BOOK (ゴマ助@中村 繚)
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1月1日から3月31日まで
長靴を履いた猫×ピノッキオの冒険01


 日常が非日常になる1年間が始まる。

 その1年間を語るにあたり、物語の始まりをどう切り出せばよいか悩むところであるが、物語はいつも「昔々」から始まるのでこのフレーズから始めよう。

「昔々」――あるところに、不思議な白い【本】がありました。星の数ほどの【本】は、コノ世に存在する星の数ほどの物語を書き記した不思議な不思議な【本】でした。

 ある一冊の【本】に登場する姫は、月の世界からやって来た輝かんばかりの美しい姫。その姫がただ1人の勝者に与え賜るのは、不死の薬……50年に一度、人々は【本】を手に不死の薬を求めて非日常の中へと飛び込んでいく。

「昔々」――202X年1月某日。

 1年間は、新年を迎えたその瞬間から始まる。世界には物語が溢れ、読者が望めばそれは現れる。

 魔法のような現象も、架空の生物も化け物も、想像すれば創造される。

 

 陸を走る丸太のいかだも、人間の口から吐き出される無数の石も。

 真冬に萌える緑の植物も、銃口からぴょんと飛び出る初々しい若葉も。

 操り人形のように糸に絡まる人間も、巨大な鬼に相応しい巨大な金棒も。

 真夏の南半球の銀世界も、若い女性の腕の中でこと切れる小さなごんぎつねも。

 

 2人の【読み手】と二冊の【本】が邂逅すれば、日常は非日常の物語に塗り潰される。

 

「地の果てまでも、奴を狩る……!」

「こんなものなのかな。正直、拍子抜けした」

「思ったより、ハードだね」

「始まったばかりだよ。姫を巡る【戦い】は」

 

 物語の終わりは、この言葉で締められる。

 お決まりのフレーズとともに本は閉じられ、物語の世界から日常へと帰還するのだ。

 

「めでたし、めでたし」

 

 否、まだ【本】を閉じることはできない。

 非日常の1年間は、輝く姫を巡る物語は、始まったばかりだ。

 

 

 

***

 

 

 

 202X年1月14日――

 東京都こよみの市の外れに位置する月山寺において、黒文字(クロモジ)蔵人(クロウド)の葬儀が行われていた。

 喪主は故人の娘である(シオリ)。哀しみに塗れたその表情は、月の沈んでしまった空のように暗くもやがかかる。

 夫に支えられながら遺骨を大事そうに抱えるその隣で持つのは、彼女の息子であり故人の孫である彼――黒文字(クロモジ)読人(ヨミヒト)

 暦野北高校1年生。まだ16歳の彼にとって、葬儀に参列する機会と言うのは滅多になかった。以前に参列したのは10年前、蔵人の妻である祖母が亡くなった時だ。

 あの時はまだ幼かったため、祖母が亡くなったと言う実感もあまりなかった。両親と祖父が酷く悲しんでいる空気を感じ、祖母にはもう逢えないと言う事実を徐々に感じ取り……この月山寺にて大声で泣いてしまったことだけは覚えている。

 読人にとっては二度目の経験。敬愛していた――大好きだった祖父の死が、長い前髪で隠れた彼の目に暗い影を落としていた。

 黒文字家の墓に彫られている名前は、祖母の名前と読人が産まれる前に亡くなった伯父の名前だけ。もう少し経てば、ここに祖父の名前も並ぶ。まるで、新しい住居に表札を立てるように。そこが次の家であると言わんばかりに。

 今年の冬は暖冬と言われていたが、その日は雪が降っていた。パラパラと降る雪は、読人の制服にも落ちて来る。

 父の黒いネクタイを巻いた濃紺のブレザーに白い粒が落ちると、彼の体温によって一瞬で水になってしまった。

 

「読人、お前も」

「……うん」

 

 蔵人の死因は急性心不全であったが、何かがあった時のために言付けのような遺言を残していた。その中に、自分の骨は四十九日を待たずに墓へ納骨して欲しいと認めてあった。

 骨壺の中の遺骨を生前縁のあった人々が一つ一つ、箸で摘んで墓に納める。

 父から箸を受け取った読人も、バラバラの小さな欠片となってしまった祖父の、その中でも小さな一つを摘まみ……ゆっくり箸を動かして、ポッカリと空いた墓の中へと落とした。

 

「バイバイ、おじいちゃん」

 

 黒文字蔵人、享年77歳――

 生前は大学教授を長く勤め上げて文学に関する数々の本を出版し、その道では中々の有名人であった。

 引退後も本に囲まれながら孫を可愛がって余生を過ごした。

 読人も祖父が大好きだった。おじいちゃんっ子と言って差し支えないほど蔵人に懐いていた。読人が一番尊敬していたのは祖父の蔵人であったのは間違いない。

 だから、亡くなったと実感したその日は、自分の部屋でみっともなく大泣きした。

 あれだけ泣いたのだから、この納骨ではもう涙は流さないと決めていた。笑顔は無理だけど、せめて……幼いあの頃、祖父の家を去るあの時のように別れを告げたのだった。

 翌日、ちょっと遅めの時間に自室で目を覚ました読人は、ゆっくりと階段を下りて洗面所へ向かう。本来ならば、冬休みも成人の日もとっくに終わってしまった平日であるが、忌引きやその他諸々の後始末のため今週いっぱいは高校を休んでいた。

 顔を洗ってからリビングへ向かうと、母がボーっとテレビを眺めながら椅子に座っていた。父は昨日の後始末やらのために家を出た後のようだ。

 

「おはよう」

「おはよう読人。お味噌汁、温めるわね」

「うん」

 

 いつも通りに振る舞っているかもしれないが、やはり母に元気がない。父を亡くしたのだから当たり前だろうが、なんだかこちらの調子が狂ってしまう。

 朝食のおかずは思いっ切り手を抜いて、昨日の葬儀の食事会で出た折詰の中身をレンジで温めただけ。油まみれのべしゃべしゃになってしまった海老の天ぷらは、あんまり食べたくないので箸を付けないことにする。

 

「読人」

「何?」

「今日、先におじいちゃんの家に行って。お母さん、ちょっと調子が悪くて……少し、休んでから行くわ」

「……分かった。無理、しないでね」

「うん」

「母さん」

「何?」

「おじいちゃんの本、何冊かもらっても良い?」

「良いわよ。読人がもらってくれれば、おじいちゃんも喜ぶと思うわ。それも仏壇と一緒に運び込みましょう」

「うん。先に行って、どの本を持って来るか決めておくよ」

 

 今日の予定は祖父の家の片付けだ。家主の急死により、色々のところが手付かずのまま放置されてしまっている。それに、あそこに置いてある仏壇も移動するので、粗方片付け終わったらトラックでも借りて読人の家に運び入れなければならない。

 母が温め直した味噌汁に口を付けると、中から甘海老の頭がこんにちはと突き出ていた……他の具は細切りの大根、つまりツマである。どうやら刺身を再利用したらしい。意外と出汁が出ていて美味しかった。

 今日は昨日と比べて暖かいので、コート一枚で良いだろう。マフラーもいらない。

 昨日の雪は直ぐに溶けてしまって積もらなかったので、読人はいつものように自転車を引っ張り出して蔵人の家へと向かった。

 最寄りの駅から電車で一駅。車で10分足らず。自転車ならば……赤信号の連鎖に引っかからなければ、20分ぐらいで到着する。幼い頃から通った築30年の黒文字家の庭に自転車を置いた。

 読人の家にあるこの家の鍵には、貝でできた鈴のキーホルダーが付いている。それをからからと鳴らして家の鍵を開けると、玄関には主を喪った上質な皮靴がきっちりと並んでいた。何となく下駄箱にはしまいたくなかったので、母と読人は蔵人の靴をそのままにしておいたのだ。

 

「おじいちゃん、来たよー」

 

 いつも癖で……条件反射のようにその言葉が出て来て、読人は蔵人の家に入った。脱いだスニーカーはきちんと揃えた。

 蔵人は孫を可愛がったが、甘やかしはしなかった。

 スニーカーを脱いで揃えずに家に上がると、どこからともなく湧いて出て来るように玄関に現れては、「靴を揃えなさい」と言わんばかりの無言の圧力をかけていたものだ。

 祖父の躾はしっかりと身に沁み込んでいた。

 まさか、今もどこからか現れるのではないかと警戒したがそんなことはなかった。この家は無人だ。もう、そんなことはないのだ。

 スニーカーをきっちり揃えて読人は蔵人の書斎へと向かった。

 大学の文学部の教授であった彼の書斎は、出入口と窓を除いた壁の四方が本棚でできていると言っても過言ではないほど本に溢れていた。そこには一枚のローテーブルと、質の良い黒檀でできたデスクと座り心地の良さそうな大きな回転椅子が置いてある。

 幼い頃から、読人はこの書斎に入るのが好きだった。遊園地やゲームセンターに行くよりも、蔵人に導かれてこの書斎の扉を開ける方がよっぽど楽しかったのだ。

 

「全然変わってないな、おじいちゃんの仕事場は」

 

 学術論文にエッセイに小説。小説だって、推理小説にノンフィクション、コメディ、ホラーも恋愛小説も何でも揃っている。勿論、幼い頃の読人が読めるような童話も絵本も、ちゃんと読人専用本棚に几帳面に並べられていた。

 この書斎にない本は最近人気の漫画コミックぐらいだろう。蔵人は漫画を嫌ってはいなかったが、物語が文字の羅列のみで綴られた本その物が彼にとっての特別であったようだ。

 読人は何気なく、本棚に収められている一冊の本を手に取った。

 タイトルは『ライ麦畑でつかまえて』――中学生の頃に読んだきりで、大雑把なあらすじしか覚えていないその本をパラパラめくりながら、祖父の椅子に座り込む。

 書斎の椅子は小さくギシリと音を立てると……薄手のカーペットの上に、カランと何かが落ちた音がした。

 

「? 何か、落ちた……鍵?」

 

 落ちていたのは一本の鍵だった。家の鍵ではない。机やキャビネトの鍵のような小さな鍵には、黄色く変色したセロテープが貼られている。

 椅子の下を覗き込んでみると、キャスターの付け根にセロテープの跡を発見。どうやら此処に鍵を貼り付けていたようだ。

 何の鍵だろうか?まるで、隠されるようにしまわれていたこの鍵は?

 鍵のセロテープを剥がして鍵を見詰めていたら、甲高いインターフォンの音が読人の耳に飛び込んで来た。

 不意打ちの来客だったため、まだ椅子の下にいた読人は突然のインターフォンの音に驚いて椅子に頭をぶつける。

 頭の痛みに数秒悶絶し、慌てて玄関へ走り件の鍵は咄嗟にコートのポケットに入れておいた。

 

「黒文字さーん、宅急便でーす」

「宅急便? は、はーい。今開けます」

「おはようございます。荷物でーす」

「おはようございます……あの、荷物ってどこから?」

「海外からです。受取書にハンコかサイン、頂けますか?」

 

 伝票に書かれた国の名前は、なんとスイス……宛先は勿論、黒文字蔵人だった。

 どうしてヨーロッパから宅急便が届くのか疑問にも感じたが、宅配業者を待たせるのも悪いのでボールペンを借りて「黒文字」とサインして荷物を受け取る。

 しかし、本来この荷物を受け取るはずの人物はもういない。

 伝票には「本」と書いているが、わざわざヨーロッパから本を取り寄せたのか?

 読人は首を傾げた。ちょっと困った時とかに右手を首に添えてしまうのが彼の癖であるが、しっかりと右手を首に添えて困っていた。

 

「海外から取り寄せた本……あり得る、おじいちゃんなら。高価な初版本とかじゃないよね」

 

 高価そうな物だった場合、本人がいなくなってしまった今となっては扱いに困る。

 カッターを拝借して箱を開けると、中には本……ではなく、小型のジェラルミンケースが入っていた。ちょっぴり拍子抜けした。

 ならば、このケースの中に本があるのかと思ったが、鍵がかかっていて開けられない。箱の中を探してみても鍵らしき物は入っていない、荷物の中身はこのケースだけだ。

 

「……まさか」

 

 そのまさか、椅子の裏に貼られていたこの鍵がケースを開ける鍵なのでは?

 あまりにもタンミングが良すぎるが、鍵穴のサイズは一致している。

 コートのポケットから件の鍵を出した読人は、恐る恐るケースの鍵穴へ近付けて……ピッタリと合致した鍵を回せば、小さな音を立ててケースは口を開けた。

 

「やっぱり本だ」

 

 やっぱり中身は本だった。

 ケースを開けた読人が見た物は、B6版コミックと同じ大きさの白い装丁の本だった。立派で汚れ一つない白い裏表紙は金糸で縁取りされ、同じ金糸で本のサイズよりも二回り小さく長方形が描かれていた。

 触るのに躊躇しそうになるぐらい綺麗なその本をしばらく眺めていた読人は、手汗を服で拭ってからゆっくりとその本を持ち上げる。ひっくり返してみると、表紙には流暢な筆文字で本のタイトルが書かれていた。その物語は読人も知っていた。否、彼だけではなく、日本で生まれ育った者ならば一度はその名前を聞いて、読んだ事もある物語だろう。

 

「『竹取物語』――」

 

 それは、日本最古の物語……かぐや姫を巡る、『竹取物語』であった。

 

「にゃ~」

「っ、猫?」

「にゃ~お、にゃーん」

「この近所に猫なんていたかな?」

 

 玄関の扉の向こうから猫の鳴き声がする。磨り硝子の向こうに大きな身体の猫の影が見えたのだが、読人の記憶ではこの近所で猫を飼っている家はないし、野良猫の気配もないはずだ。

 哀情たっぷりな声で必死に鳴く猫を無視できない子である読人は、玄関の戸を開けた。

 そこにはやっぱりちょっと大きな黒と白のハチワレ猫がいた、猫がいたんだけど……読人が現状をしっかりと理解する前に、磨り硝子が盛大な音を立てて粉々に崩壊したのだった。



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長靴を履いた猫×ピノッキオの冒険02

「ひぃぃぃぃーーー?!」

『ニャニャニャニャニャ……やっぱり、可愛い猫ちゃんが可哀そうに鳴いていれば、手を伸ばしてあげちゃうのが男だよな、ボウズ』

「喋った?!」

「自分で可愛いとか言っちゃうんだ」

『ゴラァ!! このオレに猫撫で声出せるなんて……! くっ、猫生一生の恥だ!』

「だ、誰……?」

「そうだそうだ、【読み手】同士の決闘は先ず初めに名乗るのが礼儀だ」

『礼儀とか躾とか、【戦い】の前では腹の足しにもならねぇぞ。それより、オレはカリカリの方が良い。よっこいしょ』

「……猫? 喋って、立って、なんだかオヤジ臭い」

『ダンディと言え! ダンディと!』

 

 粉々に砕け散った磨り硝子が玄関に散乱し、きっちと並べていた蔵人の靴に大きな破片が突き刺さっていた。

 着ていたコートの生地が丈夫だったお陰で、読人は破片を被っても大きな怪我はなかったが現状を全く理解していない……でも猫はいた。

 黒と白のハチワレの猫が、年寄り臭い仕草で手に持っていた長靴を履いて二足歩行をしていた。しかも喋っていた。

 無駄にオヤジ臭いし(本人?弁では、ダンディらしい)、挙句の果てには煙草を喫い始めた……あ、マタタビの臭い。これ煙草じゃない、マタタビスティックだ。

 猫にばかり視線が向いてしまうが、猫の隣にいた青年だって目を引く容姿をしている。

 白い肌によく映えるプラチナブロンドにミントグリーンの瞳は、明らかに日本人ではない。日本語は話しているけれど、その大げさな身振り手振りはどう見てもアメリカやヨーロッパ諸国の住人だった。

 色々と理解しがたい単語が飛び交っているが、どうやら向こうは名乗ってくれるらしい。そりゃどうも。

 自分だけが置いてけぼりにされて何も解らない現状だったが、読人は妙に理性的だった。

 

「僕は、リオン・D・ディーン。生まれは愛と芸術の都・パリ。手にする【本】は『長靴を履いた猫』」

「『長靴を履いた猫』……あ、履いてる!」

「そして、僕のパートナーである賢く愛らしい長靴を履いた猫・シュバリエだ」

『悪いなボウズ。玄関を壊しちまって……だが、弁償はできねぇぜ』

「渡してもらおうか。美しい姫の宿る【本】を……前回の【戦い】の優勝者、黒文字蔵人!」

「??」

 

 有名な童話の主人公がそのまま抜け出て来たかのような、騎士の名を持つ長靴を履いた猫・シュバリエに、祖父の名前を口にした彼――リオン。

 彼の狙いはこの本なのか?

 ガラスの破片から守るために、咄嗟に胸にギュっと抱き締めた『竹取物語』が?

 この本は遠いフランスから日本に乗り込んで来るほど、他人の家の玄関を大破させるほど価値のある物だと言うのか?

 が、一つ訂正しておく必要がある。

 

「黒文字蔵人は、先日亡くなりました」

「……え? じゃあ、君は誰?」

『アホかてめぇ! このボウズが50年前の【戦い】の参加者な訳ねぇだろうが! ちっとは頭を使え頭を!』

「ちょ、ちょっと間違えただけだろう! 猫に頭を使えって言われたくない!」

『んだとゴラァ!』

『最初は怖いと思ったけど……いや、そうでもない』

 

 今なら逃げ出せる気がする。

 駅前の交番に逃げ込んで助けを求めよう。猫が喋って二足歩行して、しかも長靴を履いていると言う非現実的なことも起きているけれど、今の読人の中には「警察に駆け込む」と言う選択肢しか浮かばなかった。

 リオンとシュバリエがギャーギャーニャーニャー言い争っているその隙に、読人は『竹取物語』の本だけを抱えて逃げ出したのだ。

 

「っ! 逃げた!」

『追うぞリオン。優勝賞品を易々と逃がすんじゃねぇ!』

「だから! サッパリ話が分からないんだけど! 何だよ、優勝賞品って」

 

 庭に停めた自転車の存在も忘れて必死に走る。

 今は走るしかない。蔵人の家の周辺は都心に通勤する者たちのベットタウンで、平日の昼間は空き巣の注意報が出るほど人通りがない。大声で助けを求めるよりは、その分の酸素を肺に回して脚を動かせ。

 後ろを振り返る労力も使わないとしていたのに、一瞬だけでも気になって振り返ってしまったのが運の尽き。目を疑う光景を見てしまったのである。

 あの先の十字路に刺さっているような道路標識……あれぐらい巨大な槍を手に、西洋の騎士の鎧を着込んだ鬼――デモンが、読人の脚を狙って、投げ槍の如くコンクリートの地面に槍を突き刺した。

 読人に命中はしなかったが、抉れたコンクリートの破片が飛んで、バランスを崩した身体はゴロゴロと道路に転がった。

 

「ひぃぃぃぃーーー?!」

『また同じ悲鳴か……泣き叫んでばかりじゃ、男は上がらねぇぜボウズ』

「『その城には、姿を変える魔法を操り、領民たちを支配している恐ろしいデモンが住んでいました』――創造能力・魔法使いの鬼(マジシアンデモン)!」

「っ、『長靴を履いた猫』に登場する……城に住む、どんな姿にでもなれる魔法使いの鬼?」

「正解。僕が好きな物語を知っていたんだね。Merci」

 

 でも最後には、長靴を履いた猫に唆されて鼠に変身してしまい食べられてしまう鬼である。この鬼は全然そんなマヌケな気配はない。

 鬼の肩に乗るシュバリエも両手に爪を伸ばし、冬場の微かな太陽光でも十分に鋭く光っている。

 シュバリエに鬼に、彼らは全部『長靴を履いた猫』に登場するキャラクターたちだ。そして、リオンの手には『竹取物語』と全く同じ装丁の本がある……白くて綺麗なその本。

 違うところと言えば、タイトルが『長靴を履いた猫』である点と淡く光っている点。そして、裏表紙には黒い紋章のようなシルエットが描かれている。袋を担いで長靴を履いた猫のシルエットが、その本の物語を象徴するかのように白い裏表紙に刻まれているのだ。

 

「一体、一体なんだ!? 何でおじいちゃんの名前を知っている……それに、この本が何だって言うんだ!?」

「君は黒文字蔵人の孫か。【本】を持っているのに、何も知らなかったのか。なら、教えてあげよう。君は【読み手】ではないようだしね」

「【読み手】……?」

「今、世界中に僕のような【本】を持った人間がいる。想像力を創造力にする【読み手】同士が【戦い】を始めたのさ……その、『竹取物語』を巡ってね!」

「優勝賞品って、そういう意味か」

 

 リオンが見せびらかす『長靴を履いた猫』の【本】と同じような物を持つ者が、世界中に姿を見せている。

 彼らが『竹取物語』を狙うの理由は、これが彼の言う【戦い】の優勝賞品だからだ。読人がその本を抱き締める力が少しだけ強くなる。

 先ほどの会話の中で、彼は“前回”と言った。シュバリエは”50年前”と言った。

 前回の【戦い】の優勝者、黒文字蔵人……【読み手】同士の【戦い】とやらに、蔵人が関わっていたのだ。

 

「だから、僕に大人しく【本】を渡してくれれば、これ以上君に関わることはない。僕だって、【戦い】が始まってすぐに暴力沙汰を起こしたくないんだよ」

『の割には、玄関大破なんて無茶振りをオレに押し付けたじゃねぇか』

「時には思い切りが大切なんだよ、シュバリエ。それじゃあ、『竹取物語』を渡してくれ」

「……嫌だ」

「……聞こえなかったな。もう一度」

「嫌だ!!」

「っ!?」

 

 しっかりと本を抱き締めた読み人が一歩踏み込むと、ガクガク震える脚を気合で誤魔化してリオンへタックルを決めた。

 運動経験もない文学少年が、ありったけの力を込めて目の前の障害へ立ち向かったのだ。

 読人の急な反撃に驚いたリオンだったが、驚いただけだ。読人のタックルを受けても、すぐに体勢を立て直せる……そして、『竹取物語』の本がぼんやりと光った事には気付いていなかった。

