樋口円香と、幼馴染フラグルート (雨あられ)
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1話

「わ、私は『    』す、好きだよ!」

 

そう言って恥ずかしそうに声を出した小糸。

きっと、それ以上の意味なんてない。表裏のない言葉通りのセリフ。

 

「やは~♡雛菜も『      』好きかも~!」

 

いつも通り間延びした口調で同調する雛菜。

長い付き合いだけれど、私にはその真意が”どちらか”までは……読み取れない。

 

「……私も好きだよ。『        』のこと」

 

「ぴゃ!?」「あは~♡」

 

……柔らかい表情で微笑むその顔は……

 

「わーい!透先輩も一緒~!」

 

「ひ、雛菜ちゃん!急に飛びついたりしたら、あ、危ないよ!?」

 

「え~!じゃあ、小糸ちゃんに飛びつく~!」

 

「ぴゃ~っ!?」

 

「…………ずっと前から」

 

ぼそりとつぶやいたセリフは、騒ぐ雛菜やそれを嗜める小糸の声で掻き消えてしまう。

聞こえたのは多分……

 

「…………何?」

 

「いや、樋口はどうなのかなって?」

 

「そんなの、答えるまでもないでしょ?」

 

「…………そっか。じゃあ……ライバルだ」

 

「……はぁ?どうしてそうなるわけ」

 

「え?だって……」

 

不思議そうに瞬きをしてから、はにかんだ透は

 

「好きじゃん。『プロデューサー』のこと」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

樋口円香と、幼馴染フラグルート

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『アイドルに興味ないかな?』

 

そう言って、彼女。浅倉透をスカウトしたことがもう随分前のことに思える。

その後を追うようにして、市川雛菜、福丸小糸、そして、樋口円香の4人をアイドルとして迎え、トップアイドルを目指してプロデュースすることになった。

彼女たちは、幼馴染というかけがえのない絆を胸に、芸能界という未知の世界を駆け抜けて、そして、ついに……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……何をしてるんですか?」

 

「あぁ、おはよう!円香!」

 

それは曇り空の広がる早朝のことだった。

事務所へ向かう道の途中で、空き缶の入ったごみ箱がひっくり返っていた。

そのまま放っておいても良かったのだが、時間もあったし、流石にこれだけの量が落ちていたら誰かが怪我でもしかねない。そう思って缶を拾っていたところにやってきたのはヘアピンの似合う、落ち着いたタレ目の少女、樋口円香……新人アイドルの頂点に輝いたnoctchill(ノクチル)、そのメンバーの一人。

 

「……おはようございます。……それで、あなたはその無駄にあふれたやる気で朝からボランティアを?飽きもせずに社会奉仕活動ご苦労様です」

 

「ははっ……まぁ、そんなところかな」

 

カン、カランと。空き缶をごみ箱に入れる音が響いている。

円香は答えを得たというのにそれで先に進むこともなく、いつものように携帯をいじりながら、俺がごみを拾う様子をチラリと眺め見ている。

 

カラン

 

「……」

 

カランカン

 

「……」

 

カン

 

「……………………別に、誰かがやるでしょ。清掃の人とか」

 

手を休めて、立ち上がると、日ごろの運動不足か少し流れていた汗を拭った。

 

「そうかもしれないけど、気が付いちゃったからな」

 

「呆れた。そうやって、必要のない仕事まで自分のものにするつもりですか?流石はミスター・オールドタイプ、労働者の鑑ですね」

 

「きっと誰かはやらないといけないことだから」

 

「……」

 

我ながら偽善が過ぎるなとも思えたが、それでも空き缶拾いを再開する。

円香が言っていることはもっともだ。自分でも一体誰がこんなことをとか、面倒だなと思う気持ちがないのかと言えば、嘘になる。

 

それでも、何となく放っておけなかった。一度始めたことを、最後まで。

 

「…………」

 

「え?」

 

