」

 

 

 大声でかき消してばばばばばと腕を振り回す。拳を胸板に当てるもタケハヤはどこ吹く風で口笛を吹いていた。

 

 

「もー、ばかばかばか! 盗み聞きする暇があるなら寝ててよ! まだ全快じゃないんでしょ!? アタシ帰るから!」

 

 

「バカー!」と捨て台詞を残して走っていく。

 

 熟れたリンゴのように赤くなっていたネコの顔に、タケハヤとダイゴはくっくと笑った。

 

 

「なんだかんだいって、あいつも絆されてんな」

「『あいつも』ということは、おまえもか」

「さあね」

 

 

 食えない奴だと言われてまた笑う。

 相手は因縁のムラクモの人間。とはいえ絆されてしまうのはしかたないのかもしれない。

 いつの間に用意していたのか、都庁には自分たちSKYのための居住区があったのだ。「ムラクモなんて信用ならねー!」と言っていた仲間たちも、今は肩の力を抜いて過ごしている。

 

 

「つくづくお人好しだわな。……っと!?」

 

 

 視界が揺らいで足が浮かぶ。

 階段の手すりをつかんだから転ばずに済んだが、揺れはしばらく続いた。

 渋谷にいたときも都庁に来たときにもあった地震。地下帝竜の活動に伴う揺れだ。

 しかし今回は何かが違う。いつもより弱くて短く、ほんの少しずつ響いてくる。まるで身悶えしているような。

 

 

「13班が帝竜と戦闘を始めたらしい」

「なるほどな。帝竜があいつらにいじめられて苦しんでるってとこか」

「……買っているな」

「3対2で戦って負けたんだぜ。俺もおまえもあいつにぶん殴られたんだからわかるだろ」

「まあな」

 

 

 あの一撃は痛かったなぁと、国分寺での戦いを思い出して三度笑う。

 

 

「さぁて……俺たちも戻ろうぜ、ダイゴママ」

「その呼び方はやめてくれ」

 

 

 帝竜に対する懸念などどこかに消えてしまっていた。

 13班なら大丈夫だ。彼女たちが勝てなかったら、それこそ嘘だろう。

 

 

(思う存分暴れてくれよ)

 

 

 タケハヤは窓の外を見る。

 東京にはまだフロワロが繁茂している。しかしそれも、春に比べればずっと少なくなった。

 希望は確かに見えてきている。

 都庁前広場で、毒花の赤よりも濃い、真紅のムラクモの旗がはためいた。

 



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29.巨竜と小人 - VS ザ・スカヴァー -

帝竜戦開始。ザ・スカヴァーの実際の体長って何十メートルあるんでしょうね?
アンケートご回答いただいた方ありがとうございます。とりあえず票が一番入っていた「午前9時前」の時間に投稿してみました。今後票の変動などあればそっちの時間帯になるかもしれません。



 

 

 

「こん……のっ!!」

 

 

 シキがナックルで殴りつければ、海老の身を折るような音と共に尾の先が曲がる。

 帝竜の尻尾は激しくのたうち、壁や水面を叩いて動かなくなった。

 

 

「やった!」

「よし、尾は破壊──」

 

「うおおおっ、止まったぁ!? ヤベえ、超カッコいいぜおまえたち!」

 

 

 ケイマが雄叫びを上げる。

 戦闘員でなくともムラクモ、彼は肝が据わっていた。戦闘中、尾が突き刺さって陸部に空いた穴も物怖じせずに飛び越え、自分たちの傍まで走ってくる。

 

 

「おれたちが作った武器がよぉ……こんな風に活躍してんだな……! おまえたち見てたら、なんか感動しちまったよ……! へへっ……ぐすっ……」

 

 

 そばかすのある頬を紅潮させ、きらきらと輝いていた彼の目が不意に潤んだ。手袋をはめた指で鼻の下をこする。

 続いてミロクが「よっし!」と喜んでくれた。

 

 

『デカい図体も、暴れられなきゃただの置物だな……! あとケイマ、もう泣き止めよ。まだ終わってないんだから』

「ホント、おまえだぢみでだら、おでもうずげーがんどうじだのなんのゴホッ! ゲフガホガッ! コンコンッ!」

「うわ、ちょっと泣きすぎ」

「うぇっ……ど、胴体と頭も頼むぜ!」

 

 

 涙を拭い、苦笑してケイマは親指を立てる。

 直後、隣に繋がる壁の穴から「きゃーっ!!」と悲鳴が聞こえてきた。

 

 

『13班様ー!! 来て、早く来てー!!』

 

「あー、ほら、行ってやってくれ。レイミずっとあの調子なんだよ。あ、薬と装備は大丈夫か? なんだったらここでメンテと補充ができるけど」

「問題ない。胴に行くわよ!」

「うん! レイミさーん! 今行きますよー!」

 

 

 ケイマに手を振って走りだす。

 穴を潜り抜けると、地面にがっちり固定されたランプの陰で、涙目のレイミが震えていた。

 

 

「無理無理無理無理……はやくブッ飛ばしちゃってください~~っ!!」

「ビビりすぎ! もっと後ろ下がって!」

 

 

 もちろんですとレイミは陸部の奥にすっ飛んでいく。

 

 

「わっとと、揺れる……!」

 

 

 破壊された尻尾の分までというように、胴が上下して貯水池を振動させた。波が生まれ、ザンザンと音を響かせながら押し寄せ、足もとを濡らす。

 先刻ミナトが言っていたとおり、都庁から持ってきた道具の出番だ。足を滑らせないよう、靴の裏側にスパイクが付いたソールを装着する。

 

 

『さっきの戦いでわかったけど、こいつの甲殻は厄介だ。なるべく腹部を狙ったほうがいい。潰されないように気を付けろよ!』

「了解!」

「頭でも尾でもないから比較的簡単ね。さっさと潰す!」

 

 

 スパイクを鳴らしてシキが駆け出す。

 目がないのにどう反応しているのだろう。足が地面を蹴る衝撃でも感知しているのか、帝竜の胴は硬い甲殻をこっちに傾けた。

 光沢のある白い殻は瓦のように連なり、間からは紫の結晶が生えている。尾を攻撃するときも、この盾に防がれて少し苦戦した。

 

 シキはちっと舌打ちして、力を溜めて拳を振りかぶる。

 

 

「んのっ!!」

 

 

 ギイィィン! と、頭痛がするくらいの硬い音が貯水池に響く。

 シキはアッパーで傾いていた胴を打ち上げた。続いて、表れた腹に連撃を叩き込む。

 分厚いゴムを叩くような衝撃に空気が震え、奥からうなり声のような低い音が聞こえてきた。

 

 

『警戒! 帝竜が動くぞ!』

 

 

 シキの拳の勢いを利用するように胴が宙に上がり、思い切り陸部に叩きつけられる。

 凄まじい衝撃に体が浮かび、バランスを崩して膝を着く。

 

 

『シキ、ミナト! 頭上注意!』

 

「え……うわ!?」

 

 

 顔を上げると、目の前にごつごつした岩石が迫っていた。

 慌てて転がる。すぐ傍で岩石は砕け散り、鋭い欠片が体を打った。

 

 

「痛つっ……ちょっと、これ、貯水池崩れないよね!?」

『大丈夫だ。でももうずいぶん手入れされてないからか、天井や壁の脆い部分が剥がれてる。今の衝撃で刺激されただろうから、落石には注意しとけ!』

「了解……! わ、また動き出した!」

 

 

 勢いを付けて胴が回った。タイヤのように回転して迫ってくる胴にシキが身構える。

 貯水池の端から端までこの胴が通っている。逃げ場所なんてないのだから、後衛とレイミが潰されないように前衛が押さえるしかない。

 

 

「レイミ! 死にたくないならランプを守れ!」

 

 

 巨大な胴が転がる音に負けないようにシキが声を張り上げ、ひーっと叫びながらもレイミが動く。

 

 ナックルの持ち手を強く握ったシキに帝竜が衝突し、

 ドシュウッ、と音がして、殻の隙間から黄色い粉が噴出された。

 

 

「な──」

 

 

 すでに接触しているのだから避けられるわけがない。

 黄色く染まった空気の中で、かくんと手首から力が抜け、膝が折れる。

 

 

「シキちゃん!!」

 

 

 ミナトの悲鳴と同時に、大木よりもずっとずっと巨大な胴が頭上から落ちた。

 

 ドズン。

 

 帝竜の胴が隙間なく着地する。

 

 

「……っ──」

 

 

 右手を突き出していたミナトは、もう片方の手で冷気を操った。

 氷の柱を突き上げるように生やし、帝竜の胴を下から打つ。

 浮いたとは言い難い。ほんの少し、数センチだけの隙間。

 

 そこに、がっと小さな拳が割り込むように生えてきた。

 

 

「……ぁ、ぶ、」

 

 

 ドムッと帝竜の胴が跳ねる。

 

 ドムッ、ドムッ、ドムドムドムドドドドドド、

 

 

「重……いっ!!!」

 

 

 布団をはねのけるように、シキの傷だらけの脚が胴を蹴り上げた。

 セーラー服をぼろぼろにした少女は、仰向けの状態から後転して帝竜の下から抜け出す。

 

 

「うわああシキちゃん生きてたぁぁあ!」

「勝手に殺すな! 危なかったけど!」

 

 

 ああそういえば、池袋でジゴワットと戦ったときは電車の車両を叩きつけられたんだっけか。どちらも体一つで跳ね除けるなどデストロイヤー恐るべし。

 シキは怒鳴りながらバックステップで自分の隣まで下がってくるが、動きがぎこちない。

 額から血を流し、花のかんばせを歪め、彼女は苦しそうに身じろぐ。

 

 

「油断した。手足痛い。骨折とか脱臼はしてないけど」

「ご、ごめん、フォローが遅れて……」

「おどおどしないでよ。ちゃんと麻痺治してくれたでしょ」

 

 

 シキが帝竜の下敷きになる直前、発動したリカヴァは間に合っていたみたいだ。

 それがあったから防御ができたのだとシキに言われてほっと息を吐くも、すぐに油断するなと注意される。

 

 

「ちょっと……体に違和感がある。このまま暴れて手足がもげるの嫌だし、少しの間確認したい。ミロク、バイタルチェック。レイミも手伝って」

『わかった。動くなよ、隅まで調べてやるから!』

「あわわわ……シキさん、大丈夫ですか!?」

 

「……え、帝竜は?」

「あんたが押さえるしかないでしょ」

「あ、はい」

 

 

 無理だと叫ぼうとした自分を頭の中で圧殺する。

 思えば、さっきはもっと早く動けたかもしれない。シキが帝竜の胴に巻き込まれずに助かるフォローができたかもしれない。

 責任を感じているなら、やるしかないのだ。

 もう、「無理」とか「できない」なんて口にしない。

 

 

(ロア=ア=ルアのときみたいに、うじうじしない!)

 

 

 両手で思い切り頬をはたく。バチンと音が響いた。

 

 

『ミナト、聞こえますか?』

 

 

 ミロクがシキの体をチェックしている間はミイナがナビを交代するみたいだ。可憐な声が耳に流れ込んできて顔を上げる。

 

 

『相手は麻痺攻撃をしてくるみたいです。アクセサリーをパラスカットに換えてください』

「うん、了解」

『……大丈夫。あなたなら時間稼ぎくらい、こなせます。その超能力ならどんな状況でも対応可能です』

 

 

「私じゃ頼りないかもしれないけど」とこぼし、ミナトが否定するより先にミイナは力強く言う。

 

 

『ナビとしての研鑽は怠っていません。シキが戻ってくるまで、私たちで戦いましょう!』

「……うん、そうだね」

 

 

 帝竜はあと2体。そいつらを狩って、自分たちは人竜ミヅチに勝たなければならない。こんなところで足踏みしている暇はないのだ。

 

 

「やろう、ミイナ! サポートお願い!」

『はい! ……警戒! 帝竜が動きます!』

 

 

 地面を揺らし、帝竜の胴が1本の血管のように波打つ。

 耳にはまる通信機からキーボードを弾く音が聞こえ、ミイナが声を上げた。

 

 

『この動き……早速ですね、麻痺攻撃がきます! アクセサリーは大丈夫ですか?』

「もう交換してある! でもこのままだと、」

『ええ、シキとレイミも巻き込まれてしまいます』

「だったら……」

 

 

 状態異常はとてつもなく厄介なもの。どんな状態でも、1種類だけでも体を蝕まれれば全滅に繋がりかねない。ウォークライにジゴワット、ロア=ア=ルアでは危うく死にそうになったし、スリーピーホロウは多すぎる犠牲が出ている。

 

 しかし、その状態異常をもたらす物が「粉」なら。

 

 

『来ます!』

 

 

 ミイナの声からワンテンポ遅れて、帝竜が甲殻の隙間から黄色い粉を噴出した。貯水池の空気が麻痺を引き起こすそれに浸食されていく。

 二度も同じ手を食らってたまるか。

 クロウにマナを集中させ、指先に火を灯す。

 

 

「逆巻け、猛火!」

 

 

 号令するように手を薙ぎ払う。

 導かれて巻き起こった火炎が宙に広がり、ランプで白く染まった空間に赤が差した。

 火は導火線のように麻痺粉を伝って前進し、そのまま帝竜を襲う。腹が爛れ始め、また帝竜の苦悶の鳴き声が響いた気がした。

 胴はその場で激しく回転し、貯水池の水を利用して消火する。ドシュウと大きな音を立てて水蒸気が上がった。

 

 

「水辺じゃ効果が望めないか……!」

『帝竜の回転が止まらない……さっきと同じです、こっちに転がってきます!』

 

 

 飛沫を散らし、甲殻で貯水池のコンクリートをガリガリ削って帝竜の胴が動き出す。

 このまま潰されるわけにはいかない。クロウの先で揺らめかせていた火を引っ込め、今度は冷気を呼び出した。

 マナを溜められるだけ溜め、霜に包まれる両腕を突き出す。

 ずっ、と貯水池全体の空気を持ち上げ、氷の津波が立ち上がった。

 

 

「荒ぶれ、氷嵐!!」

 

 

 ドッ、と地を揺らして氷は敵に殺到する。

 絶対零度の剣山が甲殻を削り腹を刻んでいく。しかし帝竜は攻撃をやめなかった。小さな地震を連続して起こし、荒れた氷原を砕いて進む。

 

 

『ミナト!』

「大丈夫!」

 

 

 ミイナと、後ろにいるであろう3人にも聞こえるように声を上げて片手で自分の体にマナをまとわせる。

 

 いくらか勢いは削いだものの止めきれなかった胴が持ち上がった。それだけで地球が砕けるんじゃないかと錯覚するほどの重圧に襲われる。

 でも避けない。

 

 ゴッシャッ、と、シキのときより確かな潰れる音が響いた。

 

 レイミが絶叫する。シキは顔色を変えず、手足にテーピングを施しながら静観していた。

 

 

「シキさん! ミナトさんが……!」

「大丈夫」

 

 

 初めて見る手じゃない。首都高で一度目にしたことがある。

 

 帝竜は獲物を潰した感触に満足したのか、ゆっくりと転がり、陸部から貯水池に戻っていく。

 よっこらせというようにたゆむ腹が見えた瞬間、

 

 地面から湧いた冷気が氷の杭となり、その表皮に突き刺さった。

 

 今度こそはっきりと、帝竜の叫びが地下に轟く。

 

 

「え……!?」

 

 

 レイミが目を瞬かせる。

 氷の杭が生える場所、帝竜が体を敷いていた、確かにミナトがいたはずの場所には何の名残もない。

 何度か瞬きを繰り返していると、ふわりと滲むように人影が現れる。

 ミナトの背中だと確認した瞬間、今までで一番激しい地響きを帝竜が起こした。

 

 

「きゃああー!! 死ぬ、死ぬ~~っ!!」

 

 

 それ以上は戦場を直視できなくて、レイミは何度目かの悲鳴を上げて縮こまった。

 

 

『ミナト、大丈夫ですか!?』

「うん。このとおり、なんともないよ」

 

 

 ミイナに尋ねられ、ミナトは少し自慢げに胸を張る。

 やっぱりね、というようなため息が背後で吐かれるのが聞こえた。さすがパートナーと言うべきか、シキは自分がデコイミラーとゼロ℃ボディを併用することを予期していたらしい。

 この手には今後も助けられるだろうなと胸を撫でおろす。

 

 シキのように正々堂々と敵をねじ伏せるような破壊力はない。けれどこれは、自分を幾度も救った。まさに「魔法」。

 

 

「……っと、まだ終わってなかった」

 

 

 地面を揺らす衝撃と波が起きる貯水池を見渡し、マナ水よりも効率よくマナを補充できる白銀水を飲む。

 

 

『帝竜の動きがさっきまでと違います。かなり体力を削れたはず。もう少しです!』

「うん、そうみたい」

 

 

 今のカウンターで確かなダメージを入れられた。帝竜の胴からは血が流れ、貯水池の水を赤く汚している。

 痛みに耐えかねたのか、胴はさらに激しく暴れ出した。

 

 

『動きが活発になっています。ランプで制限されているから大丈夫だとは思いますが、このままだと地盤が危険な状態になります』

「よし、一気に攻めて動けないようにしちゃおう」

 

 

 シキにはミロクがついているが、体の状態がわかっても治療はできない。

 最善はこのまま自分の手で胴を沈黙させ、早急に彼女の治療に移ること。

 不可能じゃない。やれる。今日はなんだか調子がいい。

 

 そっと目を閉じる。腹の中でマナが湧き、蛇が鎌首をもたげるように奮起した。

 バチン、と耳もとで紫電が爆ぜる。

 狙うのは、再び上陸しようと動きだす帝竜の胴の……手前。

 

 

「暴れちゃダメだよ!」

 

 

 ありったけの電撃を水に送り込む。

 眩しい貯水池にさらに光が迸り、帝竜の胴ごと水面が爆発した。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「おうおう、派手にやる」

 

 

 目の前で絶叫する帝竜にも動じず、ワジはランプを押さえてどっしりとその場に構えていた。

 

 貯水池の右側、胴に続く穴から光が流れ込んできたと思えば、帝竜が感電して悶え始める。

 一瞬、まさかランプを水中に落としたんじゃあるまいなと疑ったが、すぐに違うと思い直した。作戦の要である機材をおじゃんにするほど開発班も13班も馬鹿じゃない。

 貯水池の隣のエリアから不可思議な音が連続して響いてくる。おそらく、属性を操るというサイキックの攻撃だろう。

 

 数秒後、帝竜を襲っていた電撃の勢いが鳴りを潜め、代わりにレイミの情けない声が聞こえてきた。

 

 

『うう~死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ……! ……あれれっ!? ウッソ、もう終わったの?? や~ん、13班様すごいです~! 一瞬でやっつけちゃうなんて、最高です~! グレネリンコたんの活躍をお見せできなかったのは残念ですけど、これはまた別の機会に☆ ささ、次どうぞ! この殻、あとで剥いでもらっていいですか? きっと、キュンキュンする装備ができると思うんですよ~。なーんて言ってたら、頭を倒してないからまた動き出したりしてー……』

 

『にぎゃーーーーーーーっ!! 次こそ死にますぅぅぅ!』

 

「何をしとるんだ、あいつは……」

 

 

 ころころと表情を変えて騒ぐレイミの姿が容易く想像できてしまう。

 やれやれと頭を振って数分後、待ちわびた2人が駆け込んできた。

 

 

「ワジ! 生きてるわよね!」

「殺すんじゃない。おまえのほうが今にも死にそうじゃないか」

「見かけだけよ。何ともなかったわ」

 

 

 シキのセーラー服はぼろぼろだ。スリットが入ったようにあちこちが破れている。

 不機嫌そうにスカートのしわを気にする姿に、ふっと口もとがゆるんだ。

 

 ムラクモの戦闘員・作業員に支給される服は、機動性と体の保護に優れたつなぎだ。

 シキも幼い頃はつなぎを使用していたが、やぼったいのがお気に召さなかったらしい。中高一貫校に進学したとき、彼女はおろしたてのセーラーを開発班に突き出して「作業着もこれにして」とリクエストしてきた。

 言われるがまま防護服の素材で、オリジナルと並べても見分けがつかないようセーラーを作って以来、彼女はそれをずっと愛用している。

 無機質さすら感じさせる少女が唯一見せる年相応なこだわり。帰ったらまた新しいものを作らなければと苦笑し、ワジは帝竜を見上げた。

 

 最初は尾。次に胴。巨大な体を3つのエリアで区切って戦うのは体力的にキツかっただろう。

 しかし今、そのほとんどが機能不全。さっきのミナトの電撃がかなり効いたようで、帝竜の呼吸はすでに弱々しい。

 

 

「いけ、13班! このデカミミズも、これで仕舞いだ!」

 

 

 ワジの声に応えるように2人が身構える。

 

 地球がフロワロに覆われてから数ヶ月。これで6体目。

 長い間東京の地中を支配していた帝竜、ザ・スカヴァーは、数十メートルの高さまで頭を立ち上げて吠えた。

 



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  巨竜と小人 - VS ザ・スカヴァー -②

帝竜戦終了。都庁への帰還まで。
6章と7章は帝竜戦を先に終わらせ、NPC・サブクエ回が続くような形になります。
尾と胴は余裕だったけど頭部分との戦闘でスキルか行動封じを喰らって一気に全滅を繰り返したのはいい思い出(?)



 

 

 

「見てのとおり、こいつは弱ってる。あと少しだ!」

 

 

 背後からの激励に一層気が引き締まる。

 たかが1体、されど1体。この帝竜を倒せば、人類は絶望の壁を越える瞬間に大きく近付く!

 

 

「シキちゃん、スタミナ大丈夫?」

「誰に向かって訊いてんのよ。大丈夫も何もやるしかないでしょうが!」

 

 

 帝竜討伐を目前にして火がついたようで、シキが勢いよく飛び出した。

 

 ザ・スカヴァーのフォルムは逆サ都庁で戦ったドラゴハンマードに似ていた。巨大で鉄槌のような頭部には、尾の先と同じ黄と紫の触覚が生えている。

 そこにまずは1発、挨拶代わりにストレートがお見舞いされた。車数台を丸飲みできそうな頭が一撃をくらって仰け反る。

 

 ザ・スカヴァーは弱々しくうなり、その頭を貯水池の壁に連続して叩きつける。時間差で落石が始まった。

 

 

「ああもう、邪魔!」

「うわ、水がはねて……気を付けて、まだ電気が通ってるかもしれない!」

 

 

 大小様々な岩石が降り注ぎ、着水した物は大きな水しぶきをあげる。

 極力触れないように後退するが、これでは接近できない。

 

 

「ミナト、まだ!?」

「待って、もうちょっと!」

 

 

 数分前の胴の部分との戦闘で、かなり大技を連発した。

 マナは白銀水で充分に補充したが、体には疲労が溜まっている。エネルギーを練って外に放出する作業は最初のようにスムーズにはいかない。

 

 

「でえりゃあっ!!」

 

 

 シキが拳を突き出す。かなりの力を込めた一撃だが、ザ・スカヴァーの頭部は傷付くことなく後退するだけで終わった。

 

 

「こいつかったい!」

『D深度もなかなかつかないな……このまま攻めても決定打にならない、下がってちゃんと力を溜めてから叩かないと』

「それはわかって、る!」

 

 

 もう1発拳打を食らわせて牽制する。しかしザ・スカヴァーはものともせずに突進してきた。丸飲みにするつもりか、巨大な顎が開かれる。

 このまま避ければ後ろにいるミナトとワジが巻き込まれてしまう。受け止めるしかない。

 

 

「くそ……、ぐ!」

 

 

 衝撃を殺しきれずに頭ががくんと揺れる。頬の内側を噛んでなんとか意識が飛ぶのを堪えた。

 自分をくわえたまま帝竜の頭が高く持ち上がり、耳もとで風が唸る。

 

 

(重──!)

 

 

 帝竜の中でも最重量であろう顎が噛み砕こうと圧を加えてくる。

 上下から迫る牙をつかんでなんとか大口をこじ開ける。ぎしり、と背骨が軋んで汗が流れた。

 

 

「っ……、!?」

 

 

 体が揺れる。帝竜が頭を横に振り始めたのだ。

 すぐ横に壁が迫る。だが踏ん張っている今の状態じゃ避けられない。

 

 

「しま──」

 

 

 ザ・スカヴァーが自身の頭を叩きつける。

 貯水池全体が揺れ、高い位置で飛び散った粉塵と瓦礫を突き破ってシキが宙に投げ出された。

 

 

「シキちゃん!!」

 

 

 スカヴァーが再び口を開けて牙を見せる。今度こそシキを咀嚼するつもりらしい。

 それと同時に、限界まで溜めていたマナが霜になって指先から溢れ出た。

 間髪入れず走り出し、躊躇なく水面の上に身を踊らせる。

 

 

「間に、合えーーーっ!!」

 

 

 手を振り下ろす。

 迸る冷気が水に触れた瞬間、すべてが凍りついた。水の中にあった帝竜の体も氷漬けになって動きが止まる。

 

 その隙にスパイクの刃を氷に立てて突っ走り、地表とシキの間に体を滑り込ませる。

 

 

「シキちゃ……ぅぐえ!」

 

 

 キャッチするだけならできると思っていたが、高所から落ちてきた体からの衝撃は受けとめきれなかった。腹を圧迫されたうえに後頭部を打ち付ける。

 伸びる自分の上でシキが起きあがり、うめきながら頭を振った。

 

 

「っつう……助かった。ついでに治癒魔法かけてくれるとありがたいんだけど」

「どぅ、どういたしまして……あい……」

 

 

 指先を向けてマナを放つ。

 破れたセーラー服の下の傷が塞がっていくのを確認し、シキは水面から底まで完全に凍った足場をコツコツと叩いた。

 

 

「なるほど、だからスパイクね」

「これなら帝竜の動きも封じられて、私たちは足場ができて、一石二鳥でしょ?」

「そうね。見たところ、」

 

 

 シキがずれていた籠手を装備しなおして頭上を見上げる。

 頭部のすぐ下、人間でいうと首だろうか。そこまで氷に覆われたザ・スカヴァーは明らかに動きが鈍っていた。

 元々感電していた上にほぼ全身を氷漬けにされたのだ。もう虫の息だろう。

 

 

「こいつも相当こたえてるし、このまま倒す」

「了解!」

 

 

 薬を一気飲みして瓶を投げ捨てる。

 シキが飛び出し、スカヴァーの背中から頭へ駆け上がった。

 確かにこいつの甲殻は硬すぎるが、無敵の防御というわけではない。

 無駄に同じ箇所を殴り続けていたわけじゃない。少し危なかったが、体も充分に温まった。

 

 

「どつくわよ!」

 

 

 誰が考えたか、スピネイジブロウと命名されていた技を放つ。

 渾身の裏拳を叩き込んだ直後、硬い物が砕ける音を確かに聞いた。潜水艦のようなスカヴァーの頭が下を向く。

 触角をつかんで頭の上から下へ回り、思い切り蹴り上げて上顎を開かせた。

 

 

「ミナト!」

「うん!」

 

 

 さすがに、体の「内側」には盾になる物はない。

 スカヴァーの開いた口めがけて、ミナトは火力全開で炎を送り込む。

 帝竜は瞠目し、すぐに火を吐き出そうとしたがそうはさせない。今度は下顎を蹴り上げて口を閉じ、ミナトが間髪入れずに頭を丸ごと分厚い氷で包む。

 逃げ場をなくした炎に体内を焼かれ、ザ・スカヴァーのくぐもった悲鳴が空気をびりびりと震わせた。帝竜は苦しみ悶え、その巨体をねじって仰向けに転がる。

 

 

「ん!」

 

 

 シキがこっちを向いて手のひらを出した。「寄越せ」の合図だ。

 

 

(「ん」、て)

 

 

 伝わったけどさと苦笑しながら冷気を集める。

 頭に浮かべるのは、都庁を出発する前に開発班のファクトリーで見た刀剣。そのイメージを固体化していく。

 なるべく丁寧にやったつもりだが、完成した氷の大剣はかなり無骨だった。

 

 

「これでいい!?」

「上等!」

 

 

 それだけ言い、柄の部分をつかんでシキは走り出す。

 高く跳躍するために足場を用意するのもいつものことだ。氷の階段を作り上げれば、少女は踏み砕く勢いで駆け上がっていく。

 最後の1段を踏み切り、シキは氷剣を大上段に持ち上げた。

 

 

「とどめぇっ!!!」

 

 

 仰向けにのけぞっていた帝竜にギロチンが振り下ろされる。

 喉を裂き、肉を貫いて骨と衝突。割れた大剣は榴弾のように体の中で飛散する。

 

 帝竜ザ・スカヴァーは顎を覆っていた氷を砕いて絶叫し、そのまま動かなくなった。

 

 

『……帝竜ザ・スカヴァーの生命反応、消失! 討伐完了だ!』

「よし」

「やった……!」

 

 

 ふーーーっ、と深く息を吐いて座り込む。

 

 

『やったー!!』

 

 

 いつものようにフロワロと光が散る中、壁の向こうからレイミとケイマの声が響いてくる。

 帝竜討伐の報を聞いていてもたってもいられなくなったのか、2人が歓喜の叫びを上げてこっちのエリアに突撃してきた。ミナトの氷でコーティングされた足場に驚きながらも、ワジと一緒に笑って寄ってくる。

 

 

「きゃーーん☆ 13班様ってば、さすがです~♪」

「開発班の職人魂、帝竜にも通じたみたいだな」

「おまえたちも、ジジイも……マジ……すげえよ……ううっ……」

 

「苦戦しちゃったね。勝ててよかったー……」

「ケイマ、あんたいつまで泣いてんのよ」

 

 

 ゴホン、と全員の通信機にミロクの咳払いが届いた。

 

 

『……討伐完了だな。盛り上がってるとこ悪いけど、帝竜の生体サンプル採取を忘れるなよ。キリノがお待ちかねだぞ』

「そうだ、殻のほうも忘れないでくださいね!」

「え、ほんとに回収するんですか!?」

「勘弁してよ、もう疲れた……」

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 検体を採取し、レイミたっての願いでザ・スカヴァーの殻も剥がし、自衛隊の車両に乗せて都庁に帰還する。

 

 巨大なザ・スカヴァーの死骸は貯水池に浮いたまま。しかし帝竜という希少な素材をムラクモが放っておくはずはなく、今後時間をかけて隅々まで解体し、都庁に運ぶことになった。

 

 

「わあ、壮観だねぇ……」

 

 

 車の後部座席から外を見る。自分たちの後ろで、帝竜の甲殻を乗せた自衛隊のトラックが列になっていた。

 

 

「ねえシキちゃん、見てみなよ。地下ではそんな余裕なかったけど、帝竜の甲殻、結構綺麗だよ。白いところが真珠みたい」

「……」

 

 

 返事がない。

 あれ、と思って横を向くのと同時に、綺麗な黒髪が寄りかかってきた。

 規則正しい呼吸が繰り返される。ゆっくり静かに座り直して顔を覗くと、綺麗にカーブした睫毛がぴったり重ねられていた。

 

 

「ああ……あんなおっきな奴に3連戦、ずっと殴りっぱなしだったもんね」

 

 

 自分もいつも以上に高火力の魔法を連発した。マナも体力と同じで消費すれば疲れるから、もうへとへとだ。

 けれど自分は後衛だから、敵と距離をとって援護に回るだけ。一番疲れるのは肉体を酷使する前衛だろう。

 

 

「お疲れ様」

 

 

 気候が暖かくなってきているので風邪を引く心配はないだろうが、一応腹にタオルをかけておく。

 シキは寝言も寝相もなく、どっぷりと睡眠に浸っていた。

 

 思えば、彼女は最低限の休息しかとっていない。大怪我も数日でほとんど治るので、すぐにベッドを抜け出すし、生まれた自由時間は全て訓練に使う。

 人類が滅びるかどうかの瀬戸際だから、のんびり過ごすなんて余裕はないが、それでもストイックだ。

 不安を抱き弱音を吐く時間があれば前進するために使う。自分も散々引っ張ってもらった。

 

 

(私も頼ってもらえるように頑張んなきゃな)

 

「着きましたよ、降りましょう」

「あ、はーい」

 

 

 都庁前広場に降りて運転手に頭を下げる。続いてトラックが入ってくる音が響くが、シキは起きる気配がない。

 四ツ谷から帰るときに気絶した自分を運んでくれたことを思い出し、ならお返しにと少女の体を抱えて車を降りた。

 

 

「シキちゃん、都庁に着いたよ」

「……」

「ぐっすりかぁ……」

 

「何、シキ寝てんのか?」

「お疲れなんでしょうね。13班様は今日も大活躍でしたから♪」

 

 

 トラックから降りてきたケイマとレイミが、しげしげとシキの寝顔を見て「珍しー」と呟く。

 お疲れ様と挨拶を交わし、広場に搬入されてくる帝竜の甲殻を見てワジが唇の端を持ち上げた。

 

 

「さてと……私たちはここで失礼しよう。今日はいい仕事を見せてもらった。こちらも負けてられないな……ケイマ! レイミ!」

「任せとけって! ジジイ、腰抜かすなよ!」

「今日は貴重なインスピレーションがわきました! 闇に走る孤独なヒーロー・ムラクモ……その手に光るのは……」

 

 

 レイミがミトンをはめた手を丸め、シュッシュとシャドウボクシングを始める。シキの真似だろうか。

 

 

「光るのは……あああああああっ……もうちょっとでネタが出てきそう!!」

「またはじまった──」

 

「あれ……ひ、人が!?」

 

 

 ワジが言い終えるよりも先にレイミは動きを止め、広場入り口を見て指をさす。

 えっ、と振り向くと、確かに広場前の階段を小さな人影が上がってきていた。

 

 

「子ども……?」

 

 

 泥だらけの体、擦り切れた衣服。遠目にもわかるほど満身創痍の体を引きずり、小さな子どもは広場を数歩進む。

 外国人だろうか、金の髪に包まれた顔が上げられる。

 赤い目と視線が絡み、そこで子どもは倒れた。慌てて開発班が駆け寄る。

 

 

「ひでぇ怪我じゃねぇか……! おい、レイミ、医者呼んでこい!」

「は、はひっ!」

 

 

 レイミがエプロンをはためかせて走っていく。うーむとうなりながら、ワジは子どもを優しく抱え起こした。

 

 

「こんな幼い子が、自力でここまで逃げ延びてくるとはな……」

「だ、大丈夫でしょうか? 今、治癒魔法を……」

「13班、ここは私たちに任せてくれ。おまえたちは次の任務があるんだろ?」

『そうだな……こっちは任せて、オレたちは、キリノに完了報告に行こう』

「いいの?」

『バイタルチェックしたけど、今すぐ死ぬような怪我じゃない。大丈夫だ。キリノのところに行くぞ。今は、会議室にいるはずだ』

 

 

 周囲の喧噪にシキが目を覚ました。眠そうに頭を振る彼女に事情を話し、ミロクに言われたとおり会議室に向かう。

 

 

「失礼します」

「キリノ、いる?」

 

「ん? ああ」

 

 

 扉を開いて名前を呼ぶと、大量の資料の陰にいたキリノが「お帰り、13班」と顔を出した。

 

 

「ナビからの通信、大体聞いてたよ。ちょっと見ないうちに、すっかり自分たちでやれるようになっちゃって……正直、びっくりしたよ」

「今回は開発班のサポートがあったしね」

「秘密兵器すごかったです! 前にあの帝竜に潰されそうになったのが嘘みたいでした」

「そうか、上手くいったみたいでよかった。さてと……それじゃ早速、サンプルをもらおうか」

 

 

 巨体のどこから採取すればいいのかと悩んで集めた検体を渡す。

 戦闘の振り返りも兼ね、身振り手振りでザ・スカヴァーの詳細を話すと、キリノは想像するように目線を上にずらして「大変だったんだね」と苦笑いした。

 

 

「ありがとう、すぐに解析を始めるよ。僕たちには時間がない……けど、それは休むな、ということじゃない。しっかり休息をとって、次の作戦に向かってくれ」

「次ってことは……」

「いよいよね」

 

「ああ。最後の帝竜は『台場』にいる。東京湾の一角をまるまる凍り付けにしたヤツがね……」

 

 

 通常の帝竜は巣であるダンジョンからは出てこないが、今は人竜ミヅチがいる。のんびりはしていられない。

 けれど焦って倒れては本末転倒だ。準備は怠らないようにとキリノから念を押される。

 

 

「そうね、まずは疲れをとって、……ああそうだ、マサキが『スキル開発最終段階ダ! 協力しないと後悔するヨ!』とか言ってたからそっちにも行かないと」

「けっこういろんなスキル覚えてきたけど、まだあるなんて奥深いよね。今度はどんな技だろう?」

「13班ならもう何でもできる気がするなぁ。是非その調子で前に進んでくれ、僕たちも協力する。……君たちを信頼しているよ」

 

 

 キリノはにっこりと穏やかに微笑む。

 以前のそそっかしい彼とは違う。どこか父性が漂う、上に立つ者の笑みだ。

 あんなに萎れていたのに、すっかり頼もしくなってしまっている。

 

 2人で目を合わせてにやりと笑い、わざとらしく背筋を伸ばして声を張った。

 

 

「ハッ! キリノ司令官どの!」

「ちょ、何を言うんだいきなり……!! からかってるのかい?」

「上司には礼儀正しくしなきゃいけないと思いまして!」

「僕と君たちの間じゃないか! そういうのはやめてくれよ……!」

「キリノ司令官どの、褒美にご馳走がほしいんだけど」

「──却下します」

「ケチね!」

 

「……なんてね、ぷはは。今は甘いコーヒーくらいしかないなあ……今度、みんなで検討しておくよ。ふぅ……なんだか気が楽になった」

 

 

 キリノは隈ができた目もとをこする。いつにもまして、研究員は不眠不休で今までのデータと向かい合っているようだ。

 休めと言ってもたぶん彼らは手を止めない。

 

 

『おい……仕方ないから調べてきたら、おもしろい話が出てきたぞ……。ヨーロッパにあったという、秘密のドラゴン研究所……そこを仕切ってた女が……アメリカで、突然地位を上げたっていう謎の科学者とそっくりだそうだ……』

 

『各地の帝竜が、ミヅチの呼び声に応えた……。……ってことはやっぱり、彼らは何らかの指示系統を持ってるんだ! しかもそれは、帝竜よりも上位の存在から発されるはず……! これは、ひょっとしてひょっとするかもよ? 最後まで気が抜けないなぁ!』

 

 

 地下道に向かう前に研究室に顔を出したら、全員が研究だヒャッハーとハイになっていた。キリノがザ・スカヴァー検体を持ち込めばさらにヒートアップするはずだ。

 

 

「あんたたちは一般人なんだからね? タイミング見てエナジードリンクから手を離して休みなさいよ。過労死されたら困るんだから」

「うん、ありがとう、君たちには本当に感謝してるよ。最後の帝竜……ドラゴンクロニクル……お互い任務を頑張ろう!」

「もちろん」

「絶対、倒します!」

 

 

 残る帝竜はあと1体。

 もういつ何が起こるかわからない、地球が真っ二つになったっておかしくない状況だ。この数秒後にでも人竜ミヅチが動き出すかもしれない。

 怯えて震える余裕もない。だからこそ全身全霊で突っ走る。

 

 自然と手が持ち上がる。

 握り拳を軽くぶつけあい、おーっと天井に突き上げた。

 





26話での前書きと同じく、エメルはミヅチとの接触はしていない解釈です。
アメリカを脱出し、日本に渡ることにエネルギーを使い切ってしまった→都庁にドンピシャでテレポートはできず、子どもになってしまった自分の足で移動開始→道中マモノやドラゴンたちに襲われ命からがらたどり着く。

こんな感じ。


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30.糸は交差する

ここからはサブクエ・NPC交流・奥義回。池袋のクエストはメインストーリーにも触れているので外せないなと思いました。



 

 

 

「ケイマくん、イイノさんと何作ってるんですか?」

「んー? 何って、わかるだろ。剣だよ」

 

 

 レイミに尋ねられ、ケイマは砥石で丁寧に研磨した刃物を持ち上げてみせる。

 レイミはわかっているけどそうじゃないと頭を横に振った。

 

 

「だって、普通の剣よりもずっと丹念に作ってるじゃないですか。それにドラゴンが来てからは、シキさんのナックルとミナトさんのクロウにかかりっきりだったのに」

「そうなんだけどな。なんかシキが興味持ってるぽくってよ」

「シキさんが? 剣に? どうして?」

「さあ。でも、練習用でいいから剣を1本くれって言われたんだよ」

 

 

 先日、地下帝竜討伐作戦のために都庁から出る直前、シキがショップに顔を出した。

 ナックルの新調かと尋ねると違うと言われ、「剣1本ちょうだい」と注文されたのだ。

 

 

『剣? ナックルじゃなくて』

『剣。一番安いのでいいから、何か出せない? ほら、そこにあるのでいいから』

『いや待て待て、ダメだ』

『なんでよ』

『ガトウさんサイズだからだよ』

 

 

 ムラクモで前線に出ていたサムライはガトウ1人だ。だから開発班が製造するサムライ用の刀剣は、どれも大柄な彼に合わせたサイズになっている。

 説明しても妙に納得できないようで、シキは腕を組んで首を傾げた。

 

 

『別にいいでしょサイズぐらい』

『よくない! 使い手にぴったりのサイズかどうかで使い勝手が全然違うんだよ。手の大きさに筋力とか、戦い方とか、人によって千差万別だろ? 剣が欲しいならおまえのそれを確認してから作んなきゃ』

『ええ? じゃあ何日かかるのよ』

『そうだな……今日は帝竜討伐で潰れるだろ。明日から作業するとして……練習用って、素振りするぐらい?』

『うん』

『そうか。ならまあ、最短1日、最長1週間だな』

『ずいぶん幅があんのね』

『そりゃそうだ、武器なめんなよ。希望は何日?』

『別に、何日でも』

 

 

 関心があるのかないのか。まあ握ったことのない武器だから仕方がないのか。

 それにしてもなぜ剣をとしばらく考え、もしやと指を立てる。

 

 

『まさかおまえ、サムライに転身する気?』

『……んなわけないでしょ』

 

 

 ぐにぃーっ、と音が立ちそうなくらい少女の顔が歪む。

 彼女と付き合いの浅い者はたじろいでしまうだろう。しかしケイマもムラクモに入ってそれなりの年月が経っている。シキの性格は知っているので、臆することなくその顔を観察した。

 なぜか悔しげな表情だ。気に入らないものを目の当たりにしたような……。

 そう、ガトウとナガレに負かされて、今日の訓練はここまでと言われたときのような。

 

 何があったんだろう。倒せない敵がいるとか、ドラゴンに苦戦しているから戦い方を変えようとでも思ったのか。

 しかしシキは今までその拳で帝竜たちを薙ぎ倒してきたはず。たゆまぬ訓練だって積んでいる。なら、人竜討伐のゴールを目前に剣を握りたいという理由は……。

 いや、詮索はよしておこう。いずれわかる気もするし。

 

 

『よし、どうせだから良い物作ってやるよ』

『いや、練習用だから適当でいいんだけど』

『何言ってんだ、適当に作ったら資材に失礼だろ』

 

 

 そんなこんなでシキに合わせた刀剣作りが始まった。

 どうせだから本人が思わずにやっとしてしまうような物を作ってやろうと思い、新しく開発班に加わった職人気質のイイノに声をかけて作業をしている。

 

 以上の経緯を説明し終えると、レイミはふーんと納得したように頷き、再び首を傾げた。

 

 

「でも、本当にどういうつもりなんでしょう? シキさんが自分から他の武器を持とうとするなんて。プライドが高いから、今までもこれからも拳1本だと思ってたんですけど」

「さあな。でもあいつが自分から動いたってことは、なんとなくじゃなくて真剣だってことだ」

 

 

 専用の布で優しく刃を拭う。

 

 

「刃物作るのなんて何日ぶりだろうな。腕が鈍ってるかもしれないから、念入りにやんないと」

「でも、イイノさんと2人でって珍しいですよね。あの人だって、いつも銃に集中しているのに」

「……銃使う奴がさ、いないだろ」

 

 

 ナガレとアオイ。機動10班所属で、髪が赤くて、トリックスターで。何かと共通点の多かった2人を思い出す。

 アオイが助からなかったとき、イイノは自身が作った銃器の類をファクトリーの隅に仕舞った。「優れた使い手がいないのなら意味はない」と言って。

 

 でも知っている。彼は今もときどき、銃弾を作っている。

 

 

「今のムラクモの戦闘員にトリックスターはいない。それが悔しくて、でも、諦めきれないんだと思う」

 

 

 自分の魂を託した結晶を振るって、ドラゴンという絶望を打ち砕いてほしい。直接戦えなくたってやられっぱなしじゃいられない。だからシキが使う剣にも、たとえ練習用でも、鍛冶の協力を申し出てくれた。

 

 どんなドラゴンにも通じる物を。人竜ミヅチにも届く1発を。

 

 

「やるぞ~、待ってろ!」

 

 

 剣にふーっと息を吹きかけると、呼応するように切っ先で光が瞬いた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 ドアを叩くと、にこにこ笑顔のマサキが出迎えた。

 

 

「おお、実にイイときに来てくれたネ!」

「あんたが呼んだんでしょうが」

「いいからほら、入って入って。センゴクくん、飲み物を淹れてくれるかい? 君たち、何を飲む?」

「水でいい」

「私もお水で大丈夫です」

 

 

 マサキに手招きされ、ミナトと共に部屋に入る。

 先日地下道で救出したムラクモ準候補のセンゴクは早速こき使われているようだ。マサキに声をかけられ、彼女は資料から手を離してマグカップを2つ手に取る。

 

 センゴクに改めて挨拶をして椅子に座り、シキは「で」と足を組んだ。

 

 

「来なきゃ後悔するみたいなこと言ってたけど、いったい何よ」

「……いや実はネ、キミたちの実力を、最大限に引き出せる最高の技を導き出したのダ。実戦データが、これだけ揃ってきたからネ。生かさない手はないだろう?」

「最高の、ですか」

 

 

 今まで自分たちの成長に手を貸してくれていたマサキだから信用できるが、なんだか笑顔が胡散臭い。

 無言で目を合わせる自分たちに、彼は変わらず笑顔で、顎の下で手を組んだ。

 

 

「とはいえ、今はまだ卓上の理論……誰かが習得し、実用しないことには始まらないのだヨ」

「……やれってこと?」

「さすが13班! 察しの良さはピカイチだネ」

「他を当たれって言いたいけど……今は少しでも対ドラゴンの有効打が欲しいしね」

「もとより断る選択肢はないもんねぇ」

 

 

 潔く引き受ける意を示すと、マサキはタップを刻みながら紙を何枚か引っこ抜いてくる。その拍子に資料の山が崩れた。

 センゴクが苦い顔をしながら水を持ってきてくれる。お礼を言う自分たちの前で、マサキが紙を順にテーブルに置いた。

 

 

「具体的に言うと、これは能力が全開のとき──エグゾースト現象と呼んでいるけれど、その状態になった時のみ発動できるスキルなんダ」

「えぐぞーすと?」

「スポーツで言うゾーンみたいなものだヨ。君たちがするのはスポーツじゃなくて戦闘だけどネ。よく聞くだろう、周りの音が遠のくような、時間がゆっくり流れるような、水中にいるような、なんて比喩表現を。極限の集中状態サ。感覚が極限まで研ぎ澄まされた状態で繰り出される効果たるや、まさしく必殺技……いや、『奥義』と呼ぶにふさわしい!」

「お、奥義……!?」

 

 

 ミナトがふおおと息を吐いて目を輝かせる。

 前のめりになるミナトと、なんだかんだいってこいつも戦闘に慣れてきたなと眺める自分に、マサキはますますおもしろそうに笑った。

 

 

「……どうだい、興味あるだろう? エースたるもの、奥義の1つも持つべきだしネ。上がうるさいから、無理強いはできないが、習得方法ならいつでも教えるヨ」

「じゃあ今教えて。ぐずぐずしてる暇ないのよ」

「最後の帝竜と人竜ミヅチに向けてもっと強くならなきゃいけないんです。お願いします!」

「素晴らしい、それでこそエースだネ! では……どの職業の奥義について話そうか」

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「『バネ』、ねぇ……」

 

 

 指に髪を絡めながら階段を下りて、エントランスに出る。

 頭の中では楽しそうに理論を展開するマサキの姿が再生されていた。

 

 

『デストロイヤーの奥義にはネ、力だけじゃなく、しなやかなバネが必要ダ』

『バネ……柔よく剛を制すってこと?』

『そうそう。力をコントロールする『柔』とそれを相手に放つ『剛』。2つの要素が合わさってフルに発揮できる技サ。となれば天球儀の高度273m地点に向かい、特別にジャンプ力のあるタワードラグを探すといい。そうだな……君ほどのデストロイヤーなら、奴も興味を示して、姿を現すだろう。そいつと戦って、君はさらなる高みへと行くわけダ。……ほら、ジャンプだけにネ?』

『0点』

 

 

 そのタワードラグは最近発見された亜種らしい。他の個体とは違い跳躍力が半端ないのだとか。

 ドラゴンと戦うなんて、いつもとやることが変わらない。しかし、ドラゴンと戦うことで成長してきたことも確かだ。

 未知の敵に遭遇し、対処法を考え、作戦を試して道を拓く。可能性を模索することをやめたらそこで打ち止め。

 マサキを疑う理由もない。件の奥義がどういうものかはわからないが、やれることはやろう。

 

 装備と持ち物を確認しながら出口に向かう。すると、

 

 

「ヘイ、ヒーロー!」

 

 

 独特なテンションに呼び止められる。振り返ると1人の女性が元気に手を振っていた。

 銀髪に褐色の肌、ロングスカートのような長い腰布、露出の多い上半身。相変わらずエスニックな格好をしている。

 クエストオフィスにいる彼女、チェロンといったか。

 

 その笑顔は間違いなく自分に向いていて、試しに背を向けるとやっぱり「ヘイ!」と呼ばれた。しかたなく彼女のカウンターに寄る。

 

 

「なによ」

「相変わらずクールだねヒーロー! なんだっけ、ジャパニーズセイ『ツンデレ』?」

「違う。で、なによ?」

「なによもなにも、オマエとトークしたいだけ! それがダメならクエストしようよ、レッツワーキン! 依頼がメニメニ来てるよー!」

「そういうのはミナトの仕事でしょ?」

 

 

 まあ、都庁のほとんどは一般人。普段親しく交流する機会などないが、険悪な仲になっても良いことはない。

 ここはムラクモの城ではないから、何もかも好きなように振る舞えるわけではない。自由に動き回れない彼らに代わって自分たちがこなさなければいけない仕事もあるだろう。

 

 覗いてみると、かなりの数の依頼が寄せられている。

 難しそうなものから誰でもできそうなものまで多種多様。以前のように文明の利器や技術を使えなくなったから、生活で躓いてしまう者が多いようだ。

 

 

(……池袋に行く前に、いくつか片付けていくか)

 

 

 お人好しなミナトが奔走しているのをよく見るが、彼女だけでは手が足りないだろう。キリノにも人と交流したほうがいいなんてお節介を言われたことがあるし、ちょうどいい。

 何枚か依頼が書かれた用紙を抜き取る。「ファイトー!」と元気なチェロンに適当に手を振り、一般人に警戒されないよう武具を外して歩き出した。

 身に着ける物がセーラー服だけになるなんていつぶりだろう。体が不自然に軽く感じられて落ち着かない。

 

 

「えーっと……」

 

 

 引き受けた依頼は3つ。

 1つ目は、恩人に渡す折り鶴を折るための紙の収集。

 2つ目は、稽古をつけてほしいという物好きな願い。

 3つ目はチェロン直々の依頼。池袋でマモノと戦う人を見たという噂を聞いたので、新しいヒーローかもしれないから探してほしい、とのこと。

 

 3つ目は外に出る必要がある。幸い場所が池袋なので、お目当てのタワードラグを探すついでに解決できるだろう。先に紙と稽古のほうを片付けよう。

 

 

「紙は折り紙じゃなくてもいいか」

 

 

 物資が限られている生活では紙も行き渡らないらしい……が、研究室に行けば腐るほどある。

 研究員に言えば、案の定コピー用紙の束が出てきた。それを持って居住区に入る。

 

 

「部屋は……ここね」

 

 

 他人の部屋に入る際の挨拶がわからず、適当にノックして扉を開く。

 

 

「あら、シキちゃん」

「あ、ナガレ……さん」

 

 

 部屋に入ると、大人の女性が自分に笑いかけた。ナガレ夫人だ。

 しかしここは居住区D。彼女の生活スペースは居住区Aのはず。

 何をしているのかと問うと、彼女の後ろから少年と少女がひょっこり顔を出した。

 

 

「あ、ムラクモだ! でもミナトのねえちゃんじゃないな」

「コータくん、このおねえさんはシキさんだよ。ユリ、助けてもらったことある」

 

 

 わらわらと子どもが寄ってくる。左腕の腕章を見ると、2人は目を輝かせて自分の周りで飛び跳ねた。

 自分は小柄なほうだが、幼年の男女はもっと小さい。ドラゴンやマモノは殴ればOKだが、幼い子どもとなんてどう接すればいいのか。

 動けずに突っ立っていると、くすくすとナガレ夫人が笑った。

 

 

「2人とも、どいてあげて。……あなたは何か用事があって、ここに来たのかしら?」

「ああ、これ、折り鶴のための紙が欲しいって依頼を」

 

「あ、それ、ぼくです!」

 

 

 別の子どもが部屋の奥から顔を覗かせる。コータとユリより少し年上に見える男の子だ。

 コピー用紙の束を渡すと彼は「ありがとうございます」と頭を下げて早速折り紙を始める。小さな指が器用に紙を折り、あっという間に鶴を作り上げた。

 

 

「よし、できた! あとは、助けてくれた人を探します!」

「マモノからあんたを助けてくれたんでしょ。自衛隊の人間?」

「いえ、銃を持っていなかったので、たぶん違います。体が大きくて、変な模様があって……クマさんみたいだから、きっとすぐに見つかるはずです!」

「……」

 

 

 なぜだろう。ずんぐりしていて、体に刺青を刻んでいる巨漢の姿が思い浮かぶ。

 

 

「……たぶんそいつ知り合いだから、折り鶴渡すけど」

「本当ですか!? で、でも、自分で渡さないと……」

「名前も知らないんでしょ?」

「……はい。ムラクモさんに頼めば、絶対に見つかりますよね。それじゃあ、これ、お願いします」

 

 

 折り鶴が差し出される。

 きれいに折られたそれを握りつぶしてしまわないように摘み取ると、小さくて柔らかい子どもの手が、ぎゅっと手の甲を握ってきた。

 

 

「あの、本当にありがとうって伝えてください! マモノを吹っ飛ばしたパンチとか、ヒーローみたいで格好良かった……って!」

「わかった。伝えておく」

 

 

 それじゃあと踵を向けようとすると、別の方向からスカートの裾を引っ張られる。

 見下ろすと、コータがじっとこっちを見上げていた。くりくりした丸い瞳に、驚いたような自分の顔が映る。

 

 

「なーねえちゃん、ねえちゃんは遊んでくれないの?」

「は、遊ぶ?」

 

 

 ねえちゃん「は」ということは、ミナトが遊んでやったことがあるんだろう。しかしこっちは他にも用事がある。

 依頼をこなす時間はあっても遊んでいる時間はない。適当に説明して手を離してもらうしかない。

 

 

「悪いけど、修行中だから無理」

「修行!? なにそれ、かっこいい!」

 

 

 言葉のチョイスを間違えたか。コータはさらに目をきらきらさせて余計に手を離してくれなくなった。

 困っていたところをナガレ夫人が「邪魔したらダメよ」と引き剥がしてくれる。

 

 

「子どもは、大人の気持ちを、敏感に感じ取るの……。だから最近は、不安がっていたんだけど……急に元気が出てきたのよ。あなたたちのおかげかしら?」

 

 

 彼女は手足をじたばたさせるコータを抱えて微笑んだ。それを羨ましそうに見上げるユリも腕の中に寄せ、3人は家族のように寄り添う。

 

 

「ムラクモさんは、ドラゴン怖くないの? ユリ、逃げてるとき、すっごく怖かった……」

「ムラクモは強いんだぜ。ドラゴンなんかへっちゃらだよ! な、ねえちゃん。ムラクモは、いいヤツなんだろ? ドラゴンの仲間じゃないんだよな!」

「あたりまえでしょ。あんたは信じてくれるのね」

「うん、オレ知ってるぜ! だって、ナガレ先生の旦那さんだって、ムラクモだもんな!」

 

 

 体の動きが止まる。

 まずい、してはいけない反応だったかもしれない。

 目だけを動かしてナガレ夫人を伺うと、彼女は「まだ気にしているの?」と微笑んだ。

 

 

「そんなに気に病まないで。私はこれから、子どもたちと一緒にいるわ。この子たちと一緒に、13班の帰りを待ってるから」

「……どうも。ナガレの忍び足、けっこう助けられてる。マモノに見つからなくて便利」

「ふふ、でしょう? いってらっしゃい」

 

 

 優しい笑みに送り出されて居住区を出る。

 数歩歩いて、なぜだか肩から力が抜けていることに気付いた。

 

 

「……?」

 

 

 指を動かして肩を揉んでみる。

 凝ってはいないし具合が悪いわけでもない。体調は万全なまま。

 この不思議な感覚は何だろう。まあいいか。次に行こう。

 



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  糸は交差する②

タワードラくんかわいいですね。奥義のための肥やしにしますが。



 

 

「次は医務室か」

 

 

 少年が折り鶴を渡したい相手はたぶん医務室にいる。そして次の依頼の主も医務室で待っているという。行く場所がばらけないのはありがたい。

 しかし2つ目の依頼。稽古をつけてほしいなんて変わっている。自分の手で倒したい相手でもいるのだろうか。

 

 

「いったいどんな……って、ちょっとこれ、依頼主」

 

 

 依頼主の署名欄には、バランスが崩れた字で「グチ」、丸字で「イノ」と書かれていた。

 まさかと思いつつ小走りになり、医務室のドアを開けると、

 

 

「ぴんく~♪ ぴんく~♪ 清楚なピンク~♪ イノの黒パンとは大違いぃ~♪」

「グチってば、幼稚すぎてありえないんですけど! ちょーっと元気になった途端、ナースさんのスカートめくるとか……小学生かっつーの!」

 

 

 騒ぐあいつらが目に入って、バタンと扉を閉じた。

 

 

「……」

「医務室に何か用かい?」

 

 

 声をかけられて横を向く。医務区をまとめる医者の男性が柔和な笑みを浮かべて立っていた。

 まあと答えて会釈する。扉の向こう側からは相変わらず騒ぐ声が聞こえ、彼は「元気だね」と不自然に口角を上げた。

 

 

「ところで、君たち……SKYと仲が良いんだろう?」

「別に、仲が良いわけじゃ」

「彼らに静かにするように言ってくれないか。そろそろ私もげ・ん・か・い・でね……」

「……了解」

 

 

 柔和な笑顔で有無を言わさない医者に敬礼する。

 彼は「君が言ってくれるなら大丈夫だろう」と頷いて仕事に戻っていった。

 

 

「……」

 

 

 もう一度、ガチャリと扉を開ける。

 病室はさっき見たのと同じ様子だった。奥のベッドに「何やってんだ?」と訝しげに自分を見るタケハヤがいて、その傍らに見舞いに来ているネコとダイゴがいて、手前の長椅子でやっぱりグチとイノが騒いでいた。

 

 

「……おい、稽古つけてほしいって依頼出した奴」

 

「お!? 俺ら俺ら! やっと来た……って、ああーーーッ!」

「アタシらに稽古つけてくれるヒトって……ひょっとして、アンタなの!?」

「嫌なら帰るわ。じゃあね」

 

 

 さっさと退場しようとする自分に「ちょい待ち、ちょい待ち!」とグチが縋る。

 

 

「おいイノ、謝れって!」

「ええっ、アタシ!? 最初に叫んだの、グチじゃん!」

「どっちでもいいけど、あんたたちいったい何企んでんのよ」

「ば、んなわけねーだろ! 企めるほど優秀だと思うな!」

「……それ、威張るとこ?」

 

 

 威勢よく言い切ったグチにイノがツッコむ。

 一悶着起こしそうな気配を感知したのか、寝ていたタケハヤがよっこらせと身を起こした。

 

 

「おい、おまえら何して……」

「わーなんでもねぇ! なんでもねぇって!」

「タケハヤは寝てて! ね!」

 

 

 グチが慌ててタケハヤのベッドのカーテンを閉めて、イノが中にネコとダイゴを突っ込む。

 病室では静かにしろと医者からの言葉を伝えると、2人は頷いて声のトーンを落とし、内緒話をするように顔を寄せてきた。

 

 

「えーっと……嫌とか、そーいうんじゃないんだよ? ほら、2回もボコられてるからさー。反射的に? 拒否反応? みたいな……」

「そりゃあんたたちが2回も喧嘩売ってきたからでしょうが。こっちは正当防衛よ」

 

 

 一度目は渋谷で自分たちをカツアゲしようとして、二度目はその逆恨みで躍りかかってきて、そのたびに2人を殴り飛ばした記憶がある。

 2回も同じ目に遭っていれば苦手意識もあるだろうが、自業自得じゃないだろうか。

 

 

「と、とにかく、付き合ってよ! アタシたちも、いろいろ考えてるんだから!」

「……ってわけだ。渋谷のときも、マジで役に立たなかったからな。ちょっとは気にしてんだよ!」

「アタシそもそもよく覚えてないわ……何してたっけ?」

「知らねェ……気付いたら、都庁にいたからな……。おまえなんか知らね?」

 

 

 帝竜の鱗粉吸って錯乱してたぞと教えようかと思ったが、SKYメンバーたちにとってその話はタブーになっている。醜態を晒すだけならまだ頭を抱えるだけで済んだだろうが、ひどい場合は同士討ちも起きたのだ。

 シノとマキという男女が仲間の3人を手にかけてしまい、記憶のあるシノが「仲間を殺したことをマキが思い出さないよう話を合わせて欲しい」と懇願してきたことを思い出す。自分が家族同然の存在を殺してしまったなんて、下手をしたら精神の崩壊につながりかねない。

 

 この記憶はつつかないほうがいいだろう。

 

 

「……知らない」

「ふーん?」

 

 

 不思議そうに首を傾げるグチだが、見ての通り単純思考のようで、どうでもよくなったように頭の後ろで手を組んだ。

 

 

「まー、終わったこと言ってても仕方ねーし? これから、スーパーグチ様になるために手伝ってくれよな。稽古っつっても、とにかく戦ってくれりゃいい。ケンカは、実戦がイチバンだからな!」

 

 

 なるほど、つまりまたぶっ飛ばせばいいわけか。それなら話は単純だ。

 

 なら外に移動しようと言うより早く、グチとイノが身構えた。病室の中で遠慮なく刃が抜刀され、火の玉が踊る。

 

 

「よっしゃぁッ! そんじゃ、さっそく……!」

「いきますかッ!」

「は? ちょっと待ってここ屋内──屋内だって言ってんでしょうが!」

 

 

 話を聞かずに飛びかかってくる2人に「いい加減にしろ!!」と拳骨をくらわせる。

 強くなりたいという決意もむなしく、男女は前と同じく1発でうずくまってしまった。

 

 

「ハァ、ハァ……」

「なに、これぇ……前より全ッ然、強いじゃん……!」

「なんで息切れしてんのよ。あんたたち変わってなさすぎ。あと病室では暴れるな静かにしろ」

 

 

 というかSKYメンバーは少し貧弱じゃないか。リーダー格のタケハヤたちはあんなに強いのに。

 タケハヤ、ネコ、ダイゴはムラクモに作られた天才。ではグチたちは? 格が違いすぎないか?

 それを尋ねると、彼らは意味がわからないというように首を傾げた。

 

 

「ハァっ? なんだよそれ? 俺たちが天才とか……言われてみてェよ!」

「アタシたちは、ただ……タケハヤに憧れて、ツルんでるだけの、フツーな奴らだもん。そりゃ、そこらのヤツよか強いよ? でも、タケハヤたちに比べたら……」

 

「あの3人とは違うって、つまり一般人? なら、無理して戦わなくたっていいのに」

 

「一般人……」

「ふ、ふざけんなっ! 俺たちはSKYだぞ!?」

 

 

 誰もが知っているというようにSKYの名が誇張されるが、お年寄りや子どもたちにSKYではなく「スイカ」と呼び間違えられていることを彼らは知らないのだろうか。

 ふーんと適当に頷く自分に、グチは腕を振り回す。

 

 

「自衛隊でも、なんか役目があんだろ? なのに俺たちは、一般人扱いとか……」

「でも実際、弱いじゃん……」

「……」

 

 

 ぽつりとイノがツッコんで、2人は沈黙する。

 数秒経って、グチが拗ねた子どものようにフンッと鼻を鳴らした。

 

 

「……なら、一般人らしく、キャーとかワーとか言いながら、ぐーたらしてりゃいいんだろ。もういい、コレやる」

 

 

 ぽいっと報酬が投げ渡される。

 さっきまでのちょっと真剣な顔はどこへやら、グチは一気に怠惰な態度に戻って伸びをした。

 

 

「あーあ! 場所世話してもらってる分、ちっとは何かしようと思って、損したぜ。おいイノ、ポテチ! 俺、それ食って寝っから!」

 

「……へぇ、またシーツにポテチこぼす気だ?」

 

 

 静かな怒りをはらんだ声がドアの向こうから滑り込んでくる。

 すーっと静かにドアが開き、医務室に笑みを浮かべたユキが入ってくる。ナースは見た、なんてタイトルがつきそうな登場だった。

 

 

「あっ、ヤベッ……!」

「君たち、病室でケンカなんてどーいうつもりかなぁ~?」

「あ、あはっ! これはケンカじゃなくて──」

「……問答無用ッ!」

 

 

 SKYが避難してきてから医務室の寝具が汚れたり、看護士のスカートがめくられたり、夜も騒がしかったりでかなり鬱憤が溜まっていたようだ。ユキは容赦なくグチとイノに制裁を下し始める。

 

 

「シキちゃん。あなたもこっちいらっしゃい」

「私被害者。ちゃんと外に出ようって言った。こいつらに襲われた。だから止めただけ。正当防衛」

「あらそうなの。じゃあ今回はお咎めなしね」

 

 

 ぎゃああと叫ぶ2人と笑顔でお仕置きを続けるユキに背を向け、医務室の奥に移動する。

 彼女は怒らせちゃいけないなと胸に刻みつつ避難すると、一部始終をカーテンの隙間から覗いていたタケハヤたちが首を傾げた。

 

 

「……おまえら、いったい何してたんだ?」

「……説明するのめんどくさい」

 

 

 それより、とダイゴを連れてベッドから離れる。

 大きな手のひらを開かせコピー用紙の折り鶴を乗せると、彼は何だと首を傾げた。

 

 

「それ、あんたに。マモノから助けてくれたお礼って言ってたわよ。パンチ、格好良かったって」

「……俺に? あのときの子どもからか……格好良い……格好良い、か」

「あと、クマさんみたいだったって」

「クマ、さん……?」

 

 

 その場に立ち尽くして数秒。無言だったダイゴは静かに息を吐いて笑った。

 

 

「……くくっ。俺がクマで、隣にネコ──SKYはいつから動物園になったんだ? しかし、子どもがそう言ったのか……」

 

 

 しばらくの間伝言をしみじみと噛みしめ、ダイゴはおもむろに自身の体を見下ろす。太い指が、浅黒い肌に刻まれた刺青をなぞった。

 

 

「不思議なもんだな。俺を見たヤツは、こぞって目を逸らしていたが──いや、そうなるように、俺自身が仕向けていたのか……」

「めんどくさいことすんのね。なんで?」

「俺は、タケハヤやネコほど、勇敢じゃない」

 

 

 ちらりと後ろを振り向く彼につられ、ベッドを見る。

 未だにユキにお仕置きを受けているグチとイノを眺めタケハヤとネコが呆れたように笑っている。

 3人の中でも最も屈強な体を持つダイゴは、しかし自身の肝が最も小さいのだと言った。

 

 

「殴る前に、相手が逃げれば……噂だけで、仲間が守れれば……それでいいと思っていた。……研究所での生活が、ずいぶんと俺を臆病にしてくれたもんだ」

「臆病? あんたが?」

 

 

 そうは見えないと言うと、ダイゴは笑って頭を横に振った。彼は内面が表に出にくいタイプらしい。

 

 

「でも、今は……そうだな……この腕にできることがあるなら、やりたい。おまえとタケハヤが目指す、『正義の味方』というものに……俺も憧れているのかもな」

「私は正義の味方なんて目指してない。まあ、強いのは譲らないけど」

「ははっ、そうか……本当に変わったヤツだな、おまえは。……さあ、無駄話もそろそろ終わりだ。子どもには、俺からも礼を言っておこう。おまえにも……世話をかけたな」

「別に。世話したなんて思ってない。じゃあね」

 

 

 背を向けて医務室の出口に向かう。

 これからどこに行くんだと尋ねてくるダイゴに、口角を上げて振り返ってやった。

 

 

「ちょうどいい相手が見つかった。そいつを倒して、あんたたちよりもずっと先に行く」

 

 

 心なしか足取り軽く少女は医務室から出ていく。

 ドアが閉じてしばらくしたあと、自分たちを眺めていたタケハヤとネコにダイゴは笑いかけた。

 

 

「……あの笑い方、タケハヤに似ていたぞ」

「あー、アタシもそれ思った」

「おいおい、冗談だろ?」

 

「た、タケハヤ、助けて……」

「何なのマジ……もう無理ぃ……」

「はい、お菓子とジュースは没収! もう充分元気になったんだから、自分たちの居住区に戻りなさい!」

 

 

 ユキに締め上げられたグチとイノが床に倒れる。

 炭酸飲料とスナック菓子を取り上げられて追い出される2人を見て、タケハヤたちは声を上げて笑った。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「しつこい」

 

 

 飛びかかってきたマモノを裏拳で殴り飛ばす。

 山手線天球儀、中枢ポイント。線路から投げ出され地上に落ちていく敵影を見送り、シキはやれやれとため息をついた。

 

 

『シキ、タワードラグはまだ見つからないか?』

「まだね。帝竜はとっくのとうに倒したし、他のドラゴンも狩ったから、いれば目立つはずなんだけど」

『ドラゴン反応はちゃんとレーダーに写ってる。ただ、あちこち移動してるみたいで位置が定まらないな』

 

 

 適当に歩き回って周囲に目を凝らすが、ドラゴンらしき影は見られない。マサキが強靱なバネが云々と言っていたとおり、ターゲットはすさまじい跳躍力で天球儀を飛び回っているらしい。

「それからもう1つ」とミロクが言って、ドラゴンとは別のマークがマップに表示される。

 

 

『タワードラグとは別に生体反応ありだ。おまえもう1件依頼受けてたよな? その生存者かもしれない。ただ……』

「ただ?」

『レーダーの故障じゃないだろうな……この反応も、ときどき移動するんだ。タワードラグみたいにしょっちゅうじゃないけど、瞬時に別の場所に現れるっていうか』

「はあ? 何それ?」

 

 

 意味不明の事態に苛立ちが募る。ミロクも同じように「わかんないよ」と訴え、視界にレーダーの画面を映して拡大した。

 

 

『ほら、これ見てくれ。こっちがドラゴン反応。こっちが人間のほう』

 

 

 ドラゴンを示すのは赤紫の丸。それが斜め上に飛び、放物線を描いて別の場所に着地する。

 一方、生存者を示す、車の初心者マークと似た印。こっちはしばらく動かなかったが、不意にぱっと消え、別の場所にぱっと現れた。

 

 

「……これは」

『レーダーも他の機器も異常はないんだよ。だからこいつらはこのとおり移動してるんだと思う』

「タワードラグのほうは落ち着きがないって納得できるけど。人間のほうは瞬間移動でもしてるみたいじゃない」

 

『……瞬間移動?』

 

 

 ぽつりと呟いた感想を、ミロクが間を置いて復唱する。

 何か引っかかったのだろうか。通信機の向こうは静かになり、耳に入ってくるのは風の音だけ、

 

 

「……?」

 

 

 ではない。

 

 ォォォォォ、と、何かが空気を押しのける音が聞こえる。

 考え事から我に返ったミロクが慌てて声を出した。

 

 

『シキ! 上空からドラゴン反応! 落ちてくるぞ!』

「わかってる」

 

 

 どうやら向こうから来てくれたみたいだ。装備を確認して身構える。

 空を見上げると、白い雲の中に小さな影が浮いていた。

 影は少しずつ、やがてペースを上げて大きくなり、

 

 ゴシャンッ!! と離れた場所に着地した。

 

 

『こいつか!』

「白いタワードラグ……」

 

 

 池袋攻略作戦のときに戦ったタワードラグは全て体が緑色だった。

 目の前に落ちてきた個体は、ショウリョウバッタのようなフォルムと頭に生える角は同じだが、体が白い。

 ぴょんぴょん跳ねるのも変わらないが、高さや着地が半端じゃない。あれだけの高度から落ちたにも関わらず、線路は少しへこんだ程度で破壊されていない。長い4本の脚を折り曲げ、ぎりぎりまで衝撃を殺したのだ。

 

 なるほど。これはマサキが言ったとおり、何かが収穫できる気がする。

 

 

《タリナイ……タカサ、タリナイ……》

 

「え、喋った」

『普通のドラゴンじゃないな。研究員は……「タワードラくん」って名付けたみたいだけど……』

「ネーミングセンス」

 

《ライバル、タリナイ……トナリノホシ、マデ、キョウソウ……》

 

 

 人語を解するのか、タワードラグ……改め、タワードラくんは、片言の鳴き声を発した。

 きょろきょろと首を回す姿が寂しそうで、変な感情が浮かびかけるが、これから討伐するのだからと頭を振って余計な念を払う。

 

 

「ん、ん゙んっ」

 

《……ハッ!?》

 

 

 大きく咳払いすると、案の定タワードラくんはこっちを振り返る。黄色い両眼が自分を捉えてきらりと光った。

 

 

《トビソウナヤツ、ミツケター!!》

 

『来るぞ! ミナトのサポートなしでいけるか?』

「何を今更。今回は1人でやんなきゃ意味ないでしょ」

 

 

 1対1とはいえ、こんなところで負けるようじゃ最後の帝竜も人竜ミヅチも倒せない。

 喜々として跳躍し落ちてくるタワードラくんに、シキは迎撃の構えをとった。

 



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  糸は交差する③

今回は3分割でした。
他サブクエも含め次回へ続きます。



 

 

 サイキックの奥義獲得のためにマサキが提示した条件は、地に足つかないふわふわした内容だった。

 

 

『サイキックの奥義を習得するには、なにか深い謂れを持った媒体が必要なんダ』

『謂れ? 訳あり物件みたいなものですか?』

『あはは、いや、別にオカルト的な迷信ではなくてネ……きちんと理由があるんだが、今は省略しよう。……とは言ったものの、その媒体については心当たりがない状態でネ』

『えっ、じゃあどうすれば……』

『物には縁があるというし、君くらいの資質あるサイキックが探せば巡り合えるかもしれない。掘り出し物といえば……ほら、民間のフリーマーケットなんてどうだい?』

『そんなアバウトでいいんですか!?』

 

 

「真剣なんだか適当なんだか……本当に奥義を修得してほしいって思ってるのかなぁ」

 

 

 マサキののんきな解説を思い出すとため息が止まらない。しかし他に宛もないので、言われたとおりにしてみよう。都庁の中を探し回れば、何か手がかりが見つかる可能性はある。

 なので、それを兼ねて外に出ずに済ませられる依頼をこなそうとチェロンから仕事を引き受けてきた。

 フリーマーケットがある居住区より先に、会議室フロアに向かう。

 

 

「あ、いたいた。アリアケさん、こんにちは!」

「やあ、シバくん。こんにちは」

 

 

 黒いスーツを着てメガネをかけたロマンスグレーを見つける。

 人当たりの良さが漂うアリアケ議員は政治家の中でも親しみやすい。声をかけて会釈すると、彼も穏やかな挨拶を返してくれた。

 

 

「君から声をかけてくれるなんて珍しいね。何か用かい?」

「クエストオフィスで依頼を受けてきました。この……お届け物の依頼、アリアケさんが寄せられたものですよね?」

「おや、君が私の依頼を? ……参ったな。そんな大事ではないのだよ」

 

 

 アリアケ議員は「なんだったかな、ほら」と記憶を辿るように目を閉じて呟く。しばらくして彼の口から出てきたのはSKYだった。

 

 

「SKY? 彼らがどうかしたんですか。あ、まさかトラブルでも」

「いや、SKYという青年らも、頑張っているんだろう? それで、彼らに差し入れを……と考えたんだがね」

 

 

 あらまと驚いて口に手を当てる。

 SKYが都庁に来てそれなりに時間が経ったが、今まで彼ら近付こうとする者はほとんどいなかった。

 不良でしかも異能力者の集団。普通の人間からすれば、ムラクモでさえ得体が知れないというのに、そこに同じ組織が増えたようなものだ。

 

 しかし今の彼らは人に迷惑をかけることなく、たま~に仕事を手伝ってくれる。

 渋谷の帝竜スリーピーホロウの討伐に大きく尽力してくれたというのも伝わっているようで、こうして声援を送ってくれる人が現れるのは嬉しいことだ。

 

 

「立場的に、直接訪ねるのもどうかと思って、こうして代理を募ったわけさ。……渡したいのは、これだ。ほら、13班がやることではないだろう?」

 

 

 手触りが柔らかい、上品な柄のふろしき包みを手渡される。

 受け取った瞬間、わずかに甘い香りがした。大きいがそんなに重い荷物でもないし、中身はお菓子か何かだろうか。

 

 

「実に申し訳ないね……。だが、せっかく受けてくれたんだ。そのままお願いしてもいいだろうか?」

「はい、もちろんです」

「SKY居住区にいる、適当な子に渡してくれればいい。頼んだよ」

「わかりました。それじゃあ、行ってきますね」

 

 

 もう一度会釈をしてエレベーターに向かう。

 人や物にぶつからないよう慎重に都庁内を移動し、無事SKY居住区の前まで来ることができた。

 

 

(……そういえば、ここの改修はミヤさんたちに頼んだけど、入るのは初めてだなぁ)

 

 

 帝竜討伐をともに成し遂げたことで敵対心は削げたが、不良が苦手なのは変わらない。彼らもムラクモの自分には完全に気を許しているかもわからないし。

 だがここで尻込みしていても依頼は達成できない。荷物を適当な誰かに渡せばいいだけだし、さっさと終わらせてしまおう。

 

 

「失礼しまーす……」

 

 

 お届け物でーすと宅配業者のノリで踏み込む。

 大人数のためか広めに作られた居住区だ。誰かがCDをかけているのか、ギターがかき鳴らされるロックが流れている。

 バスケットゴールにスケボーのジャンプ台、どうやって搬入したのか車まである。どこかの遊技場に来たみたいだ。

 

 

「……あれ?」

「あいつ、ムラクモの」

「何か持ってる」

 

 

 扉を開く音が思いの外大きく響いて、楽しそうに騒いでいたSKYメンバーが目を丸くしてこっちを見る。

 とりあえず誰でもいいからこれを受け取ってほしいと言うと、彼らはなにやらひそひそと話し合い、青年が1人、ずんずんと近付いてきた。確か名前はアキラと言ったか。

 

 

「お、おぅ……ムラクモ13班……」

「こんにちは。……えっと、荷物届けに来ただけで、喧嘩をするつもりはないんですけど」

 

 

「ちげえよ!」と否定されるが、アキラは眉間にしわを寄せて自分を睨みつけてくる。

 数秒沈黙が続き、首を傾げると、彼はぼそぼそと喋りだした。

 

 

「てめぇ、その、なんだ……俺たちのために、わざわざ資材集めてこのフロア、改修してくれたんだってな……」

「え? ああ、まあ、はい」

「それで、よぉ……お礼しなきゃっつう話になってよぉ……俺がじゃんけんで負けちまったわけで、その……」

「お礼? ……まさかお礼参りとかそういう意味じゃ」

「ちげえよ!!」

 

 

 アキラは徐々に顔を赤くして、怒りなのか羞恥なのか、はたまたトイレを我慢しているのか、よくわからない表情をこっちに向けた。

 

 

「パ、」

 

「ぱ?」

 

 

 パアンッ!