 

「シュバリエ! デモン!」

『大人しくしてなボウズ!』

「っ!!?」

 

 鬼の持つ武器が槍から棍棒へ変化し、シュバリエの鋭い爪が読人を狙って振り下ろされる。

 先に爪がコートのフードを切り裂き、棍棒が足元を狙ってコンクリートを穿つと、読人の身体は再びゴロゴロと転がった。それでも、『竹取物語』の本はしっかりと腕に抱いたままだ。

 例え彼が車道に放り出されて、後ろから速度を上げたバイクが迫って来ようとも。

 

「っ、マズイ!」

「あ……」

 

 迫り来る黒いスポーツバイクにフルフェイスのヘルメット。あまりの唐突な出来事にリオンの反応が遅れ、読人もバイクを目の前にして身体が強張ってしまう。

 腕の力だけは抜かず、長い前髪の下にある目をギュっと瞑ってしまった。

 しかし、バイクは……当たり前と言うかなんと言うか、読人の存在に気付いてブレーキをかけた。タイヤとコンクリートの摩擦する甲高い音が響いてバイクの車体が斜めになると、読人の手前で土煙と共に止まったのだ。

 普通なら、このライダーは悪態を吐いてもう一度走り出すなり、読人を心配してバイクを降りたりするだろう。当然、読人はそんな反応(主に前者)をすると思っていた。あわよくばこの人に助けを求めようともした。

 だけど、ライダーの次の行動は読人の思惑からは外れていたのだ。

 グローブを嵌めた小さくて薄い手が読人の肩に置かれると、ライダースジャケットの下から三冊目の白い本が登場した。ライダーの反対側の手には、淡く光る白い【本】を開いていたのだ。

 

「『荒れ狂う海の底から姿を現した化け物は、渦巻く波と暴風と共にピノッキオを呑み込みました』――創造能力・荒波の鯨鮫(モンストロ)!」

「っ、新手か!」

「この【戦い】において、名乗るのが礼儀ならば名乗りましょう。名は小野寺桐乃、【本】のタイトルは『ピノッキオの冒険』。以後、お見知り置きを」

 

 白い本の表紙に書かれたタイトルは『ピノッキオの冒険』。裏表紙の紋章は長く伸びた鼻を持つ人形と、切られたマリオネットの糸。

 子供たちがよく知る絵本の『ピノキオ』の原典である『ピノッキオの冒険』の【本】を手にしたライダーは、ヘルメットを脱ぎ捨てその正体を顕にした。

 髪をバレッタできっちりとまとめた若い女性……名は、小野寺桐乃。しょっぱくて冷たい海の飛沫が舞う中で、彼女の背には人間もぺろりと呑み込めそうな巨大な鯨。物語の終盤で、ジェペット祖父さんやピノッキオを舟ごと呑み込んだ海の化け物が出現したのだ。

 

『リオン! 他の奴に見付かっちまったぞ!』

「しょうがない、優勝賞品を目の前にして戦闘は避けられない。悪く思わないでくれよ、Mademoiselle……! 僕はリオン・D・ディーン、【本】は『長靴を履いた猫』!」

 

 棍棒を手にした鬼の一撃が巨大な鯨の頭部へ放たれるが、惑星のようにぐるぐるとした瞳孔を持つ鯨はそんなのではびくともしない。

 鬼を足場にして爪を剥いたシュバリエが飛びかかっても焦ることはなく、ピノッキオもジェペット爺さんも呑み込める大きな口を開くと、その口からはこれまた巨大な鮫が魚雷の速度で飛び出て来たのだ。

 

「おいおい、魚は猫の好物だぜMademoiselle」

『こんな生臭い鮫は、可愛いキティが「あーん」してくれない限り食う気がしねぇぜ』

「それじゃあ、彼女には早々と退場して頂こう! デモン!」

「気を付けて! 相手の鬼には変身能力があります」

「っ」

 

 もう遅い。

 鯨と対峙していた鬼が姿を消したと思ったが、今度は大蛇に変身して桐乃の足元に現れたのである。ぬらぬらと光る鱗の大蛇の目はあの鬼と同じ、その蛇が鎌首を垂れながら桐乃の身体に巻き付いて牙を剥いたのだ。

 毒蛇か?それとも獲物を丸呑みする奴らか?

 顔の直ぐ横にいる大蛇がチロチロと舌を動かしながら、顎を裂いて大きく口を開けた。桐乃は手にある『ピノッキオの冒険』の別のページを開き、【本】には再び光が宿る。

 絶体絶命の場面だが、当事者的にはまだ絶体絶命ではない。だから彼女は冷静にページをめくったのだが、第三者から見ればとんでもないピンチだった。

 桐乃のピンチに、読人は叫んだ。

 

「止めろぉぉぉーー!!」

「っ、君!?」

「この光……まさか!? 嘘だろ、このタイミングで!?」

 

 桐乃を捕えた大蛇へ向けて、力の限り叫んだ……本当は、叫ぶだけでは何も変わらない。だけど、読人の叫びに呼応するかのように『竹取物語』が眩く光始めたのだ。

 輝く光と共にこの道路の一帯に炎が灯る。明るく轟々と燃える真紅の炎がユラユラと燃え盛り始めると、鬼が変身した大蛇は低い声で怯え始めたではないか。

 

「【本】を読んで!」

「え……?」

「早く! 開いて最初に目に付いた一文を!」

「は、はい!」

 

 桐乃に言われるまま光る【本】を開くと、最初に目に付いたのは「昔々」の始まりの一文ではなかった。

 それは、主人公であるかぐや姫が求婚する貴族へ、幻の宝を見せてくれと言う難題を吹っかける場面であった。

 

「『右大臣阿倍御主人様は、火にくべても燃える事のない火鼠の皮衣をお持ちになって下さい』……!」

 

 読人が最後までその一文を読み終わったその刹那、ユラユラと漂う炎が全て意志を持ち始めたように動き一か所に集まり始めた。

 炎と言えば良いのか、それとも火の玉と言えば良いのかよく解らないそれらは、呼吸をする暇もない一瞬で桐乃の身体に巻き付いている大蛇の身体だけに燃え移り生臭い煙を醸し出す。あまりにも高温の炎は、あまりにも素早く大蛇だけを焦がし、鬼が変身した大蛇はピギャアァァア!と言う太く苦しげな断末魔を上げて桐乃の身体からずり落ちたのだった。

 

「『竹取物語』で、炎か」

「な、何が起きたんだ今のは?!」

「炎……火……」

 

 黒焦げになった大蛇が元の鬼の姿に戻ると、そのまま煙も何も残さずに消えてしまう。

 桐乃はどこか感心したように呟き、リオンは焦り。読人は炎を目で追った。

 桐乃の周りから遠ざかった炎が読人の前に集まって来れば、それらは小さな一つの塊に形を整える。

 まるでボールのような丸い身体は小型犬くらいのサイズだろう、短い手足が伸びてコンクリートの地面に下ろされると、黒くて円らな双眸が上目使いに読人を捉えている。

 それを動物に例えるならば、鼠……鼠と言っても、ハツカネズミ等の鼠ではなく大きなハリネズミだった。針の代わりに背中に炎を滾らせた、巨大なハリネズミが読人の前に現れたのである。

 

『……お前が、今代の【読み手】か』

「え……」

 

 子供のようにあどけないが、はっきりと大人と分かる声が聞こえたその時までだった、読人の意識が保たれていたのは。

 祖父の死から始まって、リオンとシュバリエの襲撃、桐乃の登場……そして、炎のハリネズミ。

 それらが一気に雪崩れ込んだ彼の脳のキャバシティはとっくの昔にオーバーヒートしており、『竹取物語』を抱えたまま意識を失って倒れてしまったのだ。

 なので、この時は気付いていない。『竹取物語』の本の白い裏表紙に紋章が刻まれていた事を。雲がかかった満月が竹に囲まれたシルエットの紋章が、裏表紙に描かれた【本】となった事に。

 

 

 

「昔々」――あるところに、不思議な白い【本】がありました。星の数ほどの【本】は、コノ世に存在する星の数ほどの物語を書き記した不思議な不思議な【本】でした。

 ある一冊の【本】に登場する姫は、月の世界からやって来た輝かんばかりの美しい姫。光り輝く美しい姫は、白い手である薬を差し出した。その薬は、かつて日の出る国で最も高い山の頂で焼かれ、天へ捧げられたもの。

 その薬の名から、その山は「不死の山」と呼ばれるようになった。

 

 

 

 かぐや姫が帝に捧げた不死の薬を焼いた、富士の山と――

 

 

 

***

 

 

 夢を、視た――

 頭の中がぐちゃぐちゃになって、インフルエンザの高熱に魘されるようにフワフワと意識が浮上する。パラパラと本のページをめくるような音が聞こえて来た。

 もやがかってぼんやりした視界がだんだんはっきりして来ると、読人が見たのは飛行機だった。随分とレトロな空気を纏った飛行機が集まっている。それじゃあここは空港か。

 だけど、読人はこの空港内を探索している訳ではない。テレビ番組を見ているように自身の視界だけが動いている。

 本当に、ココはどこだろう?

 そもそも日本ではないかもしれない。先程からいくつかの看板や案内表示を目にするが、日本語が一つも見当たらない。看板の言語は全て英語。そしてその中に、Englandと言う地名を見付けたのだ。

 

「こんにちは」

「ようこそ、イングランドへの長旅お疲れ様」

 

 徐々に聴覚も動き出して来た。聞こえたのは英語……のはずだけど、読人にはしっかりとした日本語に聞こえた。でも、その言葉を口にしたのは顔の堀が深く、ブラウンの髪を撫で付けた異人だった。

 彼は「こんにちは」と挨拶をした、仕立ての良いスーツを来た男性からパスポートを受け取って表紙を開く。どうやら入国の手続きをしているようである。

 何故読人はこんな夢を視ているのだろうか?

 彼は海外に行った事がなければ、国内旅行も片手で数えるほどしか行った事がない。なのに何で、こんな異国情緒溢れるイングランド――つまり、イギリス(暫定)の夢なんて視ているのだろうか?

 

「クロード・クロモジ……1年も滞在するのか、長いな。目的は? まさか1年も観光する訳じゃないよな」

「ええ、この地には【戦い】に来ました」

 

 怪訝そうな表情の後に呆気に取られ、次はおかしそうに顔を綻ばせた入国管理官に対し、彼――若き日の黒文字蔵人は、苦笑いしながら首に左手を添えて首を傾げたのだった。




始まりはいつも突然。

Name:黒文字読人(クロモジヨミヒト)
Age:16歳
Height:172cm
Work:都立暦野北高等学校1年C組
Book:『竹取物語』


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竹取物語01

 黒文字読人は夢を視ていた。

 視ていた夢の内容をはっきりと口で語ることはできないけれど、頭の中ではどんな夢だったかをはっきりと把握しているという不思議な夢だった。

 先日亡くなった祖父・黒文字蔵人と同じ名前の青年が登場した、この夢は。

 

「……おじい、ちゃん」

『……』

「……」

『やっと起きたか?』

「……ひぃぃぃぃ~」

 

 プールの中から水面に顔を出す時にも似た感覚で目を開けた読人だったが、起床早々情けない声で腰を抜かすこととなった。

 だって、目の前に自分の胸の上にサイズが大きいハリネズミがいたんだ。しかも喋っているし、背中の針が燃えている。寝起きじゃなくても普通に驚くだろう。

 まさかまだ夢を視ているんじゃと思って首を左右に動かしてみると、ここは祖父の家ではなかった。

 和室の真ん中に布団が敷かれて、その上に自分は寝かされていた。そして、右側……朝顔が描かれた襖の前にちょこんと、小柄だが凛々しい空気を纏った老女が座っていたのに気が付いたのだ。

 

「ひぃぃぃーーー!?」

「失礼だね、お前さん」

「っ、ご、ごめんなさい! あの、ここは? 俺、何があったんです……か?」

「お前さん」

「はいっ」

「今も昔も、顔はじいさんには似ちゃいないが……癖は同じだね」

「っ!」

 

 無意識に癖が出ていた。申し訳なさそうにしている読人の頭が傾いて、右手が首に添えられている。

 老女の言葉で思い出した。確か、祖父――蔵人も読人と同じ癖があったと母から聞いたことがあったのだ。

 蔵人は左利きだったので、首に添える手は左手だった。

 寝起きの頭でそこまで思い出してから、読人の頭はしっかりはっきりと覚醒した。

 起き上がった彼の膝の上には、背中の炎が燃える大きなハリネズミ。知らない和室の布団の上で寝ていて、祖父を知っていると思われる老女が1人……これって本当に、どんな状況なんでしょうか?

 

「あ、あの……」

「腹は減っているかい? もうお昼だよ」

「え?」

「色々喋りたいこと、聞きたいことがあるだろう。私たちもお前さんに説明しなきゃならないことがある。だけど今は、腹を満たしなさい」

 

 読人の感覚では、ついさっき朝食を食べたばかりだが、部屋にある時計を目にして気付く。あれから時間近くも眠ってしまっていたのである。

 あれから……蔵人の家で長靴を履いた猫と本を手にした青年に襲われて、同じく本を手にした女性がバイクに乗って登場したあの出来事から。

 はっと気付いて辺りを見回すと、『竹取物語』――リオン、と名乗ったあの青年が言っていた優勝賞品とやらは、畳まれたコートやスマートフォンと一緒に読人の枕元にきちんと置いてあった。

 そして安心したのも束の間、食べ盛りの男子高校生の腹は空腹を訴えて鳴いた。空気を読まない内臓から情けない音が鳴ったのだ。

 

「焼きそば、好きかい?」

「……はい」

「それと」

「それと?」

「随分前からお前さんの電話が鳴っている。母親からだろう」

「あ」

 

 慌ててスマートフォンを手に取ると、30分前から何度も母から着信が入っている。蔵人の家に行ったら玄関大破しているし、読人はいない事態で突っ込みどころは満載だ。

 どうしよう、何て説明すれば良いんだろう……それが解らなくてリダイヤルをするのを躊躇っていたら、タイミング良く再び母からの着信が来た。しかも、うっかり条件反射的に電話に出てしまったのだ。

 

「も、もしもし……」

『読人! あんた今どこにいるの?! おじいちゃんの家は鍵が開いたままだし、自転車もそのままだし』

「ご、ごめん……えーと、その」

「貸しな」

「か、母さん。ちょっと電話変わるね」

 

 一言一句に冷や冷やしながらしどろもどろに母へ返事をしていたら、電話に代われと手を出した老女へ縋り付くようにスマートフォンを渡した。

 

「もしもし、黒文字さん? 私、奥島です。『若紫堂』の……はい、先日ぶりです。実はですね、蔵人さんの家の前を通りかかったら読人さんと会いましてね、話し相手になってくれたんですよ……はい、はい。ええ、折角だからお昼を一緒にとなりまして、私が引き留めてしまったんです。申し訳ありません。ええ、蔵人さんの話に花が咲いてしまいましてね。読人さんはちゃんとお帰ししますので……では、本人に代わりますよ。ほら」

「え、はい……母さん?」

『読人、奥島さんと一緒だったのね。お昼をご馳走になったら、ちゃんとお礼して、早めにお邪魔しなさいよ』

「うん、解った」

 

 じゃあね、と母からの電話が終わった。老女は奥島と名乗った。彼女は母と知り合いなのだろうか?

 

「ほら、顔を洗って来なさい。話はお昼を食べながらにしよう」

「はい」

 

 スマートフォンを手に未だぼんやりしている読人へ、奥島と名乗った老女は綺麗な仕草で和室を後にした。

 そして、やっと思い出した……この膝の上の、生温かい重みの原因であるハリネズミの存在を。ずっといたんだね、君。

 

「あ、あの……」

『今まで大人しくしていたオレを、褒めてくれ』

「はい」

『まあ、お前は何も知らないんだ。現状を理解できたら、またオレは現れる』

「待って! きみは、何者……?」

 

 のそのそと読人の膝から退いたハリネズミは、背中の針が炎になっているが火傷するほどの高熱ではなく、触れたらほんのり温かい。針と言いつつも硬くはなく、柔らかい灯が揺らめているようだった。

 だけど、何故こうやって喋って話ができているのかと言う疑問さえも吹っ飛ばし、ハリネズミはやっぱりのそのそした動きで『竹取物語』の本へと近付いた。その炎は、本に燃え移らない。

 

『何者と言われたら、オレには名前はまだない。しかし正体は、お前が創造した”火鼠の衣”だ』

 

 そう言って、火鼠の衣は鼻先で器用に『竹取物語』の表紙を開いてもぞもぞとその中へ潜り込み、パタンと表紙を閉じてしまったのである。

 火鼠、火の鼠、火の針を持つハリネズミ……何だろう、安直なのか捻っているのか解らない、お粗末な連想ゲームのような結果は。

 まだ頭の中がぐちゃぐちゃしている。奥島と名乗った老女からたくさん聞きたいことがあったし、夢で視た、黒文字蔵人と名乗った青年の事も気になっている。

 だけどそれ以上に今の読人に必要なもの。それは、腹の虫を黙らせる昼食である。

 空気を読め、胃。

 それから、色々なやり取りを省いて本題に入れば、読人は焼きそばをご馳走になって食後のお茶を啜っていた。

 樫のローテーブルの向こうには、奥島と名乗った老女と彼女の右隣にはあの時バイクで颯爽と登場した女性・小野寺桐乃が座っている。

 好きなだけ使いなさいと、セルフサービスでテーブルに置かれていた紅ショウガの瓶の蓋を桐乃が閉めたタイミングで、シンプルな絵柄の湯呑でお茶を飲んでいた老女が口を開いた。

 

「さて、先程は名字しか名乗っていなかったね。私は奥島(オクシマ)紫乃(シノ)。こっちは、うちのアルバイト……と言うより、私の弟子の小野寺桐乃。桐乃とは、さっき会ったね」

「はい。黒文字読人です……今朝は助けてくれてありがとうございました。お昼、ご馳走様でした」

「いいえ、私も君に助けられた」

 

 深々と頭を下げた読人に照れ臭そうに微笑んだ桐乃は、ライダースーツを着てヘルメットを手にしていた時とは随分印象が違う。薄手のセーターに細身のパンツを着たその姿は、化粧っ気はないけれど人の良さそうな普通の女子大生のイメージの方が強い。

 ご馳走になった焼きそばも彼女が作った物だった。

 キャベツに玉ねぎ、もやし等の野菜が豊富で、細切りのウインナーが具として入っていたのは初めての経験だ。黒文字家の焼きそばよりも甘めの味付けで、紅ショウガが良く合う……と、陶器に入った紅ショウガの入れ物を眺めながら、頭の片隅で思っていた。

 

「さて、どこから語ろうか? あまりにも多すぎるもんだからね……お前さんが一番訊きたいことは何だい?」

「一番訊きたいこと、ですか? あの……奥島さんは、祖父と知り合いなんですか?」

「そこからか訊くのかい。蔵人さんとは、知り合いと言うか腐れ縁だよ。もう50年になるね。先日の葬儀にも参加したんだけど、お前さんは覚えていないだろう」

「ご、ごめんなさい」

「良いさ。ずっと俯いていたしね」

 

 確かに、蔵人の葬儀の最中の読人はずっと俯いて上の空だった。蔵人の旧友が「この度は……」とお悔みの言葉を告げていても、その時のことはあまりよく覚えていない。

 彼女――奥島紫乃は蔵人の50年来の知人だった。故人の娘である読人の母も彼女の事を知っていたのだろう、だから先程の電話のやり取りに繋がったのだ。

 納得したと同時に新たな疑問が読人の中に生まれた。紫乃が言った「50年」と言うワードが引っかかったのだ。50年、その年数をついさっき聞いた気がする……そうだ、リオンがとシュバリエ言っていたんだ。

 

「もしかして、リオンと長靴を履いた猫が言っていたことに何か関係があるんですか? 祖父が、この本を所持していたことにも」

「中々鋭いね。桐乃」

「はい」

「これから私は、突拍子もない夢物語のような話がする。だけど、それは全て真実だ」

「真実……」

「そう、50年前の話と、何十世紀も昔から続いている馬鹿げた【戦い】の話だよ」

 

 桐乃がテーブルの上に二冊の本を置いた。一冊は、午前中の出来事で彼女が手にしていた『ピノッキオの冒険』の白い本。もう一冊は、これまた同じ白い本……タイトルは『源氏物語』とある。

 書かれた年代も国も違う二冊の物語だが、同じ装丁の本と言うのは共通していた。読人が守った『竹取物語』の本もまた、同じ姿をしている。

 

「世界中には、この白い【本】が何千冊と存在している。誰が作ったのか、どこから現れたのかは誰も分からない。だけど50年に一度、その中から百冊の【本】と【読み手】と呼ばれる使い手が選ばれ、1年に渡る【戦い】が行われるんだ……その、『竹取物語』を巡ってね」

 

 何千冊もの不思議な能力を持つ【本】には、何千話もの物語が刻まれている。【戦い】のある1年間以外では美しい本のままであるが、50年に一度だけ使い手に巡り合うと裏表紙に紋章が描かれて、魔法のような不思議な能力が溢れ出す。

 その能力とは、人間の想像力を創造力に変える能力。

 読人も既に目にしただろう。『長靴を履いた猫』が実体化し、同物語の鬼が魔法で姿を替え、桐乃の背後には化け物の鯨も鮫も現れた。

 空想の世界が、現実に顕現する。つまり、自分が手にしている【本】の物語のモチーフを顕現させて戦うと言うことだ。

 

「【本】に綴られた物語を読んだ【読み手】が想像したものが、現実に創造される。桐乃の【戦い】を見ただろう。『ピノッキオの冒険』に登場する化け物鮫を。この子なりに想像して創造したんだ」

