東方閻魔帳 (妖念)
しおりを挟む

一、異変(一)

 

 曇っているせいか蒸し返すような熱気の初夏の夜。

 湿気たっぷりの生暖かい風が、突如として出現した二つの影を不気味に際立たせた。

 

「これが......"楽園"幻想郷! へぇー、中々綺麗なところじゃないですか!」

 

 一人の女が口を開く。風変わりな女だった。夜にまぎれる、紺青の髪にスリットの入った奇っ怪な柄の着物。

 月が霞に隠され、僅かな光の中、その女はおでこに手を水平に当てるとぐるりと辺りを見回した。そして、そのままあぐらをかいて地べたに座り込んだ。

 

「......うるさい」

 

 あぜ道を踏みしめるジャリジャリと乾いた音に続いて、もう一人の女がぼそりと呟いた。女はこの暑さでも両手を袖の中に入れ、腕を組んでいた。真鍮のような鈍い輝きを放つロングヘアーが彼女の頬にかかっており、その右目には無骨な片眼鏡が持ち主の髪と同じように鈍く光っている。

 

「でも、今更だけど何で私なんですかぁ?」

 

 紺髪の女は肩をすくめると両の手の平を天に向け、小首を傾げた。疑問を表すジェスチャーのつもりらしい。

 

「一番暇そうだからだ。厄介払いとも言うな」

 

 憮然とした表情を全く変えることなく片眼鏡の女が冷たく言う。

 

「いや、まあ暇というか仕事量が皆よりちょっと少ないだけというか」

 

 髪を指にくるくると巻き付けながら紺髪の女がぶつぶつと呟いた。

 

「......では、私は帰る。くれぐれもいらぬ騒ぎは起こすなよ」

「はいはいー」

「返事は一回だ!」

「はいー」

 

 片眼鏡の女が小さく舌打ちをしながらくるりと向きを変えた。纏った白いコートの裾がふわりとはためく。

 紺髪の女は片眼鏡の女の背中に向かって右手をばいばい、と軽く振った。

 

「......つくづくいい加減な奴だ」

 

 片眼鏡の女の眉間に小さくシワが刻まれた。

 そして、ちらりと霞がかった月へと目をやった。霞が少しゆらめく。

 

「まあ、それくらいの方がここには合っているのかもしれんがな......」

 

 片眼鏡の女がポツリと漏らしたが、その声は紺髪の女の耳に届くこともなく闇に吸われた。

 

 影が一つに減った。

 

 残された紺髪の女は立ち上がるとぐいっと背伸びした。

 

「あー、流石に体が重いですね」

 

 口角がにんまりとつり上がる。

 もやが晴れ、月明りが徐々に漏れ始めた。

 

 

「やれやれ、相変わらず愛想のない奴ですねぇ。仕方ない......さーてと、じゃ、始めますか!」

 

 彼女の髪にあしらわれた彼岸花の輪郭が射し込んだ月光の下で赤く光った。

 

「本当に生命に満ち溢れています......あの"穢れなき星"と違って」

 

 

 ◇

 

 

 幻想郷の奥地、1つの寂れた神社があった。

 穏やかに照りつける太陽。季節は夏の始まりといったところ。 幻想郷では最も過ごしやすい日々と言えるだろう。しかしながら、ここ、博麗神社は陽気な初夏の気候と言えたものではなかった。

 

「はっくしょん!」

 

 静かな神社ではただくしゃみの音だけが響く。一人の黒髪の少女がチーンと鼻をかんだ。そして、忌々しげに呟いた。

 

「どうなってんのよ...全く」

 

 少女─博麗神社の巫女・博麗霊夢は風邪をこじらせていた。妖怪退治の専門家もちり紙片手に布団にくるまる姿は形無しだ。

 数々の人外と渡り合えるほどの力を持った霊夢とて身体は人間、体調を崩すこともある。が、

 

「うぅ......寒っ」

 

 霊夢は布団を頭まで被るとカタカタと震えた。悪寒が背中にぞわりと広がる。

 ここ数週間で気温が秋の中頃並にガクッと落ちている。このペースで冷え込みが続けば1週間も経てば吐息が白くなることだろう。

 異常な温度差は人の体調をいとも簡単に崩させる。霊夢とて、つい先日しまったばかりの羽毛布団を再び引きずり出してくる他なかった。

 

(ああ、魔理沙がいたら魔法で暖でもとれるのに......普段は用も無く来るくせにこういう時に限っていないんだから)

 

 この場にいない友人に心の中で悪態をつきながら霊夢はもう一度大きくくしゃみをした。

 

(まさか、魔法の森にも出てるんじゃないでしょうね..)

 

 霊夢にはこの寒さの原因は見当がついていた。

 

 "異変"だ。

 

 幻想郷では異変と呼ばれる様々な怪奇現象が起きる。そしてその異変の解決を代々の博麗の巫女は生業としてきた。もちろん霊夢もこれまでにいくつも異変を解決に導いてきた。

 

 霊夢は母屋の外へと目をやった。襖に大量のもやのようなものが映り込む。

 霊夢は明らかな異常を察知していた。

 

 幽霊が多すぎる。

 

 幽霊は基本的に冷たい。墓場なんかが夏によく胆試しに利用されるのは霊魂が集まる場所で本当に涼しいからでもある。

 かといって初夏の気温をたちまちにここまで下げる程冷えはしない。

 せいぜい夏場のささやかな納涼に使える程度である。

 そもそも儚く脆い存在である幽霊が日光が差す昼間にこんなに活発に活動していること自体がおかしい。

 にも関わらず、博麗神社は除霊しても除霊してもきりがない程に大量に幽霊が蔓延り、うすら寒さに囚われている。まるで幻想郷中の幽霊が神社の境内に集結したかのようだ。

 以前にも冬が終わらない異変はあったが幻想郷を春へと向かわせる春度が何者かに集められ、春が訪れないといったものだった。急に気候が変化した今回の異変とは異なる。

 他にも季節外れの植物が咲き乱れる異変や怨霊が大量に地下からわき出る異変、動物霊が地獄からぞろぞろ出てくる異変など似ているものもいくつかあるにはあったが、いずれも今起きている現象とはどこか違う。

 

 鼻が詰まり、口で呼吸しているせいか喉が渇いた。

 

(......白湯でも作ろうかしら)

 

 霊夢は熱っぽく重い体にむち打ち、芋虫のように布団から這いずり出た。キーンとした冷気が一段と身に染みる。

 

(そういえば魔理沙も見ないけど萃香も見ないわね......この寒さなら真っ先に鍋だー、なんて言いながら押しかけて来そうなのに)

 

 木造の廊下は冷たく凍てついていた。ひんやりしたなどという生易しいものではない。踏み出す足がまるで釘にでも貫かれるように悲鳴をあげる。

 霊夢は廊下に蔓延する冷気に呻き声を上げながら、なるべく氷のような木の板との接地時間を減らすためにトタトタと小走りで台所へ向かった。

 

 異変の解決にはしばし彼女の回復を待たねばならない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二、異変(二)

 ガチャリとドアが開く音がした。

 

(もう日も暮れたのに誰かしら。いや、この乱暴な開け方は......)

 

 アリス・マーガトロイドは読みかけの魔導書を閉じ、玄関へと向かった。

 

「どうしたのよ魔理沙? そんな格好で?」

「よ、アリス」

 

 案の定にんまりと笑う金髪の少女─霧雨 魔理沙がそこにいた。黒いとんがり帽子の下からは片方の前髪だけ三つ編みにして垂らしている。

 首にはマフラー、両手には厚手の手袋をはめ、体は重ね着でモコモコに膨張し、大量の葉や枝が引っ掛かっていた。吐息は片っ端から白く色づいていく。

 魔理沙の余りに滑稽で悲惨な姿にアリスは思わず心の中で噴き出した。

 

「......まあ、元気ならいいわ。早くドア閉めてくれるかしら? 寒いんだけど」

「ああ、すまんな」

 

 扉を閉めるとふぅ、と魔理沙が一息ついた。

 

 二人が暮らす魔法の森は極端に冷え込んでいた。

 ここには魔力の素となる材料が多くあることから好んで魔法使いが暮らしている。アリスは種族が魔法使い、魔理沙は種族は人間だが魔法を扱える。

 が、寒さの影響でその材料となるこの森の化け物キノコや植物などの生育が悪くなり、ひどいところでは枯れ始めていた。当然ながらそれを食べる虫、さらにそれを食べるトカゲといったいずれも魔力の源である生き物にも影響を及ぼしている。

 

 しかし、単なる冬の寒さであればこの森の魔法使いも皆それなりに準備をしている。熱の魔法で寒さはどうとでもなるし、冬にしかとることのできない貴重な魔力も存在する。

 

 問題は今がまだ水無月の初め、つまり六月だということだ。

 

 魔法の森はもともと鬱蒼としてじめじめとした雰囲気で、幻想郷の他の地域に比べて気温が低い方ではあったがこの時季に防寒具が必要になるほどではない。

 キノコの収穫期でもある梅雨の前ということもあり、ただでさえキノコの貯蓄が少なめであったこともこの森の魔法使いの悩みに拍車をかけているのだ。

 

 居間に魔理沙を通すと、アリスと同じように金髪の洋人形が机の上に残っていた魔導書を片付け、湯気立つココアを運んできた。

 アリスは人形を操る魔法を得意としている。人形で料理、掃除、洗濯あげくの果てには戦闘ですらこなすほど彼女は器用だった。もちろん、ココアも彼女が人形を操って出したものである。

 上質な木製のテーブルが1つにそれを囲む椅子が四つ。二人は向かい合うようにそれに腰掛けた。

 魔理沙は手袋を外すと、まだかじかむ手でココアの満たされたカップを包み込み、体温を取り戻していく。ようやく手が動くようになったのか取っ手を持ち直して一気に飲み干す。ぷはぁ、と小さく声が漏れた。

 これで落ち着いたのか、椅子を下げて足を組み、行儀悪く座り直すと、まだ完全には血の通っていなそうな紫色の口を開いた。

 

「......相変わらずウジャウジャいやがるぜ」

「何が?」

「幽霊だよ、幽霊。この寒さの原因だ」

「幽霊? そう言えば2週間前くらいに家を出た時、墓場かってくらいやたらと幽霊がいたわね。邪魔だったから家のまわりの分だけ軽く追い払ったけど」

「ここ最近はとにかく増え続けて、潰しても潰してもきりがありゃしない。量はもう2週間前の比じゃないぜ。外、出てないのか?」

 

 魔理沙は親指でくい、と玄関を指した。

 

「この寒さでわざわざ外出しようとは思わないわね」

「......この感じはもう立派な異変だ」

「異変ねえ。今の所は貴女が着ている服が異変じゃないの? こんなに葉っぱつけちゃって。ほら脱いで」

「あ、ああ」

 

 魔理沙が上着を脱ぐとそれを2、3体の人形が取り上げせわしなく汚れを払い始めた。

 

「まあ、葉っぱが付くのも今のうちだろうがな」

 

 1枚はらりとこぼれ落ちた枯葉をつまみ上げ、魔理沙が呟いた言葉がアリスには引っかかった。

 

「どういうことよ?」

「このままだと森は全滅しちまうぞ」

 

 いつになく真剣な魔理沙にアリスは不思議そうに首をかしげて、

 

「そんなに? たかだか幽霊でしょ? そのうち消えるんじゃないの?」

「確かにアリスの家のまわりはまだ増えてはいないな。私の家のあたりはもう駄目だ。バナナで釘が打てる世界だぜ」

「よくそこまで幽霊がいて取り憑かれずに済んだわね......」

「まあ、私の精神力は強靱だからな。とにかく、あれが広まったら森は終わりだ」

「で?」

 

 アリスは声を落とした。

 

「ん?」

「行くんでしょ。異変解決」

「......もちろん」

 

 アリスの言葉に魔理沙が待ってましたとばかりに、にやりと笑った。

 

 目付きが変わった。

 ああ、この目だ。

 輝く瞳の奥に静かに燃える闘志。

 アリスは今まで何度もこの目を見てきた。

 

「私もストックはないけど......まあ、少しなら魔力、分けてあげるわ」

「あはは、やっぱバレてたか」

「あの葉っぱの量は森を無理矢理かき分けて歩かないとつかないわよ。飛行用の魔力も尽きてたんでしょ」

「ああ、スッカラカンだぜ。箒に乗っても少しも浮きやしない。森に迷いこんでアリスの家に駆け込む人間の気持ちが少し分かった気がするな」

「ならその気持ち、もっと味わうために今晩は泊まっていく? 幽霊が蔓延る陰鬱な夜の森の中を徒歩で帰りたいっていうのなら話は別だけど」

「そうさせてもらうぜ。じゃあまた明日な」

「あら、もう寝るの?」

「寒さで最近寝不足なんだ。私は寝なきゃ駄目な魔法使いだからな」

「あ、ちょっと。服、ここにかけておくからね」

 

 アリスの世話焼きの母親のような言葉に魔理沙は「ああ」と生返事をしただけで席を立ち、寝室へと向かった。部屋から遠慮のない大あくびが聞こえた。

 

「やれやれ、ね」

 

 アリスは相変わらず扉を荒っぽく閉める魔理沙を苦笑いで見送ると、外の冷気に反して梅雨へ向けた支度を始めた。

 

 この異変は明日で終わる──アリスはあの瞳に確信していた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三、異変(三)

 朝日が昇る。博麗の巫女の朝は日の出と共に始まる。霊夢はむくりと上半身を起こすと思いきり伸びをした。

 昨日までの身体の怠さも大方消えた。相変わらず神社は冷え込んでいるが、それでも彼女にとっては久しぶりの気持ちのいい目覚めであった。

 

「さて、と」

 

 霊夢は勢いよくぴょん、と立ち上がると腰に手をあて改めて背伸びをした。布団をたたむと朝食の準備をしに台所へと向かった。昨日までの身体を引きずっている、という感覚もすっかりない。廊下の冷たさも昨日と違ってむしろ心地よささえ感じた。1歩踏み出すごとに目が冴えていく。同時に異変解決の専門家としての勘もよみがえってきた。

 

 朝食と着替えを済ませた彼女は、昨日まで布団の中で震えていた少女ではなく、幻想郷の調停者・博麗 霊夢であった。

 紅白の巫女服を身にまとい、右手に大幣を握りしめ、懐には術を施した大量の御札。これが彼女のいつもの異変解決スタイルである。流石に寒いので普段と違って上着を羽織っているが。

 

 ウォーミングアップがてらに神社の"掃除"を始めた。

 敷地内の幽霊を手当たり次第に殲滅していく。身体を動かすと寒さも段々と気にならなくなっていった。

 

(普段なら幽霊は闇雲に退治しないんだけど......ま、しょうがないわよね)

 

 それでも幽霊はさほど減る様子を見せなかったが霊夢はそれも承知の上であった。

 はなから霊夢は幽霊など眼中にはない。

 この異変には必ずもっと大きな黒幕がいる。その元凶を徹底的に叩きのめす。

 

 幽霊を薙ぎ倒し続けると少し視界が晴れた。

 

 そろそろ出発しようと霊夢はゆっくりと浮き上がった。空を飛ぶのも久しぶりだ。羽織った上着がパタパタとはためく。

 幽霊から離れたからか上空の方が陽射しの暖かさをより実感できた。

 そのまま、飛行しようとしたものの急ブレーキをかけた。視界に入ったものを確認しようと目をこする。しかし、見えるものは変わらない。

 

「な、何よ......これ」

 

 ずらりと一列に並んだ幽霊が霊夢を待ち構えていた。神社へと続く長い石階段に大小さまざまな幽霊がきれいに整列している。どうやら階段を下りきったその先にも続いているようだった。

 いくら百戦錬磨の霊夢とて、今までこんな光景は見たことがなかった。

 慎重に高度を下げ、近づいてみたが一向に散る気配がない。綺麗に並んだままであった。試しに御札をちらつかせても本当に攻撃しても逃げる気配はない。

 幽霊は何者かに並ばされている、と考えるのが妥当だ。

 霊夢は、いよいよ裏で幽霊を操る者がいることに確信を持ち始めた。

 

(幽霊と言えば冥界だから白玉楼まで行こうかと思ってたけど......)

 

 霊夢は自らの勘の赴くまま幽霊行列をたどることにした。もちろん片っ端から成仏させながら。

 

(しっかし、これだけの異変、魔理沙が動いてないのも変だけど文が何にも取材してないのも変ね。いつもなら鬱陶しいくらい飛び回ってるのに)

 

 ◇

 

「おーい! 起きてるか!」

 

 早朝のあばら屋に甲高い声が響く。一番聞き慣れた声で森近 霖之助は目を覚ました。経験則だが、この声で起こされた日には大抵ろくなことがない。枕の脇に置いてあった古ぼけて曇った眼鏡をかけ、のんびりと寝巻きを着替え始めた。

 香霖堂──ここは彼が店主を務める骨董品店──と言えばきこえはいいが、実際は彼が拾ってきたがらくたを適当に売っているだけである。あげくに自分が気に入った物はことごとく非売品にしてしまうため、まともな商売にはなっていない。

 

「おーい! まだか!」

 

 彼女がせっかち過ぎるのだ。別に急ぐ必要はない。というか、今はまだ営業時間ではない。

 帯を締め、ようやく声の方へと向かった。案の定、金髪の少女が商品である古めかしい壺に腰掛けている。

 霖之助は大きくため息をついた。

 

「売り物に座るなといつも言っているだろう。で、どうしたんだい、魔理沙?」

「こっちはまだあったかいんだな」

 

 霖之助はもう一度ため息をついた。会話が成り立たない。

 しかし、幻想郷ではよくあることだ。自分にそう言い聞かせ、再び口を開いた。

 

「あー、いったい何の用だい、魔理沙?」

 

 ようやく彼女はこちらを向いた。

 

「ああ、八卦炉を取りに来た」

「そうなのかい? いつもは約束よりも早く来るくせに今回は2週間も遅かったからもういらないのかと思っていたよ。ほら、メンテナンスはとっくに終わってる」

 

 霖之助は大人の拳より一回り大きいサイズの正八角形の物体を魔理沙へ差し出した。

 ミニ八卦炉──魔理沙のために様々なカスタムが施してある、超がつくほど貴重なヒヒイロカネを使用した霖之助渾身のマジックアイテムだ。これ1つで暖房から戦闘まで幅広くこなすことができる優れ物だと自負している。

 

「色々あって森を出られなかったんだ。サンキュー、香霖」

「色々?」

「ああ、異変だ。幽霊が大量に湧いて森、というか私の家がとんでもなく寒くなってる」

「なるほど、"こっちはあったかい"というのはそういうことか。しかし、だったら尚更早く八卦炉が要っただろうに」

「魔力が切れて森から出られなかったんだ。今はアリスから魔力を貰ってる」

「何? ははぁ......そういうことか。ちょっと魔理沙。渡したいものが......」

「何ゴソゴソしてるんだ? まあいい。そういう訳だから今急いでるんだ。またな、香霖!」

「あ、待て! ......行ってしまった。まったく」

 

 霖之助は少女が風のように消えていった開きっぱなしのドアを恨めしげに見た。

 

「しまったな。コイツを渡しそびれたぞ......」

 

 霖之助が手の上で球体をコロコロもてあそんでいると、

 

「店主さん、いらっしゃる?」

「ああ、いらっしゃい」

「今、魔理沙っぽい人がすごい勢いで出ていったのだけれど何かあったのかしら?」

 

 店の扉が再び開いた。1日に2人も来客があるのは、いや、3人目か。とにかく、この店では珍しい。明日は雨か、などと思いながら霖之助はお得意様の銀髪の少女の対応へと気持ちを向けた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四、異変(四)

「やれやれ、行列をたどってきてみれば......まためんどくさい所に出たわね」

 

 霊夢は新緑に染まった山を見上げていた。妖怪の山──天狗、河童などが独自の組織的な社会を築いている。その中でも一番の勢力である天狗はテリトリーに敏感で非常に排他的だ。

 山に一歩でも踏み入れようものならたちまち敵と認識され排除の対象となるだろう。

 実際、霊夢は天狗とあいまみえたこともある。

 故に非常にめんどくさいのだ。

 しかし、山を回り込んだり、飛行して、幽霊行列を見失う訳にもいかない。白くぼやけた筋は目の前の獣道へと連なっている。

 

「あー、もうしょうがない!」

 

 霊夢は、大きく息を吸ってから、ヤケクソ気味に足を踏み出した。

 普段であれば、早速、哨戒天狗がやかましいくらい警告を始めるところだが......何も起きない。何らかわりない静かな木々とちっとも移動しない幽霊行列が目の前に並んでいた。

 

「入っちゃうわよー、いいのー?」

 

 一向に音沙汰がない。明らかに様子がおかしいがひょっとしたらこれも幽霊行列と何かしら関係があるのだろうか? そんなことを考えながらずんずん進んでいるとそろそろ山も中腹あたりだろうか、というところまでたどり着いた。この辺りまで入れば、いつもの天狗であれば実力行使で侵入者を排除しにやってくるはずだが、やはり変化はない。聞こえるのは、土やら枯れ木やらを踏みつける自分の足音だけだった。丈の高い木々の幹は影に包まれ、日光も切れ切れにしか射し込んでこなかった。幽霊行列も途切れることなくふわふわと続いている。というかそもそも天狗が自分たちのテリトリーに幽霊が列を成している、という異常事態を放置していること自体がおかしい。

 

「やっぱり、この幽霊......何かあるわね」

 

 他にも気になる点はある。幽霊が集まっていたのは今の所神社だけなのだ。山の幽霊は並びはしているものの気温が下がるほど集合はしていない。

 深まる疑惑を払いのけるため、巫女の足ははやまった。

 

 ◇

 

「そうか、ありがとな」

「すまないね、お嬢さん。力になれなくて」

「いや、いいんだ」

 

 魔理沙は井戸端会議を楽しんでいた数人の女性に礼を告げると手を振って別れた。

 

(......まずいな、さっぱりだぜ。やっぱり森だけにしか起きてない現象なのか?)

 

 魔理沙は人里で聞き込みをしていた。もちろん異変についてだ。が、早朝から尋ね続け、昼になったが特に有力な情報が得られることもない。

 人里は幻想郷のほとんどの人間が集まっている集落だ。むしろ人里に住んでいない魔理沙のような人間は珍しい。だから、多くの情報はここに集まる。

 そう思って、ここで情報収集を試みたのだ。勢いで森を飛び出したものの異変に関する情報は何もない。魔力に限りがある現状では闇雲に探すのも無理がある。

 

(あんまり里に長居はしたくないんだがな)

 

 魔理沙は箒から生えてきた若葉を撫でた。魔力の影響なのか何なのか、この箒、度々芽吹く。

 しかし、本人の魔力が少なかったからなのか、寒さの影響かここ最近は一切生えてこなかった。

 だが、人里はいたって温暖だ。何の変化もない。普段の賑やかさをとどめたままだ。

 

 不意に腹が鳴る。太陽はすっかり昇りきっていた。

 そういえば昨晩は早く寝てしまったし、今朝は魔力を貰うとすぐにアリスの家を出発してしまったのでしばらく何も食べていない。何かしらに没頭していたとしても人間、自分の空腹に一度気づいてしまうと、もう逃れられない。途端に魔理沙はふらつきながら目の前の飯処に飛び込んだ。

 

「おじさんかおばさん! とりあえず適当な定食1つ!」

 

 店に入るなりがさつに注文をする。それほど腹が減っていた。

 

「おばさんだよ。いやおばあさんかもねぇ」

 

 初老の女性の声が聞こえた。どうやら注文は通ったらしい。

 

「ん? あれは......」

 

 ヤツデのような赤い飾りのついた青い帽子。白髪に青いメッシュの入ったロングヘアー。

 椅子の背もたれごしに見えたその2つで誰なのかはすぐに分かった。

 

「アイツに聞くのが一番早かったかもな......おい、久しぶりだな! 慧音!」

 

 魔理沙はずかずかと近づくと相手の肩を軽く叩いた。

 びっくりしたのか慧音と呼ばれた女性は、一瞬肩を震わせたがすぐに落ち着きを取り戻し、振り向いた。

 

「その声は魔理沙か。どうしたんだ?」

 

 上白沢 慧音──寺子屋を営む里のリーダー的存在だ。実は半人半獣で満月の夜にだけハクタクという幻獣に変化する。この時はあまり家の外に出ないので魔理沙もハクタク姿の慧音は数えるほどしか見たことがない。

 

「ちょっと聞きたいことがあるんだがいいか?」

「私は構わないが......いいか?」

「俺も別に構やしないが」

「誰だあんた? 慧音の彼氏か?」

 

 魔理沙は慧音の向かいの席にもう一人、男が座っていることに気がついた。そこまで年はとってない。年齢は20代後半から30代中頃といったところか。

 

「そんな訳がないだろう。で、何が聞きたいんだ?」

「いや、それがな......」

 

 魔理沙は異変についてことこまかに説明した。

 

「ふむ、なるほど。それで里に来たわけか。残念ながらその現象は......が把握している限りだが、里ではおきていないな」

「そうか......ありがとう。邪魔したな」

 

 礼を言って帰ろうとする魔理沙の腕を慧音ががっしり掴んだ。見かけによらず力が強い。

 

「まあ、待て。話は最後まで聞くものだ。この男の話が役に立つかもしれない」

「何?」

「すまないが伝助、私にしてくれた話をもう一度この子にしてやってくれないか?」

「あ、ああ。俺は珍しい山菜なんかを採取する商売をしてるんだがな、二日前くらいのことだ。中有の道へ向かったんだ」

「中有の道にか?」

「ああ、あそこにはこの梅雨前には良質のものが採れる。別に道中は難なく進めたさ。これでも腕っぷしにはそれなりに自信があるからな。問題はその後だ。中有の道についたら立て看板があった」

「何て書いてあったんだ?」

「それが......読めなかったんだ」

「読めないだと? そんなに難しいことが書いてあったのか?」

「いや、あれは人の文字じゃなかった」

「ふーん。別に珍しくもないだろ。妖精とかのイタズラじゃないのか?」

「ああ。俺もそう思って無視して進んだんだが中有の道に......入れなかったんだ」

「何?」

「あ、いや、正しくは入らなかったんだ。不気味でな。いつもじゃ有り得ない量の幽霊がいやがった。いかに死者の通る道と言え、あれは流石に......」

「慧音! 紙と筆あるか!?」

「あ、ああ。持っているが......」

「おい! 伝助とか言ったな! 看板の文字覚えてるか?」

「あんな気味の悪いもん、忘れたくても脳に焼き付いちまってるよ......」

「ここに書いてくれないか?」

 

 急にヒートアップした目の前の少女に少し動揺しながら伝助は慧音から紙と筆を受け取り、何やら書き始めた。魔理沙はそれを眺めるが、なるほど、何が書かれているかはさっぱり分からない。

 

「大体こんな感じだ」

「ありがとよ。じゃあな」

 

 魔理沙は紙を受け取るとあっという間に外へ飛び出した。これがどんなに未知の言語であろうと文字であるならば、何とかなる。いや、何とかできる人物が人里にはいる。

 

「おまちどおさまー。おや? 金髪の子はどこ行ったんだい?」

「何だアイツ注文していたのか。いい、私が貰おう」

 

 慧音は手を挙げ料理を受け取った。

 

「あ、あのー。慧音さん」

「ん? 何だ?」

「それで、さっきの中有の道の件は......」

「ああ、あれなら問題ないだろう」

「流石、慧音さんだ! ありがとうございます」

「ふふふ、別に私は何もしないさ。それより、お前も食え。明日からまた仕事が忙しくなるぞ。今日はしっかり食べてしっかり寝なさい」

「え? は、はあ......いただきます」

 

 伝助は首を傾げながらを箸を口に運んだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

五、異変(五)

 定食屋から走り続け、魔理沙はある店に駆け込んだ。貸本屋だ。

 

「はあはあ......小鈴! 居るか!?」

 

 少しカビ臭い香りのする空気をいっぱいに吸い込んで深呼吸する。魔理沙は本に囲まれた空間独特のこの空気が好きだった。といっても今回はここの本が目的ではない。

 

「そんな大きな声出さなくても聞こえますよ、魔理沙さん。どうしたんですか? そんなに肩で息して。水でも飲みます?」

 

 店のカウンターの奥から魔理沙より一回り小さな少女が出てきた。オレンジ色の髪を鈴のついた紐でとめて、ツインテールにしている。本居小鈴─貸本屋・鈴奈庵の看板娘であり、貴重な本の収集で留守がちな父に代わってよく店番をしている。魔理沙が彼女のもとへ真っ先に訪れたのには理由があった。

 

「はあはあ......いや、大丈夫だ。それより、頼みがあるんだが」

「妖魔本ですか? 魔理沙さんなら......」

「あー、違う違う。そっちも中々にそそられるが...今回はコイツを読んで欲しいんだ」

「え? 何ですかこれ?」

 

 例の紙切れを魔理沙はカウンターに座った小鈴の前に突き出した。小鈴は目をパチクリさせた。

 

「見たことない文字ですね......」

「文字? ってことは......」

「ええ、読めますよ」

 

 小鈴はにっこりと笑った。彼女は文字であれば、どんな異国の言葉だろうと妖怪の文字だろうと何であれ、“読む”ことが可能である。

 

「で、何て書いてあるんだ?」

 

 小鈴は眼鏡をかけると、文字を人指し指で辿り始めた。

 

「ええと、なになに......」

 

 しばらくして、指が止まる。

 

「立ち入り禁止......って書いてありますね」

「え?」

「ですから“この先、改装中につき立ち入り禁止”と書いてあります」

「それだけか?」

「それだけです」

「何かこう陰謀みたいなのとか幽霊を野に放って魔法の森を潰す、みたいなのは...」

「何ですか、それ。そんな物騒なことは書いてないですよ。というかこの字一体何なんですか?」

 

 小鈴は不思議そうに紙切れをつまみながら小首を傾げた。

 

「ん? ああ、それか。異変の手掛かりかと思ったんだが......」

「また異変解決ですか? 大変ですねえ」

「悪かったな。邪魔して」

「いいですよ。ちょうど退屈してましたから。私もまだまだ知らない文字がありますね」

 

 小鈴に見送られながら、魔理沙は店を出た。

 相変わらず全く読めない文字の書かれた紙切れをじっと見つめる。

 小鈴が読み違えるということは流石にないだろうが、魔理沙には解読してもらった内容がさっぱり分からなかった。

 

(改装中......どこがだ?)

 

 看板があったのは中有の道付近だとあの男は言っていた。

 あの近辺に改装できるものは、

 

(やっぱり、中有の道(あそこ)しかねえよな......)

 

 ここから中有の道まで徒歩で行こうと思えばかなりかかる。

 

「しょうがねえ、魔力多少使っちまうが......」

 

 魔理沙は風で飛ばないよう帽子を目深に被りなおした。

 

 ◇

 

「せいっ! はあ......」

 

 霊夢は相変わらず続く幽霊行列を殲滅しながら辿っていた。が、そろそろこの単純作業に軽く飽き始めていた。何の代わり映えもない幽霊を退治し続けているのだ。おまけに山を1つ越えていれば、流石に疲れもするし、げんなりもする。かといって放置しておく訳にもいかない。

 

「......こんなものあったかしら?」

 

 そんな時に、目に入ったのがこの奇妙な看板だ。

 何が書かれているかはさっぱり分からない。

 

 しかし、霊夢はこれと似たものをどこかで見た気がしてならなかった。

 

「どこだったかしら......あー、思い出せない!」

 

 普通に見れば落書きにも妖怪の文字にもとれるのに、霊夢には看板の文字がそれとは別の何かだと直感的に思えた。

 

「......分かんないもんに構っててもしょうがないわね。行きましょ」

 

 幽霊行列といい、妖怪の山の件といい、この看板といい、何か引っ掛かるものが今回は多い。

 何かもやもやしたものを霊夢は幽霊行列にぶつけていった。

 

 そして、看板を見つけてから間もなくのこと、遂に行列が途切れた。

 

「ここは──中有の道?」

 

 いつもの何倍もの幽霊が漂っている。

 

「ここ、冥界じゃないわよね......」

 

 霊夢は大幣を握りなおした。

 

 間違いない。

 

 異変だ。

 

 不意にキイーンという音が遠くでした。

 音はどんどん近付いてくる。

 周囲の木々がざわざわと揺れた。

 そして、音は止み、何かが後ろにどさっと落ちた。

 

「あら、随分遅いじゃないの」

「そうだな。余りに遅れちまったんで博麗の巫女にとっくに解決されてると思ってたぜ」

「......さっさと終わらせるわよ、魔理沙。私まだ昼ご飯食べてないんだから」

「......ああ、私もだ」

 

 ◇

 

 見渡す限り、本。本。本。

 恐らく幻想郷で一番本が集まっている空間だ。

 そんな大図書館に1人のメイドが音もなく現れた。

 

「パチュリー様。お茶が入りました」

「ああ、ありがとう。そこに置いといてくれるかしら」

 

 そして、もう1人、本に没頭していた人物が、声に気づいて顔を上げた。

 

「それから......今朝方パチュリー様がお作りになられた物ですが......どうやらうまく渡らなかったようです」

「あら、そうなの」

「ええ」

「まあ、私はそもそも何であれを頼まれたかもよく分かってないからね」

「......よろしければ私が直接届けに向かいますが」

「ええ、そうね。できればお願いしたいけど......間に合うかしら? いえ......」

 

 パチュリーと呼ばれた女が話し終わらないうちにもう一人の女は、現れた時と同じように音もなく消えた。

 

「あなたならいらない心配だったわね」

 

 紅茶をすする音が響いた後、図書館に静寂さが戻った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

六、異変(六)

「待って、魔理沙」

 

箒をくるくると回しながら、意気揚々と中有の道に乗り込もうとする魔理沙を霊夢が制した。

 

「何だ?」

「結界が張ってあるわ」

 

大量の幽霊に紛れて分かりにくいが、中有の道を塞ぐように張られている大規模な結界を感じた。

これに阻まれて幽霊達は中に入れず溜まってしまっているのだろう。しかし、通り1つ丸ごと塞ぐほどの規模の結界を誰が張ったのだろうか?少なくともそんじょそこらの妖怪にできる芸当ではない。

 

「そうか。じゃあ、いつもの"ズル"でちゃちゃっと解除してくれ」

「分かってるわよ」

 

霊夢は指を交差させると、結界をそっと軽くなぞった。

冷たい風が吹いた。

幽霊が一斉に中有の道になだれ込む。

 

「なるほど、中有の道が結界で塞がれてたから外に亡者があんなにいたのか。......それでも分からん部分はあるが」

 

建ち並ぶ屋台。賑やかさそのものは普段の中有の道とかわりない。人の往来そのものはそれなりにある。しかし、営業中の店は見当たらなかった。

 

「その辺は直接犯人に聞きましょうか。ちょっとあんた」

 

霊夢はもとから中にいた亡者を適当に見繕うと呼び止めた。

 

「ああ?何だい?......あれ、あんた生者だな。何で生者がここにいるんだ?おかしいぞ、外に看板立てといたって......」

「看板?今、看板って言ったわよね?あのおかしな看板はあんたの仕業だったの?」

「え?ちょっと待て、霊夢。看板って......これが書いてある奴か?」

 

魔理沙は霊夢に紙切れを差し出した。多少乱れてはいるが、看板に書かれていたものと一致している。

 

「え、ええ」

「鈴奈庵で解読してもらったんだがな。これ、"立ち入り禁止"って書いてあるらしい」

「はあ?で、あんたが立てたの?何のために?」

「い、いや、違う!あんたらの言ってる看板かは分からねえが、ここの入り口付近の奴なら立てたのは俺じゃねえよ。他の奴だ。理由はほら」

 

亡者は親指で奥を指した。

多くの亡者がバタバタとせわしなく行き来していた。あるものは木材を担ぎ、あるものは工具のようなものを運んでいる。

 

「今、うち改装工事してるんだよ。看板にも書いてあったらしいんだけどなあ」

「そうなの魔理沙?」

「あー、小鈴がそんなことも言ってたな。"改装中につき立ち入り禁止"って」

「で、何であんな大袈裟な結界まで張ってたのよ。こっちは風邪引いてんの。返答次第じゃ薬代だけじゃあ容赦できないわ」

 

霊夢はじりじりと亡者に詰め寄った。ただでさえ顔色の悪い亡者がどんどん青ざめていく。

 

「か、風邪?何のことだ?ちょっと待て......ひょっとして、あ、あんた、は、博麗の巫女様か!?勘弁してくれよ!俺たちだってここ数週間、てんやわんやなんだよ」

「ごたくは結構、結界張って幽霊を神社に集め、幽霊行列なんて趣味の悪いもの作ったのは誰?」

「ついでに魔法の森にも、だ」

「そ、そんなの知る訳ねえよ。ただ......」

「ただ、何よ?」

「新しく来たお偉いさんが関係してるかもしれねえ。言ったろ、数週間バタバタしてるって。俺たちもその御方に急に改装工事を命じられたんだ。これ以上は知らねえよ!ホントだ!」

 

亡者は一気にまくしたて、ダッと駆け出すと、たちまちガヤガヤとした喧騒に紛れてしまった。

 

「あ、待ちなさい!そいつはどこにいるの!?」

「霊夢。霊夢。その質問はもう必要なさそうだぜ」

 

亡者をなおも追おうとする霊夢の肩を魔理沙は軽く揺すった。霊夢は振り返り、魔理沙があごでしゃくる方になおった。

 

一人の女がいた。

 

ゆっくりとしかし、確実にこちらへ歩みを進めている。

 

「...結界が壊されたと報告を受けて来てみれば。やんちゃなお嬢さん方ですねぇ」

 

青みがかった黒髪。

黒を基調としながら、金色の柄をあしらった着物。

赤くゆらめく彼岸花の髪飾り。

その全てが異様に写った。

 

「前にどこかで見たような気がしてならないのですが......目的はなんですか?」

 

「魔法の森はボロボロだが人里は何ともなかった。霊夢の話を聞いた感じだと神社にも幽霊は集まっていた......や、集められてたらしいな。ピンポイントで」

 

「改装だか何だか知らないけど幽霊を操って、妖怪の山を黙らせて......あんたこそ、何者?」

 

「なるほど、私の質問には答えてもらえませんか......なら、私もあなた方の質問に答える必要はありませんねぇ」

 

女は透き通った水晶玉をかざした。水晶越しに女がニヤリと笑うのが見えた。

 

「博麗の巫女に霧雨のお嬢さん?」

「こいつ、私達のこと......」

 

霊夢は大幣を構え、懐のお札に手を伸ばした。間違いなく異変の核心となる人物が目の前にいる。

 

「何者なの......あんた?」

「こう、話が通じねえときは実力行使が手っ取り早いぜ!」

 

言うが早いか、魔理沙は箒で飛び上がり、懐から八卦炉を取り出した。

ゆっくりとミニ八卦炉を前に構えた。八卦炉が赤く発光し始めた。ぐんぐんと光度が上がっていき、そして─

 

─恋符「マスタースパーク」─

  

とてつもない爆風とともに白く輝く光の帯が魔理沙の前方を吹き飛ばしていく。

八卦炉の直線上がたちまち光に塗り潰された。

 

女はすんでの所でそれをかわした。地面が抉れ、土煙が舞う。

 

「ちっ、避けたか」

 

女は少し焦げて黒っぽくなった自分の髪の毛を面白そうに摘まんだ。

 

 

「ほう、これがスペルカードルールというやつですか......いいでしょう。かかってきなさい!この斑尾(むらのお) ノタカがお相手しましょう!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

七、異変(七)

「魔理沙...」

「ああ、分かったぜ......ちゃんとしなきゃいけない相手だってな」

 

 魔理沙は箒に颯爽とまたがると、空中へふわりと浮き上がった。鮮やかな手つきで光輝く魔方陣を構築していく。

 

 ─魔符『スターダストレヴァリエ』─

 

 魔理沙の周囲から次々と星形の弾が生じ、きらめきながら女へと文字通り流星のごとく一直線に向かっていく。

 が、ノタカと名乗った女は全く動かない。それらを避けようとする素振りすら一切見せず、ただただ突っ立っていた。

 その顔に笑みをたたえたまま、手をかざす。次の瞬間、全ての星はまたたくのをやめた。

 放った全ての弾幕がぴたりと停止していた。

 

「ありゃりゃ、止められちまった」

「おや、思ったより驚かないのですね」

 

 ノタカが髪の毛を人差し指でくるくる巻き取りながら口を尖らせた。この女、かなり感情豊かだ。

 

「そりゃ、こんなもんで驚いてちゃ幻想郷(ここ)じゃショック死しちまうだろうな」

 

 魔理沙の発言はあながち間違いでもない。幻想郷では神に匹敵する力の持ち主、なんなら神様そのものもごまんと暮らしている。そこまでいかずとも人間よりも遥かに力の強い妖怪が跋扈しているのだ。魔理沙はそんな桁違いの連中と幾度となく渡り合ってきた。誇張でもなんでもなくこの程度でビクビクしていたら幻想郷では本当に死んでしまう。

 

「なるほどね、勉強になります......よ!」

 

 ノタカは鎖状の弾幕を展開した。止まった魔理沙の弾幕が相殺されていく。星が粉々に砕け散って、パラパラ地に落ちていった。

 

「じゃあ、コイツはどうだ?」

 

 魔理沙の手の中でミニ八卦炉が再び明るく輝きはじめた。八卦炉の周囲に色とりどりの魔方陣が展開されていく。

 

「さっきと同じ手は食いませんよ!」

 

 すかさずノタカがチェーンを伸ばした。

 ジャラジャラという音と共に、魔理沙へと迫る。

 

「同じ? いいや、違うねっ!」

 

 魔理沙は素早くスライド移動した。無論、チェーン攻撃を避けるためだけではない。もう一度八卦炉を構えた。ジリジリやらギャンギャンやら様々な音が混じりながら、八卦炉が発光する。

 

 ─恋心『ダブルスパーク』─

 

 爆音と共に二本の巨大な光線が放たれた。鎖が光の中にかき消えていく。空間を切り裂きながら、レーザーがノタカに向かって突き進む。

 

「ほう......しかし、2本に増えたとて同じこと!」

 

 ノタカは2本のレーザーをすんなりと避けた。

 彼女の左右を轟音と焦熱が通過していく。

 

「そこだ......その場所が......いいんだ!」

 

 魔理沙は上空へと大きく飛び上がり、素早い身のこなしでノタカの頭上に位置どった。

 

「何?」

 

 ─恋符『ノンディレクショナルレーザー』─

 

 ノタカは既に2本のレーザーで動きを制限されている。上空からの連続的なレーザー攻撃はもう避けられない。細かい無差別指向のレーザーがノタカに襲いかかった。

 

「ちっ!」

 

 軽く舌打ちをすると、ノタカは腕まくりをして地面に手をつけた。何を始めるのかと思いきや、やたらめったらに砂を集め、そして、それを──空中へとぶちまけた。

 

「何だ? 目眩ましにでも使う気か?」

 

 砂塵が舞い、小さな爆発がいくつもおきた。レーザーが宙に漂う砂粒に叩き込まれていく。

 しかし、いつになっても砂煙は消えることはない。

 

「フフ......」

 

 ノタカの笑い声とともに砂がサーッとなだれ落ちた。

 

「何だ......? どうなってる?」

 

 無傷で仁王立ちするノタカがそこにいた。

 

「残念でした、小さな砂粒とて......うえ! ぺっぺっ! あー、口の中が......だからあんまりやりたくないんですよ、これ」

 

 口に入った砂を必死に吐き出すノタカをぼんやり見つめながら魔理沙は、この難敵の攻略の糸口を思索していた。

 スターダストレヴァリエといい、この砂といい何かしら固定する能力を持っているとみてまず間違いないだろう。生半可な遠距離攻撃では簡単に凌がれる。

 

「小細工は通じないか。じゃあ真っ向から力で吹き飛ばしてやる!」

 

 言うが早いか魔理沙は箒を操り、急降下すると、懐に潜り込むように一気にノタカに肉薄した。

 のけぞるノタカ。その鼻っ面に八卦炉を突きつける。

 

「ヤバっ......」

「砂で防ぐ隙も与えないぜ!」

 

 ─魔砲『ファイナルスパーク』─

 

「弾幕はパワーだ!」

 

 その場にいる者の眼前が目が眩むような光で埋め尽くされる。最大火力、手加減抜きの本気の魔法だ。

 

「あっぶな!」

 

 が、ノタカは間一髪で渾身の一撃をかわしていた。着物の袖が焼けちぎれ、吹き飛び、光の中に消え失せる。

 そして、我が意を得たりとにたにた白い歯を見せた。

 

「魔女っ娘。私の勝ちです」

 

「......あれ? 何だ? 止まらない!」

 

 一向に八卦炉からの攻撃が弱まらない。コントロールが効かない。魔力がゴリゴリと削られていく。徐々にレーザーの反動で魔理沙がぐらつきながら浮き上がり始めた。ガリガリとレーザーは地面を削り、魔理沙は箒ごと宙へと投げ出される。

 

「魔理沙! 手を離しなさい!」

 

 異変に気付いたのは魔理沙だけではない。様子を見守っていた霊夢も魔理沙の様子がおかしいことに勘づいた。

 慌てて魔理沙が八卦炉を離す。

 八卦炉が反作用で頬をかすめながら、後方へ飛んだ。

 光が徐々に細くなりながらやがて、消えた。

 

「魔理沙!」

「やべ......魔力が......」

 

 魔理沙の乗る箒のぐらつきがいよいよ激しくなる。そして、くるくるとキリモミ回転しながら地面へと近付き始めた。

 

「くっ!」

 

 霊夢は落下地点へと駆け出した。魔理沙を受け止めることは間に合うだろう。

 ちらりとノタカの方に目をやると、既に追撃の鎖をこれでもかと放っていた。

 問題はこの攻撃をいなせるかだ。

 両の手で魔理沙をキャッチする。どうやら気を失っているようだ。力が抜けきった人間は重い。予想外の衝撃に少し反応が遅れる。その場に横たえ、振り返った。

 もう目と鼻の先にまで鎖は迫っていた。

 全てがスローモーションに見え始めた。徐々に近づく鎖。大幣を構えようとする自らの右手。

 今から弾けるか......!? 

 でも、やるしか......! 

 

「......?」

 

 鎖が消えた。

 そして、次の瞬間、

 

「え? 何? 何コレ?」

 

 ノタカがパニックに陥り、あわてふためく声が聞こえた。

 辺り一面に浮かぶナイフ。全ての切っ先がノタカを向いている。

 無数の銀色の殺意に彼女は囲まれていた。

 

「咲夜?」

「あら? いらぬ世話だったかしら?」

 

 背後に立つ気配。魔理沙の肩を担いだ銀髪のメイド。

 

「......いえ、助かったわ」

 

 十六夜 咲夜──色々と訳有りのある館でメイド長として日々激務をこなしている。そんな彼女がなぜこんなにタイミングよく現れ、魔理沙を助けたのか霊夢には分からなかったが、今はそんなことに脳みそを割いている余裕はない。

 

「飛び交うレーザーに突然現れるナイフ......幻想郷がこんなに危ない所だなんて聞いてないですよ」

「まだまだ嫌って言うほど教えてあげるわ」

 

 霊夢が再び構えた。目はしっかりと眼前の敵を見据えている。右手の大幣をゆっくりとノタカに向けた。

 

「何が何だか分かりませんがね......」

 

 その間にノタカは一斉に襲いかかってきたナイフを対処しきり、ふらふらと向き直った。不意打ちを完全に凌ぎきるあたり、敵ながらあっぱれと言ったところか。

 

「次は私の番よ」

 

 だからと言って、負ける気はさらさら起きない。

 大幣を握る手に力が入る。

 

「さあ、続きを始めましょうか?」

 

 ノタカの口角が一段とつり上がった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

八、異変(八)

 魔理沙との戦闘を介して、少しずつ相手の特徴が見えてきている。

 そして、そこからある程度の勝算、詰め筋も霊夢には見えていた。

 

「はあ、はあ......」

「さっきの魔女っ娘のレーザーに比べれば大分楽ですねぇ」

 

 しかし、霊夢は肩で大きく息をしていた。思っていた以上に相手がしぶとい。どんな攻撃も相手の能力ですべて停止させられて迎撃される。質が悪いことに自分が出した弾が止められ、それを防壁に転用される。さらに、早朝から幽霊をちまちまと退治し続けていたのだ。疲労は最高潮に達しようとしていた。

 

「あら? 動きが鈍くなってきましたねぇ?」

 

 ノタカが喉の奥でクスクス笑う。

 

「はあ、はあ......うるさいわ、ねっ!」

 

 お札を投げつける。しかし、ノタカまで届くことはない。空中に貼り付けたように停止し、鎖で貫かれる。お札の破片がヒラヒラ舞い落ちる。

 

「同じことの繰り返し......何の真似です?」

「言ってなさい。じきに吠え面かかせてやるわ」

 

 訝しげに人差し指を口に当てるノタカに霊夢はもう一度、お札を投げつけた。

 

 

 ◇

 

「う......うーん......?」

「あら、起きたかしら?」

 

 魔理沙の目にまず入ったのは木にもたれかける銀髪のメイド服に身を包んだ少女─十六夜 咲夜だった。

 

「......何で、咲夜が? どうなってるんだ?」

「ん」

 

 体を起こし、咲夜が示した方に目をやった。お札と鎖が飛び交っている。

 

「気絶してたのか......私。ひょっとして、お前が助けてくれたのか?」

「落ちるあなたを受け止めたのは霊夢よ。私じゃない」

「......そうか」

「そんなことよりも霊夢と戦ってるあの女、何者なの?」

「異変の調査をしていたらアイツに行き着いたんだ。どういう訳だか向こうは私たちのことを知っていたようだがな。咲夜こそ、こんなところで何やってるんだ?」

「ええ、あなたに用があって探し回っていたのよ。やっと見つけたと思ったら墜落寸前だったって訳。じゃあ、落ちてた八卦炉と、これ。はい」

 

 咲夜は懐からミニ八卦炉と不思議な光を放つ球体を取り出した。

 

「私にはよく分からないけど、魔法使いなら分かるのでしょう?」

 

 魔理沙はおずおずと受け取った。

 

「これは......魔力? アリスか?」

「いいえ、パチュリー様からよ」

「何でアイツが?」

「さあね、誰かに頼まれた、みたいなことはおっしゃってたけど。私はそのことをお尋ねする立場にないし、それ以上分からないわ。でも、役に立つんじゃないかしら?」

「......ああ、そうだな」

 

 目まぐるしく移り変わる景色、目の前に近づく固い土──魔理沙は呼び覚まされた1番新しい記憶を首を振ってかき消した。

 しかし、人の記憶というのは思い出すまいとすればするほどより鮮明に想起されるものだ。

 

 飛行が維持できない。レーザーを止めることができない。八卦炉から魔力の放出が止まらず、そのまますべて出つくす──先程の一連のできごとを思いだし、身震いした。

 

 かといって、このままただで転ぶわけにもいかない。霧雨 魔理沙の名が廃る。

相手の能力の穴の見当もある程度ついた。

 

「じゃあ、私は仕事に戻るから」

「......ありがとな」

「あら、魔理沙もお礼が言えるようになったのね」

「......私、何だと思われてるんだ」

「うふふ、そうすねないの。それにお礼ならパチュリー様に、ね」

「......今度アイツの本返さないとなあ」

「期待しないで待ってるわ」

 

 咲夜が瞬時に消えた。後には木陰の涼しさとメイドの残り香だけだ。

 

 

「さてと、ラウンド2だぜ」

 

 

 ◇

 

 ─霊符『夢想封印』─

 赤、緑、青といった大きな弾がグルグルと回転し、目の前の紺髪の女─ノタカと言ったか─を囲むように追い込んだ...かに見えたが、途中でピタリと弾幕が止まったかと思うとノタカが放つ鎖状の弾幕で相殺される。

 

 やはり、そうか。

 

 今の弾幕はわざと避けやすいように撃ったつもりだ。そこらの妖精でも容易くかわすことのできる、その程度のレベルだ。しかし、ノタカは避けない。──いや、避けられない。

 ノタカの動きで霊夢は確信した。

 

「あんた......飛べないんでしょ?」

「へ?」

 

 ノタカがすっとんきょうな声を上げた。顔に図星と書いてある。

 女は先ほどから全ての攻撃を地上でさばいている。飛べば何てこともなく避けられる足元の弾幕攻撃に対してもどういう訳か一切体を浮かそうとしない。わざわざ例の弾幕を停止させる力を使って対処するのだ。よほど自らの能力に自信があるのかとも思ったが、今の『夢想封印』の対処を見ていて確信した。どういう理由かは知らないが、ノタカは体を浮かすことができない。

 

 速い話が──コイツは足元のトラップを避ける術を持っていない。

 

 ─神技『八方鬼縛陣』─

 

 打ち落とされて地面に散らばっていたお札が発光を始めた。瞬時に結界がノタカを囲い混むように展開していく。

 

「ヤバいっ!」

 

 急いでノタカは脱出を試みる。が、結界は高速で収束していき、完全に閉じた。

 

 不意に風が吹いた。

 

 そろそろか。

 

 ──霊夢、ちょっと作戦があるんだ

 ──何よ

 ──敵が何人もいるなら、そのまま二人で戦う。もし、一人なら月の都の時みたいに私が様子見で最初に戦う。次に霊夢が戦う。それでどうだ?

 ──何でまたそんなまわりくどいことするのよ?

