とある探偵世界の冥土帰し (綾辻真)
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プロローグ:冥土帰し(転生者)

今メインで書いている作品の進みが難航しているので息抜きがてらに書き始めた作品です。
したがって長続きするかは分かりませんが、よろしくお願いいたします。


ピッ……ピッ……ピッ……ピッ……。

 

 

心電図から発する規則的な機械音が部屋の中を静かに響き渡る――。

とある手術室そこには台に乗せられた患者を中心に、複数の医師や看護師たちがその者の治療に全力を注いでいた。

その内の一人――執刀医らしき医者の手が今、静かに止まり、手に持つピンセットをそばにある小さな台の上にカタリと置いた。

 

「縫合完了。……手術は終了だね」

 

執刀医のその医者の言葉と共に、手術室に充満していた緊迫の糸が一気にほぐれた。

その途端、周りにいた医師や看護師らから賞賛の拍手が彼に浴びせられる。

 

「いやぁ~今回もお見事でした()()()。これ程の大手術を一人でやってのけるとは!」

 

医師の一人がそう声を上げるのにも構わず、執刀医の医師は手術用のゴム手袋を脱ぎながら何とでもないかのように次の指示を周りの者たちに飛ばす。

 

「患者を集中治療室(ICU)へ。……何かあったらすぐに連絡するようにね」

『はい!』

 

その場にいる全員の了承の声を背に受け、執刀医だった医師は疲労の溜まった身体を引きずるようにして手術室を後にした――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手術室を後にし、手術用のマスクとキャップを外した私は、洗面台で手を洗いながら何の前触れもなくふと、自身の人生を振り返ってみた。

 

――何を隠そう、『私』は転生者だ。

 

前世でもそれなりに腕の立つ医者だった私は、医療を極めるべく来る日も来る日も医学書と患者相手に医学の研鑽を積んでいった。

そうしてそれなりに満足のいく腕となった私は、やがて天寿を全うし前世の世を去った――。

 

――だが、どういうわけか前世の世界とよく似た、()()()()()()に私は前世の知識を持って生まれ変わる事となる。

 

 

(……そうして第二の人生を生きる事半世紀以上……。今世(こんぜ)の私も随分と老いたものだなぁ)

 

 

手を洗い終え、洗面台に設置された鏡に映るシワの深い自分の顔を撫でながらそうしみじみと思う。

前世でもそうだったが、今の私もこの年で独身の身だ。生まれ変わったことに気づいた時、前世の知識と経験もそのまま今の肉体に受け継がれているのを知り、前世の延長だとばかりに再び医療を極める道を歩みだしたのだ。

そのかいあって、今では世界でも五本の指に入るほどの凄腕の名医として世界中から注目の的となっていた。

その上、()()()()()がスポンサーとなって念願の病院を建てることが出来、現在ではそこで医院長として毎日入ってくる患者たちを相手に治療に(いそ)しみながら暮らしている。

多忙ながらも充実した日々を送れていた。

 

(しかし……)

 

ふいに鏡に映る自分の顔をジッと見つめる。

今じゃ側頭部と後頭部以外に髪は生えておらず、頭頂部に至ってはもはや壊滅的となったシワの深い初老の男の顔がそこにあった。

今世の実年齢よりもやや老けてはいるものの、どこにでもいそうなごく普通の一般人の顔のはずであったが、あえてその顔の特徴を一言で言い表すとするのであれば――。

 

 

 

――それは、()()()であった。

 

 

 

(……若かりし頃は気づく事も無かったけど、この顔……やっぱりどう見ても冥土帰し(ヘブン・キャンセラー)だよねぇ?)

 

前世でまだ学生だった頃、とあるラノベ小説に没頭し読みふけっていた時期があった。

それは『とある魔術の禁書目録(インデックス)』という、科学と魔術が交差する世界のバトルアクション小説だ。

とても人気の高い小説でありその物語を軸に何本かのスピンオフ作品が作られるほどであった。

そして冥土帰しは、その小説に登場する凄腕の医者であり、その腕前は『神の摂理すら捻じ曲げる』と言われるほどに規格外で、切断された腕を奇麗につなぎ合わせて治したのを始め、どんな怪我も病気も彼の手にかかれば必ず治してしまっていた。

 

(まぁ、原作の彼ほどではないにせよ私も今じゃ()()()()()の事は出来るようになっちゃったんだよねぇ)

 

前世からの研鑽の賜物か、転生者である彼も過去に何度か神業とも呼べる奇跡的な治療を成功させていた。

それこそその内の一つ、自分が執刀する手術に立ち会った世界医師会(WMA)の人間数名が、その奇跡を目の当たりにしてこぞって口をあんぐりと開けたまま愕然と立ち尽くしてしまうほどであった。

 

(今はもう収まってるけど、あの頃は世界中から我先にと治療の依頼がひっきりなしに来て大変だった……)

 

一時も休むことも無く世界各地を飛び回っていたころを思い出しやれやれと肩をすくめる。

もう二度とあんな厄介な目には遭いたくないと……そう思ったのがいけなかったのだろうか。

唐突にポケットに突っ込んでいたマナーモードの携帯が大きく震えた。

何事かと携帯を取り出し、開いて液晶に浮かんだ名前を見て僅かに目を見開く。

 

――そこには『阿笠博士(あがさひろし)』という名前が浮かんでいた。

 

その名を見た私は躊躇いなく電話に出る。

 

「もしもし僕だけど……久しぶりだね博士。元気だったかい?」

『おぉ、久しぶりじゃのうそっちも元気にしとったか?』

 

携帯越しに気さくな声が耳に届く。

阿笠博士。今世の私の学生時代の学友で今もなお交流のある友人の一人だ。発明家で毎回毎回珍妙な発明品ばかりを作っている。

 

「去年の年末の忘年会以来かね?……で、今日はどうしたんだい?」

『あぁ、うん……実は、なんじゃがなぁ……』

 

博士の先程までの気さくな口調が一変して深刻そうな重いモノになった。

携帯越しに何か言いづらそうに口をもごもごとしているのが伝わってくる。

怪訝な顔で耳を傾けていると、ようやく博士が口を開いた。

 

『……悪いんじゃが今日、この後時間は空いとるかの?』

「ああ、空いてるが……一体どうしたんだい?」

『実はのぅ……ぜひキミに診てほしい人がいるんじゃ』

「診てほしい人?」

 

博士の言葉に怪訝に寄せていた眉根がさらに深まる。

他の医者にではなくわざわざ私を指名してきたという事は、それ程までに重傷、あるいは難病を抱えた者なのだろうか?

 

「それで、その人はどんな人なんだい?」

『……新一じゃよ』

「新一君!?」

 

博士が口にした名前に私は思わず声を上げた。

新一――工藤新一(くどうしんいち)君は、博士の家の隣に住むこの国では知らぬ者はいないとされる超一流の高校生探偵だ。

私も彼が難事件を解決する様を何度かテレビや新聞で見た事があった。もちろん面識もある。

そんな彼が今、危機的状況にでもあるというのだろうか。

 

「彼に一体何が?……新一君は今大丈夫なのかい?」

『ああ、容態については何の問題も無い。むしろピンピンしておるから安心してくれ』

 

ピンピンしてる?元気だというなら何故私に依頼を?

どういう事なのかいまいち理解が出来ず首をかしげていると、博士の方から意を決したかのように()()()()を吐き出してきた。

 

『じ、実はのぅ……今、新一――』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――身体が縮んでしまっとるんじゃ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………………………………。はぁ?」

 

思わずそんな声が漏れた。博士の奴、一体何を言ってるんだ?

半ば思考が停止している自分に気づいていないのか、携帯越しに博士はまくし立てる。

 

『今新一の奴、何か変な薬を飲まされたとかで身体が小さくなってしまってのぅ。見た目小学生くらいの子供になってしまっとるんじゃ。……なぁ頼む。新一を元の姿に戻すのに協力してくれんじゃろうか?』

「…………」

 

懇願する博士の声を聴きながら、私は全く別の事を考えていた。

 

 

 

(……博士の奴、研究のし過ぎで疲れてるのかね?)




軽くキャラ説明。

・冥土帰し(転生者)

冥土帰しの姿で『名探偵コナン』の世界で暮らしている転生者。
医療の腕前は転生特典ではなく、前世から今世まで一から培ってきたたたき上げ。
その腕は原作の冥土帰しと比べても引けを取らないモノとなっている。
本物である原作の冥土帰しに対して、彼の医者としての腕とその信念には強い敬意を表しており、その為か転生者である自分自身もそれに(なら)う形で口調と信念を真似て行動している。
誰かと会話している時、一人称は『僕』になるが、一人でいる時や考え込む時は前世からの一人称で『私』となる。

原作の冥土帰し同様、この作品でもこの転生者の本名は伏せられており、他者から呼ばれる時は基本、『先生』か『カエル先生』で通す予定。




・阿笠博士

冥土帰しの学生時代からの旧友。後は原作基準。以上(適当)。


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カルテ1:江戸川コナン(工藤新一)

昨日に引き続き、2話目、投稿です。
幼稚な文体ですが、お気軽に見て行ってもらえたら嬉しいです。


「はぁ~っ、疲れたぁ……」

 

毛利探偵事務所の一室。()()登校する事となった帝丹小学校の準備を終えた、俺こと工藤新一……現、江戸川コナンは部屋の真ん中で腰を下ろし盛大にため息をついた。

思えばトロピカルランドで黒ずくめの男たちに体を小さくされたのに引き続き、今度は社長令嬢の誘拐事件にも巻き込まれて心身共に休める時がほとんどなかった。

ようやく一息つけるものの、明日から小学生生活になると思うと気が滅入る。

 

「……クソッ、俺本当は高校生なのに」

 

寝転がり、なんとなく天井をぼんやりと見上げる。

 

「あ~どうやったら元の工藤新一に戻れんだぁ?やっぱあの黒ずくめの奴らを見つけるっきゃねぇのか?」

 

でもアイツらが今どこにいるのかすら見当がつかない。

しかも迂闊に探りを入れてもし感づかれたりなんかしたら、最悪(らん)たちも巻き込みかねない。

 

(あークソッ、せめて俺を縮めたあの薬を手に入れることが出来れば……ん?……薬?)

 

そこまで考えた俺はハッとなって身体を勢いよく起こす。

 

(あーそうだ、そうだそうだ、そうだった!ちっくしょう、何で今まで気がつかなかったんだ!?……いるじゃねぇか、俺の周りに!常日頃から『生きてるなら必ず治す』って豪語している人が……!!)

 

あの人に掛け合えば俺の体の事も何とかしてくれるかもしれない!

興奮高々に笑みを浮かべた俺は早速、事務所の固定電話で阿笠博士(はかせ)に連絡を取る。

もう今日は日が落ちてだいぶ経つというのに、博士は直ぐに応対してくれた。

 

「もしもし、新一か?どうしたんじゃこんな夜遅くに。明日は小学校に行くんじゃろ?」

 

既に就寝していたのか博士はあくびを噛み殺しながらそう響く。だが俺はそれに構わず要件を博士に告げた。

 

「博士、直ぐに『カエル先生』に連絡を取れるか?」

 

今俺の手元に携帯電話は無い。それは少し前まで()()()()()()()持っていたモノだったため、もし蘭に見つかれば厄介極まりない事になるからだ。しかし、カエル先生の電話番号も覚えておらず、やむなく博士経由でカエル先生に連絡してもらうことにしたのだ。

カエル先生は日本で……いや、世界でもトップクラスの医療の腕を持つ凄腕の医者だ。

あの人なら俺の体内に残っているであろう毒薬の残留物から成分を解析して解毒薬を作ってくれるかもしれない。

そうすりゃ、行きたくもねぇ小学校に通わずに済む!

はやる気持ちを抑えながら博士との電話を切ると、十分もしないうちに博士から折り返しの電話があった。

何でも今から検査の準備をするからすぐ来てくれとの事。

その知らせに俺は大きくガッツポーズを作る。

 

(よっしゃー!流石カエル先生!俺の気持ちを汲み取って直ぐに準備してくれるなんて、話が早くて助かる!)

 

早速、まだ起きていた蘭に博士の家に忘れ物をしたと嘘をついて、蘭が止めるのも聞かずに探偵事務所を飛び出すと、途中まで車で迎えに来てくれていた博士と合流し、俺は意気揚々とカエル先生がいる『米花私立病院(べいかしりつびょういん)』へと向かった。

病院に着くころには、俺はもう自分の身体が元に戻ると何の疑いもなくそう確信していた。

高校生名探偵、工藤新一。今ここに復活だぁーっと――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そう自分に都合よく勝手に考え込んでいた俺は、とんでもない馬鹿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「単刀直入に言おう。()()()()()キミの体を元に戻すのは不可能だね」

 

病院の診察室で死刑宣告にも似たカエル先生の鋭い言葉が胸の内をえぐり、患者衣を纏った俺はそのまま膝から崩れ落ちて両手を床につけていた。

そんな俺の様子を気にする様子も無く、淡々と今の状況を説明していく。

 

「血液検査、尿検査、MRI……。いろいろと試してみたが、キミの身体からその毒薬とやらの成分を検出することもその痕跡を見つけ出す事も出来なかった。恐らく、もうすでに体内分解が済んでるんじゃないかねぇ?」

「……じゃ、じゃあ、解毒薬を作るのは……?」

「無理だね」

 

俺の問いかけにカエル先生がバッサリとそう言い切り、俺は再び床に顔を落としていた。

そんな俺をカエル先生は手に持った俺のカルテと交互に見やりながら観察者の目で興味深げに唸る。

 

「僕としても初めてのケースだねこんな事象は。レントゲンを見ても肉体は十歳未満、小学校低学年のそれだ。十七歳の少年がその薬だかを飲んだだけで瞬く間にこうなっただの、流石の僕でも未だに半信半疑だね。……いっそ全くの別人の子供が新一君の名をかたってるって言われた方がはるかに納得がいくよ」

「……俺が頭のおかしい子供に見えてんのかよ、カエル先生」

 

項垂れながら上目遣いにギロリと睨んでやると、カエル先生は苦笑しながらホールドアップサインを出す。

 

「冗談だよ。君の遺伝子配列図も見たが工藤新一君のそれと全く一緒であることも確認している。明らかに同一人物だよ。信じられないことにね」

「ったりめーだ」

 

不貞腐れながらプイッとそっぽを向くと今度はそばで見守っていた博士が口を開いた。

 

「……じゃったらやはり、新一を元に戻すには……」

「うん」

 

カエル先生は真剣な表情で一つ頷くと、座っていた椅子からゆっくりと立ち上がり言った。

 

「その毒薬のデータ、もしくはサンプルをどうにかして手に入れなければならないね。それらを解析すれば、おのずと解毒薬を作る道筋がつかめるはずだよ。ただ……」

 

そこまで言うとカエル先生はゆっくりとした歩調で俺たちから離れ背を向けると、虚空を睨みつけながら続けて口を開いた。

 

「……その毒薬を持っていた黒ずくめの男たちは、話で聞く限り明らかに只者じゃないね。肉体を瞬く間に幼児化させるなんてとんでもない薬を持っているんだ。その男たちの背後には確実に強大な組織――いや、強大な闇が蠢いているね」

 

重く、不安を掻き立てるカエル先生の声が部屋に響き、俺と博士は無意識に生唾を飲み込む――。

 

「下手すればその闇には政界などの強大な権力まで絡んでいる可能性がある。迂闊に飛び込めば間違いなく消されるだろう。……新一君、それでもキミはその黒ずくめの男たちを追うつもりかね?」

「バーロー、ったりめーだ!こんな体にされて黙ってられるわけねぇだろ!」

 

カエル先生の真剣な目が俺を捉えそう言われた俺は瞬時に先生に噛みつく。

しかし、カエル先生の言葉は止まらない。

 

「しかし彼らに対し、キミは現時点ではあまりにも味方が少ない。そんなキミが彼らに挑むのは明らかに自殺行為だ」

「じゃあ泣き寝入りしてジッとしてろって言うのか?冗談じゃねぇ!!俺は必ず元の体に戻って見せる!死にもしねぇし、奴らを捕まえて、薬も手に入れて見せる!そして――」

 

 

 

 

 

 

 

「――そして、言うんだ。()()()()!!俺が今まで言えなかったこと全部、アイツの前で堂々と……!!」

 

 

 

 

 

 

そう、俺が言い切った後、部屋は重い沈黙に満たされる。

部屋に掛けられた壁掛け時計だけがカッチカッチと小さな音を刻んでいた。

やがてため息と共に口をひらいたのはカエル先生だった。

 

「……こうなってしまっては何を言っても無駄なようだね」

「悪ぃな、カエル先生。俺だって分かってんだよ。奴らが只者じゃない事くらい。下手に追いかけて行ったら今度こそ命を取られかねないことくらい……。でも、このまま何もしないでいるなんてこと、俺には絶対できねぇ。俺にはまだ……工藤新一としてやらなきゃならねぇことが、あるんだからな」

 

俺がそう言うとカエル先生は小さく微笑んで見せる。

 

「なら、もう止めはしないよ。キミがその気なら、全力で彼らを追いかけ、そして追い詰めていくと良い。もしキミが無茶をして死にかけたとしても、地を這ってでも僕の所に来るんだ。その時は僕が全力で必ず治してやる。死ぬつもりが無いとキミ自身が言ったんだ、それくらいできて当然だろ?」

「言ってくれるなぁ」

 

無茶ぶりを言うカエル先生に向けて俺は苦笑を浮かべる。

だが、直ぐに思う所があり、カエル先生に問いかけた。

 

「でも、良いのかよ?下手すりゃ先生も奴らに狙われることに……」

 

そこまで言った俺に、カエル先生は「何を今更?」とばかりな顔を浮かべた。

 

「今更何を言ってるんだい?もう既にキミは僕の患者なんだ。僕は最後の最後まで自分の患者を見捨てるつもりなんて無い。キミが元の体に戻りたいというのであれば、僕はそれに全力を持って応え、協力し、必ずキミを元の高校生、工藤新一に戻してみせる。その道のりが例え地獄だったとしてもね」

「カエル先生……」

「もちろん。ワシも全力で協力するぞ!」

「博士……」

 

目の前に立つ二人の頼もしい協力者を前に、俺は自分の目頭が熱くなるのを感じた。……やべ、泣きそう。

そっぽを向いて目頭をもんでいると、カエル先生は俺に顔を近づけまるで教師のような口調で諭すように口を開いた。

 

「……さて、そんな今のキミが元の体に戻るための第一歩として、一番初めにやるべきことは何だかわかるかい?」

「……?」

 

首をかしげる俺に向けて、カエル先生はにっこりと笑い――。

 

「これから始まる小学校生活に慣れていくこと、だね♪」

「…………。はっ、ははぁーっ……」

 

――そうきっぱりと言い切られ、俺は空笑いを浮かべるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そうして迎えた、翌日。

 

「転校してきた江戸川コナンです!よろしく!」

 

母校の教室に再び足を踏み入れた俺は、半ばヤケクソ気味に自己紹介をしていた――。




軽くキャラ説明。



・江戸川コナン(工藤新一)

ご存じ、原作の主人公。
冥土帰しとは阿笠博士同様に幼い時からの知り合いであるが、実家と隣同士である博士とは違い、医者で仕事が忙しいのも相まって年に数回しか会った事が無い。
それ故、阿笠博士と比べると面識は薄い方だが、医者としての彼の腕に深い信頼を寄せている。


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カルテ2:本田修

今回は軽いジャブ的な回です。


2年前、俺こと本田修(ほんだおさむ)の弟、ひろしが交通事故にあった。

それもただの事故じゃない。雑誌の懸賞で貰った仮面ヤイバーのサイン色紙を見せに友達の家に向かう途中、後ろからバイクに乗った何者かが走ってきて、ひろしの持つサイン色紙をひったくって行ったのだ。

それを追いかけたひろしが車道に飛び出してしまい、トラックに……。

知らせを聞いて病院に駆けつけてきた俺が見たのは、見るも痛々しいひろしの姿であった。

担当医も懸命に治療を行ったがそれもかなわず、持って数日だと言われ、俺はその場に膝から崩れ落ちてしまった――。

絶望の中、俺は何とかひろしを助けてくれるよう必死になって担当医に縋りつき懇願した。

 

(頼む!いくらでも金は払う!必要とあらば何だってする!だからどうか、どうかひろしを……!!)

 

俺の祈りが通じたのか、担当医は沈痛に歪めていた顔を上げ、意を決したかのように俺に声をかけた。

 

「……本田さん。実はこの米花町には世界でも指折りの名医だと言われている医者が別の病院に勤務しているのです。私は実際に彼の治療を見たわけではありませんが、その人は噂ではどんな病気も怪我もたちどころに治してしまうという話です。その人ならもしかしたら……」

「ほ、本当ですか!?なら、お願いします。ぜひその人を呼んでください!」

 

俺の了承を受け、担当医はすぐさまその名医を呼んできてくれた。

初めて会った第一印象は「カエルみたいな顔の医者だなぁ」だったが、話してみると物腰は柔らかく誰とでもすぐ打ち解けられそうな穏やかな医者だった。

 

そのカエル顔の医者はひろしの容態をあらかた確認すると直ぐに「手術(オペ)の準備を」と言い、まるで流れるような動きでひろしと共に手術室へと入って行ってしまった。

手術室の扉が閉まる直前、俺はカエル医者に向けて声を上げた。

 

「先生、お願いします!ひろしを、ひろしを助けてやってください!」

 

それに答えてカエル医者も振り向きざまに手術用マスクで覆われた顔で俺に笑いかける。

 

「心配ない。必ず助けるよ」

 

そう言い残し手術室の扉が静かにしまった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

それから三日後――。

 

「兄ちゃん!」

 

病院の庭で元気に走り回るひろしの姿があった。

……信じられない。ほんの三日前まで手の施しようがない、持ってあと数日だと担当医からも見放されていたひろしが、手術を経てたった三日で立って歩けるほどにまで回復したのだ。

これには担当医だった医者も唖然としていた。

そんな彼と俺の背後でその奇跡を起こしたカエル顔の医者が何事でもないかのように声をかけてきた。

 

「術後は良好。後数日であの子は退院できるね。おめでとう」

 

その言葉に俺は心の底から安堵したのは言うまでもない。

 

……ただ、それで全ての問題が解決したというわけではなかった。

 

元気になったひろしだが、それでも時折ふとしたことで暗い顔を見せる時があった。

俺には何でもないよと言い張って笑顔を向けて来るひろしだが……俺にはその理由がすでに分かっていた。

恐らくまだひろしの中で、あの奪われた仮面ヤイバーの色紙のことが尾を引いているのだろう。

沈痛な想いをひた隠しにするひろし、そのひろしと喋るカエル顔の医者を見て、俺は決心する。

 

――この人は全力でひろしの命を救ってくれた。なら今度は、俺がひろしを助けてやる番だ……!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、俺はいくつもある仮面ヤイバーのファンクラブに入って、ひろしから色紙を奪った犯人を見つけ出すため、情報を集め続けた。

そうして長い年月の末、ようやくその容疑者を特定することに成功する――。

 

三島勝二(みしまかつじ)と名乗るその大の仮面ヤイバーマニアの男から自慢げに見せられた物に、俺は雷に打たれたかのような衝撃を受けた。

――それは『ひろし君へ』と書かれた仮面ヤイバーの色紙。

三島本人は兄から譲り受けたと言っていたが……調べてみた結果、奴に『ひろし』なんて兄はいなかった……!

その事実を知った時、俺の中で三島への憎悪が沸々と湧き上がるのを感じた。

 

(お前か?お前なんだな……?俺の大事な弟を事故に巻き込みやがったのは……!!)

 

許せない。あんな奴のせいでひろしが死の淵をさ迷ったかと思うと今すぐ殺してやりたい衝動にかられた。

だがその瞬間、俺の脳裏にふいにひろしの顔が浮かび上がる。

悲しそうな顔を浮かべるそのひろしの顔を見て、俺の殺意は瞬く間に静まっていった。

 

(……ああ、そうか。そうだよな、ひろし。分かってる、分かってるさ。お前を悲しませる真似なんてしねぇよ。あんな男に手をかけても、お前は喜びはしねぇもんな……)

 

 

 

 

 

 

 

――それから俺は、三島を警察へとつきだしてやった。

最初こそ無罪を主張していた三島だったが、奴に兄がいない事と、サイン色紙にひろしの指紋がしっかりと残っていたことが決め手となり、観念した。

しかも三島は、仮面ヤイバーのグッズ欲しさに同じような窃盗を何度かやっていたらしく、その事実が発覚し、余罪が積み重なったことにより、塀の中で生活する事がほぼ確定的になったらしい。

自業自得だと思いながら、俺は警察から返してもらった仮面ヤイバーのサイン色紙を手に、俺はひろしの元へと帰って行った。

俺の持っているサイン色紙を見た途端、ひろしの顔がパッと輝いた。

それを見た俺は胸を張ってひろしに言う。

 

「ほら、ひろし。時間がかかっちまったが、俺が悪い奴からお前の宝物、取り返してきてやったぞ。もちろん、その悪い奴ももう捕まって二度と悪さしねぇように()らしめてきてやったからな!」

 

俺から色紙を大事そうに受け取ったひろしは、それを聞いて満面の笑みを俺に向けて声を上げた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとう、兄ちゃん!……兄ちゃんは僕の仮面ヤイバーだ!!」

 

――その言葉で、俺は全てが報われたような気がした。




軽いキャラ説明。



・本田修

アニメオリジナル回、『仮面ヤイバー殺人事件』の犯人。
しかし、この作品ではひろしは冥土帰しによって命を救われているので殺人を犯す事は無くなりました。



・三島勝二

アニメでは被害者でしたが、この作品では本田に悪事を暴かれ、現在は牢の中で服役中。



・本田ひろし

冥土帰しによって命を救われ、今は退院して兄の修と平穏な生活を送っている。


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カルテ3:豆垣妙子/安西守男

軽いジャブ回、その2


SIDE:カエル顔の医者(冥土帰し)

 

 

 

――ある晩。『米花私立病院』にいる私の元に一本の電話が入った。

 

「……はい、こちら米花私立病院……って豆垣さんかい?」

『おぉ、そうじゃ先生。すまんのぅ、こんな夜中に』

 

電話の相手は、私の古くからなお知り合いである米花神社(べいかじんじゃ)の神主、豆垣久作(まめがききゅうさく)さんだった。

 

「何かあったのかい?」

『実はのぅ、持病の腰痛(ようつう)が起こってしかもこれがまたすごく痛いのなんの……。今だってこの場から一歩も動けない状況なんじゃ。なぁ、頼む助けてくれ』

「そりゃあ、頼まれた手前直ぐに向かいますが……腰痛なら何も僕に頼む必要なかったのでは?」

『先生の治療が一番よく効くんじゃよ。直ぐにスッと痛みが引いて楽になるんじゃ』

「全く……。そう言えば、妙子ちゃんはそこにいないのかい?」

 

豆垣妙子(まめがきたえこ)。久作さんの孫娘で、たしか撮影関係の仕事をしていると聞いたことがある。彼女も久作さんと一緒に住んでいると思ったが……。

 

『妙子なら仕事じゃよ。今日、うちの神社の境内で撮影があってのぅ、あいつもそこにいたんじゃが、撮影が終わると他の撮影スタッフらと共に米花旅館(べいかりょかん)へ行ったよ。今頃飲み会で楽しんでいるはずじゃから邪魔したくは無いんじゃ』

「……ほぅ、だから僕ならよいと?」

『信頼しとる証拠じゃよ。なぁ、先生?』

 

受話器越しにこちらを拝む仕草をしているのがまざまざと目に浮かぶようだ。

 

「……直ぐに向かいますので待っていてください」

 

ため息を一つつくと、久作さんにそう伝えて電話を切る。

やれやれと肩をすくめながら私は外出時、いつも持ち歩いてる大きなボストンバッグを手に、彼の元へと向かった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――車で急いで来てみたが、思いのほか久作さんの腰痛は直ぐに治った。

 

「いやぁ、すまんのぅ先生。もうすっかり良くなったわい」

「それは良かった。それじゃあ僕は病院に戻りますので、これで」

 

そう会釈して病院へ帰えるために自分の車の所に戻ろうとする私を久作さんが引き留める。

 

「もう帰ってしまうのかい?夜じゃし、今日の仕事はもう終わりじゃろ?ワシも今は家に一人じゃし、一杯付き合ってくれんか?」

「申し訳ありませんが、僕は酒を飲まないんです。……それに、いつ何時急患が舞い込むかもしれませんしね」

「むぅ~、勤勉じゃのぅ」

 

年甲斐もなく子供のようにむくれる久作さんをしり目に、私は豆垣家を後にして道路に止めている自分の車へと向かった。

そうして、道路脇に停めていた自分の車のドアの鍵を開けようとした瞬間、ふと視界の端に動くモノを捉えた。

何かと思い視線をそこに向けると、そこには豆垣家のすぐそばにある米花神社の石段を上る人影が――。

 

(……はて?こんな時間にお参りかね?)

 

不思議そうにその人影を見ていると、月明かりで一瞬、その姿が露になる。

 

(あれは……妙子ちゃん?)

 

それは久作さんのお孫さんの妙子ちゃんだった。妙子ちゃんは私に気づく事なく石段を登りきるとそのまま神社の奥へと姿を消した。

 

「……?」

 

不審に思い、私も彼女の後を追ってみる。

石段を上っている最中、神社の方から何やら男女の言い争う声が聞こえてきた。

よく聞き取れなかったので、登りながら耳を澄まそうとした、その次の瞬間――。

 

「……ぐぅっ!?」

 

唐突に響く、小さくくぐもった男の悲鳴。

 

「!?」

 

慌てて石段を駆け上がり、一息ついて目にしたのは、宵闇の神社の前に佇む、背中を向けた女性のシルエット。しかし、私はすぐにその女性の正体を察する。

 

「……妙子ちゃん?」

「――ッ!!?」

 

私に名前を呼ばれ、その女性――妙子ちゃんはビクリと体を震わせた。

そんな彼女に私はすぐさま駆け寄る。

 

「妙子ちゃん。一体どうしたんだい、こんな夜中に神社に――!?」

 

彼女の姿を見て、私は息をのみ、目を見開いた。

 

 

 

 

 

 

――震えながらこちらに振り返った彼女の顔や衣服に大量の血がべっとりと付着していたのだ。

 

 

 

 

 

「これは……!」

 

絶句する私の前――血まみれの妙子ちゃんのさらに奥にある神社の賽銭箱の前に、同じく血まみれで蹲る男の姿が。

そばには彼を血まみれにした原因であろうナイフも転がっていた。

 

「あ……ぁ……!」

 

私に何か言おうとしているのか、口をパクパクと開閉する彼女を置いて、私はその男に駆け寄る。

 

「キミ!キミ!!……しっかりするんだ。一体どうしたんだ!?」

「……あ……あい゛、づ……に……や゛られ……ッ!!」

 

震える手を持ち上げた男は妙子ちゃんへと指さしていた。

 

「ぁ……」

 

指をさされた妙子ちゃんはへなへなとその場に座り込んでしまった。

その瞬間、「ぐぅっ!!」とうめき声をあげ、体を丸め倒れる男。

見ると男は気を失っていた。

すぐに男を仰向けに寝かせた私は傷を確認する。

 

(これは……刺された場所が悪い。おまけにこれ程の出血……)

 

私はすぐに男の身元を証明する物を探し出すため、男のポケットに手を入れた。するとそこには財布があり、中から運転免許証が出て来る。

それを確認した私は、携帯を取り出し米花市立病院へと連絡する。

 

「……もしもし僕だ。今、米花神社で20代男性が血まみれで倒れてるのを発見した。出血量が多くこのままでは出血多量で死亡する恐れがある。警察にも連絡して、すぐに輸血パックを持ってこちらに来てくれ。男性の血液型は――」

 

運転免許証から男の血液型を病院に伝えると、私は電話を切って男の応急処置に専念する。

担いでいたボストンバッグを開け、中に入っていた医療道具や薬品を取り出していく。

すると、それと同時に第三者の声が境内に響いた。

 

「こ、これは……!?」

 

見ると、やや長めの髪を後ろで縛った20代の男が、石段のそばでこちらを見ながら呆然と立ちすくんでいるのが見えた。

 

「ゆ、裕二(ゆうじ)さん……!」

 

その男を見た瞬間、妙子ちゃんは思わず声を上げた。

裕二と呼ばれた男はハッと我に返り、妙子ちゃんの元に駆け寄った。

血まみれで震えて座り込む彼女を裕二君は息をのみながら優しく抱きしめる。

 

「い、一体何が?」

 

動揺を隠しきれないらしく震えながら声を上げる裕二君に、私は男の応急処置をしながら彼に声をかける。

 

「……キミは、妙子ちゃんと知り合いなのかい?」

「え?あ、はい。俺は彼女の婚約者です。……あなたは?」

「通りすがりのただの医者だよ。妙子ちゃんとは以前からの知り合いなんだが、たまたまこんな時間にこの神社に向かう彼女を見かけてね。気になって追いかけてきてみたら、こんな事に……」

「そんな……」

 

愕然とする裕二君に私は一つ頼みごとをする。

 

「悪いんだが、今僕は手が離せない。代わりに彼女から一体何があったのか事情を聴いてもらえないだろうか?」

「わ、分かりました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そうして、裕二君に話しかけられ、徐々に落ち着きを取り戻してきた妙子ちゃんは、ポツリポツリと少しずつ話し始め、私も応急処置の傍ら彼女の話に耳を傾けた。

 

高校時代に両親を亡くし、一時期グレて悪い連中と付き合いがあった事。自分が刺した男――安西守男(あんざいもりお)は、その時の連中の一人であった事。ある日、自分の実家に高価な祭祀用具があるのを安西たちに喋ってしまい、彼らに祭祀用具を盗まれてしまった事。すぐに本当の事を祖父に言おうとしたものの、それよりも前に祭祀用具を保管していた倉の管理をしていた杉山という人が責任を感じて自殺してしまった事で言おうにも言えなくなってしまった事。その後は安西たちとの関係も断って真面目に学校にも通い、この忌まわしい出来事は心の底にしまい込んで裕二君と結婚し幸せな家庭を築くつもりであったが、再び安西が彼女の前に現れた事。そして安西から管理者の杉山が自殺したのはお前にも責任があると脅され、お金をせびられた事――。

 

「……今夜、ここでお金を渡す予定になってたけれど……私、アイツとの関係を断ち切りたくて……ナイフを持ってアイツの元にやって来たんです。もう私の前に現れないように、そうきっぱり言うつもりで……でも、そしたらアイツ……逆上して襲ってきて……はずみで……あ、あぁ……!」

「そ……んな……!くっ……!」

 

ボロボロと涙を流しながらそう独白した妙子ちゃんに、裕二君は何と声をかけていいのか分からず彼女を抱きしめていた。

そんな二人に、私は安西の治療を続けたまま淡々とした口調で声をかける。

 

「……酷な事を言うようで悪いんだがね。こんな事になってしまったのは妙子ちゃん、キミにも責任がある。……キミがこんな男たちに祭祀用具の事を話さなければ、その杉山という人も死なずに済んだのかもしれないからね。……その罪は一生かけて背負っていくしかないだろう」

「う、うぅ……」

 

私の言葉に妙子ちゃんは涙目に俯く。そこへ裕二君が私に向けて声を張り上げてきた。

 

「でもっ!そうなってしまったのも安西たちがそれを盗んだのがそもそもの原因だ!妙子が話してしまったからだとしても、アイツらが盗もうなんてやましい事を考えさえしなければ……!それに、今だってそうだ!そいつが金が手に入らないと分かって逆上して妙子を襲わなければこんな事にはならなかった!全部こいつの自業自得ですよ!!」

 

そうして裕二君は、安西を治療する私の背中を睨みつける。

 

「それなのにあなたは、何でそんな奴を助けようとしてるんですか!?そんな奴助けたって――」

 

そこまで言った彼へ私は振り向き、真っ直ぐに彼に目を向けて言った。

 

「――当たり前だよ。僕は、医者だからね。目の前で死にかけている人がいれば迷わず治療するのが僕たち医者の使命だ。それが善人だろうが悪人だろうが関係なく、ね」

「…………」

 

私のその言葉に裕二君は言葉を詰まらせる。そんな彼と妙子ちゃんに、私は続けて言葉をかける。

 

「……それに、この男の命を救うのは妙子ちゃん、ひとえにキミの為でもあるんだ」

「え……?」

 

疑問の声を上げる彼女に私は再び安西の治療を行いながら、口を開く。

 

「……僕は残念ながら、この男が刺された瞬間を見ていない。だから、もしこの男が死ねば証言者は加害者側であるキミだけになる。……だが、前もってキミがナイフを用意していた事とこの男にキミが脅されていたという動機もある以上、キミが言う『はずみで刺してしまった』という証言は通らない可能性も出て来る。……その場合、最悪キミは殺人罪で起訴されるだろう」

「そんな……」

「っ……!」

 

苦悶の声を漏らす妙子ちゃんと裕二君に私はやんわりと言葉を紡ぐ。

 

「そう……だからこそ、この男――安西の命を救う事に意味があるんだ。彼が生きて嘘偽りなく証言すればキミの『はずみで刺してしまった』という証言が通る可能性も出て来る。そうでなくても、殺人罪は確実に免れる」

「「…………」」

 

呆然と聞き入る二人に、私は最後にこう締めくくる。

 

「すまないねぇ。こうなってしまった以上、僕はキミを()()()救ってあげる事は出来ない。しかしこの男の命を救えば、キミの罪は確実に減刑される。……それが、医者である僕がキミにしてあげられる唯一の事だからねぇ」

「……ぜ、ぜん゛ぜい゛ぃ……ッ!!」

 

再びボロボロと涙を流し泣き崩れる妙子ちゃんを裕二君は優しく抱きしめる。

それを合図にしてかようやく神社前に呼んでいた救急車が到着した――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやはや……まさかロケ隊の中にキミたちもいたなんて知らなかったね」

「こっちだってびっくりしたぜ。旅館で蘭とヨーコさんと一緒にコンビニに行こうとしていた矢先に神社の方でパトカーと救急車のサイレンが聞こえたんで何事かと駆けつけて見たら、安西さんが救急車で搬送されてるわ島崎(しまざき)さん(裕二)が血まみれの妙子さんを抱えてパトカーに乗り込んでるわ……」

 

米花神社の事件から翌日、私は米花市立病院のロビーでコナン君(新一君)と会っていた。

どうも妙子ちゃんのいる撮影スタッフたちの中に今回、推理監修として毛利君が参加しており、彼と蘭ちゃんもそれについてきていたらしい。

彼が今日、一人で僕の所に来たのは一体何があったのかその詳細を聞きたかったかららしい。

 

「……一通りの事情は分かったよ。で、どうなんだ?安西さんの様子」

「ピンピンしてるよ。あの時、救急隊員が持ってきてくれた輸血パックのおかげで失血死することもなかったし、早急に応急処置もしていたからあれ以上出血する事もなかったしね。……だけど、手術が終わって目が覚めた途端わめきだしてねぇ、『あの女はどこだ!?慰謝料(いしゃりょう)請求してやる!』って繰り返し叫んでるよ」

「けっ!呆れるほど面の皮の厚いヤローだな……!」

 

私から聞いた安西の様子にコナン君は心底軽蔑するようにそう吐き捨てた。

その時、数人のスーツを着た男性が私たちの元にやって来る。

 

「ちょっとすみません。よろしいでしょうか?私たちはこういう者です」

 

そう言って先頭のスーツを着た男が懐から出したのは警察手帳だった。

それを見た私は怪訝な顔を浮かべる。

 

「はて?事情聴取なら先程終わったはずだけど……?」

「ああ、いいえ。違います。貴方の事情聴取の事ではなく、実はですね――」

 

そうしてスーツの男は()()()()()を私に話し始めた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから少しして、私は今、安西の病室にいる。

目の前には不機嫌を隠さず、苛立たし気な顔を浮かべベッドに寝る安西がいた。

私は安西に声をかける。

 

「気分はどうかね?」

「あ゛ぁ!?最悪に決まってんだろうがッ!!早くあの女を連れて来い!それか神主のあの(ジジイ)でもいい!慰謝料たんまり請求して搾り取ってやるッ!!」

 

目が覚めてからずっとこの調子だ。今この男の頭の中では妙子ちゃんたちから慰謝料をふんだくる事しか考えていないのだろう。

私は深いため息を一つつくと、安西に向けて()()()()()()()()を淡々と語って見せた。

 

「……残念だがキミにはもうそんな事をしている暇はないんじゃないかな?」

「あ゛?」

「どうぞ、入ってきていいですよー!」

 

怪訝な顔の安西をしり目に、私は病室の扉に向けて声をかけた。

すると、先程のスーツ姿の警察官の男たちがぞろぞろと入り、安西のベッドを取り囲むようにして立った。

いきなりの事に安西は目を白黒とさせる。

 

「な、何なんだてめぇら!?」

「安西守男だな?脅迫罪、その他もろもろの件でお前に逮捕状が出ている。観念するんだな」

「なっ!?」

 

警察官の一人に逮捕状を突き付けられ、安西は絶句する。

そんな彼に、私は先程の続きを静かに口にする。

 

「キミ、妙子ちゃんやロケにいた那智(なち)って俳優さんの他にも多くの人の弱みを握って脅迫していたみたいじゃないか。その内の一人がどうももう我慢できなくなって警察に訴えたみたいだよ?」

「な、に……?」

 

私の言葉に呆然とする安西に今度は逮捕状を持った警察官が私の言葉を引き継ぐように彼に声をかける。

 

「おまけにお前の周辺を調べてみたら出るわ出るわ余罪の数々。もはや塀の中に行くのは免れないと覚悟するんだな」

「…………」

「そういうわけで、キミはここを退院したら即警察のご厄介になるの確定だから。残念だったね」

 

もはや声も出ない安西に私は最後にこう言い捨てて病室を後にする。

去り際に背中越しに「ちっくしょおおぉぉぉっ!!」と叫ぶ声だけが届いていた。

 

 

 

 

 

 

 

――医者は病気や怪我は治せても、その人の持つ罪までは()す事は出来ない。

 

例えそれが私であっても――。




軽いキャラ説明。


・豆垣妙子

アニメオリジナル回、『TVドラマロケ殺人事件』の犯人。
この作品でも安西を刺してしまうが、冥土帰しの尽力で安西は助かり、彼女の罪状は減刑された。


・島崎雄二と豆垣久作

二人とも、妙子が罪を償って帰って来るのをただひたすらに待ち続けている。


・安西守男

冥土帰しのおかげで九死に一生を得るが、余罪が明るみとなり、退院しだい即警察のご厄介に。


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カルテ4:中原香織

軽いジャブ回、その3です。


(え……?)

 

私こと中原香織(なかはらかおり)は驚愕に打ちひしがれていた――。

東都大学の一角にある広い会議室。今日そこで医学部の教授たちによる論文の発表会があり、私もその発表会に参加していたのだ。

呆然となる私の視線の先――そこには私が父親のように慕っている……いや、()()()()()自分自身が助手を務める大山将(おおやままさし)教授が得意げに自身の手に持つ論文を発表していたのだ。

ただ()()()論文を発表しているだけなら、私はここまで驚きはしない。私が驚いたのは――。

 

(なんで……?なんで大山先生が、()()()()()()()()()()()()!!?)

 

大山教授が今発表しているのは、紛れもなく私の論文の内容だったのだ。

幼い頃、大腸がんで死んだ父親のために、医師になり6年の歳月をかけて研究し、そして書き上げた私の血のにじむような努力の結晶――。

それが今、大山教授が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、他の教授たちに公表しているのだ。

周りの教授や医師たちが大山教授の言葉に耳を傾けている中――私はただただ混乱の中にいた。

 

(どうして……どうして先生があの論文を……!?)

 

そう考えていた時、私はハッとなる。

確か少し前に、大山教授が私の研究室を訪れて来た時があった。

あの時は、別段大した用があった訳では無くただ様子を見に来ただけと先生は言って少しの間雑談をしたのだが、先生が研究室を去った後、私は机の上に置いていた論文が紛失しているのに気が付いた。

慌てて部屋中を探したが論文は何処にも無く、途方に暮れたその次の日、紛失した論文が何事もなく私の研究室で見つかったのだ。

昨日、あれだけ探したのにもかかわらず、だ。

 

(ま、まさか……まさか先生……。あの時、私の論文を盗んで複製(コピー)を……!?)

 

そこまで考えた瞬間、カッと目の前が赤くなったような気がした。

今すぐ先生のもとに飛び出し、周囲の医師たちに向けて『これは私の論文です!』と叫びだしたい衝動に駆られる。

だが大山教授はここ東都大ではそれなりに名の知れた教授だ。一介の助手である私が乱入したところで、周りの医師たちは私の声に耳を傾けてくれるのだろうか。

そんな不安が胸中を渦巻き、私は先の衝動をぐっとこらえる。

そうこうしているうちに、大山教授の発表が終盤へと移っていた。

 

――許せない。……信じていたのに、父親のように思ってたのに……!

 

信頼していた大山教授の裏切りに私は憎らしいやら悔しいやらで、グッと涙をこらえて俯き、自身の服をギュッと両手で握りしめながら人知れず小さく屈辱に打ち震えていた――。

 

「……?」

 

だが、そんな私を怪訝な顔で見ている人が一人いた事に、その時の私は気づく事は無かった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大山教授の発表が終わり、会議室の中に拍手の渦が巻き起こる。

 

――終わった……。

 

その拍手の音を聞きながら、私は絶望へと落ちていく感覚を味わった。

もうここにいる誰一人として、先程大山教授が発表した論文が、実は私の論文だったと信じる者はいないだろう。

大山教授は論文の発表を終え、同じ教授や医師たちの拍手を浴びながら恍惚とした笑みを浮かべている。

私はそんな大山教授に対し、どす黒い感情が沸々と湧き上がってくるのを感じた――その瞬間だった。

 

「……ちょっと、いいかね?」

 

拍手の中、唐突にそんな声がその場に響き渡り、拍手をしていた医師たちがピタリとそれを止め、声の主へと視線を移す。

私や大山教授も、同じくその声の主の方へと目を向けていた。

そこには、今回の発表会に特別ゲストとして参加してくださっていた大学外部の医師たちが座っている席があり、その声の主はその医師たちの中の一人であった。

カエルのような顔をしたその医師は、机に頬杖をつきながら軽く手を上げて目の前にいる大山教授を見据えている。

会場が静まり返るのを確認したその医師は大山教授に言葉を投げかけた。

 

「大山教授。今し方発表された論文について二、三質問したいのですが、よろしいですか?」

「あ、え……?」

 

唐突にそう言われたせいなのか大山教授は少し狼狽えて見せる。

カエル顔の医師はそんな大山教授をしり目に今度は私の方へと視線を向けてきた。

 

(え?)

 

内心驚く私に構わず、その医師は私へと声をかけて来る。

 

「そこの君。そう、そこの君だよ。すまないがこちらに来てもらえるかい?」

「は、はい……」

 

そのカエル顔の医師に促されるがまま、私は席を立って周りの医師たちの視線を一身に受けながら私は大山教授の隣に立ち、そのカエル顔の医師の前へと姿を現した。

一拍の沈黙後、カエル顔の医師は私へと声をかける。

 

「君、名前は?」

「な、中原香織と言います」

「香織君、か……。いい名前だね」

 

私の自己紹介にカエル顔の医師はニッコリと笑いかけると、再び大山教授へと視線を戻した。

そして、配られていた大山教授の論文(実際は私の論文)のコピーの束をパラパラとめくりながら大山教授に問いかける。

 

「さて、大山教授。改めて質問なんだがねぇ、この論文……『大腸癌(だいちょうがん)に対する遺伝子治療の開発』の8ページに書かれている投与する薬の成分に関する事なんだが――」

「あっ、えーと……そ、それは、ですね……」

 

カエル顔の医師が論文に書かれる事の無かった深い部分を質問した途端、大山教授の様子が明らかに変わったのが見て取れた。

顔からは焦りが浮かび、冷や汗がダラダラと流れ始める。

突然しどろもどろとなった大山教授を見て周囲の医師たちも怪訝な表情を浮かべ始める。

そんな大山教授を見てカエル顔の医師は目を細めると、今度は私に質問をしてきた。

 

「……では、中原君。23ページに書かれている高齢者が治療する際の注意点についてなんだが――」

「あ、はい。それでしたら――」

 

私はカエル顔の医師の質問に詰まることなくすらすらと答える事が出来た。

当然だ。これは私が6年の歳月をかけて書き上げた論文だ。論文には書かなかった深い部分だって知っていて当たり前じゃないか。

私があっさりと答えた事で周囲の医師たちは今度は驚愕の顔を露にする。

それからもカエル顔の医師は私と大山教授に3回ずつ、別々の質問を交互に繰り返し、私は難なくその質問を答えることが出来。反面、大山教授はカエル顔の医師の質問に一つとして答える事が出来なかった。

カエル顔の医師の質問が終わり、周りの医師たちは驚愕と動揺でザワザワと騒ぎ立てる。

そんな中、大山教授はまるで生気が抜けたように全身が真っ白となって呆然と立ちすくんでいた。

そして、質問を終えたカエル顔の医師は席から立ち上がると、私の所へ歩いてくる。

そうして私の前に立つと、手に持った論文のコピーを掲げて笑顔でこう言った。

 

「ありがとう。()()()()()()とても素晴らしかった。僕が大腸癌の治療をする際、是非とも参考にさせてほしいね」

「ッ!!……は、はいっ……!!ありがとう、ございます……っ」

 

泣きそうになるのを必死にこらえながら、私は何度も何度もその医師に頭を下げて感謝の言葉を述べ続ける。

それを見たカエル顔の医師は小さく微笑むと、周囲に向けて「お先に失礼させていただきます」と一言そう言い残し、呆気にとられる医師たちを置いて会場内を後にしていった――。

 

 

 

 

 

 

――後から知った事だが、そのカエル顔の医師は日本医学界でも頂点に立つほどの凄腕の医者であり、世界中からも注目されている超大物でもあった。

私も噂ぐらいなら知っていたのだが、まさかそんな凄い医者がお忍びで東都大(うち)の発表会に来ているとは夢にも思わなかった。

 

あの一件以降、大山教授は周りの教授や医師たちから白い目を向けられており、肩身の狭い生活を送っている。いずれ、東都大を去る日も近いだろう。

私はというと、それよりも先に東都大の医学部を辞めた。

東都大を出て、別の所で医師としての私を売り込み、そこで一から始めようと決めたからだ。

 

 

 

 

そして――売り込む先は、もう決まっている。




軽いキャラ説明。


・中原香織

単行本10巻~11巻、アニメでは46話である『雪山山荘殺人事件』の犯人。
冥土帰しが大山教授から論文を取り返してくれたことで、中原は大山を殺す事は無くなった。
その後、彼女は東都大医学部を出て冥土帰しのいる米花私立病院へと自分を売り込む決意をする。


・大山将

冥土帰しによって論文を盗んだことが暴かれ、周囲から白い目を向けられながら日々を細々と暮らしている。


・その後のコナン一行。

原作のスキー場で小五郎がコナンと蘭に転ばされ、鍵を無くす所までは一緒だが、先の一件で大山教授たちが山荘に来ることが無くなったため、別の山荘で電話を借り、管理人と連絡を取っている。


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カルテ5:中沢真那美

軽いジャブ回、その4です。


メインで書いている作品が行き詰って、息抜きに書き始めたこの作品ですが……。
なんか、予想以上に破竹の勢いでお気に入り登録やUAがうなぎ上りし、その上一週間もしないうちにランキング2位にまで上り詰めたので恐れ慄いている自分がいます(笑)。
まさかここまで気に入っていただけるとは思いもしませんでした。読者の皆々様にはなんと感謝していいのか分かりません。
今後、どこまで書き続けられるかは分かりませんが、それでも頑張って書いていくしだいです!


――あれは、数年前の事だ。

 

私こと中沢真那美(なかざわまなみ)の夫は、当時心臓病を患っており黒川病院(くろかわびょういん)という所に入院していた。

しかし私は、後々になってこの黒川病院に夫を入院させたことに深い後悔の念を抱くようになる。

と、言うのも夫の担当医になったのは、黒川病院の院長兼外科医を務める黒川大造(くろかわだいぞう)という人物なのだが、これがまた黒い噂の絶えない医師だったのだ。

黒川大造にはひどい飲酒癖があり、仕事中にも関わらず平気で大量のお酒を飲んで泥酔状態になるのが日常茶飯事のようにあったのだ。

その影響が医療仕事に出るのは当然のことで、彼はそれでもう今までに何件もの医療ミスを起こしていたという。

本来なら、そんな事を何度も起こしていたら警察沙汰になっていてもおかしくは無い。

しかし黒川は、自身の院長の権力を盾に医療関係者に圧力をかけ、その不祥事を全て握りつぶしてきていたのだ。

入院当初は噂でしかそれを知らず半信半疑だった私や夫も、病院で何度か黒川医師と会話をするにつれてそれが本当の事だったと確信するようになる。

 

何故なら会う度に黒川医師は顔を真っ赤に染めてフラフラと体を揺らしていたのだから――。

そして、離れていても彼からこちらに向かって漂ってくるひどいアルコール臭。これはもう『黒』確定であった。

 

しかし、黒川医師の実態に気づき、夫を別の病院に移そうと考えた頃には、もう既に夫の心臓手術が目前に迫って来ており、転院願いを出そうにも出来ない所まで来てしまっていた。

どうする事もできず、夫の手術の準備が出来たらしく夫の病室にやってくる黒川大造とその取り巻きの医師たち。

 

「さぁ、手術の準備が出来ました。参りましょうか……(ヒック)

 

()()()()()()()顔を真っ赤に染めながら体を左右に揺らしそう告げる黒川。

私は慌てて黒川を止めようとする。

 

「ま、待ってください。せめで別のお医者様に執刀をお願いできませんか?」

「何を言ってるんです?私はここの院長ですよ?手術の腕もこの病院では一番なんです。私に任せていれば何の問題もありません。ご安心を。……(ヒック!)

(そんな酔っぱらった姿を見せつけておいて何言ってるのよ!?)

 

そうこうしているうちに夫は他の医師たちによってストレッチャーに乗せられ、黒川と共にさっさと手術室に向かいだした。慌てて私もその後を追いかける。

ストレッチャーに乗せられた夫の顔は顔面蒼白で、恐怖と不安の混じった目で黒川を見上げている。

明かに怯えている夫に気づいていないのか黒川は夫にニッコリと笑いかける。

 

「大丈夫です。直ぐ済みますよ……(ヒック)

 

黒川は夫を安心させるために言ったつもりなのだろうが、私と夫からしてみればそれは死神の死刑宣告に等しかった。

 

「真那美!」

「待って!アナタ!アナタぁ!!」

 

ストレッチャーを囲む医師たちの向こうから私の名を呼ぶ夫の声に、私も思わず夫を呼ぶ。

そうして手術室の前につき、いざ()()()()()の扉が開かれようとしたその時――。

 

 

 

 

――救世主が現れた。

 

 

 

 

「待ちたまえ」

 

手術室前の廊下にややしわがれた、それでいてはっきりとした声が響き渡り、私を含めた全員が声のした方へと振り向く。

そこにはカエルのような顔をした白衣を纏った男が佇んでいた。

その男を見て黒川は怪訝な顔を浮かべる。

 

「……?誰だね君は。黒川病院(うち)に君のような医者はいなかったと思うが?」

「その通り、初めまして、だね。黒川先生。僕はキミと同じく米花私立病院の医院長兼外科医をしている者だよ」

 

「米花私立病院!?」「あの有名な!?」と、黒川を含む周りの医師たちが途端にざわめき立つ。

――なんだろう?そんなに有名なお医者さんなのだろうか。

未だに状況が呑み込めず、ポカンとなる私の目の前で黒川とそのお医者さんとの会話が続く。

 

「な、何故よその病院の医院長がうちに?」

黒川病院(ここ)に勤務する医師の一人が僕と知り合いでね。その医師が今日、そこの患者をアナタが手術すると連絡してきて急きょ飛んで来たんだよ」

「何?」

 

目を丸くする黒川にカエル顔のお医者さんはゆっくりとした足取りで彼に歩み寄る。

その顔はひどく険しく、黒川を射抜くような視線を向けていた。

その視線にたじろく黒川。同時にカエル顔のお医者さんは固い口調で口を開いた。

 

「……ひどいね。話を聞いた当初はとても信じられなかったが、まさかこんな状態にもかかわらず執刀しようとする医師がいるとはね」

「な、なんだと?」

「今の君は、明らかに酩酊(めいてい)状態だ。そんな状態のキミが手術を行うなど……患者を殺す気なのかね?」

「……ッ!わ、私は失敗など――」

「――今までさんざんやらかしてきたのに、かね?」

「なっ!?」

 

「何故それを知っている!?」と言わんばかりの黒川の顔を見て、カエル顔の医師はやれやれと肩を落とす。

 

「……キミの黒い噂は米花私立病院(うち)にも届いているよ。いや、恐らく周辺の病院全てにね。キミは不祥事を起こすといつも権力をかさに医療関係の人間たちに圧力をかけていたそうじゃないか。そんな横暴なやり方、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?現に今言ったキミの噂が流れているのがその証拠じゃないかね?……私に連絡をくれた医師も、キミの横暴ぶりにいい加減嫌気がさしていたんだよ。恐らく、今僕らの周りにいる医師たちの何人かも、そう思ってるんじゃないかね?」

「なぁっ!?」

 

黒川は驚き、反射的に周囲に視線を向ける。

と、取り巻きの医師たちの中から黒川から顔をそむける者が。

それもカエル顔のお医者さんが言うような『何人か』ではなく、その場にいる『ほとんどの者が』。

 

「き……貴様らっ……!」

「やれやれ、まさかこれ程とはね」

 

周囲のその様子に黒川は歯ぎしりをし、予想以上の人望の無さにカエル顔のお医者さんも呆れてモノも言えないようだった。

そうして再び黒川へ視線を向けたカエル顔のお医者さんは本題へと切り出した。

 

「単刀直入に言おう。その患者をこちらに渡してほしい。……それが駄目なら、この病院にいるキミ以外の医師に担当を変更し、その者に執刀させるんだ」

「ふ、ふざけるな!いきなり押しかけて来て何を勝手なことを!!()()()私の患者だ!私が執刀するんだ!!他の誰にもやらんぞ!!」

 

ムキになってそう叫ぶ黒川。それを聞いた瞬間、私の中でブツッと何かが切れる音が聞こえた――。

 

――今、黒川はなんと言った?私の愛する夫を『これ』だと?この男は夫を何だと思ってるんだ!?

 

冗談じゃない。こんな男に治してもらうなど、こちらから願い下げだ。いや、それ以上にこの男がいる()()()()()()()()()()()()()()()()()()

怒りで顔を歪める私をよそに、カエル顔のお医者さんは深くため息をつくと口を開いた。

 

「……それを決めるのはキミじゃない。患者と、その家族たちだよ。……そこの貴女」

 

突然、カエル顔のお医者さんが私の方へと目を向けて来たので、私は先程までの怒りをいったん引っ込め、そのお医者さんに応える。

 

「は、はい」

「貴女はそこの患者さんの?」

「つ、妻です」

「そうですか。こちらの揉め事に巻き込むようで真に申し訳ないのですが。貴女の夫をどちらに委ねるか……貴女と旦那さんとで判断してもらってもよろしいでしょうか?誰を選んでもらっても構いません。我々はその判断に従います」

「…………」

 

真摯にそう言うカエル顔のお医者さん。

 

――誰に夫を任せるか、か……。そんな事、私はもうとっくに決めている。

 

私は迷わずカエル顔のお医者さんの前に立ち、深々と頭を下げる。

 

「どうか……夫を助けてください。先生」

「ぐぅっ!!」

「決まりだね」

 

顔を大きく歪める黒川と、静かに目を閉じてそう言うカエル顔のお医者さんの対比が、非常に印象的だった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして直ぐ転院の手続きをし、夫を救急車に乗せ、カエル顔のお医者さんの勤める米花私立病院へと先に送り出した。

私もすぐに夫の荷物をまとめ、カエル顔のお医者さんと一緒に黒川病院を出る。

カエル顔のお医者さんの車に一緒に乗せてもらうため、駐車場を歩いていると、ふいにその場に声が響く。

 

「待てっ!!」

 

振り向くと黒川が肩で息をしながら立っているのが見えた。

先程までお酒で赤くなっていたその顔は、今は怒りで赤く染まっている。

わなわなと体を震わせながらカエル顔のお医者さんを指さす黒川。

 

「貴様……許さんぞ、訴えてやるからな!!私の病院内で舐めた真似をしてタダで済むと思っ――」

「――舐めた真似?」

 

黒川の怒鳴り声にカエル顔のお医者さんの声が重なる、その声色には僅かながら怒りが込められていた。

カエル顔のお医者さんは黒川に向き直るとはっきりした声で口を開く。

 

「舐めた事をしているのは果たしてどっちかな?人の命を預かる医者の身でありながら、酒に酔ったまま手術に挑もうなど……キミの方こそ医者を、医療を、随分と舐めてるようじゃないか」

「ぐぅっ!」

 

グゥの音も出ない黒川に、カエル顔のお医者さんは追撃を続ける。

 

「……この際だから言わせてもらうよ。医者は患者から命を預かり治療に最善を尽くし、患者は医者を信じてその命を預ける。それが真っ当な医者と患者の信頼関係というモノだ。……だがキミはそれすらも分からず。あまつさえ、医療に私情を持ち込み公私を混同させ患者の命を危険にさらし、あげく自分の立場が危うくなるのを恐れて保身のために権力をかさにそれを黙殺するなど言語道断」

「う……うぅ……!」

「はっきりと言わせてもらうね――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――キミは、医師失格だよ」

 

 

 

 

 

 

 

「――――」

 

カエル顔のお医者さんのその言葉がよほど効いたのか、黒川は怒り顔から一気に放心状態となり、その場にへなへなと座り込んでしまった。

そんな黒川を哀れな目で見降ろしながら、カエル顔のお医者さんは最後にこう言った。

 

「訴えるのであれば好きにすると良い。僕の知り合いには優秀な弁護士がいるからね。裁判になっても勝てるだけの証拠も既に僕の所にある。それを踏まえた上で裁判を起こすも起こさないも、キミの自由だ」

 

そう言い残すとカエル顔のお医者さんは車に乗り込み、私も慌てて同乗する。

車が走り去り、後には魂が抜けたように座り込む黒川だけが残った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――あれから一週間と経たずして、夫は退()()()()

本当に信じられない。あの一件の後、すぐに手術が行われるとまるで魔法にでもかかったかのように夫は見る見るうちに元気になったのだ。

手術による後遺症もなく、夫は毎日のように朝のジョギングに出かけている。

 

それから間もなくして黒川病院が一斉摘発された。

 

あの一件の後、カエル顔のお医者さんの説教が効いたのか飲酒に拍車がかかった黒川はついに肝臓を壊してしまい、寝たきりの状態になってしまったのだ。

それを見た黒川病院の医師たちも完全に黒川に愛想をつかし、次々に黒川の悪事を警察やマスコミにリーク。

結果、警察が黒川病院に踏み込むこととなり、あの男の悪事が公の場にさらされる事となったのである。

もはや黒川病院は廃業を免れないだろう。

残された黒川の悪事に加担していなかった医師やスタッフ、患者たちも皆別々の病院へと行くことが決定したらしい。

……まぁ、もう私たちには関係の無い話だ。

 

 

 

 

「ただいまー、真那美」

「おかえりなさい、アナタ!」

 

今日もジョギングから帰ってきた夫を、私は笑って出迎える。

――今日も平穏無事な生活が続きそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇後日談:某日某所、とある二人の医師の会話。

 

 

「今回はありがとうございました、カエル先生」

「いやはや、まさかキミが僕に連絡してくるとは思わなかったよ。……キミ、あの黒川病院に入ったばっかなんだろう?今更だが、良かったのかい?」

「ええ。……あの仲の良い中沢さんたちが黒川の手にかかるのは我慢なりませんでしたし、ああいう医者の風上にも置けない奴って、同じ医者として見逃せませんからね俺」

「キミも奥さんを持つ身だからね。ツネ子さんは元気にしているかい?」

「ええ、もう元気元気!尻に敷かれっぱなしですよ」

「それは良かった。……で、どうするんだいこれから。どこか別の病院に勤務するんだろうが……」

「ええ、もちろんです。でも……」

「……?」

「……いやぁ、ははっ……。実は最初は米花中央病院(べいかちゅうおうびょういん)に行こうかと思ったんですが……止めました」

「ほぅ……?なら、どこにしたんだい?」

「その事なんですがね、カエル先生……――」

 

 

 

 

「――どうか、俺を雇っていただけませんか!」

 

そう言って、カエル顔の医師に向け……医師、大和田誠(おおわだまこと)は深々と頭を下げていた――。




軽いキャラ説明。



・中沢真那美

劇場版第一作、『時計じかけの摩天楼』の冒頭の殺人事件の犯人。
冥土帰しの手によって夫が助け出されたうえ、病気も治った為、黒川を殺す事は無くなった。
今は夫婦水入らずで平穏な生活を送っている。



・黒川大造

冥土帰しに中沢の夫を横取りされた上、彼に叱責(しっせき)されたショックで飲酒癖が悪化。仕事どころか立つことも出来なくなるまで泥酔し、最後には体を壊して自分自身が患者となってしまう。



・大和田誠

アニメオリジナル回、『ツイてる男のサスペンス』に登場する米花中央病院の医師。
アニメではとある人物の逆恨みから命を狙われる事となる。
この作品で最初に冥土帰しに助けを求めて連絡したのは彼。
冥土帰しとは以前からの知り合いで、黒川病院に勤務したてだったが、黒川院長の実態を知り早々に辞めようと考えていた。
そうして次に本来勤務する米花中央病院へ行こうと思っていたのだが、黒川に対峙した冥土帰しの活躍する姿を見て、米花私立病院を新たな勤務先に決める。


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カルテ6:白井光雄

軽いジャブ回、その5です。



つ……ついに、ランキング第1位に……!?
この作品を読んでくださっている読者の皆々様。
本当に、ほんっっっとうにありがとうございます!!


私こと白井光雄(しらいみつお)があの先生と出会ったのは、私が医大の受験に失敗して、人生初の浪人生活を送っていた時だ。

人生初の挫折を味わい、そのショック故か私は受験勉強に身が入らない日々が続いていた。

食事をとって寝て、起きてまた食事をとるというその繰り返し以外で何かをやろうという気力すらわかない、そんな無気力で怠惰な毎日。勉強をしようと机に向かってもそこから先に一歩たりとも進めない。

そんな鬱屈した日常を私は苛立ちと諦観の間でもがき苦しみ続けていた。

そうして日に日に近づいてくる次の受験日。

私は一向に身が入らない勉学と近づいてくるタイムリミットに追い詰められ、いつしかこう考えるようになってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

――何とか大金を積んで入学できないモノか、と。

 

 

 

 

 

 

 

自慢ではないが私の実家は裕福な方だ。

勉強に身が入らなくなっていた私にも、両親は「バイトをしろ」「働け」などと言った小言を言う事は無かった。

自由にさせていてくれていたし、娯楽にふけるためのお金も文句一つ言わずにポンと出してもくれていた。

私が両親に頼めば医大の教授を買収してくれるかもしれない。そうすれば私も医大に入学できいずれは医者として成功するだろう。

だが、流石の両親も最初は協力してくれないだろう。何せ分かりきっている事だが、これは明らかな犯罪だ。

そんな事に実の息子の頼みとは言え直ぐに頷いてくれるわけがない。

それから私は、どうやって両親を説き伏せようか考えるようになっていた――。

 

――それで罰が当たってしまったのだろうか。

 

気分転換に外出し、そんなことを考えながら歩いていたせいで、私は後ろから走って来る車に気づくことが出来なかった――。

 

 

 

 

 

 

――気づいた時には遅く、私の体は宙を舞い、地面に仰向けに寝転がる形となった。

 

 

 

 

 

 

――痛い。

全身に激痛が走り、断末魔を上げている。

意識が朦朧とし、視界が真っ赤に染まっている。

……私は、ここで死ぬのだろうか。そう、ぼんやりと思っていると、不意に私に向けて声がかかった。

 

「君!大丈夫かい?しっかりするんだ!」

 

その声の主が真っ赤に彩られた私の視界に映る。

30代くらいの男性だった。それも、何とも特徴的な顔をしている。――カエルのような顔だった。

そこで私は意識を失い――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――気が付けば私は、病院のベッドの上に寝ていた。

そばには私の両親と先程のカエル顔の男性が立っており、両親の話では私が車にはねられた時、たまたまその現場に居合わせていたのだとか。

運がいい事にその男性は医者だったようで、その場で私に応急処置を施すとそのまま自分の勤める病院に救急車で運んで来たらしい。

 

(……さすが、現職のお医者さんは手際が良い)

 

私は素直に感心していたが、そんな私に彼は思わぬ爆弾を投下してくる。

 

「全身複雑骨折の重傷でしたが大丈夫です。()()()()退院できるでしょう」

 

その言葉に私も両親も開いた口が塞がらなかった。

受験生の身分である私にもわかる。

全身複雑骨折の重傷などたった数日で完治出来るわけがない。少なくとも何ヶ月かの入院が必要だ。

しかし他の医師や看護師に聞いたところ確かな事実らしく、今自分の全身をミイラのように巻かれているこの包帯も明後日には取れるのだという。

それを知った瞬間、私はこのカエル顔の医者に強い興味を抱かずにはいられなかった――。

 

 

 

 

 

 

――それから退院するまで、毎日のように私はカエル顔の先生と会話を重ねた。

先生との会話は医者を目指す私にはとても楽しく、また先生が話してくれる医学知識も興味を欠かないモノばかりで時間が過ぎるのも忘れて先生の話にのめり込んでいった。

 

だが、そんな楽しい時間もあっという間に過ぎ、気が付けば私の退院日は明日へと差し迫っていた。

その日、私は意を決してカエル顔の先生とある質問を投げかけてみた。

 

「……先生、あの……。先生って今まで何人も手術とかで患者を治しているんですよね?」

「ああ、そうだね。もうこの歳でも数えきれない人たちを治してきたよ?」

「あの……とても聞きにくい事をお聞きしますが……先生も一人の人間ですからその……医療で失敗することとかはあったんですか……?」

「……本当に聞きにくい事を聞くね」

 

苦笑するカエル顔の先生に私は慌てて言う。

 

「す、すみません。私も医者を志している者ですからその……どうしても気になってしまって……」

「キミは、医者を目指しているんだったね?」

「はい……。今は浪人の身ですけど」

 

カエル顔の先生の問いかけに、私は俯いて小さく答えた。

少しの沈黙の後、カエル顔の先生は静かに私の質問に答えた。

 

「……あったよ。もっとも今はもう無いが、駆け出しの頃(前世)は小さいながらもミスを連発したものだね。その度に先輩たちからどやされたりしたものさぁ」

 

私はその答えに驚いた。先生のような凄腕の医者でもそう言った失敗をしている事に意外だと感じずにはいられなかった。

それが顔に出ていたのに気づいたのかカエル顔の先生は真摯な姿勢で私に語り掛ける。

 

「失敗しない人間なんてこの世にはいないよ?誰しも長い人生、生きていれば必ずそういった事にも遭遇するモノだからね?」

「…………」

「失敗をしないよう努力する。……それは大事な事だが、もう一つ大事なのは――」

 

 

 

 

 

「――自分が失敗したそれから何を学ぶのか、だね」

 

 

 

 

 

「……失敗から、学ぶ?」

 

オウム返しに聞く私に、カエル顔の先生は静かに頷く。

 

「その失敗から『何が悪かったのか』『何がいけなかったのか』……そういった事を見つめなおし、自分なりの答えを出す事で、人は成長していくんだよ。学ぶことが多ければ多いほど、人は今より一回りも二回りも大きく成長し、強くなることが出来るのさぁ。……まぁもっとも、それだと『失敗をたくさんしろ』って意味に聞こえちゃうかもだけどね?」

「…………」

「キミはまだ学生の身だ。何度だって失敗できるし、何度だって挑戦できる。……患者の命を預かる身になって、そういったミスが許されない立場になった僕とは違ってね?」

「先生……」

 

何故か眩しいモノでも見るかのようにカエル顔の先生は目を細めて私を見据える。

私はそんなカエル顔の先生に何と声をかけるべきなのかまるで分らなかった。

だがそんな私に構わず、今度はカエル顔の先生から私に質問がかけられた。

 

「……キミは、医者を目指していると言ったが、何故、()()()()()()()()()()()()()()?」

「……え?」

「職種なら他にいくらでもある。だがキミは、その中から医者という職業をあえて選んだ。……お金持ちになりたい、有名になりたいとかそんな理由なのであれば、わざわざ浪人までして医者を目指そうとは思わなかったはずだよ?」

「…………」

「だがキミは、それでも医者になる事を諦めなかった。それはキミが医者という職業に対して、何か特別な思い入れ――キミの『原点』とも呼べる理由があったんじゃないのかい?」

 

…………。私の、医者を目指そうと思った原点……。

医者になろうと思ったきっかけ……。

 

……………………………………。

 

……………………。

 

…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――あ。

 

 

 

 

思い出す。思い出した。

私が医者になろうと思った、そのきっかけ。

ふいに私の肩に手が添えられる。

視界一杯に、カエル顔の先生が微笑んでいるのが見えた。

 

「今、キミが思い出したその『原点』……。大切にするんだよ?」

 

そう言い残すと呆然とする私を置いて、カエル顔の先生は病室を去って行った――。

 

――そして、それと同時に私の中にあった医大に裏口入学しようという企みは、奇麗さっぱり消え去っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――あれから十年の時が経ち、私は医者になっていた。

あの年の医大受験には残念ながら落ちてしまったが、その後私は自分でも分かるほどにメキメキと勉強に打ち込むことが出来、その次の年の受験には見事合格することが出来たのだった。

二浪したのは痛手だったが、それでもその失敗で学ぶことは多かった。

だからこそ私は、今の自分に何も恥じるモノは無い。

 

――私は今、一人前の医者となって米花私立病院を訪れている。

今日から私もここで働くのだ。そしてここには……私を諭してくれたあの先生も働いている。

 

十年間会う事の無かった先生はその分、老けてはいたが特徴的なカエル顔は未だ健在だった。

私は込み上げてくる嬉しさを押し込めて先生に声をかけようとし、それよりも先に私を見た先生が笑って口を開いていた――。

 

「ああ、久しぶりだね?元気だったかい?」

 

――驚いた。十年も会わなかったというのに、この人は患者の一人でしかなかった私の顔を覚えていてくれたのだ。

そんな私に、カエル顔の先生は笑って答える。

 

「ハハッ、僕は人の顔を覚えるのが得意でね。特に自分の患者だった人たちは今でも全員覚えているんだよ」

 

そう言ってカエル顔の先生は、あの時のように私の肩にそっと手を置いた。そして、真っ直ぐな瞳で私を見据えて言う――。

 

 

 

 

 

 

 

「――おめでとう、医者になれたんだね。……よく、頑張った」

 

 

 

 

 

 

 

「ぁ……」

 

小さく声が漏れる。気づくと私の目からボロボロと涙がこぼれだしていた。

とても……とても嬉しかった。この10年の努力が、苦労が、ようやく報われたような気がして――。

そしてそれを、一番認めてほしかった人に言ってもらえて――。

静かに泣き続ける私の背中を、カエル顔の先生はポンポンと叩く。

 

「さ、涙を拭きなさい。患者たちが僕たちを待っている。……キミにはこれから覚えてもらいたい事、やってもらいたい事が山ほどあるんだ。最初は辛いかもしれないが、なぁに、直ぐに慣れて来るよ?」

 

その言葉に私は強く頷く。辛い事なら今までだって何度もあった今更ここでへこたれるつもりはない。

それに……今日から()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の背中が目の前にあるのだ。だから、この先何があったって折れる事は無い。そう思える。

 

目元を拭っていると先に歩き出したカエル顔の先生が、肩越しに振り返りながら口を開く。

 

「さぁ、行こうか。白井先生?」

「はいっ!」

 

私は強く頷くと、その背中に向けて駆け出していた――。




軽いキャラ説明。



・白井光雄

アニメオリジナル回、『総合病院殺人事件』の犯人。
交通事故で冥土帰しに怪我を治してもらった上、彼に悩みを打ち明け諭されたおかげで裏口入学を企てず、自力で医大に受かり医者になった。
一人前の医者になってからは、アニメでの『米花東総合病院(べいかひがしそうごうびょういん)』ではなく、冥土帰しのいる米花私立病院へと勤務する。

そのため、被害者だった江藤勝利(えとうかつとし)にゆすられる事も無いどころか、彼との面識も全く無くなった。


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カルテ7:堀田文子

軽いジャブ回、その6です。


ちょっとストーリーがマンネリ化し始めてきたと感じてきましたので、次回は原作コナンの本筋の方へ行ってみようと思います。
まだまだ助けたいと思うキャラはいるのですが、それは後々という事で。


――これは、5年前の出来事である。

 

「ぐああぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

「け、健太郎(けんたろう)さん!?」

 

最愛の恋人の断末魔を聞きながら、私――堀田文子(ほったふみこ)は、自分の目の前で起こっている光景が信じられずにいた。

この日、私と恋人の山内(やまうち)健太郎さんは、堀田重工(ほったじゅうこう)の会長である私の父――堀田耕作(ほったこうさく)に彼との結婚の許しを貰いに実家にやって来ていた。

健太郎さんはしがないピアニストの卵だったのだが、そのために金銭面的に私を幸せにしてあげる事が出来ないと判断し、長い間結婚の話が先送りにされていた。

だが健太郎さんを愛していた私はそれでも彼のそばで彼を応援し続けた。

そして努力の甲斐あって、健太郎さんはとあるコンクールで優勝し、やっとその才能を世に見てもらうことが出来たのだった。

その優勝でようやく決心がついた健太郎さんは直ぐに私に結婚を申し込んでくれたのだ。……とても、嬉しかった。

 

――だが、嬉しかったのはここまでだった。

 

床に両手をついて土下座をし、どうにか私との結婚を認めてほしいと頼む健太郎さんに対し、父は怒りの形相でそれを突っぱねた。

そこまでならまだよくある光景だ。だが父は、その直後にとんでもない行動を起こした。

 

――なんと父は、床についた健太郎さんの右手を足で踏みつぶしたのだ!

 

骨が砕ける音と健太郎さんの絶叫が部屋の中に響き渡り、私の頭も一瞬真っ白になる。

だが直ぐに正気を取り戻した私は慌てて健太郎さんに駆け寄った。

見ると健太郎さんの右手は、見るも無残な姿となっていた。

 

「な、何て事を……!!お父さん、健太郎さんに何を……!!」

「文子!お前こそ何を考えている!!どこの馬の骨とも知れない若造なんかに引っ掛かりおって、お前は堀田の名に泥を塗る気か!?」

「だからってこんな……!!ひどい、ひどすぎるわッ!!」

「うるさい!!さっさとそいつをこの屋敷から追い出せ!!見るのも汚らわしいわ!!」

 

そう捨て台詞を残し、父は部屋を出て行った。

その場には痛みで蹲る健太郎さんとそれを抱きしめる私だけが残る。

 

「ぐっ……!うぅぅ……っ!!」

「健太郎さん!!は、早く病院に……!!」

 

私は健太郎さんを支えながらその足で近くの病院へと向かった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

病院へと着いた私たちは、医師から残酷な事実を突きつけられる事となった。

 

「これはひどい……。骨だけでなく神経まで潰れてしまっている……。これではもう、右手を元のように動かすのは、ほぼ不可能だ」

「そ、そんな……!!」

 

レントゲンを睨みつけながらそう響く医師の言葉に、右手を包帯でぐるぐる巻きにした健太郎さんは絶望に満ちた表情で力なく項垂れた。

それは私とて同じで、呆然とその場に立ち尽くしている事しかできなかった。

どうしてこんなことに。ピアニストである健太郎さんにとって手は自分の命同然だというのに。

しかも、それを奪ったのはあろう事か私の実の父。

腹立たしさと、悔しさと、申し訳なさで私の頭の中はぐちゃぐちゃになってしまっていた。

 

「ごめん、なさい……!健太郎さん……!父が……父が……とんでもない事を……!!」

「文子さん……」

 

何度も何度も私は健太郎さんに謝り続ける。こんな事しか出来ない自分自身がほとほと情けない。

健太郎さんは絶望と悲しみが混ざったような顔で私を見上げる。私はボロボロと涙をこぼしながらそれを見つめ返す事しかできなかった。

 

 

――だがここで、思いもよらぬ救いの手が差し伸べられる事となる。

 

 

「いや……まだ諦めるのは早いかもしれません」

 

俯きながら思案顔でそう響いた医師に、私と健太郎さんは同時に顔を向けた。

その視線を受けて、医師は私たちに向けて顔を上げそれを口にする。

 

「……私も噂でしか聞いた事が無いのですが、米花私立病院という所にカエルのような顔をした医師がいるらしいのです……。その人は何でも世界的な凄腕の名医らしく、今までいくつもの難病や完治不可能な怪我を治してきたとか……」

「……!!じゃ、じゃあ、その人なら……!」

 

健太郎さんの顔に生気が戻り、医師に詰め寄る。

そんな健太郎さんに医師は力強く頷いた。

 

「ええ、可能性はあります。直ぐに診断書を作成しますので、このレントゲンと一緒に持ってその人の所に向かってください。連絡はこちらがしておきますので」

「はいっ……!行こう、文子さん!」

「健太郎さん……!はいっ!」

 

私たちは手を取り合ってすぐさま、その医師の元へと向かった。

同時に、希望はまだ残っていた事に私は心から安堵していた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大丈夫。治せるよ」

 

米花私立病院の診察室で、話に聞いた通りのカエルのような顔をした医師が私たち二人にそう言った。

あっさりと、本当にあっさりとそう言ったカエル顔のその医師の言葉に、私たちは一瞬キョトンとするも、直ぐに二人してその医師に詰め寄った。

 

「「ほ、本当ですか!?」」

「う、うん本当さ。僕に任せてもらえれば、また以前のようにピアノを弾く事だって出来るようになるよ?」

 

顔を近づけて確認してくる私たちに、そのカエル顔の医師は面食らいながらもはっきりとそう言い、私たちは体の力が全て抜けていくような安心感に包まれた。

しかしカエル顔の医師は、「ただ……」と一言前置きすると、私たちから渡された診断書をやや険しい顔で見つめながら、私たちに問いかけてきた。

 

「一つ気になったんだがねぇ?この右手の怪我、一体どうしてこうなったんだい?ボウリングの玉とか上から落っことしちゃったのかな?」

「ああ、いえ……。それが……」

 

身内の恥ではありながらも、私は事のあらましをそのカエル顔の医師に包み隠さず話した。

すると、やや険しかった医師の顔がさらに険しくなった。

 

「それはキミ……父親とは言え立派な傷害罪だよ?警察に訴えてもおかしくないレベルだね?」

「はい……今回の事でつくづく私はあの人に愛想が尽きました。私の愛する人をこんな目に遭わせて許すつもりなど毛頭ありません」

「文子さん……一体どうするつもりなんだい?」

 

不安げにそう聞いてくる健太郎さんに、私は一つの決意を口にする。

 

「父を訴えるわ。そして、あの人から健太郎さんの怪我の治療費と慰謝料をたんまりとふんだくってやる!」

 

私のその言葉に、聞いていたカエル顔の医師も頷いて見せる。

 

「それが良いね。僕も協力するよ。こっちにはレントゲンと診断書、そしてキミたちの証言がある。いくら相手が堀田重工の会長さんと言えど、無碍(むげ)には出来ないと思うよ?」

「でも……それでも確実に勝てるかどうか……」

 

健太郎さんのその言葉に、カエル顔の医師は「ふ~む……」と考え込むと、もう一つ提案をしてくる。

 

「なら僕が優秀な弁護士を紹介してあげるよ?何せ()()()()()()()()()()()()だからね。裁判になったとしても確実に勝てると思うよ?」

「「あ、ありがとうございます!!」」

 

私と健太郎さんは同時にその医師に向けて頭を下げていた。

本当に心強い。まさかこんなに凄いお医者様がこの世にいるなんて夢にも思わなかった。

そこへ健太郎さんは何か思う所があったのか小さくハッとなると、机の電話の受話器を取ろうとしていた医師に向けて質問を投げかけていた。

 

「あの……。一つお聞きしたいのですが……ボクの右手ってどれくらいで治りますか?」

 

それを聞いたカエル顔の医師は何でもないかのようににこやかに口を開いた。

 

「ああ、()()()()()()手術すれば三日で治るよ?」

「「は?」」

 

私たちは二人同時に文字通り目が点になった。

最初に診断してくれた医師には治る事はほぼ不可能と言われていたほど重傷だったのに、それが三日で治ると言われればこうなるのも無理はないと思う。

呆然とする私たちを置いて、カエル顔の医師は電話の受話器を取って誰かと連絡を取り始めた。

 

「――もしもし、()()かい?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――三日後、カエル顔の医師の言う通り、健太郎さんの右手は完治した。

試しに健太郎さんの実家に置いてあるピアノを弾いてみた所、ここ数日間のブランクをまるで感じないかのように見事な演奏をこなして見せたのだ。

これには演奏した本人である健太郎さんや私だけでなく、健太郎さんの父親である山内正弘(やまうちまさひろ)さんも大いに喜んだ。

 

そして――健太郎さんの手を潰した私の父、堀田耕作に対する訴えなのだが。

結論から言うと治療費と慰謝料を手に入れる事が出来たが、父を傷害罪で起訴する事は出来なかった。

カエル顔の医師の紹介で来た妃弁護士がうまく立ち回ってくれたおかげで、私たちは父に勝つことが出来たのだが、父の方から予定の倍の金額を出すから訴えを取り下げて示談(じだん)という形に持っていってほしいという要請があったのだ。

このまま警察へ被害届が出されれば、世間的に有名な堀田重工に大きな傷がつく。それを恐れた父は、そう言って私たちに泣きついてきたのだった。

最初は突っぱねようと思ったが、私たち家族の事に堀田重工の社員たちを巻き込むのは心苦しく思い、健太郎さんと相談した結果、その要請を飲む事となった。

後から知った話だが、その上乗せされた大金には私と父との手切れ金が含まれていたらしい。はっきり言って、清々する。

 

そうして私たちは、父から搾り取ったお金を使って海外へと移住をし、そこで小さいながらも結婚式を挙げた。

正弘お義父様(おとうさま)も、初孫が見たいからと今の勤めている会社を辞め、私たちと一緒に海外へと移住し、そこで今は三人仲睦まじく暮らしている。

海外へと向かう前日、私たちはカエル顔の医師に約束の治療費を渡しに行ったのだが、彼はその治療費をやんわりとこちらに返し、こう言った。

 

 

 

 

「これは、キミたちにあげるよ。僕からの結婚のお祝い金だよ?」

 

 

 

……本当に、この人には一生私たちは頭が上がらない。心からそう思った。




軽いキャラ説明。


・堀田文子

アニメオリジナル回、『堀田三兄弟殺人事件』に登場する女性。
アニメでは健太郎を捨てたと誤解した正弘に殺されかける。
恋人の健太郎が冥土帰しによって怪我が治されたものの、アニメ通り耕作とは親子の縁を切って健太郎とともに海外へと渡り、式を挙げた。


・山内健太郎

アニメでは回想だけの登場。耕作に手を潰されて自殺してしまう。
しかしこの作品では冥土帰しによって怪我が治され、文子と共に海外に渡り、結婚して幸せな日々を過ごしている。



・堀田耕作

アニメでの被害者。自殺した健太郎の復讐で正弘に殺される。
しかしこの作品では正弘に殺されることは無くなった代わりにでかい出費をする事となる。



・山内正弘

アニメでは犯人だったが、この作品では名前だけの登場となってしまった……。



・その後のコナン一行

アニメ通り、山道で耕作を拾い、彼の別荘へお邪魔する。
別荘の管理人が別人な事以外、特にアニメと変わりなく兄弟のケンカやら色々と見て、何事も無く翌日別荘を後にしていった。


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導入:解毒剤への手がかり

ちょっとした導入回です。


SIDE:カエル顔の医者(冥土帰し)

 

 

 

「なんだって?新一君が一時、元の姿に戻った?」

「おお、どうもそうらしい」

 

米花私立病院の応接室。今日の朝、突然やって来た博士(ひろし)からそう告げられ、私は目を丸くする。

博士が言うにはこの間、関西の方から新一君と同じ高校生探偵がやって来て、当時風邪気味の新一君にその高校生探偵がとあるお酒を飲ませたらしい。

 

「……それがこの白乾児(パイカル)ってお酒かい?」

「ああ……」

 

私と博士が見つめる先――お互いが向かい合って座るソファに挟まれるようにして鎮座している机の上に、()()()になった白乾児の酒瓶が置かれていた。

酒瓶を見下ろした博士は、私に話の続きを語る。

 

「残念ながら、ワシは新一が元の姿に戻ったところを見ておらんが、彼自身がそう言っておるし、その場には蘭君と毛利君らもいたみたいじゃから間違いないじゃろう」

「蘭君たちも?という事は、正体がバレたのかい?」

「いいや。何とかごまかせたらしい。……その後、風邪を治した新一はワシの所にこの酒を持って興奮気味に元の姿に戻った事を話した訳じゃ」

「ほぅ……」

 

私は興味深げに博士の話に相づちを打つ。それを見ながら博士の方もさらに話を続けた。

 

「じゃが、いざワシの目の前で新一がこの酒を飲んでも一向に元の姿に戻る様子が無かったんじゃ。恐らく、一度飲んで元に戻った時に免疫(めんえき)が出来てしまって、もう効かなくなったのではないかというのがワシの推測なんじゃが……」

「その可能性もあるだろうが……この酒を飲んだ時、新一君は風邪をひいてたんだろ?風邪で体の免疫力が低下している時に、これを飲んだからこの酒の成分で元の姿に戻れたとも考えられるね?」

「じゃあ、また体が不調な時にこれを飲めば……」

 

博士の問いかけに私は頷いて見せる。

 

「可能性はあるね。だが、そんなのは合理的ではない。元の姿を維持するためには不健康な状態で居続けろって言ってるようなもんだからね?でも……」

 

そう言って私はソファから立ち上がると、白乾児の空き瓶を手に取り、続けて口を開いた。

 

「……大変興味深い話を聞かせてもらったよ。もしかしたら、この酒を使って解毒剤完成への道がつかめるかもしれない」

「ほんとか!?」

 

博士も驚いてソファから立ち上がり、私に詰め寄る。

私はそれに強く頷いて見せた。

 

「ああ。この酒の成分から解毒剤完成のための第一歩――試験薬を早速作ってみるよ。……それが完成した時は、新一君も呼んで一緒に来てくれるかい?彼を実験台にするようでなんだが、試せるのは今の所彼だけだからね?」

「ああ、分かった!」

 

こうして、白乾児を元に私は解毒薬を作り始め――。

 

 

 

 

 

 

 

 

――間もなくして、私は試験薬……その一作目を完成させた。

完成したその日の夜、私は博士と新一君に連絡すると二人は直ぐに米花私立病院へと駆けつけてきてくれた。

 

「カエル先生!試験薬が完成したって本当か!?」

「ああ、できたよ新一君。では、早速だけど服用してみるかい?」

「ああ、ああ!早く飲ませてくれ!」

 

診察室で目をキラキラさせながら早く飲ませてとせがむ新一君。本当に見た目通りの少年みたいだ。

だがその前にやる事がある。新一君の今の服装だ。

この試験薬を飲めば、まず間違いなく新一君は元の姿に戻るだろう。だがその時、着ている服が今着ている子供服のままだったのなら……最悪な事になるのは目に見えている。

私は前もって博士に頼んで持ってきて来てもらった、工藤邸にある新一君の衣服一着を彼に渡し着替えさせる。

小さい体にぶかぶかな服を纏った新一君は「準備OK」だと言わんばかりに大きく鼻を鳴らした。

それを苦笑しながら見た私は、自分の纏う白衣のポケットから小さな錠剤ケースを取り出し、その中から例の試験薬のカプセルを手に取ると、それを水を入れたコップと一緒に新一君に手渡した。

 

「これが……」

 

ゴクリと生唾を飲み込む新一君。そんなに意気込む必要はないと思うのだが。

やや呆れた顔を浮かべる私と博士を前に、新一君は一気にカプセルを口に含むとそれをコップの水で流し込んだ――。

 

 

 

 

――効果は直ぐに現れた。

 

 

 

 

「ぐっ……!?」

 

自分を抱きしめ、急に苦しみ始める新一君。すると――。

 

「おお……!」

「なんと……!」

 

驚く私と博士が見ている前で、新一君の体は見る見るうちに大きくなり、ついには私たちの良く知る高校生探偵の工藤新一君の姿へと完全に戻ったのである。

 

「おお、すげぇー!戻ったぜ博士(はかせ)、カエル先生!!」

 

自分の元に戻った体を確認し、新一君は大いにはしゃいで見せる。

 

「やったぜ!高校生探偵、工藤新一!今ここにふっかつぅ――ってえええぇぇぇ!!??」

 

だが、歓喜していた彼の顔が途中で驚愕に変わった。

新一君の体がまるで膨らんだ風船がしぼむように小さくなり始めたのだ。

しゅるるるる、という擬音が聞こえるかのように彼の体は小さくなっていき、ついには先程までの江戸川コナンの身体へと逆戻りしてしまった。

呆然とする新一君と博士を置き去りに、私は顎に手を置いて口を開く。

 

「ふむ……やっぱり試験薬の効果が弱すぎたようだね?でも最初の一発目にしては上々な出来だよ。……それにしても、まさか身体がこんな風に変化するなんてね?驚いたよ僕も」

 

そう呟く私に新一君は声を張り上げる。

 

「おい、カエル先生、どうなってんだよこれ!1分もしないうちに子供に戻っちまったぞ!?」

 

そう、噛みついてくる新一君に向けて、私は淡々とした口調で説明し始める。

 

「当たり前だよ。まだ()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「……スタートライン?」

 

首をかしげる新一君に私は頷いて説明を続ける。

 

「そう。何せ白乾児という糸口をつかんだとは言え、それでも毒薬に関するデータもサンプルも無いゼロからの出発なんだよ?それも僕ですら前例を知らない未知の毒薬が相手と来た。どんな副作用があるかもわからないのにいきなり完成したものを作れるわけもないだろう?」

「うっ……」

「……今キミが服用したカプセルだって、その副作用が出る事のないように成分を極力薄めて作ったんだ。結果がこうなる事くらい目に見えていたよ?」

「うぅぅ……じゃあ、解毒薬が本当の意味で完成するまで、俺はまだ小学生活を続けるっきゃねぇのか……」

 

そう響く新一君に、私は苦笑しながら小さく鼻を鳴らす。

 

「そうだね。これから初めて出来たこの試験薬に副作用が出ないように少しずつ、慎重に、改良に改良を重ねて完成へと進めていく必要があるからね。時間はそれなりにかかると思うよ?何せ暗闇を匍匐前進(ほふくぜんしん)しながら手探りで進んでいくようなもんだからねぇ?」

「はぁ~っ、いくらカエル先生でもそう簡単に解毒薬が作れるほど、現状甘くねぇのかぁ……」

 

その場にしゃがみこんで深くため息をついてそう言う新一君に、私は「残念ながらね」と首を振る。

 

「現状を早く解決したいのなら、やはりその毒薬のデータか、もしくはサンプルでも手に入らないとどうにもならないね。……まぁ、今は時間をかけてやっていくしか方法はないよ」

「だよなぁ~」

 

私の言葉にさらに深く項垂れる新一君。私と博士はそれを苦笑を浮かべながら見つめている事しかできなかった――。

しばらくの沈黙後、ふと腕を組んで何かを考える仕草をする博士が唐突にそれを呟いた。

 

「……それにしても、一体誰がどんな目的でこんな毒薬を作ったんじゃろうなぁ?こんなとんでもない薬を作れる以上、その人は間違いなく天才の部類に入る人物だとワシは思うぞ?」

「そいつに興味でもわいたのか博士?……止めとけよ。こんな毒薬作っちまうような奴だぞ?ロクな人間じゃないのは目に見えてる」

「確かに……そうなのかもしれないね?」

 

冷ややかに博士に向けてそうたしなめる新一君に、私もそれに同意した――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――だがそれからしばらくして、私たちは毒薬を作り出したその開発者と予想外な出会い方をする事となる。

もっともその出会い自体には、少し前に起こったとある強奪事件が大きなきっかけとなったのだが――。




今回は軽いキャラ説明は無しです。

次回は個人的にも名探偵コナンの死亡キャラの中で一番助けたいと思っていた人にスポットを当てます。


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カルテ8:広田雅美(宮野明美)【前編】

この話はアニメ版を基準としています。

少し長くなりそうだったので、前編と後編に分ける事にしました。

視点がコロコロと変わります。


SIDE:江戸川コナン

 

 

 

(クソッ!雅美さん行っちゃだめだ……!)

 

今俺は、ついこの間起きたばかりの『10億円強奪事件』の最重要容疑者――広田雅美(ひろたまさみ)さんの後をターボエンジン付きスケートボードで全力で追っている――。

強奪事件に関与したと思われる雅美さんを含む強盗犯三人組の内、二人が昨夜何者かに殺され、その殺人現場の一つに彼女の物らしき口紅が落ちていた事から、警察は雅美さんを容疑者としてマークしていた。

だが俺は、現場に落ちていたというその口紅と、強奪犯が乗り捨てて行った車に残っていた覆面に違和感を覚え、雅美さんたち三人の他に別の人間が裏で糸を引いているのではないかと考えた。

その人物が他二人を殺し、その罪を雅美さんになすりつけようと偽装工作したのだと――。

俺は何か手掛かりが無いかと、先程雅美さんのマンションに忍び込み、そこで10億円を隠しているであろうコインロッカーのカギを見つけたのだが、直後、雅美さんに当身を食らわされ鍵を奪い返されてしまう。

 

(おそらく雅美さんは、強奪犯二人を殺した犯人の所に向かってるはず……!このままじゃ雅美さんも――うぐっ!?)

 

雅美さんを追跡している最中、唐突に首筋に痛みが走った。

先程、雅美さんに当身を食らわされた場所だ。

 

(くっそ……!まだ痛みやがる……!)

 

痛みに耐えかね、俺はスケートボードをいったん止めるとそばにあった電柱に身体を預け、痛みが引くまで首筋を手で抑える。

 

(こんな事してる場合じゃねぇっつーのによぉ……!)

 

俺は顔を歪めながら犯人追跡メガネで雅美さんの現在地を確認する。

彼女が車で出発する直前、俺は彼女の車に発信機を仕掛けていたのだ。

 

(この方向……埠頭か!確かあそこには古びた倉庫街があったな?彼女はそこで犯人と……?)

 

早く追いつかないと、と再びスケートボードを発進させようとしたその時――。

 

「どうしたんだいコナン君。こんな所で?」

「!」

 

聞き慣れた声に思わず振り返る。見るとそこには車が停車しており、開けられた運転席側の窓からひょっこりと見慣れたカエル顔がのぞいていた。

 

「カエル先生!」

「見た所、血相変えてるようだけど、何かあったのかいコナン君?」

 

一応、屋外。それも人目があるため「新一君」ではなく「コナン君」で呼んでくれるカエル先生に内心ちょっぴり感謝しながら、俺はカエル先生の車に駆け寄った。

 

「カエル先生こそ、どうしてここに?」

「僕の患者の一人が自宅療養していてね、その往診(おうしん)の帰りさ。そう言うキミはどうしたというんだい?」

「……悪ぃが詳しい話をしてる暇はねぇんだ。早く埠頭に向かわねぇと死人が出るかもしれねぇ……!」

 

俺がそう言った瞬間だった。カエル先生の顔が明らかに険しさを帯び、助手席側のドアを開けて俺に向けて声を上げた。

 

「乗りなさい。案内してほしい」

「え?」

 

突然の事に面食らう俺に、カエル先生は真剣な口調で言葉を続ける。

 

「人の命がかかってるんだろう?なら僕の力が必要になるかもしれない。……違うかい?」

「!」

 

カエル先生の言いたい事を直ぐに理解し、俺は強く頷くとカエル先生の車に乗り込み、一緒に埠頭へと向かった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:カエル顔の医者(冥土帰し)

 

 

 

道端でばったりと会った新一君を拾い、急ぎ埠頭へと車を飛ばす私は、その傍ら新一君から詳しい話を聞いていた。

 

「10億円強奪事件?それってこの間あったっていう?」

「ああ。その強奪犯の内、二人が何者かに殺されちまって、残ったもう一人、広田雅美さんの命も危ねぇんだ!恐らく今向かってる先に雅美さんと二人を殺した犯人がいるはず……!」

「まずいね。ひょっとしたら、鉄火場に飛び込む事になるかもしれないよ?」

「なら、なおさら行かない訳にはいかねぇよ!」

 

そうこうしているうちに、私たちの乗る車は埠頭の倉庫街へと入っていった。その直後――。

 

 

――パァン……!

 

 

一発の乾いた破裂音が辺りに響き渡った。

 

「今のは……!」

「銃声……!」

 

私と新一君の声が重なる。すると、再びパァンという乾いた破裂音が――。

 

「――っ!カエル先生急いでくれ!!」

「分かってるよ!」

 

私はさらにアクセルを踏み、車を加速させる。

やがて新一君の案内(ナビ)で、とある倉庫へと到着した。倉庫の前には一台の車も止まっている。

新一君は慌てて私の車から飛び降りると一目散に倉庫の中へと入っていく。

私も車を降りると、直ぐに倉庫には向かわず車のトランクを開けて、中からいつも持ち歩いている医療道具の入ったボストンバッグと、もう一つ()()()()()()()()()を両肩に担ぎ、倉庫の中へと急いで行った――。

すると、中には血だまりに沈む女性の姿とその女性に声をかける新一君の姿があった。

私も急ぎ、彼らの元へ駆け寄っていく。

近づくにつれ、新一君とその女性の会話が聞こえてきた――。

 

「組織……?」

「謎に包まれた大きな組織よ……。末端の私に分かるのは、組織のカラーがブラックって事だけ……」

「ブラック……?」

「そう……組織の奴らが好んで着るの……。()()()()()()()()()()()()()()()……」

 

 

 

「「!!?」」

 

 

 

女性のその言葉を聞いた瞬間、新一君も私も驚愕を露にせずにはいられなかった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:広田雅美(宮野明美)

 

 

 

死に向かう時というのは、こんな感じなのだろうか……?

 

ジンによって腹部に空けられた弾丸の穴から、まるで砂が零れ落ちるように自分の生命が抜け落ちていくのが分かる。

心残りが無いと言えば、嘘になる。むしろ多すぎるくらいだ。

できればもう一度、妹と(だい)君に一目会いたかった……。

しかし、もう私にそんな時間は残されていない。

せめて奪った10億円の在りかだけでも、工藤新一と名乗った目の前の少年に伝えないと……。

そう思い口を開きかけた時、私に向けて第三者の声がかけられた。

 

「もうそれ以上、喋らない方がいいよ?」

「……?」

 

見るといつの間にか私を挟んで少年の反対側に、カエルのような顔をした初老の男性が私の顔を覗き込んでいた。

 

――え?()()()……。

 

目を見開く私に、そのカエル顔の男性は笑って口を開く。

 

「驚かせてしまったかね?いや、心配しなくていいよ。私はただのしがない医者だからね?」

 

男性が医者と名乗った瞬間、私の中で()()()確信に変わる――。

 

 

 

 

 

 

 

――凄い人だよ彼は!ボクと同年代でありながらボクとは比べ物にならないほどの医療に優れた腕を持ってるんだ!

――いつか一度でもいいから、彼と仕事がしてみたいね!彼から学べる事がそれこそたくさんあるはずだよ!

 

 

 

 

 

 

そう……子供のようにはしゃぎながら、()()()()の話をする()()()の顔を今でもよく覚えている。

 

――間違いない、この人は……()()……!

 

「うぐっ……!」

 

そこまで考えた私の体を今まで以上の激痛が走った。

それに気づいたカエル顔のお医者さんは真剣な顔つきになると口を開いた。

 

「大丈夫かい?今すぐキミを治すからね?」

「もう……無理、ですよ……。自分の事は……自分がよく分かってますから……」

 

息も絶え絶えにそういう私に、お医者さんは静かに首を振った。

 

「いいや。キミは助かるよ」

「……え?」

 

はっきりと。そうはっきりと断言するお医者さんに私は驚きを隠しきれずにいると、その人は続けて口を開いた。

 

「キミは今自分の口で喋っている。意識だってまだある。息もしている。心臓だって脈打っている。キミはまだ……生きてるんだ」

「…………」

「僕は目の前の相手がまだ生きてるのなら必ず治す。何があっても最後まで見捨てるつもりはない。僕が一言『助かる』と言えば、その人は必ず助かる。だから――」

 

 

 

 

「――安心して、僕に任せてほしい」

 

 

 

 

――ぁ。

 

柔和な笑顔を向けて来るお医者さん。何故だか分からない。分からないが……似てもいないその顔が、私の愛する恋人と重なって見えた――。

組織に潜入していたFBIの捜査官である彼……。彼の言葉が、姿勢が、いつも私には心強く映っていた。

 

――その瞬間、いつしか私の胸中は安堵に包まれていた。

 

ふいに私の腕にお医者さんが注射針を刺す。恐らく麻酔だろうと思った時には、私はその薬の影響で意識がぼんやりとし始めてきた。

だが、このまま意識を手放すわけにはいかない、私にはまだやる事が残っているのだ。

ポケットからコインロッカーの鍵を取り出すと、それを工藤新一と名乗った少年に手渡す。

 

「奴らが持って行ったのは偽物……本物はこっち……米花駅、東……の、コイン、ロッカー……」

 

 

 

 

――お願いね……小さな探偵さん……。

 

 

 

そう言い終える前に、私の意識は闇の中へと沈んでいった――。




軽いキャラ説明は今回は無し。

代わりに後編へとそれを持ちこす予定です。


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カルテ8:広田雅美(宮野明美)【後編】

後編です。

今回は少し、ブラック・ジャック要素が出てきます。


SIDE:江戸川コナン

 

 

 

「雅美さん!!」

 

意識を失った雅美さんに俺は声を上げる。すると、一緒に見ていたカエル先生が素早く彼女の呼吸と脈を確認した。

 

「……心配ない。眠っているだけだよ?だが、危険な状況には変わりないから直ぐに治療が必要だがね?」

「なら、早く救急車で病院に――」

 

俺がそこまで言った瞬間、カエル先生はすかさず(かぶり)を振った。

 

「いや、それだと病院に着く前に彼女は確実に死ぬ。だから――」

 

 

 

 

 

「――今、ここで手術を行うよ?」

 

 

 

 

「――え?ここで!?」

 

俺はカエル先生の言っている事の意味が今一つ理解できなかった。

こんな古びた倉庫の中で死にかけの女性を手術で助けようというのか。

困惑する俺を置き去りに、カエル先生は次の行動に出ていた。

持ってきていたボストンバッグの片割れから素早く『何か』を取り出す――。

――見るとそれは、畳まれたビニールのような大きな袋とそれに管で繋がれた小型のボンベのようなモノだった。

カエル先生は畳まれたビニール袋を広げるとボンベのつまみを捻る。

すると、プシュー……という音と共に見る見るうちにビニール袋は風船のように膨らんでいった。

ビニール袋は俺とカエル先生の身長よりも大きくなり、あっという間に六畳一間くらいの部屋の大きさにまでになった。

唖然とする俺にカエル先生はボンベのつまみを解放させたまま声をかけて来る。

 

「新一君。彼女をこの中に入れるのを手伝ってくれ」

 

俺は促されるままにカエル先生と一緒に雅美さんを袋の中に担ぎこんだ。

入る時、袋の側面にマジックテープでくっ付けられた大人一人分の高さまである縦一文字の大きな切れ込みがあり、カエル先生はそこの切れ込みを開けると手早くボストンバッグ二つと雅美さんを運び込んだ。

そして、袋の中央にさらにボストンバッグから丸めてあった薄手のマットとシーツを取り出し、それを地面に敷くと雅美さんをその上にそっと寝かせる。

俺もそれを手伝いながら、カエル先生に尋ねた。

 

「カエル先生。この袋みたいなのは一体?」

「携帯型の無菌室(むきんしつ)だよ。言わば、持ち運びのできる緊急手術室(オペレーションルーム)だね?」

「ええっ!?」

 

その言葉に驚く俺を気にせず、カエル先生はさらに手早く着ていた茶色の上着を脱いで下のカッターシャツの両袖をまくると、これまたボストンバッグに入っていた術衣(じゅつい)一式を身に纏い、もう片方のボストンバックに入っていた医療道具を素早くその場に広げて見せた。

するとカエル先生はポカンと立ち尽くす俺に声をかける。

 

「すまないが、キミはいったん出ていてくれないかい?」

「あ、ああ、分かった」

 

俺は入った時同様にカエル先生に促され、袋型の無菌室から外に出る。

すると、俺が出たのを見計らってカエル先生は急ぎ、雅美さんの手術を開始した。

雅美さんの血まみれの衣服を刃物で裂き、掃き出しとなった肌に容赦なくメスを突き立てる。

俺は直視できず、無意識にその光景から目をそらした。

 

「?」

 

だが、目線をそらした先にふと気になるものを捕える。

それは雅美さんのそばに転がっていた拳銃だった。恐らく雅美さんの物だと思われるその銃が俺は何故か気になり、ひょいと拾って手に取ってみる。

そしてその拳銃の弾倉を抜いて()()を覗いたその瞬間、俺はカエル先生に向けて声を張り上げていた。

 

「カエル先生!!」

 

声に反応し、手術を行いながらカエル先生はチラリと目線だけを俺に向けてきた。

そして、俺の持つ拳銃を確認すると目線を明美さんに戻して口を開く。

 

「ああ、こっちでも既に()()()()()()?……僕たちがここに到着する直前、聞こえた銃声は()()だったね?」

「ああ。でもこの銃の弾倉、()()()()()()()()()()!」

 

――つまりは、雅美さんを撃った相手は()()()()()()()()()()()()()()。したがって先程の二発の銃声は全て、雅美さんが対峙していた人物が持っていた銃で撃ったという事になる。

 

それを聞きながら、カエル先生は手元を動かしながら肩をすくめた。

 

「……彼女、銃を撃ったことはあったのかもしれないが、()()()()()()()()()()()()()()()()()みたいだね?だからこそ土壇場で引き金が引けず、二発も弾丸を受ける羽目になったんだろう。おまけにその二発……どっちも彼女の体を()()()()()()()に終わってるよ?」

 

カエル先生のその言葉に俺は驚愕する。

 

「なんだって!?じゃあ、弾丸はまだ……!」

「ああ、二発とも彼女の体の中にしっかりと残ってるよ?」

「だ、大丈夫なのかよ……!?」

 

俺は不安げにカエル先生に声をかける。

基本、弾丸を受けた場合、体を貫通した場合より体内に残った場合の方が命の危険性が高いのだ。

だがカエル先生は涼しい顔でそれに答えた。

 

「大丈夫だよ。僕が彼女を助けると言ったんだ。弾が体内に残ってようが残ってまいが関係ない。その証拠に……ほれ――」

 

――カタリ。

 

「……え?」

「ほれ――」

 

――カタリ。

 

「ええっ!??」

 

驚愕に見開かれる俺の目の前で、カエル先生は雅美さんの体内から先端が潰れた弾丸を二発、続けざまにピンセットで取り出して見せたのだ。

カエル先生はそれを小さなステンレスのトレイの上に置くと、さっさと最後の治療に取り掛かる。

俺はその光景を見て思わず突っこまずにはいられなかった。

 

「ちょ、ちょっと待てよカエル先生!?弾丸をそんなスナック菓子を袋からつまむみたいにひょいひょいと……!」

「そうは言ってもねぇ?ぶっちゃけ僕にとってはこんなの朝飯前なんだよ。……何十年か前にはマシンガンでハチの巣になった『ヤ』のつく職業の男性の体内から十数発もの弾丸を摘出して命を救ったことだってあるしねぇ?」

「えぇ……」

 

もはや突っこむ気力すらわかない。

そうこうしているうちに、カエル先生は雅美さんの開腹した傷口を縫合し終えていた。

見ると雅美さんの呼吸も手術前と違って安定したものになっている。

 

「ふぅ……術式終了。後は彼女を病院に運んでからだね?」

 

袖口で汗をぬぐいながら術衣を脱ぐカエル先生を俺は呆気にとられたまま見つめていた。

阿笠博士と同じくらいに長い付き合いなのに、未だにこの人の規格外な医療技術には圧倒される。はっきり言って底が知れない。

そんな俺の気持ちなどお構いなしとでもいうように、雅美さんをシーツにくるむとパパッと医療器具や無菌室をボストンバッグの中に片付けて自分の車に運び込んでいく。

そして最後に、雅美さんをお姫様抱っこで担ぎ上げ、車に向かうその途中でカエル先生は俺に声をかけてきた。

 

「さぁ、新一君も早く……」

 

その言葉でハッと現実に引き戻された俺は、真剣な顔で今の現状を振り返ってみる。

雅美さんが一命をとりとめたとは言え、この倉庫にはまだ彼女の血だまりが残っている。これをこのままにしておいて良いのだろうか?

それに、彼女から託されたコインロッカーの鍵……。

俺は数秒考えた後にカエル先生に向けて口を開いた。

 

「先に行っててくれカエル先生。俺にはまだやる事がある。それを終わらせてから米花私立病院に向かうよ」

「そうか、分かった」

 

カエル先生はそう言って頷き、雅美さんを車に乗せると、車のエンジンをふかせて早々にこの場を後にしていった――。

そうして一人取り残された俺は、携帯を取り出し電話をかける。

かけた先はカエル先生と同年代の、もう一人の協力者の所だ。

 

「……あ、もしもし、阿笠博士?悪いんだけど急いで来てくれるか?場所は――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――日がとっくに沈み、夜になってしばらく経った頃。俺は阿笠博士と共に米花私立病院に到着していた。

玄関先にはカエル先生が白衣を着て待っており、俺たちの姿を見て笑って挨拶してきた。

 

「いらっしゃい、遅かったね?」

「カエル先生、雅美さんは?」

 

俺の質問にカエル先生は直ぐに答えて見せる。

 

「問題ないよ。今は麻酔のせいで眠ってるけど、しばし安静も必要だから彼女と話がしたいのならあと数日は待ってくれるかい?」

「ああ、分かった」

 

頷いた俺を見たカエル先生は今度は博士へと視線を向ける。

 

「しかしまさか博士(ひろし)と一緒に来るとはね?……あの後一体何をしてたんだい?」

「いやぁ……ははっ……」

 

博士がポリポリと頬を指で軽くかきながら、苦笑いを浮かべてそう呟く。

答えづらそうな博士に変わって俺がカエル先生に答えた。

 

「ちょっとした事後処理。倉庫に残った雅美さんの血痕が組織の奴らとは別の一般人にでも見つかれば厄介な事になると思って、博士呼んでそれを奇麗に拭き取ったんだよ。証拠も何も残さないように辺りを念入りに掃除までしてな。……その後、雅美さんから受け取ったコインロッカーの鍵を使って米花駅のコインロッカーの中に入っていた10億円を回収し、それを10億円が奪われた『四菱銀行、米花支店』に速達で送ってやったんだ。もちろん足が付かないようにしてな」

「やれやれ、天下の高校生探偵が証拠隠滅とはね?」

「しゃーねぇだろ?人命第一なんだから」

 

呆れた顔で響くカエル先生に、俺は口をとがらせてそう言い返した。

そして次に俺は真剣な顔を浮かべると、キョロキョロと周りを見渡しながらカエル先生に問いかけた。

 

「カエル先生、先生の方もあの後大丈夫だったか?その……怪しい奴に見られてたとか」

「いいや、特には……。と言うか、僕は一介の医者だよ?どこぞのエージェントや特殊部隊員の類じゃないんだ。組織の目に気づけという方が無理があるだろ?」

「あ、はははー……確かに」

 

さらに呆れた顔を浮かべて響くカエル先生のその返しに、俺も馬鹿な事を聞いたと空笑いを浮かべる。

そんな俺にカエル先生は呆れ顔から真剣な顔に表情を変え、口を開く。

 

「これは賭けだよ新一君。もし仮に、組織の者たちが僕たちの存在に気づき、ここを突き止められてしまっていたのなら……。そうなっては組織に対抗する手段を持たない僕たちにはもうどうしようもない、その時は雅美さん(彼女)共々お互いに腹をくくるしかないだろう」

「そんな……!」

 

カエル先生のその言葉に俺は反射的に詰め寄ろうとするも、それよりも先にカエル先生が片手を挙げてそれを制し、続けて口を開く。

 

「――だが逆に、しばらく経っても組織が仕掛けて来ないようなら……。それは奴らがまだこの病院の場所だけでなく僕らの存在にも気づけていないという事。それなら僕らにはまだ勝機はある。……まぁ、どっちにしろ、僕らにはしばらく様子を見るという選択肢しかないわけだよ?」

「クッ……歯がゆいなぁ」

 

今は様子を見ていくしかないという現状に、俺は俯き唇をかみしめる。

そして、そんな俺を見てカエル先生は苦笑を浮かべた。

 

「仕方ないさ。それにもし後者なら、僕たちが助かるだけでなく彼女――雅美君の身もしばらく病院(ここ)で匿うことも出来る。……何せ、()()()()()()の堅牢さは他の病院とは比べものにならないからね、ここは」

 

カエル先生のその言葉に俺はハッとする。

 

――実はこの米花私立病院は普通の病院とは違い、少し()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

この病院の経営者兼医院長でもあるこのカエル先生は、患者を見捨てず生きているのなら必ず治す人である反面、()()()()()()()を全く気にしない人でもあるのだ。

つまり、病気や怪我を治しに病院に来る人が一般人だろうが()()()()()()()()、迷わず受け容れ、()()()()()()全力を尽くし治療する。

それこそ、後ろ暗い闇を抱え込む政界の大物や『ヤ』のつく職業の人など一切ためらいもなく、だ――。

どんな人でも分け隔てなく受け容れると言えば聞こえが良いが、そういうのを続けていると必ず大なり小なり患者の身内内でのもめ事に巻き込まれる可能性が出て来る。

それ故、この米花私立病院ではそう言ったもめ事の火の粉から他の患者の身を守るため、他の病院よりもセキュリティー面が異常なほど強化されているのだ。特に、()()()でのセキュリティーは()鹿()()()()()()で――。

 

「もし組織の奴らが雅美君の生存を確信し、彼女の居場所を探ろうとも、なかなかこの病院までは辿り着けないと思うよ?」

「は……はは……」

 

余程自信があるのか、自慢げにそういうカエル先生に俺は再び空笑いを浮かべるしかなかった――。

 

 

 

――それから数日は何事も無く日常が過ぎて行ったため、俺たちは組織がまだ感づいていないものと判断し、深く安堵する。

そして同時に、俺はカエル先生に心の底から感謝していた。

もし、埠頭に向かっていたあの時、カエル先生に出会っていなければ、俺は恐らく……いや、確実に雅美さんの命を救う事が出来なかっただろうから――。

 

 

 

 

 

――だがそんな俺をあざ笑うかのように、運命はまたもや厄介な相手を引き合わせて来る。

 

それも、雅美さんの身内という、()()()()()()()()相手を――。




軽いキャラ説明。



・広田雅美(宮野明美)

この作品ではアニメオリジナル回として製作された『黒の組織10億円強奪事件』を基準としており、彼女はそこからの登場としている。
原作でもジンによって殺され、それが彼女の妹や恋人などの心に深い傷として残った。
今作では冥土帰しによって一命はとりとめられ、現在、米花私立病院に匿われている。






※補足説明。

冥土帰しがセキュリティー面でも非常に優秀であることは、原作のスピンオフ『超電磁砲(レールガン)』でも触れられている。
原作の冥土帰しは1万人ものクローン人間、『妹たち(シスターズ)』を保護しており、とある勢力がシスターズを手に入れようと暗部の情報網をフル活用したのにも関わらずシスターズの居場所を把握することが出来なかったという。








次回は、雅美さん(明美さん)失踪後の各勢力の動きを書いていきます。


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番外:広田雅美(宮野明美)失踪後の各勢力の様子

今回は番外編で、各勢力の動きを追っていきます。


SIDE:黒の組織

 

 

 

夜のとある首都高を一台の車が走っていた――。

その車――黒のポルシェ356Aの車内で、二人の黒ずくめの男が会話をしていた。

 

「……何?宮野明美(みやのあけみ)死骸(しがい)が消えた?」

 

助手席に座る冷徹な眼光を宿した長髪の男――ジンが、運転席で車を運転するサングラスをかけた弟分――ウォッカへと視線を向けそう聞き返す。

それを受けてウォッカもやや戸惑いながら答えた。

 

「へ、へい。……丸一日経っても宮野明美の死亡の件がニュースにも新聞にも出ねぇんで、不審に思った組織の人間が死体を確認しにあの倉庫へ行ったんですよ。そしたら、そこにあるはずの死体はおろか、血だまりすら奇麗さっぱり消えてたって話なんでさぁ」

「……どこか別の倉庫と間違えたってくだらねぇオチじゃねぇだろうな?」

 

射殺すように目線を鋭くするジンに、ウォッカは慌てて続きを話した。

 

「い、いえ。その倉庫で間違いないみたいですぜ?詳しく調べて見た所、地面から血だまりが出来てた形跡があるらしくルミノール反応が出たみたいですし、その周辺も不自然なくらいに奇麗に清掃されててチリ一つ落ちてなかったと聞きやす」

「……どっかの誰かが宮野明美の死骸を回収して、痕跡を残さねぇようにご丁寧に掃除までしてったって事か?」

「そうなります」

 

ウォッカがそう頷き、ジンはフンと小さく鼻を鳴らすと、窓の外を流れていく首都の夜景へと視線を移した。

そんなジンに向けてウォッカは続けて口を開く。

 

「おまけに手に入れ損ねた例の10億円も、翌日には四菱銀行に送り返されて来たって聞きやす」

「……あの女の死骸を持ち去った奴がそれをやったって事か?あまりの大金を目の前にしてちょろまかすのに気が引けたのか……あるいは女の死骸が目当てだったか……。まぁどっちにしろ、あの10億円自体は元々あの女を殺す口実にするための強奪計画だったんだ。金が手に入ろうが入るまいがどうでもよかったさ」

 

――ジンのその呟きの後、重たい沈黙が車内を支配する。

怪しさのにじみ出る風貌をしている事以外、片方は普通に運転、片方は何気なしに外の景色を眺めているだけだというのに、その車内の空気を重くする重圧は異常に思えた。

やがて、それに耐えきれなかったのかウォッカは不安げにジンに声をかけた。

 

「あ、兄貴……。まさかとは思いますが宮野明美の奴、ひょっとして生きてるんじゃ――」

「――あ゛?」

 

窓の外を眺めていたジンの冷徹な眼光が、瞬時にギョロリとウォッカへと向けられる。

息をのむウォッカに対し、ジンは冷ややかな声色で声を上げた。

 

「俺がバラし損ねたとでも言うつもりか?」

「い、いえ、その……」

 

その眼光に怯えるウォッカを見て毒気が抜けたのか、ジンは先程よりも大きく鼻を鳴らすと再び外の夜景へと視線を戻す。そしてウォッカに向けて口を開いた。

 

「てめぇも見てただろ?あの女の腹に俺が鉛玉を二発ぶち込む所を。……確かに立ち去る時、まだ息はあったみてぇだが、あれだけの傷だ。あの後すぐ発見されて救急車で運ばれたとしても、確実に病院に着く前にくたばってただろうぜ。……とにかく倉庫を調べたというソイツに、『あの方』にも問題ねぇ、と伝えるよう後で言っとけ」

「へ、へい。……で、でもそれなら、あの女の死体は一体どこに消えちまったんでしょうね?」

 

恐る恐るそう質問するウォッカに、夜景を見ているのが飽きたのか、ジンは座席を後ろに倒して仰向けに寝転がる。そして車の天井を睨みつけながらウォッカの質問に答えた。

 

「……さぁな。俺は青髭(あおひげ)みてぇな死体愛好家じゃねぇんだ。ご丁寧に周囲を奇麗にして女の死骸なんざ持ち帰った奴の気持ちなんて知りたくもねぇよ。……まぁ、死骸と言っても、結構上玉だったからなあの女は。今頃、持ち帰ったその変態が欲望のはけ口にいいように使ってんじゃねぇか?」

 

良からぬ想像でもしたのかジンは寝転がったままクックと笑った。

そこへ再びウォッカが問いかける。

 

「もしそうなら……いいんですかい?その変態ほっといて……。ひょっとすると、あの女を殺す所を見られてたかもしれませんぜ?」

「……ほっとけ。仮にそうだったとしても、そんな変態野郎の言葉なんざ誰も信じねぇよ。……あの沼淵(ぬまぶち)のようにな」

 

唐突にジンの口から出た『沼淵』という名前に、ウォッカは小さく反応する。

 

「沼淵……沼淵己一郎(ぬまぶちきいちろう)ですかい?」

「この前、連絡があってな。大阪でサツに捕まったらしい。……組織の影に怯えて()っちまうなんざ馬鹿な野郎だよ。……組織の事を口にしているみてぇだが、そんな異常者の言う事なんざ周囲は全く信じちゃいないんだとよ。極刑は免れねぇみたいだし、いずれは組織の秘密を抱えたまま絞首台いきだろうぜ」

「…………」

 

沈黙して耳を傾けていたウォッカの横で、ジンは寝転がったままポケットから煙草を一本取り出すと、それに火をつけて吸い始める。

ふぅ、とジンによって吐き出された煙草の煙が、車内の空中を漂った。

数秒の沈黙後、再びジンが口を開いた。

 

「……それにだウォッカ。もしお前の言うように、あの女――宮野明美が万が一生きていたと仮定するなら……奴が助かるには、俺たちが人気のないあの埠頭の廃倉庫を出て行った直後、()()()()通りがかった人間が、()()()()致命傷でもその場で治せるほどの凄腕の医療技術を持ってねぇといけねぇ……」

「…………」

「……そんな偶然の連鎖、あり得ると思うか?」

 

ジンが寝転がったままウォッカに視線を向けてそう問いかけ、問われたウォッカは「馬鹿げている」と言わんばかりの苦笑いを浮かべた。

 

「……あり得ませんね。そんなの」

「だろ?」

 

そうしてジンとウォッカはお互いにクックと忍び笑いを浮かべる。

 

 

まさか、笑ってあしらったその仮説が案外的を射ていたなど、この時の二人は気づく事も無かった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:FBI

 

 

 

アメリカのFBI本部、その一室で三人の男女が会話をしていた。

一人はメガネをかけ、口ひげを蓄えた年配の男性、もう一人は同じくメガネをかけ、短い金髪を生やした女性。そして最後は、ニット帽をかぶった短い黒髪の男性だった。

金髪の女性が年配の男性に声をかける。

 

「……それで、どうでしたか?宮野明美の足取りは?」

 

その金髪の女性――ジョディ・スターリングに問われた年配の男性――ジェイムズ・ブラックは、肩を落として首を振る。

 

「駄目だったよ。日本で10億円強奪事件が起こったのは確かなんだが、その後の彼女の足取りが依然としてつかめていない。彼女を探ろうとすると必ず途中で手がかりが切れてしまうんだ」

「そんな……一体何が?」

 

ジョディのその言葉に、ジェイムズは再び首を振る。

 

「分からない。だが、『何かしらの強い力』が動いているのは確かなようだ。それが我らの捜索を妨害している。それがあの組織の連中の仕業なのか、もしくは――」

「――どこか別の勢力が介入しているのかもしれない。ですか?」

 

それを呟いたのは壁に寄りかかっていたニット帽の男性――赤井秀一(あかいしゅういち)だった。

赤井のその言葉にジョディは怪訝な顔を浮かべる。

 

「別の勢力って……CIAとか公安が……?」

「それはまだ分からない。だが少なくとも組織の連中の仕業ではない事は確かだ。その強奪事件で雇った二人を先に始末しておきながら、本命の宮野明美を殺さないというのは不自然だ。仮に殺していたとしても彼女の遺体を隠すなんて必要性も、奴らには無いだろう」

「それじゃあ、宮野明美は……」

 

ジョディの言葉に赤井は確信めいた表情で頷く。

 

「その別勢力とやらが彼女を匿っている可能性が高い。だからこそ、足取りが途中で途絶えてしまうのだろう。……俺たちFBIの情報網をフル回転させているのにも関わらず、その尻尾すら捕まえさせないほどの者たちだ。只者で無い事だけは間違いない」

 

赤井のその言葉に、ジェイムズは「むぅ……」と唸って見せた後、直ぐ口を開く。

 

「……セキュリティーに特化した勢力、というわけか……。いずれにしても、日本に行ってみない事には何も分からないようだ。……ジョディ君、予定通りキミには先に日本に飛んでもらうよ?準備は出来ているね?」

「はい!」

 

ジェイムズの問いかけにジョディは強く頷く。それをしり目に、赤井は部屋の窓から外の景色を眺めながら、一人物思いにふける――。

 

(どこにいる?……明美)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:警察庁警備局警備企画課(ゼロ)

 

 

 

警視庁の公安組織、そこに所属する者たちもFBI同様、宮野明美の捜索が難航していた。

 

降谷(ふるや)さん。……だめです。どれだけ探しても宮野明美の消息がつかめません」

「くそ……一体彼女は何処に消えたというんだ?組織ではジンに始末されたという話だが……その死体が消えたというのは明らかにおかしいだろ?」

 

メガネをかけた公安の男の言葉に反応して、そう呟く色黒の公安の男――降谷零(ふるやれい)は、苦虫を噛み潰したような顔で虚空を睨みつける。

 

()()()()()()()()。……何年経ってもこちらの都合もお構いなしに振り回してくる……!)

 

()()()()明美とのやりとりを思い出したのか、降谷は歪めた顔をさらに深くした――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:警視庁捜査一課

 

 

 

同じく警視庁の刑事部、捜査一課の刑事たちもまた、宮野明美の行方を追っていた。

 

「それで四菱銀行に返ってきたという10億円を入れたカバンから、何か手掛かりはつかめたのかね?」

 

捜査一課3係の警部である目暮(めぐれ)は、目の前に立つ二人の部下――高木渉(たかぎわたる)佐藤美和子(さとうみわこ)にそれぞれ問いかける。

それに先に答えたのは高木だった。

 

「残念ながら、指紋や髪の毛の類は一切検出されませんでした。カバン自体もどこの店でも売ってそうなありきたりの物なので、購入場所を特定する事も難しそうです」

 

そして、次に佐藤が声を上げる。

 

「宅配会社の所に残っていた宛先の住所と名前も全てデタラメでした。カバンを受け取った宅配業者によると匿名(とくめい)で来た電話の依頼を受け、とある空き地に向かったらしいのですが、その時空き地には、既にカバンと送料の入った封筒、そして四菱銀行、米花支店に送り届けるよう書かれたメモが張り付けてあったようです。そのメモもパソコンで打ち出されたものだったので筆跡鑑定も出来ませんでした」

 

二人のその報告を聞いて目暮は思案顔で唸る。

 

「用意周到だな。しかし何故奪った10億円をわざわざ返してきたんだ?」

「……これは今も行方が分からない、広田雅美の仕業なのでしょうか?」

 

佐藤のその問いかけに目暮は静かに首を振る。

 

「……分からん。分からないことだらけだ。一体何が起こっているのやら……」

 

やれやれと肩を落とす目暮。そんな目暮と高木、佐藤の姿を遠目から見つめる一人の男性刑事がいた。

 

(……やけにきな(くせ)ぇな今回の事件。背後で得体のしれない『何か』が蠢いてる……そんな気がしてならねぇ……。クソッ!()()()()にも相談しようと思ってんのに相変わらず一向に連絡を寄こしゃしねぇ……!何やってやがんだアイツも……!)

 

歯がゆい思いをしながら、男性刑事は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:広田雅美(宮野明美)

 

 

 

意識がゆっくりと浮上し、同時に目が見開かれると、そこには知らない天井があった――。

 

「ここは……?」

 

ぼんやりとその天井を見ながら私はそう呟く。するとその声が聞こえたのかすぐそばから声がかかった。

 

「おや?目が覚めたんだね?」

 

ふと見ると私が横たわるベッドの横に、見覚えのあるカエルの顔をしたお医者さんが立っていた。

その人の顔を見た瞬間、私は全てを思い出し、慌ててベッドから起き上がろうとする。

 

「うっ……!」

 

しかし、腹部に走った鈍い痛みでその動きが途中で止まった。

それを見たカエル顔のお医者さんは、私の動きを抑えるようにそっと肩に手を置いた。

 

「まだ傷が塞ぎきっていないんだ。無理をしちゃいけないよ?」

「は、放してください。妹を……助けに行かないと……!」

「……妹?」

「私は元々、組織から妹を解放してもらうために、取引であの強奪計画に加担したんです……!でもこんな事になってしまって……だから私が、あの子を助けないと……!」

 

絞り出すようにそう響く私に、お医者さんは真剣な顔を浮かべると、静かに問いかけてきた。

 

「……その妹さんが今どこにいるのか、キミには分かるのかい?分かったとして、キミに妹さんを助け出す手立てがあるのかい?」

「……っ!」

 

お医者さんのその言葉に私の動きは止まる。言われて初めて気づく。私には今、妹がどこにいるのかも知らないし、あの子を連れて組織から抜け出す算段も付いていない。私は妹の身を案じるあまり、気だけが焦っていたのだ。

悔しさに唇をかみしめ俯く私を見て、悟ったお医者さんは静かに首を振った。

 

「……残念だが、今のキミでは妹さんを探し出す事も、助け出すことも出来ないだろう。それどころか下手に動けばまた命を狙われる危険性だってある。……酷な事を言うようだが、今は傷を癒す事を最優先にする事だね?」

 

そう言って私をベッドに寝かしつけたお医者さんは「何か食べられる物を持ってくるよ」と言って部屋を出て行く。それを見送った私はベッドで横になりながら部屋の窓から外を見上げる。今は夜らしく、空には明るい満月が浮かんでいた――。

 

「志保……」

 

妹の名を呟きながら、私はその月に祈る。

どうか、妹が無事でいますように、と――。

 

 

 

 

その祈りが通じたのか、数日もしないうちに、私は妹と()()()()で再会する事となった――。




次回はいよいよ、蘭と双璧をなすもう一人のヒロインが登場します。


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カルテ9:灰原哀(シェリーまたは宮野志保)

時系列的には『大学教授殺人事件』の事件解決後、警察から解放されて静岡から米花町に帰る車の中から話が始まります。
それまでは原作と変わりありません。


SIDE:灰原哀

 

 

 

静岡から米花町へと帰る車の中――。

私は()()()()()()()を後部座席のシートに預けながらぼんやりと窓から流れていく外の景色を眺めていた。

ふぅ、と小さく息を吐く。少し疲れたのかもしれない。

姉の所に間違えて送ってしまった組織のフロッピーディスクを回収しに、姉の恩師の元へ向かったというのに、まさかそこで殺人事件に遭遇するなど夢にも思わなかった。

思えば、組織を抜け出してから今まで、気の休まる時が無かったように思える。

 

(お姉ちゃん……)

 

窓の外をぼんやりと見ながら、心の中で()()()()()()()最愛の姉に呼び掛ける。

組織から姉の死を知らされた時、私は心臓を握り潰されたかのような錯覚に陥った。

それまでニュースや新聞にも姉の死は出てはいなかったので、当初は組織のデマだと思ったのだが、姉に直接手を下したのがあのジンだと分かると、姉の死を確信せざるを得なくなった。

ジンは組織に深い忠誠心を抱く冷酷漢だ。裏切り者や組織を脅かす者を一切許さず、躊躇いなく抹殺する。それが例え、つい先日まで仲間だった者であったとしてもだ。

そんな男に狙われて、少し前まで普通の一般人であった姉が無事でいられるわけがない。

姉の死を突き付けられた私は、それをきっかけに組織に反抗して監禁された。

そして、姉の後を追うつもりで隠し持っていた()()()()を飲んだのだが、それで()()()()体が縮んでしまった私は、そのまま組織を抜け出し今ここにいる――。

チラリと前の運転席と助手席に座る、()()へと視線を向ける。

 

私同様にあの薬で幼児化した、今は江戸川コナンと名乗る高校生探偵の工藤新一君とその工藤君の実家の隣に住む発明家であり協力者でもある阿笠博士――。

 

静岡を出発してから今まで、何故か二人は一切口を開こうとしない。二人で会話を交わす事無く、前方を向いたままであった。

ふと私の脳裏に、事件解決直後に感情のままに工藤君に浴びせてしまった言葉がよみがえる。

 

 

 

 

『どうしてお姉ちゃんを……助けてくれなかったの……?』

 

 

 

 

その言葉を言った瞬間、私の中でせき止められていた感情が爆発し、泣きながら彼を責め立ててしまった。

今思うと我ながら恥ずかしい事をしたと思う。あれではただの八つ当たりだ。

後で謝るべきだと、私がそう思っていると、私たちの乗る車は米花町の目と鼻の先の距離にまで近づいていた。

その瞬間、助手席に座る工藤君が運転する博士に声をかけた。

 

「……博士」

「ああ、分かっとるよ」

 

博士は皆まで言わなくていいとばかりにそう返し、それを聞いた工藤君は私の方へと首を向けた。

 

「なぁ、博士の家に帰る前に、ちょっと寄りたい所があるんだが……いいか?」

「?……別にいいけど……どこに行くの?」

 

首をかしげてそう聞き返す私に向けて、工藤君はそれに答えた。

 

「米花私立病院。……そこにお前に会わせたい人がいるんだ」

「私に?」

 

誰だろう?そんな名前の病院に行ったことは無いし、ましてや知り合いがいるという事もないはずなのだが。

怪訝な顔で彼を見つめていると、次に彼が発した言葉で私の頭の中が真っ白になった――。

 

 

 

「――お前の姉さん……生きてるよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数十分後、私たちは夜の米花私立病院に到着していた――。

見ると工藤君たちが前もって連絡を入れてたのか、玄関先には()()()()()()()()()()、白衣を纏った恰幅の良い初老の男性が立っていた。

一目見てカエルのような特徴を持つ顔だと分かるその人は、私たちが来るのを待っていたかのように笑顔で軽く手を振って見せた。

 

「やぁ、待ってたよ。丁度良かった。実はつい先日、()()()目を覚ましてね。面会できるくらいにまで回復したからキミたちを呼ぼうと思ってた所なんだよ?」

「マジか、丁度いいじゃん!じゃあ早速会いに行ってもいいんだな?」

「ああ、いいとも。……所で新一君、彼女は?」

 

そう言って、工藤君と会話をしていたカエル顔のその人は私へと視線を移す。

それを見た工藤君は「あ~……」と頭を掻きながら呟くと口を開いた。

 

「ちょっと色々とあって……。歩きながら説明してもいいかカエル先生?」

「?……構わないよ?」

 

工藤君にカエル先生と呼ばれたその人は先頭に立って病院の中に入っていく。

そのカエル先生の横に工藤君と阿笠博士。そして後ろに私が付いて行く形となった。

目の前でカエル先生に私の素性を歩きながら説明する工藤君を見ながら、私は未だに半信半疑でいた。

姉が生きているという工藤君のその言葉に深い安堵と期待がある反面、あのジンに命を狙われたのに生きているわけがないという疑心と疑惑が私の中でせめぎあい、混乱の渦中にあったのだ。

だが、そんな私の心情などつゆ知らず、工藤君たちの脚はとある病室の前でピタリと止まった。

そして先頭に立っていたカエル先生が、軽くノックをすると中から()()()()()()が響いてきた。

 

「どうぞ」

(――あ)

 

呆然となる私の目の前で、カエル先生が病室の扉を大きく開けた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:宮野明美

 

 

 

病室の扉がノックされ、私はベッドから上半身を起こし「どうぞ」とそれに答える。

すると扉が開かれ、私を治してくれたカエル顔のお医者さんを先頭に、あの時倉庫に駆けつけて来てくれた工藤新一を名乗る少年。そして、初めて見るカエル顔のお医者さんと同年代くらいの髭を生やした丸メガネの男性と小さな女の子が病室に入ってきた。

 

「雅美君、キミにお客さんだよ?」

「雅美さん、もう元気になったんだね」

 

お医者さんの言葉を合図に少年がそう言い、私はそれに頷いて見せる。

 

「ええ、もうすっかり……。キミの方こそ、どうなったの?例の10億円」

「うん、こっちももうばっちり。ちゃんと四菱銀行に返しといたよ」

「そう……ありがとう」

 

少年のその言葉に私はホッと安堵する。

すると今度は丸メガネの男性が歩み出て来る。

 

「初めまして。彼の協力者をしている発明家の阿笠という者です。いやホントに、元気になられてよかった」

 

人懐っこい笑顔を浮かべてそう声をかけて来る阿笠さんに、私も笑みを浮かべて会釈する。

すると再び少年の方から声がかかった。

 

「雅美さん、実は今日来たのは彼女に会ってもらいたくってさ……」

 

そう言って促す視線の先には未だ扉のそばに立ってこちらを凝視する女の子がいた。

目を大きく見開き、信じられないモノを見るかのように呆然とこちらを見つめている。

 

(――え?)

 

女の子の顔をじっと見た瞬間、私の記憶の中にある()()()がまだ小さな子供だった頃の顔と、今目の前にいる女の子の顔が重なる。

いや、重なるどころの話ではない、完全に瓜二つであった。

あり得ない。そう思っても()()()()()を捨てきれずにいる自分がいた。

でもまさか……まさか、そんな……!?

 

志保(しほ)……なの……?」

「お姉ちゃん!!」

 

恐る恐るそう私が訪ねた次の瞬間、志保は涙を流しながら私に向かって抱き着いてきた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:灰原哀

 

 

 

最愛の姉との思わぬ再会が叶ってから、私は毎日のように姉に会うために米花私立病院を訪れるようになった。

組織にいた頃は姉とも滅多に会えなかったため、こうやって毎日自由に会話が出来るのがなんだか嬉しかった。

いっそ姉を匿ってもらっているこの病院で姉と一緒に住もうかとも考えた。

なにせこの病院には医師やスタッフが寝泊まりできる住居スペースが多く確保されているらしく、私もその中の一室を借りようと思ったのだ。

しかし、見た目子供に戻ってしまった身ではあるものの、それ以外は健康体である私が病院内を日常的にうろつくのと、小学校生活を送っているため、毎日病院から通っていくのも体裁(ていさい)的にどうかという話になり、工藤君たちとの話し合いの末、私はやむなく当初の予定通り阿笠博士の家で居候する事となった。

そうして学校の帰りに病院に居る姉に会いに行く日々を送っている。

これなら周囲から誰かのお見舞いに毎日訪れている小学生だと思わせる事が出来るだろう。

 

――そんなある日、いつものように姉に会いに行った後、病院を去ろうとしていた私にカエル先生が声をかけてきた。

 

先生は「ちょっと話があるんだがね?」と言うと私を医院長室へと連れて来た。

来客用のソファに座り、出されたお茶を飲んでいると、カエル先生はとある紙束を持って現れる。

そうして紙束を差し出しながら、私にここへ連れて来た目的を話してきた。それに私は大いに驚く――。

 

「例の薬の解毒薬――その試験品ですって!?」

 

私の言葉にカエル先生は頷き、以前工藤君が一度、偶然にも元の姿に戻った時の事を話してくれた。

そしてその時使われたのが、白乾児(パイカル)というお酒だったという事も――。

 

「――で、そのパイカルの成分を分析して作ったのがその紙束のデータに書かれている試験薬なんだ。……ここにキミを呼んだのは、あの毒薬の開発者であるというキミの意見をぜひ聞きたくてね?」

「……呆れたわね。あの薬のデータもサンプルも無い状態でそんなモノを作るなんて……。偶然にもその酒の成分で一時元に戻るのが分かったからと言って、むやみに作っていいモノじゃないわよ?」

「やれやれ、手厳しいね?」

 

カエル先生の説明に私は呆れ顔でそう響くと、カエル先生は苦笑しながらペチリと自分の頭を叩いて見せる。

それを見て更に呆れた私は、渡されたその試験薬のデータを見て――絶句した。

手元にあの薬のデータもサンプルも無い身だというのに、初めて作ったというその試験薬は良く出来ていたのだ。

パイカルの成分を主軸にして様々な薬品を配合、分析し、副作用が起こる恐れを考慮して今ある最善の方法を導き出し作られている。試験薬が故に『穴』も多くみられたが、それでも初めてでこれだけのモノを作ったのには賞賛に値した。

 

「……これ、もう実験は済んでいるの?……まさか、工藤君で?」

「ああ、彼は快く引き受けてくれたよ。……結果は1分も経たずして子供に戻ってしまったが、それでも元の姿に戻り、副作用の心配も無かったがね?」

 

カエル先生のその言葉に、私は目を見開いたまま呆然とカエル先生を見上げる事しか出来ないでいた。

あの薬のデータもサンプルも無いというのに、一瞬でも元の姿に戻れる薬を作ってのけた目の前の医師に、私は戦慄を抱かずにはいられなかった。

そんな私に彼はさらなる爆弾を投下してきた。

 

「……ちなみに、工藤君によるその実験の後も、僕は独自に改良を重ねて来てね。まだ彼で実験はしてないんで推測の域を出ていないんだが、恐らく1分未満から()()()()()にまで元の体の維持が延長出来るようになってると思うよ?」

「…………」

 

我ながらよく頑張ったとでも言いたそうなその満足げな顔に、私は二の句が継げなくなっていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな事があったりした姉との再会から1週間後――。

静岡の殺人事件で警察に押収されていた組織のフロッピーディスクが返されて来た。

さっそく夜に米花私立病院にあった一台のパソコンを使い、工藤君たちが見守る中、立ち上げてみる。

自身の偽名の元であり、恩師でもあった大学教授の広田正巳(ひろたまさみ)の死を知り、お姉ちゃんはひどく落ち込んでいたが、かける言葉が見つからなかった私は、後ろ髪を引かれるがままキーボードをたたき続けた。

そこへ阿笠博士から声がかかる。

 

「……しかし、よく警察のチェックを通ったのぅ」

「組織から配給されるフロッピーは、パスワードを入力しなきゃ、ただの文書ファイル。……怪しまれるわけないわ」

「ほぅ、良く出来ているねぇ?」

 

私の返答に、カエル先生がフロッピーの仕掛けに対して感心した声を漏らす。

そんな声を聴きながら私はカタカタとパスワードを打ち続けた。

工藤君が険しい顔つきで聞いてくる。

 

「どうだ?出そうか?」

「ええ。それに入っているデータは薬だけじゃないわ。……私がこの研究チームに配属される前に、薬に関わった人の実名と住所が、コードネームと一緒に入っているはずよ。……この研究に出資した人物の名前もね……」

「なるほど……上手くすれば、奴らを丸裸に出来るかもしれねぇってわけか……!」

 

私の説明に工藤君はチャンスだとばかりにほくそ笑んだ。

 

「……でも、出来るの?私たちだけであの組織を(おおやけ)の場にさらすなんてこと」

 

恩師の死からようやく持ち直した様子のお姉ちゃんが不安げにそう問いかける。

確かにそこは問題だ。下手すれば裏から手を回されて阻止された挙句、逆にこちらの身が危うくなる可能性だってある。公表はまだ控えた方がいいかもしれない。

そんなやりとりをしている間に、必要なパスワードを全て入力し終え、中身を見ることが出来るようになった。

 

「……いくわよ?」

 

私は周囲に一言そう告げると、組織のデータを開帳した――。

 

(――えっ!?)

 

その瞬間、私だけでなく工藤君たちの表情も驚愕に変わる。

データを開いた瞬間、それらがまるで砂が流れるようにさらさらと崩れ、消滅していったのだ――。

 

「な、何じゃ?何じゃこれは!?」

 

博士の驚愕の声を背景に工藤君やお姉ちゃん、カエル先生も目を見開いて固まったまま画面を凝視する。

 

(!――しまった!)

 

そこに来てようやく何が起こったのか理解した私は愕然としたまま事実だけをありのままに周囲に伝えた。

 

「……コンピューターウィルス。『闇の男爵(ナイト・バロン)』……!」

「「「なにっ!?」」」

「なんですって!?」

 

周囲の驚きの声が重なり、私は更に淡々と続きを口にする。

 

「組織のコンピューター以外で立ち上げると、ウィルスが発生するように、フロッピー自体にプログラムされていたのよ。迂闊だったわ……!」

「じゃあ、データは全部……!?」

 

工藤君の言葉に、私は肩を落としてため息をつくと席を立ち、投げやり気味にそれに答えた。

 

「……ええ。何もかも、全て消滅したわ。このコンピューターのプログラムもね。……もう使い物にならないわよ、それ」

「……冗談だろう?これ昨日仕入れたばかりのパソコンなんだよ?」

 

あっちゃあ、と言わんばかりに顔に手を当てたカエル先生は天井を仰ぎ見ていた。――ご愁傷様。

そんなカエル先生と「くそっ!」と悪態をつく工藤君を見据えながら、私は小さく響ように呟く――。

 

「……あなた達とは、長い付き合いになりそうね?()()()()、カエル先生?」

 

振出しに戻る形となってしまったが、私はこれからのこの二人との付き合いに、ほんの少し楽しみを感じずにはいられなかった――。




とりあえず、宮野姉妹編はここまでです。
次回からは再び各事件のキャラや警察関係者のキャラにスポットを当てていきたいと思います。


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カルテ10~12:上村直樹/高杉俊彦/萩野智也

今回はショートストーリーで送る豪華3本立てです。


SIDE:上村直樹

 

 

あれは、俺こと上村直樹(うえむらなおき)がサッカーの練習試合中に足を骨折し、療養を余儀なくされた直後の事であった――。

家でぼんやりしていた俺の所に一人の医者がやって来たのだ。

見るからにカエルのような顔をしたその医者は、やって来て早々、自分に俺のこの壊れた足を治療させてほしいと頼み込んできたのだ。

いきなりの事に俺はその医者を怪しんでいると、次にその人の口から驚きの話が出てきたのだ。

 

「……実はキミのその足を治してほしいと赤木英雄(あかぎひでお)君という青年が僕の所に直接頼み込んできてね。前払いとして結構な治療費も多く払ってくれたんだ」

 

その言葉に俺は雷に打たれたかのようなショックを覚えた。

 

あいつが?わざわざ俺のためにこの先生に足の治療を頼んだって言うのか?俺のために大金まで払って――。

 

ふいに、この間の練習試合の事が脳裏をよぎった。

元々この足の骨折は俺とあいつが接触した時に出来てしまった怪我だった。

俺はあの時、実力で俺より上だったあいつが、俺に追いつかれるのが嫌でわざと俺の脚を狙ったのだと思っていた。

……今にして思えば、何て馬鹿な事を考えていたんだろうと思う。

あいつがそんなせこい真似をする奴じゃない事くらい、高校時代からの長い付き合いのある俺なら分かったはずなのに。

しかも、俺がそんな事を考えていたのも知らず、わざわざ医者を紹介して大金まで払ってくれて――。

あいつの心遣い俺は目頭が熱くなる。

そんな俺を見て目の前の医者は小さく微笑むと、早速治療の本題について切り出してきた。

 

「……それで、キミのその足の怪我の事なんだが、キミの前の担当医からは三ヶ月で完治すると言われていたんだよね?僕ならその完治期間をもっと短く出来るけど、どうする?」

「ほ、本当ですか!?ぜ、是非お願いいたします!」

 

俺は二つ返事でそれに了承する。それに医者は再び微笑んでみせた。

 

「分かった。それじゃあ早速明日、手術と行こうか。そうすれば()()()()()()()()()()完治して退院もできるから、選手復活の日はそう遠くはないね?」

 

医者のその発言に、俺が笑ったまま凍り付いてしまったのは間違いではないはずだ――。

 

 

 

――そうして今現在。足の怪我を完治させた俺は天皇杯決勝の地で、あいつの隣に立っている。

 

足の恩に報いるために、胸を張ってあいつと共に必ず勝利をつかみ取ってみせる……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:俊彦

 

 

俺は、目の前で起こった光景に理解が追い付かずにいた――。

母さんと買い物で歩いていた際、いきなり背後から車が突っ込んできたのだ。

俺は難を逃れたが、母さんは車の直撃を食らい、路上に倒れ動かなくなった。

慌てて母さんに駆け寄るとまだ息があった。すぐに救急車で病院に運んでもらおうとその車の後から来たパトカーに乗っていた男の人に声をかける。

 

「邪魔だ、どいてろ!」

 

だが、その人は俺の声には全く耳を貸さず、母さんをひいた男を追ってさっさと行ってしまった。

その冷酷な言葉と態度に俺は怒りが沸々と湧き上がるのを感じたが、今はそんな事を気にしている暇はない。早くしないと母さんが――。

俺はどこかに公衆電話がないかと探し始め――。

 

「キミ、大丈夫かい?大きな音がしたから来てみれば……一体何があったんだい?」

 

――直後にカエルのような顔をした人が俺に声をかけて来ていた。

 

 

 

それからの行動は早かった。お医者さんだと名乗ったそのカエル顔の人は、母さんに今できうる限りの応急処置を施すと、救急車を呼んで俺と母さんを病院まで運んで行ってくれたのだ。

母さんは一命をとりとめ、かすり傷だった俺も手当てを施された。

そうして、母さんが退院するまでの間、俺は病院に泊まり込みで母さんのそばに寄り添っていると、ある日病室にあの時パトカーに乗っていた人がお見舞いと謝罪にやって来たのだ。

 

「車の影で見えなかったとは言え、貴女と貴女の息子さんには大変申し訳ない事をしてしまいました」

 

そう言ってベッドの上で上半身を起こす母さんに向けて、左目に大きな傷があるその人は床に膝をつき、深々と土下座をして見せたのだった――。

 

 

 

――あれから20年。俺はとある結婚式場で、向かい立つ想い人の女性と結婚指輪を交換している。

そばで見守る親族たちの中には、カエル顔の医師のおかげで元気になった母さんと、あの時パトカーに乗っていた、()()()()()である松本清長(まつもときよなが)さんも俺たちを温かく祝福してくれていた。

 

(それにしても――)

 

と、俺は目の前に立つ花嫁――松本小百合(まつもとさゆり)さんをまじまじと見つめる。

まさか、母さんをひいた連続殺人の犯人を追ってパトカーに乗っていたあの刑事さんの娘さんが、俺のかつての()()()()だったとは夢にも思わなかった。

 

運命の巡り会わせって不思議なものだと思いながら、俺はその想い人と口づけを交わしていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:萩野智也

 

 

僕――萩野智也(はぎのともや)は、何年か前に盲腸の病気で死にかけた事があった――。

病院に運び込まれた時には既に手遅れだったらしく、それでもお父さんは泣きながら僕を助けてほしいと担当のお医者さんにお願いし続けていたらしい。

するとそのお願いが通じたのか、お医者さんは別の病院から違うお医者さんを呼んで来てくれた。

初めて見た時、カエルみたいな顔だと思った事を今でも覚えている。

そして病気で意識がぼんやりする僕に向けて、そのカエル先生はにっこりと笑うと――

 

「大丈夫、キミは助かるよ」

 

――そう言って僕を安心させてくれたのだった。

 

 

 

 

そして今――。

奇跡的な手術で治った僕は、元気に帝丹小学校に通っている。

 

「おーい、智也ぁ!」

 

教室で声をかけられ振り返る。そこにはクラスメイトの元太(げんた)君と光彦(みつひこ)君と歩美(あゆみ)ちゃん。そして、最近転校してきたばかりのコナン君に灰原さんがいた。

この五人はちょっと前に『少年探偵団』というものを結成したらしく、よく一緒にいる所を見かけている。

そんな五人組の一人である元太君が再び僕に向けて声をかけてきた。

 

「俺たち放課後に野球やんだけどさ。お前も一緒にやろうぜー!」

「ったく、何で野球なんだ?何でサッカーじゃないんだ?」

「ブツブツ言わないの。じゃんけんで決まったんだからしょうがないでしょ?」

 

元太君がそう言う横で、コナン君が小さく文句を言うのを灰原さんが窘めるのが聞こえる。

 

それを見た僕は笑顔で頷くと、放課後に校庭で待つ元太君たちの輪の中へと走って行ったのであった――。




軽いキャラ説明。



・上村直樹

単行本では7巻と8巻。そしてアニメでは10話で放送された『プロサッカー選手脅迫事件』の犯人。
原作では赤木にわざと怪我をさせられたと逆恨みし、彼の弟である(まもる)を誘拐する。
しかし、この作品では赤木に依頼された冥土帰しのおかげで予定よりもはるかに早く足の怪我が治り、無事チームに復帰している。原作では珍しく警察沙汰にまで発展しなかったレアなケース。





・高杉俊彦。

単行本8巻、アニメでは18話に放送された『6月の花嫁殺人事件』の犯人。
20年前に巻き込まれた事件で故意にではないにせよ松本清長に母親を見殺しにされ、その復讐のために娘の小百合を殺そうとする。
しかし、この作品では母親は冥土帰しによって助かったため、松本親子に恨みを持つことは無くなった。

なお、彼の姓名の『高杉』は母親の死後、子供がいなかった高杉家に養子として引き取られた際のモノであり、母親と暮らしてた頃の姓名は不明。







・萩野智也

単行本3巻、アニメでは7話に放送された『月いちプレゼント脅迫事件』の回想にて登場。
3年前に盲腸で亡くなってしまうも、彼の死に納得しなかった父親が、彼の担当医だった小川雅行(おがわまさゆき)を逆恨みし、復讐のために小川の息子を殺そうとする。
しかし、この作品では智也は雅行に依頼された冥土帰しによって救われ、元気に帝丹小学校に通っている。
もちろん、智也の父親も犯行を起こさず、小川親子も無事。

さらにこの作品では、原作の流れから年齢に多少誤差があるが、少年探偵団とはクラスメイトという設定となっている。


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カルテ13:田所香織

今回は少し短めです。


SIDE:カエル顔の医者(冥土帰し)

 

 

あれは一年前。私の所にとある病院の経営をしている知り合いの医院長から、緊急の連絡が入ったのが始まりだった。

長期にわたって入院している患者の病気が突如悪化し、こちらの病院では手の施しようがないと判断し、私に助けを求めてきたのだ。

私はすぐにその病院へと駆けつけ、その患者――十代中頃らしき少女の治療に当たった。

少女はこと切れる寸前であったが、私は尽力し何とかその少女を死の淵から救い出す事に成功する。

 

「……?」

 

しかしその最中、私は少女にある違和感を覚えた。

少女の手術が終わると、私は違和感の原因を探るために、さっそく連絡をくれた医院長に問いかけた。

 

「聞きたい事があるんだがね?彼女を担当している医師というのは誰なんだい?出来れば連れてきてほしいんだが」

「彼女の担当医ですか?分かりました直ぐに連れてきます」

 

医院長が頷き、直ぐにその担当医が私の元に連れて来られた。何故かその医師は顔じゅうにびっしょりと汗をかき、妙にそわそわとした落ち着きのない雰囲気でキョロキョロとあちこちに視線をさ迷わせていた。

しかし私はそれに構わずその医師に問いかける。

 

「キミが彼女の担当医なんだね?……彼女、いつから()()()()()()?」

「……あ、えと……」

 

中々答えようとしないその医師の様子に、私だけでなくそばで見ていた医院長も怪訝な表情を浮かべる。

私は答えないその医師の代わりに、今度は医院長に問いかけた。

 

「……彼女、長期にわたって入院していると聞きましたが、実際はどれくらい入院が続いているのですか?」

「細かい期間は分かりませんが……確か――」

 

医院長が彼女の大体の入院期間を口にした時、私は驚愕に目を見開いた。

 

「なんですって!?そんなに長い事この病院に……!?」

「ど、どうかしましたか?」

 

私の言葉に、医院長は戸惑いながらそう聞いてくる。それに私は淡々と答えて見せた。

 

「どうもこうも、あり得ないのだよ。……彼女がそんなに()()()()()()()()()()()()()()。先程の手術で彼女の内臓を見て分かったのだがね、あれだともっと早い段階……それこそ()()()()()()()()()()()()()()で完治、退院していないとおかしいのだよ」

「なんですって!?」

 

驚愕に変わる医院長を横目に、私は彼女の担当医だという医師を睨みつけ、続けて口を開く。

 

「恐らく、一度手術すればしばらくして完治するほどの病状だったはずだ。……おまけに彼女の内臓には、明らかに薬によってその症状を長引かされている痕跡があった。つまり、彼は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだよ」

「お、おい君!どういう事なんだ!?」

 

慌てて担当医に詰め寄る医院長に、ビクビクとしながらも担当医の医師が声を上げる。

 

「ひ、ひぃぃぃっ!で、デタラメです!そんな……内臓を見ただけでそんな事が分かるはずが――」

「この人はこの日本医師界の頂点に立つ名医なんだぞ!?それも世界中から注目されるほどのな!そんなこの方の目が患者に起こっている異常を見間違うわけがないだろう!?」

「……ッ!!」

 

医院長のその怒声で担当医の医師が口ごもる。その直後、女性の声がその場に響き渡った。

 

「も、申し訳ございません!!」

 

見ると一人の女性看護師が、こちらに深々と頭を下げている光景があった。

 

「医院長。彼女は?」

「この医師同様、あの少女――田所香織(たどころかおり)さんの担当看護師をしている者です」

 

私の質問に、医院長がそう答え返した直後、その担当看護師は今まで彼女に行っていた事、その全てをその場に洗いざらい吐き出した。

 

 

――田所香織さんの治療、入院費は日本のホラー小説の人気作家である虎倉大介(とらくらだいすけ)という男が肩代わりしているらしいのだが、その虎倉が自身の書生でもあり、香織さんの実兄でもある田所俊哉(たどころとしや)君をその肩代わりしている治療費の代わりに自分のゴーストライターとして働かせているのだという。

しかも、俊哉君をゴーストライターとして長くに縛り付けておくために虎倉は、香織さんの担当医であるこの男を買収し、香織さんの症状を長引かせる細工をさせていたのである。

担当看護師の彼女も無理矢理、担当医に片棒を担がされ、定期的につけている診断記録も毎回都合の良いように書かされていたのだとか。

 

「お、お前と言う奴は、何という事を……!!」

 

事実を知った医院長は顔を真っ赤にして担当医の胸ぐらをつかみ上げた。

医院長はこの担当医とは違い、患者との信用を保つためにそのような不正は一切許さないタチなのである。

 

「ひぃぃぃっ!!わ、私は悪くない!悪いのは全部虎倉先生だ!あの人が私に札束なんて押し付けて来るから……っ!!」

 

涙目でそう叫ぶ担当医に私は呆れて果てて言葉も出なかった――。

 

 

 

 

――その後の展開は早かった。

医院長によって警察につきだされた担当医の供述により、虎倉を怪しんだ警察により彼の周辺捜査が行われた。

 

すると次々と驚きの事実が浮上する事となった。

 

虎倉に執筆依頼をしている、大学館出版社の月刊ホラータイムズの編集長、土井文男(どいふみお)は、何年か前に株で失敗しており多額の借金があったが、虎倉に借金を肩代わりしてもらう代わりに、彼から月刊ホラータイムズの投稿小説の横流しを要求、それを受け入れた上、盗作を黙認していたらしい。

 

そして、虎倉の妻である虎倉悦子(とらくらえつこ)も、彼女の父親の会社が倒産寸前になった時、虎倉から融資する事を引き換えに自分との結婚を要求され、やむなくそれを飲んで会社のスケープゴートになった過去があった。

しかも後々になってその倒産危機は虎倉が裏から手を回した事だと判明するも時すでに遅く、父親の会社は虎倉名義となっており、離婚すれば会社を潰すと脅迫されていたのだという。

 

 

 

 

それらの事実が芋づる式に警察によって暴かれ、虎倉は脅迫罪ともろもろの罪で起訴される事となった。

しかもあの担当医は香織さんが危機的状況に陥ったとき、まだ虎倉にはそのことを連絡していなかったらしく、警察が虎倉の自宅に家宅捜索にやって来た時には、虎倉はその事実に大いに驚いていたらしい。

そして同じく、虎倉が妹にした事実を知った俊哉君も、当初は虎倉に激怒していたが、妹の身を案じ急ぎ病院へと飛んできていた。

 

その後、虎倉大介は正式に警察に逮捕された。

他人の人生を吸い上げてきた非道な吸血鬼は、(おおやけ)という名の日の光にさらされ、世間から消滅したのだ。

虎倉の悪事に加担したとして土井も警察の尋問を受ける事となり、虎倉悦子の父親の会社もその後、元の鞘へと戻ったのだという。

 

 

 

そして、虎倉のゴーストライターだった田所俊哉君は今、妹の香織さんと共に彼女が入院していた病院の玄関口に二人並んで立っている。

私の治療によって死の淵から帰ってきた彼女は、晴れて退院の身となり、兄の俊哉君と一緒に新しい生活を始めるのだという。

残念ながら二人の両親はもう既に他界しているらしく、これからはこの二人だけで頑張っていくしかないが、虎倉のゴーストライターとして過ごしてきた彼の執筆の才能が世間に認められれば、彼は()()()()()()小説家として成功していけると思う。時間はかかるだろうが、そう遠い未来でもないだろう。

 

「退院おめでとう。……これから辛い事もあるだろうが、頑張るんだよ?」

 

私がそう言って退院祝いの花束を渡すと、それを受け取った香織さんは生気の溢れる笑みをうかべ――。

 

「ありがとう先生!でも大丈夫。お兄ちゃんと一緒なら私、どんな事だって平気だよ!」

 

そう、元気な声で私に答えてくれたのだった――。




軽いキャラ説明。



・田所香織

アニメオリジナル回、『ドラキュラ荘殺人事件』で俊哉の回想に登場。
物語開始の一年前に、虎倉に買収されていた医師によって病状を長引かせられ、結果病状が悪化。死亡する事となった。
しかし、この作品では冥土帰しによって九死に一生を得て病状が回復し、無事俊哉と共に退院を迎える事となった。



・田所俊哉

香織の兄であり『ドラキュラ荘殺人事件』の犯人。
虎倉の悪事によって香織が死んだ上、その事実を一年もの間知らされていなかった不遇な青年。そのため虎倉に復讐する事となる。
しかし、この作品では香織が一命をとりとめた事でそれは無くなり、退院した香織と共に病院を去って行った。



・虎倉大介

『ドラキュラ荘殺人事件』の被害者であり元凶。
今作では香織の命の危機に冥土帰しが関わったことでなし崩し的に次々と悪事が暴かれ、警察のご厄介になる事となり、同時にホラー作家としての名声も地に落ちる事となった。



・土井文男

盗作が明るみとなり、虎倉の悪事に加担したとして彼も警察のご厄介になる。



・虎倉悦子

虎倉の悪事がバレたのを機に、浮気相手である羽村秀一(はむらしゅういち)の協力のもと、父親の会社を取り戻す事に成功する。


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カルテ14:鈴木次郎吉

今回は、冥土帰しが経営する『米花私立病院』の誕生秘話をお届けします。


SIDE:鈴木次郎吉

 

 

ワシこと鈴木次郎吉(すずきじろきち)は、ゴルフのヨーロッパオープン、ヨットのUSAカップ、世界ハンバーガー早食い選手権にサバンナラリーなどなど、今でこそ鈴木財閥の相談役の肩書をぶら下げたままの数々の大会に出場し優勝するといった隠居同然の生活をしているものの、従兄弟の史郎(しろう)に鈴木財閥の会長の座を譲る前はそれはそれは多忙な仕事の毎日を過ごしていた。

 

――そう、あれは今から30年ほど前、ワシが40代前半だった頃の話じゃ。

 

当時、バリバリの仕事人じゃったワシは、車はもちろん電車や飛行機、船などに乗り降りしながら世界中を飛び回っていた。

そんなワシがある日、外国のとある田舎町にて車で取引先の会社に向かっている時、突然ワシの車の数台前を走っていたバスが、横から走ってきた大型トラックに激突したのだ。

 

両方の車は派手に横転し、たちまちその場は地獄絵図と化した。

 

バスから放り出されたと思しき何人かの乗客はあちこちから血を流して呻き苦しみ、放り出されなかった乗客もバスの中で呻いているのが聞こえた。

周囲でそれを見ていた通行人たちが慌ててバスとトラックに駆け寄り救助活動を行う。

ワシとワシのお抱え運転手もそれに参加する。

横転したバスの中から血まみれの乗客を引きずり出し、懸命に呼びかけた。

幸いな事にどちらの車からもガソリンが漏れていなかったらしく、爆発や火事になる二次災害にならずに済んでいた。

だがそれでも、ざっと見ただけで重軽傷者が20人以上もおり、一刻も早く病院に運ばなければ助からないと思えるほど見た目の酷い重傷者も多くいた。

 

そこへ、誰かが呼んだのか救急車のサイレンの音が聞こえた。

 

助かった。そう思ったのは最初だけだった。何とやって来た救急車はたったの一台だけだったのだ。

場所が片田舎なためか救急車の台数も少なかったのもあるが、事故を電話で知らせた人が現場の惨状をちゃんと救急隊員たちに説明していなかったことも原因の一つだったと後から聞いた。

とにかく今から新しい救急車を呼んだ所で時間がかかるのが目に見えていた。その間にこの場で呻いている怪我人の何人かが確実に死ぬ。

万事休すか。そう思った瞬間だった――。

 

「僕に、任せてもらってもいいかね?」

 

唐突に事故を遠巻きに見ていた人ごみの中から、若い男がひょっこりと顔を出してそう言って来た。

それはカエルのような顔をした20代前半くらいの若い男だった。

その若者は駆け出しの医者らしく、修行のために世界各地を転々としていたらしいのだが、その旅の途中たまたまこの事故に遭遇したらしかった。

カエル顔の若者は来ていた救急隊員の一人の前に立つと、真剣な目で口を開いた。

 

「……このままでは、この場の怪我人の何人かが死んでしまいます。彼らを助けるには直ぐに治療が必要だ。だから――」

 

 

 

 

 

「――この場で、僕が彼らを手術する。だから、その手伝いをしてほしい」

 

 

 

 

 

この言葉にワシだけでなく救急隊員たちや周囲の一般市民たちも大いに驚いた。

まさかこの田舎町のど真ん中で手術を行うと言い出す者がいるなど思いもしなかった。

流石に救急隊員たちもその提案には最初こそ渋ったものの、一刻の猶予もない怪我人が多い以上、迷っている暇は無かった。

彼らから了承を得たカエル顔の若者は、早速自分の持ってるカバンから自前だという術衣と治療道具を取り出し準備にかかる。

その間にワシらは周囲の民家から毛布やシートの(たぐい)を多くお借りし、それらを道路に敷くと治療しやすいように怪我人たちをその上に並べたのだった。

そしてこちらの準備が整ったのと同時に若者の準備も終わり、直ぐに治療が開始された――。

 

――その直後、その場にいる誰もが息をのんだ。

 

彼の両手がまるで別の意思を持ったように素早く動き、洗練された動作で怪我人の一人を治療し始めたのだ。

それはまるで最初から体の何処をどう治療すればいいのか分かっていたかのような無駄のない動きであり、魚をさばくようにメスを患者の体内で滑らかに躍らせ処置を施していく。

ワシを含めその場にいる全員が呆然とそれを見つめる中、若者は一人目の怪我人の治療を終わらせていた。

 

「嘘だろ……まだ十分も経ってないぞ!?」

 

救急隊員たちの中の一人が呆然とそう呟くのが聞こえた。

ワシも自分の腕時計で確認する。確かに一人目の治療開始から終了まで十分もかかっていなかった。

その事実が周囲の者たちにも伝播し、どよめきが起こる。

そんな周囲の様子には目もくれず、若者は一心不乱に20人以上もの怪我人を片っ端から治療していき、やがて応援の救急車が多く到着した頃には、全ての怪我人の治療が完了した後だった――。

いつの間にかその怪我人たちも、最初の苦悶に満ちた表情は消えて、今はすやすやと安らかな寝顔を浮かべていた。

呆気にとられるワシらを置いて、その若者はさっさと術衣を脱いで道具も片付けると――。

 

「処置は終わりました。後は病院に搬送すれば問題ありませんので、では僕はこれで」

 

そう、呆然とする救急隊員の一人にそう告げてぺこりと頭を下げると、若者は人込みをかき分けてその場を後にして行った。

 

「……!ま、待て!待ってくれ!!」

 

ワシはハッと我に返り慌ててその若者の後を追ったが、すでにその若者の姿はどこを探しても見つからなかった――。

 

後日、その事件の事がニュースで取りざたされ、一躍有名となった。

あれほどバスもトラックも大きく大破したひどい事故だったのにもかかわらず、死者はゼロ。しかも負傷者全員が、一月を待たずして退院できるほど回復してきているのだという。

事故にあった被害者やその親族たちは、あの時助けてくれた若者に一言感謝を述べたいと、そうコメントしていた。

かくいうワシもあの若者の事が忘れられずにいる一人であり、彼の治療の腕に心底ほれ込んだ者でもあった。

ワシは鈴木財閥の力を使い、あの若者を探し出し始めた。

だが彼自身が言ったように、医療修行で世界中を旅しているためか彼の行方を中々捕まえることが出来なかった。

――だが、その数年後。執念の追跡が実ったのか、ようやく彼の所在を突き止める事に成功した。

 

なんと彼は今現在、ワシの住む日本の東京都にある米花町で開業医をしていたのだ。

 

 

 

ワシは直ぐにその場所へと向かい、彼と再会した。

 

「いらっしゃ――あれ?あなたはあの時の……」

 

若者はワシの事を覚えていたらしく、突然やって来たワシに大いに驚いていた。

だが彼同様、ワシの方も心底驚いていた。

なにせあれほどの腕を持っていた彼が、人気の少ない街の片隅で、ポツンと小さな診療所を開業していたのだから。

ワシは何故、こんな所で診療所を開いているのか彼を問いただしたところ、彼は恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべながら口を開いた。

 

「いやぁ、実は前々から自分の病院を持つのが夢だったんですけれど、世知辛い話、それを建てるお金が無くって……それでも、なんとかなけなしの貯金をはたいて診療所を建てたしだいでして……」

 

その言葉にワシは愕然となる。彼ほどの、あの神がかった医療の技を持った彼が、こんな小さな診療所の開業医なんかで収まっていい訳がない。というか、収まらせてたまるか!

ワシは彼の両肩をがっしりと掴み、驚く彼に向けて一言、言い放った――。

 

――是非、自分とスポンサー契約を交わしてくれ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

それからはもはや、破竹の勢いだった。

スポンサー契約をしてから、彼の診療所は年月を重ねるごとに大きくなり、ついには『米花私立病院』と名を変えた立派な病院へと変貌を遂げたのであった。

そして彼自身も、ワシの期待を上回る成果を何度も起こして見せた。

世界中で難病、不治の病だとされていた病気のメカニズムをいくつも解き明かし、それらを撃退できる特効薬や治療法をいくつも生み出したのだ。

また、世界中で蔓延しているいくつもの伝染病にも対応し、それらを撃滅する事にも成功している。

他にも内臓や手足の部位欠損している患者のために、鈴木財閥の研究グループと協力して生体電気で動く義肢や、人工臓器の開発。更にはクローン技術を応用した部位再生にも手を染め、見事それらを完成させて見せた。

あっという間に一躍時の人となった彼はノーベル賞、国民栄誉賞などを総なめにし、世界中の医学者たちから引っ張りだこの毎日が続くようになった。

それと同時に、彼を慕う医学生たちも数多く集まり、彼の指導のもと医学生たちは膨大な医療技術の知識を吸収していった。

そのかいあって、世界各地の医療技術の進歩が驚異的なスピードで伸びた事は言うまでもない。

 

しかし、そんな生活に疲れ果てたのか40歳を過ぎた頃から活動拠点を米花私立病院のみに絞り込み、その過激な活動(スケジュール)を縮小させて多くの依頼を受け付けなくなった現在は、多忙でありながらも以前より充実した毎日を過ごすようになっている。

 

 

 

 

 

 

 

そうして今日ワシは、米花私立病院を訪れてそこで健康診断を受けていた。

 

「うん、気になる所は何もない。完全なる健康体だね?」

「ガハハハハッ!まぁそうじゃろう!先生と会ってからこの方、病気一つしなくなったからのぅ!視力が衰えたこと以外、70過ぎてもほれ、まだピンピンじゃ!」

 

健康診断を受け、その結果をかつて20代の若者だったカエル顔の先生から聞かされ、ワシは大いに満足する。

それを見た先生はため息をつくと続けて口を開いた。

 

「で?今度は一体何に挑戦するつもりなんだい?僕に健康診断を頼んだという事は、まぁた何かやらかすつもりだろう?」

「いやぁなに、ちょいと人力飛行機で世界一周をしようと思ってのぅ!」

「……相変わらず突拍子も無い事を思いつくね?あなたは昔っから」

 

呆れた目で見つめて来る先生にワシは再び笑い飛ばす。

 

「ガハハハッ!会長の座を史郎にやってようやくワシも肩の荷が下りたんじゃ、仕事人間だった分、今はこの老後生活を謳歌して楽しむのみよ!……先生。先生も一度休みなんかを取って趣味とかを見つけてみてはどうじゃ?きっと楽しいぞ?」

 

そう言ったワシに向けて先生は小さくフッと笑った。

 

「……趣味、とは違うかもしれないけど、生き甲斐なら今も昔も持ち続けているよ?」

「ほぅ?それってまさか?」

 

ワシの問いかけに先生はニッと笑う。

 

「もちろん、この医療の仕事さ。僕にとって今も昔もこれが生き甲斐。この目に映る命を救い、元気になったその人々の笑った顔を見るのが、僕の楽しみだからね?そのためなら、僕は何だってするさ」

 

嘘偽りの無い、真っ直ぐな目でそうはっきりと言った先生に、ワシも大いに満足する。

これなら今度の人力飛行機世界一周の旅も気持ちよく達成することが出来るだろう――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……だが、その記録の達成後。とある月下の奇術師(怪盗)が起こした事件で、その記録が新聞記事の三面に追いやられ、気分をひどく害する事になるとは。この時のワシは微塵も想像していなかった――。




軽いキャラ説明。



・鈴木次郎吉

鈴木財閥の相談役にして、鈴木園子(すずきそのこ)の父方の伯従父。
先の人力飛行機世界一周の記録の件で月下の奇術師こと怪盗キッドを目の敵にするようになり、何度か彼に挑戦状をたたきつけるようになった困った人。
かつて冥土帰しの小さかった診療所を鈴木財閥がスポンサーになる事で大きな病院にまで発展させた立役者。
恐らくこのコナンワールドで冥土帰しと一番古く、そして長い付き合いをしているのは阿笠博士の次に彼だと思われる。


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カルテ15:潮千里

この回から、警視庁の警察キャラのエピソードを加えて行こうかと思っています。


SIDE:カエル顔の医者(冥土帰し)

 

 

 

ある日、私の勤める米花私立病院に緊急の患者が運び込まれてきた。

患者の名前は、潮千里(うしおちさと)ちゃん。5歳。

なんでも、高木幼稚園(たかぎようちえん)の送迎バスに乗っている時に事故にあい、瀕死の重傷を負ったらしい。

 

「……ち、千里ぉぉっ!!先生、頼んます!千里を、千里を助けてやってください!!」

 

体中に包帯を巻き、見るも痛々しい姿になった千里ちゃんに、父親の潮文造(うしおぶんぞう)さんは彼女に縋りついて泣き叫びながらこちらに懇願してきた。

そんな彼の肩に私はそっと手を置き笑って見せる。

 

「大丈夫、この子は死にはしないよ。僕が必ず治すからね?……すぐに手術の準備を」

『はい!』

 

そばにいた病院のスタッフたちに声をかけ、私も直ぐに手術の準備に取り掛かった。

 

――そうして始まる潮千里ちゃんの手術。

 

「……始めます」

 

そう一言置いて、私は手に持ったメスを横たわった麻酔で眠る千里ちゃんへと近づけた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――手術室のランプが消え、それと同時に私はそこから出て来る。

それを待っていましたとばかりに、手術室の外で待機していた文造さんがすぐさま私に駆け寄った。

 

「せ、先生!ち、千里は……!?」

 

縋るような眼でそう問いかけて来る文造さんに、私は安心させるように笑みを浮かべた。

 

「大丈夫。手術は成功だよ?一度集中治療室に入れることになるけど、すぐに大部屋の病室に移る事になるだろうから安心していいよ?」

「ほ、ホンマですか!?……よ、よかった……千里ぉ!」

 

安堵からかへなへなと膝から崩れ落ち、その場に座り込んですすり泣き始める文造さん。

私はそんな文造さんに「娘さんのそばに付き添っててあげてください」と一言声をかけようとし――それよりも先に視界の端に()()()()()()を捉え、その言葉を飲み込むと視線をそこへと移した。そこには――。

 

「……目暮警部。久しぶりだね?」

「ご無沙汰しております。先生」

 

私のあいさつに、数人の刑事を引き連れた目暮十三(めぐれじゅうぞう)警部はぺこりと頭を下げていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

文造さんを先に集中治療室へと送られた千里ちゃんのもとに向かわせると、その場には私と目暮警部、そして彼の部下である高木刑事と佐藤美和子刑事が残った。

 

「それで?今日は一体何の用で来たんだい?……ようやく僕に()()()()()()()()を治させてくれる気になったのかな?」

「い、いえ。()()()私が終生背負っていくと決めた傷なのでお気遣いなく。むしろ、妻の()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()には、感謝してもしきれませんが……」

 

私の言葉に、目暮警部はばつが悪そうに頭にかぶったソフト帽のつばをつまんで顔を隠すようにそれを下げてみせる。

その姿に私は小さく苦笑するも、直ぐに目暮警部の方は再び視線を私に戻し、今回ここに来た本題を切り出してきた。

 

「実は今日ここに来たのは、()()()()()()()()()潮千里ちゃんの様子を見に」

「……?あの子は交通事故に巻き込まれたと聞いていたんだが……もしかして、ただの事故じゃなかったのかい?」

 

私の問いに目暮警部は頷く。

 

「あの子が乗っていた高木幼稚園の送迎バスにぶつかってきた車なんですがね。……とあるサラ金会社の社長さんが運転していたのですが……その社長さん、送迎バスに突っ込んでくる直前、どうも何者かに刺殺されていたようなのです」

「刺殺されていた?その車に誰か同乗者がいたという事かい?」

 

眉根を寄せてそう聞く私に、警部はすぐさま首を振る。

 

「いえ、同乗者はいませんでした。ですが事件直後、現場から走り去る一台のバイクが目撃されています。……恐らく、そのバイクに乗る何者かが被害者の車の横にぴったりとくっつき、開放された運転席側の窓越しに運転する社長さんの胸めがけてナイフを――」

「――投げた、というわけだね?それが原因で暴走したその車が送迎バスに突っ込んであの子が犠牲になったと、そういうわけなんだね?」

「そういう事になります……。それで、あの……その潮千里ちゃんは?」

 

そう問いかける警部に向けて、私は何でもないと言わんばかりに肩をすくめる。

 

「重傷だったけど、一命はとりとめたよ?さっき手術が終わった所だから今は集中治療室に居るけど」

「そうですか、よかった……。まぁ先生が執刀していると知った時点で助かるとは思ってましたが」

 

ホッと安堵の息をもらしてそう響く警部に、私は小さく笑って見せる。

 

「……よかったらキミたちも、あの子の様子を見ていくかい?」

「いえ、助かったと聞けただけでも十分ですし、まだ仕事中の身ですので。……それでは、これで」

 

千里ちゃんに一度会っていくかと提案した私に、目暮警部はそれをやんわりと断りを入れると、高木刑事たちを連れてそそくさと病院を後にしていった。

私はそんな警部たちの背中を眺めながら、その事故の元凶となったバイクの人物の事を考えていた。

 

(……走行中の車にくっついて、バイクに乗ったままという不安定な状態から投げナイフで胸を一刺し……ね。少なくとも素人ではできない芸当だね。……という事は――)

 

 

 

(――犯人は()()()()()()……?)

 

 

 

それから少し経って、ニュースでそのサラ金会社の社長の殺害を()()()()()()が逮捕されたと聞き、この時の私の推測が的外れで無い事を思い知る事となった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:目暮警部

 

 

 

「くそっ!()()()()()の手がかりはまだ見つからんのか!」

 

そう言ってワシは自身のデスクに拳をたたきつけていた。

あのサラ金会社社長の殺害、およびそれに巻き込まれた高木幼稚園送迎バスの事故の一件から既に半年近くが経過した現在。ワシらはとあるフリーの殺し屋の足取りを追跡していた。

あの事件から少しして、そのサラ金会社でお金を借りていたとある男が容疑者として浮上し、彼を逮捕する事に成功する。

どうもその借金に絡んだ恨みからの犯行だったらしいのだが、その殺害方法を聞いてワシらは驚愕する。

なんと男は、殺し屋を雇ってその者に社長の殺害を頼んでいたのだと言う。しかもその殺し屋と言うのが、以前からワシら警察が指名手配してずっと追い続けていた名うての殺し屋、『フォックス』だったのだ。

それを知ったワシらは、本腰を上げてフォックス逮捕に全力を尽くすも、依然として彼の居場所は捕まらずじまいであった。

 

(おまけに今朝、丹原村(たんばらむら)に住む元暴力団幹部の田中という男が殺害されて現金およそ一億円が奪われた強盗殺人事件もうちが担当する事に……!くそっ、猫の手も借りたいこの忙しい時に……!)

 

フォックスの捜査が行き詰っている所へ新たに舞い込んだ強盗殺人事件にワシは頭を抱えたくなる衝動にかられた。

すると、そんなワシに声がかけられる。

 

「警部、警部!」

「ん?」

 

顔を上げると、そこにはとある男性刑事が一人。「どうした?」と聞くワシに、男性刑事は内緒話をするかのように、小声で提案を一つ持ち掛けてきた――。

 

「フォックスの件なんですがね……。俺に一つ考えがあるんですけど、乗ってみる気ありません?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:フォックス

 

 

 

 

(あれが、今回のターゲットか……)

 

深夜のとある公園。俺は茂みから今回のターゲットの様子をうかがっていた。

少し前に今回の仕事の依頼をしてきた女から、ファックスでターゲットの写真を受け取っており、俺は目の前を横切って歩く男と写真に映った男を遠目から比較してみる。間違いない、この男だ。

ターゲットの男はコンビニからの帰りであり、小さな買い物袋を片手に家路へと向かっている様子であった。

革のジャケットを纏ったその男は、俺よりも大柄でがっしりとした体格の持ち主であり、正面からやりあえば俺でもただでは済まないだろうと思えるほどの『何かが』、男の体からにじみ出ているのを俺は感じ取っていた。

しかし、それでも俺はこの男に危険性はおろか警戒すら感じる事は無かった。というのも――。

 

(事故で怪我でもしたのか……?動きがやや不規則だな)

 

事故か生まれつきなのか、その男はコンビニの袋を下げた手とは反対側の手で、いわゆるロフストランドクラッチと呼ばれる()()()()()()()()()()()歩いており、動きも微妙に不自然であったのだ。

 

(しかも、()()()()()()()()()()()?隙だらけだ)

 

ターゲットの両耳から()()()()()()()()()()()が伸びているのを目にし、俺はターゲットが今、イヤホンを繋いだ小型のラジカセかなにかで、音楽かラジオを聞いているのだと推測した。

ならば、この好機を逃さない手は無い。一気に仕留める……!

俺は素早い動きで、茂みから飛び出すとターゲットの背後に忍び寄り、持っていたナイフで背後から男の喉元を裂こうとした。次の瞬間だった――。

 

「がはっ!?」

 

突然、俺の頬に強い衝撃が走り、気づけば俺はあおむけの状態で吹き飛ばされ倒れていたのだ。

 

(何だ!?何が起こった!?)

 

何が起こったのかもわからず、俺は混乱しながら頭だけを上げた。

すると目にしたのは、()()()()()()()()()()()()ターゲットの男の姿であった。

()()()()()()()()()その男は、不敵な笑みを浮かべたまま、たった今杖で殴り飛ばした俺を見下ろしている。

呆然となる俺に男は口を開いた。

 

「ようやく会えたな。待ちくたびれたぜ、()()()()()!」

「なっ!?」

 

俺の殺し屋としての通り名を呼ばれた瞬間、俺は目の前の男に対する警戒心を跳ね上げ、直ぐに立ち上がって体制を整えると男にナイフを向けて睨みつけた。

 

「貴様、何者だ?どうして俺の名を……!?」

 

俺の問いかけに男は懐から()()()()を取り出し、すんなり正体を明かす。

 

「警察だ。フォックス、テメェには殺人容疑及びその他もろもろの件で聞きたい事が山ほどある。大人しく投降しな!」

「警察だと馬鹿な!?一体どういう……ッ!まさか、俺にお前の殺害を依頼してきたあの女は……!!」

 

顔を驚愕に染める俺に、目の前の警察の男はニヤリと笑って見せる。

 

「ようやく気付いたのか?その通り。これはお前をおびき出すための()()()()()だったんだよ。……お前に俺の殺しを依頼したその女は、()()()婦警さ」

「チィッ!!」

 

慌てて踵を返そうとする俺に、男は待ったをかける。

 

「おっと、逃げようとしても無駄だぜ?恐らく今日あたり仕掛けて来るんじゃないかと予想してこの公園の周りには刑事を一杯待機させといたんだよ。もうお前は袋の鼠だ。観念しな」

「クッ……!」

 

やられた。グゥの音も出ないほどにしてやられた!俺の中で後悔やら怒りやらがごちゃ混ぜになり、パニックを起こしかけている。

とにかく、一刻も早くこの公園を脱出しなくては!そのためには、目の前の男を人質にして突破するしかない!

そう決断した俺はナイフを構え、男に突進していく。

すると男は持っていたコンビニ袋を捨て、その手で自身の首元を触れる。

そこには()()()()()()()()()()()()()が首に巻かれており、先程見た()()()()()()()()()()()()()()が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()のである。

そして男がチョーカーに触れた、その瞬間だった――。

 

(――え?)

