明けぬ夜の宿痾 (moti-)
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第一章『明けぬ夜の宿痾』
抜錨


 最近執筆してなかったのでリハビリがてらお話作りと文体をちょっとだけ調整する感じの習作です


 現代日本に生まれた人間は、自分が恵まれているという自覚を持たない。

 一定水準を越えた裕福はさらに上への渇望を生み出す。それが健全でないなどと無責任なことは俺にはいえない。

 絶対の尺度がない。だから、健全とも健全でないともどちらとも言える。口ならば。

 

 発展は競争から生まれる。

 裕福でない人間は生きるのに必死で先が見えず、裕福な人間に搾取される。裕福な人間は上を見据えて競争へと身を投げ出し、そしてさらに裕福になるものもいれば特権を失うものもいる。

 この構造を考えるに、貧乏なものに生まれたということはその時点で大きなハンデを背負っている。生きるのにも困るほど、という注釈がつくが。

 だが、それでも現代日本ならばその格差は基本的に均されており、かなり安定しているほうだ。下をピックアップしても上をピックアップしてもきりはない。今はそういう話をしていない。

 中央を見れば、それなりに高いほうのはずなのだ。

 

 そして俺は今日、中庸も中庸の平均らへんの立ち位置からがらりと落ち込むことになる。

 身分証もなにもかもが意味を持たなくなった。

 白紙のほうがまだなにか書けるぶんだけマシだろう。財布のなかからひっぱりだして、そして投げ捨てる。今の俺には意味のないものでしかない。

 

 なんとすれば。

 俺の体は、昨日までとはまったく違っているのだから。

 

 性別から、顔立ちから、なにからなにまで違う。

 同じことといえば中身と、そこに起因するんだろう顰めっ面だ。

 猫背はぴっしりと正されている。意識しなくとも勝手に背筋が伸びる。軽く揉んでみたら柔らかい肉であるのに、疲労の蓄積が少ない。自分が何の苦もなく腕立てを百回も行えるなど異常だ。

 

 そして鏡を見る。

 そこには肩口あたりまである派手な赤髪を揺らし無防備にも肩口を露出し、胸部をこぼしかけている女がいた。

 無地のTシャツに身を包みトランクスで局部を隠しつつもふとももなどの肌の露出は多い。

 有り体にいってズボラな女、あるいは痴女の容貌である。

 これが俺だというのだから世の中というものは複雑怪奇だ。

 

 明らかな変容は俺を社会から追放した。

 元より馴染めているとは言い難かったが、それでもこうして強制追放されると不満のひとつやふたつは溢れてくる。

 家族にはバレたくない。

 いつか再びもとの体に戻るまでは今の自分でないといけないのだ。

 

 仮に。仮にだ。

 仮にこれが「勘違い極まった残念女」の容貌でなく「強くてカッコよくてイケメンで天才男」だったらまた話は違っていた。

 それならば俺もイメチェンで通せただろう。そして家族にも普通に話すことができたはずだ。

 だがこれは違う。こんな尻軽みたいな顔立ちになってしまった以上、俺はこの悩みを打ち明けることもできないままに抱えて埋葬しなくてはならない。

 

 この異常がいつまで続くのかはわからない。

 ただ、そんなにすぐには戻ることはできないだろうという確信がある。どうしようもない。ああ、本当にどうしようもない現状だ。辟易する。

 そうなると仕事は確実にクビになる。問われたら失踪した体でいこう。

 食い扶持を稼がなければならない。それが目下最大の課題だ。貯金はない。散財した。趣味にでもしようと思っていた動画投稿のために専用のPCなどを用意したのだ。

 

「…………」

 

 そこまで自分で考えて気づく。

 食い扶持を稼げる可能性はまだあった。

 幸い、こういうのは女のほうが有利なところもあったりするのだ。

 

「あー、あー」

 

 声を発して軽く確認。

 甲高くて耳障りな声にはなっていない。むしろ女性にしては低めの声だ。

 これならばまぁ、なんとかなるだろう。

 

 俺が動画を見るときに一番大事だと思うのは、「不快でないこと」だ。

 その「不快」を決めるのはそれぞれの部分である。

 だが俺は少なくとも甲高くやかましい声は嫌いだ。頭に響く。不快でしかない。

 そして次に滑舌だ。

 声の聞き取りやすさは大事である。だがそれは基本的に声質による部分でもあるし、どうしようもないところだ。

 このふたつに気をつけることを意識する。

 

 アカウントを立ち上げ、カメラを用意した。マイクもセットする。ここまではすぐだ。

 なぜカメラがあるのかといえば元々は商品紹介として万年筆について語ってみようかという考えもあったためである。

 なぜ今それを出しているのかといえば、見目を活かすためだ。最低限顔だけはいいのだから最大限に利用しようと決めた。顔と声がよければ一定数の需要にはマッチする。そのうえでいかに面白さを演出できるか、そこが各々の個性の出し方だと思う。

 先程から述べているのはけれど持論だ。俺の思ったとおりにうまくいくようなことがあるはずもない。

 世の中はうまく行かないことばかりだ。俺がこんな姿になってしまっていることもなにもかもを含めて。きっと、こんなはずじゃないことばかりだった。

 

 準備ができた。

 さぁ始めよう。

「はじめまして──」

 

 

 

 

 人生初の動画撮影は、なんとも勝手がわからずに編集も含めて日が暮れてしまった。

 冷蔵庫にはなにかあった気がすると一縷の望みにかけて覗けば、そこは見事に伽藍堂だ。仕方ない。外に出るしかない。

 適当にこれまで着ていた服を引っ張り出す。丈は合わずにぶかぶかだ。腰回りも大きく違う。ベルトを三周ほどして、辛うじてズボンを止める。

 羽織るのはコート。それならばTシャツを下に着てても無難に決まるし、ポケットも多めでちょっとした買い物ならカバンを持ち運ぶ手間もない。

 エコバッグは包んでポケットの中に放り込んでいる。だから、これだけ着込めば買い物だけなら問題無しである。

 

 家から出てみれば、いつも通りの街の風景とはちょっと違っていた。疑問に思うがすぐに解消される。身長が少し縮んでいるのだ。視点にわかりやすく差が出るほど。

 今も一般的な女性からすると普通に高い部類に入るだろうが、昨日までは百八〇はあったはずなのである。

 そんなことでセンチになるほど軟弱な精神をしているわけでもないので気にせず歩いた。

 身長は低いが、脚の長さはそれほど縮んでいなかったのが救いだ。使い込んだ経歴のある裾を折りクロックスを雑に履いているのを見れば、お洒落なんかには無頓着というのが丸わかりだろう。

 この顔にはミスマッチかもしれない。そう思いつつ、俺は歩いた。

 人とすれ違うこともある。その囁きが俺を指しているように感じる。

 それは自意識過剰だろう。そう理性が述べるものの、俺はその悪い錯視を拭えないでいた。

 昔からそうなのだ。陰口は俺を指していると思ってしまう。そう思ってしまうのは俺の心が矮小で醜いものだからだろう。自分自身ですら無意識に屈伏しているのだ。だが曲げる気も曲げられる気もしなかった。そんなことができるのなら、とっくの昔にしていたから。

 

 赤い髪は目立つ。闇にも映える。染めたような暗い赤ではなく、自然体の真紅だ。それが悪いことなのかいいことなのか、俺にはよくわからない。

 ただ一つわかることもある。人は明確に異端を阻む。

 俺は今日道を外れた。踏み外して異端になってしまった。

 これからは俺も拒まれる側である。そう思うと気が滅入った。──悪い予感は拭えないものだ。俺のような人間は拭えないのだ。それに縋っていないとやってられないから。

 それは心を自ら抉る自傷行為にも似ている。

 気付けるのは俺だけだ。けれど止められるものは誰もいない。

 そういうものなのだと、微細な実感だけが肌を刺していた。

 

 やはり周囲の視線が気になるので、コンビニで晩飯は買って済ませた。

 適当にもそもそと食べながら投稿した動画の成り行きを確認する。

 登録者は20人。一日めにしてはかなり伸びたほうだろう。どころか相当増えた。普通、こんなに伸びることはない。

 やはり女というのは得だ。冗談である。俺が女になってよかったことなんてこれくらいでしかない。そもそもこんなことは女になってなければまともにやるつもりもない。

 本来なら夢だの希望だの趣味だのでこういったものには手を出すのだろう。

 けれど俺は違う。必要に駆られて選択した。

 大丈夫。まだ少しの間なら生きられる。

 それまでにどうにかならなければそのときは恥を偲んで頼むか、外でどうにか働く方法を探すだけだ。そしてどうせ後者になるだろうと思っている。

 

 夢みがち。

 結局治っていないのかもしれない。

 ああ、俺は大馬鹿者だ。夢を馳せる以外になにもない。

 なんの取り柄もない俺でしかない。

 そんな俺も、一つだけ夢は見たかった。

 

 今のこの様を子供のときの俺が見たらどう思うだろうか。

 無様だと笑うだろうか。

 それでもいい。ただひとつ、俺はたしかに見たかった。

 俺でない俺が見たかった。

 

 

 

 

 二日目だ。

 朝起きて、手始めに動画の伸びを確認する。そこそこだ。そこそこ伸びている。コメントも付いていた。確認すると、淡白ながら確実な応援コメント「がんばってください」。

 特にそれで感じ入るなにかがあるわけでもないが少し目にゴミが入った様子。一分ほど、あるいは一秒ほど眺めて新しくブラウザを組み立てる。

 

 ツイッターを適当に登録する。名前はYouTubeのアカウントと同じにする。なんだったか。

 ああそうだ、「ハピコチャンネル」だ。頭が()()ーな女の()。名前なんて記号でしかない。いずれ変えるだろうし、今はこの適当さくらいがちょうどいい。

 ホーム画像は雑に自撮りした顔写真。

 

 探れば被っている投稿者だって存在するだろう。

 そんなのは知ったことではない。名前被りを避ける理由なんてない。

 最終的に求められるのはコンテンツとしての面白さだ。

 結局、動画投稿者なんてやっていることは檻の中の動物かピエロくらいのものでしかないのだから。

 それか愛玩動物。

 

 ガワが良ければいいというわけではない。

 キャラクターがそれなりに見世物としてできていなくてはならない。

 それを媚びているととるものもいるが、それは相当難しい。昨日やってみてよく実感した。

 求められるキャラクターを素でもなんでもできてしまう人間は、その素質を持っている人間というのは希少なのだ。

 

 少なからず俺は無理だった。厚顔無恥にはなれなかった。昨日の動画だって自己紹介動画だというのに最終的には長々と考え事について話してしまったのだ。

 俺は人よりもよく考える。

 後先は考えない。考えるのはどうでもいいことだ。存在の理由についてだったりと、お洒落気取りが好きそうなサムいやつ。

 けれどもそれは俺にとって大きな意味を孕んでいる。

 

 俺は知りたかった。何のために生まれて、何のために生きればいいのか。俺のような欠陥品が行き着く場所として思索というのはなによりも幅広く開けっぴろげでインスタントな界隈でもあった。

 なにせ自分の脳内で完結する。

 世界が自分の頭だけで完結してしまうのだ。

 特殊な道具なんていらない。

 それっぽいことについて、現実だの他人の主張だのを無視しながら自分の世界観を押し付ける。

 そういうものがそこにはあった。

 

 うっかりと初ツイートに長々とぶらさげてしまった。

 終着点が見つからなかったため、無理やり理屈をつけて中断する。

 

「はぁ」

 

 なにをやっているんだろう。

 後ろに倒れ込みながら思った。一体なにをやっているのか。時間を無駄にした気分だった。

 現実は甘くはない。長々と書き連ねたことでも、誰も見なければ意味はない。

 すべてが無駄で、無意味で、どこにでもあるありふれたくだらない一つの雑語り。

 どうせ誰にも反応されるはずがない。

 

『半丁善悪@バーチャル二重人格者さんがあなたのツイートをリツイートしました』

 

 俺は天才だ。天上天下唯我独尊。俺の後ろには轍が残る。万物が俺の後追いとなるのだ。

 

『半丁善悪@バーチャル二重人格者さんにフォローされました』

 

 調子乗った。ごめん。

 俺の増長はフォローという行為によってぴたりと抑えられてしまった。

 そりゃあそうだ。なんせ、フォロワーが十万を越えているような相手なのだ。

 どうやって捕捉されたのか、なんで捕捉されたのかわからない。

 俺のような弱者はただ黙してがくぶると震えるだけである。

 

『半丁善悪@バーチャル二重人格

 くっっっっっそタイプです

 結婚を前提に結婚してください』

 

 俺は黙って打ち返す。

 

『ハピコ

 ごめんなさい』

 

 一応ありがたくは思っている。

 こいつのおかげでどんどんとフォロワーも増えているのだから。

 

 

 

 このときはそう思っていた。

 だが俺は後悔することになる。

 

 俺は甘く見ていたのだ。バーチャル界隈に存在する『てぇてぇ』という概念を。

 それは男同士にすら適応されてしまうというのに、今は女の見た目である俺が組み込まれない道理はなかったのだ。

 すべてはこの男のせいである。




 めんどくさい主人公って書いててたのしいですね


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路地裏シティボーイ/ガールのセンチな存在証明

 書き溜めを放流。序盤は世界観というか地盤固めというかキャラ紹介に費やそうかと。


「考えてみれば当然の話なんだけどさ。世の中っていうのは頭が悪いほうが確実に楽しめるわけだ」

 

「いや別に勉強ができるできないの話じゃなくてだなー。勉強ができないやつにも無駄に頭回しまくってるやついるだろ? あれは頭が悪いわけじゃなくて、察しだのなんだのが悪いんだよ」

 

「え? 話が通じないやつらもいる? まぁそうだけどさ。え? だから、勉強ができないとか会話ができないとかで頭の良し悪しが決まるわけじゃねぇって」

 

「つまるところそういうやつらは基本的に現代社会に向いてないんだよ。昔も昔、思索ばっかしてりゃいい時代とか、あるいは他人と関わらない仕事だとかしてたらかなりできるタイプの人間だろ」

 

「何も考えてないように見えるやつを馬鹿だと断じるのはやめとけ。陽キャのほうが基本的に頭はいいぞ。だってな、会話っていうのは頭を使う行為なんだぜ。ウェイウェイしてるだけじゃない。そりゃあかたっ苦しい言葉とかは使えないやつもいるけど、それは頭の悪いわけじゃなくて適応だ」

 

「ぶっちゃけると言葉ってコンテンツは相互理解のために必要とされるものだからな。少ない言葉で相手が伝えられるならそれが何よりだろ?」

 

「まぁ気の知れた友達とかじゃないと深く相手の言ってることを汲み取ろうとはしないから、社会に出たら『言葉遣い』や『伝達ミス』が増えるわけだけどな」

 

「陽キャっていうのは誰にでも分け隔てなく臆さずに話したりができるやつらだろ。会話っていうのは自分はわかりやすく話して、相手の言葉が難しくても解して、っていうのをしなきゃいけないわけ」

 

「それができてる陽キャ連中は強いんだって。勉強ができなくても、それができたら頭はいい」

 

「陰キャがダメって言ってるわけじゃねーよ。俺も陰キャ側だ。陰キャの場合はなにが利点かって、こうして無駄にぐちぐち考えるしなによりいろんなコンテンツに対してどっぷりだから引用の幅が広いんだよ」

 

「アニメ好きっていうのは武器だぜ。なぜなら演技を知ってるから。特に名作って言われるアニメは間だったりなんだったりが丁寧だ。また、はっきりと音でセリフを聴くから話を聴くのが上手になる」

 

「ついでに、感動するお話とかそういうのも他人よりは見てるから感性は磨かれるし、状況に応じた返しもイメージしやすい。さらにいえばコンテンツを作る側にまわる場合の演出の引き出しが多かったりする」

 

「ま、そこまでいくと理想論の部分だけどな。でも例えば小説を書くのが趣味なやつがいる。そいつらは日常的にアホみたいな文字数を書くから、タイピングは早いし他の人よりも文章を書くのが得意だったりする。読書感想文とか、たぶん短く感じるんじゃないかなぁそういう人は」

 

「これっていいことだと思うだろ? でもそうじゃないんだ。量をこなすのが苦にならないっていうのはつまり、自分のハードルを上げてしまっている。必要のないことまで抱え込んでしまう。たとえば──サイトを作るのが得意なやつがいるとしよう。それを趣味にしてるやつな」

 

「そいつが就職して、その会社かなんかが『ホームページを作ろう!』って言い出すわけだ。その場合優先的に駆り出されるのは経験のあるやつだろ?」

 

「え? 言い出さなきゃいいって? あー、まぁそうだな」

 

「いつの時代も正直者っていうのは、すぐ死んじまいそうなやつらばっかだぜ」

 

「──あ、もうこんな時間か。今日の雑談はここまで。それじゃーな」

 

 

 

 

 少しだけ生活がにぎやかになった。

 

 というのも空いていた両隣の部屋に入居者ができたからだ。

 このアパートは遮音性に優れていて、かつ家賃も安めである。

 入ってくる人間は多い。

 ──すぐに出ていくが。

 

 そも、俺がこのアパートでやっていけている理由なんて決まっている。

 俺がどうしようもなく手遅れだからだ。家賃が安い理由なんて曰くがつきすぎているからに決まっている。

 けれど世の中は神秘を舐め腐り恐れることを忘れたものたちがたくさんいるのだ。

 

 俺がそうだ。

 そして厚かましくもこの部屋で過ごしてきて、数年は経った。

 その間で何度も入居者は立ち代わっているのだから、住む場所というのはちゃんと選んだほうがいい。

 それこそケチらずに。入居者までしっかりと調べておくべきだ。

 

 さて、その入居者ふたりなのだが、これが意外といい関係を築けている。

 今の俺の風貌が女のものだというのは抜きにしても、なかなか手応えのあるやりとりができているのだ。

 これは今までの俺では考えられなかったことである。

 

「はい、ハジメさん」

 

「ありがとー」

 

 こんな感じに。

 右隣の部屋に入ったのは女の子だ。幸が薄そうな。愛らしい見た目をしているから心配だったが、この間ベランダに置いてあったツボから飛び出したムカデを巨大な蜘蛛がさっと食べているのをにこやかな笑みを浮かべて見ていたのですぐに失せた。

 料理は得意らしい。

 ただ一人暮らしは不慣れなようで時々質問しにくる。

 それを続けていたらいつの間にか食事を作ってくれるようになっていた。

 懐かれたんだろうか。

 

 インターホンが鳴り、男が入ってくる。

 これが左隣の部屋に入ってきた男。

 

「別にそのまま入ってきてもいいのにな」

 

「いや、さすがにそれは……」

 

「そうですよー。ハジメさんは危機意識薄すぎですー」

 

「俺んちに盗み入るやつなんかおらんだろ」

 

「えぇ……自己評価低すぎ……?」

 

 事実だと思うのだが。

 

 ともあれ、テーブルを囲う。置かれていた食事に向けて手をあわせた。

 

「いただきます」

 

 これが最近のスタンダードである。

 

 

 

 例のバーチャルユーチューバーに目をつけられてから二ヶ月程度。

 俺の周囲で変わったことといえば入居者が増えたことと、動画収益が入るようになったこと。

 それは基本的にはバーチャルユーチューバー・半丁善悪の存在が大きい。

 率先してことあるごとに絡んでくるのでツイッターのフォロワーもまたどんどんと伸びてくる。おそろしい。

 そんなわけで、辛うじて俺は生きながらえていた。

 本当はもっと早くにバイトを探すことになるだろうと思っていたから、むしろこの結果は上手く行き過ぎていて怖い。

 

 焼いた魚をもひもひと咀嚼しながら思う。

 今日は和食テンプレートといえば連想されるだろう三品。魚、味噌汁、米。豪勢なものである。

 実はこの食事について、俺の身銭はいっさい切られていない。すべて隣室の二人が持ってくれている。

 俺も払おうと思ったが、二人が「場所を貸してくれてるので」だの「私達金持ちなんで」だの「ハジメさんみたいなかわいい人にお金を払わせるなんて」だのとよくわからない理由で却下された。

 無償の善意というのは怖いもので、いつそのぶんを請求されるのかわからない。身構えておこう。

 明日の暮らしにも困る身だった俺が、どうにかこうにかやっていけていた理由はここにある。

 

 生活の中でもかなりの負担になる食事がまるっきり浮いてくれたので、なんとか今のままで生きてこれたということだ。

 仕事に関しては完全にクビになった。失踪したということで片付いた。元の姿の俺なんてどこにもいないんだから探しても出てこないに決まってる。

 大変な期間というわけでもなかったからあまり咎められなかったのだろう。これが繁忙期ならもっと大変なことになっていた。

 

 ──さて。

 これで晴れて無職の身となったわけだが、こんな毎日に若干の怯えがある俺がいることも事実だ。

 隣室の二人がいついなくなるのかもわからないのにこのまま依存し続けるのは不味いだろう。

 どうにかして、収益を増やさなければ。

 

「ということなんだけど」

 

 今日も今日とて絶賛配信中。

 

 『つまり絶賛ヒモってことでおk?』

 『隣人に恵まれてよかったね…離しちゃダメだよ…』

 『まだ社会復帰考えてたのかよもう無理だよ』

 『そもそも成人した女がその服装なのはいやー……』

 

 と言われ、服装を見下ろす。

 男時代の服装だ。白Tシャツにズボン。選ぶのに苦がないしそれなりに快適だし何一つおかしいことはないと思うが。

 ジョブズやアインシュタインも服を選ぶ時間が無駄だとして適当なものを着てたらしいし。

 つまり俺は何一つ間違ってはいないのでは?

 

 『心の声が聞こえてくる迫真の首傾げ』

 『そんなかわいい仕草してもだめです』

 『そりゃ隣人さんも世話焼くわ』

 『警戒心のなさと世間知らずと謎の負けん気が重なって自然界ではすぐ淘汰されそうな女』

 

「そうでもなくない?」

 

 さて、ここで一つ思想の話をしよう。

 人間には欲求の段階がある。高校教育でも習うことだ。知らない人は少ないだろう。

 人は一つの欲求が満たされることでより高次元の欲求を抱くようになるというもので、その最低段階は生活。

 日々に苦しいものたちが着飾る余裕もないように、目の前の事態をどうにかすることでいっぱいいっぱいになった状態ともいう。

 

 つまり俺が着飾ろうという欲求がないのはこの生活のせいであり、それがどうにかなれば俺だって普通に見せるための服装をするようになるはずなのだ。

 つまり俺が着飾らないのは現在の貧困生活が悪い。

 お金をください。

 

 『そうはならんやろ』

 『曲解して自分の不都合を他人のせいにするな』

 『そもそも余裕のない人間って足元見られやすいからなー』

 『頼むからちゃんと着飾っとけ? ハピコちゃんにいろんな人が優しいのはあれよ? ランクが下すぎて敵にする気にもなれないどころか施さなきゃって気分にされるからよ?』

 『俺たちみたいなネットの底辺からも介護しなきゃってなるのさぁ……』

 

「まぁ自覚はしてるけどな。俺ってわりと考えクズなところあるし」

 

 考えクズってなんだろう。

 とっさに口から出た言葉に自分で首を傾げる。

 

 視聴者の言っていることは一切の脚色などなしの事実だ。俺は要介護者のような容体である。

 弱さというのは行き過ぎると施しを招くのだ。

 進撃の巨人もそういってた。

 つまり自然に弱い俺は他人に奢らせるプロということではないだろうか。

 

 なんて馬鹿げたことを考えながら、ぼーっと思考を張り巡らせる。

 なにについて語ろうか。聖婚についてでものんびり語ろうかと思ったところで、

 

 『半丁善悪:介護させて』

 

「出たな変態」

 

 『辛辣で草』

 『残当』

 『残当……?』

 『……残当』

 『残当!!!!』

 『審議すんな』

 

 こいつはよく生放送にやってくる。ひょっとするとコメントしてないだけでずっと見ているのかもしれない。

 そう思うと寒気がする。

 

 『引いてるじゃんw』

 『かわいい』

 『ハピコちゃん、かわいい!』

 『やめろやめろ!!』

 『ヌッ!!』

 『メニャ……?』

 『なんで今のワードでメニャーニャに結びつくんだ』

 

「なんでお前らざくアクに詳しいの?」

 

 ざくアクとは。

 フリーゲーム・ざくざくアクターズのことである。

 無料で百時間遊べるRPGとの文句通りに普通に百時間遊べる。強い。

 

 ちなみにざくざくアクターズにはハピコというキャラがいる。視聴者から名前被りを指摘されてプレイしたので(メインストーリーはクリアした)、まぁ全員が同じようにやったとなると理解はできる。

 やっぱできない。

 

 『半丁善悪:おかげで配信のネタになりました。結婚してください』

 

「あー、見た見た。おもしろかったけど声が隣人にめっちゃ似てて腹立つ」

 

 『見たのか……(困惑』

 『イルヴァの回復で発狂してたの笑ったわ』

 『もっとやばいのがいるんだよなぁ……』

 『もっと絵描いて(はーと)』

 『はじめて半年なのに絵がうまいのずるい……』

 

 絵。

 こいつの絵を見たことがないため、なんともいえないが。

 興味が湧いたので早速検索。ツイッターのメディア欄を遡っていくと、一枚のイラストが投稿されていた。

 

「俺じゃん」

 

 『半丁善悪:偶然ってこわいね』

 

 『はたしてほんとに偶然か?????』

 『ストーカー説……』

 『動画投稿始めた瞬間から捕捉してたしふつーにありえるのがこわいわ』

 

 『半丁善悪:偶然偶然』

 

「まぁ偶然よな。時期的に」

 

 俺は動画投稿を始めた日に女になった──正確には女になった日に動画投稿を始めたので、それ以前に投稿されてるこいつのイラストは俺をモチーフにしたものではないはずだ。

 他人の空似だろう。

 もともと第一声が『すげータイプ』だったわけだし。

 

「冷静に考えて、二ヶ月で収益化ってすごくない? 企業とかのやつは期待とか信用とか一定の保証があるのに対してこっち個人だぜ? しかもやってることのべらと適当に話すだけっていうな」

 

 『話が上手なのが悪い。もっと話せ』

 『力仕事してたってのが信じられんわ』

 『握力は未だに詐称疑ってるからな』

 

「あー、それな。じゃあもうそれでいいよ」

 

 ──動画投稿の頻度は高い。

 というか、毎日投稿している。そのうえ配信も両立しているのだから、なかなかにクリエイターなのではないかと自分を褒めたくなる。

 昔からよく回る舌だ。こいつがあってよかったなぁ、と思う。これがなければ、自分はもっと苦労していただろう。

 

 だが、けれど。

 どうして俺はこんなことができるようになったのだったか?

 

 

 

 

 ──俺は見た。

 

 些細な齟齬。言い回しのかけら。ボタンの掛け違い。たった一つの些細なことがきっかけで時にはとんでもないことが起こる。優秀な人間の選別。その基準は従順。さながら鉄骨渡り。滑り落ちれば這い上がることはできない。正しさへの背信。過ちの黙認。

 恵まれている人間だ。ああ、そうだ。それはそうだ。俺は恵まれていた。容姿も、生まれも、恵まれている。

 俺は生まれながらにして勝っていた。だからこそ俺が滑り落ちるべきだった。できることが多い人間が、恵まれた人間が、帳尻をあわせるように率先して不幸になるべきだった。そしてその立場に立って今俺は他人を妬んでいる。

 全てはどうしようもないことだった。結局、俺の意見は恵まれた人間が「もっとこうすりゃいい」と言ってそれきりで放り出してしまうような、独善的で、まったく本質を見ていない発言でしかない。

 

 相互理解は望めない。

 世界の人間は二つだ。

 

 自分か、自分以外か。

 選ぶ先など決まっている。

 

 決まっているのに、俺はなにを馬鹿なことを考えていたのだろう?

 

 俺が間違えば、他人に警句を発せる。

 そんなことを思っていたなら自惚れだ。

 人は決定的に、自己と他者を区別するのだから。

 

 他人の警句ごとき、誰も気にしてなどいないのだ。

 

 

 

「……んー、そろそろ切るわ」

 

 『また急に……』

 『いかないで』

 『明日もして』

 『いっていいよ』

 

 『半丁善悪:いかないで』

 

「じゃあな!!」

 

 そして配信を停止する。

 

 最後に「草」というコメントの波が流れるのを見て、完全に切れたことを確認して、立ち上がった。

 パソコンは放置だ。勝手にスリープモードになるだろう。

 

 外に出た。街を見た。

 

 活気はなかった。長閑といえるだろう。けれども、確かに生きていた。

 

 ここには全てがあった。にわかな動揺のようなざわめき。互いに触れ合うことはない、決して通路が埋め尽くされるわけでもない。

 互いが互いに対して不干渉。どこかひどく冷酷な響きのあるそれ。けれど、そう、けれど。

 

 ここには全てがあった。

 そして俺は確かに、ここに生きていた。




 ざくざくアクターズをやってください
 ついでにメルクストーリアもよろしくおねがいします


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貴方ジャンキー病巣センター

 目を覚ますと、男に頭を撫でられていた。

 

「おはようございます」

 

「おー、おはよう」

 

 ──ところで、これはどういう状況なのだろうか。

 

 

 

 

 

 俺が悪かった。

 

 俺が目を覚ましたのはなんと午後の二時。別にそのくらい普通だとも思う心もあるが、隣人二人は起床が早い。付き添って起きる俺も同時に最近早起きしていたので、心配していたらしい。

 実際になにか魘されていたとも言っていた。単純に寝苦しかっただけだと思うが、まぁ優しくされるのは嫌いじゃない。せっかくそうしてくれるというのなら、俺はその好意に甘えるのである。

 

 好意だって無駄になるのだ。

 誰かがちゃんと受け止めるしかない。

 

 のんびりとした午後を過ごす。なんかこうなんというか絶妙に心地が良い。

 と思ったら動画投稿の存在を完璧に忘れていた。やべぇ。

 

 隣人がいなくなったら撮影しよう。

 

 

 

 

「そういえば」

 

 のんびりとした口調。動画を大画面のモニターに映して一緒に見ていたときのこと。

 

「ハジメさんって、Vに興味があったりするんですか?」

 

「んー? 別に。最近流行ってるから見てるだけ」

 

 コンテンツの流行り廃り。これはいつもリサーチしている。

 趣味というのは多ければ多いほどいい。それが両立できるのならなお良しだ。

 初対面の相手と話すときに共通する趣味があれば多少は話が弾むのと同じこと。

 

 その程度の興味しかない。

 そもそも俺が最後に熱中したことってなんだろう。

 

 ──水面。

 心をそれに例えるならば。

 俺のそれは、揺らぐことすらないんだろう。

 

「やってみたくはないんですか?」

 

「パス。固っ苦しそうだし、やるなら普通に顔出しでやるわ」

 

「ふーん。ところでハジメさん」

 

「ん?」

 

「動画投稿してますよね?」

 

「ぬぇ」

 

 変な顔になった。

 

「チャンネル登録しました」

 

「……………………」

 

 俺の心は揺れない。

 揺らがない。だから、動揺なんかしていない。顔は赤くなっていないし、決して恥ずかしがってもいない。

 そのはずがない。そんな感情なんか、とっくの昔に置いてきているのだ。

 

「──それがどうした?」

 

「……見えてますよ。女の子が暴れないでください」

 

「ん? ああ、すまん」

 

 下着だろうか。胸だろうか。

 俺はまったく気にしないが、男性的には気まずいだろう。

 

 正直な話、パンチラなんて因縁をつけられる可能性を考慮したら喜べなんてしない。

 見てしまったのはこっちが悪いのだからしあながちなにもしてないとも言えない、とにかく起こってしまったあとが気まずいのだ。

 きっと同じなのだろう。目を閉じて顔を背けた隣人に「直したぞ」と声をかける。

 

「……なんで、こんなにもズレてるのやら……」

 

 しみじみと呟く姿がどことなく煤けても見えた。

 

 

 

 人生に置いて、それこそどうでもいいことというのはたくさんある。

 

 例えば音楽を聴きながら当て所なくドライブをしているとき。

 無駄だ。はっきりと言ってしまえば無駄だ。

 けれど、その時間は嫌いではない。

 

 右側の隣人──女のほう──に誘われて、俺はのんびりと助手席で街の雰囲気を満喫していた。

 流している曲はポップなミュージック。女性歌唱。やっぱり女性の趣味っていうのはこんなものなのだろう。

 俺には理解できないが、それでもなにもないよりましだ。

 合わせて鼻歌を口ずさんだりして、夜闇に心を浸している。

 

「──ハジメさんって」運転しながら彼女は言う。「意外とロマンチストですか?」

 

「見たとおりだ」

 

「見た目はクールビューティーって感じですよ」

 

「ちょっとしたマジックだよ。一皮むけば化けの皮は剥がれる」

 

「でもその化け()の皮は厚いんでしょう?」

 

「……お前さぁ、俺じゃなかったらやな女と思われてるぞそれ」

 

「実は私、性格がドブ川のような女なんですよ。ハジメさんの前では相当繕ってます」

 

「繕ってそれか」

 

 救えないなぁ。

 俺が言えたことでもないが、うっかりとそう思ってしまった。思うだけならタダだ。表出させなければ問題はない。

 俺の内心は俺だけのものだし、彼女の内心は彼女だけのものだ。

 そして意見は個々人によって様々だし、それも不可侵。

 その程度なら笑って見逃すこともできる。

 

「ええ。この顔の裏にどんな衝動を隠しているかもわかりませんよ?」

 

「自分で言うのか」

 

「いいじゃありませんか。せっかく生きてるんですから、ちょっと調子に乗ったって」

 

「ああ、いいだろ。俺よりマシだからな」

 

 車が停止した。

 小休止。体をぐぐっと伸ばした彼女が、そのままこてんとこちらに顔を預けてきた。

 

「無防備ですね」

 

 そしてこちらの耳を食む。

 かかる吐息がどうにもこそばしくて、嫌な気分だ。

 

「俺なんか相手にしたっていいことないからな」

 

「旅の終わりは物語の終わりですか?」

 

「謎掛けか?」

 

「いえ、単純に。そうではないでしょう? 次の旅の始まりになる」

 

「それは個人の意見だろ?」

 

「なら、私のこれだって同じでしょう?」

 

 そうだろうか。よくわからない。

 

「ネットに不用意に顔なんか晒しちゃ駄目ですよハジメさん。私らみたいに悪い人に目をつけられちゃいますから」

 

「お前もかよ」

 

 今日はよく身バレする日だ。笑えない。

 

 それは俺じゃない。

 彼女たちが見ているのは俺じゃなくて、そのガワでしかないというのに──どうして俺なんかに、わざわざ引っ越してきてまで触れて見ようとするのだろうか?

 

「自己紹介しましょっか。あなたは私の名前を覚えてないようですから」

 

「名前なんて、意味のないものを求めてどうする」

 

「全てのことに意味があると思いますか? あなたはなんとなくを理由にしない人ですか? そういうわけではないでしょう?

 むしろ逆。全てをなんとなくでしか判断しない。結論を定めてから理由を探している。

 よーくわかります」

 

 でも、と彼女は続けた。

 でも、と俺も思った。

 

 その生き方は間違っている。

 だって、それを通すためには外れている必要がある。

 強制的に意見を通すための我がいる。

 それは間違っている。

 間違っているんだ。

 

「肯定しましょう。私たちは──そういう、()()()()()の集まりですから」

 

 彼女は、俺の服の襟に手をかけてそう言った。

 

 

「私の名前は、《術楽(すべらく)なふだ》。

 ちょっとばかし値札をつけるのが大好きな、至って普通の女の子です」

 

 

 価値をつける。

 他人に値札をつける。それはひどく当然に行われている残酷な行為だ。

 

「俺の値段は?」

 

「言い値で買いますよ?」

 

「そりゃあいいや。じゃあ二円だ」

 

「マジですか?」

 

 俺のことを買ってるやつらの数が俺の値段になる。

 ならば、隣人二人で値段は二円。わかりやすい計算だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「──ということで、今回はスペシャルゲストとして最近先輩がお熱のハピコさんとのオフコラボですよー」

 

 なんだこれ。

 

 

 あの後のんびりとまたドライブを続け、帰ってきた。

 そのあとに彼女の部屋に通されてからのこれだ。

 彼女が開いているパソコンの向こうには、女子のイラストが動いている。

 

 いや名前に聞き覚えがあるとは思っていた。

 VTuberのやつと同じ名前とかいじられてそうでかわいそうだなとかちょっと思っていた。

 でもまさか本人とは思うまい。

 ていうか中の人がそれをカミングアウトするか普通?

 

 『半丁善悪:刺す』

 

 そしてお前はどこにでも湧くよな。

 あまりのブレなさに思わず苦笑。

 

「で、語り出しってどんなのがいいんだ?」

 

「語り出し方を聞く語り出し方って斬新ですね?」

 

「そもそもVTuberが生身の人間とコラボって許されるのか?」

 

「善悪先輩が事務所に申請してたんですよね。そこで許可が出たらいいって言われてたわけですよ。

 で、私はさっきハピコさんを言い値で買いました。

 これはもう許可では??」

 

「事実だからなんとも言いづらいけどさー……」

 

 でも心の準備がもうちょっとほしかったというか。

 いきなり始まったせいで実感がまったくない。

 

 『なふだちゃんが言い値で買うってなかなか珍しい』

 『善悪ニキに対して「底は知れた」って言い切ったのほんとすき 実際最近のあれで底は知れた』

 『お兄ちゃんは天井のほうが高いから……』

 『底が浅いの駄目じゃないですかね????????』

 

 『半丁善悪:刺す』

 

「刺すbot先輩はさておいて……値万両だと思ったら、本人に聞きますよ。安く見積もってくれたらラッキーでしょう? ……まぁ実際、めちゃくちゃ安く済みましたしね」

 

 『ハピコさんって絶景なんですか?????』

 『動画でもわかるけど絶景だよ』

 『あ、これ楼門五三桐か』

 『ヌッッッ!!』

 『メニャニーニキおっすおっす』

 

「石川五右衛門?」

 

「ええそうですよー。私がこの値段を見積もったのはこれで三人目です。ソラ先輩、涼くんについでですね」

 

「えーと、どっちもVTuberだっけ? 高山ソラのほうは知ってるけど、涼くんなる人はちょっとわかんないなー」

 

「まぁ涼くんは仕方ないですよ、一番の新参ですし」

 

 『鈴音涼:ぼくです』

 

 『涼くん……!? 俺だ! 結婚してくれ!!!!!!』

 『刺す』

 『そういえば半丁善悪とかいう男、涼くんにも言い寄ってたんですって』

 『刺す』

 

 『半丁善悪:刺す』

 

「コメント欄が脅迫文ばっかりなんだけど、BANされない?」

 

「太宰も使ってたから許されるんじゃないです?(適当)」

 

 らしい。

 見なかったことにしよう。

 

「ハピコさん」

 

「何?」

 

「じゃあここでせっかくなんで、クイズでもしましょうか」

 

「わかった」

 

 さて、クイズか。

 いったいなにが飛び出してくるのやら。

 

「Q.私達の運営事務所は?」

 

「えーと……ジグザグ?」

 

「正解はドモールですね。VTuberのグループとしての名前が『じぐざく』です。わりと見てる人じゃないと意外に答えられないんですよね」

 

 つまり、視聴歴を試されていたと。

 

「つまり即答できた人は比較的オタクってことです。わかったか刺さっていろ」

 

 『オタクじゃ駄目なんですか』

 『キモくなければオタクでも許されるだろう……キモくなければな』

 『つまりハピコちゃんはオタクじゃなくて擦れてなくて美少女で守護らなきゃって感じの最強美少女ってことですか』

 『最強じゃん 問題は俺たちが三次元に欲情できない体にされてしまってることだけだな』

 

 『鈴音涼:おたくでごめんなさい』

 

 『半丁善悪:なーかしたなーかしたーwww』

 

「あ、涼くんは気にしないでいいんですよ。あと二千円の男は黙ってろ」

 

「二千円なんだ……」

 

 でも二千円札って考えるとレアなんじゃないだろうか?

 

「では次の問題です。

 Q.『じぐざぐ』のメンバーは何人いるでしょうか?」

 

「わかるか!」

 

「正解は二十七人です」

 

 多いな。VTuberグループとしてはこれでもそこそこの人数なのだろうか。

 

「次の問題。

 Q.一期生は六人です。誰でしょうか?」

 

「高山ソラだろ? あとは半丁善悪。ここ二人は確実」

 

 『半丁善悪:名前呼ばれた……死んでもいい……』

 

「きっしょ」

 

 『半丁善悪:この世を去ります』

 

 そんな軽いノリで自殺されても困る。

 手に持ってたナイフで自分を刺すのだろうか。

 

 こんなのでも、昨今のVTuberブームに対して貢献したやつではあるんだよなぁと思うとなんともやるせない感情になる。

 あるいは、頭のネジが外れているからか。

 

 

 なふだは自分たちをろくでなしの集まりと呼んだ。

 でも、彼らと俺とは全く別物だ。

 特に一期生。

 その頂点、高山ソラ。

 

 彼女は間違いなく『持っている者』だった。

 あれこそが間違いようもなく持っているものだった。

 話したことはない。けれど、それだけ人間として外れていながらも、彼女のやることなす事は面白さと直結する。

 

 人としてズレたあり方だけれど、彼女は相互理解を果たしている。

 

 どうしようもなく俺からズレている──俺とは違っている者たちだ。

 

「あとは、ハルハハール・ハルハールだろ? 座津田(ざった)からくり。ここまでは正解か?」

 

 『クソ猫が出てこなくて安心した』

 『彼女は……? 彼女はまだ……?』

 『一期生唯一の清涼剤はどこ……?』

 

「あとは、三丁目にゃんこ……だったっけ。残り一人だれだろ?」

 

「唯一手放しで尊敬できる人が出てこないのなんというか寂寥を感じますね」

 

 誰だろ。

 わからん。

 

「……答えは忠兎(ちゅうと)もぶ先輩です」

 

 『忠兎もぶ:泣いていいですか?』

 

「……ごめんなさい」

 

 マジで知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ──配信が終わってのこと。

 

 がちゃり、と扉が開いて、右隣の隣人が入ってくる。

 

「よー」

 

「こんばんわ。お疲れさまです」

 

「うん。疲れたよ先輩ー」

 

「待て」

 

 ちょっと待て。

 待て。

 

「──ひょっとしてお前」

 

「あ、はい。多分バレてますよね。改めまして、半丁善悪です」

 

 

 体を隠した。

 

 特段意味はない。

 今更、無防備に肌を見せていたことが恥ずかしくなったとかそういうことは──ない。







 ちょっとばかしネタバラシというか設定バラシ。

 なふだちゃんが値段をつける基準ですが、彼女は「魂」に値段をつけてます。それが優れていればいるほど高い値段をつけられてます。
 そこから人格とか人柄などの要因を引いたり足したりして値段を出します。
 魂って呼んでますが、正確には共感覚と人生経験のあわせ技です。

 二千円の男は両方の面に異常があったせいでこんな値段になっちゃったわけですが、彼の場合は相当特殊な事例ですので値段がころころ変わります。


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誰のために誰であればいい?

 エゴサをする。

 

『VTuberが三次元の動画投稿者とコラボしてるのすげー嫌だわ』

 

『すごいでしゃばってきてる感ある

 ろくに動画も見てないやつが出てくんな

 普通コラボ先の事務所名知らないとかありえないだろ』

 

 

「──ふへ、ふへへ……」

 

 

「……あれは放っておいていいのかなふだ……?」

 

「あー、大丈夫でしょ。要はリスカみたいなもんですよ。自分のアンチコメを眺めて存在を実感するの」

 

「リストカットとは違ってストレスを溜めるだけだと思うんだが」

 

「そこらへんは個人の感覚でしょうね。少なくとも、ハジメさんがこうして自分から楽しんで見ている以上なんともいえませんよ」

 

 自傷行為。

 リストカットなどあれこれ。

 そう、今俺は自傷している。

 

 痛みを止める際にストレスも軽減してくれるのがリスカだ。それとは違って、これはなにかそういう理論だったものがあるわけでもない。

 ただ単純に自分を傷つける行為。

 けれど今は、これがなによりも心地いい。

 

「ふっふ、ふふふふ、ふあははははは」

 

「こっわ」

 

「そういえば先輩、ハジメさんといるときだけは結構()()()が出るんですね」

 

「ああ……なんでだろうな? 彼女の側にいると落ち着くんだよ。手の届く位置にいないときは、どうにも落ち着かない」

 

「普段からそっちなら、私も値段をつけ直すんですけど……まぁ、安定しだしたら値上げしますよ。

 あっちの先輩は百兆ジンバブエドルにも満たない値段ですけど、こっちの先輩は割と高く買ってます」

 

「そんなに低いのか、俺の値段……」

 

 俺は狂っている。

 その認識がある。

 そうでなければ、こうして笑えるものか。

 

「はぁ……」

 

 涙が出てきた。きっと愉快が極まったせいだろう。

 

「ぅぐ、ぐ、う、うぅぅぅぅ……」

 

「あーはいはい泣かないでくださいねハジメさんー!

 ダメージもらいすぎでしょ、ほとんど肯定意見だったでしょうに!」

 

「すごいな、こんなスレあるのか……どこまで漁ったんだ」

 

「泣いてないし……」

 

「無茶があるでしょ!?」

 

 善悪がスマホの電源を消した。

 そして、そのまま机の上に放り出す。

 

「離せー……俺にはアンチをねじ伏せる見せ方をする義務があるんだぁぁぁぁ──……」

 

「あのですねぇ……」

 

 伸ばした俺の手をやんわりと押し戻し、なふだは嘆息する。

 

「そりゃあ、私たちは消費されるコンテンツとして求められてるものを見せなきゃいけませんけど……

 匿名性の高い場所のごく狭い隅っこでしか発言できない程度の連中に合わせてどうするんですか」

 

「アンチの指摘を正面からねじ伏せて三等親以内に属する連中もろとも殺す」

 

「好戦的すぎるわっ……!」

 

「別に気にすることもないと思うけどなぁ。俺みたいに大々的に炎上したってわけでもないんですし」

 

「プロの風格を感じる」

 

 炎上のプロ・半丁善悪が途端に頼もしく思えてきたぞ。

 人間の印象はあてにならないものだ。

 同時に、自分のちょろさに少しばかり笑いが零れそうになる。

 

「なふだの言う通りですよ。少数派に合わせていたら切りがない。

 それで無理やりスタンスを変えて『昔のほうがよかったのになぁ』とか言われたいんですか?

 創作者の作風が変わるのは、表現するのは人間ですから、興味の移ろいによって当然ありますよ。

 でもそうじゃないでしょう? あなたは今、自分のことをろくに見ていない連中に合わせようとしている」

 

「──む、むむむっ……!」

 

 たしかにそのとおりだ。

 普段実況してたりコメント欄に湧いてくるヤツと同一人物とは思えない。

 

 いや、実際に違うのだろう。

 彼は二重人格者の設定でやっている。 

 だから、ここにいる彼と動画で見る彼が違うのは当然なのだ。

 

 あまりにも自然すぎる演技。

 既知からかけ離れたその振る舞い。

 それがどうしようもなく、発言に説得力をもたせている。

 

「で、でも、だからって、少数派の意見を蔑ろにしていいのか?」

 

「それが俺たち、配信者の仕事ですよ。わかりますか?

 俺たちは夢を売る仕事をしている。だから、そりゃあ全員が楽しめるのがいいに決まってる。

 

 ──でもそんなのは幻想なんです。全員が納得して、無邪気にはしゃげるようなものなんて作れるわけがない。特に人気が出てくるとそうだ。

 あなたが今立っている場所は、少しずつ批判的な意見を持ち始める人間が現れる場所。

 だったら切り捨ててもいい。あなたのことが嫌いな人は、あなた以外のことが好きなんですよ。

 このご時世、やろうと思えば誰でも創作者になれる。たくさんいるんだ。

 だからこそ、その中から砂粒を拾い上げるように、あなたのことを好きになってくれた人にはあなたなりの最大限の贈り物を。

 それだけを考え続けるのが、俺たち──創作に携わる者だ」

 

 ゆっくりと、言葉を選びながら拾い上げるように。

 その言葉は語られた。

 

 はっとする。

 俺は全員を楽しませることができるコンテンツとしてあろうとしていた。

 だがそれは違う。

 本当は、ついてきてくれる人たちに最大限楽しんでもらえるコンテンツになるべきだった。

 

「…………」

 

 自分の短慮を感じて、少しばかり頬が熱くなる。

 

「すみません、少し上から語ってしまいました」

 

「いや、ありがとう。おかげで気づけたよ」

 

「……ならよかったです」

 

 その顔は、本当によかったと思っている顔だ。

 まったく嫌になる。

 

 どうして狙って引っ越してきやがったヤツなのに、こんなにちゃんと『良いやつ』なんだ。

 いつかの配信の話。そうだ。疑いようも、間違いようもない。たしかに色付いた事実として、ちゃんとある。

 

 ──俺は隣人に恵まれたのだろう。いろんなことを差し置いても、その事実だけは変わらない。

 全ては個人の意見、らしいから。

 

「へー、結構いいこと言いましたね先輩……。

 やっぱり先輩は天井が高いタイプのようです。値段修正しときましょ」

 

「それでいくらになるんだ?」

 

「五千円」

 

「悲しいな……? それならまだ二千円札で通るぶん前のほうがレア感なかったか?」

 

「は? 五千円舐めてるんですか? だから先輩は底が浅いっつってんですよあーまったく困った困った」

 

「俺そんな言われるようなこと言った?」

 

 言ったんじゃないかなぁ。俺も同じこと思ったっていうのは置いといて。

 

 しかし、いざ意識してみると難しい。

 もともと俺を評価してくれていた人というのは、たいてい俺の語りを楽しんでくれていた人だ。

 チャンネル登録者は『なふだちゃんぱわー』という名の有名人ブーストで二万人を突破したが、実際どれくらいの人が俺の動画を気に入ってくれているのかわからない。

 意識しようとしたら、途端にわからなくなる。

 

 思うに、俺はコラボ向きの人間ではない。

 ぺらぺらと気分の赴くまま喋るし、言葉で思考をまとめるため、独り言が多くなる俺では他人と合わせた会話をしようとしたら駄目になってしまうだろう。

 

 どうしようか。

 そう思った俺の前に、釣り糸が降りてくる。

 

「──ということで、そういう批判意見は強制的にねじ伏せてしまえばいいんです。

 なら、ハジメさんが我々『じぐざぐ』の間でも重要な関係者という扱いを定着させてしまいましょう」

 

「は?」

 

「つまりこういうことです。

 

 ハジメさん──俺とコラボ配信しましょう」

 

「……………………」

 

 ──そんな餌で俺が──……

 

 

 

 

 

 

 

 

「というわけで、今回はスペシャルゲストを招いております」

 

「はーいみなさ~ん、みんな大好き術楽なふだちゃんですよー?

 お友達を連れて来ましたー」

 

「……………………つられくまー」

 

 

 『おファッ!?』

 『その声は我が友……』 

 『なんか一人だけポリゴン数多い子いますねぇ』

 『ていうかこれ、オフコラボってマジ? なふだちゃんとハピコちゃんってそんな仲なの?』

 『昨日よりはるかに語り出しとしてはマシになったハピコちゃんかわいい!』

 『ハピコちゃん、かわいいかわいい!』

 『ハピコちゃん美しい!』

 『ハピコって、いい子だよなー!』

 『お嫁さんにしたいわー!』

 

「最後のやつは刺す」

 

 俺はマリオンじゃない。

 

「以前から望んでいたコラボができて俺としては嬉しい限りです」

 

 と、善悪は言う。その表情と声音はとても柔らかく、本気で俺とのコラボを楽しみにしてくれていたんだということが伺える。

 

 知っていた。

 半丁善悪という男が、どれだけ俺を買ってくれているか。

 だって彼は俺の売値の半分を支えているから。

 俺に市場価値を見出して、一番最初に買ってくれたのは彼だから。

 

 だから俺は、その言葉に対して苦笑をこぼす。

 

「緊張してないか?」

 

「正直言うと、かなり。

 二人きりだとたぶんろくに舌も頭も回らなくて危なかったですね。だからまぁ、ここに二千円って値段をつけてくれやがった後輩も呼んだわけですけど」

 

「はいあうとー。値段修正しておきます」

 

「お前俺に対して当たり強くない???????」

 

 

 『あれ、珍しい。善モードじゃん』

 『あっマジだ! 普段みたいに棘がない!』

 

 『羚羊蝦夷鹿:初めてみた……』

 

 『えぞちゃんも初見なのか……(困惑)』

 『善モードのニキってほんと珍しいんだなぁ』

 

「いろいろ言ってくれてるけど、個人的には結構出てるんだぞ?」

 

 コメントに反応して善悪が言った。

 受け答えははっきり。

 普段から発音は明瞭だが、それとはまた違う発声。

 おそらくは意識していない。

 けれど、確実に違う。

 

 オンとオフの切り替え。

 

 それを気負わず、ごく自然にやってのけている。

 さながら配信が日常の一部かのように。

 

 ──俺とははっきり違う。

 

 正直に言おう。嘗めていた。

 俺はバーチャルユーチューバーとして活動している相手のことを、あまり深く理解していなかった。

 そしてバーチャルユーチューバー自体を嘗めていた。

 しかしこうして直に見てわかる。

 明らかに違う。

 

 術楽なふだは、あくまでも『日常の延長』だ。彼女がやっていることは、彼女の世界観や価値観を相手に押し付けること。

 彼女のように特殊な世界観を持つ人間は限りなく少ない。いや、多少はいるのだろうが、でも素面でそれをやっている人間はいない。

 そんな彼女の視座の押し付けは、それだけですでに価値だ。だから彼女はそれを思いっきり押し付けたらいい。

 だから、彼女からは感じなかった。

 

 けれど違う。

 彼は。

 半丁善悪は『配信という商品』を提供している。確実にそれを理解している。

 理解して、意識して、それでもなお揺らぎのない自然体。

 俺とは違う。

 俺が話せるのは、彼と違って特段配信という作業を重く見ていないからだ。

 つまりこれはあくまでもアマチュアの考え方に過ぎない。

 

 だが、彼はプロとして『配信の重み』を知り、そしてそれに対して真摯に向き合っている。

 真摯に日常を作り上げている。そしてそれこそが、本当に彼にとっての日常なのだ。

 

「──なんか、すげー」

 

 つい言葉が溢れた。

 そんな俺の様子を見て、善悪は疑問を表現するように首をかしげ、なふだは『十点』と書かれた札を上げいや待てなんだそれ。

 

「どうしました?」

 

「いや、なんというか……普段動画とかで見てるときと違ってさ。

 はじめて『半丁善悪』ってやつを見たかんじ」

 

「……えっと?」

 

「あ、えっと、あの……あれだよ。

 さっき言ってたじゃん。『好きになってくれた人に、最大限の贈り物を』。

 それとさ、さっきからの様子を見ててさ。すげーなって思ったんだ」

 

「…………!」

 

 無言でなふだが札を追加した。

 善悪は無言で見ている。

 

「普段俺の動画とかいっつも見てくれてて、そこではちょっとあれな感じだけどさ。

 ほんとは、すっげーかっこいいじゃん?」

 

 『あっ』

 『ニキそんなこと言うとったんか』

 『これは超善モードですね間違いない……』

 『よかったな……ハピコちゃんに褒められて……!』

 

「……。まいったな。すっげー嬉しいんだけど……!」

 

 『えんだぁぁぁぁぁぁぁ』

 『すなおなニキ』

 『めっちゃ笑顔じゃん……てぇてぇかよ……』

 『急にぶっこんでくるからなにかと思ったら高純度の波動で心臓が止まった』

 

 あ、やっべ素で語っちゃった。

 

「──と、とりあえず! 今回のコラボの本題に入っていきましょうか!?」

 

「あ、そ、そうだなー!?」

 

「っく、んはははははっ! まっさか今のやり取り、ガチの素ですか!?