「まあ、アニメ映画の印象が強くて外側は鯨ですけどね。君が見た荒波の鯨鮫(モンストロ)は、私の想像の中の、ピノッキオとジェペット爺さんを呑み込んだ化け物鮫だったの」

「想像して、創造する……まさか、あのハリネズミも?」

 

 そこまで頭の中で整理して、読人は思い当たる節があった。幼い頃、蔵人に『竹取物語』もとい『かぐや姫』の絵本を読んでもらった時のやり取りを思い出したのである。

 

「おじいちゃん、“ひねずみのかわごろも”ってなにー?」

「火鼠と言う生き物の毛皮だよ」

「ひねずみってなにー?」

「火を吐く鼠のだよ」

「ネズミが『かえんほうしゃ』するんだ!」

「何かのゲームのモンスターみたいだね」

「じゃあ、ハリネズミがもえてるの!」

「読人、おじいちゃんはさっきと同じ感想しか出ないよ」

 

 幼い頃の自分は、物語に出て来る「火鼠」をゲームに登場する炎タイプのモンスターか何かだと思っていたのだ。

 幼い頃の想像が無意識に反映され、あの燃えるハリネズミが創造されたのである。

 

『想像してた! 思いっ切り想像してたよ……!』

「お前さん、聞いているのかね?」

「はい! この、不思議な能力を持つ【本】で【読み手】同士が戦うことは理解しました。でも、この『竹取物語』が優勝賞品ですよね? 何で、この【本】が優勝賞品なんですか? これだけ、何か特別な物なんでしょうか」

「正確に言えば、その【本】から創造されるモノが優勝賞品さ。お前さん、『竹取物語』のラストは知っているかい?」

「はい……かぐや姫は帝の求婚を断り、満月の夜に月に帰ってしまう。ですよね?」

「その先の話さ。絵本じゃ省略されている物も多いが、『竹取物語』のラストはこのような形になっている……かぐや姫は月の世界の薬を一口舐め、残りを地上の帝に献上した。帝はその薬を口にはせず、かぐや姫に届くようにと日本で最も高い山の頂でその薬を燃やした。それ以来、その山は『富士の山』と呼ばれるようになった。【戦い】に参加する【読み手】たちが狙うモノ。それは、かぐや姫が最後の1人に与える不死の薬だ」

 

 不死――()()

 コノ世に生きる人間は、富める者も貧しい者も、善人にも悪人にも皆平等に死が訪れる。

 だからだろう、古代の権力者たちは死から逃れる方法を模索し続けていた。時には錬金術や黒魔術のような空想を駆使し、幻想の世界で存在する不老の薬に憧れ、それを実現しようとした。

 誰もが咽喉から手が出るほど欲するその薬が、【本】を手にする者たちの【戦い】の優勝賞品だ。

 50年に一度、100人の中から勝ち抜いた1人が、かぐや姫からその薬を授けられる……不死の権利を得ることができるのだ。

 

「不死……って、不老不死と考えれば良いんですか?」

「そう考えて構わない。人間の細胞の劣化が肉体的な死ならば、その劣化を止めて老いを止めることもまた不死さ。今年の1月1日から12月31日までの1年間、100人の【読み手】が戦い続け、残った1人に不老不死の薬が与えられる。50年前、お前さんのじいさんがその優勝者だった。私もこの『源氏物語』の【本】と共に【戦い】に参加していた」

「……」

「しかしまあ、分かってはいると思うが、蔵人さんは不老不死を選ばなかった。私たちやあの人は、薬を封印するために戦っていたんだよ」

 

 老いず、死なず。

 生者の理から逸脱した者が50年に一度ずつ増えていったら、世界の理そのものが崩壊してしまう……それを危惧した者たち。若き日の蔵人や紫乃を始めとした彼らもまた【読み手】として、【戦い】に参戦し続けていたのだ。

 そして50年前の【戦い】では、黒文字蔵人が100人の中の最後の1人となった。同時に、『竹取物語』の所有者となり【本】その物を異国の地に保管していたのである。

 50年の月日が流れ、また再び【戦い】の年が来た。

 蔵人は【本】を自分の手元に置いておこうとしたのだろう。しかし、日本に届く前に蔵人は急死してしまい、読人が偶然にも手に取ってしまったがために、彼は『竹取物語』の新たな【読み手】として選ばれてその能力を覚醒させたのだ。



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竹取物語02

「ここまで、理解できたかね?」

「はい……」

「桐乃、お茶のお替わりを」

「はい」

「ありがとう。桐乃を含めた他、99人の【読み手】はお前さんを狙って来る。必然的に1対99だ。もし、お前さんが欲に駆られて不老不死を望むならば……」

「私もまた、敵になる」

 

 桐乃は薄緑色のお茶を読人の湯呑に注ぎ、その言葉と共に差し出した。

 彼女は紫乃の弟子と言った。ならば、50年前の紫乃と同じように不老不死の薬を封印する意志を持つ者だろう。午前中の出来事の際に駆け付けたのは読人の危機を救うのではなく、リオンの手に『竹取物語』が渡るのを阻止するためだったのだ。

 

「そう言えば、彼、リオンはどうなったんですか?」

「彼と長靴を履いた猫は逃げたよ。脱落もしていないから、また君の前に現れるかもしれない」

 

 リオン・D・ディーン――『長靴を履いた猫』の【読み手】である青年は、どこから情報を仕入れたのか誰よりも早く『竹取物語』へ辿り着いてしまい、【読み手】のない本を手にするはずだった。

 だけどその時に、読人が【読み手】として覚醒しまったのは何たる皮肉。ちなみにその時、以下のようなやり取りで逃亡した。

 

「まずいぞシュバリエ! 彼が【読み手】になってしまった、どうしよう!?」

『落ち着けリオン! 2対1じゃ流石のオレでも無理だ! ズラかるぞ!』

「Oui!! 『王様の馬車が通りかかるのを発見した猫は、大声でこう叫んだのです』」

『大変だ! カラバ公爵様が川に流される!!』

 

 リオンが『長靴を履いた猫』の【本】を開いてシュバリエがそう叫ぶと、王族が乗るような華美で壮美な細工と模様が施された、立派な馬車が創造された。凛々しい二頭の駿馬も同時に現れ、リオンとシュバリエが馬車に乗り込むと時速80kmほどのスピードで駆け抜け、あっという間に逃げ去った。

 と、一部始終を目にしていた桐乃はそう証言した。

 桐乃が新しく淹れたお茶を一口啜った紫乃は、少し息を吐き出して再び語り始める。

 100人の【読み手】たちの【戦い】は1年に渡って繰り広げられると言ったが、今年に入って既に2週間が経過しているので何人かは早々と脱落している。それに、未だ【読み手】と出会えずに能力を覚醒できていない【本】もある。

 彼らが優勝賞品を勝ち取るために攻め入って来るのなら、『竹取物語』の【読み手】である読人は優勝賞品を守る立場にあるのだ。

 99人の中には、どんな卑劣で残酷な手段を使ってでも不老不死の薬を手に入れようとする者も現れるだろう。たった1年の短い期間だが、勿論生命の危険もある【戦い】だ。

 人間は【本】を選べない、【本】が人間を【読み手】として選ぶ。50年前の蔵人は勝ち残って『竹取物語』を手に入れたが、読人は選ばれてしまったのだ。

 かぐや姫の守り人として。

 

「これから先の1年間、お前さんは他の【読み手】に狙われる。中には話の通じない相手もいるだろうね、今朝のフランスの坊やと猫のように」

「俺は、不老不死になりたい訳じゃないです」

「お前さんにその気はなくとも、運命は止まってくれないのさ。もう既に、(ページ)は開かれているんだよ。お前さんの手の中に『竹取物語』の【本】がある今この状況が、紛れもない真実さ」

「……」

「尋ねようか、黒文字読人――お前さん、この【戦い】に身を投じる覚悟はあるのかい?」

 

 紫乃の凛とした重々しい声が、読人の耳の奥に何度も響いて胸の奥をズキズキと痛ませる。

 頭の中はぐちゃぐちゃで、何もかもきちんと整理できていない。ただそこら辺に、頭の片隅に適当に片付けているだけだ。

 蔵人の死から始まって、『竹取物語』の【本】が読人の目の前に現れ、図らずもその使い手=【読み手】になってしまった。

 普通なら、生命の危険がある多勢に無勢の1対99の【戦い】に巻き込まれたくない。そんなの嫌だと【本】を床に叩き付け、早々と脱落すれば良い。【本】は紫乃にでも桐乃にでも譲り、自分はいつも通りの平凡で日常的な高校生活に戻れば今までと何も変わらないのだ。

 これ以上母を悲しませたくない、父にも何て言えばいいのだろうか。

 2年生に進学すればコース選択によるクラス替えも行われるし、そろそろ進路も真剣に考え始めなければならない。夏休みにはオープンキャンパスにも行ってみたいし、それに……気になっている女の子だっている。そんな毎日を、手放したくはない。

 少なくとも読人はそんなタイプの人間だ。好き好んで刺激と危機一髪のスリルを求めて、映画や漫画の世界でありそうな世界に飛び込まない……平和万歳、平凡万歳、モブ人生万歳。

 だから、「覚悟はない」と告げれば良かった。

 なのに、彼の口から出たのはこの言葉だったのだ。

 

「……少し、考えさせて下さい」

「良いだろう。急かして返事をもらって良い話でもない。桐乃、帰る際には送って行ってやりな」

「いえ、大丈夫です。おじいちゃんの家に自転車、置いたままだし」

 

 バイクで送って行くと言った桐乃の申し出を断り、蔵人の家まで歩くことにした。

 冬の乾燥した冷たい風は、オーバーヒート寸前の読人の頭を程良く冷やしてくれるだろう。自分の中で色々整理するためにも、ちょっと歩くことにしたのだが……そう言えば、ここは一体どこだという質問をするのを忘れていた。

 

「すいません、小野寺さん。ここは奥島さんのお宅ですか?」

「そうだよ。師匠の住居兼お店。靴が置いているのは、こっち」

「っ、うわぁ」

 

 桐乃に玄関まで案内されて居間の奥にある木戸が開かれると、読人は思わず感嘆の声を上げた。上品な香とちょっと埃っぽい古い紙とインクの匂いが漂うその空間は、正に本の洪水だったのだ。

 年代物の本棚には数多の本が収められていた。日の当たらない位置にかけられた額縁には十数年前の音楽雑誌が大切に納められ、価値のありそうなハードカバーの分厚い本はビニールに包まれている。

 蔵人の書斎とは違う。ここは時代を経た本が辿り着き、次の読者を待つための宿だったのだ。

 

「ここは古書店『若紫堂』。大正時代創業のちょっとした老舗さ」

「古書店、『若紫堂』……ああ!」

 

 店と母屋を繋ぐ玄関に揃えられていた靴を履いた読人は、デジャブと懐かしさに襲われた。

 そのまま本棚の間を縫って外に出ると、店の前には『休憩中』の木札が下げられ年季の入った『若紫堂』の看板が下げられていた。

 

「俺、この店に来たことがあった……おじいちゃんが、連れて来てくれたんだ」

 

 幼い頃、小学校に入学する前の記憶が蘇る。あれは確か、暑い夏の日だった。

 蔵人と手を繋いてこの『若紫堂』を訪れ、先程のように感嘆の声を出してはしゃいだのだ。

 そうだ、紫乃はあの時確かにこう言った……今も昔も、顔は蔵人には似ていないと。それはつまり、幼い頃の読人を知っていたから出た台詞である。

 

「すっかり忘れていた」

「思い出したなら、蔵人さんの家まで帰れるね」

「はい。そんなに遠くないですよね」

「うん、歩いて10分もかからないよ。これ、お店の名刺。何かあったら電話でも良いから連絡して。もし君に戦う意志があるなら、きっと師匠は色々教授してくれると思う。言い方はちょっとキツいけど、基本的には優しい人だよ」

「はい、ありがとうございました」

 

 薄紫色のショップカードを桐乃から渡され、読人はペコリと頭を下げてから『若紫堂』を後にした。左手には『竹取物語』がしっかりと握られている。

 1月の寒空の下。白い息を吐きながら蔵人の家を目指し、コートのフードを被ろうと手を伸ばしたが止めた。フードはシュバリエに切り裂かれ、ボロボロになっていたのを思い出した。

 確かにボロボロだ。被れない。

 白い【本】の裏表紙に刻まれた物語を象徴する紋章。【本】が選んだ人間の手に渡ると、この紋章が現れて50年に一度の【戦い】への参加申し込みをしたことになるらしい。

 選ばれた時点で強制参加だ、辞退することもできない。何て人間に優しくないシステムだろう。

『竹取物語』の【本】の真っ白な裏表紙には、既に参加申し込みを受領してしまった紋章がしっかりと刻まれてしまっている。雲に隠れる満月が竹に縁取られた、家紋のような紋章だ。その紋章を眺めながら、読人は白く染まった溜息を吐いた。

 目の前の信号が青に変わったので横断歩道を渡り、右折すれば閑静な住宅地に入って蔵人の家が見えて来るはずだ。

 

「あー……そうだ、おじいちゃんの家の玄関、母さんに何て説明しよう」

『大丈夫だ、もう元に戻っている』

「え、本当?」

『ああ。【読み手】同士の戦いは、想像力が根源にある。【戦い】が終われば、創造されて実体化したものはただの想像・空想に戻り、それによってもたらされた結果も()()()()()()になる。ただし、生物の死はその限りではない』

「そうなんだ。じゃあ、おじいちゃんの家の玄関は壊れていないんだね」

『そのはずだ』

「良かった~……って!」

『よっ』

 

 何だか普通に会話をしてしまったが、読人の隣には誰もいない。

 そもそも、前も説明した通りお昼の時間帯においてこの近辺の人気のなさは異常だ……なのに、誰かと会話をしてしまった。ついでに、読人の右肩がホッカイロを貼り付けたようにぬくぬくと温かくなった。

 首を右に動かすと、そこにいたのは軽い挨拶をしながら短い手を伸ばしたハリネズミ――読人の想像力が創造した、火鼠の衣がいたのである。

 あれ、ちょっとサイズが小さくなってないか?

 カピバラサイズから肩に乗るぬいぐるみサイズになっているぞ。

 

「何だかさっきより小さくない?」

『大きさぐらい自由に変えられる。本気を出せば、軽自動車ぐらいの大きさにもなれるぞ』

「そうなんだ。あの、火鼠……君?」

『何だ、オレにも質問か?』

「まあ、他にも色々あるけれど……俺は、この【戦い】に参加して良いのかな?」

 

 読人の質問に火鼠の衣は円らな両目をパチパチと瞬きさせて彼の顔を見た。

 まだ子供の丸みを残した少年の顔、その長めの前髪は何とかならないのか?目が隠れているぞ。

 

『お前、変わっているな。歴代の【読み手】の中でもそんな事を言う奴はいなかった』

「歴代……君は、以前の戦いを覚えているんだ」

『ああ、この【本】が少々特殊だからな。創造されたオレみたいな奴らにも、多少の記憶が蓄積されている。前の【読み手】はイギリスってところにいた白人だったが、随分と欲の皮が突っ張った奴だったぞ。あいつよりは、優勝者だった蔵人の方がマシだった。大体の奴らは嬉々として参戦した。1年間、この【本】を守り通せば不老不死だ。事情を知らずに巻き込まれた奴も、直ぐに【本】を捨てて逃げた奴もいれば、初陣でぽっくり逝った奴もいた。その度に、この【本】は色々な人間の手に渡って来た』

「……俺、この【本】を守る理由も、手放す理由も分からないんだ」

『……』

「きっと、理由が欲しいんだ」

 

 覚悟と理想を背負って【戦い】に身を動じる理由か。それとも、罪悪感も後腐れもなくこの【本】を手放す理由が。

「不老不死の人間を生み出さないため」は、倫理的だけど彼の中では芯がない理由だ。「生命が惜しいから」では、罪悪感にも似た感情が湧き上がって来る。

 

「はっきり決められないんだよね。【戦い】に参加する勇気もないし、逃げる勇気だってない。どうしようって考えて、今も君に答えを求めている……50年前、おじいちゃんはどんな気持ちで【戦い】に参加したんだろう?」

 

 真上に広がる冬空を眺めても、蔵人は答えてくれないし火鼠の衣だって沈黙を保ったままだ。読人の中ではっきりとした答えが出る訳でもない。

 でも、これだけは解る。50年前、不老不死の薬を悪しき意志を持つ者へ渡らないように、若き日の紫乃が【戦い】に身を投じたのは正解だった。不老不死なんて幻想が実現するなんて、駄目なんだと……。

 

「そうだ、もう一つ訊いても良いかな?」

『今度は何だ?』

「君の姿って、俺だけに見えている……とか、そんな状況じゃないよね?」

『他の奴らにも見えているぞ』

「ええっ!?」

 

 それはそれで驚く。

 読人だって、今日の出来事がなければ燃えて喋るハリネズミがいれば仰天するし、言葉も失う。しかも、傍目から見れば今の読人は肩に乗せたぬいぐるみに話しかける、ちょっと可哀想な男子にも見えてしまう。

 

「変な目で見られてなかったかな?」

『安心しろ。お前が考えているより、他人はお前に興味がない』

「あーー! 本当に玄関が!?」

 

 蔵人の家に辿り着くと、大破して擦り硝子も粉々になったはずの玄関は何事もなかったかのように元に戻っていた。火鼠の衣の言った通りならば、玄関の破壊も最初から()()()()()()になったのだろう。

 俄かには信じられないが、本当に何事もなかったかのように蔵人の家は静寂を保っていたのである。

 

「何大声出しているの。奥島さんにお礼は言った?」

「っ、母さん……うん」

「ほら、片付けするわよ。それと、ちゃんと鍵は閉めなさい!」

「ごめん母さん。片付けよう」

 

 まだまだ悩みたいことはあるけれど、先ずは出迎えてくれた母と共に本来の予定であった蔵人の家の後片付けをしよう。

 ああ、そうだ。切り裂かれてしまったコートのフード、これは何と言って説明しようか。ってか、コートは()()()()()()にならないんかい。

 読人が再び蔵人の家を訪れると、火鼠の衣はもぞもぞと動いて、再び『竹取物語』の【本】の中へ消えてしまった。

 まだ、彼の中で答えは出ていない――




Name:小野寺桐乃(オノデラキリノ)
Age:20歳
Height:165cm
Work:私立墨筆芸術大学文学部2年生
Book:『ピノッキオの冒険』


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源氏物語×金の斧・銀の斧【Past】01

「つっ……かれた~」

 

 そう呟きながら、読人は自室のベッドに倒れ込んだ。

 今日は本当に疲れてしまった、肉体的にも精神的にも。

『若紫堂』から帰って来てからは蔵人の家の片付けと遺品整理をして、トラックを借りて来た父と合流してからは仏壇を自宅に運び入れた。男手が2人いれば十分でしょうと言う母のお言葉により、働き盛りの40代と男子高校生は、引っ越し業者の如く食器やら衣類やら本やらの入ったダンボールを夜になるまで延々と運び続けたのである。

 簡単な夕飯を済ませてからお風呂で温まるともう動けない。明日はまた片付けの続きだ、どうしても忌引きの最中に終わらせようと母はやる気だ。

 本当は、自室に戻ってから色々考えようと思っていたけれど、読人が実感している以上に身体が疲れていた。体育の時間ぐらいしか運動をしないインドアの帰宅部の身なのに、普段使わない筋肉を酷使してしまったのである。

 あ、駄目だ、気を抜くと睡魔が団体様で襲って来る。

 

「もう、寝よう」

 

 最後の力を振り絞って……のような動きで、ベッドサイドにある部屋の電灯のリモコンに手を伸ばして部屋の灯りを消した。そして、一瞬で夢の世界へ旅立った。

 

「zzz……」

『……幸せそうな顔をして、眠っているな』

 

 緊張感が微塵も感じられない顔で眠っている読人を、いつの間にか姿を現していた火鼠の衣が覗き込んでいる。

 祖父である蔵人には似ず、母――ひいては、蔵人の妻である祖母に似た容貌は童顔気味で幼く、伸びるのが早くてそれなりの長さになってしまった前髪がそれを際立たせていた。

 火鼠の衣による読人の観察が粗方終了すると、20cmほどのぬいぐるみサイズだった炎のハリネズミはベッドから下りて、ヒグマほどのサイズになってからその短い手で読人の身体に毛布を掛けた。いくら床暖房で室内が温かいと言っても、真冬の夜にベッドに倒れ込んで毛布も何も掛けないと風邪をひいてしまう。

 読人が寝返りを打って顔を毛布の中に入れたのを見計らい、今度は40cmほどに大きさになった火鼠の衣はもぞもぞとベッドをよじ登り、毛布の中に潜り込む。良い湯たんぽになるだろう。

 色々あり過ぎて悩みや疲れが飽和状態になっている読人はその日、随分と温かく快適に眠りに着いた。

 そして、また、夢を視た――

 

 

 

***

 

 

 

 これは夢だ!と、読人が断言した理由は、昼間の感覚と同じだったからである。

 お風呂から出てそそのまま深い眠りに落ちてしまった事は覚えている。身体や頭は眠っているはずなのに、耳にはパラパラと本のページを捲るような乾いた音が聞こえて来て、意識がふわふわと浮上して、視点は自分の意に反して動く。

 二度目ならばはっきり分かる。この不思議な感覚は、朝に気を失ってから『若紫堂』で目を覚ますまでの間に経験したのと全く同じだ。

 今朝の夢の舞台は空港(暫定)だった。否、空港で間違いないだろう。

 1人の青年がイギリスへの入国審査を受けている場面までは覚えている。黒文字蔵人――祖父と同じ名前のパスポートを持った、あの青年の姿も。

 次の舞台は、暗闇の町だった。石畳の道を橙色の光を灯すガス灯がぼんやりと照らし、空に浮かんでいるはずの月は鉛色の分厚い雲の向こうに隠れてしまっている。町の全体は灰色の霧に閉ざされ視界が悪く、これで触覚がきちんと機能しているならば水分が肌に纏わり付きそうな気配だ。