 

体にかかる強い力と共に、俺の視界は急激に変化し、見渡す限りの()()()()()()()()()()()()

男が俺の腕を取って胸ぐらをつかみ、『一本背負い』をしたのだと気づくよりも先に――。

 

「がはぁっ!!!」

 

俺は背中から地面にたたきつけられ、その衝撃で意識を根こそぎ刈り取られていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:高木渉

 

 

 

丹原山中(たんばらさんちゅう)の森の中にて、今、僕と佐藤さんは登山者姿で目の前の丹原村の強盗殺人事件の容疑者である男女――河辺晃(かわべあきら)三枝恭子(さえぐさきょうこ)の二人と対峙していた。

 

「河辺晃、三枝恭子。強盗殺人の容疑で逮捕します。速やかに投降しなさい!」

「な、なんのことだ!?俺たちは何も……!!」

 

佐藤さんの言葉に、河辺は何を言ってるのか分からないと言った風に言葉を返す。

それを聞いた佐藤さんは「とぼけても無駄よ!」と続けて口を開いた。

 

「アンタたちが田中さんの殺害時刻に家から出てきた所を近所の住人が目撃していたのよ。その人の証言から人相書きを作って丹原村を中心に捜査してみたら、丹原山口駅前にある入山管理事務所の所員がその人相書きとよく似たアンタたちが山に入ったって事を聞いたってわけ。ご丁寧に入山手続きに本名と住所を書いてくれたおかげで、すでにあんた達の身元は判明済みよ!あとは、あんた達の背負っているそのリュックから、盗まれた一億円が出てくれば、動かぬ証拠になるわ!」

「く、くそぉっ!!」

 

河辺がそう叫ぶと腰から登山ナイフを取り出し、佐藤さんに向けて突進してきた。

だが佐藤さんは難なくそれを回避するとあっさりと河辺からナイフをはたき落とし、あっという間に地面に倒して拘束してしまった。

それを見た三枝恭子はへなへなと腰を抜かし、呆然としたまま動かなくなった。どうやら抵抗する気力もないらしい。

僕は三枝恭子に手錠をかけながら、同じく河辺晃に手錠をかける佐藤さんに声をかけた。

 

「やりますね佐藤さん。以前よりも動きが良くなってませんか?」

「当然よ。これでも()()()()()()()()()()()()()()♪」

 

そんなやり取りをしながら、僕と佐藤さんは警官たちの待つ(ふもと)の入山管理事務所へと拘束した二人と連れて山を下りて行った――。

 

 

 

 

 

 

 

かくして殺し屋フォックスによる殺人事件と、丹原村の強盗殺人事件はこうして幕を閉じたのであった――。




軽いキャラ説明。


・潮千里

アニメオリジナル回、『恐怖のトラヴァース殺人事件』の冒頭で死亡した幼稚園児。
フォックスが殺したサラ金会社社長が運転する車が暴走し、それに送迎バスが巻き込まれて亡くなってしまう。
しかし、この作品では冥土帰しの手によって千里は一命をとりとめ、そのおかげで父親の文造もフォックスに復讐を考える事は無くなった。




・フォックス

『恐怖のトラヴァース殺人事件』に登場する名うての殺し屋であり、犯人の一人。
文造を殺そうと山小屋の管理人である岩田重吉(いわたじゅうきち)を監禁し、彼に変装して山小屋の管理人を装う。しかし、岩田と顔なじみである東都大学山岳部の平井健一(ひらいけんいち)の存在を知り、正体がバレるのを恐れて平井を殺してしまう。
しかし、この作品では文造の復讐の策略で丹原山に来る事も無くなり、警察に逮捕されたので、岩田も平井も無事。





・河辺晃と三枝恭子

丹原村で田中という元暴力団幹部の老人を殺害し、現金およそ一億円を奪ったカップル。
逃亡途中、丹原山で毛利を暴力団組織に雇われた追っ手と勘違いした二人は仲違いを起こし、その結果河辺は三枝を殺してしまう。
『恐怖のトラヴァース殺人事件』のもう一人の犯人。
しかし、この作品では佐藤たちによって山中に隠れていたのを発見され逮捕される。
そのため、三枝が河辺に殺されることは無くなった。


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カルテ16:伊達航

今回は前回登場した杖をついた男性刑事にスポットを当てます。
彼が死亡するはずだった物語開始の一年前、交通事故直後から話は始まります。


SIDE:高木渉

 

 

「だ、伊達(だて)さんッ!!」

 

僕こと高木渉の目の前で、僕の先輩であり教育係でもあった伊達航(だてわたる)刑事が、走ってきた車に跳ね飛ばされ、宙を舞っていた。スローモーションのようにその光景がゆっくりと動き、気づけば伊達さんの体は地面にたたきつけられ、ピクリとも動かなくなっていた。

それを見た僕はハッと我に返り、慌てて伊達さんに駆け寄る。

 

「伊達さん!伊達さんッ!!しっかりしてください!今救急車を呼びますから!!」

 

すぐさま震える指で携帯のボタンをプッシュし、救急車を呼ぶ。

なんで、何でこんなことになったんだ?

ついさっき、指名手配されていた詐欺師を逮捕したばっかだったのに……!

犯人逮捕をした直後で気を緩めていたせいだというのだろうか?だとしたら何て皮肉だ!

自問自答している間にも僕は救急車が来る間、懸命に伊達さんに呼び掛け続ける。

頭から血を流し、ぐったりとしている伊達さんの呼吸が徐々に細くなってきている事に気づく。

駄目だ。このままじゃ救急車が来て病院に運ばれても、もう……!

そんな考えが頭をよぎった時だった。

 

「キミ、一体どうしたんだい?」

 

不意に声をかけられたの気づき、声のした方へ振り向くと、そこにはカエルのような顔をした初老の男性が立っていた。肩には大きなボストンバックを一つ下げている。

その男性は倒れている伊達さんを見つけると途端に顔を険しくし、すぐさまこちらへと駆け寄ってくる。

 

「……ちょっとその人を診せてほしい」

「あ、あなたは?」

 

男性の言葉に僕がそう問い返すと、その人は一言呟くように口を開いた。

 

「ただの通りすがりの医者だよ?」

 

 

 

 

 

 

 

――その後の展開は早かった。

近所の民家で自宅療養している患者の往診の帰りだったというそのカエル顔のお医者の先生は、伊達さんの応急処置をてきぱきと終らせると、やって来た救急車に伊達さんを乗せると自らも救急車に乗り込んで米花私立病院へと向かったのであった。

僕はと言うと、早急に逮捕した詐欺師と伊達さんをひいた居眠り運転の男の身柄を警視庁へと送ると、話を聞いた目暮警部と佐藤さんと一緒に伊達さんの安否を確かめに米花私立病院へと直ぐに向かった。

病院へと到着する間、僕は目暮警部たちに事のあらましをかいつまんで説明する。

 

「えっ!?カエル先生がそこにいたの!?」

「あの先生が助けてくれたというのかね?」

 

そして、伊達さんの応急処置をしてくれた医師の特徴を説明した時、佐藤さんも目暮警部も心底驚いた顔をしていた。

どうやら二人はあの先生とは以前からの知り合いだったらしい。

そうこうしているうちに米花私立病院についた僕たちは、受付で伊達さんが治療されている手術室の場所を聞き出し、そこに向かう。

そして、手術室の前についた時、それを見計らったかのように手術室のドアが開き、そこから術衣を纏った先程のカエル顔の先生が出てきた。

先生は僕たちの姿を確認するとこちらよりも先に声をかけて来た。

 

「おや、さっきぶりだね?結構、早かったじゃない――って、そっちにいるのはもしかして目暮警部と美和子ちゃんかい?」

「お久しぶりです、先生」

「父、正義(まさよし)の件は大変お世話になりました、カエル先生」

 

そう言って深々と頭を下げる目暮警部と佐藤さん。どうやらこの先生には相当な恩義があるのが見て取れた。しかし、今はそれどころではない。

僕は二人を押しのけるようにして先生の前に立つと、単刀直入に問いかけた。

 

「それで先生、伊達さんの容体(ようだい)は……?」

「あー、うん……その事なんだがね……」

 

先生は言いにくそうに口ごもると顔を俯かせた。ど、どうしたの言うのだろうか?まさか!?

 

「先生!ま、まさか伊達さんが亡くなったってこと――」

 

そう言いかけた僕に先生は手でそれを制し首を振った。

 

「いや……骨折や内臓の損傷も酷かったが、何とか()()()()取り留めることが出来たよ」

 

その言葉に僕はホッとするものの、次の先生の言葉に僕だけでなく一緒にいた目暮警部と佐藤さんも硬直した。

 

「……だが、車にはねられて地面にたたきつけられた時、頭も強打したみたいでね。脳の一部が損傷してしまってるんだよ」

「の、脳の損傷……!?」

 

呆然と呟く僕に先生は頷いて言葉を続ける。

 

「そう……。主に脳の言語機能、歩行能力、思考能力の一部が影響を受けてしまっている。……もはや誰かと会話する事も、何かを考える事も、立って歩くことも出来ないだろうね。このままでは一生ベッド生活は避けられないだろう」

「そ、そんな……!」

 

その無慈悲な現実を突きつけられ、僕は膝から崩れ落ちそうになるのをそばにいた佐藤さんが慌てて駆け寄り支えてくれた。

そして僕に代わり、今度は佐藤さんが先生に声をかける。

 

「先生、何とか伊達さんを治す事は出来ないのですか?」

「……すまないね。なにぶん、脳は未だに未知の部分が多い。下手に治療を続けようとすると、彼自身の命を縮めてしまいかねないんだ」

 

そう、申し訳なさそうに呟く先生に、今度は目暮警部が歩み出て来た。

 

「……それでも、あなたなら伊達を救うことが出来るのではないですか?……私の妻や、佐藤の父上を助けてくれたように」

「…………」

 

目をつむり、沈黙する先生に目暮警部は更に言葉を重ねる。

 

「……『生きているのであれば必ず治す』でしょ?先生」

「……ふぅ、やれやれ参ったね?」

 

小さくため息をついて後頭部をかいた先生は、苦笑を浮かべながら続けて口を開いた。

 

「一週間ほど、待ってくれるかい?流石に『完治』とまではいかないが、少なくとも日常生活が普通に送れるくらいには回復させてみせるよ?」

「ありがとうごさいます、先生!」

 

そう言って目暮警部は深々と頭を下げ、僕と佐藤さんもそれにならった――。

 

 

 

 

 

――それから一週間、僕は毎日伊達さんのお見舞いに米花私立病院へと足を運んだ。

病室のベッドに寝る伊達さんはいつもぼんやりと病室の天井ばかりを眺め続けていて、こちらが何度声をかけても返答するどころか一向に反応すらもしなかった。

それを見て、僕もようやくあの先生の言う事が本当の事なんだと理解し、抜け殻のようになってしまった伊達さんに泣きそうになるのを何度もこらえた――。

知らせを聞いて伊達さんの婚約者であるという、日本人とアメリカ人のハーフのナタリー・来間という女性も病院に駆けつけてくれた。

彼女も僕同様に、変わり果てた伊達さんを目にし、今にも泣き出しそうな顔をしていた――。

 

 

 

 

 

そうして迎えた約束の一週間後、僕、目暮警部、佐藤さん、ナタリーさんは、四人そろって病院へとやって来ていた。

あの先生が治して見せると言った一週間後の今日が来てしまったわけだが、正直今の僕は先生のあの言葉に疑いの眼差しを向けざるを得なくなっていた。

というのも、この一週間毎日お見舞いに行ってたのにもかかわらず、伊達さんの容体がまるで変化していなかったのだ。

ぼーっと天井を眺めて寝ている伊達さん。それが昨日まで全然変わらないままの毎日だったのだから疑いたくもなるだろう。

そして今日も、目暮警部たちを連れて僕はいつも通り、伊達さんの病室のドアの前に立つ。そして取っ手に手をかけ、それを開いていた――。

 

「よぅ!」

「――え?」

 

病室に唐突に響いた元気な声に、僕は一瞬惚けてしまう。

僕の目の前――病室の()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()伊達さんがいたのだ。

そばにはあのカエル顔の先生も立っている。

 

「伊達さん!」

 

僕たちはすぐさま伊達さんへと駆け寄った。

信じられない。昨日までベッドに寝たまま上の空状態だったのに、今は事故にあう前と同じように僕らに気さくに話しかけてくれているのだ。

 

「心配かけたな高木。おお!ナタリーも来てくれたのか!お前にも心配かけた!」

 

伊達さんのその言葉に、さっきまで呆然としていたナタリーさんは泣きながら彼に抱き着いて行った――。

 

 

 

 

 

 

 

「――さて、目暮警部たちも来たことだし、そろそろ彼の事について説明してもいいのかね?」

 

ナタリーさんが伊達さんの腕の中で散々泣き腫らしたのを見計らってか、カエル顔の先生は僕たちに向けてそう切り出してきた。

それを聞いた目暮警部も先生に頷いて見せる。

 

「……お願いします。高木が言うには伊達は昨日まで寝たきりだったらしいので、昨日と今日でこの変化には私共もやはり説明はほしいかと」

「いいとも。……彼が今のように元気になっているのはひとえに、()()のおかげさ」

 

そう言って先生は伊達さんの首元を指さした。

見ると黒いチョーカーのような帯が伊達さんの首に巻き付いており、そこからイヤホンのコードのようなモノが伊達さんの両耳の後ろへと伸びていた。

伊達さんにつけれられたそれを不思議そうに僕らが見つめているそばで、先生は説明を続ける。

 

「それの正式名称は『脳機能補助デバイス』。僕の知識と僕の古い友人である発明家、そして鈴木財閥の研究チームとの共同で生み出された失われた脳の機能を補助するオリジナルの医療機器なんだよ」

「脳の補助?という事はこれのおかげで今、伊達さんは喋れるようになってるんですね?」

 

佐藤さんのその質問に先生は頷く。

 

「そうだね。それだけじゃなく、杖が必要になるけど立って歩く事だってもうできるよ」

「ほぅ、どれどれ……。おっ!本当だ立てるぜ!――っておとととぉ!」

 

試しにベッドから立ち上がった伊達さんだったが、歩こうとした途端ふらつきだしそれを見たナタリーさんが慌てて伊達さんを支えた。

 

「全く、杖が必要だって言っただろう?……これを使うんだね」

 

それを見て呆れた顔を浮かべた先生は、そう言って片手用の杖を伊達さんに渡した。

杖を受け取った伊達さんは少しふらつきながらもそれで自身のバランスを取る。

それを見届けた先生は続けて口を開いた。

 

「……少しの間リハビリが必要みたいだね?まあ、直ぐに慣れると思うよ?杖での生活になるだろうが、そこだけ目をつむれば日常生活も不自由なく暮らせるはずだ。その機械には防水加工もされているからそれを付けたまま風呂にだって入れるしね」

「それは良いですが……でもこれではもう刑事としての仕事はあまり出来そうにありませんね」

 

そう目暮警部は唸るようにそう響き、それを聞いた伊達さんの表情も若干曇る。

確かに目暮警部の言うように現場での刑事の仕事は難しくなるだろう。聞き込み調査や見回りとかなら出来るだろうが、血の気の多い犯罪者と対峙する時になったら一方的に不利になる可能性が高い。

だが、その解決策も先生はちゃんと用意してくれていた。

 

「……その点についてなんだけどね?伊達君、そのチョーカーの横にボタンが付いているんだが、それを押してもらえるかい?」

「ボタン?……ん、これか?」

 

先生に言われてチョーカーに触れた伊達さんは、チョーカーにくっついていた長方形型の小型機器にあったボタンを見つけ、それを押してみる。

すると小型機器についた小さなランプが『青』から『赤』へと変わった。

 

「うん、ランプの色が変わったね?それじゃあ、ちょっと失礼するよ?」

 

それを見た先生は一言そう言うと、伊達さんに近づきおもむろに伊達さんの持つ杖を取り上げて見せた。

 

「え!?ちょっと先生何を……ん!?」

 

先生に杖を取り上げられ戸惑った声を上げた伊達さんだったが、その途中で顔が驚愕に染まる。

そして、信じられないといった表情で自身の体を見下ろすと、その場でぴょんぴょんと飛んだり、体を大きくひねったりしだしたのだ。

それを見た僕も驚きながら伊達さんに声をかける。

 

「だ、伊達さん、大丈夫なんですか?」

「ああ……まるで問題ねぇ。体も思うように動かせるし、頭ン中もさっきよりもスッキリしてやがる。……完全に事故る前の状態の俺になってるぜ!」

 

驚く僕たちをよそに先生が説明をし始めた。

 

「その機械には『通常モード』と『全力モード』というものがあってね。今みたいにボタンで切り替えて使うことが出来るんだ。……さっきまでの『通常モード』は、必要最低限の言語、歩行、思考を補助することが出来、『全力モード』は完全に負傷前の状態に戻る事が出来るようになるんだ」

「……でも、でしたら最初から『全力モード』だけを出来るようにするべきだったのでは?わざわざ『通常モード』とかそれに切り替える機能を付ける必要は……」

 

佐藤さんの最もな意見に先生の顔が何故か曇る。

 

「うん……確かにその通りなんだがね?実はこの機械には一つ欠点と呼べるものがあってね……」

 

そう言いながら先生は伊達さんのチョーカーを指さしながら続けて口を開く。

 

「その小型機器に内蔵されているバッテリーは僕が発案して作ってもらった世界に一つしかない代物なんだが、『通常モード』時だとその稼働時間はおよそ48時間、つまり丸二日は保つことが出来るんだ。……しかし、『全力モード』で使用し続けると、その稼働時間が大幅に短くなってしまうんだね」

「短く?というと、どのくらいで?」

 

目暮警部の質問に先生は片手の指を三本立てる。

 

「ざっと3時間だね」

「さんっ!?……随分とごっそり減るんですね!?」

「以前の状態を保つにはそれだけの電力が必要って事だね?」

 

素っ頓狂な声を上げる佐藤さんに先生はそう肩をすくめて見せた。

 

「……まぁ、一週間で作り上げたものだから改良の余地があるのは当然だね。これからやっていく定期検診とかで手を加えていくしかないさ。……それが嫌だって言うんなら今からでもそれの改良を頼みに行くよ?その代わりまたしばらくはあの寝たきりの状態で入院してもらう事になるけどね?」

「そ、そんなぁ……」

 

意地悪にしか聞こえない先生の出したその二択に僕は思わずそう声を漏らすも、当の伊達さんはホッとしたような顔を浮かべていた。

 

「……いや、むしろ安心しましたよ先生。これなら俺、刑事辞めずに済みそうだ」

「大丈夫なのか伊達?」

 

不安げにそう尋ねる目暮警部に伊達さんはニカリと笑って見せる。

 

「大丈夫ですよ警部!言うなれば、その場の状況に応じて『通常』と『全力』を使い分ければいいだけって話じゃないですか!そうやってこれを使いこなす事が出来れば、刑事仕事も問題なく続けられますよ!」

 

そう、何の根拠もないというのに、伊達さんは自信満々にそう言い切って見せた――。

 

 

 

 

 

 

――それから一年。

今も伊達さんは刑事を続けていた。あの時の啖呵は決して強がりでは無い事をあの人は証明して見せたのだ。

デスクワークでも現場での仕事でも、伊達さんは巧みに二つの『モード』を使い分け、仕事に支障が出ないように上手く立ち回っている。

それを周りで見守っていた僕や他の刑事たちも皆一様にホッと胸をなでおろしていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:伊達航

 

 

フォックスによる殺人事件の後、事後処理を終えた俺はその足で()()()にやって来ていた――。

かつて警察学校でつるんでいた四人の仲間達。その内の三人が志半ばで先に逝っちまっていた。

今日はその内の一人の墓の前に俺は来ている。

 

「……よぅ、松田(まつだ)。久しぶりだな、仕事が忙しくってあまり来れなくて悪かったな」

 

墓にそう声をかけて、俺は周囲を掃除し、花の入れ替えや線香に蝋燭とテキパキと作業を行い、そして最後に墓に手を合わせて、今日来た目的を話し始めた。

 

「実は今日来たのには理由があってな。松田……俺、()()()()()になったわ」

 

米花私立病院を退院してからしばらくして、俺はナタリーと式を挙げた。

それから刑事の仕事をしながら新婚ほやほやの生活をナタリーと過ごしていたが、つい先日、ナタリーの腹の中に新しい命が宿っている事が発覚したのだ。

 

「ハハッ!いや恥ずかしい話。それ聞いた瞬間、家族が一人増えるって柄にもなく舞い上がっちまったよ。……まだ男の子か女の子かわかんねぇけど、こんな俺が父親になったんだ、ナタリー共々守っていくさ。萩原(はぎわら)景光(ひろみつ)の奴にも後で報告するつもりだよ」

 

そう言って笑った俺だったが、直ぐにハァと深いため息をつき俯いてしまう。めでたい話のはずなのに、どうにもやるせない気持ちが胸中を支配してしまっていたのだ。

 

「生まれたばかりのそいつ……お前らに抱かせてやりたかったなぁ」

 

ポツリと響いたその言葉は、誰の耳にも届くことなくそのまま虚空へと消えていった――。

 

 

 

 

 

松田の墓参りを終えた俺はナタリーの待つ我が家へと向かっていた――。

その途中、俺は歩きながら懐から一枚の写真を取り出す。

それは警察学校時代、俺たち五人で一緒に撮った記念写真だった。何の『記念』だったかは、もう忘れちまったけど。

俺はそこに写る今もどこかで生きて警察官をやっているだろう最後の仲間を見つめる。

 

「……もう、俺とお前の二人だけになっちまったなぁ、古い仲間は。……なぁ、ゼロ。お前……今どこで何やってんだよ……」

 

写真から目を離した俺は、日が沈み、茜色に染まった空を見上げながらそう呟かずにはいられなかった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:降谷零

 

 

 

(……悪いな伊達。今はまだお前と会うわけにはいかないんだ)

 

一人寂しげに空を仰ぎ見る伊達の背中に向かって、俺は心の中で奴に詫びる。

しかしまさか、松田の墓参りにやって来たら先に伊達が来ているとは思わなかった。

その上さらに驚いた事に、妻であるナタリーさんの妊娠報告とは。

 

(父親になれたんだな伊達……。おめでとう)

 

一児の父親になった親友の背中に、心の中でそう祝福の言葉を述べる。

一年前の交通事故で命はとりとめたものの、脳に致命的な損傷を受けたと聞いた時は心臓が握り潰されると思えるほどのショックを受けたが、機械頼りとは言えこうして変わらず刑事をやっているアイツを見ていると少しホッとする。

俺は去って行く伊達の背に向けて心の中で言葉を投げかける。

 

(俺の事は気にするな。お前は生まれてくる子供と奥さんの事だけを考えて生きていけ。……俺の運命とは無関係な所でな。だから――)

 

 

 

 

 

 

(――俺たちの分まで、幸せにな……友よ)

 

 

 

 

 

そうして俺は、去り行く伊達に背を向けると静かにその場を後にして行った――。




軽いキャラ説明。


・伊達航

原作では一年前の交通事故で死亡し、そのショックでナタリー・来間も後追い自殺してしまう。その後、様々な誤解からナタリーと一緒に英会話教室で講師をしていた笛本隆策(ふえもとりゅうさく)が伊達と間違えて高木を拉致してしまい。
結果、単行本76巻~77巻、アニメでは681話~683話に放送された『命を賭けた恋愛中継』の事件へと発展してしまう。
しかし、この作品では冥土帰しの手によって伊達は助かり、ナタリーとも結婚した。
原作で亡くなったナタリーの両親も健在であり、笛本も犯罪を犯す事は無くなった。その上、笛本が講師を辞めるきっかけとなった末期がんも、ナタリーが彼に冥土帰しを紹介した事で彼に治療され延命する事となる。

また、伊達が生き延びた事で、諸伏景光(もろふしひろみつ)の遺品であるスマホが、原作の一年前倒しで『彼の兄』へと手渡される事となった。






・補足説明

伊達につける事となった電極(デバイス)ですが、原作で一方通行(アクセラレータ)がつけてた電極とは少し設定が異なります。
正式名称などもそうですが、最たる変化は『モード』切り替え時の稼働時間の変化です。
原作では能力を使い続けると15分(後に30分まで伸びた)までだったのですが、コナン世界には超能力は存在しませんのでその分、電力の消費が抑えられたので短縮時間は3時間という設定になりました。


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カルテ17:佐藤正義

今回は佐藤美和子刑事の父、正義さんのエピソードです。


あれは18年前の事であった――。

 

「じ……ゅ、し……ろ……!じ、しゅ……しろ……ッ!」

 

土砂降りの雨が降る路上で私は、倒れて動けなくなりながらも逃げる()()の背中に向けてそう声を絞り出していた。

 

 

私こと佐藤正義(さとうまさよし)は、当時とある銀行強盗殺人犯を追っており、監視カメラの映像から独自にその犯人を特定する事に成功する。

しかし、その犯人と言うのがまさか()()()()()()()()()()()()()()()()()だったと知った時には流石に愕然となった。

監視カメラで見た犯人が警備員を猟銃で殴殺(おうさつ)する瞬間、そのフルスイングがかつて野球部で独自のバッティングフォームで活躍する友人の姿と重なったのだ。

まさかと思いながらその友人のもとを訪れ、問いただしてみるとあっさりと自分が強盗殺人犯であることを認めたのであった。

強盗殺人を犯した犯人がまさかかつての野球部仲間だと知り、さすがの私も悲嘆に暮れそうになるも、警察官の職務を全うするため、その友人を連れて警察へと向かう。

 

そうしてもう少しで到着するという所で、事件は起きた――。

 

雨の中、横断歩道で信号待ちをしていると、突然隣に立っていた友人が車の往来する道路へと飛び出して行ったのだ。

一瞬遅れて私もそれに気づくも、その時友人へと走って来る一台のトラックが……!

私は後先も考えず、呆然と立ち尽くす友人を突き飛ばしていた。

その次の瞬間、強い衝撃と共に私の体は宙を舞い、地面へと叩きつけられる。

朦朧とする意識の中。私がかばった友人は恐怖に震えながら慌ててその場から走り去って行く。

私はその友人の背中へ一縷の望みを込めて弱々しくも叫び続けた――。

 

「自首しろ」

 

そう、何度も何度も――。

やがて友人の姿が雨で見えなくなると、私の声も枯れ果て身体も力なく濡れたアスファルトに転がる。

豪雨が容赦なく私の身体に叩きつけられ体温を奪っていった。

自分の中の生命が抜け落ちていく感覚を覚え、頭の中で娘や妻の事が走馬灯のように浮かび始めた、その時だった――。

 

「キミ、大丈夫かい?しっかりするんだ!」

 

そう声がかけられ、私は朦朧としながらも声の主へと目だけを動かしていた。

 

――そこにはカエルのような顔をした男性が必死になって私に声をかけているのが見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お父さん!」

「あなた!」

 

次に目覚めた時、私は米花私立病院という病院のベッドの上に寝ており、天井を見上げる私の左右から妻と娘が今にも泣きそうな表情で顔を覗かせていた――。

話を聞くとあの時私に声をかけてきたカエル顔の男性は医者だったらしく、私が気を失った後、応急処置を施し、救急車を呼ぶとこの病院まで搬送し手術してくれたのだという。

妻から本当なら死んでいてもおかしくない怪我だったと聞き絶句するも、泣きじゃくりながら私が助かったことに喜んでくれている娘や妻の顔を見ることが出来、ホッとすると同時に私の命を救ってくれたあのカエル顔の医師に深く感謝した。

それからすぐ、同僚の刑事たちが私のもとにやって来ると、早速強盗殺人犯の事を根掘り葉掘り聞いてきた。

私は途中まで正直に質問に答えていたが、その犯人の正体については一切口を開かなかった。

同僚たちは「何故言わない?」と詰め寄って来たが、私は真っ直ぐに彼らを見返すと一言呟いた。

 

「私は()()()を信じています。必ず近いうちに自ら警察に出頭してくるはずですから、それまで待ってあげてくれませんか」

 

同僚たちは「何を馬鹿な事を」と言っていたが、私は確信している。

必ずアイツは奪った現金を持って自首をしてくると。

本来ならそんな事は認められるわけも無いが、私の懇願に根負けした上司が数日待ってくれるよう取り計らってくれた。

 

それから三日もしないうちに、()()()()()()()()()()()――。

 

深夜に病室のベッドに寝ている私の所に、アイツは銀行から奪った現金を持ってやって来たのだ。

 

「……生きていたんだな」

 

私の顔を見るなりそう言った友人(アイツ)は、明らかにホッとした顔を浮かべていた。

それを見た私は苦笑を浮かべながら口を開く。

 

「なんだ?あのまま死んでいてくれた方が都合がよかったんじゃないのか?」

「……冗談でも笑えないよ、それ」

 

ため息をついて小さく笑う友人は、続けて言葉を紡ぐ。

 

「……お前がトラックに跳ね飛ばされた時、俺は怖くなってその場から逃げてしまったが、お前が助かったと聞いた時は心底安堵したんだ。……お前があのまま死んでしまっていたら、俺はどうしていたか分からないが……お前が生きてくれてた今なら、もう腹は決まっている」

 

そう言って友人は私に向けて両手を差し出してきた。

 

「……捕まるならお前がいい。手錠を頼む」

「…………」

 

私はその両手をジッと見つめると、その両手を軽く押し返す。驚く友人に向けて口を開いた。

 

「自首……してくれるよな?」

「ッ!……ああ。……ああ!」

 

何度も何度も頷く友人――鹿野(かの)の頬を一筋の涙が伝っていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから18年後――。

 

カエル顔の医師の尽力で職場に復帰した私は、長い歳月を経て『警視正』へと昇格し、警視庁刑事部捜査一課課長に就任していた。

 

「佐藤警視正。連続放火犯の身柄確保に成功しました」

「おお、そうか。ご苦労だったな()()()

「……ちょっとお父さん、今は仕事中だから()()()()()、でしょ?」

 

最近(ちまた)を騒がせていた連続放火犯をようやく捕まえることが出来たと、娘からの報告を聞き私は胸をなでおろしていた。

何でも最近活躍をしている『少年探偵団』が放火犯を見つけ捕まえたらしい。

まだ10歳にも満たない小学生の身で危険な場所へ飛び込むのはいただけないが、ここは素直に感謝すべきなのだろう。

 

「それじゃあ早速調書を取るとしようか」

「あ、待ってお父さん」

 

踵を返し、放火犯のいる取調室へと向かおうとしていた私を美和子が呼び止める。

何だと思いながら美和子へと視線を戻すと、美和子は直ぐに()()()()をしてきた。

 

「ねぇ、まだ帰れそうにはないけれど、ちょっとここを抜け出して()()()()()会って来たらどう?まだあの居酒屋『七曲』にいるんでしょ?」

「お……うん、そうだなぁ。だがアイツらもこの放火事件の事を気にしてたから早めに切り上げてるかもしれんぞ?」

「でもまだいるかもしれないじゃない。今日は()()()()だって言ってたし、行くだけ行ってみたら?」

「うーん……そうするか」

 

娘に押される形で私は警視庁を後にし、その足で目的の居酒屋のある品川へと向かった。

品川は今回逮捕された連続放火犯が()()()()()()()()だ。

どうも放火犯の狙いは池袋、浅草橋、田端、下北沢、四ツ谷、品川の順番で放火することで東京の地に巨大な『火』の文字を浮かび上がらせる計画だったらしい。

幸い品川は被害が最小限で済んだものの、それを知らないアイツらはもうさっさと解散して帰っているのかもしれない。

無駄骨になるのを覚悟で私は居酒屋『七曲』の前に到着する。

今日集まる約束をしたアイツらと言うのは、高校時代の野球部の仲間の4人だ。

皆、良い事があったらしくその記念ということで飲み会で集まる事になったのだ。

 

(……それにしても、こうも幸運が重なるもんだとはなぁ。野球部時代、頼れる主砲だった猪俣(いのまた)は現在の会社が創業以来赤字知らずで今日で15周年を迎えるらしいし、私とバッテリーを組んでた猿渡(さるわたり)は今朝医者をやっている息子夫婦に二人目の男の子が生まれたそうだし、野球部でマネージャーやってた神鳥(かんどり)は一人娘が今日良い所の男性と結婚したと言ってた……)

 

そしてかく言う私も、今日連続放火犯を捕まえることが出来た。皆が皆、一様に幸運をつかみ取った一日であった。

 

(そして……()()()()

 

私の脳裏に、18年前病室に現れた鹿野の姿が思い起こされた。

あの後警察に自首をした鹿野は、裁判でも反省の色があるとして懲役10年の実刑判決を受け、7年前に出所。それからすぐ、イタリアへ料理の修業をするべく旅立ち、3年後に帰国してからは食堂を営んでいた実家をたたんで、そこにイタリア料理店を開業したのであった。そんな鹿野も明日が50歳の誕生日である。

 

(前科がある身だったから世間的にも大変だったはずなのに、アイツもよく頑張ったもんだ)

 

そう思いながら私は居酒屋の戸に手をかける。少し緊張しながら私は一つ深呼吸をするとその戸をゆっくりと開けていた――。

 

 

 

 

 

 

「――おう、佐藤!待ってたよ!」

 

 

 

 

 

驚いた。まだ四人全員この店におり、飲み会を楽しんでいたのだ。

真っ先に私の姿を確認したのは鹿野だった。鹿野は笑顔でこっちに向かって手を振っている。

他の三人も、私に目を向けると笑って「こっちに来いよ」と同じように手を振っていた。

それを見た私も笑顔になって彼らの輪の中に入っていく――。

 

今はまだ職務中の身だから酒は駄目だが、ノンアルコールならセーフだろう。

 

旧友たちとの思い出話に花を咲かせながら、私の夜は過ぎていった――。




軽いキャラ説明。



・佐藤正義

単行本27巻に収録。アニメでは205話~206話に放送された『本庁の刑事恋物語3』の回想に登場する佐藤美和子の父親である刑事。
18年前に道路に飛び出した鹿野を突き飛ばしてかばい、代わりに自身が事故にあい死亡してしまう。
しかし、冥土帰しのおかげで命拾いし、鹿野も自首したため原作のように18年もかからず事件は解決する。
そのため、18年後に起こった連続放火事件は、歩美が目撃した犯人を偶然見つけた少年探偵団が追跡し、品川で犯行に及んだ所を彼らによって捕まえられて解決という、あっさりとした幕引きとなった。

ちなみに、正義の階級の『警視正』は原作で死亡したことで二階級特進となったモノをそのまま流用している。


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カルテ18:北野広之

この話の次回、久しぶりにコナン達とある事件で接触します。


SIDE:カエル顔の医者(冥土帰し)

 

 

 

――3年前のある日の事、突然私の所に緊急の患者が運び込まれて来た。

 

「ありゃあ、これは酷いねぇ」

 

その患者を見た瞬間、私は唖然となった。

火事にでもあったのか全身が焼けただれ、その上あちらこちらが骨折しているようであり、もはや虫の息であったのだ。

そばにいた看護師が患者の説明を始める。

 

「名前は北野広之(きたのひろゆき)、28歳。職業は映画俳優。撮影中のカースタントで乗っていた車が横転炎上したようです」

「……?彼、アクション俳優だったのかい?」

 

私の問いかけに看護師は首を振る。

 

「いえ、普通の映画俳優だったみたいです」

「妙だねぇ、普通カースタントってスタントマンがやるんじゃないのかい?」

 

怪訝な顔を浮かべるも、ひとまずその問題は後回しにした。こんなことをしている間に患者は確実に死に近づいている。

 

「急いで手術室へ」

 

私はそう言って患者を手術室へと移動させ、すぐさま手術(オペ)を行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

――手術は問題なく成功したものの、全身のほとんどを皮膚移植しなければならなくなったため、彼は全身ぐるぐる巻きのミイラ男となって集中治療室へと入る事となった。

 

(……やれやれ、皮膚移植の準備が出来次第、二度目の手術を行わなければならないね?)

 

集中治療室へと運ばれる彼を見ながら私はそう思っていると、不意に声をかけられた。

 

「先生!あの……北野は!?」

 

振り返ってみると眼鏡をかけた女性が立っており、その後ろに眼鏡をかけた男性が立っていた。

私はその人たちに向き直り、まず尋ねる。

 

「……あなた達は?」

「あ……わ、私はアクション女優をしている吉野里美(よしのさとみ)といいます。こちらは映画監督の大野忠雄(おおのただお)さんです」

 

吉野と名乗った女性と大野と呼ばれた眼鏡の男性は共に会釈する。

それを見た私は北野広之の現状を彼女たちに説明する。

 

「患者の命はなんとか取り留めたよ。……しかし全身が焼けただれてしまっていてね、あれではもう皮膚移植が必要になって来るね?」

「そんな……」

 

愕然とそう響く吉野さん。後ろに立つ大野さんも同じように呆然となっていた。

そんな二人に僕は続けて口を開いた。

 

「……彼、普通の映画俳優だったらしいけど、あの怪我の原因はカースタントによる事故だって聞いてるよ?何故スタントマンでもない彼がそんな危ない事を?」

「あ……えと……実は来るはずだったスタントマンが突然来れなくなってしまって、それでそのスタントも彼が……」

 

気まずげにそう響く大野さんに私は「無茶をするね?」と言ってやれやれと首を振った。

しかし、その横で吉野さんが納得していないと言った表情で俯き唇をかんでいた事に、私は気づく事は無かった――。

 

 

 

 

 

 

それから一週間がたって、ようやく()()を頼って移植用の皮膚を用意でき、手術が出来るようになったのを確認した私は、集中治療室から個室の病室に移った北野さんの元へと足を運んだ。

するとそこには先客が来ていた。

 

「あれ?吉野さん、来てたのかい?」

「あ、先生。お邪魔しています」

 

未だに意識の戻らない患者のベッドの横で、椅子に座って心配そうに眺めていた吉野さんは、私が入ってきたことに気づき慌てて立ち上がると会釈してきた。

実は彼女と北野さんは恋人同士らしく、そのため毎日のように彼女は北野さんの病室を訪れていた。

そんな彼女に私は皮膚移植の手術の準備が出来た事を告げると彼女は大いに喜んだ。

 

「よかった!それなら映画俳優を辞めさせられても普通に生活は送れそうですね」

 

ホッと安堵する吉野さんに私は問いかける。

 

「彼……映画俳優を辞めさせられそうになってるのかい?」

「あ、はい……。流石にこの怪我ですから人前にも出られないだろうって……。()()()()()()()の役を手に入れかけていたのに……本当に残念です」

「死神陣内?なんですかそれは?」

 

首をかしげてそう尋ねる私に吉野さんは説明してくれた。

聞けば死神陣内とは悪事を働いた者をその怪人が殺害していく映画らしく、すでにシリーズ化もされているのだとか。

 

「へぇ……、そんな映画があったなんて知らなかったですね」

「先生は、映画を見られないので?」

「仕事一筋なものでね?申し訳ない」

 

頭に手を置いて申し訳なさそうな顔でそう言う私に、吉野さんも苦笑を浮かべる。

そうして続けて彼女は口を開いた。

 

「……実はあの事故の後、北野の日記を見つけて読んでみたら、()()()()()()()()今死神陣内を演じている南条隼人(なんじょうはやと)さんの代わりに、二代目死神陣内を演じてみないかって話があったみたいなんです。でもこんな事になってしまって……」

「事故の一週間前に、ですか?それはまた、運が悪かったですね」

「……。本当に運が悪かっただけなのでしょうか……?」

 

私の言葉に吉野さんはポツリとそう返す。

 

「……?どういう事ですかな?」

「……実は私、あの事故がただの事故では無いんじゃないかと思ってるんです」

 

怪訝な顔を浮かべる私に吉野さんは言葉を続ける。

 

「先程話した南条さんなんですが……どうも北野が二代目になるのが酷く気に入らなかったみたいなんです。それに、事故の時も南条が半ば無理矢理北野を車に乗せたみたいですし……事故後も北野に映画俳優を辞めさせるよう一番強く推していたのもあの人なんです……!」

「ちょ、ちょっと待ちなさい」

 

言葉に力が入り始めた吉野さんに、私は慌てて待ったをかけた。

 

「……仮にキミが言うように、その南条さんとやらが事故にあわせるために意図的に北野君を車に乗せたとしても、()()()()()()()()()。北野君が上手くカースタントを成功させる可能性だってあったわけだし……」

「…………」

 

私のその指摘に吉野さんが言葉を詰まらせた時だった。

 

「ぅ……ぐぅ……ッ!」

「「!」」

 

唐突に病室内に第三者の呻き声が響き渡った。

見るとベッドに寝ていたミイラ状態の北野さんが呻きながら身をよじっている。

 

「広之さん!!」

「……そろそろ意識が戻る頃だとは思ってたけど、今とはね」

 

驚いて駆け寄る吉野さんに続きながら、私も彼に近寄った。

そして喋れるようにそばに置いてあった吸いのみ器で水を飲ませると、彼に声をかけてみる。

 

「僕の声が聞こえるかい?キミは自身のことについてちゃんと覚えているかい?ここは病院だ。キミは事故にあってここに運ばれたんだよ?」

「あ……ぅぁ……うぅ……ッ!」

 

しかし北野さんは私の問いかけを無視するかのように口をパクパクさせながら何かを必死に伝えようとしていた。

 

「何?広之さん、何が言いたいの?」

「落ち着いて、ゆっくり喋るんだ」

 

吉野さんと私がそう言って北野さんの言葉に耳を傾ける。

すると北野さんは苦しそうにしながらも何とか()()を口に出していた――。

 

 

 

 

 

「……お……おれ、は……()()()()()()()()……ッ!……普通に走ってたら、突然()()()()()()()()()……バランスを崩して、それでッ……ぐぅッ……!」

 

 

 

 

 

「「……!?」」

 

北野君のその告白に私も吉野さんも息をのんだ。

しかし直ぐに冷静になった私は頭をよぎった疑問を口にする。

 

「……妙だね?普通カースタントに使われる車ってスタントマンが無事でいられるように十全な整備と調整がされているものなんじゃないのかい?」

「ど、どういう事なの……?まさか……南条……!」

「……これは、事件性が出てきたとみていいね?」

 

呆然となる吉野さんの響きに私はそう言って二人から少し離れるとおもむろにポケットに入れていた携帯を取り出した。

そして、再び吉野さんに問いかける。

 

「僕の知り合いに警視庁の警部をしている人がいるんだが……その人に今回の一件を調べてもらえるよう頼んでみようと思うんだが、いいかね?」

 

その言葉に吉野さんは直ぐに強く頷いて見せた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

――そこからすぐ警察が動き出し、事件は急展開を迎えた。

私からの連絡で目暮警部たちが動き出し、まずは北野さんが乗っていた車を調べてみると、なんと車の片方の前輪からそれを支える部品であるボルトが一本無くなっていた事が判明し、その前輪の周りから南条の指紋がべたべたと検出されたのであった。

そしてさらに捜査を進めると、その日来るはずだったスタントマンが実は南条からの嘘情報で撮影に来られなくなっており、撮影直前には例の車のそばで何かこそこそとしている南条の姿が目撃されていたのだ。

それらの証拠を警察が付きつけてみると南条は観念したのか全てを白状した。

 

自分が意図的に事故に見せかけて北野さんを殺そうとしたことを認めたのだ――。

 

原因はやはり、死神陣内の役を北野さんに奪われそうになったから。

それらが全て明るみとなり、南条は逮捕され、その後すぐ彼の経営する南条プロダクションも倒産する事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

――それから3年後の現在。私の所に一通のハガキが来た。

送り主は吉野里美さん。近況報告のハガキであった。

あの事件の後、北野さんは私の皮膚移植手術で元の姿を取り戻すことが出来、それから退院して一年と経たずして映画俳優の世界に復帰したという。

今も現役で映画俳優の仕事をこなしており、主演の数も多くなってきているのだという。

あの時、吉野さんと一緒に来ていた大野さんも、あの事件で全ての責任を背負う形で映画監督を下ろされそうになっていたものの、南条の企みが露になり首一枚でつながったとの事。

 

それらの報告を読んで私は笑みを浮かべていたが、最後に書き記された一文で更に笑みを深くした――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――『一月後に私の姓が『吉野』から『北野』へと変わります。先生もぜひ式にいらしてください。』――。




軽いキャラ説明。



・吉野里美

アニメオリジナル回、『死神陣内殺人事件』の犯人。
南条に恋人の北野を事故に見せかけて殺されたため、復讐のために彼を殺害する。
しかし今作では北野は冥土帰しに助けられ、彼の証言から警察が動き出し、南条が逮捕される事となった。
現在は無事退院した北野と一緒に仕事を続けており、一月後には結婚する予定だという。


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カルテ19:永井達也【事件編】

今回は少し長くなりそうだったので二つに分けます。
次回、【解決編】です。


SIDE:カエル顔の医者(冥土帰し)

 

 

 

ある日の、まだ朝日が昇ってもいない時間帯に、事件は起きた――。

私はその日、夜勤明けで早めの朝食をとるために近くのファミレスに向かい、食事を済ませ病院に戻っている最中であった。

 

(……おや?)

 

不意に前方でこちらに手を振っている人影を見つけた。

それは犬を連れて朝の散歩中らしきその女性であり、私はその顔に見覚えがあった。

私はその女性の横に車を止めると運転席の窓を開けて彼女と会話する。

 

「やぁ、久しぶりだね」

「おはようございます、先生。その節は父がお世話になりました」

「どうって事ないさ。……朝の散歩かい?」

「はい。この子もう朝は早くって……。そしたら、車に乗ってこっちに来る先生の姿が目に入ったもので」

 

苦笑しながら自分の連れている犬を見下ろしてそう言う女性は、以前私が担当した、盲腸を患って入院してきた患者の娘さんであった。

 

「先生は今から出勤ですか?」

「いや、夜勤明けでね。さっきファミレスで朝食を取ってきて帰る所なんだ」

「そうなんですか。お疲れ様です」

「いやいや……」

 

そう、たわいの無い会話を数回繰り返した私たちはどちらともなく「それじゃあ」と別れを告げた。

一度会釈した彼女はペットの犬を連れて私の車の横を通り過ぎ、直ぐそこの住宅街の角の向こうへと消えていった。

私もそれを見届けた後、再び車を発進させようとした。その次の瞬間であった――。

 

「キャアァァァッ!!?」

「!?」

 

突然さっき会話していた女性の悲鳴が角の向こうから轟いた。

何事かと慌てて車のエンジンを切り、外に出た私は、彼女の後を追ってその角の向こうへと曲がった。

 

「どうしたんだね――!?」

 

そこには震える先程の女性と吠える犬の背中――そしてその向こうに口から泡を吹いて地面にのたうち回っている男の姿があった。

それを見た瞬間、私は踵を返すと自身の車の所に戻りトランクを開けると、そこからいつも持ち歩いている二つのボストンバッグを取り出し、急ぎさっきの場所へと戻った。

怯えて立ちすくむ女性と吠える犬を追い越し、もがき苦しむその男へと駆け寄る。

 

「キミ!一体どうしたんだね!?」

「ぁ……うぅぁぁがぁっ……!!」

 

息が出来ないのか首筋を掻きむしりながら、男は震える手でとある方向へと指さした。

 

「?」

 

私は男のその指の先へと視線を向ける。そこには封が開けられた自販機でも買える清涼飲料水『ガッツマン』の空き瓶が転がっていた。

 

「ガッツマン?……あれを飲んだんだね!?」

 

私の問いかけに必死に首を縦に振る男。

 

(まさか……ガッツマンに毒が!?……とにかく一刻も早く治療しなければ……!)

 

そう思い、直ぐにボストンバックの中から医療道具等を引っ張り出していく――。

すると唐突に、()()()()()()()()がその場に響き渡った。

 

「こ、これは!?……カエル先生、何故こんな所に!?」

 

顔を上げると見知ったちょび髭の男性――毛利小五郎(もうりこごろう)君が立っていた。

その左右には毛利君の娘の蘭君と、新一君(コナン君)の姿もあった。

どこかへ出かけるつもりだったのか、蘭君と新一君の背中にリュックが背負われていた。

私のそばでもがき苦しむ男を見て、驚愕に立ち尽くす三人に私は声を上げる。

 

「毛利君!すまないが救急車を呼んで来てくれ!あと、彼を救うのに人手がいる。協力してほしい!」

「わ、分かりました!蘭、救急車を!」

「うん!」

 

毛利君の指示で蘭君がすぐさま携帯で病院へと連絡する。

その間に毛利君と新一君は私たちの元に駆け寄って来た。

倒れている男を見ながら毛利君は私に問いかける。

 

「一体、何があったんですカエル先生!?」

「詳しい事は僕にも分からない。だがどうやらそこに転がっているガッツマンを飲んでこうなったらしい。恐らく毒が混入されていたんだよ」

「ど、毒ですって!?助けられるのですか?」

 

不安げにそう呟く毛利君に私は更に続けて口を開く。

 

「……この様子だと救急車が来る前にお陀仏だろうね?だから――」

 

 

 

 

 

 

「――今、()()()治療するしかない……!」

 

 

 

 

 

「ここでって、えぇっ!?」

 

素っ頓狂な声を上げる毛利君を無視して、私はボストンバックに入っていたぺしゃんこの()()()を膨らませ始めた。

それを見た毛利君は声を上げる。

 

「カエル先生、それは?」

「携帯型無菌室……要は持ち運びの出来る緊急手術室だね?さっ、早くこの中へ患者と医療器具を入れるのを手伝ってくれ、早く!」

「わ、分かりました!」

 

頷いた毛利君は私と新一君と一緒に急ぎ患者()と医療道具を運び込んだ。

そして私も術衣に素早く着替えると早速、患者の手術を開始する。

 

「やれやれまさか、街のど真ん中で手術をする事になるとはね?」

「カエル先生、その人助かりそう?」

 

私が一人呟くのと同時に、無菌室の外から新一君がそう声をかけてきた。

それに私はすぐさま答える。

 

「……正直、毒の成分が何なのか分からないから不安は残るけれど、彼が毒を飲んでまだ間がないのであれば、気道を確保して胃洗浄(いせんじょう)すれば何とかなるかもしれない。あとは、彼の根気しだいだね?」

「そっか……(ん?この男の人の肩に何か……緑色の、ペンキ……?)」

 

ジッと患者の肩辺りを見つめる新一君に構わず、私は治療を続けた。

程なくして救急車と少し遅れてパトカーも到着する。

救急隊員は道路のど真ん中で手術を行っている私に唖然となっていたが、直ぐに治療している私が医者だと理解するとすぐさま駆け寄り、手術中の私に声をかけてきた。

 

「その人の容体は!?」

「何とかなりそうだね。僕の手術が終わり次第、彼を米花私立病院に運んでほしい。僕も後から行く」

「わ、分かりました!」

 

救急隊員は頷くと搬送の準備をするために救急車へと踵を返す。

それと入れ違いに今度はパトカーに乗ってやって来ていた目暮警部たちが駆け寄って来る。

警部たちも街中で手術をする私に絶句する。

 

「せ、先生、これは!?それに、毛利君たちも……!?」

「来て早々悪いんだがね目暮警部。詳しい事情なら毛利君たちに聞いてほしい。今、手が離せないのでね?」

 

目暮警部にそう言う傍ら、私は手術の仕上げに取り掛かる。

 

「……あれ?この男……」

「?」

 

そう響く声が聞こえ、チラリと横を見ると、そこには無菌室越しに男の顔をまじまじと見つめる一人の警察官の姿があった――。

そうこうしているうちに術式が終了し、男の呼吸は安定する。

 

「術式終了。早く彼を……病院には僕から連絡しておくからね?」

「は、はい!」

 

私にそう促されて救急隊員は男を救急車に運び入れると一緒に乗り込み、直ぐに救急車を発進させてその場を後にしていった。

それをしり目に私は携帯で病院に一言連絡を入れて手術道具をそそくさと片付けていると、後ろから目暮警部と毛利君、そして新一君が駆け寄って来た。

 

「カエル先生、彼は?」

「大丈夫。もう呼吸も安定してるから峠は越えたと見ていいだろうね?」

 

毛利君の問いかけに私がそう答えると全員がホッとした顔を浮かべる。

 

「……で、目暮警部。彼が飲んだガッツマンに混入していた毒は一体何だったんだい?」

「あ、ええ……鑑識の調べによりますとどうも『有機リン酸系化合物』だと」

 

私の質問に警部がそう答え、私はフムと顎に手を添えた。

 

「……有機リン酸系化合物。なるほど、()()()()はやっぱりね」

 

有機リン酸系化合物は、軽度なら吐き気やよだれが出るだけで済むが、重症だと呼吸困難に陥り、肺水腫が起こる危険な薬品である。彼にはその重度の症状が出ていたのだ。……まぁ、それらの症状も私が治療したが。

 

「先生、先生が第一発見者と見て間違いないので?」

「ああ、いや。……実は第一発見者は僕じゃなく、彼女でね?」

 

目暮警部にそう聞かれ、私は思考をいったん止めると、先程から遠目で様子をうかがっていた犬を連れた女性へと視線を向ける。それにつられて目暮警部たちも彼女に視線を向けると女性は少し驚いた後、ぺこりと軽くおじぎをして見せた。

それを見た目暮は一つ頷くと、口を開く。

 

「分かりました。それでは彼女と一緒に先生にも事情聴取を受けてもらいたいのですが、よろしいですね?」

「構わないよ。ただ、運ばれていった彼の様子を見に、一度病院に戻りたいからね。事情聴取はその後でも良いかね?」

「ええ、よろしいですよ」

 

私がそう尋ねると目暮警部は快く承諾してくれた。

すると、その脇から毛利君が目暮警部へと声をかけて来る。

 

「警部殿。これは不特定の相手を狙った、無差別殺人事件です」

「何!?」

 

驚く目暮警部を横目に、毛利君は「私についてきてください」と一言言い残すと、路地の向こうへと駆け足で行ってしまった。

目暮警部たちも「どこに行くんだ、毛利君!?」と、慌てて彼の後を追っていく。

現場には私と第一発見者の犬を連れた女性。そして他の鑑識や警官たちが残された。

 

(やれやれ……ここから先は、彼らの領分だね?)

 

走り去って行く毛利君たちを見ながら、私は心の中でそう呟くと頬を指でポリポリとかいた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

朝の路上での一件後、現場に一緒にいた警察官の証言から、カエル先生に手術されていた男――永井達也(ながいたつや)さんは、現場の少し先に住んでいる西谷美帆(にしたにみほ)さんという女性に、三週間前までストーカーをしていた事が分かり、俺たちは西谷さんの住むアパートへと訪れた――。

 

「え、倒れて病院に!?あの人が……!?」

「ええ。毒入りの清涼飲料水を飲みましてね」

「毒入りの……!?」

 

驚く西谷さんは、目暮警部の毒入りのガッツマンを飲んだという話で更に驚愕していた。

そうやって目暮警部たちと話をしている間、彼女は両掌を下で合わせて、『何か』を(てのひら)から()()()()()()()()()ような動きをさせている。

俺はそんな西谷さんを見ながら一人、黙考する。

 

(この人……()()永井さんにストーカーされていたみたいだが、気づいていなかったって言っている……本当にそうなのだろうか?……この部屋の窓とドアには(じょう)が付け足されているし、防犯スプレーまで置かれている……。これらは全部、永井さんのストーカー被害に怯えていた頃の後遺症なのだろうか?)

 

そう、考えているうちに、警部たちと西谷さんの事情聴取は終わり、俺たちは引き上げる事となった。

だが、去り際に西谷さんから声がかかる。

 

「あ、あの……。その毒を飲まされたっていうあの人……どうなりましたか?」

「ん?ああ。どうにか一命をとりとめて今、米花私立病院に入院しています」

「えっ!?」

 

目暮警部からそれを聞いた瞬間、彼女は今まで以上の驚愕に目を見開いていた。気のせいか顔色も青くなっているようにも見える。

それに気づいていないのか目暮警部は更に言葉を続けた。

 

「たまたま、彼が毒を飲んだ直後に偶然居合わせた外科医のお医者さんがいましてね。その人が処置をしてくれたおかげで何とか事なきを得ましたよ。……ですが、術後ですからまだ事情聴取できる体ではありませんので、彼から話を聞けるのはまだ先になりそうですが……」

「そ……そう、ですか……」

 

警部からの説明を聞いている間、彼女はそう相づちを打っていたが、その顔は何処か心ここにあらずと言った表情であった。

それを見た俺は確信する。

 

(どうやら間違いなさそうだ……。彼女が永井さんに毒入りのガッツマンを飲ませた犯人だ)

 

だが、まだ分からないことがいくつかある。

彼女がどうやって毒入りのガッツマンを飲ませたのか?彼女が犯行に及んだその()()()な動機は?そして……永井さんの肩に付着していた、あの緑色のペンキも気になる。

 

(あとは証拠も必要だしな。……まぁ、これらの疑問も、永井さんが目を覚まして喋れるようになったら全て分かるんだろうが――)

 

俺は考えながらチラリと西谷さんに目をやる。そこには()()()()()()()()()()()を浮かべている彼女の姿があった――。

 

(――彼女のこの様子じゃ、()()()()()()()()()()()()()()()()……)

 

西谷さんの顔を見つめながら、()()()()()()()()()()()()()()()悟り、俺は人知れず顔を険しくさせていった――。




今回は軽いキャラ説明はありません。
それも【解決編】同様、次回に持ち越します。


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カルテ19:永井達也【解決編】

【解決編】です。



SIDE:西谷美帆

 

 

丸一日半と一晩、寝ずの夜を過ごしながらも思い悩み、私はようやく決断する。

()()()()()()()()()()()()()()()()()、今度は確実にあの男を――。

そう意気込んだ私は、ポシェットに()()()()()()を忍ばせると、アパートを出て夜の街を歩きだした。

向かう所は決まっている。あの男の入院している病院――米花私立病院だ。

まだ喋れる状態ではないことは警部さんから聞いているが、それも時間の問題。

暴かれる前に確実に彼の息の根を止めなければ。

アパート近くのバスの停留所からバスに乗って揺られる事10分ほど。

あの男が入院している目的の場所、米花私立病院にたどり着く。

この病院は、ここ米花町にいくつかある病院の中で一番大きな医療施設らしく、しかも本当か嘘か、世界でも最先端な医療技術が備わっているらしく、ここに入院した患者のほとんどはどんなに重い病気や怪我でも一ヶ月以内に完治するという。まさに『医学の総本山』とも呼ばれる場所らしい。

その上、最近は周囲の病院からの『悪影響(妬みややっかみ)』を防ぐために、その医療技術を『共同使用』という形で無償同然で公表、提供しているのだとか。

そのため今現在、米花私立病院を中心に波紋が広がるように、周囲の病院の医療技術がウナギ登り状態だという。

 

だが今はそんな事はどうでもいい。一刻も早くあの男を消さなければ。

 

はやる気持ちを抑えながら私はバスを降りると、駐車場を通過し、真っ直ぐ米花私立病院の正面玄関へと向かう。

 

(まずは、あの男のいる病室を探し出して、それから――)

 

そこまで考えた次の瞬間、私は思考と共に歩みも止めていた。

私が向かう病院の正面玄関前に誰かが立っているのが見えたからだ。

夜に病院から漏れる灯りで逆光になり、薄っすらとしかその姿は確認できないが、どうも白衣を着た医者らしき人物であることだけは何とか見て取ることが出来た。

しかも、明らかにこちらを見据えており、まるで私の行く手を阻むかのように軽く仁王立ちになっている。

目を見張る私にその人影から声がかけられた。

 

「……こんな夜分に、どちらさんかな?」

「あ、あなたは?」

 

私がそう問いかけると、人影は「おっと、うっかりしてた」と小さく呟くと、私の方へと歩み寄ってくる。

すると、駐車場に設置してあった外灯の一つ――その灯りに人影の姿が露になった。

見るからにカエルのような顔をした白衣を纏うその人は、私の数歩手前で立ち止まると改めて口を開いた。

 

「驚かせてしまったかな?……僕はこの病院に勤務するしがない医者でね。ちょっと外の空気を吸いにふらりと外に出たらキミがこちらに向かってくるのが見えてね、つい声をかけてしまったんだよ?」

 

柔らかく笑いながらそう言うカエル顔の先生に、私は少しずつ警戒を解く。

 

「……そ、そうですか。実は私の知り合いにこの病院で入院している人がいるんでそのお見舞いに……」

「へぇ……。夜にお見舞いという事は、仕事帰りに来たのかな?」

「まぁ、そんな所です」

 

顎を撫でるカエル顔の先生のたわいの無いその問いかけに、私は軽く受け流すように答える。

すると、カエル顔の先生はやや目を細めると私にさらに問いかけてきた。

 

「……それで?そのお見舞いに行くという患者さんはどこの誰なのかね?もしよければ、僕がその人の病室へ案内するけど?」

「あ、いいえ結構です。病室は分かってますので」

 

先生の提案に私は手を振ってそれを断った。

この人についてこられるとこちらが困る。何せあの男の病室には恐らく警察が張り込んでおり面会謝絶にもなっているはずなのだ。そんな所についてこられると最悪な事態になるのは目に見えている。

自力で警察が見張っている病室を特定し、何かしらの騒ぎを起こして警官をその場から遠ざけ、その隙にあの男を殺すしかないのだ。

私の断りの言葉に、カエル顔の先生は少し残念そうな顔を浮かべる。

 

「そうかい……なら、仕方ないね。それじゃあ最後に()()()()()()()()()()()()()()()?」

「……?」

 

何故か頼みごとをしてきた先生に、私が怪訝な顔を浮かべた瞬間だった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――そのポシェットの中にある凶器、僕に預からせてもらえるかい?」

 

 

 

 

 

 

 

「……?…………ッ!!?」

 

そう言って、手を差し出してきた先生に私は驚かずにはいられなかった。

絶句する私に向けて、先生は淡々とした口調で口を開く。

 

「ここは病院なんだ。人の病気や怪我を治す医療の場だ。そんな所にそんな物騒なモノを持ち込ませるわけにはいかないからね?」

「な……なに、を……!?」

 

混乱しながらも私はポシェットを背中に隠しながら先生から距離を置くように後ずさる。一体この人は何を知っているのか。

するとその直後、真横から別の声が私にかけられてきた。

 

「もう、そこまでにしましょう、西谷美帆さん」

 

その声につられ横を見ると、そこには先日アパートにやって来た毛利小五郎と目暮と名乗った警部とその部下の刑事の姿があったのだ。

しかも毛利小五郎は今有名な『眠りの小五郎』の姿勢となって駐車場に設置されているベンチに俯きがちに座っていた。

 

「も、毛利さんに警部さんたちまで……何故、ここに?」

「恐らく、今晩当たり貴女がこの病院に来ると毛利君が予想して待ち構えていたのですよ」

 

呆然と呟く私に目暮警部はそう答え、それに続くように毛利小五郎が言葉を発した。

 

「……あなたですよね?永井さんに毒を盛って殺そうとした犯人は」

「……ッ!!」

 

 

 

 

――そこから先は毛利小五郎の独擅場だった。

私が使った、ガッツマンのすり替えと、ストーカーである永井の収集癖と私への好意を利用した、封を開けた状態での毒の入ったガッツマンを飲ませるトリック。指紋を付けないために前もって両手に接着剤を塗っていた事。そして自動販売機にガッツマンを残したのは、無差別殺人に見せかけるためだったことも。

 

 

 

「す、推理するのは勝手ですけど、証拠がないんじゃないですか?」

「証拠ならありますよ。コナン!」

 

私の言葉に毛利小五郎がそう声を上げると、ベンチの後ろから先日毛利小五郎と一緒についてきていた眼鏡をかけた少年が現れた。

 

「西谷さん、これ見てくれる?」

 

そう言って少年はポケットから写真の束を取り出し、私に見せるように掲げて見せると一枚一枚めくっていく。

するとそこには、接着剤を指に塗った後の公衆トイレから毒入りのガッツマンを塀の上に置くまでの私の姿が写っていたのだ!

驚く私に毛利小五郎は話を続ける。

 

「永井さんが盗み撮りをしていた事には気づかなかったみたいですね?無理もありません、彼は特殊な手製のカメラを使っていたんですから」

「手製の、カメラ……?」

 

呆然と響く私の言葉に答えたのは、私の横にいるカエル顔の先生であった。

 

「彼の持ち物の中に()()()()()()オイルライターがあってね。そこに小型のカメラが仕込まれていたんだよ。……彼の父親は鉄工所の技術者らしかったから、その人に似て手先が器用だったんだろうね?」

「ええ。……そして、この写真には貴女が塀の上に置いたガッツマンには3日ほど前に締め切られた、プレゼント応募用のシールが貼ってあるのが写っています。あの例の自動販売機のガッツマンは全て、事件の前日の昼過ぎにシールの張られていない新しい日付のモノに入れ替えてありました。つまり……()()()()()()()()()()()()()()()()()という証拠なのですよ、西谷さん」

 

毛利小五郎の指摘に私はもはや反論も出来ず、その場にへたり込んでしまった。

そして私は、観念してその場でポツリポツリと全て話し始める。

 

――1週間前に駅の階段で永井に突き落とされた事、その時に見た自分を睨みつける永井の目で、3週間前に警察に通報した自分を逆恨みで殺しに来るのではと考え、殺される前に殺そうと考えた事を全て打ち明けたのであった。

 

動機を全て話した直後、横に立つカエル顔の先生の口から驚きの言葉が飛び出す。

 

「西谷さん、実は毒を飲んだ直後に通りかかった医者と言うのは僕のことなんだ」

「……なんですって!?……なぜ、何故あんな男を助けたりしたのよ!?あの男さえいなければ、私はここまで苦しむ事も無かったし、今だって――」

 

怒りに任せてカエル顔の先生に噛みつく私に、毛利小五郎は待ったをかける。

 

「――西谷さんそれは違う。仮に永井さんが毒で死んでたとしても、私たちは貴女が犯人であることを突き止めてたでしょう。……そして貴方は逮捕され、()()()になっていた」

「……あ」

 

毛利小五郎が何を言いたいのか理解した私はハッとなる。それに続けるように目暮警部も口を開いた。

 

「カエル先生は永井さんの命を救う事で、貴女も救おうとしたんです。……貴女を殺人罪という重い罪から守るために」

 

その事実を知った私は呆然と横に立つお医者さんを見上げる、するとその人は優しく笑って見せた。

 

「……僕ら医者と言う存在は被害者の命を救うと同時に、加害者を殺人者にしないようにするのも使命の内としているからね?」

「……それに西谷さん、貴女が言った動機――その予想は、()()()()()()()()()()

「え……!?」

 

毛利小五郎のその言葉に、私は驚いて視線を先生から彼らの方へと戻す。

すると、目暮警部の横に立っていた刑事が小さなバッグを取り出して見せた。

刑事がバックを開けると、そこにはガラス切りと大きめのナイフが入っていた。

それを見た私に毛利小五郎が口を開く。

 

「事件当時、永井さんの服の肩口についていた緑色のペンキがどうにも気になり、調べましたところ。貴女のアパートの直ぐ近くにあるペンキ塗りたての外灯の物陰に隠してありました。……永井さんは、西谷さんが帰宅したら、そのバッグを取ってきて西谷さんの隙を狙い……ガラス切りで窓に穴を開けて侵入し、そのナイフで……殺すつもりだったのでしょう」

「じゃ……じゃあ、私はもう少しで……?」

 

呆然とそう響く私に、毛利小五郎は優しい声で語り掛ける。

 

「カエル先生のおかげで、目が覚めた永井さんからの証言が取れれば、情状酌量が認められる事となるでしょう」

「彼もこの一件が明るみになれば実家の方できついお灸をすえられる事になるだろうね。上手くすればもう二度とキミの前に現れはしないだろう」

「……で、でも私、ここには永井を殺すつもりで――」

 

先生の言葉に私が不安げにそう返すと、カエル顔の先生はキョトンとした顔で再び口を開いた。

 

「何を言ってるんだい?キミは()()()()()()()()()()()()()()()ここに来たんだろう?」

「――あ」

 

とぼけたような口調でそう言った先生に私は思わず呆気にとられた。

そして最後に、毛利小五郎は諭すように私に言葉を送る――。

 

「西谷さん……一日も早く立ち直って、自分の洋菓子店を持つという素晴らしい夢に向かって歩んでください。貴女はまだ……十分に若いんですから」

 

 

 

 

 

「…………。ありがとう、ございます……っ!」

 

心の枷が外れたかのような感覚を覚えながら、私は目から一筋の涙をこぼすと、その場にいる全員に向けて深々とした礼と感謝の言葉を呟いていた――。




軽いキャラ説明。


・西谷美帆

アニメオリジナル回、『ストーカー殺人事件』の犯人。
永井に殺されそうになっており、それより先に先手を打って彼を毒殺する。
しかし、冥土帰しが永井を助けた事で、彼の証言から彼女の情状酌量が認められ、罪を償って自身の夢へと再び歩み始める。



・永井達也

西谷のストーカーにしてこの事件の被害者。
冥土帰しのおかげで九死に一生を得るも、その行いが実家にばれてしまい、退院後に強制的に実家へと連れ戻され、家族の監視のもと、父親の経営する鉄工所で働かされている。


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番外:灰原哀ととある不良看護師の会話

今更ですが毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。



SIDE:灰原哀

 

 

 

 

「さぁて、今日からキミにはこの病院で看護師として働いてもらうよ?色々と覚える事が多いけれど、頑張ってね」

「は、はい!よろしくお願いします!」

 

カエル先生のその言葉に、お姉ちゃんは少し緊張しながらもそう返答し、大きく頭を下げた。

幼児化している私は、組織の目からある程度逃れられる。まさか血眼になって追っている人間が小さくなってるだなんて普通思わないしね。

でも、お姉ちゃんは違う。私とは違い、むやみに外を出歩く事なんてできない。

しばらくはこの病院で缶詰生活になるだろう。

そこで、カエル先生の提案で晴れて完治したお姉ちゃんは身分、姿()を軽く変えてこの病院で看護師として働く事となった。

長かった髪を肩くらいにまでバッサリと切り落とし、髪型も軽く変え、頬には化粧品を使って『そばかす』を描き、最後に度の入っていない丸い伊達眼鏡をかけたお姉ちゃんはもうぱっと見、以前の姿とは似ても似つかなくなっていた。

これなら組織の目も欺けるかもしれない。しれないのだが……。

 

「ねぇ、偽名の方、もう少し何とかならなかったの?」

「あ、あははは……」

 

ジト目でそう指摘する私に、お姉ちゃんは空笑いを浮かべる。

 

「うーん、まぁ僕も、もう少し捻るべきだとは思ったけどね?」

 

カエル先生も同感だったらしく少し複雑そうにそう言ってお姉ちゃんの看護服の胸元についているネームプレートへと視線を向けた。

 

 

――『雅田広美(つねだひろみ)』。それが今のお姉ちゃんの偽名だ。

 

 

何て事は無い。ただ単に以前のお姉ちゃんの偽名だった、広田雅美の『広』と『雅』を入れ替えただけの安直なモノであった。

 

「駄目……でしょうか?私にとってこの名は()()()()なので、安易に捨てたくないんです」

 

しんみりとそう響くお姉ちゃんに私もカエル先生も二の句が継げなくなる。

お姉ちゃんにとって『広田雅美』はただの使い捨てのいい偽名なんかじゃない。

大学時代の恩師である『広田正巳』教授の名をもじっているのだ。恩師の名を偽名に使うくらいだ、お姉ちゃんはあの人の事を余程尊敬していたのだろう。

しかしその教授も、先日帰らぬ人となり、この病院から出られないお姉ちゃんはお葬式にもお墓に行くことも出来ないのだ。

だからこそ、あの人の名にあやかった『広田雅美』という偽名だけはどうしても捨てる事が出来なかったのだろう。もしかしたら、『雅田広美』と改変する事にも抵抗があったのかもしれない。

空気が重たくなりかけるも、そこにカエル先生は静かに首を振る。

 

「いや、僕は構わないよ?キミが最終的に判断して、それがいいと決めたのなら、誰も文句なんて言わないさ。……もちろん、キミの妹さんも反対なんて絶対しないだろうし、ね?」

 

そう言ってカエル先生は私に視線を飛ばしてくる。この人、少し性格悪くないかしら?

私は小さくため息をつくとそれに答える。

 

「当たり前じゃない。私は何があってもお姉ちゃんの味方よ?お姉ちゃんが決めた事に反対なんてするわけないじゃない」

「志保……」

「……ただし、ダメ出しはするけどね?」

「あぅ」

 

私に上げて落とされたお姉ちゃんはがっくりと肩も落とした――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

早速、指導を受けるお姉ちゃんとカエル先生に別れを告げ、私は病院の地下にある()()()()()()へと向かっていた。

例の薬の解毒剤開発に、カエル先生がわざわざ私のために用意してくれた場所だ。

最先端の設備が整っており、その上カエル先生が作った解毒剤の試験品のデータも渡してくれたので私は万全の調子で研究に当たることが出来ている。

その道中、私は不意にのどの渇きを感じ、自販機でジュースでも買おうと寄り道をする。

病院の中庭に沿った廊下を歩いていると、不意に視界に映った人物に意識が集中する。

中庭のベンチでくつろぎながら読書をしている中年の男性がいた。

少し前までテレビや新聞で取り沙汰されていたので私にも見おぼえがあった。確か結構過激な発言で場を凍り付かせていた大物政治家だ。ここには食道癌(しょくどうがん)で入院していると聞いた覚えがある。

だが直ぐに興味を失った私は、再び歩こうとし――廊下の向こうから大人数でこちらにやって来る集団を目にし、またもや足を止めた。

患者衣を纏った禿頭(とくとう)の老人を先頭に、明らかに一般人とはかけ離れた空気を纏った強面の人たちがぞろぞろと歩いてくる。

私は廊下の端に身を寄せると、その集団をやり過ごす。

通り過ぎる直前、その集団の内の一人がチラリとこちらを見てくると。

 

「……おう、嬢ちゃん。迷惑かけたな」

 

と、一言言ってそのまま他の『ヤ』のつく職業の人たちと一緒に立ち去って行った。

それを見送った私は小さくため息をつく。

 

(……確か先頭に立って歩いてたの、関東広域を牛耳る大親分さんだったわね。……ここには対抗組織とのいざこざでそこからやってきた『鉄砲玉』に刺されて入院してるんだっけ?)

 

さっきの政治家といい今の人たちといい、この病院には一般人だけでなくとんでもない肩書を背負った人たちも多く入院している。

それを聞いた当初は本当にこんな魔窟にお姉ちゃんを勤めさせていいものなのかと不安になったが、カエル先生がそれは大丈夫だと太鼓判を押していた。

 

『……確かにここには善人、悪人関係なく多くの人が訪れて来るけれど、この病院が建った直後ならまだしも今じゃ皆、余計な波風をたてず大人しく自分たちの治療に専念してくれてるよ?……少し前に警視庁捜査四課(組織犯罪対策部)の課長さんと当時彼がマークしていた『ヤ』のつく職業の幹部さんが同時期にそれぞれの事情で入院してきたことがあってね。運悪く院内で鉢合わせした事があったんだけど。その時も双方とも病院内では何も騒ぎを起こさず退院まで大人しくしてくれていたんだよ』

 

『いやぁ、あの時は内心肝を冷やしたけど助かったよ』と、ホッとした顔を浮かべるカエル先生に比べ、それを聞いた私は内心血の気が引くような思いだった。

この病院は医院長であるカエル先生の方針から裏表問わずどんな人間だろうと病気や怪我で助けを求めてきたら必ず手を差し伸べて治療している。

そのため、治療を受けた者やその関係者、善悪問わずあらゆる組織がこの病院に注目し、お世話になったカエル先生に迷惑をかけぬよう、互いが互いに牽制、抑制しあっているのだ。

それゆえに、院内には裏表のある患者がひしめき合い混沌としているのにもかかわらず、平穏な日常が流れているのだろう。何て皮肉だ。

だが逆にこういった混沌とした場所だからこそ、組織が例えここを突き止めることが出来たとしても、なかなかお姉ちゃんに手を出す事は出来ないだろう。

そんな事を思いながら、やがて私は病院の一角にある喫煙コーナーも備えた休憩所へとやって来る。

そこにある自販機からジュースを買おうとし――そこに見知った看護師がいる事に気づいた。

切り揃えられた短い髪を揺らしながら、喫煙コーナーのベンチにドカリと座っているその女性は、煙草をぷかぷかと吐きながらくつろいている。

そんな彼女に私は呆れた目を向けながら彼女に声をかけた。

 

「……貴女今、仕事している時間じゃないの?看護師がこんな所で煙草なんて吸ってていいの?」

「……私今、休憩中。ここ喫煙所。なんも問題無いわ」

 

私の言葉に看護師は素っ気なくそう答える。

初めて会った時から思っていたけれど、彼女はこの病院で勤務している看護師の中で――いや、看護師のみならず医師やスタッフ全てを合わせた中でもダントツに性格が悪い。

美人と呼ばれてもおかしくない整った顔立ちをしているというのに、口を開けば歯に衣着せぬ物言いの連続。おまけに仕事以外ではこうやって人目をはばからず院内で平気に煙草を吹かしている。

呆れている私に気づいていないのか、その看護師は気さくに私に話しかけてきた。

 

「あんたこそ、こんな所で何してんのよ?」

「のど乾いたからジュースを買いに来たのよ。悪い?」

「そ。まぁ、地下に籠りっきりじゃあ外の空気も吸いたくなるわよね。……あのカエル医院長とあそこで何こそこそやってんのか知んないけど、子供は子供らしく外でたわいなく遊んでなよ」

「私、生まれついてのインドア派」

「ほんと可愛くない子供ねぇ、あんた」

 

素っ気なく言い返す私に、彼女も呆れた顔を浮かべた。

可愛くないのはお互い様でしょうに。

 

「……前々から思ってたけど、貴女何でここで看護師なんてやってるの?」

「あら、悪い?」

 

何故か面白そうなものを見たと言いたげな表情を浮かべてそう聞き返す彼女に、私はツイッと顔を背けて「別に」と一言言うと、途端に彼女はフフッと笑って見せる。

 

「……まぁそうね、私こんな性格だもん。看護師仕事が似合わないってことくらい自分が一番よく分かってるわよ」

「あら、じゃあどうして?」

「別に。ただの()()()よ」

 

それを聞いて私は唖然となった。彼女にしては意外過ぎる理由だ。てっきりもっと下らない理由が口から飛び出すものとばかり思っていた。

そんな私の顔を見て彼女は心外と言わんばかりに口をとがらせる。

 

「何よ、確かに意外かもしんないけど、そんなに驚かなくてもいいじゃない」

「……人は見かけによらないわね。……恩返しってカエル先生に?家族か誰かが患者だったの?」

「私が患者だったの」

 

意外性その二だ。派手な喧嘩でもして重傷を負ったクチなのだろうか。

そんな疑問が顔に出ていたのか、彼女は聞いてもいないのにそれにすんなりと答えてくれた。

 

「心臓の病気。……私ね、昔から心臓が弱くて、大学出てからしばらくの間入院していた時期があったのよ。普通なら長い時間をかけて治療していくことになるはずの病気だったんだけどね。あのカエル医院長が治療してくれたおかげで短期間で治っちゃったってわけ。今じゃこの通り、煙草を吹かしてもまるで平気♪」

「それでその恩返しにカエル先生のいるこの病院に看護師として入ったって訳?」

「それもあるけど……それだけじゃ理由としては弱いでしょ?私がここに入った最大の理由は、あのカエル医院長は私の『彼』の()()()()命の恩人だったってのもあるのよ」

 

どういうこと?と、私が首をかしげる。彼女は言葉を続けた。

 

「さっきも言ったけど、私が入院してた当時、既に両親とも死別してて友達もこんな性格だからできなくてね。唯一お見舞いに来てくれていたのが付き合っていた『彼』一人だけだったのよ。……フフッ、今日一番の驚きでしょう?こんな私に恋人がいたなんて」

「……まぁ、そうね。その人、貴女のどこに惹かれたのかすごく気になるわ」

「私が聞きたいわよ、そんなの」

 

苦笑しながらそう答えた私に、彼女はカラカラと笑いながらそう言う。

しかし直ぐに困ったような顔を彼女は浮かべる。

 

「……でも、そんな『彼』も超が付くほどのお人好しでね。入院している私のために、その入院費と治療費の一切の支払いを抱え込んでいたのよ。私が早期退院したおかげで『彼』の貯金は半分も減らなかったけれど、もし私が普通の医師の治療を受けて長期入院していたら、確実に『彼』の全財産は底をついていたでしょうね。……それどころか、私を助けるためにあげく闇金にまで手を出して、最後には首でも吊ってたんじゃないかしら?……そういう人なのよ、『彼』って」

「…………」

「だから……私を早くに治して『彼』の愚行を止めてくれたあのカエル医院長には、ほんと感謝してんのよ」

 

私はふと、脳裏にお姉ちゃんの顔が浮かんだ。お姉ちゃんも、私を組織から解放させるためにたった一人で組織と対立した人だったから……。

 

ほんとに、馬鹿なお姉ちゃん……

「ん?何か言った?」

「……何でもないわよ。で?その『彼』って今どうしてるの?」

 

話を変えようと私がそう言うと、彼女は何故かにんまり笑って、おもむろに()()()私に見せてきた。

 

「これなーんだ?」

「!」

 

驚いた。彼女の左手の薬指には飾り気のないシンプルながらも光り輝く指輪がはまっていたのだ。

 

「ンフフッ、驚いた?しかもこれプラチナよ?私のために随分と奮発したもんよね?……全く、私の事となると後先考えないんだから、ほんと困りものよ」

「いいじゃない、愛されてる証拠でしょ?」

「愛が重いって」

 

そう言ってどちらともなくお互いにクックと笑った。ほんと……誰かのために躊躇いなく自分を投げ出す人がそばにいると苦労が絶えないわね。

 

「――ま。そういうわけで、私はその恩返しでこの病院で今も働いてるわけだけど……でも、私に限らずそう言った理由でこの病院に勤めてる人って割かし多いみたいよ?」

「へぇ……」

 

あのカエル先生に助けられてここで働きだした人たち、か……。ちょっと興味あるわね。もう少し踏み込んで聞いてみようかしら。

 

「……例えばどんな人がいるの?」

「んー、そうねぇ。副医院長やってる白井や、最近入ったばかりの中原香織って女医も理由は違えどあの医院長に恩義感じてここにやって来たクチだし……。大和田の野郎は……あいつは憧れっぽいから違うか。……あ、あと医院長に続く腕のいい外科医の風戸京介(かざときょうすけ)のヤローもそうね。昔は東都大の病院で『黄金の左手』なんて呼ばれてた若手のエースらしかったんだけど、手術中にその手を怪我して腕が落ちちゃったみたいなのよ。で、回復の見込みもないって言われてたんだけど、それをあのカエル医院長が治して見事外科医として復帰できたってわけ。そしたら恩義からか対抗意識からか知んないけどあいつ、すぐさま東都大辞めてこっちにやって来て働きだしたわ」

「へぇ……ん?ちょっと待って、手術中の怪我って……手術の腕が落ちるほどの大怪我ってどうすればなるのよ?普通そんなこと起きないでしょう?」

「あーそれねぇ……」

 

私の最もなその指摘に、彼女は何故か苦虫を噛み潰したような顔をしながらその理由を話し始めた。

 

「何でも共同執刀していた仁野(じんの)って野郎に切られたらしいんだけど、そいつが話で聞いてても分かるほどのクソ野郎でさ。性格も医者としての才能も最低で、裏でこそこそと悪事をやってた奴だったのよ。風戸の件も、あいつの腕に嫉妬した仁野がわざと切りつけたらしいわ」

「何、そいつ。最低ね」

「同感。私だったらぶっ殺してるね。……まぁそんなクソ野郎も、薬の横流しをやってたのが病院側にばれて今は鉄格子の中みたいよ?ざまぁないわ!真実を知った風戸も最初は憤ってたみたいだけど、その時にはカエル医院長に腕治された後だったからそれ以降はもう仁野に興味すらわいてないっぽいわね。好きの反対は『無関心』とはよく言ったもんだわ」

 

胸がすっとしたと言わんばかりにカッカと笑う彼女を見て、私は苦笑を浮かばせずにはいられなかった。

その後も彼女は興が乗ったのか、さらに話を進める。

 

「そうだ、ほら。……この前どっかの料理教室で()()()()()()があったじゃない?そこの先生でフランス料理研究家もしてた上森美智(うえもりみち)ってババアが料理教室に参加していた一人に肺に針で穴開けられたって事件」

 

あー、あったわねそんな事件。確かその場に工藤君たちもいて巻き込まれたんじゃなかったかしら?まぁ、彼がいたおかげで事件もすぐ解決したみたいだけど。

 

「そのババアを執刀したのもあのカエル医院長だったんだけどね。一命をとりとめて助かった後のババアの行動がもう傑作だったのよ。殺されかけたのが余程効いたのか一気に丸くなっちゃってさ。恨まれていた料理教室の参加者全員に思いっきり謝り倒していたのよ。もう、自身の助手から高校時代の同級生、息子の嫁に果ては自分の肺に穴開けた犯人にまで全員よ?私その時その場にいたんだけど、笑っちゃうのを必死に我慢したわ!」

 

その時のことを思い出したのかブフッと噴き出してまた笑う彼女。

そうしてひとしきり笑った彼女は目尻に溜まった涙を拭くとその続きを話し始めた。

 

「――で、その時のことで踏ん切りがついたのか、息子の嫁で元看護師だった上森薫(うえもりかおる)って女がその息子と離婚して近々ここに看護師として働きに来るらしいのよ」

 

へぇ……聞けば聞くほど、カエル先生が与える影響って絶大ね。私やお姉ちゃんもあの人に救われた人間な上、そばにいると工藤君とはまた違った安心感もあって良いのだ。

その時ふと、私の脳裏に一人の看護師の姿が浮かび、私は彼女のことについても聞いてみる事にした。

 

「ねぇ、じゃあ貴女と同じ看護師の武田美沙(たけだみさ)って人もカエル先生のおかげで助かってここに来た人なの?」

 

いつもお姉ちゃんみたいに私に世話を焼いてくれる温和な看護師の事を思い出して興味半分で聞いただけだったのだが……どうやら()()()()()()()()だったみたいだ。

 

「………………。あー、美沙の奴……なぁ……」

 

先程とは一転して歯切れが悪くなる彼女。その言動から、武田美沙には想像を絶する『何か』がある事だけは見て取れた。

 

「……一応、知ってるっちゃ知ってるんだけど……正直、あれは私でもきっついわ。そう軽々しく誰かに話していい内容じゃないって私でも理解できるし」

「……そんなに、なの?」

「悪いわね。確かにあいつもカエル医院長のおかげで助かった一人なんだけど、あいつ結構ドロドロで複雑な家庭環境にいたから……ここに住み込みで働きに来たのも、その家から離れるためってのが大きいし」

「そう……」

 

とんでもない地雷を踏みぬいてしまったらしい私と彼女の間に、何とも重たい空気が下りる。

だが、彼女はそんな重たい空気を無理矢理吹っ飛ばすように明るい声を上げた。

 

「ま、まぁ、あいつにはロバートっていうアメリカ人の恋人がいるし、そいつが支えになってくれてりゃあ問題ないでしょ?」

 

そう言って彼女は自身の腕時計を見て時間を確認する。

 

「あ、やっば!もうこんな時間。そろそろ戻んないと。……じゃあね小生意気なお嬢ちゃん。地下で何やってんのか知んないけど、せいぜい根を詰めすぎないようにね」

「ああ、うん。……いろいろ教えてくれて、ありがとう」

 

そこは素直に感謝する。彼女――藤井孝子(ふじいたかこ)は性格も口も悪いが、質問には素直に答えてくれるし、私のような子供にも案外面倒見よく接してくれから、その部分だけはマシな人間なのかもしれない。

 

「……今何か失礼なこと考えなかった?」

「いいえ、別に」

 

おまけに勘も鋭いと来た。ジト目でそう問いかける藤井に私は気取られないようにそう返す。

やれやれと肩をすくめた藤井は咥えていた煙草を消して捨てると、早々に仕事場に戻ろうとし――その途中何を思ったのか歩みを止めて私の方へと視線を戻してきた。

 

「……そういやぁさぁ、看護師で思い出したんだけどあんた、この病院で働いている鳥羽初穂(とばはつほ)って看護師、知ってる?」

「……?知ってるけど?」

 

一応面識だけならある。目の前にいる藤井や武田程では無いにせよ二、三会話した事がある。何か、あまり目立たない印象の女性だったけど。

それを聞いた藤井は私に忠告を言い放ってきた。

 

「気ぃつけなよ?アイツ、私みたいな大っぴらじゃなく内側に闇抱えてる奴だからさ。しかも、ありゃあ私なんかよりもそうとうドス黒いよ」

「えっ!?」

 

その言葉に引きつった表情を浮かべる私に、藤井はニヤリと笑って見せると「じゃあね♪」と背中越しに軽く手を振りながら去って行った――。

残された私はしばらくそのまま呆然と佇んでいたものの、休憩所に来た目的を思い出してさっさと自販機からジュースを買って研究室へと向かう。

その途中、先程までの藤井との会話を思い出しながら、この病院に勤務している人や患者は(私やお姉ちゃんを含めて)誰彼問わずほとんどが濃い人間模様を見せているのだと理解する。

 

 

そして、そんな人間たちが集まるこの病院の医院長であるカエル先生は、一体どんな心境でそれを見つめているのだろうと、私はそう思わずにはいられなかった――。




軽いキャラ説明。
今回はダイジェスト方式で多くの人名が登場しましたので、長いです。



・藤井孝子

灰原と会話していた看護師の本名であり、単行本15巻、アニメ75話の『金融会社社長殺人事件』の犯人。
この作品では冥土帰しの手によって心臓病が早期完治したことで、恋人が借金してまで治療、入院費を払わなくても済み、その彼と結婚して共働きの生活を送っている。

ちなみに、彼女が入るはずだった肥田金融会社は、かなり悪どいやり方で稼いでいたため、貸していた相手はおろか社員にすら嫌われ、結果自分で自分の首を絞める形となり、会社をたたむこととなる。




・風戸京介

劇場版第4作、『瞳の中の暗殺者』の犯人。
自身の外科医生命を断ち切った仁野を殺害し、その後二人の刑事の殺害と佐藤美和子を死の淵へ追い込んでいる。
しかし、今作では冥土帰しに腕を元通りに治してもらったことで、彼の外科の腕に惚れ込み彼のもとでもっと自身の腕を磨くべく、米花私立病院へとやってくる。
そのため仁野は死なず、その後殺される刑事たちも無事。
また、作中で心臓発作で死亡する友成信勝(ともなりのぶかつ)も、東都大学付属病院ではなく、米花私立病院に運ばれる事となり事なきを得る。




・上森美智

アニメオリジナル回、『料理教室殺人事件』の被害者。
料理教室に参加していた全員から恨みを買っており、その一人に殺されかけるも、冥土帰しの手によって一命をとりとめる。
それが余程効いたのか「もう殺されるのはこりごり」とばかりに参加者たちに謝罪をし、出来る限りの償いをし始める。
参加者の内の一人、上森薫はその事件をきっかけに夫である美智の息子と離婚し、米花私立病院に看護師として働き始めた。




・武田美沙

単行本25巻、及びテレビアニメ166~168話放送の『鳥取クモ屋敷の怪』の回想にて登場。
彼女の母親である武田絹代(たけだきぬよ)の軽はずみな行為が原因でいくつもの不幸が重なり事件が起きる事となる。

しかし、冥土帰しの登場で紆余曲折の果てに美沙は米花私立病院に看護師として働く事となる。
その詳細な経緯は後日公開予定。





・鳥羽初穂

アニメオリジナル回、『能面屋敷に鬼が躍る』に登場した犯人。
犯行を暴かれた後の豹変のインパクト具合はコナンシリーズでも一、二を争うほどだとか。
貧乏暮らしをしていた時に母親が病気で倒れ、それを助けてくれた冥土帰しに恩義を感じる事となり、原作よりも幾分丸くなっている。
それでも、腹違いの姉たちに対するドス黒い憎悪は消え切ってはいないようだが……。


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番外:毛利小五郎の独白

仕事疲れもあり少し時間がかかりました。
次回は冥土帰し先生が原作コナンの事件に巻き込まれる長編となりますので、分割して書いていくことになると思います。


SIDE:毛利小五郎

 

 

 

(……あー、下手やっちまった)

 

俺こと毛利小五郎は今、米花私立病院の大部屋の病室に患者として入院している。

事の発端は数日前、とある犯人を捕まえるためそいつともみ合った際、あやまってソイツに足の骨を折られたのが原因だった。

その犯人はその後すぐ俺が預かっているガキンチョの蹴った空き缶が頭に当たって撃沈したが。

犯人逮捕は成功したものの、俺は()()()()カエル先生のいるこの病院に厄介になる事となる。

 

もう何度目だろうか、この病院に入院してカエル先生に迷惑をかけるのは。

 

初めてここにお世話になったのは、俺がまだ高校生の頃だ。

部活の柔道の練習試合で自分よりも経験の深い相手に投げられた際、あやまって受け身を取り損ね腕を骨折したのが始まりだった。

骨がくっついて柔道に復帰できるまで最低一ヶ月はかかると覚悟していたが、カエル先生から「来週までには治って柔道もできるようになるよ?」と言われた時には開いた口が塞がらなかった。

そして、同時に気づいた。この人にかかれば、どんな病気や怪我だってそんなに時間をかけず立ちどころに治ってしまうんだと。

それを知ってからの俺は、多少無理をしながらも柔道の腕を磨き続けた。

そしてその度に骨折やら捻挫やらで怪我を負っては毎回カエル先生に治してもらっていた。

そのかいあってか、柔道の腕はメキメキと上がっていった。上がってはいったのだが……。

 

(あの頃の俺……馬鹿だろぉホントにぃ……!!)

 

病室のベッドに寝転がりながら両手で真っ赤になった顔を覆う。

 

何調子こいて何度もあの人のご厄介になってんの!?短期治療のスペシャリストが近くにいるから無茶なことできるって短絡的に考え過ぎじゃない!?

 

(しかも、それが高校時代のみならず、大学から若手刑事時代までもずっとその考えで通して色々と無謀なことしてきちゃったし……どんだけこじらせてんだよ俺!そりゃ英理(えり)だって毎回退院してきた俺を白い目で見て来るわ!!)

 

()()()()()()ようやく自分の考えが間違っていた事に気づいて、これからはできうる限りあの先生の手を煩わせないようにしようと誓ったけど……今思い出しただけでも顔から火が出るほど恥ずかしい!しかも今回も結局カエル先生のお世話になってるし!

 

一人悶絶しながらベッドの上で頭を抱えていると、ふいに隣のベッドに寝ている同室の患者さんから声がかかった。

 

「……どうしましたかな?何か悩み事でも?」

「ああ、いえ……!お恥ずかしい所をお見せして申し訳ない」

 

慌てて身を起こして居住まいを正した俺は、隣のベッドの主に向け一言詫びる。

そこには口ひげを蓄えた恰幅の良い初老の男性が上半身を起こした状態でベッドに寝ており、両手には何かの小説なのか本を開けて持っていた。

 

――新名任太朗(しんめいにんたろう)。確か十年前までドラマ化もされていた小説、『探偵左文字シリーズ』を生み出した原作者だ。

まさかあの有名な推理小説家がこの病院の――ましてや自分と同じ病室でベッドが隣同士になるとは夢にも思ってなかった。

 

俺は恥ずかしさに頬をポリポリと指でかきながら、新名氏に向けて口を開く。

 

「いやぁ、実は。ここの医院長とは私がまだ学生だった時からの付き合いでして、その頃からもう何度も何度も怪我やら何やらでここで入院させてもらったりして迷惑をかけてるしだいで……」

「ははっ!なるほどなるほど。所謂、若気の至りというやつですな?」

「ははは……お恥ずかしい限りで」

「いやいや、若い頃ならそれくらい血気盛んな方がよいでしょうとも。私なんて、()()()()()()()あのカエル先生にわがままを言って困らせてしまってましたからねぇ」

 

新名氏のその言葉に俺は「と、言いますと?」と聞き返すと、彼は苦笑を浮かべながらぱたんと本を閉じて続きを話し出した。

 

「……いや実は私、末期癌で余命いくばくもない()()()()んですよ。自分の死期が近いのを悟って私は()()()()()を実行に移そうと思ってたんです」

「とある計画?」

「ええ……。私の書いた小説の中に暗号文をばらまき、それに気づき私が答えを出す前にそれを私の元までやって来てその暗号の謎を解き明かした、読者の得意満面な顔……それを直に見てみたいという計画です。……この作家人生数十年。まだ一度たりとも味わったことが無かったただ一つの至福。私はそれを求めたのです」

「ははぁ……それはなんとも……」

 

何と答え返していいのか分からない。作家というのはそういったモノにも幸福を感じる者たちなのだろうか。

困惑気な俺の様子に気づいたのか、新名氏はくすくすと笑う。

 

「フッフッフ。カエル先生にも同じような顔をされましたよ。……元々私はあの人の治療を受けるつもりは無かったのですが、私の主治医を務めていた医師が私に内緒でカエル先生に連絡を取りましてね。……彼と会った時には既に私は計画を実行に移し始めておりまして……暗号文を載せるにあたって連載が終了した探偵左文字シリーズを復活させた後だったのです」

「…………」

「そのため、私に無断で勝手に先生に連絡をした主治医に最初こそ憤りを感じましたが、カエル先生に言われたとある言葉で私は自分の考えを改める事となりました」

「とある言葉、とは?」

 

俺がそう問いかけると、新名氏はニッコリと笑いそれを口にする。

 

 

 

 

 

『……だったらなおの事、あなたはその病気を治さなければならないね。例え読者の誰かが謎を解いてあなたの元へやって来たとしても、肝心のあなたが既に亡くなっていたとしたら、その答えを伝える事も、ましてや得意満面な顔を浮かべることも出来ない。……あなたが死んでしまえば、あなたが望んだモノは永遠に手に入らなくなるのだから』

 

 

 

 

「――とね、……いやはや、この歳にして反省させられるとは思いもよりませんでした」

 

そう言って恥ずかしそうに頭をかく新名氏は言葉を続ける。

 

「あとは御覧の通りです。二日前に手術が終わりもうすぐ退院なのですが、私の望みの為、このまま探偵左文字シリーズを書き続けていくつもりです。……病気のことは周囲に黙っていたので散々心配をかけさせてしまいました。特にすぐそばにいたのに気づいていなかった娘には相当なショックだったみたいで……あの()にも申し訳ない事をしてしまった……」

「……きっと、分かってくださいますよ。その娘さんも」

 

俺のその言葉に「はい……」と、目を細めてどこか遠くを見るような顔を浮かべる新名氏。

赤の他人である俺にはどうすることも出来ない。願わくば、彼と娘さんとの間に溝が出来ないことを祈るばかりだ。

 

 

……それにしても、カエル先生は相変わらず治療の腕が常識の枠を超えている。

 

 

この前も俺と英理の古くからの友人であるソムリエの沢木公平(さわきこうへい)さんの味覚障害を治したばかりであった。

どうも車との事故(接触はしていない)による転倒でそうなったらしく、沢木さんは大変なショックを受けていた。

しかし、カエル先生の尽力で短期間で味覚障害を克服し、無事ソムリエの職にも復帰できたらしい。

その後沢木さんから聞いた話なのだが、味覚障害の治療の際――。

 

『キミには味覚障害の基本治療となる薬物療法と食事療法を受けてもらうよ?それと味覚障害には精神的な問題も関わっている場合もあるからカウンセリングも受けてもらわないとね?……大丈夫。薬物療法には僕特製の薬を処方するから、上手く効けば()()()()()()()()はずだよ?』

 

――そう言ってニッコリ笑うカエル先生に沢木さんは開いた口が塞がらなかったとか。さもありなん。

ちなみに沢木さんと交通事故を起こした車は現場から逃げていったらしいが、沢木さんが逃げ去る車のナンバーを見ていたため、その車の主が見つかるのに時間はかからなかったらしい。

車の持ち主はどうも人気モデルの女性らしく、今沢木さんはその女性と治療費やら慰謝料やらの問題で法廷で争っているのだとか。

 

……俺の事と言い沢木さんの事と言い、それに()()()()と言い、ホントにカエル先生には一生頭が上がらない。

 

医術の腕もそうだが、あのひたむきに患者たちと向き合う医師としての人徳も非常に高く、他の医師や患者たちを惹きつけて止まない。

 

 

 

……そう言えば、この間の()()()()()()()()()の際に知り合った新出智明(あらいでともあき)先生もカエル先生の医者としての魅力に強く惹かれる者の一人であった。

あの事件の起こる少し前、食卓で蘭とコナンと一緒に彼と会話している時だ。

俺が調子に乗ってホームズとワトソンのようにコンビを組まないかと聞いた時――。

 

『……僕は探偵と医者が名コンビだとは思っていません。僕達医者の本来の使命は検死をして殺人者を割り出す事じゃなく、被害者を救命して、殺人者を出さないようにする事なんですから』

 

――と、そう返してきたのだ。あれには俺だけでなく蘭やコナンもポカンと彼を見つめていたっけなぁ。

無理もない、何せその台詞はカエル先生が口癖のようによく呟く言葉と合致していたんだから。

俺たちの顔があまりに予想外だったのか新出先生も若干戸惑いながら「どうかしましたか?」と聞いてきたっけ。

そして俺がカエル先生の事を新出先生に話した時も、彼は驚愕に目を見開いてそばで料理の支度をしていたお手伝いの保本(やすもと)ひかるさんも驚き飛び上がらんばかりにテーブルにバン!と両手を叩きつけて椅子から立ち上がっていたのを今でもよく覚えている。

 

『あの人を知っているのですか!?』と怖いくらいに顔を近づけて来たので俺たち三人そろってブンブンと頭を縦に激しく振ったのも記憶に新しい。

 

その後、落ち着いた新出先生に聞いてみると、どうもカエル先生は新出先生の恩師だったらしく、研修医時代に米花私立病院でカエル先生に医者としてのイロハを叩きこまれていたのだとか。

 

『あの人の教えはとても役に立ちました。医療技術もさることながら、患者に対する心構えやひたむきな姿勢、そして信念。どれを取ってもあの人にかなう医者は世界中探してもいないでしょう!そして、そんなあの人に医者の何たるかを教えてもらった僕は医者として誇りに思うべきなのでしょう!』

 

――そう、ここの院長であり父親でもある義輝(よしてる)さんを差し置いて目をキラキラと輝かせながら力説する彼を前に、俺たち三人はただポカンと目を点にするしかなかった。

 

(……まぁ、その後すぐその義輝さんが殺される事件が起こってそれどころじゃなくなったわけだが……。しかもまた俺が解決したらしいが、相変わらずぜんっっっぜん覚えてねぇし!)

 

深いため息をつきそうになるも、隣に新名氏がいるのを思い出し、また心配されるのも気が引けるのでここは自重する。

――すると、その後すぐ病室の出入り口の扉が開き、そこから担当看護師の藤井さんが顔を覗かせた。

そしてそこから俺の方へと視線を向けるとやや大きめの声で俺を呼んだ。

 

「毛利さーん。あんたに見舞い客だよー!」

 

丁寧語に欠けた相変わらずの乱暴口調に俺の顔が呆れて引きつりそうになるも、すぐに「はて?」と首をかしげる。

蘭やコナン、それに英理や目暮警部殿たちは、俺がこの病室にいる事を知っている。

見舞い客がアイツらなら、わざわざ藤井さんが来る必要はない。という事は、初めてここに見舞いに来た俺の知り合いだろうか?

 

「ほら、この病室だよ。入んな」

「ど、どうも」

 

誰だろうと考えている間に、藤井さんは廊下にいたその人物を呼んで病室へと招き入れる。

その人物も藤井さんの言動に押されるようにして病室に入ってきた。

それは、短く刈り上げられた髪によれよれの背広とコートを纏った男だった。歳は俺と同じくらいだろう。

見るからにどこにでもいそうな中年男性。だが俺にはその男の顔には嫌というほど見覚えがあった。

 

「お、お前は……!!」

「……お久しぶりです。毛利さん」

 

驚く俺の前で深々と頭を下げてそう言う男は、かつて俺が刑事時代に殺人事件の容疑者として逮捕した、元トランプ賭博のディーラーの村上丈(むらかみじょう)であった――。

 

 

 

 

 

 

 

10年前、俺が刑事の時に逮捕した最後の犯人。

その殺人犯だった村上丈は、つい昨日模範囚として仮出所したらしい。

出所した足で俺に会いに探偵事務所を訪れたそうだが、あいにく怪我で入院している事を蘭とコナンに聞き、俺がこの病院に入院している事を教えてもらい、やって来たのだそうだ。

最初こそ自分を逮捕した俺に復讐するために来たのだと警戒していたが――どうもその正反対らしい。

 

聞けば刑務所に入った当初は確かに俺を憎んではいたが、服役生活が続くうちにそんな気持ちも薄れて来たらしい。そして今では自分のしでかした罪を後悔し、俺に対しても悪い事をしたと深く反省してるのだとか。

 

正直、半信半疑なところではあるが、深く頭を下げて謝罪するこいつを見て俺はひとまずは信じる事にした。

 

「蘭ちゃん、でしたっけ?……()()()()小さかったあの子がすっかり美人になりましたね」

「……手ぇ出したら今度こそ許さねぇぞ?」

「し、しませんよそんな事」

 

ホントかぁ?両手をブンブンと振ってそう否定する村上を見て、俺は先程までの信用が自分の中で薄らいでいくのを感じた。

こいつ、本当に改心してんだろうな?

俺が内心訝しんでいると、村上は身を乗り出すようにして話題を変えてきた。

 

「……時に、毛利さん。()()()()()()()()()で少し話が……」

「おいおい、今度は英理にまでちょっかいかける気か?」

「いえ、だからそうじゃありませんて」

 

目が据わる俺に村上はまたもや慌てて否定すると言葉の続きを語りだす。

 

「……()()()()の事ですよ。10年前、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……」

「!」

 

村上の言葉に俺は小さくハッとなる。

10年前、村上を逮捕した後の事だ。所轄署で取り調べ中に隙を見て逃走したこいつは、あろうことか英理を人質にして逃げ延びようとしたのだ。

だが俺は人質となった英理の足に向け銃を発砲した。英理を助けるために。

足に掠った銃弾で英理は倒れ、その隙に俺は村上の左肩を撃って行動不能にし、その場は何とか治まった。

しかし、それが原因で上から責任を問われ、結果俺は刑事を辞める事となった。

だが、今更その件が一体何だというのか。

怪訝な顔で見つめる俺に村上はまたもや頭を下げながら、驚くべきことを口にしだした。

 

 

 

 

「……奥さんにかかった治療費、俺に返させてもらえませんか?」

 

 

 

 

「……!」

 

目を丸くする俺を前に、奴はさらに続ける。

 

「俺、まだ出所したばっかで持ち金もそんなにないですけど、何とかその治療費だけは働いて返したいと思ってたんです。あの時の償いもしたくて……。ですからどうか……」

「…………」

 

そう言ってさらに深く頭を下げる村上を俺はジッと見る。

――一分ぐらい、その状態が続いただろうか。俺は大きなため息をつくと村上に返答する。

 

「いや、いらんよ。今更10年前の事をむし返して、償いたいって言われてもこっちが困るだけだっつーの」

「毛利さん……」

「それに、あいつの傷も、ここの病院にいる腕のいい医院長が痕が残らないように奇麗に消してくれてな。……俺はもうそれで十分満足なんだよ」

 

本当なら痕が残ってもおかしくない傷だった。助けるためとはいえ、英理にそんな傷をつけてしまった事を後悔した。だがそんな後悔を、傷と一緒に奇麗っさっぱり消してくれたのはあの先生だった。

つくづくあの先生には感謝するしかない。もう一生頭が上がらなくなるだろう。

そんな事を思いながら、俺は目の前にいる村上に向けて一つの提案を出す。

 

「……村上。もしお前がそれでも俺に償いたいって言うんなら……お前がこれから一生懸命働いた金で、安酒でもいいから俺に一杯おごれ。それで10年前の事はチャラにしてやる。あと、英理にも直接会って謝るこった、いいな?」

「……!……はい……はいっ!ありがとう、ございます……!毛利さん!」

 

涙ながらにそう絞り出すように響く村上はその後も何度も頭を下げ続けていた――。

 

 

 

 

 

やれやれ、カエル先生にまた厄介になった時は申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、これなら気分よく退院できそうだ。

そして退院したら今度こそは、もう二度とカエル先生に迷惑をかけないようにしよう――。

 

 

 

――もう、慈愛に満ちた先生のあの笑顔で、「キミはよっぽどこの病院が好きなんだねぇ」って言われねぇようにするために……!




軽いキャラ説明。



・新名任太朗

単行本19巻。アニメでは116~117話放送の『ミステリー作家失踪事件』に登場する、()()()()()
原作同様に死期を悟り、復活させた『探偵左文字シリーズ』の小説に暗号文をばらまく計画を立てるも、冥土帰しに説得され彼の治療を受ける。
しかし、治療後も小説を書くのを継続し、小説内に散りばめた謎を自分が答えるよりも先に解き明かして伝えに来る読者を待ち続けている。

後に、『探偵左文字シリーズ』は原作同様に娘の香保里(かおり)が引き継ぐこととなる。






・沢木公平

劇場版第2弾『14番目の標的(ターゲット)』の犯人。
味覚障害のきっかけとなったモデルの小山内奈々(おさないなな)だけでなく、ストレスのもとになった者たちや無関係な人間まで平気で巻き込んで殺そうとする異常者。
しかし、冥土帰しによって味覚は回復し、ソムリエの仕事も問題なく続けている。
そのため、本編で割る高級ワインは今でも自宅で大事に保管されている。





・新出智明

単行本24巻。アニメでは170~171話放送の『暗闇の中の死角』にて初登場。
それ以降も何度か登場する事となる。
この作品では冥土帰しのかつての教え子の一人で、彼の教えを受けた智明もその教えを今も大事にしている。
その熱意と敬愛は今も揺るぎはなく、実の父親である義輝を差し置いてしまうほど。





・村上丈

劇場版第2弾に登場。
出所後、沢木によって計画のためだけに殺され、その後の殺人事件の罪を着せられた不憫な人。
しかしこの作品では存命のまま毛利と再会する事となる。







・補足説明

この話で毛利が犯人ともみ合って怪我をしたエピソードは、アニオリの『総合病院殺人事件』の中にあった一件と同じである。
その後、退院した毛利は沖野ヨーコのコンサートに向かう途中、あやまって階段から転げ落ち、再び足を骨折する事となる。
救急車内で毛利はもう冥土帰しの迷惑をかけたくない一心で『米花私立病院』以外の病院を希望し『米花総合病院』に入院する事になる。



しかしそこでも再び事件(単行本17巻。アニメ91話。『強盗犯人入院事件』)が起こる事を彼はまだ知らない……。


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カルテ20:叶才三【事件編・1】

今回は今まで以上の長編となる予定です。
また、視点もコロコロと変化しますのでご注意を。

ちなみに、サブタイトルの『?』マークはこの長編が終わり次第、明かす予定です。


SIDE:カエル顔の医者(冥土帰し)

 

 

 

とある昼下がりの米花私立病院の医院長室にて、私はデスクに座りながら今日出たばかりの新聞の広告欄に目を止めていた――。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

イベント(特)情報

 

 

 

「昭和の頃…

 

 ほとんどの日本人が持っていた大切な物…

 

 貴方はまだお持ちですか?」

 

 

――現在、完全に姿を消しつつあるその貴重な品物を

 

――持参された方、先着10名様を

 

――小笠原イルカツアーに無料御招待!(二泊三日)

 

 

日時 10月9日17時

 

場所 堤無津港

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

――だが私は、別に旅行に行きたくてそれを見ていたわけでは無かった。

私の目を釘付けにしていたのは、そのツアーを企画したという人物の名前であった。

 

古川大(ふるかわまさる)、ねぇ……」

 

静かな医院長室に私の声が静かに響き渡った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

とっておいた旧紙幣の一万円札を使い、見事『小笠原イルカツアー』の参加を手に入れた俺、蘭、おっちゃんの三人は、意気揚々とその船旅で使われる豪華クルーザーへと乗り込んでいた――。

ホテルのロビーのような受付でチェックインを済ませると、唐突に俺たちに向けて声がかかる。

そこには俺たちより先に乗船していた、おっちゃんのかつての上司で今は定年退職した元捜査一課の警視である鮫崎島治(さめざきとうじ)さんが立っていた。

久しぶりの再会に花を咲かせるおっちゃんと鮫崎さんと蘭。

その後、とある乗客のハンコを俺と蘭が拾ってあげた直後、俺たちは意外な人物と出会う事になる。

 

「……あれ?ねぇ、お父さん。あれってカエル先生じゃない?」

 

蘭のその言葉におっちゃんだけじゃなく俺も驚き、振り返る。

すると先程俺たちが入って来た船の出入り口から見知ったカエルのような顔の男性が荷物を抱えて入って来るのが見えた。

そのカエル先生も、俺たちがいるのに気づくと少し驚き、こちらにやって来る。

 

「おや、毛利君たちじゃないか。……キミたちもこのツアーに参加したのかい?」

「いや、驚きました。カエル先生もこのツアーに?てっきり先生はこう言ったツアーにはあまり興味は無いものかと……」

 

おっちゃんのその言葉に、俺も内心同意していた。

基本、カエル先生は仕事人間でどうしても出なければいけないパーティーや表彰式とか以外は、いつもあの病院で医師の仕事をやっている。

法律とか関係なく休暇も取らず患者を治す事を第一に考え、心血を注いでいる人なのだから。

そのため、そんなカエル先生がこのツアーに参加したのがとても意外に思えて仕方なかった。

 

「……あはは。いや、なに。たまにはガス抜きも必要だからね?このツアーの事を新聞で見つけて丁度いいとばかりに休暇を取って参加してみたんだよ」

 

照れ笑いを浮かべながらそう説明するカエル先生。

すると、今まで俺たちの後ろにいた鮫崎さんが、不思議そうな顔でカエル先生に声をかけてきた。

 

「ちょっとあんた。もしかして――」

「――ん?……ああ!()()()()刑事さんじゃないですか。()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「……!やっぱり()()()()先生でしたか!……いや、その節は()()()()()()()()()()()。おかげさまであの後、()()()()()()()()()()()、孫も出来た次第で……」

「そうですか、それは良かった」

 

深々と頭を下げてそう言う鮫崎さんに、カエル先生は嬉しそうにうんうんと頷く。

それを見て俺は、鮫崎さんもカエル先生に助けられた一人なのだと察する。

すると今度は受付からカエル先生を呼ぶ声が。

 

「お客様。申し訳ないのですが、そろそろチェックインの方を……」

「おっと、すまないね。……それじゃあ話の続きはまた後でね?」

 

そう言ってカエル先生は軽く手を振るとそのまま受付へと向かって行った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:カエル顔の医者(冥土帰し)

 

 

 

(……いやはや、まさかこんな所で新一君たちに会うとはねぇ)

 

受付に向かう途中、私は内心この船で彼らと会った事に心底驚いていた。

恐らく、あの新聞の広告に書かれたこの船のツアー参加資格の条件を見つけたのは新一君だと思うが……。たぶんかれらは、私みたいに()()()()()()()()()()()訳では無いのだろう。

 

(だが……)

 

私は肩越しにチラリと振り返りながら、毛利君の隣に立つあの刑事さんに視線を向ける。

 

(……あの刑事さんがこの船に乗っているということは……。もしや彼も、()()()()()()()()()――)

 

そんな事を考えているうちに受付の前に着いた私は、早々にチェックインを済ませようと思考を切り替える。

 

「お客様、お一人様でいらっしゃいますか?」

「はい」

 

受付の問いかけに私は素直に頷く。

すると、私のそばに立っていた乗務員が乗客のチェック表を見ながら受付の女性に声をかけてきた。

 

「……あの眼鏡の坊やを除けば、この人がちょうど十人目。最後だよ」

「それじゃあ、もう船を出してもいいわね。予定の時間も過ぎてるし……」

「うん、()()()()。じゃあそろそろ――」

 

チェック表を持った乗務員のその言葉に、女性と一緒に受付の中にいたもう一人の男性が頷く。

 

「そうだな。それじゃあこれで締め切りということで、残念だけど集まっている他の皆さんは――」

「あ、はい!行ってきます!」

 

そう言ってチェック表を持った乗務員は頷くと、船の出入り口へと走り去って行った。

そうして残った私は、受付の女性から客室の鍵を受け取る。

 

「ではお客様、107号室へ」

「ありがとう」

 

そうして、私と新一君たちを乗せたこの船――シンフォニー号は、大海原へと出港したのであった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:???

 

 

 

――何故だ?……一体、どうしてこんな事に……?

 

出港したシンフォニー号という名の船の中で、『俺』は自問自答を繰り返していた。

俺はこれから、()()()()()()清算――決着をつけるために……同じ船に乗っている()()()()を裁き、()()()()()終止符をつけるはずだったのに……。

もし、神という存在がこの世にいるのであれば問いかけたい。

 

――一体、何故俺の邪魔をする?

 

――何故……どうして……。

 

 

 

 

 

 

――どうして、()()()()この船に乗っているんだ……!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

 

カエル先生との船での思わぬ遭遇の後、船首での蘭の某有名映画の名台詞の再現、そして同じ乗客である鯨井定雄(くじらいさだお)さんと同じく乗客の磯貝渚(いそがいなぎさ)さんとの出会いを経て、俺たちは今、彼らと一緒に夕食を食べていた。

この場には俺たちの他にも、このツアーに参加した()()()()()()()が食べに来ている。

もちろん、カエル先生も俺たちのすぐ隣のテーブルで夕食を黙々と食べていた。

それぞれが思い思いに会話、食事を楽しむ中――同じ乗客の亀田(かめだ)さんが席を立ち、ほぼ同時に俺たちと同じテーブルに座って食べている鮫崎さんの所にウェイターがワインを持ってやって来る。

 

「お注ぎ、いたしましょうか?」

「ああ、すまんな」

 

鮫崎さんの了承を得て、彼のグラスにワインを注ぐウェイター。そこへおっちゃんがウェイターに声をかけた。

 

「……しかし、こんな大きな船に客がたったこれだけとは、ちょっぴり寂しいっすなぁ」

「ええ、そうでございますね。……まだお部屋で休まれてるお二方を加えても、11名様ですから」

 

ウェイターのその言葉に俺はさり気なく「僕を入れればね」と付け加える。

そこへ蘭もウェイターへと質問を投げかけてきた。

 

「その二人って……お父さんと同じ探偵さんとおじいさん、ですよね?」

「ええ。()()()()()、もう少し休まれてから夕食を食べに来るそうです」

(探偵、ね。……一体どんな奴なんだか)

 

ウェイターの返答に俺がそんな事を思っていると、何故か鯨井さんが怪訝な顔でウェイターを見つめているのに気が付いた。

おっちゃんもそれに気づいたようで鯨井さんに声をかける。

 

「鯨井さん、どうかなされましたか?」

「……え?あ、いえ、私もその老人を廊下ですれ違いましたものでね……。無口な人のようでしたが、何をなさっている方なんですか?」

 

鯨井さんのその質問に、ウェイターは答え始める。

 

「はい……何でも海洋研究家だそうで……」

 

そう言ってウェイターは懐から一枚のメモ用紙を取り出す。どうやら今回乗船した乗客の名前が書かれているらしいそのメモから、ウェイターはその人物の名前を探し出し、読み上げる――。

 

「えぇっと……お名前は――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――叶才三(かのうさいぞう)様」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「か、叶才三!!?」

『!?』

 

ウェイターが読み上げたその名前に、鮫崎さんが驚きに声を上げ、俺、蘭、おっちゃん()()()()()()、驚愕に顔を染め上げてその場が騒然となった――。

 

 

 

 

――そう、俺たちのそばで静かに食事をとっていたカエル先生も、その名前を聞いて顔を上げ、ウェイターに向けて驚きに目を見開いていたのを、俺は見逃さなかった。




今回、軽いキャラ説明はありません。
それはこの長編の最後の方で書く予定です。


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カルテ20:叶才三【事件編・2】

SIDE:江戸川コナン

 

 

 

「そいつの部屋は何処だ!?」

「ひゃ、101号室です」

 

鮫崎さんの鬼気迫る迫力に押されて、ウェイターはそれに怯えながら答える。

その傍らでおっちゃんが「はて?」と顎に手を当てた。

 

「叶才三ぅ?この名前どっかで……」

 

おっちゃんのその呟きに鮫崎さんが怒鳴り散らす。

 

「馬鹿野郎、忘れたのか!!……昔ワシと一緒にお前が追っていた――『四億円強殺()()事件』の主犯!――」

 

 

 

 

「――……影の計画師、叶才三だッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

その後すぐ、鮫崎さんとおっちゃんは乗務員にマスターキーを持って来させ、101号室へと急ぎ向かう。

俺もおっちゃんたちのその後を追って行った。

乗務員のマスターキーで客室のドアを開けた鮫崎さんとおっちゃんはその部屋に飛び込む。

しかし、部屋はもぬけの殻で()()()()()()()()()()()()()()

部屋を隅々まで見ていた鮫崎さんは、マスターキーを持って来た乗務員に尋ねる。

 

「本当にこの部屋なんだろうな?」

「はい、それは間違いありません。……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「くそっ……ワシは下を探す。毛利、お前は上を頼む!」

 

そう言い残し、鮫崎さんは客室を飛び出して行った。

後に残された俺、おっちゃん、乗務員の三人も客室を出る。するとおっちゃんは隣の102号室にいるという例の探偵を怪しみ始めた。

 

「なぁんかくせぇなぁ……?」

 

そう呟いたおっちゃんは乗務員と一緒にドアをノックし始める。

しかし中からの反応がなく、仕方なくおっちゃんは乗務員にこの部屋も開けてもらうよう、そう言いだした時だった。

 

「じゃかぁしぃッ!!ええ加減にせぇよこらぁぁッ!!」

 

突然その怒鳴り声と共に客室のドアが勢いよく開き、それにおっちゃんと乗務員が吹っ飛ばされる。

そして――中から出てきたのは、俺たちがよぉく見知っている奴だった。っつーか、何でお前がここにいんだ?――服部(はっとり)

 

 

 

 

 

 

 

――服部平次(はっとりへいじ)。大阪出身の俺と同じ高校生探偵だ。

以前起こった『外交官殺人事件』で出会って以来、何度か一緒に事件を解決した仲である。

 

(だが、そんなこいつが何でこの船に……?)

 

不思議に思って首をかしげている俺の前で、服部とおっちゃんが会話を交わす。

 

「影の計画師……?ああ、そう言うたらガキの頃、親父に聞いた事あるなぁ。昔そんな男がおったって」

「ああ……。本名は叶才三。20年前に起きた『4億円強盗殺人()()事件』……その強殺未遂事件の主犯だよ。――」

 

船外の風に当たりながら、おっちゃんは叶才三について詳しく教えてくれた。

 

――叶才三。そいつの建てる計画は綿密で隙が無く、修羅の如き手際の良さで警察を煙に巻く……人呼んで『影の計画師』。そのヤマ毎に仲間を変える一匹狼で、犯行中誰も傷つけないのが奴の特徴だったらしい。

 

「……しかし、20年前のその事件でついに一人やっちまったんだ。それ以来……ぱったりと姿を見せなくなった」

「けど強盗殺人『未遂』っちゅうことは……生きとったんやろ?その人」

 

おっちゃんの言葉に怪訝な顔を浮かべながら服部がそう尋ね、おっちゃんはそれに頷く。

 

「ああ……。防犯ベルに驚いた才三の仲間の一人が銃を乱射しちまって、運悪くその流れ弾にな……。しかも撃たれたのが、鮫崎美海(さめざきよしみ)さんって銀行員でな……」

「え?『鮫崎』って……」

 

俺の呟きにおっちゃんは再び頷く。

 

「ああ、そうだ……。()()()()()()()()()()

「!?」

 

驚く俺を前におっちゃんの話が続く。

 

「……本来なら美海さんの受けた傷は()()()()()()()()()()()()()()()()んだが、それでも何とか一命をとりとめて助かったんだ。……だが助かったとはいえ、大事な娘に瀕死の重傷を負わせた叶やその仲間たちの事を許せなかった鮫崎警視は、叶失踪後もひたすらに奴らを追いかけ続けていたよ」

 

まさか、20年前のその事件に鮫崎さんの娘さんが巻き込まれていたのにも驚いたが、その鮫崎さんが何の因果かこの船に乗り合わせていた事にも驚いた。

 

(偶然、なのか……?それに、その鮫崎美海さんが助かった経緯についても、何か引っかかる……)

 

俺がそんな事を考えていると、服部が腕を組みながら口を開いた。

 

「ふぅん……その事件の主犯が俺の隣の部屋になぁ……」

「ああ、入ったらもぬけの殻で……今その鮫崎さんが探してるよ」

「……けど変やなぁ、確かソイツ死んだんとちゃうか?銃痕と血ぃが付いた上着がどっかの浜に打ち上げられたって、親父言うとったで?」

 

服部が首をかしげてそう言った直後、俺たちの方にやってくる人物がそれに答えた。

 

「……いや、奴は死んじゃいねぇ。あの上着は警察を振り切るための罠だ。奴があんな所で簡単にくたばるようなタマじゃねぇぜあんちゃん」

「鮫崎警視……」

「へぇ……この人がな……」

 

おっちゃんが鮫崎さんの名を呼び、先程鮫崎さんの素性を聞かされていた服部はそう呟く。

その後、鮫崎警視の口から20年前の事件の時効が明日で成立する事を俺たちは知る事となる。

残念ながら、指名手配を受けた叶の時効は既に切れているらしいが、民法第一六二条【所有権の所得時効】の期限はまだ切れていない。

つまり、叶の仲間たちの時効はまだ成立していないのだ。

 

しかし、その時効も間もなく成立する。

 

事件が起こったのは20年前の丁度明日。つまり今日の午前0時を持って、奴らは晴れて自由の身になるのだ。

 

 

 

――そして、そのタイムリミットが来るのは……今からおよそ2時間後であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後すぐ、蘭が俺たちを探しにやって来たので、叶を探すおっちゃんと鮫崎さんと別れた俺と服部は、蘭と一緒に夕食を食べたレストランへと戻っていた。

そこで服部は遅めの夕食を食べながら、自分が何故この船に乗ったのかその詳細を話し始めた。

――どうも一週間前に服部宛に妙な依頼の手紙が来たらしく、相談したいためこの船に乗って小笠原まで来てほしいという内容だったらしい。

しかも、その手紙が入っていた封筒の中には依頼料として10万円、それも全て旧紙幣のものも一緒に入っていたのだとか。

更に驚くことに、手紙に書かれていたその依頼主の名前がこのツアーを企画した『古川大』だという。まあ服部本人はその事は知らなかったようだが。

 

そんな話を聞きながら俺はチラリと周囲を見渡した。そこにはおっちゃんと鮫崎さん、そして亀田さん以外の乗客全員がその場にいた。

 

ライターが付かなかったのか鯨井さんは同じ乗客の蟹江(かにえ)さんから紙マッチを借りて煙草に火をつけている。

その蟹江さんは紙マッチを渡す時、何故かどこかの鍵を見せつけるように一緒に持っていた。

そう言えば、亀田さんと会った時もあの鍵をちらつかせていたような気がする。

 

不思議に思いながら、俺は今度はカエル先生に目を向けていた。

こちらはウェイターに頼んだコーヒーを飲みながら持参してきたらしいカエルマークの描かれたブックカバーをかけた本(恐らく医学書の類)を静かに読みふけっている。

 

……正直、今回の船旅で個人的に一番気になっているのはカエル先生がこのツアーに参加した目的だ。

本人は休暇だと言っていたが、本当にそうなのだろうか?それに、叶才三の名を耳にした時の、他の乗客と同じように見せたあの驚きよう……。ただ事じゃないように思える。

 

などと考えていると、磯貝さんが俺たちの元にやって来て、一緒にレストルームでポーカーでもしないかと提案してきた。

それからすぐ、俺たちだけじゃなく、その場にいる全員が参加する事になり、俺たちは全員でレストルームに向かう事となった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃーん、フルハウス♪」

「あっちゃー、なんやぁまーたねえちゃんの勝ちかいな」

「相変わらず賭け事に強いねぇ、蘭君」

 

蘭の勝ち誇った声と同時に服部が落胆し、カエル先生もため息と共に声を漏らす。

レストルームに到着した俺たちは交代制でポーカーを順に楽しんでいた。

今、対戦しているのは、俺、蘭、服部、カエル先生、そして蟹江さんの五人だ。

磯貝さんと鯨井さんはレストルームに設置されたバーでお酒を飲みながら俺たちのゲームを遠巻きに見つめている。

 

「はぁーい、あと一回したらビリの人は鯨井さんと交代ね♪」

 

()()そう言うとトランプを集めて切り始める。

俺はそれを見ながらチラリとバーカウンターにいる磯貝さんへと目を向けた。

このレストルームに来てから、彼女は何故かポーカーの方に集中せず、ずっとこちらに背を向けてお酒を飲んでいた。このゲームの提案者である彼女が、だ。

 

(……というか、手元にある酒ですら味わってないような気がする……。いや……というかあれは、カウンターの中――バーテンダーをジッと見ている?)

 

磯貝さんは何故かバーテンダーの方へと視線を固定していた。

その視線を受けているバーテンダーの方は、職業柄ゆえかその視線を受けても微動だにせず、黙々と手元のグラスを拭いていた。

怪訝な顔で二人を見ていると、蘭がトランプを配り終え、次の対戦が始まり、俺の意識もそっちへと戻って行った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:カエル顔の医者(冥土帰し)

 

 

 

 

(……しまったねぇ、腕時計を客室に忘れて来てしまった)

 

今何時なのかを確認するために腕時計を見ようとし、私はその時になって腕時計を忘れてきたことに気づいた。

それならば携帯の時間表示を、と思ったが、こちらも充電しているため同じく客室であった。

仕方なく隣で一緒にポーカーをしている蟹江さんに時間を尋ねる。

 

「あの、今何時か分かりますか?」

「ふむ……0時5分前だ」

 

蟹江さんは()()()腕時計を見ながらそう言い、私は一言お礼を言うとゲームへと意識を戻した。

しかし直ぐに負けてしまい(またもや蘭君の一人勝ち)、私は鯨井さんと代わる事に。

 

「鯨井さん、僕がビリになったので次、交代です」

「あーはいはい、お手柔らかにお嬢さん」

 

私の声に鯨井さんが反応して立ち上がり、僕と彼は席を交代する。

バーカウンターに座った私は、先程からバーテンダーをジッと見ている磯貝さんに話しかけた。

 

「……どうかしましたか?先程からこのバーテンダーばかりを見ているようですが……お知り合いで?」

「……へ?ああ、いえ、全然……初めて見る人です。……見る、人のはずなのですが……何故かどこかで会った事があるような気がして……」

「ふむ?」

 

彼女のその返答に私は首をかしげながら、今度はバーテンダーの方へと視線を向けて問いかける。

 

「貴方はどうですかな?」

「いえ、私の方も全然。……誰かと見間違えているのでは?」

 

苦笑を浮かべてそう答えるバーテンダーを僕も目を細めてジッと見つめた。

何故だろうか?私も初めて見る顔なのに、何故か彼とはどこかで会った事があるような感覚に陥った。

人の顔を一度見たら決して忘れない私が、だ。

だが、これ以上彼を見るのは不躾だと思い、私はもやもやとした気分を押し殺して視線を落とすと、手元のメニュー表からカクテルを一つ注文した。

 

それから1分もしないうちに、レストルームに毛利君が疲れ切った様子でやって来る。

毛利君に気づいた蘭君は直ぐに彼に声をかけた。

 

「あ、お父さん。見つかった?」

「どこにもいねぇよ……」

 

そう言ってソファーにぐったりと座る毛利君。

すると今度は、新一君たちから服部君と呼ばれている高校生探偵の少年が毛利君に問いかける。

 

「元警視のおっさんはどないしたんや?」

「……時間ギリギリまで探すそうだ」

 

そう短く返した毛利君は、バーテンダーに水を一杯注文する。

それからすぐ、蟹江さんが退室したのを皮切りに、磯貝さんも「()()()()()()()」と言って席を立つ。私も客室に置いてきた携帯と腕時計を回収しに一度戻る事にした。

すると鯨井さんが磯貝さんに声をかける。

 

「ああ、それじゃあトランプはケースに直して、後で部屋に届けますよ」

「そうしていただけるかしら?」

 

それだけ言うと磯貝さんはバーテンダーに料金を払いそのまま退室していく、私もバーテンダーに料金を払うと彼女の後を追うようにその場を後にする。

去り際に、鯨井さんもトイレに行くために席を立つのが見えたが、特に気にする事も無かったので私はそのまま客室へと向かった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

――客室に置き忘れた腕時計と携帯を回収した私はレストルームへと戻っていた。

戻る最中、時計を確認すると、すでに日付が変わっており何分か進んだ後だった。

レストルームに着くと、そこにはバーカウンターで酒を交わしあってワイワイと騒ぐ毛利君と鮫崎さんの姿があった。

鯨井さんも先に戻って来ており、蘭君たちと楽しくポーカーの続きをしていた。

 

(……やはり、間に合わなかったか。ま、仕方ないね……)

 

毛利君と鮫崎さんの様子から遂に見つけられなかったことを察した私は、彼らにかける言葉を考えながらバーカウンターへと歩み寄っていく。しかし、その次の瞬間だった――。

 

 

 

――ドォン……!

 

 

 

『!?』

 

大きく太い破裂音がその場に唐突に響き渡った――。

 

「何?今の音!?」

「船外!……上のデッキの方だ!」

 

蘭君と毛利君が続けざまにそう声を上げ、鮫崎さんが席を立ちあがる。

 

「毛利、時間を!」

「れ、0時8分っす!」

 

鮫崎さんのその言葉に、毛利君が時間を確認すると蘭君をその場に残し、私を含むその場にいたほとんどの者が音のした方へと駆け出していた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

――全員で上のデッキに駆けつけると驚くべき光景が目の前に飛び込んできた。

デッキに掲げられていた船の旗が炎に包まれており、そこに置かれていたベンチの背もたれ――その裏側にナイフで刺し止められた旧一万円札があったのだ。その一万円札には荒っぽい字で何かが書かれている。

 

「ちょっと、何今の。花火のような音がしたけど……」

 

音を聞きつけてレストルームを退室していた磯貝さんもその場に駆けつけて来る。

その声を聴きながら、俺、服部、おっちゃん、鮫崎さんの四人は、息を呑んでそのベンチに近づいていく。

すると、鮫崎さんがその場にいた乗務員の一人にビニール袋を取ってくるよう頼むと、ポケットから手袋を取り出しはめる。そして、ベンチに刺さったナイフと一万円札を丁寧な手つきでベンチから引き抜いた。

 

「何て書いてあるんすか?」

 

鮫崎さんの後ろからおっちゃんがそう尋ね、鮫崎さんは一万円に書かれた文字を声に出して読み始める。

 

 

 

 

 

 

『海神ポセイドンに生を受けて、我が影蘇りたり』

 

 

 

 

 

「あ゛あぁぁっ……!?」

 

鮫崎さんがそれを口にした瞬間、その場に絞り出すような声が響き渡る。

振り返るとそこにはダラダラと脂汗をかきながら驚愕に目を見開く鯨井さんの姿があった。

 

「く、鯨井さん?」

 

慌てて声をかけて来るおっちゃんに気づいていないのか、鯨井さんはフラフラとした足取りでそばにあったデッキの手すりへと近づいていく。

 

「……い、生きていたんだ……!や、やっぱり……奴は……!奴はッ……!――」

 

そう呟きながら手すりに触れると、鯨井さんはバッと俺たちの方へと振り返り、ひときわ大きな声をその場に轟かせていた――。

 

 

 

「――生きていたんだぁぁぁーーーーッ!!!!」

 

――ドオォォォオォォォォーーーーン!!!!

 

 

 

そして……同時に船尾から、彼の叫びに負けないほどの爆発が、轟音と共に立ち上っていた――。




今回も軽いキャラ説明はありません。


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カルテ20:叶才三【事件編・3】

一万字を越えましたので、ここでいったん区切って投稿します。


SIDE:江戸川コナン

 

 

 

「くそ……黒焦げか」

 

シンフォニー号の船尾。黒くボロボロとなった、かつては非常用の梯子が入れてあった箱を前に鮫崎さんがそう呟いた。

船尾での爆発を確認した俺たちはレストルームで待っていた蘭と合流して全員で船尾へと走った。

そして火の手が上がる船尾には、俺と服部が真っ先に到着したのだが、なんと燃え上がる箱の中には梯子ではなく()()()()()()()()()

すぐさま駆けつけてきた乗務員たちが消火作業にあたり、何とか被害は最小限で防がれるも、中にいた人間は見事なまでに真っ黒に煤けた焼死体となってしまっていた。

 

「これじゃあ死亡推定時刻もこの仏が誰なのかもわからねぇなぁ」

「ええ、もしかしたらこの死体は、船内から姿を消した叶才三ってことも考えられますなぁ」

 

鮫崎さんとおっちゃんがそんな会話をしていた時だ。

 

「いや……恐らくその人――()()()()()()()()()()()()()()()()じゃないかな?」

『!?』

 

おっちゃんたちの後ろでジッと遺体を見ていたカエル先生がポツリとそう言い、皆の視線が一斉にカエル先生へと向いた。

驚いた顔でおっちゃんがカエル先生に尋ねる。

 

「か、カエル先生。どうしてそんな事が分かるんで?」

「いや、だってその服……ほとんど燃えてしまっているけど蟹江さんが身に着けていたものじゃないかね?腕時計の方も、僕がレストルームで彼に時間を尋ねた時に付けていた物とよく似ているしね」

 

カエル先生のその指摘におっちゃんと鮫崎さんはジッと焼死体を見つめる。

 

「た、確かにセーターもジーンズも蟹江さんが着ていた物ですな」

 

おっちゃんがそう響き、今度は鮫崎さんがカエル先生に目を向ける。

 

「ですが先生。……ならこの遺体は蟹江って可能性もあるんじゃ?」

「体格だよ」

 

鮫崎さんの言葉にそうカエル先生が即答し、言葉を続ける。

 

「顔は既に判別不能なまでに焼け焦げてしまっているが、頬や腹の脂肪の多さから見てやせ型の蟹江さんではなく今この場にいないもう一人の乗客である亀田さんの方に体格が酷似している。……まあ、その叶才三という人も亀田さんの体格ともしも似通っているのなら、この遺体がその人という説も捨てきれはしないがね?……まぁどの道、歯形やDNAを調べれば誰だか一発で分かるけど……あいにく今の僕にはそういった検査道具は持ち合わせていないんだよね」

「へぇ……貴方もしかして検死官とかやってる人?」

「いや、ただのしがない医者だよ?」

 

カエル先生の話に興味を示したのか、磯貝さんがそう尋ね、カエル先生はそう答え返した。

 

「ならカエル先生。お手数ですが、分かる範囲でよろしいですのでこのまま検死をお願いしてもよろしいでしょうか?」

「ああ、構わないよ」

 

おっちゃんからの提案にカエル先生はそう言って頷くと、ポケットから手術用のマスクと手袋を取り出し、それを身に付けながら遺体へと歩み寄った。

皆が固唾をのんで見守る中、カエル先生は遺体を調べながらそれを説明し始める。

 

「……先の続きだけど。この人が亀田さん、あるいは叶才三であったと仮定して……この人に蟹江さんの衣服を着せたと断定付ける理由は他にもあるんだ。……一つは、この遺体の腕に付けた腕時計。僕が蟹江さんに時間を尋ねた時、蟹江さんは右腕に腕時計をしていた。しかし、この遺体は左腕に腕時計をしている。この遺体が蟹江さん本人なら、こんな事はまずあり得ない。……そして、二つ目はこの遺体のポーズ」

「あら?その面白いポーズがどうかしまして?」

 

磯貝さんが面白半分にカエル先生にそう尋ね、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()姿()()()()()()()を見ながらカエル先生はそれに素直に答え始めた。

 

「ああ、これは熱硬直(ねつこうちょく)だよ。焼けた死体というのはね、骨格筋が温熱の作用で熱凝固して収縮し、熱硬直を起こすんだよ。……手足を曲げる筋肉は伸ばす筋肉より筋量が多くてね、それ故に関節はみんな半分曲がってしまって、丁度ボクサーのファイティングポーズみたいな格好になってしまうんだよ。……まあつまり、焼けた死体って言うのは勝手にこうなってしまうわけだね」

「へぇ、なるほどね」

 

カエル先生の説明に磯貝さんがそう相づちを打つ。

そこへおっちゃんがカエル先生へ声をかけた。

 

「なら、カエル先生。それなら別にこの死体も不自然では無いんじゃ?」

「普通ならそうかもだけれど、この遺体は少し違うんだよ。見たまえ」

 

そう言ってカエル先生は遺体の手足に向けて順番に指をさす。

 

「両肘が顔の前に来てて、膝が完全に折り曲がっているだろ?……これは遺体を箱に入れた時に、体を下にずらして両手を上に上げさせてた証拠だよ。……()()()()、死後硬直を起こしていたとしても、前もってこの姿勢にしておけば服が着せ替えやすいからねぇ」

「ちょ、ちょっと待ってくれ先生。殺した後って事は、じゃあこの遺体は焼かれて殺されたわけじゃねぇと?」

 

鮫崎さんがやや戸惑いながらそう尋ね、カエル先生は強く頷いた。

 

「ああ、間違いないよ。頭部……右こめかみ部分を見てほしい。弾の痕があるだろ?」

 

カエル先生にそう促され、おっちゃんと鮫崎さんは遺体を覗き込む。そこにはカエル先生の言う通り、頭部に小さな穴が開いていた。

 

「……ああ、確かに」

「……じゃあこの仏さん、銃で撃たれて殺された後にこの箱に詰められ、服を着替えさせられてから燃やされたって訳か」

 

おっちゃんと鮫崎さんが続けざまにそうポツリと呟き、カエル先生は再び頷いて見せる。

 

「そういう事だね……。あと僕がこの遺体で分かる事は、顔についているその妙な物体……」

「妙な物体……?」

 

カエル先生の言葉に怪訝な顔でおっちゃんが遺体の顔を見つめる。

そこには焼け焦げてはいるが、確かに何かの物質が遺体の顔にくっついていた。

それを見たおっちゃんと鮫崎さんがハッとする。

 

「お、おい、これってまさか……!」

「焼けて変形してしまってるけど……シリコンだね、これは。よく整形手術の隆鼻術(りゅうびじゅつ)に使われてるやつだよ」

 

驚愕にそう響く鮫崎さんに、カエル先生は落ち着いた口調でそう答える。

そこへおっちゃんも声を上げた。

 

「――ってことはこの遺体、顔を変えてたってことですか!?」

「そうなるね。……残念ながら僕でも遺体がこの状態じゃあ死亡推定時刻は割り出せないから、僕がこの遺体で分かるのはここまでだね」

 

肩をすくめてそう締めくくるカエル先生に、俺の隣で別の非常用梯子の箱の上に座っていた服部が感嘆の声を上げる。

 

「へぇ~、やるやないかあの先生。……おい工藤、前々からお前の話でよく聞かされとったけど確かに大した洞察力持ってるやないか、あのお医者はん」

「ははっ……あんなのはまだ序の口だよ」

 

俺にしか聞こえない声でカエル先生を賞賛する服部に俺は空笑いを浮かべる。

こいつは知らない。カエル先生の医者としてのスペックがこんなもんで収まるほど小さくは無い事を。

 

「おまけに初めてレストランで見た時から思っとったけど、ほんまカエルにそっくりやで!おもろ!」

「ったく、おめーは」

 

一言多いのも相変わらずか。クックと忍び笑いを浮かべる良き好敵手(ライバル)に俺は呆れ顔を浮かべずにはいられなかった。

そんな俺と服部の前で、カエル先生とおっちゃんたちの会話は続いていた。

 

「僕の方も一つ聞きたいんだがね。さっきここから上がった火の手……その出火元はもう突き止めてるのかい?」

「ええ。遺体の足元に缶が転がっているんですが、あの爆発は恐らくその中に入れられたガソリンに引火したものと考えられます」

 

おっちゃんの説明にカエル先生は「ふむ……」と顎に手を当てて唸ってみせる。

確かに遺体の足元には大きく裂けた缶が転がっていた。

そこへ鮫崎さんも口をはさんでくる。

 

「見ての通り缶が裂けるほどの爆発だったんで、()()()()()()()()()()()()()()()()吹っ飛んでたみたいですからな」

「ビニールシート?」

 

その言葉が気になったのか、服部はおうむ返しにそう聞き返し、おっちゃんがそれに答えた。

 

「ああ……。叶を探しに警視殿とここに来た時、被せてあったんだよ……。今、お前が座っているそれと同じように」

 

おっちゃんはそう言って服部が座っている箱を指さした。

服部が立ち上がり、さっきまで座っていたその箱をまじまじと見る。

『非常用ハシゴ』と大きく書かれたビニールシートに包まれた長方形の箱。そのビニールシートを固定するために外側は太い縄で縛られていた。

 

「……そんで?そん時、ちゃんと箱の中は調べたんやろな?」

「いや見た通り、シートは外から縛ってあったから、中に隠れている奴はいないと思ってな……。くそ、こんな事ならあの時、ちゃんと箱の中を確認しておくべきだったぜ」

 

そう、おっちゃんは悔しそうに悪態をついた。

 

 

 

 

――その後、おっちゃんと鮫崎さんが遺体から距離を置きながら何やら二人して(何故か服部の方を見ながら)会話をし始め、遺体の方も事務員たちがシートを被せていき、俺たちは遠目からそれを眺めていた。

ふいに服部の方から声がかけられる。

 

「なぁ、あの遺体が顔変えとったっちゅうことは……」

「ああ……もしかしたら、逃走していた例の『四億円事件』の犯人たち……その中の一人かもしれねぇな。……あの遺体が本当に亀田さんだとしたら、船の中で意気投合していた蟹江さんもその仲間の可能性が高い。……お互い整形した仲間同士が久しぶりに会ったって感じだったし……」

「となると残りの仲間は……さっきから人ごみのいっちゃん後ろで脂汗流しとる……あの鯨井っちゅうおっさんかもしれへんなぁ」

「そうだな……」

 

明らかに挙動不審な鯨井さんを人ごみを隔てて見据え、そう言う服部に俺も強く頷き言葉を続ける。

 

「……あの人、蟹江さんにマッチを貰ってた時、妙な態度だったし」

「それにや……気になんのは、上のデッキであのおっさんがわめいとった、『奴は生きていたんだ』っちゅうあの言葉……。あらもうどう見たかてあの一万円札見てビビったんやで」

 

服部のその言葉に俺もあの一万円札を脳裏に浮かべる。

 

「……あの一万円札に書かれた文字は……『海神ポセイドンに生を受けて、我が影蘇りたり』……」

「……『影』、っちゅうのは影の計画師、叶才三……。『蘇る』っちゅうのはいっぺんどっかで殺されたっちゅうこっちゃな」

「ああ。殺したのは恐らく……あの事件で叶才三が率いていた仲間……。そして、死んだはずの叶才三を名乗る老人が現れた……」

 

俺がそうぽつりと呟くと、服部は難しい顔をしながら考え込み始めた。

 

「けど、わからんなぁ。船から姿を消してしもたその爺さんの正体もやけど……なぁんでわざわざ時効が明ける日ぃにその仲間の三人が船の上で会わなあかんのや?変な新聞広告まで出してやで?」

「それに……その広告を出した『古川大』って人物も気にかかる……。三人の仲間の誰かの本名なのか……それとも――」

 

そこまで俺が言った時、おっちゃんが俺たちの所にやって来るのが見えた。

そして、やって来たおっちゃんは俺たちの前に立つなり開口一番に声を上げる。

 

「おい、お前ら。俺と警視殿は今から蟹江を探しに行く。……あの遺体が蟹江の服を着せられた亀田なら、あいつを殺したのが蟹江である可能性が高いからな。……お前たちは乗客全員をレストランに集めておいてくれ」

 

そこまで言ったおっちゃんは今度は俺たちにしか聞こえないほど小さな声でその続きを口にする。

 

「……後で警視殿が鯨井さんを尋問するらしい。上のデッキでのあの取り乱しようは、どう見ても怪しかったからな」

「せやろな。たぶん叩いたら埃がぎょーさん出て来るやろうしな。わかった、まかせとき」

 

服部が気軽に了承し、それを見たおっちゃんは鮫崎さんと一緒に現場を後にしていった。

二人の姿が見えなくなった直後、服部が俺に耳打ちしてくる。

 

「どや?おっちゃんらが戻ってくる前に、先に俺らであの鯨井のおっさん問い詰めてみよか?」

 

そんな提案が服部から来たが、俺はニヤリと笑って静かに首を振った。

 

「いや、それはおっちゃんらに任せて、俺らは()()()()()()()()()の話を聞きに行こうぜ?」

「もう片方……?」

 

不思議そうな顔でオウム返しに聞き返してくる服部に、俺はその人物の名を口にした。

 

()()()()()()()。……恐らくあの人、何か重要な手掛かりを握っている可能性があるぜ。それも俺らの知らない、想像を絶する何かを」

「な、なんやて?何でそんな事が分かるんや?」

 

やや戸惑いながら、服部がそう聞いてきたので俺はそれを説明し始める。

 

「……あの鮫崎さんの娘――美海さんの話、覚えてるよな?」

「ああ、おっちゃんが言うとった20年前に撃たれた銀行員で、何とか助かったっていう……」

「その美海さんを助けたの……恐らくカエル先生だ」

「な、なんやて!?」

 

驚く服部を前に、俺は更に言葉を続ける。

 

「……ここに乗船して直ぐ、カエル先生と鮫崎さんが話してたんだよ――

 

 

 

『……ああ!()()()()刑事さんじゃないですか。()()()()()()()()()()()()()()()()?』

『……!やっぱり()()()()先生でしたか!……いや、その節は()()()()()()()()()()()

 

 

 

――ってな」

「――!それがあの事件の怪我の事を言うとるんやったら……20年前の事件にあの先生も間接的に関わってたっちゅうことかいな。……ん?まてよ、ちゅうことは……!」

 

何かに気づいたらしい服部がハッとした顔を浮かべ、俺はそれを見てよく頷いた。

 

「……ああ。どういう因果か、この船には20年前の事件の犯人たちだけじゃなく、それに関わったカエル先生や鮫崎さんまで乗り込んでるって訳だ。これはどう見たって偶然じゃねぇ。……恐らく彼らが集められたのはこのツアーの企画者である『古川大』という人物……。こいつに秘密があるのは間違いねぇぜ?」

 

ニヤリと笑いながらそう言う俺を前に、服部の目が輝きだす。

 

「ほぅ~、おもろいやないか。興味出てきたであの先生が抱えとるもんに!」

「ああ!皆をレストランに連れてったらカエル先生だけ連れだして聞いてみようぜ?」

「鬼が出るか蛇が出るか……。今から楽しみやで」

 

クックと笑う服部と一緒に俺たちはそんな会話をしながら、蘭や他の乗客たちと共にレストランへと向かって行った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:カエル顔の医者(冥土帰し)

 

 

 

 

「ほな、改めて自己紹介といこか!大阪で高校生探偵やってる服部平次っちゅうもんですわ!以後よろしゅうに♪」

「これはまた、ご丁寧に」

 

レストランのそばのトイレの中――ニカリと笑いながら挨拶をする服部君に、私は苦笑しながらそう応える。

あの焼死体の検死の後、毛利君と鮫崎さん以外の私を含む乗客をレストランに集められた直後、私だけ服部君とコナン君(新一君)にトイレに呼び出され今に至る。

私と服部君の自己紹介が終わるとすぐ、コナン君が本題を切り出してきた。

 

「……それでカエル先生。そろそろ話してくれよ。先生がこの船に乗り込んだ本当の目的ってのを」

「……ああ、やっぱりバレてたんだね?」

 

苦笑しながらそう言う私に、コナン君はフンと鼻を鳴らす。

 

「ったりめーだ。仕事人間のカエル先生が何の理由もなく休暇を取ること自体、あり得ねぇからな」

「……仕事人間なのは認めるけど、僕って休暇を取ると何か理由がないとおかしいと思われるレベルなのかい?」

「……じゃあ逆に聞くけど、理由もなく旅行に行った事なんて今まであんのかよ?」

 

ジト目でそう問いかける私にコナン君もジト目でそう問い返してくる。痛い所を突いてきたね。

数秒の沈黙後、折れたのは私の方だった。一つため息をつくと、コナン君と服部君に向けて口を開き、コナン君のその問いかけには答えず、やや強引に話を進める。

 

「……まぁ正直な所、僕の方もキミたちに話しておこうかと迷っていた所だから、丁度いい機会だね」

「やっぱ20年前、叶の仲間に撃たれた鮫崎さんの娘さん――美海さんを助けたのは先生だったんだな?」

「……驚いたね、もうそこまで突き止めてるのかい?ああ、そうだよ」

 

コナン君の質問に私は素直に頷く。そこへ服部君が口をはさんできた。

 

「ほな、やっぱり先生も20年前の事件に関わってたんやな……。するってぇと、この船に乗り込んだのも20年前のあの事件に関係があると思うてのことなんか?」

「あー……うん、まあそうだね。キミたちの想像通り、僕がこの船に乗り込んだのは例の新聞の広告欄に載った『古川大』を見たからなんだよ。あの名前と乗船条件が古い一万円札だったのが合わさってすぐにピンと来たんだ。もしかしたらあの事件――と言うか、()()()()何らかの関係があるんじゃないかってね」

「なんやて?そりゃどういうこっちゃ?」

 

首をかしげてそう尋ねる服部君に、私はおもむろに懐から小さな手帳とペンを取り出すと、そこに文字を書き始め、書いたそのページを手帳から破り取り、彼らに見せる。

そこには()()()で『古川大』の名前が大きく書かれていた。

ジッと紙を見つめるコナン君と服部に、私は静かに口を開く。

 

「いいかい?古川大と言うこの名前……これをこうすると――」

 

そう言って私が手に持ったメモ紙を()()()()瞬間――。

 

「「!!」」

 

――唐突に『古川大』の秘密を理解したのか、コナン君と服部君の目が大きく見開かれた。

そんな二人に向かって私は言葉を続ける。

 

「――まぁ、そういう事だよ。……実はこの事に気づいたのが、()()()()()()()()()()()()()()()()()なんだが、僕はキミたちと違って探偵じゃないから正直確信が持てなかった。……でも、この船に鮫崎さんが乗り込んできたのを見るに、恐らく――」

「――ちょ、ちょっと待てよカエル先生」

 

そこへコナン君が慌てて私の言葉に待ったをかけた。その言葉の中に聞き逃す事の出来ない部分があったからだ。

 

「『あの事件が起こってしばらくしてから』……?まさかカエル先生、20年前にも『古川大』の名前をどこかで見た事あんのかよ!?」

 

そう問い詰める彼に私は静かに頷き口を開く。

 

「うん、そうだよ。……そして、()()()()()()()()()()()こそが、僕がこの船に乗り込んだ最大の理由だったんだよ――」

 

そう言って私は、コナン君と服部君に、私の知る20年前に起こった――その全てを彼らに話し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

 

 

 

「なん、やて……!?」

 

カエル先生の知っている事の全てを聞かされ、俺の隣に立つ服部はやや放心状態のままそう響いた。

無理もない、カエル先生の口から出た事実は俺ですら想像していなかったものなのだから。だが、()()()()()()()――。

 

「まさか、()()()()()()()()()……!?」

「まだ分からない。それを確かめるために、僕はこの船に乗ったんだ」

 

俺の問いかけにカエル先生は静かに首を振ってそう呟いた。

そして、「これで僕が知っている事は全部だよ」とカエル先生がそう言ったのを合図に、俺と服部は顔を見合わせる。

 

「こらまた……藪突いたら蛇が出よったで」

「ああ……こりゃ一度、本腰挙げて船内中を調べてみるっきゃねぇな」

 

服部のその言葉に俺も頷きそう返す。

ぶっちゃけ、俺も服部も今の今までこの事件は叶才三の名を(かた)る乗客の中の誰かが起こしたものだと考えていたが……先程カエル先生から聞いた話で()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……とにかく一度、レストランの方に戻ろうぜ?もうおっちゃんたちが戻ってるかもしれねぇし」

「そうやな」

「うむ」

 

俺の言葉に服部とカエル先生が同時に頷き、同時にトイレの出入り口へと向かう。

 

「おととと……」

 

その途中、服部がトイレのごみ箱に足を引っかけてしまい、ごみ箱が盛大に倒れる。

ゴミ箱の蓋が外れ、中からクシャクシャに丸めた紙が転がり落ちてきた。

 

「……?」

 

慌ててゴミ箱を元に戻そうとした服部がその紙くずを手に取った瞬間、眉根を寄せる。

そして、おもむろにその丸まった紙を広げ始めた。

 

「……おい服部。何やってんだよ?」

「……工藤、見てみぃ。おもろいモン見つけたで」

 

俺がそうたしなめると、紙を広げてそこに書いてある文字を呼んだ服部がニンマリと笑い、俺にその紙を見せてきた。怪訝な顔で俺もその紙の文字を覗き込むようにして読み、驚く。

 

「これは……!」

「おーい、キミたち。一体、何してるんだい?」

 

俺が声を上げたのと、先にトイレから出てレストランの出入り口の前で待っていたカエル先生の声がこちらにかかるのがほぼ同時だった。

服部は慌てて紙くずをポケットの中にねじ込むとカエル先生の後を追い、俺もまた彼らの後を駆け足で追って行った――。



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カルテ20:叶才三【事件編・4】

毎回の誤字報告、及び感想、誠にありがとうございます。


SIDE:江戸川コナン

 

 

 

「何ぃ、覚えてないだと!?アンタ言ってたじゃねぇか上のデッキで!『やっぱり奴は生きてた』ってよ!」

 

俺と服部、そしてカエル先生がレストランに入って来ると、唐突に鮫崎さんの怒鳴り声が店内に響いた。

見るとテーブルをはさんで鮫崎さんが鯨井さんに尋問している。

周囲には蘭や磯貝さん、そしておっちゃんもおり、遠巻きに鮫崎さんと鯨井さんのやり取りを見ていた。

するとおっちゃんがレストランに入って来た俺たちに気づき、やって来る。

 

「おいおい、お前ら何処行ってたんだよ?レストランに行っとけって言ったはずだぞ!?」

「すまんすまん。さっきまでこの二人と一緒にそこの便所で連れションしとったんや」

 

軽い口調でそう言い訳する服部に、俺だけでなく隣で聞いていたカエル先生も「えー……」と言いたげな顔になる。いやそうだろう、あまりにも適当すぎる。

 

「ほぉ~ん、随分と長い便所じゃねぇか」

 

服部を見ながら胡散臭(うさんくさ)そうな目でそう言うおっちゃんを横目に、俺は鮫崎さんと鯨井さんの会話に耳を傾ける。

 

「そ、そんなこと言いましたか?」

「ふざけるなッ!!」

「ヒッ!?」

 

バン!と鮫崎さんがテーブルをたたき、それに反応して鯨井さんは小さく悲鳴を上げた。

そんな鯨井さんの顔を覗き込みながら、鮫崎さんは口角を上げて問いただす。

 

「さぁ……吐いて楽になっちまいな!『奴』ってのは、叶才三の事なんだろ!?」

「し、知らない……私は何も知らない。知らないんです!」

 

頑として喋らない鯨井さん。これは埒が明かなさそうだ。

隣で会話を聞いていた服部も同じように思ったらしく、ため息を一つついて目の前にいるおっちゃんに話しかけた。

 

「なぁ、結局蟹江は見つかったんか?」

「ん?……いいや、どこにもいなかったよ。客室だけじゃなく船の中もあちこち探し回ったがな。一応、船員(乗務員)たちにも聞いてみたが、誰も姿を見てないんだとよ」

「船員……そういや、事件前後の船員らのアリバイってどないなってんねん?」

「ああ、そっちの方も話は聞いてみたが全員『シロ』。アリバイは全員完璧だ。……あの爆発が起こった頃、船長をはじめ俺たち乗客を除く船員たちは、全員二人以上で行動していたんだ。……つまり、俺たちがあの銃声のような音を聞いて上のデッキに駆け上がった時に、あの爆発が起こったわけだから、火を付けられる奴は自ずと絞られてくる」

 

今もなおこの船のどこかに隠れていると思われる……叶才三と蟹江さんの二人、か。

すると、鯨井さんがなかなか口を割らないことに痺れを切らした鮫崎さんが、苛立たし気におっちゃんに声をかける。

 

「くそっ、話にならねぇ!……仕方ねぇおい毛利、ワシはもう一度叶と蟹江を探しに行く!お前は残ってここにいる乗客全員を見張ってろ、いいな!」

「は、はい!わかりました!」

 

鮫崎さんの迫力に押されるようにしておっちゃんが頷き、そのまま鮫崎さんはレストランを後にする。

それを見た、俺は隣に立つ服部と視線を合わせ、静かに頷きあった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:カエル顔の医者(冥土帰し)

 

 

 

「ふぃ~、えらく気が立ってたな鮫崎警視」

「うん、ちょっと怖かったね」

 

毛利君のその呟きに、蘭君も同意するようにそう答える。

すると、蘭君が何かに気づいたようにキョロキョロと辺りを見回し始めた。

 

「あ、あれ?服部君とコナン君は?」

「何?」

 

蘭君の言葉に毛利君も辺りを見渡し始める。

そんな二人に私が声をかけた。

 

「ああ、あの二人なら鮫崎さんを追って行く形でレストランから出て行ったよ?」

「な、なんですって!?ったくあいつら、またちょろちょろと……!」

 

頭をガシガシとかきながら悪態をつく毛利君。

 

「カエル先生も……気づいてたんならどうして止めてくれなかったんですか?」

 

不安げに顔を曇らせてそう問いかけて来る蘭君に、私は小さく苦笑しながらそれに答えた――。

 

「止められないよ、僕にも誰にも。……あの好奇心の塊とも呼べる探偵たち(彼ら)の歩みはね――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

 

レストランを出て数十分。俺たちは手分けして船内を駆けずり回った。

俺の方は機関室に厨房と、人が隠れられそうなところは片っ端から調べまくった。

 

――それが功を奏し、いくつか手がかりを見つけることが出来た。

 

機関室から梯子で上まで上がり、天井の蓋を開けたところで別れていた服部と合流した。ちなみに梯子の先は後尾デッキに続いており、そこでお互いが掴んだ情報を交換することにした。

 

「どや?何か見つけたか?」

 

そう聞いてきた服部に、俺はニヤリと笑みを浮かべる。

 

「ああ、この下の機関室で……床に残った僅かな血痕と、拳銃の空薬きょう。そして、この妙な手紙をな」

 

そう言って俺はそれぞれハンカチにくるんだ空薬きょうと手紙を服部に見せた。

それを見た服部は一度頷くと――。

 

「……こっちもどえらい手がかり見つけてきたで」

 

――真剣な口調でそう言って来た。

 

 

 

 

 

「まずはお前の持つその紙きれや。なんて書いてある?」

 

服部がそう聞いてきたので、俺は折りたたまれたその紙を開いて、中に書いてあるワープロで書かれた文字を口にする。

 

「……『機関室で待つ。古川大』」

「また古川大か……。血痕と空の薬きょう……っちゅうことは、そこの仏さんを射殺した場所は、その機関室で間違いないようやな」

 

船尾で黒焦げとなり、今はビニールシートを被せられている遺体を見ながら、服部がそう響く。

 

「ああ……恐らく亀田さんはこの手紙で機関室に呼び出されたんだろうな。多分、あらかじめ亀田さんの客室のドアの隙間にでも挟んでおくかして」

「ま、そう見て間違いないやろうな。……それに多分、俺がさっきレストランの便所で見つけたこの紙きれも、同じワープロで打たれたもんやろうで」

 

俺がそう言うと、服部が頷きながらそう答え返し、さっきレストランのトイレで拾った丸まった紙きれを広げてみる。

一度内容を見て覚えていたので、俺は服部の方を見ずにその内容を口にしてみた。

 

「……『船尾で会おう。古川大』」

「ああ……。こら、誰かがあの鯨井っちゅうおっさんを呼び出した証拠やで」

 

そこで俺は目を丸くして服部を見上げ声を上げる。

 

「……!何で鯨井さんだと分かるんだよ?」

「船員が二人見てたんや。0時過ぎにこの船尾で青い顔して……『おーい、来たぞー!』って言うてるそのおっさんをな。……ほんで、その船員がおっさんに声かけたらえらい驚いて、『ここに来たことは誰にも言わんで下さい!』とそう言うて、俺らのいるレストルームの方へ戻って行ったそうや」

 

そこまで言った服部は、一呼吸置くとその続きを口にし始める。

 

「……その後、船員たちもここに誰か来るんとちゃうか思て見とったそうやけど……誰も()ぇへんし、持ち場に戻ろ思た時に、上のデッキであの銃声が聞こえたて言うてた」

「ふ~ん……その時、あの箱に火は?」

「もちろん、まだついてへん。……自動発火装置見たいな物も無かったしな」

「……つまり犯人は、上のデッキで銃声を轟かせ、さらに旗に火をつけ、皆が上のデッキに上がってる隙にここに降りて来て火をつけたって訳か……。だとしたら、鯨井さんのあの態度も無理ねぇな」

 

俺のその言葉に、服部は遺体を包んだシートを見ながらそれに答える。

 

「ああ。下手したらここで一緒に焼き殺されてたかもしれへんからな」

「……残る問題は、犯人が上のデッキで拳銃を撃った後、誰にも会わずにここに来ることが可能なのか、って事だけど……」

 

そう、俺が呟いた時だった。隣でそれを聞いていた服部が先程よりも声のトーンを落としながら、先程と同じく真剣な顔つきでそれを口にする。

 

「……その事やねんけどな、工藤。もしかしたら、この事件――」

 

 

 

 

 

「――()()()の可能性が出てきたかもしれへん」

 

 

 

 

 

「……何!?」

 

驚く俺を前に服部がそれを話し始めた。

 

「乗務員――船員の何人かに話聞いて情報収集しとったんやけどな。その中の受付を担当しとった男女の二人組が帽子に丸メガネ、そして首巻で顔を隠して乗船した叶才三を名乗る老人に対応しとったんや。背広姿のその爺さんは一番最初に船に乗ってきたこともあって二人共よう覚えとったらしい。……せやけどその後、その老人は忘れ物をしたとかで一度この船から降りて外に出よったんやと……」

「…………」

 

船の外――海の波の音に混ざりながら服部の話は続き、俺はそれに黙って耳を傾け続ける。

 

「……で、その爺さんが戻ってきたんは二人組の船員の片割れ――女性の船員が一人受付で仕事をしとった時や。()()()()()()()()()()()()()()()()()その爺さんは、受付の女性船員に向けて『夕食までひと眠りするから起こすな』言うてさっさと客室へと戻ってったらしい」

「……それだけの話だったなら、まず犯人が叶才三に変装してこの船に乗船し、忘れ物をしたと言って一度船を降りて変装を解き、今度は別の乗客として船に乗り込んだ後再び叶才三に変装し、その受付の女性船員の前に現れたと考えられるな。そうすれば、いつの間にか船に戻って来ていたという証言も裏付けられる……でも、()()()()()()()()()()()()()()?服部」

 

俺がそう問いかけると、服部が「ああ」と言って強く頷いて見せた。

 

「……一応、その爺さんが最初に乗船した時と降りて再びここに戻ってっただいたいの時間を、その女性船員に聞いて確認しとった時や。再び受付に戻ってった時間をその女性船員が言った時、そばで聞いとったもう一人の男性船員が明らかに動揺した雰囲気でこう言ったんや――

 

 

 

 

『えっ!?……何言ってるんだい?僕、その十五分ぐらい後に()()()()あの老人が戻って来るところを見てるんだよ?……外にいた僕に向けて一度会釈すると早々に船の中へ入ってったけど、間違いないよ!』

 

 

 

 

――ってな」

「……それ、間違いないんだな?」

 

確かめるようにそう尋ねる俺に服部は再び強く頷く。

 

「ああ、嘘ついてる様子なんて微塵も無かったしな。女性船員の方もそれ聞いて酷く驚いとったわ」

「…………」

「……しかも、この話はまだ続きがあってなぁ」

「っ!……まだ、あんのかよ」

 

驚く俺に、服部は更に話し始めた。

 

「……その二人組の船員の後にもう一人、興味深い話を聞けた船員がおったんや。……ほら、俺晩飯ん時グースカ寝てたやろ?そん時に晩飯の時間を知らせてきた船員やってん。俺はそん時『もうちょい寝る』言うてその船員と別れたんやけどな。その後その船員、隣の客室にいた叶才三を名乗る老人にも同じように言いに行ったらしいねん」

「で?その時、部屋から人は?」

「……()()()って言うてた。しかも、乗船した時と()()()()()()()でな。……最初ん時と同じように顔隠してたんでその船員も流石に奇妙に思ったらしいんやけど、俺と同じく晩飯は後にする事だけ伝えてそのまま部屋ん中にすっこんだんでそれっきりになってもうたらしい。……で、肝心なのは()()()()()()や」

 

服部がここまで言った時点で、正直俺は服部が最終的に何を言いたいのか確信してしまっていた。いや、予想できてしまったとも言ってもいい。

そんな俺の心境を知ってか知らずか、服部はその船員が客室で叶を名乗る老人と出会っていた時刻をはっきりと口にする――。

 

「――――」

 

――それを聞いた時、俺は無意識のうちに生唾をごくりと飲み込んでいた。

俺のその様子を見た服部も確信したように呟く。

 

「……やっぱり俺の想像した通り、まだその時おったんやな?()()

 

その問いかけに俺は沈黙で肯定する――。

 

 

 

服部が言ったその時刻……それはまだ、()()()()()()()()()()()()()、レストランで食事をしている最中の時間帯だったのだ――。

 

 

 

「それも……時間は間違いないんだな?」

 

絞り出すようにそう問いかける俺に服部は静かに頷いた。

 

「ああ……俺がその船員と別れて二度寝しようと思た時に、俺も時間を確認しててな……間違いあらへんで」

 

俺は俯き、顎に手を当てながら深く考え込む。

 

「……この事件は共犯者と共に行われた犯行だって言うのか……?いや……()()。だとしたら、最初の乗船時の行動は明らかに不自然だ。時間をずらしてわざわざそれぞれ違う船員の前に姿を現すなんて、そんな二度手間する必要がない。……いや、()()()()()()……!」

 

そこまで呟いた俺はハッとなる、そして服部を見上げると、どうやら俺と同じ答えに行き着いたようで目を見開いていた。

 

「お、オイ工藤!こらあ()()()()()()()()()()()()()()もうこの船に乗り込んでいて――」

「――ああ、だとしたら……()()()()。もしかしたら、()()()()()()()……!」

「それやったら、ゆくゆくはあの()()()()()()()()()()()()()()()()……!」

「ああ……だが鯨井さんの方は今、レストランでおっちゃんらと一緒にいるから、早々()()()()()ことはねぇはずだ。……それよりも今は蟹江さんの方だ。()()()()海にでも放り出されていねぇ限り、まだ船内にいるはずだし……まだ亀田さんを殺害したのが蟹江さんだって可能性も残ってるしな」

 

俺がそう言ってお互い頷きあうと、再び手分けして行動し始めようとし――。

 

「――おっと、そうや」

 

何かを思い出したのか服部がそう言って動きを止め、それに合わせて俺の動きも止まる。

 

「どうした?」

「いやいや、忘れるとこやったわ。……オイ工藤、これお前に預けとくわ!」

 

そう言って服部はポケットから何かを取り出すと、それを俺の方に向けて放り投げてきた。

 

「おっとと……!って、これ客室のマスターキーじゃねぇか」

 

服部が投げ渡してきたのは、おっちゃんと鮫崎さんと一緒に叶才三の客室に踏み込む時、船員が持っていたマスターキーであった。

 

「一応、俺も叶と亀田、それに蟹江のおっちゃんの客室に何か手がかり無いか調べとこう思て受付から借りてきたんや。結果は空振りやったけどな。んで、お前も何か調べるもんがあって客室に行くこともあるかもしれんから、それをお前に預けとくわ。……まあ、必要無いんやったら俺の代わりに受付に行って()()()()()()()

「そりゃあ、ありがてぇけど……ってちょっと待て、『直す』?……お前、どっか折ったり曲げたりして壊したのか?」

 

そう言ってジロジロとマスターキーを見つめる俺に、服部は手をパタパタと振りながら答える。

 

「ちゃうちゃう。『元の場所に戻しといてくれ』っちゅう意味や」

「……ははっ、あっそ」

 

そうして服部は笑いながらその場を後にし、一人残された俺は空笑いを浮かべながらしばらく立ち尽くしていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:服部平次

 

 

 

工藤と別れてからしばらくして、俺は受付の船員から懐中電灯を借りて船首の方へとやって来ていた。

受付に来た時、ふとさっき工藤に貸したマスターキーの事を思い出し、もし工藤があの鍵を必要としなかったら俺がそのまま受付に返しておくべきだったんじゃないかと考えた。

 

(もしそうやったら、悪い事したなぁ)

 

心の中でそう思って脳裏に浮かぶ工藤に手を合わせて謝りながら、俺は夜の暗闇の船首をぶらぶらと懐中電灯の光をさ迷わせながら進む。

 

(しっかし、なんちゅうか()()()()()()になったなぁ。……たぶん、どっか人目に付かんところに()()()隠れてるんやろうけど……。にしてもどっちなんや?亀田を殺したんは?蟹江か、()()()()――)

 

そんな事を思いながら、俺は船首の手すり越しに外に少し身を乗り出し、暗黒に染まる船外へと懐中電灯の光を向け――。

 

 

 

 

――図らずも()()()見つけてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

 

 

服部と別れた俺は歩いていた女性船員を呼び止め、さり気なくこの船に人が隠れられそうな場所がないか探りを入れていた――。

 

「いい隠れ場所?」

「ほらあるでしょ?いつもは入っちゃいけない所とか……普段は絶対見えない所とか――」

 

俺がそこまで言った瞬間だった。

 

 

――ガァン!!

 

 

突然、脳天に衝撃が走り、ほぼ同時に痛みが頭から身体へと駆け巡った。ってか、頭殴った音じゃねぇだろこれ!?

 

「い゛っだあぁぁぁーーっ!!?」

「ったく!殺人犯が乗ってるってぇのに、ちょろちょろしやがって!!」

 

俺の悲鳴に混ざって聞き慣れた声が耳に入る。見るとそこにはおっちゃんと蘭が立っていた。

 

「あ、あれ?おじさんたち、何でここに?レストランにいる人たちは?」

「カエル先生以外好き勝手に出て行っちまったよ。止めたんだが聞いてくれなくてなぁ、クソッ!」

 

何だって!?じゃあ鯨井さんも今は一人なのか!?

内心焦る俺に、唐突に蘭が問いかけて来たのでその思考がいったん止まる――。

 

「あれ?……ねぇコナン君、服部君は?」

「――え?会わなかった?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:服部平次

 

 

 

(な、何で()()()()こんな所に……!?)

 

()()()()()で見つけたその人物に、俺は動揺を隠しきれなかった。

 

(この人が()()()()()()ここにおる……っちゅうことは、犯人はやっぱし俺と工藤の推理するもう一人の方――)

 

動揺する胸の内を抑えてそう思いながら、俺は船首にいるその人物に近づこうと手すりを跨ぐ。その瞬間――。

 

「……!?」

 

――突然、背後で気配を感じ振り向くと、そこには()()()()()()()俺に向けて鉄パイプを振り下ろしてくるのが目に入った。

 

 

 

 

 

 

 

「……ぶはぁっ!!」

 

殴られた衝撃で海に投げ出された俺は、海面から必死になって顔を出した。

幸い、殴られた場所が背中で致命傷にはならず意識も有り、落ちた後も船のスクリューに巻き込まれずに済んだ。

しかし、俺の胸中は混乱の渦にあり、困惑の眼差しで俺のそばを横切っていく船を見つめていた。

 

(ど、どういうこっちゃ?何で()()()()俺を……!?まさか、亀田を殺したんは()()()なんか!?だとしたら、一体どうやって……!?)

 

俺がそんな事を考えていると、ふいに船の上から『何か』が俺のいる方へ向けて落とされてきたのを俺の目がとらえた。

 

(な、何や?)

 

バシャン!と、水しぶきを上げて海面に落とされた物が何なのか気になり、俺は手に持ったままの懐中電灯の光を頼りに、暗闇の中でそれを探し、見つける。

 

「こ、これは……!」

 

見るとそれは、船に備え付けられていた()()()()()()()()であった。

 

(だ、誰や?誰が投げて寄こしたんや!?)

 

明らかに俺に向けてこれらが投げられて来たことは間違いなかった。

混乱する俺をしり目に、夜の闇に染まる船がこちらに背を向けて、その姿を小さくさせながら静かに去って行った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:???

 

 

 

――よぉ、久しぶりだな。と、言っても()()()()()()()()んだろうがな。

 

――まさかお前が()()()()()()()()()()()()()()()()()()、良いザマだ。

 

――()()()()よくもやってくれたな。おかげで()()()()()()()()あげく()()()()()、文字通り泥水をすする生活を強いられる事になってこのザマだ。

 

――……そうだな、()()()()()()を返すいい機会だし、このままお前を海に放り出すのも一興かもしれないな。

 

――…………。

 

――……フッ、いいや、もっと良い手がある。

 

――()()()()一泡吹かせるもっといい手だ。お前にも否が応でも協力してもらうぞ?と言うか、お前自身もあいつのせいで()()()()()あわされてるんだ。このまま()()()()より、俺の策に乗った方が遥かにマシだろ?

 

――一緒にやろうぜ?――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――あいつへの()()()()




ついにこの事件も折り返し地点に来ました。
次回から後半へと参ります。


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カルテ20:叶才三【事件編・5】

毎回の誤字報告と感想、真にありがとうございます。


SIDE:三人称視点。

 

 

 

「……いない」

 

先程までレストランにいた磯貝渚は、毛利小五郎の「このレストランにいた方が良い」という忠告を押し切って、一人()()()()()()にやって来ていた。

焼死体事件が起こるほんの少し前まで、ここで賑やかにお酒やポーカーをしていたのが、今は見る影もなくシンと静まり返っている。

()()()()()()()()()()薄暗く、寂しい空間――。そう、本来()()()()()()()()()()()()すら、ここにいなかった――。

 

()()()……一体、どこに行ったの?」

 

磯貝がここに来た理由は他でもない、ここにいた()()()にもう一度会うためだ。

ちょっと前に初めて会ったはずなのに、どこか凄く懐かしい雰囲気を持つ()()()()に、磯貝は何かに惹かれるようにもう一度会いたくなったのだ。

それは、異性を意識するような恋煩(こいわずら)いとはまた違う、それとは全く別な感情――。

誰もいないレストルーム。まるで世界に自分一人だけが取り残されたような孤独感に、磯貝は思わず胸元をギュッと握りしめ――。

 

「……!?」

 

()()()()()()()()()()無くなっている事に磯貝はここに来てようやく気付いた――。

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

 

「ねぇ、今変な水の音しなかった?」

 

おっちゃんたちとレストランへ戻っている最中、唐突に聞こえてきた()()()()()()()()()()()に俺の足が止まる。そして、前を歩くおっちゃんへとそう問いかけていた。

俺の言葉に怪訝な顔をしながらおっちゃんは答える。

 

「変な水音?…………。カツオでも跳ねた音じゃないのか?この辺りは、カツオやトビウオの漁が盛んだって言うしな」

(そう……なのか?だが、それにしてはあの水音を聞いてから胸騒ぎがして落ち着かない。むしろ、ざわつきが増してきているのが分かる。……くそっ、鯨井さんも見つけなきゃいけないってのに、何だってんだ!?)

 

そう思った俺の視界にふと船の受付が目に入った。それを見た途端、俺は考えるよりも先に受付にいた船員たちに駆け寄った。

 

「ねぇ、関西弁のおにいちゃん、見なかった?」

「関西弁の?」

「ああ、あの少年ならさっき懐中電灯を借りに来たよ」

 

受付の中にいた二人の船員が続けざまにそう言い、俺は目を丸くする。

あいつが先にここに来てたんなら、俺にマスターキーを渡さずに自分で返しに来ればよかったじゃねぇかと最初思ったが、そんな思いは直ぐに吹っ飛んだ。

 

(懐中電灯?……だとすると、アイツ外のデッキに出て何かを探していた可能性が高い。……じゃあ、あの水音はまさか……まさかッ!)

 

そこまで考えた俺の体は自然と走り出していた。背後から蘭が「あ!ちょっと!」と俺を呼ぶ声が聞こえたが、今の俺にはそれに応える余裕は無い。

 

(馬鹿な!あいつに限って……そんなはずは!!)

 

自分に言い聞かせるようにして心の中でそう叫んだ俺は、船外の通路に飛び出す。

そして、通路を走りながらあらん限りの大声でアイツの名を呼び続けた。

 

「服部ぃ!……おーい、服部ぃーッ!!いるのかぁーッ!!いたら返事しろぉーッ!!おーい!!はっと――」

 

唐突に俺の声が途切れ足も止まる。俺の目の前にはまるで大量の墨を垂らしたかのような漆黒の大海原が広がっていた。

空に浮かぶ星々も今夜はあまり見えず、それがかえってこの世界を暗黒へと塗りつぶしている。

顔に当たる夜風も冷たく、俺の心の奥底に抑え込もうとしている一抹の不安を表に出そうと掻き立たせて来る。

 

「はっ……嘘だろ?嘘だよな!?服部!おいッ!!――」

 

俺は思わず船の手すりに飛びつき身を乗り出すと、あらん限りの声を大海原に向けて響かせた――。

 

 

 

 

「服部いぃィィィーーーーーーーーーーッッッ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はっとり――」

「こら!危ないじゃないか」

「――あ、え?か、カエル先生!?」

 

再び叫ぼうとしたところを背後から腕が伸びて来て俺を抱き上げた。

振り返って見るとそれはカエル先生だった。そばには何故か鯨井さんと磯貝さんもいる。

呆然となる俺に抱えているカエル先生がやや険しい顔で口を開く。

 

「だめじゃないか、もし落ちたりしたら――」

「――あ、でも……」

 

俺が反論しようと口を開きかけた時、それよりも先に磯貝さんが口を開いた。

 

「そうよ坊や。……この広大な大海原に放り出されたら、ちっぽけな人間なんて無力……助からないわ」

「…………」

 

磯貝さんのその言葉に、俺は二の句が継げなくなり大人しくなってしまう。

それを見たカエル先生はホッとした顔で俺を床に下した。

それと同時に、俺を探しに来た蘭とおっちゃんがやって来る。

 

「コナンくーん!……もぅ、何やってんのよぉ」

 

安堵を浮かべて俺に駆け寄って来る蘭に俺は声を上げる。

 

「だって、平次にいちゃんが――」

「ふん、あいつのこった。どーせどっかで犯人の手がかりを探してんだよ」

「そうそう。心配しないで、その内ひょっこり顔を見せるわよ」

 

おっちゃんの言葉に同意するように蘭もそう言い、再び俺は二の句が継げなくなる。

するとそれを見たおっちゃんは、今度は磯貝さんたちに目を向ける。

 

「それより、どうしたんです?カエル先生も一緒になって三人揃ってこんな所で?」

 

おっちゃんの質問に煙草を吸っていた鯨井さんが答えた。

 

「彼女に頼まれて、探し物していたんですよ」

 

親指で軽く磯貝さんの方を指さしながらそう言う鯨井さんに、おっちゃんは「探し物?」と怪訝な顔でそう呟きながら磯貝さんの方へ眼を向ける。

それに対して磯貝さんは何でもないかのように口を開いた。

 

「……()()()()()よ。ちょっと前に無いのに気づいてあちこち探してたら鯨井さんとばったり会ってね。訳を話したら一緒に探してくれるって言うんで、なら人数が多い方が見つかりやすいと思ってレストランで本を読んでいたこのお医者さんにも声をかけたのよ」

 

「どうしてもと言われてね?」と頭をポリポリとかきながら苦笑を浮かべてカエル先生がそう言うのと同時に、唐突に蘭が何かを思い出したのかハッとした顔を浮かべる。

 

「……あ。もしかして、この写真入りのロケットの事ですか?」

「え?」

 

目を見開く磯貝さんの目の前で、蘭がポケットからロケットのペンダントを取り出す。

 

「鎖が外れて、船の舳先(へさき)の所に落ちてましたけど……」

 

そう言って蘭は手に持ったロケットを磯貝さんに渡した。

 

「ああこれよ、ありがとう。……きっと夕方あそこにいた時、落としたのね」

「じゃあ写真に映っていた女の子が渚さんで、抱えていたのがお父さんですか?」

「……ええ」

 

蘭のその言葉に、磯貝さんはさり気なく目をそらしながらどこか寂し気にそう響く。

そんな蘭に背後からおっちゃんが声を上げた。

 

「ったく、どうして直ぐ返さねぇんだ」

「だってぇ……。お父さんの顔の所に穴が開いてて、誰だか分かんなかったんだもん。……もしかしたら、他の誰かが娘さんと撮った写真かもしれないでしょ?……夕食の時、誰のか聞こうと思ってたの忘れてたの」

 

そこまで言った蘭はハッとした顔を浮かべると、申し訳なさそうに磯貝さんに声をかけた。

 

「あ……すみません。穴が開いてたなんて」

「いいのよ。どうせ()()()()()()()()()()()だし。これしか残ってないのよ……()()()()()()

 

全く気にしていないという風にやんわりと磯貝さんがそう言いながら、ペンダントを首に付ける。

 

「……ッ」

 

その後ろで鯨井さんが信じられないモノを見るかのように、驚愕の目で磯貝さんを見つめていたのを俺は見逃さなかった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アンタら何考えてんだ!殺人犯がこの船に同乗してるってのにうろちょろと!!」

 

レストランで鮫崎さんの怒号が響き渡った。

おっちゃん先導のもと、いったんレストランへ戻ってきた俺たちを迎えたのは、一足早くここに戻ってきて誰もいないレストランに怒り心頭で仁王立ちする鮫崎さんであった。

その怒りをほとんど一身に受けるおっちゃんは元上司なのもあってか小さく縮こまっている。

 

「毛利!何でレストランから外に出した!?」

「あぁ、いいぃやそのぉ……カエル先生以外のこのお二方が部屋で休むと言われたので」

 

鮫崎さんの言葉に冷や汗を流しながらおっちゃんが声を震わせてそう答える。

するとそれに便乗する形で磯貝さんも口を開いた。

 

「そうよ。貴方たちに命令される筋合いはないし。……それにこれ以上一緒に居たくないのよ、ヒステリックなお爺さんとはね」

「何だと!?」

 

歯に衣着せぬ磯貝さんのその言葉にカチンときたのか、鮫崎さんの怒りの矛先がおっちゃんから磯貝さんに移る。

しかし、磯貝さんは鮫崎さんのその怒りの視線を涼しい顔で受け流しながら、言葉を続ける。

 

「一人になるのが危険だって言うのなら、部屋に鍵をかけてこの子たちと夜明けまでトランプでもやってた方がよっぽどマシよ。ねぇ?」

 

そう言って磯貝さんは俺と蘭に同意を求めるように視線を向けてきた。

しかし、俺たちがそれに答えるよりも先にカエル先生が声を上げる。

 

「一人にならずに済むのなら、それもいいのかもしれないね?本当なら、こうやって夜更かしするのも健康に悪いから医者としては見過ごせない所なんだが、この状況じゃあ四の五の言ってられないしねぇ?……それよりも、鮫崎さん。探していた蟹江さん、見つかったのかい?」

「!……あぁいや、何処かに消えたままですよ。叶と一緒に」

 

カエル先生にそう問いかけられ、鮫崎さんはいったん怒りを収めそれに静かに答える。

娘さんの命の恩人ともあって、カエル先生には強気に出れないようだ。

そこへ蘭も声を上げる。

 

「あ、鮫崎さん。服部君見ませんでした?」

「おいおい!平蔵(へいぞう)(せがれ)も居なくなったのか!?」

 

驚いて声を荒げる鮫崎さんに、おっちゃんと蘭は委縮しながら同時に頷く。

 

「~~ッ、クソッどうなってんだこの船はぁ!?」

 

悪態をつく鮫崎さん。それと同時に、委縮状態から立ち直ったおっちゃんが力の入った声をレストランに響かせた。

 

「とにかく、これからは単独行動を避けてもらいます。犯人は、我々以外の誰か。もしかしたら、皆さんの中の誰かが一人になるのを、何処かで待ち伏せしているかもしれません」

 

それには俺も同感だった。

最初に銃声がした時、鮫崎さんは俺たちとレストルームに居たし、鯨井さんもトイレから戻って来ていた。

そして銃声がする直前には、カエル先生も戻って来ていたし、皆で上のデッキに駆け上がった直後に、船尾で爆発が起こり、遺体が入った箱に火がつけられた……。

上のデッキに駆け上がるまで誰ともはぐれてないし、途中で合流し、一緒にデッキに上がって来た磯貝さんにも火をつけるのは無理だ。

……となると、あの焼死体が亀田さんと断定している今の段階では、火をつけるのが可能なのは……あの時デッキにいなかった蟹江さんと……()()()()

 

「……ボク、ちょっとトイレ行って来るから、待っててね!」

 

そう言い残し、俺は席から立ち上がるとレストランを飛び出し、先程も入ったすぐそばのトイレに駆け込むと個室に入り鍵をかける。

 

(……もし本当に、()()()()この船に乗り込んでいるのだとすれば、それは俺たちみたいに()()()()()()()()()……。カエル先生が()()()()()()()()()()()()()()()()のだとすれば……)

 

そう考えながら俺はポケットから阿笠博士が作ってくれた『イヤリング型携帯電話』を使って、博士の家へと電話をかけた。

 

『もしもし?……おお、新一か!どうしたんじゃ?』

 

電話口に出た博士に、俺は要件を手短に話す。それを静かに聞いていた阿笠博士は電話越しに一つ頷くと口を開いた。

 

『……わかった。さり気なく高木刑事にでも声をかけて調べてもらう事にしよう。……もう日を跨いでいるこんな時間じゃから今も警視庁にいるのかは分からんがな』

「悪いな博士。出来るだけ急いでもらえるよう頼むぜ」

 

もし、高木刑事が就寝中ならば、こんな時間に叩き起こされることになる。

俺は心の中で高木刑事に手を合わせて謝罪をせずにはいられなかった。

 

『うむ……で、要件はそれだけかのぅ?』

 

「ああ、それだけだ」と言いかけたのを俺は直ぐに止める。

もう一つあった。それは20年前の事件で一つだけ分からなかったこと。

 

「博士、20年前の4億円事件て知ってるか?」

『おお、知っとるよ。と言うか、丁度今その事件の特番を見ておった所じゃ。……民事の時効が明けると言って、昨夜から派手にやっとった。後で君が見たがると思って録画しておいたんじゃが』

「犯人たちの事、何か言ってなかったか?」

『ああ、確か言っとったよ。……主犯の叶才三の顔は分かっておったが、残りの三人の仲間はモンタージュ写真があるだけで身元は未だにはっきりしてないと……』

 

博士のその言葉を聞きながら俺は話を続ける。

 

「……俺も実は、その事件の事はおっちゃんやカエル先生から聞いてある程度は知ってはいるんだ。……カエル先生が当時撃たれた銀行員の女性を助けた事も」

『おお、そうか。……あ奴も当時は世界中から引っ張りだこな生活を送っとったから、その中で起こったあの事件は結構心労に来たと後々になって言っとったよ。……しかも治療後すぐ、()()()()()()()()()()にも行かなければならなくなった、とも嘆いておった』

(次の仕事……)

 

俺はその単語を頭の端に留めておきながら、意を決して本題へと切り出した。

 

「それで話は戻すけど、主犯の叶の死は確かなのか?」

『ふむ……実際の所はやはりまだ分からんらしい。だが、弾痕と彼の血が付着した上着が浜に打ち上げられたから警察では、仲間割れによって彼は殺害されたと断定したそうじゃ』

「断定……死体も上がってねぇのにか?そんなあやふやな状態で死亡が確定出来るわけねぇと思うが……」

 

そう言った俺が耳を傾けるイヤリング携帯の向こうでも阿笠博士が頷くのが分かった。

 

『もちろん。表向きには()()()【行方不明】扱いになっとったらしい。血の付いた上着だけじゃあ生死も分からないし、世間は納得できるはずもないからのぅ。それ故、上着の件も当時は世間に公表せず、()()()()()()()()()()()()()()()()()にしか伝えてなかったらしい』

「今まで、ってことは、それが公表されたのは――」

『――ああ、民事の時効が明ける丁度この日……今テレビで流れているこの特番で()()()()()()()()()()()()じゃよ』

「!(ってことは――)」

 

思考の海に意識が沈むのを、俺は直前に踏みとどまる。まだ博士から聞かなければならない事があったからだ。

 

「……その血の付いた上着だけどさ。よく分かったよな、それが叶の上着だって」

 

そう、それこそが俺が一番聞きたかったことだ。弾痕と血が付いていただけじゃあDNA鑑定していたとしても当時は誰のものなのか分かるとは思えなかったからだ。

俺のその問いかけに、博士はすんなりと()()()()()答えてみせた。

 

『ん?……おぉ、上着の内ポケットに入っておったんじゃ。彼が肌身離さず持っていたという――』

 

 

 

 

 

 

『――()()()()()()()()()()がな』

 

 

 

 

 

「っ!?……何だと!?」

 

驚く俺に気づいていないのか、博士はそのまま詳細を話し始める。

 

『その写真を元に警察が捜査したところ、とある家族のもとにたどり着いたらしい。その時、既に顔が割れていた叶の似顔絵を見せたら、あっさりとその家の主が叶であることが分かったんじゃと。……警察が家の者に話を聞いてみた所、その人たちは叶が犯罪を行っていた事など全く知らなかったらしく酷く驚いていたとテレビで言ってたのぅ』

「…………」

『……その後警察は、その家族に世間の目が浴びぬよう、上着の件同様緘口令(かんこうれい)を敷き、この話は叶の身内と警察だけのものとなったらしい。しかし、それでもいつか周囲にその事がバレるのを恐れた叶の親族は、()()()()()()()()()()()()を連れて、どこぞへと引っ越して行ったと言ってたのぅ』

 

博士の話を聞きながら、俺は()()()()()が口にしていた言葉を脳裏で思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……この広大な大海原に放り出されたら、ちっぽけな人間なんて無力……助からないわ』

 

『いいのよ。どうせ()()()()()()()()()()()だし。これしか残ってないのよ……()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……おいおい、マジかよ。じゃあ、()()()()あの新聞に載ってた()()()()()()に気づいてこの船に乗り込んで来たって言うのか?

