何者にもなれないまま一年が過ぎてしまった。
「はぁ」
と漏れる息をすっかりつけ慣れてしまったマスクが受け止める。学校が終わり、受験に向けて追い込みを始めている塾に足を引きずりながら向かう。
空を藍色が染めて、そうしないうちに夜がやってくる。
私は相も変わらず他人を拒絶するようにイヤホンをして、お気に入りのバーチャルシンガー「花譜」の歌を聴く。
私が何回も一回休みを繰り返して過ごした一年の間に、彼女はどれだけ遠くにすごく変化していったことだろう。
でてくる新曲は全て何かとタイアップだったり、コラボだったり、いろんな人と関わり影響を受け、そのたび一段二段とそれこそ跳ねるように上って行ってしまっている。テレビにもでるし、広告もたくさん。一年前でも凄かったのに、勢いは更に増してチャンネル登録者もうなぎ上り。
「なんか遠くになっちゃったなぁ」
そう思ってしまうのは、自分が停滞していると思っているからだろう。今から人生を変えられるような活躍ができたなら、この劣等もなくなるのだろうか。
「焦ってもしかたない」
それもまた正しい。本当は分かっているのだ。
彼女は特別だと思えばいいのだと。そうすれば惨めさも、誇らしさも全部捨てて楽になれるのだろう。
「間違いなら見ないふりばかりして、なんども知らない気持ちを結んだだろう?」
「糸」のフレーズを口ずさむ。これが幼い痛みということなのだろか。
一年前の彼女の歌が、今の私にはお似合いだ。気持ちも時間も停滞して、どうしたいのか未だ見つからない。
「行こう」
小さく呟くのは、後ろから伸びてくる影から逃げるため。追いつかれたら悩みに縛られて動けなくなる。
そうなるのが怖くて、振り切るように足が速くなった。
「私論理論理。私ロンリーロンリー」
今日も一日が終わる。日が陰り、空が濃紺に染まろうとしていた。
「私論理」は強い曲だ。野心的で、挑戦的だ。停滞から一歩先、明るいメロディに乗りながら都会の孤独の中で自分を見つけてほしいと歌っている。
「都会かぁ」
コンビニコーヒーを片手に、帰り道にある神社でゆっくりと楽しむ。周りに人もいないので、マスクも外す。秋の涼しい空気が肌を撫でる。
一年前はここで手紙を一心不乱に考えていた。幸い花譜は失速するどころか、加速してどんどん活躍している。
この一年でどれだけたくさんの人が増えたのだろう。最も私は古参マウントできるほど長くもないし、好きだけどもそれだけが好きというわけでもない。特別好きだけど、それをひけらかすようなことはきっとできない。
誰に言われるわけでもないけど、私は不誠実だと思う。怒りもするし、モヤモヤ不安も抱えている。
コーヒーの苦みが私の気持ちと混ざり合うようだ。
つけていたイヤホンから「戸惑いテレパシ―」のOrangestar版が流れ始める。「回る空うさぎ」を歌っていた頃が懐かしい。
アレンジ、関わる人たちも随分と増えた。子どもながらに思ってしまう。憧れの人と一緒に働けたなら。好きな人と何かを作れたら。幼い憧れみたいなものを叶えているというのは、とても幸せなことだ。
じゃんじゃん好きにやればいい。それこそ電波のように圧倒的な速度で広がればよいと思ってしまう。
きっと楽しくて仕方ないだろう。けど同じくらい自分の力のなさみたいなのも感じていそうだ。だから頑張れるのだろう。対等でありたいと思いながら、恥ずかしくない今の全力を発揮しているのだろう。それをどんどん更新している。十点満点を十五点に。十五点を二十点に。
積み上げるとはそういうことなのだろう。自分もそうでありたいと願いはするが、とても、彼女の真似はできない。だから応援するし、だから自分の自信を失くす。
「吹っ飛んでいけ」
「吹っ飛ばしていけ」
強い曲だ。私にできるのは絵文字や思考を電波に乗せることぐらいだ。
力にならないから。意味なんてないから。そんな人目を気にするようなことより、自分の気持ちに素直でいたい。
しかし。
「前に進めてるのかな」
