BLOOD AXIS (LAKI)
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大湊の鬼神

 剣が好きだ。これを持っている間は自分の役割を考えなくて済むから。

 兵器にも、兵士にもなれない半端な舟に未来はあるのだろうか?戦いの後に何が待っているのだろうか?生きていることに、意味はあるのだろうか。……朧気な程昔に君と考えていたけれど、分からなかった。分からないまま君は行ってしまった。

 君のいない世界に放り出されたものだから、もう考えるのを諦めてしまったんだ。

 

 

 「……ありゃ、これ最後ですか」

 少女はスティックバーの袋を空け、それを頬張り右手で剣を拾い上げる。そして紅い刃を綺麗に拭っていくのだ。

 海の上では艤装制御の一端を担う指揮杖の役割も持つ以上、こまめなメンテナンスは生死を分けるものとなる。それも含め、じっくりと拭う。

 春先の暖かい風が頬を撫でる。まだまだ腹を出す服装では肌寒いだろうか。……彼女がこの地にやってきて五回目の春が来た。あの日と変わらぬ、嫌なくらいに眩しい空で。

 ふぅ、と息をつき、天井を見上げる。寂れた旧工場にはもう誰も近付かない。静かな中での作業は心休まるものだ。

 少女は今日の午前非番だ。気の済むまでゆったりとメンテナンスができる。

 

 突然、頬に氷を当てられたように冷たい感覚が走った。

 「またここに居たんだな、綾波」

 「ん……高雄ですか」

 黒髪で白い服を着た重巡艦、高雄。彼女は持っていた酸素コーラの缶を綾波の前に置き、隣に座ってくる。

 「指揮官が呼んでいた。切りのいい所で行くぞ」

 「了解です」

 彼女食べていたスティックを飲み込み、剣を拭い続ける。

 重桜所属駆逐艦、綾波。それが少女に付けられた名前だ。別に唯一の存在という訳でもなく、別の基地に行けば彼女と同じ名、同じ顔のフネが見受けられるだろう。

 「アズールレーンがまた、鉄血の拠点を襲撃したそうだ」

 「んー……またですか。連中も懲りないです」

 綾波のミミがしょぼんと垂れる。それを見た高雄は「そうだな」と微笑み彼女の頭をなでる。

 五年前。上層部が勝手に喧嘩し、分裂した。その結果、この辺りの基地は軒並みアズールレーンと呼ばれる連合から分離し、新たにレッドアクシズという二国連合所属となった。とは言っても生活に変化があったわけではない。彼女らKAN-SENと呼ばれる人の形をしたフネ達は相も変わらず生きている。唯一変わったものといえば、それまで退治していた「セイレーン」と呼ばれる化け物そっちのけで内輪で殺し合っているくらいだ。彼女らは変わらず、命を懸けて敵と戦うだけ。

 「綾波、午後に何か予定はあるか?」

 高雄は伸びをしながら問う。

 「ないでふ」

 再びスティックを頬張りながら答える。彼女は足を伸ばし、リラックスした状態で綾波の頭を撫でてくる。

 「なら、拙者の戦闘訓練に付き合ってくれないか?先程エンジンを調節したのでな。試してみたいのだ」

 彼女は鋼鉄の靴を持ち上げ、綾波へと示す。しかし綾波は目線を向けることなく、黙々と刃を磨き続ける。

 「いいでふよ。……ふぅ、ならついでに伊勢やんでも呼んどくですか?戦艦相手の演習もいると思うです」

 「そうだな。あぁ、そう言えばだ。今日から新しい奴が舞鶴に来るらしいぞ」

 「へぇ、どんなフネですか?」

 「名は江風。お前と同じ駆逐艦だ。確か雷撃が得意とか言ってたな」

 綾波は剣の刃を眺め、確認している。彼女がどうあろうと、私はやるべき事をやるだけ。あまり関係はない。高雄に向かい態度で示した。

 「ふーん……まぁいいです。切りもいいし、そろそろ指揮官のとこ行くです」

 「……興味ナシか。相変わらずだな、お前は」

 高雄は呆れたように呟き、綾波を追って歩いていった。

 

 「あ、やっと来たか綾波!今朝に召集命令出てたよなぁ?」

 彼女らが指揮官室に着いた直後のこと。無精ひげを生やした大柄の男、指揮官は彼女の遅刻に苦言を呈する。

 「あれ、そうです?忘れてたです」

 綾波はふいっと窓の外へと視線を移す。ちょうど窓のヘリで寝ていた猫は気持ちよさげに尻尾を揺らめかせている。

 「ったく……この際もういい。おい、入れ」

 後ろの扉が勢いよく開け放たれ、一人の少女が入ってくる。美しい銀髪に、狐のようなミミ。立てた襟で口元を隠した少女はぶっきらぼうに言った。

 「駆逐艦、江風だ。慣れ合うつもりはないので、挨拶は不要だ」

 江風はそう言うと踵を返し、そのまま指揮官室を後にしようとする。

 「いやいやいや待て!」

 指揮官は身を乗り出して彼女を止め、再び部屋に戻す。

 「……何用ですか、指揮官」

 「さすがにそのままほっぽるわけにはいかんだろう。だから綾波、教育係頼んだぞ」

 彼はそのまま綾波の肩に手をのせ、歯をむいて笑う。

 「……え?あと触らないでほしいです」

 綾波は指揮官の手を振り払うと、江風の方を見る。彼女は嫌そうに目を伏せているのがわかる。口元を隠していても丸分かりだ。

 「こんなガキを教育係だと?馬鹿にするな」

 「まあまあ、お前は『大湊の鬼神』に会いたくて此処に来たんだろ?なら適任じゃねーの」

 彼は煙草に火をつけ、背もたれによりかかる。

 「なんだ、お前はその鬼神と仲がいいのか?」

 「綾波がその鬼神、です」

 「……は?」

 江風は信じられないといった表情で詰め寄る。

 こんな目の死んだ駆逐艦があの鬼神だと?信じられるものか。

 綾波を見下ろし続けている彼女は疑いの目を向けている。「それなら証拠を見せろ」といわんばかりに。

 「じゃあ午後の戦闘訓練に来るです。高雄、いいですね?」

 「ん?ああ。拙者は構わんぞ」

 平然としている高雄を見て、これまた江風は疑惑の目を向ける。どうなっているんだ、と。

 「じゃあ1300に第一訓練場集合です。……指揮官、もういいです?」

 「ああ、そいつをどうにかできるなら任せる」

 「了解」

 そういうと綾波たち三人は部屋を後にした。

 

 「高雄、今日の昼なんです?」

 「確かカレーだった筈だ」

 江風は彼女らの会話を聞き、落胆していた。ここ、大湊はレッドアクシズ有数の戦闘力を誇る基地との噂すらある場所だ。ストイックで武闘派な人らを予想していた。しかし、その末出てきたのは煙草臭い、カリスマ性のかけらも感じられない指揮官と、呑気な雰囲気を出す二人。噂は間違っていたのだと彼女は肩を落としていた。

 「ーーー風、江風。聞いてるんです?」

 彼女はぼうっとしていたようで、綾波の声掛けに遅れて反応を返した。

 「……すまん、考え事をしていた」

 「綾波達を嘗めるのは勝手です。でも綾波より弱いから綾波の言うことは聞くべきです」

 彼女は江風の胸に指を当て、忠告する。

 「なんだと?私が貴様より弱いだと?」

 江風は逆上し、綾波の胸倉を掴み、壁へ叩きつけた。

 すでに食堂内。周囲にいる人間の兵士たちはどよめき、彼女をなだめようとする。

 「弱いです。ここが戦場ならキミは十秒で仕留めてるです」

 彼女はさらに怒り、両手で首を掴み締めにかかる。高雄は気付いたらそこを離れ、給仕の人からカレーを受け取っている。

 「馬鹿にして……っ!!」

 綾波はおもむろに彼女の腕を掴むと、強く握りしめた。あまりの圧力、あまりの痛みに咄嗟に手を離し離れてしまう。綾波は平然と近づく。

 「キミが最新の『キューブMk.5』製なのは綾波も知ってるです。でも、さすがに生まれたばかりじゃ勝てないです」

 「……っ!!」

 江風は思わず後ずさってしまう。すると突然首元に柔らかいものが触れた。咄嗟に振り返ると、盆にカレーを三皿のせた高雄がそこに立っていた。

 「気は済んだか?」

 「……膂力は私より上のようだな」

 江風はそう言い、腕をさすりながら食堂を去っていった。

 「行っちゃったです」

 綾波は盆からカレーを一皿とると、近くの席で食べ始めた。

 「さて、この一皿どうしようか」

 高雄が思案していると、後ろから腕を回される感触がきた。

 「そのカレー、私が食べましょうか?」

 「毎度驚くからやめてくれ、赤城さん」

 せに数多の尾を持つ濃い赤髪の女性、赤城はいたずらっぽく笑うとカレーを一皿手に取る。

 「うふふ、あなた反応が面白いんですもの。それで、あの子が新入りの子ね?」

 「ああ、苦労しそうだ」

 高雄は面倒そうに息をつく。

 

 

 そのころ、食堂を出て駆けて行った江風は宿舎のベンチに腰かけていた。

 ……本当に、彼女が鬼神なのだろうか。

 自分より小柄で、細身。不健康なのか目の下にクマまである。そんな彼女が鬼神だというのか?

 大湊の鬼神。生まれてから半年間いた横須賀でその噂を聞いた時、どうしようもなく憧れた。ある日の作戦終了後、帰還時に敵艦隊に奇襲を受けたそうだ。鬼神は仲間を逃がし、単騎で敵を壊滅させ、自身は無傷で帰還したのだと。そのデータは残っていなかったが、大湊では事実として認識されているらしいのだ。

 自分もそうなりたいと切望した。自分一人で戦える、強い艦になりたいと。

 その頃いた横須賀も強い艦隊ではあった。多くの艦を抱え、多大な戦果をあげていた。しかし、その実態……艦たちが色恋に惚け、指揮官、指揮官と彼を慕う声がそこらから聞こえてきた。

 それがどうしても耐えられなかった。所詮兵器が人の形をとっただけなのに、なぜ。

 座っていると、目の前に一人の少女が立っていた。

 「ねぇ、君新入りだよね。こんなところで何してるの?」

 綾波よりさらに背の低い黒髪の少女。彼女は犬のようなミミをぴこぴこと動かし、小首をかしげて江風の顔を覗き込んでくる。

 「別に、何も」

 「そう。私は夕張。ここではメカニックと医務をやってることが多いよ」

 「なれ合う気はない。挨拶なんて……」

 言いかけたところで彼女は江風のほほをつまみ、睨んでくる。

 「さすがにそれは失礼だよ。君もほら、自己紹介して」

 「……江風。駆逐艦だ」

 「うん、よろしく」

 夕張は笑顔を見せ、隣に座ってきた。

 「それで、江風どうしたの?」

 「いや……一つ聞いてもいいか?綾波があの、大湊の鬼神なのか?」

 「うん、そうだよ?それがどうかした?」

 彼女は不思議そうに首を傾げる。

 「どうにも信じられなくてな。あんな覇気のない奴がそんな……」

 「ん」

 夕張はカバンからサンドイッチをひとつ取り出し、手渡した。

 「あ、ありがとう……」

 「人を見かけで判断しちゃダメ。それに、ここは所属艦が少ない分みんな練度が高いんだから」

 「そうか」

 「気になるんなら、あの子たちの訓練見るといいよ」

 夕張は自分もサンドイッチを頬張りながら提案する。

 「そうするか。ありがとう、夕張」

 「どういたしまして。頑張ってね」

 彼女は歩いていく江風にひらひらと手を振り、見送っていった。

 

 一時間と少し後。第一訓練場に来ていた綾波達はそれぞれで準備運動を始めていた。シンプルな訓練場で、海に面しており、複数の的が並び立っている。

 「伊勢やーん、江風来てるです?」

 「その呼び方やめろよ……来てないぜ。お前ちゃんと伝えたか?」

 裏の倉庫から出てきた女性。赤い髪を束ねポニーテールにしている彼女の名は戦艦、伊勢。重桜特有の獣のようなミミも当然ついている。

 「伝えたはずです。まあいいや、さっさと始めるです」

 綾波は海に浮かべた機械の靴に足を入れ、丁寧にボルトを締めていく。隣に置いた訓練用の兵装は弾丸をゴム製にしており、当たっても痛いだけで済むものだ。

 三人が靴を履き、水に浮きあがると背のコアに艤装を接続する。フネを造る際に扱うキューブにより脊髄と艤装を接続し、様々な機能を直感的に操作することができるのだ。

 綾波は剣を艤装に着けると迫撃砲を手に取り、感覚を合わせていく。一通り確認を終えると遠くの標的に狙いをつけ、正確に的の中心を打ち抜いた。

 それを見た伊勢は口笛を吹いた。

 「調子いいじゃねーの」

 「早撃ちならあんたのが上手いです、伊勢やん」

 「まあなー」

 伊勢は胸を張り、自慢げにしている。

 「んじゃあ負け残りでやるです」

 綾波は迫撃砲を艤装にぶら下げ、少し陸から離れていく。

 続いて伊勢が彼女と対面するように離れていき、それと同時に高雄はへりに腰かけた。

 「さて、と……出てきたらどうだ?江風」

 倉庫の戸の裏からガタッと音が聞こえる。江風は諦めたようにそこから歩いてくる。

 「高雄……さん」

 「別に無理してさん付けしなくてもいい。折角だ、訓練を見ていくといい」

 江風は彼女の横に座ると、少し遠くに見える綾波の姿をじっと見ていた。

 「ほら、そろそろ始まる」

 

 高雄がそう言うや否や、遠くの二人は同時に艦砲を構え、砲撃する。

 砲弾は彼女らのちょうど真ん中でぶつかり合い、バチン、と大きな音を立て沈んでいく。綾波はそれを見計らい距離を詰め、それに対し伊勢は全速で下がりながら続けざまに砲撃する。

 

 綾波は背中の艤装から剣を取り外すと、迫り来る砲弾を一つ一つ、丁寧に真っ二つに斬り裂いていく。

 「な……っ!?」

 江風は驚愕し、立ち上がった。本来艦の持つ剣は斬るためのものではない。他基地では事故が無いようにか、刃を落としてあるものばかりだ。

 「ウチの戦闘はよく珍しがられる。君のこういった反応も珍しくはない」

 瞬く間に懐に潜り込まれた伊勢も腰から剣を抜き、刃と刃がぶつかり合う。

 その後は互いに剣と艦砲を入り混ぜた戦いが繰り広げられていた。

 距離が空けばすかさず砲撃、そして再び斬り合い……水の上だというのを忘れてしまいそうなくらいに激しい動きの中で、江風はあることに気づいた。

 「……楽しそう?」

 「ふふっ、そう見えるか?気持ちは分かるさ。二人のあの顔……まるで祭りの最中にいるようだ」

 高雄は穏やかな笑みを浮かべ、彼女らを見守っている。

 伊勢、綾波の二人は目を見開き、口角いっぱいの笑顔で水上を滑り駆けていた。

 

 数分の戦いの末、綾波が伊勢に肩を貸した状態で戻ってくる。

 「江風、来てたんです?」

 先程までの笑顔は何処へやら、また暗い目に戻った綾波は彼女の顔を覗き込んでくる。

 「あ、ああ。……本当に強いんだな、綾波」

 「そりゃそうです。伊達に七年もフネやってねーです」

 綾波は江風の隣に座り、ボトルを取って水を飲み始める。

 「七年……ということは初期型か、綾波は」

 「そうです。ここまで死に損なってるだけはあるです」

 「なぁ、私とも訓練してくれないか?」

 江風は意を決したように言った。しかし、綾波は少し考えると首を振る。

 「あー、ダメです」

 「な、なぜだ?」

 「江風、まだ訓練兵装持ってないです。ばりちゃんから貰ってからやるです」

 「ばりちゃん?」

 突然のあだ名に困惑している江風。高雄が後ろから苦笑いしながら言う。

 「夕張の事だ。此処のメカニックで──────」

 「さっき会った。言えば作ってくれるかな」

 「大丈夫です。しょっちゅう壊してるけど2、3日で作り直してくれるです」

 綾波は反省の色を微塵も見せずに身を乗り出す。

 「その度にあいつに謝りに行く拙者の気持ちにもなってくれ」

 高雄は溜息をつき、口をとがらせる。

 「ごめんごめん、です。それじゃ伊勢やん、休憩はもう大丈夫です?」

 「おう、……次は絶対勝つかんな!?」

 伊勢は悔しがり、綾波へ指さしながら岸から遠ざかって行った。それに続き高雄も立ち上がり、伊勢を追うように離れていった。

 

 彼女らが演習を始めて数分。綾波は会話をすることなく、足をぶらつかせながら二人を眺めている。背から降ろした艤装を後ろに置き、寛いでいる。

 江風はふと彼女の艤装に手をのせてみていた。訓練用とはいえ同じ駆逐艦の艤装だ。手触りは自分のものと何ら変わりない。

 「艤装がどうかしたです?」

 綾波が不思議そうに彼女のほうを見る。

 「いや、何でもない」

 「わかったです」

 淡々とした会話。すぐに途切れたそれの後には、さざ波の音と遠くからの砲撃音を聞いているだけだった。

 

 静かというわけではないが、穏やかだ。

 

 

 「……なぁ、綾波」

 「ん?なんです?」

 「戦いは、好きか?」

 綾波は少し考える素振りをすると、彼女の目を向き言った。

 「別に、です。好きでも嫌いでもないです」

 「そうか。やけに楽しそうに見えたから好きなのかと思った」

 「それ、皆から言われるです。そんな楽しそうです?」

 綾波は不服そうに口をとがらせる。

 「あぁ、とても」

 「ふーん……じゃあそれでいいです」

 「そうか」

 また、少しの空白が生まれる。江風は真剣に演習を見ており、綾波は欠伸をしながらくつろいでいる。

 

 

 「江風、一つ聞いてもいいです?」

 座り直した綾波は彼女の顔を覗き込んできた。

 「な、何だ?」

 「今まで実戦経験はあるんですか?」

 「イヤ、実戦で海に出たことはない。横須賀にいた頃は演習で練度を上げていたからな」

 「そっか。じゃあ一つだけアドバイスするです」

 綾波は水面に立ち、彼女の胸にトン、と手のひらを乗せた。

 「迷うな、です」

 「実戦で考える暇が無い。そのくらいは分かっている」

 「恐らく、江風が思うより実戦は早いです。射角計算も、相手の読みも頭で考えてたらダメです。直感を研ぎ澄ますことが大切です」

 彼女はきょとん、と綾波の顔を見つめていた。助言をした少女の顔が、異様に暗かったから。

 「……わかった。胸に留めておく」

 「ふふっ、案外素直な子です」

 少女は表情を緩ませると再び岸のヘリに座り、訓練を眺め始めていた。

 

 

 それから一時間が経ち、二人の戦いが終わり岸へと戻ってくる。

 「おかえり、です」

 「ああ。拙者の勝ちだな」

 高雄はどこか自慢げに笑みを浮かべ、綾波の隣に座った。

 「すっごい接戦だったんだぜ?畜生、あの時の判断ミスったか……」

 伊勢は悔しそうに頭をかいている。

 「これでまたトントンだな、伊勢」

 「もう少し勝ち越してたかったぜ」

 二人はそんな事を話しながら艤装を外し、陸に上がった。

 

 江風も立ち上がり彼女らに着いていこうとした時。立ち止まっても綾波が来ないことに気づいた。

 後ろを振り向き少し視線を落とすと、彼女が丁度水面に浮かび沖の方へと進んでいくところだった。

 「……なぁ、高雄。アレは何をしてるんだ?」

 高雄は海上の綾波の姿を見ると「あぁ」と納得し、江風の肩をぽんと叩いた。

 「興味があるなら見ていくといい。駆逐のお前なら同じことが出来るかもな」

 江風はふと海面に視線を移す。小柄な少女の体がゆったりと傾き始める。角度を落としていき、今にも倒れるだろう。そう考えた瞬間だった。

 

 「消え……!?」

 

 一瞬、彼女の姿を見失った。エンジンからの衝撃で吹き出した水しぶきに体が隠れ、それが水面に還った時には彼女は20数メートル先でブレーキをかけ、再び直立している。

 余りに速い。それだけでは無いのだろうが、今見ていた少女を瞬きもしないうち見失ってしまったことはない。トップスピードだけなら横須賀にも近しい艦はいたが、ここまでとは。江風は呆然と口を開き、彼女が数秒前にいた所と現在地とを交互に見ていた。

 再び綾波は体を倒し、脚の艤装に据えられているエンジンを全開にする。彼女の視界に江風らの姿は見えていない。高スピードの中で見えるのは、尾を引き歪んだ建物群と光を跳ね返し、きらきらと光っている海面だけだ。

 その姿は海を滑ると表現される一般的なKAN-SENとは異なり、さながら水面を駆けているように見えた。忙しなく脚を動かし、水面を跳ぶように最適な着水点を探り続ける。艤装の軽い駆逐艦だからこそ出来る芸当だ。

 

 江風は見蕩れていた。流麗な舞のように滑らかで、美しいその動きに。その中に微かに見える獣のような荒々しさに。

 そうこうしていると綾波は高く飛び上がり、宙返りをしながら三度砲撃をした。海上に置いてある三つの的へ放たれたそれは全て大きく左に逸れ、海の底へと沈んでいった。

 綾波はそれを見て息を着いたかと思えば、岸の方を向き真っ直ぐに戻ってきた。

 

 「……江風、見てたんですか」

 そう言う綾波は滴るほどに汗をかき、肩で息をしていた。

 「あぁ。凄まじい動きをするんだな、お前は」

 「いいや、失敗です」

 綾波はため息をつき、艤装を外しつつ答える。

 「最後の砲撃か?それくらい誰にでもある。狙い方を微調節すれば……」

 「出来ないです。あのスピードじゃ、綾波の眼が追いつかないんです」

 「……そうか」

 江風は目を細める。言われてみれば、眼が追いつかないのは必然に近いだろう。F1のマシーンから狙撃できる人が居るだろうか。全力で駆けながら針に糸を通せるだろうか。彼女がやろうとしていることはそれと似たことだ。

 「もしかしたらキミなら出来るのかも、ですね」

 綾波は今日初めての軟らかな笑みを浮かべ、艤装を岸へと置き始める。

 「諦めるのは性じゃないが、とても真似できると思えない」

 首を振る江風に対し、綾波は呆れたように笑う。

 「何言ってるんです?初期型の綾波が出来たんです。最新型の江風ができないわけが無いです」

 「初期型の生き残りなのか、お前は?」

 江風は不意に目を見開き、彼女に問う。

 造船技術がまだ不完全だった頃の試作品と言われる事もある「キューブMk.1」から造られた存在。その初期性能の低さから次々とセイレーンに沈められ、生き残りはこの星を見渡しても片手で数えられるほどだろう。

 「そうです。他の艦より長く戦ってるから、多少は強くもなる、です」

 綾波は外した艤装をまとめ、抱えて歩き出した。

 

 彼女は近くの倉庫に艤装を置くと、剣だけを持ち立ち上がる。その後振り返ることも無く寮舎へと戻っていった。江風は開きかけた口を閉じ、彼女のあとを追い歩き出した。



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『ヒト』の形

 訓練を終えると二人は宿舎へと戻ってきた。江風は日のあるうちに戻ってきたことに困惑し、綾波のか当たを叩いた。

 「勝手に戻ってきていいのか?他にやることがあるんじゃ……」

 「問題ないです。ウチじゃ訓練は自主的なものが殆どだし、執務は指揮官とその部下がこなす、です」

 「……そういうものか?」

 「そういうものです」

 彼女はまだ納得しきれずにいたが、それを気にもかけずズンズンと歩いていく綾波の背を追いかけることにした。いまのところは。

 

 「っと、ここからはおゆはんまで自由時間、です。部屋でゆっくりするでもいいし、やりたいことがあればそれをやればいいです」

 綾波はロビーのソファに腰かけ、スマホを弄りながら言う。

 「そういうお前はどうするんだ?」

 「ん……もうちょいトレーニングです」

 「なら私もそれに付き合おう」

 「……ふーん」

 

 綾波についてきてやってきた所は、訓練場とは言い難いただの古い倉庫だった。彼女はおもむろに跳ぶとむき出しの骨組みに左手で捕まり、懸垂を始める。

 そのくらいなら私にもできる。そう考えた江風は少し間をあけ捕まり、同じように懸垂を始めた。

 一定間隔で交互に息が吐き出される。嫌に静かな倉庫内に小さいはずの音が響き渡る。

 50回ほど体を引き上げたころ。江風は震える腕から意識をそらしながら必死で懸垂を続ける。ペースは徐々に落ち、初めの3倍ほどの時間がかかってしまう。

 「江風、無理せず休んで、です」

 未だに当初のペースを保ったまま懸垂を続ける綾波。江風はギリッ、と歯を食いしばり、首を振る。彼女はまっすぐと、そして力強い視線で己の掌を見つめ、ゆっくりながらもまた体を引き上げ始めた。

 「へェ……」

 綾波は小さく笑みを浮かべると自分の腕へと意識を戻す。そして倉庫内には再び静寂が訪れるのだった。

 

 それから数分後、左手に続き右手でも懸垂を終えた綾波はぴょんと骨組みから降りた。

 「江風ー、一旦休憩です」

 彼女はその声に応じて飛び降りる。しかし、着地したかと思えば体が傾き、倒れてしまう。寸でのところで腕を掴んだ綾波はゆっくりと彼女を座らせると、持ってきていた水筒を頬に押し付け、渡した。

 「やりすぎ、です。あまり無理するとかえって体に悪いです」

 「……そうだな。結局お前の手を煩わせもしたしな」

 彼女はため息をこぼし、俯く。

 「気にしなくていいです」

 「気にもするさ。お前の忠告も自分の限界も顧みずこの有様だ」

 江風は自分の手を見つめる。長い間捕まっていたからか掌は赤くなっている。

 「いいんじゃねーです?多少無理しなきゃ成長しないです」

 「……妙に優しいな」

 足を伸ばしぶらぶらさせている綾波にいぶかし気な視線を送る。

 「別に?ただ、頑張ってる奴は嫌いじゃねーです」

 慌てて否定するわけでもなく、取り乱すこともない。ただ淡々と口を動かしている。

 「好きも嫌いもない。私たちに馴れ合いなど……」

 「馴れ合いなど不要、ですか。確かにそうかもしれないです」

 綾波はふいに天井を見上げる。錆の目立つ鉄骨を見ながら、再び口を開く。

 「でも、戦う理由にはなる、です」

 「戦う理由?」

 「です。また会いたい。死んでほしくない。……理由はいろいろあるです。そしてそれが生きる糧にもなっていた、です」

 目を細める綾波。先ほど戦闘のアドバイスを受けた時にも見た表情だ。

 「私は……」

 「歪んでてもいい、汚れててもいい。生きる理由にさえなれば。……話がそれちゃったです。もう少し付いてこれるです?」

 綾波はすっと立ち上がり、うんと伸びをする。江風はふっと笑い、続いて立ち上がった。

 「当然だ」

 