 かわいいなぁハピコさん!」

 

 札が増えていた。

 どっから用意したとか聞かないから、今はとりあえず黙ってほしい。

 すっごく顔が熱いから。




 リアル都合で時間がとれなくなっていく可能性が高いのでだるすぎなんもやる気起きんしなんにもわからんちん


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過去を琥珀に閉じ込めたのなら、未来を琥珀に閉じ込められたのなら。

 私事ですが本日誕生日でした。
 誕生日に色が付いてなんというか幸せ者だなぁと思ったので更新します。皆様ありがとうございます。
 ところで今回は結構実在する曲の話が出てます。ぜひ検索して聴いていただければなーと。


 俺には兄弟がいる。

 兄と弟だ。

 兄は俺に似てどうしようもないろくでなしだったし、俺は兄に似てどうしようもないろくでなしだった。でも俺とは違って、兄はしっかりとクズなりに流儀を持っていた。

 ろくでなしなことに変わりはない。

 けれど互いに、兄弟の情は持っているつもりだ。

 

 弟はどうしようもなく俺に似ていなかった。

 俺にはできないものを持っていた。素直で、まっすぐで、刀のように鋭い意思を持っていて曲がらない。

 けれど、誰かを害するためにあるわけではない。

 

 そんな弟を、俺は好ましく思っていた。

 だからすぐに離れた。俺の存在は悪影響だ。

 俺のようにどうしようもなく終わっている人間が、弟の側にいていいわけがない。

 

『お元気でしょうか』

 

 だから、スマホに溜まっている通知を覗いたのは本当に偶然。

 ずっと無視してきたその通知。

 しばらくぶりに、それを覗いた。

 

『兄ちゃんへ。僕は元気です。

 貴方は一人で生きようとする人だから心配です。

 ところで、少し厄介な奇病になってしまいました。

 一日おきに性別が変わる病気です。

 おかげで学校にいくのも一苦労です。せっかく受験がんばったのになぁ。

 もし兄ちゃんのほうにも変わったことがありましたら、いつでも連絡をください』

 

『午後は空いてるか』

 

 その返しに、すぐさま反応があった。

 

『はい』

 

『会いに行く。つがまる喫茶店で待ち合わせよう』

 

 スマホをスリープモードに移行。キッチンで今日の昼飯を作っていたなふだに事情を説明する。

 

「ということで、送ってくれ」

 

「いいですよー。私も着いていっていいですか?」

 

「……んや。すまんけどどっかで暇つぶししてもらって……金とか払うから」

 

「別にいいですよそんなの。かわりに、話し合いが終わったあとに時間を頂いても?」

 

「いいけど……どうした?」

 

「ちょっとしたことですよ」

 

 彼女は笑って言う。

 

「服買いにいきましょう」

 

 

 

 

 そしてつがまる喫茶へ。

 

「お一人様ですか?」

 

「いや、……もうひとり来る」

 

「わかりました。こちらへどうぞ」

 

 あっさりと話は進む。窓際の席に座ってメニューを見る。

 しばらく来ていなかったから、見覚えのない商品もあった。

 また、なくなっている商品も。

 

 懐かしさと同時に寂しさを覚えるのは。

 ここが、家族みんなでよく来ていたからだろう。

 

「──戦火(いくさび)ハジメ。次男だってのに、おかしいこった」

 

 自分の名前を呼ぶ。

 久しぶりだった。けれど、確かにそれは自分の名前だった。

 兄をレイトにしてしまったから、俺はその続きでハジメ。

 弟はならそのまま二にいくのかと思えば、そういうわけでもない。一体どうしてこんな名前の付け方になったのだろう。

 

 ……忘れよう。思い出して気分のいい話でもなかった。

 別にそこまで胸くそ悪い話でもないが。

 ごくごくありふれた悲劇だって、当事者からするとひどいものなのだから。

 

 持ってきた本に顔を落としつつ、注文したカフェラテをストローで吸い上げる。本の内容はほとんど頭に入ってこない。

 今はただ、窓の外に弟の姿が見えないかを探している。

 

 ──見つけた。

 変わらない。

 高校生男子にしては異様なほどに華奢な体。露出した白い肌は日焼けを知りそうにもない。

 それでも、そこそこ高めの身長。それが謎に「らしさ」を感じさせる。

 長めの茶髪をゆらゆらさせて、ぴっしりと伸びた背筋で歩いてくる弟。

 ぴっしり治ったくせにいまだに猫背になろうとする俺とは大違いだ。

 

 目が合った。

 驚いたような表情をして、一瞬その足取りが重くなる。

 頬を釣り上げて手を降ると、彼は「まさか」といった表情をした。

 

 店の扉が開いて、窓の外に見た姿が入ってくる。

 

「お一人様でしょうか?」

 

「いえ、待ち合わせを」

 

「そうですか。待ち合わせというと……あちらのお客様でしょうか」

 

「……え、ええ。たぶん」

 

 そんなやりとりを交わして、おそるおそる向かってくる。

 そんな様子がおかしくて、うっかりと笑ってしまった。

 

「よ、連理(れんり)

 

「……兄ちゃん、で、間違いなさそうだね」

 

 正面の席を指した。そこに、どこか難しげな表情をした弟が座る。

 

 せっかくなのでデザートのチョコレートケーキを注文。

 弟もそのタイミングで、サンドイッチとオレンジジュースを注文した。

 

「ひょっとして、兄ちゃんも?」

 

「見ての通りだ。兄弟で似たような事態になるなんておもしろいな?」

 

「おもしろくないし……」

 

 俺もそう思う。

 何一つ面白くはない。全くだ。

 

「俺の方は見た通りだけど……お前は一日置きにだって? そんなことあるかフツー」

 

「あったんだからしょうがないでしょ。写真もあるよ」

 

 スマホを使って写真を見せてくる。

 

 そこには、美少女の姿がある。

 ベースは今の弟だろう。顔立ちに似たところはある。

 が、全く違うのは()だった。

 画像の少女の髪の色は真白。瞳は紅く、肌の色は病的なまでに白雪色。

 

「……へぇ。自然だな。声も変わるのか?」

 

「うん。ジョークアプリとかで、女の声に変換するやつあるじゃん? あれを自然にした感じの声になる」

 

「ふーん? 俺のほうはどうだ? 面影とかある?」

 

「うーん」

 

 首をかしげてこちらを見てくる。

 

「雰囲気と目つきは兄ちゃんって感じだよ。……声と髪型もそれっぽいから、兄ちゃんだと思ったら兄ちゃんっぽい」

 

「つまり結構違うってことだな」

 

「なんだろう。()()()()()()()()()()()()()()……そんな感じがする」

 

「魂か」

 

 なかなかスピリチュアルな話をしてくる。

 だが、たしかにそうだ。俺もそんなような気分がする。

 

 魂。

 そんな不確かなものがあるとするならば。

 俺のそれは、きっとどす黒く淀んでしまっているのだろう。

 

「つまりあれか? 最近流行りの異世界転生みたいなものか?」

 

「それは違うと思う。……なんだろうなぁ。僕もこんな体質になってから調べてみたけど、兄ちゃんのそれは『あさおん』ってやつじゃないかな」

 

「なんだその絶妙に嫌な名前」

 

 あさおん。

 寒気のする響きである。

 聞いたことをさっさと忘却の彼方に投げ捨てて、ふと疑問に思った。

 

「レイトは? あと、母さんに異変とかはなかったか?」

 

「……ああ。母さんは大丈夫。でも兄さんは、ちょっと……」

 

 目をそらして、言いづらそうに言葉を探している。

 絶対になにかあるなこれ。そう考えると、連理は持っていたスマホを操作してこちらに画像を見せてくる。

 

「これがこの間の母さんの誕生日」

 

 絶句した。

 

 そこに写っていたのが、全員女にしか見えなかったからだ。

 

「……なにこれ?」

 

「兄さん、兄ちゃんが出ていってから常に女装で過ごすようになったんだよ。帰ってきたときだけ普通の服装してるけど。

 理由を聞いたら……『俺がみんなを甘やかす姉にならなきゃ』とかよくわからないことを言ってた」

 

「マジで??????」

 

 ──まぁ、心当たりがないと言えば嘘になるが。

 俺はさっさと実家から消えた。

 あそこには俺はいてはいけなかった。

 いくら誰かに否定されようが、それだけは間違いようのない事実だった。

 俺は俺の頭で判断し、そう結論を出した。誰にも消せやしないし、変えられはしない。

 

「つまりあれか。──女になりたいと思ってるやつには、この症状が出ないって感じか?」

 

「……かな。兄ちゃんはいつからその姿なの? 僕は二ヶ月ちょっとくらいだけど……」

 

「同じくらいだ」

 

 ──つまり、これは同時に発生したってことだろうか。

 

 一体なにがあってこうなったのか。

 そして、もし同じことならばどうして俺は女で固定され、弟は一日周期で性別が変化するのか。

 

 わからない。

 わかりたくもない。

 認めてたまるか。そんな非現実的なこと。

 

 

 

 

 

 

 

 ──俺は見た。

 どこにでもあるような悲劇だった。

 その正体がどこにでもあるようなものでなかったとしても、そのときはたしかにどこにでもある悲劇でしかなかった。

 葬列に参列するものは、表情こそ様々だ。だが口数は総じて少ない。俺はたしかにそこにいた。

 

 二兎を追うならば一兎も得られない。

 そうならば。

 そうであるのならば、因幡の兎は己を焼くのだろう。

 

 

 

 

 

 

「非現実的だ」

 

 俺は呟いた。

 

「……そうだね」

 

 弟も呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──タバコ吸うんですか?」

 

 声をかけられた。

 煙を大きく吸い込んで、吐き出しながら返す。

 

「カッコだけだ。クソ不味い」

 

 けれどこのドブのような、致命的に俺に合わないこれだけが、今の俺には心地よい。

 そこでようやく相手を見る。

 なふだだけかと思ったら、なぜか半丁善悪までいた。

 

「今からデートだっていうのに、嫌われますよ?

 ──まぁ、若干一名変な人が着いてきちゃいましたけど」

 

「いやマジで偶然なんだけど」

 

「偶然でもキモいぞ流石に」

 

「……酷くないですか? 一緒にコラボした仲でしょう?」

 

「冗談だ、悪い。ちょっと当たっちまった」

 

 思いっきり吸い込んで噎せた。

 ちょっと涙目になる。

 けれどいい。こうしている間は考えることもなくていいから。

 

 考える。

 

 あれから弟とは別れた。少しだけ世間話をして、俺のことは家族には言わないように言った。

 絶対に心配されるから。

 その心配は、俺に向けるべきものではない。

 

「──じゃ、行くか?」

 

 吸い殻を握りつぶした。コンビニでもらった袋にくるんでカバンにしまう。

 

「……ですね。行きましょうか。ばっちりかわいい服選んであげます」

 

「まぁ、いつまでもその服装というわけにもいけませんしね」

 

 姿を見下ろす。

 二ヶ月前から変わりない、男時代の適当なものそのままだった。

 

 

 

 

 

 

「重てぇ」

 

「私のこれまでの怒りの重さでもあるんですよ」

 

「まさか下着まで選ぶとは……ていうかハジメさんこれまで一つもちゃんとしたもの持ってなかったんですか……? そりゃなふだのやつも怒るに決まってますよ」

 

「今までの先輩が紳士だったから間違いも起こりませんでしたけど、これからはちゃんとそんなぶかぶかでよれよれな衣装じゃなくてちゃんとしたもの着てくださいよ。あんまりゆるいサイズのものも買ってませんし、これなら危ういシーンも減ります」

 

「はーい、わかりましたよーっと」

 

 店員の野生動物を見る目は忘れない。

 今は買った服に着替えさせてもらっている。そのときの店員さんの反応がまるで文明に初めて触れた人間を見るような目で困った。

 

「で、このまま帰るには時間も微妙ですし。どこかで時間でも潰します?」

 

「だったら休憩できるところがいいわ。どっか知らない?」

 

「いや、ハジメさんは知らないんですか? 一応あなたの育った場所でしょうに」

 

「んー。じゃあカラオケでも行くか?」

 

 なふだが無言で十点の札をあげた。

 マジでそれ何なんだ。

 

 そしてお前もか善悪野郎。

 

 

 

 

「というわけでチキチキ突発カラオケオフコラボキャス始まるぞ」

 

「ちなみに株式会社ドモールは企業からの許諾を得ているので配信は問題ないですよー。

 今回もハピコさんがいますが、配信者が私達ドモール側の人間なので遠慮なく歌ってくださいね~」

 

 丁寧に外堀を埋められた。

 

 それもいざ次俺の番というタイミングで。

 

「つられくまー……」

 

「事務所の許可もちゃんととった。安心して歌ってくれ」

 

「狙ってやがったなぁ!? 曲入れてるから歌うんだけどさっ!」

 

 家族の前ではあるが、こうして大勢の前で歌った経験はあまりない。

 昔中学校の音楽会とか文化祭かなにかでちょっとやった程度だ。それもシャウトとかしまくるロック。なんで俺そんなことやってたんだろう。

 

 だから、いざこうして女になってから女性ボーカルのファンシーな曲を歌うのは初めてだ。

 

「あー、もうっ! じゃあ歌います! 誰も知らないと思うけどな!」

 

 息を吸う。腹を膨らませるイメージだ。丁寧に、息を取り込んでいく。

 昔、発声のやりかたは叩き込まれた。

 歌や身振り手振り、相手に魅せる動き方の練習はよくやっていたのだ。

 ……どうしてやったんだっけ。

 

 『わくわく』

 『初手ハピコちゃんか どんな曲歌うんだろ』

 『地味に初めて使われたキャス』

 『ていうかこの三人マジで仲いいな??』

 『期待』

 『俺はニキのガチ歌期待してる』

 『スマホにしては音質良さ目だな 普段よりは劣化してるけど』

 

 スマホ用マイクを使っているからではないだろうか。

 意外と音質が変わるんだよな、あれ。

 

「──じゃあ、いきます」

 

 物寂しさあふれる入り。

 そこから、気泡が弾けるようにふんわりと歌い出しが来る。

 

 歌う曲はBottleship。

 

 メルクストーリアというゲーム。

 そのアニメのエンディング曲。

 

 俺はどこでこの曲を知ったのだろう?

 ああ、思い出した。

 

 弟が、特に好きなゲーム。そしてアニメだと、教えてもらったのだ。

 だから俺も見た。ハマる理由はよくわかった。

 

 男が歌うにはちょっときつい。

 でも、今の俺は女だから、問題はない。

 

 

 

 

 

 

 

 ──歌い終わる。

 

 ちょっとばかり興が乗って思いっきり歌ってしまった。

 でも、こうして思いっきり歌えると楽しいものだ。

 

 『嘘でしょ……これスマホで直撮り音声だぞ』

 『泣いた』

 『すご』

 『生活能力皆無なぶかシャツ女なのに歌上手すぎませんか』

 『歌唱力というか表現力えぐすぎる めちゃくちゃ思い入れある曲だったり?』

 『声量おかしくない……? サビのところでめっちゃぐって上がるやん……』

 『これが……心……?』

 

 『鈴音涼:ありがとうございます』

 

 意外と褒められててむずっとする。

 実際、思い入れはかなりあるのだろう。

 思いっきり歌って涙が溢れそうになるなんて、滅多にないんだから。

 

「お疲れ様です、ハピコさん」

 

 差し出されたのはハンカチ。

 気づけばぼろぼろと涙が溢れていた。ありがたく受け取って、涙を拭き取る。

 なんで俺は、こんなことになっているのだろう。

 それだけゲームに、この曲に思い入れがあったからか。

 

 

 

 

 ──ああ。

 そういうことか。

 俺はずっと、このゲームで語られるような優しさがほしかった。

 

 たぶんそういうことだ。

 そして今、俺は人に恵まれている。

 だから、ひょっとして、これは。

 

「うー……このあとに歌うの、すごく避けたいんですけど……」

 

「……泣いてるのか?」

 

「泣いてないですっ、千円先輩めっ。そっちだって泣きそうになってたくせにっ」

 

「あれっ、サイレント値下げ!?」

 

 

 ──俺の本心だったりするのだろうか?

 

 

「……ないない」

 

 ありえるはずがない。

 まさか、俺がふたりに絆されてるなんて。

 それどころか、感謝をしているなんて──!

 

 『まぁ今の直に聴いたら泣くよね……』

 『ちょっとニキが惚れた気持ちわかったわ』

 『メルスト大好きだから嬉しい』

 『これメルストの曲なんか だから涼くん出てきたんか了解』

 『涼くんはメルストとお姉ちゃん大好き勢だからね……』

 

 コメント欄のなんてことないことを見ながら、俺は考える。

 ちょっとなにか引っかかったが、今の俺にはそれどころではなかった。

 

 ああ、もう。

 何から何までおかしくなっている。

 

 わけがわからない。 

 でも気の所為だと断じられない。

 

 だからここで一度断言しよう。

 俺は二人に、そこまでの好意を持っているわけではない。

 

 ない。はずなのだ。




〜配信終了後〜

「ハジメさんってあんなに歌上手かったんですねぇ」
「あんま実感ないけどなぁ」
「あ、それわかります。歌が上手って褒められるとちょっと首傾げたくなりますよね」
「わかる気がしてきました」
「結構無茶して合わせてない?」
「じゃあ歌ってみようぜなふだ。はいせーの」
「えっ、急にっ!? じゃ、じゃあ……ナナホシ管弦楽団さんのさよならレシェノルティアを……」
「知ってる?」
「知ってます。ナナホシさん大好きですよ俺」
「よし、いけ!」
「は、恥ずかしいですね……
 『Still love you,まだ愛してる
大事なことなので二回言いました
後ろ手に 抱き締めた
あの日の高鳴りは蝉の声の向こう♪』」
「すごい! うまい! 表情がいいな! 抱きしめたっていいながら手を結ぶの俺的にすごくポイント高い! なふだちゃんかわいい! ……ってどうしたふたりとも」
「初恋を思い出して死にたくなりました……」
「す、すごく恥ずかしいですねこれ……。純粋な好意なのがわかるぶん余計に……」
「お、おう……そうか……?」
「つ、次は先輩! 先輩が歌ってくださいね!」
「じゃあジャンキーナイトタウンオーケストラ歌うわ」
「あ、それ俺も好き。歌いたい」
「じゃあ一緒に歌います?」
「最高じゃん。サビから歌う?」
「ではそれで。せーの、」
「Are you?」「ready!」

「……わー、私そっちのけで仲がいいです……あ、店員さんだ」
「じゃっ……うぇぇっ!?」
「あ、どうも……」
「あははははっ! めっちゃ照れてるじゃないですか二人ともー!」

(なんだこの空間みんな顔も声も良すぎるし仲良しオーラが強すぎるてぇてぇかよ)

「良いものを見させていただきました」
「「店員さん!?」」
「あはははははっ!」

 自分が入ってることに気づいたなふだが赤面するまであと一秒。


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花の翳りは拭えない

 点と点でつないだ場所から、なにか新しい見地を得られる人間は優秀なのだろう。

 少なくとも俺にはできない。できなかった。

 それでも、俺は今も生きている。

 意地汚くも生き長らえている。

 

 俺は生きている。

 だから、生きることができなかった人のぶんも生きなくてはいけない。

 

 

 そうだ。

 間違っていても、狂っていても、意地汚くても、どうしようもなくても、俺は俺を生きなくてはならない。

 それを呪いというのなら、俺はとっくに呪われているのだろう。それがどうした。

 

 俺は生きている。

 俺は俺の意思で生きている。

 昨日と地続きの今日。これまで歩んできた俺の後ろの轍は遠く、出発点はとっくに見えない。けれどあるのは間違いないのだ。

 俺はここにいる。

 俺はたしかにここにいる。

 その実感があれば十分以上だ。十二分よりも大きい。

 だから。

 けれど。

 焦がれるくらいはいいだろう。理想の自分になれないのならば、腐っている自分を少しだけでも褒めてあげないといけない。

 思い出せないほどに、遠い出発点。そこに笑われてしまうのだけは嫌だった。

 

 日向があれば日陰がある。

 俺は日陰に生きている。部屋の隅で、埃を食べるような生き方をしてどうにか生きている。側にある光は眩しすぎるから、俺にはここがお似合いなのだ。

 そんな俺を、無理やり引きずり出したやつらがいる。

 俺は。

 俺は。

 俺は。

 

 報いるべきなのか。

 誰に? 俺にか? 恥じぬように生きるべきなのか?

 それは誰だろうか。

 果たして本当に俺なのだろうか。俺といえるのだろうか?

 他人に合わせるように変わって、本当に俺は俺だって言えるのだろうか。──なんて。間違っているか、そうでないか、わからないけれど。

 でも心の奥に染みた言葉。

 どこか懐かしいような調べ。

 

 優しさと、確固たる意思と、価値観が透けていた。俺のために語られた言葉。それを、俺はたしかに覚えている。そして心に命じたのだ。忘れるな、と。

 受け止めるべきだ。俺は受け止めた。そうするべきだとわかっていたから。

 そして、そうしてしまったから。

 

 俺は変われないのだろう。

 何より俺が実感していた。

 

 

 

 

 

 せっかく買ったタバコなのだから、吸わなくては損だ。そう思ってベランダに出て煙を黙々と吸っている。

 それしかやることがない。

 掃除が下手だからって追いやられたためでは断じてない。

 そもそも掃除は終わっている。なら何故こうして俺がベランダで煙専門の掃除機と化しているのかというと、本当に手持ち無沙汰だからだ。

 二人はどこか出かける場所があるとかで消えた。

 ツイッターにも情報は流れてこない。LINEでちまちまとメッセージを送っているが、妙にはぐらされている。

 どころか途中から既読無視される事態。

 

 別に特段なにも思っちゃいないが、そういうわけで草を噛んでいる。

 俺の歯はこの体になってから嘘のように綺麗で、歯並びもちゃんとしている。

 この真っ白を途切れさせるのも嫌だからあんまり紅茶なども飲むことはなかったのだが、この前弟に会いにいってからというとそこらへんに対するハードルがめっきり下がってしまった。

 だから念入りに歯磨きをしている。

 

 なんだか配信をするって気分にもならない。動画撮影なんてもっとできないだろう。

 一体二人は何をしているのやら。そう思っている自分がいることに気づき、頭を降って振り払う。

 

「絶賛サブカルクソ女満喫中ってな? 自撮りでもしてやろうか」

 

 誰に聞かせるわけでもない独り言。

 誰にも反応されるわけでもない。

 タバコを握りつぶした。熱さを感じるが、慣れだ。火ごともみ消すのは慣れた。昔からこうしていたから。

 まだまだタバコは残っている。残りを吸う気にもなれず、次を取り出そうとした手を降ろした。

 部屋に入る前にファブリーズをしておく。こうなるのならいっそ服を着ずに吸ったほうがいいんじゃないだろうか、と考えて、わざわざ脱ぐことの面倒さを思うと駄目だと結論を出す。

 

 動画を見て時間を潰す気にもなれず、俺はただ悶々と時間がすぎるのを待っていた。

 別に二人のことが気になるわけじゃない。単純に、今日はそんな気分になれないだけだった。

 

 ツイッターを覗く。

 最近はフォローの通知が多いせいで、外部の通知を切っていたのだ。

 ひょっとすると『じぐざぐ』関係の相手からのフォローも来ているかもしれない。

 フォロワー欄を確認。

 

 株式会社ドモールからのフォローを確認した。

 

 順調に外堀を埋められているような予感がしてならない。

 とりあえずフォローを返す。

 他にも、忠兎もぶや鈴音涼といった、この間の配信で見覚えのあるメンバー。

 

「──あれ?」

 

 鈴音涼のツイートを拝見しようとプロフィールを覗いたら、興味深い文字列があった。

 

 『一日置きに性別が変わる』。

 

「あ、もしもし連理ー? ちょっと質問があるんだけどお前ってVTuberだよな?」

 

『ふぇぇぇぇ──!?』

 

 女の声がした。

 今日はそっちなんだな。ていうか今ちょうど配信してたっぽい。

 

『な、ななな、なんで兄ちゃんがそれを……!?』

 

「あ、ごめん。フォロー返ししてたらプロフ欄に面白い記述があるじゃん? そりゃあ気にもなるじゃない?」

 

『ふぇぇ……』

 

 あ、ふぇぇ化した。

 なんか昔から女子っぽい反応するんだよなこいつ。

 

『こ、こうなったら──! 兄ちゃんも配信に来てもらうしか……!』

 

「俺はいいけど事務所の許可取れよ」

 

『むぐぐぐぐぐ……! ちょっと聞いてくる!』

 

 いやぁ。世の中って妙な奇跡があるもんなんだなぁ。

 ていうか、特に考えず電話かけちゃったけど今日平日じゃん。

 あいつ高校どうしてんの。

 

『二つ返事でオーケーもらったよ』

 

「まじ? あ、でも通話配信に乗っける方法ってどうするの?」

 

『ディスコードとかの通話機能使うんじゃない? あ、兄ちゃんはアカウント持ってる?』

 

「二人に取らされた」

 

『じゃあそっちで』

 

 ということで準備完了。

 PCのマイクの調子もオッケー。

 

 画面を共有してもらって、こちらからもコメントが読める状態に。

 

「もしもーし。聞こえてる?」

 

『ばっちしおっけーだよー』

 

「ということでこんにちわー。うん。またなんだ。

 また俺なんだ。なんつってな」

 

 『コラボ率がたかぁい』

 『突発コラボってマジ?』

 『平日の昼間にやる内容じゃない件について』

 『メルスト繋がり?』

 

『いや、その……なんというか……』

 

「身内だったんだよね。世の中って狭いわほんと。ここ最近のVTuber遭遇率がおかしい」

 

 『草』

 『ひょっとして涼くんのママとかですか……?』

 『実際めちゃくちゃVTuberとの縁がある女』

 『つまり三人と実際にあったことがあるっていうことですね……?』

 

「ママじゃない。あと俺がメルストを知ったのがこいつ繋がりだから、この間のカラオケで褒めてくれた人はみんな感謝しようね」

 

『僕のほうが感謝したいんだけどね。ていうかおに──ハピコさんって、あんな曲歌えたんだね。

 いっつもロックとかそんなのばっかり歌ってたから……』

 

 『想像が余裕すぎるのなんか困る』

 『紅とか歌ってそう』

 『ジャンキーナイトタウンオーケストラ好きそう』

 『千本桜は嫌いそう』

 『平沢進好きそう』

 『DIE SET DOWN歌ってそう』

 

「なんか俺に対する印象おかしくない?」

 

『でも紅よく歌ってたよね……?』

 

「……今の俺はゆるふわムードだから……。香水とか白日とかヤツメ穴とか歌うタイプのゆるふわ野郎だから……」

 

 『ほんとにゆるふわですか……?』

 『ヤツメ穴はゆるふわじゃないんですがそれは』

 『香水歌ってるのイメージできんわ 紅蓮華は熱唱してそうだけど』

 『たしかに紅蓮華似合いそう』

 

 二番覚えてないから紅蓮華は歌わない。

 

 と、そこでスマホに通知あり。

 確認する。

 

「ひぇっ」

 

『え、急になに……?』

 

「いや、あの二人から……『なんで急にコラボしてるの』って……LINEが……」

 

『あー。愛されてるね?』

 

「通知止まらないんだけど……こわ……」

 

 『悲報:浮気がバレる』

 『ニキもなふだちゃんもかわいいかよ』

 

 『半丁善悪:なんで急にコラボとか始めちゃったの』

 

 『術楽なふだ:私は許しませんよ 浮気です 先輩を値下げします』

 

『あ、先輩たち。こんにちわー。

 僕は悪くないですよ。ハピコさんが僕に「お前VTuberやってるよね?」とか言ってきたからなのです』

 

「コラボ持ちかけてきたのそっちじゃん……」

 

『僕のせいじゃないもん。もともとこっちのLINEもずっと無視してたくせにー』

 

 『マジかよニキのファンやめます』

 『巻き込まれるニキ』

 

「しゃーねーじゃん。俺がいたら教育に悪いし」

 

 『子供のときの二人ってどんな人だったの?』

 

 飛んできた質問に対して考える。

 子供のときの連理か。

 俺が連理と一緒に過ごしてたのが四歳くらいのときまでだから、実のところ時々親に言われて帰省したときくらいにしか会うことはなかった。

 

 そしてここ三年ほど何を言われても帰ってないから、実のところ俺は連理のことをあまり知らない。

 

「んー。昔からいい子だったよ。かわいかったしさ。

 だから不安だったなぁ。いじめられたり誘拐されたりしないかって」

 

『僕のことそんなふうに思ってたの……? やけに過保護だと思った……』

 

「まぁあんまり会うこともなかったしな。ちょっとばかり過保護になっても仕方ないだろ」

 

『むぅー……』

 

 『解釈一致の幼少期ありがとうございます』

 『やはり聖人は昔から聖人』

 『身内でもこんなに違うのか……かたや要介護者、かたや聖人……』

 

「誰が要介護者だよ」

 

『でもハピコさん昔から結構ろくでなしだったよね』

 

 自覚している。

 俺はろくでなしなのだ。だからこそ実家から逃げたのだから。

 

 だからといって傷つかないとは言ってない。

 

「まぁ、俺はなぁ……。あんまり人とか好きじゃないタイプのやつだったし。わりと喧嘩もやったしなぁ。不登校だけは避けたの偉くない?」

 

 『血の気多すぎない?』

 『お前ほんとに女子か? ゴリラだったりしない?』

 『たしか握力40キロくらいって公言してたような……女子……?』

 『俺っ娘だし服は死んでるしもうなんかこう女子っていうよりは……』

 

「きれそう」

 

『まぁ女子ではなかったよね? ……いつもよくわからないことを言って煙に巻いて。結構めんどくさい人間で。起こったことを小説に変換する癖があるって聞いたときは笑っちゃった』

 

 カルセちゃんじゃん。

 とはいえ、今もまだ似たような癖があるからなんともいえない。

 

「治ってないぞ」

 

『カルセちゃんじゃん』

 

 『メルストーク』

 『ハピコちゃんたしかにディベールテスマーにいそう』

 『※大人の遊び場みたいなとこです』

 『エレキの国はいいぞ』

 

「エレキの国は全部いいけど初見はいまからエレキ3rdをしろ」

 

『エレキ3rdはね……いいよね……。恩人になにかあったら、って思えるお兄さんとか早く大人になりたいって思いとか、お互いがお互いに尊重しあってみんなの気持ちが痛いほどわかる……からこそ、終盤の展開がつらすぎる……。ルトくんが最後に決断したところ、ホント好き……泣いちゃう……。もうかわいすぎかよって……』

 

「いいよねエレキ3rd……。ラルトさんのお兄さん感大好き。あと、奪った側と奪われた側の構図っていうのはほんとに……ぐっと……」

 

 『エレキ3rdは実際初見におすすめだと思う』

 『でもユウくんのこれまでの旅路を見てるから余計にイイってところない???』

 『みんなメルストやってんだなぁ……やってみるわ』

 

 思い出して涙が出てきた。

 でも仕方ない。名作なんだもん、エレキ3rd。

 ルトくんもメリアさんもプリルさんもラルトさんもユウくんもメルクさんもオキュペもみんなよかった。

 少なくとも俺は大好きだ。みんなにプレイしてほしい。

 

 題材自体はありふれたもので、展開も予想できるといえば予想できる。でも、それをねじ伏せてなお面白いからこそ名作だと思う。

 何回も読み直してはそのたびに泣いているレベルのイベスト。

 

 刺さるシーン多すぎてわんわん泣いちゃう。

 

 ──俺は何のために生きているのか。

 俺は一体。誰のために生きているのか。

 その答えを見つけるのは、きっと俺には難しい。

 

 物語と比較してもどうにもならないが。

 どうしても、俺には見つけられる気がしなかった。

 

 

 

 

 夕方。

 帰ってきた二人は俺に突撃して曰く。

 

「ボイス収録がんばってきたんですよ……ちらっ……」

 

「いやー……公式動画の撮影で疲れたなぁ……ちらっちらっ……」

 

「露骨すぎるだろお前ら……」

 

 というか隠してたんじゃないのかお前ら。

 聞くと、まだ未発表の話だから秘密にしていたらしい。

 でも俺が当てつけのようにコラボをしたからスタッフに頼み込んで事情を説明していいことになったとのこと。

 スタッフさんも苦笑いだろう。俺だって嘆息する。まさかここまでコラボしたくらいで言われると思わなかった。

 説明もしてくれるらしいってこととは全く関係ないけど、仕方ないからこいつらがいないところではコラボしないようにしよう。

 

「ほら、褒めて褒めて! 褒めてください! ハリーアップ!」

 

「それか疲れた俺たちを励ましてくださいお願いします……」

 

「やだよ、なんでそんな面倒なことやらなきゃいけないのさ」

 

 こうして求められるのはあんまり嫌じゃない。

 しょうがないからちょっとだけ構ってやろう。

 

「……じゃあスマブラすっか。総撃墜数が最下位のやつ罰ゲームな!」

 

 一人狙いされて負けた。




 〜罰ゲーム〜

「むぐぐぐぐ……許さないからな……」
「せんぱーい、この服とこっちならどっちが似合うと思いますか?」
「こっちに猫耳つけよう」
「あっ、いいですね! やっぱ先輩センスはあるなぁ!」
「高貴だった過去を醸し出す的な感じって最高だと思うんだよね俺」
「(こ、こいつらまさか俺にコスプレさせる気か──!?)」


「ぐすん」
「わー! ハジメさんかわいい! あっははははは! 睨んでもかわいいだけですよー!」
「鏡見ます? 答えは聞いてませんけど」

 そこには拘束着的に鎖が巻かれたドレスを着た猫耳の女が──。

 ちょっとぐっときたのは内緒にしておこう。


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上塗り

 隣人が帰ってくる。

 今日はのんびりとツイッターに考え事をぶらさげていた。

 昼くらいから出かけて夕方帰ってきたので、今回はあんまり重要な用事でもなかったらしい。

 

「ハジメさん」

 

「はいはい、何?」

 

「今日決定したことですけど──『じぐざぐ』内部の歌企画ができました」

 

「はぁ」

 

「オリジナル曲を持っている人はそれで。そうでない人は歌ってみたで。

 3Dモデルで動くのをPV代わりにする感じで生歌出演することになるんですけど」

 

「うん」

 

「涼くんは未成年ですし、ドモールって結構遠いので保護者同伴がオッケーになりまして」

 

「うん?」

 

「ということで合法的に付き添うことができるんですけど、来ますか? 涼くんからはオッケーもらってます」

 

「既に外堀埋め終わってるじゃん」

 

 マジかこいつ。

 なんなら最初からこっちの返答聞く気なかったんじゃないかと思うほどにかなりのゴリ押しの元投げかけられた言葉。

 まぁ俺としては、連理が許可を出しているのなら行くのもやぶさかではない。

 

 連理のことなのできっと乗り気だろう。あの子は優しいが、嫌なことは嫌と言えるのだ。

 言えるようになったのだ。

 

「わかったよ。乗ってやる」

 

「ありがとうございます」

 

「ところで、なふだは? あいつも一緒じゃないの?」

 

「なふだのほうは生放送でオリ曲発表があるので。

 そっちのミーティングと練習してます。いくらここの防音性がいいといっても限度がありますから」

 

「ほーん」

 

 薄っすらと残っている記憶では、我が家で発声練習をした覚えがあるのだが。

 いや待てあれは地下の秘密の部屋だったはずだ。

 なら納得。

 納得じゃねぇよなんで地下に秘密の部屋があるんだ実家。

 

「それ日程いつ?」

 

「二十日後くらいですね」

 

「え、短くないか? それで新曲とか間に合うの? 生歌だぞ?」

 

「ああ、なふだなら心配入りませんよ。あいつはそこらへん、異常に上手いですから。俺とは違う」

 

「そういや歌うまいもんな。納得した。お前のほうは曲どうなの?」

 

「俺はオリジナル曲三つくらい歌ってるんで。

 その中から特に評判のいい……『デモクラシーサイド』でも……」

 

「民主主義の海岸ってなんだ」

 

「海は命の喩えで、民主主義は内的戦争を示してます。ちょっとスーサイドに似てますしね」

 

「怖いこと言うなよ。……まぁ、そう言われれば納得もできるかなぁ」

 

 少なくとも俺にも覚えはある。

 自分の人格が分裂するような内部の矛盾。自己矛盾が自己矛盾を呼び起こし、永遠に矛盾し続けて自分の存在がわからなくなる。

 こういうことは時々あった。

 

 きっと、この男も同じ状況にあるのだろう。

 そう思うと、なんとはなしに悲しくなった。

 

「……はっ!? 今のナシ!」

 

「びっくりしたなんですか急に」

 

「いや、なんでもない……」

 

 別に悲しんではない。俺は悲しまないのだ。

 

 話している間にツイートに長々とぶらさげていた話がようやく終わった。

 投稿する。

 

 ツイッターも一仕事だよなぁ、と思う。うまく使えば小説とか書けるのかなぁ、と思うとすごい。

 でもみやすさを考えるなら終わりから投稿していかなければいけないような気がする。

 モーメントとか使うと問題ないのかもしれない。

 

「うわっめっちゃツイートが……」

 

「ん? ああ、すまん。俺結構ツイッターに溺れてるところあるから」

 

 こういうのをツイ廃と言うのだろうか。

 ツイッターに籠もって時間を忘れることが多いから、どんどんフリック入力も上手になってきた。

 タイピングよりも早いとなるとなかなかなものを感じないだろうか。

 

「こんなに長々と語るなら、Noteとか使ったほうがいいんじゃないでしょうかね」

 

「あー、それな。考えたけどツイッターの気軽さには敵わなくて結局使ってない」

 

「ツイッターに投稿したやつを転載する感じでやったらどうです?」

 

「それはずるくない……?」

 

 ありなんだろうか。いやでもありか。そうか。

 そうか。

 

 負けたような気分になるのでやめておこう。俺は新規でなにかを生み出し続けないといけない。

 そしてそれが俺の価値になっていくのだ。誰に認められなくとも、俺の価値になるはずなのだ。

 

 そういう考え方だから、動画投稿というのは意外と向いていたのかもしれない。

 

 ツイートが終わって、手が空いた。

 そうだ。ふと思いつく。

 ちょうどなふだもいないし、せっかくなので早いうちに切り出しておこう。

 

「ねーねー善悪ー」

 

「なんでしょうか」

 

「絵の描き方教えてくれない?」

 

「えっ……いいですけど、急ですね?」

 

「うん」

 

 隣人はバーチャルユーチューバーなのだ。

 つまりイラスト。平面上の存在。

 

 そういう存在だから、普段助けてくれる恩返しに何をしたらいいのかと考えたときに、ファンアートを描くということを思いついた。

 ツイッターのいいね欄から自分のファンアートを見ているのは間違いないのだ。

 サプライズに投稿したらたぶん喜んでくれるはず。

 

「デジタルですか? アナログですか?」

 

「んーと。デジタルがいいと思う」

 

「ペンタブって持ってます?」

 

「持ってない」

 

「ペイントソフトとか持ってます?」

 

「持ってない」

 

「じゃあ無料のやつ使いましょうか。とりあえずインストールからいきましょう。

 ペンタブは俺のやつ貸しますね。取ってきます」

 

「お、おー」

 

 そして俺の前にぽんと置かれたのはサイドに小さなボタンのついたモニターとペン。

 いわゆる液タブというものだった。

 

「たかそう」

 

「そうでもないですよ。それは六万くらいでしたね」

 

「たかい」

 

「俺はそれの他に三つくらい持ってますから。

 OS内蔵のやつも持ってるんで全然使ってもらって大丈夫です」

 

「何GB?」

 

「16インチで512GB」

 

 フルスペックじゃないか。

 

 一応ペンタブの相場は調べている。

 やつの言うペンタブはだいたい三十五万円くらいのペンタブだ。

 

 ひょっとしてこいつ昔絵描きだった……?

 

「よし、ソフトダウンロード完了……ペンタブ接続しますよ。HDMIケーブル空いてます?」

 

「えっと……うん。今使ってるのDPだった……よかった……」

 

「ならあとは問題ないでしょう。……よし、完了。ペンの反応範囲は2モニターですよー、と。

 ハジメさんはこれまで絵を描いた経験は?」

 

「まったくない」

 

「じゃあレイヤーとかから説明しましょうか……」

 

 ソフトを解凍してインストール完了。

 早速ソフトを開く。

 

「もう何もわからん」

 

「えっと、用紙サイズに関しては最初はA4とかにしといて。

 dpi(解像度)は350に設定しておきましょうか」

 

「え、これでもう描けるの?」

 

「はい。ちょっと俺が描いてみましょうか?」

 

「おねがい」

 

 といってペンを渡すと、すらすらと筆を走らせてあっさりと人の顔が完成する。

 

「国王じゃん! すげー!」

 

「デーリッチは結構わかりやすい髪型と服装ですからね。おすすめですよ」

 

 ざくざくアクターズの主人公、デーリッチの姿が黒色でちっちゃく描かれた。

 まるで魔法みたいだ。簡単そうに見えたが、俺がやろうとするとぐちゃぐちゃになるんだろう。

 

 特に、線に迷いがない。なるべく一回の線できっちりと決めているから黒がぐっちゃりとならずに綺麗な形で描かれているのだろう。

 

「まぁこんな感じです。

 Deleteキーで全消し、BackSpaceで一個前の操作に戻りますよ」

 

「ふむふむ。このレイヤーってどんな感じに使うの?」

 

「動画編集と同じですよ。動画に効果音を載せたかったら、その部分の別のレイヤーに音声を足すでしょう?

 それと同じで、レイヤーを分けると上から色を載せたりラフでがっと描いた上から線画を作るときに便利なんです」

 

「はえー」

 

 つまり、レイヤーが違うのは次元の違いのようなイメージでいいのだろう。

 

「……お、おお。線が引ける」

 

 とりあえず顔文字を描く。ペンで時々描いて遊んでいたから、これは問題なくできた。

 シャキーンとした顔立ち。ショボーンとした顔。

 どっちもかわいいから好きなのである。

 でもこれを使うのはおっさんが多いらしい。ちょっと悲しい。

 こんなにかわいいのに。

 

「上手ですね」

 

「かわいいだろ?」

 

 ドヤ顔をする。

 まぁ、このくらい誰にも描けると思うが。

 

「……かわいいです」

 

 なんだその含み笑い。

 

 とりあえず、描いたものをDeleteで消す。

 そしてスマホでなふだの立ち絵を開いた。

 

「……む」

 

 これはなかなか苦戦しそうなイメージ。

 結構大変だぞ、これ。

 髪の毛が細かく別れているし、服装はシンプルなのだが折り重なっている部分が多い。

 そのせいで全体像を把握するのが難しい。

 

「……とりあえず、どこから描こうか……」

 

 ベースになる顔を描くのがいいかもしれない。

 サイズの調整を間違えても嫌なので、最初に薄くアタリを取る。頭のサイズを決めたら、輪郭を決めて線を引く。

 

「……あれ、なんかちょっと丸い?」

 

「そうですね。資料の顔はもっとシャープです。でもそこらへんは個性にもよりますし、どんな感じに描きたいかにもよりますよ?

 たとえばデフォルメ絵は丸め……全体的にずんぐりとした感じになりますし」

 

「こういう、真面目な感じの絵がいいな」

 

「それならもうちょっとシャープにしたほうがいいですね。……あ、それはちょっとやりすぎです。顎が長すぎます。学園ハンサムになっちゃいます」

 

「む、難しいな……?」

 

 思った以上に難しいぞこれ。

 とりあえず輪郭はできたが、ここから顔をどうやって配置していくのかわからない。

 そもそも目の描き方ってどうやるんだこれ?

 

「えっと、まつげを描いて……そこに丸い感じで……」

 

 そうして描き上がった目は、なんというかホラーシーンなんかで使われる感じのもの。

 駄目だ違う。BackSpaceで取り消し。

 描く。消す。

 描く。消す。

 

「20世紀少年みたいなやつにしかならんが!?」

 

「あー……縁をくっきり描きすぎちゃってるからですね」

 

 と、言って善悪がマウスを操作しながらゆっくりと目を描く。

 

「えっと、これは当たり前なんですが。

 目は丸いんですよ。だから、先に描いてあげるじゃないですか。

 そこに違和感のない程度に目のラインを追加するんです。

 萌え系の絵なら目はくっきり丸いほうがいいですから」

 

「よ、よくわからない……というか丸がいまいち……」

 

「え、えっと。じゃあ、モンスターボールは描けますか?」

 

「任せろ」

 

 完璧なモンスターボールを描きあげる。

 天才だ。モンスターボール職人になってもいい位の出来栄えだろう。

 

「このモンスターボールの上に、まつげと目のラインを描いてあげます」

 

「おおっ?」

 

「その上に軽く二重を描いてあげて、ちょっと離して眉毛を描きます。

 下側もちょこんとラインを描いてあげます。下側はあんまり強くなくていいです。

 女の子なんで、後でちょっと赤を入れるっていうアピールのためにほっぺに斜線を入れときましょう」

 

「マジで目になった……すげぇ……」

 

「初心者には結構おすすめな描き方ですよ。なんせわかりやすいし、簡単でしょう?」

 

「問題は俺にできるかどうかだな」

 

 できた。

 そして問題が発生。

 

「これ顔がすげー変じゃない?」

 

 原因はわかっている。

 顔に描かれている目の配置が駄目なのだ。

 平面感がすごく強い。

 それだけならいいのだが、どことなく奇妙な感じがある。

 違和感には気付けるのだが、その直し方をどうすればいいのかわからない。

 

「助けて善悪えもん!」

 

「はいはい。えっと、これはですね。

 目の配置です。眉毛って耳の一番上くらいの位置にあるんですよね。目の上側は……耳のここかな」

 

「ぅひゃっ!?」

 

「えっ!? あっ、ごめんなさい!」

 

 急に触られたらびっくりする。

 とはいえ、まさかこんな声が出るとは思わなかった。ちょっと恥ずかしくて咳払い。

 

「わ、わかったわかった。つまり、高さが変ってことだな?」

 

「あ、はい。あと目と目の間の隙間も変ですね。意外に距離があるんですよ」

 

「なるほど……」

 

 絵を描くのは難しいな。

 とりあえず、言われた部分を直してみる。

 レイヤーを分けて、上から描き足す。

 最初のレイヤーの目を消しゴムツールで消し、ちょっとだけマシになったことを確認。

 

「……俺は天才かもしれない……?」

 

「結構バランス取れてますね。上手だと思います」

 

「だよな! 俺天才だよな! うん!」

 

 やはり天才だった。

 スマホでなふだのいいね欄を見る。

 そこにあるイラストを見た。

 俺よりもはるかに上手で、どうやって描いているのかまったくわからないイラストたち。

 

「俺って才能ないのかもしれない……」

 

「なんで!?」

 

 スマホを見せる。

 

「あー……。

 ハジメさんに限らず、他人と比較してやる気なくす人って結構いるんですよね。

 特に今はネットで上手な人たくさんいますし」

 

「土に還ります」

 

「させません。……あんまり気にしないほうがいいですよ。

 とりあえず、一旦絵を描くのを楽しんでみては?」

 

「楽しむ……? どうやって……?」

 

「……。じゃあ、なふだの服装を変えてみましょうか。あいつが絶対着ないような恥ずかしい服装を考えてみましょう。

 そしたらなんか楽しくなってきませんか?」

 

「……なるほど!」

 

 この間の罰ゲームの意趣返しということだ。

 やられたぶんはやりかえさねば。

 

「じゃあこの間の俺の服装を……」

 

「いや、なふだは普通に自分であれ着ますよ」

 

「なんだあいつ最強か?」

 

 俺はあいつに勝てないかもしれない。

 落ち込んだ。

 

「難しいですか?」

 

「表現したいものと実力の乖離に死んでいる」

 

「創作者のぶち当たる課題ですよねぇ」

 

 ──結局、その日は絵は進むことはなく。

 

 そして翌日。

 

 

「──それではこれから、ろくに絵を描いた経験のない人は二週間でどれだけ成長するのかって企画をやっていこうと思います」

 

 

 俺は気づいた。

 絵を描くことを動画のネタにしたら、サボることはなくなるんじゃないかと。

 今、画力強化のための計画が開始する──!




 つなぎの回です
 申し訳ない
 イラストの説明とかを文章にするといまいちわかんなくなる事態


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ダンシング・パラダイム・アナロジー?

 お絵かき企画。

 配信で一日がっつり練習している風景を映して、それを二週間続けて、結果としてどれだけ成長したかをまとめるという企画。

 少なからず関心を引く動画になるんではないかということは間違いないし、俺は他の人と違って時間が有り余っている。

 

 普段の睡眠時間が九時間。

 食事とかの雑事に扱う時間を二時間とする。

 つまるところ、残る十三時間はフリーということ。

 つまりそのフリーの時間のほとんどをガッチガチに練習し続ければすごい絵が描けるのではないだろうか。

 

 ということで、とにかく昨日のうちに動画を見まくった。そして配信中も音声をミュートにしたお絵かき講座の動画を別の画面に映しながらやる。

 また、それとは別に初心者向けの技法書なんかも善悪のやつに借りた。

 完璧だ。

 あとはやる気と根気と集中力。

 

 二週間に絞った理由は、なふだの新曲発表のタイミングに合わせて投稿する絵を残り六日で描き上げるためだ。

 

 パーツごとの描き方は昨日のうちに工程をしっかり見てきた。

 そしてそれはしっかりと頭に叩き込んできたのだ。

 あとはどれだけ俺がイメージをエミュレートできるかである。

 

 絵に限らず、全てのコンテンツは完成形が見えないと作り上げることができない。

 映画も小説も漫画もなにもかも、まず最初にやることは作品のイメージを作るための工程だ。

 絵の場合、それはラフになる。

 

 なにもないところからいきなり描き出すのは不可能だ。

 構図はまず最初に「こういうのがやりたい!」のイメージを作るところから始まる。

 だから、今回はテーマとして「清涼感のある雰囲気のイラスト」を設定する。

 

 そしてそれはどうやったら出すことができるか?

 例えば昼下がりの浜辺。例えば汗の滴る中運動を頑張っている子。光が反射しているものは、明度も上がってまた綺麗な印象も現れる。

 つまり、俺は比較的明度の高い色遣いを目標にするべきなのである。

 

 参考画像を用意して、別のモニターに用意する。

 

「始めるぞー」

 

 昨日のうちにクリップスタジオペイントというペイントソフトを買ってきた。

 なんというか無料ソフト使ってるのがちょっと恥ずかしかったのである。

 別に漫画を描くわけでもないので五千円で買って終わり。

 

 『クリスタ買っとるやん』

 『一発ネタじゃない感じ?』

 『ペンタブも買ったの?』

 

「ペンタブはもらった。善悪のやつが液タブ三つくらい持ってて使わないからってくれたんだよね」

 

 『羨ましいわ』

 『これがヒモの呼吸』

 『一ノ型』

 『ヒモは呼吸』

 

「誰がヒモだよ。施されてると言ってくれ」

 

 『半丁善悪:俺はハピコさんだったら養いたいけどなぁ』

 

 『草』

 『視聴者がニキを養って! ニキにネキが養われる……! 永久機関が完成しちまったなアァ~!!』

 『なにも永久機関じゃない』

 『皮肉だよね 全てを与えられると何もできず緩やかに死ぬなんて』

 『GTGは封印されたでしょ 出てこないの』

 

「視聴者のおかげで得た金で人を養うなよ」

 

 『それ言ったらテレビ業界もそうじゃないか?』

 『そうそう 別にそこらへんは気にせんで』

 

 そういうものなのかなぁ。

 

 まぁ視聴者がいいならいいや。

 

 早速キャンパスサイズを設定。昨日通りA4サイズの350dbi。ただ、今回は横向きにする。

 こっちのほうが画面いっぱいに表示されるから、ちょっとやりやすそうだと思ったのだ。

 とりあえず、ざくざくと描き進めていく。

 

 クリスタは他のユーザーが作った便利なペンをダウンロードして扱うことができる。ただ、いまいちよくわからないから標準のペンでやることにする。

 昨日触ってみた感じ、ラフにはミリペンを使用。範囲塗りには不透明水彩を使うことにした。

 これが正解ではないと思うが、ひとまずはこの設定だ。

 

 まずは何度も線を引いて、人の形を大まかに作っていく。

 これで最初にポーズのイメージを完成させるのだ。

 意識するのは頭と体のバランス。

 人の体は自分のイメージより意外と胴体が短い。そして足に当たる部分が長いのだ。

 これをしっかり意識できていないと足の短い、ちょっとデフォルメチックな絵になるのだ。

 かわいい絵ならば別にいいだろう。だが、俺のイメージはクールめな印象がある絵にしたい。

 だから、頭はちょっとばかり細めに。

 頬をあんまりふっくらとさせすぎずに、鼻を少し鮮明に。

 よし、イメージができた。

 

 『おっ、上手』

 『今まであんま絵を描いたことないにしては形が結構よい』

 『これは……ガチじゃな?』

 

 視聴者が俺を褒めている。やはり俺は天才なのかもしれない。

 

 『下手』

 

「ブロック、と」

 

 うるせぇ今は褒められたいんだよ。

 

 イメージができたから、とりあえず自分も同じポーズを撮って写真を撮った。

 動画でそうして参考にするものがあるといいと聞いたのだ。そのとおりにするべきだろう。

 料理でもそうだが、下手で右も左もわからない人間が下手にオリジナリティだのを出そうとするものじゃない。

 求められてるのはしっかり描くこと。

 レシピ通りにちゃんと作ることなのだ。

 

 写真を転送。画面に映す。

 

 『自撮りたすかる』

 『急にえっちなポーズするやん』

 『えっちか??』

 『真顔だからなぁ……』

 『こうしてみるとマジで顔綺麗っすね』

 『恵まれた顔に属性てんこ盛りの中身ってなんかもうんぁ』

 

 『半丁善悪:美女ですね』

 

 操作ミスった一瞬でこんな反応くるとかこいつら反応速度とタイピング速度早すぎじゃない?