カンと、音が一つ増えた。

タッタと歩いた音がしたかと思えば、続けざまにカン、カランと音が鳴る。

後ろを向くと、不機嫌そうな円香の横顔が目に入る。

 

「…………何?」

 

「いや……今日のは、ただの俺の自己満足でやっていることで……」

 

「でしょうね」

 

「それに、汚れてしまったりすることもあると思う。だから……」

 

「えぇ…………でも、わかってますか?」

 

カランと、また一つ音が鳴り

 

「あなたのせいでしょ?」

 

「……え?」

 

ドキリと、身体に緊張が走った。

それは何気ないセリフだったが、円香の、樋口円香の場合に限っては……本心からの訴えに聞こえたから。

動揺する俺をよそに、円香は言葉を続けた。

 

 

「……あなたが居ないと、事務所、開かないから」

 

 

そう言って、カンカンと空き缶を拾い続ける円香……。

急速に、体中から力が抜けていき、喉元からくッくッと笑いがこみ上げてくる。

なるほど、確かにそれじゃあ先に行っても意味がない!

 

「はははっ!」

 

「……その能天気全開のバカみたいな笑い方、やめて」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし!綺麗になったな!」

 

ぱっぱと手についたゴミを落とすように手を叩くと限界まで空き缶の詰まったゴミ箱を見て満足する。大変だったが、円香が手伝ってくれた甲斐もあって思っていたよりも早く終わった。

 

「なぁ円香、こうしてみんなの使う道が綺麗になると、気持ちが良いものじゃないか?」

 

「……最悪。手、ベタベタするし……変な砂利、ついてるし」

 

「ははっ……うん、頑張った証だな」

 

「素晴らしいポジティブシンキングですね。見習いたいです」

 

「まぁな!」

 

「皮肉って言葉、ご存じですか?…………」

 

そう言って、満足げに表情を柔らかくした円香と二人で道を眺めたまま何となく達成感に浸っていると、ふと、思い出した。

 

そう言えば……

 

昔、似たようなことがあったなと。

その時は、確か、たまたま出会った小さな少女と一緒に……そうそう、彼女の手が、切れてしまっていて……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「円香」

 

事務所に到着し、手を洗い終えると、ソファに足を組んで座ったまま携帯をいじっていた円香に声を掛ける。

 

「…………何ですか?」

 

「いや、手をよく見せてくれないか?」

 

「うわ……」

 

ゴミクズを見るような視線を向ける円香。

 

「ち、違うんだ!別に変な意味とかじゃなくて……」

 

「そんなことを言うから、余計に誤解を招くってわかってますか?…………………………………どうぞ」

 

長いための後、携帯を一度ソファに置いてからそのままぶっきらぼうに右手の平を見せる円香。

ピンク色のネイルとは対照的に、白くて長い指に、透き通るような美しい手の平だ。

しかし、俺が見ておきたかったのは……

 

「円香、”左手”を見せてくれないか?」

 

「…………」

 

先ほどから隠すようにパーカーのポケットに突っ込んでいた左手。

暫く黙っていた円香であったが、はぁ、と息をついてから素直に左手も見せてくれた。その指には、白には似つかわしくない、赤い切れ込みが一筋……。

 

「確か救急箱がそこにあったはずだ……」

 

近くにしまってあった救急箱から絆創膏と消毒液を取り出すと、円香は悪態をつくこともなく、静かに俺の処置を受け入れていた。手を持つと、一瞬ピクリと震えたが、それ以上の拒絶は見せない。

 

信用、してくれている。

 

それは、明らかな変化であった。昔の円香では考えられないような、信頼の現れ……。

 

「…………ははっ」

 

「身の危険を感じるので通報させてもらっても?」

 

「す、すまん。真面目にやるから」

 

嬉しくなって気が緩んでしまった。

慌てて表情を引き締めると、救急箱から消毒液を取り出す。冷たい消毒液が彼女の傷口に当たると、びくりと、片目を閉じて身を引かせたが、また、力を抜いて手を預けてくれる。

 

「………………何時から?」

 