 それから一時間ほどたった後。

 「ふぃー……江風、だいじょぶです?」

 「ちょ……ちょっと待ってくれ」

 綾波は泥のように倒れている江風へとタオルを放った。

 「……悪いな」

 「別に、気にしなくていいです」

 彼女は隣に座り、水を一口飲む。春先だというのに汗だくになった二人は体の力を抜き、しばらく休んでいた。

 「なぁ、綾波」

 「なんです?」

 江風はごろんと横を向き、口を押える。

 「……吐きそう」

 「ちょ、ばか我慢するです!すぐ袋持ってくるです!」

 綾波は慌てて飛び起き、全力疾走していった。

 

 「ほ、ほんとにすまない」

 数分後、江風は申し訳なさげに頭を下げていた。

 「それに関しては全くだとしか言えねーです。これに懲りたら無理しないこと、です」

 綾波は呆れたようにため息をつき、改めて座った。

 「……誰よりも強くなりたいんだ。そして戦いを終わらせたい。その為ならどんな無茶もするつもりだ」

 「なんで?」 

 綾波は江風の顔を覗き込んでくる。ただ純粋に疑問なようで、そこに侮蔑も嫌悪も見えてこない。

 「なんでって……なんの事だ?」

 「なんで戦いを終わらせたいんです?どこかに大事な家族でもいるんです?」

 「戦いを終わらせたいというのは誰もの希望だろう?戦争を始めた時点でどちらにも善悪美醜は存在しない。ならせめて、早く終わらせなければ」

 彼女は真っ直ぐと綾波の目を見つめる。これだけは譲れない、と言わんばかりに。

 「別にどんな理由でも否定する気はねーです。ただ、綾波と違うだけです」

 「そう言うお前はなぜ戦うんだ?……なぜ強くなれたんだ?」

 「うーん……内緒、です」

 綾波は無表情のまま指を立てる。それを見た江風は不服そうにむくれた。

 「そんな人に言えないような事なのか?」

 「そーじゃないです。ただ、まともじゃないと自覚してるだけ、です」

 彼女はそう言うと立ち上がり、江風へと手を伸ばす。

 「ほら、そろそろおゆはんだから帰るです」

 「……あぁ」

 江風は彼女の手を取り、立ち上がった。

 

 

 その数十分後。寮舎の食堂に来た江風の目に入ってきたのは料理している赤城と、白髪に赤城のような狐の耳を持つ空母、加賀の姿だった。

 「あら、江風ちゃん。もうすぐできるから座ってて」

 赤城は穏やかに笑みを浮かべ、促した。隣の加賀は少し会釈し、すぐに料理に戻っていた。

 「あーやーなーみー!あたしあのアニメ録画しといてって言ったよなー?」

 「ごめ、忘れてたです」

 綾波に大声で文句を言いながら食堂に入ってくる少女。彼女は銀髪に太眉が特徴の駆逐艦、夕立だ。棒読みで謝る綾波の腕を揺さぶりつつ歩いてきて、二人して江風の正面に座った。

 「……ん?あ、お前が新入りの奴か!あたし、夕立ってんだ、よろしくな!」

 夕立はニッと笑い、身を乗り出して手を差し出す。重桜の象徴たるミミも嬉しそうにぴこぴこと動いている。

 「私は江風。そんな馴れ合う気は──────」

 「握手くらいしてやってほしいです」

 面倒くさそうに頬杖をつく綾波。彼女の言葉を聞き、江風は仕方なさそうに夕立の手を取った。夕立は嬉しそうにぶんぶんも腕を上下に振り、気が済むと手を離して座り直した。

 「……なんか犬みたいな奴だな、夕立」

 「なんでだ!?なんでみんなにそう言われるんだ……?」

 夕立は衝撃を受け、大きく仰け反ったかと思えば落ち込んだように机に伏した。その反応がどうにもおかしくて、江風は思わず笑ってしまった。

 「なぁっ、何がおかしいんだ!?」

 「すまない、バカにしたわけじゃないんだ。こう賑やかなのも悪くない、と思ってな」

 咄嗟に弁明するが、夕立はむっとして悔しそうに動いている。

 「だっちゃんが可愛いってことです。ほらほら」

 綾波は頬杖をついたまま夕立の頭をわしゃわしゃと撫でる。そうすると彼女は嬉しそうに綾波の手に擦り寄っていくのがわかる。

 「……馴れ合いはいらないってキミは言うです。でも、ヒトの体に生まれた以上、多少は必要になるです。ヒトは関わりなくして生きてはいけないから」

 彼女は夕立の顎の下を撫でながら言う。夕立は気持ちよさそうに目を細め、体を預けている。

 「……そういうものだろうか」

 「うん。それにほら、こういうのも悪くないです」

 「そう、かもな」

 

 そうこうしているうちに赤城達の作っていた夕飯が出来上がり、それぞれが受け取りに行く。指揮官や高雄達も集まり、順々に受け取っていく。

 「さっきは挨拶しそびれた。空母、加賀だ。頑張れよ、江風」

 スープをよそう際、横から加賀に話しかけられる。江風は頷き、彼女に続いて名乗った。

 「駆逐艦、江風だ。これから世話になる」

 加賀は仏頂面のまま頷き返し、歩いていった。

 

 「わ、わぁー!!遅れちゃいました!」

 皆が席につき、今に食べ始めようとした時。入口から黒髪おかっぱの少女が駆け込んでくる。

 「あ、山ちんまた遅れたですか。新入りいるし自己紹介しとけ、です」

 綾波は水を一口飲みつつ彼女へと声をかけた。彼女はこほん、と息を整え、姿勢を正した。

 「えーと、私、やまひ……やむぁ……」

 自分の名前でここまで噛むとは。江風は呆れ気味に頬杖をついた。

 「落ち着くです、山ちん」

 「ふー……私、山城です!艦種は戦艦、よろしくお願いします!」

 少女……山城は頭を下げる。食堂内では謎の拍手が上がっていた。

 その後、指揮官が立ち上がり、「注目」と皆の視線を集めた。

 「せっかくだし新入りにも自己紹介してもらうか!あと俺も紹介し損ねたからついでに言うぞ。伏見哲史、階級は大佐。よろしくな、新入り。そんでこっちに来い」

 江風は何も言わず指揮官の元に行き、皆の方を向き直る。

 「駆逐艦、江風だ。馴れ合う気は──────いや、余り人付き合いは得意ではないが、これから世話になる」

 彼女はそう言うと、小さく頭を下げた。

 

 「心変わりでもしたです?江風」

 綾波は席へと戻ってきた江風に声をかけた。

 「ヒトは関わりなくして生きてはいけない。そう言ったろう?それに、ヒトならば変わるのも当然だ」

 「……違いない、です」

 綾波は目を閉じ、頷いた。

 

 「伊勢やん、醤油とってです」

 「はいよ」

 「あー!唐揚げにレモンかけた奴誰だよ!あたし食べれないのに!」

 「ご、ごめんなさい私ですぅ……」

 「おーいお前ら、あんまり暴れんなよ?」

 「指揮官、ほらあーん……」

 

 あまりに騒がしい。ゆっくりと食事をとることも出来ないのか、此処は。

 「……この艦隊は愉快な奴が多いな」

 江風はため息混じりに呟く。

 「ま、これも良いもんです」

 綾波は数メートル横の大騒ぎには参加せず、黙々と食べ進めている。

 「皮肉だ、忘れてくれ」

 「江風、意地悪です。……まぁアレ見てると、間に挟まった状態で食べてる加賀ちゃんが不憫です」

 「あぁ……」

 加賀は大騒ぎのほぼ真ん中で、黙々と一人で食べている。姉の隣に座ったはいいものの、指揮官に絡みに行った挙句自分はこんな所に取り残されてしまったのだ、仕方の無いことだろう。

 

 一通り食べ終え、ふぅと息をつく少女たち。なんだかんだあの騒ぎの中でも食べ進めてはいたようで、みな残すことなく食事を終えていた。

 「だっちゃん、今日皿洗い当番誰です?」

 綾波はスマホを弄りながらきく。そして夕立は背もたれに寄りかかりながら答えた。

 「夕張とお前。あたしはロビーで待ってるぞ」

 「わかった、です。江風もやるですか?」

 「……そうだな、手伝おう」

 この基地の兵士、給仕の人々は夕方には業務を終え家に帰るか、こことはまた別の宿舎へと帰る。それ故に指揮官と艦船のみのこの宿舎での夕食、朝食は彼らで賄わなければならない。それを現時点では当番制で回しているのだ。

 

 「江っち、はい」

 「あぁ。……江っち!?」

 「はいはーい」

 困惑する江風をよそに夕張は皿を運んでいく。……三人で水場に立ち、皿洗いをするとは。まるで人間のような振る舞いだが、ヒトの形を持つ以上こうもなるのだろう。

 「ばりちゃん、それ戻したら終わりです」

 「うん、お疲れ様」

 「ふぃー……それじゃお風呂行くです」

 綾波は伸びをし、二人を見る。

 「さっきシャワーに行ったろう。別にいいんじゃないか?」

 「それはそれ。湯船に浸かるのは大事です」

 「……そういうものか?」

 「そういうものです」

 「まーまー、夕立ちゃん誘って早く行こ?」

 夕張は二人の手を引っ張り、ロビーで待つ夕立の方へと向かっていった。

 

 

 それから一時間ほど後。自室に戻った江風はベッドに寝そべり、大きく息を着いた。

 「大湊、か」

 少し前までいた横須賀とは風変わりした所だ。皆が賑やかで我が強く、指揮官もそれを咎めることはない。

 正直不安はある。ここに適応できるだろうか。並びたち、ゆくゆく超えることができるだろうか。

 大湊の鬼神、綾波。彼女を超えたいと強く願った。最新機だとかそういったことは何も関係ない。ただ、彼女より強くなりたい。彼女の強さの源を知り、それを我がものとする。江風は確かな目標を見定め、目を閉じた。

 

 

 

 それから数日後。江風が大湊に来てから五回目の朝を迎えた。初日以降毎日トレーニングと艦隊内での演習を続け、この日も朝から綾波と夕立に連れられてトレーニングの真っ最中だ。

 「……なぁ、綾波」

 「ん、なんでふ?」

 綾波はスティックを齧りながら江風の方を向いた。

 「ここ数日こればかりだ。もっと実戦訓練をしたりしないのか?」

 「んー……まだキミは出撃にゃ早いし、近くに対外演習の予定もないです。だっちゃん何か知ってるです?」

 「んーにゃ、あたしも何も聞いてないぞ?それにウチは人数少ないしすぐ出番くるっしょ」

 夕立は綾波の水筒を手に取り、水を飲む。

 「……明後日、出撃があると聞いている。それに出たい」

 「は?」

 「無茶苦茶を言っていることは分かっている。でも……お願いだ」

 江風は歯を食いしばり、綾波に頭を下げる。

 「お前の言葉なら指揮官も聞いてくれるだろう。頼む」

 頭を下げたまま、江風は続けた。

 「……正直なところ、まだキミは弱いです。戦場で足を引っ張れば全滅の可能性もある。それを承知の上で言っているんです?」

 綾波は石段に腰掛け、足を組み問うた。

 「……あぁ」

 「綾波、こんな滅茶苦茶聞くわけ──────」

 「だっちゃん黙っててです」

 綾波は夕立の言葉を遮り、江風の襟を掴み目を合わせる。

 「キミの考え一つ、キミの動き一つが艦隊全てを死に追いやる危険がある。その覚悟があるですか?」

 「……ああ。だがしくじる気は無い。必ず勝利し、誰も殺させない!」

 「へェ……」

 不意に手を離し、江風は少しよろめいた。

 「いいです。明後日の作戦、キミを推薦しとくです」

 「本気か!?」

 夕立は驚愕し、綾波に食ってかかる。

 「勿論放任はしないです。今日の午後から明日にかけてウチの作戦、戦略を叩き込むです。その代わり……今回しくじったら、二度とキミの出番は無いと思うです」

 綾波は鋭い目線を向け、その後くるっと振り返るとパーカーを羽織った。

 「あぁ、覚悟しておく」

 「そんじゃ、綾波は指揮官に言ってくるです。江風、着いてきて」

 「……了解」

 江風は深呼吸し、綾波を追い歩き始めた。




綾波のあだ名
江風……江っち
高雄……高雄
夕立……だっちゃん
夕張……ばりちゃん
赤城……赤城サン
加賀……加賀ちゃん
伊勢……伊勢やん
山城……山ちん


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硝煙の亡霊

 あれから二日後、作戦当日。

 あの日、綾波からの進言を受けた指揮官は目を白黒させて驚いていた。本気か、ふざけた事を言うなと怒鳴る指揮官とただ冷静に受け答えしていた綾波。

 

 「綾波は此処では死ねない」

 

 その一言を言うと指揮官は一転して抗議をやめ、彼女の言葉を受け入れた。

 誰も死なせないこと、必ず勝利すること。その二つを条件にして。

 

 港では指揮官が皆を集め、話し始めている。

 「……先ず主力艦隊。旗艦赤城、加賀、伊勢。前衛艦隊は綾波、江風、高雄。以上六名で『分島』東部の小島を占拠しているロイヤル艦隊を撃退、島を奪還せよ」

 「了解!」

 皆の声が入り交じり、大きな返事となる。

 「作戦概要は話した通り。細かな変更は赤城に一任する。いいな?」

 「了解です」

 赤城は真剣な眼差しを向けている。

 「前衛は綾波が奇襲を仕掛け、二人はその補佐だ。本来夕立と二人で奇襲する予定だったものだ。魚雷は可能な限り温存しておけ」

 「……了解」

 綾波はいつもの表情のまま返す。

 「んじゃあお前ら!祝勝会には遅れるな!以上、解散!」

 

 

 解散して数分後、夕張の操縦するモーターボートに乗った六人は基地を離れ、目的地へと向かった。7年前までは陸地に阻まれ、大きく迂回しなければ行けない場所だった。しかしセイレーンが巻き起こした戦禍により台地は抉れ、海が繋がってしまった。そのおかげと言っては何だが、行くのにはとても便利になっている。

 「あ、綾波?」

 「なんです、江っち?」

 「いや……皆朝から静かだな、と思ってな」

 江風はあたりを見渡しながら呟いた。いつもは嫌になるくらい騒がしい艦隊が今日は不気味なほどに静かだ。

 「そりゃそーです。今から敵を殺しに行く。そんな状況でへらへらしてられないです」

 足を組んで海を眺めている綾波は彼女の方を向くことなく答えた。

 「それも……そうだな」

 江風は納得し、座りなおした。

 敵を殺しに行く。頭ではわかっているはずだったが、いざ実践となるとすさまじい緊張が走る。思わず手を握りしめてしまう。

 「江っち、一つアドバイスするです。『自分を正義と思え』です」

 綾波が見かねたように口を開いた。

 「……それは難しいな」

 「なぜです?」

 「戦いに善悪美醜はない。それを私は信じているし、それが原動力だからだ」

 江風はまっすぐに綾波を見据え答えた。それを聞いた彼女はふぅ、と息をつき、片手でおもむろに頭を撫でた。

 「信じるモンがあるならそれ貫きゃーいいです。ただし、一昨日の言葉通りしくじったら承知しねーです」

 綾波は釘を刺すと立ち上がり、夕張の方へと歩いていく。

 「ばりちゃん、なんかおやつ持ってないです?」

 「持ってないよ。危ないから座ってて」

 夕張は困ったように言った。

 「えー……」

 綾波は渋々戻り、座りなおした。

 「ほら綾波、一応持ってきておいたぞ」

 高雄は胸元からスティックバーを取り出し、彼女へと手渡した。

 「お、高雄ありがとです!」

 綾波は礼をして受け取り、早速食べ始める。

 「全く……戦いの緊張感も薄れるといったものだ」

 高雄は困ったように微笑んだ。赤城たちの表情も少し緩み、緊張も少しほぐれた様だった。

 

 それから10分後、作戦開始ポイントへと到着した一行はボートから降り、水面に立った。

 「ばりちゃん、気をつけてです」

 「うん。綾波も無事で帰ってきてね」

 

 六人はこっそりと岩陰に隠れつつロイヤル艦隊が占拠している孤島へと近づいていく。

 赤城、加賀の両名はひっそりと艦載機をとばし、森の中を精密に進んでいく。敵艦隊はまだそれに気づいていない。

 

 「……さて、ソウジの時間、ですね」

 赤城が妖しい笑みを浮かべ、目線を送る。それと同時に綾波が飛び出し、全開で島へと向かっていく。全速力で孤島に近づけば当然彼らも気づく。急ぎ艤装を取り付け、近寄る駆逐艦へと砲塔を合わせていた。

 次の瞬間、彼女らは背後から艦載機からの射撃を受けた。背後からの攻撃に戸惑い不用意に海に出たのが運の尽きだったのだろう。

 

 敵艦隊合計で10隻。駆逐艦シグニット、クレセント、ヴァンパイア。軽巡シリアス。重巡ノーフォーク。空母アーク・ロイヤル。軽空母ハーミーズ。戦艦ネルソン、ロドニー。巡戦レナウン。

 

 綾波は彼女らを数え、識別する。そして直後に慌てて海に出たクレセントの頭部を真横から撃ち抜いた。

 金髪の駆逐艦クレセントに着弾した直後重い爆発音が響き、煙に包まれる。

 煙が晴れるより先に綾波が飛び込む。その一瞬後に煙から飛び出した綾波の手には血にまみれた中で薄水色に輝く立方体があった。そして水面は円く、赤く染っている。

 

 「うそ……クレセント!!!」

 銀髪の駆逐艦シグニットが絶叫する。次の瞬間に少女の叫びは悲痛から純然たる痛み、恐怖へと変わった。

 瞬きする間に切断された腕は宙を舞い、水底へと沈む。続けざまに腹を蹴り飛ばすと、シグニットはバランスを崩し水に沈んでもがいている。

 敵の主力艦隊の砲撃を交わしつつ、大きく後ろに下がり岩陰に隠れ直した。

 

 「敵数……残り8です!」

 

 その叫びに応じ彼女の仲間が飛び出し、それと同時に彼女らの砲撃がロイヤルへと飛んでいく。

 それに呼応しロイヤルの戦艦も一斉に砲撃する。両陣営とも砲撃をかわし、砲弾は水へ沈んでいく。それに乗じ一気に距離を詰めた綾波はレナウンの真横から剣を振り抜いた。

 

 ガキン、と鈍い音が響く。

 

 「軽巡、シリアスですか……」

 「そう言う貴方は駆逐、綾波とお見受けします……!!」

 薄いクリーム色の髪をした軽巡、シリアスは大剣を振り抜き、綾波はその勢いに押され大きく飛び下がる。

 綾波は舌打ちをし、左手に持った艦砲から砲撃する。シリアスはそれを剣で防ぎ、主力達を撤退させていく。

 

 「邪魔……しねーでほしいです」

 「これ以上仲間を死なせる訳にはいきません」

 互いに剣を構え、睨み合う。数秒の静寂。永遠にも思える数秒が過ぎ、次の瞬間。泡が割れるように一瞬で互いは距離を詰め、剣がぶつかり合う。

 

 

 「ふふ……愉しいわね、加賀……!!」

 その頃、赤城は艦載機を放出し、敵の頭上へと向かって行っていた。彼女は満面の笑みを浮かべ指を鳴らす。加賀もそれに合わせ艦載機に指示を送った。それと同時に爆撃が始まり、彼らを包んでいった。

 そして時をずらし、ロイヤル艦隊の主力達の砲撃、爆撃が一斉に赤城、加賀、伊勢の三人を襲う。二人は1m足りとも避けようとしていない。赤城に至っては目を閉じ、笑みを浮かべたまま。

 「さて……」

 伊勢は目を見開いたかと思えば、小さく跳んで一周回りはじめた。それと同時に全ての艦砲が細かに動き続け、音すら置いてけぼりにするほどの速さで連射しはじめる。

 彼女らの目の前に居たはずの砲弾、艦載機の全てが爆煙に包まれた。一発足りとも外すこと無く標的の芯を捉え、その全てを海の藻屑とした。

 「さすが伊勢ちゃん。腕は相変わらずねー?」

 赤城は手を叩き、彼女を称えた。

 「どーもな、赤城サン!」

 「伊勢、赤城さん。すぐに次が来る。真面目にやってくれ」

 加賀は呆れたように二人を叱責する。そして再び敵を見据え、艦載機を飛ばした。

 敵も当然ただで食らったわけではない。アーク・ロイヤル、ハーミーズ両名の艦載機が彼女らを再び襲う。赤城達は多少のかすり傷を受けつつも最小限の被弾に抑え、それをやり過ごす。

 「さてさて……どちらが硬いか勝負といきましょう?」

 赤城が手を掲げると無数の艦載機が飛び出し、空へと舞い立っていった。

 

 

 江風、高雄の両名は残りの前衛艦隊であるヴァンパイア、ノーフォークとの戦いが終わり、彼女らを退けていた。

 江風はまたも力の差を見せつけられていた。ヴァンパイア、ノーフォーク共に江風との一体一では負けていた可能性が高い。そうでありながら高雄のお陰かほぼ無傷で勝つことが出来た。

 「……追わなくていいのか?高雄」

 高雄はその言葉に首を振り、彼女らから視線を外した。

 「問題ない。今は戻り、主力艦隊を後ろから奇襲しよう」

 「了解。……綾波は大丈夫だろうか?」

 高雄は心配げに呟く江風の背を撫で、穏やかな笑みを浮かべた。

 「大丈夫だ。拙者も、皆も、それはよく知っている」

 「そうか。なら急ごう。早く戦いを終わらせなければ」

 「あぁ。行くぞ、江風」

 江風は高雄の言葉頷き、彼女の後を追って進んで行った。

 

 

 また視点は戻り、綾波とシリアスとの戦いにて。

 二人が戦う至近距離で砲撃をするのは自殺行為だ。目と鼻の先にいる敵へと互いに剣を構え、近接戦闘が繰り広げられる。ただ、扱い慣れている分綾波が優勢の様子だ。

 シリアスが彼女の剣戟をやっとの思いで受けるも、反撃とまではならない。焦ったシリアスは剣を受けるタイミングで力を抜き、彼女のそれを後ろへと流し斬り掛かった。危なげなくそれを跳び避けた綾波はシリアスの腹を蹴り、大きく距離をとった。

 剣がぶつかり合い、ビリビリと鈍い衝撃が体に走る。シリアスは魚雷管を向け、高速でバックしながら魚雷を発射する。それに足し綾波は激しい水音と共に跳び上がり、魚雷を避けシリアスとの距離を詰める。詰めつつも綾波は艦砲を構え、手早く砲撃をする。彼女はそれを交わしながらも振りかぶり、大剣を叩きつけるように振った。

 綾波はそれを艦砲で受け、次の瞬間に突きを放ち横腹を切り裂いた。シリアスは強引に彼女を引き剥がし距離をとる。

 彼女は苦しそうに傷を抑え、大きく息をしている。綾波は剣を受け壊れた艦砲を投げ捨て、剣を構え直す。

 「う、ぐっ……まだ死ぬ訳には……」

 「悪いけど、戦場に来た時点で覚悟は決めておくべきです。ロイヤルネイビーの誇りとやらにかけて」

 「貴様……!!私は負けない!勝利と、栄光を!誇り高き我が主に!!」

 シリアスは大きく声を上げ、全ての艦砲を綾波に向け、砲撃を始めた。せいぜい十メートルの距離。当たるだろうと彼女は確信していた。

 

 凄まじい爆煙が上がる。肩で息をしているシリアスは目を疑った。彼女の視点の左端から飛び出てきた綾波。左腕が酷い火傷を負い、力無くぶら下がっていた。それでも綾波は表情一つ変えずにゆっくりと近寄る。

 

 「ぐっ……何故そこまで命を奪うことに固執するのですか!?他の艦隊の戦いでは死者は出ない!お互いに大破した時点で戦いは終わるのが常のはずです!死にたく……っ!!」

 シリアスは目から涙を落としながら叫ぶ。何度も、何度も。

 

 彼女の言う通り、ここ数年のKAN-SEN同士の戦いには死者が出にくいとされる。遠距離から艦砲や魚雷で戦い合い、どちらかの旗艦が大破するまで戦う。そしてそうなった時点で敗北とし、その側は撤退するというものが定石になっている。ここまで敵を殺すことに執着する艦など知らない、と言うのだろう。しかし現状は理想通りには行かない。予定外か、予定通りか。結局のところ、敗北した艦隊は犠牲者が出るものなのだ。そして、勝利した方にも。

 

 「あー……言いたい事は分かるです。でも、口だけの理想なんて叶いやしないのは解ってるはずです。身をもって、ね」

 綾波は体を傾け、全速で一息に距離を詰める。シリアスは半ばヤケになって剣を振るうが、標的となるはずの少女は目の前にいない。その瞬間、下を向くと太い刃が視界に入った。赤い液体に染まり、朦朧とする意識と腹から伝わる痛みがその刃が何なのかを嫌なくらいに伝えてくる。

 「出来れば綾波を許さないで、です。そしてせめて向こうでは平穏に暮らしてほしいです、シリアス……」

 剣を引き抜くと同時に力無く倒れ、水底に沈むロイヤル艦。彼女へ向かい、目をつぶり、数秒の祈りを捧げていった。

 

 「あっちも、終わったみたいです」

 綾波は少し遠くを眺め、安堵した。急ぎ撤退していく敵艦と、臨戦態勢のままそれを見守る仲間たち。誰一人欠けることなく勝利した。ふぅ、と息をつき、剣を背中の艤装へと取り付ける。そしてゆったりとした動きで仲間の方へと近づいて行った。

 

 突如、指揮官から無線が入る。彼からの言葉を聞き、一同は再び警戒態勢へと入った。彼の言葉は単純だった。

 「ユニオンからの増援が来る」

 突如空の光が陰る。上を見ると、おびただしい数の艦載機が空を覆い、雲すらも埋めつくしていた。

 伊勢も、高雄も、江風も。呆然とそれを見ていることしか出来なかった。

 

