東方明夜郷 (ヨモナ)
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第一章 そして少年は幻想と出会う
第一話 冴えた頭が「夢じゃない」と答えた
――――どうしろと?
天を仰いで、俺――
ただ今、絶賛困惑中である。そりゃもう俺の中の俺という俺が一斉に息を吐き出すくらい困惑している。息の吐きすぎで窒息死しないよう気を配りつつ、このどうしようもない状況を整理する。
まず、ここは大自然の中だ。人体で言うと胃の辺りだろうか。周囲には立派な竹とかタケノコとかがニョキニョキ生えていて、うっかりすると方向感覚を失いそうになる。竹林、と呼ぶのが丁度良いかもしれない。
何となく雨後のタケノコという言葉が頭に浮かぶ。タケノコっていうのは、俺が思っているよりもあちこちに生えているもんらしい。
次に、俺は自分が今どこにいるのかさっぱり分からない。遭難状態だ。
スマホで帰り道を調べようとしたが、流石に自然の力には勝てなかったというか、まだまだ人類の及ばないところがあるんだなというか、えーと、つまり圏外だった。圏外表示なんか久々に見たもんだから、絶望ついでにちょっと感動してしまった。そんな場合じゃないんだけど。
で、一番の問題は…………起きたらこんなことになっていた、ということかな。
いやわからん。なんだこれ。寝る前にリスポーン地点設定ミスったとしか思えないレベルで見知らぬ場所なんですが。
記憶を呼び戻してみるが、やはりリスポーン地点の設定を間違えたとかそういう記憶は無かった。あってたまるか。しかし、他にこの状況を納得させられるほど都合の良い記憶も見つかってくれなかった。ノーヒントを強いられてしまったようだ。
直前の記憶だと、確か俺はいつも通り高校に向かっていたはずだ。天気は曇りだったかな。やる気が出なくて
ちなみに、スマホによると今の時刻は午前九時ちょっと前だ。遅刻が確定した訳だが、果たして遅刻で済むのかは不明である。というか、こんなことに巻き込まれた後に学校なんか行く気にならない。
それはそうと、現在時刻が九時前ってことは、俺は通学路で意識を失ってから、大体一時間でこの場所まで移動したってことじゃないか。誰かに車で連れ去られたとしても、移動距離はせいぜい六十キロとかそのくらいのはず。ここがどこだかは知らないが、その程度の距離だったら案外何とかなるだろう。
そもそも連れ去られた上に竹林に放置されるような
何はともあれ、この場に立ち尽くしていても仕方がない。俺の知る限り、近所に何キロ四方にも広がる巨大な竹林は存在しない。いずれかの方角に歩いていけば、いずれ舗装された道に辿り着けることは間違いない。
とりあえず……出口がありそうな予感がする方に行ってみるか。
緊張と不安が分泌させた唾を飲み込んで、一歩踏み出した。それにしても、鬱蒼としているというか視界が悪いというか、自分がさっきまでどっちを向いていたかも分からなくなりそうだな。まぁ、ただ真っ直ぐ歩くだけだし、そんな困ったことじゃないと思うが――――――――。
ガッ
足が、地面から飛び出した何か硬いものに引っかかった。
意識が完全に周囲の景色に向いていたから、一瞬パニックになって、体勢を整えるのが遅れてしまい。
「っ
俺は、派手に地面に衝突した。
土やら草やらの自然な香りが鼻の辺りを漂う。痛い。実際の被害はちょっとした擦り傷と汚れだけだが、精神的には大打撃だ。こちとら、ついさっき勇気の第一歩を踏み出したばかりなんだぞ? それをお前、嘲笑うかの如く……!
「俺が何したって言うんだ……」
あまりの理不尽さに、つい言葉が漏れた。
間違いない。今日は人生でもトップクラスにツイてない日だ。誰もこの状況を説明してくれないし、助けてもくれないし、散々にも程がある。どうして俺はこんなクソみたいな人生を送っているんだろう? どこに文句をつければいいのか誰か教えて頂きたい。
いつまでも地面と抱擁している訳にもいかず、嫌々立ち上がる。上着に付いた土汚れを軽く手で払う。ああもう、この前買ったばっかの服なのに。
大きく溜め息を吐いた。本当に何なんだ、笑えない冗談はこの辺で終わりにしないか? もし夢オチなら早めに切り上げといた方が良いぞ。……でも、夢じゃないんだろうな、これ。疑う隙間も無いくらい全身が冴えてるもん。
どうしようもない現実に辟易していると、不意に背後からガサッと音がした。
風か、獣か。先に想像したのは後者だった。遭難中に熊と出くわして、死んだフリをするパターンにはいくつも覚えがある。そうじゃなくてもここは自然の中。獣と遭遇することなんて珍しくもない。
恐る恐る、身体を、ゆっくりと回転させる。
数えきれないほど重なった竹の向こう側に、影が見える。
人の形。
獣の皮とは違う、布を纏っている。
人間だ。
想像していた最悪の展開でなかったことに安堵すると同時に、この大自然の中で奇跡的に人と出会えた僥倖に感謝しつつ、俺は
「すいません、ちょっとお尋ねしたいことが……」
この際だから、同じ遭難者でも構わない。一人よりは二人だ。ぼっち歴の長い人生を送っているから、一人の方がずっと気楽なのだが、今は少しでも安心出来る材料が欲しかった。勿論、帰り道を知っている都合の良い人物であれば良いんだけど。
相手との距離が近付くほど、その輪郭や色がはっきりとしてきた。
学校の制服のようなブレザーに、桃色のスカート。
綺麗だ――――――――なんて甘い言葉ではなく。
「何だ、その、ウサミミ? 引っこ抜かれたいのか?」
「引っこ……っ!? い、いきなり何なの!?」
彼女の頭からぴょこんと生えた、ウサミミのことだった。
……盛大に尋ねることを誤った気がする。いや、だって、いや? 思うじゃん? 竹林でいきなりウサミミ生やした女子高生みたいな人とエンカウントしたら、俺じゃなくても思うじゃん? おかしいのは俺ではなく、このコスプレ少女ではないか? まあ一般論でね?
自己弁護してる場合じゃない。
折角出会えた(明らかに常識人じゃなさそうとは言え)人なんだから、失礼を働いたのはまずいだろ。一応謝っておくべきだよな。
「いや、すまん。気が動転していて。悪かった」
「そ、そう……そういう時もあるわよね……」
本当に俺が悪いのか甚だ疑問だが、今は黙っておこう。しかし、何故ウサミミを……?
「って、そうじゃなくて。実は道に迷っていて、道案内を頼みたいんだ」
「それくらいなら別に……ってその手、怪我してるじゃない。治療しないと」
指摘されて、先程転んで右手を擦ったことを思い出した。ちょっとヒリヒリする程度の傷だから、完全に意識から外れていた。
「この程度なら放っときゃ治るよ」
「駄目よ、そのままにしておいたらばい菌が入っちゃうわ」
「別にばい菌くらい」
「そういう考え方は良くないわね。丁度すぐ近くだし、治療してあげるわ。ついてきて」
俺の返事も聞かず、彼女は東か西、あるいは北か南に歩いていく。そっちがどの方角なのかも、その先に何があるのかも全く分からんが、とにかく付いていけばいいらしい。
彼女を信用すべきか熟考したが、ここで無理に断るのも逃げるのも悪手のように思えて、消去法的に俺は彼女のあとをついていくことを決めた。
未だ説明の行われない現実に、嫌気が差した。
何だか流されているような感じがする。
現実逃避気味に、再度「これ、本当は夢だったりしないかなぁ」なんて考えてみたが、即座に、冴えた頭が「夢じゃない」と答えた。つまりはそういうことらしい。俺はこの現実に従うしかないのだ。
「はぁ……」
気の進まない足を、言い聞かせるように前に動かした。
頼むから、これ以上おかしなものは出てこないでくれよ? と祈りながら……。
実生活でゴタゴタしていて書き途中で消してしまったものを、いちから書き直すことに致しました。よろしくお願いします。
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第二話 意味がさっぱり分からない
少しの間、彼女の背中を追いかけていると(ストーカーではない)、竹と竹の隙間から、巨大な和風の屋敷が姿を現した。
でかいし、広い。いかにも金持ちの家といった感じで、本能的に萎縮してしまう。俺は平民なんだよ、こんな格の違いを見せつけられて平然としていられるほど豪胆じゃない。
その屋敷の入り口から、臆することなく中に入っていく彼女に続いて、俺も身の丈に合わない屋敷に進入する。……俺なんかが本当に入って良いのだろうか。不敬罪で斬首刑になったりしないよな? まだ現世に執着していたいんだが。
修学旅行で京都に行った時のような気分で、内部をあちこち観察してみる。敷地内にはやたら広い庭もあるようで、ますます身の丈というものを分からせられる。一般的なご家庭ではまずお目にかかれない風景だ。
「……ん?」
視界の端に白いものが映った。気になってそちらに視線をやると、白いもふもふの兎が興味津々に俺を観察している。流石は金持ちの家。兎を放し飼いにしているらしい。
……そういえば、俺の前にウサミミを付けた女子高生がいるんだけど、もしかしてそれもここの
頭に纏わりつく嫌な考えを払っていると、俺を悩ます張本人である彼女が、目の前の扉を開けた。
彼女に続いて中に入ると、鼻にツンと来る薬の匂いが漂ってきた。推理するに、ここで治療とやらをするのだろう。……おかしな注射とかされないよな?
「その辺に座って、ちょっと待ってて。道具を持ってくるから」
そう言って、彼女は奥の方に歩いていった。
ふぅ、と息を吐いて、近くにあった横長の椅子に腰掛ける。ようやく落ち着く時間が出来た。状況はちっとも落ち着けないが、こうやって座って身体を休めているだけで少し気が楽になる。
ポケットからスマホを取り出して、一応電波が飛んでいるか確認する。相変わらずの圏外表示。人が住んでそうだから使えると思ったんだが……上手くいかないな。この屋敷の主人も、もっと便利なところに建築すれば良かったのに。土地が安かったのかな。
ま、流石に外部との接触が一切断たれたおかしなお屋敷なんてことはあるまい。後で電話なり地図なり、帰る手段を確保させてもらおう。
それと……学校への言い訳も考えなくちゃいけないな。やれやれ、今日は忙しい日だ。こんなに忙しいのは、夏休みの終わりに宿題をいっぺんに終わらせた時以来じゃないか?
…………いやそれ一ヶ月くらい前の話だったわ。全然最近じゃん。俺って結構忙しいのな。
★★★
「はい、これで終わりよ」
治療を受けたところを眺める。こうやって丁寧に傷を扱ったのは、いつ以来だろうか? 昔からツバでもつけとけの精神で雑に治してきたから、新鮮に感じる。
「ん、ありがとうございます。ええと……」
彼女にお礼を言おうとして、まだ名前を訊いていなかったことに気付く。まぁ、訊いたところであれなんだが。
「手際良いんだな、ウサミミさん」
「誰がウサミミさんよ。確かにウサミミだけど……私には
吹き出しそうになった。
ここに来て、また想像の斜め上を行くことを……ますますこの屋敷の謎が深まったが、深淵は覗くもんじゃないと自分に言い聞かせておく。
「う、うどんさんか。それはまた……ご両親は良い名前を付けたようで」
「うどんじゃなくて優曇華院だし、名前を付けたのも両親じゃないわよ。全くもう、変な人間ね」
咄嗟にお前がそれを言うか? と口から言葉が飛び出しそうになったが、ギリギリのところで耐えてみせた。ここはスルーするのが大人というものだろう。というか、これ以上深淵に触れたくない。
「……一応こっちも名乗っておくよ、俺は佐倉霜夜。それで、そうだ。実は俺、あの竹林で迷子になってて出口を探してたんだけど、こっからどう帰ればいいか教えてくれないか? 時間が無いようだったら、電話だけでも貸してもらえると助かるんですけども」
俺がそう尋ねると、鈴仙はちょっと面倒そうな顔をした。面倒なのは分かってるが、こっちも色々面倒なことになってるんだから、どうしようもない。
「そんなところだろうと薄々気付いちゃいたけど……ええと、どこから話すべきかな」
「どこから、とは?」
話さなければいけないような内容には皆目見当もつかない。嫌な予感がしてきた。こういう状況で察したものは大抵当たる。せめて、俺が思っているよりも軽い話であってくれ。
「……まぁいいか。別に話さなくても問題無いし」
「いいのかよ。どんな重たい話されるかビクビクしてたってのに。心配して損した」
「杞憂で済んで良かったわね。ここまで連れてきちゃったんだし、一応最後まで責任は持つわ。帰り道はしっかり教えてあげる」
無駄に心臓の鼓動を早めさせられたが、帰路を教えてくれるなら充分だ。しかし、一体何を話すつもりだったんだろう。もしかして、俺が起きたら竹林にいた理由に関係してくる話とか? だとしたらちょっと聞きたかったりする。
「とりあえずお師匠様に報告だけしてくるから、先に屋敷の外で待ってなさい」
「了解。助かるよ」
部屋を出て、来た道を引き返す。確か、あっちから入ってきたんだよな。広すぎて迷ってしまいそうだ。流石に敷地内で迷子になるほど方向音痴じゃないが。
スムーズに屋敷の入り口まで戻ってくると、俺は夥しい数の竹の中から手頃なものを選んで、それに寄り掛かった。
お師匠様に報告、とか言ってたな。今の時代に師匠とか弟子とか言った関係をリアルで聞くとは思わなかった。治療の際の手際の良さから推察するに、医療に携わる師弟関係か? こんなところに屋敷を構える医者って、法外な金額で違法な手術なんかしてそうだけど。なんとかジャックみたいな。
などと妄想に耽っていると、程なくして屋敷から鈴仙が出てきた。報告とやらが済んだらしい。
それじゃあ、出発だな。竹から背中を離そうとして、あることに気付く。
鈴仙の後ろに、もう一人女性がいた。
長い銀髪を三つ編みで纏め、赤と青のツートンカラーをした変わった格好をした美人である。
「……そちらの方は?」
呆気に取られて、つい言葉が漏れてしまう。流れは多分、お師匠様登場の流れだと察したが。
その銀髪の美人は、俺を視界の中央に収めると、納得したような表情をした後、静かにこちらに近付いてきた。
「貴方が佐倉霜夜?」
「えぇ、まぁ……佐倉さんちの霜夜さんです。えーっと、あなたは?」
「
えーりんさん、と言うらしい。どういう理由で声をかけてきたんだろう。失礼を働いた覚えは無いが、性格の悪い俺のことだし、また何かやらかした可能性がある。……先に謝っておこうか?
「俺に何か?」
「無駄足を踏ませたら可哀想だから、止めに来たのよ。間に合って良かったわ」
「なるほど、無駄足を…………」
そういうことかぁ。
………………。
いや待て? オイ?
「無駄足ってどういうことだよ。外に出るだけだろ?」
「そのまんまの意味よ。このままウドンゲについていっても、貴方は元いた場所に帰ることは出来ない」
「何だよそれ、俺は騙されるところだったのか?」
「いいえ、騙すつもりは微塵も無かったはずよ。でも、今回は特別なケースなの」
そんなの、特別扱いどころかとんだ罰ゲームじゃないか。
それに意味がさっぱり分からない。
帰れない? どういう理由で? 俺の知るあらゆる常識が、現状を否定する。答えの出ない疑問に、頭がオーバーヒートしそうだ。
蚊帳の外になっている鈴仙の様子を窺う。何がどうなっているのかさっぱり、といった顔をしている。嘘をついているようには見えないし、騙すつもりが無かったのは本当のようだな。
だとすると、何だ?