 

 ……と、乾いた音がSKY居住区に響き渡った。

 ほんの少しの煙が噴出し、色とりどりの紙吹雪がひらひらと舞い落ちる。

 呆ける自分に向けてクラッカーを破裂させたアキラは、手を叩いて上擦った声を出した。

 

 

「パンパカパン! パンパカパパパン! パパカパ~ンパ~ン!! あ、ありがとう! 13班!」

 

「……」

「……」

 

「……あ、どうも……」

「反応!!!」

 

 

 アキラは中身が空になったクラッカーをスパァンと床に叩きつける。顔が今にも噴火しそうなくらい真っ赤だった。

 

 

「くっそぉぉぉぉ! タオの奴が、ファンファーレつけねぇとチキンだとか言うからぁぁぁ!!」

「ぶふっ、だははは! アキラの奴、マジでやりやがった!」

「しかも超滑ってるし! ウケるー!!」

「ひー、腹痛てー!」

 

 

 遠巻きに自分たちを見ていたSKYメンバーたちが腹を抱えて笑い出す。アキラは「うっせー!!」と怒鳴り、どこで手に入れたのか、戦闘に役立ちそうなアクセサリーを突き出してきた。

 

 

「そいつは、ベストオブ攻撃的SKYに贈られる、エーヨあるメダルだ! 持ってけバカヤローッ!」

「……ふっ、」

「な、なんだよ、もう渡すもん渡したんだから、構うなよ……」

「いや、これからは仲良くやっていけそうだなと思って」

 

 

 時間差で息を吐き出して笑うと、ますます恥ずかしくなったのかアキラは部屋の奥に引っ込んでしまう。

 それで結局何をしに来たのかと尋ねる彼らに、本題の荷物を差し出した。

 

 

「これ、差し入れをみんなに」

「……あん? 差し入れだって?」

 

 

 近くにいたシノに包みを渡すと、「なになに……?」と横からマキが手を出して結び目を引く。

 はらりと解けた風呂敷の上には、キャベツのようなフォルムの生菓子が丁寧に重ねられていた。

 

 

「……シュークリームじゃん! ちょーど甘い物食べたかったんだよね~!」

「おい! おまえ1人で食うんじゃねーよ! みんなで分けるもんだろ!」

「わかってるって! ……あれ、何かカードが入ってる。『健闘を讃えて、日本国政府より』……ってマジで!?」

「そう、アリアケさんっていう議員さんからの差し入れです」

 

 

 送り主を告げるとSKYメンバーはわっと盛り上がる。具体的な人物までは想像がいかないようだが、とりあえず偉い人からの贈りものというのは伝わったらしい。彼らはこぞってシュークリームに手を伸ばす。

 

 争奪戦が始まり騒がしくなったところで、ふらりとネコが帰ってきた。

 

 

「たっだいま~! ……って、ナニやってんの?」

「差し入れだってさ。しかも、政府のお偉いさんから」

「へぇ~、気が利いてんじゃん!」

 

 

 シノからシュークリームを受け取り、ネコは笑顔でかぶりつく。

 幸せそうに口を動かす彼女と目が合う。軽く挨拶をして手を振ると、驚いたように目を泳がせて一気にシュークリームを頬張った。やっぱり彼女との距離感はまだぎこちない。

 

 シュークリームを平らげたネコは唇のホイップクリームを舐め取り、満足そうにふぅっと息を吐く。

 

 

「……よし、それならこのネコちゃんが、SKYを代表して、お礼をしないとねん♪」

「あっ、ネコ!?」

 

 

 マキが声をかけるも止まらず、ネコはフードのネコ耳を揺らして居住区から出ていってしまった。

 

 

「大丈夫かな~、あいつ1人で……」

「……とか言いながらムシャムシャ食うな! みんなで分けるって言ったのあんたでしょ!」

 

 

 既に2個目をかじるシノをマキが引っ叩く。彼女はちらちら入り口に視線を送り、こっちに向けて手を合わせてきた。

 

 

「あのさ……暇ならネコの様子、見てきてくれない? ネコってあんな調子だし……セージカ相手にケンカでもしたら、ヤバいじゃん?」

「喧嘩はしないと思うけど……そうだね、見てくる」

 

 

 未だからかわれているソウをはじめSKYメンバーに手を振り、居住区から出た。今度は数分前と逆に道を戻る。

 エレベーターから降りて会議室フロアに踏み入ると、変わらずアリアケ議員は廊下の隅にいて、ネコが向かい合っていた。

 

 

「そんなこんなで、ありがとーねっ♪」

 

 

 ネコがいつもの調子で礼を言う。

 

 

「……」

 

 

 対するアリアケ議員はその場に立ち尽くし、意識をどこかへやってしまったかのように口を半開きにしてネコを見つめていた。

 

 

「ちょっとちょっと、オジサン? どこ見て固まってんの?」

 

 

 異様に突き刺さる視線を不自然に思ったのか、ネコが体を隠すように身構える。

 しかしアリアケ議員はまだ呆然としていて、

 

 

「と、智子……!?」

 

 

 と、誰かの名前を口にした。

 

 

「まさか、そんなはずは……き、君、名前は!?」

「はひっ!? ね、ネコ……だけど……」

「そうじゃない、本名だ!」

 

 

 鬼気迫る表情で訊かれ、ネコは困惑しながら本名を名乗る。

 

 

「ね、寧子……」

「……! ああ、なんてことだ……!」

 

「……?」

 

 

 遠目に見守っていたが流れが怪しくきたので、慌てて2人のもとに駆け寄る。

 ネコは自分がついてきていたことに一瞬驚いたが、助けを求めるような目でこっちを見てきた。

 

 

「あの、アリアケさん。ネコがどうかしました? ……えっと、どうしたの?」

「わかんないよ! このオジサンが、トツゼン勝手に……」

「もしかして……何か粗相を」

「にゃっ! 違うもん!」

 

「もう……15年ほど前になるのか……妻がまだ生きていた頃だ……」

 

「?」

 

 

 唐突にアリアケ議員が口を開く。

 なにがなんだかわからずにネコと首を傾げ、とりあえず彼の話を聞こうと居住まいを正した。

 

 

「当時、私は駆け出しの政治家でね……若さに任せ、危ない端を渡っていたのさ……。その結果が、まだ3歳だった娘の、誘拐事件だった」

「……!?」

 

 

 メガネのレンズの奥でネコの目が見開かれる。パーカーに覆われた華奢な肩がぴくりと跳ねた。

 

 

「最善は尽くしたさ……しかし、娘は戻ってこなかった……妻の智子は、ショックで病気がちになり、若くして息を引き取った……」

 

 

 智子。さっきも出てきた名前。ネコを見て智子と言ったのは、彼女がその故人の妻に似ているから、といった事情だろうか。

 しかしアリアケ議員の言葉はそんな想像を軽く超え、こちらの頭をがつんと殴りつけてきた。

 

 

「……その娘の名が、寧子」

 

「──え?」

 

 

 ネコと声が重なる。

 

 

「ねいこ、って……」

 

 

 もう一度、え、と言って隣にいる彼女を見つめる。

「そ、そんな!」とネコは震える声で否定した。

 

 

「違うよ、きっと名前が同じだけ! だって、あたしは……研究所に売られた子──」

「それなら、その名前はどこで知った? 引き取られたときに着ていた、赤い服の裏側……そうだろう!?」

「……っ!!」

 

 

 さらに目が見開かれ、ネコの動きが完全に止まる。

 そんな、そんなと繰り返して、彼女は両手で握り拳を作った。

 

 

「あ、あたしは……SKYのネコだもんっ!!」

「ネコ!」

 

 

 フードが翻り、茶髪のくせっ毛が振り乱れて遠ざかっていく。

 走り去っていくネコの背中を見つめ、アリアケ議員がのろのろと頭を振った。

 

 

「ああ……これは夢か……? 寧子が生きていただなんて……。間違えるはずがない……まるで、智子の生き写しだ……!」

「あ、アリアケさん」

「……すまない。しばらく、1人にさせてくれ。報酬は渡そう」

 

 

 心ここに在らずといった状態でお礼の品を渡される。

 どうしていいかわからないが、たぶん、今できることは何もない。

 

 

(……親子……父親、か)

 

 

 家族の問題なんて、軽々しく首を突っ込んでいいものじゃない。

 何も言わずに頭を下げてこの場を去る。

 

 

「智子……私は、どうすれば……」

 

 

 アリアケ議員の切実な呟きは、聞こえない振りをした。

 



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31.あの子たちの大事な話

6章最後の話です。前回に続きサブクエ・NPC・奥義回になります。
シキの貴重なデレ(?)シーンは必見。



 

 

「っー……」

 

 

 終わった、と線路の上に転がって息を吐く。

 傍らに転がるタワードラくんは、殴り倒されたにも関わらず笑っているように見える。風が吹いたかと思うと、それに乗るようにして跡形もなく消失してしまった。

 

 

「消えた……Dzはなし?」

『やっぱりそこらのドラゴンと違うな。何だったんだ? シキ、怪我は大丈夫か』

「まあ、動けないほどじゃない。でも少し休憩」

 

 

 1対1だから苦戦する可能性も視野に入れていたが、思ったよりも手こずった。

 このダンジョンは足場に注意して戦わなければいけないし、かといって相手から注意を逸らせば攻撃をくらいかねない。そんな状況で、空高くジャンプしてからの毒液を吐き出す流れはかなり厄介だった。

 尾にも毒針を持っていたし、動きが鈍れば大きな顎で噛みついてくるし、体の頑健さに自信があるデストロイヤーでもかなりきつい。

 

 ポワゾルを飲んで毒は中和されつつあるが、まだ体がだるい。周囲への警戒はミロクに任せ、しばらく寝ころんだままでいた。

 

 

『ところで、これって奥義開発のための戦闘だったんだろ? 何かつかめたのか』

「……、……今頭の中で整理してる」

 

 

 奥義なんて、Dzのようにドラゴンを倒せば回収できるものじゃない。そんな簡単に思いついたら苦労しない。

 ただ、あの跳躍や脚の力が自分の型に当てはめられそうという予感は得られた。これから経験を積んで研鑽すればおそらく……。

 

 

『……! シキ、あの生体反応が移動してきた! 依頼の人物かもしれないぞ』

「やっぱりぱっと消えてぱっと現れたの?」

『ああ。付近のエリアにいる。動けるなら確認しにいこう』

「了解」

 

 

 少し脱力していたら楽になった。ゆっくり起き上がってセーラー服の汚れを払い落とし、弛緩した筋肉は体操をして引き締める。

 捻じ曲がった線路を走って移動する。ここも他と同じでぽつりぽつりとマモノの影が見えた。

 

 

「生体反応はまだある?」

『ああ。ここの奥のほうに……おい、シキ。前方に、人間と……マモノの反応だ!』

 

 

 ミロクの指示と同時に視界に小さく生存者を示すマークが浮かび上がる。

 少し離れた場所には確かに二足歩行の人間がいて、そこに1匹のマモノが接近しているのが見えた。

 

 

「来るな……! 来るな、来るな来るな!」

 

 

 満身創痍の人間の男性が後退る。

 タワードラくんのように人語を解するわけもなく、マモノは得物である体の一部を男性に向けた。

 

 

「うわぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 

 男性が頭を抱えて絶叫する。

 次の瞬間、眩く光ったと思いきや彼は空に吸い込まれるように姿を消してしまった。

 

 

「消えた……!?」

 

『……! そいつ、もしかして──』

 

 

 ミロクが何か言いかけた瞬間、マモノがこっちを向く。

 

 

『チッ、気付かれた! とりあえず、マモノを片付けないと……!』

「1匹だけだし簡単ね。いくわよ!」

 

 

 先の戦いで疲労が溜まってはいるが、ドラゴンに比べればマモノなんてかわいいものだ。

 奥義の練習も兼ね、タワードラグとの戦いで得た感覚の復習として、蟹の姿をしたマモノを叩き潰した。

 

 

「んー……感触がいまいちね。もう少し磨き上げて……」

『なあ』

「ん?」

『……さっきの男、見覚えがある』

「知り合いなの? ムラクモの外に見知った奴がいるなんて以外ね」

 

 

「知り合いというか、まあ」とミロクは言葉尻を濁した。

 カタカタとキーボードの音がして、視界に画像が表示される。

 履歴書のように書かれた、とある人間のプロフィール。右上にはついさっき見た男性のバストアップの写真があった。

 

 

『2013年のハイジャック事件に際し、ガトウやナガレと共に、ムラクモに召集された男……名前は、ヒムロ』

「ヒムロ……どっかで聞いたような名前ね。ていうか7年前?」

 

 

 ぼんやりと昔の記憶が浮かぶ。確かに、ガトウと、ナガレと、あと1人が並んでいたような光景が……。

 通信機の向こうでミイナが「ヒムロ、ですか?」と会話に加わってきた。

 

 

『たぶん、ほんの少しですけど、シキも彼とは顔を合わせたことがあると思います』

『ああ。超感覚に秀でたサイキックの中でも、特にレアな……テレポート能力の使い手だ』

「テレポート……?」

 

 

 瞬間移動能力。1歩も動かずに場所から場所へと一瞬で移動する能力。この世の物理法則とかいろんなものをすっ飛ばした、超能力の中でも一際特異な力。

 ミナトのように複数の属性攻撃や治癒魔法を使えるサイキックも貴重だが、テレポートなんてそれこそ一握りと言えるかどうかだ。

 

 

『なあ、あいつを追ってみないか? 何をしてるか気になるし……』

「いや、テレポートでしょ? 瞬間移動で逃げられたら行き先もわからないじゃない」

『大丈夫、彼はまだ池袋から離れていません。残っているデータによると、テレポートも体力を使うみたいです』

『反応パターンは記録してある。今、高度400m付近だ!』

「抜け目ないわね」

 

 

 捕まえられるかわからないが、依頼として彼の捜索を受けた身だ。ぽいっと投げ出すわけにはいかないか。

 上を目指して線路を駆け上がっていく。

 足を踏み外さないようにダンジョンを進むと、青白い光がちかりと視界で瞬いた。

 

 

『この光……! ヒムロが近いぞ!』

「よし、ちゃっちゃと捕まえるか」

 

 

 なるべく足音を立てないように接近していく。

 男性、ヒムロは線路に膝をつき、汗を流して喘いでいた。

 

 

「はぁ……はぁ……飛びすぎた……」

 

「ちょっと」

 

 

 なるべくなんでもない風を装って声をかける。

 しかしヒムロはびくりと肩を震わせ、自分を見上げて一層顔を歪めた。

 

 

「このタイミングで、ムラクモか……クソッ……どれだけツイてないんだよ!」

「……?」

 

『……おまえ、ヒムロだろ? こんなところで、何してるんだよ』

 

 

 赤い腕章に憎々しげに眉をひそめる青年に、ミロクが声をかける。

 青年は顔を上げ、自分の顔と、耳にはまる通信機をじっと見た。そして1人納得するように頷く。

 

 

「おまえは、その声は……あのときのチビっ子たちか……。ははっ……そうか、まだ機関に飼われ続けてるんだな。何の疑問も持たず、かわいそうに……」

「は?」

 

 

 なんだこいつ。いきなり人をペット扱いして哀れむなんて。

 しかしそう言うのは、ムラクモの黒い部分を知っているということ。こいつも被害者だったか、被害に遭う前に逃げ出したのかもしれない。

 またテレポートされてしまうのではと危惧したが、さっきミロクが言ったように彼はかなり消耗している。とりあえずこのまま話を聞くか。

 

 

「あんた、機関を嫌ってんの?」

「嫌ってる、か……どちらかというと、恐れてるってほうが近いな」

「まさか、逃げてる?」

「ああ、そうだ! 目をつけられたら、たまらないからな! おまえら、ドラゴンなんて訳の分からない相手に、どうして戦えるんだよ……」

 

 

 なるほど、そういうことか。

 サイキックということもあって、出会ったばかりのミナトを見ているような気分になった。ドラゴンと戦うなんてわけがわからない、怖いと怯えている。

 ただ違うのは、ミナトは戦うと決めて、この男は逃げると決めたこと。

 別に責めるつもりはない。自分が迷いなく戦うことを選択するように、逃げることを選択する奴もいるだけ。

 

 しかし、

 

 

「あのガトウさんでさえ、殺されたんだろ! そんなの相手に……正気とは思えない! ハイジャック犯とは違う……戦えと命じる機関も、それに応じるおまえも、どっかイカレてるよ!」

「あ?」

 

 

 この一言で思わず声が低くなった。

 

 

「イカレ呼ばわりされる筋合いないんだけど? 戦わないと死ぬ。それだけでしょ」

「わかってる! そんなことは、わかってる! でも、その『戦う誰か』は自分じゃない……普通は、そう思うはずだろ!? 納得できちまうおまえたちがオカシイんだ!」

「だから異常者扱いすんのやめてくれる? 前線に出てる奴は戦うことに納得してやってんのよ」

「はんっ! それがオカシイって言ってんだ! 普通は、頼まれたって戦わないぞ。そんな進んで死ににいくようなことっ!」

 

 

 俺は行かない程度なら個人の自由だしどうぞどうぞと流すことができる。しかし実際に前線に出て命を張ってる人間を侮辱するなら話は別だ。

 

 あちこちに、電磁砲による焦げ跡がついたこのダンジョンにいると嫌でも思い出す。捨て石になることを知って、それでも恐怖と戦い踏み出して、死んでいった人間たちを。

 内心で彼らをバカだと思う奴は他にもいるだろう。だが心にとどめるのと口に出すのとでは違う。こいつは口に出した。気を遣ってやる必要はない。

 

 

「誰がいつ望んで死にに行きますなんて言った? 言いたい放題言うのやめろ、腰抜け」

「……ああ、そうさ」

 

 

「腰抜け」を強調して言うと、ヒムロは自嘲気味に笑った。

 

 

「やっとの思いで都庁にたどり着いたとき……ムラクモが仕切ってるのを見て、驚いたよ。機関は、俺のことを知っている。見つかれば、戦場に送られるかもしれない。そんなのは、まっぴらごめんだ! だから逃げ出した! ああ、逃げ出したんだよ!」

「いやいやって泣く奴を無理矢理戦わせたりはしないでしょ。ナツメにもそのくらいの判断力はあったわよ。あんたがいなくたって、その分私たちは戦って──」

「昔、ガトウさんもそう言ってたよ!」

 

 

 男のかすれた声がむなしく空気を叩いた。

 湿り気を帯びた風が吹いて、残響をどこかに運んでいく。

 地上400m、途切れた線路の端にひざまずき、ヒムロはゆるゆると頭を振って顔を上げる。神は死んだ、とでも言いたげな表情だった。

 

 

「ビビってるなら、戦うな。おまえはおまえのできることだけ、考えてろ。おまえの分まで、俺がやる……」

 

 

 ああ、昔自分もそんなことを言われた気がする。

 

 訓練でいつもとは違うマモノと戦って苦戦した。爪と牙に麻痺毒があったみたいで、思ったように動けなくなった。

 悔しさや怒りに恐怖が勝って、人生で初めて体が震えたとき。ガトウが立ちはだかって、似たようなことを言った。

 自分が庇護される存在に成り下がったのだと気付いて無性に悔しくなって、根性で立ち上がった記憶がある。

 

 なんとかマモノを倒したとき、初めて「よくやったな」と褒めてもらったんだっけ。

 

 ……なぜ胸が圧迫されるんだろう。昔のことを思い出しただけなのに。

 

 

「だけど、結局」

 

 

 やめろ。

 

 

「そのガトウさんは」

 

 

 それ以上言うな。

 

 

「死んじまったじゃ──」

 

 

『馬鹿ヒムロっ!』

 

 

 ギインッというノイズと共に、ミロクとミイナの声が大音量で木霊した。

 

 通信機から迸った叫びが右から左へ頭を突き抜けて視界が眩む。慌てて耳から通信機を抜くと、その向こうでナビたちがわんわんと怒鳴り始めた。

 

 

『それ以上、13班とガトウの気持ちを踏みにじったら……許さないからな!』

 

「……っ!?」

 

『そもそも、なんで勝手に選ばれるつもりになってるの!?』

『機関はおまえを知ってる。長所も、短所も、能力が生きるところもだ!』

『その結果、あなたの出番じゃないと判断したから、選抜試験のときに呼ばなかったの!』

『馬鹿ヒムロ!』

『弱虫ヒムロ!』

『ずーっと隠れてていいから、戦ってる奴らをオカシイって言うな!!/言わないで!!』

 

 

 冷静さをかなぐり捨てた高い声が2つ、交互に空に響く。ナビ2人は華奢な体に似合わない声量で、バンバンと何かを叩きながらヒムロを怒鳴り続けた。

 空気を伝って衝突してくる怒りに、頬をはたかれたようにヒムロは呆ける。

 彼はしばらく間抜け面のまま放心し、そのままぽつりと口を動かした。

 

 

「……なんだよ、ずいぶん言うようになったんだな。……なら俺は、おまえらを信じて都庁に戻るぞ」

「なに、どういう風の吹き回し?」

「うるさい。その結果、戦場に突き出されるようなことがあれば……」

『そんなこと、頼まれたってしてやるか!』

『シキ、ヒムロを連れて帰還してください』

「ちょっと、本当に連れて帰るの?」

 

 

 正直関わりたくないと告げると、ナビは自分たちだってそうだと同意した。

 しかし依頼は依頼。後で逃げ出されてもいいから、一度都庁に連れてこないと意味がない。

 それもそうだなと思いながら、脱出キットを準備する。

 

 

「……あ、そうそう」

 

 

 観測班が座標を固定してくれるのを待つ間、線路の上に座り込んだままのヒムロを振り返る。

 

 

「私からも、あんたに言っておくことがあるんだけど」

「……なんだよ。また罵倒か」

「それもある」

 

 

 けれど、それ以上にこいつに叩きつけておきたい事実がある。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 ネコとアリアケ議員のことが頭から離れない。

 でもそれを解決できるのは当人たちだけ。身内でない自分が無理に動いても余計こんがらがる可能性が高い。

 だからミナトはさっきの出来事を頭の隅に仕舞い、本来の目的の達成を目指して動くことにした。

 

 というわけで今、居住区のフリーマーケットに来ている。

 確かに、掘り出し物と言えば避難してきた一般人が開くフリーマーケットで見つかることがある。以前興味本位で覗いてみたら、ファクトリーに置いてある物よりも優れた武器があったりした。

 警察にお咎めをくらわなかったんですかとツッコみたくなるようなアイテムが並ぶ様は、さながら闇市。

 

 

(でも、なんだかんだいって、お世話になってるもんね)

 

 

 ドラゴンに追われて逃げてきたとはいえ、人々はたくましい。

 薄幸そうな少女はメディスやマナ水を調達し、イタズラ小僧はどこから拾ってきたのか実戦で役に立ちそうなアクセサリーを出品していた。

 また別の女の子が「家族が勇み立ってドラゴンに戦いを挑んでどこかに行ったから、戻ってくる前に売りさばいてやる」と言って次々と武器を出してきたときはさすがに驚愕した(ちなみにその中にあったクロウにはお世話になった)。

 

 世界って広いんだなあと、思考を放棄したのを覚えている。

 

 

(念入りに探せば、本当にそういう掘り出し物も出てくるかもしれない……)

 

「ちょっとアンタ!」

 

「え?」

 

 

 鋭い声が飛んできて足を止める。買い物を通して顔なじみになった、意地悪そうな女性が自分を手招きしていた。

 まーた押しつけまがいで何か売るつもりかと警戒しつつ寄っていく。彼女は自分の表情を見て若干拗ねた雰囲気になりながらも、ゴソゴソと品物を取り出した。

 

 

「この像を買わないかい?」

「像? ……うぇっ」

 

 

 思わず変な声がでる。それほどシュールで名状しがたい不気味な置物が目の前に出され、辺りの空気が淀んだような気さえした。

 

 

「譲ってもらったはいいが、なんだか気味が悪くてねぇ……貰い手がつきやしない! ということで、今なら10Azで譲ってやるよ。どうだい?」

「なんで売ろうと思ったんですか……というかなんで譲り受けたんですか?」

「聞かないどくれ、欲が出ちまったんだよ」

 

 

 そうですかー、と応えて沈黙が落ちる。

 なんだろう、この像。時間をかけて味わうスルメのように、見れば見るほど怪しさが滲み出てくる。

 語彙力を奪う力でもあるのだろうか。摩訶不思議なフォルムを眺めていると、頭の中に「うわ、なんか……うわぁ」というフレーズしか浮かんでこなくなってきた。

 

 

「ちょっと、今回は、遠慮したいかなー、なんて……」

「ま、そうだろうねぇ……どうせ貰い手はつかないだろうし、気が向いたらいつでも譲るよ。10Azで」

「そんなに安値なんて必死ですね」

「言わないどくれ。少しでも稼ぎたいんだよ」

 

 

 物の取引に使われる通貨が日本円から資材のAzに変わり、最初はムラクモだけだったが、都庁全体に広がっていった。

 Azはドラゴンからしか確保できないDzとは違い、凡庸で扱いやすい資材ではある。マモノから取れるため、戦える自分たちは自然とAzが貯まっていた。

 10Azは駄賃程度。大して、というかまったく儲けにならないと思うが。

 

 

(……でも、)

 

 

 再びなぜだろうと思う。

 

 この変な像、目が離せない。

 自分の趣味にはかすりもしないし、これを気に入って手もとに置く人間がいるとは思えない。

 

 なのに、なのに。

 

 

(ま、まさか、これが……『謂れのある掘り出し物』?)

 

 

 そんなまさか。こんな、傍に置いているだけで友だちをなくしそうな、人にドン引かれそうな、犬とか猫に威嚇されまくりそうな邪神みたいな像が、まさか。

 でも、さっきまで注意深く各居住区のフリーマーケットを探し回ってみたけれど、こんなに強烈なオーラを放つアイテムはなかった。

 

 いやでもまさかそんないやいやいやいやありえないああなんでなぜだなぜなんだ手が手が手がぁぁぁぁぁ。

 

 

「え、あんたまさか」

「……」

「……本当に買うつもりかい?」

「……」

「むぅ……いざ買うって言われると、怪しいねぇ……これはもしかして、相当価値のある骨董品なんじゃないかい? アタシになにも教えずに、買い叩こうって寸法なんじゃ……」

 

 

 いえまだ何も言ってないです。

 

 

「よぉし、値段変更だ。2000Azで譲ろうじゃないか」

「えええ!?」

 

 

 値がいきなり200倍に跳ね上がってやっと声が出た。「なんだい! 思い切りが悪いねぇ……」と怒られる。

 

 

「値段はもう戻さないよ! 譲ってほしいなら、きっちり2000Az持ってきな」

「えええ……」

 

 

 そんな卑怯な。2000Azって、武器でも防具でもないのに。

 購買意欲が一気に失せる。でも、目が離せないのはいつまで経っても同じで。

 

 

(物は……試し……? スピリチュアルな感じがあるし、視点を変えればサイキックに通じる何かがあるような気も……気、も……。……、…………。寄付!! 寄付をすると思って!!!)

 

「……買います」

「やっぱりね。これは相当の品ってわけかい。危うく大損するとこだったよ。さて、資材を出しな」

「はぁ……」

 

 

 私は何をしているんだろう。

 

 

「こんなもん買うなんて、あんたも物好きだね」

 

 

 あなたに言われたくないですオブザイヤー。

 

 漆黒の邪神像を手に入れた! ……と頭の中でおもしろくアナウンスしてみても、何かが起きるわけもなく。

 本日何度目かのため息が漏れた。

 

 

「……ほんと、何してるんだろ」

 

 

 というか、シキはどうしているんだろう。1人で池袋に向かって結構経つが、大丈夫なのだろうか。連絡を取ってみようと通信機のスイッチを入れた。

 コツ、コツ、コツ、と指先でつつきながら繋がるのを待つ。

 すると、

 

 

『──馬鹿ヒムロっ!』

 

「わ……!? え、ちょっとミロク、ミイナ?」

 

『それ以上、13班とガトウの気持ちを踏みにじったら……許さないからな!』

 

「……?」

 

 

 ミロクとミイナの怒声が響く。いったい誰に向かって言っているんだろう。

 わからないけれど、普段冷静な彼らがこんなにむきになるなんて。

 

 口を閉じて耳を澄ませる。ナビ2人はヒムロという人物に息が続く限り怒鳴り続け、シキに彼を連れて帰るようにと指示を出した。

 

 

(……あ、そうだ、シキちゃんに)

「シキちゃ──」

 

『私からも、あんたに言っておくことがあるんだけど』

『……なんだよ。また罵倒か』

『それもある。……自惚れてるみたいだから教えてあげる。あんたがサイキックで、それも超貴重なテレポートが扱えるとしても』

 

(え、テレポート? ていうかサイキック!?)

 

 

 シキが向き合っている人物は自分と同じサイキックなのか。しかもテレポートって、あのテレポート?

 驚きと興味に指が通信機をねじ込み、意識が聴覚に集中する。

 

 

(て、テレポートって本当? シキちゃん、もうちょっと突っ込んで……)

 

『安心して。戦闘での出番なんて一生来ないから』

『どういうことだ? 全部おまえ1人で片付けるって?』

『違う。私たち「2人」よ』

 

『今、私の隣には、あんたなんかよりもずっと強いサイキックがいるから』

 

 

「──ぇ」

 

 

『サイキック?』

『そう。複数の属性が扱えて、おまけに治癒に特殊な技も使える。あんたが仕事したっていうハイジャック事件だって余裕で対応できるわ。もうすぐ奥義も修得する。なのにまだ天井が見えない。私が今まで見てきたサイキックの中でもずば抜けてるわ』

 

(ま、待って)

 

 

『ドラゴンが来た日、私はそいつに命を助けられたの。そうじゃなかったら死んでたし、帝竜への反撃にも繋がらなかった。もしかしたら、日本はあっという間に壊滅してたかもね』

『あんたの出番はこれっぽっちもない。私と私のパートナーで充分。とっくのとうにお払い箱なのよ』

『わかったら、余計なこと言わないで大人しく震えてればいいわ。ミロクとミイナが言うとおり、……これ以上、私とミナトと、他の奴らの戦いを否定したら、ドラゴンの口に放り込んでやるから』

 

「……」

 

 

 そこから後は耳に入ってこない。

 

 いてもたってもいられず、エントランスへ駆けだした。

 



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  あの子たちの大事な話②

6章はこれで終わり! 次回から7章です!
シキの貴重な赤面シーンは必見!(?)

あとがきにちょこっとだけ話の内容の補足があります。



 

 

 ヒムロを引きずって都庁に帰還する。

 エントランスに入ったところで、彼は手を振り払った。

 

 

「……ここでいい」

「あっそ」

「……後で、気が向いたらムラクモ本部に顔を出してやるよ。戦うのはゴメンだが……チビに、馬鹿とか弱虫って言われたままなのも、情けないからな」

 

 

 間髪入れずに通信機の向こうでミロクとミイナが「ふんっ!」と鼻を鳴らした。

 

 

『一番活躍するのは、オレの13班だ』

『あなたは、あちこち飛んで雑用でもしてください。……それなら、危なくないでしょう』

「オレの……ね」

 

「シキちゃん!」

「あ、ミナト──どあっ!」

 

 

 聞き慣れた声がエントランスに響く。続いてドダダダダッという雄牛のような足音も。

 振り向いた瞬間、目をかっ開いた女性が両腕を広げてロケットダイブしてきた。

 思い切り衝突して、ぐるぐるぐるとその場で回転する。人の視線が集まるのも気にせず、彼女は自分を抱きしめて頭をなでてきた。

 

 

「シキちゃーん! おかえり、おかえり、おかえりー!」

「ちょ、なに、なによ。なによそのテンション?」

 

「……そいつがおまえの言ってたサイキックか?」

 

「あ、はい! 初めまして、志波 湊と言います!」

 

 

 ミナトはスキップするようにヒムロに寄り、その手をつかんで上下に振る。

 

 

「ヒムロさんですよね。同じサイキックの方で、しかもテレポートができるんですよね。お会いできて光栄です! よろしくお願いします!」

「あ、お、おう……」

 

 

 一方的に固い握手を交わして満足したのか、ミナトは軽やかに身を引いてまたこっちに抱きついてきた。

 

 

「テレポートだって、すごいねぇ! ど○でもドアいらずだよ、ぎりぎりまで寝ても遅刻せずに学校行けるよ? 命綱なしのバンジーとかスカイダイビングだって余裕だよ、すごいねえ!」

 

「……」

「わかったでしょ。あんたの力が必要とされるのはそういうときだけ。実力もないのに前線に出られるとか思わないことね」

 

 

 池袋で自分の説明を聞いて、ヒムロはミナトのことをどんな人物だと想像していたのだろう。まあ口を半開きにして呆然としているのを見る限り、イメージがぶち壊されたのは間違いない。

 こんなにきゃぴきゃぴしていて、テレポートの使い道で真っ先に遅刻防止とかバンジーを思いつく奴なんて……。

 

 

 ……ちょっと待て。

 

 

「ねえ。……ちょっとミナト」

「うん? なーに?」

「あんた、なんでこいつのこと知ってる? 私紹介してないわよね」

「うん! されてない!」

「じゃあなんで」

 

 

 嫌な予感がする。

 

 

「……」

 

 

 ミナトは無言でにっこにこーと笑って、自分の顔を覗き込んでくる。

 

 

「えへ、えへへへへ」

「何よ、気持ち悪い」

「シキちゃんはさ、ヒムロさんに私のこと紹介してくれたんだよね」

「は? 紹介なんてし……し、」

 

 

 あ。

 

 

「あんた……まさか……通信……」

「聞いてないよ? 『ずっと強い』とか、『ハイジャック事件だって余裕で対応できる』とか、『今まで見てきたサイキックの中でもずば抜けてる』なんて、私聞いてないよー」

 

「っ」

 

 

 首から上が一気に発熱する。

 離れるよりも先に、ミナトが腕を回して密着してきた。まるで母親が子どもにするように胸の中に抱き込まれ、めちゃくちゃになでくり回される。

 

 

「あーっっっ真っ赤になっちゃってもーかーわいー!!」

「な、ば、バカ、離せ……! 離しなさいよ!」

「無理しばらくこのまま!」

「やめろ離せ……あ゛あ゛あ゛頬ずりするなああー!!」

 

「……」

 

 

 相変わらずぼけっと突っ立っているヒムロに助けを求めるが、彼は肩をすくめて背を向ける。

 

 

「愛されてるなぁ、おまえは。それじゃ、俺は行くぞ。依頼を出してくれた、ありがたメーワクなお姉ちゃんにも、よろしくな」

「いやちょ、助けろ! こういうときこそテレポート……」

 

 

 こっちを少しだけ振り向いたヒムロは、にやりと笑って目の前でテレポートしてしまった。

 チェロンにミヤ、ファクトリーの開発班がなんだなんだと見つめてくる中、ミナトは自分を離そうとしない。

 

 

「ヘイ! そこのヒーロー2人、仲良しじゃん?」

「どうしたシキ、今日はやけに仲睦まじいが」

「なんだ、騒々しい」

「おーい、おまえらなにしてんだー?」

「ま、まさか百合ですか!? 13班様ってば、いつの間にそんなに進展して……」

 

「違う! 助けろって言ってんでしょ!?」

「んふふ、あっそうだ、司令室にも行こう! ミロクもミイナも一緒にね!」

『え、え? おい、こっち来るのか?』

『ミナト、様子がおかしいですよ? 落ち着いてください!』

「無理ー! 今日はもう無理ー!」

「離せえええっ!!」

 

 

 テンションのおかしいミナトに抱きしめられたまま、エレベーターに引きずり込まれる。

 数分後、宣言通り司令室に突入し、ミロクとミイナも彼女の腕に閉じこめられてぎゃーっと叫んだ。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「……あ、そうだ、忘れてた!」

「何がよ! ああもう、離せって!」

「ああ待って、シキちゃんも一緒に……」

「奥義習得のための訓練! 邪魔すんな!」

 

 

 3人の少年少女を腕に閉じこめて数分後、シキが力ずくで自分を引っぺがし、司令室を飛び出していってしまう。

 ちょっと構いすぎたかなと反省しつつ、ミナトは追いかけずに部屋に残った。

 

 

「ミナト、おまえも訓練行かなくていいのか? ていうかそろそろ夕飯の時間だろ」

「うん、まあ。ちょっと大事な話」

「?」

 

 

 人竜ミヅチの件でいっぱいいっぱいで忘れていたけど、大事なことはまだある。

 最後の帝竜にはなるべくすっきりした頭で挑みたい。気になることやもやもやは今のうちに改称しておいた方がいいだろう。そのために身近な人とは腹を割って話がしたかった。

 

 ずれたヘッドセットとくしゃくしゃになった髪を整える2人に向き合い、クエストオフィスで引っこ抜いてきた依頼の用紙をぺらりと見せる。

 

 

「これ、2人からの依頼でしょ」

「うぇっ!? もしかして、おまえがクエスト受けちゃったのか!」

「だってこれ、たぶんムラクモ関連の内容だよね? クエストってその気になれば一般の人も受けられるけど……ムラクモの情報って外に漏らすのはダメなんじゃなかった?」

 

 

 地下シェルターでムラクモに入ることを決意したときだ。書類や筆記用具は揃っていなかったけど、命を懸けるわけだし、事実上の就職になるから、ナツメとキリノにちゃんと話を聞いて規約に同意した。

 

 そのうちの1つが、ムラクモの情報は漏洩厳禁だということ。

 ムラクモ機関は日本政府お抱えの特殊な組織。というか、政府が形成されるよりも遙か昔、1000年も前から存在・暗躍していた。

 にも関わらず、都市伝説として一部の人間に噂される程度ですんでいたのは、機関が情報管理を徹底していたから。

 ドラゴン襲来なんて有事が起きたためついに表舞台に出ることになったが、その姿勢は変わらない。多少怪しまれようが、自分たち異能力者を含めムラクモ関連の情報はがっちがちに保護していくらしい。

 

 ……らしいが。

 

 

「もしこれを他の人が受けたらどうするつもりだったの?」

「ちぇ、チェロンにはちゃんと『ムラクモ機関の人員限定で』って伝えておきましたよ!」

「まあ、その時点でもしかしたらって予想はしてたけどさ……ホント、物好きだよな」

 

 

 ナビ2人は顔を見合わせ、ほんの少し黙ってからミロクが話を切りだした。

 

 

「渋谷での話、覚えてるか?」

「うーん、SKYのこと?」

「いや、オレが言いたいのは……オレたちの、」

「……知ってる。寿命の話だよね」

「……そうだ。大人になるまで生きられないとか……突然言われても、困るよな」

 

 

 スリーピーホロウ討伐直後、シキに送り出されて1人道を駆ける途中で通信機から聞こえた会話。タケハヤたちと同じように、ナビも作られた天才で、寿命が短いという話。

 そのこともあって、都庁に帰ってアオイが亡くなったと知ったときは完全に心が折れていた。

 今はなんとか動けているけど、ミロクとミイナもいなくなってしまうと思うと、気が気じゃない。

 

 

「黙ってて悪かった。でも、嘘じゃないんだよ」

「隠したかったわけじゃないんです。言っても、仕方ないから……」

「おまえ、お人好しだし……変に気遣われたら、任務に支障が出るだろ。だから……」

「うん、わかってる。このクエストはそれ関連の内容なんだね?」

 

 

 責められてしまうとでも思っていたんだろうか、2人はこっちが話を促すとほっと胸をなで下ろして頷いた。

 

 

「……依頼したいのはさ、人工的な天才の、寿命についての調査だ。研究データを洗えば、SKYの奴らを延命させることもできるかもしれない……」

「……ちょっと待って。SKYの人もそうだけどミロクたちは?」

「い、いや、そっちも気にしてるから! で、そのデータなんだけど、実は、もう目星はつけてある」

「総長と一緒に、私たちを作り上げた人──通称『ハカセ』って言うんですけど……。本人はもういないけれど、彼の専用サーバーに、何か残ってるかもしれません」

「ただ、ちょっと特殊なサーバーだから……特定のPCからしか、アクセスできないんだよ」

 

 

 ミロクとミイナは困ったように司令室を見回す。「特定の」ということは、この部屋の中の1台だけということだろうか。

 と思っていたら違うらしい。

 

 

「機関のPCは、全部運び込んでるから、都庁の……ムラクモ関連のフロアにあるのは、間違いないんだ」

「ムラクモ関連? ……ここと、隣のマサキさんたちのところと、研究室と、会議室?」

「そう。おまえには、PCを総当りして、それと思しきものを探してほしい」

「そうあたり……」

 

 

 ここ司令室だけでもたくさんPCがあるのに、同じように機材で溢れる部屋が2つ。

 ぷっしゅーと早くも頭がショートし始める。

 

 

「ぱ、パソコン1台で何分、いや何十分、いや下手したら数時間……。それ × 十数台 × 4……?」

「ちょ、ミナト!? ミイナ、水とチョコ!」

「ミナト、しっかりしてください!」

 

 

 水と貴重な糖分を提供してもらって我に返る。

 作業開始前から挫折しそうな自分の背を、ミロクとミイナは小さな手で優しくさすってくれた。

 

 

「なあ、大丈夫か? 嫌なら無理にしなくてもいいからな。昨日地下帝竜を討伐したばっかで、今日ももう夜だし……」

「そうです。最後の帝竜への挑戦は間近ですよ。早めに休まないと」

「ダメ、やる。……でも、サーバーを探すってPCのどこをいじればいいの」

「え、そこから?」

「機械はあまり得意じゃないんだもん……!」

 

 

 ナビ2人の心配そうな表情が本当に大丈夫かという深刻なものに変わる。

 自分だって果てしなく不安だけど、一度受けた依頼を放り出すなんて嫌だ。ミロクとミイナは台場攻略の準備で手一杯なのだから、自分がやらなければ。

 それにこの作業には人命が関わっている。相手がドラゴンじゃないだけマシなんだから、絶対にやり遂げたい。

 操作の基本的な手順を教えてもらい、自分の頬を叩いて立ち上がる。

 

 

「……余計な手間かけて、悪いな。よろしく頼む」

「……ご迷惑をおかけして、すみません。よろしくお願いします」

「余計な手間とか迷惑とか言わないの! 待ってて、まずはこの部屋から調べる。ハマチさん、失礼します!」

 

 

 司令室勤務でミロクとミイナのサポートに回っているハマチの席をぶんどる。

 ナビみたいに手際よくはいかないが、集中すれば必ずたどり着けるはず。

 

 

(ほんの少しでも希望のある未来を!)

 

 

 ドラゴンを全て倒すことだけが目標じゃない。全て倒して、その先の未来でみんなと笑って生きるのが目標だ。

 外からの情報を遮断するためイヤホンを耳に突っ込み、スマホの音楽プレイヤーを起動した。

 

 

 

 ──数時間後──

 

 

 

「失礼します……」

 

「おや、こんな時間にお客……ひっ!」

 

 

 ゾンビのように這ってきた自分に、研究員たちが短い悲鳴を上げる。

 首を回すとゴキボキビキリと骨が音を立て、彼らは一層眉を引きつらせた。

 

 

「シバくん? もうすぐ日付が変わるよ、寝なくていいのかい? ていうかその顔……」

「パソコンお借りします」

「え、あ、ちょっと?」

 

 

 数時間ブルーライトを浴び続けて精気が削がれたが、ナビや研究員たちからすればこんなの序の口だろう。未だそれらしいサーバーが見つからないとはいえ、音を上げるわけにはいかない。

 まずは研究室の左端。主にマッドな研究員が使っている、ディスプレイが3台繋がっているPCに手を伸ばす。

 なんだなんだと視線が集まる中、すっかり指に馴染んだ動きを繰り返す。

 キーボードを叩いてマウスを弾いて、叩いて弾いて叩いて弾いて。

 22時にはベッドに潜って6時から7時に起きるというリズムを刻んでいたため、脳が睡眠を訴えてくる。

 

 空っぽの腹が切なく鳴るのと同時にもう一度クリックしたとき、初めて見る文字列が表示された。

 

 

『HAKASE』。

 

 

「──見つけた」

 

 

 イヤホンを外して通信機のスイッチを入れる。

 サーバー名をクリックすると、小さなウィンドウが点滅して現れる。

 

 

[現在、このサーバーには、閲覧制限がかけられています。パスワードを入力してください]

 

「ああもう……! ミロク、ミイナ、遅くにごめん!」

『おい、ミナト! ハカセのサーバーに、アクセスできたのか!?』

「できたよ! ローマ字でハカセってあるからたぶんこれ! でもパスワードが……」

『……パスワード? ハカセが設定しそうな言葉か……「NA」でどうだ?』

「NA?」

 

 

 たった2文字。そんなものパスワードと呼べるのか?

 しかし試しに入力すると、PCは素直に反応した。

 

 

[パスワード認証……クリア。サーバーに接続します]

 

 

『おっ、どうにかなったな』

「……こんなに苦労して見つけたのに、パスワードが、なんか、拍子抜けだね」

『ハカセは変わり者だからさ、あえて自分の名前を使ってるんじゃないかって。ナっていうのは、ハカセの苗字で、確か漢字だと「那」――』

『あっ、データが来そうです! こちらからでは確認できないので、しっかり見ててください!』

 

 

 ミイナの言葉に慌ててディスプレイを注視する。

 ナビたちは確認できないと言うので、通信を繋いだまま、浮かび上がった文章を読み上げることにした。

 

 

「えっと……」

 

 

『やあ、元気かい? ボクのかわいいNAVシリーズたち』

 

『これを開いた……ということは、寿命で悩んでいるとか、そんなところだろ? うん、実にいいことだ。キミが、生きたいと思える何かを発見したってことだからね』

 

 

 文字の調子から、他の研究員同様、個性的な人物であることが伝わってくる。

 通信機の向こうで自分の言葉を聞くミロクたちが「ハカセだ」と呟いた。

 

 

『結論から言うと、キミたちを』

 

 

 80とか90まで生かすことはできない。

 

 ただし、その演算能力を捨てれば、寿命が今の倍にはなるだろう。

 

 

『……ミナト?』

 

 

 言葉をなくした自分にミロクたちが呼びかける。

 反応できないままメッセージを目で追う自分に、司令室で待っているナビに、「さて、どうする?」とハカセは問う。

 

 

『方法だけ書いておくから、判断は任せるよ。決して楽な方法じゃないけどね。あとキミたちとは別に、あの女の子……シキだっけ?』

 

(え)

 

 

 シキ、というのはシキのことだろうか。

 たぶんそうだ。でもなんでここで彼女が出てくるんだ。

 

 画面上のハカセは話を続ける。

 

 

『シキのことも気になって調べてみたけど、身体的特徴が現れていないことからして、あの実験としては失敗してるみたいだ。異能力が目覚めるとしても、高確率で両親の遺伝だろうから、シキの体は普通の人間と同じだと思う。彼女に関しては寿命の心配はいらないだろう』

 

(……何、これ)

 

 

 どういうことだ。シキもナビの、NAVシリーズの試験管ベビーだった?

 いや、ハカセは「キミたちとは別に」と前置きして、異能力の話をしている。

 

 

(あの子の体は誰よりも丈夫で健康だし、ミロクたちとはたぶん別。出生にムラクモ機関が関わってるとしても、NAVシリーズ……では、ない)

 

 

 なら、タケハヤが言っていた後天的に異能力を植え付ける人体実験のことか?

 違う。ハカセはシキの異能力は高確率で両親の遺伝と言っている。先天的な異能力者ということで、寿命の心配はないとも。

 

 

(ナツメさんはシキちゃんを、ガトウさんと同じように貴重な戦力として扱っていた。それは前線に出せるくらい戦闘能力とか生存能力が高くて、異能力者として問題はないってこと)

 

 

 彼女はミロクたちとも、タケハヤたちとも違う。

 

 

(じゃあ「身体的特徴」に「失敗」って何? 「あの実験」って何? そもそも、ナツメさんは関わってる? でも、あの人はムラクモ総長だったんだから、何か知ってても不思議じゃ)

 

 

 そこまで思考を巡らせたところで、ディスプレイから文字が消えかかっていることに気付き、慌てて画面をスクロールする。

 最後の数行はなんとか読みとることができた。

 

 

『……ああそれと。この方法は、ナツメさんが研究してるような、「後天的な天才」には使えないからね』

『それじゃ、キミの人生が、残り何年であれ、幸せであることを願うよ──』

 

 

 メッセージが消え、何かのデータが残される。

 

 

『ミナト、おい、ミナト?』

『大丈夫ですか? 何かあったんですか?』

 

「……ごめん、今からそっち戻る」

 

 

 ずっと名前を呼び続けてくれていたミロクとミイナに応え、研究員たちに挨拶をして部屋を後にする。

 司令室の扉を開けると、眠そうに眼をしばたたかせて2人は出迎えてくれた。

 

 

「……どうだった?」

 

 

 ハカセのメッセージをそのまま述べる。

 双子は緊張していた眉を下げて肩を落とした。

 

 

「……そうでしたか……」

「なら、今はどうこうする必要ないな」

 

「へ、なんで?」

 

 

 すっかり気力を失ったかすれ声が漏れる。

 

 

「せ、せっかく調べたのに、どうして? SKYの人たちはダメだったけど、2人は延命できるのに」

「オレが今、演算能力を捨てたら、誰が13班のナビをやるんだよ?」

「そうです。10班のナビと13班のサポートは誰がするんですか?」

 

 

 そりゃ、そうだ。この2人にしかナビはできない。

 でも、だって、寿命が。なのになんでこんな。

 

 

「おまえたちが体張ってドラゴンと戦ってるんだから」

「私たちだって、こんなところで止まっていられないです」

 

 

 なんでこの2人は、こんなに小さな体で。

 

 

「……なに言ってんのぉ……?」

 

 

 眼が熱くなる。

 ぼろっと涙がこぼれて、ナビが目を見張った。

 

 

「大人になるまで生きられないって、20歳以上まで生きるのは難しいってことでしょ? ならあと数年しかないじゃん……! ただでさえ短命なのに演算能力捨てたって今の倍……30か、どれだけ長くたって40くらいでしょ? それでも少なすぎるのに何言ってんの? そんなのやだ。やだやだやだ私2人に死んでほしくない!」

「い、いや、そんなすぐに死ぬわけじゃ……おおおい落ち着けよ、泣くなよ!」

「ハンカチ、ハンカチは……!」

「知ってる人も知らない人もみんなばたばた死んでもう、もう無理なのに、よくわかんないことだらけで頭こんがらがるし、これ以上誰か死んだら私泣くよ! いい歳してとか言われても泣くから!」

 

 

 遠慮せずにわーんと声を上げる。

 ナビ2人はお手上げといった様子で固まってしまい、ミロクがなにやら指示を出して、ミイナが誰かと通信を始めた。

 

 

「ミナト、ミナト。聞いてくれよ。泣きながらでいいから。帝竜はあと1体。人竜ミヅチの攻略もすぐそこだ。オレはこんなところでナビをやめたくない」

「でも、寿命……」

「悪いけど、ミイナにも他の奴にも譲る気はないからな! 13班のナビは……オレなんだ。だからさ、今はいいよ。この戦いを、最後まで一緒に戦いたい!」

「……一緒に?」

「そ、それに……楽な方法じゃないっていうのも、気になるし……。……だ、だからさ! そろそろ任務に戻ろうぜ、13班!」

 

「任務じゃなくて睡眠ね」

 

 

 シキがバタンと扉を開けて入ってくる。夜も暑くなってきたからか、キャミソールにショートパンツと夏仕様の寝間着姿だった。寝間着というより肌着だろうか。

 

 

「いきなり呼び出したかと思えば……なにこれ、どういう状況?」

「オレたちの寿命の件で……」

 

 

 ミロクから説明を聞いて、シキはああなるほどと納得して頷く。そしてびえーっと泣いてミロクにしがみついていた自分を引き離す。もう寝る時間だと言われ、抵抗したら俵担ぎされた。

 

 

「近所迷惑。もう12時回ってるわよ。最後の帝竜討伐控えてるんだから生活習慣乱すんじゃない」

「やだぁぁまだ話し終わってないもんんん」

「うっさい」

「び」

 

 

 でこぴんと拳骨と手刀をそれぞれ額、つむじ、襟足にくらう。

 眠気と疲れもあって、あっさりと意識が刈り取られた。

 

 シキの肩の上で伸びるミナトを見て、ミロクとミイナは顔を見合わせる。

 

 

「気まずくなることぐらいは想像できたけど……まさか泣くとは思わなかった」

「こんな話とは無縁の一般人だったんだから、ひとつひとつの衝撃がでかすぎるんでしょ。『誰かが死ぬ』っていうのがトラウマにでもなってんじゃない」

「どうしよう、無理させちゃいました……最後のほうパニックになってましたし」

 

 

 責任を感じる2人の頭にぼふぼふと手を乗せ、一晩眠ればなんとかなるだろうとシキは適当に流した。

 

 

「こいつは仕事はちゃんとやるから大丈夫。だからナビとサポートは頼んだわよ」

「ああ。あ、これ、依頼の報酬。ミナトと一緒に使ってくれ。……それじゃあ、」

「おやすみなさい、13班」

「おやすみ」

 

 

 双子に送り出されてシキは自室に戻る。

 やや乱暴にベッドに放り込まれてもミナトは目を開けず、相変わらず頬を濡らしていた。自分が池袋から戻ってきたときはへらへらしていたくせに、数時間後には子どもみたいに泣いたりと忙しい奴だ。

 さあ、いつまでも呆れていないで自分も眠らなければ。

 

 

「……ちゃん」

 

「?」

 

 

 名前を呼ばれた気がして振り向く。

 ミナトがベッドの上で身じろぎながら、夢うつつに自分の名前を呟いていた。

 

 

「……シキちゃん、……だい、じょう……ぶ……?」

 

「……何が」

 

 

 寝言だから予想していたけど、返事はない。ため息をついてベッドに寝転がる。

 

 最後の帝竜討伐作戦は目前。そしてそれを越えた先に、人竜ミヅチが待っている。

 ミヅチも倒して、全てが終わったら……そうだ、未だ1人も見つかっていないミナトの身内を一緒に探してやろう。そのために彼女はべそをかいて戦ってきたのだから。

 

 パートナーがまた自分の名前を呼ぶのを聞きながら、シキは目を閉じた。

 




こんなふうに情報出しておいてあれですが、今回書いたシキについてのあれこれは2020-ii絡みの設定になるので、この作品内で詳細を出す予定はありません。
かといってiiの方書くのかと言われれば、……なんですが。大した内容ではないので流してもらって大丈夫で((殴

iiも書きたいな、とは思ってます。


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CHAPTER6 あらすじ

各チャプターごとにあらすじとその時点で載せられる主人公2人の情報を設置しました。話の内容をざっくり把握したいときにどうぞ~。



 

 

    CHAPTER 6

The Scaber 暗闇と大洞の王

 

 

 ~あらすじ~

 

 

 東京地下道に潜る巨大な帝竜ザ・スカヴァー。首都全体を崩落の危機にさらしていたドラゴン討伐のため、ムラクモ機関は13班に加え開発班のワジ、ケイマ、レイミをダンジョンに手配した。

 一度接触した際に見られた「光」という弱点。それを突くためシキとミナトは地下道の電力ケーブルをつなぎ、ワジたちは超強力なハロゲンランプを準備する。

 光の檻に帝竜をとじこめ、13班は尾、胴体、頭の順に攻撃を開始。長い間地下から東京を脅かしていたザ・スカヴァーの討伐に成功する。

 

 都庁に逃れてきた傷だらけの子ども、SKYと人々の交流、ネコとアリアケ議員の意外な関係、ナビ達の事情、奥義の習得や深まっていく謎……人類の拠点で様々な糸が交差していく中、残る帝竜はついにあと1体。

 さらに続く戦いに向け、ムラクモ機関は氷に閉じ込められた台場に狙いを定める。

 

 * * *

 

13班メンバー

 

【飛鳥馬 式 / アスマ シキ】

 スチューデント♀ / デストロイヤー / ボイスタイプG(S.R様)

 主人公その1。ムラクモ出身のチート気味女子。性格キツめ。ちょびっとだけ丸くなりつつある。

 CHAPTER1.5で追いかけまわされたザ・スカヴァーへの雪辱を晴らし、タワードラくんの討伐も完了。奥義習得まであと1歩といったところ。

 叩きつけられる電車の車両を受け止めたり自衛隊の貨物トラックをひっくり返したりザ・スカヴァーの胴にのしかかられても跳ね返したりと肉体の耐久力が天元突破しかけている。

 ドラゴンをぶっ飛ばす勢いは少しも衰えないが、その中でSKYのコンビネーションを真似ようとしたり剣を手に取ろうとしたり、何やら個人的にいろいろ考え動いている様子。

 明確にデレたのは初めてかもしれない。

 

【志波 湊 / シバ ミナト】

 サイキック / ボイスタイプC(H.Y様)

 主人公その2。一般家庭出身。ヘタレ。ちょっと成長した。ビジュアル未定/なしの方です。

 フリーマーケットで名状しがたきカオスな邪神像を手に入れた。奥義習得まであと1歩……?

 ネコとアリアケ議員の関係にびっくり。「父親」という存在に対して思うところがある様子。

 シキがデレた! と舞い上がった矢先にナビ達の生死にかかわる話をされ、さらにはシキにも何かあることを知り、5章でできた傷に塩を塗りたくられた。泣くことへの抵抗が若干なくなったため涙腺に素直になってよく涙を流す。

 

 

 主人公については物語が進む中で情報を追加・編集していきます。

 



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CHAPTER 7 静かなる海  The Zero-Blue
32.氷海 力 虚ろの瞳


CHAPTER7掲載開始ってびゃーーー平均調整の評価がついてるーーー!!!?? ありがとうございます、評価すっごいすっごい嬉しいです!! スクショしてニヤニヤ眺めます!

この作品は基本三人称(ときどき一人称も混ざってますが)ですが、振り返るとレポートのような、事実を書いているだけ、みたいな文が多く目が滑りやすいように思います。もっと読んでいて「おっ」と楽しめるような描写ができるよう精進します!

長くなってすみません、これからもよろしくお願いします!



──────────────

CHAPTER 7 静かなる海

  The Zero-Blue

──────────────

 

 

 

 いつも通りの朝だった。東から日が昇り、夜のとばりが払われ、眠りから覚めた命が息吹く。

 完全に空が白む前に寝台から出て蛇口をひねった。手を濡らして顔を拭えば、膜のようにはりついていた眠気が水にさらわれ流れていく。

 覚醒したミイナは湿ったまつげを震わせ息を吐く。片割れのミロクよりも少し早く朝食を食べ、司令室の自分の席に座った。

 

 やることはいつもと同じ。ただ今回の仕事を終えれば、世界に迫る「滅び」の2文字に待ったをかけることになる。

 

 深く呼吸をして酸素を指先までいきわたらせる。

 他の人員が起床し、13班が都庁を出発するまでの時間は、時計の針音を聞いているうちに過ぎてしまった。

 

 

「ついに、最後の帝竜……」

 

 

 視線を床に落として呟かれた言葉を、耳ざとく向こうにいるシキが聞き取った。

 

 

『なに、不安?』

「あ、いえ……ウォークライ討伐作戦を思い出したんです。あのときのナビは、間違ってなかった……でも、未熟だったと思います。少し恥ずかしい、かも……」

 

 

 必要な情報を提供し、次にすべきことを伝え、通信を入れては切る。13年の人生で呼吸よろしく体に染みついた役割だ。

 正確ではあった。けれど世界の命運がかかった状況で糸の上を渡るような作戦が続き、数か月経った今、振り返ってみると、もう少しできることがあったのではと考える。

 逆サ都庁の攻略……結成したての13班が初の任務をこなしてからあっという間だった。1年もまたいでいないけれど懐かしい気分だ。短かったような、長かったような。

 

 チェアに体重を預けるミイナにあてられ、ミロクはヘッドセットを調整しながら片手の指を全て、もう片方の手を2本折った。

 

 

「そうか、これで7回目か……ふぅん……」

『あんたまでなによ』

「いーや、なんでもない。大人が『いろいろあって』って言う気持ちがちょっとわかった気がするだけだ」

『そのフレーズは便利だからね。使いどころ多いんだよ。……あっ、台場に着くよ、ナビよろしく!』

 

 

 ミナトの視覚に繋げたモニターが、薄青に染まった土地を映し出す。

 

 

「……よし」

 

 

 これで7回目。今回自分が13班を導くのは、氷に閉じ込められた異界。

 いくぞ、と自身に語りかける。

 ミロクは背もたれに預けていた背筋を伸ばし、深呼吸してキーボードに手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 

 ―台場 拾参号氷海 氷山入口―

 

 

 東京湾がまるまる氷漬けと聞いて、まず想像したのは大きなスケートリンクだった。

 世界のたった一部、海の隅といえど、人間にとって広大なことに変わりはない。台場の地に立ったら、水平線の彼方までスケートリンクみたいに見えるんだろうなと景色を思い浮かべていた。

 

 が、実際そんなに穏やかなもんじゃない。

 

 

「……」

「……」

 

 

 現在地は、都庁に勝るとも劣らない氷の断崖の上。台場に来たらまず目に入るだろう観覧車よりも高い位置にいる。

 そこから全てを一望した瞬間、スケートリンクのイメージが荒れ狂う氷河期に塗り替えられた。

 

 

『おい……13班……なんだここ……見てるだけで寒そうだぞ……!』

「寒そうっていうか、ほんとに寒い」

「……う、動けない……」

 

 

 寒いとか冷たいを通り越して「痛い」。開発班が用意してくれた防寒性特化の防具を着ていても、肌の感覚が麻痺していく。

 自分が今感じているものは寒さなのだろうか。いや、それ以前に感覚は正常に機能しているのだろうか。風が吹くたび体から生命としての機能がさらわれていくような気がした。

 このままでは脳や血液がシャーベットになってしまうんじゃないだろうか。極寒に加え、恐怖で震えが大きくなる。

 

 

『帝竜の反応は氷山の中だ、どこかに氷山の入り口は見当たらないか? まずは、その入り口を探そう』

「氷山って言ってもね。どこもかしこも似たような氷だらけよ」

 

 

 氷河期を再現したような台場と東京湾には平坦な場所があまりない。山岳地帯と勘違いしてしまうほど、切り立つ氷の波がそこら中にあるからだ。

 ビルも軽く飲み込みそうな荒ぶる波の群れ。帝竜が飛来したときに起きたと考えて間違いない。そしてその大津波すらも凍る絶対零度。

 国分寺とは真逆の環境。しかし唯一共通しているのは、普通の生き物はすぐ死に絶えるということ。

 

 世界中の時計の針が止められてしまったようだ。コンクリートの無機質さとは違う、全てを否定し、停滞させる蒼氷の世界。

 こんな状態がいったいいつからと考えただけで心臓が縮む。意識が遠のく気さえした。

 

 

「さ、寒い……眠くなってきた……」

「は、ちょっとバカ、ここで寝るな! 死ぬわよ!」

「でもこれ、まともに動ける気がしない。指先の感覚がなくなってきた。カイロだってすぐ冷めちゃう」

「そこは炎で……、……そうよ。あんた、国分寺ではゼロ℃ボディで暑さ軽減してたわよね?」

「え? ああ……ああ、そっか!」

 

 

 クロウを装着した指先を振る。マナに導かれて熱が生まれ、音もなく自分たちの体を包み込んだ。

 ゼロ℃ボディとは反対の炎熱の鎧、ヒートボディ。体に吹きつける冷気が軽減され、固まっていた筋肉がほぐれてほっと息を吐く。

 

 

「よし、活動しやすくなった。探索開始よ」

「うん。って、ここから飛び降りるの!?」

 

 

 シキが断崖から飛び降り、極地であることを感じさせない軽やかな動きで着地する。

 ミロクが言う「氷山」とは、氷に飲まれた建造物のことみたいだ。周辺を探し回ると、下半分が波に飲まれた観覧車の手前に洞穴を発見する。

 レーダーを見ると、帝竜以外にもドラゴンやマモノ、なんと生存者の反応まで浮かび上がる。

 攻略すべきダンジョンはここで間違いない。装備と持ち物を再確認して2人は穴を潜り進入した。

 

 

「中はけっこう広いわね」

「……思い出した。ここテレビで見たことある。今いるのが入り口広場で、まっすぐ進むとショップ街と中央広場、一番奥は噴水広場になってるんだよ」

『ここは、ショッピングモールだったのか……ずいぶん浸水してるな』

 

 

「帝竜反応は……」とミロクがキーボードを鳴らして息を呑んだ。

 

 

『なんだ? 2つ……?』

「え、何が?」

『帝竜反応が2つあるんだ』

「2つ!?」

 

 

 何が起きているのかと顔を見合わせる。

 帝竜はもう1体しかいないはず。その1体を倒すためにここに来たのに、さらに1体なんてありえない。

 

 

「どういうこと? 分身でもしてるんじゃないでしょうね」

「それとも……ロア=ア=ルアの四ツ谷みたいに、こっちを惑わせてるとか」

『いや、機器は問題ないし、ジャミングもない』

 

 

「──ちょっと待って。帝竜反応が同時に2つ……?」

 

 

 シキが腕を組む。長いまつげに縁取られた黒目が斜め下を向き、少女はここにはない何かを探すように無言になった。

 

 

「シキちゃん?」

「同じようなことが、前にも、どこかで……」

『おい、シキ?』

 

 

 同じタイミングで複数の帝竜反応が観測されるという事態。しかも今回は同じダンジョン内だ。こんな事態そうそうあるものか。

 間違いない、厳密にいえば同じダンジョンではないが、いつか、前に……。

 

 

「……ダメだ、思い出せない。後で考える」

『わからないけど、なにか別の要因がありそうだ、注意しろ』

「了解。でも、」

 

 

 シキが「これ」と、広がるダンジョンに向き直る。

 入る前からわかっていたことだが、ショッピングモールは氷に覆われている。

 それだけならわぁすげぇで済ませられたかもしれないが、目の前の階段を下った床には海水が張っている。水たまりなんてかわいいものではなくて腰まで浸かりそうな深さだ。

 

 

「この中ざぶざぶ進んでいくのは無理よ。動きがとれずにドラゴンにやられるかもしれないし、それ以前に心臓麻痺になりかねないわ」

「今着てる服は防水仕様じゃないしね。……ちょっと待ってて」

 

 

 ミナトが階段を下りて水際まで進む。

 ヒートボディがしっかり機能していることを確認し、指先から冷気を呼び出した。

 すっかり使い慣れた属性をドライアイスの煙のように水面に垂らせば、ゆっくりと水が凍っていく。

 なるほど、これなら足場の形成には困らないだろう。シキは腕を組んだ。

 

 

「サイキックって便利ね。暖房も冷房も使えて」

「家電みたいな言い方やめて……一気に凍らせたいところだけど、この入口広場には生存者反応があるでしょ。巻き込まないように少しずつ凍らせて進もう。石橋叩く遅さになっちゃうけど、まずは生きている人を保護しなきゃ」

 

 

 しっかり底まで凍っているか、コツコツと拳をぶつけて確認する。

 地下道で使ったスパイク付きソールを装着して1歩踏み出した瞬間、甲高い悲鳴を耳が拾った。

 

 

「まずい、襲われてる!?」

「あんたはそのまま水を凍らせて来て。私は先に行く!」

「え、先に行くってまだ、」

「大丈夫、壁は凍ってる!」

 

 

 シキは床ではなく壁に跳び、スパイクを突き立てながら蹴って向かいの壁に跳ぶ。

 左右の壁を足場にあっという間に遠ざかる背中を見て、彼女は忍者だったのかと勘違いしそうになった。

 

 

「あ、そうだ、私も壁に足場作っていけばいいんだ!」

 

 

 少し遅くひらめいて、床と水平な足場を壁に生やす。

 急いでよじ登り、走って角を曲がると、既にシキが魚型のドラゴンを壁に叩きつけているところだった。

 

 

「シキちゃ──」

「援護いらない! 生存者保護!」

 

 

 はっとしてシキが足場にしているパラソル付きのテーブルを見る。ドラゴンから逃れるためか、海水に浸かるのも構わず小さな男の子がテーブルの下で身を縮めていた。

 

 

「君、大丈夫!?」

「ひゃあっ!? た、た、食べられちゃう!? あれっ、違う……」

「おいで、早く!」

 

 

 真っ青になった顔がこっちを見上げ、困惑しながらも男の子は手を伸ばしてくる。

 彼を引き上げるのと同時に、シキがコンバットナイフでドラゴンの喉もとを突き刺し、息の根を止めた。

 

 

『ドラゴン1体討伐。生存者も保護。体温がかなり低くなってる、温めてやってくれ』

「了解。脱出キットを使ってそっちに送るから、観測班の支援をお願い」

 

 

 タオルを取り出してずぶ濡れの髪と体を拭き、宙に火を浮かせて当たらせる。現状の理解が追いつかないのか、男の子はしばらくぽかんとしていた。

 

 

「もう大丈夫だよ、これから安全な場所まで案内するからね」

「あ、ありがとうございます……父さんと約束したんです。絶対に助かるって。守れて、よかった……」

 

 

 震えながら呟かれた言葉に、アリアケ議員とネコが脳裏に浮かぶ。あの2人は、この子の父親はどうしたんだろう。

 気になるが、今は考えないようにしよう。まだ奥に生存者反応がある。手遅れになってしまう前に、早く進まなければ。

 

 充分に体を温めてから男の子を送り出す。

 脱出キットはあるだけ生存者に使おうと決めて、2人は1階のショップ街に踏み込む。床はやっぱり氷に覆われているが、ここは浸水していない。

 

 

「よし、足場を気にする必要はないね」

「道が分かれてる。どこから──止まれ」

「え……」

 

 

 腕をつかまれぐいっと引かれた。続いてシキは庇うように片手を横に突き出す。

 その声が数段低くなって、まとう空気が刃のように鋭利になる。獣を思わせる剣幕と、肌に感じる闘気。並ではない危険を感知したときに見せる姿だ。

 ミロクが急いで付近の生体反応を探り、あっと息をのんだ。

 