 「隠れてです!!」

 絶叫にも近い声が辺りに響いた。綾波はそう短く叫んだ後、皆が咄嗟に逃げる中で尚も呆然としている江風を見つけた。

 「江っち!!早く逃げ──────」

 

 「……終わりだ」

 

 響くはずもない小さな声。独り言のようなそれはなぜだか敵味方全ての脳に駆け巡る。

 上空の艦載機より、小さな影が落とされる。影は徐々に大きくなり、いずれ視界を覆うだろう。

 綾波は咄嗟に江風を掴み、近くの洞穴へと全力で投げた。凄まじい水音と共に隠れたことを見届けると、綾波も後に続こうとするが……手遅れだ。

 

 「綾波!!!」

 江風の視界には……ただ炎と煙しか映らなかった。耳が破れそうなくらいの爆音が尚も響き続ける。自分の声すらもかき消す音の中で、江風はただ涙を落とすことしか出来なかった。

 自分のせいだ、反応が遅れたから。もっと落ち着いていれば。いや、もっともっと前からだ。出しゃばって自分を出してくれなんて言わなければ……後悔の念に苛まれ、江風は頭を抱え、嗚咽する。

 

 爆煙が晴れかかった海。を盾に崩れた岩を使い爆炎を防がんとしていた綾波がボロボロになりながらも立っていた。

 「ったく、勘弁して欲しいです……」

 プッ、と血を吐き、ふらつきながら岩を捨て、剣を手に取る。彼女は全身が爆撃に晒され、筋肉すらもボロボロになっているだろう。

 「エンタープライズ……サンディエゴの本隊ですか」

 綾波は忌々しげに呟き、深呼吸をする。

 

 エンタープライズは世界で一隻のみの異質な空母だ。長い銀髪を靡かせ、軍帽を被るその姿を見誤ることは無い。

 

 「みんな、死ぬんじゃねーです」

 綾波は先程江風を放りこんだ洞穴へと入り、水に沈みかかっている彼女を引き上げた。

 「綾波、お前……」

 「やるしかねーならやるだけです」

 綾波は淡々と背の艤装に固定されている艦砲を調節し、弾を補充し直す。手持ち型のそれは壊れたが、固定されているものはまだ使える。

 「ちょっとソレ貸してほしいです」

 彼女は江風の艤装に取り付けられている日本刀を指差す。

 「構わないが……これは本来艤装指揮の補佐をする為のものだ。敵を斬るのには向いていないだろう?」

 「別にいいです。早く」

 江風は急ぎ刀を取り外し、鞘ごと彼女へ手渡した。彼女は少しだけ刀を抜き、刀身を確認したかと思えば「ありがとです」とだけ言い、すぐさま洞穴から出ていった。

 

 「綾波、一体何を……」

 江風も続いて出てきて、彼女を追った。しかし、彼女は手でそれを制すると少しだけ振り向き、言った。

 「綾波が引き付けるです。みんなで逃げて」

 「そんなこと出来るわけ!」

 「二度は言わねーです」

 話し終わるや否や彼女は再びエンジンを全開にしてユニオン艦隊へと突撃していく。

 それを見ていると、再び指揮官からの無線が入る。

 「綾波除く五人は大湊へ帰還しろ。綾波はユニオンを足止め、近くにいた横須賀の増援が来るまで死ぬ気で耐えろ」

 「な……っ、指揮官まで!?」

 驚愕している江風をよそに、他の四人は踵を返し夕張の待つポイントへと戻り出した。

 「江風、早く来い!」

 高雄の呼び声に応じ、江風は彼らと合流し戻って行った。

 

 

 「あー……指揮官、聞こえるです?」

 綾波は無線越しに話しかける。

 「……あぁ。何だ?」

 「コレ、どうしたらいいです?」

 無線越しに大きなため息が聞こえる。

 「案の定何も考えてなかったな、お前。まぁいい、今から指示を出す。お前単騎ならうまく撹乱させられるはずだ」

 「了解」

 

 

 ユニオン艦隊旗艦、エンタープライズは集まっていた艦隊を散開させる。そして再び艦載機を操り、撤退する赤城達の方へと指示を出した。

 そうしてはいるが、どんどん先の方から撃墜されていく。逃げつつ抵抗する赤城達の仕業かと考えたが、すぐにその疑いは晴れた。

 射撃元に目を移すと、小さな駆逐艦が艦砲で次々と機体を落としていくのだ。エンタープライズは標的を彼女へ切り替え、再びおびただしい数の艦載機で天を覆った。そのタイミングで綾波は真っ直ぐにエンタープライズへと向かい進んでいく。全速力の彼女なら数秒で追いついてしまうだろう。

 

 「……面白いな、相も変わらず」

 エンタープライズは向かいつつ弾丸を避け続ける綾波へ向かい弓を引き絞った。そうして放たれた矢は単純な起動で彼女の脚を狙った。当然避けようとするが、その瞬間、一瞬脚が硬直し動かないことに気付いた。

 「ターンの直後、軸足は動かせない。そうだろう、綾波?」

 エンタープライズの矢が彼女の腿を貫く。歯を食いしばり痛みに耐えた綾波は二本の剣を構え、彼女へと斬りかかった。

 

 「……また腕を上げたか?綾波」

 「よく言うです、エンタープライズ……!!」

 余裕綽々でそれを弓で受けたエンタープライズ。綾波は苦虫を噛み潰したような表情で一歩下がり、今度は後ろに回り込む。次の一撃をしゃがんで避けたエンタープライズは脚を上手く滑らせ、彼女の足を引っ掛ける。体勢を崩した綾波は一回転しつつ彼女の肩へ剣を突き立てた。

 彼女へのダメージに周囲のユニオン艦達がざわめき、砲撃しようとする。それを手で制したエンタープライズは未だに笑みを崩さずに口を開いた。

 「彼女は私がやる。お前達は手を出すな」

 彼女は肩口から流れる血を掬い、舐めた。

 

 「またですか、あんた」

 綾波はまた睨みつつ剣を構える。左腕から上る軋むような痛みから目を逸らし、ただ目の前の空母を見据える。

 「所詮この戦いも遊びに過ぎない。せめて愉しませてくれ、綾波」

 「性格悪ぃです」

 「知っているさ、そんなことは」

 再び矢を番え、次々と綾波へ放っていく。彼女は岩陰などの地形を駆使しつつかわしていく。

 隙を縫って綾波も砲撃するが、彼女はそれを滑らかに、かつギリギリでかわし矢を放ち続ける。

 

 どうにもかわしきれず、脚に、腕に矢が刺さっていく。綾波は苛立ちながらも残る魚雷を全て放つ。それは大きく水飛沫を立て、それを囮に距離を詰めた。水面に顔が触れるくらいに身を屈めつつ、エンタープライズの足首狙って薙ぎ払った。

 彼女は綾波の刃にトン、と触れ、それを軸に宙返りしてかわした。

 「上手い上手い。惜しいところだったな」

 「そいつぁどーも!」

 綾波が続けざまに放った突きは彼女の腹を正確に捉えた。……それにしては感触が軽い。エンタープライズは片手を血で染めながらも刃を掴み、強引に止めていたのだ。

 彼女は強引に刃を引き、一歩だけ距離をとる。引き際の刃に落とされたエンタープライズの小指が海に沈んでいく。

 「あぁ、この痛み……この高揚。やはり戦いはこうでなくてはな」

 彼女は再び弓を引き、間髪入れずに矢を放つ。すんでのところでかわすも、ダメージが溜まり動かすこともままらなくなった左腕を引くことができなかった。上腕から先を射抜かれ、ちぎれ吹き飛ぶ。

 彼女は一瞬痛みに顔をしかめたが、右手に持っていた江風の刀を投げ、自分の剣を空中で掴む。投げられた刀は回転しつつ飛んでいき、エンタープライズの右腿に突き刺さった。

 彼女は笑みを崩さぬままに刀を捨て、艦載機を飛ばし弓を引く……その時だった。

 背後からの凄まじい砲撃音、爆発音が鳴り響く。 

 ユニオン艦達は彼らの接近に気づかなかった。気づけなかった。尻尾を巻き、満身創痍で逃げ出したはずの彼らが向かってくるはずはないとたかを括っていたから。

 

 江風、伊勢、高雄の三人が残った砲弾全てを撃ち尽くす勢いで掃射する。その猛攻は体勢を立て直す暇を与えず、彼らは逃げ惑い散り散りになった。

 その情景を横目で眺めていた綾波とエンタープライズ。彼女は悲しむことなく、特に声もあげずに逃げ惑う仲間を眺めていた。

 「……ここまでがお前達の作戦か?」

 彼女は表情を変えぬまま問うた。

 「いいや、綾波は何も聞いてねーです。ウチの指揮官はそういう男です」

 「そうか。……今日はここまでにしておこうか、綾波」

 エンタープライズはそう言い、くるりと振り返る。

 「随分と勝手な事を言うです。ここまで引っ掻き回してくれておいてどーゆーつもりです?」

 彼女は綾波の苦言を聞くと、しばらく震えたかと思えば天を仰ぎ笑いだした。

 「あっははは!!!どういうつもりかって?笑わせるなよ。そんなこと決まっているだろう?」

 彼女はひとしきり笑うと呼吸を整え、綾波の方を横目で見る。

 

 「愉しいから。それだけさ」

 

 冷たい威圧感が綾波を包み込む。彼女の薄紫色の瞳から感じ取れるものはひとつ、どうしようもない諦観だけだ。

 「狂ってるです、やっぱり」

 その言葉を聞いた綾波は目を細め、足を一歩引いた。

 「そうさ、狂ってる。それもまた真理だろう。生憎だがユニオンの信条は『自由』だ。こうして戦いを愉しむのも自由だろう?」

 「その為に仲間が死んでも……自分が死んでも、愉しいと言うんです?」

 「あぁ、それを含め愉しもう。……ひとつ教えてやろう、綾波。狂った世界で生きるのなら、自分自身も狂気に浸らなければならないのさ」

 彼女はそう言うと未だに惑い逃げ続けている仲間達の方へ向き直り、大きく声を張り上げる。

 「撤退だ!」

 その言葉を聞くや否やユニオン艦達は退いていき、どんどん姿が小さくなっていく。

 

 「また会おう、綾波。次はどちらかが死ぬまで遊ぼうか」

 「お断りです。二度と来るな」

 彼女はその言葉を鼻で笑い、そのまま海の向こうへと消えていった。

 

 

 「綾波!!!」

 彼らが見えなくなって数秒。江風は真っ先に綾波の方へと向かってきた。

 「綾波、綾波!腕はどうした?こんなになるまで何があった!?」

 彼女はふらっとよろめき、江風の肩によりかかった。

 「江っち……?」

 彼女は薄目を開き、ちらっと江風を見る。すぐにまた目を閉じ、体重を預けている。

 「兎に角戻って治療だ。掴まってろ」

 「……わかった、です」

 

 顔の横からすぅ、すぅと寝息が聞こえてくる。江風は自分の無力を悔やみ、歯を食いしばる。高尾は彼女の肩に手を置き、頷く。そうして促され、彼女達は自分達の家へと帰っていった。

 仲間の待つ大湊へ。




 メンタルキューブと艤装
 艦砲や滑走路、脚部エンジン等の艤装と接続し、滑らかな海上戦闘を可能にするKAN-SEN。彼女達がそうである所以である「リュウコツ」を構成する物質のことを一般的に「メンタルキューブ」と呼ぶ。これをもつ彼女達は腰部に艤装を接続することでそれを自らの肢体の様に扱うことが出来る。これを接続している間は脳への負担がかかり、個体差はあれど長時間の接続は生命を危険に晒す恐れがある。
 その代わりとして、リュウコツさえ残っており生存していればどのような状態でも肉体を完治させることができる。とは言っても痛覚は人一倍かそれ以上にあるため、自ら危険に飛び込む者は多くない。
 艤装は己の脳から指示を送り、自在に操ることができる。しかし、それは本来人間が持つものでは無い。そのため操作する為に必要となるイメージ、判断を助けるために「指揮杖」を持つ個体もいる。その形は剣、弓、メイス等と様々な種類が存在している。
 江風を除く大湊所属全艦、及び一部の艦は指揮杖の機能を解体、軽量化し、純然たる武器として扱っている。


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心の天秤

 あの島での戦いから数十分。母港に帰還した彼女達は安心し、息をつく。……そんな訳にもいかなかった。片腕を失い、ぐったりとしている綾波を「修理」する必要がある。

 

 「兵士さん、綾波を医務室に連れて行って!夕張は『医療艤装』を起動してくる」

 夕張は急ぎ指示を出し、それに応じて兵士たちは担架で綾波を運んでいく。

 「よー、お前らお疲れさん」

 指揮官が倉庫の方から歩いてきた。

 「指揮官様ー!」

 そう言い飛びついてくる赤城をかわした彼は周囲に手早く指示を出し、艤装の修理や負傷の手当が始まった。幸い綾波を除き皆が軽傷で、強いていえば艤装の傷が酷いくらいだ。

 「……なぁ、指揮官」

 応急手当が終わった江風はおずおずと話しかける。

 「どうした、腹でも減ったか?」

 「イヤ、そうじゃない。綾波はよくあれくらいの傷を負うのか?対応が手馴れているように見える」

 指揮官はうーん、と頭をかき答える。

 「軍隊だからな、速い対応くらいはできる。あいつの役割は大抵が奇襲か特攻だからな。多かれ少なかれ傷は負ってくる」

 「そ……そうだよな。失礼した」

 江風は俯き、少し頭を下げると宿舎へ戻っていった。

 

 

 「……んぅ?」

 殺風景な部屋で、綾波が目を開く。戦場で目を閉じ、こうして開いた時には治療に扱う特殊な艤装に接続され、自室で横にされていた。幸い全身にあった矢の傷は綺麗に塞がっているようだ。

 再生しかけの左腕は包帯でぐるぐる巻きにされ、動かせないようになっている。

 「また生き残った、かぁ」

 彼女はぼやき、再び目を閉じる。右手の中に残る肉を割く感覚。何時になっても慣れる気はしない。瞼の裏には殺した敵の顔が浮かんでくる。彼女達も今日死ぬ覚悟は出来ていなかったのだろう。恐らくは仲間を失った経験すら……

 

 不意に扉が叩かれる。三度叩いた後、しんと静寂が部屋を支配する。

 「どーぞ」

 ゆっくりと開かれた扉の向こうから入ってきたのは、江風。ふと顔を上げ何かを言おうとするが、すぐに俯いた。

 「どーしたんです?わざわざ来るってことは何か話したいってことです」

 江風はそれを聞くと少しだけ考え込み、その後意を決したように頬を叩いて彼女の真横に座る。

 「綾波……さん」

 「……さん?ほんとにどーしたです?いきなりそんな『さん』なんて付けて」

 「気にしないでくれ。それより……今日はすまなかった、本当に」

 江風はそう言うと、深く頭を下げた。

 「なんの事です?謝られるようなことなんて……」

 「あそこまで大見得を切っておいて全然役に立てなかった。それどころか爆撃に反応が遅れて、こんな……」

 彼女は目を伏せ、今にも零れそうになっている涙を堪えている。綾波は彼女にゆっくりと手を差し伸べ……頬を思い切り引っ張った。

 「痛……っ!?やめてくれ、何なんだいきなり!?」

 首を振って逃げ、涙目で頬を抑える江風。それを見た綾波はため息をつく。

 「生意気です、本当に」

 「なっ……生意気!?」

 「そうです。初陣から大将首でも取るつもりだったんです?んなこと出来るわけない。最初なんて、生きて帰って来りゃあ十分です」

 綾波はそう言うとごろんと寝直した。

 「で、でも!」

 「そんな右も左も分からない新入りを死なせないようにするのが、先輩の役目ってもんです」

 それを聞いた江風はハッと綾波の目を見る。彼女は不思議そうに首をかしげ、また口を開いた。

 「お前より弱いからお前の言うことを聞くべき、か。……本当にその通りだな」

 「さすがに言うこと聞いてくれねーと守れるもんも守れないです」

 綾波は恩に着せるでもなく、淡々とそう言う。

 「私達は結局兵器だ。守られるなんて許されるのだろうか?」

 「兵器である前に人間、です。人間ってのは守り守られるもんです。こんくらいが普通ってもんです」

 彼女は右手で携帯食を手に取り、器用に包装をむいていく。

 「……そういうものだろうか?」

 「そーゆーもんです」

 戦場での姿とは似ても似つかない穏やかな表情で、彼女は言った。

 「そんで江っち、本題はそれじゃねーです。違う?」

 綾波は起き上がり、江風をじっと見つめる。数秒たち、江風は思わず目を背けた。

 「あぁ、そうだ。一つ頼みがあるんだ、綾波さん」

 「うんうん、なんです?」

 「私に、剣を教えてくれ」

 江風はそう言い、手を床につけ頭を下げた。

 「……ヘェ?」

 綾波は小さく笑みを浮かべ、右手で彼女のあご先をつまみ顔を向けさせた。

 「迫撃砲や魚雷でも十二分に強くなれるです。どうしてそれを綾波に頼むんです?」

 「……強くなりたい。お前は私を守る対象として見ている、それが嫌なんだ」

 江風は手を振りほどき、じっと彼女の目を見つめ、言った。

 「経験を重ねるだけで実践には十分の力を持つことが出来るです。それでも尚剣を学ぶ理由は?」

 「……お前に守られたくないんだ。背を任せて貰えるくらいに強くなって、お前と並び立ちたい。それが理由だ」

 何も言わず、じっと目を見つめ続ける綾波。それに対し、唇を噛み少し震えながらも目を見つめ返す江風。しばらくすると彼女は息をつき、寝直した。江風は駄目なのか、と目を伏せる。

 「ったく、しゃーないです。ただし、途中でやめたいっつってもやめないから、です」

 江風の表情がぱあっと明るくなり、小さくガッツポーズをする

 「……!!ありがとう。大丈夫、途中でやめたいなんて言わないさ」

 綾波は嬉しそうな彼女の顔を見てまた息をつき、右手でわしゃわしゃと撫でる。

 「な……なんだ?いきなりそんな」

 「別に?腕治ったらすぐ始めるです」

 彼女は手をぱっと離し、ごろんと寝返りを打つ。

 「……あぁ、よろしく頼む!」

 江風はそう言うと小走りで部屋を出ていった。

 「……あの子、あんなに分かりやすい子なんです?」

 綾波は今までとのイメージの違いに困惑したが、まあいいかと息をつき、再び寝直した。

 

 部屋から出てきた江風が足早く歩いている所、高雄とばったり出くわした。彼女はどこか心配げな表情で江風を呼び止める。

 「……あれから綾波に会ったか?」

 「ああ、そんな心配することも無い。元気そうだったぞ?」

 彼女はうーん、と考え込み、しばらくしてため息をこぼす。

 「前々からそうだが、あいつは黙って無理をするきらいがあるからな。そこが少し心配だ」

 「そう、か。なら会ってやれ。少なくとも繕うくらいの元気はある」

 彼女は頷き、江風に手を振りつつ歩き去る。

 「そうだな。ありがとう、江風」

 

 

 それから三日後。腕が大方治った綾波を入れ、艦達で祝勝会をあげることになった。

 食堂に皆が集まり、酒の缶が入ったダンボールがいくつも並び、テーブルには赤城達が作った料理が所狭しと並んでいる。

 夕立や伊勢などは小皿に山盛りにした料理を抱え込み、始まるのを待っている。

 指揮官が遅れて食堂に入ってくる。高級そうな酒の瓶をいくつか並べ、中央まで歩いてくる。すると皆それぞれの酒缶を開け始める。

 「さーて、遅くなって悪かった。……そんじゃ、今回の作戦成功を祝して〜……かんぱーい!!!」

 「かんぱーい!!」

 皆が声を上げ、缶を掲げあった。料理を食べ始め、酒を飲み始め、食事の時より数倍喧しく騒ぎ出した。

 江風は隅の方に座り、少しだけ酒を口にしつつ騒いでいる皆を眺めていた。

 「向こううるさいですね、江っち」

 綾波がお盆片手に江風の隣に座った。彼女はそのまま唐揚げをつまみ、口に運んでいく。

 「本当にな。この艦隊には愉快な奴が多い」

 そう言いつつ江風は微笑んだ。綾波はそれを横目に見つつ、今度は焼き鳥を食べる。

 「……江っち、もうウチには慣れたみたいです?」

 「そうだな。そろそろここの勝手も分かってきたところだ」

 「そりゃよかったです」

 綾波もつられて微笑み返す。江風はそれを見て少しだけ安心した。こいつもこんな風に笑えるんだ、と。

 

 「おう綾波、江風!お前らも食ってるかー?」

 夕立が焼き鳥片手に駆け寄ってくる。顔は既に真っ赤になっており、完全に酔っている。

 「だっちゃん、酒くさいです」

 「あぁ、相当臭いな」

 「なぁっ!?ほんなことないだろぉー?」

 彼女はそう言いつつ綾波に抱きつき、頬を擦り付ける。綾波は心底嫌そうな顔で江風に訴えかける。

 「あー……やめてやれ、夕立。病み上がりの綾波さんが死んでる」

 「死んではねーです」

 綾波は不服そうに口を挟むが、ギリギリと首まで絞まっているので相当苦しそうだ。彼女は夕立の腕を叩きながらも江風を見続けている。

 「臭くないって言わないと離さないぞ?なぁ綾波?」

 綾波は何も言わなかった。何も言えなかった。首が締まって声を出すどころか息をすることもままならなかったから。

 「待っ……待て夕立!本当に綾波さんが死ぬ!」

 

 何だかんだで解放された綾波。死んだように机に付しつつ、焼き鳥を食べ続けている。

 「マジで死ぬかと思ったです」

 「折角生き残ったのにこんなので死ぬのはな……」

 江風は同情の目を向けつつ、綾波の背を撫でる。

 「ねぇ、江っち?」

 「なんだ?」

 「後で少し、付き合ってもらえるです?」

 江風はきょとんとした顔で首を傾げる。

 「何かあるのか?」

 「ただの散歩です。ほんと、少しだけ」

 そう言いつつも、綾波は遠い目でどこかを見つめる。ここではないどこかを眺めるように。

 「……わかった」

 

 「おー綾波!飲んでるかー?」

 伊勢がなみなみとビールをつがれたジョッキを持ち、歩いてくる。綾波は少しだけ顔をしかめた。

 「飲んでねーです。酒苦手です」

 江風は意外そうに彼女の方を見る。

 「お前にも苦手なものがあるんだな」

 「当然です。カシオレ一杯で頭痛くなるです」

 「それは……飲まない方がいいな」

 一連の話を聞いていた伊勢は不満そうにむくれると、今度は江風の方へ詰め寄る。

 「お前は酒飲めるか?飲めるんなら一緒に飲もうぜ!」

 ふと江風が綾波の方を見ると、彼女は仕方なさげに頷く。それを見た江風は少し息をつき、席を立った。

 「分かった。だが私もあまり得意じゃない。少しだけな」

 離れていく背を見つめ、頬杖をつく綾波。小さくあくびをすると組んだ腕に頭を乗せ、目を閉じた。

 

 

 

 少しすると、海の上に立っていた。手の中には生暖かい感触があり、ドロドロとした液体で濡れている。それを全て洗い流すように雨が降り注ぎ、水面には無数の波紋が広がっている。

 彼女の肩に寄りかかっていた少女はか細く、それでも確かな声で言った。

 「ごめんね……お願い、──────」

 

 

 

 綾波はゆっくりと目を開く。覚めると共に夢の中で感じた背筋の凍る感覚が蘇り、目を細めた。最後の言葉は今回も分からないままだ。

 「またあの夢……です」

 ため息をついて顔を上げると江風が顔を覗き込んでいた。

 「……何か用です?」

 彼女は首を振り、正面に座る。

 「いいや、用はない。ただ、戻ってきたら眠ってたもので眺めていただけだ」

 「ならいいです」

 彼女は綾波の言葉を聞くも、目を細め、少し逸らした。

 「……酷い表情をしていた。うなされていたのか?」

 江風が心配気な声で聞いてきた。

 「別に。気にしなくていいです」

 「そう、か」

 煮え切らない表情の江風を見て、綾波は彼女の手を引き立ち上がった。

 「散歩。今行くです」

 

 午後十時頃。とうに日が落ち切り冷えてきた中、二つの人影が歩いていた。少し薄めのコートを羽織り暖かくした二人は片方の指さす方へと歩いていった。

 「……春とはいえ、冷えるな」

 「もう少ししたら夏です。そこまで行ったら夜も寒くないです」

 「そうだな。横須賀よりは随分涼しいだろうし、過ごしやすそうだ」

 そんな事を話しながら歩いていった先には、木々に囲まれた小高い丘があった。いや、丘というにも小さすぎるそこには、小さな石の箱があった。

 「これは……?」

 「お墓、です」

 綾波はそう言いながらポケットを漁り、中からメンタルキューブを一つ取り出した。彼女はそれを箱の中に入れると、それを閉じ小さく手を合わせた。江風もそれに倣い手を合わせ、目を閉じる。

 「……今まで殺した敵、今まで看取った仲間。此処を通じてせめてもの祈りを、ってことです」

 しばらくして目を開いた綾波はそう言い、手を胸に当てた。

 「そうか」

 江風は短く答える。……意外だった。鬼のように敵を殺し、情けなどないヒトだと思っていたから。

 「意外。そう思うです?」

 綾波はふと彼女の方を見る。心の内を当てられた彼女は思わず固まる。直後咄嗟に取り繕おうとするが、綾波は小さく首を振った。

 「自分でもそう思うです。でもこれをしないと、罪の意識に取り殺されそうになるから」

 彼女は慈しむような目で墓石をさする。

 「敵だから仕方ない。そう言うかと思っていた」

 「だから戦場ではそうしてるです。でも……そうして殺した誰かも、きっと誰かの『ラフィー』だと思うです。だから……」

 綾波は胸元に当てた手をぎゅっと握りしめる。

 「ラフィー?確かユニオンの……」

 江風は首をかしげる。敵対しているはずの陣営の艦がなぜ、と。

 「あぁ、キミは知らないですか。それじゃ、少しだけ昔話をするです」

 少女はその場に座り込み、懐から二つだけ酒の缶を出す。

 「昔話はいいが……酒、飲めないんじゃなかったか?」

 「飲めないとは言ってないです」

 屁理屈を言い笑みを浮かべる姿に江風はため息をつく。彼女はその正面に座り、缶を一つ受け取った。

 「もう……七年も前になるです」

 そう言うと綾波は缶を開け、木々の間から見える月明かりを見上げ話し始めた。




 艦船達の世代

 彼女達はそれの元となったキューブの型により「Mk.1」から「Mk.5」まで分類される。キューブを扱い「素体」となるオリジナルの因子を組み込むことでそれぞれの外見、声、性質を有する艦船が誕生する。当然新しくなるにつれ基礎性能、コスト共に向上し、最新式のMk.5に至っては産まれた時点で訓練を重ねたMk.1の性能を全面的に上回るとされている。
 しかし、艦船は稀に「覚醒」し、何らかの方法で五感を含む全ての性能が飛躍的に向上することがある。この現象は型が古いほど発生しやすく効果も大きくなる。しかし、発生条件は全く明らかになっていない。中でもMk.1の覚醒艦船の性能は目を見張るものがあり、まさに一騎当千の強さを誇るとされる。
 現存するMk.1の艦船は四隻。