 ──実は今、魔力があんまりなくてな。だから対処法が分かってから、最後に2人がかりで一気に攻めよう。本来なら私1人の手柄にしたいとこなんだがな、やむを得ん。

 ──まあ......構わないわ。私も少し疲れてるしね。

 

「やれやれ、結構ギリギリな省エネ戦法ね」

 

「霊夢ぅぅぅ! 頭下げろぉぉぉ!」

 

 霊夢は言われるがままに腰を落とす。

 頭上を爆音が掠めていった。

 

 ─彗星『ブレイジングスター』─

 

 箒にまたがり高速で結界内のノタカに突っ込む魔理沙。霊夢が正面の結界を緩め、道を開ける。

 

「まだっ......間に合う!」

 

 ノタカがこちらに手をかざすのが見えると、魔理沙の全身が何かにぶつかるような反動を受けた。

 

 

 

 ノタカはレーザー攻撃を回避に徹して対処していた。止めることができないのだろう。

 だが、全てのレーザーをあそこまで避けきることが可能だろうか? 魔理沙はいずれのレーザー攻撃においても、仕掛ける直前に服がまとわりつくような感触を覚えた。そのせいでレーザーの照準が狂った。

 ノタカは何も偶然の連続でレーザーをかわしていたわけではない。魔理沙の服を止めていたのだ。

 今、魔理沙は、釘で打ちつけられたように空中ではりつけにされている。

 ──だが、手も口も動く。まばたきもできる。

 

「お前......()()()は止められないんじゃあねえかっ!?」

「くっ! だが、それに気づいたとて...あんたの服はもう縛った!」

 

 確かにそうだ。もう魔理沙の体はびくともしない。服はカチコチに固まっている。どうやら、服を破って脱出することすら敵わないらしい。

 

「後は、箒を縛れば......え? え? え?」

 

 しかし、箒は止まらない。いや、止められない。

 

「ぐべっ......」

 

 鈍い音と奇妙な断末魔が入り混じりながら、箒の柄はノタカの眉間にクリーンヒットした。

 背中からひっくり返るノタカ。度肝を抜かれ、口をぱっくりと開いて。そのまま、中有の道のど真ん中に横様にぶっ倒れる。髪飾りがひらりと踊る。

 

「いてっ」

 

 服の固定が解除され、魔理沙はどさりと地面に落ちた。

 

 

 つかつかとぶっ倒れたままのノタカへと歩み寄る。

 

「悪いな。私の箒、どういう訳か生きてるんだ」

 

 魔理沙はペロリと舌を出した。

 拾い上げた箒からひょっこり生えた葉っぱが誇らしげに見えた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

九、Ex(一)

 幻想郷──中有の道。

 焼き鳥、りんご飴、射的といった色とりどりの屋台が立ち並び、普段からそれなりに賑わっている場所ではあったが、今宵はその一角で殊更に豪勢な宴が開かれていた。

 

「おーい、ひゃけはまらかー?」

「こっひももうないひょー!」

「つまみぃー!」

「はいはい、今持っていきますよー......ったく何で私がこんな目に」

 

 最早誰なのか判別がつかないほどのへべれけな声に追われながら、おでこに絆創膏を貼った女がせわしなく動いている。ノタカだ。

 

「何だか人が多いわねぇ。どっから聞き付けて来るのやら」

 

 霊夢はあたりをキョロキョロ見回した後、他人事のような調子で呟いた。宴は始まったばかりだというのにそこら中に空になったとっくりとすっかり出来上がった酔っ払いどもがゴロゴロ転がっている。宴会の会場が博麗神社でなくて良かった、と心の底から思える光景が広がっていた。

 

「まあ、久しぶりの宴会だしな。多めに呼んだんじゃないか?」

 

 魔理沙がうんうんと頷いた。こちらも既にほろ酔い状態だ。

 

「誰がよ」

「さあ? 萃香、お前か?」

 

 魔理沙が片っ端から酒を喉に流し込み続ける1人の少女に呼び掛けた。見た目と行動が噛み合っていないこの少女の名は、伊吹 萃香(いぶき すいか)──薄い茶髪のロングヘアーをかき分け、頭に猛々しく生えた2本の角が表すのは彼女が既に幻想郷でも数少ない種族「鬼」であるということだ。

 彼女は『密と疎を操る程度の能力』を所持している。自らの体を霧散させたり、逆に巨大化したり、と要はあらゆるものを集めたり、散らしたりできる強力な能力だ。以前、この力で人々を集め、宴会を連日連夜開かせ続ける何ともはた迷惑な異変を起こしたこともある、言ってみれば"前科アリ"の内の1人だ。

 

「えー? そんなこといいから呑もうよー」

 

 既に──というか、彼女の場合は常に──顔が真っ赤な萃香が魔理沙の肩をバシンと叩いた。

 

「あ、やべっ」

 

 その拍子に手にしたお猪口が宙を舞う──ことはなかった。魔理沙の指が触れたまま、すぐさまピタリとその場に固定される。お猪口から酒は一滴も漏れ出ることはなかった。

 

「全く便利な能力だぜ」

 

 魔理沙が振り返るとノタカがこちらを見ていた。心なしか頬がひきつっている。

 

「溢さないでくださいよー、掃除するの私なんですから」

 

 そう恨みがましく言い残すと、ぶつぶつ何か垂れながらノタカは厨房へと消えていった。酒でもとりにいくのだろう。

 

「......」

 

 右肩がギリギリ痛む。

 萃香がノタカの行き先をジーッと凝視したまま、魔理沙の肩を掴んでいた。見た目は少女だろうと中身はれっきとした鬼、力は人間とは比べるまでもない。

 

「萃香。痛いぞ」

「あ、ああ。ごめんごめん」

「どうした? ボーッとして。アイツがどうかしたか?」

 

 魔理沙から萃香が慌てた様子で手をパッと離した。

 

「あ、あはは、酒が回っちゃったかな」

「何の冗談だよ、そりゃ」

 

 妙な作り笑いを浮かべる萃香に言い知れぬ違和感を魔理沙はおぼえた。

 鬼はとんでもなく酒に強い。中でも萃香は、水を入れればたちまち酒に変えてしまう酒呑みからすれば垂涎ものの瓢箪「伊吹瓢」を所有しているほどの酒好きだ。魔理沙は萃香が酔っていないところを見たことがない。今日もここまで変わらぬペースで酒をかっくらっていた。

 普段の萃香からは「酒が回ってボーッとしていた」などというセリフは天地がひっくり返っても出てこない。

 

「ねえ、ところで萃香」

 

 不意に霊夢が、若干赤らんだ顔に不適な笑みを浮かべた。

 魔理沙が何度も気にしてきた彼女が何か掴んでいる時の顔だ。

 

「な、何? 霊夢」

 

 さっきから明らかに萃香のリアクションが不自然だ。霊夢が相手なのもあるだろうが露骨な動揺が見てとれる。

 

「最近見なかったけど何してたのかしらねぇ?」

「えー? ど、どうしてそんなことを?」

 

 黒目の部分が消えてしまいそうなほど完全に目を逸らす萃香。やはりおかしい。

 

「ノタカだっけ? 聞いたら、中有の道の結界はアイツの仕業で間違いないって言うんだけど、幽霊が並んでたり、神社や森に大量にいたのは身に覚えがありませんねぇって言うのよ」

 

全く似ていないノタカの真似をしながら霊夢が萃香にぐいと詰め寄った。

 

「しーかーも幽霊はご丁寧に中有の道まで並んでたのよ。よくよく考えたらアイツがわざわざ私たちを誘導する必要はないしねぇ」

 

 霊夢はピトッと指を萃香の額に当てた。たじろぐ萃香。

 魔理沙はここで合点がいった。

 

「ほう、そいつはまるで誰かに......"(あつ)められた"みたいじゃないか」

 

 魔理沙はニヤニヤしながら戸惑う萃香を見た。この調子だとその内額に押し付けられるものが指から大幣へと切り替えられそうだ。

 暫く、霊夢と萃香はお互いの顔を付き合わせていたが、

 

「分かった、分かったって。そんないじめないでよ。私がやりましたー!」

 

 遂に観念したのか、萃香がヤケクソ気味に折れた。そして、ポツポツと事の顛末について語り始めた。

 

「この前の満月の晩、霞になって散歩してたんだ。中有の道の屋台で何かつまもうかと思ってこのあたりに来たら、急に、ほんっとに何もないところから2人組が現れてさ」

 と、ここまで話して萃香はぐいと酒を呷った。

 

「何だかにおうじゃない? だから霊夢と魔理沙に気づかせようと思って色々根回ししたってわけ。まあ、魔理沙の魔力切れと霊夢の風邪は予想外だったけど。人間って想像以上に脆いんだねぇー」

「じゃあ、咲夜がくれたパチュリーの魔力って......」

 

 あの時、2人の助けがあったからこそまだ戦うことができた。......余り認めたくはないが。

 

「ああ、多分それも私だ。あの魔女に頼んで用意してもらって、それを道具屋の店主に預けといたんだけどうまく渡らなかったみたいだね」

「はーん、つ、ま、りよ。私が風邪をひいたのはあんたのせいだったってわけね」

「ちょ、え、待って。私も悪いと思って今日は人いっぱい集めたんだからー」

「にしても萃香にしては、まわりくどいことするな。自分でぶっ飛ばすか私らに直接言えば良かったじゃないか」

 

 鬼は種族的に豪胆で基本真っ向勝負、遠回しに何かをすることが少ない。萃香も例に違わず、普段ならばこんなことをやりそうにない。

 

「しっかし、まだ分からないこともあるわよね」

 霊夢が首をひねった。

「何だ?」

「看板よ、看板。あれ、ノタカが書いたんでしょう? 何の文字なのよ」

「んー? まあ人外が書く字なんて読めなくて当然だぜ」

「まあ、それもそうだけど。私、あの字どこかで......」

「まあまあ、そんなこともういいじゃないか。アイツがお詫びに酒飲ませてくれるってんだから」

「全然関係ない奴もいっぱいいるけどね。......ん? 萃香、あなたが見たのって2人だったのよね」

「え? ああ、うん。暗くてよく見えなかったけど。あの髪飾りの感じだと片方はあの紺色の髪の女で間違いないと思うけどね」

 

 萃香は軽く厨房の方をしゃくった。

 

「じゃ、もう1人は?」

「どうだったかなぁ。あ、そうそうこんな感じ...え?」

「魔理沙! お猪口!」

「え? うわぁ!」

「き、消えた?」

 

 3人が頭を押し付けあいながら魔理沙のお猪口を覗きこんだ。

 何ら変わりはない。酒に映りこんでいるのは3人の少女だけだ。

 先程は一瞬だけ、しかし確実に映っていた。

 

 ──見知らぬ片眼鏡の人物が。

 

「 魔理沙! 萃香!」

「おう!」

「え? ちょっと待って......」

 

 霊夢と魔理沙は萃香の角を1本ずつひっ掴むと、ひきずりながら厨房へと向かった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十、Ex(二)

 霊夢たちは暗い廊下を突き進んだ。厨房に近づくにつれ、3人の足音以外の声が聞こえ始めた。ボソボソとした話し声だ。間違いない。ノタカ以外に誰かいる。霊夢は確かにほろ酔い状態ではあったが、これでも一応周りの動向には目を光らせていた。ノタカ以外に厨房に向かったものはいない。

 3人は厨房へと殴り込んだ。

 

「ノタカ! 誰としゃべ......って......え?」

 

「どうしたんですか? 巫女と魔女っ娘......と鬼?」

 

「霊夢、どういうことだ? さっきは声が聞こえていたぞ?」

 

 厨房にはノタカがポツンと突っ立っているだけだった。別に何の変哲もない。部屋自体にもおかしな様子は見られない。普通の厨房だ。おかしいこととすれば最初に会ったときと同じように水晶の玉を持っていることぐらいだ。

 

「何事ですか? 酒が切れたなら新しいのを今......」

 

『おい、どうした。何かあったか?』

 

「今の声......」

 

 不意に4人以外の声が響いた。何か凄みのある声、ノタカと会話を交わしていた声だ。

 

「どこからだ?」

 

「あー、ミラ。ちょっと待っててください。今ごたついてます」

 

『何? よく聞こえん。今からそちらへ向かう』

 

「霊夢、魔理沙......あそこだ」

 

 萃香が囁いた。

 声はノタカの手の中、水晶の玉から響いていた。

 次の瞬間、厨房に置いてあった水瓶が銀色に発光し始める。

 

 何事かと三人が警戒するうちに、瓶の中から真鍮色の何かが姿を現す。続いてひょこりと二つの目玉が見えてきた。一方には片眼鏡とそれに連なるチェーンが、きらついている。そして、鼻、口と順に顔が全て出きった。水瓶から生首がちょこんと覗く何とも珍妙な絵面である。しばらく奇妙な時間が流れた。

 形容しがたい沈黙はノタカによって断ちきられた。

「......いつまでそうやってるんですか?」

「......出ていいのか?」

 そういうと生首は浮き上がるように瓶から全身を出し、ふわりと着地した。最初は隠れて分からなかったがロングヘアーだ。降り立ったはずみで鈍い真鍮色の髪が少し揺れる。

 

「あんた......何者よ?」

「さっき私の酒に映っていたのはお前だな?」

「ん? ああ、あれか。いや、驚かせて済まない」

 

 霊夢と魔理沙が立て続けに噛み付くが、目の前の人物はすんなり頭を下げた。のれんに腕押し、ぬかに釘。霊夢はそんなイメージを抱いた。

 

「私はミラ。鏡の付喪神.....そうだな、雲外鏡(うんがいきょう)の一種と言えば分かりやすいか。私は鏡の世界を行き来できる。先程は間違えてお猪口に映りこんでしまったようだな。失礼した。質問は以上か?」

 

 ミラと名乗った人物は驚くほどすらすらと応答してきた。その口振りと振る舞いに敵意は一切感じられない。

 

「私から1つ、いいかい?」

 

 萃香が怪訝な顔で口を開いた。

 

「あんたら、あっち側だな?」

「......いかにも」

「萃香......?」

「2人も薄々分かってるだろ。こいつら、地獄の民だ」

「あんた、それであんな遠回しな方法で......」

「ああ、うん。流石に鬼が地獄に正面切って喧嘩売るのは角が立つからね」

 

 地獄は基本的に鬼の組織で成り立っている。萃香も同族には思うところがあったのだろう。

 

「おい、ノタカ。話が違うぞ。こっちの住人とは酒の席で和解したんじゃないのか」

「あれ、おかしいな......えらく警戒されてますね」

 

 ミラにジロリと睨まれ、ノタカがポリポリと頭を掻いた。

 

「あんたら幻想郷(ここ)に何しに来たんだい?」

「私も詳しく聞かせてもらおうかしら? 最近地獄にあんまりいい思い出がないのよね」

 

「......私から説明させて頂こう。地獄は今......というか慢性的に深刻な財政難だ」

 

「聞いたことはあるね」

 

「今までも人材のやりくり、地獄の規模の縮小などで財政の改善に努めたがあまり効果は得られなかった。そこで、再び地獄の組織、是非曲直庁で大きな改編が行われたのだ。その一環として......幻想郷に配属されたのがこの......」

 

「私でーす」

 

 ひらひらと手を振るノタカを、ミラはキッと睨み付けた。が、他の3人の視線に気付くと咳払いを1つし、再び話し始めた。

 

「まあ、そういう訳だ。しばらくはこやつが幻想郷に滞在することになるだろう。もうすでに何やら騒ぎを起こしたとは耳に入っている。今宵は地獄から幻想郷の住民諸君への詫びだと思って好きなだけ宴を楽しんでくれ」

 

 そう言うとミラはスタスタと水瓶の方へと歩くと手を突っ込んだ。引き上げた手には瓶が握られていた。

 

「追加の酒だ」

 

「ふーん......まあ、お酒が飲めるなら私は何でもいいわ」

 

 あっけらかんとして霊夢が両手を上げた。

 

「ただし、何かやったら地獄だか何だか知らないけど容赦なく退治するから、ね」

 

 剣呑な雰囲気を一瞬で引っ込めると霊夢はくるりときびすを返し、厨房を出ていった。

 

「......驚いたな。私はもうひと悶着あるのを覚悟していたんだが」

 

「これが幻想郷さ」

 

 魔理沙が笑う。

 

「さっ、私も戻るとするか。すっかり酔いが冷めちまった。これ、貰ってくぜ」

 

 ミラが持っていた酒をひったくると魔理沙は厨房を後にした。

 

「あ、ちょっと。待ってよー」

 

 萃香も千鳥足で2人を追った。

 

「......これが幻想郷らしいですよ」

 

 厨房に残された2人はしばし呆然と入り口を見ていた。

 

 ◇

 

「では、本題に入ろう」

 

 ミラが片眼鏡を触りながら憤然として、ノタカにじろりと目を向け直した。

 

「本題って......酒持ってくるためじゃあないんですか?」

 

 目の前に並ぶ酒瓶をノタカはつついた。コン、と小気味よい音が響く。ケチな地獄にしては随分と大盤振る舞いだ。

 

「それだけで私がわざわざ来るものか」

「わざわざ......って鏡くぐるだけじゃないですかー」

「......お前、無許可で中有の道を塞いだろ?」

「え? 駄目なんですか?」

「当たり前だ!」

「だって改装に幽霊が邪魔だったんですもん!」

「たわけが! そもそも正式な辞令が下るまで要らぬことをするなと言ったはずだ!」

「はいはい、分かりましたって」

 

 ノタカは手でミラの視線を遮りながら顔を背けた。

 

「はいは1回だ!」

「はいー」

 

 ふんと鼻を鳴らし、ミラは瓶の中へと静かに沈んでいった。

 

「......行ったか」

 

 ノタカはスクッと立ち上がると水瓶を覗きこみ、自分の顔しか映っていないことを確認した。厨房に並ぶ瓶を無造作に2本掴む。

 

「さーて、折角の楽園(ザナドゥ)、私も楽しもっと」

 

 ノタカはさらなる盛り上がりをみせている宴会会場へと向かった。

 

 ◇

 

「よっと......いやぁ、すっかり戻ったなあ」

 

 中有の道は結界も消え、もとの賑わいを取り戻していた。いくつかの建物はまだ工事をしているが、それでも多くの屋台が新しくなっている。どうやらノタカが言っていた中有の道の改装という話は本当だったらしい。

 通りがかりに気になって軽く様子を見に来ただけたったのだが、魔理沙の気分は少し上がった。

 魔理沙は箒を降り、他よりも目立つ格好をしている亡者に適当に声をかけた。

 

「あ、おい。ノタカって奴に会いたいんだが」

 

「え......ノタカ様に? わ、分かりました。私も伺うところですのでご案内致しましょう」

 

(何だ......? やけに仰々しいな)

 

 魔理沙は亡者の畏まった態度が引っ掛かりはしたが、言われるがまま、一軒の家屋へとたどり着いた。ここにこんな建物があった覚えはない。これも新しく建てられたのだろう...が、何ともこじんまりとした建物だ。廃材でも再利用しているんじゃないかというほどボロっちく、板をそのまま打ち付けただけの、見るからに安っぽい造りである。小さい方だと思う我が家よりもさらに小さい。

「どうぞお先に」と言われたので遠慮なく扉を開けた。

 やけに縮こまりながら魔理沙の後ろを亡者はついて来た。

 

「邪魔するぜー」

 

 中には何やら書類が積まれた長机とその上に伏せる彼岸花の飾りがついた頭が。

 

「ちくしょぉぉー! 私の給料から天引きかよぉ! おかしいと思ったんですよ! 『好きなだけ飲んでいけ』なんて。ミラがあんなに気前いいわけないんですからー!」

 

 ガンガンと机を叩く音と悲痛な叫びが聴覚にダイレクトに襲いかかってきた。

 

「外まで聞こえるぞ」

 

「......魔女っ娘ですか。何しに来たんですか?」

 

 ノタカは絶叫していた姿を見られたというのに恥ずかしげな様子もない。

 

「何しに来たとはご挨拶だな。いや、たまたま通りかかったんでな。様子見にきただけだ」

 

「はーん、でも今日は......あら、もう来ちゃってる......どうぞ」

 

「失礼致します」

 

 先ほどの亡者がおずおずと魔理沙の後ろから顔を出した。亡者が懐からやたらと装飾が施された巻物を出すさまを魔理沙は横で突っ立って見ていた。

 

「この度、斑尾 ノタカ にこれまでの閻魔の業に加えて......」

 

 

 

「閻魔ねぇ閻魔、閻魔......閻魔っ!?」

 

「んー、ああ、言ってませんでしたっけ?」

 

「本当に閻魔......様?」

 

 なるほど、合点がいった。閻魔ほどの実力があれば中有の道程度の大きさならば結界も張れるのだろう。

 

(それに......)

 

 魔理沙はちらりと後方を見た。巻物を開いた亡者は怯えた目で魔理沙を見ていた。

 自分が使者として遣わされた相手の閻魔であるノタカを呼び捨てにしていたのだ。魔理沙が何らかの権力者だと勘違いして畏まって接するのも無理はない。

 

「あー、魔女っ娘。私は幻想郷の閻魔ではないので別に気は使わなくても結構ですよ......ってさらさらそんなつもりはなさそうですね」

 

「分かってるじゃないか」

 

 だからと言って魔理沙には何の影響もないが。

 

「あ、あのー、続きをお読みしても」

 

「ん? ああ、全部読まなくても結構ですよ。ミラから散々聞かされましたので。この斑尾 ノタカ、謹んで任務の件お受け致します旨、どうかよろしくお伝えください」

 

 魔理沙は普段気だるげで動じないあの巫女がこの事実を知ったらどんな顔をするか、今から楽しみで仕方なかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十一、取材の極意

 中有の道─亡者の開く屋台が賑わいをみせる華やかな通り。

 ここを通り抜ければ死神船頭の待つ三途の川。中有の道は死者の魂の通り道でもある。

 そんな中有の道は最近改装が行われ、一層賑やかになった。

 しかし、新しくなった建物に隠れながら、一軒のあばら家も増えていた。中有の道を訪れる者は見向きもせず、亡者が最も避けたがる、そんなあばら家の扉を早朝から叩く者がいた。

 

「おはようございます!」

 

 あばら家の中には大量の紙切れがのった机が一つ。紙がもぞもぞと動き出し、中から赤い髪飾りと紺青色の頭部が姿を現した。

 

「はあ。......どなた?」

「清く正しい射命丸 文(しゃめいまる あや)と申します! 本日は取材に参りました!」

 

 早朝だというのに活気に溢れた挨拶をする目の前の女にノタカは心の底からげんなりした。ついさっき大量の始末書を徹夜で処理し終えたばかりなのだ。全く疲労を見せず化物みたいにバリバリ働く同期はいたが、あれは特例だ。閻魔でも疲れはたまる。というか疲れしかたまらない。

 

「取材......? そんな約束ありましたっけ?」

「いえ! ノンアポ突撃取材が私の新聞のうりなので!」

 

 目の前の女は名刺を差し出した。社会派ルポライター 射命丸 文とある。

 ノタカにはルポライターというのが何なのかはよく分からなかったが、どうやら新聞を書いているのも射命丸 文という名前も嘘はついていないらしい。

 問題は、

「烏天狗......ねぇ」

「あややや...閻魔様にはお見通しでしたか」

 

 文は気恥ずかしそうにキャスケット帽とジャケットを脱いだ。

 黒々とした両翼がバサリと飛び出す。

 文はいそいそと手帳を取り出すと、年季の入ってそうなペンを回しながらグイと顔を近づけてきた。

 

「早速、取材に入らせていただいても?」

「だめに決まっ......」

 

 断ろうとしてノタカは続く言葉をグッと飲み込んだ。ここ数日、ほとんどこのボロ家から出られていない。そんな中、幻想郷の住民がわざわざ来たのだ。それもあちこち取材を敢行し、数百年単位で生きている天狗だ。かなりの情報通のはずである。逆に幻想郷について聞き出しておくのも手かもしれない。

 新聞であれば多くの人に読まれる。ここで無下に扱うよりも丁寧に対処した方が地獄のイメージアップ、何より自分の査定が上がるかもしれない。

 

「コホン。ええ、構いませんよ」

 

 わざとらしく咳払いをすると、ノタカは自分にできうる精一杯の営業スマイルで返答した。

 

「ありがとうございます! では......」

 

 ◇

 

「では、取材は以上です! ありがとうございましたー」

「.........はいはい、どうも」

 

 ぎっしりと文字が書き込まれたネタ帳を閉じ、文は深々とお辞儀をした。目の前のくたくたに憔悴しきった閻魔とは対照に文は心底今回の取材に満足していた。最初の方こそ無難な答えしか引き出せなかったものの、後半は疲れてきたのか猫を被るのが面倒くさくなったのか、上司や組織への不満が出るわ出るわ、大量のネタが収穫できたのだ。

 正直、今回の取材は賭けだった。鬼から天狗の上層部に圧力がかかり、妖怪の山への巫女の侵入を一時期的に見逃すことが決まったときには何事かと思ったものだ。

 そんな中、中有の道に閻魔が現れたとの情報を掴んだ。

 文はありがたいお話をひたすら耳に押し込んでくる閻魔様しか知らなかったので、今回の取材は決死の覚悟であった。時間にたっぷりと余裕を持たせるために早朝から訪れることを決め、万が一説きょ...ありがたいお話が始まったときに帰る口実をいくつも用意しておいた。今考えるとそんな口実があの閻魔様に通じるかは怪しいものだが、新しい閻魔様の方はそのようなタイプではないようだ。もしかすると幻想郷がたまたま運が悪かっただけなのかもしれない。

 愛用のネタ帳─文花帖─を眺めながら、文はあばら家を後にした。

 

(あとはこの辺をちょいちょいと変えてっと)

 

 新聞の構想をウキウキで練りながら、文は真っ黒い羽をはばたかせた。

 

 ◇

 

「な、何ですかぁぁ!?これ!?」

 

 あばら家から悲痛な叫び声が聞こえたのは稗田 阿求がちょうどそのボロ小屋の扉のノブに手をかけた時だった。

 阿求はおそるおそるノブをひねり、頭だけ部屋の中に入れた。

『地獄からの侵略者、襲来!?』という見出しがデカデカと書かれた新聞を手に1人の女性がわなわなと震えていた。

 

「こんな、こんなものが......ミラの目に入ろうものなら......!」

「その新聞、文々。新聞ですか? なら、多分大丈夫だと思いますよ。個人発行ですから部数もたかが知れてますし、何よりその新聞を真に受ける人なんか滅多にいないでしょうから」

「ん? あなたは......」

 

 その女性は家に入ってきた阿求に気づいていなかった様子で、新聞から目を離し、こちらを向いた。

 

「初めまして。稗田 阿求と申します」

「稗田......?」

 

 首をかしげながら、女性は机の上に転がっていた水晶を無造作につかむと阿求を透かした。少し目を見開いたが、すぐにもとの表情に戻った。

 

「失礼。職業病でしてね。で、私に何のご用で?」

「え、ええ......よろしければ地獄についての取材を......」

「取材ですって......?」

 

 しまった、と心のなかで阿求は叫んだ。見たところ文々。新聞の取材に痛い目をみたばかりのようだ。全く内容が違うとはいえ、今取材を目的と発言したのは間違いだったかもしれない。

 

「ええ、構いませんよ」

 

 が、阿求の内心とは裏腹にすんなり要求は通った。

 

「あなたが信頼に足る人物......転生を繰り返す稗田 阿礼だというのは分かりましたので。ただ、交換条件がありますが......」

 

 ◇

 

「ありがとうございます。お陰で地獄についての見識が深まりました」

「いえ。これが私から貸し出せる地獄の資料です。では、幻想郷......縁起......? とやらに私のことどうかよろしく」

「ああ、いえ」

 

 どうやら、まだ新聞のことを気にしているのか上司への心評をあげるために、幻想郷縁起への記載を頼む、とのことであった。幻想郷に関連する人物である以上どのみち記述はするつもりだったが、無理やり笑いを貼り付けたような形相を、眼前に突きつけられながら懇願されるのは中々精神にくるものがある。

 借りた資料を抱え、阿求は小屋を後にした。

 

 ◇

 

 阿求が出ていくと、水晶の玉が銀色に光始め、昼だというのに薄暗い小屋の中を照らした。

 見覚えのある片眼鏡が玉に映りこむ。ミラだ。

 

「稗田 阿求......もう9代目、か。いやはや時の流れとは残酷なものだな」

「ミラ......」

「む? 何だそれは?」

 

 ミラが机の上に置きっぱなしにしていた文々。新聞に興味を示した。どうやら見出しの「地獄」という文字に引っ掛かったようだ。慌てて引ったくり後ろに隠す。

 

「な、何でもないですよ」

「そうか? なら良いが」

 

 何とか関心を逸らせたようでノタカはホッとした。いかに誇張された記事とはいえ是非曲直庁への不満の箇所は事実だ。ミラなら見抜く。もし見られていたと思うと総毛立つ。

 

「というか何の用ですか。始末書なら昨日渡したでしょ」

「不味いことになった」

 

 普段は鉄仮面のミラの表情が珍しく暗い。といってもノタカは今の自分の方がどん底な自信がある。

 

「給料から宴会代がまるっと引かれて、あげく始末書の山を徹夜で処理、これ以上不味いことってあるんでしょうかねぇ?」

「自業自得だ、馬鹿者が」

 

 嫌味ったらしくグチグチしていると、正論がグサリとノタカの胸を貫いた。

 

「そんなことより、だ......あの2人が幻想郷の視察に来るらしい」

「2人? ってまさか......」

「その、まさかだ」

 

 ミラが小さく頷いた。

 

「聞いてないですよ!?」

「当然だ。私もつい先程聞いたのだから。私は当日奴らの代行を務めねばならん。よってサポートもできん」

「え? 奴"ら"の代行って......2人とも、同時に来るんですか?」

「......そのようだな」

「視察って何を視察するんでしょう?」

「知らん」

「何で2人同時に?」

「私は何も知らんのだ。本人達に聞くといい」

「そんな殺生なぁ」

 

 余りにけんもほろろなミラの態度に思わず玉を掴んで揺らす。

 

「やめろ、酔うだろ......詳細が決まり次第また、連絡する」

 

 ミラが水晶から消えたのを確認し、ノタカはがっくりとうなだれた。文々。新聞のゲラ刷りが目に入る。こいつが、より大きな問題になってしまった。これを最も見られてはならない人物

 が、2人も、幻想郷に来てしまう。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十二、阿礼乙女と貸本屋(一)

 

「あ、お客さん。今日は......ってあんたか」

 

 貸本屋『鈴奈庵』の一人娘、本居 小鈴は頭を上げた。目の前にいたのは親の次に見た顔かもしれないこの本屋のお得意さん、稗田 阿求だ。

 

「あんたとは何よ、あんたとは」

 

 面白くなさそうな表情を阿求は浮かべた。

 

「悪いけど今日はお店閉めてるんだよね」

「あら、そうなの?」

「お店の本の整理しなきゃいけないの。本当はお母さんとやる予定だったんだけど急用で出ちゃったから私がやっとかないと」

「まあ、いいわ。今日は本を返しに来ただけだか、らっと」

 

 阿求は大きな風呂敷包みをドンッと机に置いた。

 

「阿求も手伝ってよー。どうせ暇でしょ?」

 

 小鈴は頬杖をついてブー垂れた。肘をついていない方の手で風呂敷包みを開き、丸眼鏡をかけると、中の本を一冊一冊丁寧に確かめていく。

 

「悪いけどパス。私これから用事があるの」

「えー......ん?」

 

 風呂敷の中の本を整理していた小鈴は首をかしげた。やや古めかしくはあるもののしっかりとした装丁が施された和装本が1冊、姿を現した。かなり年季が入っているように見えるが保存状態はとてもいい。

「これ、鈴奈庵(うち)の本じゃないね」

「ええ、その本はこれから別に返しに行くの」

「見たことない本ね......」

 

 ゴクリと生唾を飲み込みページをペラリとめくる。やはり初めて見る本だ。妖怪にまつわる書物、妖魔本とはまた別の言い知れぬ気を感じる。

 

「そりゃそうでしょうよ」

 

 阿求は勝ち誇ったように人差し指を立てた。

 

「地獄の、本ですもの」

 

 ◇

 

「ちょっと、阿求」

 

 無言でグングン歩を進める友人の肩をつついた。が、応答はない。

 

「ねえ、阿求ったら!」

「あら、どうかした?」

 

 ようやく阿求が振り返った。その手には例の本が入った風呂敷がしっかり握られている。

 

中有の道(こんなところ)まで来ちゃったけどどうするの」

 

 辺りは屋台目当てにそれなりの人でごった返している。ここまでついてきて何だが、小鈴は未知なる本への興味優先で店をほっぽりだしてきたのを少し後悔し始めていた。

 

「あ」

「うわっとっと」

 

 阿求が歩を緩め、人混みの中を後をくっついていただけの小鈴はぶつかりそうになった。

 

「急に止まんないでよ、もう」

「ごめんごめん、でもついたわ」

「え? どこ?」

 

 阿求の前には一軒の廃屋があるだけだ。気づけば周囲の人通りも随分少なくなっていた。

 

「阿求......まさか私をからかってる?」

 

 阿求は小鈴の質問には答えることなく廃屋の扉をノックした。

 しばらくすると中からどうぞー、という間の抜けたような女性の応答が聞こえた。

 こんな小屋に人が住んでいたのか、と驚く小鈴を置いて、阿求はためらいなく小屋の中へと吸い込まれていった。

 慌てて小鈴も後に続く。

 一歩踏み入れた瞬間に不気味にギシリと床がなり、心臓が飛び出そうになった。

 日中だというのに薄暗い部屋の中にはポツンと1つだけ粗末なつくりの机があるだけだった。机には大量の紙束が積み上げられている。

 

「......御阿礼?」

 

 ガサガサと紙束が動き出すとムクリと中から人影が現れた。

 ギョッとして無意識に阿求の後ろに隠れる。

 頭に赤い髪飾りをつけた黒みがかった紺色の髪の毛の人物がボーっとした表情でこちらを見ている。

 

「閻魔様、先日借りた本をお返しに...」

「ああ、そこらへんに置いといてください」

 

 その人物は机の上の辛うじて空いているスペースを指した。

 

「......ん?」

 

 小鈴は急に迷宮に放り込まれたように混乱した。

 ダメだ。聞こえてはならない単語が聞こえた。

 

「ちょ、ちょっと!? 今閻魔様って?」

「そうよ」

「はーい、閻魔様ですよー」

 阿求は何ら感情を交えることなく答え、目の前の女性はまるで誰か見送るように大げさに手を振ってくれた。

 

「いーっ!? 私やっぱりいい!」

 

 ケロッとした顔で答える阿求に思わずズリズリと後退りした。

 

「で、そちらの子は?」

「あ、えへへ。えーっと、本居小鈴です。えと、うちは貸本屋で」

 

 小鈴はもごもごと答える。

 緊張と恐怖で我ながらおかしな笑い方だと思いながら精一杯の自己紹介をした。

 

「あのー、えっと、その本なんですけど今度は私が借りれたらなあ、なんて」

「ええ、別に構いませんよ」

 

 紙を撒き散らしながら閻魔だという女性は立ち上がり、阿求が今置いたばかりの本を手に取るとこちらへ近づいてきた。

 

「どうぞ」

 

 差し出された本を恐る恐る受けとる。閻魔様の本......貸本屋で何の気なしにペラペラめくっていた時とは意味が違う。

 

「あ、ありがとうございます」

 

 小鈴は受け取った本を胸に大事そうに抱え込んだ。

 

「それはそうと、小鈴、早く戻らなくていいの?」

「ん?」

「店の片付け」

「あ、やば......」

 

 小鈴の脳内に散らかり放題の店内がよぎった。

 

 ◇

 

「いいんですか? その、閻魔様が......」

「いいんですよ。しま...書類を片付けるのも飽きていたところですし」

 

 鈴奈庵へと戻る道中はなぜか3人に増えていた。この閻魔様、名を斑尾 ノタカというらしい。

 

「それに、人里の様子も一度見てみたいと思っていたのです」

 

 活気溢れる町並みに目移りしているノタカはとても無邪気に見えた。

 ひょっとしたら地獄は娯楽が少ないのかもしれない。

 しかし、ノタカには悪いが小鈴にはのんびり歩いていられる時間もない。そろそろ母親が帰ってくる。本の整理が終わっていないことよりも問題は店の売り上げで勝手に買い込んでいる妖怪にまつわる書物──妖魔本を出しっぱなしにしていることだ。

 

「あら、小鈴。随分早足ね。もっとゆっくり歩けばいいのに」

 

 そのことを知っている阿求が露骨に煽ってくる。

 お前も妖魔本借りてただろ、という言葉をグッと堪えた。

 

「あ。見えました。あそこです」

 

 ようやく見慣れた鈴奈庵の建物が見えてきた。

 しかし、同時にこちらへ向かってくる女性も目に入った。

 

「不味い! お母さんだ!」

「ちょ、小鈴!」

 

 転がり込むように店に駆け込んだ。慌てて妖魔本だけでもしまいこむ。とはいっても妖魔本は希少なものばかりだ。丁寧にしまっているうちに刻々と時間は過ぎていく。

 

(ヤバい、ヤバい......)

 

「ただいまー」

 

(駄目だ、間に合わない......)

 

「小鈴のお母様? お久し振りです」

「あら、稗田家の......」

 

(阿求!)

 

 友人の思わぬ助け船に心の中でガッツポーズした。何だかんだで困っているときには助けてくれるのだ。

 ......まあ、実際のところは妖魔本が借りられなくなると困るからだとかそんな理由だろうが。

 

 阿求の機転を利かせた時間稼ぎもあってなんとか妖魔本はしまうことができた。

 

「小鈴ー? お客さんよー?」

「あ、うん。今行く。お帰りなさい」

「ごめんね、小鈴。本の整理任せちゃって。1人じゃ終わらなかったでしょう? 後は私がやっておくわ」

「あ、ありがとう」

 

 欠片も進んでいない作業を労われることに多少罪悪感を覚えながら店内を物色しはじめた2人に声を掛けた。

 

 

「阿求、母屋でお茶しない? 良かったら、あのー、閻魔様も」

「いいわね」

「せっかくですしお言葉に甘えましょうかね」

「お母さん、お茶どこだっけ?」

「右の戸棚よー」

「はーい」

 

 3人はカウンターの裏から母屋へと入った。

 

 ◇

 

(それにしても......あの女性はどなたなのかしら? 里ではお見かけしたことがないけれど)

 

 小鈴の母親が阿求と共にいた見知らぬ女性に思案を巡らせていると、一冊の本が未だ転がっているのが目にとまった。

 

(あら、こんな本......うちにあったかしら?)

 

 彼女は本を手に取り、そして、開いた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十三、阿礼乙女と貸本屋(二)

「しかしすごい数の本ですね」

 

 お茶をすすりながら、ノタカがポツリと漏らした。

 母屋と店を仕切る暖簾の間からチラリと見えるのは本ばかりだ。

 

「ええ、多分里の本屋だとうちが1番だと思いますよ」

 

 小鈴は胸を張った。

 実際蔵書数は里ではトップクラスだと思っている。......もちろん稗田家には勝てないだろうが。

 

「まあ、でも流石に閻魔様の本はないですけどね」

 

 小鈴はまだ持っていたあの本を軽く撫でた。つくりは一般的な四つ目綴じの和装本ではあるが、黒々とした紙に印字された金色の文字がかっこいい。紙の質からしてかなり年季もののようだが劣化している様子はほとんどない。

 

「その本そんなに面白いですかねぇ?」

 

 ノタカが阿求に尋ねた。

 

「地獄や是非曲直庁についてよくまとめられていた本でしたよ。ただ、随分昔の地獄の記述が多かったですし、何かやたらと閻魔の仕事をよく見せようとしていたような」

「そんなことが書いてあったんですか。ま、そりゃそうか」

 

 ノタカはふう、と息を吐くと上を向いた。

 

「私が研修時代に貰った閻魔の教科書みたいなものですから」

「へえ」

「まあ、私は全然読んだことないのでどんな内容なのか知らないですけどねぇ」

 

 古めかしい割にやたらと綺麗だったのはそういう理由らしい。......しかし、閻魔の教科書を全然読んでいない閻魔というのは大丈夫なのだろうか。

 

「閻魔様の研修? そんなものがあるんですか?」

「んー、そうですねぇ。私の場合は......」

「きゃあ!!」

 

 落ち着いた店の雰囲気に似つかわしくない悲鳴が不意に響いた。

 全員が口をつぐみ、声の方を見る。

 

「お母さんだ」

 

 小鈴は母屋を出て店内へと向かった。2人も気になるのか後に続く。

 店内には本を片手に尻餅をつく小鈴の母親がいた。

 小さな虫がカサコソと床を這って棚の下に消えていくのが一瞬見えた。

 

「お母さん? どうしたの?」

「あ、あら、小鈴。ごめんなさい。ちょっと虫が出ただけよ。気にしないで」

「そう? 良かっ......!?」

 

 特に大事なさそうな母親とは逆に、小鈴はあることに気づき、途端にそわそわし始めた。

 

「お母さん、残りは私がやっとくよ」

「え、まだほとんど済んでないけど......」

「いいからいいから休んでて」

「ちょ、小鈴」

 

 小鈴は困惑する母親を無理矢理に母屋へ押し込んだ。

 

 まずいことになったかもしれない。

 

「小鈴、どうしたの?」

 

 自分でも分かるくらいに目がぐるぐると泳いでいた。冷や汗が止まらない。

 

「今、お母さんが読んでたのは妖魔本......芥の虫の本」

 

 阿求が目を見開いた。

 

「“よーまぼん”にあくたの......むし? なんですそれ?」

 

 ノタカが首をかしげた。小鈴は彼女に母親から取り上げた本を見せた。

 

「妖魔本は妖怪にまつわる本です。妖怪が封印されてるパターンが1番多いんですけど、今回の奴は大昔の虫の妖怪......らしいです。まだちゃんと読んでないから分かんないけど」

「芥の虫......ええと、何だったかしら?」

 

 阿求が頭の辺りでくるくる人差し指を回し始めた。何か思い出そうとするときに阿求がよくやる癖だ。

 

「御阿礼でも思い出せないとなると相当昔の妖怪のようですねぇ。しっかし、やけに物騒なものが里にあるもんだ」

「えーと、何かを食べる妖怪だった気がするんだけど......」

「取りあえずその......何ちゃら虫を探しますか。あの棚の下に入ったように見えましたし」

 

 本棚の下を阿求以外の2人で覗きこむ、が案の定暗くてよく見えない。阿求はというと、未だにうんうん唸りながら店内を歩き回っていた。

 

「しょうがない、棚を一回持ち上げますか」

 

 言うが早いかノタカから鎖が生じ、本棚をくるくる縛るとゆっくりと棚が浮き上がった。

 

「わー、すご......あ、でも中の本が」

「ご心配なく。落ちやしないですよ」

 

 本棚が空中で傾いても何故か本がずり落ちることはなかった。

 

「それよりも、ほらあそこ」

 

 ノタカが指差す先にはくすんだ銀色の虫がいた。大きさは親指大だろうか、壁の隅に張り付いている。

 

「あ! いた!」

「思い出した!」

 

 虫の発見と同時にそれまでうろうろしていた阿求がピタリと止まり、ポンと手を叩いた。

 

「急に大声出さないでよ。ビックリするじゃない」 

「鉄よ! 鉄! 芥の虫は鉄を食べるの! その昔、用明天皇の御世に......」

「今はうんちくはいいから! 早く捕まえないと!」

 

 こと自分の知識をひけらかすとなると本当にこの友人は口達者になる。

 

「んー? 鉄、鉄ねぇ......ちょいと」

 

 ノタカが阿求に何やら耳打ちすると、ああそれなら、と阿求がとまどいながらも懐から紙と筆を取り出し、何やらさらさらと描き、手渡した。

 

「どうもありがとう、では」

 

 阿求から紙を受け取ると、ノタカは何を思ったかダッと店の入り口へと向かい、そして──そのまま外へ飛び出してしまった。

 

「え?」

 

 あっという間に消えたノタカにポカンとしているうちに芥の虫がカサカサと動き始めた。今にも飛び回りそうな勢いである。

 

「阿求! 何か網みたいなのない!?」

「そんなもんあるわけないでしょ」

「ど、どうしよ?」

「手で捕まえたら?」

 

 正直、小鈴も虫は苦手だ。じかに触るには抵抗しかない。

 

「じゃ、ちょっと紙貸して」

「はいはい、どうぞ」

 

 阿求から受け取った紙をゆっくりと芥の虫に近づける。

 

 ゆっくり、ゆっくり......

 

 今だ! 

 

 小鈴はバッと飛びかかるもあえなくかわされた。紙の隙間から無惨にも芥の虫は這い出てくる。

 

「あー、どうしよう。また下に入っちゃった」

 

 芥の虫は素早く隣の棚へと潜り込んだ。棚の下を覗くもやはり暗くてよく見えない。

 

 試しに床をガンガン足踏みしてみても一向に出てくる気配はない。下手をすると、むしろ奥に追い込んだかもしれない。

 適当な棒を棚の下に突っ込んでみたり、棚を揺らしてみたりあの手この手を尽くしたが、事態は一向に好転しない。

 そのまましばらく考えあぐねていると、急に、勢いよく芥の虫が飛び出してきた。棚の下から躍り出るとそのまま一直線に店の外へと向かっていく。目で追うのがやっとのスピードだ。

 

「外に逃げちゃう!!」

 

 

 流石に店の外に逃げられてはあのサイズの虫を見つけ出すのは不可能に近い。

 2人で一斉に駆け寄るも遅かった。

 もう、ダメだ─その時、店の前に人影が立ち塞がった。

 

「はい、確保っと」

 

 閻魔様が立っていた。芥の虫はノタカが持っていた革袋に飛び込んだ。ポチャと水音が聞こえた。

 

 ノタカはギュッと袋の口を縛ると、

「妖魔本とやらを持ってきなさい。とっとと封印し直してしまいましょ」

 

 訳も分からぬままにもとの妖魔本を手渡すと、芥の虫は袋からつまみ上げられ、再び妖魔本の中へと吸い込まれた。

 

「え、閻魔様......どういうこと?」

「御阿礼に聞いたのは肉屋の場所です。鉄を食べるのならこの味も好きなのではないかとね」

 

 革袋が開かれる。お世辞にも良いとは言えない金気臭い香りが部屋中に充満した。血だ。

 

「あ、なるほど」

「まあ、実際芥の虫は鉄を食べ尽くした後に巨大化して人を食らい始めたって話もあるらしいわよ」

「ええ!? 何でそんなこと黙ってたの!?」

「だって言ったら絶対パニック起こすじゃない」

 

 小鈴は巨大な銀色の虫が人里を蹂躙する様を想像し背筋が凍った。

 

 ◇

 

 

「閻魔様ありがとうございました。何かお礼を......」

「お礼? 別に......あ、じゃあ1つだけ......」

 

 ノタカは本棚の前に向かうと1冊の本を取り出した。

「それって......?」

「いや、さっき立ち読みしたらすごく面白かったもので......これ、お借りしても?」

「全然全然! それぐらいのことでいいなら!」

「では、ありがたくお借りしていきます」

 

 嬉しそうに店を出るノタカを尻目に小鈴は貸本帳簿にチェックを入れた。著者はアガサ・クリスQ。人里で今1番人気......というかほぼ唯一の推理小説家だ。

 

「阿求......あんた、地獄でも通用するのね」

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十四、人里散歩

 稗田阿礼から代々続く稗田家、そんな稗田家には百数十年周期で御阿礼の子と呼ばれる阿礼の転生体が生まれる。現在は9代目・稗田阿求が生まれて十数年経った。

 

「阿求様、おはようございます」

「ん、おはよう」

「朝食はお済みでしょうか?」

「ええ、今日もおいしかったわ」

 

 阿求が朝食を済ませると稗田家の使用人が2人、部屋の前に控えていた。

 

「こちら、お召し物です」

「ありがとう」

 

 寝巻きを脱ぎながら差し出された着物を受け取った。

 着替えを手伝おうとする使用人を軽く制す。

 

「大丈夫よ。自分で着るわ」

 

 ありがたいと言えばありがたいのだがこの家の者たちは少し過保護で困る。

 

「お下げします」

 

 1人の召使いが食器を持ち、一礼をすると部屋から出ていった。すると、外から何やら騒ぎが聞こえた。誰かが言い合いをしているようだ。

 

「あら、何の騒ぎ?」

「実は......阿求様の知り合いだと名乗る者が」

 

 何とも申し訳なさそうに従者のうちの1人が口を開いた。

 

「私のお客? どうして通さないの?」

「そ、それが......何とも珍妙な格好でいかにも不審な者でして」

「......ちょっと見てくるわ」

 

 すっと立ち上がる阿求を従者2人が必死にとどめようとした。

 

「そんな! とんでもない。阿求様がわざわざお出向きになられる程では......」

「私が確かめるのが1番早いでしょう?」

 

 言うが早いか阿求は2人を振り切ると部屋を飛び出し、階段をかけ下りた。

 

 ◇

 

 揉めているのは稗田家の衛兵2人のようだ。いかめしい門のそばで口論が耳に入る。

 

「阿求様がお前のようなやつと知り合いな訳あるか! 下がれ!」

「お前のようなやつって......私これでもそこそこ偉いはずなんですけどねぇ。ちゃんと制服着てきた方が良かったかな?」

 

 紺色の髪の毛に彼岸花の髪飾りの女性。金色のススキの意匠が施された黒い着物の裾をつまんでいる。

 

「阿求様! ここは危険です」

 

 衛兵が門に近づいた阿求に気づき、大声をはり上げた。

 

「危険ってねぇ。まだ何もしてないのに......あ、御阿礼!」

 

 こちらに手を振っている女性、阿求はもちろん覚えている。

 

「......この方は本当に私のお客様です。下がりなさい」

「え!?」

「こ、これは大変失礼を」

 

 

 深く頭を下げ、衛兵は門の左右に避けた。......まあ、不審者を素通りさせないという点ではよく働いてくれている。

 

「申し訳ありません、こちらの不手際です。稗田家当主として謝罪します」

「ああ、分かってくれればいいんですよ」

 阿求は頭を下げたが、当の本人は蚊が止まったほどにも気にしている様子はない。

「で、今日は朝早くから一体どうなさったんです?」

「いえ、鈴奈庵に先日借りた本を返しにいくところなのですが」

 

 ノタカは右手に提げた風呂敷包を少し掲げる。

 

「もし暇なら里を案内してもらえないかなあ、と」

「今日は......大丈夫ですね。特にないです。少し準備をして来ますのでよろしかったら中でお待ちください」

 

 

 阿求は脳内でいくつかの予定を握り潰した。

 

 ◇

 

「つい、続きを借りちゃいましたねぇ」

 

 鈴奈庵に本を返しにいった帰り、ほくほく顔のノタカの手には新たな本が包まれた風呂敷が握られていた。前回借りた推理小説のシリーズの続編だ。

 

「そのシリーズ、お気に召されましたか?」

「ええ、予想を裏切る展開が何度もあって、なかなか......まさか犯人がアイツだったとはねぇ」

「えへへ、そうでしょう、そうでしょう」

「......何であなたが照れてるんです?」

「あ、いえ。私もそのシリーズ好きなので」

「ちょっと、よろしいか?」

 

 ノタカが口を開きかけたとき、男2人組に肩を叩かれた。2人ともがっちりと武装している。恐らく里の自警団だ。

 

「ん? 私?」

 

 拍子抜けした調子でノタカが自分の顔を指した。

 

「や、稗田家のご当主のお連れ様でしたか。これはとんだ失礼を」

 

 男たちが阿求に気づき、軽く会釈した。阿求は笑顔で返した。

 

「先日里のある肉屋で奇抜な格好をした女がこのくらいの袋一杯に血を求めるという事件がありましてな」

「へ、へえ......なんとも奇っ怪な事件です、ね」

 

 ノタカが露骨に口をひきつらせた。何かを察したらしい。案外簡単に顔に出る。

 

「失礼ながらそちらの方が目撃情報とあまりに似ておられまして」

 

 非常に鋭い。自警団がこれなら里も安泰だな、と阿求は他人事のように思った。

 

「あまりに不気味な事例ですから私は物の怪の仕業だと睨んでいるのですが......ご当主はそういった妖怪の類はご存知で?」

「い、いえ、残念ながら」

 

 思わぬ飛び火に阿求はたじろいだ。

 これでも稗田家当主、しかも9代目の稗田阿礼の転生体である。流石にそんな物の怪に今まさに里を案内しているなど口が割けても言えない。ましてやその物の怪の正体が地獄の閻魔様などと。

 

「で、ではこれで」

 

 阿求はノタカの着物の裾を掴むとそそくさとその場を立ち去った。

 

 ◇

 里の一角にある団子屋、それも二軒が隣合っていた。店の屋号にはそれぞれの店主の名が冠されている。「清蘭屋」、「鈴瑚屋」いずれも人間が営む店ではない。

 

 そんな店に1人、籠を背負った行商人のなりで立ち寄る者がいた。

 

「あら、鈴仙!」

「いらっしゃい!」

 

 それぞれの店の主が顔を出した。清蘭屋からは青い髪の、鈴瑚屋からは黄色い髪の、2人とも兎の耳が生えている以外は人間と外見上の差異はない。

 

「今日はもう配達終わったの?」

 鈴仙は普段里で薬の配達をしている。今日も行商服に身を包み、大きな籠を背中に家々を巡っていた。

「いや、まだよ。といってもあと2軒だけど」

「あ、そうそう。うちの新作蜜柑団子食べてってよ!」

「ちょっと清蘭! それうちのオレンジダンゴのパクりじゃない!?」

 

 いつものように言い合いを始めた2人を鈴仙はなだめた。

 

「はいはい、いつも通り1本ずつ貰うわ」

 

 鈴仙が笠を脱ぎ、背負っていた籠を傍らに置き、店前に設置されたベンチに腰かけた。その頭から2人と同じように兎の耳が露になった。

 3人は幻想郷、もっと言えば地球出身ではない。玉兎──彼女たち月出身の兎はそう呼ばれる。3人ともそれぞれの事情で月では忌み嫌われる地上で暮らしている。

 

 いがみ合いながらお互いの店へと戻っていく2人を見届け、団子が出てくるのを待っていると、自警団が誰かと話しているのが目に入った。興味本位でつい見てしまう。といっても揉めていたわけではなかったようだ。特に大きな騒ぎにはなっている様子はない。

 自警団と話していたのは2人組のようだ。1人は知っている。里の名家・稗田家の当主だ。が、風呂敷包を手にしているもう1人は見たことがなかった。稗田家のものだろうか。にしてはおかしな格好だ。黒い着物に紺色の髪、そしてよく目立つ赤い髪飾りをつけている。出で立ちからすると女性らしい。

 そして、ふと、あることに気づいた。

 

(あれ......波長が......ずれてる?)

