夏、茜色の言葉 (しづめそら)
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夏、茜色の言葉

この話には「」『』( ) " "が出てきます。
すべて意味があります。よろしくお願いします。


その子に会ったのは5年前の今日だった。

嫌というほど空が晴れ渡っていた。10日連続で35℃を超え、例年より救急車のサイレンが多く聞かれた。じっとりと張り付くTシャツに辟易としながら外出をした。車のエンジンの音すら呑み込む蝉の声が暑さを助長させていた。

その日は、世間でいう盆休みの最終日だった。社会に出て、一人暮らしを始めて6年。やりたいことをしていた盆休みだが、毎年欠かさず8年前に死んだ母の墓参りには行っている。もう少し涼しくなってからと言い続けてついに、明日から仕事が始まってしまう時になった。涼しくなることはなかった。

 

少し離れた山の中に母が眠る我が家の墓がある。河南家に代々引き継がれてきた墓だ。日が傾き始めた午後4時過ぎにそこを訪れた。車を持っていない僕は自転車か徒歩を余儀なくされた。山中をママチャリで向かうのは体力の無駄だと思い、炎天下の中を徒歩で向かうことになった。太陽にさらされる肌に痛みすら感じた。我が家の墓に着いた頃にはTシャツが絞れるくらい汗をかいていた。我が家の墓に暫し語りかけ、その場に座って通り道の自販機で買ったコーラを飲んだ。こうしていると、母と空間を共にしている気がした。

ちらほらと人の姿が見えた。特殊な感情はなく、漠然と通り行く人を眺めていた。

その中にたった一人で佇む少女の姿があった。水色のシャツとデニムのショートパンツが活発な印象を与え、時折吹く風が肩口まで伸びた黒髪を揺らしていた。流れ行く人に従いも逆らいもせず、その場で立ち止まっている。何がそうさせたのかわからないが、僕は少女をしばらく目で追っていた。そうしていると、少女はこちらを向いた。確実に目があった。言葉を交わしたわけではない。しかし、その年から少女とは顔見知りのような関係になっていった。

 

次の年。冷夏の影響もあって早めに墓参りを済ませようとして、盆休みの真ん中あたりで墓地へ向かった。いつも通り墓を背に座り、漠然と通りゆく人を眺めていた。前の年と違うのは、手にあるのがコーラではなく缶ビールだというところくらいか。

「……」

細い指の感触が肩に乗った。驚いて後ろを振り返ると、その少女の姿があった。

「……」

「ど、どうしたの?」

もちろん、そのときの僕に少女の記憶があるわけがない。少女が僕のことを知っていることに動揺しながらも、そのことは頭に戻らなかった。

「……!……!」

手を忙しなく振って何かを伝えようとしている少女に、僕は首を傾げて応えた。そして少女が口をパクパクさせたときに悟った。

(もしかしてこの子は声が出ないのか?)

そしてその予想は的中する。

「あぁ……あぇ……あーぇ……」

少女は苦しそうに音を紡いだ。いや、いい。と少女を制した。この声を聞くことが心苦しかったのだ。

おそらく、先ほどの手の動きは手話なのだろう。生憎僕は手話の知識を持ち合わせていなかったので、理解できなかった。

提げてきたバッグの中からボールペンとメモ帳を取り出す。

「ごめんね、手話はわからないんだ。だからこれに書いてくれるかな?」それを差し出す。

少女は墓の縁にメモを置いて書き始めた。書き終わり、渡されたメモ用紙には、下手な字でこう書かれていた

"わたしのおかあさんを見ていませんか?"