 ここはどこだろうかと、周りを見渡す余裕は読人にはなかった。目の前の景色は、物語は止まる事なく進んで流れて行く……霧の向こうには白い【本】を手にした男と、その男と距離を取って腕を組む帽子を被った女性がいたのだ。

 

「こんばんは、お嬢さん。霧の都・ロンドンへ。観光ですか?」

「……」

「ウエストミンスターが見える良いパブを知っていますよ。ご一緒にいかがですか?」

「……」

「おや、言葉が通じない? そんな事はないですよね。【本】を持つ【読み手】同士なら、言語を越えて意思疎通が可能だ。当然、【読み手】であるお嬢さんも」

 

 あ、そうだったんだ。外套の男の説明を聞いた読人は、素直に納得してしまった。

 通りで、出身はパリと言っていたリオンが流暢な日本語を話していた訳である。きっとあれ、【読み手】以外にはフランス語で聞こえていたんだな、もしくは英語。

 きっとあの時点で、読人は【読み手】として覚醒のしかけていたのだろう。だから、言葉が通じたのだ。

 思いがけないところで【本】の秘密を知ってしまったのだが、男がゆったりとした外套から白い【本】を取り出しても女性は一言も言葉を発しなかった。

 外套の男は明らかにヨーロッパの者だ。ギリシア彫刻のように堀の深い顔立ちで日本人とは艶が違う茶色がかった髪に、闇夜でもはっきりと解る青い目をしている。

 対して女性の方は、ほっそりと小柄でふんわりとパーマがかかった黒髪……明らかに、アジア系だ。紫色のリボンが付いた白いボーラーハットを深く被っているため顔は解らないが、生成色のワンピースと紺色のジャケットも肩にかけたバッグも、何だか一昔前の流行のように思える。

 

「戦いませんか? お互いの紋章をかけて」

「最初から、そうおっしゃって下さいませんか? 私は観光ではなく、戦うためにこのロンドンへやって来たのですから」

 

 氷と冷水が硝子のコップを鳴らすような、凛とした涼しい声が赤いルージュを差した薄い唇から零れ落ちる。

 ハンドバッグの中から出て来た白い【本】のタイトルは『源氏物語』。対して、男の【本】には『金の斧・銀の斧』。二冊の【本】の裏表紙には、それぞれの物語の紋章が刻まれて、闇夜に浮かぶ淡い光を湛えていた。

 

「名乗りましょう。我が名はナルキッソス・ミューズ。ギリシアがクレタ出身です。【本】のタイトルは『金の斧・銀の斧』」

「ご丁寧に、どうもありがとうございます。お初にお目にかかりますわ、日本から参りました、『源氏物語』が【読み手】……琴原(コトハラ)紫乃(シノ)と申します」

 

 どうぞ、お見知りおきを。

 光を讃える二冊の【本】。その裏表紙にはそれぞれの物語を象徴する紋章が刻まれ、彼らの言う作法に則り【読み手】の名前と【本】のタイトルが名乗られる。

 女性の名を耳にしてから数秒置いて、読人は「ん?」となった。『源氏物語』の【本】を手にする女性、彼女は今「琴原紫乃」と名乗った。

 ついさっき、同じ名前の人と出会った気がする……名字は違うけど。

 

「お嬢さん、貴女が落としたのはこちらの金の斧ですか? それとも、銀の斧ですか!」

「創造能力・青海波(せいがいは)

 

 ナルキッソスの背後の石畳が湖面のようにゆらりと波紋を描くと、その中からは彼の体躯ほど太く、厳つい手甲を着けた二本の腕が這い出て来る。

 右手にはその腕が持つに相応しい大きさの金の斧、左手も同じく銀の斧。価値のある宝の斧と言うよりは、その大きさで全てを叩き斬る武器が創造されたのだ。

 彼が想像「斧」は、日常で木を切る物ではなく13日の金曜日に活動するあの人のような、武器のイメージに近いかもしれない。

 一方、紫乃は非情に優美であった。

 か細く繊細な笛の音がゆったりとした旋律を奏で、それをBGMとして彼女の両脇に二体の浄瑠璃人形が創造された。全く同じ作りの人形は着ている衣装も全く同じ。雅楽・青海波の楽人が身に着ける装束は青海波と霞の模様が刺繍された下襲を始めとした、正式な衣装と太刀が揃っている。

『源氏物語』の中では、主人公の光源氏とライバルである頭中条の2人がこの舞を披露している。恐らく、そこからこの人形たちが想像し創造されたのだろう。人形とは思えない優美で滑らかな動きで太刀を抜いた青海波は、二本の斧へ斬りかかって行った。

 

「美しいですね。素敵だ!」

「口を包みなさいませ。怪我をしてからでは、遅くってよ」

「失礼。お嬢さんもとても美しかったので、つい。戦いの女神・アテネのように凛々しい剣の輝きのような美しさは、ゼウスも放っておかないでしょう!」

 

 二本の太刀と斧が斬り合う【戦い】が始まり、ボーラーハットの奥に隠れていた紫乃の顔は少しずつ、読人にも認識できるようになっていた。

 確かに、ナルキッソスが言うように美しい女性だった。

 凛とした光を備えた黒く艶のある双眸に、ほっそりとした小鼻と意志の少し釣り上がった柳眉には、ストイックな武家の女のような魅力がある。が、その顔……どこかで見た事あった。と言うか、読人の中でもう答えは出ていた。

 

『まさか……奥島さんんん?!』

 

 声には出さないが、読人の脳内でこの言葉が木霊した。

 同じ「紫乃」と言う名前。眉の形も同じであり、年齢が異なっていてもその凛とした空気と双眸に宿った光が全く同じ。そして、紫乃は読人にこう言った。「『源氏物語』の【本】と共に【戦い】に参加していた」と。

 つまり、目の前の彼女・琴原紫乃と『若紫堂』の店主・奥島紫乃は同一人物ということになる。名字が違うのは、結婚でも何でもすれば名字ぐらい変わるだろう。

 したがって、今読人が視ている夢――これは50年前、前回の【戦い】の記憶なのではないだろうか?

 読人の記憶にある紫乃が蔵人と同年代だとすれば、推定70代。対して、御簾と和歌の紋章が刻まれる『源氏物語』の【本】を手にする紫乃は推定20代……間違いない、これは過去の【戦い】の記憶だ。

 何故、夢の中で過去の記憶を視ているのかその理由は解らないが、読人が夢の中で色々と思考している中で目の前の【戦い】に変化が現れた。

 青海波の人形たちがそれぞれ、金の斧と銀の斧と刃を斬り交わしてした。しかし突如、金の斧一本で二振りの太刀を受け止めると、銀の斧は青海波の頭上、夜の空間を薙いだのである。

 それと同時にブチブチと髪の毛が引き千切られるような音がして、紫乃の表情が一瞬強張ったのだ。

 

「やはり、人形は貴女が操っていたのですね。マリオネットのように」

「っ! ご名答。しかし、全て私が操っている訳ではありません。青海波!」

 

 青海波は、多少の簡単な動きは自分たちで行えるようだ。だけど、細かい部分では融通が利かないらしく、目視し難い糸を伸ばして紫乃自身が青海波たちを操っていたのである。彼女の細い指先には銀の斧が絶ち切った糸が五本伸びている。

 紫乃の声に反応した青海波たちは、右手と左手それぞれに太刀を手にして鏡に映った己のように、寸分狂いのないシンクロした動きで【読み手】本人を狙った。

 

「『私が落としたのは、使い古してボロボロの鉄の斧です』!」

「っ!」

 

【本】が閉じられれば、物語が終結すれば現実に起きた事は全て()()()()()()になる……ただし、人間や生物の死を除く。

 なので、ある程度は容赦なく【読み手】本人を攻撃できた紫乃だったが、ナルキッソスもそう簡単に脱落する【読み手】ではなかった。

『金の斧・銀の斧』に登場する正直者の木こりのように、自分が落とした鉄の斧だと正直に申告すると背後にある石畳の湖面から鉄の斧が飛び出て来る。金の斧・銀の斧と同じ大きさのそれが回転しながら青海波たちの前に現れると、左右同じタイミングで振りかかって来た太刀を受け止め金属同士が衝突する甲高い音がした。

 鉄の斧は他の二本に比べれば刃がボロボロで切れ味が悪そうだが、実用性重視の分厚い鉄鋼で作られたそれは頑丈で二振りの太刀を受けてもびくともせず、青海波の攻撃を感知してはその刃を受け止める。

 あの鉄の斧は、自動防御装置のような物だろう。正直に自分の斧を申告すれば、女神の加護が宿った如く守ってくれるのである。

 

「ヘパイストスとアテネの加護は、私にあり!」

「っ! 出し惜しみは、できませんね!」

「……スイマセーン。トラファルガー・スクウェアにはどうやって行けば良いのでしょうか?」

 

【戦い】の舞台において、こんなにも脱力感に苛まれる気の抜けた言葉はないだろう。

 斧と太刀が斬り合うその間から顔を出した黒文字蔵人は、実に場違いなその台詞を2人に向けて言い放ったのである。

 読人の視点では、押しつ押されつの衝突を続けて刃を合わせる斧と太刀の間から、彼がひょっこりと顔を出したようにも見えた。

 彼――仕立ての良いスリーピースのスーツを着て、同じ生地の帽子を被ったこの青年は、空港で入国審査を受けていた彼だ。「黒文字蔵人」のパスポートを持ち、困ったように左手を首に添えた彼である。

 この夢が50年前の【戦い】の記憶であるならば、彼は読人の祖父で間違いないだろう。50年前の、青年時代の蔵人だ。

 場の空気を読まずにニコニコと微笑みを浮かべて道を尋ねている、この場違いな男は。

 

「……あれ? 私の英語、通じないかな?」

「アジア人?」

「あ、貴方……何ですか、一体?!」

「日本から参りました。昨日から色々と観光をしていて、今日はトラファルガー・スクウェアを訪れようとしたんですけど……道中の美しい街並みに夢中になっていたら、この時間まで迷子になってしまったんです。今もしっかり迷子です」

「そうじゃなくて!」

 

 あ、間違いない、彼は祖父だ。

 生前の蔵人は、自分の好きな事に夢中になると周りが見えなくなる事が多々あった。それは、目的地に向かう道中でも同じこと。

 ついでに方向音痴の気もあるので、慣れない土地を訪れると徘徊老人のように迷子になってしまうから、おじいちゃんと出かける時には気を付けなさいと母に言われたことが多々あった。

 確定した。年齢は違うが、中身がどう見ても蔵人だ。

 

「あの男、言葉が通じている。新たな【読み手】か!」

「っ、本当だ」

「あ、道を教えて下さるなら【戦い】が終わってからでよろしいので、どうぞ続きを」

 

 そんな事言われたって直ぐには再開できないよ、気持ち的な面で。

 蔵人は英語で尋ねたらしいが、ナルキッソスにも紫乃にも英語ではなくしっかりと母国語で彼の言葉が伝わっていた。【読み手】同士なら、言語を越えて意思疎通が可能……つまり、彼もまた【読み手】である。

 

「そこの貴方。私とお嬢さんの時間を、邪魔しないで頂きたい!」

「?」

「彼女から紋章を授けられたら、直ぐに相手をして差し上げます! なので、しばし大人しく!」

「っ、もーう!!」

 

 動きを止めてしばしの静寂を保っていた二本の斧が動き出す。目標は蔵人……そりゃ当たり前だ、これ以上現状をかき回して欲しくはないので、邪魔者には大人しくして頂きたい。

 女性は好きだが男には情けも容赦もかけないのだろう、このナルキッソス・ミューズと言う男は。

 蔵人の邪魔をされてしまった紫乃であるが、彼女はその様子を静観できるほど、ナルキッソスの意識が蔵人に向かっている隙に攻撃できるほど下種で薄情な性格ではないようだ。

 腕を動かして再び青海波たちに糸をくっつけると、鉄の斧から離れた二体の人形が蔵人の前に移動した。しかし、あまりにも突然だったために青海波たちの踏ん張りが利かず、そのまま斧に薙ぎ払われてしまう。

 だけど、彼らが身を挺してくれたので若干の時間が……紫乃が蔵人に駆け寄って彼の襟首を掴み、庇って石畳の上に転がる時間は取れたのだ。

 斧の直撃を避けた2人だったが、石畳の上をごろごろと転がるのは非常に痛い。咄嗟に蔵人が紫乃を庇い、自分が下になるように倒れ込んで彼女を抱き留めたが、現状ではあまり色っぽい空気にはならなかった。

 

「貴方、本当に何なんですか!」

「迷子の【読み手】です」

「じゃなくて!」

 

 こいつ、ぶん殴ってやろうか。

 苛立って柳眉を更に釣り上げる紫乃はきっと、そんなことを考えている。飄々、ぬらりくらりとした答えしか返って来ない蔵人に、彼女の堪忍袋の緒が切れそうだった。

 しかし、今はこいつをぶん殴っている場合ではない。我に返った紫乃が【本】を持ち直して起き上がろうとすると、既に二本の斧が目前に迫って来ているではないか。

 これでは間に合わない。紫乃が一瞬の焦りを見せたが、金の斧も銀の斧も彼女には届かなかった。

 斧で岩を叩いた時のような派手で火花が散りそうな音がして、紫乃の目の前で岩の扉が閉まったのである。

 

「こ、これは……」

「アジア人同士、共闘でもするつもりか!」

「いえ、自己防衛です。だって怖いじゃないですか」

「?」

「斧」

 

 こいつ、ぶん殴ってやろうか。

 淡々と真顔でそう言った蔵人に対し、顔に青筋を浮かべたナルキッソスも紫乃と同じ感想を持った。きっと。

 蔵人は、いつの間にか淡い光を発する白い【本】を手にしていた。タイトルや紋章の姿は、彼の大きな手に覆われていて確認できない。

 彼と紫乃の前で閉じられた岩の扉には、注連縄やらお札やら、宗教観がごちゃ混ぜだけどシャーマニズムっぽい物が色々を付属されている。しかも、前方だけではなく後方も見えないドームのような壁で覆われていると言う、防御に長けた創造能力のようだ。

 ナルキッソスの視界から2人が見えなくなったが、読人には内部の様子が見えていた。まるで神のような視点だ。

 

「何ですか、助太刀でもするつもりですか?」

「いいえ。先程も言いましたが、これは自己防衛です。()()()()()()になるとしても、怪我をするのは痛いじゃないですか。彼は、貴女の相手でしょう。どうぞ、続きを」

 

 蔵人は石畳に転がってしまった中折れ帽子を拾うと、砂埃を払ってから再び自分の頭に乗せる。そして、レディファーストをするような洗練された動きと共に穏やかな微笑みを浮かべ、紫乃へ一礼したのだった。




慇懃無礼と言う名の無礼者:黒文字蔵人


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源氏物語×金の斧・銀の斧【Past】02

 黒文字蔵人は見目麗しい青年だった。勿論、老年になってもハンサムなおじいちゃんだった。

 テレビドラマや映画に出演する俳優よりも、おじいちゃんの方がずっとカッコいい。幼少期の読人は本気でそう感じていた。

 しかもただ顔が良いだけではない。読人は蔵人がだらしない姿をしているところを見た事がなかった。

 いつもパリっとした仕立ての良いスーツを着て背筋を伸ばし、口調も丁寧で娘である栞にさえも敬語を使っていたほど。読人が小学生の頃、仕事が忙しかった両親に代わって蔵人が授業参観に来てくれた時も、クラスメイトや先生、保護者からも「カッコいいおじいちゃん」と言われて誇らしかったのを今でも覚えている。

 しかしご存じの通り、孫は祖父の顔は受け継がなかった。中学校の時、どうして祖父に似なかったのかと、祖父にそっくりだった亡き伯父の遺影を穴が開くほど恨めしい視線を送った頃もあった。

 あの頃は、思春期故に色々あったのです。

 蔵人はそんな、孫である読人から見ても現代の「イケメン」に分類される美形だ。

 日本人にしては色素が薄く、サラサラの流れる髪の下に隠れている垂れ目がちの双眸のみならず、顔のパーツが見事に左右対称に揃っており、その顔で優しく微笑まれれば初心な乙女ならば思わず赤面してしまうだろう。

 が、彼にそんな微笑みを向けられた紫乃は頬を紅潮させなかったし、ドキっと心臓がときめいたりもしなかった。

 むしろ彼の胡散臭さが倍増した。いくら美形でも、その直前の言動に問題があれば許されることも許されないのである。

 だけど、今は彼に構っている暇はない。今の紫乃は【戦い】の最中なのだ。

 

「“自己防衛”に感謝はします。お陰様で、じっくりと想像する時間ができましたからね」

「おやおや、それは何よりです」

 

 紫乃が『源氏物語』の【本】を開くと、その光は一層強くなっていた。

 斧が岩の扉と壁に振り下される耳障りな音に囲まれていても、彼女の想像力は止まらない……今の自分の最凶の一手を、創造したのだ。

 

「くっ、何て頑丈な岩のドームだ!」

「ドームじゃありませんよ。引き籠るための岩戸です」

「っ!」

 

 蔵人のその言葉で岩戸が開かれたのは、もう自己防衛する必要がなくなり引き籠りを終えた事を意味していた。

 一体何が出て来るのかと身構え、三本の斧を構え直したのだが、岩戸が開かれた瞬間にナルキッソスの嗅覚と第六感が異常を察知したのだ。

 岩戸の奥から漂って来たのは、異常なまでの芥子の匂いだった。しかもその匂いは、背筋に痛いほどの悪寒が突き刺さり、腹がずくりと痛むほどの緊張も連れて来た。

 それは呪いだ……神々が怒り狂って人間に与える天罰ではない、ちっぽけな存在である人間が恨み辛み嫉み妬みその他諸々の負の感情を爆発させて、その魂と引き換えに全てを破滅させるそれが、岩戸の奥から出て来てしまったのである。

 

「な、何だ……! 彼女の【本】の、登場人物か」

「女の愛憎の恐ろしさ、その身に刻みなさい。創造能力・六条御息所――」

 

 恋人であった光源氏の愛に溺れ、我を忘れ、嫉妬と愛憎に狂った美しき女性。彼女は生霊として彼の妻たちを殺害し、死しても尚、光源氏を苦しめる悪霊となった。

 あまりにも深いその恨みは、光源氏に降りかかった不義の結果に満足してコノ世を去ったと言われている……愛情が深く激しかった分、それが転化した憎悪もまた深く、激しく、かつての愛人を苦しめた。

 祈祷に使われる芥子の香を豪華絢爛な十二単に染み込ませ、艶やかな翡翠の黒髪は背の丈を越えるほど長く美しい。

 しかし、知的な魅力あふれたその(かんばせ)は見えなかった。顔からは般若の面が一枚、また一枚と剥がれ落ちているのだが、面が何枚落ちてもその下にまた般若の面が存在して素顔が見えない。落ちた般若は黒い雫となって地面に涙痕を作り、泣き止む気配もない。

 十二単に咲くのは乾いた血のように赤黒い薔薇の花。その薔薇と、単によく調和する何十本もの帯紐が彼女の全身を拘束し、解き放たれないように封印を施しているようにも見える

 。紫乃の背丈の倍はある六条御息所の怨念が、彼女の想像力で創造された姿だった。

 

『ア……ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!!』

「……!!」

「……これは」

 

 心臓に刃を突き立てられ、脳を直接揺さぶられそうな甲高い叫びは、本来ならば飛び起きるほどの悪夢であった。

 あ、彼女の勝ちだ……自身の【本】を懐へしまった蔵人の表情は、既に六条御息所に呑まれているナルキッソスを見てそう感じているように見えた。

 ナルキッソスの表情が語るのは、恐怖と美しい悪霊への畏敬だ。怪しくとも美しいその姿と、憐憫を抱く感情も湧かない恐ろしさを併せ持つ彼女の存在に、完全に心を捕らわれている。

 相手が想像し創造した世界観に感動し、恐怖し、微笑し、畏怖を抱いた時点でもう、逃れられない。

 金の斧と銀の斧は戦意を喪失してしまい、ただ腕に握られたまま。鉄の斧は【読み手】の危機を察知して盾となり前に出て来たが、三本の斧は六条御息所が伸ばした帯紐が這い伸びる。細い腕と指が人間の首をじわじわと絞めるように、あまりにも静かに、帯紐は三本の斧に薔薇が咲いたようなヒビを入れながら縊り壊したのだ。

 金と銀と鉄の欠片が、ガラガラと崩れ落ちたのである。

 ナルキッソスの腰が砕けて石畳に尻餅を着き、身体は冷や汗だらけだ。しかも、大切な【本】まで落としてしまっていた。ページが開かれたままの『金の斧・銀の斧』の【本】は、紫乃の手の中にあったのだ。

 

「……参った。降参だ」

「随分、素直に敗北を認めるのですね」

「お嬢さん……シノ、貴女のような女性に引導を渡されるなら、早々と脱落しても悪くはない。貴女はアテネではなく、エリーニュスだったようだ」

「復讐の女神なんて、失礼ですわね……めでたし、めでたし」

 

 紫乃がその言葉と共に『金の斧・銀の斧』を閉じると、三本の斧を手にした女神の紋章が裏表紙から離れて空中に浮かび、光と共に『源氏物語』の【本】の中に吸い込まれた。これで【本】は不思議な能力を失う。『金の斧・銀の斧』は、ただの美しい装丁の本に戻ったのだ。

 

「どうもありがとうございました」

「ああ……お手は結構。これ以上、シノの前で醜態を曝せられない」

 