 

「今の自撮りは気にするでない」

 

 とりあえず、これを参考にしながら描けばいいんだな。

 レイヤーを新しく作り、今の絵のラフの上から今度はちゃんと人の形だけではなくパーツを作っていく。

 

 目の配置をしっかり終了。

 全体をとにかくざっくりと描いていく。

 昨日教えてもらったとおりに、目の描き方を簡略化して終了。

 こうまで簡略化するとモブ的な感じも生まれてくるが、別にいいだろう。いまはこれでもいい。

 これもまたラフだ。

 この上にラフ清書してから色を塗る。

 そしてそのあとに今度こそ線画に入るのだ。

 できないなら、なるべく工程を積み重ねて完成させたほうがいいと考えた。

 

 だからこそ作業を細分化する。

 この発想は間違っていないはずだ。

 そう、間違っていない。この調子で描いていけばきっと完成したときにちゃんとしたものができるだろう。

 きっと間違ってはいない。

 

「かわいい」

 

 『かわいい』

 『ここまでは非常にいい』

 『これが一日目とかちょっと怖いわぁ……』

 『マジでハピコちゃん飲み込み早くない……?』

 『歌も歌えるし強い』

 

 

 

 

 

「どうしてこうなった?」

 

 ラフまではよかったのになんでこうなった。

 めちゃくちゃのっぺりしているように見えるし、線画のミスはあとになって気づくし色塗りはなんかもうよくわからん。

 

 『知ってた』

 『線画むずいわぁ』

 『かわいいんだけどなぁ……』

 『バランス自体は間違ってないけど、なんかカクカクしてるね』

 

「なんでこうなったんだ……? わからん……」

 

 意外と自分のことはわからない。

 絵のミスとか見ればわかるだろうと思っていた自分を殴りたい。まったくわからないぞなんだこれ。

 

 『半丁善悪:特にぐっちゃり見えちゃったのはやっぱり線画だと思う。色塗りはそれぞれで見たら上手にできてるけど全体の印象が細かすぎて見てて目がちかちかしてる。あと線画がちょっと失敗しちゃった感あるね。俺は好きだけど。ちょっと細すぎるのかな? ペンの設定を見直してみるといいかも。あと途中結構苦労してたから手ブレ補正をちょっと強めてもいいと思う』

 

 『ガチアドバイスニキ』

 『もっと親のアドバイスしていけ』

 『ニキはパパだった……?』

 『それだとニキが涼くんの親族になるからNG』

 

「……」

 

 父親。

 ああ、父親か。

 ……少し嫌なことを思い出した。忘れよう。

 思い出してもいいことではない。

 別に悪いわけではない。嫌いなわけでもない。むしろ好きだった。

 ただ思い出したくないだけだ。

 

 遠い過去に封じ込めた記憶。俺が俺のために俺であることを決めたその記憶。俺があの家にいてはいけない理由。

 あの空間は、忘れようとしたことまで思い出してしまうから。

 

 家を飛び出してからはよかった。よかったのだ。考えることがなかったから。毎日生きることに必死で、先が見えなくて、何もする気にならなくて。だが今は違う。

 俺は恵まれた。救われた。先行き見えない場所から引っ張られた。

 

 でもそれがよかったことばかりかと言えばまた違う。欲求段階の話を昔した。今の俺は、着飾る余裕ができてしまっている。

 それがいいことなのか。俺にとっていいことなのか、わからない。わからないんだ、いつだって。

 

「お前が父親は嫌だな」

 

 『半丁善悪:これは夫ならいいっていう高度な……?』

 

 『ポジティブすぎるニキ嫌いじゃないし好きでもないよ』

 『ニキさぁ……』

 『そうして他の女にも言って回ってるんだろ。騙されんぞ』

 

「マジ? 不誠実の極みみたいなやつじゃん。刺されないの?」

 

 『半丁善悪:燃やされはしました』 

 

 『そらそうよ』

 『Vの界隈は結構怖いファンも多いからなぁ ニキが燃えるのも仕方ないわ』

 『燃やすやつってニキの動画見てんのかなぁ。ニキは直結厨じゃないでしょ。どっちかというと漫画とかに出てくる食えないタイプの強キャラ』

 『ニキはVであることにめちゃくちゃ誇り持ってるの滲み出てるからなぁ。沈下が早いのはそういうところもあるっしょ』

 

「俺実はこいつの炎上について全く知らないんだよなぁ」

 

 キャンバスをリセットしながら描く。さっきの絵はとりあえず保存しておいた。

 さっそく次に取り掛かろう。ざっくりとまた構図決めに取り掛かる。

 

 『ニキの炎上の歴史はすごいぞ 最初はソラちゃんとコラボしただけで燃えてたからな』

 『懐かしい……ニキがまだ人気じゃなかった時期……』

 『ソラちゃんは最初からめっちゃ人気だったしなぁ 男と話すなっていう層が一定以上いたんだよね地味に』

 

「なにそれきっしょ」

 

 『ハピコちゃんならそういうと思った』

 『ハピコちゃんはあれでしょ 面白ければどうでもいいタイプ』

 

「そら面白いやつが正義よ。次に自分の意見を持ってるやつは好きだ。あと恋愛沙汰に興味はない。

 他人が恋愛しようが何しようが当人の勝手だろ? なんで外野がいちいち首突っ込む必要があるんだ」

 

 『直結厨とかいろいろ事例もあったからね』

 『処女に価値があると信じてるやつらばっかなのよ というか非処女は無価値ってタイプのやつらばっか』

 

「馬鹿らしい。まぁ俺は経験ないけどさ」

 

 『半丁善悪:ちょっとお行儀が悪いですよ』

 

 『絶対喜んでるだろ』

 『まぁたしかに。健全なお絵かき配信だもんな。ごめん』

 

「こういうところ偉いよなぁ」

 

 噂話からいつ人叩きに移行するかわからないムードだったので、この軌道修正は助かった。

 偉い。

 

 だが、実際そういう人もいるのか。自撮りを転送しつつ考える。

 俺は恋愛なんかに興味がなかった。それが人を殺すと知っていたから。だから男のときでも、女になっても、誰かに焦がれることはなかった。

 これは偏った見方なのかもしれない。

 

 でも。

 でも、今更恋愛なんてしようにも無理だ。

 俺にはどうしようもない壁がある。

 

 今の俺は女だ。女の見た目に、男の心。

 そんなちぐはぐなハグレものが、今更どうして何ができよう?

 恋愛なんて絶対できない。俺にはどうしようもない。

 

 人が誰かを愛することを知らない。俺は誰も愛することができない。

 

 欠陥品。

 そう、欠陥品だ。狂っている。何がだろうか。歯車か。それとも俺自身か。社会か。わからない。別にいい。知らなくてもいい。教えてくれだなんて誰も頼んでいない。

 どうしようもない欠陥品だということを認めて、俺は俺でなくてはならない。

 

 ろくな死に方はしないだろう。でも、完璧な最期などもともと求めてはいない。

 適当に生きて、適当に死ぬ。

 そういうものだと思っていた。少なくともそれが俺の望みだ。

 

 生きている。死んでいない。その二つは決定的に違う。

 俺は後者だった。

 死んでいないだけのなにかだった。

 死ぬことが望みなら、どうして俺は今も死んでいないのだろう。

 

「やっぱりラフのときはかわいいんだけど」

 

 今度はちょっと趣向を変えて、先に色を塗ってから囲うように線画を作ることにした。

 ざっくりと塗っていく。さっきの反省を活かして、ざっくりと塗っていったほうがいいことにした。

 

 普通の人はわざわざ拡大なんてして見ないのだ。だから、ひと目での印象がよくなるようにすごく大まかに色を用意する。

 

「やっば、全体的に暗くなっちった」

 

 肌色はいい。間違いがない。ただ、服と髪の色が黒くて少し暗めな印象を覚える絵になってしまった。

 

 それはまるで俺の心の色だと突きつけられているような気分がして、あんまりいい心地ではなかった。




 絵を描くことについて『天才だからすごい』で終わらせたくなかったのでちょっと長引いてしまいました。すみません。
 ハジメちゃんと違って真面目に描くとき私はアナログの線画から始めます。


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グリザイユ

 二日目。

 のんべんだらりとしているとあっという間に時間は過ぎていく。すべての時間は有限だ。だからこそ、やらない理由を探すのではなくとにかくやれる理由を探すべきなのである。

 そして今この状況下で、やる理由なんてものがあるとしたら明白だ。それ以外にあるわけがない。誰もがわかってしまうようなそれ。それ以外にないのだが、俺は少しばかり言い訳をすることにした。

 

「心に体が追いつかなくて……」

 

 『どうあがいても寝坊』

 『ニキに電話通じなかったってリークされてるんだよなぁ』

 『なふだちゃんが寝てたって言ってたぞ』

 

「あいつら外堀埋めるの上手だよね。キレそう」

 

 つまりはそういうことである。

 いやだが待て。今の俺はたしかに寝起きだろう。だが脳みそが煮詰まっていない状態であるとも言える。もそもそと体を動かしてペンタブに手を伸ばしつつ。

 つまり今の俺は絵を描くことにたいしてこれ以上ないほど最適化されている存在ということではないだろうか。

 構図がとにかく頭に浮かぶ。それを描き出すためにまずは話すこともなくざくざくと形を取っていく。

 

 今回はパーツを丸で捉えるようにした。それを積み重ねて体の形をつくっていく。そして体の正面部に対して目印としてアタリを取る。これに合わせて描いていくのだ。

 意外とわかりやすいのではないだろうか。

 

「……よし、できたな。昨日の反省を活かしてちょっとこの次のラフから色塗りの方法考えておこうか」

 

 『線画の考え方をもっとラフにしてみてもいいんじゃないかなとは思うよ』

 『色塗りの勉強とかしてきた?』

 

「昨日してきましたよーだ」

 

 まぁだからといって完全にものになったかと言えば嘘になるが。

 

 今回は髪型と服装が比較的簡単な国王(デーリッチ)を描くことにする。

 参考資料も多いし。

 つまりあんまり足を長くしすぎると破綻するわけであるが、まぁそこらへんはどうにかなるだろうと思っている。

 

 それが自信過剰になることはないだろう。なぜなら俺は昨日学んだからだ。線画と色塗り。ここ以外はあんまりミスもなかったのだ。なので問題はない。

 ないのだ。

 

 さくっと自撮りしてから参考資料に国王を用意。

 最近の美麗なイラストのように髪型がとても細くなくてよい。こう、なんというか心が温まる絵なのだ。

 はむすた絵すき。

 

「えっ、このラフかわいすぎない? ねっ?」

 

 『わかる』

 『かわいい』

 『問題はこれが線画で通用するかだな』

 

 『半丁善悪:かわいい』

 

「だろー? よっし、線画がんばるぞ」

 

 一旦リセットするために飲み物を飲む。

 用意したのは炭酸飲料。

 コーヒーは嫌いじゃないが、カフェインでの目覚ましはちょっと注意が散漫になるような気がするのであんまり行わない。

 刺激の強い強炭酸のほうがいいのだ。

 

 でも女になってから昔より刺激耐性がなくなったのでちょっと涙が滲む。そこだけはマイナスかもしれない。

 

「ふぅ」

 

 『炭酸音たすかる』

 『これは……良いマイクじゃな?』

 『歌枠はよ』

 

「俺がガチで歌ったら周囲に迷惑だぞ」

 

 普段はそうでもないが、歌う時の声量だけはかなり大きめなのだ。意識で声のボリュームが変わるタイプ。

 例えば歌を歌う時は滑舌がいい人とか、そういうアレである。

 

 のんびりと線画を進め、とりあえず形が完成した。

 拡大してみると粗が目立つが、今のところ非常にいい感じである。

 

「次は色塗りだな。みてろよ」

 

 今回は偉いので全く新しい塗り方を探求してきた。

 まずはグレーで色を塗る。

 陰影をつけた後に、その上からオーバーレイで色を付け加えていくのだ。

 

 グリザイユ画法というらしい。元は油絵の下描きなどに使われていた技法だという。デジタルでもこれでかなりうまくいくので、ということでやってみた。

 

「──あれ、これ結構いいんじゃね?」

 

 少なくとも昨日までとは雲泥の差だ。上を見上げるとまだ遠いが、それでも始めて二日にしてはかなり会心の出来。

 

 『いいと思う』

 『かわいい』

 『かわいくて……川になっちゃったわ……』

 『いいですねッッッ!!!』

 『よきよき』

 

 『半丁善悪:寝かしてみましょ』

 

 寝かす。

 絵を数日置いて描きあげた充足感を一旦リセットし、フラットな視点で見るということ。

 たしかにそのとおりだと思うので、とりあえず保存。

 次のイラストに取り掛かる。

 

 

 

 

「あんまりよくなかったです」

 

 三日目。

 

 たった一日でこんなにも違って見えるのか。少なくとも昨日はすごく良かったと思ったのに。

 いろいろなところが目につく。違和感の塊のように思える。

 駄目だ。なんなら最初のラフからミスっていたような気もする。等身バランスも狂っているように見えるし、塗り残しも大量にあった。

 そして線画の妥協が目に余る。

 というか、線画の線が今度はちょっと太いかもしれない。

 

 『昨日はめっちゃよく見えたのになぁ』

 『俺たちもずっと一緒に見てたからじゃないかなぁ』

 

 『半丁善悪:ストロークというか線を引くのに迷いがないから逆にこうなった感ある』

 

 なるほど。

 たしかに、動画などで見ているよりも俺が線を引く速度は速い。そこの意識の違いがモロに出てきてしまったということだろう。

 

「むぐぐぐぐ……とりあえず、数こなして慣れるか?」

 

 『半丁善悪:絵柄の模倣して描いてみたらどうでしょうか』

 

 『この話し方は善モード』

 『頑張ってる人には優しいニキすき』

 『ウルトラマンみたいなやつだなお前』

 

 絵柄の模倣。

 たしかに、やっていない。

 既存の参照と編纂、再解釈。学問だってそうして完成していく。となれば、イラストもそうだろう。既存の編纂。反映。一から何かを生み出すよりは、一から二を作り出すほうがはるかに楽である。

 楽だからといって、余裕とは違う。

 

 人間にはキャパシティがある。訓練次第で増えるものだとしていい。

 俺はろくな訓練が出来ていない状態なのだ。そんな状態で、無を有にすることに挑むなどできるものもできなくなるだろう。

 

「いいな、それ。なら俺はナノン女史を描く」

 

 『メルストぉ……』

 『ノンちゃん先生は立ち絵が結構簡単だから実際あり』

 『サムズアップすきです』

 

 メルスト絵かなり好きなんだよなぁ。

 

 早速ペンを走らせながら、Twitterでメルストの公式が作成しているモーメントを開く。

 その中から、設定資料を発掘。

 線をゆっくりと引き始めた。

 

 

 

 イラストの模倣というのは意外と難しいものだ。

 

「あー、なんか絶妙にコレジャナイ感なんだよなぁ……」

 

 描かれた絵は、線画ががたっとしているのは置いておいても元絵とははっきり違う。

 輪郭や目の描き方は問題ない。顔は比較的まだできているのだ。

 問題は、体の描き方。元絵と違ってかなり太く見える。

 

 そして色。色遣いがまったくわからない問題に直面した。

 これは間違いなく課題だろう。

 明日もまたやろう。今度はしっかり色塗りのやり方まで気を張って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうやって続けていると、ちょっとずつ体のパーツの配置を覚えていく。

 『ここはこうなっているのか』という気づきがちょっとずつ見る目を育っていき、どうやったら描けるのかもわかってくるのだ。

 これはあくまでも模倣の領域であるし、それでも未だに完璧に描けているとは言えない。

 

 とはいえ、最初から見たらかなりの進歩であることは間違いないのだ。

 満足である。

 

 最近は慣れたことしかやってなかったから、こうしていざ慣れてないことに対して挑戦するのは新鮮な気分だった。

 動画投稿はこの体になってからが初めてだが、趣味の領域で動画編集はちまちま触っていたし。

 

 これまでの趣味は、昔少し習った覚えのあるものをやってきただけ。

 ただ惰性で。

 思い出に浸るように、やってきただけ。

 

 だから、この企画はかなり楽しかった。

 

 今日は十四日目。

 お絵かき企画の最終日である。まだまだ上は遠いが、それでもなんとか見せられるレベルにはなったと思う。

 あとはこれの編集をして。

 同時になふだのイラストを描き始めるだけ。

 

「なふだ」

 

「なんですか」

 

「あつい」

 

「いいじゃないですか。ちょっと人肌恋しい季節なんですから」

 

「そうか? 俺はそんなに……」

 

「外出ませんしね。でも認めてくれてもいいじゃないですか、私がしたいんです」

 

「…………」

 

 まぁいいか。こちらに体重を預けてくるなふだを受け止める。背中がまがるような気分がする。でもそれでいい。それがいい。

 体を重ねていると、今を生きているという気分がする。

 体温が俺の心をつなぎとめている。

 それが危うくか細い糸のようなものだとわかっていても、今だけはそれにすがりたくなった。

 

 なふだもそうなのだろう。なんだ、案外似ているじゃないか。

 彼女が弱さを見せるところを、これまでの短いながらも濃い時間の中で初めて見た。いっそ心すら寄りすがるように、彼女の体温が俺に溶けていく。

 

「ハジメさん」

 

「なんだ?」

 

「あなたは、時々泣きたくなることはありますか?」

 

「あるよ」

 

 泣きたくなることはある。

 そりゃあそうだ。誰だってそう。

 

 男だったときは、しんどくても泣くまいと思っていた。意地だけが俺の中に残されていたから。その意地だけでこんなところまで来てしまったから。でも、今となってはどうなのだろう。

 わからない。

 しんどいときに、今の俺は泣けるのだろうか。

 

「生きていることがつらいときはありますか?」

 

「いつもだ」

 

「ええ。知ってます。そういう色をしてますから」

 

 色。色か。

 それは一体、どういったものなのだろうか。ひょっとすると人の色を見れるのかもしれない。

 共感覚といったか。そういったものがあることは知っている。少ないながらもある。文字に色がついて見える。音の色がわかる。そういったもののように、俺の心の色まで見てしまうのだろう。

 

「今は」彼女は言う。「ちょっと、わかる気もします」

 

「何があった?」

 

「嫌いな人に会っちゃっただけですよ。心構えができてなかったからクリーンヒット」

 

「それはつらいな。俺にも嫌いなやつはいる」

 

「どんな人ですか?」

 

「完璧超人だった。とっくに死んだよ」

 

「好きだったんですね」

 

 黙る。

 違う。俺は嫌いだった。嫌いじゃないわけがないのだ。そうだ。嫌っていなければ、今こうはなってないだろう。素直に俺もあの人のあとを継ごうとしたはずだ。

 でもそうじゃない。そうなることはなかった。

 全てはもしものことでしかない。

 

 あの人はなんだって出来た。完璧だった。

 完璧すぎたから、きっと死なないことだって出来たのに。

 

 遺言を覚えている。

 俺は覚えている。だからそうはなるまいと思っていた。

 

「嫌いだ。めんどくさい遺言を残しやがって」

 

「…………」

 

「大嫌いだよ。何が『独りで生きるな』だとさ。バカバカしい。そうやってなにもかもを許していったから殺されたんだろうが、バカみたい」

 

「似てますね」

 

「そりゃあ似てるだろ」

 

 なんせ父親だ。

 

 ああ、思い出してしまった。せっかく封じ込めた記憶の裏側。人の心を勝手に引っ掻き回すだけして死んだ野郎なんて、覚えていてもいいことはないのに。

 

 父親が死んだ後、家はバラバラになった。

 いや、違う。そうじゃない。俺だ。俺がぐちゃぐちゃにした。

 だから消えた。

 あそこにいるべきではないから消えた。

 

 それが間違っているというのなら、だったらどうすればよかったんだ。

 糾弾する権利は誰にもある。それで根本的解決になるのなら、どれだけよかったことか。

 捻れた心は戻らない。

 

 妹がいなくなったときだって。

 あの人がいたから立ち直れたのに。

 

 きっと俺の足は、そのときに片方ちぎれてしまったのだ。それを支えていたあの人がいなくなって、残った足すらなくしてしまった。

 それを停滞と呼ぶのなら。

 それを過ちというのなら。

 

 なら俺は、どうやって歩けばいい? 這っていけばいいのか? その先にあるのがどうしようもない死だというのに?

 

「ハジメさん」

 

「何だ?」

 

「シンキングタイムです。頭を回してくださいね。

 人という文字はお互いが支え合ってできていますか?」

 

「できていない」

 

 即答できる。

 

「そんな綺麗なものじゃない。支えてなんかいない。勝手に寄りかかり合っているだけだ。それが奇跡的に噛み合ってるだけでしかないんだ」

 

「それでも、支えにはなっていますよ」

 

「何が言いたい」

 

「今はただ、こうして寄りかからせてください。ハジメさんも寄りかかって大丈夫ですから」

 

「倒れるぞ」

 

「なら空が見えますね」

 

「室内だ」

 

「上は向けますし、手はつなげます」

 

「立っててもできる」

 

「でも下を向いてばかりじゃないですか」

 

 言葉に詰まった。

 言い返す言葉が出てこなかった。

 まるで言い訳ばかりしている自分に刺さっているようで。

 動かない理由ばかり探している自分を、糾弾されているようで。

 

 ああ、わかっている。

 わかっているんだ。

 

 本当はもう進める。

 足がなくても、背負ってくれる人は二人いるんだ。

 

 いや、違う。もっといる。いた。最初からいたんだ。俺が目を背けただけで。

 前に進みたいと言えば、きっと連れて行ってくれた人たちが。

 

「だから、一緒に寄りかかってみて。転んだら一緒に上を向きましょうよ。

 ……なんて。私に依存心がないといえば嘘になりますけど」

 

「やめてくれよ」少し、体重を預けた。「惨めすぎる。惨めすぎるんだよ、そんなの……」

 

 少しだけ上を向く。光が眩しい。でも、そこにたしかにある。そこには光がある。

 

「惨めすぎるだけなんだ」

 

 手を伸ばしても無駄だからと諦めていた。

 本当は手を伸ばしたら届く場所にあった。

 そんなの、とっくにわかっていたはず。

 

 だから本当に俺が怖いのは──

 

「繋いだ手を離されるなんて」







 ハジメちゃんは『いつか失われてしまうと怯えることに堪えきれないから自分の手で壊す』っていう子なんです。
 難儀ですね。


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配信者は相互理解の夢を見るか?

 ずっと頭をよぎっている。俺はどうしたらいいのか。どうしたいのか。

 答えが出ない問いだ。出せない。正しく言えば、出したくない。それを弱さとするのなら、俺は今世界で一番弱い人間に成り下がるだろう。その一点でのみ人間の価値が決められるのであれば、俺の価値はそれこそ二円だ。

 こうしていざ過去に向き合うとなると、心の底から吐き気がこみ上げてくるような心地になる。

 

 いつもそうだった。俺は過去と向き合うことのできるほどの強さを持っていないのだ。実際、何度もこれまで思い出しては吐いている。あまりの気持ちの悪さに涙さえ浮かべてしまう。それだけ過去は俺にとって大きな意味を持っていた。

 

 例えば人生を一度やり直せるとして。

 それで俺の人生が変わるのか?

 変わるといえば変わるだろう。悪い方向に。最初から希望を捨てていれば、その先で落ちることなんてない。既に俺はどうしようもないほどのどん底にいる。

 ああ、そうだ。そうだよ。そのとおりだ。何も言えないくらい最低に、俺はどん底にいる。

 いるんだ。

 

 ──そうやって、自分を型にはめて何が楽しいのだろう。

 静寂。防音のこのマンションでは、独りきりになったら途端に全ての音が掻き消える。特に深夜はそうだ。何もかもが消えてしまうような心地にすらなる。

 

 ルサンチマン。ルサンチマン症候群。幸せ者の足場がかき消えた時に笑えるやつら。俺だ。俺で間違いようがない。それだけ歪んだ心を持っている。

 なぁ、笑ってくれよ。馬鹿みたいだろ。こんなどうしようもない俺がこうしてくだらないことでうだうだと悩んでいることが。

 笑ってくれよ。

 昔はよかった。

 昔はこうじゃなかった。

 俺は俺だ。でも、最初から今の俺だったわけじゃない。こうなるまでには必ず過程がある。そして、こうならないはずの俺だっていたはずだ。その可能性を否定していいはずがない。なにせ昔の俺は父のようになることを目指していたのだから。

 

 

『ハジメ。お前は賢いから、誰かのためになることをやれ。

 お前を求めている人のために、最大限のことをやるんだ。父さんはこれまでそうやって生きてきたし、そうやって生きていくから』

 

 

「──ぅ、ぐっ……う、ぅぁぁ……ぁあああ」

 

 何だよ。

 なんで今さらになって、こんなことを思い出すんだ。なんでだよ。どうしてだ? いいや。なんで忘れていた? なんでお前は、お前のようなひねくれたクソみたいな人間が、半丁善悪の言葉をあっさりと受け入れられたんだ?

 

 なんで。

 なんで今さらになって。

 

「っ、く、くそぉ、なんで……なんでだよ……」

 

 わかっている。これは逆恨みだ。間違いなく逆恨みである。でも。

 それでも、俺は。

 

「なんで、もっと早くに……っ……なんで、今更っ……んぐっ、ふっ……ぅ、せめて、あの時に、会えてたら……」

 

 きっと、俺はこうはならなかったのに。

 

 他人任せ。自分が与えられて然るべきという、さながら餌を待つ鳥のような。そうして胡座をかいている人間に救いなんてないと知っているはずなのに、どうして俺はこうも醜いんだろう。

 理性でわかっていても、衝動が口を衝く。堰を切ったように溢れ出した涙と嗚咽。喉が痙攣して、鼻が詰まって、息をするのにも一苦労だ。

 

「……ふっ、ぅ、ぐ、あぁ、……たす、っ、たす、けて……ぁぁ、なんっ、て、クソが……」

 

 言葉にしてから、無性に死にたくなった。これまで慢性的に襲ってきていたその欲求。

 考えることがもうつらい。

 何よりも辛い。

 つらい。

 つらい。から。自分を殺して解放されたくなってくる。

 

 でも、死ぬのも嫌だ。

 ぐちゃぐちゃになった顔を袖で拭う。

 着替えて、外に出る。

 当て所なく彷徨う。

 

 俺には女みたいな服は、やっぱり似合わない。このくたびれたジャケットが何よりも馴染む。

 机に置いてあったタバコを手にとって、煙を撒き散らしながら歩く。

 

 夜中にもなると少し肌寒さを感じる季節で、涙で濡れた頬がとても冷たい。くゆる煙が月に届く前に風に消えるのを見て、視線を下に落とした。

 

「最低だな、俺」少し歩くと、先程の発言が頭にまた浮かび上がってくる。「最低な俺は、いい人よりも早く死ぬべきなのに」

 

 それなのに、いい人ばかり俺よりも先に死んでしまう。

 世の中の不条理。いや違う。死ぬんじゃない。殺されるんだ。

 誰に? そりゃあ決まっている。俺みたいな人間にだ。

 そういうやつは、意外とどこにでもいるから。だから二人が殺される前に、俺が殺すべきだ。そう考えて自分の思考を振り払った。メンヘラの女かよ。俺はそういうやつじゃないだろう。

 具体的にどういうやつかと問われたらなにも言えないが。

 

 街を歩く。影の街を歩く。夜中ともなると蛍光灯では少しの範囲しかカバーされないようで、暗闇の中を歩いている気分になる。

 

 歩いている。

 こうしていると、子供の時の記憶が蘇ってくる。

 兄の後ろを付いていった俺。父はその後ろから、俺たちを見ていた。

 だから怖くとも進めていた。

 今はどうだ? 歩けるか?

 

「……………………」

 

 近くの塀に背中をつける。

 別に怖くなったわけでもない。怖くなったわけでもないが、そのままそこで留まり続ける。

 

「……………………」

 

 別に怖くないし。

 

「──ぇ──」

 

「……うん?」

 

 何かが聞こえたような気がした。いや、聞こえた。この閑静な闇の中では音が響かないほうがおかしいのだが、わずかに響いた音が聞こえる程度。

 きな臭い。

 

「──助け──」

 

 今度ははっきりと聞こえた。

 知るか。どうせ気の所為だ。俺が行ったところでどうにもならない。それになんでもないくらいのことでしかないだろうが。

 

 ああくそ。

 それなのになんで俺の足はそっちに向かってる。

 馬鹿だ。大馬鹿者だ。好きに笑え。

 

 

 

 

 

 

 と、向かった先で俺は信じられないものを見る。

 倒れている複数の男。ただ一人立っているのは、どこにでもいそうな少女だ。

 特徴のない顔立ち。記憶に全く残りそうもない少女。ただ、そのインパクトだけは忘れることはできないだろう。

 

「──アレ?」

 

 彼女はなぜか少し離れた場所から見ている俺のほうに振り向き、はっとしたような表情をする。

 

「あ、アレ? もしかして、もしかしてですけど……ハピコさんでしょうか?」

 

「……え、あ、うん。うん?」

 

 誰だろう。こちらの戸惑いに対して、彼女は「ああ!」と手をぽんと打って近づいてきた。

 

「はじめまして! 私、忠兎もぶって名前でVTuberとして活動してる者です!

 善悪さんやなふだちゃんから話はよく聞いてますよ!」

 

「何話してんだあの二人……」

 

 というか、忠兎もぶ。

 『じぐざぐ』一期生であり、俺が完全に知らなかった相手であるはずだ。

 彼女の後ろを見る。倒れ伏した男たち。いやチャラそうじゃなくてなんか黒服なんだけどなんだあれ。

 忘れよう。そう思ったら、彼女が俺の視線の先を追って後ろを見た。

 

「ああ、あれはですね。人攫いさんみたいなものですよ」

 

「ひとさらい」

 

「ほら、私ってすごく平凡な顔でしょう? 昔からそうなんですよ。リアクションも普通とか言われちゃったし。学校のテストでは平均点ぴったりしか取ったことないですし、評定平均だっていつも3だったし……。だからよくああいう人に狙われちゃうんですよね。

 いなくても変わらないって思われてるからかなぁ?

 そのせいで腕っぷしだけが強くなっちゃって……」

 

「うでっぷし」

 

「ええ。ああして狙われるのは慣れてるので、あれくらいならあと十人いても余裕だったかも知れませんよ?」

 

 お前は魔導の巨人か。

 なふだは彼女のことを手放しで尊敬できるって言ってたけどちょっとアクが強すぎないかこれ。

 

 

 

 

 男たちが逃げ去った後。

 公園のベンチに腰掛けて、俺と彼女は話している。

 自動販売機で飲み物を買って、一息を入れての話し合いだ。とはいえ俺は金を持ってなかったから、彼女に奢ってもらうことになってしまったが。

 俺が飲んでいるのはあったかいココア。彼女が飲むのはコーヒー。それもブラックだ。この時間帯に飲むにはつらいものだと思うが、それでも普通に飲んでいるので、慣れているのだと思う。

 

「この時期は温かい飲み物がちょうどいいですねー」

 

「夏に放置したお茶よりはな」

 

 温くなって、味もおかしくなってしまった麦茶は飲めたものじゃない。もったいないから無理して飲むが、好んで飲みたいわけじゃない。

 けれど温くなった炭酸飲料は嫌いじゃない。もはやただの砂糖水のようなものだが、俺は砂糖水が嫌いじゃないから問題はない。

 

「ところで、ハピコさんはどうしてこんなところで一人歩いているんでしょうか?」

 

「別になんてことはないよ。ちょっと嫌なことを考えちゃっただけ。考えさせられたというべきか。

 それも心構えをしてなかったからクリーンヒットだ」

 

 ココアを飲んだ。甘ったるさが口に広がる。優しい味といえばいいのか。嫌いじゃない味だ。

 だからといって好きでもない。あくまでも嫌いじゃないだけ。

 違いはどこまでもある。大事な人が一人じゃないように、別にそれが特別ナンバーワンで大好きというわけではない。ただ無数に広がる嫌いよりは上に位置づいているだけ。

 

 風が吹いた。寒気が鼻先を擽って、小さくくしゃみが溢れる。鼻を啜る音で隣の微笑ましそうな顔を無視した。

 

「きっと、私みたいな人と違ってハピコさんにはいろんなことが頭に浮かんでるんだと思います」

 

「今日初めて会ったやつの何がわかるってんだ」

 

「動画はずっと見てました。二人からいつも話を聞いてます。それで足りません?」

 

「ああ足りないね。全くもって足りない。俺ですらわからないのに、それだけしか知らない人間がどうしてわかるってんだろう」

 

「…………。本当にわかってないんですか?」

 

「わかってないよ。わかってるわけがないだろ」

 

 わかっているわけがない。そうやって、瞼を閉じていることなんて自覚している。指摘されなくてもわかっている。やめてくれよ。そんな正論で刺してくるのは。

 もともと、こんなのだって突発的な衝動でしかないんだ。そうだ。わかっている。

 衝動で飛び出して、理由にもならない理由を探して。

 全くそのとおり。なふだの言っている通りだ。俺のことを彼女はよくわかっている。

 

 俺はそういうどうしようもない人間だから。

 だから、どうしてもわからない。

 俺には彼女がわからない。

 こんな俺を、高く買っている彼女のことがわからない。

 

「そうですねぇー……」忠兎もぶを名乗る彼女は月を見上げた。「私にはなにも言えませんから、言いません。言っても鬱陶しいだけでしょう?」

 

「かもね」

 

「なので、二人に任せます」

 

 足音。

 それはこちらに近づいてきている。聞き覚えのある声も。

 横を見ると、いたずらが成功したかのように笑う忠兎もぶを名乗る彼女。その手に握られたスマホに、LINEの履歴が映っていた。

 

 『じぐざぐ』ライバー専用の部屋。マジかよ、普通そんなのはディスコードでやるもんじゃないのか。

 会ったことのない、聞いたことのある名前が俺のことを探している痕跡。

 こんな夜中なのにも関わらず。そんなこと必要なんてないのに。別に、こんなことしなくてもよかったのに。

 

「……なんでわざわざ探してたんだよ。こんな、俺みたいな会ったことのないやつを」

 

「さぁ? なんででしょうね。鏡を見たらわかるんじゃないでしょうか」

 

 言われて、スマホのミラー機能で自分を見る。なるほど、最悪な顔をしている。今にも自殺してしまいそうだ。涙の跡まで残っていて笑ってしまう。こんなひどい顔をして歩いていたのか。

 そりゃあ心配されてしまうだろう。

 でも、それは会ったことのないやつを探す理由にはならないだろう。

 

 そう訴えようと顔を上げて、

 

 公園に飛び込んでくる姿を認めた。

 

「──っはぁっ、はぁっ、はぁぁぁぁあああ喉が冷たい焼ける燃える肺凍る……」

 

「も、もうッ無理……動きたくないです……」

 

 真っ先に飛び込んできたのは、もう見慣れた二人。

 

 俺を探してきたのか? なんで? わからない。どうして俺なんかを探すんだ。何もわからない。俺にはなにもわからない。

 だって、そんなのとっくに捨てたものなんだから。なんでだ。なんで今さらになって。今日になって何度思ったかわからないそれ。

 

「あー、疲れたぁ! よかったぁ! 美人さんなんだからそんな格好で夜中出歩いちゃ駄目ですよまったくもう!」

 

「ご、ごめん?」

 

「ハジメさん……ぜぇ……はっ……ごほ……喉つめてぇ……」

 

「ご、ごめん」

 

「なーにクソ雑魚晒してるんですか先輩」

 

「走るの……つらい……」

 

 大丈夫かなぁ……?

 今にも死にそうな顔しているのを見ると、すごく心配になる。昔から運動は人並み程度にはできたし、体力は多い方だったからこうまで苦しんだ経験はない。

 人って走るとこんな死にそうになるのか。

 というか、こんなになるまで俺のために走ってくれるのか。

 

 本当に。

 全くどうして。

 

「そりゃあ決まってますよ」

 

 こちらの心を見透かしたようになふだが言う。

 

「友人が泣いてたらどうにかしたいって思うでしょう?」

 

 はて。

 友人。

 友人とは誰を指しているのだろう。

 

「……俺?」

 

「それ以外に誰がいるんですか……! え、あれ? 友達だと思われてなかった? え? え?」

 

「やーいやーい隣人ポジの女ー」

 

「それを言うなら先輩は隣人ポジの男でしょうが!」

 

 反応に困って、横を見る。

 特徴のない顔の少女は、こちらににっこりと微笑んだ。

 

「で。ハピコさんは、どう思っているんですか?」

 

「…………」

 

 好ましくは思っている。

 でも。それは、失ったときにとてもつらいから。

 だから。

 

「あー、もう! まったく! すごくネガティブなんだから!

 もぶ先輩!」

 

「はい。……その呼ばれ方、なんかすごく嫌な響きが……」

 

 嫌な予感がする。逃げようと立ち上がったところを、隣に座っていた彼女が驚異的な反応で捉えた。

 しっかりと極まった羽交い締めは抵抗しようにも全く動くことはない。何だこれすげぇ。

 

「はいこちょこちょ」

 

「──っっっ!?!?!?」

 

 擽ったさに体をよじろうとして、動くこともできずに息が喉からあふれる。

 

「っく、ふ……!」

 

「センシティブな内容が含まれている可能性があります」

 

「っ……はなせ! やめろぉ! っぅっ、くゅっ」

 

「ほーらちょっとだけ元気になった! どうだ! 簡単なことでしょう!?

 難しくないでしょう!? ほら! あと先輩は後でマジビンタ」

 

 妥当。

 解放されて、息を吐きながら体をベンチに預ける。

 わからない。

 わかりたくない。それでも俺にはまだわかりたくないのだ。

 だって、それを認めてしまったら。失った時に、今度こそ立ち直れないから。

 

 擽ったさを刺激されて、涙も自然に溢れてきた。ああ、そうだ。これは擽られたせいだ。俺が悲しんでいるわけじゃない。そういうわけじゃないんだ。

 

「ほら、ハピコさん! イエスかノーで答えてください! 私たちのこと、どう思ってますか!?

 好きですか!?」

 

「…………いえす」

 

「じゃあ、ちょっとばかり私達を頼ってくださいよ。そんなに頼りないですか? 信用なりませんか?」

 

「違うよ」即答した。即答できた。「ただ怖いだけなんだよ、置いていかれるのが」

 

「そんなの私だって怖いに決まってるじゃないですか。先輩もそうでしょう?」

 

「……ああ」善悪は、実感が籠もった声で。「怖いさ。置いていかれるのは、怖いに決まってる」

 

「だから三人一緒なんですよ。わかりました? だから、置いていきも置いていかれもしない。横並びで歩いていきましょう」

 

「もし明日誰かが死んだら?」

 

「死にませんし死なせませんよ。ていうか死にそうな人筆頭がなに言ってるんですか全く怒りますよあーほっぺ柔らか」

 

「怒ってる……」

 

 ほっぺをうりうりとされながら、俺はつぶやく。

 でも、そうか。

 だから二人は俺を追いかけてくれたのか。

 

「……尊いってやつですか、これが……」

 

「何言ってるんですか先輩は」

 

「あーあ、かわいいなぁハピコさんもなふだちゃんも善悪さんもなー!」

 

 そう冗談のように言ってから、彼女はにっこりと俺に笑みを見せた。

 

「まぁ、私……というか、私達がハピコさんを探していた理由なんてそんなものですよ。意外と私、三人のコラボ好きなんですから」

 

「…………そんなものが、動く理由になるのか?」

 

「なるんですよねぇ。それにこれもまぁ、一つの思い出じゃないですか」

 

 それでは。そう言って、忠兎もぶを名乗る彼女は去っていく。

 彼女なら一人でも危ないということはないだろう。

 

 俺は。

 二人を正面から見た。

 

「帰りましょうか。俺たちの家に」

 

「アパートだけどな」

 

 手を出した。

 二人が両側からそれを握る。

 そして、そのまま歩き始めた。

 

 空を見上げる。星は見えない。けれど月は爛々と輝いている。

 綺麗だと思った。そう思った。手を伸ばせば届きそうだと、今はふと思った。

 思ったんだ。

 

 横並びで歩いている。

 俺は今歩いている。手のひらから伝わる体温が冷たい今には心地いい。

 歩幅を合わせて歩いている。

 ふと足を止めた。二人も歩みを止める。

 

「どうしました?」

 

「いや、なんでもない」

 

 置いていかれることはない。一緒に俺たちは歩いている。

 いつか置いていかれない保証はないけど、それでもこの瞬間は横並びで歩いているから。

 

 今はただ、それだけが心地良い。

 二人の腕。

 誰かの腕。

 俺はずっと、それを掴んでいたかった。




 前回と日にちは変わってない問題

 ハジメちゃんのレベルが1上がりました
 性格が1上がって2になりました
 カンストは65535

 なにか解決したり進歩したみたいな雰囲気を見せてるけど根本的な解決じゃないから亀の歩みみたいなものです。でも一歩は一歩なのでハジメちゃんかわいい
 ハジメちゃんで変換すると一歩ちゃんになるという無駄話も添えておきます


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ろくでなしふたり

 愛することが大好きだ。

 

 自分の意義を証明する必要がないからだ。

 

 

 

 

 絵を描いている。

 衝動のままに描いている。これまで培ってきた技法なんて知らない。それでも、体に染み付いた習性のようにそれはたしかに絵を描いていることに活かされている。

 

 だから、それはあっさりと完成してしまった。

 残りは数日置いて違和感を消していく作業だ。今はベランダでタバコの処理作業。掃除機のように消費に徹している。

 わずかな高みから見下ろした街は、どことなく忙しない様相に見えた。それでもなお笑っているように見える。煙の消えていくその街を見ながら、俺はただ日々を食い潰していた。

 

 こうしていると、昔の休日を思い出す。

 夕方に起きて、とりあえずでテレビとパソコンをつけて。冷蔵庫の中になにもないことに気づいたらコンビニまで歩いていった。そういう、どこにでもあるような無駄な一日。

 時間を食い潰している感覚というのはいつどのような時でも変わるものではない。土曜日にしたって日曜日にしたって祝日にしたって平日にしたって今となってはどれも変わらないようなものなのだから。

 でも、それでもこうして無駄に時間を使っていることを自覚したら、どうにかしないといけないという気持ちになってくる。

 

 物書きは一定の期間その場に収まり続けていると、自分の存在について考えるようになるのだという。昔読んだ本で誰かが語っていた。思い出すこともできないというのなら、それだけ興味がないのだろう。

 だがそういう言葉があったのは確実に覚えている。

 でもそれは物書きに限った話ではないだろう。

 

 こうして自分を切り売りして何かを作り出す仕事というのは、誰もがそういう気持ちを抱えていくに違いない。

 別に俺が辛気臭いだけということはないだろう。音楽家だってそうなんだし、小説家だってそうなんだから。

 そんなどうでもいいことを考えている正午。ベランダにどこからか忍び込んできた猫の姿を認めたとき、俺の今日が始まった。

 

 

 

 

 

 猫をコンクリートの大地の上に降ろして一息。

 首輪もしていなかったので、きっと野良猫だ。それにしては人懐っこいというか、俺に対しての警戒が薄いのははてさて。俺も野良猫の仲間のように思われたということなのだろうか。

 

 猫は好きだ。というか、動物は好きだ。とにかくデカい犬と猫を飼ってのしかかられるのが人間の生きる理由だとすら思っている。

 それは冗談にしても、動物は好き……大好きである。

 ペットというのはいいものだと思う。それは人をつなぎとめる理由になるから。

 俺もそういうものがほしかったのか、と思うと少しばかり笑ってしまうが。

 

 まぁ、とにかくそういうことである。

 

 部屋に戻ってみると、俺が出ていた間に来ていたらしく、善悪が俺を出迎えた。

 なふだは今日も事務所に向かっている。忙しいことだ。昨日の夜中に迎えに来てくれたのが今更申し訳なくなってくる。

 きっと許してくれるだろうから、今はそれはいいとしよう。

 

「なぁ、善悪」

 

「なんでしょう」

 

「お前ってさー。どうしてVTuberになろうとか思ったわけ?」

 

 そう聞くと、少し考える素振りを見せてから、

 

「……そうですねぇ。半分くらいはヤケだったでしょうか」

 

 ヤケ。自棄か。俺と似ているような気もする。

 決定的に違うんだろうけれど。自分自身で選択したことと、必要に駆られ選択したこと。

 そんなの、前者のほうがはるかに大変だ。俺にはできそうにもないことである。

 

「聞いてもいい?」

 

「面白くない話ですよ。平凡も平凡な俺が、平凡星から逃げ出して苦労して、最終的に平凡に今の座を決めることになるっていうだけの話です」

 

「面白そうじゃん。聞かせてよ」

 

「はぁ。それでは」

 

 そうして彼は語り出す。

 

「俺、昔は漫画家志望だったんですよ」

 

 

 

 

 

 

「人が一人で生きていくことはできない。でも、人は一人で完結するものだ。そう思ってました。

 けれど実際に蓋を開けてみたら高校生に上がった自分に、周囲に合わせている自分に気づいたんですよ。

 

 適当に誰かを好きになっていました。老若男女関係なく。美しいものには花と愛を。そうでないものにも夢と愛を。そうやっていたら、他人に全てを依存している自分になってしまっていました」

 

 

「そんな空っぽな人間が、漫画みたいに何かを一から作りあげることなんてそりゃあできませんでしたよ。

 それでも最近の漫画には原作者志望の人だっています。

 そういうやつにお話は任せて、俺は絵を描いていました」

 

 

「けど、他人の助けがなければろくになにも生み出せないなんて創作者失格じゃないですか。俺にできる最大限のことをやっても、俺の評価にはなりはしない。

 そんなの既存のものを作っただけだ。あるものをただあるように、形をなぞって整形しただけ。

 そう思った時、無性に今の俺が間違っているような気分になったんです」

 

 

「だから辞めました」

 

 

「でも、俺にはそれ以外はなにもなかったわけですから。そのあととりあえずで大学を行こうとして落ちました。高校を卒業したらクソ田舎から去ることにしてました。だからとにかくそれで上京……とはいきませんでしたが。都会には出てきました。

 しばらくバイトでどうにかこうにか生きて、そうしていたら、どこにもいけない自分に気づいた」

 

 

「気づいたのはもう五年も経とうとしているときですよ。馬鹿らしいでしょう? 五年も経てば時節は変わって、俺とは違って本気で夢を追ったやつは既に遠いところに消えていた。……まぁ、高校時代に話を考えてたやつなんですけどね。

 どうにも嫌な気分になって、漫画をまた描き始めました。何年経っても芽は出ることはありませんでした」

 

 

「いつのまにか、どん底に沈んでいるような自分になっていることに気づきました。

 気づいたからって、何ができるって話でしょう? どうしようもない。どん底から這い上がる気力もなくて、とりあえずはなんとなくでTwitterに絵を上げ始めました」

 

 

「たった一人それを認めてくれたひとがいたのは、ほんとに運が良かった。ちょっとだけそれでやる気も出てきました」

 

 

「だからその勢いのまま、VTuberに応募した。そしたら受かった。そんな程度の、どこにでもあるような平凡な話ですよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 どこにでもあるかこれ?

 

 話を聞き終えた俺の反応は、きっと間違っていないと思う。

 むしろ勢いで応募してこれだけのファンがついているのを運がよかったで済ませるのはどうかと思う。登録者地味に『じぐざぐ』一期生の中でも多いし。

 

「つまり高卒で夢破れて今はここってこと?」

 

「……まぁ、そうですね。間違ってないです」

 

「夢追ってただけ偉いじゃん。俺なんか高一のときに実家飛び出してここだぞ」

 

 高一で学校に行かずバイトして、最終的に辞めてこっちに出てきた俺よりははるかに偉いと思う。

 

「それ、大丈夫だったんですか? 女の人ひとりででしょう?」

 

「力仕事やってた──……ってそうか。そう見られるのか。別に大丈夫だよ、水商売とかやってねーし」

 

 そもそもできないというか。

 そのときからこの部屋を使っていたので、もう結構な付き合いになる。

 住処が安いのはいいことだ。

 

「元々あんまなにか食べないし。だから食費とかもフルでバイトしてたら結構なんとかなったというか」

 

 いろいろと面倒なこともあったが、それなりにどうにかはなった。

 バイト先に気に入られ、そのまま入社という経歴もあったくらいだ。

 まぁこの体になったせいで行けなくなったけど。

 

「まぁそんなわけだ。ろくでなし同盟ということで」

 

「はは。意外とそういうこともあるんですねぇ」

 

 と言いながらマイクを手に取る。

 

「じゃ、これお前の」

 

「うん? え、急になんですか」

 

「配信しようぜ。どうせ暇だろ?」

 

「……こっちじゃアバター使えません。俺の部屋にいきません?」

 

 そういうことになった。

 

 地味に入るのは何度目かになる隣人の部屋は、勝手になふだに片付けられる俺の部屋とは違ってかなりものが散らばっている。うっかり踏まないように気をつけて歩く。慣れた足取りでするすると進む善悪がパソコンを付けた。

 

「ということで始めていくぞー」

 

「はやぁい」

 

 『突発的に行動起こすのやめろ企業勢だろ』

 『企業勢でも突発的に始めるやつ多いんだよなぁ』

 『告知はどこ……ここ……?』

 『急にコラボするやん それもこの音の感じはオフやん』

 

「オフコラボかどうかってそんなさっとわかるもんなの?」

 

「いや、音とかでわかるのは少ないと思いますけど」

 

「ほーん。良い耳してるのね」

 

 『幽明見境:昨日は大変だったよ』

 

 『あっ、俺の妹だ』

 『俺の弟だし』

 『は? 俺の兄だよ』

 『俺のママだぞ』 

 『俺の恋人です』

 

「一瞬で複雑な家系図ができたなぁ……」

 

「見境さん……いや、昨日はほんとに付き合ってもらってごめんなさい。助かりました」

 

 『幽明見境:ハピコちゃん今度いっしょに遊ぼうね』

 

 『座津田からくり:俺とも遊ぼう』

 

 『昨日なんかあったの?』

 『あらあらあらライバーさんたちも反応が早い』

 

「昨日ちょっと俺のメンタルがバグって夜中に出歩いてたらじぐざぐのライバー総出で探されたんよ。なんて侘びたらいいか」

 

「あれだけ死にそうな顔してたらそりゃあ探しますよ……」

 

 『うちのハピコちゃんがほんとすいません……』

 『じぐざぐみんなやさしい』

 

 『幽明見境:私は別にだいじょうぶだよ 私たちの中でハピコちゃんはふわりと同列の存在になってるから』

 

 ふわり。

 じぐざぐに存在する綿のような少女のようななんなのかよくわからないかわいいいきものだ。

 綿あめで構成された女の子というのが一番適切だろうか。

 

 『わからなくもない』

 『チワワ見てるみたい』

 『ふわりちゃんレベルってすごいなみんなから愛されてるじゃん』

 

 『座津田からくり:涼がアルトにハピコちゃんの話してるのすごく癒やしだったぞ』

 『幽明見境:善悪くんはにゃんこだけじゃなく私にももっとハピコちゃんを自慢するべき』

 

「俺の知らないところで俺の話がされてるの、ちょっとこわいんだけど……」

 

「別に悪いことは話してませんよ。今日はベランダで猫と対話を試みてたとかそのくらいの話ですっったァ!?」

 

 『草』

 『こんな凛々しい顔をしているが実は猫と話そうとしていた』

 『尋常じゃなく恵まれた容姿と達観したような発言をするクールビューティーのふりをして精神年齢が小学生レベルの女』

 

 言いたい放題言いやがって。俺もキレることはあるんだぞ。

 そう思いながら善悪に親指攻撃を仕掛けている。小さく呻く様はなんとも面白い。ふはははもっと苦しめ。

 

 『ニキとハピコちゃんって同棲してるの?』

 

 あ、忘れてた。

 完全に説明を忘れていた。どうしよう、と思って隣を見ると、こちらに向けてウインクをする男の姿。そこはかとなく嫌な予感がするが任せてみよう。こくりと頷く。

 

「──実はハピコさんと俺、結婚してるんだ」

 

 『術楽なふだ:ただただ単純に部屋が隣同士なだけですちなみにハピコさんは私の部屋に結構遊びに来ますが先輩に部屋にはあんまり行かないのでどっちかと言えば私のほうが結婚していると言えるでしょうハピコさんの料理も部屋の掃除もしてるの私ですしこれは先輩にはできないので私のほうがポイント高くないですかそう思いますよね』

 

 『草』

 

 『鈴音涼:今のは嘘です』

 

 なふだの反応が早すぎて普通なはずの連理の反応がすごく陳腐に思える。ていうかこれ発言予想してないと送れないだろ。そもそもあいつは今歌のレッスンをしているんじゃなかっただろうか。ていうか結婚してないしする気もない。

 なふだの部屋のほうに行くのは単純に部屋が綺麗だからだし。

 

「まぁ今のは冗談として……」

 

「お前マジで外堀埋めるつもりだったよな?」

 

「なんのことですか?」

 

 『うーんこれは極悪人』

 『刺す』

 『てか結局声が似てた隣人って本人だったのか草』

 『いよいよほんとにストーカーでは?』

 『ヒモと金のあるストーカーとママ』

 『うーんいいバランスだ……こうみるとハピコちゃんプロのヒモよね』

 

 プロのヒモって概念何なの?

