ポケットモンスター ―ファンケルン― (黎明のカタリスト/榊原黎意)
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第一話 小さき龍との出会い
この世界には、ポケットモンスター、縮めて『ポケモン』と呼ばれる生物が居る。
ある時は、小動物、ある時は植物、またある時は神話に登場するような巨龍や神鳥といった存在。彼らは、それぞれの生態系を築き上げながらこの世界で生きている。
我々人間と、彼らポケモンとの共存が相成ったのは正しく奇跡の一言。しかし、互いに生物として聡明であることからしても必然の事であったと言うこともできる。
少なくとも、今を生きる我々は、ポケモンと共に在り、ポケモン無くしては生きていけないところまで根深く絡み合っているのだ。
「───さて、ケルン。君には、このポケモンを託そう」
「はい⋯⋯!」
色とりどりの光を発する様々な機材が、そして、大量の資料が整頓された正しく研究所といった施設の一室。それぞれ色形、性質も違う生き物、ポケモン達がせっせと作業に勤しんでいる。
そんな中、その主である博士、一言にそのような出で立ちの初老の男性が黒髪の少年に手のひら大のボール、モンスターボールを手渡す。
『ケルン』と呼ばれた当の少年は、博士『マロニエ』から受け取ったそのボールを大事そうに抱えると、先程まで緊張から固くしていたその中性的な顏を柔らかに歪めた。
「とうとうケルンも15歳になったのだな」
「はい。これで、念願のポケモンを持つことができるようになりました」
「前々からポケモンが欲しいと、
ケルンは、ここ、アドラー地方の田舎町ハイマットタウンに暮らす今年で15歳になる少年だ。
このアドラー地方には古くから爵位制度と呼ばれるものが存在する。例外はあれど一様に15歳になるまでポケモンを持つことが出来ず、また爵位を持たぬ平民位の者は常に一匹のみしかポケモンを持つことが出来ないというもの。
そして、ケルンは晴れて15歳となり初めてポケモンを持つことができるようになった。そんな彼に、このハイマットタウンの領主でもあるマロニエ博士はポケモンを託したいと言うのである。
「あの、出してあげても良いですか?」
「うむ。構わない」
「えっと、名前は⋯⋯」
「彼の名前は、
あまりにも純粋な喜びに、一人のポケモンを愛する者として暖かな気持ちとなったマロニエは、彼の頼みに頷くとボールの中で眠るポケモンの名前を口にする。
ケルンは、聞いたことの無い名前に、他地方のポケモンだろうかと一層の期待を募らせた。
「ファフ、出ておいで!」
放り投げたモンスターボールが空中で開き、中から光と共に何かが飛び出す。
その正体に、ケルンは目を丸くした。
「ド、
「ファーフッ!」
研究所の冷たいフローリング、その上にいたのは
「私にもまだまだ詳しいことはわからんのだが、タイプはドラゴン・あく。名前は鳴き声から勝手に決めさせてもらった」
「博士にも分からないんですか?」
「ああ」
マロニエは老練で薄ら白くなった眉を歪めると、ファフについて語り出す。
曰く、昔アドラー地方を回っていた時に偶然見つけたタマゴであったこと。曰く、十数年と孵化することが無かったが、今年になって急に孵化したこと。曰く、博士やその娘には懐かなかったこと。
最後についてはともかくとして、この地方で今最もポケモンについて知識と経験を持ち、他地方の博士と呼ばれる人物達とも肩を並べるような存在であるマロニエにも知らない新種のポケモンということ。
ポケモンが何よりも好きで、幼い頃からポケモン図鑑を読み耽っているケルンからすれば、そんなポケモンを預けてもらえるというのはとてつもなく大きなことである。
内心感動に震えるケルンの懐へと件の小さき龍が飛び込み、その顔を舌で舐める。まるで、犬系統のポケモンのような仕草に目を丸くし、くすぐったさにケルンは無表情を崩した。
「あ、あははっ、こら、くすぐったいって⋯⋯!」
「ファフッ、ファフッ!」
「ううむ。それにしても、どういうことか⋯⋯」
最初こそ心配であったが、しかし、見るからにはファフはケルンに懐いているようだ。
マロニエは、やはりケルンに託すのが正解であったと頷く。アメジストよりも深く、それでいて包み込むような暖かさを持ったこの不思議な少年ならば、そして、何よりもポケモンが好きな彼ならばファフとも上手くやっていけるだろうという確信があった。
「⋯⋯ファフ、これからよろしく」
「ファーブッ!」
一人と一匹の道は始まったばかりだが、しかし、それでも今ここに固い絆が結ばれたことは分かった。出会いというのは、いつも尊いものであるとマロニエは語るが、これこそ正に出会いそのものであるとその眼に刻む。
その時、ドタドタと慌ただしい音が廊下から響く。二人は、そちらの方、この研究室に繋がる扉の方へと視線を向けた。
「───ケルン! お父さん!」
「エレノア?」
「おぉお、私の可愛い娘よ! どうだった!?」
扉から顔を出したのは、金髪の少女。
半袖とハーフパンツという軽やかで明るい格好に身を包んだ快活そうな少女である。黒のワイシャツに黒のスラックス、アクセントに紫色のネクタイというほとんど黒ずくめなケルンとは対照的だ。