『金の斧・銀の斧』をナルキッソスへ返し、未だに石畳へ座り込んでいる彼へ手を伸ばせばやんわりと拒絶されてしまった。自分の力でゆっくりと立ち上がり、紫乃へ向かって紳士的に一礼すると晴れる気配を見せない霧の向こうへ、消えてしまった。

 

「……」

「……」

「何で、先程よりも後退しているのですか?」

「いやぁ、見事な方を創造したと思いまして……」

 

 ちょっと距離を取った蔵人が、苦笑いをしながら左手を首に添えていた。目は口ほどの物を言うとあるが、彼の目は確かにこう語っている……「よくまあ、あんなのを想像して創造できたね」、と。

 そりゃ、日本文学の中でも悪名高いあのお方を見ちゃったらこう思っちゃうだろう。超恐かった。

 

「貴方も、【戦い】のためにこのロンドンへ?」

「はい。『竹取物語』はこのイギリスの地にあると聞きましたので。それに、この国をこの目で見たかったので」

「理由は?」

「?」

「貴方が【戦い】に参加する理由は? まさか、不老不死になりたいなんて……本気で思っていないでしょうね」

 

 ボーラーハットの下から覗かれる紫乃の瞳に、射殺さんばかりの鋭い殺気が籠っていた。

 彼女がロンドンの地に来たのは、【戦い】の優勝賞品である『竹取物語』の【本】、ひいては不老不死の薬を愚者に渡さないためだ。自分自身が『源氏物語』の【本】と共に最後の1人に残り、『竹取物語』ごと封印すれば今回の【戦い】で不老不死になる者は現れない。

 そして、不老不死に目が眩んだ者を事前に止めるのもまた、彼女に降りかかった使命だ。回答次第では、この男からも紋章を取り上げられなければならい。

 

「私が【戦い】に参加する理由、ですか……そうですね。強いて言うならば、【戦い】が面白そうだからでしょうか」

「……はぁ?!」

「50年に一度しかない【戦い】でしょう。折角【読み手】となったなら、参加してみるのも悪くないと」

 

 呆れて物も言えないとは、こんな状況を言うのか。紫乃は何も言えなかった。目の前で嬉々として語るこの男が、言葉も常識も何も通じない異星人のように見えたのである。

 こいつ、ぶん殴ってやろうか。本日二度目のその思考も、再び頭の中に浮かんで来た。

 

「あ、申し遅れました。まだ名乗っていませんでしたね。私は黒文字蔵人。某大学で助手をしております。【本】のタイトルは――」

 

 

 

***

 

 

 

「……っ? え?? ええ?」

 

 蔵人が紫乃へ名乗ったタイミングで、読人の夢は覚めた。

 ベッドサイドの目覚まし時計を確認してみると、セットしたアラームが鳴る1分前。あまりにも突然目が覚めてしまい頭も意識も何も理解していない状況だが、彼は無意識に何かを抱き締めていた。

 ポカポカと温かくすやすやと寝息を立てている、40cmほどの大きさの火鼠の衣を抱き枕のように抱き締めて眠っていたのであった。

 

「ひぃぃぃぃ~~!」

『んー……五月蠅い』

 

 本日の黒文字家の朝は、読人の悲鳴と彼の目覚まし時計のアラームの二重奏で迎えられたのだった。

 今日の予定はやっぱり蔵人の家の片付けだ。仏壇は昨日の内に運んでしまったので、残りの細々した日用品を読人の家に運んでまたもや母にコキ使われたのだが、夕方の読人はお風呂に入ってベッドに倒れ込まず『若紫堂』に来ていた。

 あの『竹取物語』の【本】を手にして。

 

「いらっしゃい。お前さん、決めたのかい?」

「はい」

「なら、奥に来なさい」

 

 店に入ると、紫乃がレジカウンターに座っていた。

 改めて見ると、確かに彼女は読人の夢に出て来た「琴原紫乃」と同一人物だと分かる。寄る年波に揉まれても、弧を描く柳眉や瞳の凛々しさは若い頃も美人であったと教えてくれるのだ。

 紫乃がお店の入口に『休憩中』の札を下げてから、奥の茶の間へと導かれる。差し出された座布団に正座をして、その前に『竹取物語』を置いた。

 

「奥島さん。奥島さんの旧姓って、「琴原」ですか?」

「……蔵人さんから聞いたのかい?」

「いいえ……夢で、視ました。50年前のロンドンで、奥島さんと祖父が出会ったその時の」

「っ!?」

 

 読人は紫乃に全て話した。昨夜の夢の中で、50年前の【戦い】の記憶を視たこと……若かりし頃の彼女が『源氏物語』の【本】を手にして、『金の斧・銀の斧』の【読み手】と戦った事こと。その最中に、蔵人と出会ったことを。

 正直言うと、夢の記憶は時間が経つにつれて薄れてしまい朝ほど鮮明に覚えていない。紫乃とナルキッソスの【戦い】の具体的な内容も薄れかけているが、登場人物だけは未だにはっきりと覚えている。そして、若い頃の蔵人の姿も。

 

「奥島さん……50年前、祖父がご迷惑おかけして申し訳ありませんでしたー!」

「本当にさ」

 

 2人の【読み手】をイラ付かせた蔵人の言動を、50年経って孫が深々と頭を下げて謝罪したのだった。

 

「今となっちゃ、死ぬ前にもう一発ぐらいぶん殴っておけば良かったと思うよ」

「はあ」

「それで、お前さんは蔵人さんの愚行を謝りに来ただけかい?」

「いいえ、違います。俺……」

 

 昨日の読人は、はっきりした理由が欲しいと言った。生半可な気持ちで生命の危険がある【戦い】に参加するなんて、紫乃にも桐乃にも失礼なのではないかと心のどこかで考えていたのだ。

 だけど夢を視た。50年前の、青年だった頃の蔵人が「面白そうだから」を理由に【戦い】に参加したと言う過去を視て、もっと軽く考えても良いのではないかと思ったのである。

 

「50年前、黒文字蔵人が参加した【戦い】に俺も参加したいんです。俺、おじいちゃんのことが知りたい。おじいちゃんが何を思って、あの1年間を過ごしてこの【本】を手に入れたのかが知りたいんです」

「……蔵人さんが理由なのかい?」

「そんな強い理由じゃありません、けど」

「良いだろう」

「っ!」

「理由なんて、これから先にいくらでも付け足せるんだ」

 

 大切なのは、今日此処に来て身を投じると自分の口からはっきりと告げた意志だ。そう言って、紫乃は読人へ『竹取物語』の【本】を差し出したのである。

 

「良い、んですか?」

「お前さんの【本】だ。手放すんじゃないよ」

「っ、はい!」

 

 その大きくはっきりした返事と共に、白い【本】を逃がさないようにしっかりと抱きしめた。長い前髪の下にある双眸に、喜びと決意の光を宿しながら。

 

「それじゃあお前さん、親御さんにバイトの了承を取ってきな。うちが人手不足とか、色々理由を付けて」

「バイト、ですか?」

「桐乃と同じさ。バイト兼弟子……私は厳しいよ、読人」

「っ! ありがとうございます!」

 

 桐乃が言った事は確かだった。紫乃は「言い方はちょっとキツいけど、基本的には優しい人」。年齢を感じさせない凛々しい眼差しの中に、蔵人が読人に向けた視線と同じ愛しい孫を慈しむ感情が込められている。

 読人は再び、今度は謝るためではなく喜びを全身で表すために、紫乃へ深く深く頭を下げたのだった。

 

「それじゃあ、これから読人君が弟弟子って事になりますね」

「あんたも色々と鍛えてやりな。あの子は幸いにも、蔵人さんには似ていない……顔も性格も。素直な良い子だ」

 

 読人が帰った後に出勤した桐乃は、エプロンを着けて右手にハタキを持って本棚の埃を払いながら弟子入り兼バイトの話を説明された。

 働き手が増えるのはありがたい。『若紫堂』は店主である紫乃が1人で経営しており、従業員もバイトの桐乃だけで実際に人手不足だ。重い本を扱う機会も多いので男手があると助かる。

 

「確かに、素直そうな子でしたよね。と言うか、蔵人さんってそんなに性格に難ありだったんですか?」

「大ありだよ。いつも無自覚に慇懃無礼で、周りのことよりも自分の興味と好奇心で生きているような男だったさ。結婚すると聞いた時は耳を疑ったよ、嫁が可哀そうとも感じたさ」

『それって、自分に素直ってことにはならないのかな?』

「本当に、あんな能天気は絶対に100歳まで生きると思っていたのに……たった50年で、アッサリと逝っちまうなんて」

「……」

 

 50年分の愚痴を零しているが、紫乃が蔵人の事を本気で嫌いな訳ではなかったのは桐乃にも分かっている。でなければ、前回の【戦い】から50年経った今でも交流を持たないし、年賀状のやり取りもしないはずだから。

 今年も1月1日にお互いの年賀状がポストに届けられた。

 蔵人からの年賀状には、シンプルな干支のイラストと「謹賀新年」の文字に、蔵人の自筆で一筆書かれていた。紫乃は随分と達筆に書かれたそれを、レジカウンターの引き出しに入れたレターファイルから年賀状を取り出して眺めてみるが、その一筆は彼女に少しの謎を遺していたのだ。

 

 

 

 私は読人に託しました。

 どうか、あの子を導いてやってください。

 

 

 

「……あの子に、何を託したって言うんだい。蔵人――」

 

 

 

***

 

 

 

 イギリスの春の訪れは日本より遅く、3月になってもまだまだ肌寒い日が続くらしい。

 もう一枚ぐらい厚着をしておけば良かったかなと、中折れ帽子をテーブルに置いた青年はウエイトレスに運ばれて来たばかりの紅茶に手を伸ばす。折角イギリスに来たのだからアフタヌーンティーを体験しようと、自分の勘を頼りに目に付いた店に飛び込んでみたが、この紅茶の香りは当たりだ。

 

「……黒文字蔵人」

「おや、こんにちは紫乃さん。紫乃さんも、アフタヌーンティーですか?」

「いいえ、貴方を捜していました。何なんですか貴方? 面白そうだからって理由で、不老不死の薬をかけたこの【戦い】に身を投じるなんて!」

「?」

 

 あの日、霧の濃い夜の裏道で出会った時、名乗りついでに「自分は不老不死には興味ないです」と蔵人は宣言していたが、紫乃はそれがお気に召さなかったらしい。どこまでもフザケタ男、とでも映ったのだろう。

【戦い】の本質を軽く見て、好奇心でイギリス・ロンドンにまでやって来た愉悦者にまだまだ文句が言い足りないのだ。

 

「私、結構真面目に【戦い】に参加しているつもりですけど」

「はあ……もう良いです、きっと貴方とは根本的に解り合えないようですね。いつか、貴方とも戦う日が来るでしょう。それでは、失礼しました」

「待って下さい、紫乃さん」

「何ですか?」

「一緒にお茶でもどうですか?」

 

 アフタヌーンティー、1人じゃとても食べきれないんです。そう言って蔵人が指差したのは、タイミング良くテーブルに運ばれて来たケーキスタンドだった。

 下から、サーモンとキュウリのサンドイッチ。正方形に切られたチョコレートと生クリームのケーキ。まだ湯気が立つ熱々のスコーンとクッキー。クロデットクリームのお供はブルーベリーのジャム。確かに、1人で楽しむにしてはちょっとと量が多い。

「勿論、ご馳走します」……ちょっと困ったような笑顔で首に左手を沿えた蔵人に対し、紫乃は観念したかのよう再び溜息を一つ吐いた。

 帽子を脱いで蔵人が恭しく引いた椅子に彼女腰を下ろすと、彼は紅茶を注文もしてくれた。蔵人が飲んでいる物と同じ、ダージリンのファーストフラッシュである。

 黒文字蔵人と琴原紫乃。

 この時の紫乃は、まさかこの男との関係が50年も続く事になるとは思っていなかったのであった。




Name:黒文字蔵人(クロモジクロウド)
Age:27歳/享年77歳
Height:177cm
Work:某大学助手/大学教授
Book:『???』

Name:奥島紫乃(オクシマシノ)旧姓:琴原
Age:22歳/72歳
Height:152cm→148cm
Work:古書店『若紫堂』店主
Book:『源氏物語


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一休さん01

 都立暦野北高等学校1年C組。ついでに出席番号5番。これが、読人の社会的地位である。

 彼が暮らすこよみ野市内にある、名前の通り北側に位置するその学校は大正時代に女学校として開校された100年以上の歴史を持つ伝統校である。市内では一番の進学校でもあり、文武両道を目指してスポーツ等の部活動も盛ん……と言われているが、偏差値自体は中途半端な高校だ。

 大学進学率も市内では一番高いのは事実であるが、もっと上を目指したい優秀な生徒は迷わず23区内の有名校へ進学できる立地にあるため、そちらに志望者を取られているらしい。実際、年々生徒数が減っている。

 そんな高校の生徒である読人は、冬休み+忌引きと言う長めの休みを終えて久し振りに登校した。その日の放課後は図書室で友達から借りたノートを写し、始業式の日に行われた確認テスト代わりのプリント補習を行う陰で、授業では使わない真新しいノートを開いている。

 そのノートの中身は絶対に他の人には見せられない。

 もし見られたら、若気の至りの痛い妄想にでも思われるだろう……そこには、彼の師匠となった紫乃から教えられた、50年に一度の【戦い】と【本】の詳しい説明がメモされていたからだ。

 

『50年に一度、1年に渡って行われる【本】を手にした100人の【読み手】同士の【戦い】。最後に残った1人には、かぐや姫から不老不死の薬が与えられる……』

 

 無意識に、椅子にかけているリュックの中の『竹取物語』に手が伸びた。

【戦い】の起源ははっきりとは解らないが、少なくともこの【本】が最初の一冊ではないかと紫乃は言っていた。『竹取物語』の【本】があるからこそ、何世紀にも渡って不老不死を巡った1年が繰り返されて来たのだ。

 紫乃から教えてもらった、【本】にまつわる能力とこの【戦い】についてを几帳面にノートに整理する。ノートを取るのは好きだ。綺麗に読みやすく記す事ができたら、何だか頭の中もすっきりと整理されたように感じる。

 

 

 白い【本】に関する、【読み手】たちの【戦い】について

【本】:

・想像力を創造力へと変換する能力を持つ書籍の総称。外観は、白と金の装丁の立派な本

・全世界に千冊以上存在していて今でも増え続けている。誰が作ったのか、どこからやって来るのかも不明

・50年に一度、百冊の【本】に不思議な能力が宿り【読み手】を選ぶ

(その1年以外はちょっと不思議なだけの書籍。百冊の【本】は毎回ランダムに選出される)

・【読み手】と出会って能力が覚醒すると、裏表紙に物語を現した黒い紋章が現れる →紋章については後述

・【本】の物語は古い文学や各国のおとぎ話、童話が多い 例)『源氏物語』『ピノッキオの冒険』

・【本】自体の特徴…濡れない、破けない、燃えない、汚れない

(実際にやってみたが、湯船に沈めても濡れなかった)

 ※『竹取物語』だけは色々と特殊なので別物と考えた方がいい。

 

【読み手】:

・百冊の【本】に選ばれる100人の人間、【本】の能力で想像力を創造力に変える

 →その能力は大きく四つに分けられる

①創造能力

【本】の物語からインスピレーションを受けて、様々なものを創造する。

創造できるもの:主人公以外の登場人物、物語中の現象・アイテム等

 →広くカバーされている基本の能力。火鼠君もこの能力。

 

②武装能力

物語から想像して創造した武器を装備する。想像次第で【読み手】以外の人間も扱える

例えば……「絶対に折れない剣」も創造できる。しかし【読み手】の想像力次第なので、想像力が貧困だと十分に能力を発揮できない。師匠曰く、自分にしか扱えない武器等を創造した方が効率が良い。

 

③展開能力

【本】の物語の世界を現実に展開する。(結界のようなもの)

 →これも想像力次第でかなりの広範囲に展開する事ができる

 例)『ピノッキオの冒険』→化け物鮫の棲む嵐の海、『桃太郎』→鬼ヶ島

 

④召喚能力

物語の主人公を召喚する。初期の段階では難しい。

主人公は創造能力で創造した登場人物とは違い、はっきりとした自我を持っているためそう簡単には命令に従ってくれない

 ※【本】の物語に特別な思い入れがあったりすれば、かなりの初期から召喚できる

 →リオンは『長靴を履いた猫』に特別な思い入れがあったのかもしれない

物語を読み込んで経験を積めば、秋ぐらいには使えるようになる……かもしれない by師匠

 

他、【読み手】は異国語同士でも言葉が通じる 【本】=翻訳機?

 

【戦い】:

・【読み手】同士が【本】の能力を使って戦う事をこう表現する

・【戦い】が終わると、その間にあった事は()()()()()()になる 例)建物の崩壊、怪我

ただし、生物の生死と小規模な損害は()()()()()()()にならない!

 →コートのフードぐらいの被害はしっかりと残る

・100人の中から残った1人には、『竹取物語』のかぐや姫から不老不死の薬が与えられる

 

 

 ここまで再確認した読人は、「不老不死の薬」の部分に黄色い蛍光ペンで線を引いた。

 ノートにも書かれているが、読人が持つ『竹取物語』の【本】だけは色々と特殊であると師匠――紫乃が言っていた。

 なので、④の召喚能力は使えないと考えた方が良いらしい。その代わりなのかどうかは解らないが、火鼠の衣のように創造能力で創造されたものがしっかりとした自我と今までの【戦い】に関する記憶を持っている。

 そして、肝心の【戦い】の勝敗の決め方であるが、相手の【本】を奪って「めでたしめでたし」と言いながら【本】を閉じれば良いだけだ。

 紫乃は言っていた、【読み手】同士の【戦い】はお互いの想像力のぶつけ合いであり、紋章の取り合いであると。「めでたしめでたし」と言いながら相手の【本】を閉じると、【本】は不思議な能力を失い紋章が自分の【本】へと移動する。白い裏表紙から紋章が消えた時点で、100人の中から脱落と言う事になるそうだ。

 そして、消えた紋章は勝ち残った【読み手】の【本】にストックされる。

 既に一つの紋章を持っていると言う桐乃の『ピノッキオの冒険』を見せてもらったら、裏表紙を開いたページに紋章が刻まれていた。金棒を振り上げる鬼の紋章は、年始に彼女が戦った『酒呑童子』の【本】の紋章だ。

 紋章の取り合いに何か意味があるのかと尋ねてみたら、紋章は【本】のエネルギー源と考えられていると紫乃は語った。

 紋章を集めれば集めるほど【本】にエネルギーが蓄積され、【本】そのものが強化される。桐乃に言わせてみれば、紋章はゲームで言うところの経験値で、それを集めれば【本】その物がレベルアップすると考えれば良いらしい……現代っ子には解りやすい説明である。

 つまり、【読み手】として強くなるには二通りの方法がある。

【戦い】に勝利して紋章を集め、【本】その物をレベルアップする方法。もう一つは、物語を読み込んで想像力を培い、【読み手】自身を研鑽する方法だ。

 読人はリュックの中から『竹取物語』を取り出した。決して汚れる事のない白の中に、達筆な筆文字が書かれたタイトルが堂々と鎮座している。

 日本文学、海外文学に関わらず右綴じの右開きで中身は現代語訳の明朝体。しかもふりがなまで振ってあり、【読み手】の母国語に対して言語も変わると言う。裏表紙にはこの【本】の紋章。少しの雲がかかった満月が伊達政宗の家紋のように竹に囲まれているそれを奪われると、読人は脱落だ。【本】その物も奪われ、誰かの手に不老不死が与えられてしまう。

 

「……脱落、したくない」

 

 ならば、強くなるしかない。ノートの写しと補習プリントを手早く片付けて、『竹取物語』を読み込もう。

 再びシャーペンを手に取ってプリントと向き合った読人だったが、顔をあげたその瞬間に本棚の向こうから現れた人影に気付くと……大きく心臓が跳ねた。

 

『っ! 彼女だ……図書委員の』

 

 返却された本を抱えて、一冊一冊丁寧に本棚に返している女子生徒――図書委員の彼女が、読人が気になっている女の子である。

 高校に入学して初めてこの図書館を訪れた時に、貸出しカウンターの向こうにいたその子を一目見た瞬間に顔が真っ赤になった。つまり、図書委員会の彼女に一目惚れしたのだ。

 と言っても、もう三学期に突入したと言うのに未だに名前も知らない。リボンの色から同じ一年生であることは分かるが、同じクラスではないし何組なのかも分からないのだ。

(北高の制服のネクタイ・リボンの色は学年によって違う。1年:深緑、2年:臙脂、2年:藍色)

 よくそれで、9か月近くも片想いしていたな。

 それでも、図書館に通い詰めて顔は覚えてもらったし何気ない挨拶ぐらいはするようにはなったので、進級前に名前だけでも!と彼女の後姿を眺めていたら、本棚への返却を終えた彼女がこちらを振り向いて読人と目が合ってしまったのだ。

 

「っ!!」

「こんにちは、今年に入ってからは初めてだね」

「そ、そうだね。お疲れ様」

 

 今日も話ができた!と、内心ガッツポーズをしているが、何を話せば良いのか分からない。でも、やっぱり顔が赤くなってしまう。

 彼女は特別に可愛い顔立ちと言う訳ではない、どちらかと言うと綺麗系だ。知的な銀縁眼鏡越しでも涼やかな印象を与える目元がはっきりと分かり、スラっと伸びた背筋と少し色素の薄い肩甲骨までのサラサラストレートがよく似合う。

 まさか高校生にもなって一目惚れするとは思っていなかったが、耳まで赤くなる自分はやっぱり、彼女が気になっているんだと実感した。

 

「あの、ずっと気になっていたんだけど」

「え?!」

「前髪、邪魔じゃない?」

「あ、ああ! 前髪、これ、昔から伸びるのが早くて。切ってもすぐこんな風になっちゃうんだよね!」

 

 妙に長くて目元を隠す読人の前髪であるが、故意に伸ばしているのではなく説明通り、彼は前髪が伸びるのが常人より早いのだ。

 後ろ髪は普通に伸びるのに、何故か前髪だけは切ってから1週間も経てば元通りになってしまう。この前髪も、年末に切り過ぎたぐらいまで切ったはずなのに、2週間で目元を隠すぐらい伸びてしまった。

 いくら自分で切っても直ぐ伸びてしまうので、常に前髪が長いのが学校内での読人の姿である。あまりにも伸びるのが早いので、外見に五月蠅い生徒指導の教師までもが諦めた。

 

「じゃあ、ヘアピン使ってみる?」

「ヘアピン?」

「うん、女物で悪いけど」

 

 彼女がブレザーのポケットから取り出したのは、ヘアピンだった。パチンと音がするそれはスリーピンと呼ばれる種類。黄色いちりめん細工の布をアクリルの板に挟んだ三日月が黒いピンについているだけと言う、あまり女の子っぽくないシンプルな作りである。

 彼女からヘアピンと鏡を受け取った読人は、前髪を掻き分けてまとめると左側に流してパチンと止める。確かに随分とスッキリした、ヘアアクセサリーも悪くない。

 

「スッキリした」

「良かったらそのヘアピン、使って」

「え、良いの?」

「うん。そんなに高い物じゃないから。嫌じゃなかったら、だけど」

「い、嫌じゃない。どうもありがとう、大切にするよ」

 

「じゃあね」と手を振ってカウンターに戻る彼女を見送って、ヘアピンを着けている箇所がカっと熱くなる。まだ名前も知らない女の子、気になっている女の子からまさかのプレゼント……!

