アンドリューフォーク転生 (大同亭鎮北斎)
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目覚め

#宇宙歴796年8月6日 最高評議会ビル

 

「アンドリュー、アンドリュー……目が覚めたか」

 肩をゆすられ、意識がゆっくりと覚醒していく。正面にはスーツの青年。日本人にしてはやや味付けの濃い感じの印象を与える。こちらに向けて「アンドリュー」と呼び掛けてくる。やけに薄いスマートフォンのライトを、彼は目に当ててきた。少し眩しい。

 その後ろではやや体に合わないスリーピースを着込んだ、印象の薄い老人が「大丈夫なのかね……? 人を呼んだ方がいいのでは」とややおろおろしたように青年に問いかけている。どうやらソファに横たえられているようだ。背を起こす。

 ええと、そう……少なくとも私は「アンドリュー」ではない。「人違いですよ」と言いかけて、伸ばした手を見て動きが止まった。青白い肌、ダークカラーのブルゾン。すくなくとも「私」ではない。なるほど、私はアンドリュー氏なわけである。

 転生? 憑依? どちらにせよ、アンドリュー氏は私との面識のない人物であることは間違いない。電子ペーパーのカレンダーが見えた。8月6日――SE796年……首元に手を当てると、ブルゾンの襟の間にスカーフ。頭にはベレー帽。襟もとは五角形のバッヂ。まるで、銀河英雄伝説、自由惑星同盟の軍服だ。しかし、その同盟軍に属する「アンドリュー」となると、これは。

 天井近くのモニタには、目の前の老人が映し出され、テロップには「サンフォード議長、銀河帝国に対する態度を保留」との文字列が躍っている。やはりアンドリュー氏は、アンドリュー・フォーク准将なのだろう。

 そう思うと、記憶が脳内に流れ込んできた。長らく秀才でい続けるために努力したこと、フライングボールで優秀選手であったこと(私とは正反対に、スポーツマンであったようである)士官学校に入学したこと、その後も鍛錬を続け、首席卒業をしたこと、ロボス元帥の幕僚として重用されたこと。

 窓ガラスを見ると、やや神経質そうな、しかし世間的には二枚目として扱われるであろうブロンドの男性と目が合う。これが私というわけである。

「落ち着いたみたいだな、アンドリュー」

「あ。あぁすまない……」

 アンドリュー氏の記憶が告げるところでは、彼はエレメンタリースクール時代の同期、ラーム浅井(インド系と日系のハーフ)である。アンドリュー……私が士官学校を卒業するころから、当時議員であったサンフォード氏の議員秘書であった。彼こそが「伝説」における私が持っていた「私的ルート」というわけである。一つ謎が解けた。

「少し混乱して……ええと、私はどうなったんだ」

「お前でもああ取り乱すことがあるとはな。例の件、うまく行ったと伝えたとたん倒れたんだよ」

「なんだって、じゃ、じゃあ……」

「ああ。支持率回復の予測データが決め手になった。帝国に勝利を収めるべく、8個艦隊を動員した大作戦だ!」

 記憶によれば、帝国領侵攻案の作戦規模は「同盟軍に動員可能な最大レベル」を私が提示、浅井が政治的影響を計算した。つまり我々二人が、正史における同盟滅亡の立役者というわけだ。あまり愉快な話ではなかった。

 サンフォード先生が同盟史最大の作戦を承認した議長になるんだ、とやや興奮気味に語る浅井を眺める。当のサンフォード老は感情が読めない。

 ともかく、彼の発言からすると最高評議会で帝国領侵攻が確定された日が今日であったようだ。私が思うに「伝説」における同盟側のポイントオブノーリターンはアムリッツァにおける敗北。この時の主力艦隊の消滅が同盟の滅亡を決定づけた。ラグナロック作戦などは消化試合である。

 語る浅井の言葉に曰く、会議は6日後の8月12日。すなわち、1週間に満たない時間でこの国を破滅から救う作戦案を諸提督に納得させられる内容に仕上げる必要がある、ということだ。

 まさしく卒倒しそうになりながら、事実をかみしめる。

 考えろ、考えろ……アンドリュー・フォーク。

「フォーク君、大丈夫かね。驚いたよ。戻ったら倒れた君と慌てた浅井君だ」

「あぁいえ、すみません議長閣下。つい感極まってしまったのです。帝国征伐の機会に」

「なんと、頼もしい若者だ。浅井君の紹介だけはある」

 ソファへと歩み寄り、ゆったりと沈み込むサンフォード氏から「覇気」は感じられないが、消去法であれ議長に選出されるだけの人柄の良さの様なものがにじみ出ている。ジョアン・レベロ、ホアン・ルイ、コーネリア・ウィンザー……そしてヨブ・トリューニヒト。彼らを一応は御していたのだ。御しきれていたかといわれると、疑問符が付くにせよ。

「閣下。これから作戦の詳細を詰めるにあたり、改めて確認いたしたいのです。必要なのは帝国に対する勝利ですね」

 帝国領侵攻失敗の最大の原因は作戦目標設定の不備である。言質を取るべく尋ねれば、軽くサンフォード氏が頷く。

「軍事的ないしは政治的勝利が必要であり、その両者が兼ねられていればより望ましい、ということで間違いないでしょうか」

「そのものずばり、だな。詳細は問わない。それは君たち軍事専門家に一任したく思っているよ」

 やはり、他人を使う能力は高い人物であるようだ。こうして目的と裁量を与えてくれる。上司とするには望ましい相手であるのだろう。そして好々爺じみた見た目とは裏腹に「勝利」でさえあれば後はいかようにも扱い支持拡大に用いることができると考えているのがわかる。目的が政権維持であるならばその勝利の実質は問題にもならない。必要なのは「イメージ」なのだ。もとのフォークがこの「実質の関係のなさ」を理解できなかったことが、破滅への遠因となったのかもしれない。