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夢の色

 七年前。ユニオンやロイヤルも、重桜や鉄血も同じアズールレーンに所属していた時。セイレーンが発生して数ヵ月後に突如生み出されたヒトの形をした船、KAN-SEN。綾波達はその第一号だった。

 

 「誰か、生きてないです?」

 綾波は赤く染った視界の中、呟く。力なく水に浮かんでいるそれは返事を返すことは無い。

 生まれたまま、生まれ持った艤装だけで海に放り出された彼女達。セイレーン達はそれを嘲るように薙ぎ倒し、沈めていった。つい先程に背後から頭を撃ち抜き殺した時、奴は嫌な笑みを浮かべ、そのまま空気に溶けて消えていった。

 

 ……一人だ。

 

 そう気づいたとき、どうしようもなく心が締め付けられた。この名に刻まれた言い知れぬ痛み。綾波はため息をこぼし、立ち上がる。最後に確認がてら辺りを見渡し、母港の方へと戻ろうとした時だった。

 

 「あっ、いました!ラフィーちゃん、生き残りいましたよ!」

 後ろの方から元気そうな声が聞こえてくる。振り向くと、紫色の髪をした少女、ジャベリンと薄い紫髪の少女ラフィーがこちらへと向かってきた。

 嬉しそうに駆け寄ってくるジャベリンと気だるげにそれを追ってくるラフィー。綾波の目には思わず涙が浮かんでくる。

 「ど、どうしたんですか、どこか痛いところでもあるんですか!?」

 ジャベリンは焦って彼女の体を見回す。……戦いの後だ、多少の傷はある。

 「ううん。生きてる人がいて、よかったです」

 彼女の言葉を聞き、安堵したように息を着くジャベリン。落ち着くのを待ち、三人で母港へと向かい始める。

 

 「……ねぇあなた、名前は?」

 「綾波。……駆逐艦、綾波です」

 「綾波……覚えました!私はジャベリン。こっちはラフィー。ジャベリン達も駆逐艦です」

 「よろしく……」

 ラフィーは怠そうにあくびをしつつ口を開く。

 「とはいっても笑える状況じゃないですよねー。どうしましょか」

 「まずは帰ってから考える、です」

 「そーですね、そうしましょっか」

 ジャベリンはニコニコと笑顔のまま、二人の手を引き帰っていった。

 

 横須賀の母港に帰ってくるや否や、生き残った艦たちは海軍の将校からの激しい罵倒を浴びせられていた。綾波達三人の他にも生還した鑑たち、合計十数隻はみなそれぞれ怒鳴り散らされている。

 「何のために生んでやったと思ってる」

 「道具の分際で」

 「役立たず」

 目を伏せ、ただ時が過ぎるのを待った。周囲の鑑たちも一人を除き、皆そうしてやり過ごしていたから。

 

 「子供にそんな言葉をかけて、恥ずかしくないのか」

 三人が罵声を浴びせられている時、一人の女性が間に立った。軍帽を被った女性は将校の前に立ち、鋭い目線を向ける。

 「なんだ貴様……道具の分際で!」

 その言葉と共に飛んでくる拳を彼女は掴んで止める。

 「人間兵器、だろう?それなら兵器である前に人間だ」

 将校は舌打ちをし、そのまま背を向け歩いていった。

 

 「大丈夫だったか?」

 女性は三人の方を向き、しゃがみこんで目線を合わせる。

 「うん、ありがとです。あなたは……」

 「航空母艦、エンタープライズだ。お前たちは確か……綾波、ジャベリン、ラフィーだったか?」

 彼女は3人の名前をぴたりと当てる。ジャベリンは驚き、飛び上がった。

 「当たってます!エンタープライズさん凄いですー!」

 エンタープライズは微笑み、ジャベリンの頭を優しく撫でる。

 「名前と見た目だけだ。セイレーンとの戦いで疲れただろう?何か食べようか」

 

 そうして食堂に行った四人が貰ったのは、少しの携帯食料と水。ラフィーはそれを見てむっとした表情をする。

 「まぁそんな顔をするな、ラフィー。貰えただけ良いとしよう」

 そう言うエンタープライズの表情は穏やかなままだった。

 広場のベンチに座りそれを食べ始める三人。エンタープライズはその前に立ち、そのまま食べ始めた。

 「……硬いでふ」

 「そういう物だからな。慣れてくれとしか言えない」

 苦言をこぼす綾波に対し、彼女は苦笑いを浮かべつつ食べる。突然そんな彼女の背後から、女性が肩を組んできた。

 「そーんなあなた達に、ちょっとしたプレゼントよ」

 そう言った彼女はラフィーに袋を渡す。中にはまだ温かいおにぎりがいくつも入っていた。

 「お前は……鉄血のプリンツ・オイゲンか」

 プリンツは銀髪のツーサイドアップを風に揺らし、微笑む。

 「正解。よく覚えてるのね」

 彼女は次に三人の前に立つ。

 「おちびさん達、よく生き残ったわね。この調子で最後まで頑張るのよ?」

 そう言うと彼女は歩き去ろうとする。

 「あ、あの!」

 綾波の呼びかけに反応し、彼女はふと後ろを向く。

 「おにぎり、ありがとです」

 少しだけ微笑んだ彼女は何も言わず、ひらひらと手を振りつつ歩いていった。

 

 それから、綾波はジャベリン、ラフィーと共に行動するようになった。任務が無い日には各々の腕を磨き、切磋琢磨し合う。そして本番ではその培った技術でどうにか生き延びていくのだ。

 そうして必死に生きている間にも新たな艦が生まれては、すぐに死んでいく。指揮官……人間達は彼女らを使い捨ての道具としてしか見ていなかった。もしくはより高性能のものを作るためのデータ収集とでも思っているのだろう。

 エンタープライズ、プリンツ等の成熟した人間の体を持つ者達は時折個別に連れていかれる姿も散見された。それでも彼女らは何事もなく笑顔で振る舞い、綾波達を引っ張っていったのだ。

 

 「剣術を学びましょう」

 2ヶ月ほど経って、突然そう言い出したのはジャベリンだった。自慢げな顔でそう言うが、綾波には意図が分からない。

 「セイレーンに接近したら十中八九殺されるに決まってるです。それなら素直に砲撃を練習した方が……」

 言いかけたところでジャベリンはビシッと指を突きつける。

 「それですよ!そうやってやる前から諦めちゃ何も始まらない。ならジャベリン達で最初の一歩、踏み出しちゃいましょ!」

 納得できないままの綾波は口を開きかけるが、横からラフィーが肩に手を乗せてくる。

 「少しだけ付き合ってあげよ?」

 「むー……仕方ないです。少しだけ、です」

 綾波の答えを聞いた彼女は飛び上がり、二人の手を取った。

 「一緒に頑張りましょ!綾波ちゃん、ラフィーちゃん!」

 勢いよく手を振られるもので、二人はそれに振り回され体まで揺られてしまう。

 「ジャベリン、痛い」

 彼女は苦言をこぼすラフィーに気づき、慌てて手を離した。

 「ご、ごめんなさい。とにかく、明日から頑張りましょうね」

 その翌日から練習を始めるため、普段人の寄り付かない寮舎裏の廃工房に集まった三人。海兵達は頼れず、同基地の他艦も剣術を収めている者はいない。独学で練習を始めた三人は、まずその重い武器を振り始めることから始めた。ジャベリンは槍、綾波は剣。ラフィーは元から艤装に武器が着いていなかったので、二人の予備の武器を一つずつ譲り受けた。

 艦船に備えられているそれらの武器は、そもそも武器として扱うことをあまり想定していない。勿論材質、技術共に最高レベルなので扱えるには扱える。しかし何より重いのだ。脳内イメージで扱う「艤装を操るのを補佐する」それが本来の役割だから。

 

 闇雲に振り続けること数日。たまたま通りかかった若い海兵にそれを目撃されてしまった。彼は片手のコーヒー缶を握り潰し、彼女らに近付いていく。

 「お前ら、何してんだ?」

 首が痛くなるほどに高いところから鋭い目付きで見下ろしてくる海兵。ジャベリンは咄嗟に彼と綾波達の間に立った。

 「じゃ、ジャベリンが言ったんです。やってみようって……だから罰を受けるならジャベリンだけに、ジャベリンだけにして欲しいです」

 彼女は涙目になりながらも真っ直ぐと目を見つめている。彼は頭をかき、ため息をつく。

 「お前、槍構えろ」

 ぶっきらぼうに言われるがままに槍を構えるジャベリン。海兵は彼女の後ろから手の位置を強引に変え、足も掴んで力ずくでずらしていく。彼女は痛みや恐怖に晒され、唇を噛んで涙をこらえている。しばらくして彼は離れ正面に戻った。

 「その姿勢を忘れるな。それが槍の基本の構えだ」

 彼はそう言うと煙草に火をつけ、吸い始める。

 「……へ?」

 「お前ら全員構えがなってない。剣術だろうが槍術だろうがそんなもんで通用するほど甘くねぇぞ」

 苛立ったように指を突きつける海兵。ジャベリンは口を開けたまま自分の体と彼とを交互に見る。

 「次はお前だ」

 彼は次にラフィーに近付き、ジャベリンの時のように強引に構えの姿勢にさせていく。そして最後は綾波も。それが終わった後、彼はまた正面から彼女らを見ていた。

 「破天荒な構えもあるにはある。だが先ずは基本からやれ、いいな?」

 「は、はい!ありがとうございます」

 ジャベリンが深く頭を下げる。それに釣られ、二人も遅れて頭を下げた。

 「お前らを見てイライラしたからやっただけだ。礼なんて言われる義理ねぇよ。頭を上げろ、気味が悪ィ」

 「違う」

 ラフィーが不意に口を開く。

 「……はァ?」

 「ラフィー達が一番感謝してるのは、ラフィー達をヒトとして扱ってくれたこと。……ありがとう」

 「別に同じ人間とは思っちゃいねぇよ」

 彼は石段に座り、煙草をくわえ直した。

 「ならどうして教えてくれたの?」

 「お前らは俺らとは違って『船』だが、俺らと同じ『兵士』だ。……それ以外に理由なんているかよ?」

 最初と変わらずぶっきらぼうな口調で言う海兵。何はどうあれ自分達を「同じもの」として扱ってくれた。それだけでどこか嬉しかったのだ。

 「名前……教えて貰えませんか?」

 「……伏見信弘だ。階級は軍曹」

 目を細め、睨むような表情で言う信弘。それを聞いたジャベリンは深く深呼吸し、初めのような真っ直ぐの視線を向けた。

 「信弘さん、私達に剣術を教えてください!」

 「面倒だ、却下」

 「えぇ!?」

 あっさり断られたジャベリンは驚き、その場にへたり込む。

 「どうしてもダメです?」

 ショックで座り込んでいる彼女の代わりに綾波が問う。

 「あぁ。ただでさえ忙しいのにガキの面倒なんて見てらんねぇよ」

 「そう……ですか。ごめんなさい」

 どこから見ても分かりやすく落ち込む三人を見て、信弘は深くため息をついた。

 「たまになら見てやる。それ以外の日は勝手にやってろ」

 それを聞いたジャベリンは顔を上げ、嬉しそうに飛びついた。

 「ありがとうございます!ジャベリン、とっても嬉しいです!」

 「やめろ鼻水付けんなボケ!」

 彼は力ずくで引き剥がし、壁に寄りかかる。

 「明日、この時間にまた来い」

 そう言うと三人に背を向け、歩き去っていった。

 

 次の日、同じように練習をしていた三人。静かな廃工房に音が響いた。

 綾波達が振り向くと、信弘がいくつかの本を入れた紙袋をそこに置いたところだった。

 「これは?」

 首を傾げるラフィーに対し、彼は見向きもせずに答える。

 「あぁ、剣術の本だ。俺の部屋にあったやつを持ってきた。汚すなよ?」

 「……ありがとう」

 「どうせ眠ってたもんだ。お前らでそれ読んで稽古するんだな」

 ジャベリンが中を漁ると、中に缶が三本入っていた。

 「コーラ……?」

 「お前ら、前に自販機で物欲しそうに見てたろ。ついでだ、ついで」

 三人は目を輝かせて缶を見つめる。その様子を見て彼は思わず笑みがこぼれた。

 「……何かおかしいです?」

 不思議そうに聞く綾波。彼は少し首を振った。

 「こうやって見ると、本当にただのガキだと思ってな。……こんくらいだったらまたなんか買ってやるよ」

 初めて見る柔らかな笑みにつられ、綾波も思わず笑ってしまう。

 「ありがとです」

 「おう。んじゃ俺はもう行く。まだ仕事があるんでな」

 彼はひらひらと手を振り、歩き去っていった。

 ラフィーは早速缶を開け、コーラを一口飲む。びりっとした感覚が口内を駆け巡り、思わず目を閉じてしまう。

 「あはは、どうしたんです?ラフィー」

 彼女は少し涙目で首を振っている。

 「これ、びりびりする……」

 「そうです?」

 続いてコーラを飲んだ綾波も炭酸の刺激に顔をしかめた。

 「ほら、わかるでしょ?」

 「びりびりです」

 そんな二人をニコニコしながら見守っていたジャベリンは、コーラを口にするとやっぱり顔をしかめるのだった。

 

 それからも三人は毎日のように剣術を練習していた。その間にもセイレーンとの戦いがあり、仲間たちは死んでいった。どうにか生き残り、強くなる。そのおかげで、次も生き延びる。三人は強くなった。たくさん笑いあった。たくさん喧嘩もした。こうやって、ヒトとして生きることを知れたのだろう。

 

 

 

 

 「──────なんてこともあったです。懐かしいなぁ、逢いたいなぁ。また、みんなに……」

 座り込んで話していた綾波は突然口元を抑え、ふらついた。

 「どうかしたのか?」

 江風は彼女の前に座り、肩に手を置いた。

 「……吐きそう、です」

 「やっぱり酒ダメなんじゃないか。……仕方ない、海にやれ」

 そう言うと江風は彼女を抱き上げ、崖になっているところから海に吐かせる。江風はため息をつきつつ、綾波の背をさすっていた。

 

 「……大丈夫か?」

 一通り落ち着いた頃、綾波にまた声をかける。

 「気持ち悪ぃけど大丈夫です。迷惑かけてごめん、です」

 「まぁいい。そろそろ戻ろうか」

 江風はそう言うと綾波に背を向け、しゃがみこむ。

 「……何してるです?」

 「そんな状態じゃまともに歩けないだろ?おぶっていく」

 「そっか、ありがとです」

 彼女はそう言い江風の背に乗った。江風はそのまま立ち上がり、寮舎へと歩き始めていった。

 

 「……ねぇ、江っち?」

 「何だ?」

 「夢ってあるです?」

 江風は小さく俯き、首を振る。

 「夢とか、希望とか。そういったものは考えてないし、言うつもりもない」

 「どうしてです?」

 「……今は戦時中で、私達は兵器だ。こんな時に夢などと口にするなんて、愚かな事じゃないか?そんなもの、終わった後に考えるべきだろう」

 その答えに綾波は小さく笑い、江風の首に腕を回した。

 「真面目です、キミは」

 「むっ、馬鹿にしているのか?」

 「そうじゃないです。キミは責任感と自分の正義で戦えるんだなって、そう思っただけです」

 「……戦いは必ず、誰かの命を奪う。夢のため、欲のため。そんな理由で戦っていたら死んだ奴らが浮かばれないだろう?」

 江風は横目で綾波を見る。彼女は赤くなった頬で首を傾げた。

 「いいんです、欲のためで。願いは生きる理由になる。何だっていいです。美味しいものが食べたいとか、愛する人に死んでほしくないとか。その願いのためなら、ヒトは強くなれるです」

 「……それがお前の強さ。そう言いたいのか?」

 「さぁ、自分でも分かんねーです。ちっちゃくてもいい、だから夢を持って、です。そうやってこの世界に楔を打てば、簡単には──────」

 彼女の言葉は途中で途切れた。代わりに小さな寝息が耳に当たってくる。

 「全く、せめて最後まで言ってから寝ろよ」

 江風は仕方なさげに息をつき、また歩き出した。

 「夢、かぁ……」

 見上げると空には円い月が見えてくる。もし夢を持つことで強くなれるのなら、それなら。

 「釣りでも行きたいかな。此処のみんな全員で、何の心配もない海の上で。……あぁ、楽しいだろうな。その為には勝たなきゃな。もっともっと、強くなってさ」

 江風はそう言うと寝息をあげる綾波を背負い直した。どんな夢か言う気はさらさらない。ただ彼女は自分に誓ったのだ。仲間を誰も死なせないと。

 「……結局、ラフィーってのについてはあまり分からなかったな。そのうちちゃんと聞かせてくれよ、綾波さん」




大湊艦船の世代
綾波……Mk.1
江風……Mk.5
高雄……Mk.2
夕立……Mk.4
夕張……Mk.3
赤城……Mk.2
加賀……Mk.4
伊勢……Mk.3


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金城鉄壁

 先の戦いから一ヶ月。いつもの旧工場にて腕が完治した綾波は江風と剣術の稽古をしていた。剣を構えた江風の横から綾波が体を動かし、調節していく。まずは構え方からだ。

 「江っち、肩に力入りすぎです。足も不安定だし、それじゃ海に沈むです」

 「う……難しいな、存外に」

 江風はしょぼんと耳を伏せつつされるがままに体を動かす。

 「最初はこんなもんです。でも江っちは物覚えもいいし、スジもいい。すぐ実践に使えるようになるです」

 綾波はそう言いながら、握りを調整していく。

 「戦場での高雄達を見て思った。剣術(これ)は一朝一夕で修得できるようなものではないだろう?」

 「勿論。それに綾波が教えられるのは基本だけ。そこからはキミ自身がやっていくしかないです」

 そう言うと彼女は一歩離れ、剣を構える。

 「何より大切なのは落ち着くこと。戦場で冷静さを失えば命も失う、です」

 江風はそれに対して体制を変えないまま刃先を合わせる。

 「剣だけで戦うならこの青眼の構えでいいです。でも実戦じゃ片手大砲で埋まるから……」

 綾波は左手を離し、剣を下段に構える。最低限の力で剣を保持する持ち方だ。

 「こんなふうに持つといいです」

 「ああ。……早く役に立たないといけないのにな」

 自分はまだ戦力外という事実。彼女の心にはずっと焦燥が募っていた。

 「焦る必要はないです。一人前になるまで守り、導くのが先輩の役目ってもんです」

 「そう、だな。……こんな感じで良いか?」

 江風は微笑み、綾波の構えを真似し握りなおした。

 「そーそー、そんな感じです」

 

 

 「ここにいたのか綾波、江風も」

 しばらく練習した後の休憩中、工場に入ってきた高雄は懐から一枚の紙を取り出した。

 「あぁ、ちょっと連絡があってな」

 そう言って見せた紙の左上には赤い十字……鉄血のマークが描かれている。

 「合同演習……二年ぶりです?」

 綾波はドライフルーツをつまみ、文書を読んでいる。

 「鉄血……というと大陸の西端あたりだったか。わざわざ来るのか?」

 「です。今回はヴィルヘルム第一艦隊が来るみたいです」

 江風はピンと来ず、首を傾げる。それを見た高雄が口を開いた。

 「ヴィルヘルムスハーフェン。鉄血の主要基地の一つだ。重桜で言うと横須賀のようなものだな。ユニオン陣営も何かを準備していると報告があったし、それに備えてという意味もあるのだろう」

 「な、なるほど?」

 彼女は首を傾げたまま相槌を打った。すると綾波が息をつき、補足を加える。

 「つまり大きな戦いが近いから鉄血の強いとことやるってことです。あと知り合いが一人所属してるです」

 「知り合いか。強いのか?そいつは」

 「簡単に言うと向こうにもう一人綾波がいると考えていいです。それだけじゃないけど、それはその時にわかるです」

 大湊最強である綾波と同等。彼女の言葉を聞いた江風は息をのんだ。心の奥底より小さな畏怖とその強さに対する興味がわいてくる。

 「私たちで勝てるか?」

 目を輝かせながら言う彼女の言葉に、高雄はあごに手を当てしばらく考えたのち、綾波の方を見る。

 「今回の演習では綾波が出ないからな。向こうの出方にもよるが。五分がいいとこじゃないか?」

 「綾波が出ない?なぜだ?」

 「それはー……」

 高雄が綾波に視線を送るが、彼女は無言で首を振ったのを見て、江風の方へ向きなおした。

 「内緒にしとこうか。そこまで深刻な理由じゃあないから心配するな」

 「そ……そうなのか?」

 「そーです。気にしねーでほしいです」

 綾波が若干食い気味に、すこしご機嫌斜めで言ってくる。

 「分かった。それじゃ、それまでに基本を教えてくれ」

 「うん、今日のおゆはんまでに叩き込んだるです」

 彼女はそう言うと跳ね起き、剣を担ぎ歩いて行った。江風も続いて立ち上がり、高雄に頭を下げると綾波を追って歩き始めた。

 

 

 

 

 

 その一週間後、演習の日。朝から招集されていた大湊の艦船たちは港に到着した鉄血の鑑達を迎えていた。パーカーを羽織っている綾波は後列で彼女らを眺めている。

 鉄血側の先頭にいる金髪の戦艦が一歩前に出て、赤城へと手を伸ばす。

 「ヴィルヘルム艦隊、旗艦のビスマルクよ。今日はよろしく頼む」

 「大湊の旗艦、赤城です。こちらこそ、よろしくお願いしますね」

 彼女は笑顔で手を取り、かたく握手を交わした。陸に上がった鉄血艦たちは赤城達に誘導され、本館の前に来た。そこでは指揮官が立っており、彼女らに気付くと帽子をとり、ぺこりと頭を下げた。

 「ようこそ、大湊へ。大将殿はお元気ですか?」

 「指揮官はとても元気よ。今回もよろしくと言っていたわ」

 

 そうして会話する二人を他所に、綾波に声をかける人物がいた。

 「久しぶりね、綾波。二年ぶりかしら?」

 彼女が振り向いた先にいたのは、白銀の紙を二つに束ねている重巡、プリンツ・オイゲンだった。

 「久しぶりです、プリさん。二年来ないもんだからもう死んだのかと思ってたです」

 「あっはは!相変わらずひっどいのね、あんた」

 プリンツはどこか乾いた声で笑うと、綾波の背中を叩いている。

 「痛ェです。んなことしてるとまた怒られるです」

 「またまたー、今ならバレな──────」

 へらへらしているプリンツに大きく影が掛かった。

 「オイゲン?またよその子にちょっかい出して……」

 ビスマルクがムッとした顔で叱責するが、彼女はへらへらしたまま右から左へ聞き流している。

 「……そんな態度だと、そのうち艦隊から外されるわよ?」

 彼女は不意に目を見開いたが、すぐに元に戻りため息をついた。

 「わかった。次から気をつけるわ」

 そう言うとビスマルクの横を通り、どこかへと歩いていった。

 「オイゲン、ちょっとどこ行くの?」

 「散歩。そのうち戻るわ」

 ひらひらと手を振りながら歩き去るプリンツ。ビスマルクは頭を抱え、ため息をついた。

 「私、追いかけます!」

 ブロンドの髪をした駆逐艦、Z23が彼女を追い走っていった。

 「済まない、うちのオイゲンは古参だからか我が強くて……」

 ビスマルクは申し訳なさそうに言うが、赤城は「お気になさらず」と言い、客室のある宿舎へと誘導していった。

 「江っち、付いてきてです」

 綾波は短く言うと、艦たちの集まりから抜け、プリンツの向かった方へと歩いていった。

 「あ、綾波さん?」

 

 戸惑いながらもついて行くこと数分。食堂にてのんびりコーヒーを飲んでいるプリンツと必死に説得しているZ23の姿があった。

 「プリさん」

 声をかけると彼女は振り向き、そのまま手招きし席へと座らせた。

 「全く、演習は明日なんだしいいじゃない」

 「良くないです!オイゲンさんがいないとビスマルクさんも困っちゃいますよ?」

 Z23は必死に手をぶんぶん振り、説得している。

 「相変わらずです、ニーミ」

 綾波は水を一口飲みながら言った。

 「いつもこんなんよ、もう……綾波もなにか言ってあげて?」

 彼女は涙目になりながら助けを乞う。

 「ニーミだったか?別にそこまで必死で連れ戻さなくてもいいんじゃないか?本人も戻ると言ってるし」

 「そうじゃないんですー!」

 江風の言葉に彼女は首を振り、半泣きで言う。

 「ニーミは真面目です。こんなとこでダラダラしてるのが許せないんです」

 「なるほど……ならここに居る私たち4人ともダメじゃないか?」

 「細かいことは気にしないです」

 江風と綾波は水を飲みつつ、プリンツ達を眺めていた。

 「……そういえば、綾波。エンタープライズと遭遇したって本当?」

 Z23の言葉をのらりくらりと流していたプリンツは一転して真面目な表情で聞いてきた。

 エンタープライズ。先の戦闘で遭遇したユニオンの空母。彼女はどこか諦めたような表情で聞いた。

 「うん、ここからそう離れてない所でです」

 「その……どうだった?あの子、なにか変わってた?」

 彼女の言葉に綾波は小さく首を振る。

 「良くも悪くも全然です。プリさんも会ったらとにかく注意するです」

 「そーね。あの攻撃を私の盾で防ぎきれるとも思えないし」

 彼女は口を抑え、考え込んでいる。

 「エンタープライズのこと、知っているのか?」

 江風が彼女に聞くと、少し困った顔をした。

 「知ってるけど、よく知らない、って感じね。変わってしまってからはあまり話せてないから」

 そう呟く彼女の顔はこの数十分で一番暗いものだった。それは知人へ向けるというより死者に向けるもののようにも感じられた。

 「あんた、もしかして……」

 江風が言いかけたところを綾波が手で制した。

 「綾波も、プリさんも、この前のエンタープライズも。みんなこの前話した横須賀出身の艦です。でも5年前からみんな離れ離れになって、それ以降はよく知らないんです」

 「そうなのか」

 綾波が話している間ずっと半目で見つめていたプリンツ。彼女は不満げに綾波の頬をつまむ。

 「……なんれふ?」

 「前々から言ってるけど、その呼び方やめてちょうだい。私にも後輩に対する威厳ってもんがあんのよ」

 綾波は呆れたような貌を浮かべる彼女の手を振り払い、つままれていた頬をさする。

 「綾波にとってプリさんはずっとプリさんです。諦めるです」

 「はぁー……ったく、相変わらず頑固ね」

 彼女は頬杖とため息をつき、窓から嫌に澄んだ青空を見ていた。

 