「貴方の状況を正しく伝えるには、少し長くて厄介な話をする必要があるわね。中でお茶でも飲みながら、ゆっくり話しましょう。……あぁ、安心しなさい。私達は貴方に危害を加えるつもりは一切無いから」
答えが分からない。
彼女を信用するべきなのか、それさえも。
呼吸が早くなっていく。
落ち着こう。大きく息を吸って、整えるように吐いた。……大丈夫、俺は冷静だ。
「頭がこんがらがって神経がショート寸前なんだが……分かった、まずは話を聞かせてもらわないことには始まらないしな」
「賢明な判断ね」
どういう類の話かは分からんが。
ひとまず、ビックリ仰天な内容が飛び出てきて心臓が止まったりしないよう、覚悟の準備はしておいた方が良いかもしれない。
もう一度、深呼吸をした。
今度は覚悟を決めるために。
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第三話 これは、本物だ
応接室と思しき和室に案内され、目の前の座卓に鈴仙の淹れたお茶が置かれる。
喉の渇きを思い出して、俺はそれを一口飲んだ。普段はジュースばかり飲んでいるが、たまにはお茶も悪くない。今度自販機でわ〜いお茶でも買ってみるか……。
正面で俺を見つめる永琳と、一瞬視線を合わせる。近寄りがたいというか、俺があまり接したことの無い雰囲気があって、若干居心地がよろしくない。
「ウドンゲも聞いておきなさい。一応貴方にも関わるかもしれない話だから」
「へっ? はぁ、分かりました」
返事をして、鈴仙が空いているところに正座する。鈴仙にも関係するって、どういうことだ? 今からどういう話をするんだろう。
とりあえず、今の内に喉を潤しておこう。長い話には口渇が付き物だからな。
「それで、厄介な話っていうのは何ですか? 俺が帰れないとか言ってましたけど」
「無理に敬語を使わなくていいわよ。その方がこっちもやりやすいわ」
「じゃあそうさせてもらうよ、俺は少々口が悪いもんで……」
コホン、と咳をして、永琳は口を開く。
「まず、ここがどこなのかを説明しなければいけないわね。ここは幻想郷、妖怪や神々などの人外の者が棲まう土地よ」
「ストップ、理解が追いつかん」
しょっぱなから素直に受け入れられない単語が三つほど飛び出してきた。おかしい。俺の中の常識が警鐘を鳴らしている。理解出来ない。
妖怪? 神々? そんなファンタジー極まった単語を、どうやって飲み込めばいいんだろう。
「その……妖怪とか神々っていうのは、何だ? 俺が想像するのは、
「その想像通りのものだけれど」
「何だそりゃ、そんなもんの存在を信じろって言うのか?」
「信じるも何も、そこにいるウドンゲがその証明よ。頭から生えているものが見えない?」
いや見えるけど……嫌ってくらい見えるけど! ていうか、え? 妖怪? この人妖怪なの? どう見たってウサミミを付けただけの女子高生なんだけど、妖怪?
「じゃあ、それ、その耳は……付け耳とかじゃなくて……?」
「失礼ね、ちゃんと自前の耳よ」
「触って確認しても?」
「セ、セクハラ!」
「ええぇ……?」
理不尽な……触らずしてどう確認すればいいんだ……?
「……まぁ、触ったところで本物かどうかなんて分からないだろうし、良いけどさ。でも簡単に信じられるもんでもないぜ? 俺が積み上げてきた常識の中に、そういったオカルト的な生き物は存在しなかったんだから」
「頭が固いのねぇ。もっとすんなり受け入れてくれると思ったけれど」
「受け入れられるのは一部の特殊な人間だけだよ……もっと分かりやすいもので示してくれれば別だけど」
たとえば、一つ目小僧とかのっぺらぼうみたいなビジュアルに定評のある連中が登場してくれたら、こっちも受け入れざるを得ない。もっと妖怪してる妖怪はいないのか?
「分かりやすい……なら、こういうのはどうかしら?」
永琳が手のひらを上に向けて、こちらに腕を伸ばす。それのどこが分かりやすいのか、と問おうとした瞬間。
彼女の手のひらに浮かびように、光の弾がパッと出現した。
目眩がした。
言葉が出ない。
出現した光弾は、淡く光を放ちながら浮かび続けている。吊るされている訳でも、ホログラムでもない。浮かんでいるのだ。
答えが分からない。ただ、それに触れれば、確信出来るような気がして、思わず光弾に手を伸ばした。
「危ないわよ?」
「分かってる」
電球に触れるのだってちょっと危険なんだ。これが安易に触れて良いものじゃないくらい、察することが出来る。
伸ばした手の先が光弾に触れる。
「ッ!?」
痛みが走った。弾かれるような、電流が流れたような衝撃が指先から頭に伝わっていく。同時に、俺の中の常識が崩れる音がして、確信した。
――――――これは、
「…………マジかよ」
「受け入れてくれて何よりだわ」
光弾を消して、永琳は手を元の位置に戻す。出現させるのも消すのも自由自在ってか。どうなってんだ? それ。
「受け入れるしかないだろ、こんなん。ってことは、そこにいるのは妖怪兎で、俺がいるのはマジの妖怪が存在する土地で……嘘だろ、人生で一番の衝撃だ」
科学に染まった現代社会に、まさか妖怪の存在を信じることになろうとは想像だにしなかった。しかし、今し方味わったものは、紛れもなく真実である。……妖怪、妖怪かぁ……。
「……それで、ついでに聞きたいんだが、幻想郷って、どこだ? 俺の知る限り、近所や付近の市町村にそんな地名の土地は無かったはずだ」
「でしょうね。この土地は結界で物理的に隔離されているから、外の世界からは認識されていないはずよ」
妖怪、神々と来て結界と来たか。ますます常識がぶっ壊れていく。こうなったら、壊せるところまで壊した方がいっそ楽なんじゃないか?
そうか、結界か、と頷いていると、一つの疑問が生じた。
「あれ、物理的に隔離されてるんなら、何で俺はここにいるんだ?」
これは俺が目を覚ましてからずっと疑問に思っていたことだった。結界で隔絶した空間ならば、ますます不可解だ。一体誰が俺をここまで連れてきたんだろう。外から認識出来ない世界に、どうやって?
「それは……」
永琳が一瞬言い淀む。
「『神隠し』としか説明しようがないわね」
「神隠し? それってあの、人が忽然と姿を消すっていう。天狗の仕業だと聞いたが、幻想郷には天狗までいるのか」
「幻想郷で言う神隠しと、貴方の言うものは少し違うけれどね。天狗はいるけど、彼らは何もしていないし、こちらは『外の世界から幻想郷に迷い込んでしまう事件の通称』を指すわ。たまにあるのよ、外の世界から人間が入ってくることが。そういう人間は、外来人と呼ばれているわ」
「天狗自体は存在するのか……やっぱ鼻高いのかな……」
「話、聞いてる?」
「聞いてる聞いてる。で、その神隠しはどうして起こるんだ?」
「
なるほどね。
一通り自分の置かれている状況が分かってきた。ここまでの話を要約すると、ここは幻想郷っていう場所で、俺は恐らく八雲って奴の手によって幻想郷に迷い込んでしまった。肝心の神隠しの動機がいまいち不明だが、そこは適当に納得しておくことにしよう。
「おおよそのことは把握した。んで、さっきの……無駄足ってのはどういう意味だ? 騙すつもりが無かった辺り、外来人は二度と外の世界に戻れない……って訳じゃないんだろ?」
「そうね。普通の外来人であれば送り帰せたはず。でも、貴方は違う」
そういえばさっき、特別なケースなんて言ってたな。俺自身に特別な要素は何一つ思い当たらないのだが。
永琳は俺をジッと見つめて、暫し沈黙する。睨まれてもいないのに、身体が硬直する。人から見られるのはあまり好きじゃない。急に何なんだ?
ゆっくりと、彼女の唇が動いた。
「貴方は……普通の人間ではないわ」
頭の中を、疑問符が飛び交った。
どういう意味で言ったのか、特定出来ない。確かに俺はちょっと人とズレた人間だから、その意味では普通の人間ではないのかもしれないけども。しかし、それ以外の面で、普通でないと断ずるような要素は持ち合わせていなかったはずだ。
「……まさか」
否定するつもりで、呟いた。
妖怪だの神々だのを受け入れるのに手間取ったことこそ、俺が普通であることの証左じゃないか? それに、俺は自分自身が、永琳の指すような普通とは異なる人間であると自覚したことは一度も無い。今以前に、オカルトな現象に出会ったことすら無いのだ。
「いいえ、佐倉霜夜。貴方には、私達と同じ幻想となった力を扱う能力がある。そしてそれは、酷く危ういものだわ」
「だから、帰せないと? そんな理由で?」
「世界には秩序というものがあって、貴方の力はそれを揺るがしかねない。単純明快でしょう?」
「いや、けど……大体、何で会ったばかりのあんたにそんなことが分かるんだよ。初対面で俺の何を知ってるんだ?」
「具体的な根拠を示せ、というのは難題ね。私と貴方では視えているものが違うし、それを口にしたところで言葉は言葉でしかないでしょう?」
納得しろと言うには粗雑な説明だ。こっちは今後の人生に直結するってのに。
どのみち、受け入れがたい現実だな。自分に力が眠っているなんて言われると、厨二病の気が騒がなくもないが、だから帰れませんとなると興奮より混乱が先に出てしまう。
「そんなの……」
反論しようとするが、相手の理屈を否定出来ない。確かに、外の世界……というか俺がいた世界に、妖怪や神々、さっきみたいな光弾が、迷信などではなく実在すると知られたら、パニックは間違いないだろう。エセ超能力とは訳が違うのだ。
幻想郷にとっても、そういった事態は避けたいことなのかもしれない。或いは、これらの存在を秘匿しておきたいか……いずれにしても、理由はいくらでも想像出来る。
駄目だ、知らないことが多すぎて……。
「みんなの為に死ねと」
「死ねとまでは言ってないわよ……ただ、外に帰すことは難しいわ。私がここで頷いたとしても、私以外の誰かが必ず貴方を止めに来るでしょうし。最悪監禁だって想定出来るわ」
「冗談だろ……冗談にしてくれよ……」
要するに、お前に選択肢は無いということだ。
今日は本当に訳の分からないことが続く。果てには俺の生活まで脅かされるなんて、疫病神に憑かれたとしか思えないレベルだ。あ、幻想郷に疫病神っているのかな、ははは……。
「それを信じたとして……俺はこれからどうすりゃいいんだよ……」
真っ先に不安になったのは、衣食住の問題だった。勿論、幻想郷に頼る宛なんか無い。金だって、多少は貯めていたが、そのほとんどは銀行に入れたままだ。尤も、あったところで幻想郷で使えるのかどうかって話だが。
俺の人生設計図によると、適当に進学して、適当に就職して、適当に人生を謳歌する予定だったはずだ。それがどうしてこうなった? ホームレス一歩手前なんだが?
食の面でも心配だ。その辺の雑草とか、ムシャムシャ食うことになるのだろうか……うぅ、嫌だ嫌だ。
想像出来る事態に絶望していると、永琳は机の上に手を組んで、思案顔で俺にこう告げた。
「そこで提案なのだけれど……」
「てい、あん?」
「ここで出会ったのも何かの縁。慣れないことも多いでしょうし、しばらくはこの永遠亭で生活する、というのはどうかしら?」
永遠亭とは、この屋敷のことだろう。そりゃあ、棚からぼたもちな提案だ。住居探しに苦労しないで済むだけでも充分ありがたい。
しかし、居候するのにちょっとした負い目というか抵抗があって、返答に迷っていると、俺と同じように話を聞いていた鈴仙が先に声を発した。
「い、いいんですか? 姫様にもまだお話ししていないのに……」
「いいのよ。こういう時の為に、予め承諾は取ってあるもの」
姫様?
頭にカメの帝王に誘拐される桃の姫が浮かぶ。まさかこんな和風な屋敷に金髪ピンクがいるとは思えんが、とにかく姫までいるのか、ここは。どういう屋敷だ?
「だから、後は貴方の返答次第ね」
「…………うーん……」
断る理由は無かった。今の俺は、幻想郷なるワンダーランドに迷い込んだ子羊だ。行く宛も無ければ頼る相手もいない。そして、何とかなる気も一切しない。妖怪の棲まう土地で、俺のような弱者がどうにかやっていけるとでも?
でも、素直に「はい」と答えるのには勇気が必要だった。今まで受動的に生きてきた弊害だろうか。この先どうなるのかさっぱり分からないことに、恐怖を覚える。
「まぁ、どっちか選ぶとなったら……」
生きる為だ。
確率の高い方を、安定した方を選ぼう。
「……ここで生活させて下さい」
「決定ね。ウドンゲ、そういう訳で、色々教えてあげなさい。ここでの暮らしや、常識についてね」
「あっ、はいっ。分かりました」
……ドッと疲労が押し寄せてきた。とっくにぬるくなってしまったお茶を、胃に注ぐ。ふぅ、疲れた。危うく家なき子になるところだったが……運良く回避出来たな。結局俺の人生がどうなっちゃうのかは心配だけど……。
「……そういう訳で、よろしくお願いします」
鈴仙と永琳に頭を下げる。
極力人間関係なんて築きたくなかったが、この期に及んでそんなことは言ってられない。これから世話になる身だ。出来るだけ媚び売っとこう……。
頭を上げようとすると、不意に奥の襖が、ゆっくりと開いていくのが見えた。誰かいるのか? とそちらに目をやると、そこから現れたのは――――――――。
「……永琳? 誰か来ているの?」
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第四話 逃げられないなと察した
まず、絶句した。
長く伸びた黒髪が、作り物のように艷やかでありながら、極めて自然に俺の目を引く。少女のあどけなさと、女性の艶めかしさを両立させた目鼻立ちに視線が向かう。普段、美人に対して特別にものを抱くことなど無かったが、今は違った。整いすぎている、それこそ次元の違う美貌を目の前にした気分だった。
たとえ俺が女性であったとしても、同じ反応をしただろう。正直、見惚れてしまいそうだった。俺が異性に飢えていなくて良かったな、と密かに安堵する。
「って、あら、あらあら」
彼女の双眸が俺を捉えた。背中が固まる。もしかしなくとも、鈴仙の言っていた姫とは彼女のことだろう。違うとしたら、その姫は今すぐ彼女に姫の座を明け渡すべきだ。
ゆっくりと近付かれて、興味津々に、顔を覗かれる。近い。互いの息が交わりそうな程に。咄嗟のことに、思考がパンクしそうになった。なに? なんなの? 距離感ってものを知らないのかこいつは!?
「ふぅん」
そう呟いて、顔を離す。
……変に疲れた。もう少し、自分の容姿を正しく認識した上で人と接触して頂きたい。お陰で寿命が三十年くらい縮んだ気がする。
「
永琳が軽く
「そうね、ちょっと馴れ馴れしくしすぎたわ。ごめんなさいね」
「いや、別に構いませんけど……」
謝られても困る。どう対応すれば良いんだ?
輝夜と呼ばれた少女は、少し楽しそうな様子で俺に訊ねる。
「それはともかく貴方、外から迷い込んできた人間ね? 私は
「あっ、俺は佐倉霜夜って言います……外来人らしいです……」
姫だとは確信していたが、主の方だったか。いや、主で姫なのか? まぁ、敬っておこう。うっかり逆鱗に触れて追い出されないよう、細心の注意を払わないとな。
「そう、よろしくね、霜夜」
「あっ、よろしくお願いします、輝夜さん……輝夜様?」
「……そんな卑屈にならなくてもいいのよ? 輝夜で良いわ、仲良くしましょう?」
「いやでも……ええと」
視線を横にずらした。いつ俺の汚い口調が飛び出すかと考えると、会話もままならない。いっそお口チャックして黙ったほうが良いのではないだろうか……その方が皆、心穏やかでいられる気がする。
彼女達の容姿を見て、ふと思う。
「……俺、ここにいて良いのかな」
輝夜がずば抜けて美人なのは言うまでもないことだが、鈴仙も永琳も、一般的に見れば美人の部類に入る。普段、テレビで見かけるアイドルや女優に劣らず、というか、それ以上かもしれない。
対して、俺は? よく女っぽい顔をしていると言われること以外には、特に目立って悪いところは無いと信じたいが……彼女達の隣に並んで見劣りしないかと言うと……見劣りしまくりだ。とてつもなく不相応な空間にいるような気がしてならない。
そんな俺の不安を感じ取ったのか、永琳が俺に言う。
「色々と心配なのも、恐れているのも分かるけど、もっと気を楽にしても大丈夫よ? 別に、生活基盤を脅しに貴方をいいように使おうっていうのじゃないから」
「あら、ということは、ここに住むのかしら?」
「えぇ、まぁ……そういう話になったんですけど……」
面白いことになった、と言わんばかりに目を輝かせる輝夜。何がそんなに面白いんだろう。自分の家に変な男が住むっていうのに。俺が輝夜の立場だったら全力で拒否ってる。
「でも、本当に良いんすか? ……こんな男を住ませて」
「良いからそういう話になったのでしょう? 私は一向に構わないわ。だから、もっと普段通りの口調で接しなさい。これから一緒に生活するのだから、仲良くならないとね」
「はぁ……努力します」
この人は俺に何を求めているのだろうか。初めて父親以外の男を見た系のお嬢様のように、結構積極的に接してくるから
「ともかく……これからお世話になります。鈴仙、永琳…………輝夜、さん」
「どうして私だけさん付けなのよ、家主命令よ、仲間外れはやめなさい」
「たかがさん付けにそこまでするのか……? っと、まぁ……そう、だな。輝夜もよろしく頼むよ」
仕方なく(そろそろ俺の比較的真面目口調モードが限界に達しそうだったのもあり)呼び捨てで呼んだ。異性を名前で呼ぶこと自体には、さして抵抗も違和感も無かったが、家主を呼び捨てにするのは精神的にきついものがある。ちょっと吐きそうだ。
「よろしくね、霜夜」
そんな俺とは対象的に、輝夜はにんまりと微笑む。
俺が惚れっぽい人間でなくて良かったと心底思う。尤も、誰かに恋愛感情を抱いたことなど一度も無いが……。
思わぬ形で家主への挨拶を済ませると、永琳がパンと手を叩いて、注目を集めた。
「ある程度は話も纏まったところだし、ここで一旦お開きにしましょう。輝夜にはまだ説明していないことがあるから、ここに残って頂戴。ウドンゲは、丁度良いし霜夜を連れて里に薬を売りに行ってもらえるかしら」
里。どうやら近くに里があるらしい。幻想「郷」と言っているんだから、そりゃ里の一つや二つあって然るべしだが。故郷をふるさとと読むしね。
やっぱり、住んでいるのは妖怪だけみたいな恐ろしい里なのだろうか。
別に怖いとかじゃなくてね?