 サンフォード議長もまたトリューニヒトと同類の政治的怪物であるのだろう。いや、ヤンにすらそれを悟らせないと考えると、トリューニヒト以上であったとしてもおかしくはない。民主共和制で頂点へ昇り詰めるというのは、容易ならざることだ。

「しかし、閣内からも反対派は出ておってな。人的資源委員長・財務委員長、そして意外かもしれぬが」

「国防委員長が反対しておられるのですね?」

 サンフォード老が浅井をちらりと見る。浅井は困惑した様子で首を左右に振った。やや無礼な言動ではあるが、政治に無理解ではないことを示すべきだ。政治がわかるからこそ、政治的勝利を「演出」する必要を理解している、と言外に伝えられる。

「軍人ですから、軍内での派閥争いは重々承知しています。軍内トリューニヒト派の行動を見て推測したのです」

 などとうそぶく。「伝説」を知識として知る現在の私としては、軍官僚・後方に多いトリューニヒト派が遠征軍への補給を「妨害」とはいかぬまでも遅延させていた可能性があると考えている。なにせ「自分こそが帝国を降伏させるのだ」などとトリューニヒトはこの時点で想像の翼を大いにはためかせているのである。大いにはた迷惑だと言っていい。そうはさせない。

 この後の展開を知る私には、大きなアドバンテージがある。皇帝は死に、帝国は内乱に突入する、ラインハルトは「臣民の味方」を演じる。そのラインハルトは今回焦土作戦をとるだろう。「臣民の味方」としてはリスクのある作戦だ。ラインハルトが軍事的リスクをとるのはアスターテが最後。その時点での妨害の機会は「私」に与えられなかった。であるならば最大の政治的リスクを逆手に取るべきだ。

「君は政治的センスもあるようだ。退役後は政治家、などはどうかね?」

「ありがとうございます。その時は閣下のお世話になりたく思います。政治的勝利について、腹案があります。人的資源・財務両委員長も納得させられるかと……閣下にご命令いただけると円滑に進められると思うのですが」

「ふむ。話してみたまえ」

 彼が対面のソファを指さした。



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占領

#宇宙歴796年8月25日 クラインゲルト子爵領政庁

 

 クラインゲルト子爵家は銀河帝国成立時から続く辺境領主の家系である。その出自は銀河連邦時代末期の中小惑星開拓企業の創業者一家であった。ルドルフが政界に進出した頃は、宇宙海賊すら避けて通る荒野の惑星で、社運を賭けて開拓の真っ最中であったからして、帝政移行の大号令にも貴族への任命にも「そうですか」といったもので、さほど感情の動きもなかった。その後は数百年にわたり、当主交代の際に皇帝へ挨拶をする程度で、帝都にも寄り付かぬ田舎貴族であり続けている。

 現当主たるオイゲンも、一族の伝統に従い皇帝のことは「雲の上の人」と捉えている。現実的には当主交代の箔付けになる人、というものであったがこれは流石に言うに憚られた。歴代当主がそういった礼節は守る人間であったことが、社会秩序維持局に目を付けられず安穏とした日々を送ってこられたことにつながっていた。息子アーベントを叛徒との戦いに失っても、嫡孫カールの成長を生き甲斐にしてきた。

 しかしその安穏とした日々もいまや過去形である。

 

 列をなして降下するシャトルを見上げながら、オイゲンはため息をついた。息子を殺したサジタリウス腕の叛徒たちは、時たま海賊活動で検挙される「共和主義者」の一味であるという。それが意味するところは「武装したならず者の集団」ということであり、この戦いは貴族同士の私戦(といってもオイゲンは伝え聞いた程度の知識しかないが)とは違って礼節を守り無駄な血を流さぬという類のものではないであろうことが容易に想像できた。

 なんとか自分一人の命で納めることはできないだろうか。

 反対する家臣団に対し、着陸した叛徒との交渉のテーブルにつくことを命じて数時間、領内の対宙兵器(焦土作戦のため物資を徴発していった小憎らしい帝国軍曰く「豆鉄砲」)は火を噴くことなく、叛徒の降下艇は領都郊外に着陸している。家臣団は少なくとも今は、オイゲンの命を順守しているようであった。

 こちらからシャトルへと赴こうとしたが、さすがにそこまでは家臣団の譲歩を引き出すことができなかった。地上車の音に視線を落とすと、着陸した叛徒の代表を迎えに送ったリムジンが屋敷へ帰ってきたことがわかった。大きく息を吸い込み、吐き出す。

 リムジンから降り立ったのは騎士然とした偉丈夫と、やや幼い印象を与える学生のような男性である。その髪はくせ毛であり、叛徒……「同盟」の軍服は世辞にしても似合ってはいなかった。

 

「ようこそお越しになられました。銀河帝国オイゲン・フォン・クラインゲルト子爵です」

「自由惑星同盟第13艦隊司令官、ヤン・ウェンリー中将です」

 眠そうな目の青年が応じる。敵の階級章を学習していたことが手伝い、主従を取り違える失礼をおかさずにすんだ。帝国的価値観においては、傍らに立つ伊達男……護衛であろう……の方が上官に見えてしまう。

 執事モンタークが給仕した紅茶を、彼は香り・味で楽しんでいるようであった。噂に聞く叛徒とは違い、軍服の着こなしや宮廷礼節こそできていないものの、蛮族というふるまいではなく、礼儀はわきまえている。彼であれば交渉の相手となるだろう。

「ウェンリー中将。クラインゲルト私兵と政庁は抵抗を行いません。当主たる私、オイゲンと嫡孫カールにつきましては自裁の場を設けますので、何卒家臣団と領民には寛大なる措置を……」