 本人にしてみれば、パック詰めのヘアゴムを一つあげる感覚と同じかもしれないが、読人の方はよく見えるようになった顔がこれ以上ないほどに紅潮した。

 名前を聞く前にヘアピンをもらってしまった。心の中はガッツポーズどころか、喜びの舞いとしてサンバを激しく踊り狂っていのだった。

 

「ん、おーい読人」

「ん~マサ、部活終わり?」

「ああ、うん……お前どうした?」

「何が?」

「顔、スゲー気持ち悪い」

「ん~?」

 

 いや、顔よりは前髪を止めているヘアピンにも突っ込んだ方が良いかもしれないぞ。そのヘアピンで前髪がスッキリしたため、スゲー気持ち悪いくらい幸福そうな笑顔がはっきりと垂れ流しになっているのだ。

 今までは前髪でよく見えなかったが、読人は感情と表情筋が直結しているので非情に顔に出やすい。校内でそれを知っているのは、小学校からの付き合いである彼・マサぐらいだが。

 柔道部のジャージ姿で片手にはゴミ箱なので、部活が終わった後のゴミ出しの途中なのだろう。マサ――本名は松元(マツモト)正美(マサミ)。図書館を出て職員室へ向かう途中に彼と遭遇した。

 

「えへへへ……」

「嬉しいことがあったんだな。道場の掃除が終わったら、一緒に帰ろうぜ」

「うん。たい焼き食べて行こう。俺も、パインちゃんに補習プリント渡して来る」

 

 下駄箱で待ち合わせの約束をして、正美はゴミを捨てに向かい読人は補習プリントを担任教師((オオトリ)梨香子(リカコ)、30歳独身。担当教科:現国。あだ名:パインちゃん)へ提出しに職員室へ向かった。

 一応、正美の言う「スゲー気持ち悪い顔」になっていないかを確認してから、失礼しますと入室する。

 特に何も言われる事なくスムーズに提出を終えて、下駄箱で正美を待っていたら……また出会えたのだ、図書委員の彼女に。

 向こうは既に靴を履き替えて友人であると思われる小柄な女子生徒と玄関に出ていたが、読人を見付けると小さく手を振ってくれた。図書室にいた時と違い眼鏡はかけていなかったが、それもイイ。そう感じながら、軽く手を振り返した。




「松本」じゃなくて「松元」だし、「正美」だけど女子じゃない。
男子に「美」の字を使った亡き祖母に文句の一つも言いたいのはマサの談である。


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一休さん02

「……お前、竹原と知り合いだったのか?」

「ひぃ!? マ、マサ!」

「そんなに驚くなよ! お前の幸せそうな顔、竹原が原因だったとは……」

「え、タケハラ?」

「さっきお前に手を振っていた女子」

「 知 っ て い る の ? 」

「お、おう」

 

 いつの間にか現れた正美に驚かされた読人だったが、正美は読人の迫力に驚かされた。あまりにも必死な読人に威圧されてしまったのである。

 ま、立ち話もアレだから、続きはたい焼きを食べながらにしようとそのまま2人で下校した。北高生の間でたい焼きと言えば、最寄り駅の前にある『無問鯛(モウマンタイ)』という名前のたい焼き屋である。

 そこの、1月限定白玉小豆たい焼きを購入し店の前に設置されているベンチに座ってたい焼きに齧り付きながら、あの子についての話が再開された。

 

「あいつはB組の竹原(タケハラ)夏月(ナツキ)。剣薙で薙刀やってる。道場で時々顔を合わせるから、名前は知ってんだ」

「ナツキさん、か……薙刀やっているんだ」

 

 彼女は竹原夏月。剣薙、つまり剣道・薙刀サークルに所属している。

 北高には女学校時代の名残で薙刀部と言う部活があったが、長年インターハイ等の大会で結果を出しておらず人数不足と言う事もあり、同じ事情を抱えた剣道部と統合されて合同サークルとして活動している。練習場所が正美の柔道部と同じ道場なので、彼は名前を知っていたのだ。

 何だか凄く似合うと思った。綺麗に伸びた背筋はきっと武術による研鑽の結果だろう。

 思わぬ伝手で彼女――夏月の名前を知った読人は、再び自分の顔が熱くなるのを感じた。1月半ばの寒空の下なのに、耳も頬も熱い。

 

「お前、竹原みたいなのがタイプだったのか。今までこう言う話をしたことなかったな」

「うへへへへ……」

 

 2人で白玉小豆たい焼きを齧ると、もちもちの白玉の歯応えにちょっと苦戦する。

『無問鯛』のたい焼きは、甘さ控えめの小豆を使用した薄皮たい焼きと尻尾のカリカリした生地のバランスが取れていて、何個もペロリと食べる事ができる絶品だ。だが、毎月の限定商品として出すオリジナルたい焼きは当たり外れが大きい。

 今月の白玉小豆は……大粒の小豆を使用した粒餡がホクホクしていて甘さ控えめ、いつも通りの味だ。しかし白玉の部分が硬くて噛み切れない、中途半場な硬度を持つ白玉が粒餡の邪魔をしてしまい、はっきり言って微妙である。「咽喉に餅が詰まりやすい人は注意して下さい」と注意書きをした方が良いだろう。

 

「そうだ、俺バイト始めたんだ」

「へー、どこで?」

「おじいちゃんの知り合いの古書店。古本屋じゃないよ」

「何だか敷居高そうだな……読人」

「ん?」

「思っていた以上に元気そうだな、安心した。てっきり、じいちゃんが亡くなって沈んでいるかと思ったんだぜ」

「……ありがとう、マサ。最初は沈んでいたけど、色々あったんだ」

 

 本当に、色々あった。

 バイトを始めたのも読人の身に起きた変化であるが、それ以上に彼の日常が逃亡のための準備を始めたのが大きな変化だろう。【本】を開けば、日常が非日常になる。

 こんな風に、正美と一緒に他愛もない話でゲラゲラと笑いながらたい焼きを齧る日々も、どこかへ行ってしまうかもしれない。

 

「決めたんだ、この1年を頑張ってみようって」

「……読人?」

「あ、ああ、バイトの話ね」

「おう」

 

 正美には、【本】と【戦い】の事は伏せておこうと思った。彼は柔道部の重量級期待の選手だ、選手生命や部活のことを考えれば、あまり危険には巻き込みたくはない。

 白玉小豆たい焼きを食べ終わると包み紙を丸めて、店の前に設置されているゴミ箱に投げ入れる。

 それじゃあ帰るか、と言うタイミングで読人のコートのポケットに入れていたスマーフォンがメッセージを受信した音を鳴らした。

 

「……ごめん、マサ。バイト先から呼ばれている。行かないと」

「おう、バイト頑張れよ」

「うん、バイト代が入ったら牛丼でも奢るよ。じゃあね」

「また明日」

 

 手を振りながら正美と別れた読人は、彼の姿が見えなくなってから再びスマートフォンを確認する。メッセージを送って来たのは、先日連絡先を交換した桐乃だ。

 

「……『鼓草町で銀行強盗。犯人は虎と一緒に銀行に押し入った』……うわ、普通じゃ考えられないな」

 

 早速、非日常がやって来た。

 

『今すぐ迎えに行く』『駅の東口のロータリーで』

 次いで桐乃から連絡をもらった読人は、駅の中を抜けて『無問鯛』がある駅前とは反対側、東口のロータリーへやって来た。

 タクシー・バス乗り場の横を通って辺りを見回して見ると、向こう側に停まっていたバイクのライダーがコンコンとハンドルを叩いて音を鳴らしている。女性には珍しいあの大型のスポーツバイクは、連絡をくれた桐乃の物だ。

 

「桐乃さん!」

「直ぐに鼓草町へ行くよ……ん? そのヘアピン」

「コレ、ですか? もらったんです」

「良いね。顔が見えてスッキリする。さ、行くよ」

「はい!」

 

 読人にヘルメットを渡してバイクの後ろに乗せると、虎を使った銀行強盗が起きていると言う鼓草町へとバイクを走らせた。

『犯人は虎と一緒に銀行に押し入った』とメッセージにはあったが、犯人グループがタイガーマスクとかを被って押し入ったと言う訳ではないらしい。むしろ、銀行強盗は人間1人で残りは虎……動物園の檻の向こうにいる、本物の虎が銀行を襲ったのだ。

 

「本物の虎、って……どんな【本】の持ち主でしょうね?」

「まだ分からない。だけど、【本】をこんなにも分かりやすく悪用する【読み手】だ。あんまりロクな奴じゃないのは確かだろうね」

「……」

「恐いかい?」

「ちょっとだけ。でも、俺、やります」

 

 桐乃の肩に置いている両手が震えていたとか、声に恐怖が滲み出ていたとか言う訳ではなかったが、一応読人に訊いてみた。本格的に【戦い】に身を投じる事が、【読み手】と戦うことが恐くないのか、と。

 紫乃に弟子入りし、【本】に対する基礎知識を叩き込まれた後に言われたのだ。次に【読み手】が現れたら、それが読人の初陣だと……虎の銀行強盗は十中八九、創造能力で虎を創造した【読み手】による犯行だろう。

 相手の【本】の物語を「めでたしめでたし」で終わらせて、相手の紋章を手に入れろ。それが、師匠から課せられた第一の課題だった。

 桐乃のバイクが自動車の間をすり抜けて件の事件が起きているこのみ野市鼓草町へと到着すると、既にパトカーが銀行の周りを包囲していた。そして、猛獣等が動物園から逃げ出した時に出動する特殊部隊も、スタンバイ済みである。

 

「こんなに人が多い中で【戦い】を始めて大丈夫なんでしょうか?」

「師匠は大丈夫って言っていたけど、確かにこれじゃあ……っ!」

 

 フルフェイスのヘルメットを脱いだ桐乃が全てを言い終わる前に、取り囲まれている銀行の窓ガラスが派手な音を立てて破壊された。

 特殊部隊が突入したのではない、銀行内にいた犯人――巨大な虎が、外に出て来たのだ。ポストカードの写真のように美しい縞模様と虎目石の目を持った雄々しい虎が、都市のど真ん中に現れたのである。

 しかも一頭、二頭ではない。次々と現れた虎はなんと十頭。これは流石に、厳しい訓練を受けた特殊部隊も小さく悲鳴を上げて身体を強張らせる。

 そんな彼らの怖れを目にした虎たちは、低い唸り声と雄叫びを上げて一斉に襲い掛かって来た。

 

「総員退避ーー!」

「っ、桐乃さん、あれ!」

「っ! あいつが【読み手】だ!」

 

 襲い掛かってくる虎たちをシールドで必死に抑えつつも、2mを越える巨大な体躯と牙と爪に人間は歯が立たない。だが、何名かの隊員は手にした獣で虎を狙撃する事に成功した。虎は見事に眉間を撃ち抜かれたのだが、その場には虎の死体は残らず、隊員たちの足元にひらひらと落ちて来たのは穴の開いた虎のポストカードだった。

 そんな乱闘の影で、卑怯にも逃げ出そうとしている者を読人が発見する。

 虎の背に重そうなボストンバッグを何個も乗せ、同じく虎の背に跨ったニット帽の男が銀行から逃亡したのだ。

 間違いない、あいつが銀行強盗であり虎たちを創造した【読み手】だ。

 再びヘルメットを被った桐乃は、バイクを走らせて逃亡する犯人と虎を追う。銀行の前では、十頭いたはずの虎たちは全て狙撃され、ポストカードになっていた。

 

「待て! そこの虎!! お前、白い【本】を持つ【読み手】だな!」

 

 車道を走る二頭の虎に、それらと虎に乗る人間を追うバイク。本当に、普通ではありえない光景である。

 ニット帽の男は桐乃の声に気付いたらしく、一度後ろを振り返るとニヤリと笑った。

 虎たちの進路を変更してバイクもそれを追跡すれば、ビルとビルの間にある月極駐車場に誘い込まれてやる。

 駐車場に辿り着くと虎は姿を消した。札束等がパンパンに詰められているボストンバッグは地面に置かれ、銀行強盗はバイクを降りた桐乃と読人の前にあの白い【本】を見せたのだ。

 

「お前らも、俺と同じ【本】を持つ【読み手】って奴だろう。他の奴らを倒し続ければ、不老不死になれるっていう。良いな~不老不死、なりてぇな~」

「知っているなら話は早い。【戦い】を始めましょうか……この子が」

 

 相手も、てっきり桐乃が相手をすると思ったらしい。背負っていたリュックの中から【本】を取り出した読人を見た瞬間、小馬鹿にするように吹き出してゲラゲラと下品な笑みを浮かべたのだ。

 今回の桐乃は裏方に徹するように紫乃に言われているが、相手が1対1の正々堂々とした勝負をするに値しない人物であった場合は、2人で叩きのめせとも言われている。【本】の能力を悪用して私欲を満たすその姿を見れば、早々と桐乃もこの【戦い】を首に突っ込むことになるだろう……だけど、これはあくまで読人の初陣なのだ。

 

「このガキが? こんなガキが? こいつが??」

「ガキでも関係ないだろう。【読み手】同士の【戦い】は、想像力がものを言う」

「っち、じゃあ、さっさと倒して不老不死になってやろうか!!」

 

 忌々しそうに舌打をした男が持つ【本】を開くと、着ていたダウンジャケットのポケットから数枚のポストカードが取り出される。

 ポストカードの絵柄は虎だ。大きくて立派な、美しい縞模様の虎。ポストカードの虎が【本】の光と呼応するようにぬるぬると動き始めると、本物の虎がはがきサイズのカードの中から飛び出て来たのだ。

【本】のタイトルは『一休さん』……屏風から飛び出て来た、虎だった。

 5枚のポストカードから飛び出て来た五頭の虎を前にして、読人の頭は高速で回転し紫乃に教授された事を必死に思い出しながら自問自答をしていた。

 

問1 どうして相手は、不老不死の事を知っていた?

答→初めて【本】が光って紋章が現れた時に、【本】の最初のページにこの【戦い】の説明が浮き出るからそれを読んだ。(読人は気を失ったため、その説明を読んでいない)

 

問2 どうして相手は、【本】の文章を読まずに創造できたのか?

答→文章の朗読は【読み手】の中のイメージを固定するための予備動作に過ぎない。自身の中で創造したいモノのイメージがはっきりとしているならば、朗読の手間を省ける。

 

問3 相手は朗読なしに創造能力を発動させた、つまり?

答→屏風(ポストカード)の虎が実体化すると言うイメージが確立されている。つまり、それだけ【本】の能力を使用している。

 

 イコール……今回の銀行強盗だけではなく、【本】を悪用して他にも犯罪に手を染めている可能性が高い。

 五頭の虎を前にして、読人が手にした『竹取物語』も光が宿り彼はページを捲った。

 創造のイメージがはっきりしていない内は文章を朗読する動作が、創造能力を発動させるトリガーとなる……読人が想像した「火鼠の衣」を創造するため、声を紡いだ。

 

「『右大臣阿倍御主人様は、火にくべても燃える事のない火鼠の皮衣をお持ちになって下さい』……!」

『よっ、呼んだか?』

「お願いします!」

 

 読人の足元から炎が渦巻き塊として集まると、炎のハリネズミ……火鼠の衣が創造される。

 掌サイズのハリネズミに襲い掛かる五頭の虎を前にして、火鼠の衣はフンと鼻を鳴らした。虎なんて取るに足らない相手であると言わんばかりに、身体を丸めて火の玉と化して虎たちの間を縫うように転がれば、虎たちの自慢の縞模様の毛皮が燃え出したのだ。

 火でできた衣を纏っているかのように明るい赤と橙色の炎が虎たちの身体を包み、虎たちは苦しそうな声を上げる前にポストカードの燃えカスになって駐車場の地面に落ちた。

 

「やっぱり、虎が攻撃されれば元のカードに戻るんだ」

『何だか呆気ないな』

「何だそれはぁ? ゲームか何かのモンスターか?」

「彼は、火鼠の衣君。俺は黒文字読人、【本】のタイトルは『竹取物語』」

「『竹取物語』……って、不老不死のアイテムじゃねぇか! こんなに早く向こうから来てもらえるなんて、ラッキーだな俺は!」

「『一休さん』の【読み手】、読人君が名乗ったんだ。自分も名乗りなさい……【読み手】同士の【戦い】は先ず、名乗るのが礼儀だ」

「はぁ?! 誰に向かって口効いてるんだ、この女……」

「名乗りなさい!」

「……っ、寅井(トライ)満作(マンサク)だ! これで満足かよ!」

 

 桐乃の険しい言葉に気圧されたのか、『竹取物語』を目にして舌なめずりをしていた男は【読み手】の礼儀に従って吐き捨てるように自身の名を口に出す。

 寅井満作、【本】のタイトルは『一休さん』。




『無問鯛』
1月限定:白玉小豆たい焼き(120円+税)
『無問鯛』自慢のホクホク小豆餡の中に、もちもちの白玉が入った白玉ぜんざい風たい焼きです。


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一休さん03

 銀行強盗と言う分りやすい悪事に加担してしまったとなっては、モデルとなった一休禅僧も草場の陰で泣いているかもしれない。てっきり、とんちでも効かせた創造でもするかと思ったが、実際は数に物を言わせて猛獣を実体化させると言う力技だ。

 発想としては面白い。だが、【読み手】本人はとんちの一つでも吟じられる人間には見えない。

 

「読人君、さっきも言ったけれど【読み手】同士の【戦い】は想像力がものを言う。師匠から叩き込まれたことを念頭に入れて、想像力を広げて!」

「はい!」

「遊んでやるよ、ガキが!『このはし、わたるべからず』!!」

「っ!」

 

【本】を手にした【読み手】の頭の中で想像されたモノが創造され、現実に影響を及ぼす。頭の中で勝利への道筋がしっかりと想像できたならば、その道は現実にも拓かれるのだ。

 だけどそれは、相手――寅井も同じ事。【本】のページを捲って物語の場面が切り替わるのと同じく、現実世界の場面も変わろうとしていた。

 白いラインが引かれたコンクリートの地面に木目が現れ、サラサラと水が流れる音も聞こえて来る。続いて擬宝珠の付いた立派な欄干が両サイドから生えて来ると、その場に立派な橋が展開されたのだ。

 横幅5mはあるだろう、緩くアーチになっている橋の両端に寅井と読人が立っていた。

 これは展開能力だ。『一休さん』を知る者ならばお馴染みの場面だろう、端ではなく真ん中を渡った橋だ。『このはしわたるべからず』と書かれた立札も、読人の隣に創造されている。

 

「物語の場面を現実に展開する、これが展開能力」

「これはな、追って来る警察をまくためにちょーっと考えたらできたんだよ。渡ってみろよ、()()を!」

『来るぞ読人!』

「っ!?」

 

 再び、ポストカードがばら撒かれて五頭の虎が実体化する。

 先ずは一頭目の虎が橋の真ん中を渡り、読人に向かって襲い掛かって来た。あまりにも直線的な、真ん中を渡って真っ直ぐ読人に向かって来たので避けるのは簡単だったのだが……左に避けて欄干を背中にしたその瞬間に、足の下でカチっという音がした。

 嫌な予感がした。スイッチか何かを踏んづけたような音がしたその瞬間、橋の端が爆発したのである。

 

「え……っ!!?」

「読人君!」

「ほら、看板の通りだろ。『このはし、わたるべからず』って! 注意書きはちゃんと読めよ」

 

 背景に効果音を付けるとしたら、“ぎゃーっはっはっはっは!”だろう。読人が爆風に飛ばされて転がる姿を見た寅井が、ゲラゲラと笑い転げている音である。

『このはし、わたるべからず』、だから真ん中を歩いて来たというのが物語の中のとんちであるが、この橋の端は本当に危険だから渡るなと言う意味なのだ。

 真ん中以外は全て地雷原。しかし、唯一のセーフティゾーンである真ん中は虎たちが犇めき合い、涎を垂らしながら牙を剥いている。

 そんな虎たちの前に、爆発で吹っ飛んだ読人の身体がゴロゴロと転がって来ると、二頭の虎が一斉に襲い掛かって来たのだ。

 

「っ、火鼠君!」

『はいよ!』

「このガキ! 『屏風の中から、虎を追い出して下さい』!! 出て来い、虎!」

 