 

 『鈴音涼:ハピコさん最終学歴中卒ですし』

 

「やめろバラすなれっ──涼!!」

 

「俺さっきその話聞いた。結構なかなかの衝撃だったね」

 

「うるさい黙れ元漫画家志望のフリーター」

 

「中卒で無計画に家飛び出してバイトやってた人に言われたくないですー!」

 

「うるさいうるさいうるさい俺はちゃんとそのあと就職したんだよ!」

 

「でも結局辞めて今ニートじゃないですか!!」

 

 『泥仕合 五十歩百歩 同じ虫』

 『俳句ができあがったな……』

 『お互いに黒歴史晒し合うのやめない?』

 『ニキが漫画家志望だったのは知ってる Twitterのフォロワーが30人とかだけだったってのも知ってる』

 

 『座津田からくり:俺も正確にはニートだったぞ』

 

「からくりさんの機械いじって路銀稼いでた話ほんとすき」

 

「俺たちみたいな市民とは違いますよ……『天才』ってやつはね……へへっ……」

 

 なんだろう。

 学歴を指摘されるの、今更辛くなってきた。

 これは俺に余裕ができたからかそれとも。

 

 そんなのは関係ない。今たしかにあるのは、俺たちはどっちにしろろくでもないやつらなんだという実感。

 それだけがずっしりと伸し掛かっていた。悪い方でも、いい方でも。





 更新という名のマラソンゲーム その果てにあるのが作者の死だとしたら?(闇落ち手前)(翻訳すると一応あった書き溜めが真に尽きました)
 アニメ化もしましたし呪術廻戦をよろしくおねがいします 9巻というか過去編の完成度高すぎて何回も見直している


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たのしい休日

 文具屋は好きだ。

 

 あの雰囲気が好きだし、インクの香りが染み付いたような木で出来た床板を踏みしめて歩くのも好きだし、そうじゃない全国に出店しているような店だってずらりとペンが並んでいるのを見るのは壮観だ。

 それにあちらこちらと目移りしながら色々と探すのは楽しい。あれだけたくさんある中から目当てのペンを買いに行く楽しさは、他のものではあまりないだろう。強いていうならば本屋の感覚に近い。

 

 だからじぐざぐ生歌配信企画三日前、久々に家にいたなふだといつもどおりの善悪に文具屋に行こうと誘われたときは二つ返事でオーケーした。

 

 ──その決断を今、少し後悔している。

 

「見てください先輩。新発売ですって」

 

「なるほど。試筆出来ない? あ、あるわ。んー、滑りすぎるしグリップもちょっと痛くなりそう。俺には合わんな」

 

「えー、このさらさら感がいいのに。グリップも金属製で高級感あっていいじゃないですかー」

 

「低粘度油性インクはあんま得意じゃないんだよ。高級感あるのはわかるけど」

 

 話についていけない。

 最近筆記用具なんて漁ってなかったから全くわからない。現場で字を書いたりするので一本は持っていたが、それにしたってずっと同じものを使い続けている。SARASAすき。

 だから、今こうして話していることの内容が全くわからない。

 

 いや、わからないということはない。一応少しはわかる。わかるが、ペンの使い心地に関してなど今まで全く気にしたことはなかった。慣れなくても使っていたらそのうち馴染むからだ。だからこそ、自分の好みをこうして持っているというのが既にもうわからない。

 

「えーと、なになに、値段は……2200円!? 高くね!?」

 

「……?」

 

「……? なに言ってるんですかハジメさん。こんなのまだ安いほうじゃないですか」

 

 安いの? 金銭感覚がおかしいだけじゃなくて? というかふたりとも普段文房具使うの?

 

 いやまだなふだはわかる。彼女はなんか白衣とか似合うタイプの女史だ。だからこう、メモを取る姿は容易に想像できる。問題はもう片方だ。

 顔だけは結構整っている。それだけ見たら落ち着いた感じの顔で、書斎で何かペンを使ってしたためていそうなのはまぁ肯定しよう。でも普段の生活がダメダメなせいでペンを使って何かを書く姿というのが想像できない。

 

「そもそも俺ピュアモルト4&1持ってるからこれ以上は別に増やさなくてもいいかなぁ。……あーでも軸いいなぁ。買お」

 

「私も買っときましょうか。ピュアモルトって木の温かみはありますけど金属も良くないですか?」

 

「どっちも好き。ただ木軸の手触りが好きだからそっちのほうを結局使いそう」

 

「まぁそこらへんは好みですよねぇ。あ、ハジメさんも買っときます? なんなら買ってあげましょうか?」

 

「え、あ、いや、いいよ。あんまり字とか書かないし」

 

「それは大変ですね」

 

 食いついたのは両方。釣り人なら喜んでいるところだろう。あいにく俺はそうじゃないしどっちかと言えばこれに食いつかれるのは勘弁してほしかったからお手上げ。

 

「ハジメさん。いいですか、字っていうのは一つの発明なんですよ。わかるでしょう? 普段いっつも思考をまとめたりするじゃないですか? そういうときに紙にペンで書いたら思考の広がり方もまた変わってくるしなんなら少し楽しくなってくるんですよ。

 私たちも配信の企画をまとめたり話す内容をメモしたりしてやったりすることあるんですよ。どうでしょう。ハジメさんもこちらに。

 それにハジメさんの場合は動画のネタにもできるじゃないですか。どうですか、ここは一つ勉強と思って」

 

「よしわかりました。金銭的に厳しいと思うのなら俺たちが払います。なのでハジメさんもこっちに……今だ……引きずりこめ……! 沼に溺れろ……!」

 

「え、えええ?」

 

 両腕をがっしりと掴まれた。振りほどこうにもとても強く握られている。ちょっと痛い。

 なにより執念を感じる。怖くて手に力が入らない。いや別にビビってないし。ちょっと二人に気圧されてるだけだし。ビビってるわけではないし。

 違うから。

 

 でも二人は怖いが、考えをまとめるのにペンを持つのはなんとなくいいなと思った。

 書斎というわけではないが、テーブルに向かってペンで自分の思考を書いてまとめる。すごくかっこよくて心惹かれるではないか。

 

 メルストのノンちゃん先生も万年筆集めが趣味らしいし。

 

「じゃ、じゃあわかった。それで」

 

「ではどれから見ていきます? 思考をまとめるのなら無難にシャーペンから行きますか?」

 

「でもなぁ。シャーペンって極論を言ったら書きづらいペンなんだよな。消せるっていうのが特徴なだけで。そう考えるとフリクションってやっぱりすごいと思うね俺は」

 

「この先輩は無視していいですから。個人によって好みの書き味は違いますし、シャーペンの心地が好きな人もいるんですからそうやってインクで書く頭をそろそろ解凍しといてください。先輩、値下げ」

 

「なんで??」

 

 ということで、シャーペンコーナーに向かう。

 たくさんのペンが棚に立てられているのを見ると、やはりどこか心踊る感覚がある。

 

「うわー、懐かしい。俺の中学ではこれ使ってたやつ多かったよ。ドクターグリップ」

 

「やっぱり人気ですねぇ……あれ、クルトガじゃないんですか?」

 

「ん? あー、それは俺が学校やめてから流行ったやつじゃない? テレビで見たことあるわ」

 

「……あの、失礼ながらハジメさん」

 

 なふだが微妙そうな顔をしてこちらを見た。

 

「何歳ですか?」

 

「二十八」

 

「見えなっ……! 嘘でしょう、普通に年下かと思ってました……」

 

「地味に俺より年上ですね……二歳差だ」

 

「私なんて八歳差ですけど? え、冗談でしょう? ハジメさんそれにしては……なんというか……」なふだが言葉を選ぶように、口をもにょもにょさせて。「……難儀ですね?」

 

「なんぎ」

 

 だろうか。いや自分でもうじうじクソ野郎っていうのはわかってるんだ。性分なせいで治らないだけで。

 でもこうして他人に指摘されると凹むというかなんというか。

 

「あ、あー! 泣かないでくださいよ、私が悪かったですから……!」

 

「泣いてないけどぉ?」

 

「めっちゃ目が潤んでるじゃないですか」

 

「なーかしたーなーかしたー、事務所に言ってやろ」

 

「先輩値下げ。五百円の男ですね」

 

「ワンコイン!?」

 

 ワンコインの男っていうとなんか響きが良くないからやめろ。

 そもそも泣いてないし。

 

 周囲を見ていると、懐かしいものを見つけた。中学時代に愛用していたシャーペンだ。

 

「これ好きだったなぁ」

 

「えーとこれは……ああ、グラフレットですか。なかなか珍しいの使ってたんですね……?」

 

「親がね」

 

 くれたんだ。今となってはどこにあるのかわからない。

 シャーペンは使わなくなって久しい。途中から、ボールペンのほうがさっと書くだけなら楽なことに気づいたからだ。

 だから家にはシャーペンはない。

 けれど、こうしていざ触れてみるとまたほしくなってくるものだ。これは買っておこう。

 

「……でも、こんなに種類あるんだな……」

 

 0.3から0.9まで。昔使っていたのは0.5だったと思うが、それにしてもこれだけの量を見たらまた別のものを使ってみようかとなる。

 特に0.4なんか見たこともない。とりあえず手にとってみた。

 

「0.4ってどんな感じなんだろ」

 

「気になるなら全部買っちゃいます?」

 

「大人買いってやつか?」

 

「大人の特権ですよ」

 

 どうせあんまり使わないだろうが、言葉に甘えてあったぶんだけ全ての芯径を買っておいた。

 文房具に払うには結構な金額だが、たまにはいいだろう。

 そもそも今は比較的にお金が有り余っている。これも二人が俺に食費を負担させないせいだ。動画の広告料金だけで暮らせる程度にはあるのに安くて食費も持っていないのだからそりゃあそうもなる。

 

 でも俺でそれだけもらっているのなら二人はどれだけ稼いでいるのだろうか。

 すこしうずっとした。収入を聞くのはマナー違反なので留めておいたが、今度きっかけがあったら絶対に聞き出そう。

 

 ……プロのヒモという言葉が聞こえてきた。気のせいだ。きっとそうに違いない。

 

「他になんかおすすめのシャーペンってある?」

 

「初心者におすすめなのは……スマッシュとかですかね?」

 

「俺はオレンズネロめっちゃ好きですよ。ノックなしで絵を書き続けられるし」

 

「でも芯のコスト高くないですか? それに落とすと危ないでしょう」

 

「壊れたら買い換えよう」

 

「3000円をですか? ……でも使ってみるとハマると思うんですよねぇたしかに……」

 

 と、言われて見に行く。別の場所にあるようだ。そっちに向かうと、置かれているのは黒い箱。

 芯径によって分けられているようだ。でも三つあるのは一体何なんだ。どれがいいんだろう。

 困って善悪を見ると、彼はこちらにウインクをしてから頷いた。その動作は癖なんだろうか。それをやったときのお前にいい印象がないんだけど。そういう言葉も出てこないまま、やつは言った。

 

「全部買っちゃいましょう」

 

「シャーペンで9000円って馬鹿じゃないの?」

 

「それ結構博打でしょう……?」

 

 少し考えて、俺は言った。

 

「ならこれから俺をその気にさせるプレゼンをしてください」

 

「イラストの練習にとにかくいいです。一度ノックしたら芯が切れるまでノックしなくていいので快適に筆記が出来ます。線画の細い線なんかも細い芯のやつ使えば大丈夫ですし」

 

「買った」

 

 魅力をよくわかっている。果たしてほんとにイラストの練習にいいのかは置いておいて、俺をその気にさせるやり方をよく心得ている。

 

「オレンズネロってイラストにいいんですね?」

 

「少なくとも俺は好きだぞ」

 

 まぁお金余ってるし。課金とかに使うよりは建設的だろう。

 服はなふだに買ってもらっているから問題ない。

 

「シャーペンはこのくらいでいいかなぁ」

 

「まぁあとは気になった時に買いに来ましょう」

 

「わかった」

 

 次はボールペン。これに関してはSARASAでいいと思ったが、とりあえず勧められたジェットストリームとアクロドライブとエナージェルを買った。なんか一つ単色でめちゃくちゃ高いんだけど。普通のアクロボールじゃ駄目だったのか。

 

「あ、じゃあフィログラフィ買っときます?」

 

「いえ…………」

 

 流石に二千円代をそんなに大量に買う気はない。

 

「いやでも最初に一本持っとくと楽なんですよ……ほら限定色がありますよ……ほら……どうですか……?」

 

「そんな餌で俺が……いや待ってなんだこの色めっちゃ好きなんだけど!?」

 

 買った。

 

 

 

 

 

「ってことでいろいろ買っちゃったんだよなぁ。楽しかったけど」

 

 『買ったのか……』

 『話に出てきてるよりもはるかに大量に買ってるんですけどそれは……』 

 

「……いやね。ちゃんと自重しようとは思ったんだよ。でもあの二人がすごく楽しそうに紹介してくるから……」

 

 声音ではあんまりわからなかったけど相当ニコニコとしていた。というかあのあと一緒にお昼を外で食べたときまでにっこにこだった。

 それはオムライスを頬張っていた俺が子供っぽいという理由じゃないはずだ。いやオムライスなんて誰だって食べるだろ。何が悪いんだくそう。

 

 『万年筆まで買ってるの草 いくらエントリーモデルっていっても一万円はするのに』

 『ノートもたくさんですね……』

 『総額は?』

 

「ナイショ」

 

 少なくとも文具で飛ぶような額ではなかったと思う。どうしてそんなに買ってしまったのかわからない。

 後悔はあんまりないけれど。

 

「なふだがさぁ。あんなに楽しそうなのは見てて楽しいよ。善悪のやつもさ。だからついつい俺も楽しくて買っちゃったの」

 

 『おっ』

 『これはデレ……デレ……』

 『やっぱハピコちゃんかわいい!』

 『ハピコちゃんかわいい!』

 

「それを共通の合言葉にするのやめようか」

 

 ちょっと顔が赤くなっているのは気のせいだろう。たぶん部屋があついんだ。換気するべきだろうか。

 

 『半丁善悪:ハピコちゃん、かわいい!』

 『術楽なふだ:ハピコさんは実際すごくかわいいです』

 

「やめようって言ってるじゃんか」

 

 『顔真っ赤……これは……りんご……!?』

 『てぇてぇですねこれは……』

 

 やめろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつもどおりに配信が終わって、二人がこちらの部屋に入ってくる。二人だって個人の配信があるだろうに、と思うが、二人の場合は深夜らへんにやっているので時間は被っていない。

 今は夜が始まろうとしているころ。テーブルを三人で囲んで、夕食が始まる。

 

「今日は手抜きでカレーです。すみません……」

 

「いやいいよ。二人とももうすぐ本番だろ? 別にそんなこと気にしないでいいって。

 それに俺、カレー大好きだし」

 

 早速一口目。

 

「……辛くない?」

 

「中辛です」

 

「辛いよ?」

 

「中辛です」

 

「おかしいなぁ」

 

 昔よりも辛さに対する耐性がなくなっているのか。量自体はこれまでとあまり変わらなかったから、ここにきての味覚の変化の自覚に自分でもすこし驚いた。

 

「っふ、ふふふふ!」

 

 笑うところじゃなかったと思う。少しむっとして抗議になふだの足をつま先で突っついた。

 反撃に親指で足裏を擽られて敗走。

 

「……ハジメさん、かわいい」

 

 善悪がしみじみと呟いた。だからそれは気のせいだって。やめてくれ。

 俺は普通の反応をしているだけだ。なにより純粋で当たり前な反応をしているだけだから、そうして何か言われるようなものじゃないのだ。

 だからその『かわいい』は気のせいでしかない。

 

 それに対して俺はあまりなにも感じていないけど。

 それにしてもあつい。辛い物を食べたせいだろう。特に顔が熱くて、手で仰ぐのだった。








 今日は少し突き刺さることもあって異常に暗いことになりそうだったので辛気臭い路線はお休みです。Twitterのトレンドの例のあれですが。

 なのでちょっと楽しいことを。
 今回こんないろいろ書いてますけど私の一番思い出深いペンは友人からもらった百円のペンです。店頭から消えて入手不能になるまでは持っていようと思います。


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黒檀の仕草は色らしい

 駅で人を待っている。

 

 駅入り口に近い柱に体重を預けてスマホを見ながら、俺は人を待っていた。今日は珍しくすこしはおめかしをしての外出だ。流石に少しは厳かな雰囲気で行ったほうがいいに決まっている。まぁ二人に選んでもらったんだけれど。俺にまともな服が選べるわけがないのだ。

 餅は餅屋って言うし。

 

 スマホの画面に映し出されている画像。ファイル形式はpng。スマホのネット制限がまだ遠いことを確認する。別に外に出ないから問題はないんだが、それでも備えあれば憂いはない。事前確認しておけば問題はない。家の鍵を閉めたかどうかくらいの感覚でしかなく、そしてすぐに確認できることなのだから確認しておくに越したことはないのだ。

 

 休みの日だからか、街は活気立っている。健全な容貌を見せているのだから、問題はない。いや、問題はあった。多少まともな格好をしているからか、さっきから多少声をかけられることがある。

 別にYouTuberがどうこうならば問題はないが、それとは違い普通のナンパだ。少なからず善悪よりマトモな面になってから出直せと言っておいた。そこそこちゃんとした服装してたら声もかけられるものか。比較的無難な、いわゆる地味な服装だからか余計にそうなっているのかもしれない。

 もっと攻撃的な服装ならまだマシだったのかもしれない。例えば真っ赤とか。そんな色なら誰も話しかけはしないだろう。

 

「──ねむ……」

 

 というか、朝時だ。眠気も来る。朝イチでナンパというのもなかなか珍しいものじゃないだろうか。すごいものに遭遇した気がする。

 昼時ならもっと来るのだろうか。そう思っていると、待ち人が駆け足で息を荒げながら近づいてきた。

 

「ごめんっ、お待たせぇ」

 

「おう。息整えな」

 

 白い髪の色。白い肌の色。着飾っている服まで真っ白で、どことなく非現実味を漂わせる少女。ここに来るまでに何度振り返られたのだろうか。目の惹くその女子の声を、俺は聞いたことがある。違和感は拭えないが、そのうち慣れるだろう。そういうものだ。

 

 その綺麗な髪が少し跳ねているのはチャームポイントになるだろうが、おそらくは寝癖だ。ポケットから櫛を取り出して梳いてやる。昔少しこうした覚えがあった。うまく出来なくて泣かれたこともある。懐かしいものだ。

 今ではもう、することもない。

 

「ご、ごめん兄ちゃん……」

 

「その顔と声で兄ちゃんって言われるの違和感しかないな」

 

 待ち人は連理である。

 今日は『じぐざぐ』による生歌配信企画の日。

 俺は約束したとおりに、連理の付添で送迎をする。

 

「行くか」

 

「どの駅で乗るかわかってる?」

 

「調べてる。切符は買わなくて大丈夫か?」

 

「あ、うん。pasmoあるよ」

 

「残高は問題ない?」

 

「大丈夫」

 

 なんてやり取りを経て動き出した。向かう先は秋葉原。少し距離はあるけれど、そんなに問題はない。すぐに着く。

 隣を歩く弟を見た。いや、今では妹か。一日置きに変わるなら弟でいいか。ともかく弟に対して保護者がついていくことを許可したのは、タイミング的に女子バージョンになることがわかっていたからか。

 

 確かにこの見た目と中身を考えると、一人で旅をさせるのは怖いものがある。英断だと言えよう。

 

「飲み物とか買わなくて大丈夫?」

 

「あ、うん。着いてから買うよ」

 

 ということで、電車に乗り込んでしばらく。乗り継ぎなどを経てからようやく会社に着いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その印象は、普通の事務所といった感じ。

 中に入ってみてもそれは変わらない。とはいえ昔勤めていた場所よりははるかに小綺麗だと思う。比較的大きいし、駐車場までちゃんとあるのは東京では珍しいのではないだろうか。と思ったがそれも比較的小さいので、こんなものなのかなぁと言った感じだ。

 

「……んん? あれれ? ハピコちゃんと涼くんだー」

 

「あ、見境さん」

 

「ああ、この間はすみません」

 

「いいよいいよ、気にしないで。別に敬語とか要らないよ? 私って敬われるような人間じゃないのだ」

 

 そう言ってにへらと頬をやわらげた相手。

 幽明見境。性別は不明。現状では女子にしか見えないので便宜上彼女としておくが、ついている疑惑だってある相手だ。

 設定としては幽霊的な存在で、魂を主食としているらしい。あくまでも設定なので別に俺が狂ったわけではない。

 

 しかし魂。魂か。最近は嫌にそれと縁があるものだ。流行ってるのだろうか。それとも、VTuberになるような人間は心底それを信じ切っているのだろうか。

 でも、VTuberの中の人は魂と呼ばれる。それにこだわっていてもおかしくはないか。

 

 その意味では、俺もVTuberに似ているのだろう。

 女の見た目に男の心。別に演じることもないが、配信したりなにかをしたり、やっていることはVTuberと一切変わりないのかもしれない。

 

「ハピコちゃん、今日は涼くんの付添だけー?」

 

「え、まぁ」

 

「せっかくだしスペシャルゲストで出ない? たぶん企画さんは喜んでオーケーしてくれると思うけど」

 

「嫌だよ……?」

 

 えー、なんでさーという声に対して指を二本立てる。

 

「まずひとつ。俺が出たくない」

 

「うん。すりすり」

 

 なんだ今の。

 

「そしてふたつ。なふだの邪魔をしたくない」

 

「あー、それならしょうがないね」

 

 といって、意外なほどあっさりと彼女は引き下がった。

 逆にこっちが拍子抜けするくらいだ。目をしぱぱとはためかせていると、彼女はこっちの反応を見て頬を膨らませる。あざとい仕草だが天然でやっているのだろう。あんまりに媚びがない自然な動作だった。

 

「私もなふだちゃんのがんばり知ってたもん、それを出されたら弱っちゃうよ」

 

「なるほどねぇ……」

 

 そういうことらしい。

 

「あ、そうだ。練習室に案内するよ。付いてきてね」

 

 そうして案内されたのは、小さな個室だ。防音仕様らしい。ここで普段練習しているのだろう。置かれているのはスピーカー。小型ながらそこそこ良いようで、CDプレーヤーに繋がっている。

 backing truckをこれで読み込ませて練習する感じらしい。歌の指導なんかはできる人がやるようだが、人数の問題もありなかなか全員一斉にということは難しいようだ。

 

「まぁ歌の指導なんか最低限だけどね。ここでは曲をトチらないように練習するだけだよ」

 

「なふださんなんかは新曲の発表を生でやるっていうのですごく大変な練習をしてるんですよー」

 

 らしい。まぁ既存の曲を歌うのに関しては、そう大変なものでもないからそうもなるだろう。

 善悪がそんなに忙しそうにしてなかったのもこういう理由があってのことか。

 

 なるほど、と感心していると扉の向こうからごすっと鈍い音が聞こえた。窓から覗いてみると、そこには倒れ伏した人の山が。

 最前列に埋もれているなふだと善悪と知らない人。一体なんなんだこれ。

 

「あー……大丈夫か?」

 

「大丈夫じゃないです」

 

「ハジメさん起こして……むぎゅー……」

 

「はぁ──っ復活! ってもうひどいよ幽明ちゃん! ハピコさんが来たら僕に伝えようよ!」

 

「忘れてましたすみませーん。なんちゃって。言われてなかったから別に要らないかと思って」

 

「報・連・相は社会人の基本だろ!?」

 

「でも青玻璃さんいっつも相談しないじゃん」

 

「本当にごめんなさい」

 

 土下座した知らない人の前に仁王立ちする幽明見境。よくわからない関係だが、偉い人なんだろうか。全くそうは見えないが。

 土下座から足の指の筋力で起き上がった彼が、こちらに向かって胸元から取り出した名刺を渡してくる。

 

「ということで僕、『じぐざぐ』プロジェクトの統括をしてる青玻璃カイラです」

 

「あ、はい」

 

「いやぁ以前からお会いしたいと思ってたんですよねぇ。最高にうち向きの人材じゃないですか」

 

「はぁ」そうだろうか。疑問だが。とりあえず、さっきから気になっていることを一言。「前髪にほこりついてますよ」

 

「えっマジ?」

 

 そう言って彼は前髪を払い、

 

「──気のせいですよ!」

 

「なんだこいつ」

 

 なるほど。

 VTuberの関係者は大体変人らしい。

 ……その言い方だと俺も変人になるか。やめておこう。

 

「で、質問です青玻璃さん。この人だかりはなんでしょう?」

 

「皆さんハピコさんに挨拶しようと集まってるんですよ」

 

「何故??」

 

「好かれてるんですよ」

 

「なんで??」

 

 俺の反応は間違ってないはずだ。

 

 だがまぁ、こちらとしてもこの間お世話になった……というか、迷惑をかけた人は結構いる。なのでむしろちょうどいいかもしれない。この機に謝っておこう。

 

「えっと、一人ずつお願いします」

 

「よっし順番決めましょうじゃんけんすっぞじゃんけん」

 

「二十人いるのにじゃんけんって効率悪くないですか」

 

「ならあっち向いてホイ」

 

「悪化してるぞ」

 

「なら小学校のときにやった前の人に勝った人が残るやつ」

 

「ハピコちゃーん! 手を上げてー!」

 

「え、あ、うん」

 

 言われるがままに手を上げた。

 

「前で適当にぐーちょきぱーのなんかお願いします」

 

「待ってお前らなんで当然のようにそっち側いるの?」

 

 この場合のお前らとは既に挨拶を終えている五人を指す。

 

「そんなことはどうでもいいんですよほらはやくはやく!」

 

「どうでもよくないからな! ……まぁ、他がいいならいいけど。

 じゃあいくぞー、じゃーんけーんほいっ」

 

 出したのはグー。

 なんというか、手を変えないでいいから最初はいっつもグーを出してしまうのだ。

 癖といえば癖だが、あんまり問題にならない癖だから放置している。

 

 そして残ったのは五人。

 

「随分と一気に減ったな……?」

 

 二人残っているのはまぁいいとしてなふだと善悪と連理が残っているのはどことなく怖い。

 最初にあいこでも駄目なので、そのぶんがふるいおとされたと考えたらまぁ納得できるものだろうか。

 

 身内三人が残ってるの考えがバレてるみたいで怖い。

 

「次ー。じゃーんけーん、ほいっ」

 

 ずがっと大きな音がして見れば善悪が蹲って倒れ伏せている。

 そしてなふだは勝ち誇るようにチョキを掲げていた。

 

 俺が出したのがグーなので、ここで二人は脱落なのは間違いない。

 

「──あれ、ていうか決まった……?」

 

 控えめにグーを出している連理。

 何故か猫耳をつけてチョキを掲げている女子。いやあれ絶対三丁目にゃんこだろそれ以外考えようがない。

 

 そしてパーを出したのは忠兎もぶである。

 

「……………………」

 

「やったー! 勝ちましたよー!」

 

 ひょっとしたら動体視力がよすぎて普通に何出すか見てから出したんじゃないかという疑問が拭えないが、ともかく勝ちは勝ちだ。こっちに近づいてきて手を差し出してくる彼女に、手を出した。

 

「ということで、ちょっとぶりですハピコさん! 今日はおめかししてるんですね」

 

「あ、うん。すごく違和感あるけど」

 

「似合ってますよー! でも意外と可愛い系も狙えそうなんですよね。今度着てみませんか?」

 

「服を選ぶ時間が勿体ないから……」

 

「じゃあ私が選ぶので着てください」

 

 目がガチだ。とりあえず頷いておく。ビビってはない。この間からよく気圧されるけど別にビビってないから大丈夫。

 大丈夫だって。

 

「じゃ、そういうことで! 次誰ですか?」

 

「決まってます」

 

 そして、一人の少女が手を上げた。

 

 長くまっすぐな黒髪は、細い線の儚げな顔つきと違い鮮烈に個我を伝えてくる。どこか眠たげな瞳で、彼女は言った。

 

「こういうときは──上から順番に行くべきでしょう?」

 

「はぁぁぁぁ? ちょっと待ったソラちゃんそれは聞き逃がせねぇなぁ?」

 

「ステイ」

 

「はい」

 

 弱すぎる……。

 あっさりと陥落した五百円の男が座り込むのを見て反応に困る。周囲がなにも言わないってことは次は彼女ってことでいいんだろうか。

 こちらに近づいてくる彼女のほうに顔を向ける。

 彼女はこちらにやんわりと手を差し伸べてくる。表情の読みにくいその目と、柔和な曲線を描いている口元。まとっている独特の雰囲気。

 そして声にも覚えがあった。

 

「はじめまして、高山ソラです。

 前々からお会いしたいと思ってました」

 

 高山ソラ。

 『じぐざぐ』のメンバーの中でも特にずば抜けて人気のある彼女。登録者数だって他とは比べ物にならないレベルの彼女が差し出してきた手に、こちらの手を恐る恐ると返した。

 

「それは光栄。こっちはまさか会えるとは思ってなかったよ。雲の上の存在だもんな」

 

「うふふっ……やっぱりそうです」

 

 と、ここでいまいちよくわからない返答。疑問に首をかしげると、彼女はそのままこちらに顔を近づけ──

 

 

「あ、ああぁぁぁぁぁぁー! やっちゃったぁー!」

 

「俺もまだなのに……クソッッッ」

 

「子供のときは向こうからされてたので僕の勝ちです」

 

「お前らちょっと大丈夫か……?」

 

 

 背後の喧騒もイマイチ耳に入らない。

 何が起きたのかよくわからない。一体俺はなにをされた?

 

「──はぇ?」

 

 顔が熱い。いまいちよくわからないけど顔が熱い。脳が起こったことを処理しきれない。

 こっちの顔から遠ざけた顔を赤らめながら、黒髪の少女は唇に手を当てた。

 

「──ふふ。アンドロギュヌス的な在り方、すごく素敵ですね?」

 

 わからない。

 よくわからない。

 頭が沸騰している。

 

 なにこれ。







ソラちゃんは美少女で清楚なんですがまぁこういうことするしふざけるときはとことんはっちゃけるのでもぶちゃんのほうが清楚ってなっちゃうんですよね
喋らなければ清楚

彼女がこれまで興味を持ったリストには涼くんとか前々回名前だけ出たアルトくんとか見境くんちゃんとかみたいな人たちがあったり


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アンドロギュヌスの……

 長めです


 ──理解が追いつかない。現状の把握はできている。けれど理解はそうではない。

 

 頭が意味の変わらないくらいにぐるぐる空回り。そこで発生した熱はファンがないので処理しきれない。手で仰いで風を起こしたとて同じこと。そんな微風では拭い去れないくらいの熱があった。

 水冷が必要である。水嚢ください。

 

 そんな俺と、同じように固まっている周囲はお構いなしにむんずと目の前の女──高山ソラは俺の顔を掴み、じーっと覗いている。

 

 俺よりも早く復活を果たした善悪ががっと距離を作らせて、俺の前になふだが立った。どことなく猫が威嚇しているようにも思える。いやふしゃーってお前はマジで猫か。

 あくまでもコミカルな表現として言っているだけなのだろうが、普段から気まぐれなところのある彼女がすると本当に猫っぽいからなんとも言えなくなってくる。

 

「な、なにをやってるんですか先輩はー!」

 

「反応を見たかっただけよ?」

 

「たちが悪い……! ていうかなんでですか」

 

「なふだならわかると思うけど」

 

 そう言って、彼女は俺を指差す。

 

「ハピコさん、こんなに綺麗でしょう? 心だって、女の人みたいな繊細さと男の人みたいな荒々しさを持ってるじゃない?

 まるで一人で完結した、両性具有の人みたいじゃない。体は女の人、心は男の人──そんなものじゃなくて。

 心が雌雄どちらもに均衡してる、とても珍しい中性の人ね。だからなふだも高く買ってるのでしょう?」

 

「……まぁ、わからなくはないですけど……」むっとしたなふだはあまり怖くない睨みを利かせて。「だからってそれは無理やりすぎでしょう。私だってやってないのに。ずるい」

 

 あまり聞きたくない言葉まで聞こえてしまった。俺の耳は馬鹿になってしまったのだろうか。

 まぁ、彼女がそんなことを言うわけがないだろう。俺の間違いだ。記憶の底に放り込んで忘れることにした。

 

「涼ちゃんは肉体的にどちらにもなれるけれど、心は男の人のものでしょう? それはそれでまた別の美しさがあると思うけど。

 ハピコさんはそれと違って、女の人の器に対して、その中身は──どちらにも傾くような、まだ分かたれてない中性。一人称からすると少し男の人のほうに寄ってるのかも?

 なんにせよどちらも一生に一度出逢えればすごく幸運なほうじゃないかしら。そんな人と出逢ったんだから、少しくらい楽しんでもいいんじゃない?」

 

「がるるるるる……ふしゃー!」

 

 「それは私のキャラー!」と三丁目の家猫が訴えるのを無視してなふだは俺にひしっと抱きついた。

 

「……怒らせちゃったかしら? ごめんなさい」

 

 少ししゅんとしながら謝った彼女は、俺に視線を定め。

 

「ハピコさん、いきなりごめんなさい。これからも仲良くしてくれますか?」

 

「まぁ、それはいいけど……」

 

 よくわからない。

 掴みどころがない……というか、目から表情が読めない。何を考えているかわからないし、なにを思っているかすらよくわからない。

 浮世離れした雰囲気は、画面越しに見ていた彼女と全く同じ。

 

 昔俺は彼女を天才だと思った。そしてそれは間違っていない。まごうことなく彼女は天才だ。

 

 けれど。

 それではまだ温い評価だったかもしれない。

 

 未だに熱の残る唇を袖で拭って、俺はそう思った。

 

 

 

 

「はじめまして! 私三丁目にゃんこだにゃ──です! よろしくおねがいします! あー! 前から会ってみたかったんですよ!」

 

「お、おう。語尾は?」

 

「にぐっ……え、えっと……その……恥ずかしくて……」

 

「語尾は?」

 

「う、ううう、ううぅ──……にゃ、にゃん?」

 

「結局にゃんにしたんだ」

 

「あ、はい。そうだにゃ──です」

 

「にゃんじゃないんだ」

 

「いじるのはやめてくださいよぅ、もう……。

 会ってみたかったっていうのは嘘じゃないですよ、ちゃんと私も家から出て探したんですからね……」

 

「……あー、うん。あのときはごめん。探してくれてありがとう」

 

 配信と印象が全然違った。

 普段配信で見ているのは、もっと性格がひどい感じだったのだが……どうしてだろうか。

 

 次。

 

「はじめました。出逢い販売、はじめましたよー。ハルハハール・ハルハールですー」

 

「冷やし中華みたいなノリで言われましても……」

 

「敬語要らないですよ。ということで、私とあなたとの出逢いを記念してこれをあげますー」

 

「……あの、これって羽ペン……?」

 

「ペン先が普通のニブになってるやつだから本物とは言えませんけどね。これからも文房具の沼にハマってください」

 

 そう言って去っていったが……これはどうしよう。高いものじゃないんだろうか。

 まぁいいや。もらえるならもらってしまえ。

 

 次。

 

「よーっす。俺っちが座津田(ざった)からくりだよーん」

 

「こんにちは。この前はすみませんでした」

 

「別にいいよあんなの。日常のアクセントと思えば全然よ、全然。興味ないことやるよか全然よかったさ」

 

「そういってもらえると助かります……」

 

「敬語も要らねぇぞ? にしても……ソラから狙われるとかかわいそうに。あいつ押しが強いから何するかわからん。気をつけろよ。もしなんかあった場合はなふだだったらどうにかするから頼ってけな?」

 

「あ、……おう。わかった、忠告ありがとうよ」

 

 こちらといえば、かなりイメージ通りの顔つきと性格だ。いわゆる兄貴分といった感じの、さっぱりとして気持ちいい話し方をする。

 だからこそVTuberという、機械を実際に見せることのできない……いわば強みを潰されているようなコンテンツの中で生きているのにも関わらず、人気を獲得することができたのだろう。

 

 しかしドモールの機材はからくりが監修しているという噂があるし、意外と相性が悪くなかったりするのかもしれない。

 少なからず天才ということは間違いない。

 

 次。

 

「はじめましてー、ふわりですー」

 

「あ、うん。はじめまして。……何歳かな?」

 

「ナイショですよ?」

 

「そっか。よろしくね」

 

「ハピコちゃんとは前から会いたかったのですー」

 

「そう? 嬉しいな」

 

「実際あったら、思ってたよりもふわふわしててかわいい人でした」

 

「…………そう?」

 

「あ、照れてますねー?」

 

 動画で見たようなふわふわしたよくわからない生き物ではなくちゃんと人間だが、異常に幼い見た目をしている。頬なんかは触れるともちもちどこまでも伸びそうだ。美少女。まごうことなくそれであることは間違いない。

 とは言え流石に幼すぎるだろう。正直びっくりした。

 

 次。

 

「はじめましてー! 羚羊(かもしか)蝦夷鹿(えぞしか)ですっ!」

 

「あ、善悪とはじめて一緒に配信したときに見に来てくれてたよな? ありがとう。この間探してもくれてたらしいね。ほんとにごめん」

 

「あ、覚えててくれたんですね! それとあのときのことは問題ナッシングです! 私は私のやりたいことをしただけですから」

 

「どうして俺を探すのがやりたいことになるんだ?」

 

「えへ。私、善悪さんにはすっごくお世話になりましたから。ハピコさんの前だとすっごく先輩生き生きしてますし、楽しいんだろうなぁって。だからあれは終始私のためにやったことです! そんなのに謝られてもノンノン! こっちがむしろ謝りたいくらいですよー!」

 

「そっか。でも、ありがとな」

 

「……えへへ。そういうところがみんなに好かれるんだと思いますよ?」

 

 とにかく明るそうな雰囲気を絶やさない子だ。こちらをまっすぐと見据え、ほにゃっとした笑みを浮かべるさまは犬を連想させる。一挙一動にキレがあるから、彼女の3D配信がこのあと行われるのを見るのが楽しみになる。

 声もハリがいいので、おそらくは昔舞台なんかを経験している子だろう。演劇部とかだったのだろうか。

 

 次。

 

「はじめましてぇ──! ノーブル・ベルゾナーだよ! あ、カワイイ! 実物は思ったよりもカワイイよすっげーカワイイ! そりゃあソラちゃんも気に入るわけだ! はいぎゅー!」

 

「ふむぎゅっ……あ、あの!?」

 

「……ヤバ。すっげ-抱き心地。革命だよこれ……ハピコちゃん、私の抱き枕として永久就職しないか……?」

 

「え、嫌だけど」

 

「がーん。マジショック。でも会った時くらいは抱きついてもいいよな? な?」

 

「……まぁ……それなら……」

 

「よっし! 言質はとったぞ!? 絶対だ! 絶対だからな!」

 

 なんとも勢いのある彼女。動画などでは天才物理学者を豪語するが、実際はどうなのだろうか。天才を名乗るならそれくらい自分で作ってくれと思うのは駄目だろうか。そもそも俺は物理学を全く知らないからなにをやっているのかもわからない。

 ただ、彼女のハグはちょっとだけ求められている感覚を満たすような気がして、駄目になりそうな気がする。あんまり乗らないようにしよう。

 なふだと善悪と連理の視線がちょっと怖かったし。それ以上に怖いのはソラのなにを考えているのかわからない目。

 

 次。

 

「はじめましてー、夏目(なつめ)死織(しおり)ですー」

 

「あ、この間探してくれてたよな。ありがとう。あとその服装暑くない?」

 

「別に礼を言われることじゃないですよっと。服は結構快適なんですよこれ。ほら、上着にファンがあるでしょう? だからこんなコートでも結構涼しくなるんですよ。まぁ汗は出ますけど……」

 

「駄目じゃない? 大丈夫か?」

 

「外ではこれ脱げませんね。透けちゃったりしたら恥ずかしいし」

 

 そう言ってからからと笑った彼女はにこやかだ。目の下に大きな隈ができている彼女だが、むしろそれこそがチャームポイントのように見える。モデルも彼女の特徴をそのまま流用したのだろう。同一人物といえば納得できるくらいには、アバターはそっくりだ。

 というか、『じぐざぐ』のキャラクターは中身ありきでの作成をされている。それぞれの持つ特徴を活かすために、個人個人の目立つポイントはかなり押さえているのだ。

 絵師さんがすごい。

 

 次。

 

「はじめまして! 三橋(みつはし)八橋(やつはし)って言います! シャレみたいな名前してますけど素面ですからね! このネーム案出したの俺なんですけど、結構ハマってると思いません?」

 

「そうだな。名前とセットで少し話せばすぐにどんなタイプの人間かわかるくらいにはハマってると思うぜ」

 

「でしょう!? 同期には結構馬鹿にされるんですよねぇ、特に死織! あいつ昔から──あいたァッ!?」

 

 後ろから飛んできた何かが八橋の頭を打つ。そのまま倒れた彼は死織に引きずられていった。

 そのときのにっこり笑顔は、なんというか凄みがあった。なるほど、彼女は彼との付き合いの長さを隠したいわけだ。

 バレバレなわけだが。曖昧に笑って流しておく。

 

 次。

 

「はじめまして! ネクロム・ミーナでーす! ハピコちゃん、かわいい!」

 

「流行らないし流行らせないでください」

 

「あ、敬語は要らないぜぃー! それとその願いは私の力を大きく超えている」

 

「じゃあ何ならできるんだよ」

 

「超越的存在とか根源的破滅招来体の招来とかとか!」

 

「助けてウルトラマン……!」

 

 設定的には自分をネクロノミコンの擬人化と思い込んでいる魔術師の彼女だが、見た目はかなりかわいらしい。耳にちゃらりと星型のイヤリングをつけ、二又の赤黒い髪の先端はゆるやかにカールしていた。喋り方と勝ち気な表情がとても設定とマッチしているようにも思える。

 

 次。

 

「アリューニア・ベルケット。よろしくおねがいします」

 

「この間探してくれてたらしいね。ありがとう」

 

「その敬語の付けるつけないの判断はどこが基準なんですか?」

 

「あ、ごめん嫌でしたか? すみません、動画の配信でのユーザーとの雰囲気とかから考えてました」

 

「あ、あ、いえ、違います! 違いますよ! 大丈夫です! タメ口でおねがいします! 単純に疑問だっただけですから! あわ、あわわ、ごめんなさい!」

 

「そう? じゃあそうするな。別になにも思ってないし慌てないでいいよ」

 

 といって手をばたつかせていた彼女の頭を撫でた。ちょっとあれかとも思ったが、それでも意外と受け入れてくれるようでよかった。こっちの手に頭を擦り付けてくる彼女を見て少し癒やされる。

 動画では比喩が上手な子だ。丁寧な比喩から生み出される笑いは、俺もかなり好きな部類に入る。

 クールぶっているがすぐにテンパるギャップもある。そりゃあ人気も出るだろう。

 

 次。

 

「はじめまして、テレスト・アリアですー。お会いできて光栄ですー」

 

「この間はありがとうございます、わざわざ探してもらって……」

 

「いえいえ、大丈夫ですよー。あ、敬語も入りません。ところで、このあとの歌も聴いていくんですよね?」

 

「その予定だけど、それがどうした?」

 

「じゃあ、聴いててくださいね。私の歌声。絶対に後悔はさせませんから!」

 

 そうして、芯の通った視線が俺を刺した。思わず笑みが出る。

 こういう自信のある子は好きだ。それが結果として伴わなくても、自信を持ち続けている人というのは成長するからだ。

 俺は知っている。何より知っている。

 まるでそれは──。

 

 次。

 

「はじめまして、ウルセラ・レミックスですー! あ、これLINEのQRコード印刷したやつです。よかったらどうぞ!」

 

「あ、ありがとう」

 

「にしてもやっぱり肌綺麗だなぁ。いっつもどうやってお手入れしてるんですか?」

 

「え? えっと……してない」

 

「神様を殺してきますね」

 

「え、あ、ちょっ」

 

 もともと動画でもおかしなところがあったが、それにしたってよくわからない。俺が首を傾げているのとは逆に、女性陣は共感するような顔で去っていく姿を見送っていた。

 これは俺がおかしいのだろうか。

 

 次。

 

「始めまして。黒墨(くろすみ)黒桐(こくとう)です」

 

「あ、うん。なんというか……キャラよりも顔がいいんだな?」

 

「美人は三日で飽きるって言うじゃないですか。男もたぶん似たようなもんでしょう。だからすごく普通な顔にしてもらったんですよ。自分の顔、立ち絵のほうが本当の顔だと思えるくらいには好きじゃなくて。

 ──ハピコさんは、そう思ったことないですか?」

 

「ないな。ただ、自分の顔が本当の顔に思えないっていうのはわかるぜ。

 それもよくわかる」

 

「……そうですか。

 共感されたのは、はじめてです」

 

 少し笑っての最後の発言。彼はそうして、握手をしてから後ろに下がっていった。

 顔が自分のものとは思えない。俺もそうだ。ひょっとすると彼も俺と同じ事情を抱えているのかもしれない。そうじゃないのかも知れない。でも、この共感だけはおそらくは持っていてもいいはずだ。

 間違っていることじゃないはずだった。

 

 次。

 

「はっじめましてー! しじま静謐(せいひつ)ですよー!」

 

「え、誰?」

 

「あ、配信見ててくれたんですね! ありがたいなぁ……もうなんかこの返しがくるだけで嬉しくて涙が……うう……」

 

「え、嬉しいのか!? あれ悲しくての涙じゃなくて!?」

 

「ああ、様式美ってあるじゃないですか。あれを自分で生み出したんだなぁって実感がすごくあって! それがなにより嬉しいんすよ!」

 

 『じぐざぐ』内部でも影の薄い彼は、そう言って朗らかに笑った。目は少し潤んでいる。

 それだけテンプレート──様式美としての流れが出来たことが嬉しいのだろう。

 自分の配信内で通る記号。それが彼にとっての『誰?』なわけだ。

 不本意ながら俺の言われている『ハピコちゃん、かわいい!』みたいなものだろう。あれは元ネタがあるからあれだが。

 

 次。

 

「はじめまして。白雪ゆきのですの」

 

「かわいいですね」

 

「──あら? そんな……照れて溶けてしまいます。あんまりそう、褒めないでいただけると……。

 あと、私に敬語は要らないです。自然体で、好きなように、のんびりと話してくださいませ」

 

「あ、そうか? じゃあそうするよ。ありがとう。

 あと、この間はわざわざ探してもらってごめん」

 

「気にすることじゃないですよ。私がそうしたいからしただけですから。

 ……なにもかもから逃げたいときってありますものね。でも、自分の命からだけは逃げちゃいけないんですよ」

 

「……うん。わかってる」

 

「ですから、そんなときは私達『じぐざぐ』に頼ってくださいね。あなたはまるで、昔の私みたいで……ちょっと危うく見えちゃうんです」

 

 そう言って穏やかに笑った彼女は、口に手を当てて「それでは」と下がっていった。

 流石は『じぐざぐ』随一の清楚。まさにおしとやか。大和撫子の体現のようだ。

 

 ──わかっている。

 自分の命から逃げるときは、それが本当に最後の終わりになる。

 だから逃げられない。

 わかっているんだ、そんなこと。

 

 今は向き合える。きっと向き合える。だから大丈夫だ。

 大丈夫のはずだ。

 

 次。

 

「はじめまして! ミクルミック・ミーニャです!」

 

「はじめまして。何歳かな?」

 

「ミーニャは十六歳! 涼くんと同じなのですよ!」

 

「十六歳……見えないな。あと一人称がミーニャなのか。ロールプレイとかじゃないんだな」

 

「ミーニャは……そう……オタクのパパとママがこう、理想の教育としていろいろとこうしろとかああしろとか言われたせいで……癖になっちゃって……」

 

「そんなのもあるのか……」

 

 「また今度コラボしてねー!」といいながら下がっていく彼女は、やっぱり十六歳には見えない。

 癒やされる気分だ。絶対にどこかでコラボ配信したい。

 

 次。

 

「はじめまして、こいつが凶鳥です。俺はノブル。よろしくおねがいします」

 

「うん、よろしく。……どうして二人で来たんだ?」

 

「こいつ極度の緊張しいでして。特に美人の前では異常に緊張して暴走しそうになるっていう」

 

「ああ、なるほど」

 

「今度なにかの企画で一緒になることがあればよろしくおねがいします」

 

 そう言って、二人は去っていった。

 結局凶鳥は喋ることもなかった。大丈夫だろうか。内弁慶なんだろうか。配信ではあんなに喋ってるのに……。

 

 次。

 

「はじめまして! 長寿庵(ちょうじゅあん)あずきです!」

 

「よろしく。この前探してくれてたんだよな。ありがとう」

 

「わーい! 褒められちゃいました! 愛してます!」

 

「……軽々しく言うことじゃないぞ?」

 

「あ、はい。わかりました。マクドナルドのポテトくらい好きです」

 

「わかりづらい……!」

 

「えへへ。大好きってことですよ。特に理由はないですけど」

 

 よくわからない。

 俺にはよくわからない。理由なく人を好きになるような、その心がわからない。

 なんとなくで人を好きになることは──俺にはないのだ。

 

 次。

 

折手(おりで)切片(せっぺん)です。よろしくおねがいします」

 

「あ、どうも。この間探してくれたんですよね。ありがとうございます」

 

「どういたしまして。今日の生歌、楽しんでいってくださいね」

 

 それだけ言って、彼は下がっていく。

 

 次。

 

「はじめましてー! 憂鬱間(ゆううつかん)みなかです!」

 

「はじめまして。よろしくね」

 

「はい! あ、ハピコさんハピコさん! これあげます!」

 

「え? ──ああ、ありがとう。似合ってるかな?」

 

「ええ!」

 

 「それじゃ!」と言ってあっさりと去っていく彼女。配信とは違ってかなりアッパーなテンションだった。

 かけた首飾りは、少しだけ重みに違和感がある。それが心の重みなのか。俺にはいまいちわからなかった。

 ──いつかわかるのだろうか?