 深々と頭を下げる。要するにこれからは帝国に代わり同盟が支配者となるのである。家臣団は行政官としてこの惑星に精通しており、同盟にとっても有用であろう。この新たなる皇帝……名はサンフォード議長……の名代に頭を垂れることは、自然なことに思えた。

「閣下」

 少し笑っているような声がする。ウェンリー中将のものではなく、恐らく護衛騎士のものであろう。

「参ったなぁ、頭をあげてください子爵。自裁はやめていただけると助かるんですが」

「よろしいのですか?」

「折角血の一滴も流さず「解放」に成功したんですから」

 噛み合わなさを感じ、視線をあげると、ウェンリー中将は微笑んでいる。どうにも、度量の広さはひとかどの人物であるようだ。同盟には貴族制度はないと聞くが、さぞ名門の出に違いない。なるほど占領地鎮撫に相応しい貴族将校である。

「それと、私のファミリーネームは「ヤン」です。どうぞヤン中将とお呼びください。同盟政府より占領有人恒星系への要求が発せられておりますので、ご説明いたします」

 彼は朗らかに言った。

 ヤン中将がクラインゲルト子爵へ提示した要求は穏当なものである。のちに「妥協的に過ぎる」と非難されたほどであった。それは作戦発案者フォーク准将がサンフォード議長との私的なルートから承認されたという出所の怪しいものであり、数年後大きなスキャンダルの種となったが、原則論を無視すれば現実問題としてヤンからみても悪くないものに見えた。人類は千年近くにわたり「外交」というものを忘れている。西暦史を深く知るような見識を、素人歴史家ヤンは占領地政策から感じていた。

 その内容は「銀河帝国からの独立」「立憲君主制への移行」の対価として「同盟軍の防衛力」と「支援物資」の提供を行うというものだった。支援物資の存在の物的証拠として降下部隊は食糧・物資を満載しており、これを現地行政府と協力し既に配給を開始している。遠征軍司令部は帝国の政治的特性から焦土作戦が実施される可能性を当初から高く見積もっていたのである。

 「要求」というが、これは事実上の占領軍からの命令であり拒否は不可能だとオイゲンは考えた。支配者層は横滑り的に独立政府の職員となり、オイゲン自身も子爵という号を保持したままこのクラインゲルトの国家元首となる。そんなうまい話はない。状況が安定すれば公開処刑なりの対象となるであろうとオイゲンは考えていたが、それは過剰な心配とも言えなかった。当初総司令部では処刑とはいかないまでも、貴族たちを「人道に対する犯罪者」として逮捕移送するつもりであった。

 帝国人の心情的に領主の連行はショッキングすぎると主張したフォーク准将は、どこから知ったか西暦時代東洋の帝国が敗戦後、戦勝国が元首を丁重に扱った結果、戦勝国の最大の同盟国となった故事を滔々と語り過激な論を退けていた。辟易とする諸将を背に、ヤン中将が会議直後興奮してフォークに語りかけていたことは記録にも残っている。

 なお、フォルゲン伯爵領は同盟軍の進出範囲にあったが既に内乱が発生しており、同盟軍は宙域を封鎖、各勢力へ停戦を呼び掛けるにとどまっていた。

「子爵閣下、まずは帝国に対し独立の宣言を行っていただきたいのです」

 ヤン中将本人は文字通りの意味で言葉を発したが、辺境とはいえ貴族社会に身を置くオイゲンは言外の意図を読み取った。銀河帝国を糾弾し訣別せよ、ということであろう。しかし、これも時代の常である。彼は初代子爵のごとく無感動に言う。

「そうですか」



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不協和音

#宇宙歴796年9月2日 新無憂宮~ローエングラム元帥府

 

 人類世界の半分の実質的支配者たるリヒテンラーデ侯爵は、この数日胃痛に悩まされていた。その原因の一翼を担う宇宙艦隊副司令長官ラインハルト・フォン・ローエングラム伯爵を前にし、表情は固い。もう一翼は隣の渦状腕に位置するため、呼びつけるというわけにもいかなかった。

 ラインハルト・フォン・ローエングラムもその美しい顔にやや翳りが差している。目の下には大きな隈があった。元帥府では現在も彼のスタッフが不眠不休で働いている。

「忙しいところを呼び出してすまぬの、ローエングラム伯爵。わかっておるとは思うが、ことは政治的判断を要する。軍と連携の上事態に対処したいのじゃ。この……」

 視線をやり、手元の端末を軽く叩いて起動させる。豪華な壁紙を映し出していた壁面スクリーンの一部にウィンドウが開き、動画が流れ始めた。

「謀略放送について」

 動画のなかでは、飢えた臣民が叛徒……同盟軍からの配給を受けている。それを背景にするように、ややくたびれた宮廷服を纏ったクラインゲルト子爵が朗々と演説を始める。

 帝国……迎撃指揮を執るローエングラム元帥府が焦土作戦をとり、辺境は苦境にあえいでいることを語り、かつてルドルフ帝は海賊から人々を守っていたことと比較する。

『ことここに至っては、既に現在の帝国にゴールデンバウムの精神はないといわざるをえません。我がクラインゲルト、そしてダンクとハーフェンは、只今この時をもって、オーディン政府の指導下を離れます』

 そして新たなパートナーとして自由惑星同盟を選択したことを宣言するこの動画は、帝国全土に広がっていた。無論、謀略放送として視聴が禁じられ、社会秩序維持局がアップロード者の検挙に奔走しているが、消せば消すだけ増える有り様であった。

 同盟はこれを「民主主義の理念としての勝利」として大いに喧伝している。ヤン中将はイゼルローン解放とならび大きな功をあげた「解放者ヤン」としてさらに名声を高めていた。一方領地貴族たちから大いに信用を低下させたのが帝国政府・ローエングラム元帥府である。