 

 妙な違和感から目をゴシゴシ擦る。もう一度目を開いたときには2人は視界から消えていた。

 

「鈴仙!」

「おまちどおさま!」

「ありがとう」

 

 そうこうしている内に注文の団子が2皿同時に到着した。

 湿った艶のあるほんのり黄色い玉が3個、串に刺さっている。確かに2人の団子は見かけは全く区別がつかない。それぞれの団子を口に含んだ。ほっとする甘さが広がる。

 鈴瑚の団子の方が若干美味しいかしら、などともぐもぐ口を動かして、堪能しているうちに先程の奇妙な女のことはすっかり頭から抜け落ちた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十五、道具屋の受難

 中有の道──三途の川と現世を繋ぐ死者の通り道だ。こう聞くと恐ろしげに思える。が、実際は出店が並んだ中々賑やかな通りである。そんな通りの喧騒で1人辛気くさい顔をした人物がいた。斑尾 ノタカだ。

 

「どんだけくすねとられてるんですかねぇ」

 

 中有の道の出店は地獄の組織・是非曲直庁の管理下にある。店主は亡者、それも転生間近な者ばかりだ。が、このシステム、それなりの欠陥を抱えている。行いがいいほうとは言え、所詮は地獄に落ちた亡者であるため、是非曲直庁に納めるはずの売上をごまかすものが結構な数いる。ここでの行いが転生への最終試験的な役割も果たしているとはいえ、ただでさえ経営難の地獄にとってここの収入減はかなり痛い。流石に目に余ったのかお目付け役としてノタカが派遣されたのだ。

 といっても具体的にやることが決まっているわけではない。

 今日も今日とて適当な屋台で購入したりんご飴片手に見回りである。

 串に卒塔婆が採用された悪趣味なりんご飴を見つめていると、

 

「よっ!」

 

 何やら聞き覚えのある声がした。新参者のノタカが幻想郷で聞き覚えのある声など限られている。

 

「......魔女っ娘。何の御用で?」

「ほんのちょっとばかし頼みがあるんだが」

「私仕事中なんですが」

「りんご飴食うのが仕事なら閻魔も楽そうだな」

「是非曲直庁は人材不足ですからね。この仕事がしたければいつでも人事部に掛け合いますよ」

「真面目な仕事ぶりをあの片眼鏡の上司に報告してやろうか?」

 

 ノタカの足が止まった。

 

「......何の用ですか」

「なーに、大したことじゃない」

 

 ◇

 

「......きったな」

「うるさい」

 

 霧雨魔法店──魔理沙の家の前の看板には恐らくそう書いてあった。たてつけの悪い扉を開けるととにかくモノ、モノで床が覆い尽くされている。そこここが取り散らかしてあって、すこぶる歩きにくい。しかもどれもこれもなんの役にも立たなそうなガラクタ、そのへんで拾ってきたようなものばかりだ。

 

「で、何を探せってんです?」

「籠だ」

 

 ガラクタの山の中で魔理沙が答えた。

 

「籠ぉ? そんなもの里でいくらでも売ってるでしょうに」

「いや、あの籠じゃないと駄目なんだ」

「全く......どんな籠です?」

「金属製で蓋がついているやつだ。見ればすぐ分かる」

 

 ノタカは改めて周囲を見渡した。どう考えてもこの中での探し物は日が暮れる。

 

「ちょっとちょっと。こっち来てください」

 

 ノタカはちょいちょいと魔理沙を手招きした。

 訝しげな表情で魔理沙が近づく。

 

「動かないで下さいね」

 

 ノタカは懐をまさぐると透明な玉を取り出した。そのまま魔理沙の前に掲げる。

 

「一体、なんだって......」

 

「白髪の眼鏡の人物」

 

「へ?」

 

「あなた、先日その人物がいるここと同じようなガラクタまみれの場所に行ったでしょう。そこに置き忘れています。心当たりは?」

 

「あるには......あるが」

 

 どうして分かった? という言葉を魔理沙はうまく出せなかった。

 

 ◇

 

 魔理沙は勢いよく扉を開け放った。

 

「香霖! いるか!?」

「いつも言ってるだろ。もう少し静かにドアを開けろと。それにここは僕の店だ。いるに決まってる」

「私の店に私はあまりいないぜ」

「そんなのは店とは呼ばな......おや? そちらは?」

 

 香霖と呼ばれた男性─道具屋『香霖堂』の主人、森近 霖之助が魔理沙の背後に目をやった。

 

「ああ、あんまり気にするな。ただの知り合いだ」

 

 "魔理沙の知り合い"は何か言いたげだったが、諦めたのか店内の商品を眺め始めた。霖之助も似た経験をよくするので、初対面ながら不思議と親近感を覚えた。

 

「で、今日は何の用だい?」

 

 一応霖之助は尋ねてみたが、この少女は用もないのに来ることの方が多い。しかし、今日は本当に用事で来店したようだ。

 

「ああ、前に私籠を忘れた気がしてな。ないか?」

「籠、籠、籠......ああ、あれか」

 

 霖之助は店のカウンターの下から金属製の籠を取り出した。

 

「ほら、これだろ?」

「お、これだ。ありがとな」

 

 魔理沙は霖之助が差し出した籠を受けとった。

 

「用は済んだのかい?」

「いや、実はもうひとつだけ......」

 

 少女は急に声を潜めた。

 

「ある道具を見てほしい」

「な、なんだい?」

 

 つられて霖之助の声も小さくなる。

 が、魔理沙は何を思ったか振り返って大声で叫んだ。

 

「ノタカ! さっきの玉!」

「あ? これがどうかしました?」

 

 ノタカが懐からチラリと水晶のような透き通った玉を見せた。

 

「いや、何でもない」

 

 全く、とぼやきながら再び店内の物色を始めたノタカを尻目に魔理沙は先程と同じトーンで続けた。

 

「......あれだ」

 

 が、霖之助は目を見開いたまま固まった。しばらくして魔理沙の肩をがっしり掴んで勢いよく揺らし始めた。

 

「魔理沙、君は何てのを連れてきたんだ!」

「あれ、気づいちゃった?」

「......知っていて連れてきたのか」

「大丈夫だ。幻想郷の閻魔じゃないらしいから気を遣う必要はないってさ。でも何で分かったんだ?」

「彼女が持っている(ぎょく)......あれが何か君は分かっているのか?」

「さあ? 分からないから香霖のところに連れてきたんだ。ただ、あの玉をかざされた後に私がここに籠を忘れたことを見抜かれた。そういえば最初に会った時にもかざされたな」

「そりゃそうだろう」

 

 すると、霖之助は大きく息を吸い込み、魔理沙に耳打ちした。

 

「あれは浄玻璃の鏡だ」

 

 耳慣れぬ難しげな単語に魔理沙は首を傾げた。

 

「なんだそりゃ」

「その鏡に映されれば問答無用で過去の行いが筒抜けになる......閻魔様が審判に使う道具さ」

「あれ鏡か?」

「閻魔によって浄玻璃の鏡の形状は違うと以前何かの文献で読んだことがある。あの閻魔様の鏡はああいう形なのだろう」

「まあ、でも案外お得意様になってくれるかもしれないぜ。閻魔だから他の連中に比べてまともだろうしな」

「そういう問題じゃ......」

「ノタカ、何か気に入ったもんあったか?」

「ええ、これを一つ」

 

 本当にお客なのか、と一瞬霖之助は顔を輝かせたが、すぐに小さく首を振った。

 

「申し訳ない。それは非売品です」

 

 ノタカが指したのは"人を駄目にするソファ"だ。霖之助は人ではないが中々物騒な名前、警戒してしばらく自分で使ってみたが特に何もなかった。ただ、今ではあれに腰かけて午後に本を読むのが日課となり、いつしか非売品となっていた。

 

 ノタカがゆっくりとこちらへ歩を進めてくる。霖之助は思わず身構えた。

 

「ふーむ......あなた、彼女に対して何かやましいことありません?」

 

 魔理沙を親指で示しながら、ノタカが霖之介に囁いた。突然の言葉に思わず霖之介の顔が歪む。心当たりが......ないことはない。

 

「一体何の......」

「ヒヒイロカネ......天叢雲剣......」

「なっ!?」

 

 どうしてそれを、と続けそうになったのを霖之助はこらえた。分かりきっている。チラリと見えた浄玻璃の鏡を忌々しげに見つめた。

 

「安心してください。これでもそれなりの地位にある身、恫喝してただで奪おうなんぞ微塵も思っていませんよ、はい」

 

「え?」

 

 霖之助は卒塔婆をかたどった小さな串を渡された。

 

「りんご飴の"あたり"棒です。中有の道の屋台で交換できますので」

 

 霖之助は忘れていた。あの"普通の魔法使い"の周囲に普通の連中はいない。

 "魔理沙の知り合い"にまともな客がいたことなぞ一度もない。

 彼女の側にいる時点で、閻魔だろうが何だろうがまともではないのだから。

 

 霖之助はソファを担いで店を出ていくノタカを呆然と見送ることしかできなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十六、好奇心は兎をも殺す(一)

(あー、疲れたー)

 

 最後の薬の配達を終えると、鈴仙・優曇華院・イナバは蓄積している疲労を顔に浮かべ、大きくぐぐっと背伸びをした。

 

(ん? あれ?)

 

 目の前を1人の女性が音もなく通過した。紺色の髪に彼岸花の髪飾り、金の意匠が施された黒い着物に身を包んでいる。

 普段ならば特段気にもとめない。多少奇抜な人がいるなあ、程度のことで終わる。

 しかし、鈴仙の頭に麻紐で縛られるような漠然とした既視感があった。

 そして、ふっ、と記憶が浮かび上がる。

 以前、稗田家の当主と一緒にいたところを見かけた。

 鈴仙は波長を見ることができる。人によって波長の形は皆違う。波長を見れば性格もある程度分かる。

 が、この人物の波長は何というか、ずれているような感覚でうまく読み取れない。ただ、見たことがないわけではない。同じような波長に出会ったことはあるのだが、思い出せない。

 

 鈴仙は空を見上げた。日が暮れるまでにはまだ時間に余裕がある。

 

 そんなこともあって、鈴仙は何の気なしに、そこら辺に転がっている小石を軽く蹴飛ばす程度の軽い気持ちで、彼女にちょっとついていってみようかな、と思っていた。

 それが何をもたらすかなどはどうでもよい、純粋な興味からの行為だった。

 

 その時は。

 

 ◇

 

「はあ、はあ......」

 

 いざ尾行を始めたはいいものの鈴仙はいささかくたびれていた。いかに中身が入っていないとはいえ籠を背負ったままなのもあるが、鈴仙がつけているこの女、異常に歩くのが速い。人混みを器用に避けながらもの凄い速度で歩いている。このままだと見逃してしまいそうだ。

 

(しょうがない......よっと)

 

 自らの位相の波長をずらした。これで誰にもぶつかることなく人混みを抜けることができる。

 

(あれ? このままじゃ......)

 

 次第に雑踏の音が小さくなる。

 人通りが段々減ってきたかと思うと、あれよあれよという間に人里の外まで来てしまった。

 急激に辺りがしん、と静まりかえる。

 だが、ここまで来たらもう引き返すことはできない。

 

 その後もせかせかと女は進んでいく。気を抜くと後ろ姿がどんどん小さくなる。その足取りに何の躊躇も見られない。

 

 ただ──この1本のあぜ道を真っ直ぐ進んだ先は、迷いの竹林だ。毎日成長する竹と起伏のある地形、常時ぼんやりとかかった霧により、一度入ると出られないとされる。実際竹林の住人に出会うかでもしない限りは竹林を抜けるのはほとんど不可能と言っていい。

 そして、鈴仙はその恐ろしく入り組んだ迷いの竹林の深部に位置する屋敷に暮らしている。

 

 つまり、今女が歩いている道は、鈴仙からしても見慣れた道だ。

 

 まさか、このまま徒歩で、しかも1人で迷いの竹林に入る気なのか。

 

 鈴仙の心配をよそに、女は勢いそのままで竹林に足を踏み入れた。

 鈴仙は自らの感情の波長が少し乱れ始めているのを感じた。

 

 ◇

 

 

 竹林に入った後、女は高く乱立する竹の間をやたらめったらに進んでいるように見える。

 あっちに行っては引き返し、こっちに行っては引き返しを繰り返す、はたからだと迷っているようにしか見えない。

 最も懸念していた鈴仙達の住む屋敷──永遠亭に向かっているようにも思えない。鈴仙は少しほっとして、吐息を洩らした。

 

 が、不意に女はスイッチでも切ったかのように立ち止まった。

 

「もし、そこのお方」

 

 静寂な竹林に重い声が響いた。

 

 

 一瞬誰が発したのか鈴仙には分からなかったが、すぐに察した。間違いない。目の前の女だ。それに、周囲に生命反応が鈴仙以外には存在しない。

 

 まさか......私に向かって言ったの? 

 

 これでも元・月の軍事組織の出、完全に気配は消し去っているつもりだった。物音1つも立てていない。さらに、光の波長を弄って透明にもなっている。分かるはずがない。感知できるはずがない。心が波立ち、騒ぐ。

 

「まだ、隠れる気ですか?」

 

 しかし、今度は振り返った女とはっきりと目が合った。自らの深紅の瞳から全てを覗きこまれているような感覚にとらわれる。思わず視線を逸らす。

 鬱蒼とした竹林から僅かに漏れる西日が、彼岸花の髪飾りを紅く照らしていた。

 さーっと背中に汗が吹き出るのを感じる。

 ひっくり返りそうな呼吸を抑えながら、鈴仙はいつでも動けるよう笠を脱ぎ捨て、籠をおろした。

 

 

 ◇

 

 比較的里の中心部、一軒の建物の前に鈴仙はいた。周囲の店や住宅と比べると大きめのその建物からは普段は子供達の無邪気なはしゃぎ声が聞こえる。

 今日の置き薬の補充はここでしまいだ。里の寺子屋の戸を鈴仙は叩いた。

 

「すみませーん! 永遠亭でーす! 薬の配達に......」

 

 用件を言い終わる前に扉が開く。中から顔を出したのはこの寺子屋の創設者であり、教師をやっている上白沢 慧音だ。

 

「やあ、こんにちは」

「こんにちは、先生。今回のお薬です」

 

 籠を下ろし、中から薬の小瓶をいくつか取り出す。慧音が持ってきた救急箱に順に効能を説明しながら入れていく。

 

「いつもすまないな、ありがとう」

「いえいえ、仕事なので」

「このあともまだ配達か?」

「いえ、今日は少なかったのでもうここが最後です」

 

 鈴仙は空になった傍らの籠を見せた。

 

「ちょうどいい、私の方も今日は授業はもうないし、生徒は皆帰った。疲れただろう? お茶でも淹れよう」

「え? 私は......」

「さあ、上がって上がって」

 

 結局、すすめられるままに靴を脱ぎ、一室に通される。教師の休憩室なのだろうか、シンプルなデザインのちゃぶ台がポンと1つだけ置いてある部屋だ。慧音はちゃぶ台を挟んで向かい合うように座布団を置くと、待っててくれ、と言って消えた。しばらくして、湯気立つ湯飲みとお茶うけの乗ったお盆を持って現れた。

 鈴仙は正直、冷たいお茶が飲みたかったのだが、そんな要求ができるほど精神が図太くできていない。おとなしく熱い湯飲みを受けとる。

 最近の里の様子などの他愛もない話が続く。特になんの変哲もない時間が流れていく。そんな中でポロリと慧音が尋ねた。

 

「そういえば、この間の異変は竹林は何ともなかったのか?」

「異変?」

「その反応だと何もなかったようだな。まあ、里にも直接的な影響はなかったからな。局所的なものだったのだろう」

「どんな?」

 

 私も詳しくは知らんが、と慧音は前置きをしてから、

 

「博麗神社と魔法の森に幽霊が大量発生したことと、中有の道、あそこにおかしな落書きがあったようだ」

「おかしな落書き?」

「そうだ。私も実物を目にしたわけではないが......」

 

 慧音は筆をとってくるとさらさらとしたため始めた。

 

「こんな感じだったかな」

 

 一見、グシャグシャに描かれたおかしな落書きに見えなくもない、だろう。

 

「え? これ......」

 

 地上の民には。

 

「む? どうかしたか?」

「いや、何でも。これ頂いても?」

「ああ、構わないが」

「では、私はこれで......」

「ん? そうか......では、気を付けてな」

 

 急に帰り仕度を始める鈴仙に少しばかりの不信感を露にしつつも慧音はまた今度、と手を振る。

 慧音に見送られながら鈴仙は寺子屋を後にした。手には落書きが描かれた半紙がしっかり握られている。

 

 慧音も直接見たようではない。たまたま似ているだけかもしれない。慧音がそもそも普段達筆であることも重なり、鈴仙も最初は分からなかった。

 

(まあ、後で師匠に一応報告しておこっと)

 

 墨が乾いているのを確認して慎重に折り畳み、懐にしまう。

 何はともあれ今日の仕事は終わりだ。

 

(あー、疲れたー)

 

 大きく背伸びをした鈴仙の目の前を彼岸花の髪飾りの女が通過した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十七、好奇心は兎をも殺す(二)

 広い竹林の中で対峙する2人。鈴仙は透明化を解除した。

 

「......どうして分かったの?」

 

 疑心の渦が頭の中にひたひたと広がる。自分で言うのも何だがそんじょそこらの者には看破できる術ではない。

 

「どうして、と聞かれましても。鏡はいつでも真実を映し出す......それだけです」

 

 目の前の女が何を言っているのかも何のために竹林に入ったのかもさっぱり分からない。はっきり言って不気味なことこの上ない。そして、女が次に発した言葉はさらに鈴仙をゾッとさせるには十分なものだった。

 

「いやはや、()()()には難しい話でしたかねぇ?」

 

 確かに笠を脱いだので兎の耳は露見している。

 

 しかし、ただの兎ではない。今、()()()とはっきり口にした。

 

 バレている。私が玉兎だと。

 

 生暖かい冷や汗が一雫、背中を伝わった。それが、堪らなく気持ち悪かった。

 

「何故それをっ!? まさか、これを書いた看板を中有の道にたてたのって......」

 

 鈴仙は慧音から受け取った──"月の言語"が書かれた半紙を目の前の女に向かって突きつけた。

 女は、ジーッと半紙を見つめ、こくりと頷いた。

 

「ええ、私ですけど。久々の地上なもんで文字を間違えてしまいましたが」

 

 間違いない。目の前の女は月の関係者。

 しかし、月の民であれば波長である程度判別がつくが、やはりこの女の波長は初めて見かけた時から一貫してずれている。

 

 しかも、永遠亭と交流のある月の民であればこんなおかしな訪問の仕方はそもそもしないし、する必要がない。

そして、月の民が何の用もなくここへは来ない。

 

「......姫様のもとへは行かせない!」

 

 つまり、敵だ。

 

「はい?」

 

 ─狂視「狂視調律(イリュージョンシーカー)」─

 

 日が暮れ始めた薄暗い竹林の中、鈴仙の深紅の両眼がさらに赤く輝く。

 銃弾状の弾幕が鈴仙の周囲に展開されていく。次々と幾重にも分裂し、得体の知れない女に襲いかかった。

 

 が、次の瞬間には全て停止していた。もちろん鈴仙の意思ではない。

 弾幕に囲まれているはずの女は余裕の笑みを見せた。

 

「なっ!?」

 

 

「あらあら、やる気満々ですねぇ」

 

 女が指をパチンと鳴らすと鎖が生じ、鞭のようにしなって鈴仙の弾幕を消し去った。

 そのまま、ギュルギュルと鎖は伸びる。

 そして、鈴仙は撃ち抜かれた。肢体が大きくバウンドしながら後ろへ吹っ飛ぶ。

 

「あら、もう終わり?」

 

 しかし、撃ち抜かれたと思った鈴仙の体は忽然と消えた。

 

(安心しなさい、まだまだ終わらないわよ!)

 

 女の背後に回り込む。指を銃の形に固め、人差し指を突きつけた。

 鷹のごとく狙い、すかさずレーザーを叩き込む。が、女はすんでの所で振り返り、かわした。赤い光線が女の頬を掠め、竹林の虚空に消える。ジュッと髪の焼け焦げる音がした。口をわざとらしく開きながら女が呟く。

 

「わーお」

 

 時間を止める能力者と戦ったことはあるがそれとは違う。彼女との戦闘では攻撃された瞬間を認知できなかったが、今この闘いにおいては自分が放った弾幕が止まる瞬間をこの眼でしかと見た。

 

 振り返りざまに女は反撃に転じた。ジャラジャラと音を立てて鎖状の弾幕が鈴仙を再び貫く。

 

「手応え......なし」

 

 しかし、それはすでに鈴仙ではなかった。

 

「残像? いや......」

 

 ゆらり、ゆらり、と辺りに鈴仙が現れていく。一人、また一人と増えていき、やがて数十人にまで膨れ上がった。女はいちいち数えるのも面倒な程の数の玉兎に完璧に包囲される。

 

「分身ねぇ......」

 

 大量の鈴仙が一斉に人差し指を女に向けた。指先からまばゆい光がほとばしる。

 

 ─散符「栄華之夢(ルナメガロポリス)」─

 

 一斉に弾薬が撃ち出される。当然のように全てが女の周囲で停止していき、白い壁、弾幕の檻と化していく。

 が、本体は未だ攻撃してはいなかった。分身に紛れ、1人の鈴仙の向こう側の景色が透ける。再びこの状況、意識ががら空きになる場所が一つだけある。それは......

 

「上、でしょ」

「ぐっ!?」

 

 女が頭上に高々と手を掲げた。

 服がビタリと動かなくなった。

 透明化したまま、鈴仙は空中に打ち付けられた。不意打ちのレーザーは照準を外れ、女の真横の土を抉るだけにとどまった。

 

「さあ、残りの分身の方もやっちゃいましょ」

 

 ─審判「浄玻璃審判─鈴仙・優曇華院・イナバ」─

 

 釘付けの鈴仙には一瞥もくれずに、女は懐から透明な玉を取り出すと、何やらぶつぶつと呟いた。

 

「嘘......」

 

 すると、1つ、また1つと人影が出現し始めた。行商服に身を包み、薄紫色のロングヘアーのてっぺんには立派な兎の長耳が2つちょこん、とくっついている。鈴仙はその風貌の人物を誰よりもよく知っている。

 分身を増やした覚えはない。にも関わらず、次々と自分が出現していく状況を俯瞰でみるのは中々に気味悪い。

 それぞれが鈴仙が出現させた分身と相討ちになっていく。やがて、上空に1人を残して全ての鈴仙が消えた。

 留まり続ける弾幕の檻をかわしながら女は竹林の奥へと向かおうとする。

 

 もし、この女が月の民で、永遠亭と接点がないとしよう。その場合、永遠亭に共に住む鈴仙の主人と師匠、そして、月の罪人2名──蓬莱山 輝夜と八意 永琳を狙いに来た可能性が高い。あの2人が敗北する姿は微塵も想像できない。が、2人は月から逃げてきて行くあてもなく身寄りのない鈴仙を受け入れてくれた。そんな恩人に危害を加える可能性がある者をおいそれと見過ごす訳にはいかない。

 

「させる訳ないでしょ!」

 

 ならば鈴仙に出来ることはただ1つ。この女を食い止めることだ。

 

 ─月眼「遠隔催眠術(テレメスメリズム)」─

 

 幸い動かないのは服だけで弾幕は出すことができた。まだ、やれる。

 

「わー、綺麗ですねぇ......」

 

 弾幕の美しさに感嘆を漏らす女の左右から次々と弾が発生するが、女に届くものは1つもなかった。女は光に囲まれた一本道をただ歩くだけだった。それは鈴仙も分かっている。だから、これは当てるための弾幕ではない。制限するための弾幕だ。

 

 頭上を見上げながら、女は叫んだ。

 

「もう無駄ですよー!」

 

 鈴仙は透明化を解除した。観念したからではない。もう、勝負が終わったからだ。女は一本道を歩いているのではない。歩かされているのだ。

 

「フフ、あなた、飛ぶのが苦手なんでしょ。......なら、チェックメイトよ」

 

 女が踏み出した足が勢いよく沈み込む。

 

「え?」

 

 その瞬間はスローモーションの映像のようだった。笹の葉がつもった地面がぐしゃりと崩落していく。ゆっくりと女の上体のバランスが崩れ、そして、深い暗い奈落の底に全身が落下していく。余りに突然のことだったのか女は一言も発することなく、沈んでいった。

 

「竹林は迷うだけが恐ろしさじゃあないのよ」

 

 自由に動けるようになった鈴仙は地面にぽっかりと空いた穴の縁に降り立った。

 

 

 意識ががら空きの場所、正解は"下"だ。

 

 

 

 

 鈴仙の探知範囲に生命反応が1つ増えた。

 

「てゐ、いるんでしょ。出てきなさい」

 

 竹の裏からひょっこり顔を出したのは黒髪の短髪少女──因幡 てゐだ。頭に生えた兎の耳が彼女もまた人間ではないことを物語っている。

 

「......って何かいつものより深いんだけど」

 

「鈴仙ひどいことするなぁ」

 

「あんたが掘った穴でしょ!?」

 

「そうじゃなくてさ......」

 

 ひょいひょいとてゐが穴のなかを指す。

 

「この人、閻魔様だよ」

 

「は──」

 

 面喰らって鈴仙は、目を見張った。何なんだ、唐突に何を言い出すんだてゐは──返す言葉が見つからない。

 

「地獄の閻魔様だよ、この人」

「あんたねぇ、そうやって私を騙そうったって......!?」

 

 ──そう、貴方は少し自分勝手すぎる。

 

 全てを思い出した。以前幻想郷の閻魔様と会ったことがあるが、この女の波長はその時に感じた波長、いや、位相のずれと同じ種類のものだ。

 

 あの時、慧音のお茶の誘いを断っておけば。

 

 あの時、興味本位で尾行なんかしなければ。

 

 あの時、穴になんか落とさずにおとなしくはりつけになっておけば。

 

 鈴仙は、頭の中で同じ後悔を瞬時に数十回に渡って繰り返した。

 

──もし私が裁きを担当したとしても、貴方を地獄に落とします。

 

 以前の閻魔様の一言一言が底知れぬ絶望感とともに再度、鈴仙の胸を貫いていった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十八、好奇心は兎をも殺す(三)

「何で私までー」

 

 ぶーたれる因幡 てゐを鈴仙は一喝した。

 

「しょうが、ない、でしょ、あんたが、掘った、穴に、落っこちて、のびちゃって、るんだから」

 

 といっても息切れのせいで大した迫力はない。現に当のてゐはどこ吹く風だ。

 鈴仙の背中には彼岸花の髪飾りをつけた女がおぶさっていた。

 代わりに鈴仙の籠をてゐが背負っている。小柄なてゐが自分がすっぽり入りそうなサイズの籠をえっちらおっちら背負っているのは鈴仙の目には少し滑稽に写った。が、中身はとっくに空っぽ、鈴仙の苦痛とは比べるまでもない。

 

「ていうか、あんた、あの、深さに、私を、落とすつもり、だったの?」

「でも、あれのお陰で助かったでしょ?」

 

 うっ、と鈴仙は言葉に詰まった。

 

「師匠に、なんて、説明、すれば、いいのよ」

「そのまま言ったら? とっとと帰宅せずに人をつけてたらその人が怪しかったので、たまたま空いてた穴を使って気絶させたら地獄の閻魔様でしたって」

「あんた、ずっと、見て、たの?」

「いや、途中でこの閻魔様私にも気づいたっぽかったから急いで逃げたけど」

「あんたねぇ......」

 

 鈴仙のほとほと呆れ返った心情を知ってか知らずか、てゐはツンツンと女をこづいた。

 

「にしても、お、重い......」

「もう、そこらに置いといたら?」

「閻魔様にそんなこと、できるわけ、ないでしょ......師匠に、怒られ、るし......」

 

 頭にちらとよぎるのは銀髪の薬師(くすし)。そして──緑髪の閻魔。

 

「気、になる、ことも、ある、し」

 

 例の月の文字の話や一見意味もなさそうに竹林をうろうろしていた件、謎はつきない。

 

 少しペースを上げる。もう近い。

 

「やっと、つ、ついた......」

 

 竹が立ち並ぶだけだった景色が急に開け、格式高い昔ながらの日本屋敷がその姿を現した。古めかしい造りに反して全く劣化は進んでいない。鈴仙の住む永遠亭だ。

 

 ◇

 

 ひとまず担いでいた女を永遠亭の患者用の布団に横たえ、鈴仙は薬師の師匠・八意 永琳(やごころ えいりん)のもとへ向かった。長い銀髪を後ろで三つ編みでくくり、頭には青いナース帽。赤と青のツートンの服とスカートに身を包む。永琳はいつものように薬の調合部屋で何かの書物に目を通していた。

 

「ウドンゲ、お帰りなさい。随分遅かったわね。......何があったのかしら?」

「はい、実は......」

 

 鈴仙は女が竹林に入ってからの顛末と月の文字が書かれた看板のことをできるだけ丁寧に説明した。

 

「......どの部屋に寝かせたの? 診にいくわ」

 永琳が顔を上げた。

「え、ええ、こっちです」

 

 鈴仙は恐る恐る永琳の前を歩いた。

 

 ◇

 

 永遠亭のある一室。和室のど真ん中に布団が引かれ、1人が横たわり、2人が枕元に座っていた。

 寝ている女を永琳は見たことのないような冷たい瞳で凝視している。

 

「師匠?」

 

 隣に座る弟子はいささか困惑した声を上げた。

 

「後は私が何とかしておくわ」

 

 はっとして、永琳はくるりと鈴仙の方を向いた。

 

「肩やら腰やら痛めるわよ。湿布でも貼ってきなさい。場所は分かるわよね?」

「え? はい、そうします......」

 

 鈴仙は呻き声を上げながら立ち上がると、腰に手をあてながらずるずると部屋を出ていった。

 

 永琳は鈴仙から受け取った半紙を広げ、読み上げた。

 

「......改装中、立ち入り禁止」

 

(暗号、ってわけではないようね)

 

 その昔、月の頭脳とまで評された永琳の明晰な思考力をもってしても、この文章からはそのままの文意以上のものは読み取れない。永琳はひとまず胸を撫で下ろした。

 寝ている女の枕元にゆっくりと座り直し、懐から矢を1本取り出す。

 そして、硬く冷ややかな矢尻を女の白い喉元に突きつけた。

 

 パチリと女の上下のまぶたが離れた。

 

「主に仇なす可能性が万に一つでもあれば殺しも厭わない、ですか?」

「あら、よく分かっているのね」

「人払いまでするとはねぇ」

 

 女は永琳の手を押し退け、ひょい、と起き上がった。

 

「1人部屋から出ただけで人払いなんて随分大仰ね」

「違いますよ。この部屋にかけてある術式の話です」

 

 女は後ろで手を組み、部屋をぐるりと歩き回る。

 

「......面白いことをいうのね。どんな術なのかしら?」

「この部屋の空間だけ月と地球の狭間に繋げられている。ただ、あの玉兎が部屋を出てからの僅かな時間でこれだけの術を構築するとは......流石、月の頭脳 八意 永琳、いや、八意 ××といったところでしょうか?」

 

 

 ××は永琳の本名、地上の者には知ることは愚か発音することすらかなわないはずだ。

 

「私を殺せずとも宇宙空間に放り出そうと、そういう魂胆でしょう? 生憎、私は月の使者でもなんでもありませんが」

 

 女は壁際へ移動すると物珍しそうに柱を撫でた。ひょっとするとこの屋敷そのものにかかった"永遠の術"も見破っているかもしれない。

 

「ええ、そうでしょう。ただ、名乗って頂いてもいいかしら」

 

 全く表情を崩さない、ニコニコとしたままの永琳を不気味に感じたのか、女は一瞬顔をしかめた。そして、コホンと咳払いをして、

 

「斑尾 ノタカ・ヤマ××××......私の名です。これが何を表すか......なんて、あなたならお分かりでしょう?」

 

 女はまたしても地上人には理解できそうもない言語を簡単に口にした。

 

「......あなた、月の閻魔?」

 

 ヤマは閻魔のこと、そして、女が口にしたのは──月の別名だ。

 

「月は表と裏だけではない。裏の裏──月の地獄にもまた、住民はいるのです」

「......月の、地獄の管理者」

 

 月に生死という概念は存在しない。否、存在してはいけない。月では生死は"穢れ"として激しく忌み嫌われている。地上は月にとっては穢れにまみれた地、地上で暮らすことそのものが罪であり罰である。極論、月には生死がない。

 

 そんな月の地獄にも閻魔がいたというのか。 

 

 永琳の頭の中に自らが察知できなかった地獄の女神がよぎった。地獄はもっと警戒せねばならないかもしれない。

 

「ま、暇な仕事だということは否めませんがね」

 

 ノタカはちょっと肩をすくめてみせた。

 

「何が目的かしら? 私たちを地獄に送ること?」

「いいえ」

 ノタカはとんでもないと言わんばかりに首を振った。閻魔の神格が成せる技なのか、大袈裟なジェスチャーの割に嘘っぽくはない。

 

「浄玻璃の鏡であなたのお弟子さんを見たところ、有名人の方々がチラリと映りましたのでご挨拶を、と」

「有名人ねぇ......罪人の間違いじゃないかしら?」

「まあ、鏡に映ったイメージだけではこの竹林を抜けることは叶いませんでしたが。あなたのお弟子さんに道を訪ねようとしたところ、何故か敵視されてしまいましたし」

「ふふふ、今日のところはそれを信じましょうか」

「では、その毒矢をしまっていただけるとありがたいんですが」

「閻魔に毒なんて効くのかしら。少し試してみない?」

「遠慮しておきますよ。あなたの毒だと効きそうで怖いのでね。それに......どんな矢でも刺さると痛いのは痛いですし」

 

 永琳は握りしめていた矢をそっとしまいこんだ。

 

「竹林の外まで案内させましょう」

 

 襖に手をかけ、術式を解除する。そして、ノタカに釘をさした。

 

「ただし、姫......輝夜に害なす者だと判断すれば私は......何にでも手を染めるわよ」

「ご心配なく。輪廻を外れた者たちに興味などありません。ただ......」

 

 ノタカは永琳の背中に問いかける。

 

 

「何の意ぞ碧山に栖む」

 

 

 永琳は振り返り、黙ってニコリと微笑む。今度の永琳の笑顔にはノタカは顔をしかめなかった。

 

 

 襖の向こう、鮮やかな紫光りの漆のような黒い髪の少女もまた、微笑み、須臾の間に消えた。

 

 ◇

 

(あー、効くー)

 

 ひんやりとした湿布の感触が重さで押し固められた患部をほぐしていく。流石師匠が作ったものだ。心地よい。

 閻魔が寝ているはずの部屋に戻る。そーっと襖を開けるも何の気配もない。最早もぬけの殻になっていた。

 急いで、調剤室へと向かう。

 

「師匠!? 部屋が空に......」

「ええ、目覚めたので帰らせたわ」

 

 こちらを向くこともなく永琳は答えた。

 

「あ、そうだったんですか」

「てゐに案内させたから今頃竹林の外には出られたんじゃないかしら」

「それは、良かった......じゃなかった。あ、あ、謝ってきますぅ!」

「待ちなさい、ウドンゲ。もう遅いわ、それに......」

 

 文字通り脱兎のごとく駆け出した鈴仙を永琳は制した。

 

「あなた、姫を守るために戦ってくれたんでしょう?」

「え?」

「私からも礼を言うわ」

 

 永琳がこちらを向いた。全て見透かすような瞳──この人には一生かなわないな、と鈴仙は思った。

 

「......はいっ!」

 

 だからこそ、永琳の言葉が何より嬉しかった。

 

 ◇

 

 夕飯の支度をするために出ていった鈴仙と入れ違いに部屋に1人の女性が現れた。

 腰に届くほどの長さのストレートの黒髪は生きているように艶やめいている。

 白いリボンがあしらわれたピンクの服に赤い地面に触れるほどのロングスカート。

 永遠亭、そして永琳と鈴仙の主人──蓬莱山 輝夜は薬師の向かいに腰かけた。

 

「別に天地の、人閒(じんかん)に非ざる......いえ、逆ね。我々は俗世間に染まった側」

 

「輝夜......どうしたの?」

 

「いえ、何だか面白そうな人がいらしてたのに永琳ったら会わせてくれないんだもの。どこに行けば会えるのかしら?」

 

「中有の道......じゃないかしらね」

 

「中有の道! いいわね! イナバも連れて今度行きましょ! もちろんあなたも、ね」

 

「......屋台が目当てでしょう?」

 

「あら? バレちゃった?」

 

「......そうね。最近改装もしたようだし、皆で行きましょうか」

 

 永琳はほっと一息ついた。

 

「ウドンゲにもいい息抜きに......いえ、ならないかしら?」

 

 屋台にはしゃぐ輝夜にグロッキーな鈴仙。永琳の頭脳がなくともこの幸せそうな図は容易に想像できただろう。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十九、その茸、凶暴につき(一)

 

 

 幻想郷は梅雨真っ只中だった。

 ノタカはチラリと窓に目をやる。彼女はうっすらとだけ視認できる雨粒の線を見ることが好きだった。漏った雨がバケツにぽちゃり、ぽちゃりと滴る音すらも心地よい。

 が、別に雨天が好きなわけではない。晴耕雨読が彼女のモットー、雨の日に外出するなんぞ論外だ。

 本を手に取り、栞を挟んでおいたページを開いた。

 香霖堂で購入(強奪)した座椅子に体を委ね、読書にいそしむ──まさに至福の一時だ。

 

「おい、私は無視か?」

 

 だからこそ、こんな土砂降りの日にキノコ狩りに誘ってくる悪魔をどうやって追い出すか悩んでいた。

 

「私は便利屋じゃないんですよ、帰った、帰った」

 

 ノタカはカッパ姿の魔理沙に一瞥もくれずに右手をヒラヒラさせた。

 

「他を当たりなさいな」

「他を当たるったって、私の知り合いは皆インドア派なんだ」

「奇遇ですね、私もです」

 

 ノタカは「陰奴愛(いんどあ)」が何か分からなかったが、頭に浮かんだ文字からすると陰を愛する奴、つまり、出不精のことだろうと思い、適当に返した。

 

「あー、残念だ、残念だ。至極残念だなぁ」

 

 急に大袈裟な芝居がかった口調で魔理沙が叫んだ。ノタカは思わず本から目を上げた。

 

「私は、とってもとっても、美味しいキノコが生える場所も知ってるんだがなぁ」

「......何が言いたいんです?」

「キノコ料理の屋台なんかさぞ繁盛するだろうなー。あー、実に残念だ。惜しいことをした」

「繁盛する?」

「ああ、もう大盛況でがっぽりだろうよ。地獄の財政難も救えるかもなあ」

 

 魔理沙は人差し指と親指で輪っかをつくった。

 

「ほんとに美味しい?」

「ああ、もうほっぺたがこぼれ落ちて血まみれになるくらいだ」

 

 少女の独創的過ぎる表現に顔を歪めつつも、ノタカは本に栞を挟み直した。

 

「......ま、いいでしょう。雨の日の散歩もまた乙なものです」

 

 ノタカは重い腰を上げた。

 

「チョロいな」

 

 魔理沙にとっては軽い腰だが。

 

「何か言いました?」

「いいや、何でも。さ、善は急げだ」

 

 

 ◇

 

 魔法の森──化けギノコが撒き散らす瘴気にさらされた鬱蒼とした森だ。瘴気は人間はおろか妖怪ですら忌避するほどのもの、大抵の生物はここを避ける。ただ、魔力の素材が豊富なことから多くの魔法使いが暮らしている、捨てる神あれば拾う神あり、そんな場所だ。

 普段からじめじめとした森は、雨の影響で一層陰鬱な雰囲気を醸し出していた。

 濡れた木の葉や土がしっとりと匂う。

 

「1人で採取すればよいのでは、と思っていましたが......こういうこと、ですか」

 

 ノタカは右に傘、そして左には大きな手提げ籠を抱えていた。いや、抱えさせられていた。要は荷物持ちである。

 

「で、何でこんな雨の中?」

 

 木々に遮られつつも森にはシトシトと雫が落ち続けていた。雨粒がテンポよくノタカの傘を鳴らす。

 

「雨じゃないと無傷じゃとれないんだよ」

 

 一方、魔理沙はカッパを身にまとう。

 ただ、ひしめき合う樹木にカッパの裾をよく引っ掛けている。その度、枝がしなり、雫を撒き散らす。

 

 本人は何のその、濡れるのなんかお構い無しに枝の間を掻い潜っていくので、正直カッパを着ていようがいまいが変わらないように思える。

 

「デリケートなキノコなんですねぇ」

「いーや、私たちが、だ。お、あったあった。コイツだ」

 

 少し大きめの苔むした岩の隙間、膝ぐらいの高さにいくつかのキノコがあった。赤黒く傘が大きく張ったキノコだ。色と形状でひどく目立つ。

 

「今年は色々あったからな。ちゃんと育ってくれて何よりだ」

 魔理沙がいとおしそうにキノコの傘を撫でた。キノコが濡れた犬のようにプルンと跳ね、辺りに滴を散らす。

「何だか美味しくなさそうですねぇ」

 時間の経った血液のような色合いのキノコはお世辞にも食べたいとは思えない。

「当たり前だ。コイツは食用じゃあない」

 ノタカが見たままの率直な感想を漏らすと魔理沙はチッチッチと指を振った。

 

「水に濡らさずに抜いちまうと、こうだ」

 

 ドカーンと呟きながら魔理沙は手で弾ける動作をした。

 

「爆発の魔力はこいつから取るんだよ」

「はーん、それでその籠が必要だったと」

 

 魔理沙は蓋つきの金属製の籠を携えていた。以前一緒に香霖堂で探したものだ。

 

「ま、そういうことだ。梅雨の内じゃないと中々取れないんでな。濡れてりゃ爆発はしないだろうが、念のためだ」

 

 魔理沙は岩の前に座った。

 慎重にキノコの柄を人差し指と中指で挟み込み、ナイフでサクッと切り取った。金属製の籠を開き、慣れた手つきで毒々しいキノコを入れていく。

 

「ん? 濡らせば爆発しないなら水ぶっかけて採取すりゃあいいんじゃ?」

「いや、自然の雨以外で濡れちまうとそもそも爆発の魔力が失われるんだ」

「魔法ってのも随分と手間がかかってややこしいんですねぇ」

「そうだな......よし、こんなもんかな」

 魔理沙は籠を閉めた。しかし、キノコはまだ数本残っている。

「おや、全部は採らないんですね」

「ああ、同じ場所から必要以上に採らない。ま、一種のマナーだな」

「ほうほう、なるほど」

 

 魔理沙は立ち上がって、膝の泥を軽く払うと再び歩き始めた。

 

「さ、次のスポットに行くぞ」

「おお、ようやく......」

「旨いキノコのことならまだだぜ」

「え?」

 てっきりもうお目当てのものにありつけると思っていたノタカはキョトンとした。

「今日はあと3ヶ所巡るからな」

「ええ......3? 美味しいキノコは......」

 想定よりも苦行が長いと知ると人の心は簡単にがくつく。

 そうはいっても乗り掛かった船、今さら諦めるわけにもいかない。ノタカはトボトボとした足取りで魔理沙に続く。

「安心しろ、その後ちゃんと案内してやるから。なんだったら私が料理してやってもいいぞ。一度食ったら夢に出てきて追っかけてくるぐらいの極上物だ」

 

 ノタカは相変わらずの魔理沙の表現力に辟易した。上空を見上げると相変わらず雨雲が厚く垂れ込めている。

 

「おーい、ノタカ? 行くぞー?」

「はいはい、今行きますよー」

 

 しばらく止みそうにない雨の中、ノタカは空模様と相反して快活な少女の後を追った。

 ──そして、他にも彼女達を追う影があった。

 

 ◇

 

「よし、こんなもんかな」

 

 魔理沙はパタンと籠の蓋を閉じた。中にはぎっしりと例の赤々としたキノコが詰まっている。見てくれは何とも気味悪い。

 

「......終わりました?」

 ノタカの籠にもそれなりの数のキノコが入っていたが、どれも食欲が削がれる色や形のものばかり。とても食用には見えない。これも魔法の原料になるらしい。ノタカが大人しく魔理沙についてきたのは、もちろんキノコ目的でもあるが、派手な魔法の扱いに反して、まめな取り組みに内心感心していたこともある。

 

「ああ。そろそろ美味しいキノコの場所に行くとするか。ここからならそう遠くない」

「そうですか、やっと......」

 

 ノタカはへなへなとその場にしゃがみこんだ。

 着物の裾が濡れて変色している。

 

「ま、それはそれとして、です」

 

 ふっとノタカに生気が戻る。 

 ノタカは暗い雨に包まれた木々を猟犬のような目付きで見回した。

 

「さっきからずっと付きまとっている集団は陰奴愛派のお友達ですか? なら、いつも通りおうちにいるように言っておいてほしいんですが」

「何のことだ?」

 ノタカの様子に魔理沙は少し呆気にとられていた。

 が、すぐに察したらしい。彼女の金色の瞳に瞬時に警戒心が宿る。

「......なるほどな」

「ほーら、おいでなすった!」

 

 ザッザッと四方八方から雨音に混じって足音が鳴る。

 バフンッという音が響き、一瞬の内に2人の視界は闇に閉ざされた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十、その茸、凶暴につき(二)

 

 

「雨が......何だこれ?」

 

 

 雨がいつの間にかドロドロとした真っ黒な液体に変わった。みるみるうちに2人の視界が真っ黒に染まっていく。

 

「魔女っ娘ー? いますー?」

 

 最早、確認できるのは傘を差しているノタカの周囲だけだ。といっても光が届いていないため、結局夜間と変わらない暗さである。かろうじて手元が見える程度だ。

 

「ここだ、ちゃんといるぜ」

 

 魔理沙とノタカは一本の小さな傘に押し合いへし合いながら身を寄せた。魔理沙が八卦炉で明かりを灯す。

 

「その装置便利ですねぇ」

「だろ?」

 

 ようやくお互いの顔がはっきり見えるようになった。カッパでは防ぎきれなかったのか魔理沙の顔はところどころ黒ずんでいる。

 

「こりゃヒトヨタケの胞子だな」

 

 魔理沙は人差し指と親指で軽く液体を擦りながら言った。既に真っ黒になった自分の手を見つめている。

 

「ヒトヨタケ?」

「ヒトヨタケってのは一に夜って書いてな。名前の通り、一晩で溶けちまうキノコだ。胞子が黒いから溶けたあともこんな感じの色のドロドロになるのさ」

「で、そんなのが何でこんな大量に空から?」

「そりゃまあ、さっきの連中の仕業だろうよ」

 

 周囲を見回すが相変わらず認識できるのはお互いの目鼻の位置程度だ。

 

「この雨止められたりしないのか?」

「水は生命の源......私は液状のものは縛れません」

「よく分からんができないんだな」

「ですので、そこら中に例の光線乱れ撃ちなんていかがですか?」

 

 ノタカが唯一の光源、ミニ八卦炉を指した。

 

「馬鹿、森をめちゃくちゃにする気か」

 

 ブンブン首を振る魔理沙に、中有の道では躊躇なくぶっぱなしてたくせに、とノタカは口を尖らせた。

 

 再びバフンッという音が耳に流れ込む。

 

「今度は何だ......?」

 

「魔女っ娘! 傘を!」

 

 ノタカが傘を魔理沙に押し付けた。ノタカの髪飾りが黒い雨に打たれ大きくしなる。

 

「おい! ノタカっ!」

 

 一瞬でノタカが黒く塗りつぶされていった。

 

「念のため口を塞いでおきなさい......今度は毒の胞子が仕込まれているようです。これも雨に溶けている」

「毒、か......」

「私は何ともないですが......人間には充分でしょうねぇ」

「胞子はやっぱり止められないよな?」

「私は......生命を縛ることはできません。キノコの胞子もまたしかり」

「ふーむ、駄目か」

「ただ、仮に止められたとしても、これは縛らない方がいいでしょうね」

「どういうことだ?」

「今は雨で毒の胞子が流されていますが。縛ったり、雨が止んでしまえば毒胞子はそのまま漂い続ける。空中に毒素がとどまり続ける方が動きづらいでしょう」

 

 雨音にかき消されないよう張り上げたノタカの声だけが魔理沙に届く。

 

「雨が降り続けている限り視界は奪われたまま、雨が止めば毒が周囲に充満、さあどうします?」

 

 随分と楽観的な声でノタカは笑えないことを言う。閻魔というのはやはり人間の感性とはずれているのかもしれない。

 そして、魔理沙には、別の、新しい発想が生まれつつあった。

 

「ノタカ、まだいるか?」

「そんな急に帰りませんよ......何です?」

「お前さん、縛れないのは()()なんだよな?」

「ええ。その感じだと......何か思い付きましたね?」

「あんまり得意じゃないんだが、なっ!」

 

 

 ─コールドインフェルノ─

 

 

 魔理沙は手を上にかざした。ピキピキと音と共に冷気の魔法が放出される。

 

「凍れ!」

 

 雨が連鎖的に凍っていく。生え立つ樹木の葉をまきこみながら氷は拡がり、2人の視界から雨粒の線が消えていく。そして、薄い、しかし、大きな真っ黒な一枚氷が完成した。

 

「ノタカ、コイツを止めてくれ!」

「あーら、無茶苦茶しますねぇ!」

 

 頭から爪先までどぎつい墨色にされたノタカがニタリと笑って上を向いた。

 氷は空中にとどまる。雨が完全に止んだ。氷の屋根で暗いと言えば暗いが、何とか周りが見えるようになった。

 

 が、

 

「あら? 胞子が?」

 

 視界が靄へと変わる。黒い胞子がすぐさま補充された。これでは目眩ましが液体から煙に変わっただけである。しかし、魔理沙の中でこれは既に想定済みだ。

 

「いや、胞子が補充されたってことはまだあの連中は近くにいるってことだ」

 

 しかし、氷はとにかく薄い。

 

「私の能力で氷が割れることはないですが......どんどん溶けますよ?」

 

 雨天とは言え、もう夏一歩手前、ポタポタと氷からどす黒い雫が垂れている。

 

「それに、雨を止ませると毒胞子がとどまりますよー?」

 

 流石に識別まではできないが黒い胞子が補充されたということは毒胞子も同様に充填されたとみていいだろう。

 

「いいんだ! 雨を止ませたのは両手を開けるためと......」

 

 魔理沙はバッと傘を投げた。

 

「濡らさないためだぜ! フランの真似じゃあないが......」

 

 魔理沙は金属の籠からキノコを1つ取り出すと、ミニ八卦炉で着火し、そして、投げた。

 

「ボッとして......ドカーンだ」

 

 爆風で胞子が晴れた。光で視界が開ける。

 

 

 しかし、氷も溶け散る。チャンスは一瞬。

 

 

「今だ! ノタカ!」

「はい、よっ!」

 

 ノタカが鎖を伸ばし、視認できた影を片っ端から攻撃していく。

 

 そして、もう胞子が補充されることはなかった。

 

 ◇

 

「何だったんだコイツらは?」

 

 魔理沙のこもったような声。

 一応毒を吸わないよう口元にハンカチをあてているからだ。

 ノタカの額にはりついた前髪からポタポタ雫が垂れ続ける。

 氷はとうに砕け、2人の周囲は再度雨に包まれた。魔理沙はノタカに傘を返す。

 辺りにぐでんとのびているのは無数の色とりどりのマッシュルームヘアーの少女だった。見ればまだ子供の妖怪の群れだ。

 

「おーい、生きてるかー?」

 

 魔理沙はその内の1人をトントンとつついた。

 

「魔法の森ってこんなにキノコの妖怪がいるんですねぇ」

「いや、多分この前の幽霊騒動の異常気温で生まれた妖怪だろうな。まだ、ちっこいし」

 

 そうこうしている間に1人、また1人とむくりと少女達が起き上がり始めた。改めて見ると20人くらいはいるだろうか。

 

「で? 何で私達を攻撃したんだ? キノコの採取でも止めようとしたのか?」

 

 魔理沙が目覚めた1人に問いかけた。

 

「ううん」

 

 マッシュルームヘアーが一斉にくるくると振られる。雨がピンと跳ねとんだ。

 

「むしろ、キノコ、大事、してくれてる」

 

 ノタカは魔理沙の繊細なキノコの扱いを思い浮かべた。と、同時に魔理沙の家のさんざん足る散らかり具合もノタカの頭をよぎる。どう考えても同一人物ではない。

 

「じゃ、なんだってまた......」

「探してる、キノコ」

 

 少女のうち1人が魔理沙を指した。

 

「そのキノコ、今年、ない」

「それ、教えようと思って、ついてきた」

 

 どうやら旨いキノコというのが魔理沙が向かおうとしていた地点にはないことを伝えようと足止めを図ったらしい。ひどく強引な方法だが。

 

「場所、教える」

「ついてきて」

 

 未だ降りしきる雨の中をキノコ妖怪達はトコトコと走り出した。目覚めたばかりだというのに元気なものだ。

 魔理沙とノタカはしばらく顔を見合わせていたが、最後尾のキノコ妖怪についていくことにした。

 