 読人が声を張って火鼠の衣を呼ぶと、彼の大きさは読人がイメージした通りの大きさに。虎たちと同じ2mにまで大きくなった。

 再び身体を丸くすれば、今度は大玉転がしで使う大玉ほどの火の玉となって橋の真ん中をゴロゴロと転がって虎たちの毛皮を燃やして行く。

 無駄に飛び散らず、揺らめかず、標的の表皮だけを燃やすかのように身体に張り付く炎は、本当に炎の衣を着ているかのようだ。

 虎たちは次々に橋の真ん中を渡り始めるが、それと同じく火鼠の衣によって次々とポストカードの燃えカスに代わって行く中で、読人は身体を起こして走り出した。

 木目の地面を蹴って橋の真ん中を真っ直ぐに飛び出し、一気に寅井と距離を詰めようとするが、まだまだポストカードの在庫があったようだ。

 寅井はヤケクソ気味にダウンジャケットのポケットに手を突っ込み、残り全てのポストカードをばら撒いて十五頭の虎が実体化した。

 

「大丈夫、大丈夫だ……あの大きさの虎が真ん中しか移動できないなら、大混雑になる!」

『お、良い感じだな読人!』

 

 やっぱりそうだ、自分が考えた事が火鼠の衣にも以心伝心で伝わる……読人が頭の中で想像した流れが、【本】の能力によって『火鼠の衣』として創造されている。だから、声に出して指示を出さずとも火鼠の衣も読人が想像した動きを、1mmの狂いもなく再現してくれているのだ。

 それだけ、読人の想像しているイメージがはっきりしているということだろう。

 彼のイメージはこうだ。

 本物のハリネズミサイズになった火鼠の衣が、橋の真ん中で渋滞を起こしている虎たちの足元をすり抜ける。そして、背中に背負った炎を滾らせて足元から一気に炎上させるのだ。

 

「『偽物の火鼠の衣は、火にくべた瞬間に燃えてしまいました』!」

『ファイヤーー!』

 

 一網打尽とはまさにこのこと。虎たちが混雑を起こしている橋の真ん中はバーベキュー状態だ。

 小さくなっても火鼠の衣の火力は変わらず、橋の上はあっと言う間に火の海に……そして、虎たちが熱さに悶えてポストカードの燃えカスに戻って行くその中を、読人は走った。

 開いたままの自分の【本】はコートの下にしまい、炎上に驚いて次の手に入るのが遅れている寅井めがけて走り出し、橋の真ん中を渡って向こう岸に辿り着いたのだ。

 そして、開いたままの『一休さん』の【本】に手をかけ、そのまま奪い取ろうとしたのである。

 

「っ! 放せ、このガキ!」

「嫌だ! もうポストカードはないんだろ。もう虎を実体化できないはずだ!」

「本当に、そう思うか……!?」

『読人!』

 

 そう、もうポストカードはない……しかし、“虎”がいなくなった訳ではなかった。寅井が着ていたダウンジャケットのファスナーを全て開けると、その下に来ていたアウターは虎がプリントされていたのだ。

 それに気付いた火鼠の衣が飛び出て来るが、タイミングが合わなかった。

 火鼠の衣が飛び込んだその瞬間に虎が実体化し、寅井の胸から飛び出て来た虎は小さなハリネズミを弾き飛ばしたのである。

 しかも着地点は橋の端。小さくなっていた身体は、地雷の爆発によって天高く吹っ飛ばされたのだ。

 

『みぎゃーー?!』

「火鼠くーーん!?」

 

 ハリネズミの体重は500~700g。簡単に爆風に乗るほど軽かった。

 そして、次は読人の危機である。

 アウターのプリントから実体化された虎はポストカードのものたちよりは小さいが、立派な牙も爪もある。その牙で読人の腕に噛み付き、【本】から引き離そうと小柄な身体をぶんぶんと振り回し橋に放り投げた。

 幸いにも真ん中部分に投げ捨てられたのだが、噛み付かれた左腕はじくじくと痛みコートには血が滲んでいる……厚手のコートを着ていなかったらもっと酷い有様だっただろう。季節が冬で良かった。

 

「い、っ……!」

「俺の、勝ちだな。このまま不老不死にならせてもらうぜ」

「……何が、したいの?」

「ああ?」

「不老不死になって、何がしたいの?」

「何って、決まってるだろ。若いまま、ずっと死なねえんだぜ! この金で、永遠に楽しく暮らすんだよ……こんなスゲェチャンス、逃す訳がなえだろ!!」

「……永遠なんて、ないよ」

 

 ゆらりと、左腕を抑えた読人が立ち上がったが腕の痛みを我慢しているのが息は荒く、膝が笑いかけている。だけど、その言葉を寅井に向けた時の視線があまりにも鋭く、冷たく……悲しい色だった。

 ヘアピンで長い前髪を上げた事によって、いつも隠れ気味の読人の顔がしっかりと見えているのだがその表情はつい最近、彼の顔にも宿っていたのだ。その時の、蔵人の葬儀の時に宿ったあまりにも悲しげな視線は、前髪に隠れて誰にも見られてはいなかったが。

 

「暮らせないよ、永遠に、楽しくなんて、暮らせるはずはないんだ。置いて逝く方も、行かれる方も……」

「何言ってんだお前! 訳分かんねえよ!! やれ!!」

「火鼠君!!」

 

 読人自身、頭の中が燃えているような感覚だった。

 腕の痛みを抑えるために脳内ではアドレナリンがドバドバと放出され、火鼠の衣が熾した炎の熱に浮かされる。何が言いたいのか自分でも分からない。思い付いた単語をぶつぶつと呟くしかできないのだ。

 でも、これだけは解る。

 不老不死の人間を、中途半端な覚悟で面白がってその薬を手にする人間を生み出していけないことは、何故か分かっていた。

 痺れを切らした寅井が、虎を嗾けようとした。

 橋の向こう側で傍観していた桐乃も危ないと思ったのか、自身の【本】に手をかけていたがその必要はなかった。

 寅井と虎の頭上に大きな影ができたかと思い上空を見上げた時には、もう遅い……そこにいたのは、火鼠の衣。

 爆風で吹っ飛ばされたハリネズミサイズの火鼠の衣が、今度は軽自動車と同じサイズと質量で盛大で派手で嫌な音を立てて上空から落下して来たのである。

 上から聞こえるのはヒュルルル~と言う、気の抜けるようでそれでいて、結構な重量を持った巨大な物体が落下して来る音だ。しかも重力を味方に付けてしまい、落下の際の破壊力は計り知れないほどにまで成長してしまっている。

 それが落ちて来た。火鼠の衣は大きさを自在に変化できると言っていた、吹っ飛んでいる最中にその中で一番大きな軽自動車サイズへ変化して寅井と虎の頭上に落下して来ると言うイメージが読人の中に浮かび、見事に現実となったのだ。

 

「……中々にエグイ」

 

 一部始終を見届けた桐乃の感想だが、確かにその通りである。

 火鼠の衣が落下したコンクリートは陥没し蜘蛛の巣状のヒビが入ってしまい、オマケに落下した時はボキボキボキっ!と言う音までした。

 例えるならば、棒状のお菓子を袋のまま叩き割るような……そんな音である。一体何の音であるかは、あえて言わない。

 

『おー……どうする読人、死んでないぞ』

「殺さないで!! 十分だから!」

 

 火鼠の衣(軽自動車サイズ)落下によって寅井が潰されてしまい、アウターから飛び出て来た虎は消えてしまう。そして『一休さん』の【本】は落下に巻き込まれた衝撃で【読み手】から離れてしまい、開いたまま放り出されていた。

 

「めでたしめでたし」

 

 そう言いながら『一休さん』の【本】のページを閉じると、白い【本】からは光が失われ裏表紙に刻まれていた紋章が宙に抜け出て来た。虎の描かれた屏風を前にして縄を構える一休がモチーフの紋章、それの行先は読人の本だ。

 紋章が『竹取物語』の【本】の中に吸い込まれ、後ろのページに同じそれが現れた。【読み手】同士の【戦い】で読人が勝利した証……初陣を白星で飾った証明である。

【本】が閉じられれば物語は終わる。創造されたものはただの想像に戻り、()()()()()()となりただの日常へと戻るのだ。

 火鼠の衣が小さくなって寅井の上からぴょんと跳び下りると、蜘蛛の巣状のヒビが入っていたコンクリートは元の状態に戻り、読人の腕の噛み傷から痛みが引いてコートの血も消えて行く。そして、月極駐車場に展開されていた『一休さん』の物語の風景も消え失せ、『このはし、わたるべからず』の看板も消えてしまったのだった。

 

「……チクショウ」

「っ」

「チクショウ……不老不死なんてモン、手に入れられれば……俺のクソみたいな人生、少しはマシになるかと思ったのによう……」

「……」

 

 地面に伏せたまま肩を震わせる寅井は、下敷きになった痛みに震えているのではない……火鼠の衣が落ちて来た際の怪我は、()()()()()()になっているはずだから。

 自分で「クソみたいな人生」と言い切った。彼の人生はどんなものだったのかは色々想像できるが、きっと子供である読人が想像し得ないほどのものだったのかもしれない。

 安易に不老不死を望むような、空想に近い逃げ道に足を踏み入れるような。

 読人は、裏表紙に紋章がなくなった『一休さん』を寅井の前に置いた。もう想像力を創造力に変える能力はない、汚れも燃えも破けもしないちょっと不思議な【本】になっている。

 

「もっと、この【本】を読んであげて下さい」

「……」

「クソみたいな人生をマシにするヒントが、あるかもしれないから。本は、読まないと意味がないから」

 

 そう言って、【戦い】の勝者はこちらに迫って来るパトカーのサイレンの音を背景に、駐車場から退場したのだった。

 

『……お前、素直と言うかお人好しと言うか、とんでもない甘ちゃんだな』

「自分でも、そうかな~って思うよ」

『でも、嫌いじゃないぜ。お前の甘ちゃん具合は』

「……ありがとう」

「読人君、取りあえず初陣、おめでとう」

「ありがとうございます」

 

 桐乃が出る場面はなく、読人と彼の肩に乗る火鼠の衣だけで初陣を勝利した。

 彼女から差し出された手を取って握手を交わすと、ヘルメットを被ってバイクの後ろに乗り込む。向かう先は彼らのバイト先である『若紫堂』だ。初陣の結果を師匠――紫乃に報告しに行かなくてはならない。

 だが、火鼠の衣が読人のコートの中に潜り込んでから桐乃の肩に手を置いたその時、気付いてしまった……虎の牙で空いてしまったコートの腕の部分の穴が、()()()()()()になっていなかった事に。

 

「またコートが!」

『ドンマイ』

「コート一枚で済んで良かったじゃないか」

 

 フードはボロボロで左腕には穴。このコート、次の冬は着られないとガックリ頭を垂れた読人を乗せて、桐乃のバイクは走り出した。

 こよみ野市鼓草町の銀行に、虎のハリボテを使って銀行強盗を働いたと言うニュースが放送されたのは夜の時間帯だった。しっかりと、寅井の名前も顔も画面に映ってしまっている。

 読人はそのニュースを直接観ていなかった。その時間帯は、湯船に浸かってぬくぬくと温まっていたからだ。しかも、【本】が濡れないのを良いことに湿気たっぷりの風呂場に持ち込んでいた。

 ついでに、火鼠の衣も一緒に温まっていたのである。温泉に浸かっているカピバラみたいだ。

 

『ぷはぁ~』

「火鼠君」

『何だ~?』

「やっぱりさ……君に名前があった方が良いよね」

『読人がオレの名前を付けてくれるのか?』

「嫌じゃなかったら」

『良いぜ』

 

 どんな名前を付けてくれるんだ?

 読人の方を向いた円らな双眸がそう語りかけると、彼に相応しいと思った名前を口にする。明るい炎が身体を這って、まるで火の衣を纏っているかのように燃えるその光景を表す名前を……。

 

「“火衣(ヒノエ)”って、どうかな?」

『……安直だな』

「ええ?!」

『でも、オレは好きだぜ。オレは、今から火衣だ』

「っ! よろしく、火衣」

『1年間よろしくな、読人』

 

 吾輩は火鼠の衣である。名前は火衣である。

 

『読人、知っているか? ハリネズミって鼠じゃなくて、モグラの仲間なんだぞ』

「え!? そうなの?」

 

 今回の1年間は、このお人好しの甘ちゃんと一緒なら退屈しなさそうである。




寅井万作(22)
アル中・ギャンブル狂・暴力とクソ役満な父親と、そんな父親の実家に彼を預けたまま失踪した母親という両親ガチャでクソを引いて人生をスタートさせた。
祖父母に育てられたが、祖父が亡くなってからは生活が困窮。
しかも、中学卒業のタイミングでクソ父が祖母を殴り倒して彼の高校入学の資金を持ち逃げ。
進学を諦め、中卒で職業訓練校に入学したが怪我が原因で祖母も亡くなる。
卒業はしたが、勝手にクソ父の借金の保証人にされたために仕事先で上手くいかず、クソみたいな人生を送る。
『一休さん』の【本】は祖父母の荷物を整理していたら見付けた。


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一寸法師×ジャックと豆の木【Past】01

 その夢は、毎晩読人の前に現れるという訳ではなかった。

 例えば、課題も予習も復習もきちんと終わらせてお風呂でポカポカに温まり、心配事も何もなくリラックスしてベッドに潜り込んだ夜になると耳の奥からパラパラとページを捲る音が聞こえて来たりする。

 これがきっと、例の夢を視ると言う合図なのだなと読人は寝ぼけた頭でそう思った。50年前、若き日の蔵人や紫乃が参戦した、イギリスを舞台とした【戦い】のアルバムが開かれる合図であると。

 この夢を視始めた時から、読人は1970年代のイギリスについて少しだけ調べてみた。

 この頃のイギリスは、英国病とも呼ばれた長期の不景気に悩まされ多くの人々が苦しい生活を余儀なくされた、労働者の時代らしい。1973年にはオイルショックの衝撃も受けた。1979年にサッチャーが首相に就任してやっと不景気から脱却できたと物の本には書かれている。

 一方、蔵人が青春を過ごした日本はと言うと、1964年の東京オリンピックや1970年の大阪万国博覧会に代表される戦後の高度経済成長を経た好景気の延長にあった。しかし、やはりオイルショックでその好景気には終止符が打たれ、徐々に下降して行ったらしい。

 オイルショック、恐るべし。

 そんな、調子に乗った日本から遥々イギリス・ロンドンまでやって来た蔵人は、同じく渡英して来た紫乃と出会った。そして彼は今、屋台が並ぶ夕暮れのロンドンでイギリス名物のフィッシュアンドチップスを購入していた。

 

「お待ちどう」

「どうもありがとうございます」

 

 読人には香ばしい匂いや新聞紙越しの熱は伝わらないが、揚げ立ての白身魚のフライとフライドポテトは見ているだけでも食欲をそそられる。蔵人は無愛想な店員に料金を支払ってから商品を受け取ると、屋台の前に置かれている塩とビネガーを軽く振り掛けてから帽子を取って会釈をした。

 フィッシュアンドチップスがイギリスの外食産業としての地位を確立したのは20世紀かららしい。

 労働者の時代はとにかく忙しい、食事なんてゆっくりとっていられない。なので、片手で直ぐに食べられてエネルギーになるファストフードが流行し、労働者たちが帰宅する時間帯になるとこんな風にたくさんの屋台が軒を連ねるのだ。

 ちなみに、味はピンからキリというのはやはりイギリスである。この時代は、イギリスの飯がマズイ事情に拍車をかけたとか、かけなかったとか。

 

「いただきます……うん、失敗。美味しいフィッシュアンドチップスを提供してくれるお店には、いつ巡り合えるのでしょうか」

 

 新聞紙で作られた包み紙を手に、屋台の周辺に置かれているテーブルの一つに座った蔵人はフライを一口食べてこう感想を言った。日本語なので、聞かれても多分大丈夫。

 彼はここ数日、美味しいフィッシュアンドチップスの屋台を探していた。色々と食べ比べていたのだが、今日のは今までで一番の失敗だったようである。

 白身魚のフライはゴムのような歯応えがあって味がない、フライドポテトは芯があってオマケにどちらの衣もギドギドのベトベト。サクっとした歯触りの欠片もない。油の質も良くないようだ、新聞紙に滲んだ油が右手を汚し酷くつやつやしてしまっている。

 一口食べただけで胃が油っぽくなり、二口目の勇気は削がれてしまった。この味の割には高かったなと辟易し、口直しにどこかのパブでジン・トニックでも飲んで帰ろうかと思い始めていた。

 

「だからよ、ヒースの奴が面白いもんを見せてやるって言っていたんだよ。なのに、アイツ、待ち合わせの場所にいたら腰を抜かして倒れていたんだ」

「どうした、死んだお袋さんがマリリン・モンローのドレスで化けて出たのか? あいつのお袋も、相当なダイナマイトだったろう」

「俺もヒースに訊いたんだよ、何があったんだって。そしたらあいつ、「フィッシュアンドチップスを持ったアジア人にやられた」ってよ。だから何があったんだって!? やられたって言っていた割には、あいつのズッキーニみたいな顔には青タン一つなかったんだぜ。しかも、勉強をすれば吐き気に襲われるとか何とか言っていたのに、本を持ち歩き始めたんだ」

「おお、不景気から脱却できる前兆だな! そんなトチ狂ったことが起きるなんて」

「高そうでキレーな白い本をだったぜ。確か童話だったはずだが、何の本だったかな……」

「で、結局ヒースの言っていた面白いもんは見れたのか?」

「それがよう、ヒースの奴誤魔化しやがった! 魔法が使えなくなったとか抜かしやがって」

 

 蔵人の後ろのテーブルでは、泥で汚れたズボンを履いた男たちが何やら盛り上がっている。

 揚げた豆とフライドポテトを肴に安いエールを咽喉に流し込みながら、今日一日の鬱憤を晴らすかのように声を高くして「ヒース」の話題を振っていた。

 勿論英語で話しているのだが、夢を視ている読人にもしっかりと日本語で理解できたのは不思議だ。

 盗み聞きは良くないが、あちらの大きな声が聞こえてしまったなら仕方がない。「高そうでキレーな白い本」、ねぇ……そのワードを耳に入れれば、蔵人だけではなくロンドンにいる【読み手】は勘付くだろう。「フィッシュアンドチップスを持ったアジア人」の【読み手】が、【戦い】に勝利したのだと。

 

「ふーん……ジン・トニックは、諦めますか」

 

 指に付いた塩を舐めながら呟いた蔵人の声は、誰にも聞こえていなかった。

 歴代で最高に不味いフィッシュアンドチップスを何とか平らげると、新聞紙をそこら辺のゴミ箱に捨ててから興味半分で「フィッシュアンドチップスを持ったアジア人」の【読み手】を探しに、夜のロンドンへと足を踏み入れた。

 今日のロンドンは珍しく霧がない。天気も良い。一年の半分が雨に覆われるこの都市にしては珍しく、ビッグ・ベンの文字盤が遠目にもしっかりと見えるほど空が澄んでいた。

 

「新月なのが残念ですね。さてと……八咫(ヤタ)君」

 

 蔵人が自身の【本】を開くと、光と共に彼の背後には巨大な鏡が出現した。歴史の資料集に載っていそうな太古の銅鏡に似た真円の鏡面が水面のように揺れると、鏡の中から一羽の烏が現れる。

 赤いビーダマのように透明な目と漆黒の羽根を持つ烏は、鷹を始めとした猛禽類とそう変わらない大きさだ。それだけでも普通は違うのだが、よく見れば脚が三本ある。三本の脚を器用に使って、蔵人の腕に止まっていた。

 

「八咫君、ちょっと偵察に行って来てもらえませんか? どこかで、【戦い】が起きているかどうか」

 

 八咫君と呼ばれたその烏は低く一声「カァ!」と鳴くと、蔵人の腕から飛び立ち真っ黒な新月の空へと染み込んで行く。彼は蔵人が想像して創造した存在なのだろう、八咫君と言う名前からして恐らくモデルは『八咫烏』だ。

 八咫君が空の彼方へ消えて数分後、まだ冷たい夜風の中を佇んでいた蔵人は彼が飛んで行った方向から見える羽根吹雪に気付いた。桜の大木が風に吹かれて花弁が散るように、漆黒の烏の羽根が深夜の空から地上へと降って来ているのがしっかり見えているのだ。

 あれが八咫君からの合図だ。八咫烏は導きの使者とも呼ばれている。八咫君は飛んで行った先で目当てのものを見付けたら、遠くにいる蔵人にこうやって教え導いてくれるのだ。

 

「八咫君の元へ一瞬で移動できる手段も、創造しておけば良かったですね……仕方ありません。走りますか」

 

 幸いにも距離はそう遠くない。あの方向は――ロンドン塔だ。

 テムズ河畔にあるこの城郭はかつて、イギリスの国事犯たちが何人も投獄されていた。確か、読人の記憶が確かならば世界文化遺産に登録されているはず……1988年、蔵人がイギリスを訪れた後の時代だ。

 普段は入場料を支払わなければ内部は見学できないが、深夜の時間帯に拷問器具が展示される城内を見物する物好きは少数派だろう。八咫君に導かれなければ昼間に来たかった。

 

「誰かいましたか八咫君? それとも、好みの大烏の女の子でもいました……痛い痛い。八咫君、君はいつから啄木鳥になったんですか?」

「ガ!!」

 

 ちょっと茶目っ気を出した声色でそう言ってみたら、八咫君が啄木鳥のように嘴で蔵人を連打した。

 彼は真面目に導いてやっているのに、こんな茶々は不愉快だったのだろう。お怒りだった。

 ちなみに、ロンドン塔では烏が飼育されている。ここから烏が消えてしまったらイギリスの崩壊と言われているので、風切羽を切られて飛べないようして飼育されているのだ。

 

「と言うのは冗談で。八咫君、ここなんですね……【読み手】がいるのは」

 

 そして、もう【戦い】は始まっているはずだ。

 何で解るかって?ロンドン塔入口を警備している警備員が、蔵人の隣でぐっすりと安眠しているからである。

 強制的に眠らされている。警備員たちに見られたくないことが城内で起きているからだ。

 では、この口髭の警備員をあちらのベンチに寝せておきましょうと、自分より体格の良いその人を背負った蔵人だったが、警備員を背負い上げた瞬間にロンドン塔の方から轟音が響いた。爆発音とも違う、大きな物理的力量を持った物質が壁に無理矢理突貫して来た崩壊の音が静寂な深夜に劈いたのだ。

 警備員を放り投げるようにベンチへ寝かせると、堀と街路を隔てる柵に身を乗り出して音の方へ視線を向ける。月のない夜でもはっきり見えた。

 絡み合う二つの色。うねり、流動する水流と蔦が。

 

「あれは、植物の蔦と水? 何の【本】でしょうか」

「カァ」

 

 水のない、草の生えていない堀に躍動する青と緑が飛び込んだ。鞭のように撓る水流が生き物のようにロンドン塔の周りを蛇行する。

 それを追うのは太く伸びる三本の太い蔦だ。所々に若葉が顔を出して、実に活き活きと水流を追いかけている。

 三本の蔦はお互いを絡ませ合って三つ編み状態になると、より一層太く硬くそして長く伸びた。追いかけられる水流は堀へ雪崩れ込み、鞭の状態から波となる。

 目が回るほどの高速で行われているこれらの一部始終を目にした蔵人は、水流を走る人物に気が付いた。

 否、走ると言うよりは水流を統べるように乗っていると言った方が良いだろう。サーフボードで大波に乗るようにうねる水流を走る姿は、サーフィンとはまた違う。あれは何と言っただろうか?