「焦土作戦については、事実であったな?」

「はい。純軍事的な観点から有用と判断し実施いたしました」

 この場合、それが裏目に出た。同じく焦土作戦の対象となったモールゲン・ビルロスト・ボルソルンなど多くの有人恒星系が同様に離脱を宣言。同盟軍自身は進出しないものの、クラインゲルトやダンクの商船が物資を送り始めている。ヤヴァンハールやリューゲンでは臣民反乱が勃発し、無政府状態に突入した。ソル星系やシリウス星系などの自治区も離反星系に近く、彼らは同盟が呼び掛ければ応えるであろう(なにせ、連邦時代の気風を残した地である)

 それ以上に問題なのが、これらの星系の領主には門閥に連なるものも多いことである。ブラウンシュバイク・リッテンハイムの両外戚は、声高に中央を批判している。ブラウンシュバイクはローエングラム元帥府を、リッテンハイムは政府系貴族をという方向性の差はあるが、公然と声をあげることは過去の帝国では考えられぬことであった。しかし両者にとっての立場を見れば、寄り子が離反者になり、あるいは反乱者に討たれている状況は政府に責があるという理屈は納得でき、またさほど事実から反しているものではなかった。であるからこそ失点回復は急務だ。

「卿の見立てでは、占領地の解放にどれ程の時を要するか」

「ご命令をいただければすぐにでも。しかし焦土作戦が十全に効果を発揮するまでには」

「発揮しておる! これ以上ないほど、政治的にな。それも悪い方向でだ! これ以上の政治的失点は許容し得ぬ。直ちに全軍を率い、クラインゲルトを解放せよ」

「は、周辺の恒星系は……」

 反駁するラインハルトに、クラウスは怒気を放つ。

「捨て置け! 卿は政治のなんたるかを理解しておらぬ! 領地を守れぬと知れれば、帝国は容易に瓦解するのじゃ! 帝国政府より、ローエングラム元帥府に命ず。叛徒に与したクラインゲルト子爵を引きずり出せ! 汚名を雪ぐ最後の機会と心得よ!」

 無論ダンク・ハーフェン・モールゲン・ビルロスト・ボルソルンの離反者、フォルゲン・ヤヴァンハール・リューゲンの反乱者にも誅罰は必要だ。しかしそれはいまではない。今優先すべきは、帝国そのものの権威を傷つけたクラインゲルトの征伐である。クラウスはそのように考えていた。

「……承知いたしました」

 憤懣やるかたない、という表情でローエングラム伯が退室する。クラウスはラインハルトについて、戦術面では有能な提督だが、戦略となると疎いようだと思っていた。それは宮廷政治においては扱いやすいということであり、大いに結構であったが、非常時には困ったものである、とやや見当違いな感想を抱いている。

 事実としてはローエングラム伯は独自の戦略をもち、帝国政府ではなく自身そのものに信望を集めるために焦土作戦を実施していたが、同盟は外交政治的手腕が一枚上手であったということであった。

 

「オーベルシュタイン、どうやら同盟は政治的にはこちらより上手なようだぞ」

 居並ぶ提督たちの前で、涼しい顔をしてラインハルト・ローエングラム元帥は言う。その表情とは裏腹に腸は煮えくり返り、その怒りは軍事的合理性を理解しないリヒテンラーデ老と、戦う前からこちらに勝利しつつある同盟の策士……恐らくはクラインゲルト占領司令官として再び名をあげた、かのヤン中将とやらであろう……に向けられていた。

「連邦時代のロストコロニーを吸収しながら成長した国ですから、そのノウハウが蓄積されていたのでしょう。考えを改めねばなりませんな」

 他人事かのように応じるオーベルシュタイン准将に腹心キルヒアイス中将が口を開きかけるのを、ローエングラム元帥は制した。作戦を承認した以上、結果の責は自身が負うべきであるとの信念によるものであった。

「帝国政府より元帥府に対し、新たな命が下った。全力をもち直ちにクラインゲルトを解放せよとのことだ」

 提督たちが呻き声を漏らす。想定のなかでもっとも望ましからざる決定が下ったのである。敵意を抱いた臣民に囲まれ、消耗した敵を蹂躙するはずが、地元住民と手を取り強固な防衛態勢を整えた敵のもとへ飛び込まねばならない。

「現在のところ我が元帥府の動員可能艦隊は9個艦隊。同盟側はクラインゲルト・ダンク・ハーフェンに各3個・2個・2個艦隊を配置しております。総司令部はイゼルローン要塞におりますが、揚陸艦内に置かれており、こちらが動けば直ちに戦場へ移動して指揮を行うものと考えられます」

 無感情に、表示した星図を指差しながら義眼の参謀長は述べる。

「この布陣は……」

「ダゴンの再現……いえ、アスターテのリベンジでも目論んでいるのでしょうか?」

 同盟が成功したダゴンと失敗したアスターテ、その両者の布陣に近しい配置になっている。規模をさらに大きくした包囲殲滅を目論んでいるかに見えるが。

「ははは、なるほど」

 笑い始める元帥に、提督たちは困惑の目を向ける。前回各個撃破を為したとはいえ、今回はその包囲のど真ん中へ飛び込み解放するのが任務である。簡単にはいかないのではないか。

「あぁいや、これはヤン中将からの挑戦だろう」

 先だってイゼルローンを落としたヤン中将は、アスターテで帝国の完全勝利を阻んだ知将である。ローエングラム元帥は撤退時に「貴官の勇戦に敬意を表す、再戦の日まで壮健なれ」と通信を送っていた。存外に早く、半年程度でその機会が与えられたことは喜ぶべきことか。