 

 「そろそろ行かなきゃです、プリさん」

 呑気に数分話した後、綾波はふとそう言い席を立った。

 「えー……めんどくさいし、もう少しサボっちゃダメ?お酒ないの?」

 「ダメです、ねーです。またビスマルクに怒られるですよ?」

 彼女の言葉を聞き、プリンツはわざとらしく声を上げ吹き出した。

 「あっははは!いーのよ、そんなの。どうせ私より強いやつなんていないんだし」

 彼女は目を伏せ、暗い表情のまま背もたれに思い切りよりかかって上を向いた。

 「だからこそです。あの頃を知らない奴からしたらしゃーねーです」

 「それはー……確かに、ね」

 彼女は目の上に手を置いたまま答える。

 「ほら、早く行くです」

 「でもあんたが出ないんじゃ全然張り合い無いじゃない」

 駄々をこね、一向に立とうとしないプリンツ。仕方ない、と綾波は息をついた。

 「なら、綾波も出るです」

 「……ほんとに?」

 プリンツはばっと綾波に詰め寄る。綾波は近付いてきた額を手で止め、突き放した。

 「一回ならいいです?ニーミ」

 綾波はZ23の方をちらりと見る。彼女はみるみるうちに顔を真っ青にしながらもゆっくりと頷いた。何が何だかわからない江風をよそに二人は『あちゃー』と言わんばかりの表情をしている。

 「……綾波が出る回、この子引っ込めてあげてです、プリさん」

 「わかったわよ。まだ怖いのね、ニーミ」

 ブルブル震えながら今度は小さく頷くZ23。江風はそっと彼女に近付き、小声で質問した。

 「な、なぁ。何かあったのか?」

 「えと……4年前、初めての演習の時に……」

 彼女は指を合わせながらしどろもどろに話し始めたが、プリンツは二人の間に入り、いたずらっぽく笑みを浮かべた。

 「綾波にボコボコにされて号泣しちゃったのよ、この子。その場に座り込んで出るもん全部──────」

 「ぷっ、プリンツさんやめて!」

 Z23は恥ずかしそうに顔を真っ赤にして遮る。

 「あの時のことなら、何回も謝ったです」

 「謝ってもらったし、許したけど……怖いものは怖いの!あぅ、思い出したら涙が……」

 「ほーら、泣かない泣かない」

 綾波はおもむろにZ23の頭を撫で、なだめている。声音も表情も何一つ変わらないままなので、なんとなくシュールな光景になっている。

 「ま、あんたが出るんなら私も出るわ。少しは楽しめそうだし」

 そう言うとプリンツはうんと伸びをしてZ23を連れ、食堂を去っていった。

 「さて、綾波達も行くです」

 二人も遅れて出て、演習場へと向かっていった。

 

 

 翌日の午後。演習場では既に戦闘が始まっており、両艦隊は沖から少し離れた地点で撃ち合っていた。演習用のゴム弾を使い、魚雷も威力を弱めたものを使うので、死の危険はほとんど無い。当たると死ぬほど痛いが、それでも死ぬことはないだろう。もちろん、近接兵装も刃を落としてある。

 「綾波さん、ほら」

 「おー、ありがとです」

 初回は休憩になっている綾波と江風。綾波は江風が持ってきたコーラを受け取り、戦いを眺めつつ飲んでいる。

 「……今のところ優勢に見えるな」

 江風はそう言い、座り込んで海の方を見る。

 赤城が指揮している大湊艦隊と、ビスマルクが指揮するヴィルヘルム艦隊。実力自体は五分であり、一進一退の攻防を繰り広げていた。だが今回は大湊側のペースに持ち込み、こちらが一歩リードしているとも言える。赤城の得意とする速攻が上手く効いているようだ。

 「あ、綾波ー。ここにいたのね」

 少し遠くからプリンツが手を振り、綾波達の方へと向かってきた。

 一度目の演習ではプリンツ、綾波という両艦隊の前衛エースをどちらも使っていない。そのせいもあってか、両艦隊共に射撃メインの立ち回りをしている。

 「プリさん、あんたはいつ出るんです?」

 「あんたと同じ、三戦目だけでいいわ。余計に出ても汗かくだけだし」

 「ふーん」

 そんな会話をしていると、どうやら演習が終わったようだ。初回は辛くも大湊が勝利したようだ。沖から皆が戻り始めている。

 「ありゃー、負けちゃったわね。随分踊らされちゃってまぁ」

 プリンツはあーあ、と半笑いの状態で言う。

 「……でもプリさん、コレ三回勝負なんだから次負けたら三戦目ないです」

 綾波の言葉にプリンツの笑顔が凍りつく。

 「マジ?」

 「マジです」

 「つまり次勝たなきゃ?」

 「終わるです」

 今日一番の悲しげな表情をしているプリンツは大きくため息をつき、頭を抱えた。

 「ったく、仕方ないわ」

 しばらく考えた彼女は覚悟を決めたように呟き、立ち上がった。

 「プリさん、出るんです?」

 「ええ。さっさとブッ潰してあんたを引っ張り出すわ」

 心底不満げな顔でそう言うと、彼女は背を向け歩いていった。

 

 

 「綾波ー!勝ったぜ!」

 先ほどの会話から十数分後。演習を終え沖から戻ってきた夕立は綾波に飛びつき、頬をすりつけ始めた。

 「おーよしよし、よく頑張ったです」

 彼女は表情を変えないままいつものように夕立の頭に手を置き、わしゃわしゃと動かし始める。

 「江風、次は拙者と交代だ。頑張れよ」

 高雄は江風の隣にしゃがみ、ぽんと背中を叩いた。

 「あー、高雄」

 綾波は夕立がくっついたまま高雄を呼び止める。

 「どうかしたか?」

 「次、プリさん出るって言ってたです」

 それを聞いた高雄は目を見開いた。

 「……本当か?」

 「うん。二敗したら終わりって言ったら、やる気出しちゃって」

 彼女は困ったように息をつき、考え始めた。

 「……赤城達とも相談する。まず陣形を変えないと対応出来ないからな」

 そのまま暗い表情で彼女は歩いていった。それを聞いていた江風は不思議そうに綾波の肩をゆすった。

 「なぁ、あのプリンツはそこまで強いのか?警戒のしようからして相当なんだろうが……」

 「最強最硬の重巡艦……プリさんはそう言われてるです。多分あれが『プリンツ・オイゲン』の盾、その終着点です」

 どこか遠い目をしながら口にする綾波。それはどこか苦い気持ちを押しつぶすようにも見えていた。

 「あまり想像できないが……」

 「ひとつだけ言うなら、盾を破りたきゃ同じやつを殴り続けることです」

 彼女はそう言いピッと指を立てた。

 「……わかった。その言葉、覚えておく」

 

 

 三十分ほどの休憩をはさみ、第二戦が始まった。それと同時に伊勢は砲塔を動かし一斉に砲撃を始めた。弾丸は弧を描き、ヴィルヘルム艦隊の後衛へと襲いかかる……はずだった。

 

 後衛より少し手前の地点の空間に金色がかかる。それは弾を全て阻み、凄まじい爆風が水面を揺らした。

 

 「いきなりさせる訳無いでしょう?」

 プリンツは不敵に微笑み、上げていた手を下ろす。それと同時に薄金色の膜が空中から消えた。

 続いて前衛艦による魚雷、赤城、山城による空爆がプリンツ達へ一斉に襲い掛かる。一糸の隙も無いほどの連撃だ。彼女はその場から動くことなく、またその仲間たちも制され、動かない。

 彼女は指をパチンと鳴らした。それと同時に彼女を囲むように八枚の薄壁が展開される。

 「もっと踊れるでしょう?この程度じゃ全ッ然足りないわ」

 彼女は盾の一枚を空に、もう一枚を海に沈める。彼女は全ての攻撃を無傷で受けきっていた。その後盾は少しの傷もなく、彼女の周りへと戻っていく。

 「あんまり近づかないでよね。巻き込むの嫌よ?」

 「は、はいっ!」

 その後Z23の返事を聞くや否や彼女は尾のような艤装を前に向け、江風へと砲弾を放つ。まだ距離が空いており難なく避けた江風だったが、その瞬間目を疑った。視界に入ったのは弾丸の裏に隠れていたもう一つの弾丸。なんとか身をよじったがそれは艤装を掠め、抉りとっていく。彼女は思わず短く舌打ちした。開幕早々に艤装が損傷を受けてしまった。

 

 (あの射撃精度にバカげた盾……言うだけはあるな)

 江風は魚雷を手早く再装填しているところ、夕張が目を合わせてきた。同時に小さく示したハンドサインを見て、小さい頷きを返す。

 前衛の江風、夕立、夕張の三人は一斉に散開し、少し距離を詰めていた相手の前衛を囲うような形になる。

 「試作の実験には持ってこいだぞ、こういうのは……!」

 その状態で放たれた弾丸を空中で撃ち抜くZ23達。するとそこから大量の煙が吹き出し、三人を覆いこんでいった。

 「へぇ、煙玉ね。あの大きさでよく出来てるじゃない?」

 プリンツは焦ることなく煙に覆われた空を見ている。

 「お、オイゲンさん!呑気してる場合じゃないですって!」

 「ニーミちゃん、オイゲンさん!これどうしよ……」

 焦って周りを見回し続けているZ23と軽巡、カールスルーエ。

 「ニーミ、カールスルーエ、私の方に来て」

 プリンツは優しい声彼女らを呼び、近寄ってきた二人を抱き寄せた。

 

 ガキン、と左右から鈍い音が響く。

 晴れかかった霧の隙間から近接兵装を構えた江風、夕立の両名が視界の端に見えてくる。二人はプリンツの壁に阻まれ、数メートル離れたところから近付けずにいる。

 「っこの!!」

 夕立は苛立ちつつ何度も壁を叩きつけるが、ヒビ一つ入らない。

 

 後衛は後衛同士で撃ち合い、前衛は前衛同士で戦う。というより、互いに手出しがしにくい状態となっていた。前衛はプリンツに阻まれ、後衛は実力が拮抗しており、前衛に手出しする余裕が無い。

 江風が刀を突き入れると、どこか違和感を感じた。硬いはずではあった。だが、片栗粉を混ぜた水のように押し込むと違う感覚が感じられる。

 (柔らかっ……)

 刀ごと沈みかけ、咄嗟に引き抜いた。刀身を見るが、何かが付着している様子はない。

 あの耐久性には何か秘密がある。そう確信した江風は夕張にそっと目線を飛ばし、再び刀を構えた。

 

 

 「様子はどうだ?」

 今回休憩として外れていた加賀がコーヒー缶片手に綾波達の方へ歩いてくる。休憩中の彼女らは艦としての正装の上に薄手のパーカーを羽織っている。

 「やっぱ鬼門はプリさんです」

 「本来のプリンツ・オイゲンの盾ならあの子らでも壊せたろうに、あの盾はやはり凄まじいな」

 加賀は高雄の隣に座り、缶を開けて一口飲んだ後高雄に手渡した。

 「伊達に綾波の同期、その生き残りじゃあねーです」

 綾波はそうやってどこか嬉しそうに呟いた。

 「横須賀一期生の生き残り……やはりふざけた奴しかいないな」

 「それって綾波もふざけた奴ってことです?加賀ちゃん」

 「さぁな」

 加賀はふふっ、と笑みをこぼす。むっとする綾波の背を「まぁまぁ」と高雄の手が優しく撫でている。

 

 横須賀一期生と呼ばれる艦船。何時ぞや綾波が江風に話した、初期の艦船達の生き残りのことをそう呼ぶ。彼女らはこの時のみに建造された「Mk.1」製であり、その生き残りである彼女らは各陣営の最高戦力に数えられるという。

 「……プリさんの盾で一番面倒なのは『流動性』と『修復力』です。攻撃で傷ついた部分を裏で修復し、常に新しい状態の盾で受け続ける。ブッ壊すには傷ついたとこを裏から殴るしかねーです」

 「破られぬ盾、とはよく言ったものだ。盾のみに専念する訳にもいかず、かと言って本体に集中すれば到底盾を破ることはできない。防御力の一点においては彼女が最強だろうな」

 加賀は頬杖をつき、目を細めた。

 「とはいっても、その性質を教えてやってもよかったんじゃないか?」

 「江っちに鍛えてほしいのは洞察力と分析力。だから最低限しか言わなかったです」

 「……初見で対応できるものでもないだろう、あれは」

 「何言ってるです?素質は十二分にある。ま、だからこそ江っちがどこまでやれるか楽しみです」

 「いい性格してるな、お前は」

 どこか楽しそうに演習を見守る綾波に、彼女は呆れてため息をついた。

 加賀の反応とは逆に、『よほど期待しているんだな』と高雄は表情を少し緩めていた。

 

 「夕張、少しいいか?」

 少し距離をとった江風は遠目からプリンツ達の周りを移動し、夕張に耳打ちする。彼女の策を聞いた夕張は目を細め、嬉しそうに耳を動かす。

 「任せて。新兵器の力、存分に見せてやるぞ」

 

 再び接近した夕張が矢継ぎ早に砲弾を放つ。弾自体に爪がついているそれは壁に引っかかり、飲み込まれつつ爆発した。

 また爆炎に包まれたプリンツ達。視界が晴れたそこに映っていたのは、江風が傷ついたプリンツの盾に刀を突き入れ、引き裂く瞬間だった。

 

 パキィィ……ン

 

 凄まじい音と共に盾が二つに割れ、霧散していった。

 「よ、よし……」

 江風は少し離れてた後、膝に手を付き少し息を着いた。

 次の瞬間、プリンツが一瞬で距離を詰めてくる。そのスピードはおおよそ重巡のものとは思えなかった。

 咄嗟に飛び退こうとするも尻尾の艤装を腹に打ち付けられ、吹っ飛んで行った。

 「ったく……油断しすぎたわね。あいつと戦う前に盾一枚割られるなんて」

 彼女は忌々し気に呟くと先ほどのように速度を上げ、夕張、夕立の方へと急接近していく。

 二人は当然砲撃を放つが、彼女は掌から壁を展開しそれを防いだかと思えばそのまま夕張に壁をぶつけ水中に沈めた。その後斬りかかってきた夕立の刃を悠々と受けると尻尾を後ろから回し至近距離で砲撃し、撃破した。

 

 

 「随分時間かかったわね」

 前衛の均衡が崩れてからの展開は一瞬だった。後衛にプリンツらが到達して大湊側は崩壊していった。全開のプリンツを止められるものはおらず、二回戦はヴィルヘルム側の勝利となった。

 「相変わらずえぐいやりかたするです、プリさん」

 「お互い様でしょう?」

 ずぶ濡れになって体をふいている夕張、吹っ飛ばされてのびている江風、夕立を横目にプリンツは悪びれもせずにのたまった。

 「まあ否定はしねーです。でもプリさんサボりすぎ、です。トップスピード落ちてるです」

 「えー、細かいわねぇ」

 そんなことを話している綾波、プリンツを見て江風は顔が青くなっていく。

 「あ……あれで遅くなっているのか?」

 「ん、江っち起きたです?まあ若干だから対面で長く動いてないと分かりにくいです」

 「コレに対応できないと私たちには勝てないわよー?」

 そう言いいたずらっぽく笑うプリンツ。綾波もその言葉を否定することはせずにいる。

 「コレってことは……何かタネがあるのか?その速さは」

 「……色々ある、です。今度話すです」

 「そうか、わかった」

 彼女は面倒そうに言う綾波に対し素直に返事をする。恐らく説明に時間がかかることなのだろう。

 

 「プリンツさん!またよそのところに居座っても……」

 しばらくするとZ23が少し怒った様子で走ってきた。

 「ニーミ、お疲れです」

 綾波が飲み物を手渡すと一瞬ぱっと笑顔になるが、すぐに思い出したように起こり顔に戻ってプリンツに詰め寄る。

 「ん、ありがとう。じゃなくてプリンツさん、ビスマルクさんが呼んでるんだから早く来てください!」

 その後言い合ったのち、プリンツは不服そうな顔をしながらもZ23に引っ張られていった。

 

 「江風、動けるか?」

 彼女は高雄に呼ばれて顔だけ振り向かせる。

 「ああ、もう大丈夫そうだ。最終回も出られる」

 「よし、それじゃ三回戦の前衛は綾波、江風、拙者の三人で出る。いいな?」

 「了解」

 「江っち」

 後ろから綾波が歩み寄り、隣にしゃがみこんだ。

 「さっきの、いい動きだったです」

 そういって彼女は江風の頭をなでる。すると彼女の顔がみるみるうちに赤くなっていき、彼女の手を振り払った。

 「やっ……やめてくれ!」

 「ありゃ、だっちゃんなら喜ぶのに」

 「私はあんな……むぅ……」

 江風は言いかけるもすぐに顔を伏せた。

 「どうしたです?」

 「気恥ずかしいんだろう。察してやってくれ」

 仏かのような慈愛に満ちた微笑みで綾波を止める高雄。江風はばっと顔を上げ、高雄の足を掴んで揺らした。

 「やめてくれ高雄さん!」

 「照れてんです?江っち」

 「綾波さん!」

 むっとした江風は抗議したが、綾波は彼女の背をポンポンと叩くだけだった。

 

 「それじゃ、行くです」

 「……ああ」

 

 

 

 三回戦目。大湊の編成は前衛が綾波、江風、高雄。後衛が赤城、加賀、伊勢。ヴィルヘルム側の前衛はプリンツ・オイゲン、カールスルーエ、アドミラルヒッパー。後衛がビスマルク、グラーフ・ツェッペリン、ティルピッツ。

 綾波は水上で大きく深呼吸をすると剣をくるくると回し始める。向かい百メートルほどでたたずんでいるプリンツはまっすぐと彼女を見据えている。

 「綾波さん、何か策はあるのか?」

 「全部ぶっ壊す」

 端的に言い放つ綾波。彼女は江風へ一瞬視線を合わせ、その後すぐにプリンツの方へ戻す。

 「プリさんは綾波がやるです。高雄、江っち、他は頼むです」

 「任された。負けるなよ、綾波」

 「ん、当然です」

 

 少しして、演習開始の合図が響く。互いの後衛部隊から一斉に艦載機が飛び始め、空を覆っていく。綾波は急加速し一気にプリンツとの距離を詰める。みるみるうちに縮まる距離。カールスルーエらが行く手を阻もうと砲撃するが、そのすべてを最低限の動きで回避していき、プリンツへ刃を振り下ろす。やはりというか手応えはなく、彼女の壁に阻まれる。

 「単純な仕掛け、あんたらしくないじゃない?」

 「綾波にらしさなんてないです」

 「違いないわねっ!」

 綾波は周囲から迫る壁を飛び避けて一歩距離をとる。ちらっと周囲を見るとヴィルヘルム側の艦二人は高雄たちと戦闘しており、こちらに気を割く余裕はないようだ。

 

 「二人っきりです、プリさん」

 「そうみたいね、最っ高よ」

 プリンツはそう言うと周囲に七枚の盾を展開する。それに呼応するように綾波は剣を向ける。左手の砲塔は強く握りしめたまま。

 

 瞬間、綾波が視界から消える。急加速し一気に視界から外れたことに気付いたプリンツは背後に複数枚の壁を回す。鈍い音が響くと同時に水中から艤装を出し魚雷を放つ。すぐに大きな水柱を立てて爆発した。

 水柱の消えぬうちにプリンツの横からガラスの割れるような音が響いた。見えてきたのは真っ二つに割れ霧散していく壁と刃を振り払う綾波の姿。

 「まずは一枚、です」

 「やってくれるわね……」

 プリンツは盾の一枚を手元に寄せ、ぐにゅん、と形を変えていく。それは長い斧のような形になっていく。

 

 「やっと本気です?プリさん」

 「まさか。さっきから本気よ!」

 プリンツはエンジンを前回にして急加速、綾波へと叩きつけた。綾波は剣でそれをいなし、水面に打ち付けられる。本来壁であるそれの強度は計り知れない。まともに打ち合えば剣が折れてしまう。当然喰らえば深いダメージを負うことは避けられないだろう。

 

 互いに全開でエンジンを回し斬り合いが始まる。重巡とは思えないほどの高速戦闘をするプリンツとそれを超えるスピードでそれをいなして合間に攻撃を加える綾波。

 

 ギィン……ガキィッ……

 

 武器同士打ち合う音が大きく響き渡る。大気を揺らす振動はその場にいる全員に伝わり、思わず一瞬視線が奪われてしまうほどだった。

 スピードで劣るプリンツは残る五枚の盾を駆使して攻撃を受けていく。綾波としても盾を割る機会が訪れず攻めきれない状況が続いていた。

 綾波は一瞬離れ足元に魚雷を打ち出す。だがそれは盾を突破できるものではない。そんなことは百も承知だ。盾に受けられ起爆したそれが立てる水柱。急加速してそれに飛び乗り高く跳躍し、彼女の姿を見失っていたプリンツの頭上から襲い掛かった。

 

 「……っこの!」

 

 咄嗟に上へと意識を向け盾を回した瞬間。綾波はニヤッと笑みを浮かべ、魚雷感から延びる紐をぐいっと引き抜いた。

 その瞬間先ほど水柱の上がったところからもう一度爆発が起きる。予想外の炸裂に防御が遅れ、左腕が爆炎に巻き込まれ軽傷を負う。それと同時に彼女は剣を盾につき沈め、接続点に砲塔を向けゼロ距離で砲撃を放った。

 ガラスの割れる音が再び。プリンツは短く舌打ちをすると霧散しかかった盾で綾波を吹っ飛ばし、残った壁二枚を手裏剣のように飛ばした。空中に投げ出された綾波は何とか一枚はかわすが二枚目の壁が左腕ごと腹に当たりさらに飛んで行った。

 数十メートル遠くで彼女が着水している。どうにか体勢を保って沈まずにすんでいた。彼女はちぎった袖で左腕に砲塔を巻き付け、再びプリンツの方へ接近してきた。

 

 再び盾を一枚飛ばしたが、近くまで飛んで行ったところで綾波は上から剣を叩きつけ、その直後裏から砲撃して盾を引き裂いた。

 再度距離を縮めたが頭上から影が差してきた。双方の艦載機が援護しに来たようで二人を射撃し始める。

綾波はそれをかわし、プリンツは盾を貼り防ぐ。一時撃ち止んだとたんに二人は空中の艦載機へ一斉に射撃し、すべてを打ち落としていく。一発の漏れもなく、正確な射撃で。

 

 「……邪魔が入ったです」

 「どうせ邪魔にすらならないでしょう?」

 互いにうっすら笑みを浮かべ、再びぶつかり合った。そんな二人の表情はつい十分前とは想像もつかないくらいに晴れやかで愉しそうなものであった。その後始まったのは純粋なインファイト。三枚の盾では防ぎきれず、ダメージの響く体では躱しきれない。互いに体を限界まで使い最低限のダメージで最大のダメージを叩き込む。それだけを思考し戦いを繰り広げる。時折入る援護は一瞬で跳ね除けられ、二人の舞台を邪魔できるものは存在しない。

 

 演習終了のアラームが鳴り響く。その間ずっと戦っていた二人はばっと距離をとる。辺りを見渡し状況確認するプリンツを尻目に額から流れる血をぐいっと拭う綾波。戦いが終わってもなかなか二人に近づくものはおらず、江風らが遠めに見ているのをぼんやりと見ていた。

 「プリさん、今回は引き分けです」

 「はぁ……ったく、わかったわ。次は勝つから」

 プリンツはパタパタと顔を扇ぎながら言い放った。

 「望むところ、です」

 

 

 「綾波さん、大丈夫か!?」

 港へ戻ると心配そうにしている江風が声をかける。そんな様子をよそに綾波は平然と水を飲んでいる。

 「あとで修復材使えばいいです。それよりお菓子ないです?」 

 「それよりって……痛くないのか?」

 「慣れてるです」

 「そ、そうか」

 

 江風はふとヴィルヘルム側の集まりを見たが、向こうも心配そうな仲間をよそに呑気な様子のプリンツが見える。まさしく「ふざけた奴ら」であるようだ。

 

 「んで、結果はどうだったです?」

 「二勝一敗でウチの勝ちだ。総合で見るとようやく勝ち越しだな」

 高雄はそう言いながら綾波の血や汗を拭いていく。

 「ふーん、まあプリさんとやるの楽しかったし満足です」

 「それは良かったな」

 彼女はその後包帯を傷に巻いていく。何か言うわけでもなく慣れた手つきで手当てしていく様子を見るにこういったことは珍しくないのだろう。

 「んじゃ綾波はおゆはんまで寝るです」

 「あたしも行くぞー!」

 綾波の言葉に夕立が元気よく返事をして綾波の腕に捕まる。

 「痛い、痛いですだっちゃん」

 「ほら夕立、ケガしてるんだから反対の腕を掴め」

 「わかった!」

 

 「……ここまでケガするような演習だったか?」

 他の艦はケガしていたとしても軽い擦り傷、切り傷くらいで血まみれになっている綾波とプリンツははたから見ていても異常だ。

 「興が乗ったのだろう。気にしなくても死ぬまではやらないさ」

 高雄は彼女には甘いのか、あまり叱責する様子はないようだ。

 「それに言っても無駄だしな」 

 遠い目で呟く様子を見て江風は察した。長い間言っては来たのだろう、恐らく。宿舎に歩いていく綾波の背を見る高雄の目は諦めの感情が深いものだった。

 「苦労しているんだな、高雄さん」

 「もう慣れたさ」

 

 