だとしたら、この船には()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という事になる。

 

(……一体、犯人はこの船にそんな人たちを集めて何を――)

 

俺がそう考えていた、その次の瞬間であった――。

 

 

 

 

 

 

――ダァン!

 

――ダァン!!

 

――ダァン!!!

 

――ダァンッ!!!!

 

 

 

 

 

――立て続けに四発の破裂音が、船全体に轟き響き渡った。

それが携帯越しに聞こえたらしく、博士も酷く慌てた感じで声を上げてきた。

 

『な、なんじゃ今の音!?』

「とりあえずいったん切る!何か気づいた事や知らせたい事があったら連絡してくれ!!」

『お、おい新い――』

 

何か言いかけてきた阿笠博士との通信を一方的に切ると、俺はイヤリング型携帯電話をポケットにしまって急ぎトイレを飛び出していた――。



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カルテ20:叶才三【事件編・6】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。


SIDE:江戸川コナン

 

 

 

俺がトイレを飛び出したとほぼ同時に、おっちゃんと鮫崎さんもレストランを飛び出してくるのが見えた。

 

「今のどっからだ!?」

「船尾の方からだと……!」

 

鮫崎さんの言葉におっちゃんがすぐさま答える。

そして、二人は発砲の主を左右からそれぞれ分かれて回り込み、挟み撃ちにすべく駆け出す。

俺も、蘭が止めるのも聞かずにおっちゃんたちの後を追って走り出した――。

 

 

 

 

 

――そして、おっちゃんたちから一足遅れて俺も船尾へとたどり着く。

背後から蘭たちも駆けつけて来る足音が聞こえた。

 

――船尾には誰もいなかった。

 

おっちゃんたちが二手に分かれて挟み撃ちにする形で船尾にやって来たものの、発砲した犯人は影も形も無かったのだ。

 

「い、いません!」

「そんなはずはない!探せ!!」

 

汗をびっしょりと掻き、息を切らしながらおっちゃんと鮫崎さんが言葉を交わす。

俺は発砲した犯人の事も気になったが、それ以上に気になる事もあった。

 

(どうした服部……。何故出てこない!?……いつものお前なら、この音聞いて飛んで来るはずじゃねぇか……!!)

 

あれだけの大きな音、しかも四発。この船に乗っているのなら間違いなくアイツも聞いて駆けつけて来るはず。

 

(一体、どうしちまったって言うんだよ?……服部!)

 

俺がそんな事を思っている間にも、目の前でおっちゃんと鮫崎さんの捜索が続いていた。

ふとおっちゃんが床に付けられた扉を開いて見せる。それはさっき俺が服部と船を調べていた時に俺が出てきた、機関室に続く扉だった。

 

「警視殿。まさか、奴はここを通ってまた船内に……!」

「叶だ……。犯人は叶に間違いない!……あちこちで発砲して、ワシらをかく乱しているんだ……!!」

 

鮫崎さんがそう叫び、おっちゃんが「でも……一体、何のために?」と言って床の扉を閉めて立ち上がる。

すると同時に、俺たちの一番後ろから声が上がった。

 

「わ、私だ……!!」

 

振り返ってみると、そこには()()()()()()()()()()()()()()()()()、涙目になっている鯨井さんがいた。

 

「わ、私を……私を、殺す気なんだ……!!私を……!し、死にたくない!私はまだ……死にたくない!!」

 

その姿勢のままへなへなと座り込み、蹲る鯨井さん。そこへゆっくりとした足取りで鮫崎さんが近づき、彼に声をかけようとした瞬間、鯨井さんが顔を上げて涙目のまま鮫崎さんに懇願する――。

 

「お、お願いします!私を守ってください!何もかも全て話しますから……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

レストランへと再び戻った俺たちは、怯える鯨井さんから様々な事を打ち明けられた。

 

――やはり鯨井さんは、20年前の事件で叶才三が率いていた仲間の一人であった。

 

この船に乗ったのは、20年間逃げ通した喜びを()()()()()分かち合うためだったという。

ある時、仲間の一人から「船が出てしまえば時効が明けるまで捕まる事は無いから」と書かれた手紙と、古い一万円札が同封された封筒を受け取りこの船に乗り込んだものの、会うのは久しぶりな上、お互い名前や顔を変えていたため最初は乗客の誰が仲間だったのか分からなかったらしい。蟹江さんに声をかけられるまでは。

そしてその蟹江さんから、もう一人の仲間が亀田さんだと聞かされたのだという。

 

そこまでをはたから聞いた俺は、ふと思い出す。

初めてこの船に乗り込んだ時、蘭が拾った判子――『()()』と書かれた()()()()()()()()()()()()()()という事を。

 

(あの時、最初は亀田さんが古川大だと思っていたんだっけ……)

 

しかし後々、磯貝さんから亀田さんの名前を聞かされ、それが違っていたのだと理解したのだ。

 

(……でも、だったら何であの判子を亀田さんが持ってたんだ?それにあの判子を落とす直前、亀田さんも蟹江さんが鯨井さんにしたように、おっちゃんや鮫崎さんに向けて()()()()()()()()()()()……。まさかあれは――)

 

俺がそこまで考えた時、おっちゃんが鯨井さんに向けて声を上げた。

 

「で?誰なんだ?……アンタの命を狙ってる奴ってのは?」

「ぅ……そ、それが……()()()()()()()()

 

腕を組んだまま項垂れてそう呟く鯨井さんに、今度は鮫崎さんが声をかける。

 

「ふん!とぼけんなよ。……お前らに裏切られた叶才三じゃねぇのか?」

「そんなはずありません!!あの人は20年前に()()()()()()()()()死んだはずです!!」

 

ダン!とテーブルに掌を叩きつけて座っていた椅子から立ち上がる鯨井さん。

と、そこへ今まで黙っていたカエル先生が唐突に口を開いた。どうやら、先程言った鯨井さんの言葉の中に聞き捨てならない部分があったようだ。

 

「銃弾を浴びて……。それは本当なのかい?」

「!……ええ、そうです!あの人は仲間に()()()()()を撃ち込まれ、断崖から海に落とされたんですから!」

 

突然おっちゃんたち以外から質問を投げかけられ、少し面食らった鯨井さんだったが、それでもちゃんとカエル先生の問いに答えた。

鯨井さんからのその返答に、カエル先生はそれ以上何も言わず沈黙するも……俺にはカエル先生の心境が手に取るように分かった。

……恐らく、カエル先生は今、こう思っているのだろう――。

 

()()()()……)と。

 

すると、再びおっちゃんが鯨井さんに向けて口を開いた。

 

「叶じゃねぇってんなら、蟹江の奴じゃねぇのか?金を独り占めにするために。……まだあの金、使ってねぇんだろ?」

 

目を細めて見据えて来るおっちゃんに、鯨井さんはグッとのどを鳴らしておずおずとそれに答え始める――。

 

「……私も最初はそう思いました。……でも、何かおかしいんです。……辻褄(つじつま)が合わないんですよ――」

 

鯨井さんがそこまで言った、次の瞬間であった――。

 

 

 

 

 

ダァンッ!!

 

 

 

 

 

「――ぐぅぉっ、あぁっ!!?」

「何っ!?」

 

突然の発砲音と共に鯨井さんが床に崩れ落ち、鮫崎さんが反射的にレストランの窓へと視線を向ける。

 

「ぐぅぁぁぁっ!!!」

「皆、伏せろぉっ!!」

 

腕を抑えて床を転げる鯨井さんの呻き声と、おっちゃんの声が同時にレストラン内に響き渡る。

その場は混乱しながらも全員がおっちゃんの指示に従って床に伏せた。

身を低くしながら鮫崎さんとカエル先生が鮫崎さんに駆け寄る。

 

「大丈夫か!?鯨井!!」

「どれ、見せてみなさい!」

 

鮫崎さんとカエル先生は二人がかりで痛みで呻く鯨井さんから上着を脱がせる。

 

「ぐぅぉぉ……っ!」

「動くな、鯨井!どこだ?どこを撃たれたんだ!?」

「ジッとするんだ。……ん、ここか!」

 

あまりの痛さからか呻きながら暴れ始める鯨井さんを、鮫崎さんとカエル先生が抑えながら撃たれた所を探す。

すると、鯨井さんが腕を抑えているのを見つけたカエル先生が、強引に彼の抑えている方の腕をどかしてその部分のシャツをビリビリと引き裂く。

その下には赤黒い血を溢れさせた小さな穴がくっきりと腕に出来ていた。

 

「じゅ、銃創(じゅうそう)……!」

「……どうやら、弾は貫通しているようだ。不幸中の幸いだね」

 

緊迫した表情でそう呟く鮫崎さんと、鯨井さんの容体を確認してホッとするカエル先生の声が重なる。

 

「くそぉ、一体どこから……!?」

 

そう言いながら鮫崎さんが顔を上げた時、呻く鯨井さんから声がかかった。

 

「ぐぅ……ッ!い、今、()()()()()()()()()ッ……!!」

「何ッ!?」

 

鮫崎さんが驚きながらそう声を上げた瞬間だった――。

 

 

 

 

 

 

 

ダァンッ!!

 

 

 

 

 

 

『!!』

 

再び轟く破裂音。場は騒然となる。俺はレストランの窓のそばに駆け寄ると、物陰から外の様子をうかがう。

そんな俺に、テーブルの陰に隠れていた鮫崎さんが声をかけてきた。

 

「おい、坊主!伏せてろ!」

「…………」

 

だが、俺は鮫崎さんの言葉をあえて無視して、弾丸が飛んできたと思しき方向――真っ暗な夜の船首の方へと目を凝らした。しかし――。

 

「……()()()()()()!」

「何ぃ!?」

 

俺の背後でおっちゃんの素っ頓狂な声が上がる。

どれだけ目を凝らして辺りを見回しても、銃撃したと思しき犯人の姿が影も形も見当たらなかったのである。

 

「野郎……!逃がしてたまるかぁ!!」

「け、警視殿ぉ!!」

 

そう叫ぶとおっちゃんが止めるのも聞かず、鮫崎さんはレストランから船首の方へと飛び出して行った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:三人称視点。

 

 

 

鮫崎は外に飛び出すとレストランと船首を繋ぐ出入り口の物陰に隠れながら、辺りの様子をうかがった。

夜の船首は暗く、聞こえるのは波と風の音ぐらいで人の気配は全くなかった。

 

「おぉい!どこだ!!どこにいる!?」

 

そう鮫崎が叫ぶも、夜の闇から帰って来る声は無い。

鮫崎がふと上を見ると、そこにはこの出入り口を照らすためのサーチライトが取り付けられており、触れてみるとある程度動かすことが出来るようになっているみたいであった。

それに気づいた鮫崎は、サーチライトを手を使って動かし、辺りを照らし出してみる。

いつ奇襲を受けるかも分からないため、入念に辺りを警戒しながら慎重に辺りに目を凝らしていく。

 

「叶!お前、叶才三なんだろ!?どこにいる、出て来い!!」

 

そう叫びながら鮫崎はサーチライトの明かりを頼りに船首をくまなく見まわしていく――。

ふと、舳先(へさき)の方で何かが落ちているのが目に入った。

 

「……?」

 

気になった鮫崎は舳先の方へとサーチライトを向ける。するとそこには――。

 

「な、に……?」

 

それを目にした鮫崎は呆然とそう響く。

――船の舳先の床。そこには波しぶきを受けながら、()()()()()()()()()()()()()()が落ちていたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

 

 

 

鯨井さんを撃った犯人が船首にいないことを確認した鮫崎さんは、レストランにいたおっちゃんを呼んで実況見分に移り、俺もちゃっかりとその場に入り込む。

舳先近くの床に落ちている拳銃と紙マッチを見ながら、鮫崎さんは呟く。

 

「拳銃に紙マッチ……。それに、()()()()()()()()()()()()()()()()()……」

「ええ。そして……」

 

おっちゃんはそう響きながらとある方向に視線を向ける。

鮫崎さんと俺も同じように、おっちゃんと同じ方向を向き、()()()見た。

そこには舳先から少し離れた手すりのそばに、『救命ボート』と書かれた大きな箱が置かれており、その箱の蓋が乱暴に開けられ、()()()ごっそりと無くなっていたのである。

俺は再び視線を舳先の床に戻すと、そこに落ちている紙マッチを見ながら呟く。

 

「……この紙マッチ、蟹江さんのだよ。僕、レストランで蟹江さんが鯨井さんに貸してる所見てたもん」

「なるほど。……ってぇことは、さっき鯨井を撃ったのは蟹江の線が高いってわけか」

「そうでしょうね。しかも銃声がした時、蟹江と叶の二人以外は、全員あのレストランの中に居ました」

 

腕を組んでそう響く鮫崎さんに同意するように、おっちゃんもそう言った。

うむ、と何かを考えるように鮫崎さんがそう唸ると口を開く。

 

「……つまりは、こういう事か?……この船の舳先に潜んでいた蟹江が、レストラン内でペラペラと20年前の事件のことを話す昔の仲間を見かねて……射殺しようと発砲したが、命は取れず……。直ぐさまワシらが追ってくると危惧した奴は、そばに設置されていた救命ボートを慌てて引っ張り出し、それを海に投げ入れて直ぐに自分も海へと飛び込んで逃走したって所だろうな……。だとしたら、撃たれた鯨井が聞いたっていう海に何か落ちる音は蟹江が海に救命ボートを落とす音。そしてその直後に轟いた二発目の銃声は、逃走の時間稼ぎのために、ワシらに警戒心を起こさせて足止めさせるための威嚇射撃(いかくしゃげき)……」

 

そこでいったん言葉を止めた鮫崎さんは、自身の後頭部をガシガシと掻きながら落ちている拳銃のそばにしゃがみ込むと、手袋をした手でそれを拾い上げた。

 

「……しかし、その威嚇射撃で全弾使い切っちまったらしいな。見ろよ毛利、()()()()()()()()()()()()()()()

 

鮫崎さんの言葉どおり、拳銃のスライド部分が後退したままになっていた。

オートマチックの拳銃の場合、弾切れになるとスライド部分は元に戻らず、引かれたままの状態になるのだ。

 

「……ああ、確かに。だから蟹江は銃をここに捨てて行ったんですかね?弾が無いんじゃ荷物になるだけだと思って」

「かもしれねぇな」

 

おっちゃんの言葉に鮫崎さんがそう短く答え返す。

するとおっちゃんは、今度は首をかしげながら眉根を寄せて疑問をポツリと口にする。

 

「しかし、犯人が蟹江なら何で亀田を殺したんでしょうね?わざわざ自分の服を着せてまで……」

「……動機があるとすれば、20年前の事件で手に入れたあの金を独り占めにするためだろうよ。だからこそ亀田に自分の服を着せて燃やし、最初に死んだのが自分だったと周りにそう思い込ませて容疑者から外れ、次に鯨井を殺す算段だったのやもしれん。……まぁ、そうやって苦労して行った偽装工作も、あのカエル先生にすぐさま看破されちまって水の泡になっちまったがな」

 

ふぅ、と一息吐いた鮫崎さんは目を細めながら言葉を続ける。

 

「……まぁ、とにかく。亀田の件とこの現状から察して、やったのは蟹江で間違いなさそうだ。亀田を殺し、最後に鯨井を殺そうとしたが仕留めきれず、止む無く逃走した。……その間奴がどうやってワシらの捜索をかいくぐって船首に身を潜めていたのかも、この舳先に括り付けられた縄バシゴを見りゃあ自ずと察しはつく」

 

そう言いながら鮫崎さんは舳先の手すりから身を乗り出し、舳先の外に括り付けられ垂れ下がる縄バシゴを見下ろした。

おっちゃんと俺も同じように縄梯子を見下ろす。

 

「……恐らくこの縄バシゴは、亀田の遺体が入れられていたあの箱に元々入っていたモンだろう。蟹江はそれを舳先に括り付け、垂れさがる縄バシゴにしがみ付きながらずっとここで息を殺して隠れていたんだろうよ」

 

鮫崎さんの推理を聞きながら、俺は顎に手を当て目の前にある舳先の現状を見つめながら思考し始める。

 

(……確かに、この現場を見れば鮫崎さんの推理もうなずける。……でもこの状況、まるで蟹江さんが救命ボートで逃げたんだと、周りにそう()()()()()()()()ような気がしてならない。……もしもそうなら、この現状は真犯人によって偽装されたものになる。でも、何故そうする必要があったんだ?)

 

俺は目を細めて更に思考を巡らせていく。

 

(……わざわざ蟹江さんが逃走したという偽装をしなくても、まだこの船に潜んでいると周りに思わせていた方が手間がかからずに済むのに……。もしかしてこの現状は、真犯人にとって()()()()()()()()()()()()()()()()なのか……?)

 

そこまで考えた所で、おっちゃんと鮫崎さんがレストラン内へと戻り始め、俺も思考を止めて慌てて二人の後を追った。

レストランの中に戻ると、丁度カエル先生が鯨井さんの腕の治療を終えた所であった。

いつの間にかカエル先生の傍らには先生がいつも持ち歩いている医療セットの入ったカバンが置かれていた。恐らく俺たちが船首に行っている間にカエル先生が客室に置いておいたのを取って来たのだろう。

 

「どうですかカエル先生。鯨井さんの怪我の具合は?」

「心配ないよ。動脈も少しやられてはいたが、縫合(ほうごう)して止血もしたからもう出血する恐れはないよ」

 

おっちゃんの言葉にカエル先生は笑ってそう答えると、鯨井さんの包帯で巻かれた腕をポンポンと軽く叩いて見せた。

 

「それにしてもアナタ本当に運が良いわね。……背広と腕に穴が開いただけで済んだんだから」

「ぐぅ……ッ!」

 

鯨井さんが来ていた背広の袖――周囲に血がにじんだ小さな穴に自分の指を通しながらからかうようにしてそう呟く磯貝さんに、鯨井さんは苦虫を潰したような顔で睨みつけた。

すると、いつの間にかレストランの窓際にいた鮫崎さんから声がかかった。

 

「おい毛利、あったぞ!弾が通った跡だ」

 

見るとレストランの窓ガラスに弾丸が撃ち込まれたと思われる小さな穴が開いていた。

その穴から外を覗いてみると、そこから船首の舳先が見えた。

 

「……どうやら蟹江が舳先からこの窓ガラス越しに発砲したのは確かなようだな」

「ええ……。あとは、何処かにめり込んだ弾が見つかれば――」

 

鮫崎さんの言葉におっちゃんが頷きながらそう話していると、唐突にカエル先生から声がかかった。

 

「……その弾っていうのは、もしかしてこれの事じゃないのかい?」

 

視線を向けてみると、丁度窓ガラスに開いた穴の真正面――レストランの反対側の壁際にカエル先生がしゃがんでおり、更に先生のそばの壁には小さな穴が開いているのが見て取れた。

おっちゃんと鮫崎さんがすぐさまカエル先生のもとに歩み寄ると、壁に開いた穴を確認する。

それが弾丸のめり込んだ銃痕(じゅうこん)だと確認した鮫崎さんは声を上げる。

 

「おお、間違いねぇ。こいつだ!」

「しかし凄い腕ですな。急所には当たらなかったが、拳銃であんな遠くから狙撃するたぁ……」

 

そうおっちゃんが驚嘆の声を漏らしながら、窓ガラスに開いた穴の方へと振り返る。

確かに舳先から窓ガラス、そしてこの壁までかなりの距離があり、それを拳銃で意図してやってのけたのならかなりの腕前と言ってもいいだろう。

だがそう言ったおっちゃんに鮫崎さんは呆れた顔を浮かべながら口を開いた。

 

「……忘れたのか?あの事件で叶が組んだ仲間の一人が妙に銃器を使い慣れていた事をよ」

 

それにおっちゃんも思い出したようにハッとなる。

 

「そう言やぁ、何処かの国の外人部隊に所属していた男かも、って所まで突き止めましたっけ」

「ああ、それがあの蟹江だったってわけだ」

 

おっちゃんの言葉に鮫崎さんも頷いてそう肯定する。

その会話を横で聞きながら、俺は再び考え込んでいた。

 

(……もし、蟹江さんの逃走が偽装なら、蟹江さん本人の生死が怪しくなってくるな……。もし、すでに蟹江さんがどこかで殺されているのだとすれば、やはりそれをやったのは()()()って事に……。クソッ、こんな時に服部の奴、何処に行っちまったんだ?こんな騒ぎになってるってぇのに、現れないのは不自然すぎる……!)

 

いらぬ不安を振り払うように俺は一度頭を振ると、意を決しておっちゃんたちの目を盗んでレストランを抜け出し、服部の捜索と事件の手掛かりを求めて再び船内を探索し始めていた――。



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カルテ20:叶才三【事件編・7】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。


SIDE:江戸川コナン

 

 

 

レストランを抜け出した俺は、手始めに操舵室(そうだしつ)を訪れ、そこにいた船員に声をかけていた。

 

「え?関西弁の少年かい?……懐中電灯を借りに来たっきり、この操舵室にも来てないけど?」

「おかしいなぁ……。何処行っちゃったんだろう?……ねぇ、一応皆の部屋を探してみてくれない?」

 

俺のその言葉に、船員は困った顔をしながら口を開く。

 

「いいけど、いないと思うよ?」

「そうそう。さっき蟹江って人を鮫崎さんと一緒に探していた時、他の部屋も全部調べたんだから」

 

操舵室の奥からまた別の船員が顔を出し、俺と最初に会話をしていた船員に同調するようにそう言った。

俺はその船員の方へを視線を向け、質問を投げかける。

 

「じゃあ、どっかの部屋に探し物した様子無かった?あのおにいちゃん探偵だから」

 

船員は「う~ん」を首をひねって唸りながら考えるもすぐに首を振った。

 

「……そんなの無かったよ。亀田さんの部屋以外は全部鍵がかかっていたし」

「…………」

 

その返答に俺は俯き沈黙する。

 

(くそ……なら、服部は何処に……)

 

俺がそんな事を思っている間に、目の前に立つ二人の船員が会話をし始める。

 

「しっかし、えらい事になったなぁ」

「ああ。こりゃ後々仕事が増えそうだな。……全てが終わったらさっさと家に帰って()()()()()()()

 

その会話を耳にした瞬間、俺の脳裏で何かが引っかかる。

 

(一杯……。いや待てよ?……確か()()()()()()()ゲームをしていた時、()()()()()()()()()()――)

 

そこまで考えた直後、俺はハッとなり顔を上げると、二人の船員に向けて()()()()()()()()()()()()()()()()()()

俺のその質問に二人は一瞬怪訝な表情を浮かべるも、直ぐに二人とも「そう言えば」とばかりにお互い顔を見合わせる。

 

「……そう言えば確かに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……」

「ああ。……あ、いや、でも待てよ……確かちょっと前に()()()()()()な」

 

片方の船員のその言葉に俺はすぐさま食いつく。

 

「ほんと!?何処で見たの!?」

「ほら、さっき鮫崎さんと一緒に探したって言っただろ?その後、鮫崎さんと別れてからすぐ、別の船員と見回りを始めた時、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「(非常用ハシゴの箱……)その人、その箱のそばで何してたの?」

「ビニールシートを固定しているロープが緩んでいるのを見かけたんで直していた、って言ってたよ」

 

船員のその証言に俺は目を大きく見開く。

 

(まさか……まさか、それって……!)

 

俺の中で『一つの仮説』が組み立てられていく。

舳先の縄バシゴ。懐中電灯を持って消えた服部。蟹江さんが逃走したと思しき現場。そして……船首近くの非常用ハシゴの箱のそばにいたという、()()()

それらが順番に脳内にフラッシュバックした瞬間。俺は船員に向けて叫ぶように声を上げていた。

 

「その非常用ハシゴの箱って何処にあるの!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

話を聞いた俺は、船員から()()()がいたという例の箱の前へとやって来ていた。

箱に触れる前に、俺は周囲に誰かいないか念入りに辺りをキョロキョロと見渡す。誰もいない。

次に俺は、目の前の箱をジッと見据えるとゴクリと一つつばを飲み込んだ。

そしてゆっくりと両手を持ち上げて箱を包むビニールシートを固定する縄の結び目に手をかける。

丁寧に、慎重に、縄の結び目を解きほぐし、緩めていく。

やがて完全に結び目が無くなり、固定していたロープの張りが完全に緩み、ロープが地面に落ちる。

そしてビニールシートを少しずらし、箱の蓋が見えた所で再び俺はつばを飲み込んだ。

 

(さて……鬼が出るか、蛇が出るか……!)

 

険しい顔で口元だけを三日月形に笑みを浮かべる俺。その頬には一筋の汗が流れ落ちた。

俺は両手でその蓋へと手をかける。その手元は若干震えていた。

バックバックと、自身の心臓がうるさく脈動する音だけが耳に届く。

 

「――ッ!」

 

やがて、一度深呼吸した俺は意を決してその箱の蓋を大きく開け放っていた。

 

そして――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そして数分後、俺はその非常用ハシゴの箱からかなり離れた船の外通路にいた。

手すりに片手を、もう片方の手も膝について荒くなった呼吸を必死に整える。

()()()()()()()瞬間、俺はすぐさま箱の状態を元に戻すと一目散にここまで走って来たのだ。そして呼吸を整えると同時に、俺は()()()()()()()()落ち着かせながら()()()()()()()()()()()

 

(ち、違う……!亀田さんを殺した犯人は、()()()()()()()……ッ!!)

 

仮に()()()が亀田さんを殺した犯人なら、動機はほぼ間違いなく()()()()()()()()を一人ずつこの船に隠れながら殺せばいい話だ。亀田さんの時のような偽装工作はするかもしれないが、()()()()()()必要は全くないはず。

 

そして、蟹江さんもまた……亀田さんを殺した犯人じゃない。

 

蟹江さんと亀田さんは乗船直後にはお互いの正体を知り、意気投合している。

そんな相手をわざわざ『古川大』の名前の入った手紙を使って機関室におびき寄せるといった回りくどい方法を使う必要性が見当たらない。

ちょっと話があるからとか適当な理由を付けて人気のない所に連れて来て犯行に及べば済む話だ。

……そして、あの舳先にあった『逃走現場』。あれも蟹江さんが鯨井さんを殺すために作り出した偽装工作という考えもあった。

自分が海へ逃げたと鯨井さんにそう思わせ、警戒心が緩んだ所を確実に仕留める算段だったのだと。

 

――だが、()()()()()()を見た瞬間、その可能性が木っ端みじんに吹き飛んだ。そして、それと同時に()()()が犯人なのではないかと言う説も。

 

(クッソ!だったら犯人は一体誰なんだ!?)

 

頭をガシガシと掻きながら、俺は膝に手をついてかがみ状態だった姿勢を正す。

その時ふと、手すりを持った手に妙な違和感があるのに気が付いた。

 

「……?」

 

手に伝わるその感覚が気になった俺は手すりの手に触れている部分を覗き込み――()()()見つけた。

 

(これは……()()()?しかもその先の……()()()()()()()……!もしかしたら……!)

 

手すりに出来た焦げ跡と剥がれたペンキの跡を発見した俺は、再び全速力でその場を駆け出していた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:???

 

 

 

 

――()()()()、か……。

 

()()()()()()()()()()走り去って行く『眼鏡をかけた小さな少年』の後姿を見つめながら、俺はそうポツリと独り言を響いた――。

あの少年は確か、この船に乗船している名探偵の……毛利小五郎とかいう男の連れだったはずだ。

少年がここに来たのはあの探偵の指示だったのだろうか?だとすると、この船で起きている事件の全容が暴かれるのも時間の問題と見て間違いないだろう。

そうだとすれば……それは俺にとって()()()だ。

どんな形であれ、ようやく20年前のあの事件の因縁に決着がつけられそうなのだから。

ならばこれから先は、もう()()()()、黙って静観しているべきだろう。

 

真実が明るみになる、その時まで。

 

――しかし……。

 

と、俺は再び声を漏らす。そして続けて()()()以外誰もいない夜の帳の中で小さく言葉を紡ぐ。

 

――()()()()()()()()()()()()刑事さんに、()()()()()()先生。果ては()()()まで呼び込んで、()は一体何がやりたいんだ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

 

 

俺はその後、船をあちこち駆けずり回って最初に見つけたペンキの剥がれと焦げた跡と同じようなものが数か所、別々の場所の手すりについているのを発見した。

それを見た俺は自然とほくそ笑む。

 

(そうか……これなら()()()()()()()()()()()()()……!()()()()()()()()が服部ってわけだ)

 

()()()()を見破ることが出来て俺は内心満足げではあったものの、ここに来てまた新たな謎が浮上する。

 

――それは服部がこの船に呼ばれた理由であった。

 

確かに服部は関西では有名な探偵だろうが、それでもわざわざ()()()()()アイツを呼び込む理由が思いつかない。

眉間にシワを寄せて考え込む。すると、脳裏に()()()()()よみがえった。

 

(待てよ……確か()()()()()()――)

 

俺がそこまで考えた瞬間だった。唐突に俺のポケットの中からピピッ、ピピッ!と『着信音』が鳴る。イヤリング型携帯電話の着信音だ。

突然の事に俺は一瞬驚くも、直ぐに電話を取り出し応答する。

 

相手はやはりというか、阿笠博士だ。

 

『もしもし新一か?()()()()()()、調べて来たから言われた通りに直ぐに知らせに来たぞ?』

「サンキュー博士。で、どうだったんだ?」

『うむ。毛利君の名前を使って高木刑事にそれとなく聞いてみた所、確かにキミの言う通りじゃったよ。……堤無津港でキミたちが乗る船が出航してから数時間後、そこの古びた倉庫内で()()()()()()()()()()()()()()()()()が発見されたそうじゃ』

 

阿笠博士からの報告に俺は内心「やっぱり」と呟く。

そんな俺の心境に気づく事なく、博士は言葉を続けた。

 

『……じゃが監禁されていた時間が長かったせいか酷く憔悴(しょうすい)しきっておったらしくてな。詳しい事情聴取は明日の……じゃない、今日の朝に行われることになったらしい』

「そうか……。なら、一つだけ聞きたいんだけどさ。その男の人の身元はもう判明してるんだろ?もしかして、その人の()()って――」

 

そうして俺は、その監禁されていた男性の職業を半ば確信をもって口にして見せる。

すると、電話の向こうで博士が明らかに驚いた声を上げた。

 

『お、おおそうじゃとも新一!何故分かったんじゃ!?』

(ビンゴ……!)

 

狼狽えながらそう問いかけて来る博士の声を耳にしながら、俺は内心ほくそ笑んだ。

 

――これで、どうやって()()()()()()()()()()()()()()()が理解できた。

 

それでもまだいくつか謎が残ってはいるが、それはこっちで調べて確かめることが出来るだろう。

 

「ありがとな博士、助かったぜ。……じゃあまた何かあったら連絡すっから――」

『――ああ待て新一。()()()()()()()()()()()()()()()()()があるんじゃ』

「?」

 

早々に電話を切ろうとした俺に博士が待ったをかけ、俺はその『知らせ』の内容に耳を傾けた。

 

「――っ!それホントか!?」

『ああ、じゃから安心してキミはキミの役目を全うするといい。それではのぅ』

 

そう言い残し博士からの電話は切れる。俺はポケットにイヤリング型携帯電話をしまうと、()()()()()()()()()()()

 

――これで、胸中の大半を占めていた不安は一気に解消されたわけだ。

 

いつの間にか俺の心身は共に安堵に包まれていた。これで心置きなく捜査に専念できる。

俺は次の行動に移ろうと一歩歩き出そうとし――。

 

 

――コンッ!

 

「あたっ!?」

 

 

唐突に俺の後頭部に軽い衝撃が走り、俺は頭を押さえながら振り返った。

するとそこには険しい顔でこちらを睨む蘭が立っていた。

 

「もう!うろちょろうろちょろと、いっつもいっつも心配ばっかりかけて……!」

 

そう言いながら蘭はズカズカと大股で俺の方へ歩いてくる。肩を怒らせてやって来るその姿で結構怒っている見て取れた。

 

「あ……今戻ろうかなぁって……だ、だからね?」

 

しどろもどろになりながらも俺は言葉を絞り出そうとする。

 

(……この状況、どうやって弁解しよう)

 

俺がそんな事を考えている間に、蘭は俺の目の前までやって来るとゆっくりと口を開いた。

 

「……お願いだから――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――一人にしないで」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え……?」

 

思考が、止まる――。

さっきまで顔をしかめて怒っていた蘭の顔が崩れ、今は寂しそうな、それでいて縋るような眼で俺を見つめていた。

一陣の風が俺と蘭の間を駆け抜ける。辺りは風と波の音しか聞こえず。俺たちを見つめるのは天上に輝く星々のみ――。

しかし、俺と蘭の二人がいる空間だけが、何故か時間が止まったかのような静寂を纏っていた――。

やがて風が止むと同時に、蘭の纏う空気が変化した。

 

「……コナン君、私が怖がりなの知ってるでしょ?……コナン君がいなくなったら、こんな怖い船の中、一人で探し回らなきゃいけないのよ?」

 

そう言って蘭は優しく俺の手を取ると、そのままレストランの方へと俺と連れて歩き出した。

 

「あ……ご、ごめんなさい……」

 

蘭の雰囲気に引っ掛かりを覚えたものの、俺は素直に蘭に謝った。

その時ふと足元を見ると、この場には場違いじゃないかと思えるものが転がっているのに気が付いた。

 

――それは()()()()()()であった。

 

恐らくさっき蘭が俺の頭に向けて投げてきたのはこれだったのだろう。しかし、何で蘭がこんな物を?

不思議に思いながら蘭に手をひかれたまま、俺は床に転がるそれを拾い上げて蘭に尋ねてみる。

 

「……それよりなんなの?このテニスボール」

「……?――ああ、さっきレストランでコナン君を探してた時、テーブルの下で拾ったの」

「え?」

「誰のか聞いたけど『知らない』って皆言うし……」

 

立ち止まってそう答える蘭に、俺は更に質問を重ねる。

 

「ねぇ、鮫崎のおじさん、ボール見て何か言ってた?」

「ううん。……見る前にお父さんとまた船首の方へ行っちゃったの。何でも事件を整理するためにもう一度現場を見て回るんだって」

「ふぅん……それじゃあさ、最初に叶って人を探しに、毛利のおじさんたちがレストランから出た時、他の皆は?」

「カエル先生以外、皆バラバラに出てったよ?……その後、服部君たちと戻った時は皆も戻って来てたけど……」

 

そう言って再び歩き出した蘭の背中を見ながら、俺は不敵な笑みを浮かべた。

 

(なるほど……読めたぜ、何もかも……!()()()()()()()()()()()()()()()()()……!)

 

ギュッと手に持ったテニスボールを強く握ると、俺は少し距離の空いた蘭の背中を追った。

そして蘭に追いついて横を歩いていると、おもむろに蘭がポツリと呟く。

 

「……それにしても、服部君何処行っちゃたんだろうね?これだけ探してるのに見つからないなんて……」

 

天を仰ぎ見ながらそう響く蘭に俺は()()()()()()()()()()()、蘭に向けて()()()()口調でそれに答えた。

 

「平次にいちゃん?平次にいちゃんならどっかでお魚さんと一緒に泳いでるんじゃないの~?」

「……?」

 

不思議そうに首をかしげて見つめて来る蘭を横目に、俺は正面に視線を戻しながら()()()()()()()入る決意をする――。

 

 

 

 

 

 

(――さぁ、始めるぜ。『眠りの小五郎』の推理ショーの開幕だ……!!)




『事件編』はこれにて終了。次回から『解決編』に移ります。


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カルテ20:叶才三【解決編・1】

毎回の誤字報告、ならびに感想ありがとうございます。

今回から解決編に入ります。
カエル先生の介入で、コナンの推理が大幅に改変されております。


SIDE:江戸川コナン

 

 

 

夜の大海原――星々が照らす黒一色の世界を一隻の船がゆっくりと航行する。

その船の船首で今、おっちゃんと鮫崎さんが会話をしていた。

二人は船尾の亀田さんの遺体を今一度調べて船首へと戻って来たばかりであった。

 

「……毛利、やはり蟹江は救命ボートを使ってこの船から逃走した可能性が高いようだな。亀田を殺し、鯨井を打ち損じたのが奴なら、次は何をするのか分からん。……直ぐにでも海上保安庁に連絡を取ってこの付近の海域を捜索し、奴を見つけるぞ」

 

そう言った鮫崎さんにおっちゃんが強く頷き返答しようと口を開きかける。しかしそれよりも先に俺が腕に付けた『腕時計型麻酔銃(うでどけいがたますいじゅう)』を使い、おっちゃんのうなじに狙いを定めるとプシュッ!という小さく空気が抜けるような音と共にそこに麻酔針を打ち込んでいた。

 

「――ぅんごぉあぁっ……!?」

 

気の抜けるような声がおっちゃんの口から洩れ、それからすぐにおっちゃんの両目の瞼がトロンと垂れ下がっていく。

そうしてふらりふらりとレストランの方向へ千鳥足を踏みながら後退していった。

 

「ん?」

「お父さん?」

 

鮫崎さんと船首にやって来たばかりの蘭の声が重なる。

俺はと言うと、後退するおっちゃんが向かう方向に、船首に置かれていた椅子をさり気なく移動させ、膝裏に椅子が当たった拍子におっちゃんが座るのを確認すると、何食わぬ顔で「おじさん?どうしたの?おじさん!」と声をかけながらおっちゃんの背広の襟の裏に今度は『ボタン型スピーカー』を張り付けた。これで離れていても『蝶ネクタイ型変声機(へんせいき)』で変えた声をスピーカー越しに発することが出来る。

 

「何してんだ?」

「お父さん?」

 

怪訝な顔を浮かべて鮫崎さんと蘭が近寄って来るのを見て、俺は直ぐに変声機を使い蘭へと指示を飛ばした。

 

「蘭。直ぐに客の皆をここに集めてくれ」

「え?」

「事件が解けたんだよ。……さぁ早く!」

「何ぃ!?」

 

キョトンとしている蘭に俺がおっちゃんの声でそう言うと、蘭だけでなく鮫崎さんも同時にそう言って驚いていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そうして俺からの指示で、船首には今回の事件の重要人物たちが集められた。

 

――鮫崎さん。

 

――磯貝さん。

 

――鯨井さん。

 

――そして、カエル先生。

 

蘭や数人の船員が遠巻きに見守る中――眠りの小五郎の推理ショーが幕を開けた。

 

「……本当なの?事件が解けたって」

 

最初に口を開いたのは磯貝さんだった。船首に設置されたテーブルの一つに、腕に包帯を巻いて首から吊っている鯨井さんと共に、煙草を吸いながら椅子に座り、おっちゃん()にそう問いかけてきた。

俺は少し離れた物陰から変声機を使ってそれに答える。

 

「ええ……何もかも解けましたよ。この事件の真相がね」

「まさか、この船から逃走した蟹江が犯人じゃねぇって言うんじゃねぇだろうな?」

 

立ったままの鮫崎さんが船首の舳先を指さしながらそう言ってきた。

それに俺は間髪入れずに返答する。

 

 

 

 

「――ええ。犯人は蟹江さんじゃありません」

 

 

 

 

「何っ!?」

 

鮫崎さんが驚きに声を上げる。そして周りにいる人たちも一様に驚きを顔に浮かべていた。

俺は言葉を続ける。

 

「真犯人は蟹江さんに罪を擦り付けるため、殺害した亀田さんに蟹江さんの服を着せ、船内に潜んでいた蟹江さんが鯨井さんを射殺し損ねた果てに、救命ボートでこの船から逃走したと、()()()()()()()()()()()んですよ――」

 

そこでいったん言葉を区切り、瞑目(めいもく)した俺は静かに言葉を続けた。

 

「だが……真犯人の()()()計画では、恐らく()()()()()()()()()()()()()……」

「?……どういうことだ毛利」

 

眉をひそめながらそう尋ねて来る鮫崎さんに、俺は静かに返答する。

 

「正直な所、私の想像の域を出ていない部分が一部ありますが……恐らく真犯人の本来の計画では――蟹江さんが亀田さんを射殺し、その遺体をあの非常用のハシゴの箱に隠して服を着せ変えた後、上のサンデッキの旗を燃やし銃声を轟かせて周囲をかく乱し、その隙に蟹江さんは遺体の入った箱に火をつけた。そして船内に身を隠していた蟹江さんは再び銃を乱射し、鯨井さんを殺そうとするも失敗……追い詰められた蟹江さんは()()()()()()()()()()()()。……それが、真犯人の考えた本来の筋書きだった」

「お、おいおい毛利。じゃあ何か?元々その真犯人ってのは、ここで蟹江を自殺に見せかけて殺すつもりだったってぇのか!?」

 

驚いてそう叫ぶ鮫崎さんに俺は肯定する。

 

「ええ。……しかも、その蟹江さんの自殺の偽装には、もう一つの目的があった――」

 

 

 

 

 

 

「――それは蟹江さんを、20年前に消えた影の計画師、叶才三に仕立て上げること……!」

 

 

 

 

 

「何だと!?」

「なん、ですって……?」

 

今度は鮫崎さんだけでなく、そばで聞いていた磯貝さんも驚きに声を漏らしていた。

 

「……真犯人の計画ではそもそも、乗船してきた叶を名乗る()()()老人の存在も、亀田さんの遺体に蟹江さんの服を着せ、火をつける前に船尾に鯨井さんを呼び出しあわよくば犯人に仕立て上げようとしたのも、全ては蟹江さんが次の標的である鯨井さんの前に姿を現し、彼に恐怖心を植え付けるさせるためのものだったと、周囲にそう思い込ませようとした――」

 

 

 

 

 

「――あたかも蟹江さんの正体が叶才三で、この船での惨劇が20年前に自分を裏切った仲間に対する復讐劇という筋書きでね」

 

 

 

 

 

 

「……だ、だが毛利、それだけで蟹江の正体が叶だったと思わせるってぇのは少し無理があるんじゃねぇか?」

 

鮫崎さんのその疑問に俺は淡々と返答する。

 

「先程、レストランで鯨井さんが言ってましたよね?『叶は20年前に仲間の銃弾を浴びた』と、そしてかつて叶の仲間の一人が、何処かの外人部隊だったのではないかと……。もし、その部隊に所属していたのが蟹江さんで、その当時()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

その言葉で鮫崎さんはハッとしたような顔を浮かべる。

 

「ま、まさか……!」

「ええ……。もしそうなら、あるはずですよ蟹江さんにも、体の何処かに()()()()()が……!そして、真犯人の目論見通りに、もしそこの舳先で蟹江さんが殺されていた場合、鯨井さんの証言とその古傷から我々がどんな推理を組み立てるのかもね」

「うぅむ……」

 

俺がそう言い、それに鮫崎さんが唸った、その時だった。

 

「あっははははははははは!!」

 

突然、磯貝さんが大きく笑いだし、その場にいる全員の視線が彼女へと向けられた。

 

「な、渚さん……?」

 

いきなり笑いだした磯貝さんに戸惑いながら蘭が声をかける。

すると磯貝さんがゆっくりと嘲笑を鎮めると、目尻に溜まった涙を指で拭きながら口を開いた。

 

「……なるほどね。それが真犯人がやろうとしていた本来の計画だったわけね。確かにそれなら蟹江が叶だったと周りに思わせる事も出来なくはないかもしれないわ。でも――」

 

そこまで言って磯貝さんは目を細めると、その言葉の続きを口にする。

 

「――その目論見は無駄だったみたいね。だって私、最初から気づいてたもの――」

 

 

 

 

「――()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

『!!?』

 

俺とおっちゃん以外のその場にいた全員が驚きに目を見開いた。

 

「お、おい!そりゃ一体どういう――」

「――やはり、そうでしたか」

 

慌てて磯貝さんに声を上げる鮫崎さんのその言葉に被せるようにして、俺は静かに言葉を続けた。

 

「……予想はしていましたが、磯貝渚さん。やはり貴女は――」

 

 

 

 

 

「――叶才三の娘ですね?」

 

 

 

 

 

「なぁっ!?」

 

今度は鯨井さんが驚きの声を上げた。他の人たちも信じられないモノを見るかのように磯貝さんに視線を向ける。

その視線に押されてか、磯貝さんは観念したかのように小さくため息をつきながら答えた。

 

「……ええ、そうよ。影の計画師、叶才三は……私の実の父親」

 

磯貝さんはそう言いながら椅子から立ち上がると、服の中に仕舞っていた首のペンダントを取り出し、それを両手でギュッと握りしめながら言葉を続ける。

 

「……このツアーに参加したのは、20年前に仲間に殺されたと言われている父を探すため。……もしかしたら、まだ生きてるかもしれないってね」

 

そうして磯貝さんはペンダントの蓋を開けると、そこにある古い写真を寂しげな笑みを浮かべながら見下ろす。

そんな彼女に鮫崎さんが声をかけた。

 

「……だが、あんたも奴とは20年も会ってねぇんだろ?しかも奴が顔を変えてたとしたらアンタだって――」

 

そこまで言った鮫崎さんに磯貝さんは顔を上げると顔をしかめながら睨みつけた。

 

「馬鹿にしないでくれる?例え顔が変わったって、()()()()()()()()()()()?……父だってそうよ。私を見たら()()()()()()()()()()()()()よ。……例え、あれから20年たってたとしてもね」

 

磯貝さんのその言葉を聞きながら俺は納得する。

 

――()()()()()()()()見せた彼女の反応が、まさにそうであったことに。

 

(これも()()()()から来るものなんだろうか……)

 

そう思いながら俺は再びおっちゃんの声で話を戻そうと口を開きかけ、それよりも先に蘭が俺に向けて問いかけてきた。

 

「それじゃあ、お父さん。結局真犯人って一体……」

「おお、そうだぞ毛利。犯人が蟹江じゃねぇってんなら、誰が亀田を殺し、鯨井を狙撃したっていうんだ?船尾であの爆発があった時、ここにいる乗客は皆、上のデッキにいたし、他の船員たちにもアリバイがある。()()()()()()みたいなのがありゃあ話は別だが、それらしきモンも何処にも――」

 

蘭の言葉に鮫崎さんも同調するようにそう言い、俺は鮫崎さんの問いに間髪入れず答えた。

 

「いいえ、警視殿。実はあったんですよ……その自動発火装置が」

「あったぁ?あの中に!?」

 

鮫崎さんが目を見開いて素っ頓狂な声を上げ、俺はその種明かし(トリック)を話し始めた。

 

()()()、ですよ。……あの箱の中のガソリン缶、その上に来るように箱の隙間に火のついたタバコを挟んで、糸で止めておけば、10分ぐらいで糸は焼け切れて煙草は中に落ち、自動的に火を付けられる」

「……いやしかし、船尾で四発、舳先で二発聞こえた銃声のような音はどう説明する?……あの時もここにいる乗客は全員レストランにいただろ?」

 

唖然としながらもさらにそう問いかけて来る鮫崎さんに、俺は淡々と答えていく。

 

「あれもタバコです。……恐らく、爆竹(ばくちく)を取り付けたタバコを手すりにテープで軽く貼り付けていたんでしょう。爆発したら、証拠の品が海に消えてしまうように。……その証拠に、船のあちこちに残っていますよ。焦げ跡とペンキが剥がれた跡がね」

 

そこで俺は一拍置くと再び言葉を続ける。

 

「……ちなみに、上のデッキで音がして旗が燃えていたのは、ガソリンで濡らした旗に、同じくタバコと爆竹を取り付けていたため。つまり、そのタバコを使えば、誰にでも犯行は可能になるというわけですよ」

「じゃあ誰だ?一体誰だっていうんだ!?」

 

じれったそうにそう叫ぶ鮫崎さん。……ここからだ。犯人の正体に踏み込むため、俺は口調に少し力を入れながら語り始める。

 

「……前にも言いましたが、この殺人は元々、蟹江さんの正体が叶才三であり、全ては20年前の復讐劇だと思わせるために仕組まれた事件。……真犯人が老人に変装して乗船し、いったん外に出て変装を解き、再び乗船して叶才三という存在を作ったのも、上のデッキに叶を匂わす文字を書いた札を残したのも、全て裏切った仲間への叶の恐怖の演出と思わせるためのもの。……それもこれも、蟹江さんの体にある、外人部隊時代に受けた銃弾の古い傷跡を20年前に叶が仲間に撃たれた時の傷だと錯覚させるための計画だった」

「……体に出来た古い銃創の傷を利用して同一人物だと思わせようとしたわけだよな?……!待てよ、それじゃあ……!」

 

俺の推理を聞いて鮫崎さんはハッと目を大きく見開いた。どうやらこの人も気づいたみたいだ。この事件の犯人の正体に。

 

「……そう。そんな事を考え付けるのは、蟹江さんの体に古い弾傷がある事を()()()()()()()()()()()()()()……!」

「まさか……!」

 

俺の言葉で驚愕を露にする鮫崎さんの視線が、()()()()()へと向けられ、周囲もそれに同調するかのように()()()()へと一点に集中する。

俺は()()()()へ向けてひときわ力強く言い放った――。

 

()()()()()()()――」

 

 

 

 

 

 

 

「――鯨井さん。アナタしかいませんよね?」

 

 

 

 

 

 

 

「――――ッ!!!!」

 

脂汗をかいた鯨井さんが大きく絶句し、その場に一瞬時が止まってしまったのではないかと錯覚してしまうほどの静寂が訪れる。

周囲の海の波音と風の音がやけに大きく聞こえ、その場にいるほとんどの者たちが呆然としたまま鯨井さんの方を見つめていた。

だがやがてその静寂を破ったのは、俺が犯人だと指摘した本人だった。

 

「は、ははっ……な、何を……あはははっ……!」

 

大きく目を見開いて引きつった笑みを浮かべながらこっちに目を向けてそう呟く鯨井さんに、俺はこの事件で鯨井さんがどういった行動を起こしたのか一から話し始めた。

 

「……まずアナタは、レストランで亀田さんが席を立つのを見て、叶才三の名を出し、その騒ぎに乗じて機関室に行き、呼び出しておいた亀田さんを射殺。……その遺体を船尾の箱の中に隠した」

「機関室だと!?」

 

驚いてそう言う鮫崎さんに俺は肯定する。

 

「ええ。その時の血痕も空薬きょうも、呼び出しに使った手紙も機関室から発見済み。手紙は恐らく、部屋のドアに挟んでおいたんでしょう。……レストルームに戻った鯨井さんは、警視殿が叶探しを諦める頃合いを計って蟹江さんと落ち合った。場所は恐らく、レストラン脇のトイレでしょう。すでにその時は、蟹江さんは薬か何かで眠らされていたはず。……彼の服と時計を奪い、それを箱の中の亀田さんに着せ、『例のタバコ(自動発火装置)』を仕掛ける。その時、わざと大声を出して船員に目撃させたのは、まだ遺体の箱に火がついていないのを確認させるためでもあり、『自分は誰かに呼び出された』というのを強調するため」

 

俺の推理を聞きながら鯨井さんは汗まみれの顔をヒクヒクと震わせながら視線をさ迷わせる。

それを見ながら俺は更に続けた。

 

「……呼び出しのメモをトイレのごみ箱に残したのも、叶の名前に震え上がるふりをして蟹江さんの方から自分に近寄るように仕向けたのもそのため。……メモの事は、きっと後で『あの紙マッチに挟んであった』とでも言うつもりだったんでしょうなぁ。あたかも呼び出されたのは自分の方で、全ては蟹江さんの仕業と見せるためにね」

 

推理が進むにつれ、鯨井さんの顔もどんどん険しさが増していく。

 

「……上のデッキの旗に『例のタバコと爆竹』を仕掛けたのは、遺体に服を着せる前。そうしておけば、音を聞いて皆と上のデッキに上がり、船尾で爆発が起これば自分は一緒に居たというアリバイができますからね……」

 

そこでいったん言葉を止めた俺は、チラリと鯨井さんの様子を覗き見る。

鯨井さんは真相が暴かれるにつれて、夜でも分かるほどに顔が真っ青になって来ていた。

俺はそんな鯨井さんを静かに見据えながら、心の中で呟く。

 

(……ここからだ――)

 

 

 

 

 

 

(――ここから()()()()介入して来たために、この人の本来の計画が()()()()()()()()()()()()()()()んだ)

 

 

 

 

 

 

鯨井さんから視線を戻し、俺は再び変声機を口元に寄せると推理ショーを再開する。

 

「……眠らせた蟹江さんをトイレから舳先に移動させ、前もって舳先に括り付けていた縄バシゴに彼を縛り付けたのは、船尾の焼死体に皆が集まっている時。……そして、時間をおいて我々の動きを見ていたアナタは、船尾に『例の仕掛け(タバコと爆竹の自動発砲音装置)』を施し、その音を聞いて我々が駆けつけている隙に再び舳先に戻り、蟹江さんを引き上げて、()()()()()()()()()()……」

 

ここで俺は今一度瞑目するとその続きを口にした。

 

「……だが、ここで鯨井さんの計画を大きく狂わせる不測の事態が起こってしまった」

「不測の事態?」

 

蘭がそう問いかけ、俺はそれにすぐさま答えた。

 

 

 

 

 

「――消えちまったんだよ、蟹江さんが。舳先に縛られていた縄バシゴから!」

 

 

 

 

 

「何だと!?」

「――ッ!」

 

鮫崎さんが驚きに声を上げ、それと同時に俺の話を聞いていた鯨井さんも目を見開いて口を真一文字にギュッと引く。

その顔は痛恨の痛手であった事をまざまざと物語っていた。

 

「お、おいおい毛利、消えたってそりゃどういう――」

「――言葉通りの意味ですよ鮫崎警視。鯨井さんは船尾での四発の音が鳴った後、直ぐに消音機付きの拳銃を持ってこの船首にやって来た。しかしそこにいるはずの蟹江さんの姿は影も形も無く消え失せ、縄バシゴだけが揺れているだけの状態だったのでしょう」

 

そう言いながら俺は物陰から鯨井さんを見据える。

 

「……非常に焦ったでしょうね鯨井さん。肝心の蟹江さんがいなければ自殺に見せかけて殺す事なんてできっこない。唐突に訪れたアクシデントにアナタは急きょ方針を変えざるを得なくなった。急いで蟹江さんを探し出そうにも船尾の『銃声装置』が発動した今、時間は限られてくる。ならいっそ、何食わぬ顔で自身も今から船尾に向かうというのが一番の最善手だが、せめて『犯人は蟹江で、自分はその蟹江に命を狙われた被害者』だという事実だけは確立させたい。……思い悩んだ末、アナタは苦肉の策として舳先のあの逃走現場を作り出したわけです」

「ぐぅっ……!」

 

悔しそうに鯨井さんがそう呻く。俺はそんな鯨井さんを見ながら言葉を続けた。

 

「……アナタはまず、近くに設置されていた救命ボートの箱から中身のボートを引っ張り出し、それを海に捨てると、レストランの窓ガラスに自分の腕を押し付け、弾倉に一発だけ弾を残した銃で腕を貫いて窓ガラスからレストラン内に銃弾を撃ち込んだ。そして、船尾に設置したのと同じタバコの銃声装置を二つ、舳先の手すりに取りつけ、その床に弾倉が空になった銃とレストランで蟹江さんから借りたままになっていた紙マッチを置いた。蟹江さんに返すのを忘れていたのかは分かりませんが、結果それが功を奏しました。中身が抜き出されたボートの箱に拳銃と紙マッチ。これらが鯨井さんを仕留めそこなった蟹江さんが、舳先からボートに乗って逃走したという状況を強調する結果となったのです」

 

そこまで言った俺は一拍置いて更に言葉を続ける。

 

「……そして、舳先でのその準備を終えた後の鯨井さんの行動は、皆さんも知っての通りです。船尾に来たアナタは、『全てを白状するから』と皆をレストランに集め、舳先の爆竹が破裂するのを待った。……一発目の音と共に倒れたら、まるで舳先から狙撃されたかのように見えるというわけです」

「ちょ、ちょっと待てよ毛利。ワシは鯨井が倒れた直後に傷口を見たんだぞ?あらかじめ腕を撃っていたんなら、もっと血が――」

 

そう言って鮫崎さんが待ったをかけてきたが、俺はその疑問にもすぐに答えて見せた。

 

「――テニスボールですよ、鮫崎警視。彼は腕を撃つ前から、(わき)にテニスボールを挟んで動脈を圧迫し、血の流れを止めていたんですよ。爆竹の音がするまでずーっとね。……そのボールは、レストランのテーブルの下に落ちていたのを蘭が見つけています。皆が二発目の音に気を取られている隙に、放り投げたんでしょう。……ちなみにその時、鯨井さんが『今、海に何か落ちる音が』と叫んだのも、蟹江さんが救命ボートを()()()()()()()()()()()ものと我々にそう思い込ませるため」

「……でも何で最初、蟹江さんを舳先に連れてった時に殺さなかったの?」

 

鮫崎さんに引き続き磯貝さんがそう疑問を口にしてきたが、これも俺はすぐさま答えて見せる。

 

「焼死体発見直後に蟹江さんが自殺してしまうと、トリックが不自然に見えてしまうからですよ。……蟹江さんが遺体に自分の服を着せたという偽装トリックがね。遺体の両手を上げたのも、時計のベルトを外したのもそう推理させるためのフェイク。大阪から探偵役として服部平次を呼んだのもそのため。……もっとも、焼死体が亀田さんという事はカエル先生がすぐさま見破り、探偵役の方も服部平次でなくても我々にも務まると鯨井さんはそう踏んだようですがね。……大阪の探偵を呼んだのは、アナタが関西在住だからでしょう?」

 

俺がそう尋ねるように鯨井さんに言うと、彼は俺に――というより、俺に眠らされたおっちゃんに向けて何か言いたそうに口をパクパクと開閉するも、結局言いたい言葉が見つからなかったのかすぐに口を閉じて悔しそうに俯いた。

俺はそれを見ながら、何故鯨井さんが関西在住だと分かったのか、その理由を口にし始めた。

 

「……我々関東の人間は、カードをケースに仕舞う時、『直す』とは言いませんから」

 

レストルームで鯨井さんがトランプを片付ける時、磯貝さんに向けて言った言葉を思い出しながら俺がそう言うと、同時に鮫崎さんが歩み出て来た。

 

「そういう事か。……後は、証拠だな」

「クッ!」

 

鯨井さんを見据えながらそう言う鮫崎さんに、鯨井さんは唸るようにそう声を漏らす。

……もちろん、証拠の方もちゃんと用意できていた。

 

「ああ、それなら後でレストランの窓ガラスに出来たその弾痕の周りを調べればきっと出るはずです。……ルミノール反応が。僅かでしょうが、腕を撃った時に飛び散った自分の血を、拭き取った跡もね……」

 

俺がそう言った次の瞬間だった。いきなり鯨井さんが座っていた椅子を倒しながら勢い良く立ち上がったのだ。

 

「ち、違う!私じゃないッ!!これは罠だ!!誰かが私をハメるために仕掛けた罠だぁッ!!」

 

そう叫びながら鯨井さんは弾痕のついた窓ガラスまで後退すると、腕を吊っていた三角巾を首からひっぺがし、その下にあった包帯を巻いた腕を窓ガラスの弾痕の周りに擦り付けたのだ。

悪あがきにも、自分の腕の傷の血をつけて誤魔化そうという算段なのだろう。

 

「なっ!?貴様、舐めた真似をっ!!」

 

それを見た鮫崎さんが激昂して鯨井さんに掴みかかろうとするも、それよりも先に別の声がその場に響いた。

 

「――無駄だよ、鯨井さん」

 

見るとそれは今の今まで俺の推理を黙って静聴していたカエル先生だった。

カエル先生は鯨井さんの包帯の巻かれた腕を指さしながら続けて口を開く。

 

「よく見てみなさい。包帯に少しも血が(にじ)んでいないだろう?処置は完璧にしてあるからね」

 

その言葉に慌てて鯨井さんが腕を見ると、そこにはカエル先生の言う通り、一滴の血どころか汚れすら一つも無い、真っ白な包帯が巻かれていた。

 

「なっ……くそぉっ……!」

 

心底悔しそうにそう呟く鯨井さんに、俺は声をかける。

 

「往生際が悪いですなぁ鯨井さん。……ですがどの道、窓ガラスに血を付着させていたとしても、証拠は()()()()()()()()()()ので意味はなかったですがね」

「な、何ッ!?」

 

驚く鯨井さんに向けて、俺は今度はとぼけたような口調で口を開いた。

 

「おやぁ?何でしょうか。()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

俺がそう言った瞬間、船の左舷後方から(まばゆ)い一筋の光が、船を大きく照らし出した――。




最新話投稿です。

原作だとここまでで大半の謎解きは終わっていますが、オリジナル展開がありますので次回も推理ショーは続きます。
鯨井ですら知らなかった別の真実を暴きにかかりますので、次回を今しばしお待ちください。


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カルテ20:叶才三【解決編・2】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。

感想欄で【事件編・6】にて、弾が無くなった拳銃の事についてのご意見がありましたのでそこを少し修正させていただきました。


SIDE:江戸川コナン

 

 

 

船の後ろから来る眩い光に気づき、蘭と船員たちが一斉に光の方へと目を向ける――。

光が速い速度で船に近づいてくるにつれ、だんだんとその光の正体が肉眼でも視認できるようになってきた。

「なんだ、なんだ?」と騒ぎ立てる周りの船員たちの声を聴きながら、蘭はその光の正体とその光のすぐ手前に立つ人影に気づいた。

 

「あ、あれは!――」

 

 

 

 

 

「――服部君!?」

 

 

 

 

 

――それは高速で近づいてくる漁船(ぎょせん)であった。

その漁船に設置されたサーチライトの強い光が、船を明るく照らし出す。

 

――そして、その漁船の舳先に立っていたのは、毛布にくるまれた服部だった。

 

服部は不敵な笑みでこちらを見上げていたが、不意に顔が歪んで「へっくしっ!!」とくしゃみを一つする。

そんな服部に安堵の笑みを浮かべながら、俺は漁船を呆然と見つめる鯨井さんに、おっちゃんの声で口を開いた。

 

「……そう。彼は舳先に括り付けられた蟹江さんを発見し、アナタに殴り倒された生き証人。……もう、申し開きは出来ませんな、鯨井さん」

「あ……あぁ……」

 

放心状態で鯨井さんは窓ガラスを背にずるずるとその場にへたり込んでしまった。

そんな鯨井さんを見ながら、鮫崎さんが俺に問いかける。

 

「……しかしよく分かったな。蟹江が犯人じゃないと」

「亀田さんの焼死体の左腕に、竜頭が逆についている蟹江さんの()()()()時計をしていた時点で、蟹江さんの犯人説が限りなく薄くなっていました。カエル先生が言ったように焼死体が蟹江さんなら生前とは反対の腕に時計をしているのはあり得ない。しかしそれは同時に、犯人が蟹江さんなら、自分の格好をさせるのに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なんてミスは起こさないはずなのです」

「ふむ……昔の仲間の洒落た時計に、足元をすくわれたってわけか」

「また、実は舳先のあの『逃走現場』も偽装の可能性が高いと踏んでいました。開けられた救命ボートの箱に拳銃と蟹江さんの紙マッチ。その三つを使い蟹江さんが海に逃げたように強調させていましたが、それが逆に私に違和感を覚えさせる結果となったのです。即席で作られただけあって、あの『逃走現場』は少々お粗末でしたからね」

「――ったく、気づいてたんならワシにも教えてくれたってよかったじゃねぇか。鯨井(こいつ)にいいように動かされて気分悪いぜ」

 

少し不貞腐れたようにそう言いながら鮫崎さんはガシガシと頭をかいた。俺はそんな鮫崎さんに心の中で手を合わせる。

 

(申し訳ない。鮫崎さん)

 

苦笑を浮かべた俺は、心の中で鮫崎さんにそう謝罪しながら、気持ちを切り替え言葉を続ける。

 

「さらに言うと、このツアーの広告を出したのも鯨井さんです。……20年前の約束だったんでしょうなぁ。時効が明ける日に、あの新聞に『古川大』の名で広告を出すとね。……ここに、仲間三人が集まったのは、何処かの貸金庫(かしきんこ)から20年間使えなかった『例の金』を引き出すため。……20年前、貸金庫を使うのに必要なのは、『鍵』と『印鑑(いんかん)』と『サイン』。……その三つを三人で分担して、顔を変えた仲間同士が20年後に再会する時の(あかし)にしたんです」

 

そして俺は、一度一呼吸置くと更に続けて言う。

 

「――つまり、『サイン』を担当した鯨井さんには、印鑑と鍵をちらつかせた亀田さんと蟹江さんが、仲間だと直ぐに分かり、犯行を開始できたというわけです」

「……なるほどね。二人を殺して鍵と印鑑を奪い、お金を独り占めする気だったのね」

 

納得したように磯貝さんがそう呟いた。その瞬間だった――。

 

「……くそっ……クソォッ!!……何で、何でうまくいかなかった!?完璧な計画だった!長い時間をかけて練りに練った完璧な計画だった!!……なのに何でこうなったぁ!?」

 

悔しそうにそう叫んだ鯨井さんが、床に拳をダン!ダン!と何度も叩きつけた。

 

「……あの大阪のガキに舳先に縛られた蟹江を見られなければ……!()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……!完全犯罪だったっていうのにッ……!!」

(……亀田さんの遺体の左腕に蟹江さんの腕時計を付け間違えた自分のミスは棚上げかよ)

 

年甲斐もなく駄々をこねた子供のように手足をばたつかせて叫び続ける鯨井さんを見て俺は呆れてものも言えなかった。

しかしたった今、鯨井さんが叫んだ言葉の中に聞き捨てならない内容が含まれているのに気づき、俺は再び変声機を使って鯨井さんの声をかけていた。

 

「……鯨井さん。今、アナタはこう言いましたね?『蟹江が海に落ちていなくならなければ』と。……もしやアナタが蟹江さんがいなくなった後も犯行計画を継続させる決断をしたのは、それが理由だったわけなんですね?」

「ああそうだ!テメェがさっき言った通り、いざ蟹江を殺そうと舳先に行ったらあの野郎……縄バシゴと一緒に縛っていた縄が切れて海の中に落ちた後だったんだ!おかげでこっちの後の計画が大きく狂っちまった!!」

「おいおい、海に落ちたって……それを見てたわけでもねぇんだろ?何でそんな事が分かるんだよ?」

 

鯨井さんのその言葉に怪訝な表情を浮かべながら鮫崎さんがそう問いかける。

それに鯨井さんが食いつくようにして乱暴な口調で答える。

 

「あ゛ぁん!?蟹江の野郎にはたっぷりと薬を盛ってたんだ!!ちょっとやそっとじゃ起きるわけがねぇ!奴が目を覚まして自力で舳先から脱出したなんてあり得ねぇんだ!!それに、()()誰かに助け出されてたんなら、とっくの昔に俺たちの前に奴は姿を現してるはずだろうが!!」

「…………」

 

怒鳴り散らしながらそう言う鯨井さんに鮫崎さんは二の句が継げなくなる。

そこへ俺が割り込むように口を開いた。

 

「……鯨井さん、その『もし』が実際に起こっていたとしたらどうしますか?」

「……は、はぁ?な、何言ってやがる?」

 

俺の言葉で毒気を抜かれたのか、鯨井さんから怒りが消え、代わりに戸惑った顔を浮かべておっちゃんを見ながらそう言う。

俺はそんな鯨井さんに淡々と『事実』を口にしだした。

 

「鯨井さん、アナタも奇妙に思ったはずです。……夕食時、レストランでウェイターが言っていたあの言葉――」

 

 

 

 

 

 

『ええ。()()()()()、もう少し休まれてから夕食を食べに来るそうです』

 

 

 

 

 

 

 

「……あ、ありゃあ何かの間違いだろ?実際にそう言ったのはあの大阪の探偵のガキだけなんじゃねぇのか?」

「――いいや、間違いなんかやあらへんで」

 

鯨井さんのその言葉に否定の声を上げたのは、たった今漁船からこっちの船に移って来たばかりの服部だった。

毛布にくるまれた服部は視線を鯨井さんに向けながら言葉を続けた。

 

「……ウェイターにそれを伝えた船員が言うとったんや。俺の部屋に晩飯の知らせをした後、隣の叶才三の部屋に行ったら、そこから顔隠した老人が出て来て、俺と同じように晩飯は後にする事を言うとったってな」

「え……?」

 

服部のその言葉に、鯨井さんは鳩が豆鉄砲を食らったような顔を浮かべる。

俺もそれに追撃するかのように口を開く。

 

「それだけじゃありません。……乗船時、アナタが叶の格好で忘れ物を取りに行って戻ってきたように思わせるために受付の船員の前に現れた後、少ししてから船の外にいた別の船員も船に戻って来る同じ格好の叶才三の姿を目撃しているんですよ」

「な、何ッ!??」

 

更に驚愕を顔に浮かべそう叫ぶ鯨井さん。と同時に、戸惑いながら鮫崎さんが声をかけてきた。

 

「おいおい毛利、一体どういう事だ?まさか鯨井には他に共犯者が……って、ンなわけねぇよな。それだったらそもそもタバコの自動装置なんてはなっから仕掛ける必要もねぇし……」

「ええ。むしろこれらの一件は鯨井さん、アナタに向けて()()()()()()が仕組んだ大掛かりなメッセージなのだと私は思うんですよ。そう例えば――」

 

 

 

 

 

 

「――『鯨井、自分はここにいるぞ』と言うね……」

 

 

 

 

 

 

「…………。は、ははっ!な、何を馬鹿な……!」

 

笑って一蹴しようとする鯨井さんだったが、その顔からは不安がぬぐい切れていないのがありありと見て取れた。

顔じゅうから汗が流れ落ち、顔は笑っていても目だけは全然笑っていなかったのだから。

 

「……そもそもこの船の上で起こった今回の事件は、主に犯行を行った鯨井さんですら全く知らない第三者が、裏で事件の騒ぎに乗じて色々と細工を行っていたというのがこの事件の全容なのです。……それ故に事件が複雑化し、我々の捜査や推理が難航することとあいなりました」

「やめろ!何言ってやがる!?そんな奴いるわけねぇだろう!?蟹江がいなくなっちまったのは縄が切れて海に落ちただけだ!船員共の話もただの出まかせだ!!そんな存在、いるわけがねぇんだよぉっ!!!」

 

俺の言葉に真っ向から全否定してくる鯨井さん。絞り出すようにしてそう叫び、直後に荒くなった呼吸を大きく整えるその顔は『そんなはずはない!』という強い否定がありありと込められていた。

そんな鯨井さんの顔を見ながら、俺は静かに口を開く。

 

「……その顔。やはりアナタは、表向き()の存在を信じ怯えるふりをしながら、その実、心の底では()の死を大いに確信しきっていたのですね。……だからこそ、そこまで意固地に否定的になる」

「――ッ!」

「……どういう事なんだ毛利。もうワシには何がなんだか」

 

言葉を詰まらせる鯨井さんに成り代わり、鮫崎さんが俺にそう尋ねて来る。

俺はそれに静かに答えた。

 

「……そうですね、ならここから先は……()()()()()、アナタの口から直接お話ししてもらってもよろしいでしょうか。……20年前のあの事件の()()()()()()()()()を」

「ああ、構わないよ」

 

その俺の頼みにカエル先生は快く承諾してくれると、視線を戸惑う鮫崎さんへと移して口を開いた。

 

「覚えているかい鮫崎さん。……20年前の事件、あの時僕がアナタの娘さんを治療した直後、僕はあなた達へのあいさつもそこそこに去って行ったのを……」

「え、ええ覚えていますよ。確か()()()()()が出たとかで急ぎ向かわなきゃならなくなったって……」

 

鮫崎さんのその言葉にカエル先生は小さく、されどはっきりと頷くと、20年前の事件後に起こった、この場では自分ただ一人しか知らない事実を、周りの人たちに向けて静かに語りだした――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:カエル顔の医者(冥土帰し)

 

 

 

 

――20年前のあの事件で瀕死の重傷を負った鮫崎さんの娘さん……鮫崎美海さんを治療し終え、術後経過を見始めてすぐの事だったよ。

 

――ある日突然、僕のもとに一本の電話が入った。それはとある小さな漁師町で開業医をしている古い友人からの電話でね。

 

――つい先ほど町の浜辺に瀕死の重傷を負った身元不明の男性が海から打ち上げられたのだという。傷があまりにも酷く自分の手には負えず、このままだと死亡するのは確実なため、急きょ僕に連絡をしたのだと言っていた。

 

――僕は急ぎその漁師町の友人のもとに駆けつけ、直ぐに患者の容体を確認した。

 

――正直、『酷い』なんて言葉じゃ言い表せるものじゃなかった。擦り傷打撲はもちろんの事、体の所々(ところどころ)が骨折し、肋骨が折れてそれが内臓に食い込んだりもしていた。恐らく潮に流されている間に海底の岩場とかに体をぶつけたりしてそうなったんだろうね。

 

――また、それ以上に目立ったのは体に穿たれた()()()()()()()()()だった。

 

――特に顔の損傷は酷かった。骨折同様、海底の岩場にでもぶつけたのか()()()()()()()()()()()()()()んだ。片目と鼻が潰れ、歯茎もほとんど外から見えるほどにむき出しになっていたよ。

 

――そして同時に、体に弾丸が撃ち込まれていたのを見て、直ぐにこの男性は誰かに銃で撃たれて海に落ちたのだというのが容易く想像がついた。

 

――僕がその男性にあった時にはもう彼は虫の息でね。よくこんな状態で今まで生きていられたもんだと素直に驚いたのを今でもよく覚えているよ。

 

――直ぐに僕は彼の治療を開始し、そして救命した。銃弾の摘出はもちろん、骨折、内臓の損傷は完全に治すことが出来た。……ただ、顔の怪我だけは直ぐに完治させるのは不可能だった。顔の肉が削り取られたようにごっそりなくなっていたため、治療して元の顔へと戻すには移植が必要だった。……まあ、それでも鼻腔(びこう)の確保や、普通に食事と会話ができるように口周りもある程度治療する事は出来たがね。

 

――治療後、顔や体中、包帯だらけとなった彼は、ベッドの上でしばらくしてから目を覚ましたものの……ここでまた新たな問題が出て来た――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――撃たれて海に落ちたショックからか……彼は自分の名前を含む全ての記憶を失っていたんだ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

 

 

カエル先生の話がそこで一区切りつけられると、その場に静寂が降り立った。

風と波の音だけが響き渡る中、最初に声を上げたのは目を見開いて呆然自失という表情を顔に張り付けた鯨井さんだった。

 

「……か、体に……四発の、銃痕……だと……!?」

 

無意識に響かれたその言葉を皮切りに、今度は鮫崎さんがカエル先生に詰め寄る様に問いかけた。

 

「そ、それで?それでその男はどうなったんだい、先生!?」

 

その切羽詰まったかのような声に、どうやら鮫崎さんも気づいたようであった。その記憶を失った男の正体が。そしてそれは、鮫崎さんの後ろで両手で口を押さえて驚いている磯貝さんも同じのようであった。

だが、その問いかけにカエル先生は顔を伏せると静かに首を振った。

 

「……()()()()()

「……は、はぁ?『わからない』って、そりゃ一体どういう……?」

 

混乱する鮫崎さんに、カエル先生は事実だけを淡々と語って聞かせた。

 

「……彼が喋れるほどに回復した頃合いを見計らって、僕は警察に連絡を入れたんだ。体に銃痕があった時点で事件性は高かったからね。……そして警察へ事情を話してから再び彼のいる病室へと戻った時――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――彼は病室から忽然(こつぜん)と姿を消していた」

 

 

 

 

 

 

 

 

「き、消えた……!?」

 

呆然とそう響く鮫崎さんを前に、カエル先生は頷きながら言葉を続ける。

 

「……もちろん、直ぐに警察に捜索願いを出したんだけどね……。しかし、それっきり彼の姿は影も形も見当たらなくなり、消息不明になってしまったんだ」

 

そこで小さくため息をついたカエル先生は更に言葉を続けた。

 

「……だがにっちもさっちも行かなくなって20年の年月がたったついこの間。……あの新聞の広告に載った『古川大』を見て正直大いに驚いたよ。……もしかしたらあの日、病室からいなくなった彼がこの船に乗って来るんじゃないかと思ってね。……それで僕も急ぎ休暇を取ってこの船に乗船したんだよ」

 

カエル先生がそう言った直後、鮫崎さんが慌てて待ったをかけてきた。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれよ先生。……先生の話じゃあその男は記憶を失ってたんだろ?何で新聞の『古川大』の名前を見て、そいつがこの船に乗ると思ったんだ?」

 

その問いかけにカエル先生は静かにその理由を語りだした。

 

「……彼が浜辺で発見された時。身元を証明する物は一切持ち合わせていなかったんだけど……唯一、ズボンの尻ポケットに彼が持ち歩いていたと思しき手のひらサイズの革の手帳が入っていたんだよ。……でもその手帳も、長時間海水に()かっていたせいか手帳の紙に書かれていた文字のインクが大分滲んでいてね。ほとんど読めなくなってはいたんだが、それでも何とか読める文字を一文見つけることが出来たんだ。……そして、その文字は()()()()こう書かれていたんだよ――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――『古川大』、とね」

 

 

 

 

 

 

 

『!!』

 

それを聞いた鮫崎さんや磯貝さん、そして鯨井さんは大きく息を呑んだ。

その様子から既に三人とも……いや、未だに半信半疑止まりな鯨井さんを除く、鮫崎さんと磯貝さんは確信を持ったようだ。

 

――その病室から消えた男が、一体何者なのか。

 

俺は三人の顔を見渡した後、静かに蝶ネクタイの変声機に口を当てるとゆっくりと口を開いた――。

 

「……さぁ、もういいでしょう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。……この船上で起こった不可思議な事件。それを起こした鯨井さんの影で秘かに動いていた()()()()()()()()……。いや――」

 

 

 

 

 

「――あえてこうお呼びした方がよろしいですかな?――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――『影の計画師』、叶才三殿……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……いや。俺なら既に、ここにいる」

 

唐突に第三者の男の声が、船首上にはっきりと響き渡った――。




あと一、二話でこの事件は終了します。


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カルテ20:叶才三【解決編・3】

毎回のお気に入り登録、及び感想ありがとうございます。


SIDE:江戸川コナン

 

 

 

突然と響き渡った謎の声に、その場にいた全員が一斉に振り向く。

するとそこには、舳先に近い位置にある手すりに背中を預け、立っている男のシルエットがあった。

 

『!?』

 

おっちゃん()と服部以外が固唾をのんで見守る中、その男はこちらに向けてゆっくりと歩みだす。

 

 

コツ。

 

 

……コツ。

 

 

…………コツ。

 

 

 

――男の足音が船上に小さく響く。

やがて、レストランから漏れる照明の光の下に男は入っていき、その正体が露になった――。

 

『……?!』

 

今度は服部も含んだその場にいるほとんどの者たちが、男を見て驚愕の表情を浮かべる。

そして、それに代表するかのように鮫崎さんが男に向かって叫んでいた。

 

「……お、お前は……ッ!――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――()()()()()()()()()()()()()!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

――そう。そこにいたのは、レストルームで俺や蘭たちがトランプゲームをしていた(かたわ)ら、鮫崎さんたちにお酒をふるまっていた()()()()()()()だったのだ。

俺はおっちゃんの声色(こわいろ)で現れたバーのマスター――いや、マスターの姿をした叶才三に向けて声をかけた。

 

「……やはり、アナタがそうでしたか。お初にお目にかかります、影の計画師殿」

「……その口ぶりだと、とうに俺の正体に気づいてたみたいだな?何故分かった?」

 

目を細めてそう問いかけて来る叶さんに、俺は何とでもないかのように答える。

 

「大したことではありません。……少し前に知り合い経由で警察に連絡しましたところ、この船が出航して直ぐ、堤無津港の倉庫で身ぐるみをはがされて拘束されている人が発見されたと聞きましてね。……で、その人の職業を尋ねましたところ――」

「――フッ、なるほどな。それで俺がそのバーテン(そいつ)と入れ替わっている事に気づいたわけか」

 

小さく笑う叶さんに俺は肯定する。

 

「ええ。……それに、先程の磯貝さんの話から、レストルームでアナタを見つめる彼女を思い出し、より確信が強まりました」

「……そうか。やはり、(コイツ)の目だけは誤魔化す事は出来なかったか……」

 

少し悲しそうにそう笑って見せた叶さんは磯貝さんへと目を向ける。

その視線を受けた磯貝さんは今にも泣き出しそうな顔で目に涙を溜めながら唇を震わせると、ふらふらと叶さんに歩み寄った。

 

「……お、お父さん?……本当に、お父さんなの……?」

「……奇麗になったな、渚。……見違えたよ」

 

眩しいモノでも見るかのように叶さんは目を細めて小さく笑いながら磯貝さんにそう言うと、磯貝さんは口に両手を当てながら静かに泣き始めた。

すると今度は鮫崎さんが叶さんに向けて口を開いた。

 

「……ようやく会えたな、叶。まさか、こんな形でテメェと出会う事になるとはな」

「俺もそう思ってるよ鮫崎の旦那。……20年前のあの時はすまなかったな。アンタの娘には悪い事をした」

「謝罪は聞かねぇぜ。……と言いてぇところだが、俺はもう刑事じゃねぇから逮捕権もねぇ。……一発ぶん殴ってやろうかとも思ったが、娘に直接謝るんだったらそれもチャラにしてやる」

 

フンと鼻息を鳴らしてそっぽを向く鮫崎さんに叶さんは小さく「恩に着る」と呟いた。

するとその直後、発狂したかのような大声がこの場に響き渡る。

 

「ば、馬鹿なッ!!お、お前は誰だ!?叶なわけがねぇッ!!アイツは間違いなく蟹江の銃弾を食らって海の藻屑(もくず)になったはずだ!!あんな状態で生きてるなんてあり得ねぇッ!!!」

 

到底信じられないモノを見る目で叶さんを凝視しながら鯨井さんがそう叫ぶ。

そんな鯨井さんを見てハッ!と笑いながら叶さんが鯨井さんに向けて口を開く。

 

「おいおい、つれない事言うなよ。20年ぶりの再会だっていうのに随分な言い草じゃねぇか。なぁ――」

 

 

 

 

 

 

 

「――××××

 

 

 

 

 

 

「……?…………ッ!!???」

 

叶さんが俺たちには聞き覚えの無い()()で鯨井さんにそう言うと、途端に鯨井さんの顔が顔面蒼白に変わった。

そんな鯨井さんを見て叶さんはニィッと笑いながら言葉を続ける。

 

「そんなに信じられない事か?俺が()()()()()を言った事が。……かつては一緒に仕事をした仲なんだから知ってて当然だろ?何だったら、亀田と()()()()()()蟹江の本名もここでぶちまけてやろうか?」

「あ……あぁっ!……そ、そんな……!そんなぁ……ッ!?」

 

そう呟きながら、鯨井さんは力なく首を振りながらも視線だけは叶さんから外さない。

認めたくはないというのに、否が応でも現実を直視させられて思考が麻痺しているようであった。

そこでふと鮫崎さんが、先程の叶さんの言葉に何かを思い出したかハッとして叶に問いかけた。

 

「叶、今『蟹江を閉じ込めてる』って言ったな?……じゃあ蟹江を舳先から引き上げたのはお前で間違いないんだな?」

「ああ。……奴ならあそこにもう一つ『救命ボート』の箱があるだろ?あの中で今もグースカ寝こけてるよ」

 

そう言いながら叶さんは船首に設置されている――鯨井さんが中身を捨てた箱の対面にある――もう一つの空けられていない『救命ボート』を親指でクイクイと指して見せた。

 

「……蟹江をあの舳先に吊るした時点で鯨井がいずれ奴も殺す事は踏んでたからな。引き上げて奴をあの中に隠してやったんだよ。鯨井へのちょっとした()()()()にな♪」

「ぐぅ……ッ!」

 

心底楽しそうにそう言う叶さんに、鯨井さんは唸りながら彼を睨みつけていた。

すると今度はカエル先生が叶さんに声をかけてきた。

 

「20年ぶりだね。……僕の事、覚えているかい?」

「……ああ、覚えてるよ先生。あの時は急にいなくなったりしてすまなかったな」

 

そう言って頭を下げる叶さんに苦笑を浮かべるカエル先生。

 

「元気そうで安心したよ。……しかし、まさかキミがあの叶才三だったとはね……」

「ん?まさか先生、先生は気づいてなかったんですか?」

 

カエル先生の言葉に鮫崎さんが意外そうな顔を浮かべながらそう尋ねる。

それにカエル先生は静かに頷いた。

 

「うん、まあ、そうだね。……そもそも僕が叶才三の事で知ってたのは、『20年前の事件の後、姿を消した』って事くらいだったからね。……さっきも言ったように初めて会った当時は顔がぐちゃぐちゃだったから誰だか分からなかったし、その上、顔を本格的に治療する前に彼はいなくなってしまったからね。……叶才三が撃たれて海に落ちたっていうのも()()()()()()()()()()()()()()()()だったんだよ」

「あー……そう言やあ、浜に叶の血の付いた上着が流れ着いたってのは、世間体的にはまだ公表されてなかったなぁ」

 

頭をかきながらそう呟く鮫崎さんのその言葉に、カエル先生が「へぇ……」と相づちを打った。

その様子から、やはりカエル先生は叶さんの血の付いた上着が浜に打ち上げられていた件は知らなかったようだ。

そんなカエル先生を前に、叶さんはバツが悪そうに口を開く。

 

「……先生には本当に悪かったと思ってるよ。……あの時、病室から出ていく先生が妙に気になって後をつけてみたら、先生が警察に電話で連絡しているのを見ちまってね。先生の口から『警察』という単語が出た途端、無性に『今すぐ逃げなければ!』って衝動にかられちまったんですよ」

「フン、記憶は失っても体は覚えてたみてぇだな」

 

鮫崎さんにそう指摘され、叶さんは苦笑を浮かべると言葉を続けた。

 

「……病室を抜け出した俺は記憶を失ったまま行く当てもなく各地を転々としたよ。……でも、潰れたままのこの顔じゃあロクに人との会話も出来ず、それどころか俺の顔を見て怖がってすぐさま逃げ出す奴もいる始末でね……」

「結構苦労したみたいだね」

 

カエル先生にそう言われた叶さんは小さく笑いながら頷く。

 

「ええ……。だが天は俺を見捨ててなかったみたいでな。放浪生活を始めてすぐ、野垂れ死に寸前だった俺を偶然通りがかった()()()に拾われたのさ」

 

そう言って当時を思い出すかのように上を向いて懐かしそうに目を細めた叶さんは言葉を続ける。

 

「……しかも()()()()()()()()()()というその男は、見ず知らずの俺を自分の下に置いておいてくれてな。更に自身が開くマジックショーのアシスタントとして、俺を雇ってもくれたのさ」

 

叶さんはそう言いながら、今度は自分の頬を指先で撫でて見せた。

 

「……その上、あの男はどういうわけか『()()()』の方にも()けていてな。仕事の傍ら、俺にその変装術を伝授してくれたのさ。『今のキミには必要なスキルだから』って言ってな」

(……変装術に長けたマジシャン……?)

 

ふと、叶さんが言う『その人』に何か引っかかりを覚えた俺だったが、俺のそんな様子に気づくわけもない叶さんは話を続けた。

 

「……しかし逃亡生活を送る俺は、日に日に周囲の目や警察の動向が気になりだしてな。それと同時に大きくなっていく不安から、俺はやがて男に別れを告げ、元の放浪生活に戻ったんだ。男と初めて会った日からわずか一年足らずの事だったよ」

 

そこで小さくため息をついた叶さんは視線を自身の足元へと落とす。

 

「……だがあの男からもらった『変装スキル』は大いに役立った。顔の傷を変装で隠す事でそれで苦労していた当初の放浪生活よりも幾分かマシな生活が送れるようになったんだからな……。それから20年近く……代り映えのしないホームレス生活にすっかり慣れちまって、当初は不自由に思っていた事も苦にもならなくなったが、肝心の記憶の方は全く戻らずじまいだった……」

「じゃあ……いつ記憶が戻ったんや?」

 

服部が叶さんに向けてそう質問すると、叶さんは皮肉に満ちた笑みを浮かべながら――鯨井さんの方へと視線を向けた。

 

「……情けねぇことに、()()()()()()()()()()()。……しかも皮肉な事に、俺の記憶をよみがえらせたのは――()()()()()

「なっ……!?」

 

驚く鯨井さんを前に、叶さんはその時のことを淡々と語ってみせた。

 

「……もう、日課となっちまったゴミ漁りのためにゴミ捨て場にやって来た俺は、そこに束になって置かれていた古新聞の一つに目が留まった。……その新聞の一部に書かれていた()()()()()()()()()()――()()()()()()()()を見た時、俺の頭の中で電流が走りやがったのさ……!」

「!!……ま、まさか……それは……!」

 

愕然とする鯨井さんに叶さんは不気味に笑みを深める――。

 

 

 

 

「そうさ……!お前が仲間を呼び集めるために使った『古川大』の名前……!それを見た瞬間、俺の頭の中で失っていた20年前の記憶がまざまざと鮮明によみがえったんだよ……!!」

 

 

 

 

「あ、あぁあぁぁ……!そんな……!そんなぁ……!!」

 

思わぬ事実に鯨井さんは放心したままそう響く。

そんな鯨井さんを見て溜飲が下がったのか、叶さんは笑みを浮かべたまま話を続けた。

 

「……記憶を取り戻した俺はすぐさま行動に出た。当日、まだ出航時間より早くに早い時間帯に堤無津港に(おもむ)き、この船に船員として乗り込もうとしていたバーテンを周囲に気取られず拉致したんだ。そして適当な廃倉庫に閉じ込めると、そいつの衣服と荷物を奪い、顔もそいつそっくりに変装して何食わぬ顔で乗船したのさ。……だが、乗船してすぐさま驚かされたぜ――」

 

 

 

 

 

「――鯨井。まさかお前が()()()()()()()()この船に乗り込んでくるだなんてな……!」

 

 

 

 

 

「ぐぅっ……!」

 

恨めしそうに叶さんを見上げる鯨井さん、そんな鯨井さんを冷ややかな目で見ながら叶さんの話は更に続く。

 

「……それを見てお前の動向に興味を持った俺は、その姿のまま一度船を降りていくお前の後を秘かに付けて行った。……そして人気のない場所で変装を解き、今度は別の乗客としてこの船に乗り込んでいった時、俺はお前が周囲に叶才三()の存在を周囲に認識させようとしている事にすぐさま感づく事が出来た」

「…………」

「……んで、急ぎ船内に戻った俺は、お前が俺の変装をして受付にいた船員に『帰って来た』事を認識させて船室に戻り、再び変装を解いて客室から出て行ったの見届けると、前もって受付から拝借してきていたマスターキーでお前の客室に忍び込んだのさ。……そして、そこに置いてあった叶才三()の衣服を拝借し、俺もいったん船を降りるとその衣服を着こんで受付にいた船員とはまた別の船員の前に現れてやったってわけだ。――そこの探偵の言う通り、俺の存在をお前に気づかせるためにな」

 

叶さんの話が進むにつれて、鯨井さんの目つきも鋭くなっていく。

そんな鯨井さんを見ながら叶さんは先程とは打って変わってため息をつきながら言葉を続ける。

 

「……だがその時も、()()()()()()()()()()()()()()()、お前は俺の存在に気づく事は無かった。……だから致し方なく、今度はお前の行動の様子を見ていくことに方針を変えたんだ。お前が俺の存在をこの船の連中に知らしめようとしている時点で、ロクでもない事を企んでんのが丸分かりだったからな。……まぁ、そんな俺でも、まさかお前が仲間である亀田を()っちまうとは夢にも思わなかったが」

 

そこまで言った叶さんに今度は俺がおっちゃんの声で質問を投げかけていた。

 

「……ちなみに叶さん。アナタが()()、この船に乗り込んてきた目的はやはり――」

「――ああ。当然、『復讐』さ。顔は変わってたとは言え、鯨井を含む三人とも()で正体が分かってたしな。……20年前。俺に地獄を味わわせたこいつら一人一人の前に姿を現して片っ端から始末した後……俺もケジメを付けるために自ら、()()()()()()()()()()

 

鯨井さんを冷たい目で睨む叶さんのその返答に、周囲の人々は一斉に息を呑んだ。そんな皆の視線を一身に受けながら、叶さんは今度は盛大なため息を一つつきながら天を仰ぎ見る。

 

「だが……()()()()()()()()()()。……理由はもう分かってんだろ?」

 

俺に向けてそう問いかけながら、叶さんはゆっくりと視線を磯貝さんに向けた。

 

「……今までさんざん悪事に手を染めてきた俺だが……実の娘の目の前で人殺しをするほど、落ちぶれたつもりはねぇからな……」

「お父さん……」

 

悲しそうな笑みを浮かべながらそう呟く叶さんに、磯貝さんも同じく悲しそうな目で叶さんの視線を交わらせる。

俺は二人のその様子を見て、お互いの胸中には複雑な思いが渦巻いているのだというのが感じられた。

するとそこへカエル先生が小さく笑いながら叶さんへと声をかけた。

 

「……よかったよ。()()()()()()()()()()()()()

「?」

 

首をかしげる叶さんにカエル先生は二ッと笑って答えた。

 

「死んでしまったら()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()からね。僕は中途半端な形で自分の仕事を放りだす事はしない主義なんだ。……その傷の治療の続き、後でちゃんとさせてもらうよ?」

「……は、ハハッ!……全く、とことん骨の髄まで医者だな。アンタは」

 

指先で自身の顔を撫でながら叶さんは呆れ半分の笑みでカエル先生を見ながらそう言った。

カエル先生が意図した結果かは分からないが、そのおかげで先程まで周囲を張り詰めていた空気が少し緩んだような気がする。

……いや、一人だけ未だに気を張り詰めている人が一人いた。鯨井さんだ。

鯨井さんはまるで親の仇を見るかのように歯ぎしりをしながら叶さんを睨み続けていた。

そんな鯨井さんの様子を気づいているのかいないのか、叶さんは床に座り込んでいる鯨井さんに近づき、彼の数メートル手前で止まると、視線の高さを合わせるように同じようにしゃがんで見せた。

そして怒りで顔を歪める鯨井さんの前で叶さんはヘラリと笑いながら口を開いた。

 

「……しっかし鯨井、お前も馬鹿な奴だなぁ。せっかく時効を迎えられたってのに、こんな手の込んだ殺しをやらかすとは」

「うるせぇッ!テメェには……テメェには分かるわけがねぇ!こいつは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だったんだからな!!」

「俺を、越える?」

 

眉根を寄せてオウム返しにそう聞く叶さんに鯨井さんは叫び続ける。

 

「叶!俺は今でも覚えているぞ!20年前、俺が考えた計画を『ザル』だとぬかしやがったあの時のことを……!!だから時効が明けるこの日、お前が今まで考えた計画以上の完璧な計画を組み立てて、テメェを――」

 

 

 

 

 

 

「――『影の計画師』と呼ばれた叶才三(テメェ)を、越えたかったんだよ……!!」

 

 

 

 

 

 

怨嗟の籠った声色でそう叫ぶ鯨井さんに叶さんは目を丸くするも、直ぐにハッ!と笑い飛ばした。

 

「笑わせんな。俺を越えるだと?金だけじゃなく、そんな事のためにかつての仲間まで手にかけちまうとはな」

「ぐぅっ……!」

 

唸る鯨井さんを前に叶さんはすっくと立ちあがる。

 

「……おまけに何の意図があったか知らねぇが、亀田や蟹江のみならず20年前のあの事件の関係者まで呼び寄せて巻き込みやがって」

「あ゛ぁッ!?そりゃあこっちが聞きてぇよ!!……何故だ!?何故あの事件に関わる人間がこの船にゴロゴロ乗ってンだぁ!?……俺は広告に叶の名前何て一文字も載っけてねぇっていうのによぉッ!!!」

 

鯨井さんがそう叫んだ瞬間……その場が一瞬静まり返った。

鮫崎さんと磯貝さん、カエル先生の三人は唖然とした表情を浮かべ、叶さんはキョトンとした顔で鯨井さんを見つめていた。

 

「……?……???」

 

何が起こったのか分からず、鯨井さんは先のほどまでの怒気が顔から一瞬にして消え去り、代わりに困惑の表情で叶さんたちをキョロキョロと見渡し始めた。

やがて、その静寂を破ったのは鮫崎さんだった。

 

「……おいおい、鯨井。お前まさか、『古川大』が何なのか分かってないのか?」

「あ、え?……か、画数が少なくて、覚えやすいから事あるごとに使えと(コイツ)が言ってたあだ名だ……!世間じゃ知られていねぇはずだ!」

 

鯨井さんがそう言った瞬間、鮫崎さんが思わず失笑を浮かべた――。

 

「ははははははッ……!コイツは傑作だ!――」

 

 

 

 

 

 

「――『古川大』を縦書きにしてそれを横に寝かして見ろよ――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――『才三 叶』になるじゃねぇか!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっ……!?」

 

鮫崎さんのその言葉に呆然となる鯨井さん。それに続くようにして磯貝さんも声を上げた。

 

「だからこのツアーに参加したのよ。丁度、時効が明ける日だったし」

「まぁ、半信半疑だったけどね?」

 

磯貝さんに同意するように、カエル先生も苦笑を浮かべて肩をすくめながらそう言った。

その事実を突きつけられ、半ば放心状態の鯨井さんに、鮫崎さんは鯨井さんの顔を覗き込むようにして口を開いた。

 

「つまり『古川大』は洒落をきかせた叶の偽名だったってわけよ」

「ッ!!……そんな……!そんなぁ……ッ!!」

 

それに鯨井さんは今度こそ心が折れたよう項垂れる。

そんな彼を鮫崎さんは小さく笑いながら言葉を続けた。

 

「ハハッ……こいつぁはなから勝負にならねぇなぁ、叶?」

 

鮫崎さんにそう問われ、叶さんも顔に手を当てながら呆れの交じった含み笑いを浮かべた。

 

「クック……ああ、全くだ。……鯨井、やっぱお前俺が直接手ぇ下すまでもなかったみたいだな?――」

 

そう言った叶さんは顔から手を離すと、未だにへたり込みながら放心状態で自身を見上げてくる鯨井さんに向けて、目を細めながらニヤリと笑ってみせた――。

 

「――なんたってお前は20年間――」

 

 

 

 

 

 

「――叶才三(この俺)に踊らされ続けていたんだからな……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――叶さんのその言葉を最後に、今この長い夜(事件)は静かに終わりを告げた……。




補足説明。

浜に打ち上げられた叶の上着に関してですが、叶から脱げた後、別の海流に乗って叶とは違う方向へと流れていきました。
その結果、叶本人とは全く別の場所と時期に発見さる事となり、カエル先生に助けられた叶と着ていた上着の関係性が希薄状態になっています。




次回はこの事件のエピローグを少し書いた後、次の話へと移行いていきます。


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後日談:『シンフォニー号殺人事件』のその後

毎回のお気に入り登録、及び感想ありがとうございます。

シンフォニー号の事件の後日談なので極端に短いです。
それでも良ければどうぞ!


SIDE:江戸川コナン

 

 

――今回起こった『シンフォニー号』での事件後の話をかいつまんで話そうと思う。

 

事件解決後。運よく漁師の船に助けられて生還した服部をいつの間にかポケットに入れられてたという幼なじみのお守りについて俺と蘭とでからかってやると、ようやく海の地平線から太陽がゆっくりと顔を出した――。

 

それからしばらくして、船が小笠原に着いた後は当然の如く鯨井さんは殺人容疑で待ち構えていた警察に逮捕された。

そして、バーテンダーの姿をした叶さんもまた、警察に連行される事になった。

叶さんに関しては20年前より以前の犯罪は既に時効が成立しているため罪に問う事は出来ないが、船に乗るために本物のバーテンダーを閉じ込め、荷物を盗んだ事実がある。

拉致監禁、及び窃盗の罪でそれなりの罰が下るだろう。

連行される直前、叶さんは磯貝さんと二言三言会話を交わすと、そのままパトカーに乗り込んでいった。

その時の二人の顔はまるで憑き物が落ちたように穏やかであった。

そして叶さんが連行された後、磯貝さんは言っていた――。

 

「……また離れ離れになったのは寂しいけれど、それでも恐らくは数年程度の別れになるだけ。20年も生死不明のまま待ち続けたあの頃に比べれば遥かにマシよ」

 

と、前向きな姿勢で笑顔を浮かべた。

事実、警察の取り調べで船の事件だけでなく20年前以前の事件の内容も含めた質問にも、叶さんは素直に答えているという。

反省の色があるとして減刑される可能性が高いと目暮警部たちから聞かされた。

また事件後、勾留(こうりゅう)中の叶さんの元にカエル先生がやって来たらしい。

どうやら船上で言っていた叶さんの顔の治療の続きを行うために色々と根回しをして面会にこぎつけたのだという。

カエル先生との再会は出所後になると思っていたらしい叶さんは、先生がやって来たことに大いに驚いたのだと。

そして、カエル先生の行動力に半ば呆れながら叶さんは留置所のとある一室にて、警官たちが見つめる中カエル先生の治療を受けて行った。

 

 

 

――そして、20年前に奪われた例の四億円に関してなのだが、事件後警察の捜査でとある貸金庫に眠っているのを発見されるも、ここでもう一波乱起こった。

 

 

 

叶さんによって命を救われた蟹江さんだったが、亀田さんが死に鯨井さんが逮捕されたのを知るとその四億円を独占できると踏んで、意気揚々と押収した四億円を渡すよう言って来たのだが、20年前に彼らに襲撃された銀行側が話を聞きつけ、四億円をこちらに返還するよう要求してきたのだ。

 

もう時効が切れた金だから所有権はこちらにあると主張する蟹江さんに対して、元はこちらから奪われたお金だというのがすでに明らかになっているため、こちらに返すのが筋だという銀行側の主張とで張り合いとなり、ついには裁判にまで発展する事となった――。

 

どちらも一歩も引かず、事態は長引くかと思われたが、それも直ぐに終幕を迎える――。

 

銀行側に20年前の事件と船での事件が知られると同時に、マスコミにもその話が流れたため、唯一逃げ延びて大手を振って暮らしている蟹江さんの所に連日連夜、マスコミが押しかけ始めたのだ。

その結果、世間に蟹江さんの正体が20年前の事件の犯人一味の一人だという事が知れ渡り、瞬く間に蟹江さんは世間からのバッシングを受け肩身の狭い生活を強いられることになり、耐えきれなくなった蟹江さんは苦労して手に入れた四億円の所有権を泣く泣く手放し、早々に海外へと逃げて行った。

 

 

 

 

 

――かくして、盗まれた四億円も元の持ち主たちの元へと帰る事となり、無事この一件は完膚なきまでに終了する事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:三人称視点。(鮫崎島治)

 

 

 

 

「ふぅ……」

 

日本家屋の自宅の縁側に座りながら、鮫崎は大きく息を吐いて脱力する。

警察の事情聴取を受けて疲れたというのもあったが、それ以上に20年前の事件の決着がつけられたことに安堵したのが大きかった。

 

(……これで、警察官としての俺の心残りは全て晴れた。ようやく心置きなく老後を楽しめるってわけか……)

 

少し前に娘夫婦(むすめふうふ)にも20年前の事件が解決したことを伝えた。二人とも大いに喜んでおり、今夜はその記念パーティーを開こうと張り切っていた。

鮫崎はそんな二人を見てようやく全てが終わったのだと実感した。

 

(娘らの喜ぶ顔も見れたし、孫の顔も見れた。……もういつ死んでも悔いはねぇなぁ)

 

そう思いながら鮫崎はズボンのポケットに手を突っ込み、そこに入っていた手袋を取り出し、見つめた。

いつも持ち歩き、あの船でも使った手袋。定年を迎えても警察官としての自分がなかなか消えず染みついていた。その残滓が今この手の中にあった。

 

「…………」

 

定年を迎えた後、何度も何度も手放そうと思っていた手袋。しかし、未だに手放せず今もこうして持ち歩いている。……まぁ、そのおかげであの船の事件の際にも役立ったわけだが。

 

(……考えてみりゃあこの手袋だけじゃねぇ。……俺があの船で叶の影を追いかけたのも、娘が被害にあったっていう理由だけじゃなかった。刑事じゃなくなり、逮捕権も無くなっても、それでも時効目前まで叶を追いかけたのはひとえに……俺の中の警察官としての執念、信念が諦める事を許さなかったからだ)

 

そしてその一端は今も生きている。

定年退職後、鮫崎は今現在、定年再雇用を受けて()()()()の事務員として働いている。

警察とは全く関係ない職場を選び、そこに働きに行くことも出来たのにだ。

 

そこで鮫崎ははたと気づく。

 

(そう、か……。俺は警察官であることをおいそれと捨てたくなかったんだな)

 

警察官であることに誇りを持ち、自分の中に独自の正義を掲げて駆け抜けたこの人生。それを定年退職()()()であっさりと終らせたくは無かったのだ。

 

(そうか……そうか……!なら、俺が()()()()()()()()()……!)

 

意を決した鮫崎は縁側からすっくと立ちあがると、そのまま隣の和室に向かい、そこにあった固定電話の受話器を取って電話をかけ始めた。

かける連絡先は、今も警視庁の上層部で働いている古い友人だ。

実は少し前から、彼から()()()()()で声をかけられており、鮫崎はその返答を出し渋っていたのだが、()()()()()()決意が固まった今、迷いなく友人へと電話をかけたのだった。

 

娘たちを説得するのは、後にしよう。退職してから少しブランクが空きすぎているのが不安な所だが、今はこの決意が消えない内に友人に答えておきたい。

 

(もう一花咲かせるのも、悪くはねぇ……!)

 

受話器を耳に当てて電話の向こうで友人が出るのを待ちながら、鮫崎はフッと口元を緩ませた――。




軽いキャラ説明。



・叶才三

単行本23巻に収録。アニメでは174話として2時間スペシャルで放送された『二十年目の殺意 シンフォニー号連続殺人事件』の回想にて登場。
原作では既に故人であるが、この作品では冥土帰しの手によって存命している。
蟹江に撃たれて海に落ちた後、冥土帰しに助けられ、そこから紆余曲折を経て20年後に裏切った仲間たちが乗る船へと乗船する事となる。

事件後、本来乗船するはずだった本物のバーテンダーを拉致監禁した罪で警察に逮捕された。





・鯨井定雄

こちらは原作通りの犯人。しかし蟹江を殺しそこなったため原作よりは罪が軽くなるのは確実である。





・亀田照吉

こちらは原作と何も変わらず、原作通りに鯨井に殺されてしまった。以上。





・蟹江是久

こちらは原作通りに鯨井に殺されることは無く、殺される前に叶によって助け出され生存する。
事件後に四億円を独占しようとするも、世間からバッシングに耐え兼ね、所得権を放棄して外国へと逃げて行った。





・鮫崎島治

定年退職した元警視であるが、事件後にとある決意を固め、警視庁上層部で働く旧友ととあるコンタクトを取る。





・磯貝渚

叶の娘。叶の生存と再会に大いに喜んだ。今は叶が刑期を終えて帰って来るのをただひたすらに待ち続けている。






・鮫崎美海

島治の娘。原作では回想にしか出ず、20年前の事件の際に死亡しているが、この作品では冥土帰しによって存命している。
現在は20年前から交際している(原作本来では船に乗るはずだった)銀行員の海老名稔(えびなみのる)と結婚し、子供もできて幸せな家庭を築いている。


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カルテ21:武田美沙【前編】

今回は以前、あとがきにて書いた『彼女』の過去話を書いていきます。


SIDE:カエル顔の医者(冥土帰し)

 

 

 

――あれは3年前の事である。

当時私は、仕事の出張で()()()を一人連れて鳥取へとやって来ていた。

そしてそこで仕事を終えた私たちは少し鳥取を観光した後、そろそろ帰ろうという事になり、雨の降る中、車を東都へと向けて発進させた。

その途中、近道を通ろうと絡繰峠(からくりとうげ)と呼ばれる山道を車で走っていた時の事だ。

運転している私に、助手席に座る同行者の看護師が声をかけてきた。

 

「いやぁ~、食った食った♪美味しかったですね先生、鳥取名物『牛骨ラーメン』に『かに汁』。もう大満足ですよ私♪」

「それは良かったね。……全く、珍しく僕について来たと思ったら、郷土料理が目当てだったのかい?」

「もちろん♪こんな時でないと日本各地の名物なんて食べられませんしね」

 

悪びれる事も無くそう言ってくる同行者の看護師――鳥羽初穂(とばはつほ)君に私はがっくりと肩を落とした――。

全くこの娘ときたら、普段は他の医師たちや患者たちの前では猫をかぶっているくせに、私や()()()()()()()()()()()()()の前でだけ途端に本性をさらけ出すのだ。

それでも仕事は建前上しっかりとやってくれる辺り、看護師としては素直に信頼できる。

しかしそれでも、まさか鳥取の名物を食べる目的で私について来るとは思いもしなかった。

大きくため息をつきながら私は鳥羽君に横目で口を開く。

 

「まぁ、病院の職員たちのためにお土産もたくさん買ってあげる気前の良さは認めてあげるよ?」

「私だってそこまで気が利かない女じゃないですよ。……というか、土産買わないとあの藤井の奴にまーた何か小言を言われかねないですしね」

 

フンと面白くなさそうに鼻を鳴らして初穂君はそっぽを向く。

どうにも同じ病院で一緒に働く、同じ看護師の藤井孝子(ふじいたかこ)君とは性格が水と油なのか何かと衝突しやすい。所謂、犬猿の仲なのだこの二人は。

後部座席にたくさん買い込んだお土産をチラリと一瞥した私はやれやれと視線を前方に戻し、肩をすくめた。その次の瞬間だった。

 

――道端から唐突に若い女性が飛び出してきて走って来る私の車に向けて両手をブンブンと振って見せたのだ。

 

「!」

 

それを見た私は直ぐにブレーキを踏む。幸い私の車と彼女の距離はまだ遠く離れていたため、私は余裕を持って車を停止させることが出来た。

完全に止まった私の車に女性が駆け寄って来る。

運転席に近づいて来たので私は直ぐに窓を開けた。

 

「どうかしたのかね?」

「すみませんいきなり飛び出してきて。……ですがお願いします、助けてください!すぐそこで土砂崩れがあって人が一人巻き添えに……!」

 

私の言葉に女性は半ば慌てた口調でそう返答し、それを聞いた私と鳥羽君は瞬時に顔を険しくさせた――。

 

 

 

 

 

 

その女性――武田美沙(たけだみさ)さんの案内で現場に駆け付けてみると、そこには大量の土砂に体が半分埋まって倒れている男性の姿があった。

そばにはカメラも落ちており、どうやら景色を撮影している最中に事故にあった様子だった。

 

「鳥羽君、直ぐに救急車を!」

「はい!」

 

私は直ぐに鳥羽君に指示を飛ばし、鳥羽君はすぐさま持っていた携帯で連絡する。

その間に私は男性に駆け寄り、土砂の山から彼を引きずり出した。

 

「キミ!大丈夫かい?しっかりするんだ!」

 

そう叫びながら男性の顔を覗き込み、()()()()()()()()

彼は明らかに日本人離れをした顔立ちをしていた。

金色の髪に日本人よりの色白な肌。彼はれっきとした外国人であった。

私はすぐさま彼の容体を確認する。見た所、擦り傷や打撲の他にも数か所骨折もしているようであった。

 

(とにかく、一刻も早く治療をしないと……!)

 

私がそう思ったと同時に、電話をしていた鳥羽君が(そばに美沙さんがいるため)丁寧な口調で声を上げた。

 

「先生、ダメです!今電話で救急隊員に確認を取ったのですが、最寄りの病院は今は満室で新しく患者を収容する事は出来ないそうです!」

「そうか……」

 

それを聞いて私は思案する。治療するだけなら直ぐにでも出来るから問題はない。しかし問題は治療後、彼を安静に寝かせられる場所が無ければ回復は困難になって来る。

さて、どうするべきか。と、私がそんな事を考えていると、ふいにそばで状況を見守っていた美沙さんから提案がかかった――。

 

「……あの、でしたら私の家に運ぶのはどうでしょう?私の家、この直ぐ近くなんです」

 

 

 

 

 

 

 

男性の応急処置を済ませて車の所に彼を運び込むと、後部座席に積んであったお土産や荷物を助手席と後部座席の下に押し込んで後部座席に男性と美沙さんを乗せる。

そして彼女の案内の元、その屋敷へと全速力で向かった――。

 

――目的の屋敷は直ぐに見えてきた。

日本家屋のひなびた大きな屋敷で、そばに納屋や蔵のような建物も建っているのが小さく見える。

そのすぐ手前には複数の車が止められるほどの広い空き地が広がっており、私はその空き地に車を停車させた。

事情を説明させるためにまず住人である美沙さんを先に屋敷へと向かわせた私は、後部座席から男性を降ろすと彼をおんぶし、医療道具一式を鳥羽君に持たせると私たちも屋敷へと向かって走り出した。

 

だがその途中、ふいに私の後ろを走っていた鳥羽君が急に立ち止まった。

 

「?」

 

私も男性を担いだまま反射的に立ち止まって鳥羽君の方へと振り返る。

すると鳥羽君は、何故か怖い顔を浮かべながら屋敷を睨みつけていたのだ。

 

「どうしたんだね?早くしないか!」

「え、あ、すみません」

 

彼女が屋敷を見て何を思ったのかは知らないが、今はそれどころではない。私は鳥羽君に向けて一言一喝すると、途端に彼女はハッとなり、慌てて動き始める。

それを見た私もすぐに屋敷に向けて再び走り出した――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:三人称視点。(鳥羽初穂)

 

 

 

(なぁ~んか(くさ)いねぇ、この屋敷……)

 

先を走るカエル先生と背負われる男の背中越しに屋敷を睨みつけながら、鳥羽は心の中でそう毒ついた。

屋敷を一目見た時から、彼女は何故かこの屋敷が気に入らなかった。

 

――それはこの屋敷全体が纏う空気。

 

まるで()()を迎え入れるかのように屋敷全体のねっとりとしたその空気が自分を取り込もうとしているような気がしてならなかったのだ。

そう思うと全身が総毛立ち鳥肌も浮かんだ。気持ち悪い。反吐が出る。

 

(こう言うのを『同族嫌悪(どうぞくけんお)』って言うのかねぇ……ああ嫌だ嫌だ、気に入らないったらありゃあしないよ)

 

屋敷が近づくにつれ、鳥羽の目つきも鋭くなっていく――。

 

(よぉく知っている臭いだからこそ、逆に肌に合わないって事もあるもんなんだねぇ――)

 

 

 

 

 

 

(――私と同じ、()()()()()()()()ってのはさぁ……!)




今回も短めですがここで一区切りとさせていただき、と同時に、今年最後の投稿とさせていただきます。

来年も早めに投稿できるよう頑張ります。
読者の皆々様、今年もあとわずかですが良いお年を。


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カルテ21:武田美沙【中編】

新年あけましておめでとうございます。

注:自分は鳥取の方言は分からないのでそれっぽい雰囲気の口調で書いています。


SIDE:カエル顔の医者(冥土帰し)

 

 

 

土砂崩れに巻き込まれたアメリカ人の男性――ロバート・テイラー君を武田家の屋敷に運んでから半日が経った。

 

美沙さんによって事態を知った武田家の人たちからすぐさま屋敷の一室を借り受けることが出来、そこで私はロバート君の治療を無事行うことが出来た。

ロバート君の術後は良好で、私のその後の役目は定期的な診察のみとなり、その間のお世話は鳥羽君と美沙さんに任せる事となった。

――後から聞いた話だが、どうやら美沙さんも看護師だったらしい。

ロバート君の治療を終え一段落着いた後、私はすぐこの屋敷の主である武田智恵(たけだちえ)さんからお呼びがかかった。

智恵さんの私室に通された私は、まず開口一番に智恵さんにお礼を言った。

 

「緊急事態とは言え、部屋をお貸しくださりありがとうございました。ご迷惑だったかとは思われますが、そのおかげで患者を治療することが出来ました」

「なぁに、気にする事はねぇで。困った時はお互い様だがな」

 

そう言った後、智恵さんはロバートが完治するまでの間、私と鳥羽君をこの屋敷に滞在することを勧めてくれた。

私としてもロバート君の術後の様子も診ておきたかったのもあってその提案は好都合だった。

 

そうして、武田家から電話を借りて米花私立病院に帰る日取りが延びる事を伝えたそれからは、私たちは少しの間、この武田家にお世話になる事になったのである。

 

すると、それから数日と経たずして、私は庭を散歩する鳥羽君を見かけた。

鳥羽君はこの時間帯、ロバート君の看病しているはずなのでここでぶらぶらしているはずはないのである。

されど、彼女は性格はさておき仕事を投げ出すほどのさぼり魔でもないはずなので疑問に思いながら私は彼女に声をかけた。

すると、私に声をかけられた鳥羽君は苦笑を浮かべながら口を開いた――。

 

「いやぁ~、すみませんね先生。本当ならロバートの看病は私がやってるはずだったんですけど……。美沙ちゃんが()()()()()()って言ってきまして」

「美沙さんが?そりゃまたどうして?」

 

私がそう尋ね返すと、鳥羽君は意味ありげに「ンフフッ」と含み笑いを浮かべると、私に耳打ちをしてきた。

 

「ロバートと美沙ちゃん。……ここ数日で随分とまぁ()()()()()()()()みたいで♪」

 

その言葉に私は素直に驚いた――。

 

 

 

 

 

――聞けば土砂で口の中を切って喋れないロバートとローマ字を使った筆談をしているうちにお互いに意識し始めたらしい。

ロバートは日本語は喋る事は出来たが日本の文字の読み書きは出来なかったため、結果会話をする時はローマ字を使った筆談となったのだが、その筆談中にロバートと美沙さんは相思相愛になったのだという。

それ故、ロバートの看病は自分に全て任せてはくれないかと、鳥羽君に美沙さんから要望があったのだ。

まぁ、彼女がそれを望むのなら断る理由がない私としては別にいいのだが、それだとロバート君が回復するまでの間は完全に鳥羽君が暇を持て余す事になってしまう。

この屋敷は山奥にあるため、暇をつぶすための娯楽などは無きに等しい。近場の街まで行くのにも車で片道数十分はかかる距離だ。

いっその事、私の車を鳥羽君に貸して先に病院に戻らせるという考えもあったが、それでは鳥羽君を雑にあしらうようであんまりだと直ぐに却下した。

はて、どうしたものかと悩んでいると、屋敷の正面を伸びる道の向こうから一台の車がやって来るのが視界に映り――。

 

――それからそう長い時間を置かずして鳥羽君の問題も解消されることになった。

 

 

 

 

――やって来た車に乗っていたのは、東京に在住し今は里帰りのためにこの屋敷に戻って来た、武田家の次男夫婦とその娘たちであった。

夫である武田龍二(たけだりゅうじ)さんを始め、妻の陽子(ようこ)さん、そして双子の姉妹の紗栄(さえ)ちゃん絵未(えみ)ちゃんは、当初こそ見知らぬ私たちが実家にいる事に不思議そうな顔を浮かべていたものの、直ぐにこの屋敷の家政婦をしている塩谷深雪(しおやみゆき)さんから事情を聞かされ、改めて龍二さんたちからもこの屋敷に迎え入れてくれる形となった。

 

そうして龍二さんたち次男一家がやって来てから、鳥羽君は紗栄ちゃん絵未ちゃんの遊び相手をするようになった。

鳥羽君は性格に問題のある女性であるが、意外にも面倒見のいいところがある。

そのためか双子ちゃんたちとはすぐさま打ち解け、かくれんぼや鬼ごっこなどをしているのを見かけていたので微笑ましく思えていた。

もちろん、それでも時間が空く事は多かったが、その時は大抵鳥羽君は、屋敷の周りを散歩したり深雪さんの家事手伝いなどをしていた。

 

こうして鳥羽君の方の問題は解決したが……実はその時、私の方で再び問題が起こっていた。

 

 

 

 

それは龍二さんが里帰りしてきた日、そのことを伝えるためにロバート君の看病を終えたばかりの美沙さんに会った時の事だ。

龍二さんが美沙さんに挨拶をして顔を見た瞬間、その顔をギョッと驚愕に染めて彼女に詰め寄って来たのだ。

 

「み、美沙ちゃん、どうしたんだい()()()()()!?」

 

少し取り乱しながらそう叫ぶ龍二さんの言葉に流されるようにして、私も彼女の顔を覗き込んだ。

するとそこには、前髪に隠れていてよくは見えていなかったが、龍二さんの言う通り目立つぐらいに大きな傷があったのだ。

ロバートの治療や屋敷の滞在などいろいろあった為、今の今まで美沙さんの顔にこんな傷がある事に気がつかなかった。

龍二さんにそう指摘された瞬間、美沙さんは明らかに狼狽した様子を見せた。

 

「こ、これはその……()()()家の柱にぶつけてしまって……」

 

前髪でその傷を必死に隠しにながらそう言い作ろう美沙さん。

目を泳がせながら暗い顔を浮かべる彼女に私はそれが……全てではないのだろうが、嘘なのだと直ぐに分かった。

そしてそれは龍二さんも同じだったらしく何とも言えない表情で美沙ちゃんを見つめていた。

私はそんな二人の間に割って入ると、美沙さんにある提案をした。

 

「美沙さん。……もしよければその傷、僕に治療させてくれないかい?僕なら()()()()()()、痕も残さず奇麗さっぱりと治すことが出来るよ?」

「ほ、本当ですか!?」

 

驚いた。私の提案にいち早く反応したのは、美沙さんではなくはたで聞いていた龍二さんだったからだ。

龍二さんは私の両肩をがっしりと掴むとそう詰め寄って来た。

 

「本当に……本当に美沙ちゃんの傷を治すことが出来るんですね!?」

「あ、ああ。本当だよ?僕に任せてくれれば数日で完治は可能だね。……なんだったら、この屋敷に滞在させてもらっている手前、治療費をタダにしてもかまわない」

 

迫力のある顔で迫り、そう尋ねて来る龍二さんは私の肩を揺らしてくる。

私はそれに面くらいながらそう答えて、視線を美沙さんへと向けた。

美沙さんは私からの提案に最初は目を丸くしていたが、やがて申し訳なさそうにコクリと小さく頷いた。

 

「……よ、よろしくお願いします」

 

そう呟く彼女の顔は先程までの暗い表情から幾分か明るくなったような気がした――。

 

 

 

 

 

 

 

「……チッ」

 

 

 

 

 

 

「……?」

 

微かに()()()のような声が聞こえ、私は無意識にそれのした方へ眼を向ける。

そこには廊下の奥へと去って行く、龍二さんの兄でありこの屋敷で人形師をしているという武田信一(たけだのぶかず)さんの小さな後姿が見えた――。

 

 

 

 

 

 

――そしてその日の夕食後、私は()()()信一さんに呼ばれ、彼の部屋へをやって来ていた。

部屋にやって来た私に信一さんは座布団を用意すると、私をそこに座らせ、自分も私の対面に座布団を敷いてその上にドカリと座った。

そして、険しい目で信一さんは私の事を睨んできたのだ。

この屋敷にやって来た当初の気のよさそうな雰囲気が無くなっており、何処か苛立たし気な表情で顔を歪め、鋭く目を細めて見て来る。

そんな信一さんに私は少し気おされながらも彼に尋ねた。

 

「……それで、一体何の用で僕を呼んだんだね?」

「……昼間、ちぃと耳にしたんだが……先生ぇは美沙の顔の傷をば治せる言うとったらしいが、ホントか?」

 

重く、感情が消えたような口調でそう聞いてくる信一さんに、私は素直に頷いて見せる。

 

「――チッ!そぉか……」

 

心底面白くなさそうにそっぽを向いて舌打ちをする信一さんに、私は「おや?」と首を傾げた。

 

――信一さんは、()()()()()()()()

 

美沙さんは彼と、彼の妻の絹代(きぬよ)さんとの間に出来たたった一人の娘だと聞いた。

普通、父親なら娘の顔の傷が消える事に対して喜ぶはずなのに、逆に不機嫌になるというのはどういう事なのだろうか。

そんな疑問が頭の中で渦巻く私を前に、信一さんは深いため息を一つつく。

 

「はぁ……まぁええわい。そげぇな事よりも先生ぇ、アンタに頼みたい事がある」

「……?」

 

何だろうと耳を傾ける私に向け、信一さんは信じられない一言を言い放ってきた――。

 

 

 

 

 

「DNA鑑定ちゅうモンをしてもらいたい。……()()()()()()()()()()()()()()()()()()になぁ」

 

 

 

 

 

――その言葉に私は絶句する。

どういう事だ。つまり、美沙さんの父親は信一さんではないというのか。

愕然とする私を前に、信一さんは再びそっぽを向きながら苛立たし気に口を開く。

 

「……この前、病院に言った時にかかりつけの医者が口を滑らせて偶然知ったんだわ。……ワシは元々、()()()()()()()()()()()()()()()()()()……!」

 

忌々し気にそう吐き捨てる信一さんに、私は声を出すことも出来なかった。

それが本当なら、美沙さんはまず間違いなく信一さんではなく、()()()()の娘という事になる。

でも何故そんな……。

そんな私の想いとは裏腹に、信一さんの話が続く。

 

「……じゃがその医者はそれ以上の事を話さず頑なに口をつぐみよって、絹代の相手の男が誰なのか分からずじまいじゃったが……今日の昼間、美沙の傷が治るっちゅう話を立ち聞きした時、ようやく分かったんだわ――」

 

 

 

 

「――()()()()()()()()()()()()()……!」

 

 

 

 

怨嗟の籠ったようなその言葉に、私は無意識に息を呑んだ。

そして、私の脳裏にも美沙さんの実の父親が誰なのかはっきりと分かった。分かってしまった。

 

――あの時……傷の治療を私が提案した時。美沙さん本人よりも先に反応し、私に詰め寄って確認を繰り返し、彼女以上に深く安堵していた、()()()の事を。

 

そう言えば、先程の夕食の時。()()()()あの時とは打って変わって青ざめた顔で、対面で静かに食事をとる信一さんと絹代さんをチラチラと交互に見つめていた。

 

――恐らく、夕食前に絹代さん本人から信一さんに()()()()()()()()伝えられたのだろう。

 

そんな事を考えていた私に、信一さんは座ったまま上半身を前のめりに傾け、感情の抜けた顔で静かに呟く。

 

「……じゃが、確証は持てど証拠が無けりゃあ逃げられっかもしれん。そこでアンタの出番だわ」

 

信一さんはおもむろにポケットからハンカチを取り出すと、そこに包まれていた()()()()()()を私に見せてきた。

 

「……()()()()車の運転席に落ちてたのをいくつか失敬したで、こいつで言い逃れできん証拠ばぁ作ってほしいけぇ」

 

そう言って信一さんはその髪の毛をハンカチごと私の手に握らせた。

反論を言わさぬその言葉に、私は二の句が継げなくなり無言で渡されたそのハンカチを見下ろす。

そして数秒の沈黙後、私はため息を吐きながら信一さんに向けて口を開いた。

 

「……分かったよ。ただ、検査結果を出すには少し時間がかかってね。数日待ってはくれないだろうか?」

 

……本当は私の腕なら()()()()()()()()()結果を出す事は可能なのだが、正確に現状を理解し、そしてどう対処するべきかを考えるために今はただ時間が欲しかった。

私の言葉に特に疑問も持たず信一さんは「ああ」と了承してくれた。

それを見た私は、静かに立ち上がるとすごすごと信一さんの部屋を後にする。

去り際にふと、()()()()頭の中に浮かび、思い切って未だ座ってこちらを見ている信一さんに問いかけてみた。

 

「……最後に一つ、聞きたいんだがね。……美沙さんのあの顔の傷。……まさかとは思うが、あれは本当は()()()()()()()んじゃないだろうね?」

 

私のその質問に、信一さんは一言――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……さぁ、どうだかね……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

――そう……不気味な笑みを浮かべながら答えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……いやはや参ったね、これは」

 

縁側に座った私は、信一さんに持たされた例のハンカチを手に深々とため息をついていた。

あれから数日。私は未だに()()()()()()()()()()()()()

これを信一さんの言われた通りに鑑定するべきなのか、私の中でまだ決めあぐねていたのだ。

だが頼まれてそれを承諾した以上はとりあえず鑑定だけでもしておくべきだと思いなおし、私は深くため息をつきながら縁側から立ち上がった。

武田家から借りている自分の部屋に向かう途中、私はロバート君の方にも考えを巡らせる。

今やロバート君は怪我はほとんど治り、屋敷の中を歩き回ったり武田家の人たちと普通に会話もできるようになった。特に紗栄ちゃん絵未ちゃんとも仲が良く、美沙さんとも冗談半分な会話をして一緒に笑っている姿を見るようになった。

もう何時でもこの屋敷を出ることが出来る。

しかし、私たちは――少なくとも私はまだこの屋敷に留まらなければならない用事がある。

先にロバート君をこの屋敷から出させようかと考えていると、背後から聞き慣れた声が私にかかった。

 

「先生、ちょっといいですか?」

 

振り返るとやはりと言うか、鳥羽君が立っていた。

鳥羽君は「ちょっと、こっちへ」と言って私の手を取り、人気のない場所まで連れて行った。

怪訝な顔を浮かべる私を前に、鳥羽君は周囲に人がいないことを確認すると、私に向けてポケットから小さな袋を取り出して見せた。

 

「……先生、これを見てくれませんか?」

「?」

 

そう言って鳥羽君が差し出した小さな袋は透明で、その中に少量の()()()()パンパンに詰められていた――。

それを認識した瞬間、私はハッとなってその袋を鳥羽君から受け取ると、袋を開き小指の先にチョンチョンと中の白い粉をごく微量くっつけるとそれをぺろりと舐めた。

舐めた瞬間、私は目を大きく見開き、と同時に慌てて鳥羽君に詰め寄った。

 

「鳥羽君!これを何処で!?」

 

内心血相を変えながら私は鳥羽君にそう問いかける。

何故ならその袋に入っていた白い粉……それは正しく――。

 

 

 

――麻薬であったからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:三人称視点。(鳥羽初穂)

 

 

 

 

鳥羽が麻薬を手に入れるきっかけになったのは、少し前の夕食の席で武田信一ともう一人――()()()()()()と会話をした事がきっかけだった。

 

「へぇ~っ、信一さんと根岸(ねぎし)さんはたったお二人だけで人形を作ってそれを売る仕事をしているんですね!凄いです!」

 

いつものように初対面の人間相手に猫かぶりをしながら、鳥羽は信一と、この屋敷に住み込みで働いている信一の仕事仲間の根岸明雄(ねぎしあきお)を大いに褒めたたえ、担ぎ上げた。

鳥羽が猫をかぶるのはもはや半ば癖となっている。最初は相手に好印象を持たせ信頼を得るための処世術として鳥羽が会得した生き方だったが、今の米花私立病院に勤めるようになってから幾分か肩の力が抜けるようになった。それもこれも、あのカエル顔の医師のおかげと言ってもいい。

しかしそれでもこうやって武田家を相手に猫をかぶり続けるのは、下手に自分の本性をさらしてしまう事でカエル先生にまで悪印象を持たれないようにするためだった。

彼女のその猫かぶりな言葉に二人も気分を良くしたようでお酒を飲みながら鳥羽との会話を楽しんでいた。

 

「ああ、そうともさ♪んでも、それでも人形を買ってくれる客は多くてなぁ。客足が絶えるって事はねぇんよ」

「逆に商売繁盛過ぎて、注文の納品が追い付かんで困りもんよ」

 

信一のその言葉に根岸がそう同意する。

それを聞いた鳥羽は更に言葉を続けた。

 

「へぇ~、ならもう何人か人を雇ってはどうですか?そんなに繁盛してるなら今は良くてもいずれ手が足りなくなると思いますし」

「そうだなぁ~。だが、こんな山奥まで仕事しに来る(モン)はぁそうそういねぇし、難しいけんなぁ」

 

酔って赤くなった顔で苦笑を浮かべて根岸がそう言うと、信一が口を開いた。

 

「まぁ、一人ぐらいなら当てはあるけぇ、心配はねぇんよ。……末の弟に勇三(ゆうぞう)って奴がいるんやが、何でも今勤めてる会社が潰れてしまったんで近々荷物まとめてこっちさ帰って来るって言うんやわ」

「そうですかぁ。それなら仕事もいくらか楽になるかもしれませんね♪」

「ああ。まずは簡単な組み立てから教えていこうと思うてます」

 

鳥羽の言葉に信一がそう言い、更にお酒を一口煽った。顔にさらに赤みがさしたように見える。

それを見た鳥羽は「もう少し好感度上げとくか♪」と軽い気持ちで内心舌を出しながら、人形の話題にもう少し踏み込んでみた――。

――それがとんでもない事実を引き出すきっかけになるともつゆ知らずに。

 

「いいなぁ。そんなに売れ行きが良いなんて、とても良く出来た人形なんでしょうねぇ~。私も一体欲しくなっちゃいましたぁ♪」

 

鳥羽にそう言われながらお酌された二人は心底機嫌を良くするも、信一さんは笑いながらパタパタと手を振って口を開いた――。

 

「あっはははははっ!悪いこと言わんから止めといた方がええで?売れ行きが良いと言っても買ってくれるんはほとんど金持ちばっかやけぇ、値段もそれなりに付くんよ――」

 

 

 

 

 

 

「――何せワシが作る人形は一体およそ100万。修理費、70万はするけぇなぁ」

 

 

 

 

 

 

「………………。へぇ~、そうなんですかぁ♪」

 

胸を張って言う信一のその爆弾発言に流石の鳥羽も一瞬、思考停止(フリーズ)を起こすも、何とか顔には出さず取り繕った。

 

(……え、なにそれ?人形一体100万な上、修理費70万?……高ッ!!?いくら何でも人形一つにぼったくりすぎるだろ!!私ですらドン引きの破格だよ!?)

 

確かに手作りの一点物であるのなら数十万の値段が付く事もあるくらい鳥羽も知っていた。

しかし、この値段は明らかに法外の域に達している。歴史的文化遺産じゃあるまいし。

内心叫ぶようにそうツッコミを入れる鳥羽に、酒に酔った二人は気づいていない。

すると今度は根岸が声を上げた。

 

「ちぃとばっかし値は張るが――」

(ちぃとってレベルじゃねぇよ!)

「――それでも中には十何回も修理を頼みなぁ人もおるけぇなぁ」

(どんだけ粗末に扱ってんだよその客!?修理だけで1000万近く飛んでんぞ!?)

「特に糸繰人形(いとくりにんぎょう)の方は100万する絡繰(からく)り人形よりも値段が高いし人気もあるけぇなぁ」

(複雑な構造の絡繰り人形より、構造が単純な糸繰人形の方が値段が上!?え、値段の付け方間違えてねぇか!?)

 

根岸が得意げにそう言う傍ら、鳥羽の中ではツッコミのラッシュが続く。

もはやツッコミだけで気力が全て持っていかれそうだ。

しかし、そんな心境を鳥羽は決して顔には出さない。意地でも。

 

「ってなわけやけぇ。悪い事言わんから止めといた方がええで?もっとも、それでも買いたい言うんやったら、もう止はせぇへんけどな」

「うぅ~、そうですねぇ……。今の私の貯金じゃあ手に負えそうにありませんし……。残念ですけれどそうさせていただきます(……心より丁重にお断りさせてもらうよ金の亡者共!!)」

 

信一の言葉に、鳥羽は心底残念そうに諦める素振りを見せつつも、内心では信一と根岸に強い嫌悪感を感じ、彼らに向かって中指まで立てていた。

 

 

 

――そして、そうこうしている内に夕食が終わり、信一と根岸はほろ酔い気分で人形を作っている作業場へと戻って行った。

去って行く二人の背中を密かに睨みながら、鳥羽は彼らに対して怪しさを爆発させていた。

 

(……人形一体に対してあのぶっ飛んだ価格……何かあると思わない方がおかしいだろ……!)

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:カエル顔の医者(冥土帰し)

 

 

 

「――それで、流石におかしいって感じて、二人がいない時を見計らって作業場に忍び込んだら、完成した人形から作りかけの人形まで()()()出るわ出るわ」

「……なんてこった」

 

鳥羽君の話を聞いて、私は頭を抱えた。

私もそうだが、彼女もまたこの屋敷が抱える闇を垣間見てしまったのだ。

 

「とりあえず作業場に忍び込んだ痕跡は先生のその手に持った袋以外、全て消してきたんで直ぐに気づかれるって事は無いと思いますよ?……早めに警察に通報した方がいいんじゃないですかね?」

 

鳥羽君がそう言って来たので私はそれに素直に頷く。

 

「……ああ、そうだね。でもその前にまず、この屋敷の主である智恵さんに事の仔細を全て話した方が良いかもしれない。恐らく麻薬に関わってるのは信一さんと根岸さんだけだと思うし、独断で行動せず()()()()()()()()()智恵さんたちの判断にゆだねるべきだ。ここはあの人達の家なんだしね?」

「ええ、分かりまし――ん?『問題共々』って……もしかして先生、そっちでも何かあったんですか?」

 

そう尋ねて来る鳥羽君に対し、私は深々とため息をつきながら答えた。

 

「……ああ、あったとも。それもキミの方の問題に負けず劣らずの、重たい問題がね――」

 

そうして私も、鳥羽君に自分に起こった事実――その事のあらましを全て打ち明けた。

そして、それを聞いた鳥羽君は麻薬のみならず、美沙さんの思わぬ出生の秘密を聞かされ――。

 

「マジかよ……」

 

――そう、素で驚きながら声を漏らしていた。




毎回のお気に入り登録、及び感想ありがとうございます。

次回は武田美沙編の最後となります。


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カルテ21:武田美沙【後編】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。

お待たせしました『後編』です。


SIDE:カエル顔の医者(冥土帰し)

 

 

 

 

――深夜。日付が変わって一時間もしない時刻。

武田家の屋敷の一角にある智恵さんの部屋に、私と鳥羽君、そして部屋の主の智恵さんと、()()()()()()()()()()が密かに集められた。

 

――信一さんの妻の絹代さん。次男夫婦の龍二さんに陽子さん。そして家政婦の深雪さんの四人であった。

 

それ以外の人物は呼び出されていない。信一さんと根岸さんはもちろんの事、紗栄ちゃん絵未ちゃんは美沙さんと一緒に寝室で寝てもらっている。部外者のロバートもその隣の部屋で寝てもらっていた。

美沙さんには事前に智恵さんから双子ちゃんの面倒を見てもらってほしいと言われていたが、それはぶっちゃけ建前であった。

今回の一件は、確実に彼女の今までの人生を揺るがしかねない案件故、彼女の心痛もかねておいそれとこの場に居させるわけにはいかなかったのだ。

 

私と鳥羽君の口から美沙さんの出生。そして信一さんと根岸さんが麻薬に手を出していた事実を語ると、その場にいる全員が一人ひとり別々の反応を見せた。

深雪さんは純粋に驚愕し、陽子さんは美沙さんの()()()()()()()()()だと知って卒倒しかけ、龍二さんはそんな陽子さんの体を支えながらも顔が青ざめて項垂れ……そして絹代さんは龍二さん以上に顔から血の気が引いたのかもはや『白』と言っても過言ではない表情で放心状態となっていた。

美沙さんの出生が暴かれただけでなく、愛する夫が犯罪に手を染めていたのを知ったのだから無理もないのかもしれない。

 

――だが、ただ一人。智恵さんだけは微動だにせず黙って私たちの話に耳を傾けていた。

 

私たち二人の話が終わると、智恵さんは深々とため息をつきながら口を開いた。

 

「正直なところ、いつかはこげぇな日が来ると覚悟しておったが……」

「……!智恵さん、もしかして全部知っていたんですか?」

 

驚きながらそう尋ねる私に、智恵さんは小さく首を振った。

 

「いんや。信一の悪行の方ならぁ今初めて知ったけぇ、こんでも動揺しとるがね」

 

智恵さんのその言葉を聞いた瞬間、龍二さんと絹代さんが同時にハッと顔を上げた。

 

「えっ!?……そ、それじゃあ母さん。母さんは知ってたんですか?美沙ちゃんの事……」

 

龍二さんがそう言った瞬間、智恵さんが彼に険しい目を向ける。

 

「……年寄りを馬鹿にするじゃないでぇ?絹代さんが、病院から赤子を連れ帰った時のお前ら二人の仕草を見とったら、一目瞭然だったがな。……だからこそ、お前のために()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ったがな」

「「……っ!」」

 

最初から智恵さんに気づかれていた事に呆然となる龍二さんと絹代さん。

そんな二人を見ながら、美沙さんたちの名前にはそんな意味があったのかと、私は一人納得していた。

 

――それからすぐ、龍二さんと絹代さんから美沙さんの出生の経緯、その全てを教えてもらった。

 

元々、子供の出来ない体の信一さんは、それを知らずに子供を強く欲しがっていたという。

それを見かねた絹代さんは、信一さんの夢を叶えたいがため当時まだ陽子さんと出会う前だった龍二さんに涙ながらにせがみ、()()()()()()()()()()()美沙さんを身ごもったのだという。全ては子供の欲しがっている信一さんのために。

だが、それを聞いて私は呆れ果てて言葉も出なかった。

いくら信一さんのためとはいえ、一体どう考えたらその夫の弟と関係を持って作ろうという発想に至れるのか。

信一さんの事を本当に愛していたのなら、最初の内に子供が出来ない体だという事を本人に伝えていた方が余程堅実だったろうに。

そうすれば、今になってからこんな最悪な状況にはならなかったはずだ。

そしてそれは、最終的に絹代さんの懇願に根負けしてしまった龍二さんにも言える事であった。

陽子さんと出会う前とは言え、実の兄を絹代さんと共に騙していた事には変わりなく、まるっきり非が無いとは言えなかった。

 

「……あれっきりの事だったし、兄とも血液型は一緒だったから絶対バレないはずでした。……でもまさか、20年たった今になって兄にバレてしまうなんて……!そのせいで、美沙ちゃんにもあんな傷を……!」

「アナタ……」

 

頭を抱えて後悔に苛まれる龍二さんを、陽子さんは心配しながら寄り添う。

その様子を見て、陽子さんの龍二さんに対する想いは事実を知った今でも薄れてはいないのだと知り、私は少しホッとする。今回の一件では陽子さんもある意味被害者だというのにも関わらずだ。

 

――だが、陽子さん以上にこの一件で一番の被害を受けたのは、間違いなく美沙さんだろう。

 

何せ、実の母には托卵(たくらん)同然で父親の弟との間に自分が生まれた経緯があり、対して実の父親だと思っていた信一さんには根岸さんと結託して麻薬に手を染めていた事実があったのだから。

今まで生んで育ててくれた両親が共に重い十字架を背負っているのを知ったら、美沙さんのショックは計り知れないだろう。なんにせよロクな結末にならないことだけは間違いなかった。

 

「……智恵さん。美沙さんの出生の件だけなら、家庭内の範疇(はんちゅう)であるためまだアナタ方に任せて僕たちはこれ以上干渉する事は無かったでしょうが、流石に麻薬まで絡んでいるとなると話は別です。……確実に警察沙汰は避けられないかと」

「……当然だがね」

 

私の言葉に、ため息交じりに智恵さんがそう答え、そして目を細めて俯きがちに続きを言葉にする。

 

「腹ぁ括る時だがね。こん屋敷から罪人が出る事になんのは、もはやどうする事もできん。美沙の件はワシも気づいてて黙っとったけぇなぁ、その(とが)がある言うんなら甘んじて受けるつもりだて。……龍二、絹代さん。お前らもそれでええな?流石に信一の薬の件はワシでもかばい切れんてぇ」

 

智恵さんにそう言われ、龍二さんは俯きながらも「はい」と短く返事はしたものの、絹代さんは納得しきれていないのか渋る様に口を開閉するものの、結局は何も言えず龍二さん同様に俯いて沈黙することとなった。

それを確認した智恵さんは再び私に視線を合わせると、畳の床に両手をゆっくりと添えた。

 

「……それでなんだが、先生ぇ。なんならこの屋敷で滞在していた費用を全て帳消しにしてもかまわねぇ、老い先短いワシの最初で最後の頼みばぁ聞いてもらえんかね?」

 

真剣な目で私を射抜くように見つめて来る智恵さんに、私も真摯な顔で受けて答えた――。

 

(うかが)いましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――武田家の人たちとの会談を終えたその二日後の昼頃。私と鳥羽君は鳥取から東京へ向かう道中にある、とあるドライブインにいた。

そばには私たち同様に東京へ帰る龍二さんたち次男一家とほとんど回復したロバート。そして――。

 

――大きなカバンを抱えた美沙さんの姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……(かわず)先生ぇ。明後日(あさって)、信一は根岸さんと一緒に街へ人形作りの材料を買いに行くとワシに言うとった。……その留守の間に美沙を東京へ連れ帰ってほしいんだがな。……こげぇな事になった以上、美沙をこの屋敷に留めておくのはあまりに酷だでなぁ。美沙のためにもこの屋敷から……いや、『この地』からしばらく離れた方がええ。だから必要な費用は全てワシが持つけぇ、どうか美沙の事をよろしく頼んます」

「分かりました、任せてください。必要な根回しは僕の方でもやっておきますので」

 

智恵さんからのその頼みに私は直ぐに了承し、それからすぐ行動が開始された。

信一さんと根岸さんが人形制作を行っているのを見計らって、私は鳥羽君と一緒に()()()()()()()()()()()()()()()()()()、彼女に自身の出生と信一さんの犯罪についてゆっくりと説明し始めた。

実は信一さんにDNA鑑定の依頼で呼ばれたその翌日に、私は美沙さんの顔の傷の治療を終えていた。

そして治療後は包帯を取るだけになっていたのだが、まさかそのタイミングで気が重くなる真実も私の口から彼女に伝えるはめになるとは思いもしなかった。

顔の傷が消えて最初は喜んでいた美沙さんだったが、その直後に聞かされた両親の犯罪に静かに泣き始める。

そして、ひとしきり泣いた後の彼女に、私と智恵さんが自分を東京に連れて行く計画を立てている事を伝えた。

 

「……その計画の準備は既にできている。後はキミの決断次第なのだが……どうする?」

 

私のその問いかけに、両目を赤くはらした美沙さんは悲しい顔を浮かべながらもおずおずとだが小さく頷いて見せた。

 

――そこから先の行動は早かった。

 

信一さんと根岸さんに気づかれないうちに、()()()()()()()を使ってその日のうちに美沙さんの勤めている病院に『転勤届』を出し、荷物をまとめておくように美沙さんに指示を出した。

もちろん、東京に着いた後の美沙さんのための住居などの手続きも忘れてはいない。

そして密かに智恵さんたちによってロバートと双子ちゃんたちに明日東京へ帰る事が伝えられ、その日の仕事は終了となった。

 

――そして迎えた翌日の朝。予定通り信一さんと根岸さんは人形制作の材料を買いに近場の街へと車で向かった。

出発直前に信一さんが私に「まだ、結果は出んのか?」と催促の言葉を耳打ちしてきたが、それに私は「今日中に出ますのでもう少し待ってください」と嘘をついて答えた。

それを真に受けたのか、信一さんは気を良くしながら車に乗り込み街へと出発していった。

……だが残念ながら、彼が私の口からそれを聞く事は決して無い。何故なら彼が街から帰って来た時、最初に見るのはそれとは全くの『別モノ』であるからだ。

 

――私がそれを『確認』する事になるのは、信一さんらが屋敷を出てすぐ、龍二さん一家とロバート、美沙さんと鳥羽君と共に屋敷を出てしばらくしてからの事であった。

 

私と龍二さんが運転する二台の車が東京へと向かう道中。

昼時となったので立ち寄ったドライブインのレストランで皆と共に昼食を取っている時であった。

不意に私の携帯が鳴りメールが届いていた。席を立った私は、トイレでそのメールを開封する。

送り主は深雪さんからだった。

 

 

 

 

 

――『たった今、信一さんと根岸さんが警察に逮捕されました』

 

 

 

 

メールにはその一文だけが添えられており、それを見た私は小さくため息を吐いた。

 

トイレから戻った私はチラリとレストランの席に座る美沙さんを見る。

美沙さんは未だに暗い顔を浮かべたまま食事を静かに進めていた。それを龍二さん夫婦だけでなく、事情をよく知らないロバートや双子ちゃんたちも心配するかのように彼女を見つめていた。

思えば屋敷を発つ時も、美沙さんは母である絹代さんと一言も会話を交わさなかった。

そして、それはすぐそばに座っている龍二さんとも。

彼女の心の整理がつくのはまだしばらくかかる事になるだろう。

 

それがいつになるのかは分からないが、またロバート達と会話していたように楽しく笑える日が来てほしいと、私はそう願わずにはいられなかった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:三人称視点。(ロバート・テイラー)

 

 

 

東京に戻ってきて数日後、ロバートは一度アメリカへ帰郷する事となり、彼は空港へと来ていた。

見送りにはお世話になったカエル先生に鳥羽。そして龍二一家に美沙の姿があった。

東京に着いた直後は色々とバタバタしてはいた美沙だったが、今は落ち着いた様子を見せている。

出発時刻を確認したロバートは、紗栄と絵未の双子と会話するそんな美沙を見つめた。

東京に戻って来てからすぐ、ロバートはカエル先生から美沙に起こった事の経緯を全て聞かされていた。

突然、美沙も東京に来ることになったと聞いて疑問に思っていた彼だったが、事情を知って納得すると同時に屋敷を出る前から美沙が暗くなっている理由も分かり、ロバートは彼女の身を案じずにはいられなかった。

今の美沙は屋敷を出た時よりは幾分明るくなったが、やはりまだ表情は所々ぎこちなく陰りを残している。

 

――自分は一度故郷に戻らなければならないが、近い内に必ず日本に戻ってきて彼女の支えになろう。

 

ロバートはそう一人決意を新たにする。

すると、そんなロバートに紗栄と絵未がコトコトとやって来た。

 

「?……二人ともどうしたんだい?」

「あのねー。美沙お姉ちゃんがロバートに自分の事どう思ってるのか聞いて来てほしいってー」

「うん。ロバートが帰る前に知りたいんだってー」

 

ロバートの問いに紗栄と絵未がそう答える。

チラリとロバートが美沙の方を見ると、彼女は期待と不安が入り混じったかのような顔をしながらこちらの様子をうかがっていた。

 

(ボクの気持ち、か……)

 

……さて、どうしようか。自分の答えはとうに決まっている。

少し言葉にするのは恥ずかしいから、ここは()()()()()()()()()()()()()()()

ロバートがそうやって思案していると、不意に誰かがポンポンと彼の肩を叩いた。

見るといつの間にかロバートの隣に鳥羽が立っていた。

驚くロバートに鳥羽はやれやれと肩をすくめると、ロバートにさりげなく耳打ちをする。

 

「……全く、女心が分かっちゃいないねぇアンタは」

「と、鳥羽さん?」

 

いつもの礼儀正しく大人しい雰囲気はどこへやら、始めて見る粗暴さを含んだ彼女の口調に一瞬気おされるロバートだったが、次に出た彼女の言葉で直ぐに冷静さを取り戻した。

 

「……こういう時は、紙に書くんじゃなく直接自分の口で気持ちをぶつけてやるんだよ。……まだ出発まで時間はあるんだ。美沙に思いのたけを全部伝えてきな。そうすりゃ、アイツだってきっと喜ぶさ!」

「っ!……は、はい!!」

 

鳥羽の言葉に後押しされ、ロバートは自然と美沙の元へ駆け出す。

 

「あれー?ロバート何処に行くのー?」

「どうしちゃったのー?」

 

突然駆け出したロバートに紗栄と絵未が不思議そうな顔で彼を見みつめる。

そんな二人に鳥羽は後ろからニヤリと笑みを浮かべると一言呟いた。

 

(おとこ)を見せに行ったんだよ♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――大勢のお客が行き交う広い広い空港内。

 

――その一角で今、大輪の花が密かに咲いた。




軽いキャラ説明。



・ロバート・テイラー

単行本25巻に収録。アニメでは166話~168話で放送された『鳥取クモ屋敷の怪』の犯人。
原作では死に追いやられた美沙の仇を取るために信一と根岸を殺害するも、美沙の自殺の本当の原因(仮説の域を出てはいないが)が自分が送ったメッセージの誤解によるものだと指摘され、茫然自失となり逮捕される。
コナン原作の中でも悲しい結末を辿る事となる犯人。

しかしこの作品では、鳥羽の後押しもあって美沙に直接告白したことで晴れて彼女と恋仲となった。





・武田美沙

原作の時系列では既に故人。
ロバートから紗栄と絵未伝いに届けられた紙のメッセージを誤解し(『shine(シャイン)』=【輝いてる】という意味の英単語をローマ字読みで『shine(シネ)』=【死ね】と読んでしまう)、そのショックで数日後に自殺してしまう。

しかしこの作品では鳥羽の後押しによってロバートの気持ちを誤解することなく受け止めることが出来、彼と恋仲になった。





・龍二と陽子

過去の龍二と絹代の関係と美沙の出生を知って一度はショックを受ける陽子であったが、龍二の事を心の底から愛していた事や紗栄と絵未のためもあって最終的に龍二を許す事となり、元の鞘に収まった。






・武田絹代

原作では美沙の後を追うように自殺するも、この作品では存命。
しかし、夫の信一が逮捕され娘も東京へと去って行ったことでショックが重なり、屋敷では日々抜け殻のような生活を送っている。





・智恵と深雪

信一と根岸が逮捕されたことで結果的に絹代を含んだ女性のみの三人が屋敷に残る事となったが、直ぐに末の弟の勇三が帰って来たことで屋敷の活気も戻ってくる事となる。





・信一と根岸

街に出かけている間に智恵の連絡で駆けつけてきた警察に作業場の麻薬を発見され、帰宅した瞬間にあえなく御用となった。
連行される直前、「騙されたぁ!」と叫ぶ信一の姿があったとかなかったとか……。


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カルテ22:枡山憲三(ピスコ)【1】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。

再びの『???』表記と『奴ら』との対決です。
今回は群像劇チックに視点がコロコロと代わっていきます。
あと、原作の時間軸としては、コナン一行が『奴ら』を追って杯戸シティホテルに着いた時から話は始まります。


SIDE:宮野明美

 

 

 

「ねぇ誰かぁー!カエル院長どこ行ったか知らないー?」

 

雪の降る、日が沈む少し前の時刻。

米花私立病院のナースステーションにいる私と数名の看護師の所にやって来た藤井さんが、開口一番にそう言って来た。

 

「カエル先生なら、今日はとある集会に出席するとかで杯戸シティホテルへ向かいましたけど」

 

私がそう言うと、藤井さんは「あっちゃあ」と言いたげに顔に手をやる。

それを見た私が「どうしたんですか?」と尋ねると、藤井さんはポケットから()()()()()()携帯電話を取り出しながらそれに答えた。

 

「いやぁね。カエル院長ったら仕事用の携帯を院長室に置き忘れてったみたいなのよ。急患が入るもしもの時のために肌身離さず持ち歩いてるってのに」

 

聞けば患者の経過記録をつづった書類を届けに藤井さんは院長室を訪れたのだが、その時には既にカエル先生は外出した後だったらしい。

まぁ、書類の内容に関しては大して重要な事が書かれていたわけでは無かったので、別段急ぎの用というわけでもなく藤井さんは先生のデスクに書類を置いて退室しようとしたのだが、ふとデスクの上にその携帯が置いてあるのに気づき慌てて私たちの元までやって来たのだという。

 

「参ったねぇ、私今日は結婚記念日だから旦那と豪勢な晩飯食いに行こうって約束してんのよ。今から先生に届けに行ったら店の予約の時間に間に合わないし……。ねぇ、悪いんだけど誰か先生に届けに行ってくんない?」

 

藤井さんが私たちにそう尋ねるも、その場にいる()()()()全員が微妙な顔。

どうやら運が悪い事に皆も藤井さん同様、外せない用がこの後にあるようだ。

皆のその反応をチラリと見た私は、直ぐに藤井さんに向けて手を上げ、名乗りを上げた。

 

「藤井さん、私が届けに行きますよ」

「雅田が?いいの?頼んじゃって」

 

私の言葉に藤井さんがそう尋ねて来る。

問題はない。私はこの後大した用事もないから時間もたっぷりある。

カエル先生や志保たちからはあまり病院の外に出歩かないように口を酸っぱくして言われているが、今は『雅田広美』として姿と名前を変えているから私の正体が組織に露見するという事はそうそう無いと思うし、カエル先生のいる杯戸シティホテルはこの病院からバスで乗って行けばすぐだ。

ホテルに行って先生に携帯を渡して、直ぐにバスでこの病院に戻ってくれば大丈夫だろう。

そう考えた私は藤井さんに強く頷いて見せる。

 

「大丈夫です。先生に渡したら直ぐに病院に帰ってきますから」

「そうかい?んじゃあ頼むわ」

 

藤井さんは気軽にそう言いながら私にカエル先生の携帯を渡し、それを受け取った私は早速杯戸シティホテルへと向かう準備を始めた――。

 

 

 

――まさか、直ぐに帰れると思って軽い考えで受けたこのお使いが、私だけでなく()()()()()()()()()思いもよらぬ事件に出くわす事になるとは知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

 

 

――思いもよらなかった。

 

まさか――下校途中で()()()出会う事になるなんて。

 

俺や灰原の体を小さくした毒薬、『APTX(アポトキシン)4869』。それを持つ()()()()()()に所属する二人の()()()()()()()()――。

 

 

 

 

――()()()()()()に出会っちまうなんて……!

 

 

 

 

きっかけは本当に偶然だった。

()()()()()()()()()()()()()()灰原を連れて下校している途中、今では珍しい車――『ポルシェ/356A』が駐車しているのを見つけた。

そこで灰原からジンの愛車もこの車だという事実を聞かされ、急きょ博士を呼んで合流すると、博士の手を借りて車の鍵を開けて忍び込み、発信機と盗聴器を仕込んだ。

その時はまだ奴らの車かどうかはっきりはしていなかったが、直後に車道の向こうからやって来る奴らを見つけ確信に変わった。

その後、車に乗り込んだジンとウォッカは、隠れている俺たちに気づく事なく車に乗り込んで発進させた。

 

そして、博士の車で奴らを追跡している途中、俺は盗聴器から奴らが仲間の『ピスコ』という人物とコンタクトを取り、()()()()()()()()で誰かを暗殺しようとしているのを知る。

 

だが残念ながらその直後にジンに車に仕掛けた盗聴器と発信機を発見され、その場で壊されてしまった。

それ以上の情報を手に入れる事は出来なくなったが、それでも収穫は大きかった。

 

これから奴らが行う暗殺計画を阻止するため、そして奴らが持っていると思われる『例の薬』を手に入れるため、俺たちは杯戸シティホテルへとやって来る。

丁度そこでは、映画監督で有名だった《酒巻昭(さかまきあきら)監督の(しの)ぶ会》が行われており、大勢の著名人が黒服姿で参加している光景があった。

黒服の人波をかき分けながら、この中では目立つ方である普通の子供服を纏った俺と灰原は会場内をさ迷い歩く。

 

「……ねぇ、本当にこの会場で良いの?」

「ああ」

 

後ろをついて来る灰原に、俺は短く返答する。そして続けて言った。

 

「……ピスコとの電話で、ジンは『別れの会』って言ってたからな。ピスコって奴も、そいつが狙うターゲットもここに来てるはず」

 

そう言いながら俺は周りを見渡しながら歩き続ける。見える人たちは『偲ぶ会』だけあって全員黒一色の服装。どいつもこいつも怪しく見えてしまっていた。

その時ふと、背後に灰原の気配が無い事に気づき、俺は振り返る。

見ると灰原は、このホテルの従業員らしき女性に呼び止められていた。

 

「どうしたのお嬢ちゃん?パパやママとはぐれたの?」

「あ、ぁ……」

 

女性従業員にそう尋ねられた灰原は、何故か言葉を詰まらせて体をわずかに振るわせていた。その瞳にも何故か怯えの色を浮かばせて。

俺はさり気なく二人に近づくと、灰原をかばうようにして女性従業員に言った。

 

「うん!今二人で探してるとこ!行こっ、花ちゃん!」

 

見た目通りの子供っぽい言動でさり気なく灰原を連れて従業員から離れた俺は、ある程度歩いた所で後ろにいる灰原に声をかけた。

 

「……ったく、どうしたんだよ?お前らしくねぇな。……一緒に行くって言ったのはお前だろ?」

 

俺の言葉に、灰原は俯いていた顔をゆっくりと上げる。

その顔は暗く、何か観念したかのような、諦観の笑みを張り付けていた。

 

「……見たのよ。嫌な夢……」

「夢?」

 

ポツリと響いた灰原のその言葉に、俺は首をかしげる。

俺のそんな様子を前に、灰原はその続きを口にする。

 

「……下校途中でジンに見つかって……路地裏に、追い込まれて……。真っ先に撃たれたのはアナタ。そして……ピストルの乾いた音と共に次々と……!そう……皆、私に関わったばっかりに……!」

「…………」

 

灰原の話を、俺は黙って耳を傾けて聞いていた。

そして同時に気づく。今日の朝から灰原の様子がおかしかった訳を。

 

「……フッ。私……あのまま組織に処刑されてた方が、楽だったかもしれないわね……」

 

そう呟く灰原に俺は黙って自分の顔にかけている眼鏡をはずすと、それを灰原の顔にかけてやった。

不意に眼鏡をかけられて驚く灰原に、俺は()()()()()()()()

 

「その言葉、もう二度と口にすんじゃねぇよ。じゃねぇと、何とか組織の目を欺いて生き延びた、おめぇの姉さんが泣いちまうだろうが」

「!」

 

俺の言葉に灰原はハッとなる。

そうだ。少なくともコイツはもう一人なんかじゃない。

俺や少年探偵団の皆、博士にカエル先生、そして明美さんだってそばにいるんだ。

組織に怯えるコイツの支えになれる奴らならいっぱいいる。

 

「それに知ってっか?眼鏡(そいつ)をかけてると、正体が絶対にバレねぇんだ。……クラーク・ケントもビックリな優れ物なんだぜ?」

「……あら?じゃあ眼鏡を取ったアナタは、スーパーマン?」

 

おどけてそう言って見せる俺に、灰原は小さく笑いながら冗談めかしにそう返してきた。

ようやく調子が戻って来たみてぇだな。

灰原の様子を見て内心安堵を浮かべながら俺はそれに答える。

 

「空は飛べねぇけどな?」

「まぁ、気休め程度にはなるわね。ありがと」

「お前……可愛くねぇな。マジで」

 

眼鏡の真ん中を指で押し上げながらそう言う灰原に、俺は呆れ交じりにそう返していた――。

 

 

 

 

 

 

少々足止めを食らったが、俺たちは直ぐに行動を再開した。

改めて会場内にいる黒服を纏う人々を見渡しながら、俺は口を開く。

 

「……流石、巨匠を偲ぶ会だな」

「ええ……。そうそうたる顔ぶれね」

 

そう同意してくる灰原を横目に、俺は目に付いた著名人を片っ端から確認していった。

 

「……直本賞受賞の女流作家にプロ野球の球団オーナー。敏腕音楽プロデューサーにアメリカの人気女優……。有名大学教授に……おっと、経済界の大物まで来てる」

「それで、分かったの?ピスコが狙ってるターゲット」

 

そう尋ねて来た灰原に俺は「ああ」と確信をもって頷く。

 

「……ジンがピスコとの会話で言ってた、『6時前後』にここへ来て、尚且つ『明日にも警察に捕まりそう』な人物は……今、入り口でレポーターに囲まれてる()()()しかいない」

 

俺は視線を会場の入り口付近にいる『とある黒服の男』へと向けた。

その男は複数のレポーターに質問攻めにあい、四苦八苦しながら顔から噴き出る汗をハンカチで拭い、それに答えている。

その男を見た灰原も得心が行ったとばかりに口を開いた。

 

「なるほど……。今、収賄疑惑(しゅうわいぎわく)で新聞紙上をにぎわせている、あの政治家ってわけね」

 

そう……。確か名前は政治家の吞口重彦(のみぐちしげひこ)。56歳だ。

 

「ジンが電話で、『捕まる前に口を封じる』って言ってたが……あの政治家も組織の一員なのか?」

「さぁ、どうかしら?捕まれば分かるんじゃないの?」

 

俺の質問に、灰原は素っ気なくそう答える。とぼけている様子が無いからコイツは本当に知らないのだろう。

その返答を聞いて俺が灰原から再びあの政治家へと視線を戻そうとした。その時――。

 

 

 

 

 

「……おや?キミたち、どうしてここにいるんだい?」

 

 

 

 

背後からの()()()()()()()()()()()、俺と灰原は一瞬硬直する事となった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:黒の組織

 

 

 

――時間は少しばかり(さかのぼ)る。

車内で盗聴器と発信機を発見したジンは、車を人気のない車道の脇に停めると、ウォッカにまだ発信機と盗聴器が無いか隅々まで車を調べさせる。

ウォッカが探知機で車を調べているその横で、ジンは煙草を咥えながら再びピスコに電話をしていた。

 

「……ああ、そうだ。シェリーだ。組織を裏切ったあの女が、今そっちに向かっているはずだ」

 

ジンははっきりとした確信をもって電話の向こうにいるピスコへとそう断言する。

盗聴器と発信機を見つける直前、ジンは車内に自分たちのモノとは明らかに違う、()()()()()()()()を発見していた。

それはコナンが車内に盗聴器と発信機を付ける際、一緒に車に入った灰原から落ちたものだったが、コナンや持ち主の灰原はそれをすっかり見落としていたのだ。

その結果、ジンは灰原(シェリー)が車内に忍び込んだと予想し、その後見つけた盗聴器と発信機で確信に至る事となった。

 

「……(つら)が分からねぇんなら、組織のデータベースで検索しろ。……女が仕掛けた盗聴器と発信機が他にも無いか確認した後で、俺たちも合流する」

 

灰原(シェリー)が現れた事に、密かに喜色を浮かべながらジンは電話の向こうのピスコとの会話を続ける。

 

「……ああ、間違いない。あの女は来るさ。『例の薬』の事を匂わしたからな。……もちろん、その『()()()()()()()()()』を使うかどうかは、お前の勝手だが」

 

ピスコと話している最中、ジンが浮かべるその笑みは消える処か笑みが増していく。

早く会いたくてたまらない。それを訴えかけるかのような不気味な笑みであった。

 

「……とにかく、女を見つけ次第とっ捕まえて面を拝ませろ。……ああ、問題はない――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――例え、首から下が無くてもな」

 

 

 

 

 

 

 

――そう言ってジンは静かにクックと声を漏らした。

数秒間の間、ジンはそうやって笑っていたが、次の瞬間その笑みがフッと消え、いつもの冷徹な表情に戻るとピスコに向けて()()()()()()()()()()()()()

 

「……だが気を付けろよピスコ。シェリーもそうだが、『別れの会』には()()()()も参加してるらしいからな。……ああ、組織の情報網で調べてんだ、間違いねぇ。だからターゲットを()る時は、()()()()()()()()()()()()。いいな?……もし生半可な方法で仕留めそこなえば、必ずあの医者が出しゃばって地獄に落ちるはずだった奴をこっち側に引き戻しにかかるに違いねぇからな――」

 

 

 

 

 

「――ぬかるなよ?ピスコ……!」

 

 

 

 

 

最後にピスコに向けてそう釘をさすと、ジンは静かにピスコとの通信を終えた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

 

「か、カエル先生!?」

 

振り返って声をかけてきた主を視界にとらえた瞬間、俺はそう叫んでいた。

俺と灰原の目の前には、俺たちと同じように驚きに目を丸くする周囲と同じ黒服姿のカエル先生が佇んでいた。

 

「先生こそ……どうしてここにいるの?」

 

俺の横で同じように驚いていた灰原が、カエル先生にそう問いかけていた。

その質問にカエル先生は何とでもないかのように答える。

 

「どうしてって……見ての通り、僕はこの会の参加者だよ。この《偲ぶ会》の主役である酒巻監督は、生前、僕が肺がん治療を施した患者でね。彼とは医師と患者という関係だけじゃなく友人としても親しくしていたからこの会にも迷うことなく出席させてもらったんだよ」

「なるほど、それで……」

 

それを聞いて俺は一人納得する。基本仕事人間でパーティーなどのイベントの参加にはあまり興味を示さないこの先生でも、『元』であろうと自身の患者関係の事だけは見過ごせないようであった。

 

「気さくで良い人だったよ酒巻監督は。欲を言えば、もっと長生きしてほしかったけど『老衰』じゃあ仕方ないさ。……流石の僕でも、寿命まではどうにも出来ないからね?」

 

肩を落としながら悲しそうな笑みでそう呟くカエル先生。

カエル先生の心中を察したい所だが、悪いが今はそれどころじゃない。

人の命がかかってるんだ。ここで会った以上は、この人にも協力してもらわねぇと……!

 

「悪いなカエル先生。こんな状況だが、どうしても先生にも協力してほしいんだ」

「……やっぱりキミたちは、何か訳があってここに来たんだね?」

 

真剣な顔で言う俺に、カエル先生も哀愁を含んだ顔からすぐに真剣な顔つきへと変わって、俺の話に耳を傾けてきた――。



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カルテ22:枡山憲三(ピスコ)【2】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。


SIDE:黒の組織

 

 

 

車を隅々まで調べ上げ、他に異常が無い事を確認したジンとウォッカは、改めて車に乗り込み目的地である杯戸シティホテルへと向かっていた。

 

「……でも、アニキ。シェリーの奴は(あの女)、本当に来るんですかい?」

 

助手席に座るウォッカが運転するジンにそう問いかける。

それにジンは確信をもって答えた。

 

「ああ……奴はそういう女だ。必ず止めに来る。俺たちに、出迎えられるとも知らずにな」

 

そう言いながらジンは新たな煙草を咥え、車に備え付けられているシガーライターを手に取ると、煙草に火をつけた。

そんなジンを見ながらウォッカが更に質問を重ねる。

 

「万一、来なかったら?」

 

煙草の煙を吸いながら、ジンはその質問にニヤリと笑って答えた。

 

「……奴が米花町近辺に潜んでいるのは分かった。()()の目星がつけば、狩るのは造作もねぇ。――」

 

 

 

 

 

「――裏切り者は、匂いを消せねぇからな……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

 

「……本当なのかい?『奴ら』の仲間がこの会場に紛れ込んで、あの政治家の彼を暗殺しようとしてるって」

「ああ、間違いねぇよ」

 

そう問いかけて来るカエル先生に、俺はきっぱりと断言する。

こちらは確実に奴らの後を追ってここまで辿り着いたんだ、奴らが吞口議員を殺そうとしているのはまず間違いない。

すると今度は灰原が少し申し訳なさそうな顔でカエル先生に問いかけてきた。

 

「でも、本当に良かったのカエル先生?こんな事に巻き込んでしまって」

「ああ、構わないよ。流石に人命がかかってると聞いたら、医者として無視するわけにはいかないからね」

 

迷いなくそう答えるカエル先生。流石だ。

そして再び、カエル先生は俺に問いかけてくる。

 

「……だが、僕たち三人――いや、車に待機させてるという博士(ひろし)の四人だけじゃあ、流石に彼を守るのは心もとないと思うが……」

「大丈夫。その点に関してもちゃんと手は打ってるから♪」

 

少し不安げに言うカエル先生に、俺はニカリと笑ってそう答えた。

それとほぼ同時に、タイミングよく会場内に()()()()()が現れる。

 

「――ちょっと、失礼しますよ?」

「え、()()()()!?」

 

会場の入り口から数人の刑事たちを連れて現れた目暮警部を見て、灰原が思わず声を上げた。

そばにいるカエル先生も灰原同様、驚いて目を丸くしている。

目暮警部たちは、レポーターに囲まれている吞口議員に歩み寄ると、彼を囲うレポーターたちを引き離し、代わりに彼を『守る様に』取り囲んでしまった。

それを見た俺はニヤリと笑いながら灰原とカエル先生に伝える。

 

「さっきトイレから声を変えて電話で呼んだんだ。『あの政治家の命を狙ってる奴が、この会場にいる』ってな」

「ほぅ、やるね新一君。これなら組織の奴らも、おいそれと手は出せなくなるね」

 

感心の声を上げるカエル先生を横目に俺は周囲を警戒する。

 

(さぁ、どうする?ピスコさんよ。……ターゲットが警察の監視下にあるこの状況で、殺人は不可能だぜ?……強引に事を起こそうとすれば、その前にこの麻酔銃で眠らせてやる……!)

 

ハンカチで汗をぬぐう吞口議員とそれを取り囲む目暮警部たちを見ながら、俺は静かに時計型麻酔銃を構えた。

すると、入り口の方からカツカツと、杖をつきながらゆっくりと会場に入って来る男が目に留まった。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()は、どうやら目暮警部の部下らしく警部と二、三会話をした後、他の刑事たち同様に吞口議員を守る様に立った。

 

「おや?彼も来たのか……」

「あら?あの人って確か……」

 

するとその杖の男を目にした瞬間、カエル先生と灰原が二者二様の反応を見せたのを俺は見逃さなかった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:伊達航

 

 

 

――警視庁に匿名でのタレコミがあった。

内容は、今、杯戸シティホテルで《酒巻監督を偲ぶ会》とやらに参加しているという吞口議員が、何者かに命を狙われているという情報だった。

現在、収賄疑惑で警察にマークされている吞口議員は、明日にでも逮捕状が出る手はずになっていると聞いたが、まさかそれよりも先に命を狙われるとはな。

余程、あの政治家に喋ってほしくない事のある後ろ暗い連中がいると見ていいだろう。

タレ込んできた匿名の人間ってのも気にはなるが……今はまあいい。

何にせよ、何処の誰があの議員を殺そうとしているのかは知らねぇが、俺らは刑事としてこの議員の命を守ると同時に、暗殺を計画した犯人をとっ捕まえるだけだ。

まぁ、こうもターゲットの周囲を固めてたんじゃあ、流石に手も足も出ねぇだろうが……。

 

(だが……なぁんか、きな(くせ)ぇんだよなぁ)

 

周りは完璧に固めてある。だというのに俺の中から一向に不安の種は消えなかった。

狙撃や毒殺などの奇襲をされればヤバいんだろうが、あいにくとここは窓の無い屋内だから狙撃はまず不可能。毒殺もあの議員が手を付ける料理や飲み物は俺たち刑事が逐一目を光らせているためそれも無理だ。

玉砕覚悟の特攻でもかまさない限り、この守りを崩すのは不可能に近い。

それなのに俺の心中は未だに黒い雲のようなモヤモヤが渦巻き続けている。

 

――何か起こるのか?そう思った時、その予感は的中する事になる。

 

唐突に会場に設置された壇上に一人の男がマイクを片手に上がって来た。

それと同時に男の背後の暗幕が左右に分かれ、その奥からスクリーンが現れる。

眼鏡をかけたこの会の司会者らしきその男は、マイクを口に付けながら会場内の客たち全員に向けて声を発した。

 

「それでは皆さん。ここで、酒巻監督が生前ひた隠しにしておられた秘蔵フィルムを()()()()()ご覧に入れましょう!」

「何ッ!?」

 

司会者の男が言ったその言葉に俺は思わず声を上げた――。

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

 

 

「スライド!?」

 

壇上の司会者の言葉に、俺は耳を疑う。

すると同時に会場に吊るされているシャンデリアの明かりが一斉に消え、会場内は暗闇と化した。

 

「まずくないかい?これ……」

 

険しい顔でそう響くカエル先生を前に俺は「クソッ!」と苦虫を噛み潰したような顔を浮かべる。

そんな俺たちや目暮警部たちの心境をよそに、周りの客たちは皆、酒巻監督の秘蔵フィルムに集中しているようだった。

 

「ちょっと、あの政治家いなくなってるわよ!」

「何ッ!?」

 

灰原の声に俺も振り返る。見ると確かに、目暮警部たちが囲んでいたはずの吞口議員がいつの間にか姿を消していた。

それに気づいた目暮警部たちも皆散り散りとなって議員を探し出す。

 

(くそっ、何処だ?何処に行きやがった!?)

 

俺は灰原とカエル先生を連れ、薄暗い会場内を人ごみをかき分けながら吞口議員を必死に探し続ける――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:伊達航

 

 

 

会場内が暗くなると同時に、吞口議員が俺たちの包囲網から唐突に姿を消した。

蜘蛛の子を散らすようにあちこちを探し回る俺たち。

だが、この暗さと人ごみで議員がどこにいるのか分かりゃあしなかった。

不安と焦りだけが、捜索中に自分の中でどんどんと積もっていく。

焦りは禁物だ。それは良く分かってはいたが、それでも背中を押されるかのように気ばかりが体より先に前へ前へと突き進んでいく。

あちこちを探し回っている途中で、俺は目暮警部と高木と合流する。

 

「どうだ?」

「いえ、見つかりません」

「こっちもまだ……」

 

警部に問われ、高木と俺は順にそう答える。

 

「もっとよく探せ!」

「「はい!」」

 

警部のその言葉を合図に、俺たちはまた散り散りとなって暗闇の中を探し回る。

その間も司会者や他の客たちは秘蔵のフィルムとやらを見て盛り上がっていた。

どうやら亡くなった酒巻という巨匠は、『虹色のハンカチ』という映画を製作して有名になったようだが……今はそんな事どうでもいい。

 

(クソッ!一体何処行きやがった……!?)

 

俺が内心、悪態をついた時だ。

 

 

 

 

 

――パシャッ……!

 

 

 

 

 

(!……何だ!?)

 

突然人ごみの向こうから、まばゆい光が一瞬指した――。

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

 

(!……()()()()()?)

 

人ごみの向こうから一瞬見えた光に俺の脚が止まる。

 

「ああ!いくら貴重な一枚だと言っても、フラッシュをたいたら写りませんよぉ?」

 

壇上の司会者にもその光が見えていたらしく、おどけながらそう言うと、途端に会場内が笑いの渦に包まれた。

その瞬間――。

 

 

 

――ヒュゥン……!

 

 

 

(何だ?何だ今の音!?)

 

()()()高速で飛んでいくような風切り音。そして――。

 

(――上か!?)

 

そう思って顔を上にあげた瞬間――。

 

 

 

 

 

 

 

――ガシャアァァァァァン!!!!

 

 

 

 

 

 

「何ッ!?」

「何なの、今の音!?」

「一体何が……!?」

 

()()()()()()()が砕け散るような音が会場全体に轟き渡り、俺と灰原、カエル先生は動揺しながら声を上げる。

それに続くかのように会場の客たちもようやく異常事態に気づいたのか、動揺し騒ぎはじめ、それらが会場全体に伝播していった。

 

「早く明かりを付けろ!!」

 

会場のどこかで目暮警部の鶴の一声が響き渡る。

そんな中でも俺は、吞口議員を必死になって探し続けた。すると――。

 

 

 

 

――パサリ……。

 

 

 

 

「……?」

 

――()()()俺の頭にかぶさった。

布地の何からしいそれを手に取って暗闇の中でじっと目を凝らして見てみる。

 

「……ハンカチ?」

 

手に持った布地のそれがハンカチだと俺が認識した瞬間、会場の明かりが一斉にパッとついた。そして――。

 

 

「-----------------ッッッ!!!!」

 

――声にならない甲高い悲鳴が、会場全体に響き渡った。

 

 

 

――会場にいる全員が一斉に会場中心へと目を向ける。

――そこには、落ちてきた大きなシャンデリアに押しつぶされて息絶えた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――吞口議員の遺体が転がっていた。




短めですがアニメ的にも区切りが良いので、ここで投稿とさせていただきます。

次回の投稿は、少し時間がかかりそうですので気長にお待ちくださいませ。


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カルテ22:枡山憲三(ピスコ)【3】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。

リアルが忙しく投稿に時間がかかってしまいました。申し訳ありません。

今回も視点がくるくると変わっていきます。


SIDE:宮野明美

 

 

 

(あら、何かしら……?)

 

米花私立病院からバスに乗ってきて、杯戸シティホテル前へとやって来た私だったが、外からホテル内を覗くとホテルの従業員やカメラやマイクなどを持った報道陣らしき人々が忙しなく玄関ホールを行き来しているのが目に留まった。

その様子から、ホテル内でただ事ではない何かが起こったのが私からも見て取れたが、この中には目的の人物であるカエル先生がいるので、私は迷わず中に入ろうと一歩足を踏み出す――。

 

「あけっ――雅田君っ!!」

 

――すると唐突に背後から声をかけられ、私は反射的に振り向いた。

そこには肩で息をしながら血相を変えて立つ、阿笠博士の姿があった。

 

「え、阿笠博士?どうしてここに――」

「――説明は後じゃ!早くこっちに……!」

 

突然、阿笠博士が現れた事で動揺する私に構う事なく博士は私の手を取ると、車道を突っ切ってホテルの反対に停めてある博士の車と思しきビートルの所まで私を連れて行く。

そして、後部座席に私を押し込むと博士自身は運転席へと座り、大きく息を吐いていた。

顔じゅうから汗を流して脱力する博士を見ながら私は怪訝な顔で問いかけた。

 

「一体どうしたんですか?どうして博士がここに?」

「キミの方こそ、一体どうしてこのホテルに?」

「私は、カエル先生の忘れ物を届けにここまで」

「何?!あ奴もこのホテルに来ておるのか!?」

 

目を見開いて驚く博士。その様子から、どうやらカエル先生がこのホテルに来ている事は知らなかったようだ。

そんな博士を見ながら再び私は同じ質問を繰り返した――。

 

「博士、博士はどうしてこのホテルに?……()()()()()()、のですか……?」

 

――その言葉に、()()()()()を含ませて。

 

 

 

 

 

 

SIDE:伊達航

 

 

 

――場が騒然となった。

 

堕ちたシャンデリアとそれに押しつぶされた議員の遺体を中心に、黒服の群衆が遠巻きに輪を作る。

匿名のタレコミ通りに議員が死亡した事で俺たち警察も一瞬呆然となるも、そこは腐っても警察官。直ぐに現場保存を優先すべく目暮警部を筆頭に行動を開始する。

 

「皆さんお静かに。警視庁の目暮です!」

 

目暮警部がそう叫ぶと、黒服の群衆はそれに気づいて道を作るように左右へと別れていった。

 

「ほう?アンタらにしては、やけに来るのが早いですなぁ?」

「通報があったんですよ、今夜ここで殺人があると。……『誰かがこの吞口議員の命を狙っている』とね」

 

髭を生やした禿頭の男の問いかけに、目暮警部がそう答えると途端に周囲が騒然となる。

その間にも他の刑事たちが数名でシャンデリアをどかしにかかった。

シャンデリアが取り除かれ、その下から露になる血まみれに転がった吞口議員の姿。

高木と俺が吞口議員の息を確認しようと近づく――。

 

――すると、唐突に()()()()()()()俺たちに向けてかけられた。

 

「ちょっと、いいかね?僕に彼を診せてくれないかい?」

「え?か、カエル先生!?」

 

群衆をかき分けて現れた見慣れたカエル顔に、俺は驚きにそう声を漏らしていた。

高木と目暮警部も突然現れたカエル先生に目を丸くする。

 

「カエル先生、一体どうしてここに?」

「僕もこの《偲ぶ会》に参加していたんだよ目暮警部。酒巻監督は僕の友人でもあったからね。……それよりも今は――」

「あ、ああ、そうですな。ではお願いしても?」

 

目暮警部の問いかけにカエル先生が一つ頷くと、早速吞口議員の容体を確認する。

 

「……どうですかな?」

 

数秒立ってからカエル先生の後ろからそう尋ねる目暮警部に、カエル先生は無念そうな顔で小さく首を振った。

 

「……残念ながら、もはや手遅れだね。完全に即死だよ。……シャンデリアの丁度真下に立っていたんだね。頭頂部に直撃を食らって脳の大半がやられ、続いて衝撃で首の骨も折れてしまっている。そして立て続けに体の骨や内臓も潰される形になった……。今から治療したとしても、助かる見込みは無いね」

「そうですか……」

 

カエル先生の返答に目暮警部も残念そうに帽子のつばをいじる。

 

「……時に、カエル先生。いつも持ち歩いてるあの医療道具は今日は持っていないので?」

「生憎と今は駐車場に停めてある車のトランクの中だよ。こういった会場内に薬品やメスなどの刃物類を持ち込むのはご法度だし、僕自身もまさかここで事件に遭遇するとは思ってなかったからね。……まあ、仮に持ち込めていたとしても、この惨状じゃあ結果は変わらなかっただろうけどね」

 

高木の問いかけにもカエル先生は律義にそう答えて見せる。

それを聞いた高木は「そうですか……」と、目暮警部同様に残念そうな顔を浮かべた。

そんな高木の顔を見た俺は、「流石に少し失礼だろ?」とギロリと高木を睨む。

その眼光に気づいた高木はハッとなり、すぐさまカエル先生に謝り倒していた。

 

(コイツ、カエル先生なら医療道具さえあれば死体でも蘇らせられると勘違いしてるんじゃねぇか?)

 

やんわりとカエル先生に宥められている高木を見ながら、俺はそう呆れ半分に懐疑心の目を向けずにはいられなかった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

 

 

『――悪いけど、僕は医者として行かなければならない。キミたちから離れる事になるが、気を付けるんだよ?』

 

そう言って、カエル先生が俺たちから離れて目暮警部たちの元へ向かってすぐ、俺は辺りを警戒しながら内心で強く確信していた。

 

(犯人は奴だ。……俺の体を小さくしやがった黒ずくめの男たちの仲間――コードネーム『ピスコ』……!奴はまだこの会場内にいる……!)

 

俺は目暮警部たちの事情聴取を聞くべく、警部たちの声が届く範囲まで気づかれないように灰原を連れてゆっくりと近づいて行く――。

 

すると、そこで目暮警部たちと会話をしていたのは、奇しくも俺たちがこの会場に踏み込んだ際に、俺の目に留まった人たちであった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:伊達航

 

 

 

 

「ふむ、なるほど……。では、アナタ方ですな?シャンデリアが落ちた時、吞口議員の一番近くにおられたのは……」

 

吞口議員の遺体をカエル先生に任せた目暮警部は、事件の際に議員の一番近くにいたという二人の男女へと尋問をしていた。

 

一人はとある有名大学の教授だという、俵 芳治(たわら よしはる)

もう一人は、アメリカの人気女優、クリス・ヴィンヤード。

 

目暮警部は二人に対し「不審な人物を目撃していないか」と聞くも、二人ともそんな人物は見ていないと否定する。

まあ、それもそうかもしれない。一歩間違えれば自分たちも危うく議員と同じ末路を辿る所だったのだから、それどころでは無かっただろうし。

現に俵の背広は、落ちてきたシャンデリアがかすめて大きく破れていた。

 

するとそこへ、呼ばれてもいないのに口出ししてくる者たちが現れた。

 

「ただの事故」だと主張する音楽プロデューサーの樽見 直哉(たるみ なおや)と、匿名で通報してきた人物が怪しいと主張する、自動車メーカー会長の枡山 憲三(ますやま けんぞう)の二人だ。

 

枡山がその通報してきた人物について詳しく教えてほしいと言って来たが、目暮警部は「声を機械で変えていたので男女の区別もつかなかった」と答えると、今度はこの会場で司会を務めていた、アナウンサーの麦倉 直道(むぎくら なおみち)が、「通報はただの悪戯である」と言い始め、それに便乗するかのようにそばのテーブルでこの状況下で豪胆にも料理を食べている、プロ野球球団オーナーの三瓶 康夫(みへい やすお)が「通報の悪戯にたまたま事故が重なっただけ」と言って来た。

 

――しかし、俺はそれらの主張を内心でバッサリと否定する。

 

()()()()議員が死ぬという匿名の電話が警察に通報された直ぐ後に、()()()()シャンデリアの真下にいた議員が、()()()()そのタイミングでシャンデリアを吊るしていた鎖が古くなっていて切れてその下敷きなっただぁ?……どんだけ偶然の連鎖が続いてんだよ、笑わせんな)

 

――そう、コイツは間違いなく殺人だ。そして、それをやってのけた犯人はまだ、()()()()()()()()()()()()

 

(……これをやったのがあの匿名通報者なのかはさておき、事件が起きてからこの会場の出入り口は俺ら警察が固めてたんだ。そいつがまだこン中にいるのは間違いねぇ……!)

 

俺がそんな事を考えている時だった。

突然、料理を食べていた三瓶の顔が大きく歪むと、その口からペッと何かが床へと吐き出された。

どうやら何かの『異物』が料理の中に混ざっていたらしい。

怒りの形相で「シェフを呼んで来い!」と騒ぎだした三瓶をしり目に、俺は今奴が吐き出した『異物』が何なのか気になりチラリと床を見る。すると――。

 

 

 

 

――テーブルクロスの下から、床に落ちた『異物』をハンカチに包んで回収する、()()()()()()()が視界に入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

 

三瓶さんが吐き出した物体をハンカチに包んで回収して、テーブルの影にいる灰原と合流した俺は、改めてその物体の正体を確認する。

 

(!これは……()()()()()()()()()()()!?……何であんな所に……?)

 

物体の正体が落下してきたシャンデリアの鎖の欠片だと知り、俺は思考を巡らせ始める。

しかし、次の瞬間。その思考が強制的に中断せざるを得ない事態になる。

 

「……オイ、坊主ども。何やってんだこんな所で?」

「!?」

 

俺たちに向けて声がかかり、慌てて顔を上げるとそこには目暮警部たちと一緒に来たあの杖の男が立っていた。

男は怪訝な目を向けながら俺たちを見つめて来る。しかし次の瞬間、男は何かに気づいたのか俺の横に立つ灰原へと口を開いていた。

 

「あん?そこの嬢ちゃん。確か……灰原って言ったか?なんたってこんな所に?」

「あ、えと……久しぶり、です」

 

男の言葉に、灰原はおずおずとそう答える。

俺は男に背を向けて小声で灰原に問いかけた。

 

「オイ、誰だよこの人?」

「……名前は伊達航。見た通り、目暮警部の部下である刑事よ」

「知り合い見てぇだけど、どっかで会った事あんのか?」

「あら、あの人の両耳から伸びているコード見ても分からない?……あれ、カエル先生と()()()()が共同合作した『脳機能補助デバイス』よ」

 

灰原にそう言われて俺はふと思い出す。

確かに一年前。博士がカエル先生と協力してそんな名前の医療機器を発明したと聞いた事があった。

脳の障害や病気を著しく回復してくれるとして、近々大量生産を整えて世界中に送り出す機器だと。

そして、その試験対象になってるのが、脳傷害抱えた現職の刑事だと……って、待て待て!?