「今回は対等な条件というわけか、いいだろう」

 好敵手の存在に燃え上がる元帥を、諸提督は好意的に見ていた。不本意な戦況ではあるが、そも戦場に本意な戦況などめったにあるまい。閣下の才が発揮されるべき戦場である。そのような状況でこの上官が敗けるとは、彼らには考えられないことであった。

 

 かくして帝国軍ローエングラム元帥府に属する9個艦隊は、一本の矢になってクラインゲルト子爵領――現在同盟と現地の称する「クラインゲルト子爵国」に突入することとなった。

 



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集結

#宇宙歴796年9月14日 クラインゲルト防衛司令部

 

 真新しいスーツを着込んだ男性が湿り気のある通路を進む。僅か3週間の間に、自由惑星同盟から送られた工兵隊は子爵領のあらゆる地域にリニア路線と地下壕を設置した。急拵えとはいえ、いまやクラインゲルトは、そのインフラだけであればオーディンにも匹敵するレベルにまで達している。

 ここは地下壕の一つ。政庁の地下施設から通路でつなげられた、クラインゲルト防衛司令部の地下壕である。もはやここがどこの地下なのかもわからないが、なんとはなしに位置を思い浮かべていたオイゲンは「図書館のあたりかな」と思った。重い鉄の扉が目の前で開く。

 クラインゲルト子爵オイゲンが入室すると、司令部要員たちは敬礼で出迎えた。帝国軍服に赤の腕章を身に着けたクラインゲルト私兵――改称しクラインゲルト自衛隊の兵たちと、紺のブルゾンにスカーフの同盟軍兵士たちが並んで敬礼をする姿は宇宙広しといえども容易に目にすることのできるものではないであろう。

「クラインゲルト子爵、こちらです」

 出迎え、幹部会議室へとオイゲンを導くのは准将の階級章をつけた同盟軍人。作戦参謀のアンドリュー・フォーク准将である。ヤン中将と歴史談議で意気投合した彼は「時節さえ合えば戦史研究科に入っているつもりだった」と嘯き、ヤンのことを「先輩」と呼んでいる。フォーク准将がロボス派にとってのヤンであると考え、敵愾心を燃やしていると想像していたシトレ元帥の予想は大いに外れていた。もっとも、それは彼が「21世紀人に憑依された」という「妄想」に陥る前にあっては正解していたのであるが。

 

「フォーク准将、クラインゲルト子爵をお連れしました」

「入りたまえ」

 応じたのはロボス元帥。室内には元帥直属の帝国領侵攻作戦最高司令部の面々が並んでいた。総参謀長グリーンヒル大将・作戦主任参謀コーネフ中将・情報主任参謀ビロライネン少将・後方主任参謀キャゼルヌ少将らである。また、現在星系内に展開している第10艦隊司令官ウランフ中将・第12艦隊司令官ボロディン中将・第13艦隊司令官ヤン中将も着席している。オイゲンはフォークへ促され、ロボス元帥の隣の席へ腰を下ろした。

 オイゲンがヤンにとって望外なほど帝国を攻撃する内容の演説を行った結果、帝国政府は声高に「外患を誘致した」と彼を責め立て、臣民の敵とレッテルを貼っている。まるで、自身の手で収奪を行い辺境を追い詰めたことを忘れたようだ、と彼は思い、思うだけでなく口にもした。結果、離反星系と同盟では大いに人気を得ている。

 であるからか、わざわざご丁寧に、帝国政府からはローエングラム元帥府の全軍をクラインゲルト解放に投入する、と宣言があった。国内諸侯向けの牽制であろうが、敗北すればかえって逆効果となろう。無論、戦争などというものを負けると思って始める人間は居ないのであるが。

 すくなくとも、軍事的には悪手も悪手であり、同盟軍諸提督はサンフォード議長がそういったタイプの出しゃばりでないことに大いに感謝し、あるいは敵手たるローエングラム元帥に同情したものである。

 

 そのローエングラム元帥府の艦艇が昨日アルヴィースとレージングの両恒星系にジャンプしたとの報が入っている。アルヴィース方面は黒い艦艇。黒色槍騎兵艦隊であり、レージングは赤い旗艦からキルヒアイス中将の艦隊であることが推測された。

 偵察艦は確認をしたのち一目散に逃亡しこちらへ報告を行ったが、光速の関係上すでに敵には「気づいたこと」を気づかれているであろう。こと情報に関しては、転移した側が有利なのである。これはあちらの光が届く頃には先にいたこちらの光はとうにとどいているという単純な物理法則によるものであったが、ある種戦いの女神がフェアプレーの精神を持っているようにも見えた。

 アルヴィース・レージングはクラインゲルトへ1ジャンプで到達できる近隣恒星系である。宣言通り、ローエングラム元帥府はその総力をもってこの地へ向かうと見えて間違えなかろう。既にダンク・ハーフェンへは通報艦がジャンプしており、ローエングラムの本隊が到着するころには両恒星系で戦闘準備を整えている同盟艦隊がジャンプアウトするはずだ。10・12・13の艦隊は惑星直上ですでに防衛態勢を整えている。惑星上でも、同盟軍がイゼルローン陥落により後方と化したアルレスハイム・エルファシルなどの星系からかきあつめた防衛兵器が敵の到着を待ち構えていた。

 更には、サンフォード議長が「最前線にこそ必要だ」と語り市民の支持を取り付けたことで、アルテミスの首飾りが軌道上を周回している。惑星クラインゲルトはハリネズミのように武装した、いまやイゼルローン並みの要害であった。無論市民も急造ではあるがシェルターへ退避を済ませている。同盟が戦勝後の復興支援として提示した莫大な金額(対宙兵器のメンテナンス費用が転用された)のせいで、反対するものはほとんど皆無であった。機雷源も航路の要所に設置され、それを離れて包むようにゼッフル粒子を散布している。また、4番惑星軌道外縁の小惑星帯を利用して大型砲をいくつも設置、質量弾攻撃阻止用に対質量弾質量弾とすべく推進装置をとりつけた小惑星も用意されていた。