 

『誰か──いる!? まさか……』

 

 

 カツ、コツ、カツ。

 

 聴覚が錆びついたようだ。反響する靴音が、やけに遅く、重く耳に届く。

 悠長にも思える、人を安心させる歩調。なのに、その1歩が床に沈むたび、首の後ろに剣が添えられるような緊張感が肌を責める。

 

 青い暗闇から滲むように現れたのは、深い紫の羽織と艶のある茶の髪。

 

 固まる自分たちとは対照的に、女性はショップ街の中央に進み出てきた。

 

 

「……久しぶりね、みんな」

 

「ナ、ツ、」

「おまえ……!!」

 

 

 ミナトは唇をわななかせ、シキが獅子のように歯を剥いた。

 極寒の世界にもかかわらず、日暈 棗は防具の一つも身に着けていない。姿形は都庁にいたときのもの、パンツスーツの麗人だが、帝竜の要塞の中ではより浮いて不気味さが際立つ。

 

 

「……どうしたの? そんな怖い顔をして」

 

 

 目の前で首を傾げる女性は、司令室のモニターで見た化け物の姿ではない。

 硬直するミナトと臨戦態勢をとるシキに、ナツメはゆっくり語りかける。屋内だからというだけでは説明できない、泥のように空間を浸していくような声。

 

 

「大丈夫よ、殺したりしないわ。そんな、つまらないことのために来たんじゃないもの……」

「つまらない? どういうことですか……!?」

「いらっしゃい、13班……。あなたたちに、最後の選択肢をあげる。さあ、こっちよ……」

 

 

 ナツメは踵を返し、奥へ歩いていく。彼女の後ろ姿が見えなくなった瞬間、空気が淀んだような嫌な感覚が消えた。

 強張っていた肩を一気に落とし、ミナトは支えにするようにシキの腕をつかんだ。

 

 

「どう、する?」

「……」

 

 

 周囲をざっと見て回る。東西にも道はあるが、どちらも氷で塞がれていた。実質1本道だ。

 

 

「脱出キットの用意。いつでも逃げられるようにしておいて。ミロク、退路の確認」

『行くのか?』

「放置しておくわけにもいかないし。虎穴に入らずんばってやつよ」

 

 

 最悪、東京タワーで人々を虐殺した巨悪と戦闘になるだろう。いつでも戦えるように体を温めておくことと、なるべく消耗をしないようにと打ち合わせて慎重にショップ街を抜ける。

 中央広場は入り口と同じく浸水していて、奥に続く通路は巨大な氷塊に塞がれている。その前にナツメが立っていた。

 濡れても構わないのか、触覚がないのか、そもそも触れていないのか。なめらかな線を描く半身を水に浸しても、彼女は無表情だ。熱さも冷たさも感じさせない白い皮膚に、貼りつけられたような唇が動いて語りだした。

 

 

「あなたたちは『狩る者』として産まれた……それはそれは、素晴らしい才能を持ってね」

 

 

 目の前にいるのは自分たちが敵対している女で間違いない。なのに違和感があるのはなぜだろう。ナツメはあんな顔をしていただろうか。

 不気味なのは違いないが、表情が虚ろだ。こちらを映す瞳は作り物のように生気がなく、肌に落ちる影と相まって水で溶かした絵の具のようだ。人形の方がまだ存在感があると言えるほどに、霞に溶けてしまいそうな危うさを漂わせている。

 

 

「でも、それは星があなたたちに架した使命……ただそれだけの、つまらない『力』。戦って戦って、消えていくだけの存在よ。結局、それは人間の業を……世界を変えるほどのものではない」

「別に、世界を変えたいなんて思ってない」

「欲がないのね……それはあまりに、つまらないと思わない? 窮屈すぎると思わない? 素晴らしい才能は、もっともっと、無限の可能性に満ち溢れているはずだわ」

 

 

 即答したシキに言い聞かせられる言葉は相変わらず「力」にしか焦点が当たっていない。

 前にも似たようなことを言っていた気がする。力こそ第一な考えは相変わらずだが、ならなぜ彼女は人間の姿をとっているのか。

 

 

「その可能性への鍵は、すぐそこよ……! さあ、いらっしゃい……」

 

 

 何もない宙を仰ぎ、ナツメは喉を絞るように声を出す。

 曇った目が一瞬ぎらついた光を宿し、彼女はヒムロのように消えてしまった。

 

 

「あの人、何が目的なの?」

「さあね。でも一切無視して進むのは難しそうだわ」

『13班、帝竜反応はこの奥! 噴水広場のさらに先に、この台場の主がいるぞ』

「一直線に行けばいいってことね。……ミナト、あの氷溶かせない?」

「やってみる。熱いと思うから下がってて」

 

 

 シキと入れ替わってミナトが前に出る。水に浸っていない現在地から氷塊までは距離があるが、攻撃は充分届くだろう。両腕を広げて炎を生み出す。極寒の中で心強く感じる炎熱は冷気に負けじと渦を描いた。

 

 

「もう少し……よし。でいっ!」

 

 

 入口を埋め尽くすぎりぎりまであふれた火を収束させて投げつけた。火炎球は広場の気温を一気に上げて標的に衝突する。

 爆発音と、ジュウジュウと激しく氷が溶ける音。水蒸気の向こうで氷塊は3分の1ほど薄くなり、しかし瞬時に再生してしまった。

 

 

「嘘、けっこう本気だったのに!」

「なら私が殴ってもダメね。帝竜が異界化させたダンジョンの中だから仕方ない、か……ここから先は進めないし、いったん戻って道を探す」

 

 

 ショップ街に戻る。他のエリアに続く道は氷で塞がれていたはず、と思いきや、さっきまで通れなかった通路が開いていた。

 こっちにおいでと手招きをされているようで不気味になる。実際、ナツメが関わっているのだろう。

 

 

『先に進むためには行くしかないか。東西のショップ街を片方ずつ探索するぞ。生存者反応もあるから、なるべく迅速に頼む』

「了解」

 

 

 生存者の保護を優先して、入り組んだショップ街を回っていく。冷たい空気が喉に進入するのが嫌で、ミナトもシキも最低限の会話しか交わさなかった。

 

 気分が悪いな、とミナトは胸を押さえる。

 寒さで体のエンジンがかからないというのもあるけれど、頭の中のもやが晴れない。

 前々から気になっていること。思いがけず繋がった人間関係。ドラゴン関連以外のことで疑問や不安がぽこぽこ生まれ、暗雲のように群れていく。

 そこにナツメが現れ、頭の中の糸がさらにこんがらがってしまった。

 

 

「……ナツメさんは、何がしたいんだろう」

「知らん。でもなんか、様子が変だったわね」

「あ、やっぱりそう思う? 覇気がないっていうか……」

「ん、魂引っこ抜かれたような顔。ていうか、なんでいまさら人の姿してるわけ? あれだけ人間のこと見下してたくせに」

 

 

 やはり一番の疑問はそこだ。

 もしかして弱体化しているのでは? と意見が出たが、ダンジョンを進む今も体温を奪っていく寒さを物ともしていないし、仮にそうだとしてもナツメの放つ異様な「圧」には身が縮んだ。彼女は殺すつもりはないと言っていたが、油断できないことには変わりない。

 

 どんなに考えを巡らせても全てが想像の域を出ない。ため息をつきながら西ストリートに進入する。

 階段を下った瞬間、ぐっと空気が張り詰め、唯一肌をさらしている顔に痛みが走った。

 

 

『おい、13班……この一角、かなり気温が低いぞ……』

「ほんと、氷が直接当てられてるみたい……! ヒートボディかけ直すね」

「悪い、助かる」

『……摂氏マイナス18度。これは、なにか原因があるかもな……気を付けろよ』

 

 

 ドラゴンの影がひしめくまっすぐな道。生存者がいないことを確認し、通路に張っていた海水ごと敵を凍らせる。

 寒さの中でも変わらず活発な竜たちに炎とシキの拳でとどめを刺して進む。ストリートの突き当たりには隆起した氷の舞台があり、ナツメが1体のドラゴンを従えて立っていた。

 

 

「ナツメ? なんであんたが」

 

「私たち日暈の一族は……ムラクモの長として、1000年以上、力ある者だけを束ねてきた。そして、世界の真理を見せつけられた。いかに力ある者がこの世をほしいままに変えているか……いかに力ある者が全てを手に入れる権利を有しているか……」

 

 

 どこを見ているのだろう。血色の悪い目もとを微動だにさせず、彼女は語り始める。

 

 

「でもね……あるとき気付いたの。それは所詮『人の力』。あまりにちっぽけで、むなしい。自分の生き死にすら自由にならない、悲しいほどのあわれな力……」

 

『何を、言ってるんだ……』

「ちょっと、あんた、」

 

 

 シキの呼びかけに応えずナツメは消えてしまう。

 

 

『おい、シキ、ミナト! ドラゴンが動くぞ!』

「は!?」

 

 

 ミロクに言われて我に返る。ナツメに気を取られて忘れかけていたが、氷の舞台にはドラゴンもいたのだ。

 彼女が消えたことでブレーキが外れたのか、大人しくしていた黒い翼竜が吠える。

 間近で咆哮を浴びて仰け反る2人に、翼竜は口から吹雪を吐いた。

 

 

「ああもう!」

「下がって!」

 

 

 ミナトが飛び出して火を放つ。

 灼熱と極寒が衝突し、蒸発する激しい音が西ストリートに響いた。熱風と寒風が入り交じって乱気流となり、吹き飛ばされそうになる。

 霧のように白く染まっていた視界に大きな顎が現れ、シキはミナトの襟首をつかんで後ろに放った。彼女はわーっとカーリングのストーンのように背中で滑っていく。

 

 

「ふんっ!」

 

 

 それを尻目に、上下から迫る顎を牙をつかんで止めた。

 手中にある牙がぬらりと光る。この顎が噛み合わされば、人間の手足なんて一瞬で千切れ飛ぶだろう。

 が、ザ・スカヴァーに比べれば、こんな牙は紙細工だ。

 

 

「私は噛み応えあるわよ? 噛めたらの話だけどね!!」

 

 

 牙をへし折って顎を蹴り上げる。翼竜はギャッと吠えて仰け反り、歯がダメならと氷のブレスを吐こうとして──頭上から滝のように降ってくる炎に飲み込まれた。

 

 

「っ……!?」

 

 

 援護射撃が来るのはわかっていたが、あまりの火力の高さに目を見張る。何気に今まで見た炎の中で一番の威力なんじゃないだろうか。

 絶え間なく注がれる火炎の中でドラゴンの影が踊る。10秒前後燃え盛って炎は霧散し、ほとんど溶けた氷の舞台には黒こげになった死骸が転がっていた。

 

 

『ん、なんだ……? 少し気温が上がったみたいだ。寒さの正体は、このドラゴンだったのか』

「てことは倒したのよね。ミナト!」

 

 

 やるじゃないかと後ろを振り向く。しかしパートナーの姿は見えない。

 よく目を凝らすと、ストリートでは日除けのパラソルとテーブルがなぎ倒されていて、積み重なった家具の中から腕が1本突き出ていた。

 指先に火を踊らせる手がぶんぶんと揺れてシキを呼ぶ。

 

 

「……抜け出せない」

「……悪い、強く投げすぎた」

 

 

 椅子やテーブルをどけてミナトを引き起こす。

 西がこれなら東も同じかもしれない。レーダーとマップで現在位置と進行方向を確認し、2人は西ストリートを出た。

 



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  氷海 力 虚ろの瞳②

最奥に突入するまで。
台場のダンジョンきれいなんですがビジュアルワークスの解説読んで他と変わらずのエグさにうげっとなりました。マネキンのくだりですね。
帝竜戦は次回になります。



 

 

 

 このダンジョンは、日本の冬よりずっと寒い。

 ほとんどの生命は死に絶えてしまうであろう極寒。昔は防寒具に包んだ身を震わせ、厳しい寒気を刺すような冷たさなんて表現していた気がする。

 

 

(……どうでもいいわね)

 

 

 ナツメの頭の中で、思考は泡のように跡形もなく消えた。

 

 寒いとか暑いとか、そんなことどうでもいい。

 今の自分はそんな次元で生きていない。この姿で柔肌をさらしていたって、冷たい空気はふわりと自分をなでて消えていくだけだ。

 

 背後に控えるフリーズドラゴンが、グフゥッと霜混じりの息を吐き出す。2人の侵入者と雑魚竜たちが繰り広げる命のやりとりにあてられて興奮しているのかもしれない。

 知能の低いドラゴンが考えていることなんて知る由もないが、ガチガチと牙を噛み合わせる仕草は、腹が減ったという催促にも見える。

 

 

「待ってちょうだい。もう少しよ」

(食べられるのはあなたのほうでしょうけどね)

 

 

 適当に言い聞かせ、胸中でそっと付け加えた。

 

 遠くで足音が響いている。力強く踏みしめる音と、その後に静かに続く音。

 2つはあちこちに移動し、たびたび止まり、たまに戦う音を交えて、着実にこっちに近付いてくる。

 それがかわいらしくも滑稽にも思えて、ナツメはわずかに笑った。

 やはり人間は不便だ。たった2本の、片方がなくなれば無様に這うことしかできない脆い足で、小さな世界をアリのように行き来するのみ。時間や労力を多大に消費したとて、つかめるのは半径数十センチの両腕に収まる程度の何かでしかない。

 

 竜を狩る者、13班。

 大それた肩書きだが、いずれ彼女たちもさらに大きな力に……世を破滅に導く自分に屈する。唯一救いがあるとすれば、彼女たちにも資格があるということ。

 涙ぐましく哀れな努力で竜を狩り続け、自分と同じ領域に辿りつくか、あるいは。

 

 考えているうちに、足音がここ東ストリートに入ってくる。

 床を満たす水がみるみる凍って道となる。俯けていた顔を上げれば、わずかに息を切らした2人がこちらに歩いてきた。

 西ストリートのときよりも近く、しかし警戒心をむき出しにするシキとミナトを歓迎して腕を広げる。

 可能性を持つ彼女たちのことだ。自分の言葉に感じることの1つや2つだってあるだろう。

 

 

「……私、ずっと不思議に思っていたの。この星のヒエラルキーの頂点に立っているはずの人間がどうしてこんなにも脆弱なのか……って」

 

 

 ドラゴンと相対して疑念はより顕著になった。

 人間は弱い。地球が生まれ、人間の祖先が生まれたときから決まっていた、覆せない事実。

 長くなるとて寿命は100年ほど。たったそれだけの時間で、成人すればどれだけあがいても老いるだけの肉の体で何ができるというのか。

「可能性」なんてものは存在しない。夢も希望も、その非力さをごまかすための偶像だ。この種族にとっては何もかもが蜃気楼に等しい。

 

 

「弱く、愚かで、醜い生き物……自分がそれであることが、私は許せなかった。だけど、竜という存在を知ってその研究に没頭するうち、答えを得たのよ」

 

 

 複雑な計算も実験もいらなかったように思う。その存在を知り、地の底からわきあがるような、宇宙の果てに至るような激情に身震いした時点で答えは出ていたのだ。

 

 

「とっても単純なことなのね。人間は最上位の存在じゃない」

 

 

 現に数ヶ月前、桜が舞っていたあの春の日。地球は秒で赤い毒花に埋め尽くされた。

 あがいている者たちもいるが、それもどうせすぐに終わる。人間はより上の存在を咲かせるための土壌となって消える。初めから、頂点になどいなかった。

 

 

「その上には神がいるの。竜の姿をした、創造主が……! そして私は竜になり、その、最高の力を得たのよ」

 

 

 今まで竜と死闘を繰り返してきた2人ならわかるだろう。特に、ムラクモで生まれ、ムラクモで育ち、自分が手を引いてきた少女なら。

 

 確信を持って視線を交わす。

 けれど、目の前の2人は黙ったまま。

 

 しばらくして、シキがぽつりと口を開いた。

 

 

「なんでそんなに力が欲しい?」

「……なぁに、どういうこと?」

 

「あんたにとって力は、それほど価値があるってこと?」

 

 

 一瞬、体を巡る血が止まった気がした。

 

 

「何を言っているのかしら」

 

 

 問うてみるも、シキは言ったとおりの意味だというように腕を組んで立っている。

 

 

「愚問ね……力は可能性よ。全てを成す可能性。誰も、私を侵すことはできない。私の可能性を汚すことはできない。宇宙で唯一の、絶対的なもの……。それを求めることの意味がわからないのであれば……あなたたちは、本物の愚か者だわ……」

 

 

 ここまで来て何を言っているのか。

 彼女は飛鳥馬 式だ。母胎から出る前から研究者だった彼女の両親に手を加えられ、生まれてからの十数年は自分が手を加えて戦うことを、小さな体に、本能に隙間なく刻み込んできたのに。

 

 

「力があれば全てが思い通りになる。邪魔なものはその手で消せる。何が来ようが意思のまま、全ての頂点に永遠に立っていられるの。シキ、シバさん。その力で今まで生きてきたあなたたちならわかるでしょう? がっかりさせないでちょうだい。私はあなたたちに、少し期待しているのだから……」

 

 

 竜の高みに至る。自分以外にいるとすれば、この2人だろうと思っていたのに。ともすると、今も自分たちを見ているであろう「あの存在」さえ凌駕できるかもしれないのに。

 よりによってシキが、誰よりも強い彼女がそんな質問をする意図は?

 

 ……きっと彼女は人間で、自身の力に実感が湧いてないから質問したのだ。そしてそれが理解できないのは、自分が神だからだろう。きっとそのはず。

 場合によっては、また教えてやらなければなるまい。

 

 手のかかる子ねとため息をついて、ナツメは消えた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 西ストリートにいたのと同じフリーズドラゴンを倒すと、またダンジョンの中が暖かくなった。

 何か変わっただろうかと中央広場に戻ってみる。通路の水かさが増しているのと同時に、道を塞いでいた氷塊が完全に溶けてなくなっていた。

 

 

「やった! これで帝竜のところに進めるね。もうあちこち走り回らなくていいんだ!」

「ダンジョンに入って何時間経った? けっこうややこしかったわね。……いつまで抱きついてんのよ」

 

 

 ミナトは思わずシキに飛びつく。いつもなら秒で剥がされるのだが、くっついているほうが温いからか彼女は抱きつかれるがままだ。

 どこまで許されるかなと頭をなでて頬を挟むと、「調子に乗るな」と手刀を頂戴した。

 

 

『おい……13班……』

 

 

 障害が取り除かれて活動しやすくなり、浮かれる空気の中、通信機から少年の声が聞こえる。

 

 

「ん? ミロク、どうしたの?」

 

『おまえたち、総長の言ったこと……どう思った?』

 

 

 このダンジョンのように、すっかり温度をなくしたミロクの言葉を聞いて、気まずい沈黙が訪れる。

 多少の語弊はあるが、ナツメはミロクたちの親代わりだ。生まれてからつい先日まで、家名でもある暈のように頭上に君臨し、陣頭指揮を執っていた、人の上に立っていることがあたりまえだったのだろう。

 そんな創造主が、誰よりも苛烈で、利己的で、血の雨を降らせるようなことすら是とする本性をさらしたのだ。幼いナビたちが受けた衝撃は計り知れない。

 

 不意にシキがこっちを向いた。そういえばあんた喋ってないわね、というように。

 

 

「……私?」

 

 

 自分を指すと無言で頷かれた。

 シキもナビたちと同じ立場であるはずだが、表情はいつも通りで、特に何かを感じているというようには見えない。ナツメの件については既に結論が出ているのだろうか。

 

 対して、自分は。

 

 ナツメの言葉に思うことはある。けれど、上手く表現できるかどうか。

 頭の中でパズルのピースを集めながら、なんとか考えを言語化してみる。

 

 

「えっと、ナツメさんの言ったこと……真実は突いているのかもしれない」

 

 

 えっ、とミロクが通信機の向こうで息を呑む。

 

 

『おまえは、そう思うんだ。オレにはよくわかんないよ……』

「ま、待って、聞いて。納得はできるけど、肯定しきってるわけじゃないよ。……『力は可能性』っていうのはわかるんだ。生きていく上で、力は欠かせない。私は今まで、自分の超能力とシキちゃんたちの助けで、何回も命拾いしたから」

 

 

 手のひらの上に火を生み出す。

 ムラクモ試験のあの日を思い出す。無数のドラゴンが舞い降りる中、自分を死の崖っぷちから生の明るみに引っ張り出したのは、間違いなく「力」だった。もし自分が何の力も持たない一般人だったら、あっけなくあの世行きだったはずだ。

 今までだってそう。生きられてよかった、力があってよかったと思ったのは一度や二度じゃない。ひどく粉々にされてしまった世界で、自分を守るための盾であり矛となっているのは、ドラゴンとも対峙できる異能力だ。

 

 

「まず超能力がなかったら、私はあの日東京にいなかった。シキちゃんともミロクともミイナとも、キリノさんとも会わなかった。なんていうか……おおげさだけど、運命みたいなものだよね、もう」

『運命?』

「うん。シキちゃんが強かったから、私がサイキックだったから、私たちは都庁で出会ったんだと思ってる」

 

 

 火を握りしめて消し、再び手をかざす。

 

 

「私の考えを言うとね、……力は必要。シキちゃんの拳も力。私の超能力も力。ミロクやミイナの心強いナビも力。キリノさんの研究に対する熱意とか才能だってそう。実際に私たちは力を振るって生きてきたわけだし」

 

 

 でも、それとは別に、

 

 

「力をどう使うか、力を以て何をするかは、ナツメさんが出した答えとは違う。あの人がしてるのは、自己満足のための大量虐殺だよ。私は、そこは認めない」

 

 

 弱肉強食の生存競争のためなら力を振るうのは摂理だろう。そうしないと生きていけないのなら。

 でも、ナツメは違う。彼女が生み出したものは何だ。死体の山、怨嗟の渦、掬い切れない涙と絶望じゃないか。

 

 

「力は殺人の免罪符じゃない。強いことは、一方的に命を奪っていい理由にならない。……私の答えは絶対正しい、なんて言えないけど……あの人のしてることを、正解だなんて言わせない」

 

「……ふーん」

 

 

 少しおもしろがるような声が聞こえて横を向く。

 シキが腰に手を当て、とんでもなく珍しい微笑を浮かべていた。どきりとして体温が上がる。同時にちょっとからかわれているような気もして、首を傾げた。

 

 

「な、なに?」

「地下シェルターにいたときはあんなにビビッてたのに。ずいぶん頼もしくなったわよね、あんた」

「そりゃあ、化け物だらけの世界で命張って戦ってたら、ちょっとはメンタルも強くなるよ」

「それもそうね。……ミロク、ナツメが言ったことの話については、私もミナトと同意見よ。私たちは力を使う。でもそれで為すことはあの女とは違う。あいつがなんて言おうが賛同したりしない」

「うん、だから安心して」

『そっか……そうだよな……。オレ、総長の話聞いてたら……なんかすごく腹が立ってきたのと、あと、ちょっと悲しくなった。総長は、なんであんなこと考えるようになったんだろうって……』

 

 

「なんで」、か。それこそ答えようがない。

 ナツメが何よりも「力」に傾倒していたのは、たぶんずっと前。それこそ、自分たちと出会う前からだったんだろう。人間にとって欠かせない食事や睡眠と同じで、彼女にとってはごく当たり前で最も重要なものだった。だからもう、その妄執が染みついて離れない。

 

 

『どんなに強い力を持っても、それだけじゃ、悲しいし、寂しいよな。総長はああやって、神になるって……宇宙にひとりきりでいるつもりなのかな』

「宇宙にひとりきり……」

『うん。なんかそれが……さ』

 

『ふー、疲れた! 脳を使うと、糖質が足りなくなるねえ!』

 

 

 不意に陽気な声が飛び込んでくる。キリノの声だ。沈んでいた空気がぱちんと弾けた気がして3人は面食らう。

 

 

『ミロク、君のチョコを貰っていいかな?』

『キリノ!? い、今はダメだ! こっち来んな!』

『ん? 13班のミッション中か。よし、僕からも一言──』

『ダメだったらダメだーっ! チョコならやるから、あっち行けっ!』

『え、ええっ……!? なにそれ……』

 

「え、あ、ちょっとミロク──」

 

 

 プツン。

 

 

「……通信切れちゃった」

「何やってんのよあいつら。四ツ谷でも似たようなことなかった?」

 

 

 顔を見合わせる。さっきまで立ち込めていた嫌悪や不安のガスが抜け、やれやれと苦笑した。呆れたけれどリラックスできたのでよしとしよう。

 

 中央広場を抜けて奥に進む。コロッセオのような円形の噴水広場は屋根がなく、屋内に沈殿していた冷たさが少し抜けた気がした。

 異界化の影響か、仰ぎ見る空は妖しい色に染まって見える。唯一、広場の中央にある噴水だけが、本来の空を記憶しているように青い水を流していた。

 

 

「……ねえ、あれ」

 

 

 シキの袖を引っ張って辺りを見回す。広場のところどころで氷漬けになっている、やけにリアルなマネキンが気になったのだ。

 人形にしては生々しいそれを数秒見つめ、シキは静かに通信機に呼びかける。

 

 

「……ミロク、生体反応は?」

『え? いや、もう人間の生体反応はないけど。要救助者も全員……って、おい、それ、まさか』

 

 

 震える声に返事はせず、人形に見えるそれに近付く。

 よく観察すると、マネキンの表面にはほくろや傷がある。丸く見開かれた目はどこかを見つめ、顔全体が恐怖を露わにしたまま、時間が止められたように固まっていた。

 活気でにぎわうショッピングモールに、雰囲気を削ぐようなマネキンなど飾るわけがない。氷の中に閉じ込められている体も、感情も、作り物ではない。

 

 

「ここにいるの、全部」

「……マネキンなんかじゃない」

 

 

 そして生体反応がないということは。

 

 ミナトが口もとに手を当ててうつむいた。

 

 

「……ひどい」

 

「そんなの、どうでもいいじゃない」

 

 

 血の通わない冷たい声音に振り向く。噴水の前にナツメが立っていた。

 

 

「よく、ここまで来たわね。さすがは13班……いえ『狩る者』かしら」

「なに、今度はあんたが相手になるってこと?」

「いいえ。……この先に、最後の帝竜がいるわ。絶対零度の力を持つ、氷の王。それを打ち倒せば、あなたたちは、私と同じ──最後のキーを手に入れる」

 

『ドラゴン……クロニクル……』

 

「あら。もうそこまでたどり着いていたの」

 

 

 ミロクの呟きにナツメの眉がわずかに持ち上がる。彼女は再会してから初めて人間らしい表情を見せた。

 

 

「キリノも思ったよりバカじゃないみたいね……さあ、竜の力は目の前よ。あなたたちは、何を望み……何を選ぶのかしら。答えを……楽しみにしているわ」

 

 

 言うだけ言って、ナツメは背を向けて消える。

 しばらくすると凝り固まっていた空気が和らぐ。ミロクに確認してもらうと、ナツメの反応はダンジョンから完全に消え去っていた。

 

 

「結局、あの人は何を……」

「なんでもいいわ。どうせやることは変わらないから」

 

 

 わかりやすくシキが両手のナックルをガツンとぶつける。

 そうだ、やることは変わらない。今は目前に迫っている標的に集中しなければ。

 頬を叩いて気合いを入れる。いつ氷に閉じこめられて命を落としたかも知れない人々に手を合わせ、さらに奥へ進んだ。

 

 最奥は本来なら突き当りだが、壁には穴が開き、それを囲むように水晶のような氷柱が生えていた。

 視線を交わして頷きあい、2人は物々しい玄関を潜って中へ入る。

 瞬間、肌を切り刻むような冷気に体が悲鳴を上げた。

 

 

「っ、寒……」

「うわ、段違いだね、大丈夫?」

 

 

 念入りにヒートボディをかけ直すが、それでも寒さは緩和できない。

 ミナトはシキに身を寄せ、火球を生み出して周囲に浮かべる。火は冷気に不安定に揺れながら、氷窟となっている最深部を照らし出した。

 分厚い氷の部屋はほとんど光を通さず薄暗い。天井にはマンホール程度の穴が空いていて、青く染まった光がほのかに射し込んできていた。地面を覆う柔らかい霜が照らされ、慎ましやかにきらめいている。

 

 幻想的な光景に心が引き抜かれそうになったところで、突風が吹き荒れた。

 

 

「っ!」

 

 

 火が揉まれて熱と光が消えてしまう。代わりに現れたのは視覚情報に表示される帝竜反応だ。

 

 

「きた……!」

『東京湾を凍らせた、氷の王か』

「今度はドラゴンらしいドラゴンね」

 

 

 4足歩行に、先端が美しい穂先になった長い尾。背骨とあばらをなぞるような氷の甲殻に、同じく氷でできた翼の膜が光を反射してステンドグラスのように輝く。

 変り種の形だった帝竜たちと違い、典型的なドラゴンの姿。青い体躯と対照的に3本爪や長い角はオレンジで、寒色の体と暖色の部位のコントラストが美しい帝竜だった。

 血のように鮮烈な赤い目がこっちを睨んでいなければ、のんびり鑑賞できただろうに。

 

 

「やる気満々ね。お友だちが6匹狩られてご立腹?」

「こいつに氷は効かないよね。弱点はたぶん火だろうけど、大丈夫かな」

 

 

 ダンジョンに入ってからの数時間、さんざん寒さになぶられて体の芯まで極寒が刻まれている。火の扱いには慣れてきたといえど、この氷雪を溶かすことができるかどうか。

 かじかむ手を開閉すると、「大丈夫だ」とミロクの声が背中を押す。

 

 

『「アレ」はおまえたちより格下……それが、オレの分析結果だ』

 

 

 殺気立つ帝竜を見てナビは自信満々に宣言する。

 負ける気はないが弱い相手でもないだろうに、言ってくれる。

 同調して笑えば、体がほんの少し温まった気がした。

 

 逆サ都庁、天球儀、常夜の丘、灼熱砂房、繫花樹海、地下道、そしてここ、拾三号氷海。

 異界を巡って帝竜と戦うのもこれで一区切りだ。さらに先に待つ暗雲を祓うため、この美しいドラゴンも狩らせてもらおう。

 

 

『──さあ、最後の帝竜討伐……始めるぞ!』

「了解!」

 

 

 声を重ねて身構える。

 最後の帝竜ゼロ=ブルーは吹雪を呼び起こし、轟雷のような雄叫びを響かせた。

 



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33.最後の帝竜 - VS ゼロ=ブルー -

雑魚ドラゴンはわりとあっさり倒してるので、帝竜戦は死にかけることを意識して書いてます。充分にレベル上げして安全に戦うのもいいんですが、ギリギリの戦闘の方が燃えるので。
トリニトロとスリーピーホロウとザ・スカヴァーは比較的余裕で終わらせたので、最後の帝竜ということもあっててごわい感じを書けたらなと思いました。
読んでハラハラしてもらえたら嬉しいです。



 

 

 

 薄青と白、赤と橙が乱舞する。

 2つの流れが生き物のように高速で飛んで絡み合い、後を追うように宙で軌跡が光った。

 マジックショーみたいだなと思いつつ、飛び交う熱気と冷気をくぐって帝竜に接近する。

 

 

「──せぇっ!!」

 

 

 スパイクで氷の地面を踏みしめ、正面から右フックを見舞う。

 横っ面を殴られてよろめいたゼロ=ブルーは、振り向き様に氷雪を吐き出してきた。雑魚ドラゴンとは比べ物にならないブレスに吹き飛ばされないよう体を屈める。

 

 

「寒……、っ!?」

 

 

 ヒートボディの助けもあって耐え切れたが、視界が晴れた瞬間に圧倒的な衝撃に殴り飛ばされる。広くない氷の部屋では受け身を取る余裕もなく、そのまま壁に突っ込んだ。

 

 

「シキちゃん!! 大丈夫!?」

「……頭は庇った」

 

 

 ガラガラと崩れる冷たい瓦礫から這い出る。自分をかっ飛ばしたのはゼロ=ブルーの長く太い尾だった。

 帝竜はさっきのお返しだというように荒い鼻息を吹かす。それだけでも姿が霞むくらいの冷気が生まれるのだから笑えない。さっさと攻略しないと自分たちも外にいた人々のように氷漬けになってしまう。

 

 

『シキ、大丈夫か? 相手は氷を鎧みたいにして体を覆ってるし、国分寺のトリニトロみたいにダンジョンの環境を最大限利用してる。ちょっとやそっとじゃ崩れないぞ』

「弱点は?」

『予想通り火だ。ミナトが頑張ってるけど……現状じゃ吹雪を防ぐので手一杯、て感じだな』

 

 

 氷の間の天井付近は変わらず冷気と熱気が互いを食い潰している。ミナトが火を噴出させて奮戦してはいるが、帝竜の息吹も負けていない。

 相殺してくれるだけでも充分だが、それ以上は期待できない。盾役と矛役に分かれて対処しなければ。

 

 メディスを飲んで立ち上がる。

 

 

「ミナト、下がって!」

「はい!」

 

 

 待ってましたと言わんばかりに最前線から脱けるミナトと入れ替わる。炎が止まるのを見逃さず、ゼロ=ブルーはより激しいブレスを仕掛けてきた。

 二度もまともにくらってたまるか。国分寺のときと同じように拳で薙ぎ払う。腕を覆った氷は、ミナトがかけ直してくれたヒートボディが溶かしてくれた。

 

 

『こいつは四足歩行で足が短い。地下道にいたグラナロドンみたいに、攻撃に使う部位は牙と尾だけの可能性が高いな』

「相手の足は気にしなくていいってこと?」

『ああ、万が一のサポートはミナトに任せとけ』

「うん、火が熱いかもしれないけど、シキちゃんは思いっきり殴っちゃっていいからね!」

「そこまで言うなら……頼んだわよ!」

 

 

 頼もしい言葉に背を押されて駆け出す。

 

 

「はっ!」

 

 

 さっきと同じように拳を入れればゼロ=ブルーも応戦する。ミナトの炎でブリザードをやり過ごしながら巨体にしがみつき、無理やり肉弾戦に持ち込んだ。

 氷に保護されていない部分を狙ってひたすら殴り、蹴りつける。その横から冷気が殺到し、火の壁が割り込んで蒸発、熱い水蒸気に頬が舐められてひりひり痛んだ。

 

 

(熱いし寒いし……なかなか楽じゃないわね!)

 

 

 極端な熱さと冷たさに体がさらされて脂汗が滲み出る。

 もうちょっと気遣ってほしいがわがままは言っていられない。帝竜に肉薄している状態で、火や氷が直接当たらないだけでもありがたいのだ。

 が、いつまでもこの状況では体の感覚が狂いかねない。ダンジョンの環境からしてそもそも長居はできないし、決定打を叩きこまねば追い込まれていくだけだ。

 

 冷汗をかいた矢先、ゼロ=ブルーが雄叫びを上げる。吹雪がさらに勢いを増し、空間が洗濯機のようにかき混ぜられて立つことも難しくなった。

 

 

「これ以上強くなるの……!?」

『おいシキ! 足もと凍ってる!』

「は!?」

 

 

 ミロクに言われて足を見下ろす。両足が足首まで氷に覆われ地面と連結していた。

 下手に身動きを取れば体をさらわれかねないのに、常に動いていないと拘束されてしまう。なんて厄介な。

 吹雪の中、なんとか引きはがそうと足に力を入れた途端、今度は背後で悲鳴が上がった。

 

 

「わああシキちゃん避けてー!!」

「は──!?」

 

 

 振り向くのと同時に視界いっぱいにミナトの胴体が映った。

 と思った瞬間衝突して、2人まとめて体勢を崩す。

 

 

「ごめん、吹雪で飛ばされて……」

 

 

 ミナトが言いかけたところで影が落ちる。

 真上にずらりと並んだ牙が見えて、背筋を冷たい物がなでた気がした。

 

 

「上!」

「え」

 

 

 状況を把握したミナトは逃げようとして、ほんの一瞬、身動きがとれないシキを見て固まった。

 

 

「バカ、こっちはいいから避けろ!!」

 

 

 帝竜の大口が閉じられる。

 美しさすら感じるほど鋭利な牙が2人を喰らい、脇腹が貫かれる感触が体に響いた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 眠い。

 なんでだろう、ものすごく眠い。果てしなく眠い。ちょっと汚い言葉を使わせてもらうとクソ眠い。

 ほぼ眠っている状態にあるけれど、自分自身の意識でそれを自覚しているという、明晰夢のような状態。

 今はいつで、ここはどこで、自分は何をしているんだろう。

 五感があいまいだ。体は外からの刺激を受け取っているものの、それを情報として処理することができていない。意識を覚醒させようにも指1本も動かない。

 

 

(なんだっけ、前にも、)

 

 

 こんなことがあったような、と意識が過去に飛ぶ。

 

 そうだ、思い出した。

 10年以上も前のこと。夜更かしにはまだ縁遠い小学生だった、ある日の夜中。

 眠いけど寝たくない、寝てるうちに何が起きるかわからないのが怖くて、舌や唇に歯を立てて起きていたときがあった。

 

 

「ミナト、眠りなさい」

 

 

 お母さんの声が聞こえる。

 3日以上まともに寝ず、病院に引きずっていかれて麻酔を打たれ、それでも目を閉じようとしなかったから、涙がらに怒られた。

 

 

「このままじゃダメなの。横になって」

 

 

 やだと言ったけど、喉が渇いて声もまともに出せなかった気がする。

 

 

「寝たら……手から火が出て、燃えるかもしれない……そのせいで、おとうさん……」

 

 

 死に物狂いで言葉をこぼすと医者は困惑の目を向けてきて、お母さんはとうとう涙をこぼしてしまった。あなたのせいじゃないって言ってるでしょと声を震わせながら。

 

 

「まだ、ちゃんと使えない……寝たら、寝ぼけて、火が……」

 

 

 2人だけで引っ越した日から、お母さんに謝罪したあの日から、自分の体に備わる力をちゃんとコントロールできるようになるまで気を抜かないと決めた。

 日中は何かあっても対処できる。でも夜は、意識が完全に沈んでいる間は、何もできない。だから眠っちゃダメだ。

 力に対して嫌悪感はなかった。子どもの自分は単純で、本来人間にはない力を持っていることで得意になっていた。

「かっこいい」。指の先に炎を灯して、純粋にそう思っていた。

 

 でも、それを扱いきれなければ意味がない。もしかしたら、両親の離婚のきっかけとなったあの火事で──あの日は一度も火を出していなかったし、真犯人が捕まったと聞いたけど──それでも、自分が関係しているんじゃないかと思ってしまう瞬間があった。

 

 

「『やり直したい』?」

 

 

 後に父親だった人から来た連絡に、母は見たことがないくらい激怒していた。

 

 

「ふざけないで! 火事が起きたとき傍にいたくせに、何の根拠もなく、真っ先にあの子を疑ったのは誰? あのとき、あの子をどこに連れていこうとしてたの!?」

 

 

 母は竹を割ったような強い女性だったから、少しでも彼の面影がある物は全て断捨離してしまった。彼女はきっぱり父と別れたし、自分も、彼についての思い出や情はほとんど薄れてしまっている。

 けれど、それでも。この火は、愛し合って子どもまで生んだ夫婦の仲を一瞬で灰にしてしまった。

 服の裾にでも軽く点ければ、みるみる全身に広がって人を殺してしまう。そういう能力を自分は持っている。何かが起きてからじゃ遅いのだ。

 

 

(私のせいなのは、ほんとのこと)

 

 

 だから決意した。この能力を、ちゃんとコントロールできるようになろう。暴発しないように、体の中に仕舞っておけるようにしよう。

 悪いことはしていないのに、後ろめたさは感じたくない。周りに拒絶されても、自分は、この力と自身を「あってはならないもの」だと否定したくなかった。

 超能力が自分の体から消えてくれることはない。だったら、完全に自分の意識下に置くしかない。

 

 

「お母さんに、迷惑かけたくない」

 

 

 麻酔に負けて意識が落ちる寸前、たどたどしい語彙で伝えると、母は優しく頭をなでてくれる。そして手を握ってくれた。

 

 

「なら、2人で頑張るの。ミナトは悪者じゃなくて、いい子だってみんなに伝わって、大切な人に受け入れてもらえるように」

 

 

 ああ、そうだ。そんなことを言っていたなぁ。

 間違いなく凶器と言える力を、ちょっと変わった特技程度に扱ってくれた。

 肝が太くて行動力があって、いつでも前を向いている。真っ直ぐな人だった。

 父親に似たのか、優柔不断な自分。その最初で最大の理解者で、あたりまえに親であってくれた母に強く憧れた。

 

 

(お母さん)

 

 

 お母さん、世界は今めちゃくちゃです。ばたばた人が死んでいきます。

 戦車の大砲も通じない、車を丸飲みしてしまうような化け物相手に、なぜか私は命がけで戦っています。

 

 ねえ、今どこにいるの?

 

 卒業しても遊ぼうって約束した友だちも、受験でお世話になった先生も、みんな見つからない。

 建物も空の色も、全てが崩れていく。私の知っている物がどんどんどんどん消えていく。

 またあのときみたいに、何が何だかわからないまま別れちゃうの? そんなの嫌だ。

 寂しいし、不安だし、胸がずきずき痛い。でも、すごく眠い。

 

 心を読んだように、母は「大丈夫」と呼びかけてきた。

 

 

「大丈夫だから、起きなさい」

「? さっきまで寝ろって言ってたのに……?」

「違う。今は起きなきゃダメ。起きろ」

「?? ちょっと待って、何か言葉遣い乱暴になってない……?」

「起きなさいよ、起きろ」

「お、お母さん?」

 

「誰がお母さんだ! 起きろ!」

 

 

「──起きろ、ミナト!!!」

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

 

「ミナト!!」

 

 

 温かいベッドの上から、極寒の空気の中に引き戻される。

 シキが体を抱き上げ、顔を覗き込んできていた。

 

 

「……シキちゃん」

「やっと起きた……! ミロク!」

『バイタルチェックならもうやってる! ……少し血が流れすぎてるな。ミナト、今は自分の治療に専念した方がいい』

「なら、その間は私がってことね」

 

 

 氷の壁のくぼみに自分を納め、シキは躊躇なく駆け出していく。

 大きく振りかぶった拳と帝竜ゼロ=ブルーの牙が衝突し、硬質な音が轟いた。

 

 

「ミロク、今、どういう状況……」

『おまえたち、2人まとめてゼロ=ブルーに食べられそうになったんだよ。シキはまあ、さっさと止血して戦ってるけど、おまえはちょっとヤバい。早く怪我を治療しないと』

「怪我?」

 

 

 自分の体を見下ろす。五体満足で、指1本も欠損してはいない。

 しかし、胸や腹に噛まれたような跡がある。しかも犬猫ではなく大きな帝竜の歯形だ。

 デコイミラーはブリザードで少しずつ削られていたから、完全な盾にはならなかったらしい。噛み跡は深くないがクレーターのように広く、装備が赤く染まっている。

 

 

「うわ……っ」

 

 

 裂けた皮膚が寒気にさらされる。露わになった血肉を空気がなめて、体温がごっそり奪われていく。

 静かに血が流れ続けているのを見て、薄ぼんやりとしていた痛みが鮮烈なものに変わった。

 

 

「い、っ……だ、ぁ」

『おいミナト! 大丈夫か!?』

「大、丈夫……じゃない……」

 

 

 体を縮め、痛みに耐えてキュアを使う。生理的な涙がこぼれ、氷の地面の上で凸レンズのように固まった。

 シキも体の同じ位置に傷を負っているのに、止血しただけで戦いに戻ることができているのには脱帽する。デストロイヤーはサイキックの自分よりもずっと頑丈だろうが、それにしたってタフネスすぎる。

 

 

『あの帝竜の牙、催眠効果があるみたいだ。意識の方は大丈夫か?』

「ん、リカヴァかけたから、なんとか……」

 

 

 大急ぎで傷口を塞いで応急処置をする。すっかり味に慣れてしまった薬を飲んで体の回復を促し、傍に火を浮かせて赤く濡れた体を乾かした。

 寒い。痛い。眠くて辛い。こんな状態でこんな場所にこれ以上いるのは無理だ。

 

 

(早く帰ってお風呂入って……いや、傷の手当てしなきゃ。手当してお風呂入ってご飯食べて……寝たい)

 

 

 したいことをとにかく思い浮かべていく。そうして生まれた欲求が、思考を奪う痛みを押し始めた。

 生きるための本能と欲、満たすには目の前の帝竜を倒すしかない。

 

 

「っつー……」

 

 

 自分が戦いから離脱していることで、ゼロ=ブルーはシキだけに的を絞って猛威をふるっている。少女は八方から集中する攻撃に、両手両足を駆使して対処していた。

 今はまだ大丈夫。けれどそのうち限界がきて冷気に捕まってしまうかもしれない。自分だっていくら炎を出しても消された。というかゼロ=ブルーが起こすブリザードを相殺するだけで精一杯だった。

 

 

(今までは勢いで攻めれば倒せてきたのに。あとどれだけ火力を上げれば……いや、)

 

 

 シキが拳で急所を突き、自分が属性攻撃で包囲射撃。それがいつもの戦い方。けれどそれじゃダメだ。

 血が抜けたことで思考のまとまらなかった頭が冴えた気がする。

 分散して突破できないなら、一点に集中させればどうか。

 そのためにはまず……。

 

 

「シキちゃん、下がって……!」

 

 

 シキが素早く跳び退ってくる。追撃を加えようとゼロ=ブルーがブレスを吐き出した。

 こっちも冷気を操ってブレスの軌道を逸らす。互いの技が絡んで飛び散った。すぐ横でガキキキンッと音が連続し、鋭い氷塊が並び立つ。

 

 

「下がってって、何か案でもあるの!?」

「この膠着状態を続けても勝てない、やり方を変えよう! 寒いけど我慢して!」

 



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  最後の帝竜 - VS ゼロ=ブルー -②

都庁に帰還するまで。
6章と同じくサブクエや奥義関係の話でもうちょい7章は続きます!



 

 

 

 もう一度、自分たちに念入りにヒートボディをかける。

 ミナトはシキを背後に庇い、火ではなく氷でゼロ=ブルーの攻撃に対応し始めた。

 熱さと寒さが入り乱れていた空間は吹雪が吹き荒ぶだけになり、視界が真っ白に染まっていく。

 ゼロ=ブルーは戦い方を変えない。むしろ自分のフィールドで、自分の武器である氷を敵が扱ったことに興奮しているように見えた。

 帝竜が吠え、吹雪がより激しさを増す。

 

 

「っゔ……!」

 

 

 身を砕くような風圧。崩れ始める熱の鎧。息を吸おうとすれば口内の水分が凍って喉の感覚を殺していく。

 何度も使って慣れてきたはずの冷気なのに、体中の感触が削げ落とされていく。

 耐えろ。絶対に目を閉じるな。ほんの少しでも力を抜けば、そこで氷の人形になって終わる。

 動け。動け動け動け動け。

 

 

「──動、けっ!!」

 

 

 血管が縮んで固まっている腕を振り抜く。それに従い、自分が操る冷気も勢いを増した。

 相手が放つブリザードは、波のように部屋中をなめ尽くして向かってくる。その一方的なベクトルを裂き、持ち上げ、脇に受け流す。

 冷気を溶かすものは何もない。互いが発生させる氷雪は絡み合って固体になる。

 そうしてホールは埋め尽くされ、戦闘を始める前の美しい原形は影も見えなくなっていた。

 

 充分すぎるほどブリザードを浴びせても獲物が倒れないことが気になったのか、不意にゼロ=ブルーが冷気を弱める。

 

 全身から力が抜けてくず折れた。気力を振り絞って前方を指させば、背後でシキが立ち上がる気配がする。

 

 

「……そういうことか、任せろ!」

 

 

「あと寝るな! 死ぬぞ!」と背を引っ叩き、シキは全速力で駆け出した。

 

 シキの動きに気付いたゼロ=ブルーは迎え撃つような構えをとった。四肢を動かして横に回り、もうひとつの武器である尾に遠心力を乗せる。

 尾の先端、二叉の氷の穂先が光る。

 回転した巨大なそれがシキの体を捉える──

 

 ──よりも先に。

 

 ゴガンッ!! と轟音を立てて氷の壁に衝突した。

 

 

「いよっし……!」

 

 

 帝竜は鳩が豆鉄砲を食らったように動きを止める。2人で思わず握り拳を作った。

 吹き荒れるブリザードを、熱気ではなく冷気で周囲に流す。そうすれば閉じた空間で氷雪は重なり固められ、あっという間に周囲の壁や地面は厚みを増した。セロ=ブルーの移動を制限し、全身を伸ばすことも難しくするほど。

 海を凍らせた絶対零度の帝竜が、自分の氷で自分の空間を狭めていたことにも気付かなかったようだ。

 

 

「っらあ!!」

 

 

 シキが気合いと共に剛脚をしならせる。

 デストロイヤーの脚は寸分狂わずゼロ=ブルーの横っ面を捉え、尾同様、頭を氷壁の中に突っ込ませた。

 地震かと錯覚するほどの揺れが空間を震わせる。ミナトがようやく立ち上がったときには、シキは帝竜の頭が抜けないように容赦なく蹴り続けていた。

 

 

「ほら、これがしたかったんでしょ? あとは──って、あんた顔色……ミロク、いやミイナ! 今すぐ風呂番に湯を沸かすよう言ってきて! あといつでも脱出できるように観測班に通達!」

『は、はい!』

『ミナト、しっかりしろ! あともうちょっとだ!』

 

 

 通信機の向こうが騒がしくなる。

 激励になんとか顔を上げると、霞がかかる視界の中、帝竜の首に乗るシキが手をこっちに伸ばしてきていた。

 

 

「ミナト! 来い!」

 

(ああ、)

 

 

 パートナーに、彼女に名前を呼ばれて「来い」と手を差し伸べられちゃ、「行く」以外の選択肢がない。

 体中感覚がなくて、最悪どこかが凍傷を通り越して壊死していても。

 

 

(うん)

 

 

 声を出そうとして、喉も冷たさで固まっていることに気付いた。

 なら行動で応えるしかない。

 

 震える手で瓶の栓を開け、白銀水を口に含む。ついでにチョコバーを呑むように押し込めば、少しだけ体温が戻った気がした。

 軋む間接に鞭打ち、体中にマナを巡らせながら、氷に埋まったホールを進む。

 

 

「うっさい、暴れんな! ミナト、急げ!」

 

 

 尾と頭を引き抜こうと身悶える帝竜に、シキが肘鉄をくらわせる。鋭い一撃にゼロ=ブルーの長い首がくの字に曲がった。

 地面に叩きつけられたその一部に、紫に変色した手が届いた。

 

 正直、これ以上戦えない。呼吸をするだけで全身全霊だ。

 だから一撃で決める。

 

 

(集中)

 

 

 "concentrate"と英名で筆記されていたスキルがある。和訳すると「集中させる」という意味で、1体目のフリーズドラゴンと戦ったときに使った技だ。

 名前の通り時間をかけてマナを練り、集中させ、普通の倍以上の火力を発揮させるサイキックの技術。

 シキが粘ってくれたから準備はできた。

 

 Dz回収用のナイフで、氷の甲殻がはがれた帝竜の首を斬りつける。

 血を流す傷に両手を突っ込み、体の中で渦巻いていたマナを導いた。

 イメージするのは地獄の炎。怒りを体現するように猛る焔。

 放つのは、サイキックの火属性最大の術。

 

 

「──イフリートベーン!!」

 

 

 赤い激流が傷口から帝竜の中へ流れ込む。

 

 ドムッ、と首が跳ねて脈打つ。

 ボゴンッ、と青い表皮が白く膨れ上がる。

 巨体を保護していた氷が溶解する。

 

 体積を倍に増やしたゼロ=ブルーの首が、内側から燃焼して爆発した。

 

 

「あっ」

 

 

 やばい、これ自分も巻き込まれるやつ。

 

 反射的に目を閉じる。けれど痛みも熱さも、返り血に呑まれるような感覚もない。

 思い切り引っ張られて大きな衝撃に揺らされる。目を開けると、眠りから起こされたときのようにパートナーの顔があった。

 

 

「生きてる?」

「……今は」

「よし」

 

 

 シキが咄嗟に自分を抱えて避難してくれたらしい。彼女は血と黒煙を吐く帝竜の死骸を見て鼻をつまんだ。

 

 

「なかなかエグい殺し方したわね」

「だって、これだけ寒い中にいて平気なら皮とか分厚いだろうし、その下にもたっぷり脂肪があるかもしれないから……表面からの攻撃は通じにくいかと思って……体内を攻めた方が」

「なるほど。それだけ舌が回るならすぐには死なないか」

「そんなことない。寒い、死んじゃう」

「はいはい」

 

 

 確か噴水広場付近に、自然発生した脱出ポイントがあったはず。だがもう体が動かない。凍死しないようにしながら、この場で脱出キットが使える程度に回復するべきだろう。

 幸いまだマナはひねり出せるので、手の中に小さく火を灯して暖を確保する。

 シキが上着の前を開けて体を包んでくる。2人羽織のように寄り添いながら待機していると、「おい、13班」とミロクが呼びかけてきた。

 

 

『討伐……終了だ。これで全ての帝竜を倒したことになる』

「やっと7体目か」

「長かった気もするし、あっという間だった気もするね……」

『おまえたちは……すごいよ。でも「狩る者」とか、そういうことじゃない……自分の意思で戦ってるからすごいんだ。ガトウもアオイもリンも……みんな、すごいよ……』

 

 

 しみじみと感じ入るようにミロクは語る。さすがに泣いてはいないだろうが、死を待つしかない地下シェルターから出発して7体の帝竜を討伐したのだ。感動もひとしおだろう。

 

 

『……そうだ。総長のこと、キリノにはナイショだぞ』

「え、なんで?」

「一応、報告ぐらいはしておいたほうがいいんじゃ……」

『うん、上手く言えないんだけどさ』

 

 

 コホン、と気遣うような咳払いの後、ミロクは声量を少し落として優しく続けた。13歳の少年とは思えない、慈愛すら感じさせるような声だった。

 

 

『あいつ……たぶん総長のこと、好きだったと思う。だから、変に考えさせたくないんだ。ただでさえ、悩み多き青年、だからな……』

「そっか。……うん、そうだね」

「さっきチョコねだってたくらいだし、大丈夫な気もするけど。まあ、そう言うなら黙っておくわ」

『ああ。……お疲れ様、13班。最後のサンプルを回収して、帰ろ』

 

 

 そうだ、大事な目的である検体回収を忘れていた。

 2人で固まったままずりずりと移動し、冷えた手で不器用に検体とDzを回収する。続いて残りカスほどのマナと治療薬を使い、なんとか体中の傷を塞ぐ。

 大きなため息を吐くのと同時に氷のダンジョンが光に包まれ、フロワロが光となって弾け散った。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 都庁に避難している一般人は、ムラクモ機関や自衛隊がまとめるフロアには出入り禁止になっている。

 それでも同じ建物の中で生活している以上、対ドラゴン戦線の動きは多少伝わる。人の口には戸が立てられないというように、ぽろりと情報が洩れれば広がるのはあっという間だ。

 ミロクとミイナが司令室でハイタッチをして数分後、都庁は「7体目の帝竜討伐」の話題で持ちきりだった。

 

 

「み、皆さん危ないです、落ち着いて! 階段は落ち着いて降りてください……!」

 

 

 キリノの呼びかけは大勢の歓声にかき消され、喜びに湧いた人々は我先に都庁入り口を目指す。

 しばらくして、13班を乗せた車が自衛隊員に誘導されて入り口前に来た。

 ブレーキがかかる音、ゆっくりと開くドア。何でもない一挙一動にも嬉しそうな声は止まらない。

 黒髪の少女が顔を出した瞬間、どよめきと高揚が大波のように広がった。

 

 

「来たぞ! ムラクモ13班だ!」

「すげぇ……かっこいい……!」

「誰だよ、クマみたいな強面だって言ったの……」

「うちの孫を……もらってくれんかの……」

 

 

 沸き立つ熱気に迎えられ、シキが車から出てくる。

 なぜかナビたちに司令室に入れてもらえず、キリノは13班の様子を確認できていない。けれど帝竜と戦ったのだから、シキもミナトも疲弊しているのは予想できる。

 毛布でぐるぐる巻きにされた何かを担ぐシキに、キリノはおかえりと両腕を広げて進み出た。

 

 

「任務、ご苦労様。ナビたちと廊下で盛り上がってたら、周りの人たちにも聞かれちゃってね。みんな、我も我もと……出迎えに来たってわけさ。賑やかすぎて迷惑したかい? ……、……シキ?」

 

 

 シキは答えない。数秒間を置いて、ひどく血の気の失せた顔が上げられる。

 また数秒して、ようやく彼女は現状に気付いたようだ。今にも閉じそうなまぶたに挟まれた目が、キリノと後ろの人々を行き来する。

 彼女は今までにない迎えに目を丸く……することはなく、

 

 

「浴場おおおーーーっ!!!」

 

 

 血まみれの体で血まみれの何かを担ぎ、都庁の上階に向かって絶叫した。

 あまりのボリュームに空気が揺らいだ。ソニックブーム……というほどではないが、風すら押しのける音波に弾かれ、人々は仰け反る。

 さらに頭上から「おおーっ!」と声が降ってくる。見上げると、大浴場が造られた北13階の窓から、ボイラーのタツジと番台のトミコ、そしてユキ、ナミ、ムサシたち看護士が顔を覗かせていた。

 

 

「お湯!!」

「沸いている! 準備万端だ!」

「薬師さんから薬ももらって薬湯にしといたよ! 服のままでいいから早くお入り!」

「治療の準備!!」

「いつでも平気!」

「なんなら軽い手術もできるぐらいだよ!」

「ミナトちゃんはー!?」

「生きてるけど死ぬ寸前!! 今そっち行く!!」

 

 

 キリノを始め、出迎えに来た人々は置いてきぼりをくらってぽかんと呆ける。

 数秒後、シキが担ぐ毛布巻きが蝋人形のように生気を失ったミナトだと気付いて、ミロクとミイナが悲鳴を上げた。

 

 

「ミナト!? 映像で見るより怪我がひど──」

「話は後! くそっ階段上がる時間も惜しい! あ、キリノこれ検体!」

 

 

 シキは帝竜の検体を放り、一瞬で人々の間を突っ切って都庁の外壁に飛びつく。

 人を担いだまま猛烈なスピードで庁舎をクライミングしていく少女に、1人も反応できずにいた。

 彼女が通った場所に生温かい血が落ちているのを見て、ようやく事態を把握した誰かが叫ぶ。

 

 

「きゃーっ!!? ち、血!!」

「えっ、ちょっと、13班は!?」

「都庁の壁よじ登っていったように見えたんだけど……錯覚?」

 

 

 歓迎の場が修羅場に変わる。

 シキは1分足らずで13階の窓に飛び込んで見えなくなった。クライミング世界記録なのではと思うのと同時にドバッシャーンと風呂にダイブしたであろう音が響く。

 続いて、

 

 

「っっっかゆーーーーーーーーーい!!!」

 

 

 薬湯で解凍されたミナトの悲鳴が都庁に木霊した。

 

 

「霜焼けかゆいーー! お湯沁みるーーっ!!」

「おいこら暴れるな! 全身浸かれ!」

「ミナトちゃん、治療するから動かないで!」

 

 

 内も外も大騒ぎになる中、キリノは隣にいる双子に視線を向ける。2人はシンクロしてついっと顔を逸らした。

 

 

「……ミロク、ミイナ?」

「何だよ」

「何ですか」

「なんで教えてくれなかったんだい!? 彼女たちの様子がわかれば、僕だって何か準備できたかもしれないのに! あのとき司令室に入れてくれれば……やっぱり僕もナビゲートに参加しておくべきだった……!」

「べ、別になんだっていいだろ。おまえの仕事はナビじゃなくて研究なんだから」

「そうです。ここからがキリノの出番。ドラゴンクロニクルの解明までもう少しでしょう?」

「そ、それはそうだけどさ……」

 

 

 自分よりずっと年下の子どもに言い聞かされ、言い返せずに口をとがらせる。

 双子はなぜかそっけない態度で、検体を持つ自分の腕をつついてきた。

 

 

「ぼーっとするなよ。本当の意味ではまだ終わってないんだ」

「13班が命懸けで採取してきた検体です。何かあったら許しません」

「わ、わかったよ、わかった。だからあまり押さないで……」

 

 

 軽くパニックを起こしている人々を自衛隊が宥めている。それを横目に、キリノは両腕の中を見下ろした。

 検体が入っているケースは血や泥で薄汚れている。氷河期のような地帯にいたからか、表面にはわずかに冷たさの名残があった。

 

 

「……これが最後のサンプルか。確かに受け取った」

 

 

 S級の異能力者とはいえ、13班はたった2人の女性。ドラゴンと戦えるとはいえ、彼女たちは力を持っただけの、自分たちと同じ人間。

 そんな2人が体も心も傷を負ってもぎ取ってきてくれた希望だ。無駄になんてするものか。

 

 

「ここから先は……僕の仕事だ、命にかえても解析を完了してみせるよ。それまでの間、ゆっくり休んでくれ」

 

 

 絶対に、絶対に、無駄にはしない。朝と夜がめぐるように、絶望と希望は紙一重。裏返すことができるまであと少しだ。必ず手を届かせてみせる。

 

 頭上からは相変わらず彼女たちの悲鳴が聞こえる。

 

 

「うううううやだ、やだ痛い痛いー!! 死んじゃう、死んじゃうー!」

「死なないっつーの! いいから動くなって、この……!」

 

「ははは……」

 

 

 あそこにもう1人がいたら、「大丈夫です! ほらセンパイ、チョコバーですよ!」なんて場を和ませていただろう。

 

 ……そうだ、ついこの間までいたのだ。彼女たちの傍に、もう1人が。

 

 

「いけないいけない。いつまでもぼーっとしていたら、四ツ谷のときみたいに叱られちゃうな」

 

 

 そういえば今の今まで、身を挺して助けてもらった礼を言えていなかった。

 

 

「……よし、エネルギー補給だ」

 

 

 失礼だったなと反省しつつ、思い切って白衣のポケットに手を突っ込む。つかんで取り出したのは1本のチョコバーだ。

 静かに袋を開封する。途端に甘い香りが鼻をくすぐり、ミロクとミイナがこっちを見上げてきた。

 

 

「あ、それ」

「……待ってキリノ! ミロク、私たちも」

「……ああ、そうだな」

 

 

 ナビの2人も、それぞれポケットやポーチから自身のチョコバーを取り出して一気に封を破る。

 今ここに立っている自分の鼓動は、彼女が繋いでくれたものだ。理不尽な形で止められてなるものか。

 

 

「……ありがとう、13班」

 

「それから、君も」

 

 

「いただきます」と3人合わせて声に出す。

 大口で頬張ったチョコバーがザクリと小気味いい音を立てた。

 




弊世界線は基本技名は口にしませんが、今回みたいな決めどころなら叫ばせても違和感ないかなと思いました。


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34.おいでませ邪神様

ミナトの奥義習得(?)の話。ラスボス前の息抜き会。あとがきに捕捉のような説明のようなものもあり。



 

 

 ──目覚めよ──

 

 

「……ん……?」

 

 

 呼びかけられて目を開ける。しかし視界は真っ暗だった。

 なんだ、まだ夜か。

 目覚ましも鳴っていないし、早く二度寝しよう。

 

 

 ──目覚めよ──

 

「ふわ……。……? 布団が……」

 

 ──目覚めよ──

 

「あ、れ? 布団がない……あれ、ベッドは?」

 

 ──そうだ、ようやく起き…… ──

 

「まあいいや。早く寝ないと睡眠時間が……」

 

 ──寝るな──

 

 

「もう、さっきからだぁれ? シキちゃん?」

 

 

 目覚めよ目覚めよと、さっきから仰々しい口調で嫌がらせをしてくるのは誰だ。

 このままじゃ眠れないから、目を開けて身を起こす。そこでようやく異変に気付いた。

 

 

「……ここどこ?」

 

 

 さっきと同じように周囲は真っ暗。しかし夜の暗さじゃない。夜なら少し時間が経てば目が暗闇に慣れてくるのに、世界はいつまでも真っ黒のまま。何の輪郭も見えなければ、仕切りを超えてすぐそこで眠るシキの気配もない。

 体を潜らせていたはずのベッドは消え、自分は床に転がって……いや、この場合床と言っていいのだろうか。

 冷たくもなければ温かくもない。布よりしっかりしているが、眠れないほど硬くもない地面をぺちぺち叩く。

 

 文字通りの闇の中に、ミナトは1人座っていた。

 

 

 ──そうだ、ようやく目覚めたな──

 

 

「……?」

 

 

 変な声が聞こえる。高音、低音、伸びもしゃがれも含む声。老若男女をまぜこぜにしたような混乱する響きに眉をひそめる。

 何が起きているのだろうか。これはいったい……。

 覚醒しきらない頭をのろのろと回す。時はおそらく真夜中。眠っていた自分は、体を横たえたはずの自室ではない見知らぬ場所に体一つで放り出されている。

 この突飛な状況を説明できるのは……。

 

 

「あ……ああ、夢かぁ」

 

 ──夢ではない──

 

「いつもどうやって目を覚ましてたっけ。確かぐっと目を閉じて……覚めろ! ……あれ、覚めない? 嫌な夢からはいつもこれで目覚めたのに」

 

 ──いやだから──

 

「覚めろ、覚めろ覚めろ~……あ、これジ○リの千○みたい」

 

 ──話を聞けぇ!──

 

「うわっうるさ……!」

 

 

 やけくそになったような声が響いて頭が揺さぶられる。

 耳をふさいで周りを見回すと、フンッと鼻を鳴らすような音が聞こえた。

 

 

 ──ようやく覚醒したか、小娘──

 

「……私?」

 

 ──汝以外に誰がいるというのだ──

 

「だって、小娘って歳じゃない……」

 

 ──我からすればどいつもこいつも小娘よ──

 

「でも、小娘って一般的には14、15歳の若い女の子だって辞書にあったし」

 

 ──どうでもいいわ──

 

 

 言葉通り、心底どうでもよさそうな言葉が返ってきた。

 しつこく呼びかけ人の休眠を妨げながらなんだその態度はと思ったが、怒りは眠気によって消沈していく。

 夢じゃなければ何だというのだろう。一瞬、以前ナツメがしたように催眠にあてられさらわれたのかとも思ったが、ドラゴンやマモノの姿もない。

 顔をこすって目やにを取りながら、とりあえずへんてこりんな声の主に質問してみる。

 

 

「えーっと……どちら様ですか? あと夢じゃないって?」

 

 ──言葉通りの意味よ。これは夢ではない。汝の意思に直接語りかけている──

 

(『こいつ、直接脳内に……!』ってやつかな)

 

 ──それも聞こえているぞ──

 

「わ、嘘」

 

 

 なんなんだ、いったい何が起きている? 一切事態が分からない。何も把握できなければ何も対応のしようがない。

 思わず「怖い」とこぼすと、何も見えないのにすぐ傍で誰かがにたぁっと笑った気がした。

 

 

 ──そうだ、そうだとも。怖かろう。恐ろしかろう。さあ、そのままひれ伏し、我に汝の魂を──

 

「えっ、それはちょっと」

 

 ──えっ──

 

「えっ?」

 

 ──……もう一度言ってやろう。我に汝の魂を──

 

「え、嫌です」

 

 ──え──

 

「え」

 

 ──……え……──

 

 

 しーん、という文字が見えそうなくらいの沈黙に包まれる。

 自分を包む闇が、もどかしそうに蠢いた気がした。

 

 

「……あの、『え』がゲシュタルト崩壊してきたんですけど……」

 

 ──汝が魂を渡せばいい話だ──

 

「それは嫌なんですけど……」

 

 ──ええ……──

 

 

 なんだろう。筋道を立てて話ができない幼児を相手にしているような気分だ。

 幼児というか、今話している相手は自分を「小娘」呼ばわりしていたしたぶん大人だと思うけれど、なんというか常識が通用しない。同じ言葉を話せているのに、見当違いの反応をするものだから互いの意思が噛み合わない。相手からしても同じような状況なのだろうが。

 まるで次元が一つも二つも違う生き物のような……。

 

 そう、人間を相手にしている気がしない。

 

 もう一度、答えてもらえていない問を投げかける。

 

 

「あの、あなたはいったい誰ですか?」

 

 ──……ただの贄に教える日が来ようとは……致し方あるまい。このままでは魂を食らえそうにないしな──

 

(あげるつもりはないんだけどな)

 

 

 ──我は邪神。邪神インヴェイジョン──

 

 

「じゃ?」

 

 

 体育座りで待っていたところに答えが返ってきて、素っ頓狂な声を出してしまう。

 反応が気に入ったのか、インヴェイジョンと名乗った邪神はクックックッと不気味に笑った。

 

 

 ──そう、我は邪神。汝と契約し、その魂を贄に今宵、力を増す者よ──

 

「あの……何度も言いますけど、魂をあげる気はないんですが」

 

 ──何?──

 

 

 ざわり、と何かが動いた。

 世界は相変わらず真っ暗だが、暗闇に目が慣れるように第六感が冴え渡ってくる。

 間違いない。暗闇に溶けて何かがいる。おそらくは、今自分が話している、邪神インヴェイジョン。

 ……邪神という割に、あまり威厳がないように思えるのは気のせいか。

 

 邪神は「解せぬ」と呟いた。

 

 

 ──なぜ、贄になることを拒む──

 

「贄って生け贄のことですよね。魂を渡すって、死ぬってことでしょう? そんなの嫌です。死にたくない」

 

 ──我の供物になる名誉を拒むと?──

 

「はい。死ぬの怖いので」

 

 

 こっちの常識が通用しないことは大体わかっているので、辛抱強くこんこんと説得する。

 すると一応は納得してくれたようで、邪神はふーむと考えるように息を吐いた。

 

 

 ──しかし、汝は我を自ら手に入れた。我を求めていたということだろう──

 

「手に入れた?」

 

 

 私欲で人竜になったナツメでもあるまいし、邪神を手に入れるなんてRPGのボスばりの行動を起こしたことはないのだが。何をどうしたらそうなるのか。まったく覚えがない。

 しきりに首を捻っていると、目の前が揺らいで、

 

 ぎょろり、と赤い目が開眼した。

 

 

「ひっ!?」

 

 ──本来ならばこうして言の葉を交わすことさえ許されぬものを。姿を見せてやるのだ、感謝しろ──

 

 

 ぎょろり、ぎょろり。

 

 黒い空間に現れたのは、鮮血のような色。上下左右前後全てを塞いでドームのように自分を囲む。

 目の前に無数の赤い目が開き、全てが一斉に自分を見つめた。

 

 

 ──小娘、これが我の姿だ。見覚えがあるだろう──

 

「み、見覚えって……、……え、あれ……? あ!?」

 

 

 明確な輪郭のない闇に無数の目。古くない、新しい記憶が揺り起こされる。

 先日、目の前の邪神と非常に似た物を目にした。いや、手にした。

 意地悪な女性に高値で売りつけられたあれだ。忘れようのない、摩訶不思議というか動物に威嚇されそうというか、視界に入れたが最後末代まで絡みついてきそうな、抽象的な形の。

 

 

「フリーマーケットで買った彫像……!」

 

 ──そう、汝が別の女から受け取ったあの像よ。あれが我の神体とも知らずに、愚かな小娘め──

 

 

 そんな、半信半疑どころか99%疑いで買ったあの意味不明で不気味な彫像にこんな奴が宿っていたなんて。

 ……と、いうことは。

 

 

「マサキさんが言ってた『謂れのある品』って……ほ、本当だったんだ」

 

 ──我は今まで悠久の時をさまよい、探し続けていたのだ。汝のような力を持つ者を……。汝を、その魂を食らえば、我は邪神として真の姿を得られよう──

 

「だ、だから魂は嫌だって──」

 

 ──まだ言うか!──

 

「わ……!」

 

 

 突然強風が吹いて髪が暴れる。

 積乱雲のように闇は膨れ上がり、360度自分を囲む目玉たちが視線の矢を放ってきた。

 

 

 ──贄が我に指図するとはいい度胸よ。もういい。言の葉なぞ聞かぬ。一息に食ろうてやるわ──

 

「……」

 

 ──はは、情けない顔だ。やはり小娘よ。さあ泣け、喚け。命乞いをしろ。その絶望とともに汝の力は余すことなく我の血肉になろう。はは、あはははははははははは──

 

 

 帝竜を倒し、人竜ミヅチに追いつくまで、あと少しなのに。

 こんなところで、また意味不明な存在に理不尽な目に遭わされるなんて。

 

 ……冗談じゃない。

 

 

「……戦うしかないかな」

 

 

 バチン、と静電気で髪が弾ける。

 次いで右手の指先に火が灯り、左手に霜が降りた。

 

 闇と目玉がニタニタ嗤う。籠の中で壁に縋るネズミを見るような、箱庭を作って遊ぶ者の目。

 ところがどっこい、こちとら飼い主に餌を与えられなければ死んでしまうペットじゃないのだ。

 

 

 ──ふん、あくまで抗う気か……──

 

「先手必勝、失礼します!」

 

 ──え──

 

 

 窮鼠猫を噛む。牙なら自分だって持っている。

 両手を振って力を解放すれば、邪神はいとも簡単に消し飛んだ。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 弱い。弱すぎる。

 

 どこぞのラスボスでもないけれど、思わずそんな台詞を言いそうになってしまった。

 

 

「……あのー……」

 

 

 プスプスと煙を上げる黒い物体を見下ろす。つい数秒前まで自分を覆い尽くそうとしていた闇、自称邪神だ。

 先制攻撃であっけなく大部分が霧散した邪神インヴェイジョン。今では大きさ数十センチの溶けかけスライムのように縮んでいて、心なしか複数の赤目が潤んでいるように見える。

 呼びかけても応答がない。氷で棒を作ってつついてみると、「ヌギュウッ!」と変なうめき声を出した。

 

 

「大丈夫ですか? 生きてます?」

『……く』

「く?」

『く、く、くくくくく……これ、これよ! この力こそ、まさに我が求めていたもの! これさえ手に入れれば、世の全てを支配するという我の悲願にも容易く至れよう! さあ贄よ、その力も魂も、全て我に捧げ──』

「だから、無理ですってば」

 

 

 うごうごと怪しく膨らみ始めたスライムを氷で拘束する。「ピギッ!?」と悲鳴を上げ、インヴェイジョンはまた涙目になった。

 そこらへんのマモノ、それこそスライムなみに弱い。いや普通の人間ならマモノからはダッシュで逃げなければいけないのだが、自分は異能力者として訓練を積んできたので、その基準が一般人から離れてしまった。

 ともあれ弱い。けれど彼、または彼女から放たれるオーラはとんでもなく禍々しいのだ。巨大な雲から両腕に収まるもやに縮んでしまっても変わっていない。背筋を不快さが張って回るような、ひどい寒気が止まらない。ドラゴンを前にした時とはまた別の恐ろしさを本能がキャッチしている。

 

 

「あの、本当に……じゃ、邪神? なんですか……」

『当たり前だぁっ!』

 

 

 半信半疑で尋ねると、氷の中の黒スライムは懸命に身をよじった。

 

 

『我は侵略者。深淵より世を覗き、いずれ手中に収める者。終末を告げる邪神、インヴェイジョンなるぞ!』

「週末……? あ、そういえば今日金曜日だ」

『おおおおおのれ馬鹿にしよってー!!』

 

 

 黒い体を激しく波立たせるも、やっぱり氷から抜け出せない。

 ひとしきり暴れ、疲れたのか邪神はおとなしくなり、フンッと鼻を鳴らした。鼻はないがそういう風に見えた。

 

 

『まあいい。貴様のような女がすぐに畏れを抱けないのも無理はない。我は生を受けたばかりの神であるからな。突然神威が顕現すれば、反応が遅れるというのも道理よ』

「え、生まれたばかり?」

『うむ』

「えーと、ちなみにいつ……?」

『厳密に言えば、我の像が作られたときからだがな。像が流れに流れ世を巡り、貴様の手に渡った瞬間だ。貴様の持つ力を一部吸収し、我は覚醒した。そして貴様に干渉したというわけだ。とはいえ、今の我には力がない。貴様が弱り眠るのを見計らい、意識をここに引きずり込めるまでしばらく待ったがな』

「つまりこの空間は……」

 

 

 おそらく自分の夢……頭の中だろう。もしくは夢のような空間が作られて、そこに意識が閉じこめられている。

 現時点の邪神は生まれたての超マイナーゴッドで、自分が起きている間は何もできないみたいだ。だから帝竜との戦いで心身が疲弊し、完全に無防備になる就寝時を狙っていたと。

 肉体に直接的被害は与えられていない。けれど精神に干渉されている今の状況、自分はちゃんと目覚められるのだろうか? 帝竜を狩り尽くし、もうすぐ最後の脅威であるミヅチとの決戦なのに。邪神に解放されない限りこのままなんていうのはごめんだ。

 

 

(……とりあえず倒せばいいのかな)

 

 

 自分は寝ているのだと改めて自覚した瞬間眠くなってきた。考える力が鈍って、あくびと一緒に流れ出ていく。

 とりあえず燃やす → 邪神蒸発 → 術が解けて問題解決。これかなぁと適当に考えた。あれだけ苦手だった炎の扱いも今は慣れたものである。

 ライター感覚で指先に火を灯すと、邪神の体に浮かぶ目玉が見開かれた。

 

 

『ん、ま、待て! 貴様いったい何をする気だっ』

「何って、あなたを倒さないと解決しなさそうなので」

『んぬぐおおお!? おのれ、その気なら我にも考えがあるぞ! いでよ!』

「え?」

 

 

 邪神は体の一部をうにょーんと伸ばす。宙に伸びた一本線は先端を五つに分岐させた。人間の腕がかざされたような形だ。

 すると腕の先、どこまで見渡しても黒い空間の一部が渦を巻いた。

 え、と呟くのと同時に渦の中に影が浮かび、

 は、とこぼすのと同時に影は人の形になり、

 ちょ、と言うのと同時に人はこちら側に放り出される。

 

 艶のある黒髪がなびくのを見て、その人が地面に接触する前に体を受け止めた。

 

 

「嘘、シキちゃん! なんで!?」

「……ん……?」

 

 

 腕の中でシキが身じろぐ。伏せられていたまぶたが持ち上げられ、パートナーはゆっくりと体を起こした。

 

 

「……? 何これ?」

 

『ハーーーッハッハッハ!!!』

 

 

 不愉快な哄笑が響きわたった。

 振り返る──よりも先に、黒い塊が視界をよぎる。

 いつの間にか氷を抜け出した邪神インヴェイジョンが、シキの顔に絡みついた。

 

 

「むぐっ!?」

「シキちゃん!?」

『ハハハハハハ! 貴様がこの小娘に入れ込んでいることは知っている。貴様が我を拒むのであればまずはこいつを利用して……諸共に我が手中に収めるだけよ! さあ小娘、我を受け入れよ! さすれば世を手に入れる計画の礎として──』

 

「ゔ…………──ん゙っ!!!」

 

 

 バンッ、と空気が破裂するような音が響く。

 勢いと肺活量、上半身のしなりで口から邪神を剥がしたシキは、間髪入れず右フックを繰り出した。

 

 

「死ねっ!!!」

『ギュブグンッ!!』

 

 

 わざとかとツッコみたくなるほど奇妙な声が上がった。

 何度も何度もバウンドし、体の一部をあちこちへまき散らし、某映画の化生を彷彿とさせる黒スライムはずっと向こうに転がっていく。

 シキは完全に目を覚ましたようで、「何なのよくそっ」目と口をこすっている。両手を使う仕草が猫が顔を洗っているようでかわいい……というのは、自分もぶっ飛ばされてしまうかもだから言わないでおこう。

 

 

「えーと……シキちゃん?」

「あ? ……あ、ミナト。あんた、ここ何? 何が起きてんの?」

「あー……たぶん、私の夢? の中で」

「は?」

「聞いて聞いて。あのね、今シキちゃんが殴り飛ばしたのが、生まれたばかりの邪神さんで」

「……」

 

 

 ああ、眉間のしわが「くだらねぇこと言ってんじゃねぇ」と語っている。きちんと体調管理をしている彼女からしたら、しっかり睡眠をとっておきたいときにこんな夢を見るなんてごめんだろう。

 ものすごく不機嫌な少女をなんとか宥めて、かくかくしかじかと説明する。

 就寝時そのままの肌着姿で、シキは眠そうにあぐらをかいた。

 

 

「あんた、なんでそんな像買ったのよ。バカなの?」

「だから言ったじゃん、マサキさんが言ってた『曰く付きの物』がまさにそれだったんだって」

「ふーん。で、どうすんのよ」

「え? 何が?」

「何がって、目的忘れてんじゃないわよ。サイキックの大技習得するんでしょ? なら、あの液体だか気体だかよくわかんない奴は無関係じゃない。飼い慣らすか消して力を奪い取るか、どうにかするしかないじゃない」

「……そういえばそうだ……え、どうしよう……」

「知らないわよ。ていうかなんで私は巻き込まれてんのよ」

 

『……ク、クックッ、ク』

 

 

 インヴェイジョンが海中のイカのように波打って戻ってくる。デストロイヤーの拳にまき散らされた体の端々を回収して、地道に元の大きさを取り戻し、赤い目をぐりぐりと回転させた。

 

 

『ようやっと気付いたか。小娘、おまえが欲する力は我が持つ深淵の闇だ。ならば貴様は我に飲み込まれるしか選ぶ道がなかろうが』

「飲み込まれるのは嫌です……」

 

 

 体や精神を乗っ取られるのは論外だ。けれど邪神の力がなければ、奥義とも呼べるサイキックのスキルを獲得できない。

 ならば、互いに取引をするしかない。利害の一致とかウィンウィンというやつだ。こっちの代償を最小限にしつつ、戦闘で邪神の力を使えるようにする。そのためには相手の望みを具体的にして、実現できるかどうか精査しないといけない。

 

 

「邪神さんは、何がしたいんですか? かみ砕いて教えてほしいんですけど」

『何度も言わせるな。貴様の全てを我に捧げろ。贄として食らい尽くし、我はより高次の存在へ昇華する。そして世を手中に収めるのだ!』

「世を手中に収めて、それからどうするんですか?」

「ぬ?」

 

 

 質問の意図が分からなかったのか、邪神の体がぐにゅりと曲がる。その上に疑問符が浮いたような気がした。

 おっとこれは欲だけ先走って特に何も考えてないタイプだと判断し、もう少し掘り下げて質問してみる。

 

 

「この世を自分の物にしてどうするんですか? 手に入るのは、ドラゴンのせいで文明が崩壊した世界ですよ」

 

『……なんだと?』

 

 

 予想していなかった反応が返ってくる。

 

 

『崩壊だと? どういうことだ?』

「どうも何も、そのままですけど……」

『ええい矮小な人間の言葉では何もわからぬ! おい「目」を貸せ。我が直接見て確かめる!』

 

 

 どういうこっちゃと尋ねるより先に、目の前に黒が広がる。いや最初から今までずっと黒一色なのだけど。

 黒にもいろいろある。夜空みたいにどこまでも先があって吸い込まれそうなものとか、立ちはだかる壁みたいに息が詰まりそうな硬いものとか。

 自分の視界を覆ったのは後者だった。

 

 

「うわ!?」

 

 

 目から上を不可思議な感触が包む。ひやりと冷たくて、見た目通り液体とも固体とも言えない感覚が不気味だ。

 反射的に引き剥がそうとするが、指先が滑るだけでまともにつかめない。なぜシキは拳を当てられたんだろう。竜のブレスも捉える格闘家の本能みたいなものだろうか。

 

 

「ちょっとあんた、離れなさいよ、このっ!」

『ええい暴れるな人間ども! 不遜な貴様らになぶられた今の状態では完全に精神を乗っ取ることはできぬ! この女を通して外界の様子を見るだけだ、邪魔するでないわ!』

 

 

 左右の耳から甲高い声と不気味な声が鼓膜を殴ってくる。

 どうにかしないといけないのはわかっている。けど今いるここは自分の脳内会議だか夢だかで、現実かもわからない曖昧すぎる状況なのだ。なのに感触はやけにリアルで、ちょっとした痛みも感じるほど。

 しかしいつまでたっても目は覚めない。自分の肉体がどうなっているかもわからない。

 

 

「あ、あれ……?」

 

 

 ああちょっと待て。そんなことを考えていたら意識が遠くなってきた。夢の中なのに。もしかして目が覚める兆候だろうか。

 

 

「ちょっとミナト、ミナト!」

 

 

 自分に呼びかける声もすぐに遠くなる。

 うーん、ダメだ、眠い。

 

 ロア=ア=ルアの攻撃と似た感覚に包まれて、上下のまぶたが早々にくっついた。

 




いやほら、サムライはラビット零式とタイマン、トリスタは素材を集めて新武器開発、デストロはタワードラくんと戦闘、ハッカーは秘技の情報を集めるというプロセスを踏んでいるのに、サイキックだけ「奥義をお金で買う」って感じで簡単に習得できてしまうのが嫌だったんです……。
2000Azで買える奥義って何??? 武器より安いじゃん??? え??? て疑問に思ってたんですよ……同じ人います……? いないか。
他の前書きや小説情報でも述べていますが、弊世界線の話です。捉え方は人それぞれということで……!