 ◇

 

 しばらくして藪のわずかな隙間の前でキノコ妖怪は止まった。

 

「ついた」

「ここ」

「え?」

「ここに入るのか?」

「うん」

 

 ぞろぞろと藪の中に小さな彼女達は消えていく。

 2人も覚悟を決め、濡れた地面に這いつくばって穴をくぐった。

 

「こんなところがあったのか。私も知らなかったぜ」

 

 くぐった先は少し開けた洞窟になっていた。何より驚くべきはキノコの群生数とその種類の豊富さだ。ノタカと魔理沙はしばし圧倒された。

 

「にしても食用のキノコばっかりだな」

 

 今日2人が採取した魔法に使うキノコはここには見当たらない。

 

「キノコ、育ててる」

「里、売りいった」

「魔法の森、キノコ、皆食べない」

「もっと、色んな人、食べてほしい」

 

 少女達はすっかりしおれたような表情になった。

 

「へぇー、兎や鳥は同族を食べられるのを嫌ってたが......キノコにゃそういう奴等もいるのか」

 

 魔理沙は改めて洞窟内を見渡した。本当に様々な種類のキノコが育てられている。珍しいキノコが栽培されていることももちろん驚きの対象だが、よく見る種のものでもワンサイズ大きく立派に育っている。恐らく瘴気まみれの魔法の森のキノコというのと妖怪少女達が販売していたという理由で里では敬遠されていたのだろう。

 

 ──キノコ料理の屋台なんかさぞ繁盛するだろうなー

 

「ちょうどいい!」

 

 同じことを考えていたのだろう。

 魔理沙が自らの冗談を思い出したのと同じタイミングで、ノタカが指を鳴らした。

 

 

 ◇

 

 

「ほんとに繁盛するとはねぇ」

 

 中有の道の1つの屋台に長蛇の列があった。

 屋台の中ではマッシュルームヘアーの小さな子供達がせかせか動いている。

 様々なキノコ料理が手軽に食べられるということで、もっぱら評判で売上もうなぎ登りの屋台だ。

 といっても流石に亡者の屋台以外の売上を地獄が徴収するわけにもいかない。貰っているのは場所代だけで、店の繁盛は結局地獄の財政を助けるまでにはなりそうにない。

 ノタカ自身は着物の洗濯代でなんなら収支はマイナスだ。

 

(ま、警ら中につまめるものが増えただけでもよしとしましょ)

 

 ノタカは列の最後尾に並んだ。

 

「いらさいませー」

「何、注文、する?」

「ありがとございましたー」

 

 中有の道に無邪気なあどけない声が加わった。

 雨の日の外出も悪くない。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十一、ツイン・ヤマラージャ(一)

 是非曲直庁──死者を裁き、その魂の行き先を振り分ける閻魔、そして、罪人を痛め付け、償わせる鬼神からなる組織だ。地獄に存在する数々の勢力のうち最大級のものの1つだ。

 閻魔は各々が配属された裁判所で亡者を日々、裁き続けている。

 そんな地獄のある裁判所で、カツ、カツと廊下を歩く者がいた。生半可に明かりが灯っているせいで余計に荒涼とした雰囲気が醸し出されている。足音は観音開きの厳重に閉ざされた扉の前で止まり、その無愛想な扉を叩く。鈍い金属音が響いた。

 

「時間だ。そろそろ出発しよう」

 

 鈍い真鍮色の髪をもつ片眼鏡の人物が氷のように冷ややかなその扉に呼び掛けていた。が、何の反応も返ってこない。

 

「おい、どうした? 聞こえるか?」

 

 ただ、荘厳で静かな廊下に扉に跳ね返された声が反響するだけだ。

 

「......入るぞ?」

 

 表情自体が大きく崩れることはない。しかし、応答がないことに、目の奥底には戸惑いを浮かべながら、その人物はぶ厚く重いドアを開いた。尻尾を踏まれた猫が鳴くような軋む音が壁に吸い込まれていく。

 

「......やられた」

 

 数分後、部屋から出てきた片眼鏡の女はギリギリと唇を噛んでいた。

 

 

 ◇

 

 彼岸──中有の道を通り、三途の川を渡った先に1人の女がしゃがみこんでいた。名付けようのない寂しさにとらわれたあの世と呼ばれる場所で彼女はある人物を待っていた。

 味気ない色の景色が視界いっぱいに広がる。もっとも、今のノタカの気分では心震わす絶景すら同じようにモノクロにしか見えないかもしれない。

 彼女の背後、彼岸と現世を分かつ三途の川の水面が輝いた。お伽噺の木こりの泉のようにそこからグーッと人が出てくる。ノタカは振り返った。その先に誰がいるかは分かりきっている。

 

「何ですか、ミラ」

 

 相変わらずの仏頂面が川から覗いていた。

 

「いい知らせと悪い知らせ、どちらから聞きたい?」

 

 本物の木こりの泉のように水面から半身だけ出したままミラは2択を迫ってきた。といっても本家と違ってノタカに正直者に与えられる第3の選択肢はない。

 

「......悪い方からで」

「例の2人がここに視察に来るという話だが」

「ええ、もちろん分かってますってば。今日になったんでしょ? だからこうやってお出迎えを......」

 

 若干期待に潤んだ眼でノタカはミラを見た。

 

「まさか中止になったり?」

「してないな」

 

 余りのミラのきっぱりとした口調にノタカは大いに落胆した。

 

「はあ......じゃあその段取りが決まったとかそんな話ですか?」

「いいか、落ち着いて聞け」

 

 ノタカには落ち着いて聞け、という言葉をミラが自分に言い聞かせているように見えた。表情や言動には出ていないが、どこか変な焦りが感じられる。

 

「あの2人、既に入ってしまった可能性が非常に高い」

「入った? どこに?」

「幻想郷」

「何ですって?」

 

 ノタカは稲妻のように迅速な驚愕を目に表した。

 

「......そのままの意味だ。迎えに行ったら2人の部屋がもぬけの殻だった」

「散歩とかじゃ......」

「机の上にこれがあった」

 

 ミラは川辺に近づいた。ノタカもそれに倣って川の方へ歩み寄る。ミラは1通の書き置きを見せた。

 

 ──待てないのでもう行きます。

 

 ノタカは苦虫を噛み潰したような顔になった。

 

「で、私にどうしろと? まさかとは思いますけど......」

「取りあえず見つけ出して私に連絡をくれ。恐らく幻想郷の中にはいるだろう」

「......ああ、やっぱりそうなるんですね」

 

 幻想郷がいかに限られた空間とは言え、この全土を舞台に人探しは三途の川に沈んだ六文銭を見つけ出すようなもの、つまり、無理難題だ。ノタカは天を仰いだ。冥府の寒々とした風が嘲笑うように吹いている。

 

「......で、いい知らせってのは?」

「何も1人で捜させるつもりはない」

「あ、結局ミラも来てくれるんです?」

「以前言ったろ。私はこれから2人の代行だ」

「え? じゃ、誰だ」

「非番の閻魔と1人、連絡がついた」

「へぇ、非番なのに働く物好きもいるんですねぇ。誰です?」

「もう到着する頃だろう。じきに分かる。私は仕事があるのでそろそろ戻らねば。健闘を祈るぞ」

 

 まくし立てるように言い残すとミラはせかせかと三途の川に沈んでいった。三途の川が発光をやめ、透き通った水中には既に絶滅した古代魚が元気に泳ぎ回っているだけだ。

 

 ノタカは変わらず待ち人のままだった。

 

 ◇

 

 ノタカの隣にスッと1人並んだ。

 足音だけでも生真面目さが滲み出ている。

 右側だけやや伸ばした緑のショートヘアー。その上には装飾が施された冠がちょこんと乗っかり、紅白の長いリボンが垂れている。

 

「久々ですねぇ、映姫。いや、役職名でお呼びした方がよいですか、ヤマザナドゥ様?」

 

 幻想郷の閻魔 四季 映姫・ヤマザナドゥはノタカからすれば"クソ真面目"な閻魔だった。

 

「久々なのはあなたが是非曲直庁の新年の集会をサボったからよ」

「いや、月からだとほんと遠いんですって」

 

 とはいえ全く融通がきかない石頭なわけではない。むしろ宴会などの行事や集会の出席率はノタカより断然いい。

 

「いいですか。そもそも新年の集会というのは気持ちを新たに清々しく......」

 

 ただ、楽しむための行事にも形式上掲げられているだけの意義を全力で尊重する。だから"クソ真面目"なのだ。

 

「ああ、もう分かりました、分かりました。来年はちゃんと出ますって」

 

 そして、ノタカはじろじろと映姫の頭から爪先まで視線を送った。

 

「にしてもあなたよく非番の日にまで制服着れますね」

「常に閻魔としての肩書きを背負っていることを忘れず、その名に恥じぬよう行動するためです。それに、今日は緊急事態。非番と言えども普段の業務となんら変わりない。あなたこそ制服はどうしたの?」

「私はそんな足出せないですよー」

 

 映姫は膝上まで露出した自分のスカートとスリットが入ったノタカの着物とを見比べた。何が違うのかさっぱり分からない。

 

「......本題に入りましょう。大方ミラ様からお話は伺っています。何事かと思いましたがあなたが来ていたとは......これで合点がいきました」

 

 ギロリと映姫の翠の瞳がノタカに突き刺さる。思わずノタカは後退りした。

 

「で、今度は一体全体何をやらかしたというの?」

「わ、私は何もやってないですよ!」

「嘘おっしゃい! 私がヤマザナドゥに就任してからはや幾年......一度もこんな事態にはならなかった! あなたが来た途端にこれです! いい機会です。あなたには常日頃言いたいことが沢山......」

 

 映姫がくどくど説教を垂れかけた。このままだと立っていられなくなるほどの時間が流れてしまう。

 

「ちょっとちょっと、今はそんな場合じゃないでしょう?」

 

 自分から本題に入って自分で本題からそらそうとする映姫を慌ててノタカが遮る。危うく正座させられるだけで1日が終わるところだった。

 

「......そうね、今はひとまず置いておきましょう」

 

 ノタカは安堵でため息とともに瞳を閉じた。

 

「じゃあ、早速捜しに行きましょうか」

「何か策が?」

「こちとら、伊達にここ最近人里をうろうろ巡ってた訳じゃあないんですよ」

 

 ノタカは懐から紙切れを1枚取り出し、映姫に手渡した。ズラリと文字が羅列されている。

 

「今日ご案内する予定だったあのお二方が好きそうな里の店一覧です。1軒ずつ潰していきましょ」

「......里以外は?」

 

 ノタカは両手を上げ、首を振った。

 

「里以外にあの方達が食いつきそうな場所は見当たりませんけどね。ま、そうなったら目撃証言に賭けます。どうせ目立つ方々ですし」

 

 2人の長い1日がこうして始まった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十二、ツイン・ヤマラージャ(二)

「いやー、いつ食べてもこんにゃくって何て美味しいノネ」

 

 人里の外れの小さな定食屋。太陽はまだてっぺんに昇っていない。やや古臭い雰囲気の店ながらもそれなりに客が入っており、二人しかいない店員がせわしなく切り盛りしている。太っている方が店長のようだ。狭い厨房であちこちにそのでっぷりとした腹をぶつけながらしきりに汗を拭っていた。

 そんな中、ひたすらこんにゃくだけを頼む少女が2人いた。もうそれぞれ10枚目、2人合わせて20枚をたいらげている。

 

「お客さん、注文はありがたいんだが他にはいらないのかい?」

 

 流石に疑問に思ったのだろうか、両の手に11枚目を運んできた店員が尋ねた。その顔にはありありと苦笑いが浮かんでいる。

 

「いいノネ」

「いいヨ」

 

 2人は満足げに皿を受けとった。気のせいか彼女達の肌もこんにゃくのように灰色がかっているように見えてきた。それほどまでの食べっぷりだ。

 いただきまーす、と少女たちが大きく開けた口に不器用な箸さばきでこんにゃくを持っていこうとした時だった。

 悲鳴と共に店が大きく揺れる。

 店の奥で食器棚でも倒れたのか、店内に皿が割れる音が鳴り響く。

 

「強盗だあー! 早く逃げろー!」

 

 店内から怒号が飛んだ。場の空気が一瞬で凍りついた。得物を持った黒ずくめの男たちが続々と店に雪崩れ込む。

 

「逃げろったってどうすれば......」

 

 客の一人が腰を抜かして呟いた。

 先程の揺れで外れた店の扉の向こうに1人の男の巨大な体躯がちらつく。店の入口は塞がれた。

 

「勝手に動くなよ」

「早く有り金みんなよこしな!」

 

 店内の全員に絶望の2文字がちらつく。客たちは次々に財布を投げ出し始めた。男たちは刃物をちらつかせ、店内の人々を隅へと追いやった。犯人たちは4人組らしい。最もがたいのいい1人が入り口に立ち塞がり、2人が店内の物色を始め、1人が人質を脅していた。

 主人は刃物を突きつけている1人に飛びかかった。2人はもんどりうって床に勢いよく倒れこむ。

 

「何、しやがんだ、てめぇ......」

「裏口!」

 

 主人が叫ぶと従業員が先導する。客たちが全員我先にと裏口へと殺到した。

 つまずいてこける者、何やら叫ぶ者、まさに阿鼻叫喚だった。が、一瞬の隙をついて人々は逃げ出した。

 主人が男を抑え込みながら、従業員へと呼び掛ける。

 

「お前も先に逃げろ!」

「旦那は!?」

「あの嬢ちゃんたち連れて後から行く!」

 

 2人の少女がまだ席に座っていた。持っている箸が小さく震えている。物色をしていた男の1人が騒ぎに気づき、主人を刃物の男からようやく引き剥がした。

 

「この野郎! よくもやりやがったな! 次はねえぞ! さあ、吐け! 金はどこだ!?」

「か、金なんてうちには......」

 

 男は刃物を再び主人へと突きつけた。先ほどよりもその切っ先が近い。

 

「早くしねえと自警団の連中が来ちまうぞ。何のためにこんな里の外れのしみったれた店狙ったか分かりゃしねえ」

「だから、俺は営業中に襲うのは反対だったんだ。それをお前が客からも金をとれるって言い張って......」

 

 言い争いを始めた男たちは、全員で物色を始めた。主人は残っている少女のもとへ駆け寄った。今なら入り口も空いている。

 

「嬢ちゃん達も、早く逃げな!」

 

 主人は少女たちが恐怖のあまり震えていると思い、優しく背中をさすった。

 

「こ、こんにゃくが...床に」

 

 少女は今にも泣き出しそうな声で振り向いた。

 

「え? こんにゃくだって?」

 

 少女の声に主人が足元に目をやる。するとまだ手付かずの2枚のこんにゃくが床にベッタリとついていた。さっきの揺れで掴み損ねたのだろうか。

 

「バカ野郎! そんなことより命が大事だ! こんにゃくなんて店が残ればいくらでもまた食べさせてやるから!」

 主人の焦りと呆れが混ざった説得がされる間に、男たち全員がこちらへ戻ってきた。

 

「駄目だ! やっぱあのデブ痛め付けて金の場所吐かせる方がはええ!」

「ああ、それもそうだな」

 

 少しずつ乱暴な足音が近づいてくる。

 しかし、少女達はニヤリと笑った。

 

「こんにゃくをいくらでも......? その言葉、忘れるなヨ」

「嘘をつくと閻魔に舌を抜かれるノネ」

 

 主人は背筋がぞくりとした。

 

「まさか君ら、強盗に立ち向かうつもりじゃないだろうな!? 自殺行為だ! 命あっての物種だぞ!」

「おや、分かっているノネ」

「なら、早く逃げなヨ」

 

 そう言いながら2人はスタッと立ち上がった。男たちの姿が見えた。主人は震えながらも2人のの肩を掴んだ。

 

「と、とにかくあんたらが死ぬことはない! 早く逃げな!」

「はいて捨てるほど輪廻転生は見てきたノネ」

「死は今さら恐れるものでもないヨ」

 

 力強い言葉とは逆に振り返った2人の顔は笑っていた。

 

 今にも主人に突っ込んで行きそうな男たちの進路に少女たちはのらりくらりと立ち塞がる。

 その瞬間、地響きが頭のてっぺんまでビリビリと伝わる。

 同時に男たちの荒々しい鼻息が、せわしなく幾重にも重なって聞こえる。

 

「何だ? クソガキ共?」

「......クソガキじゃねーヨ」

「少なくともお前たちよりはナ」

「どきな、俺たちは後ろのおっさんに用があるんだ」

 

 主人と少女たちをぐるりと4人の男が取り囲む。

 

「どうやら話し合いで解決は出来なさそうなノネ......」

「恨みっこなしヨ?」

「......なめくさりやがって、こぉのガキが──っ!」

「もう子供なんて関係あるか! どかねえってんならてめえらからやったらあ!」

 

 男は各々の得物を振りかざし一目散に3人へと突進していく。埃であっという間に3人は見えなくなった。

 

 ◇

 

 人里のある飲食店に泥棒が侵入したとの知ったのはつい先程のこと。上白沢 慧音はそこから逃げてきた客にたまたま出くわし、現場へと向かっていた。

 

「1人や2人ではないな......」

 

 こんなに日が高いうちから少数で営業中の店に忍び込む馬鹿はいまい。十中八九無理矢理金を奪おうとする強盗だ。大方客がいてもついでに金が盗れれば御の字だとでも考えていたのだろう。

 里は妖怪が跋扈する幻想郷で人間の安全が確保された唯一の場所だ。狭いコミュニティ故に、悪事は一瞬で露呈する。そのためか、人間による単純な悪行は少ない。が、根っからの悪人はどこにでもいるものだ。

 角を勢いよく曲がると目的の店が見えた。店内の人影が3つ、目に入った。その内2つはまだ子供らしい。

 

「今、助け......る?」

 

 すぐさま駆け寄るが足に何かぶつかった。黒い服の男たちが4人周囲にひっくり返っている。

 そして、口をあんぐり開け、へたりこんだ大柄の男性。慧音も知っている、この店の主人だ。

 

「何が......どうなって......」

 

 ひょっとすると手遅れだったのか。既に4名がやられ、犯人は逃げてしまったのだろうか。そんな悲観的な考えは店の主人によって断ちきられた。

 

「け、慧音さん。強盗は皆......何が何だか」

 

 転がっている黒服を指して主人が辛うじて声を絞り出した。

 そんな4人の男たちは2人の少女を中心に皆一様に倒れている。少女たちはそれぞれの服に付いた埃を払っていた。

 

「怖かっただろう? もう大丈夫だ。すまないが少しだけ話を聞かせて...っ!?」

 

 慧音が少女の肩を優しく叩いた時だった。

 凄まじい力を感じ、思わず手を引く。自ら引いたというより弾かれた、と言った方が正しいのかもしれない。

 

「やはり、あなたたちが......やったのですね?」

 

 疑問が確信へと変わった。

 間違いなくこの小さな少女2人が大の大人4人を相手どり、全滅させたのだ。もとより、幻想郷において外見と実力は比例しない。

 

「あ、この者たち、気絶させているだけなノネ」

「縛るなり里の外に摘まみ出すなり、した方がいいヨ」

 

 少女たちは人さし指をたてるとひょうひょうとした口調で返してきた。愛らしい見た目とは裏腹に物騒なことをさらりと言う。

 

「あ、ああ......? 申し訳ない」

 

 感じとった力に身構えていたが、少女の態度とのちぐはぐさに思わず拍子抜けした。体の緊張が解けていくのを感じる。

 2人は悪戯っぽく微笑む。片方は烏の濡れ羽のような漆黒の髪、もう1人は絹のような真っ白な髪、さらさらと揺れた。

 

「名前を......教えて頂けませんか?」

 

 慧音のごくごく普通の問いに少女たちはそろって顎に手をあて、暫く考え込む仕草を見せた。

 

「......名前、と呼べるようなものではないのかも知れないノネ」

 

 前置きの後、少女はゆっくりと口を動かした。

 

()()()......人は私達をそう呼ぶヨ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十三、ツイン・ヤマラージャ(三)

「で、この中からどこにするのです?」

 

 映姫はノタカから渡されたリストとにらめっこをしていた。そこまで広くはないとは言え、人里は幻想郷中のほとんどの人間が集まる場所、リストアップされた店もそれなりの数だ。

 

「まずは、おでんの店です」

「おでん?」

「あの2人、こんにゃくに目がないんですよねぇ」

 

 映姫も宴会で刺身こんにゃくばかり貪るように口に運び続ける2人の姿を目にしたことを思い出した。

 

「今回、一体何で幻想郷に来ることになったのか、何で2人ともおいでになったかは存じ上げないですけど、まあ、来るなら絶対こんにゃくは食べるだろうと踏んで目ぼしい店を見繕ってたんですよ」

「でもおでんをこの時期やっているところなんて......」

 

 季節は夏。日増しに黄色く強くなる太陽の光と熱々の煮物との相性は水と油、よろしくない。当然ながら今はおでんにふさわしい時期ではないのだ。

 

「あったんですよ! それが! 一軒だけ!」

 

 ノタカはリストの真ん中辺りを誇らしげに人差し指の関節で叩いた。

 

「普通のおでんはもちろん、夏期は冷製おでん、なんてのもやってるらしいです」

「へぇー、変わった店もあるものねぇ」

 

 映姫は少し感心した。よく見つけ出したものだ。

 

「夏場だと逆に絞り込みやすくて助かりましたよ」

「でも......いくら好きだからってほんとに来るかしら?」

「あの2人なら確実にどこかでこんにゃくに手を出します。どのみち、これくらいのヤマ張らないと会えないでしょうし。さ、行きましょうか」

 

 スタスタと歩き始めるノタカを映姫は慌てて追った。

 

 ◇

 

「ここ、ですか」

 

 ノタカと映姫がまず向かったのは、何とも言えない普通の佇まいの店だった。

 映姫ががらがらと扉を引き、2人は入店した。たちまち鼻の中に、出汁のよい香りが潜り込み、胃袋を揺さぶる。

 

「いらっしゃい! お2人で?」

 

 愛想のよい店員の挨拶が聞こえる。

 入って右手のテーブル席は誰もいなかったが、左手のカウンター席には何人か客がいた。

 

「いえ、我々は食事をしに来た訳では......」

「ん?」

 

 途端に映姫を見る店員の目が猜疑心に満ちたものへと変貌する。ただでさえ、里の一般的な格好ではないのに、飲食店に入るなり食事が目的ではないと言い出すのだ。無理もあるまい。

 

「何事だい?」

 

 店内の客も一斉に興味を示し始めた。ややこしいことになる前に手短に用件のみを伝える。

 

「人を探しているのですが......黒髪と白髪の少女2人がこちらへ来ていないかと」

「いや、見てないねぇ。お前見たか?」

「何です?」

「女の子2人だってよ。黒い髪と白い髪らしい」

「いや、僕も知らないっすね」

「てな訳だ。多分うちには来てねえな。迷子かい?」

「いえ、そういうわけではありません。お邪魔をしましたね。失礼します」

 

 何の手がかりもなさそうな雰囲気に少々がっくり来ながら映姫が引き払おうとした時だった。

 カウンターの一番奥の客が映姫の目に入った。赤髪のツインテールの女性が昼間だというのに顔を赤くしていた。

 

「小町!?」

「きゃん!?」

 

 大型犬に吠えられた子犬のような悲鳴。頭の両側で赤い髪が大きく揺れる。

 

「し、四季様!? ど、どうしてこちらに?」

 

 小町がオロオロしながら立ち上がった。服の裾に引っ掻けた箸が宙を待って床に落ちる。

 映姫の後ろからずっと様子を伺っていたノタカが覗く。

 

「あら、こまっちゃん?」

 

 小野塚 小町──三途の川で船頭として勤めている死神で、映姫の直属の部下である。陽気さと多少のサボり癖を備えた性格の持ち主だ。

 

「え? まさか......斑尾様? お久しぶりですね!」

 

 小町もノタカに気づいた。

 

「元気してました?」

「ええ、まあ。ご覧の通りで」

 

 ノタカは小町が座っていた席に飲みかけの酒を見つけた。

 

「こんな時間から飲んでるんですか? こまっちゃんの困ったちゃん振りも相変わらずですねぇ」

「それ言ってるの斑尾様だけですよ」

「えー、何でですか? 語呂良くて可愛いじゃないですか、ねえ、映姫?」

「いいから早く店を出なさい!」

 

 キャッキャと再会を喜ぶ2人を映姫の声が追い立てた。

 

 ◇

 

「えーっと、次はっと」

 

 次なる目的地を思案する一行には赤髪の死神も加わっていた。

 

「あのー、何であたいも? それに四季様はまだ分かるんですけど......何で斑尾様が?」

「色々あるんですよ、地獄も」

「あたい今日非番なんですけど......」

「いいですか、小町。あなたは少しずぼら過ぎます。昼間から飲むのはあまり好ましいとは言えません。といっても、私はあなたの休日の過ごし方までとやかく言うつもりもありません」

 

 映姫にしては軽めの説教で済みそうだったのだが、次の一言からがらりと語調が一変した。

 

「あの店の主人に聞きましたよ。あなた、一昨日もあの店にいたそうですね」

「え? ええ、それが何か......」

 

 ハッと小町の顔がひきつった。みるみるうちに顔の血の気が引いていき、青ざめていく。

 

「一昨日は当番だったはずなのですが?」

 

 凄まじい怒りが映姫の眉の辺りを這った。

 

「あー、いや、そのー」

「問答無用です! その分今日働いてもらいます!」

「ひぃ! すみません!」

 

 映姫に平謝りする小町。ノタカも幾度となく見かけた。何度も見かけるのはおかしいはずなのだが。

 

「いやー、懐かしい光景ですねぇ」

「人が怒られてるのを懐かしまないでくださいよ......」

 

 うんうん、と1人頷くノタカに小町が苦言を呈した。

 

「......で、結局何事なんですか?」

「こまっちゃんにどう説明したものかねぇ」

「いい、小町? よく聞きなさい。我々の所属する是非曲直庁のトップが誰なのかは知っていますよね?」

「もちろん。十王の方々ですよね」

 

 十王──輪廻を司る是非曲直庁の創設者である10人の王。最初は死者は10人の王に順に裁かれていた。が、次第に死者を裁ききれなくなり、全国の地蔵菩薩から人員を募り、さらに、一審制に切り替わった。その際、十王は最も権力のあった閻魔王の名を全員が名乗り始め、今に至る。

 

「今、その十王の一角がここに来てるって聞いたらピンと来ますか?」

「えーと、あたいはよく分からないんですけど......やっぱりヤバいんですか?」

「ええ」

「割りと。まあ、それ自体はともかく問題はその十王の方々が行方不明ってことですよ」

「そういう訳で私たちはお探ししているのです」

「こまっちゃん、朝からあの店にいたんでしょう? 何か噂とか聞いてないんですか?」

「さあ、あたい飲んでたもんで......」

 

 顔を赤らめて小町は笑った。照れているのか酔いがまだ覚めていないのかよくわからない。

 

「噂っていうと......今日里の外れの店に強盗が入ったとかそのくらいですかね」

「へぇ、意外と里も物騒なんですねぇ。何が狙われたんです?」

「いや、それが......居合わせた2人組の少女が強盗を撃退したって......関係ないか、アハハ」

「その店、何の店です!?」

「え? 多分......普通の定食屋だと思いますけど。あ、でも、こんにゃく料理が有名ですよ」

「え?」

 

 ノタカがリストを凝視した。

 

「この店です! 映姫!」

 

 ノタカはリストの真ん中より下辺りを指した。

 

「こまっちゃん、場所は分かっているのですよね!?」

「え、ええ、まあ」

「小町、私達を連れてそこに行きなさい!」

「え?」

「早く!」

「は、はいっ!」

 

 小町が一歩踏み出すと3人はその場から消えていた。

 

 ◇

 

 三途の川は死者によって川幅が変わり、渡し賃も変動する。その川幅を現在地と目的地の距離を弄る能力で、変えているのが小町たち船頭の死神である。

 小町の能力で3人はすぐさま件の定食屋へと到着した。

 扉が外れ、店内が丸見えになっている。何かしら騒動があったのがはっきり見てとれた。

 

「お、姉ちゃんじゃねえか、一昨日以来かな?」

 

 散らかった店内を掃除していたふくよかな男性が小町を見つけると、気さくに話しかけた。

 

「ひ、人違いじゃないかなー?」

 

 小町は背後の得も言われぬ威圧感に伏し目がちになった。

 

「ハッハッハ、何の冗談だい。姉ちゃんみたいな目立つ人見間違えたりしねぇよ」

「こーまーちー?」

 

 小町の全身がガチガチにこわばる。吹き出る汗は夏の暑さが理由ではない。

 

「あなたには後でたっぷりと話があります!」

「はい、四季様......」

 

 ポッキリ心が折れた常連を、営業していない店に落胆したと捉えたのか男性は小町に謝った。

 

「折角来てもらったところ悪いんだが今日はもう店仕舞いなんだ」

「えらく荒れてますねぇ」

 

 ノタカはひょいと店内を覗きこんだ。わずかに見える厨房の床にはおそらくもとは料理をのせていたであろう、白い破片が見えた。

 

「ああ、ちょっと強盗にやられちまってな。何でまたこんなへんぴな所が狙われたのやら」

「あらあら、それは災難でしたねぇ。ご無事で何より」

「本当だよ、全く。扉が壊れたり、皿なんかは割れちまったが、結局何も盗られちゃないしなあ。これもあの女の子たちのお陰だな」

「ほう、女の子?」

 

 既に知っている情報に対して、実に白々しくノタカが聞き返した。

 

「ああ、よく分からんが強盗に襲われた時に2人の女の子が助けてくれたんだよ」

「もしかして、その女の子たち、バカみたいにこんにゃくばかり食べたり?」

 

 バカみたい、と言ったところで映姫がノタカを軽く小突いた。

 

「あ、そうだそうだ。こんにゃくのステーキばっかり注文してたな。変わった子達だったよ」

「こんにゃくの捨て液? あの人たち遂にそんなものまで飲みだしたんですか?」

「......ステーキ、素材を切ってそのまま焼いた料理のことです」

「斑尾様......まだ横文字苦手なままなんですか?」

 

 どうでもいいところで引っ掛かるノタカに2人は呆れ果てた目を向けた。ノタカはちょっとした屈辱感で体が小刻みに震えているのに気づいたが、咳払いを1つすると構わず続けた。

 

「もしやその2人、黒髪と白髪だったり?」

「そうそう......ってもしかしてあんたらあの娘たちの知り合いかい? だったらお礼を言っといて欲しいんだ。......いつの間にかいなくなってたもんでなあ」

「では、次にどこへ向かったかまでは分かりませんか?」

 

 映姫の問いにうーん、と呻いた後、男性はピッと人差し指を伸ばした。

 

「里の中心の方へ歩いていった気もするがなあ......」

「里の中心......こまっちゃん!」

「はい!」

「次はこの甘味処です!」

「ありがとうございました」

「あ、ああ」

 

 店長が戸惑いながら映姫のお礼に答えた頃には既に3人とも消え去った。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十四、ツイン・ヤマラージャ(四)

 

 里の中心部──様々な店が立ち並び、多くの人が行き交う活気に満ち溢れた場所だ。先程の里の外れの店付近とは違って人目も多い。幻想郷が異能に慣れた環境とはいえ、目の前に突然人が出現すれば流石にちょっとした騒ぎになる。小町たち3人は暗い裏路地へと瞬間移動し、表通りへと顔を出した。

 すぐ左手には目的地である人里有数の甘味処。ごく最近開店した店舗ながら、店外にまで続く長蛇の列から盛況ぶりがうかがい知れる。

 

「斑尾様、あのー、ちょっとお尋ねしたいことが」

「ん、なんです?」

「どうしてここなんですか?」

 

 ただ、小町はノタカが示した紙に書いてある店の近くに、よく分からぬままワープしただけだった。

 

「そうですねぇ。ご飯食べたあとですし、甘い物が欲しくなることでしょう。で、里の中心に向かったのならば、この、甘味処に来るんじゃないかとね」

 

 ノタカはビシッと看板を指した。ガラス張りの店は白いモダンテイストの雰囲気が洒落ている。

 

「でも......甘味処なら他にも沢山ありますよ?」

 

 小町は周囲を見渡した。ざっと目につくだけで5軒はある。どれも里に住んでいる訳ではない小町ですら耳にしたことがあるほどの有名店だ。まあ、里に住んでいないだけで里にはよく出没するが。

 

「いやね、その閻魔王様ってのがこんにゃくが大好きなもんで。ここは、何でも玉こんにゃくを使った商品が評判とのことで」

 

 よくぞ聞いてくれたとばかりにへっへっへと笑いながら解説をするノタカ。

 

 しかし、小町はすぐにノタカの勘違いに気づいた。映姫もそのことに気づいた様子で複雑な表情で眉を寄せた。

 

「斑尾様......それ、こんにゃくじゃなくて多分、タピオカですよ」

 

 小町たちが来たのは最近できたタピオカドリンクの店だった。

 

「え? 違うの?」

 

 ノタカはきょとんとしている。やはり分かっていなかったようだ。

 

「まあ、近いっちゃ近いですけど......別物ではありますね」

「えー、まさか振り出しですかー?」

 

 ノタカは落胆を隠せない虚ろな目で首筋をぼりぼりと掻いた。

 しかし、店内を眺める映姫の様子がおかしい。いつも以上に真剣な眼差しになっていた。

 

「 ......いや、そうでもないようですよ」

 

 映姫がボソリと呟いた。

 ガラス張りの壁、映姫の真っ直ぐな視線の先には向かい合って座る一組の少女たちがいた。

 

「あれが......閻魔王、様?」

 

 小町にはそのようには見えなかった。何の変哲もない2人の少女だ。が、映姫やノタカの反応を見るに間違いないのだろう。

 

「ええ、ついに見つけた......!」

「けど、流石にあの列掻き分けて入る訳にはいかないですよねぇ」

 

 1ヶ所しかない店の出入口は相変わらず人でごった返している。

 

「こまっちゃん、中に皆で飛びましょう」

 

 ノタカが店内を顎でしゃくった。中には3人がワープできるほどのスペースはある。

 

「騒ぎになりませんかね?」

 

 しかし、店の座席は全て埋まっており、人の視線は網目のように張り巡らされている。穏便に中に入れるかは怪しい。かといって人の目を遮るような場所、例えばトイレに3人も入れるとは思えない。

 普通他の客がどんな容姿だったかなどいちいち覚えていない。入る瞬間を見られさえしなければ先程までいなかった人物がいたとて不自然に思われることもないだろう。

 小町が考え込んでいるとノタカが不適な笑みを浮かべた。

 

「木を隠すなら森の中、騒ぎを隠すなら大騒ぎの中、ってね」

 

 パチンとノタカが指を鳴らした。

 空いた器を下げていたウエイターが急によろめいた。小町には一瞬ウエイターの靴が地面に張り付いていたように見えた。

 トレーの上のガラスの器が数個、バラバラと宙を舞い、地に叩きつけられる。

 

「こまっちゃん、今です」

 

 戸惑いながらもすかさず小町は3人の肉体を店内へと入れた。

 ゴンッと大きな音が数回響く。

 店内の全員が音に反応しそちらを向いた。誰も見ていない、死角が一瞬生まれる。

 

「あなたという人は......」

 

 映姫が微妙な顔をノタカに向けた。

 

「ご心配なく」

「も、申し訳ありません! ......あれ?」

 

 派手な音の割にガラス片が床に飛び散る──といったことはなかった。不思議そうに、しかし、ほっとしたようにウエイターは無傷の食器を拾い上げ、その場を後にした。

 

「ちゃーんと割れないようにしてありますよ」

「そういう問題ではないのですが......」

 

 ノタカの下手なウインクに鼻を鳴らしながら、映姫は2人の元へ歩み寄った。小町も恐る恐る映姫とノタカの後ろからついていく。座席に向かい合ってちょこんとすわる2人の小柄な少女。1人は短めの黒髪を後ろで1つ結びにしている。もう1人の白髪の少女はショートボブだ。見た目は小町たちよりも一回り小さな少女、どちらも一見して閻魔王と分かるものはいまい。実際、小町は未だ半信半疑であった。

 

「お食事中失礼致します」

「あら、アナタは......新年の挨拶以来かしらネ、四季 映姫・ヤマザナドゥ」

 

 薄めた墨汁のような灰色の4つの瞳が映姫たちの方を見つめた。何だか実感は湧かないが、偉い人に見られたと思うと小町の体は自然と強ばった。

 

「はい」

「今日はあなたは非番のはずだヨ?」

 

 黒い髪の少女の方が口を開いた。

 

「ええ、しかし、ミラ様から閻魔王様にお供するように、とご指示たまわりました」

「それはご苦労様だったネ」

「いえ」

 

 淡々と答える自分のボスに小町は内心舌を巻いた。流石の落ち着きぶりだ。

 

「そして......久しぶりネ。斑尾 ノタカ・ヤマ××」

「アハハ、ほんとお変わりないようで何より」

 

 頬に凍りついたようなバレバレの愛想笑いでノタカが返した。映姫とは真逆の人間臭い反応は逆に小町を安心させた。

 

「で、もう1人は......」

 

 今度は4つの眼が小町の顔を見上げた。

 

「あたい、じゃなかった私は四季様の部下で、死神の......」

「小野塚 小町、ネ」

「え? は、はい。そうです」

 

 小町は自分が口にするはずの名前を相手に言われて面食らった。もしかしてどこかで会ったことがあったのだろうか。あれこれと過去を掘り返してみるが小町の記憶には一向に目の前の2人は見つからない。

 焦燥の中の小町の前で2人が笑い始めた。

 

「そんなに焦らなくても初対面だヨ」

「私たちが是非曲直庁の中で知らないことなんてないのネ」

 

 白髪の閻魔王がこめかみの辺りを人差し指でトントンと叩いた。

 

 

 ◇

 

 

 前方を映姫と2人が談笑しながら歩く。ノタカと小町はその背後をのそのそついていく。

 

「やけに斑尾様が沈んでたからもっと怖い人なのかと思ってましたよ」

 

 いきなり名前を呼ばれた時にはドキリとしたが、あれから軽く里を廻っただけで特に何も起きてはいない。 小町が笑顔でノタカに話しかけた。もう映姫の説教以外の肩の荷は降りたといった感覚だ。あわよくばその説教のことも有耶無耶に、とも願うが、あの上司にそんなことは通じまい。

 

「いや、私が渋ってたのは別に御二人と顔を合わせたくなかった......というわけじゃあないんです。むしろ久方ぶりにお会いできてよかったですし」

「ふーん、まあでも今日は取りあえず一件落着じゃないんですか?」

 

 今向かっている先は彼岸、つまり帰り道だ。

 

「いや、まだまだ気を抜けません。遠足は無事に帰るまでが遠足なのです」

「ん?」

 

 小町はノタカの発言の意味が理解できず、聞き返そうとしたがすぐに別のことに心奪われた。

 

「へえ、今日は......夏祭りだったのか」

 

 通りの人混みが増し、綿菓子に顔をうずめたり、お面をつけたり、金魚を片手に親と飼う飼わないでもめる子どもたちが目に付き始めた。きっとこの先には華やかな屋台が立ち並んでいるのだろう。小町も思わず懐の小銭の数を確認する。

 

「ほう、祭りだネ......」

 

 そんな賑やかなお祭りの雰囲気に反してノタカの顔色がみるみるうちに悪くなっていった。映姫も何か狼狽したように体が揺れた。ノタカはともかく常に冷静沈着な映姫がうろたえるのは珍しい。

 

「映姫!」

「分かってます!」

 

 映姫が閻魔王の方へと伸ばした腕は2本ともむなしく空を切った。

 

 

「楽しくなってきたヨ!」

 

 紐で引っ張られたように2人の閻魔王が駆け出した。

 

「あっ、ちょっと、お待ちください!」

 

 小柄な少女の姿はこの人の流れの中では簡単に消え去る。針に糸を通すようにするすると人の間を抜けていき、あっという間に見失った。

 

「ああ、だから嫌だったんですよ! この仕事!」

 

 映姫とノタカが何とか追おうとするが、人混みはどんどん過密になっていく。小町は一連の流れを他人事のように見届けたあと、全てが振り出しに戻っていることに気がついた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十五、ツイン・ヤマラージャ(五)

 目の前を行き交う人々。皆嬉々として祭りを楽しんでいる。その脇でノタカは暗い群青色の頭を抱えていた。

 何がまずいかと言うとここが中有の道であることだ。つまり、ノタカの仕事場であり、ここを見てまわられるということはこの幻想郷巡りが本当に視察と化しているということを示す。

 挙げ句ノタカの小屋には例の新聞が未だ放り投げてある。あそこに入られても終わりだ。普通の人ならばあんな小屋見向きもしないだろうがあの2人は別だ。ボロボロなものだとか不気味なものだとかが好きなのである。興味を示しても不思議ではない。

 

「どうします? 迷子放送でも頼みますか? えー、白い髪と黒い髪の女の子2人の閻魔王ちゃーん、部下が本部テント付近で待ってます.みたいな」

「馬鹿言ってないで真面目に捜しなさい」

 

 映姫がノタカを至極真っ当にたしなめなた。

 

「でも何であんなに急に......」

 

 小町は閻魔王2人がスーッと人々の間に消えていった場面を回想した。本当にあっという間の出来事であった。

 

「そうですねぇ。そもそも中有の道が屋台の形式とってる理由、こまっちゃん、知ってますか?」

 

 ノタカが顔を上げた。

 

「いいえ」

 

 小町は首を横に振った。

 

 

「あの2人が祭りが好きだから、です。ま、祭りってのはそもそも神仏に祈りを捧げる儀式の日、閻魔王様に限らず神様だの何だの、祀られる存在ってのはお祭りが好きなもんなのですがね」

 

 

 ◇

 

 

 昔々、あるところに貧しい男と男の子が暮らしていました。男は子どもを養うために昼夜問わず働かなければなりませんでしたが、職を失ってしまいました。そこで、街の広場に出て、出会った最初の人に子どもの里親になってもらおうと決心しました。

 最初に出会ったのは恰幅のいい老人でした。老人は言いました。

 

「私はお前の悩みの種をもう知っている。貧しい男よ、お前を哀れに思う。私がその子を引き受け、幸せにしよう」

「あなたは誰だ?」

「私は──神だ」

「じゃあ、あなたには親になってもらいたくありません。あなたは金持ちには与え、貧乏人は腹を減らしたままにしておくから」

 

 男は次に出会った人に子どもを託そうと思い、さらに進んで行きました。

 

 すると目付きの悪い老人がやってきて、

 

「何かさがしてるのかね? なるほど、子どもの里親か。おれを子どもの里親にすれば、その子にたっぷり金とこの世のあらゆる楽しさを与えてやるぜ」

「あなたは誰だ?」

「おれは──悪魔だ」

「じゃあ、あなたには親になってもらいたくありません。あなたは人をだますから」

 

 男は次に出会った人に子どもを託そうと思い、さらに進んで行くと、やせこけた老人が干からびた脚で歩いて男に近づいて来ました。

 

「わしを里親にしなさい」

「あなたは誰だ?」

「わしは──死神だよ」

「じゃあ、あなたが適当だ。あなたは貧乏人も金持ちも公平に連れていくから。あなたに里親を頼むよ」

「よしきた。わしはお前の子どもを裕福にしてやろう」

 

 死神は約束通り、男の子を引き取りました。男の子が大きくなったとき、ある日、死神は男の子を森へ連れて行き、そこに生えている薬草を見せ、

 

「さあ、お前は金持ちで有名な医者になるんだ。お前が病人のところに呼ばれたら、わしは必ずそのそばにいてやろう。もし、わしが病人の枕元に立っていれば、お前はこの薬草を煎じて飲ませるのだ。だが、わしが病人の足元に立っていれば、病人はわしのものだ。お前は、どんなに手を尽くしてもその病人は助からない、と言わねばならぬ。わしの意に背いて薬草を使わないよう注意するのだぞ」

 

 と言いました。

 

 まもなく、薬草のおかげで若者は世界中で最も有名な医者になりました。人々の間で大変評判になって、若者はお金持ちになりました。

 

 そんなある日、王様が病気で寝込みました。そこで、最も腕のいいこの医者が呼ばれました。治せば多額の報酬が貰えます。しかし、死神が王様の足元に立っていて、病人を治せる薬草が使えませんでした。

 

 そこで医者は死神を出し抜こうと考えました。

 

 医者はお付きの者にこう言いました。

 

「王様のベッドを反対にしてください」

 

 そうすると、今度は死神が枕元に立っていました。それから医者は王様に薬草を飲ませ、王様はすぐによくなりました。

 

 しかし、死神がとても怒った様子で医者のところに来て、

 

「お前はわしを裏切ったな。今回ばかりは許してやろう。お前はわしの子だからな。だが次は......お前の命がかかってくる。わしはお前をあの世へ連れていくぞ」

 

 と言いました。

 

 それからまもなく、今度は王様の娘が重い病気にかかりました。王様はひどく悲しみ、昼も夜も泣き続けていました。そして、娘を救った者は誰でも、娘を嫁にし、自分の後を継がせるとお触れを出させました。そして王様を治したこの医者が呼ばれ、いざ病気の娘のベッドに来てみると、死神が娘の足元にいるのが見えました。医者は死神にされた警告を思い出すべきでしたが、王様の娘があまりに美しく、その夫になる幸せにすっかりのぼせあがってしまいました。死神が怒った目で自分をにらみつけ、空中に手を振り上げて、脅しているのを、医者は見ませんでした。医者は病気の娘を抱きあげて、足があったところに頭をおきました。娘に薬草を与えると、すぐに娘はよくなりました。

 

 医者はその後、軽い風邪で寝込みました。死神は、医者の前に現れて、

 

「お前はお終いだ。今命運が尽きたぞ。お前はまもなくその風邪で死ぬ」

 

 と言いました。医者の風邪は大したものではなく、これで自分が死ぬとは到底思えませんでした。すると、死神は地の底にある洞穴に医者を連れて行きました。そこで医者は、数えきれないほどの列になって大小様々な蝋燭が何千何万と燃えているのを見ました。

 

「わかるか? これらは人間の命の光だ。長いものは子供のだ。中くらいのはその親たちのだ。短いのは年寄りのだが──」

 

 死神は、今にも消えそうになっている小さな蝋燭を指差し、

 

「見ろ、これがお前のだ」

 

 と言いました。

 

「本来ならこの長いのがお前のもの、この短いのが王様の娘のものだった。あの薬草に病気を治す効能などない。ただ、人と人の寿命を入れかえる効果がある。お前が薬草を使ってしまったせいでお前と娘の命が入れかわったのだ」

 

「ああ、僕に新しい蝋燭をください」

 

 医者は怯えながら言いました。

 

「わしにはできん」

 

 と死神は答えました。

 

「それでは、古いのに新しいのを接いでください!」

 

 医者は必死にお願いしました。

 

「確かにわしはお前の里親だ。そうだな1つ、お前に最後のチャンスをやろう。ここに1本の火のついていない新しい蝋燭がある。この蝋燭にお前の命の蝋燭を接ぐことができればお前は生き延びられるだろう。ただし、わしはやらん。自分でやるのだ」

 

 医者はプルプルと震える指先で慎重に慎重に、新しい蝋燭を手に取りました。そして、医者は見事に蝋燭を接ぐことができました。しかし、医者は風邪をひいていたのでくしゃみをしてしまいました。あっ、と思ったときにはもう遅い。火が消え、途端に医者は倒れてしまいました。

 

「言ったはずだぞ。お前はその風邪で死ぬ、とな」

 

 

 ◇

 

 祭りの最中、屋台でもないのに人が集まっている場所があった。その中心では人形劇が行われていた。

 自らもフランス人形のような容姿の金髪の少女が1人で劇を巧みに演じきる。演目は"死神"。外の世界のおとぎ話をもとに作ったものだ。

 余り子ども向きとは言えない題材にも関わらず、多くの子どもたちが食い入るように劇にみいっていた。

 そして、大人たちも少女の生命を吹き込まれたように人形を操る指さばきに目を奪われていた。彼女のたぐいまれなる器用さのなせる技だ。

 そして、医者の人形が死神の人形へと倒れこみ、劇は終幕を迎える。

 暫くの静寂の後、惜しみない拍手が人形劇の演じ手 アリス・マーガトロイドに送られた。

 

「ビューティフォー! ビューティフォーなノネ!」

「見事ヨ」

 

 その中に2人ほどアリスの目には異様に映る少女がいた。

 

「え? あ、ありがとう」

 

 アリスは少したじろいだ。

 劇が終わり、観客はその余韻を噛み締めながら1人、また1人とその場を離れていった。

 そして残ったのはアリスとその2人の少女だけになった。

 2人はこちらへ近づいてくると鼠色の瞳で人形たちをしげしげと見つめた。

 

「.本当に精巧なつくりネ。これもあなたが作ったノ?」

「ええ」

 

 少女たちは暫くジーッと人形を眺めていた。

 

「.良かったらあげましょうか?」

「え? こんないいもの流石に貰えないヨ」

「構わないわよ。はい、どうぞ」

 

 アリスは人形を2人に差し出した。

 可愛らしい西洋人形を欲しがる子達は今まで何人もいたが、不気味な死神の人形にあんなに興味を示したのは2人が初めてだった。

 

(変わった子もいるものねぇ)

 

 不思議な少女たちを見送ると、アリスは次に控えた演目の準備を始めた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十六、ツイン・ヤマラージャ(六)

 ノタカは1人、夏祭りの雑踏の中をさまよっていた。3人がただ雛鳥のように待っているのは非効率的、かといって3人が揃ってうろうろするのも非効率的だ、ということで映姫と小町が定位置で監視、ノタカが動いて捜索という布陣になった。本当はもう1人捜し回った方が良いのだろうが、小町はそもそも閻魔王とあまり面識がない。よって単独ではなく映姫と共に行動することになった。

 ただ、これだけなら別にノタカが待機組にまわっても良いのだ。

 ノタカが、こうして人に揉まれながら手を出せない屋台の料理たちを恨みがましく見ているのは──悪魔の三竦みのせいだ。

 

 

 ──じゃーんけん、ぽん! 

 

 

 

(映姫が相手ならイカサマできたんですがねぇ)

 

 映姫の制服は長袖だ。しかし、あいにくと小町は半袖、一瞬服を止めて後だしにしてやることはできない。恐らくそれを見越して映姫は小町に悪魔の三竦み(じゃんけん)の相手をさせたのだろう。

 かくして芋の子を洗うような通りで、ぐずぐずとノタカはほっついていた。

 

 金髪の少女が少し開けた道端にしゃがんでいるのを見つけた。どういうわけか屋台のないこの場所からなら、人波がよく見えるとふんでノタカは声をかけた。

 

「あー、もし。ちょいとお尋ねしたいことが」

「何かしら?」

 

 少女は背中で返事をした。

 

「失礼、何か作業中でしたかね?」

「いえ、構わないわよ。あら?」

「あ、宴会の時の......」

 

 振り返った人形のようにかれんな少女がノタカの記憶をつついた。

 そうだ。自腹を切ったあの宴にこの少女も参加していたのを見かけた。何故いたのかは分からないが、そもそもあの時の宴は鬼やら何やらそんな連中ばかりだったので、深くは考えなかった。

 

「お久しぶりね。魔理沙から聞いているわ。閻魔様なんでしょう? 魔法使いのアリス・マーガトロイドです。どうぞ、よろしく」

「はぁ......? 斑尾......ノタカです。こちらこそ」

 

 目の前の少女は胸に手を当て、名乗った。一挙手一投足が清雅に映る。

 唐突に始まった自己紹介と貴族のお茶会のような優雅さに、危うく本来の目的をどこかいってしまいそうになった。

 

「──じゃなかった。白髪と黒髪の2人組の少女を見かけませんでしたか? これくらいの」

 

 ノタカは自分の胸の下辺りで手を水平にした。

 

「ええ、見たけど」

「ほんと!? どこで!?」

「ここよ。私の劇のお客様としてね」

 

 ようやくノタカは少女の側にいくつもの人形があるのに気づいた。とても緻密に、美しく製作されている。こんなものがほいほいと市販されるわけもない。自作のものだろう。ノタカはアリスの白い指に目をやった。器用なものである。

 

「どこへ行ったか、分かります?」

「いいえ」

「......そう、ですか」

「ごめんなさい、お役に立てなかったかしら?」

「いいえ、貴重な情報をどうもありがとう」

 

 そうは言ったもの、ノタカは少し萎んだような感情になった。

 

「ちょっと待って」

 

 しかし、そのままトボトボと立ち去ろうとするノタカをアリスが引き止めた。

 

「やっぱり分かる、かも」

「何ですって?」

 

 ノタカはぐるんと振り向いた。

 

「あの2人に劇で使った人形をあげたのだけれど──人形の糸を1本、そのままにしていたのを忘れていたわ。だから、この糸をたどりさえすれば......」

 

 そのあとはもう分かるでしょ、と言わんばかりににやりとアリスが笑った。指先からよくよく目を凝らさないと見えないほどの糸がのびている。

 

「案内、お願いしても?」

 

 アリスは黙って頷いた。

 

 ◇

 

 変わらず閻魔王の捜索を続けるノタカに心強い仲間ができた。

 

「動き続けているわね......」

 

 アリスのほっそりとした指からツーと続く半透明の線をたどり続ける。太公望のごとく糸の先に神経を注ぐ。糸からは僅かな魔力を感じた。ただの糸ではなさそうだ。それで、この人波の中でも切れないということなのだろう。

 

「でも、閻魔様がお探しになるなんて──あの2人一体何者なのかしら?」

「......世の中知らない方がいいこともあるのですよ」

 

 別に説明しても良かったのだが、面倒くさいのとこの先に待ち構えているのが閻魔王だということを知られると協力してくれないと思い、ノタカは意味ありげに濁した。

 

「それもそうね」

 

 助かったのはアリスがそこまで突っ込んで来なかったことだ。......まあ、そこに突っ込んでくる魔理沙みたいな連中ならば、そもそも閻魔王だろうが何だろうが物怖じすることはないだろうが。

 

「ちなみにこの糸の先には何の人形が?」

「死神よ。やせこけた老人の見た目のね」

「うわあ......好きそう」

 

 死神の人形、この少女が作ったからにはかなり凝られた刺激的なものだろう。ノタカに見えた限りでも他に愛らしい人形はいくつもあった。そんな中、わざわざ死神の人形を。そんな人形、貰ってどうするというのだろうか。蒟蒻ばっかり食べているとそうなるのだろうか。

 ノタカが普通に失礼なことを考えていると、

 

「そろそろ見えるかも。近いわ」

 

 アリスの言う通りだ。

 糸の先、白髪の頭を視界に捉えた。

 

「あ!」

 

 ノタカが声を張り上げた瞬間、白い髪の持ち主は振り返ることもなく走り出した。

 慌ててノタカもドタバタと追う。

 

「人形師! 一瞬止まりなさい!」

「え? 人形師? 私?」

 

 アリスが混乱しながら群衆にもまれる中で、立ち止まった。

 指先の糸を、止めた。しなやかだった糸から柔らかさが消滅し、鉄線のごとくガチリと固まる。僅かな時間であれば往来の人々の邪魔にもなるまい。

 白い頭部がガクリと沈みこんだ。人形に繋がった紐が固定されたのだ。人形を持っていればそのままバランスを崩すだろうし、人形を離せば、取り返そうと足を止める。走っていれば尚更強い勢いで引き留められるはずだ。

 ノタカはそれを見届けると、能力を解除し、人をかき分け、一気に詰めよった。

 

「さあ、観念して......ってあれ?」

「え......誰?」

 

 眩惑する白髪の少女の傍らには黒髪の少女ではなく、白いもやがプカプカと浮いていた。

 

 ◇

 

「幽々子様ぁー、どこですかぁ......」

 

 情けない声が少女から漏れた。

 普段している黒いバンダナの定位置にはかわりにお面がおさまっていた。傍らには白い霊体がたゆたっている。その白髪の少女──魂魄 妖夢の種族は半人半霊だった。

 突発的に里の夏祭りに行きたい、と言い出した主人 西行寺 幽々子の付き添いで、里に降りてきた。別に幽々子の意図の読めない思いつきに付き合うのはよくあること、いつも通りなのだ。

 

 ──幽々子様? ちょっ、なんでお面なんかを......つけるならちゃんとつけてくださいよ! これじゃ前が......あれ、幽々子様ー? 