 その防御は読んで字のごとく、鉄壁であった。これらはヤン中将とフォーク准将が西暦時代の攻城戦の故事を語り合い、思いつくだけ設けられたものだと司令部では噂されている。オイゲンも「帝国の書籍に惑星防衛戦のものはないか」と興奮した様子の両名に詰め寄られ、書庫の鍵を渡していた。この些かやりすぎなまでの防衛体制をみると、それは正解であったようだ。過剰ではあろうが、領主としては領民が危険にさらされる事態となる恐れは、少なければ少ないほどいいのである。

「防衛作戦は事前の計画通り行います。総司令部はこちらへ転移するダンク方面艦隊・ハーフェン方面艦隊との通信維持に専念し、宙域における指揮は防衛計画立案者のヤン中将が担当いたします」

「ヤン中将です。本来は先任であるボロディン中将やウランフ中将の指揮下に入るべきなのでしょうが……」

「君はローエングラム元帥のお気に入りのようだからな」

 ウランフ中将が半笑いで茶々を入れる。ローエングラム元帥は「敵将ヤンウェンリー」と名指ししている。彼がアスターテの武功で元帥へ昇進したことは周知の事実であり、その際干戈を交えたヤンをライバル視しているというのは笑い話になっている。

「ええ。ローエングラム元帥は同じ奇策を用いるようなことはしないでしょう。油断は禁物です。最善を尽くしましょう」

 とはいっても、である。今回は惑星防衛戦である。さんざ要塞攻撃の戦訓を積み上げてきた同盟に対し、要塞砲に頼っていた帝国。艦艇以外のものを加えると既に火力は防衛側が凌駕しており、さらに増援が既に向かっている。そして攻城三倍の法則。勝利とは劇的なものではなく、大抵のものは積み重ねたものの結果に過ぎない。

 現在だけ、機動戦力だけが帝国の勝っている点である。わき目も振らず敵が猪突猛進した場合、一瞬敵の優勢な時間が訪れるとヤンは気づいていた。ローエングラム元帥が前回同様その賭けを行えば……開いた傷を拡大させる力は、彼にはあるだろう。

 

 ノックの音がした。

「入りたまえ」

 ロボス元帥がやや間延びした声で応じる。入室したのは司令部の兵の一人である。

「ただいま大質量の転移を感知いたしました」

 冷たい汗がヤンの背を伝う。黒色槍騎兵艦隊か、キルヒアイス艦隊か……

「どちらの方面から?」

「ええと……」

 

「ハーフェン方面、第3艦隊と第5艦隊の到着です」

 ヤンは椅子へと深くしずみこんだ。



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決戦

#宇宙歴796年9月15日 ヨーツンヘイム艦橋

 

 カール・グスタフ・ケンプ中将の旗艦ヨーツンヘイムがクラインゲルト星系に転移した直後に見た光景は、異常の一言で表す他ないものであった。先行した黒色槍騎兵艦隊の姿はない。一瞬スクリーンが白に染まったかと思うと、右舷前方に展開していたキルヒアイス艦隊が火だるまになっていた。旗艦バルバロッサは中破しつつ健在であるようだが、あれでは艦隊戦力は運用が不可能であろう。

 キルヒアイス艦隊は機雷源・アルテミスの首飾り(なんと同盟は太っ腹なことか。それに比べリヒテンラーデ侯爵の痩せぎすめ)の排除用に新兵器、指向性ゼッフル粒子を満載していた。その誤作動であろう。出所の確かならぬ兵器を用いるのはリスクが大きすぎる。元帥らは若く英明であるが、些か足元がおろそかなのではないだろうか。いや、その若さこそが彼を改革者足らしめているのだ。

 黒色槍騎兵艦隊はいずこへ消えたのか。ビッテンフェルト中将は猪突猛進で知られる闘将であるが、布陣が完了する前に戦端を開くのはいささか軽率に過ぎる。どうにもこの戦いは制御できない状況に陥り始めているようだ。

 重力波の揺らぎが出現し、ルッツ艦隊が右方に出現する。まずは事前計画の通りの布陣へ移るべきだろう。微速前進をケンプは命じた。先行した二艦隊があの有様であるから、戦場の情報収集も自分に課せられた任務であると考えるべきだろう。

「ルッツ中将より通信。キルヒアイス艦隊の救助へ当たると」

「ゼッフル粒子による爆発が考えられる。残存粒子へ注意するよう進言を」

 集まりつつある情報を見るに、敵はダンク・ハーフェンからの集結に成功しているようだ。キルヒアイス艦隊が爆散した今、数的には互角の状況となっている。惑星直上に3個艦隊と無数の衛星兵器群、ひときわ大きい質量を持つものが幾つかあり、あれが噂に名高いアルテミスの首飾りであろう。小惑星帯付近にも熱量を感知でき、そちらにも何らかの仕掛けがありそうだ。隙というものが見当たらない。

「て、提督……デブリ質量が」

「前方のデブリが射線の邪魔か? しかしこちらにとっても盾として使えるのでは」

「違います、提督。キルヒアイス艦隊としては質量過大……装甲板の色が、黒色です」

「シュ、黒色槍騎兵艦隊……!?」

 そう考えると、キルヒアイス艦隊の爆発も事故ではないように思える。となれば既に敵の計略により2個艦隊を失ったことになるわけだ。脳内で警鐘が鳴り響く。ケンプ中将の元パイロットとしての勘が、撤退を主張していた。しかし、撤退はできない。本隊は現在転移中であり、ここでケンプ艦隊ないしはルッツ艦隊が撤退すれば本隊はさらなる数的劣勢に陥るわけである。