「分かりました。じゃあ霜夜、また外で待っててくれる? 準備してくるから」
「ん、分かった」
そう言って、鈴仙はぱたぱたと歩いて、部屋をあとにした。
俺もさっさと出るか……と、立ち上がろうとすると。
「霜夜」
輝夜が俺を呼び止める。
「なん……何ですか?」
「だから、もっと砕けた口調で話してほしいのだけれど。距離を感じるわ」
実際距離があるんだよ! 初対面だぞ!? しかもほとんど人と会話しない俺だぞ!? この距離をどうやって埋めろと言うんだ?
「いや、その、初対面の女性に失礼を働きたくないので……」
「でも貴方、さっきウドンゲに変なこと言ってたじゃない」
永琳ぅぅぅ!! 何でそういうこと言っちゃうかなぁぁぁぁ!?
それを聞いて、輝夜はあからさまに不機嫌な表情を見せた。あーあ、むくれてる。
「ふーん、鈴仙とは仲良くするのに、私とは仲良くしないんだ」
「そういうんじゃなくて……ほら世話になるところの家主に変なこと言っちゃ、まずいでしょう? 俺って喋るとロクなこと言わないから、出来るだけ他人を不快にしないように、ですね」
「遠慮される方が私は嫌ね。別にちょっとしたことで怒ったりしないわよ。何ならもう一度言っておきましょうか? ……仲良くしましょう?」
俺はこの瞬間、あぁ、これは逃げられないなと察した。無難な関係で済ましたかったが、そうは行かせてもらえないらしい。厄介な姫だ、そこまでしてどうして俺と関わりたがるのか……。
いやまぁ、仕方無い。ここまで言われちゃ普通に接するしかないだろう。諦めの境地だ。
「……分かったよ、でも、俺はそんな面白い話も出来ないぞ?」
「いいのよ、適当に話し相手にでもなってくれれば」
「それでいいならいいけど。じゃあ、言われた通り、鈴仙に里に連れてってもらうから、そういうことで」
一段落ついたところで、外に向かって歩き出そうとして。
「あ、待って、さっき言おうとしていたことを忘れていたわ」
「って、何だよっ」
今いい感じに話を終えられたと思ったんだがな。
「困ったことがあったら、いつでも頼ってくれていいわよ。遠慮なんかせずにね」
どんな言葉が飛び出してくるかと身構えていたが、存外優しい言葉が出てきた。
どうして俺なんかに優しくするんだろう。美人は見た目だけじゃなくて性格も良いのか? 姫と呼ばれていたし、性格も上流であっても何らおかしくはないが。
「まさに今頼ってる訳だし、今後もしばらくは頼りがちになるだろうが……まぁ、助かるよ。ありがとうございます」
そう軽く返事をして、俺は部屋を出た。
……とりあえず、今は言われたことをしないとな。ええっと、出口はどっちだっけか。
★★★
再び手頃な竹に寄りかかって時間を潰していると、衣装を変えた鈴仙が姿を現した。
紫を基調にした着物に笠を被り、背中にはやたらでかいつづらを担いでいる。本当にでけぇ、よくそんなもん持てるな。俺より力あるんじゃないか?
「その格好は?」
気になったので、一応訊ねておく。さっきの服でも別に良かったと思うが。
「変装よ。妖怪だってバレたら大変だからね」
「……変装? もしかして、今から行くところって妖怪の里じゃないのか?」
「違うわよ、人間の里」
妖怪とか神々が住まう土地だって聞いていたから、てっきり人間はいないんじゃないかと勘違いしていたが、そうじゃないらしい。
「里は安全ってことになっているからね。妖怪が入り込んだなんて知られたら大騒ぎだわ。この薬だって、買ってる人達は作っているのが人間じゃないことを知らないはずよ」
「なーんか、複雑な事情があるっぽいな。人間と妖怪の関係について、一度訊いておくべきか……」
「そうねぇ、特に永遠亭で生活するんだったら知っておくべきかも。もしかしたら私の代わりに薬を売りに行くこともあるかもしれないし」
うげ、バイトもしたこと無いのに、薬売りなんて出来るかな。そもそも薬の知識すらほとんど持ってないし。商品名だけなら多少は答えられるが、
「ところで、人間の里だっけ? そこはどんなところなんだ?」
「どんなところと訊かれても……人間が住んでること以外に何かあるかしら?」
「つまり田舎か。その感じじゃ遊ぶところも少なそうだな」
結界で隔離されてる土地だって言ってたから、近代的なものには一切期待出来ないだろうな。ゲーセンとか、コンビニみたいな
「行ってみれば分かるわよ。さ、行きましょ」
恐らく里がある方向に向かっていく鈴仙を追いかける。女にこんな重そうな荷物を持たせたままでいるのはどうなんだ、と一瞬自己嫌悪に走りかけたが、妖怪だし俺より腕力があるに違いないと思い込むことによって事なきを得た。
そういえば、これでようやく竹林から抜けられるのか。実際にはまだ午後にもなっちゃいないだろうが、ここまで来るのに随分と長い時間を過ごしたように感じる。きっと精神的な疲労のせいだろう。致し方ない、俺の人生は今日、かんっぺきにおかしくなってしまったのだから。
これからしばらくは慌ただしい日々に難儀させられるに違いない。苦痛を誤魔化すために、楽しみでも見つけられたら良いんだけどな。何かないもんかね。
「里、ね……」
しょうがない、ちょっと楽しみにしながら向かうとするか。
ようやく竹林を抜けられます。
よければ、感想・評価などもらえると嬉しいです。
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第五話 ここは日本のどこなんだか……
鈴仙を頼りに、竹林を進む。どこを、いつ見ても、似たような景色が続いていて、ふと背後を見ても、自分が本当にそっちの方から歩いてきたのか不安になる。
「遭難しそうだな、迷路かこの竹林は……」
「迷いの竹林なんて呼ばれてるくらいだし、実際遭難する人は結構いるわね。何だかんだ外に出られるケースも多いけど」
「それは良かった。ここで骨になるのは嫌だからな」
どうせ骨になるんだったら、ネカフェにでも置いてもらいたい。万が一幽霊になったとしてもネットで時間を潰せるからな。物に触れられる前提だが。
「鈴仙は迷わないのか?」
「迷ってたら案内なんて出来ないわよ。地理を熟知してる訳ではないけれど、里と永遠亭の行き来くらいは問題無いわ」
「まぁ、そうか……」
しかしどこまで続くんだろう、この竹林は。まさか東京ドーム何個分みたいな、広大な竹の群生地だったりしないよな? それこそ森や山並の広さだったりしたら、体力が足りる自信が無い。人並みのスタミナは有しているはずだが、何時間も歩き詰めに歩けるほど鍛えられちゃいないからな。というか、鍛えたことなんて一度も無い。
「ところで、里にはあとどれくらいの時間で着くんだ?」
「大体
「半刻って言うと……一時間か。許容範囲っちゃ許容範囲だけど、足が痛くなる距離だな。あの屋敷はどうしてそんな人里離れた不便なところに……って、妖怪が里にいるのはまずいんだっけ? だったら奥地でもおかしくはないか」
「そうは言っても、永遠亭に――あぁ、お師匠様は医者もやっているんだけど――患者として人間が訪れることなんて珍しいことじゃないわ。評判も良いしね」
さっき、里の人間は薬の製作者が人間じゃないことを知らないと言っていたな。素性を隠して互いに利益を得ている訳か。やっぱり、どこかでちゃんと事情を訊いておかないといけないな。
「奥地にあるのは、また別の理由。昔は隠れ住む必要があったからね」
「姫様なんて呼ばれてたくらいだしなぁ。俺には想像もつかないような深い事情があるんだろう」
偉い貴族の末裔とか? そもそも、彼女達はどうして幻想郷に住んでいるんだ? うーん、ミステリーだ。世の中は謎で満ちていることを実感する。
なんて、暇潰しにちょっとした雑談を交わしながら歩いていると、向こう側の影の数が少なくなっていることに気付いた。目を凝らすと、竹と竹の隙間から、竹林でない風景が覗けた。
「やっと竹林から出られるのか……広かった……」
「里までは、もうちょっとかかるけどね」
それでも、ようやく竹林以外の環境に出られるのだから、嬉しいことには変わりない。脱出出来たところで家に帰れないとは言え。う、気が重くなってきた。
竹林を抜け、黄土色の道に出る。
「この道を真っ直ぐ行けば里ね」
そう言いながら、鈴仙が笠を被り直して、長い髪と耳を上手く中に隠す。
里の近くまで来たから、気を引き締めたのだろう。
「ねぇ、ちゃんと隠せてるかしら?」
「器用に仕舞うな……ぱっと見た感じ、隠せてるぞ。ちょっと耳がはみ出てるような気もするが、気のせいだな」
「そ、ならいいわ」
空を眺めながら、里を目指す。竹林の中は、光を遮るものが多くて薄暗かったから気が付かなかったが、太陽が出ていたらしい。俺が家を出た頃は曇っていたはずだ。いや、そもそも場所が違うからか? ここは日本のどこなんだか……。
「そういや、薬を売ると聞いたが、薬局にでも売りに行くのか?」
「移動販売よ。置き薬もやっているから、そっちの補充もあるわね。他には……鼠の被害が多かった時には鼠除けを売ったりしたわ」
「鼠除け? きびだんご、もといホウ酸団子でも作ったのか?」
薬売りが鼠除けねぇ。似合わないというか、畑違いな気もするが、薬の知識を応用すればそういうのも作れるのかね。
「そんな原始的な代物じゃないわ。月光で発電して、鼠の嫌がる超音波を発する優れものよ。実際に効果も認められたしね」
「月光で発電って……月程度の光で充分な電気が作れるのか? 太陽光発電ならよく見聞きするが」
「作れるのよ。月の科学をもってすればね」
科学の力ってすげー! とでも考えておこう。俺みたいなパンピーには、そんな最新鋭の技術はよく分からん。熱心にそういうニュースを調べていたことも無いしな。まぁ、科学番組くらいはたまに観ていたけど。
「って、月?」
鈴仙の言葉を飲み込もうとした瞬間、喉にソレが引っ掛かった。
「それは……月光を利用しているという意味か?」
「そのままの意味よ。月の科学力は地上とは比べものにならないから、霜夜の常識じゃ理解出来ないかもね」
「いや待て、違うところで理解出来ない。その……月ってのは、あの、地球の衛星のことを指してる、のか?」
「指してるわ。私はそこに住んでいたのよ」
あらゆる感情が神経を走った。馬鹿げてる。そんなふざけた話も、それを真実として受け入れようとしてる自分自身も。
月に兎、ぴったりだ。昔から月で餅を
勿論、実際は月に兎などいない、という上での話だったが。
「勿論、幻想郷と同じく、普通は外の世界からは見つけられないけどね」
「じゃあ、俺が何も考えずに月を眺めてた時も、そこに兎が住んでたってことかよ。……どうなってんだ、この世界は。幻想郷だけが特別なんじゃなかったのか、俺が住んでた世界にも、知らないだけで……」
頭が痛くなりそうだ。
俺が知らないだけで、世界は迷信とされてきたもので満たされてきたのだろう。もしかしたら、近所に妖怪が住んでいた可能性だって無いとは言えない。神社に神様もいたかもしれない。
「……考え方が百八十度変わっちゃうなぁ……」
「外来人には、そのくらい変わるくらいが良いんじゃない? 全く違う生活を始めるんだし」
「まぁなぁ……」
どのみち、そうなるしかないんだろう。
自分が自分でなくなりそうで、少し恐ろしいが。
★★★
歩きすぎで足の疲れが鈍くなったのを感じていると、ようやく里と思しき場所に到着した。内外を分かつ和風の大きな門が見える。そこを潜った先に里があるのだろう。
門を通り抜け、里に入る。
「うお……これは……」
思わず声が漏れた。
里と聞いていたから、現代のようなマンションだとかビルがあるとは思っちゃいなかったが……眼前に広がる街並みに、タイムスリップしたかのような錯覚を覚えた。
辺りを見渡すと、江戸や明治に建てられたような、木造の背の低い建物が
「今は何時代だったかな」
「
「ん、分かった。置いていくなよ?」
「里に不法投棄なんかしたら怒られちゃうじゃない。しないわよ」
俺は要らなくなったゴミか何かか?
鈴仙の隣で、キョロキョロと建物の雰囲気や里の住民の様子を窺う。住民の服装は、建造物と同じく江戸や明治によく着られていそうな和装が目立つ。彼らの会話に耳を
それはそうと、すれ違った後に俺を気にする奴の多いこと。やっぱ目立つんだろうな。格好からして不自然だし、観光客のように首をあっちこっちに回している様も不自然に映ったのかも。……もっと大人しくしておこうか?
己の振る舞いについて省みていると、鈴仙が不意に立ち止まった。
「っと、流石にあんたは外で待ってた方がいいかしらね。いちいちお客さんに余計な説明をするのも大変だし」
「建物の中に入るのか? いるだけ邪魔だろうし、外でぼんやりしてるよ」
「声をかけられても、変なのについていっちゃ駄目よ?」
「ガキじゃないんだから……」
俺に親みたいな注意をして、鈴仙はすぐ近くの民家に入っていく。
することも無いし、スマホでも弄って時間を潰すか……相変わらずの圏外表示だが、通信を必要としないアプリくらいだったら使えるだろ。充電もまだ余裕あるし。
って、今気付いたが、充電切れたらどうするんだこれ? 充電器もモバイルバッテリーも持ってないし、
…………まぁいいや、ゲームしよ。
切れたらその時はその時だろ。どうせいつかは尽きるんだし、だったら有効に活用すべきだよな、うん。
ダウンロードしてあった暇潰しアプリを起動して、しばらくそれに熱中していると、鈴仙が戻ってきた。
「……何してるの?」
「スマホで遊んでた。電波が届いてないから、出来ることは限られてるけどな」
「あぁ、外の世界の機械ね。ここじゃかなり珍しいから、そんなもの持ってると目立つわよ?」
俺としては非常に好ましくないんだけど、今更なんだよね、それ。もう開き直っちゃったよ。
そんな感じで、鈴仙が仕事を果たしているところを呑気に眺めながら、里を動き回る。置き薬を利用しているお宅は結構多いらしく、かなりの数の民家を訪問した。何十軒も家を回るって言うのに、よくあんな巨大なつづらを担いでられるな、と感心する。
移動途中、里の住民から薬を求められることもあった。その時にちらっと見たのだが、どうやら幻想郷では、俺の知らない硬貨が流通しているらしい。つまり、折角貯金した小遣いはここでは使えないということである。……俺の一万円札がただの紙切れになっちまったんだが?
心の中で涙を流していると、鈴仙がちらりと太陽に視線を向けてから、俺に言った。
「そろそろお昼頃ね。折角だし、どこかで食べてく?」
「一応言っておくけど、金なら無いぞ」
「そのくらい出すわよ。気にするようなら、いつか返してくれれば良いわ」
太っ腹だな。俺なら絶対に人に食事なんて奢らないというのに。
「じゃあお言葉に甘えて」
「蕎麦で良い? すぐ近くに良い店があるのよ」
蕎麦はそれなりに好きだ。毎年大晦日には、グリーンのたぬきで年越し蕎麦を味わっていたしな。一人で。
でも、俺の口に合うかどうかが心配だな。別にグルメという訳ではないんだが、普段食べていたものが、大体カップ麺だったりコンビニ飯だったり、健康に仇なす系統のものだったから、こういう田舎の料理を舌が受け付けない可能性がある。よく、郷土料理という名のゲテモノ飯を聞くしね。流石にそこまでのものは滅多に出ないと思うが。
とは言え、まさか蕎麦がクソ不味いなんてことはないだろう。良い店と言っているし、大ハズレじゃないことは間違いない。
ま、そこそこの味は期待しておくか。
「あっ、美味い! 滅茶苦茶美味いぞ、この蕎麦!」
「そんな大袈裟に蕎麦食べる人、初めて見たわ……」
……今まで食べた蕎麦の中で一番美味かった。ごめん、疑って。
執筆中に、ホウ酸団子についてGoogleで検索したのですが、そしたら、YouTubeの広告欄に、ゴキb……の関連商品が大量に表示されるようになりました。閲覧注意モノです。どこにキレればいいんでしょう、これ?
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第六話 ただいまで良いんだよな?