 その日の夕飯で。はじめは客人がいるというのもあり会話はありながらもおとなしく食事をしていたのだが酒が入り始めたころから全員テンションが上がっていき、プリンツらヴィルヘルムの艦たちもそれに乗して騒ぎ始めてしまう。結果いつものようににぎやかな食事になっていた。

 赤城らと酒を飲むプリンツの脇に抱えられたZ23は飲まされてダウンしているようで目を回しており、それを助けるわけでもなく横目に見ている綾波を時折恨めしそうに見ていた。

 「綾波さん、アレ助けなくていいのか?」

 「死にゃしないです。助けたいなら行くといいです」

 「いや、遠慮しておこう」

 

 「あーやーなーみーーっ!!!飲んでるー?」

 「飲んでねーです」

 紅潮しテンション高めのプリンツがこちらへ歩いてくる。片手にはジョッキ、反対の脇にはZ23。「た……たすけて……」とつぶやいているが綾波は恐らく意図して視線を合わせない。江風も酔っぱらいの厄介さはよくわかっているので同じように目線をそらしながら食事を進める。江風は心の中で彼女に謝った。

 「なあ綾波さん、これいつごろまで続くんだ?」

 「明後日までです」

 「そうかぁ……」

 

 その後彼女らが帰るまで毎夜宴会のような食事になり、Z23は二回ほど吐く羽目になった。江風もプリンツらに捕まり、相当飲まされることになったという。

 

 

 

 「あぁ、例の作戦、出撃するんですか?」

 それと時を同じくして、ユニオンの基地にて。執務室のあるビルの屋上で佇んでいた少女は連絡係の艦に微笑みかける。一歩後ずさった様子を見て少女はおどけるように肩を竦めた。

 「そんなに怯えなくてもいいじゃないですか」

 

 「ジャベリンはお仕事をキッチリこなしますから」

 




スキルの変容
 『覚醒』した艦船は本来その艦が持つ固有技能、スキルが変質し、その効果が増強、または変容することがある。現在確認されている覚醒艦は十七隻であり、そのうちスキル変容が確認されているのが六隻。これが発生する場合大小差はあれど戦闘能力の向上につながる。
 分かりやすい例として鉄血所属のプリンツ・オイゲンが挙げられることが多い。彼女は本来のスキル『破られぬ盾』が変容し、『金城鉄壁』となった。この変化により展開される盾の変質、数の増加、操作性の向上が見られ、他のプリンツ・オイゲンと比べ大きな性能差を見せている。


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The Only Measure Javelin

 ヴィルヘルム艦隊が帰還してから一ヶ月。いつもの様子を取り戻したはずの大湊は、この日妙に暗い空気に包まれていた。

 

「綾波さん、この資材はどこに運べばいい?」

「上の箱は第四倉庫。下のは工廠に運べばいいです」

「わかった」

 

 数日前……彼女らに知らされた一つの事実が、明るさを根こそぎ奪っていた。その報せとは、サンディエゴ艦隊のことだ。ここ一年余り大人しい様子を見せ、際立った行動をしていなかったのだが、急激な武装の強化、KAN-SENたちの動きが目立ってきたのだ。そしてその報告から、綾波を含めた古株には十分察すことができた。近いうちにどこかが落とされることになると。

 その中でも綾波は普段と変わらない。時折遠征をおこない、空いた時間には刃を磨き、戦闘訓練をする。ただいつものように過ごしていた。江風も特に言及することはなく、彼女に付き従っていた。

 

「今日は夜番ですね、江っち」

「ああ。……まあ、夜に攻められたらお手上げだからな」

「そのために艤装装備状態での睡眠を命じられてる、です。三分もってくれればなんとかするです」

「……そうだな」

 

 ここ数日気を張りつめていた江風。ここにきてまだ日の浅い彼女はほんの少し、だが確かに消耗してしまっていた。それでも、彼女を責められるものはないのだが。……ないのだが、それが招いてしまうこともあるのかもしれない。

 

 

 

 

 皆が寝静まり、ぽつり、ぽつりと光る街灯では照らしきれない闇に包まれた夜。その日の闇は、煌々と湧きあがる赤に焼き尽くされた。

 

「C地点だ! 少なくとも空母は三隻、推定敵数は五十!」

 

 頭が割れんばかりに響き渡るサイレン。かき消されないように声を張り上げて無線を飛ばす江風は、地上から艦載機を撃ち落としつつ集合地点へと走っていく。綾波と合流できれば、なにか活路が見えるはず。そんなことを考えながら。

 

 

 

 時を同じくして、集合場所へと走る綾波。他の仲間とは別れ、別角度からの強襲を狙って。そうして走っている中、一発の砲弾が目の前に着弾する。とっさに跳び下がった彼女は、その発射元……倉庫の屋根のほうを向いた。紫色の髪が月明りに照らされ、影が落ちている。一本の槍を担いだ彼女の姿を見て、綾波は言葉を失った。

 

 

「お久しぶりですねぇ」

「……は?」

 

 くすくすと笑いながら目の前に飛び降りる少女。綾波は冷や汗を流し、剣を構える。

 

「そんなに警戒しなくてもいいでしょ?綾波ちゃんとジャベリンの仲じゃないですか」

「何年も前の話を持ち出すんじゃねーです」

「一生の仲ですよ?」

 

 ジャベリンは笑みを崩さないまま歩み寄る。日の下で、道端で偶然出会った旧友にするように、自然な足取りで。その空気を切り裂いたのは、綾波の剣筋だった。彼女はそれをひらりとかわし、その場で立ち止まった。

 

「近寄るんじゃねーです。慣れあう振りもしなくていい」

「そうですか。……残念です」

 

 槍を構えたジャベリン。彼女は瞬きする間もなく、綾波の視界から外れた。それとほぼ同時に左側頭部へと突き立てられた刃を、彼女の剣が受け止めた。そして返す刃をいなし、再び間合いを取った。

 

「やるなら本気でです、ジャベリン」

「他の子なら今ので死ぬんですけど……やっぱり強いですね、綾波ちゃん。会えてよかった」

「急がなきゃって時に来るバカがどこにいるです? 会いたいんならアポ取れ、です」

 

 再び刃を交える二人。槍による猛攻を鎬で受け、即座に反撃する綾波と、それを受けきることなくいなし、流すことでかわすジャベリン。地上でありながら水上のそれと遜色ないほど駆け回り、切り結ぶ二人。

 壁際に追い詰められた綾波は置かれていた木箱を盾にして彼女の視線を逸らし、切りつけた。ポトリと何かが落ち、ジャベリンはその元である左手を見た。

 

「……ああ、指が落ちるなんているぶりでしょうか」

 

 彼女は恍惚とした顔で滴る血を舐めた。痛みに顔をゆがめるでもなく、怒りに湧きあがるでもなく、なにか祝い事でもあったかのような弾んだ声で言い、また槍を構える。

 

「ラフィーが聞いたらドン引きです、お前」

「あの子なら笑ってくれますよ。……お揃いになったらわかってくれますか?」

「なわけねーです」

 

 綾波は頬から流れる血を拭い取り、また彼女へと斬りかかっていく。タガが外れたのか、より攻撃に傾倒していくジャベリン。つけた傷と同じ以上の傷を自らに刻みながら、狂気すら感じられる勢いで攻撃を繰り返す。

 

 そんな彼女が左手に槍を持ったそのタイミングを狙い、綾波は槍を巻き上げ飛ばした。倉庫の壁に突き刺さったそれを追わせるつもりもなく、剣を振り下ろす。ジャベリンはそれをすぐさま回避し、彼女の脇腹を蹴り飛ばし、木箱の積まれた山へ吹き飛んで行った。壊れて崩れ、木片が散乱する中、ジャベリンは悠々と槍を回収した。

 

「はぁ……ジャベリンに与えられた指令は、『綾波の足止め』。このままじゃ、綾波ちゃんの負けですよ?」

「……っせェです」

 

 木片を吹き飛ばし、立ち上がる綾波。それを嬉しそうに見るジャベリンは笑みを浮かべながら近づいて行った。互いに息を上げながらも、寸分の気のゆるみも見せない二人。ジャベリンはおもむろに横へと歩を進め、足を水に浸けた。そしてそれに応じるように水へ降りる綾波。脚部艤装が作動し、水の上に立つ二人。ふたつの視線が、交差していた。

 

「降りてくれないのかと思いました」

「ここでお前を逃がせば、犠牲が増える。綾波の選択肢は初めから一つしかないです」

「でしょうね」

 

 艤装の力を借りた二人の戦いはより激化していた。地上でも追うのがやっとなくらいだったのが、もはや目にも止まらない速さになり、ぶつかり合った火花だけが二人の存在を示しているようだった。

魚雷で生まれた水しぶきが落ちる前に、五度は切り結ぶ。それを繰り返す間にも響く砲撃の音が、彼女を焦らせていた。

 そして、月明りが隠れたことを感じ取った綾波が空を見る。それは、決して雲に覆われたから隠れたのではなかった。おびただしいほどの艦載機が天を覆いつくして、基地全体に影を落としていた。それをやったのが誰なのか、綾波にはすぐわかってしまう。伝わるのは、絶望とともに。

 

「っ、逃げ————」

 

 彼女の声はかき消され、既に炎に包まれていた基地を無慈悲なほどの轟音が包み込んだ。

 爆風に耐え切れず海の方へと吹き飛ばされる二人。宙返りしてなんとか着水するものの、目の前に広がる光景に動揺を隠せずにいた。

 

「……時間稼ぎは終わり。あなたの負けですね、綾波ちゃん」

「っ……逃げるんです?」

「むしろ慈悲ですよ。ジャベリン、今日のところはあなたの仲間を殺しません」

「……そういうことです、か」

 

 ジャベリンを追うのなら、仲間を見殺しにしなければいけない。彼女に選択肢は無かったのだ。

 

「今度会ったら殺す、です」

「あははっ! 楽しみにしてますよ。先に地獄へ行く準備でもしときますかね?」

「……チッ」

 

 彼女に背を向け、その場を離れる綾波。ジャベリンはそれを見つめ、つぶやいた。

 

「もうすぐ二人で会いに行きますからね、ラフィーちゃん」

 

 

 

 綾波は全力でエネルギーを蒸かし、戦闘音の方へ急ぐ。敵艦が仲間たちを逃がさないように包囲しているようで、半円を描くように並んだ艦達が中央へと砲撃していた。

 ──────あんな攻撃で死ぬほどヤワじゃない。

 自分に言い聞かせ、唇を噛み締めて向かっていった。

 

「……!? なんだ貴さ──────」

 陣へと近づき、気付いた敵艦を容赦なく切り捨てていく。息を上げながら、血を流しながら一心不乱に何隻かを切り沈め、すぐさま中央へ向かう綾波。生き残った連中は恐怖と困惑でその場にへたりこみ、呆然と綾波を見つめていた。

 

 それから少しして、綾波の背後から悲鳴が響き渡る。すぐに砲撃音にかき消されたそれを気にもとめず、彼女は仲間たちを探していた。これ程までに夜の闇を憎んだことがなかった彼女は、全開で奔り続けようやく疲弊した仲間たちを見つけた。円形陣で周囲を迎え撃ちつつも、圧倒的不利な状況に為す術もないようだった。

 

「高雄、江っち……みんな!」

「……!! 綾波か!?」

 

 嬉しそうにしながらもどこか戸惑う高雄達は手招きした綾波の方へ向かってきた。その間も受けていた砲撃を綾波、伊勢両名が片端から撃ち落とす。

 

「綾波さん、私はどうすれば……」

「今は逃げるです。幸い端の方は層が薄い。あいつの気まぐれがいつまで続くか分からないです。早く!」

「……え?」

 

 縋るように聞いた江風の言葉に返ってきたのは、逃げるという選択肢。こんな状況でも、絶望に包まれていても。彼女なら何とかできるとどこかで慢心していた彼女は、思わず呆けてしまった。

 

「バカ、早く逃げるです!」

「早く行かなきゃ死ぬんだぞ!?」

 

 江風は夕立に腕を引かれ、全開で離れていった。皆が走る中、綾波と共に殿を務める伊勢。降り注ぐ砲弾や爆撃を得意の早撃ちで撃ち落としていく中、横から急接近してくる何かが迫ってきた。

 

「……綾波、行け」

「バカ言うなです、伊勢やん。アレを相手できるのは綾波だけです」

 

 迫ってくるのは白の軍服。白銀の髪を靡かせた空母。

 ──────エンタープライズだ。

 

 迎え撃つように飛び出し、彼女へ切りかかる綾波。それを滑走路で受けた彼女は狂ったような笑みを浮かべた。

 

「久しぶりだな、綾波」

「会いたくもねーです、エンタープライズ」

 

 強引に剣を押し込み、その力で距離をとる二人。息を整え、再び構え直す綾波に対し彼女は呆れたようにため息をついた。

 

「そんな消耗した体で私に勝てると思っているのか? 甘く見られたものだな」

「そう思うんなら出直してくれ、です」

「折角の再会をフイにしたくないだろう?」

 

 ジャベリン戦で随分と力を使った綾波。積り重なったダメージや疲労は彼女の動きを鈍らせてしまっていた。

 それを証明するかのように急接近するエンタープライズの蹴りを避けきれず、吹き飛ばされてしまった。倉庫の壁に叩きつけられ、水面に足は着いているものの、とても動けない状態になってしまった。

 

 そんな綾波の方へ少しずつ、確実に近付いていくエンタープライズ。横から全力で砲撃してくる伊勢の弾を片腕の滑走路のみで平然とすべて受けきりながら、確実に。

 

「……っ、クソが!!」

 

 伊勢は刀を抜き、近接戦を挑むが、容易くそれを避け鳩尾を肘で打たれてしまった。

 呼吸すらままならず、腹を抱える彼女へ見向きもせずに進むエンタープライズは、綾波のもとへとたどり着いていた。

 

「……残念だ」

「や……めろ……」

 

 動けずに諦めたような表情を浮かべる綾波。一歩も動けないまま、弓を引く様子をただ見ていた。

 

「やめ……ろ……!!」

 

 掠れた声で叫ぶ伊勢。血を吐きながらも、全力で。

 そんな彼女を見もせず、ぽつりと声が響いた。

 

「さよならだ」

「やめ、ろぉぉお!!!」

 

 急加速した伊勢はエンタープライズに飛びかかり、肩で彼女を吹き飛ばした。すぐに体勢を立て直した彼女はようやく伊勢の方へと向き直り、改めて彼女へ弓を引いた。

 

「先に死にたいのなら、勝手にしろ」

「ハハッ、望むところだ。……綾波!!」

 

 ビクッと震え、伊勢と目が合う二人。よろめきながらも、真っ直ぐと目を向ける綾波に対し、彼女はできる限りの笑顔を向けた。

 

「生きてくれ」

 

 ただそう言い、エンタープライズの方へ向き直る。それとほぼ同時に矢が放たれ、彼女の眉間へと向かっていく。そしてそれは──────彼女により、真っ二つに斬られていた。

 

「伊勢、やん……?」

「綾波、伊勢!! ……エンタープライズ!?」

 

「あァ、高雄。綾波を任せたぜ」

 

 逃げた方から戻って来た高雄。その様子に困惑しながらも、伊勢の言葉を聞くと、決心したように綾波を抱き上げ、再び全速力でその場を離れ始めた。

 

「待って、高尾!! まだ伊勢やんがいるです! 一人にしたら、もう!」

「解ってる! あいつの覚悟を無柄にする気か!!」

「いやだ、待ってです……伊勢やん!!」

 

 暴れる元気も無い中で叫ぶ綾波と、歯を食いしばりながらもその場を離れていく高雄。その様子を見ていたエンタープライズはようやく口を開いた。

 

「愛されているな、『伊勢やん』」

「その呼び方していいのはアイツだけだ」

「そうか。……綾波を差し出せば、君だけは見逃したというのに」

「仲間売るくらいなら、死んだ方がマシだ」

「……殊勝だな」

 

 エンタープライズが艦載機を展開したその瞬間、伊勢の砲弾がその殆どを叩き落とした。驚いた様子で彼女を見ると、笑っていた。全てを悟り、覚悟を決めた目で。

 

 艤装のリミッターも外し、彼女は立ち向かう。十三番目の覚醒者は、その命を燃やした。

 



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瓦解

「落ち着け、綾波!」

「っあぁああ!!!」

 

 病室で叫び狂い、壁に穴を開ける綾波。そしてそれを必死で止める高尾。

 

 あれから数時間後。横須賀に運ばれた大湊艦隊は療養していた。幸いにもメンバーの殆どが無事で、人的被害はごく少数だった。……大湊はユニオンに奪われてしまったのだが。

 

 手の中にある伊勢の髪留め。逃げきったと思った矢先にどこからか吹き飛んできたもの。それを見た綾波は頭を抱え、ただ吠えていた。

 

「綾波は……綾波は!! 何も学んじゃいない!!」

「綾波、さん……」

 

 片腕をつり、困惑した様子で彼女を見る江風。いつも冷静で起伏の少なかった綾波がここまで取り乱す姿を見るのは初めてだった。

 ……無理もないことだった。大湊に来てからずっと仲間を死なせずにいて、これからもそうすると誓っていた綾波。それが崩れてしまったのだから。

 

「伊勢やん……綾波、は……」

 

 鎮静剤を打たれ、その場に眠り込んだ綾波。とりあえずの静寂の中で、高雄はへたりこんでしまった。

 

「……なぁ、江風」

「なんだ?」

「拙者の選択は、間違っていたのか?」

「……どうだろうな」

 

 大湊の面々は消耗しきっていた。江風は片腕がちぎれかかっているし、高雄はアバラを始め骨が数カ所折れている。夕立や加賀は全身に酷い火傷が広がっているし、赤城は片足の骨が折れている。唯一目立った傷のない夕張は看病に駆け回っている。こうして暴れ回っていた綾波も複数箇所の骨折に加え筋断裂、内臓にもダメージがあったKAN-SENでなければ死んでいたとは医者の談だ。

 そして、指揮官は未だに目を覚まさない。戦火の中で皆を逃がし、奔走していた彼は爆撃に晒され、酷い傷を負っているのだ。

 

「あ、あの……大丈夫です?」

 

 横須賀の面々が物珍しさからか見舞いに来る。幼い者は彼女らの様子を見て、怯えて逃げ帰ってしまうのだが。だが今回は違うようだ。

 

「心配しなくていい。拙者らは生きているのだし、傷は治せるさ」

「そ、そうです?」

 

 おずおずと出てきたのは、横須賀所属の綾波。改造を施していないせいか大湊のものより幼く、目にも光が灯っているように見える。

 

「ウチのをひと目見ておきたい、とかか? 今は勧めないぞ」

「そう言うな、江風。何か用件があるなら、伝えておく」

 

「えと……これを渡しに来た、です」

 

 そう言って手渡したのは、一通の手紙。少し古くなった紙に「綾波 ジャベリンへ」と書かれたもの。

 

「これは?」

「いつだったか、基地内で色々あって、地面がバクハツすることがあったです。そしたら箱が出てきて、その中に」

「差出人は……ラフィー、か」

 

 手紙を渡すと、彼女は困ったように笑った。

 

「その宛先、綾波じゃなかったです。きっと、ずっと前から戦ってきた綾波の──────あの人のものじゃないかなって」

 

 その視線の先には、荒れ果てたベッドで気絶したように眠っている綾波。彼女が知らぬ間に現れた運び人は、礼をすると去っていった。

 

 

 

「……! 起きたか、綾波さん」

「……ん」

 

 また数時間後、目を覚ました綾波。ボサボサの髪のまま、魂が抜けたように返事をしていた。

 

「……江っち」

「なんだ?」

「伊勢やんは……どうなったです?」

 

 普段の綾波がすることの無い、縋るような言葉。一片の希望に擦り寄り、信じたがっているような様子だ。

 

「安否不明、あの場から帰っていない。恐らくは──────」

「解った、もういいです」

 

 会話を打ち切った綾波は寝返りをうち、そっぽを向く。覇気のない声に戸惑いつつも、その原因を理解していた江風は何も言えずにいた。

 

「綾波、伊勢やんに助けられたです。……何も、できなかったです」

 

 沈黙の後、口を開いた綾波。ぽつり、ぽつりと話す様子を、江風はただ何も言わず聞いていた。

 

「何が『鬼神』だ……何が『エース』だ。──────綾波は、仲間一人すら守れないです」

 

 彼女の目尻から、一筋の雫が流れ落ちる。後悔と、無力感……そして大きな挫折。腹の中で渦を巻く想いを少しずつ零していくように、ただ静かに涙を流していた。

 

「守りたかったんじゃないのか?」

「……は?」

「きっと伊勢は、綾波さんを守りたかったんだ。それが大湊の未来に繋がると信じて、自分を犠牲にしてでも守り抜いたんだ」

「確かめようもない希望的観測を口にして何になるです」

「でも、伊勢はきっと!」

 

 言いかけたところで、飛び起きた綾波は江風の胸ぐらを掴んで引き寄せた。まだ目尻に涙を湛えながら、叫び声を絞り出すように、まくしたてる。

 

「ハッキリ言えばいいです! 綾波がもっと強ければ、伊勢やんを見殺しにしなくて済んだ! いいや、その前から……ジャベリンをさっさと始末して、すぐにみんなを助けに行けた!!」

「綾波、さん……」

「綾波のせいで、あいつは死んだ! そんなこと誰より理解してるです! だから!」

 

 ひとしきり言った後、彼女は息を整える。落ちる涙を止めもせず、肩で息を吐いていく。そして少し掠れて落ち着いた声になった綾波は、ぽつりと呟いた。

 

「だから、お願いです。……今だけは、綾波を責めてほしいです」

「……っ」

 

 江風は、何も言えなかった。彼女が抱え込んだものの大きさの片鱗、それを初めて感じられたようだったから。

 

「八つ当たりしてごめん、です。少し一人にして欲しいです」

「……わかった」

 

 小さくそう言い、またそっぽを向いてしまう綾波。江風は部屋を去る間際、思い出したようにテーブルに手を置いた。

 

「ここの綾波が置いていってくれたんだ。アンタ宛らしいし、読んでやってくれ」

「……ん」

 

 彼女の様子を心配しながらも、江風は部屋を出る。今彼女を癒せるのは、自分ではないから。

 

 綾波はテーブルへと手を伸ばし、その手紙をとる。赤がかった夕日に照らされた、古ぼけた封筒を見つめていた。

 

 ──────間違いない、ラフィーの字だ。

 

 そう確信した綾波。他のラフィーも同じように書くのかもしれない。だが、それでも確信していた。かつて共に海を駆けたラフィーであると。

 

 勇気を振り絞り、中の手紙を見た綾波。たった一行の文章を見て、思わず「は?」と声が出てしまった。

 その中に書かれていたものは、「秘密基地の宝箱を見て」だった。意図も理由も見えない。なにか隠していたとして、あれから何年も経った今どうしろというのだ。……今更それを見つけたとして、彼女はもういないというのに。

 ため息をついて、手紙を置く。それを確かめる気も起きないというより、今彼女の遺したものと相対したくなかった。ぼんやりと窓の外を見て、また大きく息を吐いた。

 

 

 

 それから数日して、綾波達が完治した頃。横須賀基地内はまた嫌な空気に覆われていた。エンタープライズ率いるユニオン艦隊が大湊を出航、近隣の基地を破壊しているという情報を受けたからだ。

 最強のKAN-SENのみならず、50を超える大艦隊。もはや戦いにもならない蹂躙が続いているのだろう。

 

 緊張が走り続ける基地内では、来る戦いに向けての準備を進めているようだった。むしろ戦力を集めている今こそ好機として、彼女らを打ち破ってやろうというものさえいる。

 そんな中で、大湊の面々は呼び出しを受けていた。

 彼女らの前に立つ小柄な戦艦は、背筋を伸ばし彼女らへ向き直る。

 

「改めて、余は重桜連合艦隊旗艦、長門である。此度の戦い、ご苦労であった」

「クソの役にも立たねぇ皮肉を言う暇があるなら要件を言え、です」

「こら、綾波! ……失礼致しました、長門様」

 

 苛立った様子で言う綾波を、赤城が諌める。長門は少し動揺した様子を見せたが、すぐに咳払いをした。

 

「構わん。早速本題に入るとしよう。サンディエゴ第一艦隊の件だ」

「……エンタープライズです、か」

「うむ。彼女率いる五十余りの艦隊が横須賀に侵攻すると推測されている。それを迎え撃つ際にお主らの力も借りたいのだ」

「ええ、勿論ですわ。此方としても光栄です」

 

 恐らく彼女らも先の戦いで受けた傷は癒えている。そうなればあの時と似たような状況になりかねない。

 

「策はあるんです?」

「勿論。既に北陸で艦隊を潜伏させている。彼女らが水戸を超えたところを挟み撃ちの形で強襲だ」

 

 練度が高く、更に絶対的な空母がいるサンディエゴ艦隊。制空権を奪われる可能性が高い故にそれが響く前に勝負を決しようということらしい。理には適っている。

 

「前回と同じメンツなら、綾波はジャベリンに手がかかるです。綾波抜きで……いや、いたとしてもエンタープライズをやれるんです?」

「やってみなければな。いくら彼女といえ無敵ではない」

「此処でまともに相手できるのは綾波と長門だけ。ヤツの性質上数で攻めたとして返り討ちになるです。一筋縄ではいかねーです」

「だからお主にもエンタープライズを相手してもらう。横須賀艦隊が全力でジャベリンを足止めし、その間に敵旗艦を叩く。奇襲で混乱を引き起こし、数を減らすことが出来れば可能なはずだ」

 

 真っ直ぐな目で綾波を見つめる長門。決して確実では無い策だが、最前ではある。それを訴えるように見ていた。

 

「わかったです。ここの旗艦はアンタだし、それに従うです。ただ──────」

「……ただ?」

「綾波以外がアイツと対峙するのなら、死人は両手じゃ足りなくなる。それを覚悟しておくです」

「……ああ」

 

「ちょ、待て綾波!」

 

 彼女の言葉を待たず、さっさと部屋を後にする綾波。高雄が引き留めようとするが、振り返ることなく出ていってしまった。

 

「……構わん。余が好かれていないことなど解っている。五年のツケを返しきれていないだけだ」

「長門様……」

 

 その後解散となり、部屋を出る大湊艦隊。少し寂しそうな顔をする長門に少し気後れしながらも、江風らは部屋を出た。

 

「……高雄」

「どうした?」

「長門様と綾波さん……以前に何があったんだ?」

「あぁ、その事か。拙者はその場にいた訳では無いからな、伝え聞いた話になる」

 

 

 