 

 次。

 

「は、はじめましてっ! アルト・ワルターですっ! 涼くんから話はかねがねっ!」

 

「あ、緊張しなくていいぞー。涼の友達?」

 

「友達というか……なんというか……仲はいいです! でもネットから知り合ったのでそう言っていいのか……」

 

「難儀な子だなぁ。友達で問題ないだろ。

 ま、仲良くしてやってくれよ」

 

「は、はいっ!」

 

 わたわたとして後ろに下がっていく彼──彼でいいんだよな? 彼は、なるほど。連理がなつくのもわかるとおりに素直な性格をしていた。

 

 ……今ので全員か。

 とりあえずこれで終わりだ。

 結構時間を食ってしまった。とりあえずここからどうしようか。そう思っていると、統括・カイラが提案した。

 

「──じゃあこっからリハで! 僕はいなくてもいいよな! あとハピコさんには本番を見せたいよな! ということで俺とハピコさんはちょっと外で話してくるからその方針でよろしく!」

 

 不満は上がることはなかった。異論もない。

 だから、そういうことになった。

 

 

 

 

 外。少し歩いた場所にあるカフェ。

 その席に二人対面で話す。

 

「で、どういう話がしたいんだ?」

 

「ちょっとしたことです」

 

 彼はテーブルを人差し指の腹で叩き。

 

「──今後のあなたと『じぐざぐ』の関係性について、しっかり話しておいたほうがいいでしょう?」






 キャラ紹介いれたら普段より3000字オーバーしちゃった……
 日付変わってないので……。

 音楽系VTuberたちのコンピレーション・アルバムがまた発売しますよ
 前回は「こだまのうた」と「Lunatic Mountains」と「勇者のくせに」が特にぶっささりましたね……。いくつかYouTubeに上がってるのでぜひぜひ前回の曲も聴いてみてください。上の三つはあります。


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奔れ虚事列車の偏愛

 注文したコーヒーが届いてから少し。どちらともなくカップに口をつけて、俺はテーブルに肘をついた。軽食も注文しているから、それが来るまで待とうかとも思ったが……別に社外秘の話をするというわけではない。というか、向こうから案内したのならばそこらへんの事情を汲んでくれる店なのだろう。さっさと話すことにする。

 

 現状の俺の青玻璃カイラへの印象といえば、変な人間だ。その印象が強すぎる。だが少なからず有能なのだろう。『じぐざぐ』の統括をしているということは、採用を決めたのは彼のはずだ。つまり見る目はある。そのうえで、あのアクの強いメンバーをまとめることができるくらいには信用を勝ち取っている。

 それはつまり結果を出しているということだ。

 

 二人からは彼の話は聞かなかったが。

 

「で、関係性っていうのは……突き詰めるとなふだと善悪についてのことですよね」

 

「いえ、今となってはその限りにありません。最初はそれだけのつもりだったんですが──気づけばメンバー全員があなたに惹きつけられている。

 かく言う僕だってその枠の中。全く恐ろしい。ロックンローラーになったら大成するんじゃないですかね? あ、敬語要らないですよ」

 

「オーケーわかった。ロックには心惹かれるがなんねーよ。悪いけども俺にはそんなセンスがねぇ。

 それに、俺は別に好かれるようなやつじゃないと思うけどな」

 

「なんとなく原因は察してますよ。あなたは常人が足を止めるところを踏み切って、常人が踏み切るところで足を止める。

 ()()()なんだ。異物的ですらある。ちぐはぐで、見ていて危なっかしい。

 あなたにできることはたいていの人ができなくて、あなたにできないことはたいていの人ができる。だからこそ、あなたに惹かれるんでしょうね」

 

「自覚はあるさ」

 

 自分が偏っていることくらい。

 

 俺にできることをできない人がいる。

 俺にできないことをできる人がいる。

 それは当然だ。人間なのだから、得手不得手が存在することくらい何より当然で純粋な当たり前でしかない。

 

 俺は特別じゃない。特別な人間というのは、見てわかるものだ。

 俺は特別を知っている。なんでもできてしまうような、器用貧乏が極まって万能な人を知っている。あるいは一つの方向に伸び切りすぎて、他人をぶっちぎってしまっている人を知っている。

 ──俺は特別じゃない。それは間違いようも、疑いようもない事実。けれど外れている自覚はあった。むしろそれ以外にはなかった。

 

 それ以外にはない。ないんだ。

 

「あなたがこのまま活動を続けるならば、世界が目を離せなくなる。これは間違いない。老若男女関係なしに、あなたは世界を熱狂させるような魅力を持っている。

 だからそうなったとき、あなたに近い二人は──どうなるでしょうね。どころか、鈴音涼……戦場連理にだって問題が出てくる。それ以外にも今後あなたに深く関わるだろう人たちはうちにはたくさんいます」

 

「身バレ問題ね。それは俺だってよくよく考えてたよ。なにぶん無駄に目を惹く見た目だ」

 

「……あなたは、自分の見た目が好きじゃなさそうですね」

 

「嫌いじゃないぜ。便利だし」

 

 ふぅん、と彼は言った。軽薄な笑みを顔に貼り付けて、彼は自分の紅茶に口をつけた。

 

「一応、折手さんなんかはそこらへんを気にして不干渉の姿勢を見せてますよ。さっきの挨拶のときの、そっけなく感じたならすみません。僕から謝っておきます。

 ただ、今のところあなたと関わることに対して生まれる不利益がよく読めない。特にバーチャルYouTuberなんていうジャンルの……要は、キャラクターになりきって他人に売り出す仕事をしている私たちの場合、あなたと関わると顔バレの恐れがありますよね。

 そうなったら痛手だ。この業界に関しては、メディア露出が受け入れられている声優などのように割り切ることのできない業界なわけです。本人のキャラクター性も特に重要視されますしね」

 

「わかってるって。それでもって、俺はあんまりにも警戒心がないからな。心配する気持ちはよく分かる。で、そっちはどういう案を思いついたんだ?」

 

「あなたをライバーとして受け入れる」彼は即答した。「これが僕にできる提案ですが」

 

「悪いけど、VTuberになろうとは思わない」

 

「でしょうね。そしてこれは『じぐざぐ』的にも取りたくない案だ。

 うちのライバーは基本的に、配信未経験者──いわば素人から選んでいるわけですよ。

 それぞれの個性をそのまま描き出すから、顔が割れてしまっていたら連想されやすいかもしれませんし。

 あと単純に──VTuber以外で人気を出せるのなら、そこにVTuberである必要はないってね」

 

「他所を否定してないか?」

 

「他所は他所ですよ。うちはうちで、うちの方針がそれだ。演者の個性を色濃く映し出す──それはつまり、その当人にしか作れないものを作ってもらう。その手助けをするのが僕たちだ。つまり、手助けが必要のない人達に関しては取らない方針をしています。既にその世界を作っているんだから。

 当然、バーチャルでしかできないことを真面目に追求するタイプの人もその中にはいるでしょう。

 でもそういう人は他所に行ってもらいたい。その情熱があるのならきっと他所ででも取ってもらえるでしょうしね」

 

「へぇ。シビアなんだな」

 

「僕はね、自分で飛べる人はそうするべきだと思ってます。

 ──翼が折れた。育ってない。折られた。そういう人たちだからこそ、僕たちのような手助けが必要なんですよ。……善悪さんの過去は知ってるんですっけ?」

 

「うん。教えてもらった」

 

 他人を愛していたら、自分を失ってしまった人。

 自分を失ってしまったせいで、夢を失った人。とても弱いし、脆い在り方。まるで俺みたいだ。いや違う。俺と同じなんて、そうやって彼を貶めるわけにはいかない。

 

「彼は飛べなかった。だから、僕は彼を選んだ。そうして僕が選んだ彼が、今あなたの手を引いて飛び立つ手伝いをしている」

 

「まぁ、あいつがいなかったら間違いなく俺は伸びてないわな」

 

「あなたの部屋の隣に引っ越したのは驚きですけどね。それになふださんがついていくのも意外でした。でも考えてみればそりゃあそうなんでしょうね。あるいは彼女だからこそ、といえばいいのか」

 

「……はぁ。いったい何が言いたいんだ? 脱線してないか?」

 

「おっと失礼。まぁ、そういう意味で……あなたには僕たちの助けは必要ない。むしろ『じぐざぐ』のみんなにやってもらったほうがいいでしょうね。あなたは翼があっても、飛び方がわからない人間ですから」

 

 ああ、そういう意味ね。つまりはその結論に持っていくために長い話をしたというわけだ。

 どうも彼は一つの話を長々と話す傾向にあるようだ。むしろ彼自身が配信者向きではないだろうか。

 

 注文していた軽食が来た。

 彼がサンドイッチ。俺のほうにあるのはいちごのパフェ。

 

「いちご、好きなんですか?」

 

「ん? うん。甘いものは好きだよ」

 

 この体になってからは特に。昔はあんまり甘すぎると吐きそうにもなったが、今では全然そんなことはない。

 むしろ体がもっとと求めるくらいだ。太らないのだろうか。

 

 大きめなアイスをえぐりとって、スプーンを口に運ぶ俺を見ながら彼は言った。

 

「ところで」

 

「ふむ?」

 

「善悪さんとなふださんに対してどう思ってるんですか?」

 

「好きだよ」

 

 即答した。即答できた。

 

「俺を置いていかないって、約束してくれたし」

 

「リア凸されてるのにも関わらず?」

 

「でも結果的にいい友人だ」

 

「本当ですか? 利用されているとは考えないんですか?」

 

「俺のなにを利用するってんだよ。……そもそも、そんなやつがさ。『一緒に寄りかかってみて、倒れたとしても、二人で空が一緒に見える』だなんてこと言うもんか」

 

「…………。なるほど。すみませんでした」

 

 いきなり頭を下げられる。え、なんだろう。少し驚いて、とりあえず口にパフェを運ぶ。クリームの甘さといちごのソースの酸味が絡み合って、幸福感を感じる。よし、落ち着いた。

 

「……いきなりなに?」

 

「身バレ対策と、もし身バレしたときの対応は全部僕がどうにかします。ですのでハピコさん」

 

 そう言って、彼は手を差し出してきた。

 

「『じぐざぐ』プロジェクトの特別協力者として公式に認めるということでどうでしょう?」

 

「え、それ根本的解決にはなってなくない?」

 

「いえ、解決しますよ。これはつまりハピコさんがうちと公式に関係を持つということ。これまで部外者だったハピコさんに対してリソースを使えるほど余裕があるわけでもない。ですが、こうなると部外者ではなくて『重要な関係者』としての立場に置くことができる。つまり」

 

 彼はにやっと笑って。

 

「──僕が全力で動けます」

 

 そう言った。

 

 それはどこまでも不遜なようで、けれどすさまじい説得力を持って語られた。

 彼がどれだけ動けるのか、その言葉がどれだけの意味を持つのか俺は知らない。けれど、こうして語られたということは──おそらくは、彼は相当に自信があるのだろう。

 それもおそらく、実力に裏付けされた自信だ。

 

「エクセレントな解答だ」

 

 だから俺も笑った。少しばかり気取った返しだったかもしれない。

 

「パフェ食べながら言われましても……」

 

「うるせぇやい」

 

 せっかくカッコつけたんだからそんな微妙そうな目はやめてほしい。別にそう間違ったことも言ってないしちゃんとカッコついてただろ。いや割とマジで。だからそんな目をするのはやめるんだ。

 

 やめろ。

 

 

 

 

 挫折。

 

 誰にだって経験があるだろうそれ。俺にだって覚えはある。

 それを抱えた人間が『じぐざぐ』のメンバーとして選ばれるのであれば、それは俺とそのメンバーに似ているところがあることの説明がつくだろう。

 成功することができなかったもの。

 凡庸に終わっただけのもの。

 

 俺はどちらかといえば、成功することができなかったほうだ。さながら何年も観客のない路上ライブのミュージシャンのような。そんなものだ。

 それに価値があるとするのなら、その成功法を見いだせるというのなら、そのときにほしかったと思う気持ちはなくもない。けれどそんなのは不可能だ。すべては終わってしまったこと。誰かがあとから介入しようにも、俺の抱えた問題はねじれ、こわれ、ぐちゃぐちゃになってしまったものだから。

 どうにもならない。

 

 簡潔に述べるとするならば。

 

 俺はタフにはなれなかったのだ。力強く、太く、折れない。そんな人間にはなれなかった。むしろその真逆だ。ぐにゃぐにゃと曲がるような人間にしかなれなかった。

 とびっきりキツイ人生をこれから先送りたい。そう思ったとしても、実際にそうはなれなかった。その現状になったとしたら弱音を吐いた。そんな、とびっきりにへたれたとびっきりなクズの俺を、昔の俺なら嗤っただろうか。

 

 肯定はしなかっただろう。

 

 それでいい。もはや、過去の俺と今の俺は別人だ。昔みたいに真面目なところもなく、進歩することもなく停滞を続けている。それが俺だ。

 変わることはない。きっと死ぬまで、あるいは死んでも、俺が俺である以上一切変わることはない。

 

 漫画やアニメなんかでクローンが出てくることがある。俺のクローンが出来たとして、それがいまこうして何か同じようなことを考えているとして。それで偽物は本物には敵わないなんてことを思ったとして。

 

 そうはならないだろう。俺はきっと偽物にも劣る。俺が俺であることがこうして駄目であることの原因ならば、きっと俺でないそいつは駄目にはならない。

 たぶん、そうなる。だってクローンなら、『本物を超えたい』という理由ができるから。

 

 進まない理由を数えていてもきりがない。けれど、現実にはそれしか頭によぎらないものだ。

 

 進めない。いいや、進まない。

 俺は進むことを拒んでいる。それが間違いとも思っていない。

 終わったことになにを言っても無駄だが、それだけは過去に向かって吐いておいた。

 

 過去を自分で汚すこと。思い出を自分で穢すこと。そこに、まっとうな意思や思考や判断は介在しない。

 ただ、どうしようもなくぐちゃぐちゃにした過去を、自分の心のように汚した過去を、こうやって抱え続けていること。

 お前の人生はこんな程度のものだとしてしまうことが、なにより心地良い。

 

 だからこそ。

 

 例えば俺がVTuberに対してすごく前向きで、そうなりたいと思っていても。

 それでも他人の助けなんて要らないんだろう。きっと最初の提案を断っていたんだろう。

 

 どうしようもない。どうしようもない馬鹿だと思っていても、それでもいい。ただ思った。これは一種の病気だろう。

 

 ふと思った。

 

 例えば、俺がその呪縛から逃れることを夜明けとするのなら。

 

 俺を苛んでいるこれは、明けぬ夜の宿痾だ。



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一流のパフォーマーに一流の裏方を与えたら

 才能にも色々な種類がある。

 努力の才能。観察する才能。特徴を掴む才能。すべてを統括した才能を持った人間だっている。

 そして俺は見た。青玻璃カイラの人を見る才能、才能を引き出す才能──そして、『じぐざぐ』というバーチャルYouTuber集団のプロジェクトに関わっている人間の才能というものを。

 

 音楽が人を救うことはない。人は勝手に音楽で救われるのだ。そんな言葉で陳腐だと流せない程度には、そこには『本物』があった。

 昔であれば誰も評価しないだろう才能。時代の変遷によって評価されるようになった才能。

 それらの結晶が、俺の前にある巨大なモニターに映し出されている。

 

 音楽は人を救わない。

 けれど、それは確かに救われるような音楽だった。

 人を救える音楽だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 リハーサルが終わるというタイミングで、俺たちは事務所へと戻ってきた。

 もらったセトリを見て、新曲発表のなふだを中盤に持ってくる仕組みであることを確認する。本番前、開始まであと一時間ほどある。

 演者によってはギリギリまで個人で練習したり、緊張をほぐすためになにかをしたりするらしいが。今回気になっているのはそこではない。

 

 裏方だ。裏方は配信前も忙しなく準備をしている。入念な準備だ。その中にしれっと自称天才物理学者ことノーブル・ベルゾナーと座津田からくりが交じって平然と作業をしているのは、技術者の()()だろうか。

 ステージの中央らへんで演奏に異常がないか確認している奏者がいる──いや待てまさか生演奏まであるのか。どこまでやるんだ一体。ていうかこの企画にどれだけの金がかかってるんだ。

 これを見ていると、いよいよ舞台の本番前を思い出す。子供のときに……小学生のときに、少しだけ演劇で舞台に立ったことがある。

 そのときの空気感は、なんとも言えないほど刺激的で輝いているのだ。

 

 少しだけ、VTuberというものの背後にどれだけの覚悟がかかっているのかわかった。

 俺と一緒に入ってきたカイラは演出担当の人とすぐに話し込んでいた。つまり、彼が舞台監督ということだろう。いや待てそれリハにいなくて大丈夫か? と思ったが、部外者である俺がとやかくは言えない。彼の判断に任せる以上はない。

 

 話し合いが終わったようだ。話し込んでいたカイラは動き出し始めに大声で叫ぶ。

 

「蝦夷鹿ちゃんのラスサビの入りちょっとだけの動きと演出見せてー!」

 

「はぁーい! そのまま入っていいですか!」

 

「俺らはいけます!」

 

「じゃあそれでお願い! ……オッケー、蝦夷鹿ちゃんの動きがよすぎて体にかけるエフェクトがあってない! 体に固定は難しいならそれなしで彼女起点に地面に波紋に変更!」

 

「わかりましたぁ!」

 

「凶鳥! 口上!」

 

「はい! ──『満たし、揺らぎ、紙吹雪。ひさぎ微睡む白百合の夢は忘れられないだろう』!」

 

「入りが弱い! 最初の一音からはっきり! でも力みすぎるなよ! できるか!?」

 

「できます!」

 

「じゃあもっかい! ……オーケー! その調子で頼む!」

 

「はい!!」

 

「なふだ! 本番前に一回だけ入りのタイミング合わせよう!」

 

「わかりました!」

 

「……オーケー! マイク音量だけあと1……2上げて! 演奏に食われるかもしれん!」

 

「はい!」

 

 いよいよ本格的に本番前、と言った様相になってきた。とはいえ、これができるのはVTuberだからだろう。演劇の舞台になると本番前にこれだけ大声での打ち合わせはできない。こういうのは、リハーサルの段階でやっておくことなのだ。

 

 ある意味VTuberならではのことだろう。

 ノリとしてはドラマの収録に近いだろうか? テレビの生番組の舞台裏とかがこうなっているのだろうか。どこの業界も大変なものだ。

 

「けどこの大変さは嫌いじゃない──ですよね?」

 

「平然と人の思考に割り込むなよキス魔」

 

「キス魔じゃないです。にしても、よく見てますね。経験とかあるんですか?」

 

「演劇をちょっとやってた。子供の頃だ」

 

「……ふぅん。それなら、この空気感は感じたことはないんじゃないですか?」

 

「いや。大人に交じってやってたからな。懐かしいくらいだ」

 

「それはそれは、ハピコさんも手広いですね?」

 

 そう言ってくすくすと笑う高山ソラ。目元はあまり動いていない。どこまでが本心なのかわからない。なんだこいつ。

 

「……緊張はしないのか?」

 

「緊張は筋肉みたいなものですから。経験してると慣れるものです」

 

「ほーん。ラストバッターなのに?」

 

「だから、ですよ。トップバッターよりもマシでしょう。ですから、最初に全員で歌う流れなのは流石ですね」

 

 一番最初に、みんなで合唱する。なるほど。それによってトップバッターである八橋の緊張をほぐすという算段のようだ。

 話した感じ、彼はこのくらいのことでは萎縮しそうにないが──それでも、実力は出し切れないかもしれない。

 セトリを組んだ人は演者のことをよくわかっている。というか呼ばれたときに反映させられるようにフルボディ用のトラッカーをつけてるんだなみんな。

 

 話題に上がった最初に一人で歌う男、三橋八橋を見る。

 少し周囲とはスペースを空けて、軽く体を動かしていた。

 

「彼を最初にしたのはすこしまずかったかもしれませんね」

 

 ソラが言った。何故だろうか。俺にはいいことのようにしか思えないが。

 

「だって」彼女はにやりと笑って。「ハードルがすごく上がっちゃいますもの」

 

 

 

 

 ──そして、彼女の言った通りに三橋八橋は盛大にやらかした。

 

 いや、この場合のやらかしたは駄目な方向ではない。むしろ最高に最高──最高すぎる演出と、動きと、歌声を披露している。

 特に動きだ。相当キマった動きをしている。本番一発目でバク転成功させるってマジか。

 あの動きに合わせて演出を作っていたあたり、彼には『あれくらい余裕』だという信頼がないといけない。そしてそれですら過小評価なのだ。

 

 想像よりも遥かにキレた動き。派手に動いていて息切れを見せない。バク転した直後に声を放っても声をブレさせない。それこそプロのパフォーマーのようだ。

 動きが凄まじすぎて若干追従しきれていないモデルを、文句もなしにリアルタイムで調整している裏方の仕事も丁寧であり、そして早い。

 

 派手にエフェクトを散らしまくってもなお、それに一切負けることなく彼は主役でありつづける。

 丁寧に作り込まれた背景に食われることもなく、そこに主役であり続けるのだ。それはカメラが引いてもなお同じ。

 それだけ周囲に散らしていれば、普通は視線が逸れるものだ。けれど──彼が視線を引き続けている。

 

「──ありがとうございましたー! 三橋八橋で『テレキャスタービーボーイ』でした! いやーめちゃくちゃ動けて楽しかったです! 俺の無茶振りに対して最初はブチギレてた裏方さんも、ちゃんと無茶な動きに対応してくれてありがとうございました!!」

 

「わかってるんなら無茶振りやめろや」

 

 ぼそっと呟かれた裏方さんの言葉。俺もそのとおりだと思う。

 

 俺が見ていた大きいモニターの横には、もう一台同じサイズのものでコメントが拡大表示されている。

 

 『やっば……』

 『どうして公式は投げ銭させてくれないんですか』

 『最初から飛ばしてんねぇ!!』

 『かっけぇ……』

 『普段クソみたいなダジャレしか言わないのにどうしてこんなかっけぇんだ……』

 『裏方さんキレるは草』

 『実際あんな動きされたらキレるんだよなぁ』

 『なんであんなクソ早い足先の動き崩れないんだ怖いわ』

 『技術力ぅ……ですかね』

 

「あれ? スパチャオンにしてないんだ」

 

「今回のは別に収益目的じゃないですからね。単純に、なふだちゃんの新曲発表の場とライバーみんなのやりたいの結果ですよ」

 

「それでもスパチャしていいと思うけどなぁ」

 

 俺の疑問に答えたのはカイラだ。彼は俺の隣で実際の映像を確認していた。そして八橋の想像以上の働きを見て満足そうに頬を緩めている。

 

「出ている本人たちが要らないって言ってるんです。今回のはライブのようにガッチガチの練習をしたわけじゃありません。それでお金をもらうのは嫌だって。僕たちとしてもなるべく彼らのほうに直接感謝として投げてほしいので」

 

「なるほどな。それなら納得だ」

 

 とはいえ、こうも働いている裏方を見るとどうにもなぁという思いもある。

 

「技術班を心配してるなら大丈夫ですよ。ちゃんと今日のぶんの給料は追加で出ますから」

 

「え、それ赤字にならないか? 大丈夫かよ」

 

「いっつも赤字覚悟ですよ。でもこのあとの個人へのスパチャ代の分割で相当入ってくるんですよねぇ……なんで、あんまり問題じゃないというか」

 

 それでも収益に関しては相当……なんだ。相当減るだろうに。

 

 そして、八橋のフリートークが終わり入れ替わりに入ってきたのはミーニャ。

 シェイプシフターという設定を持つ彼女は、その小さな体を精一杯に動かしながらも可愛らしく歌を進め。

 

 サビでそれが一変した。

 先程までの可愛らしい歌声とは違って、力強い歌声にノータイムでシフトした。

 ポップな雰囲気は変わらない。それでも、そこにある彼女の雰囲気はまるで違う。

 かわいさに釣られてやってきた相手を、そのギャップで仕留めるというのが彼女の手口なのだろう。だが実際にそれが滑らずに成功している。

 なるほど、十六歳。俺に挨拶をしてきたときのあれは擬態。

 

 まるで別人のようにすら見える。そしてそれを強調するのがエフェクトよる演出だ。

 動きで見たら、先程の八橋がずば抜けすぎている。けれど彼女は歌を歌う──でなくて、曲を作っている。

 自分の声まで武器にして、リアルタイムでそういう曲を作り上げている。

 

 思いっきり歌って、額から汗を流しつつも天高く掲げたその指。

 鮮烈に正面を見据える目は力強く、苛烈な雰囲気すら漂わせている。

 

「──はーい! ありがとうございました! ミクルミック・ミーニャでした! 『アンヘル』歌いましたー! ミーニャはボカロ好き! 歌えてよかった!」

 

 『ママンも今ですと興奮中』

 『サビの強さえぐい』

 『かわいい……かわいい……かわいい……かわ』

 『どうやってこんな高音で声量出してんだすげぇ』

 『↑途中で食われてて草』

 

「……すごいな、『じぐざぐ』のメンバー」

 

「でしょう? 昔からいろんなアニメの声真似をして両親に怒鳴ってた結果だって」

 

「急に反応に困ること言うじゃん」

 

「彼女たちはすごいですよ。でもその凄さは、最初は僕しか信じていなかった」

 

「……ああ。さっき言ってた、挫折の経験ってやつか」

 

「そう」

 

 カイラの顔はとても愛おしそうに。そして嬉しそうに、ミーニャを見据えている。

 

「彼女たちは一度は才能を認められなかった子たちだ。それが周囲であれ、自分であれ。ミーニャは声優志望。でも親に反対されてたわけです」

 

「あ? なんで? 両親はそっち系なんだろ?」

 

「だからですよ。彼女の両親は、声優の悪い側面だって知っている。競争者が多い。いくら彼女が抜きん出た才能を持っていても、それは不安定さの塊だ。

 だから彼女はたくさんの事務所に応募して落ちて、ダメ元でうちに応募して、そして見事席を勝ち取った。そりゃあそうだ。僕は彼女みたいな人大好きですもん。

 ここでの経験は将来につながる。会社側には実績として出せるから。だからこそ、最初はイマイチ乗り切れてなかった彼女もここでの活動に本気になってくれたんだと思うし──それによって、親を認めさせた。僕は嬉しいですよ」

 

 だって、と続け。

 

「僕以外が信じてなかったその才能を、今──たくさんの人が認めている。

 誰もが彼女の才能を疑っていないんですから」

 

 まるでざくアクのローズマリーみたいなことを言うやつだと思った。

 けれど、それでも確かによくわかった。

 

「そうだな。彼女には才能がある」

 

「でしょう? あとで言ってあげてくださいね。ミーニャちゃん、ハジメさんに対してすごく関心を寄せてましたから」

 

「そりゃあありがたいことで」

 

 舞台上から去っていく彼女を見る。袖に捌けて、カメラに映らない場所へ。そしてそのままこちらに近づいてくる。俺のほうからも向かっていくと、ぱたぱたとかわいらしく両手を広げて向かってきた。

 

 抱きとめると、少し硬い感触。トラッカーだろう。別にいいや、気にならないし。

 

 少しだけ震えている彼女の体。緊張が今になって襲ってきたのだろうか。涙さえ流しそうになっている彼女の頭を撫でる。

 

「ハピコさん、どうでした?」

 

「うん。すごかった。高音も耳障りじゃなくて良かったと思うし、サビなんか人が変わったかと思うくらいだった。あんなことできたんだな。びっくりしたよ」

 

「そうですか? んふ、頑張ってよかったのですよ!」

 

「よしよし」

 

 言いながら、次に舞台に上がった人物を見る。

 

 善悪だ。

 彼は何よりも真剣な目で。──これまで見たことがないほど真剣な表情で、深呼吸。

 

「──ええ。始める前に少し」

 

 突然の話に、俺はカイラのほうを見る。

 彼はにや、と笑って善悪を指差した。

 

「俺はいわばろくでなしです。人格がふたつあって統合されないし、そんなの関係なしにどちらもろくでなしだったりもします。

 ですが、そんなろくでなしにたくさんの人が値段をつけてくれました。驚きです。

 ……ですので、皆さんが俺を買ってくれたその値段以上のものをお返しできたらなと思います」

 

 そう言って、彼は前を──俺を指差した。

 

「それでは、よろしくおねがいします。──『白夜』」

 

 それは。

 彼自身が事前に歌うだろうと言っていた曲とは違っていた。

 

「ドッキリ大成功」

 

 カイラが笑って、音響に指示を出す。そこから流れてくる音声は、『デモクラシーサイド』のものではない。

 

 白夜。

 半丁善悪最初のオリジナル曲で、その長さは一分半ほど。

 でもまさかこんな場面でその程度で終わる歌をチョイスするわけもない。だから、これの意図はつまり──

 

 『白夜!?!?!?』

 『キター!!』

 『白夜だ!!』

 『まさかこっちがくるとは……』

 『信じてたぞニキ』

 『まって地味にYouTubeの音源から音が増えてる』

 『耳に自信ニキそれマ?』

 『期待』

 

 ──未公開の二番公開ということだ。






 ヤンキーズ・ハイだいすき……。
 センチメンタル・バニラもだいすきです
 ぼっちぼろまるやっぱり大好きですね


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ハジメの

 『白夜』は聴いている。当然だ。隣人が頑張って作った曲だ。そりゃあ聴いているに決まっている。

 だから、その曲の雰囲気がどんなものかも知っている。

 どちらかと言えばしっとり系だ。若干アップな曲調ではあるが、それに比べて歌詞と歌い方はしんみりとしたものになっている。

 

 そして今、その印象をはっきりと真逆に変える二番が目の前で歌われている。

 スタッフの演出で歌詞が表示される形式。それは見ない。善悪の歌っている姿を見る。

 

 エフェクトは要らない。バーチャルで覆い隠してはいけない。俺が見ないといけないのは、確かに今歌っている相手ただ一人。

 

 それは、これまで俺が抱いていた印象をぶち壊すものだ。

 一番のなよっとした、じとっとした感じの雰囲気がある歌詞。そして本来の動画の雰囲気とは違って──今歌われている歌詞は、それがひっくり返されるポジティブな歌なのだ。

 

 大きく口を開き、固くマイクを握りしめ、声を腹の底から押し出すために体を大きく動かしながら歌う彼の姿。

 それがどうしようもなくなにかに被って、忘れていた記憶が引き出された。

 

 ──まるで俺みたいだった。

 いつかの俺みたいだった。中学の頃、文化祭で何故か歌っていた俺みたいだった。

 いいや、違う。あれは踏ん切りをつけるためだったのだ。

 偲ぶため。区切りをつけるため。忘れるため。

 過去を過去として埋葬するため。

 

 ああ、そうだ。あれは覚えがある。でも似て非なるものであることは理解している。

 

 俺の自己満足の歌とは違って。

 半丁善悪の歌は──たぶん、俺のために歌われているから。

 

 汗だくになって、笑いながら歌う。一番とは全く違う、希望に満ち溢れた歌。

 それを綺麗だと呼ぶのならば。

 それを正しいことだと呼ぶのならば。

 

 きっと間違っていたのは俺だ。自己中心的な、独りよがりの歌。それが俺の歌なんだから。

 まるでお前が間違っていると突きつけられるような歌い口。けれど、それで救われる思いを感じている自分がいるのが答えだった。

 そりゃあそうだ。そもそも過去の傷を掘り返すことばかりの人間なんだから。

 それで自分を救った気になっている人間なんだから、自分の誤りを突きつけられたところで──いいや。むしろそうされるからこそ、俺は納得できる。自分が間違っていたと納得できるんだ。

 

「明けない夜を」

 

 最後の一節。

 

 

「──ぶっ飛ばせェえええええええええええええええええええッッッ!!」

 

 

 残った体力のすべてをつぎ込むような、絶叫。まるでスタジオ全体を震撼させるような、そんなシャウト。音が割れることこそなかったが、それでもその前との差は歴然。

 

 伴奏が終わる。そうして顔を上げた彼の顔は、もう真っ赤だ。汗もすごい。ああ、わかる。俺もあのときはそうだった。

 ステージに上がる。

 配信の画面に俺が映ることはない。邪魔する気はなかったが、このあとのことを考えると誰かが向かっておいたほうがいい。

 制止されることはなかったので、そのまま善悪に近づいていく。

 

「──おっと」

 

「はい」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 案の定倒れかけた善悪を支えてやる。

 顔の汗を拭って、善悪は切らした息を整えながらマイクを口元へ。

 

「──ありがとうございました。半丁善悪で『白夜』でした」

 

 それでも最後まで、そいつはやり切ったのだ。

 

 

 

 

 

 

「実はですね」

 

 捌けたあと。

 椅子に座って、ペットボトルの水を飲んで一息したあとに、善悪は話し出す。

 

「二番以降の歌詞を書いたの──5日前なんですよね」

 

「は?」

 

 ってことはつまり──俺と、過去について話した日に書いたってことか。

 そんなギリギリに書き上げて、よくもまぁ本番で歌う気になったものだ。

 

「才能マンめ」

 

 俺の僻みが籠もった言葉に、善悪は「そうだといいんですけどね」と返した。

 ペットボトルの雫が落ちる。善悪は、じっとそれを眺めながら、小さく言った。

 

「やっぱり俺は空っぽですよ。だからこそ、俺自身からなにかを作り出すことはできなかった」

 

 そう言って、顔を上げる。

 

「天才っていうのはたくさんいる。それこそ俺じゃあ理解の及ばない天才はたくさんだ。ここでは、ソラさんやカイラさんがそれだ。

 だから、もしもあの曲に才能なんてものを感じたとしたらそれは俺のものじゃない」

 

「はっ。お前のじゃなかったら何だって言うんだ」

 

「あなたと、なふだのですね」

 

 到底素面で言っているとは思わなかった。だが正面をじっと見据える善悪の顔に妙なところはない。まるで心からそうだと信じているような。

 それは幻想だ。俺の才能なんて、一切関係ない。

 

「白夜」善悪がつなげた。「あの夜をモチーフにしてるんです」

 

「ああ……そういうことか。でもそれだったらますます違うぜ。なふだの方を褒めてやれ」

 

「同じくらいあなたにも感謝してるんですよ、俺は」

 

 こちらに向かって歩いてくる姿があった。

 なふだだ。優しい笑みを貼り付けて、彼女は俺の隣に座る。

 

 そのまま、無言で少しの間ができた。

 今歌っているのはノブル。善悪からの流れを汲んで、ロック系の曲を歌っている。

 

「先輩」

 

「ん?」

 

「良かったですよ」

 

「……ありがとう」

 

「だから、私も頑張ります」

 

「おう、頑張れ頑張れ。俺らを釘付けにしてくれよ」

 

「──やってみせますよ」

 

 そして、彼女は黙る。

 

「……で、なんでお前は俺に感謝してるんだ?」

 

「──俺は、あなたの才能を信じてますけどね」

 

「……………………」

 

 返答にしては随分と妙だ。話が通じていない気もしてきた。

 一体、俺のどこに才能があるっていうんだ。そんなのはとっくに錆びついている。

 努力をやめた。俺にはそんなのできっこない。する気もない。

 

 ここでやってやろうという気になれる人間こそが、結果を出せるのだろう。

 俺は違った。そんなことはできなかった。そんな気は起こらなかった。

 

 だから、俺にはないんだそんなもの。

 ない。

 ないんだ。

 

「幻想だよ」

 

「幻想じゃないですよ」

 

 なふだがすぐに返した。

 急に返してくるじゃん。目をそちらに向けると、彼女はなにより真剣な目でこちらを見ていた。

 

「幻想なわけがないです。ハジメさんはそうやって目を背けるばかりですね。魅力といえば魅力ですし、かわいいですけれど。

 ──一体なにを恐れてるんですか?」

 

「恐れてなんか」

 

「ありますよね」

 

「ない」

 

「いえ、あります。あなたは自分のこともよくわからないんでしょう? だったら、私のほうがあなたのことをわかっているってことが言えませんか?」

 

「言えないだろ」

 

「そうですか?」

 

 自分の言葉に首を締められた気分だ。彼女の前では語った記憶がないが、きっと聞かれていたのか……あるいは教えてもらったのだろう。

 

 

「ハジメさん、今日元気ないですね」

 

 ──ああ。確かに。

 なんでだろうか。

 

 言われてみればそのとおりだ。今日はどうにも、そういう気分ではない。ぐちゃぐちゃになっている。どうしてだろうか。

 情緒不安定か。全くもう、自分自身が嫌になる。

 

「そうだな」

 

 思い当たる節はない。

 一体どうして俺は、こうして沈んでいるのだろうか。

 

 わからない。わからないんだ。わからないことばかりなんだ、いつだって。

 

「なふだ」

 

 善悪が言った。

 

「準備しとけ。思いっきりやるには、大事だろ」

 

「……ああ。わかりました。それでは」

 

 そう言って、去っていく彼女。

 もうなにもわからない。

 わかろうという気にもならない。

 

「ハジメさん」

 

「なに?」

 

「生理ですか?」

 

「一族絶やしてやろうか?」

 

「冗談ですよ、どうしたんですか?」

 

「わからん」

 

 なにがわからないかも、わからない。そんな現状。

 まったく、これで一体なにをどうしろっていうんだ。なにから手をつけようか。無理だ。なんにも手をつけられない。

 

「間違ってた」

 

「…………」

 

「間違ってたんだ。ずっと。ずっとそうだった。

 ずーっと、間違い続けてこうなったんだなぁって」

 

 上手に生きることができなかった。

 そうだ。不器用だった。俺はずっと不器用で、いつまでも不器用のままだった。それが不利益を生んでもなお不器用だった。

 

 

 

 

 

 

 才能が怖い。

 それはいつだって、喪失を生むから。

 だからこそ俺は他人よりもはるかに喪失を恐れていた。

 

 天才だと持て囃されたこともある。けれど、その気持ちが理解できなかった。むしろこんなものは要らないとすら思っていた。

 最初からそうだったわけではない。

 ただ、恐れるようになったのは──確か。

 

 妹が死んだときだ。

 

 連理よりも二歳上。

 つまり、生まれていたら高校三年になっていただろうそいつ。

 たった一年も生きることができなかったそいつ。

 

 名前は双葉(ふたば)

 

 鋼鉄でできたような、なんでもできる父親が初めて俺の前で泣いた日。

 その日から、俺は喪うことが怖かった。きっとそれは俺だけではなかった。だからこそ、次に生まれてきてくれた子には法則を付けることはなかった。家族みんなが連理を大事にしようとして。

 

 そして父親は死んだ。

 

 だから止めた。才能を捨てた。持っていることすら怖くなった。

 大馬鹿ものだ。自分が恵まれている自覚を持たない。だから、それを放棄する。愚かな所業。犬猫のほうがはるかに思慮深い。

 

 未だに怖がっている。

 

 そして、それこそが間違っていたのだと。

 一度は折れたはずの彼らを見て、そう思ったのだ。

 

 

「正しいことがわからない」

 

「そうですか」

 

 善悪は前を見ていた。

 

「なら、何一つ正しくなんてないんじゃないですか?」

 

 ようやく顔を上げると──そこには、伴奏組を携えたなふだが立っている。

 

「ゼロから始めましょうよ。最初の一歩くらいは、踏み出せるんじゃないですか?」

 

 

 

 

 

 俺が俺であるためには一体なにをすればいいだろうか。

 

 いいや、そもそも俺とは一体なんだろうか。

 自己の形。自分の形。

 

 アイの形。愛の形。一体それは、どうやって探せばいいのだろうか。

 ずっと考えていた。

 そして心に繭を作っていた。

 

 傷口にできたそれだ。出たくないという思いでいっぱいだった。出ることすら考えることはなかった。

 

 だから、それを救うのは最終的には『誰か』になるのだろう。

 

 

 薄情なことだが、俺は他人に対して微塵も興味がなかった。

 これまで世話になってきた相手。助けてもらった相手。そんな相手でも、容易く切り捨てることができる人間だった。

 究極的なまでの自分本位。周囲への興味が皆無。違うと言おうにも難しい。否定ができない。だから、それが真実なのだ。

 

 それが俺にとっての繭とするならば。

 

 半丁善悪。術楽なふだ。

 二人は、傷口を抉って心の中にまで入ってきてしまっている。

 

 だから。

 

 俺のそれをぶっ壊せる人間がいるとしたら──それは二人にほかならないだろう。

 そしてそれは善悪には無理だ。彼は優しすぎる。それは空っぽの彼の在り方。とりあえずで愛を齎していた彼は、きっと怒ることができない。

 

 だから。

 

 これは必然だったんだろう。

 

 

 

 俺には自分がわからない。

 俺にはアイがわからない。

 きっと、愛も。なにもかもがわからない。

 

 それは、ずっと目を背けてきたからだ。

 見まいとしていたからだ。現実からも逃げて、その果てに今俺がある。

 

「──だから! 垣根も全部ぶっっ壊して!!」

 

 知っていることと知らないことがある。

 知っていることは、術楽なふだがマトモでない人間ということ。

 

 知らないことは、彼女がどれだけの熱情を胸に秘めていたかということ。

 

「私はあなたの手を取ろう」

 

 愛することが嫌いだ。

 それは誰かを殺すから。

 愛することが好きだ。

 それは俺を殺すから。

 

 愛することが大嫌いだ。

 俺に意義がなくなるから。

 

 愛することが大好きだ。

 自分の意義を証明する必要がないからだ。

 

「薄く咲いた博愛の色を」

 

 それは間違っている。

 間違っているんだ。

 

 気づくのが遅すぎた。

 間違っていたと気づいたときには、もうそれがどこかにいくことはなかった。

 だから。

 俺はそれを殺すべきなんだ。

 

「握って歩んでく小さなミライへ」

 

 こころの在り処を探している。

 俺の中にはどこにもなかった。

 ならどこにあるんだろう。

 

「ハジメのハジメの、第一歩っ!」

 

 違った。

 こころは既にあった。

 あったんだ。ずっとそこに。

 

 にっちもさっちも行かなくなって、右も左もわからなくなって、遮二無二取り組むこともなくなって、眉唾ものだとすべてを疑うようになって、両方の足がなくなって、進むためには置いていくしかなかったそれ。

 違ったんだ。

 

 捨ててしまったそれは、拾ってくれていた。

 

 俺は。

 

 だから、俺は。

 

 遅すぎたのかもしれない。

 けれど。

 

 

 

『ハピコ さんが画像をツイートしました』

 

 

 

 愛することが大好きだ。

 

 少なくとも、大好きだったのだ。

 

「はじめのはじめの第一歩、かなぁ?」




 めちゃくちゃぼやかしてる曖昧すぎる最後なのでわからないっていう人はほんとごめんなさい……………………。

 バッドマッドラヴサイエンティストがめちゃくちゃ刺さりました
 今の時代ってほんとに才能が埋もれるものね


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目の前に広がる未知

 街を歩いている。

 

 例の企画はつつがなく終わりを迎えた。たくさんの熱狂とたくさんの物語を抱えて。

 ターニング。以前と以降。寝て起きる程度の流れの中で、それでもたしかに変わったものが在る。それがなにかと言えば、そう。わだかまり。

 壊れた心の壁の向こう。そこに行こうと思えるようになった。なってしまった。

 

 いつまでも人は停滞していられない。足を止めたら、そのぶんまた歩かないといけない。

 それを放棄し続けてきたのは俺だ。だから、がんばって走り出さなきゃ。隣の二人はきっと付いてきてくれるのなら。

 並び立ってくれるのなら、それでいい。

 

 足がないなんて幻想だ。気のせいだ。そう言って逃げていただけだ。

 本当は足はあって、歩かないといけない。

 支えるばかりを望んでいる俺はきっとがらくたなのだろう。

 だから、がらくたなんかじゃないと。そう言えるように。誰かに恥じる自分でないように。

 

 やるべきことがあるだろう。

 

 公園がある。ベンチに座って、タバコを吹かしている。いつものやつじゃない。衝動的に新しく買ったものだ。この間のものがまだ残っているというのに、買ってどうするんだ。でもそうしたい気分だったのだ。

 タバコはいい。自分の感情の雰囲気を示せるから。

 どうしようもないもやもやが、煙となって空に消えた。

 よし、進もう。吐き出せば幾分か楽になった。ゴミ箱に雑に吸い殻を投げ捨てる。

 既に誰かが捨てていたのだから、俺はそれに倣っただけ。と言って言い訳をしてみて。

 

 また歩き出した。

 路面電車が見える通りに出た。小さく揺らめくような景色の白は、浮足立っていて対照的な青を鮮明に浮き彫りにした。

 ポケットに手を突っ込みながら歩いている。

 子供のころは、ポケットに手を突っ込んでいる人が怖かった。その奥にナイフを隠しているんじゃないか。そんな不気味さだけがあった。

 種を明かすと簡単で、彼らはただ手持ち無沙汰か寒いかだったのだろう。

 

 昔は無根拠な思い込みが強かった。今もそうだ。けれど、わからなかったことは減っている。学んでいる。わかるようになったのだ。

 だから。つまるところ──そういうことだ。

 

 ……なんて、結論をぼかし気味にする癖があることは知っている。けれど言葉にするのが怖い。だからなんとなくで置いているのだ。

 街は今日を生きている。それが焼き付いていた。すれ違った男子高校生の集団が、後ろで噂話をしているのを聞いた。女の体になるとそういうこともあるのだろう。それか、VTuberが好きな学生なのかもしれない。

 そうだったらいいなと思った。

 

 

 

 

「ありがとうございましたー」

 

 そんな声を背中に受けて、駅前のマクドナルドをあとにする。お持ち帰りの袋が重い。そこそこな量飲み物とハンバーガーを買ったからだ。

 飲み物はシェイク二つ。ハンバーガーは、メニューにあったものから適当に8つくらい注文しておいた。

 期間限定メニューでチーズバーガーの種類が増えていたのは助かる。とりあえず普通のものと全部買った。

 

 多いかとも思ったが、まぁ駄目なら善悪がどうにかしてくれるだろう。のんびりと歩いていく。

 

 歩いているときに頭に浮かんでくるとりとめのないことは、きっと大事な何かだ。いつか忘れる日まで大事に取っておこう。

 

「……………………」

 

 歩いているとどこかもの寂しくなって、イヤホンをつけた。ブルートゥースの、落とすとすぐ無くしそうなそれ。

 スマホに接続してから曲を流す。

 購入して、端末に落とし込んだなふだの新曲。

 それを聞きながら歩いている。この前聴いた生歌みたくはないけど、これはこれで趣があって好きだ。

 

 この間のは一夜の夢のようなもの。

 一夜の夢でも、ここにある曲が永遠にしてくれる。

 だからそれは俺にとっての救いになっているのだろう。

 愛していると言ってもいい。なんて恥ずかしくて、まともじゃ言えないけども。

 

 歩いていたら、そろそろいつものアパートが見えてくる。

 きしむ階段をかたかたと踏んで、上っていく。

 そこそこの大きさがあって、あんまりボロ感はないが。それでも安いのは、ここに洒落にならないような事情があったからだろう。

 

 怖くはない。必要に駆られたからここにしたわけでもない。

 ただ、なんとなくここがいいと思った。

 

 なんとなくは理由にならないだろうか? それでもいいだろう。

 俺は俺だ。別に誰かに迷惑をかけるわけでもない。俺だけのものだ。

 

 家の扉を開く。

 

「帰ったぞー」

 

「あ、おかえりなさい」

 

「マックで適当に買ってきたぞ」

 

「え、マックですか? ……ああ、マクドナルドですか。びっくりしたぁ」

 

「人によって呼び方変わるよなぁ」

 

 マクドとか。

 公式がマックって呼んでるからそっちに合わせているのだが。

 

「なふだは?」

 

「配信中ですよ」

 

「なるほど。じゃああとでいいかな」

 

 今日はTwitter断ちしてたから、わからなかった。

 さっそくパソコンを立ち上げて、手には買ってきたダブルチーズバーガー。

 

「適当に好きなの選んでいいぞ」

 

「わぁい。じゃあチキンフィレオもらいますね」

 

「どうぞどうぞ」

 

 マウスをいじって、ようやくTwitterを開いた。

 昨日投稿した絵を見た。

 

 恥ずかしい絵だ。まさか自分を描いているだなんて、なにをやっているんだ。

 ああ。でもそれでも、悪くないよな。

 ちょっとばかり構図を頑張った絵。

 三人も描いた絵。

 

 これをさくっと描き上げることができたのは、きっと頭に構図があるからなんだろう。俺が描いた絵。

 まだまだ未熟だ。下手くその域を越えていない。デフォルメ調に逃げているし、まだまだ甘い絵だ。

 けれど。それでもいいじゃないか。

 三人手を繋いで歩いたって、いいじゃないか。

 

「あ、ハジメさんその絵」

 

「なっ、なに??」

 

 びっくりした。いきなり話しかけないでくれ。

 画面を閉じようとする手をセーブ。いや違うから。自分の描いた絵を見て悦に浸ってたわけじゃないから。

 

「俺、その絵大好きです」

 

「……そうか? そっか。俺もお気に入りなんだ」

 

 顔が熱いのは、きっと褒められたからだ。頑張った絵を褒められたからに違いない。

 そうだ。そのはずだ。そしてあったかいのも、きっとそれが理由のはずだ。

 

 逃避先にハンバーガーを選ぶ。手に持っていたものにかじりつけば、胃もたれしそうなほど強烈な濃い味がした。ピクルスの酸味がないとつらかっただろう。

 

「そうだ」

 

 と、そこでふと思い立った。今日外出して探していたもの。結局イマイチなものというか──しっくりこないというか、よくわからないことばかりなせいで買うことができなかったものだ。

 

「ギターとか持ってる?」

 

「え? 持ってないですけど……」

 

「あーそっか。ならいいや」

 

「急にどうしたんですか?」

 

「ちょっと、弾き語りなんかしてみよっかなって」

 

 昔触っていたことだから、しようと思えばできる。

 でもギターの良し悪しなんてわからなかった。そんなのは任せていたから。

 持っていたギターは、父のお下がりだ。今も実家にあるのだろう。弦もセットで。おそらく張り替えなければいけないはずだ。

 最後に触ったのが、例の文化祭のときだから。もう錆びてボロボロだろう。

 だから、そうするべきだ。

 

「最近の流行の曲ってなんだろうね」

 

「夜に駆けるとかじゃないですか?」

 

「ああ、聴いたことある。

 ──沈むように、溶けていくように──ってやつだよね」

 

「サビの知名度のほうが高いと思うんですけどね……」

 

「ゆるふわ樹海ガールとかだったら普通にいけるんだけどねぇ」

 

「まぁ、俺らはその時代の人ですからね。カゲプロとかどうでした?」

 

「小説は読んでないな。漫画はちょっと見てたぜ。アニメは覚えてない」

 

 見ていたはずだが。まぁ、その時期は生活が安定しきってない時期だから記憶がなくても仕方ない。

 当時はファンの厄介行動が問題になってた覚えもある。

 それだけ過熱したコンテンツなのだろう。最近はめっぽう聞かないが、それでも如月アテンションとかはふと聴きたくなることがある。

 あの時期のボカロコンテンツはよく聴いていた。バイト先でそういうのが好きだった女子がいたから、よく話してた覚えがある。

 

 彼女は今はどうしているのだろう。あんまり年は離れていなかった気がするが。まっとうに大学にいって、まっとうに就職できているのならそれでいい。

 それがいい。

 

「アニメって、ぼーっとするときにいいんだよなぁ。

 無気力なときはいっつも見てた」

 

「やめてくださいよそういう言い方まるで俺が暇人みたいに……」

 

 あ、見てんだアニメ。

 最近配信以外の時間はだいたい俺の部屋にいるから見てないのかと。

 ていうかそれどっちにしても暇人だよな。

 

「お前普段何してんの?」

 

「え? あー、ネットの小説漁ったり動画見たり漫画見たりゲームしたりしてます」

 

「暇人じゃん」

 

「最近はメルストやってますよ」

 

「大忙しじゃん」

 

 ごめんよ暇人とか言って。

 

「どこまで読んだの?」

 

「とりあえずおすすめしてたシナリオは読みましたよ。エレキ3rdと科学3rd。あとは最初から順番に読んでます」

 

「いいよね。アニメも見ていこうぜ。死者1やった?」

 

「はい。え、アニメであるんですか?」

 

 ある。

 最高にある。

 スタッフがガチだった覚えもある。

 

「見るがいい」

 

「はい……」

 

 バーガーを食べ終える。包み紙をとりあえずテーブルに置いておく。袋にあとでまとめてから捨てるようにしよう。

 とりあえず今はシェイクがほしい。

 ストロベリーシェイクを袋から取り出して、ストローを刺して吸い上げる。

 

「ざくアクはどこまでやったんだっけ?」

 

「メニャーニャは出てきましたよ」

 

「あーおっけー、そこらへんね。防衛戦終わった?」

 

「あ、はい。やりましたやりました。あそこです。海の中で止まってます」

 

「あーね。初手フレイムさん……」

 

「エステルさんかわいいですよね」

 

「あのステージは雷アタッカーがなにもかも持っていくからなぁ。あと俺はジーナさんが好みだから」

 

 まぁ全員好きなんだけど。本編でイベントがあった子なんかはとにかく大好きだし不遇でネタにされるアルくんも大好きだ。かっこいいと思うのは異世界編のニワカマッスル。

 

 あと、ラストバトルがすごすぎた。

 最初は一人きりの王国が、どこまで歩いてきたか。どこまで歩いていくか。

 あの一戦にこれまでの冒険のすべてが込められている。

 マリオンちゃんがんばって倒してよかった。本当にそれは思う。

 

 俺の体が誰に支えられているか。どうやって歩いてきたか。

 

 あのお話を見たあと、特に考えるようになった。

 今なら即答できる。

 

「なぁなぁ」

 

「なんですか?」

 

「お前、どうやって俺の住んでる場所見つけたの?」

 

「ああ、偶然ですよ。ハピコさんってなふだが来るまでずっと外食だったじゃないですか。そんときに偶然見つけて、後をつけたら」

 

「マジでストーカーかよ。通報されるとか思わなかったの?」

 

「思いましたよ。やっちゃいけないとも思ってました。当然ですよ。そんなの普通やっちゃいけないんだ。

 でも知ってますか。人って簡単に一線を越えるんですよ。

 友人と固く握ったその手で地続きのように、まるで当然のように人を殺そうとするんですよ」

 

「それ、贖宥状にするのか?」

 

「いいや。許されたくないです」

 

「そっか。まぁ、どうでもいいから許すも許さないもないんだけどさ」

 

 そうだ。別に俺はなにも感じちゃいない。

 強いて言うなら、今ここで話してることが少し楽しいこと。

 それだけがすべてだろう。打てば響くように言葉がすぐに返ってくる。

 こういう会話は楽しい。言葉がとんとん拍子に進むのは、そして進展があるのは愉快なものだ。

 

 これが会話の楽しさというものだろう。

 

「つまりは俺の警戒心がなかったってだけのことだし」

 

「そうですねぇ。警戒心はほんとにないでしょうね。にしても俺ってほんとに面の皮が厚いやつだなぁ……」

 

「別にいいよ。責められたいんだろ? いいんだって、俺がいいってんだから。それに対してうだうだ言わなくていいんだよ。

 それともなにか? なにか言われたいのか? 言ってやろうか?」

 

「いいや……そういうわけでも」

 

 そう言って善悪は言葉を止める。否定が効果を持たないと思ったのだろう。実際そうだ。

 でも、そんなのは別にいい。今更その程度で失望できるわけがないから。俺にはもう、そんなことができそうにない。

 

 俺が二人に抱いている感情は、間違いようもなく依存と呼べるだろう。

 それが間違っているのだろうか。

 間違っていると知っている。そんな正論が意味を持つなら、なにも困ることはないんだ。

 だから。

 

 誰にこの関係を否定されようとも、そんなのはどうでもよかった。

 

 

 

 

 

 

 ただそれとは別で、やっぱりギターは持っておきたい。

 

「兄ちゃん……ほんとに大丈夫? わかんないと思うよ? それに家出したんじゃん……二人ともすぐに受け入れられるか……」

 

「うるせぇ。俺はただ忘れ物を取りに行くだけだってんだ。そこになんの問題がある」

 

「なんでこんなときだけ無駄にメンタル強いんだろう……」

 

 開き直ってるからだよ。

 

 

 目の前には三階プラス地下室がある巨大な家。

 昔から変わっていないようなそんなもの。

 

 高校一年の途中で飛び出した実家が、そこにはあった。






 作者は音楽が大好きなくせにギターを部屋の置物にしちゃってるサブカルクソ野郎です。


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割り切り上手には程遠い

 

 

 

 巨大なドア。清潔感のある銀色だ。住んでいるところとは全く違う。広すぎて落ち着かないんじゃないだろうか。と思って連理を見てみるが、まぁいつも通るから慣れているのだろう。特段反応を示さない……というかこれからどうなるかに対して気を巡らせている。

 なるほど、これが価値観の違いか。

 カルチャーショックというやつだろう。ため息一つ。

 

「お邪魔しまーす」

 

「いきなりぃ!?」

 

 無造作に扉を開いた。

 

 そのまま、連理を前に押し出しつつ扉の中に体を滑り込ませる。

 

「た、ただいまー」

 

「おかえり」

 

 連理の言葉に反応した、高めの男性の声。彼はリビングから顔を出して、こちらの姿を認めると少し驚いたようにその目を見開いた。

 謎にエプロンドレスが似合ってるのはなんなんだろう。

 

「連理、お友達?」

 

「あ、うん……っていうか」

 

 と、弟が困ったようにこちらを見ている。どうすればいいのかわからないのだろう。おたおたと手をわずかにさまよわせる動作からテンパっているのはわかった。女子の姿だから特にあわあわしてるように見える。助け舟が必要だろう。

 俺は両手を組んで兄──レイトを見つめる。

 

「お前演劇のこと『女っぽい』とか馬鹿にしてたくせに女装してんのかよウケるな」

 

「わー! わーストップ! 落ち着いて姉ちゃん!」

 

「離せ! 離せよ! それ知ってるのあの馬鹿弟くらいだから!! 俺はあいつを殴らねぇといけないんだ!!」

 

「弟に『姉ちゃん』って呼ばせてるのそういう性癖……? 大丈夫……?」

 

「ちっが──う!!」

 

 鋭い蹴りが俺の顔面にヒット。そのまま後ろに衝撃で倒れ込む。

 あんまり痛くなかった。この体になってから痛みに対して鈍感になったのだろうか。筋肉痛にもならないし、どれだけ歩いても足が痛くならないし、走っても息が全然上がらないこの体。一体どうしてこんなことになっているのだろうか。

 わからない。

 全くもってわからない。真面目になったはずの兄が女装をしていることくらいには。

 

 

 

 

 

 ところかわってリビング。

 俺の部屋にはないふかふかのソファーに座りながら、出された珈琲を飲む。無駄に淹れるのが上手なのが少しイラッとするが、とりあえずそれはいいとして。

 

「久しぶりねぇ、ハジメちゃん。ちょっと女の子らしくなったかしら? ()()()になったのね。役作り?」

 

「もう演劇続けてないんじゃないの? あ、でも演劇やってなかったら金稼ぐのも難しいか。芸名とか?」

 

 母と兄が俺の体が変わってるのに気づかないのがもっと腹立つ。

 なんでだよ。前までの俺は別に女っぽくもなかっただろ。

 

 そりゃあ子供の頃は女役もやったことがあるし、それが十分以上に通用していたから女性的な雰囲気の作り方というのはできなくもない。

 でも普段の生活からそれをやっているやつがあるか。胸まで詰めてるってことになるんだぞ。

 昔はやってたけど。

 

「……まぁ、演劇みたいなものかな」

 

 とはいえ素直に体が女に変わったというのも言いづらかったので助かった。

 折角なのでYouTuberをするために女装しているという(てい)で話を進めよう。

 

 家出で別れたというのに、こんなにも朗らかに受け入れられるとは思っていなかった。それも最後なんか喧嘩別れに近かったのだ。

 それがどうしてこうも普通になってるんだ。

 

「YouTubeで動画投稿して、その広告収益で生活に不自由しないくらいは稼いでるよ」

 

「あー、YouTuberねぇ。連理もやってるわ。

 確かにハジメちゃんには合ってるわ。あなた、いろんなことができるんだもの」

 

「……かな」

 

 それは昔の話だ。今は違う。

 違うけれど、それは黙っておいた。

 別に言うべきことではないのだから。

 むしろ言わないほうがいいことかもしれない。未だに父親のことを引きずっているということは、ひょっとしたら周囲を落ち込ませるかもしれないから。

 

 とりあえず。

 

「動画で使おうと思ってギター取りにきたんだけど。あるかな?」

 

「地下に置いてるよ。弦はないから自分で買えよ?」

 

「了解。……なんの弦使ってたかなぁ」

 

 まぁ、適当に試すか。金はまだあるし。帰りに適当に覗いてみよう。

 ケースも置いてあったはずだ。とりあえずは、それを持っていく。

 

 あとは部屋に置いてあるもので、懐かしいものは少しだけ持っていこうと思う。

 

 家を飛び出したのは、金と少しの着替えとくらいしか持ってないときに出たから。

 たくさんのものが放置されているはずなのだ。

 

「……あ、これハジメじゃない?」

 

「あら、本当。登録者六万……多いのねぇ。連理は何人だったかしら?」

 

「僕は最近八万いったかなぁ。でもこれは企業への期待を込めての登録者だと思うから、比較しちゃ駄目だよ」

 

 俺の場合は企業にすり寄った結果だからなんとも言えない。それで考えれば、連理と条件はそう変わらないはずだ。

 はずなのだ。

 

「そっちは」今度は俺から聞く。「今は何やってんの?」

 

「俺は就職ー。CGとか触ってるよ」

 

「母さんは?」

 

「絵を売ってるわね」

 

「画家?」

 

「そう」

 

「そう……」

 

 いつのまにそんなこと始めたんだ。少なくとも俺が飛び出したときにはやってなかったはず……と思ったが、十二年だ。

 十二年も経てばそりゃあそうもなるか。

 

「いくらで売れたりすんの?」

 

「まちまち。時々高く売れたりするわよ」

 

 だいたいは五十万程度らしい。

 定期的に依頼がくるからそれで稼ぎも間に合うと。

 なんなら他のふたりも自分の食い扶持程度は稼いでいるからそんなに問題なく生活できているというわけだ。

 

 まるで俺とは違う。

 けれど、それでよかった。俺とは違ってちゃんと生活はできているようで。

 不自由がなく暮らせているようで、よかった。

 

 

 

 

 地下に向かう。

 昔からあったから疑問もなかったが、何故我が家には地下室があるのだろう。

 完全防音。音は外には漏れない。そしてそこそこ──レッスン室程度の広さはある。

 子供のときはよくここで演技の練習をしていた。

 懐かしい。

 

 中心に立って、軽く背を伸ばす。

 髪をぐしゃりと手で握っていって、あえてくせっ毛を作り出す。

 柔らかい髪質のおかげで簡単についてくれた。ぼさっとした髪型を作り出すと、小さく息をした。

 

「小さな頃から夢ばかり見ていた」

 

 昔やった劇だ。台本は父が描いた。何度も何度も読んで、ペンのインクでぐちゃぐちゃになった劇の台本。

 俺の初舞台の本。

 今でもわずかに記憶にある、その冒頭。

 

「現実は見えなかった。私には、目の前ことさえぼやけて見えてしまう。

 それに色も……」

 

 昔、親に聞いたことがある。

 

「『空はどんな色をしているの?』『青はどうして青いの?』『火は一体何色なの?』」

 

 私にはわからないのだ。その区別も。すべてがモノクロに消えている。

 だから全てを想像で補うしかなかった。自分の肌の色も、髪の色も、目の色すらわからない。

 

 だから私は、夢にすがったのだ。

 

「雲を泳ぐ。空を歩く! 夢の中には何だってあるの! 絵画の中に入ったり、絵本の世界に潜ったり! そこで私は世にも奇妙な冒険をするの! なんちゃって。

 今のワタシはどこにもいけない。目を開けてても、閉じてても変わらないのにどうして私は起きていないといけないの?」

 

 なんて。

 少し演じてみたりして。

 

「懐かしいなぁ」

 

 次は、置いてあったピアノに触れる。軽く指を走らせると、予想以上にちゃんと弾けた。

 あんまり腕は落ちてないらしい。安心だ。

 スマホのカメラを立てる。俺を側面から取っている形だ。

 スタンドがないから安定しないが、それでもなんとか立てて録画をスタート。

 

「──怖がることはもういーかい 惑わされてくなら 頭でっ価値 ずっとうんと砕いてもっと、

 ……乱してあげて」

 

 わりと記憶頼りに適当に弾いているところがあるから、すこし怖い。でも大体こんな感じだったはず、というのを弾いていく。

 ピアノは嫌いじゃない。鍵盤を叩けば音が出る。ギターもそうだ。弦を弾けば音が出る。体でもそうだ。なんだって、叩くなりなんなりしたら音が出るのだ。

 それは。

 それは、自分自身の音だ。

 そうして鳴り響く音が、俺は嫌いじゃなかった。だからこそここまで楽器に触れることになったのだろう。ただ、音を鳴らすのが楽しくて。

 

「脳みそ達止められない 操れない僕にっ、期待したいんだ」

 

 切り刻まれ、この皮膚に従うほど。

 

「無敵になれた」

 

 そこで区切る。

 撮った動画を見直せば、結構ピアノの音をミスっていることに気づいた。まぁそんなものだ。久しぶりだしそれでいいだろう。

 とりあえず、そこそこ満足したので動画をTwitterに投稿。スマホをポケットにしまい込んでからギターに触れる。

 

 軽く触ってみると、やはりチューニングが狂っているし弦は錆びている。これで下手に触って本体を傷つけるのは嫌だから、さっさとケースに入れることにした。

 そして部屋から出る。

 次に向かうのは自分の部屋。

 

 自分の部屋は、かつてのままで止まっていた。

 まるでここだけ時間が止まっているかのような気分だ。当然そんなことはないので気分だけだが。

 ともかく、必要なものを漁っていく。

 

 机の上の筆立てには、昔よく使っていた万年筆があった。

 父親からもらった、結構高めの木軸の万年筆。とっくにインクは乾いていて、詰まってしまっているだろう。掃除したら使えるだろうか?