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  おいでませ邪神様②

投稿時間のアンケートについて、今まで投稿していた時間帯(午前9時前)より午後19時以降の票が多くなったため、次回から午後19時以降に投稿してみようかなと思います。
当方、1話を2つか3つに分けて同じ時間帯に投稿する形で進めてきましたが、分けるなら午前と午後でそれぞれ更新してほしいというような希望があれば活動報告などのコメント欄でお聞かせください。

CHAPTER7、この後ももう少しだけ続きます。

※12/8追記:すみません、CHAPTER7はこの34話で終わりでした! 申し訳ありません! 活動報告にも記載あります!




 

 

 

 カレーの匂いがする。

 低血圧というのだろうか、起床に時間がかかるほうだと自覚はしているけれど、好物のスパイシーな香りは最高の目覚まし時計だ。急いで重いまぶたを持ち上げる。

 目に映ったのは料理をする母の背中……ではなくて、

 

 

「あ、目開けた!」

 

 

 今にも平手を振り下ろそうとしているシキだった。

 

 ぎゃあっ、と叫んで彼女の捕捉から外れる。勢い余ってベッドから転落しそうになったところをキリノが受け止めてくれた。

 

 

「何、なんで!? 私殴られるようなことしてな……し、して……ない、よね? て、キリノさんに……えーと、なんでこんなに人がいるんですか……」

 

 

 よく見てみれば、キリノをはじめマサキや研究員のムラクモ関係者が揃って自分の顔を覗きこんでいる。

 首を傾げることしかできずにいると、一斉に大丈夫か具合はどうだと詰め寄ってくるみんなをキリノが抑え、とりあえずベッドに座らせられた。

 

 

「おはよう、シバくん。体の調子は?」

「え、えっと……今のところは特に異常ないです。ゼロ=ブルーとの戦いでの傷も……うん、ふさがってきてる」

「目が覚める前、あるいは眠る前、何があったか覚えているかい?」

 

 

 もちろん、不気味でリアルでわけのわからない事件だ、よく覚えている。説明するだけで片付く話なんだろうか。

 しかし話さなければ進展しないのも確かなので、今に至るまでの経緯をかいつまんで説明する。

 フリマでうっかりマイナー邪神を拾ってしまい、取り込まれそうになったけど私は元気ですと伝えると、キリノもみんなも数秒呆ける。唯一笑顔を見せたのはマサキだった。天体観測でもしているように好奇心に輝く目がまっすぐ覗き込んでくる。

 

 

「じゃ、邪神……?」

「素晴らしい! 話を聞く限りドラゴンの類ではないネ。科学者としてオカルトをすんなり受け入れるのはどうかと思うけど、予想が見事に当たってしまったヨ。シバくんほどの特異能力者なら何かしでかすと思っていたけど、邪神はシバくんが持つサイキックの異能力に惹かれてやってきたんだろう。そしてシバくんも邪神を見つけ出した。まさに運命的な巡り合わせだネ!」

「なんで喜んでんのよ!!」

 

 

 シキがマサキの胸ぐらをつかむ。少女は片腕だけで大人の男性を振り回し、ハハハーと笑う彼を睨みつけた。

 

 

「あんなわけのわかんない気色悪い黒スライムみたいな奴がミナトに何かするかもってわかって、奥義だ何だって釣ったわけ? 人で遊ぶのも大概にしなさいよあんた……」

「わー待って待って。君の拳に殴られたら私の頭は吹き飛んでしまう。というか、さすがに邪神の存在までは予想できてなかったヨ。実際、シバくんの身に何が起きたかも把握できてないんだかラ。そういうわけで、詳しく説明してもらってモ?」

「ええと……私が知りたいというか。私の足が汚れているのと、眼が熱いというか痛いというか。それについて何かご存知ないですか?」

 

 

 確か、帝竜ゼロ=ブルーを倒し、死にかけながら都庁に帰還したはず。大浴場で体を温め洗いつつ治療が施されてベッドに横になったはず。なのになぜ足の裏はホコリやら砂やらがついて汚いのか。

 眼球だって就寝前は異常なんてなかったのに、まるで長時間PCと向かい合ってブルーライトを浴び続けたような鈍痛がある。睡眠中何かにのしかかられたのだろうか。

 

 

「眼? ……それってさっきの……?」

 

 

 自分の状態をなるべく具体的に伝えると、シキが腕を組んだ。

 眉間にしわを寄せて考え込む顔を見て、そういえばと思い出す。

 

 

「そうだ。私の夢の中? に、シキちゃんが出てきたよ」

「は? 逆でしょ。私の夢にあんたが……いや、邪神の仕業なら……私たち2人とも、夢を見せられる形であのスライムに捕まってたってことか」

「何だいそれ! おもしろそうだネ、ちょっと詳しく……」

「マサキ黙って」

「マサキさん後で話しますから」

 

 

 息ぴったりの拒否に少し落ち込むマサキは放っておき、邪神と邂逅した夢について認識を共有する。

 邪神はサイキックの力を目当てに、あの夢空間に自分を呼び込んだ。しかし力の差もあって思い通りにならないと悟り、ならば人質だと、すぐ傍のベッドで寝ていたシキの意識も引きずり込んだ。

 まあコテンパンにできたので、今のところ目論見は失敗、という状況だろう。

 

 

「今のところ大事ないみたいけど」

 

 

 とシキは言って、自身の目もとを指差した。

 

 

「問題は目が覚めたあとね。あんた一時スライムに取り憑かれたのか、『外はどこだ!』とか言って駆け出したのよ。で、屋上でひとしきり街を眺め回してぶっ倒れたってわけ。呼んでも叩いても目が覚めないから、あんたが好きって言ってたカレーを持ってきて匂いを嗅がせたりとかで面倒だったわ」

「何それ、全然覚えがない……カレーはあとで食べます……。邪神さんは私の体を使って外の様子を見たってことかな」

「たぶんね。夢の中でそれっぽいこと言ってたし」

 

 

 なら邪神は、夢の中で自分が話したことを把握したと考えていいんだろうか。

 毒々しい赤い花が繁茂して、あちこち朽ちて崩れた世界を見て何を感じたんだろう。それでも世界征服を夢見ているのか。

 いや待てそれも気になるけど、

 

 

「邪神さんはどうしたの? わ、私どうなった? 取り憑かれたって、体に寄生されちゃったってこと?」

「さっきまではね」

「さっき……?」

「ナメクジとか霊には塩って言うでしょ。だからありったけの塩ぶっかけたら、あんたの口から出ていった」

「口!!?」

 

 

 どす黒くて赤い目がたくさんついた何かを吐き出す自分を想像して悪寒が走った。慌てて部屋を見回し、蛇口に飛びついてうがいを始める。

 キリノが少し引き気味に背中をさすってくれて、「で、」と引き継いだ。

 

 

「君たちが言う……邪神? は、あの像に逃げ込んだみたいなんだけど。シバくん、あれは君の私物かい?」

 

 

 像、と聞いて思い当たる物は一つしかない。

 キリノが指を向ける方へゆっくり振り向くと、小物を置くための丸テーブルにあの像が置いてあって、

 

 

『おおおのれえええ人間どもめええ! 塩に続いてまた塩とは、なんと小癪なあああ!!』

 

 

 周りに引かれた塩のサークルにがたがた震えていた。

 

 

「……あれは、何?」

「食塩に怯む邪神」

「え、しょぼい」

『今何と言った小娘ぇっ!!』

 

 

 思わず本音が口からこぼれた。間髪入れず邪神がキレた。

 

 

『おのれおのれおのれぇ! 貴様、時が経つにつれて我の扱いがぞんざいになっていないか!?』

「気のせいかと思います。気のせいじゃなかったとしても丁重にもてなすような関係じゃないじゃないですか、私たち」

 

 

 しずまりたまえ、しずまりたまえと邪神像をなだめる。なぜか後ろで「シバくん、すっかりたくましくなって……」とキリノが目をこすっていた。

 好奇心に体を揺らすマサキに、黒いモヤを漂わせてガタガタ揺れる怪しげな像。事情を知らない人間がこの部屋を覗いたらすぐ回れ右しそうだ。

 自分だって退散したいが、収拾がつかないまま放置するのはいけない。今はさっさと話を済ませよう。

 天井を指差して、気になっていたことを質問してみる。

 

 

「外の様子、見られたんですよね。崩壊してたでしょう。それでも世界征服は諦めてないんですか?」

 

 

 気は遣わずストレートに投げかける。するとバイブレーションのように揺れ続けていた像は、コトリと止まって沈黙した。

 

 

「私の目を使って見たんですよね?」

『……』

「あの、」

『……だあれは』

「はい?」

 

『何なのだあれはぁ!!?』

 

 

 中にバネでも仕込んでいるのだろうか。邪神像は30cmくらい飛び上がり、またバイブ状態になった。

 

 

『街には花! 水の中にも花! 地中にも花! どこを見ても花花花ぁっ! 野垂れ死んで腐敗している人間どもに、蛆のごとく湧いている竜! あげくに東、海の向こうは不毛の地……他よりも原型が残っているこの地も無様に崩れ落ちよって。ほぼ滅んだ世界なぞ、手中に収める価値などあるか! というか貴様の眼は何だ、水風船なのか? すぐさま蒸発しそうになって千里眼が30秒と持たなかったぞ! 星の100分の1も見渡せなかったわ!』

 

 

 以上を一息でまくし立て、邪神像はクレーマーよろしくふんぞり返った。

「千里眼」って何だ。なら自分の両目の痛みは……?

 聞き取れた情報を頭の中で整理していると、横からにゅっと手が伸びる。見慣れた少し小さいシキの手が、どこから持ってきたのかゴミばさみで像をつまみあげ、ミシミシと音を立てた。

 

 

「人を乗っ取ろうとした挙句ぼろくそ言うってどういう神経してんの? 奥義練習の的にしてやろうかしらこいつ」

『ぴぎっ、や、やめろ、何をするか!』

「ミナト、こいつさっさと像ごと砕いて燃やしたほうがいいわよ。そんであんたは塩にでもまみれて体清めれば万事解決。もうすぐミヅチぶっ飛ばしにいくのに、余計な仕事増やしてたまるかっての」

「えええそんな、もったいないヨ!」

 

 

 誰よりも真っ先に声を上げたのはマサキだった。全員が引くくらいの勢いでシキに駆け寄り、秘密基地に憧れる子どもみたいに邪神像を見つめる。

 

 

「やあ邪神くん、初めましテ! 私はマサキ、君と君がご執心なシバくんの架け橋となった者だヨ。対価の要求ではないんだけど、さっき君が言った『千里眼』について詳細を聞いてもいいかナ? 千里眼というのは言葉通りの意味かい? 千里も先を知見できるという神通力の?」

『何だ貴様は、不遜であるぞ。だが質問には答えてやろう。いかにも、我の目は深淵さえも覗くことができる。……うぬ、できるはずなのだ。まだそれだけの力と器がないだけでな!』

「ほら、みんな聞いただろう?」

 

 

 マサキはこの場に集まる者ひとりひとりの目を見る。目は口ほどにものを言う。「まさか、処分したりしないよね?」という圧が視線と共に飛んできた。

 

 

「ドラゴンやフロワロ、異能力者以外での超常的存在だヨ。とんでもない神秘が目の前にあるのに、何も調べずに処分なんてもったいない! 努力家のシバくんなら、きっと邪神くんを上手く味方につけてデータを収集できるはずサ!」

「ついに欲を隠さなくなったわねサイコ野郎。スライムもろとも奥義練習のサンドバックにしてやるわ」

「やめたまえシキ、私と邪神くんを失えば人類にとっての損失は決して小さくないヨ」

「ドラゴンに滅ぼされるより万倍マシでしょうが!!」

 

「あの……話がずれてます。邪神インヴェイジョンさん?」

 

 

 挙手をして再び邪神に尋ねてみる。ずばり、これからどうするつもりなのか。

 邪神はシキにつまみあげられたまま数秒押し黙る。

 やがて彼(彼女)は、グスン、ズビッ、と音を立てた。人間みたいな鼻や口はないが、間違いなく泣きべそをかく音だった。

 

 

『……何なのだ、この運のなさは』

「運?」

『数寸の移動が精一杯のこの依代。ひたすら念じることで凡人から凡人にたらいまわしにされること幾星霜。やっとのことで使うべき器を見つけたと思えば、嫌だの、塩をかけてくるだの……極め付けに、世は一足先に竜どもに喰い散らかされている……我にいったいどうしろというのだ?』

「……できれば、世界征服は諦めてくれるとうれしいです。それで、私、奥義というのを習得したいので、力を貸してもらえればーと」

『だからその対価として貴様の力と肉体を捧げよと言っているのだーっ!』

「うーん、交渉決裂しちゃう」

 

 

 自称ではあるが、邪神は邪神。千里眼の話を聞く限りとてつもない力を持っているのは確かで、当然、力の行使には代償が必要だ。

 対ドラゴンの力はなんとしてでも欲しい。けれどそのためには邪神が満足するものを献上しないといけない。具体的には、吹けば飛ぶようなスライムの実体を収めるためのエネルギーと器だ。そして、適性があるのが自分だと。

 

 

「あちらを立てればこちらが立たずか……どうしよう」

「だからスライムを処分するの一択でしょ? サイキックの大技がこいつなしじゃ成立しないってのが残念だけど」

『ぴぎーーっ!! 正気かこの悪魔め! 神殺しなど鬼畜の所業、不遜にもほどがあるぞ!』

「神は神でも疫病神はお断りよ。こっちは損しかしないんだから。あとどっちかって言えばあんたが悪魔でしょうが」

 

 

 手詰まりという結論しか出てこない。もうシキの言うとおりにしてお祓いするしかないのだろうか。

 奥義は諦め、自力で頑張るしかないか。自分の身を削らず邪神に満足してもらえる案なんて、都合のいいものあるわけもなし。

 

 

『おい』

「ううーん……でも奥義が……いや身の安全が保障できなきゃ本末転倒だし……」

『おい。……聞いているのか小娘!』

 

「え、呼びました?」

 

 

「そんなぁ、考え直してくれないカ!?」とひざまずくマサキの頭上で、ゴミばさみにつまみ上げられたままの像が動いた。

 あれは何だ、と邪神像は方位磁針のように揺れる。示す方向には大人の背丈ほどの白い家電があった。

 

 

「あれは……冷蔵庫ですね? 文明の利器ですけど」

『違う、入れ物ではない。中にある物は何だと言ったのだ』

「中?」

 

 

 邪神の興味が急に移り変わったことに疑問を感じる。何か特別な物でも保存していただろうか。

 冷蔵庫を開ける。飲み物しか入っていないのを確認するのと同時に『そこではない、下の扉だ』と指摘された。

 言われたとおり下の冷凍庫を空けると、まあ当然氷が詰められ──、

 

 

「あれ、……あ!?」

「シバくん? 何かあったのかい?」

 

 

 冷凍庫の奥に手を突っ込む。尋ねてくるキリノを始め、首を傾げる一同に見えるように、つかんだものを高く掲げて見せた。

 

 普通の氷には出せない色彩。というか氷じゃない素材。上品なフォントで横文字が記された容器。

 一瞬で何人かの目に光さえ宿らせたそれ。

 

 

「アイス……!」

 

 

 複数の声が重なる。邪神も同調するように一層大きく揺れた。

 

 

『それだ! 何だそれは、よくわからんが我が咀嚼できる、捧げ物の類だな?』

 

「ていうかこれ、ハー○ンダッ○じゃないですか! し、しかも期間限定ですぐに生産終了しちゃったっていう幻の味!」

「いや誰だいこっそり高級アイス隠してたの! 食べ物は原則厨房の冷蔵庫に置くってルールだろう!」

「ああ、それ私の○ッツじゃないカ」

「またあんたかマサキ!」

「いやぁ、だって地球がこんなことになって、全ての物の価値が高騰しているだろウ? それこそ甘味なんて嗜好品は没収されてしまうと思ってね、隠しておいたんだヨ」

 

 

 マサキの気持ちはわかる。彼が言うように、産業をすることもできない今の世界では、現存の物資がそのまま生命線となっている。食糧を生産できる者がいなくなり、そもそも作るための土地が汚染され、畜産や農業自体が不可能なのだ。

 だから食べ物はとても貴重で、しかも○ーゲン○ッツなんて贅沢なスイーツ、やすやすと人前で食べられるわけがない。

 

 何人かが食欲を隠すことなくアイスを見つめる中、『無視をするな!』と邪神が憤慨した。

 

 

『魂も嫌、力も嫌、肉体を捧げることも嫌だというのならまずはそれを寄越せ!』

「えっ」

『何だその声は、贄のひとつもなしに神を使役しようというのか貴様は?』

「い、いえそんなつもりは」

 

 

 3食好きな物を食べられる環境から切り離されて数ヶ月。今は幸い飢餓に襲われてはいない。が、体は飢えている。

 たまには豪華な料理を食べたい。お腹いっぱい食べた後に、甘い物は別腹と言ってデザートもいただきたい。

 だがしかし、このアイスはマサキの物だ。そして邪神はアイスをご所望だ。

 

 視線が一斉にマサキに注がれる。

 アイスの持ち主は、隠していたという割には気軽な様子で手を振った。

 

 

「スピリチュアルな存在も甘味を好むのかい? ならそのアイスは……あ、いや、ちょっと待っテ」

 

 

 一転、彼は手と手を合わせ、上客のご機嫌取りのように猫なで声を出した。

 

 

「邪神サマ、あなたがお望みなら、このアイスは喜んで献上するヨ。ただ、我々にとってもこれは死活問題に繋がる、非常~~~に貴重な生きるための糧で……。どうかこれでご満足いただけたら、現在の貧困な状況をどうにかするため、あなた様の唯一無二の、宇宙一の、至高の、え~~……賞賛に値するというかあたりまえというか賞賛しか許されないというか、とにかく最高なお力を、彼女に使わせてあげてほしいのですガ?」

『ふん、あくまでも交渉の体をとるつもりか。つくづく欲に溺れた者共よ』

 

 

 おまえが言うなと全員が思っただろうが、空気を読んで誰も口には出さない。

 それよりも、骨董品のような邪神像から黒いモヤが漏れ出ているのが気になる。まんざらでもなさそうな声音からして、まさか今のお世辞がきいているのか。

 そうこうしているうちに、マサキはアイスのラッピングを取って、ははーと邪神に差し出した。

 像は数秒沈黙する。

 言葉を発せずに見守っていると、像の年季の入った小さい割れ目から、にゅっと邪神が顔(?)を出した。赤い目が浮いた、液体なのか個体なのかわからない本体だ。

 

 

『……どれ……』

 

 

 シキさえもゴミばさみを持ったまま動けずにいる中、邪神は体を伸ばして、マサキの持つ皿からアイスを持ち上げる。

 あ、あ、あああ、と周りから物欲しそうな喘ぎが漏れるのもどこ吹く風で、邪神はバスケットボールほどの体積の中にアイスを取り込んだ。一瞬遅れて、バリ、ジュワァッとアイスが咀嚼されたであろう音が不自然なほど響き渡った。

 

 

『……』

 

 

 また静かな時間が過ぎて、邪神はおもむろに本体を像に引っ込める。

 

 

『……顔を上げろ。貴様、マサキといったか』

「はい、そうだヨ」

『この捧げ物は他にもあるのか。あるのだろうな』

「いや、これが現時点で最後の一つだヨ。残念なことに」

『なんだと!!?』

 

 

 途端に邪神像が震えだす。ついにゴミばさみの拘束から脱出して床に着地した。

 

 

『たったひとつだけで終わりだと? 貧しすぎるにもほどがあるぞ!』

 

 

 おや、と目を瞬かせる。数が少ないことについてぶうたれているが、アイスそのものに文句は言っていない。

 まさか甘い物が好きなのか。いやそんな子どもみたいな、それこそ都合がよすぎやしないか。

 

 

(あ、そういえば)

 

 

 今朝にホットケーキを作ったことを思い出す。昼に食べようと思ってとっておいた1枚を渡すと邪神はこれも一口で平らげた。

 

 

『足りん、舐めておるのか。これっぽっちで満たされるわけがなかろう』

「こいつ人からもらっておいて……」

「シキちゃん、どうどう」

「しかたないネ。ドラゴンさえいなければもっと豊かだったのだろうけど」

『そこでも竜か……にっちもさっちもどうにもいかんではないか』

 

 

 像の割れ目から覗く本体の一部が、もにゅもにゅ伸び縮みする。何もかもが思い通りにならないことにフラストレーションが溜まっているみたいだ。

 マサキが頬に手を当て、わざとらしいため息を吐く。

 

 

「うん。だから、ドラゴンをなんとかできる力があれば、時間はかかれど以前のように捧げ物を生産する環境を取り戻せるんだけどナー、我々人間だけではちょっとナー」

『ううぬ……』

 

 

 像が傾く。ゴトンゴトンと振り子のように左右して、正面がこっちを向いた。

 

 

『おい、小娘』

「なんですか」

『さっき献上した「ほっとけぇき」やら「あいす」やら、この星が破壊される前の状態に戻れば、たんと食らえるのだろうな』

「ドラゴンが来る前の環境まで復興が進めばってことですよね? 手間とお金はかかりますけど、今よりはうんと簡単に食べられるようになりますよ」

『よかろう。ならば決まりだ』

 

 

 何の前触れもなく誰の力も借りないで、像が床から浮き上がる。

 ぎょっと後退る人間側はお構いなしに、邪神はどこかの穴からフンッと息を吐いた。

 

 

『感涙するがいい、矮小な人間どもよ。この邪神インヴェイジョン、いずれ来る世を手に入れるときのため、邪魔な竜の排除に協力してやろうではないか!』

「ちょっと、誰も世界征服は許可してな──」

「おおおーっ!? 貴重な研究対象ゲッ……じゃなくて、戦力ゲットだネ!」

 

 

 シキのツッコミを遮ってマサキが反応した。大袈裟に拍手をして年甲斐もなく腕を振り回す。思いっきり本音が見えたがもう疲れたので指摘しないであげた。

 ともかく協力関係は築けた。が、まだ握手をするわけにはいかない。

 今までのやりとりでインヴェイジョンの思考回路はなんとなくわかった。自身を邪神というぐらいだ。協力するといっても、根底には「征服」、または「掌握」「支配」みたいな、独占欲と執着心がある。まあ邪神の本能みたいなもので仕方ないだろうけれど、警戒を解いてはいけない。

 そう、つまり邪神との契約はブラック企業に就職するようなもの。一緒に戦うというのはまだ口約束の域で、ちょっとしたことで破棄される可能性はおおいにある。世界征服だって諦めていないのだから。

 

 

『力は貸す。嘘ではない。だが神は決して都合よく使われたりはせんぞ』

 

 

 詳細を詰めて話し合うと、やっぱり邪神は甘い物が痛く気に入ったらしく、力の行使には相応の対価(デザート)を要求するとのことだった。

 

 

「……つまり甘い物が用意できないと……」

『当然、おまえたちの闘争に助勢してやることはできん』

「それって今の環境じゃほぼ助力してくれないってことじゃないですか!」

『たわけ、我の力は何の源も必要としない奇跡などではないのだぞ! 労働と対価が成り立たんうちは当然だろうが!』

「あれ、誰よりも真っ黒なビジュアルなのにホワイト企業みたいなことを言ってる!? こっちは常に命懸けなのに……!」

 

「シバくんシバくん、遠回しにムラクモをブラック企業と指摘するのはいけないヨ。キリノが胃を押さえているからネ」

 

 

 言い争いになりかけたところでマサキが止めに入ってくる。冷や汗をかくキリノを尻目にしばらく交渉(という名の買い叩き)を試みるも、インヴェイジョンはギブ&テイクの精神は譲らず。

 結局、サイキックの奥義は習得できそうなものの、邪神への報酬が用意できない限りは使用できない、という状態で話は止まる。

 微妙な着地地点に歯軋りしているところで、シキが待ったをかけてきた。

 

 

「なんで普通に交渉成立させてんのよ、そんな怪しすぎる奴に頼るなんてリスク高すぎでしょ!」

『なんだ小娘その2、貴様は頭が固いな。その拳ぐらい凝り固まっているのではないか?』

「おまえは黙ってろ!」

『びぎっ!?』

 

 

 苛々が最高潮に達しているのか、シキは青筋を立てて邪神像を握り潰そうとする。白い手に血管が浮かび上がり、像にピキリと割れ目が走った。

 

 

「シキちゃん抑えて! 気持ちはわからないでもないけど抑えて! 戦力は少しでも欲しいでしょ!」

「こんなナメクジスライムが戦力になるか! あんたここ最近図太くなりすぎよ!」

 

 

 コンクリート片も握り砕く少女の手からなんとか邪神像を引き剥がす。

 リスクがあることは重々承知の上で、まず邪神は単体では非常に弱いこと、甘い物などのエネルギー源を用意しなければ力を蓄えるのも難しそうなこと、塩というわかりやすい弱点が存在することを挙げる。

 彼女の意見も最もだが、パートナーが奥義を習得するなら相方の自分も成長を目指さずにはいられない。

 

 自分だって強くなりたいのだと伝えると、上昇志向の強いシキはぐっと口をつぐんだ。

 

 

「ね、だってもうすぐボス戦でしょ。いや現状で邪神さんに協力してもらうのは難しいけど……」

「そうそう。邪神くんのことはシバくんをはじめ私たちがしっかり観察しておくかラ。ねえシキ、飼ってもいいだろウ? 頼むヨ~~」

「捨て猫拾ってきた子どもみたいにおねだりするな。マサキは気色悪いからすっこんでろ」

 

 

 すげなく一蹴されたマサキへの哀れみもわずかに含め、誠意を込めて手を合わせる。

 眉間のしわを見つめること十数秒。シキは髪をいじってため息を吐いた。

 

 

「いいわよ、好きにすれば。ただし手綱はちゃんと握っててよね」

「わーい、ありがとう! 頑張るー!」

 

「……キリノ」

「……なんだい、シキ」

「ミナトの奴、こんなに楽観的……いやのんき……違うな、アホだったっけ」

「君のメンタルの強さに影響されたんじゃないかなぁ……」

「おいまるで私が元祖アホみたいじゃない。訂正しなさいよ」

『ふん、阿呆であろうが。本来なら黙って魂を捧げるだけの贄と我が言葉を交わしてやるだけでも奇跡のようなものなのだぞ。理解できたらありがたくその巌のような頭を上げ下げし』

「やっぱ死ね!!」

『グプギュアアーーッ!!?』

 

 

 シキが邪神像を塩が入っている袋に突っ込む。

 その後、「ムラクモ居住区で不気味な声が聞こえる」「13班の女性の影が怪しげに歪む」「1人で何やらぶつぶつ喋る女がいる」と不穏な噂が都庁を飛び交うようになるのに、そこまで時間はかからなかった。

 



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CHAPTER7 あらすじ

各チャプターごとにあらすじとその時点で載せられる主人公2人の情報を設置しました。話の内容をざっくり把握したいときにどうぞ。



 

 

    CHAPTER 7

The Zero-Blue 静かなる海

 

 

 ~あらすじ~

 

 

 東京の地に残る帝竜はあと1体。今までの道のりを振り返りながら、13班は氷漬けにされた台場に挑む。

 

 極寒のダンジョンで2体の帝竜反応が確認されて困惑するシキとミナト。警戒する2人の前に現れたのは、人間の姿に戻った人竜ミヅチ──虚ろな顔をした元ムラクモ機関総長の日暈 棗だった。

 ナツメは13班に対し、狩る者の成り立ち、力、竜について自身の考えを語り、「期待している」と残して消える。シキとミナト、ミロクの3人はそれぞれの考えを仲間に伝えたうえで、ナツメを止めると意見が一致。ドラゴンを狩り尽くすという目標を再認識する。

 

 最奥で13班を待ち構えていたのは、氷の帝竜ゼロ=ブルー。氷雪を自在に操り猛威を振るう7体目の帝竜に対し、苦戦しつつもシキとミナトは今までの戦いで培った経験で勝利する。

 

 最後の検体を手に入れ、ついでにミナトは心強い味方(?)である邪神インヴェイジョンとも協力関係を築き、ムラクモ機関は勢いづく。

 

 決戦の時は着実に近付いていた。

 

 * * *

 

13班メンバー

 

【飛鳥馬 式 / アスマ シキ】

 スチューデント♀ / デストロイヤー / ボイスタイプG(S.R様)

 主人公その1。ムラクモ出身のチート気味女子。性格キツめ。ちょびっとだけ丸くなりつつある。

 奥義はもう使えると思われる。ただダンジョンの構造的に(ザ・スカヴァーのときは地下道、ゼロ=ブルーのときも屋内)高く跳躍することができないためまだ使ってない。

 あと使うごとに(演出ネタだけど)関東地方爆発させるわけにもいかないのでセーブしている。

 

【志波 湊(シバ ミナト)】

 サイキック / ボイスタイプC(H.Y様)

 主人公その2。一般家庭出身。ヘタレ。ちょっと成長した。ビジュアル未定/なしの方です。

 フリーマーケットで邪神像を手に入れたと思ったらあら大変、本物の邪神がおまけでついてきた。交渉の末、甘味の前払い・後払いで力を貸してもらえることに。下手したらメインストーリー中に奥義使わない可能性まである。ハ○ゲンダ○ツ食べたかったなー。

 

【邪神インヴェイジョン】

 邪神像に宿っていた神格。といっても生まれたてほやほやで知名度も信仰も0。力の行使どころか像に入っていなければ体を維持することもできない貧弱ゴッド。

 強力なサイキックに成長したミナトを狙い、依り代として体を要求するもあっさり返り討ちにされた。ミナトもサイキックの奥義を求めていたため、協議の結果スイーツの献上で力を貸すことに。ちょろいとか言っちゃいけない。

 

 

 主人公については物語が進む中で情報を追加・編集していきます。

 



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CHAPTER X  神 ∞∞∞∞ ヒト Nyala of 7th
35.決戦前 - シキとタケハヤ -


タイトル通り決戦前のイベント。今回はサブクエ中心になります。



 

 

 

───────────────

CHAPTER X  神 ∞∞∞∞ ヒト

    Nyala of 7th

───────────────

 

 

 

 

 

 息を吸って、吐いて。

 早朝の新宿に風は吹いていない。動かない限り1本も揺れない自分の髪がその証拠だ。

 もう一度、今度は限界まで吸って、ゆっくり吐く。誰もいない都庁前広場で、手に握る得物だけに意識を集中させる。

 

 思い出せ。今まで戦ってきた相手はどう動いていた? 体の向きに、手と足の捌きはどんな風に連動していた?

 間合いの取り方、攻撃のタイミング、防御の方法は。

 

 

「……」

 

 

 呼吸と鼓動のリズムを重ねようと試みる。

 緊張からか、鼓動がいつもより早い。落ち着いて深呼吸をして……だめだ、息を吐きすぎだ。

 少しずつ、心臓が脈打つペースを落として。

 

 

(1、)

 

 

 ドクン、

 

 

(2、)

 

 

 ドクン、

 

 ドッ、

 

 

(ここだ)

 

 

 心臓の動きと息、足を踏み出すタイミングすべてがつながる。

 目の前にガトウの背中が見える気がした。

 

 思い出の中の彼を追って、下段に構えていた両手を持ち上げる。

 

 

「──ッシ!」

 

 

 気合いとともに一瞬だけ息を吹く。

 握りしめるのはいつものナックルではなく、鋭い刃物。

 

 朝日に光る刃を全力で振る。切っ先は想像上の敵を確かに捉え、

 

 ガツッ。

 

 

「あ?」

 

 

 間抜けな声を出したと気付くのに少しかかった。

 切っ先は敵より先にアスファルトに引っかかった。重心を前に移動させていたから、体が一気に傾く。

 

 

「った、た! い゙っ!」

 

 

 顔から地面に衝突し、そのまま前転して背中と足が叩きつけられる。

 青い空と白い雲。目の前に、気が抜けるくらいパッと見平和な天気が広がった。

 

 

「……」

 

 

 右手につかんだままの武器を見つめる。先日ケイマが自分用に仕上げてくれた、訓練用の剣だ。ガトウの物と違って身は細く、長すぎなくて振りやすい。

 それでも地面に引っかけて転んだのは、自分の振り方がなっていなかったということだ。ドラゴンと戦うときは自身が小柄なことを活かして攻撃をかいくぐることが多いから、くせで体を下に構えすぎた。

 

 

「もう少し姿勢を上にしていいか……」

 

 

 背中をさすって起きあがると、後ろで都庁の扉が開く音がした。

 住民の誰かが出てきたんだろうか。「シキちゃーん」と間延びした声で呼んでこないから、ミナトでないことは確かだ。

 なら誰でもいいかと興味をなくし、無視して剣をもてあそぶ。が、柄と指先が上手くかみ合わずに取り落としてしまう。

 

 次の瞬間、相の手のように「ぷっ」と背後で息が吹き出された。

 

 息の主を勘で悟り、脇に置いてあった剣の鞘をつかんで振り返り様に投擲。一瞬遅らせてそこらへんの小石も追加。

 相手は臆しもせず鞘を片手でキャッチ、小石は悠々と足で払いのける。攻防はたった1秒で終わった。

 一般人ならまず見切れないはず。遠慮なくスピードを出したのに防がれた。ならもう、病人として気遣う必要はない。

 

 

「冷やかしなら帰れ」

「悪いな。おもしれぇモンが見えたもんでよ」

 

 

 よりによって朝食よりも早く顔を合わせて、一番見られたくない奴に醜態をさらしてしまうなんて。

 舌打ちをすると、タケハヤはやれやれとでもいうように肩をすくめた。

 

 

「俺の見間違いじゃなければ、剣はおまえの専門外だろ。このタイミングで何しようとしてんだ?」

「ミヅチと戦うときは今まで通り拳でいく。あんたには関係ない」

 

 

 早々に会話を打ち切って背中を向けた。

 今の言葉と態度で拒絶とわからないほどバカじゃないだろう。こいつに構っている暇はない、今は1分1秒が惜しい。

 戦闘技術は一朝一夕で完成するものではないと今までの人生で知っているから、対ドラゴンなどの重要な戦いに剣は使わない。けれど新しい可能性、戦法に手を着けるなら早々に研究を進めるべきだ。

 複数の異能力が──たとえばハッカーの持つハッキング能力と、自分のようなデストロイヤーの筋力が同時に──1人の異能力者に発現することなんて滅多にない。

 ただ、素質があれば、似ている能力ならば、経験を積んで鍛え抜けば……使い物にできる可能性はゼロじゃない。

 サイキックのミナトはマナの総量とコントロールに突出しているが、トリックスターのような銃器の扱い・身のこなしはできないし、サムライのような剣技も持ち合わせていない。他の能力を伸ばすことは難しい。だから自分がやるのだ。

 

 

(デストロイヤーは運動能力。サムライは身体能力。身体能力は元々体に備わっている能力で、運動能力はそれを生かしてパフォーマンスを発揮する力)

 

 

 厳密に言えば身体能力と運動能力は似て非なるもの。けれど確かにつながってはいる。

 自分はSランクの運動能力を発揮しているからこそドラゴンと殴り合いができている。なら、その源泉である身体能力だって並以上はあるはず。

 剣を使いこなすことができれば。

 

 

(何て言ったっけ? 確か「風林重ね」。あれができれば、ネコとダイゴがやってた連携技が私たちでも──)

 

 

 手の中の得物を睨んで考え続ける。すると、まるで剣が視線から逃げるように宙に浮いた。

 独りでに動くほど睨みすぎたのかと驚いて見上げると、後ろから肩越しに伸ばされた手が剣を持ち上げていた。

 

 

「ふーん、軽めだな。小振りだし、おまえに合わせてんのか」

「あんたまだいたのっ? ……ちょっと、返して!」

 

 

 慌てて振り向いて、すぐそこにある胸板に鼻をぶつけそうになる。

 自分の手をひらりひらりとかわし、タケハヤは取り上げた剣を観察する。

 太陽に向けてかざし、剣の芯をノックし、刃を指でなぞる。開発班でもないくせにそんなことをしたって何がわかるというのか。

 彼は剣をいじっては自分と交互に見つめ、おもむろに返してきた。

 

 

「だから、冷やかしなら」

「違う。強く握りすぎだ」

「は?」

 

 

 タケハヤは片手を前に出して「こうだ、こう」と開いてみせる。

 剣の持ち手のことを言っているのだと気付き、試しに柄を握る指から力を抜いてみる。

 

 

「小指は緩めすぎんなよ。左手も使って、まずは両手で持て」

 

 

 小さくあくびをしながらタケハヤが後ろに回る。

 振り向くより先に両肩の外から筋張った大きい腕が伸びて、剣を構える自分の手に添えられた。

 後ろから抱えられるような姿勢になっている。背中も肩も余裕でタケハヤに囲まれ、頭の上で彼の顎が動くのを感じた。

 

 

「おまえが持ってんのはバットじゃなくて剣だろ。んな握り方じゃまともに振れやしねぇ」

「何、いきなりどういう風の吹き回し?」

「すっころんだり落としたりと見てらんなかったんでな。指を何本か切り落とす前に、優しい先輩がアドバイスしてやろうと思ってよ」

「はあ!? あ、あんたいつから見てた!」

 

 

 すっぽり包まれていることが腹立たしい。こじ開けようとしてもタケハヤの腕は離れない。病み上がりのくせに腕力はあるみたいだ。

 暴れる自分にくっくと笑いを噛み殺し、彼は構わず体を動かした。くっついているうえに手をつかまれているので、もちろん自分も動かざるをえない。

 

 

「構えるときはあんまり力むなよ。腰も足もそこまで曲げなくていい、低くしすぎたらいざってときに出遅れるからな。思い切り叩き込むときだけにしとけ。……おまえ、右利きと左利きどっちだ?」

「両利き。手も足も、片側が使えなくなっても対応できるようにしとけってナツメに」

「チッ、そこまでばあさんに仕込まれてんのか」

「頭の上で舌打ちするな」

「あのアマが親代わりなんて、おまえも貧乏くじ引いたなぁ」

「……なんで?」

「あ?」

 

「なんで()()()()()()()()()()だなんて考えた?」

 

 

 今までの軽口はどこへ行ったのか、青年は押し黙った。

 答えを待っても返ってこない。なら代わりに喋ろう。こいつとは白黒させたいことがまだまだあるのだ。

 

 

「外れじゃないけどね。あいつに目を付けられてからずっと傍に置かれて育ってきたし」

「……」

「私の家はムラクモだし、良心のある大人も稀にいたから面倒見てもらったけど、大して情はない。私もあいつも全部仕事で義務だったし」

「……」

「ナツメのことを親とか親代わりなんて思ったことは1秒だってない。あいつのことは物心ついたときから嫌いだった」

 

 

 頭を動かしてタケハヤを見上げる。その目をまっすぐ見据えて、はっきり言った。

 

「これだけは忘れるな」。

 

 

「『日暈 棗は信用するな』。あんたが私に言い聞かせたんでしょ。10年前に」

 

 

 彼に表情はない。感情の読みとれない目には自分の顔が映っているだけだ。

 都庁前広場に風が吹き始める。髪や服が緩やかに揺らされる中、互いを捉える瞳だけは釘づけにしたままでいた。

 何秒経ったのか、その間どんなことを考えていたのか。

 

 

「そうかい」

 

 

 こっちを見下ろしていたタケハヤは、肯定も否定もせず、他人事のように目を閉じる。

 話は終わったとでも言いたげに雰囲気が切り替わる。開かれた瞳はいつも通りシニカルな笑みを浮かべていた。

 

 

「で。続けんのか、やめんのか?」

「続けるに決まってんでしょ。朝食までまだ1時間ある」

「そうかよ。右利きの場合でいくぞ。親指は中指に付けて、人差し指は鍔に添えろ」

 

「……このドアホ」

 

「あ? 何か言ったか?」

「別に。あんた耳まで調子が悪いの?」

「かわいげねぇなぁ。そりゃきれいな顔して男の影もないわけだ」

「必要ないし」

 

 

 頭の上でため息がつかれる。なぜだか笑っているような雰囲気があった。

 炊き出しの準備か、胃を刺激する香りや蒸気が流れる広場で、いつもと違う朝が始まる。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「あ、シキちゃんおはよう。いつもより遅かったね」

「まあね……」

 

 

 自室に戻ると、寝間着姿のミナトが朝食を食べ始めていた。

 タイミング良く自分の分も用意してくれたようで、テーブルに置かれたプレートは湯気を立てている。感謝しつつ席に着いた。

 

 

「ったく、あいつ思ったより元気になってた……」

「? なあに、誰かと一緒に朝練してたの?」

「まあね」

 

 

 タケハヤがいたことで負けず嫌いの血が騒ぎ、朝の訓練は素振りから組み手、組み手から彼との切り結びになった。一進一退で決着にはならずにいつもより時間が延びてしまった。

 剣は得意じゃないとはいえ、病人相手に競り負けていたのが悔しい。怒りを歯に込めて固い漬け物をかみ砕く。

 

 一方ミナトは汁物から手をつけ、いつもより少し急くように食事を進めていく。手は箸を動かしながら、視線はテーブルの隅にあるクエストリストを眺めていた。

 行儀は悪いと思うが、人間はいつ破滅が訪れてもおかしくない状況だ。この部屋には政治家みたいなお偉方がいるわけでもなし。ふざけているわけではないなら、時間を効率的に使うことに文句はない。

 

 

「確認したけど、まだ東京タワーへの突入準備はできてないみたい。とりあえず、私は溜まってる依頼でも消化しにいくね」

「毎日毎日、よく飽きないわね」

「病は気からって言うし、不安の種は早いうちに潰しておいたほうがいいでしょ? 寄せられる相談って、都庁の生活環境の改善にもつながるものが多いから、やって損はないと思うよ。ごちそうさまでした」

 

 

 朝食を食べ終え、食器を片付け、ミナトは身支度を整えていく。

 

 

「……」

 

 

 ぱたぱたと忙しなく動く背中を観察し、白米をほおばりながら考える。

 13班になる前はドラゴンと戦うことなど無理だと嘆いていた人間だ。親しい者が体温を失って帰ってきた際、彼女の心は文字通りどん底に沈んだだろう。

 あのとき声をかけておいてよかったと思う。ミナトは自分に応えて立ち上がった。朽ちかけていた心は血を流しながらも、なんとかここまで歩けてきている。

 けれどどの程度まで回復したのか。どこまで言葉を使って踏み込んでいいのか。接し方をはかりかねる。

 とりあえず、大丈夫なのかだけ確認したい。この先何かの弾みで相棒が粉々に砕け散るなんて最悪の展開はごめんだ。

 

 

「ミナト」

「ん?」

「あんた、大丈夫なの」

「うん、怪我は治ってるよ。完治しないまま動いてもいいことないから。そこはちゃんと気を付けてる」

「いや……」

「異能力者として体を鍛えてきたからかな。最近、傷の治りが異様に早いというか、戦闘がない日は体力が余ってるというか……訓練も毎日同じやりかただとマンネリ化しちゃうし」

「そっちじゃなくて。あんたの、……メンタルの話」

 

 

 一瞬、ほんの一瞬だ。

 電波が悪くてもたつく映像のように、ミナトの動きがわずかに鈍った。

 うーん、と、献立に悩む主婦のように首が傾げられ、髪が重力に従って垂れ下がる。

 

 

「そっちは大丈夫なんて言えないかな。……たぶん癒えないよ、いつまで経っても」

「あんた、ナツメと戦えるの?」

「いやぁ、どうだろう」

 

 

「私弱いから」と、今の彼女が口にしなさそうなネガティブな言葉が漏らされる。

 振り向いたミナトは笑顔だった。ただ、わざとわかりやすくしていると感じるほどの作り笑いだ。

 

 

「今以上に鍛えていかなきゃ。ナツメさんに返り討ちにされちゃうかも」

 

 

 それじゃ、と彼女が踵を返したところで、ターミナルが音を鳴らす。

 ミロクからの通信だ。「おはよう、13班」とあいさつする少年ナビの表情は穏やかだった。

 

 

『……キリノが、例の兵器を完成させたらしい。会議室に集まってくれってさ。今回はオレたちも参加するよ。先に行って待ってるぞ!』

 

「……まずはこっちだね」

「先に行って。後からすぐ行く」

 

 

 部屋を出るミナトの背筋は自然にすらりと伸びていた。

 この数か月で随分変わったなと思う。彼女自身が言ったように、人竜ミヅチ──アオイたちの死──は生涯消えない傷になった。けれど、志波 湊はもう簡単に折れてしまうほど脆くはない。

 むしろ、さっきの作り笑いと合わせると、弱っているというよりは。

 

 

(……あいつ、本気で怒ると却って大人しくなるのか)

 

 

 ナツメのことを口にした瞬間、髪の隙間から覗いた眼差しに、確固たる意志を見た。どこまでもくらいつく猟犬のような、躊躇なく目標を貫く弾丸のような鋭い意志。

 

 元ムラクモ総長は神を名乗り、おぞましい人竜ミヅチへと変生した。だがその神は、自身を殺すかもしれない虎の尾を踏んでしまったことに気付いていない。

 

 

「ナツメ、あんた、後悔するわよ」

 

 

 呟いて、料理を喉の奥へ押し込む。

 数分で朝食を終えたシキはそのまま会議室へ向かおうとして、最近自分たちがいない間に部屋に差し入れを置いていく輩が多いことを思い出した。

 なぜ部屋の主がいないタイミングにするのだろう、おかげで物を適当に置くこともできない。

 まあ悪い気はしないけど、と胸中で付け加えながら、食器を汚く見えない程度に片づけて部屋を出る。

 

 早足で到着した会議室には、いつも通りの作戦会議メンバーが集まっていた。

 

 

「遅れた?」

「いや、シバくんが来てから五分も経ってないよ」

 

 

 中央に立つキリノが、相変わらずくまの目立つ目を緩める。

 準備が整ったということもあってか、今朝ターミナル越しに見たミロクのように全員が穏やかな表情をしていた。

 随分精神的な余裕が生まれている。スリーピーホロウ討伐後のてんでんばらばらな会議とは大違いだ。

 

 

「皆、集まってくれましたね。たぶんこれが……最後の作戦会議になるでしょう」

 

 

 キリノが落ち着いた様子で口火を切る。

 

 

「昨晩、研究班は新兵器『ドラゴンクロニクル』を完成させました。これによって、あの障壁を打ち破り……東京タワーを攻略することが可能になります。そして今、タケハヤには先行してドラゴンクロニクルの準備にかかってもらっています」

「そうか、いよいよだな……!」

 

「…………」

 

 

 気合を見せるリンの返事とは対照的に、ダイゴとネコのSKY組は表情を変えない。ダイゴは元から物静かだが、ネコまで一言も発さないのは違和感がある。

 たぶんタケハヤのことだ。今朝見た限りはいつもと変わったところはなかったが、この場にいない青年は何かをしようとしている。それこそ世界を左右させるような大切な何かを、仲間の誰にも話さずに。

 本当に、SKYのリーダーは隠しごとと独り占めが好きらしい。あのアホ、とシキは声に出さずに悪態をついた。

 

 

「タケハヤが障壁を破壊した後は、都庁あげての総力戦です。戦える者は全て13班をバックアップし……東京タワーを制圧。そして13班は、頂上部にいる、東京最後のボス竜──」

 

 

 しん、と会議室が静かになる。

 キリノは一瞬止まって、噛みしめるようにゆっくり、深く頷いた。

 

 

「ミヅチを……討伐してください」

 

「……なーんだ、自分で言えるんじゃん」

「キリノが言えなかったら、私たちが……って思って来たのに」

 

 

 固唾を呑んでという様子で見守っていたミロクとミイナが瞬きを繰り返し、はーっと大きく息を吐いた。真剣な表情をいつもの柔和な笑みに崩し、キリノは恥ずかしそうに頬をかく。

 

 

「……はは、見透かされてたか。ずっと、口にできなかったからね。確かに、彼女のこと……未練があったのかもしれない。でも、決めたんだ。彼女は僕の最愛の師であり……そして、倒すべき、人類の敵。僕は……それでいい」

「ふぅん……ちょっとカッコいいじゃん♪」

「その言葉、確かに受け取った」

 

 

 仕方ないという様子でもない、苦渋の決断という様子でもない。

 戦いの先にある「みんなで生き残る」という未来をしっかり捉えた目で、キリノははっきり言い切った。ネコが興味深そうに頷き、リンも拳を自身の胸の上に置く。

 

 

 

「観測班の情報では、全ての帝竜を討伐して以来、明らかに関東一円でのドラゴンが激減している。一部、異界化した街並みが元に戻ってきているという報告もあります」

「おおっ……!」

「作戦決行は明日。各自、十分に準備を整えてください。ではまた明日、作戦前にこの場所で……。──解散!」

 

 

 以前、会議室の隅でしおれていた後ろ姿はどこへやら、名実ともに司令官の役割を果たすキリノの号令に、各メンバーが一斉に動く。

 部屋を出ていく六人を見送り、シキはキリノに向き直った。

 

 

「その、ドラゴンクロニクルってやつ。本当に完成したのね。必要な物は揃ってたし、信じてはいたけど」

「ああ。こう言うのを、思いの結晶と呼ぶのかもしれないな。君たちと僕の努力、都庁のみんなの協力──そして、彼の決意があったからこそ……」

「ねえ──」

 

 

 タケハヤは、と続けようとして、口を閉じる。

 あの男は水面下で何かをしようとしている。その詳細を知るのは、ドラゴンクロニクルを完成させたキリノだけだろう。

 タケハヤに直接尋ねても絶対答えない。問うならキリノか……アイテルしかいないと思っていたが。

 

 

「シキ?」

「シキちゃん……? どうしたの?」

 

 

 キリノとミナトが顔を覗き込んでくる。

 応えることができず、じわじわと眉間にしわが寄っていくのを感じる。

 

 柄ではないが、迷う。関係者を片っ端から問い詰めタケハヤの企みを暴くか、何も探らずにいるか。

 前者はやろうと思えばできるだろう。ムラクモの主戦力、竜を狩る者、人竜ミヅチと相対するだろう13班。その立場の自分たちにドラゴンクロニクルの使い道が共有されないのはおかしい。この理屈は充分通じる。

 

 だが、

 

 

『あ~あ、揃っちゃったかー。……ん~にゃ、ダメなことなんてないよ? むしろ、そろえなきゃ怒ってた! そーいうもんなの』

『……人気者だな。虚勢でもいい、胸を張ってみせてやれ。俺の知るリーダーとは……そういうものだ』

 

 

 ネコとダイゴは、タケハヤが1人で進むと悟った上で、待ったをかけようとしなかった。血縁がなくとも誰より確かな絆を結んだ、家族である二人がだ。

 10年前、外に逃げずにムラクモに残った自分。命を投げ捨てる覚悟でタケハヤを追い、ムラクモから脱け出したネコとダイゴ。どちらが彼を理解できているかなんて考えなくともわかる。

 たとえ今二人を追いかけ、本当にいいのかと問いかけても、返ってくる答えは同じだろう。

 なら。

 

 

「……わかった」

 

 

 誰に向けるでもなく呟く。自分自身の胸に結論を刻む。

 たとえ納得できなくても、腹が立って仕方なくても、彼の道に立ちふさがるような真似はしない。自分が迷わずドラゴンと戦うと決めたのと同じで、タケハヤも自身を貫くだけなのだから。

 10年前、とっくのとうに道は分かたれていた。交差すれど、ひとつの道として重なることはない。

 だからタケハヤは、自分が何度尋ねても、一緒に過ごしていたあの時を肯定しようとしなかったのかもしれない。

 自分もあいつも、それぞれの道を行く。ただそれだけだ。

 

 

「キリノ」

 

 

 ずっと黙りこくっていた自分を見てうろたえている上司を呼ぶ。

 何だい、と腰を落として目線を合わせる彼の胸に拳を当てた。

 

 

「もしタケハヤが、私に何も言わずに行くつもりだったら、伝言お願い」

 

 

 耳をかっぽじってよく聞け、タケハヤ。これが最初で最後の見送りの挨拶だ。

 



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  決戦前② - ミナトとネコ -

次回から東京タワーへ出発です。あれタワーって言えるのかどうか。



 

 

 

 東京タワー攻略作戦。決行は明日。それまではまだ少し時間がある。

 厳しい戦いになるだろう。体も心も無傷では済まないかもしれない。気がかりなことがあれば先に片付け、明日はミヅチ討伐に集中できるようにとキリノから言い渡された。

 その言葉に素直に従い、ミナトは迷うことなく足を進める。

 全ての帝竜が討伐されたことで心が晴れたのか、朗らかに笑うイヌヅカ総理と挨拶を交わし、廊下の隅、神妙な様子で腕を組んでいる政治家に声をかけた。

 

 

「あの……アリアケさん、おはようございます」

「ああ、おはよう」

 

 

 腕組みを解いたアリアケ議員はいつものように優しく微笑む。

 チェロンからの連絡で受けた、ミナトを指名している依頼を確認すると、彼は間違いないと頷いた。

 

 

「確かに、私が出した物だ。わざわざ指名して悪かった……どうしても、他の人間に頼みたくなくてね」

「いえ、大丈夫です。それで、内容は……」

 

 

 自分を指名した時点で予想はできている。この2人しか知らない、あの時のことだ。

 

 

「依頼というのは、娘の……寧子に関することだ」

 

 

 幼い娘を拐われてしまったアリアケ議員と、幼少時にムラクモの研究所にいたネコ。つい先日発覚した意外な血縁。

 その後のネコは何もなかったようにふるまっていたが、当然、アリアケ議員は娘のことで気が気じゃなかったみたいだ。

 

 

「正直なところ……どうしていいか、迷っている。ただ、今はあの子のことを知らなければならないと、思うんだ。そして……困っていることがあれば、力を貸してやりたい」

 

 

 一緒にいたのはネコが拐われるまでのたった3年。片や政治家として活動し続け、片やムラクモから脱走、渋谷で野良猫のように育った異能力者。親子であるはずの2人は、途方もない空白で隔てられている。

 けれど、アリアケ議員が口にする言葉は真摯で、娘を案ずる父親そのものだった。

 

 

「……頼む、SKYの子から、寧子に関する話を、聞いてもらえないか?」

「わかりました。できるだけやってみます」

 

 

 ネコからしたら余計な世話かもしれない。部外者が首を突っ込んで不愉快に思うかもしれない。

 それでも、純粋に子どもを心配している父親の姿を見て知らない振りはできなかった。……この災害下で肉親が身近にいるという境遇が、少し羨ましくもあったから。

 

 小走りでSKY居住区に向かう。

 アリアケ議員は「困っていることがあれば力を貸してやりたい」と言っていた。彼女に今悩み事はないか聞き取りをしてみよう。

 SKY居住区に入り、すぐそこにいたスイという青年に声をかけてみる。

 

 

「ん……なんか用か? ……ネコのこと、どう思うか? そ、そんなこといきなり聞かれても……! まあ、なんつーか、そりゃ、あれだな。頼りに、してるよ。あと、かわいいし……信頼できる仲間っていうか? もう家族みたいなもんっていうか? それに、かわいいし……めちゃくちゃ強いしな……しかも、かわいい──え、何? もういい? 他に仲が良い奴を紹介しろって?」

 

(ダメだ、同性に聞いたほうがいいか……)

 

 

 女同士なら言いにくいことも打ち明けられるだろう。

 スイが指を向けた方向にいた女性、ハリに近付く。

 声をかけると、彼女は真剣な顔でネイルを仕上げながら声だけで返事をした。

 

 

「ネコのこと、何か聞かせろって? な、何よ突然……! もしかして、ムラクモの誰かがネコを狙ってるんじゃ──」

「いえ、そうではなく。例えば困りごととか、最近悩んだりしてないですか?」

「あ、そーいうこと?」

「ほら、SKYのみなさん、都庁に移ってきて少し経ちますけど、大変なこととかないかなって。ケンカとか、空気がギスギスしてるとか。……いじめ……はさすがにないだろうけど」

「……誰もそんなコトしないって。仲間だしさ。それに、ネコより強いのって、ダイゴとタケハヤくらいだもん。逆にボコられちゃうっての」

 

 

「悩み事ねー」と視線を天井に向け、ハリはネイルにふーっと息を吹きかける。

 

 

「んー……こないだ、ペンダントなくしたって、珍しく落ち込んでたよ。たぶん、いっつも着けてたやつじゃないかな。何か大事らしくてさ」

「ペンダント?」

 

 

 そういえば、初めて渋谷で彼女に会ったとき、その首元には綺麗な石のついたチョーカーが巻かれていた気がする。この間見たときはチョーカーのみだったけれど……。

 

 

「どこでなくしたのか心当たりは?」

「たぶん四ッ谷で落としたんだって言ってたよ。あそこって、毒沼があるんだって? それでネコも諦めちゃったみたい」

「なるほど……そのペンダントって……身近な人の形見だったり?」

「さあ……? ネコもそうだけど、あの3人は、昔のこと話さないからね。でも、あの落ち込みようからすれば、かなり大事なモノなんじゃん?」

「そっかぁ……」

 

 

 このご時世にあの生い立ちだ、思い入れのある品は心の支えのひとつだろう。

 アリアケ議員とのこともあるが、そのペンダントがまだ無事なら、見つけて返してあげられないだろうか。

 

 ハリに礼を言って部屋を出る。

 会議室フロアに戻ると、相談を聞いた時から変わらず廊下の隅で待っていたアリアケ議員が手を振った。

 

 

「アリアケさん、お待たせしました」

「ああ……何かわかったのかね?」

「それが、ネコは最近、ペンダントをなくしてしまったらしいです」

 

 

 ソウが彼女に対して熱視線を送っていることは伏せて、ハリと話したことを伝える。

 帝竜の領域と化していた四ツ谷、そして毒の沼。話を聞いたアリアケ議員は難しそうに顔をしかめた。

 

 

「ふむ……四ッ谷のペンダントか……。とりあえず、把握した。まずは情報料として、これを受け取ってほしい。その上で、相談がある」

「はい」

「先ほどの話にあったペンダント……寧子のために探してやってくれないか? 自分で探しに行けないのが歯がゆいが……四ッ谷では、手も足も出ない」

「はい、そのつもりでした。今日中に見つけられるかはちょっと難しいですけど、頑張ります」

「すまないね。もしペンダントを見つけたら、まずは私のところに持ってきてほしい。よろしく頼む」

 

 

 四ッ谷に巣食うドラゴンは全て倒した。失せ物探しだけなら、毒沼とマモノに注意すれば1人でもできるかもしれない。

 シキとミロクに通信を飛ばして事情を伝える。シキはやることがあるため同行はできないとのことだった。彼女も彼女で、SKYからの依頼を受けたらしい。

 

 

『ほんとお騒がせ集団よね、あいつら』

「まあまあ、一緒にドラゴンと戦う仲間だしさ。それにシキちゃんが自分からクエスト受けたってことは、興味のある内容なんでしょ?」

『ノーコメントよ』

 

 

 なんだかんだ言いながら、シキもSKYと交流を重ねているようだ。犬歯をむき出しにして彼らを威嚇していた頃が懐かしい。向こうに聞こえないようにこっそり笑う。

 ミロクと観測班に準備を進めてもらい、ミナトは脱出ポイント経由で四ッ谷に入った。ロア=ア=ルアの擬態ではない、本物の月に照らされてコンクリートの地面に影が落ちる。

 

 

「相変わらずの夜……。毒沼って言ってたし、このエリアの付近だと思うんだけど……あっ」

 

 

 天体の光が降る街の中、数メートル先で何かがきらりと光った。

 近寄ってみると、わずかに見覚えのあるペンダントトップが転がっていた。女性が好みそうな、質素だけど可愛らしい形のフレームと、そこに収まる綺麗な石。

 以前この場所には何もなかったはず。新しく物が落ちているということは、自分たちの後に誰かが来たということ。ダンジョンに踏み込めるなんて度胸と実力を持つ人物、ムラクモ以外ではSKYしか知らない。

 

 

「うん、ネコ……ので間違いないかな。すぐ見つかってよかった」

 

 

 ドラゴンが来ていなければ、今日も星座占いが放送されていて、自分の星座が1位だったかもしれない。

 幸運に感謝しつつ都庁に戻る。エントランスの入り口に立つと、入れ違いでシキが外に出るところだった。

 

 

「あれ、シキちゃん」

「あ? あんたさっき出かけたばかりでしょ。戻るの早くない?」

「脱出ポイントのすぐそばに探し物があったの。ラッキーだった! シキちゃんは今から?」

「ああ、ちょっと国分寺に」

「あ、じゃあちょっと待ってくれれば私も行けるけど」

「……いや、いい。1人でどうにかできる」

 

 

 ふいっと顔を逸らされる。気を遣っているというよりは、踏み込んでほしくはなさそうな態度。逆にこっちが気を遣ったほうがいいと感じる雰囲気だ。

 ここ最近、シキはSKYメンバーと同じで物思いにふけている。たぶんタケハヤのことだろう。

 最初は彼女がここまで人を気にするなんてと驚いたが、国分寺での会話を聞く限り、2人は浅からぬ縁がある様子。SKYからの依頼を受けたのもそれが絡んでいるのかもしれない。

 シキはキリノに、タケハヤに向けた伝言も残している。彼女から話してこない限り突っ込むのは野暮だ。気を付けてとだけ伝えておこう。

 

 

「明日は決戦だし、何かあったらいけないから、難しいと思ったらすぐ呼んでね」

「まさかあんたにそう言われる日が来るなんてね。……頭に留めておくわ」

 

 

 ウォークライに燃やされる前の長さに戻ってきた黒髪を揺らし、シキはさっさと都庁を出て行く。

 ミナトはアリアケ議員のもとに戻り、おそらくこれかと、と四ツ谷で拾ったペンダントを渡した。

 娘を身近に感じられるのか、彼は嬉しそうに手の中のアクセサリーを撫でた。

 

 

「おお、これが寧子の……! ……ふむ、見た感じは、何てことないな。石もただのガラス製だ」

「ただの……でも、ネコにとってはすごく大切な物らしいですよ」

「う、うむ、そうだったね、失礼。……まあいい。これからこれを、返しに行こうと思うんだ。私たちに必要なのは、話すきっかけ……そう思わないかい?」

 

 

「とはいえ」と、彼は苦笑して頭を掻く。政治家としてではなく、年頃の娘にたじたじな父親の顔だ。

 

 

「内心は不安でいっぱいでね……ついてきてくれるかい」

「わかりました。お邪魔でなければ」

 

 

 気まずくなりませんようにと祈って再びSKY居住区へ入った。

 遊技場のような部屋を進み、手作り感溢れる壁で仕切られた女性用スペースに、訪ね人はいた。あまり目立たないよう声を小さくして名前を呼んでみる。

 

 

「ね、ネコ、ちょっといいかな……?」

「……ん? 何か用でも──……!!」

 

 

 首を傾げながらのんびり進み出てきたネコは、アリアケ議員を見て目を見開いて固まってしまう。ネコ目が大きく見開かれ、途端に周囲の音が小さく感じるほど空気が張り詰めた。

 フォーマルなスーツは公の場では文句なしの正装だが、SKY居住区の中ではその実直なたたずまいが逆に浮いて見えた。

 アリアケ議員がしわと共に顔に笑みを浮かべる。まっすぐ伸びていた背筋から力が抜け、厚い生地に包まれている肩が下がる。ほんの少しでも娘に受け入れてもらえるよう、彼女と並んでも馴染めるよう、自身がまとう雰囲気も意識して塗り替えているようだった。

 

 

「……キミに、これを返しに来たんだ」

 

 

 緊張の中、努めて穏やかな声が出される。彼の手の上で光る石を見て、ネコは再び目を丸くした。

 

 

「これっ……! あたしの、ペンダント……!」

 

「話をしないか、寧子」

 

 

 アリアケ議員は語りかける。ネコはペンダントを持った両手を胸に埋め、下を向いていて表情がわからない。

 

 

「私たちは、離れている時間が長すぎた……だが、私は君を理解したい」

 

 

 歩み寄る父と微動だにしない娘。きれいに混ざり合わずちぐはぐになる空気に周囲のSKYメンバーがなんだなんだと注目してくる。

 嫌な予感がしなくもないが、余計な手出しをしてはいけない。やんわりと野次馬を遠ざけながら父子を見守る。

 アリアケ議員が一歩一歩ネコに近寄り、わずかに震える声で手を伸ばした。

 

 

「それで、この戦いが終わったら、一緒に──」

 

 

 バチンッ、と音が響いた。次いで、さかむけのように肌をぴりぴり刺激する声も。

 

 

「トツゼン父親面しないでよっ!」

 

 

 ネコがアリアケ議員の手を振り払っていた。彼女は目を吊り上げて父親を名乗る男性を睨み付けている。

 

 

「あたしのパパはタケハヤ! ママはダイゴ! 家族はSKYのみんななの! そもそも、寧子って誰!? あたしはネコだって、言ってんでしょ!」

「そんなことはない! 君は本当に、私の娘……寧子なんだ!」

「違うっ!!」

 