「ただいま戻りました」
「やっと戻ってきた……歩きすぎて足がパンパンのパンパンマンだ……」
三ツ星レベルに美味い蕎麦を昼食に頂いた後、俺は午前中と同じく鈴仙の仕事について回った。その内容については、これと言って特筆すべきことは無いな。強いて言うなら、待っている間にスマホのバッテリー残量が七十%になったことくらいだろう。
日が傾き始めると、里の様子が仕事終わりムードになってきて、便乗するように俺達も帰ることになった。どうせ里まで来たんだからと、帰り際に鈴仙が甘味処で団子を奢ってくれたのだが、これもまた美味かった。俺の舌は無事幻想郷の食文化に馴染んでくれたようである。
で、行きはよいよい帰りは怖い……なんてことは無く、来た時と同じく半刻ほどかけて永遠亭まで戻ってきた訳なんだが。
「おかえりー鈴仙」
……玄関に見知らぬウサミミ少女がいた。
背丈は子供くらいで、頭にはふわふわのウサミミを生やしている。鈴仙の耳をネザーランド・ドワーフに喩えるならば、こちらはホーランドロップだろうか? そういえば、鈴仙は月の兎って言ってたっけ? どちらも同じウサミミだが、種類が違ったりするのだろうか。
「あっ、てゐ! どこ行ってたのよ」
「鈴仙が出掛けた後はずっとここにいたよ。お師匠様に呼ばれてね」
どうやら、ここの住民の一人(一匹?)らしい。外見から察するに、この子も妖怪なのだろう。
てゐと呼ばれた少女が、俺の顔を興味深そうに眺めてくる。ジッと見つめるほど面白い顔はしていないはずだが。……してないよな?
「あんたがお師匠様の言ってた人間? ふーん、へぇ、ほぉ」
「多分そうだろうな……俺は佐倉霜夜、今日からここに住まわせてもらうことになった。よろしく頼むよ」
「ん、私は
……自称所有者っぽいなぁ、何となくだけど。見た目はちっこいが、腹に一物ありそうな雰囲気がする。
「で、こんなところで何してたのよ」
「ちょっとそいつの顔が見てみたくて。ほら、こんなことって珍しいじゃん? どんな奴なんかなーって」
「こんな奴だよ。もっと面白い見た目の方が良かったか? 福助みたいな」
「そんな顔の奴は毎日見たくないかな……でも、もうちょっと幼くて背が低い方が良かったわね。それなら女装とか着せ替えとかさせて遊べたわー」
「お、恐ろしいこと言うなよ……」
ナントカちゃん人形じゃあるまいし。つーか、女装て。尊厳を破壊する気かこいつは?
「用事はそれだけ。それじゃ後でね」
自分が平均身長くらいの高校生で良かったと心底安堵していると、てゐはぴょんぴょん跳ねるように屋敷の奥へと消えていった。本当に用事はそれだけだったようだ。
おっかない幼女だった。奴には極力隙を見せないようにしとこう。
しかし、もうそろそろ夜か。結局学校はサボったままになってしまったな。もう行くことは無いんだろうけど。……そういや、俺って外の世界でどうなってるんだろう? まだ神隠しに遭って一日も経っていないから、そこまでの騒ぎにはなっていないだろうが、事件化した時のことを考えると憂鬱になるな。最悪、顔写真付きでニュースになったりするかもしれん。
一番の懸念は母親だ。あの人は俺に愛情の欠片も抱いちゃいないし、俺もあの人に対して家族らしい感情を向けていないから、ホームシック的な問題は回避出来ているのだが……あの人、プライド高いしコンプレックス押し付けてくるヤバい人格してるんだよなぁ。俺というストレスの矛先を失ったアレが、どんな暴れ方をするか……考えたくねぇや。あっちで何が起ころうと今の俺には関係無いことだし、気にしないでおこう、うん。
……ドライだなぁ、俺。
神隠しに遭ったことを不幸に思うべきか、神隠しに遭ったところで嘆くポイントの無いクソみたいな人生を送っていたことを幸運に思うべきか、悩ましい。家族との縁も半ば強引に切ることが出来たし、どっちに考えるべきなんだろうね。
「あら、おかえりなさい」
自嘲気味に現状を振り返っていると、ひょこっと輝夜が姿を現した。
「ただいま戻りました、輝夜様」
「ただいま……ただいまで良いんだよな?」
「合ってるわよ。おかえり、鈴仙、霜夜」
今日から帰る度にこれを言うことになるのかとむず痒さを感じながら、返事をする。赤の他人に言うには気恥ずかしい挨拶だ。「ただいま」なんて何年も口にしてなかったし。
「貴方達が出て行った後、今後について永琳と話し合ったわ。永琳から貴方が普通の人間でないことは知らされているでしょう? それに関しても、ちゃんとした知識を身に付けさせておくべき、とかね」
「あぁ……そんな話してたっけ。自覚出来るようなポイントが無いから実感全く無いけど」
何なら半分くらい忘れてた。
改めて我が身について振り返ってみるが、やはり超能力や魔法なんてものと関わった経験は無いし、思い出せば思い出すほど俺がいかに平凡であるか思い知らされる。
本当に俺にそんな力があるのだろうか……今更騙されてるなんて考えられんが……。
「力には『目覚め』というものがあるのよ。貴方にはまだそれが訪れていないだけ……って、いけない。その話はお夕飯の時にする予定だったわ」
「『目覚め』ねぇ……結構興味あるし、夕飯の時間に期待しておくよ」
状況が状況だから素直に興奮出来ないでいたが、あれから何時間も経過して落ち着いてきたのか、ちょっとだけワクワクしてきた。昔と比べるとかなり性格が歪んでいるとはいえ、今でも空想の世界に憧れる少年の心が残っていたらしい。
昔懐かしい箒に跨り悠々と空を翔る魔女の姿を思い浮かべていると、タイミングを探っているような声で鈴仙が言った。
「それじゃあ、私は荷物を片してきますね。失礼します」
タッタっとその場を離れる鈴仙を見送る。またブレザーに着替えてくるのだろう。……着替えで思い出したが、俺って今、この制服一着しか持ってないんだよなぁ。その辺も後で家主達に相談しないと。こんな女ばっかの屋敷で、着た切り雀になるのはまずいだろう。俺だって異性に不潔と指をさされれば精神にダメージが入るのだ。
「んじゃ俺も…………俺は何すれば良いんだ……?」
鈴仙に便乗して立ち去ろうとして、この後の予定がまっさらだったことに気付く。里から帰った後のことは決めてなかったんだったな。
「お夕飯まで時間があるし、私と遊びましょうか? 将棋とか囲碁とか色々あるわよ?」
「将棋も囲碁もルール知らないけど、いいのか?」
「ということは私が先生ね。みっちり指導してあげるわ」
体育会系かよ。俺は専ら文化系だから、優しくしてもらわないと拗ねるぞ?
にしても、将棋に囲碁か。どっちも俺とは縁の無いゲームだ。オセロみたいな簡単なルールだったら覚えやすいんだが、そうじゃないから縁が無いんだよな。
「お手柔らかにな」
「ふふん、教える側に立つのは新鮮だわ。いつもされる側だもの」
★★★
……という訳で、輝夜の部屋にお邪魔して将棋をすることになったのだが。
「詰みよ」
「っああ、無理無理無理! どうやって勝つんだこれ!?」
案の定、惨敗。盤上では、手加減の「て」の字も無い蹂躙が繰り広げられていた。
駒の動かし方やルールを教えてもらったは良いが、まるで勝てる気がしない。勝てると思った数手先には詰まされている。今なら、サンドバッグの気持ちがよく分かる。
「ふふふ、熟練者相手にしては頑張ってる方ね」
「熟練者が初心者ボコすなよ……弱い者イジメは犯罪なんだが?」
「手加減はしてるわよ。一応」
「加減が足りてないな、それは……。なぁ、ハンデとしてそっちは手を使うの禁止にしないか? ついでに足も禁止にしよう」
「どうやって駒を動かすのよ。舌でも使わせるつもり? いやらしい……」
「そうじゃなくて!」
勝手な妄想で俺を変態扱いするなよ!?
「それはそうと、初めてやったにしては中々良いじゃない。飲み込みも早いし、あと数十年も練習すれば私と良い勝負が出来るようになるかもしれないわ」
「一生勝てないって意味だろそれ……」
「さて、どうかしらね」
クスクスと笑う輝夜。
その笑みには、永遠かかっても勝てる気がしない。
「負け続けで疲れたでしょう? 休憩しましょうか?」
「是非そうさせてくれ。普段使ってない脳味噌を酷使したせいで、ちょっと疲れた」
息を吐きながら、伸びをした。今日は神隠しに遭ったせいで、信じられない話を受け入れさせられたし、里とその道中で普段の何倍も歩いたし、本当に疲れた。だいぶ疲弊したし、時間的にも、もう現実逃避がてら泥のように眠りたいところだ。あぁ、でも、夕飯の時に何か話すって言ってたな……うへぇ。
「そういえば、里に行ってたのよね。どうだった?」
疲れた様子を見てか、輝夜がそんなことを訊いてきた。
「どう、ってなぁ。俺の住んでたところと比べると、昔っていうか……一瞬タイムスリップでもしたんじゃないかって思ったよ。でも鈴仙に連れて行ってもらった蕎麦屋と甘味処の食べ物は美味かったな。飯が美味いのはいいことだ」
「楽しんできたのね、私を置いといて」
「何で不満そうなんだよ。ま、その分疲れたがな。遠かったし、人も多かったし」
終始里の住民から変な目で見られたし。
「一番驚いたのは道中でのことだが……鈴仙って月に住んでたんだってな。月に兎が住んでるなんて、正直今日一番の驚きだったかもしれん」
「へぇ……ちなみに、私や永琳も元々月にいたのよ? どう? 驚いた?」
「月の兎の後に聞いちゃインパクトに薄れちまうな」
「む、嘘でも驚きなさいよ。つまんないわ」
頬を膨らまされても驚けねえよ。リアクション芸人になるつもりは毛頭ない。
驚きと言えば驚きだけどな。月の兎に、月の民か。鈴仙が妖怪なのだから、この二人もきっと何らかの特殊な人間なのだろうと踏んでいたが、本当に特殊な人達らしい。
衝撃! 月には実は人や兎が住んでいた!ってね。最後に人類が月に足を着けたのは、何十年前のことだったか。どうせこんな世界に来てしまったのだ、いつか月に行けることも期待していいかもしれないな。丁度、目の前に元住民がいるんだし。
「どっちかって言うと、月から降りてきたお姫様と将棋してる自分の方に驚きだよ。人生何があるか分からな…………ん、月の……?」
喋っている最中に、ある三つのキーワードが繋がった。
月。
お姫様。
そして、輝夜。
聞き覚えがある。
授業でやった覚えがある。
なよ竹のかぐや姫……竹取物語だ。
いや、確かあの話は、かぐや姫が月に帰って終わったはずで、お伽話だ。ノンフィクションじゃない。そう咄嗟に否定するが、即座に、俺にとっての現実が既に変貌してしまっていることを思い出す。
ということは?
「……なぁ、輝夜。もしかして、昔複数の男に求婚されて、断る為に無理な難題を出したことがあったりしないか? 蓬莱の玉の枝がどうのこうの……」
「急に随分懐かしい話をするじゃない。えぇ、あるわよ。千年くらい前だったかしら」
マジだ。
マジで言ってるのか、この姫。
マジだから言ってるんだろうけども!
「前言撤回。今日一番驚いた……ええ……かぐや姫って実在するのか……マジか……」
「面白いくらい驚いた顔するわね。でも、お伽話になってるくらいだし、それくらい驚くのが普通かしら?」
「俺じゃなかったら大騒ぎしてるところだよ……かぐや姫とご対面なんて。文学者だったら半狂乱で喜ぶんじゃないか?」
しかし、彼女が
ていうか、一体何歳なんだよ。お婆ちゃんとかいう次元を超越した年齢じゃないか?
「失礼なこと考えてない?」
「いえ、全く」
「そう、良かったわ。もしそうだったら、どんな罰を与えていたことやら」
おい、輝夜に求婚した五人の貴公子! お前が結婚しようとしたこいつ、案外やばい奴かもしれない! 一瞬殺意がオーラになって見えたんだが!?
「それはさておき、何だかんだ馴染んでくれそうで安心したわ。鈴仙ともちょっとは打ち解けたようだし。あの子、結構警戒心強いから心配だったのよ」
「そうか……? まだ互いに距離あると思うけど」
「そうよ。昼間より空気が柔らかくなってるわ」
空気の硬さなんて俺には感じ取れないが、主人が言うんだからきっとそうなんだろう。嫌われてないなら良いんだが。
「あとは私とも充分に打ち解ければ完璧ね。……ということで、さぁ、再開するわよ。引き続き将棋か、別のゲームか、好きな方を選ばせてあげるわ」
……その後、鈴仙が夕飯が出来たのを知らせに来るまで、輝夜と五目並べで対戦し続けた。
ギリギリ半分は勝てた。
今度から輝夜とは五目並べで戦おう。サンドバッグにされた恨みが返せそうだし。
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第七話 まぁ、頑張っていこう
「特訓?」
夕飯を頂きながら、俺は永琳の言葉をオウムのように繰り返した。
面子は永琳、輝夜、鈴仙、てゐの四人だ。鈴仙やてゐ以外にも妖怪兎がいるらしいが、そいつらは別で勝手に何か食べたりしているそうだ。最初にここに来た時、兎を見かけた覚えがある。あれも妖怪だったのかもしれんな。今度見かけたら、確認しておくか。
それはそうと、永琳の話である。輝夜から既に聞いている通り、俺の今後についてのお話だ。
「えぇ、特訓よ。最低でも、中級の妖怪と対峙出来るくらいの力は身に付けてもらうわ」
「妖怪と対峙て。力ってのは昼間に見せてもらった
対峙と言うくらいなんだから、勝たなきゃ駄目だろう。実際妖怪がどれくらい強大なのかは知らないが、生半可な能力じゃ
「ただの人間でないのは間違いないのだから、時間をかければ確実に身に付くでしょう。それが明日なのか、一ヶ月後なのか、来年なのかは断言出来ないけど……強くなる素質は充分にあるわ。安心しなさい」
「先の長い話だな。まぁあんなオカルトな力、一朝一夕で扱えるようになるとも思えないけど」
手品にような、手先の器用さの延長線上にあるものとは違うのだし。それ以前に、俺が親しんできた物理的な次元の話ですら無い気がする。何かこう、霊的というか、スピリチュアルというか。
「そこは才能が問われるところね。期待してるわ」
「……ご期待に添えるよう努力致します」
プレッシャーを与えんな、プレッシャーを。こちとら昨日まで普通に高校生やってたんだぞ?
若干気持ちにウェイトがかかるのを感じながら、焼き魚を口に運ぶ。うん、美味い。星三つ!
「んぐ……っていうか、その、何だっけ? 幻想になった力だったか。それって何なんだ?」
口に入れたものを、喉をごくりと鳴らしながら飲み込んで、永琳に訊ねる。頭に思い浮かぶのは勿論あの光弾だが、まずあれが一体どういった物体なのか教えてもらいたい。ゆくゆくは俺もそれを扱うことになるのだから、理解を深めなければなるまい。
「
「霊力?」
「人間などの生物、自然が生み出す霊的なエネルギー。他の一般的なエネルギーと異なる点としては、思念によって操作可能で、濃度が濃いこと、そして他より遥かに少ない労力で生み出せることが挙げられるわ」
「んー…………」
ええっと、要するにゲームで言うマジックポイント的なものと捉えていいんだよな? 思念によって操作可能っていうのは、光弾のように自由に出現させ制御出来る、ということだろうか。
科学の授業を受けている時の億劫な感じが漂ってきた。ちょっと眠気が……。
「霊力は通常ほとんどの人間が持っているわ。ただし、身体の外側に放出したり操作したり出来るのは、ほんの一握りの者のみ。そもそものキャパシティが小さすぎて、実用段階に持っていくどころか、霊力を認識することさえ困難な人が大半というのが実情ね」
「その一握りって言うのが、どれだけ少ないパーセンテージを指してるのかはともかく……俺も認識出来ない内の一人なんだが、大丈夫なのか?」
「外の世界で生まれ育ったのだから、霊力の存在に気付けなくてもおかしくはないわ。特に外の世界では、こういった力の存在は感じ取りにくいもの」
それもそうだ。よしんば気付く機会があったとしても、俺はきっと気のせいと思い込むだろうし。輝夜も、力には『目覚め』が存在すると言っていた。オカルトの排斥された現代では、必然的にその機会が少なくなっているのだと一人納得する。
逆に、幻想郷のような世界では力が発現しやすそうだ。何せモノホンの妖怪が存在するんだしな。最近力に目覚めてさー、なんて会話が案外その辺で行われていたりするかもしれん。おっかない世界だ。
「で、まぁ、俺には霊力を扱う資質があると」
「第一の課題は、その資質を開花させることね。早速明日からやってもらおうと考えていたけど、身体の調子は大丈夫?」
「ちょっと疲れてるくらいだ。休めば戻る」
精神面はだいぶ疲れてるから、一ヶ月くらい休ませてほしいところだけど。
「それで、特訓って具体的には何をするんだ?」
「最初は霊力の操作と、飛行の仕方を覚えてもらおうかと。基本的なところからね」
「ストップ」
手のひらを永琳に向けて、話を中断した。
飛行って言ったか、今?