結果論で考えるのは嫌いだ。けれど結果を出さないと、意味が浮かんでこない。時間をかけて勉強しても思うようにいかないし、あるいはあっさり点が取れてしまうこともある。それこそ運や巡り合わせや相性の話だ。
努力なんて可能性を広げることしかできない。満足な夢を持てない私は、藻掻き苦しみいつかの為の可能性を保つべきなのだろう。
「好きなことがあったら変わったのかな」
曲が切り替わる。優しい声とメロディ。風に揺れても、決して折れない。花の歌が耳に届く。サビに入ると思わず口ずさんだ。
「正解のない旅をしよう。変わって行くことに怖がる必要はないから」
おかしな話だ。
夕暮れの神社で一人ぼっちで、他人から見たらちょっと惨めな私だがとても気分がいい。
問題は一つも解決してない。私の答えはまだでていない。それでも、花譜の歌と声に私は救われ、笑った。
「アンサー」アニメのエンディングとして知った人もきっと多い。カンザキイオリさんは天才だけど、歌詞が花譜によくあっている。あるいは、花譜がカンザキイオリさんの言葉を大切に向き合ったからこんなにも心揺さぶられるのだろうか。
考え事をしていたらコーヒーが空になっていた。なんとなく声を潜めて、糸電話のようにコップを向ける。
夢想する。実はコップの底には糸がついていて、電波にのって声が届くのだと。ありえないことだけど、それでいい。それがいい。
私は本当に彼女に言葉が届いてしまったら困ってしまう。言葉にはしたいだけなのだ。心の整理をつけたいだけなのだ。
「大人になれば迷わないで済むのかな」
空を見上げる。濃紺の隙間に輝く星が見えた。
ありきたりな悩み。よくある話。けれど私の意識はここにしかないし、ちっぽけな悩みの解き方も未だ見えない。
時間だけは平等に流れていると思いたい。それでも差ができるのは、努力不足か、あるいは運が足りないのか。
休み時間も授業中も変わらず私は考え事だ。幸い学校の授業は、そこそこ聞いていたらなんとなくわかる。がり勉というほどではないが、比較的真面目に塾にも行っているのだ。それぐらいの楽はさせてほしい。
教室でマスクをつけた人と、つけてない人は半々ぐらいだろうか。それでもみんな帰る時には律儀につけているのだから偉いと思う。去年だとありえない風景だ。
だけどこれが今の日常だ。一時期はコロナによって登校するというのにも慎重だったが、対策、予防、検査として歪な学校生活はどうにか形を成している。
元に戻ったというのには程遠いが、そういう時代なのだからしかたない。
結局私たち三年は友人とは会話もラインもするし、しかたないと笑える程度には余裕だった。先のことなんて誰にも分からないのだ。無事に卒業して充実したキャンパスライフとはならないだろうが、今年の人たちよりかは幾分かマシだろう。
「はぁ~」
思わずため息が漏れた。
「幸せが逃げるぞ?」
私に話しかけたのはボサボサ頭のクラスメイトだ。狭い共通の話題があるので彼と話すことは少なくない。
「食虫植物。今、千五百万だってよ?」
「この間七百万とかじゃなかった?」
「いやそうだけど、勢い衰えないよな」
「そうだね」
話題になったのは花譜と同じ所属である、Vシンガー理芽の曲だ。Tiktokでヒットしてからというもの止まるところを知らない。少し前にも話したが、伸びがすごいのでたびたび話題に上がっている。
「それだけ?」
「いやけどさ、俺はそれだけと思われたくないわけよ。理芽の他の曲も五百万ぐらいポーンと伸びてほしいわけ」
「まぁ人より曲だけ伸びることなんてザラでしょ。花譜さんだって五百行ってるのはそんなにあるわけじゃない」
「数字の話じゃなくて、なんかこう一つの曲からその人の他の曲も聴けよと、俺はいいたいわけよ」
「みんな忙しいだよ。流行りを追うので精一杯」
と得意げに答えると、彼は眉をひそめる。理解はできているが、納得はしていないといった感じだ。
「まぁでも、そうして知った人の中にのめり込んでくれるはいるんじゃないかな」