 両足にローラーを付いた靴……そうだ、ローラースケートだ。

 

「ローラースケートのようですね。体格的にも、彼が「フィッシュアンドチップスを持ったアジア人」でしょうか」

「カァ! カァ!」

「どうしました八咫君……あ」

 

 蔵人は暴れ回る水流と蔦を追うのに意識を集中しすぎて、それらがこちらに向かって来るのに気付かなかった。あ、これ駄目な奴だ……と、鉄砲水のような水の鞭と何本にも枝分かれしている蔦を前にして、夢を視ている読人までも恐怖した。

 おい八咫君、君1人(?)だけで飛んで逃げないで下さい。【読み手】を見捨てないで。

 蔵人は隣から飛んで行こうとした八咫君に手を伸ばすのも虚しく、水流と蔦は止まることもなく、柵を破壊して蔵人もその衝撃で吹っ飛ばされたのであった。

 だけど、吹っ飛ばされているその時に見たのだ。自在に水流に乗って滑り駆ける彼の存在に。

 吹っ飛ばされる蔵人とすれ違ったのは、確かに小柄で細身のアジア人の青年だった。

 少し長めの黒髪にハンチング帽を被ったその表情……蔵人の存在に驚いて目を見開いているのが、すれ違っただけでもよく解るほど接近していたのである。

 

「アンタ! 大丈夫か?」

「あー……はい。一応」

「早く逃げろ! 巻き込まれんぞ」

「はあ」

 

 やはりまだ若い。蔵人よりも、紫乃と年齢が近いかもしれない。

 蔵人を【戦い】に遭遇してしまった一般人とでも思っているのだろう。酷く険しく焦った表情をしていたが、目尻と眉尻が下がった顔はどこか飄々とした小僧の印象を与える。

 そして、青年を追って来た蔦の群れも蔵人の存在に気付いたようだ。先程までは暴れ回っていた蔦たちが急に大人しくなり、一本一本が絡まって天に届くほど長い蔦となっている。

 この光景は、どこかで見た事あるような気がする……雲の上まで伸びた木を登って、巨人の棲家に迷い込んでしまった少年の物語の中で。

 しかし、蔦の上一本にいたのは少年ではなく、赤毛の混ざるブルネットを撫で付けた口髭の男だった。夜空の色と同じ黒の執事服を身に纏い、優雅な仕草で蔵人に頭を下げた紳士が立っていたのである。

 

「こんばんは、異国の迷い人。出会って早速ではございますが、眠って頂きましょうか」

「お構いなく。私も【読み手】なので。貴方がたの【戦い】はあちらで見物していますので、どうぞご自由に」

「今、聞き捨てならねえこと言った!?」

「ほう、貴方様も【読み手】でしたか」

 

 執事服の紳士の足元には女神の彫刻が付いた竪琴がある。どうやら、あの音色で警備員を眠らせたらしい。一般人を眠らせて【戦い】の現場を見せないようにするための創造能力か……良いかもしれない。

 で、青年曰く「聞き捨てならねえこと言った」本人はこの場から退場し、ただの観客になろうとしたがそうは問屋が卸さない。

 現在は3月、【戦い】は序盤。多くの【読み手】たちは自身の【本】をレベルアップするために、紋章集めに集中する。そんな中で、現れた蔵人は絶好の鴨だろう。一気に2人分の紋章が手に入るのだ。




現在では衛生上の問題もあり、新聞紙を包装紙に使ったフィッシュアンドチップスの提供はされておりません。


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一寸法師×ジャックと豆の木【Past】02

 

 

 

「申し遅れました。私はドラセナ・ロックハートを申します。我が主の命により、この【戦い】へと馳せ参じました。手に取る【本】のタイトルは『ジャックと豆の木』でございます」

「これはどうも、ご丁寧に」

「こちらの少年の紋章を頂きましたら、次は貴方の番です。Mr.」

「少年じゃねえよ。もう21歳だ!」

 

 蔦と思っていたが、正確には豆の木だった。あの竪琴も、主人公のジャックが巨人から盗み取った自動演奏する防犯機能付きの竪琴からインスパイアされて創造されたのだろう。

 一見すると、ドラセナと言う人物は礼儀も仕草も洗練されておりとても好印象を受ける。だが、双眸を細めて蔵人へ向けたその視線の奥には、猟犬のような忠義と獰猛さが見え隠れしていた……彼の主というのも気になるものだ。ドラセナが忠義を尽くし、不老不死を願う主の存在が。

 一方、水流に乗る青年は少年と呼ばれたことがカチンと来たようである。

 アジア人、特に日本人は幼く見られるがドラセナの目にも彼はまだ成人もしていない少年に見えたらしい。大丈夫、日本人から見ればちゃんと年相応だ。顔立ちもファッションも。

 青年の方は、蔵人が【読み手】と分った後でも特に変化は見せなかった。目の前にいるドラセナを相手にする事に、全神経を集中している。

 彼の名はまだ解らないが、手にした白い【本】のタイトルと裏表紙の紋章ははっきりと見えていた。

 お椀を船に箸を櫂にして川を下る、小さな男の子のシルエットを持つ紋章が表すタイトルは、『一寸法師』。

 

「『お椀を船に乗った一寸法師は、箸を櫂にして都へと続く川を下って行きました』――武装能力・一寸法師の川下り!」

「続きをご所望ですか、少年。お望み通り【戦い】を再開しましょう。『夜の内に芽を出した豆の木は、あっと言う間に雲を貫くほど天高く成長したのです』――ジャックの豆の木(Beanstalk of Jack)!」

 

 それぞれが各々の【本】の朗読を皮切りに、青年の水流は怒涛の勢いを付けドラセナの豆の木は更に数を増やす。水流と豆の木の絡み合いになり、青年は再び水流に飛び乗った。

 よく見ると、彼の足元は革靴でなければ若者らしいスニーカーでもない。漆器のような光沢を持つ、黒塗りの雪駄を履いていたのだ。まるで一寸法師が船にしたお椀みたい……そう思ったのは、読人だけではなかった。蚊帳の外にされて見物し始めた蔵人も、顎に手を当てて冷静に青年の創造能力を分析していたのだ。

 

「ふむ……『一寸法師』がお椀で川を下る様子にインスピレーションを受けて、お椀のような雪駄で水流を自在に下る能力ですか。創造能力ではなく武装能力なのも、あくまでメインは雪駄なのですね。流石、若い方は発想が面白い」

「ガー」

「お帰りなさい、八咫君。酷いじゃないですか、私を置いて逃げてしまうなんて……君は本当に、私が創造した存在なんですか?」

「カァー」

「痛い痛い、嘴で突かないで下さい」

 

 むしろ蔵人が創造した存在だからこそ、八咫君はこんな感じなのかもしれない。そんな、誰にも聞かれることのない読人の独り言は夢の中に消えて行った。

 蔵人が八咫君に突かれている間にも、青年とドラセナの【戦い】は続いている。鞭のように撓る水流と、蔦のように無数に生えて来る豆の木の絡み合いは一見、似た系統の能力と思いきや戦法は違う。『一寸法師』の青年の方が、遥かに機動力に長けているのだ。

 安定感の欠片もない水流の上を自在に滑るその姿は、地上を移動するのと何の変わりもない。読人がテレビ番組で見るようなマリンスポーツの経験者以上に、彼は川の流れを操った。

【本】は人間の想像力を創造力に変える。青年が、「自在に水流を滑る」と想像すればそれが現実となり、どんなに運動神経が悪くとも体幹が弱くても一流のスポーツ選手のような動きができるのだ。

 圧倒的な手数で攻め入って来る豆の木の隙間をすり抜けて、時には水流が鞭から波に形を変えて、青年は距離を詰めて行く。

 幼く見える風貌で小柄な体躯の彼を一瞬でも侮ると、その自在な動きに翻弄されてあっと言う間に脱落だ。

 

「流石、成長著しい日本の少年ですな。軽く見ていたことを、謝らせて頂きます」

「軽く見ていたのかよ。そのまま油断していた方が良かっただろうな……これでも、イギリスさ来て早々紋章ば一個手に入れているんだ」

「ほう、奇遇ですね。私も、一つ手にしています。最も……少年、貴方のを手に入れたら合計三つとなりますが」

「この!」

 

 子供扱いもいい加減にしろ。いつまでも少年扱いするドラセナに対し、青年の感情が荒ぶりつつある。

 こんな挑発に乗る時点でまだまだ若いと、見学していた蔵人はそう零したが、彼は若い故に先に出た。

 取り出した二本の棒、棒手裏剣のようなそれをドラセナへ投擲したのだ。しかし、当たらない。目の前の紳士の横をすり抜けて二本とも豆の木が生える地面に突き刺さったのである。

 

「コントロールが、下手ですね」

「カー」

 

 読人も、喋れたのなら「そうだね」と同意するところだっただろう、八咫君のように。

 だが、最初から当てる気などなかったのだ。青年が投げたのは武器ではない、地面に突き刺さった棒をよく見れば黒塗りの食器だ……日本人にお馴染み、食事の絶対的相棒である箸である。

 箸、Chopstick――橋でなければ、端でもない。何だか、最近「はし」と言う言葉がゲシュタルト崩壊を起こしかけていると、読人は眠った頭が痛くなりかけた。

『一寸法師』において箸と言うアイテムは物語上大切な物だ。一寸法師はお椀を船に、箸を櫂にして都へと向かったのである。つまり、あの箸は青年の足にある漆器の雪駄と同じ役割を果たす物だったのである。

 

「下れ」

「っ」

「ガ!」

 

 地面に突き刺さった箸から巻き起こったのは白い飛沫を立てた水流だった。ドラセナが新しく豆の木を生やしたように、青年もまた新たな川を創造したのである。

 前門は青年が載った水流の鞭、後門こと足元からは溢れ出て来る怒涛の飛沫。箸が切っ掛けで氾濫した水流は、ドラセナも豆の木も呑み込もうとしたがそう簡単には呑み込ませてはくれなかった。

 

「食事の時間ですよ、若芽たち!」

 

 雲を突き抜ける豆の木とそれを登る少年……『ジャックと豆の木』の紋章が描かれた【本】の光がロンドンの夜に一層輝くと、豆の木たちがドラセナの足元の水流に群がり始めたのだ。

 餌箱に群がる家畜のように水流に集中した豆の木たちだったが、本当に餌を食べていた。

 相性が悪かったと言えば、簡単に片付くのだろうか。湧き出た水流を吸収し尽くした豆の木は一気に成長を遂げ、幹と強度を太く硬く成長させて、攻撃力を増加してしまったのである。

 

「え……?」

「今までは、そんな素振りを見せなかったとでも言いたい顔をしておりますね。水は植物の餌です。相性が悪かったと言うことで、諦めて下さい。Boy」

「っ!!?」

 

 ジャックが一本の斧で切り倒せないほどの大きさに成長してしまった豆の木は、空間を切り裂く甲高い音を立てて青年をロンドン塔の城壁へとめり込ませた。水流の上にあった身体が薙ぎ払われて石造りの壁へ一直線に突き刺さった身体から、ミシミシと言う嫌な音がする。

 

「……っ、っ」

「痛みますか? 大丈夫ですよ。死なない限り、【本】を閉じれば全て()()()()()()になります。Boyがどれだけ骨を折ろうが、歯を折ろうが、身体だけは元通りになります」

「……ぐ、駄目だ。こんな、ところで」

「無理をして口を動かすと、辛いだけですよ。Boyの持つ紋章は私が責任を持って管理しましょう。我が主の願いのために」

「願い、って、不老不死か? 永遠の生命さ、欲しいのか……アンタの、主は」

「……ええ、主の命令は絶対です」

「っ、そんな、駄目だ!」

 

 壁にめり込んだ身体が豆の木によって拘束されたが、青年は『一寸法師』の【本】を抱え込んで決して放さなかった。喋る度に苦しそうに息が切れている。これは肋を何本かやられていて、息をする度に激痛が走っているようだ。

 息絶え絶えと言う状況の中でも、声を張り上げて自身を拘束している豆の木に爪を立てて必死に抵抗する。何が、彼をそうさせるのか?

 彼が必死に、「駄目だ」と口にする理由とは何なのか?

 

「老いない、死なない……そんな人間がいたら、化け物だ。時間の中にたった1人で取り残された、可哀そうな、化け物だ……! 選んだらきっと、死にたくても死ねない身体に絶対に後悔する! わしは、そんな人らを出したくない!! 限りある時間の流れの中で、精一杯生きるのが人間だ!!」

「……っ!!」

 

 自身の中に残る全てのエネルギーを吐き出すかのように、青年は静寂の中でそう叫んだのだ。

 一体、どんな体験が彼にこんなことを言わせたのか?

 誰か後悔したのか、可哀そうな化け物になってしまったのか?

 青年のその言葉に対しドラセナは顔色一つ変えなかった。しかし、変わらない紳士然とした表情で早くその口を塞ごうと豆の木たちを一斉に青年に向か合わせた様は、どこか焦っているようにも見えたのだ。

 

「……稻羽(イナバ)君」

 

 迫り来る豆の木たちを前に、青年は全てを諦めて目を瞑り、委ねることはしなかった。そのお陰ではっきりと見えたのである。闇夜にただ一筋だけ鮮やかに浮き出た、白い直線が

 月のない異国の夜、珍しく霧も出ていないその空間。真っ黒なキャンバスに白い絵の具を描き入れたように、美しき白い直線が割り込んで来たのだ。

 その白い直線は豆の木たちを弾き返し、速度を上げて跳躍し、躍動する。自在に動く弾丸の如き白い直線を前にして、豆の木の大群たちは意志を持ったように怯み始めた。

 正確に言うと、急な乱入者の登場で【読み手】であるドラセナが面を食らったのである。

 

「……横槍は無粋ですよ。Mr.」

「これは申し訳ありません。えーと……ドラさん、でしたっけ?」

「そんな名前の猫型ロボットの漫画、読んだことある!」

「君、そういう突っ込みができるなら割と無事ですね。おいで、稻羽君」

 

 無粋な横槍を入れた乱入者は、見学者に徹していたはずの蔵人であった。

 蔵人が白い直線へ声をかけると、豆の木たちの相手をしていたその線は彼の元へ跳ね返り、帽子の上に着地する。

 帽子の上からひょっこり顔を出したのは、赤いビー玉のように円らで大きな目をした小さな白兎だった。両の掌に収まりそうな、小さくて丸いふわふわな兎が白い直線の正体である。

 八咫君と入れ替わって創造された白兎――稻羽君は、先程の弾丸のような勢いはどこへやら。蔵人の帽子にしっかりとしがみ付いて長い耳をピンと立て、鼻をピスピスと動かしていた。

 可愛い。

 

「確かに、横槍を入れるのは無粋で失礼な事ですね……それに関しては、謝ります。しかし、彼を生かしたいと感じた衝動的な感情は分かって頂きたい」

「……え?」

「Mr. 貴方はその少年を、生かしたいと?」

「はい。先程の彼の言葉を聞きまして、思案しました。貴方と彼、私がどちらかの味方に付くとしたら……『一寸法師』の青年が良いと。もっと言いますと、彼をここで脱落させるには惜しいと思ったのです」

「……?」

 

 ありきたりに言うと、蔵人は青年の言葉に心打たれたということになる。

 自身の主人のために【戦い】に参加して紋章を集めるドラセナと、自身に秘めた感情に突き動かされてこの異国までやって来た青年……どちらが魅力的かと尋ねられたら、蔵人は後者と断言した。

 彼とは違う、ただ「見てみたかった」と言う興味本位の理由で遥々ロンドンまでやって来たのでない、強い意志を孕んだその言葉と光が宿り続けるその目を、潰したくないと思ったのだ。

 

「申し遅れました。私は黒文字蔵人、【本】のタイトルは『古事記』……私がこの1年間へ首を突っ込む“理由”に、君の言葉を貸してくれませんか? 限りある時間の流れの中で、精一杯生きることを許して下さい」

「っ!!」

 

 矛・鏡・勾玉の三角形の真ん中には、燦々と輝く太陽――蔵人の【本】のタイトルは、日本の神話が納められた『古事記』

 その白い【本】を手に、蔵人は青年へ請うような視線を向けると、ドラセナの前に障害として立ち塞がったのだ。

 限りある時間の流れの中で、精一杯生きようと。

 

「……」

「どうします、ドラさん。私も紋章を一つ手にしています……私たちを相手にすれば、一気に四つが手に入りますよ」

「何気に頭数に入れられとる!?」

「……」

 

 大きく肩を竦めて、笑いを含んだ溜息と共に(かぶり)を振ったドラセナは自身の【本】を閉じた。『ジャックと豆の木』から光が消え、あちこち崩壊させたロンドン塔は徐々に元の姿に戻り、青年の身体の痛みも引いて行く。

 

「貴方様との【戦い】は、また次の機会にしましょう。Mr.クロード。その時まで、生き残っていたらの話ですが」

「そう簡単に脱落する気は更々ないので、きっとまた次の機会にお会いできますよ」

「ではそれまで、ロンドンをお楽しみ下さい。次にお会いできた時には、ジン・トニックでもご馳走しましょう」

「それは、楽しみですね」

 

 蔵人と青年に対し最小限の礼儀を尽くした挨拶で頭を下げたドラセナは、再び【本】を開いて彼の足元に豆の木を創造すると、その豆の木に包まれ姿を消してしまった。

 今夜の【戦い】に勝者はいない。勿論、敗者もいなかった。

 蔵人と青年もそれぞれの【本】を閉じると、稻羽君も漆器の雪駄も消えて創造力が想像力に戻ったのだった。

 

「お疲れ様でした稻羽君」

「……はぁ~」

「大丈夫ですか、君?」

「助けて頂いて、どうもありがとうございました。黒文字さん。わしは檜垣(ヒガキ)龍生(タツオ)。【本】はこの通り、『一寸法師』です。3日前に故郷の岩手から、このロンドンさ到着したばかりです」

 

 痛みが引いた身体をゴキゴキと動かしながら立ち上がった青年――龍生は、帽子を脱いでから蔵人に向けて深々と頭を下げる。年齢の割には中々礼儀正しく、仕草から見るに結構良いところの出身だろう。言葉の端々には、確かに東北の訛が見えていた。

 そして、彼は次の瞬間に赤面する。頭を上げたその瞬間に、胃が盛大な音を立てたからである。

 腹を押さえて真っ赤になったその表情は、21歳の割には幼く可愛らしく見えた。

 

「~~!」

「若いって良いですね。どうですか? 一緒に夜食でも。この時間帯では、屋台のフィッシュアンドチップスぐらいしかありませんが」

「フィッシュアンドチップス。あー……あれって、あんまり美味()くないですよね。わしは魚の天ぷらが好きで楽しみにしてたんですけど、三件別の店で買って全部不味かったんですよ」

「龍生君、アドバイスしましょう」

「はあ」

「フィッシュアンドチップスのみならず、ロンドンの屋台で食事を取る際には……イギリス人がやっていない店が、大体当たりです」

 

 やっぱり彼が、「フィッシュアンドチップスを持ったアジア人」だったようだ。

 ロンドンに来てからの食生活でぼんやり見えた極意をアドバイスすると、龍生は一瞬だけ垂れ気味の双眸を丸くしてから、人懐っこい笑顔を見せてくつくつと笑い始めたのだった。

 

「蔵人さん、アンタ面白い人だな!」

「それはどうもありがとうございます。では、夜食を食べに行きましょう。早く退散しないと警備員に怒られてしまいますからね」

「はーい」

 

 蔵人と龍生、日本からやって来た2人の【読み手】がロンドン塔から退散すると同時に、新月の夜に霧が出始める。ここで、読人の本日の夢は終わりを告げた。祖父の記憶に、新たな1ページと登場人物を追加して。

 しかし、少し疑問に残る事がある。

 蔵人はいつ、一つ目の紋章を手に入れたのだろうか?

 




某猫型ロボットの連載開始は1970年ですが、単行本第1巻はそれから4年後の1974年に発行されています。
待っていた読者は勿論のこと、連載当時に興味のなかった人たちも手に取るようになり、瞬く間に国民的漫画として浸透していったそうな。
でも最初のアニメ化は1973年だ。


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