 

「じゃあこの人がその機器の試験対象の刑事だってのか!?」

「そう言ってるんだけど?」

 

俺が小声でそう叫ぶと、灰原がジト目でそう答え返し、続けて口を開く。

 

「……この人、体やデバイスの調子を診てもらうために定期的に病院に来ててね、それで私とも顔見知りになっちゃってるってわけ」

 

通りでカエル先生だけじゃなく、灰原もこの人の事を知っているわけだ。

俺が一人納得していると、一人蚊帳の外に置かれたのが気に入らなかったのか、杖の男――伊達刑事が口をとがらせながら俺の後ろから声をかけて来る。

 

「何こそこそと喋ってんだお前ら?……嬢ちゃんはカエル先生の付き添いか何かなのか?」

「え、えっと……」

 

伊達刑事にそう問われた灰原がどう答えようか迷い始めた瞬間、直ぐ近くから女性の声が上がった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:伊達航

 

 

 

『異物』を回収した坊主と一緒にいた(何故か眼鏡をかけた)見知った茶髪の嬢ちゃんにここにいる理由を問いかけてる最中。別の女の声が耳に入り、そちらへと意識が向く。

見るとそこには、眼鏡をかけた短い黒髪の女が目暮警部に異議を申し立てていた。

 

「吞口議員は、頭上から落ちてきたシャンデリアに押し潰されて亡くなったんでしょう?……それが仮に殺人だというのなら、シャンデリアに仕掛けをしておいて会場が暗くなった時、彼をシャンデリアの真下に連れて行き仕掛けを作動するしかありませんわ。……でも、見た所そのシャンデリアにも、それが吊られていた天井にも、それらしき仕掛けは見当たりません。したがって殺人は不可能。……さぁ、分かったら早く私たちを解放してくださらない?」

 

女流作家だと聞くその女――南条 実果(なんじょう みか)にそう詰め寄られ、目暮警部は渋い顔を浮かべて唸る。

だからと言ってそうおいそれと開放するわけにはいかないが、彼女の言う事にも一理ある。

 

暗闇の中、ターゲットにシャンデリアを落とすなんて芸当、何かしらの仕掛けが無いとまず不可能だ。

だが、俺は確信している。あの議員を殺した犯人は間違いなくこの会場内にいて……それをやってのけたんだと。

 

それを知るためにはまず手掛かりが必要だ。だからこそ三瓶が吐き出し、坊主が拾ったあの『異物』を手に入れなければならない。

ちらっとだがその『異物』が何なのかは見えていた。どうやらあのシャンデリアを吊るしていた鎖の破片っぽかったが、何でそれが料理の中に紛れ込んでいたのかが引っかかる。

俺は坊主から破片を回収すべく再び視線を坊主たちの方へと戻す――。

 

「……ありゃっ!?」

 

――しかしその時には既に、そこにいたはずの坊主たちの姿は影も形も無くなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

 

伊達刑事の意識が南条さんと目暮警部の方へ向いている最中。突然、灰原が俺の手を取ると伊達刑事に気づかれないようにそそくさとその場を離れ始めたのだ。

ある程度、伊達刑事から離れたのを確認した灰原は、今度は早歩きで俺を引っ張りながら会場の出入り口へと向かう。

 

「お、おい!どこ行くんだよ!?」

「逃げるのよ」

 

慌てて問いかける俺に、灰原は端的にそう答える。

「えっ!?」と驚きに声を上げる俺に、灰原は続けて口を開く。

 

「このままここに留まって、無意味に時間を浪費するのは危険だわ。それに、また伊達刑事や目暮警部に見つかったら私たちがここにいる理由をどう説明する気?『カエル先生に連れられて来た』なんて言っても、《偲ぶ会》なんて湿っぽい会にカエル先生と血縁でもなんでもない小さな子供二人が来ている理由としては、苦しい言い訳にしかならないわ。……それに手掛かりは、さっきアナタが拾った鎖の破片ただ一つ。いくらアナタでも、あれだけじゃあ犯人を割り出す事なんて――」

 

そこまで言った灰原に俺はニヤリと笑って答える。

 

()()ならどうだ?」

「え?」

 

俺の言葉に反応して足を止める灰原。それを見た俺はポケットから『例の物』を取り出してそれを灰原の目の前で広げて見せた。

 

「落ちて来たんだよ。シャンデリアが落下した後、明かりが付く前に()()()()()()()()()()

「……それが何だって言うのよ?犯人の名前が書いてあるわけじゃあるまいし」

 

呆れた目を向けてそう言って来る灰原に、俺は()()()そのハンカチを見下ろしながら口を開く。

 

「ホラ、このハンカチの隅――『酒巻監督を偲ぶ会』って縫い付けてあるだろ?……恐らくこれの持ち主が、ここの受け付けてもらったハンカチだ。……それに、周りの奴らを見てみろよ?」

 

俺はそう言って周囲を見るよう灰原に促す。

 

「……ホラ。あのグラスを持った男性も、隣の太った女性も、その奥の髭を生やした老人も……みーんなこのハンカチを持っているけど、()()()()

「……どういう事?」

 

首をかしげる灰原に俺はニヤリと笑って答えた。

 

「恐らく、酒巻監督の代表作――『虹色のハンカチ』にかけて、来場した人たちに七色のハンカチを配ったんだ……。つまり、受付で調べればこの紫のハンカチを貰った人物をある程度特定できる」

「でも、それが本当にあの殺人に関係している物かどうかなんて……」

 

灰原のもっともな疑問に、俺は素直に肯定する。

 

「ああ。まだ何に使ったかも、犯人の物かさえも分からねぇが……。事件に関係している可能性は、ゼロじゃない。だろ?」

「…………」

 

沈黙する灰原に、俺は更に言葉を重ねる。

 

「まぁ、おめぇの言う通り、また伊達刑事に見つかったりしたら厄介だし、受付で調べるついでに一度会場を出て様子でも見てるとするか」

 

そう言っていったん会話を締めくくると、俺たちは会場の出入り口へと足を運ぶ。

そして、俺は自分の服についているフードを目深にかぶると、出入り口を見張っている二人の刑事に向けて声をかけた。

 

「ねぇ、刑事さ~ん。トイレ行きたいんだけど、ダメ?」

「ん?ああ、いいよ。ちょっと待ってね」

 

直ぐに了承した刑事の一人が背後にある出入り口の扉をゆっくりと開き、俺たちはそこから出ようとする。

しかし、それよりも先に扉の向こうからいくつもの閃光が俺たちに向けて瞬いた――。

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:伊達航

 

 

 

 

「くっそ……一体何処行ったんだ坊主ども」

 

忽然といなくなった二人の子供を探しに、俺は会場内をさ迷い歩く。

すると唐突に、会場の出入り口の方がにわかに騒ぎ出した。

何だ?と思い視線を向けると、そこには出入り口を固めている二人の刑事と、そこから今にもなだれ込みそうな勢いで刑事たちに詰め寄って来る報道陣たちの姿があった。

 

「ちょっと、何ですかアナタたち!?」

「吞口議員が亡くなったって本当ですか!?」

「事故死だと聞きましたが、どうなんですか!?」

 

そう言って騒ぐ刑事たちと報道陣たち。

そんな彼らのすぐそばに、目的の子供たちが二人いるのを俺は見逃さなかった――。

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:三人称視点(ピスコ)

 

 

 

――そして、伊達同様に会場出入り口の騒ぎに目を向け、そこにいた二人の子供たちに気づいた人物がもう一人いた。

 

――組織内で『ピスコ』というコードネームで呼ばれているその人物は、二人の子供のその片方……眼鏡をかけた短い赤みがかった茶髪の少女を見て目を大きく見開く。

 

――電話でジンに促され、組織のデータベースで『シェリー』の顔を検索したのがこの会場に足を踏み入れる直前だった。

 

――そのシェリーの顔と目の前の眼鏡の少女の顔……その二つが異様なほどに似通っていたのだ。

 

――普通なら他人の空似だと思い気にも留めなかっただろう。

 

――しかしふいにピスコの脳裏に、組織で働いていたとある科学者夫婦の顔がよぎった。

 

――()()()()()()()()()でもあるその二人とシェリーは、親子二代にわたって()()()()()()()()()()()()()()()

 

――『空想世界の産物』。何も知らない人間が聞けば「馬鹿げている」と鼻であしらうようなファンタジーの領域内に存在する薬。

 

 

 

 

 

 

――もしそれが、完成していたとしたら……?

 

 

――そう思った瞬間、ピスコの口元が自然と大きく吊り上がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

 

報道陣の群衆をかき分けて何とか会場の外に出た俺と灰原は、すぐそばにあった受付に立つ女性に声をかけた。

 

「え?紫のハンカチを渡した人?」

 

そう聞き返してくる受付の女性に俺は強く頷く。

 

「うん!僕その色のハンカチ拾ったから、その人に返したいんだ。……あのハンカチ、後で何かに使うつもりだったんでしょ?」

「ええ。……会の終わりに色を決めて、その色のハンカチを持っている人にコメントを貰う予定になってたみたいだけど」

 

俺の問いかけに受付の女性はそう答え、俺は更に続けて口を開く。

 

「じゃあお名前教えてよ。持ってない人捜して渡すから」

 

そう言った次の瞬間だった。

 

「工藤君……!」

「ん?(……げっ!?)」

 

隣に立つ灰原が慌てて小声で俺を呼んできたので何事かと振り返ると、そこには先程巻いたはずの伊達刑事が仏頂面でこちらを見下ろしながら立っていた。

 

「見つけたぞ坊主ども。人が話してる最中に逃げ出すとはいい度胸じゃねぇか」

「あ、えっと……。ご、ごめんなさい」

 

少し不機嫌そうにそう言う伊達刑事に、俺は誤魔化し笑いを浮かべながら謝って見せる。

それを見た伊達刑事はため息を一つ零すと、俺たちと視線の高さを合わせるためにその場で静かにしゃがみ、口を開いた。

 

「……まあいい。それよりも坊主、見た所そこの嬢ちゃんの友達見てぇだな?名前何て言うんだ?」

「え、江戸川コナン……」

 

俺がそう名乗ると、伊達刑事は「江戸川コナン、ね……」と小さく呟くと、杖をついた反対側の手を俺の前に出してきた。

 

「悪いんだがな。お前がさっき拾ったモン、俺に渡しちゃくれねぇか?」

「へ?」

「ほら、お前がさっきテーブルクロスの下から拾ってった()()だよ。……しっかり見てたんだからな、俺」

 

伊達刑事のその言葉に俺の体がギクリと反応する。

 

(やっべぇ、シャンデリアの鎖の欠片回収するとこ見られてたのかよ!?)

「何のためにアレを持ってったのかは知らねぇが、アレも事件解決のための重要な手掛かりである可能性が高いんだ。……ほれ、さっさと出しな」

 

そう言って手を差し出しながら詰め寄る伊達刑事に、俺はどうやって乗り切ろうかと顔を引きつらせながら考える。

すると、タイミングが良いのか悪いのか。そこで俺たちに向けて声をかけて来る者がいた。

 

「分かったわよ坊や。今、会場内で()()()()()()を持っているのは、丁度この七人よ」

 

そう言って俺たちの異様な雰囲気に気づいていない様子の受付の女性は、「はい」と出席者名簿を開いて俺の方へと差し出してきた。

それを見た伊達刑事が怪訝な顔で俺に視線を向ける。

 

「紫のハンカチ?何の話だ?」

「え、えっと……会場で拾って、誰のか分からないから調べて届けてあげようと思って」

 

そう言いながら俺はポケットから例の紫のハンカチを取り出し、それを伊達刑事の前で広げて見せる。

それをジッと見つめながら伊達刑事が続けて質問を投げかけてきた。

 

「ふぅん……いつ拾ったんだ?」

「……明かりが消えた後。シャンデリアが落ちる音と明かりがつく間に頭上から……」

「……何?」

 

俺の言葉に、伊達刑事が途端に顔を険しくさせる。どうやらこの人も紫のハンカチが事件に関係するかもしれないと気づいたらしい。

 

「……悪いがその出席者名簿。俺にも見せてくれ」

「あ、はい」

 

そう言って警察手帳を受付の女性に見せた伊達刑事は、受付の女性から名簿を受け取ると中身を見始める。

しゃがんだ状態で見始めたため、俺も伊達刑事の脇から名簿の中身を覗き見ることが出来た――。

 

 

 

 

――その名簿に並んでいた名前は、奇しくもあの七人であった。

 

 

 

 

(なるほど……あの七人か。まだ確証は無いが……もしかしたらこの中に、『奴ら』の仲間の『ピスコ』が……!)

 

俺がそんな事を考えている間に、伊達刑事の方も名簿の確認が終わったらしく、受付の女性に出席名簿を返却する。

そして、俺の方へと向き直った伊達刑事は――。

 

「さてと……よっと!」

「え?……あぁっ!?」

 

――俺が持っていた紫のハンカチをひょいっと取り上げていた。しかもご丁寧に、いつの間にか両手に手袋までして。

 

「か、返してよ!」

「悪いな坊主。コイツも事件に関係している可能性が出てきたんでな。預からせてもらうぜ」

 

紫のハンカチをひらひらと揺らしながらニヤリと笑って伊達刑事はそう言った。

 

(クソッ……ん?)

 

悔し気に顔を歪める俺の目の前で紫のハンカチが揺れるも、そのハンカチにチラリと『何か』が()()()()()のを俺の目は見逃さなかった。

 

(……何だあれ。黒ずんだ……()()()……?)

 

まだよく調べてなかったのと、ハンカチが濃い紫色をしていたため今まで気がつかなかった。

ハンカチの表面――その一部に小さな焦げ跡が一つ付いていたのだ。

何だ?とよく見ようと目を凝らすも、それよりも先に伊達刑事がハンカチを引っ込めて有無を言わさない口調で声をかけてきた。

 

「さぁ、さっき言ったもう一つの方も渡しな。まだ持ってんだろ?」

(くっそぉ、やっぱそっちも回収するつもりかよ!鎖の欠片の方もまだちゃんと調べてねぇってのに……!)

 

これまで取り上げられたらもうお手上げだ。だがどうすることもできない。

ここまでか。と、俺がそう覚悟した。次の瞬間だった――。

 

「あん?何だ?」

 

突然、会場の出入り口が騒がしくなり、伊達刑事が顔を上げ、それにつられる形で俺と灰原も出入り口の方へと目を向ける。

すると、それと同時に出入り口の扉が大きく開かれ、そこから会場内にいた客たちが一斉に外へと溢れ出てきたのだ。

 

「おい、出て来るぞ!……すみません!事故があった時、そばにいましたか!?」

「知らん!そこをどいてくれ!!」

「事故の様子を詳しく教えてください!」

「そんな事は警察に聞いてよ!!」

 

客たちと報道陣たちの激しい問答を耳にしながら俺たちは大勢の人間たちの波に飲まれてしまっていた。

 

「うわっ!……まさか目暮警部。客たちを全員解放しちまったのか!?……うおぉぉぉっ!?」

 

いつの間にかそばにいたはずの伊達刑事も、人々の波に押し流されてその姿をかき消しており、悲鳴にも似た声が遠ざかっていくのが聞こえるだけだった。

それを聞きながら、俺は内心ほっとする。紫のハンカチは取り上げられてしまったが、何とかシャンデリアの鎖の欠片だけは死守することが出来た。

 

「灰原!いったん博士の車に戻るぞ――」

 

そう言いながら俺は隣にいるはずの灰原に向けて声をかけながら振り向き――瞬間、凍り付く。

 

 

――つい今し方までそばにいた灰原が忽然と消え失せていたのだ。

 

 

どうやら伊達刑事と同様、人の波に飲まれて俺からはぐれてしまったようだった。

 

「おい、灰原!何処だ、返事しろッ!!」

 

俺は行き交う黒服の群衆たちの中で、そう叫び続ける――。

 

 

 

 

 

 

――だが、その声に灰原が答える事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:三人称視点(灰原哀)

 

 

 

 

 

「おい、灰原!何処だ、返事しろッ!!」

 

人の波に押し流された灰原は慌ててコナンを探し、少し離れた所で血相を変えて自分を探す彼の姿を見つける。

 

「あ!ちょっ――」

 

コナンに声をかけようとした瞬間、灰原の体を突然何者かが後ろから腕を回して持ち上げた。

 

「――!?」

 

驚く灰原の口を、その何者かがハンカチで塞ぐ。

すると、灰原の意識が自分の意思に反して急激に失われていく。

その原因が、ハンカチに染み込ませたクロロホルムだと気づく前に、灰原の意識は暗闇の底へと落ちて行った――。

 

「灰原ぁーーーーーーッ!!!!」

 

必死に自分を探す、コナンの叫び声を耳にしながら――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

 

 

(クソッ!灰原の奴、一体何処に……!!探すにしても、とにかく今は博士と合流しねぇと……!!)

 

そう思い立った俺は黒服の群衆の中から抜け出すと、すぐさま博士の待つビートルへと急ぎ向かった。

ホテルを出て、車が往来していないのを確認し車道を横断すると、そこに停めてあるビートルへとたどり着く。

そして助手席のドアを開くと運転席にいるであろう博士に向けて声を上げ――。

 

「博士、大変だ!灰原が――え?」

 

その声が途中で止まる。

運転席には確かに博士が待機していた。しかし、その後ろ――後部座席に博士以外の……俺からしても予想外な人物がそこに座っていたのだ。

 

「工藤君!志保が……志保がどうかしたの!?」

 

何故この人がここに?と、呆然と立ち尽くす俺にその人物――明美さんが血相を変えて俺にそう問いただしてきていた。




補足説明。

本編でも分かるように、この事件でコナンと伊達は初めて顔を合わせています。
それ以前の事件とかでは会った事はありません。


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カルテ22:枡山憲三(ピスコ)【4】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。


SIDE:灰原哀

 

 

 

 

――灰原さん……起きて、灰原さん……。

 

誰かが私を呼ぶ声が聞こえる。

宮野志保(本名)でもシェリー(組織のコードネーム)でもない。仮初に作られた灰原哀(偽りの存在)としての私を。

視界がゆっくりと開かれていく。

 

「灰原さん……灰原さん……」

「……?」

 

そこにはこちらを心配そうに見つめる吉田さんの顔があった。

 

「どうしたの?今、授業中だよ?」

「え?」

 

そう言われ私は周囲を見渡す。帝丹小学校の教室の授業風景が広がっていた。

どうやら私は授業中に寝てしまっていたらしい。

ぼんやりとする意識の中、隣の席に座る吉田さんが再び声をかけてきた。

 

「もしかして風邪のせい?やっぱり、保健室で休んでた方が……」

「……夢?」

「……え?」

 

ポツリと響いた私の言葉に、吉田さんは首をかしげる。

しかし、それに構わず私は小さくフッと笑みを漏らした。

 

(フッ……そうよ、そうよね。……街で偶然彼らに出くわすなんて、出来過ぎてるわ。……最近、こんな夢ばっかり……疲れてるのかな?私)

 

そう思いながら、一度瞑目した瞬間だった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……灰原!』

「……え?」

 

唐突に私を呼ぶ声が小さく聞こえ、目を見開く。

すると吉田さんを含むそこにさっきまでいた人たちが忽然と姿を消し、ガランとした誰もいない教室が広がっていた。

何が起こっているのか分からず呆然とする私の耳に、また声が届く。

 

『……返事をしろ、灰原!』

(誰……?)

 

周りを見渡すものの誰もいない。それなのに声だけが頭の仲間で響いてくる。

 

『おい、灰原!』

(誰なの?)

『灰原!!』

(誰なのよ!?)

 

頭を抱えてギュッと目を閉じた瞬間――。

 

 

 

 

『灰原ッ!!』

 

 

 

 

「――!?」

 

――フッと()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――目の前には見知らぬ天井があった。

 

私はどうやら床に仰向けで寝ころんでいたらしい。

未だにぼんやりとする頭を抱えてのろのろと上半身を起こす。

何が起こっているのかはまだ分からないが、少なくとも今し方まで私に声をかけてきた人物が誰なのかは理解できていた。

 

「工藤君……?」

『灰原?灰原か!?』

 

私のかけている眼鏡から工藤君の声が聞こえてくる。

 

「どこ……?」

『ホテルの前の博士の車の中だ。眼鏡に仕込んであるマイクとスピーカーを通して、交信してるんだ』

 

そう呟いた私に工藤君はそう答えて来る。

眼鏡にマイクとスピーカー?そもそも何で私、眼鏡をかけて……?駄目だ、まだ意識が朦朧(もうろう)としてて記憶が……。

 

「私……どうしたの?」

『そりゃあこっちのセリフだ!会場前の廊下で何があったんだ!?』

「会場前……?」

 

工藤君が言った『会場前』という単語で、ようやく私の記憶がはっきりとしてくる。

 

「……ああ。そう言えば私……あの時、人の波に飲まれて……アナタとはぐれて……そうしたら、誰かが後ろから――」

 

 

 

 

 

 

「――!!!!」

 

 

 

 

 

一気に――記憶が覚醒した。今日あった事全てを。

反射的にガバッと顔を上げ、周囲を確かめる。

そこは木製の床が広がる一室。白い暖炉が設置してあり、部屋の出入り口らしきドアを挟むようにして左右に大きな棚がそびえ立ち、その中には数えるのも馬鹿らしくなるほどの多種多様なお酒の数々が箱に詰め込まれ、置かれていた。

私のすぐそばには、木製の小さな机と椅子。そして()()()の入った大きな段ボール箱が乗せられた台車もあった。

 

『――後ろから、何だって?』

 

眼鏡を通してそう聞いてくる工藤君に、私は酷く冷静な態度でそれに答える。

いや、これはもはや()()()()()()()()()()()()()()

 

「……誰かに薬を嗅がされて、何処かの酒蔵に監禁されてるみたいよ?」

『お、おい!誰かってまさか……!?』

 

慌てた口調でそう聞いてくる工藤君に私は()()()確信をもって口を開く。

 

「……ええ。恐らく警察の監視下にあったあの会場で、殺人をやってのけた組織の一員……『ピスコ』」

『何だと!?……まさか、いるんじゃねぇだろうな?そいつがそばに……!』

 

更にそう聞いてくる工藤君の声を耳にしながら私は立ち上がると、部屋の出入り口のドアへと近づく。

そして、一応ドアのノブを回してみた。……やっぱり鍵はかかってるか。

嘆息しながら私は工藤君の問いかけに答える。

 

「いいえ……その誰かさんは、今はいないわ。部屋のドアには、しっかりと鍵がかけられてるけどね」

 

そこで私はいったん言葉を切ると、背後を振りかえって今一度現状を確認するように言葉を続ける。

 

「……残っているのは、荷物用カートに乗った段ボールと清掃員のつなぎと――」

『――つなぎ?』

 

オウム返しにそう聞く工藤君に、私はそのカートを見つめながら素直に答える。

 

「ええ。……きっと、私に薬を嗅がせた後、トイレにでも連れ込んで用意しておいたこのつなぎに着替え……私を段ボールに入れてここに運んだのね。……どうやら、あの議員を会場で殺しそびれた場合、トイレで殺害してここに運ぶつもりだったんじゃないかしら?」

『……まぁいい。とにかく、その酒蔵からの脱出方法を早く見つけて、何か手を打たねぇと……!』

 

そう言う工藤君に私は内心ため息を零す。()()()()()()()()()()()()()()()

私は至極冷静な口調で彼に言い聞かせるようにして口を開いた。

 

「……いい工藤君?よぉく聞いてね。……私たちの体を幼児化した、アポトキシン4869の『アポ』とは『アポトーシス』――つまり、『プログラム細胞死』のこと。……そう、細胞は自らを殺す機構を持っていて、それを抑制するシグナルによって生存してるってわけ」

『おい、灰原……何言ってんだ?』

 

怪訝な声を上げる彼の言葉を無視して、私は説明を続ける。

 

「……ただ、この薬はアポトーシスを誘導するだけじゃなく、テロメアーゼ活性も持っていて細胞の増殖能力を高める――」

『――やめろ灰原!んな事、お前がそこから脱出したらいくらでも聞いてやっから――』

「――いいから、黙って聞きなさいよ!!」

 

私の説明を止めようと工藤君が声を荒げるが、それを更に被せるようにして私はピシャリと彼に怒鳴りつけた。

そして、一つため息を吐くと冷静さを取り戻して私は言葉を続ける。

 

「……もう、二度と……二度とアナタと言葉を交わす事なんて……()()()()()()

『何!?』

「分からないの?……彼らは、()()()()()()()()()姿()()()()()()()()()()()()()()()()()のよ?……例えここから脱出できたとしても、二日も経たないうちに彼らは私を見つけるわ。……そうなれば、彼らは私を匿っていた博士はもちろん……お姉ちゃんを含んだ私に関わった人達も、秘密保持のために一人残らず抹消するでしょうね」

 

通信機の向こうで工藤君が息を呑む音が聞こえる。

……ようやく分かってくれたようね。ここで殺されたとしても、上手く逃げられたとしても、私はもう二度とアナタたちに会えない状況に追い込まれてしまった事実を。

 

(こんな事になってしまうんだったら……せめてもう一度、お姉ちゃんに会いたかったな……)

 

私がそんな事をフッと脳裏に考えた。その次の瞬間だった――。

 

 

 

 

『……ねぇ、工藤君。志保の様子はどう?あの子は無事なの?』

 

 

 

 

「……へ?」

 

あまりにも突然の出来事に私は間の抜けた声と共に頭の中が真っ白になる。

そんな私の心境などお構いなしと言わんばかりに、通信機の向こうで工藤君とその声の主が会話を始めた。

 

『大丈夫だよ()()()()。今の所、ピンピンしてるみたいだから安心してくれ』

『そう……よかった。全くあの子は心配ばっかりかけて……』

 

そんな会話を呆然と聞いていた私だったがすぐさまハッとなって食いつかんばかりに工藤君に声を荒げていた。

 

「ちょ、ちょっとどういう事!?何でお姉ちゃんがそこにいるの!??」

 

会いたいとは願ったが、それが通信機越しとは言え直ぐに叶うとはどんな喜劇だ。

私が問い詰めると工藤君はすんなりと答えて見せた。

 

『何でもカエル先生の忘れ物を届けにここに来たみたいだぜ?ホテルに入ろうとした所をたまたま博士が見つけて、それで慌てて車まで連れて来たって話だ』

「……ま、まさか今までのアナタとの会話。全部お姉ちゃんに?」

 

今までの会話で私が既に死を覚悟していると知ったら、間違いなくお姉ちゃんはなりふり構わず私を探し出すはず。そうなっては確実に組織の目に留まりかねない。

不安げに声を震わす私に、工藤君は私を宥めるかの様にお姉ちゃんに聞こえないくらいの小声で口を開いた。

 

『大丈夫だよ。イヤホン使ってっから博士にもお前の姉さんの耳にもお前の声は聞こえちゃいねぇ』

「そう……」

 

ホッと胸をなでおろす私に、工藤君は「感謝しろよ?」と付け加えて来る。通信機の向こうでニヤリと笑っているのが目に浮かぶようだ。

 

『……だからよ。お前も余計な事考えてねぇでそこから脱出する事だけを考えてな。……これ以上、お姉さんに危ない橋渡らせたくはねぇだろ?』

「……意地悪な人ね、アナタ」

 

工藤君の言葉に私は口をとがらせる。

しかしそれと同時に、先程まで死を覚悟してたのがほんの少し薄くなり、反比例するように姉に会いたいという意思がほんの少し強くなったのを自分の中で感じた。

最愛の姉の声を聴いたからだろうか?我が事ながら随分とまあ調子の良い神経をしている。

 

――だがそれでも、今のこの状況は私のそんなささやか望みすら許してはくれない。

 

「……でも、さっきも言ったけど状況は極めて最悪よ。組織が()()姿()()()を捕らえた以上、どうやってももう私に未来はない……」

 

そう言いながら私はチラリとそばにある机の上を見た。そこには黒いノートパソコンとそれにコードで繋がれた携帯電話があった。

それを確認した私は、その机に近づいていく。

 

「……だから、今のうちに私が覚えている薬の情報をアナタに教えといてあげるわ。そして、もしもの時は……お姉ちゃんの事、頼むわね」

 

続けて工藤君にそう言った私は、大人用サイズのその椅子によじ登るとノートパソコンの電源を起動した。すると――。

 

 

 

≪じゃじゃ~ん!『阿笠博士の大冒険2』~♪≫

 

 

 

『へ?……お、おい。何だ今の???』

 

今の音声が工藤君の耳にまで届いていたらしく、彼は面食らったような声を上げた。

 

「ああ。学校で円谷君に返してもらった博士のゲームよ」

 

そう答えながらゲームの電源を切った私は、続けて口を開く。

 

「たぶん、私のポケットに入ってたそのMOを調べてたのね。……パソコンに携帯電話が繋がってるって事は……」

 

カタカタとキーボードのボタンを押す。すると、画面に組織の一員だった頃の私の写真が浮かび上がった。

 

「……やっぱり。私の顔、検索してたんだわ」

『……なあ、お前もしかして今()()()()()()()()?』

 

そう尋ねてきた工藤君に私はため息交じりに答える。

 

「ええ。でもだからこそ、今できる事を急いでやる必要があるのよ。……彼らが長時間私を縛りもしないで、ほっておくわけもないしね」

 

私がそう言うと、工藤君は通信機の向こうで笑いながら口を開いた。

 

『いや……()()()()()()()()()()()()()

「え?」

 

どういう事なのか?と目を丸くする私に、彼はすぐさま答えて見せた。

 

『お前が居なくなった後、急いで警部に電話したんだ。――』

 

 

 

 

『――「紫色のハンカチをもらった例の七人を、杯戸シティホテルから一歩も出すな」って……()()()()()()()()……!』

 

 

 

「!」

 

驚く私に、彼は言葉を続ける。

 

『……お前が拘束されて無い事と、()()()()()()()()()のパソコンの状態からすると……恐らくお前を監禁した奴は、何かの目的でちょっとだけホテルを出ようとした所を出口で刑事に止められ、事情聴取を受けてるんだ。しかも奴は今、外部との連絡が取れないでいる可能性が高い。……お前がいなくなってから、()()()()()()()()()()()()のに、奴はおろか奴の仲間もそこに来てねぇなんて考えられねぇからな……』

 

そこで工藤君はいったん言葉を切ると、確信しきった口調で言葉を続けた。

 

『……いるんだよ。俺が睨んだ通り、あの七人の中に……暗殺を成し遂げてお前をそこに監禁した――』

 

 

 

 

『――ピスコって奴がな……!』

 

 

 

 

彼のその言葉に私は息を呑む。そして、それと同時に分かった事があった。

 

「……じゃあ、私が今いるこの部屋……ここってまだ、()()()()()()()()()()ってこと?」

『ああ、多分そうだ。奴が仲間に接触する前に、殺人の証拠を上げて、奴を警察に突き出す事が出来ればお前の身の安全は保障されたままってわけだ!』

 

力強くそう言い切る彼の言葉に、僅かに……本当に僅かにだが希望が見えてきた。

私の正体がまだピスコにしか知られておらず、ここがまだ杯戸シティホテルの中なら、まだどうにかできる可能性がある。

私は一度椅子から降りると、周囲を観察し始める。

通気口など、他に出られそうなところは無し、あるのは暖炉ぐらいか……。

キョロキョロと辺りを見渡していると再び工藤君から声がかかった。

 

『警部があの七人を留められるのは……せいぜい後一時間。……とりあえず、俺はホテルの従業員にあんまり使用されていない酒蔵の場所を聞いて、直ぐに助けに行ってやるよ。……女の子が閉じ込められてるって言えば――』

「――馬鹿ね。言ったでしょ?私に関わった人がどうなってしまうのか……。知らないわよ?私の逃亡を手助けした、その従業員が後でどうなっても」

『じゃあ何とか自力でそっから脱出する方法を見つけろよ!……俺はその間に、あの七人の中からピスコを割り出すから……!』

 

呆れた口調でそう答えた私に、少し声を荒げながら工藤君がそう返してきた。

 

「脱出する方法を見つけろなんて簡単に言うけど、この部屋に脱出口なんて無いわよ。……あるのは、古びた暖炉ぐらいね」

『その暖炉、登れねぇのかよ?』

 

工藤君にそう言われ、私は暖炉に近づいて中に入り、真上を見上げてみる。

そこから見える煙突の出口の大きさから、煙突の長さはそう長くはないと思えるけど……。

 

「……無理ね。上るには大きすぎるわ」

『ロープかなんかねぇのか?それで煙突を上るって手も……』

「さぁ?酒蔵にロープなんてあるのかしら?……()()()()()()()()()、手足を突っ張って何とか登れそうなんだけどね」

『こんな体?……そうだ、それだよ!その手があんじゃん!お前とカエル先生が作ってる()()()()()()()!!それを使えば――』

 

名案だと言わんばかりに工藤君がそう叫ぶが、私はそれに首を振って答える。

 

「残念だけど、今は持ってないのよ。試作品は全部、米花私立病院の研究室に保管してるわ。……こんな事になるんだったらいくつか持って来るべきだったわね」

『そうか……いや、待てよ。確かお前今日、風邪気味だって言ってたよな?』

 

彼の言葉に私は今日、学校で円谷君にゲームを返してもらった時に吉田さんと小嶋君と一緒に四人でそんな内容を含めた会話をしていたのを思い出す。

確かその時、工藤君は少し離れた位置にいたはずなのだが……耳ざとく聞いていたのか。

だが、それが一体何なのか?と思った次の瞬間、私はハッとなって棚に置かれたいくつものお酒へと視線を向ける。

 

「……そう言う事ね。()()()()()()()()……そして、ここに()()()()()()()()……!」

 

全てを理解した私に、通信機越しにでも工藤君がニヤリと笑うのが分かった。

 

『ああ、そう言うこった。それなら、()()()()()()、お前をその部屋から脱出させることが出来る。お前にとっておきの魔法をかけてな……!』

 

えらく気どった彼のその台詞に、私は苦笑を浮かべながら棚に置かれているお酒の数々から()()()()()()を探し始める。

 

(私の今の体の具合からして、さっきまで床に寝かされていたせいで学校にいた時よりも調子が悪化しているのが分かる。……そして見た所、世界中のお酒を詰め込んだかのようなこの場所(酒蔵)になら……あるかもしれない、()()()()()……!)

 

そう思いながら探索すると、意外と早く目的のお酒は見つかった。

箱からそのお酒を一瓶取り出した私は、貼られているラベルを確認する。

目的の物だと確認すると、私はニヤリと笑みを深め、通信機で工藤君に見つけたことを報告した――。

 

 

 

 

「――あったわよ工藤君。『白乾児(パイカル)』♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:宮野明美

 

 

 

 

志保との通信をいったん止めた工藤君は、容疑者であるというその七人の中から『ピスコ』を割り出すのに専念し始めた――。

 

組織の一員である『ピスコ』という人物に子供の姿の志保が捕まったと聞いた時は正直、気が遠のきかけたが志保がまだ無事な事と、今の所組織の中で幼児化した事実を知っているのがその『ピスコ』だけだと分かり、あの子を助けるチャンスがまだあるのだとホッと胸をなでおろした。

街で偶然、ジンのポルシェを見つけて、志保を連れて杯戸シティホテルまでやって来たと聞いた時は、志保を巻き込んだ工藤君に当初は怒りを覚えたが、直ぐに志保が自分の意志で工藤君に付いてホテルの中に行ったと博士から聞かされると怒りが霧散し、代わりに頭が痛くなるような錯覚に陥った。

聞けば志保は、『とある毒薬』を作ってしまった事に深い負い目を感じて工藤君に付いて行ったらしいが……はっきり言って、無茶が過ぎる。

毒薬の事も、ジンの車の事も……意味がない事ではあれど、どうして私に相談してくれなかったのかと、そう思わずにはいられなかった。

私は一度首を振ると、助手席に座る工藤君を見つめる。

 

――とにもかくにも、今は志保を助け出すのが先決。そのためには『ピスコ』の正体を暴く必要がある。そして、その唯一の頼みの綱は工藤君だけ。

 

ゴクリと唾を飲み込んだ私の視線の先で、工藤君はノートパソコンのテレビ機能を使って、今現在生中継されている杯戸シティホテルの事件のニュースを見ながら、メモ帳に何かを書き込んでいた。

 

『――以上が、事故直後の映像です。なお、事故現場の会場近くの個室では、未だ事情聴取を受けている方が数人いる模様ですが、その方たちの氏名は発表されておりません。……以上、現場からお送りしました』

 

テレビのリポーターからの報告が終わり、工藤君はメモ帳を睨みながら思案顔になる。

 

「……今の生中継の映像であの七人の事件直後のおおよその位置は分かったけど……これだけじゃなぁ」

 

メモ帳に描かれた簡易的な容疑者たちの立ち位置の図を見て、工藤君は唸るようにそう呟く。情報が足りていないようだ。

 

「……工藤君。現場でシャンデリアの鎖の欠片を拾ったのよね?それからは他に何か分からなかったの?」

 

私のその質問に、工藤君は力なく首を振る。

 

「残念だけど何も……さっき調べてみたけど、特に怪しいと思える点は何も無かったし……」

「そう……」

 

工藤君のその返答に、私も残念そうにそう呟いた時だ――。

 

 

 

 

 

 

 

――コンコン。

 

 

 

 

 

 

――突然、工藤君の座る助手席側のドアの窓ガラスを、何者かが外からノックして来た。

 

『!?』

 

まさか……組織の人間!?

一瞬、緊張状態になる車内。だが直ぐに私、工藤君、博士の三人は窓の外へと視線を向けた。すると――。

 

「やぁ」

 

――そこにはもはやおなじみとも言える……私にとっては命の恩人でもある、カエルの顔を持つ先生が手を小さく振りながら立っていた。

 

「なんだカエル先生か、脅かすなよ」

「脅かすつもりはなかったんだがね?」

 

窓を開けながら工藤君はカエル先生にそう文句を零し、それに苦笑を浮かべながら先生はそう返した。

黒服の上に厚手のダッフルコートとマフラーを纏ったカエル先生は、一言博士に断りを入れると、ビートルの後部座席へとそそくさと入って来た。

 

「うぅ~、寒い寒い。今日は一段と冷えるね……ってあれ?明美君どうしてキミがここに?」

 

私が後部座席に座っている事に今気づいたらしいカエル先生は、首をかしげながらそう問いかけてきた。

それを聞いて私は、ここに来た本来の目的を思い出す。

 

「そうでした。……先生、仕事用の携帯電話を病院に忘れて行ったでしょう?」

「おや。わざわざ届けに来てくれたのかい?すまないねぇ」

 

手提げカバンから(くだん)の携帯電話を取り出してそう言いながら、私はカエル先生にそれを渡す。

それにカエル先生は若干申し訳なさそうに受け取って見せた。

 

「……それにしてもカエル先生。今、警察から解放されたのか?事件が起きてからもう一時間は経つから、とっくに現場検証を終えてるもんだとばかり思ってたけど……」

「ム……」

「え……?」

 

何気なく工藤君がカエル先生にそう問いかける。すると何故かカエル先生は、工藤君をジト目で睨んできた。

予想外のカエル先生のその反応に、工藤君は一瞬面食らう。

それに構わずカエル先生はその表情のまま口を開いた。

 

「……その事については、僕はキミに一言モノ申したいね?……キミだろう、警部に()()()()()()()電話してきたの」

「そ、そうだけど?」

 

おずおずとそう答えた工藤君に、カエル先生はため息交じりに続けて口を開く。

 

「……その電話のおかげで事故だと思われていたこの事件に殺人の可能性が出てきたと気づいた目暮警部が、今一度現場検証をやり直すと言って来たんだよ。おかげで役目を終えていざ帰ろうとしていた僕も再び呼び戻されてね。医者の観点から色々と聞きたいと、まぁた現場検証に立ち会わされることに……」

「あ、あははははは……」

 

まさか、自分が行ったその電話で先生がホテルに足止めされるとは思ってもいなかったのだろう。

ジト目で睨み続けて来るカエル先生に、工藤君は誤魔化し笑いを浮かべるしかなかった。

そんな工藤君を見て諦めたように深くため息をついたカエル先生は、未だにぎこちない笑みを浮かべる工藤君に今度は真剣な口調で声を上げた――。

 

「……まぁいいさ。予想以上に時間を食ってしまったが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「?」

 

首をかしげる工藤君にカエル先生は言葉を続けた――。

 

 

 

 

 

 

「……僕の方でも一つ分かった事があったんだ。()()()()()()()()()……()()()()()()()()()()()()、ね……」




次回は時間を少し遡って、灰原が連れ去られた直後から伊達さんの視点で話を進めて行こうと思います。


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カルテ22:枡山憲三(ピスコ)【5】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。


SIDE:伊達航

 

 

 

「くっそー、また坊主どもを見失った!!」

 

人の波に飲まれた後、俺は人気が少なくなった後の廊下で悪態をついていた。

キョロキョロと辺りを見渡しても、さっきまで一緒にいたはずの『江戸川コナン』と名乗った坊主と灰原っつう小娘は何処にも見当たらない。

坊主どもの事も気がかりだが、それよりも先にやらなければならない事が俺にはあった。

 

(……紫のハンカチを持っているという()()()()。もしも俺の推測が正しけりゃあ、あン中に犯人がいる可能性がある……!)

 

だが、さっき会場から客たちが出てきたという事は、目暮警部はこの事件を事故死だと考え、早々に客たちを解放してしまったという事になる。

 

(だがまだ間に合うはずだ……!何とか目暮警部を説得して、事件に関係しているであろうあの七人だけは何とかこのホテルに留めておかねぇと……!)

 

そう考えた俺は、杖をつきながら急ぎ足で会場へと向かい、出入り口のドアを開けようとして――それよりも先に、中から出てきた人物がドアを開けていた。

 

「うわっ!……何だ伊達刑事じゃないか。どうしたんだい、そんなに慌てて?」

「カエル先生……」

 

中から出てきたのはカエル先生だった。ドアを開けて出合い頭に俺と顔を突き合わせる形となって驚いていた。

もちろん、俺の方もだが。

 

「カエル先生、もしかして現場検証は……」

「ああ、たった今終わった所さ。僕も今しがた、警部から帰って良いと言われたんでね。このままお(いとま)させてもらうよ?」

 

そう言ったカエル先生は最後に「それじゃあね」と一言言い残すと、俺に会釈して脇を通り過ぎ、会場を去って行った。

俺はその背中を見送っていたが、直ぐに自身の目的を思い出して慌てて会場内へと戻る。

会場内では床に転がった議員の遺体を搬送する準備に取り掛かっている所であった。

 

「目暮警部!」

 

俺はその搬送準備をはたで見ている目暮警部に慌てて声をかけた。

声をかけられた警部は俺の方へと振り向く。

 

「伊達、今まで一体何処にいたんだ?」

 

無断でいなくなった俺に眉根をひそめながらそう聞いてくる警部に、俺は構わず口を開く。

 

「それよりも警部、折り入って話したい事が――」

 

俺がそこまで言った瞬間だった。唐突に警部の懐にある携帯がけたたましく鳴り出したのだ。

「ああ、ちょっと待ってくれ」と、警部が俺に一言そう言って静止させると携帯を取り出し電話に出た。

 

「……もしもし私だ……おお、工藤君か!?」

「……?」

 

目暮警部から発せられたその人物名に、俺は僅かに目を見開く。

 

(工藤?……もしかしてあの有名な高校生探偵の工藤新一か?)

 

工藤新一という高校生探偵の事は俺も知っていた。何せ目暮警部が難事件を解決するのに深い信頼を寄せている人物だからだ。

直に会った事は無いが、彼の活躍は俺の耳にも嫌というほど入って来る。

 

(だが、何でこのタイミングでそいつが警部に電話して来るんだ?)

 

そう不思議に思っている俺の目の前で、警部と工藤新一の会話が続けられる。

 

「どうしたのかね?……ああ……ああ……。何だって!?何故そんな事が……え?()()()()()()?」

「……!?」

 

唐突に出てきた「紫のハンカチ」という単語に俺の心臓がドクンと大きく脈打つ。

 

「し、しかし何でキミがそんな事を……?え、お、おい、工藤君!?」

 

呆然となる俺の前で二人の会話が唐突に終わる。どうやら一方的に電話を切られたらしい。

「う~む」と携帯電話を見下ろしながらそう唸った目暮警部は、周囲にいる俺たち刑事に向けて声を発した。

 

「……皆聞いてくれ。たった今、この事件に殺人の可能性が出てきた。よってこの案件を殺人事件として改めて捜査する!」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ警部!」

 

俺は慌ててそれに待ったをかけた。だってそうだろう。いくら何でも急展開すぎる。

 

「これが殺人事件ってぇのは……まぁ、俺も内心そうなんじゃないかと思ってましたから反論はありません。ですが、何でそこに高校生探偵の工藤新一がいきなり出て来るんですか?おかしいでしょう!?」

「うむ……ワシもそうは思うのだが、彼がこの事件が殺人事件だと断定している以上、おいそれと無視は出来ん。……彼が言うにはこの会場で紫のハンカチを持っている客の中に犯人がいるという話だ」

 

目暮警部のその言葉に俺は大きく目を見開く。

 

(……な、何で工藤新一が紫のハンカチの事知ってんだ……!?俺ですらこのハンカチが事件に関係すると思ったのがついさっきだぞ……!?)

 

そう思った瞬間、不意に俺の脳裏にあの坊主と灰原の嬢ちゃんの姿が浮かんだ。

 

(まさか……あの坊主どもと工藤新一が裏で繋がってるってのか……?いやしかし、なんで……)

 

俺がそんな事を考えてい間に目暮警部は高木や他の刑事へ指示を飛ばしていた。

 

「高木。お前はさっき帰ったカエル先生を呼び戻してきてくれ。急げばまだ先生に追いつくはずだ」

「わ、分かりました!」

「他の者は、紫のハンカチを持った客を調べてその人たちに事情聴取を行う。ホテルから一歩も外には出すな!……またこの現場も一から調べ直す!遺体の搬送はその後だ!」

『ハッ!!』

 

目暮警部の言葉に一斉に呼応する刑事たち。俺はそこに口をはさんだ。

坊主どもや工藤新一など、分からないことがたくさん出てきたが、それらは今は後回しだ。今は()()()()()()()()()()()を警部たちに提出しなければならない。

それが、刑事である俺の必要最低限の役目だ。

 

「目暮警部。……その紫のハンカチを所持している人物たちについては、もう面が割れています」

「何!?」

 

驚く警部を前に、俺は『例の七人』ついて話す。奇しくもその七人は今し方まで警部らと会話をしていた者たちだったため、それを知った警部は更に驚いていた。

 

「あの客たちがそのハンカチの所有者だというのかね?……しかし、何でキミがそれを知って……?」

「……これですよ」

 

そう言って俺は警部の前に紫のハンカチを差し出した。

 

「……この会場に参加していた()()()()が言ってたんです。シャンデリアが落ちて会場の明かりがつくその直前に、頭上からそのハンカチが落ちてきたと……」

「……本当かね?」

 

警部はそう言いながら俺からハンカチを受け取り、まじまじとそれを見る。

 

「うむ……ただハンカチが落ちてきたってだけなら、事件の関係性としては薄いが……工藤君がこれに事件の手がかりがあると言った以上、そうも言ってられんか……よし!早速、その七人を呼んで個室で事情聴取をするとしよう」

「……それと警部。そのハンカチがここにあるという事は、その七人のうちの誰かは、()()()()()()()()()()()()()という事になります。という事は……」

 

俺のその指摘に警部は強く頷く。

 

「ああ……。ひょっとしたら、その人物がこの事件の犯人……もしくは、事件に深く関わっている可能性があるな。……よし。なら、このハンカチを持っていない人物を特定しだい、その人物を重要参考人として定めるとしよう」

 

そう決断した目暮警部は早速、他の刑事たちに容疑者であるその七人を連れて来るよう指示を出し、それを受けて刑事たちも各々がそれぞれの役割を受けて動き始める。

すると、それと同時に会場の出入り口のドアが開かれた――。

 

「目暮警部。カエル先生をお連れしました!」

「全く……。いきなり呼び戻してくるなんて、何かあったのかい?」

 

高木に会場へと連れ戻されたカエル先生は、少し不機嫌そうにジト目で俺たちを睨みつけて立っていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほどね。……この事件に殺人の可能性が出て来たんで捜査をやり直す事になったと」

「その通りです。……それで、カエル先生にはもう一度、現場検証に立ち会ってもらいたくて呼び戻したしだいでして……。アナタの医者としての意見も再度お聞きしたい所ですし」

 

高木に連れて来られたカエル先生は、目暮警部からある程度の事情を聴きそう呟き、目暮警部もその通りであると頷きながらそう答える。

するとカエル先生は小さくため息をつきながら口を開く。

 

「……そうは言ってもねぇ目暮警部。僕の議員の検死結果はさっきと全く変わりはしないよ?……彼の死因はシャンデリアが頭上から落下して押し潰されたことによる圧死で間違いはないし、死因以外でも彼の体やその周囲からは別におかしな点は見受けられなかったしね」

「ええ、アナタの目に狂いが無い事は分かっております。……しかし、この事件が殺人ともなれば、もっと入念に捜査をする必要があるのですよ。初動捜査では気づかなかったことが、その後の調査で発見されるって事もよくある事ですから。……先生には、医師としての観点から死因以外の事で遺体に何か不審な点があるかどうかもう一度調べてほしいのです」

 

目暮警部のその言葉を黙って聞いていたカエル先生は、やがてため息と同時に警部の頼みを前に折れる。

 

「……分かったよ。まぁ流石に僕も、殺人事件の可能性がある以上、このまま帰るのは寝覚めが悪いしね。……警部たちが納得できるまで付き合うよ」

「恩に着ます」

 

そう言って目暮警部が頭を下げ、カエル先生は再び議員の遺体のある方へと視線を向けた。

 

「……しかし、いきなり何でまた殺人事件の可能性が急浮上したんだい?」

「実は少し前に、私の携帯に工藤君から電話がありましてな。……この事件は殺人の可能性があり、その犯人が紫のハンカチを持った人物の中にいると連絡してきたのです」

「……へ?」

 

カエル先生の問いかけに警部がそう答えた瞬間、先生は何故か文字通り目を点にしてポカンとした表情を浮かべた。

 

「それでカエル先生にも今一度再捜査にご協力願おうとここへ呼び戻しに――って、どうかなされましたか?」

「え?あー……いや。何でもない。何でもないよ?そうかぁ……新一君がねぇ」

 

首をかしげながらそう尋ねて来る目暮警部に、慌ててそう取り繕うカエル先生。なんかちょっと……いや、かなり怪しくないか?ぎこちない笑みを浮かべてるし、顔じゅうから汗がダラダラと流れてるし。

――正直、こんなカエル先生を見るのは初めてだ。

 

(もしかしてカエル先生……工藤新一について何か知ってんのか……?)

 

俺がそんな事を考えている間に、カエル先生は「それじゃあもう一度、遺体を確認させてもらうね?」と言って、遺体のある場所までそそくさと向かって行ってしまった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――目暮警部と高木、そしてその他の数人の刑事たちは、容疑者らしき七人の身柄確保とその事情聴取のために会場を後にし、会場内には俺と遺体を調べるカエル先生。そして現場を再調査する鑑識や残りの刑事たちが辺りをウロチョロと動き回っていた。

俺は議員の遺体を調べるカエル先生の背中に声をかける。

 

「先生、どうですか?何かわかりましたか?」

「……駄目だねぇ、やっぱり最初の結論と何も変わらないようだ」

 

ため息と同時に首を振り、カエル先生はそう呟く。

俺は「そうですか……」と、肩を落としながら先程から気になっていた事をカエル先生に尋ねてみた。

 

「そう言えばカエル先生。さっき警部が『工藤新一』の名前を出した時、えらく慌ててたみたいですけど……」

「え?……あ、ああ。何せ唐突に彼の名前が出て来たからね。突然の事に僕も驚いてしまったんだよね」

「あー、確かにあの高校生探偵の登場は唐突過ぎましたからね。……何故か事件の詳細や手がかりの事など、彼が知りえるはずの無い事も知ってましたし」

「……何をやってるんだ新一君」

「ん?先生、何か言いました?」

「いや、何も」

 

俺とカエル先生がそんなやり取りをしていると、ふいに俺たちに向けて声がかかった。

 

「……あの、すみません。もうそろそろ遺体を搬送しても……?」

 

声をかけてきたのは議員の遺体の搬送に来た救急隊員だった。

本来なら、もうとっくに遺体を搬送しているはずだったのだが、工藤新一が目暮警部に連絡してきたために再調査となり、搬送にも待ったがかけられそのまま待ちぼうけを食らう羽目になってしまったのだ。

そんな救急隊員の顔を見ながら、カエル先生は「う~ん……」と唸る。

 

「……確かにこれ以上調べてもこのご遺体からはもう何も出なさそうだし……僕は良いと思うんだけどね?」

 

カエル先生の言葉に俺も小さく頷く。

 

「そうですね……わかりました。なら、俺から目暮警部に一言断りを入れて置きます」

「そうですか。それでは今から遺体の搬送を行います」

 

俺の言葉に隊員は一言そう言って、他の救急隊員たちに担架(たんか)を持って来るように指示を出す。

運ばれてきた担架が遺体のすぐ横に置かれ、隊員たちがうつ伏せに倒れた遺体を担架に乗せようとその四肢に手をかけているのをしり目に、俺は搬送の許可をもらうべく目暮警部に携帯で電話をかけようとボタンを押しかけ――。

 

「キミたち、ちょっと待ってくれないか」

 

――突然、カエル先生のそんな声が耳に入り、俺は手を止めて何事かと遺体の方へと視線を向けた。

そこには遺体の体を少し持ち上げたまま固まる救急隊員たちと、()()()()()()()()()()()()()()()()()何故か覗き込んでいるカエル先生の姿があった。

 

「どうしたんすか、カエル先生?」

 

声をかけた俺に、カエル先生は遺体の下に隠れていた床を見つめながら口を開く。

 

「伊達刑事、僕とした事が一つ見落としをしていたようだ。灯台下暗し。……見て見たまえ」

 

そう言ってカエル先生は同じように床を見るように俺に促す。

言われるがまま俺は先生と一緒に遺体の下の床を覗き込んだ。

 

「っ!……こりゃあ……!」

 

()()を見た俺は思わず目を見開いて声を漏らす。

議員の遺体の下の床はシャンデリアに押し潰されたために体からあふれ出た血が広がっていたが、それでも血が届いていない箇所がいくつかあった。

そしてその個所に、議員の体から出来た陰影で僅かにだが()()()()()()()()()()()()()があったのだ。

 

「キミたち、少し遺体を動かしてもらえるかい?」

 

カエル先生の指示で救急隊員たちは遺体を少しずらす。すると床で僅かに光っていた部分が議員の体の影から部屋の明かりの下にさらされると、途端にその光が奇麗さっぱりに消えてしまった。

 

「消えた……!」

「恐らく、蛍光塗料だね。それが議員の下の床に塗られていたんだ」

 

驚く俺に対して、カエル先生が淡々とそう説明していく。

 

「……その蛍光塗料を犯人があらかじめこの位置に塗って置いて、吞口議員にも前もって『会場が暗くなったら蛍光塗料の光る位置に立て』と伝えてあったんじゃないのかねぇ?……何故議員が犯人のその指示に従ったのかは分からないけど」

 

カエル先生の説明を聞きながら、俺もまた思考の海の中に意識を潜らせていた。

 

(……被害者をこの位置に立たせた方法は今言ったカエル先生の推測で間違いねぇだろう。……だが、まだシャンデリアを落とした方法が分からねぇ。シャンデリアをタイミングよく落とすには何かしらの仕掛けがねぇと無理だが……それらしきモンは何処にも無かった。犯人は一体どうやって――)

 

そこまで考えた俺はハッとなる。

 

(待てよ?……確かシャンデリアが落ちる直前、『何か』が()()()()()()()()が……それに、床に付けられた『蛍光塗料』――)

 

俺の中で一つの推測がパズルのように次々と組みあがっていく。

そうして、一つの仮説が俺の中で完成されると、途端に俺はその場から急ぎ動き出していた。

 

「!……伊達刑事、どうしたんだい?」

 

背中にカエル先生がそう声をかけて来るも、俺はそれに構わずはやる気持ちを抑えながら近くで周囲を調べていた鑑識の一人の声をかけていた。

 

「突然で悪ぃがよ。()()()()()()()()()()()()()()()()、もう一回見せてくれねぇか!?」

「わ、分かりました!」

 

俺の切羽詰まったような声に押されてか、その鑑識官は面食らいながらそう頷くとハンカチを取りに走り出した。

目暮警部たちが会場を後にする前、俺は鑑識官の一人に例の紫のハンカチを渡していたのだ。

彼らが調べ終えるまで待つつもりだったが、どうやらそうも言ってられんようだ。

まだ証拠物件を警視庁に送られる前だったらしく、直ぐに持ってこられるみたいで少しホッとする。

 

「持ってきました!」

「ありがとよ!」

 

鑑識官が持って来たビニールに包まれた紫のハンカチ。俺はそれを受け取りまじまじと見る。

すると、今まで気づかなかったがそこには小さな焦げ跡が一つついていた。

俺はビニールの封を開けるとその焦げ跡部分に鼻を近づけ、嗅いでみる。

 

(……やっぱり。微かにだが、()()()()()が残ってやがる。……焦げ跡に硝煙の臭い。……となると!)

 

俺は鑑識に紫のハンカチを返すと、今度は議員に落とされたシャンデリアの所へと向かう。

シャンデリアは会場の隅に移動されており、その大きさからすぐに見つけることが出来た。

そのシャンデリアの前にやって来た俺は、しゃがんでそれを吊り下げていた鎖の部分を手に取る。もちろん手袋をちゃんとはめて。

 

(頼むからまだ()()が残っていてくれよぉ)

 

そう願いながら俺は鎖の端っこ――千切れた部分に掌を添えて、その部分に影を作ってみた。

すると本当に、本当に僅かだが鎖の切断面辺りがぼんやりと薄緑色に光を帯び始めた。

それを見た俺は勝ち誇ったかのようにニヤリと笑う。

 

(……やっぱり、思った通りだ!……しかし犯人も随分と()()な奴だなぁ。暗闇の中とは言え、大衆ひしめく会場内で()()()()()()()をしやがる……!)

 

そう思いながら立ち上がった俺は、更に思考を重ねる。

 

(……だがこれで、あの七人の容疑者たちのうち――犯人の可能性がある奴を()()()()()()()()()()()()()()()。……後はその三人の中から例のハンカチを持っていない奴がでれば、そいつが犯人の可能性が高い……!)

 

俺は携帯を取り出すと、目暮警部へと電話をかけた。事情聴取中だと出てくれない恐れがあったが、直ぐに警部は出てくれた。

 

『もしもし、伊達か?何の用だね?』

「忙しい中すみません目暮警部。……例の七人の容疑者は見つかりましたか?」

『ああ。もう全員身柄を確保して、今は事情聴取の真っ最中だ』

「……単刀直入にお聞きします。その七人の中に例のハンカチを持っていない奴はいましたか?」

『…………ああ、その事なんだがね――』

 

俺の質問に何故か言いづらそうに口ごもる警部だったが、やがて事実だけを淡々と俺に語って見せた――。

 

 

 

 

 

 

『――あの七人全員に持ち物検査をしたが……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

「なっ……!?」

 

目暮警部のその知らせに俺は絶句する。

パニックになりかけた頭を何とか落ち着かせ考える。

 

(……どういう事だ?俺の推理は間違っていたってのか?いや、そんなはずは……。!……ちょっと待て。()()()()()()()()って事は……!!)

 

俺は更に目暮警部に質問を投げかける。

 

「警部。()()()()()()()()()()()()()()()()()()とかはいなかったんですか!?」

『あー?……いや、これと言って()()()()()()()が』

(どういうこった!?)

 

予想に反する目暮警部の言葉の連続に、俺は手に持つ携帯を握り潰したい衝動に駆られた。

俺の考えが正しけりゃあ、()()()()()()()()()()()()

そこでふと、俺の頭の中で一つの記憶が思い出される。

 

(……待てよ?まさか犯人の奴、会場の客たちが解放された時、直ぐにこのホテルのどっかに()()を隠したんじゃないか?……だとすると、ハンカチの方は……まさか!?)

 

容疑者全員が紫のハンカチを持っている事実――その理由が一つの仮説となって俺の中で再現された時。俺は再び動き出していた。

 

向かう先は――人ごみで坊主どもを見失った、あの受付だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

会場を出た俺は、出入り口のすぐそばで後片付けをしている受付の女性にすぐさま声をかけた。

 

「ちょっと、いいか!?」

「?……ああ、先程の刑事さん。いかがしましたか?」

 

その女性はさっき名簿を見せてくれた人だった。俺はその人に歩み寄るとすぐに用件を伝える。

 

「悪いんだが、客たちに渡したっていう紫のハンカチ……()()()()()()()()()()()()()?」

「ハンカチの在庫……でございますか?それならあの段ボールの箱の中に……」

 

小首をかしげながらも女性は俺の質問に答えながら、机の横にある大きめの段ボール箱へと視線を向けた。

 

「……重ねて悪いが、あの中にある紫のハンカチの枚数をちょっと確認してほしいんだ」

「?……かしこまりました」

 

俺の意図が分からないようで更に首をかしげながらも、女性は俺の言われた通りに紫のハンカチの在庫をチェックし始めた。すると――。

 

「……あれ?どうして……?」

「どうした?」

 

怪訝な表情で段ボール箱の中を見つめてそう呟く女性に俺は声をかけた。

それに女性はすぐに答える。

 

 

 

 

 

 

「それが……紫のハンカチの枚数が()()()()()()のです。……さっきチェックした時は確かにありましたのに」

 

 

 

 

 

(チックショウ!やっぱりか……!!)

 

女性のその言葉に俺は内心強く悪態をつく。

それを直接口に出したい気持ちを必死で抑えつつ、俺は更に女性に質問を重ねた。

 

「なぁ、その『さっきチェックした時』ってぇのは具体的にはいつだ?」

「確か……()()()()()()()()()()()()()()()()()()……」

 

()()()()()女性の返答に、俺は怒りを通り越して頭を抱えたくなった。

そして、それと同時に俺の中で推測に過ぎなかった『仮説』が『事実』へと変わる――。

 

(犯人の奴……!客たちが一斉に会場から出てきたあの時――)

 

 

 

 

 

 

 

 

(――どさくさに紛れて()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……!!)




最近、仕事が忙しく少し遅くなりましたがどうにか最新話投稿です。

次回は早めに投稿できるよう頑張ります。


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カルテ22:枡山憲三(ピスコ)【6】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。


SIDE:伊達航

 

 

 

 

(くそっ、思ったよりも狡猾だな!)

 

受付の女性に礼を行った後、俺はホテルの廊下で内心悪態をついていた。

まさか犯人の奴、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()てぇのか?

あの暗闇の中、()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……。

だとしたら何とも用心深く、かつ頭の回る犯人なのだろうか。普通、そこまで気が回るものではない。

現に紫のハンカチなど、工藤新一や俺が怪しまなければただの落とし物として警察から見過ごされていた可能性だってある。

それでもわざわざ怪しまれないように受付からくすねる辺り、証拠という証拠を一切残さないように徹底している様子が見受けられる。

 

(……さてどうする?ハンカチで犯人を割り出せない以上、別の方法で見つけるっきゃねぇ。……恐らくまだあの会場の天井、もしくは現場の周囲を徹底的に調べれば……間違いなく()は発見できるだろうが……それから分かるのはせいぜい()()()()()()()()()()()()()()()犯人の特定にはつながらないだろう。犯人もそれを理解した上で()()()()()()を実行したはずだしな。たぶん、()()()()()を辿るのは困難なはずだ……)

 

そこまで考えた俺はチッと舌打ちをする。

 

(手詰まりか……。せめてあの坊主どもにもう一度会えさえすりゃあ、また新たな手掛かりを得られるかもしれねぇが……。クソッ!あン時、客と報道陣どもの波に飲まれなけりゃあアイツらを見失わずに済――ん?)

 

思考を巡らせていた俺はそこでふと何かに引っ掛かかる。

 

(待てよ……()()()?……確かシャンデリアが落ちる直前、()()()()()()()()()()()()()よな……?あの会場には著名人の客たちの他に何人かの報道関係者も混ざってたはずだ。……もし、その中の一人が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……それに何か写ってるかもしれねぇ!)

 

そう思った俺は急ぎ会場内に戻る。

すると、いつの間にかカエル先生の姿や議員の遺体、救急隊員たちの姿が無い事に気が付いた。

どうやら俺があちこち動き回っている間に、カエル先生は役目を終えて早々に引き上げて行ってしまったようだ。

俺が受付に向かう際にはまだいたはずだから、受付の女性にハンカチの事を調べてもらっている間にカエル先生は遺体を運ぶ救急隊員たちと一緒に出入り口から出て行ったのだろう。気が付かなかった。

後から聞いた話だが、俺が目暮警部に許可をもらうと言っていた搬送の件も、カエル先生が直接目暮警部に電話して許可をもらい、遺体を搬送したのだという。

 

(半端な事をしちまったなぁ。いつかカエル先生にはこの埋め合わせを必ずしねぇと……)

 

ばつが悪く感じながら俺はそこにいる刑事たちを速やかに全員呼び集めた。

何事かと怪訝な表情を浮かべながらやって来る刑事たちに俺は単刀直入に聞いてみる。

 

「シャンデリアが落ちる直前、近くでカメラのフラッシュがたかれたんだが……そん時、こン中でそれをやった奴を見たって者はいないか!?」

「あ、それなら俺が見ました」

 

幸運にも俺の問いかけに答えてくれた奴がすぐに見つかった。

手を上げてそばにいたと主張する一人の刑事に俺は詰め寄る。

 

「そいつは一体どんな奴だった!?」

「報道関係者のカメラマンでした。……でもその時は議員を探すのに集中しててあまり気にも留めませんでしたが……」

「そいつが何を撮ってたかは分からないか?」

「分かりません。何せ暗かったですし……でも、あの時公開されていた秘蔵フィルムを撮ってたわけではないのは確かです。だって()()()()()()()()()()()()()()()()()……」

 

その刑事の主張に俺は目を見開く。

 

(なら……そのカメラマンは一体何を撮ってたんだ?)

 

頭の中で疑問が浮かぶも、その刑事が次に放った一言でその疑問は一時的に俺の頭の隅に追いやられた。

 

「……あの、そのカメラマンの事が知りたいようでしたら、俺その人がどこに所属しているのか分かりますけど」

「本当か!?」

 

それは願っても無い朗報だった。

あの暗闇の中だ。カメラマンという事までは分かったかもしれないがそいつがどこの所属のマスコミなのかは分からないだろうから半ば諦めてはいたのだ。

先程よりも更に詰め寄って来た俺に、その刑事は顔を引きつらせながら答える。

 

「か、カメラのフラッシュが光った時、一瞬見えたんです。……カメラマンの()()()()()()()()()。そこに所属社名が記されてましたから調べればすぐに分かるかと」

「でかした!!」

 

ツキが回って来たかのような高揚感に俺は目の前の刑事を抱きしめたい衝動にかられる。……いや、そんな気分になっただけで実際は絶対にしないが。

とにかく、これで事件解決の道が開けた。

俺はその刑事からカメラマンの所属を聞き出すと、すぐさま次の行動に出ていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

 

 

「……それはまた……かなりまずい状況じゃないか」

 

カエル先生から吞口議員の遺体の下――床に塗られていた蛍光塗料の事を聞き、その直後に車の中に灰原がいない事に気がついたカエル先生に今の灰原の現状を知らせたのがついさっきだった。

深刻な顔でそう呟くカエル先生に俺は小さく頷く。

 

「ああ。だから灰原にその部屋にあった白乾児(パイカル)を飲ませたんだけど……おい、灰原聞こえるか?」

 

そう言いながら俺はマイクで灰原に呼び掛ける。

あの酒を見つけたと報告してきてから少し経つが、ちゃんと飲んだんだろうか?

俺がそんな事を考えていると、スピーカーの向こうで灰原が予想外な質問をかけてきた。

 

『ねぇ、エルキュール・ポアロのつづりって分かる?』

「はぁ?……おい、何やってんだ?ちゃんと白乾児(パイカル)飲んだのか?」

『……ええ、もちろん飲んだわよ。……おかげで元々体調不良だったのがますます悪化したわ。……()()()()大人サイズでぶかぶかだから、動きにくいったらないわ』

「は?つなぎ?」

 

怪訝な声を上げる俺に少し具合が悪そうな口調で灰原が答える。

 

『……さっき言ったでしょ?清掃員のつなぎがあるって。あれに着替えたのよ、お酒を飲む前に』

「え?何で?」

 

そう問いかけた俺に心底呆れた声で灰原が言う。

 

『……あのねぇ、当たり前でしょ?子供服のまま元の体に戻ったら服が破けちゃうし、私がこの部屋から逃げた後に奴らが来て、もし私が回収しきれなかった子供服の切れ端とか見つけられでもしたら怪しまれちゃうじゃない。……それとも何?服が破れて素っ裸になった私に期待でもしたの?』

「ば、バーロー!ンなわけねぇだろ!!」

 

慌てて即座に否定したが、通信機の向こうで灰原がジト目で睨んでくるのが目に浮かぶようだ。

 

『エッチ。……それよりも早く教えてよ、ポアロのつづり』

「……(エイチ)(イー)(アール)(シー)(ユー)(エル)(イー)(ピー)(オー)(アイ)(アール)(オー)(ティー)だけど。……こんなこと聞いて何するんだよ?」

『……組織のコンピューターから、あの薬のデータを博士のMOに落とそうと思ったんだけど……パスワードに引っ掛かって……』

 

そう言いながらカタカタと灰原がキーボードを押す音が通信機の向こうで響くも、その直後に灰原の落胆した声が耳をうった。

 

『……駄目だわ、ポアロでも開かない』

「なあ、パスワードが『ポアロ』ってどういう事だ?」

 

首をかしげる俺に灰原が淡々と説明をしだした。

 

『……試作段階のあの薬を組織の人間がたまにこう呼んでいたのよ。……シリアルナンバーの【4869】をもじって【4869(シャーロック)】――()()()()()()()()()ってね……。だから思いついた名探偵の名前を手当たり次第にいれてるんだけど……そんなに簡単にはいかないようね……』

 

ため息交じりにそう呟く灰原の声を聴きながら俺は思考する。出来損ないの名探偵、ねぇ。

 

「シェリングフォード」

『え?』

 

唐突に俺が言ったその人名に、灰原は面食らったような声を漏らすも、俺はそれに構わず言葉を続けた。

 

「つづりは――(エス)(エイチ)(イー)(エル)(エル)(アイ)(エヌ)(ジー)(エフ)(オー)(アール)(ディー)

『……?そんな探偵いた?』

「いいから、いれてみろ」

 

俺にそう促され、灰原は言われるがままにカタカタとパスワードを打ち込んでいく。すると、直後に灰原が息を呑むのが分かった。

 

『開いた……!どうして……?』

 

戸惑う灰原に俺はニヤリと笑いながら口を開いた。

 

「シェリングフォードっていうのは……コナン・ドイルが自分の小説の探偵を『シャーロック』と名付ける前に()()()()()()()。つまり……『試作段階の名探偵』」

『へぇ……組織にしては洒落てるじゃない』

 

そう言いながらも、灰原はキーボードを操作し続ける。どうやら薬のデータをMOに落とし込み始めたみたいだ。

 

「……それより、そろそろ時間もヤバい。……お前、体は何ともねぇのか?」

『何とも無いわけないでしょう?……さっきから体の調子がはっきりと分かるくらいにおかしくなってきてるもの……』

「どうやら、そろそろみたいだな」

 

俺がそう呟いた。その次の瞬間だった。

 

「!!……し、新一!前……!!」

 

切羽詰まった阿笠博士の声に、俺は何事かと顔を上げ――大きく息を呑んでいた。

博士のビートル前方――十数メートル先に、いつの間にか黒い車が停車していたのだ。

それはとても見覚えのある車だった。見間違えるわけもない。何せ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

――そう、それは『黒のポルシェ/356A』。

 

 

 

 

 

 

 

 

――黒ずくめの男……ジンの車であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

カチャリと、車のドアが開き、中から長髪に黒ずくめの服を纏った男――ジンが車から下りてくる。そしておもむろに杯戸シティホテルを静かに見上げ始めた。

 

「ヒッ!」

 

ジンの姿を視認するや否や、明美さんが博士の座る運転席のシートの影に隠れながらカタカタと震えて小さな悲鳴を上げる。

無理もない。彼女は一度、ジンに殺されかかっている。

そんな男と遠目からとは言え再会したのだから落ち着いてはいられないだろう。

 

「…………」

 

そしてその明美さんの隣で、カエル先生も黙ったまま険しい目つきで俺の座る助手席のシートの影からこっそりとジンの姿を覗き見ていた。

黒ずくめの男たちの登場に車内に緊張が走る。

 

「や、奴らじゃ!まさか、ピスコとやらと……!」

 

ゴクリと唾を飲み込んでそう呟く博士に俺は否定する。

 

「いや、それは無い!あの七人を解放する前に警部からこっちに電話が来るはずだから……!」

 

俺がそう言った直後、ポルシェからもう一人の黒ずくめの男――ウォッカも出てきた。

ウォッカはホテルを見上げるジンに歩み寄ると、両手に抱えてた『何か』をジンに見せながら会話を交わし始める。

俺は目を凝らしながらウォッカの手に持った物が何なのか見つめる。どうやら小型のノートパソコンのようだが……。

それの正体に気づいた直後、俺はハッとなった。

 

「ま、まさか!今、灰原が使っているパソコンに()()()()()()()()()()んじゃ……!?」

「そうか……!何度電話をかけても繋がらんから、その発信機を頼りに……!」

 

俺の言葉に得心がいったとばかりに博士がそう呟く。

 

「し、志保!」

「駄目だ明美君。今出て行ったら彼らに見つかってしまう……!」

 

後部座席では灰原の身を案じて慌てて車外に出ようとする明美さんをカエル先生が何とか押しとどめていた。

状況は最悪。もはや一刻の猶予も無い。

 

「おい、灰原やべえぞ!奴らが来る!!とりあえず、暖炉の中にでも――」

 

慌てて通信機を使って灰原にそう叫ぶも、その言葉が途中で止まる。

イヤホンの向こうから、灰原の激しく乱れた呼吸音が響いて来たからだ。

 

『ハア……ハア、ハア、ハアッ……!!』

「おい、どうした!?オイッ!!」

『あぁっ、う゛ぐぅっ……!!あ゛ぁっ……!?』

 

灰原の苦しむ声に()()()()()事を察した俺は、すぐさまイヤリング型携帯電話と蝶ネクタイ型変声機を使って工藤新一の声で目暮警部に連絡を取る。

 

「警部、工藤です……!!――」

 

その間にも、イヤホンから灰原のもがき苦しむような声が俺の耳に流れて来る。そして――。

 

『あ゛っ……ぐぅっ……!はっ、ぁっ……あ、ああああああああああーーーーーーーっ!!!!』

 

――ひときわ大きな灰原の叫び声が通信機の向こうから轟き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:伊達航

 

 

 

シャンデリアが落ちる直前、あの会場内で写真を撮ったと思しきカメラマンを特定する事に成功した俺は、そのカメラマンの所属する会社にすぐさま電話をかけた。

すると、電話を取ってくれたその会社の人間から、例のカメラマンはまだこの杯戸シティホテル内にいる事を教えてくれた。

どうやら今もこのホテルに居続け、取材を続けているらしい。

帰っていなくてよかったと、俺はホッと胸をなでおろした。

そしてそのカメラマンは、今はこのホテルのロビーにいる事を聞いた俺は、すぐさまそこへと向かった。

事件発生から時間が経つものの、未だに客や報道陣らが行き交うロビー内。

俺はすぐさま目当てのカメラマンを探し始めた。

キョロキョロと人ごみを見まわしながらその中を隙間を縫うようにして進む――。

 

 

 

 

 

 

――ドン。

 

 

 

 

 

ふいに、肩に軽く衝撃が走った。すぐに誰かとぶつかったらしいと気づいた俺は、振り返りながら謝罪しようとし――。

 

「――!?」

 

――()()()を見た瞬間、言葉を詰まらせた。

俺がぶつかった相手は、()()()()()()()()()()()()()だった。

真っ黒いコートに真っ黒い帽子をかぶった黒一色の男。しかし、俺が言葉を詰まらせたのはその男の服装を見たからでは無かった。

帽子の下――長髪の隙間から除く男の眼光。

()()()()を奥底に宿したその両目に――俺は射すくめられてしまっていたのだ。

 

(……な、何だ?この男の目……!)

 

本当に人の眼か?と一瞬疑いを覚えるほど、男の眼は異常だった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と主張するような得体のしれない迫力をそこに感じたのだ。

 

「……何か、御用ですかい?」

 

内心戦慄していると、不意に声がかけられた。

見るとその長髪の男の背後に、もう一人男が立っていた。長髪の男と似たような服装をしている。()()()()()()()、そして()()()()()()()()()()()()()()()()()()()俺にそう尋ねてきた。

 

「あ……いや、何でもありません。……失礼しました」

 

ハッと我に返った俺は何とかそれだけを絞り出すように言葉にすると、軽く頭を下げて見せる。

 

「こっちも先を急いでるんで。それじゃ」

 

サングラスの男もそう言って頭を下げると、長髪の男と共にその場をそそくさと歩き去って行く。

 

「…………」

 

俺は二人のその後姿を少しの間ジッと見つめた。

今夜このホテルでは『酒巻監督を偲ぶ会』とやらが開かれ、客たちが全員黒服姿で参加していた。それ故、黒ずくめのあの二人もその会の出席者という可能性も無きにしも非ずだった。

しかし、それを差し引いたとしても二人の纏う空気は明らかに異様であった。

俺の長年の刑事としての勘が告げる。あの二人は明らかに()()()の人間じゃない。

 

恐らく――いや、まず間違いなく、社会の裏側……世界の闇に潜む者たちだ。

 

そんな事を考えていると、突然俺の懐に入れていた携帯が鳴りだした。

慌てて出るとそれは目暮警部からだった。フゥと小さくため息を吐いた俺は目暮警部からの電話に応対する。

 

「どうしました目暮警部?………………え?――」

 

 

 

 

 

 

「――()()()()……?」

 

 

 

 

 

一瞬にして脳裏に先程の二人がフラッシュバックし、反射的に彼らが歩き去った方へ勢い良く振り返る。

しかし、既にそこにはあの黒服の二人組の姿は影も形も見当たらなかった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:三人称視点。(黒の組織)

 

 

 

ホテルの廊下を()()()()()へと急ぎ足で歩きながら、ウォッカは前を歩くジンに向けて声をかけた。

 

「……アニキ。さっきの奴、もしかして『例の刑事(デカ)』じゃねぇですかい?」

 

ウォッカのその問いかけに、ジンは冷徹な眼光を前方に向けたまま即座に答えていた――。

 

「ああ。……間違いねぇ――」

 

 

 

 

 

「――()()()……あのふざけたカエル(づら)の――実験動物(モルモット)になってる野郎だ」




最新話投稿です。

前回、『早めに投稿できるよう頑張る』と書いておきながら、気づけばまた一週間近くたってました。

……すみませんorz


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カルテ22:枡山憲三(ピスコ)【7】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。

次回の展開がまだちゃんと定まってはいないので、投稿が少し遅れるかもしれません。


SIDE:伊達航

 

 

 

 

『伊達か?すまないが先程、工藤君から連絡があってな。黒い服を着た見るからに怪しい男たちを見たら、直ぐに確保してほしいとの事だ。……理由は分からん。だが、工藤君の事だからこの事件に深く関係している事だけは確かだ』

 

目暮警部からそんな連絡を貰ってすぐ、俺はさっきの黒ずくめの男たちを探してロビーを闇雲に探し回っていた。

しかしどこを探しても奴らの姿は視界の端にすら映らなかった。どうやら既にこのロビーにはいないようだ。

 

(クソッ、クソッ!あの坊主どもと言い、さっきの黒ずくめの二人と言い、今日は重要参考人を取り逃してばっかじゃねぇか!)

 

内心、悪態をつきながら俺はその場で地団駄を踏んだ。

 

……何かが、何かが起こっている。この事件の裏で得体の知れない何かが。

 

警察に届けられた殺人予告の匿名の電話。そして突然現れた高校生探偵の登場。そしてあの坊主と黒ずくめの男たち。

それらがこの事件がただの殺人事件では無い事を如実に表していた。

 

――そして、この得体の知れなさは()()()()感じた事があった。

 

それは少し前に起こった四菱銀行の10億円の強奪とその犯人グループの者たちが次々と殺されたあの事件だ。

あの時の犯人グループの一人だとされている広田雅美だけは未だに行方が分かっていない。

事件自体も、未だに多くの謎が残されており、その得体の知れなさが今回の議員暗殺事件と酷似している様に思えてならなかった。

事件の背後に(うごめ)く『何か』。それを考える度に俺の背中を悪寒が走り抜ける。

 

(クッソ……一体、何が起こってやが――!)

 

ふと、俺の視界に()()()()()姿()が映り込み、思考が一旦停止する。

それは俺が探していた目的の人物だった。

だがそれは眼鏡の坊主でもさっきの黒ずくめの男たちでもない。

俺が本来、このホテルのロビーにやって来た目的の人物――。

 

 

――あの暗闇の会場内で、フラッシュをたいて写真を撮ったと思しき犯人(カメラマン)がそこにいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:三人称視点(黒の組織)

 

 

 

灰原が監禁されている酒蔵の扉が勢い良く開かれ、そこから黒ずくめの男たち――ジンとウォッカが現れた。

()()()()()()()()()()。多くの酒が収められた大きな棚がいくつも並び、ジンたちのいる出入り口の真向かいには白く大きな暖炉。そして暖炉と出入り口に挟まれる形で一人用の小さな木製の机と椅子が置かれ、その上にはノートパソコンと横倒しになった『白乾児(パイカル)』と書かれた酒瓶が転がっていた。

酒瓶にはまだ多くの酒が残っており、横倒しとなった瞬間に瓶からこぼれた分が机の下で水たまりを作っていた。

ジンの背後から歩み出たウォッカは、取り出したサプレッサー付きの拳銃を構えながら酒蔵をウロチョロと動き回り、誰もいない事を確認する。

 

「……居ませんぜ、ピスコの奴」

 

拳銃をしまいながらウォッカは同じく部屋を見回っているジンにそう声をかけた。

 

「30分後に落ち合う段取りが、音沙汰無ぇし。……発信機を頼りに来てみりゃあ、パソコンはあるものの奴の姿は何処にも無ぇ」

 

続けてそう言ったウォッカは、「一体、何処に消えちまったんだか」と付け加えて机の上に倒れていた白乾児の酒瓶を手に取り、軽く振って見せる。

チャプチャプと中の酒が揺れて音を出すのを耳にしながら、ウォッカは部屋を見渡した。

 

「大体何なんですかい?この酒蔵」

 

そう呟くウォッカにジンはそれに答えて見せる。

 

「……恐らくピスコが、念のために確保しておいた部屋だ。……会場での殺しが失敗した場合、何処かで()った後、ここへ運び込むつもりだったんだろうよ。――!」

 

ウォッカにそう言った直後、ジンが何かに反応して背後へと振り返る。そこには暖炉があるだけで何もなかった。

だがそれでも、ジンは何かを見透かすように目を細めてその暖炉を凝視する。

そんなジンの様子に気づいていないウォッカは、ため息をつきながらジンへと声をかけた。

 

「とにかく早くずらかった方が良さそうですぜ?アニキ」

「……フッ、そうだな」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()ジンはそう言って、ウォッカと共にその酒蔵をひっそりと後にした――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:灰原哀

 

 

 

 

「ハア……ハア……ハア……!」

『おい、奴ら行っちまったか?』

 

暗闇の中、荒く乱れた呼吸を整えている私に、通信機越しに工藤君がそう問いかけてきた。

私はそれに「ええ」と短く答えて見せる。

()()()()()()()。私は今そこにいた。

白乾児の成分作用によって一時的に元の姿に戻った私は、先程まで来ていた子供服と、『アポトキシン4869』のデータを落としたMOをつなぎの中に入れて、真上に伸びる煙突の中を四肢で体を支えながら、こうしてえっちらおっちらと登り続けていたのだ。

何とかジンとウォッカ(奴ら)の目をかいくぐることが出来た。だけど猛烈にしんどい。

根っからの研究者で年中研究室に籠りっきりだったのもあって元々運動不足だったのに加えて、風邪と元の姿に戻った反動による体調不良も合わさって体にかかる負担がかなり最悪だった。

正直に言って、今すぐ意識を手放して楽になりたい。

だがそれを気力で何とか繋ぎ止めながら、ゆっくりとしたペースで煙突を登っていく。

普段ならそれほど長くないと感じるであろう煙突の出口が、今は果てしなく遠くに見える。

 

「フフッ……まるで、井戸から這い上がるコーデリアね。……気が遠くなりそうよ」

(わり)ぃな。今のお前の体調は分かってるが、出来るだけ急いでくれ。酒の効果は一時的だからな。……子供の姿に戻っちまう前に、煙突の先から脱出するんだ』

「……分かったわ」

 

そう答えた私は出口に向けて煙突を上へとゆっくりと進んで行った。

そうして、ある程度進んだ所で私は事件の現状が気になり、工藤君に通信機で尋ねてみた。

 

「所で……分かったの?……ピスコが、誰なのか……」

『……いや、まだだ。情報が足りねぇんだ』

 

工藤君がそう答えた直後、通信機越しに阿笠博士の声が割り込んできた。

 

『おっ!……見ろ新一、ネットに出とる明日の新聞の朝刊を!』

『?……それならさっき見たけど別に――』

『いや、見るのは()()()じゃ』

『――え?』

 

どうやら、阿笠博士が何かを掴んだらしい。そこまで聞こえた直後、工藤君との通信が唐突に切れる事となった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:伊達航

 

 

 

 

「警察だ。……あんただな?吞口議員が亡くなる直前、写真を撮ってたカメラマンってぇのは?」

 

同じ社名を入れた腕章をつけた数名の報道陣。その中の両手にカメラを抱えて持っている男に俺は声をかけていた。

眼鏡の坊主や黒ずくめ共の行方も気になっていたが、目の前の手がかりをみすみす見逃すわけにはいかない。

唐突に現れた俺にカメラマンは目を見開くも、俺は構わず単刀直入に問いかけた。

 

「吞口議員が亡くなる時、あんたがそこで何を撮ってたのか聞きてぇんだ」

「な、何って……俺はただ()()()()を撮ってただけですよ。……少し前から()()()()()()()()()が密かに恋愛関係になってるって情報があったんで、その決定的瞬間をあの会場で撮ってたんです」

「とある有名人の男女?」

 

オウム返しにそう尋ねる俺にカメラマンは直ぐに頷く。

 

「ええ……。その二人も、このホテルで開かれる『酒巻監督を偲ぶ会』に参加するって聞いて、もしかしたら尻尾を掴めるんじゃないかと思ってやって来たらドンピシャだったわけで……。まぁ、その直後にあの議員が死ぬことになるとは思いもしませんでしたが」

 

カメラマンの話を聞きながら、俺は「ふむ……」と唸る。そしてふと、カメラマンがその時撮ったという写真が気になり、俺はカメラマンにさらに尋ねてみた。

 

「なぁ、その時撮ったっていう写真、まだ持ってるか?良けりゃあ、俺にも見せてほしいんだが……」

 

俺のその要望にカメラマンは最初こそ「ええ……」という顔を浮かべて渋ってはいたが、横からカメラマンの仲間らしき新聞記者が口を挟んできた。

 

「いいんじゃないか?とっくに会社にはデータ送ってるし、ネットの新聞の朝刊にも既に載ってんだしさ」

「……それもそっか。じゃあ刑事さん、ちょっと待ってくださいね。今、用意しますんで」

「おお、助かる!」

 

新聞記者に説得され、カメラマンはそう言って頷くと直ぐに肩から下げているカバンからノートパソコンを取り出し、それを開いてカタカタとキーボードをたたき始めた。

俺はカメラマンに感謝を述べた後、ジッとカメラマンの手元を見て今か今かと待ち構える。

そしてそれからすぐにカメラマンは目的の写真をパソコンの画面に映し出すと、俺に見えるようにパソコンの角度を変えた。

 

「ほら、開きましたよ。これです」

「どれどれ……」

 

カメラマンに促されて俺は画面をのぞき込む。すると――。

 

(!?……こ、こいつは……!?)

 

――そこには、予想だにしていなかった文字通りの()()()()()が写り込んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

 

 

 

「……会場にいたカメラマンが、シャンデリアが落ちる直前に撮ったそうじゃ。……これ、例の七人の中の二人じゃろ?」

 

阿笠博士の話を耳にしながら、俺はパソコンに映る朝刊の写真を凝視していた。

後ろでもカエル先生と明美さんが俺の背後から覗き込むようにして画面を見ている。

そこにはあの会場の暗闇の中――()()()()()()()()が周囲の人眼を盗んで抱き合う姿がはっきりと映り込んでいたのだ。

 

 

そしてその二人とは――音楽プロデューサーの樽見直哉さんと女流作家の南条実果さんだった。

 

 

暗闇の中――お互いを抱きしめあい、見つめ合う姿はそうとうに深い仲だという事がうかがい知れる。

俺はその写真をしばしの間ジッと見つめる。すると――。

 

「……!!」

 

――その写真の中に、()()()()()()()が映り込んでいる事に俺は気づいてしまった。

 

(こいつは……!いや、待てよ?だとしたら……あの紫のハンカチについていた()()()()、そして、()()()は……!)

 

俺はポケットからハンカチに包まれた例のシャンデリアの鎖の破片を急ぎ取り出すと、その切断面に掌で影を作って覆ってみる。――すると、その切断面の付近が僅かに薄緑色に光りだした。

 

(!……間違いない。これは恐らく、カエル先生が見つけた議員の遺体の下にあったものと同じ、()()()()……!)

 

それを見て俺は思わずほくそ笑む。

 

(なるほど……そういう事か……!)

 

これで、全ての謎が解けた。ピスコの正体も。奴がどうやって吞口議員を殺害したのかも。そして――。

 

 

 

 

――それをやったという申し開きもできねぇ、()()()()()()……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:伊達航

 

 

 

 

この写真のおかげで()()()()()()()。俺はカメラマンに証拠となるその写真を警察に提出するよう一方的にそれだけ伝えると、直ぐに携帯を取り出し目暮警部に連絡する。

 

「もしもし、警部!実は犯人の事について分かったことが――え?」

 

だが、俺の言葉が()()()()()()、目暮警部の声が俺の鼓膜を激しく打つ。その瞬間、電話越しに聞こえる目暮警部の言葉に俺は目を見開き、驚愕を露にせずにはいられなかった――。

 

 

 

 

 

 

「――何ですって!?()()()()()()()()()()()!??」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

 

 

「どうして解放してしまったんです!?その前にこちらに連絡するように言ったはずですよ!?」

『す、すまない工藤君!本人が「ここに留めておく理由がないのなら、さっさと失礼させてもらう」と言って聞かなくて、半ば無理矢理に……!』

 

半ば叫ぶようにしてそう言う俺に、警部はその迫力に押されて委縮気味にそう答え返した。

犯人が分かり、すぐさま変声機で声を変えて目暮警部に連絡した俺に待っていたのは、「つい今し方、犯人を解放してしまった」という警部からの信じがたい知らせであった。

頭を抱えたくなる衝動に駆られるも、俺はすぐさま警部に次の指示を飛ばす。

 

「とにかく直ぐにでもホテルの出入り口を固めて犯人を逃さないようにしてください!解放したばかりなら、まだホテル内にいるはずですから!他の刑事たちにも直ぐに犯人の情報を回してください!」

 

そう叫んで一方的に目暮警部との電話を切ると俺は「くそっ!!」と悪態を一つ付き、通信機を放り出して助手席のドアを開け、雪の降る車の外へと飛び出した。もはや一刻の猶予も無い。

 

「お、おい、どうしたんじゃ新一!?」

「工藤君!?」

 

突然車外に飛び出した俺に驚きながら、博士と明美さんが俺に声をかけて来る。

カエル先生は声こそ挙げなかったが、やはり俺が突然外に出た事で目を丸くしていた。

 

「博士!通信機で灰原に『直ぐに迎えに行くから、大人しくそこで待ってろ』って伝えといてくれ!灰原は俺が必ず連れて帰って来るから!!」

「あ、ちょっ……!」

 

そう一方的にそれだけ言い残すと、俺は明美さんが止めるのも聞かずに全速力でホテルへと駆け出していた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:灰原哀

 

 

 

煙突の出口についている雨よけの笠を外し、私は這うようにして煙突の外へと出ていた。

そこは杯戸シティホテルの屋上のようであった。

今もなお降る雪が辺り一面を薄っすらと白に染めている。

 

「……で、出たわよ」

 

四つん這いになってその場で蹲りながら、私は通信機で工藤君にそう伝える。

しかし、返ってきた声は工藤君のものでは無かった。

 

『よくやった哀君。……そこが何処だか分かるか?』

 

阿笠博士が通信機でそう問いかけて来たので、私はそれに答えた。

 

「……何処かの屋上みたい。……それより、工藤君はいないの?」

『ああ。さっきまで目暮警部と電話で話しておったが……慌ててホテルに入って行ったよ』

「『慌てて』?」

 

博士のその説明に、私は何処か引っかかりを覚えた。

彼が血相を変えてホテルに向かったという事は、何か予想外なトラブルが起こったとみて間違いないだろう。……大丈夫なのだろうか?

そんな私の不安を汲み取ったのか、阿笠博士が落ち着いた口調で口を開いた。

 

『まぁ、安心せい。ピスコの正体は分かった。「直ぐに迎えに行くから、大人しくそこで待ってろ」と、キミに伝言を残して行きおったから……』

 

博士のその言葉に私はホッと胸をなでおろした。

ピスコの正体が分かり、彼が私をここまで迎えに来てくれるというのなら、お言葉に甘えるとしよう。

とりあえず、組織の手から逃れられたとみて問題はなさそうだし……私ももうフラフラで一歩も動けそうにないしね。

 

「フフッ……大丈夫。どうせ……動きたくても、体がだるくて……動けないから……」

 

博士にそう答えると、私は壁に手をついてのろのろと起き上がる。

そして、何とか両足で踏ん張って立つと、荒くなった呼吸を整えようとゆっくりと息を吸い――。

 

 

 

 

 

――パシュッ……!!

 

 

 

 

 

――ガスが抜けるような気の抜けた音が耳に届いたかと思うと、背中側の右肩口に強く殴られたような衝撃が走った。

 

「!!?」

 

その肩口から『何か』の飛沫が飛び散り、白く降り積もった雪の絨毯(じゅうたん)()()()()()()()()()

――それが私の肩口を()()()()()()()()()()()()()()()()だと理解した瞬間。私は反射的に背後へと振り返った。

 

 

 

 

――そこには、『奴ら』がいた。

 

 

 

 

――いつの間に現れたのか、さっきまで閉まっていたはずの屋上の出入り口のドアが大きく開かれ、その手前には見知った()()()()()()()が、不気味な笑みを浮かべながら立っていたのだ。

 

 

 

――そして、その内の片方……長髪に冷徹な瞳を携えた男が、サプレッサー付きの拳銃をこちらに向けて、笑みを深くしながら私に向けて囁くように口を開いた。

 

 

 

 

 

「会いたかったぜ?……シェリー……!!」

 

 

 

 

(じ……ジン……!!)

 

二度と会いたくも無かった二人(ジンとウォッカ)との再会が、ここに生まれてしまった……。




・補足説明。

犯人解放の知らせは、本編では伊達→コナンの順番になっておりますが、時系列的にはコナン→伊達の順になっております。
コナンが目暮警部に解放した犯人を捕まえるよう他の刑事たちにも伝えてほしいと頼み、それを受けた目暮警部が、後から電話をかけて来た伊達に犯人を解放したという事を伝えたという流れです。


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カルテ22:枡山憲三(ピスコ)【8】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。

今回は今まで以上に視点がコロコロと変わっていきます。


SIDE:灰原哀

 

 

 

(じ……ジン……!)

 

私は今、混乱と絶望の渦中にあった。

つい先ほど、私は下の酒蔵で彼らの目を欺いて逃れたはずであった。

それなのに何故煙突を出た直後にここで彼らと再会してしまうのか。

動揺する私を前に、ジンは銃を構えたまま私に向けて不気味に笑いかけてくる。

 

「フッ……見ろよ、綺麗じゃねぇか。……闇に舞い散る白い雪。それを染める緋色の鮮血。……我々の目を欺くための、その眼鏡とつなぎは死装束(しにしょうぞく)にしては無様だが……ここは、裏切り者の死に場所には上等だ。……そうだろ?シェリー……!」

 

まるで詩を歌うように、雪が降り続ける闇夜の下でそう私に語り掛けて来るジンに、私は気だるさと肩の傷の痛みで脂汗の噴き出る顔に無理を強いて笑みを作った。

 

「ハア……ハア……良く分かったわね。私がこの煙突から出て来るって……」

 

私がそう言うと、ジンは鼻で笑いながらコートのポケットから何かを取り出して私にそれを見せつけるように掲げて見せた。

 

「……()()()()。……見つけたんだよ。暖炉のそばで、()()()()()()()()()()()()()()()。……ピスコにとっ捕まったんだか、奴がいない()にあの酒蔵に忍び込んだのか知らねぇが――」

 

 

 

 

「――()()()()()()?暖炉の中から、お前の震えるような吐息がな……!」

 

 

 

 

ジンのその言葉に、私は顔を歪める。

 

迂闊(うかつ)だった。まさか、あの時から既に気づかれていたなんて……!)

 

私がそんな事を思っている間も、ジンは笑いながら私に銃を向けて言葉を続ける。

 

「直ぐにあの薄汚れた暖炉の中で()っても良かったんだが……せめて死に花ぐらい咲かせてやろうと思ってな……」

「あら……お礼を言わなきゃいけないわね。こんな寒い中……待っててくれたんだもの」

 

皮肉をたっぷりと含ませた私のその言葉にも意に介さず、ジンは再び鼻で笑うと口を開いた。

 

「フン、その唇が動く内に聞いておこうか。……お前が組織の、あのガス室から消え失せたカラクリをな……!」

 

ジンの眼光が私を射抜く。彼の持つ銃口から逃げる場所も、隠れる場所も、ここには無かった。

文字通りの絶体絶命。

姉や工藤君たちの事を思いながら、私は一人、腹をくくった――。

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:宮野明美

 

 

 

 

 

「哀君!返事をしてくれ哀君!!」

 

工藤君が車を飛び出して直ぐ、志保から連絡が来たらしく博士が通信機に出たのだが、その途中で博士が急に慌てだし、必死になって志保へと声をかけ始めた。

はたから見ていても尋常では無い事が起こった確かで、血相を変えた博士の顔を見て私の中で抑え込んでいた不安が急速に膨らむ。

 

「博士!志保に何があったんですか!?」

「……!」

 

そう叫んで詰め寄った私に、博士は直ぐには答えられずグッと言葉を詰まらせる。

それを見た瞬間、私は志保の身に何か良くない事が起こったのだと察してしまった。

 

「志保!!」

 

頭の中が一瞬真っ白になり、気づいた時には私は後先考えず車を飛び出していた。

 

「待ちなさい!明美君!!」

 

後ろでカエル先生が私を呼び止める声が聞こえたが、私は何かに突き動かされるかのように止まることなくそのままホテルの入り口へと必死に走って行った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:カエル顔の医者(冥土帰し)

 

 

 

 

「待ちなさい!明美君!!……むぅ、駄目か」

 

 

私が呼び止めるのも聞かずに、明美君がホテルの中へと入っていくのを見た私は、博士(ひろし)に向けて声をかけた。

 

「僕が彼女を連れ戻してくる。博士(ひろし)は工藤君に今あったことを通信機で伝えてくれ!」

「わ、分かった!」

 

彼が了承したのを確認した私は、すぐさま明美君を追って車を降りてホテルへと走り出す。

事は一刻を争う。夜の闇の中でそびえ立つ杯戸シティホテルを走りながら見上げ、私はこれから起こる血生臭い最悪の展開(シナリオ)を想像せずにはいられなかった――。

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

 

 

俺はホテルの中に入ると、早速受付(フロント)にいた女性従業員に暖炉のある酒蔵のある場所について尋ねていた。

 

「え?酒蔵?」

「うん。おっきな暖炉がある部屋だと思うんだけど……」

「そんな部屋、このホテルにあったかしら?」

 

そう言う俺の言葉に、女性従業員は「はて?」と首をかしげながら呟く。

すると、その女性の横に立つもう一人の女性従業員が、思い出したように口を開いた。

 

「もしかして、もうすぐ改装する()()の方じゃない?」

「旧館?」

 

オウム返しにそう聞いた俺に、その女性従業員が頷く。

 

「ええ。……何処かの部屋をとりあえず物置にしてるって聞いた事あるわ」

(物置……そこだ!)

 

灰原が閉じ込められていた部屋がそこだと確信した俺は、すぐさま走り出した。

 

「あ!ちょっと坊や!?」

 

呼び止める女性従業員の声を無視し、俺はひたすらに目的地へと向けて必死に走り続ける。

 

(……恐らく、ピスコもその部屋へ向かっている!……奴があの二人(ジンとウォッカ)と合流したら、灰原が薬で小さくなってる事がバレちまう……!)

 

そんな事を考えながら灰原に迫る最悪の未来を連想し、俺は自然と顔を大きくしかめる。

 

(くっそぉ……!せめて後5分。警部が奴らを留めていてくれたら……!)

 

未だに黒服の客たちが多くいるホテルの中を、人ごみをかき分けながら進む。

するとそのさなか、唐突に俺のポケットから着信音が鳴り響く。

 

(電話……!?)

 

俺は走りながらポケットから鳴り響くイヤリング型携帯電話を取り出す。

直後、その電話の主である阿笠博士からの報告に、俺は戦慄を抱く事となった――。

 

 

 

 

 

 

SIDE:宮野明美

 

 

 

 

「あ!ちょっと坊や!?」

 

ホテルのロビーに入った直後、唐突にそんな声が私の耳に届いた。

見ると受付で走り去って小さくなる工藤君の後姿と、それを呼び止めようとする受付女性の姿があった。

私も工藤君を呼び止めようとするも、直ぐに彼は人込みの中へと消えてしまった。

だがすぐさま私は受付へと駆け寄ると、今し方まで彼と話をしていたと思しき受付の女性に声をかけていた。

 

「すみません!今の少年が何処に行ったか分かりますか!?」

「え?あ、えっと……恐らく旧館にある物置代わりに使っている部屋の方へ向かったかと――」

「――ありがとうございます!」

 

彼女が言い終わるよりも先に、私は一言お礼を言い残すとすぐさま工藤君を追いかけた。

こうしている間も、私の中で不安が渦を巻いて激しくなっている。

 

(志保……どうか無事でいて……!)

 

心の中で必死にそう懇願しながら、私はひたすら走り続けた――。

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:カエル顔の医者(冥土帰し)

 

 

 

息を乱しながらロビーに付くと、そこには受付で女性の従業員と話す明美君の姿があった。

 

「待つんだ、あけ――広美君!」

 

思わず彼女の本名で呼び止めようとしたが、ここが未だに多くの客たちが行き来している事に気づき、直ぐに偽名の方で彼女へと声をかけた。

しかし、私の声が届いていなかったようで、直ぐに彼女は受付から離れると私がいる方とは全く違う方向へと走り去り、そのまま人込みの中へと消えてしまった。

私は、彼女を止めることが出来なかったことに落胆するも、直ぐに気を取り直して受付へと駆けて行く。

そこで呆然と明美君が走り去る姿を見送っていた二人の女性従業員に向けて声をかけた。

 

「すまない。さっきの女性が何処へ行ったか分かるかい?」

「……へ?あ、旧館の物置代わりにしている部屋かと……」

「どうもありがとう」

 

ポカンとしながらそう答える女性従業員に向けて一言礼を言い残すと、私は明美君を追って再び走り出した。

 

(ふぅ……ふぅ……!しんどい!……これは明らかに運動不足だね。……まぁ私ももう50代、しかも毎日のほとんどを病院で過ごしているんだから当然と言えば当然だね……!)

 

今はそんな事を考えている場合じゃないのは分かっていても、少し走っただけで息切れをする年齢になったことに私は哀愁を感じずにはいられなかった。

だが、それでも私は必死に走り続ける。この先で死者が出る可能性が高い以上、医者である私が出向かなくてはならない。

額に汗を流しながら、私は人込みの中を全力で走り続け――そこで()()()()()をする事となった。

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

 

 

「何!?灰原が撃たれた!?」

 

電話で連絡してきた博士からの知らせは衝撃的なものだった。

灰原が何者かに撃たれたという。

走りながらそれを聞く俺の耳に博士が取り乱した口調でまくし立てる。

 

『そうじゃ!何処かの屋上で奴らに!それに明美君も――(プツッ、ツー……)』

 

そこまで叫んでいた博士の声が唐突にぷっつりと途切れ、うんともすんとも言わなくなる。

 

「オイ、博士!?博士ッ!!……くっそ、電池切れか……!!」

 

何て運の悪い。いや、この場合電池切れを考慮していなかった自分の落ち度か。

とにかく今は一刻も早く、灰原を助け出さなければならない。

通信が途切れる直前、博士が明美さんの事について何か話そうとしていたみたいだったが、今それを気にする余裕は俺には無かった。

灰原は今、何処かの屋上で奴らに殺されかけていると博士は言った。

なら、灰原が閉じ込められていた例の酒蔵の真上にそれがあるはず。

 

 

「灰原ぁぁぁーーーーーーーッ!!!!」

 

 

どうか間に合ってくれと、切に願いながら、俺は走りながらあらん限りの声を上げていた――。

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:伊達航

 

 

 

ホテルのロビーで、目暮警部から容疑者を解放してしまったという知らせを聞いた俺は、直ぐにホテル正面入り口に警官を配置してもらうよう警部に頼み込んだ。

 

(……とりあえず、正面入り口はもうすぐ来る警官らに任せりゃあ大丈夫だろう。とにかくこっちはホテルじゅうをひっくり返してでも『奴』を見つけださねぇと……!)

 

ピッと携帯の電話を切りながら俺がそう考えていた時だ。

ロビーを行き交う人込みの中から、唐突に()()()()()()()()()()()が飛び出すと、俺の目の前を横切って行ったのだ。

 

(!……あ、あいつは!!)

 

それは見間違うはずもない。ほんの少し前まであの会場前の受付で会話をし、人込みに紛れて行方が分からなくなっていた例の坊主(江戸川コナン)であった。

 

「お、おい!ちょっと待て!!」

 

直ぐに俺は坊主に声をかけるも、坊主は俺の存在に気づく事なく人込みの向こうへと行ってしまった。

俺は坊主を追いかけたが()()()()()()()()()()だと走れるはずもなく、あっという間に坊主を見失ってしまった。

 

「くっそ!」

 

俺はその場で悪態をつく。ようやく見つけたと思った途端にこれか。

どうにもうまくいかない現状に、俺は苛立ちを覚える。しかし、その次の瞬間であった――。

 

――ドン。

 

 

「キャッ!」

「うおっ!?」

 

突然、俺の背中に軽い衝撃が走り。それと同時に響く女性と俺の声。

どうやら俺の背中に誰かがぶつかったらしいことが理解できた。

俺は振り返り、そのぶつかってきた相手を確認する。

 

――声で聴いた通り、やはり女性であった。

 

肩まで伸びた短めの髪にそばかすの目立つ頬。そして大きめの丸眼鏡をかけたその女性は、俺にぶつかった反動でよろけていたが、直ぐに体制を整えると俺に一言「ごめんなさい!」とそう言うとそのまま坊主同様、人込みの中へと再び入って行った。

俺はそんな彼女の去って行く姿を見つめながら首をひねる。

 

(……あの女、どっかで見た事があるような?)

 

だが何処だったかは思い出せない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という不思議な感覚に俺は囚われていた。

 

(何だこの妙な感覚……。まるで()()()()()()()()()を見つけた時みてぇな。――指名手配犯!?)

 

そこで俺はハッとなった。それと同時に、以前起こった10億円強奪事件の最重要容疑者の顔写真が脳裏をよぎる。

今もなお行方が分からないその容疑者の女性と、先程ぶつかって来た女性の顔が、俺の頭の中で重なる。

髪が短くなり、眼鏡をかけて『そばかす』まであってだいぶ変わっていたが。あの女は……あの女の顔は……!!

 

「――広田雅美!?」

 

それを口に出した瞬間、俺は警部に連絡すべく電話をかけようとし――。

 

「え?あれッ!?」

 

――さっきまで手に持っていたはずの携帯電話が無い事に、今になって気づいた。

どうやらさっき広田雅美とぶつかった時に落としてしまったらしい。

慌てて辺りの床を見回すも、俺の携帯電話は影も形も見当たらなかった。この人込みの中だ。落とした直後に誰かに携帯を蹴られてしまい、視界に入らない所にまで行ってしまった可能性が高い。

必死になって目を凝らしながら地面を見渡すも、多くの人が行き交う中ではなかなか携帯を見つけ出すことが出来なかった。

議員殺害の犯人の事もある。こうなったら直接、目暮警部に急いで知らせに行くべきかと考え始めた。その直後であった――。

 

「おーい!待ってくれー!」

 

突然、()()()()()()が俺の背後で響き、俺は反射的に振り向いていた。

するとそこには、予想通り。こちらに向かって駆けて来るカエル先生の姿があった。

カエル先生の方も俺の姿に気づき、目を丸くして走っていた足を止めた。

 

「だ、伊達君!?どうしてキミがここに?」

「……そりゃあこっちの台詞(セリフ)ですよカエル先生。先生はどうしてまだこのホテルにいるんです?」

「え?あ、いや、えっと……」

 

もう議員の遺体を搬送した救急隊員と一緒にホテルを出たものと思っていたのに、何故カエル先生は未だにこのホテルに留まり続けているのか。

俺の問いかけに頬を指でポリポリとかきながら、しどろもどろになるカエル先生を俺はジッと見据える。

思えば目暮警部から工藤新一の名が出た時から、カエル先生の様子はおかしかった。

工藤新一について何か知っているだけでなく。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

それに、紫のハンカチを持っていたあの坊主と一緒にいた灰原哀という少女は、何故か頻繁に米花私立病院に出入りしている事を俺は知っている。

あの坊主と何らかの先生に繋がりがあるのは間違いないだろう。

 

そして……広田雅美についても、恐らくカエル先生は何かを知っている。

 

唐突に広田雅美がこのホテルに現れたのもそうだが、今まで姿はおろか足取りすら何一つ掴めなかったのもおかしかった。

強奪事件後に遠くに逃げていたんならまだしも、こんなに近くにいたのに警察は見つけることが出来なかった。

これは、()()()()()()()()()()()()彼女を匿って隠蔽(いんぺい)工作をしていたとしても不思議ではない。

半ば確信を持った俺は、意を決して一つ、カエル先生にカマをかけてみる事にした。

 

「カエル先生。さっき先生は()()()()()()()()()()様子でしたけど、誰を追いかけてたんですか?」

「…………」

「……ひょっとして、小学生くらいの少年ですか?それとも――」

 

 

 

 

 

「――広田雅美ですか?」

 

 

 

 

 

「――!!」

 

カエル先生の双眸が、見て分かるほどに大きく見開かれた――。

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:三人称視点(黒の組織)

 

 

 

――パシュッ……!

 

――パシュッ……!

 

――パシュッ……!

 

 

 

ジンのサプレッサー付きの銃口からいくつもの凶弾が放たれ、それら全てが一つも外れる事も無く灰原の体を無慈悲に貫く。

しかし撃たれた箇所はどれも致命傷には至らない部分であった。

灰原からの返答を聞き出すため、ジンは笑いながら彼女の拷問を楽しむ。

だがやはり、致命傷には至らずとも体へのダメージは大きく、灰原は風邪と元の体に戻ったことによる体調不良とジンの拷問によって、最後にはその場に膝から崩れ落ちて倒れてしまった。

荒く呼吸をするもなかなか口を割らない灰原を見て、先にしびれを切らしたウォッカがジンへと声をかけた。

 

「アニキ。この女、吐きませんぜ?」

 

その言葉にジンも鼻を鳴らすと灰原へと銃口を構えなおし、静かに口を開く。

 

「……仕方ない。送ってやるか……先に逝かせてやった、姉の元へ」

 

そうしてジンは倒れた灰原の頭に狙いを定めると、ゆっくりと引き金に力を込め――。

 

 

 

 

 

 

――パシュッ……!

 

 

 

 

 

サプレッサーとはまた別の、気の抜けるような音が微かにしたかと思うと、ジンの二の腕にチクリと小さな痛みが走った。

 

「ん?」

 

何だ?と思い腕を見ると、二の腕に()()()()()()()が刺さっているのが目に入った。

 

(針……?)

 

怪訝に思いながら目を細めるジン。その次の瞬間、ジンの意識が急速に遠のき始めていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

 

 

 

――間に合った。

 

全速力で屋上まで駆け上がり、屋上の出入り口のドアの影で荒くなった呼吸を整えながら、俺は内心安堵に包まれていた。

時計型麻酔銃に仕込んだ麻酔針を灰原を撃ち殺そうとするジンに先に撃ち込むことが出来、ジンはその場に膝をつく。

本当にギリギリだった。だがまだ現状は油断のできない状況にあった。

 

「あ、アニキ!?」

 

突然、様子がおかしくなったジンを見て、ウォッカが慌ててジンに駆け寄る。

ウォッカと同じく、様子がおかしくなったジンを不審に思ったらしい灰原が僅かに頭を上げた。

それを見た俺は、蝶ネクタイ型変声機で声を変え、灰原に向かって叫ぶ。

 

『煙突だ!煙突の中に入れ!!』

「ッ!?……だ、誰だてめぇは!?」

 

その声に反応したウォッカは、慌ててサプレッサー付きの自分の銃を取り出すと、俺のいる屋上の出入り口に向けて発砲してきた。

いくつも飛んで来る弾丸を俺は出入り口のドアを盾にして隠れながら、灰原に向けて叫び続けた――。

 

『早く!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:三人称視点(黒の組織)

 

 

 

『早く!!』

 

その声に急き立てられ、灰原は力を振り絞って元来た煙突の中を必死になって這うように入り込んだ。

 

「!!」

 

だが、それに気づいたウォッカは、煙突に入ろうとする灰原に向けて発砲する。

弾丸は灰原の背中をかすめ、それと同時に灰原の体は煙突の中へと落ちて行った。

 

「チッ!!」

 

灰原を仕留めそこなったウォッカは大きく舌打ちをする。

今すぐにでも彼女を追いかけたい所ではあったが、急に様子がおかしくなったジンを放っては置けず、ウォッカはジンに声をかけ続けた。

 

「アニキ!どうしたんですか、アニキ!?」

「――ッ!」

 

ジンはウォッカの声には返答せず、歯を食いしばりながら持っていた拳銃の銃口を針を受けた二の腕に押し当てると、躊躇いなくその引き金を引いていた。

 

 

 

――パシュッ……!

「ぐぅっ……!!」

 

 

銃弾が腕を貫き、同時に激痛がジンを襲うと、彼の両目がカッと大きく見開かれた――。

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:灰原哀

 

 

屋上の出入り口の方から聞こえた声は、機械で変えられていたが間違いなく工藤君だろう。

私は彼の言う通りに急いで煙突の中へと飛び込んだ。

落ちて暖炉の床まで落下した私は強かに体を打ち付ける。

幸い煙突の長さがそれほど長くなかった事と、落下中に煙突の壁に体をぶつけた事で僅かながらに落下速度を落とすことが出来、骨折はしたかもしれないが内臓の方にはダメージはいっていないようであった。

落下中に両腕で頭も守っていたため、そちらも無事。

だが既に私の体は、度重なるダメージによってもはや一歩も歩くどころか指一本すら動かせない状態になっていた。

意識の方も繋ぎ止めるのは限界に近かった。

混濁する意識の中、荒くなった呼吸を整えていると、突然私に向けて()()()()()ほぼ同時にかけられてきた――。

 

「志保!」

「……ほう?まさか、ここに戻って来てくれるとはね。……()()()()()

 

()()()()()()()聞き覚えの無い声が私の耳に届くも、それに反応する気力はもう私には全く残されていなかった――。




次回、ようやくピスコの正体が暴かれます。と言っても原作通りですが。

しかし、次から原作とは違ったオリジナル展開を多く入れ込む予定です。


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カルテ22:枡山憲三(ピスコ)【9】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。


SIDE:????(ピスコ)

 

 

 

 

――いない!

 

この杯戸シティホテルに突然と現れた警察の長い足止めによって、ようやく()()を監禁している酒蔵に戻って来られたのがつい今し方だった。

しかし、戻って来られたのもつかの間、今度は監禁していた本人がこの部屋から忽然と消え失せる事態に私は直面していた。

慌てて部屋中をくまなく探すも、彼女の姿は何処にも無い。

 

(何処へ消えた!?ドアにはしっかりと鍵をかけたはず……まさか、あの暖炉の煙突を通って外に……!?)

 

そう考えた私は、すぐさま暖炉へと駆け寄ろうとし――。

 

「……?」

 

――それよりも前に、酒蔵の外から聞こえて来る足音によってその動きを止める。

非常事態とは言え、普段なら気にも留めないであろう足音。

しかし、それが()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()とあれば話は別であった。

 

(何だ?誰だ?まさか、ジンの奴が……いや、奴ならウォッカと一緒にいるはず。()()()()()()だけなのはおかしい。……もしや、()()()()?いや、この酒蔵の事はあの女には話していなかったからそれも無い。……なら、誰だ?)

 

混乱する頭を必死に落ち着かせ、ひとまず私はこの部屋に多く並ぶ棚の一つ……その裏側へと隠れて様子をうかがう事にした。

――やがて酒蔵のドアが開き、そこから()()()()()息せき切って部屋の中へと飛び込んできた。

短い髪に眼鏡をかけた頬にそばかすを浮かべるその女は、息を整えながら部屋の中央で辺りを見渡し始める。

それはジンとウォッカはもちろんの事、ましてや()()()でも無い。

 

――だが、酒蔵に入って来た彼女を見た瞬間。私は自分の眼が信じられず彼女を凝視して固まってしまった。

 

『組織』の仲間では無かったがそれは間違いなく、()()()()()()()()であったからだ。

私たち『組織』の人間を欺くために髪型を変え、眼鏡をかけて変装したつもりなのだろうが、生憎と()()()()()()()()()()()()()全く意味をなさないモノであった。

だがそれでも、私の胸中は半信半疑の気持ちで渦巻いており、次の行動がとれずにいた。

しかし、その動揺も彼女が()()()()()()で一瞬にして霧散し、彼女が私の思った通りの女性であると確信する。

 

「――志保!何処!?」

 

――その声を聴いた瞬間、私は自然と口元を吊り上げて笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:宮野明美

 

 

 

 

「――志保!何処!?」

 

受付で聞いた目的の部屋らしき酒蔵に飛び込んだ私は、開口一番にそう声を上げていた。

しかし、部屋を見渡してみても志保の姿はおろか、先に向かったはずの工藤君の姿も何処にも無い。

そこへ来てようやく私は思い出した。志保がこの部屋から脱出するために煙突の中を登っていた事に。

私が車から飛び出す直前には、博士の様子から妹は煙突から出た後に奴らに襲われたことになるから、今妹がいるのはこの部屋の真上――つまり、屋上にいる事になる。

妹の安否ばかりが気がかりでそれしか頭になく、すっかり失念していた。

慌てて屋上へ向かおうと踵を返し――駆け出そうとした私の脚が強制的に止まった。

 

「――!?」

 

息を呑む私。その目と鼻の先で()()()()()()()が深淵の闇を覗かせて私に向けられており、その銃口の向こうでは銃を持った人物が()()()()()()()()口角を吊り上げて不気味に笑いながら私を見据えていたのだ。

 

「……驚いたよ。いやぁ、本当に驚いた。まさか生きていたとはね、()()()?」

「っ!?」

 

その人物が言った言葉に、私は目を見開く。

変装して以前の姿からだいぶ変わっているはずだというのに、目の前の人物が一目見ただけで自分の正体を見破ったという事に。

そんな私の心情を察してか、目の前の人物が笑いながら口を開く。

 

「気づかないとでも思っていたのかね?残念だがいくら顔を変えようと、私の眼は誤魔化せはせんよ。……()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

その人物の言葉を聞きながら、私は内心()()()()()()()、目の前にいるこの人物こそが()()()()()()()()()()、『組織』の一員――ピスコであるという事を。

ピスコの()()()()私もテレビや雑誌て見た事があったため知ってはいたが、まさかこんな有名人が『組織』の一員で、かつピスコであったとは思いもしなかった。

……思えば、工藤君が車を飛び出す直前。彼は警察がピスコを解放したらしいことを電話で聞いていた。

となれば、ピスコが志保を監禁しているこの部屋に戻ってくることも当然だったというのに、私は志保を心配するあまり、それすらも頭から抜け落としてしまっていたのだ。

その結果、私はまんまとピスコのいるこの部屋に飛び込んでしまい、今現在ピスコに銃口を付きつけられている状況に陥っている。

本当にあまりにも迂闊すぎた。たった一人の家族であり、大事な妹を助けたいと思えど、それで周りが見えなくなってこんな状況に追い込まれてしまっては本末転倒ではないか。

自分の浅はかさを呪うも、ふと先程ピスコが口にした言葉の中に気になる内容があったことに気づき、私は無意識にそれを目の前の人物に恐る恐る尋ねていた。

 

「……あ、あなたは」

「む?」

「あなたは昔の私の事を、知っているとでもいうの?」

 

私が絞り出すように呟いた質問に、ピスコは一瞬目を丸くするも、すぐに「あぁー」と納得するように声を漏らした。

 

「まぁ私を覚えていなくても仕方の無い事だろう。あの頃の君はまだ幼かったからね。……それに、君のご両親との交流は深かったが君自身とはその頃に二、三度会っただけの面識だったから当然か」

 

ピスコの口ぶりからどうやら私は子供の頃に何度かこの人に会った事があるらしいのが分かった。

しかし、あの頃の私は私たち家族を取り巻く者たちの視線に怯える毎日だったため、家族以外の人間の顔を覚えていられるほど、心に余裕を持っててはいなかったのである。

 

「しかし君が生きていたとはね。あのジンが情けをかけた……わけが無いか。あの冷酷漢が組織の障害となる君を生かしておくわけはないしね。だからと言って『あの方』に忠誠心を持つ奴が裏切るなんてこともあり得ない……」

 

そう呟きながらピスコは私に銃を突きつけながら詰め寄って来た。

 

「……殺す前に教えてもらえるかい?一体どうやって奴の魔の手から逃げ延びた?」

 

射殺すように鋭く研ぎ澄まされたピスコのその眼光に、私は息を呑む。その次の瞬間だった。

 

 

 

 

 

――ドサッ!!

 

 

 

 

突然、私の背後で()()()()()()()が落ちる音が響く。

 

「「!?」」

 

その音で反射的にピスコは視線だけを、私は銃口を突きつけられているため首だけをわずかに動かして背後にある暖炉を見る。

するとそこには煙突から落ちて来たのか、暖炉の中で荒く息を整えながら倒れている()()()を着た志保の姿があった。

しかも彼女の体には銃で撃たれたと思しき傷があちこちについており、血も滲んでいる。

 

「志保!」

 

そんな志保の姿を見た瞬間、私はピスコに銃を突きつけられているのにもかかわらず、反射的に彼女へと駆け寄っていた。

しかしピスコはそんな私を撃とうともせず、何故か()()()()()()()()()()()()()()()()()()私たちに銃を向けて呟く。

 

「……ほう?まさか、ここに戻って来てくれるとはね。……志保ちゃん。……戻って来てくれて嬉しい限りだよ。君を取り逃したせいで今の地位を脅かされては洒落にならないからね」

 

聞いてもいないのに自身の保身の危機が回避されたことにホッとしたと告げるピスコ。

私はそんなピスコの言葉をあえて無視しながら志保を抱き起して声をかける。

 

「志保、大丈夫!?しっかり……!」

 

その瞬間だった――。

 

「はあ……はあ……はあ……!――あ゛ぁっ!?」

 

必死に呼吸を整えていた志保が突然、苦しみだしたのだ。

 

「志保!?」

「む!?」

「あぁぁあぁぁっ!!ぐぅぅっ……あ、ぁぁ……!!あ、ああぁぁぁぁーーーーーーッ!!!!」

 

唖然としながら瞠目する私とピスコの前で、志保は悲痛な叫び声を上げる。それと同時に、私の腕の中で志保の体が瞬く間に小さくなっていき……やがて、『灰原哀』と名乗っていた子供の姿の志保へと変貌していた。

 

「なんと……!」

 

体の幼児化が止まり、ぐったりと私に体を預けて息をする志保を見てピスコは感嘆の声を上げた。

そして、驚愕の表情から再び笑みを浮かべると、ピスコは銃を構えながら一歩一歩私たちの方へと近づいて来る。

 

「おお、おお……!素晴らしい……!先程、明美君にも言った事だが、科学者だった君のご両親と私は親しかったんだ。……まあ、その当時はキミは赤ん坊だったから覚えちゃいないだろうがね。だから、開発中の薬の事はよぉーく聞かされていたんだよ……」

 

歩きながらピスコがそう私の腕の中の志保に語り掛けて来るも、意識が朦朧としている様子の今の妹の耳にその言葉が届いているかどうか怪しいというのに、構わずピスコは言葉を続けていく。

 

「でも……まさか……ここまで君が進めていたとは……事故死したご両親もさぞかし、お喜びだろう」

「や、止めて!この子に近づかないで!!」

 

近づいてくるピスコに私はそう叫ぶも、ピスコの歩みは止まらない。

やがて私たちのすぐ目の前に立つと、ピスコは銃口をピタリと妹の頭に向けて狙いを定める。

 

「……だが、これは命令なんだ。悪く思わんでくれよ、志保ちゃん」

「止めて!志保を殺さないで!!」

「おね……ちゃ……」

 

私は叫びながら志保を守る様に彼女に覆いかぶさるように抱きしめ、ピスコの銃口の盾になる。

志保の弱々しい声が私の下から聞こえて来るも、それに構っている余裕は私には無かった。

そんな私たちを見下ろしながら、ピスコは口を開く。

 

「安心すると良い明美君。君も志保ちゃん共々、あの世に送ってあげよう。……ジンから逃げ延びる事が出来た理由を知りたかったが、私もあまり長く時間をかけるわけにはいかないからね。……あの世でご両親によろしく言っておいてくれ」

 

そう言いながらピスコはゆっくりと自身の持つ銃の引き金に力を込め始め――。

 

 

 

 

 

 

 

――直後に背後から現れた人物に腕を掴まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

「……こんな所で女子供相手に銃を振り回して何してるんだ?――()()()()殿()

「なっ!?」

 

背後からピスコを抱きかかえるようにして彼の銃を持つ手首をつかみ、もう片方の腕を後ろ手に捻って拘束する()()()()()()()その男に、『組織』の一員、ピスコこと――枡山憲三は驚愕に打ちひしがれていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:伊達航

 

 

 

 

 

時間はほんの少し前に遡る――。

 

(な……なん、だ……ありゃあ……!?)

 

俺は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

目的地である酒蔵に向かう道中。俺はカエル先生を問い詰めて事情を聴きだしたが……当初はとてもじゃないが直ぐには信じられる内容じゃあ無かった。

怪しい黒ずくめの組織だの、江戸川コナンって名乗ったあの坊主は実は高校生探偵の工藤新一で、その黒ずくめの組織の奴らに妙な薬を飲まされて小さくなっただの、そしてあの灰原って嬢ちゃんも実は同じように薬で小さくなった存在だの、このホテルで殺害された議員は実は組織と関わりがあって何らかの理由で組織の一員であるコードネームが『ピスコ』って奴に暗殺されただの……こんな半分ほど現実味を帯びない話を聞かされて「はい、そうですか」と直ぐに理解し納得しろという方が無理な話だ。

 

……だが、いざカエル先生と共に酒蔵に到着し、出入り口のドアの影から中の様子をうかがうと、中では俺の推理した()()()()()()()()が広田雅美に銃を突き付けている光景を目の当たりにし、それを助けようと俺が部屋に踏み込もうとした直前、暖炉の煙突からつなぎ服を着た女が落ちて来てその女の体が目の前で縮み始めたのを見せられりゃあ……もはや否が応でも納得する他は無い。

 

「……おいおい、俺は変な夢でも見せられてんのか?」

「心配は無い。キミは正常だ。何せ僕の眼にもキミと同じ光景が見えているからね」

 

半ば現実逃避で呟いた俺の言葉に、一緒に部屋の中の様子をうかがっていたカエル先生がきっぱりとそう断言して来る。

……やべぇ。交通事故で物理的に脳がおかしくなっちまった俺だが、今度は精神的ショックでおかしくなっちまいそうだ。

内心、頭を抱えながら俺は酒蔵にいる三人の中の一人――さっきまでつなぎ姿の『女』だった『少女』を見つめた。

 

「……ありゃあよく見りゃあ、灰原の嬢ちゃんか……。ってぇ事はマジでカエル先生の話は全部事実なのかよ」

「分かってくれて僕も嬉しいよ」

「あんな光景見せられりゃあ事実として受け止めるしかねぇでしょう?」

「ちなみに、灰原君とキミが言うあの広田雅美君は血のつながった実の姉妹でね。妹である灰原君が『組織』で研究員をやってたらしいんだが、広田君はそんな灰原君を『組織』から解放してあげたくて奴らとの取引であの10億円強奪事件を起こしたらしいよ?」

「……さり気なくあの事件の真相を教えていただき、どうも」

 

唐突に投入してきたカエル先生の追加情報に、俺はげんなりとした表情で力なくそう返す。

しかしそうこうしているうちに、(くだん)の議員殺害の容疑者が灰原の嬢ちゃんとその彼女に覆いかぶさる広田雅美に銃口を向けるのが見えた。

それを見た俺は、反射的に首のデバイスのボタンを押して『全力モード』に切り替えると、杖を放り捨て酒蔵へと飛び込んでいった。

人が幼児化するという衝撃的な光景を目にしたが、今はそれどころでは無い。

俺は一刑事として、二人を殺めようとしている議員殺害の容疑者を止めるべく背後から抑え込んだ。

 

「……こんな所で女子供相手に銃を振り回して何してるんだ?――枡山会長殿」

「なっ!?」

 

広田雅美と灰原の嬢ちゃんを殺そうとしていた議員殺害の容疑者――枡山憲三が俺を見て目を丸くし、その拍子に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

そして同時に、広田雅美の腕の中にいる灰原の嬢ちゃんが俺を見て弱々しく口を開く。

 

「あなた、は……」

「よう、灰原の嬢ちゃん。無事……ってわけでもなさそうだが、まだ生きてるようで安心したぜ。……カエル先生、早く嬢ちゃんを……!」

「ああ、分かってるよ」

 

俺が背後にある出入り口へ向けて声をかけると、そこにいたカエル先生が酒蔵に入室し、直ぐに嬢ちゃんたちの方へと駆け寄る。

 

「ッ!?」

「?」

 

その途中、俺に拘束されている枡山がカエル先生を見て何故か驚愕に目を見開いているのが見えた。

何だ?と俺がそう思っている間に、カエル先生は灰原の嬢ちゃんを抱えて座り込む広田雅美の元に膝をついてしゃがみ込んでいた。

 

「カエル先生……」

「全く明美君。妹が心配なのはわかるが、あまりハラハラさせないでほしいね?」

 

広田雅美とカエル先生がそんな会話を交わす。その会話からどうやら『明美』というのが広田雅美の本名のようだ。

 

「い、一体何なんだお前たちは!?」

 

そう叫びながら俺の拘束の中で暴れる枡山憲三。俺は枡山の耳元ではっきりとした口調で口を開いていた。

 

「警察だ。神妙にしなよ枡山会長。……アンタだろ?()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「!……な、何を言って……!」

 

絶句する枡山に、俺は奴が握っている()()()()()()()()()()()を睨みつけながら話し始めた。

 

「……このサイレンサー(サプレッサー)のついた拳銃……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?……そして鎖を打ち抜くのに使った目印は()()()()

「っ!!」

 

眼を見開く枡山に、俺は自分の推理を続ける。

 

「……あらかじめ鎖に蛍光塗料を塗って置いて、いざスライド上映で会場内が暗くなれば、その光が浮かび上がるって寸法だ。……だがそのままそこに発砲しちまえば、銃口から火花が出て周りの人たちに気づかれちまうが……ハンカチをサイレンサーの先に被せれば、発砲と同時にハンカチが吹っ飛び、火花を隠してくれるってわけだ」

「ぐぅっ……!」

「……『酒巻監督を偲ぶ会』のハンカチを使ったのも、後で回収しなくても足が付きにくいと()()()そう思ったからだろうが。……生憎とあの紫のハンカチを貰った客はその時既にほとんど帰っちまってて、容疑者はアンタを含めたあの七人のみ。……だがそれも、()()()()アンタが犯人だって事を突き止められたよ」

 

そこで俺は言葉をいったん止め一拍置くと、再び口を開きその続きを話し始める。

 

「……シャンデリアの真下にいて、鎖が狙えない俵とクリスの二人はシロ。証拠の鎖を口から吐き出した三瓶と司会で客に注目されていた麦倉も違う。事件直前に抱き合ってた樽見と南条は論外。……つまり、あの会場でこの殺人をやってのける事が出来たのは――」

 

 

 

 

「――枡山会長。アンタだけってわけだ!」

 

 

 

俺がそうはっきりと断言すると、枡山は悔しそうに顔を歪めた。

そんな枡山の顔を見ながら、俺は言葉を続ける。

 

「……ちなみに、吞口議員がシャンデリアの下に来たのは、その真下の床にも蛍光塗料を塗っていたからだろ?で、会場が暗くなったらそこに立つように議員を言いくるめたんだ。……まあ、議員が何でアンタのその指示に従ったのかはまだ分からねぇが……」

 

俺がそこまで言った、その時――。

 

 

 

 

「……いや。恐らくだが、僕にはその理由が何なのか大方の察しがついたよ」

 

 

 

――意外な人物(カエル先生)から、その答えを聞く事となった。




お待たせいたしました。最新話です。

今月に入ってから仕事が急激に忙しくなり、スケジュールもカツカツになっていましたので中々筆が進みませんでした。
半月以上も間を開けてしまい、申し訳ありません。

そして次回もまた投稿が遅れる可能性があります。そのことについても重ね重ねここにお詫びいたします。


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カルテ22:枡山憲三(ピスコ)【10】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。


SIDE:江戸川コナン

 

 

 

灰原を煙突の中へと逃がし、ジンに麻酔針を撃ち込んだ俺はすぐさま階段を駆け下りた。

すると到着した酒蔵の中では予想外な光景が広がっていた。

 

(な、何で明美さんとカエル先生が!?……しかも、伊達刑事まで何で!?)

 

半ば開きっぱなしのドアの影から中の様子をうかがった俺は動揺を隠しきれなかった。

幼児に戻った灰原を抱いて座り込む明美さんと、ジンから受けた灰原の怪我を診るカエル先生。そして、『組織』の一員にして今回の事件の犯人である『ピスコ』こと枡山憲三が、伊達刑事によって拘束されていたのだ。

その上今、伊達刑事は自身の推理を枡山さんに聞かせており、その推理は俺が組み立てた推理とぴったり一致していた。

 

(……へぇー、やるじゃんかあの人)

 

中々高い推理力に、俺は無意識にニッと笑うと伊達刑事に向けて内心称賛の言葉を送った。

伊達刑事とは今日初めて会ったばかりでどんな人間なのかすら分からなかったが、ここまで辿り着いたその能力の高さから相当優秀な刑事だという事がうかがい知れた。

 

(これは……好機(チャンス)かもしれねぇ。このままピスコが警察に逮捕されて芋づる式に奴らを(おおやけ)の場にさらすことが出来れば、灰原や明美さんの身は保障され、俺もいずれは元の体に戻ることが出来るかもしれねぇ……!)

 

 

 

――だが、俺がニヤリと笑いながらそう思ったそのすぐ後……俺はこの考えが甘かった事を痛感する事となる。

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:伊達航

 

 

 

 

「……いや。恐らくだが、僕にはその理由が何なのか大方の察しがついたよ」

 

俺が枡山が行った犯行を洗いざらい説明した後、灰原の嬢ちゃん(話の流れから本名は『志保』と言うらしいが)の怪我の具合を見ていたカエル先生が唐突にそんなことを言い出した。

俺が分からなかった議員をシャンデリアの下に誘導させた手口を、カエル先生が分かったのだと言う。

それは恐らく、()()()()()()()()()()()()()()()知りえる理由なのだろう。

カエル先生は俺に拘束されている枡山を見据えながら静かに口を開いた。

 

「恐らく……いや、ほぼ間違いなくあの議員はキミたち『組織』と深く関わっていたのだろう。だが彼が収賄疑惑で警察に捕まるのが時間の問題となり、彼の口から『組織』の事が暴露されることを恐れたキミたちは、彼の耳にこんな事を吹き込んだのではないかね?そう、例えば――」

 

 

 

 

 

 

「――『名誉挽回のチャンスを与えるから、会場の明かりが落ちたら光る場所で指令を待つように』とかね」

 

 

 

 

 

「…………」

 

カエル先生のその言葉に、枡山は顔をしかめて黙ったまま先生を睨みつける。どうやら図星のようだ。

しかし、カエル先生の言う灰原の嬢ちゃんがかつて所属していたという『組織』とはいったいどのようなモノなのだろうか?

俺がふとそんな事を思った。その次の瞬間だった。

 

「……ふ、ふは、フハハハハハハハハハハ!!アーッハハハハハハハハハ!!!」

 

突然、枡山が大きく笑いだした。

それに目を見開く俺たちが見る前で枡山がひとしきり笑い終えると、カエル先生を睨みつけながら口を開いた。

 

「そうか……先程の明美君とのやり取りを見て薄々そうではないかと思っていたが……お前だったんだな?明美君と志保ちゃん、この二人を匿っていたのは。なるほど、明美君がジンから逃げ延びた件も、お前が絡んでいるとなれば納得出来る」

「…………」

 

枡山のその言葉に、今度はカエル先生が沈黙する。

そんなカエル先生の顔を見ながら枡山はニヤリと笑ってみせる。

 

「クック!……これは予想外な朗報だ。()()ここまで完成が進んでいた事も。()()()()()()()()()()()()()()……!『あの方』にこの事実を伝えればどれほど喜ぶことか、今からでも目に浮かぶようだ……!」

「……?」

「おいおい、何言ってやがる?テメェはこれから警察に連行されるって事、分かってて言ってんのか?」

 

少し嬉々としながら興奮する枡山に、怪訝な顔で何か言おうと口を開きかけたカエル先生よりも前に、俺は枡山にそう釘をさす。

コイツの言う『あの方』ってぇのが恐らくその『組織』とやらのボスの事だというのは察することが出来る。

しかし、コイツはこれからそのボスに今あった事の全てを伝えると言った。

……そんなことが出来ると思っているのか?これからお前は俺の手で警察に連行されてそれどころでは無いはずだというのに。

だが俺のその言葉に、枡山は先生に向けていた視線を俺に移すとハッと鼻でそれを笑い一蹴した。

 

「貴様こそ分かっているのか?私を逮捕する事など、()()()()()()()()()()のだよ……!」

「はぁ?何言って――」

 

枡山の言ってる意味が分からず思わずそう声を漏らすも、その途中で枡山が口にした言葉に俺は凍り付いた――。

 

 

 

 

 

 

 

「――()()()

 

 

 

 

 

 

「――なっ!?」

 

俺は驚き、自分の耳を疑った。今、こいつは俺の名前を()()()()()。まだこいつに()()()()()()()()()()というのに、何で知ってる!?

眼を見開く俺に、枡山がニヤリと笑って見せる。

 

「クック、()()()()()()()()()貴様の事もちゃんと知っている。家族構成、経歴、血液型など全てな」

「な、にぃ……!?」

 

絶句する俺に枡山はやれやれと首を振りながら俺に問いかけてきた。

 

「……大体おかしいとは思わなかったのかね?()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と」

「…………」

 

俺はそれに答えることが出来ず俯く。

確かにそれは頭の隅で唯一引っかかっていた疑問だった。

あの議員を殺害した犯人であるこの枡山憲三は大手自動車メーカー会長。言わば経済界の大物だ。

そんなこいつが()()()()()()()()()()()()()()()()()()

コイツほどの地位にいる人間なら、自分の息のかかった配下にやらせることや、大金を積んで『殺しを専門にする者』を雇って議員を殺害させることだって出来たはずなのに。

そしてそれは吞口議員にも言える事だった。

一政治家である奴も、収賄疑惑で失脚寸前ではあったがそれなりに高い地位におり金と権力も持っていた。

そんな奴が自身にボディーガードを一切つけず、その『組織』とやらに良いように動かされていた。

 

『経済界の大物』と『政治家』。この二人が自分たちの身を守る対策もせず、『組織』に素直に与している――それが表す事は一つだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

――それは、『組織』がこの二人を()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

それに気づいてしまった時、俺の顔にいくつもの冷や汗が浮かび上がった。

そんな俺の様子を見た枡山はケラケラと笑う。

 

「アッハハハハハ!ようやく気付いたか!貴様が今掴んでいるモノが()()()()()()()()()()()()……!警察?捜査一課?ハッ!!()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!事実、警察上層部にも、我々の息のかかった者は幾人でもいるのだからな……!!」

「――っ!!」

 

それが本当なら。()()()()()()枡山を逮捕する事は出来ない。

自動車メーカーの会長という地位だけでなく、そんなとんでもない『組織』の一員となれば、それらが警察に圧力をかけて何かと理由を付けてコイツを釈放させることは目に見えていた。

下手すりゃあ、コイツを刑務所にぶち込むどころか、裁判にかける事すら出来ないかもしれない。

息を呑む俺に枡山は更に俺を追い詰めるように冷たい口調で口を開く。

 

「そう、そして……。我々『組織』はその存在を知った人間を()()()()()()()()()()()。貴様――」

 

 

 

 

 

 

 

「――近い内に消されるぞ?『組織』の手によってな……!」

 

 

 

 

 

 

「――――」

 

言葉を失う俺に、枡山は更にまくし立てる。

 

「いや、貴様だけではないな。いずれ、お前に関わった者全てが闇に葬られることになるだろう。貴様の仕事の同僚、友人、家族に至って全部な!」

「な、何っ!?」

 

血相変えて俺は枡山に食いつく。とてもじゃないが聞き捨てならない言葉だった。こいつは……こいつらは!俺が『組織』の存在を知ったからと言って、俺ごと俺の周りにいる奴ら全員を抹殺しようというのか!?

そんな事、出来るはずが……!!

俺のそんな考えを見透かすように枡山は言葉を続ける。

 

「出来ない、とでも思っているのかね?実際、我らはそうやって何人もの人間を闇に葬り、隠蔽(いんぺい)を重ね、証拠を一つとして残さないようし続け今日までその存在を明るみに出さないように動いてきたのだ。……()()()()()()()()()()()()!」

 

まるで夢物語を聞かされているような感覚だった。それが本当なら枡山の所属する『組織』は半世紀以上もの間、社会の裏側でうごめき続け、その存在をひた隠しにし続けていたという事になる。

しかも、政治家や経済界のトップを手玉に取るほどの強大な力を持って――。

半ば放心状態の俺に、枡山はとどめとばかりに俺の泣き所をつつき始めた。

 

「……確か貴様には妻がいたな?しかも妊娠中の」

「ッ!!」

「可哀そうに……父親のせいで子供は生まれてくる事なく母親共々あの世へ送られることになるとはなぁ」

「て、テメェッ!!」

 

カッと眼を見開き、俺は枡山に向けて叫ぶ。

嫌な汗が全身からドッと噴き出る。まるで断崖絶壁の崖っぷちに追い込まれたかのような気分だ。

そんな俺に、枡山は今度は悪魔のような提案を俺に囁きかけてきた。

 

「……だが、お前たちが助かる方法は無いわけではないぞ?」

「……!……俺に……()()()()()()()()()()()?」

 

ここまでくれば、枡山の言いたい事は直ぐに理解できた。

俺の言葉に、枡山は「ハッ!」と笑って見せる。

 

「分かってるじゃないか。私は『組織』では幹部クラスだが、それでも長年『組織』に仕え続けてきた実績があるし『組織』のボスからの信頼もある!私からあの方に口添えをして、貴様の身の安全を保障させよう!その代わり――」

 

 

 

 

 

「――()()()()()()()()()()()()()()。それさえすれば、後は悪いようにはしないよ」

 

 

 

 

 

「…………」

 

不気味な笑みを浮かべた枡山のその要求に俺は沈黙する。枡山の言う『これから行う事』が何なのか、俺にはすぐに分かった。

俺がこの部屋に突入する直前、奴は灰原の嬢ちゃんと広田雅美に銃口を向けていた。

詳しい理由は分からないが、枡山の言う『組織』にとってこの二人は決して野放しに出来ない存在だという事なのだろう。

その枡山の凶行を今、俺が拘束して止めている――。

奴が俺の拘束から解き放たれた時、直ぐに何をしようとするのか自ずと察しがついた。

 

「さぁ、その手を放せ。たかが女二人のために大事なモノと自分の命、その全てを犠牲にすることもないだろう?」

 

冷淡に俺に軍門に下れと、そう要求して来る枡山。俺はそんな奴の言葉を聞きながら頭の中で愛する妻の顔を思い出していた。

警察学校時代から既に付き合って長い年月を寄り添って来た愛する妻――ナタリー。

彼女のお腹にいる子供も、もう服の上からでも分かるほどに大きくなってきている。

その子供と彼女の笑顔が頭の中でちらつき、枡山の拘束を僅かに緩めてしまいそうになる。

 

――だがその直後。ナタリーと入れ替わるようにして俺の脳裏に別の人間の顔が浮かんできた。

 

 

 

 

 

(……!)

 

――それは俺と警察学校時代を共にした、()()()()()()()()()()()()

 

滅茶苦茶やって。バカやって。そして、一緒に笑い合ったかけがえのない大事な仲間たち。

その内の三人が殉職して、残りの一人も音信不通で生きているのか死んでいるのかすら分からない。

今でも職務中に逝ってしまった三人の事を思うと、フッと泣き出してしまいそうになっている自分がいる。

アイツらはまだ若かった。殉職さえしなければもっと人生を謳歌できたはずだ。

だからこそ俺は、死んでいったアイツらの分まで幸せになって長生きする義務がある。

死んで向こう(あの世)でアイツらと再会した時、()()()()()()()()()()()胸を張ってアイツらの前に立つために!

 

だからこそ――。

 

「……聞けねぇな」

「……何?」

 

ポツリとそう呟いた俺に、枡山は怪訝な目を向ける。

そんな枡山に俺は真っ直ぐ見据えながら力強く言い放った――。

 

 

 

 

 

「枡山会長。俺はアンタの要求なんざ、はなっから聞く気はねぇ!!」

 

 

 

 

 

「何だと!?」

 

顔を驚愕に染める枡山を見ながら、俺は奴を拘束する手にグッと力を入れた。

その痛みで「ぐぅっ!」と唸る枡山は俺を睨みつけながら叫ぶ。

 

「貴様、正気か!?私を逮捕する事が自分の命を縮める行為だとまだ気づいていないのか!?」

「気づいてるさ。アンタの言う『組織』の強大さがどれほどのモンなのかまだ俺には計りかねるが、少なくとも一刑事である俺一人が太刀打ちするなんざ無謀すぎるってぇ事だけは理解できてるよ」

「なら何故抗う!?貴様の妻子や仲間がどうなってもいいというのか!?(おの)が職務を全うするために全てを犠牲にするというのかぁ!?」

 

そうわめくように声を上げる枡山に、俺はピシャリと言ってのける。

 

「……犠牲にはしねぇ。()()()()

「はぁ!?」

 

唖然とする枡山に、俺は力強く言い放った――。

 

 

 

 

 

「俺は警官だ!!市民を守り、治安を守るのが俺の仕事だ!!お前らがどんなにデカい『組織』だろうが関係ねぇ!!この二人が元は『組織』の人間だろうが知った事か!!今は守るべき一般市民に違いはねぇ!!その上で俺は自分の家族も仲間も、全部守ってやる!!俺の大事なモノを奪う奴らなんざ、何処の誰だろうが絶対に許さねぇ!!!!」

 

 

 

 

 

――そうだ。死んでいったあの三人も、それぞれが事件に巻き込まれ志半(こころざしなか)ばで散って逝った。

だが三人とも、己の職務から決して逃げたりなんかしなかった。

それぞれが自分の命を()して警察官としての信念を貫き、そして全うして逝ったはずだ。

短い人生ではあったものの、アイツらはアイツらなりにやり遂げる事が出来たと思う。

そしてそれは今も生きているであろう()()()にも言える事だ。

恐らくアイツも一人で必死に何かと戦い続けている。一警察官としてだ。

それなのに、俺がここで今コイツの要求を飲んじまってみろ。

――向こうでアイツらに顔向けなんて出来るわけねぇじゃねぇか!!

 

ナタリーだってそうだ。アイツは警察官である俺を好いてくれてた。

警察学校時代から何度も危ない事に首を突っ込んでも、俺が交通事故で死にかけてこんな体になっても、アイツは一度たりとも俺に刑事を辞めてくれと言わなかった。

心配もしてくれていたが、必ず生きて帰って来てくれると信じてくれていたんだ。

そんな俺を……一刑事として働く俺を信じてくれているナタリーを裏切るわけにはいかねぇ。

無茶だろうが何だろうが関係ねぇ。ナタリーやアイツらが俺を――警察官として生きる俺を信じてくれている限り、俺は逃げるわけにはいかねぇんだ!!

 

「…………」

 

俺の宣言に枡山は目を見開いて絶句する。それはそばで俺たちの会話を聞いていたカエル先生や広田雅美、灰原の嬢ちゃんも同じだった。

周りが呆然とする中、俺は枡山に向けて静かに言い放つ――。

 

 

 

 

 

「枡山憲三。殺人及び銃刀法違反の容疑で逮捕する」

 

 

 

 

 

「…………。く、クククククッ、アーッハハハハハハハハハ!!!まさか……まさかここまで馬鹿な人間がいるとはな……!!」

 

ポカンと俺を見上げていた枡山が、やがて堰を切ったかのように笑いだし、そう声を上げる。

俺は手錠をポケットから取り出すため、奴の両腕を拘束している両手を奴の後ろ手で交差させて片手で抑えようと動かしながら口を開く。

 

「悪ぃな。自分で言うのもなんだが、馬鹿で真っ直ぐな性分なんだ」

自動車メーカーの会長(表の顔)としてなら部下に欲しかったところだが……残念だ――」

 

枡山がそう言った、その次の瞬間だった――。

 

 

 

 

 

――突然、俺の顔面に強い衝撃が走り、視界が一瞬真っ赤に染まる。

 

 

 

 

 

「ッ!!?」

 

鼻に痛みを感じた俺は、その反動で枡山の片腕――銃を持っている方とは逆の腕を放してしまっていた。

その時、枡山に後頭部で思いっきり顔面に頭突きを食らわされたことに俺は気づくも、直後に枡山は自由になったその腕で俺の鳩尾(みぞおち)に向けて強烈な肘鉄(ひじてつ)を撃ち込んできていた。

 

「がはぁっ!!!」

 

腹に衝撃が走り、肺の中の空気が一気に口から吐き出される。

その息苦しさから、ついに枡山の銃を持っていた腕までも放してしまった。

鼻と腹の痛みで膝をつきそうになる体を何とか支え、俺は枡山を睨みつける。

だが枡山はそんな俺の様子には意に介さず、手に持ったその銃を呆然と見つめる広田雅美と灰原の嬢ちゃんへと再び向けてきたのだ。

何が何でも今この場でこの二人を殺そうという腹積もりなのだろう。

 

「ぐっ……ぐおおおおおッ!!!!」

 

俺は顔と腹の痛みをこらえながら、必死で枡山に飛び掛かる。

 

「ぐふっ!!」

 

枡山は俺に再び両手を掴まれ、床に押し倒されたことで苦悶の声を上げる。

そしてその衝撃からか、枡山の持っていた銃が火を噴いた――。

 

 

 

 

――パシュッ!!

 

――パシュッ!!

 

――パシュッ……!!

 

 

 

 

立て続けに三発。銃が暴発し、そこから銃弾が飛び出る。

しかし、その三発ともカエル先生たち三人がいる方向とは全く違う、明後日の方向へと飛んで行った。

 

「ぐぅっ、放せッ!!」

「大人しくしろ、枡山!!」

 

俺と枡山はもつれ合って床を転げまわる。だが、顔と腹にダメージを負っている今の状態ではなかなか枡山を取り押さえることが出来なかった。

その途中、また銃が暴発し流れ弾が当たる危険性が脳裏をよぎり、俺は枡山と取っ組み合いをしながらカエル先生たちに声を上げる。

 

「先生!!早く二人を連れてこの部屋を出てくれ!!」

「わ、分かった!!」

 

すぐさま頷いたカエル先生は急ぎ、広田雅美と灰原の嬢ちゃんを連れて部屋を飛び出して行った。

 

「待てッ!!」

「行かせてたまるかよッ!!」

 

慌てて立ち上がって後を追おうとする枡山の体にしがみ付いて再び床へと引きずり倒す。

バタン!と枡山が床に倒れた直後、一瞬部屋に静寂が訪れる。

 

「……?」

 

その時ふいに、チョロチョロと()()()()()()()()()が俺の耳に流れ込んできた。

何だ?と思い、半ば無意識に視線がその音の発生源を探し、見つける。

すぐそばにあった棚の一番下段に収納されていた大きな木箱に小さな穴が三つ開いており、そこから透明な液体が溢れ出していたのだ。

どうやら先程枡山が撃った三発の銃弾がこの木箱に当たっていたらしい。

 

『スピリタス』と書かれたその木箱から漏れた液体は、床に小さな川を作って伸びていき、()()()()()()()()()()へと接触する。

 

それを見た途端、俺の顔から一気に血の気が引いた――。

 

 

 

 

 

俺が枡山を拘束した時、その反動で枡山の口から落ちた()()()()()()()

それにアルコール度数95%で()()()()の強烈な(スピリタス)が、接触してしまったのだから――。




時間はかかりましたが、一万字越えで何とか投稿です。

次回は今回よりもオリジナル展開満載で行きます。


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カルテ22:枡山憲三(ピスコ)【11】

毎回の誤字報告。及び感想ありがとうございます。


SIDE:江戸川コナン

 

 

 

「カエル先生、こっち!」

 

酒蔵から飛び出してきたカエル先生たちに俺はすぐさま声をかけた。

先頭にいたカエル先生がそれに気づき、明美さんと灰原を連れて俺の元へ駆け寄って来る。

 

「新一君、今までどこに?」

「話は後だ。とにかく今は灰原を博士の車に!」

「あ、ああ。分かった」

 

そう言ったカエル先生は明美さんと彼女が抱える灰原を連れて俺を追い越し、ホテルの正面玄関へと駆けて行く。

俺は酒蔵で今もピスコと取っ組み合っている伊達刑事の事が気がかりだったが、デバイス頼りとは言え彼は現職の刑事。いざとなれば()()()()()()()()()()()()()と俺は判断し、後ろ髪を引かれる思いではあったがカエル先生たちの後を追って俺も阿笠博士の車へと向かった。

 

――しかしその途中。予期せぬ事態が起こった。

 

 

 

 

 

 

 

――ジリリリリリリリリリリリリーーーーーッ!!!!

 

 

 

 

 

 

車に向かうために走り出した、その一分もしないうちに――ホテル全体に火災報知器のベルがけたたましく鳴り響いたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:伊達航

 

 

 

 

 

――ボォゥッ!!!!

 

 

 

 

 

「おわぁっ!?」

「ぐぅっ!!」

 

煙草の火に流れてきたスピリタスが接触した瞬間、小さな火種が瞬く間に大きく燃え広がった。

まるで床を走る様にスピリタスを伝って大きくなった火は、床からスピリタスの入った木箱へと燃え移り、次にその木箱が置かれていた棚へと燃え広がってあっという間に部屋全体を炎が包み込んだ。

それとほぼ同時に火災報知器がジリリリリッ!と鳴りだし、俺と枡山は迫りくる炎の迫力と熱気に押されて絡まったまま床の上を転がった。

その瞬間、俺は枡山を拘束していた手を放してしまっていた。

奴がその好機を逃す訳もなく、すぐさま俺を突き飛ばすと立ち上がってカエル先生たちの後を追うように酒蔵から飛び出して行く。

 

「待てっ!!……クソッ!!」

 

悪態をつきながら、俺は立ち上がり部屋のドアまで辿り着くと小さくなっていく枡山の背中に声を張り上げていた。

 

「オイ!諦めて大人しく投降しろ!!()()()()()()()()()()()()()()()!!」

 

だが、俺のそんな言葉など戯言だとばかりに、枡山は足を止める事無く俺の視界から小さくなっていく。

チッ!と舌打ちをした俺は酒蔵へと振り返る。炎はいよいよ増して燃え盛り、酒蔵全体を火の海へと変えていた。

直ぐに消火に当たるべきなのだろうが、奴も野放しにはしておけない。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

一瞬迷った俺だったが、この部屋にはもう誰もいないのを理由に俺は人命を優先して直ぐに枡山の後を追って部屋を飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:三人称視点。(黒の組織)

 

 

 

 

伊達が酒蔵を飛び出したのと、煙突からジンが暖炉の中へと降り立ったのがほぼ同時だった。

暖炉から出たジンは火の海となった酒蔵を見渡し、誰もいないことを確認すると小さく舌打ちをする。

()()()()()がいないことが分かるや否や、彼は踵を返して暖炉の中へと戻り、来た時同様に煙突の中を上へと登った。

そして煙突を登り外へと出たジンは、そこで待機していたウォッカに声をかけられる。

 

「アニキ、どうでしたか?」

「……()()()()()()()。……ウォッカ。至急、このホテルのセキュリティシステムをハッキングして、ホテルの照明を全部落とせ。停電にしてこのホテルを囲っているサツ共の眼を暗ますんだ。いいな?」

「へ、へい!」

 

一方的にウォッカに対してそれだけを指示すると、ジンは携帯を取り出し何処かへと電話をかけ始めた。そして電話に出た相手に開口一番に要件を口にする。

 

「……俺だ。まだホテルの中にいるな?――」

 

 

 

 

 

 

 

「――()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

 

突然、鳴り響きだした火災報知器のベルに嫌な予感を覚えた俺は、カエル先生たちを先に行かせて俺は酒蔵へと踵を返した。

そして視界に酒蔵の出入り口が見えた途端、そこから飛び出してくる人影があった。

 

――ピスコだ。

 

それを認識した俺は思わず廊下に置かれていた大きな観葉植物の物陰に隠れる。

何とかピスコを捕らえたい所ではあったが、麻酔銃はジンに使ってしまってもう弾切れ。キック力増強シューズを使おうとも考えるも、その場に俺が蹴り飛ばせそうな物は見当たらなかった。

ピスコを捕らえる方法が見つからずその場でヤキモキとしていると、ピスコは俺の存在に気づく事なく、俺が隠れている観葉植物の脇を通り過ぎて、そのまま()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と消えて行った。

そして少し遅れてピスコを追いかけて伊達刑事も酒蔵から飛び出し同じように俺の横を通り過ぎて行く。

俺もまた、それにつられる形で伊達刑事の後を追いかけ始めた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:枡山憲三(ピスコ)

 

 

 

 

私を捕まえていた刑事から逃げおおせた私は、酒蔵を飛び出すと拳銃を持ったまま息を切らせて廊下を走っていた。

刑事に逃がされたあの医者と宮野姉妹を今から追っても人目に付く恐れがある。もしかしたら、既にこのホテルにいる警官たちに保護されているのかもしれない。

だとしたら連絡手段を持たない現状、あの姉妹を殺す事はもはや不可能だ。

そう考えた私は宮野姉妹の抹殺を諦め、一刻も早くジンたちと合流する方向へと目的を変えた。

今からでも彼らと合流して『あの方』とコンタクトをとり、私の権力と『組織』の力でどうにかこの一件をもみ消すのだ。

あの医者が宮野明美を匿っていた事、そしてシェリーの作った例の薬の効果を『あの方』に報告すれば、うまくすれば私のこの失態を帳消しにしてくれるやもしれん。

それに私には『あの方』に()()()()()()()実績もある。この程度の失態、『あの方』なら恩情をかけてくださるはずだ。

人気のない廊下を選びながら走り、私がそんな事を考えていたその時。

 

「こぉらぁ、待てぇぇぇーーーーッ!!」

「!?」

 

後ろから聞き覚えのある声が耳に入り、走りながら反射的に振り向く。

するとそこには先程のあの刑事が全速力で私を追いかけてきている姿があった。

しかも驚く私の視界の中で、奴は着実に私との距離を縮めて来ている。

『組織』の幹部とは言え、70代を越えた私とまだ若手の彼とでは体力や走る速さに雲泥の差があるのは当たり前の事であった。

必死に逃げる私の背中に向けて、奴は手を伸ばした。

捕まる。そう思った瞬間、私は振り返りざまに奴に銃口を向けようとし――。

 

 

 

 

――フッ。

 

 

 

――唐突に目の前が真っ暗になり、私が銃を構えるのと奴の手が空を切るのがほぼ同時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:伊達航

 

 

 

 

「なぁっ!??」

 

もう少しで枡山の背中に手が届くと思われたが、突然目の前が真っ暗になり俺の手は空を掴んでいた。

クソッ!!っと悪態をつこうとした次の瞬間、パシュッ!!という気の抜けた音と共に俺の頬を何かがかすめて後方へと飛んで行った。

それが枡山の持っていた銃口から放たれた弾丸だと気づいた瞬間、俺は反射的に廊下にしゃがみ込む。

何で真っ暗になったかは知らねぇが、この闇の中じゃ迂闊に動くことができねぇ。

だが、それは向こう(枡山)だって同じことだ。この暗さじゃ暗視ゴーグル無しで俺を狙うのは不可能だろう。

ズキズキと(うず)く頬の痛みを感じながら、俺は暗闇の中で奴の様子をうかがう。

すると、枡山は俺を殺す事を諦めたのかなんとこの暗闇の廊下の中で走り出したようであった。

一寸先さえ見えない状況だというのに何とも無茶をする。

段々と遠ざかっていく枡山の足音を聞いて俺は慌てて立ち上がる。

 

「待てっ!!」

 

俺は去って行く枡山にそう叫ぶも、その場から一歩も動けずにいた。

この暗闇の中じゃあ迂闊に走れば何かにぶつかったり転倒したりするのは目に見えていたからだ。

 

(なのに何で奴はそれでもこの闇の中で走れんだ?)

 

怪訝な顔で俺がそう思った時だ。

 

「伊達刑事!」

「!」

 

唐突に聞き慣れた声が俺の背後から聞こえ、振り返る。

その瞬間、眩しい光が俺の視界を遮った。

 

「うぉっ、まぶしっ!」

「ああ、ごめんね伊達刑事」

 

かざした手の陰から目を細めてその人物を見る。そこにはあの江戸川コナン(眼鏡の坊主)が立っていた。

光の発生源は坊主の腕から出ており、どうやら坊主の付けた腕時計の文字盤が光っているようであった。

 

(あの腕時計、懐中電灯の機能でもついてんのか?)

 

俺がそんなどうでもいい事を思いながら、坊主に声をかける。

 

「坊主、何でこんな所に?」

「走る伊達刑事と枡山会長を見つけたから追って来たんだよ。そんな事よりも枡山会長は?」

「逃げられちまったよ、クソッ。真っ暗にならなけりゃあ、捕まえられたかもしれねぇってのに……何が起こったんだ一体?」

「分からない。でも、どうやらこのホテル全体が停電しちゃったみたいだよ?」

 

このホテル全体が停電?このタイミングでか?……何か作為的なモノを感じるが。

まさか、これも例の『組織』とやらの仕業なのか?

 

「この暗闇の中じゃあ恐らく目暮警部たちの方もてんやわんやしてんだろうなぁ。これじゃあ枡山の奴にまんまと逃げられちまう……!」

「枡山会長、この廊下の先に逃げて行ったんだよね?携帯で他の刑事さんたちに連絡して包囲網を張ってもらうのは?」

「悪ぃが、携帯は今持ってねぇ。酒蔵に突入する前に落として無くしてそれっきりだ」

「……マジで?」

 

俺の言葉に呆気にとられる坊主を前に俺は考える。

 

(どうにかして枡山の行く場所を突き止められないものか……!)

 

むぅぅ、と唸る俺の眼の前で、坊主も顎に手を置きながら考える仕草をしていた。

年相応の子供とはかけ離れた、大人びた表情で真剣に考え込む坊主。カエル先生からこの坊主の正体が工藤新一だと聞かされた当初は流石に半信半疑だった俺だが、先程の灰原の嬢ちゃんの一件でもはや疑う余地がなくなっていた。

 

(元『組織』の人間だって言う灰原の嬢ちゃんはまだしも、この坊主は一体どういった経緯で『組織』の存在を知ってこんな体にされちまったんだ?)

 

枡山を追っている最中だというのに、俺がそんな事を思っていた次の瞬間、坊主はハッと顔を上げて腕時計の光で暗闇の廊下の奥を照らしだした。

 

「……待てよ?確かこの先には……()()()()()()()()()()……」

 

坊主がそんな独り言をポツリポツリと零した瞬間だった。

 

「っ!」

「あ!おい!」

 

突然、坊主が何かに気づいたかのように勢いよく走りだした。

それに遅れて俺も慌てて坊主の後を追う。

そして走りながら坊主の背中に向けて声をかけた。

 

「おい、どうしたんだ一体!?」

「もしかしたら分かったかもしれない!枡山会長の行き先!!」

「本当か!?」

「確証は無い!確証は無いけど、多分間違いないと思う!」

 

坊主は俺にそう叫びながら走るスピードを上げて、闇に染まる廊下の中を懐中電灯の光で照らしながら全速力で駆け抜けて行った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:カエル顔の医者(冥土帰し)

 

 

 

 

 

博士(ひろし)。明美君と哀君を連れて一足先に米花私立病院へ行ってくれ。僕も自分の車ですぐに向かうから」

「ああ、分かった」

 

酒蔵を出て博士と合流した私は、明美君たちをビートルに乗せると博士にそう言い、了承した博士はそのままビートルを米花私立病院へと向かって行った。

それを見送った私は背後にある杯戸シティホテルへと振り返る。

ホテルの中は未だに闇で覆われており、中からは突然の停電に戸惑いパニックになっている人々の声がここまで届いて来ていた。

ホテルを出る直前に起こったこの停電は未だに明かりがつく様子が見られない。

ふと、ホテルの旧館がある方向へと目を向ける。雪の降りしきる分厚い雲で覆われた夜ではあったが、暗がりに慣れた私の肉眼は、そこから立ち上る大量の煙をとらえていた。

どうやらさっきの火災報知器のベル、その火元はあそこから出たらしい。しかも恐らくはあの酒蔵から。

私たちがあの酒蔵から脱出した後に何かあったのだろうか?

伊達刑事と枡山会長。二人の安否が私には気がかりだった。それに、途中で別れた新一君の事も。

 

(火事に続いてこの停電……もしかしたら、多くの怪我人が出てしまう恐れがあるね)

 

鳴り響いた火災報知機に続いてこの停電だ。しかも、普通ならホテルなどの施設の場合こんな時のために予備電源が作動して直ぐに明かりがつくはずだというのにそれすらも起こる様子がない。

これはホテルの中の人々のパニックもひとしおだろう。

下手すれば集団パニックが起こり、負傷者が多数出てもおかしくはない。

ならば、そうなった時のために医者である私が(おもむ)かないわけにはいかないだろう。

幸いにも、哀君の怪我は命にかかわるほどのモノでもなく、応急処置も済んでいる。

今後の彼女の事は米花私立病院のスタッフに任せても問題は無いだろう。

 

そう判断した私は、自身の車に積み込んである医療器具を取りに行くため、ホテルを迂回して裏側にある駐車場へと足を向けた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:枡山憲三(ピスコ)

 

 

 

息を切らせてあの刑事から逃げ切った私は、ホテルの裏側にある駐車場へと来ていた。

……念のためにこのホテルの見取り図を頭の中に叩き込んでいてよかった。それに、あの議員を殺すのに前もって何度も調べにここへ足を運んでいた事も功を奏した。

一応、万が一にも犯行がバレてしまう事を恐れ、このホテルを脱出するための逃走経路なども確保していた。

そのおかげであの暗闇の中でも何度か壁にぶつかったり転倒しかけたりしたものの何とか駐車場(ここ)まで辿り着くことが出来たのだ。

ここまで来る間にようやく暗闇の中に慣れた私の眼は、多くの車が停まる駐車場内を一瞥した後、フッとホテルの方へと視線を向ける。

旧館の方は未だに煙が立ち込め、ホテルの中は真っ暗だ。しかも未だに予備電源が作動していない所を見るに、この停電は作為的に――恐らくはジンたちが何かやったのだろう事が容易に想像がついた。

 

(……おかげで警察もこの非常事態に混乱し、容易く包囲網を潜り抜けることが出来た)

 

そうしてほくそ笑んだ私はここまで走ってきたために乱れた呼吸を整えながら、フラフラとした足取りで()()()()()()()()()()()()()()向かった。

携帯を失い、連絡手段を失った私は車の中に置いてある予備の携帯を取りにここに来たのだ。

 

(……それに、もしかしたら連絡が取れなくなった私を探しに()()()ここに来ている可能性だってある。彼女も私がここに車を止めている事を知っているはずだしな)

 

そう思いながら私は自身の車が停まっている駐車スペースへとやって来ていた。

周囲を確認する。誰もいない。

(くだん)の『彼女』がいない事に、私は少し落胆を覚えるも、今は『あの方』に連絡するのが最優先だと思考を切り替え、雪が薄く積もる車の助手席側のドアに手をかける。

鍵を開け、扉を開き、ダッシュボードの中にある予備の携帯を取るために蓋を開けた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ!……無い!?」

 

 

 

 

 

 

私は驚愕に目を見開く。ダッシュボードの中に入れていたはずの予備の携帯電話が影も形も無かったのだ。

そんな馬鹿な。確かにここに入れて置いたはず……!

 

「……探し物は、これかしら?」

「!?」

 

背後から唐突に響かれた冷たい女の声に、私は反射的に振り返った。

 

「なぁっ……!?」

 

そこにいた人物を視界に収めた瞬間、私は更に驚愕し目を丸くする。

 

――そこには女が立っていた。

 

――私がこの車で待っているかもしれないと思っていた『件の彼女』がそこにいた。

 

――()()()()()姿()()()()()()()()、アメリカ人の妙齢の黒服の美女が私の予備の携帯電話を片手で握りしめて立っていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

――もう片方の手に、サプレッサー付きの拳銃を握りしめ、その銃口を私の頭に標準をピタリとつけて構えながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それを目にした私は動揺を隠しきれず、つい反射的に叫んでいた。

 

「な、何の真似だ――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ベルモット!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、私のそんな叫びは彼女の冷笑で一蹴される。

 

耄碌(もうろく)したわね、ピスコ。……何故あのカメラマンを直ぐに始末して、フィルムを隠滅しなかったの?」

「か、カメラマン?フィルム?……何の事だ?」

 

流暢(りゅうちょう)な日本語でそう言う彼女――ベルモットに、私はただただ混乱するばかりだ。

まるで訳が分らない。てっきり最初はシェリーを逃がした事への失態が原因かと思ったが、カメラマンやフィルムとは一体何の事を言っているのだ?

そんな私の様子を見てベルモットは「ハッ!」と私を小馬鹿にするように声を上げた。

 

「やっぱり、まだ気づいていないようね。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「大……失態……???」

 

動揺しながらそう聞き返す私に、ベルモットは丁寧な口調で静かに説明し始める。

 

「……知ってた?あの暗闇の中、とある報道カメラマンが会場にいた著名人男女の密会現場のスクープ写真を撮ってたって事を。……その男女はアナタも知ってる、樽見と南条の二人よ」

「そ、それが一体何だと言うのだ!?」

「その熱愛報道が、明日の朝刊で差し替えられるそうよ――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――その二人の背後で、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

「――ッ!!??」

 

思考が、一瞬停止する。

馬鹿な。そんな馬鹿な!?そんな凡ミスを私がしてしまったというのか!?

呆然とする私に失笑を浮かべながらベルモットはまくし立てる。

 

「全く。本当につまらない幕切れね。長年『組織』に仕えていたベテランがこんなミスを犯すなんて。……あのハンカチにしたって、機転を利かせて()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()って言うのに、それが全部だ・い・な・し♪」

 

心底落胆したとばかりにやれやれと肩を落とすベルモット。

そんなベルモットに私は声を震わせながらも何とか言葉を絞り出す。

 

「よ、よせ!止めろベルモット!私を殺すと、シェリーを探せなくなるぞ!?私には見当がついている!……そ、それに、『あの方』に長年仕えた私を殺すと、いくら『あの方』の()()()()()であるお前でも、立場が危うくなるぞ……!?」

 

だが、そんな私の言葉にもベルモットは鼻で笑って見せると、()()()()()()を私に語って聞かせた。

 

「――悪いわね。……これはついさっき、ジン経由で受けた『()()()()()()()()()()

「なっ……!?」

 

ベルモットのその言葉に、今度こそ私は放心状態になる。

そんな私に、ベルモットは淡々とした口調で言葉を続ける。

 

「もう既にそのスクープ写真はネットにも上げられているそうよ。『アナタの失態』が全世界に拡散されるのも時間の問題。こうなってしまってはもう『組織』もアナタをかばい切れないわ。もはやアナタは『組織』に不要な存在……『組織』にとって害なす存在でしかないのよ」

 

そこでふと、私の脳裏に酒蔵で逃走する際にあの刑事――伊達航が私に放った言葉が飛来する。

 

 

 

 

 

 

 

『オイ!諦めて大人しく投降しろ!!()()()()()()()()()()()()()()()!!』

 

 

 

 

 

 

あの時は、私を少しでも足止めするために言った言葉だと思っていたが、今思えば奴は私にこの事実を伝えたかったのではないだろうか?

だがそんな事に今更気づいても、もう既に後の祭りだった。

立ち尽くす私に、ベルモットは最後の別れだとばかりに静かに呟く。

 

「『組織』の力を借りて、ここまで上り詰めることが出来たのでしょう?もう充分いい夢は見れたわよね?――」

「ん、ぐぅ……!」

 

冷や汗をびっしょにとかきながらゴクリと生唾を飲み込む私に、目の前の『魔女』は感情の籠らない声で締めくくる。

 

 

 

 

 

「――続きは向こう(あの世)で、見る事ね……」

 

 

 

 

そうして私の目の前で、彼女は自身の持つ拳銃の引き金に力を込めた――。




最新話投稿です。

季節の移り変わりの影響か、仕事疲れが溜まりやすくなっておりまたもや遅くなってしまいました。
ですがその分、今回も一万字越えと相成りましたのでそれでご勘弁のほどw


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カルテ22:枡山憲三(ピスコ)【12】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。

今回から完全にオリジナル展開に移行します。


SIDE:三人称視点。(黒の組織)

 

 

 

 

シンシンと雪が降り続ける中、ベルモットは()()()()()()()()()()()()()顔を歪める。

その視線の先には、()()()()()()()()()()()()()()()姿()()()()()

そして、()()()()()()()()穿()()()()()()()ピスコの更に向こう側には、いつの間に来ていたのかジンとウォッカが立っており、ジンの手には()()()()()()()()()()()()()()()()()()――。

 

()()()()()。ベルモット」

「……全く。()()()()()()()が私に当たったらどうするつもりだったのかしら?ジン」

 

フンと鼻を鳴らしてそう呟くジンに、ベルモットは少し不貞腐れたような口調でそう返した。

そして、今一度倒れたピスコを見下ろしながら言葉を続ける。

 

「……それに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

ベルモットのその言葉にジンは大きく舌打ちをし、ベルモット同様倒れ伏すピスコを睨みつけた。

 

――目的のピスコの始末には成功した。しかしジンたちは今、()()()()()()に陥っていた。

 

それはほんの十数秒前にさかのぼる――。

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:枡山憲三(ピスコ)

 

 

 

 

「――続きは向こう(あの世)で、見る事ね……」

 

目の前で自分に銃を突き付けて来る(ベルモット)にそう言われている今この瞬間も、()()()()()()()()()()()()()()

この女の言う通り、私は今までの人生――その全てを『組織』のために尽力し注ぎ込んできたのだ。

自分の手を汚したことも数知れず、他人(ひと)に言えない事も躊躇いなくやって来た。

 

そう、全ては『あの方』に忠義を尽くし認められるがために……!

 

そのかいあって今の私は大手自動車メーカー会長という椅子に座ることが出来たのだ。

『組織』に入る前の私ならば想像もしていなかった輝かしい未来だ。

富、名声、そして権力。もはや私に怖いものなど無い。

『組織』に――『あの方』に生涯を尽くしていれば、私は何不自由なく人生を謳歌し続けられるのだ……!

 

 

 

 

 

……なのに。

 

……そう、思っていたというのに。

 

……こんな形で、私の生涯は幕を閉じるのか?

 

……ここまで多くの犠牲と苦労を重ねて登り詰めたというのに、こんな……トカゲのしっぽ切りという形で枡山憲三()の人生は終わってしまうというのか……!?

 

 

 

 

そんな……そんな事――。

 

 

 

 

 

 

――私は、断じて認めんッ!!!!

 

 

 

 

 

 

『組織』の力を借りたとは言え、今の私は大手自動車メーカー会長、枡山憲三だぞ!?

経済界の大物とまで言わしめた時の権力者だぞ!!

そんな私がこんな無様な形で人生に幕を引いていい訳がない!!いや、あってはならない!!

 

何とか……何とか、この窮地を脱出して逃げ延びなくては……!

 

しかし、どうやって……!?

今私が持っているのは右手に持っている銃のみ、だがその銃も銃口を下にして(おろ)した状態だ。

それを今からこの女に向けて構えようとしても、それよりも先に女の銃が火を噴いて私の頭を弾丸が貫く事は目に見えている。

それに、用心深いこの女の事だ。私を撃とうとするこの瞬間も、反撃を恐れて私の持つ銃から注意をそらしはしてはいないのだろう。

クソッ!……どうする?完全に手詰まりだ。

右手の銃は使えないし、左手は手ぶらで今は()()()()()()()()()()()()だ。

 

こんな状況で反撃などできるはずが……――!!

 

 

 

 

 

 

 

 

――()()()()()()()()()()()()()。それと同時にベルモットが銃の引き金に力を込めるのが視界に入った。

 

――()()()()()()()()()()()()

 

ベルモットが銃の引き金を引くよりも先に、私は車の屋根に乗せていた左手を()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

――パシャリ……!

 

 

 

 

 

 

「――ッ!??」

 

狙いすましたかのようにベルモットの顔に()()()()がかかる。

私からの予想外な反撃に驚いた彼女は反射的に大きくのけ反り、銃口の照準を私から離してしまった。

()()()()()()()()()()()()()に助けられた。無意識に車の屋根に手を置いていた事も、この女が手ぶらな私の左手に注意していなかった事も功を奏する一手となった。

この女の銃口から逃れられた私は、すぐさま先程とは逆に自らの顔を手で抑える彼女の頭に向けて自身の銃口を構える。

 

――形勢逆転。……そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

「かがめ!」

 

――そう、私の背後で短くそう響かれた()()()()()()()()()()()を聞くまでは。

 

 

 

 

 

 

 

声が響いたと同時に(ベルモット)が顔を手で抑えたままほぼ同時に膝を崩す。

 

そして更に同時に、私の背中に強い衝撃が走ったかと思うと、私の意識が強制的に闇に飲まれていった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:三人称視点。(黒の組織)

 

 

 

 

枡山憲三(ピスコ)の反撃は撃ち殺そうとしていたベルモットにとっても、そして実際に手を下したジンにとっても予想外の事態であった。

 

ピスコの読み通り、ベルモットはピスコを殺そうとするその瞬間も、油断を許さずピスコの持つ銃に注意を払っていた。

しかし銃に意識を向けるあまり、ピスコの左手の注意がおろそかになっていたのも事実だった。

実際、丸腰で車の屋根に乗せたままの左手に脅威を示す者など、彼女では無くてもいなかっただろう。

こちらは銃を持ち、かつ頭に狙いを定めている状態だ。不意を打って殴りかかって来たとしてもベルモットは余裕で対処が出来る自信があった。

 

――だが、ピスコが車の屋根に積もった雪を顔にかけてきた事は完全に予想外だった。

 

とっさの事にベルモットは判断を遅れてしまい、顔にかかった雪が両目に入ってしまう。

結果、視界を封じられてしまいピスコの頭に構えていた銃口が外れてしまった。

 

そして……それを車に()()()()()()()()のジンが、ウォッカと共に目撃する。

 

もう既にベルモットによってピスコは始末されているだろうとそう結論付けていたジンは、その光景を見て驚きに目を見開く。

その予想外の事態に(ジン)は思わず銃を取り出すと、ベルモットに「かがめ」と短く伝えたとほぼ同時に、ピスコの背中に銃弾を浴びせていたのだった。

手を下す人物がベルモットからジンに変わったものの、目的を果たすことが出来た。

 

――しかし、ジンはこの時点で大きなミスを犯していた。

 

屋上からジンはウォッカと一緒に駐車場へと急ぎ向かっていたのだが、その途中彼は服の中に拳銃を戻す時に――。

 

 

 

 

――わざわざ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 

 

 

ジンにとっては、あの暗闇のホテルの中とは言え、移動中に拳銃を持ったままだと誰かに見られる恐れがあり、かと言ってそのまま服の中に隠そうにもサイレンサー付きだと大きすぎてしまえないため、外してしまおうと考えるのは当然の判断であった。

 

――だが今回、その判断が裏目に出てしまった。

 

反射的にジンがピスコに銃を構えた時、当然ながらその銃口にはサイレンサーは取り付けられてはいなかった。

銃声を抑える役割を持つサイレンサーが付けられていないその拳銃を撃てばどうなるか……それは子供でも分かる事であった。

 

 

 

 

 

――パァン!

 

――パァンッ!!

 

――パァンッ!!!

 

 

 

 

 

駐車場に三発の銃声が連続して大きく轟き渡った。それはもう大きく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――。

もはやホテルや周辺から銃声を聞きつけ誰かがやって来るのも時間の問題だろう。

そう考えたベルモットは急ぎジンに声をかける。

 

「早く逃げるわよ、ジン!」

「待て。その前にピスコの息の根を完全に断つ」

「な、何言ってるんですアニキ!?ピスコの奴、もうくたばってんじゃあ……!?」

 

冷静な口調でそう呟くジンに、ウォッカが動揺しながらそう疑問を口にする。

そんなウォッカにジンは少し苛立ちを露にしながら、声を上げた。

 

「まだ安心は出来ねぇ!コイツの脳天に鉛玉をぶち込まねぇかぎりな!……こと、まだこのホテル内に()()()()()()がいるかもしれねぇのなら尚更だ……!!」

 

そう言いながらジンはピスコにとどめを刺すために彼の頭に標準を合わせようとした――。

 

――だが、その判断は今一歩遅かった。

 

――今現在、ジンが恐れていたその人物の声が、駐車場内に唐突に木霊した。

 

 

 

 

 

 

「おーい!誰か、そこにいるのかい!?」

 

 

 

 

 

『!!』

 

その声に、ジン、ウォッカ、ベルモットの三人が一瞬凍り付くも直ぐに冷静さを取り戻す。

今響いた声の大きさからして、自分たちとその声の主との距離はまだ少し離れているように思えた。

とすれば、自分たちの姿はまだ見られてはいないはず。

そう考えたベルモットはジンとウォッカに声をかける。

 

「誰か来る。隠れるわよ……!」

「へ、へい!」

「チィッ!」

 

ベルモットのその言葉に、ウォッカが素直に従い、ジンは舌打ちをして口惜しそうに倒れ伏すピスコを一睨みするとベルモットを先頭にしてその場を離れた。

 

 

――そして一分もしないうちに、ピスコの倒れるその現場に一人の医者が現れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:カエル顔の医者(冥土帰し)

 

 

 

 

私が駐車場へ一歩足を踏み入れた瞬間、駐車場内で三発の乾いた音が轟き渡った。

その音に私は一瞬凍り付くも、私の脳がその音が銃声だと理解した途端、すぐさま足が動いていた。

すぐさま音のした場所へ向かおうとするも、このホテルの駐車場は結構広く、また殺人事件が起きた後ではあったものの、そこには宿泊客やホテルスタッフのだと思しき車が多く駐車しており、なかなかその場所を特定出来ずにいた。

唯一幸いだったのは、ホテルの中とは違い駐車場に設置されている外灯が停電していなかったことぐらいだ。

そのため、駐車場は今のホテルの中と比べると比較的明るくなっている。

しかしそれでも、その外灯は駐車場内にはポツポツと片手で数えるくらいしか点在していないため、駐車場内を全体的には照らしきれておらず、その灯りが届いていない部分も多かった。

気が焦った私はつい、銃声がしたと思しき方向に向けて大きな声を駐車場の真ん中で上げてしまう。

 

「おーい!誰か、そこにいるのかい!?」

 

すると、私の視界の端で何かが動くのが見えた。

目を凝らして見る。距離が遠くてはっきりとは見えないが、数人の小さな人影がどこかへと走り去って行くのが見えた。

私は慌ててその人影たちがいた場所へと駆けつけた。

そしてその付近に到着すると、私は暗闇の中、目を凝らしながら周囲を見回してみる。

ぐるりと360度視界を回転させると、とある場所に視線が釘付けとなった。

外灯の明かりが届いていない駐車スペースの一部。そこに停まっている車と車の間に挟まれるようにして誰かが倒れているのが見えたのだ。

よくよく目を凝らすとそれはうつ伏せに倒れた枡山会長だった。すぐさま私は彼に駆け寄る。

 

「一体どうしたんだい?しっかりするんだ!」

 

そう声をかけながら私は枡山会長に触れる。すると手にぬめりとした感触が伝わり、何かが付着する。

 

「……!」

 

その感触と鼻につく独特の臭いを()()()、日常的に慣れてしまうほどに知っている私は思わず息を呑む。

改めて枡山会長を見ると彼を中心に血だまりが広がっているのに気づいた。

 

「これは……!」

 

私がそう声を漏らした時だ。

 

「おーい!誰かいるのかぁー!?」

 

()()()()()()が私の耳に届き、反射的にその声の持ち主に向けて声を上げる。

 

「ここだよ伊達刑事!ここだー!」

「その声……カエル先生か!?」

 

ヒョイと私が頭を上げると、ホテルの方からその声の持ち主である伊達刑事が駐車している車の群れの合間を縫ってこちらへ駆けて来るのが見えた。

そしてある程度こちらに近づいて来た時、伊達刑事のそばにもう一人いる事に私は気づいた――。

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

 

 

「おや、新一君。キミも伊達刑事と一緒にいたのかい?」

「カエル先生、何でここに!?」

 

連絡手段を失ったピスコが逃走した際、仲間と合流するために自分の車に戻って来るかもしれないと踏んだ俺は伊達刑事と共に駐車場へと駆けつけて来ると、そこには既にカエル先生(先客)が居た――。

 

「細かい説明は後回しだ。彼を助けるのを手伝ってほしい」

 

驚いてそう問いかける俺に構わず、カエル先生は端的に俺と伊達刑事にそれだけ言うと、自身の体を少しずらして背後で倒れ伏している人物を俺たち二人に見えるようにした。

 

「ッ!!……枡山!?」

「!!」

 

血だまりに沈む枡山さん(ピスコ)を視界に収めた瞬間、伊達刑事と俺は目を見開いて絶句する。そんな俺たちにカエル先生は枡山会長の現状を淡々と口にした。

 

「もはや虫の息だ。いつ死んでもおかしくない状況だから手を貸してほしい」

「何をすればいい?」

 

すぐさま俺ががそう聞くと、すかさずカエル先生がそれに答える。

 

「新一君は救急車を。伊達刑事は私の車のトランクから急ぎ医療道具の入ったカバンを()()()()持って来てくれ。私の車はこの近くに駐車してある。場所は――」

 

そうしてカエル先生は自分の車が停まっている駐車スペースに記されていた番号を伊達刑事に伝えると同時に、ポケットに入れていた車の鍵を彼に渡した。

それをすぐさま受け取った伊達刑事はカエル先生の車へと走り出す。

入れ違いに伊達刑事たちの後へ続くようにしてホテルから目暮警部たち警察もここへと集まって来た。

更に無関係な宿泊客やホテルスタッフなども騒ぎを聞きつけてやって来たので閑静な駐車場の一角が途端に騒々しい雰囲気に包まれてしまう。

倒れている枡山さんを一目見た目暮警部たちはすぐさま状況を理解し、野次馬を遠ざけ始めた。

それを一瞥したカエル先生も枡山さんの応急処置を始める。

俺はカエル先生から借りた携帯で救急車を呼ぶのを済ませると、再びカエル先生に声をかけていた。

 

「どう?何とかなりそう?」

「心配はいらないよ。大丈夫さ」

「だよな。……よかった」

 

きっぱりと俺を安心させるようにそう言い切ったカエル先生のその言葉にホッと胸をなでおろす。こういう時は本当に頼りになる。そんな俺にカエル先生はついでとばかりに先程の「何故ここにいるのか」という俺の質問に答えてきた。

 

「……哀君たちを病院へと見送った後、このホテルの停電で多くの怪我人が出る事を見越してね。車に積んでいた医療器具を取りにここに来たんだよ。そしたら駐車場に入った途端に銃声がしてね。駆けつけてきたらご覧の有様だったわけだよ」

「その時、誰か見かけなかった?」

「去って行く数人の人影は見えたけど、遠目で暗かったから男か女かすら分からなかったね」

「そっか……」

 

カエル先生のその返答に俺はがっくりと肩を落とす。それと同時に人込みをかき分けて伊達刑事がカエル先生の医療道具を持って戻って来た。

 

「カエル先生!持って来たぜ。医療道具!」

「よし!それじゃあ今すぐ手術を開始するよ!」

「え?手術!?ここでか!??」

 

当たり前だとばかりにそう言ってのけたカエル先生に、伊達刑事が面食らう。

どうやら、伊達刑事はカエル先生の『緊急手術室』を見るのは今回が初めてだったらしい。

 

かくして、半ば呆然となる伊達刑事の背中をその手術を見た事がある俺や目暮警部たちで押しながらカエル先生を手伝い、前代未聞の駐車場のど真ん中での手術が開始された――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:三人称視点。(黒の組織)

 

 

 

 

 

「……まずいわね。あの先生、駐車場のど真ん中で手術を始めたみたいよ?」

「チッ!……やはりまだ息があったのか、ピスコ……!」

 

駐車場の端にある茂みの中で駐車場内の様子をうかがっていたベルモットのその言葉に、ジンが忌々し気にそう吐き捨てた。

茂みに隠れてすぐ、遠目からピスコに駆け寄って来る人物が『例のカエル顔の医者』であると認識した瞬間、ジンはすぐさまあの医者を殺してでもピスコを始末すべきだと言って行動に移ろうとしていた。

だがそれをベルモットが「()()()」と言ってジンを制する。

ピスコの息の根を止めること自体はベルモットも賛成だった。本来なら今すぐにでもピスコを殺してこの場から離れるべきだったのだろう。

しかし、この場にあの医者が現れてしまった事で()()()()()()()()()()()()()()

 

(……まさか、あの先生がここに来てしまうだなんて……!あの先生は『組織(私たち)』にとっても貴重な存在……『あの方(ボス)』の判断無しで、あの先生に手出しする事は出来ないわ……!)