非行少年の非行……じゃないよな、話の流れ的に。その言葉が、幻想郷独自の用語だったりしない限りは、恐らく俺の思った通りの意味だ。つまり、飛行機の飛行。
幻想郷では飛行能力がありふれているんだろうな、と心を広くして受け入れようとしている自分に、ちょっとだけ成長を感じる。今日一日で、柔軟性が驚くほど鍛えられたな。昨日の数百倍は柔軟になったに違いない。
「空を……飛ぶのか?」
「あら、高所恐怖症なの?」
「そういう話じゃないよ!? 高いところはむしろ好きだが! ただ空を飛べるのは鳥くらいだと認識してたもんで……」
「兎や人間、私だって飛べるわよ。空を飛ぶのは鳥の特権じゃないわ」
「ライト兄弟もびっくりだな。全国の子供達に教えてあげたい事実だ、きっと大喜びするだろうよ」
ぶっちゃけ、俺もちょっと高揚してなくもない。誰しも一度は、自由に空を飛べる鳥に憧れたことがあるはずだ。実際、スカイダイビングやパラグライダーに興味のある大人は少なくないだろう?
「にしても空かぁ、楽しみだな。ご教示願うよ、永琳」
「いえ、教えるのは私ではないわ。最初は私がやろうと思ったのだけれど、輝夜に止められてね」
「だって、わざと難しく説明するでしょう? 霜夜が理解出来ずに困る様を見て、楽しむつもりよ、きっと」
とんだサディストじゃないか……。
オモチャのような扱いを受けるところだったとは。何されるか分からないし、もっと警戒して生きた方がいいのかもしれないな。
「じゃあ、輝夜が?」
「遊びなら教えてあげるけど……今回は鈴仙に任せることにしたわ」
「えっ、ええっ? 私ですか!?」
何にも知らされていなかったらしく、鈴仙は耳をピンと跳ねながら驚いた。もっと情報共有とかした方が良いんじゃないか、お前ら。鈴仙が上司の無茶振りに右往左往させられているようで不憫だ。
「でも、あの、私なんかで大丈夫なんですか?」
「大丈夫よ。どう指導したところで、結局出来るか出来ないかは霜夜次第だし。だったら、折角だからコミュニケーションの一環として活用するべきじゃない? 貴方、結構人見知りだし、丁度良いと思うわ」
「はぁ、分かりました……」
不安そうに返事をする鈴仙だが、そんな様子を見せられると、こっちまで不安になってきてしまう。なんか、これで特訓の成果が出なかったら俺が悪いみたいじゃないか? 不安だ……果てしなく不安だ。
味噌汁を啜って、心を落ち着かせる。喉の奥に旨みが染み渡る。ふぅ、やっぱり飯は重要だな。美味しいものを食べれば大抵のことは解決する。
「じゃあ鈴仙、明日からよろしく」
「気軽に言うわね……厳しくするから、覚悟しておきなさい。出来なかったら鞭打ちの刑に処すわ」
「軍隊かよ、鞭はいらないんで飴だけくれませんかね……」
「飴なら今日あげたわ。明日は鞭の番」
「何だよその交代制!?」
鞭のシフトなんざどこにもいれなくていいだろ! 飴を年中無休で働かせておけよ! 人権必要無いだろ、飴に!
「うわー、鈴仙の鞭は厳しいからねぇ。覚悟しておきなよ?」
てゐが横から、想像したくもないことを言ってくる。
面白がるなよ、こっちは鞭の恐怖に怯えてんだぞ……?
「私も何度やられたことか」
「それはあんたが悪いんでしょうが。いつも勝手にどっか行っちゃって……」
もしや、自分と同じ目に遭わせようと画策してるんじゃなかろうな。だが残念だったな、てゐ。俺はお前のようなミスは決して犯さない。むしろ、お前という存在が俺に失敗させない理由になるのだ。
「鞭だったら、確かどこかに仕舞ってあったわね」
永琳さん? 何で今そんなこと言うんですか? 怖くて泣きますよ?
★★★
特訓については、より具体的なことはその時になってから説明されることになった。予習しておけ、などというふざけた教師のようなことを言い出されることも無く、本格的な話は全て明日からになったのは本当にありがたい。自習、あんま好きじゃないからな。
でもって、今後の俺の生活についてだが……しばらくは鈴仙に霊力の使い方を教えてもらいつつ、永琳達の手伝いをする方針になりそうだ。生憎薬の知識はさっぱりなので、製薬などの専門的なことはせず、まさしくお手伝い程度のことを頼むらしい。薬の人体実験に付き合わされたりしないか心配だったが、質問するのも怖いので、そこは聞かないでおいた。……いや、大丈夫だよな? まさかな?
夕飯を食べ終わると、永琳にそれなりの広さの部屋に案内された。ここが俺の部屋となるそうだ。
居候にこんな人並みの部屋を与えて良いのかと申し訳無くなったが、そもそも屋敷が広いもんだから、手頃な狭い部屋が無いと言われた。こういう時、金持ちの家は不便だと思う。俺なんか階段下の物置にでもぶち込んでおけば良いのに。
……そして、現在。
風呂に入れと着替えを渡され、俺は今、旅館の大浴場のような立派な浴室で湯船に浸かっていた。
「あー、気持ちいい……」
何が気持ちいいって、こんな一般人が滅多に入る機会の無い雰囲気のところで湯船に浸かれるのが本当に最高。旅館なんて、修学旅行くらいでしか利用しないしなぁ。それだって、クラスの連中と常に一緒だからリラックスなんて出来るはずが無い。一人でのんびり湯船に浸かる行為が、こんなにも極楽だったとは。
息を吐いて、ぼうっと天井を見上げた。頭が
今日は、今までの人生で一番疲れが溜まった日だしな。いっそ全部蕩けたところで、責める者はいるはずも無くて。
「ふぅ」
うん、本当に疲れた。精神がボロボロだ。非常識によって痛めつけられた心に、湯船の心地よい温度が沁みる。
明日からも疲れる日々が続くんだろうが、今日以上に疲れることは無いだろうな。
特訓に、手伝いだったか。もし永遠亭に辿り着けなかったら、もっと大変なことになっていたのを思うと、疲れるなんて甘えたことを言ってちゃ駄目かもしれないが……どのみち大変なことには変わりないな。
しかし、人生をやり直せる良い機会だと考えれば、やる気も湧いてこなくもない。
今更どう騒いだところで、俺はこれから先、どうにか上手くやっていくしかないんだ。
これからの幻想郷ライフに一抹の不安を抱きつつ、この蕩けそうな頭の片隅で、小さく決意する。
まぁ、頑張っていこう、と。
あらすじのイラストを変更しました。なお、イラストは知人であるShaymin(仮名)によるものです。
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第八話 千年に一度の陰陽師
霧が晴れるように、意識が取り戻す。
瞼を開けると、見慣れない天井がそこにあった。
視線を横に動かすと、自分が、これまた見慣れない和室で寝ていたのだと分かった。淡く差し込む太陽の光が、今が朝だと伝えてくる。
「…………ここどこ?」
寝惚けた頭でそう呟いてから、数秒。昨日の記憶が蘇ってくる。あぁ、そうだった。神隠しに遭って、何やかんやで幻想郷で暮らすことになったんだったな。
大きく欠伸をしながら、身体を起こす。
段々と感覚が明瞭になっていく。微かに感じられるよその家の匂いが、俺に現実を思い出させる。
「夢じゃなかったのか……」
昨日、散々味わってきたことをリピートした。寝て起きたら、いつも通りの日常が戻っている……なんて夢オチは無さそうだ。あれだけ肉体的にも精神的にも疲弊して、全部夢でしたというのも嫌なもんだが。
今日は確か、霊力の使い方を教えてもらうんだっけ? 空を飛ぶとか言ってた記憶がある。
「んー……」
枕元に置いておいたスマホで、時刻を確認する。六時になるちょっと前くらいだ。普段の起床時間と比べると、かなり早い時間に起きたな。昨日は疲れていたし、早く寝たからだろうな。健康的で良いんじゃないか?
いやまぁ、眠いけど。
このまま二度寝したい。
永琳達には、別に何時に起きろとか言われてなかったしなぁ。だったらこのまま二度寝しちゃっても……良いよね?
「寝よ」
布団を被って、横になる。
ああぁあぁ……最高……二度寝する時の幸福感、背徳感、全てが最高。夢の世界の入り口に立ってる感覚がたまらん……。
…………。
「おっはよー、起こしに来たよ!」
てゐがノックもせずに、大きく音を立てながら部屋に入ってきた。
やかましそうなのが来た。もうちょっと寝ていたかったのに。……あと一分くらいは、寝てるフリで時間を稼げるか……? などと思考を巡らせていると。
返事も待たずに俺に近付いてきて、てゐは布団を鷲掴みにして
……敷布団ごと。
「うおおっ!?」
当然、その上に寝っ転がっていた俺は、追い出されるように布団から転がり落ちる訳で。
全く予想していなかった衝撃に咄嗟に対応出来るはずもなく、無様に身体を畳にぶつけた。
「っ……痛ってぇ……」
「おはよう、朝だよ」
「……おはよう、てゐ。人を起こす時はもっと丁寧に優しくするべきだと思うぞ」
「えぇ? これが兎の伝統的な起こし方なんだけどなぁ」
絶対嘘だ。
既に口元がニヤニヤしてるもん。
「……まぁいいや、それでどうした? もう朝飯の時間か?」
「うんにゃ、お師匠様が用事があるみたいだったからさ、顔洗って行ってきなよ。寝癖も酷いし」
指先で、明らかに変な方向に曲がった髪を摘む。確かに酷い寝癖だ。元々、言うことの聞かない髪質をしているので、割と日常茶飯事なレベルだが。
「分かった。……ちなみに、顔はどこで洗えば?」
「こっちだよ。案内してあげる」
無理に覚醒させられた
風が肌を掠る。つい先程まで布団で温められていた身体には、外の風は寒すぎる。熱が引いていって、どんどん頭が冴えていく。もう二度寝をする気分にはなれそうにないな。
てゐに教えてもらった洗面所で、顔をバシャバシャと洗い、寝癖をある程度直す。完璧に直すことはどうやっても出来ないので、まだちょっと髪が跳ねているが、仕方無い。
そうして身嗜みを整え、てゐに永琳がいるという場所まで連れて行ってもらう。
普通の家なら外周を一回り出来そうなほどの距離を歩きながら、改めて永遠亭の広さを思い知る。今更ながら、自分がここに居候することになった事実を疑ってしまいそうだ。俺、本当にここに住んで良いのかな。身の丈、おかしくないかな。
「多分この部屋にいると思うから、それじゃね」
案内が済むと、てゐは駆け足でどこかに消えていった。動物みたいに動きの激しい奴だ……って、兎だったな、あいつは。
それはそうと、何の用事なんだろう。こんな朝っぱらに呼ぶくらいなんだから、緊急ないし早めに伝えておきたいことなのだろうが。話すことは大体話したように思うんだけどな。
扉をノックして、入室する。
「失礼しまーす」
「あら、霜夜。おはよう」
「おはようございます」
中に入ると、永琳が椅子に座って、机の上で紙に何か書き込んでいるのが見えた。事務仕事でもしていたらしい。朝早くからよく仕事なんか出来るな、俺には無理だ。
「まだ起きるには早い時間だけど……何か聞きたいことでも?」
「え?」
永琳が、まるで奇妙なものでも見るかのような目で俺を見つめた。
とてもじゃないが、今から用事について話そうとする人の目には見えない。
……あれ?
「いや、永琳が俺に用事あるって、てゐから聞いたから、何かなーと……」
「? 特に無いわよ?」
…………あれれ?
「……あぁ、騙されたのね」
「えっ?」
「もう少し寝てても良かったのよ? 昨日は疲れたでしょうし、まだここに来て二日目なんだから」
「えっ……と……?」
てゐは、永琳が俺に用事があると言って俺を起こしに来たが、永琳は用事なんか無いと言って、それどころか二度寝をしてれば良いと……。
ふむふむ、アーハン? なるほどね……。
――――――あの野郎、とっ捕まえて毛皮を剥いでやる!!
★★★
朝食を食べ終わると、鈴仙に声をかけられた。
ちなみに、てゐには逃げられた。逃げ際に「早起きは三文の徳って言うじゃん? むしろ、私は二文をお礼に貰ってもいいと思うんだよね」などと供述していたので、反省は見られなさそうである。
「それじゃ、早速やるわよ」
「へい」
腹ごなしの運動、もとい霊力の特訓だ。
場所は永遠亭の庭。庭と言っても、小さい公園くらいのスペースは優にあるから、身体を動かすには充分だろう。
肩を回したり柔軟をしたりして、準備を整える。こんなことになるんだったら、制服の下に体操着を着てくるべきだったな。尤も、昨日は体育の無い日だったし、そもそもこの状況を予測するなど無理な話なんだが。
「まずは霊力を覚醒させることからね。手を出しなさい」
「手を?」
「とりあえず、私の力を流し込んでみようかなと。身体で一度、力の流れを理解すれば、自分の霊力の流れも把握しやすいと思ったの」
確かに、瞑想なんかでゼロから覚えるよりは、実際に身体で体験した方が分かりやすい。永琳に光弾を見せられた時のように。
言われた通りに手を差し出すと、指先を掴むようにして、手を重ねられた。
細く小さい、女の子の手だ。柔らかい感触で指先が包まれる。……自分と違う体温って、何でこう、むずむずするんだろうな。
「行くわよ、集中して」
その言葉の直後、指先から何かが流れてくるのを感じた。血液が流れるように、全身に行き渡っていくのが分かる。熱や痛みは無い。意識して初めて気付けるような淡い感覚だ。
「慣れない感覚だな」
「最初はね。じきに馴染むはずよ」
意識を集中させ、力の流れをより鮮明に感じ取る。どうやら、流し込まれた力は、体内を循環しているらしい。
鈴仙の手が離れ、流れがストップする。しかし、身体の内側にはまだ力が残っているのが何となく分かった。自分のものでは無いが、これが霊力とか呼ばれるものなのだろう。
「どう? ちょっとは感覚的な理解が深まったんじゃないかしら」
「そこそこ。俺自身の力については分からないけど、今貰った分が身体に残ってるのは分かるな」
そう言いながら、手のひらを観察してみる。ここから、この力を消費して光弾が出たりするんだよな。こんな感じで、力を集中させたりして――――――。
「えっ」
「え?」
そう、軽く意識すると。
手のひらの上に、小さな光弾が出現した。
開いた口が塞がらない。
言葉が出てこない。
どうリアクションするべきなのか、さっぱり分からない。
「えーっと……」
しばし、沈黙が流れて、ようやく結論が出る。
即ち、『無かったことにしよう』
永遠亭の敷地外の方向に身体を回転させ、ソフトボールを投げる要領で、光弾をどこかに放り投げる。光弾は大きく放物線を描いて、竹林の彼方に消えていく。想像以上に吹っ飛んだから、探しに行くのは難しいだろう。そもそも残るものじゃなさそうだが。
……まぁ、これで一件落着ということで。
「よし、次は何をすれば良い?」
「いや、スルー出来ないわよ!? ああもう、頑張って段取り考えてきたのに、早速崩れたじゃない!」
「そこはまぁ、無かったことにして、予定通りに」
「それが出来たら苦労しない!」
難儀な奴だ。スルースキルを身に付ければ、小さい問題なんて気にせずに生きていけるというのに。
驚いているのは、俺もなんだが……いやだって、まさか本当に出来るとは思わなかったよね。ちょっとした軽いノリじゃないか。俺は悪くない。
「はぁ……じゃあ次は、自分自身の霊力の認識かしら。まだ私が渡した分が残っているはずだから、ちょっと時間を置く必要があるけど。それまで何させようかな」
「今みたいに弾を量産して、消費を早めるのは?」
「それでもいいかもね。どうせ段取りは滅茶苦茶になったんだし……」
そんな恨めしそうな目で見られても。
とにかく、残量をさっさと光弾にしてしまおう。
先程と同じく、手に意識を集中させ光弾を生み出す。案外呆気なく出来てしまうので、拍子抜けというか、想像していたものとのギャップに悩まされる。こんな簡単に出来て良いのだろうか。
そして、被害の出ない方角に向かって投げる。そういえば、霊力は思念によって操作可能って昨日聞かされたな。これ、いちいち投げる動作をしなくても、念じればどっか飛ばせたりするのかね。ちょっと試してみよう。
出現させた光弾への意識を、上空に向けてみる。
「うわっ」
その思念に応じるように、光弾がビュンと放たれる。思った通り、考えただけでも動かすことが出来るようだ。いちいち投げるよりは、こうやって飛ばした方がずっと楽だな。
何だか、魔法使いになったみたいで面白くなってきた。今日はまだ初日だし、この程度のことしか出来ないが、いずれはメラ〇ーマやギガブ〇イクなんかも放てるようになるのだろうか? レベリング欲がむくむくと湧いてくる。もし幻想郷にメタル系のモンスターがいるのであれば、即刻狩りに行きたいところだ。
「……ほんと、簡単にやるわね。まだ序の口とは言え、こんなあっさり出来るなんて思わなかったわ」
呆れた表情で鈴仙がぼやく。
「……もしかして、俺って才能ある? 天才児? 千年に一度の陰陽師か?」
「自分で言うことじゃないでしょ……少なくとも、並の人間よりは出来ていると思うわ」
俺には大した才能など無いと思い込んでいたが、ここに来てとんでもないもんが開花しちゃったもんだな。どうせ目覚めた才能なんだから、もっと伸ばしてみたい。
「そうかそうか、いやぁ、楽しい。物事が上手く運ぶと気持ちが良いな」
気分が良くなってきて、徐々に光弾の生成速度が上がる。
ババッと空に弾を放った時の、何とも言えない快感が堪らない。もっとだ、もっと試したい。
「あまり調子に乗ると痛い目見るわよ? 急に力を付けた最初の頃は特に」
「大丈夫大丈夫、制御も慣れてきたし」
なんて言いながら、何発もの光弾を空に撃ち込む。
ちょっと物足りなくなってきたな。もっとこう、派手にやりたい。今は一弾ずつ飛ばしているが、複数個同時に生み出すことは可能なのだろうか? それなら回避の難しい弾幕を展開することが出来そうだが。……ちょっとやってみるか。
力の流れを意識して、複数箇所に力を集中させてみる。一つに集中させていたものを分散させるだけだから、それほど難しくは――――――――。
――――ドオォォォォォォン!!!