 五年前、アズールレーンが分裂し、レッドアクシズが生まれた頃。ユニオン、ロイヤル、鉄血、そして重桜の四陣営が混じりあっていた横須賀では壮絶な戦いが起こった。アズールレーン側についたエンタープライズと、レッドアクシズ側についた三笠。かつての友人同士、かつての仲間同士で殺し合いが始まってしまった。

 横須賀の内部分裂に、綾波達も巻き込まれてしまっていた。陣営の圧力からジャベリン、ラフィーの二名はアズールレーンに、綾波はレッドアクシズに加担せざるを得なくなってしまった。

 それでも三人は刃を交えなかった。人知れずに集まり、戦いを終わらせる方法を思案し、そしてまた戦いに赴いて。陣営は違えど、その友情は切れないものだった。

 

 ある日、戦場で綾波とラフィーが相対してしまった。戦いたくないが、周りの目を考えると戦わざるを得ない。あくまでフリだけ、怪我すらしないような優しい打ち合いを二人は始めていた。……その時だった。

 綾波の背後から榴弾が放たれ、ラフィーの肩を吹き飛ばした。そして続けざまに腹を抉られ、致命傷を負った。彼女は倒れかけたラフィーを抱き留めた。気をしっかり保つように声をかけ、応急処置の為に工作艦を呼ぶ。だが、敵同士の二人がそんなことをして近付くものはいない。そうして息を引き取るラフィーを看取った綾波は、タガが外れたように佇んでいた。そして声をかけた長門を──────ラフィーを殺した本人を、狂ったように殴り続けた。仲間を殺すわけにはいかない。でも、許すことなんてできやしない。

 遅れてやってきたジャベリンが泣きながら引き剥がすまで、それは続いていた。

 ただ声もあげず、表情ひとつ変えず。ただ涙を流しながら、ひたすらに殴り続けていた綾波。血に滲んだ拳を見つめ、ジャベリンへと視線を移し。ただぽつりと呟いたそうだ。

「ラフィー、死んじゃった……です」

 

 

 

「艦としての判断は正解だろうが、綾波の怒りを買うには十分すぎる理由だ。奴に理性がなければ、今頃……いや、やめておこう」

「……そんなことがあったのか」

「そのようだな。それ以来あんな性格になったとも聞く。……ああなった後しか知らない拙者には分からないがな」

「想像もつかないな」

 

 長門を嫌う理由。綾波の過去、その一片を聞いた江風。納得が半分、残りは少しの後悔と悲しみ。深く追求することもできず、ただ廊下を歩いていた。

 



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UNLUCKY-E

 会議の場から離れた綾波は、基地のはずれにある防波堤に座り込んでいた。ただ海風に吹かれ、カモメが鳴いて。肌を撫でていく風に身を任せ、倒れこんだ。

 

『泣かないで。……綾波。君に会えて、よかった。生きていてくれて、よかった。友達でいられて————よかっ、た』

 

 親友が残した最期の言葉。血にまみれた手と、徐々に光を失っていく目。頭に焼き付いて離れないそれと、つい先日のあれが重なってしまう。

 

『生きてくれ』

 

 そんなことを言われても。綾波は誰に言うでもなく呟いた。仲間を守り抜くことが唯一の生きる理由だったのに、守られてしまった。自分が犠牲になれば、伊勢は死なずに済んだかもしれないのに。きっと指揮官も赤城も、生きていれば伊勢すらも「気にしすぎだ」と言うだろう。当たり障りのない、見栄えのしない日常ばかりが瞼の裏に映り、消えていく。

 

 酒を飲んで騒ぐ伊勢に悪態をつきながら付き合ったあの日。

 一緒に射撃演習を繰り返し、早撃ちをものにして嬉しそうにしていたあの日。

 一緒に笑い、一緒に泣いた。高め合い、競い合った。そんな日々がよぎっていく。

 

 もう二度と訪れることがないあの日々。腕に通した彼女の髪留めを見て、目を閉じた。

 

 

 

「————波さん、綾波さん」

 

 揺り動かされた綾波が目を閉じると、夕日で赤く照らされた江風が彼女を覗き込んでいた。心配げな様子で、起きた彼女を見て安心したような顔をして。

 

「江っち、どうしたです?」

「解散後しばらくしても寮に戻ってこないから、探していたんだ。まさかここにいるとはな」

「……ん」

 

 江風は彼女の隣に座り込むと、持ってきていたペットボトルを一つ、彼女に渡した。

 

「なあ、綾波さん。私は、強くなれたと思っていた。アンタには遠く及ばないが、それでもあそこを、みんなで守っていけるものだと思っていた」

「……うん」

「あの日、それが砕け散ったようだったよ。敵も倒せないどころか、誰一人守ることもできない。あの日私は、足手まといだった」

「新人なんだから、当然です。だから綾波が守らなきゃだったのに……」

 

 また暗い顔をして頭を抱える綾波を、江風はそっと抱きしめた。彼女はそのまま、されるがままに抱かれている。

 

「……前に言ったこと、覚えているか?」

「どのことです?」

「新人だから、後輩だからって……守られるだけじゃ嫌なんだ。アンタ一人に抱えさせるのは、嫌なんだ」

「……っ」

 

 彼女は何も言わず、江風の服をぎゅっとつかむ。肩を震わせ、ただ抱き返していた。

 

「生意気……です」

「もっと努力する。もっと戦って、もっと立ち向かって強くなる。もう二度と逃げない。だから……私にも背負わせてくれ」

「……うん」

 

 彼女の胸に頭を擦り付け、綾波はただすすり泣く。そして彼女は、綾波の頭を撫で続けていた。

 

「……ねぇ、江っち」

「ん?」

「五年前、誓ったです。もう二度と仲間を死なせないって。でも……」

 

 それ以上言葉を繋がなかった綾波。言葉にすれば、また絶望してしまいそうだったから。江風にはそれもわかっていた。短い付き合いではあるが、ずっと慕ってきたヒトであり、師事していたヒトであり、憧れてきたヒトなのだから。

 

「一つ、私から頼みがある」

「……ん」

「————死なないで」

「……っ!」

 

 伊勢の言葉と被るように聞こえる言葉。願うような、その言葉。彼女には、意味は理解できていても、その意図まではわからなかった。

 

「綾波なんて、もう過去の艦です。みんなを守るためなら、真っ先に死ぬべきだと思ってたです」

「そんなことは……」

「そう思ってたです、今までは。……うん、もう大丈夫。また、戦える」

 

 彼女から離れ、口角を上げる綾波。江風が初めて見る、柔らかな笑顔。それは、彼女が抱えていたつきものが一つ落ちたようだった。

 

「伊勢やんにも言われたです。『生きてくれ』って。だから、生きなきゃです」

 

 困ったように言う綾波。狂気から掬われたその表情に、江風もつられてしまうようだった。

 

「……そうだな」

 

 

 

「ところで、綾波さん。あの手紙には何が書いてあったんだ?」

「あれです? あー……秘密基地になんか隠してあるとかなんとかです」

「見に行かないのか?」

「エンタープライズを倒したら行くです。未練を残したままなら、きっと生きたいと思えるから」

「……そうか」

 

 工廠に立ち寄った綾波は、そっと剣を手に取る。磨かれ、研ぎなおされた刃。彼女は峰を額につけ、深呼吸をする。

 

「……どうだ?」

「ん、いい感じです。さすがは横須賀、です」

「それはよかったな」

「ん」

 

 

 

 そうしていた次の瞬間、工廠の無線から連絡が聞こえてくる。

 明朝、房総半島東部沖でサンディエゴ艦隊を迎え撃つのだと。

 すぐ目前に訪れた戦いに、綾波の目は戦場でのそれに変わった。江風もそれは同じだ。深呼吸して、思いを整理していた。

 

 

 

 翌朝。艤装を身に着けてすべての準備を済ませた横須賀、大湊両艦隊が準備を済ませ、水面の上に立っていた。

 

「用意はいいか」

「バッチリ。全員ぶった切るです、高雄」

「全員掻っ捌いてやるぜー!」

 

「作戦は全員に伝えた?」

「はい、前衛後衛ともに伝えました、赤城さん」

 

 大湊の面々は闘志を滾らせる。それもそのはず、彼女らにとっては基地を取り返すための戦いであり、伊勢の弔い合戦でもあるからだ。怒りもなにもすべてをぶつけ、必ず勝利する。それを誓い、彼女らは海原へと駆け出した。

 

 

 

「エンタープライズさん」

 

 沖合にて横須賀を目指す艦隊。話しかけてきたボーグを無視し、ただ進み続けるエンタープライズ。他の面々からの言葉にも耳を傾けず、時折方角の指示が入るだけ。先の作戦時もそうだが、最低限の指示のほかは彼女らと言葉を交わすことはない。妹であるホーネットとすら話さないうえ、独断で接近戦を始めたりと勝手な行動を多くする。その結果、大湊では五隻の死傷者が出たというのに、それに関しても興味なしといったふうだ。

 彼女らはため息をつきつつも従うしかない。彼女が最強である限りはずっと。

 

「後方警戒だ」

 

 一言だけ言い、彼女はまた口を閉じる。こうして誰かに伝えた後は知らんぷりだ。伝言ゲームのように人伝いに流れていき、ぼんやりと皆が意識する。第一、彼女への人望がない以上この言葉も今一つ信用できない。————そう思っていたところだった。

 

 

 彼女らの後ろから強烈な爆発音が響く。発射された魚雷が炸裂し、後部隊列が崩壊したようだ。

 

「北西から奇襲! 横須賀艦隊です!」

 

 その報告を受けたエンタープライズは、呆れたようにため息をついた。だから言ったのに、と言わんばかりに失望したような目を向け、口を開く。

 

「おそらく敵数は十から十五。処理に当たれ。お前、今度は前方、右翼部の警戒を強めろ」

「は、はい!」

 

「え、エンプラ姉?」

「何度も言ったはずだ。私の妹はあの子一人だと」

 

 冷たく吐き捨てて前へと進み続ける。再前方にいるジャベリンも気にせず前へと進み続けるため、全体としても止まれなくなっていた。

 

「……あはっ!」

 

 うっすらと霧がかかる中、ぽつんと一人で佇む艦船。それを見たジャベリンは嬉々として突進していった。わき目も降らず、一目散に。

 だがその艦船……綾波は槍の一撃をひらりとかわし、彼女を無視して前へと駆け始めた。エンジンを全開にして、全速力で。

 

 困惑するジャベリン。追いかけようとしたその瞬間、霧の中から十隻の艦船が飛び出し、彼女へと襲い掛かる。次々に魚雷を発射すると後ろへ飛び下がり、彼女は爆発音とともに水柱に包まれた。

 

「……そういうことですか。そんなに死にたいのなら、かかってきてください」

 

 綾波らの意図を察したジャベリン。次々に空へ展開されていく艦載機と、晴れた霧から現れる大艦隊。静寂と入れ替わるように響き渡る砲撃音が開戦を告げた。

 

 

 一目散にエンタープライズの下を目指す綾波。阻止しようとする艦たちを最小限の力でかわし、斬っていく。後に続いてやってくる江風をはじめとした前衛部隊や後方からの砲撃、空爆に処理を任せてただひたすらに進んでいく。綾波が通ると困惑の声が響き、そして少しすると後続との戦闘音に代わる。混戦状態で砲撃や魚雷を扱うことに慣れていない彼女らを出し抜くには十分だ。

 

「……来たか、綾波」

 

 エンタープライズは砲撃命令を出す。彼女を近づけまいとユニオン艦達の砲撃音が響き、混乱の中針の穴を縫うように向かってくる綾波の下で着弾した。

 

「あ……あぁ……が……」

「どーもです」

 

 近くにいた艦を盾にして砲撃を凌ぎ、ぐんぐんと近づいていき……その瞬間、味方がいるにもかかわらず爆撃が始まった。悲鳴や血の飛び散る様子が爆炎と水柱に隠されていく。それを躱し、防ぎ、ついにはエンタープライズの下へとたどり着いた。

 目前に佇む彼女を見て、綾波は戦慄した。左腕のひじから先がなくなっていたから。

 

「……エンタープライズ」

「また会ったな、綾波」

「一つ、質問があるです」

「外ならぬ君の言葉だ。聞いてやろう」

「伊勢やんは……戦艦伊勢はどうしたんです?」

 

 まっすぐに彼女を見つめ、問う綾波。彼女は

 

「私が殺した。……だが彼女はとても強かったな。この腕も彼女が落としたものだ」

「……そうです、か」

 

 どこか誇らしげにそう言う彼女。それを見て、綾波は気味悪そうにしていた。

 

「性格悪ィです」

「失礼だな。私は彼女の力に敬意を表しているんだ。今まで誰も欠けることのなかったこの体、その腕を落とすなんてな」

「そりゃよかった。じゃあもう一本と言わず、命まで落としていけばいいです」

「……言うじゃないか」

 

 艤装を扱い弓を引く彼女と、剣を構える綾波。その戦いが幕を上げた。

 真っ先に彼女を襲ったのは砲撃。彼女が放った矢を紙一重で避け、返す刃として正確に眉間を狙ったものと、両膝、肘に向けた合計四射をほぼ同時に放つ。それを滑走路を盾にして躱し、体勢を落とし……弾けるような音と共に急接近した。間合いに入るや否や強烈な蹴りを放つ。剣で受けた綾波の手がしびれるほどの威力を持ったそれを受け、彼女は数メートル押し込まれる。

 彼女の脚に追加された艤装、それが煙を吐いていた。

 

「妙な武装です、エンタープライズ」

「ああ、君に見せるのは初めてか。……衝撃脚(インパクトスパイク)、そう呼んでいる新艤装だ。効果は……語るまでもないだろう?」

「……こりゃ苦労しそうです」

 

 綾波は話しながらも砲撃し、彼女の周りを飛ぶ艦載機を数機落としていく。そうして呼吸が重なり……再びぶつかり合う。

 綾波の魚雷、エンタープライズの爆撃。互いの手札を警戒し距離を取ることにリスクがある以上、接近戦が主になっている。自分をまきこみかねない手段はそれで勝利できると確信がない限り使ってはいけないから。

 

ぶつかり合い、斬り合う二人。援護しようとする艦達は片端から盾にされ、辻斬りのように切り捨てられていく。誰にも介入できない戦い……そう思われる中、澄んだような声が響いた。

 

「避けろ、綾波さん!!」

 

彼女の言葉を聞いたその瞬間、エンタープライズの脚をはじき跳び下がる綾波。それと同時に、魚雷の炸裂する音が響いた。

 発生する水柱。その中心から離れた様子はない。いくらエンタープライズとはいえ、確かに通じたと確信していた。

 

「まだです」

 

その言葉と同時に、何かが着水し、爆風がかき消される。その中心にはやけど一つないエンタープライズが立っていた。着弾するその瞬間に衝撃脚の爆風も利用した大ジャンプをし、爆発を躱していたのだ。

 

「……化け物め」

「その化け物も死ねば同じです」

 

 正三角形を描くように立ち、構える三人。少し困惑したようにしていたエンタープライズは、吹き出すように笑った。

 

「っははは! まさかキミが誰かと、ましてやこんな弱い者と共闘とはな。足手まといを抱えたまま勝てるほど甘くはないぞ、私は」

「試してみればいい。私が足手まといかどうか」

「知ったような口を利くな、です。江っちは決して弱くない。自分以外を切り捨てたお前にはわかるはずもないです」

「言うじゃないか。それなら、結果で示して見せろ」

 

 再度急激に間合いを詰め、ぶつかり合う二人。そして江風は回り込み、エンタープライズの後ろから挟み撃ちを仕掛けた。

 スピードでは敵わない。技術や経験も足りない。それでも、支援することはできるはずだ。綾波の攻撃の間を縫うように、そしてエンタープライズの攻撃の隙を突くように。覚醒している二人のスピードについていくことはできなくとも、自分のできることを限界までこなしていた。神経を研ぎ澄まし、彼女の支援に徹していた。

 そんなことを繰り返されたエンタープライズはたまったものではない。思うように戦えず、損傷こそないものの苛立ちが募ってきていた。

 とはいえ、江風に集中することは綾波が許さない。かといって綾波との戦いに専念することもできない。エンタープライズは数年ぶりの「覚悟」を決めた。

 

 甲板で受けた彼女の剣を腕ごと掴み、強引に爆撃機、戦闘機を展開した。反応が遅れた綾波は咄嗟にエンタープライズを撃ち抜こうとするも、間に入った戦闘機が身代わりになった。その破片が彼女の頬を傷つけながらも笑っていた。数十の艦載機が展開され、それは一斉に江風を狙う。一瞬で囲まれてしまい、射撃を開始するその瞬間だった。

 

 一斉に鳴り響いた砲撃音と共に、艦載機の半分が撃ち落とされる。そして空いた空間を通り抜けるようにして江風は包囲を抜け出していった。

 

「まさか————」

 

 砲撃の主は数十メートルはなれた彼方、連合旗艦の長門だった。その後も精密な砲撃で逃げ回る艦載機を撃ち落とし続ける。それだけでなく、天を覆いかけていたほかの艦載機らも次々と撃墜されていく。長門だけでなく、赤城や加賀、横須賀の空母たちによる支援だ。すでに大半の戦場で散り散りに逃げ出していたユニオン艦隊。数少ない残りの一つが此処、エンタープライズだった。

 

「一人みたいです、エンタープライズ」

「腰抜けどもに期待なんてしていないさ。……一か八か、最後の賭けに興じるとしようか」

 

 

 急激に加速し、広くなった海の方へと駆けていく。綾波も全開で追いかけるものの、なぜかその差が広がっていく。そして離れながらも大量の艦載機を展開し、それは先ほどより明らかに強靭で、素早く。

 

「あの日以来だ、使うのはな。……ああ、まさしく————UNLUCKY、だな」

 

 通常の艦載機の倍近い速さで展開し、重桜の艦載機を次々と撃ち落としていく。

 

「どこにあんな底力が……っ」

「江っち、剣を一本貸してほしいです」

「……綾波?」

「アイツが命を懸けた。なら綾波も燃やして見せるです」

 

 彼女はおもむろに脚の艤装に触れ、何かをいじる。そして、江風から刀を受け取ると、昨日のような笑顔を向けた。

 

「勝ってくる、です」

 

 そう言うや否や急加速し、エンタープライズの下へ向かう綾波。それは彼女が今まで見せた何よりも速く、何よりも脆さを感じさせる航行だった。

 居ても立っても居られない。江風は無謀を承知で、彼女を追い始めた。

 

 覚醒艦の技能、超機動航行。それに加え、艤装のリミッターを外し、出力を全開以上にした状態。それが二人のとった「賭け」だった。

 

展開された艦載機から落とされる爆撃を躱しつつ、時に爆風が肌をかすめつつ。距離を縮めるのに五秒すらかからなかった。そしてその勢いのまま、両手の剣で彼女を切りつける。それをすさまじい反応速度で避け、綾波を蹴り飛ばした。剣で受けたものの、十メートル余り吹き飛ばされた綾波はすぐさま体勢を立て直し、再び距離を詰める。

 どうにか射撃を躱し近付く江風にはもはや見えなかった。残像からそこにいたということは分かる。だが、目で追うのもままならないほどの速度でせめぎ合う二人に気後れすらしてしまいそうだった。

 

 二人とも、このスピードを完全に支配できているわけではない。培った経験、センスで補っていても、勢いのままに攻撃してしまうことも少なくない。可能な限りの速度で、可能な限りの精密さで。普段とは似ても似つかぬ拙い戦いが、目にも追えぬ速度で展開されていた。

 互いの攻撃を避けきることも叶わない。皮膚は裂け、肉は抉れ、海に赤が広がっていく。それでも、一瞬だけ江風には見えてしまった。————二人が、笑っていることに。

 

 全力で戦う喜びを、全てをぶつけあう闘志を。その全てを愉しんでいるようだった。

 

 そして、徐々に動きが鈍ってくる。……無論すさまじい速さであることは変わらないのだが、徐々に落ちていた速度は平常時と変わらないように思えた。

 今なら、助けられる。その考えが過り、彼女は向かっていく。綾波と打ち合い、互いに跳び下がった瞬間。……今ならいける。そう確信し、彼女の背中に刀を突きたてた。

 

 彼女を貫く感覚。エンタープライズは江風をギロリとにらみ、今刺されたばかりとは思えない動きで彼女をつかみ、投げ飛ばす。そして追撃のように蹴り飛ばした。

 

「江っち!!」

 

 横腹を蹴りぬかれ、立っていることすらできなくなった江風。エンタープライズは嘲笑うように綾波の方を見た。

 

「今、動揺したな」

「……何が言いてぇです」

「コイツはやはり、君の枷だ。弱いくせに私達の邪魔をし、こうして死んでいく。勇気と無謀は別物だろう?」

「その無謀に刺されてるじゃないです?」

「これは私に対する教訓だ。戦いを愉しみ、戦いを疎かにした私への教示だ」

 

 彼女はそう言い、突き刺さった刀を抜くと江風の肩へ突き立てる。歪んだうめき声が響き、ねじるように傷を広げられさらに走る痛みに声を上げていた。

 それを阻止するように、綾波が彼女を切りつける。抜いた刀で受けたエンタープライズは不敵に笑った。

 

「もう邪魔者は入らない。決着をつけようか」

「言われなくてもそのつもり、です!」

 

 怒りでまた一つギアを上げる綾波。呼応するようにエンタープライズも速度を上げ、再びぶつかり合った。左右の剣での猛攻を彼女は奪った刀で凌ぎ、いなし、反撃していく。

 ただ、怒りで単調になってしまっていた。突っ込んだところ、それを読んでいたエンタープライズの刀が肩口に突き刺さった。

 

「ぬかったな」

「どっちが!」

 

 綾波は突き刺さった刃をつかみ、至近距離のこの間合いで魚雷を放つ。咄嗟に離れようにも、彼女の手がそれを許さない。三本の魚雷は着水と同時に起爆し、二人を吹き飛ばした。

 

「ハァ……ハァ……ゲホッ」

 

 爆炎から飛び出したエンタープライズ。互いを巻き込んだ爆発の衝撃は全身にダメージを与え、足を震わせた彼女は座り込む。その瞬間だった。

 

 エンタープライズの胸を、大剣が貫く。その主は、黒い煤にまみれ、焼け爛れた綾波。鬼気迫る形相の彼女は剣を引き抜き、大穴が開いた彼女をじっと見ていた。

 

 彼女は最後の力を振り絞り、立ち上がる。そして綾波に柔らかな笑顔を向けた。それは七年前に見せた、あの表情と同じで。五年前から一度も浮かべることのなかったそれだった。

 

「漸く、終わるのか」

「……うん」

「迷惑をかけたな」

「全くです」

「……私の負け、か。————先に逝って待っているぞ」

 

 端的に言葉を終えるエンタープライズ。……その頭上には一機の爆撃機が。最後に綾波の方へと帽子を投げ、彼女は目を閉じた。

 

 彼女を包む爆炎。一度ではなく二度、三度と落とされる爆撃が晴れるころには彼女の姿はなく、水面に赤が広がっていた。

 

 綾波はよろけながらも帽子をかぶり、江風を担ごうとする。だが力が抜け、しゃがみこんでしまう。

 

「綾波、さん……」

「なんだ、起きてたです?」

「……勝った、のか?」

「と―ぜんです」

「……そうか」

 

 

 そう言い、二人はその場に倒れかける。その瞬間、二人は抱き留められた。視線を上げると、涙を目に浮かべた高雄の顔が映った。

 

「高雄?」

「無茶をして、っ……」

「説教、は……後にしてほしい、で……す……」

 

 高雄を見て気が抜けたのか、徐々に声を小さくしていった綾波。最後にはその意識を手放した。もう安心だとでもいうように、穏やかな顔をして。

 

 

 房総半島沖の戦い。サンディエゴ艦隊と横須賀・大湊連合艦隊との戦いは、旗艦エンタープライズの轟沈をもって終結した。残った艦達は大湊へと逃げおおせていた。

 サンディエゴ側は死者二十一名、連合側は死者十四名。辛くも勝利を収めた連合艦隊は、横須賀へと帰っていった。

 



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ありがとう

 綾波が目を覚ました時、また病室に寝ていた。あの日と同じ場所で、ただし経緯は違っていて。横のベッドで眠る江風をちらりと見て、微笑む。戦いから尾を引く痛みや重さが、今はむしろ心地良い。

 

 一人では勝てなかった。江風を始め、皆の支援があったからこそ掴めた勝利。エンタープライズという存在からの解放。複雑な気持ちではあるが、やはり第一は勝利の達成感だろう。

 大敵であった彼女の撃破は、レッドアクシズ陣営全体の利になる。覚醒艦複数人で相手してようやく抑えられるほどの相手を仕留められたことは大きな戦果だ。

 

「……伊勢やん、見てるです?」

 

 静かな病室で、ぽつりと呟く。自分を生かし、未来へと繋げたその行動に報いられたかな。そんな思いを抱えてまでまた、目を閉じた。

 

 

 

「綾波ーっ!! 江風ー!! 生きてるかー?」

 

 バタバタという騒がしい足音と共に勢いよく引かれる扉。その向こうには夕立が息を切らして立っていた。

 

「生きてるです。江っちはまだ寝てるから、静かにです」

「あ……綾波起きてる!」

「いやだから……まあいいです。どうしたです?」

「……心配してたんだぜ? ずっと起きないもんだからさ」

「……そう、ですか」

 

 明るい表情から一転して、泣きそうな目になる夕立。元々秋の空のようにコロコロと表情が変わる彼女ではあるが、その感情に偽りはない。綾波は泣きじゃくって胸に飛び込んでくる彼女を受け止め、頭を撫でる。

 病人服が涙で濡れていくが、それも仕方ない。綾波は落ち着くまで、ただ受け止めていた。

 

「うる……さい……ん」

 

 ベッドで眠る江風が忌々しげに掠れた声で呟き、寝返りを打つ。そしてゆっくりと瞼をあけ、きょろきょろと辺りを見渡すと、綾波と目を合わせた。

 

「おはよです、江っち」

「……あぁ、おはよう、綾波さん」

「江風ー!!」

 

 江風はうんと伸びをして、深呼吸をする。そしてそうしている所に飛び込んだ夕立も一緒に倒れ込んだ。

 

「く、苦し……」

「二人とも起きたぁー!!」

「だっちゃんやめたげるです、今度こそ死ぬです」

「ちぇー」

 

 渋々といった様子で離れ、ベッドに座る夕立。江風も起き上がり、関節を伸ばしている。

 

「……仇、取れたです」

「そう、だな」

 