 

ベルモットはそう思いながらジン同様に忌々し気に口元を歪める。

そうこうしているうちに、ピスコと医師のいる場所に人が集まり始めた。

これではもはやピスコに近づくことは出来ない。

いっそピスコだけでも今持っている拳銃で狙撃できないかとも考えたが、多く駐車されている車が障害となっておりそれも出来ない。

 

やがてピスコの倒れているその場所に()()()()()()()()()()のようなものが作られた。

 

ジンたちのいる所からでは医師や警察が何をしているのが良く見えず、そこから響く声などもあまり聞き取ることが出来なかったが、どうやらあの場で手術をしてピスコを治療しようとしている事だけはジンたちにも理解することが出来た。

 

「ど、どうしやすか?」

 

ウォッカのその呟きに答えたのはジンではなくベルモットであった。

 

「……最悪、()()()()に運び込まれるのだけは避けたいわね」

「米花私立病院か……」

 

ベルモットのその言葉に、ジンはそう呟く。

あのカエル顔の医者が経営する『米花私立病院』はそこいらの病院とはまるで違う。はっきり言って異質だ。

病院とは名ばかりの『難攻不落の要塞』。あそこに収容された患者は何人も退院するまで外部からの危害に脅かされることは無くなる。それが『米花私立病院』という施設の実態だった。

あそこにピスコが運び込まれれば、いくら『組織』でも簡単に手出しが出来なくなる。

いや、不可能という訳では無いが非常に厄介なのだ。

下手に強硬手段に踏み込めば、周囲の無関係な者たちをも多く巻き込む事態にも発展しかねない。

だからこそ、ピスコがあの病院に収容される事だけは何としても阻止したかった。

カエル顔の医者がピスコの手術を行っているのをただジッと指をくわえて見つめる事しか出来ないジン、ウォッカ、ベルモットの三人。

しかし、やがてベルモットが何かを思いついたのかジンに静かに声をかけてきた。

 

「……ジン。私に任せてくれる?……何とかピスコをあの病院に入れる事だけは阻止して見せるわ」

 

そう呟いたベルモットの視線の先には――たった今、駐車場に到着したばかりの一台の救急車の姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:カエル顔の医者(冥土帰し)

 

 

 

 

「……ふぅ、術式終了。急いで枡山会長を米花私立病院へ……!」

「わ、分かりました!」

 

枡山会長の体内から弾丸を摘出し、傷口を塞いで手術を終えた私は、救急車で駆けつけてきた救急隊員にそう言い、それに救急隊員ははっきりと頷いて見せた。

そうして枡山会長が救急車の中に入れられ、そのまま病院へと向かって行く。

それに続く形で警察官を乗せた一台のパトカーも護送のために救急車の後に付いて行った。

それらを見送った私は、新一君から返してもらったばかりの携帯電話で米花私立病院へと電話をかける。

 

「――……ああ、鳥羽君かい?今し方、救急車で患者を一名そちらに送った。すぐに病室の手配をしてくれるかい?患者の名前は枡山憲三。……そう、あの有名な自動車メーカーの会長さんだ。……ああ、頼んだよ」

 

電話口に出た鳥羽君に用件だけを手短に済ませて電話を切ると、そばに立っていた新一君と伊達刑事に声をかけた。

 

「僕はこのまま病院へと直行するけど、キミたちはどうする?」

「俺はカエル先生に同行するよ。向こうには先に灰原たちがいるんだよな?……なら俺も行かねぇと」

 

新一君がそう言って私と病院に向かう事を告げる。

対して伊達刑事は――。

 

「悪ぃな先生。俺はまだここで目暮警部たちと現場検証しなけれりゃならねぇから先に行っててくれ、直ぐに俺もそっちへ向かうからよ」

 

――そう言い残し、今後の事を話しあう目暮警部たちのいる輪の中へと入って行った。

その背中を見送った私と新一君は一路、私の車に乗って米花私立病院へと向かった。

今後の枡山会長の身柄をどうするか、新一君と相談を交わしながら――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――え?……な、何だって!?」

「ですから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。少し前に阿笠博士と雅田が怪我を負った灰原って子を運んできただけで、そのような患者を搬送して来た救急車なんて一台も来ませんでしたけど……?」

 

米花私立病院の受付前で鳥羽君に告げられたその言葉に、私と隣に立つ新一君は何が起こったのか分からずただ呆然と佇む事しか出来なかった――。




最新話投稿です。

後、一話か二話くらいでこの話は終了です。


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カルテ22:枡山憲三(ピスコ)【13】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。


SIDE:三人称視点。(黒の組織)

 

 

 

 

それは、カエル顔の医者がピスコこと枡山を運ぶ救急車を見送った、そのすぐ後の事であった。

 

暗い、雪の降る夜の町中を枡山の乗る救急車が米花私立病院へとひた走り、そのすぐ後ろを一台のパトカーが護送する形で追随している。

そして、その更に百メートル後方。救急車とパトカーを追いかける形でもう一台、別の車が走っていた。

 

黒のポルシェ356A――ジンの車だ。

 

ポルシェを運転するジンは、煙草を吹かしながら前方を走る救急車とパトカーを睨みつけながら、後部座席に座るベルモットへと声をかけていた。

 

「――で?()()の方は上出来なんだろうな?」

「ええ。細工自体は(じき)にバレるでしょうけど、そこから足が付く事はあり得ないわ」

「フン……まさかピスコ一人のために、ここまで骨を折る事になるとはな」

 

ベルモットの返答に、ジンはそう悪態をつく。

するとそのタイミングで助手席に座っていたウォッカが目の前のダッシュボードを開けると、そこから一台の()()()を取り出して、それをベルモットの方へ差し出しながら口を開いた。

 

無線機(コイツ)も、足が付かねぇように処分しないといけやせんね」

 

その無線機はジンたちが複数の同じ組織の人間と連携を取って任務にあたる際によく連絡に使っている代物であった。

ウォッカのその言葉にフッと小さく笑いながらベルモットはその無線機を受け取る。

 

「当然よ。……さて、始めるわよ」

 

そうしてベルモットは受け取ったばかりのその無線機の電源を入れると、()()()()()()()()()その無線機に繋がった相手へと口を開いた――。

 

 

 

 

《……こちら、米花私立病院。救急、××××(ピスコの乗る救急車の車台番号)。応答願います》

 

 

 

先程とは一変してベルモットの口から()()()()()で言葉が紡がれ、ジンの車の車内に響き渡る。

すると、無線機の向こうで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()から応答があった。

 

『こちら救急、××××。どうかしましたか?』

《つい先程、こちらに別の急患が複数運び込まれ、そちらの患者を収容する余裕がなくなってしまった。申し訳ないがそこから最寄りの病院――『杯戸中央病院』へと向かってほしい。杯戸中央病院(向こう)への連絡はこちらで既に済ませています》

『了解。これよりそちらへと目的地を変更します』

 

救急隊員との通信を終えたベルモットは無線機の電源を切る。

その直後、前方を走る救急車の向かう方向がガラリと変わり、米花私立病院から杯戸中央病院のある方向へと向かい出した。後方を走るパトカーもその後を追う。

それを見届けたジン、ウォッカ、ベルモットの三人はニヤリとほくそ笑んだ。

 

「作戦成功。とっととここを離れるわよ」

 

無線機を片手でぶらぶらと揺らしながらベルモットが元の声色に戻ってそう言い、ジンもそれに頷いて見せる。

 

「ああ。後は組織の息のかかった奴にピスコを()らせりゃあ問題ねぇだろう……」

 

そう答えたジンは、すぐさま車の方向を変えると杯戸中央病院へと向かう救急車とパトカーから急激に離れ、去って行った――。

 

 

 

 

 

 

 

――ベルモットが行った事は至極単純であった。

 

杯戸シティホテルの駐車場にやって来た救急車から救急隊員が全員降りたのを確認したベルモットは、周囲に気づかれずに救急車の車内に忍び込み――。

 

 

 

 

――そこに備え付けられていた救急車の無線と自分たちの持つ無線機が繋がる様に細工をしただけであった。

 

 

 

 

救急車に乗る隊員は通常、『隊長』『隊員』そして救急車を運転する『機関員』の三名で構成されているため、それ以上かそれ以下の人数しか乗っていないという事はまずあり得ない。

それ故、救急車から三人の隊員が出て来た時点で、車内にはもう誰もいない事がベルモットには容易に分かった。

また、駐車場は設置されている外灯が少なく夜は光が届かず薄暗くなっている所が多い。

ピスコの治療をしているカエル先生はもちろんの事、そこに来た警察も野次馬の対応に追われ、(コナンも含む)誰一人としてベルモットが救急車に入り込んだ事など、全く気づく事は無かったのである。

 

誰にも見られる事無く意気揚々と救急車に忍び込んで通信機に細工をしたベルモットは、救急車を出るとジンたちと合流すると『先の作戦』を実行し、見事救急車の行先を米花私立病院から杯戸中央病院へと変更させる事に成功したのであった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:三人称視点。

 

 

 

 

先のジンたちの暗躍――。

もちろん、そんな事が行われていた事などつゆほども知るわけがない杯戸中央病院の医師や看護婦たちにとって、突如何の知らせも無く救急車で急患(ピスコ)が運ばれてきた事態はまさに青天の霹靂(へきれき)だった。

そしてそれは、連絡を受けて急きょ杯戸中央病院へとピスコを運んで来た救急隊員たちも一緒で、互いの情報がかみ合っていない事に驚きを隠せずにいた。

杯戸中央病院と救急隊員たち両者は埒が明かないと踏んで、隊員に連絡を寄こしてきたという米花私立病院の男性スタッフらしきその人物にも話を聞こうと連絡するものの、当然米花私立病院でもそんな連絡をした覚えがあるはずもなく、更に混乱するだけに終わってしまった。

 

――また後の調査で、救急車の無線に細工がされていた事が明るみになるも、誰が何の目的でそれを行ったのか皆目見当もつかず、ついには全容が分からぬままこちらも終わる事となった。

 

しかし、何の連絡も無かったとは言え杯戸中央病院側はやって来た急患を拒絶するわけにもいかず、突然ではあったものの結果的に杯戸中央病院は何とか手続きを済ませて改めてピスコを患者として収容した。

警察も突如彼の入院した病院が変わったことに驚きはしたものの、職務を優先し彼が退院して事情聴取が出来るまでその身辺警護をする事となった。

 

そして、急患として収容された肝心の枡山(ピスコ)はと言うと――。

 

 

 

事件から一夜明けて日が登った後も、未だに目が覚める様子が無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:三人称視点。(黒の組織)

 

 

 

杯戸シティホテルの殺人事件から丸一日たった夜の首都高――。

 

杯戸町に伸びるその高速道路の上をジンのポルシェが走っていた。

ウォッカが運転し、助手席にジン。そして後部座席にはベルモットが陣取っている。

 

「……そろそろ、あの病院に組織の手の者が送り込まれる時刻だ。ようやく寝たきりの老いぼれ(ピスコ)の息の根を止めることが出来る」

「随分と時間がかかったけど、ようやくね……」

 

腕時計で時間を確認してニヤリと笑いそう呟くジンに、ため息交じりにベルモットがそう答える。

ピスコが杯戸中央病院に収容され、『組織』の『あの方(ボス)』へジンたちが事の全てを報告した時には既に朝を迎える直前であった。

そのため、ピスコの抹殺は次の夜に行う事が決まり、『組織』は病院を監視する中、その準備に取り掛かっていた。

ピスコに手を下すのはまだ『組織』内では()()()()()()を貰っていない構成員が選ばれた。

だが、ただの構成員という訳ではなく、それなりの潜入工作や暗殺に長けた人物であった。

米花私立病院のような場所ならいざ知らず、ごく普通の市民病院の潜入などその者にとっては朝飯前もいいとこであり、例え警察が張り込んでいたとしても攻略できる自信がその構成員にはあったのである。

ましてや件の暗殺対象(ピスコ)は未だにジンに撃たれて以降も病室で眠り続けているという。

まな板の上のコイ。暗殺対象の息の根を止めること自体は赤子の手をひねるよりも簡単な事であった。

そういった理由から、ジンたちはその構成員が上手く任務を遂行してくれると信じて疑わなかったのである。

 

そうして、ジンたちの話題はピスコから()()()()()()()と移行していく。

 

「ピスコの件もそうですが、アニキ……。本当にいいんですかい?この町であの女(シェリー)を探さなくて」

「ああ……、無駄な事はしねぇ性分なんだ。今頃はもう助けに来た男と逃げ出した後だろうよ」

 

ウォッカの問いかけに、ジンは煙草を吹かしながらそう答え、続けて口を開いた。

 

「……俺たちに顔を見られた町に、呑気に留まるような馬鹿な女じゃねぇからな」

「あら?随分入れ込んでるのね、その小娘に」

 

ジンのその言葉を聞きながら、ベルモットがバックからコンパクトを取り出しながらそう呟く。

それを聞いたジンは鼻を鳴らす。

 

「フン。……悪かったな、ベルモット。あの老いぼれ(ピスコ)をサポートするために、お前程の女をわざわざ呼んだというのに……とんだヘマに付き合わせちまって」

「ホント、せっかく事情聴取を受ける前にハンカチを渡してあげたのにね」

 

心底落胆したと言わんばかりに肩をすくめたベルモットは、そう言いながらコンパクトミラーに映った自分の唇に口紅を差していく。

 

「……それより、気にならない?小娘とつるんでいるその男」

「ああ。あの女に抱き込まれた男……見てみたいもんだ、その(ツラ)を……!」

 

ベルモットの言葉にジンがニヤリと笑いながらそう答える。

それを聞いたベルモットも小さく笑うと、パタンとコンパクトを閉じて煙草を口に咥えながら呟く。

 

「ええ……恐怖に歪んだ、死に顔をね……」

 

そうしてベルモットが煙草に火をつけると、今度はウォッカが彼女に問いかけて来る。

 

「また()()()()に戻るんですかい?」

「いや……()()はしばらく休業。……日本でのんびりするつもりよ。……()()()()()()()()()()()()()()()

 

煙草の煙をフゥッと吐きながら、ベルモットは車のドアにもたれかかり、窓の向こうを流れる景色をぼんやりと眺める。

ふと、外の道路に設置されている外灯の一つが彼女(ベルモット)の顔を一瞬照らし出した――。

 

 

 

――あの《偲ぶ会》の会場で見かけた()()()()()()()()()()()。その少年の事を考えるアメリカの人気女優、クリス・ヴィンヤードの物思いにふける顔がそこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――その時、ふいにジンの懐から携帯電話の着信音が鳴り出す。

 

「?……俺だ、どうした?」

 

電話に出たジンは、相手の声に耳を傾ける。すると次の瞬間――。

 

「何……ッ!?」

 

ジンの双眸がカッと見開かれ、驚愕に声を荒げていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時間は、ほんの少し前にさかのぼる――。

 

深夜の杯戸中央病院。そこの薄暗い廊下を一人の男が歩いていた。

警察官の制服に身を包んだその男は、その姿の通り警察官……()()()()()()

懐に大きめのナイフを忍ばせ、警官に変装した『組織』の構成員であるその男は、自身が警官で無い事を周囲に覚られぬよう、毅然とした足取りで目的の場所までやって来る。

そこはとある病棟の二階にある病室だった。病室の扉の前には警官が一人立って見張っており、周囲に異常がないか警戒をしている。

 

――そこは『組織』の一員……いや、元一員であるピスコこと枡山憲三が入院している部屋だった。

 

警官に(ふん)したその構成員が病室を見張っているその警官に歩み寄り、口を開いた。

 

「……どうも、ご苦労様です。あなたと交代するように言われてやって来ました」

「……?えらく早くないか?」

 

やって来た構成員の存在に気づいたその警官は、少し訝しく思いながらそう尋ねる。

警官の言う通り、交代の時刻にはまだ早すぎていたからだ。

訝しむ警官に警官に扮した構成員は、淡々とした口調でそれに答えた。

 

「部長があなたに何か用があるらしいですよ?……それで早めに交代するよう、私が仰せつかった次第でして……」

「部長が?うーん、何だろう?……分かった。じゃあ後は頼む」

「ハッ、了解しました」

 

少しおかしく思いながらも警官は最後に構成員の言葉を鵜吞みにし、その場を彼に任せてしまう。

そしてお互いに敬礼を交わした後、病室の見張りをしていた警官は夜の廊下の向こうへと去って行った。

それを見届けた構成員は、警官の帽子を目深に被り直すと、その下で不気味に口元を吊り上げ――。

 

「……ごゆっくり」

 

そう、静かに呟いていた。

 

警官が去ったのを確認した構成員は、やがてピスコのいる病室の扉に手をかける。

音を立てず、ゆっくりと扉を開いた構成員は病室の中へと侵入する。

殺人容疑のかかっている枡山(ピスコ)のいるその病室は当然個室であり、小さめの部屋の奥――窓際にポツンとベットが一つ置かれているだけのほとんど殺風景な部屋であった。

そのベットの布団が、大人一人分の大きさに盛り上がっていた。

それを確認した構成員は足音を忍ばせながらそのベットに近づく。

そしてゆっくりと懐からナイフを取り出すとベットのそばに立ち、ナイフをその盛り上がりに向けて大きく振りかぶり――。

 

「――!?」

 

――振り下ろそうとしたその動きを直ぐに止めた。

 

おかしい。何かがおかしい。

 

ベットに横たわる人物を睨みつけながら、構成員の脳裏にそんな言葉が飛来する。

この人物に対する大きな違和感。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「まさか……!!」

 

そう叫んだ構成員は慌てて布団を引っぺがす。

そこにいたのは『人』では無かった。

布団の上から『人』の形に見えるように、枕や病室の備品などがベットに並べられているだけであった。

 

「いない……!クソッ、あのジジイ何処に……!?」

 

ターゲットがここにいない事を知った構成員は慌た調子で周囲を見回し始める。

すると、視界の隅に何かが動くのをとらえた。

 

「!?」

 

反射的に構成員の視線はそちらを向く。

そこには病室の窓があり、そこにかけられていたカーテンが()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「チィッ!!」

 

構成員は舌打ちをすると直ぐに窓際へと駆け寄る。

そして大きく窓を開け放つと頭を外に出し、下を見下ろす。

病院の外は夜の帳がおり、静寂に包まれていた。

窓のそばには雨水を通すための(とい)が縦に伸びており、構成員にはピスコがそれをロープ代わりにして下へと降りて逃げた事が容易に想像がついた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:枡山憲三(ピスコ)

 

 

 

 

「ハア……ハア……ハア……!」

 

荒くなった呼吸を必死に整えながら、私は東京郊外にあるとある別荘の中に転がり込んでいた。

この別荘は『組織』や『あの方』にすら教えていない私の個人所有物件(プライベートハウス)

奴らがここを嗅ぎつけて来るのにはまだ時間がかかるだろう。

今日の昼前に意識を取り戻した私はそのまま狸寝入りを続け、病室に来る医師や廊下から聞こえてくる警察の会話などから、この病院が杯戸中央病院であることや杯戸シティホテルの事件からまだ半日も経っていない事を知った。

そして、私の身柄は今、警察の監視下に置かれている事も。

 

私が意識を失った直後から一体何が起こってこんな現状になっているのかまるで分からなかったが、未だに命を繋ぎ留められていた事だけは大いにホッとした。

しかし、それでもまだ油断は許されない状況に私はいた。

『組織』だって馬鹿じゃない。私が生きている事を知っているはずだ。奴らの事だから早々に私の息の根を止めに今夜にでも仕掛けて来るだろう。

日が落ち、夜になった病室で私は未だに狸寝入りを続けていた。

そしてそのまま、病室の外――廊下にいるであろう警官の気配や音に耳をそばだてる。

やがて、深夜の時刻になる少し前に廊下で警官が交代になったのを見計らって私は行動を開始した。

起きてベッドの中に枕や病室の中にある備品を使って人が寝ている様に細工をすると、静かに窓を開けて雨樋を伝って下へと降り、病院を後にした。

 

患者衣姿と裸足で出てきたため、その服装のままでは周囲に怪しまれて危険であったが、その問題もすぐに解決した。

運が良い事に、病院から少し離れた所の道端で酔っぱらって寝こけている中年男性を見つけたのだ。

私はその男の纏っていた外套と靴、そして財布を奪い、身に着けることで患者衣を隠す事が出来た。

 

そうしてその後すぐ、タクシーを拾ってここまでやって来たのがつい今し方という訳であった。

 

掃除のされていない埃まみれのソファにドカリと座った私は、一息つく。

大きく息を吐き、天井を仰ぎ見る。

一分もしくは五分以上か、私はしばらくその姿勢のまま体を休めていた。

しかしおもむろに上半身を背もたれから起こすと、外套と患者衣を脱ぎ、上半身を露にする。

そこには真っ白い包帯が私の胴体の大半にしっかりときつく巻かれていた。

その包帯を見つめながら、私は思考にふける。

 

(……私が意識を失う直前に聞こえた声。あれは間違いなくジンだ。……という事は私はあの時、ジンに背後から撃たれて意識を失ったのだろう。……その後何が起こったのかは分からないが、私のこの状態から見てもジンに受けた傷は深刻だったはずだ。……だというのに――)

 

私の体に巻かれた包帯をそっと指先で撫でる。

真っ白のその包帯には血が一滴たりともにじんでいない。

 

(――重傷と言ってもおかしくない傷だったはずなのに、たった数時間で私の意識が回復したことに加え、この別荘に来るまでに結構体を動かしたのにもかかわらず、撃たれたと思しき部位からは傷口が開く様子どころか痛みが走る様子も無い)

 

私の知る限り、あのホテルにいた人物でこんな芸当が出来るのはただ一人だけだ。

 

(なるほど……流石は『あの方』が喉から手が出るほどに欲しがる逸材だ)

 

フゥと息を吐き、再び背もたれに体を預ける。

そして今度は、これからどうするべきなのかを考え始めた。

『組織』はもうすぐ……いや、既に私が病院から抜け出した事に気づいているかもしれない。

そうなれば間違いなく『組織』は血眼になって私を探し出し、始末しようとするだろう。

……今の宮野志保(シェリー)、彼女のように。

 

(私も彼女たちと同じ立場に回ってしまったという訳か……)

 

全くもって笑えて来る。ある意味、ミイラとりがミイラになってしまったのだ。

顔を片手で覆いながらクックと皮肉気に笑ってみる。

そんな事をしたところで現状が変化するわけでもあるまいに。

 

(……これからどうする?既に自宅や会社には『組織』の手が回っているだろう。いっそ私も宮野姉妹同様、あの医師に匿ってもらうか?……いや、『組織』の事だ。それを察知して、既に米花私立病院(あそこ)に見張りを立てているかもしれない。そこへのこのこと出て行けば、病院にたどり着く前に確実に始末される……!)

 

もはや、万事休すか。そう思った時、ふいにあの酒蔵で私と対峙した伊達航(あの刑事)の叫んだ言葉が脳裏をよぎった――。

 

 

 

 

 

 

 

――『俺は警官だ!!市民を守り、治安を守るのが俺の仕事だ!!お前らがどんなにデカい【組織】だろうが関係ねぇ!!この二人が元は【組織】の人間だろうが知った事か!!今は守るべき一般市民に違いはねぇ!!その上で俺は自分の家族も仲間も、全部守ってやる!!俺の大事なモノを奪う奴らなんざ、何処の誰だろうが絶対に許さねぇ!!!!』――。

 

 

 

 

 

 

覚悟の決まった力強い双眸。幹部クラスである私を前に、堂々とそう言ってのけたその姿勢。

私よりも半分も生きていないはずの若造のその言葉が、あの時私を圧倒させたのを今もはっきりと覚えている。

 

――そうだ。あの若造は『組織』の強大さを知ってもなお、それに立ち向かう姿勢を見せた。

『組織』に対し、命を賭けて周囲にいる者たちを守って見せると言ってのけた。

それなのに私は何だ?若造の刑事がそうやって『組織』と戦う覚悟を決めているというのに、私は情けなくそれに屈するのか?

 

――それは。

 

――そんなものは。

 

「……何とも、酷く無様な最期なことか」

 

どうせ『組織』に殺されるのであれば、大人しくこの首を差し出すよりも、『組織』に反発し、みっともなく足搔くに足搔き続け、『組織』を引っ掻き回した果てに死んでやろう。

そう覚悟を決めた瞬間、私の中の大きかった『組織』に対する脅威や恐怖がまるで大したことではないモノのように小さくなっていくのを感じた。

私の顔に狂気と余裕を持った笑みが浮かび上がる。もはや私に迷いなど無かった。

 

(……ならば善は急げだ。『組織(奴ら)』と戦うと決めた以上、まずは奴らの手から逃げ切り、それから反撃のための戦力を蓄えなければ……!)

 

そのために必要なのはまず資金だが、幸いな事にこの別荘には私の隠し財産の一部が保管されている。

かなりの額だからそれを使わない手はないだろう。

『組織』の任務で海外に渡る時に使う偽造パスポートもいくつかここにある。

 

(あとは……私の手足として働いてくれる信頼のおける優秀な人材だが……)

 

それについてはいくつか心当たりがあった私は、早速別荘に設置されている固定電話で()()()()()()()コンタクトをとってみる事にした――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ああ、()()()()()()()?私だ――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:三人称視点。

 

 

 

 

――数時間後。とある空港内で、顔を隠した老人を先頭に数人の男たちが飛行機で日本から飛び立って行った。

警察の捜査網や『組織』の魔の手からも逃げ延びた彼らには、一体どういった行く末が待ち受けるのか……。

 

 

それは彼ら自身にも、他の誰にも分からない。




最新話投稿です。

次回はこの話のエピローグになります。

長らくお待たせしてしまって申し訳ありません。
この時期は仕事が忙しく気力的にも体力的にも疲れる事が多く、なかなか筆が進みませんでしたので……。
いや、ホントに申し訳ありませんでしたorz


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カルテ22:枡山憲三(ピスコ)【14】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。

今回がこの話の最後(エピローグ)となります。
そのため、文章量は少なめとなっておりますのでご容赦を。


SIDE:江戸川コナン

 

 

 

 

「――とにかく警部。この事件に僕が関与した事は内密にしてください」

『それは良いが……一体どうなってるんだね?……殺された吞口議員の家族は蒸発するし、いなくなった被疑者の枡山会長の家は全焼するし……もう何がなんだかワシにはぁ』

「……今はまだ何も言えません。分かったら連絡しますから」

『お、オイ。工藤君――』

 

米花私立病院の一室――。

そこで蝶ネクタイ型変声機で工藤新一の声で目暮警部と会話をし、自分がこの事件に関わっていた事を(おおやけ)にしないように念押しした俺は、警部が呼び止めるのも聞かず一方的に電話を切った。

 

 

 

 

 

――杯戸シティホテルの殺人事件から数日。

この一件は誰もが予想だにしなかった結末で幕を迎える事となった。

 

米花私立病院にピスコこと枡山さんが来ていない事を知ってすぐ、カエル先生の調べでピスコが杯戸中央病院に収容されたのが分かった。

それを聞いた俺とカエル先生は、直ぐにそれが『黒の組織(奴ら)』の仕業だと直感する。

そして、カエル先生はすぐさま枡山さんを米花私立病院に搬送する手配を行ったが、当の本人である枡山さんがまだ意識を回復していなかったことと、搬送しても大丈夫かどうか確認するための検査も必要だった事もあって、搬送は翌日へと持ち越しとなった。

かくいう俺はと言うと、あの事件から夜が明けて直ぐ、先に米花私立病院に入院していた灰原の容体を見に行った後、蘭たちに怪しまれないようにいつも通り小学校に通ったりしていた。

そして、何とか枡山さんに会えないか授業が終わった放課後、杯戸中央病院へとやって来たりもしたが、やはり事件の被疑者なため、あの人のいる病室の周囲は警察が配備されており、子供の姿ではあれど枡山さんと血縁でも何でもない俺が近づく事は出来なかった。

枡山さんとの接触を断念した俺は、仕方なくあの人が米花私立病院へと搬送される時を待つ事にしたのだが――それからすぐ、再び事件が起きた。

 

 

――搬送される前日の夜、枡山さんが突如病室から消え失せたのだ。

 

 

その知らせをカエル先生経由で聞いた時、俺は一瞬『組織』の仕業かと思ったが、奴らは枡山さんを殺そうとしていた。なら、わざわざ病室から連れ出さなくてもその場で始末すれば済むはずである。

詳しい内容を知るために、俺は()()()()()をカエル先生の病院に呼び出して事の仔細を聞いてみる事にした。

話を聞くと、その時間見張りをしていた警官の所に別の警官がやって来て、部長が呼んでると言って見張りを代わったのだという。

しかし、呼ばれた警官が部長の所に行くと部長は呼んだ覚えがないというのだ。

不審に思いその部長と一緒に病室へと駆け戻ってみると、枡山さんだけでなく見張りを代わったその警官も奇麗さっぱりいなくなっていたという。

俺はその話を聞いた時、その知らせに来た警官と言うのは実は『組織』の息のかかった者で、枡山さんを暗殺するためにあえて見張りをしていたその警官に嘘をでっちあげ見張りを交代し、枡山さんを殺すつもりだったのだろうと思った。

しかし、それよりも前に枡山さんが意識を取り戻した。そして、身の危険を察知したのかは分からないが『組織』の手がかかる前にあの人は病院を抜け出したのだろう。それ故に結局『組織』は枡山さんを仕留めそこなう事となった。

 

……多分に想像が織り交ぜられた推測だが、話を聞いた状況から察するにほぼ間違いないだろう。

 

また、杯戸中央病院の近くでとある会社員の男性が倒れているのが発見された。

酔いつぶれて眠っていたようだが、彼の所持品であるコートと靴、そして財布が紛失していたらしく、こちらも恐らくは患者衣姿で抜け出した枡山さんが逃走するために奪って行ったのだと考えられた。

夜の寒空の下でコートと靴を奪われてしまった男性だったが、幸いにも警察の発見が早かったため命に別状は無かったという。

 

そして、それから数時間後。とある空港で顔を隠した枡山さんらしき老人が数人の男たちを連れて海外行きの飛行機に乗って行ったという目撃談があったらしい。

このまま日本に留まっていれば『組織』に狙われるリスクが高くなると踏んで、枡山さんは早々に海外へと逃亡したのだろう。

枡山さん(ピスコ)を捕まえられなかったのは残念ではあるけれど、あのまま『組織』の手にかかって死んでしまうと、こっちも寝覚めが悪い。

だから、あの人が生きて『組織』から逃げおおせたという点だけは、正直ホッとしている。

俺や灰原、灰原の姉さんにカエル先生。そして()()()の事が『組織』に知られなかったようでこっちとしても万々歳だ。

 

 

 

 

 

 

警部との会話を終えてフゥッと息を吐いた俺は背後へと振り返る。

そこには明美さんに支えられる形で松葉杖をつく灰原が立っていた。体のあちこちに包帯やガーゼを付けてジッとこっちを見ている。

灰原のその視線を横目で受け止めながら、俺はふとあの杯戸シティホテルの事件で気になっていた事が頭に浮かんだ。

 

(……そう言やぁ、あのホテルの屋上で俺は確かにジンに麻酔銃を撃ち込んだのに何で奴は動けたんだ?あんな大男、眠っちまったら警察から逃れられねぇと踏んでたのに……。ウォッカに引っ張って行ってもらったのか……?それに……灰原の行動が奴らに読まれ過ぎていたのも気にかかる……。灰原が会場に来ることも確信してたみてぇだし……髪の毛見ただけで誰だか分かるか普通……?)

 

そんな事を考えながら、俺は灰原に向き直り口を開いた。

 

「……なぁ、灰原。お前ひょっとして『組織』にいた頃――」

 

だが、そこまで言った俺のその言葉を灰原の声が遮った。

 

「――ねぇ、工藤君。バレちゃったと思う?『組織』に私の体が小さくなった事……」

 

まるで()()を聞いてほしくないと言わんばかりにそう聞いて来た灰原に、俺はそれに()()()()()()()()()答える。

 

「……いんや、状況から見てもバレてねぇみたいだぜ?ピスコも『組織』に俺たちの事を報告する前に逃亡しちまったみてぇだし……それに、バレてたんならとっくの昔に俺たちの周囲に奴らが嗅ぎつけて来て何かしら仕掛けて来んだろ?……奴らに知られたとすれば、あの夜お前があのホテルのある杯戸町に居たって事くらいだが。……『組織(奴ら)』の事だ。ホテルで自分たちから逃げおおせたお前が未だにこの付近に潜伏している訳がねぇと考えてるはずだ。……逃亡したピスコの件もあるし、恐らく当分こっちには舞い戻って来ねぇよ」

「そう……。でも結局、『組織』の尻尾もつかめず、ふりだしに戻っちゃったわね。……私が持っていたあのMOもお姉ちゃんに担がれて酒蔵から逃げ出す時に落としちゃったみたいだから、もうあの時の火事で燃えてしまっただろうし……」

 

灰原があのMOを落とした事に気がついたのは、米花私立病院に担ぎ込まれた後だったらしい。

屋上でジンに撃たれる直前までは確かに持っていたのを確認していたから、落としたのだとすれば煙突の中に落ちた後だという。

その頃には意識を保つことで精いっぱいでMOの方には頭が回らなくなっていたと灰原は言っていた。

 

「ごめんね志保。私も落とした事に気が付かなくて……」

「いいのよ。あの状況じゃあそんな余裕なかったし、仕方ないわ」

 

俯きながらそう謝って来る明美さんに灰原がそう答えて小さく笑って見せる。

そんな二人にそばで聞いていた阿笠博士が口を開いた。

 

「……にしても改めて見ても本当にとんでもない奴らじゃのう、その『組織』とやらは。自宅の放火や果ては関係者の家族にまで手を出すとは……!」

「……そう、疑わしきはすべて消去する。……これが彼らのやり方なのよ」

 

阿笠博士のその言葉にそう答えた灰原は、再び俺に視線を向けながら言葉を続ける。

 

「……分かったでしょ?『私たち』は、正体を誰にも気づかれちゃいけないって事が……()()()()()()()()()()()()()、ね」

「……ああ。よぅく分かったよ。……奴らを絶対ぶっ潰さなけりゃならねぇって事がな……!」

 

灰原の言葉に、俺は決意新たにそう答える。

組織(奴ら)』の行動ははっきり言って常軌を逸している。

博士の言う通り、『組織(自分たち)』の為なら躊躇なく家の放火や関係者の周囲の人間にまでやってのける奴らのやり口はどうにも理解できねぇ。

疑わしきは例え些細な事でも容赦なく抹殺する。その上でそこにどんな目的があるのかは知らねぇが、無関係な人たちまで平気で巻き込む奴らのそんなやり方を、黙って見過ごす訳にはいかねぇ……!

俺のそんな様子に目の前に立つ灰原は小さく肩をすくめると、今度は別の方へと視線を移す。

そこには、俺たちに杯戸中央病院で起こった出来事を教えに来てくれた人物が、用意された椅子に座ってジッとこちらを見つめてくる姿があった。

その人物に向けて灰原が声をかける。

 

「……あなたも、とんだ災難に巻き込まれたわね。私たちに関わってしまったばっかりに、こんなとんでもない事に首を突っ込んでしまって……」

 

少し暗い表情で灰原がそう言うも、対するその人物はまるで気にしていないと言わんばかりに()()()()()()()()()()ニカリと吊り上げて笑って見せた。

 

「気にすんな!別にお前らに頼まれて首を突っこんだ訳じゃねぇんだからよ!」

「……!」

 

予想だにしていなかったのかその人物のその返答に灰原は目をぱちくりとしながら面食らう。

そんな灰原を前に、その人物――伊達刑事は、今度は不敵な笑みを浮かべながら言葉を続ける。

 

「……いや、むしろ燃えて来たぜ。そんなとんでもねぇ奴らがこの世にのさばってるなんて知る事が出来てな!警察官の血が疼くってなモンだ!」

「……ば、馬鹿ね!アナタ分かってるの!?下手すればアナタだけでなくアナタの周りにいる人たちだって、危うくなるのよ!?」

 

慌ててそう叫ぶ灰原に、伊達刑事は「問題ない」と言わんばかりに今度はフッと小さく笑って見せた。

 

「あの酒蔵で言ったろ?嬢ちゃん。『全部守る』って。お前ら姉妹も、俺の家族も、仲間も……!誰一人『組織』になんざ指一本たりとも触れさせねぇ……!その上で『組織』の連中なんざぁ全員ブタ箱送りにしてやらぁ!――」

 

 

 

 

 

 

「――それが……この国の治安を守る一警察官の意地ってなモンだ!!」

 

 

 

 

 

力強くそう言い切った伊達刑事のその言葉に、灰原のみならずその部屋の中にいた全員が圧倒される。

そうして短い静寂の後、現在この部屋にいる最後の一人であるカエル先生が笑いながら俺に声をかけてきた。

 

「はっはっは!……これはまた、心強い助っ人が出来たじゃないか。ねぇ新一君?」

 

カエル先生のその言葉に俺はフッと笑いながらそれに答える。

 

「ああ、そうだな。本職の刑事が味方になってくれるなんて、願ったり叶ったりだ」

 

結局、『組織』の尻尾を掴む事は出来なかったが、それでも得られたモノは確かにあった。

それははたから見ればたった一人、味方が増えたと言うだけの話であったが、それでも俺たちにとっては大きな価値を持った話であった。

 

呆れ顔の灰原と会話をする伊達刑事を見ながら、俺は『仲間』が増えた嬉しさに一人小さく笑みを浮かべていた――。




軽いキャラ説明。



・枡山憲三(ピスコ)

単行本第24巻に収録、及びテレビアニメ第176話~第178話『黒の組織との再会』にて登場。
黒の組織の一員であり、古株の幹部。
原作では炎に包まれた酒蔵でジンに射殺されてその生涯を終えるも、本作では紆余曲折の果てに何とか命拾いをする事となる。
そして一部の隠し財産と信頼のおける部下を数人連れて日本を離れ、警察の眼や『組織』の眼からも行方をくらまし、地下へと潜った。



・アイリッシュ(本名不明)

劇場版第13作、『漆黒の追跡者(チェイサー)』に登場する黒の組織の一員にして幹部。
原作では父親同然に慕っていたピスコをジンに殺されてしまった事で彼との因縁は大きく、コナンを使ってジンを失脚させようと企んでいた。
しかし最後はピスコと同じようにジンたちによって殺される運命をたどる。
本作では名前だけの登場だが、逃走したピスコの誘いで彼に付いて行く事を決意し、彼と数名の仲間と共に日本を脱出して地下へと潜った。






・お知らせ。

今話では予想以上に話数を多く使いましたので、次回は日記形式と言う形でダイジェストに一話でまとめてみようと思っております。


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番外:カエル先生の日記帳

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。


え~と……お待たせいたしました。
前回の投稿から約2か月、一向に筆が進まず難攻していましたが何とか書き上げた次第です。ハイ……orz

前回報告しました通り、今回は日記形式で話を書いていこうと思います。


――〇月×日(晴れ)

 

 

今日、新しい日記帳を購入した。

以前使っていた物はページを全て埋めてしまったので今までの日記帳同様、大事に保管しておくことにする。

思えば一日の最後に日記をつけるという私のこの日課は、前世から続いているものであるため、その分も合わせれば確実にギネス認定ものだと思われる。

 

杯戸シティホテルの殺人事件からしばらく経つが、一向に私たちの周りに怪しい動きを見せる人間は現れないため、やはり新一君の言う通り大丈夫だとみて間違いないだろう。

未だに『組織』の目的や正体などが分からないのは少々不安の種ではあるが、これはもはや仕方ないと割り切るしかない。

それに、不安を抱えたままだと明日の仕事にも差し支える。

気持ちを切り替えて明日の仕事の為にも今日はもう寝る事にしよう。

 

 

 

 

――〇月@日(晴れ)

 

 

今日、学校から帰って来たばかりの哀君を診察に呼んで検査を行った。

杯戸シティホテルの殺人事件で『組織』の人間に撃たれて受けた哀君の傷がようやく完治していた。

「全く。一体どうやったらこんな短期間で()()()()()()()()()治すなんて事が出来るのかしら?」と、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()肌を見ながら満足している私に、哀君はジト目になりながら呆れた口調でそう問いかけてきたが……私からは『日々の努力の賜物(たまもの)』としか言いようが、ねぇ?

 

また、()()()()()()()()()()()だと思い、哀君と一緒にやって来ていた博士(ひろし)には『毛利君専用の麻酔薬』を渡しておいた。

博士が新一君のために作った『腕時計型麻酔銃』。それに使われる麻酔針に付ける薬だ。

毛利君を使って事件の推理をするためとはいえ、日常茶飯事的に事件に遭遇し、その都度毛利君に麻酔を撃ち込んでいては彼の体に悪影響を及ぼしかねない。

博士が言うには、針は特殊な素材でできており、地球にも優しく使えば後から消えるから体への悪影響も低いらしいが、はっきり言ってそれだけでは安心とは言えない。

『針』の方はそれでいいのかもしれないが、『麻酔薬』の方はそうもいかないだろう。

撃ち込めば即効で眠らせ、しかもしばらくの間は決して起きる事のない強烈な麻酔を毎回毛利君に使うのだ。……うん、確実に彼の体が危うくなる。

 

新一君が麻酔銃を使い始めた当初。私は彼と博士にその事について苦言を呈したが、新一君は私の言葉に難色を示した。

それは私の意見には理解しているものの、現状その方法でしか事件を解決できる手段がないからであった。

書いて失礼だとは思うが、毛利君は新一君とは違い探偵としての素質は低い。

目暮警部に聞いた話だが新一君が探偵事務所に居候してくる前は毛利君のおかげで迷宮入りした事件が多かったと聞く。

ならば新一君に任せるのが得策だが、今の彼は『江戸川コナン』だ。

見た目小学生の彼が事件を解決しようものなら、たちまち周囲は彼を奇異の眼で見始め、調べられればすぐに正体が露見してしまうだろう。

新一君が事件の真相を伝えるために、周囲にさり気なくヒントを与えて真相へと導くという方法もあったが、流石にそれも毎回繰り返せばすぐに怪しまれる。

それ故、やはり事件を解決するためには毛利君を麻酔銃で眠らせ、新一君が変声機で推理をして事件を解決し、その手柄を毛利君に肩代わりさせるのが一番スムーズなやり方であった。

だが、そのために毛利君の身体が危うい状態になるのは医者としてどうしても見過ごせず、かと言って麻酔銃の使用を禁じようものなら事件が迷宮入りしてしまう恐れもある。

毎回、新一君の正体を知る私や博士が居ればその問題は解決なのだろうが、状況によって私たちがその場にいない時はそうもいかなくなる。最近、仲間入りした伊達刑事にしたってそうだ。

 

そうして何度も新一君と博士と議論し合い、私なりの試行錯誤を行った結果、私は『毛利君専用の麻酔薬』を作る事に成功していた。

なにせ毛利君はまだ学生だった頃から何度も良く怪我とかをしてこの病院に足を運んでおり、そしてその都度私が診察して治療していたため、今じゃ彼の体質に関しては完全に熟知していると言っても過言ではなかった。

そのため、彼の体質を考慮した即効性で強力かつ、体にかかる悪影響を極力抑えた『毛利君のための麻酔薬』を調合し完成させるのにそれほど時間はかからなかったのである。

これなら毎回新一君に撃ち込まれても毛利君の健康を害する事は無いだろう。

 

私は心底ホッとした……わけでは無かった。

 

うん……あえて日記で文字に起こしていくと分かるけど、これって完全に違法行為してるよね?

『薬事法』とか、あといきなり他人に麻酔を撃ち込んでるから『傷害』とか……。

でも私自身、患者を治すために何度も違法行為ギリギリな行動をした事もあるから人の事は言えないしねぇ……。

 

でもこのままでいいのかと聞かれれば……むむむむ……――(ここから先は思考の海に浸っているためか文章として成立しておらず、読解できなくなっている)。

 

 

 

 

――〇月●日(晴れのち曇り)

 

 

博士に麻酔薬のストックを渡した翌日。新一君が博士と一緒に病院にやって来て、園子君専用の麻酔薬も作ってほしいと頭を深々と下げて言って来た。

聞けばもう何度か園子君にも麻酔針を撃ち込んで眠らせ、事件解決を行っていたらしい。

 

…………。

 

……………………。

 

………………………………。

 

速攻で作り上げて博士に渡した。何せ園子君も含めて鈴木家の人たちの健康状態は私が見ているからね。朝飯前だよ。

博士に麻酔薬を渡した時についでに状況に応じて腕時計型麻酔銃の針を新一君でも取り換える事が出来るように改造した方が良いと提案した。

 

 

……ああ、こうなったらもう一蓮托生(いちれんたくしょう)だよ。私は一体どんな罪になるのだろうか……。

 

ハァ~ッ(深々)……。

 

 

 

 

 

――〇月△日(晴れ)

 

 

今日、往診の帰りに富所(とみどころ)さん親子に出会い、少し立ち話をした。

この二人と初めて出会ってからそろそろ一年は経とうとしている。

 

出会ったきっかけは私がとあるマンションに住んでいる患者に往診に行ったその帰りがけに起こった。

エレベーターが故障中だったので仕方なく階段で下に降りようとしていた所、偶然屋上の方へ行こうと階段を上っている富所さんの娘さんを見かけたのだ。

まだ小さく、幼い少女が()()()()()()()()()()()()()()()()()()屋上に上がって行っている事に違和感を覚えた私は、その少女へと声をかけていた。

聞くとここに住んでいるらしく、さっきまで部屋にいたが部屋で遊んでいるのがつまらなくなって外に出てきたのだとか。

私は少女の手を引いて住んでいる部屋を教えてもらい、親御さんの元へと送り届けた。

呼び鈴を鳴らし、応対してきた父親は私が自分の娘を連れて来たことに非常に驚いていた。

どうやら、私が来るまで娘さんが外に出て行ったことに気づいていなかったらしい。

私は先程まであった事を父親に話すと、父親は酷く動揺してぺこぺこと私に平謝りをしてきた。

まだ小さな子供から目を放していたのを見るに、親としての自覚が薄いのかとも思われたが、それでも子供が何事もなく戻って来たことに心底安堵している様子から、この子の事は大事に想っているようではある。

見知らぬ私が実の娘を連れて来た手前、父親が私を幼児誘拐犯だと誤解する恐れもあったが、私の話を聞いて納得して謝罪してきた辺り、直ぐに理解してくれたようで内心ホッとした。

 

……まぁ、そんな事があってからというもの、富所さん親子とはたまに街中で見かけては良く立ち話をするほどの知己(ちき)となっていた。

 

人との出会いは一期一会(いちごいちえ)と言うが、こういった関係はいつ別れがあるか分からないもの。私はこれからもこういった出会いで結ばれる(えにし)は大切にしていきたいと思う。

 

 

 

 

 

――〇月□日(曇り)

 

 

今日、風戸君の手術の執刀を拝見させてもらった。

昨日会った富所さんたち同様、彼がこの病院に来てもう一年近く経つ。

手術が始まってから終了する一部始終をじっくりと見せてもらったが……正直に言って感無量の一言に尽きる。

初めて出会った当時も、彼の腕を間近で拝見させてもらった事があり、その時点でも彼の腕は周囲の外科医たちよりも頭一つ抜きん出ていた。

だが、この病院に来てたった一年でさらに腕に磨きがかかっており、着実に私の腕に近づきつつある。

私が前世での時間を含めて少しずつ医師としての腕を磨き上げた努力家型だとするなら、彼は教えられた技術をスポンジ並みの吸引力ですぐさま自分の物にしてしまう天性の才能型と言えるだろう。

そうして習得した鮮やかな彼の手並みに思わず唸り声をあげてしまう。

もうあと数年、外科医として修業を積めば、間違いなく私と並ぶ医者となるだろう。

今後、私が医者を引退する時が来たとしても、彼ならば私の後継者として据えたとしても誰も文句は言わないはずだ。

しかも今の彼は未だに発展途上。これからの成長が楽しみだ。

 

 

 

 

 

――〇月◎日(雨のち晴れ)

 

 

風戸君の執刀を見せてもらってから今日で一週間。

怒涛のような毎日だったため、日記を書くのがおろそかになっていた。

と言うのも、伊達刑事の為に作った例の『脳機能補助デバイス』の大量生産及び使用認定がおり、ようやく全世界で本格的に実用化が認められる事となったのだ。

作られてからまだ一年という短い歳月だというのに信じられないほどのスピードでここまでこぎつけられたものだ。普通ならもっと臨床実験やらなんやらで年数をかけるはずなのだが。

まあ、これで世界中で起こっている脳障害や同じく脳の病気で苦しんでいる患者たちが救われるのであれば問題ないだろう。

そう言った成果もあって、このデバイスの生みの親たる私はここ最近、あちこちの表彰状の授賞式やらパーティやらの主役として日々引っ張りだこな毎日を送っていた。

必要最低限の参加しなければならない式典やパーティの参加をスケジュールに組み込み、東西南北――それこそ世界中を飛び回っていたため、この一週間は病院の仕事がまるでできなかった。

私の仕事を他の医師やスタッフに負荷させてしまっているのはとても申し訳なく思ってしまう。

事が落ち着いたら慰安旅行を企画してみよう。

 

 

 

 

 

――△月▼日(曇り)

 

 

怒涛のような日々が終わり、ようやく病院でゆっくりできる。……そう思っていたのだが、海外から帰って来て早々、米花私立病院の周辺にある大小さまざまな病院の医院長たちから会食に誘われたのだ。

『脳機能補助デバイス』の実用化を祝いたいかららしく無下に断る事は出来ず、私はそれに了承した。

 

そしてその夜、とある高級料亭でその会食は何事もなく行われたのだが、会食に参加していた米花総合病院の蜷川(にながわ)院長の様子がおかしい事に気づき、私は声をかけていた。

聞けばつい先日、米花総合病院に入院しているとある患者が急死したとの事。

医療に関わる者にとって患者の死は日常的に起こりえる事であるため、尽力を尽くした果ての結果となればもはや仕方の無い事と割り切るしかないが、蜷川院長によるとどうやらその患者は途中までは快方に向かっていたらしく、それがここに来て突然の容体悪化だったのでそのショックも大きかったらしい。

人の体と言うのは未だに未知なる部分が多い。それ故に急激な容体の変化はあり得る話だ。

暗い顔でお酒を飲みながらそう話す蜷川院長に私はそっと労わる言葉をかけながら彼とお酒を酌み交わした。

 

 

 

 

 

――△月▽日(曇りのち晴れ)

 

 

今日、珍しく園子君が帝丹高校の教師だという人物と一緒に病院にやって来た。

どうも帝丹高校の学園祭が近づいているらしく、大々的に行うため簡易的な詰め所を設けてそこに医療にかかわる人間を配備する予定だったのだが、今になって予定していたその人物が当日来れなくなってしまい、急きょその人物に代わる医療の専門家を探しているとの事。

それで、園子君は私が良いんじゃないかと考え、教師と一緒にここに来たのだという。

だがその頼みに私は首を横に振った。

生憎だが学園祭があるその日も色々と仕事が立て込んでいて行けそうにない。

その事を私は申し訳なく話すと二人は見るからにがっくりと肩を落としていたが、それからすぐ別の人物が園子君たちの依頼を引き受ける事となった。

園子君たちが帰った後、何処から聞きつけたのか風戸君が学園祭でのその役目を買って出ると名乗り上げたのだ。

その発言に目を丸くしながら「本当にいいのかい?」と確認する私に、風戸君は小さく笑いながら頷いた。

彼が言うにはその日は特に大事な予定なども無く、今担当している患者さんたちの中にも重篤(じゅうとく)な状態の人はいないため、一日病院を空けてても問題は無いとの事。

そう言う事ならと、私も二つ返事でそれに了承し、すぐさま園子君に連絡を取って学園祭には風戸君が行くことを伝えた。

風戸君がイケメンの部類に入る事もあってか、園子君は電話越しでも分かるほどに大いに喜んでいた。

園子君との通話を終えてやれやれと肩を落とした私だったが、問題が一つ片付いた事に内心ホッと胸をなでおろした。

 

 

 

 

 

 

――△月●日(晴れのち曇り)

 

 

病院の地下研究室で明日、奥多摩のキャンプ場へ行く準備をしていた哀君から少し気がかりな事を聞いた。

どうも蘭君が新一君――つまりコナン君の正体に気づいている節があるという。

薄々なのかそれとも確実なのかは分からないが、蘭君のコナン君に対するここ最近の言動が小学生に向けるそれとはどうにも違って見えるらしい。

もし蘭君が確実に彼の正体に気づいているのだとすれば、もはや潔く彼女に真実を伝えるべきだろう。

だがそれを直接伝えるべきなのは他の誰でもなく間違いなく新一君の口からだ。

私たちは事の成り行きをただ静かに見守っているべきだろう。

 

……胸中がざわざわする。何故だろうか?これから就寝しようとしているのに、胸騒ぎが酷くてなかなか寝付けそうにない。

 

 

 

 

 

――△月×日(晴れ)

 

 

大変な事が起きた。新一君が撃たれた。

 

博士と新一君たち少年探偵団で奥多摩へとキャンプに行った先で強盗団と遭遇したらしい。

強盗団は顔割れした仲間の一人を殺して鍾乳洞に捨てようとしている所を新一君たちに見られて銃で発砲し、その弾丸が運悪く新一君に当たったのだという。

だが幸いな事にその後、目暮警部たちが強盗団を取り押さえ少年探偵団は保護されたと聞いた。

撃たれた新一君も米花総合病院に担ぎ込まれ、手術で九死に一生を得たらしい。

その知らせを聞いた私は大きく胸をなでおろした。

詳しい状況を根掘り葉掘り聞きだしたい気持ちでいっぱいだったが、それは新一君が喋れるくらいにまで回復するのを待つとしよう。

 

 

 

 

 

――△月◎日(晴れ)

 

 

新一君が撃たれたと聞いてから十日ほどたった今日、仕事の合間に新一君のお見舞いに米花総合病院へと足を運んだ。

彼の病室に着くと先客が来ていた。

蘭君に園子君……そして以前、シンフォニー号の事件で出会った関西の高校生探偵、服部平次君とその幼なじみだという遠山和葉(とおやまかずは)君だった。

和葉君とは初対面だったため先に自己紹介を軽く済ませると、改めて新一君と対面した。

思っていた以上に元気そうだったので大いにホッとする。

 

そうそう、その時に蘭君たちから聞いた話なのだが、演劇の練習中に園子君が怪我を負ってしまい持ってた役を降板する事になったらしい。

怪我自体は大したことは無さそうであったが、それでも劇本番に影響があるといけないからと演劇を降りる園子君は少し残念そうな顔をしていた。

そして、そんな園子君の代わりに彼女の代役を演じるのは、なんと新出君なのだと言う。

彼が私の元を去ってからしばらくして、帝丹高校の校医になったという話は聞いていたが、まさか演劇の役者に抜擢されるとはねぇ……。

 

その後、私が新一君のお見舞いに来てすぐに蘭君と園子君、そして和葉君は(服部君の策略で)退室し、病室には私と新一君と服部君が残されると、改めて新一君の口から自分の正体が蘭君にバレている事を聞かされた。どうやらもう確実らしい。

新一君がこの病院に運び込まれた際、蘭君がすぐさま彼への輸血に自分の血を使ってくれてと言って来たらしい。

 

――『江戸川コナン』の血液型を彼女は知らないはずなのに、だ。

 

それを聞いて私ももはや確定的だろうと疑う余地が無かった。

新一君はどうする事が最善か思い悩んでいる様子だった。

助力してあげたい所だが、こればっかりは彼自身が決めねばならない。

その後、蘭君たちが病室に戻ってきたタイミングで私は部屋を後にし、米花私立病院へと帰った。

 

そしてその日の夜。突然、私の元に哀君がやって来て『アポトキシン4869』の解毒薬の試作品の使用を許可してほしいと言って来た。

…………。――薄々ではあったがこの時点で彼女が何をしようとしているのかを察した私は、何も聞かずそれに了承し、哀君は研究室からいくつか解毒薬を持って出て行った。

 

……何故か以前、鳥羽君が犬猿の間柄である藤井君をからかうためだけに買ったパーティーグッズのモデルガンも一緒に。

(完全に余談だが、そのモデルガンでからかわれた藤井君が、直後に鳥羽君にヘッドロックをキメてキャットファイト(いつものじゃれ合い)に発展したのはまた別の話である)。

 

 

 

 

 

 

――△月□日(晴れ)

 

 

哀君が試作品を持って行ったその数日後の帝丹高校の学園祭当日。――学園祭で事件が起こった。

私は仕事中だったため、その知らせを聞いたのは全てが終わった後だったのだが、どうやら蘭君たちが学園祭の演劇を公演している最中、観客席にいたお客の一人が突然苦しみだして倒れてしまったらしい。

しかも話を聞くにどうやら青酸カリが混ざったアイスコーヒーを飲んでしまったからだと言う。

何故、そんな事態になったのかはまだ詳細を聞いていないので分からないが、結果として――。

 

――その毒を飲んだというお客は()()()()()()()()()()()()()

 

と言うのも、運が良い事にその時周囲にいた観客たちの中に風戸君もおり、直ぐに応急処置を行ったのだと言う。

どうも園子君に劇を見に来てほしいとせがまれてやって来た所、偶然その事件に遭遇したらしい。

 

『シアン化カリウム』。俗称、『青酸カリ』は確かに毒性の高い危険な薬物ではあるが、()()()()()()()()()()()()

実際、青酸中毒になった場合、その解毒剤となりえる存在として『亜硝酸アミル』という主に心臓疾患に使用される薬品があげられる。

後から風戸君に聞いた話だが、被害者に駆け寄った時にすぐさま毒によるものだと気づいた彼は解毒治療をその場で行うのと並行して毒の成分が青酸中毒によるものだと見抜き、速攻で亜硝酸アミルをそのお客に処方したらしい。

あと一歩遅ければ確実に死んでいたと、風戸君は安堵の笑みを浮かべていた。

それを聞いて私もつられてホッと胸をなでおろした。

学園祭当日に、万が一の事があるかもしれないからと思い、帝丹高校に行く風戸君に私がいつも持ち歩いている医療道具と『携帯型無菌室(緊急手術室)』を渡しておいた事も正解だった。

それを使って風戸君が観客席のど真ん中で解毒治療の手術を始めた時は、周囲は阿鼻叫喚の渦だったらしいが、人の命に比べれば安いモノだ。

これを機に、博士(ひろし)に頼んで風戸君にも私のと同じ『携帯型無菌室』を作ってもらおうのもいいかもしれない。

 

……そうそう、肝心の毒を飲んだ客の事だが、やはり何者かに青酸カリを飲まされたことによる殺人未遂事件だったらしい。

まぁ、その犯人はすぐにその場で特定され、事件そのものは解決したらしいのだが……――。

 

 

 

――解決したのは()()姿()()()()()黒衣の騎士姿の工藤新一君だったらしい。……うん、どういう状況でそうなったのかね?

 

 

 

 

 

 

 

――△月◆日(晴れのち曇り)

 

 

学園祭の事件の翌日。ようやく事件の詳細を聞くことが出来た。

青酸カリを飲まされた被害者は帝丹高校の卒業生であり、現在は米花総合病院で医師をしている蒲田耕平(かまたこうへい)という人物であり、そしてその彼に毒を飲ませた犯人は同じく帝丹高校の卒業生でこれまた同じく米花総合病院で事務員をしている鴻上舞衣(こうがみまい)という女性であった。

彼女がどうやって毒を飲ませたのかはさておき、彼女がどうしてそんな凶行に走ったのかが気になった私は、米花私立病院に運び込まれてきた蒲田君に事情聴取を取りにやって来た目暮警部からその理由を尋ねてみたのだが……。

 

……正直に言ってその内容は医師である私にとって、憤りを感じずにはいられないものであった。

 

聞けば蒲田耕平は、今度開かれる学会で発表しようとしていた学説があったのだが、その学説を覆しかねない例外的な患者が米花総合病院に居たという理由でその患者に間違った薬を投与して病状を悪化させ、殺したのだと言う。自分の自説を守るという、ただそれだけのために。

また、彼は帝丹高校に通う米花総合病院の院長の娘さんと婚約していたのだが、先週その婚約者ととある理由からその婚約が破棄された時も、彼は『人間の命さえも自由にできるこのオレが十代の小娘一人に振り回されるとは、まったくバカげた世の中だ』と暴言も吐いていたのも命を狙われる理由だったらしい。

 

……全くもって実に愚かしい。彼は医師を神様か何かと勘違いしているのではなかろうか。

学説にしたってそれは『個々の自説』であって()()()()()()()()()()()()()()というのに。

思い上がりも甚だしいとしか思えない。自分の思うようにいかなかったからと言ってそれに手をかけたり、(おとし)めるのは医者としてナンセンスな行為だ。

 

彼を殺そうとした鴻上舞衣さんに同調するつもりは無いが、私も彼は医師になるべき人間では無かったと心の底からそう思った。

まあ、そんな彼もこの一件で患者を殺したことが警察の調べで明るみになり、医師免許をはく奪の上、実刑は免れない事になるだろう。正に自業自得である。

 

 

そうそう後日聞いた話だが、その事件を解決した工藤新一君が何故黒衣の騎士に扮していたのかと言うと、やはりというかなんと言うか哀君の策略で解毒薬を飲んで元の姿に戻り、学園祭にやって来た所、園子君の口八丁に乗せられる形で着せられたらしい。

哀君もそうだが、園子君もらしいというかなんと言うか……。

 

まあ、とにもかくにもそのおかげで新一君は蘭君からコナン君の正体が自分だと気づかれるのをギリギリで防ぐ事が出来たらしい。

元の姿に戻った新一君が事件を解決した時、周囲にはお客や生徒たちが多くいたらしいが、それもその場に(何故か)いた服部君が上手く周囲に呼び掛けて情報漏洩を防いでくれたと聞く。

……話を後から聞いた私からでも実にひやひやとした学園祭での事件であったが、これで全てが終わった訳では無い。

『組織』の眼がある以上、ずっと『工藤新一』の姿でいるのは危険すぎるため、いずれ彼は再び『江戸川コナン』に戻らなければならないだろう。

 

……これから新一君はどうするのだろうか?彼の今後の動向に嘱目(しょくもく)していかなければならない。

 

 

 

 

 

 

――△月◇日(晴れ)

 

 

新一君が元の姿に戻って今後どうなるのかと思われたが、意外とその決着があっさりと訪れた。

学園祭の事件の後すぐ、新一君は蘭君を連れて夜に米花センタービルの展望レストラン『アルセーヌ』へと食事にやって来ていたらしいのだが、そこでまたしても殺人事件に遭遇したらしい。

しかも、間の悪い事にその時新一君に投与されていた解毒剤の効き目が切れかかっており、推理中に苦しみ始めたのだとか。

だが幸いな事に、やって来た目暮警部について来る形で伊達刑事もそこにいたため(学園祭の事件でも目暮警部に同行しており、哀君や元の姿に戻った新一君本人から事情を聞いたらしい)、彼の助力で事件を解決すると同時に事件後に人知れず新一君をトイレに連れて行ってくれたおかげで、誰にも新一君が子供(コナン君)に戻る瞬間を見られずに済んだらしい。

 

「あの時、あそこに伊達刑事がいてくれて本当に助かった」と、目の前で私の診察を受ける新一君、もといコナン君がそう零していた。

子供の姿に戻った後も少し紆余曲折はあったようだが、どうにか新一君は蘭君に正体を悟られず、また『江戸川コナン』として彼女と毛利君のいる探偵事務所に居候する日常に戻ったと。……解毒剤の後遺症が無いか私の所に診察を受けに来たコナン(新一)君本人からその話を聞かされる事となった。

 

……やれやれ、奥多摩の事件から本当に波乱万丈の毎日だった。

ほとんど私は関わっていなかったが、それでもどうなってしまうのか分からず正直気が気じゃなかった。

結果的に何とか治まったものの、これで本当に良かったのか悪かったのかははっきりとは断定できない。

いや、『組織』に元の姿に戻った新一君を知られなかったのは良かったとは思うが、それでもこれで全て丸く収まったと聞かれればはっきり言って微妙な所だ。

結局の所、新一君は再び江戸川コナンに戻り、また蘭君のそばで彼女を欺きながら生活して行く事となったのだから。

だがこうなってしまった以上、もはやもう後戻りはできないのだろう。彼がそれを決めた以上、私がそれに口出すつもりも無い。

彼が『本当の意味で』元の姿を取り戻す、その時まで私は……いや、『私たちは』彼と共に諸悪の根源である『組織』を追い続けて行く事だろう。

 

それがいつになるのかは分からないが、どうかそれが近い未来である事を私は密かに願い続ける――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――時に診察後、コナン(新一)君にあの夜、蘭君を連れて米花センタービルに来たのは、本当に食事をするためだけだったのかと軽く問いかけてみると、「そうだよ。結局食いそびれちまったけどな……」と言いながら、何故かそっぽを向いて顔をほんのりと赤らめていた。

 

 

 

 

 

 

――ふ~ん、まぁそう言う事にしとこうじゃないか(笑)。




軽いキャラ説明(原作とは違う結末を辿った者たちのみを掲載)。



・富所親子

『特別編』第1巻収録。アニメでは86話で放送された『誘拐現場特定事件』にて登場する父娘(娘は父親の回想の中だけの登場)。
娘はマンションの屋上から転落して死亡してしまい、残された父親はその屋上の出入り口のドアの鍵が壊れていたのにもかかわらずそこの管理人が一週間もそれを放置していたのを知り、鍵を治していれば娘は死ななかったかもしれないとマンションの管理人を強く恨み、事件を起こす事となった。
本作では、娘が屋上に上がる前にカエル先生に呼び止められ連れ戻されたため事なきを得る。
そのため父親も管理人に恨みを持つことは無くなった。



・蒲田耕平

単行本第25~26巻。テレビアニメでは第188~193話で放送された『命がけの復活シリーズ』に出て来る『帝丹高校学園祭殺人事件』に登場する被害者。
自身の学説を覆しかねないという理由でその患者を殺害した、鴻上曰く医者の風上にも置けない外道。
本作では現場に風戸が居合わせた事により、何とか命を拾うことが出来たものの、犯人である鴻上の証言や警察の調べで後に自身の悪行が明るみとなり、退院後直ぐ鉄格子の中へと送られる事となった。



・鴻上舞衣

原作で蒲田を殺害した犯人。
本作では風戸が居合わせた事により、蒲田の命が取り留められ殺害できなかった。
それでも原作同様に刑罰を受ける事には変わりなかったが、殺人未遂という事で原作よりも刑罰が軽くなった。


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カルテ23:吉野綾花

毎回の誤字報告、および感想ありがとうございます。

またもやお久しぶりです。
今回は冥土帰しの裏面の部分について少し触れて行きます。


――私こと吉野綾花(よしのあやか)は両親と兄一人のどこにでもいるごく普通の一般家庭で育った。

 

特別裕福という訳でもなく平凡を絵にかいたような家庭であったが、私たちは幸せな日々を送っていた。

しかし私が中学1年の頃、父が借金の連帯保証人になっていた知人が突如蒸発し、そのために父は多額の借金を代わり背負う事となったのだ。

安易な気持ちで連帯保証人を請け負ってしまった後悔と、私たち家族を巻き込んでしまった負い目もあって、父は私たちに借金取りからの火の粉が飛ばないように母と離婚をし、自身は借金を返済すべく住み慣れた静岡を出て一人東京へと出稼ぎに行くことに決める。

しかし、家事などの身の回りの世話に無頓着だった父が東京で一人暮らしをするのに心配を覚えた私は、父と一緒に東京へ行くことを決心する。

始めこそ父や母に止められたが、父の事も家族として大好きだった事や、病弱だった母の負担を少しでも軽くしたかった私の決意は曲がることなく、結局半ば強引に父に同行する形で一緒に東京で生活する事となった。

父が働いている間、まだ中学生であった私は学業に勤しむ傍ら、自由な時間を全て家事に費やし、高校に入学してからはアルバイトにも専念して父の負担を少しでも軽くしようと頑張っていた。

辛くない。と言えば嘘になる生活だったが、それでも時折、静岡に残してきた母と兄に連絡を取る事でそれを心の支えにしてきた。

 

兄は病弱の母の面倒を見ながら必死になって働いているため、兄たちの方も決して裕福とは縁遠い日々だったようである。

 

それでも私たちはお互いを励まし合いながら、いつかまた一緒に暮らせる日を夢見て毎日を生きてきた。

 

 

……そうして、何年もの歳月を経てようやく父の借金返済の目処が立った頃――事件が起きた。

 

 

 

 

 

 

――トンネル工事の作業員をしていた兄が、突如落盤事故にあってこの世を去ったのだ。

 

 

 

 

 

その一報を聞いた私と父はすぐさま静岡へと向かった。

母の旧姓である『高畑(たかはた)』と書かれた表札を掲げた家に駆けつけた私たちの目の前には、見るも無残な姿になって棺桶の中で眠る兄と、その周りで葬式の準備に取り掛かっている母方の親戚たちの姿があった。

変わり果てた兄の姿に私と父は呆然と立ち尽くすも、直ぐにこの場に母の姿が無い事に気づき、葬式の準備をする親戚の一人を捕まえて母がどこにいるのかを聞き出した。

すると何と、母は兄が亡くなったと知った直後に倒れ、今は病院で入院していると言う。

 

私たちは急ぎ、母の入院しているという病院の場所を教えてもらいそこへと急行した。

 

病院のベッドに横たわった久しぶりに見る母は、年齢よりもかなり老け込んで見えた。

兄のみならず変わり果てた母の姿に私と父はショックを隠し切れないながらも、何とか母に何があったのかと問いただす。

すると母は弱々しい声で語り始めた。

何でも、兄を雇っていたのは『堂本観光(どうもとかんこう)』という名の会社らしく、ロープウェイを通すため天部山という山のトンネル工事を行っていたのだが、そのトンネル工事には開通を優先するあまり無謀なスケジュールが組まれていたらしく、結果その無茶がたたって事故が起きたようなモノだったらしい。

それだけでも相当ショックな事だと言うのに、その堂本観光の社長だという堂本栄造(どうもとえいぞう)は、あろうことか兄が亡くなったばかりの母に無理矢理口止め料の大金を押し付けて事を公にしないと契約させたのだと言う。

長年、堂本家に何かしらの義理があったらしい母は、その要求を受け入れる事しか出来なかったらしい。

だがその要求を飲んでしまった事と、兄の死去のショックが重なってしまった事で、結果、もともと病弱だった母の体調が入院するほどにまで瞬く間に悪化してしまったのだ。

兄の死からまだ間もないと言うのに、自身も今にも死にそうなほどに弱々しくなってしまった母。

何とか母を助けたかった私は、母の担当医にそう懇願するも、返ってきた答えは難色を示すものであった。

このままでは母が助からないと悟った私は、絶望から膝を崩しそうになる――。

 

――しかし、そこで()()()()()の顔が浮かび、崩れそうになった膝に力が入った。

 

それは何年か前の出来事。

東都で必死になって働いていた父が、一度だけ無理な働き過ぎがたたって心筋梗塞を起こした事があった。

帰宅途中、何の前触れも無く路上に倒れた父は一時危うい状況に陥っていたのだが、対応したその医師の治療で一命を取り留めただけでなく、一週間もしないうちに父を退院させて仕事に復帰できるほどに回復させて見せたのだ。

本来なら、何かしらの後遺症が残っていてもおかしくは無いほど重体だったらしいのだが、退院してからもその兆候は全く無く、むしろ倒れる前よりも元気に毎日仕事に出かけて行く父に一時、目を丸くしていたのを今でも覚えている。

 

そんな父を救ってくれた米花私立病院の()()()()()()()()()()()()なら、母の事も何とかしてくれるかもしれない。

 

そう思った私は、急ぎ静岡に来てくれるように頼むため、その先生に連絡を取る。

連絡を貰ったカエル先生は、私の依頼に二つ返事で了承し、直ぐに母の入院する静岡の病院へと来てくれた。

 

――そうして、母の担当医がカエル顔の先生に代わった途端……母の容体が瞬く間に快方に向かっていくのが見て取れるようになった。

 

病院に入院した当初の母は、いつ死んでもおかしくないほどに弱り切り、自分で食事をとる事もベッドから起き上がることも出来ず、(元担当の)医師からも遠回しに匙を投げられていた。

――というのに、いざカエル顔の先生に代わると数日もしない内に母の顔の血色がよくなり、ベッドから起き上がる事も、食事をとる事も一人でできるほどに回復していったのだ。

 

たった数日で劇的な変化を見せた母に、私や父はおろか、元担当医だった医師も開いた口が塞がらない。

だがそんな事は、食事をとりながら弱々しくも自然と私たちに笑顔を向けて来るようになった母を見たら、些末な事のように感じた。

 

――これならもう、母は大丈夫だろう。私たちはそう思い、心から安堵した。

 

 

 

 

 

 

 

――だが、それは大きな間違いであった。

 

 

 

 

 

 

カエル顔の先生に呼ばれ、母のいる病室から診察室に通された私たちは、そこで母の現状を知る事となる。

 

「……残念だけど、このままではお母さんを完治させることは到底不可能だね」

「――ッ!?ど、どうしてですか?あんなに元気になって来ているのに……!!」

 

突然、カエル顔の先生から突き付けられたその言葉に、私は驚き先生に詰め寄った。

そんな私をなだめながら先生は淡々と説明し始める。

 

「今、キミのお母さんの体を支配しているのは身体的な病気なんかじゃなく、精神の病気……言わば『心の病』なんだよ。それがお母さんの身体の健康に悪影響を及ぼし、彼女を弱らせているんだ。……今は快方に向かっているように見えるかもしれないが、このままでは退院しても直ぐにまた身を持ち崩し、再入院する可能性が高い。……だから、お母さんを治すには精神を蝕むその病原菌(根源)を取り除く必要があるんだ」

「そんな……」

 

それはつまり、母が入院する原因となった兄の事故死とそれを隠蔽した堂本観光の因縁を解決しなければならないという事。

呆然と佇む私と父に、カエル顔の先生は静かに(たず)ねて来る。

 

「……聞けばキミのお兄さんがトンネル工事の事故死とやらが原因でお母さんが倒れたらしいけど……キミたち二人の様子を見るに原因はそれだけって訳じゃなさそうだね?」

 

その言葉に私と父は一瞬口ごもるも、その後すぐ父が「ここだけの話にしてほしい」と先生に念を押してからおずおずと事情を話し始めた。

兄が死んだトンネル工事の事故は、無謀なスケジュールと強行によって引き起こされたもの。そして、母はその真相を知るも、堂本栄造に多額の口止め料を無理矢理握らされ黙らされた事を父は言葉を絞り出しながら先生に伝えた。

話を静かに聞き入っていたカエル顔の先生は、父の話が終わると同時に目を伏せて口を開いた。

 

「それはまた、随分と無念だったろうね……。奥さんも、そしてキミたちも」

 

先生のその言葉に父も俯きがちに小さく頷く。その両の手は拳を作り、堂本観光への怒りからかワナワナと震えていた。

そんな父を見据えながら、カエル顔の先生は座っていた椅子からゆっくりと立ち上がり、私たちに向けて問いかけてきた。

 

「……それで?キミたちはこれからどうするつもりなんだい?このままその堂本観光とやらの言いなりのままに黙って終わりにするつもりなのかい?」

「それは……そんなのは、嫌に決まってます!」

 

先生のその問いかけに私は反射的にそう叫んでいた。

それでは今も苦しんでいる母どころか死んだ兄も浮かばれない。

このまま泣き寝入りなど、許せるわけがない。

私だけでなく、隣に立つ父も断固として戦う覚悟を決めたらしく強く頷いていた。

そんな私たちを見たカエル先生も真剣な顔で「うむ」と小さく呟くと、私たちが驚くような提案を口にしてきた。

 

「なら、僕も全面的にキミたちに協力させてもらおうかね?幸い僕の知り合いには優秀な弁護士も警察関係者もいるから、彼らの力を借りれば何とかなるかもしれない」

 

渡りに船とばかりにそう言って来た先生に私と父はそろって目をぱちくりとさせる。

そんな私たちの心境などお構いなしと言わんばかりに今後の事を一人思案していく先生に、私はおずおずと声をかけた。

 

「……あ、あの、本当に協力してくれるのですか?」

「うん、そう言ってるんだけど。……駄目なのかい?」

「い、いえ、とてもありがたい事ですけど……でも、どうして先生は私たちにそこまでしてくださるのですか……?」

 

私のその質問に、先生はふいにフッと小さく笑うとそれに答えて見せた。

 

「いやなに、このままじゃあ僕の医者としての矜持(きょうじ)が許せなかったってだけの話さ」

「矜持?」

「そう。……僕はね、目の前で苦しむ者がいれば、例え重病重傷だろうと必ず治療し、その人が善人だろうと悪人だろうと迷わず手を差し伸べる。そして、その人が治って退院するまで最善を尽くし続けるんだ。だから、キミのお母さんがこのまま退院できずにいる今の現状を快く思ってはいない。……そんなのは僕の医者としてのプライドが許せない。……だからこそ、僕は手段を選ばず、徹底的に打てる手を全て打っていくのさ。例えそれが違法行為だろうと、他の誰かを傷つける行為であろうとも――」

 

 

 

 

 

 

「――自身の患者を治す。ただそれだけのために、ね……」

 

 

 

 

 

真剣な目で静かにそう口にした先生を前に、私と父はゴクリと無意識につばを飲み込んでいた。

自身の患者を治す為なら、他がどうなっても構わない。

そう言ってのけた先生に畏怖を感じると共に、その眼光の強さと言葉の重みから医者としての覚悟と信念を垣間見たような気がした。

目の前に立つ良くも悪くも医者の鑑と言ってもいい、このカエル顔の先生の医師としての大きさに私と父はただただ圧倒され続けた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――その後の展開は予想以上に早く進んだ。

 

カエル顔の先生の呼びかけに応え、警視庁を経由して静岡県警がこの一件の捜査に乗り出した。

また、同じくカエル顔の先生の紹介で東京から敏腕弁護士の妃英理先生が私たちの弁護に入ってくれる事となった。

そして更に、どこから聞きつけたのかこの一件の捜査に妃弁護士と警察が動いているのを知って東海日報(とうかいにっぽう)の新聞社まで協力にやって来たのだ。

どうやら、あのロープウェイ建設に反対していた尼僧の神山静(かみやましずか)さんに影響されて動いていたようであったが、その途中で私たちが堂本観光に探りを入れているのに気づき連携を求めて来たらしい。

私たちは東海日報の力を借りて、当時兄と一緒にトンネル工事の作業を行っていた作業員たちと秘密裏に接触する事に成功し、その人たちから事故当時の出来事を事細かく聞き出す事に成功した。

その上、作業員たちから堂本観光の社員たちの中にも、社長の堂本栄造やその幹部たちに強い不満を持っている人たちも多くいると聞き、作業員たち経由でその社員たちを説得しその人たちにも堂本栄造の悪行を証言、証拠の収集をしてもらうという約束を取り付ける事ができた。

 

そうして行動に移してからほんの数ヶ月と言う間に、驚くほどの証拠や証言が私たちの元に集まって来た。

予想以上の収穫に、堂本栄造がどれほど人望の薄い人物なのかを間接的に知る事が出来、呆れを通り越してむしろ清々しい気持ちでいっぱいになった。

 

そして十分な証拠がそろった所で堂本栄造宛てに裁判出頭要請の書類を提出。それとほぼ同時に静岡県警が堂本観光の本社に踏み込んでそこに眠る()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()も一斉に押収していった――。

 

――結果、電光石火の勢いで堂本栄造は逮捕された。

 

裁判に呼ばれた最初こそ、口止め料を渡したというのにそれに抗って裁判を起こした私たちに顔を真っ赤にして激怒していた堂本栄造だったが、その後、他の作業員や社員たちの多くが叛逆する勢いで一様に証言や証拠を提出しだした事を知ると、裁判で判決が出る頃には全身を真っ白に染めて老け込み、椅子に座り込む姿だけが残されていた――。

 

 

 

 

 

 

 

それからすぐ、堂本栄造は失脚し、堂本観光はあっという間に倒産の憂き目にあった。

社員や作業員たちも次々と辞めて行き、もはや堂本観光が復興する事は不可能に近いだろう。

堂本栄造の悪行に関わっていなかった者もそれなりにいたらしく、彼らを巻き込んでしまった事には申し訳なく思ってしまったが、例え私たちが動かなかったとしても、先に言ったように堂本観光には堂本栄造のやり方に不満を持っていた者が少なからずいたので、その者たちから訴えられる可能性もあった。

それ故、遅かれ早かれこのような事態にはなっていただろう。

無関係だった社員たちに対して、私が出来るせめてもの事と言えば、彼らの再就職先が早くに決まるのを切に願うばかりだ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――それから一年近くして、私は今、東都の米花町にある米花私立病院の医院長室にいる。

 

「今日から医院長先生の()()()()()働かせていただく事となりました、吉野綾花です。よろしくお願いします!」

 

そう言って大きくお辞儀をして見せた私に対し、一年前と変わらないカエルのような顔で笑顔を浮かべる()()の姿がそこにあった。

 

「いらっしゃい。今日からよろしく頼むね?……その後、お母さんの容体はどうかね?」

「はい!もうすっかり元気になって、今は父と再婚して静岡でのんびりと余生を過ごしていますよ」

 

カエル顔の先生の問いかけに私はそう答えて見せる。

堂本栄造が逮捕されたのを機に、母の容体はすぐに退院できるまでに回復し元気になった。

それからすぐ、借金を返済し終えた父と一緒に静岡で再び暮らし始め、慎ましくも不自由のない暮らしを送っている。

 

そして、私はと言うとこの一件を機にカエル顔の先生の下で働きたいと考えるようになった。

 

最初こそ看護師資格を取って米花私立病院で看護師として雇ってもらおうかとも考えたが、先生に周囲の仕事管理などを任せる『補佐的な職員』がいない事を知り、ならばと大学時代に取った秘書検定資格を持つ私を秘書にしてみてはどうかとダメもとで持ち掛けて見た。

すると、意外なほどあっさりとその提案が採用される。

 

「いやぁ、助かったよ。何せ僕もいい歳だからね。多忙な事もあってついつい疎かにしてしまう事とかもあるんだよ。自身の細かいスケジュール管理とか食事とか書類整理とか……」

 

遠い目をしながらそう呟く先生に私は思わず苦笑を浮かべてしまう。

 

だが、これから色々と大変そうだ。と思う反面、やりがいのありそうな仕事に就職できたと、これからの生活に期待感を膨らませる私がそこにいた――。




軽いキャラ説明。


・吉野綾花

1時間スペシャルのアニメオリジナル回、『迷宮への入り口 巨大神像の怒り』に登場した犯人。
堂本観光が起こしたトンネルの落盤事故で実兄が死亡。その後、堂本観光から口止め料の大金を無理矢理押し付けられて真実を知りながら口外出来ない事に苦しみ死んだ母親の事もあって社長の堂本栄造に復讐する事を決意し決行する。
しかし本作では、冥土帰しによって母親の命は救われたと同時に彼の協力のおかげで堂本栄造を失脚させることに成功する。
その後、冥土帰しにダメもとで秘書として働かせてもらえないかと願い出て、見事彼の下で働く事となった。


・堂本栄造

原作ではとある策謀を巡らせている最中に吉野の手によって殺される被害者。
しかし本作では冥土帰しの呼びかけに応じて動いた妃弁護士と警察、そして後からやって来た東海日報の連携によって今までの悪事が全て明るみとなった為、裁判後に逮捕された。






・補足説明

原作では両親の離婚理由や父親の現状などは触れられていなかったため、本作でのその部分のエピソードは完全に創作である。


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カルテ24:ツルタタミコ(亀井八重子)

毎回の誤字報告、および感想ありがとうございます。

また、一月以上も間を空けてしまい申し訳ありません。
前回から再び軽いジャブ回にストーリー構成を戻しています。



――私ことツルタタミコは、絶望の中にいた。

 

4年前。私の息子であり長男でもあるマサヒコが当時住んでいたアパートの部屋で首を吊って死んだのだ。

証券会社に勤めていたマサヒコは、お客のお金を横領し、それが発覚して自殺したというのが当初の見解だった。

しかし後に、マサヒコの日記から横領していたのは実は上司である熊田達也(くまだたつや)だと言う可能性が浮上し、警察は熊田が横領の罪をマサヒコになすりつけ、自殺に見せかけて殺したのではないかと推測した。

 

確証は無かったものの、私も当時はそうではないかと思った。

マサヒコは、家族思いの優しい子だった。母の私や弟のカツヒコはマサヒコのおかげで何不自由なく平穏に暮らせていたのだ。

しかもマサヒコは……母親の私が言うと持ち上げすぎているように聞こえるかもしれないが、ドイツ留学までしていた優秀な息子だった。

そんな子がお客のお金に手を付けるなど、私には到底思えなかったのだ。

 

だが、容疑者だと思われていた熊田は裁判の結果――無罪となってしまった。

 

その理由は、マサヒコが死んだと思われるその時刻、彼はカラオケスナックにいたという確固たるアリバイがあったからだ。

アリバイがある限りいくら警察でも熊田を裁く事は不可能だった。

そのうえ熊田は、大金をはたいて腕のいい弁護士――橘憲介(たちばなけんすけ)先生を雇い入れており、その弁護士先生の力で熊田を裁く事はさらに難しくなったのである。

 

その結果、熊田は無罪。私も法廷で必死に戦ったにもかかわらず敗れ去り、代償としてか一気に老け込んでしまった。

願いが叶わなかった今、もうこの地に居続けるのは耐えられないと、私とカツヒコは()()()()()()()()()()愛犬のヨハンを連れ、無念な気持ちを抱えながら住み慣れた家を引っ越し、思い出深い千葉の地を泣く泣く去って行く事となった。

 

引っ越し先の新天地で新たな生活を始めた私たちは、当初こそそこでの生活に苦労したが、そこは住めば都。傷心した私を支えようとカツヒコも懸命に働いてくたおかげもあって、数年の歳月を重ねればそんな苦も気にならないほどになれた生活を送れるようになった。

 

そうして数年後、ようやく以前までとはいかないまでも平穏な暮らしを取り戻し、全てを忘れてやり直そうと始めていた矢先――再び不幸が私たちの頭上に降りかかった。

 

 

 

 

 

――カツヒコが突然、職場で倒れ。搬送先の病院で難病にかかっていると診断されたのだ。

 

 

 

 

「……このままでは、そう長くはないでしょう」

 

そう担当医から聞かされた私は、頭を鈍器で殴られたかのようなショックを覚え、目の前が真っ暗になる。

 

……一体、私が何をした。

 

マサヒコのみならず、今度はカツヒコまで私から奪って行こうと言うのか!?

やり場のない怒りと悲しみ、そして何もできない自身の無力さと悔しさが私の胸中の渦巻いていく。

 

だが、そんな私の心境を察してか、目の前に立つカツヒコの担当医は私に一筋の希望を与えてくれた。

 

「……ですがお母さん。まだ諦めるのは早いかもしれません」

「……?どういう事ですか……?」

 

担当医師のその言葉に私がそう問いかけると、その医師は更に言葉を続けた。

 

「実は東都の米花町と言う町に世界でも類を見ない凄腕の医師がいるのです。その人に頼めばあるいは何とか出来るかもしれません」

「――!ほ、本当ですか!?でしたら、その先生をぜひ……!息子を、カツヒコを助けてください……!!」

 

私の必至の懇願に担当医師は強く頷いて見せ、早速その(くだん)の医師へと連絡していた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、これなら一回の手術で完治するから心配はいらないよ?……何せ僕にとってこのレベルの病気を治した事なんて一度や二度じゃないからね」

「「…………」」

 

件の医師――妙にカエルに似た顔を持つ医師にそう言われ、私のみならずカツヒコの担当医である先生も開いた口が塞がらない。

最初にカツヒコの病名を聞いた時、(がん)や白血病並みに死亡率の高い病気だと教えられたのだが、このカエル顔の先生からしてみれば割と簡単に治す事の出来るモノだったらしい。

 

……いや、それがどれほどまでに異常な事なのかは医学に精通していない私でも分かる。

 

素人の私でも癌や白血病がどれほど危険度が高く、かつ治療困難な病気なのかは知っている。そんなレベルの病気にカツヒコがかかってしまったのだ。絶望しないわけがない。

だが目の前に立つカエル顔の先生はそれを何でもないかのようにあっさりと完治できると言ってのけたのだ。……うん、呆気にとられないわけがないだろう。

 

とは言え、これでカツヒコは助かるのだ。

私はその事実だけを真っ先に理解し、ホッと胸をなでおろしていた。

 

 

 

 

 

 

 

カエル顔の先生の言った通り、その後カツヒコは手術を一度受けた途端、病魔に蝕まれていた時とは嘘のようにどんどんと回復を見せて行った。

素人眼の私から見ても分かるほど元気になったカツヒコは、それから車椅子に座った状態なれど病院の外へと散歩に出かけられるようになり、私と一緒にお見舞いに来たヨハンと戯れ、病気にかかる前と同じように笑顔を浮かべる事も多くなったのである。

この調子なら近い内に車椅子も必要なくなるくらいに回復し、また以前のような生活に戻ることが出来るだろう。

ヨハンとじゃれ合うカツヒコを見ながら私も自然と顔をほころばせていた。

 

 

 

 

 

「……カツヒコ君の術後の経過は順調に進んでいるね。明日から歩くためのリハビリを行えば数日後には退院できるよ」

「本当に、何から何までありがとうございました」

 

診察室でカツヒコのカルテを書きながらそう言うカエル顔の先生に、私は椅子に座ったまま深々と頭を下げてそう返した。

本当に……この人には感謝してもしきれない。

この人の存在が無ければ、私はマサヒコだけでなくカツヒコまで近い内に失っていたのだから。

 

「僕は医者として当然の義務を果たしたまでだよ。それに、あそこまで回復できたのはカツヒコ君の『生きたい』という執念――気力の賜物だと言ってもいい。僕はただその執念に少し加勢をしたに過ぎない。……彼は実によく頑張った」

 

カエル顔の先生のその言葉に、私は我が事のように泣きそうになるのをグッとこらえた。

目尻に溜まった涙をカエル顔の先生からは見えないように俯き隠し、指でそっと拭い取る。

そうしている内にカエル顔の先生の話が終了した。

 

「……はい。今日の診断報告はこれで終わりです」

「どうも、ありがとうございました」

 

先生の言葉に私は会釈をしながらそう答えると、退室するために座っていた丸椅子からゆっくり腰を上げた――。

 

 

 

 

――だが次の瞬間、私の体はバランスを崩して床に倒れ込んでしまった。

 

 

 

 

「――!大丈夫ですか!?」

 

目の前で倒れた私に、カエル顔の先生は慌てて駆け寄って来る。

私自身、まさか自身の意志に反して突然倒れ込んでしまうとは思ってもいなかったので、内心動揺が激しかったものの、すぐさま心を落ち着かせて目の前で私を助け起こそうとしている先生に「大丈夫です」と手で制しながら口を開いた。

 

「え、ええ……大丈夫です。心配はいりません。……申し訳ありません、お騒がせしてしまいまして……。恐らく、カツヒコが助かった事で緊張の糸が切れてしまったんだと思います。……アハハ」

 

そう言って笑って誤魔化しながらゆるゆると立ち上がった私に対し、カエル顔の先生は先程とは違い真剣な表情を顔に張り付けながら声を上げる。

 

「……どうやら、かなり苦労をされているみたいですね。最初にあった時から気づいておりましたが、疲労が大分顔に出ておられる。……当初はカツヒコ君が病気で倒れたためだと思っていましたが、どうやらそれだけでは無いようだ」

「……いいえ。私の苦しみなどカツヒコや()()()()に比べれば――」

「――マサヒコ?」

 

ハッとなった私はしまったとばかりに口を手で覆う。

しかし時すでに遅く、先生は私の口走った『マサヒコ』の名前に反応していた。

慌てて「何でもない」とそう言おうとした私よりも先に、先生が口を開く。

 

「……カツヒコ君からお聞きましたが、彼には数年前に亡くなられたお兄さんがおられたみたいですね?それも拍子や事故とかでは無く何かの事件に巻き込まれたとかで……。流石にその詳細をお聞きする事は出来ませんでしたが、それ以来、急激に老け込んでしまい食も細くなってしまったとカツヒコ君が貴女の身を案じておられました」

「カツヒコが……」

 

マサヒコが死んでから表向き、カツヒコには心配させまいと元気に生活していたつもりであったが……やはり息子の眼は欺けなかったようである。

あの事件から数年。確かに時間と共に私の心の傷は徐々に癒えて行った。

事件直後の時よりも元気になって来たのは事実である。

しかし、私の心の一部が未だにあの事件(忌まわしき過去)に縛られているのもまた事実であった。

このままではいくら時を刻もうと、私自身はあの事件から一歩も前に進める事は出来ないだろう。

 

――そんな事を思っていると、不意に私の目の前に手が差し伸べられた。

 

「この後、時間は空いてますか?……僕でよければ、病院(ここ)の食堂で話をお聞きしますが」

「ですが……」

「この目に映る傷ついた人たちを尽力を尽くして治療し、救うのが医師の役目です。……例えそれが心が傷ついた人であろうとも、ね?……まぁ、話を聞くだけで終わってしまうかもしれませんが、それでも患者(アナタ)の話し相手になる事で少しでもそれが癒えるのならば……」

 

そう優しく語りかけてくるカエル顔の先生に私はためらう。

今までこの先生を見て来たため、先生が私欲や下心など一切なく、ただ一途に医師としての責務を全うしようとしているだけだという事は分かる。

それ故、先生の言う通り、ただ悩みを聞いてもらうだけで終わってしまうかもしれなかった。

 

――でも。……それでも。この時の私は先生の手を取る事を直ぐに決意していた。

 

あの事件の裁判が終わってから今まで、私は弱音を吐かずまいとカツヒコのみならず愛犬のヨハンの前ですらその心の内を吐露する事は無かった。

だがそれも、目の前の心から信頼できる医師に全てを打ち明ける事で、()()()()()()()()()()()()()()()()()……それを行う決意を固めるための一助となるのであれば――。

 

密かにそんな事を考えていた私は、先生の差し出されたその手をゆっくりと取っていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――それから一年後。

私は千葉にあるとある()()()の前に立ち、決意に満ちた表情で裁判所の建物を見上げていた。

 

 

 

 

 

一年前のカエル顔の先生との会話を経て――私はもう一度、()()()()()()()()()()()()()()()

 

あの日、診察室から食堂へと移動した私は、先生にコーヒーをおごってもらい、食堂の端っこの席で改めてあの事件の事をカエルがの先生に打ち明けていた。

マサヒコを失った悲しみ。裁判で容疑者を裁けなかった無念。……そして、マサヒコが横領の果てに自殺したという事が世間に知れ渡り、周囲から奇異や白い目を向けられ続けた苦悩。

その全てをその場で打ち明け、その時その時に感じた心情も同時にその場にぶちまけていた。

結構感情的になって声を荒げた部分も多々あったのにもかかわらず、カエル顔の先生はその全てを真摯になって聞き続けてくれた。

そうして一通り過去の事件の経緯とその時の心境を全てカエル顔の先生の前で吐露すると、いつの間にか胸の内が多少なりとも軽くなるのを感じた。

そして――同時にマサヒコの事件にもう一度挑む決意も。

 

そんな私の様子を察してか、先生はコーヒーを飲みながら柔らかい笑みを浮かべていた。

 

最後に愚痴を聞いてもらった形になってしまったのを先生に謝罪し、私はコーヒーを飲み干して席を立とうとする。

すると先生が()()()()()を差し出しながら口を開いた。

 

「……これは僕の知り合いのとある()()()()()()()の名刺です。完全無敗の凄腕の弁護士ですから、彼女に頼めば()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。……僕もまた、貴女の中で事件の決着が着く事を心から願っていますから」

 

その言葉に私は大きく目を見開いた。

私がこれから何をしようかなど、一切口にはしていなかったはずだ。

驚く私を前に、カエル顔の先生は小さく笑って見せる。

 

「……今の貴女の顔を見ていれば直ぐに分かりますよ。最初の疲れ切った表情とは一変して決意を固めた顔をしていらっしゃる。……険しい(いばら)の道に挑もうとする、生気に満ちた……良き顔だ」

 

そうして最後に先生は私に向けて「頑張ってくださいね」と言い残すと、そのまま診察室へと戻って行く。

 

(敵わないわね……)

 

小さくなっていく先生の背中を見つめながら、私はぽつりとそう思っていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、私は早速行動を開始した。

事件の真相を知るために、まずは貯金をはたいて探偵を雇い、熊田と彼を無罪にした橘弁護士を調べ出した。

すると、どうやらこの二人はあの事件後、年に数回ほど千葉にある橘弁護士の別荘で密会をしているらしい事が分かった。

もしかしたら、その時の密会で何か重要な手掛かりがつかめるかもしれない。

そう思った私は、どうにかその別荘に入ることが出来ないものかと考えたが、その問題は直ぐにあっさりと解決することが出来た。

私の雇った探偵が、橘弁護士がその別荘の管理をしてくれる人を募集しているという情報を教えてくれたのだ。

その募集を知った私はすぐさまそれに飛びつき、『亀井八重子(かめいやえこ)』と言う偽名で正体を偽り、管理人に応募した。

幸いな事に、あの事件後に急激に老け込んだ事で橘弁護士を含む周りにいる人たちの誰も私が『ツルタタミコ』であることに気づくことは無かった。

応募選考でつまずく恐れもあったが、それも問題なく合格することが出来た。

そうして最初の難関を突破し、ホッと胸をなでおろした私は無事に別荘の管理人として働くこととなった。

 

別荘で管理業務を全うしながら彼らが尻尾を出すのを今か今かと息を殺して待ち続ける事、およそ半年。

遂にその瞬間が私の前に現れた。

 

橘弁護士によって応接室に通される熊田を見つけた私は、待ちに待ったその瞬間に心臓の動悸が一層激しくなる。

気ばかりが焦りそうになるも、それを必死に抑え何とか冷静さを取り戻すと、私はポケットからカエル先生から紹介された妃弁護士先生のアドバイスによって用意した()()()()()()()()を片手に、そろりそろりと応接室のドアの外から中の様子をうかがった。

すると、半ば予想通りな形で熊田と橘先生が数年前のマサヒコの事件を話題に話し込んでいるのを耳にすることが出来た。

 

そうして……二人のその会話から私はあの事件の真相をようやく知る事となる。

 

やはり、会社の客の金を横領していたのは熊田であり、その罪をマサヒコに擦り付けて自殺に見せかけて殺害したのもこの男であった。

しかもご丁寧にも、その時に使ったアリバイトリックの全容まで自慢げに橘先生に語って聞かせていた。

そして、それを聞いている橘先生も、そんな熊田が事件の犯人だと知ってて熊田から大金を積まれて彼を無罪に導いた事もその時に知る事となった。

 

全てを知って、私はこの二人に対して言葉に出来ないほどの怒りと殺意が湧き出るのを感じたが、ここはグッとこらえる。

 

――今は自分のやるべき事をやらなければならない。

 

そう考えた私は、何とか耐えしのぎながら熊田と橘先生の会話の一部始終をボイスレコーダーに録音する事に成功した。

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして、その会話の録音記録とついでとばかりに橘先生()()が今まで行ってきた横領とその帳簿改竄(かいざん)の証拠も集め、それも一緒に妃弁護士先生に提出した。

それを受け取った妃先生はそれらをもとに裁判所にマサヒコの事件の再審請求を行い、見事裁判のやり直しを行う事が出来るようになったのだ。

 

――ようやく……ようやく、あの時の雪辱を果たすことが出来る……!

 

それと同時にマサヒコの無念をようやく晴らす事が出来ると思うと、裁判所を見上げる眼に嬉しさで涙がこみ上げ、感動で全身が打ち震えた。

だが直ぐに私は真剣な顔になり、その感情を抑える。

 

――分かっている。まだ、再挑戦(リベンジマッチ)のチャンスを手に入れただけに過ぎないのだと。

 

だが、今回は以前とは全く違う。こちらにはあの時に無かった心強い手札が揃っているのだ。

 

――……もう、あの時の辛酸を再び嘗めるつもりは無い。

 

両拳を強く握りしめ。私は再び、あの法廷へと向けて歩き始めた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それからしばらくして――。

 

私は再び裁判所の前に立ち、多くの報道関係者たちを前にして大きく『勝訴』と書かれた紙を高々と掲げていた――。

あの事件から実に5年。ようやくあの頃からの全ての苦労が報われた瞬間だった。

 

「ありがとう、ございます。……先生」

 

感動に身を震わせ、報道関係者に囲まれながら私はふと、カツヒコの命を救い、私の決心を固めてくれる切っ掛けを作ってくれたカエル顔の先生の事を思い出し、小さくポツリと感謝の言葉を零していた――。




軽いキャラ説明。



・ツルタタミコ(亀井八重子)

215話~216話で放送されたアニメオリジナル回『ベイ・オブ・ザ・リベンジ』に登場した犯人。
横領の罪を擦り付けられた上、自殺に見せかけて殺された息子のマサヒコの仇を取るため、真犯人である熊田とその熊田を無罪にした橘を殺害する。
しかし、この作品では犯行の切っ掛けの一つとなった次男のカツヒコの命を冥土帰しに救ってもらった事を皮切りに、その冥土帰しにマサヒコの事件での苦悩と憤りを全て彼にぶちまける事で疲弊していた精神を緩和すると同時に、事件の再審請求を取る決意を固める切っ掛けを作る事となった。
そうして、原作通りに『亀井八重子』という偽名で橘の下に別荘の管理人として入り込むと証拠を手に入れ、見事再審で熊田の有罪をもぎ取り、橘も失脚させることに成功する。






・熊田達也

マサヒコを自殺に見せかけて殺害し、自身の横領の罪を彼に擦り付けた真犯人。
原作ではマサヒコを殺害した時と全く同じ方法でツルタタミコに殺害されるも、この作品ではツルタタミコに橘との会話をボイスレコーダーに録音されたことにより、それが決め手となって再審で有罪となった。




・橘憲介

熊田がマサヒコ殺害の犯人だと知っていながら、金のために熊田を無罪にした悪徳弁護士。
そのために原作ではツルタタミコに殺害されるも、この作品では再審での法廷でツルタタミコによって集められていた不正の数々をその場にぶちまけられたことによって、熊田の有罪と共に弁護士生命を絶たれる事となった。


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カルテ25:目暮十三

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。

さて、今回はメインキャラの一人にスポットが当たりますが、結構短めです。


――ワシ事、目暮十三(めぐれじゅうぞう)は現在警視庁捜査一課の警部をしている。

 

毎日毎日、たくさんの凶悪な事件がワシら捜査一課の下に舞い込み、それらを片っ端から担当し解決へと導いていく日々を送っている。

とても忍耐のいる仕事だが、やりがいのある仕事だ。

 

――さて、突然ではあるが今回はワシとワシの妻、みどりとの馴れ初め話を語って行こうと思う。

 

いや、前もって言わせてもらうが断じて惚気(のろけ)話のつもりで話すのではない。うん、断じてだ。

 

 

 

 

――話は20年以上昔の事、当時ワシはまだ刑事になりたての新米だった。

駆け出しだったワシは、当時世間を騒がせていた『連続女子高生ひき逃げ事件』の捜査を担当しており、犯人逮捕に仲間たちと一緒に躍起になっていた。

その事件と言うのが、当時の女子高生の中に「ロンタイ」と呼ばれる丈をくるぶしの所まで伸ばしたスカートをはいた者が存在しており、犯人はその女子高生が一人になった所を車で当て逃げして行くという事件であった。

犯人の動機は、ロンタイの不良女子高生に恐喝されたことによる逆恨み。それが原因で犯人はロンタイをはいている女子高生を見ると手当たり次第に車で襲うという悪質な犯行を重ねるようになった。

犯行は最初こそ怪我レベルの被害を起こす程度であったが徐々にエスカレートし、ついには死者が出るまでに至ってしまう。

 

――するとそんな時、犯人によってひき殺された被害者の友人だと名乗る女子高生が囮役を買って出てきたのだ。

 

それが、後のワシの妻――みどりだった。

ワシら警察は最初こそ危険だと彼女を止めたのだが、友人を殺されたことで警察に強い反感を抱いていたみどりは聞く耳を持たなかった。

そのため警察は、何かあっても対処出来るように刑事を一人、彼女の護衛に着ける事にした。

 

……そう、それが当時のワシだった。

 

護衛に着いたワシをみどりは「警察は役立たずだ」と愚痴ったりと酷く煙たがられたりもしたが、それでもワシは彼女を守ろうという使命感を胸に彼女のそばを一時も離れようとはしなかった。

ワシのその意気込みが通じたのか最初こそ嫌悪感をむき出しにして暴言を吐いていたみどりも、その内何も言わなくなっていった。

 

そんな彼女を見てホッと胸をなでおろしたワシは、このまま犯人が逮捕されるその時まで何事も無く無事に彼女がいる事を心から願った。

 

 

 

 

 

――しかし……やはり、現実はそう甘くは無かった。

 

 

 

 

 

ある晩、いつものように家路へと帰宅する彼女とその護衛をするワシの背後から、一台の車が猛スピードで接近してきたのだ。

その車がみどりに向けて真っ直ぐ突っこんで行こうとしているのにすぐさま気づいたワシは、考えるよりも先にみどりを守るようにして車の前にその身を投げ出していた――。

 

 

 

そうして次の瞬間には全身に強い衝撃が走り、気づけばワシは頭から大量の血を流して地面に転がっていた。

周りを見渡すと少し離れた所にワシと同じく頭から血を流して倒れているみどりと、今まさに走り去ろうとしているワシらを跳ねた車の姿が目に映った。

ワシはすぐさま車のナンバーを頭の中に叩き込むとよろよろと立ち上がって彼女へと駆け寄る。

ぐったりとした彼女をワシは必至に呼びかけながら抱き起す。

するとみどりは薄っすらと目を開けると――。

 

「やっぱ、映画みてぇにはいかねえよな……」

 

――と、後悔と皮肉が入り混じったかのような表情で顔を歪めながらそう呟くと、力尽きたのか直後に意識を手放していた。

それを見たワシは慌てて直ぐに救急車を呼ぼうとし――。

 

「キミたち、大丈夫かい!?何があったんだ血だらけじゃないか!!」

 

――直後、背後から男性の叫び声が届き、反射的に振り向いていた。

するとそこには、カエルのような顔をした30代くらいの男が血だらけのワシらの姿を見て血相を変えて慌てて駆け寄ってくる姿があった。

 

 

 

 

 

――そう。それがその後も長い付き合いをして行く事となる、カエル先生との初めての出会いであった。

 

 

 

 

 

それからすぐに犯人は逮捕され、カエル先生の治療で瞬く間に元気になったワシとみどりは、それをきっかけに交際を重ねて結婚をし、今は幸せな家庭を彼女と築き上げている。

本当なら、(あと)が残っても不思議ではないほどに裂けた彼女の頭の傷も、カエル先生の手で怪我をしていたとは思えないほど奇麗さっぱり消えてなくなってしまっていた。

 

……本当に、先生には感謝してもしきれない。そしてそれは、ワシの伴侶となって一緒に人生を共に生きてくれることを受け入れてくれたみどりにも――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――……さて、過去回想はここまでにして、そろそろ現実に意識を戻そうと思う。

 

過去を振り返っての()()()()をしても何も始まりはしないからな。

そんな事を考えながらワシは目の前の現実に意識を戻していた――。

 

「目暮警部。いい加減観念して僕にその頭の治療をさせてくれないかねぇ~?」

「で、ですから()()()()()()()()()()()()、ワシの()()()()()()は風戸先生ですからカエル先生が手を付ける必要はないんですよ」

 

目の前に立つカエル先生にワシがそう返すと、今度はカエル先生の隣に立つみどりが声を上げた。

 

「カエル先生、もう無理矢理にでもこの人の頭の傷を奇麗さっぱり治しちゃってくださいよぉ。この人、変な所で頑固なんだからそれぐらいしなきゃあ聞きやしないんですから」

 

そう言ってカエル先生の肩を持つみどりの口元がニヤニヤと吊り上がっているのが見えた。

 

――みどりの奴、絶対にこの状況を楽しんでるだろう!?

 

口に出してそう叫びたいのを必死に押し殺しながら、ワシは二人から身を隠すようにして病室のベッドのシーツにくるまった。

 

「あらあら、ダンゴムシみたいに布団にくるまっちゃって。全く子供じゃないんだから」

「勘弁してくれ。誰が何と言おうとこの傷だけは治させはせんぞ!」

 

意地悪気にそう呟くみどりに、ワシも半ば意固地になってそう言い返す。

 

 

 

 

 

 

 

ワシとみどりの命を危機にさらしたあの事件は、新米刑事だったワシの中で大きな影響を与えた。

命が助かったとは言え、護衛対象(みどり)を守り切れなかった自身の未熟さに対する後悔と怒り。

囮捜査を行う事のリスクと一歩間違えれば『何か』を失ってしまうかもしれないという恐怖。

そしてワシ自身も……刑事になって初めて死にかけた事で、改めて色々と考えさせられた事件であった。

それ故に、この一件を決して忘れぬよう頭の傷を今後の刑事人生の戒めとして残す事を決めたのである。

 

……しかし、心身共に生粋の医師であるカエル先生には、その考えは理解できないものだったらしい。

 

(あと)が残ってもいいので傷を塞ぐだけにしてほしいと頼んだら、珍獣を見たような顔をされた。

その後もカエル先生は「傷跡を残さず治療できる」と何度も言って来たが、決心を固めていたワシはそれを頑なに断り続けた。

やがてワシの決心が固いと分かると、カエル先生は不満そうに口をとがらせながらワシの要望に応えた治療を行ってくれた。

そんなカエル先生をワシは治療中、ずっと心の中で手を合わせて謝り倒していたのはここだけの話だ。

 

 

 

 

 

 

そうして20年以上の月日が流れたつい先日、(ちまた)を騒がせていた『連続婦女殴打事件』の犯人を杯戸百貨店で捕まえた時、犯人からの攻撃を受けて古傷が開いてしまい、それを治療するために入院する事になったのだが……。

 

(まさか搬送先が『米花私立病院』になってしまうとは……!)

 

シーツをかぶりながらげんなりとした表情でワシは心の中でそう毒つく。

搬送された直後、ワシの頭の古傷が開いたと知ったカエル先生が嬉々とした表情でワシの病室にやって来ると、自分に治療をさせてほしいとせがんで来たのだ。

目をキラキラとさせて満面の笑みを浮かべるカエル先生を見て、ワシはすぐさま頭の古傷を奇麗さっぱり治療してしまおうと考えているのだと感づいてしまう。

 

「意地を張るのはもうやめて、ちょっとでもいいから僕に頭の傷を見せてくれないかねぇ?キミも年中睡眠の時ですら帽子をかぶり続けてたら汗でむれるし衛生面的にも良くないよ?でも傷が無くなれば帽子をかぶる必要も無いからそっちの問題も解消されるんだ」

「で、ですから結構ですって!それにさっきも言いましたが私の担当医は風戸先生で――」

「――ああ、それなら後で風戸君に担当医を代わってもらうよう頼みに行くつもりだから問題ないよ」

「行かなくていいですから!!」

 

手をワキワキと動かしながらにじり寄って来るカエル先生とそんな応酬を繰り広げながらワシは頭の古傷を押さえて必死に抵抗を続ける。この人、意外と中途半端な治療を嫌う性格をしていたようだ。

医師として自身の仕事を全うしようとしているは分かるのだが、何故だろうか?身の危険を感じた時のような悪寒が全身を駆け抜ける。

 

(誰かぁ~!ワシを助けてくれぇ~~~!!)

 

心の中で絶叫しながら、ワシとカエル先生の戦いは松本管理官や毛利君たちが見舞いにやって来るまで続いたのだった――。




今回は過程が変化しているだけで大体の話の筋は原作とあまり変わりませんので、軽いキャラ説明はありません。


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カルテ26:志水高保

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。


「何ですって!!妹が倒れて病院に!?」

 

ゲーム雑誌編集部で仕事をしていた、オレこと志水高保(しみずたかやす)のもとに突然届けられた凶報の電話に、思わず座っていた椅子を勢いよく倒して立ち上がっていた。

すぐさま残りの仕事を他のライター仲間に任せて編集部を飛び出すと、俺は急ぎ妹が担ぎ込まれたという『米花私立病院』へと向かった。

 

病院に着き、妹がいると言う病室に通された俺は、ベッドの上に眠る妹の姿に思わず息を呑んだ。

 

妹とはここ最近、全く会ってはいなかったのだが、ベッドで眠る妹の姿は最後に会った時と比べてもまるで同一人物とは思えないほどに変わり果てていたのだ。

顔はまるでミイラのように痩せこけ、全身がほとんど骨と皮だけの状態になっていた。

点滴で栄養を供給し、呼吸をしていなければ死体であると言われても正直不思議では無かった。

妹の姿を見て呆然となるオレの背後から唐突に声がかかった。

 

「失礼。もしかして彼女のご家族の方ですか?」

「……え?あ、はい」

 

まるでカエルのような顔をしたその医師の問いかけにオレは振り向きざまにそう答え、そして急ぎその医師に詰め寄って妹の容体を確かめた。

 

「せ、先生。妹は大丈夫なのですか!?」

「落ち着いて。心配は無いよ。時間はかかるだろうが彼女はいずれ回復する」

 

カエル顔の医師のその言葉にオレは大きく安堵の息を吐く。

しかし、そんなオレとは裏腹にカエル顔の医師は顔を険しくさせて何かを考えるように思案顔になると顔を上げてオレに声をかけてきた。

 

「……すまないが、ちょっと診察室に来てもらえるかい?彼女の症状について話したい事があるんだ」

「え、ええ……」

 

ただ事では無い雰囲気の医師のその言葉に、俺は少し戸惑いながらも頷き医師の後に付いて行く。

やがて診察室に着くと、オレは医師に勧められた椅子に座ると同時に開口一番に問いかけた。

 

「それで、あの……妹は一体何の病気で……?」

「いや。妹さんのアレは、正確には病気ではないよ」

「へ?」

 

オレの前の椅子に座ったカエル顔の医師のその返答に、オレの口から思わず間抜けな声が出る。

 

――病気じゃない?なら、妹の今のあの状態は何だと言うのか?

 

動揺するオレだったが、その答えをカエル顔の医師がすぐさま提示してくれた。

 

「……結論から言おう。妹さんのアレは栄養失調によるビタミンA不足。及び極度の心身疲労によるものだよ」

「――なっ!?」

 

予想外ともいえる医師のその言葉に、オレは目を見開いたまま硬直する。

だが医師はそんなオレの様子も構わず、そのまま淡々と話を続けた。

 

「……胃カメラで妹さんの胃の中を調べてみたんだが驚くほど内容物が何もなかった。しかも内臓の様子を見るに妹さんは少なくともここ最近、食事をほとんどとっていなかったようだ」

「な、何も食べていなかったんですか!?」

「そう。その上、レントゲンで確認すると骨も筋肉繊維もボロボロ。肉体をまるで馬車馬のように酷使しすぎている。食事をとっていない上に度重なる重労働まで行っていたようだ。しかも一昼夜ほとんど休まずにね」

「…………」

「おまけにそれらが影響して彼女は今、失明の一歩手前と来ている。……もう少しここに来るのが遅ければヤバかったかもしれないね?」

 

医師から告げられる驚きの事実の連続に、オレは言葉を失ってしまう。

一体妹の身に何が起きたのか。頭の中が混乱して上手く整理がつかない。

そんなオレを前に、医師はため息を一つ零す。

 

「……こんな事はあり得ないよ。この時代、ましてやこの日本で……普通ならね」

 

そうポツリと呟いた医師は真剣な目でオレを見据えながら問いかけてきた。

 

「……失礼ながら、妹さんから何か聞いてはいないかい?彼女がこうなってしまった切っ掛け、些細な事、どんな小さな事でも良い。……まさかとは思うが、彼女は常日頃からこういった無茶な事を頻繁にしていたのかい?」

「いや!そんな事は決して無い!!」

 

医師の問いにオレは即答で全否定する。

もしアイツがこんな死に急ぐようなことを平気でやる奴だったら、オレがとっくの昔にぶん殴ってでも止めている。

その時不意に、オレの脳裏をとある男の顔が横切った。

 

「……!もしかして、あの男のせいか……?」

「あの男?」

 

ハッと目を見開いてその呟くオレに、医師は首をかしげながらオウム返しに聞き返てきた。

オレはそんな医師を前に、苦々しい表情を浮かべながら答えた。

 

「……妹には、尾藤賢吾(びとうけんご)という恋人がいるんですが……そいつが何かと悪評の絶えない男でしてね……!」

 

――尾藤賢吾。21歳。

日がな一日、米花町や杯戸町のあちこちにあるゲームセンターを出入りしている無職のゲーマーでありチンピラだ。

『グレートファイタースピリット』という今、ゲーセンで高い人気を誇るバーチャルファイティングゲームの達人であり、持ちキャラである『シーサー』を操って相手を倒し続けるその強さから、他のゲーマーたちの間では『米花のシーサー』と呼ばれている。

しかしその反面、素行の悪さも目立ち、悪い噂の絶えない人物としても有名だった。

その上、ロクに働きもしない奴はゲームだけでは飽き足らずギャンブルにまで手を出し、多額の借金を背負っているという噂もあった。

 

そこまで尾藤の話をした所でカエル顔の医師の眉間のシワが見るからに深くなっていくのをオレは見た。

医師は自分の顎に手を添えて何かを考える姿勢をしながら静かな口調で声を響かせる。

 

「……もしかしてだが、妹さんはその尾藤という彼氏の借金の片棒を担がされているんじゃないのかい?」

「――!まさか……!!」

 

驚いてオレはそう声を漏らした。

――しかし、残念な事にカエル顔の医師の予想は的中していた。

 

 

 

 

 

 

――二日後。妹の見舞いに行くと、妹はベッドから上半身を自分で起こし、喋れるまでに回復していた。

 

信じられない。ここに運び込まれてきた当初は素人のオレから見てももう死に体の姿だったというのに、たった二日で自分で身を起こしただけでなく見るからに血色も良くなっている。ミイラ同然と言えた全身もほんの少しだが肉付きが戻ってきているようにも見える。

 

「いやぁ、若いから回復が早くて助かったよ」

 

二日前とは別のショックで呆然と佇むオレの横で、カエル顔の医師がのほほんとそんな事を呟く。

 

……いや、若いからとかそういう次元の話じゃないんじゃないか?

 

ともかく、それらの疑問はいったん置いておき、オレは妹を問い詰める事に専念する。

最初こそ話す事を渋っていたものの、オレが絶対に引こうとしない事に気づいてか、ようやくポツリポツリと話し出した。

 

話の内容から、やはりカエル顔の医師の言った通り、尾藤にギャンブルの借金を押し付けられてここ一月、ロクに食事もせず働きづめになって返済していたらしい。

事の真相を知って俺ははらわたが煮えくり返る気分だった。

尾藤だけじゃない、そいつに借金を押し付けられても別れようともしない妹に対してもだ。

「もういい加減、あんな野郎と縁を切っちまえ!!」と感情のままに妹に怒鳴るも、妹は頑なに首を縦に振ろうとしなかった。

もはや駄々をこねた子供のように別れる事を嫌がる妹に、俺はそれ以降呆れてモノも言えなかった。

一体、妹はあんな男のどこにそこまで惚れ込んだんだろうか?理解しかねる。

 

「やれやれ、妹さんのアレは結構重症だね」

 

妹との口論の末、疲れ果てたオレはカエル顔の医師と共に妹の病室を出ると同時に、医師から同情するような口調でそう言われた。全くもって同感である。

 

「とにかく妹さんが駄目なら、残るはその尾藤と言う彼女の恋人を説得して縁を切ってもらう他ないかもしれないね?」

「……いやぁ、先生。実はもう()()()()()()()()()()()()()()()

「!」

 

オレの言葉に医師は反射的に目を見開く。

実は、二日前。この病院を出た直後、その足で尾藤に会いに行っていたのだ。

だが、妹と同様。オレがいくら妹と縁を切れと迫っても奴は頑なにそれを拒否し続けたのだ。

それどころか、へらへらした顔で『俺に一度でも例のゲーム(グレートファイタースピリット)で勝てたら、縁を切ってやってもいい』とのたまう始末。

 

「……だが妹があんな調子な以上、奴のそのふざけた提案に乗って縁を切らせるしかないかもしれません」

 

病院の廊下にある長椅子に腰を下ろしながら俺がそう呟くと、カエル顔の医師は険しい顔で意見の言葉を口にしてきた。

 

「……しかし、キミはその約束をその時書面にして契約したわけじゃないんだろう?……だとしたら、例えそのゲームで勝てたとしてもそれだけじゃあ反故にされる可能性が高いと思うよ?」

「だったらどうすればいいんですか!?あそこまでされても別れようとしない馬鹿な妹ですけどね、オレにとっちゃたった一人の大事な兄妹なんです!今更見捨てる事なんてオレには出来ませんよ!……例え口約束だったとしても、もうそれに賭けるしかないでしょう!?」

 

今はもう回復しかかっているが、あの男と一緒にいる限り退院しても近い内にまた入院生活に逆戻りする事は目に見えている。堂々巡りだ。一刻も早く妹と奴を引き離さなければこの悪循環は永遠に続く。

声を荒げてそうまくし立てるオレを前に、カエル顔の医師は「ふむ……」と目を閉じて考える素振りをして見せる。

そうして数秒の沈黙後、医師がゆっくりと目を見開くと力のこもったその目を俺に向けながら口を開いた。

 

「いや……まだ手はあるかもしれないよ?」

「……?どういう事です?」

 

医師が言った言葉の意味がいまいち理解できず、さっきまで怒りが霧散し、毒気を抜かれた面持ちでそう問い返していた。

オレのその言葉に、医師は淡々と自身の推測をオレに語って来た。

 

「考えてみたんだけどね。尾藤は働きもせず、毎日をゲームやらギャンブルやらで遊んで暮らしていたんだろう?なら、その遊ぶお金や彼自身の生活費は何処から出て来たんだと思う?」

「そりゃあもちろん、妹の金からしかないでしょう?尾藤が職に就かず遊んでたんなら、それを養っていたのは間違いなくアイツだ」

「多額の借金を抱えて返済中な上に遊ぶための資金、生活費と大の男一人を何不自由にさせないための収入が……失礼だが、()()()()()()()()()()()()ねぇ?」

「!!」

 

その言葉にオレはハッとなって長椅子から立ち上がる。

確かに妹の収入は俺が知る限り、そんなに高くは無い。せいぜい自分の生活を維持するので限界だったはずだ。

その収入のほとんど全てを尾藤のために貢いでいたとしても、奴を養い続けるには少し無理があったと思う。だとしたら――。

 

「まさか……奴には、()()()()()()()()()……!?」

「調べてみる価値はありそうだね」

 

呆然と呟くオレを前に、カエル顔の医師はニヤリと笑うと、ポケットから携帯電話を取り出して何処かへと電話をかけ始めた。

一体何処にかけるつもりなのかと不思議そうに眺める俺の眼に気づいた医師は、「大丈夫だ」と言わんばかりに手を振りながら口を開く。

 

「心配は無いよ。()()()()()()()()()()()()()()()()キミは気にしなくていい」

 

と、やや意味不明な事を言った直後、医師は電話の向こうの人物と会話を始めた――。

 

「……ああ、もしもし。()()()()()?実はキミに探偵としてぜひ依頼したい事があるんだけどねぇ――」

 

 

 

 

 

 

 

――それからしばらくして、妹はようやく尾藤と縁を切る決心を固めた。

 

カエル顔の医師が連絡を取った探偵の協力で尾藤の身辺調査が行われ、その結果、奴には()()()()()()()()()()()事が分かったのだ。

 

――しかも二股どころでは無く何股も。

 

ギャルっぽい女子高生から始まり女子大生、キャバ嬢に何処かの会社の重役の令嬢、果ては夫子供のいる一般家庭の若妻にまで手を出して関係を持ち、全員から金を搾り取っていたという。

この調査結果にはオレだけでなく、探偵に直接依頼したカエル顔の医師も予想外だったらしく開いた口が塞がらない。

 

「いやはやこれは……呆れるほどに凄い事になったねぇ」

 

調査資料を前に頭を抱えて呆然と響く医師にオレも同意だと言わんばかりに頷いていた。

とは言え、それらの証拠を妹の前に見せてやるとようやく尾藤の事を諦めてくれた。

何人もの他の女性と尾藤がホテルに入る写真や動画をいくつも見た妹は、ポロポロと涙を流しながら「私……こんな奴にお金貢いで自分の人生滅茶苦茶にして……ホント、馬鹿みたい」と小さな声で呟き、すすり泣き始める。

オレはそれを見て罪悪感から胸が締め付けられる思いがあったが、反面これで妹の目を覚ます事が出来てホッとしている自分もいた。

尾藤に裏切られたショックで塞ぎこんでしまうかもしれないが妹の事だ。アイツはまだ若い。いずれ立ち直ってまた新しい出会いをするために歩み始めるだろう。カエル顔の医師も妹にメンタルケアをしれくれると言うし、もちろんオレも助力は一切惜しまない。

 

妹の今後は大丈夫だろうとそう確信したオレは、最後に()()()()()行う事にした――。

 

 

 

「……先生。この調査資料なんですが、コピーを取らせてもらってもいいですかね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――その後、オレは複数コピーした調査資料をそれぞれ尾藤と関係のある女性たちへと匿名で送りつけてやった。

 

近い内、尾藤は妹を含む女性陣全員とその身内から慰謝料請求をされる事になるだろう。

関係を持っていた女性たちの中には既婚者や重役の娘と言った肩書を持つ人もいるため、慰謝料金額は相当なものになるのは間違いない。

もはや、今まで通りギャンブルやらゲームやらで遊んで暮らす事など出来はしない。

これから尾藤は妹同様に休みの無い昼も夜も働き詰めの生活になるだろう。

その生き地獄がいつ終わりを迎えるのかはオレにも分からないが、せいぜい苦しみながら自身のギャンブルの借金と共にコツコツと返済していけばいいと思う。

 

 

……ざまぁ、見ろだ(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ◇   ◆   ◇

 

 

 

 

番外:とある新人英語教師と女子高生二人と小学生の会話。

 

 

 

「オーウ!今日ノ『グレートファイタースピリット』ゲームハ楽シカッタデスネー。毛利サーン」

「ああ、はい。ありがとうございます、()()()()()()。私あのゲームするの初めてだったので先生が教えてくれなかったら私、負けてました」

「ノンノン!ソレデモ勝利デキタノハ、間違イナク毛利サンノ実力デスヨー!ヨク頑張リマシタネー!」

「あ、ありがとうございます」

 

 

「なーんか蘭とジョディ先生二人だけで盛り上がってつまんないわねぇ。ガキンチョもそう思わない?」

「ん~、まぁ良いんじゃないかな。たまには。二人とも楽しそうだったし」

「なによぉ、ガキンチョまで二人の肩持っちゃってさ。……ハァ~、まぁでもいっか!私もさっきちょっと面白いモン見れたしね」

「……面白いモノ?」

「蘭たちがゲームしてる時に私、自販機で飲み物買いに行ってたじゃない?その時にチラッと見ちゃったのよ。金髪を逆立てた筋肉質の大柄な店員がひょろっとした気の弱そうな店員にペコペコ頭を下げて怒られてるところ!……ププッ!」

「……園子ねえちゃん、人が怒られている所を面白がるのはどうかと思うけど?」

「うっ……まぁね。でも普通は逆だと思わない?痩せた店員に怒られて筋肉質の店員がシュンと縮こまっている姿が結構シュールに見えちゃって今も頭の中で鮮明に思い出せちゃうのよねぇ」

「全くもぅ……」

「おまけにそれを見た時に一緒に二人の胸につけられたネームプレートもしっかり見えちゃってさ、二人の名前もちゃーんと憶えちゃってるのよ。そう確か――」

 

 

「――怒っていた店員が『出島(でじま)』って人で……叱られていた人は『()()』って店員だったわね!」




軽いキャラ説明


・志水高保

単行本第27巻に収録。及びアニメでは第226話~第227話にて放送された『バトルゲームの罠』にて登場した犯人。
栄養失調で失明寸前となった妹との縁を切らせるために尾藤とゲームで勝負するも一度も勝利する事はか叶わず、最終的に殺人と言う手段に踏み切ってしまう。
しかしこの作品では冥土帰しの助力で妹を説得して尾藤と別れさせることに成功し、同時に尾藤を生きながらに地獄の底へ突き落す事にも成功する。




・尾藤賢吾

原作で志水高保の手によって殺害される被害者。
しかし、この作品では志水の妹以外にも他に多くの女性と関係を持っていた事で志水の手によって他の女性たちにその事実が暴露され、全員から縁を切られるのと同時に莫大な慰謝料を払わされることとなり、今までの遊んでばっかりの生活から一転してアルバイトを掛け持ちするといった働きづめの生き地獄を味わう生活へと変わった。

だがその後、そんな生活にもすぐに音を上げてしまい、思い悩んだ末にいくつかの消費者金融からお金を借り、それを使って慰謝料全額を一括で返済する事に成功する。
しかし最悪な事にその時借りた消費者金融の一つが闇金だったために、返す当ての無かった彼はそこの者たちに捕まってしまい、最後は『漁船送り』となって日本から大海原へと旅立って行ってしまった。

なお、原作にあった暴力団と関係を持っているという設定は、アニメ版同様カット。






・出島均

元ゲーマーであり、ゲームセンター『GAME ON GAME』のアルバイト店員。
原作では尾藤殺害の容疑者の一人として登場。
しかし、この作品ではどういった経路でか借金返済のためにアルバイト店員として働きに来た尾藤の先輩となり、彼を指導する立場となって厳しくしごいている。


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番外:カエル先生の日記帳 その2

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。

日記形式を使った時系列すっ飛ばし、その2です。(ぶっちゃけw)
シーズン6(2001年度版)で放送されたエピソードで介入できそうなものがほとんどなかったので、原作で重要だった部分を押さえつつ、ダイジェストに簡潔にまとめて行こうと思います。


――×月〇日(晴れ)

 

 

今日、またもや大変な事が起こった。

 

スキー旅行に出かけて行った新一君達少年探偵団の面々が、路線バスに乗った直後にバスジャックにあったという。

幸い大した怪我も無く人質になった全員が助かり、バスジャック犯たちも全員逮捕されたと聞く。

犯人たちの目的は、自分たちのリーダーである矢島邦男(やしまくにお)が警察に捕まっており、彼を釈放させるのが目的だったという。

元々、矢島を含むバスジャック犯たちは宝石強盗グループであり、先月、爆弾を使って宝石店を襲ったばかりだったらしい。

その一件で矢島だけが警察に捕まり、残された犯人達が彼を警察から解放させるために起こしたのが今回のバスジャックだったという訳だ。

残念な事に、バスジャックの事件が解決するよりも前に矢島は解放されてしまったが、バスジャック犯が一網打尽となった今、彼が再び捕まるのも時間の問題だろう。

 

……この一件はそれで幕引きとなったが、一つだけ気がかりなことが事件後に哀君の口から聞かされる事となった。

 

バスジャック犯が確保された直後、その犯人の一人が誤ってバスに仕掛けた時限爆弾を起動してしまい、爆弾が爆発する前に全員が急いでバスから脱出して事なきを得たのだが、その時新一君が目暮警部たちと一緒に駆けつけてきた伊達刑事に『爆破の衝撃で怪我をした』と理由をつけて哀君をこの病院に運んで行ってほしいと耳打ちをしたらしい。

そうして、伊達刑事の手によってこの米花私立病院へと運び込まれて来た哀君は、真っ青な顔でカタカタと毛布にくるまって震えながら、驚きの事実を私たちへと伝えてきた――。

 

――どうやら、その路線バスに『例の組織』の人間が乗っていたのだと言うのだ。

 

彼女は『組織』に長年身を置きすぎたせいか、その人物が『組織』の関係者であるのかないのかは近づいて来ただけで分かるようになったと言っていた。

それ故、バスの中に『組織』の人間が紛れ込んでいた事が彼女にはすぐに分かってしまったのだ。

 

――偶然か、それとも必然か。新一君や哀君の正体を知って近づいて来たのか、そうでないのか。

謎は深まるばかりだ。

 

今後は今以上に周囲の動向に目を光らせる必要があるのかもしれない。

 

 

そう言えば、新一君から後で聞いた話だが、バスジャックされた時、新出君と最近蘭君たちの高校に新しく英語教師としてやって来たジョディという女性教師も偶然そのバスに乗り合わせていたらしい。

その二人も無事だったようでホッとした。

 

 

 

 

 

 

――×月◎日(晴れ時々曇り)

 

 

バスジャックの一件以来、表情に暗い影を落とす事が多くなった哀君だが、それも日に日に元気を取り戻しているようだった。

姉である明美君が彼女のそばに付きっ切りでいたのが幸いしたのかもしれない。何はともあれ良かった。

 

そういえば今日、新一君がウキウキ気分で明日、毛利君と蘭君と一緒に大阪に行くと言っていた。

何でもアメリカで活躍しているスポーツ選手三人が大阪でレストランを開店するらしく新一君たちはそのオープンパーティーに参加しに行くのだとか。

しかもそのスポーツ選手三人の内の一人が、新一君があこがれているプロサッカー選手らしく、名前は確か――レイ・カーティスと言っていたなぁ。

まぁ、実をいうと私もそのパーティーの招待状を貰ってはいたのだが、仕事の都合上どうしても抜けることが出来ないため、今回は欠席させてもらう事にしたのだ。

 

私は行く事は出来なくなったが、新一君達には是非とも私の分まで楽しんで行ってくれたらと思う。

 

 

 

 

 

 

――×月●日(曇り)

 

 

今朝、大阪にいる服部平次君から私に直接連絡があった。

何でも、新一君たちが参加したオープンパーティーで殺人事件があったらしい。

事件自体は直ぐに解決したらしいのだが、犯人が何と新一君が憧れていたあのレイ・カーティスだったという。

「あの一件で工藤の奴、結構へこんでるさかい、そっち帰ったら元気付けたってや」と服部君から頼まれてしまった。

私はてっきり大阪で憧れの人に会えて(新一君)も楽しんでいるとばかり思っていたが、思わぬ事態に遭遇してしまったらしい。何という不運か。

 

しかし、大阪から帰って来たばかりの新一君は少し暗い雰囲気は残しつつもいたって元気そうだった。

どうやら、こっちに帰って来るまでにある程度ショックから立ち直ったようだ。

『組織』相手に不屈の闘志を燃やす子だ。これしきの事でうじうじと尾を引く事はしないだろう。

 

そう言えば、こっちに帰って来て早々、警察から事情聴取を毛利君達と受けたと聞いた。

何でも帰りの新幹線の中で佐藤刑事と高木刑事がとある麻薬密売人の被疑者を護送している所に偶然出会い、そこでその被疑者が何者かに殺害される事件が起こったらしい。

まぁ、その事件自体も新一君のおかげで直ぐに解決したみたいだが……今更ではあるが、彼ってよくよく事件に遭遇するよねぇ~……。

 

 

 

 

 

 

 

――□月▽日(晴れ)

 

 

ちょっと見ないうちに蘭君と哀君の仲が良くなっていた。

以前までは哀君が蘭君を何かと避けていたのだが、少し前に伊豆に旅行に行った際にそこで起こった殺人事件をきっかけに仲良くなったらしい。

 

その殺人事件と言うのが荒巻義市(あらまきぎいち)という漁師の男が新一君たちが泊まっていたクィーンホテルの近くにある浜辺で、全身を網でがんじがらめにされて溺死させられた事件だったのだが、それも毎度のことながら新一君のおかげで解決できたと博士(ひろし)が後から私に話してくれた。

 

「ちょ、ちょっと彼女と話が出来るようになったってだけよ!別段、そう親しくなったわけでもないわ」と、帰ってきた哀君が照れ臭そうにそっぽを向いてそう言い訳をしてきたのを見て、私と明美君が思わずニヤついてしまったのはここだけの話だ。

 

 

 

 

 

――▼月△日(晴れ)

 

 

今日、博士(ひろし)から新一君が『組織』の一員――ジンとウォッカに遭遇したと言う。

何でも哀君と少年探偵団と一緒にキャンプからの帰り道、奥多摩市に新設されたツインタワービルを訪れた時に偶然ジンたちの乗る黒のポルシェを見つけたらしい。

しかし、追いつく間もなくその車は去って行ったため、本当に彼らの乗るポルシェなのかは分からなかったようである。

だがもし仮に、そのポルシェが彼らの車だったとしたら、彼らはそのビルで何をしていたのだろうか?

 

 

 

 

 

――▼月&日(晴れ時々曇り)

 

 

新一君がツインタワービルのそばで黒のポルシェを見つけたその数日後、今度はそのビルの建造計画に関わっていた市議の大木岩松(おおきいわまつ)氏とプログラマーの原佳明(はらよしあき)氏が何者かの手によって立て続けに殺害されてしまったと言う。

哀君からその話を聞いて私は思わず顔をしかめていた。

殺害された二人とは面識は無いが、医師の性分故か面識は無くても誰かが殺されたと聞くとどうにも気分が悪くなる。

一体犯人は誰なのだろう。もしや『組織』の仕業なのだろうか?

 

……明日はツインタワービルのオープンパーティーが開催される日だ。

私にもそのパーティーの招待状が届いていた。

最初は欠席しようと思っていたが、このビルの関係者が二人殺害されている手前、どうにも嫌な予感がする。

それに、ついこの間大阪で起こったレストランのオープンパーティーの事件の例もある……。

ここは様子を見るために参加する事にしよう。万が一の時もかねていつもの医療道具と携帯型無菌室も忘れずに準備しておく。

 

そう言えば、あのビルのオーナーである常盤美緒(ときわみお)氏は常盤財閥のご令嬢にしてIT企業『TOKIWA』の社長も務めていると聞く。

そして実は、毛利小五郎君とは大学時代の先輩後輩の間柄だったとか。

それ故、彼もパーティーに招待されているらしい。

 

何事も無く、無事に終わってくれればいいが……。

 

 

 

 

 

 

――▼月%日(晴れのち曇り)

 

 

嫌な予感と言うのはどうしてこうも当たってしまうのだろうか。

 

新一君たちとやって来たツインタワービルのオープンパーティーで予想通り事件が発生してしまった。

会場の舞台に上がっていた常盤美緒氏が日本画家の如月峰水(きさらぎほうすい)氏から送られてきた富士山の絵を会場の客たちに披露しようとしていた所、突然壇上で常盤氏が何者かの手によって首を吊るされる事件が起きたのだ。

慌てて毛利君たちの手で彼女は降ろされ、直ぐに私が応急処置を施した。

幸いな事に吊るされていた時間が短かったために、私の応急処置で何とか彼女は一命を取り留めることが出来た。

そうして駆けつけてきた救急車に彼女と一緒に私も乗り込むと、急ぎ米花私立病院へと向かった。

 

事件の事も気がかりだったが、それは新一君が必ず解決してくれるだろう。

私は私が出来る事を全力で(まっと)うするのみだ。

 

 

 

 

 

 

――▼月$日(晴れ)

 

 

ツインタワービルの事件の翌日。病院にやって来た新一君の口からようやく事件解決の報告とその全容を知ることが出来た。

連続殺人事件の犯人は、常盤氏に富士山の絵を贈った如月峰水氏だった。

彼は西多摩市の外れにある小高い丘で見た富士山の風景に感銘を受け、そこに家を建てて終生までそこで富士山の絵を描き続けて行こうと決めていたらしいのだが、その富士山の絶景をあのツインタワービルで遮られて真っ二つに割られる形となり、それが犯罪に走る引き金となってしまったようだ。

 

何も知らない第三者が聞けば、この動機は『殺人に走る事の程でもないのでは?』と思うかもしれない。

しかし、後から知った話だがどうやらあのツインタワービルの建設は市議の岩松氏が市の条例を強引に改正して建てられたものだったらしい。

しかも、その裏では岩松氏と常盤氏の間で何やら口外出来ないような『取り引き』もあったのではないかと言う話だ。

もしそれが本当なら如月氏が何かしらの筋でそれを知り、それで彼らに殺意を覚えたとしてもあながちおかしくは無いのかもしれない。

それに如月氏は残りの人生全てをかけて富士山の絵を描くために、今の自宅が建つ場所を終の棲家と定めていた。

そこに常盤氏たちに水を差される形となったのだから、尚更なのかもしれない。

 

とは言え、殺人を犯してしまった事で今後如月氏が生きている内にその家に戻る事はもはや無理かもしれない。

せめて牢の中とは言え、彼の好きな絵を描いていく時間がある事を私は切に願う。

 

新一君からの話を聞き終えた私がそんな事を思っていると、最後に新一君の口から驚くべき事実……いや、『推測』が飛び出してきた。

この時まで私は知らなかったのだが、二番目に殺害された原佳明氏の殺害された時間、如月氏にはどうやら完璧なアリバイがあったらしい。

という事は、原佳明氏を殺害したのは如月氏ではないという事になる。

新一君から詳しく聞いてみると、原氏は射殺されており、手には銀のナイフを持っていたという。

警察の見解では犯人と対峙した時に抵抗するためにそれを握ったのではないかと言う話らしいのだが……しかし、新一君の考えは全く違っていた。

 

殺害された原氏が握っていたのは『銀』のナイフ。『銀』はローマ字で『GIN』と書き、読み方を変えると――。

 

 

 

 

 

――『ジン』となる。

 

 

 

 

 

――つまりこれは、原氏が残したダイイングメッセージであり、原氏があの『組織』と何らかの関わりがあったことを示していた。

しかし決定的な証拠は何もないため、推理の域を出ていないと新一君は漏らしていた。

だが、原氏のパソコンのデータが消去されていたり、『TOKIWA』にあるコンピューターが何者かによって破壊されていたらしいので、それと動機内容から接点があるは思えない如月氏の犯行と言う可能性は限りなく低いだろう。

 

もし、新一君のその推理が正しいのであれば、原氏は何故、『組織』に殺害されたのだろうか?

事件自体は如月氏の逮捕で解決したものの、いくつもの謎を残した一件だった。

命を拾うことが出来た常盤氏ももうすぐ退院する。

しかし、会社のコンピューターが破壊されたことに加え、岩松氏方面から警察が『取り引き』の事実を突き止められたらしいから、今後すぐ、彼女と彼女の会社が大打撃を受ける事は避けられないだろう。

大変な目にあるだろうが、自業自得として受け入れるしかない。

 

 

 

 

そうそう、最後にもう一つ。

今日、新一君が病院(ここ)にやってくる少し前に、毛利君から電話があった。

その内容は、先日手に入れたばかりの()()()()の駐車場所についての相談だった。

実はツインタワービルのオープンパーティーの時、余興で行われた三十秒当てゲームで運よく大当たりを出すことが出来、彼は『マスタング・コンパーチブル』を手に入れたのだ。

しかし喜んだつかの間、一つ問題が浮上した。

それが、その車を停めておくための駐車スペースが毛利探偵事務所の周辺には何処にも無かった事だ。

 

蘭君から奥さんの英理君に頼んで弁護士事務所が使っている駐車場を一部レンタルすれば?と提案されたようだが、彼女に頭を下げるのが嫌だった毛利君は即却下したらしい。相変わらず変な所で意地を張るねぇ。

 

だが、このままじゃどうしようもなかったため、私の所に相談の電話を入れたという経緯らしい。

私は少し考えた末、彼に病院(ウチ)の駐車場の一スペースを貸し出しする事を約束した。

彼もようやくマイカーを手に入れることが出来たんだ、その祝いとしてこれぐらい気前良くしても罰は当たらないだろう。

それに、彼には志水君の妹さんの件で世話になった礼もある。

 

電話越しでも明らかに小躍りして喜んでいるのが見て取れる毛利君の声を聞きながら、私はやれやれと肩をすくめた。

 

 

 

 

 

 

 

――◇月●日(晴れ時々曇り)

 

 

今日、定期検診にやって来た伊達刑事から昨日、コンビニ強盗の事件に出くわした話を聞いたのだが……。

正直なところその内容がやや支離滅裂な部分があって全部は理解できなかった。

いや、コンビニ強盗事件の全容は理解できたのだが、何故かその事件に佐藤刑事と白鳥(しらとり)警部の結婚話が絡んできており、高木刑事がなかなか来ないせいで二人はキスをする一歩手前まで来ていたという。

……うん、意味が分からない。どうしてそうなった???

しかもその時、伊達刑事本人や佐藤刑事の父である正義警視正の方でも何かとバタバタと動き回っていたらしい。

 

残念な事に話の内容を全て飲み込むことが出来ず消化不良のままとなってしまったが、伊達刑事の今日の定期検診はつつがなく終了した。

フゥと一息ついたのもつかの間、伊達刑事が退室したタイミングで今度は新一君から電話がかかって来た。

何か用かな?と彼に尋ねてみると、神妙な口調で彼は手短に要件を口にしてきた。

 

 

 

――『カエル先生。新出先生には気を付けた方が良い』と……。

 

 

 

……どういう事なのだろうか?

更に問いかけようとしたが、新一君からそれ以上の返答を聞く事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

――◇月〇日(晴れ)

 

 

先日の新一君からの電話内容が気になり、少し悶々とした日々を送っているとまたもや妙な事件が起こったことを博士(ひろし)から聞いた。

新一君と哀君を含む少年探偵団を連れて『ポール&アニーのアニマルショー』を見に行った帰り、そのアニマルショーのスポンサーであるランディ・ホーク氏によく似たジェイムズ・ブラックと言う外国人と偶然知り合う事になったらしいのだが、直後に刑事に成りすました数人の男たちにジェイムズさんが誘拐されたのだという。

どうも誘拐犯たちはジェイムズさんをランディ氏と間違えて誘拐してしまったらしい。

人違いした事で危うく殺されかけたジェイムズさんだったが、佐藤刑事たちや新一君の機転で犯人たちを一網打尽にすることが出来たという。何はともあれ誰も死者が出ずに済んでよかったと、話を聞いていた私もホッと胸をなでおろした。

 

そして、肝心の妙な事はこの後に起こった。

何でも犯人たちを捕まえた直後、警察の事情聴取を受ける前にジェイムズさんが忽然と姿を消してしまったらしい。

ふむ……一体何者なのだろう。事情聴取を受けると何か困る事があるというのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ◇   ◆   ◇

 

 

 

 

 

 

 

番外:『シカゴから来た男』エピローグ。

 

 

 

 

「――いつ気づいたんです?彼らがニセ刑事だと……」

「彼らが私に当たり前のように日本語で話しかけてきた時だよ……。彼らが刑事(コップ)で、しかも私の事を日本語が話せる外国人だと知っているなら、最初に名前ぐらい確認するはず……。だからわかったのだ。私の正体を知りながら知らない振りをして近づいてきた怪しい奴らだとね……。まぁ、人違いだったようだが……」

「…………」

「しかし驚いたよ……。君があの長髪をバッサリ切るとは……」

「ゲン直しですよ。……恋人にふられっぱなしなもんでね」

「それで?わざわざ私を呼び寄せたのだから……その恋人とはよりを戻せそうなのか?」

「ええ……後悔させてやりますよ……私をふった事を。――血の涙でね……!

 

「フッ、そうか……。それはそうと()()()()()の行方はもうつかめているのかい?」

「……確証はありませんが、だいたいの目星は既につけています。十中八九、そこにいるかと」

「……珍しいね。この手の捜索に関してはしっかりと裏付けをして捕捉する君が、妙にあいまいじゃないか」

「仕方ありませんよ。何せそこは日本の中にありながら、まるで別世界のように()()()()異質で混沌とした場所。だが、だからこそ我々の情報網に彼女の情報が引っ掛からなかった理由が、今なら分かるのです」

「…………。一体、何処なんだねそこは?」

 

 

 

 

 

 

――『米花私立病院』。……いずれ近い内、本腰を入れて探りを入れてみるつもりです……」




軽いキャラ説明(原作とは違う結末を辿った者たちのみを掲載)。



・常盤美緒

劇場版第5作『天国へのカウントダウン』に登場する被害者。
小五郎の大学時代の後輩であり、常盤財閥の令嬢にしてIT企業『TOKIWA』の社長。
岩松、原と共に市の条例を強引に改正してまでツインタワービルを建造したがために、如月の怒りを買ってしまい三人目の被害者として殺害されてしまう。

今作品では、現場に冥土帰しが居合わせた事でからくも命を拾うことが出来た。
しかしその後、『組織』に会社のコンピューターを破壊された上、岩松の方面から裏取引があったことが警察の捜査で明るみとなり、各方面からたたかれる日々を送る事となる。




・如月峰水

岩松、常盤を殺害した犯人。
今作では常盤を殺しそこなったために、原作よりも刑罰は軽くなるも、それでも年齢が年齢なだけに恐らく一生牢屋の中で過ごす事になる可能性が高い。










『あとがき』

今回、新しく「一部日記形式」のタグを追加しようとしたのですが、タグ内がもう満杯だったらしくかないませんでした。
そのため次からは新しいタグを「あらすじ」の欄に記入していこうと思います。
また次回は、今回本文の中にあった佐藤刑事と白鳥警部の結婚話(正確にはお見合い)のエピソードを冥土帰しの手によって救済された二人の人物の視点を中心に書いて行こうと思っております。

加筆:なお、宮野明美が生存した事で灰原が彼女の自宅に電話を入れる事は無く、ジンたちによるツインタワービルの爆破は無くなりました。


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番外:『本庁の刑事恋物語4』(佐藤正義編)【1】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。

今回は、原作『本庁の刑事恋物語4』を冥土帰しの手で救済された二人の警察官の視点を中心に書いていきたいと思います。
それ故、今回の話ではカエル先生は一切登場しませんのでご注意を。


SIDE:佐藤正義

 

 

 

――私の名は佐藤正義。警視庁捜査一課課長を務めている警察官だ。階級は警視正。

日々警察官として多忙な生活を歩んでいる私であるが、今日は非番であるため自宅でゆっくりとくつろいている。

私が妻の淹れたお茶を飲んでくつろいでいる目の前では、私と同じく警察官であり、同じように非番でのんびりと家で過ごしている一人娘の美和子の姿があった。

目に入れても痛くないほどに可愛がり、手塩にかけて育て上げた娘が、私と同じ警察官の道へと進み、私の部下の一人として警部補まで昇級し、今じゃ一人前の警察官として活躍しているさまは、感無量の一言に尽きる。……尽きる、のだが。

 

「……ちょっと美和子。天下の警視庁捜査一課の刑事が、昼間っからミカン頬張ってゴロゴロテレビ見てるなんてぇ」

 

……うん、妻よ。感謝する。私の言いたかった事をそっくりそのまま代弁してくれて。

妻の言う通り、畳の上にだらしなく寝転がり、気だるげにミカンを食べながらテレビのバラエティ番組を見ていた美和子は、少し煩わしそうに目を細めながら妻を一瞥する。

 

「んー?……いいじゃない、非番の日ぐらいのんびりさせてよ」

 

……娘よ。その気持ちは同じ警察官として重々理解できるのだが、流石にそのだらしない姿を私の前でさらすのは止めてほしい。10歳くらい老け込んで何処かの主婦のおばさんに見えてしまう。……少し涙が出そうだ。

妻もテレビを見て笑う美和子に何か思う所があったようだ。険しい顔で目を細めると持っていた掃除機をかたずけて隣の部屋へと行くと、そこから薄い本がいくつも束になったような物を持ってきて、それを美和子のそばにドンッと置いた。

 

「じゃあこれ」

「ん?」

 

そう言って妻が置いたその本の束を見て、美和子がゲェッと言いたげな顔を浮かべる。

美和子のその様子から私もその束の正体を自ずと察することが出来た。

妻が腰に手を当てて美和子に言う。

 

「暇ならちゃんとこの()()()()()()に目を通しておいてよ」

(やはりお見合い写真だったか)

 

その言葉を聞いて私はそう思いながら目を伏せながらお茶をすする。

美和子は年齢的にも結婚しててもおかしくない年頃だ。それ故、最近じゃあ妻が何かにつけてあの子にお見合い話を進めて来るのだ。

こういう時、私は二人の争いに我関せずを通す。

二人の事はどちらも大切に思っている。だからこそどちらの味方でもありたいしどちらの敵にもなりたくない。だからあえて干渉なんかせず、成り行きをただ見守るだけなのだ。

……決してどちらか片方に肩入れすると後々面倒くさい事になるのが分かり切ってるから口出しをしないわけではない。うん、決して。

妻からお見合い写真をつき透けられた美和子はめんどくさそうに口を開く。

 

「嫌よぉ、写真ならいつも血まみれの検死写真で見飽きてるし」

 

娘よ、何も見合い写真に対してそんな写真を引き合いに出さなくても。

私が呆れた目を美和子に向けると、途端に妻が着ていたエプロンで自身の顔を覆う。

 

「うぅぅぅ……どうしてこんな色気も無い男勝りな子になっちゃったの?」

 

ああ妻よ。美和子にお見合いをする意思がないから泣き落としにかかったか。

 

「うぅぅぅぅ……私がいけないんだわ!貴女を自由に育てすぎたから……!こんなんじゃ草葉の陰から見守っているお父さんにも顔向けできないわぁ~~~!」

 

おい妻よ。私は生きてるんだが?二人のそばでお茶を飲んでるんだが!?

しかし、そんな妻の姿に根負けしたのか美和子は小さくため息をつくとお見合い写真目を向けて…………ってちょっと待った娘よ。いくら面倒だからと言って流石にそれは、()()()()()()()()

だが美和子は私のそんな視線に気づいていないようで、お見合い写真の束から適当に一枚抜き出すと、それを妻に差し出した。

 

「じゃあそれ。……その代わり会うだけだからね」

 

美和子がそう言った瞬間、妻は泣き落としを止めてその見合い写真を手に取り、表紙を開く。

すると途端にパッと何故か妻の顔が輝いた。

 

「あらぁ♪さっすが私の娘!選ぶ男の趣味も一緒ね♪」

「?」

 

そんな妻の様子に美和子が怪訝な顔を向ける。私も妻の様子が気になったので、立ち上がって妻の後ろからお見合い写真を覗き込んでみる。

 

 

――……え?何故『()』の写真が???

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから数日後。私たち一家は杯戸町にある日本料亭、『水都楼(みなとろう)』に来ていた――。

 

「……ちょっとちょっとぉ!約束の時間からもう十分は経ってるわよ!」

 

料亭の一室で腕時計で時間を見ながら、美和子がそう毒き、私はそれに苦笑を浮かべた。

今日の美和子はお見合いという事で着物を着ており、化粧で軽くめかし込んでいた。

……う~む。いつも私服かスーツ姿の美和子しか見た事ないからこれは正直、新鮮だ。いや、久しぶりと言った方がよいか。

前に見たのは美和子の成人式の日だったからあれからもう何年も経っているため、目新しく感じるのも無理はないだろう。

 

「全く……レディを待たせるなんて、どうせロクな男じゃないわ。――私、帰る」

「十分ぐらいで何言ってんのよ」

「まぁ、待ちなさい美和子。もうすぐ来るかもしれないし、もう少し待ってみよう。……もし、向こうさんの都合が悪くなったのであれば、連絡くらい来るはずだしな」

 

待ちくたびれた美和子がそう言って座椅子から立ち上がったのを、妻と私がそう言って宥める。

 

「でもお父さん――」

 

困り顔で美和子が私に何か言おうとするも、それよりも先に外の廊下から声がかかった。

 

「佐藤様。お待たせして申し訳ございません。――」

 

()()()()()低い男性の声でそう言いながら、その声の持ち主が客室の障子戸を空けでその姿を私たちの前に現わせる。

姿を見せたのは、頭髪は黒々としているものの、その顔に刻まれたシワは深く、ぱっと見て5、60代くらいの初老の男性だった。

 

「――(わたくし)鴨井五十吉(かもいいそきち)と申す者。以後、お見知りおきを」

 

そう続けて自己紹介をした初老の男性――鴨井さんの姿に、美和子は目を大きく見開き彼に指をさしながら素っ頓狂な声を上げた。

 

「な、な、なに、何ぃ!?こんなお爺さんなの!?私の見合い相手!!」

「こら美和子。人に指をさしちゃいけないだろう?」

「それに、この人は執事さん。お見合い相手の人じゃないわよ」

 

初対面での美和子のその失礼な態度に、私と妻はそう窘める。

それと同時に私はその美和子の様子から、この子がお見合い相手の写真をちゃんと見ていない事に気づいた。

お見合いの準備を取り付けてから妻と私は再三美和子にお見合い相手の写真を確認しておくように言って来たのだが……この様子からどうやら一度も目は通さなかったようだ。

 

(全く……相変わらず興味の無い事にはとことん無頓着な娘だ)

 

そう思いながら内心大きなため息をついていると、鴨井さんの口が開いた。

 

「何分、急なお話。旦那様と奥様は海外旅行中でしたので、代わりに私めに同席をと……()()()()()

「……坊ちゃん?」

 

鴨井さんのその言葉に、美和子は怪訝な目でオウム返しにそう聞き返す。

 

(うん、まあ……()()()()()()()だからなぁ、彼は)

 

苦笑を浮かべながら私がそう思っていると、ようやく()()()()()()()()()()()()姿を現した――。

 

「……いやぁ失礼。佐藤さんに見合う花を選ぶのに、手間取ってしまって。……いや、今日は佐藤さんではなく――美和子さんとお呼びした方が、よろしいですか?」

 

「――し……()()()!!?」

 

客室に現れた白鳥(しらとり)君の姿を見て、美和子は再び素っ頓狂な声を上げる。……まぁ驚くのも無理はないだろう。何せお見合い相手が職場でいつも顔を突き合わせている人間なのだから。……だから、写真だけでも見ておくようにと言ったのに。

やれやれと小さく首を振る私と妻に、両手いっぱいに花束を抱えた白鳥君があいさつをする。

 

「今日はよろしくお願いします、佐藤一課長。お母様も、お久しぶりです」

「ああ。今日はよろしく頼む」

「いいえ~、こちらこそ♪」

 

白鳥君の言葉に私と妻もそう言って会釈をした――。

 

――白鳥任三郎(しらとりにんざぶろう)。私と美和子同様、警視庁捜査一課に所属する警部だ。何でも実家が凄い資産家らしく、あの鈴木財閥とも懇意(こんい)にしている間柄なのだとか。

私の部下の一人でもあり……そして今日は美和子のお見合い相手でもある。

 

「……な、何で!?どうしてぇ!??」

 

ここでようやく白鳥君が今回のお見合い相手だと理解したのか、美和子は驚きでその場に座り込む。

するとすかさず、妻が美和子に口を開いた。

 

「何言ってんのよ。()()()()()()()()()()()()()()?」

「へ……?」

「刑事に惹かれるなんて、やっぱり貴女は私の娘ね♪」

 

ニヤニヤと笑いながらそう言う妻に、美和子は終始ポカンとした顔を浮かべている。

……まぁ、その気持ちも分からないわけでもない。適当に選んだはずのお見合い相手が、まさかの見知った相手だったとはどんな運命の巡り会わせなのだろうか。

美和子はきっと今、狐につままれた面持ちなのだろう。

 

……しかし適当だろうと選んだのが美和子本人なため、全然同情なんてできないが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

美和子にとっては青天の霹靂ともいえる状況ではあったが、それでも美和子と白鳥君のお見合いは(多少の時間の誤差はあれど)予定通りスタートを切る事となった。

 

「……しかし、光栄ですよ。数ある貴女の見合い相手の中から、この僕を選んでくれるとは」

 

机を挟んで白鳥君と鴨井さんと相対して座ると、早速白鳥君の口からそんな言葉が出て来る。

それに美和子は愛想笑いを浮かべながら手を振って答える。

 

「あ、あはは……悪いけどそれ、偶然よ偶然。中身も見ずに適当に選んだ写真が――あいだぁッ!?

 

そう言って否定しようとする美和子の顔が唐突に歪む。

チラリと横を見ると、後ろから妻が美和子の尻をつねっていた。

 

「もう、美和子ったら照れちゃって♪」

 

にこやかに笑いながら美和子を黙らせる妻に、私は「あはは……」と空笑いを浮かべるしかない。

だが白鳥君は美和子のその言葉にはまるで気にしていないという風に涼しい顔で口を開く。

 

「いや……むしろ偶然の方が僕には喜ばしい。何故なら、僕の写真が貴女の美しい指に誘われたのは神の啓示。……運命的なモノを感じますからねぇ」

 

……白鳥君。流石にその口説き文句は少しくさくないだろうか?

妻も流石に「で、ですわよねぇ」と言いながらも若干引き気味だぞ?

 

「見事です坊ちゃん!」

 

……鴨井さんはそうは思わなかったみたいだが。

それと、もう一つ突っこませてもらえれば、美和子が選んだと言っても白鳥君……君の写真を取り上げた『美しい指』は『手』の指の方じゃなく『()』の指の方だから。

……うん、でもそれは口が裂けても言えはしない。流石にそれを口にしたら白鳥君が不憫すぎる。

 

ハァ、と小さく息を吐いた私はチラリと自分の腕時計を見る。

 

(……もうすぐ昼時か。……いつ来るんだろうか、()()()()()()()()()()?)

 

腕時計が示す時間を確認しながら私は心の中でそう思った。

実は、この見合いが始まる少し前、美和子が妻に内緒で私に()()()()()を打ち明けてきたのだ。

何でも、美和子の大学時代からの友人であり、今は警視庁の交通部に所属している女性警察官の宮本由美(みやもとゆみ)君と結託して、捜査一課の刑事の一人をこちらに向かわせ、事件と称して美和子をこの見合いの場から連れ出す算段となっているらしい。

それを聞いた時、私は驚きに目を見開いたが、それと同時に私の目の前で美和子は深々と頭を下げながら両手を合わせて懇願して来た。

 

『ごめんお父さん、私からの一生のお願い!この事、お母さんには黙っていて!お父さんだって、私が好きでもない相手と一緒になるのは嫌でしょう!?』

 

そう言って目をウルウルと潤ませて(父親ゆえに演技だと直ぐに見抜いたが)縋りついてくる美和子に私は二の句が継げなくなっていた。

確かに、妻にこの計画を暴露すれば妨害行動に出るやもしれないし、父親として美和子には心に決めた人と一緒になってほしいと思うのもまた事実であった。

美和子が私だけにその計画を打ち明けてくれたのも、見合いに乗り気な妻に対してどちらかと言えば消極的でかつ中立を取ろうとする私の方が味方として信用できると思ったからだろう。

しかし……――。

 

(――一人娘の頼みとは言え、私もまだまだ甘いなぁ……)

 

お見合いをバックレる気満々の娘の計画を知ってあえて黙認しようとする、自身の親馬鹿さに内心呆れながらそう思った。

 

 

 

そうしてお見合いは、昼食の時間へと移行する――。

 

「まぁ、美味しいお料理ですこと♪」

 

机の上に並べられた見るからに高そうな料理に舌鼓を打ちながら妻が上機嫌でそう口にする。

それに恐縮しながら鴨井さんが料理の話をし始めた。

 

「白鳥家の味をご賞味いただくために、ウチの料理人を水都楼(ここ)に呼んで作らせた懐石料理でございます。……美和子様はフレンチは苦手だと坊ちゃんから伺っておりましたので」

 

……ああ、たぶんそれはフレンチそのものが苦手という訳じゃないのだと思う。

確か前に『行儀を良くしていなければいけない、肩が凝るような店が苦手』と言っていたからな。

料理、では無く美和子はその料理を出す店の環境が好きじゃないのだ。

だが妻はその事に気づいていない様子で首をかしげながら美和子に問いかける。

 

「あら、貴女嫌いなものなんてあったの?」

「…………」

 

しかし美和子は直ぐには答えなかった。さっきから自分の携帯とにらめっこをしている。

恐らく、宮本君か迎える来ると言う刑事からの連絡を待っているのだろう。

私がそんな事を考えていると、妻が怪訝な顔で美和子に再び声をかけた。

 

「……ちょっと、美和子?」

「え?……ああ……うん」

 

呆けたような声であいまいにそう返答する美和子。

その様子を懐石料理を口にしながら見ていた私は、今度は白鳥君の方へと目を向ける。彼の方もさっきからだんまりを決め込んでいたので気にはなっていたのだ。

白鳥君は一切喋ることなく黙々と料理を口にしていた。

しかし、その視線は料理にではなく美和子の方にガッチリと固定している。

 

(……ああ、これは……まさか…………()()()()()、のか……?)

 

白鳥君のその様子を見ながら私ははっきりとはしないながらも何となくそう感じてしまった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

美味しい懐石料理の昼食を味わった私は、食べ終わって早々席を立った。

 

「……ちょっと、トイレに行って来る」

 

そう、妻と美和子に一言伝えると、私は客室を後にする。

私はトイレに向かう途中、美和子の様子を少し気にしていた。

白鳥君があの子の計画に気づいたのかも気になる所ではあったが、それ以上に私は昼食時のあの子の様子が気になっていた。

食事中、美和子はひっきりなしに携帯の方を見ていた。

それはつまり、あの時間帯に何かしらの連絡が宮本君から来る手はずになっていたからではないだろうか?

だが、それなのに予定の時間になってもその連絡がかかってくることは無かった……。

 

(……携帯を見る美和子の顔には明らかな焦りが見て取れたのがその証拠だろう。……しかし一体何が……何かのトラブルが宮本君の方で起きたのだろうか?)

 

むぅぅ、と首をひねりながら私はトイレでの用を済ませると廊下へと出る。

私が美和子から頼まれたのはこの計画を他言しない事だけだ。

だから例えこの計画が破綻してしまったとしても、私が独自に動くわけにもいかないだろう。

親としてはあの子から助けを求められない限りは見守る事に徹した方が良いのかも知らないが、しかし……。

 

廊下の隅で一分間散々悩みぬいた私は、とりあえず美和子が次にどんな行動を起こすのか様子を見てみようと考えた。

ポケットから携帯を取り出し、妻の携帯へとメールを送る。

 

「え~と、『私は先にこのまま席を外す。お前も予定通り、後で鴨井さんと一緒に別室に行って待っていてくれ』と……」

 

元々これは美和子と白鳥君のお見合いなため、私たちは途中で二人を部屋に残して退室する予定になっていた。予定より先に私が退室する形となってしまったが、問題は無いだろう。

 

「さて、後は……」

 

この店の人に頼んで、美和子と白鳥君の二人の様子を見るためにあの部屋の隣の客室を使わせてもらう事にしよう。

完全に覗き見をするため、警察官としてあるまじき所業ではあるが、これも一人娘の身を心配する父親の(さが)であると割り切るしかない。

意を決した私はちょうど廊下を横切ろうとしていた仲居さんへと声をかける。

 

「すみません」

「あ、はい。何でしょうか?」

 

私に声をかけられて営業スマイルを浮かべながらそう尋ねてきた仲居さんに私は言葉を続けた。

 

「実は鶴の間(美和子たちがいる客室)のお見合い中の二人にサプライズプレゼントを用意していましてね。準備が出来次第、二人をちょっと驚かせたいのでそこの隣の部屋を少しの間だけ貸してほしいのですが……」

 

……うん。とっさに考えた言い訳にしては良い出来だ。

私がそんな事を思っていると、次の瞬間仲居さんから予想外な言葉が飛び出してきた――。

 

 

 

 

 

「――ああ!という事は、()()()()()()関係者の方なのですね!分かりました。すぐに()()()()()のいる部屋へご案内しますね!」

「…………………………。へ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そうして、私は理解が追い付かないままに仲居さんに案内されて美和子たちのいる客室の隣の部屋へと連れて来られ、そこで()()()()()と対面を果たす事になった。

 

「「「「…………」」」」

「……………………。君たち、一体ここで何をしてるんだい?」

 

()()()()()女子高生二人と眼鏡をかけた小学生。そして初対面になるが同じく眼鏡をかけた好青年の四人を前に、私は情けなくも半ば呆けた状態でそう彼らに尋ねていた――。




今回は切りが良いのでここで、投稿させていただきます。


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番外:『本庁の刑事恋物語4』(佐藤正義編)【2】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。


SIDE:佐藤正義

 

 

「……なるほど。つまり君たちは宮本君から私の娘が今日、お見合いをすると聞いて物見遊山でここまでやってきた、と」

「そ、そういう事になりますね。あ、あははははは………………ごめんなさい」

 

私の言葉に()()()()()()茶色のボブカットの髪の上にカチューシャを付けた女子高生――鈴木園子(すずきそのこ)君がそれに答えながら誤魔化し笑いを浮かべる。しかし、仁王立ちして見下ろしてくる私が笑っていないのを見ると直ぐにしゅんとなって項垂れ、謝罪して来た。

 

「本当に申し訳ありませんでした、佐藤一課長さん……」

 

そう言って園子君の隣に座る毛利蘭(もうりらん)君も一緒になって私に頭を下げる。

実は蘭君とは彼女の父親が私の()()()だったこともあり、その繋がりで娘の蘭君だけでなく彼女の友人である園子君とも顔見知り程度には知り合いであった。

そのため、思わぬ形で知り合いである彼女たちとばったり会う事となってしまった私は、彼女たち四人を横一列で正座させて『事情聴取』を取り、そこで彼女たちが美和子のお見合いに野次馬根性を持って水都楼まで乗り込んできたことを知った。

……全く、一介の女子高生たちが何をやっているのか。

おまけに今回、初顔合わせとなるが同じ帝丹高校に勤務しているという保健医の新出(あらいで)先生や毛利君が預かっている小学生の江戸川(えどがわ)コナン君まで一緒になって巻き込むなんて。

 

「まあまあ、佐藤一課長さん。興味本位でここまで押しかけて来てしまった事には僕からも謝ります。……ですが、毛利さんたちとあなたの娘である美和子さんとは親しい間柄だと聞きます。その美和子さんが好きでもない人とお見合いをすると突然知ったのですから、彼女たちとしても居ても立っても居られなかったのでしょう。……ここは一つ、穏便に済ませてはもらえませんか?」

「むぅ……」

 

新出先生からやんわりとそう説得され、私は小さく唸る。

確かに、彼女たちがやった事は覗き見程度の軽犯罪、別に私たちに実害が出たわけじゃない。

せいぜい厳重注意をして終わる程度のモノだ。

しかし……その物見遊山で覗いていたのが私の娘のお見合いだったのが父親としてなんだか釈然としない。

どうにも納得できず一人内心悶々としていると、唐突にコナン君から声がかかった。

 

「ねぇ、一課長さんはどうして僕たちのいるこの部屋に来たの?」

「……え?それは、娘のいる隣の部屋の様子を見るために……ちょっとこの部屋を貸してくれないかと仲居さんに聞いたらここに通されて来たんだよ」

 

まさか、一介の警察官である私が君たち同様に嘘をついてこの部屋に通されたなど素直に言えるわけも無く、ちょっと言葉を詰まらせながらそう返答し、続けて口を開いた。

 

「……君たちも宮本君から聞いている計画に、どうやら支障が出たみたいでね。……さっきから美和子が携帯をチラチラ見ながら焦った顔を浮かべてるんだ。私が美和子から頼まれたのは妻にこの計画の事を暴露しないでほしいという事だけだったから、自分から動くわけにもいかない。……だから、美和子が今後どうするのか先に客間を出てここで様子を見ようと思ったんだ。……そろそろ予定では美和子と白鳥君を二人きりにするために、二人以外の関係者は退室する予定だったからね」

「ふ~ん」

 

私の説明にコナン君がそう相づちを打った時だった。

唐突に隣の部屋の障子が開かれ、そこから廊下へ二人分の足音が出て行くのが聞こえた。

……おっと、どうやら言ってるそばから妻と鴨井さんが退室する時間が来てしまったようだ。

 

『……では、我々はしばらく席を外しますので』

『後は二人でごゆっくり……フフフフフフフッ♪』

 

鴨井さん、そして次に妻の弾んだ声が聞こえ、その直後に障子の閉まる音が耳に届いた。

それを合図にしてか、正座をしていた園子君たち四人が反応して美和子と白鳥君の二人がいる客室の襖の方へと集まって聞き耳を立て始めた。

それを見てやれやれと肩をすくめそうになるも、何分私自身も気になっている身。ここは同席させてもらおうと彼女たち四人と一緒に襖の向こうに耳を傾け、聞き耳を立てる。

しばらくすると、白鳥君の声が襖の向こうから聞こえだした。

 

『はは~ん。……なるほど。誰かがこの【魔王】から、美しい【姫】を救い出しに来る手はずになっているんですね?』

 

……あぁ、やっぱりバレてたか。

 

『ば、バカね。何言ってるのよ!』

 

白鳥君に図星を突かれ、明らかに動揺した美和子の声が続けざまに聞こえた。

これで美和子の計画はおじゃんか?……と、私がそんな事を考えた次の瞬間、白鳥君から驚くべき提案が出されて来た。

 

『……では、こうしましょう。もしも()()()()駆けつけて来たなら、この場は潔く身を引きますが……彼が怖気づいて来なかった時は、貴女には僕のワイフになっていただく』

「なぁっ!?」

 

白鳥君が唐突に提案してきたその内容に思わず声が漏れてしまい、慌てて自分の口を塞ぐ。

 

(……おいおい、白鳥君。いくら何でもそんな……!流石にそれは(父親)としても許容できんぞ……!)

 

美和子の未来をこのような勝負事で決められるのは流石に許すわけにはいかない。

白鳥君に対して沸々と憤りを感じ、文句の一つでも言いたい気分にかられたが、それよりも先に白鳥君が先程言った言葉の中に()()()()()()が入っていた事に気づき、いったんその怒りを抑える。

 

(……何故、ここで高木君の名前が出て来るんだ???)

 

怒りと入れ替わって疑問が頭の中を支配し、私は首をかしげた。

美和子も同じ事を思ったのか目を丸くして口を開く。

 

『え?……どうして、高木君なの?』

『いけませんか?』

『…………』

 

逆に白鳥君にそう聞かれて美和子は沈黙したようだった。

 

「何故、高木君の名前が……?宮本君が言っていたという迎えの刑事って高木君の事だったのか?」

 

怪訝な顔で私がそう独り言をポツリと零す。すると、それを耳にした園子君が驚いた顔で私に声をかけてきた。

 

「え、知らなかったんですか!?最近、佐藤刑事と高木刑事の二人、結構イイ感じなんですよ?」

 

その事実を知って私は目を見開いて大いに驚く。

――まさか。()()あの子に気になる異性がいたとは……。でも、よくよく思い返してみれば、美和子と高木君が一緒にいる所を仕事中によく見かける。

家にいる時だって、よく高木君の事を話題にしていたような気もするし……()()()――。

 

そこまで私が考えた時、襖の向こうで白鳥君が笑いながら声を上げるのが耳に入った。

 

『アッハハハ!ジョークですよジョーク!……ちょっと貴女を困らせてみたかっただけ――』

 

……な、なんだ冗談だったか。

そう思ってホッと胸をなでおろそうとした私の耳に、唐突に美和子の爆弾宣言が飛び込んで来た。

 

『――分かったわ。……OKよ』

「「「「「えぇっ!?」」」」」

 

これには私のみならず、そばで聞いていたコナン君たち四人も驚きに声を漏らしていた。

そして、それに驚いたのは提案をした白鳥君も同様だったらしい。

 

『……OKって。……分かっているんですか?自分が言ってる事』

『ええ、分かってるわよ。高木君が私を迎えにここに来れば、この見合いはご破算。即撤収。……来なければ、私はアナタと結婚し、妻となる。……無制限なのもなんだから、日が暮れるまでっていうのはどう?』

 

……おいおい、本気なのか美和子!?

もし、それで白鳥君と結婚する事になったら、例えお前が納得したとしても私は納得できんぞ!

 

「……何か面白く、おっと……大変なことになって来たわね」

 

……園子君。君今、「面白くなってきた」って言いそうになってなかったかい?

ジト目で向けて来る私の視線に、園子君はとぼけ顔でそっぽを向く。

すると今度は蘭君が不安げな声で口を開いた。

 

「でも、どうなるんだろう。……もし、高木刑事が来なかったら……」

「う~ん……もしかしたら、佐藤刑事って結構玉の輿を狙ってたりして。……白鳥警部って、ウチのパーティーによく来る資産家の御曹司だし」

「いや、それは無い」

 

園子君のその推測を私はバッサリと一刀両断する。

 

「私も妻も、美和子をそんな性格の娘に育てたつもりは一切ないよ?あの子は玉の輿に何て全く興味なんてないし、今までの会話からしても美和子が白鳥君に『その気』が無い事も直ぐに分かる。……何せ父親だからね?」

「で、ですよねぇ~……」

 

()()()()()()()()でニッコリと笑いかけてそう言う私に、園子君の方も顔を引きつらせながらも笑ってそう答え返してきた。

すると、そんな私たちの間に入るようにして蘭君が再び不安げに口を開く。

 

「なら、どうするんだろう佐藤刑事……。高木刑事とイイ感じに見えてたのに……」

「……まぁ、彼女があれだけ言い切ったんです。何か勝算があるんでしょう」

 

顔を曇らせる蘭君に新出先生が励ますようにしてそう言うと、襖の向こうで白鳥君の声が再び聞こえてきた。

 

『……分かりました。じゃ、いいんですね?』

『ええ!女に二言は無いわ!』

 

彼の問いかけに美和子はしっかりと了承して見せる。

 

(……おいおい、大丈夫なのか美和子。これでもう後戻りはできなくなったぞ!?)

 

胸中が不安でいっぱいになる中――私は内心、美和子にそう問いかけずにはいられずにいた。

こうなってしまってはもう、迎えに来る高木君が一分一秒でも早くここに来てくれるのを祈るばかりだ。

 

――だが、現実は早々上手くいかないものである。

 

そう願った直後に、私は高木君たちの方で予想外のアクシデントに見舞われている事を唐突に知る事となった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ほぅ……?コンビニ強盗ですか……。ああ、いえ……ちょっと、高木君に聞きたい事がありまして……では、目暮警部。しっかり頑張るよう、彼にお伝えください』

 

今現在の高木君の動きを知るために、白鳥君は目暮警部経由で彼の様子を確認するために電話をかけたのだが、目暮警部から伝えられた彼の現状は、白鳥君や美和子のみならず私すら予想外なものであった。

目暮警部との電話を終わらせた白鳥君が携帯を切ると同時に、美和子が慌てて白鳥君に声をかけていた。

 

『ちょ、ちょっと何よ。コンビニ強盗って……。高木君、今日は事件の聞き込みのはずでしょう?!』

『その聞き込みを一通り終えた後で、コンビニ強盗に遭遇したそうです。……容疑者を三人に絞り込んではいるようですが……。目撃者の証言が、バラバラらしくて……』

『バラバラってどういうこと?被疑者は一人なんでしょ!?』

『さぁ……僕に言われても』

 

美和子と白鳥君の会話を襖越しに聞きながら、私は頭を抱える。

――なんてこった。肝心の高木君が事件に遭遇して来られないとは……!

すると、私と同じように美和子と白鳥君の会話を聞いていた蘭君が園子君に話しかけてきた。

 

「……何か、高木刑事の方も大変なことになってるみたいだね」

「んもぅ、コンビニ強盗なんて他の刑事さんたちに任せてこっちに来りゃいいのに。……高木刑事、ちゃんと()()()()()()()()()()()()()()()?」

「さぁ、どうだろう?……ひょっとしたらまだ見てないとか?」

 

その会話を聞いて私は、宮本君がお見合いの事をメールを使って高木君に伝え、そして彼をここに連れて来る算段であったことを今になって察した。

……だとしたら、高木君はまだそのメールを開いていないのだろうか?いや、この場合メールを開いていようがいまいが、目の前で事件が起こった以上、刑事としては事件を優先するのが当然だ。

うん、私も重々分かってはいる。分かってはいるのだが……事、今回は美和子がある意味危機的な状況なため、刑事としてのその『当然』が今は少々煩わしく思えて来る。

 

すると今度は襖の向こうで、しびれを切らした美和子が声を上げていた。

 

『……いいわ!私が直接高木君に――』

 

美和子がそう言っているのと同時に、携帯のボタンのプッシュ音が聞こえだした。

高木君に美和子が直接電話を入れようとしている。そう私が気づいた瞬間、そのプッシュ音が唐突に止まった。

 

『――あっ!?』

『貴女から彼に連絡を取るのは、ルール違反。……あまりにも、僕に不利すぎる』

 

どうやら美和子が高木君に電話をかけようとするのを白鳥君が止めたようだ。

襖の向こうで白鳥君の言葉が続く。

 

『……ま、大丈夫ですよ。きっと彼は、コンビニ強盗を挙げた後でここに来るつもりなんでしょう。……それとも、彼が信じられないとか?』

『そ、そんな事……』

『……もっとも、警察官が事件捜査中に現場を放棄してこんな所に来れば……服務規程違反(ふくむきていいはん)懲戒処分(ちょうかいしょぶん)(まぬが)れない。……確か、彼は前に一度、減給処分(げんきゅうしょぶん)を受けていましたよね?』

『あ……!』

 

白鳥君の言葉に、美和子もハッとなって声を漏らす。

それとほぼ同時に、私もそう言えばそんな事(単行本第30巻、テレビアニメ240~241話『新幹線護送事件』参照)があったなぁ。と、今更ながらに思い出していた。

 

『彼が二度目の懲戒処分を受けてまで、ここへやって来る度胸があるのなら……僕も、男として彼を認めますがね』

「…………」

 

美和子に向けてそう言う白鳥君の言葉を聞きながら、私は思考を巡らせる。

この際、別の刑事を呼んでその人に迎えに来てもらおうかとも最初に一瞬思ったが、美和子と白鳥君がはっきりと高木君を指名した上、美和子に黙って私の勝手な独断でそれをするわけにもいかないと、この案は直ぐに没にした。

となると、やはり高木君が美和子を迎えに来てもらうのが最善手だろう。

だが、その高木君がコンビニ強盗の事件で動くに動けない状況である。……ならば――。

 

――そのコンビニ強盗事件を早期解決し、直ぐに高木君をこちらに向かわせるのが得策だ。

 

 

 

 

(……よし!)

 

これからの方針を固めた私は、すぐさま()()()()()()()に連絡すべく、ポケットから携帯を取り出していた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

「何か、ますます大変な事になってきちゃったわね!」

「んもぅ、他人事だと思って面白がっちゃって!……佐藤一課長さんもいるんだよ?」

「シッ!静かに……」

 

ニヤニヤしながら声を上げる園子に蘭が注意をし、その二人に声を抑えるようにと口元に人差し指を当ててそう窘める新出先生の声を聞きながら、俺はそっと部屋を出ようと動き出した。

 

――目的は、トイレに移動してそこから高木刑事の携帯に蝶ネクタイ型変声機で『工藤新一の声』で事件解決のアシストをするためだ。

 

このままでは佐藤刑事が白鳥警部と『賭け事』による敗者という形で結婚する事となってしまう。

そんな事は、例え気丈な佐藤刑事と言えど、それで白鳥警部と結婚なんて本心では望まないだろう。

ならば、高木刑事には急いで事件を解決しこっちに来てもらわないといけない。

 

それに……この手の事に、奥手で不器用な二人を見てると……()()()()()()()()()()()()()()()

 

脳裏に()()()()()()()()()()()()の事を思い浮かべながら俺は部屋を出ようとするその直前、俺の視界の端で佐藤刑事の父親である佐藤一課長さんがポケットから『何か』を取り出す所をとらえた。

 

「……?」

 

思わず足を止めて佐藤一課長さんへと視線を向ける俺。

見ると佐藤一課長さんが取り出したのは携帯でおもむろにその携帯のボタンを押して何処かへと連絡を入れようとしているようだった。

少し気になった俺は、佐藤一課長さんに尋ねてみた。

 

「佐藤一課長さん。高木刑事に電話でもするの?」

「ん?……ああ、違うよ。警察官である手前、流石に私も高木君に仕事ほっぽり出してこっちに来るようになんて言えないからね。……でも、美和子と白鳥君の結婚を阻止するためには、やはり高木君には早急に事件を解決してこっちに来てもらう必要があるんだ……」

(!……へぇー、佐藤一課長さんも俺と同じことを考えていたのか)

 

佐藤一課長さんの言葉を聞いて俺は内心そう思っていると、一課長さんは言葉を続ける。

 

「そう、だから……彼の所に()()()()()()()()()()()()()

「応援?」

「捜査一課の中にこういう時、とても頼りになる刑事を私は一人知ってるんだよ」

 

そう言って俺の前で佐藤一課長さんはその刑事へと通話を開始する。

携帯を耳に当て、電話の向こうにいる刑事の名前を呟いた――。

 

 

 

 

「――ああ、もしもし。伊達君かい?」

 

 

 

「!!」

 

その名前を聞いた途端、俺は目を見開いて驚き……そして直ぐに小さく笑みを浮かべた。

 

(へぇー……()()()を高木刑事の元に向かわせるのか。……なら、そのコンビニ強盗事件とやらで()()()()()()()()()()()()

 

()()()の推理力は俺も一目置いている。()()()が乗り出すのであれば、まず早期解決は確実だろう。俺が出しゃばる必要性もなさそうだ。

 

(……そんじゃあ、後は頼んだぜ?)

 

佐藤一課長さんと電話をしている『相手』に向けて、俺は心の中でそう呟くと両手を頭の後ろで組みながら踵を返し、蘭たち三人の元へと戻って行った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:三人称視点。

 

 

「オイ、刑事さんよぉ!いつまでこんな車の中に閉じ込めておくんだよ!?」

「日が暮れちゃうわよ!」

 

事件が起こったコンビニ前の道路上に停まる車の中――その車の後部座席にて容疑者三人の内の男女が騒ぎ出していた。

それを聞いた運転席にいる高木は彼らを慌てて宥める。

 

「ああ、だからもう少し待っていて下さい」

 

口ではそう言うものの、高木自身この状況を打開する手立てが全く見当たらない事を理解していた。

そしてそれは、助手席に座る千葉刑事も同じであった。

容疑者であるこの三人をここに留めておくのももはや限界に近い。

解放するしか、ないのか?高木と千葉の脳裏に同時にそんな言葉がよぎった。すると――。

 

 

 

 

――キキィッ……!

 

 

 

――高木刑事たちが乗る車の前に、唐突に一台のタクシーが止まり、その後部座席から一人の男が降りてくる。

 

「!……た、高木刑事、あれ……!」

「え?……あ!」

 

タクシーから降りてきた人物を視界に収めた瞬間、千葉と高木は同時に声を上げ、ほぼ反射的に車から降りてその男の元に駆け寄っていた。

そんな二人に男は()()()()()()()()をニカリと歪めると気さくな声を上げる。

 

「よぅ!来てやったぜ、二人とも!」

 

そんな男の声に、半ば呆然としながら高木は口を開いていた――。

 

「れ、連絡も無しに急に来るなんて、どうしたんですか――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――()()()()!?」




次回から『佐藤正義編』から『伊達航編』へと切り替わります。


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番外:『本庁の刑事恋物語4』(伊達航編)【1】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。


SIDE:高木渉

 

 

「れ、連絡も無しに急に来るなんて、どうしたんですか伊達さん!?」

 

唐突にタクシーから降りてきた自身の先輩であり教育係を務めてくれている刑事を見て、僕は反射的にそう声を上げると、当の本人――伊達さんはきょとんとした顔で口を開いた。

 

「あん?……どうしたって、応援に来たに決まってんじゃねぇか。……まぁ連絡しなかったのは悪かったが、俺も突然、()()()()()に指示されて来たからなぁ」

「……え?佐藤一課長が伊達さんをここに寄こしたんですか?」

 

伊達さんの話を聞いて僕は首をかしげる。

目暮警部では無く、何故佐藤一課長が直接伊達さんにここに行くように指示を出したのか。

それに、今日一課長は娘の佐藤さんと一緒に所用とかで仕事には来ていないはず……。

何故、ここで起こったコンビニ強盗事件の事を知っているんだ?

そう不思議に思っていると、伊達さんは僕の隣に立つ千葉に声をかけていた。

 

「……それよりも千葉。車の後部座席にいんの、例の強盗事件の容疑者たちなんだろ?……いいのか?車に残したまんまで」

「え?あ、そうでした!すみません、今行きます!」

 

そう言って慌てて車に戻って行く千葉。

確かにあの容疑者たちの中に例の強盗犯人がいるのは間違いないのに、見張り一人つけずに車から出て行ったのはまずかった。

だが幸いな事に、千葉が車に戻るまで容疑者たちは律義にそこに残って待っててくれていたようだ。

 

(……まあ、僕たちが車から離れている隙に逃げでもしたら、それはもう自分が強盗事件の犯人ですと言っているようなもんだしなぁ)

 

僕が呑気にそんな事を思っていると、伊達さんが杖をつきながらつかつかと僕に歩み寄って来た。

 

「……おい、高木。あん中にそのコンビニ強盗犯がいるのは間違いねぇんだな?」

「ええ、はい……。と言うか、どうして佐藤一課長が伊達さんをここに……?」

 

さっきから、疑問に思っていた事を伊達さんに尋ねてみると、当の伊達さんは呆れた顔で頭をかいて見せた。

 

「かーっ!……その顔。やっぱお前、宮本からのメール見てねぇんだな?」

「え?由美さんからの?」

「いいから、今すぐ見てみ」

 

伊達さんにそう促され、僕は直ぐに携帯を開き、メールを確認する。由美さんからのメールが一通入っていた。

 

「えーと……『美和子大ピンチ!見合い会場の水都楼から事件にかこつけて彼女を奪還せよ! 由美』……」

 

メールの内容を小声で復唱し、そしてそれを更に脳内で復唱してみる……。

 

……………………………――。

 

 

「――えええええええええええーーーーーーーーッッッ!!??」

 

――さ、佐藤さんが……見合いぃぃーーーーッ!!??

 

思わず口と脳内で同時に絶叫する僕。路上で突然叫んでしまった僕に伊達さんが慌てて声をかけてきた。

 

「ばっか!一刑事が公然の場で大声出してんじゃねぇ!!」

「す、すみません……」

 

慌てて両手で口を塞ぎ周囲をうかがう。通行人の何人かが怪訝な様子でこちらを見ていたが、直ぐに興味を失ったのかそのまま歩き去って行った。

それを確認した伊達さんはため息を一つ付くと、真剣な顔で口を開く。

 

「……とにかく落ち着け。()()()()()()()()()()()()()()、見合い会場は隣の杯戸町だから直ぐに駆けつけて行けっから」

「……に、日没までってどういうことですか?」

「佐藤が見合い相手の条件を飲んだんだよ。……日が沈むまでに事件を解決して、お前が迎えに来なければ、相手のプロポーズを受けるってな」

「――ッ!??」

 

――そ、そんな……!!