「く、そ……」

 職業軍人としての義務感だけが、ケンプ中将を戦場へとどめていた。しかし分かってしまう。既に罠は閉じられている。ここは同盟軍の――いや、ヤン中将の狩場であるに相違なかった。

 

 そこからは一方的な展開であった。ケンプ・ルッツ艦隊へ向けヤン中将の本隊である五個艦隊が前進。壊滅に近い損害を受けながら本隊合流を目指し後退し、ワーレン・メックリンガー・ミッターマイヤー・ロイエンタールの4艦隊は到着早々に合流を果たすも数の論理で防戦一方に追い込まれる。

 ルッツ中将の戦死によりケンプ・ルッツ艦隊は半個艦隊ほどに再編され、既に火力の大半を喪失していたことから後退して退路の確保を行うことを命じられる。

 以降はジャンプポイントを確保しつつ、時折訪れる火の粉の如き自律兵器を払うだけであった。それすらもヤンの手の内であると、ケンプ中将は半ば確信していた。撤退路をあえて放置することで死兵とさせることを避けているのだろう。なんたる狡猾か!

 それでもローエングラム元帥の指揮は鈍ることがなかった。ワーレン中将を犠牲に払いつつ、ロイエンタール艦隊を別動隊として戦線を突破させると、惑星へ向かわせる。惑星自体を陥落させれば、いやそれが成しえないとしても惑星を蹂躙しさえすれば、形式だけでも任務を果たしたこととなる。

 しかしそれを許すような同盟軍ではなかった。戦略予備に配置されたホーウッド中将の第7艦隊とアップルトン中将の第8艦隊が追い立て、ついに航路を誤り、アルテミスの首飾りの射程圏内へ入ったロイエンタール艦隊は瞬時に高熱の霧と化した。その時点で攻撃はいったん止み「撤退するならば追わない」との旨のヤン中将による通信が行われた。通信妨害も解除され、キルヒアイス中将の救命を確認したローエングラム元帥は撤退を決断。

『撤退する』

 とだけ通信したラインハルト・フォン・ローエングラムに対し、ヤン・ウェンリーはただ

「二度とお会いしたくないものだね」

 と肩を竦めるだけだった。

 

 のちに「銀河分け目の決戦」と称されることとなるクラインゲルト会戦は同盟側7個艦隊と地上軍、帝国側8個艦隊により行われ、同盟側は2万隻の艦艇ならびに5割の軌道上防衛兵器を失ったが地上軍からはほとんど死者を出さなかった。惑星クラインゲルトに関しては破壊された軌道兵器の破片が降り注ぎ民家5棟が全焼する被害にとどまっている。

 一方銀河帝国軍は艦艇6万隻を失い、正規艦隊提督ではビッテンフェルト中将・ルッツ中将・ロイエンタール中将・ワーレン中将が戦死、またメックリンガー提督が艦橋内で倒れた柱により両下肢の切断に至る重症を負った。彼はオーディンへ戻り次第予備役へ編入されることとなるであろうことを同輩たちは感じていた。

 ローエングラム元帥とキルヒアイス中将・ケンプ中将・ミッターマイヤー中将、そして参謀長オーベルシュタイン准将は五体満足で帰途についたが、わずか半日でこれほどの犠牲を積み上げたことに、諸提督は消沈を隠せなかった。覇者の風格を常日頃漂わせている元帥ですら、この日ばかりは私室に籠り、敗戦処理はオーベルシュタイン准将が代行していたという。

 一方同盟軍も1個艦隊以上の戦力を失い、人的被害も帝国のそれよりは少ないとはいえばかにならぬものであった。友邦クラインゲルト(これは公的な用語である)の自立は守られたが、そのために支払う代償としてはいささか高価にも思われたのである。兵たちは空前の勝利に酔いつつも、いわば他人の番犬を務めることの空しさのようなものも同時に感じていた。その空気は本国へも伝わり、厭戦気分を醸成することとなる。

 この星域における唯一の勝利者と言えるのはクラインゲルト自衛隊であった。直接あげた戦果は大きなものではないが、クラインゲルト市民にとっては帝国からの離脱に抱いていた漠然とした不安を払拭し、同盟からのインフラ整備とともに前途の明るさを感じさせることとなった。また、いずれは自分で自国を守るべし、という意識が芽生え、この一戦で自衛隊は「子爵私兵」から「国民軍」へと自覚が変容した。これは同盟にとっても歓迎すべき変化であった。

 この日を境に、帝国はその纏まりを欠くこととなる。リヒテンラーデ侯爵率いる政府系貴族は国家の再統合に奔走するが、帝都へ戻る敗残兵の列が到着するより前、この2日後に皇帝フリードリヒ4世が後継者を指名することなく急性心疾患により崩御する。帝国の行く手には暗雲が立ち込め、予報士の素質を有するものたちには来るべき大嵐が見えていた。

 



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英雄

アンドリュー・フォーク

 アンドリュー・フォーク(宇宙歴770年1月8日-860年10月15日)は自由惑星同盟軍人、自由惑星同盟宇宙軍大将、銀河連邦軍大将。銀河連邦軍総参謀長をつとめた。

 

生涯

 自由惑星同盟領域にて生まれ、惑星ハイネセン・テルヌーゼン市の士官学校を首席で卒業。卒後は作戦参謀として宇宙艦隊総司令部へ配属される。第六次イゼルローン攻防戦で、ウィレム・ホーランド少将によるミサイル攻撃案を提出するなど当初は戦術的才能に恵まれた実戦タイプの参謀と目されていた。しかし、ヤン・ウェンリー少将によるイゼルローン解放後に戦略家としての才を顕わにした。