「ギャアアアァァァッ!?」
「きゃっ!?」
……轟音が周囲に響き渡った。土煙が舞い、衝撃が大気を駆ける。
全身に電流のような痛みが走ったのと、不意に訪れた衝撃に体勢を崩して、地面に背中を打ちつけた。
「うっぐ……背中……背中が……!」
何が起こった? と一瞬混乱して、すぐに理解する。爆発したのだ。原因は……言うまでも無く、俺が弾幕を張ろうとしたからに他ならない。たまたま庭に埋められていた地雷が爆発したとかで無ければ、間違いなく俺の仕業だ。
幸い、爆発の被害は少なく、屋敷にまで及ぶものでは無かったが、至近距離で爆風を受けた鈴仙的には「良かった」で済まされたくないだろう。
ウサミミをしおしおにして咳をしながら、鈴仙が言った。
「けほっ、けほっ……だから言ったのに、もう」
「えっと…………すみません、調子乗りました……」
「やっぱり堅実に訓練した方が良さそうね、またこんな爆発されたら困るもの。今後、勝手に変なことはしないように、分かった?」
……返す言葉も無い。
今日の教訓、調子に乗ると酷い目に遭う。
これからはもっと慎ましく生きよう……。
そこそこ書いてきたなぁ、と思うと同時に、まだあまり話が進んでないなと悩
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第九話 月まで飛んでいくところだった
二度目の爆発はシャレにならないので、しばらくの間、大人しく地道に自分の霊力について意識することにした。イメージトレーニングのようなものだ。思念で光弾を飛ばせてしまうオカルトな世界だから、そこそこ効果はあると思う。
不思議なもので、こうしていると感覚が身体に馴染んでくるのがよく分かる。今まで分離していたものが、徐々に一つになっていく。俺の中に眠っていた霊力が、活動を始めたのだと知覚する。
光弾を具現させない程度に霊力を集中させたりして、軽く霊力操作も試してみる。これが結構難しく、制御するのに苦労する。あの爆発の原因は、この制御を大きくミスったからだろう。エネルギーを光弾という形に抑えられず、破裂させた結果なのだと納得した。やっぱり、何事も基本が大事だな。段取りを誤れば、大事故を招く。肝に銘じておこう。
ふぃ、と息をついた。地味な作業だが、実感はある。派手なことをするのが一番楽しいんだが、こういう着実な努力も悪くない。
「……うん、そろそろ次のステップに移っても大丈夫そうね」
「おう、任せろ。次は爆発なんかしないぜ」
「次やったら土に埋めるわよ」
……うっかり暴発しないよう注意しておこう。まだ土葬されたくない。
「光弾の練習はまた今度ね。次は飛行訓練。ただの人間が上空から落下なんかしたら、骨折じゃ済まないから、しっかりと基礎を固めて安全第一で行くわよ」
「安全第一か、理解した! ヨシ!」
ただ霊力を操作するだけなら、失敗したところで爆発程度で済むが、空はまずいだろうな。もし飛行途中で制御がきかなくなって墜落したらと思うと、ゾッとする。五メートル程度でも充分危険なのだ。それが何十メートルともなれば、命は無いと考えて間違いない。
慎重にいこう、慎重に。
「まず、どうやって空を飛んでいるかの説明だけど、一番主流なやり方は、霊力で身体を動かす飛び方ね。さっき、光弾を飛ばしていたでしょ? あんな風に、身体を霊力で支えて飛行するの」
「身体を支えるって……相当なエネルギーが必要じゃないか? 理屈は粗方理解出来るけど、普通に難しそうだな」
「大した消耗じゃないわ。たかが一人浮かすくらい」
たかが一人って。五十キロ超えた生き物をたかがって。
水を噴出して浮遊するレジャー……アクアボードの映像を観たことがあるが、とんでもない勢いだった記憶がある。人間を浮かばせるには、あれくらいのエネルギーがいるはずだ。
……霊力、やばいな。
「じゃあ、試しに飛んでみてくれないか? 一回どういう風に飛ぶのか、確かめておきたいんで」
「構わないけど……一応、離れた位置からね。出来るだけ遠くからね」
それは、離れていないと危ないという意味だろうか。まぁ、人間(鈴仙は人間じゃないが)を宙に浮かせるほどなんだし、相応の衝撃があっても不思議じゃないか。ヘリコプターだって風が凄いらしいし。
「結構距離を取らないと危ないのか?」
「いや、そうじゃなくて……近くだと見えるじゃない」
「? 見えるって、見たいからお願いしたんですが」
「見たっ……!?」
何を言ってるんだ、こいつは? 会話が成立してないような。
キュッと身構える鈴仙に疑問符を浮かべて、数秒。
「…………あっ、違う! そういう意味じゃない! そっちが見たくて言ったんじゃないよ!?」
気付いた。
鈴仙がスカートを穿いているということに。
「そ、そうよね、もしそうだったら脳天に弾丸を撃ち込んでたわ、驚かさないでよね」
そうだよな、スカート穿いたまま空飛んだら見えるもんな。真下にいたら見放題だもんな。離れないと駄目だよな。……変態の烙印を押される前に気付けて良かった……。
すぐさま鈴仙から可能な限り離れる。チラリでも見たらアウトだ。絶対に誤解を招かないくらい離れた方が良いな、何なら肉眼じゃ見れない距離から双眼鏡で……いや、それ逆に犯罪者っぽいわ……。
「これくらい離れれば大丈夫だよな……」
「……じゃあ、軽く飛ぶわね」
合図を送ると同時に、鈴仙の身体が重力から解き放たれ、音も無く、気体が上っていくように、ふわりと宙に浮かぶ。
「おぉ……」
思わず感嘆の声を漏らした。手品や錯覚なんかじゃない、ガチの空中浮遊だ。近くでよく観察してみたいところだが、今日のところは諦めよう。性犯罪者にはなりたくない。
鈴仙が、パフォーマンスと言わんばかりにその場で回転したり左右に移動したりして、身軽さをアピールする。割と自由に動けるようだ。やろうと思えば、サーカス団のような動きも出来そうだな。
「こんなものかな」
そして、華麗に着地。見事だ。
「すげぇ、空を自由に飛べてやがる」
「誰でも出来るわよ、これくらい」
人類は普通、ナントカコプターを頭に装着しないと空を飛べないんだよ。
幸運なことに、俺はそうじゃないらしいがな!
「よし、最初は何をすればいい? 何でもやってやる」
「急にガツガツやる気出してきたわね……そんなに空を飛ぶのが楽しみだったの?」
「そりゃ勿論、人間一度は空を飛ぶことを夢見るからな。翼をくれという歌もあるくらいだし、誰だって楽しみになるって」
あと、翼が生えるエナジードリンクもあるな。飲んで翼が生えたことは無いけど。
「意欲があるのは良いことだけどね。張り切りすぎて爆発されるのは御免よ」
「それは、はい、反省しております……」
そう俺を咎めてから、鈴仙は練習方法について詳しい説明を始めた。
理屈は既に聞いた通り、要するに霊力による身体の操作だ。光弾を放つように、自身の身体を飛ばすのだ。ただし光弾と違って、こちらは常にその操作を意識する必要がある上、身体全体で霊力を使わなければいけない。
たとえばの話だが、光弾を一つ作るのに必要な霊力の量を百としよう。
俺の身体には、百五十の霊力が循環している。頭と胴体に二十五ずつ、左右の腕と足にも同様に、それぞれ二十五ずつ霊力が分散していて、合計百五十だ。
その状態で、俺が手から光弾を出現させるには、身体全体に流れる霊力を一点に集中させ、手の霊力量を二十五から百以上にしなければならない。要は、頭や胴体にある霊力を手に移動させなければならないのだ。
では、この状態で、両方の手から同時に光弾を出現させるには?
答えは『出来ない』 その時点で循環している霊力量が百五十しか無いのだから、当然な話だな。
ここで言いたいのは、霊力の消費する範囲や箇所が増えるほど、循環する霊力量を求められるということである。
「じゃあ、循環する量が足りなかったら、その分増やせば良いと?」
「そういうことね。私もそうだけど、普段は最低限の量……というか、自然な状態で保っているのが普通だと思うわ。空を飛ぶ時や、戦う時だけ力を解放するって感じね」
いつもは時速四キロで歩いているけど、急いでいる時は時速十キロで走る、みたいなもんだろう。
という訳で、最初にするべきことは、循環する霊力量の増大だった。集中するところを一点から身体全体に切り替えるだけだったので、これは案外簡単に出来た。イメージトレーニングの成果だな。
続けて、身体を霊力で支える練習である。光弾を飛ばすのとは違って、あくまで浮かさなければならないので、慎重にやれとのこと。まぁ、俺の身体がパチンコの弾丸のように、ぴょーんとどっか飛んでいく光景を想像すれば、指示に従わない理由はどこにも無かった。逆バンジーはちょっと怖いしな。
いきなり身体を浮かすのは危ないから、右腕だけから始めることにした。右腕から力を抜き、思念を発する。イメージは浮力、飛ばすよりも穏やかな上昇を意識した。
それに応じるように、右腕が徐々に上がっていく。言うまでもなく、筋力で上げているのではない。霊力で支えているのだ。
「おぉ、腕が引っ張られる」
「全身で同じことをすれば、宙に浮けるわ。変に意識して、すっ飛んでいかないよう気を付けなさい」
「分かった。そう、晴天のように穏やかに、砂時計のように緩やかに……」
「何よその呪文……」
脳裏に広大な平原を浮かべ、イメージを鮮明にしていく。
ベクトルを地面へと向ける。
ある程度意識が集中すると、不意に足裏の感覚が失せた。重力によって大地と接していたはずの靴から、あるべき感触が消える。
「っな!?」
一瞬、バランスを崩しかけて、変な声を上げてしまう。
そして、自らを支えるものが、両足から霊力へと置き換わっていることに気が付いた。
地面に足が届かない。浮遊感が全身を覆う。体重が身体のどこにもかかっていないという、奇妙な感覚に、一瞬目眩を起こした。
「う、浮かんでる?」
ふわり。
俺の身体が宙に浮かぶ。
「や、やばい、飛んでる俺、思ったより怖い!」
身体を支えるものが霊力だけで、物理的な安心感が一切無い。意識を逸らすと、地面に落下してしまうんじゃないかと恐怖を覚えた。
高度が段々と上昇していく。気付くと、靴が鈴仙の腰ほどの高さにまで達していた。およそ一メートル、飛び降りたらそれなりに衝撃が来るだろう。
しかし、どこまで上昇するんだ? 自分でも制御が…………えっ?
「意識さえはっきりしていれば平気よ。次はゆっくり横に移動を……」
「待って、ちょっと待って」
鈴仙の言葉を遮る。
そうこうしている内に、目線が屋根に届く程に高くなる。
「助けて下さい」
「……何? 怖いの?」
「いや、違くて……」
下を見た。
大体、頭から地面まで四メートルくらいだろうか? ちょっと飛び降りるのに躊躇する高度になってきた。高いところは好きだが、飛び降りるのはそれほど好きじゃない。
「…………これ、高度維持するのってどうやるんですか?」
身体は今も上昇を続けている。
おっと……そろそろ本格的に骨折しそうな位置まで来たな。
………………。
「ちょっ……たっ、助けて! やばい! 風船みたいに飛んでいっちまう!! 鈴仙助けて!! 助けて下さい!!」
「な、何やってるのよあんたは!? さっきから変なことばっかりしてーーーーっ!!」
★★★
「ゼェ……ゼェ……つ、月まで飛んでいくところだった……」
「はぁ……はぁ……そんな訳無いでしょ……」
浮上を続ける身体を鈴仙に引っ張ってもらい、どうにか地上まで戻ってきた。
あぁ……地面だ……踏みしめる大地があるって素晴らしいことなんだな……。
「悲鳴が聞こえたけれど……調子はどうかしら? ウドンゲ、霜夜」
「……あっ、お師匠様」
膝をついて大地を味わっていると、永琳が様子を見に姿を現した。悲鳴が聞こえたのなら、大方察してそうだが。
「今は丁度壁にぶつかったところだ。浮遊は出来るようになったんだが、高度維持が難しくてな。上に行き続ける問題が発生しちまった」
「面白い失敗の仕方をするわね。これもある種の才能かしら?」
「んな笑いのネタになりそうな才能はいらん」
宴会の一発芸くらいにしか使えねえよ。宴会なんて参加する機会も予定も全く無いけども。
永琳は俺と鈴仙の顔を交互に見ると、ふむと顎に手を当てて言った。
「一回、高所から突き落として下に行く感覚も覚えるのもありかもしれないわね」
「ありじゃないよ? ライオンの子育てじゃないんだから、そんな気軽に突き落とされちゃ困る」
「冗談よ」
お前のその真面目な顔からは冗談らしい朗らかな感じが全くしないんだが?