 

 腹の底から出された声が部屋いっぱいに響く。

 まるで雷が落ちたみたいだ。ジゴワットの物とは違い、怪我はしないけれど心臓を貫くように痛い、悲しい叫び。

 周りが瞬きすらできずに固まる中、ネコは手の中のペンダントを握りしめた。

 

 

「……このペンダント、何だか知ってる? タケハヤとダイゴが、最初の誕生日に、くれたものなんだ……」

「おまえの誕生日なら、7月の──」

「それも違うっ!」

 

 

 否定の声が空気を震わせる。

 

 

「あたしの誕生日は……研究所を抜け出して、タケハヤと再会した日。その日がうちら3人の誕生日……そう決めたの。あたしはその日に生まれた、ネコ。寧子は、確かにあたしだったかもしれないけど……今のネコが生まれたときに、死んだんだ」

「……」

 

「……帰ってよ」

 

 

 ぽつりと、雨粒がこぼれるように告げられた。

 再び時間が止まる。誰も何も言えず、目も逸らせないままだ。どこかで転がるスケートボードの車輪がからから回る音が止まるまで、微動だにできずにいた。

 

 やがて、アリアケ議員は払われたまま宙に浮いていた手を下ろし、目を閉ざして背を向けた。

 

 

「……ああ、そうしよう。どうやら、人違いだったようだ。……しかし、ネコくん」

 

 

 ねい、と娘の名前を呼びかけた唇が、きつく引き結ばれる。少しの間を置いて、彼は静かに口を開いた。

 

 

「君は、私の妻に似ている。誘拐され、死んだ娘にも……似ているだろう。だから、たまにでいい……たまにでいいから、話をしてくれないか? 哀れなオジサンの、与太話に……どうか、付き合ってやってほしい」

 

 

 ネコが顔を上げる。自嘲気味に語られる男性の後ろ姿を見つめ、彼女はフードの猫耳を揺らして頷いた。

 

 

「……いいよ、『オジサン』。それくらいなら」

「ありがとう……」

 

 

 感謝の言葉を告げ、アリアケ議員はSKY居住区から去っていく。

 動けずにいた自分の背中に、「ねえ」とネコが声をかけてきた。

 

 

「あのオジサンのこと、頼むね」

「……」

「ほら、あたしはSKYのネコだからさ……セージカさん追ってくなんて、できないよ。にゃはは!」

「……うん」

 

 

 空元気で笑うネコに、何も言えなかった。

 地雷を踏んでしまったかもしれない。それこそ、誰にも触らせたくない、心の奥の奥にある柔らかい部分に、土足で踏み込んでしまったかもしれない。

 ネコの声が耳をふさぎたくなるほどむなしく聞こえてしまって、そんな自分の唇に歯を立てながらSKY居住区を出る。

 

 

「アリアケさん!」

 

 

 息を切らしてアリアケ議員を追いかける。

 名前を呼んでも彼は振り返らない。ただ、流れてくる言葉は穏やかな海のように凪いでいた。

 

 

「私は……娘が生きているということさえ、信じてやれなかった父親だ。そんな奴には、ただの『オジサン』が似合っているよ。……ありがとう、長いこと付き合わせてしまったね」

「そんな、私は全然……ごめんなさい」

「君が謝る必要はない。もしかしたら……いつかまた家族に加えてもらえる日が来るかもしれない。私はその日を信じて、あの子のことを、わかっていこう」

 

 

 娘は死んだと言われ、その意思を尊重し、でも希望は捨てずに、そっと距離を置く。

 

 

(……お父さん、か)

 

 

 目の前の男性は心底ネコを心配して、黙って見守る決意をした。

 ネコにはあとで謝りに行こう。そしてどれだけ時間がかかっても、この2人が互いに納得のいく関係を築けるように、ドラゴンは必ず倒さなければ。

 

 改まって礼と報酬をくれるアリアケ議員に、深く頭を下げた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「ミナト、これ」

「え?」

「あんた宛」

 

 

 ふと気付くと、視界が風呂敷包みでいっぱいになっている。

 シキが目の前に何かをぶら下げていた。慌てて体を離すと、両手で持てるサイズの長方形を渡される。

「13班 ミナト」と書かれた紙が結び目に差し込まれている。二つ折りにされたそれを抜き取って開くと、丸字で短いメッセージが綴られていた。

 

 

『これが好評だったら、オジサンにも作ってあげよっかな……(・◇・)/  ──ネコ』

『それから……スカイラウンジで、待ってます』

 

 

「……」

 

 

 壁に掛けられている時計を見上げる。

 部屋に戻ってきてからいつの間にか数時間が経っていた。訓練にシャワー、夕飯に明日の準備をして就寝と考えるともう動いた方がいいかもしれない。

 

 

「うわっ、もうこんな時間……! こ、このお弁当? てどのくらい前から置かれてた!?」

「知らん。私さっき帰ってきたばかりだし。ベッドの上で瞑想してるのかと思ったらそうでもないみたいだし、何してたの?」

「い、いや、ちょっと考え事してて……。……シキちゃん、今国分寺から帰ってきたの?」

「それは数時間前。その後はちょっとね。ダイゴに呼び出されてた」

「……なんでそんなにぼろぼろ?」

「いろいろあった」

 

 

 シキは先にシャワーを浴びたらしい。身に着けているのは寝巻のキャミソールとショートパンツのみで、露出している腕や脚には新しい青あざがいくつかあった。

 椅子に掛けられているいつものセーラーや籠手もよれや傷が目立つ。ダイゴと手合わせでもしていたのだろうか。

「やりすぎた」と彼女はあくびをした。

 

 

「今日は早めに寝る。あんたも用事あるならさっさと済ませなさいよ」

「あ、うん……ってそうだ、ラウンジ!」

 

 

「ドラゴン討伐の喧騒を忘れられるような憩いの場所を」という要望が寄せられて改修されたスカイラウンジに急ぐ。暖色のライトが使われ、少しではあるがお酒を楽しめるということもあって、たまにいろんな立場の人からプライベートな交流で呼び出されることもある場所だ。

 駆け込んでソムリエに頭を下げると、彼は丁寧に掌で離れた場所を示した。

 数ある椅子の一脚、柔らかそうな背もたれに寄りかかり、ハイカットスニーカーを履いたしなやかな足がぷらぷら揺れている。

 恐る恐る近付くと、トレードマークになっている猫耳フードがぱっと振り向いた。

 

 

「えっと……ね、ネコ……」

「良かったぁ~! 来てくれないかと思ったよ……」

「ごめん……お弁当差し入れてくれてから時間経ってる、よね」

 

 

 自分が部屋に戻ってからは、シキ以外誰も13班の部屋を訪れていない。

 であれば、ネコからからあげ弁当が贈られたのは、アリアケ議員と別れた後も依頼を片付けていたときだ。そこからスカイラウンジにいたとしたら、いったい何時間待たせてしまったのだろう。

 なんだか今日は迷惑をかけてばかりだと反省しつつ、向かいに座る。両手を合わせて謝罪し、棒付きキャンディの入った容器を渡した。

 

 

「あれ? これって……」

「この間、お気に入りのアメを渋谷に置いてきちゃったって言ってたから……依頼で外に出たついでに、それっぽいのを回収してきたんだけど」

 

 

 SKYが都庁に合流し、ネコが治療を受けながら「残り3本……」と深刻そうにくわえていたキャンディ。その包装紙の柄が記憶に残っていたため、居住フロアで元気に宣伝を行っているストアIEの店長に尋ねたところ、「もちろん取り扱っておりますとも!」と商品名を教えてもらった。許可をもらい、物資回収も兼ねて渋谷からなんとか無事だった物を見つけてきたのだ。

 

 

 

「お詫びの品というわけではないけど、よかったら。あ、賞味期限はまだ来年だったし、汚れたりしてないか研究員の人たちにちゃんと調べてもらったから、衛生的には問題ないはず! ……それでも抵抗あるっていうのもわかるから、いらないならいいんだけど……」

「……にゃはははは! もーマジメすぎ!」

 

 

 ネコが自分の白い膝を叩いて笑う。彼女は容器をパーカーのポケットにしまい、いたずらっぽく片目を閉じた。

 

 

「もらっとくね、あんがと。でもお人好しだよ、国分寺でタケハヤにも言われたと思うけど、こんな時にあの人のためこの人のためーって走り回っちゃってさ」

「いやまぁ……今は心に余裕があるから。でも、その……それで欲張って、今日、調子に乗っちゃったかもしれない。ごめんなさい」

「ん? 何のこと?」

「ええっと、……アリアケさんのこと。私はあの人から話を聞いたとき、本当に必死に見えて、あなたと話せるお手伝いをしたくて」

 

 

 けれど、ネコにはネコの居場所がある。たとえアリアケ議員が本気でも、彼女からすればその居場所が崩れてしまうように見えるかもしれない。もっと慎重になるべきだった。

 自分だって人間関係で悩んだことはあるのに、これでは助ける側じゃなくて困らせる側になっていただけだ。

 

 下を向く。髪と一緒に心臓も思いも重力に引かれ、ぽろり、と本音がこぼれ出てしまう。

 

 

「羨ましくて、暴走しちゃったんだ」

「羨ましい?」

「……うち、母子家庭で。子どもの頃に、お父さんとお母さんが離婚したの」

 

 

 自分には異能力があった。母は受け入れてくれて、父は恐怖していた。

 それが近所で火事が起きた際に目に見える形になった。そして離婚につながった。異能力がきっかけだったのは間違いない。

 

 アリアケ議員は、ネコがSKYであることはもちろん、異能力者であることも知っていると思う。けれど彼は少しも気にせず、父としてネコと向き合いたいと言っていた。

 自分の母親も同じで、あたりまえのように親であってくれた。……そこに父親もいたら、と、アリアケ議員を見て考えてしまった。

 

 

「どうにもならないことなのにね。自分の望みを2人に重ねてたの、かも」

 

 

 もう一度謝るとネコは「マジメちゃんだねー」と言いながら新しいキャンディを口に入れた。

 

 

「いいよ別に。そっちにもいろいろあったんだし。……ペンダント渡してきたのはオジサンだけど、探してきたのはアンタでしょ?」

「うん」

「てことはわざわざ四ッ谷の毒沼まで行ったってことっしょ。ほーんとおせっかい焼き」

「ごめん……」

「いや、責めてないから」

 

 

 会話が途切れて静かになる。

 控えめに流れるBGMがなんとか間を埋めてくれて、ネコが顔を上げた。

 

 

「あのさ……今日はアンタに、お願いがあるんだよね」

「お願い?」

「ん。ほら、アタシにとって、SKYは家族だって言ったでしょ?」

「ああ、うん」

「それに加えてさ、クソ蝶々のときのナビちゃんや今日のオジサンまで……アタシの家族ポジ、大人気すぎ! ……けどさ、」

 

 

 ネコは癖のついた髪先をくるくるいじりだす。恥ずかしそうに、気まずそうに、彼女は声量を落として首を傾けた。

 

 

「家族はたくさんいても、実はトモダチって……あんまりいないんだよね」

「……私もそんなに多くない。友だち」

「にゃはは、アタシたち似た者同士じゃん。……ってことでさ! アタシと……トモダチになってくれない?」

 

 

 少し潤んだ猫目が自分の顔を映す。

 友だち、と頭の中で繰り返して、国分寺でのことを思い出した。シキとちゃんと友だちになれた瞬間。彼女はほんの、ほんのわずかにだけれど笑っていた。

 あの時のシキは、今の自分のように温かい気持ちになっていたのだろうか。

 そうだといいなと思いながら、気付けば笑ってネコの手を取っていた。

 

 

「私でよければ……もちろん、喜んで!」

「マジで!? えへへっ、言ってみるもんだなぁ~。実は、アンタとなら、けっこーイイ感じなんじゃないかと思ってたんだよね!」

「……というか」

「うん?」

 

 

 首を傾げるネコから目を逸らす。

 今から言うことはちょっと、いや、かなり恥ずかしいが、勇気を出して自分を呼んでくれたネコに応えるためにも言っておきたい。

 ほら、だのあの、だのしどろもどろになりながら言葉を紡ぐ。

 

 

「同じサイキックだし、たぶん歳も近いし、3回もケンカして帝竜だって一緒に討伐したし、今は同じ拠点に住んでるし……私は、てっきり、もう仲間みたいな……そんな風に、思ってた。実は」

 

 

 声は届いたはずだ。しかし反応がない。

 もしやなれなれしすぎただろうかとネコを見ると、眼鏡のレンズ越しに、朱色に染まっている頬が見えた。

 

 

「わ……っ! なんかキュンときた! ……アンタのそういうとこ、ちょっと好きかも」

「……どうも」

「ちょっと、自分で言っといて照れないでよ~! アタシだって恥ずかしいんだから! ……じゃ、早速メアド交換しよーよ! まずアタシのやつ送るから!」

「う、うん」

 

 

 本来の役割である連絡端末としてスマートフォンを使うのはいつぶりだろう。

 町の基地局は竜災害下で機能していない。現在はムラクモ本部が通信を中継してくれていて、都庁近辺であればスマートフォンで連絡が取りあえるようになっている。根本的解決はしていないけれど、ドラゴン襲来前の生活が戻ってきたように思えたのか、都庁には笑顔が増えた。

 

 メールアドレス、SNS、ついでに電話番号も互いの物を登録して、ネコは満足そうに端末を握る。

 

 

「いつでもメールしていいよ! アタシ、返信はマジで高速だから! それとね……」

「?」

「これは、今までのお礼とオワビ!」

「え」

 

 

 ネコが何やら後ろを向いて、踊るように回って広げた物。彼女が着ている服と同じ色、形をしたそれ。

 

 

「そ、それは……!」

 

 

 どこで売っているのか疑問に思っていた猫耳パーカー!

 

 続いて小さなケースも渡される。透明なフタ越しに見えるのは、これもネコと同じ、青と黒で猫の柄が入ったネイルチップだ。

 

 

「じゃじゃ~ん! アタシとおそろいだよ♪」

 

 

 おそろい。

 つまり。

 

 

(……私も、これを、着る……!!?)

 

「あ、あっ、ええええっと……!!?」

「って、思いの外、照れるかも……。恥ずかしいから……たいさーーんっ!」

 

 

 コメントを返す間もなく、真っ赤になったネコはラウンジから「じゃーねー!」と走って出ていく。

 残っているのはプレゼントを渡された姿勢のまま固まっている自分と、空気のようにラウンジに溶け込んでいるソムリエのみ。

 

 

「……」

 

 

 腕の中のパーカーを見下ろす。

 クラシックが流れる中、椅子から立ち上がって窓際まで移動し、音を立てずにそれを羽織る。

 フードもかぶって、よく磨かれたガラスに映る自分を見る。

 

 実は、ちょっと、

 

 

(気になってたり、してたけど……)

「……かわいい」

 

 

 さすがに「にゃー」なんて口にする度胸はない。

 代わりに、頭の上で揺れる猫耳を、ちょんとつついた。

 




前衛3職は戦闘中に武器の形確認できますが、サイキックとハッカーはまったく出ないんですよね……にゃんクロウは実際どんな形なんだろうか。

着ぐるみのような猫の手型のイラストもたまに見たりしますが、その形だとアイテム使えないと思うので、猫柄のネイルチップと解釈しました。


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36.タケハヤ

個人的には amazarashi 様の『空に歌えば』がタケハヤのイメージソングです。某人気作品のアニメOPにもなっていた超かっこいい曲。
ぼろぼろになりながら、いろんなものを奪われながら、それでも止まらずに走り続けてついには空を飛ぶまでに至った彼を想像するとサビの締めくくりのフレーズが胸にぶっ刺さる……。神曲なので聞いてくれ。



 

 

 

 チチ、と鳥の鳴き声が耳に届いた。

 平和な街並みと同じく数ヶ月前に失われ、久しく聞いていなかった音だ。いつもより素直にまぶたが上がる。

 現在、午前6時半。少し早い気もするが、睡眠時間はちゃんと取れた。作戦のことを考えれば十分すぎるほどに準備や万が一への備えをして損はないし、二度寝すると却って頭が鈍ってしまう。このまま支度をしよう。

 

 

「ん……く……うー……」

 

 

 伸びをしながら隣のスペースを覗く。ベッドはもぬけの殻だ。掛け布団がまくり上げられたままだから、シキは一足先に朝の訓練に出ているのだろう。

 着替えて、うがいをして水を一杯飲む。冷たさに体が刺激されて意識が覚醒し始めたとき、部屋の扉がノックされた。

 ノックをするならシキではない。そしてこんな早朝に訪ねてくるのは……。

 

 髪をとかして、慎重に扉を開ける。

 目の前には青いマフラーが揺れていて、視線を上げると茶髪の青年が自分を見下ろしていた。

 

 

「……タケハヤさん……おはようございます」

「……よォ。ちょっと、話でもしねェか……?」

「話ですか?」

 

 

 部屋の中を振り返って、シキはいないと告げる。彼は問題ないというように頭を振り、「おまえだよ」と言った。そしてちらりと自分たちの部屋を見る。

 

 

「英雄の部屋にしちゃ、素っ気ねェもんだ。ま、その方がおまえたちらしいか」

「英雄なんて大袈裟な。物資が限られてますからね、個室があるだけありがたいですよ」

「そういうもんか。……話があるんだ。悪いが、ついてきてくれ」

 

 

 それだけ言って彼は背を向ける。

 言葉少なだとは思うが、大切な話なのだろう。元より断る気もなかった。黙って彼についていく。

 

 早朝の都庁は静かだ。窓から見える空は穏やかな晴れで、特徴的な雲の形が季節が変わったことを告げている。

 換気のためか、わずかに開けられている窓には鳥が止まっている。それを眺めながら、日記にでも綴るようにタケハヤは話し始めた。

 

 

「誰にも、何も話さずに……ってのも、考えたんだがな。お前らくらいには、知ってて貰ってもいいかなってよ──」

「……それは……?」

「……ふん、キョトンとしやがって」

 

 

 おもむろに、彼は廊下の窓に寄りかかった。

 その視線を追うと、窓ガラスを通して都庁前広場が眼下に広がる。

 いつも通り、風に揺れるムラクモの旗、入口を警備する自衛隊員が数人──、

 

 

「あ」

 

 

 広場の中央で黒髪が舞う。

 誰よりも素早く動き、何よりも深い色が目を惹きつける。これまで7の死線を共に潜り抜けてきたパートナーが、拳と足を止まることなく動かし続けていた。

 相変わらず、一挙一動が空気を叩くような演武。今までと違いがあるとすれば、ときどきその手に剣が握られることだろうか。

 

 

「まだ硬いな」

 

 

 ぽつりとタケハヤが呟いた。

 気付かれないように目だけを動かす。ゆっくり視界に入る彼の表情は、わかりにくいがわずかに優しさをにじませるような笑みだった。

 そうだ、と思いつく。彼なら、前に自分が見つけたシキに関する事柄について何か知っているかもしれない。

 

 

「タケハヤさん。私前に、シキちゃんについての情報を見聞きしたことがあるんです」

 

 

 タケハヤの視線がこっちに向くのを感じる。ミナトはナビたちの依頼で、延命治療の情報を調べたこと、そこでシキに関する記述を見つけたことを話した。

 

『シキのことも気になって調べてみたけど、身体的特徴が現れていないことからして、あの実験としては失敗してるみたいだ』

『異能力が目覚めるとしても、高確率で両親の遺伝だろうから、シキの体は普通の人間と同じだと思う。彼女に関しては寿命の心配はいらないだろう』

 

 

「本人が知っているかはわかりません。その記述はミロクたちを延命するために必要な情報ですから、戦いが終わった後に調べてみるつもりですけど……タケハヤさんは、シキちゃんについて何かご存知ですか? ……何か知ってますよね? 私と会う前の、あの子のこと」

 

 

 もちろん話してくれるだろうという圧を込めて視線を送り返す。

 しばらく互いの瞳を見つめ合う。先にまぶたを下ろしたのはタケハヤだった。

 

 

「俺も詳しいことは知らねェよ。話を聞く限り、あいつが生まれるときの話だろ? 俺があいつと一緒にいたのは、10年前のほんの少しの間だ。……いたっつーよりは、『見た』の方が近いな」

「見た?」

「ああ。30分にも満たねェ、わずなか間だ」

 

 

 タケハヤはゆっくり語り出す。

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

 10年前、ムラクモの研究施設で送っていた最悪の少年時代。絶えない痛みの中でダイゴとネコと支え合っていた頃。ある日、まだ片手の指を折り切らないくらいの女の子が研究員に引きずられてきた。

 自分たちを閉じ込める仕切りの向こう、子どもは部屋の中に取り残され、1対1でマモノと向き合わされる。何が起きるか把握した瞬間、思わず待てと声が出た。

 実験体は自分たち3人を含め、ある程度成長した子どもたちが中心だった。全員幼いことには変わりないが、風が吹けば飛んでしまうような幼児まで実験に使うなんて。しかもマモノと戦わせるなど。

 

 マモノが吠えて少女にとびかかる。

 逃げろという叫びよりも早く、その牙が小枝のように細い腕に突き立てられた。

 部屋中に絶叫が響く。マモノにのしかかられた女の子はそのまま冷たい床に押し倒され、マモノに抵抗するたびに赤い飛沫が宙に散る。

 見ていられなくてダイゴとネコを呼ぶ。3人で自分たちを閉じ込めていた壁に穴を開け、なんとか自分1人が這い出たその時、ぐちゃりという嫌な音を聞いた。

 顔を上げると、女の子が無言でマモノの死骸を見下ろしていた。血まみれの拳がマモノの頭を潰していて、どちらの物かわからないほど体は赤く濡れている。

 大丈夫かと駆け寄ると、彼女はうつろな表情で自分を見上げる。

 

 

『だれ?』

『んなことより怪我だ! 見せろ!』

 

 

 もう一度怪我の具合を尋ねると、女の子はくりくりした目を大きく見開き、わっと泣き出した。

「もうやだ」「痛い」「また戦わされる」と泣きわめき、血だらけの腕や服で顔を拭うものだから、頬や鼻が余計に汚れてしまっている。

 そこに研究員が何人か入ってきて、犬の散歩でもするように少女を連れて行こうとする。心に血が通っていない姿に、日頃から積もっていた怒りが爆発した。

 目の前の大人を全員殴り倒し、女の子を抱えてその部屋から飛び出した。

 

 

『逃げるぞ!』

『え……?』

『いいから行くぞ! 腕はもうちょい我慢しろ、いいな!』

『う、うん、がんばる』

 

 

 追っ手を撒き、誰もいない部屋に隠れる。腕の怪我を止血し体を拭いてやると、自分たちの手術痕とは違う、大小様々な傷が体中にあった。

 直後に聞いたことのない警報が流れ、放送で彼女の名前が連呼されるのを聞き、シキが悪い意味でムラクモに「特別扱い」されていることを知った。

 痛みと恐怖で縮こまる女の子は腕にすっぽり収まるほど小さかった。後にドラゴンを拳で伸すまでになるとは思えないほど。

 このままではいずれ、ムラクモに飼い殺しにされる。彼女は自分たち普通の実験体とは違う。連れ戻されれば厳重な管理下に置かれ、もう二度と会えないかもしれない。

 ネコとダイゴにも脱走の計画を伝えて準備を進めていたが、今はこの子を連れて施設を抜け出すしかない。

 

 2人が後で自分を追ってきてくれると信じ、タケハヤは研究所を駆けた。赤い非常灯が目を射る中、懸命に自分にしがみつく女の子を抱えてひたすら走った。

 頭の中に叩きこんだ見取り図を辿り、大人たちをなぎ倒し、えずくほど肺が締め付けられても止まらなかった。そうしてようやく、目の前に一筋の光が差した。

 

 

(あれだ!)

 

 

 壁に溶け込むように立っている扉。他の物とは違う円形のハンドルと、上で光る緑のライト。非常口だ。

 

 大きく踏み出そうとしたところで、カツン、と靴音が響く。

 たった一度のそれだけで体に刻まれた傷がうずいて、非常口に伸ばしかけた腕が固まった。

 

 

『シキ? どこにいるの?』

 

 

 続いて流れてくる女の声。怒りもなく、焦りもない。ただ蛇のように静かに這い寄る冷たい声。

 赤いライトと暗闇が交互に入れ替わる中、遠くにあの女の影が見えた。女の子の名前を呼び、周囲を見回しながらもこちらに向かう足取りには迷いがない。

 

 

『もう、勝手にどこかに言ってはダメって、何度も言ったでしょう? マモノと戦うのにもいい加減慣れなさい。あなたにはマモノどころか……奴らも超えるほどの力が眠っているかもしれない。あの程度の戦闘でいちいち泣いて止まっている暇はないのよ。わかるでしょう?』

 

 

 腕の中のシキがぼろぼろと涙を流す。必死に歯を食いしばる様子は、実験漬けの日々で仲間たちが苦痛を耐える顔によく似ていた。

 こんな小さな子どもによくも。

 怒りで胸の内が煮えたぎる。女は少しも声音を変えない。非常にゆったりと、けれど確実に距離を縮めてくる。

 握った拳を牽制するように女は言った。

 

 

『ああ、それとも彼に捕まっていて帰ってこられないのかしら。一生懸命なあなたが訓練を放り出すはずないでしょうし。彼には本当に困ったわ。他と比べて優秀だから、粗末な扱いはせずにいたけど。シキまで連れていくというなら──』

 

 

 ──あなたたちの分まで、他の子に頑張ってもらうしかないわね?

 ──たとえば、彼と仲の良いあの2人とか。

 

 

『てめぇ……っ!!』

 

 

 上等だ。逃げるよりも先に、その喉笛を噛みちぎってやる。

 

 走り出そうとして、けれど足は前に進まなかった。シキがしがみついてきたためだ。

 小さな女の子はもう縮こまっていない。目尻からは新しい涙が流れ続けているが、丸めていた背筋を伸ばし、まっすぐ自分を見上げていた。

 

 

『にげて』

『ナツメ、怒ってる。あの声は、ぜったいひどいことする。わたしが戻ればゆるしてもらえると思う』

『わたし、わたし、他とちがうんだって。だから、だいじょうぶ。……おにいちゃんは、ぜったいにげなきゃ。戻ったらころされちゃうよ』

 

 

 年端もいかない子どもが、現状での最適解を理解している。

 自分は逃げる。彼女は留まる。誰も殺されずに生き延びられるかもしれない、あんまりな選択肢。

 背が伸びているだけで、傷と骨と皮だけの体には、もう扉を開く力しか残っていない。

 この状態で、敵地のど真ん中であの女に真正面から突っ込んだとして、勝てる可能性は?

 

 

『……ちくしょう……っ!!』

 

 

 怒りはあれどそれを成し遂げる力がない。その時の自分は、「逃げる」ことでしか好機を先に繋げられなかった。

 

 歯を食いしばり、しゃがんで視線を合わせる。

 

 

『絶対、助けてやる。ダイゴもネコもおまえも。あのババァには絶対負けねェ』

『うん』

『シキ、いいか。あの女の本当の姿を忘れるな』

 

『日暈 棗は信じるな』

 

 

 再会を固く誓う。怒りと惨めさを胸に刻んで非常口から転がり出る。

 扉が閉まる寸前、シキが悲しい笑顔でこっちを見ていた。

 体も涙もぼろぼろのまま、「バイバイ」と手を振っていた。

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

 話を聞き終わり、自分の体が震えていることに気付いた。

 怒りだろうか、恐怖だろうか。たぶん、どちらも。

 ミナトは手で肩を抱き、深呼吸を繰り返す。一息ついて平静を取り戻し、気を取り直してタケハヤと向き合う。

 

 

「その女の子が……」

「おう、シキだ。自分の歳と名前しか知らなくてよ。とにかく毎日、マモノと戦わされてたらしい」

 

 

 ふっと、タケハヤが笑った。どうしたんですかと尋ねると、思い出し笑いだと彼は口もとを手で隠す。

 

 

「あいつ、今からじゃ想像できないくらい普通のガキでよ。腕ん中でがたがた震えてたな」

「シキちゃんが怖がるとか泣くとか、私は考えられないです。そんなところ見たことない……」

「ああ。てっきり、10年経った今も、昔と同じようにしくしく泣いてるだろうななんて思ってたぜ」

 

 

 ネコとダイゴが自分を追って脱け出してきて、新しい仲間が増えて、体に植え付けられた力も使いこなせるようになった。

 けれどシキはいくら探しても、時折危険を冒してムラクモ機関に近付いても見つけられなかった。それだけナツメに重宝されていたのだろう。

 東京にいるのは確かなはずだ。特別扱いされていた彼女なら他の実験台より待遇は良いだろう。

 生きてさえいれば、諦めなければ、必ず会えるはず。

 

 

「おまえら、ムラクモ試験の日に帝竜に吹っ飛ばされて死にかけたんだって? そん時にダイゴとネコに助けられたのは覚えてるか?」

「う、はい、恥ずかしながら……助けてもらったのはこの間教えてもらって初めて知りました。……あれ、そういえば、どうしてあの日2人は都庁に……」

「ドラゴンの様子見と『狩る者』探しだよ。ムラクモが集めた人材なら、癪だがアイテルの望みを叶えてやれる奴がいるんじゃねェかってな。あとは……あいつも探しにな」

 

 

 タケハヤは再び都庁前広場を見下ろす。

 1人だけでは物足りなくなったのか、シキが入口の警備に立つ自衛隊員たちに声をかけている。相手がいやいやというように頭を横に振るのもお構いなしに引きずり出し、半ば無理やり1体多の組手が始まった。

 アーマーを身に着けた成人男性がぎゃーと叫びながら宙を舞う。ちぎっては投げという表現にふさわしく大人たちを振り回す少女に、彼はくっくと笑いをかみ殺した。

 

 

「俺ぁ残念ながら、ダイゴとネコに置いていかれちまってな。調子が悪そうだったからなんて気を遣われて、情けねェ」

「じゃあもしかしたら、あのとき都庁の屋上にタケハヤさんもいて、シキちゃんを連れ帰っていたかもしれないんですね」

「ああ。そのつもりだった。……だが、気付かなかったかもしれねェ」

「え?」

「……渋谷で初めておまえらと会った時、名前を聞くまであいつだってわからなかった。首都高で話してやっと確信できたよ。そんぐらい変わっちまってたからな」

 

 

 東の空に昇る朝日が壊れた世界を照らす。割れて抉れたアスファルトも、フロワロに沈む遠くの地も、ちっぽけな人間たちも全て等しく。

 その中で少女の黒髪が艶めく。太陽にも負けない深い黒、彼女自身の存在感や鋭さも相まって黒曜石のようだ。

 

 

「ムラクモに囚われて苦しんでるはずだって思ってたんだがな。お上品なセーラー服着てぶっ飛ばすだのぶっ倒すだの……はっ、お姫様になるようなタマじゃなかったみてーだ」

「あはは、シキちゃんは雑魚敵からラスボスも全部自分で倒さなきゃ気が済まなさそうですね。王子様が相手でも気に入らなかったら殴ると思います」

「身に染みて知ってるさ。国分寺で嫌ってほど殴られたからな。……あの負けん気は育った環境もあるんだろうが、あいつがナツメに何かされて、あの時の記憶がないんだってのは、首都高での反応を見てわかった」

 

 

 首都高でタケハヤがシキに投げかけた疑問。ドラゴンが来る前から、なぜムラクモにいたのかという質問に答えられない彼女を見て、腹が立つったらなかったと彼は顔をしかめた。

 

 

「使い捨てだろうがそうじゃなかろうが、あのババァは全てが自分の思い通りにいかなきゃ気が済まねェらしいな」

「……もしかして、頭の傷でしょうか」

「頭?」

「ほら、シキちゃん国分寺で倒れたんですよ。タケハヤさんに頭を撫でられた直後に。あの時、トリニトロの攻撃を受けたわけでもなかったのに、つむじ近くの……ここらへん。古傷でしょうか、そこが開いて血が流れてたんです。それまでもずっと頭が痛いって言っていたんですけど、まさかナツメさんが関わってたなんて」

「……頭いじって記憶を消しでもしたか。胸糞悪い」

 

 

 躊躇なく吐き捨てられる。それでも彼はシキを強引にでも連れ戻すつもりだったと言った。

 

 

「もしもおまえらが俺たちに負けたら、殴って気絶させてでもあいつからあの腕章引っぺがすつもりだった。……だったんだがな」

「……何ですか?」

「もうあいつの隣に、おまえがいた」

 

 

 タケハヤの両目が自分を捉えた。

 あんまりまっすぐに見つめてくるものだから恥ずかしくなって、反射的に目が逸れる。けれどすぐに思い直して、ミナトも鏡のように視線を返した。

 彼と渋谷で出会った時もこんなふうに見つめられていた気がする。何者か見極めるような、妥協のない真摯な瞳。

 

 

「随分と間の抜けた奴と組んで、たった2人でドラゴン退治に放り込まれて、いつまでもつのか見物だったが、あんたは最後までくじけなかったな」

「いやぁ、はは……シキちゃんがいたからですよ。私、最初は他の人に任せる気満々でしたから」

「ほぉ。……国分寺でも尋ねたが、なんで戦うことを選んだ?」

「……私は弱くて、普通の人と同じで、痛いのも苦しいのも嫌だし、力があるからって戦わなきゃいけないのはおかしいって拒否してたんですけど……ムラクモ試験で、都庁の屋上で、確かにこの手で、シキちゃんを助けることができた。それをあの子自身が私に教えてくれたんです。あの子は気を遣う意識なんて微塵もなかったんだろうけど、私は取るに足らないただの泣き虫だって言ったうえで、『あんたのこの手は、何かを為せる』って言ってくれたんですよ」

 

 

 何かって何だろう。私には何ができるのだろう。これからやってくる恐怖から自分を守れるだろうか。誰かを救えるだろうか。

 まったくわからないし、保証もないけど。一方的に蹂躙されるのは嫌だ。やれるならやってみよう。

 そう思わせる力が、あの一言にはあった。

 

 

「私は誰かが前に立って先に行ってくれなきゃ動けない人間です。たとえ正解が分かっていても、そこに誰もいなきゃ、誰かがいる間違いを選んでしまう。でも、あんなに厳しくて、きつくて……絶対に曲がらない、まっすぐすぎる子、初めて見たから」

 

 

 地下シェルターで震える自分の手を握る手、小さなそれから焼きつくほど伝わってきた熱は、今も自分の両手に刻まれている。

 

 

「シキちゃんが前を突っ走ってくれるなら、私は大丈夫です。だから、どこまでも突き進むあの子の背中に何かが迫ったら、私がどうにかしたいなって。あの子が認めてくれた私の手で、あの子の背中を押してあげたいなって思って。私はシキちゃんのパートナーで、同じ13班で、」

 

 

 友だちですから。と言い切る。

 

 

「……そうかい」

 

 

 今まで心配して損したぜ、とタケハヤは笑った。

 彼はもう一度、汗を散らすシキを見てそっと目を閉じ、行くかと歩き始める。

 

 

「ミナト」

 

 

 初めて名前を呼ばれる。彼は歩みを止めず、振り向くそぶりも見せずに言った。

 

 

「シキのこと、頼んだぜ」

 

「……約束しかねます」

 

 

 タケハヤがつんのめりそうになってこっちを見る。

 かっこいいこと言ったつもりだろうが、納得できるかどうかでいえばNOだ。

 もちろん、これからもシキと一緒に戦うつもりではある。でも彼女さえいればいいというわけじゃない。シキだってきっとそうだ。……言葉や態度には出さないけれど。

 

 

「タケハヤさん、みなさん待ってますよ、タケハヤさんが帰ってくるの。……1人だけ違うところで戦おうとしないでください。もちろんあなたがしたいことを否定だけする気はないです。でも、そんなふうに、死に場所を探すみたいに戦いに向かっても、寂しいですよ。だからえっと……頼むなんて言うくらいなら、ちゃんと帰ってきてください! そうしたら私も」

 

 

 言葉は途中で遮られた。タケハヤが笑い声をあげたからだ。今までとは違い、天井に向かってまっすぐ伸びる気持ちのいい声だった。

 

 

「っはー……おまえら、本当にお人好しだよなぁ」

「……ネコにも言われました」

 

 

 お人好しなのだろうか。でも彼にいなくなってほしくないのは確かだ。そう思っているのは、決して自分だけじゃない。

 

 つい昨日、交換したばかりのアドレスから真夜中にメッセージが届いた。スマートフォンの小さな画面には、「返信いらないから。独り言だと思って」という前置に、胸が痛くなるくらいの想いと決意がつづられていた。

 

 

『……国分寺でさ、タケハヤが言ったこと、覚えてる? こいつのためなら何だってできる……そーいう相手のために、自分は頑張るんだって』

『アタシのソレ、タケハヤなんだよね。バカみたいな一方通行でも、さ』

『だから、タケハヤの望みは、必ずアタシが叶えてみせる……! その先にアイテルしかいなくても、絶対……!』

 

 

 タケハヤは気付いているのだろうか。医務室で彼が使っていたベッドに、アメの包装紙で作られた折り鶴が添えられていたことに。

 

 伝えたい。あなたが一歩踏み出すごとに、自分の血が流れるように苦しむ人がいるのだと。そのくらいあなたが大切で、ずっと一緒にいたくて、おかえりを言えますようにと祈る人がたくさんいると、思いっきりぶつけたい。

 

 でも、

 

 

「これ、アイテルに渡されたんだが」

「何ですか……? 空の瓶?」

「治癒力を高める薬だとよ。どこかの誰かが、わざわざドラゴンぶん殴って作ったもんらしい。……ムラクモの薬なんて飲む気なかったがな、依頼したのはうちの奴らだっていうじゃねェか。そこまでされちゃ、受け取らないわけにはいかないだろうよ」

「それって、」

「ありがたくいただいたぜ。おかげで今日は調子がいい」

「……」

 

 

 全部わかったうえで、彼は進み続ける。

 なら、もう言葉を挟むのは野暮だ。度を過ぎれば枷になる。そんなこと誰も望んでいない。

 

 

「わかりました」

 

 

 大丈夫。顔を上げろ。見届けるのだ、タケハヤの覚悟を。

 

 

「安心してください。シキちゃんは誰よりも強いです。それに独りじゃない」

 

「あなたの戦いは絶対に無駄にならない。あのときのタケハヤさんに代わって、私があの子の隣に立ちます!」

 

 

 少しは頼もしく見えただろうか。

 タケハヤは「ありがとよ」とだけ言って、研究室の扉を開けた。

 

 いつもいるはずの研究員たちの姿は見えない。部屋の奥では、キリノとアイテルが自分たちを待っていた。

 前に進み出たタケハヤが振り返る。

 

 

「ドラゴンクロニクルは、兵器なんかじゃねぇ。……それくらいは、気付いてるよな?」

「はい……やっぱり……」

「だよな……おまえらは色々、知っちまってる……だから、だましたままってのも具合が悪くてよ」

 

 

 キリノが眼鏡越しに見える目を歪める。彼は重力に引きずられるように視線を下げ、「すまない」と呟いた。

 

 

「君には本当に損な役回りを──」

「ちげぇ! そんなこと言いたいんじゃねェ。俺ぁ思うんだ……本当に大事なのは……力じゃなくて……意思なんじゃねぇかってな」

 

 

 タケハヤがキリノを遮り、自身の手を見下ろす。傷が刻まれ、マメができて、骨ばっている大きい手。

 見えない何かがあるように彼はその手を握り、よく考えてみろと顔を上げた。

 

 

「力が弱ェだの強ェだのって話なら、俺たちゃとっくにドラゴンに滅ぼされちまってる。……ミヅチはそこを誤解してんだ」

 

 

 戦いが足し算引き算のように単純なら、地球はドラゴンが飛来したあの日に終わっていただろう。数か月も経って人間が生き残っていることも、こうして人竜に手が届きそうになることすらなかった。

 

 

「『力』にこそ価値があるんじゃねぇ。『力』ってのは……『意思』があってこそ本当の価値が、あるんだよ」

 

 

 キリノもアイテルも何も言わない。アイテルはもちろん、ドラゴンクロニクルを作るキリノは事前にタケハヤと話していたのだろう。2人は彼の決意を聞いて辛そうな顔をすれど、止めようとはしない。

 タケハヤの目が自分を映す。全ての思いを乗せた視線が、流星のように胸を打った。

 

 彼は行ってしまうだろう。

 

 

「……俺はこれから竜になる」

 

 

 人の姿……国分寺で信念をぶつけあったありのままの姿で向かい合うのは、きっとこれが最後。

 

 

「でも、それは『力』を得るためじゃねェんだ。俺は……1人の愛する女を……解き放ってやりてェ……救ってやりてェ……! そのために、竜になるんだ。だからよ、俺の醜い姿を見てもよ……それだけは、誤解しないでくれよな」

 

 

 誤解なんてするはずがない。意思表明として大きくうなずいてみせた。

 

 横になるタケハヤにキリノが器具を繋いでいく。

 痛々しい手術痕で埋まった体から目を逸らしたりはしない。その傷は彼が生きて戦ってきた証だ。

 気を抜いてしまえば余計なことを口走ってしまいそうで、唇を引き結び、アイテルと並んで彼を見守った。

 

 作業を進めていたキリノが、ボタンを押そうとして動きを止める。

 数秒、指先をたたんで強く握りしめた後、彼は静かにスイッチに触れた。

 

 

「情報鍵『ドラゴンクロニクル』による竜の分解……そしてタケハヤとの融合……フェーズ5……コンプリート。これで……完了です」

「師を超えたな……キリノ」

「君のいう『意思』の力ですかね……」

「……へっ」

 

「終わった……? タケハヤさん、体に異変は、」

 

 

 ないんですか、と訊こうとした瞬間、視界がぶれた。

 空気が揺れる。空間が震えている。見えない何かが唸りをあげる。

 地震が起きているわけでも風が吹いているわけでもない。タケハヤを中心に、大きな力が渦を巻いている。

 

 

「ガァッ……!」

「タケハヤ……」

 

 

 タケハヤが胸を押さえる。アイテルが踏み出そうとして、しかし押し留まるように体を引いた。

 

 

「ア、グウッ……! ウグ……アアァ……アアアアァ……」

 

 

 青年を包むように光が湧き上がる。やがて目の前が真っ白に染められて、ミナトもアイテルもキリノも、腕で顔を覆った。

 

 眩さに刺激された目の痛みが落ち着いてくる中、耳が音を拾う。

 機械の稼働音じゃない、鳥の鳴き声でもない。大きな何かが空気を捕まえる音……羽ばたく音。

 光の名残りが取れない目を無理やり開ける。すぐ目の前にいたはずの彼の姿はどこにもない。

 

 

「……タケハヤ!?」

「どこ……!?」

 

「……皆に囲まれてお誕生会っていうのも……バツが悪いもんだ……ましてや、こんな姿じゃな」

 

 

 慌てて彼を探す中、確かに声が聞こえた。けれど距離が離れている。

 アイテルがいち早く研究室の出口に目を向けた。1歩、2歩、苦しそうに歩んで手を伸ばす。

 

 

「そこに……いるのね……?」

「来るんじゃねェ!」

 

 

 姿が見えなくても伝わってくる異質な気配。拒絶するような一喝にアイテルは止まった。

 こんな別れで悪い、と扉越しにタケハヤは謝る。絶えず風の音が響く中、彼は清々しさすら感じさせる声で言った。

 

 

「俺は『正義の味方』になったんだ。人知れず戦うのが、カッコいいってこった……」

 

「……あばよ」

 

 

 突風が研究室を叩いた。部屋全体が揺れ、並び立つ器具が互いに擦れ合ってガチャンと音を立てた。震動は徐々に小さくなって、部屋の外の気配が薄くなる。

 風が止んでしまう寸前、アイテルがためらいを振り切って駆け出した。ほとんど感情を出したことのない顔に汗を浮かべ、宝石のようにつぶらで揺らぐことのなかった瞳を潤ませて。

 

 ローブをはためかせる彼女を追って部屋を出る。そこは誰もいなければ影もなく、名残のように落ちている木の葉を柔らかい朝日が照らすだけ。

 

 

「タケ……ハヤ……」

 

 

 アイテルの切ない声が青年の名前を呼んだ。応える相手はここにはいない。

 廊下の窓は開け放たれていて、その桟に止まる鳥がうつむく女性をじっと見つめていた。

 




14話の最後でタケハヤが憤っていた相手はシキではなくナツメでした。伏線を張ったつもりだったんですが上手くできていたのかどうか。


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  タケハヤ②

都庁出発。本格的な戦闘は次回からです。

ファクトリーの改修をして開発班に性能のいい装備を作ってもらうのは難易度的に欠かせないけど、終盤になるにつれてフリマやダンジョンで手に入ったり好感度イベントでもらえる装備の方が高性能だからほぼ利用しなくなるという悲しいできごとが……。



 

 

 

「あ」

 

 

 午前7時過ぎ。自室の前でパートナーと鉢合わせる。まったく同じタイミングで声が重なり、同じようにドアノブに伸ばしていた手が宙で止まった。

 目の前の彼女は瞬きと一緒に視線をずらし、しかしすぐに意を決するように向き直ってきた。

 

 

「おはよう!」

「……おはよ」

 

 

 これはタケハヤと何か話したなと察する。

 品定めするようにミナトを観察していたあいつのことだ、何か接触してくるとは思っていたが……いつもより早めに朝の訓練に出ていたのは正解だったか。

 訓練を終える前、上空で大きな何かが羽ばたく音が聞こえた。鳥にしては大きすぎて、竜にしては重圧を感じない。(SKY)のように自由な音だった。

 あいつはもう都庁を発った。なら自分たちの出立も近い。

 

 シキはドアノブを回してミナトと一緒に部屋に入る。

 すっかり勝手知ったる我が家となった室内で、ターミナルの画面がミロクの顔を映した。

 

 

『コール、13班。……なんだ、早起きだな。体調はどうだ、よく寝られたか?』

「ちゃんと寝た。アップも済んでる。いつでも行けるわ」

「おはようミロク。体調は問題ないよ。ミロクはどうなの、ちょっと目が充血してるよ?」

『ん。実はオレ、昨晩寝つけなくてさ……へへっ、子供っぽいって言うなよ? なんかすごいワクワクしちゃってさ……。行こう、シキ、ミナト! みんな会議室で待ってるぞ!』

 

「ワクワク、ね」

 

 

 人竜ミヅチとの決戦。勝てば脅威は消え、負ければ世界は終わる。

 切り立った崖の上で風に煽られているような状況なのに、ワクワクとはかなり肝が据わっている。

 それだけ、絶望ではなく希望が心に根付いているということだろう。悪いことじゃない。

 

 朝食は各々のタイミングで取った。微調整用に携行食を持ち、装備を確認していると、ミナトがぼーっと部屋の中を見回す。

 

 

「あんた何してんの」

「いやぁ……片付けて行った方がいいかなぁって」

「身辺整理みたいなこと言うな、縁起が悪い」

 

 

 片付けなんて帰ってきてからいつでもできる。そう、今日は今までと同じように任務を終わらせて、同じように帰ってくるのだ。

 ミナトを引きずり部屋を出る。彼女が今は空になっている隣の部屋に向けて敬礼をした。つられて胸中で行ってくると告げて、会議室に向かう。

 入室すると、いつものメンツに加え、開発班からワジ、ケイマ、レイミが、建築班からミヤが来ていた。珍しいと呟くと、最後の戦いだからねとキリノが全員を見回す。

 

 

「……来ましたね、13班。タケハヤは既に出立しています。彼が障壁を壊し、我々はそこに総力で突入する……作戦は、変わっていません」

 

 

 東京タワーは今や天を貫く要塞だ。中のマモノやドラゴンも危険だが、純粋にミヅチが待つ頂上まで体力がもつかわからない。

 そのため攻略は自衛隊、SKYからも人員が出ることになった。拠点を無防備にはしておけないので大多数は都庁防衛に務めるが、リンと8名の精鋭、ダイゴとネコも作戦に参加する。

 

 

「13班を、無事タワー頂上まで送り届ければいいんだよね」

「今さら怖いモノなんてない! 俺たちの、最高の働きを見せてやるよ!」

 

「ふっふ……腕が鳴るぜ」

「せっかくだから、SKYらしく暴れるよ? これが最後のノラネコモード! ぎにゃおおおぉおん♪」

 

 

 共に前線に立つメンバーが笑顔で準備万端であることを告げる。対照的に都庁に残るミヤと開発班の3人は自分たちが出向けないことに歯噛みしているようだった。ミヤが「いいか、13班」と肩をつかんでくる。

 

 

「あのタワーを開放してやってくれ。美しい建築物が汚されるのは我慢ならん……!」

「心配するのはタワーの方なのね」

「おまえたちに関しては正直心配する必要はないだろう。必ず帰ってくるだろうからな」

 

 

 激励を受け取る横ではワジたちが自分たちの武具と持っていく薬の最終チェックを行なっていた。ケイマはすでに感極まって泣きべそをかいている。

 

 

「くそっ……またお前たちと一緒に戦いてぇ……! ついていきてぇのに……!」

「気持ちだけにしとけ。私たちが行っても、足手まとい……今回は、そういう戦いだ」

「買い残しはありませんか? 何でも、じゃんじゃん注文してくださいね! ……あら? ミナトさん、これは?」

 

 

 レイミが手を止め、ミナトの脇腹を撫でる。

 隣に立つパートナーはびくりと肩をすくめ、不自然に膨らむ脇腹を庇うように腕を回した。

 

 

「えっ、あ、いや……内ポケットにアイテム入れすぎたんですかね、少し盛り上がっちゃって」

「こんなところに内ポケットをつけた覚えはないですけど……ちょっと待ってくださいね、動きを妨げないよう微調整しますから」

「いえいえ大丈夫ですよ特に違和感も不便もないですしまったく問題ないのであの触らないでいただけるとあ〜〜〜!!!」

 

 

 お構いなしにレイミがミナトの体をまさぐり始める。

 突っ込まれて引き抜かれた彼女の両手が、深い紺色の布を広げた。水色のラインと動物の丸い足跡のポイントに、ぴょこんと飛び出した猫耳がふたつ。

 

 

「……」

 

 

 その場の全員がミナトを見つめる。

 

 

「……」

 

 

 ミナトは両手で顔を覆ったまま返事をしない。よく見ると、その指先に装備されているネイルチップもパーカーと同じ配色の物だ。

 

 

「あ、それ……アタシがあげたやつ」

 

 

 ネコの呟きにミナトは両手を下ろす。現れた顔は茹で上がったカニのように赤く染まっていた。

 

 

「その……今朝、ちょっとだけ、これを装備して術の訓練をしたら、いつもより調子がいい気がして……最終決戦だし、機能面と安全面から考えると、これを着た方がいいのかなって……でも、着る勇気がなくて……」

「な、ちょちょちょーっと待った! 俺たち開発班は改修を重ねた施設の中で、今までのノウハウと戦闘データ、帝竜の資材詰め込んで最新鋭の装備を用意したんだぞ!」

「そ、そうですよ! コケにするつもりはありませんけど、レイミたちだって職人です! さらに性能がいい装備なんてそこかしこに転がってるわけじゃ──」

 

 

 ケイマとレイミがミナトにつかみかかり、それぞれクロウとパーカーを凝視する。

 グローブを外した指先で一撫でするたび、若手職人2人の眼は困惑に変わり、驚愕して、潤んでいき、ついにはほろりと滴をこぼした。

 

 

「ま、負けた……」

「何ですかこれ……かわいくて最強とか、ずるいです……」

 

「へへ~ん。ま、友情パワーってやつ?」

 

 

 ネコが得意気にウィンクを決める。

 話の流れ的に、彼女からのもらい物である装備……にゃんパーカーとにゃんクロウを着用した方がいいということになったのだろう、ケイマとレイミは自分たちが用意した装備を外し、今にもハンカチを噛みちぎりそうな形相になった。ネコが軽い足取りでミナトの傍に移動して肩を寄せ合う。

 

 

「そーいうわけで、ミナト、アンタこれ着ていきなよ」

「……着るの? 本当に、これを?」

「ちょっと、なんで躊躇ってんの」

「さっきも言ったじゃん、着る勇気ないんだって」

「それってどーいう意味? 本当は着たくないってこと?」

「違うよ。でもクロウの方はまだしも、こんなにかわいい服、私みたいな地味には似合わないっていうか……」

「……ふーん……好みじゃなかったってことか。嫌なモノ押し付けて悪かったねー」

「だ、違うってば!」

 

 

「着たいよ!!」という大声が会議室に響く。

 そもそもなぜミナトがその服を持っているのか。なぜネコと距離が縮まっているのか知らない一同がツッコめずにいる中、ミナトはにゃんパーカーをひしっと抱きしめた。

 

 

「好きな色は青! 犬より猫派!! 子どもっぽいってバカにされるのが怖いから大学に入ってからはコーデ変えようと思ってたけどパーカー着やすいし好き!!! 好きな要素が全部そろった服だよ、着たくないわけないじゃん! でも勇気が出ないの! おしゃれにあんまり興味なかったし、ネコの言う通り私地味だし! ネコみたいにかわいい子には似合うと思うよ、自衛隊の人も何人かネコのことかわいいって言ってたもんね!」

「え? おいマキタ?」

「違うぞ隊長! 鼻の下伸ばしてたのは俺じゃないからな!」

 

「私は今年19歳になりました。来年には成人です! ちゃんとしたメイクもしてない成人女が猫耳の着いたパーカー着てたらどう思う? イタイでしょ!?」

「……ねえ、それアタシはどうなんの?」

「ネコはいいんだよすごくかわいいし似合ってるから!! お世辞抜きで! いい? この服は!」

 

 

 ミナトが目にもとまらぬ速さで自分の後ろに回り、がばりとパーカーをかぶせてきた。

 

 

「すっごくかわいい! 『ただし顔面偏差値が高い子に限る』なの!! わかる!? ……シキちゃんこのまま写真撮ってもいい!?」

「うるさい落ち着け」

「んがっ!」

 

 

 軽く裏拳をくらわせる。錯乱状態にでもなったかのように荒ぶるパートナーを鎮め、着るのを提案したのはおまえ自身だろうがとパーカーを被せ返した。

 

 

「似合う似合わないとか地味とか派手とか今考えることじゃないでしょ。少しでも勝率上がるならそれ着なさいよ」

「ううう~……」

「……ミナトってこんなキャラだったっけ?」

「こいつから真面目が抜けたらだいたいこんな感じよ。めんどくさい」

 

 

「めんどくさいなんて言わないで~」とミナトが足に縋りついてくる。やはりめんどくさい。

 感覚は理解できないがあれだけ熱弁したのだ、簡単に変わるような意識じゃないのだろう。けれどこのままでは戦闘に支障が出かねない。

 何とかしてくれと視線で頼む。ネコがしゃがんでミナトを宥め始めた。

 

 

「そんなにネガることないじゃん、ブスじゃないんだから自信持ちなって」

「人のこと地味子ちゃんなんて言ったくせに~」

「いやだって、ムラクモが用意する装備って実際地味っしょ? 作業員も着てるあれ……ツナギっていうの? あれ着て気分とか上がる?」

「ネコさん、異議ありです! あれは全身の保護と機動性を重視した意味のある装備で──」

「レイミだっけ。そんなこと言いながらあんただってメイド服じゃん」

「え、だってこれはレイミのお気に入りですし、レイミは前線には出ませんし……」

「それにシキも、そのセーラー服、実はお気に入りなんでしょ?」

「あ? まあ、あのツナギよりはね」

「ほらぁ、みんなそういうもんなんだって」

「そういうもん……? ほんとに……?」

 

 

 うんうんとネコが頷く。機嫌を直しつつあるミナトに、彼女は内緒話をするように小声で囁いた。

 

 

「アタシだって友だちとおそろで一緒に戦うとか……初めてで嬉しいし。一緒にこれ着て頑張ろーよ。ね?」

「おそろ……。……笑わない?」

「あったりまえじゃん」

「私がブスじゃないって、ほんと?」

「嘘なんかつかないよ。自信ないならメイクしてあげるし」

「……わかった。着るよ」

 

 

「安全第一だしね」とようやくミナトは立ち直り、恐る恐るといった様子でパーカーに袖を通した(さすがにフードはかぶらなかった)。

 言葉を挟めずに置いてけぼりになっていたキリノが、もういいかなと気まずそうに首を傾げる。

 

 

「すみません、話の腰を折ってしまって……」

「だ、大丈夫だよ。年頃だし、服装の悩みは尽きないよね。で、えー……」

「作戦の確認まで終わりました」

「そう、作戦の確認は以上です! よし、そろそろ時間だ。目指すは東京タワー……各員、出動!」

 

 

 最終チェックも完了した。気を取り直して、キリノの号令で会議室から飛び出す。

 

 

「ミナト、『無理』は禁句だからね」

「わ、わかってるよ、ここまで来たらもういくしかないって! これで最後なんだから!」

 

 

 パートナーはぶんぶんと頭を縦に振る。エンジンはかかっているみたいだ。暴走しすぎてガス欠を起こしてしまわないか心配だけど。

 

 ミナトの言う通り、これで最後だ。やるべきことはいつも通り。

 

 

(すべての竜を、狩り尽くす!)

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「……」

 

 

 7階の会議室の廊下からアイテルは都庁前広場を見下ろす。地上にはたくさんの人間が集まっていて、彼らの声援を受け取った13班らが車に乗り込み、都庁を出た。

 耳を澄ませれば、離れているここにも、人々の熱気を帯びた声が届いてくる。不安はあるけれど、絶望に沈んではいない。泥にまみれても負けるものかと立ち上がる、強い意思。

 今朝の静寂の中で戦いに赴いた彼も、きっとまた。

 

 トッ、トッ、と軽い足音が近付いてくる。次いで聞こえてきたのは、自分の片割れの声だ。

 

 

「この星の人間は、強いな……」

「……姉さん」

 

 

 以前見たときとは違う、幼い子供の姿。けれども刃の艶のようなプラチナの髪と、穂先のように鋭利な赤い瞳はまごうことなき姉のものだ。

 

 アメリカのドラゴン戦線を指揮していた彼女は、人竜ミヅチの攻撃から辛々逃れ、自力で日本まで『跳んで』きた。海を越えて都庁まで来れたはいいが、代償にかなりのエネルギーを消耗し、体が縮んでしまったらしい。

 13班に手伝ってもらって元に戻ろうという試みは失敗してしまったようだ。下の階の研究室から「ふざけるなあああああ!!!」とか「黙れバカぁっ!」と響いてきていた怒声からして、体調に問題はなさそうだけれど。

 

 小柄な体に未だ慣れないのか、エメルは服の袖口をいじりながらアイテルの隣に立った。都庁前でたむろし、自衛隊員らに中に入るよう促される人々を見て、彼女は首を傾げた。

 

 

「私には理解できない。この星が持っている、特別なもの──戦う、ではない。立ち向かう……という強い言葉」

「私にはわかる」

 

 

 人々に寄り添い、タケハヤたちと共に過ごして気付いた。竜の首を落とす武器にも、その牙から身を守る盾にならずとも、諦めない人間たちが皆等しく持っている、目には見えない物。彼らが見せる勇気の源泉となる、とめどなくあふれるそれ。

 

 

「きっとそこには、『意思』の力があるんだわ……」

 

 

 意思が尽きない限り、壊れた世界のどこかで、きっと誰かが立ち上がる。

 

 

(どうか、彼女たちが……。そして、)

 

 

 どうか、彼が。

 

 アイテルはローブの下から腕を上げ、胸の前で両手を組んだ。

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

 世界中に存在を示すように立ち昇る光の障壁。それに囲まれ、ねじれる渦のように天まで伸びた東京タワー。

 その不格好な城めがけて雲を突っ切り、タケハヤは飛ぶ。近くまで来たところで嫌な圧を感じ、背から生えた翼で空気を受け止め、一度道路に着地した。

 

 

「コイツか……」

 

 

 人竜ミヅチは「神の居城」などとのたまっていた気がする。

 神気取りの愚か者。その4つの目で見ているといい。

 

 翼を広げ、一直線に上空へはばたく。

 

 

「小賢しい真似しやがって……! ナメるなよ、人間を!」

 

 

 手に持った身の丈を超える槍を振りかぶる。タケハヤは怒りのまま、血潮が流れるように動く光の壁へ、全力で刺突した。

 

 槍の先が衝突している部分から抗う力が吹き荒れる。ビキリ、と体から嫌な音がしたが、止めるものか。

 毒を以て毒を制す。この壁は所詮人竜が生み出したもの。同じく人の身から竜になった自分が破れない道理はない。

 

 

「砕けろ……ッ!」

 

 

 槍を握る手に力を込める。

 蜘蛛の巣状に広がった亀裂により深く押し込めば、障壁は甲高い音を立てて砕け散った。

 凝縮されていた光が解放されて霧散していく。これでとぐろを巻く偽りの城は野ざらしだ。

 

 一仕事終えて着地した瞬間、一部が異形に変化した胸が軋む。翼には力がみなぎっているのに両足から力が抜け、思わず膝を着いた。

 

 

「チッ……! もうガタがきてやがる……」

 

 

 竜にとって人間はエサ。淘汰されて当然の塵芥。

 人間にとって竜は大敵。倒さなければ生き残れない最悪の障害。

 二つはそもそも相容れないのだ。それを無視して混ぜ合わせた体は爆弾そのもの。少しでも気を抜けばどうなるかわからない。

 

 体を襲うひび割れるような感覚を抑え込み、なんとか自重を支えて立ち上がる。

 あと少しすれば、都庁から彼女たちが来るだろう。情けない姿を目撃される前に、さっさと去るとしよう。

 

 頼むぞ、と後ろを振り返る。

 

 

「俺にまだできることがあるとすれば──もう少しだけ、もってくれ……!」

 

 

 竜も、竜に寝返り神を自称するあの女も首を洗って待っていればいい。おまえたちは存在を軽んじた相手である人間に、地べたまで引きずり落とされるのだ。

 

 肩甲骨に力を入れる。生温く不快な風を捕まえ、タケハヤは遥か高い宙を目指して飛んだ。

 



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37.紅蓮の塔で蛟は嗤う

ミヅチのところに行くまで。
あの構造の東京タワー、実際に何階あるんだろうか。



 

 

 

 甲高い音が轟き、空を渡っていく。ドラゴンの奇襲かと思ったシキは車の窓を全開にして身を乗り出した。

 

 

「何、今の音!?」

『各員に通達、東京タワーの観測が可能になった。現地で様子を確認されたし!』

 

 

 ミロクのアナウンスを聞きながら、「危ない危ない!」と腰にしがみつくミナトを支えに、前方に目を凝らす。

 紅白のタワーは人竜ミヅチに歪められたままの姿だ。けれど、光の障壁らしき物は見当たらない。

 同じタイミングでタワーの観測が可能になったということは、おそらく……。

 

 車は法定速度などお構いなしに加速していく。離れていたタワーは瞬きをするごとに迫り、目前まで来てやや強引にブレーキがかけられた。

 迅速に車両を降りて陣形を組んだ自衛隊の面子が、おお、と声を上げる。

 

 

「障壁が、消えている……」

「あの男、やってくれたか……我々自衛隊もSKYに負けていられないぞ……」

 

 

 通信機の向こうでキーボードを弾いていたミロクが、うん、と力強く頷いた。同時に視覚に共有された情報の中にも障壁の存在はない。

 

 

『本部より指令。障壁の機能は完全に消失している……! 全隊、突入せよ! 繰り返す、全隊、突入せよ!』

「……っ了解! これよりタワー内のマモノを一掃する! 第1小隊、第2小隊……突撃ッ!」

 

 

 リンの号令で自衛隊が先陣を切った。マモノは任せて、ドラゴンとミヅチに集中してくれと頼もしく胸を叩き、銃火器を構えた9人が突入していく。

 景気良く響いてくる銃声を聞き、ダイゴがネコを見た。彼女は雲に突き刺さるタワーを、空を、誰かを探すように見上げている。

 

 

「俺たちも行くぞ」

「……うん」

「心配するな、あの男はそう簡単にくたばるタマじゃない」

「……だよね♪」

 

 

 ネコがこちらを向いて、お先と片目を閉じる。

 渋谷で多くの仲間を失って以来、誰よりも鼻息荒く東京タワーに狙いを定めていた2人だ。自衛隊に負けず劣らず、男女は味方も蹴散らす勢いで中に突っ込んでいった。

 

 すかさず11人の視覚情報が共有される。例に漏れずマモノとドラゴンが跋扈しているが、生存者の反応もちらほら確認できる。ミヅチが現れるよりも前にタワーを避難場所としていた人間がいたのかもしれない。

 マップの各反応を分析しながらミイナが「13班」と呼びかけてきた。

 

 

『外観でわかるかと思いますが、タワーは超高層のダンジョンになっているようです。現在解析を進めてはいますが、地上からの観測には限界があるかと……』

「まあ、頂上っぽいところ見えないしね……これ人間が登れる高さなのかな」

『皆さんが突入した1階を見る限り、足場は安定しています。そこまで複雑化してもいないので進行しやすいとは思いますが……各フロアに強力なドラゴン反応が数体……フロワロと連結して進路をふさいでいる個体もいます。私は、自衛隊とSKYのナビに回ります。生存者の救助とマモノの掃討は私たちに任せてください』

「私たちはドラゴンだけぶっ飛ばせばいいってわけね」

『はい。物資、体力に限界を感じたらすぐに脱出キットを使用して都庁へ帰還を。タイミングはあなたたちとミロクに任せます。気を付けて。オーヴァ』

 

『……よし、13班も突入だ。派手に暴れてやろうぜ!』

 

 

 ミロクに誘導されてタワーの中に踏み入る。真っ先に視界に入ったのは得物から火を吹かせる自衛隊メンバーだ。

 動きが以前とはまったく違う。ここまでの戦いでマモノの生態や行動パターンのデータが充実しているし、何より実戦で積まれてきた経験が活きている。元々一般人より戦いの領域に踏み込んでいるのだから、得手不得手が把握できれば、その後の判断も行動も迅速だ。

 

 

「後方! グラス系のマモノが2体!」

「こっちに近付く前に撃ち落とせ! あいつらの鱗粉は絶対に吸うな、浴びたらすぐに後ろと交代しろ!」

「うわっ、あのでっかいカマキリみたいな奴もいます!」

「四ッ谷にもいたな。あいつはリーチが長い、常に距離を取りつつ腕の付け根か脚を狙うんだ!」

 

 

 洗練された集中砲火がデッドシュヴァルツの片腕をもぎ取る。

 2メートルはある鎌が床に落ちるのと同時に、紛れるように小型の影が飛び出した。

 

 

「まずい、こいつは──」

 

「ドラゴン、ね!」

 

 

 突撃銃ごとマキタを噛み砕こうとしたミクロドラグにシキの足が突き刺さる。いつぞやの地下道で見たようにドラゴンは錐揉み、デッドシュヴァルツを巻き込んで壁に叩きつけられた。

 

 

「すまない、助かった!」

「別に。マモノに紛れて近付いてくるとかめんどくさい手を……ミロク、こいつらの反応は?」

『把握できる限りだと、各フロアで数体固まって動き回ってるな。戦闘中に割り込んでくる可能性もある。そいつは積極的に討伐した方がいい。ドラゴン反応が近い場合は自衛隊と互いを視認できる距離で進んでくれ』

「了解! って言ったそばからー!」

 

 

 ミクロドラグが追加で2体すっ飛んでくる。「もー!」とミナトが氷の槍を飛ばし、大きく開いた口を串刺しにした。

 

 

『よし、目視できる範囲にドラゴンはいない! 残りも適当にSKYが蹴散らしてくれたみたいだな。このまま前進しよう!』

『フロア北側に要救助者反応! 途中のドラゴンはダイゴとネコが排除しました。自衛隊第2小隊は救助者の保護へ。脱出キットでこちらへ転送次第、速やかに先の部隊へ合流するように。引き続き、SKYの2人はドラゴンを、自衛隊堂島三佐、及び第1小隊はマモノを掃討してください!』

 

 

 ミイナのナビを受けたことは片手の指を折る程度だが、彼女もミロクの片割れ。未来視とすら錯覚するような的確な指示が絶えることなく飛んでいく。

 勢いに乗ったままタワーの探索が進み、地上が眼下へ遠ざかっていく。窓から見える景色は既に都庁最上階を超えるのに、まだ頂へは遠いというから異界化は底知れない。

 

 

「この中も、やっぱわけわからん形になっちまってるな……けど、今更ビビることもないだろ? ズバっと攻略しちまおうぜ!」

「この先に階段があるみたいだ。ミヅチの反応は、タワー上空……行こう、13班!」

「はい!」

「当然!」

 

 

 サスガとリンに応え、次のフロアに踏み込む。ミロクとミイナが「警戒!」と声を重ねた。

 長い通路の先から、重量を感じさせる足音が連続して響く。乗用車も追い越せる勢いで蒼い翼竜がこちらへ突進してきていた。彼我の距離は空いているが、数秒も経たずに接触するだろう。

 竜の姿が数ヶ月前に都庁で見たワイバーンと同じだと気付いた自衛隊員が数人前に出る。

 

 

「あれは選抜試験の時にもいた奴だな、今なら俺達でも牽制できるかもしれん! 13班はその隙に──」

「待った!!」

 

 

 銃を構えようとする彼らにシキがタックルして、ドラゴンの進行方向から転がり出る。

 1拍置いて直後、空気の爆発に轟音が体を打ち、周りの窓が派手に破裂した。自分たちが立つ場所が傾いたのは気のせいじゃないだろう。

 

 フロアの一部をひしゃげさせたドラゴンを見て、カマチが額に手を当てる。

 

 

「……すまない、やはり任せるしかないみたいだ」

「巻き込まれたら死ぬわよ。急いでここから離れて、マモノを片付けておいて。SKYも一緒にね」

 

 

 姿形が似通っていようが最後のダンジョン。そこに巣食う竜も、帝竜とまでは言わないが軒並み脅威だ。

 自衛隊とSKYが別の通路へ入っていく。その先でドラゴンに遭遇してもネコとダイゴ、ミイナがついているから大丈夫だろう。

 ガラスが一片残らず吹き飛ばされた一角で「えぇー……?」と震えるミナトに視線を送る。

 

 

「今の技は」

「……ソニックブームってやつだねぇ。何回かこの姿のドラゴンが使ってきたやつ。威力も規模も今までの上位互換って感じだけど……」

「狭い通路から放ってこれなら、広いスペースで思いっきりされちゃどうなるかわからない。動き回りつつ翼を狙う」

「了解。あと、」

「ブレスも……ね!!」

 

 

 ジゴワットもかくやの紫電が宙を走る。殺到するブレスをすっかりものにした裏拳で吹き裂き、お返しにと拳を見舞った。

 右ストレートがドラゴンロードの鼻面に埋まる。感触からしていい打撃を与えられたが、ブレスを防いだ左腕は感覚がない。麻痺の効果も過去に戦ったドラゴンよりずっと強力だ。ミナトにリカヴァをかけてもらう。

 今度はミナトが火炎と冷気で追撃を仕掛けた。翼竜はひるみはするものの、鳴き声も仕草も、痛がるというよりは鬱陶しがっている程度だ。決定打にはなっていない。

 

 

「うー、弱点がないとサイキックじゃ太刀打ちできない……!」

『このドラゴン、これが効くっていう属性はなさそうだ。シキが叩いた方が早い。ミナトは支援に回ってくれ』

「一撃が痛そうだもんね。了解!」

 

 

 視界の端でデコイミラーの光が瞬き、パートナーの姿が霞む。

 彼女が気配を潜めているのも相まって、1人でこの場に立っているみたいだ。対するドラゴンは今いる部屋を埋める巨体。よくよく観察すれば、眼光も牙の鋭さもムラクモ試験時のワイバーンとは比べ物にならない。だからといって負ける気はないが。

 

 ソニックブームは使わせない。下手に距離を取りすぎるのは悪手だ。すぐに翼から逃れられるよう構えながら接近する。

 

 

「ほら、来い。もう一発くれてやるから」

 

 

 近距離で誘えば、返されるのは巨大な顎。

 ギロチン代わりに重なろうとしたそれをつかんだ。思ったより重い……が、これ以上の重さを地下道の帝竜で経験済みだ。

 

 

「うらあっ!」

 

 

 噛み砕きをいなして拳を返す。休まず3発、おまけに裏拳。顔を保護する甲殻や鋭い角をナックルで砕いていく。

 動きが鈍ったところで、脆くなってきた上顎に狙いを定めて頭突きを入れる。

 

 

「──こんのっ!!」

 

 

 体重をかけた足もとと目の前から、同時にみしりと音が鳴る。

 頭蓋をへこませ牙は砕け、崩れ落ちたドラゴンロードはだらしなく舌を伸ばして白目をむいた。

 

 

「よし、新技はこんなもん……ミナト、どこ?」

「あ、ここです」

「何体育座りしてんの」

「いや、出番がなかったな……ってシキちゃん、おでこが腫れてますが!?」

「別に痛くないしこのぐらい平気だし」

 

 

 手当は必要だよとミナトがキュアを使い、氷とタオルで即席の氷嚢を作る。それを額に当てたタイミングで、自衛隊第2小隊が下の階から上がってきた。

 彼らと共に他の人員が入っていった通路を進む。曲がり角の向こうから、こちらに負けず劣らずの拳打と氷が砕ける音が響いてきた。

 

 

「だーいじょうぶだってナビちゃん! アタシの氷が効かなくたって、ダイゴママがどうにかしてくれるから!」

 

 

 ネコの元気な声を最後に戦闘音が止まる。言葉だけだと驕りともとれるが、油断しているわけではないだろう。顔を覗かせれば彼女たちの傍らにドラゴンの死骸が転がっていて、激しい損傷具合が念を入れて叩きのめされたことを物語っていた。

 

 

「お、来た来た。2人ともお疲れ~」

「13班、手ごわい相手を任せてしまってすまない。こちらもマモノをできるだけ排除した。現在周囲に敵影はない」

 

 

 リンたちも装備を確認しながら戻ってくる。これで全員合流だ。

 タワー内の進行度と付近の生体反応をナビ達と確認したところで、リンが「さーて」と息を吐いた。

 

 

「……そろそろこの辺でお別れだな」

「え、お別れって?」

「そんな顔するな。変な意味じゃないよ」

「俺たちはこのフロアに残る……ドラゴンの追撃も止めておきたいし、安全な空間を確保する必要もあるだろう」

 

 

 リンとマキタの言葉を聞き、自衛隊員たちが周囲を警戒する構えを取る。

 確かに、人竜ミヅチとの戦いにまで参戦しろとは言えない。だが、このダンジョンは今までのものよりも危険であるのは事実。

 ネコがわずかに首を傾げた。

 

 

「アンタたちだけで……大丈夫なの?」

「小娘に心配されるほどヤワじゃないよ……ほら、さっさと行きな!」

 

『自衛隊に任せましょう。ここのマモノは凶暴ですが、彼らに倒せない相手ではありません。ドラゴンもここまでの道程でほぼ討伐できていますし、装備も開発班との協力で新しい物になっています、問題ないはずです。いざとなれば脱出キットもありますから』

 

 

 ミイナが太鼓判を押す。そういうことならとダイゴとネコは静かに頷いた。

 

 

「……気を付けろよ」

「ではでは、先にまいりまーす♪」

 