 同盟最高評議会サンフォード議長に、エレメンタリースクール時代の友人であり議長秘書であったラーム・浅井氏を通じ、支持率向上案として銀河帝国領侵攻作戦を提示。承認を受ける。のちにこの一件は「民主的手続きを経なかった」として進歩党の追及するところとなるが、マスコミへ対するラーム氏の「あれは支持率向上案として提示したもので、最高評議会で民主的に可決され、詳細は軍部が計画したものでありましたから、私とフォーク大将は議長秘書とその軍事ブレーンとして恥じるところは一切ありません」との説明と、作戦のあげた大戦果により顧みられることはなかった。

 帝国領侵攻作戦では人類に外交が存在した時代の故事を参考に「緩衝地帯の設置」を目標として行動計画を立案。歴史家元帥として知られるヤンウェンリー中将(当時)の理解を得て、クラインゲルト解放の現地司令官を任せる。イゼルローン解放により後方となった辺境宙域の対宙兵器や、当時惑星ハイネセンに置かれていた攻撃衛星アルテミスの首飾りを政府へ働きかけ前線へ移送するなど、浅井氏を経由してサンフォード議長から告げられる政治的要請と、ヤン中将や実戦部隊指揮官の求める戦術的必要を両立させた。

 クラインゲルト会戦においては、各指揮官との有機的連携を重視し、通信機能を拡充した帝国領侵攻作戦旗艦・揚陸艦イオウジマをクラインゲルト領に降下させたうえで通信設備をクラインゲルト地下に用意した司令部へ移動、現地で合流する各艦隊の通信の確保に尽力した。結果として同盟軍・クラインゲルト自衛隊はダゴン星域会戦に匹敵する損害を帝国に与え、ローエングラム元帥府のみならず、帝国宇宙艦隊そのものの屋台骨を傾かせるに至る。

 クラインゲルト会戦直後帝国で始まった内乱では、かねてよりブラウンシュバイク閥と対立し、政府系とも亀裂ができたローエングラム伯に娘を送り込み元帥府を味方につけたリッテンハイム閥(ローエングラム朝銀河帝国)と、フェザーンと結び付き資本力で正規軍を保持したリヒテンラーデ閥に対し劣勢となったブラウンシュバイク閥に対し、元寄り子であったダンク男爵経由で接触、ブラウンシュバイク朝立憲銀河帝国の建国を支援する戦略をヤン中将と連名で提出している。

 帝国に対し圧倒的優位を確立後の軍縮では、軍内サイオキシン麻薬捜査を行い犯罪組織を摘発、ブラウンシュバイク帝国シュトライト中将、ローエングラム帝国ケスラー中将(クラインゲルト出身であり、クラインゲルトとの窓口となった)と合同捜査を実施し、地球教などサイオキシンマフィア関連組織の大摘発を指揮した。

 これら一連の事件終了後、ソル・シリウス・アルデバラン系やクラインゲルト子爵国が同盟加入を申請した際に、サンフォード議長の地盤を引き継いだ浅井議員(当時財務委員)に「銀河連邦」への国号変更を私的に提案したともされる。銀河連邦への国号変更後はクラインゲルト駐留艦隊(ヤン艦隊)参謀長を勤めるうちに現地女性と結婚。その後国防委員・宇宙艦隊総司令部作戦主任参謀・銀河連邦総参謀長などを歴任し、大将で退役。余生はハイネセンとクラインゲルトを往復して暮らしたとされる。

 

評価

 政府と軍の要望を擦り合わせ選択肢を提示、実戦担当者に選ばせるという手法を得意とする調整型の参謀である。イゼルローン攻略以前は出たがりであり、自ら作戦を立案することが多かったとされるが、以降は概略までしか立ち入ることがなかったとされ、これはヤン中将の知謀を見た結果自分が敵わないと確信したことで自分を見つめ直すことができたからである、と自ら語っている。同時期から諸国乱立時代の到来を予期したか、西暦時代の故事を漁り「西暦期の地球生まれの記憶がある」などと嘯き始め、冗談も言うようになったと周囲は驚いたともいわれている。(この冗談は好評ではなかったようであり、ヤン中将との知己を得て以降は口にするのをやめた)

 自ら作戦を立案せず、すりあわせを主軸に置くようになってからはラーム・浅井議長秘書との連携を強化。ヤン中将やウランフ中将ら実戦派の提督らと知己を得て、政府と現場の調整を行う参謀チームに自らのチームを改造した。しかしこれは「現場に丸投げである」などと不評な向きもあった。実際直属の上司たるコーネフ中将はイゼルローン後のフォーク准将に関して「主体性が低い」と評価を下げている。それでも、クラインゲルト会戦ではそのコーネフ中将の反対を押しきり、総司令部を裏方として運用。ヤン中将の指揮を支え、大金星をあげたことで評価は再度一変した。

 以降は度々転属しつつも、ヤン元帥を支える幕僚「ヤン・ファミリー」の参謀として名を為すこととなる。のち連邦の一員となったブラウンシュバイク帝国(民主化ロードマップがやや停滞ぎみであるが、現在はブラウンシュバイク終身大統領の自治共和国である)の謀将アンスバッハ大将や、現在に至るも同盟との対立と和解を繰り返すローエングラム帝国の懐刀オーベルシュタイン大将などと並び策士として名を馳せるようになった。が、本人は策士「として知られる」のは三流であると生涯卑下していた。それでも、宇宙的に……特にクラインゲルトにて元勲視され、政庁前には当時の元首オイゲン・フォン・クラインゲルト、ヤン・ウェンリー、アンドリュー・フォークが三者で手を取り合う像が飾られている。彼もまた、伝説の時代を彩る英雄の一人であったといえよう。

 



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