選択肢としては無しじゃないと思ってそうだ。……崖には近付かないでおこう、いつ背中を押されるか分かったもんじゃない。
「それはさておき、上昇が止められないというのは、恐らくおかしな意識やイメージがあるからでしょうね。浮かび続ける何かを考えながら力を使っているんじゃないかしら」
「まぁ……確かに浮力をイメージしていたような」
「ぴったりなのが目の前にあるのだから、そちらを使えばいいのに」
「目の前?」
辺りに目を向ける。特に変わったものは見つからない。どれもこれも、浮くには不自由そうだ。
どれだ? と永琳に目を向けると、永琳は指をある方向に指した。
「ウドンゲと一緒に浮いて、ウドンゲに合わせるようにすれば簡単でしょう?」
その指の先には、鈴仙がいた。
盲点だったが、言われてみればそうだ。俺が目指しているのは、鈴仙が見せてくれたような自由自在な飛行。彼女の動きをそのまま真似ればいいんじゃないか。
「私ですか?」
「貴方がある高さまで浮いて、霜夜がその高さに合わせて浮遊する。イメージするには分かりやすいと思うわ」
「そ、それだと、その、スカートが……」
「見えないくらいの高さなら大丈夫よ。彼は強引に見ようとするほど性に忠実じゃないでしょう?」
ちらっと永琳が俺を見た。
全くもってその通りだが、それは俺を紳士と思ってくれているのか、或いはその度胸すら無いと思われているのか、ちょっと考えなくもない。……いや、紳士だからね、俺は。
「……そうですね、あんまり気にしても失礼ですし……」
渋々半分、納得半分といった様子で、そう返事をした。
鈴仙が、若干俺を警戒する仕草をしながら、五十センチほど身体を浮かせる。
大体の高さを目で把握して、俺は再び霊力を集中させる。今度は浮力ではなく、目の前にいる鈴仙をイメージしよう。あんな感じに飛ぶことを想像して、霊力を身体全体に行き渡らせる。
フッと俺の身体が宙に浮かび上がり、鈴仙の目線と同じくらいの高さでホバリングを始める。
「高度は……多分、維持出来てるか?」
「えぇ、上出来よ。それじゃあウドンゲ、もうちょっとずつ高度を上げていきなさい。霜夜はさっき言った通り、ウドンゲに合わせて」
鈴仙の身体がゆっくりと上昇していくのを追いかけるように、俺も高度を上げる。なるほど、何となくコツが掴めてきた。下手に浮力など余計な力を想像するより、歩く時のように自然に意識することが大事っぽいな。「あっちに行こう」くらいの軽い意識で良いらしい。
それなりの高さまで上がったので、地上に戻る。
「ふぃ、案外上手くいったな……」
「そりゃあ、お師匠様のアドバイスだもの。上手くいかなきゃあんたに問題があるわね」
「問題児で悪かったな。ともあれ、助かったよ永琳」
「どう致しまして。それじゃあ、またしばらくしたら様子を見にくるから」
俺のお礼に軽く答えると、永琳は長居することも無く、足早に屋敷に戻っていった。
突然現れて助言を与えてくれる……ゲームのお助けキャラみたいな奴だったな……。
「……で、次は何を?」
振り返って、鈴仙に問う。
「一気に新しいことをしても、思わぬ事故を引き起こしそうだし……今日のところは、これくらいにするわ。後は反復練習でもして、今日得られたものを確実に身に付ける為の時間に。あ、念押しするけど、余計なことはしないようにね?」
「分かってるよ……痛い目を見る趣味は無いんだから」
こうして、ちょっとしたトラブルもあったものの、どうにか命を保持したまま特訓初日を終えることが出来た。
体力がごっそり持っていかれたが、霊力の操作と飛翔の仕方を覚えられたのは大きな一歩だろう。この非常識な今の生活に、適応していっているのを実感する。かつての常識が段々と剥がれていっているのが、ほんの僅かに恐ろしかったりもするが。
変化していくのが怖い、というか。
しかし、それ以上に楽しんでいる自分がいるのも事実だった。退屈で何の面白味も無い人生が、かくも空想と入り混じったことを面白がっているのだ。
まぁ、この複雑な感情については、気が向いた時にでも整理するとしよう。
今は、明日は何を得られるのか期待するだけにしておくべきだ。
他に考えることがあるとすれば……昼食と夕食と、入浴……それと、睡眠のことくらいか。
……飯のことを思い出したら、急に昨日里で食べた蕎麦が食べたくなってきた。何か、こっちに来てからちょっと単純な人間になったような……いや、気のせいだな、俺はもっと知的で落ち着いた人間だったはず、食欲などに踊らされたりはしない……はず。
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第十話 清廉潔白な奴は自らそれを主張しない
かなり間が空きましたが、連載再開します(前回投稿が去年という事実から目を逸らしつつ)。
あと、ちょっと
人間というのはどんな土地でも生きていけるもので、気付くと幻想郷に来てから一週間が経過していた。最初の頃は、未知の生活にあれこれ杞憂を抱いたものだが、今は心配という心配も無く、穏やかな精神状態で幻想郷での日々を送れていた。
一年の長さと比べれば「まだ」と言えてしまう程度の短い時間しか経っていないが、霊力を扱うのにもそこそこ慣れてきた。永琳や鈴仙に言わせれば、弱小妖怪から逃げられる程度の有って無いような実力らしいが、戦闘力皆無の一般人として生きてきた俺的には驚きの大進歩である。ていうか、妖怪から逃走出来る実力って充分凄くないか?
慣れてきたと言えば、人間関係――あいつらは種族的には人間じゃないんだが――も、安定してきたように感じる。とりあえずだが、この一週間でお互いに性格は知れたと思う。つまりそれは、あいつらに俺のクズが本格的にバレたってことなんだが……まだ何も悪いことは起こってないから、気にする程のことでもないだろう。
俺のクズさって、所詮小物のそれだし。邪悪な奴に比べたら可愛いもんだ。
ともかく、鈴仙や輝夜達とは最初よりもずっと気軽に話せるようになったし、順調と言って差し支え無いかな。たまにてゐ率いる兎軍団がちょっかいをかけてくるのも、きっと順調だからに違いない。
……そう思わないとやってられない。
と、言った感じの毎日が過ぎて、本日。
今日は、鈴仙に竹林の地理を教えてもらうついでに、里に行くことになった。勿論、遊びに向かう訳では無い。俺の地理感覚を養う為である。
俺もいつかは里に用事が出来ることもあるだろうしな。どこに何の店があるだとか、そういうことは覚えておいた方が良いに違いない。
それと竹林だ。霊力の特訓の都合で永遠亭の敷地外に出ることがあるのだが、頻繁に方向感覚が狂わされて、難儀させられている。鈴仙がすぐ近くにいるので迷子になることは無いが、一瞬自分がどこにいるのか分からなくなった時の、あの全身の血液が急速に冷えていく恐怖は幾度も経験したいものではない。
その恐怖を払拭する為にも、一刻でも早く地理を把握したいのだが……。
「なぁ、鈴仙。ちょっと聞いて良いか?」
「どうかしたの?」
竹林の中を飛んで移動しながら、鈴仙に訊ねる。
「気のせいじゃないと思うんだけど、この竹林、前と若干景色が違わないか? 違和感を覚えるくらいなんだが、様子が微妙に変わっているような……」
「竹の成長は早いからねぇ。気付いたらすぐ伸びてるし、景色もすぐ変わるわよ」
「……そんなん、どうやって道を覚えろと?」
「慣れじゃない? 私も感覚で覚えてるしね」
頭にGPSを埋め込みたくなってきた。
★★★
「えーっと、どっちに行けば良いんだ……?」
里に到着して、しばらく後。俺は鈴仙に頼まれたおつかいを遂行するべく歩いていた。エコバッグとして渡された籠(まず、幻想郷にレジ袋なんて無さそうだが)を揺らしながら、目当ての店を探す。
鈴仙は里に着くやいなや、薬を売りにどこかに行ってしまった。まぁ、一緒に行動しても仕方無いし、手持ち無沙汰なのも退屈だったから、用事を頼まれて良かったのかもしれない。暇潰しをしようにも、スマホはこの前充電が完全に切れてしまったし。
どのみち圏外でほとんど役に立たなかったとは言え、ここ一年で最も身近だったアイテムが、うんともすんとも言わなくなったのは地味に心に来たな……所詮物だし、そんな落ち込んでもいられないんだけども。
指示された買い物は、何種類かの調味料と本である。
鈴仙曰く、「姫様が読書の秋に備えて何か本を読みたいそうなので、喜ばれそうなものを選んでこい」とのこと。俺のセンスに委ねたのか、それとも万が一お気に召されなかった場合に俺を言い訳にするつもりなのかは知らないが、丁度良さそうなものを選んでやろうと思っている。
ああいう性格の人が、一体どういう内容を好むのかはさっぱりだが。古今和歌集でも渡しておけば良いのだろうか。逆に最近のゴシップ雑誌なんかも面白がるかもな。この
「鈴奈庵、だったか」
教えられた本屋の店名を呟いた。入り口に店の名前が書いてあるはずだから、近くに行けばすぐに分かると言われたが、中々見つからない。
こうやって自力で探してこそ地理感覚が身に付くものだと分かってはいるが、正確な地図を書いてもらってから別れるべきだったと後悔する。頼りも無く彷徨うのは割と体力と精神を消耗させるのだ。
鈴奈庵は、本を貸し出したり印刷や製本をしたりする貸本屋らしい。取り扱っている本は、外の世界から流れてきた外来本……つまり俺にとっては一般的な書籍がメインなんだとか。特別変わった本が並んでる訳ではなさそうで、ちょっとがっかりしたのは内緒だ。
つーか、マジでどこだ? その辺を歩いてる村人Aに道を尋ねてもいいんだが、相変わらず俺の格好は少し目立つようで、あまり自分からアクションを起こす気にならない。注目を浴びてる時に変なことはしたくないというか。
そんな気分的なもので、このまま探し続けるのもなぁ……と、葛藤していると、背後から少女の声がこちらに向かって飛んできた。
「道に迷っているんなら、私が案内しようか?」
声が自分に対して発せられたのに気付いて振り返ると、黒い服装を身に纏い魔女帽子を被った金髪の少女が、ニヤリとした目で俺を捕まえていた。
明らかに面倒臭い輩の目だ。聞こえなかったことにして先に進んでしまおうか……。
そんな俺の訝しんだ視線に気付いたのか、少女は弁明するように自己紹介を始める。
「おっと、失礼したな。私は
「それはどうも。それで、何の用で?」
仕方無しに相手をする。名乗られてしまったのだから、もう逃げられはしまい。
しかし、妖怪退治の専門家とはまた変わった奴が出てきたな。ここではそれが普通なのだと、半笑いで言葉を飲み込む。
「道案内だよ。鈴奈庵に行きたいんだろう?」
「まぁ、そうだけど……案内されたって謝礼なんか渡せないぞ? 手持ちの金銭は預かってるものだし」
「おいおい、私がそこまでがめつい奴に見えるか? これでも巷じゃ清廉潔白で通ってるんだぜ」
清廉潔白な奴は自らそれを主張しないと思う。警戒するほど悪い奴には見えなさそうだが、何も企んでいないようにも見えない。
「ただ、案内の途中でちょいと話を聞かせてもらおうと思っただけさ。さっき、薬売りと親しげに会話していただろう? どういう関係なのか興味があってな」
「それくらいだったら答えてもいいけど……大した関係じゃないぞ?」
「交渉成立だな。じゃあ行こう、鈴奈庵はこっちだ」
フッと笑って、魔理沙は俺が歩いてきた方角に方向転換する。どうやら、道を真逆に間違えていたらしい。案内をしてもらって正解だったかもしれないな。俺はあまり勘が良くないようだし。
にしても、どうして俺とあいつの関係を訊きたがるんだろうか。もしかして、鈴仙のファンとか? 確かに薬売りをしている時の鈴仙の姿はミステリアスに映ることがあるから、そういう女子人気があったとしても不思議ではない。
「早速だが、あの薬売りとはどんな関係なんだ?」
「さっきも言ったけど、普通……の関係だよ。色々あって、薬売りの家に世話になっていてな。居候ってところだ」
「永遠亭に? 外来人を飼うなんて、また変わったことを始めたんだな、あそこは」
「誰が飼われ……いや、実質飼われてるようなもんかもしれないけど……!」
否定出来ない自分に哀愁を覚える。輝夜に遊びの相手を頼まれることが頻繁にあるので、ペットという表現も強ち間違いでないような……心はまだ人間のつもりだが。
「って、俺が外来人だって、やっぱ分かるのか」
「そりゃな。そんな格好してれば誰だって気付く」
「だよなぁ……もうちょっと周りに合わせた格好した方が良いかもしれん」
などと言ってみたが、どうしても里でよく見かける和装はあまり着る気になれない。一応、永琳からは何着かの無難な衣服を借りているのだが、今日だって着てきたのは慣れた高校の制服だ。
何だかんだ言って、この格好が一番落ち着くというのもあるが……やっぱり、和装は時代劇のコスプレみたいで抵抗がある。ましてや、そんな格好で里に出るなんて……俺には無理だ。
「しかし、いくらあいつらがおかしな連中だとしても……ただの外来人を飼うってのは引っかかるな。実験体としてなら別だが……」
「怪しい薬の治験もやってないよ」
まだ、な。
何だと思われてんだあいつら。過去にどんなことやらかしたらここまで言われるんだよ。
「ということは、連中の気まぐれの善意か、あるいはお前自身に飼われるような事情がある訳だ」
「……後者だな。聞いたところじゃ、俺は外の世界に帰せないくらい危ない存在なんだとよ。自分が火薬庫だっていう自覚はほぼ無いが」
「へぇ、面白いな。外来人なら何度も見たことがあるが、生きてるのに帰れなくなった奴は初めてだ」
「死んで帰れなくなった奴が何人かいたのか……まぁ要するに、神隠しで幻想郷に迷い込んで帰れなくなったから、何かの縁ってことで永遠亭に居候させてもらってるだけだよ」
大体こんな感じだろうか。俺自身、現状に至った原因についてはさっぱりなので、喋れることと言ったらこの程度だ。詰まるところ、俺は神隠しという爆弾イベントに未だ流され続けているという訳である。
もう少し、自分から事態を動かしたいものだが……ま、しばらくは無理か。
「ふむ、なるほど…………でも、それにしちゃ普通の人間にしか見えんなぁ。何がどう危ない存在なのか分からん」
「俺も同じ感想だよ。永琳に訊いても曖昧な返答しかしないから、全く理解出来てない」
そういえば、鈴仙は最初俺を外の世界に帰そうとしていたから、そのことに気付いていなかっただろうけど、永琳は最初に会った時から……いや、俺と顔を合わせる前から色々と知っているようだったな。思い返してみると、何か重大なことを隠してるんじゃなかろうかと疑念を抱いてしまう。
まぁ、あの人は鈴仙や俺では到底及ばない領域に達してるだろうし、そういうのは空気か何かで察することが出来るのだろう。大体、俺を騙して何か得があるとも思えない。それに、言っても仕方の無いことだってあるだろう。
「……騙されてるんじゃないか?」
「無いとは言い切れないけど、疑心暗鬼になってもな。結局頼る宛も無いんだし」
「まぁ、悪事に利用されるようだったら紫が黙ってないだろうしなぁ。というか、そういうのを真っ先に利用しそうなあいつが放っている時点で疑うだけ無駄か」
魔理沙が口にした名前には聞き覚えがあった。確か、幻想郷の賢者の一人なんだっけ。神隠しはそいつが起こしているのだと、ここに来た初日に永琳が言っていたような。
「とは言っても、やっぱり違和感を覚えるな。事情が上手く飲み込めん」
「気になるんだったら、その紫って奴に訊いてみたらどうだ? 俺を幻想郷に連れてきたのも多分そいつだろうし、疑問を解消するくらいのことは知ってると思うぞ」
「気になるっちゃ気になるんだが、その為にわざわざあいつに会いに行く気にはならないな……アレがどこに住んでるのかも知らないし」
……八雲紫って、そんな会う気にならないような人物なのか?
「ま、その内ひょっこり宴会に顔を出すだろうから、覚えてたら訊いとくよ」
考えても無意味だと結論付けるように、魔理沙はそう答えた。
どうやら、こいつのスケジュール表には妖怪が参加出来るような怪しい宴会があって、そこで八雲紫と顔を合わせる機会があるらしい。妖怪退治の専門家を名乗っていたくせに、妖怪とワイワイやるのかよとツッコミを入れたくなる。猟師と猪が肩組んでデュエットしてるようなもんじゃないのか、それ?