 

 SKYの2人が背を向ける。

 ほら、とリンが上に続く階段を顎でしゃくる。

 

 

「お前たちも先に行きなよ……アタシたち、そんなに信用ない?」

「そ、そういうわけじゃないですけど……」

「まあ、遅かれ早かれ別れて行動にはなってただろうし。それじゃ、先行くわ」

 

「おい、13班!」

 

 

 リンの声がフロアに響く。

 振り返ると、名前の通り凛とした面持ちで、彼女はあの言葉を口にした。

 

 

「『ボサっとしてんじゃねェ!』……ガトウに怒られるぞ」

 

「……はい、いってきます! また後で!」

 

 

 ミナトが頭を下げる。一瞬だけ自衛隊メンバー全員が振り返って、にっと白い歯見せた。

 

 

「こっちこっち! ひたすら登れぇ~!!」

「ネコ、ダイゴさん、待ってー!」

 

 

 上から響いてくるネコの声に駆け出す13班を見送り、リンは気合を入れなおす。

 

 

「ボスの帝竜や他のドラゴンがいる間はフロワロが繁茂して、マモノも多く湧いてくる。あいつらは人の気配に敏感だからな、どんどんおかわりが来ると思えよ!」

「隊長! 言ったそばからお出ましだ!」

「ひゃっほう、入れ食いだぜ!」

 

 

 けたたましい叫びと共にマモノが一直線に突進してくる。

 突撃銃を腰だめに構え、リンの「戦闘開始!」という合図で彼らは一斉に引き金を引いた。

 



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  紅蓮の塔で蛟は嗤う②

 

 

 

 自衛隊と別れてしばらく、ドラゴンを屠っては階段を駆け上がることを繰り返し、何階か数えることも億劫になってきた。

 窓の外は群青の星空と雲海だ。かなり上まで登ってきただろう。それにつれてドラゴン側の勢いが増しているように思える。

 速攻で片付けたミクロドラグの死骸を押しのけ、天井まで届きそうな巨体が顔を出した。

 

 

「あ、このドラゴン、地下道にもいた……!」

『その亜種だ、名称イージスドラグ! カウンターには注意しろ!』

 

 

 文字通りの分厚い壁を両手に携えたイージスドラグが立ち塞がる。動きは遅いが一撃が重く、時折雷の球を放ってくる厄介な相手だ。

 

 

「いよいよ近付いてきたということか。ここは俺とネコに任せろ」

「そーそー、アンタたちは温存してて。アタシたちはまだまだいけるよ!」

「じゃあ私たちはこっちの道を……って、」

「ああもう、別の奴がいるんだけど!?」

 

 

 イージスドラグとは別に、もう一方の進行方向を塞ぐのは真紅の皮膚を持つ二足歩行のドラゴンだ。四ッ谷で見たデストロイドラグの亜種、名をクリミナルドラグとミロクが分析する。

 

 

「うげ、挟み撃ちか~。あ、どっちが早くドラゴン倒せるか勝負する?」

「また勝負? 好きだねぇ……」

「何よ、ダメ?」

「ダメじゃないよ、じゃあそういうことで」

 

 

 ネコとミナトが背中を合わせる。互いのパーカーの猫耳が触れ合い、2人は同時に駆け出した。

 

 

「どいたどいたぁ~!」

「えいやーっ!!」

 

 

 戦闘開始を告げる氷の波が和音を生む。サイキックが前衛に出るなとデストロイヤー2人が跳ぶのも同時だった。

 ダイゴの正拳突きがイージスドラグの盾を、シキのアッパーがクリミナルドラグの鉄のマスクを歪ませた。今度は硬い物が削りあう不協和音が轟き、ドラゴンのくぐもった鳴き声が重なる。

 

 

「この種類のドラゴン、確か追い詰めると腕の鎖とか引きちぎって暴れ出してたはず……」

「たぶんこいつもそうね。って──」

「うわっ!?」

 

 

 ミナトを捕まえて床に伏せる。直後に頭上を雷の球が飛んでいき、前方のクリミナルドラグに直撃した。

 

 

「ちょっと! それなりに距離あるのにこっちに流れ弾が飛んできたんだけど!」

「今のはしかたないって! お互い頑張ってんだから言いっこなーし!」

 

 

 向こうでネコが両腕を振っている。ダイゴが殴りつけているイージスドラグは既に盾が破壊されていて、悪あがきにサンダーボールを乱発しているようだ。

 こちらのクリミナルドラグもそれなりにダメージは与えられているはず。今のサンダーボールで麻痺でもしたのか、腕の鎖を引き千切ろうとした体勢で痙攣していた。この隙に攻めれば仕留められる。

 よし殴ろうと走り出した途端、クリミナルドラグが麻痺も鎖も振り切って雄叫びを上げた。

 

 

「シキちゃん!!」

 

 

 ミナトが叫ぶのとトラックの頭くらいある拳が迫るのは同時だった。

 体前面に凄まじい圧が当たる。肺から無理やり酸素が追い出されて息ができない。

 

 

「──!」

 

 

 落ち着け。頭で考えずとも体は動く。

 体は前に傾けて、拳を胸・腹・腕で捕まえる。膝を曲げ、足の裏で床を蹴りつけ抵抗すれば、耳障りな音が響き、数秒かけて勢いが止まった。

 

 

「ぐ、おらああっ!!!」

 

 

 体をひねって一本背負いにつなげる。クリミナルドラグの巨体が持ち上がり、そのままイージスドラグめがけて投げつけた。

 ダイゴの頭上を通り越し、赤い巨竜が黄の巨竜に衝突する。それぞれの重量と甲殻が互いを傷付け、ドラゴン2体は絶叫を上げた。

 まだだ、起き上がる隙は与えない。

 

 跳び上がる。異界化によって引き伸ばされた天井ぎりぎりに迫れば、あとは落ちるだけ。

 

 

「とどめぇっ!!」

 

 

 槍に見立てて突き出した足がクリミナルドラグの肉に埋まり、内臓を潰す感触を捉える。そのまま衝撃を下のイージスドラグに伝えれば、噴水のように血飛沫が上がった。

 

 同時に、視界が上にずれる。

 

 

「にゃ!?」

「ちょ、シキちゃん!?」

 

 

 ズゴッ、と床が抜けた。

 

 なるほど、超重量のドラゴンが2体に戦闘での衝撃、さらにデストロイヤー渾身の衝突が加われば異界化した地でもこうなるか。それはそれとして足がクリミナルドラグのムチムチした肉に埋まって、このままだと一緒に落ちる。

 下階に放り出されそうになった瞬間、腕をつかまれて体が宙ぶらりんになる。足がずぼっと抜けて、ドラゴンの死骸はそのまま床に叩きつけられてバラバラになった。

 

 

「どちらの血かわからんな」

「う……お゛ぇっ」

 

 

 血濡れの自分を軽々引っ張り上げながらダイゴが言う。

 返事の代わりに口から結構な量の血が出た。ミナトが悲鳴を上げて駆け寄ってくる。

 

 

「シキちゃん大丈夫!? 今すぐ手当てするから!」

「あっちゃ~、見てないけど一発もらっちゃった感じ? ていうか靴片っぽないし」

「これぐらい大したことない。靴はさっき足抜いた時に持ってかれた。こっちも……取り替えないとだめね」

 

 

 思った以上に激しい摩擦で、ローファーは靴底が溶けていた。煙を上げているそれを脱ぎ、ストラップを持って揺らす。

 キュアの光に包まれて白くなる視界の中、ネコがちらりとダイゴを見上げ、彼はうむと頷いた。

 

 

「ならば、装備を新調する意味でも一度都庁に戻る必要があるだろう。先を考えても……このあたりが適当か」

「そ、ね。ノラネコ的にも問題なしです、はい♪」

 

 

 ダイゴがムラクモ本部から支給されていた装置を使い、緑色の光を灯す。人工の脱出ポイントだ。

 ほら早く準備してこいと背中を押され、視界が真紅のタワー屋内から都庁屋内に切り替わった。途端に待ち構えていた開発班と看護師にもみくちゃにされ、新しいセーラー服とローファーを渡される。

 血で固まってしまった髪は濡れタオルで拭い、簡単なメディカルチェックと薬の補充を済ませ、10分程度で支度を終えた。大きな声援を受けて再び東京タワーに戻る。

 

 それじゃあ前進再開と踏み出したところで、足音が自分とミナトの2人分しかないことに気付く。

 振り返ると、SKYの2人はその場に立ったまま手を振っていた。

 

 

「あ、あれ?」

「……行かないの、あんたたち」

 

「俺とネコも、ここでキャンプを作っておく。やばくなったら戻ってこれるようにな」

「みんなで一緒にあのバカ女を! って言いたいところだけど──」

「……それはおまえらの役目だ」

 

 

 ミナトと顔を見合わせる。

 ここから先は2人だけ。いつもと同じ……けれど、東京を駆けまわり始めた春とは違う心強い状況で、2人で挑む。

 

 

「タケハヤは、おまえたちを選んだか」

 

 

 不意を突くダイゴの言葉に、どう返していいか分からず黙る。言葉の意味は分かるが、まさか向こうからその話題を言ってくるとは。

 固まる自分たちに彼はふっと口もとを緩めた。

 

 

「恨み節じゃない。それでいいというだけだ。もし俺たちが相談されていたら……あいつを止めていたかもしれん」

「ん。アタシも、タケハヤが少しでもそういう素振り見せてたらぜーったい止めてた」

「……」

「もー、しみったれた顔しない! これは応援ってやつ!」

 

 

 タケハヤを送り出したはいいが、気兼ねなく戦えるかと問われれば、頷ききれない部分はある。気にならないはずがない。

 割り切れていない自分達とは対照的に、ダイゴとネコはどっしりと構えて揺るがない。伊達に年上ではないし、10年以上もタケハヤと共に戦い続けてきただけはある。

 

 SKYの2人は握り拳を突き出してきた。

 

 

「13班。……お前らの背中は、俺たちが守る。安心していってこい」

「……頼んだよ、あいつのこと」

 

 

 もう一度顔を見合わせる。ミナトは既に拳を作り、ふんふんと鼻息荒く自分を待っていた。その目がさあ早くと促してくる。

 右手を握る。ミナトと同時に突き出して、4人でゴツリと指の骨を当てた。

 

 

「任せろ。すぐに終わらせる」

「ここはお願いします! 絶っっっ対、勝ってくるので!」

 

 

 踏み出せばもう振り返らない。このタワーに入ったときと同じ勢いで階段を駆け上がる。

 上に向かって進む中、ムラクモ本部から通信が入った。鼓膜に届くのは何回も聞いた「おい、13班」という、お馴染みミロクの声。

 

 

『……そろそろ、最上階みたいだ。たぶん、この先に──』

『ま、ま、待ってくれ! 13班!』

 

 

 ドタドタと騒がしくなったかと思えばキリノが割り込んできた。「なんだよ!」と憤慨するナビの声が遠ざかる。

 

 

「何よ、キリノ」

『黙ってようと思ったけど……僕にも一言、言わせてくれ! え、えーと……』

「あともう少しで階段終わるんだけど。早くしないとこのまま突っ込むわよ」

『わー! 待った待った! ……気を付けて、じゃないな! 頑張ってくれ! ……って、君たちは充分頑張ってるしな……』

 

 

 決戦直前だというのに司令の立場にいる上司は溜息を吐いた。しゅんとしょげるアラサー男性の姿が目に浮かぶ。

 

 

『……だめだ……情けない……こんな時に、気の利いた一言も言えないだなんて……』

「大丈夫ですよキリノさん。ありがとうございます」

『え? え……どうしてだい? お礼を言うのはこっちの方だよ』

「今ので充分お気遣いは伝わってきたので」

「そうそう。変に繕わない方がキリノらしくて良いわよ」

『なはは……やっぱり、そうかな。君たちは優しいね……最後まで、こんな未熟な男についてきてくれて……本当にありがとう』

 

 

「平和な東京に戻ったらさ」とキリノは語る。

 

 

『……みんなに、たくさん恩返ししたいんだ。それこそ、科学者の役目だからね!』

 

 

 明日はあんなことがしてみたいなんて、世界が赤い花に沈む前は疑わずに実現できた夢。いつドラゴンに食われるかもわからないからと、真っ暗な恐怖に押し潰されて諦めなくてもよかった目標。自分たちが死に物狂いで追いかけてきた、もうすぐ手の届く未来。

 全て目の前に見えている。後は倒れずに駆け抜けるだけだ。

 

 

『だからみんな……無事に……帰ってきてくれ!』

『──だ、そうです。およそ、司令官の言葉には聞こえないですよね? ……ま、キリノらしいですけど』

『……ここから先は、通信圏の外になる。俺たちがナビできるのも、ここまでだ。だけど……』

 

 

 ドン、と力強い音が届く。握り拳で胸を叩けば同じ音が鳴った。

 

 

『この声が届かなくったって、心はずっと、おまえたちと一緒にいるからな!』

『絶対、絶対に、いつもみたいに帰ってきてくださいね!』

『幸運を……祈る!』

 

 

 ミロク、ミイナ、キリノの意思を受け取り、躊躇なく扉を蹴破った。まるで水の中にいるように音は速度を落とし、時間をかけて霧散していく。

 目の前には青よりも深い、墨を思わせる黒い宙が広がっていた。ちりばめられた星が輝き、眼下には丸くて青い、自分たちの故郷が広がっている。

 ここまでくればもう上空を通り越して宇宙だろう。けれど地に足は着くし、呼吸も問題なく行える。

 これも異界化の力だろうか。呆れるほど見下していた人間に合わせて造ってくれるとはご苦労なことだ。

 

 捻じれ曲がり、小さな星から逃げ出すように宙へ伸びた展望台。

 足もとには灯火のように赤いフロワロが繁茂し、絡み合った木の根は彼女を象徴する組紐を象ってタワーの頂を飾る。

 

 一歩一歩進んだ先に、忘れられない後ろ姿があった。

 

 

「……来たのね」

 

 

 ミヅチが振り返る。5本の白い大きな触手、それに体重を預け、彼女は──竜は、黄色い4つの眼で自分たちを見下ろした。

 

 

「アナタ達には、失望したわ。……最後のキーを、あんなオンボロに渡してしまうだなんてね……」

「……そのオンボロにあっさり障壁を破壊されたのはどこのどいつ?」

「相変わらずね、シキ。その憎まれ口ももうこれきりだと思うと、感慨深いわ」

「ほんと、その通りよ。初めて意見があったわね」

 

 

 彼女と穏やかに言葉を交わすなんて初めてかもしれない。おまけに同意して頷くなんて。きっとこれが最初で最後だ。

 隣にいるミナトを見る。彼女はミヅチに顔を向けど、瞳には映していない。あまりにも感情の読み取れない無表情をするから、ただ目を開けているだけにも見える。

 手と手をわずかに当てる。何か言うことはないのかと見つめるが、返ってきたのは彼女の視線と、ほんのわずかに上がった口角。言葉はなく、頭を静かに横に振るだけ。

 そうだ、こいつは本気になると静かに燃えるタイプだった。なら代わりに自分が話そう。

 

 

「10年前、タケハヤがムラクモの研究施設から出た後、私の記憶を消したのはあんたね」

「……あら、思い出したの。ええ、いろいろと面倒だから、手を入れさせてもらったわ。おかげでその後は何の疑問も持たずに戦いに集中してくれたわね。ずいぶんなはねっかえりに育ってしまったけど」

「あたりまえよ。私の中にはあんたが入る余地なんてどこにもなかったから」

「ひどいこと言うのね。あなたの両親が死んだ後、あなたの素質を見つけて伸ばしてあげたのは私なのに。育ての親と言っていいくらいよ」

「冗談。親代わりなんて意識したこと、あんたも私も一度もないでしょ?」

 

 

「……私は、あんたが何をしたいのかわからない」

 

 

 投げかける問いに、ミヅチの黄色い眼球が自分を注視する。

 圧など感じない。感じるのは今まで通りの嫌悪感と、ここにきて、人生で初めて抱いた思い。

 

 

「人間であることを捨てたとのたまいながら、あんたは台場でナツメの姿で現れた。日暈の長であったときの無力感を克服したと笑いながら、異界化したこのタワーの意匠にはナツメの面影がそこらにあった。ねえ、あんた、本当に人をやめたの?」

 

 

 なんてことはない。純粋にわからなかっただけだ。

 

 

「ミロクが言ってたわよ。あんたはそうしてずっと宇宙に独りでいるつもりなのかって」

 

 

 敵と言葉を交わすなんて、以前なら無駄な行為だと断じていた。どうせ片方はいなくなる……自分が勝って、相手は負けて去るか死ぬのだから。会話をしたとしても、神経を逆なでするつもりで毒を吐くだけだったろう。

 今も結果は変わらない。自分は勝つ。竜は死ぬ。絶対にだ。覆されてやる気はない。

 けれど、相手はかつて人間だった。

 

 故に問う。思いを向ける。言葉を投げる。

 

 

「思い出したわ。あんたが都庁から消えたとき、国分寺に1体、港区に1体、帝竜反応が確認されたこと。港区の反応が微弱だったこと。……私たちが台場にいたときにも、帝竜反応が2体あったこと。あれって片方はあんたのことだったのね」

 

「……」

 

 

 今、言の葉の源となっている思いは二つ。

 一つは、目の前の存在が何を原動力に動いているのかという「疑問」。

 そしてもう一つは、

 

 

「わかる? 散々人を使って、いじって、踏みにじって、こんな高いところまで無駄に登って。取り返しのつかないことしておきながら、あんたはその程度にしかなれてなかった。神を名乗りながら人間の私とのんきにお喋りまでして、しかも人間だったときのことを懐かしんでる」

 

「生まれてからずっと、あんたのこと嫌いだったけど、」

 

()()()()()()()()()()() ()。私はあんたを、生まれて初めて『かわいそう』だって思ってる」

 

 

 道を踏み外し、戻れないところまで堕ちながら、人間の名残りを捨てきれていない。滑稽な姿で自分の目に映る女への「哀れみ」。

 

 それを告げると、目の前の存在から表情が消えた。元より変貌して感情の読みにくい顔になっていたが、さらに体にこびりついていた垢を全てそぎ落としたかのような面持ちだった。

 

 間を置き、「そう」とミヅチは言う。

 

 

「結局人間はその程度の生き物──それだけのこと、だったのかもしれない」

 

 

 空気が変わった。始まる。

 

 

「──」

 

 

 すぐ隣にあるクロウを装着した手を握る。

 

 ずっと前の、春が過ぎた日を思い出した。

 土の下、小さな人工のスペースで、泣きじゃくる女性の手を握って顔を上げさせた瞬間。あのとき自分の手は握り返されなかった。

 けれど、今度は。

 

 

「──」

 

 

 遥か上空、宙のただなか、パートナーとして肩を並べるミナトが、同じく手を握り返してくる。

 

 そうだ。私の手は、あんたの手は、何かを為せる。

 私たちはこいつに、

 

 

「勝つわよ」

「うん」

 

「……いいわ、終わりにしましょう。人間の最後の歴史、私が看取ってあげる」

 

 

 触手が脈打ち、ミヅチの体が持ち上がる。

 

 

「力なき『ヒト』よ……『神』の名のもとに……消えなさい!」

 

 

 人竜ミヅチが両腕を広げる。呼応するように周囲にフロワロが咲き乱れた。

 




4章と7章の2体の帝竜反応が同時に見られた件について、ゲーム中では明言されませんでしたが、共通していたのがそこにナツメがいた、という点なので、そういうことなんだろうなと捉えています。
元は人間だったからドラゴンと違い反応が微弱だったのか、それとも本当にその程度だったからなのか……。


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38 .ナツメ -VS 人竜ミヅチ-

ナツメのイメソンは 電ぽるP様の『サイノウサンプラー』かなと思います。いわゆる「鬱くしい」系の、ダークでちょっと切ない曲です。

今回の話は3分割です。なかなかキリのいいところがなかったので、③はちょっと短いですが。
現時点でのムラクモの最終目標、元は同志だった怪物との戦いということでいろいろ頑張りました。一緒に熱くなってくれたら嬉しいです。



 

 

 

「来なさい……そして、絶望せよ!」

 

 

 紅の塔の頂上で、ドラゴンの咆哮よりおぞましい女の声が響き渡る。

 相対するは人竜ミヅチ。かつてムラクモ機関を率いていた、対ドラゴン戦線の司令塔。

 今の彼女に優美な才媛だったころの面影は少しもない。その手が振るわれれば、仲間の肉体を引き裂いた触手が弾丸のように飛んでくる。

 

 

「──ふんっ!」

 

 

 足を振り下ろし、正面から迫るそれを踏み潰す。もう1本は裏拳で流し、追撃の3本目は上から拳を落として地面に殴りつけた。

 もう2本は心配いらない。隣に立つミナトが氷漬けにして動きを止めている。

 初手は小手調べだったのだろう、ミヅチはお眼鏡にかなったというように微笑んで触手を引き戻した。

 矛にも盾にもなる触手は太く重い。元が人間であるためミヅチは7体の帝竜よりも小柄ではあるが、攻防のバランスは最も高い。

 伊達に高い場所でふんぞりかえっていたわけではないようだ。城のような固さに舌打ちする。

 

 ミナトがいつもの位置より前に出た。術での攻撃を試す動きだ。

 瞬間、頭上の空気から熱が奪われ、氷のギロチンが落ちる。瞬きしないうちに触手数本が切断されて宙を舞った。

 あら、とミヅチが口を手で覆う。

 

 

「遠慮がないわね」

 

 

 ミナトは応えない。続けて氷の槍を飛ばすが、これはトカゲの尾のように再生した触手に弾かれた。

 

 

「触手を落とすだけじゃダメか……!」

 

「さあ、人の及ばぬ力にどうあがく? ……駆逐する!」

 

 

 黒く変色した腕が天を指し、爪の先から火があふれ出た。渦巻く業火に悪寒がうなじを撫で上げる。

「下がって!」とミナトが飛び出した。

 

 視界が一瞬で赤い波にのまれる。ウォークライを超える火はコンクリートも鉄骨も、フロワロさえも焼き焦がし……ぎりぎり、自分の肌には届いていない。

 展望台の中で自分たちが立つ場所だけが火を避けている。パートナーのサイキックが両腕を前に突き出して火を捉え、クロウがギイイイッ、と錆びついたように不快な音をたてて発火していた。

 その爪が突き立てられると、火の海がぐにゃりと歪んで勢いを落とす。

 

 

「っっっだあ!!」

 

 

 ミナトが腕を振りぬく。炎が巻き取られてさらに火力を増し、標的をミヅチに変えた。

 自分たちを殺そうとした術を支配下に置く。属性攻撃のスペシャリストといえど誰でもできる技じゃない。ここまで来てまだ伸びるかと舌を巻く。

 

 

「……癪なことを。神立よ!」

 

 

 ミヅチが放った雷がカウンターの炎と衝突して爆風を起こす。

 反射でミナトを背後にかばう。立ち込める粉塵から飛び出した雷が肩をかすめ、背後の鉄骨を食いちぎった。

 横っ飛びに転がるのと同時に、さっきまで立っていた場所に大きな鉄片が突き立つ。視界が曇る中で慎重に距離を取り、セーラー服の焼け焦げた部分を裂いて捨てた。肩に走る稲妻の傷は、キュアとリカヴァですぐに消える。

 

 

「ごめん、肩は平気……!?」

「問題ない。けど……」

 

 

 粉塵が晴れる。人竜ミヅチははじめと変わらない姿のままそこで浮いていた。

 

 全てではないが互いの手の内を見せた状況で、相手は焦りも見せない自然体だ。ソファに寄りかかるように脱力し、自分たちを睥睨している。

 触手は切っても再生する。属性攻撃は帝竜以上の破壊力と規模。おまけに自分たちと同じく思考を行う脳がある。

 

 

(どうやって懐に入り込む……!?)

 

 

 今までの戦いで最も分析が必要な相手だが、通信圏外ではミロクたちの援護は得られない。突破口が見えずに唇を噛む。

 

 

「随分仲良くなったのね、あなたたち」

 

 

 必死に脳を回転させるこちらとは対照的に、ミヅチはゆったりと首を傾げた。尖った指先を自身の顎の上で往復させては、何度か脚を組み替える。

 弛緩している体勢だ。かといって隙はない。相手は組織の指揮をとっていた女だ。戦闘における状況に、その中で動く人の思考は容易く把握できるだろう。焦って踏みこめば蟻地獄のように捉えられてしまう。

 

 攻めあぐねたまま時間だけが過ぎてしまう。たっぷり思考の海に浸っていたミヅチが不意に口角を上げた。蛇のように牙を覗かせ舌が這う、嗜虐的な笑み。

 

 

「そうね。どちらか身動きを取れなくして、目の前で片方を丁寧に殺してあげましょう。人間の相手をするのは最後だもの、うんと可愛がってあげなくちゃ」

 

「悪趣味──!!」

 

 

 なんとでも、というようにミヅチの目が細められ、怪しく光る。

 痛みはない。が、妙な感覚に支配された。川がせき止められるような、時計の針が錆び付いて進まないような体の軋み。

 

 

(何だ……? ロア=ア=ルアとはまた別、──っ!)

 

 

 考える間を与えず触手が殺到してくる。今までで一番速い。けれど見切れないほどではない。

 切っても再生するのならタイミングを図ろう。確実に打撃で余波を積み重ね、一気に叩く!

 

 ひねりとバネを加え、3本まとまって飛んできた凶器に拳を一発。中心を抉られた触手は簡単に結束をほどく。

 相手の武器が近い距離で固まっている今が好機。まとめて技を叩きこんでいけば、同じタイミングで2,3本はもぎ取れ、余りの触手も封じこめるだろう。その一瞬さえあれば、今の自分たちなら決定打を与えられる。

 

 触手が自分とミナトをそれぞれ狙うなら対処は可能。状況に応じて余裕のある方が相方の補佐に回る。5本すべてが向かってくるなら自分なら1発は止められるだろう。

 ミナトだって油断しなければ防御でき──

 

 

「──あ゛っ」

 

 

 聞きなれた音が響いた。ドムッ、という重さのある物を殴る音。それと同時に、短い悲鳴も。

 自分の目と耳は正常だ。この体には触手の1本だって届いていない。

 反射で背後を振り返る。

 自分が殴ったものとは別の触手が横から回り込んでいる。残りの2本は後ろにいたパートナーの腹に埋まっていた。

 

 

「ミナト!!」

 

 

 倒れこむ彼女と自分の呼び声に紛れて触手が伸びる。頬をかすめたそれを怒りに任せて叩き潰した。

 

 サイキックは一般人を超えど、異能力者の中では肉体が脆い。ミナトはそれを充分すぎるほど理解していて、常にデコイミラーを張って身を守っていたはず。ミヅチと戦うのならなおさらだ。

 はがされた瞬間に新しい盾を生み出す。使い慣れた術なのだから秒もかからずできるはずなのに。

 

 自分を狙う触手が4本になった。ここぞとばかりにいやらしく狙いをつけて邪魔をしてくる。残りの1本に襲われているミナトをフォローできない。時々耳に届く鈍い音と彼女のうめき声に汗が流れる。

 

 

「ミナト、どうした!」

「術、が──、っ! ……使え、な……い、っぅ! リカヴァも……!」

「!?」

 

 

 術が使えない。後衛には致命的な、丸腰と変わらない状況。

 何かの状態異常か。きっとさっきのミヅチの眼光だ。リカヴァも使えないなら薬に頼るしかないが、あの攻撃をくらった直後では身を守りながら動くことさえ──、

 

 

「くそ、邪魔っ!!」

 

 

 突き、殴り、薙ぎ払って蹴落とす。それでも触手は止まらない。

 いつもなら自分の名前を呼んで「頑張れ!」と飛んでくる声が聞こえない。代わりに響くのは殴打の音と途切れていく相棒の息。けれど様子を確認する余裕がない。額に冷汗がにじむ。

 

 くすくすとミヅチが嗤った。

 

 

「もう、お転婆が過ぎるわよ」

「うるさい、いい歳して神を自称する奴が言うな!」

「もう一度言うわね。お転婆が過ぎるの。なら私も頑張るしかないじゃない」

 

「あなたがおとなしくしてくれるなら、私も休めるのだけど」

 

 

 言わんとしていることがわかった。

 もちろんただの戯言だ。人を弄ぶための、中身なんて伴わない甘言だろう。

 が、

 

 

「……シキ、ちゃ──」

 

 

 だめ、というミナトの言葉と、ナックルを握る指が強張るのと、触手の1本が足首を捕らえるのは同時だった。

 世界が180度反転した。頭に血が集まってズキリと痛む。

 

 たった一言で容易く宙吊りにされてしまった自分を、気色の悪い竜の目がじろじろ観察する。

 ミヅチはそろえた指を口もとに当てた。驚いたとでも言いたげな仕草だ。

 

 

「まさかあなたがここまで人に気を遣うなんて思わなかったわ……でも残念。『仲間』とか『大切なもの』なんていうのはね、戦う上では足枷にしかならないのよ」

 

 

 まるで自分しか知らない知恵だというような得意げな笑みが胸糞悪い。思いっきり皮肉を込めて言い返してやる。

 

 

「へぇ初耳。いつだったか、どこかのアホ上司がやれ『協調性』だのやれ『チームを組め』だの言ってた気がするんだけど」

「そう。でも術の使えないサイキックなんて、ただの木偶の坊でしょう?」

「それを決めるのはおまえじゃない。途中で全部すっぽかした奴に、人のあれこれを決められる権利があると思うな」

 

 

 ふう、と目の前でため息がつかれる。

 と思えば音が弾け、顔がミヅチから逸れて何もない場所を向いていた。

 追うように感じる頬の熱さと口の中の血の味、どうやらはたかれたらしい。速くて見えなかった。

 

 

「本当に頑固な子。身の程をわきまえなさい。たかが人間が神に──」

「だから、その自称神をやめろっつってんの。本当に神なら、たかが人間の言葉にいちいち反応しないでしょうが」

 

 

 ミヅチが本当に神で、人間など取るに足らない存在なら、何も考えずにさっさと星を滅ぼせばよかったのだ。

 それがどうだ、こいつは人を下すことにこだわり、声高に力を誇示している。誰かに見てほしくて仕方がないというように。

 

 舌戦は好きじゃないし得意でもない。けれど今は、全てにおいて目の前の相手に負ける気がしない。たとえパートナーが地に伏し、自分が片足をつかまれて宙ぶらりんになっていようともだ。

 あえてミヅチの地雷を踏み抜きにいく。

 

 

「『ネストルと樫の木』」

 

 

 4つの目尻が痙攣するのをシキは見逃さなかった。

 

「ネストルと樫の木」。決戦前にキリノが探していた童話の本だ。

 ナツメとの思い出の品で、彼女はこの典型的な努力成功型のストーリーを「大嫌い」だと言い張ったらしい。「努力と根性で全て為せるなんて、それこそ夢物語よ」と吐き捨てたのだとか。

 

 

「あんた悔しかったんでしょ? 自分より一回りも二回りも下の子どもが、自分が手に入れられなかった能力を持ってるのが。あんたが私を手元に置いて殺す気で育てたのだって、半分八つ当たりだってわかってるから」

 

 

 全能力値オールA。優秀だが天才ではない値。ナツメが抜け出そうともがいていたのだろう枠組み。

 たとえ「S」に手が届かなくても、彼女のあがきを見て、寄り添おうとしていた者はいた。少なくとも、キリノは絶対離れずにナツメを支えていただろう。けれど彼女は切り捨てた。

 

 

「あんたは自分の足を、前に進むんじゃなく人を踏みつけることに使った。それも最悪の形で。それで得た(もの)なんて、この世の誰一人だって認めるわけないでしょうが。あんたは現在進行形で一人相撲してるだけなのよ。いい加減気付いたら?」

 

 

 頭上、正しくは足もとの地面が割れた。離れた場所にある鉄骨が金属音を立てて捻じれる。

 空間の全てがミヅチが放つ圧によってひしゃげていく。抑揚のない声が雷鳴のように落ちた。

 

 

「撤回しなさい。今なら許してあげるから」

「お断りよ。いつまで私を思い通りになる手駒だと思ってんの」

 

 

 脅されようとも、畏怖も恐怖も湧きはしない。

 やはり自分の目には、人竜ミヅチの皮の中に、日暈 棗がいるようにしか見えない。

 

 すう、と息を吸う。人から吊り目と言われるまなじりを意識して下げてみた。

 口角の両端を緩く持ち上げるという慣れない動きをして、完璧な笑顔を作ってやる。

 

 

「アオイが言ってた『恥ずかしい女』の意味、ちゃんと理解できてないみたいね。そりゃ自分の半分も人生経験のない小娘にここまで見抜かれるわけだわ」

 

 

 視界が激しく揺れる。頭と首のどこかで嫌な音が鳴った。

 殴り飛ばされたと気付いた時には展望台の上から弾き出されていた。体の下には何もない。

 ミナトがこっちに向かって手を伸ばしていた。その顔が今にも泣きだしそうに歪んでいる。

 

 薬を飲む時間くらいは稼げただろう。すぐに戻るから、今は自分の心配をしろ。

 

 そう言おうとしたけれど、声が出ない。体は動かないし視界が霞む。

 

 

「シキちゃん!!!」

 

 

 パートナーが自分を呼ぶ声。体が遥か下の星に引かれる感覚。

 それだけ感じたのを最後に、意識がぶつりと途切れた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「おい」

 

 

 忌々しい声に忌々しいほど青い空。地面に接している背中が汗ばんで肌着が張り付き、これも忌々しい。とどのつまり腹が立つ。

 

 

「おい」

 

 

 もう一度呼ばれる。「生きてるか?」と頰をペチペチ叩かれ、へし折る勢いで手を払った。

 

 

「……もう1回」

「何回やる気だ? こっちは病み上がりなんだぜ」

「医者の言うこと聞かないで徘徊ばっかしてた奴が言うな」

「手厳しいね」

 

 

 はっ、と皮肉るように息が吐かれる。むかついたので手に持っていた鞘でスネを狙ったが、あっさりよけられた。

 積み重なったいらいらをバネにして背筋で跳ねた。振り向きざまに出した回し蹴りは大きな手にかかとをつかまれて止められる。

 

 

「おまえ、薄着にスカートなんだからもうちょい動きに気を遣えよ」

「訓練中にどこ見てんのよ、保護者面するな変態」

 

 

「見てねぇよ」と言われてつかまれた足をねじられる。

 また転ばされてなるものか。合わせて体を回し、もう片足も地面から離して追加の跳び蹴りを見舞う。が、それも開いていた片手に止められた。

 まだだ。運動能力S級、我が身を武器に戦うデストロイヤーをなめるんじゃない。

 伸ばした体が地面と水平に浮いているこの状況、上半身は自由だ。

 

 

「おらあっ!」

 

 

 腹筋の要領で勢いよく上体を起こせば、目の前の男に一気に接近する。

 予想できていなかったのか目を丸くするそいつに頭突きを見舞う。ゴッ、と確かな音がして、つかまれていた足が離された。

 

 

「っ~~~あの体勢で頭突きなんてするかよ、普通……」

「相手の分析不足よ。この勝負、私の勝ちね」

 

 

 ようやくまともな一撃を入れられた。訓練として扱っていた剣ではなく額でだけれど。スカッとしたのでよしとしよう。

 

 さあ、キリのいいところで朝食を──、

 

 

「──っ?」

 

 

 ちょっと待て。朝食って何だ。

 

 自分は、朝食はもう、とった……はず、だ。

 

 それに、肌着のキャミソールにスカートで裸足なんて格好、朝の訓練のときにしかしていない。

 今は、朝……いや、違う。

 

 

「……ねえ、」

 

 

 私、と言いかけて彼を見て、言葉が消える。

 彼が、いや、目に映る景色全てが歪んでいる。白く、青く、まるで世界に空しかないように透けて、揺れて……。

 

 顔も見えないのに、目の前の彼が笑うのがわかった。

 

 

「まあ、おまえが望むなら相手してやるけどよ。こんなところで油売ってていいのか?」

 

「ここ、どこ」

 

「どこ、つってもな」

 

 

 訓練場所である都庁前広場は消えていた。両目を大きく開いて体を回しても、見えるのは大地ではなく空だけだ。

 風が吹いて髪を巻き上げる。スカートを押さえようと下を向いて、いつものサイハイソックスとローファーを履いている両脚が見えた。

 

 風に空。

 そうだ、私は。

 

 卵の中の雛が殻を破るように、階段を上がり明るい場所に近付くように、もやを剥がして意識が鮮明になっていく。

 瞬きをすれば、いつの間にか体がセーラー服をまとっていた。激しく揺れるスカーフが視界を遮り、彼が見えなくなる。

 

 

(違う)

 

 

 見えないのがあたりまえだ。今、自分の近くにいるはずの人間は彼じゃない。また、彼の傍にいるのも自分ではない。

 自分もあいつも、とっくのとうに発っている。互いに背を向けて、もう同じ巣から飛び立ったはずだ。

 

 左腕が愛用の籠手を身に着けて少し重くなる。

 

 目を覚ませ。思い出に浸るな。走馬灯など冗談じゃない。

 

 

「私、どのくらい寝てた」

 

 

 まだ間に合うか。いや、間に合わせる。

 のんきに寝ている場合しゃない。彼女の、パートナーのもとに向かわなければ。

 

 いつもの赤い腕章があることを確かめ、完全に姿が見えなくなった彼に告げる。

 

 

「ミナトのところに行く!」

「おう。早く行ってやれ、おまえのこと呼んでるぜ」

 

 

『起きろ、シキ』

 

 

 今度こそまぶたが持ち上がった。

 視界は変わらず青に白。いや、少しだけ怪しい赤も混ざっている。

 星が輝く宙ではなく、太陽しか確認できない昼の空だ。重力によって地上まで引き戻されてしまったらしい。体には強烈な風が吹きつけ、眼下には東京の街並みがどんどん近付いている。

 

 そうだ、今は人竜ミヅチとの戦闘中。自分は気の短い相手に殴り飛ばされ、命綱もパラシュートもなく、東京の空を体一つで落下中。あと少し目覚めるのが遅かったら笑えないことになっていた。

 

 

(東京タワーは……!)

 

 

 幸いすぐ真横にあるが、数メートルの間隔が空いている。踏ん張るための足場がなければ動けない。

 

 

「……」

 

 

 手に装備したままだったナックルを見つめる。

 だめだ、思案する時間も惜しい。許せケイマ。

 

 ナックルを手から外した。体をかがめ、両足の裏にそれぞれを添える。

 使われている材料が普通の市場では手に入らない資材であることが幸いした。見た目よりも質量のある武器は安定した足場になって体重を支えてくれる。

 体を限界まで縮めて一気に伸ばし、思い切り蹴り飛ばす。東京タワーがぐっと近付いた。

 

 

(届く!)

 

 

 だがこのままではタワー内部に入れても、落下の勢いが残ったままなので潰れるだろう。なので細工を挟む。

 自分も異能力者だ。ミナトほどではないがマナの存在は捉えられるし、操ることもできる。

 息を吐く流れに乗せてマナを集め固めれば、即席の盾ができあがる。誰が言ったか「パリングシールド」。必然的に壁役になるデストロイヤーには有用な、身に受ける衝撃を軽減する技のひとつ。

 

 

「らあっ!!」

 

 

 雄叫びを上げてタワーに衝突する。池袋の超電磁砲を思い出す音と衝撃を巻き起こし、鉄骨とガラスを派手に砕いて内部に突っ込んだ。

 これほど神経をつぎ込んで受け身に徹したことはない。姿勢を柔軟に切り替え転がり続け、全力で体への負荷を逃す。

 たった数秒の出来事。けれど意識全てを集中させた時間は、普段より何倍も長く感じた。

 

 

「……よし、生きてる! ──い゛っ!」

 

 

 全身が悲鳴を上げた。立ち上がろうとした足がもつれて転んでしまう。

 血は出ていない。パリングシールドが壁になったので、何かが体に刺さったわけではない。

 自分が転がってきた地点を観察すると、着地した床がへこんでいた。そして体の中の数か所が熱い。

 おそらくひびか骨折か、骨にかなりの負担がかかったのだろう。高高度からの落下の衝撃を殺すのは無理があったか。

 

 

「大丈夫。動ける」

 

 

 命があるだけ儲けものだ。暗示も兼ねて言葉を紡ぐ。

 深呼吸しながら顔を上げ、現在地を確認する。かなり下まで落ちてしまったようだが、上に戻るまでどれだけかかるか……。

 

 

『……シキ!? おい、シキか、応答しろ!』

 

 

 自分がタワー内部に戻ったことでムラクモ本部との通信が回復したのだろう、奇跡的に耳にはまったままだった通信機が震えた。

 壊れかけているのかかなり音が荒い。ミロクが必死に呼びかけてくる。

 

 

『どうしたんだ……いきなりおまえの反応がタワー下層に……いったい何があった!?』

「ミヅチに殴って落とされた。今から登って戻る」

『落とされた……!? 登って戻るったって、おまえバイタル見たけどこの状態じゃ──』

「ミナトがあいつと戦ってんのよ、戻る以外の選択肢ないでしょうが!」

『そうだけど、でも時間が……ショートカットを考えれば、脱出キットで一度都庁へ戻って、SKYが設置した脱出ポイントの方に飛ぶのがいいけど、』

「脱出キット──くそっ、着地の衝撃で壊れてる!」

『ああもう、一瞬で戻ることができれば──』

 

 

 ミロクの声がぴたりと止まる。ほぼ同じタイミングで自分の思考も止まった。

 

「一瞬で」戻る。

 

 脱出キットなしでのその現象を、以前確かに見たことがある。

 都庁に戻る必要はない。

 

「……ミロク、SKYがタワー頂上付近に設置した脱出ポイントと都庁はつながりが安定してるから、すぐに行き来可能ね?」

『ああ』

 

「なら、()()()()()()()()が都庁からこっちに来れば、」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 これしかない。

 そのいきさつ故、本人は絶対に危険地帯に近寄りたがらないだろう。

 だが世界とパートナーの命運がかかっているのだ。嫌だなんて言わせない。

 通信機に向かって叫んだ。

 

 

「ヒムロを呼んで!! 『断ったらミヅチの前におまえを殺す』って伝えろ!!」

 



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  ナツメ -VS 人竜ミヅチ-②

 

 

 

 足もとに絨毯のように赤が広がっている。

 今も口の端から絶えず血が滴っている。穴の空いた水風船を想像して、思わず笑いたくなった。

 

 目分量だが2リットルは出ているかもしれない。ここまでされて生きているのだから、異能力者って恐ろしいなと他人事のように思う。

 常に前衛に立っているシキも、いつもこのくらいの血を流していたように見えた。さぞかし痛かっただろう。

 

 

(悪いことさせちゃってたなぁ)

 

 

 もっとうまくサポートできたら、と逸れる思考を、激痛が現実に引き戻す。

 大砲が撃ち込まれたような衝撃ががらあきの胴に入る。あばらが軋み、また新しい血があふれ出た。

 

 血に唾液、胃液で咳き込む自分を見てミヅチが嗤う。割れて噛み合わない欠片のように、美しさが欠落した歪な笑顔。あたりまえだが罪悪感など欠片も感じさせない。

 視線は夢中で傷をなめ、触手は力加減を学ぶように強弱を調整しては体をなぶる。あれこれと手探りをして遊ぶ様は、まるで新しい遊びを覚えた子どもだ。

 普通の子どもなら相手が痛がったところですぐに止まって学習するだろうが、目の前のこいつは違う。相手の肉体がどれだけ持つか、どこまでなら壊れずに耐えるのか。……壊れたら、弾けたら、どんな音が鳴るのか。興味津々で蠱毒を眺める目をしている。

 

 

「思ったより頑丈だったのね、あなた。いじめがいがあって嬉しいわ」

 

 

 拘束はされずとも、両足と右腕に触手がぴったりと寄り添っていて動けない。ひざの切り傷は最初に落書きでもするように刻まれたものだ。薄皮がむける程度の浅い傷から、もう少しで骨に届く深いものまで。その気になれば簡単に切り落とせるぞというように。

 人の肉に刃を入れることに鼻歌すら始めそうな様子に恐怖を感じ、動けなくなればあっさりこのザマだ。左腕を触手で巻かれて持ち上げられ、防具を外されながらサンドバッグにされて。

 

 ひたり、とミヅチの手が頬に当てられる。

 

 

「ねえ、何か言うことはないの? 戦う前からずっと無口じゃない。それともいじめすぎたかしら。……ああ、シキを待っているの?」

 

 

「無駄なのにね」と告げ、爪が頰の皮膚をじりじりと裂いていく。

 狂気の蜜が熟れてぐずぐずに煮えた好奇心。子どもの純粋さとは対極にある醜悪さ。

 人間の複雑な思考と竜の本能が悪い意味で融合している。手に負えないほど性質が悪い。

 

 返事を促されるように鳩尾に一発が埋まって空咳が出る。そろそろ吐けるものすらなくなってきた。

 

 

「シキを捕まえてあなたを殺すところを見てもらうはずだったのに、力みすぎてしまったわ。あの様子だと気絶していたようだし、今頃は地上でぺしゃんこになっているんじゃないかしら。……あっけなかったわね、残念」

 

 

 互いの吐息がかかる近さまで距離を縮め、ミヅチはおもむろに腕を上げる。

 今度は何をするつもりなのかと思えば、頭上に伸びている自分の左手に触れて、

 

 ボギッ、と人差し指を根元から直角に曲げた。

 

 

「──い゛っ、」

 

 

 折られたと理解するのと同時に燃えるような痛みが襲う。喉の奥からがらがらに枯れた叫びが飛び出す。新しいおもちゃを見つけたというようにミヅチの顔が歪んだ。

 次は中指、一本飛ばして小指。少しもったいぶって親指。天を仰ぐ視界の中で、自分の指がありえない方向に曲がっていく。

 

 

(痛い、痛い、痛いっ──!!!)

 

 

 あふれる涙がむなしく地面に落ちていく。

 ばたつきそうになる足をなんとか抑え、口の中で舌と頬の肉を噛んだ。

 

 耐えろ。耐えろ、耐えろ。悲鳴は最初だけだ。やめてとか許してなんて絶対に言っちゃだめだ。

 

 胸中で自身に言い聞かせる間にも、痛みは絶えず体を苛む。

 ゲームのスティックでも回すみたいにミヅチは左手を弄んだ。

 

 

「シバさん。私、あなたのことけっこう好きだったのよ。おとなしくて真面目で、上の立場の者に素直についていく従順な子……シキの1歩後ろについて、横や後ろの視線を気にする臆病な人。あなたは自分の力も私の力もちゃんと理解しているはず。……その差がどれだけ離れているかも。だからこうして、無抵抗に私になぶられるがまま。私がムラクモにいたときと変わらないわね」

 

 

 違う、従っているつもりなんて毛頭ない。

 ここで堪えるのは自分のためだ。自分自身に、パートナーに、そして13班に後を託したあの子に胸を張って、何の憂いもなく頑張ったよと笑いかけられるような人間でありたいからだ。

 

 

「ねえ、どうして薬指を残したと思う? 一番最後に一番ひどく壊してあげようと思ったからよ。どうせなら千切って食べてあげようかしら。いつか指輪をはめる日が来てもはめる指がなかったら滑稽でしょう? ここで殺すから意味はないけれど」

 

 

 踏ん張れ、ミナト。あのときの言葉を思い出せ。

 

 

(シキちゃん、)

 

 

『あんたのこの手は、何かを為せる』

 

 

(大丈夫、信じる。いくらでも待つ!)

 

 

 真っ暗な地下で自分を照らしたあの星。あの輝きは絶対ここに舞い戻ってくる。だから踏ん張れ。

 冴えない、動けない、意気地がない、ないない尽くしの臆病なおまえが、自身の意思でこの苦痛を超えれば、それは世界中に誇れるくらいの勇気だ。自分がどれだけ弱くても、薄皮1枚分のプライドは捨てるな。

 これ以上、目の前の邪悪に無様などさらしてやるものか──!

 

 

(タケハヤさんとだって約束した。私は、必ず、シキちゃんの隣に──!)

 

 

 パートナーの彼女が返ってくるまで耐えろ。どれだけ惨めに貶められようが死ぬんじゃない。

 泥を啜ってでも生きろ。2人で一緒に、都庁に帰るために。

 

 

「っ゛、う……!!」

「ねえ、聞かせてちょうだい。今あなたはどんな気持ち? いつも自分を守ってくれていた子どもがいなくなって、怖くはない? 絶望していない?」

「あの子は……死なない……! あの子自身が、直接私に『自分は死んだ』って言ってくるまで……死んだなんて、思わない……あ゛、あ゛っ!」

「ふふふ、頑張るわね。もう指4本、粉々よ?」

 

「あの恥ずかしい女も、もう少し丁寧に殺してやればよかったかしら」

 

 

 燃え滾っていた思考が停止する。

 

 ミヅチは今、何を口走った。

 

 

「あのときたった一瞬で殺してしまったのはもったいなかったかしらね」

 

 

 やめろ。

 

 

「こうして遊んであげて、もう許してくださいって泣いたところでハラワタを引きずり出せば……」

 

 

 黙れ。

 

 

「……い」

「え?」

 

「アオイちゃんは、そんなこと言わない。あなたに『許して』なんて、あの子は絶対口にしない」

 

 

 ここにきて初めて、真正面から人竜ミヅチと向き合った気がする。

 近い距離で互いを見るのは、都庁で初めて出会ったとき以来だろうか。髪も肌も、香りも艶やかで、優雅が人の形を取ったようなナツメが自分を説得したのだ。その力には価値があると。

 ああ、そうか。もうあのときから、いや……ずっと前から、彼女は「力」しか見ていなかった。

 

 

『力が弱ェだの強ェだのって話なら、俺たちゃとっくにドラゴンに滅ぼされちまってる。……ミヅチはそこを誤解してんだ』

 

『「力」にこそ価値があるんじゃねぇ。「力」ってのは……「意思」があってこそ本当の価値が、あるんだよ』

 

 

 かつて、東京タワーのふもとには地獄があった。ナツメの姦計によって生み出された、悲鳴が飛び交い、痛みに満ち、血と涙が流れ、命も希望も余すことなく摘み取られてしまう地獄だ。

 息もできないほどの罪悪感と無力感に襲われただろう。辛くて、ただただ無念だったろう。それでも渦中にいたアオイは顔を上げた。超えられない壁が目の前にあって、自分がそこで尽きようとも、彼女は微塵も歩みを止めはしなかった。

 その「意思」がどれだけ、貴いものだったか。何にも負けない輝きだったか。

 

 志波 湊は罵られても平気だ。弱いのも、泣き虫なのも、みっともないのも事実だから。

 だが、友だちを、雨瀬 アオイを、世界で一番の後輩を罵るのならば話は別だ。

 

 

「人竜ミヅチ……あなたは、まだ、本気を出していないでしょう。あれだけの炎と雷を操れるのなら、もうひとつ、扱える属性が、あるはず」

「……」

「あなたは、神様でしょう。おとなしくサンドバッグになってあげたんだから、最後くらい、人間の望みを聞いてくれても、いいんじゃないですか?」

 

「私と、その技で、勝負して」

 

「ふ、あっは──」

 

 

 心底不快な哄笑が世界に響き渡る。

 人竜ミヅチは愉快で仕方がないというように笑っていた。ひとしきり笑い、人間のように目尻の涙をぬぐう仕草を見せて──触手の怪力で、自分を宙へ放り投げた。

 

 

「いいわ。その通りよ、見せてあげる! あなたは選ばれたS級のサイキック……属性攻撃のスペシャリスト、超常現象を意のままに操る現代の魔術師! この技であなたを圧倒すれば、私の勝ち。この力は正真正銘、狩る者を超えたと証明できる! これ以上ない瞬間だわ、それで終わりにしましょう!!」

 

 

 ようやく触手から解放された。けれどもう、体が満足に動かない。左手なんて薬指を除いて見るに堪えないありさまだ。幸い、クロウは無事だった。

 

 

(よかった……ネコからのもらい物だもん、大事にしなきゃ)

 

 

 地上から遠く離れているからか、あまり重力を感じない。無風だったから、放られた体が空気を払う感覚が心地いい。

 ミヅチに投げられたまま素直に空中で舞い、顔の血をぬぐう。ぼろぼろの両腕を伸ばす。

 自分の手では遥か彼方の星座には少しも近付けない。でも大丈夫。

 ウォークライから身を守り、ジゴワットを追い詰め、ロア=ア=ルアを貫いた。トリニトロを捕らえ、スリーピーホロウへシキが駆け上がる道となり、ザ・スカヴァーを足止めし、ゼロ=ブルーとしのぎを削った。

 この手には、力が宿っている。そして。

 

 

(私には『意思』がある)

 

 

 体が落下を始めた。

 両手を合わせ、体の中でマナを練る。

 引き出せ、足の指先から髪の一本に至るまで、この身に宿るもの全てを。

 証明しよう、タケハヤが信じる「意思」の力を。見せよう、アオイが信じた「センパイ」の力を。

 

 体を眼下にいるミヅチに向ける。狂気を光らせる黄色い眼球が、がっちり自分を捕捉していた。

 

 

「『みつち』よ満ちろ……寒月に凍れ! これが……人の及ばぬ技よ!」

 

 

 一帯の気温が一気に下がる。視界の中の鉄骨、展望台の地面、全てが薄青のそれに覆われていく。

 マサキに渡された分厚いノウハウに載っていた術。サイキックの技のひとつ。その名前が意味するのは、

 

 

(『絶対零度の大地』、『氷の楽園』)

 

 

 手を振り上げる。

 体に収まらずほとばしるのは力の奔流。落下の軌跡を描いて昇るそれは冷気に変わり、紅の塔に咲く氷の華となる。

 

 

「さあ、消えなさい!!」

 

「──」

 

 

 人の身を超越した人竜。地面の下から宙まで這いあがってきた人間。向かい合うそれぞれの腕が技を放つ。

 名前は「アイシクルエデン」。文字通り全てを凍てつかせる、氷属性最大の術。

 

 展望台から宙へ。宙から展望台へ。

 竜の顎が合わさるように氷が噛み合い、東京タワーの頂は一瞬で極寒の世界に変わった。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 指先が崩れている。なのに痛みどころか感覚がない。

 少し動かすだけでぼろり、バキリと崩れが広がっていく。壊死……いや、皮膚も血肉も骨も、文字通り芯まで凍っているのだ。

 

 寒い、と思った。

 

 寒い、寒い、

 

 

「寒い……」

 

 

 無意識にこぼれた声まで凍っているように響かない。

 なぜ今になって寒さなんて。氷の帝竜に支配されていた台場でさえ、寒さなど少しも感じなかったのに。

 

 人竜ミヅチは自分の肩を抱いた。

 

 視界は東京タワーの紅白の塗装の面影もない銀世界だ。自分を中心に氷が波紋のように広がっている。

 自分と対峙していた人間も姿はない。血もなければ装備、服の残骸、肉片も見当たらない。

 

 どこにいる。術の勢いで体が吹き飛んだのか? シキのように外へ放り出されたのか?

 いずれにせよ、彼女がいないということは。

 

 

「ふっ、ふ、ふふ……!」

 

 

 体の奥底から歓喜が湧き上がる。

 絶頂に打ち震えて衝動のままに空を仰ぎ、高らかに歌った。

 

 

「やった、やった!! 私の勝──」

 

 

「いいえ」

 

 

 ドッ、と胸に何かが当たる。

 

 

「──あ……?」

 

 

 衝撃が体へ広がり、肺を揺さぶられる。

 口から出たのは叫びにすらならない自分のかすれ声と、まき散らされる血反吐だった。

 

 

「が、あっ……は……っ!?」

 

 

 刺すように痛い空気の中、わずかな煙がくゆる。それと共に視界ににじみ出たのは、同じ技をぶつけた相手。

 

 ほぼ半身を氷に呑まれたミナトが片膝を着き、こちらに両手を向けていた。骨折と内出血、凍傷で紫に変色した左手を支えに、右手で鈍く光る何かを握っている。

 煙と光を放つそれは、見覚えのある銀色の回転式銃。

 

 

「その、銃は……!!」

「……当たってよかった。銃なんて初めて使うし、弾は1発しかないから不安だったんですけど……お互い氷に捕まって身動き取れないのが幸いしましたね」

 

 

 彼女が長く息を吐く。同時にその体を捕らえていた氷が音を立てて溶けだした。

 極寒の中で唯一、熱を放ち、血を流し、赤い色で存在を主張するミナトが立ち上がる。虫の息で、けれど確かに2本の足で氷の地を踏みしめた。

 その目がじっと見つめてくる。あなたは立てないんですか、とでも言いたげに。

 

 

「きっと、ナガレさんやアオイちゃんなら、もっと余裕で当てられたんでしょうね。トリックスターはすごいなぁ」

 

 

 間違いない。双方が撃ち出したのは最大出力のアイシクルエデンだった。手加減する気はなかったし、相手にはそんな余裕さえなかったはずだ。

 なのに、同時に身を隠し守るためのデコイミラー、氷の戒めを溶かすヒートボディまで使っていたなど。

 そのうえで、この状況は──!

 

 

「ナツメさん。……いいえ、人竜ミヅチ」

「貴、様……」

「人間の手はあなたに届いた。私たちは、あなたにだけは決して負けない」

「貴様! 貴様ああぁっ!!!」

 

 

 よくもこの体に、あの女の武器を。

 殺してやる。頭をもいで、四肢を切り落として、一つ一つ臓器を潰して、手に持つ銃ごと何もかも蹂躙してやる。

 

 全ての触手をミナトへ飛ばした。

 ぼろ雑巾のような立ち姿があの赤髪と重なる。避けられる余裕など残っていないはずだ。

 やれる。あの時の再現だ。気に入らない女を粉々に、いや、もっと無残に!!

 

 5本の触手がうなりを上げて的へ殺到する。

 渾身の一撃は、その額に触れる寸前──ぎしりと停止した。

 

 

「!?」

 

 

 動かない。触手も、かろうじて凍っていない胴体も。肉も骨も、全てが役割を忘れてしまったかのように働かない。

 寒さに苛まれているはずの皮膚からじわりと汗がにじみ出る。

 

 

「なに、これ、は……!!」

「……私はただの嫌がらせで、使ったこともない武器を大事な戦いに持ち込んだりしません。私は代理です。あの子と、あの人の」

 

 

 ミナトは目を閉じ、役目を果たした銃を胸に抱く。

 チャンバーに弾は入っていない。装填してきたのはミヅチに撃った1発だけ。

 この銃も、弾も、シキの装備を新調するため都庁に戻った際、ある男性に託されたのだ。

 

 

『待て、13班』

 

『? どうしたんですか。ええと……イイノさん、ですよね』

『ああ、これを持っていけ』

『……! これってアオイの』

 

『渡すべきか、大人しく引っ込んでおくべきか、悩んでいた』

 

 

 国分寺に向かう途中の地下道で救出したイイノは、銃を専門とする職人だった。職人気質の彼は自身の腕と作品にこだわりを持ち、仕事以外の会話では「ああ」か「いいや」しか言葉を聞いたことがなく、武器に関してはトリックスターでなければとりあってもらえない。

 そんな彼が、アオイの銃と1発の銃弾を手渡してきた。その時も葛藤していたのだろう、作業用の手袋に包まれた両手は時間を引き伸ばされているようにゆっくりと動いていた。

 

 救助されて都庁に案内された際、失踪者の捜索から一度戻っていたアオイと顔を合わせたのだと彼は話す。

 

 

『能天気で無鉄砲なトリックスターだった。……それぐらいの度胸があれば、あの弾も使いこなせると思っていた』

『あの弾……?』

『研究室のマサキが言うに、トリックスターの奥義になりえる、らしい。この銃弾は、その試作型(プロトタイプ)だ』

 

 

 掌の上で転がる、数センチのきらめき。

「全てを込めた」とイイノは言った。

 

 

『俺が今できる全てをつぎ込んだ。……これは俺のエゴだ。自分の武器を使うはずだった者が殺された、俺個人の怒りだ。決戦に水を差してしまうようなら、返してくれて構わない』

『だがもし、持っていってくれるなら……人竜ミヅチに、撃ち込んでくれ。必ず、有効な一手になるはずだ』

 

 

 頼むとイイノが頭を下げる姿を見て、ケイマとレイミはおろか、ワジすらも仰天していた。

 

 銃職人とトリックスター。本来繋がるはずだった縁は人竜ミヅチによって断たれてしまった。

 わずかに震える彼の肩。美しいまでの輝きを放つ、手入れが施されたアオイの銃。断ることなどできはしない。

 

 エゴなんかじゃない。ミヅチに立ち向かうという意思はアオイだって持っていたものだ。むしろ背中を押された気持ちになった。

 

 

「これもあなたがコケにしていた人間の力。……あなたが踏みにじった! 私の友だちと、都庁の人たちの! 絶対、あなたには負けないっていう、意思を乗せた1発だっ!!」

 

 

 絶対零度にも負けない熱い涙があふれ出る。嗚咽を抑えきれず、食いしばった歯の隙間からうめきが漏れる。

 ゆらゆらと潤む視界の中、ミヅチは胸を押さえてもがいていた。

 

 

「ああ、あ゛ああああっぁぁあ゛!!?」

 

 

 熱い。苦しい。痺れる。皮膚の内側で何かが破裂する嫌な感触が内臓を責める。肉と骨がどろどろに溶かされていくようだ。

 体内で爆ぜる不快感にミヅチは目を見開く。銃弾を取り出そうと胸の傷口に突っ込んだ手も、凍っていたためぼろぼろと崩れていった。

 

 

「許、さない許さない! よくも──!!!」

 

「っ!」

 

 

 ぎ、と固まっていた触手が動く。

 

 少しずつ、確実に、凶刃が迫る。

 アオイを殺したそれが、今度はミナトの眉間を──

 

 

「させるか」

 

 

 ──捉える前に、素手の拳が叩き落した。

 

 

「……!!」

 

「──あ」

 

 

 いけない、こんなタイミングで来られたら、涙が勢いづいてしまう。

 星を抱く宙のように全てを吸い込む黒髪、白いセーラーに鮮やかな赤いスカーフ。

 

 

「何よその顔。まさか死んだと思ってた?」

 

 

 バカね、とこっちに向けられる貴重な笑顔。つられて表情筋が緩んでしまう。

 

 

「信じて待ってた……私頑張ったよ、シキちゃん」

「ああ。私もあんたならやれると思ってた。もう動けないでしょ。あとは任せろ」

 

 

 満身創痍のパートナーがゆっくりへたり込むのを見て、シキはミヅチと向き合った。

 凍りついて崩れている四肢。青ざめて脂汗を流す肌、焦点のあっていない黄色い目。

 まがまがしくて痛々しい。ナックルのはまっていない両手をほぐしながら、彼女のもとへ歩いていく。

 

 

「あんたの敗因。自分が絶対的有利に立っていると信じて疑わなかったこと」

 

「あんたの敗因。キリノやSKYを舐めてたこと。アオイや私のパートナーを取るに足らないと思っていたこと」

 

「あんたの敗因。私がいつまでもあんたの掌の上で踊る子どもだと決めつけていたこと」

 

「あんたの敗因。……今までの全てを──人間である日暈 棗を否定したこと」

 

 

 生まれてから14年を共に過ごしてきた女の前に立つ。

 これはガトウが、ナガレが、アオイが入れるかもしれなかった一撃。

 誰であろうと、人間が竜を倒すために放つことには変わりなかった、とどめの一発。

 

 腰を落とす。半身を引き、軸を保って。

 

 全身全霊の拳を目の前の鳩尾に叩きこむ。

 

 

「──!!」

 

「さよなら、ナツメ」

 

 

 無数の脅威を屠った拳は、この世で最も信頼できる武器だ。

 幼い頃の地獄を生き抜き、パートナーの手を引き、間違いなく人類をここまで引っ張り上げた少女の手は、人竜の核を捉えて砕いた。

 



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  ナツメ -VS 人竜ミヅチ-③

 

 

 

 14年前。まだキリノとも出会っていない時だ。

 

 ムラクモ総長の座についてしばらく。部下の1人が部屋に飛び込んできた。

 ノックもしないことをとがめる前に告げられたのは、ムラクモに所属する研究員、飛鳥馬夫妻の訃報。海外の研究所から戻るために乗っていた飛行機が、事故か何かで海に突っ込んだという話だった。

 異能力者でもある2人が死んだという報せに最初は半信半疑だったが、その件がニュースでも流れ、2人の遺体が確認されたと報じられてやっと実感がわいた。巨大な旅客機が粉々に大破し、搭乗者ほぼ全員が海に沈んで発見されない中、夫妻の遺体だけは五体満足で残っていたのだ。運も絡んでいるだろうが、きっと異能力者だったがゆえだろう。

 

 優秀な機関員を失ってしまった。人員の補充が必要だろうか。

 

 組織の損失と、仕事が増えてため息をつく自分に、部下は言いにくそうに追加の相談をしてくる。夫妻の子どもはどうしましょう、という話だった。

 ああそうだ、彼らがしていた研究の第一例にして、成果が見られなかったため失敗とみなされた一人娘。出張には連れていけず預けられていたという赤ん坊だ。生まれたばかりで乳離れもできていないらしい。

 実験として失敗していても、異能力者の実の子。その血で異能力に目覚める可能性はある。戦闘員としては使えるかもしれない。

 

 

「育児の経験がある職員を傍につけて。私も、余裕があるときに様子を見に行くから」

 

 

 それがシキとの出会いだ。別に思い入れもないし、いちいち覚えている必要もない。

 けれども忘れられなかったのは、初めて見た時、赤ん坊の目がいやにはっきりしていたからだ。自我が形成されるのはまだずっと後だろうに、つぶらな両目は光を宿して確かに自分を見つめていた。

 

 

 

 

 

 そう、今みたいに。

 

 額が着きそうになるほど近くにあるシキの顔。その瞳に自分が映っている。目を見開いて血に濡れ、ひび割れた醜い自分の顔が。

 シキの拳が叩きこまれた場所、体の奥で芯が砕ける音がした。敗北を告げる、決定的な感触だった。

 息を呑んで手を伸ばす。けれど何も待ってはくれない。体中に満ちていた力も、あふれていた万能感も。

 心も体も、生まれてから今まで積み上げてきた全てを捧げ、ようやっと手に入れたはずの光が、指の隙間からするりと抜けていく。

 

 

「嘘……でしょう!? 私は……神に……!」

 

 

 もがいても欠片も戻ってこない。水をつかむようにあっけなく形をなくしていく。

 

 崩れる。届かない。

 

 

「これでも、足りない……というの……?」

 

 

 消えてしまう。全てが泡になる。

 

 

「ヒトを捨てて……力なき者どもを喰らって……! それでも私は、チカラ、を……チカ、ラが、ないと……」

 

 

 触手はもう機能しない。四肢は崩れて動かない。

 なんとか形を保っている体も、もう持たない。

 ついさっきまで、間違いなく自分は星の頂点に君臨していた。まぶたの裏に景色を浮かべれば、瞬きひとつでその場所へ飛べた。指を差せば、その先にあるのが人だろうが国だろうが、S級の異能力者だろうが、思うがままにできた。

 

 そうして得られたものは、いったい何だろう。

 それをつかむはずだった手も、もう跡形もない。

 

 

「わた、しは……この……力で……何を……したかった……んだ……ろう……」

 

 

 何も為せなかった。

 

 何にも成れなかった。

 

 

「わ、たし、は……わ、た、し、は──」

 

 

 努力をした。でも届かなかった。

 だから人体実験に手を出した。でも足りなかった。

 だから竜の領域にまで踏み込んだ。なのにどうだ。

 ずっとずっと、誰よりも高みを目指して、ようやく触れることができた。いつもA級(秀才)を突破できなかった自分に背を向け、1歩前に立っていた彼女(天才)たちに追いつけたと思ったのに。

 隣に立ち、追い抜き、誰よりも先へ進んでいたはずなのに。

 生まれたまま「人間」で在り続けている彼女たちは、人間であることを捨てた自分を踏み越えていく。

 

 欲しい、力が欲しい。自信が欲しい。どれだけの時が経とうと不変である空のように、幾光年離れていようが地球に光を届け続けている日のように。

 何があろうと存在し続け、消えることのない力。実感。言葉。認識。全て全て全て。

 

 認めたい。認めてほしい。

 

 満たされたい。満たしてほしい。誰か。私だけでは。

 

 

 

 一番最後に目に見えたのは、宙でも星でも、目の前の少女と女性でもない。

 自分を慕っていたであろう、穏やかな青年の姿だった。

 

 以前、彼は人のために力を使いたいと自分をまっすぐ見つめてきた。それよりもずっと前から、様々な想いが込められた瞳を向けてきていた。

 自分にとっては余計なものだから、指摘することも応えることもなかったけれど。

 誰よりも自分を見続けていた彼なら……自分が得たかった「何か」を知っていたのだろうか。

 

 ああ。

 

 

「教えて……キリ……ノ……」

 

 

 最後の最後、ほんの一瞬。

 人間の姿に戻り、直後に日暈 棗は光となって弾けた。

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

 はーっ、と息を吐いて立ち尽くす。

 

 

「……何がしたいかなんて、普通最初に決めておくことでしょうが」

 

 

 人竜ミヅチは死んだ。世界中に消えない傷を刻んでおきながら、何もわからないというような、まるで迷子にでもなったような顔をして、ナツメは消えた。

 人を動かす原動力である「欲望」。何がしたいか、何を得たいのか。積み重ねられていく過程の、一番下にある地盤。

 かつて抱いていたであろうそれが、いつの間にか目的になってしまっていたのかもしれない。本人がいなくなってしまった今では全てが憶測に過ぎないが。

 

 

「あんたがしたこと、許せないし……許さないわよ」

 

「シキ、ちゃん……お疲れ様……」

 

 

 背後で労いの言葉と、ぼたぼたと粘性のある液体が叩きつけられる音がする。続いてどしゃりと崩れ落ちる音も。

 

 

「ミナト!」

 

 

 くずおれたパートナーに駆け寄って助け起こす。

 

 

「……あの人はさ……本当に、何がしたかったんだろうね……。何を、思って……。……やった、よ、アオイ……ちゃ……」

 

 

 首ががくりと垂れた。気を失ったらしい。息はしているものの、ひどく弱々しく、血が流れ続け体温が失われている。重傷だ。

 早く治療しなければ。下に戻って脱出ポイントに飛び込めば、すぐに都庁に戻れる。

 

 

「……?」

(何だ?)