 これはとりあえず持って帰ることにした。

 ついでに、使い込んでさわり心地が全然違うシャーペンも持っておく。

 

「……。これも持っていくかな」

 

 そう呟いて、棚にびっしりと並んだ台本たちを手に持った。

 そのどれもに書き込みがある。演じたことがあるのだから当然だ。

 特に懐かしいのは、父親作の一人で老若男女何役もやらされるやつ。嫌な方向で記憶に残っている。

 

 やらされたという点でも、そうなった理由という点でも。

 

 でも、それはそれで思い出だ。少なからずすべてが終わったあとの充足感と満足感。それに全能感は嫌いじゃない。

 

 だから、使い古した台本を袋にしまった。

 スマホを覗けばさっき投稿した動画に対しての反応の通知が。

 フォローしているアカウントからの通知をオンにしているので、埋もれてしまうということはない。

 ロックを解除して反応を確認する。

 

 

『半丁善悪@バーチャル二重人格

 ピアノも弾けるって天才ですか?』

 

『術楽なふだ

 もっとうたってください』

 

 

 返信は……しなくていいか。あとでいいや。

 スマホをポケットにしまいこんで、とりあえず見なかったことにする。

 帰ったらギター弾こうかな、とか思いつつ。

 

「よーっす」

 

 と、そうしていると兄が扉を開いて部屋に入ってくる。

 格好は……エプロンドレスから、ワンピースになっている。

 

「三十歳男のワンピースってキツくないか?」

 

「似合ってるだろ?」

 

「そうだけどさ」

 

 たしかに、驚くくらい似合っている。声はそうでもないのに女性っぽく見えるのは、動作まで徹底しているからか。それとも、顔つきを丁寧に女性に近づけているからか。

 わからないけれど、似合っていることはたしかだ。

 

「YouTube始めたの、結構最近なんだって?」

 

「おう」

 

「それまでどうしてたんだ?」

 

「適当に……就職してたよ。現場系の」

 

「あーね」

 

 レイトはそう言って、先程詰めた台本の山を見た。

 

「なんで劇団員にならなかったんだ?」

 

「別に」俺は答える。だが続きが出てこない。別に……なんだ?「最初からなりたかったわけじゃないし」

 

 やっとの思いで吐いた言葉がそれだった。しかし、それに対してレイトは目を細めてから、俺のベッドの上に座りつつ足を組んで。

 

「嘘だな」

 

「嘘じゃねぇよ」

 

「わかりやすいよな。そりゃああんなことあったら、嫌気が差すのも無理ないけど」

 

「逆に聞くけど」

 

「なに?」

 

「割り切れたの?」

 

「んなわけねぇだろうが。キレるぞ」

 

「だよな。割り切れるわけねぇよな」

 

 俺だけじゃない。

 そうだ。俺だけじゃない。過去に囚われているのは。そりゃあ当然だ。

 

「でも」

 

「なに」

 

「お前と違ってそこそこ吹っ切れてはいるよ」

 

「……どうして?」

 

「さぁな。てめーの頭で考えろ。答えは一つじゃないかもな。でも一つ言えるのは、周囲を見てるかどうかってことじゃねぇの?」

 

 そう言って。

 それだけ言い残して兄は部屋から出ようとして。

 

「そうだ」と、忘れていたかのように。「帰るとき、父さんに挨拶してけよ」

 

「……りょうかぁい」

 

 言いつつ、かき集めた荷物を担ぐ。

 

 父さんの仏壇の前で少しだけ祈っていった。

 それでいいだろう。

 今はそれしかできなかった。

 前はそれすらできなかった。

 

 それを進歩と呼んでもいいのだろうか。

 何一つ変わってなんかないような気持ちに晒されながら、俺は逃げるように家を飛び出した。

 

 

 

 帰り道にギターの弦を買った。

 部屋で張り替えて、軽く弾く。前の弦とは違ったが、これもこれで嫌いじゃない弾き心地と音だ。

 

 音楽系VTuberの曲を、少し弾かせてもらう。

 

「雨の匂いにはもうそろうんざりだ 毎年毎年しつこい奴らだなぁ」

 

 歌詞を歌いだしてみれば、少しだけ気分が晴れた気がする。

 だから人は音楽を求めるのだろう。

 そういうものだ。

 そしてそれは、そういうものでしかなかった。






 曲はずっと真夜中でいいのにさんの低血ボルトとぼっちぼろまるさんのハナサカステップです。


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同類相憐れむ

 安心できるだけの金がほしい。

 

 誰もがそう思っているはずだ。世の中は金だ。金がすべてだ。金さえあればなんだってできるし、金がなければろくなことはできない。

 だがなんにしたってあぶれるものはいる。金を真っ当に稼げない人間。社会に迎合できない人間。あるいは夢馳せ破れた名前のない誰か。

 そりゃあそうだ。誰もがちゃんと正しく生きていけるわけではない。

 正しいことばかりが正しさというわけでもないということもあり、なんとも世の中はやるせない。

 

 だから俺は間違いを否定したくはない。誰にだってそういうことはあるだろう。それがただ表出するタイミングがそれだったというだけ。

 潜在的に間違い続けている人はそれこそ無数──ひょっとしたら人類すべてがそれかもしれないというほどに、存在するのだった。

 

「だからね、気持ちはわかるんだぜおにーさん。俺だってひょっとすりゃあ同じことするかもしれなかったんだし」

 

「なんでお前そんなに落ち着いてるんだよ!?」

 

 おっと。うるさくても耳を塞げない。なぜなら現状は後ろ手に捕らえられているから。

 どういうわけか。どうしてこうなったのか。

 そんなのは俺のほうが知りたいが、とりあえずわかっていることだけ述べるとするならば。

 

 ──誘拐である。

 

 

 

 

 最近どうにも周囲の道徳心が欠けてる気がするな。そんなことを思いながら、リサイクルショップをあちこち回る。

 できることなら新品でなにもかも揃えたいが、あいにく店頭で触れるにはちょっとニッチなジャンルというか。だいたいネット通販でしか姿を見ないものなのでここに来た。

 通販で買えよと思うが、一度だけ触ってからしっくりきたものを選びたかった。

 そして目当ての物が見つかり若干浮足立って家に帰ろうというタイミング。

 そこで、俺は彼と出会ったのだ。

 

 見るからに不審者ですと言ったニュアンスを漂わせる目の揺らぎ方と、前傾でポケットに手を突っ込んでがさがさと弄んでいるそれ。

 まぁ間違いなく中身になにかあることは推察できる。それが凶器でなければまだよかったが、残念ながら普通に刃物。

 向けられた俺はというともう投降するしかない。そもそも間合いに入られてる時点で対応は無理だろう。

 

 そのままずるずると彼の家と思しき場所に連れてこられて今に至る。

 

 俺の家の周辺は異常なまでに人通りが少ない。だから周囲の助けは期待できそうにもなかったわけだ。

 

「おにーさんゲームとか好きなの?」

 

「なんで答える必要がある」

 

「だってパソコンのグラボごついし。結構慣らしてた感じかなーって」

 

「最近のJKはグラボとかわかるの……?」

 

 首を傾げられた。

 別に俺はJKじゃない二十八歳一般人なわけだけれど、そこの誤解は別に解かなくてもいいだろう。そもそもなんでJKだとか思ったのかがわからない。

 

「俺はさー。ざくざくアクターズ大好き人間なわけよ」

 

「はぁ」

 

「知ってる?」

 

「知らない」

 

「マジ? やったほうがいいぞ。フリゲだから無料だし。ほれ今すぐDLしろよ」

 

「なんでこいつこんな余裕なの……?」

 

 別に怖くないからじゃないかなぁ。

 

 そもそも震えながら刃物突きつけるような人間がどうこうできるような気力もないだろう。

 なるほど、別に怖くはないな。

 

 マジでパソコンにざくアクをインストールし始める相手を見て律儀だなぁと思う。

 

「ツクールのRTPって何?」

 

「ランタイムパッケージ。基本情報みたいなものかな。ツクールの汎用データをダウンロードするみたいなもん……だったはず」

 

「VXAceってやつでいいの?」

 

「おう。それをダウンロードして、そっからインストールするわけ」

 

「なるほど」

 

 なんだこのやり取り。

 少しして、インストールが終了。ゲームが開始される。

 

「画面ちっさいのな」

 

「フルスクリーンに出来たはず」

 

 ボタンは忘れたが。いつもそうしなかったから違和感がなかったわけだ。

 

「なんでこの子でちでち言ってるの?」

 

「でち子だからだよ」

 

「あざといね」

 

「お前国王に向かってなんだその言い草。刺すぞ」

 

「刺す!?」

 

 なんだこれ。

 なんで俺ざくアク布教してんだろう。これがわからない。

 

「あー、こういう戦闘システムね完全に理解した」

 

「結構TP管理とかの駆け引きがあって楽しいぞ」

 

「マジで? よっしゃ頑張るわ」

 

 とりあえずベルベロスとハピコと福ちゃんが仲間に。

 次はヘンテ鉱山に向かうというところ。

 

「これさぁ、楽しいの?」

 

「まぁまぁ。これからなんだって……この鉱山の次から結構面白くなってくるからさぁ」

 

「ふーん……じゃあそうするけど……」

 

 そして道中全スルーしつつ、鉱山の奥へ。

 ニワカマッスルが加入。かなり急ぎ目だが、大丈夫だろうか。

 特にこの次のボスは序盤の難所というか。

 かなりボスが強めなので大変なのだが。

 

 

 一時間後。

 

「雪乃ちゃん……!」

 

「ゆきのんかわいすぎるんだよなぁ……あれ? 泣いてる?」

 

「目にゴミが入っただけだって」

 

 雪乃イベントでそのセリフはやめろ。

 

「あー……くそ……このゲーム面白いなぁ……」

 

「だろ? 結構バランスとか面白いだろ? オープンパンドラ使える前提の難易度だからそりゃあそうなんだけどさ」

 

 これは名作ゲームですね。

 

「あのさー」

 

「ん?」

 

「そろそろ腕のこれ解いてくんない?」

 

「あ、ごめん。……いや待ってしれっと馴染んでたけどなんでお前そんな余裕なんだ」

 

「今更かよ」

 

 なんで馴染んでるんだよ。

 

 ため息一つ。床に足をごんごんとぶつけてはよ除けろとアピールする。

 ようやく解放された腕を伸ばして一息。

 

「じゃあざくアク進めよっか」

 

「なんでそんな余裕なんだ」

 

 そればっかりかよ。

 

 周囲を見回す。

 部屋の配置としては、やけに古めかしい装いだ。そして和風の建物である。おそらくはずっと昔の代からここに住んでいたのだろう。

 

 部屋はそこそこ清潔にされている。

 埃っぽさはあるが、それでもモノが散らばっているなどはない。

 いや、たぶんだがこれはあんまり部屋に帰ってきていないんじゃないだろうか。

 だから物が溜まらないということだろう。

 

「質問していい?」

 

「なに?」

 

「最初に、なんで俺を襲ったわけ?」

 

「会社にクビ切られた。稼げないし人生詰んだからいっそムショ入りしようかなって」

 

「理由がひどすぎるんだけど」

 

 だがそうか。意外と嫌いじゃない。俺だって何度かそうしてしまおうと思ったことはある。実行に移すことはなかったが、そういう衝動があったことは否定できないのだ。

 だからしない。だって、そう思った時点で五十歩百歩。同じ穴にいるのだから。

 

「どこの会社?」

 

「サウンドクリエイター。ちっちゃいところだけどな」

 

「マジ? なんでクビになったのさ」

 

「単純に会社の経営難。売れない音作るやつはいらんのだとさ。妹のCDくらいは担当したかったけど無理だったわ」

 

「妹いるんだ。へぇー」

 

「えーと……たぶん、お前より年上だよ。ちょっと夢を売る仕事してんの」

 

「アイドル的な?」

 

「いいや、ネットのほうの……」

 

「言っちゃ駄目なやつ?」

 

「あんまりよくない」

 

「オッケー、聞くのやめとくね」

 

 にしても、音楽業界でそういうことあるんだなぁ。

 

「独立とかできるんじゃないの? そういうのって」

 

「まぁそうなんだけどさぁ……」

 

「どんな曲作ってるわけさ」

 

「えーと……これ」

 

 と、言ってパソコンから再生されるのは聴いたことのない曲だった。

 独特というか、なんというか。あえて王道な雰囲気から外している曲。意外と嫌いじゃない曲だ。

 

「いいじゃん」

 

「個性って売る視点から見るとあんまいらないんだよ」と、言って彼は即座に再生ソフトを消した。「つまりはさー、こういう業界は『無難』なものが重要視されるわけ。個性が必要なのは特定のハマるアーティストくらい。んなことわかっちゃいるけど消し方がわからん。面白みのない曲になるのが嫌すぎる」

 

 つまり、と言って。

 

「向いてないわけだ」

 

「いいじゃん。じゃあ一曲作ってくれよ」

 

「は? ……いやいや、そんなん急に言われても困るんだけど。そもそもお前、作ってどうするんだ」

 

「公開する」

 

「はぁ?」

 

 俺の言葉に心底わからないと言った顔をする彼。そんな顔をされたら困る。

 はぁ、と言って、パソコンを少し突かせてもらう。YouTubeで自分の動画を検索。

 

 この間のイラスト練習のまとめ動画を再生。

 

「これ、俺」

 

「え、嘘ぉ」

 

「マジなんだけど……」

 

「え、でも」

 

 指差されたのは服だ。

 

「クソダサファッションじゃないじゃん?」

 

「なんで俺イコールクソダサファッションなんだよ。単純に服を選ぶのが嫌いなだけだ」

 

「それもどうなの……っていうか……え、マジ? 嘘だぁ」

 

 ちょっと待って電話してくると言って、彼は少し席を外す。一体どういうことだろうか。わからない。

 首を傾げていると、彼がすぐに戻ってきた。一体なんの電話だろうか、と思ったがはぐらされるので困る。

 

 そして待つこと三十分ほど。

 

 

「どうも、お久しぶりですハピコさん」

 

 

 そこには高山ソラが立っていた。

 

 

 

 

 常人よりも頭のどこかがブチ切れてる兄妹が俺の前にいる。

 かたや捕まるためにいきなり刃物を向けてくる危険人物。

 かたや初対面の相手にいきなりキスをぶちかましてくる危険人物。

 どちらも人が絶対に越えない線引をしているラインを簡単に飛び越えてくる怖いやつら。

 

 まぁ俺に実害がないから別にいいや。

 俺がいいって言ってるんだからいいんだよ。苦言を呈されても知るか。

 

 とはいえ高山兄の暴挙は妹からしても目に余るようで、俺の目の前にはボコボコにされた彼が頭を下げている。

 

「すみませんでした」

 

「俺は別にいいんだけどさぁ……」

 

「そういうところが警戒心ないって言われる原因なんですよ?」

 

 そこを突いてきたお前が言うな。

 

「でも、ハピコさんって他人に対して一切興味がないですよね? 例外は家族と……あの二人だけでしょうか」

 

「やめろやめろ心を読むんじゃない」

 

「わかりやすいほうが悪いんですよ?」

 

 お前みんなに対してやってそうじゃん。

 くすくすと笑う彼女は、たしかにこの部屋で育ったような雰囲気がある。

 

「ここ、今は高山兄しか暮らしてないの? 親は?」

 

「とっくの昔にいませんよ」

 

「ごめん」

 

「いえいえ、多分想像してるのとは違いますよ。私が中学生のときに消えました」

 

「だから頑張って就職したってわけ。クビになったけどな。萎えるわー」

 

「へー。じゃあ俺んちに結構近いんだよな。ひょっとしたら会ったこととかあるかも」

 

「……? ハピコさんみたいな人、見た覚えがないんですが……」

 

 まぁそうだろう。それは今の俺じゃない。

 そんな事は言う必要もないから、黙っておく。

 

「じゃあ、すれ違ったこともないんだろう」

 

「そうでしょうか。……いえ、そうですね。たぶんそうなんでしょう」

 

 そう言って、彼女は黙った。

 

「そういえばさぁ」

 

「はい?」

 

「高山兄はドモールのほうに売り込んだりしないの? BGMとか作れる?」

 

「え? まぁできるけど」

 

「じゃあそっち行ってみれば?」

 

「……カイラさんならまぁ、否とは言わないでしょうけど」

 

「駄目か?」

 

「俺が嫌なんだよ」

 

「人に刃物向けるようなやつが四の五の言ってる場合か?」

 

「ごめんなさい」

 

 全く、道徳心がない。どうしたことかこいつ。

 

「でも待ってください。私の推薦ならそりゃあ、カイラさんも無条件で認めてくれると思いますけど。それには兄に相応の実力がないと迷惑なだけです」

 

「お前そんな信用勝ち取ってんのかよ……まぁ、だからさっき言ったことをしようぜって話」

 

 俺は今日買ったものを取り出した。

 MIDIキーボード。音楽制作に使われるもの。

 

 そういうわけだ。

 最近ギターを用意したのは歌枠のため。これに関しては完全に別で、少しばかり自分自身の曲を作ってみようかと思ったのだ。最近のちょっとした心の変化。俺がこれから踏み出せるように、これはする必要があった。

 だが、そこらへんの知識が俺にはまったくない。できる人に依頼するのがそりゃあ一番いいのだが、それにしてもコネがない。

 そういうことだ。

 

 だがこのタイミングでちょうどよく作曲ができる人間が現れた。

 まるで仕組まれたかのように。

 

「ということで、俺のオリジナル曲を作りましょうのコーナーどうでしょう」

 

「ポートフォリオにはなりますね。ありじゃないですか?」

 

「え、マジ? 仕事ってんならやるけど……俺の曲って一般的じゃないぜ?」

 

「むしろそっちのほうがいい」

 

 だって。

 

「無難な曲はつまらないんだろ?」

 

「んー……まぁそうなんだけどさ」

 

 そういうことになった。

 

 

 

 

 

 

 

 そして新曲の打ち合わせを始める、というタイミングになって、俺は一つの疑問を投げかける。

 

「ところで高山兄。どうして俺を狙ったわけ? 他にもいろいろいただろ? ここがまったくわからないんだけど」

 

「……さぁ、なんでかな。直感。誰をやろうかって考えてて、でもいろんな人が通るたびに『これじゃない』って感じがするわけだ。

 ハピコちゃんだけが『ああ、()()()()()()()()()』っていう感じの予感がしてさ。だからそうした。はた迷惑な話だけど」

 

「ほんとだよバーカ」

 

「マジでごめん! 無罪放免なのマジで嫌なんだけど!」

 

「だからタダ働きしてんだろうがお前さぁ」

 

「実質無罪みたいなものでは……?」

 

 話しながら考える。

 

 俺に向けられている好意のほとんどは、特段理由を持たない。当然のように、仕組まれたかのように。何もかもが俺に忖度しているかのように、何もかもが都合よくできてしまっている。

 自分自身を物語の主人公だと思うのは当然だ。誰もが自分の人生の主役で、誰もが主人公なのだから。だがそれがもっと大きな主人公の前ではモブ扱いにしかならないだけで。

 

 そんなものとは次元が違う。恐ろしいくらいに、何かの力が働いているかのように何もかもができすぎている。

 半丁善悪が俺の動画を偶然発見し、偶然俺をコンビニで発見し、そして偶然にも俺の家の隣になふだと引っ越してきて、そして偶然にも俺が心を許せるうちの片方になっている。

 

 そして半丁善悪は俺が女になる四ヶ月に俺にしか見えない女子のイラストを描いている。

 

 今回だってそうだ。

 まるで仕組まれたように。

 高山ソラの兄が、俺の求めていた音楽クリエイターで。そして偶然にも俺に目をつけ、確実に俺に従わざるを得ないような状況になっている。

 

 懐かしい。この感覚。しばらく感じてなかったものだ。恐ろしさで体が震えそうになる。

 覚えている。

 子供のときにもあったのだ。こういうことが。

 

 そして妹は死んだ。友人だと思っていた相手はいなくなった。父親は殺された。

 

「なぁなぁソラさんや」

 

「はい、なんでしょう?」

 

「俺のこと、初めて見た時どう思った?」

 

「そうですねぇ……似てると思いましたよ」

 

「誰に?」

 

「お母さんに。見た目だけですけどね」

 

「はぁ。ところでそのお母さん、何歳のときにいなくなった?」

 

「……? 二十八ですね。あ、ちょうどハピコさんと同じくらいですか?」

 

「嘘っ!? そんな年齢なの!?」

 

 わからない。

 わかりたくない。

 けれど、おかしいと思った。

 

「父親は?」

 

「……さぁ。覚えてないです」

 

「シングルマザーだった?」

 

「ええ。お金の援助自体はあったらしいですけど」

 

「あともう一個。高山兄とは何歳差?」

 

「二歳差ですね」

 

 なんだそれ。

 

 さっきの発言と合わなさすぎだろう。

 ぞっとする。

 

 何かが繋がりそうになった。けれどまったく繋がってはいない。

 少しだけ痛む頭。俺は何かを忘れているのだろうか。

 どうかはわからない。

 けれど、今はただこのわけのわからなさだけがあるのだから。

 それに満たされている。決して気分はよくない。

 

 気分がいいわけがないんだ、いつだって。






 急に雰囲気が変わったかもしれません。ごめんなさい。TS理由だけファンタジー方面に足突っ込んでるんですごめんなさい……。


 ハピコちゃんは戯言シリーズ好きだったりしますよ。


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「すごく心地がよかったせいです」

 

 

 

 夢を見ている。

 

 これが夢だとすぐにわかるのは、これまでになんども経験したことがあるからだ。畳の上。古ぼけたブラウン管のテレビ。それを眺めている。内容は見たことのないものだ。俺の視点ではない。誰か、知らない人間の視点だ。

 さながら他人の夢を眺めているような感覚。俺にはまったく実感がないが、それでもたしかにそれはあったことなのだろう。

 

 こういう夢は、時々見る。いつも見るというほどではないが、それなりの頻度で見る。だからもう慣れた。最初に見たときも、特に動じることはなかったが。まぁそういうわけだ。だからこそ今日もまた普段通りにのんびりと眺めている。

 普段は誰かの視点から、ぐだぐだとした日常が流されている。

 ところが今日はそれとは違った。また別だ。それも嫌な方向に別だった。

 

 小学生ほどの子供だろうか。彼らが歩いている。その近く、目立つ顔立ちのくせに妙に意識に入らない男が立っていた。それを見ている俺は、時折漏れるため息から考えるに女だ。今の俺よりか少し年下だろうか。

 一人、たしかに見覚えがある。どころか忘れたことがない人間たち。そして少年たちもどこか誰かに似ている風貌。

 

 父親が確かにそこにいた。

 

 少しだけ人の波があるその通りを歩いていた。いつもどおり、無駄に整った顔を眠たげに染めて。

 そこに正面から突っ込んでくる車がある。法定速度は当然のように超過。どれだけの速度を出しているのか、と言うほど。

 運転している人間は、見覚えがある。もやがかかっているけれど、たしかに見覚えがあった。なるほど。これはつまり、父親が死んだ瞬間の場面ということだ。

 全く悪趣味なものだ。俺が立ち会うことのできなかったそのシーン。それを目の前で垂れ流されている。

 誰がこんなことをしているのか。なんでこんなことになっているのか。わからない。俺の捏造と言われれば受け入れざるを得ないだろうが、それでも妙なリアリティを持って映像は流れ続けた。

 

 当たれば人が弾け飛ぶやも、と疑うほどに唐突に突っ込んでくるその車。当然、それに対して完全に対応することのできる人間なんて少ない。

 だから至極当たり前に視点主と、少年たちは逃げ遅れた。

 そして父は。

 

『ふんっ』

 

 車を両手で正面から止めた。いや待てこれは夢だ。捏造だろう。俺の捏造と言ってくれ。普通は無理だろ。絶対ありえない。いや……けど……父親ならやりかねない。少し迷ってから捏造だと考え直した。

 

 さて映像のほうはというと、まだ父親が車を正面から留めている。車輪は盛大に回転しているのにも関わらず全く動くことはない。

 なんだこれ。

 

『──ああ、そういうことか。ほら君たち。さっさと車の前から逃げなさい』

 

 画面が揺れる。視点主の女性が、逃げるためにさっさと退散したのだった。小学生を助け起こしつつ。

 

 既視感がある顔だ。

 まるでその二人は、半丁善悪と──青玻璃カイラのようじゃないだろうか?

 

『あ、貴方はどうするんですか!?』

 

 叫ぶような声。聞き覚えが少しある。まるで俺の声みたいだ。動画で録音される俺の声のようだ。つまりこれは、俺の今の体ということだろうか? ひょっとするとこの奇妙な現象の理由がわかるのかもしれない。

 問われた側である父親は、『んー』と小さく首を傾げ。

 

『まさか君に恨まれてるとか思ってもなかったんだけど。……まぁ仕方ないか。僕の腕ももう限界だし。

 ──ああ、そこの君。君だよ、君』

 

 顔をこちらに向けて話しかける父親。まるで朝食の味の感想を語るように、彼は言ったのだ。

 

 

『たぶんこの後来る僕の家族に、遺言を頼む。

 ──「僕のようにはなるな。独りで生きるな、大勢に好かれる人間になれ」って。

 ま、言うまでもなくそうなってんだけどさ』

 

 

 そうして、父親はあっさりと車から手を離した。

 勢いよく飛び出した車が相当な勢いで壁に激突。

 前面を酷く壁に擦りつけながら大体二百メートルほど前進して、ようやく止まった。

 

 衝突した相手の生死なんて、語るまでもない。

 

 

 モニターの電源を手を振ることで消し去った。そしてそのまま後ろに倒れ込む。

 ああ。お前の遺言通りだ。俺は父親のようにはなってない。今は一人ぼっちじゃない。好かれているといえば好かれているのだろう。

 

「この部屋、煙草ないの?」

 

 手をぶらぶらと振れば煙草が指に収まった。融通利くじゃん。指先に火を灯してみて、そうしてヤニカスへと成り下がる。

 まるで代金代わりかと言うようにモニターが勝手に点灯。そこから流れるのは、それ以前の話だった。

 

 そこに映し出されたのは。

 

 舞台の上で羽織のような民族衣装を着て演技をしている、昔の俺の姿だった。

 

 

 

 

 目が覚める。

 体にかけられている毛布を剥がして起き上がると、だるんだるんの服を着ている自分に気づいた。

 肩とか普通に溢れてるし。大丈夫かこれ。ズボンもズレている。下着だけ間違えてないのはなんだろう、慣れだろうか。

 しかもそれは濡れてびしょびしょだ。寝汗でもかいたのだろうか。

 

「んー……っはぁぁぁぁぁ……」

 

 手を伸ばしてみると、袖がずるりと落ちてきた。

 サイズが合ってなさすぎる。大丈夫じゃないなこれ。

 とりあえずは顔を洗ってくるとしよう。サイズの合わなくて鬱陶しい服を脱ぎ捨てて、下着姿で洗面所へと向かう。顔を洗って、ささっと歯を磨いて、タオルで体を拭いてそのままのそのそと歩いてくる。

 

「俺、どんな夢見てたんだっけ……」

 

 覚えてない。こうなるということは相当問題のある……というか、何かしら心に刺さるような夢だったのだろうが、その詳細がまったく思い出せない。

 こういうことは時々ある。しょっちゅうというほどはないから、時々としている。睡眠は一日の情報整理の時間でもあるから、ひょっとすると昨日感じた恐怖がそのまま顕になった可能性がある。

 

「……………………」

 

 部屋の鍵をかけた。

 鏡を用意。下着を少し下ろして。

 

「……確認できるものじゃないよな」

 

 すぐにやめた。別に恥ずかしかったわけじゃない。ちょっと怖かったわけでもない。それがあってもなくてもなにも変わらないよな、という話でしかないのだ。

 運動でなくなることもあるって聞くし。だから忘れよう。

 わからないものはわからないままで置いておいたほうがいい。

 

「……おっと」

 

 着替えてカーテンを開くと、窓の外を叩く小さな姿を見た。窓を開けると小さく鳴いたそれは、いつかに見つけた野良猫だ。

 見上げてくる首を撫でると、愛らしくも声をこぼす。かわいい。でもどうやってこのベランダに登ってきたのだろうか。

 

「よしよし」

 

「ハジメさーん? 鍵開けますよー?」

 

「あ、ごめーん」

 

 なふだの声。扉を開けて彼女を部屋へと招き入れる。

 

「鍵かけるなんて珍しいですね」

 

「そりゃあ俺だって鍵することくらいあるよ」

 

「いっつもしないじゃないですか」

 

 そう言われると困る。

 ベランダに戻ると猫は消えていた。一体どこにいったのか。まぁ人がきたから逃げたのだろう。

 確かになふだは怖い。厄除けかなにか知らないが、ベランダで蠱毒作ってたし。

 呪いを以て呪いを制すのやめろ。

 

「……ハジメさん、ひょっとして魘されたりしてました?」

 

「ん? ああうん。たぶんそうだと思う。なんでそう思ったの?」

 

「私は天才ですから。ハジメさんのことならなんでもわかるんですよ。

 っていうのは冗談として、単純にそういう色でしたから」

 

 人の感情の機敏に敏いやつだ。目をそらすようにパソコンを点けた。

 

 YouTubeとTwitterを開いて、椅子にもたれかかる。

 『じぐざぐ』メンバーの配信を流しながら、のんびりと調べ物をする。

 

 ネットに上がっている一つの動画を見つけた。

 かなり前に上がっていて、正面から撮影されているそれ。映っているのは昔の俺だ。

 

 なんとなく、これを見るべきだと思った。

 あんまり良い記憶もないが。一人二役どころかもっとだ。雰囲気で演じ分けをするにも限度があるってものだろう。

 無理に決まっている。

 

「これ、なんですか?」

 

「一人芝居。一人五役くらいするやつだよ。小学生が」

 

「はぁ。それは無茶な──待ってください。これ小学生ですか?」

 

「小学生だよ?」

 

「あの……性別、どっちですか? 彼? 彼女?」

 

「男だよ」

 

「嘘でしょう」なふだは、さも驚いたかのように。「全く見えない」

 

 見えないとは酷い。このときは女性の役をやっていたからそうなるわけであって。普通にしてたらまず男だと思うはずだ。

 女子と間違われたことは、この劇のように男女兼用の服装をしているときくらいだった。

 だから別に俺が女っぽいということはない。

 

「……あれ。これ、ハジメさんじゃないですか?」

 

「どれ?」

 

「ほらここの。ぼやけてますけど、髪型とかハジメさんっぽいですよ?」

 

「お、おー……マジだ」

 

 服装はまるで違うが。

 だいたいこの姿になったときの俺に似た髪型の女性がいた。というかまったく同じだろう。彼女はじっと俺を見つめていて、上演終了少ししてからすぐに出ていった。この後のフリートークには参加しなかったようだ。

 こんなに早く出ていたのなら、楽屋に戻ってから給水してホールのフロントに向かった俺とは遭遇しなかっただろう。

 スタッフさんも準備はできていなかったはずだから、そのまま素通りで帰ったことになる。

 

「見に行ってたんですか?」

 

「まぁね」

 

「なるほど」

 

 そこまで見て、動画を切った。

 

 謎が増える。彼女は俺の公演に来ていたのか。本当にこの体の持ち主かはわからない。けれど、もし本当にそうだとして。じゃあなんでこんなことになってしまったのか。

 

 わからない。何もかもがわからなくなる。パソコンには適当に高山ソラの配信を映しながら、俺は背もたれに倒れ込む。

 

 スマホで調べたこと。

 父親──戦火全師(ぜんじ)の死亡背景。

 調べても特に明瞭なことは見つからなかった。つまりここで手がかりは絶えている。

 投げ捨てて、上を見る。

 

「なふだー」

 

「はいはい、なんですか?」

 

「思い出したくないことってどうやって思い出してる?」

 

「そうですねー……勝手に思い出すまで待ってます」

 

「そっか」

 

「そうじゃないと思い出せないでしょう?」

 

「まぁね」

 

 とのことだ。つまりは、俺が思い出せるまで待つしかないのだろう。

 

「煙草吸っていい?」

 

「いいですよ。ご飯作っておきますね」

 

「やったぁ。今日はなに?」

 

「昨日の残りものに一品足しますよ。今のところなにも決めてないですが」

 

「了解。じゃ、ベランダいるね」

 

 煙草の煙を空へと流す。

 

 いつの間にかまた現れた猫が、俺の手にすりついた。

 

「お前はどこに隠れてたんだ?」

 

 わからない。もうなにもわからない。

 俺の中に大量にある、封じ込められた過去。それを一つひとつ紐解いていかないと、わからないことがある。だからわかるためにはそうしなければならない。

 

 煙草は嫌いだった。嫌いだったはずだった。けれども最近は嫌に吸いたくなる。酒は苦いから嫌いだ。けれどそれもまた、笑って飲み干せる日が来るとするのなら。

 きっとすべてがわからないときしかそうなってはいけないのだろう。だから遠ざけるべきだ。わかっている。

 

「──大丈夫。思い出せる。思い出せるさ、いつだって」

 

 

  ──俺は見た。

 

 

 過ちを紡ぎ続ける箱。すべてを叩き壊した俺。すべてを敵に回した俺。そしてそのすべてに勝ってしまえた俺。優秀な人間の選別。その基準は従順であるが、しかしそれがすべてとは限らない。すべてを叩き壊してしまえる人間は腫れ物に触るようにその枠外に追放される。優秀だけどイカれてる。戦火ハジメには近づくな。狂人。それが俺に貼られたレッテル。そしてそれは何一つ間違っていない。友人なんていなかった。

 恵まれている人間だ。ああ、そうだ。俺は恵まれている。才能に恵まれた。だからこそ、たった一人でも生きていけた。友人なんていなくても生きていけた。

 けれど一人で生きることのできない人間はいる。俺と親しいこと。それが途端に重荷になったのは、そう。俺のせいだ。だから俺から縁を切る。切ればいい。切ってしまえばそれで終わる程度のものでしかない。そんなものに縋るしかない人生なら、本当に詰んでいる。かわいそうだ。

 

 相互理解は望めない。

 世界の人間は二つだ。

 

 自分か、自分以外か。

 選ぶ先など決まっている。

 

 だから。

 

「俺は俺を優先するべきだったんだろう」

 

 少しばかり、血迷った結果。俺は友人のためと思いながらもすべてをぶっ壊した。

 それが間違っているのなら、俺は俺のためにそうするべきだったのだ。

 

 結果として今こうして煙草の煙を見上げている。それだけだ。

 それだけで、だいたいすべてが伝わるだろう。

 

「……ん、なふだ。なんだよ」

 

「人肌が心地いい季節になってきましたねー……」

 

 最近周囲に話聞かない人間増えてきたよな。

 

 まぁいいや。肌が触れ合う感覚は心地いい。後ろから抱きついてきているなふだをそのままもたれさせる。

 

「昼はどうしたんだよ」

 

「冷凍してたお肉の解凍中ですー。今はちょっとだけこうしてていいでしょう?」

 

「まぁいいけど」

 

 日の光と、なふだの体温。二つに包まれて心地よい。少しだけ眠くなってくる。

 

「あれ」

 

「あ、おはようございます」

 

「ああ、おはようございます」

 

 隣のベランダに善悪が顔を出した。

 

「煙草吸っていいです?」

 

「俺もう吸ってる」

 

「じゃあ遠慮なく」

 

 と言って、彼は慣れた手付きで噛んだ煙草に火を点けた。

 一服したタイミングを見計らい、俺は声をかける。

 

「煙草吸うんだな」

 

「ええ。最近はやめてましたけどね」

 

「似合ってんじゃん。いいんじゃねぇの?」

 

「そっちこそ似合ってますよ。でもこんなの百害あって一利しかないんですから、やめられるならさっさとやめたほうがいいですね」

 

 などと言いながら、彼はまっすぐ正面を眺めている。

 広がる街の様子がそこにはある。せかせかと忙しないそれを見ながら、のんびりと少しずつ時間が過ぎていく。

 

 昼食は二時過ぎになった。







 連続更新中に本が読みたくなってもほとんど休日しか読めないっていう話があります
 そしてそのぶんの欲求を執筆にぶつけることで欲求不満になりながら欲求を満たすという状態が完成して永久機関の完成なのでノーベル賞は私のものです


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実はジャンルは日常

 

 

 ギターを弾いている。指が痛くなることがまったくないから、ついつい長々と弾いてしまう。作業用BGMを担えるんじゃないかと思えるほどだ。それに歌までつけてしまったら、もう自重なしで一日中弾いてられるんじゃないかと思うくらいだ。

 

 ところで最近はまたこのアパートから人が消えた。それも一斉に。一体何が起こっているのやらわからないが、残っているのは隣人二人と俺だけだ。わけがわからない。久しぶりに大家さんと会って話をした結果。

 

『はぁーかわいいですやっぱりハジメさんは女の子の格好してたほうがいいですねぇー』

 

『……どうも』

 

『声もしっかり作ってるんですねーハジメさんかわいい!』

 

 高校生の少年が一人、いきなりこうして一人暮らしの場所を探せた理由はこの人のおかげも大きい。

 まぁそういうわけもあって、大家さんには俺の素性に対してはちゃんと伝えてあった。女になってからは引きこもっていたから会ってなかったが。

 昔から女役をすることはままあったし、その映像を渡したこともあったから、時折せがまれたこともあったのだ。

 

 ところでどうして一斉にこう退去してしまったのか聞いたがはぐらかされてしまった。

 彼女いわく『俺は大丈夫』らしいから、一応信用しておこう。でもそれは自分に原因があるということを暴露してしまってはないだろうか。

 忘れよう。

 

 ということもあって、騒音を気にせず歌うことができるようになったのだ。

 

「────♪」

 

「きゃー! ハジメさん素敵ー!」

 

「俺は泣いた」

 

 童磨やめろ。

 

 せっかくなので夜。パジャマパーティー的なノリで誘った二人の前で、練習がてら弾き語りをしてみる。

 二人の前だとあんまり気負わなくて楽だ。のんびりと、ギターを弾いている。やっぱりこうしてギターを弾くのは楽しい。というか、やっぱり俺は誰かの前で何かをするのが好きなのかもしれない。

 

 側に積んでいる鬼滅の刃を読みながら、善悪がごろっと寝転ぶ。

 

「鬼滅って誰推しですか?」

 

「んー。俺は善逸かなぁ」

 

 だいたい無限城での戦闘のせい。

 あれはズルいでしょうが。

 

「俺は義勇さんですね」

 

「あー、っぽいわー」

 

「コミュ障なところとか似てますよねー」

 

「やめろ……やめろ。そういうなふだは誰なんだよ」

 

「サイコロステーキ先輩」

 

「予想外のところから飛ばしてくるのやめろ」

 

 いやでも、となふだは続け。

 

「自分の実力不足を知ってるところ普通に好きなんですよねー」

 

「でも相手の実力見抜けなかったじゃん」

 

「そこはまぁ仕方ないということで」

 

 なふだはと言うと、のんびりとノートにペンを走らせている。見てみると配信になにやら関係のありそうなこと。

 

「なにそれ?」

 

「ボイスの台本についてちょっとだけまとめてるんですよー。……ていうかハジメさん、しれっと弾きながら話せるんですね」

 

「これに関してはコード繰り返してるだけだから別に誰だってできるよ」

 

 それこそ何回もやってると勝手に指が動く。

 だから、そんなに難易度は高くないのだ。

 

 しかしそうか。ボイス収録。というかボイスか。

 

「また?」

 

「またですよー。リスナーの需要が……ねぇ……。私なんかの声がほしいものでしょうか?」

 

「ほしいんじゃない?」

 

「ボイスの感想ではいっつも『もっと罵倒して』って言われるから困るんですよね。普段からそんなに言ってないでしょう……」

 

 言ってるんじゃないかなぁ。リスナーには。

 俺と善悪に対する対応の差みたいなものだろう。別に罵倒というラインではないのだが、なんというか……辛辣である。

 

 ギターを弾くのを一旦中断。そして腕を組んで考える。

 

「ボイス販売って売れるのかな……」

 

「いいですねやりましょうそうですよね先輩」

 

「ああその通りだともやりましょうねハジメさん」

 

「いや別にやるとは言ってないが」

 

 俺のボイス買うくらいなら猫の声を収録して買ったほうが幸せになれる。

 犬の吐息でもよし。

 言い値で買おう。

 

「……じゃあこうするか。

 ここに実家から持って帰ってきた劇の台本があります」

 

「なるほど?」

 

「昔一人でやったやつ今から読んでやろうか? ボイス代わりになるんじゃない?」

 

「わぁい」

 

「わぁい」

 

 そんな反応だったわけで、取り出したのはアホほど練習したその台本。

 髪を少しだけぐしゃりと。なふだが『ああ!』と声を上げたが、あとでまた梳くので許してほしい。

 劇前にやっていたことなのだ。いつもそうだったのだから、そうしないと少し落ち着かないのだ。

 

 ……若干乗り気になっている自分もいる。

 今の俺は少しだけテンションが高いのかもしれない。でもまぁいいや。これまで何度もやってきたことなのだから、後悔なんてしないだろう。

 

「これね、とある村のお話なのよ」

 

「村ですか?」

 

「うん。雛見沢みたいなところ」

 

「一気に嫌な雰囲気になりましたね」

 

「だから劇ではホントはその村の服着るのよ。スカートみたいな感じの。

 ってことでキャラの演じ分けは本人の話し方とか立ち振舞によるのね。まぁそういうわけで読むよー」

 

「えっ」

 

 普通におかしいと思うが、実際にそんなことをやらされたのだから仕方ない。

 

 読むだけなので簡単だ。比較的ラクにできる。もっと大変なのはセリフを覚え、動きをつけることなのだから。

 

「『──はぁー……。新しくカフェができるっていうから期待したのに……あんなのカフェじゃないじゃんね? まったく期待はずれだよ! 珈琲苦いし!』

 『え? 見栄張ってブラックとか頼むからだって? あー! 言ったなー!? もう、でも珈琲しかメニューがないのはカフェとしてどうなの!? だったらそのまま飲みたいじゃん!』」

 

 そこで一瞬間を開けて。

 

「『……なんてね。なんでもないよ』。

 『ただの狂人ごっこ』」

 

 早口でその場を締めくくる。本番では舞台袖に向かい、そこで一瞬止まるのだ。舞台から消える寸前に聞こえるか聞こえないかくらいの声量で小さく言い残して。

 今回は必要ないだろう。黙っておく。

 

「『……ったく、あの子は一体何を言ってるのやら……。にしても今日はいい天気だねぇ。気分も晴れるよ』」

 

 今度は少し年の入った親の役。声音と雰囲気を調節して、それでよし。続けてその声を継続する。

 

「『村長はなにを考えてるのか。あの子を受け入れるなんてさ』」

 

 そうして、本読みは進んでいったのだ。

 

 

 

 

「──ふぅ。終わりかな? ってどうした善悪」

 

「ハジメさんの演技力と自分の演技力を比較して死にました」

 

「恵まれた台本からクソみたいな演技しますからね先輩。だからボイスハブられてるんですよ……」

 

 まぁ、演技力には少し自信があるからちょっと嬉しい。

 

「どんな台本なの?」

 

「見ます?」

 

 と言って、少しスマホを見せてくる。

 シチュエーションとしてはルームをシェアしている年上の兄ちゃんくらいのイメージであるらしい。

 

 台本の出来としては……まぁ。刺さる人には刺さるのではないだろうか。なまじ中の人の顔を知っているからこそ、なんとも反応に困る。

 しかしまぁ、理解はできる。というかモデルの製作者がリアルの彼の特徴をよく捉えてるからこそ、あんまり違和感のないシチュエーションであることはたしかだ。

 

 いいことを思いついた。

 

「スマブラしない?」

 

「やりますやります」

 

「わぁい」

 

「一戦ごとに負けたら罰ゲームありね」

 

 負けた。

 

「うぅぅぅー……」

 

 なんでこうも俺を負かすときだけ結託するのか。

 

「ないっぴー」

 

「ないっぴー」

 

「俺は東堂じゃないんだけどなぁ……」

 

 そういうのは普通に駄目だと思う。

 しかし二人いわくその原因は俺にあったようで、なふだが代表してこちらを指していった。

 

「せっかく新しいパジャマ買ったんだから着てください。そのクソダサシャツをやめましょう」

 

「いいじゃんかよーこのシャツよー」

 

「だめです」

 

「いいじゃん」

 

「だめです」

 

「むー」

 

 仕方ないので洗面所で着替えた。

 ちょっともこっとしたもの。この時期はまだ微妙な時期なので、夜中暑くなることもあるからあんまり着たくはなかったが。まぁ罰ゲームだから仕方ない。仕方ないので着替えてきた。

 別にいいじゃんクソダサシャツ。でかでかと『やる気がない』って文字入ってるタイプ。

 いいと思うんだけどなぁ。

 

「よっしゃー次は善悪負かしちゃるわー」

 

「急に似非方言キャラにならないでください」

 

「ていうか普通にハジメさんが弱めなんじゃ……」

 

「CPUと何度も戦って研鑽してきた俺が弱いって言いたいの?」

 

「えっ、友達は……」

 

「……………………」

 

「……………………」

 

「…………今のなしで!!」

 

 泣いてないし。別に泣いてないし。友達なんていらないし。だから自分から遠ざけてやったんだし。

 そんなのいらないから別になくても問題ないし。

 だからそんなかわいそうなものを見る目で見ないでもらいたい。別に俺は何も思ってないから。

 

 そして二戦目。

 メテオでぶっ飛ばそうとしたら返されて死んだ。

 

「…………」

 

「……わ、わー、うまいなー……」

 

「顔覚えたからな」

 

「覚えたも何もリアルじゃないですか」

 

「ID抑えたからな」

 

 と冗談を言いつつ。けれどまだ残基はあと二つあるので大丈夫。死ななきゃいいんだ。このまま逃げ切って善悪をビリにしたらいい。

 と思いつつ、とりあえず始動する。

 削るのはなふだに任せればいいのだ。それまで逃げ続ければいい。それがすべてだ。よし、その方針で行こう。

 

「ガードクラッシュした……!」

 

「あっ」

 

 なふだにスマッシュ決められて撃墜。

 

「あなたの負けです」

 

「まだあと一基あるし……!」

 

「そうそう。そういうわけだ」

 

 と、そこで善悪がなふだを撃墜した。

 漁夫の利野郎め。あいつだけまだ一人残基が多いぞ。

 なふだと視線を合わせて頷く。

 きっと俺たちの心は一つになっているはずだ。

 

 きっちりとなふだにトドメを刺されて負けた。

 

「ねぇぇぇぇぇー!?」

 

「私、負けるの嫌いですから……。あ、じゃあ罰ゲームおねがいしますねっ」

 

「キレそう」

 

 まぁこんなことじゃキレないけどさ。

 次の罰ゲームはなんだ。何が来たって問題ない。やってこいよ。むっとしながら正座で待機。

 

「……。またかよ」

 

「また猫耳です」

 

「なふだがつければいいのに」

 

 そっちのほうが俺よりも似合ってると思う。顔を少しくしくししてみると、それっぽくなるだろうか。

 まぁいいや。これなら別に嫌じゃない。一回経験したことだ。一発芸だなんて言われたほうが困る。特に問題のないことならば流しておいたほうがいい。

 