「それもそうか。あぁライブとかしてくんねーかなぁ。これが俺の推しだって宣伝できるのに」
「コロナだもん。新しいイベントって難しいんじゃない」
「おめぇは嘘でも慰めろ」
「やだよめんどくさい」
気さくな会話。この日常もあとどれくらい残っているのだろう。
先日不可解弐Q1を無事見ることができた。私と両親の格闘のような交渉は置いておくとして、なんだかお祭りをみているような気持ちになった。
ゲストもたくさん、新曲もたくさん。何より最初が「不可解」だったという印象は大きい。
翌日気持ちの整理と振り返りの為にいつもの神社に来ていた。
住宅地に突然現れる長い階段を上った先には、昼間でも閑散として静寂に包まれた場所。ここから見える空はいつも暗く夜の匂いがしたが、今日は水色の秋空をしていた。日陰に入れば少しばかり肌寒いくらいだ。
それにしてもライブに参加したことはないが、あんなに視聴者が雑談しているものは珍しいのではないだろうか。
バンドメンバーの人たちがディスプレイ表示で、花譜がその身で歌っているのはなんだかあべこべで面白かった。花譜はマイクを持って歌わないのが、いつもどこか新鮮に映る。多分この感覚は私だけのものだろう。マイクの有無に何かを感じる奴なんてそんなたくさんいてたまるかと自虐する。
変わっていくものもあれば、変わらないものもある。まぁ季節が巡るとはそういうことだ。
同じと思っていた日常は微妙に違っていて、いつもと違う日々が日常に変わって行く。
感染症が世界に流行っても、私たちは生きていくのだ。まったく大変だ。普段考えもしない命の危険を日常にして生きているのだから。
「まぁ誰もそんなこと考えないよね」
私だって考えもしてこなかった。
ただ世界は互いに干渉して、揺れるように、時に軋むように影響を与え続ける。
「ミュージックビデオ。早く上がんないかな」
花譜の歌にはたくさんの人が関わる。歌うのは花譜で、歌詞はカンザキイオリさん。そういうのが当たり前だけど、視点を変えれば表現する人たちは違う。
動きを考える人、カメラの向け方を考える人、プロモーションとなる相手の方。縁の下ではいつもたくさんの人が関わり影響を与えている。
あの多感な十代の少女は波に呑まれ、その中で「自分」をどんどん無意識に高めているのだろう。きっとあの子は花譜になった子だから、自分が何をしたいか、何ができるのか人一倍考えているのではないだろうか。
「あぁ楽しいなぁ」
考えていると自然と頬が緩んでしまう。
私の喜びについても考える。私は花譜と名乗るあの子が好きなのだ。何を思って歌うのか、誰と関わってどんな気持ちを込めるのか、そういうことを夢想するのが好きなのだ。
あの手紙を書いてから一年がたったけど、私は興味を持ち続けてる。その理由はきっと彼女の変化はゆっくりだけど確実で、目を離してる間にまた変わっている。だから目が離せないのだ。
そして少し別の勝手で欲深い願いも抱いている。
もしも彼女が一人で、歌を詞を音を生み出したならそれは一体どんな物語になるのだろう。やっぱり少し寂しい歌詞なのかな。それとも誰かのことを強く想う言葉なのかな。
彼女にはたくさんの可能性が眠っている。本人は言葉にするのはとても苦手そうだけど、きっとそれは「言葉にできない」だけで「考えてない」とは違う。
だいたい私よりも年下なのに独立しろなんて言えるわけがない。きっと私を悩ませる問いを花譜も抱いている。と信じたい。
「大人になったら何がしたいですか?」
歌を歌いたいと答えるのだろうか。それともいろんな人と仲良くしたい。それとも謎のセンスを発揮した予想外な解答をするのだろうか。あるいは歌以外の何か見つけるのだろうか。
私の言葉は届かない。だけどこの愛が電波に乗って届いてしまったなら、私はきっとぎこちなく笑うんだろうな。
だって言葉が届くことは嬉しくて、自分を表現する言葉は少しばかり恥ずかしいから。
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