「ん?」

 

「こんな小さな傷、よほど注視していないと気が付けないはずですが?」

 

「ははっ、いや、実を言うと、俺も驚いているよ。直接見ていたわけではないし、確証はなかったから、まさかなって」

 

「……何それ」

 

何故か俺の答えに納得いかないという表情をする彼女は、不機嫌そうなのに『初めて出会った時』よりも、ずっと優し気な雰囲気に見えて。だから……なのだろうか、やめておけばいいのに、俺もつい口が軽くなってしまった。

 

「昔、同じようなことがあってさ」

 

「………え」

 

円香の手を持ちながら、傷口の消毒液を優しくティッシュで撫でる様に拭う。

 

「知らない小さな女の子と二人で、何か、片付けをしてたんだけど……女の子が指を怪我して」

 

絆創膏をはがすと、円香の薬指にクルリと巻く。

 

「血が結構出ちゃったから、その子、我慢してたのに泣いちゃってさ。だから、たまたま持ってた絆創膏を巻いて、『ほら、結婚指輪』なんて言ったら笑ってくれて、ははっ……?」

 

円香?

 

 

「…………あ」

 

 

それは、初めて見る顔だった。

 

崩れた鉄壁の表情は真っ赤に染まっていて、唯一動かせる右手で顔を覆っていたが、それでもなお伝わってくる動揺の現れ。握るような形になっていた左手は、プルプルと震えている。

 

「えっと?」

 

「…さ………んて」

 

何かぼそぼそとつぶやいて、処置が終わると同時に俺の手を払って立ち上がり、ガチャンと玄関の扉を開けて出て行ってしまう。

 

「ま、円香!?」

 

い、一体どうしたっていうんだ!?

 

だけど、これだけは確かだった。

 

俺の不用意な一言が。彼女の何かを傷つけた。

 

あの真っ赤に染まった怒りの表情……きっとそうなのだろう。

 

そう思うと……とめどない後悔が押し寄せてきて、なんで彼女が怒ったのかわからなかったが、すぐに謝ろうと思い、首を振って、絆創膏のゴミを握ったまま慌ててその後を追いかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はッ!はッ!はッ!

 

「小糸ちゃん、お腹空いた~」

 

「ぴえ!あ、朝ご飯、食べてこなかったの?」

 

「う~ん、食べたけどお腹空いた~。何か持ってない~?」

 

「え、えっと、あ、飴ならあるよ!ほら!」

 

聞いてない、そんなの。おかしい。間違ってる。

 

「わは~!ありがと~!何味があるの~?」

 

「え、えっとね、イチゴでしょ、レモンでしょ、それから…………あれ?ま、円香ちゃん?」

 

「あ、本当だ、おーい、円香せんぱーい!」

 

「はぁはぁ……っ!小糸……それから雛菜も」

 

「え~、なんだかついでみたいな言い方~!」

 

「お、おはよう円香ちゃん!ど、どうしたの、そんなに走って。お、お顔、真っ赤だよ?大丈夫?」

 

心配そうにこちらを見る二人に、すぅはぁと息を何度か整えて落ち着かせてから向き直る。

いつものように……大丈夫……。

 

「おはよう。別に、ちょっとレッスン前にジョギングしてただけ」

 

「やは~!円香先輩やる気だ~!」

 

「そ、そうなんだ!……あ、あれ、円香ちゃんその手!?」

 

さっと咄嗟に隠したのだが、小糸には目ざとく見つけられてしまう。

 

「ちょっとした切り傷だから」

 

「な~んだ。円香先輩おっちょこちょ~い!」

 

「雛菜うるさい」

 

「も~!なんだか今日は特に怒る~」

 

「あ、あはは。で、でも、な、なんだか懐かしいね!」

 

……!