あまりにもショックなその話の内容に、僕の頭の中が一瞬真っ白になる。

しかし、直ぐにその脳天に伊達刑事のチョップが炸裂し、僕の意識は強制的に現実へと引き戻された。

 

「いでッ!?」

「ばっか、呆けてる場合か!それが嫌なら、とっととこの事件のホシ挙げて、佐藤の奴迎えに行ってこい!」

「は、はい……。でも、誰が犯人なのか全然わからなくて……」

「……一課長から聞いたが、どうも目撃者の証言がバラバラだって話みたいだな?……詳しく話せ」

 

 

 

 

 

 

 

――伊達さんから事件の詳細を聞かれ、僕は数時間前に起こった今回の事件を語りだした。

 

事件は、僕と千葉が事件の聞き込みをしている時に偶然すぐそばで起こった。

コンビニから女性従業員の悲鳴と共にヘルメットにコートを着込んだ男が飛び出し、人込みをかき分けて逃走したのだ。

それを見た僕と千葉はすぐさまその男の後を追うと、とある公園の前で老人が倒れているのを見つける。

老人の話だと、ヘルメットにコートを着た人物が突然ぶつかってきて公園のトイレの方へ逃げ込んだというのだ。

それを聞いた僕と千葉はその公園のトイレの前まで来ると、近くの茂みの中に脱ぎ捨てられたヘルメットとコート、そして手袋とカバンを発見する。

犯人がトイレの中にいる事を確信し、トイレから出て来るように声を上げると、中から出てきたのは男性二人に女性一人の三人であった。

 

 

 

 

 

 

「――んで、トイレから出てきたっつーその三人ってぇのが、今車の後部座席に座っている奴ら、と」

「は、はい……」

 

そう言いながら車の中に座る三人に視線を移動させた伊達さんにつられるようにして僕も答えながら車の中に視線を向ける。

車の中で退屈そうにしているその三人を見つめながら、僕は一人一人順番にその三人の事を伊達さんに説明し始めた。

 

「――まず、後部座席の一番右側に座る青いセーターを着た長身の男性は座間 弘(ざま ひろし)さん、21歳。高校時代の仲間とビジュアル系バンドを組んでいるらしくファンからもしょっちゅう電話が来るほどの人気だとか。……公園のトイレにはそのバンドの練習の帰りに立ち寄ったみたいです。

 

――続いて後部座席の中央に座る黒いパーカーを着た茶髪の女性は越水 映子(こしみず えいこ)さん、28歳。OLで散歩中に急にお腹が痛くなったのでトイレに駆け込んだと言っています。

 

――そして最後に、座席の右側に座る緑色のトレーナーを着て眼鏡をかけた男性は紙枝 保男(かみえだ やすお)さん、32歳。塾講師で近くの書店に本を買いに行く途中、トイレに寄ったのだとか」

「ふぅん……性別も年齢も身体的特徴も見事なまでにバラバラだな。……んで、同じようにバラバラだっつー目撃者の証言ってのは?」

 

伊達さんにそう促され次に僕は目撃者の証言内容を口にする。

 

「……最初に聞いたのはさっき話しました公園の前で犯人とぶつかったという老人です。残念な事に犯人とぶつかった拍子に眼鏡を落としてしまい、顔は見ていないようでしたが『コートの下に青い服を着た女性』である事は分かったようです」

「……女性っつったら真ん中に座っている越水っていうねえちゃんしかいねぇよなぁ。けど服の色はどう見ても黒だろ?」

「そう、ですよねぇ……」

「……っつーかその老人は何で犯人が女性だって分かったんだ?ヘルメット被ってコート着てたんだろ?コートがめくれて偶然下に着ていた服の色が青色で、眼鏡を落とした裸眼状態でそれが見えたとしても納得いくが、顔隠している状態で性別が分かるとは思えねぇぞ?……ぶつかった拍子に()()で体型が分かったとかか?」

「さ、さぁ?そこまで尋ねなかったもので――」

「――ばっか!何でそこまで踏み込んで聞かねぇんだ!」

「す、すみません……」

 

うぅ……今日だけで伊達さんに「バカ」って言われるの何度目だろう?やっぱりまだまだ未熟だ僕は。

しゅんとなる僕に伊達さんは深いため息をつくと再び口を開いた。

 

「……まあいい。話を続けろ」

「はい……。二人目の目撃者はコンビニ近くの洋服店で買い物をしていた女子高生でした。……買い物の最中に店の窓越しに犯人の姿を見ていまして、『人込みの中を頭一つ抜きに出ていたから身長は180センチ以上あり、コートがめくれて一瞬、緑の服が見えた』と証言していました」

「……このコンビニの近くで洋服店っつーと……ああ、()()()()

「はい……?」

 

意味ありげに独り言をつぶやく伊達さんに、僕は怪訝な顔を浮かべる。

それに気づいた伊達さんは軽く手を振って答えた。

 

「いや、何でもねぇ。……それより、目撃者はそれで全員なのか?」

「いえ、もう一人。……コンビニ近くにある喫茶店のマスターも犯人の姿を目撃しています」

「あん?()()()()()()?」

「え?伊達さん、マスターと知り合いなんですか?」

「ああ、まぁな。……で?豆原(まめはら)さん――マスターは何て言ってたんだ?」

「どうも、ランチタイムのメニューの見本を店先に出してる最中に見たらしいです。『身長は170センチ前後でコートの下に黒い服を着ていた』と言ってました……」

「…………」

 

僕からそこまでの話を聞いた伊達さんは俯きがちに思案顔になり、しばらくの間沈黙する。

だが、一分もしない内に顔を上げると、僕に向かって問いかけてきた。

 

「……なあ、俺がここに来るまでの間に、あの三人から一通りの事情聴取はしたんだろ?その時、何か気になる事とか誰か言ってなかったか?」

「と、言われましても別に……。――あ。強いて言えば、事情聴取の最中に()()()が話題に出たぐらいでしょうか」

「……腕時計?」

「話の流れでちょっと……いや、でも、腕時計なんて特に事件とは関係ありそうにないですし――」

「――待て。……その腕時計の話、詳しく話せ」

 

特に無関係だと思ってさらっと笑って流そうとしていた僕に、伊達さんは鋭い目つきで待ったをかけた。

そんな伊達さんに僕は首をかしげながら声を上げる。

 

「そんなに重要な話では無かったと思うのですが……」

「そいつぁ、俺が判断する事だ。……それに、こう言ったたわいの無い話の中にこそ、案外事件解決の重要な手掛かりが転がっている時だってある。ま、空振りする事も多いがな。……だが、それでもホシを見つけるため、どんな些細な事でも見聞きを(おこた)らないようにお前も心掛けろ」

 

そう言って最後に伊達さんは「――まぁ、今回は俺の刑事の『勘』ってぇのが大きな理由だがな」と、そう付け足して笑って見せる。

それにつられて僕も「あはは……」と苦笑を浮かべると、仕切り直しとばかりに真剣な顔に戻して早速その『腕時計の話題』について伊達さんに話し始めた。

 

「――事情聴取中、越水さんが腕に二つ腕時計を付けているのを見つけまして気になって尋ねて見た所、海外に彼氏がいるらしく変な時間に電話をするのを避けるために日本時間のと海外時間用の二つを付けていると言ってました。……それに続いて座間さんも昔、中学の先生に良く遅刻するからと言われて二つ付けられていたらしいです。……ですが逆に紙枝さんは、塾の講義中は生徒たちに時間を気にせず授業に集中してほしくて腕時計を外すように言っているらしいです。その一貫で教室にかけられている時計も外しているとも……」

「…………」

 

それを聞いた伊達さんは再び黙り込んで何かを考える仕草をする。

やがて、何かに気づいたように小さくハッとなると、ニヤリと口元を吊り上げた。

 

「……そういうことか」

「な、何か分かったんですか伊達さん?」

 

僕がそう尋ねると伊達さんはしっかりと頷き口を開く。

 

「ああ。少なくとも、()()()()()()()()()()()()

「ほ、本当ですか!?じゃ、じゃあ、やっぱり犯人はあの三人の中に?」

「ああ、そうだ。……だがその確信を深めるために、まずはバラバラになってる目撃者の証言の問題を先に片づける必要がある。……行くぞ」

 

そう言って伊達さんは歩き出す。一足遅れて僕もその後を追いかけ始めた。

僕は伊達さんの背中を追いかけながら彼の背中に慌てて声をかける。

 

「い、行くって何処へ!?」

「喫茶店のマスターの所だよ。まずはあの人の証言から崩しに行く。……豆原さんの事だから今頃、客相手に自分が犯人を目撃した事を自慢げに話してるだろうなぁ。ったく、あの人は気さくで良い人なんだがおしゃべりな所が玉に(きず)なんだ。……昔っから」

 

やれやれと歩きながら肩をすくめる伊達さんのその言葉を聞いて僕は、ああそう言えば自分がマスターが犯人を目撃したという情報も、たまたま通りがかった通行人がマスターがそれを自慢げに話していたのを聞いたと話してくれたのがきっかけだったなぁ。とぼんやりと思い返す。

そこでふと気になって伊達さんの背中に声をかけて尋ねてみた。

 

「……伊達さんは、マスターの豆原さんとは古い知り合いなんですか?女子高生が言っていた洋服店の事も店名を聞かずにどこの店か直ぐに分かったみたいですし……。もしかしてこの辺りによく来るとか?」

「よく来るも何も、俺は元々ナタリーと結婚する前まで()()()()()()()()()()()()()。……言ってなかったか?」

「えぇっ!?」

 

何とでもないかのように言った伊達さんのその発言に僕は大いに驚く。全くもって初耳だ。

そう言えば思い返してみても、初めて会った頃から伊達さんとは時間があればカラオケやら居酒屋やらに行った記憶はあるが、僕が伊達さんの家に直接遊びに行った事なんて今まで無かった。

あの頃から恋人のナタリーさんと暇さえあればちょくちょくデートを重ねたり自宅に招き入れたり……逆に彼女の方の自宅に押し掛けたりしているのを知っていたから、その過程で自然と伊達さんの家に行くのを遠慮していた。

また、一年前のあの交通事故で伊達さんが退院した後は、伊達さんを心配したナタリーさんが一緒に同棲するようにもなり、邪魔しちゃ悪いと更に行きづらくなっていたのである。

 

(住所ぐらいは教えられてたかもしれないけど、すっかり忘れていたなぁ……)

 

僕がそんな事を思っている間に、豆原さんの喫茶店の前に到着する。

そして、伊達さんを先頭にして僕たちは店内へと足を踏み入れた。

 

「いらっしゃ――ああ、伊達ちゃん!久しぶり!」

「ご無沙汰してます。豆原さん」

 

店に入って来た伊達さんを見た途端、()()()()()()ちょび髭を生やしたマスターの豆原さんは弾んだ声で伊達さんと僕の所にやって来た。

それを見た伊達さんも軽く会釈をする。

二人のその様子を見るに、昔からの知り合いというのは本当のようだ。もしかして伊達さんはかつてこの喫茶店の常連だったのだろうか。

僕がそんな事を考えていると豆原さんが口を開いた。

 

「もしかして伊達ちゃんもあそこのコンビニ強盗の事件の捜査に来たのかい?」

「ええ。それで豆原さんからもう一度犯人を目撃した時の状況を聞かせてほしいと思いまして」

「う~ん、そうは言ってもねぇ。……そこにいる若い刑事さんに犯人の特徴とか知ってる事は全て話したはずなんだけどなぁ」

「…………」

 

豆原さんがそう言う前で、伊達さんは再び考え込むそぶりを見せる。

……いや、ちょっと違うか?さっきまでとは違い、考えている仕草とは少し異なっている。これは……()()()()()()()()()()()()()()

 

「……?」

 

伊達さんの視線に気づいたのか、豆原さんも怪訝な顔で伊達さんを見る。

すると伊達さんがおもむろに豆原さんの()()()()()を軽く指さしながら彼に問いかけた。

 

「……時に豆原さん。()()()()()()()()()()()()?……いつから視力が落ちたんで?」

「え?……ああ、違う違う」

 

伊達さんにそう問われた豆原さんは一瞬キョトンとした後、直ぐに声を上げながら眼鏡を取って見せる。

 

「これは()()()()()()()()()()()()()()、かけてると何かかっこよく見えるからかけてるだけなんだよ」

「ああ、通りで。ついこの間見かけた時は、()()()()()()()()()()んで不思議に思ってたんですよ。……と言うか、今言った『面白い』ってどういう意味です?」

 

更に伊達さんに問いかけられた豆原さんは手にした眼鏡を掲げながら答えて見せた。

 

「いや実はさぁ、この眼鏡のレンズには『調光レンズ』ってのがはまっててね。屋外に出て紫外線を受けると15秒ほどで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――あっ!!」

 

そこまで言った途端、豆原さんは何かに気づいたように声を上げ、続いて「しまった」とばかりに頭を抱えて見せた。

それを見た伊達さんはニヤリと笑い、同時に僕も豆原さんの()()()()()()()に気が付いた。

 

「じゃ、じゃあアナタが目撃した強盗犯の服の色は、()()()()()()()()()()()()()()()のかもしれないんですね?」

 

僕がそう問いかけると、豆原さんは両手を合わせながら謝罪して来た。

 

「いやぁ、すまない刑事さん。犯人を目撃した事で浮かれてたせいか眼鏡の事、すっかり忘れてたよ。……だが、犯人の身長が170センチ前後だっていうのは間違いないぜ?」

 

豆原さんの言葉に僕は小さく唸る。

確かに、服の色は伊達眼鏡で違って見えていたのかもしれないが、身長の方は別の目撃者――洋服店にいた女子高生が180センチ以上あったって証言がある。この食い違いは一体?

そんな事を考えていると、伊達さんが声を上げた。

 

「そこまで分かれば十分だ。……豆原さん、ありがとな。アンタの証言、十分参考になったよ」

「え?そ、そうかい?そう言ってくれりゃあ証言したかいがあったってなもんだ」

「そんじゃあ、俺らはこれで。……またコーヒー飲みに来ますんで」

「ああ、待ってるよ」

 

そう言って豆原さんに別れを告げると、伊達さんはそのまま店を後にする。

その後を追って僕も豆原さんに軽く会釈だけ済ませて店の外に出た。

外に出ると伊達さんは犯行のあったコンビニの方へと歩いて行くのが視界に入る。

コンビニの前には容疑者たちと千葉が乗る車がある。すぐさまぼくは伊達さんに追いつくと声をかけていた。

 

「伊達さん、車に戻るんで?」

「いんや、違う。コンビニの手前にある洋服店まで行く。……次はそこにいたって言う女子高生の証言の謎を暴くぞ」

「あ、はい……!」

「……と言っても、こっちの方はもうある程度予想はついてんだけどな」

「え?」

 

予想外な伊達さんのその発言に、僕は一瞬面食らう。

そうこうしている内に僕と伊達さんは洋服店の前に到着した。

洋服店の建物を見上げながら伊達さんが口を開く。

 

「高木。お前らがコンビニから逃げる強盗犯を見たのは何時ごろだ?」

「え?えっと、確か――」

 

伊達さんの問いかけに、僕は直ぐその時刻を答える。

すると予想通りと言わんばかりに伊達さんが鼻を鳴らしてほくそ笑んだ。

 

「やっぱり、そういう事か」

「何がやっぱりなんです?」

 

訳が分からず首をかしげながらそう問いかける僕に、伊達さんが説明を始めた。

 

「高木、ちょっとさっきまでいた喫茶店の方へ振り返って見な。何が見える?」

「へ?」

 

伊達さんにそう言われて僕は背後へと振り返る。

そこには、少し遠くの方にさっきまで僕たちがいた喫茶店があり、その手前から僕らの方に向けていくつかの建物が並んでいた。

そしてその中の一つに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()建物があった――。

 

「見えるよな?あの人の出入りが目立つ所」

「ええ……『地下鉄のりば』、ですね」

 

伊達さんの言葉に僕はそう答えた。

さっきの喫茶店とこの洋服店に挟まる形で地下鉄のりばの出入り口がそこにあったのだ。

その出入り口を見ながら伊達さんが話し始める。

 

「……今俺たちが立つこの歩道はなぁ、地下鉄の出口からバス停までの通り道になっていて()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そんな時、歩道一杯に向こうから人が来たら……高木、お前ならどう通る?」

「え?どう、って……」

 

唐突に伊達さんにそう問われ、僕は一瞬困惑するも直ぐにそれに答える。

 

「……人を避けながら通りますね。普通に」

「それじゃあ、早くに通れないと思ったら?」

「…………」

 

更に重ねて伊達さんにそう問われ、僕はしばし沈黙する。

 

(……車道に飛び出せば往来する車に()かれる可能性があるから危険だし……。だとしたら仕方なく歩道を避けて縁石(えんせき)の上を――)

「――あっ!」

 

そこまで考えた瞬間、僕は唐突に声を上げていた。

そばで見ていた伊達さんが僕の様子を見てニヤリと笑って見せる。

 

「……ま、そう言うこった。たまたま犯行時間が地下鉄のりばが混雑する時間帯で、逃走する犯人は地下鉄のりばから歩道一杯にやって来る人込みを見て思わず()()()()()()()()()()()()()()()()()んだろう。そのために洋服店にいたその女子高生からは人込みから犯人の姿が頭一つ抜きん出て見える形となり、犯人の身長が180センチ以上あると勘違いする結果になっちまったってわけだ」

「な、なるほど……」

 

感心する僕を前に伊達さんは言葉を続ける。

 

「ジグソーパズルみたいなモンだ。……見た目はバラバラで歪なピースでも、回転させたり角度を変えれば必ずはまる。……目撃者たちの歪な証言は、俺たちが完成させようとしてるパズル(真相)の必要不可欠な(手がかり)には(ちげ)ぇねぇんだからよ」

 

す、すごい。確かに伊達さんの言う通り、一見するとバラバラな証言故にまるで犯人が複数いるような状況に見えるけど、その目撃者たちの証言を一人一人訂正していけば、だんだんと一つの答えに収束していくのが分かる。

少しずつ事件の謎が解けてきたのを感じ取りながら、僕は高まる興奮を抑えつつ伊達さんに向けて声を上げた。

 

「伊達さん。あと残るは公園で犯人にぶつかったあの老人の証言だけですね!」

「ああ、そうだな。……しかもだ高木、実は目撃者たちの証言の中でその老人が証言した内容が一番重要でな。それと事情聴取で聞いたっつー『腕時計の話』とを組み合わせりゃあ、自ずとあの三人の容疑者の中から犯人を絞り込むことが出来ちまうんだよ……!」

 

そう言って伊達さんは、僕の眼の前で自信満々に歯をむき出しにすると不敵に笑って見せたのだった――。




最新話投稿です。

次回、コンビニ強盗事件、解決です。


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番外:『本庁の刑事恋物語4』(伊達航編)【2】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。


SIDE:佐藤正義

 

 

『大分、日が傾いてきましたね』

『え?ああ……そうね……』

 

襖越しに聞こえる白鳥君の言葉とそれに答え返す美和子の声を聞きながら、私は自身の腕時計にチラリと視線を送る。

日没までとうに一時間を切っている。このままでは……!どうするんだ美和子……!?

焦りを顔に浮かべながら私が落ち着きなくハラハラしている間も、襖の向こうで白鳥君と美和子の会話が続く。

 

『……佐藤さん。貴女を信用しないわけではありませんが……もしも高木君が間に合わず、僕が賭けに勝ったなら、()()()()()()()()()()

『え?証って……?』

 

美和子のその問いかけに私のみならず、隣で同じく聞いていた毛利君たちも同時に耳をそばだてる。

すると次の瞬間、白鳥君の口からとんでもない爆弾発言が放たれた。

 

 

 

『証として……誓いの口づけを』

 

 

 

(な゛ぁっ!?)

 

思わず声を張り上げそうになった。

毛利君たちも同様に驚愕し、美和子もまた驚いている様子だった。

 

『ち、誓いの口づけって……私と白鳥君が……?』

 

明らかに動揺している(ふう)の美和子の声が響き、それに続けて白鳥君の声が耳に入って来る。

 

『ええ。構わないでしょ?日没までに高木君がここに来なければ、我々は夫婦になるんですから。……確か、女に二言は無いんでしたよね?』

『え、ええ……。もちろん』

 

二人の会話を聞きながら、私は心の中で半ば絶叫に近い声を張り上げていた。

 

(高木君ンンンンッ!!一体、何をしているんだぁ!?このままでは結婚よりも先に美和子の貞操がぁぁぁぁッ!!!)

 

美和子が白鳥君の賭けに乗った手前、私にそれを口出しする権限は無い。しかし納得がいくかと問われればもちろん『否』だ。

こんな形でたった一人の愛娘が夫婦となる事が決定し、あまつさえそれよりも先に目の前で娘の唇を奪われる光景を見せつけられるなど誰が認められようか。

無意識に拳をわなわなと震わせながら、今はここにいない最後の綱の若手刑事に向けて私は内心で叫び声を上げる。

 

(高木君ンンンンンンンンッ!!もし美和子が勝負に負けてしまったら、更に君の減給処分を追加してやるぅぅぅぅッ!!!)

 

職権乱用とも言える暴言だが、大目に見てほしい。

私自身、怒りと焦りで冷静さを欠いてしまっているのだ。例え実際に美和子が白鳥君と結婚する事になったとしても高木君を責めるのは筋違いであるのは分かっているので私が彼に鉄槌を降ろす事は断じてない。……ああ、無いとも。

しかし、しかしだ。警察官としてではなく一人の父親として美和子を唯一助けられる彼がなかなかここに現れない事にしびれを切らし始めているのもまた事実であり、仕方のない事だろう。

 

襖と腕時計を交互に視線をせわしなく移動させながら、私は高木君の時間内での到着を心の底から念じ続けた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:高木渉

 

 

「はぁ~っ」

 

赤くなり始めた空の下、僕はため息と肩を落としながら千葉達が待つ車へと乗り込む。

 

「あ、高木さん。何か分かりましたか?」

 

運転席に深々と腰を下ろすと同時に、助手席に座っていた千葉が僕にそう声をかけてきた。

ちなみに伊達さんは車の外で車体に背中を預けながら、口元に咥えたトレードマークである爪楊枝を指先でいじりだしている。

尋ねてきた千葉に僕は力なく返答する。

 

「……いや、全然。相変わらず目撃者が証言した犯人像は食い違ったままだ。……青い服を着た女性だったり、緑の服を着た180以上の男だったり、黒い服の170の奴だったり……」

「それじゃあ無理ですね……。後ろの容疑者三人から、被疑者一人を絞り込むのは……」

 

そう言いながら千葉は後部座席に座る三人に向けてチラリと視線を送る。

そんな千葉の言葉を耳にしながら僕は腕時計に視線を向けて口を開く。

 

「ああ……ま、気長にやるよ。()()()()()()()()()()()()()()()……」

 

僕が腕時計を見ながら力なくそう呟いた……その瞬間、唐突に後部座席に座る三人がそれぞれ反応を見せてきたのだ。

 

「おいおい、何言ってんだ?」

「アンタの時計、壊れてんじゃないの?」

 

座間さんと水越さんが自身の腕時計を見ながら立て続けにそう声を上げ――。

 

「もう4時半を回って――」

 

――それに続く形で紙枝さんも自身の腕時計を見ながら声を上げた。次の瞬間だった――。

 

 

――ガシッ!!

 

 

唐突に紙枝さんのすぐ横にあるドアが大きく開き、そこから伸びてきた手に紙枝さんの腕時計が巻かれた腕がむんずと捕まえたのだ。

 

「!?」

 

突然の事に何が起こったのか分からず、紙枝さんは目を見開いたまま固まり、無意識に自身の腕をつかむ手の持ち主へと視線が向かう。

 

そこにいたのは今し方まで車に寄りかかっていた伊達さんだった。

 

伊達さんは紙枝さんの腕時計を見ながら不敵な笑みを浮かべて口を開く。

 

「やっぱ、アンタだったんだな?」

「え……?へ……?」

「だ、伊達さん?」

 

未だに状況を理解していないのか紙枝さんは呆けた声を上げる。

それは千葉も同じだったらしく、伊達さんに向けてポカンとした表情を浮かべていた。

僕はそんな千葉に、一から淡々と説明をし始める。

 

「……喫茶店のマスターが黒い服と言ったのは、変色した調光レンズのサングラスで強盗犯を見たからなんだ。……そして女の子が180以上と言ったのは、強盗犯が人込みを避けて縁石の上を走ったから。……黒い服と180以上という証言を除いて、その二人が見た強盗犯の特徴を照らし合わせると、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「ッ!!」

 

そこまで僕が言った瞬間、紙枝さんの眼は大きく見開かれ、顔じゅうから汗がダラダラと流れだしてきたのが見えた。

そんな紙枝さんに向けて伊達さんがニヤリと笑いながら口を開く。

 

「つまり、紙枝さん。……アンタの特徴とぴったり一致すんだよ」

「で、でも伊達さん……。公園前で強盗犯とぶつかった老人の証言では、青い服の女だったと……」

 

千葉が伊達さんにそう言うも、伊達さんは毅然とした態度でそれに答えた。

 

「ああ、だがな千葉。忘れちゃいねぇか?その証言をしたのが『老人』だってことを」

「……?」

 

伊達さんの言っている意味がいまいち理解できていないらしく、千葉は首をかしげると俯きながら考える仕草をする。

しかし、すぐに()()に気が付いたのかハッと顔を上げた。

 

「そ、そうか!『老人』か!……確かに老人なら、()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

「ああ。昔の人は、藍色も水色も緑も……ひっくるめて『青』と言ってたからな!」

 

僕が千葉の言葉にそう答え返すと、今度は紙枝さんの腕をつかんでいる伊達さんが彼を見ながら口を開いた。

 

「そういうこった。そんで、塾の先生をやってるっつーアンタの事を高木から聞いて直ぐにピンと来たぜ。……授業中、生徒に時間を気にさせない工夫をしているのなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ってな。……でなきゃ自分もいつ、授業を終わらせればいいか分かんなくなっちまうしよ」

 

そう言いながら、伊達さんは紙枝さんの顔から自身が掴んでいる彼の腕へと視線を移す。

そこには()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

伊達さん同様にそれを見た千葉は思わず声を上げる。

 

「なるほど!あの老人は、強盗犯が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

「ああ!……恐らく授業を行う度に付けかえるのが煩わしくなっちまって、そんで普段からそう付けるようになっちまったんだろうなぁ」

 

千葉にそう答える伊達さんの言葉を耳にしながら、僕は紙枝さんを見据えながら言葉を紡ぐ。

 

「……つまり、あの目撃者三人の証言は全て、アナタがコンビニ強盗犯だと言っているんですよ。紙枝さん……!」

「――ッ!!」

 

ぴしゃりとそう断言した僕の言葉に、紙枝さんは返す言葉も出ないようであった――。

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:三人称視点。

 

 

「残り、十分を切りました。……どうやら、賭けは僕の勝ちのようですね」

「…………」

 

視線を腕時計から美和子へと移動させた白鳥がそう言いうも、美和子はそれに答えず自身の携帯に無表情で視線を落として俯いたままであった。

しかし、白鳥は黙ったままの美和子に穏やかな口調で言葉を続ける。

 

「そんな怖い顔しないでください。直ぐに結婚しろとは言いません。貴女の気持ちの整理がつくまでずっと待ち続けるつもりです」

「え……?」

 

白鳥のその言葉が予想外だったのか、美和子は顔を上げて驚いて白鳥を見上げる。

そんな美和子に対し、白鳥は美和子に真っ直ぐに視線を向けて真摯に言葉を吐き続ける。

 

「僕はいつでも、貴女の味方ですから」

「白鳥君……」

 

そう言ってニッコリと微笑む白鳥に美和子はどう答えていいか分からず、ただ彼の名を響くだけで終わる。

 

――すると、唐突に美和子に携帯から着信音が鳴り響いた。

 

「「!」」

 

それに反応して美和子と白鳥が同時に目を見開く。

驚いた美和子だったが慌てて直ぐにその電話へと出る。予想通り、その電話の主は高木であった。

 

『――ああ、佐藤さん?高木です!たった今、コンビニ強盗犯を確保しました!……水都楼、でしたっけ?その料亭、ここからわりと近いんで今から五分くらいでそっちに――』

「――だったらさっさと迎えに来なさいよ!全くもう!!」

 

わりと呑気な口調で喋る高木に苛立ちを覚えた美和子が彼に向けてそう怒鳴る。

すると、高木はさっきとは一変して不思議そうな口調で美和子に向けて電話で尋ねてきた。

 

『あ、あの……行く前に一つ聞いてもいいですか?』

 

「何よ?」と、まだ少し苛立ちが残る口調で美和子がそう聞き返すと、高木は意を決して彼女に問いかけた。

 

『……どうして、僕なんですか?』

「え?」

『どうして僕なんかを信じて、そんな大事な賭けにOKしたんですか?』

 

高木のその問いかけに美和子は一瞬言葉を詰まらせる。

正直な所、それについては美和子自身も良く分からないのだ。

ただ『今』の美和子にとって、お見合いを破断にさせ、この窮地を助けてくれる相手に一番最初に思い浮かんだのが他でもない、高木だったからとしか言いようがなかった。

 

それが()()()()()から来るモノだということに美和子自身が気づくのは、もう少し先の事である――。

 

「あ、アナタならきっと……迎えに来てくれると思ったからよ。悪い?」

 

自分自身、良く分かっていない気持ちを誤魔化すように美和子がそう答えると、電話の向こうで高木がぎこちなく声を震わせる。

 

『あ、あのぅ……つまり、それは、その……も、もし、もしかして、さ、佐藤さん、は……あの……つ、つまり、その……ご、の…………――』

「…………」

 

緊張しているのが丸分かりな高木のそのたどたどしい言葉に、美和子は黙って耳を傾け続ける。

いつもならはっきりと言いたい事も言えない相手には苛立ちを覚える彼女であったが、今回に限っては珍しくそのような感情は湧き上がる様子が無かった。それどころかむしろ、高木の言葉の続きに『何か』を期待しているという節が彼女の中にチラついていたのである。

 

『――……ぼ、僕の事を――』

 

意を決して『それ』を言おうとする高木に、美和子の期待はより一層膨らむ――。

 

――だが、それよりも先に思いもよらないアクシデントが起こった。

 

『きゃあッ!!?』

「!?」

 

電話の向こうで唐突に女性の悲鳴が響き渡り、直後に()()()()()()や聞き慣れない声の怒号が交互に美和子の鼓膜を打ち震わせた。

 

「ちょっと!どうし――」

 

向こうで何が起こったのか理解が追い付かず、電話越しに高木に向けて声を上げようとする美和子。

だがそれよりも前に、携帯から発された叫び声に、美和子の顔が瞬時に凍り付く――。

 

『ガッッ!!?』

『――あ、ああッ!!……だ、伊達さぁん!!!???

 

電話の向こうで伊達の短い悲鳴と高木の驚愕の声がほぼ同時に重なって轟いた――。




最新話投稿です。

すみません。遅くなりました。
次回が『本庁の刑事恋物語4』の最終話となります。


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番外:『本庁の刑事恋物語4』(収束編)

誤字報告、及び感想ありがとうございます。


SIDE:伊達航

 

 

時間は事件が解決し、高木が佐藤に犯人確保の知らせを伝えるために電話をかけた所まで(さかのぼ)る――。

 

「……あっちの方も何とかなりそうだな」

 

被疑者が紙枝と特定した後、その報告をするためにいったん車から降り高木は、携帯で佐藤へと電話をかける。俺はその後姿を静かに見据えてポツリとそう呟いていた。

事件も解決し、佐藤のお見合い騒動も終止符が打たれると思うと俺は内心ほっと胸をなでおろす。

ぶっちゃけ俺もまた、事件を捜査している間も内心ではずっと美和子のお見合いの行く末を気にしてはいたのだ。

俺には直接関係無いにせよ、佐藤(アイツ)は俺にとって大事な後輩であり仲間であることには変わりないし、それに相手が白鳥であるにせよ俺も愛する妻を持つ身であるため、こんな勝負事で佐藤(アイツ)の未来が決定しちまうのはどうにも釈然としなかった。

だからこそ、時間内に事件が解決できた今の状況に心底安堵している。

 

(おっと、ヤベヤベ。ぼんやりしてる暇はねぇ。さっさと紙枝に手錠(ワッパ)をかけて連行しねぇとな)

 

ハッとしてそう思った俺は未だに俺に腕を掴まれて項垂れたまま後部座席に座る紙枝を見下ろす。

その反対側では、千葉が後部座席のドアを開けて「ご協力、ありがとうございました」と言いながら座間と水越の二人を車から降ろして解放しようとしていた。

俺はそれをチラリと見た後、紙枝を捕まえている方とは反対側の腕で手錠を取り出そうとする。

しかし、その手は杖で塞がれているため、俺はいったん杖を車体に立てかけて改めて手錠を取り出そうとし――その瞬間、またもやトラブルが起こった。

 

「ッ!!」

「あッ!?てめッ!!」

 

手錠を取り出そうとした俺の一瞬の隙を突き、紙枝が俺の腕を振りほどき、続けざまに腹部に蹴りを入れてきたのだ。

 

「ごはっ!!」

 

突然の出来事に防御する余裕も無く、俺はその蹴りをもろに食らって後方へとよろける。

杖を持っていなかったため踏ん張りがきかず倒れそうになるも、直ぐにデバイスのスイッチを『全力モード』に切り替えて再度踏ん張りを取り、倒れそうになる体を正す。

そしてすぐさま視線を紙枝のいる車の方へ戻すと、奴はそのまま車を降りて逃走しようとはせず、なんと座間と水越が降りた反対側から二人と一緒に出ると、先に出ていた水越を背後から羽交い絞めにしたのだ。

 

「きゃあッ!!?」

 

突然の事に思わず悲鳴を上げる水越。

 

「なっ!?」

「オイ、お前!何をやっている!?」

 

それをそばで見た座間は目を見開き、千葉も驚愕と動揺を入り混ぜた表情をしながらも紙枝に向かってそう叫ぶ。

俺は千葉達のいる車の背後へとすぐさま回り込むと、水越を羽交い絞めにする紙枝へと近づく。

 

「クッ!!」

 

しかし、それに気づいた紙枝は俺に向けて水越を思いっきり突き飛ばしてきた。

 

「ああッ!?」

「クソッ!!」

 

突き飛ばされて大きくよろける水越を俺は悪態をつきながらとっさに支える。

だがその瞬間、またもや非常事態が起こる――。

よろめいて何とか無意識にバランスを取ろうとする水越の両腕が空を切り、その内の一方の手の指先が、運悪く俺のデバイスのコードに絡まったのだ。

そして、俺が水越を支えた瞬間、それが引っ張られる形となり――。

 

「ガッッ!!?」

 

ほぼ同時に耳の後ろのコードと頭部が繋がっていた部分に痛みが走り、あっという間に俺の意識の大半が吹っ飛ぶ。

 

「――あ、ああッ!!……だ、伊達さぁん!!!???」

 

視界が霞み、ぼやけていく中、やけに遠くの方から高木の驚愕に叫ぶ声が微かに耳に入った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:高木渉

 

 

突然起こったその光景に僕は一瞬呆然となる。

 

伊達さんの手を振りほどき水越さんを羽交い絞めにした紙枝さんは、近寄って来た伊達さんに向けて水越さんを突き飛ばした。

すると、水越さんとぶつかった伊達さんは何故か予想以上のダメージを受けたかのように驚愕に表情を凍らせると、そのまま水越さんに押し倒される形で地面へと倒れ込んでしまった。

突然の事に何が起こったのか理解しきれないままその場に立ち尽くす僕と千葉と座間さん。

そんな状況にもかかわらず逃走を図ろうと走り去って行く紙枝さんの後姿が僅かに視界に入った。

 

「ッ!待てッ!!……ッ、クソッ!伊達さん……!!」

 

同じように逃げていく紙枝さんに気づいた千葉も慌てて追おうとするも、伊達さんの事も気になりそちらへと駆け寄る。

僕もそれにつられる形で伊達さんへと駆け寄った。

顔を覗き込むと伊達さんは顔じゅうから脂汗を垂れ流しており、今にも意識を失いそうな表情をしているものの、何とか気力のみで意識を繋ぎとめていると言った様子であった。

 

「伊達さん!一体、どうしたんですか!?」

 

そう問いかけた僕の声に答えたのは、伊達さんでは無く伊達さんに覆いかぶさっていた水越さんだった。

 

「……わ、私、突き飛ばされた時、この刑事さんの耳から垂れているコードに指が絡まっちゃって……」

「何ですって!?」

 

伊達さんから体を起こした水越さんがおろおろとしながらそう呟き、それを聞いた僕は慌てて伊達さんの耳へと視線を向けた。

すると伊達さんの左耳の後ろからぽたぽたと血が数滴落ちてきているのが目に入る。

 

――それを見て、僕は伊達さんからデバイスが外れてしまった事にすぐさま気がついた。

 

『脳機能補助デバイス』は伊達さんの命の綱だ。損傷してしまった脳の機能を助ける機械。それは伊達さんにとって脳や心臓と同じように大事な体の一部に違いは無い。

今まで現場に出る度に、伊達さんはデバイスが壊れないようにと心掛けてはいたが、まさかこんな形でそれが起こってしまうとは。

 

「と、とにかく早く『米花私立病院』に……!」

「それは俺がやっときます!高木さん、早くしないと犯人が……!」

 

慌ててそう言いながらカエル先生に電話をしようとする僕に、千葉がそう言って携帯を取り出す。

その言葉に僕は紙枝さんの方へと振り向くと、奴はもう既に米粒大の大きさに見えるまでに小さくなっていた。

 

「あっ……で、でも……!(時間が……ッ!!)」

 

犯人と佐藤さんと伊達さん。この三人の間に板挟みにされる形となり、どうすればいいのか分からず僕の脳内はパニックをしかける。

しかしその時、僕の手に持った()()()()()()()()から冷静かつ芯の通った女性の声が響いた。

 

『……高木君』

「……え、さ、佐藤さん?」

 

佐藤さんの声を聞いた瞬間、僕は無意識に携帯を耳に当てていた。

そしてそれとほぼ同時に、目の前に倒れる伊達さんの口が唐突に動き始める。

 

――電話口の佐藤さんの声と伊達さんの声が僕の耳の中で重なり合った。

 

『……アンタねぇ――』

「タカ、ギ……チバ……ッ――」

『――あたしとコンビニ強盗……どっちが大事なのよ?――』

「――オレ、ニ……カマ、ウナッ……!――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『追えッ!高木ッッ!!』

「追エッ!……テメェラッ……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「は、はいッ!!」」

 

電話口の佐藤さんと必死に口を動かして片言ながらも必死に声を上げる伊達さん。

二人に発破をかけられ僕と『米花私立病院』に連絡を入れ終えた千葉は同時に立ち上がる。

 

そして冷めやらぬ激昂に押されるがままに紙枝を追って全力で駆け出していた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

『はぁ~っ』

 

襖の向こうで佐藤刑事の大きなため息と携帯を切る音が俺たちの耳に届く。

会話の内容から、どうやら犯人は特定できたもののその犯人が逃走したらしい事が理解できた。

それを知って俺を含めたその場にいる全員が落胆に肩を落とす。

すると突然、そばで一緒にその会話を聞いていた佐藤一課長がすっくと立ちあがり、足早に部屋の外へと向かい出した。

 

「……え?佐藤一課長さん、何処へ……?」

 

それに気づいた蘭がすぐさま佐藤一課長へ声をかけるも、それに気づいていないのか佐藤一課長は歩みを止める事無くそのまま部屋を出て行く。

突然の事に残された俺たち四人はポカンとなって佐藤一課長が出て行った廊下を見つめる。

すると今度は襖の向こうの白鳥警部の声が俺たちの耳に入って来た。

 

『良いんですか?今から被疑者を追跡していたんじゃ、とても……』

『ま。こうなる運命だったと諦めるわ。……勝手に高木君を賭けの対象にした(バチ)が当たったのかもしれないし』

 

佐藤刑事がそこまで言った直後、畳から立ち上がる音が聞こえると、再び佐藤刑事の声が力強く響いて来た――。

 

『……でも、賭けは賭け。さっさとおっぱじめましょうか。……その、誓いの何とやらを』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:高木渉

 

 

「どりゃあーッ!!」

「うあぁぁぁッ!!」

 

空の茜色が深まる中、僕は現場からだいぶ離れた河川敷でようやく紙枝を取り押さえることが出来た。

紙枝の後ろから覆いかぶさるように捕まえ、そのまま押し倒すと、僕と紙枝は仲良くそろって河川敷の土手を転げ落ちる。

そうして土手の下まで転げた所で、僕は手錠を取り出して紙枝の両手にそれをしっかりとかけた。

 

「ハア……ハア……!16時56分、被疑者確保。はぁ……」

 

上がっていた息を整えながら腕時計で時間を確認すると、僕は紙枝の上からどいてその横へとへたり込んでいた。

そうして大きくため息をついた時、うつ伏せで倒れたままの紙枝がすすり泣きながら呟き始めた。

 

「うぅ……か、金が……金が欲しかったんだ。……しつこく付きまとう、女に渡す手切れ金が……!」

「ったく……。(泣きたいのはこっちだよ……)」

 

そんな紙枝を一瞥して小さく悪態をついた僕は、日が沈み落ちて朱に染まるだけとなった空をぼんやりと仰ぎ見る。

 

「あーあ……。随分離れちゃったなぁ……。水都楼から……」

 

もう今から急ぎ向かった所で間に合わないだろう。

僕は諦観と無力感に打ちひしがれながら「もう、無理か……」と一人寂しく朱から宵闇へと変わっていく空を眺め続けた。

するとそこへ、ようやく息を荒げながら千葉が走って追いついて来る。

 

「高木さん!ハア、ハア、ハア……!やりましたね、高木さん!」

 

息を整えながら犯人確保に称賛の声を上げる千葉だったが、僕はそれに対して切なく否定する。

 

「いんや……。逃げられちゃったよ。……本当に確保したかった、大切なホシにはな……」

 

そう寂しく響いた僕の言葉が空へと溶けて消える。

さぁ、さっさと紙枝を連行しよう。そう、気持ちを切り替えようとした瞬間、千葉が僕に向けて予想外な言葉を放って来た。

 

「……高木さん。署には僕が連れて行きますから、高木さんは行ってください……!」

「……千葉?」

「アンタ刑事だろ!?刑事なら刑事らしく、時効ギリギリまでホシを追い続けろよ!高木!!」

 

予想だにしなかった千葉からの突然の激励に、僕は驚きに目を丸くする。

それと同時に諦めかけていた『想い』が自分の中で沸々と再燃していくのを僕は確かに感じ取った。

 

「千葉、お前……」

 

僕が千葉に向けて声をかけようとした丁度その時、僕たちの元に向けて遠くから()()()()()()()が近づいてくるのが耳に入った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:三人称視点。

 

 

「ほら、どうしたの?さっさとやっちゃいなさいよ。……こっちはとっくに準備OKよ!」

「OKって……(顔が、嫌がってる)」

 

向かい合ったまま微動だにしない白鳥に、美和子は強気にそう声を上げるも、それに対する白鳥からは美和子の両目に大粒の涙が溜まっているのがありありと見て取れていた。

そんな顔を見たせいか白鳥はそのままキスをする事はせず、彼女をそっと抱きしめる。

 

「……大丈夫ですよ、美和子さん。しばらくこうして、気を落ち着けてください。……もう、僕たちを遮るものは何も無いんですから」

「あ……」

 

白鳥からの思いもよらぬ抱擁(ほうよう)に、美和子は戸惑いの声を上げる。

 

そんな二人の姿を襖の隙間からコナン、蘭、園子、新出の四人は静かに見守っていた。

 

「……いよいよチューよ、チュー!」

「……あ、アタシ止めて来る」

「え?ちょっ、何言ってんのよぉ!?」

 

やや高揚した面持ちで顔を赤らめてそう言う園子に対し、蘭が顔を険しくさせながら美和子と白鳥を止めようと腰を浮かせる。

それを見た園子は慌てて蘭の肩を抑えてそれを止めようとしているのを横目に、コナンは隣に立つ新出に声をかける。

 

「ねぇ、新出先生」

「ん?」

「ちょとちょっと……」

「???」

 

手招きをして部屋の外へと向かうコナンに、新出は首をかしげながら付いて行く。

そして廊下に出ると新出はしゃがんでコナンと目線を合わせると声をかけた。

 

「何だい?コナン君」

「うん、あのね……」

 

そう言いながらコナンは新出に何かを耳打ちしようとするそぶりを見せ、それを見た新出も流れるままにコナンへと耳を傾ける。

しかしコナンは新出の耳に何事かを囁こうとし――その隙を突いて新出から眼鏡を奪い取っていた。

 

「えっ?あっ!こ、コラッ!待ちなさい……!」

 

一瞬遅れて眼鏡を取られたことに気づいた新出は、眼鏡を持ったまま走り出すコナンを慌てて追いかける。

そうして新出に追いかけながら美和子と白鳥のいる部屋までやって来たコナンは、自分を捕まえようとする新出の手をひらりと回避する。

回避された新出はそのままバランスを崩し廊下に手をついて蹲る格好となる。

それを見たコナンは上を向く形となった新出の背中に素早く足を乗せ、そのまま新出を台替わりに力を入れて大きくジャンプすると、障子の上の欄間(らんま)に新出の眼鏡をひょいっと置く。

 

「……え?」

 

その突然の行動に、新出は廊下へと静かに着地するコナンを終始ポカンと見つめていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:佐藤美和子

 

 

「さぁ、間もなく日没です。……落ち着きましたか?」

「ええ……」

 

私を抱擁から解放すると白鳥君は優しくそう語り掛け、それに私は静かに頷く。

そうして白鳥君の顔を見つめながら、私は()への『想い』にようやく気付けたことを実感していた。

 

(気づかなかったなぁ……。私の中でいつの間にか、(高木君)がこんなに……大きくなってたなんて……)

 

……でも、気づくのが遅すぎた。状況はもう、後戻りできない所まで来ている。

 

(……こんな事に今頃気づくなんて……刑事失格ね……)

 

覚悟を決めた私はそっと目を瞑る。

 

「…………」

 

それを見て何かを察したのか、白鳥君の方は何も言ってくることは無く、代わりに私の両肩にそっと手を置く。

私は目を閉じたままであったが、直後に彼の顔がゆっくりと私に近づいてくるのを気配で感じた。

 

(止めるのに丁度いいわ……)

 

諦観(ていかん)の念を抱きながら、その流れに身を任す。

やがて私の唇に白鳥君の吐息がかかる。()()()()()()()()()()()

 

(バイバイ……高木君……)

 

目尻に涙を浮かべて思考すらも止めようとした――。

 

 

 

 

 

 

――その瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――佐藤美和子警部補!」

「「!!」」

 

力強く響いたその声に、私も白鳥君も驚き、どちらともなく反射的に体を放して声のした廊下側の障子戸へと目を向ける。

 

――するとそこには、今か今かとずっと待ちわびていた(高木君)()()()()()シルエットが障子戸にくっきりと映し出されていたのだ。

 

「休暇中の所、申し訳ありませんが!事件です!応援に来ていただけませんか!」

「た、高木君!?」

 

障子越しにはきはきとそう声を上げる彼に私も思わず声を上げる。

もう絶対に間に合わないと思っていた高木君の登場に、私も白鳥君も唖然となっていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:三人称視点。

 

 

唐突な高木の登場に反応したのは、何も美和子と白鳥の二人だけではなかった。

隣の部屋の陰から様子をうかがっていた、蘭と園子もまた然りでる。

 

(来たー!高木刑事……!)

(チッ!いい所だったのに……)

 

高木が間に合った事に蘭は心からホッと胸をなでおろし、反対に園子はつまらなそうに顔をしかめた。

そんな彼女たちが見ている事に最後まで気づない美和子は、慌てて高木のいる廊下の障子に手をかけて開ける――。

 

「高木君!……え?」

 

――しかし、そこにいたのは高木では無く、()()()()()()()新出と蝶ネクタイを持って()()()()()()()()()()()()()()()()()()コナンの二人であった。

 

「……え?……えぇ???」

 

高木では無く何故かこの料亭にいる二人が立っていた事に理解が追い付かず、美和子は視線をコナンと新出へ交互に交わし続ける。

何が起こっているのかまるで分らなかったが、とりあえず美和子は二人の内、比較的面識の深いコナンへと声をかける事にした。

 

「こ、コナン君?」

「……あ、えと……高木刑事なら……」

 

美和子に声をかけられ、ハッとなったコナンは慌てて答えようとするも、それに答えたのはコナンではなく新出だった。

 

「高木刑事ならたった今、そこの廊下を走って玄関の方へ行かれましたけど」

「もう!なんなのよぉ……!」

 

さっきまでとは一転して落ち着いた口調でそう言った新出の返答に、高木に置いて行かれてしまったと思った美和子は悪態をつき、急ぎ玄関へと走りだす。

 

「……あら、美和子」

「あっ、お嬢様?」

 

丁度その時、美和子の母と鴨居が待機していた部屋から戻って来るも、美和子は二人の存在に気づく事なくすれ違い、玄関の方へと消えて行った。

 

――そうして、それを見届けたコナンは、振り返ってそこに立つ新出を見上げる。

少々、複雑そうな視線を向けて来るコナンに、新出は何も答えず代わりに二ッと笑いかけてウィンクを彼にして見せていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:高木渉

 

 

「はい……はい……。分かりました。ありがとうございます、()()()()()

 

僕がカエル先生との電話を終えて携帯を切った瞬間、()()()()()声がかかった。

 

「伊達君の容体は何と?」

「大丈夫です、命に別状はありません。デバイスが外れかかっただけですので翌日には普通に仕事復帰できるとおっしゃってました」

「そうか、それはよかった」

 

報告を僕から聞いた()()()()()()、ハンドルを握ったままホッと胸をなでおろした。

それを見た僕もつられて安堵の笑みを浮かべる。

 

(……しっかし、まさか佐藤さんの父親である一課長が直々に僕を車で迎えに来るとは夢にも思わなかったなぁ)

 

――あの時、千葉からの激励を聞いた直後に、一課長が車に乗ってやって来たのには本当に驚いた。

突然の事に理解が追い付かずにいる僕を「いいから早く乗りなさい!」と、怒鳴りながら一課長が無理矢理僕を車に押し込んだのも記憶に新しい。

車を水都楼まで飛ばしている最中(さなか)に一課長から聞いた話だが、紙枝を追いかける際に僕と千葉に置いてけぼりを食らわされた座間さんと水越さんは、一課長が電話で近くにいた警官たちを応援に向かわせ、責任を持って二人を家へと送り届けてくれたらしい。

あの二人には千葉と一緒に、後日お詫びに行かないとなぁ。と思うと同時に、()()()()()()()()()()()()()へと意識を集中させる。

 

――そう、佐藤さんのお見合い話だ。

 

「……お見合いの方、どうなってるんでしょう?」

「分からん。もうすぐ着くが、時間がギリ過ぎてしまっている……。まだ間に合う事を祈るしか……ん?」

 

不安げに呟く僕の言葉に、一課長も曇り顔でそう呟く。しかしその途中、『何か』に気が付いた一課長が目を見開き、同時に車のスピードを落とし始めた。

何事かと、僕も一課長の視線の先を追うと、目視できるくらいにまで見えてきた水都楼の玄関から、誰かが飛び出してくるのが見えた。

目を凝らしてその人物を凝視した瞬間、僕は驚いて声を上げていた。

 

「さ、佐藤さん!?」

 

僕がそう言った直後に、一課長はブレーキを踏んで車のスピードを急速に落とす。車は佐藤さんの真ん前に停車した。

僕が助手席にいる事に真っ先に気づいた着物姿の佐藤さんは助手席側に回って来る。それを見た一課長は直ぐに助手席側の窓を開けた。

 

「高木君、車を取りに行ってくれてたのね!感心感心……って、なんで運転席にお父さんが座ってるのよ?」

 

開口一番に弾んだ声でそう言って来た佐藤さんだったが、運転席に座る父親である一課長の姿を目にした瞬間、今更ながらに「何で?」とばかりに首を大きくかしげる。

一課長の方も同様に自身の娘を見ながら「はぁ?」と言わんばかりに首を大きくかしげた。

仕草がまるで一緒。やっぱり親娘(おやこ)だ。

 

「まぁいいわ!それよりも……高木渉巡査部長!

「……へ?あ、はい!?」

 

突然、佐藤さんから真剣な口調で名前を呼ばれ、僕は混乱しながらもそれに返答する。

そして、それを聞いた佐藤さんは――。

 

「……『事件』なんでしょう?さっさと行くわよ!」

 

――さっきとは打って変わって口調を和らげながら続けてそう言って来た。

『事件』、という単語を聞いて僕はハッとする。

 

それは当初、佐藤さんをこの料亭から連れ出す時に、その口実として使おうとしていた言葉だ。

 

僕は安堵の笑みを浮かべながら、運転席に座る佐藤一課長と目を合わせる。

一課長も佐藤さんの言葉を聞いて全てを察したようで、僕と一緒で安堵の笑みを浮かべていた。

そんな僕たちを佐藤さんは不思議そうな目で見つめる。

 

「ちょっと、二人して何顔を見合わせてるのよ?」

「へ?あ、いやぁ……」

「それよりも早く行きましょう?……お父さんはどうする?一緒に行く?」

 

僕が何か言うよりも先に、佐藤さんは父親である一課長に向けてそう尋ねる。一課長は少し考えるそぶりを見せた後、小さく首を振った。

 

「いいや。私は母さんを家に送らなければならないからね。……お前たちだけで先に行っててくれ」

「そう?分かったわ。んじゃ、行きましょうか高木君!」

「は、はい!」

 

佐藤さんの言葉に僕は強く頷く。

そうして、一課長と入れ違いに振り袖姿の佐藤さんが運転席に座るとすぐさまアクセルを吹かして車を発進させる。

 

――僕と佐藤さんを乗せた車は見送る一課長を後に夜の街へと瞬く間に消えて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

高木刑事と佐藤刑事を乗せた車が夜の街へと消えていくのを、それを見送る佐藤一課長の背後で俺も静かに見つめていた。

 

(ついつい……肩入れしたくなっちまうんだよなぁ。……この手の事に、奥手で不器用な二人を見てると……()()()()()()()()()()()()()()()……)

 

去って行った高木刑事と佐藤刑事の二人を、()()()()に重ね合わせながら、俺はそんな風に物思いにふける。

すると、背後にある水都楼の玄関から大きく肩を落として出て来る白鳥警部と警部を支えるように付き人らしき老人が出てきた。

 

「はぁ~っ……」

「坊ちゃん……」

 

結局、佐藤刑事に逃げられる形となったため、白鳥警部は盛大に大きなため息をつき、付き人の老人はその傷心を労わるように白鳥警部に優しく声をかける。

 

(……ハハッ……白鳥警部には悪いけどな……)

 

俺はそんな二人を見ながら、少々申し訳なく苦笑を浮かべた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:毛利蘭

 

 

トイレに行った新出先生を残して、私と園子は一足先に水都楼から出て来る。

玄関先では大きく肩を落とした白鳥警部とそれを労わるようにして声をかけている付き人らしきお爺さん。そして、佐藤一課長さんとコナン君が立っていた。

その場に高木刑事や佐藤刑事がいない事と、ついさっき車のエンジン音が遠のいていくのが聞こえていた事から、あの二人は一緒に車に乗って出て行ったのだと自ずと察しがついた。

未だに「もうちょっとだったのに……」と隣でぼやく園子に苦笑を浮かべながら、私はこのお見合いが破談になった事に心底安心する。

 

(それはよかったけど……結構、遅い時間になっちゃったなぁ……。お父さん、お腹すかせて待ってるよね?)

 

すっかり暗くなった空を見上げながら、私はぼんやりとそんな事を思う。

帰ったら絶対お父さんから文句を言われるなぁ。

そんな事を考えながら視線を空から下した時、視界の端で何かが僅かに動くのを捉える。

 

「?」

 

何だろう?と思い、半分無意識にその動くモノへと視線を送っていた。

私たちがいる水都楼の玄関先――そこから少し離れた路地の曲がり角付近に誰かが立っているのが見えた。

もう辺りは薄暗くなっており、その人の姿は見えにくくなってはいたが、それでも私は目を凝らしてその人をジッと見てみる。

 

(――え?あの人……)

 

その人の姿をおぼろげに認識した瞬間、私は僅かに目を見開いた。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。……その人が路地の陰から私たちのいる水都楼へとジッと視線を向けていたのだ。

一瞬、不審者だと思ったが、私はその男性から目を離せずにいた。

というのも、その人を見た瞬間、何故だが私の中で()()()()()()()()()()()()

 

(……あの人確か……確か前に……()()()()()()……)

 

私がそこまで考えた瞬間、ふいにその男性と視線が合ったような気がした。

反射的に小さく息を呑む私。すると突然、隣に立っていた園子が私に向けて声をかけていた。

 

「ちょっと、どうしたのよ蘭?ボーっとしちゃって」

「え?あ、うん。ちょっと……」

 

曖昧な言葉で濁しながら、私は園子に向けた視線をもう一度男性のいる方へと向ける。

 

しかしその時には男性の姿は影も形も無く、人気のない静かな路地の風景だけがそこにあるだけだった――。




最新話投稿です。

すみません。前回、今回の話が最終話と書きましたが、この話の後日談的な話を次回書こうと思っております。
文章が短めになるとは思いますがそれが終わり次第、次のエピソードを書いていく予定です。


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番外:『本庁の刑事恋物語4』の後日談

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。


SIDE:佐藤正義

 

 

「はぁ~っ、美和子ったら結局ダメだったってわけね。白鳥さんならあの()にぴったりだと思ったんだけど……」

「ははっ……あの娘自身がそれを拒んだんだから仕方ないさ」

 

水都楼で白鳥君と鴨居さんの二人と別れた私と妻は、その足で水都楼の駐車場に停めてある()()()()()()の元へと向かっていた。

 

今日、水都楼へやって来た時、私と美和子はそれぞれ別々の車でやって来ていたのだ。

 

警察官と言う職業柄、休日中とはいえ事件などで呼び出されることも少なくない。そう、狂言だったとはいえ今回のようにだ。

それ故に何かあった時のために、妻を家に送るための車と仕事場に直行するための車――すなわち私と美和子の車の二台で水都楼へと来ていたわけだ。

そしてついさっき、その内の一台は美和子と高木君を乗せて行ってしまったため、私たちは必然的にもう一台の車へと向かっている。

 

水都楼の駐車場に着くと、設置されている外灯に照らされてぼんやりとだがやけに目立つ赤い色をした車が目に入る。

――()()()()()使()()()()()、美和子の現・愛車――マツダ・RX-7がそこにあった。

 

(……この車に乗るのも久しぶりだなぁ)

 

私はそう思いながら、妻と共に車に歩み寄る。

まさかこの一件の流れで、高木君を水都楼に送るためだけに使った()()()()()使()()()()()()()、そのまま美和子が高木君と一緒に行くとは夢にも思わなかった。と、私は内心苦笑する。

結果的には計画通りの結末にはなったものの、その行程は行き当たりばったりと言われてもおかしくは無い何ともお粗末なモノになってしまった。

 

(……だが、そんなバタバタとした状況でも運転席から乗り換える際、ちゃんと忘れずに()()()()()()()()()()()()のは、流石我が娘だ)

 

でなければ今頃、私は妻と一緒にタクシーを拾って帰り、美和子のこの車は一晩中この駐車場に置きっぱなしになってただろう。

 

私はそんな事をぼんやりと考えながら、車の鍵を開けて妻と一緒に乗り込む。

そうして運転席に座った私は、ハンドルに手をかけた。

 

(……うん、懐かしい乗り心地だ)

 

シートやハンドルの感触に私は懐古の念を抱く。

思えば美和子にこの車を譲ってからどれくらいの時が経ったのだろう。

 

……そう、あれはもう10年以上前になるだろうか。

当時、私は日夜警察官として仕事に勤しんでいる最中、ある日警部から警視へと昇進が決まったのだ。

それを知った妻や娘はもちろんの事、私や妻の両親一同も大いに喜んでくれた。

すると、昇進祝いと称して私の父と母(美和子にとっては父方の祖父母)から一台の車が贈られてきた。

結構値が張ったはずなのに、よくやるなぁと当時は半ば苦笑を浮かべずにはいられなかったものだ。

とは言え、両親から祝いの品として贈られた車である。ぞんざいに扱う訳にもいかない。

それ故、今乗っている車を誰かに譲ろうかと考えていると、それを聞いた美和子が自分にその車を譲ってほしいと懇願してきたのだ。

一人娘の頼みであるため、私もそれにはすんなりと了承出来た。しかし、ここで一つ問題が起こった。

 

当時、美和子は17歳の高校2年生。普通免許が取れるとは18歳からであるため、運転免許など持っているわけがなかった。

また美和子は、18歳で免許を取ったとしても将来警察官になるつもりだからそれまでこの車には乗らないと言う。

 

私の後を追って警察官となり、私のように警察官としてこの車を仕事に使って走らせたいという思いがありありと見て取れた。

娘のその想いに、思わず感涙にむせびそうになったのはここだけの話だ。

だが、問題はそこではない。問題だったのは、自宅で車を置いておくためのスペースだ。

 

――そう、我が家が使っている駐車スペースは一台分しかなかったのである。

 

そのため、必然的に美和子が車に乗るまでそれを何処に置いておくかと言う話になって来る。

どうしたものかと頭を悩ませていたが……意外とその問題は直ぐに解決する事となった。

 

何処からその話を聞きつけたのか、私の後輩であり、今は警察学校の教官を務めている鬼塚八蔵(おにづかはちぞう)君がしばらくの間、車を預かると言って来たのだ。

この申し出に、私は恥ずかしながらすぐさま飛びついてしまった。

 

……こうして、私の愛車だった車は一時的に鬼塚君が所有する事となり、それから数年後に宣言通り警察官となった美和子は鬼塚君から返されて来たその車に乗って現場で活躍するようになった。

 

(……そう言えば預かってもらっている間、一度鬼塚君の教え子たちが何かの事件に巻き込まれたとかで結果、この車を傷物にしてしまったと……鬼塚君が土下座する勢いで平謝りして来たっけ)

 

まぁ、その時の修理費もろもろは全部、鬼塚君が持ってくれたからこちらには何も問題は無かったが。

 

(そんな事に巻き込まれたこの車も、今じゃ塗装を変えて刑事となった娘の良き相棒になってくれてるとは……)

 

紆余曲折の果てに私から美和子へと渡る事になったこの車の軌跡に感慨にふけりながら、私は車のエンジンをかけて家路へと向かう。

もう夕飯時は過ぎてしまっている。このまま緊急の用が無ければ、家で妻の作った茶漬けでも食べるとするか。

運転しながら私がそうぼんやりと考えていると、ふいに助手席に座る妻が口を開いた。

 

「……にしても美和子ったら、まさかこのまま独身を通す気じゃないわよねぇ?」

「それは……どうだろうな」

 

妻の言葉に私は言葉を濁してそう返す。実際、あの子がこれからどうしたいかなど私にも分からない。

私自身も、あの娘には心から決めた相手と連れ添って所帯を持って安心させてほしいと思ってたりもしている。あくまで個人的には、だが。

 

(……まぁ、それでと言うわけでは無いが、半ば強引に婚約とキスをしようとした白鳥君には、明日にでも()()()()()()()()()必要がありそうだがね)

 

水都楼での白鳥君と美和子のやり取りを思い出し、私はこめかみに血管を浮き立たせる。

それに気づいていない妻は物憂げに溜息を吐きながら、窓の外を流れる景色を見つめながら言葉を吐き出す。

 

「せっかく奇麗な容姿で育ったのに、このままじゃあ婚期を逃がしてしまうわ。……せめて職場にいないのかしらねぇ、あの娘が気になる相手とか……」

「…………」

 

私はそれに答える事は出来なかった。

水都楼で園子君が言った言葉が脳裏をよぎる――。

 

『え、知らなかったんですか!?最近、佐藤刑事と高木刑事の二人、結構イイ感じなんですよ?』

 

思えば仕事中でも美和子と高木君は一緒にいる事が多かった。

若い男女故に、恋仲とはいかなくてもお互いを意識しあう関係になっていたとしてもおかしくは無いのかもしれない。だが――。

 

(――美和子はもう、()()()()()()()()()()()()()……)

 

私の脳裏に、()()()()()()()()()()()若手刑事の姿が浮かび上がる。

()()()()()()()に所属していたその男性刑事と美和子は、高木君が来るまで良く仕事で行動を共にしている事が多かった。

まるで子供の精神のまま大人になったかのような彼の言動には、当初は美和子のみならず他の刑事たちからも反感を買ってはいたが、次第に美和子と彼の距離が縮まっているのを私は感じ取っていた。

それは父親としての勘から来るモノなのか、同じ職場で働いているため毎日のように二人を見ていたからそう感じたのかは、今となってはもう私自身分からない。

だが、美和子と彼がお互い意識し合っている事は間違いなかった。それは、私のみならず美和子の友人である由美君や他の刑事たちからも気づかれていた事だったから……。

 

――だが、そんな二人の仲を、()()()()()()()()によって無惨にも引きはがしてしまう事になった。

 

(……美和子は今もまだ彼の事を引きずっているように、私には見える)

「美和子……」

 

隣に座る妻の耳にも届かないほどの小さな声で、私は一人娘を案じるようにポツリと娘の名を零す。

無意識にハンドルを握る手に力が入り、車のヘッドライトが照らす道の先を見据える私の双眸がスッと細まっていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:伊達航

 

 

「ハァ~ッ……」

 

コンビニ強盗事件と佐藤のお見合い騒動から一夜明けたその日の朝。

俺は警視庁前で大きくため息をつきながら出勤していた。

犯人を突き止め、事件を解決できたのは良かったものの、最後の最後で犯人を逃がしちまうという大ポカをやらかし、高木と千葉に迷惑をかけるハメになっちまった。

 

「あれ?どうしたんですか、伊達さん」

「ん?お、佐藤か」

 

肩を落として警視庁へと入ろうとしていた所、後ろから佐藤に呼び止められた。

昨日の白鳥とのお見合い騒動の事などまるで無かったかのようにいつも通りに出勤してきた佐藤に内心「変わんねぇな」と安堵する。

 

あのコンビニ強盗事件で犯人の手によって行動不能になった俺は、千葉が呼んでくれた救急車に乗せられて『米花私立病院』へと運ばれた。

幸い、命に別状は無くただ単に俺の頭に繋がれていたデバイスが外れかかっただけであったため、入院する必要も無く直ぐに治療が終わった。

 

『いやぁ、キミがまた運ばれて来た時は驚いたけど大したことが無くてよかった。……しかし、またこんな事が起こらないとも限らないから、デバイスはまた改良する必要があるね』

 

診察室でカエル先生からそんな事を言われていると、不意に携帯にメールが届いた。

開いてみると相手は高木からで、無事犯人確保だけでなく佐藤のお見合い阻止も成功したという報告だった。

その知らせを見て俺が大きく胸をなでおろしたのはここだけの話だ。

 

「悪かったな昨日は。最後の最後で足引っ張る形になっちまって」

「何言ってるんですか。伊達さんが来てくれたおかげで事件が解決出来たんですよ?それで白鳥君とのお見合いも無くなりましたし、伊達さんには感謝してます私」

 

俺の言葉にそう答えてくれる佐藤の気づかいに少しだけ心が軽くなる。

そんな会話を佐藤としながら俺は警視庁に入り、職場へと向かう。

すると、部屋の出入り口で何故か高木と千葉が不思議そうな顔で中を覗き込んでいる光景に出くわした。

 

「……?二人とも、おはよう!」

 

首をかしげながら隣に立つ佐藤が高木と千葉に声をかけると、それに気づいた二人は俺たちの方へと駆け寄って来た。

 

「佐藤さん伊達さん、おはようございます!……伊達さん、もう体の方は大丈夫なんですか?」

 

高木にそう聞かれ、俺は問題ないとばかりにニカリと笑って答える。

 

「おう!もうすっかりいつも通りよ。……昨日は悪かったな、二人に押し付ける形になっちまって」

「い、いいえ。気にしないでください」

 

そう言ってブンブンと手を振る高木。そんな高木に俺はふと気になったことを質問してみた。

 

「そう言やぁ、高木。白鳥の奴はまだ出勤してねぇのか?」

 

佐藤が了承した事とはいえ、事件にかこつけて結婚を迫ったことに対し、俺は愛妻を持つ身として一言奴に言ってやりたい気持ちだったのだ。

だがそんな俺の心情など無用だとばかりの言葉が高木の口から出てきた。

 

「……ああ、白鳥警部ならちょっと前に佐藤一課長に腕を掴まれて何処かに連れてかれて行きましたね。……何故か一課長、笑顔を浮かべているのに目だけが全然笑ってなくて正直怖かったです」

 

……どうやら、俺が何か言う必要も無かったみたいだ。

「ははは……」と空笑いを浮かべる俺。すると、千葉がその会話に割り込むようにして口を開いて来た。

 

「そんな事よりも伊達さん、佐藤刑事。今、部屋の中で目暮警部が誰かと話をしているんですが、どうも()()()()らしく話している警部の腰がやたら低いんです。……多分、警部より上の階級の人だと思うんですけど俺も高木刑事も見た事ない人なんで、誰なのかなぁ?って思って……。ひょっとしたら、伊達さんたちなら知ってるんじゃないですか?」

「あぁん?……どれどれ?」

「ん~?」

 

千葉がそう言いながら部屋の中を見てほしそうに促してくるため、俺も佐藤も流れるままに部屋の中を覗き込んだ。

すると確かに、警部のデスクの前で目暮警部と誰かが話をしているのが見える。

こちらに背を向けているため顔は見えないが俺よりもはるかに年上の男だ。

恐らく歳は()()()()、ピンと背中は真っ直ぐに伸びているものの、白の多い頭髪は嫌でも男が老人と呼ばれてもおかしくない年齢であることが伺い知れた。

 

……ん?いや、ちょっと待て。あの後ろ姿どっかで――。

 

「あッ!!」

「……あれ?ちょっと、もしかしてあの人って……!」

 

警部と話している男の正体に思い当たり、思わず声が漏れる。

それと同時に隣で一緒に男を見ていた佐藤も男の正体に気づいたようだった。

俺と佐藤が二人して声を上げると、警部と話していた男が耳ざとく俺たちの声を拾ったらしく直ぐにこちらに顔を向けてきた。

 

「……ん?おおッ!伊達に佐藤、久しぶりじゃねぇか!!」

 

片手を挙げて気さくに話しかけてきた男に、俺と佐藤は同時に男の名前を口にする――。

 

 

 

 

 

「鮫崎のおやっさん!?」

「鮫崎警視!?」

 

 

 

 

「……おいおい、佐藤。俺ァもう警視じゃねぇぜ?」

 

驚く俺たちの前で男――鮫崎のおやっさんは苦笑を浮かべながら佐藤の言葉にそう指摘して返す。

鮫崎のおやっさんは俺たちの『元』上司であり、2年前に定年退職をした『元』警察官だ。

現役時代はまだ刑事として駆け出しだった俺や佐藤に自ら進んで教育係を買って出て、刑事としてのイロハをみっちりと叩きこまれたのは今となっては良い思い出だ。

 

「おお、伊達。事故で不自由な体になったって聞いちゃあいたが、案外元気そうじゃねぇか」

「おやっさん、今日は一体どうしてここに?こんな朝っぱらから散歩がてらに俺らの顔を見に来たって訳じゃねぇんでしょ?」

 

物珍しそうに俺の付けたデバイスを眺めてながらそう言うおやっさんに俺がそう尋ねると、おやっさんは「当たり前だろうが、馬鹿」と言いながら俺たちに向けて敬礼をしながら高らかに宣言した――。

 

 

 

「――鮫崎島治。本日付で警視庁刑事部にて『指導員』として着任する。……ま、今日からまたよろしくたのむぜ!」

 

 

 

「「ええぇっ!!?」」

 

おやっさんの言葉に目を見開いて驚く俺と佐藤。

そんな俺たちを前に、鮫崎のおやっさんはカッカと笑いながら言葉を続けた。

 

「ハッハッハ!まぁ、なんだ。……この前あったシンフォニー号の事件で刑事としての心残りは何一つ無くなったはずだったんだが、どうにも現場の空気が忘れらんなくってなぁ。んで、退職者再雇用制度と上層部にいる知り合いのコネ使ってもう一度『指導員』としてここに復帰させてもらったってわけよ」

 

そう言いながらおやっさんは懐から大きく『指導員』と書かれた腕章を取り出すとそれをもう片方の腕にポンポンと押し付けながら俺たちに見せつける。

俺は突然の事に呆気にとられながらも内心で高揚感を疼かせながら口を開いた。

 

「はぁぁ、まさかおやっさんとまた仕事をする日が来るだなんてなぁ」

「ハッハ!まぁあくまで駆け出し共の育成がメインになるんだがな。……そこにいる若僧(わかぞう)二人なんざぁ、なかなかしごきがいがありそうじゃねぇか」

「「いっ!?」」

 

そう言いながらおやっさんの視線が俺と佐藤からそばで成り行きを見守っていた高木と千葉に移動する。

唐突に視線を向けられた二人は妙な声を漏らして固まってしまった。

そんな高木たちの様子を気にせず、おやっさんは二人の顔を覗き込んで楽し気に口を開く。

 

「ほぉ~、二人ともなかなかの面構えじゃねぇか。こりゃあ、教育のし甲斐が有りそうだぜ」

「……あ~えっと、すみません。一応僕の教育係は伊達さんになっておりまして……」

「そぉかぁ。なら俺は小太りなそこのあんちゃんにすっか!」

「た、高木さぁん!?」

 

ありゃりゃ。おやっさんの言葉に高木は俺をダシに華麗に回避したが、残った千葉が完全にロックオンされちまったみてぇだ。

おやっさんに肩に腕を回されて拘束された千葉の悲鳴がその場に響く中、俺はまた賑やかになりそうだなと、そう笑みを浮かべずにはいられなかった――。




少し遅れましたが、最新話投稿です。
前回、短くなると書いておきながら本文は七千字越えです(笑)。

今回の『本庁の刑事恋物語4』は、佐藤正義と伊達航を介入させただけで原作の流れに変化はありません。
したがって軽いキャラ説明は今回はありません。

そして、最後に登場した鮫崎さんですが、この作品では『踊る大捜査線』の和久平八郎(わくへいはちろう)ポジションで活躍させていきたいと思っています。


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カルテ27:小宮山敦子

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。

今回はアニメオリジナル回で良い構成が思いつかずあえてスルーしていたエピソードに着手していきたいと思います。

オリジナル設定、増し増しでお送りいたしますので、ご容赦のほど。


……胃が痛い。

 

 

私こと小宮山敦子(こみやまあつこ)は、腹の奥底からグツグツと煮えたぎるように来る怒りと、それによって生じる胃の痛みに身を打ちひしがれていた。

私を苛んでいる極度のストレスが胃を蝕んでいるのだ。

 

その原因は既に分かっている。私の夫――小宮山泰司(こみやまたいじ)だ。

 

数十年もの間、舞台の上で活躍してきた俳優でその年季の深さから筋金入りの演技力を誇る。

しかし、人間誰しも裏の顔があるもので夫もその例に漏れない。

 

何を隠そう、俳優である夫は女にだらしのない好色家という二面性を持っていた。

 

それもいい歳をしているのにも拘わらず、ナンパ感覚で若い女にすり寄るのを周囲の目を気にも留めず平気でやっているのだから一周廻って感心すら覚えて来る。私と言う妻を持ちながら何をやっているのか。

 

……そんな女癖の悪さ故、当然『浮気』もやっている。それも今までに()()もだ。

 

一度目は私と結婚してから数年も経たずして近所に住んでいた若いOLと、二度目はとある舞台の打ち上げで行ったブティックのキャバ嬢にだ。

しかもその両方とも、私に隠す気などほとんどないかのようなずさんな隠蔽で、素人の私一人でも直ぐに夫が『クロ』だと突き止められるほどのものであった。

もちろん私は怒り心頭だったが、一度目は号泣しながら土下座して来たので夫も反省していると思って怒りの矛を降ろした――。

だが、二度目の浮気が発覚した直後、その判断は間違いだったと否応なく知る事となった。

キャバ嬢との浮気の証拠を夫に着きつけてやると夫は一度目とは全く違った、それこそ開き直ったような態度で『酒の勢いでヤッてしまったんだよ。一夜限りの過ちってヤツだ。悪いか?』とぬけぬけとそう言ってのけて来たのだ。

一度ならず二度までも。しかも今度は反省の色を全く見せない夫に私の頭にカッと血が昇る。

ふざけるな。一体この人は私を何だと思ているのか。

怒りのままに私は夫に離婚を突きつけた。が、それを聞いた夫は私を小馬鹿にした態度でこう返してきたのだ――。

 

『離婚だぁ?離婚した後お前はどうするつもりなんだ?お前の両親はもうとっくに他界してるし頼れる親類もいないからお前に帰る場所なんてない。その上、今までロクに働いた事のないお前がその歳で定職に就けるかも怪しいモンだぞ?……まあ、俺から取った慰謝料でしばらくは食いつなげるかもしれないが、それも時間の問題だな』

 

私は夫のその言葉に二の句が継げなくなった。

確かに夫の言う通り、私の両親は何年も前に亡くなっており、実家も既に人手に渡っている。

経歴も裕福な家庭で育ったのでアルバイト経験は一切無く、大学を卒業して直ぐ夫と結婚したので就職履歴も白紙同然だった。

そんな私が今の30代の年齢で一人で働いて生活するのは難しく思えてきてしまったのだ。

私の心境を察したか夫は気味の悪い笑みを浮かべながら私の肩にポンと手を置く。

 

『悪い事は言わないから離婚なんて馬鹿な真似は止めろ。なぁにお前は俺のやる事にいちいち口出しせず、黙って俺にしたがってりゃあそれでいいんだ。そうすりゃあお前は今まで通りの生活を送れる。……今でいうウィンウィンな関係を俺たちは続けられるんだよ』

 

そう言ってあざ笑う夫を前に、私は俯いたまま唇をかんで耐えるしかなかった。

情けない。情けなくて涙が出そうだ。

私が愛した夫はこんな下劣な人間じゃなかったはずなのに。

夫と私は22歳ほどの歳の差があったが、それでも私は彼に結婚を求めてしまうほどに愛していた。愛していたんだ……!!

学生時代、友人と見に行った舞台の上で汗をかきながらも熱心に演技をこなす、情熱的な彼の姿に私は瞬く間に惚れ込み、そして惹かれて行ったんだ。

 

それなのに……それなのにだッ……!

 

私の愛した夫はもはや過去の思い出にしかもういない!!

 

目の前であざ笑う愛した夫の皮をかぶった悪魔にはもはや少しも愛情など持てない!!

 

もはや……憎しみと悔しさの混ざった憎悪の眼でしか、私は見ることが出来なくなっていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――それからも夫は変わることなく、仕事の合間合間に若い女の尻を追いかける生活を続けた。

私の方も相変わらずあの男のそばで彼を支える妻を演じ続けた。……続けるしか、なかった。

 

――しかし、それもやがて限界が来てしまう。

 

私よりも若い女に次々に手を出そうとして行く夫への怒りや、その夫から私自身を女と見ずただの『置物妻』としか思われていない屈辱、そして更には夫からの被害を受けた女性や女性関係者たちからのクレームの嵐に対する苛立ちから……ついに私は胃を壊してしまう羽目になった。

 

感情が高ぶるとキリキリと痛み出す胃を必死に押さえつけ、私は今日もかかりつけの医者から処方してもらった胃薬を飲む。

そんな私を夫は馬鹿にした目で見て来るようになった。

私は大声で怒鳴りつけてやりたかったが、その都度胃が痛みだすので無理矢理にでも怒りを鎮めなければならなかった。

少し前に一度、人目をはばからず夫と大喧嘩をしたこともあったが、それももう出来そうにない。

胃の方も夫からのストレスによって悪化の一途をたどっていると医者から言われている。

もはや一生夫の悪行に目を瞑り、耐え忍ぶしかないのか。……そう思っていた時だった。

 

――ある日夫が突然倒れ、担ぎ込まれた病院で心臓の病にかかっている事が医者から宣告されたのだ。

 

それを聞いた時、私は表面的には驚き悲しむ妻を演じていたものの、その内心は飛び跳ねらんばかりに狂喜乱舞していた。

今まで散々私の事を馬鹿にしていた夫が私同様、いつ死ぬかも分からない爆弾を心臓に抱える事になったのだ。喜ばないわけがない。

 

その影響からか、持病持ちになった夫は何かあると直ぐ私や周囲の人たちに向けて怒鳴り散らすようになった。

時には理不尽な事で怒ってくることもあり、それが日に日に多くなってきていた。

しかし私はそれに怒りを感じる事は無く、むしろ夫がいつ死ぬかもしれない恐怖に怯えているのだと察することが出来、溜飲が下がる気分だった。

……まあ、それでも。女癖の悪さと俳優にかける情熱や姿勢は相も変わらずだったが。

私たち関係者相手には感情的にはなれど、舞台を見に来てくれる客やファンといった世間の人たちには一切そんな姿を見せないのは、流石は腐っても俳優と言えるだろう。

だがそんな世間との板挟みになって更に苦しんでくれれば、私も更に気が晴れる。

 

――しかし、そんな事を思っていたある日。突然、大きな転機が訪れる事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「何ですって?アナタの心臓の病気を治せる人が見つかった!?」

「ああ、そうだ。東京の米花町にある病院の医院長らしくてな。その人なら瞬く間に治すことが出来ると、担当医からお墨付きをもらった」

 

夫のその言葉に私は一瞬頭の中が真っ白になる。そんな私の様子に気にも留めず、夫はウキウキと嬉しそうに言葉を続けた。

 

「これでこの忌々しい病気とも永遠におさらばできる。……思う存分、昔みたいに舞台に専念できるようになる!」

 

嘘をつけ。お前が専念したいのは女アサリの方だろ。

そう叫びたくなる衝動を私はグッとこらえる。

 

「……よかったわね」

 

皮肉をふんだんに込めてそう絞り出すように呟いた私。

そんな私の心情を察したのか、夫は私を馬鹿にしたような顔で口を開く。

 

「フン!何だったらお前もその先生に胃を診てもらったらどうだ?治してしまえばそのひねくれた性格も少しはマシになるだろう」

「ッ!……大きなお世話よ!!」

 

カッとなった私はそんな捨て台詞を残して足早にその場を後にする。

 

憎い。悔しい。苛立たしい。

 

私の中で負の感情がごちゃ混ぜになり、それが大きな殺意へと膨らんて行く。

 

死んでほしい。今すぐこの世から消えてなくなってほしい。殺してやりたい。殺してやる。殺し……殺す。殺す。殺す。殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すころすころすころすころころころコロロロロロ……!!

 

 

 

 

 

 

――ズキッ!!

 

 

 

 

 

「――ッ!!」

 

唐突に胃に痛みが走り、私は動かしていた歩みを止めてその場に蹲る。

私はすぐさま懐から胃薬を取り出して、その錠剤を口の中に放り込んだ。薬の効き目が来るまで私はそのままの姿勢を保ち続ける。

……最近、薬の効き目が鈍くなっているような気がする。これは、また更に悪化しているのではないのだろうか?

 

「ッ……くそぉ……」

 

悔しさを含ませた私の涙声がその場に寂しく木霊した――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――数日後。私は単身、静岡から東京まで電車に乗って米花私立病院へと訪れていた。

 

あれからかかりつけの医者にもっと強い効き目の胃薬が欲しいと頼んでみたのだが、あれ以上強いものは無いと返された。

医者の診断では私は今、胃潰瘍(いかいよう)になる一歩手前らしく、このままだといつ文字通り胃に穴が空いてもおかしくは無い状態なのだと言う。

また、胃潰瘍になる原因はいくつか存在し、その原因によって治療方法も変わって来るのだとか。

私の場合はまず間違いなく夫に対する極度のストレスから来ているのだが、医師の話では胃薬(痛み止め)に含まれる成分が元々の原因である可能性も否めないのだと言う。

その場合、胃薬の使用をいったん止める考えもしなければならないと言うのだが……正直、それには強く拒否を示したかった。

もう長い事この胃痛との付き合いは続いているが、いい加減もううんざりしているのだ。

長年続く夫に対するストレスにそれが原因で起こる胃痛との闘い。どちらか一方だけでも良いからさっさと決着を付けたかった。

その意をくんでくれたのか、医者は少し考えるそぶりを見せると、()()()()()()()()がいる事を明かし、その人に頼めば何とかしてくれるかもしれないと言って医者はその人に宛てて紹介文を書いてくれたのだ。

その話を聞いて私はようやく胃痛から解放されるのかと胸をなでおろしたが、紹介してくれると言うその凄腕の医師の名前を聞いて瞬時に凍り付く事となった。

 

 

――それは夫が心臓の治療をお願いしている医師であったのだから。

 

 

それから散々迷ったが……私は最後には渋々ながらその医師を頼る事にした。

先日の夫からの言葉で、あの男の意のままに誘導された感があって業腹(ごうはら)ではあったが、胃痛と早々におさらばしたかった今の私にとっては背に腹は代えられなかった。

 

「やぁ。貴女が小宮山泰司氏の奥さんの敦子さんだね?……早速、診断を始めましょうか」

「……はい。よろしくお願いします。先生」

 

診察室でまるでカエルのような顔をしたその先生に向けて、内心複雑な気持ちを抱きながら私は深々と頭を下げていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……うん。この分だと()()()()三日で完治できそうだね」

「……はい?」

 

いくつかの検査を受けた後、診断書を見たカエル顔の先生の口からそんな言葉が飛び出し、私は思わず呆けた声を漏らした。……一歩手前とは言え、胃潰瘍ってそんなに早く治せるものだったかしら?

私がぼんやりとそんな事を考えていると、カエル顔の先生は「ただ……」と呟きながら続きを口にしだした。

 

「……貴女の場合、胃痛は極度のストレスから来ているみたいだねぇ?これを何とかしなければ、完治してもそう遠くないうちに再び胃痛が再発する可能性が高い。……治療してもそれじゃあ完全にイタチごっこになってしまうね?」

「…………」

 

その言葉に私は思わず沈黙してしまう。

胃痛から解放されるのは嬉しいが……伝えた方が良いのだろうか?その胃痛の原因であるストレスの正体が、先生が治療しようとしている私の夫であることを。

内心どう切り出したらいいか悩んでいると、カエル顔の先生の口が開いた。

 

「……まぁ、言いにくい事であるのなら今すぐには問いただしはしないよ。近い内に泰司氏も手術を受けにこの病院に入院するのは貴女も聞いてるでしょう?その時に貴女も一緒に治療する予定ですからその時にでも聞かせてもらえればいいですよ。……ちなみに泰司氏の心臓病は手術すれば()()()()()で退院可能です。夫婦共々、以前のような健康的な身体に戻りますよ」

「――……なら、夫を治さないでください」

「……ん?」

「――!」

 

――しまった。先生から夫が手術をすれば一週間で治ると聞いた瞬間、頭の中が真っ白になってつい口が滑ってしまった。慌てて両手で口を塞ぐももう遅い。

本当なら、心臓病の治療が一週間で治ること自体おかしい話なのだろうが、今の私にとって夫が治る事そのものの方が重要だった。

あの男はもっともっと苦しむべきなのだ。欲を言うなら病気で恐怖と苦痛に苛まれながら絶命してほしい。

 

……それなのに、その夫を蝕んでいる病気がなくなってしまっては、誰が代わりに夫を苦しめてくれるというのか。

 

しかし、医者であるこのカエル顔の先生の前でその本音を漏らすのは明らかに失言だった。

軽蔑でもされただろうか?恐る恐る両手で口を覆ったまま視線を先生の方へと向ける。

すると引かれているだろうと予想していたのに反して、実際は多少面食らっているようではあったものの、顎に手を添えて思案顔を浮かべた状態で私を見ている先生がそこにいた。

 

「ふむ……その様子だと、貴女のストレスの源はどうやら夫の泰司氏だったみたいだね?」

「……!」

 

先生のその言葉に私は顔を俯かせて沈黙する。

それを肯定と受け取ったらしいカエル顔の先生は、フッと顔を小さく綻ばせながら続けて口を開く。

 

「……大丈夫、深く探ろうとも思わないよ。……何せ僕もこの歳になるまで、いろんな人たちと出会い、そして同時に様々な人間模様を見て来た身だ。きっと、貴女たちの夫婦間でも他人には早々言えぬ事情を抱えているんだろう。……でもね――」

 

そこまで言ったカエル顔の先生はスッと顔を真剣な表情に変えると、真っ直ぐな目で私を見据え、更に言葉を続けた。

 

「――泰司氏が既に僕に治療を頼みにきた今、彼はもう僕の患者なんだ。今更彼の治療を断る事も、彼を見捨てる事も僕にはできない。……だから貴女がどれだけ泰司氏を治すなと訴えても、僕はその願いを聞き入れるわけにはいかないね」

 

先生のその言葉に、私は俯きながら唇を強く噛みしめていた。

分かっている。この人は医者だ。あの男が治療を頼んだ以上、それに応える義務がこの人にはあるのだろう。

……だが、それなら私はどうなる?またこれまでのように夫の悪行に耐え忍んで行けと言うのか?

 

先生……アナタにとっては、私と夫の病気が治れば後はどうでもいいと言うのか?

 

 

――医者としての責務を果たせられればそれでいいと言うのか!?

 

 

 

 

 

 

 

 

「――心配はいらないよ」

 

 

 

 

 

 

 

目の前の医師に沸々と怒りがこみ上げ始めた時、ふいにその医師から声が上がった。

その声にフッと顔を上げてみると、先生は柔和な笑みで私を見つめていた。

その顔に思わず怒りがスッと治まり閉口する私に、先生は言葉を続ける。

 

「……泰司氏は僕の僕の患者だ。しかし奥さん、それは貴女も同じなんだ。僕は自身の患者を最後まで見捨てるつもりは無い。……だからこそ、もう僕の患者である貴女の抱えているその心の傷を癒すまで、僕は貴女を見捨てたりは絶対にしないよ」

「先生……」

 

優しくそう諭してくるカエル顔の先生に、私はやや呆気にとられながら聞き入っていた。

何故だろうか?医者という立場上、この人は私たち夫婦の間に割って立つ事など出来ないはずなのに、この人の存在自体が今の私にはとても心強い味方に見えた。

 

「……だからこそ今貴女に必要なのは、胃の治療とストレス解消のためのカウンセリングだ。泰司氏との問題解決はその後からでも遅くは無い。治療を受けて心身ともに楽になれば、ストレスで狭まっていた視野も広げることが出来るし、柔軟な思考も出来るようになるからね?」

「……でも……だとしても、それで夫との問題を解決する案を思いつくことが、私に出来るのでしょうか?」

「言っただろう?僕は貴女を見捨てたりしないと。もし案が浮かばなかったとしても、その時は僕も一緒に考えるよ――」

 

 

 

「――患者の心に寄り添って問題を解決しその精神の傷を緩和するのもまた、医師としての務めだからね?」

 

そう言っておどけた調子でウィンクをして見せた先生に、私は自然と笑みを零していた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

――それから先生の言う通り、私の胃の病気は三日で完治を果たし、それから先はカウンセリングによる精神医療が始まった。

そして、それと並行して夫が正式に米花私立病院に入院する事となり、カエル顔の先生の手によって手術を受ける事になった。

最初こそカウンセリングは普通の病気や怪我を治すのとはわけが違うため、結構長い時間を労する事になるだろうと私は思っていたが、カエル顔の先生の技術が卓越していたのか、なんと夫の手術日の前日には夫への殺意をほとんど抱く事がないほど胸の奥が軽くなっていたのである。

久しぶりに新鮮な空気を思いっきり吸い込んだかのような素晴らしい解放感に、私は清々しい気持ちでいっぱいだった。

頭の中がクリアになり、心の中も大分余裕が出来たように感じる。

たとえそれが一時の感覚だったにせよ、憎き夫に対する計画を二つ三つ立てるのには十分なモノであった――。

 

「それじゃあ、これから手術を行うけど、心の準備は良いかね?」

「ええ、さっさと始めちゃってください。早くこの忌々しい病気とおさらばしたいんですよ」

 

カエル顔の先生と夫がそんな会話をしながら手術室の扉の向こうへと消えていく。

私はそれを見送った後、病院の外に出るとポケットから携帯を取り出して()()()()へと電話をかけた――。

 

(もう長い事会ってないけど……私の頼み、聞いてくれるかしら?)

 

そんな一抹の不安を抱きながらも、私は電話口に出たその人物へと声をかけていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――手術を受けて数日後、病室のベッドに寝そべる夫は上機嫌だった。

 

「アッハッハッハ!凄い!流石は世界一とうたわれた医者だな!手術を終えた途端、心臓に痛みが走らなくなったし、苦しくなる事も無くなった!おまけに以前よりも体が軽くなったのがはっきりと分かる!」

「……そう、よかったわね」

 

豪快に笑いながらそう言う夫の横で、私はリンゴの皮をむきながら素っ気なくそう返した。

多分に棘を含んだつもりだったのだが、夫はそれに気づいていないらしく言葉を続ける。

 

「ああ、全くだ!いっそのこと、あの先生を俺専属の医師にしたいくらいだよ!あの人がいればもう何も怖いモノなど無いからな!これで思う存分、舞台に身を入れられるってもんだ!」

 

そう言いながら再び笑いだす夫を、私はリンゴをむく手を止めて冷ややかな目で睨みつけた。

 

「……よく言うわよ。アナタが身を入れたいのは舞台じゃなくて若い女の方でしょうに」

「……何?」

 

私のその返答にカチンときたのか、夫は高笑いとフッと消すと私の方へと睨み返してきた。だが私はそれに怖気ず、ツンとした態度で言葉を吐き出す。

 

「……新倉弓子(にいくらゆみこ)

「!?」

「今アナタが狙っている若手俳優の女性。……私が知らないとでも思った?彼女、この前私に相談しに来たのよ、アナタにしつこく迫られてるって」

 

まさか私に今狙っている女性の事を知られているとは思わなかったのか、夫は一瞬面食らった表情を見せる。

しかし、直ぐに夫は鼻を鳴らしながら開き直って見せた。

 

「ハッ!何を言っている?それは彼女の勘違いだ。俺は一俳優としてまだなって日の浅い若手と親睦を深めようとしていただけだ」

「あくまでも彼女の誤解だって言いたいわけ?こんなトラブルを起こすのはもう一度や二度じゃないって言うのに。……説得力の欠片(かけら)も無いわよ」

「フン!何が言いたいんだお前は?離婚か?……前にも言ったと思うが、ロクに働いた事のないお前が一人で生きて行けると思ってるのか?お前が今の暮らしが出来ているのは俺の稼ぎがあるからなんだぞ?」

 

そこまで言った夫は今度はニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべながら言葉を続ける。

 

「……まぁ、お前がそれでも離婚したいって言うんなら俺は止めはせんがな。何せ金はたんまりと稼いでるんだ。慰謝料の一つや二つ払った所で痛くもかゆくもないし、それにお前と離婚できれば俺は若い女を嫁に取ることだって出来る。……金を貰っても路頭に迷うしか未来の無いお前は、一人寂しく余生を送ればいいさ!」

(言わせておけば、この死にぞこないがッ……!!)

 

あまりにもあんまりなその暴言に私の視界が一瞬真っ赤に染まり、リンゴの皮をむいていたナイフを握る手に力が入る。

いっその事、今このナイフでコイツの心臓をえぐり取ってやろうか!!という衝動に駆られるも――。

 

――私はその殺意を必死に押さえた。

 

 

(落ち着け私、ここで取り乱したら()()()()()()()?)

 

そう――自分に必死に言い聞かせて何とか冷静さを取り戻す。

静かに深呼吸をすると血が登った頭がクリアになって来る、そのタイミングを見計らって私はフッと小さく笑みを浮かべた。

 

「?」

 

それを見た夫は私に怪訝な顔を向けて来るも、それに構わず私はため息交じりに口を開いた。

 

「……そうね。アナタの言う通り、私じゃあいくらお金があろうが路頭に迷うのが目に見えてるわね。……だから、安心して頂戴。離婚なんて考えてないから」

「?……なんだ、意外とすんなり引くんだな。俺としては離婚してくれた方が嬉しかったが?」

「勘弁してよ。アナタ無しじゃ私は生きていけないんだから。これからも、アナタの良き妻としていさせてよ」

「ハッ!急に物分かりがよくなったな。まあ、お前がそう言うんなら、これからは俺に逆らわず妻として俺を盛り立てて行ってくれよな?」

 

私の言葉に気分がよくなったのかそう言いながら鼻を鳴らしてふんぞり返る夫。

――だが、それを好機と見た私は、そこで夫に対して反撃を開始し始めた。

 

「ええ、だから……これからも良き妻で居続けるために、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「…………はぁ?」

 

私の言った言葉が今一つ理解できなかったのか、夫は呆けた声を上げる。

だが、私はそれに構わず言葉を続けた。

 

「実はね。アナタにこれからもっと仕事に身を入れてもらうために、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。……入ってきて」

 

そう私が病室の扉に向けて声をかけると、待ってましたと言わんばかりにその扉が開かれ、そこから()()()()()()()()()()()と言わんばかりの強面の男二人が入って来た。

「「はいは~い♪」」と答えながらベッドのそばに立つ強面二人組を見て、夫は見るからに狼狽し始める。

 

「な、なな、何だお前らは!?」

「さっき言ったでしょ?新しいマネージャーだって」

 

声を震わせながらそう言う夫に、私はすぐさまそう答え、そして言葉を続けた。

 

「これからアナタにもっと仕事に精を出してほしいと言う私の心からの配慮よ♪この二人にはアナタが仕事に復帰しだい、家から仕事場までの送迎からスケジュール管理、身の回りの世話などの一切を任せるつもりだからそのつもりでいてね♪」

「ふ、ふざけるなぁ!?い、いい一体、何なんだコイツらはぁぁぁッッ!!??」

 

絶叫にも似た夫のその問いかけに、私は何でもないかのように答えて見せた――。

 

 

 

「――フフッ♪『ヤ』のつく職業の所で『親分』をやっている私の伯父(おじ)の部下の方たちよ♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――私の亡くなった父には、()()()()で生きる(伯父)がいた。

 

どういった理由でその世界に足を踏み入れたのか経緯は不明だったが、伯父がその世界に足を踏み入れた時、伯父の両親(私にとっては父方の祖父母)は伯父に絶縁宣言を突きつけたらしい。

家族に迷惑をかけたくなかった叔父はそれに素直に了承し、やがて戸籍(こせき)からも抜かれる事となったのである。

 

両親とはそれ以降、顔を合わせる事の無かった伯父だが、弟である父とは仲が良かったため密かに交流が続いていた。

父が結婚した後は、時折ふらりと我が家にやって来くるようになり、たわいの無い会話をしながらお酒を酌み交わしたりなどもしていた。

そして当時幼かった私も、時々やって来る伯父に次第に懐き始めるようになり、やがて家族同然に親しい間柄となったのである。

 

伯父がとある組織を束ねる『親分』に昇進して以降は疎遠状態になっていたが、先日夫の手術があった日に連絡を取り、私がとある『お願い』を持ち掛けると伯父はいともあっさりと私のその『お願い』を快く引き受けてくれたのだった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――それで、その『お願い』って言うのがもう分かっての通り、こういう事。アナタを支えるマネージャーとして伯父がこの二人を快く私に貸し出してくれたってわけ♪」

「ふ、ふざけるなぁ!!?聞いてないぞお前にそんな物騒な伯父がいたなんて!?」

 

涼しい顔で説明をし終えた私に対して夫がたまらずそう叫ぶ。

すると、今まで黙っていた強面二人組の内の一人が夫へと凄みのある顔で覗き込んで来た。

 

「あぁん?テメェ、ウチのおやっさんに何か文句でもあんのか?」

「ヒィィィッ!?」

 

恐怖で縮みあがる夫。それを見て内心、ザマぁ見ろと思う私だったが、こんなのはまだ序の口だ。

 

「フフッ♪彼らの支えがあれば俳優業に更に力が入るだろうからもう()()()()()()()()()()()()()()()()♪ああ、そうそう。これからはアナタの財布も私が管理してあげるわ。節制のために夫の無駄遣いを控えさせるのも良き妻の務めだもの。余計な事に目を向けず、アナタの大好きな舞台一筋の生活を送れるんですもの、文句は無いでしょう?」

 

そう言って不気味な微笑みを浮かべる私を見て、マネージャーとなった男たちに凄まれて言い返す事の出来ず青ざめて黙ったままの夫は、まるでバケモノを見たかのような恐怖に塗りつぶされた顔で私を見つめ返してくるだけであった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――それから直ぐ、夫が退院してからの私の生活は一変した。

 

夫の女性関係の問題が奇麗さっぱり無くなっただけでなく、俳優業にも今まで以上に身が入るようになり、稼ぎもこれまで以上に良くなったのだ。

そうして私は、夫が稼いだそのお金で悠々自適な生活を送っている。

もう何にも悩む事も無く、もう何にも苦しめられなくなった生活はただただ清々しいの一言であった。

 

――だが、そんな私とは反対に、仕事から帰って来る夫は日に日にやつれていくのが見て取れた。

 

「あら、お帰りなさいアナタ♪先にお風呂にする?それともご飯?」

「……た、頼む……も、もう勘弁してくれ。このままじゃあまた近い内に体が壊れてしまう……」

「あらあら、何言ってるの?もう女性関係でゴタゴタも起きないし、私とも喧嘩する事も無くなった。アナタの大好きな仕事にも力が入って稼ぎも高くなったから私もアナタもウィンウィンじゃない♪それに――」

 

そこまで言った私はげっそりとやつれて半ば放心状態の夫の耳にそっと口を寄せると、夫を凍り付かせる一言を囁いて見せた――。

 

 

「――たとえまた心臓がおかしくなっても大丈夫じゃない。アナタが深々と信頼しているあのカエル先生に頼めば、またすぐに治して元気にしてくれるわよ……――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――そう、何度だって、ね?」




軽いキャラ説明(原作とは違う結末を辿った者たちのみを掲載)。


・小宮山敦子

アニメオリジナル回『四回殺された男』に登場した真犯人。
本作では叔父と連絡を取って彼の部下を使い、見事泰司との夫婦の上下関係を逆転させることに成功を収める。
泰司を飼い殺し状態にしながら毎日を悠々自適に過ごしている。


・小宮山泰司

敦子によって殺された被害者。
しかし本作では、殺される事は無くなったものの、敦子の策略によってマネージャーたちに睨まれた、飼い殺し状態の日々を送る事となった。


・新倉弓子

泰司殺害の容疑者の一人として登場。
しつこく泰司に言い寄られていたものの、本作では敦子の策略で泰司が大人しくなり、言い寄られる事も無くなった。

原作では殺してはいないものの傷害罪になりえる行為を行っていたが、それも無くなった。
同じく、新倉同様傷害罪を起こした勝又謙吾(かつまたけんご)星野治行(ほしのはるゆき)もそれを回避している。




少し遅くなりましたが、最新話投稿です。
またもや一万字越えとなりましたw
今回は敦子の身内や泰司との喧嘩理由などオリジナル設定多めでお送りさせていただきました。


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カルテ28:工藤優作&有希子

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。

今回は短めです。


SIDE:カエル顔の医者(冥土帰し)

 

 

――ある日のいつもの診察室で、私は見慣れた若い夫婦を相手に健康診断を行っていた。

 

「……はい、これにて今回の健康診断は終了。二人とも、今まで通り体調は良好だよ。お疲れ様」

 

一通りの健康診断を終え、診断書に二人の体調を記入しながら私はその夫婦に声をかけた。

 

「いやぁ、今回もありがとうございました。何も不調な点が無くてよかったです」

「ホントーに、夫共々カエル先生には感謝しかありません。ありがとうございまぁす♪」

 

眼鏡をかけてちょび髭を生やした夫の方は真摯に、そして大きな巻髪が特徴的なロングヘア―の妻の方はややキャピキャピした口調でそう感謝の言葉を述べた。

 

――この二人の名前は工藤優作(くどうゆうさく)君と有希子(ゆきこ)君。そう、何を隠そう工藤新一(江戸川コナン)君のご両親だ。

 

この二人との付き合いも毛利君や妃君と同じくらいに長い。

毛利君ほどではないにせよ、二人は昔、僕の治療を受けた事があった。以来、健康管理を徹底して定期的に僕の病院を訪れ、こうして健康診断を受けるようになっていた。

 

「……しかし、遠路はるばる今住んでいるロサンゼルスからここまで健康診断を受けに来るだなんて、マメというか律義というか……」

「ハハッ、今まで出会ってきた医師の中でアナタが一番信頼のおける人でしたからね。医療面でこれほど頼りになる人はそうそういませんよ」

 

私の言葉に優作君は結構私を持ち上げた言葉を返す。

それに私は苦笑を零しながら、彼に忠告をかねて言葉を続けた。

 

「そう言えば優作君は仕事上、パーティーやらなんやらでお酒を飲む機会が多いと聞くよ?仕事上の付き合いだから仕方ないけれど、健康状態を維持したいのなら、飲み過ぎだけは出来るだけ注意するようにね?」

「ええ、分かっていますよ。()()()()()()()()は私ももうこりごりですから」

 

そう言って優作君も苦笑を浮かべながらそう答えた。

 

――彼がまだ人気が出る前……駆け出しの小説家だった頃の事だ。

この頃は何事にも余裕を崩さない今と違い、まだ社会の事をあまり分かっていない青年だった彼は小説家としての業界の荒波に翻弄されていた。

最初こそ彼は戸惑うも、それでも持ち前の高い才能と若さ故の吸収力でその荒波を自分なりのやり方で乗りこなし、自身をその環境に短期間で適応させ、その上で自分の作品を世に送り出すのを繰り返し続けた。

その努力が世に認められ彼は一躍時の人となるのだが、それに熱中するあまり、彼は自身の生活環境を悪化させている事にまるで気づいていなかった。

 

期日までに小説を完成させないといけないからと連日連夜徹夜明けをするのはもちろんの事、編集者たちや自身を支援してくれている人たちとのお酒の付き合い。作品が大ヒットを記録すればその祝賀会の主役として出なければいけず、そこでの初対面の人やファンの人たちの粘質な質疑応答に飲まれてストレスを抱えることもしばしば。

そんな事を繰り返していた彼は、やがて自身の生活リズムを完全に崩してしまい、健康管理もままならない状況にまで追い詰められてしまっていた。

仕事に追われる日々による過労とストレス、若さゆえに飲みなれないお酒の多量摂取でとうとう彼は肝臓を壊してしまったのだ。

 

「いやはやお恥ずかしい。あの時は本当にカエル先生にはご迷惑をおかけしました」

「若さゆえに無茶をするのも仕方ないかもしれないが、自分の事はもっと大事にしないとね?」

「この病院に搬送されたのは本当に幸運でした。おかげで一週間と経たずして退院出来ましたし、前よりも元気に仕事に打ち込むことが出来ましたよ。……まあ、もうあんな目に遭うのはごめんでしたから、先生の言いつけ通り、その後は健康管理を徹底しましたし、仕事量にも気を付けるようになりましたけど」

「うんうん。よく肝に銘じているようで大変よろしいね」

 

私と優作君がそんな会話をしていると、横から有希子君が話に入って来た。

 

「ンフフフッ♪優作ってば、昔は結構無茶する性格してたのねぇ~。初めて聞いたわ♪」

「若気の至りと言うやつだよ」

 

口元に手を当ててムフフと笑う有希子君に指先で頬をポリポリとかきながらそう返す優作君。

そんな有希子君に私はやや呆れた表情を浮かべながら口を開いた。

 

「……と言うか有希子君。キミだって優作君と似たり寄ったりな事をしているの、忘れてないかい?」

「な、何の事でしょうか先生?」

 

そう返す有希子君だったが、その目は明らかにザッパンザッパンと大きく泳いでいる。

私はやれやれと肩をすくめながら言葉を続けた。

 

「……君がまだ高校を卒業して間もない頃。舞台での練習中に調子に乗って脚本には無い派手なパフォーマンスを行おうとして誤って足を踏み外し舞台上から転落、お尻を強打して尾てい骨を骨せ――」

 

「――キャー!!キャー!?言わないでください先生―!!」

 

両手で顔を覆って「いやんいやん」と首を激しく振る有希子君。その両手からはみ出て見える彼女の顔は耳まで真っ赤に染まっていた。

それを見た私と優作君は同時に空笑いを浮かべる。

 

「うぅ……私の人生の中でもあれは記憶から抹消したい数少ない失敗と恥辱よぉ~。優作がカエル先生を紹介してくれたおかげで数日もしない内に治ったけれど今でも鮮明に覚えてるわ。うつ伏せに診察台に寝かされた私は、カエル先生に向けて痛みにひりつくお尻、を……あぁ……!」

「ちょっと有希子君。その言い方だとまるで僕がキミにいかがわしい事をしたかのように聞こえるから止めてくれないかい!?」

 

両頬に両手を添えて赤裸々と言わんばかりにそう言う有希子君に対して私は思わずそう突っ込む。

誤解を招くようなことは言わないでほしい。私はただ医師としての使命を全うしただけだからね!?

触れてほしくない過去を蒸し返した私への仕返しのつもりだろうか?

そんな私と彼女のやり取りを今度は優作君が傍からくすくすと笑って見せる。

 

「フフフッ……大丈夫、分かっていますよカエル先生。先生はただ自身の責務を果たしているにすぎません。事実、私たちは先生に心から感謝しているんです。昔の事も……()()()()()()

「……はて?この前と言うと……?」

 

優作君の言う『この前の件』と言うのが何なのか直ぐには分からず、私は首をかしげる。

そんな私に優作君は直ぐに答えて見せる。

 

「ほら。前に私たちが帰国し、阿笠博士に新一が幼児化したと聞いた時に私たちが仕組んだ()()の事ですよ」

「……ああ、あの時の。……でも、あの時僕は結局何もしなかったけどね?」

 

――それは、新一君が『組織』によって幼児化されてまだ間もない頃。

日本に一時帰国した優作君たちは、博士(ひろし)から新一君の今の現状を聞き出し、彼に自分が今どんなに危険な立場にいるかを再度理解させるべく起こした一件であった。

 

私は直接かかわった訳じゃないが、後から博士に聞いたところ、何でも優作君たちは闇の男爵(ナイト・バロン)江戸川文代(えどがわふみよ)という架空の人物に化け、新一君に接触し事を起こしたのだと言う(原作、『江戸川コナン誘拐事件』参照)。

 

だが、前述にも示した通り、私はその件に関してはほとんど関与していない。

せいぜい新一君が一時、江戸川文代(有希子君)から逃げ出した時に、優作君から「新一がそちらの病院に助けを求めに来る可能性がありますから、来たらすぐに連絡をください」と一報が来てそれに了承したくらいである。

結局、新一君はその後、博士の方に助けを求めに行ったみたいなのでそれから後の事はノータッチだ。

 

「ええ。ですがもしあの時新一(アイツ)がこの病院内に駆け込んでいたら、私は今後の計画を大きく変更せざるを得なかったでしょうね。病院(ここ)で誘拐なんて起こしたら、アイツは『組織』とこの病院――強いてはカエル先生が繋がっているとあらぬ誤解を考えていたかもしれませんし、それでなくてもあの一件自体、私たちの『芝居』だとその時に感づいたかもしれません。……そうならないために、私はカエル先生(アナタ)と協力して何とか病院からアイツを連れ出す算段を立てなければならなくなったでしょう。……そう言ったご迷惑を含めて、カエル先生には感謝感謝です」

「必要ないよ?結局はキミの計画通りに上手くいったわけだしね?」

 

軽く両手を合わせてそう言う優作君に私はやんわりとそう返して見せた。

 

 

 

 

そうして健康診断を終えた優作君たちは、帰り支度をして診察室を後にする。

去り際に二人は振り返り、椅子に座る私に向けてそれぞれ口を開いた。

 

「何か困ったことがありましたらいつでもご連絡ください。先生の頼みであればどんなことでもご協力いたしますよ」

「私も♪……ですから先生?く・れ・ぐ・れ・も!『お尻の一件』はご内密にお願いしますね?も・ち・ろ・ん!新ちゃんにも!ですよ~?」

 

優作君はいつも通り真摯に、有希子君は怖い顔で力強く念押しの言葉を残してその場を去って行った――。

 

「はぁ~やれやれ。あの二人に頼むような特大案件が私の所に転がり込むような事なんてあるのかねぇ?」

 

誰もいなくなった診察室で私はぼんやりとそう呟きながら、次の患者を迎えるべくすぐに準備に取り掛かる――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――それから間もなくして、私の思っている事とは裏腹に、思いがけない一件に私は遭遇する事となる。

その一件の内容から、私一人の力ではどうにもできないと判断し、二人に助力を求める事になるのだが……。

 

――それはまた別の話。




今回は工藤夫妻登場回なため、軽いキャラ説明はありません。


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カルテ29:加藤祐司/片桐真帆【1】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。

今回はテレビアニメでは2時間スペシャルとして放送されたエピソードです。
本作の時系列的には第1の事件『剣道大会殺人事件』後の第2の事件である『大阪城財宝伝説殺人事件』から話が始まります。

再びの『????』サブタイトルです。しかも今回は二名。
原作を知っている人なら、直ぐに誰だか分かると思います。




SIDE:カエル顔の医者(冥土帰し)

 

 

――その日、私は秘書の吉野綾花君を連れて大阪を訪れていた。

 

大阪城のすぐそばに建つ病院――その病院の院長からとある患者を助けてほしいと言う、直々の依頼が舞い込んだのだ。

大阪府警の重役に立つというその人物は、大腸癌(だいちょうがん)で余命いくばくもない状態なのだと言う。

私はその依頼を受け、大阪に飛んで病院にやって来ると、数日後にはその患者の手術を行った。

 

大腸癌の手術はもう数えきれないほどに経験している。そのため私は、その手術を難なく終わらせることが出来た。

 

手術を終えた私は、一息吐きながら手術用マスクを外し手術室を出る。

するとすぐさま患者の家族たちが私に駆け寄って来た。

 

「先生、手術は……?」

「安心してください。手術は無事、成功しました」

 

親族の一人の問いかけに私がそう答えると、その場にいた全員の顔がパッと明るくなり、皆一様に胸をなでおろしていた。

 

「お疲れ様でした。先生」

 

そう私に声をかけながら吉野君も歩み寄って来る。

そんな彼女に私も返事をしようとした所で、廊下の向こうから数人のスーツ姿の男性数人がこちらにやって来るのに気づき、開きかけた口を閉じた。

吉野君もその集団に気づき、「何でしょう?」と首をかしげる。

やがてその集団が私たちの前までやって来ると、先頭に立つ髭を生やした細目の男性が私に声をかけてきた。

 

「……いきなりで失礼します。××××(今回私が執刀した患者の名前)の手術を行った先生はアナタですか?」

「ええ、そうですが」

 

私がそう答えると男性はやや険しい顔つきで言葉を続けた。

 

「先生、彼の手術はどうなりました?」

「大丈夫です。問題なく、成功しましたよ」

 

そう返答すると、その男性を筆頭に後ろについて来ているスーツ姿の人たちもホッと安堵のため息を漏らした。

 

「……ありがとうございます、先生。彼は私の直属の部下の一人でしてね。癌になったと聞いた時、どうなるもんかと冷や冷やしておったんですわ。ホンマに……助かって良かった」

 

そこまで言った細目の男性は、「おっと!」と声を零しながら続けて口を開く。

 

「……まだ、自己紹介をしてませんでしたな。……私は大阪府警で本部長をしております――」

 

 

 

 

 

「――服部平蔵(はっとりへいぞう)いいます。以後よろしゅう」

 

 

 

 

 

「『服部』……もしかして服部平次君の御父上ですか?」

 

私の問いかけに細めの男性――平蔵氏は小さく頷き言葉を続ける。

 

「先生、アナタの話は息子から何度か聞かされてます。……ウチの阿呆(息子)が先生にご迷惑かけとるようで……」

「いやいや、そんな事は全然ありませんよ?彼とは何度か話をした事があるくらいで……」

 

平蔵氏の言葉に慌てて私がそう言って訂正していると、先程私が手術をしたばかりの患者がストレッチャーに乗せられ、他の医師や看護師に囲まれながら私たちの脇を通り過ぎで集中治療室(ICU)の方へと向かって行った。

それを視線で見送りながら、私は同じく廊下の向こうへと消えていくストレッチャーに乗った患者を見つめる平蔵氏に声をかける。

 

「……彼は一度、集中治療室に入る事になりますが、二、三日もしない内に大部屋へと移る事になるでしょう。その頃にはもう、元気になっていると思いますよ?」

「ハハッ、凄いですなぁ。信じられんくらいの回復速度ですわ……なら、それまで先生は彼の担当医としてこの病院に留まるので?」

 

平蔵氏のその問いかけに私は(かぶり)を振る。

 

「いいえ。今回の手術でもう山場は越えましたし、後はこの病院の医師に引き継いでもらっても問題は無いでしょう。……僕と秘書であるこちらの吉野君は、明日帰る予定ですので、役目を終えた今、この後少し大阪観光でもしようと思っているんですよ」

 

私がそう言った瞬間、何故か平蔵氏の細い目がキラリと光ったように見え、次の瞬間には驚きの言葉が平蔵氏の口から放たれていた。

 

「ほぅ……なら――」

 

 

 

「――私に大阪の案内をさせてもらえませんか?」

 

 

 

『!』

 

これには私と吉野君だけでなく、平蔵氏の後ろに控えている彼の部下らしき人たちも、全員が目を見開いていた。

それもそうだろう。まさか一介の医者の大阪巡りに大阪府警本部長が直々に案内を買って出ると言うのだから。

驚く私たちをよそに、平蔵氏はハッハ!と笑いながら言葉を続ける。

 

「なぁに遠慮はいりません。大事な部下の命を救ってくれはったんですから、これぐらいして当然ですわ!」

「し、しかし良いのですか?アナタも立場上、忙しい身の上でしょうに」

「構いまへん。幸いにも今日は重要な予定は何もありませんし……それに実を言うと先生とは一度ゆっくりと話をして見たい思うておりましたんですわ」

 

そう……私の平蔵氏の身を案じるその問いかけにも、彼は豪快にも笑い飛ばして答えてみせた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして紆余曲折の果て、観光のための準備を終えた私と吉野君は、平蔵氏を連れて現在、病院の玄関口に立っていた――。

 

「それで?まずは何処へ向かいましょうか、先生?」

 

平蔵氏にそう問われ、私は視線をすぐそばに見える()()へと向けながら答えた。

 

「そうですねぇ……まずは直ぐそこにある大阪城へ行ってみましょうか」

「分かりました。それでは早速……」

 

そう言いながら平蔵氏は先頭を切って歩き出し、私と吉野君はそれに続く。

しかし歩き始めて直ぐ、平蔵氏がふと空を見上げて「む?」と顔をしかめた。

 

「……雲行きが怪しくなってきました。どうやら一雨来そうですわ」

「おや、そのようですな。え~っと……」

「あ、先生。傘でしたらちゃんと用意してますよ」

 

平蔵氏の言葉に、私は傘はあったかな?と考えながら肩にかけている()()()()()()()に手を入れようとするも、それよりも先に吉野君がバックから折り畳み傘を二本取り出していた。

流石は私の優秀な秘書だ。

吉野君から傘を一本受け取った私は、平蔵氏へと向き直る。

 

「服部本部長は傘をお持ちで?」

「いや、生憎持ってこなかったんですわ。ですが、直ぐそこにコンビニがありますんでそこでひとっ走り行って買ってきます」

 

そう言って私が何か言うよりも先に平蔵氏はコンビニへと向かって走って行ってしまった。

私たちのためにわざわざ傘を買ってまで観光に付き合ってくれる平蔵氏に少し気が引けたが、もうコンビニに行ってしまったため、ここは平蔵氏の気づかいに甘えるしかなかった。

 

――それから五分と経たずして平蔵氏は傘を片手に戻って来るも、雲行きは先程よりもより一層怪しさを増し、大阪城公園に入って少しする頃にはポツリポツリと雫が落ち始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

「……最悪や」

「どないしょ……」

 

俺の頭上で服部と和葉のため息交じりの声が降って来る。

大阪へとやって来た俺、蘭、おっちゃんの三人は、今日、服部と和葉の二人の案内で大阪見物を楽しんでいた。

大阪城の天守閣でそこから見える景色を楽しんだ後、俺たちは昼食をとるために適当な店へと向かったのだが、その途中、和葉が財布を無くした事に気づき慌てて皆で大阪城前まで戻って来ていた。

すると直後に雨が降り出し、俺たちは蘭が持っていた一本の折り畳み傘の中でぎゅうぎゅうに身を寄せ合いながら雨をしのぐ。

しかし、小さい傘の下に五人もの人間が固まっているため、近くの軒下に雨宿りしようにも迂闊に動けない。

にっちもさっちもいかず途方に暮れていると、不意に俺たちに向けて声がかけられた。

 

「……おや?キミたちどうしてここに?」

「え……か、カエル先生!?」

 

凄く聞き覚えのあるその声に俺たち全員が反射的に振り向くと、そこには傘を差したカエル先生と秘書の吉野さん。そしてもう一人、昨日の晩にてっちりを俺たちと一緒に囲んだ人物がそこに立っていた。

驚き声を上げるおっちゃんの横で、服部が嫌そうな顔をしてその人物を見つめる。

 

「お、親父……」

「なんや平次。お前らも大阪城に来とったんか」

 

その人物――大阪府警本部長の服部平蔵さんが服部にそう声をかけていた。

 

「カエル先生。先生も大阪に来ていたのですか?」

「ああ、そうだよ毛利君。仕事の依頼を受けてね。……そう言えばキミたちは平次君の剣道大会と『てっちり』を食べに大阪(ここ)に行くって言ってたね?」

「あー……はい。そうです」

 

カエル先生の言葉に苦笑を浮かべながらおっちゃんはそう答えた。

それからおっちゃんたちが会話しているのを横目に、俺が辺りを見渡しているとある一点に目が止まり、思わず和葉に向けて声を上げた。

 

「ねぇ、もしかしたらあのお店かもよ?財布忘れたの。……ほら、和葉ねえちゃんあそこで使い切りカメラ買ってたよね?」

「……あ、そう言うたらそうやわ」

 

和葉がそう呟くと続いて蘭が「じゃあ私たち、ちょっと行って聞いて来るから」と言って、和葉を連れて俺が指したお土産屋へと雨の降る中走って行った。

 

「ったく……ん?」

 

二人を見送った服部は雨空を見ながらそう悪態をつくも、直ぐに視線が違う方へと向き固定された。

俺も半ば無意識に服部の視線の先を追うと、そこには()()()()()()()()()()()()()()()()()()が傘を差さないまま言い合いをしているのが見えたのだ。

 

「ワシはあっちの方を探してみようと思うんじゃが……」

「もう探したわ!」

 

聞こえてくる会話の内容や彼らの焦りと困惑が混ざったようなその表情で、何かのトラブルが起こったらしいのが見て取れた。

 

「……?キミたち、あの人達と知り合いなのかい?」

 

俺たちに視線の先に気づいたカエル先生にそう尋ねられ、俺は「あー、うん」と曖昧な返事をする。

その間に服部とおっちゃん、そして()()()()()()()()()()()()()()()()()がその四人組へと近づいて行った。

 

「……どうかしたんですか?」

 

おっちゃんがそう声をかけると四人組はそれに気づき、その中の一人である糸目の男性が最初にそれに答えた。

 

「ああ、先程の……実はさっき言っていた()()()()()が見つからないんです」

(!……そう言えば天守閣でその人が何処かへ行ったとか言ってたっけ)

 

男性の言葉に俺がぼんやりとそんな事を思っていると、男性に続いて他の三人も次々に口を開く。

 

「大阪城やここの出店……トイレの中も探したんじゃが……」

 

と、髭を生やし背の低い老人がそう言い。

 

「……何処にもいないんですよ」

 

と、茶色の背広を着た、四人の中で一番背の高い男性がそう言い。

 

「どこに行っちゃったのかしら?」

 

と、眼鏡をかけた、四人の中でただ一人の女性が明後日の方に視線を向けながら最後にそう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

――その、次の瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――ドゴオォォォン!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――唐突に太く、耳をつんざくような爆発音がその場に轟き渡った。

 

「な、何や!?」

 

そう叫びながら服部が辺りを見渡す。それは俺を含むその場にいる全員も同じであった。

すると近くにいた旅行客らしい男性が、突然大阪城の方へと指をさしながら叫んだ。

 

「な、何だあれは!?」

『!?』

 

それにつられてその場にいる全員が大阪城の天守閣付近へと視線を送る。……するとそこには――。

 

 

 

 

 

 

「ギャアアアアアアアアァァァーーーーーーッ!!!???」

 

 

 

 

 

何故か大阪城の()()()()()で全身火ダルマになっている男の姿があったのだ――。




今回は導入部だけなので短めです。

それではこの話で今年は投稿納めとさせていただきます。
皆様良いお年を!2022年もお元気で!


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カルテ29:加藤祐司/片桐真帆【2】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。


SIDE:江戸川コナン

 

 

「ひ、人が燃えてんで!!」

 

隣で服部がそう叫ぶのを耳にしながら、俺はその光景に釘付けになっていた。

たった今、爆発音らしき音が響いたかと思うと次の瞬間には大阪城の屋根の上で人間が火ダルマになっているのだから思考が停止するのも当たり前だ。

しかし、火ダルマになったその人物が大阪城の屋根瓦の上を転がり落ち始めるのを見ると俺はようやく正気を取り戻し、我先にとその人物が落ちて来るであろう落下地点へと急ぐ。

一足遅れて服部と服部本部長も俺の後に続く。

 

「毛利君!キミは救急車と警察に連絡を!吉野君は病院に戻って預けてある()()()()()()()()()を持って来るんだ!出来るだけ急いでほしい!」

「「わ、分かりました!」」

 

背後で雨音に混じって俺たち同様現場に向かおうとしていたおっちゃんをカエル先生が呼び止め、おっちゃんと吉野さんに指示を出すのを耳にしながら急ぐ足を速めた。

そうこうしている内に、火ダルマになった人物は屋根から落下し、石垣の茂みの中へと落ちた。

すぐさま俺と服部が駆け寄ると上着を脱いでその人を包む火を消しにかかる。

そして火が消えたのを確認すると、服部は後からやって来た服部本部長へと叫んだ。

 

「親父!救急車は!?」

「心配すんな!カエル先生らがもう連絡しとる!それよりもその人はどうなんや!?」

 

本部長の言葉に俺と服部は視線を火ダルマになっていた人物へと戻す。

全身が焼けただれたその人物は、髪をオールバックにした30代半ばくらいの男性だった。

 

「オイ!何や!?何があってんや!!?」

「あ゛……う゛ぁ……あぁ……!」

 

服部がそう呼びかけるも、男性は口を開閉するばかりで声が出ないようであった。

どうやら火に包まれた時、喉をやられたようだ。

 

すると次の瞬間、男性は震える手で何故か服部が持つ蘭から借りた傘――()()()()()()()()()()のだ。

 

「「「!?」」」

 

その行動に目を見開く俺と服部と本部長。するとその直後にカエル先生が大きめのカバンを抱えて現場に駆けつけてきた。

 

「服部君!彼の容体は!?」

「あ、カエル先生!結構ヤバい状態やで!!」

 

カエル先生の言葉に服部がそう返しながら先生と立ち位置を交代する。

服部と入れ替わるようにして倒れる男性のそばに屈んだカエル先生は急ぎカバンから緊急治療キッドを取り出す。

 

「あ……あ……ぁ……――」

 

だがその間にも男性は小さく声を上げながらガクリと意識を手放していた。

 

「!!……オイ!しっかりせぇ!!オイ!!」

 

それを見た服部が慌てて声を上げる。しかしそれをカエル先生がやんわりとした声で制した。

 

「心配ない。まだ間に合うよ」

「!……ほ、ホンマか先生!?」

 

驚きながらカエル先生を見る服部に、カエル先生は力強く頷いた。

そうして手早く上着を脱いでシャツの袖をまくり、手術用マスクと手袋をつけるとカエル先生はそばに立つ服部と本部長へと声をかける。

 

「すまないが、今降っている雨が治療の邪魔になる。君たちの持つ傘で少しの間雨よけをしてほしい」

「わ、分かった!」

「分かりました」

 

二人は直ぐに傘をカエル先生と男性の上に差し、雨が濡れないようにする。

その間にもカエル先生は手早く注射での薬品投与を男性に済ませると、男性の上半身の服を手早く鋏で切り、鋏からメスへと持ち替えた。

 

「ま、まさか。ここで手術するつもりなんか!?」

 

それを見た服部が驚きにそう声を漏らし、横で見ていた本部長も細い目を僅かに見開く。

 

(……そう言やぁ服部がカエル先生の手術を見るのはこれが初めてだったな)

 

俺がそんな事をぼんやりと思った直後――。

 

 

 

 

 

――カエル先生が持つメスが、男性の体の上で電光石火の勢いで動き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――その場にいた全員が皆一様に言葉を失った。

 

服部や服部本部長のみならず、遠巻きに様子をうかがっていた旅行客などの通行人たちも。

俺はもう見慣れた光景だったからそこまで驚きはしなかったが、相変わらずカエル先生の腕は「凄い」の一言に尽きる。

神速の勢いでまるで魚を捌くように動き続けるメス。しかもその動きに一分の隙もミスも無い――と言うか、それ以前にあまりにも早すぎて今先生が何をやっているのかすら分かり難かった。

 

「――……かはぁッ……!」

『!!』

 

唐突に男性が息を吹き返す。どうやらいつの間にかカエル先生は心肺蘇生を済ませていたようだ。

全員が唖然とする中。連絡を受けた大阪府警に救急隊員たちやおっちゃん、そして吉野さんがカエル先生が頼んでいたボストンバッグを持って駆けつけて来る。

 

「先生。バッグを持ってきました!」

「よし!吉野君に他のみんなも、手伝ってくれ!」

 

カエル先生のその一声で、俺を含むこれからやる事を理解していた人たちはすぐさま行動を開始した。

バッグの中にある携帯型無菌室を膨らませ、その中に患者である男性を入れる。

その間に、カエル先生が私服から手術着へと着替えを済ませ、無菌室に入ると再び患者(男性)を前に手術を再開した。

無菌室に入れる前よりもさらに鋭さを増した先生のメスさばきは、火傷まみれの男性の体を繊細に、そして大胆に荒らしていく。

その常人離れした巧みな技術に皆言葉を飲み込み、ただただカエル先生の手術に目を見張っていた。

遠巻きに見ている通りすがりの人たちでさえ、普通なら男性の体がメスで切られて体内が見えている状態だと言うのに、誰も目を背けようとしない。それどころか、携帯を取り出して写真や動画を撮る人たちがいるくらいだ。

 

それ程までにカエル先生の巧みな治療技術は、体内が露出してグロテスクな状態をさらしている男性よりも圧倒的な存在感を放っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――やがてカエル先生の治療がひと段落着き、手術が終わる。

 

全身に包帯を巻いてミイラ男と化した男性は、先程一度、呼吸が止まったのが嘘のように安定した寝息を立てながらスヤスヤと眠りについていた。

 

「術式終了。峠は越えたから、彼を病院へと運んで集中治療室(ICU)に」

「わ、分かりました」

 

カエル先生にそう言われた救急隊員の一人が、半ば放心状態のままそう答え、男性を救急車へと運んで行った。

その瞬間、遠巻きに見ていた旅行客の人たちからワッ!!っと拍手喝采が起こる。

まぁ、気持ちは分からないわけじゃない。こんな事、早々立ち会える機会なんて無いだろうしな。

周りが騒々しく騒ぐ中、俺は隣で未だに呆然と佇む服部に向けて声をかけた。

 

「どうだ?とんでもねぇだろ?カエル先生は」

「……は、ハハッ……あの先生、大国主命(オオクニヌシ)の神さん(医療をつかさどる神)の化身なんとちゃうか?」

 

引きつった笑みを浮かべながら服部はカエル先生を凝視する。

すると手術用のマスクを外しているカエル先生のもとに、服部本部長が先生に拍手を送りながら歩み寄って来た。

 

「いやぁ、お見事でした。神の領域とうたわれる先生の執刀、しかと拝見させてもらいましたわ」

 

心底感服したと言わんばかりの本部長のその言葉に、カエル先生は一瞬苦笑を浮かべると直ぐに真剣な顔になって口を開く。

 

「医者として僕が出来るのはここまでです。……後の事は頼みましたよ?」

「ええ、お任せください」

 

カエル先生のその言葉に、本部長さんはしっかりとそう頷いて見せた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:????

 

 

――……何だ?

 

――何なんだ、あの医者は!?

 

――仕留めたと思った。確実に息の根を止められたと思った!()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!

 

――だから、たとえ周りの人間に救急車を呼ばれようと助かるはずがない。そう確信していた……!!

 

――その……はずだったのにぃッ……!!

 

――たまたま居合わせたカエル顔のあの男のせいで全て台無しになった……!!

 

――どうする?奴が救急車で病院へ運ばれた以上、警察が見張りに着くのは必然。もう死にぞこなったアイツを仕留める事は出来ない……!

 

――……ならば仕方ない。悔しいが、このまま()()()()()()計画を移行するしかない!

 

――……今度は絶対に失敗しない。確実に仕留める……!

 

――もう、あの妙な医者に横槍を入れられないためにも……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

救急車が男性を乗せて走り去るのとほぼ同時に、近くで待機していた大阪府警が現場を保存しにかかる――。

俺と服部はそれを横目に、本部長さんが警察としての仕事をするためにカエル先生から離れたのを見計らって先生へと声をかけた。

 

「相変わらずスゲェな、カエル先生は」

「医者としては死の淵に瀕した人間に全力を尽くすのは当り前だよ。……でも、分かってるとは思うけど、あの患者から何が起こったのか事情を聴くのはまだしばらく先になるね?何せ重度の火傷の上、あの高さから落ちたんだ。全身複雑骨折もしてたから話を聞けるのは三日くらい先になるだろうね?」

「み、三日て……そらあいくら何でも早すぎやしませんか先生?」

 

カエル先生のその言葉に、口元を引きつらせながら服部がそう尋ねると、先生はキョトンとした顔で続けた。

 

「……?僕の診断が信用できないのかい?先の手術で火傷による呼吸困難を気道確保で治した流れで、骨折している中で重傷だと思える個所を全て補強、復元して治療したからそれくらいの期間が妥当だと判断したんだが……」

「…………」

 

まさか、あの短時間での手術でそこまでの事を行っていたとは思っていなかったのか、カエル先生のその言葉に服部はあんぐりと口を開いたまま沈黙する。

 

……まぁ、俺はもう慣れちゃってるからそれ程驚きはしねぇけど。

 

ハァ、とため息と一つ付いた俺は未だに呆然と佇む服部の(すね)目がけて軽く蹴りを入れる。

 

「オイ、いつまで呆けてるつもりだよ。……調べんだろ?大阪城の屋根の上」

「……お、おお、そうやな!」

「気を付けるんだよ?僕はあの患者(男性)を診にこれから病院へと向かうから」

 

俺の言葉にハッとなった服部はすぐに返事をし、それを見ていたカエル先生がそう言ってその場を去ろうと歩き始める。

が、直ぐに何かを思い出したらしく立ち止まると、俺たちの方へと振り返り言葉を続けた。

 

「……そうだ。言い忘れてたけど、あの患者(男性)の所持品は全部、服部本部長に渡しておいたから、気になる様なら彼に頼んでみると良い」

「ゲッ……親父にか?ったく……」

「ほら、行くぞ?」

 

悪態をつく服部を引っ張りながら、俺は大阪城内へと入って行く。その背後でカエル先生は俺たちの姿を静かに見送っていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:三人称視点。

 

 

「……そうそう、これやこれ!私の財布!」

 

大阪城近くの土産物屋。先程、蘭を連れて入ったその店の中で和葉は探していた財布が見つかり、歓喜の声を上げる。

大喜びする和葉を見ながら、土産物屋のおばさんは笑いながら口を開いた。

 

「感謝しいや。きっとアンタが直ぐに取りに戻って来る思て、警察に届けんととっといてあげたんやから。……大事な財布やったんやろ?ぎょーさんお守り入ってたし」

「うん!ありがと、おばちゃん!」

 

おばさんに感謝する和葉の横で、蘭が不思議そうに首をかしげる。

 

「あれ?お守りって一つだけじゃなかったの?」

「魔除けのお守りも買い足しといてん。前みたいに事件におおて、大阪見物が台無しにならんように!」

「へぇ~」

 

蘭がそう相づちを打ったその時だった。

今し方まで一緒に話していたおばちゃんが、知り合いらしき中年のおじさんと何やら話をした途端、素っ頓狂な声を上げたのだ。

 

「ええッ!?火ぃついた男が天守閣から落ちてきたぁ!?ホンマかそれ!?」

「ああ!今、警察と救急車来てえらい騒ぎになってんで!」

 

おじさんがそう言って頷く傍ら、蘭と和葉は沈黙したままその会話に耳を傾ける。

やがて和葉が「はぁ~っ」と大きくため息をつくと、手に持った財布の口を開け、そこから大量のお守りを取り出していた――。

 

「……効かへんやん、コレ」

「……だね」




遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。

最新話投稿です。

短めですが切りが良いので、ここで区切りをつけて投稿とさせていただきます。
ここから先は、まだ構成がしっかりと出来ていないので次回の投稿はしばらく時間がかかるかもしれません。


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カルテ29:加藤祐司/片桐真帆【3】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。


SIDE:三人称視点。(服部平蔵(はっとりへいぞう)遠山銀司郎(とおやまぎんしろう)の会話)

 

 

「……おお、来たか遠山」

「すまんな平蔵。仕事が立て込んでしもうて来るのが少し遅うなった。お前と和葉からの連絡で急ぎはしたんだが……」

「ん?何や和葉ちゃんもお前に連絡しとったんか」

「ああ。お前からの電話の後すぐな……。んで?天守閣から火のついた男が落っこちて来たんやって?どこにいるんや()()()()()は?もう搬送されたんか?」

「いんや、死んだ奴はおらん」

「……あん?どういうことや?」

「言葉通りの意味や。生きて今、近場の病院の集中治療室の中や」

「火ダルマになって天守閣の上から落ちたんやろ?……まず、助からんと思うが」

「……あの男は運が良かった。すぐそばに型破りな医者の先生が居合わせてくれたおかげで命拾えたんやから」

「医者……?――!ひょっとして、お前の部下の病気治してくれたっちゅう、カエル顔の先生か?」

「いやぁ、聞きしに勝る凄い先生やったで。救急車が来るのも待たずこの場で躊躇いなく手術を行ったんや。……しかも手術の腕も目を見張るもんでなぁ、年甲斐もなく子供みたいに高揚してしもうたわ」

「ほぉ~、お前がそうまで嬉々として絶賛すんのも珍しいわ。……それ程までに凄かったみたいやのぉその先生は」

「お前も一度、あの先生の手術を見てみれば俺の気持ちも分かると思うで?実に興味深い先生やからな」

 

「ほぉ~ん……。んで?平蔵。()()()()()()()()()()()()()()()()()

「…………」

「その先生や火ダルマになった男の事件でわざわざ俺を急ぎここへ来させるんはお前らしくないからのぅ。……もっと他に俺に話したい重要な事があったんとちゃうんか?」

「ハハッ、流石察しがええのぅ。……実はな、火ダルマになったその男の連れの中に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「聞き覚えのある?」

「ああ。――」

 

 

 

 

 

 

 

「――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:大滝悟郎

 

 

「――しかし、大変ですなぁ大滝警部も……。()()()()()()()()()

「まぁ、これが仕事ですから……」

 

背中からかけられた毛利さんのその言葉に、私こと大阪府警捜査一課で警部を務めている大滝悟郎(おおたきごろう)は、苦笑を浮かべながらそう答え返していた。

昨日起こった浪花中央体育館での殺人事件。――確かに、それと今回の事件の連続で、毛利さんの言う通り少々疲労がたまっているのは否めないが、そこは職務上割り切るしかない。

それに、前日の事件は平ちゃん(服部平次)が即行で解決してくれたから長引かずに済んだんで、事件を二つ掛け持ちする事がなくなったと思えば気が楽だ。

 

「……けど、よう分かりましたなぁ。被害者だというその男の名前が加藤祐司(かとうゆうじ)やと」

 

現場に足を踏み入れながら手袋をはめると、私は後ろにいる毛利さんにそう問いかける。

すると、毛利さんからすぐに答えが返って来た。

 

()()()を見たんですよ」

「……バッジって?」

 

怪訝な顔でそう尋ねると、毛利さんは続けて説明をしてくれた。

 

「被害者の男性の胸に小さな桐紋(きりもん)が付いていたんですよ。……秀吉の家紋である五七の桐が。それで直ぐに、()()のツアー仲間で、()()()だった人だと分かって、顔を確かめてもらったんスよ」

 

そう言いながら毛利さんは、自身の背後に佇む四人の男女へと視線を送る。

――それは先程。私がここに到着した際に被害者の関係者だと名乗って来た四人であった。

 

確か……四人の中で一番背の高い男性が福島俊彰(ふくしまとしあき)さん。

逆に四人の中で一番背が低い、髭の生えた老人が糟屋有弘(かすやありひろ)さん。

そして、四人の中で唯一の女性で眼鏡をかけた片桐真帆(かたぎりまほ)さん。

最後の糸目の男性が脇坂重彦(わきさかしげひこ)さん、だったか……。

 

「……と言うか、何ですか?秀吉役って」

「ああ。……旅行中の余興として、ツアーメンバーにクジで戦国時代の有名人になり切ってもらって、罰ゲームみたいな事をやってたんです」

 

『秀吉役』だの何だのと良く分からない単語が出て来たので再度、毛利さんにそう問いかけると、答えてくれたのは四人組の一人である福島さんだった。

福島さんはそのまま私に向けて言葉を続ける――。

聞けば彼らの参加するツアー名は『8日間太閤秀吉巡りツアー』と言うらしく、ツアー参加者は皆秀吉ファンでインターネットで知り合った者たちが集まり、豊臣秀吉ゆかりの地の名古屋から京都を回り、ここ大阪へとやって来たのだとか。

そして毎日朝食後に皆でクジを引いて、それぞれ『信長』『秀吉』『家康』などの家紋のバッチを付けて役を決め、その日の一日はそれぞれの役の名前で呼び合いながら『信長』役の人をもてなさなければいけないというのがルールらしい。

 

「……ちなみに僕は『光秀』役で、『家康』役は糟屋さん。脇坂さんは『信長』役で、片桐さんは『ねね』……。そして、天守閣から落ちた加藤さんが『秀吉』役だったと言うわけです」

「……ほぅ、そらぁ楽しそうでんなぁ」

 

福島さんから説明されるツアー内容に内心、少し変わってるなぁとか思いながら、私は彼らに向けてさらに問いを重ねていた。

 

「……けど、何でツアー仲間があんななるまで分からんかったんですか?」

「あ、いえ……」

「……急にいなくなったからワシらも探しておったんじゃよ」

「派手な赤いフリースを着てたから……すぐ、見つかると思ったんですけど」

「まさかあんな所から……派手に燃えて落ちて来るとは思わなかったわ」

 

答えようとしていた福島さんだったが、それに割って入る様に糟屋さんが……そしてそれに続く形で脇坂さんと片桐さんが順にそう声を上げてきた。

するとそこで、毛利さんが唐突な言葉を彼らに向けて投げかけてきた。

 

「ところで……加藤さんが自殺を図った動機は分からないんスか?」

「え、ええ……全然」

 

少々戸惑いながらそう答える脇坂さんをしり目に、私は毛利さんに向けて問いかけた。

 

「何で、自殺って分かるんです?」

「こんなに雨が降っているのに屋根の上に出る者はまずいない。しかも、彼が着ていたのは火が着きやすいフリースだ。屋根に出て自分で火を着けた証拠です」

 

胸を張って得意げにそう答える毛利さんを見ながら、私は「は、はぁ……」と気の抜けた相づちを打つ。

自殺かどうか決めるのはまだ早計だと思うが……まぁ、かの名探偵がそう言うのならそうなのかもしれない。

そんな事を考えながら、私は「それにしても……」と、目の前で胸を張り続けている毛利さんをジロジロと眺めながら、先程から思っていた事を口にする。

 

「……けど、よう事件に巻き込まれる人でんなぁ。何かに憑かれとんのとちゃいますか?」

 

そう言った瞬間、毛利さんはこちらに顔を近づけて来ると、小声でひそひそと呟き始めた。

 

「……いやいやぁ。それを言うなら本部長の息子さんの方ですよ」

「……えッ!?平ちゃんもここに居てるんですか!?」

「ええ。息子さんだけでなく。本部長本人もあそこに」

「ええッ!!?」

 

そう言って毛利さんが指さす方向に、私は驚きながら振り向く。

見ると確かにそこには服部本部長が立っており、鑑識の人と何かを話しているのが見えた。

しかもその隣には、いつの間に到着したのか遠山のおやっさんの姿まである。

 

「……ああ。息子さんの方はさっきコナンと一緒に大阪城の中に入って行きました。……もう少ししたら戻って来るんじゃないですかね?」

 

本部長たちの姿を見てポカンと立ち尽くす私の心境など気にも留めず、毛利さんはそう言いながら大阪城を見上げた。

すると福島さんが物思いにふけるようにポツリと声を漏らす。

 

「……でも、信じられません。あの加藤さんが自殺しようとするなんて……」

「僕もそう思います……。彼はこの大阪に来るのを楽しみにしてましたから……」

「人間なんて頭の中で何を考えてるか分かんないわよ」

「……もしかしたら太閤さんのゆかりの地で、自決する覚悟を決めていたかもしれんしのぅ……」

 

福島さんの言葉に脇坂さんが同意し、それにつられるように片桐さんと糟屋さんがそう響く。

そんな会話を耳にしながら、毛利さんは私に向けて再び小声で話しかけてきた。

 

「あとは何で火を着けたかです」

「ええ、まあ……。それさえ見つかれば……」

 

私が毛利さんにそう答えた時、聞き慣れた声がその場に響いた。

 

「――見つけたで」

「「!!」」

 

その声につられて反射的に毛利さんとそちらへと目を向けると、平ちゃんが毛利さんとこのコナン君と一緒にこちらへとやって来るのが見えた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

天守閣での捜査をひとしきり終えた俺は、服部と一緒に大阪城から出ると現場にやって来ていた大滝警部とおっちゃんと合流した。

そこで服部は、二人に大阪城の屋根の上に置いてあった(ふた)つきのオイルライターを見せると、途端にそばで見ていた片桐さんが声を上げたのだ。

 

「あら!それって、加藤さんが持っていたライターじゃない?」

 

片桐さんのその言葉に、隣に立っていた福島さんも「え、ええ……」と頷いて見せる。

 

「これで自殺は決まりだな」

「いや、そうとは限らんで」

 

確信をもってそう呟くおっちゃんだったがすぐさま服部が否定し、言葉を続けた。

 

「……このライター()()()()()()()。自殺する奴がわざわざ蓋閉めると思うか?」

「でも平ちゃん。ライター落とした時に偶然閉まってもうたんかも……」

 

大滝警部がそう言うも、それも服部は即座に否定する。

 

「そうやとしたら、もっと屋根の下の方に転がるはずやで。……せやけどライター(これ)があったんは屋根の上の方――それも(むね)の部分に使われとる熨斗瓦(のしがわら)の上や」

 

――そう。加藤さんが燃えた時に立っていた所も棟の上だった。はずみでライターを落としたのなら、そこに落ちる可能性はまず無い。落としたというより、そこに()()()と考える方が自然だ。

 

「……それに、このライターが置かれる前に()()()()()置いてあったみたいやし」

「別の何か?」

 

服部の言葉におっちゃんがオウム返しにそう聞き、それに強く頷いた服部は続きを口にする。

 

「……このライターが置いてあった下の屋根が変な形に濡れずに残ってたんや。ライターの形の長方形やのうて()()()()()になぁ。……あらきっと、()()()()()から屋根の上に()()()()()()置いてあって、雨が降った後それを取ってから同じ所にライター置いたんやで。……な、ボウズ」

「うん!」

 

そう服部が同意を求めるように俺に声をかけてきたので、俺は頷いて見せた。

俺もその推理で合ってると確信していたからだ。

 

「けど平ちゃん。何なんや?その『円形の何か』って」

「さぁ?まだ分からへんわ。……()()()()()()()()()()()()()()()()に関係あるモンやとは思うけど……」

 

大滝警部の問いかけに服部がそう答えて頭を振る。

屋根の上にはライターの他にも『何かの欠片』が無数に散乱していた。被害者が燃えた時、()()()()()()()()()()()が同時に響いていたから、恐らくあの無数の欠片は()()()()()()()()()()だと考えていいだろう。

 

「……今の所、分かるのはここまでやな。他に手掛かりがあるとすれば……ああ、そや。被害者の所持品、それを調べれば何か出るかもしれへん――って、あっちゃあ~……確かカエル先生が親父に全部渡したとか言うとったなぁ」

 

頭をガシガシとかきながら嫌そうにそう呟く服部に、大滝警部が宥める様に口を開いて来た。

 

「まぁまぁ平ちゃん。仕事上、私も所持品を調べなあかんから一緒に本部長のとこ行って頭下げようやないか。ちょっと前に遠山のおやっさんも来てる事やし」

「誰が親父なんぞに頭下げるか――って、遠山のおっちゃんも来とんのか!?」

「ああ、今本部長と一緒になってあそこに」

 

驚く服部を前に大滝警部がそう言いながら小さく指をさす。

その方向にはシートの上に被害者の所持品らしき物が並べられ、それをジッと見降ろす服部本部長と遠山刑事部長の姿があった。

それを見た服部は「うげぇ」と明らかに嫌そうに顔を歪める。その様子を見るにどうもコイツはあの二人の事が酷く苦手らしい。

しかし、事件の真相を暴くには被害者の所持品を調べる必要がある。

俺は渋々と言った(てい)の服部と大滝警部、そしておっちゃんと一緒に本部長たちの所に歩み寄った。

それに気づいた本部長と刑事部長は、所持品から顔を上げてこちらへと視線を向ける。

 

「……おお平次、お前らも被害者の所持品を見に来たんか?」

「お、おおそうや。ちょいと見せてもらうで」

 

服部本部長の問いかけに目を泳がせながらそう答える服部。

 

「ふん、刑事でも何でもないお前に事件の重要な証拠品見せんのもどうかと思うがな」

「…………」

 

嫌味をたっぷり含ませた本部長のその言葉に、服部はジト目で口元を引きつらせる。よく見るとこめかみに僅かに血管を浮き立たせていた。

 

「ま、まぁまぁ……そ、それじゃあ本部長におやっさん。被害者の所持品、少し調べさせてもらいますね」

「ああ、ええで。こっちはさっき調べ終えたばかりやからな」

 

二人の間に入ってへこへことしながらそう頼み込む大滝警部に、遠山刑事部長がすんなりとそう答えて了承し、俺たちに向けて所持品が見えるように本部長と一緒にその身を移動させてくれた。

何だかんだ言いつつ、警察関係者でもない俺たちにもこうやって配慮してくれる辺り、この二人は良い人達だと思う。

 

「では失礼して。……ふむ、財布に腕時計に携帯電話。恐らく自宅や車の鍵とかを束ねたキーホルダー……。そして煙草に()()()()()……ん?」

 

一つ一つ被害者の所持品を確認していった大滝警部は、最後の品に目を止め、それを手に取る。

 

――それは古びた巻物だった。

 

手にした大滝警部はそれを広げて中を覗き見る。

 

「……何やこれ、『龍』っちゅう字しか書いてないやないか」

 

大滝警部の言う通り、被害者が火ダルマになっていた事もあって巻物は半分ほど燃えて朽ちてはいたものの、大半は白紙になっているようであり、唯一巻物の右上に『龍』という漢字が一つ書かれているだけであった。

 

 

『!!?』

 

 

すると途端に背後から()()()息を呑む声が響く。何だ?と思って俺が振り向くと、被害者と一緒にツアーに参加していた四人全員が信じられないものを見るかのように大滝警部の持つ巻物を凝視しているのが見えたのだ。

その様子に眉をひそめる俺。そんな俺の横で大滝警部は巻物を置いて別の品へと手を伸ばした。

 

「巻物もそうやが……何なんやこの欠片も」

「……焼き物の破片みたいやな」

 

巻物同様、被害者が所持していた焼き物の欠片らしき物を凝視しながら大滝警部と服部はそう呟く。

すると、その二人に向けて意外な人物が声をかけてきた。

 

「……その焼き物の欠片。それと似たようなモンを()()()()()()、見た事がある」

『!?』

 

その声に驚いた俺、服部、大滝警部、そしておっちゃんは一斉に振り返る。

そこには大滝警部の持つ焼き物の欠片をジッと見つめる遠山刑事部長の姿があった。隣には同じように欠片を見据える本部長もいる。

 

「ほ、ホンマですかおやっさん!?」

 

驚いてそう尋ねる大滝警部に刑事部長は強く頷いて見せる。

 

「ああ……とは言え大滝。お前は()()()()()()()の担当になっとらんかったから詳しい事を知らんのも無理は無いが……」

「や、ヤマ?ヤマってまさか……!」

 

何かに気づいたのかハッとなる大滝警部に刑事部長は再度頷くと、()()をゆっくりと話し始めた――。

 

()()()。……しかも二件とも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んや。……その焼き物の欠片とよう似たモンをもってなぁ」

「な、なんやて!?」

 

驚き声を上げる服部を前に、刑事部長の話は続く。

 

「……最初は十三年前に内堀の中で、そして次はついこの間、外堀で発見された焼死体が持っとった。……そんで科研(かけん)に調べさせたら、その二つは同じ時期に作られたっちゅうことが分かったんや」

「……そして、加藤さんもその二件の焼死体が持ってたのと似たような欠片を所持していた……。という事は、もしかしたら加藤さんもその二件の殺人事件に何らかの関わりがあるのかもしれませんね……」

 

顎に手を置きながらおっちゃんが唸るようにそう呟く。それを横目に見ていた大滝警部は、視線を刑事部長の方へ戻すと質問を投げかけた。

 

「……で、その二件の焼死体の事件。何か進展はあったんですか?」

「残念ながら未だに進展無しや。……せやけど――」

 

そこで刑事部長はいったん言葉を止めると、何故か本部長の方へチラリと視線を送った。

その視線を受けた本部長は一瞬だけ細い目を僅かに開けると、小さく肩をすくめて見せた。

それがどういった意味でのやり取りだったのか、傍で見ていた俺たちにはまるで分らなかったが、少なくとも二人の間では意思疎通が出来ていたらしい。

刑事部長は本部長から俺たちへと視線を戻すと、真剣な顔つきになって言葉の続きを口にした――。

 

「――……その焼き物の欠片を調べて行くうちに俺と平蔵は()()()()()()に行きついて、それからはその焼き物の欠片を(さかな)に酒を飲みながらその可能性についてよく話し合うようになったんや」

「何ですか?その可能性って……」

 

首をかしげながらそう尋ねるおっちゃんに刑事部長は直ぐに答えた――。

 

「……最初こそ俺も平蔵も、その可能性はしょーもない絵空事だと思うて本気に考えもせぇへんだんやが……二件目の焼死体が同じ欠片を持っとった事でいよいよもって現実味を帯びて来たんや――」

 

 

 

 

「――この二件の殺人事件の裏に潜む、()()()()()の可能性を――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――かの『黄金王』とうたわれた……豊臣秀吉(天下人)の宝がな……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:三人称視点。(カエル顔の医者と吉野綾花の会話)

 

 

「カエル先生、患者の容体はどうですか?」

「心配はいらないよ。呼吸もだいぶ安定しているから明日にはもう集中治療室から出してもいいかもしれないね?」

「そうですか、良かったで――(クゥ~)ぁ……」

「ん?……はっはっは!そう言えば今日はまだ昼も夜も食事にありつけていなかったね」

「うぅ……すみません」

「あんな事件が起こったんじゃ仕方ないさ。……先に食事に行くと良い。僕はもう少し患者の様子を見てから食べに行くことにするよ」

「あ……それじゃあお言葉に甘えてお先に失礼しますね」

「ああ。ゆっくりと食事を楽しんできなさい」




最新話投稿です。

前回から一ヶ月かかりましたが何とか書き上げました。
お待たせして誠に申し訳ありません。


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カルテ29:加藤祐司/片桐真帆【4】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。


SIDE:江戸川コナン

 

 

「秀吉の宝ぁ~?なんや、親父らにしては珍しく浪漫ちっくな事言うやないか」

 

服部本部長たちが唐突に口にした太閤秀吉の宝の伝説に、服部は露骨に呆れた顔を浮かばせる。

そんな服部の心境など知らぬ存ぜぬとばかりに、服部本部長は被害者が所持していた焼き物の欠片を手にすると、()()()()を俺たちの方へと向けながら口を開いた。

 

「よお見てみぃ、この焼き物の裏っ側。所々光る粒っぽいモンがこびりついてるやろ?」

 

そう言われて俺たちは全員、焼き物へと目を凝らして見る。するとそこには確かに光るキラキラした粒状の何かが内側にいくつもついているのが見えた。

すると、いち早くそれの正体に気づいたらしい服部がハッと声を上げる。

 

「おい、ひょっとしてそれ、『金』か……!?」

 

服部のその言葉におっちゃんらも驚きに目を見開く。

それを見た本部長は言葉を続ける。

 

「せや。鑑識に調べてもらう前やけど恐らくは間違いない。これと同じのが前の二件で見つかった焼き物二つにも、同じようについとったからのぅ」

「……しかも、その二件で見つかった焼き物には、それぞれ()()()()()()があったからなぁ」

 

服部本部長に同意するように刑事部長もそう声を上げた。

 

「特徴的な部分?」

 

首をかしげながらおうむ返しにそう訊く服部に対し、本部長はすぐさまそれに答えた。

 

「そや。……最初に見つかった焼き物にはまるで()()()()()()のような小さい穴があってな。そんで、二つ目に見つかったモンには表面に『八百四十八』っちゅう漢数字が描かれとった」

「――ッ!お、おい、まさかそれって……!」

 

本部長が言う『瓢箪の口』と『八百四十八』の漢数字。その二つのキーワードと先の『秀吉の宝』で何を意味しているのか気づいた俺はハッと目を見開き、それと同時に同じ結論に至ったであろう服部が大きく声を上げた。

それを見た服部本部長は強く頷いて見せる。

 

「……そう、太閤秀吉が(いくさ)で手柄挙げる(たんび)に、小っちゃい瓢箪を一個ずつ足してできたっちゅう金色の馬印――」

 

 

 

 

 

 

「――千成瓢箪(せんなりびょうたん)やないかってな……!!」

 

 

 

 

 

 

「せ、千成って事は……!!」

「まさかぁ……!?」

 

おっちゃんと大滝警部が驚愕に声を上げ固まる。

無理もない。俺も内心動揺している。唐突に現れた宝の存在を前に――。

 

「そういうこっちゃ。……もしもこの焼き物の破片が元は瓢箪の形をしててその中にぎっしり金が詰まっとって、そしてもし同じような物が千個あったとしたら大層な宝物や。……歴史的価値も足したら値段なんぞつけられへんやろうて」

(……なるほど。『瓢箪の口』に『内側に着いた金』、そして『八百四十八』が『一』から『千』までの()()()()()()()()()だったとしたら……自ずとその仮説にたどり着くって訳か)

 

遠山刑事部長のその言葉に、俺は一人納得する。

 

「……まぁ、せやから。似たような焼き物の破片持っとったその三人の被害者たちは、その宝を(ねろ)てて……それを独り占めしたろと(おも)てた誰かに殺害されたっちゅう可能性も……無きにしも(あら)ずやわなぁ?」

 

そう言いながら本部長はギロリと横目で福島さんたち四人を睨みつけ、その眼光に気圧された四人はビクリと肩を震わせた。

だがそんな本部長に小五郎のおっちゃんが異議を申し立てる。

 

「し、しかしそんな漫画みたいな事……。第一、本当にそんな宝があるかどうかまだ分かりませんし……この焼き物の破片だって瓢箪の口みたいな部分があるってだけで本当は全く別の形をしていたという可能性も否めないじゃないですか」

「……フッ、確かにそうですなぁ」

 

おっちゃんのその指摘に、本部長は()()()()()引き下がって見せた。

 

(……?)

 

俺は本部長のその反応に少しばかり違和感を持つも、それを考えるよりも前に福島さんたちから声が上がる。

 

「……で、でも、考えられなくは無いですよ?秀吉は死んだ後も、家康を恐れさせるほど大阪城に莫大な金銀を蓄えたと言いますし……」

「……秀吉が井戸水を清めるために、天守閣の目の前にある『金明水井戸(きんめいすいいど)』に大量の金を沈めたという伝説も残っています」

「い、いやぁでも、しかしですなぁ……」

 

福島さんの言葉に脇坂さんがそう言って賛同するも、おっちゃんは未だに信じられないのか渋るような難色を示す。

するとその瞬間、俺の隣で今まで成り行きを見ていた服部がハッと顔を上げた。

 

「伝説……まてよ、まさか……!」

 

そう小さく呟いた服部はすぐさま大滝警部に駆け寄ると――。

 

「大滝はん、ちょっとその巻物借りるで!」

「え、あ、へ、平ちゃん!?」

 

――未だに大滝警部が持っていた巻物を奪い取り、周囲から少し距離を置いた場所まで走って行く。

それを見た俺も慌てて服部の後を追った。

 

「お、おい!どうしたんだよ服部?」

 

しゃがんで巻物を広げ始めた服部の背中に、追いついた俺がそう声をかけると、服部はこちらを振り向かずに淡々と説明をし始める。

 

「この大阪城にはな、桜門(さくらもん)の右と左に天守閣を守ってる竜虎石(りゅうこせき)っちゅう石があるんや。……雨が降ったら龍と虎の絵が浮き出るゆうて昔から言われてんねん」

 

そこまで聞いた俺は、服部がしようとしている事にすぐさま感づく。

 

――『龍』という一文字しか書かれていなかったこの巻物。もしもこの巻物にその『竜虎石』と似たような仕掛けが施されているのだとしたら……。

 

俺は服部の手元を覗き込んだ。焼けてあちこちが無くなった何も書かれていない白紙の巻物。その巻物に今なお降り続けている雨が落ち、紙に染み込んで行く――。

すると、それ程間を置かずして紙の表面に変化が起きる。

 

「「!!」」

 

息を呑む俺と服部の前で白紙の紙に()()()()()()()()()が浮かび上がり始めたのだ――。

 

(……やっぱ大阪城の『竜虎石』みてぇに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のか……!)

 

俺がそう思っている間も巻物に書かれた内容が完全に見えるようになり、それを見た俺たちは更に驚いた。

文字の部分は焼けて失っていた所が多々あった為、内容は残念ながらほとんど分からなかったが、絵の部分はほとんど焼け落ちていなかったためその全容がはっきりと浮かび上がっていた。

 

――そこには紛れもなく『瓢箪』のような形をした図形が描かれていたのである。

 

「は、ハハハハハッ……!どないする工藤。親父たちの仮説が現実味を帯びてきよったで」

 

巻物の絵を見ながら空笑いを浮かべる服部に俺も苦笑を浮かべながら「ああ」と頷いて見せる。

これはもうほぼ間違いないと見ていいだろう。

今回被害にあった加藤さんを含む三人の被害者が持っていたという金の粒が着いた三つの焼き物の欠片。そのうちの二つには『瓢箪のような口』と『八百四十八と書かれた漢数字』がそれぞれついており、加藤さんに至っては『竜虎石』のように濡れれば文字が浮き出る仕掛けの施された『龍』の巻物を所持しており、更にその巻物にも瓢箪のような絵があった。

そして、その三人全員がここ大阪城で被害にあっている。

もはや秀吉の宝――『千成瓢箪』がこの事件に深く関わっていると見て間違いないだろう。

 

「……思えば加藤さんが大阪城から落ちた時、今わの際に握った傘……あれはこの巻物の秘密を指してたのかもしれへんなぁ」

「……ああ、そうだな」

 

服部の言葉に俺がそう返していると、後ろから大滝警部たちがぞろぞろとやって来た。

 

「どないしたんや平ちゃん。巻物持って急に走り出して……」

 

そう言いながら大滝警部は服部の手元にある巻物を覗き込む。

 

「こ、これは……!?」

 

そうして巻物に浮かび上がった絵を見ると驚きに声を上げ、それを聞いた他の皆も何事かと大滝警部同様に巻物を覗き込み、同じように驚きに目を見開いていた。

 

「ほぉう、こいつは……平蔵、どうやら俺らの仮説。案外的外れでもなかったみたいやのぅ」

「そのようやな、遠山」

 

遠山刑事部長と服部本部長がそんな会話を交わす。

そんな二人に対して服部は頷きながら口を開く。

 

「ああ。桜門の竜虎石みたいに雨で濡らせば何か出て来ると思うてそうしたら、大当たりやったわ。恐らくこの巻物は『龍の巻』や。ちゅうことは――」

「――『()()()』も、どっかにあるかもしれへんなぁ。竜虎石みたいに雨に濡れて瓢箪の絵図が浮き出る仕掛けがあったんなら、その巻物と対になる『虎の巻』があってもおかしくない。……しかも恐らくそれには、その瓢箪の隠し場所が書いてある可能性が高い。……そう言う事やろ?平次君」

 

服部の言葉を引き継ぐように、遠山刑事部長がそう言って見せる。

そう言った刑事部長に再び頷いて見せた服部は続けて口を開いた。

 

「そうやと思う。恐らく犯人もその『虎の巻』を探しとるんとちゃうかな」

「それを探す手がかりはあるんか?平ちゃん」

 

大滝警部の問いかけにすぐさま服部が(かぶり)を振った。

 

「いやぁ、そこまではまだ分からん。加藤さんが燃えた原因もまだ分からずじまいやし……こっから先はまた城の周辺を調べる必要があるわ」

 

服部のその言葉に、俺も内心で同意する。正直に言って今はまだ手掛かりが少ない。ここから先を推理するには服部の言うように、また事件現場やその周辺を捜索する必要があるだろう。

俺がそう思っていた時だ――。

 

 

 

 

 

 

――クゥ~ッ。

 

 

 

 

 

 

唐突にその場に気の抜けるような音が小さく響いた。

何だ?と思って音のした方へと目を向ければ、そこには顔を赤くして恥ずかしそうに俯く蘭の姿があった。

 

「……ああ、そう言えばウチら今日、お昼も晩御飯もまだ食べてへんかったわ!」

 

蘭のその様子を見た和葉がパンッと両手を打ちながら声を上げる。

どうやら先程の気の抜けるような音は蘭の腹の虫だったらしい。

まあ、和葉の言う通り事件の直前に昼を食べに行こうして結局事件に巻き込まれ、昼どころか晩御飯すらまだ食べていない状況なのだ。

そりゃ腹の虫の一つもなるだろう。

和葉は未だに恥ずかしがっている蘭を横目に服部に提案をする。

 

「なぁなぁ平次。ここはいったん休憩して晩御飯食べに行かへん?事件はお父ちゃんらに任せればいいし、平次だって飯食わへんと頭の回転も鈍くなるやろうし」

「そうやなぁ。平次君、和葉の言う通りここはワシらに任せて飯食いに行ったらええ」

 

刑事部長も和葉の提案に賛同する。その後押しを受けて和葉はそうしようと言わんばかりにうんうんと頷いて見せる。

 

「そやそや!……アタシ、大阪城新橋の向こうにええ店知ってんねん!そこで晩御飯しよ♪」

 

そう言って服部にニッコリと笑いかける和葉。

しかし、事件に熱中している今の服部にとってその提案自体が反発を掻き立てるモノだったようだ。

 

「じゃかぁしぃッ!!……目の前で事件が起こってるっちゅうのにやな、呑気に飯なんか食――」

「…………(ギロリ)」

「…………(ギロッ)」

「!!……く、く食えるわけ……ないじゃございませんか……?」

 

反発して和葉にそう怒鳴る服部だったが、本部長と刑事部長(二人の父親)に睨まれてその口調が瞬く間に委縮してしまう。

流石の服部もこの二人を前に強気に出るのは不可能のようだ。

 

「せ、せやから俺の事はほっといて、え~蘭ちゃんと食うて来てもろてもええねんで。かか、和葉ちゃん?」

 

二人の眼光に戦々恐々としながら、和葉の肩に手を置いてそう絞り出すように言う服部。

そんな服部を前に和葉は――。

 

「もうええわ!……行こう蘭ちゃん。アタシらだけで!」

「あ!ちょ、ちょっと、和葉ちゃん!?」

 

――不貞腐れた顔でそう言い捨てると、蘭の腕を取ってそそくさと行ってしまった。

そんな服部と和葉のやり取りをはたで見てやれやれと首を振りながら、俺は去って行く和葉と蘭の背中を見送る。

すると、同じようにそれを見ていた福島さんたちがそこで声を上げた。

 

「……あの、僕たちも夕食を食べてきてもいいですか?」

「へ?」

 

脇坂さんの言葉に、大滝警部が呆けた反応を見せる。

 

「ワシら昼からなーんも食べてなかったからのぅ」

「じゃあ私、雨で服が濡れちゃったから着替えにいったんホテルに」

「あー!ちょっとぉ!?」

 

糟屋さんと片桐さんが脇坂さんに引き続いてそう言い残すと、早々に現場を後にし始めた。

それを慌てて止めようとする大滝警部に福島さんが口を開く。

 

「直ぐ戻りますよ。我々が泊まってるホテル、近いから」

「……ほんなら早ぉ戻って来てくださいよ?」

 

呆れた目を浮かべながら渋々そう了承する大滝警部。

ツアー仲間があんな目に遭ったばかりだというのに、軽い調子でそれぞれが好き勝手行動する彼らに、何処か思う所があるようだ。

そんな大滝警部を横目に、俺は服部とこれから何処を調べようかと相談をし始めた――。

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:三人称視点。

 

 

コナンと服部は気づかなかったが、現場から去って行く福島たち四人の後姿を鋭い眼光で見つめる二つの影があった。

 

「…………」

「…………」

 

それは、服部と和葉の父親である平蔵と銀司郎。

二人は四人の姿が見えなくなるまで見据え続けると、そばに立つ大滝に銀司郎が声をかけた。

 

「オイ、大滝」

「はい」

 

呼ばれた大滝はすぐさま銀司郎のそばに歩み寄る。

銀司郎は寄って来た大滝の耳に口元を寄せると――。

 

「いいか。――……」

 

――小声で何かを耳打ちし始める。

そうして耳打ちした内容をすべて聞いた大滝は途端に顔を険しくさせた。

 

「――え?……わ、分かりました。部下に言うときます」

「気どられんようにな」

 

重い口調でそう念を押す銀司郎に大滝が小さく頷くとその場を離れ、それを見送った銀司郎は後ろに立つ平蔵へと視線を移す。

銀司郎のその視線を受けた平蔵は小さく頷いていた――。

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:毛利蘭

 

 

お父さんたちと別れた私と和葉ちゃん()()は、夕食を取るための店へと向かう道すがら、夜の大阪の街を散策していた。

事件が起きる前から降っている雨は未だ降りやまず、手に持つ傘にその水滴が落ちる度に、このまま永遠に降り続けるのではないかと言う錯覚すら覚えて来るほどだった。

不意に私は横で一緒に歩く和葉ちゃんへとチラリと視線を送る。

服部君と別れる際は凄く不服そうにしていた和葉ちゃんだったが、今はもう全くそんな様子は無い。

さっきまでの事が嘘のように、平然とした横顔がそこにあった。

 

その横顔を見ながら、私はさっきまでの事を思い出す。

服部君たちと別れて直ぐ、彼らとある程度離れた所で和葉ちゃんは一度、服部君の方へと振り返っていた。

そしてそこで和葉ちゃん(自分)の父親と何かを話しあっている服部君を遠目から見つめると――。

 

『……♪』

 

――フッと小さく笑っていたのを。

それを見て私は気づいた。彼女が敢えて夕食に行こうと誘ったのは、服部君により事件解決に集中してもらうために邪魔になりそうな自分たちを事件から遠ざけるための方便。

わざわざ憎まれ口をたたいてまでその口実を作ったのだ。

素直じゃないなぁ、と内心苦笑しながら和葉ちゃんを見つめていると、不意にその彼女の脚が止まり、私もそれにつられて止まってしまう。

 

「どうしたの?」

「ねぇ、あれって吉野さんちゃう?」

 

私の問いかけに和葉ちゃんがそう答え、それを聞いた私は前方へと視線を向けた。

見ると彼女の言う通り、そこには通りの人込みに紛れてこちらへとやって来る吉野さんの姿があった。

吉野さんの方も私たちに気づいたようで遠目ながらも「あっ」と表情を変えたのが分かった。

 

「蘭ちゃん和葉ちゃん。どうしたのこんな所で、他の人たちは?」

「お父さんたちはまだ大阪城で、私たちは一足先に夕食を食べにこっちまで来たんです」

 

歩み寄って来た吉野さんにそう問われて私がそう返答する。

すると今度は和葉ちゃんが吉野さんに声をかけた。

 

「吉野さんはどうしてここに?」

「私も貴女たちと一緒。カエル先生に先に食事に行くように言われてさっきまで近くのレストランで食べていたの。……()()()もう食べに行く店は決めているの?」

「はい、そうで――……え?二人?」

 

吉野さんの言った『二人』という単語を耳にして私の言葉が強制的に止まる。

――そして、そこに来て私は()()()()()()()、慌ててキョロキョロと周りに視線を回す。

でもやっぱり()()()()が私たちについて来ていない事を再認識するだけに終わった。

突然慌てだした私を見て不思議そうな顔を浮かべる吉野さんと和葉ちゃん。

その和葉ちゃんに向けて私は少々焦った口調で口を開いた。

 

「いっけない、どうしよう和葉ちゃん。コナン君連れて来るの忘れてた……!」

「え?あっ!ホンマや!」

 

私にそう言われて、和葉ちゃんの方もようやくコナン君がいない事に気づいたようだった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

「……オイ、服部。見ろよ。妙な所に妙な物が落ちてるぜ?」

 

服部と二人で大阪城の周辺を捜索していた俺は、その途中で『ある物』を発見し、それをハンカチに包んで持ち上げた。

そばに立つ服部もそれを覗き込んで見つめてポツリと声を漏らす。

 

「……乾電池?」

 

そう、それは単一の乾電池だった。それも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――。

 

「何でそんなモンがこんな所に……まてよ?それがもし、加藤さんが燃えた時の物やったとしたら……」

「ああ……。あれはおっちゃんの言う『自殺』じゃない。『殺人』だったって事だ」

 

服部の言葉に俺は強い確信をもってそう答える。

――まぁもっとも、カエル先生が加藤さんを助けてるから正確には『殺人未遂』、だがな。

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:毛利蘭

 

 

コナン君がいない事に気づいた私は、和葉ちゃんと吉野さんを連れて元来た道を引き返し、大阪城の堀を跨ぐ『極楽橋(ごくらくばし)』のそばへとやって来ていた。

 

「大丈夫やって。平次や蘭ちゃんとこのおっちゃんが、あの子と一緒に居てるんやから。……それに、ここには警察がぎょーさん来てんねんで?もう事件なんて起こらへんて」

 

口ではそう言いながらも、和葉ちゃんは私と吉野さんの先頭に立って歩いて行く。

何だかんだ言いつつも付き合ってくれる彼女に、私は嬉しさと感謝を感じながら大阪城へと向かう。

そうして未だに降り続く雨の中を、傘を差しながら極楽橋の上を渡り始めた時だ――。

 

「……?ねぇ二人とも、何かしらあれ」

「「?」」

 

最後尾を歩いていた吉野さんが前方に視線を向けながらそう私たちに声をかけてきた。

何だろう?と思いつつ私たちも吉野さんの見る視線の先を追う。

見ると極楽橋のちょうど真ん中あたりに、誰かが立っているのが見えたのだ。

男か女かは分からない、遠目でしかも雨の中なので視界も悪く、その上どうやら立っている人物はフード付きのコートを纏っており、そのフードを頭にすっぽりとかぶっているようであった。

それだけなら特に気にする程の事でもなく、ただの通行人だと思えたのかもしれないが、その人物が()()()()()()()()()()を見た瞬間、その考えは霧散していた。

 

「ちょ、ちょっと、あれって人ちゃう!?」

 

隣で和葉ちゃんがそう叫ぶも、私は目の前の光景から目が離せずにいた。

彼女の言う通り、それは正しく人だった。

だが、抱えている人物同様、雨と遠目からではっきりとはよく見えない。

しかし、しかし抱えている人物がそれを所謂お姫様抱っこで持っており、そこから四肢のようなモノがぶらりと垂れ下がっているのがかろうじて見えたため、それが人間であることは間違いなさそうだった。

何があったのだろうか?もしかして、何かしらの原因で抱えられている人物が倒れてしまい、それをもう一方が抱えて病院へと運ぼうとしているのだろうか?

だとしたら、私たちも手伝った方が良いだろう。

携帯を取り出して、私はその人たちへと駆け寄ろうとした。しかし次の瞬間――。

 

――抱えた人が起こした行動に、私たち全員が凍り付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

――その人は橋の欄干(らんかん)まで歩み寄ると、何のためらいも無く手に抱えた人を欄干の向こう側である堀の下へと落とそうとしたのだ!

 

 

 

 

 

 

「えっ、ちょ……!?」

「ちょっと!そこで何やってるの!!」

 

あまりの光景に言葉を詰まらせる私に代わるかのように、後ろにいた吉野さんの怒号が飛ぶ。

それを耳にしたその人物は見るからにビクリと肩を震わせてこちらを見、そして私たちの姿を視認するや否や明らかに動揺した様子を見せた。

それを見た私と和葉ちゃんはタイミングを見計らったかのように一斉にその人物へと駆け出していた。

そして、それを見たその人は更に動揺と焦りを見せ、私たちが辿り着くよりも先に手にした人を無造作に橋の上に転がすと、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

「「あっ!!」」

 

私と和葉ちゃんの声が重なると同時に堀の中からザバン!!という大きな水音が響き渡る。

和葉ちゃんと一緒に欄干から下を除くと、堀に大きな波紋が一つ広がっているのが見えた。

逃げられた。そう思っている暇など私たちには無かった。急ぎ橋に転がされたその人物へと二人で駆け寄る。

 

「大丈夫ですか――って、片桐さん!?」

「あ!ホンマや!!」

 

私と和葉ちゃんが驚きに声を上げる。

そこで倒れていたのは紛れもなく、ついさっきまで私たちと一緒に事件現場にいたツアー参加者の一人の片桐真帆さんだった。

頭から大量の血を流し、ピクリとも動かない。

 

「二人とも、私にその人を診せてちょうだい!」

 

そう言いながら吉野さんが私たちにより一拍遅れて駆け寄って来る。

そして、片桐さんのそばにしゃがみ込むと()()()()調()()で彼女の呼吸と脈を確認しだした。

 

「まずいわ。頭部の出血が酷い。もう虫の息だわ」

 

吉野さんの言葉に私と和葉ちゃんは息を呑む。

その間にも吉野さんは持っていたバックから清潔そうなハンカチを取り出すとそれを片桐さんの頭部の傷口へと押し当て、応急処置を施して行く。

 

「……二人とも、早く救急車を!あと警察も!」

「あ!ほんならアタシ救急車!」

「私はお父さんを!まだ大滝警部たちと一緒に居るはずですから……!」

 

私たちに向けて指示を飛ばす吉野さんに答えて、和葉ちゃんは救急車を、私がお父さんに携帯で電話をする。

 

「カエル先生から頭部外傷への応急処置の仕方を教えてもらっといて良かった……」

 

お父さんに電話をする(かたわ)ら、吉野さんが独り言のようにそう呟くと、彼女も私たちと同じく携帯を取り出し、何処かへと電話をし始めた。

 

「…………あ、カエル先生ですか!?3、40代くらいの女性一名が現在、大阪城極楽橋の上で頭部を損傷し重傷!至急、こちらに!応急処置は今行ってます!」

 

肩と頬に携帯を挟み込んでカエル先生に要点を的確に伝えながら、冷静に片桐さんへの応急処置を続ける吉野さん。

半ばパニックになりながら電話をする私や和葉ちゃんとはまるで違うその頼りがいのある姿に、私は場違いながらも憧れの目を向けずにはいられなかった――。




最新話投稿です。

前回の投稿から2ヶ月以上、本当にお待たせしてすみませんでした!
もうすぐこのエピソードも佳境に入ることが出来そうです。
次回はいつになるかは分かりませんが、頑張って書いていきたいと思います。


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カルテ29:加藤祐司/片桐真帆【5】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。


SIDE:????

 

 

――…………失敗した。

 

――……失敗した!失敗した!!失敗したッ!!!失敗したぁッ!!!!

 

――返す返すも失敗した!

 

――一度ならず二度までもしくじったッ!!

 

――どういう事だ!?一体何なんだこれは!?加藤を殺し損ねたあの時からケチがついてしまったのか!?

 

――クソッ!クソォッ……!!

 

――…………くそぉ…………。

 

――…………。

 

――……………………。

 

――………………………………。

 

――………………………………、()()

 

――次こそは絶対に失敗しない。

 

――もう誰にも……そう、もうあのカエル顔の妙な医者にも誰にも邪魔は絶対にさせない……!!

 

――()()()()()()()()()()()()()()……!!

 

 

 

 

 

SIDE:カエル顔の医者(冥土帰し)

 

 

「いやはや、まさかあれからそんなに間を置かずして第二の事件が起きるとはね?……よくやったよ吉野君、キミの的確な処置のおかげで彼女の命を繋ぎとめることが出来た」

「あ、えと……ありがとうございます」

 

私が吉野君に称賛の言葉を送ると、彼女は恥ずかしそうにそう返答する。

 

加藤さんへの処置を一通り終え、自分も食事に行こうとしていた矢先、吉野君から極楽橋でまたもや事件が起きたと連絡が来た時は流石に耳を疑った。

急いで駆けつけてみれば確かに吉野君が頭から血を流している女性を介抱していた。そばには何故か蘭君と和葉君の姿まである。

その上さらに驚く事に、介抱されている女性は例のツアー参加者の一人だと来た。

色々起こりすぎて混乱しそうになるも私はすぐさま冷静になって吉野君と交代し、『携帯型無菌室』を使ってその場で彼女の治療に当たった。

幸いにも吉野君が応急処置を施してくれたおかげで命を取り留めることが出来たものの、怪我を負った所が後頭部だったため、脳に何かしらの障害が出る可能性が出てきた。

これはまず間違いなく、伊達君と同様に今後は『デバイス』を付けて生活する事になるだろう。

 

大方の治療を終えて一段落すると、いつの間にか周りには多くの人だかりが出来ていた。

その中にはコナン君(新一君)や服部君。大阪府警本部長などの見知った顔も多くあった。

 

「先生!その人、大丈夫なんか!?」

 

私が治療を終えたのを見計らって服部君がそう声を上げながら駆け寄って来た。

 

「ああ、心配はいらない。脳に少し障害が残るだろうが、普通に生活できるまでに回復する事は保障するよ?」

「そ、そうかぁ。そらぁ良かった……」

 

服部君がそう言ってホッと胸をなでおろす。

しかし、その隣に立つコナン君は何故か険しい顔を浮かべながらそんな服部君の服を引っ張って来た。

 

「……オイ、安心している暇はねぇぞ服部!」

「ん?ど、どないしたんや工藤?」

「いいから、()()()()()()()()()()!早く!!」

「え、あ、ちょ……!」

 

戸惑う服部君の服の袖を引っ張りながら、コナン君は遠目からこちらの様子を見つめている蘭君と和葉君の所に急ぎ行ってしまった。

 

(新一君、何か焦っているように見えたが……何かあったのかね?)

 

首をかしげながらも私は私の役目に集中すべく、やって来た救急隊員に急ぎ患者を病院に運ぶように指示を出していた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:遠山銀司郎

 

 

「……どや、カエル先生の腕前は?凄いモンやろ?」

「あ、ああ……正直まだ信じられんわ」

 

隣に立つ平蔵の言葉に、俺は半ば放心状態でそう答える。

 

毛利探偵経由で極楽橋の上で新たな事件が起こったと知った俺たちは急ぎ現場に向かった。

そして到着すると、そこにはタッチの差で我々よりも先にやって来たと思しき白衣を纏ったカエル顔の男性が、血まみれで倒れている女性に応急処置を施している女性と入れ替わって治療しようとしているのが見えた。

カエル顔の男性は応急処置を施していた女性と一緒に、透明なビニール風船のような物を大きく膨らませると、その中に血まみれの女性を押し込んで何と橋の上で手術を始めたのだ。

これには流石の俺も開いた口が塞がらなかった。

今まで仕事の関係で色々な医師に会った事は多々あったが、大衆の面前で手術を行おうとする医師を見るのはこれが初めてだった。

しかもその医師は腕の方もデタラメに立っているようで、遠目からだったが見るからに死の淵に瀕していた女性の頭の傷を瞬く間に治療し、救命して見せたのだ。

俺は医師ではないが、警察官の観点から見ても彼女の怪我はまず間違いなく致命傷だった。それこそ今すぐ息を引き取ってもおかしくはないほどの。

しかし、そんな彼女をあのカエル顔の先生は一切の諦めを見せる事なく繊細かつ迅速な――完璧と呼べる対応を以って見事やり遂げて見せたのだ。

 

平蔵から前もって話に聞いていても正直半信半疑状態だったが、こうやって目の前にその『事実』を突きつけられてはもはや疑う余地など何処にも無かった。

 

「……せやけど、遠山。あまり長い事、呆けてる場合やないで?」

「……ああ、そうやな」

 

唐突に平蔵が警察官としての真剣な目つきになったのを見て、俺も気持ちを切り替える。

そして二人して野次馬の輪の中から外に出ると、少し離れた所で待ち構えていた部下たちの元へとやって来ていた。

()()()()()()()()()()()部下たちを前に俺は真剣な口調で口を開いた。

 

()()()()()()()()?」

「……申し訳ありません」

 

俺の言葉に部下の一人がそう絞り出すように答えた――。

 

例のツアー参加者四人がホテルへと帰るのを見送った直後、俺と平蔵は()()()()()()()()()を監視するよう部下たちに命じていたのだ。

しかし、四人がホテルに戻ったのを確認したそのすぐ後、監視していた()()()()()()()()まんまと逃げられてしまったのだ。

しかもその知らせを聞いたのが片桐真帆が何者かに襲われたという知らせを受ける()()だったため、そこでまんまと犯人に出し抜かれてしまったのだと思い知らされた。

 

「片桐真帆が死なんかったのは不幸中の幸いやったが……」

「ああ……こら()()()()()()()()()()()

 

平蔵の視線がこちらへと向き、そう言う奴に俺もその視線を受けて頷きながら答えた――。

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

「それホンマか!?誰かが片桐さんを()()()堀に落とそうとしてたっちゅうのは!?」

「う、うん。暗くて視界も悪かったけど確かに見たよ」

 

服部に詰め寄られながらそう問われて和葉は面食らいながらそう答える。

カエル先生と別れた後、俺たちはすぐさま現場を目撃していた蘭、和葉、そして吉野さんの三人にその時の状況を根掘り葉掘り聞き出していた。

話を聞くにどうやら店に行く途中、偶然吉野さんとばったり会い、そこで俺を連れてきていない事に気づいた蘭たちは急いで極楽橋の所まで戻って来たらしい。

そして、そこで偶然片桐さんが堀に落とされそうになっている現場を目撃したのだという。

 

「……そこで私が大声を上げたら、犯人は彼女を置いて堀の中へと身を投げたの」

 

吉野さんのその証言を聞きながら、俺は俯き考える。

どうやら、犯人にとって蘭たちが極楽橋にやって来たことは想定外だったようだ。

――犯人は片桐さんを橋から落とす前に彼女の頭を殴打していた。

彼女を殺す為だけなら、殴った後わざわざ堀の中に落とす必要はない。殴打した凶器でとどめを刺してその場を立ち去ればいいだけの話だ。

 

(……だが蘭たちが言うには、犯人は片桐さんを担ぎ上げて橋から堀へ落そうとしていた。それは片桐さんを殺した後、犯人は何かしらの計画(トリック)を実行しようとしていたんじゃないだろうか……?しかし、その途中で蘭たちに見つかってしまい、計画が水泡に帰してしまった……)

 

それがどんなトリックだったのかは、蘭たちの介入で中断されてしまったので分からずじまいだ。

だが、()()()()()()()()()()()()()()()()――。

 

(二つの殺人が阻止されたが、それは犯人側から見ると()()()()()()()という事になる。……恐らく今、犯人は相当焦っているはず。……もし、加藤さんや片桐さんの他に、()()()()()()()()()()()()()()()としたら…………ヤベェ!)

 

嫌な予想ではあったが、犯人がこのまま何もしないで終わりにするとは俺にはどうしても思えなかった。

俺はチラリと隣に立つ服部を見上げる。すると服部の方も俺の方へと視線を向けており、その顔は僅かながらに()()()()()()()()()()

どうやら服部も俺と同じ、嫌な予感を抱いたようだ。

二度の失敗で犯人が自棄(ヤケ)を起こしてとんでもない事を仕出かす可能性がある。

そうなる前に、どうあっても犯人を見つけ出さなければならない。

だが、そうしようにも現状、俺たちの手の内にある手がかりはあまりに少なく、犯人への糸口すら見つけられていなかった。

 

「……そや、片桐さんの所持品。あれに何か手掛かりがあるかもしれへん。それに犯人が片桐さんを抱えたんなら、そん時に犯人の毛髪やら指紋やらが衣服に残っている可能性だってあるさかいな……!」

(――!そうか……!)

 

閃いたとばかりにそう声を上げる服部に、俺も「それだ!」と言わんばかりにパッと顔を明るくする。

そして急ぎ片桐さんの所へ行こうと服部と共に片桐さんが寝かされている場所へと振り返った――。

 

――しかし、さっきまでそこにいたはずの片桐さんの姿は影も形も無く。それどころか、一緒に居るはずのカエル先生や救急車の姿さえ消え去っていた。

 

「片桐さんやったらさっき救急車に乗せられて行ってしもうたで?カエル先生も一緒に同乗して」

「あ、阿呆!何でそれを先に言わんのや!?」

「阿呆って何やねん!あんだけやかましく救急車がサイレン鳴らしとったのに気づいてなかったんか!?」

 

ギャーギャーと頭上から降って来る服部と和葉の痴話喧嘩をその身に受けながら、俺はどうしたものかと考えにふける。

今からでもカエル先生に携帯で電話して片桐さんの所持品に何か気になる物が無かったか聞こうか……と、そう思っていた矢先、意外な所からその問題はあっさりと解決することになった。

 

「片桐さんの持ち物を調べたいのだったら大丈夫よ?彼女の手術中、『事件解決に必要になるかもだから、一応鑑識の人に渡して来てほしい』って言って、カエル先生がこっそりと上着や持ち物一式を私に渡してきたの」

(――!ナイスだカエル先生!気が利くじゃねーか!)

 

吉野さんのその言葉に俺は内心ガッツポーズを作る。

恐らく後で俺や服部が調べると踏んでそうしたのだろう。こういった機転が利く所も含めて色々と頼りになる人だ。

 

「さっすがカエル先生!で、それらはもう鑑識に渡してあるんやな?」

「え、ええ……あ。あそこにいる人よ」

 

嬉々としてそう尋ねる服部に少々面食らいながら吉野さんはキョロキョロと辺りを見渡すと、橋の床で何か調べ物をしている鑑識の一人に目を止め、その人に指をさしながらそう呟いていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

吉野さんへの感謝もそこそこに、俺と服部はすぐさまその鑑識の元へ向かうと片桐さんの持ち物を見せてほしいと彼に頼み込む。

すると俺たちの頼みを聞いた鑑識の人は、急ぎ片桐さんの所持品を俺たちの前に差し出して見せた。

服部が本部長の息子だからなのか、それとも前々から服部にこう言った頼み事をされるのが日常茶飯事だったからかは知らないが、こうやって一介の高校生や小学生相手に手早く対応し、行動してくれるのはありがたかった。

俺たちは差し出されたそれらの品を片っ端から調べて行くと、いくつか気になる物を見つける。

 

「おい、工藤。見てみぃ、片桐さんも加藤さんらと同じ、焼き物の欠片持ってたで」

「ああ……こっちも気になるモン見つけたぜ?」

 

そう言って俺が手にしたのは、()()()()()()()だった。

そこには五人の男女が写っており、その内の二人は()()()若い姿をしていたが見覚えがあった。

 

「――!こらぁ、右端に移ってる男女。加藤さんと片桐さんやないか。二人は昔からの知り合いやったんか……!」

「ああ。しかも、()()()()()()()()()()が掲げてるの……『龍の巻』だぜ」

 

服部の言葉に、俺は頷きながらそう答え返す。

写真に写る男女は前列に三人、後列に二人立っているのだが、前列の中央――丸眼鏡に髭を生やした禿頭の老人が、焼け焦げる前のあの龍の巻を両手で掲げて持っていた。

そして、その右側には前列に片桐さん、後列に加藤さんが立って写っている。

残念ながら左側に写っている前列に立つ中年の男性と後列の若い男性が誰なのかは分からないが、この写真が事件と何らかのつながりがあるのは間違いなさそうであった。

 

「他になんか手がかりは……!見てみぃ、工藤……!」

「何だ?」

 

他に犯人に繋がる物は無いかと、片桐さんの持ち物を漁っていた服部の手が止まり、奴は俺へと声をかけてきた。

顔を向けた俺に服部が見せてきたのは、片桐さんが着ていた上着(コート)だった。

見ると上着の右わき部分の所々に()()()()()()()()がついているのが見える。

俺は眉をひそめながらそれを見つめ、口を開く。

 

「おい、それ()()か?……だが妙な形の血の跡だな。それが二、三個……しかも、どれも同じ形だ」

「ああ……恐らく、()()()やろうな。犯人が片桐さんを何か硬いモンで殴った時、その返り血が付着し、倒れた片桐さんを起こす時に着いたんやろう。……和葉らが犯人を目撃した時、犯人は片桐さんを抱えていたって言うとったしな」

 

そんな服部の言葉を聞きながら、俺はその奇妙な血痕に目を細める。

――小さく左半丸の曲線とその右側に規則性のある点々が縦一列にいくつもついている。

 

「……この点々みたいなの……ひょっとしたらこれ、()()()()()()()()()()()()()()か……?」

「かもしれんな……。犯人がそれ着て犯行に及んだっちゅう事かもしれんけど……問題なのは()()()()や」

「ああ……」

 

服部の言葉に俺は頷く。

残念ながら、犯人がファスナーのついた服を着て何をしようとしていたかは分からずじまいだが、半丸の方には俺も服部も心当たりがあった。

蘭たちの話によれば犯人は片桐さんを抱えていた。なら、この半丸はきっとその時に着いた()()の跡だろう。

 

もし犯人がまだその事に気づいていないのだとすれば……()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それからすぐ、俺たちは調べていた片桐さんの所持品の中から一品だけ鑑識から借りると、周囲にいる大勢の警察や野次馬へと見渡し始める。

 

「……アカン、何処にもいいひんで()()()()

「まだ来てないだけなら良いんだが、もう犯人は二度もしくじっちまってる……逃走したのか、それともまだ誰かを殺すつもりなのか……」

 

大衆の中に件の三人――福島さん、脇坂さん、糟屋さんの姿が何処にも無い事に、服部と俺は歯噛みする。

加藤さん、そして片桐さんの二人の命を奪う事に失敗している犯人が次にどんな行動を起こすのかまるで予測がつかないのだ。

 

――それに、最も重要な謎が未だに解けていない。

 

(『犯人の正体』……。それが誰なのかまだ分かってねぇ……!)