「次こそは善悪を潰す……!」

 

「怖い……子猫の威嚇……怖い……」

 

「煽ってますねぇ……ハジメさん、どうします?」

 

「うぎゅ、うぬぬ……! 仕方ない……! なふだ!」

 

「はいなんでしょう?」

 

「一個言うこと聞くから善悪潰そう?」

 

「やったー! ということです先輩! 容赦しませんよ!」

 

「えっ結局ハジメさん罰ゲームに内定したみたいなもんじゃないですかそれでいいんですか」

 

「いいんだ」

 

 俺はにっこり笑って言った。

 

「赤信号、みんなで渡れば怖くないよ……!」

 

「やっべぇ目が据わってやがる」

 

「ハジメさん、かわいい!」

 

 三戦目開始。

 とにかく善悪だ。善悪を潰す。攻撃、場外へと運び、外に出し、そして空中で運びながらNBでさらに押し出しつつ戻る。

 バースト。よしだいたい即死。最初からメタナイトでやっとけばよかった。

 あんまりうまく行ったからついつい笑ってしまう。

 

「……く、くふっ、くはははははっ」

 

「わぁーいガチだぁ」

 

「どうします先輩? 罰ゲームの心の準備をしといたほうがいいですよ」

 

「おいお前他人事だと思って……!」

 

 復帰してきた善悪の無敵時間が切れるタイミングで即座に連撃。ダメージを稼ぎつつ、撃墜を狙う。崖際はもう警戒されるだろう。だから上だ。

 上空へと吹き飛ばして上Bでぶっ飛ばす選択が一番賢いし確実である。

 ということでダメージをためてなふだがスマッシュで二基目撃墜。

 あと一つ。

 

「これつらいなぁ……?」

 

「俺がずっと味わってきてたやつだよ」

 

「いや俺結構なふだもねらってたつもりだったんですけど……」

 

「俺がそう思ったってことはそれがすべてなんだよ。わかる?」

 

「まぁそうですね。あー! 負けたー!!」

 

 よっしこれで確実に罰ゲーム仲間ができる。

 最初の目的も果たせるというものだ。

 

 ちなみになふだとはガチでやった結果負けた。

 つよい。

 

「じゃあ善悪罰ゲームね」

 

「くっ……殺せ!」

 

「やだよ。ってことで」

 

 俺が指したのはスマホ。

 

「これ、読んで?」

 

「えっ」

 

「読んで?」

 

「えっ」

 

「読めっつってんだろすっとぼけんな」

 

「はい……」

 

 いやマジで言ってんのかって顔しないでいいから。

 クソみたいな演技と言われるそれが気になる。当然じゃないだろうか。

 これくらいいいと思う。

 

「えー……まぁいいですけど……」

 

 

 

 いざ聞いてみると……なんだ。いや、何だ? 反応に困るくらいには固い演技だ。

 

「うーん」

 

 なふだから借りた五点の札を上げる。

 なふだのほうはというと、一点の札を上げていた。なかなか辛辣だが気持ちはわかる。

 

「…………」

 

 それを見て善悪の目が閉じた。

 

「何も見たくねぇ……」

 

「おいこら」

 

 でもまぁ気持ちはわかる。

 ネタにしてくれたほうがいいよね、こういうの。

 

「じゃあ次はハジメさんの罰ゲームですね」

 

「……あー、うん」

 

 そうだね。

 なふだに頷くと、彼女はにっこり笑って親指を立てる。

 

「今度からちゃんとしたパジャマを着るって約束しましょう?」

 

「……えー」

 

 させられた。

 クソダサシャツ、買ってもらったものよりもはるかに着心地いいのになぁ。開放的で。






 イツライだいすこ


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実直

 

「で、歌詞はどうするか決めたか?」

 

「ストーリーだけ」

 

「ていうかそもそも曲ができないと歌詞なんて付けれないでしょう?」

 

「歌詞から作るって選択があるんでね。すでに作ってるのならそっちに合わせるつもりだった。……まぁいいや。ないならないで今の試作が腐らないで済むし」

 

 高山兄の家にて、三人で集まっている。

 その理由は曲作りだ──納期は別に設定していないが、そんなに時間はかけたくはない。だから始動はなるべく早く。

 

 曲というか創作物は時間をかければそりゃあ良くなるが、時間をかけたからと言って評価されるとは限らない。時には速度を重視したほうもいい。YouTubeなんて、毎日途方も無い数の動画が上がる場所からすればなおさらだ。

 だから完璧主義は捨てた。なるべく早く出すことを意識する。

 明確な納期こそ設定していないが、幸い俺たちは時間に余裕が有り余っているやつらだ。二ヶ月以内には絶対上げるという気で。

 

「で、現状どんなの?」

 

「これ」

 

「んー、なんか違う。もっとなんかこうネガティブポジティブみたいなもん」

 

「んー、歌詞とか歌い方で調整できない?」

 

「今はなんか中途半端。ちょっとポップな感じで浮足立ったみたいにへんてこを入れてみて」

 

「感覚的すぎてわかんねぇ……」

 

 と言いつつも、即興で進行を調整していく高山兄。

 コードの感じ自体は嫌いじゃないけれど、今のはちょっとダウナーすぎる。俺っぽさがあると言えばあるのだろうが、まだちょっと明るくしてほしい。

 夜中の暗闇をスキップしているような。そんな感じの想定がある。……ていうか今ちょっと考えてるのを前で弾けばいいのか。

 作曲なんかは門外漢だが、それでもコードの扱いで雰囲気を作ること自体はできる。

 

「あー、なるほどそんな感じね。最近良く聞く感じのあれだ」

 

「全然これっぽさがあったら崩してもいいから」

 

「じゃあピアノの音使ったほうがいいな……っていうか不安定さ表現するときにピアノの音声が優秀すぎる……」

 

「すごくわかる」

 

 チートだよチート。ピアノ入ってたらそれだけでなんか上品さとか出るし。ずるい。

 こういうのが気軽に入れられるようになったのは時代の進歩だと思う。

 

「ストーリーって言ってたけど、どんな雰囲気?」

 

「ちょっと明るく振る舞ってるやつがあれやこれやネガティブ極まりないこと言って周囲を遠ざけようとするんだけどうまくいかなくてそれに救われてるってどうしようもないやつ」

 

「ハピコさん自身じゃないですか」

 

 ちがわい。別に明るく振る舞ってたりしないわい。

 

 別に俺のこれは空元気なんかじゃないし、ネガティブなのは元からだ。周囲を遠ざけようとしているわけじゃない。周囲と関わる意味がわからないだけ。

 それに救われているっていうのだけはまあ、否定しない。

 言い逃れのしようがないほどにそのとおりだからだ。

 

「とりあえず、そういう雰囲気」

 

「なるほどねぇ……入れたい歌詞とかはある?」

 

「んー。今んところ特にはない。ていうか曲に合わせて作るから別に気にせず一回作ってもらえれば」

 

「おっけー。じゃあその方針で」

 

 話し合いは万事快調。

 

「それでソラのほうはカイラに話はしたわけ?」

 

「しましたよ。結構乗り気でしたから、そっちのほうは特に問題ないかと」

 

「ふーん。じゃあ公式動画のBGMとか任せれるじゃん。やったね」

 

「そうですね。外部に依頼しなくて良くなるので」

 

 ていうか青玻璃カイラのフットワークが軽すぎる。

 ひょっとしてアパートの住民が消えたの、あいつが大家さんに何か言ったからだったりしないだろうか。

 いやそれは流石に無理か。でもなんか父親に雰囲気似てるから普通にやりかねないんだよなぁ。

 

 こわい。

 

「MVとかってどうするか決めた?」

 

「俺がイラスト描く感じかなぁ。それか善悪に依頼しようと思ってる」

 

「一枚絵?」

 

「一応画像編集自体はちょっとできるから、それを編集してどうにかできないかなって」

 

「クリエイターに任せたらどう? MIXとかの計画は」

 

「なしでよくない?」

 

「……まぁなくても全然通用する歌唱力だからなんも言わんが。一応俺もできるからちょっとだけやっとこうか?」

 

「わぁい」

 

 助かる。

 そこらへんに関しては全く知識ないからなぁ。

 

 そもそも土台が違ったわけだし。これまでは劇で使うために歌ったりしたから、一発勝負として上達せざるを得なかったわけだから。

 見せるという意識自体はあるけれど。

 だからと言って、あんまり音源化するということに対しては理解があるわけじゃないから、そういう意味でもこうして顔を突き合わせて話せるのは助かった。

 

「っていうかさ。高山兄って作詞できるわけ?」

 

「ん? 基本的に全部やったことあるしできるよ。作曲も作詞も」

 

「強い……」

 

「必須技能でしょ。一つだけで食えるほど強いわけでもないんだし」

 

 確かに、そう言われればそうかもしれないが。それにしたってすごいことはすごいんじゃないだろうか?

 

「まぁあとは俺がどこまでできるかの勝負になるからさ。監修頼むわ」

 

「じゃあはい。おしまいー。あー疲れた」

 

「一気にダレるじゃん」

 

「膝枕しましょうか?」

 

「わぁい」

 

 やってくれるというのならやってもらう。なふだも時々やってくれるんだよな。善悪も。男に膝枕されるっていうのは何だとも思うが、それでも普通に嬉しいので問題はない。

 

「ざくアクどこまで進んだー?」

 

「あんまりやってない。エステルって人が仲間になったくらい」

 

 エステルさんすき。

 でも彼女がいろいろコミュガバッたせいで大変なことになってるの困る。

 いや、ただのやんちゃなガキ大将にそこまでいろいろ任せるっていうこと自体がおかしいんだけれども。

 

「エステルさんはいいぞ……いいぞ……」

 

「沼者特有の発言じゃんこっわ」

 

 ていうかざくアクキャラ基本全員最高なのでもっと推していってください。

 お願いします。

 

 

 

 

「──修学旅行の思い出?」

 

 ええ、となふだから返ってくる言葉を聞いて、ようやくちゃんと飲み込めた。

 にしても随分いきなりの発言じゃないだろうか。急にそんなこと言われても困る。

 

「特にない」

 

「え……ホントですか? 京都のお土産屋でダサいキーホルダー買ってたりしません?」

 

「やめてくれ後輩、その言葉は俺に効く」

 

 善悪に二人分の冷たい目線。

 

「やめてくれ」

 

「なんていうかお前」俺は言葉を最大限に選び、ようやく最適なものを導き出す。「かわいそう」

 

「やめてくれ」

 

「……ま、その感性に関しては今更なのでなにも言いませんよ」

 

 前からそうだったのか……俺にはいまいちわからなかったが。ていうか感性の良し悪しってわからない。

 今のが流石にありえないとは思っても、普段からセンスが悪いわけじゃないと思うんだけどなぁ。

 

「ハジメさんも結構感性が狂ってますからね」

 

「そうかなぁ……」

 

「いいですか、ハジメさん」彼女は深刻そうな表情で。「普通はクソダサシャツに人権ないんですよ」

 

 俺に人権はなかったようだ。

 

「ていうかハジメさん……女物の服が嫌だからって、そんなきぐるみパジャマ着ないでも……」

 

「あつい」

 

「そりゃそうですよ。あと柴犬好きですよね。猫のはないんですか?」

 

「アメショのがあるよ」

 

「あるんですね。そうですか。なんであるんですか」

 

 買ってきたに決まってんだろ。

 普通のパジャマだとお洒落してる感が強くて好かないが、きぐるみパジャマだとネタになるじゃないか。

 ほら、存分にネタにするといい。両手を広げて威嚇のポーズ。

 

「先輩、ゴー!」

 

「あいよ」

 

「えっちょっまっ……っく、んんんっ……!」

 

 くすぐりには人間は無力なのだ。地面に両手をついて敗北宣言。

 

「サイテーいきなりくすぐるなんてサイテー」

 

「両手を広げたってことはそういうことでは……?」

 

 マジで言ってんのかこいつ。流石に怖すぎるだろ。

 人の心がない。

 

「なんかいらっとしたので先輩値下げしておきますね? 百円」

 

「いつになったら回復してくれるんですかねぇ……?」

 

「それらしいことしないからじゃないですか。……まぁ、百円だったら手を伸ばしやすいからついでに買ってあげますよ」

 

「これはデレ……?」

 

「俺より高いね」

 

「ハジメさんは自分で二円にしたからでしょう? あと先輩刺しますね、いいでしょう?」

 

「よくないぞぉ?」

 

 と言いながら善悪を指で突くなふだ。わざわざ効果音まで自分の口で言っちゃう感じのやつだ。俺も時々やるからわかる。

 

「で、なんでいきなり修学旅行の話? 俺は小学のときは同級生から逃げて中学のときハブられてたからあんまいい思い出ないぞ?」

 

「高校も一年で中退ですしねー。ところで小学生のときはなんで逃げてたんですか?」

 

「あー」

 

 あんまり思い出したくもないが。

 あのときの俺はそこそこあれだったもので。

 

「狙われててさぁ。ベッドに夜中忍び込もうとしてくるやつがいたんよ」

 

「あー、なるほど。たしかにそれは怖いですね」

 

「あんまりに怖くてトイレで寝たもんね俺。おかげで寝不足だし遊園地とかお土産見るだけで終わっちゃったわ」

 

 あれはあんまりな思い出だった。忘れよう。

 ああ言うの本当によくない。ちゃんと人の布団には入らないようにわきまえよう。わかったか。

 相手からの許可があったらいい。

 

「じゃあ、今度私たち遠出することになるんですけど付いてきません?」

 

「えー? どういうこと?」

 

「……ああ。俺たち、ライブの企画があるんですよ。だからでしょう」

 

「あーね。えっ、そんな余裕あるの? すっげー」

 

「だいたいカイラさんがどっからか資金調達してくるんで開催自体は結構な頻度でできるんですよね。ただ今回みたいに大規模な舞台は初めてです」

 

「で、いつになるの?」

 

「三ヶ月後。これは公式が今日発表しましたね」

 

「はえー」

 

 だからそれに付いてこないかということだろうか。まぁ、誘われたのなら行くが。

 

「で、それについて告知企画があるんですよ」

 

「はいはい」

 

「そのときに定期放送とついでに会場付近のお店を事前に紹介するものを作りたいなという話が出まして」

 

「はいはい?」

 

「ということでカイラさんがスペゲスとしてハジメさんを呼んで一緒に周辺のお店を回っていこうという企画が」

 

「なんであいつ俺を巻き込むの??」

 

 これがわからない。

 いや、ちゃんとVTuberの中の人が露見しないように気を使っているというのはわかる。でもなんで関係ない俺が呼ばれるのだ。困る。

 

「カイラさんが言うには『ハピコさんはじぐざぐプロジェクトの特別協力者だからー』って……」

 

「クソが」

 

 たしかにそういう話はした。でもなんでここで絡んでくるのやら。

 わけがわからない。でも身バレ対策とかもやってくれてるんだしちゃんと従ったほうがいいか。

 ため息一つ。

 

「そもそもVTuberの運営グループがリアル方面からなにかするのどうなの?」

 

「タブレット越しにライバーさんも参戦するようなので大丈夫じゃないですか?」

 

「むー……まぁいいよ。でもバーチャルの強みを潰しにいくのどうなのかなぁほんと……」

 

「もう手遅れですよカイラさんは自分自身の3Dモデル持ってますし」

 

「は?」

 

「全方位からカメラで撮ってモデルを作成したわけですよ」

 

「アホじゃねぇの」

 

「ついでに時々公式で出演しますしね」

 

「アホじゃねぇの」

 

 と言いつつ動画を検索する。マジで出てきた。

 ていうか青玻璃カイラで検索かけたら大量に出てくるの笑ってしまう。

 

 せっかくだからモニターにうつして三人で眺めることに。

 モニターの前でぎゅっと団子になりながら見る。

 

『はじめましてー、『じぐざぐ』プロジェクト統括をしてます青玻璃カイラですー』

 

 マジで何やってんだこいつ。

 自己主張が激しすぎる。

 

『皆さん疑問だろう『VTuberの企業って基本普段何やってんの』っていう疑問を徹底的に暴いていこうかと思って無許可で動画撮ってます。いわばドッキリですね』

 

「クソ野郎じゃない?」

 

「そりゃあそうですよ」

 

 頭おかしいもんなぁこいつ。

 カメラがそのまま会社の事務所を覗く。この間顔を見た技術班の固まっているところにゆっくりと近づいていき、カイラが声をかけた。

 

『よっす』

 

『こんにち……っていや何やってんすかカイラさん』

 

『企業がなにをやってるのか簡単に見せようと思って……』

 

『マジですか? 企業秘密というか公式公開できないやつの塊ですよわかってます?』

 

『大丈夫だって僕に任せろ(キリッ)』

 

『不安だなぁ……』

 

 俺もそう思う。

 

 で、そこからなにをしているのかの情報が少しだけ見えた。

 涼の3Dモデルを作っていた様子。

 『じぐざぐ』は必ずライバーが公開されたタイミングですぐ3Dモデルがお披露目される。

 だがデビューから発表まで少しだけ時間が空くから、これはおそらく連理がVTuberデビューした次の日の動画だろう。

 いろんなことやってんなぁ。

 

 俺が意外とすんなり受け入れられたのはこいつの自由さがあったおかげかもしれない。

 そう考えれば少し感謝しないといけないかも。

 

「──あ、今ついでに情報が来ました。

 『じぐざぐ』定期放送にもカイラさんと一緒に参加しないかって」

 

「アホじゃねぇの……?」

 

 なんというか、どんどんと外堀を埋められるような気がしている。

 まぁいいか。

 仕方ないから受けてやる。

 

 やることがないよりははるかにいいと思うから。







 やることができたのでハジメちゃんをニートとは言わせません


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グッバイ・シンフォーシア

 

 

 配信の時間。

 

「ほらーはじめるぞー」

 

 『わぁい』

 『ハピコちゃん、かわいい!』

 『ハピコちゃんひっさしぶりに配信したね?』

 『毎日更新じゃなくなったからって久しぶりっていうのはどうなのかなぁ』

 『昨日もやってたぞ』

 

「なんだろ……俺も久しぶりの配信の予感がする……」

 

 実際、しばらくは心が落ち着いてなかったから仕方ないと思う。だがまぁとりあえず、今日は普通にテンションを上げてやっていこう。

 こういうの、テンアゲと言うのだろうか。わからん。

 まぁいいや。

 

「ということでこういうものを買いました」

 

 がさごそと袋を漁る。

 

「ダークソウルリマスタード」

 

 『RFAかと思ったらRTAですか?』

 『スイッチ版? あんまりよくないって聞く』

 

「まぁ俺もPC版あるしどうしようかなぁって思ったんだけど。でも60FPSとグリッチに慣れてるとほら……ちょっと腕なまるじゃんか。だから30固定のやつでちょっとね」

 

 『グリッチとか言うワードの時点で結構やってるやつだ』

 『ブラボをしろ』

 『ブラボ……2……?』

 『俺は泣いた かわいそうに ブラボ2なんてないんだよ 血に酔った狩人が生み出した虚像なんだ』

 『カイシャクだ↑ なにか言い残すことはあるか?』

 『先生……ブラボが……したいです……』

 『したいと死体をかけた粋な終生の句』

 

 ブラボ2なんてないんだよ。

 ていうか2が来るとして前作を超えられないんじゃないだろうかという思いがある。ブラボはあれでまとまっているからいいので、そこからさらに広げようとするとどうしても無理が来るんじゃないだろうか。

 例えばダクソ2みたいに。

 いや個人的には嫌いじゃないが。

 

 ということでスイッチの画面をキャプチャー。配信画面に載せる。右下にwebカメラの映像。俺の反応をこれで捉える感じ。

 まぁそれは別になくてもいいんだが、せっかくなら少しやっておこうかと。

 

「ってことではじめるぞー」

 

 キャラ選択。

 盗人を選んで贈り物は黒火炎壺。これで不死院のデーモンを初手爆殺する。

 

「先手を取ってフレイムを撃つ。これだけでいい……」

 

 『エステルさん!?』

 『アホでち』

 『ガバってて草』

 『アホでち』

 『被弾してんじゃねぇか!』

 

「慣れてないの……」

 

 普段はこのルートを使わないのでどのタイミングで火炎壺を投げればいいのかわからないのだ。

 まぁ倒せたのでいいだろう。

 次は壁に向かってめり込むようにジャンプしてプロファイルロード。

 

「あっやべぇロードおっそ」

 

 『いつもの癖ですねぇ……』

 『アホでち』

 『国王呆れまくってるじゃんほらー』

 『PCじゃないと駄目なんじゃないっけ』

 

 PS4も駄目だったっけ。覚えてないからいいや。

 とりあえず今後はミス以外にプロロを使わないことにしよう。時間の無駄だ。

 

「今思ったけどこれリマスター前の仕様だな?」

 

 『まぁだってスイッチだけリマスターした会社違うんでしょ』

 『はえー知らんかった』 

 『スイッチとか出先でダクソできる以外の長所あるんですかね』

 『出先でできること以上に長所があってたまるか だったらみんな買うわ』

 『携帯機って考えたらまぁ許せるくらいにはサクサクだと思うわ』

 

「トロフィーないけどな」

 

 無印はトロコンが超簡単だから楽しいのに。基本的に周回も余裕だし。

 飛沫に飲まれてしまったらPS落ちるけど一瞬で敵が溶けるの楽しいんだ。

 

 楽しい。

 不死院を脱出。とりあえず城下不死教区へと向かい、さっさとセンの古城を抜けてしまおう。

 SGSは普通に使えたはずだし。

 

 赤涙を確保しながら飛び降りて着地キャンセル。

 そして走り抜けて城下不死教区へ──

 

「ねぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 

 『草』

 『やっちゃえバーサーカー!』

 『楔のデーモン抜けミスってて草』

 『事故らないように普通は逆抜けするんだよなぁ』

 『ぴえん』

 

 最悪だ。

 また同じルート走らないといけないし。

 ばーか。

 

「い……いや、乱数調整。これで黒騎士斧槍取るから」

 

 『本当ですかねぇ』

 『むりでしょ』

 『はいはい乱数調整ねはいはい』

 『アホでち』

 

 落ちませんでした。

 

「ねぇぇぇぇぇぇぇぇ……!」

 

 『元々使うつもりないなら別にええやん?』

 『斧槍に逃げるな』

 『RTAから逃げるな』

 『トロコンして♡』

 

「トロフィーないんだっつーの。ってかもともとちょっと早い攻略しよっか程度の気持ちだったしだから別にあの落下は問題ないから」

 

 ないんだ。大丈夫。ないから。

 ないってば。

 

 嘘です。

 

「ここでバグ技の時間です」

 

 『SGSやろなぁ……』

 『親の声より聞いたカンカン音』

 『もっと親の声聞けよ』

 『聞けたら……よかったな……』

 『あっ』

 『ごめんやで』

 『マジですまん』

 『嘘ぴょん☆』

 『アホでち』

 『この馬鹿息子を磔にしろ』

 『殿下!』

 

「親の話はやめろ」

 

 思った以上に冷たい声が出た。まずい。なんとか舵取りしないと。

 それでも、昔よりも心に余裕が出来ているのは少しは割り切れたってことなのだろうか? わからないけれど。

 とりあえず、今は配信だ。

 

「ごめんごめん、ちょっとな。そういうネタはやめとこうぜ」

 

 『ごめんやで』

 『ごめんなさい』

 『内臓三十メートルふっ飛ばして死んで侘びます』

 『やめなさい』

 『仕事はじめてから親と話すこともなくなったなぁ』

 『仕事ニキいろんなこと聞いたほうがいいぞ 親ほど気軽に社会のことを聞ける人は滅多におらんからな』

 『LINEしてみるわ』

 

 人の死というのは呪いだ。

 死ねば抱えていた呪いも許さざるをえなくなる。それがどれだけ酷いことか。当人になってみなければわからない。

 俺は当事者だ。父親が死んで、今はこうなってしまっている。

 だからこそ、俺にはそういうことがわかる。

 

「会いたい人には会いたいって言っとけよ」

 

 SGSを成功させる。

 センの古城に不法侵入。ここは走るだけなので問題ない。

 楔のデーモンでガバッた俺だが、ここにはそれこそ無数に来ているのだ。今更ミスるなんてありえない。

 

 ロイド取ってない。

 

 ガバが発覚。

 あれがないとミミックと殴り合うことになるから面倒なのだ。

 仕方ない。鉄球にぶつけて殺すべきだろう。

 

「いつ会えなくなるかもわからんからなー。隣人二人みたいに部屋に乗り込んでくるやつはまぁ、言わなくても会うことになるけど。

 いつか必ず会えなくなる日が来るからさ。そのときまでにやれることはやっておきなよ」

 

 『後悔しないように?』

 

「後悔は絶対するよ。これは絶対。いくら円満な関係を続けていても……違うか。続けているからこそ絶対に後悔する。でもそこそこの相手に対して『もっとああしておけば』って後悔も絶対ある。なら、少しでも明るい思い出を詰め込んでおこうって話なわけであって」

 

 後悔しない道はない。

 それは生きている以上当たり前のこと。

 人生は後悔が連なってできているし、後悔こそが人生を作っている。

 だからそれを人は航海と呼ぶのだ。

 なんて、言葉遊びでしかないが、そう思った。

 

 『呪術師に悔いのない死なんてないんだぞ』

 『呪術師じゃないんだけどなぁ……』

 『生き方は決めた 後は自分にできることを精一杯やるさ』

 『俺だけ強くても駄目らしいよ 俺が救えるのは他人に救われる準備がある奴だけだ』

 『特級術士共は帰って』

 『テレビで知らんやつが死んでもなんとも思わんのに知り合いが死ぬと異常につらいのはある そういうことさ』

 

「辛気臭いか。そろそろやめようぜ。はいミミック殺しました」

 

 天才かも知れない。雷のスピアを確保してそのままエレベーターで上へとのぼる。

 

 ボスのアイアンゴーレムまでたどり着いた。

 こいつは足に400ダメージくらい与えるとよろけ、そのときにまた足にダメージを与えると転ぶ。

 うまくやると落下させて相手を即死させることも可能だ。基本的に赤涙を発動させてそれを狙いに行くことになる。

 ちなみに赤涙はモンハンで言う猫火事場みたいなもので、簡単に言えば瀕死時の火力バフ。強い。

 

 代わりに一撃でももらえば死ぬラインまでHPが下がっているがまぁそういうものなのだ。問題はない。

 さくっと撃破してアノール・ロンドへ。

 

「よっし急いでオンスモ狩るぞー」

 

 『既プレイ特有の周回ルート』

 『武器強化しないの?』

 『立ち回り次第でどうにか』

 『両方に気を配らないといけないのつらすぎる』

 

「えー、じゃあ強化しないで行くか。上手い人は赤涙なしでいくんだろうけど一発ぶんは保険がほしいから俺は回復してくね」

 

 『どっち狙い?』

 『オンスタ先でしょ 後半楽だし』

 『い つ も の』

 『スモウくんが雷耐性低いのが悪い』

 

 だいたいそのとおり。

 ていうかここらへんのルートはまぁ決まってるし。

 スモウ先ルートもまぁ苦手ではない。というか得意なほうだが、殴り合いが楽なやつをさっさと倒してしまったほうがいいだろう。

 ということでボスです。

 

 

 

「正直な話さぁ。オンスモは余裕なんだよ」

 

 ため息一つ。さっくりと倒してしまったのでなんというか思うこともない。真面目に走ったときはいっつも敵になるくせにこうしてじっくり戦うと弱いのは本当になんというか、絶妙だと思う。

 

 余っていた火炎壺を投げつけてグウィネヴィアを殺害。幻影なので殺すというのは間違っているだろうか。

 王の器を入手したので部屋の前の篝火で転送して退場。

 

「こっからどうしよう……」

 

 『ルート考えてないなら木槌取りに行こ?』

 『やめやめろ!』

 『やめやめる』

 『恋愛サーキュレーションやめろ』

 『やめやめる』

 

 『半丁善悪:筋トレしてたら遅れました』

 

「別に呼んでないよ?」

 

 『すげぇ……めちゃくちゃ澄んだ目で答えてる……』

 『本気でそう思ってるんだろうなぁ』

 『よかったねニキ』

 『さっきからすっげーかわいい顔しながらしれっとダクソやってんの違和感あるな』

 『目つき悪いのにこういうときだけまるで憑き物が落ちたみたいにめちゃくちゃ可愛くなるな』

 

 褒めすぎじゃない? まぁ、こういう感じで変なことを言われたらちょっと驚くからこうなるわけだろうか。

 俺が中にいなければきっとこの体は普通にかわいい顔なのだろう。

 ただ、俺由来の目つきの悪さがすこし悪さをしているだけで。

 

 

 

 

 配信終了。

 体をぐいーと伸ばし、そして後ろに体を倒した。

 

 スマホに着信あり。確認すると高山兄だ。

 

「あいよー」

 

『よっす。曲作ったぞ。ファイル送ったから確認頼む』

 

「あいよー」

 

 ということで添付されてきた音声ファイルを開く。

 確認すると、かなりいい感じだ。

 直感的にいいと気づいたので採用ということにする。

 

 LINEでオーケーと送る。

 あとは歌詞だろう。そこはどうにかするしかない。

 

「さてと」

 

 配信終わり。

 少しばかり、気分が悪い。別に誰が悪いという話でもないが。強いて誰が悪いかとあげるとするなら、それは俺だ。未だに前に進めない俺。

 確実に、俺が間違っている。どうしようもないから、何もしないが。

 

 酩酊。酔っ払っている。酒も飲んでないのに。至って素面で。俺は今も酔い続けている。そして間違い続けている。

 だからそれでいいや。酔っているのが俺なら、それでいいんだよ。

 俺が俺であるために、酔っている以外にはない。

 

「お邪魔しまーす」

 

「はいよー。やっほーなふだ。今日の調子はどうだい?」

 

「まぁまぁですね。良くも悪くもないです。つまりは」と彼女は一呼吸置いて。「いつもどおり」

 

「そっか。それが一番かもな」

 

 俺もいつもどおりだ。

 いつも最底辺にしかいないから。

 

「一つ質問だ」と俺は言った。

 

「はい、なんでしょう?」と彼女は言った。

 

 もしも。

 そう、全てもしもの話だ。

 今から話すのは突拍子のないこと。彼女からすればわけがわからないだろうその言葉。

 

「もしも、俺の姿がみんなが見えてるのと違うものだったら?」

 

 俺にとっての一つの命題。

 こんな体になっているのは一体なにか。宿命か。俺に押し付けられた定めだとしたら。そんな言葉は意味のない。言葉に出さない言葉は埋もれて終わる。そして言葉に出したとして意味のない言葉であれば、勝手に拡散して消える。

 そこにあったことすら失って。

 

 そして本来あったはずの『戦火ハジメ』は俺以外から消え失せる。

 

 そんなものでしかないのなら。

 

「どうでもいいですよそんなの」

 

 ばっさり切られた。

 

「別にハジメさんの姿がみんなと見えてるものでないとして」

 

 彼女は自分を指差した。

 

「私と変わらないじゃないですか。私だってバーチャルユーチューバーなんてものをやっていて、リスナーは私の本当の姿を知らない。

 でも私は私で受け入れられている。ハジメさんがそうだったとして、そんな私が受け入れないわけないじゃないですか」

 

 それは。

 

「事情が違うんだ」

 

「……そうですか? よくわかりませんが……だとしても、答えは変わらないことは確約しておきましょう」

 

「ああ、うん。なふだ。お前はすごく良いやつなんだよ」

 

 惨めになるほどに。

 

「ちょっと善悪にも聞いてくる。そんで外出てくる」

 

「え、えっと? ……まぁ。はい。わかりました。そういうことなら。何時くらいに帰ってきますか?」

 

「わからん」

 

 夜までには帰る。

 そう言い残して、俺は家から出ていった。

 

 

 

 

 靴底を引きずるように歩き出す。ポケットに手を入れて、俺はそこで立ち止まった。

 

 そこそこ人通りの多い道路だ。立ち止まると邪魔になる。それを承知で、俺は立ち止まった。

 

 あんまりにも不明瞭な俺の体の変化。その原因を突き止めるのが、今となっては怖かった。

 俺がどんな姿でも受け入れてくれるとは思えなかった。だからこそ、突き止めることが怖くなった。

 

 けれど、いつまでも停滞してはいられない。

 歩き出したのなら。俺の停滞は長すぎたから。段数をいくつも飛ばして登っていく必要がある。

 

「夢で見ていたのは一体誰の記憶かな?」

 

 想像はついているんだ。

 そうだろう? なぁ、俺自身。

 

「──おや」

 

 人混みの中。

 その声はよく聞こえた。

 

 雑踏をくぐり抜けて俺の前に立つそいつ。

 

「よお」

 

「ここにいるってことは──僕のこと、思い出したってことですか?」

 

「いいや。でも一つわかってることがある。お前、()()()()()()()?」

 

 何がとは言わない。けれど、こいつなら確実にわかっているという自信がある。

 

「だろ。青玻璃カイラ」

 

「そりゃあ気づきますよ。あれだけのことがあったらね」

 

 時間が進む。

 そして今、俺はようやく理解する。

 自分がようやくスタートラインに立ったことを。

 

 父が死んだ道路。立っていて気分の悪くなるような場所。

 そんな場所から、俺は始まったのだ。










 そろそろ更新止まるかも知れないと予言しておきます


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網膜上ロジェン

 

 ミライは続いていく。望んでいようとなかろうと。

 そういうものだと知っている。

 

 

 

 

 スイーツを注文。椅子にどっかりと腰をかけて、俺は腕を組んでため息一つ。カイラはメニューを折りたたんで戻した。

 俺にはわからないことをきっと相手は知っているのだろう。そしてそれを、あまり教える気はないらしい。そう思っている。少なくとも、これまで一切言及することはなかったのだから。

 

「ハピコさんはどこまでわかってるんですか?」

 

「この間夢を見た」

 

 忘れていた夢が途端に立ち上ってくることというのは往々にしてあるものだ。俺の場合、それがついさっきだったということ。

 

「事故に巻き込まれた三人は、お前と善悪。あとはたぶん、この体の持ち主だ」

 

「ええ、正解です。戦火全師さんは俺たちを助けるために暴走した車を正面から受け止めたんですよ。信じられないかと思いますが」

 

 マジだったよ。父親はほんとにどこを目指しているんだろう。

 ひょっとしたら今の体の異常な身体能力は、それ由来だったりするのだろうか? いや、違うか。そんなわけがない。

 

「じゃあ善悪も俺のこと、気づいてないとおかしくない?」

 

「いや、あいつは覚えてません。その体の持ち主は自殺してるから……現状、あなたについてわかるのは俺くらいでしょうね」

 

 だって、とカイラは続けて。

 

「あなたの雰囲気はあまりにも独特すぎる。見た目が変わったとして、それが『ありえる』と思ってしまうものだから……以前のあなたを知っている他の人が今のあなたを見ても、きっと普通に受け入れてしまうでしょう」

 

 そうは思わないが。

 っていうかそうなら俺は別に仕事辞めなくてよかったじゃん。どうなんだろうか。いや見た目が変わりすぎたってことで流石に辞めさせられるか。まぁいいや。今が大丈夫なら問題ないや。

 組んでいた手を解き、テーブルに肘を乗せる。

 

「なんで善悪は俺のことを覚えてないの? 現場にはあいつもいたよね?」

 

「──あなたには関係ないでしょう」

 

 その瞬間だけ、一瞬カイラの目に剣呑な色が混ざった。

 地雷でも踏んだだろうか。

 

「なんて」胡散臭い笑みを浮かべながらカイラは言う。「冗談ですよ」

 

 すっかりと消え失せていた先程の表情。

 けれど、今の笑顔を信用しすぎるわけにはいかないだろう。たしかに俺は見た。

 なるほど、父親の死は家族以外にも呪いをかけてしまっているらしい。

 ていうか、この体の持ち主だって死んだって言ってたしな。

 たった一人の死が多くの人生を壊すことだって、当然ある。

 

「善悪は……そうですね。ガワとしての設定は覚えてますか?」

 

「二重人格者?」

 

「ええ。それです。……本人はそれを演じてるって想定ですが……実際は違う。

 本当に二重人格なんですよ、あいつ」

 

 二重人格。なるほど。一度も俺の前でそんな素振りはなかったけど、本当にそうなのだろうか? 疑わしいが……まぁ事実なのだろう。

 

「あいつ、自分のことを空っぽだなんて思ってるでしょう。全然違うんですよ。あいつが空っぽだと思っているのは、もうひとつの人格に記憶を封じ込めているから。

 ……戦火全師さんが死んだ日に、ね」

 

「ふぅん。そういうことね……なるほど」

 

 まるで俺みたいだ。少し笑いそうになって、まったく口元が動かなかった。面白くもない。そうだ。俺はなんとも言えなかった。言うことに意味があるとは思えなかったから。

 

 半丁善悪は、本物の二重人格者。

 俺は……過去を奥底に捨て去ろうとしているヤツ。

 そのどちらも、人によっては糾弾すべきものなのだろう。でもそれは無理だ。俺がさせない。人は同じ苦しみにない限りはそれについて深く考えることもない。そうだ。そういうものなのだ。

 だから、俺は弱さを肯定する。

 それが俺の弱さだから。

 

「なふださんがあいつに対して懐いている理由は、『魂が二つある』からなんですよ。それがもう一つの半丁善悪。すべてを押し留めている半丁善悪だ」

 

「はぁ……なるほど。そういう意味ね。オッケー、理解した。それで。なんでそんなことになったんだ?」

 

「…………」

 

「なんでそんなことになった?」

 

「──あなたのせいでしょう」

 

 睨み。

 まったく覚えがないが、善悪がそうなったのは俺に原因があると。

 まったく覚えがないからどうしようか。首を傾げると、カイラは咳払いを一つして話を切り替える。

 あんまり触れてほしそうではなかった。

 

「もう一度聞くぞ。なんでそんなことになった?」

 

「……あなたが言ったんでしょうが」

 

 言った。はて、なにを言ったのやら。全く覚えがない。

 

「『代わりに死ねばよかったのに』……忘れたとは言わせません」

 

「悪い、忘れた」

 

「……なるほど。そうですか。あなたは、そんな人なんですね」

 

 どんなだよ。言ってみろ。

 関係ないんだ、そんなの。

 俺のせいにされても困る。言ったとして、本気にしたほうが間違っているのだろう。そんなの当たり前の衝動じゃないか。

 

「トロッコ問題。五人と一人、どっち選ぶ?」

 

「一人です。死人は少なければ少ないほどいいでしょう」

 

「そっか。お前はそういう人間なんだな」

 

「そうですよ。何か間違ってますか」

 

「普通に考えれば間違ってないとも。ただ、俺にとっては間違ってるだけ」

 

「あなたの言動のせいで一人死んでるんですよ」

 

「俺のせいにするなよ。死ねる強さのある人間は遅かれ早かれ勝手に死んださ。……だろ」

 

「あなたは」

 

 カイラはテーブルから身を乗り出して、言った。

 

「罪な人だ」

 

「顔が近い。下がれ」

 

「そうですか。……ここが店でよかったですね」

 

「知るかよ。発端からして一時の気の迷いだろう。そんなのを本気にしたほうが悪い」

 

 そう、知るか。

 それ以上に言えない。俺にとっては、そんなことどうでもいい。

 俺のせいで人が死んだとしても。

 俺のせいで誰かがふさぎ込んだとしても。

 知るか。何もかも知るか。もう知らん。

 

 俺に同意を求めるな。この世のすべては当人の自己選択の果てにある。結果どこに行き着こうとも、責任の所在は本人にしかない。

 俺がいつか野垂れ死ぬにしても、それは同じ。

 因果応報。いつか来るはずだった死が追いついてきただけ。

 

 生きていると、いくつもの柵が体を縛り付けてしまう。

 大体はそれに絞め殺される。俺も例外にはならないだろう。

 それは、その名は──。

 

「……はぁ。そうですか。わかりました。じゃあ、俺はこれ以上なにも言いません」

 

 失望されただろうか。少しだけ怖く感じた。なんて嘘だ。なにも感じていない。

 俺の本当のところを、誰も知らない。

 俺にすらわからない。

 

 自分がなにを考えているのかすらわからない。

 

 

「ちなみに、さっきまでのは嘘です」

 

「は?」

 

「善悪さんが二重人格なのは本当ですけど。そのきっかけは嘘です」

 

「なんで嘘ついたの?」

 

「さぁ、なんででしょう? 考えてみてください──ってことで。あ、お金払っておくんでのんびりしてって大丈夫ですよ」

 

「は? いやちょっと」

 

 一人になった。

 店員が持ってきてくれたモンブランをスプーンで掬って口に運ぶ。

 心の奥でもやもやが晴れない。ソファーに体を任せ、小さくため息。

 

 どこまでがホントでどこまでが嘘なのか。はたまた全部本当なのか。わからない。

 口の甘さがただ、今は心地よかった。それが俺を縛り付けている。

 

 ごちそうさま。

 帰るか。立ち上がって、そのまま歩き出す。

 

 ──少し、空の容器が動いた気がした。

 

 

 

 

 俺は誰だ。

 自分自身のありかを探している。

 せっかくなので服を買いに来た。

 靴も新調しようと思う。

 

 そんな先で、忠兎もぶを発見した。

 

「うげっ」

 

「あっ、ハピコさん!」

 

「えっマジ!? マジだ!?」

 

「ちゃんと服とか見にくるんだ……意外ですー」

 

 そりゃあ俺だって服くらい見繕いに来る。

 それを珍しいことのように言われても困るんだが。……まぁ服って言っても全部無地のやつだからすぐに買い終わるんだけど。

 ところで現在カゴに入れた灰色のシャツを見る三人の目が冷たい。

 

「ハピコさん……流石にそれはないわぁ……」

 

「ありえませんよー、どれくらいかと言うと……からくりくんが病んでるくらいにはありえないかな」

 

「めっちゃ言われるじゃん」

 

 三丁目にゃんことハルハハール・ハルハールの二人まで一緒のようだ。

 『じぐざぐ』一期生の三人だ。意外と仲がいいんだな。まさかここで会うとは。

 とはいえ、そこそこ都会のほうまで出てきているからそりゃあそうかとも思う。

 

「どうします? 時間あるなら一緒に回りません?」

 

「んー、まぁいいけど……約束してたし」

 

 忠兎もぶが服を選んでくれると言っていたからそれに甘えることにしよう。

 そんな考えは甘すぎたのかもしれない。

 

 

 女子は買い物の時限定で体力が無尽蔵になる。それが元々異常に元気なヤツであれば、それはもう止めようがないほどにすごいことになるものだ。

 

 なった。

 体の痛みはないが、どっと疲れたので深呼吸。次から次へと差し出される服に着替えるのは息が詰まって仕方ない。

 ていうか試着した服全部買い物かごにぶちこまれてるんだけどアレ買って持って帰れと?

 いや全然帰れはするんだけどさ。それでも限度というか……こう、何かあるだろう? といっても多分伝わらない。仕方ないから、それを受け入れて置いておくことにする。

 

「買いすぎましたね」

 

「自重って知ってる?」

 

「なんですかそれ?」

 

 自重くらい知っとけよ。と思ったが、黙っておく。知らないことを責め立ててもなんにもならないから。

 それをすると、さっきの俺を否定することになるから。

 

 あんまりにも荷物が多くなったので、わざわざなふだに来てもらった。申し訳なく思うが、なふだは笑顔で許してくれたので大丈夫だろう。

 そして一期生三人組とはそこでおさらば。

 

「……約束してたんですか?」

 

「そんなわけ。連絡先知らんし」

 

「そうですか。偶然?」

 

「うん。偶然」

 

「今日、いきなり出かけたのは?」

 

「ちょっとばかし、そろそろ知らなきゃいけないことを知らなきゃねって」

 

「そうですか。知らなくてもいいことだとは思わないんですか?」

 

「いや違う。俺が知らなきゃいけないことだから」

 

「ふぅん。私にはわからないことなんでしょうね」

 

 車が走る。

 のんびりと走っている。他人が運転する車に乗るのは、楽しい。嫌いじゃない。程よい暖かさだし、揺れも気持ちよくて眠たくなる。

 ……ところで。

 

「なふださぁ」

 

「はい?」

 

「善悪が二重人格って知ってたの?」

 

「ああ、はい。そうですね。私が人の色を見えるって知ってますよね」

 

「うん」

 

 だってよくそれ話すじゃん。わからないほうがおかしいと思う。

 

「先輩の色は……気持ち悪いんですよ。

 魂なんてものがあるとして、それが二つ体の中にあって互いにせめぎ合ってるみたいな」

 

「……ふぅん」

 

 俺は。

 俺の場合は、父親が死んで……そして、真偽は不明だが死んだらしい女の体になった。

 この女と同じ事故現場にいた善悪。

 少しだけ、何かが繋がりかけた。

 

 ──いや待て。

 もしこの女が死んでいるのなら、なんで高山ソラは死んだと言わなかった?

 ひょっとすると俺のこの体の持ち主と、高山兄妹の間にはあまり関係がない?

 

 子持ちかどうかもわからない。

 

 じゃあ。

 高山兄妹の失踪した親というのは、一体なんなのだろう。

 

 そう考えていた俺の。

 すぐ横を、どこか見覚えのある車が通り過ぎていった。

 

「────」

 

 すれ違った運転手の顔。

 覚えている。

 それは、間違いなく──

 

「……ハジメさん? ちょっ、大丈夫ですか!?」

 

「大丈夫」

 

「すごい震えてますよ……!? それに……すごく、怯えて」

 

「大丈夫。嘘。あんまり大丈夫じゃない。だから、なるべく早く帰ってくれるとうれしいな」

 

「具合が悪いとか、そんなのではないですね?」

 

「うん。だからお願い。なるべく早く帰って」

 

 顔は見られてないだろうか。俺だと気づかれなかっただろうか。

 歯の根が噛み合わない、ということはない。けれど全身の感覚があやふやだ。嫌な寒気がして体から汗がじわりと滲んだ。

 

 気づかれたらどうなるんだろうか。

 俺だとわかったら、父親みたいに殺されるのだろうか。

 

「──っはっはっは。あーくそったれ。嫌すぎて泣けてくらぁ」

 

「ハジメさん、ひょっとして……」

 

「ん? 何?」

 

「昔、嫌いな人の遺言がどうとかって言ってましたよね」

 

「うん、そうだね」

 

「それ、殺人ですか?」

 

「うん」

 

「何年前のことですか!?」

 

「十年は前」

 

「……殺人罪の初犯はおおよそ懲役十年以上。つまり、そういうことですか!?」

 

 御名答。心を読まれているかのようにまるで的中させてくる。恐ろしいくらいだ。彼女には一体何が見えているのだろうか。

 

「違う違う。そんなのじゃないから、大丈夫だよ」

 

 嘘をついた。

 心配させたくなかった。それにこれは俺の問題で、誰にも憐れまれたくも、誰にも義憤を燃やされたくもない。

 だから。本当になんでもないんだ。

 

 怖くはない。

 ただ思っただけだ。

 死ぬべきならば、それは誰のほうなんだろうって。







 一人称って便利なもので主人公の知らないことは知らないって書けるし主人公が見ようとしてないものは見なくていいんですよね。


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遡って

 ひとしきり悩んだあとはいつもぐちゃぐちゃになったまま立ち上がる。

 決して先に進むことはないが、それでもたしかに立っている。

 

 

 

 見渡せば周囲には活気のある街。これまでやってきたことのないようなほどのもの。

 人通りは激しく、カメラで撮られている自分たちをちらちらと見る人の姿が幾重にも。視線が刺さってどうにも嫌なくらいに心が抉られる。

 しかしだからと言って逃げ出すわけにはいかない。それには難しい。

 

「はい、はじめまして。『じぐざぐ』のプロジェクト統括をしてます青玻璃カイラです」

 

「どうも」

 

「いやいや挨拶しましょうよ!」

 

「なんでお前そんなテンション高いの……?」

 

「普段通りですが?」

 

 いやこの間は絶対もっと暗かったって。無理して明るくしてんだろお前。

 と思いながらも、俺はカメラに視線をやった。マジでやることになるとは。そんなことを思いながら。

 

 

 

「景色綺麗ですね?」

 

「ただの街だぞ。社交辞令やめろ」

 

「街って綺麗じゃないですか。わかりません? わからないかぁ。仕方ないなぁ」

 

「いやわかるけど。わかるからその煽りは通じないって。わかるからな」

 

「……ちょろ」

 

「ああ!?」

 

 フリだけだ。問題ない。

 なるべく間をつなぐことを考える。

 今回は配信と違ってちゃんと動画として投稿されるので編集でなんとかすることはできるだろうが、頼りっぱなしにはしてられない。そして撮り直しもなかなか利かせづらい。なるべく一発で理想に近いくらいには解決させなければ。

 

 それがお仕事としてのYouTuberだ。

 コンテンツとして、動画の時間は短いほうがいい。長い何かが見たいのならばテレビを見ていればいいんだから。だから、ひとつひとつを短い尺の中で収められるようになるべく間を詰めてしまったほうがいいのだ。

 だがこのとき話しすぎには注意しないといけない。なぜなら話しすぎるとどこからどこまでカットしようかという取り捨て選択がしづらくなって余計に尺を取ることになるからだ。

 

 無音が続くと当然カットする。

 だが喋り通しだとカットするシーンを選ぶ手間が入る。

 

 今回編集するのが俺じゃないからこそ、なるべくそこに配慮した動きをしなければならない。

 そう思っているのは俺だけじゃないらしく、俺が『ここらへん』と思った場所でカイラもぴったり言葉を途切れさせるのでなかなか優秀である。

 

「ってことでやってきました。1つ目のお店」

 

「有名なとこなのか?」

 

「いや? ただ特徴的なお店ではありますよ。そうじゃなかったらこの僕が選ぶわけもないだろう?」

 

「そう? お前って意外に無難なところ好きそうだけどなぁ」

 

「ご明察。あ、そうそう、今回紹介するのはすべて企画の協力をしてくれたところで当日になるべく受け入れてくれるから。どうしてもお店が見つからないって場合は今回の動画で紹介するお店をおすすめしますよ」

 

 と言って、しばらく無言。ここの間はカットする予定だ。

 料理が出てきた。

 所謂定食屋で、出てきたのはとんかつ定食だ。

 まだお昼にもなってないのにこれは大変じゃないだろうか。

 

 と思ったが全然普通に完食できたので問題ない。

 

「……食レポ無理だった」

 

「そもそも一言も喋ってないじゃないですか」

 

「言葉って無粋じゃない……?」

 

「表情でだいたい全部伝わってきたから構いませんけどね」

 

「そう……?」

 

 頬を抓ってみる。そんなに顔が変わっているような気もしなかったんだけど。いや、でも自分が思っているよりも周囲から見れば表情が動いているものなのだろう。大丈夫。そういうことにしよう。

 

「ひょっとしたらハピコさんなにか食べてるだけで絵になるんじゃ」

 

「ならないでしょ流石に」

 

 そういう人もまぁいるけど。

 顔がいいって便利だね。

 絶世の美少女ってほどではないし、少し整っている程度の顔つきなんじゃないかなとは思うけど。

 なんでだろう。表情か。雰囲気か。

 

 最近良く指摘されるので雰囲気ということにしておこう。

 俺は雰囲気上手ってことで。

 

「そういえばハピコさん、うちのライバーふたりが隣人なようで」

 

「うん、そうだね」

 

「実際どんなふうに思ってるんです? びっくりしました?」

 

「そりゃあびっくりするわ。動画投稿して一日で発見してきたやつが隣人だぞびっくりしない理由ある?」

 

「それは……まぁ、なんというか……たしかにすごいことですね?」

 

「ついでにその更に隣もまたVTuberで、親戚までVTuberになってたと。ちょっと偶然というにはできすぎて」

 

 言葉を切った。

 

「作為的なものを感じるね」

 

「そうですか。まぁ、たしかに実際ありえないことですからね」

 

 裏の事情をわかってきたら、『じぐざぐ』というプロジェクトには少しの同情というか、忖度というか……とにかくそういうものが伺えてくる。それを指してのことなのだが、どうやらカイラとしては特に指摘されて痛くもないことなのらしい。

 こいつがそんなことで狼狽えるような人間とも思えなかったから、こちらとしてもかわされて思うことはない。

 そもそも本番中だ。本気で指摘するわけではない。

 

「じゃあハピコさん、ふたりのことは好ましく思ってるんですか?」

 

「まぁ一応。嫌いじゃない。……好きだよ」

 

 そう返したら、カイラは「そうですか」とだけ言った。

 そして作ったようなにやにや笑いで。

 

「ですってふたりとも」

 

「??」

 

『ハピコさんのデレだぁ……俺も好きですよー』

 

『先輩より私のほうがハピコさんのこと好きですよー』

 

「!?!?!?!?」

 

 びっくりした。

 かなりくぐもった声が聞こえてきて、その音の出どころを探る。すぐに見つけることができた。

 ということで二つタブレットがテーブルに置かれた。

 なるほど、いつからこの通話は繋がっていたんだろう。

 

「ということで軽いドッキリと言うかなにかですよ」

 

「はぁ。別にいいけどね。全部本心だから」

 

「うわすっげぇデレる」

 

『いつの間に好感度稼いじゃったんだろう』

 

『私の場合は餌付けでしょうねー。ハピコさんの命は全部握ってるようなものなので』

 

 あながち間違ってないからなんとも言えない。

 口を閉じる。うん。間違ってないや。

 

 その心が依存だったとしても。

 依存であるからこそ。

 

「そうだなぁ。炊事洗濯どころか家事大抵全部やってくれてるもんな」

 

 そんなのなくとも、心を許していたと思うが。

 そして心の内側に入ってきたからには、二度と逃がす気もない。ちょっとやそっとで失望する気もないし、拒絶されるまでは助けていようと思う。

 

「つまり俺はなふだがいなくなったら死ぬってことよ」

 

 そう言葉にすると、自分が今まで生きてこれていたことが奇跡のように感じる。

 ちゃんと頑張ってた覚えがあるが。いや本当に頑張っていただろうか? 覚えてない。

 ほとんど全部食事は買って済ませていたと思うし、掃除はほとんどしなかったけど物は増やすことはなかった。

 洗濯は……ちゃんと頑張っていたような気もする。時々忘れることもあったが。まぁ大丈夫だろう。

 

 というか今とは似つかないほどの生活をしていたから、なふだがいてくれて本当に助かっているとは思っている。

 

『そんな情けないこと言わないでも……』

 

『ハピコさん、マジで家事できないですもんね』

 

「違う。やらないんだ。俺はしようと思ったらできる。めんどくさいことになるからやらないだけで」

 

『めんどくさいことになるならできてないってことでは?』

 

 正論は時に人を傷つける。

 落とした俺の肩を、青玻璃カイラがとんと叩く。

 

「家事はできないと大変ですよ」

 

「お前はできるの?」

 

「会社で勝手に寝泊まりして怒られることの多い僕ですよ? できると思うんですか?」

 

「アホじゃねぇの?」

 

「アドレスホッパー気取れますかね?」

 

「あちこち転々としてたらできるんじゃない?」

 

『家に頓着してないんですか』

 

『家はいいですよー。特に自分の家は。実家は要らないので一人の部屋を探しましょう』

 

 なふだがちょっと気になることを言っているがスルーする。あんまり踏み込んでいいラインとも思えない。

 

 だからスルーした。そうしていいのかわからない。踏み込むべきだったと思う日が来るかも知れない。知ったことか。

 今の俺が今、考えて選択したことだ。

 誰にも何も言わせやしない。それは俺にすら。

 

「まぁ、自分の落ち着けるところはあったほうがいいよ。大事だから」

 

 俺は言った。一体、どの視点から話したのだろう。

 

 

 

 

 撮影終了。もう夜に近づいている。

 

「お疲れさまです」

 

 カイラのその言葉に、壁にもたれかかっていた俺は彼のほうへと向いた。

 

「おう」

 

 少し肌寒くなってきた季節だ。ため息一つ。白く染まることはなかったが、防寒対策はしておくべきだろう。

 カイラは俺の隣に立つ。

 

「煙草持ってます?」

 

「あるよ。火は」

 

「ライターだけ持ってきちゃったので」

 

「ん」

 

 ということらしい。

 差し出したパッケージを見て彼は「ふぅん」とだけ呟いて一本手にとった。

 

「煙草を吸うのは」俺も一つ手にとって。「ポーズか?」

 

「そうですよ。そうしているだけで煙たがられるので。人が勝手に避けてくれるのは」カイラは口元だけを笑みの形にかたどった。「楽です」

 

 楽。

 楽と来たか。俺も理解できなくはない。

 

 人を遠ざけるのは楽だ。だがそれにすがっていると、いつの間にかそれ以外の方法がわからなくなる。

 そして孤独になっていく。疑いようのない現実的な視点からのロジック。でも、それ以外にどうしたらいいってんだ。

 俺にはわからなかった。

 

「初めて吸ったのはいつ?」

 

「十五。ちょっとばかしワルになりたかったんですよ。不味すぎてすぐに捨てちまいましたが」

 

「ふぅん。そうだな。いいことなんて少ない。でも何かに縋れるって点では、結構いいツールなんじゃないかとは思う」

 

「何かに依存してないといけない人生なんてつらいだけだと思いますけどね」

 

「人に依存するよりはマシじゃねぇの?」

 

 と、言って笑った。何がおもしろいのかよくわからなかった。

 常識的に考えると、依存することは間違っているのだろう。けれど現代、何かに依存してない人間なんているのか。

 誰も彼もが何かに酔っ払って存在を依存してどうしようもないことに吐き気を催している。少し優しさで包まれると決壊する程度の脆い精神を引っさげて生きているんだ。

 

 馬鹿じゃねぇの。

 

 通知が来た。見れば高山兄からのLINEだ。返信した。

 携帯をポケットにしまうと、噛んでいた煙草を手に持った。

 

「かくいう僕も人に依存してるんですよ。笑ってやってくださいな」

 

「そっか」

 

「正確に言えば人の死だ。『こうはなりたくない』が俺を動かす原動力になっている。

 例えばどうしようもなく嫌いなやつがいて。そいつに劣っていることがあるって考えるだけで嫌になりませんか?」

 

「なるよ。でも一番嫌いなのは」

 

 そんなことを考えてしまう自分自身だ。

 なんていっても、自分自身を否定するわけにもいくまい。ため息一つ。煙と一緒に口から溢れだした。さながら冬に吐く息のようだった。

 

「ところでさ」

 

「はい?」

 

「この間のやつ、どこまでが嘘なの?」

 

「自分で考えてくださいって言ったでしょう?」

 

「嘘ってコト自体が嘘?」

 

「さぁて、どうでしょうね?」

 

「なんで教えてくれないんだ?」

 

「言っても仕方のないことですから」

 

 ていうか。なんてカイラは言って。

 

「現状維持じゃ駄目なんですか?」

 

「は?」

 

「今のままでも十分以上にいいでしょう。どうしてあなたは今、こうなった原因を知りたいんですか? なんのために? わからないから? それとも現状を信じられないから? 自分自身が好かれていないと思っているから?」

 

 どうなんだろうか。

 

 二人を信用している。いいや、信頼している。だからこそ、疑うなんてことはない。と思ってはいるが。

 俺は疑っているのだろうか。本当に受け入れられるのかわからないと。そうやって疑い続けているのか。

 

 ないとは言い切れない。だけど俺は。

 

「ただ、この現状に甘んじていたくない」

 

「……なるほどねぇ。意地ですか? それとも」

 

「ただの」

 

 吐き捨てる。

 

「なんとなくだ」

 

 理由にはならない。でもそれが理由になるらしいから。気づけば薄くなっていた呼吸を、俺は。意図して深くした。

 

「なんとなくでもいいんだろ?」

 

「ええ。構いませんよ。でも、だからこそだ」薄い笑み。笑っていない。「俺はあなたに真実を教えない。なぜならその必要がないから」

 

「はぁ? なんでだよ」

 

「ハピコさん。わかりますか?」

 

 顔が近づいてくる。

 やけに整った青玻璃カイラの顔。それが、目の前にあった。

 底なしの昏さを湛えた瞳。

 

「なんとなくを理由にする以上──なんとなくで返されても、なにも言えないんですよ」

 

 煙を吐きかけるということはなかった。顔が離れていく。身長はカイラのほうが高いから、やけに威圧的に感じた。

 言っていることはわかる。理解もできる。

 けれど、本音はそこにはない。きっとカイラには俺には見えていない何かが見えているのだ。

 つまり、それは。

 

 わからない。

 わからないけど、このわからなさから目を逸らしてはいけないと思った。

 

 俺はたぶん、わかっているから。

 

 青玻璃カイラが隠している事実。それをきっと知っているから。

 だから彼は言わないのだろう。

 

 「冗談です」と、そのタイミングで着信音。失礼、と言い残して電話に出たカイラは、先程までとは打って変わって本気で驚いた様子で、

 

「嘘でしょう?」

 

 そう言った。

 何かある。そう判断した俺は煙草を握りつぶし、そして着信にすぐさま反応。

 

「どうした」

 

『あ! 兄ちゃん! その……!』

 

「ゆっくりでいい」

 

『え、えっとね! 家にあの人がきて……あの、お姉ちゃんが……』

 

「何があった」

 

『や、ただ話をつけにいくって、あの』

 

「誰に?」

 

『宮地』

 

「わかった、殺しにいく」

 

『それはダメっ……、それで、あの!』

 

「どうした」

 

『ごめん、助けて』

 

 連理が言った。

 

『お姉ちゃんだと、たぶん大変なことになるから』

 

「……わかった」

 

 電話を切る。

 俺でも変わらない気がするけどな。

 

 にしても、やっぱりあれは見間違いじゃなかったわけだ。

 狙いは何だ? どうして家に来た? どういう意図があって?