 

 ただ、少し目を離した隙にはぐれてしまった。妖夢は最早人の波に沿って1人屋台の間を練り歩くだけである。......こうなるのもいつも通りなのは気のせいだと思いたい。

 

 妖夢は幽々子の捜索をほとんど諦めていた。いつも通りなら知らない間に消えて知らない間に隣にいることが多い。もうすでに、と思って横をキッと見たが、見知らぬ2人の少女と目が合ってこっ恥ずかしくなった。

 それに、幽々子の髪は桃色、正直──屋台で売られているピンク色の綿菓子が紛らわしいのだ。そんな馬鹿な、と笑われそうだが、事実幽々子だと思って駆け寄った先がただの綿菓子でした、なんてのを何回も繰り返している。

 空は少しずつ暗くなり始めている上、見えるのは通りを埋める黒山のような人だかりの寸隙のみとはいえ、我が主人とたかだか綿菓子の区別がつかないとは我ながら情けない。

 

 また、ピンクの何かが人々の隙間をよぎった。

 心の中で妖夢はため息をついた。これで最後にしよう。この先に幽々子がいなければもう思いっきり祭りを楽しむのだ。焼きそばを買って、かき氷を食べて、そうだ、チョコバナナも悪くない。そう考えると何だか楽しくなってきた。

 軽やかな足取りで駆け出した妖夢だったが──不意にずるりと上体が崩された。咄嗟に掴もうとしたのが背中と腰に差した2振りの刀なのは剣士の性か。

 誰かの着物でも引っ掛けたのか。ただ、妖夢の刀が警戒されているのか周囲とは一定の間隔がある。誰かが触れている様子はない。

 右足を地面に押し付け、何とか踏みとどまると引っ掛かったような感覚が消えた。

 だが、それが何だったのかなどと考える余裕はない。息つく暇も妖夢には与えられなかった。

 

「さあ、観念して......ってあれ?」

「え......誰?」

 

 見返った先に彼岸花の髪飾りの女がポカンと大口を開けていたからだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十七、ツイン・ヤマラージャ(七)

 

「はーん、あなたのご主人もねぇ」

 

 魂魄 妖夢と名乗ったこの白髪の少女もまた、人を見失ったらしい。

 

「ええ......跡形もなく消えました」

「跡形もなく?」

 

 魔理沙といいこの妖夢といい、幻想郷の少女は独特というか、珍妙というか、そんな言い回しをするものなのか。

 

「え、あなたのご主人"も"って......」

「あ、そうそう。私も人捜しの最中でしてね。これぐらいの背丈で白髪と黒髪の2人の女の子見ませんでした?」

「えーと」

 

 あっ、という声と共に妖夢はぽんと手を叩いた。心当たりがありそうだ。

 

「では、多分そのときですねぇ......」

 

 あの2人はすでにアリスの人形の糸に気づいていたのだ。ノタカが糸を使って足止めをはかろうとすることも見抜いていたのだろう。人外であれば被害も受けまいと考え、一目でそれと分かる妖夢に糸を押し付けた。

 

「え? 何がです?」

「いえ、こちらの話です。それで、どこに向かったか分かりますか?」

 

 アリスは次の人形劇の準備があるとかで戻っていった。最早手がかりはこの少女しかいない。

 

「どこって......進行方向は同じだったから、この先、だと思います」

 

 首をひねりながら妖夢は前方を指差した。当然、2人の影も形もない。

 ノタカは改めて帯刀したこの物騒な少女を見た。緑色の服に身を包み、ふわふわと傍らに霊魂が浮かぶ。

 半人半霊。そういえば冥界にそんな種族のものがいると耳にしたことがある。彼女がそうなのだろうか。となるとその主人は閻魔の命を受けた冥界の管理人......。

 

「西行寺 幽々子......か」

「え!? 幽々子様をご存知なんですか?」

 

 ノタカの呟き声が聞こえたようで、意表を突かれたように妖夢が言った。

 

「まあ......職業柄?」

「なら、話が早いです!」

 

 妖夢はバッとノタカの手をとった。冥界の者だからなのかどこかひんやりとしている。

 

「あのー」

「私もあの2人の少女、お捜しするの手伝いますのでお互いに協力しましょう!」

 

 俄然、やる気を燃えたぎらせ始めた妖夢。

 

「私、お名前は存じ上げていますけど別にお会いしたことはないですよ?」

 

 が、あいにくとノタカはその幽々子とやらを見たことはない。

 

「え?」

 

 1人先走っていた妖夢はプシューと空気の抜けた風船のようになった。

 

「ああ......」

「そうですねぇ。私ももうほとんど人捜しは諦めてるんですよ。ここで会ったのも何かの縁......」

 

 ノタカは妖夢の肩をポンと叩いた。人は同一の場所で似通った境遇に合っている者がいると自ずと親近感がわくものだ。それは閻魔も半人半霊も同じだった。

 

「どうです? 一緒に?」

 

 ノタカは親指でくいと立ち並ぶ夜店を指した。

 

 

 ◇

 

 

「ふー、食った食った」

 

 ノタカは小銭入れをポンポンと手の上で弾ませた。大分軽くなってしまったものだ。普段から中有の道で屋台形式の店の料理はよく食べているが、それとはまた違った満足感を得られた。何よりこの祭りの雰囲気の中で食べるというのがいい。

 近くの石段に腰かける。ひやっとした石の感触が心地よい。

 妖夢は刀があるからなのか、立ったまま、どこか懐かしむような目ですっかり暗くなった空を見上げた。

 

「こんなことをしていては祖父に怒られるかもしれませんが」

「......お爺さんに?」

「はい、祖父も長いこと西行寺家に仕えていました」

「ほう......ん?」

 

 いました、と過去形だった。

 ええ、とわずかに微笑みながら妖夢は頷いた。

 

「私がまだ小さい頃に突然いなくなってしまいまして......今どこで何をなさっているのやら」

 

 しんみりとした様子で妖夢は軽く腰の刀を撫でた。

 

「ただ、祖父、いえ、師匠の"真実は斬って確かめよ"という教えをもとに、私もいつか、立派な剣士になってみせます」

 

 

 妖夢はぐっと拳を握った。

 

「......じゃあ、お爺さんは怒りはしないでしょうねぇ」

「え?」

「いえいえ、何ごとも経験だという話です」

 

 不意にヒュー、と音がした。

 

「あ、花火だ」

 

 妖夢の顔が花火の光でパッとオレンジ色に輝いた。表情もどこか明るくなる。

 遅れて音がパアンと鳴った。

 

「あっちの方がよく見えますよ!」

 

 先ほどまでどこか寂しげな姿が嘘のように、はしゃぎながら妖夢は手招きをした。

 

「真実は斬って確かめよ......ねぇ」

 

 ノタカも腰を上げ、妖夢のもとへと向かう。

 

「斬らずとも分かるようになるまで、でしょうが」

 

 

 ◇

 

 

 妖夢に連れられるまま、少し開けた場所に出た。もう人がごった煮状態だ。どうにも彼女の刀が危なっかしく見える。

 そうこうしている間にも破裂音と共に観衆の顔が明るくなるのを繰り返す。

 

「もういっか。この辺で......」

 

 妥協の末、選んだ場所で2人はようやく立ち止まった。妖夢もノタカも別に背が高いわけではない。多くの黒い頭が少し視界を塞ぐが、まあ、問題ないだろう。ようやく落ち着き、次の花火が上がるまでの間、一瞬、横を見て、ノタカはあんぐり口を開いた。

 何故か映姫と小町、そして、

 

「おや、ノタカ。どこにいたノネ?」

「もう花火始まってるヨ」

 

 当たり前のように閻魔王(2人)がいた。

 

「映姫、どういうことです?」

 

 ノタカは映姫のもとへ駆け寄り小声で問い詰めた。散々捜し回って......いたわけでもないが、急にこうも事態が展開すると流石に面食らう。

 

「私たちのところへお2人がおいでになったんですよ」

 

 映姫はあの例の人形を抱えていた。なるほど、荷物持ちか。

 その枯れた老人のような死神人形の出来にノタカは少し感嘆を漏らした。この質ならば欲しくなるのも分からなくもない。だとしても他の人形を差し置いてまでかは疑問が残るが。

 そして、苦々しい顔の映姫の後ろに小町ではない、もう1人。

 三角形の布のついた水色の帽子からは桃色の髪がのぞいている。そう、ノタカが知りたいのはこちらのこともだ。

 

「......なぜだか西行寺 幽々子を連れだってね」

「え......幽々子、様?」

 

 ここで妖夢も小競り合いに気がついた。そして、主人に目をやり、ノタカと同じ表情を浮かべた。

 

「あら、妖夢?」

 

 どこかふわふわとしたような人物。それでいて、確実にこの世のものではないと分かるこの凍みる感覚。これが、西行寺 幽々子。

 

「あなたも名前は知っているでしょう」

「何が何やら......」

「私もです」

 

 ノタカは困惑の表情を直ぐに引っ込めた。そうだ。もとより、ここには花火を見に来たのだ。今は細かいことは気にすまい。

 

「まあ、閻魔王様も無事見つかったことですし、私もあなたも花火見物くらいしても罰は当たらないですよね?」

「本当に能天気ね......」

 

 呆れたような映姫も上空に目をやった。

 次々と色とりどりの花火がうち上がっては、消えていく。

 牡丹、錦冠、銀冠──形も様々な花火の光が夏の短夜を照らす。

 花火が夜空に弾ける度に観客から感嘆が漏れる。

 最後に大きな菊花火が打ち上げられ、消えた。

 祭りも終わりは近い。

 夜空に漂う煙だけが侘しく残る。

 ぞろぞろと観衆も帰り始めた。

 

「綺麗だったわね。さ、妖夢、そろそろ帰りましょうか」

「え? は、はい」

「それでは、皆様」

 

 一礼すると幽々子は妖夢の手をとり、その場からあっさりと消えた。

 

「時間だ」

 

 唐突に帰っていった冥界の者たちを見送る暇もなく、背後から何か取り立てるような声が聞こえた。振り返るといつの間にか、片眼鏡の女が立ち塞いでいた。

 

「ミラ」

「世話をかけたな。ヤマザナドゥ、ノタカ、それに......小野塚 小町。この礼は改めてさせて貰う」

 

 ミラは、テキパキと述べると手袋をはめた両手で、閻魔王のそれぞれの腰を抱えこむようにがっしりと掴んだ。

 

「ちょっ、ミラ!」

「降ろすのネ!」

 

 映姫が反射的に黒い髪の閻魔王に人形を渡す。人形の下半身がプラプラ揺れる。余計不気味だ。

 知らない人が見れば、まだ祭りを楽しみたい少女が無理やり親に連れ戻されてるようにも見える。ただ、どちらかというと、

 

「誘拐?」

 

 小町がポツリと漏らした頃には3人もまた、帰路につく人々の雑踏の中に紛れ、いなくなった。一瞬の内に、残されたのは映姫とノタカと小町だけ。ほっ、とノタカはひと息ついた。

 

「じゃ、私たちも帰りますか」

「あ、じゃあ、あたいが......」

 

 能力を使おうとした小町をノタカは軽く制した。

 

「フフフ、久々に会ったのです。たまにはゆっくり話でもしながら帰りましょう、ね、映姫」

「私は ......どちらでも構いませんが」

 

 こうして、残った3名もまだ花火の余韻が消えぬ内に、歩き始めた。

 

 

 ◇

 

 

「もう、幽々子様ー! いきなりいなくなるんですから!」

 

 祭りの喧騒を抜け、火照った顔が少しずつ冷えていく。普通ならば。しかし、魂魄 妖夢は煮え切らない思いでむしろヒートアップしていた。

 

「妖夢、帰ったら何か食べたいわ」

「私の話聞いておられましたか!?」

「まあまあ、いいじゃないの。妖夢だって夜店を楽しんだのだし」

「な、何故それを......」

「あら、そうなの?」

 

 グッと何か喉に仕えたような気分になる。完全にかまをかけられた。

 

「分かりました、分かりましたよ。白玉楼に帰ったら何かお作りします」

 

 ポッキリと折れた妖夢は残っている食材を思い出していた。幽々子とやりあうと大体こうだ。漂う布でも斬っているような手応えのなさ。作るメニューを決めると、妖夢の意識は幽々子とともにいた四季 映姫へと向いた。

 

「それにしても閻魔様が、なぜ......」

「そうねえ、4人も」

「え? 4人?」

 

 あの時、幽々子と妖夢を除けば一緒にいたのは死神、幻想郷の閻魔、そして、2人の少女と彼岸花の髪飾りの女。

 そして、足りない閻魔の頭数は3人。と、いうことは──

 

「ええー!?」

「あら、知らずに一緒にいたの?」

「ええと、何というか、まあ、失礼を承知で言わせて頂きますとそんな感じがする御方ではなかったので」

「そんなに気にすることでもないわ。それより、何を作ってくれるのかしら?」

「え? あ、そうですね......帰ってからのお楽しみです」

 

 急に料理の話に戻されて、妖夢は思った。やっぱり幽々子の内心はよく分からない。

 せめてもの仕返し、といってはなんだが何を作るかは教えないことにした。

 

 ◇

 

 帰る道すがら、ふとした疑問が、小町の中で頭をもたげた。

 

「十王って......残りの8人はどんなお方なんですか?」

 

 小町は、まだ見ぬ他の十王を想像していた。見た目は完全に無垢な少女が、閻魔の頂点に位置しているのだ。残りの面子も多少気になってくる。

 

「ん? 残りは9人ですよ」

「え? でも......」

 

 10引く2は8......寺子屋でも最初期に習いそうな単純な計算を小町は頭のなかで繰り返した。

 

「あの御方々は、2人で1つの閻魔王の座についているのです」

 

 映姫が答えた。小町も死神として長年勤めているが、トップが対の王だったとは露知らず。

 

「ま、私も2人ともお揃いなのを見ることは中々ないですけど。休むにしろ何にしろ普段は交互に活動なさってる方々ですから、今回の話を最初聞いたとき、2人とも来るなんてって私は驚いたんですが」

「ええ。ですから、私は、あなたが何か問題を起こしたのかと」

「だから何もしてませんって。......多分」

「じゃあ、どうして2人ともおいでに?」

「私は存じ上げません。あなたは何か聞いてます?」

 

 ノタカは、あ、と言って頭を掻いた。

 

「聞き忘れた。ま、いっか」

 

 そして、小町は別に気にかかっていたことも尋ねた。

 

「最後に閻魔王様を連れ帰った方も別の十王の方だったり?」

「いや、ミラは違いますよ。残りの9人に入ってません」

「え、でも。閻魔王様(あんな偉い方々)を」

 

 小町が気になったのは、そこだ。あの閻魔王ともあろう2人をひょいと抱えあげ、連れていったあの姿。何かしらの権力がないとそんなことはできまい。

 

「ミラ様ならばまあ、当然かと」

「ええ、それが仕事みたいなところもありますし」

 

 ノタカは小町に向き直ると指を1本立てて話し始めた。

 

「ミラ、えーっとその片眼鏡の人は第五閻魔王付司録......分かりやすくいうとあの閻魔王様の秘書ですね」

「へえー、じゃあ死神の方ですか?」

 

 小町は船頭の死神だが、閻魔の裁判の補佐をするのもそれを専門とする死神である。ノタカにいるかは知らないが、少なくとも映姫にはそういった死神がついている。

 

「いいや......浄玻璃の鏡が閻魔によって形が違うのは知ってますよね」

 

 ノタカは急に関係のなさそうな話を始めた。小町は当惑しながらもそれに応える。

 

「ええ、四季様のは手鏡、斑尾様のは......」

「水晶玉、です」

 

 ノタカは自分の浄玻璃の鏡を取り出した。

 

「そして、閻魔王様の鏡は──()()です」

「え?」

 

 小町はノタカの水晶の玉を指した。

 

「ご明察、ミラは閻魔王様の浄玻璃の鏡ですよ」

 

 

 

 ◇

 

 

 地獄で最も古い、最初に建てられた裁判所。その中の一室、観音開きの厳重に閉ざされた扉が軋みながら今、開いた。

 

「はて、次の休暇はいつになるかネ」

 

 2つの椅子に黒髪と白髪の少女がちょこんと座る。アンティーク調の皮張りの椅子と少女たちはなんともアンバランスだ。

 

「まあ、2人とも休めるのは早くて30年後ってとこだヨ」

「馬鹿者、私を殺す気か。今後100年はないと思え」

 

 部屋にはもう1人いた。真鍮色の髪を持ち、片眼鏡をかけている。こちらはこちらで、存在そのものが古美術のような荘厳な雰囲気を醸し出している。

 

「えー、ケチ......と思ったけど今回ばかりは少し迷惑をかけちゃったからネ」

「少しじゃないが。......なんなんだ、それは」

「何ヨ?」

「その趣味の悪い人形だ」

「何サ、可愛いじゃないのヨ」

「......私の見える場所には置くなよ。それで、だ」

 

 コホン、とミラは仕切り直すように咳払いをした。

 

「どうして、2人で幻想郷(あそこ)に行こうと思ったんだ?」

「あれ、言ってなかったっケ?」

「一切聞いてないな」

「最近、姉貴が入れ込んでる場所があるって聞いてネ」

「姉貴が何であんなに幻想郷に肩入れしてるか気になったからちょっくら見にこようと思っただけヨ」

「で、どうだったんだ?」

「どうもこうもないネ。双子、白と黒、どうして私たちを見た人間は同じ感想しか抱かないノネ」

「光と影、風神雷神、阿吽、とかく人間は対になるものが好きなのヨ」

「裏の裏が表とは限らないノニネ」

「全くダヨ」

「ま、姉貴が入れ込んでる訳は──ちょっとだけ、分かった気がするネ」

「......ほう?」

「皆自由に生きている、アウトロー、てやつ? 確かに姉貴が好きそうだヨ」

「会えたのか?」

「ん?」

「その、姉貴──ヘカーティアに、だ」

 

 2人の閻魔王は一斉に首を振った。

 ひと言、そうか、と呟くと片眼鏡の女は部屋の外へ出ようとした。

 

「あ、そうだ、ミラ。もう1つだけ頼みたいことがあるネ」

 

 それを白髪の閻魔王が引き留めた。

 

 

「何だ?」

「大したことじゃない、連絡を頼みたい奴がいるんだヨ」

 

 

 ──「......人形が邪魔で何も買えないヨ」

 ──「......四季 映姫に頼むかネ」

 ──「でも、どこにいるか分からないヨ」

 

 ── 声をかけられた。

 

 ──「お困りのようですね。私が、ご案内致しましょうか?」

 ──「ン?」

 

 ──笑っている。誰だ。

 

 ──「申し遅れました。私、西行寺 幽々子といいます。四季 映姫様であれば先ほどお見かけしました。よろしければそこまでお連れ致します」

 

 ──嘘は......ついていない。

 

 ──「本当? 助かるヨ」

 ──「ただ、1つ条件が......」

 

 ──条件? 

 

 

 

「たかだか道案内でこの閻魔王(私たち)を動かそうなんざ......西行寺 幽々子、全くオモシロイ奴だヨ」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十八、紅の女帝と銀の世界と(一)

 霧の湖──その名の通り、昼間は視界があやふやになるほどの霧が立ち込めている。湖は妖怪や妖精の溜まり場となっており、よほどの釣り好き以外は余り人も立ち入らない。そんな湖に真っ赤に浮かぶ洋館──紅魔館。里では悪魔が住む館と噂され、好き好んで近づく人間は1人もいない。そして、その噂はあながち間違いでもない。里とその館の接点と言えば、館にたった1人だけ住んでいる人間がたまに買い出しにやってくるくらいだ。

 度胸試しの場にすら選ばれないほど恐れられる館、その地下深くには幻想郷一と言っても過言ではないであろう膨大な蔵書を誇る図書室──いや、図書館と呼ぶ方が相応しい。ある日の午後、そんな薄暗く、古紙の独特な匂いが充満した大図書館の中で2人の少女がティータイムを楽しんでいた。

 

「ねえ、パチェ」

 

 パチェと呼ばれた少女──パチュリー・ノーレッジは分厚い魔導書から顔を上げた。

 

「何?」

 

 1つ聞き返してから、左手でページを押さえ、右手でティーカップの取っ手をつまむ。

 

「タロットカード占いって知ってる?」

「ええ」

 

 向かいに座る友人──紅魔館の主 レミリア・スカーレットはヴァンパイアだ。パチュリーよりも圧倒的に年上、もう500年ほど生きているらしい。ただ、吸血鬼としてはまだ幼い子ども、好奇心旺盛な時期である。どうせ、占いか何かの本を見つけてまた興味でも持ったのだろう。

 

「今からみせてあげるわ」

 

 やけに一方的な占いだ。

 

「何を占うのよ」

「そうねえ......まずは仕事運、金運、恋愛運でしょ、それから......」

 

 レミリアが指を折りながら列挙したもの、いずれも吸血鬼が占いそうなものとは、とてもじゃないが言えない。

 

「初心者じゃそんな大層な未来は無理よ。自分の性格くらいにしておきなさい」

「自分の性格なんて分かりきってるじゃないの。ま、それでいいわ」

 

 とにかくまずはやりたくてウズウズしていたのだろう。たしなめに簡単に譲歩したレミリアはどこで手にいれたのやら、パチュリーが思っていたよりも重厚なつくりのタロットカードを扇形に開いた。

 

「じゃ、はい」

「......引けってこと?」

 

 戸惑うパチュリーをよそにレミリアはにやりと笑った。この年端もいかない少女を吸血鬼たらしめる犬歯がギラギラと覗く。

 タロットカードは寓意画の描かれた大アルカナと数字と絵札からなるトランプのような小アルカナに別れている。レミリアの持つタロットカードは枚数の少ない大アルカナだ。

 とはいっても大アルカナは全部で22枚、扇状に開くには少々多すぎる。

 というか、そもそもタロットカード占いはこんなババ抜きのようにやるものなのか? 

 

「パチェ、早く」

 

 促されてパチュリーは、カップをソーサーに戻し、しぶしぶタロットに手をかけた。がしかし、カードが重なり過ぎている上、大量のカードの扇を何とか保とうとレミリアがぎゅっと力を込めている。うまく引くことができない。仕方なく一番外側のカードを引き抜いた。

 どれどれ、とレミリアがパチュリーの手札を覗き込もうとぐいと顔を近づける。どうやらカードが被り過ぎていてレミリア側からも何のカードが引かれたか分かっていなかったらしい。

 そして、持っていた占いに関する本をパラパラとめくり始めた。成る程、急にタロットカード占いを始めた原因はどうもその本らしい。確かに似たような本を見かけた気もするが、なにぶん本屋が何百軒も建ちかねない量、この図書館で暮らすパチュリーとて、蔵書全てを把握しきっている訳ではない。

 

「えーっと、【女帝(エンプレス)】は......『魅力(カリスマ)』! フフン、まあ、当然ね。私にふさわしいわ」

 

 パチュリーは手元のカードを見つめた。引いたのは王冠を被った女性が描かれた大アルカナ3番目【女帝】のカード。

 

「合ってるの......?」

 

 タロットカードが持つ意味は1つではない。どうも都合のいい単語を抽出した感じが拭えない。

 それに、パチュリーが引いた【女帝】は上下逆だった。タロットカードはカードの向きも重要、示す事柄が全く変わってくるのだ。ちなみに、逆さまの【女帝】には『我が儘』という意味もあるのだが面倒なので黙っておくか。

 

「よし、じゃあ次は......今日の紅魔館の運命ね!」

 

 レミリアは何故か紅魔館の住人全てを巻き込む占いを始めようとしている。

 彼女は【女帝】のカードを裏向きに戻すと、机の上で手持ちのカードの束を広げて、両手でかき混ぜ始めた。良質そうなカードを結構雑に扱うものだ。

 レミリアも流石に手で持つのは無理があったのか、今度は裏返しにしたまま綺麗に7、7、8枚の3列に並べた。

 そして、うーん、悩む素振りを見せながら1枚のカードをトントンと赤い爪で軽く叩き、めくった。

 表れたのは大アルカナ10番目【運命の輪(ホイールオブフォーチュン)】......。

 

「【運命の輪】は......えーっと? 『変化』、『出会い』?」

 

 再び手元の本で結果を確認するレミリア。

 

「『出会い』、ねぇ......」

「あら、疑ってるの? 私は運命の吸血鬼よ? 当たってるに決まってるわ」

 

 レミリアは何故か胸を張って答える。ひとしきりやってそれなりに満足したのか、ようやく占いの本をテーブルの端に置いた。

 そうして、彼女は紅茶のひと口目をすすった。と同時に、片方の眉がつり上がる。

 

「......咲夜、今日は何を入れたの」

「ふふ、内緒でございます」

 

 いつの間にか傍らに立っていたメイド服の少女──十六夜 咲夜はクスリと笑った。

 

「何だか変な香りがするけど......まあ、美味しいからいいわ。おかわり」

「かしこまりました」

 

 レミリアが一気に空になったカップを咲夜に差し出した。湯気だつ紅茶がトットッと音を立てて注がれていく。何だかどす黒い、妙なお茶のようにパチュリーには見えた。が、レミリアはそんなことお構いなしにつがれたそばからお茶をくい、とあおり、もう一度咲夜にカップを差し出した。メイドは落ち着いた表情のままでもう一度お茶を入れる。

 

「私もお願いするわ。レミィと違うやつね」

「承知致しました」

 

 咲夜はそのままポットをパチュリーのカップへと向けた。パチュリーは黙ってポットで紅茶が注がれるのを見ていた。同じポットで別の種類の紅茶を注ぐ。そんな嘘のような手品が彼女にはできることをパチュリーは知っていたから。それも()()()()で。

 

「あ、そうそう。咲夜、来客があるわ。準備をしておきなさい」

「かしこまりました。差し支えなければどなたがいらっしゃるのか教えて頂けますか?」

「さあ? いつ来るかも、誰なのかもさっぱり分からないわ」

「はぁ......」

「運命なのよ。そういう」

 

 首をかしげた咲夜だったが、直ぐにニコリと笑みを浮かべた。

 

「準備が整いました」

「フフ、ご苦労様。さて、誰と出会うのかしら? 楽しみだわ。ねぇ、パチェ?」

「そうね......」

 

 生返事だけして、パチュリーは机上に並べられたカードに再度目を落とし、気が重くなった。

 【運命の輪】はパチュリーから見れば正位置、通常の向きだ。つまり、捲ったレミリアからすれば逆位置。

 逆さまの【運命の輪】──暗示するは『アクシデント』。

 質が悪いことにレミリア・スカーレットの適当な占いは──結構当たる。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十九、紅の女帝と銀の世界と(二)

 

 

「噛み合う」という言葉がある。それぞれ違う内容のものがなかなかどうして、しっくりと合ってしまうことがあるのだ。

 

 ◇

 

 地獄の中心地、多くの人が往来する通りは殺風景な地獄の中では賑やかに見える。といってもここにあるのは是非曲直庁所属の公的な施設ばかり、せわしなく行き来する人々もほとんどが何かしらのお勤め中だ。よく見ると皆表情がどこか殺伐としている。

 そんな中、2人の少女が施設の開口部から吐き出されるように出てきた。斑尾 ノタカと四季 映姫だ。

 ノタカと映姫、2人が出てきた建物は5階建てだった。是非曲直庁の部署の内、1階に人事課、2~4階に経理課、5階に会計課が入っている。

 

 人事課は休暇の申請、死神、閻魔、獄卒の配置転換、給料、その他もろもろの人事の管理を一手に背負っている。地獄はどこのポストもスカスカなので、死神や鬼神はここに言えば案外簡単に配置転換してくれる......らしい。無論、閻魔の担当区域はそう易々とは交代できない。

 

 経理課は地獄の金回りを掌握している。普通、閻魔がこうした部署に所属していることはないが、死者がほとんどいない月を担当している故に絶望的に暇なノタカは例外だ。中有の道を管理する仕事は一応経理課の管轄である。経理課はその他、企画課の案の予算を都合したり、と恐らく最も忙しく、地獄の財布の紐を握っていることもあって、人員も多く割かれている部署だ。大体いつ行っても企画課とやりあっている声が聞こえる。たまに1階の人事課までそのやり取りが響いてくる。よく言えば名物だ。

 

 最上階の会計課は各部署からの決算をまとめたり、お金を支払う手続きをすすめる部署だ。ノタカたち閻魔とは直接関係はない。

 今回、2人が用があったのは経理課だ。ノタカは企画課からも幻想郷に関する範囲で仕事を受け持っている。その権限を使って持ち込んだ企画で経理課から予算をひねり出させてやろうと、そう息巻いて来たわけだ。

 

 それで、今回立案したのが「プリズムリバー楽団の中有の道での公演」だ。

 ノタカは先日、夏祭りの際に同行していた魂魄 妖夢から「プリズムリバー楽団」なる存在を耳にしていた。何でも非常に盛り上がる演奏をする腕のいい楽団らしい。中有の道で演奏会を開催すればかなりの集客が見込め、屋台の収入増加に繋がるのではないか、ということで予算を出してもらうよう交渉に来たわけだ。が、あいにくとその楽団を知らないノタカが交渉したところで苦しい地獄の財布の紐が緩むとは思えない。

 

 そういった事情もあって、映姫に同行して交渉の場に就いて貰った。

 以前、ミラから何の物言いがあったかは知らないが、経理課には最初の宴会の予算をノタカの給料から引いた個人的な恨みもある。ノタカは金に執着する性格ではないし、むしろ昔から無頓着な方だが、それでも給料から天引きというのは何かこう、癪に触る。

 そういうわけで、捲土重来、映姫はともかくノタカは意気揚々と乗り込んだわけだが......。

 

「ちぇっ、ケチ」

 

 ノタカは軽く舌打ちをした。

 

「こら、滅多なことをいうものではありません」

 

 結果は、惨敗──というわけではなかった。どちらかというとむしろ、勝利を収めていると言える。

 ケチなどと悪態こそついたものの、何せあの堅物集団、企画の墓場と恐れられる経理課から少額とはいえ、金を引き出したのだ。映姫を連れてきて心の底から良かったと思った。ただ、思ったほどの規模になりそうもないのもまた事実だ。

 

「それにしても......」

「ん? 何です?」

「思っていたよりもちゃんと仕事をしていたのですね。驚いたわ」

 

 ノタカは協力を持ちかけた時の映姫の疑いの眼差しと、嘘ではないと分かった時の目を丸くした表情を思い出した。

 

「あのねぇ、私も閻魔の端くれなんですから」

 

 まあ、今回やっていることは閻魔の業務内容とは全く関係ないが。

 

「しかし、あなたもいいところに目をつけたものです。ライブで集客を図ろうとは考えましたね」

「はーん、あなたがそこまで言うなんて、プリ......その......何だっけ」

「プリズムリバー」

「そう、そのプリズムレバーってのはよっぽど凄いんでしょうね」

 

 そう、未だノタカは件の楽団を1度もその目で見たことはないのだ。知っていることと言えば三姉妹で構成されているということぐらい。正直、ダメ元の提案、思いつきと変わらないレベルだったので映姫がのってきたのは意外だった。

 

「レバーじゃなくてリバー」

「レもリも変わりゃしないですよ」

「あなたは歴史の勉強をしなさいと言われて力士の勉強をするのですか?」

「相撲はもともと由緒正しき神事ですからね。歴史も学べるんじゃないですか?」

 

 軽口を叩いてから、ノタカは歩き始めた。

 

「じゃ、善は急げって言いますし、早速向かいましょう。なんちゃら楽団のもとに」

「待ちなさい」

 

 しかし、映姫は1歩も動かずノタカを引き留めた。

 

「私は行けないわ」

「え? 何で? もう仕事終わったんでしょ?」

「安心しなさい。相手はポルタ......騒霊よ。()()()()()()()()()()()()()()()

「いや、だとしても......」

「それに、私が行くと......警戒されます」

「......説教のせいで?」

「違います! 幻想郷の閻魔だからです!」

「分かりましたって」

「相手を威圧してしまっては纏まるものも纏まりません。いいですか、そもそも、私が非番の時に幻想郷を回っているのは何も説教のためではなく、幻想郷の住民の行いを正し、良き生を全うさせ、地獄に来ることのないよう......」

「あー、分かりましたって。1人で行きますよ」

 

 自分に返事を2回する癖がついたのは、映姫が1回では説教を辞めなかったからだとノタカは思っている。

 

 ◇

 

 霧の湖の近くの廃洋館、そこで楽団がいつも練習しているという風に聞いた。

 なのだが、湖にたどり着いたのはいいものの、いざ探そうとなると霧が濃すぎて何にも視界に入らない。うっかり湖に落っこちそうになったのも1度や2度ではない。おまけに霧のせいで着物が水分を吸収して、少し重くなってきた。

 あくせくしながら、しばらく湖の付近をさまよっていると、ぼんやりと大きな輪郭が見えた。どうやら建物らしい影だ。

 近づくごとにその影は赤みを増していく。輪郭も徐々にはっきりとしてきた。

 そうして、門が見える辺りまで近づくとようやく影の全貌が分かってきた。高くそびえる時計台にこの外観。間違いない、洋館だ。廃洋館と言えるほどボロっちくはないが、ここだろうか。

 

「あ、お待ちしておりました」

「はい?」

 

 門の前から声がした。淡い緑色の華人服を着た女性がこちらを見て深々と頭を下げる。何故か歓迎されている。

 

「どうぞ、お入りください」

「え? あ、ちょ」

 

 浄玻璃の鏡で透かそうと懐に手を伸ばすも、華人服の少女に促され、なし崩し的に門の内側へと足を踏み入れる。

 館の扉へ至る石畳の両脇には色とりどりの花が咲いていた。よく手入れされた花壇だ。廃洋館ではないようだが......。

 近くで見ると、より館の外壁の赤の色調がどぎつい。血飛沫を浴びたばかりのようだ。こう言ってはなんだが、この館の設計者はかなり趣味が悪い。

 が、こんな大きな屋敷を構えているのだ。そのプリ......なんとか楽団は想像以上に大物なのかもしれない、とノタカは勝手に気を引き締めた。

 

 この瞬間、奇しくも吸血鬼の占いと地獄の職務が"噛み合って"しまった。ただ、偶然噛み合っただけの運命の歯車はいずれガタが来る。

 

 館の扉が開かれた。

 

 待ち構えていた召使の後に続いて、ノタカが1歩1歩絨毯を踏み締める度、歯車のズレは大きくなっていった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三十、紅の女帝と銀の世界と(三)

 

 

 紅魔館に奇妙な来客があったとの一報が咲夜の耳に入ったのは、ちょうど彼女が館の掃除を一通り終えた頃だった。

 妖精メイドの1人が、ドタバタと咲夜のもとへと駆け寄ってきた。

 

「あ! 咲夜さん!」

「こら、走らない。今掃除したのにまた埃が立つでしょう?」

「あ、ごめんなさい」

 

 紅魔館はとてつもなく広い。

 故に咲夜以外にももちろん従業員はいる。門番もいるし、メイドとして働く妖精とホフゴブリン達だ。ホフゴブリンの方はそれなりに働きはしてくれるが妖精の方はほとんど役に立たない。数だけはいるので人海戦術は可能だが、そもそも指示があまり通らない。まあ、妖精メイドの大半が支給される食事目当てで、無給、しかも入るのも辞めるのも自由な職場となればこんなものなのかもしれない。咲夜も彼女たちにそこまで期待もしていない。

 今しがた終わった掃除もやったのはほとんど咲夜1人だ。いつものことなので、特に疲れ果てることもない。

 

「どうしたの?」

「あのー、美鈴さんからの言伝でして、お客様がお見えになった、と」

「あら、そうなの。今どちらに?」

 

 レミリアの言っていたことは本当だった。咲夜自身は、主人の発言に半信半疑であったことは否めない。

 

「美鈴さんが館の入り口までお連れしたとのことかので、多分まだエントランスホールだと。今、メイドの誰かが引き継いで応接間にお通しするところです」

 

 本当ならば美鈴がそのまま案内を担ってくれるとありがたいのだが、彼女は彼女で門番としての職務がある。しかし、このまま妖精メイドに任せておくのも不安だ。

 

「......すぐ行くわ」

 

 咲夜はその場から消えた。

 

「わっ!」

 

 遅れて妖精メイドが声を上げる。

 

「何回見ても慣れないなあ......って私も行かないと!」

 

 残された妖精メイドはまた、ドタバタと走りながら来た道を引き返していった。仕方がない。彼女は妖精なのだ。

 

 ◇

 

 咲夜が案内役の妖精メイドを発見したのは、ちょうど1階と2階を繋ぐ階段のところであった。もう1人、洋館に不釣り合いな着物姿の人物がいる。ひとまず、2人が2階に上がってくるのを待つ。

 妖精メイドは咲夜の姿を見るなり、階段を1つ飛ばしで勢いよくかけ上がった。

 そのまま咲夜のもとへ転がるように駆け寄る。

 

「咲夜様、この方怖いです」

 

 耳元で一言囁くと、咲夜が返答する前に妖精メイドは逃げ出した。

 

 その後、キョトンとした表情の女が階段を上ってきた。紺色の髪についた赤い彼岸花の飾りは、この館ではあまり映えない。

 

「申し訳ありません。お客様」

「はぁ......?」

「ここから先は紅魔館メイド長であります私 十六夜 咲夜が案内させて頂きます」

「冥土庁......」

 

 十六夜、と咲夜の名前を反復しかけて女はバッと自分の口を塞いだ。なるほど、怖いとは思わないが咲夜からしてみても少々奇妙だ。

 

「斑尾 ノタカです。どうぞよろしく」

「斑尾様ですね。では、お部屋にご案内致します」

 

 応接間は既に準備は整っている。レミリアが中で待っているはずだ。

 歩みを進める咲夜の背後で呻くような声が聞こえた。

 

「......リ......ム......ァ、プリ......バァ、プ......ズ......リ......ァー」

 

 当然、声の主はノタカだ。

 

「......どうなさいました?」

「ああ、いえ......聞こえましたか」

「恥ずかしながら私、横文字に弱くて。いざ対面したときにお名前を間違えないように、とこうして反復していたのです」

 

 妖精メイドはこれに怯えていたのか。

 

「お嬢様の名前をご存知でいらしたのね」

「お嬢様?」

「ええ、この館の主人 レミリア・スカーレットのことですわ。お嬢様も本日どなたがいらすかご存知ないようでしたのでてっきり初対面なのかと」

「あー、ん? 楽団の名前がここの主人の名前かと思っていたのですが、違ったのですね」

「楽団......? これは......失礼致しました。音楽をご所望でしたか。すぐに手配致します」

「楽団の手配? いいんですか? まだ、日程も何にも話し合ってないですけど......」

「......失礼致しました。何でもございません」

 

 咲夜は頭を下げた。

 

「こちらにお入りください」

 

 咲夜は部屋の1つに案内した。

 

 咲夜が開いた扉の中へと素直にノタカが入っていく。それを確認して、咲夜は入り口の前に仁王立ちした。

 

 かすかな光の中で咲夜は顎に手を当てた。ノタカが不思議そうにしているのが見える。

 

 当然だ。

 

 ここは、何にもないがらんどうの部屋なのだから。

 

 机どころか窓すらない真っ暗な部屋だ。

 

「先程から何か噛み合わないと思っていましたが──ここは、プリズムリバー楽団のいる館ではないわ」

「え?」

 

 どういう訳かは知らないが、ノタカという目の前の女はプリズムリバー姉妹の住む館とこの紅魔館を取り違えて訪問している。

 

「どこかで見たことあると思ったら、あなた、中有の道で霊夢達と戦っていた方ね。......閻魔様だとは思わなかったけど」

 

 咲夜の手には1枚の紙が握られていた。射命丸 文の文々。新聞だ。数週間前の記事で見出しには『地獄からの侵略者、襲来!?』とある。

 

「あ、あら、そんな眉唾新聞お読みになるのですね」

 

 ノタカは露骨に動揺し始めた。

 

「いいえ、これは掃除に使おうと思っていた分ですわ。ご存知かしら? 新聞紙は色んな汚れに使えるの」

 

 ノタカの言う通り、文々。新聞は信憑性は乏しい。ノタカが幻想郷の支配を狙っている、という今回の記事も中身は信用に値するとは思わない。

 ただ、紅魔館も何度か取材(被害)に合っているので分かる。

 文は全く根拠のない捏造記事を書くことはない。必ず取材を敢行し、彼女なりのポリシーに基づいてネタに大なり小なり脚色を加えて新聞にしている。

 嘘というのは、真実を入り混ぜた方が上質になる。真実ゼロの記事を文が書くことはない。取材を自ら無駄にすることはない。

 つまり、この女が紅魔館に敵意がある可能性を完全には否定できない。九分九厘はガセだが、一厘は紅魔館をベットにするには余りにも高すぎる確率だ。

 

「お嬢様には来客はまだいらしてないとお伝えしておきましょう」

「え......ちょっと」

 

 そうは言っても普段なら咲夜もここまで警戒はしないかもしれない。

 

 ──咲夜、レミィの占いの結果は『出会い』じゃないわ。『アクシデント』よ。

 

 パチュリーの忠告を回想しながら、咲夜は部屋から出た。

 スタスタとその場から離れようとしたが、背後の扉が再び開く。そんなはずはない。咲夜は焦燥を浮かべながら、振り返った。

 

「やれやれ、月の民といい......主人想いの人達が多いですねぇ」

「どうやって出たの!? その部屋から!?」

「いやー、びっくりしましたよ。急に壁やら天井やらが迫ってくるんですから」

 

 そう言うもののノタカはあまり、動揺している様子はない。

 

「悪いわね、ここから先は通行止めなの」

 

 ──幻世『ザ・ワールド』──

 

「ようこそ......私の【世界】へ」

 

 何も動かない。

 何も聞こえない。

 時の静止した空間、そこを動けるのは彼女だけ。

 数十本のナイフを一斉にノタカに突き付ける。

 

 そして──時は動き出す。

 

「これって......ぐっ!」

 

 ノタカは無数の凶器に貫かれる──ことはない。咲夜は一瞬、時間停止を解除し忘れたのかと思った。しかし、ナイフだけ止まったまま、時間は流れている。

 

「あの時の犯人はお前か!? いいでしょう......いいでしょうっ!」

 

 不敵な笑みを浮かべたノタカの周りから鎖が生まれ、鞭のようにしならせながら銀のナイフを地に叩きつけていく。

 咲夜はあの部屋にノタカを入れた後、その空間を圧縮した。しかし、平然とノタカは部屋から出てきた。今、ナイフを止めたように迫り来る壁や天井を防いだのだろうか。

 

「夜魔天の審判を......畏れるがいい!」

「あら、皆に訪れるものをどうして恐れなくちゃならないのかしら!?」

 

 何にせよ閻魔と"喧嘩"をする以外の選択肢は咲夜には無くなった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三十一、紅の女帝と銀の世界と(四)

 どこぞのボロ神社の鈴のような甲高い金属音を立てながら、ナイフがばらばらと散らばっていく。

 不意打ちの凶器がいとも簡単に叩き落とされていく。

 しかし、その様を見ても咲夜は何とも思わない。何しろ咲夜の攻撃は初撃以外も全て奇襲になりうるのだ。必ず相手を後手に回らせることができる以上、焦る必要がない。

 

 咲夜は太もものホルダーから、追撃のナイフをその白い人差し指と中指の間に挟み込んだ。

 

 時間を止め、ノタカの背後に回り込む。しかし、安易に凶刃は放らない。一瞬だけ、時を解除し、壁を思いきり蹴りあげた。黒いヒールからガツン、と音が鳴る。ノタカが振り返りかけるのを見て、再び時間を停止させる。

 咲夜が音を立てた場所、そして、ノタカが向こうとした方角にあるのは何の変哲もない窓だ。しかし、紅魔館は吸血鬼の館、日光は大きな弱点ゆえに窓の数は少なく昼でも薄暗い。もちろん、咲夜は館のことは全て把握している。

 腰から提げたアンティークの懐中時計を確認した。この時間帯であれば、この窓からは強烈な日が差すはずだ。咲夜は窓にかかっていた分厚いカーテンを勢いよく開け放った。

 同時に大量のナイフを展開する。日を浴びてキラキラと銀色に輝く切っ先がすべてノタカを向いている。

 

 ──そして、時は動き出す。

 

「うっ!」

 

 突然の光源に呻き声をあげて、ノタカはよろめいた。ナイフは直ぐに停止したが、一瞬だけ、ほんの一瞬、反応が遅れた。1本の銀の閃光がノタカの顔を掠めたところで止まる。頬に一筋の赤い線がピンと引かれた。

 ノタカは傷跡を指でソーッとなぞった。鮮血が滲んで片側だけ頬紅をしたように紅潮する。

 

「最初はね、刃物を瞬間移動させているのかと思ったんですよ」

 

 赤黒くなった指をしばらく見つめた後、ノタカは辺りに鎖をやたらめったらに振り下ろし始めた。

 最初に出た感想が「埃が立つからやめてほしい」だったのはメイドの性だろうか。

 劣化した漆喰が剥がれるかのように、ナイフが床にポロポロ落ちていく。カラン、カランと金属がぶつかり合う音が廊下に反響し、咲夜の鼓膜を引っ掻いた。

 

「ただ、刃物が顕現する度にあなたの位置が変わっている」

 

 咲夜は間髪を入れず時を止めた。

 不動の世界の中、ノタカのもとへと歩みより、中腰になってかがみこむ。

 目的は散乱するナイフの回収だ。いくつかの刃が欠けているのが目に入った。小さくため息をつく。また、新調しなければなるまい。

 咲夜が触れたものは時間停止が解除されてしまう。ノタカに当たってしまわないよう慎重にナイフに手をかけたが──動かない。

 咲夜はその端正な顔を意図せず歪めた。

 どんなに引っ張っても微動だにしない。

 ナイフの時は既に進んでいるはずなのに、だ。

 咲夜はノタカから再び距離をとり、全ての時間停止を解除した。

 

「あ! また、変わりましたねぇ」

 

 ノタカは嬉しそうに咲夜を血のついた人差し指を向けた。この所作だけ見ると最早閻魔とは思えないが。

 

「それに、さっきの部屋のこともあります。館そのものにからくりが施されているのかとも思いましたが......どうやら違うようですねぇ」

 

 咲夜はまだ何かぶつぶつ言っているノタカの周囲の床に目をやった。

 ご丁寧なことに地面に落ちたナイフをガチガチに固定しているらしい。

 そして、こうして無防備に話しているように感じてもノタカには隙が見つからない。

 咲夜のことをじっと見つめ、少しでも動いたら、あの能力を自らの周囲に張り巡らせのだから、厄介なことこの上ない。

 ナイフもそこまでストックがあるわけではない。

 このままでは負けないかもしれないが勝てもしないだろう。

 

「はっきりとは分かりませんがね。時空に作用する何かしらの術......そう、例えるなら仙術に近いもの」

「そんな複雑な術じゃないわ。ただの手品よ、手品」

 

 ポーカーフェイスを崩しはしなかったが、この短時間で攻撃手法を時空に関するものだと見破られた。咲夜の全身にわずかながら動揺が走る。

 

「あなた、仙人か何か?」

「私は......死ぬ人間よ」

「ふーん......」

 

 ただ、一方的に情報のアドバンテージを失ったわけではない。

 あくまでノタカの情報は予測に基づくものに過ぎない。今、わざわざそれを話したのもこちらを焦らせて能力を使わせ、より確証を強めるためだろう。それに、自分の能力ながら、見破られたからといって、そう易々と対処可能だとも思えない。

 そして、これが1番大きな要素だが──咲夜は1度ノタカと霊夢、魔理沙の戦闘をこの目で見ている。

 咲夜は必死にこの硬直した状況を打開できる起爆剤を記憶の奥底から掘り起こそうとした。

 

 あの時を思い出せ。そう、ノタカは1度も飛行していなかった。そして、それは現在進行形だ。

 

「あら、動きを見せなくなりましたねぇ。制約がある術式なのか、はたまた別の術を使う気なのか......」

「『サーストンの三原則』ってご存知?」

 

 時を止めてもナイフを回収できない以上、このままではどのみちジリ貧になるのは見えているだ。

 確証はないが、賭けてみる価値はある。

 

「はい?」

「手品っていうのは、種明かしをしては駄目。繰り返しやっても駄目」

 

 咲夜はホルダーにナイフをしまい直した。

 

「そして、これから起こる現象を先に説明しちゃ駄目なのよ」

 

(お嬢様、申し訳ありません......)

 

 咲夜は、心の中で主人・レミリアに謝罪した。

 何もこの勝負に屈したわけではない。勝利のためだ。

 

(少々お館、傷付けてしまいます)

 

 ──時は、()()する。

 

 最初に変化が始まったのは絨毯だった。紅い絨毯が、赤く、朱く、変色していく。絨毯の毛色が赤黒くくすみ、ほつれ始めた。ボロ、ボロと1ヶ所、また1ヶ所と穴が開き、隠されていた床が現れた。

 そして、その床も毛羽立ち、いびつに歪み、もう何年進んだか分からない。床板はグシャグシャに腐食し、バキリと陥没し、やがて自重で崩落した。

 

 狙い撃ちするのは一瞬の隙、1階に落下していく、判断力を失う、その時だ。ほんのコンマ数秒、ノタカが1階へと落ちゆくまでの時間、集中する──咲夜は目を閉じた。

 次々と落下する木片が立てるドサリという音が鼓膜を揺さぶる。

 

 そして、瞼を持ち上げた。同時に時間を停止させる。

 

 しかし、止まった時の中、ノタカは変わらず同じ場所に立っていた。

 

 しまった。時を止めるのが少し早かったか。

 咲夜は時間停止を解除した。

 

 それでもノタカは重力には従わず、無いはずの床の上から動くことはなかった。 

 

 自らに照準を定めた鎖を目にして、ノタカが宙に浮いていることを咲夜の脳はようやく認めた。

 

 

 ◇

 

 

 紅魔館の数多ある部屋の1つ。

 その暗い室内で静かに、スースーと掠れた笛のように、規則正しく寝息がたっていた。

 しかし、鈍い音に重なって突如として部屋が揺れる。

 決して大きい振動ではなかったが、寝息を乱すには十分すぎた。文目も分からぬ真っ暗闇の中、むくりと影が起き上がる。

 

「うーん......?」

 

 影の背中からしなやかな、枝のような突起が伸びていく。肩幅の倍にまでなったぐらいだろうか、結晶状の物体が枝から次々と吊り下がる。色とりどりの宝石のような結晶の光彩が、影が動く度、揺れて美しく暗がりの中輝く。その明かりはかえって暗闇を際立たせた。しかし、それでいい。彼女もまた、光とは相容れない存在──吸血鬼なのだから。

 少しふらついた足取りで、2人目のヴァンパイアはこの部屋唯一のドアへと向かう。

 

「ふわぁ......」

 

 可愛らしい欠伸とともに無邪気な狂気は目覚めた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三十二、紅の女帝と銀の世界と(五)

 

 

 

 飛来する鎖を火花が上がりそうな金属音とともに咲夜は弾き返す。骨が軋む。

 

「いいですか。あの時、中有の道であなたが攻撃をしかけてきたということは、ですよ。あなたは、博麗の巫女や魔女っ娘と私との戦いを、そして空を飛ばなかった私を、多少なりとも見ていたはず」

 

 足が届く範囲がぽっかりと抜け落ちた穴、その中心にノタカは依然として仁王立ちしていた。

 

「私が()()()()()()という先入観にとらわれていても無理はない」

 

 咲夜は既に分かっていた。

 これはまやかしの浮遊、ノタカは別に飛んでいるわけではない。ミスリードをしたいのかは知らないが。

 

「ご高説どうも」

 

 随分と履き潰されたノタカの草履を咲夜はじっと見つめた。

 おそらく、これを固定して浮いているように見せかけている。

 

 といってもそれを見切ったところで状況が好転するわけでもない。ナイフ攻撃は全て止められることに変わりはない。

 時間停止からの不意打ちはナイフのストック的にもそろそろ限界だ。最初の目眩ましももう効くまい。

 時間を止めた隙に直接切りかかることもできない。咲夜が物理的に干渉した物は時止めの世界に引き込んで動けるようになってしまう。

 

 あらゆる可能性を的確に切り捨てた後、ならば、と咲夜は1歩足を踏み出した。

 

 両手に1本ずつナイフを握りしめる。ゆらゆらと左右に揺れながら、穴の中心に立つノタカと対峙した。

 

 ──傷魂『ソウルスカルプチュア』──

 

 加速させるのは咲夜自身、そのまま間合いを一瞬で詰め、斬りかかる。

 

 咲夜の全身の筋肉が熱を帯びる。その瞬間、ナイフは彼女の腕の延長と化した。

 そして彼女がもてる全ての力を用いて両の腕をひたすらに振り下ろす。

 ノタカは慌てた様子で、ぴょんとまだ無事な床に跳び移った。

 刃は僅かに届かない。ノタカの手前を真一文字に切り裂くにとどまった。

 

 

 しかし、高速で振り回されるナイフはある現象を生み出す。

 

 

「鎌......鼬!?」

 

 ノタカの髪が、ハラハラ散った。

 

 極限まで加速された切っ先が唸る。

 

 連続して鋭い衝撃波を浴びせる。

 

 紙一重でノタカは避け続けるが、少しずつ、少しずつ壁際へと追いやられ、上体が後ろへ傾き始める。

 

 ノタカにはこの風の斬撃は止められないらしい。押せている。

 

(このまま......!)