 

 

 ミナトを抱えて走り出そうとして、奇妙な感覚に後ろ髪を引かれる。

 ミヅチは倒した。フロワロは散った。確かに見届けた。これ以上懸念することなんてないはず。

 いや。

 

 天を仰ぐ。

 彼方へ広がる黒い宙。無数の星が自分たちを見下ろしている。その煌めきに混ざるように、徐々に、徐々に。

 吐き気すら感じるような圧が、のしかかってくる。

 

 

「……誰だ」

 

 

 腹の底からうなってみせる。

 応えるように、一瞬、視界が白く染め上げられた。

 

 

『……もう終わりか?』

 

 

 ぞっ、と全身が粟立つ。

 反射的にミナトを抱き込んでいた。初めてウォークライと対峙した時以上の緊張感に襲われ、心臓が破裂しそうなほど大きく脈打つ。

 

 

『なんともアワレで……コッケイな物語だ……これだから、ヒトは面白い。クァハ、クァハ……』

 

 

 こちらの警戒は意にも介さず、声はゆったりと響き渡った。

 何かが、じっと自分たちを観察している。

 

 

「誰だ!?」

 

『そう驚くな……ワレはこの余興を、ずっと見ておったぞ。コノ星に、ワレの分身たる竜どもを、遣わした瞬間からな……』

 

 

『ワレはチカラの頂点、真竜……ヒトのコトバで……「神」と呼ばれる』

 

 

 

 神。真竜。

 言葉の意味を認識できず固まる中、再び視界が白く染まる。

 一度閉じて開いた目に、東京タワーの紅白とは異なる色の道が映った。虹のような光を放って透ける階段だ。

 このタワーよりももっと高く、宇宙の果てまで続く道。

 

 

『世界は間もなく滅びる……ワレが喰らうコトで、星ごと消滅するのだ。少し予定より早かったが……イイだろう。コノ星は、十分喰うに値する』

 

 

 そいつは静かに笑った。それだけでぐらりぐらりと空が不安定に傾ぐ。

 

 

『ヨモヤ人竜などと……想像したコトもなかった……コノ星は、面白い星だ……。……ワレを楽しませてくれた礼に、オマエたちに、チャンスをくれてやろう。竜の災厄を止めたくば、その光の階段をアガってくるがいい。強制はせぬ……オマエたちが、選ぶのだ』

 

「……」

 

 

 落ち着け。息を止めるな。一気に呑まれる。

 考えずとも、答えはご丁寧に相手が教えてくれた。

 2020年3月31日。突如地球に飛来して、人間をピラミッドの頂点から蹴落としたドラゴン。

 世界中を跋扈する雑魚の上位、ダンジョンの最奥から一帯を支配していた帝竜。そのさらに上。おそらくは頂点。全ての竜の頭にして、本当の敵。

 

 

「──」

 

 

 息を吸って、吐いて。そいつが座しているであろう、階段の果てを見上げて睨む。

 

 

「そこまで来て欲しいなら行ってやる。だから大人しく待ってなさい。神様がいる舞台に合わせてめかしこんで来てやるから」

『ほう、上がってくるか……イイだろう』

 

 

 腕の中のパートナーを見下ろす。

 この怪我では戦闘への復帰は無理だろう。ほぼ1人でミヅチの相手をしていたのだ。今は治療に集中させるしかない。

 悪い、と額の血を拭ってやる。

 

 

「ここからは私が行くから、あんたはゆっくり休んでなさいよ」

 

 

 散々死にかけた今までの戦いは前座に過ぎなかった。ここからが本番だ。

 改めて、逃げるわけではないから待つようにと上空の黒幕に言い聞かせ、シキはタワーの中に戻った。

 



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39.私の心拍が枯れたって

タイトルはご存知原作の主題歌『SeventH-HeaveN』(sasakure.UK 様作)より、サビのワンフレーズをお借りさせていただきました。
「心拍が枯れる」って表現やばすぎないですか? ここまでシンプルかつ叙情的な死や終わりの表現を考えられる語彙力が自分も欲しいです。



 

 

 

「──!」

「……、──?」

「~~、……」

 

 

 誰かの話し声が聞こえる。

 足から頭まで、体の背面が柔らかいものに包まれている感触に、ゆっくりと浮上を始める意識。何度も経験したことのある、ベッドでの目覚めだ。

 重いまぶたを持ち上げると、何度も世話になっている医者が自分を見下ろしていた。

 

 

「……目が覚めた! シバ君、私たちの声が聞こえるかい?」

 

「……」

 

 

 心を落ち着かせる緑色の床と壁。ベッドの周りを包むカーテンに、酸素に交じって肺に流れる薬の匂い。

 ここは都庁の医務室だ。気付くのと同時に頭の中に間欠泉のように疑問があふれた。

 何故ここにいるのだろう。今は何が起きているのだろう。嵐が吹き荒れるように頭の中がとっ散らかっているが、倒れている場合ではなかった気がする。

 

 右手を持ち上げて医者の袖をつかむ。

 

 

「……今は、どういう状況ですか」

「会話はできるようだね、よかった。順番に話すと、ぼろぼろの君をアスマ君が運んで戻ってきたんだ。致命傷ではなかったがかなりひどい状態だったからね、集中して治療を行なっていたところだよ」

「……何分……私は、何時間寝てました……?」

「そこまで時間は経っていない。戻ってきてから……1時間程度かな」

 

 

 1時間。医者はそこまでと言うが、作戦中であることを考えるとかなりの時間が経過している。

 最終目標であるミヅチは討伐した。今すぐ命に関わるような脅威や懸念は……たぶん、もうない。

 けれど、戦闘中のように心臓が早鐘を打つのはなぜだろう。

 

 そうだ。彼女がいない。

 

 

「シキ、ちゃんは?」

「アスマ君かい?」

 

 

 頷くと、医者は白衣のポケットから手のひらサイズの紙片を取り出した。半分に折られたそれをそっと開き、「これを君に見せてくれと言われた」と顔の前まで持ってきてくれる。

 霞む目を凝らしてピントを合わせる。紙片には、今まで受け取った差し入れのメッセージよりもずっと短い一言だけが走り書きされていた。

 

 

『まだやらなきゃいけないことがある』

 

「──」

 

 

 霧の中に沈んでいた意識が覚醒していく。

 

 このメッセージ、「まだ」ということは、彼女は。

 

 

「シキちゃんは……!」

「君と一緒に治療を受けてから東京タワーに──ちょ、待った! 何してるんだ!?」

 

 

 手足に繋がれている管を外し、壁にかけてあったパーカーに腕を通す。

 医者や看護師たちの制止を聞かずに医務室の扉を開けると、廊下の壁に寄りかかっていたミイナが飛び上がった。

 

 

「ミナト! 目が覚めたと聞いて様子を見に……何してるんですか!?」

「ミイナ! シキちゃんは!?」

「え、シキなら『まだ終わってない』と言ってタワーに……待ってください! そんな体で動いちゃダメです!」

「大丈夫。上半身はそこそこ怪我したけど脚は折れてない。いける」

「そんなわけないでしょう! シキみたいなこと言わないでください!」

 

 

 医者にナースにナビの少女が追いすがってくるが、止まってはいられない。1分1秒が惜しい。体の軋みを気のせいだと誤魔化して早足で階段を登り、突撃する勢いでムラクモ本部に入る。

 指令室の扉を開けると会話をしていたミロクとキリノが振り返り、ざっと顔を青くして駆け寄ってきた。

 

 

「ミナト!? 何してるんだよ、寝てなきゃダメだろ!」

「シバくん、君、その怪我で動き回るなんて……!」

「シキちゃんはタワーに戻ったんですよね、今どこにいますか!」

 

 

 2人の声を遮って尋ねる。ナビのミロクが反射的に答えた。

 

 

「シキならさっきまでナビをして、またタワーの展望台、通信が届かなくなる場所に向かったのを見届けたけど……」

「私も行く。SKYがセッティングしてくれた脱出ポイントまで繋いで!」

「何言ってんだよ、おまえは治療優先だろ!」

「ダメだよ、まだ終わってないの!」

「ナビとして許可できない! おまえの体はまだ応急処置くらいしか済んでないんだぞ! ていうかまだ終わってないって」

 

 

 パチンッ、と空気が叩かれる。

 キリノが両手を合わせた音が司令室内に響き、ぴたりと全員の言葉が止んだ。彼は静かに息を吐いて、近くの椅子を寄せてくる。

 

 

「落ち着いて。状況確認を行いましょう。シバくん、君の怪我は緊急治療を要するものだ。まずは体を気遣ってください。ほら、立っていないで椅子に座って」

「……はい」

 

 

 荒波の立っていた頭の中が静かに凪いでいく。

 興奮が収まり、今になって体の鈍痛を自覚し始めた。包帯と血糊であちこちが錆び付いたように硬くなってうまく動かない。

 これでよく移動できたなと数分前の自分に呆れる中、キリノは医者とナースを一度退室させ、順を追って状況を説明してくれた。

 

 

「まず、SKYの2人と自衛隊にはタワーに残ってもらい、シキと君の13班が都庁に戻ってきたのが1時間ほど前。そこで人竜ミヅチ討伐の報告はされたが、みんなも聞いているように『まだ終わってない』とシキは言って、30分前にタワーに戻った。そして再び通信の取れない展望台に入った直後に君が来たんだ」

「……私も、書き置きが残されてました。まだやることがあるって」

 

「真竜」

 

 

 聞き慣れない言葉をキリノが口にした。思わず彼を見つめて首を傾げる。

 

 

「シキが言っていたんだ。竜を地球に連れてきた、全ての元凶。神を名乗る存在がタワーよりもずっと上にいると。研究室ではドラゴンの分析を進めていく中で、もしかしたら、なんて話されてはいたんだが……本当に?」

「なんか、その真竜? ていうのが、地球を食べるつもりらしいから、殴ってくるってシキは言ってたけどさ……」

 

 

 突拍子もない話だ。7体の帝竜を倒し、人竜ミヅチを討伐したのに、まだ先がある? しかも「神」だなんて。

 

 

「私は……ナツ──ミヅチの討伐を確認してすぐに倒れてしまったので、それ以降は何も見聞きしていないです……でも、」

 

 

 キリノの言う通り、以前、研究室の人員が頬を紅潮させて駆け回っていたのを思い出す。

 

 

『各地の帝竜が、ミヅチの呼び声に応えた……。……ってことはやっぱり、彼らは何らかの指示系統を持ってるんだ! しかもそれは、帝竜よりも上位の存在から発されるはず……! これは、ひょっとしてひょっとするかもよ? 最後まで気が抜けないなぁ!』

 

 

 この状況、研究員たちの分析通り、ひょっとしてしまったということだろう。

 元が人だった人竜を除けば、純粋なドラゴンは帝竜を含め人間との意思疎通などしない生命体。けれどシキからの情報では、その真竜とやらは自分たちが認識できる言葉で神を名乗ったという。

 伝聞なので要領を得ないが、言葉を発する、人間と同等かそれ以上の知能を持った、ドラゴンの上位と考えていいだろう。そんな敵が新手だなんて。

 

 

「なら、シキちゃん1人じゃ大変です。私も行かせてください」

「だから、その怪我じゃダメだって──」

「怪我なら、」

 

 

 ミロクの言葉を遮って立ち上がる。

 片手を胸に当てて、これ見よがしに自身にキュアをかける。止血も薬も医務室で施してもらい、あとは傷の再生を待つだけ。ならその時間を治癒魔法で短縮すればいい。

 ミヅチ戦での極限状態の名残りか、神経はタワー頂上に突入したときと同じく研ぎ澄まされたままだ。キュアによって細胞が分裂を促され、包帯の下で新しい肉によって傷がふさがれていくのを感じる。

 本来なら日をかけて回復していく傷を無理やり造りかえるのだ、体にもたらされる疼きは味わったことのない気持ち悪さで、胃がひっくり返りそうになって汗があふれた。

 胸を叩く不快感を抑え、手首の包帯を取って再生した皮膚を見せつける。

 

 

「この通り、大丈夫。だから行かせて」

 

 

 シキのメモには「まだやらなきゃいけないことがある」とだけ残されていた。そしてこの伝言は、自分に見せるように言われたと医者が話していた。

 メモには「後から来い」とは書かれていないが、「来るな」とも書かれていない。シキの性格上、真竜とやらに1人で挑むつもりならそう書き置いていったはず。

 

 命がけのドラゴン討伐という濃い時間を共にしたからわかる。このメモはシキの足跡だ。彼女は無理強いはしないまでも、ついてこれるなら来いと自分を呼んでいる。

 

 

「死にに行くんじゃない。私はあの子と一緒に竜と戦って、乗り越えるために行く。……これは私の意思です! お願いします、行かせてください!」

 

 

 キリノに頭を下げる。

 返事代わりにうーんといううめきが出されて数分後、現ムラクモ司令官は静かに息を吐いた。

 

 

「『意思』か。そう言われると止めにくいな」

「おいキリノ! 止めにくいとか言ってる場合じゃないだろ!」

「わかっているよ。けど、シバくんは止めても飛び出していくだろうから……」

 

 

 上司の長い人差し指が向けられた。背筋を伸ばす自分に、キリノは声を低くして言い聞かせてくる。

 

 

「いいかい、シバくん。君の治癒魔法は確かに怪我を治せるし、毒や麻痺を取り除くこともできる。けどそれは万能じゃない。傷だって、軽いものはすぐに消えるけれど、君の体に蓄積されたダメージは癒えきっていないはずだ。……わかりやすいのは左手かな」

「……」

 

 

 薬指以外を執拗に折られた左手は、サポーターでガチガチに固定されている。キュアで痛みは引きつつあるものの、骨折そのものは治っていない。

 何度も殴られた胴体も同じだ。もう血は流れないし吐き気もないが、滲むような倦怠感はごまかせない。

 全快とはほど遠い。戦闘に参加したとして、健康時の半分程度の力も出せるかどうか。

 

 

「今までたくさん使ってきたので、そこは自分でもわかっています。治癒魔法は優秀な応急処置になるけど、手術には敵わない……即死は免れても、根本から快復するにはちゃんと診察と治療を受けないと意味がない、です」

「うん、そこまで理解しているなら、今の体でタワーに戻ることがどれだけ危険かも、わかっているね」

「はい。死んだら何もかも意味がなくなってしまうというのも承知の上です。でも、死ぬつもりはありません」

 

 

 シキの体だって限界に近いはず。それでも彼女は戦いに終止符を打つために戦場に戻った。

 もうあたりまえのことだ。飛鳥馬 式が飛鳥馬 式である限り、その命は歩みを止めない。竜に比べてちっぽけな体に太陽も焦がす熱を持ち、尽きない意思で誰も見たことのない果てすら越えていく。

 自分が相棒として手を繋いだのはそういう少女だ。ならこのタイミングで隣にいないのはおかしいだろう。

 

 

「ドクターストップがかけられる体で保証も何もないですが、必ず帰ってくる、死なないって約束します。私はシキちゃんとタケハヤさんに誓いました。こんなところで死ねるはずがないんです!」

 

 

 必死に言葉を紡ぐ先で、キリノの目は光を見るように細められていた。怒りもせず、諫めもせず、視線をゆっくりとナビの双子に向け、彼は「どうする?」と優しく尋ねる。

 ミロクはありえないものを見る目でキリノとこちらを交互に見て、ミイナと顔を合わせ……数秒固まってからヘッドセットごと頭をかきむしった。

 

 

「ああああ、もう! わかったよ! ちょっと待ってろ!」

 

 

 少年ナビは全速力で司令室を飛び出し、すぐに息を切らして戻ってくる。

 彼は汗をぬぐいもせず、こっちに向かいながら片手に持っている袋に手を突っ込み、パンチする勢いで指先を口に突っ込んできた。

 

 

「むぐっ!? 何これ──おいしい! クッキーだぁ!」

「そんなのんきに笑うなよな……疲れてるだろ、せめて小腹くらい満たしていけよ」

「ミロク、それは……」

 

 

 目を丸くしたミイナに「せっかくだしいいだろ」とミロクは返す。間を置かずクッキーを突き出してくる彼としどろもどろになるミイナにどうしたのかと尋ねると、ミロクはそっぽを向いて小声で話した。

 

 

「……クッキー、ミイナと作ってみたんだ、厨房借りて……。おまえら、ドラゴン討伐するようになってから腹減った腹減ったってよく言うから」

「この前、私たちの依頼を受けてくれたお礼も兼ねて渡そうと思ってたんですけど、忙しかったしなかなかタイミングがつかめなくて……」

「だから、今食ってけ。あとこっちはシキの分。持っていってくれ」

 

 

 もうひとつの小さな包みを渡される。

 ただでさえ一度倒れて、それからも激務続きだっただろうに。合間を縫って双子が懸命にお菓子を作る姿を想像して胸が締めつけられる。

 

 

「2人とも……」

「泣くなよ、気の早い奴だな。ほら、まだあるからちゃんと食ってけ」

 

 

 鼻をすすりながらクッキーを味わう中、ミイナが頭の後ろに手を回し、髪を結ぶリボンをほどいた。彼女はポケットからクシを取り出し、自分の後ろに回って乱れた髪を整え始める。

 

 

「髪、伸びましたね。ウォークライにやられたときは燃えて短くなっていましたけど……できた」

 

 

 傷んで広がっていた髪がリボンでまとめられ、後頭部がすっきりした。反対に髪を下ろしたミイナが離れる。

 双子のナビはそれぞれ右手、左手を力一杯握りしめ、真っ直ぐこっちを見上げてきた。

 

 

「……おまえさ、オレの好物とか知らないだろ? オレも、任務の上でしかおまえを知らない。さっさと全部終わらせてさ、そういう交流も、したっていいだろ」

「……うん」

「ガトウ隊の願いはきっと……この戦いに『生きて』勝利することです。その願い、13班に託します」

「うん……うん!」

 

 

 ミロクとミイナをめいっぱい抱きしめた。

 

 そうだ、以前もこんな風に小さな女の子を抱きしめたことがある。

 地下シェルターで目が覚めて、億人の人々が死んだと言われ、醜い火傷痕しかない体で何ができるのかと途方に暮れていたとき。少女が傷薬を差し出してきた。

 つやのある指通りのいい髪に、温かそうなふわふわのコート。両親に愛されて育ったのだろう、傷ひとつない柔い体を抱きしめて……この体がドラゴンの牙に貫かれたらと想像して、恐怖に背中を突き飛ばされた。

 ただでさえ希望が踏みにじられた瓦礫と毒花だらけの廃都で、わずかな灯火として残ったこの幼子まで血を流すようなことがあってはならないと、頭の中でもう1人の自分が叫んだのだ。

 

 

(ああ……温かいなぁ)

 

 

 大丈夫。この温もり(命たち)と、それを失いたくない恐怖があるから、自分はまだ戦える。

 

 鼓動を感じる腕の中、ミロクとミイナは少し苦しそうにしながらも小さな手を背中に回してくれた。

 

 

「シキのこと、頼んだぞ。絶対一緒に帰ってこいよ」

「そのリボン、ガトウとナガレからもらった物なんです。私の宝物、ちゃんとあなたの手で私に返してくださいね」

「うん、もちろん!」

 

 

 よし、元気はもらった。

 

 体を離してそれぞれの持ち場につく。

 医者達への説明はキリノがしてくれるみたいだ。きっと怒られてしまうだろう。申し訳なさと感謝を込めて頭を下げる。

 

 

「それじゃあ、お願いします。行ってきます!」

「ああ。13班の帰りを待っているよ」

 

「座標固定、東京タワー展望台4F!」

「脱出ポイント連携完了。突入してください!」

 

 

 目の前に見慣れた緑色の光が集まる。

 ありったけ準備した荷物をしっかり抱え、眩しさの中に飛び込んだ。

 





アイテルは「孤独な戦い」って言ってたし、原作ラストでは秘密なんてオチでしたがいやそれはあかんだろう。報連相大事。
ということで弊13班はニアラのことを素直にキリノたちに報告しました。2020-iiでは普通に真竜の存在知られてるし。


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  私の心拍が枯れたって②

プレイ中、東京タワーに突入し、真竜の領域まで来て、ようやく致命的な点に気付きました。
デストロイヤーとサイキックだと2ターン以内にフロワロシード倒せねえ!! 手数が足りねえ!!
フロワロシードDXだかEXが出てきても泣く泣く逃がすしかなく……通常攻撃地味に痛いし……。少しでもEXPとSP稼ぐため、アッパー系のアクセサリーを入手してからはずっとそれを装備してました。ドラゴン戦ではなるべくEXPとSPブーストスキルも使ってました。

2人の戦いもいよいよクライマックス。待て次回!



 

 

 

 天空に伸びた東京タワー。そのさらに上、地平線ではなく地球そのものが見える宇宙の中。竜の絶叫が彼方にまで反響していく。

 事切れた相手を踏みつけ、シキはふーっ、と息を吐いた。

 

 

「ほんとにミヅチが最後じゃなかったのね……あと何匹いんのよ」

 

 

 腕に新しい包帯を巻く。

 何度か交戦した首長のドラゴンは羽の振動で不快な音波を響かせ、体の傷口を広げてくる。おかげで都庁で取り替えたセーラーはすぐに赤く染まってしまった。

 

 

「ったく、ほんとに……」

 

 

 こぼれる愚痴に、いつもの苦笑いのレスポンスはない。

 今ここにいるのは自分1人。どれだけ言葉を紡ごうが、意味のない音になって虚しく消えるだけだ。

 

 おまけに、

 

 

『オマエたちは……ヒトの歴史を知っているか……?』

 

「……」

 

 

 唯一の話し相手も、これから殴り倒しにいく標的だ。

 文字通りの上から目線。何を言っているのか認識はできるが、おおげさに空気を震わせのしかかってくる声に腹が立つ。話しかけられたって嬉しくない。

 

 

『地を這うケダモノに知恵を与え、栄えさせ、天をつく居城で……大地を埋めさせたは我らよ……』

 

「偉っそうに……人間を進化させた自分は神様だって言いたいの?」

 

『クァハ、クァハ……そのとおりだ。しかし、ハタシテ神のチカラは、ヒトのためのものだったのだろうか……。……サアこい、続きを聞かせてやろう』

 

「聞きたくないわよ」

 

 

 聞きたくない。が、行くしかない。どうせこの後顔も合わせるのだ。

 都庁で自分の帰りを待つ研究員たちは喉から手が出るほどドラゴンの情報に飢えている。真竜からも検体が回収できるかどうかは知らないが、あいつらの好奇心を満たしてやれるよう、ここでの体験は記憶に留めておいてやるとしよう。

 

 後ろを振り返る。もちろん、何の気配も影もない。自分の足跡の代わりにドラゴンの死骸が転がっているだけだ。

 下手な期待はするな。あいつの傷を見ただろう。この先に待つ相手とは自分1人で戦う可能性のほうが高い。それを承知でここに来たはずだ。

 首を振って体の向きを直す。すると、神を自称する声が「ほう」と呟いた。

 

 

『もう1匹、ニンゲンが来たか』

 

「!」

 

『ちょうどいい、ワレの玉座へ来るまでのヒマ潰しだ。こやつにも聞かせてやろう……』

 

 

 どこか遠くでドラゴンの咆哮が響く。

 耳が反応した方向へ目を凝らせば、視界で小さな薄青が咲いた。

 少し前にも見たことがある。東京タワー下層からミヅチのいる展望台に戻る際、上空を覆わんばかりに咲き誇った六花。あるサイキックしか咲かすことのできない、氷の華だ。

 

 

「あいつ……!」

 

 

 来たのか、本当に。

 

 心臓が跳ねるのがわかった。頭の中を占めるのは現在進行形でしているだろう無茶への怒りと、それを包む、言葉にしがたい熱。

 

 感情にふたをするように、この世界に2人だけの人間を隔てるようにドラゴンたちが立ちふさがる。

 問題ない。邪魔をするなら殴り飛ばすだけだ。

 

 シキは靴底を鳴らして走り出す。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 嫌な声だ。

 

 まるで天蓋のように、真上から全てを覆って閉じ込めるような響き方。慈悲などなく、哀れみなどあるはずもなく、天上天下唯我独尊と声高に叫ぶ、胸糞の悪い賛歌。

 そんな声が、虹色の階段を上がって領域に踏み込んだ自分を捉えた。

 

 

『ワレらは……宇宙を旅するイダイなる旅団。生命ある星に、知恵の芽をまき……育て……ハグクミ……そして──』

 

『喰らう』

 

 

 一瞬足が止まってしまう。危機感が体に警鐘を鳴らした。

 

 

『文明のもつエントロピーを喰らって、我々は生きている』

 

「……それは、つまり……人間は食べられるために……?」

 

『そう、オマエたちは家畜にすぎない』

 

 

 引き返せと脳の中心で本能が叫ぶ。

 何もおかしくはない。この嫌な予感も、止まらない足の震えも、生物が備える生存のための感覚だ。心を持つ人間であれば、この前進は断頭台に上がるための歩みとしか思えないだろう。

 

 けれど、それがどうした。

 

 戻れば星ごと呑みこまれて死ぬ。進めば……死は待っているかもしれないが、それを超えられる可能性が、砂一粒分はあるはずなのだ。

 くじけてたまるかと1歩踏み出す。あざ笑うようにドラゴンが行く手をふさいで牙を剥いた。

 

 

「邪魔をしないで……!」

 

 

 息を吸い、吐くのと同時に腕を振り下ろす。

 動きに倣って天から収束した雷が落ちる。帯電して身動きが取れないところを氷で串刺しにし、火炎を飛ばして新手を牽制する。

 人間の戦う姿が愉快でしかたないようだ。不快な声がゆったりと哄笑した。

 

 

『クァハ……クァハ……。いつか喰われるために、文明をハンエイさせ……死を待つだけの存在だ。神がサダメた運命よ……』

 

「そんな運命……! 誰が!」

 

 

 受け入れるものか。マナを爆発させて声をかき消す。

 タワー屋内でも戦ったイージスドラグがひるんだ。その隙に冷気を操り、360度全てを囲う形で氷を生んで斬り刻む。

 腕を貫かれ、腹を突かれ、脚を抉られ、けれど2足歩行の竜は倒れない。

 さすがはイージスなんて大仰な名前がついた竜だ。自分の調子も関係しているだろうが、タフな上に属性攻撃が効きにくい。

 こちらへ踏み出す巨体に慌てて冷気を飛ばし、ありったけ勢いをつけて氷の鎚を衝突させる。

 頭を打ったイージスドラグは足を踏み外し、なんとか体勢を立て直そうとして、

 

 

「落ちろ!」

 

 

 横からの乱入者に蹴り飛ばされ、首からごぎりと嫌な音を響かせた。

 

 小さなローファーに足蹴にされたドラゴンは下の階層に落ちていく。

 そのまま数体のマモノを下敷きにして潰れるのを見届け、蹴りを繰り出した少女が振り返った。

 

 

「シキちゃん!」

「……」

 

 

 返事の代わりに飛んできたのは、まさか本当に来るとは、というような視線だった。怒り半分、驚き半分……いや、驚きの方が勝っているだろうか。

 駆け寄る自分の体をじろじろ観察し、ナックルを装備していない素手が、包帯で保護された左手を掬いあげた。

 ずきりと痛みが走るが、音を上げるほどではない。笑って大丈夫だと伝えてみせる。

 

 

「……あんた、やれるの?」

「もちろん。そのために来たんだよ」

「あ、そ」

 

 

 黒髪がなびいて背がむけられた。

 これは怒っているというより安堵だろう。本人は認めないかもしれないが、荒げていた息が少し凪いだのをミナトは見逃さなかった。

 

 暴力的な咆哮も、ずいぶん数が減った。見渡す限り、残っているドラゴンは片手の指を折るほどしかいない。

 たぶん、終わりが近い。少女の隣に並んで歩き出す。

 

 

「あ、そうだ……はいこれ」

 

 

 リカヴァとキュアで手当てをし、小さな包みを手渡してから横に跳ぶ。タワードラグの亜種らしきドラゴンが飛び降りてきた。

 が、シキの蹴りと拳に長い脚をへし折られ、念押しの踵落としで頭を潰される。

 

 

「……何これ、クッキー?」

「うん、ミロクとミイナが作ってくれたの。私はこっちに来る時に食べたから、これはシキちゃんの分」

「ふーん」

 

 

 ちり紙をゴミ箱に放るように竜を殺したシキが、包みをほどこうとして顔をしかめる。目の前にホバードラグの亜種が出てきたためだ。

 この形のドラゴンは久しぶりに見るなと思いながらプラズマジェイルを落とし、イフリートベーンの業火で焼き払う。

 心なしかほっと息を吐く少女の様子が珍しく、首を傾げた。

 

 

「あのドラゴン、苦手?」

「苦手云々じゃない。あいつの技で傷口が開いて、体中べとべとなのよ。これじゃスペアがいくつあっても足りない」

「あー……制服白いもんね。汚れ目立つよねぇ」

 

 

 ドズンッ、と地面が揺れる。目の前にクリミナルドラグが降りた振動だった。

 シキがクッキーを口に放り、「甘い」と呟く。そして飛んできた巨大な拳を小さな手でいなし、鉄のマスクごと鼻面を殴り飛ばす。

 なおもつかみかかろうとしてくる竜を氷で拘束すれば、刃物よりも鋭い拳が急所に埋まった。

 一度勝てた相手だ、前回よりもスムーズに倒せるのはあたりまえだが、それにしたってとどめを刺すのが早すぎる。やっぱり彼女は戦闘のプロだ。

 というか、今さらだがシキは素手で戦っている。左腕はいつもの籠手に包まれているが、ナックルのような武器は身につけていない。

 

 

「ねえ、手は大丈夫なの? 都庁に戻った時にナックルは……」

「ああ、昨日ダイゴに色々叩きこまれてね。今は素手でも問題ない」

「ダイゴさんに? ……あ、だからあのときぼろぼろになって帰ってきたんだ」

 

 

 最後のドラゴンが崩れ落ちるのを確認して歩き出す。

 ただでさえ消耗が激しいのだ。薬を惜しんではいられない。いっそここで身軽になってしまおうと黙々と互いを治療していると、しばらく聞こえなくなっていた声がまた頭上から降ってきた。

 

 

『……オマエたちは幸福だ』

 

「は? 幸福? 何が」

 

『コノ世界のホロビを待つことなく──ワレにソノ身を喰われる栄誉を、得たのだから。帝竜を狩ったそのチカラ……我が前菜にはふさわしいやもしれん』

 

 

 何を言うのかと思えば、くだらない。自信満々に「栄誉」などとよくも言えたものだ。

 相手の都合や基準など、考慮する必要すら感じていないのだろう。人間を産んだと豪語する割に、ちっとも人間のことを理解できていない。一周回って感心すらする。

 パートナーと一緒に、頭上の舞台を睨みつけた。

 

 

「アホじゃないの、おとなしく喰われるとでも?」

「私たちはあなたに食べられるために進んできたんじゃない、倒すために来たんです」

 

『くだらん……。コノ星のニンゲンは、不可思議だ。希望や夢ナドというコトバで、チカラの絶対をくつがえそうとすらする……なんと、オロカな』

 

「……愚か、ね」

 

 

 ぼそりと呟く。当然相手には聞こえない。まあ向こうはこちらの弁など聞く気はないんだろうが。

 自称神は望んでいない説教を天から流し続ける。

 

 

『あの人竜の女も、チカラが絶対であると知りながら……オマエたちに敗れた。まったく、リカイできぬ』

 

「理解できないんじゃなくて、理解しようとしてないんでしょ。神って奴はずいぶん怠惰なのね」

「生み出して放っておいて、あとはノータッチだったってことでしょう? それでどうして自分の思い通りになるなんて考えられるんだろうね」

 

 

 ミナトはシキに同意してうんうんと頷く。すると彼女が自分の目を見て「変わったわね」と言った。

 

 

「うん? 変わった? 何が?」

「あんたよ。まあ、これだけ戦い続けてればちょっとは頼もしくもなるか、じゃないと困るし」

「……頼もしい? 私のこと?」

「何よ」

 

 

 発言を指摘すると、じろりとシキの瞳が細められる。目もとが若干赤いのはきっと気のせいじゃない。

 以前はヒムロに自分のことを説明していたのを頑なに認めようとしなかったのに。今度は自分を評価する言葉を直接伝えてくれた。

 むず、と好奇心が盛り上がる。

 

 大きく1歩を踏み出してシキの前に立ってみた。少女は面食らって歩みを止める。

 

 

「だから、さっきから何よ」

「ごめん。今の私はシキちゃんからどんな風に見えてるのかなって。改めて聞きたくて……」

「はー……?」

「私、単純だから。一言でも何か言ってもらえたら、この先うんと頑張れるよ」

 

 

 ねだるように手を合わせると、シキは目を逸らした。逃げではなくて、答えを探すように視線をさまよわせて沈黙する。

 閉ざされた目がゆっくりと開かれる。長いまつ毛に縁どられた瞳がぼろぼろの自分を映す。

 

 

「訂正。やっぱりあんた、変わんないわ」

「えー!?」

 

 

 ずっこけそうになる自分に、少女はずいっと拳を突き出してきた。

 

 

「変わんなかったでしょ。最初から最後まで、私の隣にいたのは」

「……そうだね。うん」

 

 

 世界は変わって、文明は崩れ、空は変色し、人はほぼ死に絶えた。

 そんな地で走り続けて、何度も転んでは立って、もう全身傷だらけだ。怪我や痕のない綺麗な皮膚の方が少ないかもしれない。お風呂にだって毎日入れるわけではないし、化粧品の補充もできないから肌は荒れ放題、指先を始め、体の所々は形が歪んでしまった。

 けれど、自分も彼女も変わりはしない。東京都庁で出会ってから今の今まで。

 

 目の前に立つ少女/女性は、

 

 

「私のパートナーでしょ/だね」

 

 

 それがわかっていれば充分だ。

 拳を伸ばして真正面から当てる。

 

 

「やるわよ」

「うん!」

 

 

 紅白の鋼が(無限)を描いて宇宙に形成された城。まるでここが一つの世界だというように、宙には不思議な意匠の金環が浮かぶ。

 頭上だけでなく、眼下にも星々が見える景色なんて最初で最後かもしれない。なぜ息ができるのかはあまり深く考えないでおこう。

 巨大な螺旋階段と化した足場を駆け上がることしばらく。正真正銘、最も高度にある広大な舞台へ出る。

 

 最奥で、真竜は待っていた。

 

 

『ようこそ……サイハテの玉座へ』

 

 

 太陽のような金の輪を背負い、同じく金色の輝きに覆われた翼竜の体。赤、青、緑の宝玉に彩られた豪奢な風貌。唯一、右の翼だけが欠け、それを補うようにまがまがしい闇が膜を張っている。

 なるほど、確かにまとうオーラは今まで戦ってきた竜よりも別格だ。……趣味が悪い、という意味で。

 

 

『ワレは真竜ニアラ……オマエたちを生み、喰らうモノである』

 

「……こんな金ぴかに生み出されて喰われるとか、死んでもごめんなんだけど」

「うん。死ぬつもりはないけどね」

 

『無為ナ言葉をつづるのに、ワレはいささか飽きてしまった。愚かな民よ、2度目の滅びをくれてやろう』

 

 

 自分で招いておいてコミュニケーションをとる気もないらしい。まあ、向こうからしたらレストランで料理が運ばれてきた、程度の感覚なのだろう。

 人形遊びに飽きておもちゃを放り出す子どものように、真竜はおもむろに体を起こした。

 

 

『ワレを満足させるに足る……供物となれ!』

 

 

 ほとばしる叫びが銀河を揺さぶる。

 圧に吹き飛ばされそうになりながら、それでもシキとミナトは2本の足で決戦の舞台を踏みしめた。

 

 満身創痍の人間がたったの2人と、傷ひとつない神が1柱。よく考えればバカバカしくなる状況だ。不利も何もない、見世物として処刑台の上で踊るような。

 でもなぜだろう。脅威や恐怖を感じれど、諦める気はこれっぽっちもない。きっと独りではないからだ。

 

 無意識に片手を振りぬいていた。同じく振られたパートナーの手が重なり、パァンッ、と小気味いい音が高らかに響く。

 

 

「目標は!」

「勝って、生きて帰ること!」

 

 

 目の前の真竜ニアラと、13班は笑って対峙した。

 



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40.枯れてくれるな、運命 - VS 真竜ニアラ -

今回も原作の主題歌『SeventH-HeaveN』(sasakure.UK 様作)より、一節をタイトルにお借りさせていただきました。

ラスボス戦でまさかの人材? が活躍。最初は入れるつもりなかったんですが、せっかく登場させたので。
ラストバトルなのでニアラにも13班にも必殺技を使ってもらいました。



 

 

 

 流星が渦を巻いて飛んでいく。眼下には青と赤が混じり合う惑星が見える。

 どこまでも広がる暗闇と、それを塗りつぶすような色彩と光の洪水。

 壮観の一言に尽きるだろう。──神と戦うなんて突飛すぎる状況でなければ。

 

 地球を飛び出した宇宙のただなか、赤い舞台が激震に揺れた。

 

 空間を呑みこむ嵐のようなブレスを裂いて前へ突き進む。

 標的はすぐそこ。ド派手な神体は目をふさがれても見つけ出せるほど存在を主張していた。

 痛々しいとさえ感じる黄金に拳を振りかぶる。

 

 

「っだあっ!!」

 

 

 音が轟く。

 拳の当たった真竜ニアラの頭が揺れた。が、それだけだ。

 寝起きのように緩慢と上げられた顔には感情など浮かんでいない。種族が違うので感情があるかどうかもわからないが。

 

 鬱陶しい羽虫を払うように、ニアラが黒い右翼を上げる。

 鈍いとさえ言える動作。たったそれだけで、舞台が爆心地と化す。

 

 

「っ!!!」

 

 

 全てが黒い炎に包まれた。ウォークライ、トリニトロとは違った感触、桁違いの規模の漆黒が昇り立つ。

 髪の先が砂のように崩れていく。燃やすなんて表現がかわいらしく思えるレベルだ。そこにある物を原子から分解して消し去る……まるで虚無そのもの。

 

 辛うじて燃えていない足場を飛び跳ねて距離を取る。ミナトが発動したのだろう治癒魔法の光に包まれ、体は炎の毒牙に捕まらずに済んだ。

 

 直接攻撃を喰らったわけではないのに、肌がビリビリと痛む。神経が張り詰めすぎて、体中の血の流れが止まってしまいそうな気さえする。

 

 

(神、か)

 

 

 腹立たしいが認める他ない。目の前の相手は帝竜とは格が違う。人竜ともケタが違う。

 あの様子じゃD深度に繋がる余波は愚か、ダメージもまともに入っていないだろう。

 拳が通じない相手なんて──

 

 

「えいっ」

「だっ」

 

 

 バチンと背中に何かが当たった。それはそのままゆったりと上下し、肩から腰を優しくなでる。

 肩越しにミナトの顔が覗いた。血とススで汚れた頰を緩め、彼女は背に当てた手を動かし続ける。

 

 

「珍しいね、怖い……ううん、緊張してる?」

「……緊張……」

「あはは、そこまで考える余裕はないか。……1人で前に立たせてごめんね。でも大丈夫、絶対にサポートするから」

 

 

 まるで赤子をあやすようだ。指先でとんとんと背を叩かれる。

 

 

「私もかなり緊張してる。体が火照って、心臓爆発しそう。でも……」

 

 

 真正面から黒炎が雪崩れてきた。

 ミナトが1歩踏み出し、両腕を広げて踊る。指先が描いた軌跡は火の円環になり、舞台の隅から外へ一瞬で駆け抜けた。

 サイキックの炎がニアラの炎を巻き込んで宇宙へ消えていく。

 背後に広がる熱気をものともせず、赤い逆光を背負ったパートナーは笑いかけてくる。

 

 

「あの真竜はめちゃくちゃ強いだろうけど……背中を預ける仲間もいなければ、手を引いてくれる誰かもいない。ここに2人で立っている私たちには届いてない」

「あんた、火は」

「こんな炎、怖くないよ。あの時のあれに比べたらぜーんぜん」

 

 

 醜い火傷の痕が残る自身の背を示しつつ、ミナトは白銀水を1本飲み干した。今ので相当マナを消費したのだろう。

 疲労と痛みで震える指先。ミイラかと思うくらい体中に巻かれた包帯。滲んでいる血。自分よりもずっとひどい状態のくせに格好をつけて。その声には偽りなんてかけらもない。

 

「チームで戦う」ということを改めて思い知った。 (可能性)がなければ拓いていくのが自分の役目。そうすれば、それをミナトが広げてくれる。

 後ろと横にはパートナーがいる。余計なことは考えずに突き進め。

 

 ニアラが再び黒炎を広げる。

 すかさずミナトが氷河の壁を生み出してせき止めた。同時に走って懐へ接近する。

 強固な相手にいい加減に当たるだけでは傷すらつかないだろう。なら、

 

 

(一点集中!)

 

 

 周囲の氷河が煮えたぎるように溶けていく。

 崩れてくる氷塊を足場に駆け上がり、真正面から相手の赤い眼と向き合う。

 全身に黄金をまとう翼竜。弱点と言える箇所はない。ならば狙うのは厄介な武器だ。

 相手の攻撃は規模が大きすぎる。少しでも戦いやすくするために、真っ先に武器を奪う。標的はその口だ。

 

 

「せいっっ!!」

 

 

 渾身の力でフックを見舞う。ニアラは避けようともせず、狙った場所に拳が当たった。

 横っ面をはたかれ、さっきよりも大きく頭が揺れる。

 ニアラはほう、と感心するように目を細める。憎たらしいことにまだまだ余裕が残っているようだ。

 

 

『ソレが全ての帝竜を狩った手か。まだヌルイ……』

「あっそう。じゃあそのままおとなしくしてろ!!」

 

 

 もう一発、さらにもう一発。おまけに足も加えて追撃を見舞う。地震にも負けない衝撃に真竜の頭部が轟音を鳴らした。

 当たっただけで満足はしない。確実にダメージを積み上げて初めて攻撃になるのだから。

 ダメ押しに拳を叩きこむ。連撃を与えた箇所がほんのわずかにぎしりと軋んだ。

 

 真竜の目が動いた。にやついて細められていた真紅が、鏡のように自分を映す。

 まずい、と思った時には既に闇が周囲を包んでいた。

 

 

『鬱陶しい』

「くっ!?」

 

 

 暗い視界で七色の光が瞬く。そこら中に広がる星とは違う、棘のように目を射る刺激。

 ほんの一瞬浴びただけで視覚が塗りつぶされる。ミヅチ戦での傷も痛みも癒えていないのに、追い打ちをかけるような倦怠感と吐き気がまとわりついた。

 次いで横から風圧がかかったと思えば、視界がぐんと横に流れる。

 体が脳の命令をきかない。側面から巨大な何かに押され、ただただ磔になる。

 

 

「シキちゃん! っつう!!」

 

 

 大砲のような音と、衝撃と、すぐ頭上で響いた苦悶。

 数秒脳を揺らし、落ち着いた視界に映ったのはミナトの胸もとと舞台の地面。そして翼を広げるニアラ。リカヴァの光を浴びてようやく真竜に翼で払われたのだと気付いた。受け身も取れなかったのに無事だったのはミナトが受け止めてくれたからだ。

 激しく咳き込み、デコイミラーがクッション代わりになったとパートナーはこぼす。

 

 

「大丈夫? 前にミロクが言ってたダウナーってやつかな。ロア=ア=ルアに似た技も使えるみたいだね」

「くそ、反応できなかった……」

「……代わる?」

「バカ言え」

 

 

 サイキックが前線に出たらそれこそ一撃で消し飛んでしまうだろう。そんなことさせるほど愚かではないし、自分だってまだ動ける。

 四肢の痛みなど気のせいだ。戦いはまだ始まったばかりなのだから。

 

 ずしんと地面が揺れる。ニアラが足を踏み出してこちらに接近していた。

 

 

「ちっ……!」

 

 

 後衛に近付かせてなるものか。ミナトにできるだけ下がるように伝えて飛び出す。

 

 

「吹っ……飛べぇ!!」

 

 

 渾身の蹴りを胴に入れる。反動で膝が激しく痺れるほどだ。そこにミナトの氷の津波も加わってニアラの腹を打つ。なのに相手は1歩分後退っただけ。

 返礼というように、宙に浮いた自分を巨大な顎が掬い、左右から上顎と下顎が迫る。

 喰われてなるものか。牙をつかんで受け止めた。

 

 

(お、もい……!)

 

 

 両腕が圧されて痛む。牙の先が食いこんで掌と二の腕から血が滴る。

 負けるかとさらに力を込めた瞬間、目の前に広がる喉の奥がギラリと光った。

 

 

「しま──っつあ゛!!」

 

 

 爆発的なブレスを至近距離で浴びる。防具が跡形もなく吹き飛び、体もまた木の葉のように押しやられた。

 

 

(くそ!)

 

 

 皮膚が嫌な音を立てて焼けるのは無視だ。攻撃を受けるだけで終わるな。目を開けて空間を捉えろ。

 体勢、地面の位置を把握して今度は自身の体で着地する。

 直後、ミナトに抱きつかれて地面に押し倒された。すぐ頭上を光の弾が飛んで背後が爆発する。

 

 

『どうした。ネズミのように地を這うだけで、我を討てるナドと思ってはいまい?』

「この……!」

 

 

 ミナトが走り出して属性攻撃を連発する。距離を取りつつ回りこみ、視界を遮るように規模は大きく。

 前衛の負担を減らすために、自身に注意を向かせようとしている。無茶をするなと止めようとしたが痛みが声を遮った。

 ブレスもそうだが、牙によって負った傷がかなり深い。掌は谷のようなV字の切れ込みが入り、腕は先が食い込んだだけで穴が開きそうだ。

 冗談じゃない、向こうは本気で殴り続けてやっと痛みを感じているようにしか見えないのに。

 

 ニアラがミナトを追う。黒炎の波を放てば赤い炎でいなされ、ブレスを浴びせようとすれば雷で視界を潰され、噛み砕こうとすれば氷山に阻まれる。

 ならばと撃ち出される光弾を紙一重で潜り抜け、彼女の片腕が自分を指さした。キュアがかけられ手と腕の傷がふさがっていく。

 同時にサイキックは号令するように腕を払う。宙に数多の氷の刀剣が生み出され、ニアラに殺到した。

 

 

『ヌルイわ!』

 

 

 降り注ぐ切っ先は全てニアラの表皮に打ち負け砕けていく。

 属性攻撃の雨を突っ切り、真竜は首を伸ばしてミナトを捉えた。

 その牙が容赦なく噛み合わされ、砕ける音が響く。

 

 

「ミナト!!」

 

 

 気が付けば叫んでいた。嘘だ、まさか、と頭が考えることを拒否する。

 

 ニアラに噛み砕かれたパートナーは目を見開いたまま動くことなく……透明になって弾けた。

 虚像に弄ばれたニアラの後ろに人影が現れる。

 

 

『何だと……?』

「本命は……こっち!!」

 

 

 コンセントレートも使ったのだろう、巨大な雷の柱が堕ちて真竜を呑みこむ。

 舞台中を弾ける音が満たす。こちらを巻き込む勢いで電撃が空気を伝い、肌をちくりと紫電がなでた。

 

 

『ぐ、ヌゥ……!?』

 

 

 初めてニアラがうめき声をあげる。そのシルエットが不自然に固まる。

 積乱雲の中心にいるような轟音と光の中、ミナトがこっちを向いた。

 

 

「考えちゃダメ!! 攻めよう!!」

 

 

 星、真竜の金色、魔法の光。その中に埋もれながらも自分を見つめる瞳の輝きを確かに捉える。

 深海を潜り続けるような、宇宙を飛び続けるような、終わりが見えないことに対する焦り。それを必死に押し込めてミナトは叫ぶ。

 止まるな。終わりがまだ遠いとしても、今までの道程が、人間たちが竜を踏み越え、着実に進んできたことの証。

 頭の片隅、心の一片さえも不安に染めるな。下を向く余力は全て、戦うことに回せ。

 

 ニアラが忌々しげにうめいた。大きく開いたその嘴には……見たことのない線が1本。

 

 

「傷……!」

 

 

 間違いない、攻撃が通り始めている!

 

 逃がすなと自身に言い聞かせて走り出す。

 

 

「届けぇっ!!」

 

 

 傷に重ねてありったけの力で殴る。小さな亀裂がわずかに広がり、真竜がぎりっと歯ぎしりをした。

 追撃をしようと握った拳を見て真竜は叫んだ。黄金の左翼と漆黒の右翼が広がり、巨体を戒めていた雷電が弾ける。

 

 

『小癪なっ!』

「あぐっ!?」

 

 

 また体を激しい振動が襲い、視界がぶれる。

 赤い爪が生えた足に捕らわれ、舞台に固定される。のしかかる重さに下敷きにされた脚が血を吹くのを感じた。

 もがけばもがくほど痛みが増す。骨がすりつぶされそうな感覚に唇をかみしめる自分をあざ笑い、ニアラが口に光を集めた。

 

 

『サア、死ねい!』

 

「させる、かあ!!」

 

 

 ミナトが叫んで冷気を飛ばす。勢いを保ったまま形を成した氷塊がニアラの頭を打ち、ずれたブレスがすぐ横の地面に衝突した。

 わずか数十センチずれた場所で巨大なエネルギーが飛び散り、余波が体を叩く。直撃をまぬがれたにせよ凄まじい力が至近距離で爆発しているのだ。セーラーが燃えて頬が焼かれる。

 

 

「っつう……!」

「シキちゃん! ──あっ、しま……!?」

 

 

 ミナトが自分を呼んで治癒術をかけようとする。が、万全ではない体調で最大級の術を放ち続けたのだ、限界の近い体は力をまとめられずに霧散させてしまう。

 マナを枯渇させたことによる意識障害に襲われ、パートナーは体勢を崩した。

 

 

『家畜よ、退け!』

 

 

 今度こそ獲物を喰らおうと、ニアラは体をねじり、無理やり首を伸ばした。

 ミナトが白銀水の瓶をくわえる。マナの回復は追いつかず、氷を出しても壁ではなく小さな足場を作って飛び退るのが精いっぱいだ。

 かろうじて開いた距離も真竜の1歩ですぐに埋められた。開かれた口に並ぶ牙が、足に追いつく。

 

 ダメだ、間に合わな──

 

 

『ヌギュアーーー!!』

 

「え!?」

「は!?」

 

 

 ガチンッとニアラの牙が噛み合う。何も捕まえられずに空振りした音だ。

 その一瞬前に響いた謎の雄叫び。自分たち人間の声でも真竜の咆哮でもない。アイマスクのように真竜の顔にかぶさる黒い何かが発している。

 液体でも固体でも気体でもない、鮮血のような紅眼をいくつも生やした謎のスライム……。

 

 

「じゃ……邪神さん!?」

 

 

 ミナトが呼ぶのと同時にニアラが吠えた。不快感と困惑が入り混じった叫びが響き、音の圧で黒がはがされ宙を舞う。

 圧力が緩んだ真竜の足からなんとか抜け出す。同じく急いで距離を取るミナトがスライム、もとい邪神インヴェイジョンを受け止めた。邪神はこちらの都合などお構いなしにキーキーがなりたててくる。

 

 

『小娘ども、何をしているか!! こやつが我の星を好き放題喰い散らかした元凶だろう! 帝竜のように伸してしまえばいいものを、さっさとせんか!』

「地球はドラゴンの物でもないしあんたの物でもないわよ!」

「いや、邪神さん、なんでここに……!?」

『竜との戦いなぞおまえたちに勝手にさせておけばよいと思っていたがな、一度戻ってきたとき、以前と違い苦戦しているようだったではないか。おまえが再び発つとき影に潜り込んで様子を見ていたのだ』

 

 

 インヴェイジョンがミナトの腕から脱け出し、にゃんパーカーの裏側、足もとの影にするりと入り込む。丸い眼球を一つだけ覗かせ、「ぼうっとするな!」と叱咤を飛ばしてきた。

 

 

『我の器になる体を持っているという自覚がないのか? 唯一戦えるおまえたちが死んでしまっては星が完全に滅ぼされ、我への捧げものもなくなるであろうが! 今は特別に力を貸してやる。あの無駄にギラギラした鳥をさっさと始末しろ!』

 

 

 あくまで己の欲のために来たのだと邪神は主張する。

 予想もしていなかった助太刀に目を合わせ、ニアラの苛立ちをはらんだ声に我に返り、慌てて薬をあおった。

 

 

「シキちゃん、体は大丈夫?」

「そういう質問、するだけ無駄よ。こいつが倒れるまで戦うんだから」

「……それもそうだね」

 

 

 自分は全身ぼろきれのようにズタズタ、相方も元からあった傷に新しいものが加わり、体が不安定に傾いでいる。

 何故立てているかもわからない状態で苦笑できるのは、倒れることは絶対に許されないと知っているからだ。

 邪神の言う通り、自分たちが死ねばもう戦える手立てがない。ニアラは地球に降り立って全てを喰らい尽くすだろう。

 地上で13班の帰還を待つSKY、自衛隊、キリノにミロクにミイナ。都庁の人間たち。どこかの国で、自分たちと同じようにあがいていた者たち。

 彼らの命が懸かっているというのもある。けれどそれ以上に、自分自身が、この意地が、意思が、魂が許さない。その全てが、真竜に負けるという可能性を否定しきってみせろと、体を動かす熱になる。

 

 

『貴様ら、ワレの玉体に傷を付けるナド……!』

「バーカ。自分だけ汚れない傷付かないなんて贅沢すぎんのよ」

「もしかして、まだ追い詰められていることに気付いてない? 帝竜たちはもっと賢かったのになぁ……」

 

 

 真竜の目つきが変わった。どれだけ攻めようが遊び半分に流していた慢心が鳴りを潜め、明確な敵意が波になって押し寄せる。

 

 集中しろ。ここが山場だ。たとえ腕や足がもげようが、胸の火は消さない。目の前の真竜を狩るまでは。

 

 鼓動が轟く。全ての竜を狩り尽くせ。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 屋内は絶えず人々の声が飛び交っている。不安に期待、焦燥に希望。

 騒がしいのは好きじゃない。上着のフードをかぶり、耳に飛び込んでくるざわめきを遮る。

 人気のない場所に移動しようとすると、君、と自衛隊員に呼び止められた。

 

 

「新しく避難してきた子だろう。一応手続きを行うから、ついてきてくれ」

「……13班は?」

「13班?」

 

 

 尋ねると自衛隊員はオウム返しで首を傾げる。

 武装した人員が行き交う物々しい雰囲気に、詳細を知らずとも事態を把握できるほど都庁を飛び交う噂話。

 拠点に満ちる空気に不安になっていると勘違いされたのか、前を歩く大人はわかりやすい笑みを作った。

 

 

「大丈夫だ。きっと今頃東京タワーの屋上で、ミヅチに拳骨をかましているところだろう。今は彼女たちを信じて待とう」

 

 

 都庁から精鋭たちが出発して数時間が経った。

 聞いた(正確に言えば盗み聞きだが)話によると、13班は一度帰還し、人竜ミヅチの討伐を上司に報告したらしい。だが、その報は自分たち避難民に向けて発信されてはいない。

 まだ予断を許さない状況ということか。ミヅチを排除すれば今すぐに地球を滅ぼすような敵はいないはずだか。

 

 手の中で小さな機械を転がす。見つかりにくいようになるべく小さく組み立てなおした物だから、ムラクモ本部でのやりとりを全て聞き取ることはできなかった。いったい何が起きているのか。

 

 

「……」

 

 

 考えるのが面倒になり、やめた、とポケットに片手を突っ込む。

 気になったから耳をそばだてただけで、特別、何かしようとしたわけではない。13班……対ドラゴン戦線の最前線に立っている少女と女性がどうなろうが、自分にできることはないし。

 13班が死んで竜が勝つなら、人間も地球もそれまでだっただけのこと。

 地上に降りてくるのは人間か竜か。万が一の逃走経路でも考えながら、のんびり待つとしよう。

 

 自衛隊員に見えない角度で半透明のキーボードをいじりながら、少年は都庁の廊下を歩いていく。

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

「なあ、おい」

「なんだ、ドラゴンでもいた?」

「そうじゃなくて、いやそうなんだけどよ……いつもよりさ、ドラゴンの数、減ってねぇ?」

「え?」

 

 

 少年2人は町並みを見渡す。

 実家から遠く離れた出先で非現実的な災害に見舞われ早数か月。さまよってはマモノとドラゴンに襲われるのを繰り返して地理を学んだ町の丘で、彼らは目を丸くした。

 当初は世界の終わりを悟って家族・友人一同ふさぎ込んでいたが、その気になれば割と順応できるものだ。1歩間違えれば死に転がり落ちる状況で、食糧と飲み水を確保し、どうにかこうにか今まで生きてこられた。

 けれどドラゴンを倒せる術などなく、マモノにもろくに対抗できず。

 もちろん、衛生的な環境は崩壊しているし、病院も機能していないから、ひとたび傷病を負ってしまえばなす術がない。

 こんな状態でいつまで体が持つかと途方に暮れて見回りに出た矢先、友人が双眼鏡を覗いて言った。

 

 トラックも軽々踏み潰してしまうドラゴンが減っているなんて、本当なら嬉しいが、追い詰められすぎてそんな気がしているだけじゃないのか。変に期待を持たせるのはやめてほしい。

 双眼鏡をひったくるが、よく観察してみれば確かに、敵影の数が……。

 

 

「……少、ない?」

「な? 気のせいじゃないだろ?」

「ああ、うん」

 

 

 姿が確認できるドラゴンも、心なしか動きが鈍く、上の空というように空を見上げている。

 そうだ、空と言えば。

 

 周囲の警戒を友人に頼み、引っさげていた望遠鏡を組み立てる。「ライブでどんだけ離れてようが推しが見えるぜ」と決め顔をしていた彼の物だ。双眼鏡もそうだし、オタクの知識と道具は意外とサバイバル生活の助けになっている。

 レンズを向けるのは、町ではなくて、遥か彼方の空。

 やっぱり、今日も見えている。宇宙にまで伸びているんじゃないかと思えるねじれた紅白の塔が、丸い視界にばっちりと映った。

 

 

「相変わらずグネグネしてんな……」

 

 

 突如として天から声が響いたのは、もう何日前のことだったろう。

 神を名乗る、恐ろしい女の声。そして紅白の塔──おそらく方角からして東京タワー──があんな姿になって。

 それに共鳴するように街にはびこるドラゴンたちが活発になったものだから、もう終わりだと取り乱してしまったが……特に天変地異が起きるわけでもなく、自分たちは今も生きている。時間が経つにつれ、雄叫びを上げていた化け物たちも静かになっていくだけだった。

 

 

「ん?」

 

 

 首をひねる。

 今、ほんの一瞬、東京タワーの先が光ったような。

 気のせいか。いや、でも。

 

 帰りが遅いのを心配したのか、父親が丘を登ってくる。しかし彼も自分たちの名前を呼びかけて、不思議そうに空を見上げた。

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

 息を潜め、涙を流していた少女が顔を上げる。

 

 助けを求める人に手を差し伸べていた女性が振り返る。

 

 使い物にならなくなった武器を抱え、途方に暮れていた少年が目を開ける。

 

 食糧確保のため外に出なければと覚悟を決めていた男が、ふと気付く。

 

 

「……ねえ、」

「どうした? ……ん?」

 

 

 アメリカの地下、絶望に包まれていた暗闇の中で、兄妹が感じ取る。

 

 

 空が震えている。

 どういうことだろう、目に映るのは夜空ではないのに、すぐそこに数多の星の瞬きが見える気がする。

 

 何かが、起きている。

 

 



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  枯れてくれるな、運命 - VS 真竜ニアラ -②

 

 

 

 殴る。翼にはねのけられて叩きつけられる。どこかの骨が折れる。

 マナを炸裂させて表皮を削る。黒炎を返され肌がただれる。

 

 翼をもいだ。牙がかすめた腹部が血を噴いた。

 尾をへし折った。休みなく動かし続けた足の筋肉が裂けた。

 頭の装飾を砕き、片目も潰した。包帯もサポーターもはがれ、縫合糸さえもちぎれて傷口が開いた。

 

 使えるものは全て使った。思いつくことは全て試した。文字通り心血を注ぎ、肉を切らせて骨を断った。

 

 それでも真竜は倒れない。こちらはとっくに限界を超えているというのに。

 

 

「……っ!!」

 

 

 気合の一声すらも上げられず、喉から出たのはかすれた吐息だけ。

 拳が当たった箇所に一等大きな亀裂が走る。間髪入れずに氷塊の雨が降り、ニアラに追い討ちをかけた。

 

 

『グォォォォォォォ!?』

 

「はっ、はぁ、っ、つ……」

「う……っ、ふ、ぅ」

 

 

 膝が折れる。地に着いた手も相手同様、皮膚が削げて骨が軋んでいる。

 痛みで体を支えることもままならない。シキは辛うじて守り抜いた頭を地に押し付け、なんとか倒れるのを堪えた。

 

 

『ナゼだ……またコノ星はワレを……数千年前と同じ……いや、より強靭な……真理で割り切れぬ、この力……』

 

 

 ニアラが何かを探るように首を振る。人間と構造の異なる顔が、忌々しさを浮かべて歪んだ。

 

 

『そうか……あの星の喰い残しか!! アヤツが力を与えておるのだな……!!』

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 天が震えている。これが真竜の歯軋りであると気付いている者は何人いるだろうか。

 空の彼方から自分たちに向けられてくる怨念に、姉妹は動じない。むしろ的外れな、自身が追い詰められていると認めようとしない地団駄にエメルが息を吐く。

 

 

「違うぞニアラ……我々がこの星に与えた力は、ほんのわずかなもの。だが、そのわずかな力は、それをふるう者によって、大きく価値を変える」

「それは、この星のニンゲンたちの意思……数千年をこえ、紡がれてきた、何十億という心」

 

 

 続く妹の言葉に頷く。

 姉はドラゴンと戦うため人を導き、妹は戦禍の中で輝く命を尊んだ。

 人の形をなしている、人でないこの身。だが、人間と関わる中で、目には見えない心や意思の存在を感じることは何度もあった。

 

 命も、歴史も、意思も、全てが億を超える時を重ね、この星は一息では潜りきれない大海となっている。

 それを、横からかっさらう形で飲み干そうなど……傲慢、いや、ただの阿呆だ。

 

 学習のがの字も知らない神を、馬鹿めとエメルは吐き捨てる。

 

 

「産まれもった強大な力をふるうだけの貴様らこそが、下等生物なのかもしれないな」

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 認めるわけにはいかない。相手は宇宙に浮かぶ芥子粒だ。負けるのも下されるのもありえない。そんな可能性、万が一にもない。

 

 ならばなぜ、自身の体は崩れつつあるのか?

 

 覆されるはずのない盤面が文字通り反転している。理解の及ばないニアラは吠えた。

 

 

『ガアアアァアァアアアアッ!!! チカラこそが、この世界ノ絶対デアル!! 家畜が神を踏み越えるなど……許されない!!』

 

 

 何度もくらったブレスが吹かれた。

 対処法はわかる。けれど体が動かない。抵抗もできず吹き飛ばされる。

 体が叩きつけられた瞬間、左腕の皮膚の内側でひじのつながりがずれた。

 

 

「っが、ぁ……!!」

 

 

 骨折か脱臼か、上腕と前腕が外れて垂れ下がる。千切れたわけではないものの、もう使い物にならない。

 すぐにキュアがかけられるが、その光も弱々しい。後方では危うく宙に放り出されそうになったミナトが舞台の端にしがみついていた。

 

 

『クァハ……よもや、家畜ゴトキがココまでワレを追い詰めるトハな……』

 

「まだ、だ……まだっ……!!」

 

 

 四肢に力が入らない。血で滑って無様に這いつくばってしまう。

 お似合いの姿だとでもいうようにニアラは嗤う。硬いものが擦れる不快な音を立てながら翼を広げ、真竜は舞台から浮かび上がった。

 

 

『しかし、神に抗うソノ蛮挙……無限の絶望をもって罰を与エヨウ……』

 

 

 立てない。足の感覚が消えかけている。

 左腕は不自然に伸びて引きずるまま。右手は肉がえぐれて枯れ木のように細くなっていた。

 

 

「……だからどうした……!」

 

 

 自分はまだ死んでいない。

 やれる。立て。防具も血肉も失われた分、体が軽くなっただろうが。ドラゴンが動けて自分が動けない道理はない。

 感覚を取り戻せ。立つなんて赤子でもできることだ。足への力の入れ方を思い出せ!

 

 両脚を前と後ろに大きく開く。

 ぎちぎちと関節があげる悲鳴を無視し、背筋を伸ばして体を起こす。

 顔を上げたときには目の前にニアラはいない。彼方の宙で、存在を示すように黄金が輝き、咆哮が轟いた。

 

 天からこの舞台へ、道を作るように光輪が並ぶ。その輪をニアラが貫いて加速するたび、空気が爆発して体を潰そうと圧が襲いかかった。

 

 

「シキ、ちゃん……!」

「自分の心配だけしてろ!!」

 

 

 後方でミナトがうめく。舞台に這いあがるだけで死力を尽くすだろうに、なけなしの治癒魔法までかけてきた。

 瀕死のパートナーが「絶対にサポートする」という言葉を真実にし続けている。

 ならば自分だって実現するだけだ。勝つことも、生き残ることも!

 

 腰を落とし、足を地に着けて身構えた。

 

 

「死んでたまるかっ!!」

 

 

 比類ない破滅となって真竜が飛ぶ。

 血で赤く濡れる視界の中、太陽も潰されそうな光が迫った。

 

 

『死ぬがいい……愚かなる家畜よ!』

 

 

 世界が白く染まる。

 

 何も見えない。真竜を殴り返して、その悔しがる顔を拝みたかったのに。

 

 視覚が働かないまま、音と衝撃の渦に呑まれる。

 

 全てを消し飛ばす轟音、自分を呼ぶミナトの喉を裂いたような声。

 

 

 

 疾風の羽ばたきと、額をなでる風。

 

 

 

 

 

「愚か者はテメェだあッ!!」

 

 

 

 

 

 目の前で爆発が起きた。いや、爆発と錯覚するくらいのエネルギー同士の衝突。

 巻き込まれる。けれど新しい痛みは襲ってこない。

 

 潰されたままの視界に差したのは翼の形の影。それが前からの衝撃を受け止め、背を誰かの手に支えられ、なんとか倒れずやり過ごす。

 手は頭の上に移動して、くしゃりと髪を乱して離れていった。

 

 次いで、強く自分の肩がつかまれる。

 

 

「シキちゃん!」

 

 

 声と一緒に体を温かい力が包んだ。痛みが引き、体に感覚が戻り、視界が晴れる。

 ミナトがすぐ隣にいる。あの嵐の中をここまで上がってこれたのだろうか。

 表情から伝わったのか、彼女は首を横に振った。

 

 

「私たち助けてもらったんだよ、あの人に……!」

 

 

 暗い宇宙に青天の色が差す。

 大きく伸びた両翼。鈍い光を放つ槍。触れたら切り刻まれそうな存在感。

 あれは人間じゃない。荒々しい異形に変貌してしまった姿だ。

 

 けれど、その広い背中は、大きな手の感触は、10年前から少しも変わっていない。

 

 

「……タケハヤ……!!」

 

 

 続けてかけようとした言葉は、彼が巻き起こした烈風に遮られた。

 

 

「家畜が神を超えちゃいけねェ、って……? 誰がンなこと決めたんだよッ!」

 

 

 東京タワーの障壁を穿った槍がニアラに突き立つ。

 真竜の玉体を穂先の嵐が襲った。全てが自分たちがつけた傷に的確に叩きこまれ、黄金の体に無数の亀裂が広がっていく。

 魂を削るような叫びがどこまでも響き渡り、放たれた一閃がニアラを押し返した。

 

 

「はあっ……はあっ……ニンゲンを……ナメんなよ……」

 

『人竜、だと……! まさか、もう一匹いたとは……。しかし、ソノ体でワレに勝てるなどと──』

「バーカ……! そんなん元より承知だっての……。──ッ! 」

 

 

 宙に浮かぶタケハヤの体がくの字に折れた。

 ぽたり、と頬に雨が落ちた。

 自分のものでもミナトのものでもない、赤くて少し黒ずんだ水滴。その生温さで、体から流れたばかりの血であると知る。

 

 頭上の彼がこちらを見下ろす。槍を持つ右腕は赤く破裂していた。

 

 

「……よう」

 

 

 何だ、その笑顔は。笑っている場合じゃないだろう。

 ただでさえ体には火種程度の熱しか残っていないのに、全て燃やし尽くすような真似をしたら。

 

 助けてもらった事実を飛び越えて表に出てきたのは怒り。それからミナトと合流したときにも感じた、胸を燃やす何か。

 

 都庁出立前、こいつが何をするのかはなんとなく予想できていた。障壁を壊すだけでは止まらず、最後まで来るかもしれない、来るはずだと確信していた。

 頭の中では割り切れていた。……割り切れていた、はず。

 なのに、心臓がうるさい。止まっていていいわけがないと胸ぐらをつかまれている気さえする。

 鼓動は衝動に、衝動は四肢への命令となって、ずたずたに裂けている筋肉が反応する。ローファーの裏を地につけたまま、体全体で押し出すように前に出る。

 

 

「13班……あとは……まかせたぜ……」

 

『……時間稼ぎか? くだらん小細工を……!!』

 

 

 ニアラが飛びかかる。牙はかわされ、何も捉えられずに鋭い音を鳴らした。

 真竜が上体を大きく伸ばして口を閉じた瞬間。反撃につなげられる貴重な数秒。けれどタケハヤは槍を持ち上げようとしない。回避の動きも紙一重で、体は弛緩し、翼も硬直している。

 人竜の限界を、もちろんニアラは見逃さなかった。

 

 

『去ネイッ……!!!』

 

 

 あのブレスが寸分狂わずタケハヤを捉えた。

 光の濁流に呑みこまれ、青年の体が紙屑のように吹き飛んでいく。

 

 

「──!!」

 

 

 足が動いた。あれだけ踏ん張って立つのがやっとだったのに。

 前に飛び出す。痛みも血も気にならなかった。ただ走って、走って、舞台の端へ駆け抜けて。

 

 

「タケハヤっ!!!」

 

 

 手を伸ばす。

 

 青年のまぶたが開き、青く染まった瞳が汗と血まみれの自分を映した。

 

 彼がこっちへ手を伸ばす。

 

 大丈夫。大丈夫だ。この距離なら届く──!

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 覚悟は本物だ。嘘偽りも虚勢もない。人竜になることにためらいなどなかった。

 だから、いつまでも人間の居場所に留まるつもりはない。

 

 

「タケハヤ!」

 

 

 窓に足をかけたとき、扉を閉じたままの研究室からキリノの声が届いた。

 もう決めたことだし後戻りもしない。なのに何度も何度も自分を呼び止めて、いい年をした大人が未練がましいったらない。

 

 応えずに翼を広げる。

 窓枠から踏み切ろうとしたとき、再びキリノが自分を呼んだ。

 

 

「シキからの伝言だ!」

 

 

 翼の付け根が硬くなる。

 ほんの少しだけ羽ばたきを抑えて耳を澄ませると、風に混じって彼の声が聞こえた。

 

 

「『この大馬鹿野郎。カッコつけるんなら、最後までやり通せ』」

 

「『行ってこい』……だそうだ」

 

 

 眼下の都庁前広場ではシキが舞っていた。緩急をつけて動くたびに離れる汗のひと粒が、朝の日差しに包まれ輝く。

 

 

『タケハヤ!』

 

 

 駆け抜けるような月日の流れの中、思ったよりもずっと多く、この名前はたくさんの人間に呼ばれてきた。

 同志でもあり家族でもあるダイゴとネコ、いつの間にか周りに集まり、バカ騒ぎしていたSKYのメンバー。隣に立っている愛する女性。ついにはムラクモの人間たちにまで。

 

 正義の味方になりたい。焦がれてやまない女性の光になりたい。その憧れに滲んでいくように新しく生まれる想い。

 得がたいものから手を放して、離れがたい居場所から旅立つ。それを改めて実感したとき、鼓動をより大きくしたこの感情をなんと呼ぼう。

 

 答えはまだ、出ないままだ。出す必要もないと思う。

 それが自分の胸の内に宿っているというのがわかっているから、もう充分だ。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 そういえば、あの時も、10年前も、自分を送り出す少女に返事をしていなかった。

 それはいくらなんでも、格好がつかないだろう。

 

 自分に向けられたシキの手に手を伸ばす。

 指先はぼろぼろ、爪ははがれているし、固まっている血がこびりついて歪な形になっている。

 ナックルを携えて、なんでもかんでも文字通りぶん殴って、パートナーのミナトを引きずって、たくさんのものに触れて。

 10年前、自身の涙もまともに拭えていなかった手が、今、星をもつかもうとしている。

 

 見届けられないのは惜しいが、それ以上に、

 

 

(誇らしい、なんてなぁ)

 

 

 手に手を重ね、剣を握らせた。

 今まで自分の道を切り拓いてくれた相棒を渡す。

 

 希望を、託す。

 

 

 シキの目が見開かれる。

 

 

「──!」

 

 

 家族でもない。友人でもない。隣には既に相棒がいる。

 少しの間同じ建物にいただけで、共に過ごしたとも言い難い。道なんてとっくに分かたれている。

 

 けれど確かに、自分たちの間には、他とは違う、糸1本分くらいのつながりがあった。初めて出会い、別れたあの日からずっと。

 

 その糸が、鎖になってしまう前に。

 

 

「行ってこい」

 

 

 背中を押す言葉。送り出す言葉。言わなければいけなかった言葉。

 やっと伝えることができた。

 

 無様な姿だというのに、不思議と胸は満たされていた。

 体の底で奮起させていた火が、勢いをなくして静かにくすぶる。

 

 

「なぁ。アイテル……俺も……正義の味方……なれただろ──」

 

 

 光が飛び交う宙の中、シキの丸い瞳を見納めてまぶたを下ろした。

 

 竜になった青年は、流星と共に堕ちていく。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 自由な空の色は消えた。目に映るのは暗い宙と、焼けるような星の流れだけ。

 

 

「……」

 

 

 ほんのわずかに風が吹く。ブレスに黒炎を好き放題浴びせられてぼろぼろになった髪が揺れた。

 

 

「……」

 

 

 重い。

 体が鉛になったみたいだ。息を吐くごとにどこかに穴が空いて、隙間風が抜けていく。

 

 

(重い)

 

 

 何だろう、これは。

 心臓は確かに動いているのに。胸が見えない何かに圧されて、歪む。

 脳が固まっている。考えることを拒否するように。

 

 動けないでいる中、背後で巨大な気配がうごめき、

 

 

「ああああああ!!!」

 

 

 宇宙を揺さぶるような音と衝撃、ミナトの叫びが背を叩いた。

 

 

『ぐ、ぬぅ……!? 貴様!』

 

「うるさい!!! よくも、よくもぉっ!!」

 

 

 ニアラのくぐもった声をミナトの絶叫がつんざく。涙声の雄叫びが何より鋭い刃となって心臓に突き立つ。

 

 

「シキちゃん!! 届いたよ! シキちゃんの覚悟も意思も、何を思っていたのかも、全部全部、タケハヤさんに届いたよ!! だからタケハヤさんはあなたに託したんだよね!? シキちゃんが一番わかってるの、私は知ってる!!」

 

「大丈夫、噛みしめていい! こんな奴、私が押さえる! 全部噛み砕いて飲みこんで、あなたのものにするまでの時間は稼げる!」

 

「今感じているものは、絶対になくしちゃいけない!! こんなクズに奪われていいものじゃない! それを否定されないために、私たちは戦ってるんだ!!」

 

『ナンだと……家畜の分際で吠えるか!』

「だから──うるさいっ!!!」

 

 

 がらがらの叫びが大気を叩く。何度も何度も力が炸裂して、絶対零度と業火と轟雷が舞台を殴りつけた。

 

 背後でミナトが全霊を賭して魔法を放ち続ける。その余波を浴びながら、手の中の剣を見下ろした。

 黄金の刃はあいつと武器を交わしたときから何も変わっていない。主の手を離れ、自分の血まみれの、ぼろ雑巾のような……下手をしたら自身の命も取り落してしまいそうな手に握られても、剣身は鏡のように澄んで美しい。

 同じ黄金でも、ニアラとは違う。道しるべになるような、どんな暗闇に取りこまれても見つけることができるような、命の瞬きのような。

 

 うまく、言葉にできない。

 

 

(何だ、これ)

 

 

 気が付けば剣を胸に抱えていた。きつく、固く抱きしめて、鼓動が伝わって震えるそれを感じていた。

 

 

「タケハヤ」

 

 

 何とはなしにあいつの名前を呼んでみた。もちろん返事はない。

 

 

「あんた、それでよかったの……?」

 

 

 とうとう、あいつのことを心底まで理解はできなかった。

 カッコつけで、なんでもかんでも煙に巻いて、最後の最後まで真正面から向き合うことは、

 

 

『行ってこい』

 

 

「──」

 

 

 そうだ。あいつは確かに言った。

 作戦が始まる前。自分はあいつに、伝言の形だったけれど、自分なりに背を押す言葉を叩きつけてやった。

 そしてあいつも、同じように「行ってこい」と。

 

 ああ、うん、

 

 

「そうか」

 

 

 言えたのだ。互いに。最後の最後で。

 

 

 胸に火が灯る。あいつから継がれた火種だ。熱はあっという間に広がって、失っていた体温が戻ってくる。

 

 直後、何度か聞いたデコイミラーが砕ける音が意識を引き戻す。

 牙に捕らわれ舞台に叩きつけられ、ミナトが血反吐を吐き、痛みに悶え転がった。

 

 

『くだらん……くだらんッ……!! 許さんぞ、ニンゲンどもッ……!!』

 

「それ、は、こっちの、セリフ……だ……! おまえなんか……ウォークライに、比べたら……!!」

 

 

 パートナーは地べたに這いつくばり、血と涙で咽ぶ。それでも目は死んでいない。骨が折れようが血だまりに沈もうが、光の宿った双眸で神を睨みつける。

 彼女の言うとおりだ。皮肉かな、竜の脅威も、世界が崩れる衝撃も、とっくのとうに経験している。それを今さら、神だと声高に存在を主張されたところで何だというのだろう。

 

 

「……はっ、は」

 

 

 笑いが漏れる。

 ニアラが振り向いた。赤い片目が自分を捉え、この世全ての憎悪を煮詰めたような眼差しを向けてくる。

 

 

『なんだその目は……!』

「別に。神だのなんだの言う割には……うん、あんた、一番小物ね。そんじょそこらのマモノよりずっと」

 

 

 だってそうだろう。こいつは遠く離れた場所から高みの見物をしていただけだ。見ていただけで、何もしていない。経験していないし、感じていないし、触れていない。

 人間を生んだ、進化させたと言ってもそれだけだ。人を生むのは人にもできること。知恵を教え諭し、導くのだって人にもできること。

 神というのは、尊敬や畏怖を捧げられるべき対象のこと。限界を超えてなお手を尽くしたうえで、どうか、と祈りを託す唯一の相手だ。

 

 ならば、目の前のみすぼらしい金色。こいつは何だ?