 わからない。わかりたくもない。どうしようもなく嫌いな相手のことをどうして俺がわからなきゃいけないんだ馬鹿じゃねぇのか。

 スマホをポケットに叩き込んだ。

 

「車出せるか」

 

「いけます。目星は?」

 

「わからん。……いや待て。お前のほうはどんな用件だった?」

 

「え。善悪が家から消えたって話じゃないんですか」

 

「はぁ!?」

 

 なんでそんなことに。スマホを見てみるとなふだから通知があった。なるほど。

 こちらが驚いている様子を見てどうやら向こうも驚いた様子で、こちらに「そっちは?」と聞いてくる。

 

「家に父さんを殺したやつが来た」

 

「なるッほど。最悪ですね」

 

「仕方ねぇ。二手に分かれて行くぞ」

 

「そっちはどうするんですか?」

 

「走る。最悪『じぐざぐ』のメンバーに探すの協力してもらって。たぶん家からはそう遠くない」

 

「はぁ!? ……ちょっと!」

 

 言葉は聞かない。

 俺は走り始めた。

 アテはあるんだ。

 だから走る。

 

 忘れてしまったことから目を背けながら。









 金曜まで予定が詰まってるので明日更新がなかったら察してください


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いつか白亜の

 走っているときに思うのは、全てとりとめのないこと。

 全力疾走で、どれくらい走っただろう。自宅の周辺に向かう──とはいえ、相当遠い。なんで車で向かわなかった。馬鹿じゃないのか。

 肺がもうぐちゃぐちゃになったような思いだ。痛い。足を止めてしまいたい。足は痛くなりはしないが、それでも体力となれば別だった。

 こんな辛いことに対して向き合っているアスリートたちはすごいと思う。俺にはなれそうにもない。

 

 だからと言って足を止めたりはしない。全力疾走。目が眩むくらい走っている。喉が風で冷やされて冷たい。水分は口から消え去って、喉の奥に溜まる唾が呼吸を妨げる。気道が塞がれている感覚。飲み込もうにも難しい。喉を動かすことですら大変になりそうなのだ。

 

 ああ、疲れた。止まってしまおうか。だが。それでも俺は進むのだろう。

 そこに理由があるのかと言われればある。あるが、それは言葉にしてはいけない感情なのだろう。

 

 夢を見ていた。

 殺人者を殺す夢だ。俺がなるべく惨たらしく殺して、そしてまた誰かに殺される。そういう当然の連鎖。打ち止めにすることは俺にはできないだろう。だから連鎖は続く。いつまでも続く。続かせる。

 大丈夫。十年。その程度だ。

 ぼーっとしていたら勝手に過ぎてしまった程度の期間しかないんだから。

 

 走っている。俺はたしかに走っていた。

 どうして走っているのか。それに意味があるのか。理由はあっても、意味はない。何事にも意味を求めるほうが間違っている。

 なにかに意味があることは当然ではない。なにかに意味を見出すことは簡単だが、それはあくまでも後付された意味でしかない。

 では。

 俺の生きる意味とは。

 

 ない。そんなものはない。

 だから惜しくもない。ここらで一つ捨ててしまおう。それが一番だ。

 間違ってもなく、疑いようもないそれ。俺は俺の意思で自分を殺せる。必要とあれば殺せる。

 俺がこれまで自分を殺さなかったのは、まだ生きる理由があったからだ。

 そして今日それも消え去ってしまう。

 

 

 父親は死んだ。

 一体なんのために死んだ? そこに意味があったのか? 後付するなら簡単だ。だがそれは他者から勝手にもたらされた死だ。そこに意味を付け加えるのは殺した当人。そんなの許せない。そうだろう?

 妹は死んだ。それはあくまでもただの不幸だった。

 その生命に意味があったとするのなら。その死に意味があったとするのなら。

 なんて勝手に意味を付けてはいけない。それは何より、本人を否定している。

 普通に生きていれば死ぬことはない。それが当たり前だ。

 

 そんな当たり前を行うことのできない人間がいること。

 だから、全てのことに意味を求めてはいけないのだ。

 彼らの命が失われることが当然だったみたいじゃないか。

 そうじゃないだろう。うっかり。偶然。

 そういう、救いようのない現実──それこそが、何よりも救いになる。

 人生っていうのはそんなものだから、生きていても大変だ。

 

 

『なんとなくを理由にする以上──なんとなくで返されても、なにも言えないんだよ』

 

 

 なんだ。幻聴か。まるで俺みたいな声だ。

 ああ、幻聴。それでいい。今馬鹿みたいに走って、それで死にかけてるのだ。たぶん。全くもって馬鹿らしい。そしてその幻聴は幻聴で随分と悪趣味だ。

 

 理由と意味は分けろ。それは絶対に違うから。違うものであるはずだから。

 

『違わないよ。どっちも同じ。同じくらいに救いのない』

 

「救いがないからいいんだろうが」

 

『そう? 私はそうは思わないよ』

 

 にゅっ。そんな効果音が似合いそうなくらいにするりと、俺の心臓らしき部分から今の俺の顔が現れた。

 理解が追いつかない。幻覚。ああ、これは幻覚か。はて。それにしてはやけに現実味を帯びているが。そして今、目の前の視界は走り続けているとき特有の何にも意識の行かない状態じゃなくてちゃんと目の前が見えている。

 

「は?」

 

 走りながら目を擦る。それでも目の前の頭がなくなることはなかった。ああくそ、息苦しい。吐く息は既に荒く、もう二度ともとに戻ることはないだろう。

 

『ようやく私を見てくれたね』

 

 そして気づけば幻覚は俺と並走していた。いや違う。違和感。足がないのだ。足がないから、まるで宙を滑るかのように動いていた。

 その顔はこちらに向けられている。ああ、わかった。こいつの目元には険がない。まるで俺が入る前のこの体のようでもある。

 

「ふぅ」

 

『どうしたの? ひょっとして聞こえてない? いや、でもさっき答えてくれたし。無視はよくないんだよ?』

 

 と何事か、俺には似つかぬ口調で話す幻覚。喋り方も少し違う。意識して矯正している響きのある滑舌と発声。俺は幼少期から演劇をしていた影響で特に意識することなく素で滑舌がいいから、ここまで意識的な硬さのある発声はしない。

 

『そういえば、女の子になったからといって普通にしれっと体を洗っちゃえるのはおかしくない? 普通健全な男の子なら興奮とかするよね? 私の体って多少はあれな見た目してるし』

 

 この体に対して思うことなんて普通の女子よりも髪が洗いやすいことくらいしかねぇよ。

 

 というか。これが幻覚となれば。俺はこういう言葉を心の片隅ででも思っていたということだろうか。

 それはなんというか。

 

 しかしながら。この全力疾走という体力の崖っぷち。その最中でこうして出会ったこの幻覚。

 自分が死に近づいているからか。それとも無意識の苦痛の軽減に人の姿を求めているのか。

 そうだとしたら自己愛の塊のようだ。

 

 信じない。

 もしもこいつがどういう理由でこうなったかわからないが、本当にこの体の持ち主だったとして。

 俺のこれまでを知っているとして。

 こうなった理由までわかっているとして。

 

 いいや幻覚だったとしても。俺の忘れたことを知っているような素振りがある。そういう雰囲気がある、から。

 

 怖い。ただ怖い。

 すべてが暴かれるのを今、俺は怖がっていた。

 

 だからこそ信じない。こいつは俺の幻覚だ。それでしかないものだ。そうして定義することで、恐ろしいものは恐ろしくなくなる。

 未知は常に、理解が及ばないから怖いんだ。

 

『むー。私は幻覚なんかじゃないよ。君の幻覚だったら善悪くんと話すこともできないじゃん』

 

 しかし、こいつが幻覚とするならば。どうやら一つ確証を得てしまった。

 

『他の人に見えてた時点で幻覚扱いはおかしくない? それに私には私って言う自我がある。そうだね。あれだよ、昔君が演じていた劇の女の子みたいな。どっちかと言えば村八分にされている人と交流してる子、みたいな?』

 

 俺はとうとう狂ってしまったらしい。

 あるいは、とっくのとうにそうなっていた。

 

 

 

 

 走ったせいで着ている服はびしょびしょだ。こんな時期だというのに汗がすごい。だが頑張った甲斐は有ってどうにか実家までたどり着くことができた。

 兄はここからあまり離れていないはずだ。疲れた体に鞭を打ってまた走り出す。

 

 ケータイの通知音。

 汗で画面がべっとりなそれを、袖で拭って確認。

 どうやらなふだからのグループへの招待のようで、そのまま入ることにする。

 入れば、通話が繋がっていた。夜も始まる頃。連理以外のまだ若い組を除いて、ほとんどみんなが通話している。

 

 そのグループ通話に入って、息を整えながら一言。

 

「もしもし」

 

『あ、ハピコさん! 善悪さん見つけました!?』

 

「まだ」

 

『そうですよね……まったくもう、どこに言ったのやら!』

 

「落ち着けよ」息もそろそろ落ち着いてきた。「理由があってのことだろ」

 

『にしたって、「ごめん」しか残さないのはおかしいでしょう!? 謝るくらいなら最初からするなって話ですよ!』

 

「落ち着けって」

 

『……すみません』

 

「今はどこにいる? グループで分かれてるか?」

 

『分かれてるぞ』

 

 と、今度は座津田からくりの声。

 

『ベルちゃんとスマホの位置情報追跡しようとしたらあいつ持ってねぇでやんの。はっはー、これで虱潰しに探すしかなくなったわけだ』

 

『そもそも探すほどのことなのかっていう気分はあるぞ!』

 

 おそらくは、ノーブル・ベルゾナーだろうか? 『じぐざぐ』の技術者コンビはどうやらリアルでも仲良しらしく、共に探しているようだ。

 そして彼女の疑問には、おそらくその様子を見たらしいなふだが答えた。

 

『探さないと駄目です──じゃないと、たぶん、取り返しのつかないことになる』

 

『なふだちゃん』

 

 この声は……高山ソラのそれだ。彼女も探しているのだろうか。

 

『どんな色だったの?』

 

 数秒の沈黙。

 

『人殺しの色』

 

 なるほど、最悪だ。

 どうしてそんなことになっているのかまったくわからないが。

 いいや、それは嘘だ。一つわかる。

 今日の俺は遠出だ。すぐには帰ってこれない。だからこそ。

 

 通話をミュートにする。そしてまた走り出す。

 走りながら、幻覚に声をかけた。

 

「お前、善悪と話したって言ってたな」

 

『うん。あ、ようやく無視をやめてくれたね?』

 

「質問だ。あいつに、あの男──父さんを殺したやつが出所したこと、話したか?」

 

『うん。すごく動転してた』

 

「覚悟しとけ」俺は言った。「あいつがもしも、取り返しのつかないことをやらかしたら──俺はお前を許さない」

 

 どの視点でものを言っているのか。

 それは果たして、本当に善悪のための言葉だったのだろうか。

 自分がただ復讐したいから。そんな、どす黒く肯定することができないような思いから現れた言葉では──なかっただろうか?

 

 走っている。アテはない。

 それでも、まるで何かに導かれるように。

 俺は走る。

 

『──どの口が』

 

 小さな怨嗟。

 まるで呪いが集まるように。漫画やアニメである、闇落ちのシーンのように。

 幻覚は真っ黒に染まった。それが俺の今の心の色だとするのなら滑稽だ。

 それじゃあまるで、俺が許されてはいけないと思っているような。

 まるで俺自身が俺を否定し続けているみたいじゃないか。

 

『言ってるの?』

 

 次の言葉は、心底疑問と言った様子の声。

 先程までとはまるで違う。

 静かな怒り。まるで刺すような怒り。

 

 それは、まるで青玻璃カイラの怒りと似ていた。

 

『あなたのせいで善悪くんはもうとっくに取り返しのつかないことになってるのに』

 

 無視した。

 聞きたくなかったから。

 それでもこの幻覚は消えてくれない。

 俺の隠したてた欺瞞を暴くように。

 そして、愚かしい俺を糾弾するように。

 

『あなたは善悪くんを許した。悪いのは人を殺すやつだって、そう言い切った。

 でもね。それだと、彼にはなんの救いにもならなかったんだよ?』

 

「知るか」

 

 聞きたくない。それ以上なにも言うな。幻覚に手を振って振り払おうとしたって、立体映像のようにただすり抜けるだけ。どうしても振り払いたくて、更に足を早めた。ただでさえ限界の肺が更に悲鳴をあげる。揺れに腹の奥がきゅっと収縮して、吐き気がせり上げてきた。どうにか抑えながら走る。

 それでも幻覚はついてきた。

 どうしようもないほどに、俺を責め立てていた。

 

『人の手は二つ。全師さんならきっと、人ふたりくらいは簡単に持ち上げれたんだと思う』

 

 つまり、自分がいなければよかったと。そういうことだろう?

 馬鹿じゃねぇの。

 俺はそんなつもりで言ったんじゃない。

 

『だから、善悪くんはね。ずっと殺すつもり。それが贖罪になると思ってた』

 

「んなわけねぇだろ!!」

 

 俺はそんなつもりで言ったわけじゃない。

 ただ、自分を責めてほしくなかっただけだ。

 それなのに、どうして。

 どうしてそんなことになる?

 

「クソ、クソが、くっそぉッッッ!!」

 

 もう、息が苦しい。足もちょっと痛くなってきた。それだけで済んでいるのが奇跡だ。きっと大馬鹿者なのだろう。車を使えばもっと早いはずなのに。

 けれど、これが間違っているとは思わないし。後悔もする気はない。

 

「──何度も何度も、間違えてばっかだけど!」

 

 ほとんど、意識は飛びかけだった。

 その状況で吠えるだなんて、なんて馬鹿なんだろう。けれどおかげで気合は入った。

 まだまだ。これから。

 加速する。

 

 

 別に俺は、自分の吐いた棘のある言葉が誰かに刺さることには、開き直ることだってできる。

 むしろそればかりだ。

 俺のせいにするなと──そうやって切り捨ててしまえる。

 でも、そうじゃない。ただの善意で言った言葉が他人に刺さったとするのなら。

 

 そんなつもりじゃなかった。

 そう、手遅れになってから言うのか?

 それしかできないのか? 俺は。もっと何か、他にできることはないのだろうか。

 

 じゃあ、こうする。

 手遅れにしない。

 

 ──俺は運がいい。

 気づけば、例の道路のすぐ側の裏路地までたどり着いていて。

 そしてそこに探し人が集まっていたのだから。

 

「そこだけは間違えさねぇよ」

 

 善悪に首を締められ、意識も朦朧になっているだろう例の男。

 その姿を認めると、俺はその腕を掴んで振りほどく。

 

 トップスピードでやってきた俺に驚いたのか、振りほどくのは簡単だった。

 地面に倒れた男は既に意識を失っているように見える。しかしまだ死んではいないようだった。

 

「……なんでなんだ」弱々しい声。それが半丁善悪という男の声だと、すぐには結びつけることができず。「どうして邪魔をする」

 

「それだけはやらせねぇよ」

 

「生かしておくだけ無駄だ」

 

「また警察に突き出せばいい」

 

「それでまた手遅れになったら?」

 

「ならないさ。俺がさせない」

 

「無理だろ」

 

 敬語を使わない善悪は、新鮮だった。

 俺に対してここまで敵意をむき出しにするのも、また。

 いいや、初めてだろう。

 つまり、俺は今初めて本当の『半丁善悪』を見た。

 

「出来てねぇだろうが! 俺がいなきゃとっくに手遅れだった!」

 

 と、言って指したのは顔を血で染めて意識を失った兄の姿。

 想像もしてなかった事態に、一瞬動揺する。

 

「やれもしねぇことを、適当に言ってんじゃねぇぞ!」

 

「……それが素か? 結構激情型なのね」

 

「──ッッッ! ふざけるな!」

 

「ふざけてねぇって」指を突き出した。そしてそれを善悪の前に突きつける。「至って本気だ。だからこれ以上、父さんの件で殺すとか殺されるとかやめにしよう」

 

 なんて、俺が言えたことじゃないが。

 

「それでもお前がこいつ──宮地(みやじ)鳶市(とびいち)を殺すっていうのなら、それより前に俺がこいつを殺す」

 

「どうして!?」

 

「俺には正当な理由がある。復讐っていうな。お前はどうだ? そうじゃないだろ。ただ、巻き込まれただけだ。ただの殺人事件になっちまう」

 

「…………ッ、わかってくれよ! 俺は……俺がやらないと! そうして、完全に罪を清算しないと、本気であなたと話すこともできない!!」

 

 その言葉で、もう限界だった。

 自分のことを棚にあげて、俺の口が勝手に隠していた本音を紡ぎ始める。

 

「罪を清算するだぁ!? 馬鹿なこと言ってんじゃねぇ! そもそもお前に一切罪なんざねぇんだよ! 勝手に要らねぇこと抱え込んで、それで勝手に手を汚して、それが清算になると思うか!? なるわけねぇだろうが!」

 

 さらに。

 

「わかってくれだ!? なにを!? 言葉にしなきゃ伝わらねぇんだよ! ちゃんと思ってることがあるなら言えよ!!」

 

「それを──」善悪は、俺に掴みかかって。「それをお前が言うのか!? そっくりそのまま返す! 思ってることがあるなら言えよ! あの時飲み込んだ言葉はなんだ!? 俺に同情したか!? だから気休めでも口にしたか!? 誰がそんなことを頼んだってんだ!」

 

 襟を掴まれ、善悪の目線の高さまで持ち上げられる。

 首が締まって息が口の隙間から溢れた。

 

「言葉にしなきゃ伝わらない! ああそうだねそのとおりだ! そんなふうに最初からちゃんと出来たのなら嬉しくて吐き気がするな!」

 

「ああッ、もうッ、ごちゃごちゃ鬱陶しいな!!」

 

 掴まれた状態で暴れると、善悪を蹴り倒すことになった。

 後ろに倒れた善悪に馬乗りになると、今度は俺のほうから掴みかかる。

 

「言いたいことがあるなら言ってみろ! 俺のほうからも言ってやる!

 これまで溜めてたもん全部吐き出してみやがれ!!」

 

「なんで俺がお前の言うことに従わなきゃいけねぇんだ馬鹿じゃねぇのか!」

 

 振り落とされる。

 

 立ち上がった善悪が髪についた砂利を払いながら、何かを我慢しようとして、それが出来なかった様子で。

 

「……ああ、ああ、わかったよ! この際だ! 全部全部言ってやるよ!!」

 

 汗。

 汗だ。

 走って、叫んで、もう汗だくだ。

 そしてそれは、善悪も同じだった。

 

 まるで絶叫。善悪が吐き出した言葉は、さながら罪の告白だった。

 

「──最初から、全部わかってて近づいたんだ」







 投稿した直後に死人が生き返ってたりしたとんでもない誤字が発覚しましたすみません
 いつも誤字報告してくださる方本当にありがとうございます


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博愛主義者の自殺的レベック

 

 

 

 許されたくない。そういう気持ちはなにより知っている。

 過ち続けること。それがむしろ心地良い。そうやって、間違っていれば言い訳ができるから。

 

『どうせ社会に向いてないから』『どうせうまくやることなんてできないから』『俺にはこれしかないから。誰かにわかってもらえなくても、これだけが俺を肯定してるから』。

 そういう言い訳をするのは、楽だ。そして自分を守っている。

 

 その弱さを、俺は否定しない。けれど、それを俺に押し付けてくるのは許せない。

 許さない。

 俺を理由にするなら、それは別にいい。それは別にいいけれど。

 故人を理由にして、そして『どうしようもない』だなんて言う。気に食わない。許す気になれない。だから許さない。

 

「戦火ハジメ──ずっと前に偶然見つけた。それから、ずっと見張っていた!」

 

「…………」

 

 なるほど。本物のストーカーだったらしい。それも俺が俺自身であったとき──女の体になる前からそうしているというのだから筋金入りだ。

 どこまで見張られていたんだろう。正確にはどこから、か。

 だから、俺がYouTuberとして活動を始めたときにすぐに気付けたということか。

 ひょっとすると部屋を盗聴とかされてたかもしれない。

 盗聴自体は合法だ。それのための不法侵入が違法なだけで。

 だけど、まぁ。別に俺からしたらどうだっていいことなのかもしれない。

 だってこんなにも心動かないのだから。

 

「全部嘘なんだよ。漫画家になりたかった? 空っぽだからなれなかった? 全部ウソだよ。諦めたのはもっと昔だ。物語を描こうとするとずっと頭によぎるんだ。あの事件が。俺の目の前から消えてくれない! だから夢を捨てた!」

 

「なんだよ、それ」

 

「正確には──今の俺自身を捨てた。

 心をOSとして考えると、俺はユーザーを二つに分けた。共有しているファイルと、俺のほうにしかないファイル。そうして分けていた。アクセスできないようにしっかりと鍵もかけて」

 

「二重人格ってのは本当なんだな」

 

「それで嘘をつく理由がないだろ? でもその境界はあやふやだ。些細なきっかけで俺の心は変わる。俺にはそれがわかるけれど、もうひとつの人格のほうは──きっと。記憶が断絶してるような気分だっただろうな」

 

「お前は」俺は聞いた。「どっちだ?」

 

「悪モードとか呼ばれてるほう──演技は簡単だった。なぜなら昔の記憶を、俺に全部封じ込めているから」

 

 俺と会ってから善モードと呼ばれているほうの人格が出てくる割合が高くなったのは、俺の前に姿を現すまいとしていたからか。

 

 半丁善悪の、バーチャルYouTuberとしての設定。それは本物の二重人格によって演出された、真に迫った演技。どころか演技ですらない。

 それは当然のように存在する、現実味のない異常。

 

「煙草を吸うのはどっち?」

 

「俺ですね。あのときはまぁまぁ焦りました。まさかボロを出すわけにもいかないので」

 

「まぁな。……じゃあさ。お前はいつから元に戻りかけてた?」

 

「ここ最近は──安定しませんでした。理由はわかってます。後ろめたさだ。簡単に入れ替わってしまう人格だからこそ、そんな些細なことですら安定しなくなる」

 

 そのきっかけは、おそらくは例の企画。

 それが歯車が狂うきっかけになったというわけだ。

 人の心を土足で踏み荒らすようなやつのくせに、やけに脆いやつだ。まるで俺のようだった。

 

 だからよくわかる。その気持は。

 

 簡単なんだ。人の心に入るのは。自分自身が心を許すことがなければ、簡単に上がっていくことができる。

 けれど、向こうは俺に心を許してしまったから。

 その瞬間なにかがおかしくなった。

 

 俺のせいだろうか。

 いいや、違う。一瞬湧いた考えを否定する。

 

「だから」善悪の目に剣呑な色が宿った。「そいつを殺して、俺は自分を解放する。今の俺という人格を殺して、ひとつにする」

 

「そんなのを目的にしてたのか? お前」

 

「いいや? でも、そいつを殺せば今の俺が死ぬのは間違いないでしょう」

 

 なんだそれ。

 一瞬浮かんだ反感に顔が歪む。それを見て、善悪はけらけらと笑っていた。

 

「おっと、……いっけね。あなたと話してると自分がどっちかわからなくなる」

 

 口調のあやふやさ。

 狂ったようなくらいの雰囲気の変化。

 安定しないというのは本当らしい。わかりやすく、半丁善悪は回り回っている。なふだじゃなくても、鈍い俺でもわかってしまうくらいにはぐちゃぐちゃになっている。

 

『……善悪くん。情緒大丈夫?』

 

「大丈夫じゃないっすよ。大丈夫なように見えますか? 俺が? そもそも俺が大丈夫だった試しなんてありましたっけ? そもそもあなたもだ、高山一葉(かずは)。どうして自殺なんかした? なによりも理解できないのがそこだよ。俺が理解する意味なんてないのかも知れないけど」

 

 善悪は嘲笑して。

 

「他人を責める前にテメェのことを見つめ直せよ。……っと。これは俺が言えねぇか」

 

『──っ……』

 

「言い過ぎじゃないか?」

 

 本当は俺もそのとおりだと思ったが、とりあえず擁護しておいた。全く、とことんまで俺と善悪は似通った人間らしい。だからこんな酷いことが言えるのだろう。

 酷いやつ。ああ、そうだ。酷いやつだ。俺は酷いやつだし、善悪も酷いやつだ。酷いヤツ同士が群れをなす。それが最悪なことにならないかどうかは知らない。未来のことはわからない。

 

「言い過ぎじゃないですよ。カイラのやつも、彼女も、全くもって筋違いだ。俺がこうなったのは俺のせいで、他人を責める気にはならない。だから怒りも何もかも──筋違いでしかない。責めるなら俺を責めればいい。弱くてどうしようもない俺を。

 加害者が被害者面して同情されるなんて笑えねぇぞおい。誰が同情しろって頼んだんだよ。そんな安い同情で俺をわかった気になるなよどいつもこいつも馬鹿じゃねぇのか」

 

「そもそもの前提から間違ってんだよお前。別に加害者なんかじゃない」

 

 唯一加害者がいるとしたら、それはそこで寝転がっているこいつだ。

 それを何度語っただろう。それでも聞き入れる気もないんだろう。半丁善悪は自分のやろうとしていることも、自分の間違っていることも、きっとすべてわかっている。

 そしてその上で、こいつは人を殺そうと考えているのだろう。

 

「いいや、俺は加害者だ。だって、ハジメさん」

 

「……?」

 

 一歩近寄ってきた善悪は俺の胸を指で弾く。

 

「あんた、あのとき──俺たちが死ねばよかったって、思ったよな?」

 

「なっ」

 

 なんてやつだ。

 いくら俺がこれまでろくでもないところを見せてきたからといって、あのときの真面目な俺がそんなことを思ってしまうわけがないじゃないか。酷いやつだ。とんでもなくひどいやつだ。一体なんでそんな不名誉なことを言ってきたんだ。

 

「ふざけんな、そんなことねぇわ!」

 

「いいや、違うね」

 

 と言って、善悪はそのまま手を動かす。

 そして俺の胸をわしづかみにした。強く握られて痛い。いきなりなんだこいつ。ありえないだろ。そう思って、視線を上げてにらみつけると「それだよ」と言って、手を離された。

 

「嫌なことをされたら嫌になるだろうが。それと同じことだ。特に命に関わることならそうもなるだろ」

 

「俺の心を勝手に決めるんじゃねぇよ」

 

「なら聞くけど」

 

 首に手がかけられた。

 そのまま、ゆっくりと後ろへと追い詰められていく。壁に押し付けられた。

 

「ほんの少しでも思うことはなかったか? 絶対とは言い切れるか? 意識しないくらいにでも思うことはなかったか?」

 

「そんなの、思ったうちに入らない」

 

「入るよ」即答。「入るんだ。入ってしまうんだよ。そのほんのわずかが意味を持ってしまう世界なんだ」

 

 ぽつり。

 水滴が落ちる。

 ゆっくりと、まばらに落ちてくる。

 

「……はっ、予報通りだ。別に気にしやしないんだけどさ」

 

「お前さ」

 

 半丁善悪を見る。

 急に降り出した雨に濡れて、その顔はよく見えない。

 

「辛くないか? そんな生き方」

 

「あなたもな」

 

 そのまま、頭が撫でられる。

 

「俺は大丈夫。この生きづらさが、生きている証明になるから」

 

 首に手が添えられた。

 

「だからさ。黙って寝ててくれ」

 

 そのまま首を締められる。

 

 苦しい。死にそうだ。首を絞めるのは危険なんだぞ、とふざけたことを言う事もできず、そのまま意識が落ちていく。

 意識が消える寸前。俺が見れたのは、どこか寂しそうな善悪の顔。

 

 

 

 

 

 夢を見ている。

 不埒な夢だ。やけにリアリティのある不埒な夢だ。俺は押し倒されて、抵抗する気力も削がれ、時間が過ぎるのを待っている。

 体がやけに小さいような気がする。

 

 それが本当にあったことなのか、どうなのかは知らない。

 そして。

 

 どうしようもなく詰んだ現状。窮状。体裁は保てない。人の口に戸も立てられない。つまるところ嫌な噂としてつきまとうそれは、私の人生を大いに不利にするだろう。それが真実でないとしても。それでも。

 

 嫌な気分だなぁ。

 そう思って歩いていると、変な男と出会った。

 

『そんな暗い顔してどうしたの?』

 

 その男は、とにもかくにもろくでもない人間だった。きっとたくさんの人の反感を買っているんだろうな。そんなふうに思えた。まだ幼い私の身ですらそう思うんだから、それは疑いようのない事実なのだろう。

 

『ふぅん。その年で妊娠ねぇ』

 

『──』

 

『性欲とか、僕には全く理解できない感情なんだけど。それでも僕も一応子持ちの身だ。君の大変さはわかる』

 

『──』

 

『はぁ? 同情? なんで僕が同情してあげないといけないの馬鹿じゃねぇの? これはただ理解を示してるだけだよ。

 けれど君が同情してほしいって言うのならしてあげよう。これは同情の第一歩だ』

 

『──』

 

『何かって?』

 

 立ち上がって進んだ男はにやりと笑い。

 

『──ただのスカウト』

 

 

 ああ。

 この憎い笑みは、俺の父さんのものだ。

 

 

 

 

 

 目を覚ます。時間を見る。

 まだ夜中だ。あの意識の落ち方は睡眠というよりは気絶のほうが正しいか。それにしては随分長く眠っていたものだ。

 

 幻覚は見えなくなっていた。今のはきっと、あいつの記憶なのだろう。

 答え合わせがしたいところだ。

 高山一葉と呼ばれた彼女。それが今の俺の体だとして。

 彼女は本当に高山兄妹の親なのだろうか。

 そして。

 今の夢が本当だとするのなら、彼女の自殺した理由だってわかる。

 

「ってことは高山兄は俺より一歳上とかそこらか……?」

 

 高山兄妹が言っていたことと、これで道理が通る。

 けれど不快だ。

 自分の体が、知らないうちに誰かに扱われていたというような感覚。それが何よりも憤ろしい。

 吐き気すらしそうなほどだ。

 

 息を体に入れ、一思いに起き上がる。

 冷蔵庫に置いてある麦茶をカップについで、飲んで、そして目が冴えた。

 

「冴えてもいけないんだけどな」

 

 だがせっかくそうなったのだ。

 少し野暮用を済ませてしまおう。

 

 善悪の部屋は、インターホンを鳴らしたが誰も出てくることはなかった。鍵もかかっている。

 今度はなふだのほうだ。インターホンを鳴らすと、すぐに彼女は出てきた。

 

「…………」

 

「…………」

 

「……おはよう」

 

「……入ってください」

 

 

 目の前に置かれたホットココア。

 もこもこの暑そうなパジャマを着ている彼女は俺の隣で縮こまっていた。

 普段よりもはるかに、ちっぽけに見える。意気消沈しているからだろうか。

 

 それだけ彼女は、半丁善悪に心を許していたのだろう。

 俺だってそうだ。善悪がどうなったのかわからない。疑問しかない。結局あいつは、あの男を──宮地鳶市を殺したのか。

 

「どうなった」

 

 主語が欠けた質問。

 なふだはわずかに間を開けて答えた。

 

「ハジメさんのお兄さんが、警察と一緒にハジメさんを届けに来ました。彼からだいたいの事情は聞いてます」

 

「……へぇ」

 

「ねぇ、ハジメさん」

 

「なに?」

 

「私、頼りないですか? ……ですよね」

 

「……いや、別に」答えに窮する。「善悪のことは。俺もこの前知った」

 

「……ずーっと、ずーっと一緒にいたのに。どうして先輩は私に何も言ってくれなかったんでしょうかね……っ?」

 

 雨音が響く。

 部屋の外も、部屋の中も。

 

「結局善悪は、殺したの?」

 

「……いいえ。ハジメさんのお兄さんが止めてくれたらしいです。……結構ボロボロになってましたけど。それだけ憎かったんですかね」

 

 少し考えて、俺は言う。

 

「さぁ。憎さで言うなら……俺のほうが大きいと思うけど」

 

「……私、先輩が出ていく前に、すぐ外で会ったんです。あんまりにも暗い色で、怖くて、何も言えなくて。もっとしっかり引き止めていたら……よかったんですかね」

 

「……さぁ」

 

 

 カップの中身は、気づけば冷めていた。

 

 彼女の布団の側で、手を握りながら座っている。

 なふだはこちらの手を固く握りしめて眠ってしまったようだ。

 静寂と、暗闇に。雨の降る音が混じってどことなく怪しい雰囲気だ。

 

 雨の音がする。

 

 暗闇の中にいる。

 

 俺も、そして善悪も。どうしても譲れない部分に重大な疾患を抱えている。

 呪い。呪縛。

 そう。そんなものがあるとするのなら、父親の死は多くの人に呪いをかけた。

 

 どうしようもない、ずっと尾を引く病気のような。

 そんなものが、心の中にずっとこびりついている。










 ※本作品はフィクションであり、法律・法令に反する反社会的な行為・思想を容認・推奨するものではありません。絶対に真似しないでください。


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夜明け

 

 

 

 翌日。日の光が照って、自然に目を覚ました。そんなに遅くなってはいない。俺が手を動かすと、それが伝わったのかなふだもゆっくりと目を覚ました。

 昨日は手を握ったまま寝たのだったか。なんにせよ、俺のほうが先に起きるのは珍しい。なかなかないことだ。

 

「……はれっ?」

 

「おー、おはよう」

 

「あ、あー……おはようございます。その……ごめんなさい?」

 

「別にいいよ」

 

 特になにも思ってないし。

 

「今何時ですか?」

 

「八時。珍しく早く目が覚めたからさ」

 

「自分でわかってるならちゃんと起きてくださいよ」

 

 昔は夜間の仕事も多かったので。

 遅起きなのは習慣なのだ。許してほしい。訓練したら睡眠が少なくても耐えられるようになるらしいけれど、俺にはできそうにないから無理だ。忙しいのは大丈夫だが、睡眠時間が削られるのはかなりダメージが出る。

 普段は夜中配信とか時々するし、起きれないのは仕方のないことなのである。

 俺は悪くない。

 

 

 朝食は適当に食パンを焼いたもの。

 それに俺はバターを塗ってなふだはいちごジャムを塗る。

 普段はここにいる一人がいない。テレビを付けて何かしら情報がないかと確かめてもなにもない。昨日の件はニュースにもならないということか、それか純粋にタイミングが合わなかっただけか。

 静かだ。それも普段とはまたベクトルの違う静かさ。普段のが心地のいい静けさならば、今の静かさは重苦しい静けさ。空気が重い。本来人がいるべき場所に誰もいないのだから、そりゃあそうもなる。

 食べ終わり、小さく伸び。

 今日はどうしようか。

 

 スマホで確認するが、なにもなかった。善悪はなんの情報も呟いてはいない。配信だってそうだ。と思い返して、そりゃあそうだと思い直す。家にスマホなんかを全部置いていってるのだから呟きようがない。

 金に関してもどうしているのか。一体あのあと、あいつはどこに行ったんだ。

 

「なふだー」

 

「はい?」

 

「カイラに連絡取れる?」

 

「あ、はい……電話しましょうか?」

 

「ん、頼む」

 

 そうして繋がった電話。

 

『ハジメさん、どうしました?』

 

「いや……善悪のこと、どうなってるのかなって」

 

『ああ……すみません。こちらにも連絡はなくて。現在も捜索中です』

 

「それともう一つ」俺は付け加えた。「お前、本当にめちゃくちゃ嘘ついてたんだな。笑っちゃうくらいに」

 

『……バレちゃいました?』

 

「二人……高山一葉と善悪から答え合わせされたよ。本当かは知らん。けど嘘つく理由もあんまないだろ」

 

『へぇ……。体がそれだからですかね? 死人と喋っている』

 

「そんなラスボス感ある言い回しやめろよ」

 

『冗談です。すみませんでした。ただ単純に──僕は、友人のことをどれだけ思ってくれてるか気になっただけで』

 

「知ってる。だからお前に真っ先に電話をかけた。……お前が知らないなら、これからどうしようなぁ」

 

『……あいつの実家。その可能性はありますよ』

 

 実家。

 小学生のときにあの交差点に居合わせたのなら、きっとそれほど家は遠くない。

 だからと言って、向かったところでたぶん無視されてしまうだろう。

 

『教えましょうか?』

 

「いや、たぶん無理だよ」

 

『どうして?』

 

「言ってたんだ。罪を清算しないといけないとか、なんとか。あいつにはなんも罪なんてないのにな」

 

『……。なるほど』

 

 それから少し話して、電話は切れた。

 ケータイをなふだに返す。

 

「なふだー、ちょっとこっちきて」

 

「はいはい?」

 

 寄って来たなふだに手を回した。そうして抱きしめて、そのまま自分の体を後ろに倒す。

 

「きゃあ」

 

「こうしてさ。いきなりやられるのって嫌?」

 

「え? いえ、別に?」

 

「だよねー」

 

 うん。あんまり嫌ではない。というか、どうでもいいというのが正解だろうか。

 

「今度ライブあるんだよね?」

 

「はい」

 

「あいついないと駄目だよね?」

 

「そうですね」

 

「告知のためにイベントも一緒に出るって言ってたよね」

 

「そのとおりです」

 

「じゃあさ、あいついないと駄目じゃない?」

 

「全くもって」

 

「ってことで」

 

 なふだを離した。

 上から退いてもらって、そのまま立ち上がる。

 ……ちょっと筋肉痛を感じるのは無視しよう。別に動けないほどじゃないから。

 

「ちょっと出かける」

 

「……そうですか」

 

「そんで、あの馬鹿も連れて帰ってくる。そしたら三人でコラボ配信しよう」

 

「……ふふ」

 

 なふだは笑った。

 

「じゃあ、今日の晩ごはんは豪勢にしなきゃですね」

 

「うん。頼むよ」

 

 

 家を出る。

 そして俺は。

 

 

 

 

「馬鹿じゃねぇのお前??」

 

 酷いやつだ。人が真剣にお願いしてるというのに馬鹿扱いなんて、なんて酷いやつなんだろう。

 全く。あんまりな扱いに泣いてしまいそうになる。びくっと肩を震わせて泣くふりをした俺を、高山ソラがよしよしと頭を撫でて慰めた。体的には娘のはずの女子に慰められる男ってどうなんだろう。

 ていうか高山ソラが俺と二歳くらいしか変わらない事実のほうがなによりびっくりする。

 一体どうやってその童顔を維持してるんだ。

 

「文句言われても仕方ねぇこと言い出したのお前じゃんかよ」

 

「ぶーぶー。ちゃんとした理由があってのことだからいいじゃんかよ」

 

「ね、昨日言った通りでしょう? ハピコさんはきっとこうするって」

 

「まぁそうだったな。だから昨日のうちに用意しといた。いろいろ調整済み」

 

 高山兄はそう言って、俺をパソコンの前に運ぶ。

 

 画面に表示されたのは歌詞。全体としての流れを組んだ上、耳に残る言葉で上手に構成された歌詞。

 なにをさせたいのだろうか。と思って後ろを振り向くと、背中を叩かれた。乱暴な男め。そんなのだからリストラされるんだ。

 

「歌ってみろ。一回撮るぞ。もう殆ど上がってんだ。お前がどれだけ頑張れるかで結果は変わるぞ」

 

「わかってるよ、そんなの……」

 

「MVもお前が作るっつったな? 準備は出来てるのか?」

 

「……ああ。それは」

 

 一つ。

 

「一枚絵に歌詞を乗っける感じの、すっごいちっぽけな感じにしていい?」

 

「わかった。それでやろう。ますますお前の腕に責任が伸し掛かってくるってのは忘れんなよ」

 

 許可はもらった。

 

 やることは決めた。なら、あとは目的に向かって進むだけだ。間違っているわけがない。この方法で、確実に合っていると思えた。

 だって、音楽で俺が救われたから。

 

 俺に似てるっていうのなら、あいつだってそうだろう?

 俺がそうして、歩き出せたことが何よりの証左だろうが。

 

「覚えた。歌おう」

 

「早いな……」

 

「演劇やってたからな。この程度なら覚えれる。次にリズム合わせるからお願い」

 

「了解」

 

 だから俺は諦めない。

 絶対にどうにかしてみせると決めた。そしてなふだに約束したのだ。

 だからこそ。

 

 

 才能は捨てた。それが不幸を生むと思っていた。いずれ自分を殺すと思っていた。

 でも才能のない自分だと何も救えないのなら、俺は天才でも超人にでもなんだってなってやろう。

 

 俺は二人のことが好きだ。

 だから、二人には殺されない。

 だったらそれで十分だ。あの二人のためにしか、俺は自分の能力を使わない。

 ──いいや、そもそもそれは才能ですらない。

 ただそこにあるだけのもの。誰もが持っていて、気づかないもの。

 向ける先がないだけのもの。そんなものが、きっとそれなのだ。

 だからこそ。

 

 今日だけは、本気で一つやってみよう。

 

 

 

 

 

 

 今日は天気がいい。まるで昨日の雨が嘘みたいだった。

 筋肉痛は気づけば引いていた。びっくりするくらいに、この体のスペックは高い。なんてまるで異世界転生した主人公みたいなことを思った。けれどここは現代で、そう大きい物語なんて起きるはずもない。そういうものだ。

 だからいつまでもシリアス展開をぐだぐだやっているだけ無駄だ。俺が言えたことじゃないけど。

 

 辛気臭い俺が言えたことじゃないんだけれど。けれど、そう思った。

 人を殺すとか、殺さないとか、そんなのもうおかしいだろうが。二重人格がどうとかなんとか、そんなの知ったことじゃない。

 

 もうすぐ夜がやってくる。そんな中、俺は歩いていた。

 なんとなくだ。

 なんとなく向かった共同墓地。

 見知った名前のその前に立ち尽くして。俺は手を合わせてみた。

 もう迷いなんてない。吹っ切れた。それはまたあいつが逮捕されたからだろうか。

 

「……父さん。人ってホント、一回足を踏み外したら終わりなんだな」

 

 俺は完全に転落する前に、手を引かれた。

 

「父さんの親友は、父さんを殺すほど……思いつめてたんだってよ。だからと言って許すわけじゃない。人殺しは許されることじゃない」

 

 だから、本当に人を信用することができなかった。

 そして腐っていった。でも。

 

「しばらく来なくてごめん。怖くて、逃げてて、ごめん。でも。ほんのちょっとだけ手伝ってほしいんだ。どうやら魂とか幽霊とか、本当にあるらしいからさ。……ちょっとだけ、俺の友人を探すのを手伝って」

 

 なんて。

 そんなの、あるわけないけれど。

 

 風が凪いだ。それに吹かれて、俺は顔を覆う。

 まるで計ったようなタイミングの風に笑って、俺は風の吹いた方向へと歩き出した。

 

 

 父さんの声は聞こえない。当然だ。そしてあの幽霊の声も聞こえない。そうに決まっている。

 だって死者は喋らない。

 そんな当たり前のことだが、俺は昨日死人の声を聞いた。

 だから、死者の意思はある。

 俺がそう思う限り、そこに死者の意思がある。

 

 

 歩いていた。

 たどり着いたのは公園だ。

 そこのベンチに、見知った顔が腰掛けていた。

 隣に座る。逃げることはなかった。

 

「ハジメさん」

 

「なに?」

 

「……なんて曲作ってくれてんですか。まったく」

 

 おかげさまで。

 彼はそう言った。

 

「もう分かたれることは──ないでしょう」

 

「そっか」

 

 その言葉が意味しているのは、きっと純粋で当たり前のなにかだ。

 半丁善悪はその特異性を失った。

 けれどそれでもいい。そうなったとして、なにも問題はない。

 半丁善悪と言う男は、そんなものがなくたって特別なのだから。

 

「じゃあ、お前の負けだ」

 

「は?」

 

「だってそうだろ? 俺が作った歌で、お前のわだかまりをぶっ壊した。俺の勝ちってことでよくないか?」

 

「……は、そうだな。そうですね」

 

 手を差し出された。取ると、そのまま引き上げられた。

 

「──帰りますか」

 

「……おう」

 

 

 

 

 

「ていうかさ。どこにいたの?」

 

「え? カイラの家ですけど」

 

「マジかよあいつ本当に嘘つきだな」

 

 今頃笑ってるんだろう。そう思うと少し腹が立ってくる。すべてお見通しってやつだろうか。

 それでもいいさ。

 

 まるで意味のない、こんなにあっさり終わることでも。

 そこに至ることはすごく難しいことだと思うから。

 

 見事なまでに噛み合わなくて、些細なことでぐちゃぐちゃになる。

 そんなこと、どこにだってあるだろう。

 ちっぽけな喧嘩。些細な喧嘩。

 それが終わり、また普段どおりに仲のいい時間がやってくる。

 

「ていうかさー。あんとき散々罵倒してきたんだし、今更敬語要らないだろ」

 

「……たしかに。これからそうするわ」

 

「おうよ。それでいい。っつーか、それがいい」

 

 そんなことを話しながら歩いている。

 帰ってきた。

 なふだの部屋の扉を叩く。

 

「ただいまー」

 

「……ただいまー」

 

「おかえりなさい」

 

 部屋に入って、少しだけうげっと顔を歪めた。

 投稿した曲が再生されている。恥ずかしいし気まずいなぁと思いつつ、少し落ち着かない気分になりながら部屋にあがった。

 

 

 

 夕食を終える。

 

「いやー、一件落着だなぁ……」

 

「落着か……?」

 

「いいんだよ、ちゃんと全部元通りになったんだから」

 

「いやちょっと待ってください! いつの間にそんなに距離を!?」

 

「ふっ……」

 

「じゃないですよぶん殴るぞ先輩!!」

 

「ひっでぇ」

 

 なふだがむっとして、こちらに寄りかかってきた。

 そのまま揺らされる。ゆらゆら。結構な勢いで揺らされるからかなり困る。

 

「じゃ、じゃあ私もタメ口ききますからね!? いいですか!?」

 

「え、別にいいけど」

 

「じゃ、じゃあ……あああああー!! 無理! 無理ですよぉー!!」

 

 なんだこいつ。

 

「あー! あー!」

 

「なんで俺を殴るの……? 痛いよ……?」

 

「心配させた罰だと思って甘んじてくださいな」

 

「うぐっ」

 

「お前の負けだなぁ、善悪くん?」

 

「ニヤニヤしないでいいから……」

 

 なんだこいつ。

 

 俺は正論しか言ってないだろうが。一体なにが悪いんだ。

 と思ったが俺も正論は嫌いなのでそりゃあ悪いに決まっている。自分で言って自分で納得した。正論だけが正しいことじゃないってことだ。

 

「──ま。ちゃんと三人帰ってきたことだしさ」

 

 PCを指した。

 

「約束通り配信しようぜ」

 

「えっ待って俺聞いてない」

 

「はいさっさとやりますよ先輩昨日の配信サボってるでしょうが全く」

 

「まぁやりたかったしいいけどさ」

 

 じゃあ、そういうことで。

 

 いろんな空転がある。いろんな間違いがある。けれど最後にはここに帰ってくる。そしてちゃんと目の前を向く。

 それが当たり前なのだ。

 

 ならば、夜は明けなければおかしいだろう?

 

 そういうことだ。

 そしてそれは、そういうことでしかなかった。














 キリがいいので完結しました。
 約一ヶ月の間ありがとうございました。


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