「はぐれちゃったの?」

少女は首を傾げるので、ボールペンをもって、"おかあさんと離れ離れになっちゃったの?"と書くと少女は頷いた。

この墓地に迷子センターのようなものはない。そもそもはぐれてしまうほど人はいない。範囲はそこまで広くないし、すぐに見つかるだろう。

「よし、一緒に探そうか」

と、手を差し出すと嬉しそうに笑って頷いた。

 

結果から言うと母親は見つからなかった。その子の家の墓に案内してもらったが、その付近に母親はいなかった。歩き回っていると少女が疲れたというので、おんぶをして探した。動き回った結果、必死で少女を呼びかける父親の姿があった。父親に少女を返すと二人はそのまま下山していった。勘が悪い僕はそのときに気付いたのだった。

 

「1年ぶりだね」右手を上げて挨拶する。少女もそれに答えた。

また次の年、少女が隣に座った。打ち合わせをしているわけではないのに、いつも会う。お盆の期間は毎日来ているのかもしれない。特に何かを話す予定も、会う予定もなかったけど、なんとなく少女がいる気がして、りんごの缶ジュースを2本持ってきた。子供の前だから、酒は控えておくことにした。

「飲む?」

スーパーの袋から缶ジュースを取り出し、少女の目の前に差し出す。少女はあどけない笑みを浮かべて頷き、缶ジュースを受け取った。すっかり懐かれてしまったようだ。

自分の分の缶ジュースも取り出し、開封する。プシュッ、と小気味のいい音が2つ同時に鳴り響いて、ふたり顔を見合わせて笑った。当然、少女の笑い声は聞こえない。

「そうだ」

少女の肩をつつく。少女は振り向いて僕を見た。自分を指さして、僕は手を動かす。

『私の、名前は、やぎ、れい、です』

たどたどしい手話で、自己紹介をした。少女は驚いたような、喜んでいるような表情をしていた。

去年、少女は耳が聞こえないと知って、ほんの少しだけ手話を覚えた。思い返すと、名前を知らなかったので、自己紹介の方法だけでも覚えることにした。

『れい、さん』

少女は手話で僕の名前を繰り返した。僕は頷いて返した。どうやら通じたようだ。

続いて僕は、『あなたの、名前は、なんですか?』と手話で伝える。

「き、た、さ、と、あ、か、ね」

一文字ずつ、一文字ずつ、少女の口が音を紡ぎ、確かな言葉となった。きたさとあかね、これが少女の名前。

その時の僕はどんな顔をしていたのだろうか。おそらく、目をおおきく見開いていたことだろう。

「話せるのか…?」

思わず直接尋ねてしまって、少女、あかねは首を傾げた。あかねはメモ帳を取り出して何かを書き、僕に見せた。

"がんばっておぼえた!パパがてつだってくれたの!"

瞬間、目頭が熱くなった。僕のためかどうかはわからないけど、一生懸命覚えたんだと想像すると、涙がこみ上げてくる。

僕は、別のメモ帳を取り出して、あかねに答える。

"すごいね!びっくりしたよ!"

と書いて渡すと、あかねは笑顔を見せてメモ帳ペンを走らせる。

"つぎはもっとおはなしする!"

僕もそれに答える。

"僕は手話を覚えてくるよ!"

ふたり顔を見合わせて笑い、その日は別れた。

 

あの日から僕とあかねは毎年同じ場所で出会う。そして、会話をしている。耳が聞こえる僕は手話で、聞こえないあかねは声で。異質な光景かもしれないけれど、毎年あかねの成長が見られてとても楽しい。去年は挨拶を交わした。多少たどたどしくはあるが、流れが出来つつあった。僕は今年が楽しみで仕方がない。あかねの成長が楽しみだ。今年の僕は日常会話の手話をマスターしたつもりだ。今年はどうだろうか、そう考えながら墓地へ向かう。我が家のお墓の前には毎年少女がいる。バッチリ目があった。僕はその子に向けて合図を送る。

『こんにちは、また、この、日が、きましたね。私は、楽しみに、していました』

少女は終わったことを確認して、おおきく息を吸った。

「こんにちは、わたしも、楽しみ、でした」




こういう雰囲気のものも書けていたんだ、と自分自身に言い聞かせるため投稿しました。
よければ他の話も見ていってください。


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