彼女はケルンの幼馴染にして、マロニエの唯一の娘である『エレノア』。
エレノアは、万人が見惚れそうな笑みで握り締めていた一枚の紙を二人に見せる。そこには、合格の文字と盾と薔薇の洗練されたエンブレムが印されていた。
「ちゃんと合格したよ!」
「おお! そうかそうか! 流石は私の娘だ!」
「うんうん! 三年間長かったんだから!」
エレノアが語る合格、というのは、言ってしまえば家庭教師のような存在から教わったことの習熟度テストのようなものである。その最後のものに合格したが故の喜びだ。
この地方の爵位制度において、爵位持ちの子息息女は親子共に平民位の者とは違い、10歳という早い段階でポケモンを持つことが出来る。無論、爵位は引き継がれない為、家の威信の為、自らの誇りの為に、爵位持ちの子息息女は自らとポケモンの修練に励む。その為、ポケモンを得てからすぐさま家庭教師から教えを受けたり、専用のスクールに通うことが通例なのである。
数十人といない最高位の爵位、大公位を持つマロニエを父に持つエレノアもまた、初めてポケモンを得た12歳の時からその例に漏れず家庭教師からの教えを受けていた。
「おめでとう、エレノア」
「うん! ありがとう、ケルン! ケルンこそ、誕生日おめでとう!」
幼馴染の笑顔を眩しく思いながら、ケルンは微笑む。その時、ケルンの抱き抱えるファフの存在に気が付いたエレノアが目を丸くした。
「あ! ケルン、その子をもらったんだ!? いいなあ! 私、抱っこしようとしたら噛まれたんだよ!?」
「エレノアでも噛まれたの?」
「私も噛まれたな」
二人とも、ことポケモンについては博士とその孫なだけあって愛情深いはずなのだが、そんな二人に噛み付くとは果たしてこのポケモンはどういった心境なのだろう。
不思議に思うケルンを見つめ返す、その琥珀の眼には敵意や害意は見られない。
「でも、良かったね! ケルンの初めてのポケモンに相応しい良い子だと思うよ! 噛まれたけど、私が保証してあげる!」
「あはは。ありがとう、エレノア」
「ファフッ!」
任せろと言わんばかりに、小さな前足で自らの胸を叩くファフに一同は笑みを零した。
途中、親バカ気味なマロニエが娘の合格に再度涙を流したりもしたが、割といつものことであるため、二人ともに容易くいなしてしまう。
二人は、二三、マロニエと軽く談笑をすると研究所を後にした。
ハイマットタウンは古き街並みが遺るアドラー地方の中でも田舎町ではあるが、生活に苦労することはほとんどない町だ。
草木が生い茂る中を横断するように舗装された道を並び立って歩くのは、これまでの十五年間で幾度となくあった。しかし、言わば成人と見なされる15歳。互いにその年になったことを思えば、その道もまた今までとは少しだけ違うようにも思えるのだから面白いものだ。
老人のような達観したことを考えながら黙々と帰路を歩いているケルン。そんな彼の前に小走りで出ると、エレノアはくるりと回ってケルンと向かい合った。青空と新緑の景色に、彼女の快活な様はよく映える。
「それで? どうするの?」
「? どうするって、何?」
その惚けたような返事にエレノアは肩を落とす。
ポケモンを得たことがあまりにも嬉しかったのか、先程から時折ベルトのホルダーに付けた小型化したボールを撫でているのを見て、エレノアは微笑むが、いつにも増して老け込んだような幼馴染を叱責するかのように声を上げた。
「だーかーら! ケルンは、この後何をするか決めてないの?」
「ああ⋯⋯いや、特には決めてないよ」
実際、何も決めてなどいないのだ。
ケルンはカントー地方の人間であった父を3年前に亡くし、アドラー地方出身の母と共にハイマットタウンで暮らしてきた。そこまで家計が苦しいわけではないが、母の手伝いをして何らかの職に就いて孝行出来れば良いと考えている。しかし、それだけだ。
ポケモンを愛でて、運命の人とは言わないが誰か気の合う人とでも結婚して子供をもうけ、生涯を終える。そんなもので良いと、ケルンは考える。
そんな良く言えば善良で、しかし無欲とも生きる気概に乏しいとも言えるケルンへと、エレノアはある提案をする。
「それなら、さ」
「⋯⋯?」
その時、風が強く吹いた。それら草木を揺らし、少年の心をも。
エレノアは口にする。彼の、そして彼を取り巻く全てに影響を与える大きな提案を。
「───一緒に、昇爵の旅に出ない?」
その時のことを、ケルンは忘れないだろう。
これから始まる大きな全て。ケルンにとっても、目の前のエレノアにとっても、これから出会う人々やポケモンにとってさえ大きな始まりとなるワンシーン。
今までゆっくりだった世界が急速に動き出したような、そんな感覚を覚えた。そうなる予感を覚えた。確かにこの時何かが動き出したのだと、ケルンは己の内に眠る何かから訴えかけられているように思わずにはいられなかった。
「いや、行かないけど⋯⋯」
「え⋯⋯」
⋯⋯恐らくは。
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