 

「おい木偶(でく)」と呼びかける。

 

 

「神だというなら示してみせろ。あんたはいったい、『何を為せる』?」

 

 

 金色の巨体から怒りが噴き出て爆発した。

 

 

『いいだろう、キサマにはムクロも残さぬ! 食らうことすらしてはやらぬ……宇宙の塵となるがいい!』

 

 

 神の憤怒。宇宙全てが潰れそうな圧。普通は誰もが額を地に擦り付けて慈悲を請うのだろう。

 上等だ。そのくらいの重さがなければ張り合いがない。 

 大したことはないなと鼻で笑ってやる。胸いっぱいに息を吸い込み肺を膨らませた。

 

 片脚を振り上げ、

 

 

「──ミナトぉっ!!!!!」

 

 

 踵を舞台に叩きつけ、パートナーの名を叫んだ。

 震脚の衝撃で真竜の領域が揺れた。ニアラの体が傾き、向かいの端に倒れていたミナトが顔を上げる。

 

 

「やるぞ!! 立てぇっ!!」

 

「っつ……う、あああっ……!」

 

 

 真竜を挟み、鏡合わせになって、自身の血だまりを踏みつけ立ち上がる。

 命が削れているなんて見ればわかる。だから何だ。

 自分もパートナーも止まりはしない。ムラクモ13班は歩みを止めない。

 絶対に勝つ。生きる。帰る。相手が神だろうが、邪魔をするなら握りつぶして地に落としてやる。

 

 

「これで!!」

「最後だ!!」

 

 

 声を揃えて走り出す。

 

 

『小癪な──グウッ!?』

 

 

 再び羽ばたこうとしたところで、ニアラの片翼が根元から割れて崩れた。

 ならばと顎が牙を剥く。

 遅い、そして甘い。

 

 跳躍して体をひねる。全身の回転を加えた拳を鼻面に叩きつければついに嘴がへし折れ、ニアラは苦悶の声を漏らした。

 ここまで追い詰められ、ようやく痛みを堪えて踏ん張ることを学んだのだろう。真竜は憎まれ口をたたくのも忘れてすぐに顔を上げる。

 霧のような輝きが集まっていく。おそらくはあのブレスだ。砲身となる口を砕かれ指向性を失ったとはいえ、近距離で浴びれば今度こそ消し飛ぶだろう。

 だが、こいつは忘れている。

 

 

「させない!」

 

 

 口を開きかけた瞬間、その体躯に劣らぬ巨大な氷槍が頭部を捉えた。

 ニアラは今度こそ、純粋な痛みによる叫びをあげた。顔を大きくえぐられ、体を傾け、暴発したエネルギーに巻き込まれ自爆していく。

 

 

「バカね。私たちは2人で戦ってんのよ」

「シキちゃん!」

 

 

 ミナトに呼ばれた。数十メートルの武器をも氷で作れるようになったパートナーが手を振っている。

 どうすると問われ、迷わず上、天を指で示した。

 ここまで来れば言葉を使わずとも伝わる。ミナトは頷き、自身を中心にありったけのマナをかき集め、腕を突き上げる。巨大な震動が連続して、この舞台よりさらに上へ続く氷の足場が作られた。

 

 

「ありがと」

「うん!」

 

 

 滑りやすい足場にもすっかり慣れた。何も考えずにひたすら上へ向かう。

 

 そういえば、いつだかガトウが言っていた。

 

 

『おう、シキよ。おまえ最低1人でもいいから、援護してくれる仲間を持て。腕や脚を怪我して動けなくなったときに助けを求められる人間がいなかったらそこで死ぬぞ。それぐらいわかってんだろ』

 

 

 ああ、その通りだ。別に1人でも歩みを止めるつもりはなかったけど、ミナトがいなければ間に合わなかったかもしれない。

 

 

『ムラクモの主力はおまえだ。……強いんだから、それをちゃんとチームワークに活かせよ。おまえなら、大丈夫だろ……』

 

 

 ああ、2人で、チームでここまで来たぞ。

 

 なんだか変な心地だ。自分とミナトと、あとは真竜と……あの邪神。それ以外は誰もいないはずなのに。

 

 

『ほら、さっさと行きな!』

『おまえらの背中は、俺たちが守る。安心していってこい』

『……頼んだよ』

『絶対、絶対に、いつもみたいに帰ってきてくださいね!』

『心はずっと、お前たちと一緒にいるからな!』

『幸運を……祈る!』

 

『行ってこい』

 

 

(手が、)

 

 

 たくさんの手が、自分の背を押している。

 

 どこまでも続くと思えていた足場もとうとう終わった。振り返れば地球に、赤い舞台に、真竜に、邪神を操るミナトが見える。

 

 

「邪神さん!」

 

 

 使い手の叫びに呼応して、邪神がミナトの影から一直線に真竜へ伸びる。

 空気が唸るほどのマナを集め、サイキックは地に手をつけた。

 

 

「誰かの命も、想いも、幸せも、好き勝手に喰い散らかしていいものじゃない……! 全てを踏みにじったその悪行……今ここで!! 悔い改めなさい!!!」

『この世に神は2柱もいらん! 去るのはおまえだ、ぎんぎらの鳥よ!』

 

 

 ニアラの右翼にも負けない漆黒が湧き上がる。

 一本、二本、三本。無数の巨大な(かいな)が次々飛び出した。ブラックホールもかすむ闇が渦潮となってニアラを襲い、無限の奈落の中に呑みこんでいく。

 

 

『フザケルな! この、ワレが、家畜に……搾りカスに……呑まれてたまるかああああぁぁぁっ!!!』

 

 

 ニアラが叫んだ。その巨体を盛り上げ、自身を捉えるインヴェイジョンの体をブチリブチリと千切っていく。

 ミナトの体が破裂するように血を撒いた。それでも彼女は真竜を抑えつけ振り仰ぎ、ありったけの声を宇宙に響かせる。

 

 

「──シキちゃん、来て!!」

 

 

 ああ。

 

 

「今行く」

 

 

 膝を折り、背を丸める。体のバネを極限まで縮め、一気に伸ばす。その踏み切りで氷の塔が粉々に砕けた。

 弾丸のように宙を跳び、反転。重力に身をゆだねれば、体は一気に加速する。

 

 今も絶え間なく降る流星のように、この身全てで奴を仕留める1発になろう。

 餌になるなんぞ糞くらえ。これが神に叩きつける、人間からの答えだ。

 

 

「──あああああああっ!!」

 

 

 回転でさらに勢いをつけ、足に全ての体重を乗せる。

 めがけるのは、真竜の胸!

 

 

「星を穿って、突き抜けろ!!!」

 

 

 離れていた舞台が一瞬で迫る。

 

 真竜が叫んで目を見開く。

 

 その胸の中央に靴の裏が触れる。

 

 

『ガッ──!!?』

 

 

 踵から太腿まで、脚がニアラを貫く。

 

 自身を弾丸にした一撃は真竜の胸に風穴を開けた。遅れて舞台全体を爆風が襲い、バキッ、という硬質な音が無限に重なる。

 水面に衝突したような派手な響きが宇宙に轟き、黄金の神体はついに砕けた。

 

 

『オ、ノレ……よもや、この……ヨウな……。食ラウために……蒔かレタ芽の分際……で……またも……ワレを拒むとは……ッ!』

 

 

 いつの間にか邪神は消えていた。背後でどしゃりとミナトが倒れる。

 戒めがなくとももう巨体が動くことはない。威厳も威圧感も輝きも失い、真竜はただただ喘ぐ。

 

 

『ああ……アア…………! なんと口惜シイ……!! 何故だ……何故、ドウシテ! ニンゲンよ。貴様らは神をも超えると言うのか! 矮小で、愚かで、己が定めすらままナラヌ身で、森羅万象の理たるワレを、討つというのか!』

 

 

 脚の付け根まで真竜の体に埋まって身動きが取れない。

 粉々になった真竜の欠片が雨になって降り注ぐ中、何かが一等きらめいた。流れ星……いや、違う。

 

 

『ニンゲンよ……そのチカラ、なんといったか……──そう、「意思」ダ』

 

 

 存在を主張するように輝くそれは、呼んでもいないのに手の中に落ちてくる。

 タケハヤに託された黄金の剣。使えとでもいうように切っ先が光った。

 

 息を吸い、辛うじて無事だった右手で柄を握る。

 

 

『貴様を掻き立て、ワレを殺さんとスル、その「力」……果たして、いかなる味がするものか……実に……クチ……オ…………シ……イ──』

 

「うるさい」

 

 

 上から下へ、一閃。

 実戦で剣を使うのは初めてなのに、袈裟斬りは驚くほどきれいに真竜の喉を断った。

 

 目が光とフロワロの花弁で満たされる。今までに8回見た、強大な竜の散り際だ。

 割れたニアラの全身から、右翼と同じ闇があふれ出す。

 

 

 何も見えない。体から五感が消える。

 

 

 そして。

 



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  枯れてくれるな、運命 - VS 真竜ニアラ -③

 

 

 

 目が開く。視界の右側には無限の星空。左側には赤い決戦舞台。

 

 

(……ここは)

 

 

 真竜の領域だ。その最上にある舞台に、自分は横向きに倒れている。

 

 

(そうだ、私、戦ってたんだ)

 

 

 そして、どうなった?

 

 

(シキちゃんが……とどめを……)

 

 

 ドラゴンの気配はない。目だけ動かして確認するが、舞台には真竜の影形もない。

 勝った、のだろうか。実感がわかない。いつもはパートナーの少女が当たり前のように胸を張って立っていたはず。

 シキを探したい。けれど体が動かない。腕も足も、燻るように痛みに苛まれて、力を入れれば崩れてしまいそうだ。

 

 

「シキ、ちゃん……」

 

 

 息を吸って、吐く。

 大丈夫、呼吸はできる。自分は今生きている。ならなんでもできる。立ち上がることだって。

 腕を引きずり上げる。顔の横に両手をついて、関節と肩と、背筋に力を入れて。

 激痛が走る。血で滑って上体が叩きつけられる。

 倒れてしまった。もう一度。

 

 

「っう……」

 

 

 額を擦りつけ、膝頭を支えにして、体を地面から離した。

 地に伏している状態からなんとか座りの姿勢になって、舞台を見回す。

 やはり、真竜は姿を消している。少女が黒髪を波のように広げて倒れているだけだ。

 

 痛みを深呼吸でごまかし、這って彼女のもとへ向かう。

 たった数十メートルの移動にここまで苦心するなんて思っていなかった。四肢を駆使して、数分かけて少女の隣に辿り着いて、顔を覗き込む。

 寝顔を見るのはこれで何度目になるだろう。血の気を失った皮膚は白く、へばりつく赤とのコントラストが美しい。生気を感じない作り物のようなその色が、恐怖を煽る。

 唇に添えた手の甲に、小さな小さな息が吹いた。

 生きている。けれど、このままでは。

 

 

「……、っ!」

 

 

 少女の脚に視線を移す。皮膚も肉も抉られ、骨だけでかろうじてつながっているような様が痛々しくて目を逸らしてしまった。

 ダメだ、知らないふりをしてはいけない。これは彼女が竜と戦い、自身を貫いて負った傷だ。なら自分が治療しなければ。

 ヒップバッグは消えてしまった。それ以前に薬は全て消費してしまっている。これではまともな手当てができない。

 自分たちの目標は、勝って、生きて帰ること。そのためにやるべきことは。

 

 両手をシキの両脚にかざす。

 まずは治癒術で血肉を再生させる。再生といっても微々たるもので、この状態だと気休めにしかならないが。

 

 

「次は、足を、」

 

 

 血を流しすぎて頭がうまく回らない。頬の内側を噛み、自分の行動を口に出して意識を保つ。氷で少女の脚全体を保護してから脱いだパーカーを羽織らせ、タケハヤの剣ごと自分の胴とくくりつけた。

 シキが体を張ってくれたおかげで、自分の足は深い傷を負えど動かせる状態ではある。もう無茶はさせない。今度は自分が少女を守り、連れ帰る番だ。

 ぼろぼろの体を抱えて歩き出す。1歩進むたび、どちらかの血が流れ、1秒過ぎるたび、パートナーの呼吸がかすれていく。

 

 

(時間がない……!)

 

 

 歩いていては間に合わない。思い切って舞台から跳んだ。

 下層の地面が近付いたところでマナを絞り炎を吹きだす。血の匂いに群がってきたマモノごと一帯の空気を爆発させ、無理やり落下の勢いを殺した。

 

 

「たしか、向こうに……、あった……!」

 

 

 降り立った階層の隅に固定していた鞄を見つける。都庁から再びタワーに戻る際、ありったけ集めておいた薬や武具の予備だ。全てニアラとの戦いに持っていっても吹き飛ばされてしまっていただろう。一定の距離を進むごとに置いてきて正解だった。

 鞄をひっくり返し、傷薬をシキに浴びせ、マナの回復薬を残さず飲み干す。そろそろ舌が薬以外の味を忘れてしまいそうだ。

 脱出キットもあるけれど、やはりこの場所では都庁との通信は繋がらない。すぐに東京タワー屋内に戻らなければ。

 自身とシキにキュアをかけ、なんとか止血できた両足で走り出す。

 

 

「大丈夫、大丈夫だよ。大丈夫だから……!」

 

 

 腕の中の少女に声をかけ続ける。汗も血も流し尽くしたというのに、今度は涙があふれてきた。

 大丈夫。シキは死なない。彼女は絶対に生を諦めないし、1人だけで難しければ自分が生かすのだ、弱気になるな。

 

 星の流れが止まった宙の中、途方もない道を走って、走って、走って。

 気が付けば、東京タワーの中に転がり込んでいた。

 

 

「うあっ!」

 

 

 脚から力が抜ける。シキをかばい、階段から転げ落ちて背中を打つ。

 焦るな、と自分に言い聞かせる。ここまで来れば、都庁との通信が可能になる。救援を要請できる。

 鞄の中に合った予備の通信機を取り出す。操作するよりも先に受信音が鳴り、少年の声がフロアいっぱいに響き渡った。

 

 

『繋がった、やっと繋がった! おい、13班! 応答しろ! そこにいるよな!?』

「ミロ、ク……」

『ミナトか、よかった! シキは!?』

「大丈夫、シキちゃんもここに……」

 

 

 そっと少女の頬に手を添える。掌にはかすかだけれど息が──

 

 

「──え」

 

 

 息が、息が、

 

 吹いて、ない。

 

 

「あ、」

 

 

 頭から血の気が引く。呼吸が中途半端に止まって、喉がヒュッと音を鳴らした。

 

 手を少女の顔から首に移動させる。

 脈が、脈があるはずだ。脈が……、ない。

 

 胸に手を当てた。ここなら心臓があるから鼓動を感じられるはず。

 胸のやや左側。そこに心臓がある。

 

 ある、はず、なのに。

 

 

「……ない」

『ミナト、どうした!?』

「して、ない。シキちゃんが、息、し、てない」

 

 

 ガタンと何かが揺れる音が聞こえた。「救護班、早く!!」という怒声と、自衛隊とSKYに呼びかけるミイナの声が響く。

 目が回る。頭が重い。息ができない。

 

 

「ミロク、どう、しよ。シキちゃんが……」

 

 

 嫌だ。

 

 

「息してない……脈が、ない。心臓が、動いてない……!!」

 

 

 嫌だ。

 

 

「やだ、いやだ、いやだ、いやだぁ……っ!!」

 

 

 嫌だ。なんで。そんな。どうして。やめて。こんなことって。

 

 

「シキちゃん、やだ、いかないで。おいていかないで! 死なないで! やめてよ、お願いだから! シキちゃんまで死んじゃったら……っ!!」

 

 

 自分が生きているのだ、誰よりも強いシキが死ぬはずはない。

 なのになぜ、少女の体は温もりを逃がしていくのだろう。

 

 お願い、目を開けて。いつものように、傷も死もどこ吹く風というように立ち上がってみせて。

 どうして、返事をしてくれないのだろう。

 

 

「嫌だ! 嫌だあ! いや──」

 

『小娘ぇ!』

 

 

 ベチンッ、と頬に何かが当たる。

 冷たくて柔らかい何かが、自分の頬をへこませている。片手に乗るサイズの小さな黒い塊。それは床に着地し、つぶらすぎて怖い目玉で睨みつけてきた。

 

 

『喚くな! そうして縋り付いたところで何が変わる!?』

「じゃ、じゃし、さ……」

『黙れ! 貴様にできることは何だ! 我が求めた貴様の力はここで何もできずに終わる程度の物ではなかろう!』

 

 

 以前見たときよりもずっと小さくなった邪神は、蒸発しかけている体を上下させて怒鳴る。

 

 

『乗っ取ろうとしたときに不敬にも我を吹き飛ばした貴様はどこに行った!? 何の躊躇もなく力を振るう意気まであの竜に喰われたか!』

 

『泣くな!』

 

『喚くな!』

 

 

『貴様に為せることはいったい何だ!!』

 

 

「……」

 

 

 

 

 

 ──あんたのこの手は、何かを「為せる」──

 

 

 

 

 

 片手を上げる。

 五指を強く、血がにじむほど爪を食い込ませて、思い切り自分の顔を殴りつけた。

 涙が全て床に落ちる。明滅する視界に、口の中に広がる鉄の味。

 

 そうだ、私は。

 

 

『喋らないでください! なんで……なんで、キュアが効かない……!』

『もうちょい……手伝って……たかったが……悪いな、先に──』

 

 

 もう、あの時のような「何もできなかった」を繰り返さないために!!

 

 

「……邪神さん、たぶん下の階からSKYと自衛隊の人たちが上がってきます。ここまで誘導してきてもらえますか」

『ふん、神をこき使うなど万死に値するが、せっかく見つけた器が野垂れ死んでも困る。せいぜい死なない程度に死力を尽くすがいい!』

 

 

 インヴェイジョンは勢いよく弾んで、廊下の曲がり角に消えていく。

 

 深く息を吸って、吐く。

 もう一度、体の奥まで酸素を取りこんで、シキの体に手をかざした。

 

 

「──っ!!!」

 

 

 手からあふれた光が少女を包み、自分も、自分たちがいる空間も呑みこんでいく。

 温かい。今まで手を抜いていたということはないけれど、本気の本気で使って初めて知った。治癒術は温かい。術者の体温そのものを分けて、鼓動をひとつにするような温もりだ。

 あの日失われてしまった春の陽気のような、命の芽吹きを感じさせる心地よさが満ちていく。

 

 少女は依然、目を閉じたままだ。ちゃんと呼びかけを続けなければ。この声を(しるべ)に帰る場所がわかるように。

 

 

「……シキちゃん。初めて会ってからさ、いろいろあったね」

 

 

 私は、少しは成長できただろうか。

 最後の最後で子どものように取り乱してしまったから、大減点をくらってしまうかもしれないけど。

 

 

「ムラクモ試験を受けてさ、ウォークライに吹っ飛ばされて……いつのまにかこんなところまで来ちゃったよ。私なんにも考えてなかったのに」

 

 

 一蓮托生である唯一のチームメイトは、自分より4,5歳年下の女の子。しかし彼女の前に進むという意思は世界で最も大きく、その背中にいろんなことを教えてもらった。

 簡単に諦めないこと。まずは可能性を探すこと。自分の力を信じて、けれど満足はせずに、常に上を目指すこと。

 何があろうとシキは自分の隣にいて、誰よりも早く最初の1歩を踏み出すこと。

 

 たまたま異能力があっただけで、それ以外はどこにでもいるような自分がここまで来ることができたのは、いつも前を歩いてくれる彼女がいたから。

 そう、だから自分が彼女の背中を守ろうと決めたのだ。格好をつけ、タケハヤに宣誓までして。

 

 

「大丈夫。今度こそ、本当に大丈夫」

 

 

 死なせはしない。あなた1人では帰ってこられないなら、私がその手をつかんで引っ張り上げる。

 理屈も法則も全て覆す。空に太陽があるように、曇れば雨が降るように。飛鳥馬 式が生きる未来をこの世界にこぎつける。あたりまえの物にしてみせる。

 

 止血が済んだはずの自身の体から、新しく血が流れだす。

 視界から色が奪われていく。聴覚が薄れていく。

 ガリガリガリと、体の奥で何かが削れる音がする。指の先から砂になって崩れるような錯覚に襲われた。

 大丈夫、錯覚だ。この手は止めない。

 

 

「そうだよ、これからは……きっと、もっと、大変なんだから……やることが、たくさん……」

 

「だから、ね」

 

「また……さ」

 

 

 また医務室のベッドの上で目を覚まして、大怪我したなぁなんてため息をつこう。医者たちが運んできてくれる食事を秒で平らげて、寝て、あきれ顔に見送られながら退院してしまおう。

 

 そして……そして、

 

 

「ふたり、で──」

 

 

 目に何も映らなくなる。手がシキの体温を感じなくなる。

 消える。

 

 もう、ここには、

 

 

 何も、ない。

 





この③は蛇足かなとも思ったのですが、何もできなかった2章からミナトが成長したところを書きたかったので。
もしかしたらこの時点でキセキの代行者を使っていたのかもしれない……?

40話は①の終盤然り、②のタケハヤのところ然り、ずっとずーっと考えていた場面を書けて満足でした。次回最終話になります。


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最終話 流れる雲たち

3/31ドラゴン襲来。1ヶ月昏睡。
4月末~5月始め 帝竜ウォークライ討伐。
5月 拠点移動・改修。1.5章。物資回収、都内探索など。
5月下旬~6月 帝竜ジゴワット討伐。
6月下旬~7月 帝竜ロア=ア=ルア討伐。
7月上旬~中旬 大量失踪発生。帝竜トリニトロ討伐。同日に人竜ミヅチ確認、帝竜スリーピーホロウ討伐。少し間を空けて帝竜ザ・スカヴァー討伐。
7月中旬~下旬 帝竜ゼロ=ブルー討伐。ドラゴンクロニクル完成。
7月下旬~8月 東京タワー攻略作戦決行。人竜ミヅチ討伐。同日真竜ニアラ撃退。全ドラゴンが地球から消滅。
8月 13班覚醒。

以上がドラゴン討伐の道程かなと思っています。大体4ヶ月くらいですね。
怪我の治療や新しい帝竜の確認にもっと時間がかかっていたかもしれないですし、もっと早かったかもしれません。個人的な予想なのですぐ前後するかと思います。あまり参考にはしない方がいいですね……。



 

 

 

 温かい光の中にいた。

 

 どこもかしこも真っ白で何もない。なんともわかりやすい夢の中だ。

 

 夢ならもう少しいさせてもらおう。昼寝も日向ぼっこも別に趣味ではないが、さんさんと降りそそぐ温もりをここまで気持ちいいと感じたことはない。

 一度起こした体をよっこらせと横たえる。仰向けになって目を閉じれば、鳥のさえずりやそよ風まで感じる気がした。

 

 心地いい眠気に包まれる。夢の中だから既に眠ってはいるんだろうけど。

 

 もう少しこのまま……。

 

 

『…………起きて……れよ……』

 

 

 もう少し、

 

 

『みんな……待って……』

 

「……」

 

 

 ダメだ、眠れない。

 真竜との殺し合いなんて重労働の後だ、少しくらい自由にさせてくれたっていいだろうに。

 気にしないようにしようとすればするほど声は大きくなった。耳を塞ごうかとも思ったが、なぜだか無視することに罪悪感を覚えてしまう。

 そこまで呼ばれちゃ仕方がない。後で何か要求するとして、今は起きてやろう。

 

 わかったわかったと応答して、素直に目を開ける。

 

 

「……!!」

 

 

 視界に映ったのは太陽でも空でもない。琥珀色の目だった。

 

 自分を覗き込んでいた少年と少女が、がばりと体を起こしてたたらを踏む。

 

 

「な、なんだ……起きてたんなら返事くらいしろよな! 心配……したんだぞ……」

「……ミロク。と、ミイナ?」

「うん、オレたちのことはわかるみたいだな」

「よかったぁ……シキ、おはようございます」

「……戻ってきた? いつの間に?」

「……そう、ここは都庁だ」

 

 

 見慣れた天井の色で、人類の拠点に帰還してきたのだと実感する。

 ミイナがほうっと息を吐いて、キリノたちに報せに行くと部屋を出て行った。いつものリボンで結ばれていない髪が揺れるのを見送る。

 

 帰ってきたということは、緊急の危機は脱したのだろうか。

 自身の手で真竜を叩き斬った瞬間ははっきりと覚えている。ただ、その後のことはまったく記憶にない。

 状況の説明を求める。ミロクは変わらないなと苦笑して話しだした。

 

 

「あの後、自衛隊とSKYのヤツらが、倒れてるおまえたちを救出してくれたんだ。……ずっと眠ってたんだぞ? ドラゴンが来たときもそうだったけど……ホントよく眠るよな」

「今度はちゃんと仕事したでしょ、ウォークライの時と一緒にしないで」

「まあな。おまえの言うとおりだ。今度は、あの時と違うこともある……」

「何?」

 

「ドラゴンは、もういない」

 

 

 言葉通りの意味だった。自分たちが帰還した日、都内、都外に関わらず、全ての竜が跡形もなく消えたという。マモノは相変わらず発生しているが、3月31日に突如出現した怪物たちは一夜の夢のように見られなくなったそうだ。

 

 

「きっと、13班がやってくれたんだろ?」

 

 

 喰われ、蹂躙され、挑んで、狩って狩って戦い抜いて、存亡を懸けた死闘はようやく終わった。最後に地上に残ったのは人間だった。

 勝ったぞ、とミロクは笑う。

 その笑みを見て、ようやく肩から力が抜けた。長く息を吐いて、後頭部を枕に埋め──

 

 いや、まだだ。

 

 

「ミナトは?」

 

 

 相棒の所在を尋ねると、ミロクは気まずそうに視線を逸らす。

 彼は迷いながらという挙動で、隣のベッドのカーテンを静かに滑らせた。

 規則的に電子音を鳴らす機械、複数並んだ点滴台。皮膚を覆う包帯に、わずかに覗く肌も隠す管の束。

 ミナトは人工呼吸器をつけてベッドに沈んでいた。指どころかまつ毛すら、ほんの少しも動く気配がない。

 

 

「最初さ、ミナトがおまえを運んでタワーに戻ってきたみたいなんだけど、おまえが息をしてないってパニックになって……みんなが急いで駆けつけたときは、ミナトも一緒に倒れてたんだ。でも、おまえの手を握って治癒魔法をかけ続けてた。治療のために無理やり離すまでずっと」

「……私、また助けられたってこと」

「そうだな」

「いつ目が覚める?」

「わからない。医者たちが全力で治療して、死なずに済んだけど、ずっとこのままだ。まだ油断できない状態だって言ってた」

 

 

 初戦とリベンジで都庁屋上でウォークライに殺されかけた時、さらに今回。

 これで命を救われたのは計3回だ。自分は何度こいつに借りを作ればいいのか。

 

 

「……ああもういい。考えるのめんどくさい」

「? 何の話だ?」

「独り言よ。気にしなくていい」

 

 

 もう経験者のデストロイヤーと素人のサイキックなんてくくりじゃない。ずっと後ろで汗と涙を流し続けていたへっぽこのチームメイトは、それでも歩みを止めず最後までついてきた。ほんの少しずつ距離を縮め、いつの間にか隣にいて、最後の戦いでは背中も命も預け合った。パートナーとの貸し借りをカウントするなど馬鹿馬鹿しい。 

 その相棒は現在生死の境をさまよっている。よくよく考えれば穏やかじゃない。真竜を倒せたとはいえ、ほっとしている場合じゃなかった。自分たちの目標は「勝って生きて帰る」だ。これでミナトが死んだら元も子もない。

 

 彼女の背中にひたりと貼りついている死を引っぺがしてやりたいが、自分は医者でなければサイキックでもない。治療に関しては門外漢だ。

 尽くそうにも尽くせる手がないとは、なんとももどかしい。こんな体では、ミナトはおろか自分自身のことも満足にできないだろう。

 体をベッドに縫い付ける痛みにため息をついたところで、医務室にキリノとミイナが入ってきた。

 

 

「シキ! ……ああ、本当だ、生きているね。よかった……」

「ご挨拶ね。死ぬわけないでしょ」

「いやぁ、死んでないのが不思議なくらいの怪我だったんだよ。今度こそダメなんじゃないかと思って、僕まで生きた心地がしなかった……」

 

 

 ベッド横の椅子に腰掛け、キリノは組んだ両手を額に押し当てる。ナビたちが気遣うように優しく背をなでて、彼はゆっくりと顔を上げた。

 ところどころアホ毛が立っているぼさぼさの髪。目の下に半月を作っている隈。大きな心労がかかっていたと容易に想像できる荒れ具合だ。埃の付いた眼鏡のレンズが眠り続けているミナトを映す。

 

 

「シバくんのことは……」

「ミロクから聞いた。もう待つしかないでしょ」

「ああ、そうだね。とにもかくにも、今君たちに必要なのは休息と怪我の治療だ。ただ、」

「? 何よ」

 

「君の足のことで、ちょっと」

 

 

 言われて、ギプスで簀巻きのようにされた両足を見る。

 ミナトもそうだが、自分も全身包帯まみれだ。足だけでなく腕も。

 痛みに、なくなってしまった感覚に、体中を鎖のように縛る疲労。これでは歩行以前に自分で食事も怪しい。トイレなんてどうなるのだろう、考えたくない。

 

 

「死んでないのが不思議なくらいって言っただろう? シキ、たとえ君でも、手の届かない領域はある。今回の怪我がそれだ。なんていうか……その……」

「もったいつけないでよ。余計な遠慮しないで、はっきり言って」

 

 

 隠しごとが下手な人間は、何かを偽ろうとすればするほど粗が目立つ。口をもごもご波打たせる目の前の上司がいい例だ。

 大事な話なのだから、誤魔化しても意味はないだろうと告げる。

 自身の体のことではないのに、キリノは呼吸もまともにできないといった様子で、地の底に落ちるように話した。

 

 

「君の……足だけど……怪我が治ったとしても、歩けるようになるか……わからない、らしい」

 

 

「ふーん」

「歩けるようになったとしても、走ることはもっと難しいだろう。ましてや、戦える状態にまで戻れるとは到底……」

「へー」

 

「……え、それだけ?」

「何よ、なんか言ってほしかったの?」

「い、いや、そういうわけじゃないんだけど」

 

 

 わかっていないとでも思われたのだろうか。キリノは専門用語を噛み砕き、手足──特に足が粉砕骨折だの複雑骨折だの、破片や骨の再生がうんぬんかんぬんで、本格的な手術が行える環境もなくどうたらこうたらだの、元の形に戻るかどうか、などとご丁寧に教えてくれる。

 まとめれば、これから生涯、体に何らかのハンデがつきまとう可能性がかなり高い、ということだった。割合で言えば9、10らしい。ほぼ確定じゃないか。

 

「それで?」と片眉を上げると、キリノはぽかんという擬音語がふさわしい間抜けヅラになった。

 

 

「ほ、本当にわかっているのかい? 君は今までみたいに……」

「ずいぶん押してくるわね。再起不能になってほしいの?」

「そんなわけないだろう! ただ、君が……」

「わかってるわよ。なら言わなくていいから」

 

 

 気を遣ってくれているなんて、顔を見なくともわかる。

 心を砕いてくれることには礼を言うべきだろう。けれど、足が治る治らないとか、元に戻る戻らないとか、それは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 しょっちゅう死にかける体験を何ヶ月も繰り返した。そこでもう嫌だと感じれば怪我に甘んじて、一生誰かに面倒を見てもらうのもいいだろう。

 けれど、

 

 

「私は普通に治すし、立つし歩くし走るし戦うわよ」

「……もちろん、そうなるに越したことはないさ。でも、」

「くどい」

 

 

 ぴしゃりと遮ってみせる。キリノは見えない壁に顔面から衝突したようにのけぞった。

 

 

「一生車椅子に松葉杖なんてごめんよ。治すって言ったら治す。それだけでしょ。何も問題ない」

「うん……はは、そうだね。それでこそシキだ」

 

 

 ようやくキリノが笑った。ナツメの裏切りがあってから、ほぼ休みなしで司令塔として奮戦してきたのだ。責任ある立場ではあろうが、人だけじゃなく自分のことも労わってやればいいのに。

 

 

「……」

 

 

 どれだけ声が明るくなっても、話が弾んでも、隣のベッドの相方は深く眠って起きようとしない。

 もう一度、無意識にため息が漏れた。脇で気遣わしげに言葉を探す3人にそんなもの必要ないと告げる。

 

 

「休めばそのうち起きてくるでしょ。ときどき声でもかけて待ってればいい」

 

 

 よし、と腹筋に力を入れて上体を持ち上げる。

 散々寝たのだ、体を動かさなければ落ち着かない。ドラゴンは消えたから、当分前線に駆り出されることはないだろう。浮いた時間は自分のためにつぎこもう。

 まずはリハビリだ。死にかけていたことなど忘れてしまうくらい、完璧に怪我を治してみせる。

 

 

「体を支えられる物ある? リハビリがてら散歩したいんだけど」

「いや、まだリハビリができるような状態でもないからね!?」

 

 

 間髪入れずにキリノがツッコんできた。ミロクとミイナが吹き出して笑う。

 とりあえず外の空気が吸いたいと駄々をこねて車いすに乗せてもらう。医務室を出て都庁の中を巡り始めると、出会う人間全員が自分を見て目を丸くし、安心したように笑い、ドラゴン討伐が完了したことを祝ってくれた。

 

 

「あ、13班……起きてよかったです……うっうっ……あのですね、13班が帰ってきて、SKYの子たちと一緒に喜んだんですよぅ……いろいろあったけど、この子たちと一緒に喜べてよかったーって思ったらぁ……グチさんが、後ろからバサって! スカートをぉ……スカートをぉぉぉ……」

「あっ、目を覚ました! 心配させてくれちゃって、コノコノ! 一応、面会謝絶にしといたけど……あなたの顔を見に来た人、いっぱいいたよ! 例えば──にひひ……ここは黙っておこっかな! ほら、みんなに元気な顔を見せてあげてよ!」

「傷の具合はどうですか……? ここに運び込まれたとき、ボロボロだったから……13班の傷も、これで最後になってくれたらいいなって、思います。……きっと、なりますよね! だって、もうドラゴンは──」

「げぇっ! 起きちゃったのかよ! あ~うん、別にこの機会にボコられた恨みを晴らそうだなんて思っちゃいねーよ? お前らは恩人でもあるしさ。な、なぁイノ?」

「あっ、うそっ、起きたの!? あんなにぐっすり寝てたのに!? えっ、これ? これはぁ……そのぅ……油性マジック、だけど? べ、別に何もやらかしてないし! ねぇグチ?」

「13班、お疲れ様です! 本日は晴れ、何の問題もございません!」

「おめぇら、よくやってくれた! 今日は宴だな! ダーッハッハッハ!!」

 

 

 こんなに大勢の人間に囲まれて笑顔を向けられるのは初めてかもしれない。祝辞、称賛、感涙。明るい表情と言葉がシャワーとなって降り注ぐ。

 どんちゃん騒ぎを始めるギャラリーに埋もれないように適当に言葉を返す。大きな問題が解決したのだ、浮かれる気持ちはわからないでもないから、やかましいのは悪くない。

 

 ただ、気に入らないことがひとつ。

 

 全員がまるで示し合わせたように、それがあたりまえといった顔で、決まって同じことを尋ねてくるのだ。

 

 

 

「で、あの子は?」

 

 

 

「……あいつは、」

 

 

 そんなこと訊かれたって答えられない。自分が知りたいくらいだ。知っている奴はいないのか。

 なんで誰も知らないんだ。なんで医者やナースに尋ねても曖昧にされて返答がされないんだ。

 

 ミナト、起きろ。

 

 勝ったことに満足して寝たままだったら、絶対に許さない。

 だから早く……休みが必要なら休んでいいから、なるべく早く。

 

 

「起きなさいよ、バカ」

 



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    流れる雲たち②

 

 

 

 今日はいつもより気分がいい。なぜって誕生日だから。

 

 朝、眠りを妨げるまぶしい朝日も心なしか優しく自分を包んでくれるし、やかましく思っていた鳥の鳴き声も気持ちよく鼓膜に響く。

 強いて残念な点を上げれば、自分の誕生日は学生にとっての新生活が始まる最初の日だから、それまで仲良くしていた相手が別の場所へ行ってしまっているということ。「誕生日おめでとう!」と言ってくれる子は高確率でいないし、かといって新しくできた友人、知り合いに自己申告するのも気が引ける。

 

 でも大丈夫。家に帰れば母が好物のカレーと豪華なホールケーキを用意してくれているから。

 たった1人の家族。特異な自分を受け入れ、見放さずに育ててくれた唯一の肉親。それだけで彼女が人間として貴い存在というのは幼心に感じていた。

 

 あとは、仲の良い友人が何人か、スマートフォンにお祝いのメッセージをくれる。唯一、自分が異能力者であることを知っている子もそうだ。

 異能力を見られたときは仰天していたけれど、熟考の後に「悪だくみなんてしてないんでしょ?」とあくびをされた。

 そのとき使えていたのはハンドボールサイズの火だけだったし、ライターやマッチ代が節約できるくらいしか使いどころを思いつかない。それを素直に言えば苦笑されて、だから大丈夫だよと諭された。車はテロリストにとっては爆弾を積んで大衆を吹き飛ばすための凶器になるが、本来は人を遠くへ運ぶ文明の利器で、救急車のように誰かの命を救うこともあると。

 

 自分(志波 湊)である。家族(志波 湊)である。友人(志波 湊)である。それだけで受け入れ、肯定してくれる人のなんとまぶしいことか。「人」の枠組みからつまはじきにされてしまうかも、といつもどこかで怯えていた自分を照らしてくれる、太陽のようだ。

 もし、時間が流れて大人になって、当時と考えが変わってしまっても、その過去と記憶が確かにある。臆病な自分にとってはかなり大きな支えになっていた。

 

 そんな人々から生まれたことをお祝いしてもらえる日。これ以上ない、自分が生きていることを実感できる素敵な日だ。

 

 

「いただきまーす!」

 

 

 イチゴのショートケーキ、チョコレートケーキ、フルーツタルト。母が買ってきてくれた物に加え、自分で買ったスイーツを並べれば豪勢な食卓になった。それぞれを一口ずつほおばり、舌に広がる甘さに満足して息を吐く。

 小学生にでも戻ったようにはしゃぐ自分を見て、向かいに座る母が苦笑した。

 

 

「ずいぶん嬉しそうね」

「そりゃそうだよ。あ〜ケーキおいしい。幸せ〜」

「大袈裟ねぇ。ケーキなんていつでも食べられるでしょ」

 

「何言ってんの! 前はそうだったかもしれないけど、ケーキなんて超贅沢品、食べるの何か月ぶり──」

 

 

 あれ?

 

 

 イチゴに刺そうとしていたフォークが止まる。

 自分は今、妙なことを口走らなかっただろうか。

 

 

「ミナト?」

「あ、うん、なんでもないよ」

 

 

 ケーキは買うなり作るなり(作れるかどうかは別として)、食べようと思えばいつでも用意できる。

 食べるのが久しぶりなのは、誕生日ケーキがという意味だ。なんせその日がめぐってくるまでには12か月もかかる。

 さあ、余計なことは考えないで、味わいつつだらだらしないように食べてしまおう。甘いものを食べすぎると気持ち悪くなってしまうが、時間が経てばやはり食べたくなってしまうのだし。

 

 

「あんた、本当にそれ全部1人で食べる気? お友達に誕生日祝ってもらったんでしょ、お礼に持っていくか、家に呼んで一緒に食べるかすれば?」

「えー! ……まあ、うん、そうか……それも楽しそうだし。でも、◯◯ちゃんはどれが好きかわからないんだよなー……。あ、でも×××ちゃんはチョコが好きかも? だっていつも、チョコバー、」

 

(うん?)

 

 

 何だ、「◯◯ちゃん」って。

「×××」って、誰だっけ。チョコバーなんて……。

 

 どうしたの、と母が顔を覗き込んでくる。

 

 

「そんなニコニコ笑顔で話すなんて、よっぽど仲の良い友だちでもできた?」

「え、あ、うん。えっとね、すっごくかわいいんだけどちょっと怖くて、でも誰よりも強い子で、私、何度も助けてもらっ──」

 

 

 待て。

 

 

「それでもう1人、食いしん坊ですごく肝が据わってて、明るくて、私より年上なのに敬語を使ってきて、き、て……」

 

 

 そうじゃない。

 

 

「違う、違う。だってまだ、私は2人と出会ってない……」

 

 

 今日は2020年の4月1日だ。自分の誕生日だ。

 行きたかったライブの抽選には外れてしまったけど、特別な日であることには違いないから、朝から街に出かけて、プレゼントを買ってもらって、レストランに行って……帰ってきてからは夕食の支度をしていた、はず。

 なのに、頭の中で何かが、誰かが、違うと叫ぶ。

 顔を上げる。

 壁にかかっている時計は、いつものように規則的に針を進めている。中に組み込まれている日付の表示も、2020年の、

 

 

 3月31日。

 

 

「──」

 

 

 思考が止まる。

 勢いのまま立ち上がる。椅子が後ろに弾かれ、手に持っていたフォークが落ちる。

 ガシャンと音が鳴った瞬間、同時に時計の分針も進んで、それを合図に景色が変わった。

 満員電車の中、人と人に挟まれて、抜け出せずに揺らされる。体をよじって目の前に持ってきたスマートフォンは、午前の時間を表示していた。

 見慣れた待ち受け画面の上で、右端の数字がひとつ増える。ガチリと音がして、また景色が切り替わる。今度は東京都庁の広場だ。

 

 銀色のビル群に赤が乱暴に塗り重ねられていく。メッキを剥がし、化けの皮を剥ぎ、目を背けたくなる汚泥のような町が現れる。

 自分が歳を重ねる前日。この時は、光景は、私の世界だ。

 何もない。ケーキも、誕生日プレゼントも、家も、母も。あるのは体中に満ちる痛みと、歪んでしまった手足と、ぼろぼろになった装備だけ。

 

 

「あ、あ……?」

 

 

 傷を押さえてうずくまる。

 痛い。血が流れている。こんな怪我で立てるわけがない。

 死にたくない。ただ平穏無事に過ごせればよかったのに。誰の人生も害していないのに。なぜ責めたてられるような目に遭わなければならないのだろう。

 

 そうだ、世界は、あの日終わってしまったんだ。

 ならここにいる自分も、死──

 

 

「動け!!」

 

 

 うずくまった自分を誰かの声が殴り飛ばす。

 

 

「生きてるくせに諦めるな! じゃなきゃ私があんたを殺す!!」

 

 

 物騒な物言いに思わず飛び上がってしまった。

 姿形のない声。けれどそれは自分に向けられているものだと確信できる。

 体の芯を揺さぶられる。たしか、この言葉は、どこかで聞いた。

 

 今みたいに、大怪我を負って、体中だるくて辛くて、しかも目の前にはあいつがいて、諦めそうになったとき。自分を救ってくれた……誰かが発したものだ。

 頑張れという応援でもなく大丈夫かという優しさでもなく、ただ背中を蹴っ飛ばす喝。

 この声があったから、体がずたぼろでも動くことができた。20年近く生きてきて初めて味わう激痛や不調、恐怖があっても、それを抑え込んで生きるために動くことができた。

 普通なら真っ先に逃げ出すはずの、大嫌いな辛苦。それを自分自身で踏み越えることができたのは、彼女がいたから。

 

 顔を上げる。

 

 私は知っている。黒髪が綺麗なあの子も、赤髪の大切な友だちも、頼りになる年下の双子も。ちょっと頼りないけど、やるときはやる上司も。

 自分は志波 湊だ。

 ムラクモ機関機動13班の、サイキックの、

 

 デストロイヤーである飛鳥馬 式のパートナー、志波 湊だ!

 

 

「──シキちゃん!」

 

 

 唯一無二の相棒の名を叫ぶ。

 暗い空が割れて世界に光が満ちる。何もかもが真っ白に塗りつぶされた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 目が開く。

 きゃあっ、と悲鳴を上げて誰かが飛び退いた。

 

 

「……ミイナ?」

 

 

「み、ミナト……起きたんですね! えっと、えっと……この指、何本かわかりますか?」

「……2本」

 

 

 顔の前に立てられた指の数を伝えると、ほーっ、とミイナが息を吐く。

 シーツに小さな両手を添え、そっと頭をもたげて、ナビ中には見られない泣き笑いのような顔になった。

 

 

「もう、医療設備だって万全ではないのに、何度もひどい大怪我を負って戻ってくるなんて……本当に、異能力者でも死んでしまうような傷だったんですよ」

「……」

 

 

 あの夢は……いや、はたしてあれは夢だったのだろうか。

 どちらにせよ、あれはもうすぎてしまった過去だった。自分が今を生きているのは崩壊した世界の東京都庁だ。戻ってくることができて……よかった、と思う。うん、体中が痛いけど。

 

 

「ミイナ……預かってたリボン、ぼろぼろになっちゃった。ごめんね……」

「いいんです。ちゃんと持って帰ってきてくれましたから。それよりあなたの体の方です。シキが起きてからもずっと眠り続けていて、もしかしたらもうこのままなんじゃないかって……よかったぁ」

 

 

 霞む視界の中、自分の手を握る少女の手は震えていた。

 ただでさえ虫の息で戦場へ向かい、ほぼ死体のような状態で戻ってくる。迎えた側はさぞ焦っただろう。怒る気力も削がれるほど不安にさせてしまったみたいだ。

 しっかり手を握り返し、心配させたことを謝る。

 少女ナビは一粒だけ目から雫をこぼして、優しく笑った。

 

 その後、ミロクが医務室に来て、寝起きで頭が回らない自分に状況をゆっくりと聞かせてくれた。

 ドラゴンはもう地上にいないこと。シキはずっと前に起きていること。都庁の人々が心配していたこと。自分が何日も目覚めなかったため、まだ祝勝パーティーができていないこと。

 

 

「あれ、そういえば邪神さんは……?」

「じゃしん? ああ、あの黒いもやみたいなやつか。あの変な像に戻ってるよ。自衛隊とSKYが言うには、東京タワーで倒れてるおまえたちの場所を教えて消えちゃったみたいだけど……気が付いたら、13班の部屋で捧げ物をよこせーとか騒いでた」

「そっか。うん、わかった」

 

 

 ひとつひとつを噛み砕いて飲み込んで、納得してベッドに沈む。

 

 3月31日に世界がひっくり返って、わけもわからず戦うことになって、どれだけの月日が経っただろう?

 文字通りの命がけだった。普段自分が紛れていた雑踏はマモノとドラゴンの群れになって、草木はフロワロに蝕まれ、空の色まで変わってしまった。

 そんな東京を走って、走り続けて、ようやく終わったのだ。

 

 

「……実感、わかないなぁ」

 

 

 濃すぎる体験が続いたためか、何も考えずにいられる時間というのが、妙に落ち着かない。

 慎重に体を起こしてみる。自分が眠っている間も医療従事者たちが懸命に治療を施してくれていたようだ。痛みや違和感が抜けていなくてぎこちないけれど、腕も足も動かせる。

 

 

「……立てるのか?」

「ん、たぶん」

 

 

 点滴スタンドと用意されていた松葉杖を支えにベッドから降りる。のろのろとではあるが、歩くことはできそうだ。

 

 

「じゃあ、都庁をぐるっとまわってみんなに顔を見せてやってくれ。心配してたんだぞ……ホント」

 

 

 両隣にナビが控え、ゆっくりでいいからと体を気遣われつつ医務室を出る。

 同時に、隣の診察室から医師が出てくる。ばっちりと目が合って、彼は幽霊でも見たように固まり、手に持っていたカルテをバサバサと落とした。

 

 

「え、君……! 目が覚めたのかい、いや、本当に……!?」

「お、おはようございます。おかげさまで、なんとか。えっと、大丈夫ですか?」

「すまない、君たちの治療は何度かしているが、今回はいつにもまして、本当にひどい傷だったんだ……私たちの治療がどれだけ通じるか見込みも付けられず……本当に回復するなんて……おお、よかった……」

「あはは……本当にご心配おかけしてしまったみたいで、すみません」

「ああ、手は尽くすだけ尽くしたから、神に祈る他なくてね……。……神はやめてくれ? ははっ、それはまた、どうしてだい?」

 

「ねえあれ、13班の」

「シバさんだ! 起きたんだ!」

 

 

 談笑につられて人が集まってくる。見知った顔が自分を見つけては驚いて駆け寄ってきて、包帯だらけの体を気遣いつつも興奮をぶつけてきた。

 

 

「やあ、待ってたよ! ボクは今、素晴らしくさっぱりした気分なんだ! それもこれも、彼女がボクを牛乳雑巾の如く、徹底的に洗わせたからね! いや~お風呂から出してもらえないかと思ったけど……出迎えられてよかった!」

「どうですか! この人、匂わないでしょう!? すっごく苦労して、お風呂に入れたんです! 匂いが落ちるまで出るな……と! これで、こころおきなく、13班の快挙を祝うことができますね!」

「FOOOOOOOOO!! YAAAAAAAAA!!! KITAAAAAAA──ゲボッ、ゲフゲフッ! ガフッ!」

「テメー、本当にカッコよかったぜ! ウチが言うんだから、間違いねぇよ!」

 

 

 笑い声、涙の混じった声、鼻をすする音、興奮して壁を叩く音、拍手の振動。全てが空気を震わせて、ひりひりと傷に響く。これだけで体が悲鳴を上げるなんて、ずいぶんこっぴどくやられてしまったものだ。

 でもこの痛みは嫌じゃない。だってみんな笑顔だ。表現も表情も、考えていることもてんでばらばらだろうけど、共通して陽の光のような温かさを持っている。それを身に浴びるたび、熱が広がって、顔がぽかぽかする。

 

 四方八方から飛んでくる声に応えていると、人と人の隙間から白くて細い腕が伸びてきた。

 通してくださいとか細い声がして、はしゃいでいた人たちが慌てて横に身を引く。開いたスペースから顔を覗かせたのはナガレ夫人だった。

 

 

「あ、ナガレさん!」

「シバさん、起きたのね?」

 

 

「せんせー!」「待ってよ、せんせー!」と人の壁の向こうから子どもたちの声が響いた。夫人が面倒を見ている孤児たちだ。

 子ども特有の甲高い声も耳に入らないようで、夫人は目を皿にして自分をつむじから靴の先まで観察する。抉る勢いで見つめ続けてくるものだから、何か変なところでもあるのかと気になってしまう。

 

 あの、と声をかけたのと、体の外を2本の腕が囲ったのは同時だった。

 体が温かい。視界が何かの布で埋まる。

 

 

「本当に、立派になって……」

 

 

 耳元で優しい声が響いて、抱きしめられていることに気付いた。傷に響かないようにそっと、けれどしっかりと。

 背中をなでながら離れる夫人の目は涙で潤んでいた。

 

 

「な、ナガレさん、あの、」

「痛かったでしょう。辛かったでしょう。それでも頑張ってここに帰ってきてくれたのね」

「……」

 

 

 よかったと伝えられ、ツキン、と胸の奥が痛む。脳裏をかすめたのは赤髪の、一度だけ顔を合わせた先輩だ。

 ムラクモに所属していた夫を亡くしてしまった彼女は、この場にいる誰よりも、何度も何度も労いと「嬉しい」という言葉をくれる。ついには目尻から涙をこぼしてしまった。

 

 

「シェルターで眠っていた姿とは、別人みたい。夫はきっと、今のあなたにこう言うわ。『頼れる後輩がいて、安心だ』って」

「……」

「……本当に、おつかれさま。あの人の分も、お礼を言わせて」

 

 

 柔らかい手が繰り返し頭をなでる。

 なぜだろう、間違いなく嬉しいのに、泣くところではないのに。

 たくさんの人からのおめでとうと、お疲れ様と、ありがとうを浴び続け、毛布のように包まれて、気付けば砂粒のようにさらさら涙がこぼれ出ていた。

 

 

「おいミナト、大丈夫か!?」

「あ、あれ、おかしいな。なんで涙が……」

「傷が痛むんですか? すぐ医務室に……」

「ううん、違う。傷は平気。なんでだろう?」

 

 

 人々の笑顔あふれる屋内から一転、今まで乗り越えてきた帝竜たちの姿がフラッシュバックした。人の体を簡単に引き裂く爪に、頭を簡単に砕いて飲みこむ牙に、跡形もなく吹き飛ばすようなブレス。

 自分に異能力がなければ到底生き残ることはできなかった。いや、異能力のあるなしは関係なく、なんであんな化け物相手に自分は身一つで飛び出せていたんだろう。

 最先端の装備は身に着けていたけど、シキもいたしナビもあったけど。

 

 ははは、と中身のない笑い声が漏れてその場に座り込む。

 両隣にいるミロクとミイナが慌てて顔を覗き込んでくる。続いてナガレ夫人や他の人々、廊下の向こうから顔を覗かせたネコやリンたちがなんだなんだと自分を囲む。

 叱られないかなと不安になりながら、歯止めがきかずに言葉をこぼしてしまった。

 

 

「ご、ごめん……何か震えが……」

 

 

 点滴スタンドが震えて止まらない。倒してしまってはいけないと離した手は痙攣を繰り返していた。

 

 

「へへ……やっぱり、シキちゃんみたいにはいかないや。私──」

 

「ミナト」

 

 

 右手をミロクに、左手をミイナに握られる。

 2人も、目の前のナガレ夫人も、リンもネコも、みんながみんな、揃って笑った。

 

 

「もういいんだよ。ドラゴンはいないんだから」

「いたとしてもです。怖いって言っても、誰も責めたりしませんよ」

「ああ、そうだ。……13班は一番の功労者なんだからさ、がまんなんかしなくていいよ」

「そーそー! アンタが泣き虫なんて、アタシたちみーんな知ってるから!」

 

「あ、そう? じゃあ、遠慮なく……」

 

 

 息を吸う。その一瞬で春から今までの記憶が頭の中を駆け巡った。

 背中にはウォークライの炎で残った醜い火傷痕がある。ジゴワットの電撃でも火傷ができたし、ロア=ア=ルアには左腕を持って行かれそうになったし、トリニトロもやはり火傷を負ったし、スリーピーホロウは大嫌いな虫の姿で気持ち悪かったし、ザ・スカヴァーには轢き殺されそうになったし、ゼロ=ブルー戦では凍死寸前で。

 

 大切な人も、知り合ったばかりの人も、たくさん死んで。

 

 腕が届く場所にいる者をまとめて抱きしめる。

 ぎゅゔぎゅうになって感じる体温がひどく心地いい。

 

 

「あー……怖かったぁ……!!」

 

 

 目頭が熱い。鼻の奥がつんとする。頭がガンガン痛くてますます涙が止まらない。

 子どもではないのにみっともない。けれど誰も咎めやしないし、当てられたのか遅れて泣き出す者までいる。

 遠慮なんてするものか。今日は……いや、しばらくはところかまわず泣きまくってやる。

 

 人の事情なんてお構いなしに襲ってくるドラゴンは、もういないのだから。

 



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    流れる雲たち③ *

 

 

 

 目が覚めたその日は泣きに泣いて体力を使い果たし、医務室にとんぼ返りして要安静になってしまった。

 翌日会議室に顔を出すと、腫れあがった目もとを見てキリノに苦笑いされた。

 

 

「やあ……体の方はもう良さそうだね、何よりだ」

「はい、皆さんのおかげです」

 

 

 辺りを見回す。机も椅子も、モニターもホワイトボードもいつもの配置。立っているのはキリノと自分だけだ。

 様子から考えを読まれたのか、「シキも通信越しに話を聞いているよ」とキリノは自身の耳に埋まる通信機を指差した。自分も通信機を起動させて耳にはめる。

 そういえば、東京タワーで倒れてからシキの顔を見ていない。彼女は今どこにいるんだろう。

 

 

「あの後……ミヅチの討伐後、君たちが東京タワーに戻った後のことだ。タワー直上の大気圏外から、巨大なエネルギーの消失反応があった」

「巨大なエネルギー……真竜のことでしょうか……勝てた、とは思うんですけど」

「結局、ミヅチとの戦いもその後も、僕らは君たちの様子を観測できなかった。映像はおろか、音も記録がない。君たちの話でしか事態を把握できないんだ。真に君たちが何をやったのかわからない──でも、その瞬間から、世界中のドラゴンは消滅した」

 

 

 つい先日まで地上を跋扈していた怪物たちの影は見る形もない。フロワロも花びら1枚見なくなった。

 異界化した土地が元に戻りつつあるというのは以前にも聞いたけれど、ダンジョンになってしまった土地で、完全にドラゴン襲来前の姿を取り戻したのは都庁だけらしい。国分寺の砂漠や台場の氷海はそのままだし、池袋の路線も天球儀の形を残しているとのことだ。

 異界化してから帝竜を討伐するまでの期間に、元に戻るか戻らないかの境目があったということか。

 

「そこはおいおい調査していくとして」とキリノが話を戻す。

 

 

「科学者の僕が、こんな言葉をいうなんてね……でも、言わせてほしい。君たちが……世界を救ったんだ!」

「世界を、救った……」

『結果的にそうなったって感じだけどね』

「あ、シキちゃん」

 

 

 初めてシキの声が聞こえた。続いて風の音が通信機から耳に届く。屋外にいるのだろうか。

 

 キリノがシキと自分の名前を呼ぶ。目の前に大きな手が差し出された。

 真っ直ぐな賞賛がなんだか照れくさい。右手を出すとしっかりと握られる。

 

 

「ありがとう、世界を代表して、まずは僕からお礼を言わせてもらうよ。……そして、キリノ個人からも一言。帰ってきてくれてありがとう……何よりもまず、僕はそれが嬉しい!!」

「……私は、自分がやりたいことをやっただけですよ」

『右に同じ』

「でも、嬉しいって言ってもらえるのは、こっちも嬉しいです! ね、シキちゃん」

『ま、悪い気はしない』

 

 

 ぶっちゃけて言えば、「世界を救う」なんて意識は薄皮一枚分程度あったかも怪しい。少なくとも、13班を結成した当時は間違いなく考えていなかった。ほんの少ししか歩めていない人生を強制終了なんてされたくなかったし、地獄に放り込まれた状況から抜け出したかっただけ。

 寒くて暗い日陰から、温かくて過ごしやすい日向に移るのと同じ感覚だ。自分がそうしたかったからそうしただけ。

 その戦いがたまたま世界を左右する規模のもので、たまたま自分たちと世界が繋がっていたのだ。

 ただ、その結果に都庁の人々の笑顔がついてきたのは素直に嬉しい。

 

 通信機越しに3人で笑いあう。握手を解くと、キリノは気を引き締めるように咳ばらいをした。

 

 

「13班に──引き続き任務を与える。これからもムラクモ機関の一員として世界の復興に協力すること。そして……今晩これから開催される、都庁あげての大宴会の……主役になること!」

「宴会ですか! やったー!」

『何、まだやってなかったの?』

「そりゃそうだろう! みんな、ずっと待ってたんだ。目覚めた13班が揃うのを。さあ、行こう! もう準備は万端、あとは主役の登場だけだからさ……シキ、こっちに戻ってこられるかい?」

『……んー』

 

 

 意気揚々と誘うキリノに対し、シキの返事は珍しく歯切れが悪い。

 どうかしたのかと訊いても返されるのは「別に」だけ。相変わらず風の音は良く聞こえるがそれだけで、シキ自身が動く気配は感じられない。

 どうやら自分が迎えに行った方がよさそうだ。首を傾げるキリノを見上げる。

 

 

「私、シキちゃんのところに行ってきますね。キリノさんはみなさんと待っていてくれますか」

「え、大丈夫かい? 歩けるといっても君はまだ体が……」

「大丈夫です。私よりシキちゃんの方が重傷なんですから」

「……わかった。先に行っているよ。無理せずゆっくり、エレベーターを使って移動するように」

 

 

 会議室を出て、階段とエレベーターで別れる。

 最上階まで上がり、そこからさらに移動すれば、薄暗い通路の奥に扉が一つ。

 取っ手をつかんで扉をくぐると迎えるように風が吹きつけ、空が広がった。

 青く抜ける蒼天に白い雲。赤い差し色が消えた町並み。生まれてからずっと目にしていた景色なのに、数ヶ月見なかっただけでなんだか新鮮に感じてしまう。

 

 真っ直ぐ視線を伸ばした先、かつてウォークライが座していた位置よりもずっと奥、縁のギリギリに彼女は座っていた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「シキちゃん」

 

 

 ミナトが呼んでシキが振り返る。空を映して蒼く染まる瞳で互いが互いが射抜く。

 シキは何度か瞬きをして、肩を下げた。ただそれだけで、言葉はない。

 車いすを横にのけ、ギプスに包まれた脚をさらけ出して地べたに座るシキ。同じように座るミナト。南風を浴びながら2人でぼーっと天地を眺める。

 

 

「……あんた、」

 

 

 シキがぽろりと言葉をこぼす。振り返ったミナトを見て、桜色の唇が小さく動いた。

 

 

「生きてたのね」

「……そこ!?」

「起きて顔合わせるの初めてでしょ。こっち帰ってきてから」

「そうだけど~。ていうか地べたじゃなくて車椅子に座ろう、体痛めちゃうよ。脚重傷なのにどうやって屋上まで移動したの?」

「腕があるんだから、段差は逆立ちすればいける。車椅子は足に乗せて……」

「いやほんと何してるの!? 無茶しちゃだめだよ! 手だって大怪我してるんだから!」

 

 

 一瞬シュールな絵面が浮かんできたがくすりとも笑えない。

 体を動かさないと落ち着かない気持ちはわからないでもないが、そのために今は安静にしなければならないのだ。

 だめだろうと言い聞かせると、シキは納得いかないという顔で頬をつねってきた。

 

 

「あんたに私を怒る権利ある? 死にかけながら治癒魔法使い続けて余計死にそうになるって何考えてんの?」

「だ、だって、シキちゃん息してなかったんだもん! あそこでキュア使わなきゃ絶対死んでた!」

「断言するな! それであんたが死んだら本末転倒でしょうが!」

「私だって死ぬつもりなかったもん! ちゃんと2人で都庁に帰るために使ったの、今回ばかりは私が正しいですー!」

「はあー!?」

 

 

 シキを抱え、車椅子の上に座らせながら言い合う。体を離そうとすると逃すかと首に腕が回った。

 まずい、シメられる。ヘッドロックを覚悟して目を閉じる。

 が、数秒過ぎても痛みも息苦しさも襲ってこない。代わりに、互いの額が触れた。

 

 はー、と盛大に息が流れる。

 

 

「本当に、貧弱なくせにタガが外れたらぶっ倒れるまで突っ走って……今度こそ死んだかと思った」

「……」

 

 

 シキが花のかんばせを歪ませる。

 わずか数センチ隙間を開けただけの距離、初めて見る表情にミナトは釘付けになった。

 言葉では告げられていない。けれどわかる。これは、もしかしなくても。

 

 

(……心配し(デレ)てくれてる!?)

 

 

 シキが真正面からこんな風に心配する言葉をかけるなんて。ゲームで言うならSSRだ。アマゾンの奥地に向かったって見られるかどうかわからない。

 超貴重な反応を間近で受け取り、脳が処理落ちを起こす。

 体を離して、自分の手を見下ろして、それで顔を覆い体をのけぞらせ悶えて……結果、言語中枢がバグを起こした。

 

 

「わ……私も好きだよ!!!」

「いや待て何の話だ」

 

 

 ミナトがひしっと抱き着けばシキは間髪入れずにツッコんで押しのける。一瞬でいつものやりとりに戻ってしまった。

 ひとしきりじゃれたところで言葉が途切れて、また屋上は静かになった。

 

 日差しも風も温かい。雲はよどみない白で、雨を連れてくるような気配は微塵もない。

 防具も上着もない、薄い病衣1枚の格好でも汗がにじんでくる。冷たい水と扇風機と風鈴が恋しい。

 季節はいつの間にか移り変わっていた。

 

 

「暖かくなったねぇ」

「そうね」

「ついこの間までコートが着られたのにね」

「そうね」

 

 

「……終わったね」

「ん」

 

 

 都庁で帰りを待っていた人々とは、飽きるくらい互いを労い祝う言葉を交わした。

 同じようにパートナーとも話すことはたくさんあるはずなのに、言葉が出てこない。かといって何かを言わなければいけないという義務感も全くなく、風の音だけが屋上に響く。

 ミナトがどうしてここにいたのかと尋ねると、シキはほんの少し逡巡して視線を上下させた。

 

 

「なんとなく。ここから東京を見渡せば見つかるかと思って」

「何が?」

「あいつ」

 

 

 ああ、と頷く。みんなが都庁に集合している状況で姿が見えない者とすれば、1人しか思いつかない。

 SKYメンバーが言うにはアイテルも忽然と消えていたとのこと。けれど彼らは焦ることなく、2人はどこかで仲良くやっているのだろうと笑っていた。ネコもダイゴも晴々しい顔とは言えないが、「そのうち帰ってくる」とゆったり構えていた。探すつもりはないらしい。

 

 大きなため息をついてシキは車椅子に背を預ける。太陽が雲に隠れて少し涼しくなった。

 

 

「あーあほらし。どいつもこいつもばっさりさっぱり。私だけアホみたいじゃない」

「アホなんてことは……気になるなら、気になるままでもいいと思うよ」

「それじゃ嫌なのよ。……あの時、あいつに『いってこい』なんて言われたんだから」

「……そうなんだ。なら、自由にしてていいんじゃない?」

 

 

 どういうことだとシキが視線を向ける。

 特別深い解釈はしていない。そのままの意味だ。シキがタケハヤへ「いってこい」と言付けたように、タケハヤだって「いってこい」と送り出したのだから。

 

 

「シキちゃんも、タケハヤさんも、お互いに『出発』したんでしょ? なら、行きたいところに行って、やりたいことをやればいいと思うよ。帰るもよし、たまには合流するもよし、それぞれ自由にさ」

「……」

「あとはね、『いってきます』て言ったら、踏ん切り? が、つくんじゃないかな」

「踏ん切り」

「うん。私は家から出るとき、いつもその挨拶はしてた」

 

 

 なるほど、と今さらながら納得する。そういえば、互いにいってこいとは言ったが、いってきますとまでは言えていない。今さらそんな漏れに気付くなんて。

 ますますあほらしくなり、風に乗せて自笑を飛ばす。戦闘は誰にも負けない自信はあるし、あいつもなかなか強かったが、コミュニケーションだけは2人ともC級以下だ。

 まあ、それはこれから身に付くだろう。……たぶん。

 

 

「……終わったのね、本当に」

「あはは、それ、さっき私が言ったよ」

「いいでしょ別に。……いざ平和になると、何していいかわからないもんね。学校は潰れてるだろうし」

「あ、私もそれ思った! ずーっと戦闘漬けだったから、今は頭の中空っぽで……」

「まあまず、間違いなく復興作業でこきつかわれることにはなるだろうけど。それ以外は……、あ」

「うん?」

 

 

 そうだ、一番大事なことを忘れていた。やらなきゃいけないことがあるじゃないか。

 

 

「あんたの親。あと友だち、知り合い? 探さないとね」

 

 

 言った瞬間、ミナトはぽかんと口を開けた。

 自身の話なのになぜ呆けるのか。さては数十年早いボケが来たのではと頬をつつく。

 

 

「何よその顔。あんたそのために戦ってたんでしょ?」

「え、あ、えと……うん、そうだったね。あはは……忘れてはいなかったんだけど……シキちゃんの方から言ってくれるとは思ってなくて」

「どういう意味」

 

 

 どすどすと強めに頬をつつく。痛い痛いとパートナーは頭を振るが、顔はいつも通り、締まりのない笑みだ。

 昏睡していた時とは違い、頬は血色がいい。リハビリにどの程度かかるかはわからないが、もう生死のことは心配しなくてよさそうだ。

 

 そういえばさ、とミナトが車椅子に座る自分を見下ろして首を傾げる。

 

 

「シキちゃんの脚、大変な状態って聞いたんだけど、大丈夫? もう歩けなくなるかもなんて話も……」

「あんたもそれ信じてるの?」

「いや、信じたくないけど……タワーから帰るとき、本当にひどかったから」

「死にかけてるのに治癒魔法に全力つぎ込んで本当に死にそうになる奴に言われてもね。ていうか、あんたこそ大丈夫なの?」

 

 

 体にハンデを負う可能性があるのは1人だけじゃない。後衛も後衛で、前衛とは別の障害を負っているはずだ。

 ミナトに指摘をすると、彼女は苦笑いで片手の指先を立てた。

 指先に霜が降る。いや、霜にもならない、小さな小さな涼風だ。それは瞬きを一度しただけで消えてしまう。以前は手の一振りだけで空間を呑みこむ属性攻撃を放てたのに。

 ミナトは指を何度か曲げて顔をしかめる。ダメだね、と首が傾いた。

 

 

「研究員の人たちが言うには、健康じゃない状態で全開の術を使いすぎたのがよくなかったみたい。体がタイヤみたいにパンクしてるんだって。マナがうまく……練れない。うん」

「それって怪我みたいに治るもんなの?」

「さぁー……どうだろう。まあ、もうドラゴンはいないし、このまま使えなくなっても──」

 

「ダメ」

 

 

 不穏なことを言い切る前に否定する。睨みをきかせると彼女は肩をすくめて身を縮めた。

 

 

「だ、ダメ?」

「ダメに決まってんでしょ。最後の最後で諦めるとか許さないわよ」

「えええー……でも戦う必要はないし」

「そういう問題じゃない」

 

 

 諦めるわけがないし、諦めさせない。ドラゴンと戦ってきた理由と同じだ。罪を犯したわけでもないのに、自分の人生も、体に備わっていたものも切り捨てる必要はない。納得などしない。

 世界は元に戻っていく。人の営みは続いていく。何十、何百年かかろうが、地球は2020年3月31日以前の姿を取り戻すだろう。そこにはもちろん、自分たちも含まれる。

 そんなことなどあっただろうかと首を傾げてしまうくらい、この傷を超えてまた2本の脚で立ち上がるのだ。

 ドラゴンになど、何一つも奪わせてやるものか。

 

 

「ミナト」

 

 

 シキは彼女の名前を呼ぶ。

 

 志波 湊。人の目を気にしてびくびくして、かと思えばその人の気持ちもわかるだのどうにかしてやりたいだの、自分のことも満足にできないくせに走り回る、無駄に感受性が強く涙腺の脆い臆病者。

 

 超能力(サイキック)と前を走る自分についていく根性だけは、S級のパートナー。

 

 

「まだいけるでしょ?」

 

 

 この先何があろうが、こいつは私の隣に立つだろう。

 

 

「……そうだね、シキちゃん」

 

 

 ミナトは彼女の名前を呼ぶ。

 

 飛鳥馬 式。自分にも他人にも厳しく、遠慮という言葉を知らず、相手が一国の主でも世界滅亡の脅威でもお構いなしに我を通す。死にかけていても諦めるなと人を無理やり引きずり上げる鉄火肌。

 

 何もかもを殴り飛ばす腕っぷしと、絶望を叩き潰して道を切り拓く、S級の意思を持つパートナー。

 

 未来に何があっても、この子は誰より前を走り続けるだろう。

 

 

「もちろん。一緒に行くよ」

 

 

 13班の2人が都庁屋上を後にする。

 風に吹かれて綿毛でも舞い込んだのだろう、かつての赤い竜との死闘で走った無数の亀裂に、小さな芽が生えていた。

 

 

「さ、早く戻ろう! 祝勝会だよ!」

「肉ね、肉。肉が食べたい。あと牛乳。体に血肉が足りない」

「私は甘~いフルーツが食べたいなぁ。あとピザとかハンバーガーとか、ジャンクフードを思いっきりドカ食いしたい!」

「……この状況じゃ用意するの難しそうだけど」

「これから食べられるようになるよ。そのためにも休養と治療と復興作業、頑張んなきゃだね!」

「そうね」

 

 

 破滅の赤が祓われた世界に爽やかな風が吹いて、叢雲(ムラクモ)が流されていく。

 この星に溢れるのは血でもなければ絶望でもない。明日を迎えられる希望と、気持ちよく天に飛んでいく人の笑い声だ。

 

 

『それでは、13班の帰還と人類の勝利を祝って!』

 

『カンパーーーイ!!!』

 

 

 

【挿絵表示】

 

 




どこかの世界にいる13班の、2020年の戦いはここまでになります。
最後まで見守っていただきありがとうございました。活動報告の方で暴走して語っているので気が向いたらそっちもどうぞ。
感想、質問などどこからでもしていただければ!


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CHAPTERX あらすじ

各章のあらすじも含めればちょうど100ページでした。やったね!

各チャプターごとにあらすじとその時点で載せられる主人公2人の情報を設置しました。話の内容をざっくり把握したいときにどうぞ~。



CHAPTERX 神∞∞∞∞ヒト

  Nyala of 7th

 

 

 あらすじ

 

 

 ドラゴンクロニクルが完成し、全てのピースが揃った。人竜となったタケハヤはアイテルたちに別れを告げて障壁を打ち破り、東京タワー攻略作戦が開始される。

 自衛隊とSKYにタワー内の制圧とキャンプの維持を任せ、キリノ、ミロク、ミイナに背中を押されたシキとミナトはタワー最上の展望台に辿りつく。

 待ち構えていた人竜ミヅチの頭一つとびぬけた強さに13班は苦戦を強いられる。シキがタワーの外に投げ出され窮地に立たされるミナトだが、共に戦い続けてきた仲間の想いを背負って一騎打ちに勝利。舞い戻ってきたシキがとどめを刺し、人竜ミヅチ/日暈 棗は自身の力に答えの出ない問いを残して散った。

 

 直後、天から全てを見ていたと声が降る。正体は「真竜ニアラ」。神を名乗り、ドラゴンの頂点であり人を生んだという存在は、人竜の誕生と帝竜を狩り尽くした13班に興味を持ち、自身の領域へシキとミナトを誘った。

 シキは満身創痍のミナトを都庁に預け、真竜の領域へ突入する。治療を受けたミナトも遅れて東京タワーへ戻って合流、宇宙の中で待ち受けていた黄金のドラゴンと相対する。

 

 桜と共に多くの命が散った春から数ヶ月。東京であがき続け、地の底から天まで駆け上がった13班。星の消滅という最悪の結末を覆すため、2人は正真正銘最後の戦いに挑む。

 

 * * *

 

13班メンバー

 

【飛鳥馬 式 / アスマ シキ】

 スチューデント♀ / デストロイヤー / ボイスタイプG(S.R様)

 主人公その1。ムラクモ出身のチート気味女子。性格キツめ。ちょびっっっとだけ丸くなった。

 命綱なしでほぼ宇宙に突っ込んでいる高高度から落ちるという人類初の偉業(?)を達成。パリングシールドを使っていなければ即死だった。デストロイヤーの肉体は異能力者にて最強。

 寿命以外の要因で死ぬという概念がない。あたりまえに生きて、殺されそうなら戦うだけ。ドラゴン? 神? んなもん知るか来るなら殴るぞ。

 ミナトの唯一無二のパートナー。

 

【志波 湊 / シバ ミナト】

 サイキック / ボイスタイプC(H.Y様)

 主人公その2。一般家庭出身。ヘタレ。成長した。ビジュアル未定/なしの方です。

 サイキックなので肉体は異能力者にて最弱。ミヅチに追い詰められたが痛みや恐怖よりアオイたちを殺された怒りが勝った。平和が一番で殺し合いなんてごめんだが、復讐はしないなんてきれいごとを言うタイプでもない。遠慮なくミヅチにぶつかり仇討ちを達成した。

 誰かが矢面に立ってくれるならついていけますというしょうもない根性がある。その誰かがシキだったので最後まで戦うことができた。

 シキの唯一無二のパートナー。

 

 



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