 包帯まみれのまま立ち上がった江風は、綾波のベッドに座り直す。彼女と同じように空へと目線を向ける。

 戦友の死に対する手向けとしては物騒だが、きっと納得してくれるだろう。彼女の行動が、重桜の運命を変えたのだから。

 

「体、まだ痛むです?」

「痛みは肩だけかな。あとは全身の気だるさだが……すぐ治るさ」

「そか、なら良かったです」

 

 

 その後、静かになる。綾波の膝で眠る夕立を撫で、ただ宛もなく夕日を眺めていた。

 鳥の声と、演習をする艦達の声。海風が頬を撫で、通り抜けていく。

 

「……秘密基地、行こうと思うです」

「そうか。きっと『ラフィー』も心待ちにしている」

「さァ? 五年も放置して、遅すぎだって怒るかもです」

「かも、な」

 

 散り散りになったあの日から、ずっと無くしていた気持ち。封じて、見ないようにしていた想い。それを拾い直すために、綾波はまた歩み始めた。

 

 

 

 

 あの頃からの廃倉庫。そのすぐ横から茂みに入り、迷路のようになっている小枝の道を抜けていく。しばらく進んで抜け出ると、そこはちょっとした空間が広がっていた。

 三人で座るといっぱいいっぱいになるくらいの広さ。五年間誰も使わなかったからか荒れていて、蜘蛛の巣が張っている。

 

 そして、隅の土を掘り返すと──────一つの缶箱が出てきた。錆びて汚くなった、お菓子の空き箱。これが綾波達の宝箱だった。

 

 開いた中には、記憶通りのものが。三人で撮った写真や活躍した時に貰ったバッジ。中には整備の時に何故か余ってしまったネジなんかも入っている。

 そしてその底に、一通の手紙があった。

 

 

 幸いにも汚れながらしっかりと残っていた手紙。懐かしい丸文字で書かれた、ラフィーという名前。

 

 綾波はそれと3人の写真を持ち出し、秘密基地を出た。そして、街灯が夜道を照らす中のベンチに座り込む。

 自動販売機の稼働音だけが聞こえる場所。誰にも邪魔されず、一人きりの空間だ。

 綾波は静かに、そして確実に。ゆっくりと手紙を開いた。

 

 

──────

 

 

 綾波とジャベリンへ

 

 この手紙を読んでるってことは、私はもうこの世にはいないのでしょう。

 まずは謝ります。ごめんね。

 

 綾波は優しいから、ジャベリンを慰めてくれてるんだろうな。

 ジャベリンは寂しがりだから、声をあげて泣いちゃってるんだろうな。

 

 この戦いで私たちが敵になるって聞いた時から、こうなるものだと思ってた。

 私は弱いから。きっと沈むとしたら私だと、どこか納得もしてるよ。

 

 この2年、楽しかった。お花見もしたし、海も行った。お祭りも行ったし、雪だるまも作ったね。本当に、楽しかった。

 2人のおかげで、強くもなれた。きっと1人だったら1年も生きられなかったと思う。

 人の体を得て初めて、人間のように生きることができた。

 

 それと、もう1つごめんなさい。戦いが終わったら三人で暮らそうって話。どこか遠くで、ひっそり暮らそうって話。私は行けないみたい。約束守れなくて、ごめんね。

 

 ねぇ、私は「ラフィー」でいられたかな。戦神なんて大層な名前、私は背負えていたかな。

 2人と肩を並べられたかな。

 

 最後に一つだけ、お願い。

 生きて。

 

 世界は怖くて、理不尽で、苦しいことが沢山あるけど。

 私の分まで、2人で生きてほしい。

 そしていつか、天国で会えたら。

 

 2人の話、たくさん聞かせてね。

 

 

愛を込めて

ラフィー

 

 

──────

 

 

 

 手紙を読み終えた綾波は、何も言わなかった。そして表情一つ変えず、ただ立ち上がった。

 

 そして、歩いた。歩いては遅いので、走った。走って、走って、焦りのせいか、息も上がって。

 

 

 しばらくしていつかの防波堤に辿り着いた綾波は、大きく息を吸った。

 そして、栓が外れたように息を吐き出す。想いを海に乗せるように、ひたすら。

 

「うっ、あ……あぁ……あぁああ……」

 

 ボロボロと流れ落ちる涙。夜闇の中に、溶けていく声。

 

「はあっ、ああぁ……ら、ふぃ……」

 

 謝るのは、自分だというのに。ごめんねも、ありがとうも、言い足りないというのに。綾波はただ、泣き続けた。

 

 いつ死ぬかも分からない中で、生きていたいと思えた。守りたいと思えた。ずっとずっと、一緒にいたいと思えた。ラフィーの笑顔が、刻まれた記憶から呼び起こされていく。

 綾波も、ジャベリンも、ラフィーも、笑いあっていた。エンタープライズも、プリンツ・オイゲンも、同じ目線で生きていた。

 地獄だった戦場から逃げなかったのは、彼女の存在あってのものだというのに。

 

『泣かないで』

 

 なんて酷い言葉だろうか。君を失って尚、泣くことを許してくれないなんて。不甲斐ない自分を洗い流すことも、許してくれないなんて。

 守れなかった綾波に、怒ってすらくれないなんて。

 ああ、なんて残酷なんだろうか。

 

 

 

 一頻り泣いたあと。深呼吸をした綾波は、ただぽつりと空に言葉を置いていった。

 

「ありがとう、ラフィー。……大好きです」

 

 綾波は目尻を拭い、海に背を向け歩き出した。

 彼女への土産話は、まだまだ足りないのだから。

 

 そして、死にたがりの彼女にも教えてあげないといけない。

 もっともっと、生きていかなきゃってことを。

 

 手紙を胸元にしまいこみ、綾波は病室へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 翌朝、検査を終え包帯が減った綾波と江風。ベッドに座り暇を持て余す二人の元に、また騒がしい足音が近付いてくる。

 

「綾波、江風ーっ! 指揮官、目、覚めたって!」

「だっちゃん、静かにです」

「あ、ごめん。でさでさ、今朝指揮官が起きたみたいで……一緒に行かね?」

「今起きたのか? 指揮官は無事なんだな?」

 

 大湊を奪われたあの戦いから二週間。ずっと昏睡していた指揮官がついに目覚めたようだ。綾波は特に驚くこともなく、ぴょんとベッドから降りた。話を聞くと、山城と赤城とで面倒を見ているらしい。そんな様子を聞いて、彼女は呆れたようにため息をついた。

 

「……兄貴に似つかず、悪運は強いみたいです」

「兄貴?」

「んや、なんでもねーです。それでだっちゃん、さっさと行くです」

「ん? おう!」

 

 不思議そうにする江風をよそに、二人は部屋を出ていってしまう。慌てて後を追うように、彼女も部屋を出た。

 

 

 階層を一つまたぎ、少し歩いたところの病室。その中では、指揮官らが談笑していた。

 赤城がいつも以上に近い距離感になっていることを除いては大湊でもよく見る光景だ。

 

「漸く起きたです?」

「お、綾波か。心配かけたな」

「元からこの程度でくたばると思ってねーです」

「もっと労われ指揮官を」

 

 小言を返すこの調子から、本当に無事なようだ。綾波は勝手に見舞の品であるリンゴを手に取ると、かじり始める。

 

「綾波―? それは指揮官のものよ?」

「小腹減ったんだからしゃーないです」

 

 ものすごい剣幕で詰め寄る赤城に眉も動かさずにのたまう綾波。怒られることにトラウマすら抱えている夕立が冷や汗をかいて必死に目を逸らす中でも、堂々とした態度を崩さない。

 

「赤城サン。指揮官が起きたのなら、もう動くべきじゃないです?」

「……急いては事を仕損じる。もう少し慎重に動くべきだと思いますわ」

 

 一転して、真剣な表情になる赤城。個人としては突撃主義ではあるが、大局判断となると冷静になる赤城のことだ。綾波の予想通り、すぐに動くことには難色を示した。

 

「で、俺が起きたからどうするって? 何も聞いてないぞ」

「……大湊の奪還。むしろ今しかねーです」

「先の戦いについては、赤城から聞いてる。エンタープライズの撃破、轟沈に始まり、敵艦隊の20%を撃破。結果で言えば完全勝利を収めたともな。だが綾波。ジャベリンの動向を知っているか?」

「……いや?」

「戦闘開始五分で早々にあの場を後にしていたらしい。そのおかげか奴による死者は四名。もし本格参戦していたら……」

 

 その言葉に目を見開いた綾波。どうにか彼女を封じていたとばかり思っていたのだが、彼女はさっさと帰っていたというのだ。多くの味方の支援……おそらく生存していたほとんどの後衛艦隊が艦載機の処理にあたっていたおかげでエンタープライズを撃破できたのだ。それがもっと少ないと考えると……勝てていたかはかなり怪しい。

 

「……でも、もう敵はジャベリンだけです。エンタープライズがいない今、戦力上は何も問題ないはずです。横須賀の力も借りれば確実に————」

「此処の指揮官が承諾すると思うか?」

「……っ」

 

 彼女もよく知っている、この横須賀基地の指揮官。常に自分の保身を第一にしている男だ。横須賀の危機であった今回、体よく利用するために共闘関係になったが、今回は大湊の問題として静観するだろう。名目上重桜最強の艦隊でありながら動こうとしない彼の姿勢はよく知っている。

 

「この事態にまで保身です。此処の大将を始末する方が話早いです」

「よせ、綾波」

「綾波、指揮官様の指示に従いなさい」

 

 赤城、指揮官の二人に止められた綾波は深呼吸し、落ち着かせるように椅子に座った。

 

「わかったです」

「大湊を奪い返す必要があるのは事実だ。……だが、何を焦っている?」

 

 彼の問いに、綾波は目を背ける。だが逃がしてくれるわけもなく、追及の言葉は止まらない。

 

「……別に」

「んなこたねぇだろ」

「なんもねーです」

「何年の付き合いだと思ってる。わかんぜ、さすがに」

 

 しつこいくらいの言葉。こうなったら止まらないことは、よく知っている。綾波はあきらめたように口を開いた。

 

「ラフィーとの約束があるんです。ジャベリンと、会わなくちゃ」

「……そうか、わかった。明後日まで待てるか?」

「指揮官様!」

 

 指揮官が発した言葉に驚愕し、強く呼びかける赤城。……伊勢を失い、いつも以上に慎重な考えを巡らせている彼女は、さらに仲間を失う可能性を恐れているのだ。

 

「悪い、赤城。今こいつを引き留めても、抜け出して一人ででも行くだろう。そうなるくらいなら、これが最善だ」

「……もう」

「……わかったです。その時までは、待つです」

 

 最大限自分の意思を汲まれたことを理解している綾波は、そこで引き下がる。赤城も不満そうに口を尖らせるが、それこそ彼女の言ったように指揮官の指示に従うということだろう。

 

「じゃ、元気そうだしもう帰るです。赤城サン、面倒は任せるです」

「おう」

「勿論ですわ。綾波こそ、お大事に」

 

 元気そうな指揮官を最後に一瞥し、病室を出る綾波。夕立、江風も後に続いてついていった。

 

 

「……綾波、綾波」

「どうしたです、だっちゃん?」

 

 彼女の腕を揺すって、顔を見る夕立。綾波は足を止め、夕立の方へ向き直った。

 

「昨日、何かあったか? 焦りすぎはよくないぜ?」

「……ちょっと、失くしものが見つかっただけです。大丈夫、無茶はしないです」

「ん、ならいいけど」

「綾波も江っちも、だっちゃんばりちゃんも、山ちんも赤城サンも、加賀ちゃんも高雄も。みんなが生きて帰るんです」

「……おう!」

 

 そう、死ぬわけにはいかない。死んでいった伊勢のためにも、ラフィーが残した願いのためにも。そして、かつての親友への言伝をする義務もあるから。

 

 綾波にはもう、迷いはなかった。

 



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血潮の果てに

 二日後。大湊奪還のために、大湊艦隊の面々が港に集まっていた。全員武装し、総力戦を仕掛ける予定の彼女ら。指揮官は先に海沿いを移動しており、適宜無線で指示を出すことになっている。

 それでも完全な指示はできないということで、主な指揮は旗艦である赤城に任されている。

 そんな中、体を伸ばしている綾波のところに夕張が近付いてきた。

 

「可能な限りの整備はしてるし、横須賀の備品も拝借して作ったよ」

「ありがとです、ばりちゃん」

「……ただ、無茶したらまた壊れるからね。それと————」

 

 夕張は言葉に詰まる。彼女の脚部艤装をじっと見つめて、飲み込みかけていた言葉をつづけた。

 

「使わないのが一番だけど、リミッター解除は五分まで。それ以上は制御不能になって事故になるから、気を付けて」

「ん、わかったです」

 

 心配そうにする夕張の頭をわしゃわしゃと撫でる綾波。不服そうにしながらも、されるがままになっている。

 

 

 

 それから数時間して、大湊海域に侵入した。数の面ではこちらが圧倒的に少ないため、見つからないように隠れながらの行動になる。

 房総半島沖での敗走後すぐということもあり、警戒が強まっている。警備担当であろう艦船達だけでもこちらの数を上回っており、その警戒具合がうかがえる。

 推測されている敵の戦力は三十。その全てに加えジャベリンを相手にするとなると痛手は避けられないだろう。

 

 だが、綾波はそんな硬直状態に耐えられない。逸る気持ちもあるが、奇襲をかけ相手のペースを崩した方が得策だと考えていた彼女は、他の艦を押しのけ岩場から出ていく。

 急加速し、まっすぐと警備している艦船の方へと向かっていく。そしてこちらに気付くや否や、後ろに回り込んで気道を塞ぎ、そのまま切り伏せて海に沈めた。

 その後も艦船達を大きな音を上げずに始末していく。だが、三人目の辺りで不審に思っていた艦船からの連絡があったのか、中から多くの艦船が出てきていた。急遽別の岩場に隠れた綾波は、彼女らを見ていた。

 敵数は合計二十八。先の戦いで無事だった後衛が多いためか戦艦級や空母級の艦が多い。すでに艦載機も展開されているし、ノコノコ前に出たら的にしてくださいと言っているようなものだ。

 迷っているところで、突然艦載機が数機墜落する。サンディエゴ艦達は困惑し、敵を探そうと索敵を強める。だが見つからないようで、戸惑った様子で辺りを見渡している。

 

 艦載機を攻撃し、すぐ眩ませたのは赤城の艦載機だ。攻撃し、すぐさま自分自身も墜落したように見せかけることで彼女らを混乱させたのだ。

 そしてその中で、彼女らの下に煙幕が投げられる。綾波の視界も阻まれているところ、夕張が彼女の隠れ場所にやってきた。

 

「綾波、先に行って」

「……幸いにもここにジャベリンはいない。奴らを殲滅してから行くべきです」

「早く行きたいんでしょ?」

 

 彼女の言葉に、綾波は目を見開く。心の内を見透かされたような言葉に、苦笑いすらでてきてしまった。

 

「……かなわねーです、ばりちゃん」

「後でたっぷりお礼してもらうから、今は行って。……負けないで」

「当然です」

 

 隠れ場所を飛び出し、綾波は敵の駆逐艦を一人捕まえた。首に剣を突きつけ、

 

「端的に。ジャベリンはどこにいるです?」

「ひっ……な、なんでハムマンにそんなこと……」

「言えば解放する。言わなきゃ殺す。さ、選ぶです」

「うぅ……」

 

 涙目で混乱している駆逐艦、ハムマン。そんな様子に業を煮やし、刃を首に食い込ませる。皮膚が裂け、血が流れたところで慌てた彼女は、声を上げた。

 

「だっ、第一出撃口よ! さっきまであそこでぼんやりしてた。……嘘なんてついてないんだから!」

「……まぁいいか。約束通り、解放するです。んじゃ」

 

 要件を終わらせるや否やさっさとハムマンを離し、第一出撃口へと向かう。彼女が嘘をつくとは思えないし、そうだとしたら殺しに戻るだけだ。

 ジャベリンはこの戦いの前線に興味がないらしい。綾波の記憶では彼女は真っ先に最前線で戦うタイプだと思っていたのだが、出撃すらしないのは大きな違和感だ。

 

 海の側から出撃口に入ると、その奥ではジャベリンが座り込んでいた。ちゃぷちゃぷと水を蹴りつつ、暇をつぶすように。そして綾波と目が合うと、ゆっくり、確実に目を見開いた。

 

「わざわざ会いに来てくれたんですか、綾波ちゃん?」

「違う……といいたいところだったです。今回ばかりは会いに来たです」

「エンタープライズさんに続いて、ジャベリンもですか。……うん、受けて立つよ」

 

 ただ穏やかに、静かに言う。響き始めた戦いの音にかき消されそうなくらいの、か細い声で。

 

「待ってです、ジャベリン。今回は別の用が————」

「今のジャベリン達に残っているのは、戦いだけでしょう?」

 

 ちゃぶ、と水面に立ち上がる。そして一息に最高速まで加速し、展開した槍をもって突き刺した。綾波はその軌道を剣で逸らし、槍は壁に穴をあけた。そして続けざまに横に薙いだ剣を、ジャベリンは槍を軸に飛び上がることで躱した。

 

「ま、あのジャベリンが話聞くわけないです」

「殺意が足りてないですよ、綾波ちゃん」

「……」

 

 手狭な出撃口でも容赦のない猛攻を仕掛けるジャベリン。最初から全開の動きを見せる彼女の槍を避けきれず、皮は裂け血が飛ぶ。彼女のスピ―ドに対応しきれず、致命傷にはならないまでも確かにダメージが蓄積していく。

 

 反撃で彼女も傷を負いながらも、気にしていないかのような様子で攻撃を繰り返す。致命傷にさえならなければ問題ないと言わんばかりに限界まで攻撃に意識を向けている。刃が肌を掠めながらも、感じているはずの痛みも無視している。狂気さえ感じるほどの攻撃性。それがジャベリンの強さだ。

 

 自分に不利な舞台である狭所から脱する必要がある綾波。彼女は壁に向かって魚雷を放ち、壁を破壊し外に出た。煙の中から突然現れた綾波とそれを追うジャベリン。唖然とする艦船達をよそに、綾波を砲撃するジャベリンから逃げるようにその場から離れる。綾波は近くに通る艦船を盾にしつつ距離を取り、その隙に魚雷を放つ。彼女はすぐさま気づき、海中を砲撃、魚雷を起爆させた。

 立ち上る水柱を目くらましに近付いた綾波は後ろに回りこみ、剣を振りぬく。すぐさま気付いたジャベリンは槍でいなそうと動く。……その瞬間、綾波は剣から手を離した。そして意表を突かれた彼女の腕をくぐり正面に回り、彼女の肩へ砲口を向けた。

 放たれた砲弾は彼女の肩を抉り、腕を吹き飛ばした。焼け爛れた腕から、血が流れていく。綾波はその勢いで飛んできた剣をつかみ、構えなおす。だが、彼女はただ冷静に自分の肩を見ていた。

 

「あぁ、してやられました」

 

 彼女はそう言い、ポケットから取り出した止血剤を打ち込む。一片の動揺すら見せず、再び槍を構える。艦船といえど、痛み、恐怖は残っているはずなのに。

 

 そうして彼女は再び接近する。今度は、さらに一段階速くなって。

 

「……っ!」

 

 綾波ですら避けきれないスピード。意表を突き返して彼女は同じところ……槍で肩を抉り、千切り飛ばした。

 

「これでお揃いですね」

「性格悪いです、ジャベリン」

 

 綾波は肩をつかみ、握りしめることで止血する。そうしてまた、二人は相対する。

 彼女は艤装のリミッターを外し、ジャベリンと打ち合う。自分の動体視力が追い付かないほどのスピードで移動し、攻撃を続けていく。

 

 頭を痛むほどに酷使し、彼女と打ち合う。右、左とすんでのところでかわしながら、剣を振り続ける。

 その均衡が崩れるのは、一瞬のことだった。

 

 振りぬいた剣をしゃがんで躱したジャベリンは、後ろに宙返りしながら魚雷を放ち、水面に落ちる前にそれを砲撃、炸裂させた。

 体の芯を突き抜ける衝撃。呼吸すら困難になるそれに、綾波はガクッと体を沈ませかけた。意識が飛びかける。服も裂け、視界が血に染まる。

 もうろうとする意識の中、胸元から落ちかける一つの封筒が目に入った。

 

 ————ああ、約束したんだ。

 

「……ぁあああ!!」

 

 絶叫と同時に手紙をつかみ、そのまま剣を握りしめる。そして、まっすぐとジャベリンの方へ突撃していった。

 

「ヤケになりましたか? これで————」

 

 彼女の心臓を貫かんと突き出された槍は、空を切った。刺さる直前で倒れ始めた綾波は、その槍を躱すや否や再び脚に力を籠め、海に力強く踏み込む。そして、彼女の軸足に刃を突き立てた。

 

 片足を失ったジャベリン。彼女は陸の方へと飛んでいき、石段に倒れこんだ。綾波は近付きながら、しわのついた手紙をのばしていく。

 ジャベリンは間合いに入った綾波へ槍を突き出す。それをなんなく避け、それを蹴り飛ばした。そして残った片手を踏みつけ、彼女の動きを封じる。

 

 

「ぁっ、はぁっ……もう、気はすんだ、です?」

「ふふっ……うん、ジャベリンの、負けですね」

 

 ジャベリンは納得したように、またすこし物悲しそうに呟いた。互いに満身創痍の中、息遣いだけが聞こえている。

 それを破るように、綾波は手元の封筒を開く。そしてジャベリンの手から足をどかすと、その手元にそれを置いた。

 

「ジャベリン」

「なんですか、これ?」

「見ればわかる、です」

「これ……ラフィーちゃんから?」

 

 起き上がってその場に座り、手紙を開くジャベリン。そしてそれを読み始めた。

 

 

 少しして、彼女の目から涙が流れ始めた。声もなく、音もなく。唇をかみしめ、ゆっくり、ゆっくりと読み進めていく。綾波は彼女の正面に座り込み、その様子を見ていた。

 時折腕で涙を拭い、時折嗚咽をこぼし。目の前にいる綾波のことなんて忘れたかのように読み耽っていた。

 

「ねぇ、綾波ちゃん」

「ん?」

 

 読み終えたジャベリンはふと顔を上げ、涙顔のまま声をかける。あの日のような純粋な表情で、優しい声音で。

 

「ジャベリン達、生きてていいのかな」

「いいか悪いかは知らねーです。でも、あの子はそれを望んでるです」

「そっか。……そうだよね」

 

 それだけ言って、また手紙へと目を向けるジャベリン。昔を思い出すように、懐かしむように、その字列を目でなぞり続ける。

 

「恨まれていたかったんです」

「……ん?」

「あの日間に合わなくて、ラフィーちゃんを死なせた。ラフィーちゃんにも、綾波ちゃんにも、恨まれてると思ってたの。ううん、そう思い込もうとしてたの」

 

 静かに、それでいて確実に言葉を紡ぐジャベリン。歯を食いしばって、それでも耐え切れなくて涙が流れていく。

 

「恨まれていて、嫌われてると思わなきゃ戦えなくて。……逆恨みのように憎まないと、殺せなくて。そうしていつか殺されるのを、心待ちにしてた」

「ジャベリン……」

「現実が嫌で、逃げたかった。ラフィーちゃんを守れなくて、綾波ちゃんも歪んじゃって。そうなった今を忘れたくて、戦いに逃げてたの」

 

 ぽつり、ぽつりと心の底を吐露していくジャベリン。だが、きっとその奥底は、自分を許せない思いだったのだろう。

 誰にも理解されず、誰にも見せなかった想い。それが彼女を歪ませ、戦いの鬼にしてしまったのだろう。理解できるはずの相手と敵対し、殺し合うことを強いられていた。

 

「恨んではいないです。ラフィーも、綾波も。狂った世界に憤ることはあっても、ジャベリンを恨むわけないです」

「……そうだよね。なんで、気付かなかったんだろう」

 

 ジャベリンはそう言うと寝転がり、吹っ切れたように笑いだした。空を仰ぎ、目を閉じた。

 

「ねぇ、綾波ちゃん。……ラフィーちゃん、怒ってるかな」

「そりゃカンカンです。五年も手紙見なかった挙句、当の本人たちはこの有様。……いつか向こうで、一緒に怒られるです」

「あははっ! そうですね。……それも、悪くないかな」

 

 綾波が伸ばした手を取り、肩を借りて歩き始める。五年ぶりに笑いあった二人で、明日に向かって。せめて死ぬ日まで、懸命に生きようと。

 

 

 

 

 あれから、いろいろあった。あの戦いで、綾波はサンディエゴ艦隊の撤退を許した。ジャベリンと肩を組んできたときは相当驚かれたが、互いに利の薄い戦いということで、双方合意で彼女らは撤退していき、大湊は再び綾波たちの城になった。

 それから、相当怒られていたようだ。江風や夕立、夕張からは涙ながらに説教されて、この時ばかりは高雄も止めなかった。失血死寸前だったようだが、どうにか持ちこたえた綾波は、仲間達に何があったのか聞かれた。それでも彼女は多くを話さず、ただ晴れやかな表情でこう言ったのだ。

「いろいろあったから忘れたです」と。

 

 

 

 そしてこの日、綾波は非番だった江風を連れて街に出ていた。ちょうど来ていたZ23と共に、喫茶店で談笑している。

 

「それで綾波、いつもこういうところ来ないのに、どうしたの?」

「ああ。随分珍しい気がするぞ」

「ちょっと人を待ってて、です」

「人?」

 

 不思議がる二人の後ろから、答え合わせをするようにその待ち人がやってくる。

 紫色の髪をなびかせた少女が、綾波と目を合わせた。

 

「こうしたお店、久しぶりです」

「綾波もあの時以来です」

 

 驚愕し、ひっくり返りそうになる二人をよそに、彼女は席に座る。それが当たり前かのような自然な動きで。

 笑いあう二人の表情は、五年前のあの日にみたそれを感じさせた。

 一緒にいたかったのは本当だけど、今はこれで十分。

 

 ありがとう、手紙を読んでくれて。

 ありがとう、また笑いあってくれて。

 ゆっくりでいいからね。ラフィーはずっと、待ってるから。




 ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
 途中長らく更新できませんでしたが、せめて完結させようということでこうして最終回を迎えることができました。
 急いだ都合上、端折ってしまったエピソードや要素がありますが、それでも最後まで書くことができてうれしく思います。
 きになった箇所等あればコメントを下さればうれしいです。補完できる部分は返信という形で書きたいと考えています。
 重ね重ね、ここまでありがとうございました。


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