 

すぐに捜索して運よく三人を捕まえる事が出来ればいいが、あの三人の中の誰が犯人なのか分からなければ意味がない。

 

(クッソぉ……!事は一刻を争うってぇのに……!どうすりゃいいんだ……!!)

 

どんどんと焦りだけが積もり、俺は内心悪態をつきながらガシガシと頭をかいた。その時だった――。

 

「なぁ平次ー!いったん帰った方がいいんちゃうー?」

「ほら、風も強くなってきたし……!」

 

少し離れた所に立つ和葉と蘭が()()()()()()()()()()()()()()こちらに向けてそう声をかけてきた。二人の後ろには吉野さんの姿も見える。

 

「……んの阿保、こっちの状況も知らんと呑気な事言いよってからにぃ……!」

 

和葉たちの言葉にこめかみに血管を浮き立たせた服部が苛立たし気にそう呟くと、先程同様に和葉に向けて怒鳴ろうと口を大きく開けた。

 

「――ああっ!?」

 

だが、服部が何かを言うよりも先に、一陣の強風が唐突にその場を駆け抜けた。

風は蘭の持つ傘を巻き上げ、それを不意打ちで受けた蘭は思わず小さい悲鳴を上げると同時に傘を放してしまっていた。

蘭の手から離れた傘は風によって上空へと舞い上がり、数秒間空中を踊る。

 

 

 

「「――!!」」

 

 

 

そして――それを思わず目で追った俺は、ようやく()()()()()()()()()()

 

 

――犯人の、正体に。

 

 

「――オイ、服部……もしかして俺たち……!」

「えらい勘違いをしてたみたいやなぁ……!」

 

俺の言葉に服部は即座にそう答え返す。

どうやら服部も俺と同じ真相にたどり着いたようだ。しかし――。

 

(――犯人は分かったが、それでもまだ解けてねぇ謎がいくつか残ってる……。だが、今は時間が無い以上、それは犯人を捕まえてからでも――おや?)

 

飛ばされて行く傘を見つめながら俺がそんな事を考えていると、ふいに傘が落ちていく方向に見知った人物が立っているのが見えた。

 

「服部、あれって福島さんじゃ?」

「――!ホンマや丁度ええ、行くで!」

 

俺たちはほぼ同時に福島さんへと走り出す。後方で「あっ、平次ー!?」「コナン君!?」と叫ぶ、蘭と和葉の声を耳にしながら――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわっ!!な、何だぁ!?」

 

俺と服部が福島さんの所に駆け寄った時、福島さんは唐突に足元に落ちてきた蘭の傘に驚いていた。

チラリと見ると強風にあおられた蘭の傘は骨の部分がいくつもおしゃかになっており、もはや使い物にならない事は明らかであった。

 

「あれ?君たちどうしてここに……?」

 

駆け寄ってきた俺たちに気づいた福島さんがそう疑問の声をかけて来るも、今の俺たちにはそれに答えている余裕はない。

 

「なぁ、脇坂さんと糟屋さんはどないしてん?一緒やないんか!?」

「あ、うん……二人ともご飯を食べに行くって言ってホテルの前で別れてそれっきり。僕も雨に濡れた服を着替えたかったしね」

 

服部の言葉に先程とは別の服を着こんだ福島さんは、今着ている服を見せながら俺たちにそう言って来た。

その言葉に俺と服部は険しい顔で同時に顔を見合わせる。

 

(まさか、犯人は……――)

 

脳裏に飛来した嫌な予感に俺は考えを巡らそうとするも、それよりも先に福島さんから声がかかった。

 

「そ、それよりもどうしたんだい?何か、今度は極楽橋の方で人だかりが出来ているみたいだけど……」

「悪いけど詳しい話は後で大滝警部たちから聞いてくれ。それよりもや――」

 

そう言いながら服部は先程借りてきた片桐さんの所持品の一つ――『古い写真』を懐から出すと、それを福島さんに見せながら言葉を続けた。

 

「――この写真に写ってる人物に心当たりは無いか?」

「ん?どれどれ……」

 

服部に促されて福島さんは写真を覗き込む。

 

「……ん~、今より若いけど右側の手前と奥にいるの加藤さんと片桐さんだね。真ん中に写っているお爺さんと左隣にいるおじさんは知らないなぁ……あれ?おじさんの後ろにいるの、もしかして平野(ひらの)さん?」

「平野?」

 

俺がおうむ返しにそう問いかけると、福島さんは頷いて話し始めた。

 

「僕たちが参加している、このツアーの()()()だよ。……僕たちは皆、平野さんのホームページで知り合った仲でね。その仲間で一度旅をしようという事になったんだよ。……ちなみに『例の余興』を考えたのもその人なんだよ。まぁもっとも、当の本人の平野さんは残念ながら、旅の直前に急用が出来たとかで来れずじまいだったけどね」

「「…………」」

 

その話を聞いて俺と服部は沈黙したまま再び顔を見合わせる。

そんな()()()()()()に気づいていないのか、福島さんは更に言葉を続けた。

 

「もしこのツアーの事で何か知りたい事があるんだったら、平野さんにも連絡して聞いてみた方がいいよ。ホームページは『伝説の黄金王』で検索すれば、直ぐに分かるから」

「……あんがとな、福島さん。充分や。……急ぐで坊主(工藤)!」

「ああ!」

 

感謝もそこそこに福島さんと別れた俺たちは、急ぎ大阪城から夜の街の中へと向かって走り出した。

()()()()()に気づいてしまった今、何としても犯人を早急に捕まえなければ……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:三人称視点。

 

 

「えッ、あ、ちょっと君たち!?…………行っちゃった、何だったんだ一体……?」

 

風のように去って行った服部とコナンを半ば呆然となって見送りながら、福島は無意識にそう呟く。

そのそばでは今し方やって来たばかりの蘭が、おしゃかになった傘を拾い上げる。

 

「あーあ。もう、傘ぐちゃぐちゃ……。服部君もコナン君も、何で拾ってもくれないでさっさとどっか行っちゃうのよぉ……」

 

悪態をつく蘭に、後から大滝と吉野の二人と一緒にやって来た毛利が口を開いた。

 

「ほうっておけよ、アイツらの事は。傘だって近場の店でまとめて買った安もんだからいいじゃねぇか」

「けど、どうしたんでっしゃろ平ちゃんたち。急に走って行ってしもうて……」

 

心底どうでも良さそうにそう言う毛利の横で、大滝は服部とコナンが走って行った方向を見ながら首をかしげて呟く。

それに答えたのはそのまた隣にやって来た和葉であった。

 

「……きっと分かったんや。犯人が誰なんか。……だって――」

 

 

 

 

 

「――だって、平次。遠目からでもキラキラした顔しててんもん♪」

 

 

 

 

満面の笑みでそう言う和葉に、その場にいた毛利と大滝は思わず呆気にとられ、蘭は小さくクスリと笑みを浮かべていた――。




最新話投稿です。

次回がいよいよ解決編です。ようやくこのエピソードも終わりが近づいてまいりました。
いやぁ~長かった!長かった!HAHAHA!!(空笑い)

次回は早めに投稿できるよう頑張りますw(願望)


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カルテ29:加藤祐司/片桐真帆【6】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。


SIDE:江戸川コナン

 

 

大阪城を出た俺と服部は、ひたすらに夜の大阪の街を走っていた――。

 

「クソッ!あの二人、一体何処行きおった!?」

「ああ……あの人達が泊まっているっていうホテルにも行ったが、帰って来てねぇって言うしな……!」

 

雨の降り続ける歩道――その道端で足を止めて呼吸を整えながら、そう言う服部に俺は答え返す。

最初の加藤さんの事件で福島さんたちが事情聴取を受けた際、彼らから聞かされていた宿泊しているホテルへと駆けこんだ俺たちだったが、そこの受付係から福島さんを除く糟屋さんと脇坂さんの二人は帰って来ていないという答えであった。

いよいよもってヤバい状況になって来たと予感した俺たちは、反射的にホテルを飛び出すと目的地も定まらずただ闇雲に二人を探して街中を駆け回り続けていたのだ。

 

「こりゃやべぇぞ服部。いったん大滝警部に連絡して二人を探してもらうしか――」

「――いや待て、工藤。見てみい」

 

切羽詰まった口調でそう服部に声をかけた俺の言葉を遮り、服部は車道を挟んで向かい側にある歩道へと指さす。

そこには傘をさして歩いている糟屋さんの姿があった。

 

「糟屋さんだ……!」

「どう見ても……泊っているホテルへと戻る方向やないなぁ。……こらぁやっぱり、()()()()()()()()……!」

 

俺たちに気づかず何処かへと去って行く糟屋さんの背中を見据えながら服部がそう呟くのを耳に、俺はポケットからイヤリング型携帯電話を取り出す。

 

「よし、警察にこの事を――」

「――止め」

「?」

 

警察へと電話しようとした俺に、服部はすぐさま待ったをかけた。

怪訝に思いながら服部を見上げると、服部は糟屋さんを見つめたまま言葉を続ける。

 

「警察来て騒ぎになったら、逃げられてしまうかもしれへん。……ここは俺らだけで開けたろやないか?――『真実の扉』っちゅうヤツを……!」

 

そう言い終わるやいなや、服部は設置してあるガードレールを乗り越え、向かい側の歩道へと向かって車道を横切り走って行った。

 

「お、おい服部!」

 

一拍遅れて俺も服部の後を追って車が来ていないのを確認すると車道を横断し向かい側の歩道へと走る。

そうして俺と服部の二人は、糟屋さんに気づかれぬように尾行を開始したのだった――。

 

 

 

 

――だがその時、俺も服部も気づいてはいなかった。

 

――糟屋さんを追う俺たちの姿を、路地の影から複数の怪しい眼光がとらえていたのを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:カエル顔の医者(冥土帰し)

 

 

「いやぁ、ホンマ今回はお世話になりましたわカエル先生」

「こちらこそ、大阪の観光案内をしてくださってありがとうございました」

 

新大阪駅のプラットホーム。そこで私は服部本部長とそう言って握手を交わしていた。

私のそばには荷物を持った吉野君。そして本部長の隣には遠山刑事部長と大滝警部の姿があった。

 

 

 

――大阪城で加藤さんが火ダルマになった事件からはや()()()

 

ここでの役目をすべて終えた私は、大阪に別れを告げ米花町へと帰るためにここに立っていた。

既に工藤君たちは何日か前に大阪を()っている。我々がこの地(大阪)にいる時間ももうあとわずかだ。

大阪城の一件で米花町へ帰る日が大幅にズレてしまったが、まあそれは仕方ないだろう。

 

「今後もカエル先生とは、親しい付き合いをさせてもらいたいものですわ」

「……そう思うのだったら、()()()()()()()()()()()()()なんて考えない方が良いね?僕はともかく、()()()()大分根に持っているみたいだよ?」

 

本部長の言葉に、私は思わず素の口調でそう言って苦笑すると、チラリと視線を移動させる。

そこには少し離れた所に服部君と和葉君の姿があり、服部君は見るからにぐぬぬと呻かんばかりに本部長を睨みつけており、和葉君はそんな服部君を苦笑顔で見つめていた。

そんな私と服部君、和葉君を順に見やると本部長の方もバツが悪そうな顔を浮かべた。

 

「……まぁ、()()()()は確かにやり過ぎ感があった事は否定しません。親として返す言葉はありませんわ」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。その点は賞賛しますけどね?後で息子さんから制裁を受ける羽目になるかもしれませんが、そこは覚悟しといた方が良いかと」

「いや、先生。実は昨日もうその制裁は受け取るんですわ。……()()()()

 

私の忠告に本部長は苦笑しながらそう答えると、()()()()()()()()()()()()()()()()

何があったかは私が知る由も無いが、よっぽど手痛い目にあわされたようである。

 

「おやおや」と呟きながら、私はふと事件後に大滝警部から聞かされた事の顛末を脳内で振り返っていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:三人称視点。

 

 

雨降る夜でも喧騒(けんそう)賑やかな大阪の街の外れ、街中とは打って変わって人気が全くもってない静まり返った倉庫街の中を、傘を差した糟屋は一人歩いていた。

懐中電灯などの明かりもつけず、夜目に慣れた眼だけで迷いなく歩き続ける糟屋の前に、一軒の大きな倉庫が出迎える。

糟屋はその倉庫へと迷わず足を進めた。

出入り口から入るとすぐそばに鉄製の階段がある。外よりもさらに暗い倉庫の中、糟屋はその階段の前でいったん立ち止まるとポケットからライターを取り出し、その火の明かりを頼りに階段を上り始める。

カンカンと小さな金属音を響かせながら糟屋がその階段を登ると、倉庫の壁に沿って細い廊下が伸びていた。

倉庫の二階は吹き抜けとなっており、足場の面積は一階の半分も無い。その中を糟屋の歩く足音だけが静かに響き続けていた。

そこからまた更に階段が現れ、糟屋は二階から三階へと更に上へと上がって行った。

そうして三階へと着き、そこの廊下を歩き始めて直ぐに、糟屋は()()()()()に出会う。

細い廊下の先にあった少し開けた場所。そこにはメラメラと燃える可燃物を入れたドラム缶が置かれており、その場を炎が仄かに照らし出していた。

 

そして――その場所に、ツアー参加者の一人である男性が静かに佇んでいる姿があった。

 

その人物を視界に収めた糟屋は軽い口調でその者に向けて声をかける。

 

「……おお、待たせて悪かったのぅ――」

 

 

 

 

 

「――脇坂さん」

 

 

 

 

糟屋に声をかけられた人物――脇坂は頭に手を置きながら「いえ……」とこちらも軽く返答して見せる。

そんな彼に糟屋は歩み寄りながら更に口を開く。

 

「それで、()()()は?」

「あそこです……あそこにある箱の中に」

 

そう言って脇坂が指さす先――そこには少し離れた所に大きめの木箱が置かれているのが()()()()()見えた。

それを見た糟屋は「おお、そうか!」と声を弾ませながらその木箱に駆け寄る。

木箱の前にしゃがみ込んだ糟屋は火のついたライターを片手にその中を漁り始める。しかし、直ぐにまた背後にいる脇坂に向けて声をかけていた。

 

「……じゃが、目当ての物以外にも色々な物が入っている上に、暗くて何が何やら分からんのぅ」

 

糟屋の言う通り、木箱が置かれていたその場所はドラム缶の明かりが届いていない所にあり、ライターの明かりも心許なく手元に何があるのかさえ分かりにくい状態であった。

一個一個、木箱の中の物を取り出してライターの明かりをかざしながら確認していく糟屋に、背後に立つ脇坂は静かな口調で声をかけた。

 

「じゃあ……箱の横に置いておいた、()()()()()使()()()()()()()

「ん?……これか?」

 

脇坂に言われるがままに糟屋が木箱の横へと視線を移すと、そこには確かに()()()()()()()()が立てて置かれているのが目に入った。

それを手にする糟屋に脇坂は更に言葉を続ける。

 

「それで照らせば直ぐ見つかりますよ。……お目当ての、『虎の巻』が」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

そんな彼の表情に気づかない糟屋は、流れるままにその懐中電灯のスイッチを押そうとし――。

 

 

 

 

「――つけたらあかん」

 

 

 

「「!?」」

 

唐突にその場に響いた第三者の声に、糟屋と脇坂は反射的に動きを止めて硬直する。

そして二人同時に声のした方へと目を向けると、そこには大阪城で出会った色黒の高校生探偵が立っていた。

驚く二人を前にその高校生探偵――服部平次は、糟屋に視線を向けながら言葉を続けた。

 

「それつけたら、()()()()()()()()()()()?……加藤さんが大阪城天守閣の屋根の上で()()()()()()()()ようにな。……せやろ?脇坂さん」

「…………」

 

視線を脇坂に移動させてそう問いかける服部に、脇坂は顔を背けながら沈黙する。その顔に薄っすらと冷や汗を浮かばせながら。

そんな脇坂の様子から事実だと察した糟屋は、慌てて懐中電灯から手を離すと服部と脇坂の元に駆け寄りながら口を開いた。

 

「じゃ、じゃあ……加藤さんをあんな目に遭わせたのは……!」

「ああそうや。この脇坂さんや。……そんで、爺さんは知らんかったやろうけど極楽橋で片桐さんを殺そうとしたのも、な……」

「ええっ!?」

 

服部の言葉で片桐が殺されかけた事を今初めて知った糟屋は驚愕に目を見開いて脇坂を見る。

そんな糟屋を見つめたまま服部は言葉を続けた。

 

「そうや……爺さん、さっきのアンタの場合と一緒で加藤さんも片桐さんも、『虎の巻の在りか教える』っちゅうエサで釣ってな……」

 

そこで言葉をいったん区切った服部は視線を糟屋から脇坂に移動させながら再び口を開き、説明を始めた。

 

「……加藤さんの時は簡単や。その巻物を『天守閣の屋根の、どっかの瓦の下に隠した』とでも言うたらええんやからな。……屋根の上に出るんは人の多い昼間を避けて夜まで待たなあかんし、暗なってから降りたんはええけど明かりが無いとそれがどの瓦か分からへん。……仕方なしに加藤さんは持ってたライターの火で辺りを見回しとったら、()()()()()()()()()を見つけてくれるっちゅう寸法や。……脇坂さんがあらかじめそこに置いてた――」

 

 

 

 

「――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……」

 

 

 

 

「なるほど……加藤さんはライターより便利な懐中電灯を見つけ、思わずスイッチを入れてしまったというわけか……」

 

服部の言葉に合点がいったとばかりに糟屋が納得しながらそう言って俯いたままの脇坂を見据える。

そんな糟屋に服部は頷きながら言葉を続ける。

 

「ああ。……そしたら懐中電灯が粉々になる代わりに、加藤さんの指紋がついたライターは屋根の上に残って、自分で火ぃ着けて自殺したように見えるやろ?……屋根にあったライターの下の、乾いた跡が扇形やったんがその証拠や。筒状の物のけて角ばったライター置かなあんな跡でけへんし、爆発で飛んだ焦げた乾電池が城のそばに落ちとったしな」

「むぅ……」

 

唸るような相づちを打つ糟屋を横目に、服部は未だに俯き続けている脇坂を前に肩をすくめて見せる。

 

 

「ちなみに、片桐さんの時も何か仕掛けようとしてたみたいやけど……運悪くそれを実行する前に偶然やって来た和葉らにその現場見られて不発に終わってしもた。……それも()()()()()()()()()()()()という、おまけ付きでな」

「動かぬ証拠?」

 

首をかしげながらオウム返しにそう問いかける糟屋に服部はそれに答える。

 

「片桐さんのコートに残っとったんや。脇坂さん……アンタの服に飛んだ片桐さんの返り血が。片桐さん抱えた時に着いてしもた()()()()()()()()()()。……片方は十中八九ファスナーのついた服の跡やって事が分かったけど、仕掛けが不発に終わったせいで何でそれを着てたんかは結局分からずじまいや。……せやけどもう片方の、小さい丸みのある跡が何なのかは直ぐに分かったで。――」

 

 

 

「――脇坂さん。()()()()()()()()()()()()()()()()()やってことがな」

 

 

 

「――ッ」

 

服部の指摘に脇坂はピクリと肩を震わせながら反応する。

それを見た服部は二ッと小さく笑みを浮かべる。

 

「……つまり、アンタが今も付けてるその信長の家紋調べたら、もう言い逃れ出来ひんちゅうこっちゃ……!」

 

脇坂の胸に着いたバッジを見据えながらそう言う服部に、次の瞬間そばで聞いていた糟屋は戸惑いながら声を上げた。

 

「じゃが……どうしてワシやあの二人を……!?」

「アンタらだけやない。このツアーの発案者っちゅう()()()()()や。さっき知り合いの博士(阿笠博士)に(工藤経由で)連絡して平野さんのホームページにアクセスしてもうたんやけど、毎日更新されとった日記が()()()()()()()()()()()。……こらぁこの前、外堀跡で見つかった焼死体っちゅうんは多分――」

 

服部がそこまで言った瞬間、今の今までだんまりだった脇坂がようやく口を開いて見せた。

 

「――ああ、そうだよ……。平野さんを殺し、そして加藤さんと片桐さんも僕が手を下そうとしたんだ……。秀吉をこよなく愛して殺害された……正清(まさきよ)お爺ちゃんを弔うために……!でも結局、確実に殺せたのは平野さんだけだったけどね。……やっぱりあのカエル顔の先生が現れた事自体が僕の運の尽きだったようだ」

「お、お爺ちゃん?」

「……!」

 

自虐的に呟く脇坂の言葉に服部は首を傾げ、糟屋は何かに気づいたようにハッとなる。

脇坂の「お爺ちゃん」という単語に服部は数秒思考を巡らせると、直ぐに思い当たる節に気づき懐から『例の古い写真』を取り出すとそれを脇坂に見せるように掲げながら口を開いた。

 

「ひょっとしてそのお爺ちゃんっちゅうんは、この写真の真ん中で巻物広げて見せてる爺さんの事か?」

 

服部の問いかけとその写真を前に、脇坂は「どうしてその写真を持ってるんだ?」と言わんばかりに驚いた顔を一瞬浮かべるも、直ぐに真剣な目で頷いて見せる。

 

「……そうさ、この人が僕のお爺ちゃんさ。……お爺ちゃんは僕によく話してくれたよ。発見した巻物の事を。それに書き記された秀吉の宝の事を。それから……宝探しを中断して、その巻物を国に寄贈(きぞう)しようとしているお爺ちゃんと……()()()()()()()()()()()()()()()()()()……!」

 

そう静かに話し続ける脇坂の顔が小さく歪む。

一拍沈黙する脇坂だったが、そこからまた絞り出すようにその続きを語りだす。

 

「そして十三年前……お爺ちゃんは『仲間を説得しに行く』と、大阪に行ったっきり……()()()()()()()()

「……!まさか、十三年前に堀で見つかった焼死体っちゅうんは……!」

 

服部の言葉に、脇坂は小さく頷いて見せる。

 

「……()()()()()()()()()()()()()()()……!あの欠片は、『虎の巻』と一緒にお爺ちゃんが見つけて仲間に内緒にしていた物だったんだ。そして、その復讐のために平野さんを殺した後、彼に成りすまして欠片と『虎の巻』を餌に今回のツアーを企画してメンバーを集め、今日中に全ての決着(カタ)をつけるつもりだった。……今日はお爺ちゃんの、命日でもあったからね……」

 

そう悲しそうに呟く脇坂を前に、服部は「加藤さんの殺害が失敗した後、なおも犯行を続けようとしたのはそれが理由か」と内心一人納得していた。

しかし次の瞬間、脇坂が続けざまに呟いた言葉に服部は思わず硬直する事となる――。

 

「だけど、そこまでの過程――仲間の尻尾をつかむのに、結構苦労したよ。お爺ちゃんは生前、仲間の事を詳しく話さなかったし、唯一の手掛かりはお爺ちゃんも持ってたその写真だけだったから……まさか――」

 

 

 

 

 

 

 

「――まさか、あの中の一人が()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

「……!!?」

 

諦めを含んだ脇坂のその言葉を耳にした瞬間、服部の体に戦慄が走る。

顔を変えていた?この写真に写る加藤と片桐は若いが顔を変えた様子は無い。同じく平野も福島が直ぐに彼だと気づいているため違う。写真の中央に立つ正清も言わずもがなだ。

なら、残っているのは一人だけ。そして、今までの事実と脇坂が()()()()()()()()()()()()を照らし合わせると、自ずと答えは見えていた。

 

「ほ、ほんなら、この写真の爺さんの左に写っていた、おっちゃんは……!!」

 

服部が驚愕と共にそう呟いた、次の瞬間だった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――カチャッ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「!?」」

 

小さな金属音と共に服部と脇坂は同時に息を呑み硬直する。

彼らの視線の先は、この場にいる()()()()の手元に注がれていた。

 

「……()()()()()。顔を変えねばならん理由が出来てしまってのぅ」

 

冷徹な眼光と共に冷たく言葉を吐いた糟屋のその手には、同じく冷たく光る拳銃が握られていた――。




最新話投稿です。

意外と長くなりましたのでここでいったん切ります。
そのため次回が今回のエピソードの最終話となります。

長々となってしまい申し訳ありません。


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カルテ29:加藤祐司/片桐真帆【7】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。

長くかかりましたが『大阪城財宝伝説殺人事件』のエピローグです。


SIDE:三人称視点。

 

 

「……ワシじゃよ。顔を変えねばならん理由が出来てしまってのぅ」

 

重く冷めた口調で言葉を吐く糟屋。その手に持つ銃口が服部と脇坂の二人を捉える。

 

「十三年前に仲間と一時解散した後に顔を変えたんで、ツアー参加者として再会した時は平野も加藤もワシじゃと気づきはしなかった。……まぁ、片桐のねえちゃんだけは薄々感づいとったみたいじゃがのぅ」

 

そう独り言のように服部たちに説明しながら、糟屋は拳銃を突きつけて服部と脇坂、そして自分自身の()()()()()()()()()()

糟屋は轟々と燃えるドラム缶のそばへと、服部と脇坂は糟屋の銃によって木箱と『例の懐中電灯』が置かれた場所の方へと追いやられる。

その瞬間、荒々しい足音を響かせながら階段を上って見知らぬ六人の男たちが姿を現した。

皆一様に拳銃を握っており、その銃口を糟屋同様服部と脇坂に狙いを定める。

糟屋と一緒に自分たちを囲って拳銃を向けて来る男たちを見て、服部はすぐさまこの男たちが糟屋の息のかかった者たちだと察すると彼らを睨みつけながら叫ぶ。

 

「俺はええけど、脇坂さんの口も封じるつもりか?宝の在りか分からんようになってまうでぇ!!」

「その分じゃと恐らく『虎の巻』はここに持って来てないじゃろう。……脇坂さんの住所は調査済みじゃ。家探しでもするわい」

 

何とでもないかのように涼しい顔でそう言ってのけた糟屋は、拳銃を持つ手に力を入れながら服部と脇坂に向けて続けて鋭く言い放った。

 

「さぁ!二人とも奥へ行け!!そこにある懐中電灯のスイッチを入れて……下に落ちてもらおう。犯人と少年探偵が炎に包まれながら転落死したようにな……!!」

 

七つの銃口に狙われ、悔し気に顔を歪ませる服部と脇坂はそれでもどうすることも出来ず、遂に懐中電灯のそばへと追い込まれてしまった。

服部が自身の足元に自分たちを殺しえる懐中電灯の存在を確認した時、そこで再び糟屋から声がかかる。

 

「……ところで、最後に一つだけ教えてくれんか?――()()()()()()()()()()()()()()()()()。……さっきのトリックなら、そ奴じゃなくても出来たはず。何か決め手があったんじゃろう?」

「フン!誰がお前なんかに――」

 

糟屋のその問いかけに冷や汗をかきながらも服部は強気にそう言い返そうとし――。

 

 

 

 

「――傘だよ!」

 

 

 

 

『!!?』

 

――言い終える前にその場にいる誰でもない()()()()()()()()が響き渡った。

驚く服部、脇坂、そして糟屋とその仲間達は一斉に声のした方へと()()()()()()

そこには今よりも更に一段高い位置にもう一つ通路が伸びており、その通路の手すりにもたれかかってこちらを見下ろす小さな少年の姿があったのだ。

目を見開いて見上げて来る一同に対し、その少年――江戸川コナンは自信に満ちた笑みで言葉を続ける。

 

「……加藤さんが今わの際に掴んだあの傘は、()()()()()――『()()()()』を示すダイイングメッセージだったんだよ。……だから、信長役だった脇坂さんが犯人だと分かったって訳さ!」

「――!(く、工藤!?……この倉庫に入った直後からいなくなってもうてどこ行ったかと思うてたら……何であんなとこに!?)」

 

得意げに推理を披露する、ライバルであり親友でもある眼鏡の少年(江戸川コナン)に服部は目を丸くする。

そんな服部を前に糟屋は慌てて声を荒げる。

 

「こ、小僧いつの間に!?……おい、降りて来い!お友達がハチの巣にされたくなければのぅ!!」

「!!――アカン、来るな!!」

 

糟屋のその言葉に服部は慌てて上にいるコナンに向けて叫ぶ。

しかし、コナンはそんな止める服部の声を無視し――。

 

「しゃーねーな!」

「あ、アホウ!!」

 

――気軽にコナンがそう言った直後に、手すりを乗り越えて黒い影が宙を舞った。

手すりを乗り越えてコナンがこちらに飛び降りて来たと思った服部は慌てて声を上げる。

そして、同じようにそれを見ていた糟屋はこちらに落ちて来る影を見てニヤリと笑う。

 

「フン、なかなか聞き分けの良い――」

 

だが、そこまで呟いた糟屋の声は唐突に途切れ、その両目は驚愕に大きく見開かれる事となった。

 

スタッ!!と言う音と共に服部と糟谷たちとの間に着地したその人物()の大きさは明らかに少年のそれでは無かった――。

 

着地して膝をついた状態からゆっくりと立ち上がるその人物は、()()()()()()()()()()()()、呆然となる糟屋たちをねめつける。

そんな眼光を前に、糟屋は目の前に降り立った人物を見て驚愕に叫んだ。

 

「お、お前は――」

 

 

 

 

「――服部平蔵!!?」

 

 

 

 

「お、親父……!?」

 

糟屋同様驚く服部を自身の背中に隠すように背後へと押しやる大阪府警本部長――服部平蔵は、糟屋たちを見据えながら鼻を鳴らした。

 

「……フン、十三年前に姿形(すがたかたち)は変えられても、()()()()()()と性根までは変えられんかったようやのぅ」

 

平蔵がそう言った瞬間、いくつものカシャカシャという音と共に暗かった倉庫内が一気に眼が眩むほどに明るくなる。

見るといつの間にか何十人もの機動隊が糟屋たちにライトを当てながら取り囲んでおり、まるで獲物を捕捉した獣の如き眼光で睨みつけていたのだ。

気づかないうちに自分たちが囲まれていた事に気づいた糟屋たちは目に見えて狼狽する。

そんな糟屋に向けて平蔵は淡々と口を開いて見せた。

 

「――銃砲刀剣類所持等取締法違反、及び殺人未遂。……ほんで十三年前に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。きっちりカタつけさせてもらおか!!」

「ご、強盗殺人?……何の事じゃ?」

 

この期に及んでとぼけ顔でしらを切ろうとする糟屋に、機動隊の中に紛れて立っていた遠山銀司郎がピシャリと言い放つ。

 

「とぼけてもアカンぞ?……こっちには、被害者が留守電にとっさに入れたお前の『声』と、その電話切った時についたお前の『掌紋(しょうもん)』が残ってんのや!!」

「――ッ!!」

 

動かぬ証拠が既に揃っていたと理解した糟屋は絶望的な表情を顔に張り付けながら沈黙する。

そんな糟屋とその仲間たちに向けて、平蔵と銀司郎は容赦なく彼らへと鉄槌を振り下ろす。

 

「歯向かう(やから)には容赦せぇへんぞ!!」

「怪我しとうなかったら!!」

 

 

 

 

「神妙にして、(ばく)()けや!!!!」

 

 

 

 

平蔵のその啖呵(たんか)を合図にして糟屋たちを囲っていた機動隊員たちが津波のように一斉に彼らへと襲い掛かった。

盾に警棒、そしてヘルメットなどの防具で身を包んだ機動隊員たちを前に小さな拳銃だけしか持っていない糟屋たちはどうすることも出来ず、一発も反撃できないまま次々と捕縛されて行った――。

 

 

 

 

 

――かくして、十三年に及んだこの事件は、大阪府警本部長の現場臨場という大捕り物で電光石火の如く解決したのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:カエル顔の医者(冥土帰し)

 

 

「……糟屋とその一味は十三年もの間、私ら警察の目を暗ませて逃げ延び続けていた切れ者でしたさかい、是が非でも捕まえなければいけませんでした。それも糟屋のみならず一味全員を一網打尽にし、今回の事件の犯人である脇坂も一緒に。……そのために白羽の矢を立てたんが平次だったんですわ。アイツの行動は(はた)から見てても目立つさかい、良い具合に奴らの目を引き付けると同時に我々警察の動きをかく乱する格好の目くらましに出来たんですわ」

 

服部本部長の説明を聞きながら私はウンウンと相づちを打つ。

実の息子を囮にしたことはまだ少々納得出来ない所はあるが、(平次君)に危害が加えられないように多くの機動隊員を配置していたので良しとするところだろう。制裁はきっちりと本部長の奥さんから受けたようだしね。

新一君ことコナン君も、その倉庫に入った直後に大滝警部が保護していたらしい。

危険な場所に小さな子供を行かせるわけにはいかないとした本部長たちの配慮だったらしいが、コナン君本人にとっては余計なお世話だったかもしれないね。中身は平次君同様根っからの高校生探偵だし。

 

「糟屋さんの仲間も全員捕まえるためにあえて泳がしていたのは理解できるよ?しかし、脇坂さんの方はもう少しどうにか出来なかったのかい?聞けば本部長は、加藤さんが平次君の傘を掴んだあの時、それが脇坂さんを示すメッセージだと直ぐに分かったそうじゃないか」

 

私の言葉に本部長は小さく頷いて見せる。

 

「ええ。ですがそれだけでは確固たる証拠がないため脇坂を捕らえる事は不可能でした。それ故、糟屋同様見張りを付けて尻尾を出すのを待っとったんですが、まさか尾行を巻かれた上――」

「――片桐さんが襲われる事になるとは思ってもみなかった……」

 

本部長の言葉の続きを私が静かに口にすると、本部長は小さくため息を吐きながら「はい」と零して見せる。

 

……まぁ、その時の状況を考えればそれも仕方ないのかもしれない。

まさか、加藤さんに手を下したその足で直ぐ、片桐さんも殺そうとするなど誰が気づけようか。

しかも加藤さんの事件でまだ警察や野次馬が多く居る大阪城の極楽橋でだ。

尾行を巻かれたのならその後の脇坂さんの行動は『逃亡』だってあり得たのだ。それ故、本部長たちからしてみれば、容疑者を見失った直後に第二の事件が起こったのは不意打ち以外の何モノでもなかったのだろう。

 

「……予想外の事態とは言え、片桐が襲われたんはこちらの落ち度と言っても過言ではありません。ですから片桐の命を助けてくださった吉野さんやカエル先生には心から感謝しております」

「やれやれ、僕たちは知らず知らずのうちにそちらの尻拭いをしていた形になった訳だね?」

 

本部長のその言葉に私は肩をすくめてそう答え返す。そんな私に本部長が苦笑を浮かべる。

 

「そうなりますなぁ。しかし、おかげで本来なら死んでもおかしくなかった人命を救う事ができました。……ありがとうございます」

 

そう言って本部長は深々と頭を下げる。最後の言葉には『心から感謝している』という感情が深々と見て取る事が出来た。

するとそれを合図にしてか、ホームにアナウンスが流れ私たちが乗る予定の電車が線路の向こうから小さくやって来るのが視界に入る。

それを確認した私は、最後に一つだけ本部長に質問を投げかけていた。

 

「最後に一つ、聞きたいんだがね。……今回の事件、豊臣秀吉の財宝が絡んでいたという話だったけど、結局その財宝についてはどうなったんだい?」

 

私の質問に本部長は「ああ」と小さく答えながらその続きを話し出した。

 

「それについては脇坂が取り調べの中で話してくれたんですが、残念ながら『虎の巻』は確かにありましたがその中身は宝の在りかを記した地図ではなかったようです。……『虎の巻』の内容。その正体は『宝は確かに頂戴した』という、梶助(かじすけ)の置手紙だったようで……」

「梶助?」

 

オウム返しに聞き返した私に本部長はすぐさま答えてくれた。

 

「梶助は昔、秀吉の黄金を狙って金明水井戸に潜ったと言われている盗賊ですわ。……つまり、宝は何百年も昔にとっくに盗み出された後だったって事ですなぁ」

(なるほど。……多くの人間の人生を狂わせた今回の事件。その根源にあった伝説の宝は結局、その存在を歴史の闇の彼方へと消し去って行ったという訳か)

 

服部本部長の話を聞き終え、私がウンウンと頷きながら感慨深くそんな事を考えてると、タイミングよく電車がホームへと滑り込んで来る。どうやら時間が来たようだ。

私は見送りに来てくれた一同を見渡しながら、口を開いた。

 

「大変お世話になりました。予定よりも長い滞在となったから何かと迷惑もかけてしまったかもしれないけど、本部長さんたちの心遣いには心より感謝しています」

 

そう言って頭を下げると、まず遠山刑事部長が――。

 

「またいつでも遊びに来てください。今回案内出来んだ大阪の観光名所、連れて行きますんで」

 

次に大滝警部が――。

 

「捜査にご協力、ありがとうございました。今度はゆっくりと旅行にでも来てくださいね」

 

次に平次君と和葉君が――。

 

「今度来た時はおすすめの『てっちり』のうまい店紹介したるわ!」

「じゃあ私は、たこ焼きとお好み焼きのうまい店にしようかな!」

 

――そして最後に、服部本部長が私と吉野君に見送りの言葉をかける。

 

「お元気で。また気が向いた時にでもいらしてください。いつでも歓迎しますんで」

 

それに私は小さく二ッと笑いながら力の籠った口調で答えていた――。

 

 

 

 

 

 

「――必ず、また」




最新話投稿です。

ようやくこのエピソードも終わり、次の話へと行けそうです。
いやぁ、長かったぁ……。(しみじみ)

今回、7話に渡った今回のエピソードはぶっちゃけますと平次ら大阪組にカエル先生の手術の腕前をお披露目するのが主な目的だったりします。

彼らの驚く顔が見たくて見たくて(笑)。





以下、軽いキャラ説明(原作とは違う結末を辿った者たちのみを掲載)。



・脇坂重彦

単行本第31巻~32巻に収録。テレビアニメでは第263話にて2時間スペシャルで放送。その中の第2の事件である『大阪城財宝伝説殺人事件』の犯人。
作中では原作が始まる前より平野を殺害し、その後ツアー中に加藤と片桐も殺害してる。
しかし、この作品では冥土帰しの手で加藤と片桐は助かっているため、この二人に関しては殺害未遂となっている。
だが平野を殺害しているため重罪になるのは避けられないが、原作よりは刑が軽くなるのは確かである。
恐らく原作の事件後では死刑判決を受けている可能性が高い(日本では二人以上殺害すれば極刑はほぼ確定なため)。
それ故、今作で加藤と片桐の二人が未遂になった分、死刑は免れているものと思われる。それでも長いおつとめをする事にはなるだろうが。






・加藤祐司と片桐真帆

原作では脇坂に殺害されている二人。
しかしこの作品では冥土帰しの手で助かるものの、十三年前の一件が明るみになったため、退院後に直ぐ警察に逮捕される事となる。
また、片桐は脇坂によって後頭部に重傷を負ったため、伊達同様『デバイス』を付けての生活を余儀なくされる事となった。


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カルテ30:平澤剛

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。

最近、一万字前後まで書くのが連続しているため、ここら辺で手短なショートストーリー(一話完結方式)へと立ち戻って行こうかと思います。



SIDE:カエル顔の医者(冥土帰し)

 

 

――ある日の夕刻頃。米花私立病院に緊急の連絡が入った。

 

「……何だって?子供が階段から転げ落ちて重傷?……分かった直ぐに準備するよ」

 

小学生の子供が重傷を負ったという一報が入り、私はすぐさま救急車で運ばれてきたその子供の治療に当たった。

子供は頭に大怪我を負っており、いつ死んでもおかしくはない状態だったが、それでも私は全力で救命にとりかかった。

そのかいあって子供は死の淵から生還し、駆けつけてきた親族の方たちと共に集中治療室へと運ばれて行く。

それを見届けた私はふぅっと一息ついて肩の力を抜いていた。

そして小休憩に自販機から缶コーヒーを買って備え付けの長椅子に座ってくつろいでいると、警察官の服装に身を包んだ男性がこちらにやって来る。

話を聞いてみるとどうやら例の子供が階段から落ちた際に一番先に現場に駆けつけて来た警官らしい。

私は子供が一命を取り留めた事を伝えると見て分かるほどにその警官は安堵の笑みを浮かべていた。

そんな彼に、私はあの子に一体何があったのかと問いかけると、その警官は眉間にしわを寄せながらポツリポツリと話してくれた。

 

――なんと子供が公園の階段を下りている際に、後ろから酔っぱらったサラリーマンの男に蹴り落とされたのだという。

 

それを聞いて私は思わず憤慨した。

酔っていたとはいえ、子供を階段から蹴り落とすなどどうかしている。

しかも時間はまだ日が出ている時刻だ。そんな時間からお酒をのむなど……ましてやまだ仕事中の時間なのではないのか。

私が警官にそう問いかけると警官はそれに素直に答えてくれた。

 

「仕事が早く終わったので、その足で飲みに出たようなのです。何件かハシゴして公園で休憩しようとしていた所、あの子供が目の前で歩いていたので邪魔に思い、思わず蹴ってしまったと……」

「……信じられない動機だね」

 

私がそう感想を述べると警官も「同感です」と言わんばかりに強く頷いて見せる。

 

「ですがご心配なく。その男は既に現行犯逮捕しており、今は最寄りの警察署で事情聴取中です」

「それは良かったけど……。それにしてもそんな理不尽な事をした男は一体どんな奴なんだい?悪い意味で一度顔を見てみたいよ」

 

そう私が言うと、警官はおもむろに警察手帳を出してパラパラと(ページ)をめくりながら口を開く。

 

「加害者の男はどこにでもいる一般企業に勤める会社員で、名前はえ~と……――」

 

 

 

 

 

「――平澤剛(ひらさわつよし)と言っていました」

 

 

 

 

 

「……何だって!平澤剛!?」

 

警察官の口から聞かされた加害者の男の名前に私は思わず声を上げてしまう。

それに驚いた警官は目を丸くしながら私に問いかけてきた。

 

「ど、どうしたんですか先生?……ひょっとしてその男の事を何か知っているんですか?」

 

警察官のその問いかけに、私は苦虫をかみつぶしたような顔でそれに答えた――。

 

「……知っているも何も、彼とは三年前にも一度会ってるんだよ――」

 

 

 

 

 

「――しかも今回と全く同じく……酔って子供を階段から突き落とした、その現場でね……!」

 

 

 

 

 

「な、何ですって!!?」

 

私の言葉を聞いて、今度は警官が声を上げていた。

 

その声を聞きながら、私は当時の事を振り返る――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――三年前のその日。私は夕方の帰宅ラッシュの人の波に流されながら駅の舎内を家路へと向けて歩いていた。

米花町から二つほど隣にある町で自宅療養をしている患者の往診の帰りだった。

その日は運悪くいつも使っている愛車を車検に出しており、その患者の家が駅から近かったこともあって私は病院との往復に電車を使う事にしたのだ。

周りにいる誰もが仕事での体の疲れを引きずり、家路へと足早に歩いて行く。

私もその一人であり、何事も無ければそのまま病院へと帰れる……はずだった。

 

「ーーーーーーーーッ!!!」

 

唐突に女性の声にならない悲鳴が響き渡り、何事かと悲鳴のした方へと目を向けた。

すると、そこには人だかりが出来ており、嫌な予感を覚えた私は急ぎその人だかりへと駆け寄るとかき分けてその奥へと進んで行った。

するとそこには駅舎とホームを繋ぐ階段の下で、小さな子供が頭から血を流して倒れていたのだ。

驚きながらもすぐさまその子に駆け寄る私。

すると階段の上の方から騒がしくがなり立てる声が響いて来た。

 

「放せ!放せよぉ!!あのガキがトロトロと歩いてんのが悪いんだろうがぁ!!」

 

その声につられて階段の上を見ると、一人のサラリーマン風の男が顔を真っ赤にしながら数人の駅員に羽交い絞めにされわめき立てている光景が目に入ったのであった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……それが平澤剛だったんだ。その時、怪我をしたのは宇佐美柾樹(うさみまさき)君という当時5歳の少年でね。母親も一緒に居たんだが、何せ突然の事だったために反応が遅れてしまい、対処が出来なかったらしい。……僕がその子の応急処置をしている間も、その母親はすぐそばで半狂乱になっていたよ」

「それでその、宇佐美柾樹君と言う少年はその後どうなったんですか?」

 

警察官の不安げなその問いかけに対し、私はニコリと笑いながら答えた。

 

「大丈夫。今はもうすっかり元気にしてるよ。一刻を争うほどの重傷だったけど、直ぐに治療したのが功を奏したんだ」

 

私のその言葉に警察官は「良かった」とホッとして見せる。しかし私は反対に笑みを消して険しい顔で言葉を続けた。

 

「……しかし、まさか平澤が二度も同じ過ちを繰り返すとはね。……でもこれではっきりしたよ。彼が全くこりていないって事が。反省も学ぶこともせず、三年前と全然変わっていない……。あの一件の後に柾樹君のご両親から多くの慰謝料と治療費を請求されたと聞いたが、それでも『改心』にまでは届かなかったようだ。……残念な事にね」

 

そう言ってやれやれと肩を落とす私を前に警察官もやりきれないといった風の顔で俯いていた。

 

すると、そのタイミングで公園で怪我をした少年の親族たちが集中治療室から出てこちらへと戻って来るのが見えた。

それを見た警察官は()()()()()()()()()()()()、来て早々()()()()()()を口にした親族たちに更に驚く事となった。

 

「な、何ですって!?――」

 

 

 

 

「――加害者(平澤剛)を起訴せず、示談で済ませたいですって!?」

 

 

 

 

少年の親族たちから思いもよらぬ提案を突きつけられ、警察官は口をポカンと開けたまま棒立ちとなる。

それを警察官の隣で聞いていた私も、「おやおや」と呟きながらそれなりに驚いていた。

普通、この申し出は加害者側からして見ればメリットがあり、喜べる部分もあるのだが――。

 

(これはまた……どうやら()()()()()()()ようだねぇ)

 

脳裏に()()()()を思い浮かべながら私はしみじみとそう思った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:三人称視点。

 

 

――事件から数日後。

被害者親族から起訴を免れた平澤は示談で済ませてくれるという少年の親族が来る喫茶店で一人待っていた。

これには警察から釈放されたばかりの彼は大いに喜んだ。

何せ前科がつくことが無くなっただけでなく、示談にしてくれる事で今回の一件が自身の勤める会社側に伝わるのを防げると考えたからだ。

そして今日は、その示談金について詳しい説明がされる日であった。

示談金がどれくらいになるのかは想像できないが、せいぜい数百万程度だろうと平澤はそう考える。

それくらいなら自分の稼ぎでなら少し節約すれば数年で返済できるだろうと、そう続けて勘ぐっていた。

 

――それが大きな勘違いであると知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――「おめぇさんかい?ワシの可愛い孫を蹴り飛ばしたってぇ奴は?」

 

喫茶店に現れた少年の親族を前に、平澤は顔面を蒼白させて体をカタカタと震わせていた。

テーブルを挟んで対面の席に座るその人物は長い髪と髭を生やした羽織袴の老人だった。

見るからに高そうな着物を纏ったその見た目は、何処かの大金持ちを思わせる印象だったが、彼の纏う空気は明らかに――()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

そして、その老人と平澤の座る席をぐるりと囲む()()()()()()()()()もまた、明らかにカタギの空気を纏っていなかった。

 

 

 

 

 

 

複数の眼光で自身の体に穴が開くような錯覚に陥りながら、平澤は針の(むしろ)状態で縮こまる。

そんな彼に目の前に座る『ヤ』のつく職業の(おさ)である老人は、不気味に笑いかけながら言葉を続けた。

 

「そんなに固くならんでもええ。これから長い話をするんじゃからのぅ、気楽にやって行こうじゃないか、なぁ?……じゃがその前に、場所を変えるとするかのぅ。ここじゃと周りの客や従業員のご迷惑になる。……ワシらの()()()に行くとしようか、あそこにはお抱えの弁護士も待たせているからのぅ」

 

冷や汗を滝のように流しながら口を魚のようにパクパクとさせる平澤は、老人と周りの男たちに睨まれて拒絶の言葉を言うどころか抗うことも出来ない。

 

そんな平澤に反抗なんてさせないとでも言うかのように、男たちの中の一人が老人と同じく不気味な笑みを浮かべながらそのがっしりとした手をそっと平澤の肩に置いていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:カエル顔の医者(冥土帰し)

 

 

「……おや、元気にやっているようだねぇ。安心したよ」

 

ある日、私宛に一枚の写真付きで手紙が届いた。

宛先は三年前、平澤に駅の階段から落とされた宇佐美柾樹君とそのご両親からだった。

手紙の内容は近況報告となっており、特に特筆すべき内容は無かったが――。

 

 

同封されていた仲睦まじく笑い合う家族の団欒が写された写真を見て、私は自然と笑みを零していた――。




軽いキャラ説明。



・平澤剛

アニメオリジナル回、『法廷の対決 妃VS小五郎』に登場する被害者であり、同時に三年前に宇佐美柾樹を殺害した加害者。
酒に酔った勢いで柾樹を駅の階段から突き落としてしまうも、酔っていた事を理由に裁判では執行猶予付きの過失致死罪を言い渡された。
しかしそれから三年後、柾樹の母親が経営する店『美升(みます)』にやって来たことがきっかけとなり、その母親に殺害されてしまう事となる。

しかしこの作品では、冥土帰しの手によって柾樹は助かり、その分原作よりも罪は軽くはなって慰謝料や治療費を払わされることにはなったものの、柾樹の両親から狙われる事は無くなった……のだが。
再びまた同じことをやらかしてしまい、しかも今度は怪我をさせた子供の祖父が()()()()()だったことも相まって、前回よりも莫大な(それこそ法外とも呼べる)慰謝料と治療費を請求される事となった。





・宇佐美柾樹

三年前に酔った平澤に駅の階段から突き落とされ亡くなった少年。
しかし今作では、冥土帰しの手によって命を救われ、現在では両親と共に平穏な生活を送っている。


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番外:カエル先生の日記帳 その3

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。

注:今回の日記帳は短めとなっております。


――&月×日(晴れ)

 

 

今日、仕事が終わるころになって新一君から電話があった。

「最近、病院の中や周囲で何か変わったことは無かったか」と。

私が新一君に何かあったのかと問いただした所、先日またもや殺人事件に遭遇したらしく、その事件自体は直ぐに解決したから良かったのだが、問題はその事件の最中に高木刑事から聞かされた話にあったという。

 

――なんでも毛利君の事を密かに調べている人物がいるかもしれないのだというのだ。

 

詳しく聞いてみると、警視庁から毛利君が今まで探偵として手がけた都内の事件の調書がごっそりと盗まれていたらしい。

幸いにも事前に調書の控えを取って保管していたため、裁判には支障は無かったらしいのだが、その調書が驚く事に、その殺人事件の前日に本庁にまとめて送り返されて来たという。それも差出人不明の封書で。

しかもさらに驚く事に、その調書が紛失したのは偶然か必然か、新一君たちが巻き込まれたバスジャック事件の日の事だったらしい。

 

それを聞いて私の脳裏に『組織』の影がちらついた。もちろんそれは新一君も同じだったようで、「とにかくそっちで何かあったらすぐに俺に電話してくれ」と言って締めくくると電話を切っていった。

 

調書を盗んだ犯人が誰なのかは実際の所、今はまだ分からない。

それに、何故わざわざ盗んだ調書を送り返してきたのかも。

だが『組織』が何かしら関係しているのではないかと、私は思わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

――&月〇日(晴れのち曇り)

 

 

調書紛失の話を聞いた数日後、再び新一君から電話があった。

先日の調書紛失の事で何か進展があったのかと思ったが、電話に出るなり新一君から「『XXX』がどういう意味なのか先生は何か知らないか?」と聞いて来た。

 

……………………………。

 

『XXX』?何だろうかそれは?新手の暗号か何かなのだろうか???

 

詳しく聞いてみると、今日も殺人事件に遭遇したらしくその時蘭君たちが話していたのを耳にしたらしい。

例によって事件は直ぐに解決し、その後に蘭君に聞いてみたら『ダメ』って意味だって答えたらしいのだが、いまいちしっくり来ないのだという。

私も分からないと答えると、新一君は「ありがとな、先生」と言い残して電話を切った。

どうやら用はそれだけだったらしい。

 

……………………………。

 

彼は一体、何をしたいのだろうか???

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――&月▲日(曇りのち晴れ)

 

 

例の調書紛失の件でコナン君(新一君)の正体を知る関係者が集まり、相談する事となった。

相談の場として医院長室(私の部屋)で行う事となったが、明美君と哀君はこの場に来ていない。

余計な事で不安がらせるのはどうかと言う新一君なりの配慮であの姉妹には黙っている事となったのだ。

そうして集まったのは新一君、私、博士(ひろし)、伊達刑事の四人と……わざわざ大阪から来てくれた服部平次君の五人であった。

どうやら調書紛失の一件や今日の相談の事をまた博士には話していなかったらしく、その事に関して博士はへそを曲げていたが、新一君が一人悩んでいるようだと反面、心配してわざわざ平次君を呼び寄せたらしい。

 

初対面である平次君と伊達刑事とのあいさつを済ませてようやく調書の事で話となった。

本庁から盗まれ、そして返されて来た調書の一件は、そこの人間である伊達刑事から見ても気になる案件だったという。

そして、その不可解な状況からもしかしたら犯人の狙いは毛利君では無く、そこに居候しているコナン君(新一君)なのではないか、と。先日、私と新一君が出したのと同じ結果に伊達刑事も辿り着いていた。

……まぁ、状況が状況なだけにまだ確信の域にまで至ってはいない。もしかしたら本当に狙いは毛利君の方という線も捨てきれてはいないし、ただの悪戯っていう可能性も無いわけではない。

 

だが、この一件には不可解な部分が多くみられるのも確かであった。

 

中でも特に私たちが疑問に思ったのは、犯人は何故、盗んだ調書を()()()()()()()()()()()という点だった。

普通、盗んで用済みとなったのなら処分すれば良いだけの事。返す必要はない。

なのに犯人は匿名で調書を送り返してきた。これでは不審がらせて警戒させるだけだというのに、だ。

 

新一君、服部君、そして伊達刑事が考え出した推測は、『そっちの手の内は全てお見通しだ』っていう意味の不敵なサインか。もしくは――。

 

 

――()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

しかし、そう考えるとおびき出そうっていう相手はコナン君(新一君)という事になるらしいのだが、もし仮にそれが本当に罠なのなら、犯人は何故そんなややこしい方法を取ったのかが分からないのだという。おびき出そうっていうのなら他に方法はいろいろあるというのに、だ。

 

だが、これ以上はいくら考えても答えが出ることは無く、この問題はここでいったん切り上げという事になった。

 

そうしてこのままお開きになるか……とも思われたが、そこで服部君が新一君に「まだ何か隠してる事があるんじゃないか?」と指摘して来た。

そう言うのも、こんな大事な話を(新一君)が今更何もなしにこの場を設けてのこのこと喋りに来ることは無い。ここに来たのは何か重要な手掛かりを手に入れたか、もしくは『組織(奴ら)』に反撃する糸口を見つけたんじゃないかと、服部君はそう言って来たのだ。

 

その場にいる全員の視線を受けて観念した新一君がゆっくりと語りだのは、この前あった杯戸シティホテルで『組織』と接触した一件だった――。

 

その一件で新一君は、ピスコこと桝山憲三が何故持っているはずのないハンカチを持っていたのかがずっと引っかかっていたのだという。

殺人のトリックに使われたという紫のハンカチ。それが警察の取り調べでチェックされるなど、ピスコには予想できない。何故ならピスコは報道陣のカメラに自身の犯行を映してしまうという失態を犯してしまっている。彼に予備のハンカチを用意するという周到性があるのなら、あんな致命的ミスは見逃さずカメラマンを始末してフィルムを回収しているはずなのだ。

だとしたら可能性があるのは一つ――。

 

――それはあの会場、ひいてはあの時容疑者となった残りの六人の中に、ピスコの『仲間』が潜んでいたのかもしれないという可能性。

 

それもピスコよりもずっと用意周到で用心深く、そして狡猾な存在がそこにいたんじゃないかと新一君は睨んでいた。

そしてそれは、同じく現場にいた伊達刑事も疑問に思っていた事らしく、新一君の推測に賛同していた。

 

だがそれがもし事実だとしたら、あの時容疑者になっていた人間の内、誰がピスコの『仲間』だったというのだろうか?

 

私の疑問に新一君は直ぐに答えてくれた。

どうやら彼は独自にあの事件後の六人の足取りを調べていたらしい。

その結果、杯戸シティホテルの事件後直ぐ、休業宣言をして姿を暗ました人物が一人だけいたのだという。その人物の名は……アメリカのムービースターにして大女優、シャロン・ヴィンヤードの一人娘でもある――。

 

 

 

――クリス・ヴィンヤード。

 

 

 

色々調べた結果、容疑者だった六人の中で最も疑わしかったのは彼女だったと新一君はそう言った。

その後、何かの役に立つかもと言って新一君は博士にクリス・ヴィンヤードのファンのサイト――そのインターネットアドレスを書いたメモを渡していた。そこに上手く潜り込んで何でもいいから情報を集めてほしいと。

 

そうして一段落着いた時、クリス・ヴィンヤードと同じく『怪しい外国人』繋がりで蘭君の学校の新人の英語教師であるジョディ先生の話へと移っていた。

話を聞いてその人に興味を持った服部君は、「今から会いに行こう」と提案すると、私たちが止める間もなく新一君を引っ張って医院長室を出て行ってしまった。

それを見た伊達刑事も付いて行こうとするも、伊達刑事はバスジャック事件や先日の事件(『XXX』を聞いて来た時の事件らしい)などで何度かジョディ先生と顔を合わせているので刑事である彼が一緒についてきたら怪しまれてしまうと服部君に引っ張られる新一君にそう指摘され、伊達刑事は渋々断念する事になった。

 

 

――こうして今回の集会は終わる事となったのだが……それからすぐ、伊達刑事と服部君、新一君の二人はその日の内に再び顔を突き合わせることになったと、後から伊達刑事に電話で聞かされる事となった。

それも新一君、服部君がジョディ先生の住むマンションにやって来た直後、そのマンションで転落死事件が発生したからだという……。

 

……………………。

 

彼らには『死神』でもとり憑いているのではないだろうか……?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――$月&日(雨)

 

 

今日、血相を変えた新一君(コナン君)から電話があった。何と蘭君が倒れたのだという。

直ぐに私は蘭君が運ばれたという横浜の病院へとかけつけてみたのだが……診てみると何のことは無い、ただの軽い体調不良だった。この分なら一晩寝れば退院できるだろう。

新一君が大げさに騒ぎ立てるものだからつられて私まで慌ててしまったよ、まったく……。

聞くところによるとどうやら蘭君は最近、部活で忙しかったらしくその上今日は明日の日本史のテストに備えて勉強詰めだったらしい。恐らくそれらの事が原因で根を詰めすぎて体調を崩したのだろう。

話の流れでどうして横浜に来ていたのかと新一君や一緒に居た毛利君に尋ねてみた所、蘭君が福引で横浜の中華街の食事券を当てたのでそれで食べにやって来たのだとか。

 

そして……毎度の事ながら、事件に巻き込まれたのだという。

 

何でもやって来た中華料理店で先に食事をしていたとある映画関係者の人たちと何の因果か一緒に食事する事になったらしく、その席で映画プロデューサーの川端四朗(かわばたしろう)という人物が何者かに毒殺されたらしいのだ。

……まあ、それも毎度の事ながら、新一君が毛利君を眠らせて直ぐに事件を解決したというのだが、店に着く前からすぐれなかった蘭君の体調がその事件の間に悪化し、解決直後に高熱で倒れてしまう結果になったのだとか。

 

しかしその話を聞いている途中、被害者を殺害した犯人の名前が磯上海蔵(いそがみかいぞう)という映画監督だと聞いた瞬間、私の頭の中で何かが引っかかり、私はその人が何故事件を起こしたのか新一君に聞いていた。

新一君の話では一年前にヒロイン役だった新人女優の利華(りか)という女性が撮影中に事故に遭い、帰らぬ人になったのだという。

だがその事故は、実は川端四朗が危険なアクションシーンを周囲に黙って独断で彼女とスタントマンを入れ替えて行ったのが発端だったらしい。しかも、入れ替えた本人は彼女が死んだ後、「映画は大ヒットした!」と薄ら笑いを浮かべていたようで、それで更に磯上海蔵の恨みを買ってしまう事となったのだと……。

 

だが、そこまで聞いて私も()()()()()()()()()()()()()()――。

 

 

 

 

 

実は一年前に死んだというその利華と言う女優は、()()()()()()()()()()()()()だったのだ。

 

 

 

 

 

だが結局、彼女は搬送されている間に救急車の中で亡くなってしまい、私の元に来た時にはもうどうすることも出来ず手遅れとなっていた……。

彼女と対面した当時、顔の損傷が激しく元の顔がどんなのだったのか私には分からずじまいで、唯一知れたのが彼女の名前が「利華」というだけだった。

こういう事はよくある事だが、治療の手を付ける事無く患者を見送らねばならなくなるのは本当に心に来るモノがある。

その訃報(ふほう)を病院に駆けつけてきた映画関係者の人たちに伝えた時、その場に川端と呼ばれるプロデューサーの姿は見当たらなかったのだが、その後すぐ病院のトイレの中で人知れず一人さめざめと泣く映画監督の姿を私は見かけていた――。

 

――そう。それが磯上海蔵監督だったのだ。

 

 

 

 

その事実を新一君と毛利君に話すと、新一君は悲しそうな顔で俯きながら「……監督さんが利華って人に惚れてたって言うのは、本当だったんだね」と小さく響いていた。

 

 

医者は『神』ではない。それは私とて同じだ。

助けられる命もあれば、助けられなかった命も数えきれないほど、前世を含めて私にはある。

だがそれでも、私が医者である限り患者がどんな状態であろうと死の淵に立つその命を私は全力で手を伸ばし、救命し続けていくつもりだ。

 

そう……この命と身体が、動き続ける限り。

 

 

 

……おっと。どうやらそろそろ眠っている蘭君が目を覚ましそうだ。そばで見守っていた新一君と毛利君もそれに気づく。

 

今日の日記の記載はここまでにするとしよう――。




日記形式を使った時系列すっ飛ばし、その3でしたw

したがって今回の軽いキャラ説明はありません。


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カルテ31:大葉悦敏

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。


SIDE:大葉悦敏

 

 

――あれは今から、一年前の事である。

僕こと大葉悦敏(おおばえつとし)の双子の弟が、ある日の夜に急に頭を押さえて苦しみだしたのだ。

直ぐに救急車を呼び、病院へと運ばれた弟に待っていたのは最悪の宣告だった――。

 

 

――頭蓋骨陥没による脳内出血。

 

 

それが医師からもたらされた弟の診断結果であった。

意識不明に陥っている弟はもはや手の施しようもないと無念そうに医師は首を振ったのを見て、僕の視界は一瞬真っ暗闇に染まった。

それは両親も同じだったらしく、特に母は意識を失って膝から崩れ落ちそうになり、それを父は必至で支えていた。

 

一体どうしてこんな事になった?

……そう言えば今日の夕方、弟は全身()()()()()姿()で帰って来た。

プロサッカーチーム『ノワール東京』のサポーターをしていた弟は、今日行われる試合を見に出かけていたのだ。

傷だらけになって帰って来たのを見て驚いて問い詰めた時、弟は「スタジアムの階段で転んだ」と言っていたが、まさかそれが原因だったのか……?

だが今更どうこう考えた所でもはや後の祭りだった。

 

絶望に打ちひしがれる僕と両親。

しかし、そこで思わぬ提案が医師の口から飛び出してきた。

 

「……いえ、まだあきらめるのは速いかもしれません。実は米花私立病院という所に世界でも一二を争うほどの凄腕の名医がいらっしゃるのです。その方ならあるいは……」

 

医師のその言葉にすぐさま光明を見出した僕たちは、即行でその名医を紹介してもらうように頼んだのであった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――気が遠くなるような長い時間を経て、手術室のランプがフッと消える。

 

手術室の扉が開き、そこからマスクを外しながら手術着を纏ったカエルのような顔をした医師の先生が現れると、僕と両親はすぐさまその先生に詰め寄っていた。

 

「先生!弟は、弟は助かったんですか!?」

 

僕の問いかけに、カエル顔の先生は一息つきながら口を開いた。

 

「手術自体は……とりあえず成功だよ」

 

その言葉に僕たちは安堵の笑みを浮かべるも、先生の次の言葉でその表情が凍り付いた。

 

「……しかし、頭蓋骨の陥没によって一部脳細胞が損傷してしまっている。このままでは植物人間状態で一生を過ごす事になるだろうね」

「そ、そんな……!?」

 

いくら弟の命が助かってもそれではあまり変わりないではないか!

悲嘆にくれそうになる僕と両親だったが、次の先生の言葉でその感情がピタリと止まった。

 

「……そこでキミたちに一つ、提案なんだがね?()()()()()()()()()()()()()()をやってみる気はないかい?」

「……え?はい?ど、どういうことですか?」

 

いまいち言っている意味が分からず、僕は先生に問いかけると先生はすぐさま話し始めた。

 

「実は今、僕の方で『脳機能補助デバイス』という脳の損傷や病気などで脳の機能の低下を補助する医療器具を開発していてね。その臨床実験に協力してくれる被験者を募集している最中だったのさ」

「『脳機能補助デバイス』……それを使えば弟は助かるんですか?」

 

僕の質問に先生は力強く頷いて見せた。

 

「もちろん。……もう既に一人、そのデバイスを付けたおかげで日常生活が普通に送れるほどに回復した患者がいるんだ。()()()()()()()()()()()()()()()()なんだけどね?」

 

聞けば少し前に交通事故で頭部を強打して、弟のような状態になった人がいたのだという。

刑事さんだというその男性は、その医療器具を付けた事で今は少々不自由ながらもいつも通りの日常を送っているのだとカエル顔の先生は笑顔でそう話してくれた。

そうして最後に、先生は僕たちに向けて静かに問いかける――。

 

「……さて、後はキミたちの決断次第なのだが……どうかね?」

 

――無論、僕たちの答えは決まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そうして、それから数日も経たずに弟は元気になった。

弟に『脳機能補助デバイス』を取り付けて直ぐに弟は急速的に回復へと向かい、あっという間に退院の日を間近に迎える事となった。

……いや、本当にあっという間だった。今更ながら何なのだろうかこの超スピード展開は?

あの機械を付けた直後、弟の意識が回復しただけでなくその次の日には杖有りとは言え立って歩けるようにもなり、それから三日間のリハビリを経て退院の許可が下りたのだ。

これには僕や両親、そして最初に弟を診てくれた医師全員が揃ってあんぐりと口を開けてしまっていた。

当初は死の宣告を受けたのにもかかわらず、一週間もしない内にコレなのだ。気持ちは察してほしい。

……だがその反面、僕たち全員が弟の元気な姿を再び見ることが出来てとても嬉しかった事もまた事実であった。

 

 

 

退院の日を明日に控えたその日。僕は弟のお見舞いに病室を訪れていた。

部屋に入ると、弟がベッドの上でノートパソコンを開いてカタカタとキーボードを打ち何かを行っている光景が目に入る。

僕が部屋に入って来たのに気づいた弟は、いったん手を止めて「いらっしゃい」と笑顔で出迎えてくれた。

そんな弟に僕が「何をしているんだ?」と尋ねると、弟は「サポーター仲間たちにメールを打ってるんだ」と答えてくれた。

聞けば明日退院だから、心配してくれたノワール東京のサポーター仲間たちにメールでその報告をしていたらしい。

その後、メールの送信を終えた弟はそのままネットサーフィンを始めたので僕はそれを横目にベッドの脇にある小さな箪笥に、持って来た弟の着替えを入れ始めた。

だが衣服を全て入れ終え、いざ引き出しを閉じようとした時、弟の方から「えっ……?」という、小さいながらも驚きを多分に含んだ声が聞こえた。

見ると、弟はノートパソコンの画面を凝視しながら驚いた表情で固まっている。

不思議に思い僕も弟の横から画面をのぞき込む。

そこには『東京フーリガン』という見るからに悪趣味な作りのなされたホームページが表示されており、弟が見ているのはどうやらそのホームページを作った作者の日記(ブログ)ページのようであった。

弟の視線の先を追ってブログに書かれている文章を読み進めていた僕は……次の瞬間、弟同様固まってしまう。

そこにはこう書かれていた――。

 

 

 

 

 

 

――今日の試合後、オレのホームページにいちゃもんをつけて来たふざけた野郎を()()()()()()()()()()()()()。ザマーミロ!!

 

 

 

 

 

その文章を見た瞬間、僕はこのホームページは誰のかと反射的に弟に聞いていた。

弟は半分放心状態でそれに答えてくれた。

ホームページの作者は赤野角武(あかのかどたけ)という、弟と同じ『ノワール東京』のサポーターなのだという。

しかし、自らをフーリガンと称している悪質なサポーターらしく、酔って他の客と大喧嘩をするのはザラで、スタジアムによっては締め出される事もあるという悪評の高い人物だと、弟は教えてくれた。

そして、このブログに書かれている『いちゃもん』についても、弟が赤野のその悪質さから彼のこのブログに注意を促す返信を送ったという事も。

僕はその話を聞きながらブログが掲載された日を確認する。するとその日は正しく弟がスタジアムから傷だらけで帰って来てすぐ、頭を押さえて病院に担ぎ込まれた日と一致していた。その上、弟が怪我をしたのはスタジアムの階段から転落したのが原因。偶然にしては少し出来過ぎている。

それを確認した僕は、次に弟に「ここに書いてある通り、奴に落とされたのか」と問い詰める。だが返って来た答えは「分からない」の一言だけだった。

詳しく聞いてみた所、階段から落ちたのは確かなようなのだが、落ちたショックからかその前後の記憶があいまいで、自分で階段から足を踏み外したのか誰かに落とされたのか分からないのだという。

だが仮に人為的なものだったにせよ、その時は試合が終わった直後であり、自分の周りには家路へと急ぐ人たちがたくさんいた事からふとしたはずみで押されてしまった可能性も否めなくは無かったと弟は言っていた。

だがこのブログと弟の状況から察するに、弟は故意で奴に階段から落とされた可能性が高いと僕は睨んでいる。

しかし、これは状況証拠に過ぎず確証は無い。

少し考えた末、僕はこの赤野というサポーターに直接会ってみる事にした。

その事を弟に話して病室を出ようとした時、弟から「無茶な事だけはしないでよ?」と念を押されてしまったが――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

赤野のブログに記載されている内容から、奴がよく行く場所を割り出してそこで張り込んでいるとあっさりと赤野を見つけることが出来た。

()()()()()()()()()()()をギュッと握りしめ、いざ赤野の前に立ちふさがる。

そうして声をかけようとした瞬間、それよりも先に赤野の方が僕に気づくとニヤついた顔を浮かべながら不躾に口を開いて来たのだ。

 

 

 

 

「――お前、まだ生きていたのか」

 

 

 

 

その言葉が……全てを物語っていた。

双子故、僕を弟と勘違いしているのか、赤野は目を見開いて絶句する僕を前にニヤニヤ笑いながら「ノロノロ歩いていて隙だらけだったぜ?」とか「大した怪我じゃなかったみたいだな?残念だ」など言いたい放題まくし立てて来る。

それを聞きながら僕の中でグツグツと怒りが込み上げて来るのが分かった。

 

何で……何でこの男は弟をひどい目に遭わせておきながらこんなにもヘラヘラと笑っていられるんだ?

 

何で、笑いながら弟を蹴り落とした時の事をまるで武勇伝のようにこうも自慢げに話せるんだ?

 

この男は……この男には、罪悪感というモノがないのか?

 

こんな……こんな最低な男に、弟は殺されかけたというのか?

 

お前のせいで、弟は死にかけたんだぞ?本当なら死んでもおかしくない重傷を負ったんだぞ?あのカエル顔の先生が居なかったら確実に死んでたんだぞ?お前の――。

 

 

 

 

――お前のその軽はずみな行為のせいで……弟はあの機械(デバイス)を一生身に着けていなければ生きていけない体になったんだぞ……!!

 

 

 

 

激しい怒りと悔しさで頭が沸騰し、今にも目の前の男に掴みかかりそうになる。

しかし手が動くよりも先に自身の中にある『理性』を総動員して必死に湧き上がる怒りを抑えた。

その間も、赤野は僕を相手に延々と暴言を浴びせて来るも僕はそれを歯を食いしばって耐え続ける。

だがやがて、赤野は言いたい事を言って清々したのかスッキリとした顔をしてその場に僕を一人残しサッサと立ち去って行った。

どうにか地獄のような時間を耐え抜き、僕は胸の奥に溜まった怒りをため息と同時にゆっくりと吐いた。

そうしてしばらくその場で棒立ちになり、荒れた気性をゆっくりと静めると、僕はおもむろにポケットに手を入れてそこにあったモノを取り出す。

 

「……せいぜい今は気を良くしているが良い……。弟が世話になった礼に、フーリガン気取りのお前に僕が特別なプレゼントを送ってやるよ。――」

 

 

 

 

 

 

「――お前の一生に永遠に刻まれる、『()()()()()()』をな……!」

 

 

 

 

 

 

そう一人呟く僕の手の中には、今までの音声が記録された()()()()()()()()が収まっていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――それから数日と経たない内に、赤野は警察によって逮捕された。

 

赤野と会ったその日の内に、僕は赤野と別れたその足で警察署へとやって来ていた。

そして、事の仔細を伝えると、僕は赤野が弟を階段から突き落としたその証拠となる奴との会話(というより一方的な奴の暴言)を録音したボイスレコーダーを提出する。

録音内容を聞いた警察はそれを十分な証拠とし、弟の事件を捜査すべく動き出してくれたのだ。

そうしてその捜査の途中で、あの日弟が怪我をしたスタジアムの監視カメラを調べてもらった所、帰りで人がごった返していたのにもかかわらず、弟を階段から突き落とす赤野の姿がばっちりと映っており、僕が録音した証拠と相まって即行で赤野の手に手錠がかかる事となったのである。

 

その結果、裁判に出廷された赤野は、弟に手をかけた動機が非常に悪質だったことと、奴自身が今までフーリガン気取りで様々な悪行を重ねていた事も相まって、奴には実刑がついてしばらくの間、牢屋生活を送るハメになった――。

 

その判決を受けて呆然と項垂れる赤野の背中を傍聴席で見つめる僕は一人ほくそ笑みながら、心の中で奴に向けて小さく問いかける――。

 

 

 

 

 

 

(――赤野、僕からの特別プレゼント……『前科』(人生のレッドカード)は気に入ってもらえたかい?)




軽いキャラ説明。


・大葉悦敏

単行本、第34巻。テレビアニメでは279話~280話で放送された『迷宮のフーリガン』に登場した犯人。
双子の弟を階段から落として結果死に追いやった赤野に復讐し、彼を殺害する。
しかしこの作品では、弟は冥土帰しの手によって『デバイス』つきとは言え救命されているため、彼を殺害する事は無くなった。
しかし、それでも弟をひどい目に合わせた事が許せず、彼の隠そうともしない犯行証明の言質(げんち)をボイスレコーダーに録音し、それを警察に提出する事で赤野を刑務所送りにすることに成功する。






・赤野角武

原作での被害者。ブログにいちゃもんを付けて来たとして大葉の弟を階段から突き落とした。その結果、彼の弟を殺害してしまう事となり、大葉から恨みを買う事となって殺される末路を辿る。
しかし今作では、大葉が会話を録音している事にも気づかず自身が不利になる証言をペラペラと喋ってしまった事で、それがきっかけで彼の犯行が明るみになる事となった。
そうして、その一件と今までの悪行が重なた事で実刑判決を受けてしまい、結果彼には『前科』という人生のペナルティ(レッドカード)が与えられる事となった。


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カルテ32:大東幹彦

毎回の誤字報告、感想ありがとうございます。


SIDE:大東幹彦

 

 

――思えば、五年前の『あの事件』が全ての始まりだった。

 

私こと、大東幹彦(だいとうみきひこ)は長年、金城(かねしろ)家という、(あるじ)が沖縄のとある町の町長である大家(たいけ)に仕える執事であり、そこで一緒に働く家政婦の松本嘉子(まつもとよしこ)と婚約を交わし、近々式を挙げようと考えている最中であった。

大家とはいえ、そこの主とその家族はとても人柄の良い人たちだったため、私と嘉子は不自由も不満も何も無く平凡豊かに暮らすことが出来ていた。

 

だがそれも、五年前に起こったある事件から、金城家は波乱の幕を開ける事となった――。

 

 

 

 

最初は、主――金城兵吾(かねしろひょうご)様の一人娘――金城都(かねしろみやこ)様が短大在学中に何者かに誘拐され、それっきり行方不明になってしまったのだ。

 

その頃はちょうど、都様の母上であり兵吾様の奥様がお亡くなりになった時期でもあったため、この一件は奥様が亡くなって沈んでいた金城家には大きな衝撃となった。

直ぐに私は旦那様に警察へ通報と恐らく身代金が目的だと思い、その準備をした方がよいとそう提案したのだが――旦那様から返ってきた答えに私は思わず耳を疑った。

 

――『警察も身代金も、必要ない。……あの子の事は、放っておいて構わない』

 

とても信じられないその返答に私のみならず、隣に立っていた嘉子も思わず呆然と立ちすくんでしまったのは言うまでもない。

それからも、私がその理由を何度も問い詰めても、旦那様は一向に口を開こうとはしなかった。

やがて旦那さまから直々に、この件は外に他言しない事と都様の事は口にする事も決してしない事を念を押されてしまい、私たちは納得できないまでもそれに従わざるを得なくなった。

 

――一体、旦那様は何を考えているのだろうか?都様の事が心配ではないのだろうか?

 

――たとえ……たとえ、()()()()()()()()()()()()、長年親子として仲良くやって来たはずではないのか?

 

少なくとも……私にはそう見えていた。

旦那様が()()()()()()()()である奥様とご結婚され、その子供であり当時まだ幼かった都様は突然の生活の変化に最初こそ戸惑ってはいたものの、日に日にその生活にも慣れて仕えている私たちにも心を開いて行ってくれた。

私や嘉子を、『日本の城』に引っかけて『ちよにい』や『かあちゃん』と呼んでくれるほどに。

やがて時が経って美しく成長し、町の人たちからも評判も良く、どこに出しても恥ずかしくない気立ての良い女性へと育ってくれた。

そんな金城家自慢の一人娘である都お嬢様の安否を、少しも心配しておられない旦那様のその心情が私にはまるで分からず内心、苛立ちが募るばかりであった。そして……そんな旦那様の考えている事が長年仕えているにもかかわらず一切理解できない私自身にも。

 

だが、そんな心の葛藤に苛まれている私を嘉子はいつも気にかけてくれた。

私の気持ちを汲んで、旦那様に秘密で都様を一緒に探そうと言ってくれたり、都様にも祝ってほしいから見つかるまで式は延期しようとも言って、私に献身的に寄り添い続けてくれたのだ。

私はそんな彼女に申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、最終的には彼女の意思を汲んで一緒に都様を探し始めた。

 

インターネットの掲示板にお嬢様の事を呼び掛けたり、探偵などを雇ったりしたが成果は一向に出なかった。

しかし、私たちは諦めなかった。全てはどんな形でもお嬢様に再び会いたい。その一心であったからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして何も進展がないまま一年がたったある日。またしても金城家に不幸が襲い掛かった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――ある夜。金城家に複数の強盗が押し入り、家宝である屏風(びょうぶ)が盗まれた上。

 

――嘉子が強盗の一人の手にかかり、()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

直ぐに病院に担ぎ込まれた嘉子は治療を受けるも、それでも危険な状態を抜け出す事は出来なかった。

このままでは明日まで持たないと医師に言われた私は顔から血の気が引き、一緒に来てくださった旦那様は顔を()()()()()()()()()()()()――。

 

絶望に落ちていく感覚を受けた私だったが、そこで救いの手が差し出された。

 

何でも担当医師の話によると、東都の米花町に世界的にも有名な医師がおり、今彼を呼んでもらっている最中なのだという。

それを聞いて一瞬希望が見えた私だったが、ここで問題がある事に気づく。

その医師がいるのは東都。そこからここ沖縄まで何百キロと離れている。

嘉子の命の火が消えるまでにここまで来れるのだろうか?

不安げに顔を曇らせる私に、それを察してくれたのか医師は私を安心させるように笑って『大丈夫です』と意味ありげに呟いていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そうして、2時間もしない内にその医師は病院へとやって来てくれた。それも全力で駆けつけて来たのが見て取れるほどに全身に滝のような汗を流しながら肩でハァハァと呼吸を整えて。

 

『……全く、ここの院長も随分と無茶ぶりをしてくれるよ。鈴木財閥所有の高速チャーター機を手配しなかったらどうなっていた事か……』

 

ブツブツと文句を呟くそのカエル顔の医師は、私たちとのあいさつもそこそこに嘉子のいる手術室へと入って行く。

私と旦那様はその背中を見つめながら、どうか嘉子が助かる事を切に祈った――。

 

そして一時間後――。

 

 

 

 

 

『――女性は無事峠を越えましたよ。危険な状態でしたが()()()()()()()退()()()()()と思いますのでご安心くださいね?』

 

 

 

 

手術室から出てきたカエル顔の医師に開口一番にニッコリ顔でそう言われた私と旦那様は……はっきり言ってどう反応すればよいのか言葉に詰まった。

助かったのは……素直に嬉しい、うん。だけどその後の一週間で退院……が、正直吞み込めない。

 

……え?いつ死んでもおかしくなかった傷なのに?一週間?退院?え???

 

私と旦那様が返答に迷ってポカンと立ち尽くしている間にカエル顔の医師は今後の事を一方的に伝え終えると『じゃあ僕は急きょの長旅で疲れたから仮眠室に行くね』と言い残してその場をさっさと離れて行った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そうしてカエル顔の医師の言う通り、嘉子は手術後から見違えるほどに快方に向かって行った。

一度は死の淵をさ迷っていたのが嘘のように、最初は集中治療室、その次の日は大部屋。そしてまた次の日になると一人で立って歩けるようになり、更にその次の日にはもはや入院する前とほとんど変わらないくらいにまで回復したのである。

素人目の私からして見ても、もう何時でも退院できそうなほどだ。

あまりの回復速度に私や旦那様は毎回病室を訪れて嘉子の姿を見る度に口をポカンと開いて驚かされた。

だがその反面、日に日に元気になって出会う度に笑いかけて来てくれる嘉子を見て、私は心から嬉しく思えていたのもまた事実であった。

 

……しかし、それと同時に私には気がかりな事が出来ていた。

 

 

 

 

 

金城家に強盗が入った日から、旦那様の様子が明らかにおかしくなり始めたのだ。

 

 

 

 

 

一人部屋に籠って何かに悩んでいるような姿を何度も見かけるようになり、私に対しても何かを言いかけようとして直ぐに止め、「何でもない」と言い残して足早に去って行く事が多くなったのである。

最初はてっきりお嬢様の失踪、屏風の盗難。そして嘉子の入院と立て続けに不幸が重なったので情緒不安定にでもなっているのかとも思ったのだが……ある日の朝に旦那様を起こしに行った時、旦那様が何かにうなされながら口にした言葉に、私は疑問を浮かべる事となった。

 

『都……()()……すまなかった』

 

都お嬢様に謝罪の(げん)を口にするのは分かる。しかし、なぜ嘉子にまで謝る必要があるのだろうか?強盗の件は旦那様のせいではないはずだというのに……。

旦那様に対して疑惑が浮かんだ私は、その後すぐに旦那様を問い詰めていた。

最初こそ「知らない」と誤魔化していた旦那様だったが、直ぐに観念して私に頭を下げて「すまない」と謝りながらポツリポツリと自身の知っている事を打ち明け始め――。

 

――その全てを聞いた私はしばらく半ば放心状態となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

――なんと一年前の誘拐事件。あれは都お嬢様が旦那様の愛情を試すために行った狂言誘拐だったのだ。

 

表面上は親子ではあるもの、都お嬢様は亡くなった奥様の連れ子。これまでは旦那様とお嬢様の間に奥様が立つことで親子として、家族としての関係を築き上げてきた。

しかし、その奥様がいなくなった事で二人の関係に溝が出来たのを感じ取ったお嬢様は、狂言誘拐を起こして旦那様が自分を本当の娘と思っているのかどうかを知ろうとしたのである。

 

『……しかし、あの子のその計画に薄々感づいていた私は……()()()()()()()。警察に届け出る事も、身代金を用意する事も……。母親を亡くしたそのショックから起こした単なる気の迷いなのだろうと、深く考えもしなかったんだ……』

 

頭を抱えて項垂れる旦那様に、私は黙って耳を傾け続ける。

 

『……だが、それがかえってあの子の反感を買う結果になってしまったようだ。怒ったあの子は私への復讐のために強盗達を使って家宝の屏風を盗み出させ……そのために、松本があんな事に……!』

 

その言葉に、私はハッとなり()()()()()()()

強盗達に盗まれた屏風は、この屋敷の保管庫に厳重にしまわれていた物だ。

保管庫のドアには何重もの暗証番号のロックがかけられており、ちょっとやそっとじゃ開けられない仕組みになっていたのだ。

そして、その暗証番号を知っているのは旦那様と亡くなった奥様、そして……お嬢様だけだった。

おまけに、強盗達は前もって計画していたかのように保管庫から()()()()()盗み出している。

あの中には家宝である屏風の他にも価値がある物が多く保管されていたのにもかかわらず、だ。

 

『私のせいだ……私がもっとちゃんとあの子と向き合っていれば……こんな事には……ッ!』

 

そう言ったのを最後に、旦那様は両手で顔を覆って「すまない……すまない……」と呟きながらすすり泣き始める。

そんな旦那様を前に、私は言葉が出なかった。

原因は確かに旦那様にもあったのかもしれない。そのせいで嘉子があんな事になったのには正直、怒りを覚える部分もあった。

しかし、それを悔いて私に向けて涙ながらに謝罪し続ける旦那様に、その怒りをぶつける事は私には到底できなかった。

そんな旦那様を前に、私はしばらくの間目を閉じて黙考すると、やがて旦那様に向けて静かに口を開いていた――。

 

『旦那様……今からでも遅くありません。()()()()()()()()()()()()()

 

私からのその提案に、涙に濡れた旦那様の目が大きく見開かれる。

 

『お嬢様はきっとまだ待っておられるはずです。旦那様が探して助けに来てくれるのを……。お嬢様だけじゃない、嘉子もまたそれを望んでいます。まだ何も、取り返しのつかない事にはなっていないのですから……。今度こそ、一緒に迎えに行きましょう。私と旦那様と、嘉子の三人で……』

『ッ!……ああ。……ああ!』

 

旦那様の手を取って私がそう言うと、旦那様は滂沱の涙を流しながら首を強く振っていた――。

 

 

 

 

 

 

 

――それからすぐ、旦那様は持てる私財をつぎ込んでお嬢様の捜索に全力を注いでいった。

 

新聞や雑誌などの広告を使ってお嬢様の情報を集めたり、探偵などを多く雇って行方を追ったりなど、考えられる手段を全て使って。

 

しかし、捜索を始めて一週間もしない内に、事件は新展開を迎えた――。

 

 

 

 

それは嘉子が退院して数日としない頃、突然屋敷の玄関戸が激しく叩かれるのを耳にした私は、急ぎ玄関戸を開けると、そこには()()()()()()()()()()()()()()()姿()で地面に座り込んでいるのが目に入ったのだ。

短い茶髪に褐色肌のその女性は全身を生傷や土で汚しながらも涙目で私を見上げてくる。

私はそんな彼女に面食らいながらも、直ぐにハッとなって慌てて「どうしたのですか!?」と問いかけた。

そんな私にその女性は涙目のまま()()()()()()目を細めると、ゆっくりと唇を動かした――。

 

 

 

――『……ごめんね。()()()

 

 

 

言葉を失う私を前に、過去の面影がほとんどなくその容姿をガラリと変えた()()()()()、やがて意識をフッと手放すと私の腕の中へと倒れ込んでいた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――後から聞いた話だが、お嬢様はあの屏風盗難のおり、強盗グループの一人が嘉子を手にかけた事を知って、初めて自分が大変な事を仕出かしてしまったのだと気づいたらしい。

そうして、半ば放心状態のままの日々を送っていた時、偶然見た新聞の広告で旦那様が自身を探しているだけでなく、嘉子も一命を取り留めた事を知り、直ぐに家に向かおうとしたのだという。

しかし、それに気づいた強盗グループによって監禁され、口封じに殺されそうになったところを隙を突いてここまで逃げ延びて来たのだ。

 

 

 

 

――それからの展開は速かった。

 

お嬢様のその証言により、強盗グループは警察によって芋づる式に捕らえられ、盗まれた屏風も返って来たのである。

そうして全てが一件落着かと思われたが、お嬢様もその強盗グループに加担していた事には変わりなく、怪我を癒した後その身柄は警察へと引き渡される事となった。

別れ際にお嬢様は『私の事は、もう忘れてくれていいから』と、寂しげに笑いながらそう言うと、旦那様は『もう目を背けはしない。今度こそ必ず迎えに行くからな』と、力強くそう返す。

 

旦那様のその言葉に、お嬢様は一瞬驚いた顔を浮かべた後、静かにその目から涙を一つ零していた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――それから四年が経った現在。

 

私と嘉子は町にある小さな教会で結婚式を挙げていた。

互いにもう「おじさん、おばさん」と呼ばれても不思議ではない年齢での結婚だったが、私たちは幸せに包まれていた。

周囲には私たちの門出を祝福してくれる知人達であふれかえっている。

その中には嘉子を命の危機から救ってくださったカエル顔の医師と、そして――。

 

 

 

 

 

――笑顔で私たちを祝福してくれる()()()()()()()()姿()もそこにあった。




軽いキャラ説明(原作とは違う結末を辿った者たちのみを掲載)。


・大東幹彦

単行本第35巻と第36巻、及びテレビアニメでは第291話~第293話で放送されたエピソード『孤島の姫と龍宮城』にて登場した犯人。
四年前に金城家に押し入った強盗グループ(下地崇(しもじたかし)久米好継(くめよしつぐ)平良伊江(たいらよしえ)【正体:金城都】、そして原作では本名不明の男)の四人によって家宝の屏風を盗まれた上、婚約者の松本嘉子をその内の一人である下地によって殺害されたため、金城家の執事を辞めて独自に犯人たちを追う決意をする(嘉子を殺害された際、下地の顔を見ていたが他のメンバーの正体は掴めずにいた)。
そして四年後になって再び彼らと再会したのを機に凶行に走る事となった。
しかしこの作品では冥土帰しによって嘉子は助かっており、その後聞いた金城兵吾の後悔の想いを知り、彼と嘉子と共に再び都を探す決意をする。
そうして、紆余曲折の果てにようやく都との再会を果たし、その数年後に嘉子と式を挙げた。
もちろん犯人グループたちも死亡することなく、芋づる式に逮捕されており、原作の時間軸では既に亡くなっていた本名不明の男も捕まっている。







・金城都(平良伊江)

原作では強盗グループの一人にして大東に殺害された被害者。
義理の父、金城兵吾の愛情を確かめるべく狂言誘拐を起こすも、兵吾が何の行動も起こさなかった事で腹を立て、強盗グループに入って金城家家宝の屏風を盗み出すも、その時に下地が嘉子を殺害した事で後悔の念に苛まれる事となる。
しかし今作では新聞の広告で嘉子が一命を取り留めたことと、兵吾が一年越しに自分を探しているのを知り、彼らの元に帰る事を決意する。
強盗グループに監禁され殺されそうになるものの、何とか兵吾たちとの再会を果たすことが出来た。
その後警察に逮捕され模範囚として服役したのち、出所後に兵吾と共に大東と嘉子の結婚に笑顔で祝福を送った。





・松本嘉子

原作では下地に殺害されて既に故人であるが、今作では冥土帰しの手により救命され、無事大東と式を挙げる事が出来た。


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カルテ33:木山智則

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。

今回の話、当初はサクッと終わらせるつもりでしたが、気がつけばまたもや一万字近くにまでなってしまいました。


SIDE:木山智則

 

 

「――な、何ですって!?親父が意識不明の重体!?」

 

――ある日。『アフリカぶらり旅』の新作を書いている最中だった僕こと木山智則(きやまとものり)の元に突然の凶報が舞い込んだ。

『木山家具』という家具会社を一代で築き上げた親父が、車で移動中に誤って運転手と一緒に崖から転落したのだという。

 

急いで仕事を切り上げ、親父たちが搬送された病院へと駆けつける。

そして看護師に教えられるままに親父がいるという病室に飛び込んだ僕の目に映ったのは――。

 

 

――ベッドに横たわるミイラ男の姿だった。

 

 

それを見た俺は茫然と病室のドアの前で佇んでしまっていた。

 

何だ、これは?まさか、このベッドの上で包帯グルグル巻きになっているのが親父だとでもいうのか!?

 

全身を隙間なく幾重にも巻かれた白い包帯。そのわずかな包帯の隙間に無理矢理大小様々な管をねじ込み、多種多様の薬品をその管を使ってミイラ男に注ぎ込んでいるのが分かった。

そのミイラ男を囲むように見た事のない医療機器の数々が、ピッピッとそれぞれ規則的な駆動音を鳴らしている。

頭部も包帯が何重にも巻かれ肌のらしき色が一切見えることは無い。

口には人工呼吸器のチューブが差し込まれ、鼻の穴にも細い管が入れられている。

更に鼻の上にあるはずの目の部分にも包帯が巻かれ、所謂目隠しと似た状態になっていた。

 

ベッドで眠るそのミイラ男が親父だととても信じられず途方に暮れていると、ベッドの横でカルテを取っていた医師が僕に気づいて声をかけてきた。

 

「患者のご家族の方ですか?」

「……え、あ、はい……息子、です……。あ、あの、その人は本当に父……なのでしょうか?」

 

そう恐る恐る問いかける僕に医師は病室に置かれたテーブルの上へと視線を移して口を開く。

 

「あそこに患者の所持品を全て置いております。ご確認ください」

 

医師にそう言われて僕はすぐさまテーブルに駆け寄った。

 

……見覚えのある物ばかりだった。

 

仕事で使っている携帯電話(事故で破損状態)、名刺入れ、そして……長年、親父が気に入って使い続けている古ぼけた万年筆などなど……。

それらが、ベッドのミイラ男が親父であるとまざまざと物語っていたのだ――。

 

「お……親父ッ……!!」

 

ミイラ男が親父だと確信した瞬間、頭を鈍器で殴られたかのようなショックが襲う。

そうしてフラフラとした足取りでベッドに眠る親父に歩み寄ると、そばで見守っている医師に向けて問いかけていた。

 

「せ、先生……親父は……親父は治るのですか……?」

 

僕の縋るようなその問いかけに、医師から返ってきた答えは俯きがちに力なく首を左右に振る動作だった。

 

「そ、そんな……」

 

無慈悲なその返答に、僕はその場で膝から崩れ落ちた。

床に座り込んで項垂れる僕の頭上で、先生は「申し訳ありません」と一言言って、親父の状態を詳しく話し始めた。

 

「……非常に危険な状態です。頭の上から足先まで何十ヶ所も骨が折れたりひしゃげたりしている上、肺や腸なども潰れてしまっています。……正直に言っていつ死んでもおかしくなく、三日生きられるのがやっとかと」

「ああ……」

 

医師の口から出て来る親父の容体を聞いてますます絶望的な気分に陥り、僕は思わず両手で顔を覆った。

視界も一瞬真っ暗になり、反対に頭の中は真っ白になる。

 

「残念ながら私どもでは手の施しようもありません。……実は一緒に同乗していた運転手だという男性も同じような危機的状態で今は隣の病室に絶対安静の状態で寝かされております」

「……フフッ、事故を起こしたその運転手も親父と同じ状態じゃあ怒るに怒れませんね」

 

その医師の話を聞いて僕は半ば投げやりに力なくそう呟く。

事故を起こし、親父をこんな目に遭わせた運転手に最初は一言だけでも怒りをぶつけてやりたかったが、親父と同じく死の淵に立たされていると知り、その人を非難する気力は霧散していた。

 

「……その方が良いかと。今、その運転手の病室にも家族の方が来ていらっしゃるようなので」

 

僕が悲嘆にくれる運転手とその家族のいる隣の部屋に押し入ってわざわざ事を荒立てるのも得策ではない、か……。

医師の言葉に、考えを改め直した僕はため息を一つつくと医師に再び問いかけた。

 

「……本当に、もう治せる見込みはないのでしょうか?」

「うちの病院では残念ながら……ですが、東都にあるという『米花私立病院』なら、あるいは……」

「――!『米花私立病院』……?」

 

思わず顔を上げてオウム返しに問いかける僕に、医師は力の籠った目で強く頷く。

 

「はい。あそこの医院長は世界的にも有名な医師で、どんな病気も怪我も瞬く間に治せるという噂です。……しかし、今回は患者の容体が容体なだけに、治療できるかどうかは分かりかねますが……」

「……ですが、その人に頼めば助かる見込みがあるんですよね?……でしたら、お願いします。親父を助けてください!必要なら、僕の全財産をなげうってでも構わない!」

 

僕の必至の懇願に医師は「分かりました」と再び強く頷いていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ふ~む」

 

診察室の中。僕の前で椅子に座るカエル顔の先生が小さく唸りながら親父と運転手のカルテとにらめっこをしている。

担当医師からの紹介で病院にやって来たその先生は、親父と運転手の容体を確認した後からここでカルテを見て何かを考えるように唸り続けているのだ。

僕はそんな先生の姿を見て不安になる。もしや、この先生でも親父たちを助ける事は出来ないのか?

そんな嫌な妄想が脳裏をグルグルと回り、不安をいっそう色濃くさせていく。

やがて沈黙に耐え兼ねた僕は、思い切って先生に問いかけていた。

 

「……せ、先生。あの……親父は、助かるので、しょうか……?」

 

恐る恐るそう問いかける僕に、カエル顔の先生はカルテから顔を上げるとゆっくりと口を開いていた。

 

「……ん?ああ、不安がらせてしまったようだね?……大丈夫。僕の腕なら治す事は出来るよ?」

「――!ほ、本当ですか!?」

 

今一番聞きたかった言葉をカエル先生の口から聞くことが出来、僕は歓喜に笑みを浮かべた。

しかし、その直後に「ただ……」と先生は言葉を続けると、再びカルテに視線を戻して険しい顔を浮かべながらその先を口にする。

 

「……お父さんの怪我はここの医師の見立て通り、とても深刻なものだ。骨や筋肉繊維はまだしも臓器に多大なダメージが与えられている……。もはや大半の臓器は治療したとしても再起はほとんど見込まれないだろうね」

「そ、そんな……!」

 

親父の身体の大半がもはや再生不可能と言う現実を突きつけられ、僕は膝から崩れ落ちそうになる。

しかし、何とか両足を必死に支えながら先生に縋るように声を上げた。

 

「……先生、何とか親父を助ける方法は無いんですか!?」

「お父さんを助けられる方法は一つ……それは『臓器移植』しかないね」

 

『臓器移植』。その言葉を聞いて一瞬僕の中に希望が見えるも、直ぐにそれは闇に飲み込まれた。

 

――無理だ。誰もが知る事だが臓器移植はドナー登録を行った他者から臓器をもらい受ける治療方法。

しかしそれ故に治療費はとても高く、臓器提供を待つ患者も順番待ちで多い事から治療を受けるまでに長い時間をかける。

そのため、必要な臓器移植が多くその上明日をも知れぬ命の親父が治療そのものを受けられる可能性は(ゼロ)に等しかった。

 

「臓器移植なんて……間に合うはずがない……!親父はもう、ここまでなのか……!」

 

僕は顔を両手で覆って絶望にむせび泣く。脳裏には親父との思い出が走馬灯のように駆け抜けていく。

一つ一つの思い出に優しい親父の笑顔が映され、それが絶望に沈む無力な僕を責めさいなんでいるように感じた。

 

――だが次の瞬間、目の前に座るカエル顔の先生からの声でその感情が一時的に止まる。

 

「……?何を言ってるんだい?さっき言っただろう『僕の腕なら治す事は出来る』って。キミのお父さんはもう僕の患者なんだ。だから僕の目の黒い内は絶対に死なせたりはしないよ」

「――!……で、ですが臓器移植なんて……提供してくれるドナーが現れるのにどれだけ時間がかかると思ってるんですか……!いくら何でも間に合いませんよ……!」

 

そう僕が先生に噛みつくように叫ぶ。すると先生は何故かきょとんとした顔を浮かべると……信じられない言葉が飛び出してきた。

 

「……誰がドナーを探すって言ったんだい?」

「……え?」

「そもそも僕は最初っから誰かから臓器を提供してもらおうとは考えていないよ?キミのお父さんの容体から見ても間に合わないのは分かり切ってるしね?」

「で、でも、臓器移植が必要だって今――」

「――うん、だから……――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――その必要な臓器を()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………………………。

 

「えぇッ!!??」

 

最初こそ先生の言っている事の意味が分からず、ポカンと棒立ちになって沈黙していたものの、しだいに理解が追い付いて来て僕は思わず叫んでいた。

 

作る?臓器を!?一体どうやって!?

 

しかし僕が呆気に取られている間に、先生はその方法を説明しだした。

 

「まずこれから行う手術を二段階に分ける。最初の一段階目は使えなくなった臓器を人工臓器に移し替えるんだ」

「じ、人工臓器?」

「うん。僕が友人の発明家と鈴木財閥の研究チームと共に作り上げた最先端の代替治療機器さ。それを使ってまずはキミのお父さんを延命させる。容体が容体なだけに複数の大小さまざまな機械に繋がる事になるから身動きできなくなるだろうけど一時的な処置だから理解してほしい」

「…………」

 

目の前で人差し指を立てて人工臓器の説明をする先生に、僕は口を半開きにしながら聞き続ける。

 

「……そして次の二段階目で患者を人工臓器で延命させている間に、取り出した元の臓器からまだ生きている細胞を摘出し、それを(もと)臓器培養(ぞうきばいよう)を行って新しい臓器を生成するんだ。そうして仕上げに生成したその臓器を二度目の手術で人工臓器と取り換えれば……」

「親父の体は……治る?」

 

思わずそう呟いた僕に先生はしっかりと頷いて見せた。

 

……確かに人工臓器も臓器培養も聞いた事はあるが、果たして現実にそれは可能なのだろうか?

 

しかし、そんな僕の疑問が顔に出ていたのか、先生はその疑問にあっさりと答えた。

 

「出来るよ。何せさっき話した友人と研究チームの協力のかいあって既に実用化は済んでるんだ。……まぁ、済んだと言ってもほんの数年しか経ってないから世にはまだあまり広く広まってはいないんだけどね?」

 

苦笑交じりにそう言った先生を前に、僕はもう言葉を返すことも出来ず、目をパチパチとしばたたかせるだけであった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――それから数日後。

 

「……う、うぅ…………こ、こは……?」

「――!お、親父ッ……!!」

 

カエル顔の先生の治療(正確には第一段階)を受けた親父は目を覚ました。

内臓の半分以上を大小さまざまな人工臓器の機械で補っているため、ベッドから起き上がる事は出来なかったが、親父の意識ははっきりとしており、ちゃんとした受け答えも取れていた。

親父が目覚めたと知ったカエル先生も病室へやって来て、軽い検査を行っていく。そうして終えた検査でも特に問題は無さそうであった。

 

「……でもよかったよ目を覚ましてくれて。事故でいつ死んでもおかしくないって言われた時は、もうどうしたらいいかと――」

「――事故……?――!そ、そうだ!田沼(たぬま)君は?運転手の田沼君は無事なのか……!?」

 

僕が言った言葉の中の『事故』と言う単語に反応して親父が反射的に体を起こそうとするのを僕とカエル先生が慌てて止めに入る。

 

「運転手なら心配ないよ。……親父と同じ治療を受けて今、隣の病室で寝てるから」

 

親父の体を抑えながら言う僕に、親父は安堵の息を漏らす。

――そう。事故を起こした運転手も、親父がカエル先生の治療を受けた直ぐ後に、その人も親父同様の治療を受け一命を取り留めていた。

それ故、その人も今は同じく複数の人工臓器の機械に繋がれており、ベッドから動くことが出来ない状態となっているのだが。

 

「ああ、よかった……。田沼君にもしもの事があったら、彼の家族に何てお詫びすればよかったか……」

「……全く、自分も今大変な状態だっていうのに人の心配している場合かよ」

 

目尻に涙を溜めてそう言いながら、再びホッと安堵の息を吐く親父に、俺は呆れながらそう返した。

すると、そばで見守っていたカエル先生も親父の言葉に苦笑を浮かべるも、直ぐに「そうだ」と小さく呟いて親父に一つ提案を投げかけた。

 

「何でしたらその運転手の方と会話してみますか?流石に今はベッドから動かす事は出来ませんが、パソコンを使ってのテレビ通話(リモート)は可能ですし、田沼氏(あちら)もつい先程目を覚ましたようなのでいけるとは思いますが……」

 

先生からのその提案に親父は即行で乗っていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そうして田沼のお見舞いに来ていた彼の娘……確か綾佳(あやか)さん、だったか。その人の協力を得て二つの病室にノートパソコンを設置し、テレビ通話越しに親父と田沼さんの再会が叶った。

 

『しゃ、社長!良かった、無事だったのですね!』

「ハハッ……完全に無事とは言い難いがね。君の方こそ、元気そうで何よりだよ」

 

機械に繋がれながらも画面越しに互いに生きている事を喜び合う二人。

しかし、何度か言葉を交わした後、不意に田沼さんが暗い顔を浮かべて押し黙ってしまった。

 

「……?どうかしたのかね田沼君。傷が痛むのかい?」

『あ……いえ、そう言うわけではないのですが……』

 

親父の問いかけに、田沼は歯切れが悪そうにそう答える。そして数秒間、何かを想い詰めるようにして考えるそぶりを見せた後、意を決して親父に向けて口を開いていた。

 

『……あの、社長。先日の事故の事で少し話しておきたい事があります』

「ん?なんだい?」

『覚えておられますか社長。あの日、あの事故が起きる直前の事を……』

 

田沼の問いかけに、親父は小さく頷く。

 

「ああ。……確か、急にブレーキが利かなくなったと言って君が慌てだして、その直後に車がガードレールを突き破ったんだよね……」

『はい……。ですがおかしいのです――』

 

そう前置きをして田沼が語った話に、僕は思わず眉根を寄せた。

――なんでも田沼は毎日、親父を乗せる車の手入れ点検は欠かさずやっているらしく、それ故突然ブレーキが壊れるなんて事はありえないはずなのだという。

現にあの事故が起こる少し前までは、車はちゃんと正常に走行出来ていたと言っていた。

 

……だが僕からみればこんな話。単なる責任逃れの言い訳にしか聞こえず、正直彼の言う事はそうそう信じられそうになかった。

 

しかし、チラリと親父の方を見れば、僕とは反対に真剣な目つきで田沼の話に耳を傾けている姿があった。

本来なら何の根拠もない話だと聞き流してもおかしくはないというのに、親父は真摯に田沼と向き合っていたのだ。

 

僕は親父ほどこの田沼という人物の事は知らないが、それ程までに信の置ける者なのだろうか?

 

そんな事を僕が考えていると、最後に田沼は親父に向けて気になる事を一つ話し出した。

 

『それと社長。……実は事故が起きる直前――私が会社前で待つ社長の方へ車を回そうと地下駐車場に向かっていた時、そこから出て来る馬島(まじま)副社長とすれ違ったんです』

「――!馬島君と……?」

 

田沼のその証言に親父の眉根が僅かにピクリと反応した。

馬島道吉(まじまみちよし)副社長。その人の事は僕も過去に何度か会った事があるから知っている。

温厚で人が良さそうな人に見えたが……。

 

『はい……。あの時間、副社長はいつも仕事中のはずでしたし……すれ違った時、()()()()()()()()()()()()()()ので妙だなぁとは思ったのですが……』

 

それを聞いて親父の目が僅かに見開く。そしてそれは僕も同じだった。と同時に、脳裏に嫌な想像が駆け抜ける。

人気のない地下駐車場。その一角にある親父の専用車の横でしゃがみ込み、そこで工具片手に()()を行う馬島さんの姿が。

 

……そう言えば今までで親父のお見舞いに来てくれた木山家具の社員たちやその取引先の会社の人たちは、親父が回復に向かっていると知って皆誰もが安堵の笑みを浮かべてくれてはいたが……ただ一人、馬島さんだけはその笑みがぎこちなかったような気がする。

 

そうして田沼からの話を聞いた親父は目を閉じて「ふ~む……」と唸りながら考える仕草をする。

たっぷり一分ほど考え込むと、やがて親父は目を見開き、真剣な表情で田沼に向けて口を開いた。

 

「……田沼君、キミの話は良く分かった。だが今の君の話だけでは正直判断材料に欠ける。気を悪くするだろうが、君が自分の失態を誤魔化すためにあえて作り話をでっちあげているという可能性だってあるんだ」

『……ッ、はい……』

 

画面の向こうでシュンと俯く田沼。そんな田沼に親父は言葉を続ける。

 

「……だからこの件はひとまず私に預からせてほしい。そしてしっかりとした裏取りを行ってから改めて真偽のほどを確認させてもらうよ?」

『……はい、分かりました』

 

諭すような親父のその言葉で田沼は一応納得してくれたのかしっかりと頷き返し、この通話は終了となった――。

田沼との通話を終えた親父は、僕から携帯電話を借り受けると早速木山家具の重役社員たちの中で親父が最も信用の置ける者たちにだけに連絡を取り、事の仔細を話した上で秘かに調査してほしいと頼み込んでいた。

そうしてその人たちとの打ち合わせを一通り終えた親父に、貸してた携帯を返却してもらうがてら、僕は親父へと問いかけていた。

 

「親父。田沼さんの言う事、本当だと思うかい?」

 

その答えに返って来たのはキョトンとした表情を浮かべる親父の顔だった。

 

「……ん?本当も何も、私は最初っから田沼君の事をこれっぽっちも疑ってなんかいないよ。何せ彼とは木山家具創業初期からの付き合いだからな。彼がどういった人間なのかは私もよぉ~く知っているつもりだ」

 

その言葉に僕は内心驚いていた。まさか親父と田沼がその頃からの付き合いだったなんて今初めて知った。

すると親父は次に真剣な目つきで虚空を睨みつけながら、やや重い口調で言葉を続ける。

 

「……むしろ田沼君の言う通り怪しむべきは馬島君の方だろう。彼は社の中で一番業績が良かったんだが、その分黒い噂がついて回っていてな。その噂の一部が私の耳にも入っていたんだ。……彼が手にした業績にしたって、大半が結構あくどいやり方で手に入れたという話もあるくらいだ」

「……でも、やっぱりまだ少し信じられないよ。……馬島さんが車に細工して親父たちをその……」

「うん……私も大事な社員を疑うのは正直、すごく心苦しいが……こればっかりは結果を見て見ない事には、な」

 

僕の言葉に親父はそう答えると、首だけを病室の窓へと向け、そこから見える空をぼんやりと見上げ始める。

その双眸は心なしか寂しさと悲しさが入り混じっているように、僕には見て取れた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――それから数週間後、馬島さん……いや、馬島は警察に逮捕された。

 

親父の指示を受けた重役社員たちの調べで馬島について回っていた黒い噂……そのほとんどが事実であったと確認されたのだ。

不正経理から始まり、自身の部下の手柄をさも自分の功績だと平気で偽って自身の株を上げるのを日常的に行っており、他にも会社の取引先のいくつかに賄賂を贈り贈られたりを繰り返して懐を潤すと同時に、他社からの後ろ盾を確立させていたのだという。しかも賄賂に使ったそのお金は自分の財布からではなくなんと会社の金から横領して出していたと言うのだから驚きだ。

これだけでも許せない悪行ではあるが、副社長の座に収まった奴は今度は親父を亡き者にして社長の椅子を手に入れようと画策したのだ。

 

その証拠は地下駐車場に設置されていた防犯カメラがしっかりと捉えていた――。

 

 

 

 

――かくして、動かぬ証拠である監視カメラのその犯行映像と重役たちが集めた馬島の部下の証言や賄賂に使った会社のお金の使用の証拠などによって、馬島は殺人未遂及びその他もろもろの罪で逮捕され、実刑がつく事となったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……しっかし、馬島はどうして地下駐車場で車の細工なんてしたんだろうね?副社長なんだからそこに監視カメラがある事くらい知っていたはずだろうに」

 

馬島が逮捕された数日後、木山家具会社の社長室に僕と親父の二人がいた。

カエル先生からの二度目の手術を受けた親父(と田沼)は、たった数日で見る見るうちに元気になり、丸一日リハビリをしただけでその翌日には元気に退院することが出来たのである。

 

……うん。事故が起きてからまだ一月も経っていないと言うのに、この目まぐるしいくらいの回復速度は一体何なんだろうね?

 

まぁとにかく、退院して元気になった親父に僕がそう疑問を口にすると親父は少し複雑そうな顔を浮かべながらそれにすぐ答えてくれた。

 

「……実はいつも車を停めているあの一角の監視カメラは少し前から不調を起こしていてな。事故が起きる前日まで修理に出していたんだ。……だが馬島君は、あの監視カメラが犯行の前日には修理から帰って来ていたのを全く知らなかったらしい。その原因は彼の直属の部下が馬島君に伝え忘れていただけだったらしいが……なにぶん常日頃から彼に色々と責任やら何やらを押し付けられていたらしくあまり会話したくなかったとも言っていたね」

 

正に因果応報、自業自得。部下の手柄を取ったり責任を押し付けたりして嫌われた果ての末路だったわけだ。

 

「本当に……残念で仕方ないよ。……馬島君もこの会社の事を好いてくれているものとばかり思っていたんだがね……」

 

そう呟きながら小さくため息をつく親父。親父にとって、馬島もまた大事な会社の社員の一人だったために、この裏切りは相当ショックだったようだ。

僕はそんな親父にかける言葉が見つからず、黙って親父の背中を見つめる事しか出来なかった。

心身共に親父が受けた傷の深さは計り知れない。その傷は時間が癒してくれるのを祈るばかりだ。

 

「……あ、そうだ親父。お世話になったカエル先生に今度開かれる僕の写真展の招待チケット贈ろうと思うんだけど、どうかな?」

「……ん?おお良いじゃないか。……そうだな、なら私は我が社自慢の高級家具を先生に贈るとするか!デザインは何がいいだろう?智則、一緒に決めてもらえるか?」

 

そう言いながら親父は木山家具のカタログを取り出してウキウキ顔で僕の前に開いて見せる。

声を弾ませてページをめくる親父を見て、傷心が癒えるのもそう遠くないかもしれないな、と僕は自然と笑みを零していた――。




軽いキャラ説明(原作とは違う結末を辿った者たちのみを掲載)。


・木山智則

アニメオリジナル回、『水流るる石庭の怪』に登場する犯人。
『木山家具』の先代社長である実父を馬島によって事故死に見せかけて殺されており、その復讐のために犯行に及ぶ。
同じく馬島に恨みを抱いていた『木山インテリア』社長の遠藤信明(えんどうのぶあき)の殺人トリックを利用しての行動だった。
しかしこの作品では、父親と運転手の田沼は冥土帰しの手によって助かっているため犯行を行う事は無くなり、同じく遠藤の方も馬島が逮捕されたため事なきを得た。




・馬島道吉

社長の椅子を狙って先代社長と運転手の田沼を事故死に見せかけて殺害した犯人であり、同時にそれを知った智則によって殺害される被害者。
この作品では冥土帰しの手によって助かった田沼の証言をきっかけに、先代社長が調査に乗り出し、結果事故の犯行とこれまでの悪行が全てバレる事となり、馬島は警察に逮捕される事となった。





・先代木山社長と田沼

原作では既に故人。
しかし今作では冥土帰しによって救命され、現在は今まで同様の平穏な生活を送っている。


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カルテ34:本堂和行

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。

今回は手紙形式で書いていますので本文はものすごく短いです。


――拝啓、××××(カエル先生の本名)

 

 あたたかな春の日和のような日々が続いております。カエル先生におきましてはますますのご清祥のことと存じます。

 この度、こうして御恩あるカエル先生に手紙をお送りいたしましたのは、近況報告も兼ねた大事なお知らせがあったからです。

 

 今を遡る事、十二、三年前。私は絶望の淵にいました。

 当時、芸術大学に行くことを夢見て日夜絵を描く日々を送っていた高校生の私に、同級生だったとある男子学生がちょっかいをかけて来て、彼とのいざこざの果てに私は腕を骨折する結果となりました。

 担当医師から腕はもう思うように動かす事は出来ないだろうと言われた時の、私の絶望は計り知れませんでした。

 進路が潰え、夢が潰え、大好きな絵を描く事もロクにできなくなり、胸にぽっかりと穴が開いたような虚無感に満ちた私の脳裏に飛来したのは『死』の一文字でした。

 もはや何もかもがどうでもよくなり、絶望のどん底にいた私にはそれしか考えられなくなっていたのです。

 ……ええ、今となっては実に愚かな事を考えていたと思っております。

 残していく家族や私の夢を応援してくれた友人たち、そして当時から付き合っていた恋人。その人たちがどれだけ悲しむのかさえ、あの頃の私は全く分かっていなかった。

 

 ……でも、そんな時でしたね。私の前にアナタが現れたのは。

 

 担当医師の紹介でここに来たというアナタは、私の腕の怪我を一目見ただけでにっこりと笑い、『大丈夫。僕が必ず治すよ』と、そう言ってくださいました。

 その言葉と浮かべた笑顔が、あの時の私にどれだけの希望を持たせてくれたことか。

 しかもアナタは、その言葉を違える事無く、瞬く間に私の怪我を治してくれました。

 ……正直、あの時ほど驚いた事はありません。担当医師ですら匙を投げた私の怪我をアナタは短期間のうちに完治してくださいました。

 今でこそ話せるのですが、私はあの時アナタの事を本物の魔法使いなのではないのかと本気でそう思いました。……いや、お恥ずかしい。

 

 ですがそのおかげで、私ははれて望んだ芸術大学へと無事進学することが出来ました。

 その後、大学を卒業し数年間の海外での修行を経て、今は私の絵を好んでくれるスポンサーもついて自身のアトリエを持つまでに至りました。

 それもこれも全て、先生のおかげです。アナタがいたからこそ、私は今こうして大好きな絵を描きながら日々平穏な日常を送れているのです。

 

 本当に、ありがとうございました。

 

 ――さて、前置きが長くなりましたがそろそろ本題へと参ります。

 最初の近況報告なのですが、前述した私に怪我を負わせた男子学生――針生清治(はりおせいじ)という男ですが……彼が先日、()()()()()()()()()()

 高校を卒業した後、彼はとある食品メーカーの相談役になっていたらしいのですが、どうやらいくつもの同系列の会社を強引なやり方で乗っ取っていたようなのです。

 昔っから彼は気に入らない人間がいればそれを片っ端から潰しにかかる思考を持っていたのですが、社会人になった今でもその考えは変わっていなかったみたいです。

 そして今回、彼が標的にしたのは私の高校時代の友人の一人で、今は社長を務めている秋田谷水産(あきたやすいさん)でした。

 少し前にその友人から『会社に針生が来た』と相談してきたのを機に、私たちは他の高校の友人たちにも呼び掛けて集会を開く事にしました。

 以前から彼の黒い噂をよく耳にしていた私たちは、今回も悪辣な方法で秋田谷水産を乗っ取るつもりだと気づいていたのです。

 彼が本腰を入れて友人の会社を潰しにかかるのは時間の問題。その前に私たちは針生を止める必要がありました。

 

 そうして相談に相談を重ねた私たちは、針生を訴える事にしたのです。

 

 友人たちとお金を出し合い、数人の探偵を雇った私たちは、針生の周囲を調べ始めました。

 すると予想以上の収穫を得ることが出来たのです。

 なんと針生は会社乗っ取りのために裏社会の人間――主に『半グレ』と呼ばれる者たちの手を使って脅迫や暴力と言った方法で行っていた事が分かったのです。正直、この報告には私たちも戦慄しました。

 そしてこのままでは、友人の秋田谷水産も同じ末路を辿ると直感した私たちは、すぐさまその結果報告書や証拠の数々を針生が勤めているという食品メーカーの上層部に匿名で送り付けたのです。

 その途端、上層部は火が着いたように大騒ぎとなりました。後から知った話ですが、どうやら針生が勤めている食品メーカーの者たちは彼がそんなとんでもない方法で会社を吸収しているなど寝耳に水だったようなのです。

 食品メーカーの上層部はすぐさま針生を本部へと連れ戻すと真偽を確かめるべく調査に乗り出しました。結果は私たちが調べた通りのものとなり、針生は即刻解雇通告を言い渡され、事が事だけに警察にも連れて行かれる事となったのです。

 これで秋田谷水産は難を逃れました。これも後から知った話なのですが、私たちが上層部に訴えた数日後には、針生は半グレを秋田谷水産にけしかけるつもりだったようなのです。後数日、訴えが遅れていたらどうなっていた事か……。

 これで全てが終わった。……と、最初私たちはそう思っていたのですが、針生の方ではそうもいかなかったようです。

 風の噂で聞いたのですが、針生が逮捕されたのをきっかけに、今まで彼に悪辣な方法で会社を乗っ取られたという被害者たちが一斉決起し、彼と彼が勤めていた食品メーカーを訴えたらしいのです。

 結果、億単位もの賠償請求が求められ、その被害総額は受けた食品メーカーからそっくりそのまま針生の肩にのしかかる事になったとか。

 もはや針生は警察から釈放された後は地獄のような日々を送るのは決定づけられています。億単位の賠償金を背負ってしまった彼は、この先死ぬまで借金地獄で一生を送る事になるでしょう。

 

 ――自業自得。そうとしか言いようがありません。

 

 さて、長々と書き綴ってきましたが、最後に大事なお知らせを先生にお伝えしてこの手紙を終わりにしたいと思います。

 実は高校時代から長らく交際を続けていた私の恋人――野島栄子(のじまえいこ)さんにようやくプロポーズすることが出来、彼女も大いに喜んでくれました。

 思えば付き合い始めて既に十年以上。もう私たちは三十歳です。彼女には大いに待たせてしまいました。

 私は当初から絵描きとして成功した後、生活を安定させてから彼女を迎え入れるつもりだったのですが……それが予想以上にかかってしまいました。

 本当に……彼女には本当に何年も待たせてしまい申し訳なく思い、その事もプロポーズをした後に謝罪したのですが、彼女は笑って許してくれました。

 

 『おばあちゃんになる前に気持ちを聞けて良かった』と冗談めかしに言いながら……。

 

 彼女には一生頭が上がらないかもしれません。

 結婚は来年の今頃に挙げる事となりました。恩人であるカエル先生も、是非いらして下さい。

 細かな予定が決まり次第、その時は改めて結婚式の招待状をお送りいたします。

 

 末筆ながら、体を壊さぬようご自愛のほどお祈り申し上げます。アナタへの心からの感謝を込めて――。

敬具

 

 

  西暦20××年×月×日

 

本堂和行(ほんどうかずゆき)




軽いキャラ説明(原作とは違う結末を辿った者たちのみを掲載)。


・本堂和行

アニメオリジナル回、『友情と殺意の関門海峡』に登場する人物たちの、会話の中で登場する故人。
このエピソードの殺人事件の発端にして中心人物であり、容疑者となる野島栄子、秋田谷徹(あきたやとおる)大坪圭介(おおつぼけいすけ)井坂茜(いさかあかね)の四人とは高校時代からの友人であり仲が良かった。
元凶である針生に腕を折られ、芸術大学へ行く夢を断念せざるを得なかった絶望から、薬を飲んで自殺してしまい、それがこのエピソードの事件へと繋がって行く事となった。
しかし今作では冥土帰しによって怪我が完治しており、そのおかげで念願の絵描きの夢をかなえることが出来、その後野島栄子に結婚のプロポーズをするまでに至った。
原作では秋田谷は針生を殺害しており、野島も勘違いとは言え殺人未遂を犯している。後の二人も野島を庇うためにあえて噓のアリバイをでっちあげているため、四人ともそれぞれ何かしらの罪状がつく事となるも、この作品では本堂は生きているため、罪状どころか事件そのものが無くなった。





・針生清治

今作の被害者。原作では野島に殴られた直後に秋田谷に再び殴られて殺害されてしまう。
自分が自殺に追い込んだ本堂に対して反省も後悔もせず、それどころか「誰だったかいのう?」とうそぶいたり、死者である本堂の事を罵倒したりと……はっきり言って恨まれても何もおかしくない人間である。
本作では冥土帰しの手によって本堂の怪我が治り、原作ほど野島たちから恨まれる事は無くなったが、針生が秋田谷の会社を乗っ取ろうとしているのに気づいた本堂たちが、探偵たちを使って針生の悪行の証拠を集めてそれを針生の勤める食品メーカー上層部にリーク。
結果、針生は警察に捕まった上、億単位の賠償金を背負うという生き地獄に落ちる事となった。


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カルテ35:近藤英一郎

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。

今回も短めのエピソードとなっております。次回辺りから再び長編話になりそうですので、この話はそれに力を入れるためのちょっとした箸休め回だと思ってください。


SIDE:カエル顔の医者(冥土帰し)

 

 

今日も今日とて、私の所にまた新たな患者が運ばれて来た。

それも時刻は深夜。日が変わるか変わらないかの時間帯にである。

消防防災ヘリが米花私立病院のヘリポートに降り立ち、そこから担架に乗って運ばれてきたのは作業服を着た若い女性であった。

どこかから転落でもしたのか服がボロボロになり全身が傷だらけである。頭部からも大量の血を流しており、内臓にもダメージを受けている可能性があった。

 

藤井君から彼女の素性が伝えられる。

 

「患者は新八王子駅から郊外にある小天狗山(こてんぐやま)の小天狗山公園で管理人をしている女性職員です。……その山の崖から転落してしまってこうなったという話なのですが……」

「……彼女、こんな深夜に真っ暗な山の中に入っていたのかい?」

 

彼女の言葉に私がそう問いかけると、途端に藤井君は首をかしげる。

 

「さぁ……?どういうわけか、そこら辺の状況があまり要領を得なくて……。当時、彼女と一緒に居たという同じ管理人の男性二人にも救急隊員が事情を聴いたらしいのですが、その二人も話を聞ける状態では無いのです」

「……まぁいい。とりあえず今は彼女の救命が最優先だ。もう既に虫の息だからね、一刻も早くオペを開始するよ!」

「はい!」

 

藤井君が強く頷いたと同時に、私は重傷の彼女を手術へと運び、すぐさま手術にとりかかった――。

 

 

 

 

 

――その結果は……これもいつも通りだ。私は死の淵にいた彼女の命を救い出す事に成功する。

あともう少し、救急隊員たちが彼女をここへ運び込むのが遅かったら手遅れになっていただろう。

 

 

 

 

手術を終えた私が一段落着いて手術室から出て来ると、手術室前の廊下には一人の男性が立っているのが見えた。

患者の女性と同じ作業着を纏っている。恐らく一緒に居たという管理人の一人だろう。

男性は手術室から出てきた私の姿を見るや否や、足早に私へと駆け寄って来る。

 

「先生……あの……彼女はどうなりましたか?」

 

恐る恐るそう尋ねて来る男性に私は笑って口を開く。

 

「大丈夫。彼女は一命を取り留めましたよ」

 

――毎回手術を終えた後、患者の関係者の人たちに言う決まり文句と化したセリフを、私は言う。

いつもならこの言葉を聞けば、皆安堵や喜びの表情を顔に浮かべるのだが……――。

 

 

――彼の場合は全く違っていた。

 

 

「――ッ、そう……ですか……」

「……?」

 

まるで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、彼の顔が深く歪む。

苛立ち、悔しさ、動揺、そういった感情が彼の顔にありありを浮かんでいたのだ。

全く予想だにしていなかった彼のその反応に、私も少々の混乱と同時に疑問が浮かび、彼に向けて口を開こうとする。

しかし、それよりも前に私は()()()()()()()、質問を変えて彼に問いかけていた。

 

「……そう言えばもう一人、彼女の同僚の男性が来ていると聞いたんだが……その人は何処に?」

 

彼女が転落した時、その場にはもう一人、男性職員がいたと聞く。その人は何処に行ったのだろうか?まさか、彼女の生死を聞く前に帰ったとは思えないが……。

 

「……近藤(こんどう)なら看護師に部屋を借りてそこで休んでますよ。大分気分悪そうだったんでね」

 

先程とはガラリと雰囲気を変えて何故か投げやりにそう答える男性。

そんな彼の態度に私はますます怪訝な表情を浮かべるも、男性はそれに気づいていないのか私に向けて質問をしてきた。

 

「……彼女は今、何処にいるんスか?」

「まだ手術室だけどこの後すぐ、集中治療室に運ぶことになっているよ?」

「そっすか」

 

私の返答に男性は再びそう素っ気なく返すと、踵を返して歩き出した。

それを見た私は慌てて声をかける。

 

「何処に行くんだい?」

「トイレだよ」

 

吐き捨てるようにして男性はそう言い残すと足早に廊下の奥へと消えて行った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

――彼の態度に腑に落ちない部分が多々あったものの、いつまでも廊下に突っ立っているわけにもいかない。

とりあえず彼の事はいったん保留にしようと決めた私は、手術着からいつもの白衣へと着替えるために、更衣室へと入った。

手術着を脱ぎ、白衣を纏って一息つく。

そうして、この後休憩所で缶コーヒーでも買って休憩を入れようかと考えていた矢先――。

 

――またしても事件が起こった。

 

 

 

 

 

 

「ギィヤアァァァァァァーーーーーーーッッッ!!!???」

 

 

 

 

 

「!?」

 

突如、病院全体に響き渡る()()()()

何事かと更衣室から廊下へと飛び出すと、そこには私同様何が起こったのか分からず混乱して病室から顔を覗かせる患者や医師、スタッフの姿が。

そして直ぐに、先程の悲鳴が集中治療室の方から響いた事に気づいた私は慌ててそこへと駆け出していく。

やがて集中治療室の前までやって来ると何故かドアが開いており、それを見た私は反射的に部屋の中へと飛び込み――。

 

――部屋の中の光景を目の当たりにして絶句した。

 

 

 

 

 

――そこには、この集中治療室に運び込まれたばかりの例の女性職員患者の横たわるベッドを前に、何故か肩で息を整えながら鬼の形相で仁王立ちになっている鳥羽君と……――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――その鳥羽君が見下ろす視線の先で、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()姿()があったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……と、鳥羽君、一体どうしたんだい、この状況は……?」

 

何とも異様なその光景に私は一瞬呆気にとられるも、直ぐにハッとなって鳥羽君に声をかけていた。

私に声をかけられた鳥羽君は呼吸を整えながらも、それでも男性から視線をそらさず声を荒げながら口を開いた。

 

「ハァ……ハァ……!どうしたもこうしたも無いですよ先生!このクソ野郎、あろうことかこの病院で()()()()()()()()()()()()()()……!!」

 

その返答に私は再び絶句する。

聞けば、夜勤の見回りをしていた鳥羽君が偶然、集中治療室に人目を忍んでこそこそと入って行く彼を目撃し、それを怪しんだ鳥羽君が部屋を覗くと、何と彼が女性職員の口から人工呼吸器を取り外して更に枕を彼女の顔に押し付けようとしていたというのだ。

それを見た鳥羽君が慌てて部屋の中に飛び込むと、その姿を見た彼がパニックになり、部屋に置いてあった丸椅子を持ち上げて彼女(鳥羽君)に向けて振り下ろそうとしてきたのだと言う。

だがそれよりも早く、鳥羽君が彼の股間を思いっきり蹴り上げてノックアウトし、今の惨状になったという訳であった――。

 

あまりの出来事に呆然と立ち尽くす私を前に、未だに股間を抑えて蹲る男性が苦し気に反論を吐き出した。

 

「……ぐぅ……ッ!……ちが、う……!俺は、彼女の事が心配、で様子を、見に来ただけ、だ……!……それなのに、こんな目に、あわせ……やがって……!訴えてやるからな、この、暴力女……!!」

 

途切れ途切れながらも何とかそこまで言い切った男性は鳥羽君を睨み上げる。

対してその視線を受けた鳥羽君は鼻で笑ってそれを一蹴してみせる。

 

「ハッ!この期に及んで開き直りか!……だが、今更誤魔化そうったってそうはいかないよ!何せこの部屋には()()()()()()()()()()()ね、さっきまでのこの部屋の様子はばっちり撮られてんのさ!」

「な、にぃ……ッ!?」

 

鳥羽君の言葉に男性はカッと眼を見開いて顔を上げる。クイックイッと親指で鳥羽君が指し示す先――天井の隅に小さな小型カメラが確かに吊るされており、部屋の中をジッと見降ろしている姿があったのだ。

この病院にはいろいろと訳アリの患者が多い。そのためセキュリティの方も他の病院以上に強化されている。

その一環でこの集中治療室にも監視カメラが取り付けられており、常に異常が無いかそこにいる患者たちを見守っているのだ。

 

「く……そぉ……ッ!」

 

その事実を知った男性は悔しそうにそう呟きながら、股間の激痛に負けてそのまま意識を手放していた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――後日、女性職員を殺そうとした男性……平井高也(ひらいたかや)は、殺人未遂ならびに()()()()()()()()()()の罪で警察に逮捕された。

 

後で聞いた話だが、平井は小天狗山に生息する採種禁止の植物や保護動物を密かに獲って売りさばいていたらしい。

あの夜も、密売目的で山に入り植物や動物を乱獲していたのだが、彼の事を怪しんで調べていた女性職員ともう一人の男性職員――近藤英一郎(こんどうえいいちろう)氏にその現場を見られてしまったのだ。

犯行現場を見られた平井は近藤氏と激しくもみ合う。しかしその時、運悪く()()()()腕が女性職員に当たってしまい、その反動で彼女が崖下へと転落してしまったというのが事の全容であった。

近藤氏が意図せずして彼女を突き落とす結果となってしまったのを見た平井はそれをチャンスととらえ、それをネタに近藤氏をゆすって乱獲の件を黙認させ、更には多額の金を要求しようと画策したのだ――。

 

――だが、その計画は私が彼女を助けた事で大きく狂ってしまう事となった。

 

素人目でも死亡は間違いないと踏んでいたのに、このまま彼女が助かってしまったら、近藤氏をゆするネタが無くなり、自分はすぐにでも乱獲の罪で警察に突き出される事になってしまう。

追い詰められた平井は、集中治療室で眠る彼女を枕で窒息死させるという暴挙に出たのだ。

平井にとって幸いな事に、あの時点ではまだ近藤氏の耳に彼女が助かった事実は入って来ていない。その事に気づいた平井は彼女を殺害することで近藤氏に伝える情報を操作し、『手術はしたが助からなかった』という偽りの事実を彼に刷り込ませようとしたのであった。

そうすることで当初考えていた計画通りに事が進み、自身の首は繋がる。平井はそう考えていたのだ。

 

……まぁ、その計画も鳥羽君の妨害で結局とん挫する事になってしまったが。

 

 

 

 

 

 

 

 

平井が警察に逮捕された後、近藤氏は目を覚ました女性職員のベットの前で涙ながらに土下座をして何度も謝っていた。

意図しない不運が招いた事故とは言え、近藤氏が彼女を崖から落とした結果に変わりはなく、彼には過失傷害罪がつくものと思われたが……彼女は近藤氏を起訴しなかった。

突き落とされたのが故意じゃなかった事と、懇親的な彼の謝罪で彼女は近藤氏を許す事にしたのだと言う。

だが流石にこれまで通り、一緒に仕事をする事は出来そうにないので、退院しだい彼女は転職するつもりなのだとか。

 

 

今回の一件で近藤氏と彼女に刻み込まれた心の傷は大きなモノだろう。

流石の私でも傷心を完治させることは不可能故、むやみに踏み込む事は出来ない。

しかし、いずれ時が経てば、また再び面と向かって話し合える日がきっと必ず来るはずだと……。

 

今はそう信じて待つとしようと、私は二人を見ながらそんな事を考えていた――。




軽いキャラ説明。


・近藤英一郎

アニメオリジナル回『壊れた柵の展望台』に登場した犯人。
同じ管理人仲間の平井が採種禁止の植物や保護動物を売りさばいているのに気づき、女性職員と一緒に彼を追い詰めるも、もみ合っている内に女性職員を突き飛ばしてしまい、彼女を崖下へと転落死させてしまう。
そして、それをネタに平井にゆすらせることにもなり、結果平井殺害へと走る事となってしまった。
しかし今作では彼女は冥土帰しの手によって助かっており、平井を殺す事も彼女から起訴される事も無くなった。




・平井高也

原作で近藤に殺害される被害者。
しかし今作で女性職員が冥土帰しの手によって助かったことにより、計画が頓挫しかけてしまい、思い余って女性職員を殺そうとするもそれを目撃した鳥羽によって股間を蹴られるという醜態をさらしてしまう結果となった。
その後、警察に逮捕され、女性職員を殺そうとした動機が悪質だったことと、保護動物や採種禁止の植物の乱獲の罪が重なり、実刑が言い渡される事となった。









・お詫び(加筆)。

申し訳ありません。
どうやら時系列順ではかなり後になるエピソードを間違えて執筆し、投稿してしまったようです。
以前でも何度か順番がシャッフルした事はありましたが、今回は投稿した後になってそれに初めて気づきました。いや、本当にすみません。
次回からはちゃんと時系列順にエピソードを進めていきますのでご容赦のほどよろしくお願いいたします。


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番外:『悪意と聖者の行進』(伊達航視点編)【1】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。

今回から再び長編へと入って行きますが、ぶっちゃけカエル先生はほとんど出てきません。
何度か視点が変わりますが、メインは伊達刑事の視点で進行します。

注:爆弾処理班コンビである例の二人の命日は、原作同様11月7日とさせていただきます。


SIDE:伊達航

 

 

 

「……伊達、どう思う?この予告文を」

「…………」

 

デスクに座る目暮警部にそう促され、俺は今し方警部から渡されたFAXの文面に視線を落とす。

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

私はアンチスピリッツ

 

優勝パレードで

 

面白い事が起こる

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

――今日は10月24日の日曜日だ。

この日で『優勝パレード』と言えば、恐らくプロサッカーチーム『東京スピリッツ』の優勝パレードの事だろう。

この文面はそのパレードで何かが起こると指示していた。

一見、曖昧な予告文と言うだけで考えによっちゃあ単なるイタズラともとれる。

だが俺はその文面からキナ臭い何かを感じていた。

 

「伊達。もしかするとこれは、お前も知っている三年前のあの事件の――」

「――いや、多分それは無いと思います」

 

目暮警部の予想に俺はすぐさま否定の言葉を吐く。

驚いて目を見開く警部に、俺は自分の意見を口にする。

 

「俺も以前の予告文は資料で調べて見てはいますんで……確かに文面は()()と似ちゃあいますけど、前のは一部報道で公開されていたはずです。……恐らくそれを見た誰かが文面を真似て書いて警視庁(ここ)に送って来たんじゃないですかね?」

「……()()()()では無い、と?」

「……ええ、恐らくそうだと。……良くてただのイタズラか……最悪、三年前の事件を模倣しようとしている(やから)の仕業だと考えられます」

「ふぅむ……だがもし『後者』だったとしたら、何が起こるか分からん、最悪、大変な事態になるかもしれん。一応警戒はしておいた方が良いだろう」

 

そう呟いた警部はすぐさま捜査一課の面々を集め、もうすぐ始まる優勝パレードに()()()()()警戒に当たるように指示を飛ばす。

もし万が一、この予告文を送ってきた人物が例の三年前の犯人なら……俺はともかく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

一通りの打ち合わせを終え、各々変装をして優勝パレードを行う現地へと向かう事となり、俺も変装をしてそこに向かおうと捜査一課の部署を出る。

と、そこへ足早に佐藤が俺へと駆け寄って来た。

その顔にやや曇った表情を張り付けて――。

 

「伊達さん、あの予告文……やっぱりただのイタズラでしょうか?」

「さぁな。今の所は何とも言えん。……だが、単なるイタズラとも思えん。警戒するに越した事はねぇだろう」

「そう……ですよね」

 

そう呟いて、やや俯きがちに何かを考え込む佐藤。俺はそんな佐藤を横目に言葉を続ける。

 

「……だが、()()()()と無関係だって事は、俺は確信を持って言えるぜ?」

 

驚いて顔を上げる佐藤を横目に、俺は小さく笑みを作ってみせる。

 

 

 

 

 

 

「――匂いが(ちげ)ぇよ。あの文面から放たれる『悪意』の方向性(タイプ)……それが三年前と今回とじゃ、全く毛色が違うってのが丸分かりだ」

 

 

 

 

 

目を細めて虚空を睨みながら俺はそう呟く。ぼんやりと()()()()()()()()()が幻影となって見えたような気がした――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

黒のベースキャップに色付き眼鏡。マスクにジャケットを身に着けた俺は、『東京スピリッツ』の優勝パレードへとやって来ていた。

適当に服を選んで変装したんだが……うん、見事に怪しさ満点だな俺。これ下手すりゃあ俺がしょっ引かれる事態にならねぇか?ならないよな?

そんな事を考えながら警戒に当たっていると――。

 

「コラッ!駄目じゃないの、そんな所に乗っちゃ!」

 

――唐突に佐藤の声が聞こえ振り向くと、そこには(カツラ)とサングラスで変装した佐藤と、()()()()()()()()()()()()()()()()()()の姿があった。

 

 

 

 

 

眼鏡の坊主(江戸川コナン)と灰原の嬢ちゃんに阿笠博士。そして初めて会ったが他に三人の少年少女を含んだ彼らは、この優勝パレードを見物にやって来ていたらしい。

しかし予想以上に人が多く、なかなかパレードが見れなかったので、近くにあったポストの上によじ登ってカメラ撮影をしていた所、佐藤に見つかってしまったのだとか。

尤も、ポストに上がっていたのは眼鏡の坊主たちの連れである小嶋元太(こじまげんた)円谷光彦(つぶらやみつひこ)(あとに残った少女は吉田歩美(よしだあゆみ)というらしい)の二人だけらしいのだが……。

まぁとにかく、見知った人物たちだったため俺も挨拶交じりにそいつらに声をかけ、一足遅れて何故かパトカーに乗った交通課の宮本に同じく変装をした白鳥の奴までやって来ると、坊主たちから何故変装しているのかと問われ今回の一件をさらりと佐藤と白鳥が説明する事となってしまった。

 

……本当なら、職務中の内容を一般人に教えちゃうのはダメなはずなんだがなぁ。

 

俺がそんな事を思っていると、不意に白鳥の口から佐藤が来週、高木とデートをする予定であることを耳にした。それもデート場所は今度出来たばかりのトロピカルマリンランド。

正直、初耳だった。おまけに佐藤と高木がデートする日、同じ日に休暇届を出す奴(白鳥を含む)がわんさかおり、警務課に保管されている双眼鏡や通信機材もその日に貸し出し予約でいっぱいになっているのだとか。

 

……うん、お前らホント何やってんの!?

 

反射的にそう突っこむと白鳥から「既に奥さんがいる身の勝ち組は黙っていてください!」とぴしゃりと言い返されてしまった。

ぐぅの音も出ずシュンと肩を落とした俺は、ため息交じりにいつものように爪楊枝を咥える。

するとほぼ同時に、()()()()()()()が俺たちがいる歩道の対面にある路上に一時駐車するのが見えた。高木の車だ。

俺と同じように、パトカーからその車に気づいた宮本は「あららぁ~?噂の彼のご到着みたいよぉ~?」と(はや)し立てて見せる。

 

(……全く、宮本の奴は。高木の奴も来るのが遅すぎ……――なッ!!??)

 

 

 

 

 

 

――車から降りてきた人物を視認した時、俺の思考は強制的に停止し、目を大きく見開いた状態で無意識に加えていた爪楊枝をポロリと落とす。

 

短いボサボサの黒髪に同じく真っ黒いサングラスをかけたその人物は、俺のよく知る男に酷似しており――そして同時に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

(まつ)……()……?)

 

旧友とよく似た姿をした人物がこちらにやって来るのを凝視しながら、俺は心の中で茫然とその名だけを絞り出していた――。




今回も驚くほど短いですが、キリが良いのでここで一区切りとさせていただきます。

今後のエピソードは、しばらく長編連載がいくつも続きそうです。

……書ききれるかなぁ(遠目)。


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番外:『悪意と聖者の行進』(伊達航視点編)【2】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。


SIDE:伊達航

 

 

松田によく似た人物の正体は高木だった。佐藤同様、カツラとサングラスで変装をしていたらしい。

 

(――ったく、おどかしやがって!)

 

高木の様子(そもそも高木は松田の事は知らない)から故意では無い事が分かるが、正直心臓が止まりそうなほど驚いた。

そのため、一言文句でも言おうと口を開きかけるも、それよりも先に佐藤が高木に平手打ちを飛ばしていた。

佐藤の突然のその行動にその場にいる全員が驚きに目を見張る。

そうして佐藤は、「さっさと変装を解いて、持ち場に着きなさい」と一方的に高木に指示を出すと、頬を腫らしながら呆然とする高木をその場に残して人込みの中へと消えて行ってしまった。

 

「あの……なんか僕、いけない事したんでしょうか……?」

 

半ば放心状態でカツラを取りながら佐藤が去って行った方向を見つめてそう呟く高木に、俺は声をかける。

 

「……いんや。ただ、似てたってだけだ。()()()()……さっきのお前が」

「……?伊達さん、アイツって……?」

「……お前や()が本庁に配属される前、七日間だけ捜査一課に在籍していた……()()()()()()()、な……」

「……伊達さん?」

 

高木同様に目を細めて佐藤の去って行った方向を見つめてそう呟く俺に、高木は不思議そうな視線を送って来る。

 

そして……そんな俺たちの背後で宮本と白鳥が何とも言えない表情で()()見ていたなど、俺は終始気づく事は無かった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

それから佐藤がその場を去った直後、パレードを見に来ている大衆の方からひときわ大きな歓声が上がった。

どうやら東京スピリッツで人気の選手である、赤木と上村の乗った車が来たようだ。

それに気づいた坊主たちは、さっきの佐藤の平手打ちの光景を一瞬で忘れたかのように一斉に群衆の中へと入って行く。

そんな坊主たちを見送る俺の横では、高木が宮本にここで何をしているのかと聞いていた。

宮本曰く、駐禁の取り締まりの応援らしく、車をほっぽりだしてパレードを見ようとする奴らが大勢出るからだと言う。

「高木君の車も早く移動させないと、きっぷ切るわよ」と宮本がチラリと高木の車を見ながらそう言うと、高木は慌てて車の方へと戻って行った。

そんな高木の背中を横目に、俺は再び視線を群衆へと戻す。

 

今の所、パレードは順調に行われている。このまま何事も起きなきゃ良いが……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:三人称視点(コナンと灰原の会話)。

 

 

赤木たちの乗る車がやって来た事で群衆の中に入って行った少年探偵団の面々。

ワイワイと周りの喧騒が響く中、コナンは隣に立つ灰原に声をかけていた。

 

「……しっかし、さっきは凄かったよなぁ佐藤刑事」

「ええ。いきなりの事で私も驚いたわ。……直ぐに表面上は落ち着いた感じを装っていたけれど、結構取り乱してたわね」

「……取り乱してたと言えば、伊達刑事もだよな」

「え?」

「気づかなかったか?佐藤刑事程では無いにせよ、そばにいた由美さんや白鳥警部以上に結構動揺してたんだぜ?……おまけに由美さんと白鳥警部。佐藤刑事が去った後、伊達刑事の事を何とも言えない表情で見つめてたしな」

「……何かあったのかしら、佐藤刑事と伊達刑事(あの二人)。その七日間だけいたって言う人と」

「さぁな……」

 

二人がそんな会話をしていると、直後に光彦が何者かにビデオカメラを誰かに()られるという事態が発生し、そのまた直後に――。

 

 

 

 

 

 

――高木刑事の車が唐突に吹き飛んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:伊達航

 

 

幸い、車が爆発する直前。高木はすぐさま車から離れたために無事だった。

高木が言うには車の下に鍵を落としてしまいそれを拾おうとした時、車体の下に『妙な紙袋』があるのに気づき、とっさに爆弾かもしれないと思い、慌てて逃げたのだと言う。

結果的にその判断のおかげで高木は九死に一生を得られたが、直後に駆けつけてきた佐藤の取り乱しようが半端なかった。

高木が無事なのにも気づかず、爆発で煙と高熱を帯びる車に駆け寄り必死にドアをこじ開けようとする。

 

――直後に宮本が佐藤を止め、高木が無事であることを教えるとようやく落ち着きを取り戻したものの、高熱のドアをこじ開けようとした事で佐藤は両掌(りょうてのひら)に火傷を負ってしまった。

 

「どうやら、さっき佐藤さんが助けようとしていたのは……」

「ええ……松田君だったのかも、しれないわね……」

 

火傷の手当てをするためにその場を後にする佐藤の背中を見ながら、白鳥と宮本はそう静かに呟く。

そんな二人の言葉を耳にしながら、俺も佐藤の後姿を見つめて物思いにふける。

 

(……まさかあの佐藤がここまで取り乱すとはなぁ。……それだけ佐藤の中で()()()()存在は大きくなってたって事なのか)

 

正直、警視庁に配属されるまで夢にも思ってなかった。男勝りな佐藤と、色恋沙汰にはとんと興味なさそうだった()()()()、たった七日間で互いを意識し合う仲になっていたなんて……ぶっちゃけその話を聞いた時は我が耳を疑ったもんだ。

 

「たかが七日、されど七日、か……」

 

佐藤の姿が人込みの中に消えたと同時に小さく響いた俺の声は、誰の耳にも届くことなく虚空の彼方へと消えて行った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高木の車が爆発した直後、目暮警部たちも現場に駆けつけて来て事態が忙しなく動く中、あっという間に現場検証が終わった。

検証結果で分かった事は以下の部分だ――。

 

・爆弾の種類はプラスチック爆弾。

 

・起爆装置は時限式ではなく無線式。恐らく携帯電話か何かを使って作動させたと見る。

 

・そのため、犯人は高木が車に近づくのを近辺で見ていて、起爆装置を動かした可能性がある。

 

・そしてそれは……爆弾の形態は違うものの、()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()であることが極めて高いという事だった。

 

だが、目暮警部からのその説明を受けてもなお、俺の中でこの一件は三年前の犯人とはまた違った人物で、目的もまた異なっているんじゃないかという考えが残っていた。

根拠があるわけじゃない。まだ情報がまるで足りてないわけだしな。

だが、今日あの予告文を見た時から、今回の事件はあの時の犯人とは『匂い』が違い、別人であることを内心確信していた。

言うなれば、これは俺の長年の経験から来る刑事の勘ってヤツなのだが、これが案外的外れで無い事は俺自身がよく分かっていた。

 

すると直後に、意外な所からまた新たな情報が舞い込んで来る。

 

情報提供者は眼鏡の坊主どもと一緒に居た円谷と言う少年だった。

彼は爆発が起きる直前まで、車の近くでビデオカメラを回しており、それに何か映っている可能性があるのだと言う。

しかもその証拠に、車が爆発する直前にパレードの人込みの中で彼は何者かにビデオカメラを盗まれるという被害に遭っていた。

幸いにもその時撮った映像を記録したビデオカメラのテープは、盗まれる直前に新しいテープと交換していたため無事だったようだ(ビデオカメラ自体も、その後すぐテープだけ抜かれて近くの駅のごみ箱に捨ててあったのが発見された)。

 

しかし、そこまで聞いた俺はそのテープに重要な手掛かりがある事を確信する。

わざわざ子供の持つビデオカメラを狙うってことは、そこに映ってほしくない何かが映ってしまった可能性があるって事だからな。

 

 

 

――だが、期待交じりにそう考えていた俺の予想は、思いもよらない形で裏切られる結果となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺たちはすぐさまそのテープを近くの電気店にある商品のテレビを借りて中身を見てみたのだが……。

 

――結果だけ言うと、()()()()()()()()()()()

 

ほとんど円谷の坊主の脚ばかりが映っており、あとは坊主たちが何かを会話している声や高木が佐藤にひっぱたかれたシーン。例の高木の車も少しは映ってはいたが遠目でぼやけていて近づく人物たちも犯人なのかただの通行人なのかまるで分らなかった。

遂には映像自体も終わってしまい。俺たちに分かった事は、このテープには()()()()()()()()()()()というだけであった。

しかし、それだと俺の中でまた新たな疑問が湧いて出て来る。

 

(……何で犯人は何も映っていないこのテープをわざわざ盗もうとしたんだ?)

 

テープを盗むリスクをおかしてまでそんな事をしたって事は、このテープに犯人にとって不都合になる何かがあったってぇのは間違いないはずだ。

だが実際には、テープには犯人らしき人物も不審な点も見当たらない。どういう事だ?ただ単に犯人が勘違いしただけなのか?

映像とにらめっこしながら俺がそんな事を考えていると、不意に目暮警部の携帯が鳴る。

 

「はい、目暮ですが。――」

 

 

 

 

 

 

「――何ぃ!また爆弾が破裂しただと!!?」

『!!?』

 

 

 

 

 

警部に届けられたその知らせて、その場が一気に緊張状態となった。

何でもそれを連絡して来た刑事に話によると、二度目の爆発が起こったのは杯戸町公園前の電話ボックスらしい。幸い周囲に人はおらず、負傷者も出ていなかったようだ。

しかし、爆弾の形態からして高木の車に仕掛けられたものと同じらしく、恐らくは同一犯による仕業ではないかとその刑事は言っていた。

連絡を終え、目暮警部は険しい顔つきで高木に声をかける。

 

「……おい、最初に高木の車の爆発が起きた場所から、杯戸町公園に向かう道と言ったら……」

「……あっ!す、スピリッツの優勝パレードの道順です!!」

 

ハッとなった高木が思わずそう叫ぶ。

 

(――つまり、被疑者の狙いは元々警察じゃなく、東京スピリッツに対する度が過ぎた嫌がらせだったと……?)

 

そう考えた俺は思わず首をかしげる。……本当にそうか?もしも本当に犯人の目的が俺たち警察じゃなかったとしても、東京スピリッツへの嫌がらせってぇのも何かしっくりとこねぇ。

後頭部をガシガシとかきながら俺が色々と考えてる間に、両手の治療を終えた佐藤が戻って来る。

そしてそれと同時に、目暮警部は近辺にいる警察官を総動員し、パレードのコースに先回りして近くにいる一般人を避難させ、被疑者の確保及び爆弾物の発見に全力を尽くすよう、周りにいる刑事たちにそう指示を飛ばした。

指示を受けた刑事たちはすぐさま電気店を出て各々の任務にあたる。

佐藤も他の刑事たちとともに現場に向かい、白鳥は目暮警部に念のため爆発物処理班を呼んで待機してもらうよう言われていた。

そして高木はと言うと、同じく目暮警部の指示でここに残って円谷の坊主のビデオ映像を引き続き検証するようにと指示を受けた。

渋々と言った(てい)でその指示を受ける高木。だがその指示を耳にした俺は、思わず手を上げて目暮警部へと声をかけていた。

 

「警部、俺もここに残ってこのビデオ検証してて良いっすかね?」

「んー?別に構わんが。……お前がそう言うということは、やはりこの映像には何かあるのかね?」

 

目暮警部のその問いかけに俺は肩を落としながら首を振る。

 

「さぁ……それは今はまだ何とも……。ですが犯人がこれを狙った以上、このテープには俺らがまだ知りえていない『何か』があると、俺はそう睨んでるんですよ」

 

確証は何もない。だが、この映像にはまだ何か秘密があると俺の刑事の勘がそう叫んでいた。

 

「むぅ……分かった。何かあればすぐに連絡するんだぞ」

 

内容的にはひどく曖昧だったのにもかかわらず、目暮警部は俺の言葉を信用してくれたようだ。

俺に一言そう言い残すと、警部も電気店を後にしていった。

それを見送った俺は、すぐにさっきから俺同様に映像とにらめっこしている眼鏡の坊主(工藤新一)へと声をかけていた。

 

「……どうだ?何か気づいた事はあったか?」

「いいや、まだ何も……。そもそも犯人の目的ですらまだ分からない点が多い。最初は警察を狙った犯行だと思わせておいて、次はスピリッツに対する嫌がらせ……一体犯人は何がしたいのか」

「だよな」

 

俺もそこは疑問に思った。

犯人は三年前の犯人を装って警察にFAXを送り、警察の車を爆破……かと思えば、今度は警察に関係の無い電話ボックスを爆破している。

犯人の真の目的は、一体何処にあるのか……。

 

ただ一つだけ分かる事は、円谷の坊主の撮ったこのビデオ映像に手掛かりがあるという事。

一見、不審なモノは何も映っていないように見えるこの映像に、犯人を指し示す『何か』があるのは間違いない。……だが、それが一体何なのか――。

 

低く唸りながら頭の中をフル回転させ、坊主たちと一緒にその映像を隅々まで俺は見続けていた――。




アニメでの前編部分はここで終わりです。
次からは後編部分へと入って行きます。


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番外:『悪意と聖者の行進』(伊達航視点編)【3】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。


SIDE:伊達航

 

 

目暮警部たちが電気店を去った後、それから俺たちは三回も映像を見返していた。

最初に撮ったという人込みの映像からテープを交換する時になった最後まで。

しかし、一向に怪しい人物や不審な点を見つけることが出来ない。

 

「……おい、高木。お前の方はどうだ?何か気づいた事はあったか?」

「…………」

 

俺は隣に立っている高木に声をかけるも、一向に奴は返事をしない。

不審に思って視線を向けると、完全に上の空な顔を浮かべてぼんやりしていやがった。

 

「おい、高木!」

「……へ?あ、はい!何でしょう伊達さん」

 

何でしょう、じゃねぇだろうが。気の抜けた顔しやがって。

 

「お前、ちゃんと見てんのか?」

 

ほら見ろ、小嶋の坊主にも言われてんぞ。

 

「み、見てるよ三回も……。でも、何度見ても同じさ。……人込みなんて、怪しいと思えば誰でも怪しく見えるし……。怪しくないと思えば怪しくなくなっちゃうもんさ。だから、この中から爆弾犯を特定するなんて、無理だよ」

 

小嶋の坊主の言葉に高木はそう返答して見せる。

……いや、だが確かにそうだ。長年刑事やってる俺の目からでも、何度見返してもこの映像に不審な人物がいる様子もおかしな点があるようにも見えない。

もし、人込みの中に犯人がいてそれを撮られたと思っても、怪しまれる行動も何もしてないようなら、ただの一般人としか見られないはずだから、わざわざテープを盗む必要はない。

犯人の方もそれは分かってたはずだ。……なのに盗んだ。何故か?

 

「もしかしたら、撮られたと犯人が思っただけなんじゃないの?……何も映ってないのに」

 

灰原の嬢ちゃんがそう呟く。

 

(何も映っていないのに勘違いをして盗んだ……。やっぱそうとしか考えられないよなぁ。なにも映ってないって分かってんなら、最初から盗もうなんざ……――いや、待てよ?)

 

そこまで考えた俺は()()()()に気づいてハッとし、いったん止めた思考を再び動かす。

 

(何か撮られたと勘違いしたから盗んだんじゃなく……()()()()()()()()()()()()()……?)

 

()()に行きついた瞬間、俺は眼鏡の坊主の方へと目を向けていた。

坊主の方も俺と同じ事に気づいたらしく、視線を俺の方へと向け、坊主と視線が重なる。

 

そして直ぐ、眼鏡の坊主がビデオカメラを手に取り、早送り再生で進めながら食い入るように映像を見つめる。俺もその横で画面を睨みつけながら、頭の中で今日、坊主たちと会った時の()()を振り返っていた。

 

俺たちの突然の行動に不思議そうな顔を浮かべて見つめる面々の中――やがて、テープの映像が切れ、画面端に表示される録画時間が02:38PMで止まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

(そうか……!)

 

録画映像をすべて見終えた俺は、()()()()()()()()()()()()()()に一人ほくそ笑む。

そんな俺に歩美ちゃんが不思議そうな顔を浮かべながら声をかけてきた。

 

「ね、ねぇコナン君。何か映ってたの?」

()()()()()

 

俺のその返答に「じゃあダメじゃないですか」と後ろで光彦の声が上がった。

しかし俺はそれをすぐに否定する。

 

「いや、そうでもないさ。……恐らく犯人は、何かが映っていたからじゃなく、()()()()()()()()()()このテープを隠滅しようとしたんだよ」

「「「「「???」」」」」

 

俺のその言葉に、元太、光彦、歩美ちゃん、博士、そして高木刑事の五人はそろって首をかしげる。

ただ二人――伊達刑事は意味ありげに二ッと笑い、灰原が皆の代弁をするかのように俺に問いかけて来る。

 

「……どういう事なの?」

「その前に、あと一つ確認しなくちゃいけない事があるんだ」

 

灰原の問いに俺はそう答える。ここで俺の推理を話すにはまだ確証が薄い。

犯人の狙い――その目的を『憶測』から『確信』に近づけるためにも、一度()()()確認しとかなくちゃならない。

 

そう考えた瞬間、俺は電気店を飛び出し、『目的地』に向けて走り出していた。

後ろから一足遅れて他の皆も追いかけてくる足音が聞こえる。その中で元太たちが何かを言っている声がしていたが俺の耳には入って来ず、その意識は真っ直ぐ『目的地』だけに集中していた。

 

 

 

 

――やがて俺の脚は、『目的地』の前へと止まり、後ろから追いかけて来ていた博士たちも俺の後ろで止まった。

 

(やっぱり……やっぱりそうだ!)

 

()()を確認した俺は一人ニヤリと小さく笑う。すると背後で博士が走って荒れた息を整えながら俺に声をかけてきた。

 

 

 

「ぽ、()()()が……どうかしたのか?」

 

 

 

――そう、俺がやって来たのは最初に高木刑事の車が爆破された事件現場。そしてそのそばにある、事件直前まで元太と光彦がパレード見たさにカメラを構えてよじ登っていた『郵便ポスト』だった。

俺は追いついて来た博士たちに向けて振り返りながら口を開く。

 

「光彦がポストの上に乗った時間、分かるよな?」

「そんなのいちいち覚えてねぇよ」

「ビデオテープを見ればわかるんじゃない?……時間も録画されていたから」

 

俺の言葉に、元太が口をとがらせながらそう答え、次に灰原が持っていたビデオカメラを掲げながらそう言った。

それを聞いた光彦が「そうですね!」と言って、灰原からカメラを受け取ると早速映像を確認する。

 

「え~っと……あれは確か、遠くのヒデ(赤木英雄のこと)をズームで撮った時ですから…………あ!ありました!――午後二時二十三分です!」

「……そして、俺たちはその後佐藤刑事と会って……光彦が撮影を止める午後二時三十八分まで、()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

光彦の言葉に俺が続けてそう言うと、高木刑事は首をかしげながら俺に問いかけてきた。

 

「そ、それがどうしたって言うんだい?」

「んじゃあ、これを見てみてよ。……このポストに表示されている()()()()を」

 

そう言って俺は皆に、ポストの横に表示されている回収時間の(らん)を見るように促した。

表示されている回収時間はいくつかあるが、問題なのは、日曜である今日が示す『休日』の部分……そこに表示されている最後の回収時間の部分だ。

 

「休日は『14時30分ごろ』……つまり、午後二時三十分ごろって書いてあるでしょ?」

「え?ああ……」

 

博士が曖昧ながらもそう呟くと俺は言葉を続ける。

 

「ってことは、俺たちは本当なら()()()()()()()()()()()()()って事になるんじゃない?」

 

そう言った瞬間、歩美ちゃんが「分かった!」と言わんばかりに声を弾ませて言った。

 

「そっかぁ!()便()()()()()()!」

「――あ!そう言えば、一度も回収に来ませんでした!」

 

歩美ちゃんの言葉に光彦も同じように気づいてそう言う。

しかし博士は未だに怪訝な表情のまま、俺に言葉を投げかけてきた。

 

「じゃがのぅ……パレードで道が塞がっていたから、来られなかったんじゃ――」

「――あ、いえ。そういう、公務に支障をきたさないように、パレードのコースは決めているはずです。……現にパレードは、()()()()()()使()()()()()()()()()()()()、来られないって事は無いはずです」

 

博士の言葉に高木刑事が即座にそう否定するも、今度は元太の方から疑問の声が上がった。

 

「けどよぉ、道が混んでたりしたら八分くらい簡単に遅れるんじゃねぇの?」

「いいえ、それは無いわね。……特に車が渋滞している様子は無かったし、ポストに表示されている回収時間は五分単位。……前後に五分以上誤差が出るなんて、()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

元太の疑問に灰原がそう否定の言葉を口にする。

 

「……でも、光彦君のビデオテープ盗もうとしたの、爆弾犯なんでしょ?」

「そうですよぉ、郵便局の車と一体何の関係が?……それに、どうしてわざわざビデオテープを盗もうとしたんですか?そのまま放っておけば、気づかれないかもしれないのに……。むしろ、そんな事をしたら、そのテープに何かあるって言ってるようなもんじゃないですか」

 

歩美ちゃんと光彦が矢継ぎ早にそう疑問を投げかけ、今度は俺がそれに答えた。

 

「ああ……。奴らも盗る気はなかったんだろうぜ?……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

そう、俺が言った瞬間だった――。

 

 

 

 

 

 

「――()()()()()()()だよ……!」

 

 

 

 

 

――唐突に高木刑事達の更に背後から声が響き、全員が反射的に視線をそちらへと向ける。

するとそこには、肩でゼェゼェと息を整えながらジトリ目で()()()()伊達刑事の姿があった。

伊達刑事の姿を見た途端、俺はそこで()()()()()に気づく。

 

(ゲッ!やっべぇ、しまった……!伊達刑事、今()()()()()()()()……!)

 

事故の影響で()()()()()()()()()()()()()()伊達刑事は、もちろん走る事もままならなくなっていた。

だが彼には首のチョーカーを使って『全力モード』に切り替える事で事故前の状態で走る事が出来る。

ならばそれを使えばよかったのではないかと言えば、そうでもない。

なにせ『全力モード』は充電の消費速度が半端なく、時間制限があるためいざという時にしか使う事が出来ないのだ。

そのため、俺が走り出した時も貴重な電力を無駄に出来るわけがなく、結果伊達刑事は杖をつきながら必死になって俺たちを()()()追いかけるしかなかったのである。

 

「ったく!いきなり走り出しやがって!」と言わんばかりに俺を睨む伊達刑事に俺は空笑いを浮かべながら心の中で手を合わせて謝った。

そんな俺の心の声が通じたのか伊達刑事はハァとため息を一つ零すと、皆に向けて俺の推理の続きを喋り始めた。

 

「……恐らく犯人は、ポストの前でパトカーに乗る宮本と仲よく話をする坊主たちを見たから、ビデオテープの隠滅を計りやがったんだよ。……そうなれば、そのそばで爆弾事件が起こるとお前らの持つビデオテープに犯人が録画されてるかもしれないって事になって、当然警察はテープを検証するって流れになるはずだ。……しかも、坊主たちが警察官の知り合いなら、検証に至るまでの時間はかなり短縮される。……奴らはそれを恐れた」

 

そこで伊達刑事は一呼吸挟むと、さらに続けて言葉を紡ぐ。

 

「……たぶん、奴らが円谷の坊主のビデオカメラに気づいたのは、爆弾をポストの向かいに停めてあった高木の車の車体下に()()()()……。車の下にもぐって回収するわけにもいかず、そのテープを盗むことにしたってわけだ」

 

淡々と紡がれる伊達刑事の推理、それは俺が組み立てた推理と微塵の違いも無いモノであった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:伊達航

 

 

――そうしてそこで話をいったん終えた俺は口を閉じると、高木たちから一斉に「はぁ~」っと感嘆の声が小さく沸き起こった。

眼鏡の坊主に至っては「やるじゃん」と言いたげにニヤリと笑って見せている。

……どうやら坊主が組み立てた推理とほぼ一緒だったみたいだ。

俺がそんな事を考えていると阿笠博士が高木の方を見ながら再び疑問を問うていた。

 

「……しかし分からんのぉ。犯人は警察にFAXを流して犯行を匂わせていたんじゃろう?」

「え、ええ」

 

博士の問いに高木は頷き、それを見た博士は言葉を続ける。

 

「わざわざ刑事を呼び寄せてその車を爆破したら、警察は躍起になって犯人捜査に乗り出す事は分かっていたじゃろうに」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()?……三年前の事件の犯人を装って。それがどんな事件だったかは、知らないけどね」

 

灰原の嬢ちゃんは博士の疑問にそう素っ気なく答えてみせる。

――そう、犯人がFAXを送った理由は恐らく()()だ。

最初っから感じていた通り、あの予告状での狙いは三年前の犯人と同じく『警察』というわけでもなく、かと言って東京スピリッツに対する嫌がらせだったわけでもない。犯人の真の目的はもっと別の所にある。

だがそれらの謎は、俺も……そして目の前に立つ眼鏡の坊主も既に察しはついていた――。

 

「問題は犯人の目的ですね」

「ああ……。恐らく狙いは警察官じゃない。スピリッツに対する嫌がらせでもない。……俺と伊達刑事の推理が正しければ、()()の狙いは――」

 

円谷の坊主の言葉に眼鏡の坊主はそこまで答えていったん言葉を区切ると、一拍置いて言葉を続けた。

 

「――フッ、でもまだ確証がねぇから、おめぇらと高木刑事に調べてほしい事があるんだけど」

 

眼鏡の坊主の頼みに小嶋の坊主が「おう、任しとけって!」と威勢よく啖呵を切って見せる。

……ほう。まだ小さいガキ共のクセに、えらく頼りがいがあるじゃねぇか。それに引き換え、()()()()()()()()()()()()()()()()と来たら……。

 

「おい、高木!いつまで腑抜けてるつもりだ!?今の話聞いてたよな!?ガキ共がやる気になってんのに大の大人のお前がそんなんでどうするつもりだ!?」

「――へあッ!?す、すみません伊達さん!ちゃ、ちゃんと聞いています!!」

 

俺が奴の尻を蹴飛ばしてそう叱りつけると、尻の痛みと俺からの叱咤で呆けていた高木(バカ)が情けない声を上げて飛び上がっていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――それから少しして、俺と眼鏡の坊主と博士は郵便局の前へとやって来ていた。

高木の車が吹っ飛ばされた最初の事件現場のポストから、手紙の回収時間に沿って近場のポストへと探偵団の協力で順番に辿っていく。

正確には、探偵団一人一人に事件現場から郵便局までにあるいくつかのポストを調べてもらってそのポストがある場所と回収時間を眼鏡の坊主にバッジ型の無線(?)で知らせ、それを眼鏡の坊主が地図に記して行くという流れだ。

そうして郵便局前にあるポストの回収時間を確認し、それを地図に記した時、俺はある事に気づき声を上げていた。

 

「今までのポストと回収時間からみて、()便()()()()()()()()は、大体こんな順路と見て間違いねぇみてぇだな。……やっぱ俺らの思った通り、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

地図に記された各所のポストを回収時間の順番で事件現場のポストから郵便局までそれぞれを線で結び、一つの道順にすると、それがパレードのコースから離れて行っている事が如実に表れていた。

俺の言葉に眼鏡の坊主は地図を見つつ頷きながら、口を開く。

 

「……おまけに今日は()()()()()()()()()。後は高木刑事からの連絡待ちだが……もしも、今日この近辺で、交通事故や道路工事が無かったとしたら……――」

「――ああ。そうだとすりゃあ、郵便車が回収に来なかった原因は……ほぼ()()で間違いねぇだろうよ」

 

眼鏡の坊主を引き継ぐように俺がニヤリと笑みを浮かべてそう答えると、坊主の方もフッと小さく笑みを返していた――。




最新話投稿です。

次回でこのエピソードは終了します。


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番外:『悪意と聖者の行進』(伊達航視点編)【4】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。

このエピソードはこれが最後ですが、ざっくりと簡潔にまとめて行こうと思います。

そのため、本文は今までで一番短いモノになっていますが、ご容赦のほどお願いいたします。


SIDE:伊達航

 

 

それからの展開は、予想以上にスムーズに運び、そして呆気なく幕引きとなった。

 

俺と眼鏡の坊主の推理通り、予告文を送って来た犯人一味は日が暮れた時刻に郵便局へと押し入り、そこにある五十日(納金日)のために保管されている大金を盗み出そうとしたのだ。

 

――そう。犯人たちの目的は最初からそれだった。

 

大金を手に入れるため、五十日前日である今日この日に郵便局を襲う計画を立てた犯人たちは、たまたまその日が局員が少なくなる日曜(休日)であり、同時に東京スピリッツの優勝パレードが行われる日である事に目を付け、FAXや爆弾を使って三年前の爆弾犯を装い、警察をおびき出した。

そして次に電話ボックスを爆破した事でスピリッツへの嫌がらせだとみせて警察をかく乱。パレードのコースに警察を向かわせ、その隙に前もって乗っ取っておいた郵便車で郵便局を襲撃する算段だったというわけだ。

 

……まぁその途中、円谷の坊主がポストの近くでビデオカメラを回しているのを見かけて、その時既に乗っ取っておいた郵便車が時間通りに回収に来ていないのが映像に残り、それが警察によって調べられるのを恐れてビデオテープを盗もうとしたのだが……それがきっかけで、今回の事件の真相を突き止めることが出来、奴らの計画が水泡に帰すこととなった。

 

計画通りに郵便車の郵便局員を人質にして郵便局を襲撃しに来た犯人たちを、あらかじめ郵便局の中で待機していた俺たち警察が迎え撃った。

犯人たちは拳銃を所持していたが、犯人達(向こう)は四人に対し警察(こっち)は数十人で同じく拳銃所持。

多勢に無勢とばかりに数で威圧してやると犯人たちはあっさりと降伏し、人質になっていた郵便車の郵便局員も無事保護することが出来た。

その後、別の場所で爆弾の設置を担当していた犯人一味の残党も逮捕することが出来、事件は終幕を迎える事となったのである――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ◇  ◇  ◇

 

 

「……あ~、結局引き止められなかったか」

 

建物の物陰から高木と佐藤が分かれるのを目にしながら、俺はポツリと一人そう呟く。

事件解決後に佐藤が高木に話していた『後で話がある』と言う言葉が少し気になり、二人が帰ろうとしているのを尾行していたのだが……どうやら俺同様、二人の様子が気になっていた奴らが他にもたくさんいたらしい。

車の影には眼鏡の坊主を筆頭に少年探偵団と阿笠博士の面々。他の車の影には宮本をはじめとした俺と同じ捜査一課の刑事たち(バカども)

そして……さっきちらりと視界に映ったんだが、とあるビルの屋上には白鳥の奴が立っており、俺たち同様、高木と佐藤の様子を見下ろしていた。

 

そうして、例の『話』に関して佐藤が伝えたのは――デートの取り止めの言葉だった。

 

歩き去って行く佐藤の背中を高木が静かに見送っている。

俺がいる場所からは高木の後姿のみで顔は見えなかったが、とても寂しそうな空気を纏わせていた。

それを見ていた俺も、心なしか少し居心地の悪い気分になった。

何とかしてやりたい気持ちもあったが、こればっかりは二人の問題故、俺がおせっかいにどうこう言うわけにもいかない。

 

ため息をつきながら俺はすっかり暗くなった夜空を見上げる。

 

(……()()()()()、か)

 

二週間後の11月7日――。

その日は俺にとって……いや、()()()にとって忘れがたき日である。

志半(こころざしなか)ばでこの世を去っていった二人の親友……そいつらの()()が、また――。

 

 

 

 

――やって来る。




最新話投稿です。

ぶっちゃけ今回のエピソードは伊達刑事視点で原作に沿って進行しただけなのでほとんど変化はありません(そのため、軽いキャラ説明も無しです)。
ならばなぜ、このエピソードを書いたのかと言うと、この話自体が原作での次の大事件(エピソード)に続く前日譚であるため、そのプロローグ的な位置づけで書かせていただきました。

次回は引き続き長編連載をお送りいたします。
少しネタバレさせていただきますと次のエピソードは、今回と同じく伊達刑事の視点がメインになりますが、原作で人気の『トリプルフェイス』の()()()()もがっつりと絡んできます。


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番外:揺れる警視庁【1】

毎回の誤字報告、感想ありがとうございます。

前回のあとがきに書いた通り、今回も伊達刑事視点をメインにストーリーが進行します。


SIDE:伊達航

 

 

前回あった『郵便局強盗事件』から二週間後の今日――11月7日の日に、俺は休暇を取った。

毎年この日は、大きな事件などの重要案件が無ければ必ず休暇を取るようにしている。

昼飯の時間までナタリーと一緒に家で過ごした俺は、昼過ぎ辺りに一人外出した。

ナタリーは今日、特に予定は無いらしく一日家にいると言っていた。

少し前に妊娠が発覚したナタリーのお腹は、小さいながらも目立つほどぽっこりと膨らんでいる。しかし産婦人科の医師の話では臨月はまだ少し先になるだろうという話だった。

カツカツと、杖をつきながら俺は町中を歩き続ける。

目的地は決まっている、だがその前に……寄らなくてはならない所があった。

俺は家からほど近い商店街に立つ花屋へと入り――。

 

「……失礼するぜ。花をいくつか見繕ってほしい。……()()()()

 

――店員に向けて、そう口を開いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

――花屋を出て数時間後、俺は街のとある一角にある共同墓地へとやって来ていた。

片手に()()()()()()()俺の目の前には、お墓が一つ静かに佇んでいた。

墓の表面には『松田之墓』と大きく刻み込まれている。

 

そう――俺の警察学校時代の仲間、松田陣平(まつだじんぺい)の墓だ。

 

11月7日の今日は、三年前に亡くなった松田陣平と七年前に亡くなった萩原研二(はぎわらけんじ)の命日だ。

警察学校時代は二人と同じ班で一緒に行動しており、彼らと共に学び、共に同じ釜の飯を食い、そして……共にトラブルに巻き込まれてはバカやって危機を乗り越えていった戦友でもあった。

……だがそんな二人も、警察学校を卒業してから立て続けにこの世を去る事となった――。

 

 

 

――同じ爆弾魔の手によって。

 

 

 

「……今年も来てやったぞ松田。嬉しいだろ?()()()()()()()()()()()()()()()()()()なんだ。……お前の事だから『俺が先じゃねぇのかよ!』とか言いそうだがよ、俺に言わせりゃあ『順番なんてどっちだっていいだろ?来てやっただけありがたいと思え』だ♪」

 

そう松田の墓石に語り掛けながら、俺は墓の手入れを終えると花器(かき)に持って来た花を飾り、線香と蝋燭に火を付ける。

線香と蝋燭の煙が墓石にまとわりつくようにゆらゆらと漂い、それを見つめながら俺は静かに松田の墓に向けて目を閉じ両手を合わせる。

 

「……(わり)ぃな松田。お前が亡くなって早三年。未だにあの時の犯人は捕まっちゃいねぇ……。本当なら、お前が自分自身の手で直接ケリを着けたかった事件(ヤマ)だっただろうがな……」

 

そんな事を呟きながら、俺は松田たちとの思い出を振り返えろうとし――。

 

 

 

 

 

――ブーッ!ブーッ!

 

 

 

 

 

「?」

 

――不意にポケットの中にある携帯電話がマナーモードで震え、俺は思考を止めて閉じていた目を見開く。

誰だ?と思い携帯を取り出し、液晶画面に表示された相手が『目暮警部』からだと視認すると――。

 

――ドクンッ!

 

――と、唐突に心臓が大きく脈打った。

 

「――ッ!」

 

途端に胸中に嫌な予感が渦巻き始め顔から汗がジワリと噴き出て来る。

突然の事に最初こそ戸惑いが生まれるもすぐに冷静さを取り戻す。考えてみれば今日この日は()()()にとってかけがえのない友人たちの命日であると同時に、その友人たちの命が奪われた凶日でもあるのだ。

そして、その友人二人の命を奪った犯人は未だに捕まっておらず、今現在は休日だと言うのに目暮警部からの突然の連絡と来た。

 

――()()()()()()。そう思っても不思議じゃない。

 

「もしや」という不安と「まさか」という疑心が俺の中でせめぎ合う中、俺は未だ鳴り続ける目暮警部からの電話に出た――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目暮警部からの連絡を受け、ナタリーに一言連絡を入れると急ぎ警視庁へと駆けつける。するとそこは既に戦場と化していた――。

ひっきりなしに鳴りやまぬ無数の電話のコール音の嵐。固定電話やコピー機などのFAXから『何かしらの文字』が書かれた紙が休む間もなく吐き出されている。

そして、その異常事態に多くの刑事たちが右往左往しながら対応に追われていた。

そんな光景に一瞬気おされた俺だったが、すぐに周囲を見渡して目当ての人物の姿を見つけるとその人の下に急ぎ歩み寄る。

 

「目暮警部!」

「おお、伊達!すまんな、休暇中に」

「いえ……それよりもこれは……!」

「うむ、大変な事になった。……しかもFAXはここだけじゃなく、警視庁管轄内の全ての警察署に送られてきているらしい。大騒ぎになっているよ」

 

そこまで言った目暮警部は眉間に深くシワを作りながら険しい顔で更に驚愕の知らせを続けざまに俺に言って聞かせた。

 

「……しかも、ついさっき佐藤君からの連絡で、白鳥君が爆弾に吹き飛ばされて重傷を負ったらしい」

「なんですって!!白鳥が!?」

 

聞けば白鳥は今日、高木と一緒にとあるレストランに爆弾を仕掛けたというタレコミがありその店に駆けつけてきたのだが、店内にはなんの異常も無かったので引き上げようとした所、乗って来た車が突然爆発したらしい。

高木は車の外にいたので運よく免れたが、白鳥は車内にいて爆発から回避できなかったらしい。

……おまけに何故かその場に阿笠博士と少年探偵団を連れた佐藤たちまで居合わせたのだとか。

白鳥は何とか車から脱出したものの頭部に大けがを負ってしまい、ついさっき佐藤が呼んだ救急車で『米花私立病院』へと運ばれて行ったのだと言う。

『米花私立病院』に運ばれたのなら白鳥の事はカエル先生に任せておけば大丈夫だろう……。だが、今問題なのは……。

 

「……そのタレコミ……間違いなく犯人の仕組んだ罠ですね。店の中に爆弾を仕掛けたって言う嘘の知らせで警察をおびき出し、警察が店内を捜索している間に彼らが乗って来た車に本物の爆弾を仕掛けたんですよ」

 

警部からの話を聞いて苦虫を噛み潰した顔でそう言う俺に、目暮警部も頷き口を開く。

 

「ああ、恐らくそうだろうな。……しかも、車が爆発した状況から、どうやら爆弾の起爆装置は車のドアを閉めたら安全ピンが外れ、もう一度外に出ようとしたら爆発する仕組みになっていたようだ」

「……?ちょっと待ってください警部。白鳥は引き上げるために車に乗り込んだんですよね?」

「ああ……だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()爆発に巻き込まれたんだ」

「……どういう事ですか?何で白鳥は直ぐにまた車から出ようと……?」

 

俺の問いかけに警部は直ぐには答えず、代わりに現在進行形で動き、送られ続けているFAXから一枚だけ手に取ると、それを俺に差し出しながら静かに口を開いた。

 

「……話を聞くに、白鳥君はこの()()()と全く同じものを車の中で見つけ、直ぐに外にいる佐藤君に見せようとしてそうなったらしい。……伊達、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

真剣な眼差しで俺に気を使うような口調でそう言う警部を前に、俺はそのFAXの紙を受け取るとそこに連なる文字をゆっくりと読み進めていった――。

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

俺は剛球豪打の

 

メジャーリーガー

 

さあ延長戦の始まりだ

 

 

試合開始の合図は明日の正午

 

終了は午後3時

 

出来のいいストッパーを用意しても無駄だ

 

最後は俺が逆転する

 

試合を中止したくば俺の元へ来い

 

血塗られたマウンドに

 

貴様ら警察が登るのを

 

鋼のバッターボックスで待っている

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

「だ、伊達……?」

 

FAXを読んで沈黙する俺の様子に警部はやや躊躇(ためら)いがちに声をかけて来る。

しかし、今の俺はそれどころでは無かった。

 

「……く、クククッ……!くくくふぁはははは、あはははははは……ッ!!」

 

小さくもはっきりとした忍び笑いが、俺の口から漏れだす。

周りで忙しなく動いていた刑事たちもその声が聞こえたのか足を止めて何事かと俺の方へと視線を向けてきた。

だが、それに気づく事なかった俺は……俺の口は、笑い声を止める事が無かった。――出来なかった。

 

――長かった。どれだけ待った事か。この日が来るのを……!

 

この予告文は間違いない。前回の郵便局強盗の奴とはまるで違う、これは……()()()

三年前に起こった爆弾事件。そして七年前のも含めて俺もそれらの予告文を見た事がある。

事件後にあの予告文が世間に公開されたのは()()()()()()だ。だが、三年前と今回の予告文は文章全体がとても酷似している。

模倣犯にここまで似通った予告文はまず書けねぇ……!

 

おまけにこの予告文には三年前と七年前の予告文と()()()()がプンプンとしてきてやがる……!

警察をおちょくり、手玉に取り、そして玩具のように弄び破壊するクソガキのような思考を持つ性悪(しょうわる)の匂いが。

 

……あれから三年、正直もう現れないんじゃないかと少し諦めかけていたが……またやって来てくれるなんてなぁ……!

嬉しい。嬉しくってしょうがねぇ……!冷静になろうにも興奮が冷めやらねぇわ。

同時に、三年前と七年前に抱いたあの時の怒りや、無念が……腹の奥底からグツグツとぶり返して来る。

 

――逃がさねぇぞ、今度こそ絶対……!!

 

 

 

 

「伊達!気をしっかり持て!!」

 

不意に警部の声とともに両肩をがっしりと掴まれたことで俺は現実へと引き戻される。

見ると目の前には不安気に俺を見上げる警部の姿が。

それを見た俺は周りからの視線で醜態をさらしてしまった事に気づき、直ぐに深呼吸を一つして冷静さを取り戻すと努めて正常に警部へと口を開いた。

 

「すいませんでした目暮警部。もう大丈夫です。……どうにも、年甲斐もなく興奮しちまったみたいで」

「そのようだな。……もし歯止めが利かないようなら悪い事は言わん、お前はこの捜査から外れて――」

「――いえ、やります!やらせてください警部……!このまま何もしないまま終わっちまったら、俺はきっと後悔する……!」

 

正直なところ、爆弾魔に対して恨みや憎しみが無いと言えば嘘になる。

犯人を前にしたら、俺は冷静でいられるのかも分からない。

……だが、それでも逃げるわけにはいかない。俺は日本の警察官だ。今まさにこの街が大変な時だって言うのにここで動かずして何が治安維持を務める刑事か。

爆弾魔の好き勝手にはさせない。市民や仲間を守るため、今度こそ奴の凶行を止めなきゃならねぇ……。

三年前と七年前。俺は大事な仲間を二人も失った……。その仲間を失いながらも俺はその時情けない事に何もできなかった……。もうあんな思いをするのはごめんだ。……ケリを着けなきゃならねぇ、今度こそ、全てに……!

 

「だから警部、俺をこの件から外さないでください!私怨なんぞで動くつもりはありません。俺は一警察官として、この事件の捜査に当たりたいんです……!」

 

必死な想いで俺の意思を吐露すると、警部は一度瞠目するとゆっくりと目を閉じ……そして次に見開いた時に真剣な眼差しで俺を見据えるとしっかりとした力のある口調で口を開いた。

 

「……ホントにもう、大丈夫なんだな?」

 

念を押すようにそう聞いて来る目暮警部に、俺もしっかりと頷いて見せる。

 

「はい。任せて下さい!」

 

かくして俺も、この事件の捜査に本格的に乗り出す事となった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これから松本管理官に会いに行くという目暮警部と別れた俺は、事件の影響で忙しなく人が行き交う廊下を杖をつきながら静かに歩いて行く。

そうして辿り着いたのは男子トイレだった。

俺はトイレに入り、個室に閉じこもると、ポケットから携帯を取り出して()()()()()()()()()()

 

 

例の爆弾魔が再び現れたとなれば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:???

 

 

「ふぅ~っ、やっと終わった……」

 

()()』からの任務を終えた俺は、とあるホテルの客室でソファに座ってゆっくりと休息をとっていた。

この任務が終わった後は緊急の要件が出ない限りしばらくは何もないという事なので、少ししたら()()()()()()()()と考えている。

 

(『組織』の任務は終わったばかりだが、日本に帰れば帰ったで『()()』の仕事が待っている……。今の内にしっかりと休んでおかないとな)

 

俺はそう思いながら、ホテルのルームサービスで運ばれて来たコーヒーをゆっくりと味わい、ホテルの窓からのぞく()()()()を見上げた。

今俺がいるここは日本から見てほぼ裏側に位置する国だ。空に昇る太陽の位置や現在時刻から見て、今頃日本は日が沈んで夜になった時間帯だろう。

 

(……そう言えば、今日本の日付は11月7日だったな……)

 

その日は松田と萩原の命日だ。毎年必ず墓参りには行っているが、今回は少し遅くなりそうだ。

今いるこの国の時刻では既にその日は過ぎているものの、これから日本に帰ったとしても到着する頃には向こうの日付も変わっているかもしれない。

やれやれと肩を落としながらもう一口コーヒーを飲もうとしたその時、不意にポケットに入れていたプライベート用の携帯電話の着信音が鳴った。

誰だ?と思いつつ携帯を開くと、メールが一通届いている。

 

(送り主は……伊達からか。また『何処で何をしているんだ?』ってメールだったら悪いがスルーして――)

 

そんな事を考えていた俺の思考がピタリと止まる。

伊達から送られて来たメール――その件名の部分に【緊急】の二文字が記されていたからだ。

いつものアイツなら、大した用事の無い内容のメールにこの文字は絶対に使わない。

だがそれが記されたという事は、アイツの方で何か切羽詰まった……それこそ一刻を争うような大事が起こったことを意味していた。

 

(……まさか!)