 

「え~どういうこと~?」

 

「あ、えっとね、昔、円香ちゃん、そうやって指に絆創膏巻いてる時期があって!」

 

「小糸」

 

「怪我が治ったのにすごく大事そうにしてたから、とっても印象に残って「小糸!!」あ」

 

「……そういうの良いから」

 

しまったとばかりに慌てる小糸。

申し訳なるくらい青い顔をしていて……胸の奥がチクリと痛む。

 

「ご、ごめんね、円香ちゃん」

 

「え~もっと聞きたかったのに~!……あれ?」

 

「お-い!」

 

「あ、ぷ、プロデューサーさんだ!」「あは~♡」

 

「っ!?」

 

追いかけてきたの!?待って、今は駄目!絶対にダメ……

 

「おはようございま~す!」「お、おはようございます!プロデューサーさん!」

 

「おはよう雛菜、小糸。それから、えっと……」

 

 

 

 

「ち、近寄らないでください!」

 

 

 

 

駄目だった。

 

取り繕えなかった。

 

平然と、話をしてやろうと思っていたのに。

何事もなかったように済ませたかったのに。

 

心が、身体が、頭の中が真っ白に染まって。

 

「ま、円香ちゃん!?」

 

私はその場でしゃがみこんでフードを被ると、ただただ拒絶の意志を示すだけ。

まともに顔を合わせることすらできはしない。

 

「……雛菜~、プロデューサーさんのことは好きだけど~。円香先輩をイジメた~なら~……」

 

「す、すまん。そう言うんじゃないんだが……円香、本当にごめん。俺の何かが、円香を傷つけてしまったんだよな?本当にすまなかった」

 

「……とにかく、今は回れ右をして事務所に戻って………………お願い……」

 

「!わ、わかった……待ってるぞ」

 

そう言い残すと、プロデューサーはとぼとぼと事務所に戻っていく。

すると、私の跳ね上がっていた心臓の鼓動も少しずつ小さく、小さくなって……。

 

「ど、どうかしたの円香ちゃん!?プロデューサーさんと、け、喧嘩したの?」

 

「そんなんじゃないから」

 

「で、でも……」

 

「……」

 

身を抱いて、心の中を整理しようと必死になっていると、そこへやってくる、マイペースな足取り……

 

「おはよう。なんか盛り上がってる?」

 

「やは~♡透せんぱーい!なんか~円香先輩プロデューサーさんに~襲われたみた~い!」

 

「は、はぁ!?」「え?」「ぴゃ!!?」

 

「そうなの?樋口」

 

「……そんなわけないでしょ。はぁ、雛菜、お願いだからいい加減なこと言うのはやめて。話がややこしくなるから」

 

「え~、だってそんな感じだったも~ん」

 

「ふ~ん」

 

「あ。あの、円香ちゃん、これ、良かったら飲んで。さっき、そこで買ったやつだから……」

 

「……ありがとう小糸」

 

渡されたミネラルウォーターを呑むと、少し気分が落ち着いた。

不安、疑問、好奇心。そして、一番強い心配という優しくも逃げ場のない感情を、3人は視線で私に訴えてくる。

 

「…………虫」

 

「「「虫?」」」

 

「あの人の服に、虫がついていたの。だから、驚いて……」

 

「あ~」

 

「そ、そっか。だ、だから、あんなに離れてって言ってたんだね!」

 

「あは~!円香先輩相変わらず虫苦手すぎ~」

 

いつもの、私たちの雰囲気に戻って、ホッとする。

あ、後で謝らないとだね!という小糸に適当な相槌を打って、ペットボトルを返しながら4人、連れたって事務所に向かう。

 

これでいい。

 

 

これが良い。

 

 

いくらあの人が”特別”だったとしても。

私たちの関係は変えさせない。変わりたくない……。

 

目を開けて、前を見ると、雛菜の相手もそこそこに、カバンをもったままじっと私のことを見ている透の顔が目に入ってくる。

 

「……何?」

 

「うん……久々につけてるなって……『結婚指輪』」

 

「ッ!!??」

「ぴゃ!!?」

「あは~♡!?」

 

 

変わりたくない。

私……たち。

 

 

 

 

 



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