 

 そして、ついにノタカは大きくのけぞった。

 

 しかし、咲夜に不意によぎった嫌な感覚──何か、見逃している......!? 

 

 そうだ、草履を固定していたのであれば、どうやって草履を履いたままでノタカはジャンプした? 

 草履を足場にしていたというのなら、ノタカがそもそも床に跳び移れるはずがないのだ。

 

 そう言えば──以前、魔理沙が墜落しているのを見かけたとき、魔理沙は本人の意思を介さずに魔力を放出し続けているように見えた。

 ただ"物を固定する"というだけの能力でそれが可能なのか? 

 

「気づきました?」

 

 後ろに倒れたノタカの足が高々と振り上げられる。

 

「私の能力は......物の"座標"だけではなく──」

 

 草履の裏が日差しに反射して、一瞬キラリと光ったように見えた。

 

「"状態"も固定できるんですよ」

 

 魔理沙が墜落した時、あの時の凝り固まった違和感が消えた。魔理沙は八卦炉を制御しきれなかった訳ではない。八卦炉が魔理沙から魔力を吸い上げ、放出し続ける"状態"に縛られていたのだ。

 

 同時に、ノタカの今までの行動が走馬灯のように駆け巡った。

 

 仕組みが分かってしまえば何のことはない、最初に落としたナイフを踏みつけ、草履とナイフが接触した状態をキープした。自分の周囲を歩きづらくしてまで、ナイフを固定したのはこれを目立たせないためだったか。

 

 そして、咲夜が床を崩した瞬間、ナイフのみ固定し、草履とくっついた状態を解除した。ナイフを足場にし、無い床に立っていたのだ。ナイフが草履とは既に分離している以上、無事な床に跳び移るのも可能だろう。

 

 さらに、ジャンプして跳び移る時に、ナイフの固定を解除してしまえば、ナイフは1階へと落下し、咲夜の目には何も映らない。

 

 そして、今、ノタカは草履でもう一度ナイフを踏んでいた。その瞬間、はりつけ、足を振り上げて、解除する。遠心力でナイフは前方にすっ飛んでいく。

 そしてその終着点は当然、

 

「ガッ......」

 

 咲夜は腹部に強い衝撃を感じた。ナイフの柄がみぞおちに食い込む。

 

「種や仕掛けがないのも結構ですが......手品ってのはこうやって先入観を利用してやるもんですよ」

 

 くるりと1回転して着地するノタカが揺れ動く視界の隅にうつる。

 

「さてと、では私はこれで......」

 

 ノタカはその場をあとにしようとする。

 

「待ちなさい」

 

 が、ある声が引き留めた。

 

「......どちら様?」

 

 ノタカは訝しげに振り返る。

 同時に周囲に紅い霧が立ち込める。

 

「お嬢様......!?」

 

 咲夜は何とか顔を上げた。紅い瞳、軽くウェーブのかかった青い頭髪、そして黒々と主張する背中の翼。

 見返ったノタカの視線の先にいたのはレミリア・スカーレット、その人であった。

 

 

 ◇

 

 

 ノタカの視線の先には見てそれと分かる蝙蝠の羽をもった少女がいた。

 いつの間にいたのか分からない。

 真っ赤なもやが出てきて、すぐに晴れたかと思ったら、そこに彼女がいた。

 

「フフフ、何だか物音がするから様子を見に来たら......来ていらしたのね」

「あのー、私どうやら勘違いでここに来てしまったようなので、そろそろお暇を......」

 

 良くない空気を察知し、ノタカは苦笑いで後ずさる。

 直ぐに分かった。咲夜よりも一回り幼い、この少女が館の頂点だ。それに咲夜の方は人間だったが、こちらはどうもそうではないらしい。

 

「あら、うちの従者をこんな目に合わせておいてただで帰すとお思いかしら?」

 

 少女はいまだうずくまったままの咲夜の肩をポンと叩いた。

 何かしら言おうとしたノタカだが、どうやら向こうはヤル気満々らしい。口をつぐんだ。

 しかし、あまり、というか全然余裕はない。湖畔で迷い倒したこともあってか、地獄を出発してからかなりの時間が経過していると見ていい。

 一応、映姫に片棒を担がせてしまった以上、進捗を報告する手筈になっている......のだが、今のところは何も伝えていない。これ以上連絡を怠ると、どやされる可能性が高い。

 

紅魔館(ここ)の主人 レミリア・スカーレットよ。さあ、あなたも名乗りなさい」

「......斑尾、ノタカ」

 

「咲夜、随分斬新なもてなし方をしたものね。嫌いじゃないわ」

「お嬢様、申し訳ありません。私の独断で......」

「独断? いいえ、これは紅魔館の主が直々に吹っ掛ける"喧嘩"よ」

「お嬢様? 一体......」

 

「さあ、買うの? 斑尾 ノタカ?」

 

 だからと言って、この状況で呑気に映姫とお喋りできるほどノタカは図太くない。

 思えばこの館はあちらの縄張り、挙げ句に従者だけでなく主人も神出鬼没とあればそもそも逃げることなど不可能だったのかもしれない。

 

「全く......そうですねぇ、値段によります。いくらです?」

「私が勝ったら......そうねぇ」

 

 少女は何がいいかしら、と呟きながら、しばし虚空を見つめた。といっても素振りからして、内容はどうやら最初から決まっていたらしい。

 

「妹と軽く、遊んでもらいましょうか」

「妹......? 子守りをしている暇はないんですがねぇ」

 

 しかし、そもそも目的の場所はここではないのだ。尚もノタカは脱出の糸口を探し続けた。が、少女の次の一言でか細い抜け道は完全に潰された。

 

「残念ね。あなたの目的のプリズムリバー楽団、私が話をつけてやることもできるのよ? ......もちろん、その逆もね」

 

 従者から聞きでもしたのか、何なのか、これでもかと足元を見てきた。レミリアの紅い眼の奥底が笑っている。

 

「......すいませんねぇ、映姫。もう少し遅れそうです」

 

 宣戦布告の意味合いで落ちていたナイフを拾い上げ、軽く投げる。が、あいにくとノタカにナイフ投げの心得などない。放ったナイフはくるくると回転しながらレミリアのもとへと飛んでいった。

 しかし、彼女はなんと目を閉じた。どんなに下手なナイフとは言え、当たりどころか悪ければただでは済まない。というか仮に平気だとしてもノタカの夢見が悪い。

 慌ててノタカはナイフを固定しようとしたが、その必要はなかった。

 うずくまっていたはずの咲夜が弾き落とす。例え、自らの膝がつこうとも主人への凶刃だけは防ぎきるというその執念、恐れ入る。

 

「咲夜、ここはいいわ。パチェに館の修繕の話をしておきなさい」

「......はっ! 直ちに」

「いえ、後でいい、と言うのよ」

「......え?」

 

 吸血少女の八重歯から笑みがのぞく。

 

「どうせ、もっと壊れるんですから!」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三十三、紅の女帝と銀の世界と■■■■(六)

 咲夜が音もなく消える。

 残されたレミリアが足の爪先でとん、と地を蹴るとその体が宙に浮き上がった。

 

「さてと、じゃあ早速......」

 

 レミリアがパチンッと指を鳴らした。彼女の周囲に次々と弾幕が生み出される。

 

「始めようか」

 

 こうなったらもうどちらかが技を使い切るか体力がなくなるまで終わりはしない。

 ノタカは特に構える様子もなく腕を後ろで組んで真っ直ぐとレミリアを見据えたままだった。

 レミリアはその右手を軽く開いた。紅く輝き始める。そしてその光は如意棒の如く縦に大きく伸びた。

 

「貫けぇぇぇぇ!」

 

 ──神槍『スピア・ザ・グングニル』──

 

 レミリアが大きく振りかぶる。対象を仕留めるためだけに作られた紅い巨大な槍。ノタカを串刺しにせんと紅く煌めきながら一直線に突き進む。それに追随して次々と殺意の塊のような弾幕が撃ち込まれる。

 ノタカは腕を組んだまま動かない。

 眉間まで紙一重で槍は止まった。周囲の弾幕も同時に停止する。

 槍先からジリジリと圧を感じる。やはり、見た目は少女とて人間にあらず、1つ1つの攻撃が洒落にならない。

 鎖をぐるぐると巻き付け、ぐしゃりと槍を潰す。槍は赤い霧状になって霧散した。

 

「あら、今ので潰すつもりだったのに......意外とあっさり対処されるものね、残念」

「あっさりですって? ご冗談を」

 

 フッとノタカは息を吐いた。

 華奢な体躯にそぐわぬ火力をノタカは、まざまざと見せつけられた。

 

「じゃ、これはどうかしら!?」

 

 レミリアが赤い何かをばらまいたのが見えた。

 それらが羽虫のようにうざったく動き回り、ノタカを狙う。

 

 ──『レッドマジック』──

 

 ノタカはいつもの通り、弾を止めて叩こうとした。

 しかし、止まらない。

 能力が効かない。

 

(どうなってる!?)

 

 弾が鼻先を掠めた。

 鉄のような不快な臭いが鼻腔に侵入する。

 

 血だ。

 

 血液を、操っている。

 液状の物は──私には止められない。

 

 レミリアは血液をばらまき続けながら廊下を目にもとまらぬ速さで飛行し続ける。一旦退こうにも咲夜が開けた穴がそうさせない。

 

 室内では砂のような即席の防壁も作れない。おまけに向こうは目が眩む程の高速飛行、こちらはこの足1つで避けるしかない。

 とにもかくにもひらけた廊下では向こうに地の利がある。

 場所を移したいが、近くにあるのは壁が迫ってきたあのがらんどうの部屋だけだ。

 

(仕方ない......!)

 

 レミリアの服を固定する。一瞬止まったレミリアだったが、体が数十匹のコウモリへと分解し、バラバラと飛び立った。

 

(なるほど、この身体能力、吸血鬼のものでしたか)

 

 相変わらず血液の弾は激しく飛び交っている。しかし、これでいい。一瞬の隙を作ることができる。ノタカは勢いよく駆け出した。前方、血の弾幕をわずかに掻い潜り、滑り込む。バリバリと音がする。着物が板切れに引っ掛かり、裂けていた。が、そんなことを気にしている余裕もない。

 手近な部屋に転がり込んだ。壁には装飾が施され、中央には20人ほどが座れそうな豪勢な長机があった。すぐさまドアを固定しようとしたが、レミリアもそれは承知の上、固定する前に紅いナイフ状の弾がドアを粉々に打ち砕く。すぐに、血の弾幕を伴ってレミリアが侵入してきた。

 ノタカは机を蹴倒し、防壁に転用する。太鼓のような音を立て、弾幕が机と衝突した。

 取りあえずこのすばしっこい吸血鬼を閉ざされた場所に誘導することはできた。

 しかし、光源はより制限された。破壊されたドアから漏れ出るわずかな光だけが頼りだ。そして、恐らく吸血鬼側は夜目が利く。

 余り状況が好転したとは言えない。

 

 ──呪詛『ブラド・ツェペシュの呪い』──

 

 レミリアは再び、血の弾幕を展開した。今度の弾はより速く、より鋭い。ナイフ状に形作られた血液が狭い室内で飛び交う。

 

 ノタカは悪魔のピンボールに囲まれていた。

 嫌な汗が背筋を伝う。

 これならまだ廊下で闘った方が勝機はあった。視界不良の中では、跳弾を1つずつ捌くのにも限界がある。

 沸々とわきあがる後悔の念を圧し殺し、血のナイフ弾を鎖で貫き続ける。

 

 収束する大量のナイフ。

 先程隙間を縫って逃げ出したのを警戒してのことだろう、共にレミリアも徐々に距離を詰めてくる。ジリジリと後退するノタカ。ふとひんやりとした感触を背中に感じた。もう、壁際だ。

 爛々と輝く紅い瞳に窮地に追い込まれた自分が映る。

 

 ただし、まだ終わるつもりは毛頭ないが。

 

 ナイフを鎖で叩きながら、もう1本の鎖をレミリアのもとへと這いよらせる。

 レミリアは最小限の動きで簡単に避けた。

 

 当然だ。彼女を狙ったのではない。

 

 鎖は脚に巻き付いた。

 レミリアでも、もちろんノタカのものでもない。

 

 散らばる椅子の脚だ。

 

 部屋中の椅子を片っ端から血の弾幕へと投げ込んだ。

 丁寧に装飾された椅子が、次々と粉々に刻まれ、砕け散っていく。

 そして、何の機能もない木屑へと変わり果てる。

 

 ノタカはひゅうひゅうと宙に舞う木っ端を、固定した。

 

 ナイフの跳ね返りがより激しくなった。が、最早レミリアの制御下にはない。ノタカを狙い撃つこともなく乱反射を繰り返し、互いに衝突し、消し飛ぶ。

 

(これだけ数が減れば......)

 

 残ったナイフを鎖で貫いた。

 ひとまず、猛攻をしのいだことに安堵する暇もなく──バタバタと羽音がした。

 見ると、破片の合間をスルスルと抜け、大量のコウモリがノタカの前後左右を飛びまわり、ニヤリと笑みを浮かべる少女の姿を構成していく。

 

 すかさず鎖を伸ばすが、その攻撃を嘲笑うかのようにレミリアは再度霧散した。

 対処しようにもいかんせん視界が悪過ぎる。木片の固定を解除し、少しでも光を取り込もうとする。

 

 しかし、その木片の落下する音に紛れ、悪魔が頭上に顕現していた。

 

 ──悪魔『レミリアストレッチ』──

 

 ノタカが振り返った頃にはレミリアが弾丸のようなその拳を振りかざしていた。

 

 声にならない声を発しながらのけ反る。服を縛る。

 かろうじて軌道がずれた拳はノタカの脇の壁を生卵のように容易く潰し、ぶち抜いた。

 

 ノタカは鎖をレミリアへと差し向けた。

 レミリアは壁から右手を引っこ抜いて応戦を図る。が、抜けない。ノタカは既に壁とその破片に能力を使っていた。もう逃げられまい。

 

 しかし、再びレミリアは不敵に笑うとなんと──右腕を左手の手刀で切断した。

 レミリアはそのまま飛び上がって鎖を回避する。もう既に右手は何事もなかったように再生していた。

 

「吸血鬼、ねぇ......見るのは初めてですが、噂に違わぬ怪物だ」

「ええ、よく言われるわ。私に敗北した者にはね!」

 

 ノタカの口角が自然とつり上がる。レミリアの口元からギラギラ輝く八重歯がのぞく。

 お互いが再び間合いをとった。仕切り直しだ。

 

「悪いわね、この喧嘩......"先払い"になりそうよ」

「......へ?」

 

 が、レミリアの視線は不意にこちらから、ふらりと外れた。

 

「お......様! 何し......る......!?」

 

 微かに声がする。レミリアとは異なる、より幼い......いや、余り変わらないか? そんな声だ。口調からしてもこれまでに目撃した館の住民ではない。

 

「あら、フラン起きたの? ちょうどいいわ。朝食前の運動よ。この方が遊んで下さるわ」

 

 レミリアが明らかにノタカではないどこかへと呼び掛ける。

 腐乱? この方? 遊ぶ? 

 

「......誰?」

「さあ?」

「よ......分かん......いけど......」

 

 レミリアの視線はここで完全にノタカから外れた。

 しめた。今のうちに! 

 

態勢を整えようとしたノタカの視界が突如ぐらついた。

 

 爆音がノタカの耳をつんざき、脳を激しく揺さぶった。

 

 間髪入れずに2回目の轟音が鳴り響き、今度はより大きく地を揺らした。

 

「いて」

 

 コツンと頭に何かぶつかる。

 ノタカはその"何か"を拾い上げた。

 頭に衝突したのは、見覚えのある木目の木片であった。辺りを見回す。

 

 随分部屋の間取りが広くなったものだなあ......? 

 あの従者がまた何かしたのだろうか......いや、違うな。

 

 目の前の壁が、飾ってあった絵画ごと──消え去っていた。

 レミリアの姿もない。

 かわりに、前方──本来であれば2つ隣の部屋だろうか、そこにぼんやりと影が見えた。

 影の両脇には色とりどりに煌めく結晶が見える。

 

「何だかもう壊れてたからあんまり変わんないかなと思って、壁2つ、だけ......壊しちゃった」

 

 今度はよりはっきりと声が聞こえた。異様な光景とそれにそぐわぬあどけない声色が全身の神経を嫌に撫でる。

 

「私、フランドール・スカーレット。あなたは?」

 

 スカー、レット......。

 ああ、合点がいった。

 

「後でレミリア(お姉様)にでも聞いておいてくださいな」

 

 弾幕の雨を目前にしてノタカは"先払い"の意味を理解した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三十四、紅の女帝と銀の世界と■■■■(七)

 

 

 フランドール・スカーレット──それが、私の名前だ。誰がつけたのか、誰に育てられたのか、全く記憶にない。物心ついた頃には、フランドール・スカーレットとして暗い地下の底で暮らしていた。そこから長い間、私の地下暮らしは続いた。別に閉じ込められていた訳でも無理やり監禁されていた訳でもない。そもそも()()()()を前に私を囚われの身にできるものなどない。

 外に出なかったのはそうする必要がなかったからだ。食事はちゃんと提供される。不自由さを感じることはなかった。

 会うのは唯一の肉親、姉のレミリア・スカーレットのみ。特に姉妹仲が良いとも思わなかったが、それで十分だった。地下室からすら、出たいともそれほど思わなかった。ましてや吸血鬼の害となる日光が照らし、雨が降り注ぐ地上へなど出る意味がなかった。

 

 地下で暮らしている年数を数え始めて495年目のあの日、博麗 霊夢に霧雨 魔理沙──私が初めて生きている人間達に出会う日までは。

 

 ◇

 

 フランドールが挨拶がわりと言わんばかりにばらまく弾幕を固定し、鎖で撃墜する。

 

「へぇ、あなた、弾を......止められるの?」

 

 クスリと笑い声がした。

 

「おや......幻想郷で私の能力に興味を示してくれたのはあなたが初めてだ」

「弾を止めるだけなら紅魔館(うち)にもできるのはいるけど、それを見せてくれたのはあなたが初めてだもの」

 

 何もかもが異様で、妖しい様相だ。

 薄墨色の暗闇の中で眼前の壁に開いた大きな風穴。

 そしてそこにたたずむ少女のほの暗い輪郭。

 少女の左右、極彩色の結晶が、黄色の髪を目まぐるしく変化させながら照らす。

 唇の間から鋭い犬歯が一瞬光った。案の定、というか当然、吸血鬼だ。

 

「どういう経緯かは知らないけれど、あなたと遊べばいいのかしら?」

 

 フランドールが小首を傾げた。

 見た目相応なものだ。仕草だけは。

 

「いいえ、と言ったら?」

「決まってるじゃない。あなた()遊ぶわ」

 

 ──禁忌『レーヴァテイン』──

 

 魔力、という奴なのだろうか、魔理沙から感じたものと同様の力を真ん前の少女からも感じとった。

 しかし、魔理沙(人間)のそれとは比べ物にならない。圧倒的で、絶望的なものだ。

 思わずノタカの踵が後方へわずかにずれる。

 気圧された、という表現がこんなにぴったりだと思ったこともそうない。

 

 闇の中、赤い点が現れた。

 その赤い光源で、ノタカは初めてはっきりと少女の顔を捉えることができた。明らかに日本人とは一線を画すその顔立ちは、確かにレミリアによく似ているように思える。

 紅蓮の炎がパチパチと音を立てながら、少女の手中に収まっていた。ぼんやりと光輝くそれは、鈴奈庵の雑誌で見かけたロウソクと洋菓子で誕生日を祝う雰囲気にそっくりだ。

 無論、そんな優しさに溢れた炎で無いことは分かっている。

 フランドールが軽く腕を振ると炎は魔剣と化した。

 そして、もう一振りで辺りの命を刈り取るように赤いレーザーが部屋中を襲った。

 

「くっ!」

 

 たまらず廊下へと転がり出す。

 背後からボワッと熱気が押し寄せる。

 廊下で一呼吸置こうとするも、それは甘い考えだったようだ。またもや壁が弾け飛んだ。

 ぶん殴っただとか何かぶつけただとかそんな壊れ方ではない。火薬でも仕込まれていたかのように内側から突如として爆発した。

 頭の整理がおっつかない。

 ノタカは飛び散る壁の欠片を呆然と見送る。しかし、最恐の生物 吸血鬼がその隙を逃すはずがない。

 フランドールはその衝撃に乗じて、素早く姿を現した。

 慌てて廊下の角に身を押し込む。最初の遊びはどうもかくれんぼになりそうだ。

 壁に背中をもたせかけ、打開案でも練ってみようかと「うーむ」と唸る。

 すると、突然ノタカは体幹を抜き取られたようにバランスを崩した。

 よっかかった背後の壁が抉りとられて簡単になくなり、鼻っ面にパンチを食らった時みたいにグラリとよろける。

 細かい粉塵の隙間から、再びフランドールが視野に入った。

 彼女が燃え盛る炎の剣を振りかざす度に火球が一面に散らばる。

 どうやらかくれんぼはお気に召さなかったらしい。

 たまらずくるりときびすを返して地を蹴り、もう一度角に逃げ込む。

 先程まで足がついていた床が、消し炭にする気満々の業火に包まれる。

 予め防火の術でも張り巡らされているのか延焼していないのがまだ救いだ。

 

 一呼吸おく間もなく、またもや頭が割れそうな爆発音がした。咄嗟に警戒心の網を張り巡らせ、身構えるも今度は正面にはあの特徴的な結晶は見えない。

 緊張を解きかけたその時、

 

「見いつけた」

 

 後ろか。

 

 獲物を前に舌なめずりでもするかのような笑みが、真っ赤な焔が、知らぬ間に背後に近寄っていた。

 きゅっと体がこわばるのを感じる。服を縛って軌道をずらす猶予もない。染み着いた感覚のみで全身を捻って何とかかわす。

 冷えきった背筋を魔剣が掠め、暖める。

 しかし、その温もりに優しさは微塵もない。

 振り下ろされた炎の剣が床を叩き割った。

 ぶわあと熱気と共に巻き上がる粉塵を固定して、ノタカは命からがらその場を退く。

 さっきの爆発音からするとどうやら、中央の部屋をぶち抜いてノタカの裏を取ったらしい。

 

(どんな思考回路してんだ!?)

 

 暗い廊下をあてもなくひたすら逃げる。時折放たれる弾幕がノタカが通った道を過去のものにしていく。感覚的には崩落していく吊り橋を必死に駆け抜けているのに近い。

 

 酷く木屑が散らばり、穴だらけになった館は、長年海底で忘れ去られていた沈没船のように変わり果てていた。 

 こんなにボロボロになって大丈夫だろうか、とノタカは余所事の心配をする。

 一瞬だけ足を止め、その辺に転がっていた木片をたった2つ、2つだけフランドールの方へとひょいと放ってみた。

 1つはあっという間に爆発四散した。

 

「あら?」

 

 2つ目はフランドールへとそのまま真っ直ぐ向かった。少女は軽く体をよじってかわす。カラン、と乾いた音が響いた。

 

 フランドールの頭上に疑問符が見えた。ただ、まだその程度だ。動揺させる程ではない。

 2つ目はその形を保つ状態に縛って投げた。意図的にフランドールが破壊しなかったのでさえなければ、その状態の物を彼女は壊せない。

 しかし、相手が何を壊そうとしているのか分からない以上、狙ってあの破壊行為を防ぐのは無理がある。

 館全体を縛ろうにもそんな猶予が与えられるはずがない。

 状況はほとんど変わっていない。向こうが狩人、こちらが兎だ。

 

「逃げてばっかりじゃつまんないわ!」

 

 フランドールの甲高い声が響く。

 もう少女は目前まで迫っていた。

 ノタカはひとまず、カラカラになった喉に唾液を押し込む。

 何も無策で防戦一方であったわけではない。大方、"破壊"の仕組みについても分かってきた。今、必要なのは"破壊行為に耐えること"ではなく"破壊行為そのものをさせないこと"だ。

 ジリジリと後ずさりをする。その分だけ、フランドールもこちらへ前進してくる。

 

「壇公の三十六策、走ぐるは是れ上計なり......三十六計逃げるに如かず、ですよ」

「最強の策ばっかり使われちゃつまんないって事よ!」

「......ごもっともだ。じゃあ、逃げるのは終いにするとしましょうか」

 

 そして、ノタカは立ち止まった。

 いつの間にか最初の場所に戻ってきた。

 足元の黒い着物の切れ端を拾い上げる。レミリアとの戦闘時に木で引っかけて破れたものだ。爆風でここまで飛んできたらしい。

 

 最初の場所、つまり、背後には咲夜があけた下階に通じるあの奈落。

 逃げないのではない。

 もう、逃げられないのだ。

 

 ノタカの紺青の髪がふわりと広がった。

 キョトンとした顔のフランドールが見えた。

 

 そりゃそうだ。

 

 後ろに倒れこむ。足裏の感触が消えた。

 ノタカは奈落の底へと吸い込まれていった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三十五、紅の女帝と銀の世界と■■■■(八)

 今日のフランドール・スカーレットの寝覚めはあまりいいものとは言えなかった。

 ズシン、ズシンとした振動に全身が揺り動かされた。自然とまぶたは開く。が、別にこれ自体は対して珍しいことでもない。

 大体音の発生源は紅魔館地下......といってもフランが普段いる部屋よりは上の階層の図書館だ。

 たまには様子を見に行くか、と完全なる気まぐれから少女は図書館へと赴いた。

 しかし、特段変わった様子はない。いつもなら金髪の魔法使いと紫の魔法使いがやり合っているのだが、今日は騒音の発生源はここではないらしい。

 かわりに紫の魔法使い──パチュリーがぽつねんと座っているだけだ。どことなく表情が暗いようにも見えるが、余り平常時と変わらない様子にフランは多少落胆した。

 フランは図書館に見切りをつけて、音の発生源を確かめようとした。

 

 そして、数分後、彼女は彼岸花の髪飾りをつけた女を見つけたのだ。

 興味本位でそして、安眠を邪魔したことへのほんのちょびっとの怒りで女と事を構えることにした。

 

 しかし、その女は空洞の奥底へ今、消えた。

 

 女は穴に飛び込んだようにも、単純にけつまずいて落下したようにも見えた。

 そもそもフランが開けた穴でもない。

 何も考えずに追ってよいものだろうか。

 フランは魔剣を引っ込め、煌々と輝く巨大な弾幕を穴の上部に出現させる。

 

 世の中の全ての物質には、"目"と呼ばれる最も緊張した部位が存在している。そこに力をかければどんな頑強なものでも簡単に崩壊する。当然、一目でどこかは分からないし、多くは露出もしていない。

 しかし、フランは物体の"目"を視認し、右手に移動させることができた。

 軽く、本当に軽く右手を握りこむだけでどんなものでも──木っ端微塵。

 

 出現させた巨大弾の"目"を右手に移動させ、指を折り込んでいく。

 

「キュッとして......」

 

 握れば

 

「ドカーン」

 

 終わりだ。

 

 ──禁弾『スターボウブレイク』──

 

 爆発音と共に穴の中へと砕けた弾幕の矢が降り注ぐ。ドドドと滝壺のような音が数秒間流れた後、無音の時間が訪れた。

 

 その静かな時間にフランは動き出した。ぽっかり口を開けた穴をそろそろと覗きこむ。誰もいないことを確認し、中へと慎重に降下した。

 

「先に範囲攻撃しておいてから、自らが侵入するのはその後......」

 

 声がした。右側。

 そして、右目と右目、左目と左目が合う。

 

「意外と冷静ですねぇ」

 

 床裏からぶら下がった逆さ吊りの女がいた。

 

「悪さしてたのはそこだな?」

 

 自分で分かる。私は今、驚いて、動けない。

 

 女はスーッとフランの右手を優しく握りこんだ。

 

「こうでもしないとあなたには近づけないと思いまして」

 

 拳が何かに覆われる。

 黒い布切れだ。何かで無理矢理引き裂かれたようにズタズタにほつれていた。

 ふりのけようと手を振るも全く離れない。左手でひっぺがそうとしても結果は同じだ。石膏でも流し込まれたようにフランの右手はたったの布1枚にガチガチに固められた。

 

 咄嗟に左手を振り上げた。そのまま手のひらが右の腕を通り抜ける。

 

「全く......姉妹ですねぇ......」

 

 女がありありとその顔に苦笑いを浮かべる。

 フランの腕はちゃんとあった。再生した覚えはない。

 切断したはずの腕がピッタリとくっついてる。布は既にヒラヒラと舞い落ちた。

 しかし、手が──正確には先程切り離したはずの部位がピクリとも動かせない。力が入らないだとか、骨が抜けてふにゃふにゃになったとかではない。腕を上げても手首がぐねんと曲がったりはしない。マネキンにでも変えられたかのように動かない。

 

「切り離された腕は最早"生命"ではない」

 

 女はくるりと1回転して地面へ降り立ち、乱れた髪をさっとかきあげた。

 

「あー、頭に血が......」

 

 使い物にならなくなった腕をぶら下げながら、フランはよろける女を見下ろした。

 

「面白いことするのね」

「先にお姉さんと闘っておいて良かったですよ。吸血鬼(あなた方)の常識を知れた」

 

フランは腕だったものを撫でた。感覚はない。

 

「まあ、私の右手が使えないんだったら......」

 

 ──禁忌『フォーオブアカインド』──

 

「私以外が使えばいいの」

 

 フランは4人になった。

 

「え?」

「塵1つ残さない!」

 

 魔法で複製された3人のフランがそれぞれ猟犬のように飛び回って女を追いたてる。

 

「ヤバいっ......!」

 

女の焦ったような呟きがスッと耳に入り込んだ。

 小さな爆発音が立て続けに辺りに響く。分身の右手の能力は使えることが確認できた。

 女はエントランスホールへと駆け込んだ。入り口から逃げる気か? 時間感覚が曖昧だが、まだ太陽は沈んではいないだろう。流石に外に出られると吸血鬼の身ではそれ以上追えない。

 2人の分身を無駄に大きな玄関へと先回りさせる。

 しかし、女の狙いはそこにはなかったようだ。

 エントランスホールの中心にある上階へと続く階段の側、豪勢なシャンデリアの真下で玄関の分身と真っ直ぐ向き合っていた。

 フランと3人の分身が直ぐに女を囲いこむ。

 

「もう逃がさないわよ?」

「あなたのは鈴仙(あの玉兎)の幻術というよりも、魔術に近いもののようだ。まあ、何を拠り所にしていようと......分身(そのへん)の対策は済んでるんですよねぇ」

 

 女は懐から手のひらサイズの透明な玉を取り出した。

 

「右手が動いていない。本体はお前か」

 

 そのまま、フランの方へとスッとかざす。女の歪んだ像が水晶越しに見えた瞬間、言い知れぬ居心地の悪さを感じた。

 反射的に空中へと跳ね上がる。が、間に合わなかったらしい。

 

 ──審判『浄玻璃審判 フランドール・スカーレット』──

 

 フランがまた、3人増えた。

 しかし、サイドテールの位置が逆だ。そして、握ろうとしている手も。

 分身の"目"が移動していくのが見える。

 全てのコピーが一斉に我先にと拳を握りしめる。フォーオブアカインドの分身も、鏡写しの分身も......誰もいなくなった。

 

「何を......」

 

 わずかな間のことに、フランは自分の視界が狭くなるような動揺に蝕まれた。

 そして、自分の全てがピッキング行為を食らったようなこの何とも言えない感覚は一体......。

 

「......何をした!? 私にっ!」

 

 しかし、上まぶたを引きつらすような目つきで、声を荒げたのは何故か女の方だった。

 

「いや......あなたじゃないな」

 

 水晶玉を凝視していた女が勝手に納得したのか、首をフルフルと横に振った。

 

「アッハッハッハ、なるほど、そういうことか。私はまんまと......そうですね、さながらアメノウズメとして利用されている訳だ」

 

 そうかと思うと1人で笑いだした。不気味だ。

 

「そこまでせずとも割りと......社交的なように思えるんですがねぇ」

 

 今度はその黒い瞳がフランをじーっと見つめる。自然とフランは顔を背けた。

 

「あなただけ......何か見透かしたつもり?」

「いーえ。何にも見えてなかったという話ですよ」

 

 女は水晶玉を再び仕舞いこんだ。その行為にどことなく安心した自分がいることにフランは気づいた。

 

「私にも見えないもの?」

「さあねぇ。見えないかもしれませんが......感じることはできるんじゃないですかね。しかし、だ。いかんせんあなたはあらゆるものと関わらな過ぎ、それを感じようにも経験が足りない」

「あら、私に説教? にしても何の事だかさっぱりだわ」

「これは私の経験則ですが......説教ってのは分からないくらいがちょうどいいんですよ」

 

 喉の奥でクスクスと女は笑っている。

 

「聞き流せますからねぇ」

「......ま、いいわ。私もあなたのこと、1つ分かったもの」

 

 どこか楽しげな女に釈然としない感情を抱きながらフランは鼻を鳴らした。

 

「あなた、飛べないんでしょ?」

「......何でこう、すぐバレるんでしょう。皆さん、勘がいいというかなんというか」

 

 女は途端に苦虫を噛み潰したような顔へと変わる。この掴み所のない女に一杯くわせたという事実にフランは素直に喜んだ。

 

「あら、適当にかまをかけたんだけど......当たるものね」

「全く......かましてくれますねぇ」

 

 女はそう呟くと、シュルシュルと鎖を手当たり次第に伸ばし出した。

 余りに突然の一転攻勢、根でも生えたかのように、フランの体が思っているよりワンテンポ鈍く動く。

 数本の鎖が大蛇のようにうねりながらフランをつけ狙う。

 そうはいっても吸血鬼、その身体能力をもってすればこの程度ならばかわすことは容易い。

 

「遅い、遅い!」

 

 広いエントランスホールであれば尚更避けやすい。何故、女はここを反撃の場所として選択したのか。

 鎖は蜘蛛の糸のように張り巡らされていくが、どこにも掠りすらしない。エントランスホールには、カチカチと鎖の擦れ合う音だけが空しくこだまする。

 

「やれやれ、これだけやってもあなたには当たりませんか」

 

 女は笑っている。それが余裕から来るものなのか、それとも逆境によって乱れた心をごまかすためなのかはフランの知るところではない。次で、確実に捻り潰す。

 

「私、まだ朝御飯食べてないの。お腹空いちゃったから残念だけど......お遊びはここまでよ」

 

 ──禁忌『フォービドゥンフルーツ』──

 

 弾幕が辺り一面を真っ赤に染め上げる。

 フラン自身の視界すら埋め尽くす高密度の弾幕が襲い掛かる。

 

「本当に、お遊びじゃ済まなそうなことしますねぇ......」

 

 鎖も弾幕の軍勢の前に砕け散っていく。この女には"物を止める能力"があるようだが、この本気の弾幕を容易に対処できるとは思えない。

 

「まあ、これだけの攻撃を仕掛けてるんだ。あなた、まだそこから動けていないでしょう?」

 

 ジャラ、と金属が擦れる音が聞こえた気がした。しかし、鎖の攻撃は来ていない。

 気にせず、攻撃を続行しようとしたがその音は段々大きく、近づいてきていた。それも頭上で、だ。

 

(シャンデリア......!?)

 

 パッと見上げるとあのきらびやかなガラス装飾が、一瞬天井が落ちてきたのかと錯覚するほどに、目と鼻の先にまで迫っている。

 あの自棄糞にも思えた鎖の攻撃は、フランの場所をシャンデリアの直下へ制限するため、そして、このシャンデリアを吊るすチェーンをバレずに切断するため──。

 後は、固定したチェーンを好きなタイミングで能力を解除すれば、豪勢な爆弾の完成だ。

 

(間に合え......!)

 

 左手で右腕をガッと掴んだ。切断ではまた、切った瞬間に固定される恐れがある。だから──引きちぎる! 

 状況が状況だからなのか、不思議と痛みはない。右手は無事、動かせる状態で再生できた。

 シャンデリアの"目"を移動させる。そして掌中に収まった"目"を握りこむ......が、壊せない。びくともしない。

 

 ガシャンという音とともにフランの視界は暗転した。

 

「飛べないってのも悪かないんですよ? 相手の視線が下にしか向かないですからねぇ」

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三十六、紅の女帝と銀の世界と(九)

 

 扉をこつこつ叩く音がする。

 

 今日は中有の道は殊更に賑わっていた。

 色とりどりの屋台が立ち並ぶ中で、この掘っ立て小屋の存在に気付く者なぞいない。

 気付いた、あるいは知っていたとしてもわざわざ律儀にノックまでする者なんてより限られてくる。というかほぼ特定できる。

 

「はいはい、開いてますよ。どうぞー」

 

 相手が分かっている故のいい加減な返事に応じて、何かに引っ掛かったようにがたがた、とぎこちなく扉が開く。

 その人物は慣れた様子でするりと小屋に入り込む。

 四季 映姫だ。

 しかしながら、ノタカからしてみれば今最も来てほしくない人物である。

 

「邪魔するわ......って!?」

 

 ピタリと映姫の翡翠のような瞳が止まった。がっつりノタカと目が合う。プイと顔を背けるノタカと対照的に映姫は頬がひきつり始めた。

 

「......笑うな」

「ひ、久々に見たわ。それ」

 

 映姫なりに必死にこらえようとはしているのだろうが、隠すのが下手すぎる。普段は真一文字に結ばれた口元が震えているのがしっかりと分かる。

 

「しょうがないでしょ、一張羅が台無しになっちゃったんですから」

 

 じろじろと感じる映姫の視線に、ノタカはぶっきらぼうに返事をした。不機嫌の原因はこのシワシワの制服だ。破れた着物の修繕が遅れているとかで、嫌々引っ張り出してきた。

 一方、いつ見ても映姫の制服は頭から爪先まで、シワ1つない。

 勝っている所と言えば、新品同然のノタカの服の方が色味がいいことぐらいか。

 

「何があったら楽団と交渉しに行くだけで服がズタボロになるの」

 

 映姫が呆れたような表情をこちらに向けながら、向かいの椅子に腰かけた。そんな事はノタカが1番聞きたい。

 

「こないだ説明したでしょ。その通りの事ですよ」

「そもそも私の話をちゃんと聞いていないのが悪いのよ」

 

 グッと言葉に詰まるノタカ。その通りではあるのだが、相変わらずこの同僚は容赦ない。こうして姿勢よく正面に座られているだけで尋問されている気分だ。

 

「いいですか、あなたは昔から人の話を......」

「ま、まあ、結果オーライって奴ですよ。結局、あの吸血鬼に楽団の手配を手伝ってもらった訳ですから。にしても......」

 

 さらなる追撃を準備し始めた映姫の意識をそれとなく窓の方へと反らした。

 外では砂を踏みしめる音が止まない。普段から人通りが少ない訳ではないが、いつも以上に黒い人波が押し寄せている。お目当てはもちろん例の楽団のライブだろう。

 

「この盛況ぶりなら成功と言えるんじゃないですか? 本当に人気なんですねぇ」

 

 この調子であれば間違いなく屋台の売上も好調だろう。今月はミラの前でも多少でかい顔ができる......とまではいかないか。

 

「そう言えば、あなた今日は非番ですよね?」

 

 仕事の虫の映姫が、ここにいるということは今日は彼女は自由だということだ。

 

「え? 私はこれから......」

「幻想郷中説教行脚ですか? 非番の時くらい羽のばしたらどうです?」

 

 彼女はその自由な時間を犠牲に、生者に善行を積むよう説いてまわっているらしいのだが。

 

「常時羽がのびっぱなしのあなたに言われたくないわね」

 

 またもやありがたいお話が始まる雰囲気が小屋中に漂い始めた。ノタカは再び口八丁手八丁で逃れようとする。

 

「ほ、ほら、ここの屋台での飲み食いなら地獄にお金落ちますし」

 

 その甲斐あってか、職業柄迷うことのない映姫にしては珍しく2つの事柄の間で葛藤しているように見えた。それでも地獄のためというのが、最後の一押しになったのだろうか、映姫は何か吹っ切るようなため息をついた。

 

「......分かったわ。せっかくだし、今日は楽しむとしましょう」

「そうそう、それでいいです。ちょうどライブも始まる頃ですし」

 

 ほっ、と観念した映姫の背筋が一瞬緩んだように見えたが、また直ぐにピンと糸で吊られたように正される。

 

「......でも、今から行ってまともに見れるのかしら?」

 

 映姫は疑うような顔つきでノタカを見た。無理もない。小屋の外は砂を踏みしめる音が全く止まない。この様子だと会場は既に老若男女人妖問わずギチギチに詰まっていることだろう。

 

「フフ、この斑尾 ノタカをなめてもらっちゃ困りますよ。はい」

 

 その辺りはノタカも抜かりない。

 机の上を滑らせるように映姫へ1枚の紙切れを差し出した。椅子から立ち上がり、映姫がそれを覗きこむ。

 

「......整理券?」

「1枚だけね、取っといたんですよ。本当は暇だったら観にいこうかなぁと思ったんですけど」

「あなたは忙しい、のね」

「いえ、我慢できずに予行演習観ちゃったんでねぇ。いやぁ、良かったですよ」

「一瞬でも気を使った私が馬鹿だったわ。でも、私がこれ使っていいのかしら?」

「閻魔が地獄の行事で優遇されて悪いなんてことないでしょうよ。それに、そもそもあなたの発案ですからね」

「......あなたといると私が堅すぎするのかと思ってしまうわ。じゃあ、これ、ありがたく貰っていくわね」

 

 映姫は整理券を手にとると、扉の立て付けに苦戦しながら、雑踏の中へと紛れていった。

 1人減っただけなのに、小屋の中がどこかガランとする。

 ノタカはゆったりと背もたれに身を預け、天井を見上げる。

 これでライブ会場の警らは必要なくなった。

 

 

 ◇

 

 

 紅い館の地下図書館、そこではいつもの2人が会話に華を咲かせていた。

 

「レミィ、タロットはもう飽きたの?」

 

 パチュリーはつい昨日までレミリアの手元にあったものについて尋ねた。

 

「ん? ああ、あれはもういいの。役目を果たしたから」

「役目?」

「運命には分岐点がある。その分岐に必要だっただけよ」

「......そう」

 

 この友人がよく分からないことを言う時は、大体恥ずかしい時かカッコつけたい時、もしくはその両方だ。

 パチュリーは、机に無造作に置かれた1冊の本を手に取り、パラパラとめくる。静寂な図書館に乾いた紙の音が静かに響く。そして、1つの項目で目を留めた。

 バタフライエフェクト──元は気象に関する用語だが、広くは些末な出来事が大きな因果関係をもたらすことを意味する。

 レミリア・スカーレットはざっくり言うとこのバタフライエフェクトを認知し、ある程度操作できる......らしい。本人から聞いた訳ではなく、あくまでもレミリアの言動をパチュリーが独自に観察して出した結論だ。

 今回はその運命操作を惹起するために、タロットカード占いを利用したということなのだろう。推論の域は出ないが。

 

(まあ、何の運命をいじくったかは大方見当はつくけれども......)

 

「素直にフランと外の繋がりを増やしたかったって言えばいいのに」

 

 ボソリとパチュリーは独り言のように呟いた。

 以前はレミリアはフランを外には出したがらなかった。そのためにパチュリーは館の周りに雨を降らせたこともある。姉として何か思うところがあったのだろうか。パチュリーには分からない。もし分かったとしても、それを推察するのは野暮というものだ。

 

「え? 何か言った?」

「いえ、私には運命ってやつが見えないってだけの話よ。今日はその地獄耳、調子悪いのね」

 

 フランがどうかは知らない。が、パチュリーとしては、レミリアに運命を握られるのなら別に悪くはない。

 

「私にも全ては見えないし、見る気もないわ。だって、全部うまくいったらつまんないじゃない?」

「......そうね」

 

 レミリアはずるそうな笑みを浮かべた。

 彼女なら、これまでも何か面白い運命を私に押し付けたかもしれない。そしてこれからの長い人生にも、ちょっとしたスパイスを加えてくれることだろう。

 

「あ、あと館の修理、お願いね」

 

 まあ、そのスパイスが刺激的過ぎることはあるだろうが。

 図書館中にこだました地鳴りが頭の中でフラッシュバックする。

 ボロボロの館を想像し、パチュリーは机に突っ伏した。

 

 ◇

 

 フランドール・スカーレットは朝食をとっていた。

 といっても外は既に真っ暗だ。

 本来夜行性たる吸血鬼の彼女にとっては"朝食"で間違いないのかもしれないが。

 ふと、窓から漏れる月光に目を向ける。

 しばしの間、目を細めながら月を見詰めていたが、やがて、フランドールは名状し難い料理を口に運んでいく。その原材料は──人間は知らない方がいいかもしれない。

 

「ねぇ、咲夜」

 

 ナプキンで綺麗になった、フランの口が咲夜の名を呼んだ。

 咲夜は淡々とはい、と返事をした。

 次の瞬間には空いた皿は下げられていた。

 

「いつの間にあんなのが幻想郷に来ていたの?」

「私も正確にはお答えしかねますが......少なくとも先月には」

 

 フランはイスをカタカタと揺らしながらへぇー、と軽い反応を示した。

 暫く前後左右に椅子を揺らし続けていたが、そういえば、とパタリと体を止めた。

 

「咲夜の事を知ったのも霊夢と魔理沙(あの2人)が来てからだったわね」

「ええ」

 

 咲夜は以前からフランの世話をしていたが、レミリアの指示でフランには見られないようにしていた。恐らく主人は人間の脆さを知らないフランから咲夜を守ろうとしていたのだろう。

 フランとこうして話せる状況にしてくれた、といった点では咲夜はあの2人には密かに感謝していた。本当に密かに。

 

「......館の外がお気になられましたか?」

「いや、そんなに」

 

 ばっさりと切り捨てるようにフランは言った。

 

「それは失礼致しました」

 

 咲夜は軽く頭を下げた。

 微かに聞こえる虫の声だけが不規則に時を刻んでいく。眠り込んでしまいそうな静寂がしばらく続いた後、フランは決まりの悪そうに口を開いた。

 

「ただ、ほんの少しよ。ほんのちょびっとだけね」

 

 フランは親指と人差し指で小さく隙間をつくってみせた。

 

「白黒の魔法使いだの、天狗だの、さっきの変な女だの、いっつも"お客様"しか見たことなかったから......たまには私が"お客様"になってもいいかなと思っただけよ」

「さようでございますか」

 

 咲夜は反射的に微笑んだ。

 魔理沙も文もノタカも客ではないが、そんなことはこの際どうでもいい。

 

「せめて咲夜が生きている内に1回くらいは、ね」

「......楽しみにしておきます。お嬢様にお伝えしておきましょうか?」

「アイツには言わなくていいわ。どうせ笑われるだけだから」

 

 フランは不満な様子で、口を三角形に歪めた。

 

「ええ、きっと......そうなさるでしょう」

 

 フランの成長をレミリアは心から笑うだろう。だが、その笑いの意味をフランは把握しきっていないようだ。

 咲夜は、実の妹よりも自分の方がレミリアの心情を把握していることに少し優越感を覚えた。

 

『女帝』の逆位置、暗示するは「我が儘」、そして「伝わらない愛情」。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三十七、黄泉の剣客(一)

 文は大きく深呼吸をした。夏のもっさりとした熱気が肺に流れ込む。意を決して、文はオンボロ扉に軽く汗ばんだ手をかけた。

 

 次の瞬間、扉が粉々に吹き飛んだ。反射的に避けようとするも体がピクリとも動かない。扉を突き破ったのは鈍い銀色の鎖であった。そのまま、なすすべなく文は鎖にぐるぐると捕らわれる。そして、悲鳴をあげる暇もなく消えた扉の奥へと引きずり込まれていった。

 

 

 ◇

 

 

 シャリ、シャリ......。

 文は少し身をよじってみたが巻き付いた鎖が空しく擦れるだけだ。

 

「あ、あのー」

 

 腕に食い込む金属の冷ややかさを感じながら、正座させられた文は、ノタカに声をかけた。スカートが全く動かないので、逃げるどころか立ち上がることもままならない。

 

「今夜は鳥鍋ですかねぇ?」

 

 ノタカがボソリと呟いた一言は今の文の処遇では冗談には思えない。今にも刃物を研ぎだしそうだ。

 

「いや、あのー、私、鳥は鳥でも烏天狗ですので......」

「あ、そうだ。忘れてました」

 

 ノタカはわざとらしくポンと手を叩いた。

 

「烏の皮は臭みがあるといいます。ちゃんと下ごしらえを......」

「あのー、そっちじゃなくて天狗の方を重視していただければなあ、と」

「天狗の肉を食らえば不老不死になれるという言い伝えが......」

「閻魔様が不老不死になってどうするんですか!?」

 

 文の悲痛な叫びにようやくノタカは茶番劇をやめると眼を見開き、文をカッと見下ろした。

 

「あなたの記事のお陰で至る所で合わなくていい災難にあってましてねぇ......」

「え? ほんとですか?」

「......何で嬉しそうにしてるんですか?」

 

 我が『文々。新聞』は里の人間向けとそれ以外の人妖向けの2種類発行している。しかし、自分で言うのもなんだが、人妖向けの方はそこまで評判がいいわけではない。それが今回は記事にされた本人に影響が出るほど読んで貰えたとは、今年の新聞大会はいいところまで行けるかもしれない。文は目の前の人物が全てを見透かす閻魔であることも忘れ、1人ほくそ笑んだ。

 

「で、何の御用なんです?」

 

 ノタカはこの小屋で唯一まともそうな家具であるソファを引き摺って文の前に持ってくると、そこに足を組んでふんぞり返った。絵面的には玉座の王とその前に引き出された奴隷だ。

 

「あ、聞いてくださるんですか?」

「わざわざ鳥鍋になる危険を冒してまで私の前に姿を現したんだ、またトンデモ取材をしに来た訳じゃない。何か余程の事でしょう?」

 

 そう、今回文はノタカのことで取材に来たわけでも、無論ノタカの晩御飯として来た訳でもない。

 

「ええ、それがですね。実は......」

 

 

 ◇

 

 

 長い、長い石階段の先に静かにたたずむ白玉楼──冥界の主、西行寺 幽々子の屋敷では呑気な欠伸が聞こえてきた。

 

「ふわぁ......」

 

 妖夢は大きく口を開けた。

 現世は今頃じめじめとした熱気に覆われていることだろうが冥界はそんなことはない。四季の移ろいと過ごしやすさを両立した空間だ。

 特にすることもなく縁側にこしかけ、今しがた整え終えた庭を眺める。

 

 主人の幽々子はここにはいない。

 1人でどこかに出かけていってしまった。

 

 幽々子自身は昔から天衣無縫であったが、以前はここまで積極的に足を伸ばすことはなかった、らしい。

 それはストッパーとなる人物がいたからだ。

 名を魂魄 妖忌──先代の西行寺家専属庭師兼剣術指南役であり、妖夢の祖父だ。

 

(......懐かしいな)

 

 そんな祖父は私がまだ小さい頃に、突如いなくなった。厳格な祖父のことだ。何か目的あってのことだろうが、妖忌がどこにいるのか分からない以上、今となってはその真意をはかることはできないが。

 妖夢は、そっと脇に並べた刀を撫でた。白楼剣と楼観剣──どのみち妖夢は祖父が残したこの2本の刀と教えをもとに日々剣の鍛練を積む他はないのだ。

 