 

思い当たる節があり、俺はハッとなってソファの背もたれから思わず体を起こす。

今、日本の日付は11月7日。松田、そして萩原の命日にして、二人の命を奪った爆弾魔が現れた日――。

俺の心臓が早鐘のようにバクン!バクン!と脈動し、額からじっとりと嫌な汗がにじんだ。

心を落ち着けるように一度小さく深呼吸をすると、震える指先で携帯のボタンを押し、メールの本文を開いた――。

 

「――ッ!」

 

――そうして、予想通りと言えるメールの内容に俺は自然と息を呑んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

松田と萩原を巻き込んだ例の爆弾魔がまた現れた!

 

既に警視庁と管轄内の警察署に大量の予告文がばら撒かれている。

 

頼む、力を貸してくれ!

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

(やはり……!)

 

メールの内容に目をカッと見開き、携帯を持つ手に無意識に力が入る。

萩原を吹っ飛ばし、松田に()()()()()を突きつけてアイツを生贄(スケープゴート)の如く死に追いやったあの爆弾魔が、また……!

カッと頭に血が上りそうになるも、ここで感情を爆発させても無意味だと悟り、俺は再び深呼吸をして冷静さを取り戻す。

そうして頭の芯が冷めていくのを確認すると、再び伊達からのメールを読みながら、俺こと降谷零(ふるやれい)は、フッと小さく笑みを浮かべていた――。

 

(『力を貸してくれ』か……。そんな事、言われずとも答えならとっくに決まっているだろ……!!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:伊達航

 

 

(頼む、応答してくれ。ゼロ……!)

 

携帯の液晶画面に(ひたい)をこすり付け、祈るように返信が返って来るのを待つ。

まだメールを送ってから数分と経っていないはずなのに、俺の中では永遠とも呼べる時間が流れたように感じた。

今まで長年音信不通だった上、メール一つ返してこなかったゼロ(アイツ)だが……こんな非常事態の時でも何の反応も示さない冷めた奴じゃないって事くらい、俺だって分かってるつもりだ。

 

――その俺の願いが通じたのか次の瞬間、手に持った携帯電話がブーッ!ブーッ!とマナーモードで唐突に震え出した。

 

「!」

 

俺は慌てて携帯を確認する。するとそこにはメールが一通届いており、俺はすぐさま中身を開いた――。

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

写メでも何でもいい。送られて来たというその予告文の内容を直ぐに俺の携帯へと転送してくれ。

 

()()()()()()()、俺もすぐにそっちに向かう。

 

(ゼロ)

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

――久しぶりに見る、アイツからの返信だった。

 

今までずっと連絡一つ寄こして来ず、最近では生きているのかすら不安を覚え始めていたのだが、ようやく返ってきた親友からのメールに、安堵と共に生存報告を聞かされたような気分になり、自然と泣きそうになった。

 

「――ったく、心配ばっかかけさせやがって……!」

 

自分の実力をどこか過信している奴だったから、もしかしたらそれが原因で何処かでくたばっているんじゃないかと内心冷や冷やしたが……元気そうで本当に良かった。

 

「……しっかし、『時間がかかる』って……ゼロの奴、今遠出でもしてんのか?」

 

送られてきたメールの一部分に妙な違和感を覚えながらも、俺はメールの内容通りに今回送られて来た予告文の全文を一字一句(たが)えることなく記入すると、それをアイツの携帯へと送信していた――。




・お詫び。

一つここでお詫びとお知らせを。
今年上映された劇場版名探偵コナンの『ハロウィンの花嫁』なのですが、実は……()()()()()()()()()()()
様々な諸事情が重なり、見に行ける余裕が無かったのです。
そのためつい最近、伊達が捜査一課に配属になったのは()()()()であることを知り、驚きと同時に慌てました。
と、いうのも、前回書き上げた『悪意と聖者の行進』のエピソードでは、伊達はとうに捜査一課におり、松田がそこに配属されたという状況で書いていたからです。

いや、これには本当に驚きました。
原作のどの話だったのかは忘れましたが、高木と佐藤の会話で佐藤が松田を「君付け」、伊達を「さん付け」で呼んでいたという場面があったので、てっきり捜査一課に配属されたのは伊達→佐藤→松田の順だと思っていたのですが、まさか佐藤→松田→伊達だったとは思いもしませんでした(おまけに松田が殉職した当時、伊達はまだ所轄署所属だったらしいです)。

そう言った事もあり、前回書いた『悪意と聖者の行進』を一度見直し、修正し直すことにいたしますので、次回の投稿はそれが終わり次第とりかかろうと思います。

毎回読んでくださる読者の皆様にはご迷惑をおかけしますが、何卒宜しくお願い致します。


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番外:揺れる警視庁【2】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。


SIDE:伊達航。

 

 

――事の始まりとなった七年前の爆弾騒ぎの事件。あの時犯人は()()()()

 

七年前。爆弾犯は都内にある二つのマンションに爆弾を仕掛け、10億円もの要求をしてきたのだ。

おまけに、そのマンションの住人が一人でも避難すれば、即爆破するという条件付きだったらしい。

……二つの爆弾の内、一つは何とか時間内に解体することが出来たが、もう一つの方が手間取ってしまい、仕方なく爆弾犯の要求を飲まざるを得なくなってしまったのだ。

その後、爆弾犯との取引の末、起爆装置のタイマーは爆弾犯のリモコンによって止められ、住人は全て避難し、事件はひとまずの終わりを迎えたかに見えた……。

 

……だが、それから三十分後に突然犯人から警察に電話が入ったのだ。

 

 

――『爆弾のタイマーがまだ動いてるって、どういう事だ!?』と。

 

 

恐らく、その頃テレビで流れた事件を振り返るVTRの部分だけを見て勘違いしたと思われ、警察は爆弾犯を確保する絶好のチャンスだと踏んで、話を引き延ばして逆探知に成功し、電話ボックス内にいる爆弾犯を発見する事となったのだ。

 

しかし……運悪く、慌てて逃げた()()爆弾犯は逃走中に車に跳ねられて死亡してしまう事態となってたのである。

 

当初は被疑者死亡と言う結末で事件は幕を閉じるかに思えたが、ここで爆弾犯が二人いるという事実が()()()()()明るみになる――。

 

 

 

――爆弾犯が車に跳ねられて死亡した直後。……()()()()()()()()()()()()()()()()()()……爆弾が爆発したのだ。

 

 

 

……その結果、爆弾の解体作業を行っていた爆弾処理班を含む多くの機動隊隊員たちが犠牲となる大惨事となってしまった。

 

事故死した爆弾犯の住所は、直ぐ突き止める事が出来たが……分かったのは、()()()()()()()()()()()事だけだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――本庁の資料室で、七年前の事件資料を漁り、事件当時を振り返っていた俺はそこで呼んでいたファイルをそっと閉じ瞑目(めいもく)する。

 

(恐らく、もう一人の爆弾犯は思ったろうな……。俺ら警察が、嘘の情報をテレビで流し、仲間を罠にはめて殺したと……)

 

だが正直それは逆恨みもいい所だ。

確かに奴の相棒を警察が追い詰めて結果的に死に追いやる形になってしまったが、そもそも爆弾を使って大金をせしめようと考えて多くの警察や一般市民を巻きこまなければこんな事にはならなかったはずだ。

テレビでのニュースにしても、()()()()()()()()()()()()()()()()()()だろう。

爆弾のタイマーが止まったのは、タイムオーバーになる()()()()()()()。爆破予定時刻をあらかじめ決めていた犯人たちが、爆破するまでの残り時間がどれほどあるのか知りえていないわけがない。

なのにタイマーが止まって、犯人が電話して来るまで()()()()()()()()()()()()()()()

 

――つまり、タイマーが止まっていないのであればとっくの昔に爆発しているのだ。

 

もちろんその時はニュースで爆弾が爆発したという放送はしていないわけだから、ニュースで『タイマーが動いている』と犯人たちが聞いていても、これはおかしいと気づくはずなのである。

だからこそ、爆弾がまだ動いていると勘違いして警察に電話してしまったのは犯人たちの落ち度と言わざるを得ないと思う。

 

……だが、だからと言って、警察(こちら)側には何の落ち度も無かったと言えば、それは『否』だと言えるだろう。

犯人からの電話を好機ととらえ、犯人側が複数犯である可能性を考慮に入れず。また、まだ爆弾が解体できておらず、安全を確保できていない現状で逮捕に踏み切ってしまったのだから。

――結果、犯人の一人を事故で死なせてしまい、逆鱗に触れたもう一人の犯人によって爆弾が再起動される(生き返る)事となり……最悪の結末へと至ってしまった。

 

「萩原……」

 

天井を仰ぎ見ながら俺はとうにこの世にいない親友の名を呼ぶ。

七年前のあの日――爆発した方の爆弾処理に当たっていたのは萩原だった。

あの時萩原は、タイマーが止まっているのを良い事に防護服を脱いでいたと聞く。

だが爆発した爆弾の威力は、爆弾を仕掛けていた階層を丸々吹っ飛ばすほどのモノだった。

たとえその時、防護服を着ていたとしても、ただでは済まなかっただろう。

 

……もしあの時、爆発した本命の爆弾の解体を当たっていたのが、萩原じゃなくもう一方を解体していた松田だったら、結末は変わっていたのだろうか?

いや、そうでなくても、犯人がテレビのニュースを勘違いしていなければ……もしくは警察が犯人逮捕に先走らなければ、もしかしたら……もしかしたら……!

 

そこまで考えた俺はハッとなり、頭を激しく振って冷静さを取り戻す。

 

(……『たられば』の話を今更考えた所でどうにもならないだろ、伊達航。お前が資料室(ここ)に来たのは、()起こっている事件の予告文の暗号を解読する糸口を見つけるために、何か手掛かりはないかと過去の資料をあさってんだろうが……!)

 

それに事件内での落ち度や『もしも』の話をいくつも並べ立てた所で結局は、事件を引き起こした爆弾犯が一番の元凶である事には間違いない。ならば、俺ら警察は全力を以って奴を見つけ出し、捕縛するまでだ。

 

そう自分に言い聞かせ、決意を新たにした俺は()()()()()()()()()に手を伸ばし、それを開いてみる。

その捜査資料は萩原が亡くなってから四年後――つまり、今から三年前に起こった……松田が爆死した事件だ。

 

 

 

 

――三年前の当時より以前から、警視庁には意味不明なFAXが毎年届いていた。

 

三年前が『3』。二年前が『2』。一年前が『1』というように、紙にでかでかと大きく数字が一つ書かれているだけのモノだった。

だがそれを知った松田は、それらのFAXが爆弾のカウントダウンを表していると見抜き、事件当日新たなFAXが届くのを待って待機していたらしい。

そうしてその時届いたFAXには以下の事が書かれていた――。

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

我は円卓の騎士なり

 

愚かで狡猾な

 

警官諸君に告ぐ

 

本日正午と14時に

 

我が戦友の首を弔う

 

面白い花火を

 

打ち上げる

 

止めたくば

 

我が元へ来い

 

72番目の席を空けて

 

待っている

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

――この予告文の内容を知った松田は、文章の冒頭と最後の部分にある『円卓の騎士』と『72番目の席』から、円卓=円盤状で72もの席がある杯戸ショッピングモールの大観覧車に一つ目の爆弾が仕掛けられていると推定。

その推理を頼りに警察がそこへ駆けつけると、既に大観覧車の制御盤が設置されている小屋から爆発が起こり、観覧車が止まらなくなっていた。

しかし幸いな事に、その時にはもうそこの従業員たちが観覧車から客を降ろしていたので誰もけが人は出ていなかった。

 

観覧車のそばに駆けつけた松田が、72番目のゴンドラに入るとやはりそこには爆弾が設置されているのが発見される。

それを見た松田は一人、ゴンドラに入ると爆弾を解体し始めたのである。

予告までの時間までまだ余裕があり、爆発物処理のプロがいるのだからきっと大丈夫だと、この時現場にいた目暮警部たちは松田を信じ、そう思っていたらしい。

 

――だが、その願いは直ぐに打ち壊されてしまう事となる。

 

松田の乗ったゴンドラが頂上に届いた時、誰もが予期せぬ事態が起こった。

制御盤のある小屋が二度目の爆発を起こし、完全倒壊。そのせいか、大観覧車が止まってしまう事となったのである。

そのため、松田の乗るゴンドラも頂上付近で止まってしまい、完全に孤立。

しかも最悪な事に、観覧車が止まりゴンドラが揺れた振動で爆弾のトラップが作動してしまったのだ。

 

『水銀レバー』と呼ばれるそれは、僅かな振動でもガラスの容器内にある玉が転がって、同じく容器内にある輪っか状の金属線にその弾が触れれば爆発する仕組みであった。

 

しかし、その時点で爆破予告まで五分を切っていたものの、松田の腕なら三分もあれば簡単に解体できる代物だった。

 

――何も問題は無い。()()()()()()松田も、そう思っていただろう。

 

爆弾のカウントダウンを表示する液晶パネルに、『()()()()()』が表示されたのはこの時だった。

 

 

――『勇敢なる警察官よ、君の勇気を讃えて褒美を与えよう。もう一つの、もっと大きな花火の在りかのヒントを表示するのは()()()()()。健闘を祈る』

 

 

もう一つの爆弾の在りかが爆発3秒前に表示されるというメッセージ。

それが液晶パネルに表れた事で()()()()()()()()()()()()()()のだ。

恐らく解体を続行すれば電源が落ち、二度とそのヒントを見ることが出来ない仕組みだったのだろう。

 

――つまり、爆弾魔は最初っから警察の誰かを一つ目の爆弾が積んであるそのゴンドラに乗せ、メッセージを見せるつもりだったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――二つ目の爆弾の在りかのヒントをちらつかせることで、一つ目の爆弾を解体しているその警察官に、『爆弾を解体して自身が助かる代わりに二つ目の爆弾で多くの犠牲者を生む』か、もしくは『自分を犠牲にヒントを手に入れて二つ目の爆弾による被害を食い止める』かという最悪な二者択一(にしゃたくいつ)を迫るために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……だが、それでもその時点で二つほど分かった事があった。

 

 

一つは爆弾魔が大観覧車のすぐ近くにいるという事。

奴の狙いが、爆弾のあるゴンドラに警察官(この場合は松田)を乗せる事だったのなら、松田が乗り込むのを直接目で確認している必要があったからだ。

またその過程で、その場に一緒に居た佐藤や白鳥、目暮警部などの面々の顔も爆弾魔に覚えられた可能性があるが、もはやそれはどうしようもなかっただろう。

その上、大観覧車の周囲には未だに衆人環視(しゅうじんかんし)の目が多く観覧車を見上げていた。

その中から爆弾魔を探し出す事など、現時点では不可能に近かった。

 

そして残る二つ目だが……これは二つ目の爆弾がある()()()場所。それは松田がとうに見当を付けていた。

FAXの予告文に書かれていた『我が戦友の首』という一文。

円卓の騎士が存在した時代は中世のヨーロッパ。その頃の騎士は大抵()()()()()()()()()()()()をかぶっていたのだ。

 

そしてその『十字』から連想されるのは――()()()()()()()

 

つまり、二つ目の爆弾の在りかは都内にある病院のどれかにあるという事だった。

 

 

 

 

 

 

……だが、それ以上の手がかりを得るにはやはり爆弾に表示されるヒントを見る必要があった。

()()()()()()()()()()()()()()()松田は、そこまでの情報を電話で佐藤に伝えると、電話を切って()()()()()()()()

 

やがて爆破3秒前にそのヒントが液晶に表示されると、松田は持ち前の手先の器用さで携帯のボタンを素早く打ちこんで、出たヒントをメールで佐藤へと送信していた――。

 

 

――『米花中央病院』。

 

 

松田から送られて来たメールにはその名前が書かれていたという。

佐藤からそれを聞いた目暮警部たちは直ぐに米花中央病院へと駆けつけ、そこに設置されていた爆弾を解体する事に成功した。

 

――こうして、警察の手によって二つ目の爆弾の爆破は未然に防がれ、多くの死傷者を出さずに済むことが出来たのだ。

 

 

 

……ゴンドラの中で吹き飛ぶことになった、一人の警察官を犠牲にして。

 

 

 

 

 

 

 

 

――二冊目の捜査資料を読み終えた俺は、フゥッと小さく息を吐く。

萩原が死んだ七年前の捜査資料を見た時もそうだったが、やはり見知った人間が亡くなった資料を見るのは(こた)えるモノがある。

 

……だが、それでも収穫はあった。

 

今回送られて来たFAXの予告文。やはり三年前同様、この文章の中に二つの爆弾の在りかが書かれているのは間違いない。

しかも三年前と同様なら、一つ目の爆弾の場所は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

三年前の松田の時は、まだ爆破予告時間よりも前だったというのに、犯人は大観覧車の制御盤のある小屋を爆破して警察をおびき出していた。

それは一つ目の爆弾で警察官を一人、確実に殺す事を目的にしていたからだ。

それに三年前の予告文にしても、一つ目の爆弾の在りか(大観覧車)二つ目の爆弾の在りか(米花中央病院)が記された部分を比べてみると、一つ目の在りかが書かれた場所の暗号文の方が比較的に単純になっており分りやすくなっていた。

 

(……一つ目の方は松田同様、警察官に『選択』を迫るためのモンだからな。暗号が解けようが解けまいが最後には犯人(向こう)から何かしらのアクションを見せて来る。俺ら警察をおびき出し、()()()()()()()()()()()()()()。……ふざけやがって!)

 

俺は内心で悪態をつく。

だが、何もしなくても一つ目の爆弾が発見されると分かっても、()()()()()()()()()()()()()

犯人のアクションを待ってからでは、俺ら警察官の中の誰が犯人の犠牲に選ばれるか分かったもんでもないし、松田と同じあのような酷な『選択』を迫らせるわけにはいかないだろう。

 

(だとしたら、やはり予告文の暗号を解いて犯人が何か仕掛ける前に一個目の爆弾を早期に発見する必要がある。――だが、まだ何処にあるのか分からない上、三年前と同様なら下手に手を出せば二つ目の爆弾の在りかも分からなくなる恐れがある。どうすりゃいい……?)

 

俺がそんな事を思いながらムムムと唸っていた時だ。

 

「おお、伊達!こんな所にいたか……!」

 

不意に資料室のドアが開かれて、目暮警部が入って来たのである。

 

「目暮警部?」

「一体何をやっとるんだこんな所で?」

 

突然の登場に目を丸くする俺に対し、警部がそう問いかけて来る。

俺は過去の資料を洗い直すことで今回来た予告文の暗号を解けるヒントが見つかるんじゃないかと思って資料室(ここ)に来た事を打ち明けた。

 

「……そうか。だが伊達、一つ目の爆弾の在りかなんだが、分かったかもしれん」

「――!本当ですか!?」

 

驚く俺に向けて、警部は一つ頷くと話し始めた。

 

「ついさっき佐藤や高木が車に同乗させている少年探偵団からの意見なんだが……爆弾は『南杯戸駅(みなみはいどえき)』に隠されているんじゃないかと言う話だ」

 

……何で佐藤や高木が運転する車に眼鏡の坊主らが乗っているのかは少し謎だったが、俺はそれを顔には出さず、黙って警部の話に耳を傾け続ける。

 

「三年前の事件で爆弾が仕掛けられた『杯戸ショッピングモール』の大観覧車と『米花中央病院』。その二か所に面した道路の()()()上で交差する場所にあるのが東都中央線の南杯戸駅なんだ」

「ですがそれって『延長戦』と『延長線』をこじつけただけですよね?それだけじゃ理由としては弱……いや、まてよ?……そうか!『ストッパー』!」

 

警部の話に最初こそ胡散臭く思えてそう意見した俺だったが、途中で()()()に気づきハッとなって叫んでいた。

俺の様子を見た警部も内心を察してくれたのか強く頷きながら言葉を続ける。

 

「そうだ。予告文にあったストッパーは、二つの道の交差地点にある南杯戸駅の踏切……『遮断機』のことだ。そして同じく予告文にあった『鋼のバッターボックス』は鉄の箱……電車の事を指していたんだ」

「って事は、『血のマウンドに登れ』っていうのは……赤い車体の上り電車……!」

 

そう呟く俺の言葉に、目暮警部は再び強く頷いていた。

 

――つまり、一つ目の爆弾は南杯戸駅から東京へ向かう東都中央線の赤い電車の車内……!

 

 

「既に南杯戸駅に捜査員を多く向かわせている。伊達、お前もそこに向かって彼らと合流し捜査に当たってくれ!」

「はい!」

 

目暮警部からの指示に俺は力強く了承し、資料室を飛び出す。

 

「…………」

 

だが、いざ現場へと向かっている最中、俺は少年探偵団が出したその推測に少なからずの疑問を感じていた。

と言うのも、確かに筋は通っているように見えるのだが……刑事の直感と言うべきか、俺にはどうにもそれが本当に『正解』だとは思えなかったのだ。

しかしこちらに明確な否定的根拠が無い上、警部から直接指示が下った以上、俺は現場に向かわなきゃならない。

 

後ろ髪を引かれる思いだったが、俺は同僚の運転する車に揺られながら深夜の夜の街を南杯戸駅に向かうしかなかった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――それからすぐ、南杯戸駅の電車の車内で、爆弾らしき不審物が多く発見されるも、それらは全て偽物(ダミー)であり、本物らしきモノは一つとして発見されず、俺たち警察は爆弾魔に振り回されながら朝を迎える事となったのである。




最新話投稿です。

区切りが良いのでここで投稿させていただきました。
次回から事件二日目に突入です。


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番外:揺れる警視庁【3】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。


SIDE:三人称視点(鮫崎と宮本の会話)。

 

 

――米花私立病院、白鳥の病室。

 

「――よぅ、宮本。どうだ白鳥の様子は?」

「ああ鮫崎さん、いらっしゃい。大丈夫ですよ。カエル先生が直々に執刀してくれたんですから」

「ハハッ、まぁあの先生が担当してくれたんならそれもそうか!……にしても白鳥の奴、世間が今大変な時だってぇのに呑気に寝こけやがって」

「カエル先生の見立てでは、今日中に目を覚ますはずだって言ってましたけど……」

「そこまで分かるのか、すげぇな!……しっかし、一時は危険な状態だったってぇのに一晩でよくここまで回復できたもんだ」

「何せ爆発で頭打って急性硬膜下血腫(きゅうせいこうまくかけっしゅ)になってたって話ですからね。普通なら深刻な状況でしたよ。……で、そっちはどうなんです?捜査の方は何か進展があったんですか?」

「いんや、だめだ。発見された爆弾はどれも偽物で捜査本部は爆弾魔の掌の上で踊らされている状態だぁ。……俺も捜査に加わりたい所だが、何せ今はしがない『指導員』の身だし歳くった老兵にはもう現場仕事はきついからなぁ」

「え~、そうですかぁ~?鮫崎さんならまだバリバリ現場の指揮とかできそうですけどね。爆弾魔以上に現場の捜査員たちを振り回すことが出来るんじゃないですかぁ?」

「フッ、言いやがる。……そう言やぁ、三年前に死んだっつぅ松田だっけか?そいつも結構問題児っぽくて他の刑事たちを振り回していたって話じゃねぇか」

「ええ……。あれ?鮫崎さんは松田君に会ったことありませんでしたっけ?」

「ああ。当時俺は県外に逃走している容疑者(ホシ)を捕まえるために出張に行っててな。話を聞くにその時期に一課にやって来たみたいだな」

「へぇ~。でも今思えば鮫崎さん、彼と会わなくてよかったかもしれないですね。だって鮫崎さんと松田君って性格的に見て水と油っぽいし、ぜぇ~ったい派手に衝突してましたよぉ」

「……フッ、俺からしてみれば結構興味はあったんだぜ?手のかかる、しごきがいのありそうな若僧だったみてぇでよぉ。……剣道や柔道なんかでもんでやりたかったぜ」

「……うん、そうしてたら絶対バックレてたと思いますよ?松田君」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:佐藤正義

 

 

「何ぃ!?また偽爆弾だと!?……ちゃんと確かめたのか?本物が混じっている事は無いんだろうな!?」

 

目の前に立って携帯で部下と電話をする目暮警部がそう声を荒げる。電話の相手はどうやら千葉刑事のようだ。

 

白鳥君が例の爆弾魔の手にかかって予告文がFAXで警視庁に届いたのを期に、警視庁ではすぐさま捜査本部が立ち上げられた。

そうして予告文の内容から南杯戸駅を走る赤い電車に爆弾が仕掛けられているかもしれないと推測した我々は直ぐに行動に移ったのだが……電車に仕掛けられていたのはどれも偽物ばかり。

一応その中に本物が混ざっている可能性も考慮して慎重に発見された爆弾を調べたり、推測した場所とは別の所に爆弾が仕掛けられている事も考えそちらにも捜査員を手配したりしたのだが……現時点ではどれも空振りに終わり、遂に夜が明けてしまった。

 

「そうか……。恐らく、捜査を混乱させるのが目的だろう。……とにかく、気を抜かずに捜査を続行しろ!」

 

目暮警部が千葉刑事にそう言って電話を切る。

するとほぼ同じタイミングで別の捜査員が私たちの元にやって来て、()()()()()()()()()()()へと声をかけていた。

 

「松本管理官」

「何だ?」

()()()()()()()()()()、オザキ班から報告です」

 

捜査員がそう言うと目暮警部が「で、どうだった?」と尋ね、捜査員は言葉を続ける。

 

「はい……都内にある大きな野球場は全て調べ終わりましたが、()()()()()()()()()()ようです。……引き続き、小さな野球場にも的を広げて捜査を続けるとの事です」

「ふむ……どうやら野球場の線はなさそうだな」

 

その報告に松本管理官がそう呟くと、座っていた椅子から立ち上がって捜査本部にいる捜査員全員に聞こえるように大きく声を上げた。

 

「――よぉし!都内の赤い電車は全線停止!野球場に割り振った捜査員を各駅に回して張り込ませろ!……一発目の爆破予告の正午までは、まだ五時間もある!我々の裏をかいて、これから仕掛けに現れるかもしれんからな!」

 

松本管理官のその言葉に、捜査員たちが『ハッ!』と声を合わせ、それぞれの役目を全うすべく動き始める。

その様子を松本管理官の隣で座って見ていた私は、静かに黙考し始めた。

 

(……それにしても、まさかまた現れるとはな……。前回からもう三年も経っているというのに……!)

 

七年前といい三年前といい。奴は飽きもせず年数を跨いで私たち警察を翻弄し続けて来る。

しかもタチが悪い事に、目的は金ではなく七年前に相棒を死に追いやった私たち警察に対する『復讐』。

正直、ほとんど本人たちの自業自得だと思えるのだが、そんな事は奴にとっては関係の無い事なのだろう。

 

(あの()は……美和子は大丈夫なのだろうか……?)

 

脳裏に最愛の一人娘の顔が浮かぶ。

三年前の大観覧車の事件後、その事件で亡くなった松田陣平君と美和子がお互い両想いだったことを小耳に挟んだ時は、父親として大いに驚いた。

男勝りな性格を持つあの娘が、それも出会ってまだ数日しか経っていない相手とそのような関係になるなど、予想しろと言う方が無理な話だ。

そんな意中の彼が、三年前のあの一件でいなくなってしまった時、一体どんな思いだったか……。

親の私から見ても想像しがたいモノだっただろう。

そしてそんな彼の命を奪った爆弾魔が再び現れた……。基本、職務に忠実なあの娘でも動揺を抑えきれていないはずだ。

 

一方で爆弾魔の方も、また三年前と同じことを繰り返す可能性がある。

私たち警察官の中の最低一人を自身の手中に絡めとり、松田君同様理不尽な『選択』を突き付けてくるかもしれない。そう――。

 

 

 

――この東京に住む、1200万人もの人間を人質にして……!

 

 

 

「……ふん、『まだ五時間もある』か……。本当は『あと五時間しかない』と、言いたい所だがな」

「ええ……」

 

思案する私の横で、椅子に座り直しながらそう呟く松本管理官に目暮警部が頷いて見せる。

……そう、捜査しなければならない場所は想像以上に広大だ。

予告文の内容から爆弾が仕掛けられている可能性のある場所をしらみつぶしに当たる必要がある。

それも限りある捜査員たちを総動員して。

だが捜査範囲である東京全体はその総動員でも五時間以内で探し出すのは到底不可能であったのだ。

 

それを察している松本管理官と目暮警部に同調するかのように、私も眉間にシワを寄せて深刻な顔をしながら今後の対策について思考を巡らせ始めた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

一晩明けた朝のファミレスで、目の前で眠たそうにしている元太たちを見ながら俺と灰原は注文したコーヒーを飲んで眠気を飛ばしていた。

チラリと店内から窓の外を見れば、佐藤刑事と眠たそうな高木刑事が何か会話を交わしている。何を話しているかまでは流石に聞こえなかったが。

視線を戻してうつらうつらとしている元太、歩美、光彦の顔を見ながらズズッとコーヒーを一口すすると灰原が俺に声をかけてきた。

 

「どう?予告文の暗号の謎は解けた?」

「いんや全然。最初に推理した南杯戸駅の方も、佐藤刑事達の様子から察するに進展は無かったみたいだし、空振りと見ていいだろうな」

 

俺の言葉に灰原も「そうね」と短く答えて、俺と同じようにコーヒーを一口飲んだ。

そして一息入れた所で再び口を開いて来る。

 

「……佐藤刑事、いつも以上にえらく気を張り詰めているわね。はたから見ていてもピリピリしているのが丸分かりだわ」

「まぁ、由美さんから聞いた松田刑事との関係を知ったら、そうなるのも仕方ねぇとは思うけどな……」

 

灰原の言葉に俺はもう一度、高木刑事と話をしている佐藤刑事へと目をやった。

少し前に、交通課の由美さんから佐藤刑事と松田刑事の関係を詳しく教えてもらっていたのだ。

 

――()()()()()()()()()()

 

「……佐藤刑事の様子も気になる所だけど、俺は伊達刑事の事も気になってんだよなぁ」

「あれは驚いたわよねぇ。……まさか伊達刑事が七年前に亡くなった萩原って人と、三年前に亡くなった松田刑事の二人と親友だったなんて」

「ああ……。それも警察学校時代からの古い付き合いで、苦楽を共にした仲間だったって言うじゃねぇか」

 

ほぅ、とため息交じりにそう呟く灰原に、俺は小さく頷きながらそう答える。

由美さんからの話を聞くに、警察学校時代は相当松田刑事らとやんちゃしていたらしく、周囲は色々と手を焼かされていたらしい。

……まぁ、だからと言うべきか、伊達刑事と松田刑事、そして萩原さん。この三人の信頼関係はとても深く結ばれたモノであり、何ものにも代えがたい(えにし)だったことは想像に難くなかった。

だからこそ、七年前と三年前の一件で立て続けに大事な仲間を失ってしまった伊達刑事の犯人に対する怒りは相当だったに違いない。

 

「……ひょっとしたら、犯人に対する憎しみは佐藤刑事以上かもしれないわね。もし犯人を特定できたとして、伊達刑事がその犯人を目の前にした時……あの人は正気を保っていられるのかしら?」

 

ほんの少し、不安げな口調でそう響く灰原に……俺はフッと小さく笑みを零す。

 

「……いや、そこは心配ねぇんじゃねぇか?」

「あら?どうしてそう言い切れるの?」

 

小首をかしげてそう尋ねて来る灰原を前に、俺は自信を持って答えて見せた――。

 

「……分かるさ。何てったってあの人は――」

 

 

 

 

 

 

「――生粋の『警察官』、だからな」

 

 

 

 

 

決して私情を優先するような人じゃない。

たとえ恨みつらみがあったとしても、市民の安全と平和を第一に考えて行動する強い信念を持った人たちだからな、警察官っていうのは――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:伊達航

 

 

「クソッ!またハズレか……!」

 

南杯戸駅のホーム。目の前のブルーシートに奇麗に並べたてられた爆弾のダミーの数々を見て、俺は苛立たし気に地団駄を踏んでいた。

もう夜も明けちまった。恐らく、この駅にはダミーばかりで本物は無いとみて間違いないだろう。

 

「……伊達さん。やっぱりこの駅には本物の爆弾は仕掛けられていないのでは……?」

 

俺と同じ考えに至ったのか、背後から千葉がそう声をかけて来る。

それに俺は振り返らずに頷き、口を開く。

 

「ああ、多分そうだろうな。このダミーにしたって、俺たちが予告文の暗号を間違えて解読した時にわざと愚弄するために置いたモンだろうよ」

「クソッ!ふざけやがって……!」

 

俺の返答に千葉が虚空を睨みつけながら悪態をつく。全く同感だ。

そんな千葉を横目に俺は一度落ち着くために小さく息を一つ吐くと、ポケットから昨晩警視庁に大量に送られて来た例のFAXの予告文の紙を取り出し、それを広げて文面を食い入るように見つめた。

 

(……やっぱり本物の爆弾の在りかを突き止めるためには、この文面の暗号を『正しく』解読する必要がある)

 

この予告文が三年前と同様のモノなら、一つ目の爆弾の在りかは警察をおびき寄せるためにあえて解けやすくしているはずだ。

そう考えた俺は予告文の文面を上から下まで何度も何度も往復しながら目を走らせ続けた。

 

「何かわかりそうですか?伊達さん」

 

不安げな口調で恐る恐るそう尋ねて来る千葉。――って言うか、お前もちっとは俺に頼らず自分で考えてみろよな。

内心、大きくため息をつきたい気持ちにかられるも、俺は千葉からの問いにあえてスルーしながら、予告文の文章を一字一句逃さないと言わんばかりに集中して読み続けていく。

 

――そうして、何度目かの往復後。俺の目はある一文で自然と止まっていた。

 

(……やっぱ、何かしっくり来ねぇよなぁ。()()()()

 

俺が目を止めたのは予告文の終盤に記されている『血塗られたマウンドに貴様ら警察が登るのを鋼のバッターボックスで待っている』という所だ。

これは俺の刑事としての直感でしかないが、どうにもこの一文の中に一つ目の爆弾の在りかが隠されているんじゃないかと、そう思えてならなかったのだ。

 

(……『しっくり来ない』と言やぁ、さっき目暮警部からの情報共有の連絡の中で伝えられた、『野球場に本物どころかダミーの爆弾も仕掛けられていなかった』という情報もそうだったな)

 

予告文の中に『剛球豪打のメジャーリーガー』や『マウンド』、『バッターボックス』といった野球用語の単語が散りばめられていたのにもかかわらず、それに関係する都内の野球場にはダミーの爆弾一つ見つからなかったというのだから妙な話である。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()……?でも何のために?)

 

そこまで考えた俺は小さくハッとなり、首を軽く振ると再び目の前の予告文の文章に集中しだした。

いかんいかん。野球場の件も疑問に思う所だが、今はこっちが最優先だ。

こうしている間にも時間は刻々と迫って来ているのだからな。

 

(『血塗られた』は、恐らく『赤』を連想させるための文章だと思う。それに『鋼のバッターボックス』は金属製の箱と言う意味……。『赤い』……『鉄の箱』……?)

 

ムムムムムと、唸りながら俺がそんな事を考えていた時だ。

 

「あ、あのー?伊達さん?さっきから一体何を考えて――」

 

恐る恐るそう尋ねてきた千葉に、考えがまとまらず頭に血が登っていた俺はついイラッと来てしまい、声を荒げながら千葉に食って掛かっていた。

 

「だぁーッ!うるせぇぞ千葉ッ!人が必死こいて考えてるって時に横からごちゃごちゃと!!」

「ひぃっ!?す、すみません……」

 

俺の迫力に押されて、千葉は顔を青ざめながら縮こまる。

そんな千葉に、俺は苛立たし気に持っていた予告文の紙を差し出すと言葉を続けた。

 

「いいからテメェも考えろ!この予告文の『血塗られた』の部分から連想される『赤』で何か思いつくモンはねぇか!?」

「え?あ、赤って……と、突然そんな事言われても……」

 

俺の言葉に千葉は弱々しくもそう返答するが、直ぐに『赤』について何か考え始めたようであった。

腕を組んで首をひねりながら『消防車……ポスト……』と小さく呟きながら天を仰ぎ見る。

そんな千葉を横目に、俺も思考を予告文を見ながら再開する。

 

(……赤い色のモンなんてこの世にごまんと存在する。だが一つ目の爆弾の暗号が比較的わかりやすいモンだと考えると、その赤いモノは()()()()()()()()()()()()。それも都内に仕掛けられているとなれば、それは警察でなくても都内に住む住人なら連想してもおかしくはないモノのはずだ)

 

俺がそんな事を考えていた。その時だ――。

 

「赤……赤…………あ。赤って言えば伊達さん。()()()赤いモノじゃないですか?」

「?」

 

――唐突に千葉がそんな事を言い出したを聞き、反射的に顔を上げて千葉の方を見ると、千葉は明後日の方へと視線を固定している。

俺もそれにつられるようにして千葉のその視線の先を追っていた――。

 

 

 

――そこにあったのは南杯戸駅のホームの壁に貼られたポスターだった。

 

 

 

観光案内を目的として作られたらしいそのポスターには、()()()()()()()()()()の写真が、デカデカとそのポスター一面に大きく写されていたのだ。

 

 

 

 

 

 

「――でかした、千葉ぁッ!!!!」

 

 

 

 

 

それを視認した瞬間、俺の口から歓喜と感謝と興奮を含んだ千葉への言葉が無意識に、そして唐突に大きく上がる。

そうして大きく目を丸くして驚いて呆然と立ち尽くす千葉を置き去りに、俺は杖と脚を必死に動かしながら駅のホームを飛び出していた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:降谷零

 

 

――成田空港へと向かう飛行機。

 

その中で俺はノートパソコンをカタカタと鳴らしながら、七年前と三年前の事件の洗い直しと、今現在東都で起こっている爆弾事件の現状把握に勤しんでいた。

伊達からのメールを受け取った後、直ぐに荷物をまとめてホテルを飛び出した俺は、日本に到着する最短時間のコースをすぐさま割り出し、いくつかの乗り継ぎを経て今へと至っていた。

飛行機の窓の外は既に明るい。日本はとっくに朝だろう。

 

(到着まで、後数時間。か……)

 

そんな事を思いながら、はやる気持ちを抑えて俺は情報整理と、伊達から送られて来た予告文の解読に集中力をフルに使う。

そのせいか、海外に出かけた時に起こる時差ボケや体調変化などはまるで気にも留めないほど微々たるものであった。

……まぁ、それだけ今回の一件を経て過去の因縁にケリを着けたいという意志が強いという事なのだろう。

 

(……ん?)

 

すると、ノートパソコンにメールが届く。

()()で情報収集にあたってくれている風見(かざみ)からだ。

俺はすぐさまメールの中身を見る。内容は警視庁の現状捜査の進展具合についてだ。

 

(……やはり、現状は良くはないな。完全に爆弾魔に振り回されている状態か)

 

最初の爆破予告は刻一刻と迫っている。歯がゆい思いだ。早く到着しろと気ばかり焦ってしまう。

 

 

 

 

 

――『落ち着けよゼロ。……焦りは最大のトラップだぜ?』

 

 

 

 

「――ッ」

 

ふと、脳裏にかつて親友からかけられた言葉がよみがえり、俺はハッとなる。

そして、一度軽く頭を振ってから静かに深呼吸をして冷静さを取り戻す。

 

(……落ち着け俺。こんな事で集中力を欠いてどうする?)

 

ここで()いているようではそれこそ爆弾魔の思うつぼだ。

幸いな事に、最初の爆破予告よりも少し前には日本の東都に到着する予定になっている。

()()()()()、まだ余裕はあるのだ。

 

……だがしかし、それは爆破予告まで()()()()()()の話である。

 

三年前の事件で、爆破予告前に小規模の爆発で騒ぎを起こし警察をおびき出して、結果……松田が犠牲になったという前例がある。

爆弾魔(ヤツ)が何もせず、爆破予告した時間まで大人しくしている証明は何処にも無いのだ。

 

(……ならばここはやはり、爆弾魔が()()()()()()()()()、一つ目の爆弾を見つけ出す事が最善手(ベスト)か……?だが三年前と同じ手口なら、二つ目の爆弾の在りかのヒントがそれに表示される可能性が高い。どうすれば……)

 

んん……。と小さく唸りながら、俺はノートパソコンを操作する。

すると、先程伊達がメールで送って来てくれた予告文を別のテキストで文字起こししたものが画面に表示された。

 

(いずれにせよ、後の事よりまずは爆弾の発見が先決か……。幸いにも、一つ目の方は()()()()()()()()()()()()()()

 

そう思いながら、俺は予告文の最後の方の文章を睨むように見据えた。

 

(『血塗られたマウンドに、貴様ら警察が登るのを、鋼のバッターボックスで待っている』、か……。恐らく血塗られたは『赤』を連想し、鋼のバッターボックスは『鉄の箱』を意味しているのだろう……。そして、事件が起こっているのは必ず()()()。警察だけでなく東都住人なら誰しも『赤』でイメージ出来てなじみ深く、かつそこに『鉄の箱』がある場所と言えば……)

 

俺はノートパソコンの画面から視線を外し、シートポケットに挟まっている来日する乗客のための『しおり』を手に取ると、それを開く。

そこには東都に関する観光案内の内容も載っており、()()()()()()()()()()()()()()()も大きく載っていた。

俺はその写真を見ながら小さく響く――。

 

 

 

 

 

 

「――『東都タワー』。……そのエレベーター内、か」

 

 

 

 

 

 

あまりにもザックリとした推理だが、一つ目の爆弾が警察官を殺害するために仕掛けられるモノなら、その暗号も二つ目と違って単純に出来ていると見ていい。

文章内にある『登る』と『鉄の箱』は昇り降り出来るエレベーターを意味し、そのエレベーターがある『赤い』建物でなおかつ東都市民なら誰もが知っている場所と言えば、あそこが真っ先に浮かぶ所だ。

 

(……だが、あまりにザックリしているため、決め手に欠けているのもまた事実だ。この推理だけで風見たちを動かす訳にもいかないだろう)

 

何せ公安の方もこの騒動の影響でてんやわんやしている状況だと聞く。

そんな状態の中、俺の確証の足りないこの推理のみで彼らを東都タワーに向かわせるのは難しい事だろう。

時間が押しているこの最中、もし俺の推理が間違っていたのなら目も当てられないしな。

 

――ならばここは、俺が直接現場に出向いて確認すべきだろう。

 

そう考えた俺は、パタンとノートパソコンを閉じて空港に到着する時を静かに待ち続けた――。

 

 

 

 

 

 

――だが、この時俺は知りもしなかった。

 

同じ頃、俺と同じ推理に辿り着いた伊達が、同様に確証を得るべく単身()()()と向かっていたという事に……。そして――。

 

 

 

 

 

――爆弾魔の姦計(かんけい)にかかり、伊達が()()()()()()()()()()()()()()()()結果となってしまった事に……。




最新話投稿です。

盆休み前で仕事が忙しく、時間がかかってしまいました。申し訳ありません。


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番外:揺れる警視庁【4】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。


SIDE:伊達航

 

 

南杯戸駅を飛び出した俺は、タクシーを捕まえて東都タワーへと到着していた。

運転手に金を払い、タクシーを降りた俺は目の前にそびえ立つ東都タワーを見上げる。

 

(見た感じでは異常なし、か……)

 

東都タワーの外観を上から下まで念入りに眺めるも、特に変わった所はない。

これの観光ポスターを見た時、これだ!と感じて駅を飛び出してきたのだが、何も異常な所は見受けられない所を見ると杞憂(きゆう)だったのかもしれない。

 

(……いや、爆破予告までまだ時間はある。犯人がこれから仕掛けに来るって可能性もあるしな)

 

そう考えた俺は、念のためにタワーの中も確認しておこうとタワー入口へと一歩を踏み出した。――……その時だった。

 

 

 

 

 

 

――ドォォン!!

 

 

 

 

 

 

『……!!?』

 

小さくも、されどはっきりとした爆発音がその場に響き渡り、俺を含む通行人や観光客などの面々が足を止め、場が騒然となる。

そして、はじかれたように爆発音を聞いた面々が音のした東都タワーを見上げると、先程まで無かった小さな煙がもくもくと東都タワーの特別展望台付近から立ち上っているのが見えたのだ。

 

「クッソ!『今』かよ!!」

 

それを視認した瞬間、俺は悪態をついて首のチョーカー(デバイス)を『全力モード』に切り替えると杖を握って全速力でタワー内へと駆け出していた。

周囲で女性の悲鳴や呆然と「なんだ?」と響く声が耳に入ってくる中、俺は茫然と立ち尽くしてタワーを見上げる人込みの中へと割って入り、タワー入口へと飛び込む。

入り口にはタワーのスタッフが何人かいたものの、今し方起こった爆発で呆然としており、俺が入場券無しで中に入って行った事にも気づいていない様子であった。

タワー内に入った俺はすぐさまエレベーターホールを見つけるも、爆発が起こった手前、今それを使うのは危険だと判断し、すぐ横にある非常階段から特別展望台へと全速力で駆け上がって行った。

そうして階段を上っている合間に、俺は携帯で目暮警部へと事の仔細を伝えるために連絡を入れる。

俺の話を聞いた目暮警部は電話の向こうでひどく驚いている様子だったが、俺は「これから状況を確認してきます」と伝えて一方的に通話を切ると、今度は『ゼロ』へと連絡しようとする。

 

――しかし、いざ『通話ボタン』を押そうとした時、トラブルが起こった。

 

「……!?」

 

ガヤガヤと人が騒ぐような音が耳に入り、何事かと音が響いてくる階段の上へと目を向ける。

するとそこには十数人もの観光客らしき人々が、我先にと階段を駆け下りて来る姿が目に入ったのだ――。

 

「いっ!?」

 

突然の事に俺は反応が遅れるもすぐさま壁際へと身を寄せ、群衆の波からの直撃回避に成功する。

どうやら先の爆発のせいで特別展望台の下にある大展望台にいた一部の観光客がパニック化してしまったようであった。

冷静さを欠いた目で必死に階段を駆け下りていく人々が俺のすぐ横を通り過ぎて行く。

残念ながらこれだけ多くの人間を俺一人で落ち着かせることは不可能であり、どうすることも出来なかった。

そうやって、階段を下りていく人々を見ている事しか出来ない俺に……更なる不運が舞い込んだ。

 

――パシッ。

「……へ?」

 

パニック化した観光客の一人の手が、偶然俺の手に持った携帯に当たってしまい、その衝撃で俺の手から携帯がはじかれてしまったのだ。

突発的な事態に俺は呆けた声を上げて、空中に投げ出された携帯を半ば反射的に目で追った。

俺の手を離れた携帯は空中を漂った後に階段下へと落ちていき、そこにあった踊り場へと乾いた音と共に二、三度跳ねて落ちた。

そしてそこに、ダメ押しとばかりに観光客の一人の脚が当たり、蹴られる形となった携帯は吹っ飛んで壁に当たる。そして今度はその衝撃で反対側にあった階段の内側の手すりの方へと跳ね返ることとなり、結果携帯は、手摺子(てすりこ)(手すりを支える支柱)の隙間へと滑り込んで行き、そこから吹き抜けの下へと落ちて行く事となった。

 

「えっ!あ、オイ!?」

 

あまりの急展開に俺は反射的に声を上げて、壁際から内側の手すりの方へと駆け寄ると、そこから身を乗り出して階下下(かいかした)へと覗き込んだ。

しかし、視認できる範囲には既に俺の携帯の姿は影も形も無く、どのくらい下へと落下したのか皆目見当もつかなかった。

 

「――ッ、クッソォ!()()()()!?」

 

以前にも似たような事(杯戸シティホテルでの一件。あの時は事件後に回収できたが)があったのを思い出し、俺はやりきれない苛立ちに自然と声を荒げていた。

しかし今は非常事態だ。今から下に戻って携帯を回収している余裕はないし、この高さから落ちたなら壊れている可能性だってある。

数秒悩んだ俺だったが、結局状況把握と一般人の安全の確保を優先してそのまま上を目指す事に決めた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:高木渉

 

 

一晩中、連れまわす形となってしまった少年探偵団の皆を、車で家に送っている最中だった。

東都タワーから小さな煙が上がっているの見つけて駆けつけてみると、場は既に混乱状態にあった。

僕は探偵団の子供たちを車に残し、近くにいた東都タワーのマスコットの着ぐるみを着た人を捕まえて何があったのかを問いただすと、どうやら僕たちが到着する直前に東都タワーの特別展望台付近で小規模の爆発が起きたらしい。

恐らく、爆弾の場所が警察にバレたと思った爆弾犯がリモコンで爆発させたのだろう。

また爆発の際、エレベーターが止まってしまい、小さな女の子がそのエレベーター内に閉じ込められたのだという。

 

その事を無線で別行動をとっていた佐藤さんに伝えると、「これは犯人の罠だから、貴方はそこで待機してなさい!」と一方的に指示を出されたが……僕はそれを振り切って東都タワーの中へと飛び込んでいた。

それは事前に由美さんから「美和子が無茶するかもしれないから見張ってて」と言われていたのも理由の一つだったが、それ以上に女の子が危険な状況に陥っていると知って、警察官として黙ってはいられなかったのだ。

 

先の爆発でエレベーターが使えそうにない事を知っていた僕は、その横にあった非常階段を使って階段を駆け上がって行く。

――しかし四つか五つ目の踊り場を通り過ぎようとした時、視界の端で()()()()()()()が落ちているのに気づき、僕は足を止めていた。

 

「あれ?これって……」

 

そう呟きながら僕はそれを手に取る。

それは携帯電話だった。しかも液晶画面を含むあちこちがひび割れており、もはや使えるのかどうかすら分からないほどボロボロになっていた。

その携帯の破片らしき物がいくつか近くに散乱しているのが確認できたため、恐らく階段のはるか上から落ちてきたものだと思われた。

だがそれ以上に、僕が気になったのは――。

 

「これって……伊達さんの携帯電話、だよな……?」

 

――そう、その携帯電話は伊達さんがいつも使っている物にそっくりだったのだ。

まぁ、同じ機種の携帯電話がこの世にごまんとあるのは当然の事ではあるのだが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のは多分この世でこれ一機だけだと思う。

 

「という事は、伊達さんもここに来ているのか?でも何で……?」

 

首をかしげながら階段の中央の吹き抜けからはるか上の方へと見上げる。

 

「!」

 

すると視界に小さいながらも数多くの人間がぞろぞろとこちらに向けて降りて来るのが見えた。

恐らくここのスタッフの避難誘導に従って、特別展望台や大展望台から降りてきた観光客たちだろう。

その人たちを見た僕はいったん先程までの疑問を頭の隅に追いやり、伊達さんの携帯をポケットに入れると、降りてきた観光客たちの波に逆らうようにして再び階段を上り始めた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:伊達航

 

 

非常階段から降りて来る群衆をかき分け、全身から滝のような汗を流しながら何とか特別展望台に辿り着いた俺は、息を整えながらそこにいた数人の東都タワースタッフを捕まえて詳しい状況を聞き出していた。

曰く爆発の規模が小規模だったため、今現在まで被害に遭った人は誰もいないという事、爆発でエレベーターが一つ止まる事になったものの、見た限りそれ以外は大した損害になっておらず修理すればすぐに復旧できるレベルだという事、そしてこの一件が意図的なモノなのかそれとも単なる事故なのかは今の所まだ分かっていないという事らしかった。

人的被害が無い事にひとまずホッと胸をなでおろした俺は、爆発が起こった場所を見せてほしいと口を開きかけるも、それよりも前にスタッフの一人が持っていた無線からの報告で方針を変えざるを得なくなった。

 

「……はい、こちら特別展望台…………なんですって!?大展望台で止まっているエレベーターに女の子が閉じ込められた!?」

「……っ!?」

 

スタッフからの驚きの報告に、俺は反射的に元来た道を引き返していた。

階段を駆け下り、同じように降りている観光客の群衆を追い抜いて、大展望台のある階層へとやって来る。

すると階段下から見覚えのある顔と鉢合わせする事となった。

 

「……!高木か!?」

「伊達さん!どうしてここに!?」

「訳は後だ!それよりもこの展望台のエレベーターで女の子が一人閉じ込められているのは知っているか!?」

「え、ええ……僕もそれを聞いてここに来たんです!」

「そうか、なら行くぞ!」

「は、はい!」

 

俺の言葉に高木が頷いたのを横目に再び動き出す。

そして大展望台にいたスタッフの一人の案内で俺たち二人は止まってしまったエレベーターの前までやって来ていた。

 

朱美(あけみ)ちゃん!大丈夫よ、怖がらないで出てらっしゃい!朱美ちゃん!朱美ちゃん……!」

 

現場に到着すると、数人のスタッフとエレベーター前で椅子に乗ってしきりに誰かの名前を呼ぶ女性が目の前に現れる。

同じようにそれを見た高木は、そこにいるスタッフの一人に早速声をかけていた。

 

「警察ですが、女の子が閉じ込められているというエレベーターはここですね?」

「は、はい。……最上階から降りて来て、ここの大展望台に着く寸前で止まってしまったんです……!」

 

スタッフの話を聞きながら俺は注意深く現状を見つめる。

その話の通り、エレベーターは出入り口の少し上の方で止まっており、こちらからは僅かに開いた隙間から中の様子をうかがう事しか出来ない状態になっていた。

そうしてこの現状とスタッフの話から、俺はエレベーターの中に取り残された女の子が朱美という名の少女で、今俺たちの目の前で椅子に乗ってエレベーターの隙間からしきりにその子の名前を呼んでいる女性が母親であることを自ずと察することが出来た。

 

「……乗っていたのは子供一人なのですが、出て来るように母親が言っても怖がっちゃって」

 

続けざまにスタッフの説明を耳にしながら、俺はフゥムと考える。

エレベーターの隙間は母親の顔がやっと入るくらいの広さしかない。とてもじゃないが大人が入り込むのは不可能であった。

 

「……この隙間じゃあ、大人が入るのは無理そうですね」

 

高木も俺と同じ結論に至ったらしくそう呟く。

さてどうしたものかと、高木と二人して首をひねっていると――。

 

「じゃあ、僕を持ち上げて!」

 

――唐突に俺たちの足元辺りから、()()()()()()()()()が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チョーカー(デバイス)のモードを『通常』に切り替えながら、俺は高木と一緒に用意された椅子の上に立ち、隙間からエレベーターの中の様子を見守る。

俺たちが向ける視線の先には、女の子の警戒心を解こうと友好的な口調で話しかける江戸川コナン(眼鏡の坊主)の姿があった――。

何の因果か、高木と少年探偵団一緒に車でここまでやって来た坊主は、他の少年探偵団の面々を車に残し、一人タワーの中に入った高木の後を追って来たのだと言う。

 

……正直、この場に眼鏡の坊主が来てくれて本当に助かった。

 

俺たちだけじゃあこのエレベーター内に入れないのはもちろんの事、突然の事態に恐怖心が高まって母親の呼びかけにも動かないほど怯え切っている少女を連れ出すのは至難の業だった。

その点、見た目少女と近しい容姿をしている眼鏡の坊主なら大人である俺たちよりも少女の警戒心を解くことが出来る。

その証拠に今、坊主と一緒に会話している少女の雰囲気が少しずつではあるが明らかに緩和しているのが見て取れた。

少女が持っていたぬいぐるみを使って少女と戯れる眼鏡の坊主を見ながら、俺はこちらの問題は直ぐに解決できそうだと心の底から安堵した。

 

 

 

――やがて、坊主との談笑を経て警戒心が薄れた少女は、坊主に手を引かれてこちらへとやって来た。

エレベーターの隙間から降ろされた少女は母親に抱きかかえられて心から安心したのかワンワンと泣きじゃくる。それは母親の方も同じだった。

まだ何も解決したわけじゃないが、問題が一つ解消されたことに俺はホッとする。

そんな俺の横で高木は少女に続いて坊主もエレベーターから降ろそうとしている所だった。

 

「さ、コナン君も!」

「うん!」

 

高木の言葉に坊主が頷き返した――その時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

――ゾクリ……!

 

 

 

 

 

 

 

「――ッ!!?」

 

突然、俺の背中に悪寒が走る。そして――。

 

 

 

 

 

 

――ドゴォォン!!

 

 

 

 

 

 

()()()()()()()爆発音のような音が響き、続いて大きな振動が俺たちを揺さぶった。

 

『……!!』

 

その音と振動で反射的に身を固くする俺たち。だが事態は俺たちに余裕を与えてはくれなかった。

直後にエレベーターがガゴン!と下がり、一気に下まで落ち始める。

今の爆発でエレベーターを吊っていたワイヤーが全て切れたのだ。

 

「――ッ!コナン君!!」

「ッ!ぐ、グゥゥッ……!!」

 

そうしてまだエレベーターから降ろされる前だった坊主もまた同じように落ち始め、落下の影響でその体はエレベーター内で宙に浮いてしまう。

それを見た高木は坊主の名を呼び、坊主はくぐもった呻き声をあげる。

 

「――チィィッ!!」

 

かく言う俺も、突然の事に目を大きく見開くも何とか坊主を助け出そうと落ちていく坊主に向けて半ば無意識に手を伸ばす。

 

「クソォォォォーーーッ!!!」

 

奈落の奥底へと落ちるエレベーターの中へと身を投じた瞬間、俺の横で高木の奴も気合を入れるように大きく声を上げながら同じく空中へと身を躍らせ、坊主へと手を伸ばしているのが視界に入った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:降谷零

 

 

ようやく飛行機が成田空港に着き、手続きを済ませて空港の出入り口へと向かっている時だった。

荷物を下げながら階段を降り、視界に入った出入り口へと駆け出そうとした、その次の瞬間――。

 

――ブツッ……!

「ッ!?」

 

突然、俺の履いていた革靴の靴紐が小さく音を立てて切れたのだ。

それに一瞬遅れて気づいた俺は、唐突に起こったその事態に思わず足を止める。

それと同時に、俺の脳裏で()()()俺と同様に事件の捜査をしているはずの『親友』の顔が浮かんでいた――。

 

「伊達……?」

 

どうして今ここでアイツの顔が思い浮かんだのかは、俺にも分からない。

だが伊達が脳裏に浮かんだ瞬間、俺の胸中を言いようのない不安感が飛来しのは……確かだった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:高木渉

 

 

『……で?格好つけて出て行ったくせに、伊達さんとコナン君と一緒にエレベーターに閉じ込められちゃったって訳ね』

「す、すみません……」

 

携帯の電話越しに呆れた口調でそう言う佐藤さんに、僕は申し訳なくそう返す。

エレベーターが落下した拍子に、僕と伊達さんはコナン君を助けようとしてエレベーターの中に転がり込むことになり、結果そのままエレベーターの中で三人一緒に落下する事となってしまったのだ。しかしその直後に、落下防止のための安全装置が作動してエレベーターは途中で止まり、僕たちは何とか事なきを得ることが出来た。

そうして現在、僕が車に残してきた少年探偵団と合流したらしい佐藤さんと電話をしている間、コナン君はエレベーターから脱出するために僕の両肩に足を乗せて立ち、エレベーターの天井にある天井救出口(てんじょうきゅうしゅつこう)から外へ出ようと奮闘しており、伊達さんはそんなコナン君が僕から落ちないか注意深く見守ってくれていた。

 

『それより……本当にそのエレベーターに爆弾は仕掛けられてないのね?』

「はい……()()()()()()()()()()()それらしき物は何も……。これから、天井の上を調べる所です」

 

佐藤さんと問いかけに僕がそう返答している間に、頭上の上にいるコナン君が救出口の(ふた)を開ける音が聞こえた。

「坊主、気を付けろよ」と小さく響く伊達さんの言葉を背に、コナン君は扉を開けるとそろそろと這うようにして天井の向こうへと消えていった。

それを見送る僕の耳に佐藤さんの声が続けて入って来る。

 

『……それで、今どの辺りにいるか分かる?』

「えぇと、多分……ワイヤーが全て切れて、非常停止装置が作動したので……大展望台と東都タワーの下にあるタワービル屋上の真ん中ぐらいで止まっていると思います」

『そ、そう……』

「これは……僕と伊達さんも天井に上ってレスキュー隊を待つしかなさそうです」

 

たははと情けない口調で僕が佐藤さんにそう答えた。――その次の瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

「ダメだ、天井に上っちゃ……!!『水銀レバー』が作動しちまう……!!!!」

 

 

 

 

 

 

「す、水銀レバー……?」

「何だとッ!!?」

 

天井から降って来た、切羽詰まった怒声にも似たコナン君のその叫び声に……『水銀レバー』という聞き慣れない単語に僕は呆けた口調でオウム返しにそう聞き返し、反対にコナン君同様、驚愕に目を大きく見開きながら伊達さんがそう大声を上げていた。

何故だか電話の向こうの佐藤さんも、絶句している様子がうかがえる。

事態が呑み込めず、『水銀レバー』が何なのか僕がコナン君にそう尋ねるよりも先に、伊達さんが慌てた様子で僕を押しのけながら、天井の向こうにいるコナン君に向けて声を上げていた。

 

「おい、坊主!水銀レバーって……まさか、()()()……!?」

「そうだよ伊達刑事。……それもこのエレベーターどころか――」

 

 

 

 

 

「――東都タワーごと吹っ飛んじまうような、()()()()()()がね……!!」

 

 

 

 

 

「ば、爆弾!?」

「――ッ、チックショウがぁっ……!!」

 

コナン君の言葉にやっと事態を飲み込めた僕は驚きに声を上げ、伊達さんは最悪の事態になったとばかりに悪態をつく。

自分たちが今乗っているエレベーターのすぐ真上に、東都タワーごと破壊できるほどの大きな爆弾が乗っている。

普通なら半ば現実味を帯びないその事態に、僕は驚愕と恐怖と不安で半分放心状態になりながらも、何とか絞り出すようにして声を出していた。

 

「こ、このエレベーターの天井に……ま、間違いないのか?コナン、君……?」

「うん……僕、これとよく似た爆弾をテレビで見た事があるんだ。二つの液体がセットされていて、片方の液体だけなら何ともないけど……もう片方と混ざるとすごく強い爆弾になるって言ってたよ」

「だ、だったら尚更……レスキュー隊に来てもらった方が……」

 

そう提案する僕に、否定の言葉を投げてきたのはコナン君ではなく僕の隣に立つ伊達さんだった。

 

「坊主がさっき言ってただろ?『水銀レバー』があるってな。……恐らく、さっきエレベーターが止まったショックで、スイッチが入りやがったんだ」

「だ、伊達さん。何なんですかその『水銀レバー』って……」

「簡単に言やあ、振動感知器だ。少しでも揺れたら即、作動しちまう起爆装置のスイッチなんだよ」

 

僕の問いかけに重い口調で伊達さんがそう答える。それを聞いた僕は固唾をのむと、伊達さんの言葉に続けるようにして天井裏のコナン君も口を開いてきた。

 

「そう……だから、高木刑事たちがこの天井に上ってきたり、ロープで降りてきたレスキュー隊がここに着地したりした時に、ちょっとでも揺れたりしたら……ドカン、だよ」

「そ、そんなに……凄いのかい……?『水銀レバー』って。……だ、だったら、上のエレベーター口からロープを降ろしてもらって、僕たちが登って逃げるしか……」

 

再びそう僕が提案するも、今度はコナン君の方からそれを却下する言葉が返って来た。

 

「なーんかそれもダメみたいだよ。……爆弾のそばに、()()()が仕掛けられてるんだ。だから、きっと爆弾犯は何処かでこっそり聞いてて、僕たちがここを離れて声が聞こえなくなったら……リモコンのスイッチを入れて爆発させる気なんだよ」

「じゃあ……どの道、八方塞がりってわけか……」

 

コナン君の言葉に、僕は打つ手はもう無いと絶望的な気持ちになり、力なくそう呟く。しかし、そこでコナン君から予想外な言葉が飛び出してくる。

 

「……いや。手はもう一つ残ってるよ」

「はぁ……?」

 

呆けた声を上げながら僕は顔を上げる。脱出口の向こうにいるコナン君がこちらを向き、二ッと笑いながら口を開いた――。

 

 

 

 

 

 

「――()()()()()()()()()()()()()()。上から爆弾処理の道具を降ろしてもらってね♪」

 

 

 

 

 

 

「…………」

「――ま。それしか方法はねぇわな」

 

コナン君からのあまりにも予想外な提案にポカンとする僕の隣で、同じようにコナン君を見上げる伊達さんが苦笑を浮かべながらそう呟いていた――。




最新話投稿です。

お盆休みって意外とやる事多いですよねぇ~(遠い目)。


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番外:揺れる警視庁【5】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。


SIDE:降谷零

 

 

「……すまない。もう少し急いでくれるか?」

「分かりました」

 

タクシーの運転手に俺がそう言うと、運転手は頷いた次の瞬間にアクセルを踏んで少し速度を速めてくれた。

それを確認した俺は次にチラリと自分の足元へと視線を向ける。

先程、何の前触れもなく音を立てて千切れてしまった革靴の靴紐は、簡単に応急処置をした状態で未だにそこに存在していた。

思えばこの靴ひもが切れた時から俺はどういう訳か落ち着かなくなっていた。

靴ひもが切れるのは不吉の前兆と言われている、しかも切れた直後に何故か伊達の顔が浮かんだのだ。運転手に急ぐよう催促したのもそれに起因していると言える。

 

(まさか……アイツの身に何かあったのか?)

 

そう考えおもむろに携帯を取り出す。

しかし、数秒ジッとその携帯を見つめて、俺は再び携帯をポケットにしまっていた。

 

(……馬鹿な。いくらなんでも非科学的すぎるだろう。こんな事でいちいちアイツに連絡なんて取っていたら笑われるのがオチだ)

 

基本、自分はそういったオカルトじみた事象は信じない主義だ。

この目で、耳で、感覚で……見て聞いて感じたモノしか信じないようにしている。しかし――。

 

()()()()が亡くなった時や伊達が事故に遭った時も、確かこんな感覚だったような気がする……)

 

これが『虫の知らせ』というヤツなのだろうか……?

一度や二度だけなら『偶然』で片付く話だが、これが何度も続くようならもはや『必然』と言わざるを得ない。

やはり一度、伊達に連絡を入れるべきか?そう考えていた矢先――。

 

「……お客さん、どうかされましたか?さっきから凄い顔で考え込んでるみたいですけど」

 

運転手から声がかかり、俺はハッとなっていつの間にか俯いていた顔を上げる。

 

「……大丈夫だ。何でもない」

「そうですかい?なら、良いんですが……」

 

俺の言葉に運転手がそう返してくると、再び運転に集中し始めた。

それを見た俺は冷静さを取り戻すために小さく深呼吸をする。

 

(……落ち着け。第一の爆破予告までまだ時間がある。アイツが爆弾魔の魔の手にかかったと思うのは流石に考え過ぎだろう)

 

――そう、自分に言い聞かせるようにして心の中で呟くと、俺は懐のポケットから折りたたまれた紙を取り出し、そっとそれを広げてみる。

それは『例の予告文』を紙に起こした物だった。

俺はそこに連なる文字を一字一句見落とさないような真剣な目つきで見据える。

 

(……それよりも今は、こっちの問題を解決しなければならない。()()()()()()()()()……それを見つけ出さなければ……!)

 

気ばかり焦ってしまっては本末転倒だ。それ故、今は別の事に集中した方が得策だと考えたのだ。

 

(一応解いた一つ目の爆弾の在りかの文章と予告時間の部分を省いても……やはりぱっと見だけではどこにあるのかは分からないな……。しかし――)

 

そこでいったん思考を止めた俺は、予告文章にある一部分に焦点を合わせ固定する。

俺の視線の先にあるその文章……そこは予告文の初めの部分につづられた文章だった。

 

(――それでも、妙に思えるのはこの一文章……『俺は剛球豪打のメジャーリーガー』の部分だ。……()()()()()()()()()()()()()……?)

 

普通なら別段気にも留めない単語ではあるが、どうにもこの部分だけが俺の脳内で引っかかっていた。

――少しの間考えた末、俺は()()()()()()()目をわずかに見開いた。

 

(待てよ?……()()()()()()()()()()()()()()……)

 

そう思いながら俺は再度、予告文を一から読み進めていく。

……すると()()()()()()()()()()()、今まで分からなかった予告文の暗号が次々と俺の中で氷解していった。そして――。

 

(――……!!そうか!!分かったぞ、二つ目の爆弾のある場所が……!!いや、だがこれは……!!)

 

――俺は暗号の全てを解く事は出来たものの。同時に()()()()()()()()()()()()()()に絶望感を覚えた。

 

(何てことだ……!!()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……!!)

 

思わず予告文を書いた紙をグシャリと握り潰してしまう。

――これは……この暗号文の内容は、()()()()()()()()()

暗号文にはあえて()()()()()しか記さず、残りの半分を()()()()()()()()の手で突き止めさせるという……あの卑劣な手口と。

 

(だとしたら三年前同様、爆弾魔は今回も警察官の誰かの命を奪おうとするのは必定。急がなくては――)

 

――そう思った次の瞬間、俺の乗るタクシーが突然急ブレーキで止まり、俺は僅かに体を前のめりに投げ出された。何事かと顔を上げた瞬間、運転手のやや慌てた声が耳に入る。

 

「ありゃあ!?ダメだお客さん。何でか知らないが、お客さんが指定した()()()()()に向かう方面で、渋滞が起こってるよ!」

「何だと!?」

 

俺は慌てて後部座席から身を乗り出して前方を見る。するとそこには運転手の言った通り、道のはるか向こうにまでぎっしりと並ぶ無数車の列が出来上がっているのが見えた。

それを見た俺は「クソッ!」と悪態を一つつくと時刻を確認する。

 

「(……今から()()()()()()()、まだ間に合うか……?)ここで降りる!料金はこの紙に書かれた場所に請求してくれ!俺の荷物の方も、そこからやって来た人間に渡しておいてほしい!」

「え?あ!お客さん!?」

 

運転手が止める間もなく、俺は()()()()()場所と電話番号(正確には風見の携帯の電話番号)を書いたメモを一方的に運転手に押し付けると、わき目も振らずにタクシーから飛び降りていた――。

 

 

――胸騒ぎが酷い。

東都タワーへと全力で走っている最中、俺の中の不安が徐々に膨らんでいっているのが感じられた。

そして同時に、時たま脳内で伊達の顔がちらつき、より一層不安が搔き立てられていった。

三年前に起こった松田の悲劇。東都タワー。そして頭の中でチラつく伊達の顔。

それらが、否応なしに俺の中で()()()()()()()()()()()が構築され、俺を底なしの絶望感に陥れようとしてくる。

 

それらを必死で頭の中で振り払い、否定する事で自身を落ち着かせながら、俺はただひたすらに東都タワーへと走るしかなかった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:伊達航

 

 

「ゆ~っくり下せよ?そ~っと……そ~っと……」

「オーライ!オーライ!……っと!」

「大丈夫か?」

「OK!受け取ったよ!」

 

天井の向こうで坊主が上のエレベーター口にいる機動隊員たちから爆弾処理の道具が詰まったバックを受け取っている様子を、エレベーター内から四角く開けられた救出口越しに見上げる。

そんな俺の横では、高木が()()()()()()()()と無線機を片手に対策本部の人間と連絡を取り合っていた。

今回エレベーターの上で見つかった爆弾は、三年前に米花中央病院で発見された爆弾の構造とほぼ一緒であることが分かり、対策本部は最初に無線機と、三年前(その時)の爆弾の構造を記した資料を高木に受け取らせ、それを参考に坊主に爆弾の解体作業を行わせる流れとなったのである。……まぁ、もともと坊主もそのつもりだったわけだが。

高木が無線機越しに対策本部にいる人間から叱咤激励(しったげきれい)を受けているのがチラリと横目に入る。

そこから漏れ聞こえる内容は、「お前(高木)が動揺すれば、少年も不安になってつまらないミスを起こしかねない。だから落ち着け」というモノだったが……。

 

ぶっちゃけ坊主の正体を知っている俺からしてみれば、そんな心配は杞憂以外の何ものでもない。

 

だから坊主なら落ち着いて爆弾処理に当たれるだろうと考えていたのだが……それからすぐに、俺は坊主の()()()()()を知る事となり、思っても見ない事で驚かされる事となった。

 

(おいおい、マジかよ。坊主の奴……爆弾処理の能力(スキル)を持ってたのか……!?)

 

高木が対策本部の人間と爆弾処理の手順を慎重にゆっくりと進めているのをよそに、天井越しで見えないまでも坊主がテキパキと爆弾解体をズンズンと推し進めて行っているようであったのだ。

 

(ここからじゃあよく見えねぇが、坊主の奴……間違いなく今、高木たちが行おうとしている作業よりもさらに先の方まで作業を終わらせていやがる……!あの様子だと三年前の爆弾の構造を知らずともそれなりの知識を持っているみたいだな……。っつーか、それでも実年齢はまだ高校生のはずだよな!?何でそこまで熟知してんだコイツ……!?)

 

一体何処でそんな技術を習得したんだと激しく問い詰め(ツッコミ)たい衝動に駆られるも、状況が状況なだけに俺はそれをグッとこらえる。

チラリと高木の方を見ると、まだ奴は自分たちが伝えている解体作業の指示よりもはるか先に坊主が行っているのに気づいてはいない様子であった。正にウサギと亀である。

それを確認した俺は小さく息を吐くと、エレベーターの床にそっと腰を下ろす。

そして、ポケットからと()()()()()を取り出すとそれを開けて見た。

 

(爆弾の方は、とりあえず坊主に任せとけば大丈夫だろう。……なら俺は、今できる事をやらねぇとな)

 

そう考えながら、俺はその紙きれ――予告文が記された紙を睨みつけていた。

 

(予告文にある爆破時刻と一つ目の爆弾の在りかの部分を除いた文章……それらを省いた残りの文章にもう一つの爆弾の在りかが記されているのは間違いない。……だが、一体何処にあるんだ?)

 

むぅ……。と唸りながら予告文と何度目かのにらめっこをする俺。

その横で高木が坊主に向けて爆弾処理の手順を懇切丁寧にゆっくりと説明している声が耳に入って来る。

 

「……コナン君。カウントダウンが刻まれている液晶パネルをずらしたら、最初に見える黄色いコードを迂回させて切るんだ。電気が通っている可能性があるから、プラスチックの()()()()()をかませるのを忘れずにね」

(ストッパー……。そう言えば、この予告文にも書いてあるな。『出来のいいストッパーを用意しても無駄だ』と……)

 

高木の言葉に俺は手元の予告文にあるその一文をジッと見たまま思考にふけって行く。

 

(出来がいいって事は……()()()がいいって事だよな……?だがそもそも……――)

 

俺は予告文の『最初の部分』へと視線を移動させる。

 

(――何でメジャーリーガーなんだ?ここは日本だから、プロ野球選手と書いても通るはずだろうに…………いや、ちょっと待てよ……?)

 

そこまで考えた俺は、()()()()()()()目を見開く。

そして俺の推理があっているのを確認するかのように今一度、予告文の文章をゆっくりと読み進めていく。

 

(……『延長戦』……『防御率』……『逆転』……そして『メジャーリーガ』……!)

 

予告文の重要な単語が俺の中でパズルのピースのように変化し、それらが繋ぎ合わされて一つの答えとなって集束していく……そして――。

 

 

――カチリ。

 

 

と、俺の中で全てが組み合わさった瞬間、大きく目を見開いていた。

 

(……オイオイオイオイ、マジかよ……!まさか……もう一つの爆弾の場所は……!!)

 

予告文の『答え』に行きついた俺はすぐさま自身の腕時計で現在時刻を確認する。

 

(爆破時刻まで一時間を切っちゃいるが、まだ余裕はある。……だが、()()()()()()()()()()()()意味がねぇ……!!)

 

クソッ!と、内心悪態をつきながら俺は苛立たし気にガシガシと頭をかく。

 

(……間違いねぇ、コイツは三年前の松田の時と全く一緒だ……!予告文に爆弾の在りかを『半分しか』記してねぇのがその証拠……!そして……俺の読みが正しけりゃあ残り半分の答えは、恐らくもうすぐ――)

 

俺がそこまで考えた、その次の瞬間だった。

 

「――……ねぇ、高木刑事、伊達刑事……」

「……?何だい、コナン君?」

 

唐突に天井裏にいる坊主から声がかかり、高木は資料を見ていた目を天井に移して坊主へと声をかける。

俺も沈黙を保ったまま、天井を見上げた。

 

「ちょっと……相談があるんだけど……」

 

俺と高木が天井の向こうにいる坊主を見上げている中、その視線を一身に受けた坊主は()()()()()()()()()()()()()()()()調()でそう響き……その声を聞いた俺は、()()()()()()()が的中した事を悟り、瞬時に表情が凍りついていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:降谷零

 

 

「ハア……ハア……ハア……!」

 

両ひざに手を置いて呼吸を整えながら、俺は顔から流れ出る汗をグッと手で拭った。

俺の目の前には今、今回の騒動の中心であり、数多くの警官や機動隊に取り囲まれるような形となっている東都タワーがそびえ立っていた。

タクシーを降りて全力疾走でここまで来たため、今俺の全身は滝のような汗が流れ出てて止まらない。

その汗が染み込んだ服はぴったりと肌に張り付くものの、そんな事を気にする余裕は俺には無かった。

東都タワーと周囲の様子から、一つ目の爆弾の在りかがここにあると言う俺の推理が間違っていなかった事を嫌と言うほど実感させられたからだ。

東都タワー周辺にいるのは警察関係者らしき人物ばかりで一般人らしき人間は人っ子一人いない。既に警察によって避難されたようであった。

しかし、遠巻きながらも現場見たさで警察の手が届かない安全圏から東都タワーの様子を見る人間は数多くいた。

俺も今現在、その野次馬たちの中に混ざって東都タワーを見上げているのが現状だ。

警察によって東都タワーへ近づく事は出来なくなった事で、中で何が起こっているのかさえ俺には分からない。

いちいち風見に連絡を取って現在状況を確認するのが手間だと感じは俺は、手っ取り早く周囲の野次馬に声をかけて情報を得る事にした。

 

「すみません。東都タワーに警察の方が大勢いるみたいですが、何かあったのですか?」

 

物見遊山でビデオカメラを構えて東都タワーを映している野次馬の男性に、俺は何も知らない風を装って声をかける。

突然、声をかけられたためにその男性は一瞬驚いた様子を見せるも、直ぐに答えてくれた。

 

「ああ。何でも東都タワーのエレベーターに大きな爆弾が仕掛けられていたらしくって警察も周りの奴らも大騒ぎになっちまってなぁ……しかも最悪な事に――」

 

 

 

 

「――その爆弾が仕掛けられているエレベーターに小さい子供一人と刑事が二人、閉じこめられちまったんだってよ」

 

 

 

 

「――ッ!!」

 

その男性の言葉に俺は一瞬息を呑む。現状は俺が想像するモノよりも更に最悪な事になっていた。

この騒ぎ故、警察官の誰かが犯人の罠にはまって危機的状況に追い込まれているだろう事は予想していた。しかし、まさか他に二名の人間が巻き込まれており、その内の一人が警察とは全く無関係の小さな子供であるとは夢にも思わなかった。

 

「……ありがとうございます。助かりました」

 

俺は表面上、自然体の(てい)でその男性にお礼を言ってその場を離れる。

だが内心、俺は激しく動揺していた。心臓はバクバクとうるさく鼓動を鳴らし、ギュッと握った拳からじっとりと手汗がにじむ。

エレベーター内に閉じ込めれれているという二人の警察官。その内の一人が()()()()()()という不吉な考えが俺のかで(さいな)まれ、冷静さを欠かせていた。

タクシーに乗る前から感じていた酷い胸騒ぎに今の現状……。もはや俺に悩んでいる余裕は無かった。

俺はポケットから携帯電話を取り出すと、()()()()()へとすぐさま電話をかける。

 

 

どうか考えすぎであってほしい。そんな一抹の願いを心の中で何度も何度も繰り返しながら――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:伊達航

 

 

「――すみません。でも、佐藤さんなら分かってくれますよね?」

「「…………」」

 

無線機越しに佐藤と会話をする高木を、俺はその隣で、眼鏡の坊主は天井救出口から足を投げ出した状態で座って見降ろす状態で見守る。

最初こそ高木は対策本部の人間と話していたが途中から何故か向こうの相手が佐藤に代わったらしかった。

物悲し気な表情で高木は佐藤との電話を一通り終えると、電話を切って小さくため息をついた。

俺はそんな高木に言葉を投げかける。

 

「……腹はとうに決まったみたいだな。大人でも泣きわめきたい状況だってぇのに、よく言えたじゃねぇか」

「ハハッ……ここで折れるわけにはいきませんよ。僕も一応、刑事ですしね」

 

高木からのその返答に、俺は一瞬目を丸くし、そしてフッと笑いを零す。

 

(……あのペーペーで何やらしてもドジ踏んでたコイツが……えらく肝の座った(おとこ)になったじゃねぇか)

 

俺がそんな事を思っていると、今度は高木の方から俺に問いの言葉を投げかけて来る。

 

「……というか、伊達さんの方も大丈夫なんですか?……なんか僕よりも落ち着いて見えるというか……」

「馬鹿言え。これでも大分精神的に参ってんだよ。……だが、お前が腹くくってるって言うのに、先輩の俺が情けない醜態なんてさらせるわけねぇだろうが」

「は、はあ……」

 

その俺の言葉に、高木は気の抜けた返事をする。

 

(――まぁ。()()()()()()()()っちゃああるんだがな……)

 

そう思いながら俺はチラリと横目で()()()()()と視線を向けた。

一瞬だけ坊主と視線が交わる。――だが俺は直ぐに視線を高木へと戻し、奴へと言葉を続けた。

 

「……ま。唯一心残りがあるとすりゃあ、ナタリーと腹の子を残して逝っちまうことだなぁ。……今頃アイツ、連絡の無い俺の事心配して電話入れてるのかもしれねぇが、非常階段で携帯落っことしちまってそれっきりだし――」

「――あッ!」

「うぉっ!?どうした!?」

 

話している最中に突然、高木が声を上げたため、俺は驚いて目を丸くする。

そんな俺を前に、高木はバツが悪そうな顔でズボンのポケットを漁ると、()()()()()()()()をそこから取り出してきた。

 

「――って、俺の携帯じゃねぇかそれ!」

「すみません。非常階段で拾ってたんですが、色々あってすっかり忘れてました」

「ったく……まぁ、拾ってくれた事にゃあ感謝だな。ありがとよ」

 

礼の言葉を述べながら、俺は高木からボロボロになった自分の携帯を受け取った。

 

「……あーあ、こんなにあちこちヒビいっちまって、液晶の方も派手にいったなぁ……まだ、ちゃんと通話出来んのかこれ……?」

 

携帯をあちこち眺めながら、俺がそんな独り言を呟いた。――その時だった。

 

 

 

――ブーッ!ブーッ!

 

 

 

唐突に俺の手の中にあった携帯がバイブ音を鳴らしだし、不意を突かれた俺たち三人は同時にビクリと小さく驚いていた。

そして、一瞬遅れて高木が俺に声をかける。

 

「もしかして、ナタリーさんから?」

「あー、そうかもしれねぇが……えぇと、誰だ……?」

 

そう呟きながら俺はヒビだらけの液晶に目を凝らして覗き見ながら電話の相手の名前を確認し――。

 

「…………」

 

――直後に顔をほころばせていた。

 

「……?伊達さんどうしました?ナタリーさんからだったんですか?」

 

高木からのその問いかけに俺は笑いながら首を振って見せる。

 

「いんや。……古い友達(ダチ)からだったわ。……まさかこのタイミングでかかって来るたぁなぁ」

「へぇ~……伊達刑事のお友達?」

 

天井から眼鏡の坊主がそう聞いて来たので俺は直ぐに頷いて見せた。

 

「ああ。……長い間、音信不通でなぁ。……こっちが何度、電話やメールをしても返事一つ寄こしゃあしねぇ。……だがまぁ、ようやく久々にアイツの声が聞けそうだ」

 

こんな状況だって言うのに、そういう俺の声は自分でも驚くほどに弾んでいた。

安否も分からず、何年もこっちの連絡を無視し続けてきた()()()に色々と文句がたまっていたはずだと言うのに……久しぶりにアイツと会話が出来る事に喜んでいる、自分自身のその単純さに我ながら呆れてしまう。

 

小さく苦笑を浮かべた俺は、電話の向こうにいる()()()に対応すべく『通話ボタン』をゆっくりと押していた――。




最新話投稿です。

すみません。本当なら昨日の内に投稿したかったのですが間に合いませんでしたorz

……クッ、八月中に投稿ならず……!(無念)


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番外:揺れる警視庁【6】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。


SIDE:伊達航

 

 

「よぅ、久しぶりだ――」

『――伊達!今何処にいる!?』

 

……電話に出た途端、開口一番にコレだ。勘弁してくれ、耳がキーンってなったぞ。

旧知の友である降谷(ゼロ)の切羽詰まった大声で痛む耳を抑えながら俺は落ち着いた口調で淡々と答える。

 

「……その口ぶりだともう察しはついてんだろ?お前の想像通り、東都タワーの(くだん)のエレベーターの中だ。……今俺の頭上にはこのタワーを丸ごと吹っ飛ばせるくらいのデッケェ爆弾が、カウントダウンを刻んでいる真っ最中さ」

 

俺のその言葉に、電話の向こうのゼロが息を呑むのが聞こえた。

構わず俺は言葉を続ける。

 

「……しかも、今回の爆弾も三年前同様『水銀レバー』がついてやがってよぉ。その上、盗聴器も仕掛けられてるっつぅおまけ付きだ。だから俺も一緒に居る仲間の刑事も、迂闊にエレベーター内から動けない状態なんだわ」

『水銀レバーに、盗聴器もか……!』

 

携帯越しにゼロが忌々し気にそう呟く。

 

「ああ。……だがエレベーターに閉じ込められた折に、小学生の子供も一人、一緒に巻き込まれちまったんだが……その子の体重とか力とかならエレベーターや爆弾にあまり振動を与えずに済んでいるから、やむを得ずその子に爆弾解体をしてもらう流れになったってわけだ」

『小学生の子供に……。で、爆弾は今、どうなっている!?』

「…………あと、コード三本切りゃあ止まる」

『――!なら早くコードを――』

「――いや、()()()()()

『!?……何を言って――』

 

俺の言葉に声を荒げて怒鳴ろうとしているゼロに向けて、俺は静かに口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

「……『勇敢なる、警察官よ。君の勇気を讃えて褒美を与えよう。試合終了を彩る大きな花火の在りかを、表示するのは……()()()()()。健闘を祈る』」

 

 

 

 

 

 

『――ッ!?…………』

 

呆然か、それとも放心状態なのか、電話越しに絶句するゼロに俺は言葉を続ける。

 

「……これが、ついさっき液晶パネルに表示された文字らしいぜ?何とか子供の方だけでも避難させたい所だが、今後の二次被害を防ぐために、そのヒントを見てもう一つの爆弾の在りかを皆に伝えなきゃならねぇ。……松田がやったようにな」

『伊、達……』

 

言葉を詰まらせながら俺の名を呼ぶゼロの声を聞きながら俺はフッと笑って見せる。

 

(わり)ぃな。……だが、お前なら分かってくれンだろ?……()()()()()()()()()()()()()()(かたき)取ってくれよな!」

『………………怒るぞ』

「親父やナタリーの事も…………頼む」

『…………馬鹿野郎ッ』

 

小さく、絞り出すように響くゼロの声が俺の耳に届く。怒りと悔しさをにじませたその声色は僅かな湿()()()を帯びているようにも聞こえた。――ったく、泣いてんのか?らしくねぇぞ。

 

「――っと、もうすぐ時間だ。……それじゃあな『ゼロ』。久々に声聞けて、良かったぜ」

『伊達ッ!!――』

 

何かを言いかけるゼロの声を遮るようにして、俺は一方的に電話を切るとフゥッと息を大きく吐いて天井を仰ぎ見る。

その視線が不意に、俺を見下ろしてくる高木の視線と重なった。

 

「伊達さん……」

 

心配そうに俺を見て来る高木に、俺は苦笑混じりにニカリと笑みを浮かべながら口を開いていた――。

 

 

 

 

 

「言いたい事は……全て伝えたさ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:高木渉

 

 

「――……なるほどぉ、あの予告文の暗号には、()()()()()()

 

伊達さんが古い友人だというその人との会話を終えて直ぐ、僕は伊達さんから予告文の暗号の答えを聞かされる事となった。

予告文の全ての謎が明かされ、思わず感嘆の声を上げる僕に、伊達さんは人差し指を口に当てながら言う。

 

「シッ!……あんま大きな声出すな。盗聴器で爆弾犯に聞こえるぞ」

 

その言葉に僕は慌てて口を閉じるも、直ぐに小声で伊達さんに続けて問いかけていた。

 

「……で、ですが、()()()該当する場所は、東京には四百以上あるんじゃ……?」

「ああ。……爆弾犯に気づかれずに今から()()を全部調べて爆弾を見つけんのは、まず無理だ。……かと言って、その四百以上ある場所にいる一般人を一斉に避難させようとしたら、犯人の性格上……遠隔操作で爆弾のスイッチを押しかねねぇしな。となれば、全員を確実に助けるには――」

「――ヒントを見て、ピンポイントで()()()()を調べて、爆弾を発見するしかない。……松田刑事がやったように、ですね?」

「……分かってんじゃねぇか」

 

僕の言葉に伊達さんは二ッと笑って答える。

それを見た僕は今度は脱出口の(ふち)に座っているコナン君へと声をかけた。

 

「本当にすまないコナン君……こんな事に巻き込んでしまって」

 

申し訳なくそう言う僕に、コナン君は首を振りながら口を開いた。

 

「ううん、気にしないで高木刑事。……それに多分僕、警察の人にヒントを気にせずコードを全部切るように言われたとしても……()()()()()()()()()()()()()()

「……え?」

 

予想外なコナン君のその言葉に、僕は呆けた声を漏らす。そんな僕の前でコナン君は上を見上げて何処か遠くを見つめるような仕草をしながら言葉を続ける。

 

「……いるかもしれないんだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。……だから、こっちこそごめんね。高木刑事」

「あ、いや……」

 

逆に謝られてしまった。普通、この歳の子ならあまりの理不尽さに泣きわめいてもおかしくは無いというのに。

なのにこの子に至っては妙に達観しているというか、()()()()()()というか……。

 

「…………」

 

ジッとコナン君を見据えていた僕は……この際だから()()()()()()()()()()()を彼に聞いてみようと、意を決して彼に口を開いていた。

 

「なぁ……コナン君。ついでだから、もう一つ教えてくれよ……――」

 

 

 

 

 

 

「――き、君は一体……何者なんだい?」

 

 

 

 

 

 

――………………。

 

数秒とも、数時間ともとれる体感での沈黙。しかし実際、沈黙していた時間は一瞬で、僕が問いかけて直ぐにコナン君()はフッと笑みを零してそれに答えてくれていた――。

 

「――……ああ。知りたいのなら、教えてあげるよ。――」

 

 

 

 

 

 

「――あの世でね」

 

 

 

 

 

「…………」

 

もう死が間近に迫っているというのに、怖がる様子を一切せず、おくびにも出さない。それどころか平然とした姿勢でそう言ってのける彼に、僕は思わずポカンとしていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

――そして。その時の僕は気づきもしなかった。

 

僕が間抜けな顔でコナン君を見上げている(かたわ)ら、同様にコナン君の言葉を聞いていた伊達さんが、彼と同じような顔を浮かべていた事に――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:三人称視点。

 

 

爆弾の爆発が一分を切り、現場にいる機動隊たちにも退避命令が下された。

あっという間に東都タワー内に人気(ひとけ)が無くなり、残ったのはエレベーターに閉じ込められている刑事二名と子供一名の三人だけとなる。

刻一刻と残り時間を刻む時限爆弾のモニターをコナンは睨みつける。

 

「――あと、十五秒。高木刑事、用意できた?」

「ああ。予告文の暗号の解答は全て、メールに打ち込んだよ。……後は君が読み上げるヒントを打ち込んで、送信するだけだ!」

 

高木のその言葉を耳にしながらも、コナンはモニターから目を離さない。

やがて、モニターのの頃時間が予告された三秒前へと差し掛かる――。

 

「そろそろ出るよ……!最初の文字は――」

 

――残り時間……三秒。表示されたのは――。

 

「――アルファベットの……『E』!『V』!『I』!『T』!――」

 

 

 

 

 

 

 

 

――同時刻。東都タワーの外にいる佐藤は、何人もの機動隊に押さえつけられていた。

 

「いやああああああーーーーーッ!!!!」

 

涙目になりながら悲痛に泣き叫ぶその慟哭(どうこく)は、目の前に立つ東都タワーに向かって轟いていく。

 

 

 

 

 

 

 

――そして佐藤のその声は、彼女よりも更に東都タワーから離れていた降谷の耳にも確かに届いていた。

だが、降谷はその声に反応することなく、頑なに視線は東都タワーから外れない。

まるで銅像のようにジッとその場を動かず、タワーを見上げ続ける降谷。

しかし、その両手はギュッと拳を力強く握りしめ、そのせいで皮膚に爪が食い込み、血がにじみ出す。

顔も今にも泣きそうになるほどに歪み、だがそれに耐えるかのように必死に歯を食いしばっているのが見てとれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――爆発はもう目前。

 

凶悪な爆弾を抱えた東都タワーを中心に周囲はまさに混沌と化していた。

爆弾犯が作り出した理不尽による恐怖や怒り、そして悲しみが混ざり合いパニックとなって我先にと東都タワーから逃げて行く警察や一般人の人々。

 

その東都タワーの爆弾と運命を共にする事となったエレベーターの三人に向けて――。

 

 

 

 

 

――今、死神の鎌が大きく振り上げられた。




最新話投稿です。

今回凄く短いですが、このエピソードの最大の山場であるため、区切りもいいのでここで投稿とさせていただきました。

さて、次回はいよいよ解決編へと入って行きます。


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番外:揺れる警視庁【7】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。


SIDE:高木渉

 

 

「こ、コナン君!早く次を――」

 

三秒以内にヒントを見なければならない一刻一秒を争うこの状況下。

唐突に、コナン君の声が聞こえなくなった僕がそう声を上げながら天井を見上げるのと――その天井の救出口からコナン君がこちらに飛び降りて来るのがほぼ同時だった。

 

「いィッ!??」

 

あまりにも突然の事に僕は目を丸くする。

そんな僕に向けて落ちてきたコナン君は狙いすましたかのように僕の足元へと着地していた。

 

「おわっ!?」

 

だがそんな彼の行動にすぐさま対応しきれず、反射的に体をのけ反らしており、その拍子にバランスを崩して僕は後方へと派手に尻もちをつく結果となった。

コナン君が着地したと同時にエレベーター内に()()()()()が走ったのを感じた僕は慌てて声を上げる。

 

「な、何を!?揺れたら爆弾が――え?あ、あれ?」

 

エレベーター内に響いた揺れはそれなりに大きなモノだった。

僕は思わず水銀レバーで爆弾が爆発すると思い、とっさに身構えたのだが……いくら待っても()()()がやって来る様子がない。もう残りの三秒もとっくに過ぎているのにもかかわらず、だ。

不思議そうな顔を浮かべる僕に、着地したコナン君がすっくと立ちあがると、何でも無い事のように僕に向けて口を開いた。

 

「やっぱり、死ぬの怖いから()()()()()()()()()()()()()()()!」

「えぇっ!?」

 

驚く僕を前に、コナン君は「ごめんね」と短く謝罪する。

そんな彼に僕は内心呆気にとられながらも、確認を取るかのように訊ねてみる。

 

「……じゃあ、ヒントの途中で?」

「うん。『E』『V』『I』『T』だけじゃ、もう一つの爆弾の場所は分からないね」

 

そんなコナン君の返答に、僕はヒントを得られなかったという残念さと助かって良かったという安堵の混ざった何とも複雑なため息を吐いていた。

だが今となってはもう過ぎた事。仕方ないと割り切って次にどうするかを考えるしかない。

 

「……まぁ、仕方ないさ。とにかく、レスキュー隊を呼んでここから助け出してもらおう!」

 

コナン君を元気づけるようにそう励ますと、僕は直ぐに手に持った無線機を使ってレスキュー隊の要請を対策本部へと頼み込んでいた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

「……オイ、坊主」

「!」

 

高木刑事が対策本部と連絡を取っている姿を見上げていた俺に向けて、不意に背後から小さく声がかけられる。

振り返って見ると、そこには俺に目線の高さを合わせるようにしゃがんで見て来る伊達刑事の姿があった。

爆弾のタイマーは止めたものの、まだ爆弾に内蔵されている()()()()()()()()()

だからこそ、小声で声をかけているのだと察した俺は、耳を傾けて伊達刑事の次の言葉を待つ。

伊達刑事は俺にしか聞こえないほどの音声で問いかけた。

 

「……()()()()()()?」

()()()()

 

ニヤリと笑った俺のその返答に、伊達刑事はフッと小さく笑みを零す。

 

()()()()。……だが、本当に()()で間違いないのか?ヒントを全て見たわけじゃ無いだろうに」

 

さっきとは一転して僅かに不安の色を顔に浮かべてそう言う伊達刑事に、俺は自信をもって返す。

 

「大丈夫、絶対に間違いないはずだから。……何せ――」

 

 

 

 

 

 

 

「――俺が()()()()()()()()()()()と、思っていた場所だったからね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:三人称視点。

 

 

それからしばらくして、東都タワーのエレベーターに閉じ込められていた三人が救助されたというニュースがテレビで報道された。

自身の探偵事務所で一人、紅茶をすすっていた毛利小五郎の耳にも、デスクの上に置かれた小型テレビからその知らせが入って来る。

 

『お聞きください、この大歓声!爆弾は、無事止められました!……しかも、何と爆弾を解体したのは、エレベーターに閉じ込められていた少年だったのです!では、その少年に聞いてみましょう!――怖かったでしょう、ボク?』

「?……!?コッ……!??」

 

窓辺に両腕を置いてお茶を飲みながらくつろいでいた毛利が、ニュースキャスターの言った『少年』と言う単語に妙な感覚を覚え、恐る恐るテレビの方へと振り返って見てみると、嫌と言うほどに見知ったその少年の顔が画面いっぱいに映し出されていたため、思わず声を詰まらせる。

 

 

 

 

――同時刻。白鳥警部が巻き込まれた爆弾事件後、自宅に帰っていた阿笠博士も、同じニュースを見て絶句していた。

 

「しっ、新一!?」

『――うん!でも、警察のおじさんたちが、分かりやすく教えてくれたから、簡単に分解できたよ!』

 

目を丸くする博士の前で、テレビに映るコナンは見た目同様の子供らしい言動でニュースキャスターの質問にニコニコと笑ってそう答える。

 

 

 

 

――そして、更に同時刻。米花私立病院にて、カエル先生もまたロビーに設置されているテレビからそのニュースを見ていた。

 

「おやおや、知らない内にまぁたとんでもない綱渡りをしていたみたいだねぇ?」

 

テレビに映るコナンの顔を見て呆気にとられた顔でそう呟くカエル先生。するとそこへ、白鳥の見舞いに付き添っていた宮本が駆け寄って来ていた。

 

「カエル先生!すみません、すぐに来てくれませんか!?白鳥君が……!」

「おや……まあ、()()()()()()()()()()()()()()

 

意味深げにカエル先生がそう呟くと、やや急ぎ足で宮本と共に廊下の奥へと消えていった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:伊達航

 

 

――ブーッ!ブーッ!

 

ニュースキャスターのインタビューを受けている眼鏡の坊主を少し離れた所で見ていた俺の携帯が、唐突に鳴り出した。

携帯を取り出し、相手の名前を液晶で確認した俺はフッと笑みを零す。案の定、()()()からだった。

通話ボタンを押して携帯に耳を押し当てると、開口一番にアイツから声が上がる。

 

『命拾いしたようだな』

「ああ、おかげさんでな。……近くにいんのか?」

『今、お前が電話しているのが見えてる』

 

アイツの――ゼロからのその言葉に、俺は反射的に辺りをキョロキョロと見渡す。

だが、俺の肉眼がアイツの姿を捉える事はなかった。

俺は諦めて電話口のゼロの会話へと意識を戻す。

 

「ったく、久しぶりなんだから会いに来てくれたっていいだろうに」

『……色々、()()()()()。お前だけならまだいいが、周りにいる大勢の警察の前に俺の姿をさらす訳にはいかないんだ。……そうじゃなかったら、今頃お前を一発ぶん殴っている所さ』

「おいおい、怒ってんのか?」

『当たり前だ!!』

 

また耳がキーンってなった。今日で二度目だぞ全く。

 

「悪かったよ。……でもお前だって()()()()()()()()()()()()()()()?」

『……さっきのお前との電話で、お前が【いざって時は】って言ってたのが少し引っかかってはいた。……確証は無かったがな』

 

少々不貞腐れたようにそう言ったゼロは、その後「ハァ……」っとため息を一つ付くと、今度は真剣な口調で俺に口を開く。

 

『……伊達。次の爆破予告時間はあと二時間半ほどだ。もうあまり時間が無い。こうなった以上、人海戦術でしらみつぶしに当たって行くしかないだろう。俺も出来うる限り協力はす――』

「――あー待て待てゼロ」

『……何だ?』

 

唐突に俺に言葉を遮られて訝しむゼロに、俺は問いかける。

 

「お前の事だから、予告文の方の暗号はもう解けてんだろ?」

『ああ。……だがアレは三年前の時と全く同じだった。()()()()()()()

「その事なんだがな――」

 

――そう言って俺は、ゼロにその先を聞かせる。

話し込んでいる最中にチラリと横を見ると、俺と同じように助け出されたばかりの高木が、佐藤に何かしら耳打ちしているのが見える。その様子を見るに、どうやら今俺がゼロに聞かせているのと同じ内容を高木が佐藤に話しているようであった。

俺の話を聞いた後、ゼロが息を呑んで驚いているのが電話越しに伝わる。

 

『……本当なのか?』

「ああ、多分間違いねぇ」

『だがお前も知ってるとは思うが、()()()()()東京には四百以上あるんだ。……『E』『V』『I』『T』だけじゃあ()()を指しているとは、限らないんじゃないか?』

「確かに。だがなゼロ、俺は()()を特定したソイツの推測は、あながち的外れじゃねぇってそう思ってんだ」

『……ほぅ?』

 

そう言った俺にゼロが意外だとばかりに呟く。

 

『お前がそう言うとは……それほどまでに信頼しているのか?その人の事を』

「ああ……少なくとも、推理力ならお前や松田なみに信の置ける奴だぜ?」

 

ゼロにそう答えながらチラリと眼鏡の坊主の方へと目を向ける。坊主は既にインタビューを終え、やって来た少年探偵団との再会をはたしていた。

そんな光景を見ている間にもゼロが俺に向けて声をかけて来る。

 

『……だが、それでも確固たる証拠があるわけじゃ無い。万が一()()じゃなかった場合は――』

「みなまで言うな。その時は、責任なりクビなり、なんだって受けてやるよ!……ま。そうはならないけどな!」

 

爪楊枝を咥えてそう言ってニカリと笑ってやると、電話向こうのゼロも一瞬面食らった様子を見せ、そしてその後すぐフッと笑う声が微かに耳に届いた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『お前が自信満々にそう言ってのけるとは……。一度会ってみたいもんだな、()()()()()

「…………は?」

『ん?その推理はお前と一緒にエレベーターに閉じ込められていたっていう仲間の刑事のものなんじゃないのか?』

「えっ!?あー、うん。そうなんだ。スゲェだろ?ウチんとこの優秀な刑事(デカ)なんだぜ?あ、アハハハハハー……」

 

ゼロの勘違いに俺は笑って誤魔化すしかなかった。まさか同じく閉じこめられていた()()()小学生の坊主の推理だなんて……言えねぇわな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:三人称視点。

 

 

東都タワーの爆弾事件解決からおよそ二時間後――。

 

とある大通りを跨ぐ歩道橋の上に、一人の男の姿があった。

眼鏡をかけたやせ気味のその男は片耳にイヤホン、片手に双眼鏡を持ちながら()()()()()を見続けている。

時折双眼鏡から目を離して腕時計で時刻を確認し、ニヤリと笑う様は周囲の歩行者たちからは不気味に映っていた。

男が双眼鏡で見つめる先――そこには()()()()()の建物が建っており、男が耳につけているイヤホンからは、その施設に取り付けられた盗聴器からの音が絶え間なく耳に入って来る。

()()()()()待ちきれないといった表情で双眼鏡と腕時計を交互に確認する男。

だがそんな高揚した気分が唐突に終わりを告げる事になる――。

 

「あのぉ、すみません。少しよろしいですか?」

「――!?」

 

突然、自分に声をかけてくる人物がいるのに気づき、男は跳ね起きるように持たれていた歩道橋の手すりから離れると、声をかけてきたその人物へと凝視する。

そうして男に凝視されたその人物は、口角をニヤリと吊り上げていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:伊達航

 

 

ゼロとの電話を東都タワー前で終えてから約二時間後――。

 

()()()()を中心に捜索を続けていた俺は、歩道橋の上に見るからに怪しい人物がいるのを発見する。

腕時計の時間を確認しながら双眼鏡で()()()()を見続けるその男は、俺の目にはどう見ても不審者の(たぐい)にしか映らなかった。

 

(……恐らく、いや……間違いなくあの男だ。……こんな人通りの多い所で()()()()()()()()()見たさに余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)で高みの見物ってか。……ふざけやがって!!)

 

隠れてこそこそするわけでもなく、堂々と人目の多い場所で()()()()()()()その男の既に勝ったと言わんばかりの態度に、俺の中で怒りと苛立ちが沸々と湧き上がる。

するとそこに携帯が鳴り、出ると目暮警部からだった。

 

『ワシだ。たった今、()()()()()()()()()()()()()()()()()と爆弾処理班から連絡があった』

 

――グッドタイミングだった。目暮警部からのその朗報に俺の口角は自然と吊り上がる。

 

 

 

これで……心置きなく、()()()

 

 

 

「……目暮警部。たった今、俺の方でも犯人らしき人物を発見しました。……時間を確認しながら双眼鏡で『例の場所』を見ているのでほぼ間違いないと思います。場所は××通りの歩道橋の上です」

『おお、そうか!今すぐワシたちもそっちに向かう!お前は――』

「――今から被疑者確保に向かいます。では」

『えっ!?お、オイ!伊達!?――』

 

電話越しに慌てて呼び止めようとする目暮警部の声を無視し、俺は電話を切る。ついでに電源も。

このまま目暮警部の指示を受けて、『待機』なんかを言い渡されでもしたら、俺はそれに従わなければならなくなる。……そうなる前に、俺はヤツと決着(ケリ)を着ける決心を固めていた。

まぁそうでなくても、独断専行は始末書もんだが、長年追いかけていた()()を前にした俺にとってはそんな事は些末(さまつ)なモノであった。

 

俺は男に気づかれないように静かに歩道橋の階段を上って行く――。

 

――長かった。……本当に長かったよなぁ。松田、萩原。

 

萩原が死んで七年。松田が死んで三年。

この事件を解決するのに随分とまぁ歳月がかかったもんだ。

あの世(向こう)にいる二人から「長すぎだ!」とか文句を言われそうだが、どうか勘弁してほしい所だ。

それに……その長年の苦労に、今ようやく終止符を打つことが出来るんだから大目に見てくれよな。

 

――そんな事を考えながら階段を上り終えようとしていた俺は、男がこちらに気づいていないかもう一度確認するために、奴に視線を送る。

男はまだこちらに気づいていないようで、未だにニヤニヤと笑いながら双眼鏡で()()()()()を見つめ続けている。

 

「?」

 

すると、男を見る俺の視界が端で何かが動くのを捉え、俺は半ば無意識に視線をそこへと移動させる。

歩道橋の向こう――今俺が登っている階段とは反対側の、道路の向こうにある歩道橋の階段から誰かが上がって来て、そのまま双眼鏡を構える男の下へと近づいて来るのが見えた。

最初こそ遠目でよく見えなかったその姿が、双眼鏡を構える男へと近づくにつれてはっきりとしてくる。そして――。

 

「……!!」

 

――その人物が誰なのかはっきりと視認した時、俺は僅かながらにハッと息を呑んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:降谷零

 

 

その男を見つけたのは、本当に偶然だった――。

 

東都タワーの爆弾が止められ、ヒントが完全に見れなかった以上、爆弾魔はもう二つ目の爆弾の在りかは突き止められないと高をくくっているはず。

ならば、警戒心が緩んだそいつは、二つ目の爆弾が破裂する様を見届けるためにどこか()()()()がよく見える所で高みの見物としゃれ込んでいるはずだ。

 

――警察との長年の戦いにフィナーレを飾る()()()()()()、そこでゆったりと眺めるために。

 

そう考え、()()()()がよく見えそうな所をあちこち探していると、とある大通りにまたがる歩道橋の上で双眼鏡を覗きながら()()()()を見続ける、見るからに怪しい男を見つけたのだ。

忙しなく視線を双眼鏡と自身の腕時計へと交互に移動させる眼鏡の男を見て、俺はこの男で間違いないとそう確信する。

生唾をゴクリと飲んだ直後、俺の携帯が鳴る。電話の相手は風見だった。

 

『――降谷さん。たった今、警視庁から連絡がありまして、()()()()()()()()()()そうです!』

「!――そうか……!」

 

風見からのその報告を受けた俺は、歓喜に小さく笑みを零す。もうこれで、()()()()()()()()

俺は風見との電話を終えると、意を決してその男に向けて歩き出した。

 

歩道橋の階段を上り、通路を歩み、男へと近づいてゆく――。

 

そうして男から数メートル手前で足を止めると、小さく深呼吸をしてから、何でもない風を装いながら軽い口調で男に声をかけていた。

 

「あのぉ、すみません。少しよろしいですか?」

「――!?」

 

突然、声をかけられた男は飛び跳ねるようにその場を後ずさり、俺を凝視する。

しかし、激しく動揺するその男を前に、俺は口調を一切崩さず男に問いかけていた。

 

「少々お聞きしたいのですが、こんな所で双眼鏡片手に何をしているんですか?こんな街の真ん中でバードウォッチングをしていたわけでもないでしょうし……ひょっとして、アナタが先程まで見ていた()()()()、何かあるんですか?……そう、例えば――」

 

 

 

 

 

「――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ね……」

 

 

 

 

段々と声のトーンを落としながら目を細めてジト目で睨みつけてやると、眼鏡の男の顔は明らかに狼狽(ろうばい)した態度を見せる。

 

「……クッ!!」

「!」

 

不意に眼鏡の男が踵を返し、逃げようとする動きを見せる。

俺はそれに反応し、すぐさま男との距離を縮めようと走り出そうとし――。

 

――その動きがすぐさま中断する事となった。

 

それは逃げ出そうとしていた目の前の眼鏡の男も同じで、面食らった表情を浮かべて逃げ出そうとしていた先を凝視したまま立ちすくむ。

 

俺も男の背中越しに同じ方向へとジッと視線を固定したまま、動かせないでいる――。

 

 

 

 

 

 

 

――俺たち二人が向ける視線の先には、男が立っていた。

 

――杖をつき、両耳と首を繋ぐコードを揺らしながら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、そいつは俺たちを見てフッと笑みを零す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――()()()()……()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

小さくも、されどはっきりとした口調で紡がれた()()からのその言葉に、俺も思わず笑みを浮かべていた――。




最新話投稿です。

いよいよこのエピソードもあと二話ぐらいで終わる予定となりました。
次回はいよいよこの二人による推理ショーと解決になります。


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番外:揺れる警視庁【8】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。


SIDE:伊達航

 

 

眼鏡の男を間に挟む形で、俺と降谷(ゼロ)はようやく再会を果たした――。

 

長年追い求めていた『犯人』と、長い事音信不通になっていた親友の二人に同時に出会えたことで思わず俺の顔がほころぶ。

それはゼロも同じだったようで奴も俺に向けて笑みを返していた。

だが、そんな感動に入り浸る間もなく、俺とゼロに挟まれた眼鏡の男が動揺しながら騒ぎ立て始めた。

 

「な、何なんだお前たちは!?」

 

忙しなく俺とゼロに交互に視線を送りながらわめき立てる男に、俺はスッと顔を真剣な表情へと変えて懐から警察手帳を取り出して男に見せた。

 

「警察だ。ようやく見つけたぜ?爆弾魔さんよぉ」

「――っ!……な、何の事だ?」

「おいおい、今更とぼけるつもりかよ?」

 

この期に及んで白を切る男に俺は呆れた声を上げる。

そして、つい今し方まで男が双眼鏡で見ていた()()へと視線を向けながら、俺は淡々とした口調で言葉を続けた――。

 

 

 

 

「あそこ――帝丹高校(ていたんこうこう)に置かれた五つのドラム缶……そん中に入っていた爆弾はついさっき警察(ウチ)(モン)が全部解体しちまったよ」

 

 

 

 

「な、何ぃッ!!?」

 

俺の言葉に男の顔色が一気に変わる。そんな奴に俺は更に言葉を続ける。

 

「爆発物処理班が密かに学校に入り、お前が仕掛けていた盗聴器に気づかれんように音を立てずにな……。嘘だと思うんなら、試してみたらどうだ?……持ってんだろ?『リモコン』」

「……ッ!!」

 

そう俺に促された男は、慌ててポケットから携帯を取り出すと急いでボタンを打ち込む。

それを見て俺は男が間違いなく長年探し求めていた『例の爆弾魔』だと確信し、内心ほくそ笑む。

そうして震える指で何とかボタンを打ち込んだ男は直ぐに帝丹高校の建物へと視線を向けた。

 

――無論、爆弾解体の話は事実なため何も起こらない。

 

「……な、何で……?」

 

未だに信じられないのか、男は茫然とした顔を浮かべたまま、視線が帝丹高校と手元の携帯の間を行ったり来たりしている。

そんな男を前に、俺はやれやれとため息をつきながら、半ば放心状態の奴に声をかけた。

 

「そんなに信じられないか?あそこの爆弾が見つかったことが。……あの学校にあると言うヒントを教えてくれたのは、()()()()()()()だってぇのに」

「!!」

 

俺のその言葉に、男は茫然としたまま顔を上げる。その顔は「どうして分かったんだ!?」と今すぐに俺に問い詰めたいと言わんばかりなのがありありと見て取れた。

だが先にそれに答えたのは俺ではなく、男の後ろに立っていた親友からだった――。

 

「……お前が送って来た予告文のFAX。……その予告文の暗号から、東都タワーと爆破予告時間を意味する文を抜くとこうなる――。

 

 

 

『俺は剛球豪打のメジャーリーガーさあ延長戦の始まりだ……出来のいいストッパーを用意しても無駄だ最後は俺が逆転する』

 

 

                                         ……」

 

眼鏡の男がゼロへと振り返る。未だに茫然と見つめて来る男にゼロが鋭い目つきで静かに睨みながら、言葉を続ける。

 

「……『メジャーリーガー』と言うのは、()()()()()()というキーワード。『出来のいいストッパー』は()()()()()()()()の事。……英語で『延長戦』は、『()()()()()イニングゲーム』。『防御率』は略して『ERA』。そのエクストライニングゲームの『EXTRA(エクストラ)』から『無駄』な『ERA』を取ると『XT』が残り、その『XT』を縦書きにして最後に『逆転』させれば――『文』という漢字になる。そう……()()()()()()()()()にな」

 

険しい顔つきで淡々と説明するゼロを前に、男は言葉を詰まらせる。

そんな男に、今度は俺が口を開き、ゼロの推理の続きを語って聞かせた――。

 

「――そんで、東都タワーの一つ目の爆弾の液晶パネルに表示されたヒントの『EVIT』ってぇのは……『探偵』の英語表記である『DETECTIVE』のつづりを()()()()()()()()()()()()だ。……んで、『探偵(たんてい)』を逆にすると『帝丹(ていたん)』ってなる。『帝丹』って名のつく学校は、小、中、高、大の四つあるが……()()()()()()、学校は基本休みだ。そんな中で()()()()()()()()()んのは、()()()()()()()()()()()()()、帝丹高校しかないってわけだ」

 

俺とゼロに全ての謎を解き明かされ、男は冷や汗を流しながら項垂れる。

そんな男を横目に俺は追撃の言葉を緩めない。

 

「……ちなみに、野球場に偽の爆弾を置かなかったのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、だろ?」

「…………」

「まぁ、油断してこんな目立つ場所から双眼鏡であの高校を見ていた、お前の負けだな」

 

沈黙したまま俯いて微動だにしない男に、降谷は腕を組みながらバッサリとそう断言した。

 

――その次の瞬間だった。

 

「――ッ!があぁあああッ!!」

 

不意に男がガバリと頭を上げて奇声を上げると、持っていた双眼鏡を降谷に向かって投げつけたのだ。

 

「――ッ!!」

 

突然の事に一瞬行動が遅れた降谷だったが、何とか紙一重で投げつけられた双眼鏡をかわす。

 

「てめッ――!?」

 

俺も慌てて男に向かって怒声を上げようとするも、それよりも先に男は次の行動に出ていた。

降谷に双眼鏡を投げつけた、その一瞬の隙を突いて男は歩道橋の柵を乗り越え、そのままためらうことなく車の往来の激しい大通りへと身を投げたのだ。

「しまった!」と思う間もなく、突然の事に俺とゼロの動きが一瞬静止する。

男はそのまま大通りへと落下すると、下を走っていた大型トラックの上へと落下した。

トラックの上へと落ちた男はそのまま振り落とされないように天井にへばりつく。

それを見た俺はすぐさま首に着いた電極のスイッチを『全力』に切り替えると、杖を捨てて俺も男同様に歩道橋の柵を乗り越えてそのまま空中に身を躍らせた。

 

「伊達ッ!!」

 

と言う、歩道橋から俺を呼ぶゼロの声を背中に受け、俺は男が飛び乗ったトラックの後ろを走っていた大型ワゴンの上に着地する。

だが、俺が後方のワゴンに着地したのを見た男は悔しそうに顔を歪めると、今度はトラックの上から滑るように道路へと落ち、受け身を取りながら道路に体を打ち付けるとそのまま転がりながら俺の乗るワゴンの横を後ろへと通り過ぎて行った。

 

「!――待て、この野郎ッ!!」

 

それを見た俺もすぐさまワゴンから飛び降りる。走るワゴン車の上から上手く道路へと着地した俺は男の姿を目で追う。

するとあの状況下で運良く怪我をしなかったのかもう男は立ち上がり、そのまま必死に走りながら道路を横切って一角にある狭い路地へと入ろうとしていた。

その姿を見た俺もすぐさま全力で男の後を追う。

唐突に起こった普通じゃないその事態に、周囲の一般市民や車を運転している運転手たちが皆一様に目を丸くして俺たちを見つめる。

だがそんな周囲の奇異な目など気にする余裕もなく、俺は細く薄暗い通路へと逃げこんで行った男の背中を追って自らもその通路へと飛び込んで行った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:降谷零

 

 

「伊達ッ!!――クソッ!!」

 

男が歩道橋の柵を越えて走行するトラックの上に飛び乗り、それを見た伊達も同じように後方を走るワゴンの上に飛び降りたのを見た俺は、慌てて二人の後を追った。

歩道橋の階段を駆け下り、歩行者通路を全速力でかけながら、二台の車の上に乗る二人の姿を逃さまいと走り続ける。

すると突然、爆弾魔の男がトラックから飛び降り、それを追うように伊達もワゴンから飛び降りると、今度はとある一角にある路地へと二人が入って行くのが俺の目に飛び込んで来る。

それを見た俺は一度そこで立ち止まると、伊達たちとは()()()()()()飛び込んで行く。

 

――幸いな事に、ここ一帯の地域は何度か()()()()()()()一緒に来た事があったため、ある程度の地理は把握していた。

 

俺はその当時の記憶を頼りに、彼らが逃げる先を予測しながらスピードを落とす事無く路地を疾走し続けた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:三人称視点(佐藤と高木)。

 

 

時間はほんの少し前に遡る――。

 

目暮警部から伊達が爆弾魔を発見したという一報を受けた佐藤と高木は、車でその目的地へと急いでいた。

 

「だ、伊達さんが独断で犯人と接触したって目暮警部から……!」

「……急ぐわよ!」

 

警部から伝えられた内容に半ば信じられない面持ちでそう呟く高木に、佐藤は険しい顔でそう返して運転する車のアクセルをさらに深く踏み込む。

やがてその爆弾魔と伊達がいると言う(くだん)の歩道橋を視認できる距離にまで差し掛かった時、突然高木が声を上げた。

 

「さ、佐藤さん!あ、あれぇッ!!」

「!!」

 

助手席から対向車線の方へ指をさしながら絶叫する高木の声を聞きながら、佐藤は高木の指さす方向を目で追い――そこにあった光景に高木同様、驚愕の表情を浮かべる。

それもそのはず、その対向車線を走る大型トラックとワゴンの屋根の上に、それぞれ一人ずつ人間が張り付いていたのだから驚かないわけがない。

しかもその内の一人は自分たちがよく知る、仲間の(伊達)刑事なのだからなおさらだ。

 

佐藤と高木が目を丸くして驚いているのをよそに、トラックに乗っていた眼鏡をかけた男がそこから飛び降り、それを見た伊達もワゴンから飛び降り、男を追いかけて路地裏へと入って行く。

 

「――!高木君、運転お願い!」

「え、さ、佐藤さん!?」

 

路地へと消えていく二人を見た佐藤は、すぐさま車の運転を高木に押し付けると、まだ走行中にもかかわらず走る車から外へと飛び出して行った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:伊達航

 

 

細く曲がりくねる路地を男の背中を見失わないようにと俺はひたすらに走り続けた。

ここまで来て、逃がす訳にはいかない。その思いだけが今の俺を突き動かしていたのだ。

やがて、前方を走る男の先に人通りの多い大きな通りが見えて来る。

あそこに紛れ込まれたら厄介だ。そう思った俺は男がその通りに出る前に捕まえようと更に力を入れて加速しようとし――その前に通りに出る出口で一つの影が俺の前を走る男を通せんぼするように立ったことでその必要が無くなった。

 

「――ッ!?」

「往生際が悪いな!」

 

俺と同じように前方の影に気づいて驚き立ち止まる男の前で、その影――ゼロは呼吸を整えながら男を睨みつけてそう言った。

それを見た俺も男の数メートル手前で止まり、呼吸を軽く整える。

ゼロと俺に挟み撃ちにされた男はこっちとあっちに視線を激しく移動させながらワタワタと慌てて見せた。

 

(――ったく、手間とらせやがって……!)

 

そう内心で悪態をついた俺は、奴を逮捕すべく一歩近づく。

すると、それを見た男が両手で俺を制するようにこちらに向くと、汗を流して引きつった笑みを浮かべながら口を開いた――。

 

「…………は……はは…………ま、待てっ!……お、おお、俺じゃ、ないんだ……!」

「……はぁ?」

「……?」

 

震える声で唐突に呟かれた男のその言葉に、俺は呆けた声を漏らし、ゼロも怪訝そうに眉根を寄せる。

そんな俺たちに挟まれながら、男は続けざまに――俺たちに向けて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ほ、ほら……!よくあるだろ?……頭の中で、子供の声がしたんだよ……!け……『警察を殺せ!』って……!いや……『誰でも良いから殺せ!』って……!!」

「…………」

「…………」

「そ、そうさ……!な?だから、俺のせいじゃ――」

 

 

 

 

 

 

 

「――もういい、黙れ」

 

 

 

 

 

 

 

――男の声を遮るように、その場に感情の全く籠っていない無機質な声が響き渡る。

それが()()()()()()()()()()()()だと気づくのには少し時間がかかった。

……おかしいなぁ?今、俺は何故か()()()()()()()()()()()()()()()()()()。頭に血が登ってもおかしくねぇ戯言(ざれごと)を聞かされたってぇのに。……は、ハハッ。どうやら感情が一周廻って振り切っちまったみてぇだ。

 

――七年前の最初の事件で、爆弾魔(コイツ)の相棒は警察によって死に追いやられた。

だからこそ、三年前と今回の事件は、その相棒の(かたき)を討つために仕組んだ事なのだと……そう思っていた。

相棒を死なせた警察への復讐。それがコイツの動機なんだと……!

 

だから……松田と萩原、この二人を殺した張本人とは言え……相棒が死んだそもそもの原因が自分たち(犯人側)にあるとは言え……!

 

コイツにはこんな凶行を犯させるほどの、ある程度納得のいく動機があったんだと……そう思っていた……!!

 

……だが、フタを開けてみれば何だ?コイツの口から出たのは何なんだ!?

相棒を死なせた警察(俺たち)に対する恨み節一つ無ければ、『相棒』の名前一つ口にしねぇ……!!

ただ、頭の中で子供の声が聞こえただのという、命乞いにも似た反吐の出る言葉のみ……!

 

……ああ。今、よぉく分かった。結局コイツは、『相棒を死なせた警察に対する復讐』という理由を()()()()()、ただ遊び半分で人を吹っ飛ばしたかったただの快楽殺人鬼だ。

復讐にとり憑かれた悲しい人間なんかじゃない。ターゲットにした警察官にふざけた選択肢を突きつける事で相手の反応を楽しみ、警察組織をかき乱し、混乱して破滅していく(さま)を子供のようにはしゃぎながら眺めたかっただけの……ただの下らない犯罪者に過ぎなかったんだ……!!

 

こんな……こんなふざけた奴に、萩原と松田は爆弾で吹っ飛ばされて、殺されちまったって言うのか……?……こんな――。

 

 

 

 

 

 

――こんな、クソ野郎にぃィィッッッ!!!!

 

 

 

 

 

静寂に満ちていた腹の内が一気に沸騰し、グツグツとマグマのように煮えたぎりながら瞬く間に脳天へと突き抜ける。

視界が真っ赤に染まり、歯がギリリと軋みを上げ、痛いくらいに固く握られた両拳を中心に腕がブルブルと震え、それが全身へと伝播(でんぱ)していく。

 

「ひ、ひぃッ!??」

 

俺の纏う空気を感じ取ったのか、男の方から小さく悲鳴が上がる。

ギロリと男を睨みつけてやると、その向こうでゼロが俺と同じく激怒のオーラを纏わせ、両腕を震わせながら顔を歪ませ俯き、(たたず)んでいるのが見える。

そんなゼロに俺は必至に感情を押し殺しながら静かに声をかけた――。

 

 

 

 

 

 

 

「悪い、ゼロ。……()()()

「……ああ。……()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:三人称視点。

 

 

――その短い会話を皮切りに、伊達と降谷は男へ向けてゆらりと一歩踏み出す。事前に示し合わせていたわけではないのに、二人のその一歩は全くの同時に踏み出されていた。

 

「な、何だ……?何なんだよ、オイ……!??」

 

二人の異様な雰囲気に気押されてか、眼鏡の男は伊達と降谷へ視線を交互に動かしながら小鹿のようにブルブルと両足を震わせて恐怖に怯える。その様子に構わず二人が更に二歩、三歩と幽鬼のような足取りで男に近づいていくと、それに比例してか男の冷や汗を滝のように流す顔が段々と恐怖に歪んで行く。

 

だがそこに来て、二人を交互に見ていた男の視線が『別の物』を捉える――。

すぐそばにある建物が居酒屋か何かなのだろう。路地の端っこの方にビールケースの山が邪魔にならない程度に地面に置かれており、その中には無数のビール瓶が隙間なく収納されていた。

それを視界に収めた男は何を思ったのか飛びつくようにそのビールケースの山に駆け寄ると、そこからビール瓶を二本取り出し、それを両手に()()()持って武器の代わりにしたのだ。

 

「ち、近づくな!……俺に近づくんじゃない!!」

 

ビール瓶を両手に持ってそう威嚇して来る男。だが、()()二人にとってビール瓶を武器に持とうがそんな事……()()()()()()()()()()()

男の威嚇の叫びを何処か他人事のように聞き流しながら、伊達と降谷は男に近づく歩みを一切止めない。

それを見た男の精神がついに崩壊を起こす。

 

「……ち、近づくな!!近づくな近づくな近づくなちかづくな来るな来るな来るな来るなくるなくるなくるなくるなくるなくるくるくるくるくるあああああああああッあ、あがあぁぁぁぁあぁぁああぁぁあッッーーーーー!!!ぢがづぐなっでい゛っでんだろうがぁああぁぁーーーーーーーッッッ!!!!」

 

パニックになった男は両手に持ったビール瓶をめったやたらに振り回し始める。

それを冷めた目で見ていた伊達は小さくポツリと呟く。

 

「……嬉しいねぇ。これで『公務執行妨害(こうむしっこうぼうがい)』。……『正当防衛』の成立だ」

 

そう呟いたと同時に伊達は一気に距離を詰めるために男へと駆け出す。

それを見越していたのか降谷の方も伊達とほぼ同じタイミングで地面を蹴っていた。

一瞬にして男が持つビール瓶の間合いに入る二人、だが素人丸出しの男の攻撃が彼らに当たるわけもなく、振り回されるビール瓶の攻撃を伊達と降谷はひらりひらりとかわして見せる。

そうして降谷が右拳を思いっきり引き、伊達が大きく体を捻って右足を遠心力の力で斜めに振り上げられると――。

 

 

――次の瞬間には、双方の拳と脚が半狂乱になっている爆弾魔の頭部へと吸い込まれるようにして全力で打ち込まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

「――ガッ!!??」

 

伊達の脚と降谷の拳に頭部をサンドイッチにされた爆弾魔の口から短い悲鳴が上がる。

衝撃で男のかけていた眼鏡のレンズが割れ、フレームがひしゃげて宙を舞うと同時に、両手に持っていたビール瓶がそれぞれあさっての方向へと放り出されていた。

二人の渾身の一撃よって振るわれた上段回し蹴りと右ストレートで、一瞬にして意識を吹き飛ばされた男はブシュッ!と鼻血を噴出(ふきだ)しまき散らすと、白目をむきながら膝から崩れ落ちて行った。

地面に倒れ伏して行くその男を静かに見降ろしながら、伊達と降谷は心の中で()()()()()()()()()に向けて言葉を紡いだ――。

 

((松田……萩原……――))

 

 

 

 

 

 

 

((――(かたき)は、取ったぜ(ぞ)……))

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:伊達航

 

 

地面にうつ伏せに倒れ、白目をむいてピクピクと痙攣(けいれん)しながら気絶している男を見降ろしながら、俺はフゥッと小さく息を吐いた。

 

――終わった。

 

実に七年にも渡るこの爆弾魔との因縁。それが今、終わったんだとじんわりと実感する。

ふと顔を上げると俺と同じように一息つきながら爆弾魔を見下ろすゼロの姿。

犯人逮捕に協力してくれた事による感謝やら、ここ数年連絡も無しに一体何処で何をしていたかなど、言いたい事、聞きたい事がたくさんあったが、とりあえず気を失って地面に倒れ込んでいる爆弾魔(コイツ)手錠(ワッパ)をかけようと思い立ち、ポケットに手を突っ込もうとする――。

 

 

――ガチリ。

 

 

「「!?」」

 

――だが直後、その場に金属音が鳴り響き、俺とゼロは()()()()()()()()()()

 

 

 

それはとても()()()()()――()()()()()()()()()……!

 

 

 

それが()()()()()()響いた音だと気づいた瞬間、俺は勢い良く振り返る。

そうして音の出所が視界に入った途端、俺は思わず目を見開いていた――。

 

「さ……とう……!?」

 

――そこには、俺と同じ捜査一課に所属する佐藤の姿があった。

佐藤は今までに見た事の無い鬼のような形相で、目尻に涙を溜めて呼吸を荒げながら、()()()()()()()()()()()()()()()()()――。

 

 

 

 

 

――そうしてその手には、黒光りする拳銃が握られており、銃口から奈落の底のような暗闇を覗かせていた。




最新話投稿です。

次回はようやくこの事件の最終話になる予定なのですが、文字数によってもしかしたらもう一話分追加する事になるかもしれません。


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番外:揺れる警視庁【9】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。


SIDE:三人称視点。

 

 

(こ、こんな……こんな奴にぃッ……!!)

 

両手でしっかりと拳銃を握りしめた佐藤美和子は、怒りで我を忘れていた。

 

伊達が眼鏡の男を追って路地に入ったのを見た佐藤は、伊達が追っていたその眼鏡の男こそが自分たちを翻弄(ほんろう)していた爆弾魔だと直感し、すぐさま高木に車の運転を任せてそこから飛び降り、彼らの後を追ったのだ。

細く曲がりくねった路地を必死に走り続けると、とある曲がり角を曲がった先に伊達の大きな背中が視界に入り、佐藤は思わずその場に立ち止まってしまう。

そうして、その伊達の体の影から、僅かに先程見た眼鏡の男らしき姿が目に入った。

どうやら伊達と()()()()()()()()眼鏡の男を挟み撃ちにしているらしい事が、その時の佐藤は現状の様子から何とか伺い知る事が出来た。

しかし、伊達と協力しているらしいそのもう一人が誰なのかは、佐藤のいる場所からは伊達の体に完全に隠れていたため見る事が出来なかった。

 

――兎にも角にも、伊達に声をかけようと口を開きかける佐藤。

だがそれよりも先に、眼鏡の男のモノらしき声が佐藤の耳に入った。――入って、しまった。

 

その聞くに堪えない男の言葉の数々に、佐藤の頭の中は一瞬で真っ白になってしまう。

 

だがその真っ白になった佐藤の頭の中を、やがて走馬灯のように()()()()()()()()()()が駆け巡って行く。

たった七日間だけの、仕事上だけの付き合いであったが、佐藤にとってその刑事との日々はとても忘れがたきモノであった。

何処か周りと距離を置いてキザったらしく一匹狼を気取る、捻くれたその性格もさることながら、周りとはまた別の空気を纏って周囲を意識させるその独特の存在感は、たった七日と言えど佐藤や他の刑事たちの記憶に十分に刻み付けられていたのだ。

 

――配属当日に佐藤を含む多くの刑事たちの前で嫌味ったらしく毒舌を吐いた時や。

 

――聞き込み時に、その言動が乱暴だったため、見かねてその刑事の教育係だった佐藤が止めた時。

 

――指先が器用故に、携帯のメールを打つのがとても速く。何処にメールをしているのかと問えば、『今は亡き親友に送るんだ』と、どこか寂しそうに呟く時に。

 

――所轄から被疑者を警視庁に連行する際、素っ気なく『パスする』と言って周囲を呆気に取らせた時。

 

――そして……爆弾を積んだ観覧車のゴンドラに一人乗り込み、『こういう事は、プロに任せな』と格好つけてそう言い残し……結局、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()など。

 

その刑事の――松田との七日間の思い出が佐藤の中で鮮明に蘇り、それと同時に言葉に出来ない感情の奔流が自身の中で渦巻いて行くのを彼女は感じた。

 

松田を失った悲しみと、彼を救えなかった自身の無力さと後悔。そして……それら以上に大きく膨らむ、松田を殺した爆弾魔に対する言い知れぬ怒りと憎悪。

それらの感情が抑えきれず、佐藤は双眸から涙を溢れさせながら顔を歪める。

 

やがてその憎悪が『殺意』に変わると、佐藤は半ば無意識に懐から拳銃を取り出していた。

そうして、それと同時に自身が警察官であるという自覚すらも薄らぎ、何かに突き動かされるようにして佐藤は前へと一歩足を踏み出す。

一人葛藤していた時間が長かったのか、佐藤の目の前ではもう既に()()()()()()()()

 

二人の人間に見降ろされる形で鼻血を派手に吹き出しながら白目をむき、地面に転がる爆弾魔の姿が佐藤の視界に収まる。

しかし、爆弾魔のそんな醜態を目の当たりにしても、佐藤の心の中は一向にはれる気配はなかった。

されど涙と『怒り』で視界を狭め、ぼやけさせながらも佐藤の焦点はその爆弾魔の顔から微動だにしない。

 

佐藤はゆっくりと両手を持ち上げ、手にした拳銃の標準をピタリと地面に伸びている爆弾魔の顔へと固定する。

そうして、ガチリと銃の撃鉄を上げると、そこでようやく爆弾魔を見下ろしている二人――伊達と降谷が彼女の存在に気がついた。

 

「さ……とう……!?」

 

半ば呆然とした面持ちで伊達がそう声をかけて来るも、当の佐藤はその声が耳に入らず、視線も銃口も爆弾魔の顔から一切動かない。

 

(こんな奴にッ!!……こんな奴にぃッ!!!)

 

頭の中がその言葉で埋め尽くされると同時に、佐藤は憎しみで目の前が真っ赤になる。

 

「止めろ!よせ、佐藤!!」

「あ゛、あ゛あああああああーーーーーーーーッ!!!!」

 

慌てて佐藤を止めようと伊達が叫びながら動こうとするも、それよりも前に佐藤の断末魔にも似た叫び声と一緒に引き金にかかった指に力が入る。

標準を爆弾魔に固定したまま涙があふれる双眸を佐藤がギュッと閉じたと同時に――。

 

 

 

「佐藤さああああーーーーーーーーーーーん!!!!」

 

 

 

――()()()()()()()佐藤の背後から響き渡り……それとほぼ同時に彼女の持つ拳銃から銃声と共に弾丸が放たれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:伊達航

 

 

――佐藤の持つ銃から銃声が轟いた時、俺はその場から動くことが出来なかった。

 

俺が止めようと動き出すよりも早く、佐藤の背後から走って来た高木が現れ、後ろから佐藤を抱きかかえるように拘束すると、直ぐに拳銃を持つ佐藤の手首をつかんで無理矢理その手を()()()()()()()()()()

 

 

 

――ダァァン!!

 

 

 

高木によって佐藤の両手が上へと向けられると、ほぼ同時にその手に持った拳銃から弾丸が飛び出す。

放たれた弾丸は誰に当たる事も無く、左右にそびえ立つ建物によって切り取られたように見える蒼天の彼方へと消えていった――。

 

「何するの!?邪魔しないで!!」

「駄目です!佐藤さん!!」

 

弾丸が明後日の方向へと飛んで行っても一向に怒りが収まらないのか、佐藤は叫びながら高木の腕の中で暴れ、そんな佐藤を高木は必死になって抑える。

 

「離して!離してよ!!あんな奴の……あんな奴のせいで……ッ!!だから離して――」

 

 

 

 

――パァン……!

 

 

 

 

――唐突に。感情に任せて喚き散らす佐藤の叫びを遮断するように、乾いた音がその場に鳴り響いた。

それは、暴れる佐藤の頬を高木が引っ叩いた音であり、その音と頬に伝わる痛みで一瞬何が起こったのか分からずにいるのか、佐藤はさっきまで暴れていたのが嘘のように大人しくなり、片手で叩かれた頬を抑えながら目を丸くして呆然と高木を見る。

そんな佐藤に高木は真剣な目つきで口を開いた。

 

「何やってるんですか、佐藤さん!」

「――!!」

「いつも、佐藤さんが言ってるでしょう?……『誇りと使命感を持って、国家と国民に奉仕し、恐れや憎しみに囚われずに、いかなる場合も人権を尊重して公正に警察職務を執行しろ!』って。……そう言ってたじゃないですか!」

 

その言葉を聞いて佐藤はハッと目を見開き、俺も同じように()()()気づかされる。

 

(……ああ、そうだな。……そうだったよなぁ、高木)

 

それが警察官としての俺たちの在り方だ。だと言うのに、俺もまたさっきまで爆弾魔の言った暴言でカッとなっちまってた。

頭に蹴り一発だけとはいえ、一時でも感情に流されちまった自分自身が恥ずかしいぜ。

そんな事を目を伏せて痛感していると、佐藤がやがてその場に膝から崩れ落ちる。

 

「だって……だって……!」

「そんなんじゃ、松田刑事に怒られちゃいますよ?」

 

地面に座り込んで俯きながらそう呟く佐藤に、高木もしゃがみ込んで佐藤に目線の高さを合わせると、そう優しく語り掛ける。

 

「――ッ!忘れさせてよぉ!……馬鹿ぁッ!!」

 

そんな高木の言葉を聞いた佐藤は顔をくしゃくしゃにしながら高木の懐に飛び込んで、そう泣き叫ぶ。

 

(……忘れないでやってくれ……頼む……!)

 

高木に寄りかかって泣きわめく佐藤に、俺はグッと泣きそうになる程に顔を歪めながら心の中で佐藤に向けてそう懇願する。

 

気持ちは……痛いほどによく分かる。

だが、そうしちまったら、お前の中のアイツは本当に――。

 

すると俺の願いが高木に聞き届きでもしたのか、俺が佐藤に言いたかった言葉を高木が口を開いて言ってくれた――。

 

「……駄目ですよ。忘れちゃ……。それが大切な思い出なら、忘れちゃ駄目です。……人は死んだら、人の思い出の中でしか、生きられないんですから……」

「……!――高木君……」

 

高木のその言葉に、泣き止んだ佐藤はゆっくりと高木を見上げる。

二人の視線が交差し、ジッと見つめ合う高木と佐藤――。

 

 

…………。

 

 

……………………。

 

 

………………………………。

 

 

……あー、なんだ?そのぉ~……。

 

「あー、えっと……お二人さん?いい雰囲気になってるとこ悪いんだが、ここには他にギャラリーがいる事忘れてないか?」

 

俺がおずおずと二人の間に割り込むようにしてそう声をかけると、高木と佐藤の二人はハッとなって……と言うか、ギョッとなって俺の方へ二人同時に目を向けてきた。

途端にさっきまでのシリアスなムードが一気に吹っ飛び、二人して目を大きく見開きながら耳まで顔を真っ赤にするとその場であたふたとし始めた。

 

「だ、伊達さん!い、居たんですか!?」

「居たよ。ってか、気づいてなかったのか」

 

慌ててそう声を上げる高木に俺はジト目でそう返す。

ったく、二人して勝手に盛り上がりやがって……!完全に空気になってたぞ、俺たち。

そんな事を考えながら、疲れたように溜息を吐く俺を前に、高木は俺と地面に転がる爆弾魔を交互に見やりながら、少し首をかしげて問いかけてきた――。

 

「あ、あの……そこに倒れているのは爆弾犯で、間違いないんですよね……?――()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「……え?」

 

高木にそう問われ、俺はハッとなりながらすぐさま振り返る――。

 

――そこには鼻血を垂れ流したまま気を失って倒れ伏す爆弾魔と、先程までのその爆弾魔との一戦や佐藤の拳銃の発砲音などで何事かと大通りから遠巻きにこちらを覗き込んでいる通行人たちの姿があったのだが――。

 

 

 

 

 

 

 

――ついさっきまでいたはずのゼロ(アイツ)の姿だけが、跡形も無く消え去っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:江戸川コナン

 

 

東都タワーの一件の後、警視庁で事情聴取を受けてそこからようやく解放されたのがとうに日が沈んだ後の時刻だった。

迎えに来た博士のビートルで帰路につく俺と灰原、そして少年探偵団の面々。

帰る直前、目暮警部たちから爆弾魔が捕まったという朗報を聞き、俺たちは全員心から安堵したと同時に、ようやくこの長い二日間が終わったのだと実感する。

 

「――しかし、まあ、よく止められたもんじゃなぁ。……コードを切る時間は三秒も無かったんじゃろう?」

「……まぁ、元々ヒントの途中で分かったら、すぐに切るつもりでペンチを握ってたからな。……高木刑事を死なせるわけにはいかなかったし」

 

運転する博士の言葉に助手席に座った俺が淡々とした口調でそう答え返す。

答えている間に後部座席から元太のイビキが耳に入って来る。どうやら一足早く一人だけ眠り込んじまったらしい。

すると、俺の隣で一緒に助手席に座っていた灰原が口を開いた。

 

「……でも、流石ね。『E』『V』『I』『T』だけで、『DETECTIVE(ディティクティブ)』の逆の綴りだと分かるだなんて」

「全くじゃ!」

 

灰原の言葉に博士がにこやかに同意するのを聞きながら俺はフッと笑みを零す――。

 

(……バーロー。分かるに決まってんだろ?……心の中で、そこじゃなきゃ良いって……ずーっと、思い続けていたんだからよ)

 

俺はそう思いながら、頭の中で世話焼きで心配性な性格の……()()()()()()()の顔を思い浮かべる。

今頃アイツは、とっくに学校(帝丹高校)から探偵事務所に帰って、晩御飯を作りながら俺の帰りを待っているのだろう。

 

 

 

――まさか今日、自分が全国模試を受けている最中(さなか)に、命の危機に(ひん)していただなんて全く思いもしないで……。

 

 

 

(……ま。未遂に終わった今となっては、あえてアイツにその事を教える必要も無いかな?)

 

そう結論付けた俺は、その後今日の晩御飯は何なんだろうと車に揺られながら幼なじみ()の手料理に色々と妄想を膨らませ続けていったのだった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:高木渉

 

 

――事件解決後。僕たちは白鳥警部が目を覚ましたという知らせを聞き、捜査一課総出で警部のお見舞いへとやって来ていた。

目を覚ました白鳥警部は事件当時、とても危険な状態だったのにもかかわらず意識がはっきりとしており、元気な口調で僕たちとの会話を問題なく交わすことが出来ていた。

カエル先生によると、どうも東都タワーの爆弾事件が解決した直後には目を覚ましていたらしいのだが、僕らが捜査に集中できるようにと先生の計らいでわざと連絡を遅らせていたらしい。

そうしてカエル先生の口から、『後一週間もすれば後遺症も無く怪我は完治して退院できるから大丈夫だよ』と言われ、僕たちは大きく胸をなでおろしていた。

 

……相変わらずの常識離れした回復速度だったが、それはもう今更なので僕ら捜査一課一同はあえて突っこまずにスルーさせてもらった。うん。

 

そうして白鳥警部との面会を終え、僕たちは事件後の後処理を行うために今一度警視庁へと戻ろうと病院内を出入り口へ向けて歩いていたのだが、その途中、僕は隣を歩いている佐藤さんが小首をかしげながらジッと僕らの前を歩く伊達さんを見つめている事に気がついた。

 

「……佐藤さん、どうかしましたか?」

「……ああ、うん……。伊達さん、目暮警部たちには『単独で爆弾魔を逮捕した』と報告してたわよね?」

「ええ、はい……」

「……私があそこに駆けつけた時、もう一人誰かいた気がするのよ。……伊達さんとその人が爆弾魔を挟み撃ちにする形で」

 

唐突な佐藤さんからのその告白に、僕は思わず「えっ?」と小さく声を漏らす。

そうしてチラリと伊達さんの背中を見やりながら、僕は佐藤さんに小声で耳打ちをする。

 

「誰かって、一体誰だったんですか?」

「……それが分かんないのよ。伊達さんの体の影になってその人のことは良く見えなかったし……その後もあの爆弾魔のせいで頭に血が登って冷静な判断が出来なくなって、涙で視界がぼやけちゃうし感情が高ぶって爆弾魔しか見えなくなっちゃうしでその人の方へ意識する余裕が無くなっちゃってね……。事件解決後に直接伊達さんにその事を聞いてみたりもしたんだけど、はぐらかすばっかりで教えてもくれないのよ」

 

佐藤さんの話を聞いて僕は歩きながら考え込む。

それが本当なら、あの時佐藤さんが見たもう一人の人物とは一体誰だったのだろう?伊達さんはその人と協力して爆弾魔を捕まえたのだろうか?……だが、もしそうなら、何故伊達さんは目暮警部を含む僕たち全員にその事を黙って隠すのか?

様々な疑問が頭に浮かぶ中、僕は伊達さんをジッと見つめる。

するとその時、佐藤さんが今思い出したと言いたげにハッと顔を上げて口を開く――。

 

「……あ!そう言えば、伊達さん。その人に向けて何か言ってたような気がする。……私もあの時冷静じゃなかったから聞き間違いだったのかもしれないんだけど――」

 

 

 

 

 

 

「――確か……『悪い、()()』だとか何とか……」

 

 

 

 

 

「……!?」

 

その言葉に僕は思わずハッと目を大きく見開いていた。

 

――『ゼロ』。その単語を、いや……その『呼び名』を僕は今日の内に路地とは全く違う()()()()()、伊達さんの口から直接耳にしていたのだ。

 

――そう。あれは東都タワーのエレベーター内に伊達さんとコナン君と一緒に閉じ込められた時だ。

不意に伊達さんの携帯が鳴り、その『相手』の電話に伊達さんが出た。

そうして、伊達さん曰く『古い友人』だと言うその『相手』と何度か言葉を交わした後に、伊達さんは最後にその人に向けてこう言ったのだ――。

 

 

 

 

 

――『……それじゃあな『()()』。久々に声聞けて、良かったぜ』

 

 

 

 

 

(まさか……)

 

僕は再度前方を歩く伊達さんの背中を見やる。

確証は何もない。けれど僕には、あのエレベーターの中で伊達さんが電話をしていた『相手』と、路地で佐藤さんが見たという『もう一人』が、全くの別人であるとはどうしても思う事が出来なかった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:伊達航

 

 

「――ッ」

 

不意に意識が覚醒し、俺は突っ伏していた()()()()()から反射的に顔を上げる。

いかんいかん。どうやら、()()()()()()しまっていたようだ。

 

――都内全土を震撼させた爆弾魔の事件から数日後。俺は一人、()()()()()()で祝杯を挙げていた。

その定食屋は昔、俺がまだ警察学校の生徒だった時代に仲間の降谷や松田らと共に足しげく飯を食いに来ていた店であった。

 

事件後の騒ぎが一通り落ち着いたのを見計らい、俺は改めて休暇を取って松田、萩原、そして諸伏の墓へと順番に爆弾魔が逮捕されたことを報告して回った。

そうして一通りの報告を終えた俺はその足で思い出深いその定食屋へと向かい、まだ日も高い内だと言うのに一人こうして事件解決の祝い酒としゃれ込んでいるという訳なのである。

 

しかし……どうやらちょっとハメを外し過ぎたらしい。気づいたら酔いつぶれて寝てるとかどんだけ飲んでんだよ、俺。

 

「……お!お客さん、起きましたかい?」

 

俺が起きた事に気づいたカウンター向こうにいる店主が声をかけて来る。

 

「……ああ、店主。悪いな寝ちまって……。なぁ俺、どんくらい寝てた?」

「ん~、ざっと一時間近くって所ですかね?」

「マジか、そんなにかよ」

 

あっちゃあ、と頭に手を当てて天井を仰ぎ見る。

家に残してきたナタリーが心配しているかもしれん。一度連絡を入れた方が良いか?

俺がそんな事を考えていると、不意に視界の端に『何か』映り込んだのに気づき、俺は無意識のうちに自身の真横へと視線を移動させていた。

 

「……?」

 

俺が座るカウンター席のすぐ隣の席――そこには一本の小さなビール瓶とグラスが静かに鎮座しているのが目に入った。

俺が注文していた酒は日本酒だ。ビールを注文した記憶はない。とすれば、このビール瓶とグラスはさっきまで俺の隣の席で飲んでいた客のモンだろう。

しかし、今その客の姿は何処にも見当たらない。ビール瓶とグラスがほぼ空になっているのを見るに、恐らく俺が酔いつぶれて寝ている間にその客は来店し、そしてビールを飲んで俺が起きる直前に店を去って行ったという事なのだろう。

 

……しかし、俺が気になったのはそこでは無かった。

 

今は書き入れ時の時刻ではないため、店内にいる客もまばらだ。それ故に座れる席もたくさんある。

――だと言うのにその客は、()()()()()()()()()()()()()、ビールを注文したのだ。

俺が座るのはカウンターの一番奥――一番隅の席だ。

そんな俺の席の隣に何故座ったのか……俺はその客に少し興味を覚えた。

 

「なぁ店主、ここさっきまで誰かいたのか?」

「ええ。ビールを一本注文してお客さんが起きる少し前に帰って行きましたよ」

「ふ~ん……。どんな奴だった?」

「え?……ん~そうですねぇ――」

 

店主は俺の問いかけに顎に手を置きながら唸る様に続きを口にする――。

 

 

 

 

 

 

「――外国人っぽい顔立ちでしたけど、日本語は流暢な人でしたよ。()()()()()()()()()()()()でしたね」

 

 

 

 

 

「!!」

 

その特徴だけで、俺は誰だかはっきりと分かってしまった。

驚いて目を見開いた俺だったが、直ぐにフッと笑みを零す。

 

(……なんだよ。来てたんなら起こしてくれても良かったじゃねぇか)

 

この店に来る前にアイツに『一杯付き合わねぇか?』とメールを何通か送ったのに、また以前同様に音信不通状態になっちまったんで、半ば不貞腐れた状態で俺は今日ここを一人で訪れて来ていたのだ。

 

……正直、さっきまで酔いつぶれてしまっていたのもそれが原因でヤケ酒に近い状態になって酒をあおっていたからなのかもしれん。

 

「……あー、そう言えばその人が帰る時に、お客さん(伊達)に伝言を一つ頼まれてたんです」

「伝言?俺に?」

 

店主からのその言葉に、俺は思考を巡らせる。

 

(何だ?……もしかして、メールをスルーしてたことに対する詫びか?……ったく、素直じゃねぇなぁアイツも)

 

やれやれと首を振りながらしょうがない奴だと笑みを浮かべる。そんな俺に店主が伝言の内容を伝えてきた。

 

 

 

 

「――ここのビール代、代わりに頼む。と」

「おごらせる気かよアイツ!?」

 

 

 

 

うぉぉぉい!?あんにゃろう!どさくさに紛れて一体、何してくれてんだぁ!?人が酔いつぶれて寝てるのを良い事に勝手な事やりやがって!

 

ぐぬぬぬぬ!と顔を歪めて憤る俺を前に、店主は俺をなだめながら口を開いた。

 

「まあまあ、落ち着いてくださいお客さん。……その人なんですけどね、その後こうも言ってましたよ――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――借りた分は、必ず返す。近い内にまた会おう』

 

 

 

 

 

 

 

 

「――と、そうおっしゃってましたよ」

「…………」

 

店主から伝言の続きを聞いた俺は無言になる。だがやがて大きくため息を吐くと店主に向けて()()()()をお願いした。

 

「店主、俺にもビールを一杯くれ。それと、隣の席にあるグラスなんだがな。下げずにそこにもビールを一杯頼む」

「あ、はい。分かりました」

 

俺の要求に頷いた店主は早速準備に入る。

そんな店主を見ながら俺は今度は小さくため息をついた。

 

(全く……アイツの言う『近い内』ってぇのはいつになる事やら……)

 

一体何処で何をやっているのかは知らないが、あいまいな答えしか返して来ないアイツに呆れた笑みを浮かべる。

何があったのか、どういう事情があってのことなのか。……もしかしたら、俺なんかじゃ到底想像しえないとんでもない案件を抱え込んでて、アイツはそれから俺を遠ざけようとしているんじゃないかとも考えられる。

だがどれだけ考えても現状、想像の域を越える事は出来ないだろう。

 

……しかし。

 

(吐いた唾飲むなよ、ゼロ。……信じてっからな)

 

アイツが必ずまた会いに来ると言った以上、俺はそれを信じるしかない。

もしも、その約束をも破ってまた雲隠れでもするようものなら……その時はこっちから地の果てまでも追いかけて探し出し、全力でぶん殴りに行ってやるだけだ。

 

やがて俺の注文通りに店主がビールを運んで来る。グラスにビールを注いでそれを俺の前に置き、次にゼロの使ったグラスにもビールをなみなみと注いでいく。

それを見届けた俺は自身のグラスを持ち上げ、ゼロのグラスへと近づけた――。

 

(……先に逝っちまった親友たちへの冥福と俺たちの『次の』再会を願って――)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――チン。

 

 

 

 

 

 

 

 

――グラスが打ち合う小さな音が店内に小さく響き渡った。




最新話投稿です。

これで今エピソードは完結です。
次のエピソードもまた長編となる予定ですが、今度は番外編ではなくカエル先生が中心人物の立ち位置で登場する予定です。


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カルテ36:???・???【1】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。

久しぶりの伏字サブタイトルです。
今回はプロローグ的な話なのですが意外と長くなりました。
このエピソードでは特別ゲスト()()が登場いたします。


SIDE:三人称視点。

 

 

 

――アメリカ・マサチューセッツ州。

 

天高くそびえるビル群が立ち並ぶ夜の大都市。建物の中から漏れる灯りや外灯。車のヘッドライトが夜の闇の中で煌びやかに地上を輝かせていた。

 

その一角にそびえる一際大きなビル――最上階の広々とした豪華な一室の中で今、その部屋の主である小さな少年が()()()()()()()()()()()()()()

十歳前後らしき年齢のその少年はデスクと向かい合い、そこに設置された三台のパソコンのモニターを見ながら、手元のキーボードをカタカタと打ち鳴らす。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()彼の(かたわ)ら、電源の入った大きなテレビからニュースの音声が流れ出て来る――。

 

『――天才少年ヒロキ・サワダ君はまだ十歳ながら、マサチューセッツ工科大学に通う大学院生です。皮膚や血液のデータからその人間の先祖を突き止める事も出来る【DNA探査プログラム】を開発して私達を驚かせたのは記憶に新しいところですが、現在ヒロキ君は一年で人間の五歳分成長するという人工頭脳の開発を手掛けています。これを全面的にバックアップしているのは、IT産業界の帝王【シンドラー・カンパニー】のトマス・シンドラー社長です。……ヒロキ君の両親は二年前に離婚し、ヒロキ君は父親と別れ教育熱心な母親に連れられアメリカに移住しました。シンドラー社長は母親も病死して天涯孤独な身の上となったヒロキ君の親代わりとなりました』

 

テレビから聞こえて来る女性ニュースキャスターのその声を耳にしながらも、少年は熱心にパソコンのモニターを見つめながらキーボードを打つ手を止める様子を見せない。

 

――そしてそんな少年の後ろ姿を、部屋に作られた通風孔の中に設置された()()()()()()()()がジッと見つめていた。

 

『――人工頭脳ノアズ・アークは人類史上最大の発明になるだろうと言われ、ヒロキ君は厳重なセキュリティの中に置かれています。ふつうの子供のように公園で遊ぶことも許されません。……ノアズ・アークとは旧約聖書に登場する【ノアの方舟(はこぶね)】のことです。神は地上の堕落を一掃するために大洪水を起こすのですが、神の心にかなったノアだけは方舟を作る事を許され、家族や様々な動物を乗せて大洪水から逃れることが出来たのです――』

 

ニュースキャスターがそこまで言った直後、テレビの画面がフッと消え、同時にキャスターの声も途絶える。

テレビのリモコンでその電源を切った少年は、リモコンを置くとプログラム作業を続行する。

 

――やがて、キーボードを打つ手が止まると、少年は「やっとできた」とばかりにホッと安堵の息を漏らした。

しかし、直ぐに真剣な顔になると、チラリと背後にある通風孔――その中にある監視カメラへと一瞬視線を向け、そしてまた再び視線をモニターへと戻す。

モニターに映る無数の英文や数式。――それらの羅列の果てに【Noah's Ark】という文章が点滅していた。

 

その文章を見つめながら、少年は憂いを帯びた顔を浮かべる。

しかし、やがてそれが『覚悟の決まった表情(かお)』へと変化すると、少年はキーボードのエンターキーをタンッと押した――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――Noah's Ark Sailed Out(ノアズ・アーク出航)

 

 

 

 

 

 

 

 

――モニターにその文章が映し出された途端、少年は小さく息を吐きながら椅子の背もたれにもたれかかる。

 

「さようなら……。僕の友達……」

 

今にも消え入りそうなほどに小さな少年のその声は、誰の耳に入る事無く部屋の中で消えていった。

 

 

 

――やがて少年は、座っていた椅子から立ち上がると部屋を横切り、屋上の外へと通じるガラス戸を開けた。

そこには人工芝が一面に敷かれ、滑り台やブランコなどといった子供が遊ぶための遊具が設置されている。

しかし少年はそれらに一切目を止める事無く歩き続け、屋上の柵へと歩み寄った。

 

 

――()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

夜の夜景を彩る大都会の灯りを見下ろしながら、暗い笑みをたたえた少年は摩天楼の天辺で一人寂しく呟く。

 

「……僕も、ノアズ・アークみたいに飛べるかな……」

 

そうして少年は一歩前に足を踏み出そうとする。その先には()()()()()()()。ただ暗い、奈落の底があるだけであった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――「まだガキンチョのクセに、何もかも諦めてさっさと幕引きにしようなんざぁ生意気がすぎるぜぇ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――!?」

 

唐突に耳に入った第三者の声に、少年は驚いてその動きを止める。

それもそのはず、ついさっきまでここには少年以外誰もいなかったはずなのだ。

()()がここに駆けつけて来るのにもまだ時間がかかるはずである。

ならば、今聞こえたこの声の主は一体誰なのか。

少年は慌てて声のした方へと視線を向ける――。

 

 

――そこには男が立っていた。

 

 

一体いつからそこにいたのか、少年と同じく柵の向こう側に立つその男は、少年の数メートル離れた所に立って不敵な笑みを浮かべながら少年を見ていたのである。

 

「あ、アナタは……!」

 

その男の顔を見た瞬間、少年は更に驚きに目を丸くする。

何せその男は世間では――いや、世界的に見ても()()()()でとても有名な人物だったからである。

少年自身、テレビや新聞で何度か彼の顔を見た事があった。

 

――何故、この人がこのビルに?いや、それよりもどうやって入って……!?そもそも何の目的があって、どうしてこのタイミングで……!??

 

そんな疑問が頭の中を駆け回り呆然としている少年に向けて、男はニヤリと笑いながらその場にしゃがみ込むとビルの真下へと視線を落としながら少年へ向けて口を開いて見せた。

 

「こぉんなつまんねぇとこから飛んじまっても虚しいだけだろうに。……なんならよ、おじさんと一緒にもっと()()()()()()()()()()()()?」

「別の所……?」

 

首をかしげながらオウム返しにそう問いかける少年に、男は一層笑みを深め夜の大都会に向けて両手を大きく広げながら言葉を続ける――。

 

「……ああ。こんな冷たいビル(鳥かご)の中よりも、その向こうにある広大で自由に満ちた世界――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――『外の世界』へと飛んでみようぜ?少年(ガキンチョ)

 

 

 

 

 

 

 

 

仰々しくそう語って見せる男を前に、少年は呆気にとられた顔で彼を見上げる。

 

その少年の視界の中で、男の着る()()()()()()()が王の纏うマントのように風に大きく揺らいでいた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――既に就寝についていたトマス・シンドラーは、突然かかって来た部下からの緊急の連絡で飛び起きていた。

何でも()()()()()()()()()()()()の電源が突然落ち、少年の部屋の様子が全く分からなくなったのだと言う。

急ぎガウンを纏い、連絡を寄こしてきた部下と一緒に少年の部屋へと向かうトマス。

部屋に入るためのドアに手をかけるも、鍵がかかっていないはずなのにビクともしない。どうやら、内側から何かで抑えられているようであった。

仕方なく、トマスは部下に命令してドアを無理矢理こじ開ける。

部下の数回の体当たりの末、ドアはようやく開き、同時にドアを塞いでいた椅子が派手に吹き飛んだ。

トマスと部下は部屋へと足を踏み入れる。

 

――誰もいない。

 

電気のついていない薄暗くだだっ広い部屋が静かにそこにあるだけであった。

 

「――()()()!どこだ、()()()?」

 

トマスは()()()()()()()。だが、反応は全く無い。

シンと静まり返った部屋が広がっているだけであった。

部屋の中に少年の姿が無い事を理解したトマスは、今度は部屋を横切ってガラス戸を開け、その外へと一人飛び出す。

子供の遊具が設置された芝生の庭をキョロキョロと視線を巡らせるトマス。

すると視界の中で『ある物』をとらえ、トマスの目がそこに釘付けとなる。

屋上の柵の手前――そこに子供の靴が二足奇麗に揃えられて置かれていたのだ。

 

「――!ヒロキ!」

 

トマスは直ぐに柵に駆け寄り、身を乗り出してビルの下を覗き込もうとし――。

 

「……!?」

 

次の瞬間、自身のそばに何かの気配を感じたトマスは、瞬時に自身の真横へと視線を向けた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……よぅ。こんな夜分に、アポなしで失礼するぜ?シンドラー社長」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そこには男が立っていた。

 

一体いつからそこにいたのか。柵の外側――その僅かな足場しかない場所に屋上を吹き抜ける風をものともせず平然と佇む男がそこにいたのだ。

 

「なっ!?き、貴様は……!!」

 

何の前触れもなく、世間では()()()()()()()その男が目の前に現れた事に驚くトマスであったが、()()()()()()()()()()()を見て更に目を見開いて驚く。

 

「――!ヒロキ!?」

 

男の腕の中には少年――ヒロキの姿があった。

ヒロキは眠っているのか男の腕の中でピクリとも動かない。――しかし、その顔は()()()()()()を浮かべていた。

 

トマスの声を聞きつけて、先程トマスと一緒に部屋に入って来た部下の男も駆けつけて来る。

そして、少年を抱きかかえる男を目にした瞬間、すぐさま自身の懐に手を伸ばし――そこでいつも所持している拳銃が無い事に気づき、小さく舌打ちをしながら顔を歪めた。

騒ぎを起こしたのが少年()()だと思い込んでいた事と、まさかこのビルに侵入者がいたとは思いもしなかった事も相まって、油断していつも持っている拳銃を警備室に置いてきてしまったのが裏目に出てしまった。

 

「――ぐっ……!くぅぅ……ッ!」

 

部下のその様子からそれを察したトマスは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

そんなトマスを見て男は不敵な笑みを浮かべた。

 

「どうしたシンドラー社長?まるで()()()()()()って顔してるぜぇ?」

「だ、黙れッ!()()()()()が、()()()……ッ!!」

 

絞り出すように男に向かってそう叫ぶトマスに、男はやれやれとばかりに肩をすくめると、トマスに向けてはっきりとした口調で宣言して見せる。

 

「悪いがこのガキンチョはいただいていくぜぇ?俺様としても、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「ま、待て――」

「――あ~~ばよぉ~~~~~~ッ!!」

 

慌てて男を捕まえようと手を伸ばすトマスよりも先に、男は少年(ヒロキ)を抱えたまま、そこから思いっきり後方へと飛び空中へと身を躍らせた。

そのままビルの下へと瞬く間に落ちて行く男がトマスの視界から一瞬外れ、トマスは半ば無意識にその後を追うように男と少年が落ちて行ったビルの真下へと直ぐに視線を向ける。

 

――しかし、その時には既に男と少年の姿は何処にも無く。

ビルの下は夜の闇が広がっているだけであった。

 

「……ッ!クソォッ!!」

 

まんまと逃げられた。そう理解したトマスは苛立たし気に自身の拳をレンガの柵に打ち付けた――。

 

 

 

 

 

 

――そして、そんなトマスと部下の背後。少年()を失った静かな部屋の中で、パソコンのモニターだけが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

――そこには大海原へと消えていくノアの方舟の映像と、その後にGood-bye HIROKI(さようなら ヒロキ)という文字が映し出されていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――それから、二年の年月が流れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:灰原哀

 

 

(……一体、何なのかしらこの状況……?)

 

私は、今の状況が全く飲み込めず、ただ物陰から米花私立病院の待合スペースの様子を覗き見る事しか出来なかった。

昼下がりの広い待合スペース。いつもなら患者さんたちや医療スタッフたちの会話などでそれなりに騒がしいその場所も、今はお通夜の最中じゃないかと思えるくらいに静まり返っていた。

病院にやってきた患者やお客、受付にいるスタッフすら一切口を開こうとする様子は無い。

 

その静寂の原因となっていたのは、その中央で()()()()()()()()()だった。

 

片方は黒いスーツにサングラスをかけた見るからにボディーガードを思わせる出で立ちの男たちが数人。そしてそんな男たちを率いているらしい同じく黒の外套を纏った男がそこにいた。

ボディーガードたち黒服の先頭に立つその黒の外套を纏った男は、顔の下半分をマフラーで隠し、残りの上半分を黒の山高帽子を目深に被って隠していた。

しかしそれらの隙間から僅かに覗くその顔の肌の()()を見るに、それなりに歳を取った男だという事が伺い知れた。

 

そして、そんな男たちと対峙しているのは、私のよく知る人たちだった。

白井副院長に風戸先生。藤井さんに鳥羽さんといった白衣の医療スタッフの面々が十数人。

皆、いつもの患者たちに向けるような温厚な顔は一切見せず、明らかに『敵』を見据えるような険しい眼光で黒外套の男たちを睨みつけている。

そしてその白衣の集団の中にも、先頭に立つ人物が存在した。

 

――言わずと知れた、カエル先生だ。

 

ただカエル先生も、他の医療スタッフたち同様、いつもの温厚な顔はなりを潜め、眉根を寄せて険しい顔を浮かべている。

まるで穏やかさなどみじんも感じさせない、一触即発のこの状況。

今にも争いが始まるんじゃないかと思わせるほどの黒服と白服のその対峙に、私は無意識に息を呑んでいた。

 

……全く。研究の休憩がてらに何か飲み物でも飲もうと地下から上がってきた途端にコレだ。勘弁してほしい。

 

しかし、このまま何も見なかった事にして地下に引っ込むことも出来ず、かと言ってあの集団の中に割り込んで行くなんて度胸は私には無いため、仕方なく周囲で見守る人たち同様に様子を見守る事に決めた私は、息を殺して二つの集団の間で交わされる会話に耳を傾けた。

 

「……もう一度聞くぞ。――()()()()()()?」

 

と、黒の外套の男がそう口を開いたのを機に、カエル先生もそれに答えるように口を開く。

 

「何の事を言っているのか、分からないね」

「とぼけるなッ!!」

 

黒外套の男の怒声がその場に響き渡る。

離れた所で聞いていた私でも反射的にビクッとなってしまうような怒声。しかし、それを間近で受けたのにもかかわらず、カエル先生は平然としたまま男を見据えていた。

そんなカエル先生の態度に、顔を隠した黒外套の男の体から明らかに苛立たし気な空気が漏れて来る。

 

「これは、()()()()()()()()……!!分かっているんだろうな!?」

「はて……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、僕には全く分からないね」

「……ッ!!」

 

カエル先生の返答に黒外套の男は言葉を詰まらせる。

 

(……どういうこと?カエル先生が何か悪い事でもしたとでも言いたいの?)

 

先の黒外套の男の言葉は明らかにカエル先生が犯罪に手を出したと言っているようにしか聞こえず、私は内心混乱する。

だが、それと同時に今のカエル先生の言葉にも()()()()()()()があった事にも私は気づいていた。

それがどんな意味を持っていたのかは私には分からなかったが、少なくとも黒外套の男にはその意図が分かったらしい。だからこそ言葉を詰まらせたのだ。

 

「……いいか?この病院には()()()も大いに出資支援している!貴様がその態度をとり続けるのならば、その契約を破棄にしてやってもいいのだぞ!?」

「好きにすると良い。何をどうされようとも、僕にはまるで身に覚えはないし、身に覚えがない事をどう並べ立てられ続けようとも僕にはどうする事もできないしね?……それに、たとえ契約を打ち切られたとしても、僕には他に大勢の出資者がいてくれるんだ。アナタが手を引いたとしても、別にこちらに変化はないと思うよ?」

「き、貴様ッ……!!」

 

帽子の隙間から親の仇でも見るかのように睨みつける黒外套の男。そんな男の視線を平然と受け止めながら、カエル先生は力の籠った声で言い放つ。

 

「アナタの言うように、僕が何か犯罪を犯していると言うのであれば、その確固たる証拠をここに持って来るといい。話はそれからだ。僕は逃げも隠れもしないよ。……さあ、この話はここまでだ。そろそろお引き取り願おう。ここに居座られては他の患者さんやスタッフの方々の迷惑だからね」

「……!!」

 

そう言って視線を周囲へと向けるカエル先生に黒外套の男もつられて周囲へと目を走らせた。

 

 

 

そこにあるのは絶対零度を感じさせられる冷たい、目、目、目――。

 

 

 

この場に居合わせた医師が、看護師が、患者が、その患者の縁者が――その誰しもが黒外套の男と取り巻きのボディーガードたちをジッと静かに睨みつけていたのだ。……もちろん私も。

誰も口を開かない、無言の圧力。

だが、口には出さないまでもその視線の全ては口よりも雄弁に物語っていた――。

 

 

――「さっさと、出て行け」と。

 

 

「――ッ!こ、このままでは済まさないからな……!!」

 

無数の視線の迫力に気圧される黒外套の男とボディーガードたち。

それに耐えかねたのか黒外套の男は捨て台詞(ゼリフ)を一つ吐くと、ボディーガードたちを連れてそそくさと病院を出て行った――。

黒外套の男たちが去って行くのを確認したカエル先生は一息つくと、「お騒がせして申し訳ありませんでした」と律義にもその場に居合わせた人々に一人一人謝罪して回った。まあ、当然のように誰も気にしてはいなかったが。

そうして待合スペースにいつもの喧騒が戻ってきたのを確認したカエル先生は、仕事に戻ろうと踵を返す。

それは他の医師や看護師たちも同様であった。

私はそんな仕事に戻ろうとするカエル先生に声をかける。

 

「カエル先生」

「……おや、哀君もいたのかい?……悪かったね。騒がせちゃったみたいで」

 

そう言って謝って来るカエル先生に私は直ぐに(かぶり)を振る。

そしてすぐさま私はカエル先生に問いかけていた。

 

「それよりも、何なの?今の人たち」

「……なぁに、気にする必要はないよ。単なるクレーマーさ。……たまにいるんだよ、治療の方針ややり方が気に入らないと文句を言ってくる人たちがね?」

「…………」

「……(せわ)しなくて申し訳ないけど、この後も色々と予定が立て込んでいてね。悪いけど失礼させてもらうよ」

「え、ええ……」

 

そう言って会話を切り上げ、仕事へと戻って行くカエル先生の背中を私は見送る。

その背中を見ながら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

今までの黒外套の男との会話からしてただのクレーマーで終わる話だとはどうしても思えない。

カエル先生は明らかに何かを隠している。それは間違いなかった――。

 

(あの黒外套の男と、一体何があったの?カエル先生……。あの男の言っていた『犯罪』って一体……)

 

病院の奥へと消えるカエル先生の背中に心の中でそう問いかけるも、当然返ってくる言葉は何一つとして無かった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――それから数日後。江戸川(工藤)君たちと一緒に行った米花シティーホールの()()()()()()()()()()()()()()()()()で、この一件が大きく動き出す事となる。




最近一万字越え投稿が多いなぁ~(遠い目)。

次回以降の投稿なのですが……ぶっちゃけまだ構想がちゃんと出来ていません。
そのため、次回投稿はしばらく先になると思いますが、出来れば今年中に一話は出したいと思っております。


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カルテ36:???・???【2】

毎回の誤字報告、及び感想ありがとうございます。


SIDE:三人称視点。

 

 

灰原が見た米花私立病院でのひと悶着からしばらくしたある日、成田空港に降り立ったとある飛行機から一人の男が日本の地へと足を踏みしめた――。

 

――男の名前は銭形幸一(ぜにがたこういち)

長年、()()()()()()()を追い続けているICPO(インターポール)の敏腕警部である。

名前の通り彼は生粋の日本人であり、前述したとおり彼はある怪盗一味を捕まえるため、日夜その一味を文字通り世界を股にかけて追いかけている専任捜査官なのだが、今回彼が生まれ故郷の日本に舞い戻って来たのは決して里帰りという訳では無かった。

 

切っ掛けはほんの一日前の事。

ICPO本部で怪盗一味に関する資料をまとめ終え、休憩がてらにコーヒーを飲みながら今日買って来たばかりの新聞を読みふけっていた時の事だ。

新聞を流し読みしていた途中、ふととある一面に目が止まったのだ。

 

――『IT産業界の帝王、日本に来日』

 

という、デカデカとした見出しの後に髭を蓄えた貫禄ある五十代くらいの男の写真が載せられていた。

 

「…………」

 

飛行機を降りて日本の空港にいるときに撮影されたであろうその新聞の写真には、多くのファンらしき群衆やボディーガードらしき黒服たちに囲まれながらにこやかに手を振る五十代の男が中心に大きく写っている。

銭形は、写真の男を見つめながら僅かに目を細めた。

 

写真に写るその男の名は、トマス・シンドラー。

 

過去に銭形は、そのトマスと面識があった。とは言え、それは()()()()()()()()()()()の顔見知り程度の面識でしかなかったのだが。

銭形は写真に写るトマスの姿を見た後、新聞の文面へと目を走らせ、彼が来日した目的――その内容へと読み進めていく。

そうして読んだ新聞のその文面の内容から、どうやらトマスが来日した目的は彼が自社で開発したとある仮想体感ゲーム機の発表会に参加するためだという事が分かった。

だが、ゲーム機に一ミリも興味が無かった銭形は、その来日目的にもあっさりと興味を無くし、再びトマスの写真の方へと視線を移すと――。

 

「……?――ブッ!!?」

 

――その写真の中に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことに気づき、反射的に飲んでいたコーヒーを盛大に吹き出していた。

 

最初こそ気づかなかったが、その人物はトマスに向けて手を振る群衆の中にいた。

赤いジャケットを身に纏い、猿に似た顔を持つその(人物)は、周りにいる人々とは違い険しい表情を顔に張り付けてトマスを見つめていたのだ。

 

目下、自身にとって()()()()()()()であるその男が写真に写っていたのを確認した銭形はすぐさま自分も日本に向かうために行動に移る。

 

そうして日本に行く手続きを済ませ、即行で荷物をまとめて飛行機に乗り込み、遠路はるばる日本へとやって来たというのが今現在銭形がここにいる事の経緯(いきさつ)であった。

 

(さて、日本にやって来たはいいが、これからどうするか……。やはり、シンドラー社長と一度面会を取るべきかもしれんな)

 

そう考えた銭形はその足を()()である警視庁へと向ける。

元々、銭形はインターポールに出向する前は警視庁所属の警察官だった。

そこに行けば今現在トマスが宿泊しているホテルを特定できると踏んだ彼は、足早に警視庁へと向かった。

 

「…………」

 

時刻はもう夕方――。

ラッシュ時間帯故に、車道脇の歩道を行き交う人々は多く。銭形の向かう先には人の群れがごった返していた。

警視庁へと向かうその道すがら、銭形はふと新聞に映っていたシンドラー社長を睨む男の事を考える――。

 

()がシンドラー社長を見ていたのは、()()()()()()が絡んでいるとみてまず間違いないだろう……。だが、()()()()()()()……いや、そもそも――)

 

――銭形がそこまで思考を巡らせた、その時だった。

 

 

 

 

 

 

「……遠路はるばる日本にやって来るたぁ、職務熱心なこってぇ()()()()()♪」

 

 

 

 

 

「――!!!」

 

唐突に()()()()()()()()()()()()が、()()()()()()()()から聞こえ、銭形は思わず足を止めて身を硬直させる。

しかし、直ぐにゆるゆると肩の力を抜きながら銭形は肩越しに背後へと視線を送った――。

 

 

 

 

――そこには男が立っていた。

 

嫌と言うほどに見慣れた猿顔(モンキーフェイス)に赤いジャケット纏ったその男は、銭形を見ながらにヒヒと笑いかける。

それを見た銭形は思わず男の名を零していた――。

 

「……る――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ルパン……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――世紀の大泥棒、ルパン三世(さんせい)

 

東西南北。それこそ文字通り世界と股にかけて飛び回り、他の一味たちと共に『お宝』を求めて各国を引っ掻き回していくその名は知らぬ者はいないと言わしめるほどに有名であった。

 

その名の通り、かの名高き大怪盗『アルセーヌ・ルパン』の孫にあたり、その肩書に恥じぬずば抜けて狡猾な頭脳と不可能を可能にするほどの高度な技術力を有しており、長年にわたり世界中の警察が血眼になって彼と彼の一味を追い続けるも、一向に捕まえられずにいるのが現状であった。

 

自身が捕縛に執念を燃やす、狙った獲物は決して逃がさない神出鬼没の大泥棒が早くも自分の目の前に現れた事に銭形は不敵な笑みを浮かべる。

 

「……ルパン。自分からワシの目の前に現れるとはいい度胸だ。ようやく逮捕される気にでもなったのか?」

「アハハハ、馬鹿おっしゃい!そんなわけないでしょーよ」

「だろうな」

 

片や犯罪者。片や警察官と言う関係だというのに、二人は軽薄な会話を交わして行く。

 

「そっちこそ、俺様が目の前に現れたってぇのに捕まえねぇのか?」

「直ぐにでもそうしたいが、今周りはこの人の混みようだ。ここで暴れたら周囲の一般市民に怪我をさせかねんからな。……それに、今回はお前に聞きたい事が色々とある」

「…………」

 

銭形のその言葉に男――ルパンは思わず黙り込む。

それをチラリと一瞥した銭形は構わず言葉を続ける――。

 

 

 

 

 

「――()()()()()()()()?」

 

 

 

 

「!」

 

それに僅かに目を見開くルパン。銭形の言葉は止まらない。

 

「……昨日見た新聞の記事――シンドラー社長来日の写真に、お前が写っていた。お前がシンドラー社長に近づいたのは()()()()()()が絡んでいるんじゃないかと、ワシは睨んでいる」

「……やれやれだぜ、()()()()()()()()()()()そんなドジ踏んじまうたぁ、今回はツイてない事だらけだなぁ」

「?」

 

苦笑を浮かべながらため息交じりにそう呟くルパンに、銭形は怪訝な顔を浮かべる。『一度やならず二度までも』、その言葉に引っ掛かりを覚えたのだ。

だが気にはなったものの、それよりも最優先で確認しなければならない事が銭形にはあった。

 

「……で、どうなんだ?ヒロキ君は元気なのか?今、何処にいるんだ?」

「案外、墓の下とかかもしれねぇぜ?俺様が言う事を聞かないあのガキンチョに苛立って思わずナイフでグサッと……」

「それこそ馬鹿を言うなだ。お前が十歳の子供に手をかける冷酷漢なら、ワシがとうの昔にお前を刑務所にではなく地獄に送ってる」

「お~(こわ)っ」

 

そう言っておどけて見せるルパンに銭形は鋭い目つきで睨みつける。

その視線を受けて肩をすくめたルパンは観念したように銭形の問いにようやく答えた。

 

「……元気だぜ。もっとも、今何処で暮らしてるとかまでは言えねぇがな」

 

それを聞いて銭形はホッと小さく安堵の息を漏らす。

 

――二年前。ルパンは当時十歳ながらも天才とうたわれたヒロキ・サワダの前に突然現れ、彼をシンドラー社から連れ去った(ルパン流にいうならば『盗んだ』)のだ。

直ぐに警察が捜査に乗り出すも、その後のヒロキの行方は手がかり一つ掴むことが出来ず、全てはルパンだけが知る運びとなり今に至ってしまう。

当時の銭形も、その一報を聞いて捜査に乗り出し、目の前でヒロキを連れ去られて半ば放心状態となっていたトマス・シンドラーの事情聴取にも立ち会っていた。

ルパンが理由もなく子供に手をかける人間じゃないと分かってはいるものの、やはり二年間もヒロキの安否が分からず進展も無ければ、多少なりとも銭形の中にも不安はくすぶってしまうのも無理からぬことであった。

もちろん、ルパンの方だけならばこの二年の間に接触する機会は幾度とあった事はあったのだが、そういった時は毎度のことのように別件のトラブルが起こっており、必然的にそちらのトラブルを優先して解決しなければならない流れとなってしまい、結果、ヒロキの件は二の次状態となってしまっていた。

それ故にようやくルパン(連れ去った本人)の口からヒロキの生存が確認できたことに銭形は肩の力が抜けるような思いであった。

 

「そうか……ま、元気にしているのであればそれでいい」

「おいおい、警察官(インターポール)がそれでいいのかよ?」

「まぁ、警察官としてなら対象(ヒロキ君)を保護はしなければならないのだろうが……体よく教えてもくれんのだろう?今回、シンドラー社長を追いかけて日本に来た理由も」

「まぁなぁ♪」

 

銭形の言葉に、ルパンは苦笑交じりにそう返す。

すると次の瞬間、そんなルパンの表情がスッと消え、今度は真剣な目を銭形に向けながら口を開いた。

 

「……なぁとっつぁん、今すぐこの件に首を突っ込むのを止める気はねぇか?」

「無い。ルパンある所に銭形ありってな。ワシも二年前の一件には浅くとも関わっている。……今回の一件、まず間違いなく二年前の一件絡みなんだろう?……まだ憶測の域を出たわけじゃ無いが、恐らくは下手をするとヒロキ君の身に危害が及ぶ可能性がある。違うか?」

「…………」

 

そんな銭形の問いかけにルパンは沈黙する。銭形はそれを肯定ととり言葉を続けた。

 

「……なら一般市民を守るべき警察官の俺が何もせずに引き下がるわけにはいかん」

「かーっ!予想はしてたけどやっぱこうなったか!」

 

顔に手を当てて天を仰ぎ見るルパンを視界の端に捉えながら彼を見据え続ける銭形。

そんな銭形の視線を受けながら、ルパンは銭形に背中を見せるとそのまま彼に向けて口を開いた。

 

「……今夜開かれるっつー体感ゲームの発表会に行ってみりゃあいい」

「――!シンドラー社長も製作に関わっているというあのゲームのか?……お前はそこで何かを起こすつもりなのか?」

()()()()()()

「何?」

 

ルパンが呟いたその言葉に、銭形は眉根を寄せる。てっきりルパンがその発表会で何かを企んでいると考えていたからだ。

そんな銭形の心境をよそに、ルパンは言葉を続ける。

 

「……全てはシンドラー社長、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。……俺様が事を起こすとしたら、それからだ」

「…………」

 

ルパンの言っている意味が今一つ掴めなかった銭形は、首をかしげながら沈黙して彼をジッと見据える。

すると、ルパンはもう言う事は無いとばかりにおもむろに人込みをかき分けながら歩きだした。

 

「じゃあなぁ、とっつぁん。縁がありゃあ今度は会場の中ででも会おうぜぇ。……あんま会いたかねぇけど」

「待て、ルパン……!」

 

片手で軽く手を振りながら人込みの中へと消えていくルパンの背中に、銭形は慌てて声を張り上げて呼び止めようとする。

しかし、ルパンの足取りが止まる事は無い。人の往来も激しく、彼を追いかけることも出来ない。それでも銭形は小さくなっていくルパンの背中に声をかけ続けた――。

 

 

 

「最後に一つ聞かせろ!……二年前のあの一件!()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……!?」

 

 

 

二年前のヒロキ誘拐事件。あの一件は銭形の中でずっと引っかかっていた。

トマスや部下の黒服が犯行現場を目撃しているため、実行犯はルパン本人に間違いない。

しかし、ルパンがヒロキを連れ去った()()()()が銭形にはどう考えても分からなかったのだ。

確かに巷ではヒロキは十歳という年齢にもかかわらず大人顔負けの頭脳を以って様々な成果をもたらした天才少年だが、ルパンがその才能を利用して何かを企んでいるという考え自体、銭形には想像できなかったのである。

仮にルパンがヒロキの才能を利用して何かを計画しているとしても、ヒロキがそれに協力するとも限らないし、もしヒロキがそれを断ってしまえばそれまでとなってしまう。

長年、銭形はルパンを追っているためその過程で彼の性格を熟知している。そのため、ルパンがヒロキを無理矢理従わせるために手を上げるような事をするというのも考えられなかった。

ましてや、二年という空白(ブランク)もある。

それらの事もあってルパンがヒロキを使って何かをやろうとしているというのは、銭形にはどうしても思えなかった。

なのに二年前のあの日。ルパンは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。何故か?

そこに今の自分にも知らない何か大きな理由が隠されていると、銭形はそう直感していた。

 

――しかし、声を上げて投げかけた銭形のその問いかけは、周囲の雑踏にかき消され、と同時にルパン本人の姿も銭形の視界から完全に消え失せる。

 

彼の耳に銭形の言葉が届いたのか……それはもはや問いを投げた銭形(本人)にも分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:三人称視点。(ルパン一味の会話)

 

 

「たっだいまぁ~。今帰ったぜ五右衛門(ごえもん)ちゃん♪」

「……遅かったなルパン。何処に行っていた?」

「ん~?いや、ちょいととっつぁんに会いになぁ」

「……何?……何故、銭形に?」

「いやなぁ、この際だからとっつぁんにもすこーしばかり協力してもらおうと思ってなぁ。……ほら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「…………」

「それよか次元(じげん)はまだ帰って来てねぇのか?」

「少し前に連絡があった。そろそろ帰って来てもいい頃合いだ」

「……おう、ルパン。今帰ったぜ」

「噂をすればだ♪……よぉ次元。シンドラーの方で何か動きはあったか?」

「ああ、それなんだがな……。ちょいとこれを見てくんねぇか?」

「あん?どったのさ?……写真?……!!()()()()()……!!」

「そいつらがシンドラーと会っているのを見つけちまってな。……どうやら(やっこ)さんら、今朝日本に来たばかりらしい」

「オイオイ、シンドラー社長……()()()()()()()()()()()()()()()()?こらぁ、穏便に事が済むか怪しくなってきたぜぇ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SIDE:???・???

 

 

「……()()()()。本当に一人で行くつもりなの……?」

 

日が傾き、外が茜色に染まり始めた部屋の中で、僕は目の前で身支度を整えるお父さんにそう尋ねる。

 

「安心しなさい。()()()()()()()()()()()だから何も起こりはしないよ。……大丈夫だ。決してお前に危害が及ぶことは無い」

 

お父さんは僕を安心させるように小さく笑みを浮かべながらそう答える。

しかし、それでも僕の中でくすぶる不安の感情は一向に引く気配がなかった。

するとそこへ白衣を纏った()()()()()()()()()()が部屋へと入って来た。

 

「失礼するよ?準備は出来たのかい?」

「ああ、()()()()()。今、終わった所です」

 

お父さんのその言葉に、カエル先生は小さく頷く。

 

「……そうかい。僕も準備が出来次第、直ぐに会場に向かう事にするよ。……さっき()()()()()からも連絡があって、もうすぐ日本に着くと言っていたしね」

「そうですか。カエル先生だけでなく優作もいてくれれば、もう何が起ころうとも大丈夫そうですね」

「ああ……それに、会場には他にも()()()()()()が参加する予定でね。信頼のおける人たちだからワケを話せば協力してくれるだろう。だからキミはキミのやるべき事を全うすると良い」

「本当に……何から何までありがとうございますカエル先生。それでは行ってきます」

 

そう言ってお父さんはカエル先生との会話を終えると再び僕へと顔を向けた。

 

「じゃあ、行ってくるよ」

「……あ!待ってお父さん!」

 

玄関へと向かおうとするお父さんを、僕はすぐさま呼び止める。

そして「何だい?」首をかしげて僕を見るお父さんに、僕は()()()()()()()()()()()をお父さんに手渡した。

 

「これ……持って行って。今日、()()()()と一緒に図工の授業で作ったんだ。お守り代わりと思って持って行って」

「へぇ……良く出来てるじゃないか。ありがとう、大事にするよ」

 

そう言って喜びながら、お父さんは僕があげた『創作物』を()()()()()()()へと入れた――。

 

 

それからすぐにお父さんが退出し、それに続く形でカエル先生も僕に別れを告げて出ていくと、部屋には僕だけが残り静寂が降り立った――。

 

(あと数時間でゲームの発表会が始まる……。何も起こらなければいいけど……)

 

そうは考えるも、何故だか一向に不安が僕の中から消える事は無かった。

どうにも心配になった僕は、我慢しきれずにそばにある机に乗っている()()()()()()パソコンの前へと立つ。

そうして、少しの間カタカタとキーボードを操作すると僕は明るくなっているモニター画面に向けて()()()()()()()――。

 

 

 

「……お父さんの様子、見に行ってくれる?」




最新話投稿です。

長く期間が空きましたが、何とか書くことが出来ました。
これで、今年の投稿は最後とさせていただきます。
また来年からも投稿は続けますので、その時はまたよろしくお願いいたします。

それでは皆様、良いお年を!


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