 しかし今は、祖父よりも主人の行方の方が気になる。

 行き先もいつ頃帰ってくるのかも全く聞いていない。よくあることと言えばよくあることなのだが、不安でしょうがない。

 何も幽々子程の実力者を心配している訳ではない。むしろ妖夢自身が、1人で留守番する羽目になることへの心細さの方が大きい。幽霊まみれの冥界の住人が何を言っているのかと思われるかもしれないが妖夢はお化けの類いが苦手なのだ。

 

 

 ドン、ドン

 

 

 そういう訳で突如として鳴った物音に大袈裟にびくついた。長刀の楼観剣を背中に、短刀の白楼剣を腰に。咄嗟に2本の剣を携える。しかし、すぐに落ち着きを取り戻した。

 物音は門の方角だ。

 幽々子だろう。門は開けているのにわざわざ叩くのは不自然だが、幽々子ならあり得る。無論ビビる妖夢をからかうためだ。

 

 妖夢はホッとしたような、呆れたようなため息をつくと、平静を装って長い庭を抜け、門へと向かった。

 

「もう、からかわないでください! 幽々、子......様?」

 

 門前に立っていたのは桃色の髪の亡霊ではなく、銀髪の杖をついた1人の老婆であった。

 

「......幽々子嬢はおられるかの?」

 

 ◇

 

「確かに怪しいですけど......」

「そうでしょう? 現世で冥界への道を訪ねる老婆なんて!」

「んー......」

「どうかされましたか?」

「いや、それを何故私に? 博麗の巫女にでも解決してもらったらどうです?」

霊夢(あの人)はそう簡単に動いてくれないので」

「......私はチョロいってか」

「いえ、とんでもない。冥界絡みでしたので閻魔様であれば何かご存知かなあ、と」

「いーや、あいにくと私は何も。あなた、直接冥界に調べに行けばいいんじゃ?」

「ええ。もちろん、私も冥界へ向かうその老婆を尾行しようと思ったんですけど......あの」

 

 文はここまで言って、少し口ごもり、身をよじってみせた。

 

「ん?」

「鎖、解いて頂いても?」

「......しょうがないですねぇ」

 

 その場で鎖がスーッと消えていく。

 晴れて自由の身となった文はポシェットから数枚の写真を取り出し、ノタカの前に並べた。いずれも遠方から老婆を盗撮したものだが、

「怖くないですか? 全部私の方にピースしてるんですよ!」

 

 何故かどの写真も老婆はこちらへ指を2本立てていた。つまり、文の尾行だけでなく文が写真を撮るタイミングを把握していたということだ。

 

「あんまり怖がってないでしょ、あなたは。また、例の新聞のネタでも見つけて喜んでるんじゃないですか」

 

 ノタカは疑り深い目をこちらへ向けた。

 

 図星を突かれ、文はつい頭をかく。確かに奇妙なことこの上ないが、老婆に対して抱いた感情は恐怖ではなくジャーナリズムへの探求心だ。

 

「あやや......流石閻魔のご慧眼で......」

「そんなの閻魔じゃなくたって分かるでしょうよ。しかし、まー、みょうちくりんなのばっかりですねぇ。顔はあんまり見えないのに手だけは全部こっちに向けてるんだから」

 

 流すように写真に目を通していたノタカが不意に眉をひそめた。

 

「.....ん? ちょっと、待ってくださいよ」

「何か心当たりが?」

 

 そのわずかな反応の変化を幻想郷最速の天狗・射命丸 文が見逃すはずがない。

 老婆は杖をついていたがそれが何かしら引っ掛かったらしい。

 

「この杖......いやいや、まさかねぇ......」

 

 ノタカは苦笑いを浮かべて首を振った。

 

「......ちょいと気が変わりました。私も同行します。冥界へ向かいましょう」

 

 

 ◇

 

 

「......何故分かった」

 

 妖夢の手には楼観剣が握られていた。その切っ先は老婆の眼前に突き付けられている。

 

「知れたこと! 杖を必要とするような者がここまで来れるわけがない! ならばその杖、仕込みだと読んだまで!」

 

 しかし、老婆まで刃が届くことはない。

 

「そういえば杖は歩行を助ける物であったのう......」

 

 先程まで老婆がついていた杖にはキラリと刀身が出現し、切っ先を受け止めていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三十八、黄泉の剣客(二)

 文はパタパタと羽をはためかせ、砂利道に着地する。そして、背後を振り返った。人1人が入れるかどうかといったサイズのただの木箱。それが1つだけプカリと空中に浮いている。奇妙な光景だ。

 文は右、左、右......3歩ほど歩いてみた。文が踏み出した3歩分だけその木箱は距離を詰めてきた。

 

「閻魔様ー、つきましたよー」

「はいはいー」

 

 文は木箱に声をかけた。くぐもった、気の抜けたような返事がかえってくると、ドスンと箱が墜落し、土が軽く舞う。

 

「いててて......ケッホ、ケッホ」

 

 くぐもった咳と共に木箱の蓋がズルリとずれ落ち、乱れに乱れた紺色の髪がひょっこり姿を現す。

 老婆の写真よりも正直こちらの方がインパクトは強い。思わず文はカメラのシャッターをこっそりと切った。

 

「それ、どうなってるんです?」

 

 文は今にも崩れそうな木箱を指した。ノタカの小屋に転がっていた何が入っていたのかも分からない箱だ。

 そんな何の変哲もない木箱にノタカは潜り込み、文に冥界へ向かえ、というのだ。当然困惑したが、もっと戸惑ったのは飛行する文の後ろをピッタリとこの木箱がついてきたことである。

 

「木箱と......あなたとの距離を......一定の状態に固定した、だけです。手綱のいらない......馬車みたいなもん、ですよ」

 

 ノタカは四つん這いのまま顔を上げることなく答えた。時々嗚咽が聞こえる。

 

「あの、もしかして酔ってます?」

「あなた、ちょっと速すぎます......ね。私箱の中でずっと回転してましたよ......」

 

 飛べないノタカが冥界に来るのは一苦労らしい。

 

 ついてくる木箱が面白くて錐揉み飛行を繰り返していたことについては黙っておくことにした。

 

 ノタカはようやくふらつきながら立ち上がった。まだ暗い箱の中に目が慣れたままなのか少し眩しそうである。

 

「......で、ここは?」

「白玉楼です。冥界だとここくらいしか行き先はないかなと思いまして」

 

 2人の目の前にそびえ立つ木製の大きな門。開いた門の奥には桜並木が美しい日本庭園に、巨大な屋敷が待ち構えている。

 

「冥界って生者でもこんな簡単に来れるんですねぇ。結界が張ってあるという話は聞いたことがあるんですが」

 

 首を傾げるノタカに文はおずおずと口を開いた。

 

「あのー、そろそろ教えて頂いても?」

「ん?」

「いえ、あの老婆と閻魔様のご関係を」

「......いや、私は無関係ですけど」

 

 ピクリとも表情を変えずに答えるノタカに対して、文の頬はひきつる。そりゃそうだ、わざわざノタカを連れてここまで来た甲斐がなくなりかねない。

 

「......え?」

「いや、ここ数週間是非曲直庁で奇妙な噂が流れてましてね」

「奇妙な噂?」

 

 ノタカは軽く頷いて話を続けた。

 

「顔は若い女なのにひどく腰が曲がったお婆さんだの、体つきは年頃の女性なのに顔は年寄り、みたいな奇妙な人物がうろついてるって」

「噂、ですか......」

「閻魔の噂は結構信憑性高いんですよ。皆嘘つかないですからね」

 

 ノタカはしばしの間を開け、多分、と付け足すと自らが反証だと言わんばかりに目をそらした。ある意味正直なようにも思える。

 

「まあ、ただ、どの目撃証言もその怪しい人物が“白髪”で“杖をついていた”っていうのは一致してるんでね。ちょっと気になったってだけ......ん?」

 

 まさに白玉楼へと向かおうとしていたノタカが引っ張られるように足を止めて、振り返った。文もつられて足を止め、見下ろすようなノタカの視線の先に顔を向けた。

 白玉楼へと続く長い長い石段の終点にゆらりと人影が現れていた。

 

 

 ◇

 

 

「ほう、見事な刀じゃ。名うての刀鍛冶......それも人外の作品とみえる」

「......くっ! 刀を見ている暇があるのか!」

 

 老婆は目線こそこちらへ向けてはいるが、妖夢など眼中にないかのように楼観剣の品定めを始め出した。

 思い切り力を込め、その視線ごと老婆を振り払うと、バックステップで1度間合いを取り直す。妖夢はなおも老婆から目を離さない。

 しかし、なんと老婆の方は鞘に杖を収め、妖夢に背を向けた。

 

「まあ、しかし、幽々子嬢がおらなんだら、儂も長居はするまい。出直すとしようて」

 

 ボソボソと呟くと、不器用に杖をつきながら白玉楼を後にしようとする老婆。

 妖夢は開けた間合いを再び詰め寄り、老婆に斬りかかった。老婆はくるりと体をひねり、妖夢の刃を杖から僅かに出した刀身で受け止める。

 

「......なんじゃ?」

「暗器を持って主人を捜していた──そんな奴をただで帰すほどこの魂魄 妖夢、甘くはないぞ!」

 

 妖夢の目尻がおのずとつり上がる。

 

「魂魄......? ああ、なるほどお前さんが......」

 

 その威圧的な形相に反して、刀に映る老婆の口角がみるみる綻んでいく。

 

「けっけっけ、儂とやる気か? 面白い、面白いのう。儂はちいとばかし......」

 

 今にも帰ろうとしていた老婆は気味の悪い笑い声を上げると、一転、杖の鞘を抜き放ち、妖夢へとほうった。

 

「強いぞ?」

 

 鞘の先端が迫り来る。カッと小気味よい音と共に、妖夢が楼観剣の峰でそれを払う。次の瞬間、視界にはもう既に手の届く範囲にまで、杖の剣先が近づいていた。

 

(......速い!)

 

 突き、突き、突き。鋭い三段突きが妖夢の体を掠めていく。

 

 小回りのきく刀で払ってカウンターを仕掛けようと、妖夢は腰に差した短刀──白楼剣を抜いた。

 代々、魂魄家の者にしか扱えないとされる青白い刀身が鞘からするすると姿を現す。

 一太刀で幽霊の迷いを断ち、成仏させる刀。

 

 そして、この刀は一振で自身の迷いすらも、断ち斬る。

 

 が、刀を抜いた次の瞬間、強烈な悪寒が妖夢を襲った。

 この攻撃を真っ向から受け止めたくない、いや、受け止めてはならない、そんな直感が妖夢の全身を駆け巡った。反射的に刀を使うことなく剣先をかわす。

 考える間もなくその直感に委ねるまま、ひたすら体を捻って、ただただかわすことに全力を注ぐ。

 

「けっけっけ! いいぞ、いいぞ、避けてみい!」

 

 この速さの突きを繰り返していながら、老婆は息1つ荒げない。対して最小限の動きでかわしているはずの妖夢の方が肩で息をし始めていた。

 かわすだけなら刀をおさめてしまえばいいのだが、その隙も貰えやしない。

 

「しまっ......!」

 

 カチ、と軽い金属音が鳴る。

 ほんの少し、わずかに剣先が触れてしまった。

 それを手先で感じとったのか老婆の口角の皺が深くなる。

 

「耳は、塞ぐでないぞ」

 

 次の瞬間、

 

 キィィィィィィィィィィィィィィィイイイイ!!!!!! 

 

「ぐっ!?」

 

 少しかすっただけで何百枚もの皿を引っ掻いたような身の毛もすくむノイズが流れ込む。

 

(しまっ......)

 

 反射的に耳元へ運んだ妖夢の手が弛んでしまった。

 

「塞ぐな、と言うた」

 

 老婆はその隙を逃さない。高々と舞い上がる2本の刀。弾かれた剣先がサクリと地に突き刺さるまでの一瞬がスローモーションで再生される。

 すかさず追い討ちをかけようと老婆は止めの突きを構えた。

 

「む?」

 

 しかし、老婆はピタリと動きを止め、そして、扇状の残像と共に杖を後方へ振るった。老婆は眉を潜めた。

 

「半霊......そんなものもあったのう」

 

 もう1人の妖夢──姿を変えた半霊の斬撃は防がれる。

 

「ちっ......」

 

 

 半霊が元の白い霊魂の形になって妖夢の傍らへと戻ってきた。

 その隙に楼観剣を地面から抜き取り、再び老婆の方へと構え直す。しかし、今の不意打ちは何も立て直すのが目的ではない。妖夢は仕留めきるつもりだった。防がれてしまった以上、もはや策も、体力も妖夢には残されてなかった。

 目の前の剣士と自分は格が違う。それは五感で、実感した。それでも妖夢の目は死ぬことなく、見開かれていた。眼前の老婆の一挙手一投足、全てを見逃さない心積もりで。

 

「こんなものではないじゃろ?」

 

 が、老婆はあろうことか懐からキセルを取り出し、プカプカとうまそうにくゆらせ始めた。ふぅー、と煙を吐くと余裕綽々な表情を浮かべる。

 

「お前にとって私は......その程度か!?」

 

 一瞬で老婆の懐に潜り込み、一切の無駄のない洗練された動きの袈裟斬り。

 煌めく切っ先が大きく縦に通り抜ける。

 

「おっと、気に触ったか?」

 

 老婆は見た目に大きく反した身のこなしでそれを受け流す。

 が、完全にはいなしきれなかったらしい。キセルの先端がポロリと落ちた。

 

「何も愚弄したわけではない。その逆じゃ」

 

 老婆はキセルを口から吐き出し、逆手に握りしめた。

 

「お主相手には儂()2本目が必要だと思ったまでよ」

 

 老婆は白い歯を見せた。真っ二つのキセルの中からドスの刀身がギラリと現れる。

 

「どんだけ仕込んでるのよっ......!」

「持てるだけ、じゃ」

 

 老婆は細い手が一層骨張るほどにキセルの匕首を固く握りしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三十九、黄泉の剣客(三)

 桃色の髪が冥府の冷たい風にたなびく。体を揺らしながらのんびりと姿を現したのは白玉楼の主・西行寺 幽々子であった。

 

「あら、こんなところで......うちに何か御用かしら?」

 

 扇で口元を隠してはいるが、目は笑っている。

 

「あ、幽々子さん。ちょうど良かった、ちょっとお伺いしたいことがありまして」

 

 文は手帳とペンを手際よく取り出し、もう片方の手で幽々子の前に数枚の写真を差し出した。無論、例の老婆のものだ。

 

「こちらの方、ご存知ですか?」

「......ええ」

 

 幽々子は顔色1つ変えることなく、こっくりと頷いた。事もなげに。

 

「えっ!?」

 

 文は思わずずっこけそうになった。まさか知っているとも、また知っていようともこんなにあっさり認めるとは思わなかったのだ。

 しかし、目の前にいるのはあの"西行寺 幽々子"だ。

 

「でも、簡単には教えられないわ。情報がただではないことはあなたが誰よりも身に染みて分かっているでしょう、ブン屋さん?」

 

 当然、一筋縄ではいかない。

 

「何がお望みですか?」

 

 そうねぇ、と飲食店のメニューでも見ているかのように軽く悩む素振りで幽々子は呟いた。が、案外すぐに注文の品は決まったらしい。

 

「とっておきの写真を1枚、お願いしようかしら」

「しゃ、写真? じゃあ、失礼して......」

 

 亡霊はまともに映るのだろうか、などと考えながらカメラを構える文を首を振って幽々子は制す。

 

「私のじゃないわ」

「え? では、一体誰の?」

「妖夢のよ」

「妖夢さんの、ですか?」

「今、持ち合わせがあればそれでも構わないわ」

「妖夢さん......そうですねぇ......」

 

 ご所望の品はどうも従者のものらしい。

 従者が可愛いのか、それとも他に何か理由があるのか、その用途が全く分からなかった。が、文にとっては何に使うかなどはこの際どうでも良い。

 早速懐から最近撮った写真を無造作に取り出し、品定めを始める。

 

「今すぐ渡せて、妖夢さんの写真で、映りがいいものとなると......」

 

 条件を一つ一つ確認しながら文は合致する写真を漁った。そんな中、1枚の写真が目にとまる。

 

「あ、これなんていかがでしょう? 妖夢さんが霊夢さんと弾幕勝負をしている時のものです」

「綺麗ね......」

「そうでしょう、そうでしょう」

 

 感嘆の吐息を漏らす幽々子に文は満足げに頷くも、幽々子は困ったように眉を下げ、文に写真を突き返した。

 

「綺麗すぎるわ」

「へ?」

 

 謎のクレームに笑顔だった文の口元が歪む。

 

「美しくなくていいの」

「はあ......と、なると......」

「なければいいのよ。また後日、お願いするわ」

「それは困りますっ!」

 

 ネタは新鮮さが命、とは寿司屋の常套句だが、ブン屋もそれは変わらない。目の前のネタは今すぐ手に入れたいと思うのがジャーナリストの宿命だと文は思っている。

 焦りが指先に伝わり、写真がパラパラと滑り落ちた。

 1枚が幽々子の足元へと舞い、ひょいと彼女は拾い上げた。

 

「あ、失礼」

 

 写真を返してもらおうと幽々子の方へと手を伸ばすが、幽々子は写真をじっと見つめ──笑った。

 

「これでいいわ」

「え? それですか?」

 

 どんな写真だったかと文が覗き込む。

 が、あまりに予想外の写真で瞬きの回数が増える。

 宴会で酒に潰れ、口から涎を垂らしながら幸せそうに寝ている妖夢を盗撮()ったものだった。言っては悪いが──普段通りの妖夢の姿である。

 

「え? これですか?」

「ええ、よく撮れてるじゃない」

「しかし、これだといつもと変わりないのでは......」

「それがいいのよ。いつも通りの、とっておきの写真が欲しかったの。これ、頂くわよ?」

「私は構いませんよ。では、早速......」

 

 訳は分からないがそれが"西行寺 幽々子"である。

 とにもかくにも要望を叶えたのだと意気揚々とペンを持ち直す文。しかし、そんな文を幽々子はスルーする。そして、我関せず、と言わんばかりにその辺の砂利を足で均していたノタカを呼んだ。

 

「あなたにもお願いしたいことがあるのですけど......よろしいかしら?」

「え......私?」

 

 文もノタカも幽々子のマイペースぶりにパッカリと口が開く。

 

「これを、固定して欲しいのです」

 

 差し出された幽々子の掌に乗っかっていたのは1枚の桜の花びらだった。もう夏だというのにしっかりと散った直後のピンク色を保っている。

 

「私、能力の話なんかあなたにしましたっけ?」

 

 幽々子はノタカの質問には答えない。

 

「冷たい所で保管していたのだけれど、所詮花びらは"死体"......そろそろ限界。でも、あなたなら永遠に同じ姿に保てるでしょう?」

 

 幽々子の問いかけにノタカは言葉では返さなかった。ただ、黙って花びらの上に手をかざす。

 

「ありがとう、お二人さん。それじゃあ」

 

 どうやら今ので事は済んだらしい。

 幽々子は開いた門の手前まで進んだ。スーッと音もなく、というのが何とも亡霊らしい......などと呑気なことを考えていた自分を慌てて現実に引き戻す。対価を貰っていない。

 

「あ、ちょっと。まだ答えを!」

「......ああ、そのことね。10番目よ」

 

 10番目。幽々子はそれだけ言い残すと門を通り抜け、そのまま戻ることはなかった。

 

「10番、目......?」

 

 あまりにも訳が分からず、幽々子の一言をポツリとリピートする。

 一杯食わされたのかと反射的に後を追おうとするが、お待ちなさいな、との一言と共に体が壁にぶつかったように動かなくなる。文は犯人の方へ首だけ向けた。

 ノタカが渋柿でも食ったかのような苦々しい表情を浮かべていた。

 

「大体の検討はつきました。面倒臭そうなので深入りはやめときましょう。少なくとも私は......関わりたくないです」

「しかし、このまま引き下がる訳には......」

 

 なおも文はもの惜しげな顔をしていたのだろう。ノタカは文の肩をポンポンと叩き、首を振って諦めを誘った。

 

「恐らくその老婆、かつて五堂輪廻王という名で呼ばれていた者です」

「五堂、輪廻......?」

「昔は1人の亡者を十の閻魔で順番に裁いていました。その10番目の裁判を担当していたのが五堂輪廻王です」

「え......? それって......?」

「ええ。あなたも肩書きくらいは知っていましたか。十王の1人、今でいう閻魔王ですよ」

 

 ◇

 

 凄まじい連撃が始まった。

 単純に老婆の攻撃の手数が倍になったのだ。仕込み杖1本ですら苦戦を強いられていた妖夢が、窮地に追い込まれるのは必然だった。

 キセルのドスは刀で受け流し、仕込み杖の斬撃だけはかわす──そんな芸当をこの技量の持ち主相手にやってのけるのはほぼ不可能に近い。

 杖の一撃、一撃が刀に触れるたびに悶えるような不快感が鼓膜を襲う。

 厄介なのは音だけではない。激しい金属音と共にかかとが浮き、ジリジリと体が後退していくのを感じる。

 腕ごと持っていかれそうな衝撃が絶えず妖夢を襲い続ける。

 少しでも緩めればいとも簡単に吹き飛ばされる。

 

「うっ......」

 

 思わず呻き声をあげる。知らぬ間に老婆のドスが左腕を掠めていた。ブチリ、と服がほつれる、緑の糸が散っていく。妖夢はゾッとした。このままではほつれる繊維が自分の筋繊維になってしまうのも時間の問題だ。

 目で追うのがやっと、という速度の割にドスの風を切る音が微塵も聞こえない。音もなく近づく暗器がここまで恐ろしいとは思わなかった。

 

 しかし、これほどの騒音の中でありながら、老婆は涼しげな顔で攻撃を続けている。まさか、耳が遠いわけではあるまい。

 妖夢はそれが引っ掛かった。そしてここに、難敵の突破口が隠れているはずだ。

 

(おじいちゃん、私に......できるでしょうか?)

 

 いや、もうやるしかない。

 妖夢は祖父から受け継いだ白楼剣の束にチラリと目をやる。魂魄家の家紋を見て、迷いは消えた。

 

「魂魄 妖夢......参る!」

 

 老婆の懐深く踏み込んだ妖夢は、その手の白楼剣を──天高く放り投げた。

 

「何を......」

 

 老婆の眉間の皺が深くなる。

 敵が急に得物を放り投げたのだ。

 妖夢はその老婆の表情を確認し、両の手で1本、残された楼観剣をガッチリと握りしめる。

 

「ふんっ!」

 

 妖夢は刀を力任せに振り下ろした。

 狙うは仕込み杖ではなく、ドスの方だ。

 

「む......!?」

 

 火花が散る。ギリギリと金属が擦れる音がする。

 もろ手で勢いよく振り下ろされた一撃を片手の短刀で受け止めるのは流石に限度がある。

 老婆はたまらず杖とドスの2本がかりで「キ」の字のように楼観剣を受け止めにかかった。

 カチリ、と音がした瞬間、妖夢の脳内に凄まじいノイズが駆け巡る。

 

「うぐっ!」

 

 歯を食い縛ってこらえる。

 待っていた。1本の剣を2本で受け止めようと、ドスと杖が最も近くなるこの時を。

 全力でドスを押し込み、やがて──キン、と音がした。

 

「ぬおっ!?」

 

 ドスと杖が触れた。

 狙いどおり老婆が苦悶の表情を浮かべる。

 老婆にあの耳障りな音が聞こえている様子はなかったし、半霊の斬撃を受け止めた時には、妖夢にダメージはなかった。

 恐らくあの仕込み杖にはそれを受け止めた剣の持ち主のみに地獄を味あわせるのだろう。

 

 妖夢の狙いどおり自らのドスで杖に触れてしまった老婆はギリギリと歯軋りをする。苦しみが、顔の皺をより深くしていく。

 何とか持ちこたえているようには見えるが、それでも力に緩みが見える。

 妖夢はそのままドスを薙ぎ払った。

 

「ぐっ......」

 

 カラカラと短刀が転がる。

 

 老婆はもう一度あの音を妖夢に叩き込もうと、杖で突きの動作を見せる。苦し紛れに見えながら洗練された動き、これをまともに刀で受けては元の木阿弥だ。

 だが、妖夢にとっては想定の内であった。

 

(それも......読めてるっ!)

 

「なっ......!?」

 

 妖夢の横を素早く影が掠める。

 半霊だ。再び妖夢の姿をとった半霊がその手に握り締めていたのは、老婆が投げ捨てた杖の鞘であった。

 突きに合わせてスッと差し出された鞘にすっぽりと仕込み杖がはまっていく。

 先程までであれば到底こんなことはできなかったが、自爆で老婆の動きが鈍くなっている今ならできる。

 

 鞘に完全に収まる前に老婆は反射的に杖を引いた。

 まだ、剥き身の刀身の部分に向かって妖夢は楼観剣を振り抜いた。

 カキン、と金属音がしたが妖夢には何のダメージもない。

 

 一番最初の一太刀、老婆は妖夢の斬撃を杖から完全に刀身を出さずに受け止めている。その時も妖夢には何も聞こえなかった。

 この杖の特性は恐らく一部分でも鞘に収まっていると発動しないのだ。

 

 これならば容赦なく刀を振るえる。

 

「でいやっ!」

 

 杖もまたカランカランと老婆のもとを離れていく。

 2本目の刀も失った老婆は驚嘆の表情で妖夢を見据えた。

 

「何とまあ......」

 

 ここまでの時間、ほんの僅かであった。

 そう、放り投げた白楼剣がまだ宙にある程には。

 妖夢は勢いよく飛び上がり、白楼剣に再び触れた。

 そして、その手に刀を握りこむと同時に目を閉じる。

 ずしりと刀の重みがのし掛かった。

 もう何も見る必要はない。余計な情報をシャットアウトし、辿るべき2本の太刀筋だけをイメージする。

 

 振り下ろす。

 

 確実に捉えた。

 その手に鈍い感触が残る。

 

「けっけっけ......儂に3本目まで使わせるか。大した者だな......妖忌よ」

 

(妖、忌......? 今、おじいちゃんの名前を......)

 

 顔すらおぼろげな老剣士の厳かで、大きな、背中がふと妖夢の頭をよぎる。が、両手の感触の変化が妖夢を現実へと引き戻した。

 

 これは......終わっていない! 

 妖夢は目を見開いた。

 イメージ通りの箇所に刀はある。

 違うのは団子状にまとまっていたはずの老婆の髪の毛が振りほどかれていることだ。

 ざんばら髪を振り乱し、頭にあったかんざしで老婆は妖夢の刀を受け止めていた。

 そして──それを手にしていたのは白骨化した3本目の腕だった。

 

「......ん? おい、どうした?」

 

 老婆の呼び掛けに心の臓がバクつく。

 ふらふらと体の力が抜けていく。血の気が引いていく。

 

「あ......骸骨お化、け......」

「お、おい! 危ないじゃろうが」

 

 老婆は急に脱力しきった妖夢を慌てた様子で受け止めた。

 

「けっけっけ......あまり、祖父に似なかった部分もあるようじゃな」

 

 白玉楼の庭に老婆の笑い声だけがこだました。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四十、黄泉の剣客(四)

 白玉楼の門前では、1人の白髪の少女が歩き回っていた。同じところをぐるぐると、ぐるぐると、そのちょこまかとした足取りからは苛立ちと不服の感情が見てとれる。

 

「お? 今日は白い方1人か」

「全く余計なことしてくれたネ!」

 

 門から出てきた老婆を認めるやいなや、少女は飛びつき食いかかる。明らかにご立腹だ。

 

「何じゃ、わっぱ。儂に用か?」

「儂って......一人称まで変えるその徹底ぶりだけは褒めてやるヨ」

「邪魔でもしに来たのかえ?」

「ババア、アンタがワタシの邪魔をしてるんだヨ」

「誰がばばあ......おっと失敬。本当にばばあであったわ。けっけっけ」

 

 甲高い笑い声と共に老婆のシワが消え、曲がった腰がのびていく。サイズが合わなくなった着物からはみ出した手足は既に枯れ木のようではなく、しなやな腕となっていた。

 

「相変わらずムカつく笑い声だヨ」

「わらわも話は分かっておるぞ。お主の言う通り、既に補佐官付の視察の申請も済ませたんじゃ。少しくらい遊んでも良かろうて。はからずもこの......」

 

 元・老婆の長身の女性は杖を一瞬だけ抜いた。少しでも触れれば指が飛びそうな刃に、冥府の僅かな光がはねる。

 

「『銀斬嫗(かなきりおうな)』の初陣の相手も見つかったしのう」

 

 長身の女性は、最早地面に届いていない仕込み杖を手元でくるくると回す。そして、思い出したようにざんばら髪をかんざしでまとめ始めた。

 

「申請前に来ちまったら申請の意味がないだろうガ、この剣術狂いメ。勘づかれたらどうすんだヨ......ン? ン? ンー?」

 

 ここで、白髪の少女は長身の女性の頭から爪先までをジトーッと見た。

 

「どうした? 出会って幾年、ようやくわらわの美しさに惚れたかえ?」

「それでカ! 最近奇天烈なババアがうろついてるって報告が上がってたのハ!」

「何のことじゃ?」

 

 長身の女性は、プカプカとキセルをくゆらせはじめた。

 

「お前変化が完璧じゃない状態で自分の領内うろついてタロ!?」

「......わらわ、記憶になーい」

 

 タバコの煙を避けるふりをして、具合悪げに顔を背ける。やましいことがある人物しかとらない行動だ。どうやら、自分の悪行はその頭にしっかりと刻まれているらしい。

 

「いいんだヨ? アンタの補佐官にこのことチクってもネ」

「わらわが悪かった、この通りじゃ」

 

 何かが彼女をそうさせたらしい。長身の女性はこれほどまでに変わるか、というぐらい態度を180度変える。うってかわって、頭の位置が白髪の少女と同じになるくらいにまで深々と頭を下げた。

 

「おかしいと思ったんだヨ。剣術一辺倒のはずのお前さんが、いつの間にかババアへの変化術を習得してるんだからネ」

 

 目の前まで下がってきた長身の女のかんざしを、白髪の少女は指でピンとはねた。

 

「しかし、わっぱよ。お主がここまでする理由が分からん」

 

 何事もなかったように頭を上げ、長身の女は首をかしげる。

 

「私からしたラ、仕込み杖を使いたいがためにばばあへの変化術を練習する奴の方が理解し難いがネ」

「む? 2週間にしては中々のクオリティじゃろ。ほら、今度はお前さんの番じゃ。わらわの質問にも答えろ」

「いつお前が私の質問に答えたんだヨ......まあ、いいネ。何、簡単なことだヨ。ノタカと映姫(迷子2人)に引き合わせて貰ったんダ。こっちも迷子の1人くらい送ってやんなきゃネ」

「お前さんはお前さんで何を言っておるか分からんが? まあ、わらわは十分楽しめたし何でもよいがの」

「じゃあ、聞くんじゃねーヨ! ったく......お前さんは何を気に入ったんだヨ?」

「あの小娘、『銀切媼』の音を聞く前からそれを警戒した立ち合いを見せおった......流石、あやつの孫じゃ」

「ワタシは刀に詳しくないんだヨ。簡潔に言エ」

「けっけっけ。剣術は奥が深いのよ。簡潔には表せぬわ」

「......お前に聞くだけ無駄だったネ。さあ、お互い怖い怖い補佐官様にどやされる前に、帰るとしようヨ」

「そうじゃな......おっと」

 

 そう言うと慌てたように虚空に向かって長身の女はピースを作った。それを白けた目で少女が見つめる。

 

「......一応聞くが何してるんだヨ?」

「何って、ファンサービスじゃ。妾、なぜか人気でやたらと写真を撮られるでの。婆さんに変化しておった時は何となく顔を隠しておったが今はもうピチピチの姿じゃからな! バッチリじゃ!」

「......本当にお気楽なババアだネ。とっとと帰るヨ」

 

 やがて、白玉楼は冥界の静けさを取り戻した。

 

 ◇

 

 姫海棠はたては自室で1人首を傾げていた。

 

「.....何コレ」

 

 文が冥界へ向かったとの情報を得たのがつい先程のこと。そんな場所に彼女が赴く理由など取材以外に考えられない。

 遅れてなるものかと急いで白玉楼付近を愛用の携帯電話で念写してみたのだ。が、写っていたのはなぜか全力でピースサインをする女性だった。身に纏う和服はサイズが全く合っていないのかはだけて花魁のようになっている。

 そして、何よりはたて自身アングルを安定させられない念写能力ながら、画面の女性ははたてをしっかりと見つめているのだ。

 偶然でここまで、こちらと目が合うだろうか。

 軽く怯えながら、はたてはそっと携帯の画面を閉じた。

 

 

 

 ◇

「......何だったんでしょうか」

 

 文は妖夢の写真を撮って送ること、ノタカは桜の花びらを1枚、固定(……)することをそれぞれ頼まれた。ドライフラワーや押し花のようになるのだろうか。

 

「私への頼みはまだ分かりますが......閻魔様への要望は一体何なんでしょう?」

 

 文はノタカの方を何の気なしに振り返った。

 が、ノタカは心ここにあらず、と言ったところだった。

 

「あのー、閻魔様?」

 

 応答がない。目的を失った旅人のようにただ立ち尽くすノタカ。

 

「閻魔様ー!?」

「はっ......え? はい、何でしょう?」

 

 ここでやっとノタカが我に返ったように文に目線を向けた。

 

「いや、ですから。西行寺 幽々子のあの依頼はどういう意味なんだろう、と思いまして」

「......あの依頼?」

「ですから、桜の花びらをそのー、固定? してくれ、と」

 

 ああ、と一言呟くとノタカは再び黙りこくった。

 人が変わってしまったかのようにノタカは何も言わない。余りに重い沈黙にぐしゃりと潰されそうになる。文はどこかで鳥でも鳴いてこの沈黙を破ってくれないか、などと思っていたがここは冥界、鳴ける鳥など1羽もいない。

 文が耐えかねてもう一度話しかけてみようと奮い立った時、ノタカはボソリと本当に虫のような小さな声で、何か一言発した。

 

「大切な人との──......いや、それは──」

「え?」

「案外意味なんてないのかもしれませんよ。さてと、戻りましょうか。あのー、あなたがいないと私、帰れませんので」

 

 いつの間にかノタカは威厳をどこかに落としてきた普段の様に戻っていた。

 

「ええ......」

 

 階段を降り始めるノタカに続こうとするも、今度は文の心にもやが広がる。ノタカの姿が霧がかったように錯覚した。

 

 文が聞き逃すはずがない。ノタカははっきりと言った。

 

 大切な人との──“呪い"だと。思い出や絆などではない。呪い、だと口にした。

 

 そして、それは私、だとも。

 

 これについて問うのは野暮だろうか。いかに文とて、これ以上踏み込む気にはなれなかった。

 冥府の風に揺れる彼岸花の髪飾りが少し哀しげに文には映った。

 

 ◇

 

「う、うーん......」

 

 徐々に開ける視界。

 

「あら、妖夢。起きた?」

 

 聞き慣れた、たまに意地悪で、たまに理解不能で、そして──いつも優しい声。

 

「え......幽々子、様?」

 

 目を覚ました妖夢の枕元には幽々子が鎮座していた。

 妖夢はゆっくり体を起こす。変なところで寝てしまったからか体のあちこちが痛む。

 

「も、申し訳ありません。留守を預かっているにも関わらずうたた寝を......」

 

 頭を下げる妖夢。

 

「いいのよ」

 

 しかし、幽々子はそんなことは全く、気にも留めていないようだった。

 

「そんなことより、何か寝言を言っていたようだけど......どんな夢見てたのかしら?」

 

 何を言っていたのだろうか。妖夢は羞恥の念で耳たぶまで真っ赤に染まるのを感じた。

 笑わないでくださいね、と前置きして順番に夢の内容を思い出す。

 

「えーと、幽々子様がお帰りになったと思ったら......何か手がいっぱいある......お婆さんが......」

「あら、蜘蛛みたいね」

「いや、そこまで多くはなかったですけど......で、そのお婆さんが杖を持っていて、それが仕込み杖で......幽々子様が危ないと思って......それで......」

「戦ったのね? 強かったでしょう?」

「え、ええ、まあ。夢なのに......負けちゃいました」

 

 改めて自分の口で説明すると徐々に頭が整理されていく。おかしな夢を見たものだ、と。

 そして、あの老婆は妖忌の名を口にしていた。

 

「でも......どうせ夢ならお爺ちゃんにも会いたかったな」

 

 そんなこともあってかふと口をついて出た妖夢の言葉に幽々子はふふ、と微笑みをこぼした。

 

「そんなに子供っぽかったですか......?」

 

 妖夢はそれを祖父に甘えたい孫の願望だと受け取ったらしい。余計に何かこっ恥ずかしくなる。

 

「いいえ、蜘蛛はね、古来より待ち人が来る際の兆候だとされているの。だから......きっと、会えるわ」

「......へぇ? 本当なら楽しみですね......って!」

 

 幽々子は古典のようなその手の知識にも長けている。が、妖夢はあまり詳しくないし、頭にも入ってこない。軽く聞き流しながら、はっ、と現実的なことが頭によぎる。

 

「もうこんな時間! ご飯の支度しなきゃ! 幽々子様、申し訳ありません! 少々、お待ちをっ!」

 

 だっ、と廊下を駆け出していく妖夢を幽々子は静かに見送っていた。

 1人、ぽつねんと薄暗い部屋に残された幽々子。

 文とノタカから受け取った写真と花びらを取り出して、懐かしげに目を細める。

 

「......私も、楽しみ」

 

 漏れ出た一言は誰の耳にも入ることなく泡沫のように消えていった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四十一、廃獄ララバイ(一)

 ぷかりぷかりと景色が揺れる。空は暗い灰色、だが、別に天気が悪いわけではない。三途の川の空なんて大抵そんなものだ。小野塚小町は小舟の上から一歩踏み出した。途端に周りの情景は一変する。

 殺風景な三途の川の冷たい水が、のどかな草花へ、支給品の貧相な舟が、丸窓のついた小綺麗な屋敷へ、とうの昔に絶滅した古代魚が、生き生きとした動物たちへ。そして、彼岸へ向かう霊魂が、片腕有角の仙人へ。

 

「小町......あなた、またサボり?」

 

 桃色の髪にシニョンをつけ、右腕には人によっては痛々しくも見える包帯。妖怪の山に居を構える仙人・茨木華扇の邸に小町は訪れていた。

 

「流石にあたいもそういっつもサボりはしてないよ。今日は仕事終わりさ」

「あら、そうなの」

「ちょうど良かったわ。今日神社で宴会があって今からその準備を......」

 

 嬉々として話す華扇を小町は首を振って遮った。

 

「神社に行く気なら今はやめときな」

「どうして?」

 

 不思議そうな顔をする華扇に小町は気まずげな笑顔で返す。

 

「閻魔がいる。ヤマザナドゥ(うちのボス)じゃないがね」

 

 ──こまっちゃん! 

 ──うわっ、斑尾様!? どうなさったんです? 

 ──ちょっと急用で。ゴニョゴニョ......。

 ──ああ、それなら博麗神社の近くからでも。

 ──ちょいとそこまで連れてって貰えませんか? 

 ──え? あたい、仕事中......。

 ──さっきまで聞こえてたかわいい寝息は誰のでしょうか......? 映姫に聞けば分かりますかねぇ? 

 

 

「ま、あの方が仙人だからといってどうこうするとは思えんが......立場的に会いたくはないだろう?」

 

 仙人というのは地獄から訪れる使いを定期的に撃退し続けなければならない。失敗した瞬間にその仙人は寿命を終える。それが、輪廻転生に抗う者の宿命だ。

 

「......そうねぇ。でも、管轄外の閻魔がどうして?」

「さあねぇ、あたいは人事には興味ないんだ。船頭やってるくらいだからね」

 

 死神にも色々種類がいる。閻魔の裁判の補助をする書記に、亡者に地獄を案内するガイド、そして、小町のような三途の川の船渡しだ。

 出世コースとは縁遠い上、肉体労働ゆえに不人気ではあるが、小町は好きだ。独特の悲壮感が漂う彼岸では、霊魂はいい話し相手になってくれる。死人に口なし、小町が一方的に語りかけるだけではあるが。

 何より船頭は......サボれる。

 上司が映姫でなければ、それこそノタカのような人物であれば、小町は今頃堕落しきっていたことだろう。

 

「......お茶でもだすわ」

「お、悪いね」

「よく言うわ。端からそっちが目当てで来た癖に」

「あんたが出すお茶うけは旨いからねぇ」

「霊夢に持っていくつもりだったんだけど、里で人気の和菓子が......」

 

 華扇が甘味について熱く語り始めたが小町にとっては美味しければ何でもいい。右から左へ流しつつ、軽やかな足取りで小町は屋敷へとお邪魔した。

 

 

 ◇

 

 

 中有の道のボロ小屋が白く輝いた。

 ノタカはかったるそうに浄玻璃の鏡を取り出す。

 ノタカが知る上で最も無愛想な人物・ミラが映っていた。

 

「先日はご苦労だったな」

「先日? 何かありましたっけ?」

閻魔王(あの2人)のことだ。第五閻魔王付司録として礼を言う」

 

 開口一番珍しく頭を下げるミラ。

 

「ああ、ありましたね。随分昔のことのように感じます。って......それだけ?」

「それだけじゃない」

「そりゃそうですよね。あ、ちょうど良かった。怒られる前に私2点ほど聞きたいんですけどね」

「怒られる前提か? ......まあ、いい言ってみろ。何だ?」

「第十閻魔王様ってもしかして幻想郷にいらしてました?」

「10番目......ああ、五道転輪王か。さあな、私の及び知る範囲ではない。ただ、かなり自由な性格だからな。何をしても驚かんが」

「へぇー、やっぱり噂通りなんですね。あらゆる剣を集めてはそれを試さずにはいられない荒武者の10人目......破天荒で剣豪、故に人呼んで"破剣豪"」

「広報が月1で出してる冊子あるだろ。あれに、理想の十王のランク付けが載っていたんだが......下から2番目だったな」

「じゃあ、補佐官の苦労も尋常じゃなさそうですよねぇ。最下位なんてどんな職場なんでしょうか」

「......最下位はうちだ」

「え」

「第五閻魔王......あの2人だよ。断トツでな。まあ、否定する気も起きんがな。初めて会ったときからそんなもんだ」

 

 大きくため息をつくミラ。小町はともかく多少なりとも素性を知っていたノタカと映姫が1日付き添うだけであれだけ振り回されたのだ。毎日仕えるとなると流石のミラでも心労が絶えないのか、鉄仮面のミラに諦めの表情が浮かんだように思える。ミラが真っ先に礼から入ったのも何となく納得がいった。

 

「あ、そうだ。もう1つ。旧都ってあるじゃないですか? 幻想郷の地下に」

「旧都......? ああ、いつだったか切られた廃獄か。確か灼熱と血の池が入っていたか?」

「あと針山でしたかね。今どうなってるか知らないですけど。でね、先日迷いの竹林に行ったんですよ」

「迷いの竹林......? ああ、あそこか」

「あら、知ってるんですね」

「......なんだ? 知らんと思って言ったのか? うちの閻魔王の管轄下だ。当然ある程度幻想郷については把握している。で、何のために?」

「そこに旧地獄への入り口があるって聞きましてね」

「旧地獄?」

「あ、ミラからの話じゃないです。観光課の連中からの」

「観光課がお前に?」

「何かあそこもそろそろ目立った成果出さないとおとり潰しになりかねないって話ですからねぇ」

 

 世の中には無い方がいい、とまでは言わないがあっても別段害はないが無くても困らないものがある。是非曲直庁における観光課とはそういうものだ。

 何せ、地獄は殺風景が具現化したような世界だ。そこそこ栄えている方の各閻魔の裁判所周辺も、少し離れただけで荒野が延々と広がる。派手なのは地獄の責め苦ぐらいだが、そんなものまさに地獄絵図、観光客に見せられるはずがない。

 

「で、そこで観光事業やってるらしくてどんな感じか軽く視察してこいって。大体私は地獄で観光事業ってのがそもそも意味分からないんですけどね。何もないですし」

「金が無いんだ。なりふり構ってられんのだろ。各部署で色々考えているようだぞ? 三途の川の渡し賃値上げだったり、奪衣婆が奪った衣服を古着屋で売ろうとしてみたり」

「へー、大変なんですね」

 

 ノタカは頬杖をついた。正直地獄の財政事情にあまり興味はない。

 

「......金に無頓着なお前が売上げの中抜きの監視とはな」

「だから、私も聞いたでしょ。何で私ってね」

「逆に安心と言えば安心かもな」

「でも給料から宴会の酒代抜いたのは根に持ってますからね」

「当たり前だ。おとなしくしてろといったのを無視した結果のあんなもん、経費で落とせるか」

「ちぇっ......はいはい、分かってますって」

「はいは1回だ!」

「はい......で、話戻すんですけど、入り口見つかんなかったんですし、もっと永遠亭(面白いところ)があったんで結局行かなかったんですよね。で、旧都って他に入り口ないのかなあって......」

「私は入り口なんぞ気にして移動したことはない」

「ですよねー。ダメ元でしたけど」

 

 鏡になるもの──水面や果ては瞳にいたるまで何でも行き来できるミラはほとんどの場所が入り口だ。

 

「ただ、今のお前の質問で合点がいった......なるほど。これは......そういうことか」

 

 水晶の中のミラが懐をまさぐるのが見えた。すると、書簡を取り出し、ノタカの方へと突きだした。

 にゅーっと腕が鏡から飛び出す。

 

「いて」

 

 書簡の角がノタカの鼻先を小突いた。わさびでも食べたかのようなツンとした痛みがじわりじわりと鼻の奥を侵食する。

 

「その渡し方毎回距離感間違えてるからやめてくれ、って言いませんでした? その片眼鏡、度合ってます?」

「私にわざわざ渡してくるから何事かと......観光課からだ」

 

 ノタカの不満と皮肉をミラは完全に無視した。

 

「何故お前に、と思っていたが......まあ十中八九催促だろうな」

「これ、怒ってますかね?」

 

 ミラは黙って目を閉じた。否定しない。

 ノタカは封を開いて簡単に中に目を通す。どうやら仕事の時間らしい。

 

「あー、分かりました、分かりました。行きますよって。とりあえず観光課行ってから三途の川に送ってもらっていいですか?」

「観光課は構わんが......三途の川だと? 旧都でなくていいのか?」

「ええ。いきなり旧都に行っても何にも分かんないですからね。まずは案内人でも探します」

「......まあ好きにしろ、この件は私とは関係ないからな。ほら、掴め」

「いて」

 

 額を小突くにゅーっと伸びた手をノタカは握り返す。小屋の中が銀色に光り、誰もいなくなった。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四十二、廃獄ララバイ(二)

 

 ノタカは博麗神社の鳥居の真下にちょこんと現れた。

 

「おおー、流石こまっちゃん」

「じゃあ斑尾様、あたいはこれで......」

「あら、もう行っちゃうんですか?」

「ちょっと急用を思い出しまして......残りの仕事を早く片付けないと」

「珍しいこといいますねぇ......じゃあ、これ」

 

 パチンとノタカが指で弾いたものを小町は体の前で手を水平に振って掴む。

 

「何ですか?」

「分かってるでしょ。いつものですよ」

「変わってますよねぇ、斑尾様。こんなのくれる閻魔様いないですよ」

「まあ、本来死なない連中には必要ないですから」

「あたいはこれ貰うの死神っぽくて好きですけどね。では」

 

 紐で繋がれた六文銭を手に小町はその場から去った。ノタカは何の気なしに背後を振り返った。長い階段に生い茂った木々、ほとんど獣道のような参道──利便性の悪さは容易に想像できる。里の人々の話には聞いていたが、飛べないノタカにとってはひどく面倒な立地だ。

 そういえば冥界の時は文がいたが、小町はもういない。今回帰りはどうするのだろうか。

 あまり後先考えずに来てしまった秘境で、帰路への漠然とした不安に駈られていた時だった。

 

「あれ!?」

「ひいっ!?」

 

 突然すっとんきょうな声がノタカの鼓膜に突き刺さった。声はそのままノタカをふらつかせるには十分だった。

 

「わっ、危ない!」

「ぐぇ!」

 

 着物のえりをぐいと、捕まれたのだろう。汚いカエルのような呻き声を上げながら、なんとかバランスを立て直す。

 

「大丈夫ですか? ごめんなさい......」

「あ、ああ......どうも......」

 

 いましがた締め付けられた首元に手を当てながら、ノタカは犯人(・・)の方へ振り返った。

 

 緑色の巻き髪に派手な赤い服。何より目を引くのは額の1本角と見てそれと分かる特徴的な耳だ。

 

「......狛犬?」

「はい! 狛犬の高麗野(こまの)あうんです」

「何であんなにびっくりしてたんです?」

「神社に感じたことのない神仏の気配がしたのでつい......」

「神仏......ああ、私か」

「あれ? 違いました?」

 

 閻魔も信仰の対象ではある。ほとんどが地蔵菩薩出身の閻魔であるし、神仏ではあるのだろう。

 

「......まあ、私は違いますけど」

「え? 何か?」

「ああ、いや。博麗の巫女いますか?」

「ほら、あそこに。霊夢さーん、お客さんですよー!」

 

 あうんが指す先、境内だろうか、奥の木製の建物では見覚えのある紅白の衣装に身を包んだ少女が縁側で膝に猫を乗せてのんきに日向ぼっこ中だ。

 

「客?」

「はーい、お久し振りです」

 

 ノタカは境内の方へと歩み寄ると、噂の「妖怪神社」の巫女・博麗 霊夢に声をかけた。

 

「......誰?」

 

 足を止めた霊夢はキョトンとした顔をこちらへ返す。

 

「え? 忘れたんですか?」

 

 若干の敵意すら感じる顔で霊夢はしばし考え込むと、「ああ」と呟いた。中々思い出せなかった記憶を堀り当てたときのちょっとした快感がその顔には表れていた。

 

「魔理沙が言ってた閻魔様ね。あいにくと幻想郷以外の閻魔様だとピンと来ないのよねぇ」

「ああ......そうですか」

 

 ノタカは苦笑いした。幻想郷で閻魔の肩書がそれらしく働いたのは小鈴など里の人間に対してぐらいなものだ。逆に言えば里の外ではほとんど役に立ってない。あまり畏まられるのも性に合わないのでやりやすいと言えばやりやすいのだが。

 

「で、その閻魔様が何のご用?」

 

 霊夢は再び怪訝な顔に戻って尋ねてきた。どんな頼みも面倒だ、といった表情だ。

 

「旧都への入り口がこの近くにあると聞いたもので──」

 

 何を頼んでも確実にいい顔はされないだろうが、嘘をついたところで仕方がない。正直にノタカが話そうとした時だった。

 

「え? お姉さん、地底に行きたいのかい?」

 

 霊夢の膝辺りから声がした。今日は意識の外から声がすることが多い。

 

「ん?」

 

 次の瞬間、ぼん、と膝上の黒猫が消え、代わりに赤髪を三つ編みにした少女が霊夢の腿の上にすくっと立っていた。

 

「あたいが案内してあげようか?」

「お燐......早くどかないと退治するわよ?」

「あ、ごめんごめん......」

「飛び降りるなっ!」

 

 太ももを擦りながら悶絶する霊夢に頭を掻きながらごめんよ、と再度謝罪する少女。頭にははっきりと獣の耳がついている。

 

「......どちら様?」

「ああ、あたいは火焔猫 燐。お燐でいいよ」

「......火車か」

「すごいね、分かるんだ。その通り、あたいは旧地獄の火車だよ」

「何でこんなところに地底の妖怪が?」

 

 ノタカが聞いている話だと地底の妖怪と地上の妖怪は不可侵条約を結んでいたはずだ。ミラの能力で突然現れれば地上からの侵略として警戒されるかもしれない。そう考えてミラに頼らず地底に入ろうとしたのだが、ひょっとすると徒労だったかもしれない。

 

「私が聞きたいわよ」

「え? 神社に来るのに理由がいるのかい?」

「いるに決まってるでしょ! 大体あんたら妖怪が理由もなく毎日毎日押し寄せるから参拝客が......」

 

 霊夢が目をパチクリさせるお燐に詰め寄る。「妖怪神社」の名に恥じぬ実情ではあるらしい。ノタカからすれば、妖怪側よりも霊夢の人たらしな人柄と悪立地が原因なように思える。馬耳東風ではあったが一通り小言を言い終えると、霊夢はノタカへと向き直った。

 

「あー、コホン。で、あなた地底に行きたいんでしょ? せっかくだしコイツに連れていって貰いなさいよ」

 

 霊夢はお燐の肩をトンと叩く。

 

「はいよ、任せてっ!」

「はあ......どうも」

 

 どうやら想像していたよりも地底と地上の壁は無いらしい。が、こうスムーズに事が進むと何かモヤモヤするものだ。なんとなーく不安な気持ちでノタカは会釈した。

 

 ◇

 

 

「......え? この下なんですか? なんか梯子とかそういうのは......」

 

 ノタカは足元を見下ろす。そこには地底に繋がる墨汁でもぶちまけたようなただひたすらに黒い穴が広がっていた。ひゅるひゅると吹き上げてくる風は決して冷たくはない、むしろ生暖かいぐらいなのに、全身の血液が氷水に変えられたように背筋が冷えきっている。

 

「そんなもん、あるわけないでしょ」

「妖怪の山の方には昇降機があるけどね、ここのが早いよ」

 

 霊夢とお燐の言葉にたまらずミラを呼ぼうと懐から浄玻璃の鏡を探す。が、ない。どうやら小屋に置いてきてしまったらしい。閻魔でなければ使えないので不正利用の心配はないが、これでこの穴を使う以外に地底へと向かう術はなくなった。こんなことなら要らぬ心配などせずに端からミラに頼めば良かった。

 後悔の念が渦巻くも全ては後の祭りだ。

 

「ちょ、ちょっと待ってください。準備を......」

 

 皿でも投げ入れて階段でも作るか。それだと時間がかかりすぎる。やはり、酔うのを覚悟で冥界の時のように適当な箱に入ってお燐を追尾させるか。あれこれ思案を巡らせていた時だった。

 

「お姉さん何してんだい? 早く行きなよ!」

 

 トンと背中に軽い衝撃を感じた。

 最早悲鳴すら出ることなくノタカは意識を手放した。

 

 ◇

 

「あ、お燐、言い忘れてたけど......飛べないのよ」

「え?」

 

 霊夢はちょいちょいとつつくように穴の中を指した。

 

「えぇぇぇえっ!? 大丈夫なのかい?」

「さあ? 死にはしないんじゃないかしら?」

「でも......」

 

 お燐は穴の中を覗き込む。

 

「飛べないのに自分から飛び込むなんて......よっぽど旧地獄に行きたかったのかねぇ」

「かしらねぇ。ほら、早く行かないとアイツ迷うことになるわよ」

「そうだね、行ってくる!」

 

 お燐は意気揚々と穴の中へと吸い込まれていった。

 

 ◇

 

 お燐がいなくなった後も霊夢はしばらくそこにとどまっていた。

 

「......いるんでしょ」

 

 霊夢は虚空に向かって語りかけた。返事はない。

 霊夢は咳払いすると今度は少し語気を強めて呼び掛けた。

 

「紫、出てきなさい」

 

 何もなかった空間に黒い一筋の歪みが生じた。歪みはどんどん大きくなりパックリと口を開け──中から人影が現れた。

 

「あら、何かしら?」

 

 人影は口を動かした。

 

「どういうつもりで監視してたのよ。ノタカを突き飛ばしたのもアンタなの?」

「霊夢......あの彼岸花の髪飾り──彼女、最初に会ったときからつけていたのかしら」

「質問しているのは私の方よ」

「答えて」

「......ノタカのことなら最初からつけてたわよ」

「そう......ありがとう」

「いつも1人で納得して......私の質問には答えないつもり?」

「だって、そっちの方がミステリアスでいいじゃない」

 

 人影は指を1本口元に当ててウインクをした。

 

「まあ、1つだけ。斑尾 ノタカを突き落としたのに私は関係ないわ」

 

 そう言い残すと空間の歪みは初めから何もなかったようにきれいさっぱり消えてなくなった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四十三、廃極ララバイ(三)

『私の、私の名を呼んでくれ! 金なら、いくらでも積むっ!』

 

 嫌だ。どうせ、お前も私に殺さ()る。

 

『殺してくれぇ! 頼む! 金なら、金なら......』

 

 やっぱりだ。お前も私に殺さ()る。

 

 呼べ、呼べ、呼べ、呼べ......。

 

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌、嫌、嫌、嫌、嫌、嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌......。

 

 私はお前たちの名前を呼ばない! 

 私はお前たちの道具じゃない! 

 

 怖い。怖い。怖い。怖い、怖い、怖い、怖い怖い怖い怖い怖い......

 私はもう......自分の名前すら口にしたくない......。

 

 

『名前は?』

『知らん。全く名乗らんからな。名付けるか?』

『犬猫じゃないんですから......』

『でも、呼ぶのに不便だろう』

『......じゃあ、ノタカ。斑尾 ノタカで』

『おい、適当過ぎだろ。お前の名前並び替えただけじゃないか』

 

 あの日から私は斑尾 ノタカになった。自分の名前を名乗れるようにしてくれたあの人。

 

 

 そうだ、あの人は──。

 

 

 

 

 

 私の目の前で、死んだ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 地底に住む連中は皆何かしらの理由で地上を追われたような者ばかり。

 

 土蜘蛛もそんな妖怪の1つだった。病気を撒き散らし、河を汚して、人を食う──地下暮らしの妖怪の例に漏れず嫌われた種族だ。

 

 そんな土蜘蛛の1人、黒谷 ヤマメはいつものように地下を散歩していた。といってもヤマメは土蜘蛛のイメージとはかけ離れた陽気な性格だった。たまに会う地底の妖怪たちと気さくに挨拶を交わしながら、地上に繋がる大穴へ差し掛かった頃だった。

 

 ドンッ、と大きな音が地底に反響し、土くれがパラパラと落ちてきた。ただ、地底では大して珍しくもない。大方何処かの岩が崩れたのだろう。肩に軽くのった土を払いながら、ヤマメは音の出所へと近づいた。

 

 やがて、薄暗い地下でも何かが転がっているのが分かった。落ちてきたのはアレだろうが、岩ではなさそうだった。

 

(何だ......?)

 

 近づくにつれて輪郭がはっきりとしていく。ヒト型だが、多分人形ではなさそうだ。

 地底に落ちてくる人間......珍しいといえば珍しいが、大抵は死んでいるか、やがて地底の妖怪に襲われて、死ぬ。

 

「......おーい、生きてるかー」

「ん......」

 

 なので、呼び掛けに反応があったことにヤマメは驚いた。ほとんど外傷はない。この時点で対象がただの人間でないことは分かる。

 

「おーいってばー」

 

 ヤマメは顔を覗き込みながら呼び掛けた。紺色の髪の女だ。瞼がピクピクとしているのが分かる。今にも起きそうだな、とヤマメが思っていると、

 

「......ぐはぁっ!? はぁ、はぁ、はぁ......」

「あ、起きた」

 

 水中に沈められていたかのように苦しそうな顔で女は突然90度に体を起こした。悪夢でも見ていたのだろうか。どうにも目覚めが悪そうだ。

 

「ほら、立って」

 

 ヤマメは手を差し伸べた。女は頬をはたいて頭を覚醒させると、申し訳なさそうにその手をとろうとした。

 

「かたじけな......っ!?」

「フフフ......地底(ここ)で安易に人の善意を受け取っちゃダメだよ」

 

 反射的に引こうとする女の手をヤマメはがっしりと掴み、意地の悪い笑みを浮かべる。

 

「あなた、何を......!?」

「私は土蜘蛛、黒谷 ヤマメ。あらゆる病を媒介する嫌われ者さ」

 

 その時、ヤマメの周囲の地面が割れた。そこから鎖が芽吹き、ヤマメを取り囲む。

 

「......なーんてね。病原菌も悪さする奴だけじゃないのさ」

 

 ウイルスは何千種類もいる。その全てが体に害なすものとは限らない。ヤマメが女に送り込んだのは気分が晴れるウイルスだ。多すぎると間違いなく異常をきたすだろうが。

 

「ありがたいのですが私にその類いのものは効きません」

 

 女は苦笑いと共に鎖を引っ込めながら立ち上がる。

 

「あら、じゃあ余計なお世話だったね」

「いえ、ご厚意はありがたく受け取っておきます」

「ただの気まぐれさ。地底に何しに来たかは知らないけど、せいぜい死ぬなよー」

 

 ヤマメがそのまま立ち去ろうとした時だった。1匹の猫が音もなく壁を器用に蹴りながら、降りてきた。

 2本の尾を持つ黒猫だ。そのまま真っ直ぐ女の方へと駆け寄る。

 

「良かった、生きてた! ......ってあれ? ヤマメ?」

「なんだお燐、あんたの知り合いか」

「知り合い......うーん、まあ、そんな感じ」

 

 猫は人の形へと変化すると、小首を傾げた。

 

「何しに連れて来たんだ?」

「詳しくは知らないけど旧都を案内して欲しいってさ」

「地霊殿にも行くのかい?」

「行くかもねぇ」

「......そうかい、じゃあ気を付けて」

「はいよー」

 

 お燐は女を連れてその場を後にした。

 

 ヤマメはあの女がどうも頭に引っ掛かった。

 あの苦しみ方は明らかに訳ありの奴だ。

 大なり小なりトラウマを抱えて地霊殿に行くとは──

 

「......物好きだねぇ」

 

 残されたヤマメは一言、呟いてから散歩を再開した。

 

 

 ◇

 

 

 ノタカは薄暗い中、妖しげに揺れる燐の尾を何とか視界に捉えながらついていく。

 

 そして、その燐の尾がピタリと止まった。

 

「あれ? 着きました?」

「いや、もうこの先、すぐなんだけど……」

 

 燐は歯切れの悪い口振りでこちらを振り向いた。ノタカはその原因──背後に巨大な落石があることに気が付いた。

 

「道が塞がっちゃってて……一応上は空いてるんだけど」

 

 燐は首を上に向ける。ノタカも続いて岩の上部に目をやった。行く手を阻む2人の身長を遥かに超える岩だったが、確かに空間はある。

 

「ちょっと助けを呼んでくるよ。待ってて」

 

 燐は獣の姿に変わると、軽やかな足取りで岩壁を駆け上がり、奥へと進んでいった。

 

「あー、ご心配なく」

 

 そんな燐をノタカは引き止める。燐は人型に戻ると、岩のてっぺんからひょっこり顔だけのぞかせた。

 

「え? でも、おねーさん、飛べないんじゃ……」

「石や砂利で階段を作ります。私はこういうことができますので」

 

 ノタカは腰辺りに1つ、転がっていた石を置いた。石は空中でピタリと止まる。

 

「へぇー、閻魔様ってそんなこともできるんだねぇ。そういうことならあたいも手伝うよ」

「閻魔だからできるわけでもないんですけどね」

 

 燐は音もなく飛び降りると、ノタカと一緒になって石や砂利を掬い始めた。作り方は簡単、手の上で平らに均した石や砂利を均等な間隔、高さで固定していくだけだ。地道だが、燐が手伝ってくれたこともあって大して時間はかかりそうにない。もう巨岩の半分ほどまで階段が届いた頃だった。

 

『ウフフ、私と一緒……見つけた』

「ん? 何か言いまし……え?」

 

 小石を漁るノタカの耳に明らかに燐とは違う声が聞こえた。それもすぐ耳元で。

 

「どうかしたの?」

「私、疲れてるんですかねぇ」

 

 ノタカは砂が入らないように手の甲で軽く目を擦る。

 

 見えたような気がした──黒い帽子を目深に被った緑髪の少女が。

 

 

 ◇

 

 

 岩を上りきった先だった。燐の影が逆光で濃くなっていく。この先に明かりがあるのだ。

 

「さあ、お姉さん。着いたよ」

 

 燐はあぐらをかくとノタカに前方を見るよう促した。眼下に広がるのは、ほんのりと暖かい明るみを放つ飾り提灯、それがいくつも並んだ街道。とても元・地獄だとは思えない──なんというか、人情を感じる風景だ。

 

「ここがはみ出し者が集う街──旧都さ」

「これが......」

「さ、行こうか」

 

 よっ、と燐は岩から跳ね降りる。

 それを見て、ノタカも袖を握りしめ、岩壁に貼り付けては、解除、再び袖に能力を使っては解除、を繰り返しながらずりずりと、降りるというよりも落ちて後に続く。我ながら不格好な能力の使い方だ。

 躊躇なく歩を進める燐の影法師につられてノタカもふらりと街道へ入っていく。殺風景な地下とすぐ隣り合わせの繁華街というのは何もない地獄の荒野に取り囲まれた是非曲直庁に近しいものを感じる。1つ違うことをあげるならば、

 

「......荒れてますねぇ」

 

 日光が届かないせいなのか恐らく地上は日中のこの時間でも飲んだくれがわんさか転がっていた。旧都は酒処というのはよく耳にする話だ。噂が酒好きを呼び込み、酒好きたちがより旨い酒を造り......というのを繰り返してきたとノタカは聞いている。生粋の呑兵衛の鬼が多いのはその証拠だろう。

 

「で、お姉さん。霊夢が言ってたけど閻魔様なんでしょ? 

 閻魔様から見て旧都ってのはどういう扱いなんだい?」

「......正直言ってあんまり言い話は聞きませんねぇ。怨霊の住み処だの、無法者の集いだの」

「フフ、あながち間違っちゃいないもんだねぇ」

「まあ、地獄本来の在り方、と言えばそうには違いないのでしょうがね。地獄では法に従う我々の方が無法者ですよ」

「閻魔様がそんなこと言っていいのかい?」

「私は真っ当な閻魔ではないのでねぇ......」

「その捻くれ者の閻魔様が地底に何の用なの? お仕事かい?」

 

 特にあてもなさそうに歩きながら燐がノタカの方へと振り向く。

 

「ええ。地底の観光事業の視察です。こちらでもそういうのに手を出したがっている連中がいるので」

「観光?」

「そうです。ご存知ですか? その手の施設か何か」

「フフーン......そういうことならなおのこと私がいて良かったね。取り扱ってるよ、観光事業!」

 

 燐は猫っぽく鼻を鳴らすと、両手を腰に当ててノタカを見上げた。

 

「あら、まあ。それは好都合だこと」

 

 ノタカは目を丸くする。地底に墜落したことを除けば順調過ぎるほどに話が進んでいる。

 

「視察って言ってたけど......私は何をすればいいんだい?」

「取りあえず普段何をしているかを教えていただければ」

「そんなの、鏡を使えば一発じゃないかい?」

「鏡? ああ......」

 

 燐の指す鏡が生者の行いを全て丸裸にする神器──浄玻璃の鏡であると気づき、ノタカは思わずふふっと笑った。

 

「あら、あたいそんなに面白いこと言った?」

「失礼、閻魔は大抵浄玻璃の鏡で嫌われていると。まさかそちらからその単語が出てくるとは思わなかったものでね」

「ま、あたいらは心を見透かされるのには慣れてるのさ」

「ん?」

「......そのうち分かるよ」

 

 燐は口角を上げた。意味ありげな表情だったが、ノタカはさして気には留めなかった。

 

「そうですか。まあ、あいにくと今日は手元に鏡はないのです」

「じゃあ、その目で見てもらうとしようか。色々あるからねぇ。どこからにしようかなぁ」

 

 人差し指を顎に当て可愛らしく悩み始めた燐を視界から外さないようにしながらも、ノタカはどうしても気になることがあった。

 

「あの、よろしいですか?」

「ん? 何だい?」

「......いえ、大体の行き先が気になりまして」

「うーん、そうだねー、閻魔様だから血の池地獄なんかは見慣れてると思うし、まずは旧都のお店からかねぇ」

 

 ノタカはそんなことを聞こうとしたのではない。一瞬だけ見えた黒い帽子の少女のことが気になったのだ。が、燐に尋ねようとした途端にそのことが意識の片隅へと追いやられたのだ。

 

 

 

『フフ......お燐に言われるとバレちゃうもの。もう少し、後でね』



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四十四、廃獄ララバイ(四)

 先を歩いて旧都を次々と案内してくれる燐。ノタカがそれに「ほぉー」と適当な感嘆を漏らす。これをしばらく繰り返して気づいたのは、燐が案内人としてかなり向いているということ、それから旧都は意外と観光地となり得るのではないかということだ。

 素人考えながらノタカは観光地には3つ条件があると思っている。まず第一に“食事”、これは絶対に外せない。そして、ここにはかなりしっかりと酒処、飯処が整っている。2つ目が“文化”だ。旧都は地獄から切り離された他に類を見ないかなり特殊な地、故に建築物や街の雰囲気そのものが独特に発達している。燐の話だと温泉も湧いているらしい。3つ目は“情景”だ。地下、というだけあって仄暗さや所々目につく剥き出しの岩肌がなんとも郷愁を感じさせてノタカは好きだった。

 地獄は観光には向いていないと思っていたが、旧都ももとは地獄だ。工夫次第ではあの殺風景な現行の地獄も活き活きとするのかもしれない。

 

 ノタカが珍しく真面目に思案にふけっていたところだった。

 目的地についたらしい。燐の足取りが緩やかになる。一軒の居酒屋の前だった。

 

「ここはね、旧都でも結構有名なお店なんだけど......」

 

 と、燐の紹介が終わるか終わらないかくらいの時だった。

 ドガシャアンと何かが粉々になるような音ともに燐とノタカの前を凄まじい速度で何かが通過した。

 飛んできたのは一匹の妖怪だった。地面にゴロゴロと転がると怯えた顔つきで起き上がる。

 

「私らの前で置き引きなんてちゃちな真似許しゃしないよ!」

「一昨日来やがれ!」

 

 続けて怒号が店内から聞こえてくる。声の主は女性に聞こえたが気合いの入った、そんな怒鳴り声だ。妖怪はそれに追い立てられるように通りをおぼつかない足取りで走っていった。

 

「まあ......どういう意味で有名かは置いといて、ね」

 

 しばらくして、燐はポカンと空いた口をやっとこさ動かすと、そう絞り出した。

 

(......前言撤回)

 

 燐には申し訳ないが旧都はやはり観光向きとは言えない。ノタカは観光地に1番必要な4つ目の条件を忘れていた。

 

 “安心と安全”だ。

 

 

 ◇

 

 

 怒号の主はすぐに分かった。馴れた様子で店の敷居をまたぐ燐の後から扉だった場所と暖簾をくぐる。酔っ払いの喧騒と酒気に包まれた店内に入った2人を待ち受けていたのは小町と同じくらいの背丈はあろうか、大柄な着物の女性だった。盃片手に快活に笑う様は気っぷの良さを感じさせる。

 

「ん〜? よお、お燐じゃないか」

 

 赤い誇りある1本の角。その額には誰が見ても分かる証があった。間違いなく、鬼だ。どうやら燐とは顔馴染みらしい。まだそこまで遅い時間ではないはずだが、ご多分に漏れず出来上がっていた。

 

「やっぱりあんたか、勇儀。さっきの騒ぎは何事だい?」

「いや、コソコソとろくでなしがいたもんでね。叩き出してやっただけさ」

「あんまり痛めつけないでよ。傷み過ぎた死体は好きじゃないんだ」

「殺しゃしてないだろうが。それにお前さん、相変わらず歪んでるな」

 

 勇儀と燐が話し込んでいる間、ノタカは店内にもう1人、ノタカにも見覚えのある鬼がいることに気が付いた。机に突っ伏してはいるが、はみ出している2本の角は見紛うはずもない。霊夢や魔理沙が“萃香”と呼んでいた鬼だ。

 

 声でもかけようかとノタカが顔を近づけた途端に萃香が頭をあげる。鼻っ柱に電流のような衝撃が走る。意味のないうめき声を上げながらノタカは大きくのけぞった。

 

「んあ? 何だ......」

 

 萃香は何事もなかったかのように紅潮した顔をノタカへ向けた。充血した目をこれでもかと見開く。

 

「勇儀、さっき話してた閻魔様さ。こんなとこで何してる?」

「ほお、あなたが......私は星熊 勇儀。ご覧の通り鬼さ」

 

 勇儀は印象通りの快活さを見せる。そして萃香は目は警戒心を解くことはなく、口は酔っ払いのようにだらしなく開いたちぐはぐな表情をしていた。最初に会ったときと同じ、いや目はより鋭いかもしれない。

 

「そういや名前は言ってなかったね。伊吹 萃香だ」

「私は......」

「斑尾 ノタカ......様、だろ」

 

 萃香はノタカの名前を口にした。ノタカは名乗るかわりにええ、とだけ返した。

 

「知ってるさ。私はあんたが幻想郷に来てからずっと視てたんだ。あんたがここに来てからどこに向かったのかも、あんたが、あんたが──」

 

 酔って呂律が回らないのか明らかに何かを言い淀む萃香。そんな萃香の背後に1人ゆらりと影が立った。

 

「失礼、少しよろしいかしら?」

 

 明確に記憶に残っている声だった。

 そして、店内には浮いている、というか異様な人物が1人いた。ニコリと微笑む銀髪の女性。1度脳裏に焼き付いたその笑みは簡単には消えない。

 

「なぜ、ここに......」

 

 ノタカがそちらへ気づくやいなや、立ち上がってこちらへ歩み寄ってきた。真っ直ぐと、酒場だというのに欠片も酔っている様子はない。

 

「八意、永琳......」

「......たまたまよ」

「ハハ......里にすら滅多に出張らないあなたが、わざわざ地底まで、それも単身で。それがたまたまですって? 馬鹿言っちゃいけない」

 

 永琳は冷たい微笑みを崩さない。ノタカは操られてここに訪れたようで何とも居心地悪くなった。

 

 

 ◇

 

 

「で、その閻魔様がこんな地底くんだりまで何の御用で?」

「お仕事で旧都の視察だって」

 

 勇儀とお燐が会話に花を咲かせている横で、永琳とノタカの方に萃香は聞き耳を立てていた。

 

「では、たまたまということにしておきましょう。鏡も無しに“月の頭脳”の思考に追いつこうとするだけ無駄だ」

「買いかぶり過ぎよ。今はただの世捨て人」

「本題に入りましょう。私に何か?」

「あなた、私に聞いたでしょう? 『何の意ぞ碧山に栖む』ってね」

 

 会話の内容を隠す気もないのか、大して苦労もせずに話は聞き取れる。萃香どころか、お燐や勇儀も2人の話に食いついた。

 

「どういう意味だ?」

「李白の『山中問答』......漢詩の1節だ。どういうつもりで人里離れた山に住んでるのかって問いに黙って笑って返したって話さ」

「へー、流石閻魔様、そういうのも詳しいんだねぇ。確かにあのお医者様、竹林に住んでるんだってね」

 

(違う......この宇宙人にそれを聞いたということは、“なぜ地上にいるのか”を尋ねたんだ)

 

 その真意はまだ掴みかねるが、萃香には彼女から警戒を解けない確固たる理由がある。萃香は懐に隠し持っていた御札の切れ端に目をやった。最初に霊夢とノタカが戦った、あの時の霊夢がばら撒いた札の切れ端だ。ノタカの能力の対象となったものである。

 

「私もあなたに同じ質問をしましょう......寿命もない月に、人手不足の地獄がわざわざ閻魔の席を設けている。なぜ月にいたの?」

「行けと言われたので」

 

 ノタカはそんな答えが求められている訳ではないと分かっていながらあっけらかんと言ってのけた。その問いに上げていた口角を意図的に下げながら──萃香にはそう見えた。

 店内は変わらず賑やかだった。しかし、明らかに萃香たちのまわりだけは目に見える静寂に包まれていた。

 

「あのー、閻魔様? 次、行きます?」 

 

 耐えられなくなったのかお燐が苦笑いでノタカに耳打ちする。

 ええ、と呟いてノタカが店を後にしようとしていた時だった。

 

「待て」

 

 今度は店内全てが静まりかえった。萃香の口が動いていた。

 

「私も少し聞きたいことがある」

 

 どのみちいつかは聞くつもりだったのだ。なら今でいい。まさか向こうから出向いてくれるとは思わなかったが都合はいい。

 

 萃香はふらふらと席を立った。

 

「あのー、私仕事中......って痛い痛い痛い」

「固いこと言うなよ〜、なあ?」

 

 萃香は既に半身を店から出したノタカの手をがっしり掴む。ヒッヒッヒと自分でもしゃっくりだか笑い声なんだか分からない音が漏れる。

 

「なあ、あんた本当は......」

「なるほど、閃いた!」

 

 その様子を同じように笑いながら見ていた勇儀がポンと手をうった。これを皮切りに店内の他の客にも少しずつ歓声が戻り始める。勇儀は構わず喋り続けた。

 

「私も少し食後の運動をしたいって思ってたところだ......弾幕ごっこといこう!」

 

 勇儀は萃香の肩を掴み、そして永琳の方へ太い人差し指を向けた。

 

「あんたらはこの閻魔様に話を聞きたい。でも2対1ってのはちと卑怯だ。そこでだ、私がこの閻魔様と組む」

「はい?」

 

 ノタカがキョトンとした顔を浮かべる一方で、お燐が明らかに胸を撫で下ろした。

 

「これで、2対2だ。そっちが勝ったら聞きたいこと聞けばいい」

「いいねぇ、めんどくさい駆け引きよりよっぽど(私ら)らしい」

 

 萃香は勇儀に拳を差し出した。勇儀がそれに一回り大きい拳でタッチする。

 

「それ私に利益あるんですか?」

「こっちが勝てば閻魔様は仕事に戻れるさ」

「......え? それだけ? あのー、あなた?」

「私にはどうしようもないねぇ。ま、旧都名物だと思って楽しんで来てよ。終わったら教えてね」

 

 ノタカにすがられたお燐だが簡単に梯子を外した。肩をすくめてフルフルと首を振る。そして猫の形態になるとあっという間に通りに行方をくらました。ノタカはますますポカンとしている。とても先程まで永琳と対峙していた者とも閻魔様だとも思えない。

 

「さあ、そうと決まれば善は急げだ。萃香、いつもの場所で待ってるぞ!」

「私やると決めた訳......あ、ちょっ......」

 

 ノタカは勇儀の小脇に抱えられ、風のように姿を消した。元来、鬼の得意技は人攫いだ。

 店内に残された萃香は頭の後ろで腕を組みながら永琳を見上げた。彼女は彼女で何か、ノタカに思うところがあるらしい。

 

「話は聞いてたろ? 悪いねぇ、鬼なりのやり方で話つけさせて貰うよ」

「構わないわ、勝てばいいのでしょう?」

「ルールは守れよ?」

「あなたがそれを言うの?」

「お前の喧嘩は後で買ってやるよ。じゃ、行こうか」

 

 ノタカには聞きたいことが、いや、聞かなきゃならないことがある。

 

 ──「知ってるさ。私はあんたが幻想郷に来てからずっと視てたんだ。あんたがここに来てからどこに向かったのかも、あんたが、あんたが──」

 

 萃香は先程飲み込んだ言葉をボソリと呟いた。

 

「2000年前、いくつものムラを滅ぼした“祟り”だってこともな」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四十五、廃獄ララバイ(五)

 勇儀の太い腕の圧迫感、そして慣れぬ浮遊感に耐えられずに目を閉じてからどれくらいだろうか。長い時間のように感じたが恐らく数分足らずであろう。 

 

「いてっ」

 

 頬や手のひらがべチッと音を立てた。おっとすまない、との声を地面と平行な背中に受ける。ノタカは顔をしかめ、土を払いながら、生まれたての子鹿のようによろよろ立ち上がった。

 

 ノタカが連れて来られたのは──なんにもない場所だった。

 

「ん……? どこです?」

 

 風が岩の隙間を抜けるか細い口笛が微かに響くだけの場所。ノタカもよく知っている“あの場所”にそっくりだった。

 

「旧“地獄”なだけあってね、少し街を外れりゃこんなもんさ」 

 

 都からはかなり離れているようだ。人っ子一人いないし、誰の声も聞こえない。いや、正確には2人、いた。

 ノタカは拳と手のひらを打ち鳴らす勇儀と視線を揃える。萃香が地べたにあぐらをかいて、瓢箪から液体を──十中八九酒だろうが、ドボドボと喉へ流し込んでいる。その背後には永琳もいた。ノタカは流石に逃げるのを諦めた。

 萃香が口を拭ってフラフラと腰を上げる。全身から異様な雰囲気が漂っていた。今なら例え、彼女の側頭部にその角がなくとも分かるだろう。鬼なのだ、彼女は。

 

「さて、勇儀ぃ......久々にやるとしようか」

 

 ──萃符『戸隠山投げ』──

 

 萃香が頭上に手を掲げる。すると、ノタカの足元の土塊の1つがパラパラと浮き上がり、萃香の方へとすっ飛んでいった。

 

「え......?」

 

 辺り一帯の石やら土やらが次々と、提灯にまとわりつく夏の羽虫のごとく萃香の元へと集まっていく。瞬く間に萃香自身の数倍にもなる巨大な岩が出来上がってしまった。萃香はそれをひょいと軽々担ぎ上げた。それが何を意味するか──理解した瞬間にノタカの背筋が寒くなる。

 

「ま、まさか......」

 

 そして、それを萃香は力まかせにこちらへ放り投げた。冗談であってほしいのだが、残念ながらノタカの眼の前でその冗談が現実に起きている。正面からまともに殴り合うのは自殺行為だ。

 

 そして、その影で、永琳が追撃の弾幕を準備しているのも見えた。

 派手な岩の攻撃に意識をひきつけて、二の矢、三の矢を放つ──大まかな意図は読めた。

 巨岩が近づいてきた。しかし、ノタカはまだ何もしない。

 岩がどんどん大きく、近く迫ってくる。まだだ。

 そして、もう手を伸ばせば届きそうな程にまで近づいた時だった。岩を手前までひきつけて固定することで、盾にし、永琳の攻撃をそれで防ぐ──その算段は次の瞬間に脆くも崩れた。

 

(曲がった......!?)

 

 ノタカを狙っていた岩がギュンと軌道を変えてしまったのだ。

 突如として萃香が岩の側に現れ、岩を蹴飛ばしていた。

 余りにも突然のことにノタカは追い討ちの永琳の攻撃を固定して防ぎきるのが精一杯だった。

 

「マズい! 一本角!」

「あ? 私のことか?」

 

 岩の行き先は勇儀の方だった。勇儀は焦るどころかニヤリと笑う。

 

「なんだ随分やる気じゃないか、萃香」

 

 拳を突き上げ、軽く振った。そして──岩は粉々に砕け散った。安物の食器をうっかり落としてしまった時のように、いとも容易く。

 

「こりゃ、私もちょっと気合入れないといけないねえ」

 

 ノタカの協力者もまた、規格外の鬼の中でも規格外の存在だったのだ。

 

 

 ◇

 

 

「折角名乗ったんだ、名前で呼んでおくれよ」

 

 パラパラと降り注ぐ岩の雨の中で勇儀は豪快に笑ってみせた。

 

「......申し訳ないが控えさせてくださいな」

 

 ノタカの周囲では弾幕が釘で打ち付けられていたようにピタリと止まっていた。これが彼女の能力らしい。ノタカはそれを鎖ではたき落としながら、気まずそうに頬をこわばらせる。

 

「向こうの銀髪の医者のことは名前で呼んでたろ? 地底くんだりでまでおいでになるような閻魔様はやっぱり訳アリってことかい?」

「......訳、ねえ。私たちが負ければあなたもそれを聞けるかもしれませんよ」

 

 ノタカは笑ってはぐらかしてはいるが、あいも変わらず心苦しそうな表情が混ざっていた。

 

「気にならない、と言えば嘘になるさ......だけどね」

 

 勇儀はもう一度笑ってみせた。

 

「安心しな、だからって手抜いて負けるなんて冷める真似、しやしないよ」

 

 勇儀はの手の甲に筋が浮き上がる。グッと握りしめた拳から湧き出る力。溢れ出るエネルギーは両の手のひらから螺旋状に渦巻いていくその姿は鞭というより、しなるようになった棍棒の方が近い。

 勇儀は力任せにその光り輝く凶器を無茶苦茶に振り回した。

 

「旧都がどれだけ熱い場所か! 精一杯視察してお帰りくださいな閻魔様!」

 

 轟音と砂煙。更地をさらに不毛の地に仕上げた後、それらが晴れ上がった時に残るのは勇儀を含めて3つの影だけだった。

 

「あら、恐ろしいことをするものね」

 

 八意永琳はほとんど位置を変えずにその場に佇んでいた。勇儀も感触で分かったが彼女は避けずにその場で凌ぎ切っていた。

 そして──更地になったというのは厳密に言えば違う。勇儀の側には人一人すっぽり入りそうな土塊の卵みたいなドームが出来上がっていた。

 

「一応、私は味方という体であったと記憶していますが......」

 

 土が崩れ、咳き込みながらノタカが姿を表した。

 

「お、無事だったか閻魔様!」

「またこの技をやる羽目になるとは......口に入るからやりたくないんですよ、これ......!」

 

 ノタカはペッと土を吐く。そうしている間に萃香が顕現した。1人だけ、先程の攻撃を避けた(・・・)人物だ。

 

「流石にこの程度でくたばられちゃあ、私の相手は務まんないからねえ」

「これなら手を抜いて貰ったほうがありがたいんですが」

 

 ノタカは口をもごもごとさせている。口内の不純物がまだ取れないらしい。萃香と永琳は次なる弾幕を放ち始めていた。

 

「いいのかい? 負けるとろくでもないこと聞かれるんだろ?」

「あなたが言い出しっぺでしょうが......まあ、あの状況で周辺に危害を及ぼすことなく事態を収拾つけようと思えば仕方のないことですがね」 

「分かって頂けているようで何よりだ」

 

 ノタカが止める弾幕を2人で撃ち落とし続ける。萃香も永琳も手を休めるつもりはないらしい。

 

「それにあなたが手を抜いた程度で私は負けませんよ」

「あら、言うねえ」

「まあ、でも“地底の住民として”本気で私の秘密を守ろうとしてくれているのならば......お願いさせて貰いましょうかね」

 

(やれやれ、鏡がなくてもお見通しかい)

 

 何もないのに地底に行き着く者は少ない。あるものはその能力を疎まれ、あるものは現世に愛想を尽かし、また、あるものは──例を挙げればきりがない。

 しかし、だからこそ地底は“訳あり”が暮らしやすくなければならない。

 鬼として嘘は嫌うが、地底の住民として何かキズがあるのならばそれを庇ってやるべき、勇儀はそう信じていた。もちろんそれはノタカとて例外ではなく。

 

「やっぱり、“読まれる”ってのはやりにくいね。なあ、さとり」

「何か言いましたか?」

「いや、気難しい友人にくしゃみでもさせようと思ってね」

「ああ、そうだ。勝利した時には......あなたにはお教えしましょう」

「え?」

「......私なりのせめてもの義理です」

 

 何を、と尋ねかけて勇儀はその言葉を飲み込んだ。あまりにも野暮だ。

 

 

 ◇

 

 

 クシュン! 

 

 ドアの奥から小さくくしゃみが聞こえた。燐はそっと扉を開いた。何かぼやきながら鼻を軽くすする少女が椅子にもたれかかっている。紫色の髪が霞むほどに胸のあたりに鎮座する、形容しがたい目玉が目を引く。燐の主にして、地霊殿の主人・古明地 さとりその人であった。

 

「誰か噂を......あら、お燐。お帰りなさい」

「さとり様!」

 

 燐は猫の形態へと戻るとパッと主人の膝上へと駆け上がった。

 

「......そう。閻魔様がもうすぐいらすのね。ちゃんと終わる頃にもう一度お迎えに上がるのよ?」

 

 一言も発さない燐を撫でながらさとりは語りかける。

 

「こいしならいないわよ。まあ、いつものことね......いつものことだからといって、この心配が消えるわけでもないけど」 

 

 さとりは天井を仰いで嘆息を漏らした。

 

 

 ◇

 

 

 

「よいしょっと......」

 

 稗田 阿求は筆をそっと置いた。とりあえずこの書物はここで一区切りつけるとしよう。阿求はまだ乾いていない墨に着物が擦らないようにゆっくり立ち上がり、部屋をあとにした。

 

『何するの?』

「書庫の整理です。定期的に掃除や蔵書のチェックをしておかないと、私がいない時代の従者や次の私(・・・)が困りますから」

『そうなんだ! 私も行こっと』

 

 阿求は少し古臭いが頑丈な書庫の鍵を開けた。ここは稗田家、いや幻想郷の歴史が詰まっていると言っても過言ではない場所だ。限られた者しか立ち入ることのできないようになっている。もちろん書物の劣化や紛失、盗難防止のためだ。

 

『わー、巻物も本もいっぱい......お姉ちゃんは本が好きだし、ここも好きそうー!』

 

 阿求は書庫に入り、手際よく書物を手に取っていく。阿求には全てを記憶する求聞持の能力とそれを引き継ぐ転生の仕組みがあれど、それらは完璧ではない。

 

『2000年くらい前のものもあるの?』

「2000年? というと......弥生時代......このあたりですかね。最も伝聞だけで御阿礼の子()も実際に見聞きした時代ではありませんから正確性は保証しかねますけど」 

 

 例えば初代御阿礼の子である阿一の記憶はもうほとんど残っていない。しかし、それではならない。

 

『じゃあこの中にこわーい呪いって載ってる? タタリとか!』

「ふーむ......そういった類でしたらこちらでしょうか」

『ありがとう! ちょっと借りてくね』

「ちゃんと返しておいてくださいね」

『分かった! またね!』

 

 稗田家は歴史の観測者たらねばならない義務がある。だからこそ古い書物は転写しておき、残しておく必要があるのだ。

 

「あら? 何だか少し散らかっているような......」

 

 阿礼の伝聞、つまり阿礼以前の歴史をまとめ上げた棚の本が床に平積みにされていた。誰かが置きっぱなしにしたのだろうか。やれやれ、と呟き阿求はその整理の作業から始めた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四十六、廃獄ララバイ(六)

 

 相変わらず勇儀の馬力は無茶苦茶だ。

 長年何度も闘りあってきたからこそ互いの手の内も実力も身に染みて分かっていた。

 だからこそ、少し、硬直時間が生まれた。

 その時間を利用して萃香はある頼みを永琳に投げかけた。  

 

「あんた、煙作れるか?」

「煙?」

「なんでもいい、目眩ましになるやつだ」

「目眩まし、ねぇ......分かったわ」

「時間は稼ぐ、その辺りの岩陰で......」

 

 萃香の顔の横を何かが横切った。

 そんなはずはない。その一心で萃香はまっすぐ突き出された永琳の腕の先を見た。白い指には固く栓をされた試験管が2本、挟まれていた。

 萃香は試験管の中身、その透明なものの正体が何かすぐに分かった。案外本当に危険なものほど毒々しくないものだ。

 

「私は煙さえあれば良かったんだけどねぇ」

 

 しかし、流石の八意永琳とてこの何もない地で、ゼロからこれを生み出すのに少なくとも10分、いや5分はかかったはずだ。萃香はその見極めは間違っていない自信があった。ということは──

 

最初(ハナ)から持っていやがったんだ。怪物め......)

 

 しかも無意味に煙を毒を加えたわけではないことも萃香は察しがついた。萃香の意図を汲んだ上で(・・・・・・・・・・・)煙幕に毒を混ぜている。

 こうなることを予見していたのかあるいは常備しているのか。

 いずれにしても気味が悪い。

 

「言いたかないが......あんたがこっち側で良かったよ」

「別に致死性のものではないわ。ちょっと夢......いえ、力が抜けるくらいよ」

 

 当たり前だ、と呟いて萃香は永琳が放り投げた試験管2本を掴んだ。

 

「常温で混ざれば何でもいいわ」

 

 永琳の一言の後、萃香の足元でパリンという音が立て続けに鳴る。試験管の欠片のまわりからはシュウシュウと、白い煙が立ち上りはじめた。

 永琳はおもむろに腰を折って萃香の耳元に顔を近づけた。

 

「私は......なぜ月に閻魔がいるかを知りたい。ただ、それだけ」

「なんだい、藪から棒に」

「あなたも彼女に聞きたいことがあるのでしょう? お互い、目的を知れば勝率が上がるかもしれないわよ?」

「いいだろう」

「......あら?」

「答えると思わなかったか? 鬼はそういうの好きなんだ。腹を割ってって奴」

 

 萃香は懐から紙切れを1枚取り出した。一見ゴミにしか見えないような代物だが、永琳は気づいたらしい。

 

「御札......博麗神社のものね」

「そう、霊夢のだ。あの閻魔と闘った後のものを失敬してきた。御札ってのは神力だろうが妖力だろうが......呪力だろうがあらゆる力を溜め込む。どうしてもきな臭く感じてしまってね。こいつを呪いやら祟りの専門家に見せてみたんだ。最初はただの勘だったんだけど......大当たりだったよ」

 

 ◇

 

 幻想郷に2つある神社のうち、立派な方(・・・・)が守矢神社である。

 といってもアクセスには問題アリのため、人間の参拝客はそれほど多くはない。

 

「なんだい、大将。珍しいじゃないか」

 

 萃香が現れたところをすかさず呼び止めた神社の縁側にちょこんと座る金髪の少女。見た目は幼いがこれでも立派な神様である。

 洩矢 諏訪子──古くは祟りを統べる神として崇められていた土着神。

 萃香は彼女に用があった。

 

「よー、しばらく。ちょうど良かった、早速で悪いんだが......」

 

 こいつを見て欲しい、と萃香は例の御札の切れ端を諏訪子の目の前へずいと突きつけた。

 何が何だか分からない、といった諏訪子だったが、その目は次第に見開かれ、萃香の差し出した紙切れを凝視していた。

 

「ヨミヒト、シラズ......」

「なんだ急に。歌がどうしたんだ?」

 

 詠み人知らずと言えば和歌集の匿名表現だ。諏訪子が呟いた単語が萃香は何とも結びつかなかった。

 そんな萃香の心情を読み取ったように諏訪子は笑った。

 

平安時代(あんたの時代)の“詠み人知らず”じゃないよ。私も今の今まで忘れていたような……そんなもっと前の話さ」

 

 諏訪子は座れと言わんばかりにポンと自分の横を2回叩いた。

 長くなるらしい。萃香は素直に諏訪子の隣に並んだ。

 悪いね、お茶も出さずに、と前置きしてから諏訪子は口を開いた。

 

「2000年程前、だったかねぇ......当時人々は“ムラ”と呼ばれる集落を作って暮らしていたわけだ。やがて、そのムラが集まって“クニ”になっていく。その最中だよ。多くのムラを傘下に持つクニがあったんだ」

 

 2000年前というと日本は弥生時代真っ只中。人々に“争い”が生まれた頃だ。

 流石に鬼と言えどもその時代はほとんど知らない。

 

「その傘下のムラがたった1月の間に立て続けに滅ぼされた。土台を失ったクニもやがて滅んだよ。手法も何にも分からない。何せ語り継げるやつが残らなかった。それでも伝わった名が......」

「ヨミヒトシラズってか?」

「そういうこと。ヨミヒトシラズの名を冠する“何か”がそのムラの滅亡に関係あるのは間違いないんだけどね。ただ、いかんせんその正体がはっきりしない訳さ。歌も無い時代になぜその名がついたのかも分からない。それ以降の伝承もとんと聞かない。今話したものも私が直接見聞きしたわけじゃないからねぇ、どこまで信憑性があるかは分からない」

 

 諏訪子はため息を漏らした。確実なことは言えないといった表情だ。

 

「でも、私は滅んだムラの跡地に行ったことがあるんだけどさ。そこは何かの呪いの残滓で満ちてたよ。で、この御札から感じるもの......」

 

 諏訪子は御札をひらひらと揺らした。

 

「跡地に溜まっていた呪力と一緒だよ。こいつは」

 

 諏訪子は目を見開き、うっすらと口角をつり上げる。今まで幾人もが気圧され、崇め奉り、そして畏れてきた祟り神の顔をしていた。

 つまり、この情報は祟り神の諏訪子としてお墨付きということだ。

 

「流石だね、アンタに聞いて正解だったよ。呪力ってことはやっぱり呪い(まじない)や祟りの類か?」

「だろうね。それも他の地域で似た話を聞かないってことは土着信仰の産物だと思うよ」

 

 私と一緒の類だねー、と諏訪子は付け加える。

 

「信仰の対象、つまり元凶は確実にいたってことだ。ただ、伝承はもうないんだろ......どういうことだ?」

 

 萃香は諏訪子が目をまんまるにして驚いていた意味を理解した。

 

「流石に察しがいいね。神や妖怪(私たち)は基本伝承や人々の畏れで力を保っている。その伝承が一切ないってことは......まあ、そういうことのはずなんだけど」

 

 つまり、ヨミヒトシラズは滅んでいるはずの存在なのだ。

 そして、その呪力を宿した「閻魔」。

 諏訪子の情報は大きいが、点が増えただけでまだ線となっては繋がらない。

 

「逆に聞きたいよ、今になってヨミヒトシラズの呪力が蘇ってるってのはどういうことだい?」

「......本人に聞くしかないか、ありがとよ」

 

 ◇

 

 大声でないと会話できないほどの距離感が萃香たちとノタカたちの間には保たれていた。

 

「で、閻魔様、何か作戦はあるんですかい?」

「ないですよ、そんなもの。考えてみましょうか?」

「いや、今はそれよりも萃香から目を離さないほうがいい。何か......企んでるねぇ」

 

 萃香が永琳から何かを受け取ったように見えた。

 そして、萃香がそれを落とす。

 

「煙......?」

 

 萃香も、永琳もぼやけ始める。2人の視界に白煙が漂いはじめた。

 

「なんだ? 目眩ましか?」

「吸ってはならない!」

 

 咄嗟に袖を破り、吐息で吹き飛ばそうとしたのか、思いっきり息を吸い込もうとする勇儀の口周りをぐるりと、囲い込む。

 

「なんだ......外れない......」

「即席の防毒面です、視界の悪さや多少の息苦しさはご容赦を」

「防毒? ってことは......」

「ええ、恐らく何かしらの毒物でしょう」

「あんたは?」

「私には効かないでしょうから。しかし、どうして......」

 

 この量の煙を一瞬で流し込めるほどの風は今も吹いていない。何よりその弱い風ですら今もこちらが風上だ。

 なのに煙は晴れるどころかどんどん濃さを増している。

 

「風なんて吹いてないのにってか? 萃香の仕業だよ」

「え?」

「あいつは何でも“萃めたり散らせる“”んだ。恐らく私達の周りに毒ガスを“萃めて”停滞させ続けてる」

 

 ──鬼気「濛々迷霧」──

 

 ノタカと勇儀を取り囲む毒の煙から大量の弾幕が現れた。しかし、弾幕はすんでのところで全て停止する。

 

(危ない......間に合った)

 

 この煙は間違いなく永琳の仕業だ。毒を吸わせたいだけならば、気づかれぬように煙でなく透明、見えない気体にすればよい。彼女ならそんなことは朝飯前だろう。

 それでも彼女はわざわざ煙にしてノタカたちが視認できるようにした。

 つまり、毒の方はノタカが気づき、そして気をとられると踏んだ囮で、永琳と萃香が本当に欲しかったのは煙の方だ。

 

 以上の思考でノタカは煙に紛れた萃香の弾幕の不意打ちを読んで止めた。

 

 しかし、ノタカが予想し、対処していたのはあくまで煙を目眩ましにした弾幕攻撃だけである。

 状況を理解して歪んだ笑みがこぼれる。

 

「おやまあ、完全に不意をついたつもりだったんだが」

「やれやれ、神出“鬼”没とはよく言ったものです......」

 

 萃香本体が、何故かノタカたちに肉薄していた。

 いくら煙で視界が悪かったとはいえ、ここまで近づかれれば気づけたはずだ。

 どうやって、などと考える暇もない。

 眼の前に突如現れた萃香の服と腕輪を反射的に固定する。

 

「おっとっと、服を狙ったか。そうだった、それがあったな」

 

 しかし、萃香はすぐに霧散し、煙に紛れてしまった。

 

(ああ、なるほど、何でも散らせるというのは自分自身も含めてですか)

 

 この能力でノタカたちに近づいていたというわけだ。この煙は萃香に地の利を作り上げるための布石だったのだ。

 レミリアも服ごと霧状に変化していたが、ノタカの能力はこれを防げない。

 すぐさま萃香が死角に顕現する。

 ノタカは萃香を視界内に無理やり入れるのがやっとだった。

 もう腕輪を止めようとしたところで間に合わない。そして、ノタカは生き物を止められない。すなわち、眼の前に振りかざされた萃香の拳を対処するすべがない。

 

 しかし、それとノタカに拳が命中することは同義ではない。

 がっしりと一回り大きな手が萃香の手首を包み込む。

 

「おっと、この布切れが見辛くて反応が遅れちまったよ」

 

 勇儀が空いたもう一方の手で粗雑な防毒面を撫でた。

 

「あんたら、なんか忘れてないかい?」

 

 捨て台詞を吐いて、萃香は能力で勇儀の拘束から逃れた。

 

「私は視えないものを何より警戒していますよ。霧になるあなたと......」

 

 再び消えゆく萃香を睨みながら、ノタカは手を掲げた。

 

「見失った永琳(彼女)をね」

 

 ──天丸『壺中の天地』──

 

 無数の弾幕が煙の檻の中の2人を襲う。

 再び弾幕を止め、鎖状の弾幕で応戦しながらはたき落とす。

 当然、萃香もこの間に休んでくれなどはしない。

 永琳の攻撃を止めては落とす。

 萃香の攻撃を止めてはいなす。

 各々の役目を繰り返すだけ。

 

 勇儀を守る防毒面も結局は即席、所詮は布切れである。毒は少しずつ彼女の体を蝕んでいく。そして勇儀()でなければ萃香()の攻撃についていけなくなる。

 

 濛々と渦巻く白い煙の中どこからともなく萃香の声が響き渡る。

 

「私は幻想郷に来てからのあんたをずっと監視してた」

 

 落とす。いなす。

 

「あんた、体は頑丈なくせに事あるごとに気絶してる。魔理沙の箒を眉間にくらったとき、竹林で落とし穴に落ちたとき、そして、地底に落ちてきたとき。衝撃に弱いのか?」

 

 落とす。いなす。

 

「それに、やけに砂を被るのを嫌ってた。1番最初、中有の道で魔理沙の攻撃を防いだ時、そして、今さっき勇儀の巻き添えにならないようにした時だ」

 

 落とす。いなす。

 

「あんたが竹林で気絶したとき、覚えてないだろうがあんたを運ぶ鈴仙(妖怪兎)はやたらと苦労してたんだよ。鉄の塊でも運んでるみたいにな」

 

 落とす。いなす。

 

「私も自分の結論が信じられてないんだ。色々と噛み合わないからな。ただ、ひとまずの答え合わせといこうじゃないか。あんた──」

 

 萃香が顕現する。

 時間の流れがゆっくりになった。

 勇儀の目から焦りが見てとれる。やはりこの毒は確実に彼女を弱らせていた。もはや間に合いそうにない。

 萃香の拳は近づいてくる。

 ノタカは左腕で真っ向から怪物の拳を受け止めた。

 

精密機械(・・・・)だな」

 

 ピシリと嫌な音がした。何かの欠片が落ちる。

 

 ひび割れ、パチパチと火花をたてる左腕。

 

 その奥でノタカは引きつった笑いを浮かべていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

おまけ・番外編
幻想郷縁起 斑尾 ノタカ


※11話後に阿求が執筆した幻想郷縁起のノタカの項目です。阿求視点であるため、本作の設定とは必ずしも一致しません。

※36話以前のネタバレを含みます。






















ストレイ・リコリスラジアータ

斑尾 ノタカ Notaka Muranoo

 

 

能力 あらゆるものを縛る程度の能力

危険度 極低

人間友好度

主な活動場所 中有の道、彼岸、人里

 

 

数多い閻魔様の内の一人であるが、担当の場所は不明。幻想郷に常駐しているが幻想郷ではない。(*1)

閻魔様にしては比較的暢気な性格。特に説教臭いということもない。(*2)

 

 

仕事

 

閻魔様である以上、本業は死者を裁くことである。

が、担当区域の死者が極端に少ないらしく、裁判業務以外にも中有の道の屋台やそこで働く亡者の管理を任されている。実際中有の道でのすりなどは減り、治安はよくなったともっぱら評判である。が、ほいほい出歩いているのを頻繁に目撃されている所を見ると、そこまで重要なポストではないのかもしれない。

 閻魔としての職務が少ないことから、他にもいくつも業務を掛け持ちし(押し付けられ)ている。本人曰く「地獄の遊撃隊(*3)」。彼女自身はその境遇に若干の不満はあるようだ。

 

なお、彼女が住んでいる小屋を見れば地獄の財政が火の車であることがよく分かる。(*4)

 

達筆。「始末書を書いている内に上手くなった」とのことから、結構トラブルメーカーなのかもしれない。

 

閻魔様の持つ浄玻璃の鏡は、形がまちまちだが、彼女の鏡は水晶玉の形。(*5)

 

閻魔様なので人間を襲う危険はなく、かなり友好的。それに幻想郷の閻魔でもないので、死後のことで気を遣う必要もない。真っ当な人間にとっては良いことづくめなので、中有の道や里で出会った際には軽く挨拶しておくとよいだろう。

 

また、後述の能力で錆止めや簡単な物の修理を安価で引き受けてくれる。刃物を新調したり、うっかりお気に入りの皿を割ってしまった時などに訪れてみるのもいい。

 

 

幽冷異変

 

博麗神社と魔法の森の気温が大幅に低下した異変(ただし、局所的なもののため異変と呼べるかは要検討)。原因は大量の幽霊。

中有の道に新しく赴任した彼女が結界を張り、そのためにあぶれた幽霊が神社と森に集まった。

 

 

能力

 

全ての物、者は移ろいゆく。その変化を止める能力を持っている。いわば、あらゆるものを強制的に「現状維持」させる能力であり、座標を縛ればその場に固定され、状態を縛れば一定の状態が継続する。ただし、あまりにも絶え間なく、不規則に変化し続けるもの(液体、生物など)にこの能力は使えない。

 

能力の代償なのか、妖精ですらその辺を飛び回る幻想郷の人外としては珍しく飛行ができない。その代わりと言ってはなんだが、歩くのがちょっと速い。

 

現住の小屋はこの能力で繋ぎとめているらしく、蝶番以外に金具は使っていない。ただ、隙間でも空いているのか雨漏りがひどい。

 

 

目撃報告例

 

彼女は幻想郷の閻魔ではないが、主な仕事場が中有の道であるため、比較的よく目撃される。

 

・閻魔だったなんてな。そんな感じしなかったぜ

 (霧雨 魔理沙)

 

個人の意見である。

 

・閻魔様だったのね。全然そんな雰囲気なかったわ

 (博麗 霊夢)

 

あくまで個人の意見である。

 

・ああ、この間皮袋いっぱいの血を要求されたよ。とんでもなく恐ろしかった......え?別人?

 (匿名)

 

私は何も知らない。

 

 

対策

 

人間が襲われることはまずないと言える。万が一、敵対することがあっても普通の人間には成す術はない。

我々にできるのはせいぜい中有の道で悪事を働かないことぐらいである。

 

 

 

 

 

 

*1 言っても分からない場所らしい。

*2 もう一人の閻魔様と違って。

*3 一人では?

*4 彼女がそもそも倹約家である可能性も高い。

*5 かさばって使いづらそう。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。