ともかく、八雲紫と接触出来る場が存在するってのは有り難い情報だな。今のところ、そいつの助けがいるようなことになる予定は無いが……いざという時の情報として覚えておいて損はしないだろう。
八雲紫は宴会で会える、と脳にインプットしていると、隣を歩いていた魔理沙が不意に立ち止まった。
「っと、到着までの良い時間潰しになったな」
彼女の声で、今いる場所のすぐ近くに、俺が探し歩いていた店があるのだろうと察する。顔を上げ、周囲を見渡すと、真横に「鈴奈庵」と店名を主張する、少し広めの建物があることに気付いた。
鈴仙から聞いていた通り、近くに行けばすぐに場所が分かる親切設計だったな。こうも大きく店の名前を書かれれば、子供にだって理解出来る。俺は近くにさえ行けなかった方向音痴なのだけれども。
魔理沙は一仕事終えたといった調子の良い声で、俺に道案内の終わりを告げる。
「着いたぜ。ここが鈴奈庵だ」
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第十一話 自画自賛に値するチョイス
暖簾を潜り店内に入ると、まずチリンと鈴の音が鳴り響いた。静謐な本屋という印象が、耳を通じて目に映る。
店内は薄暗く、インクの独特の匂いが漂っている。謂うところの本屋の匂いである。外の世界も幻想郷も、本屋は同じ匂いがするらしい。
せめぎ合うように並ぶ本棚の数々には、両手がいくつあっても足りないくらいの本が彩るように置かれている。いくつかの本の背表紙には、俺の知っているタイトルが印刷されていて、ちょっとした安心感を覚えた。
「いらっしゃいませ……あれ、魔理沙さん?」
店の奥から少女の声が聞こえてくる。店番の子だろう、と目をやると、商品の整理でもしていたのか、何冊か本を抱えたまま、市松模様の着物を着た少女が本棚と本棚の隙間から姿を現した。
外見は魔理沙よりも年下のようだが、ここの従業員らしい。店主の娘、と考えるのが妥当だろうか。
「ええと、そちらの方は?」
本をテーブルに置き、少女がこちらに駆け足で寄ってくる。
「あぁ、こいつは…………って、そういやまだ名前を聞いてなかったな。一方的に名乗ったままだった」
「……佐倉霜夜。人に頼まれて、面白い本を探しに来たんだ」
「あ、お客さんでしたか。どうぞ、好きなだけ見ていって下さいね」
少女はニコリと営業スマイルを浮かべて、そう言った。
俺よりいくつも幼いだろうに、しっかりしているな。俺は嘘でも人に笑顔を向けるなんてしたくないし、接客だって出来る気がしない。感心すると同時に、自分の欠点を浮き彫りにされたようで若干気分が落ち込む。
「お、どうした? ……まさか、この子が気に入ったとかじゃないだろうな。アプローチをかけるならタイミングを図った方がいいぜ?」
「馬鹿言うな、俺はそんな軟派じゃない。しっかりしてんなって思っただけだよ」
横から魔理沙がからかってくるが、見当違いもいいとこだ。確かに可愛い容姿をしているとは思うが、それ以上の余計な感情はこれっぽっちも催しちゃいない。……っていうか、俺ってそんな風に見えるか? 自分では落ち着いた風貌だと思ってたんだが……。
「ふーん。まぁ、私と同じくらいにはしっかりした奴だな。危なっかしいところもあるが」
「お前は俺と同レベルに大雑把そうに見えるが……って、そんな話をしに来たんじゃなかった、あいつの気に入りそうな本を探さねーと」
お使い完了前に勝手に休憩して、店番の女の子の話なんかしてるのがバレたら、鈴仙に何を言われるか分かったもんじゃない。
後ろで何やら反論している魔理沙を無視して、近くの本棚を眺めて、左上から右に、なぞるようにタイトルを読んでいく。ところどころ、英語で書かれた雑誌が混ざっているが、誰が読むんだろう、これ。俺だってあんまり読めないのに、幻想郷という閉鎖的な世界に英語を理解出来る奴がいるのだろうか。
「うーむ……分からん……」
どれもいまいちピンと来ない。俺が読むんだったらすぐ決まるんだが、輝夜が好みそうなものとなると中々選びにくい。ビジュアル的に判断するなら、詩集とか上品な本だろうが……それを渡したとて、あいつが気に入るとは限らない。そもそも、俺は上品な文学について疎いので、こういう本の面白さがさっぱり分からないのだ。
いやはや、困った。他人の気に入るものを選ぶことの難しさがよく分かるね。
「悩んでいるようだな。私が選んでやろうか?」
魔理沙が恩を売ろうとこちらに近付いてくる。
いっそ、こいつに全責任を押し付けてしまおうか……。
「じゃ、参考程度に一冊頼むよ」
「おし、任せな。……で、どんな内容の本をお探しなんだ?」
「どんな内容というか、姫みたいな高貴な奴――輝夜って名前なんだが、知ってるか? そいつの気に入りそうな本をな」
「あぁ、あいつのことか。親しくはないが、どんな雰囲気の奴かは知ってるぜ。昔、ドンパチやりあった仲だしな」
「殴り合いでもしたのか……意外だな」
「そんな品の無い争いじゃないぜ。勿論、弾幕ごっこという高潔な決闘手段でのことだ」
「決闘には変わりないじゃねえか。あいつら、いかにも上流階級みたいな顔して、案外そういうこともするんだな。人は見た目によらないというか、綺麗な薔薇には棘があるというか」
「最近はあいつらも大人しいからなぁ。むしろ人里に貢献しようと暗躍してるくらいだ」
そういえば以前、鈴仙が里で鼠除けを売っていたという話をしていたことを思い出す。暗躍というと悪事を働いているように聞こえるが、少なくとも俺の知っている最近の彼女達は、むしろ人々の味方になっている印象しか無い。
にしても、決闘ね。どっちが吹っ掛けた喧嘩なのか、知りたくなくもない。第一印象だけで邪推するなら魔理沙の方から仕掛けてそうだが……一体過去に何があったんだろうな。
「ま、その辺は本人らが一番知ってると思うぜ。とりあえず私は注文通りの本を探してくるよ」
店の奥に移動する魔理沙を見送って、視線を本棚に戻す。試しに文庫本を一冊手に取ってみて、冒頭部分を黙読してみるものの、やはりピンと来ない。何かこう、人に薦めるだけの熱情が湧き出てこないというか。
こりゃ、魔理沙のセンスに頼るしかないな。諦めて本を元の位置に戻すと、タイミングを見計らっていたように、店番の少女がおずおずと俺に声をかけてきた。
「あのー……霜夜さん、でしたよね? ちょっとお尋ねしたいことがあるんですが……」
「はぁ……?」
彼女の胸には、比較的最近発行されたと見られる情報雑誌が抱かれており、自然とそちらに目が行った。雑誌名に見覚えは無く、書かれている文字は全て外国のもの。本棚に置いてあったような類の本だろう。
少女はその本をパラパラと捲り、あるページを開くと、長ったらしい英文を指差して訊ねる。
「ここに外の世界の地名が書いてあるんですけど、いまいちどういうところなのか想像出来なくて……外来人の方なら知っているかなぁ、と」
「……どこに?」
……訊かれるまでもなく外来人認定されてることはともかく。
彼女の指し示したところには、俺が読むには馴染みの無い単語がずらりと並んでいた。部分的には読めなくもないが、あまり読む気にはならない程度には意味が分からない。
ていうか、え? この子、これ読めるの? 今さっき社会性で負けた気になったばかりなのに語学力でも負けてんの、俺?
「この部分ですね。えーと、『フランスにおいて〜』と続いています」
見ると、確かにそのような単語があった。尤も、その前後の文章はさっぱりなので、フランスで何が起こったのかは不明なのだが。
「よく読めるな。俺だって一応、四年以上英語を勉強してきた身のはずなんだが、全然だ。幻想郷に外国語の分かる奴がいるとは思わなかったよ」
「私にかかれば、どんな文字だって読めますよ。妖怪の書いた文字でもお茶の子さいさいよ」
「妖怪文字って……語学に堪能というか……どういう勉強をしたらそんなもん読めるようになるんだ?」
「ちょっと前に、そういう力に目覚めたんですよ。貸本屋の娘だからですかね」
「あ、そう……」
そんな気軽に『力に目覚めた』なんて言っちゃって良いのだろうか。楽器が弾けるようになったとか、逆上がりが出来るようになったとか、その次元のような軽さで口にする言葉ではない気がする。
幻想郷のこういうところには、未だ慣れないな。自分がある種の異世界に来たってことを実感してしまう。
「まぁ、それは置いといて……フランスの話だっけ? 俺もそんなに外国に詳しい訳じゃないが、位置と名所くらいなら教えられるよ。紙か何か、書くものがあると良いんだが……」
「あっ、では持ってきますね。少々お待ち下さい」
と、駆け足で道具を取りに行く少女。すると、入れ替わりで魔理沙が戻ってきて、俺に本を差し出してきた。本選びが終わったらしい。
「これでどうだ? 意外とこういうのが良いんじゃないかと天啓に打たれてな、我ながら良いチョイスだと自画自賛しそうになるぜ」
「そこまで自信が持てるのは羨ましいところだよ……で、どれどれ?」
魔理沙の、その自画自賛に値するチョイスを確かめるべく、本を受け取った。
…………漫画本だ。それも、少年が好みそうな冒険系の。
俺の知らない作品だが、内容は何となく想像出来る。きっと、主人公とその仲間達で悪事を働く敵キャラを倒すとか、ハンターになって父親を探すとか、そういう系統だろう。
いや、これは流石に……いやでも案外……?
「……まぁ、これでいいか!」
趣味に合わないとキレられたら魔理沙の所為にしよう。恩着せがましく押し付けてきたとか言い訳すれば良いだろ、多分。
★★★
「――――で、ここがそのフランスってところで、首都はここ、パリ。エッフェル塔で有名なところだな」
少女の持ってきた紙に、筆で大雑把な世界地図を描いて、大まかな位置を示す。ヨーロッパ近辺の各国の位置も、正確ではないが一応描いておいたので、割と見やすい地図になったのではないかなと自らに及第点を与えておく。
しかし、日頃授業は程々にしか聞いていなかったが、案外覚えてるもんだな。一度覚えたものは妙に頭に残るというか、こびり付いて離れなくなるらしい。今後知識を活かした芸を覚える予定は無いが、つくづく人間の脳みそとは便利なものだと感心する。
「エッフェル塔って何だ?」
魔理沙の問いに、筆を動かしながら答える。
「百何十年か前に建設された……まぁ、でっかい塔だな。高さは確か三百メートル程度で、魔理沙を縦に二百人並べたくらいだ」
確かこんな形だった、と世界地図の隣にイラストを添えた。うん、俺にしては上手く描けている。
「へぇー、外の世界にはそんな巨大な塔があるんですね。一度見てみたいなぁ」
「見上げるくらい巨大なものと言うと、幻想郷だと妖怪の山がそうか。あそこも結構な迫力があるが、天狗なんかが縄張りを張ってるから気軽に行けないんだよな」
「天狗か。俺は大迫力の景勝地よりかは、そっちの連中に興味あるな」
「何だ、まだ会ったことないのか? お前さんみたいなのは、真っ先に天狗に狙われそうなもんだが……あいつもまだまだ嗅覚が足りないな」
天狗に攫われやすそうって意味か、それ? 幻想郷の天狗がどういう生態をしているのか知らんが、
「そういうお前は、口振りからして会ったことがあるらしいな」
「まぁな。交友関係は人並み以上に広いつもりだ」
そして、その知り合いリストの中に、今日俺が追加された、と。侮れんコミュ力してるな、こいつ。
「それはさておき……他にはエトワール凱旋門っていう、これまたでかい建物だったり、ルーヴル美術館なる世界で有名な博物館があったりするんだが、その辺は観光的な知識だし、あまり参考にならないか……」
改めてフランスとは何ぞやと訊かれると、結構答えられないもんだな。国としては最低限知っているが、逆に言えば国である以上のことは然程知識が無い。こういう時、手元のスマホで調べられないのが何ともむず痒い。俺は文明の利器に支配された現代っ子なのだ。やっぱり、スマホが無いと不便だよなぁ。
「うーん……やっぱ知識不足が露呈しちゃうな。花の都なんて呼ばれてるから、華やかな印象が強いんだけど……あとは、かたつむり食べてることくらいか……?」
「か、かたつむりですか?」
「ちゃんと調理した奴ね。エスカルゴって言って、一応美味いそうだ。尤も俺は食べたことないんだけど」
デンデンムシが頭に浮かんで、どうもね。俺は元々、肉とか魚とか、ポピュラーなものしか食べないし。
なんて、話の種になるかならないか程度のちょっとした雑談をしばらく続けていると、その内に情報のストックが尽きてきた。
まだ何かあるような気がして、記憶の引き出しを開け閉めしつつ、一分程ウンウン唸りながら頭を抱えてみるが。
「あー……まぁ、こんなもんか。大した授業も出来なくて悪いな」
諦めて、筆を置いた。
打ち止めだ。これ以上絞り出せそうにない。
「いえいえ、外の世界の面白い話が聞けて楽しかったです。ありがとうございました」
「それなら良いんだが……っと、ここに来た目的を忘れるところだった」
店内のテーブルの上に置いていた、魔理沙のチョイスした漫画本を手に取る。そう、ここには本を借りに来たんだった。頼まれたことだし、その役目は果たさねばなるまい。
少女に貸本屋のシステムを訊ねて、本を借りる手続きを済ませる。
返却期限は、俺が幻想郷に来てからの時間と比べれば、まだずっと先のことだった。次に鈴奈庵を訪れるのは、俺が今よりもこの世界に順応してからになるだろう。
「これでよし、と。それじゃ、俺はもう行くよ。道案内助かったぜ、魔理沙。それと、ええっと……店番の人」
少女の名前を呼ぼうとして、まだ名乗られていなかったことに気付く。これ、店に入った時もやったような…………もしかして、上手くコミュニケーションが取れていない証拠か? ちょっと自分が嫌になってきた。
「そういえば、自己紹介がまだでしたね。私は
「あぁ、よろしく。小鈴」
微笑む小鈴に、若干の敗北感を覚えながらそう返事をする。
まぁ、何はともあれ、当初の本を借りるという使命は達成出来た訳だし……どうでもいいか。
「じゃ、また」
「おう、またな。鈴仙によろしく言っといてくれ」
籠に本を仕舞い、店を出る。外はまだ明るく、里は活気付いている。
本は借りたから、あと頼まれていたものは……と。
確か、用が済んだら、予め決めておいた合流場所で待っていればいいんだったな。鈴仙の仕事がいつ終わるのかは分からないが、早いに越したことは無いだろう。ちゃっちゃとお使いイベントをこなすとするか。
市場を目指しながら、ついさっき知り合ったばかりの少女達のことを考える。
妖怪退治の専門家に、どんな文字でも読める能力に目覚めたという店番の少女。こうしてちょっとお使いに出ただけで、ああいう種類の人間と出会うんだから、この世界は俺の常識に
……またもう少し経てば、別のおかしな奴が俺の前に現れたりするのだろうか。次は天狗が草むらから飛び出してくるかもしれないな。魔理沙曰く、俺は狙われそうな人間らしいし、あり得る。
鈴仙のように、会話の通じる妖怪なら良いんだが、さて、次は何が出るかね?
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TIPS1 学校にはもう行けない
閑話です。
本編で説明出来ていない部分や補足、会話については、TIPSという形で書いていこうと思います。
鈴奈庵で、外の世界のことについて話していた最中のことである。
おかしな遊びでもしているのか、外から子供達の笑い声が通り過ぎていくのが聞こえて、ふと思う。
「そういえば、幻想郷には寺子屋があるんだっけ……」
前に鈴仙から、幻想郷の小学校的施設である寺子屋の存在を聞いたことがある。俺が思っているよりも規模は小さくて、通うのは小さな子供だけだとか。まさに江戸時代に登場する寺子屋がイメージされる。
しかし、学校か。
別に大した思い入れは無いが、いざ行かなくなってしまうと、少しばかし追懐するというか、懐古的になってしまう。何だか、授業終わりに飲んでいた、安くて甘いだけの自販機のコーヒーが恋しくなってきた。幻想郷に来てからはお茶ばかり飲んでいたし(というか、お茶くらいしかドリンクが無い)、久しぶりにグイッと行きたいところだな。
思い返すと、俺の学校生活は最初から最後まで暗黒の日々だった。地獄というには生温かったが、まぁまぁ居心地の悪い空間に何時間も拘束されるのは、精神衛生的にあまりよろしいことではなかっただろう。
何より、会話するような――友達というのもいなかったし。
一人でいるのは気楽で、余計な心配をすることも無くて良い。しかし、クラスメイトが仲間とワイワイやっている様が、ちょっとだけ羨ましくあったのも事実である。
人付き合いのリスクよりも気楽を選択したのは俺なんだが、よく言う隣の芝生は青いって奴かね?
そういえば昔……小学生に入ってすぐか、その直前に、母親から友達は作るなと約束させられたことがあったっけ。他の連中が遊んでる時間を勉強に費やす云々、おかしなことを教え込まれたような。
今でこそ異常な約束、もとい拘束だと嘲りながら言えるが、当時はそれが普通だったんだよな。笑えない話だ。
多分、俺がぼっち気質なのは大体あの人の教育の所為だと思う。小学校時代にコミュニケーション能力を磨かなかったのも要因の一つだが、変に言いなりになった反動で、性格のひん曲がった人間になってしまったのだろう。生まれつきの部分も結構あるけどさ。
反発するようになってからこそ干渉は控えめになったが、あの家の教育方針は酷いもんだったと改めて思うね。父親もどうしてあんなのと結婚したんだか……って、いけないいけない。今更あの人への不満を再燃させても仕方の無いことだったな。
負の感情を振り払うように、溜め息を吐いた。余計なことは考えるべきじゃない。
「何だ、寺子屋に行きたいのか? 面白いところじゃないと思うが」
俺の呟きを聞いて、魔理沙が反応する。
「いいや、俺も一週間くらい前までは学校に通っていた身分だったからな……ちょっと退屈な授業が懐かしくなっただけだ」
「混ざりに行きたいってんなら止めはしないが、あそこは小さい子供が通うところだからな。変な目で見られても知らないぞ?」
何でそんな心配をされにゃいかんのだ。大体、俺が通っていたのは高校であって小学校じゃないし、十七にもなってガキに混ざってお勉強したい願望があるはずもない。
「行かねーよ、今更初等教育なんか受けたら脳が退化しちまう。どうせ勉強するんだったら、もっと趣味的で、難しそうなことに挑戦するね」
しっかり探した訳じゃないし、ラインナップ的にあるのかどうか疑問だが、鈴奈庵に外国語の学習本があるなら、第二言語の習得に勤しむのも良いかもしれない。そうすれば、暇潰しに読める本の種類も増えるしな。英語のよく分からん本とかね。
まぁ、多分やらないだろうが。妄想的なやる気だけはあるんだけどなぁ、実際やるとなると、疲れて辞めてしまうのが目に浮かぶ。
「趣味関連の雑誌でしたら、うちで扱っていますよ。良ければ見ていきますか?」
「趣味ねぇ……ま、今日はお使いで来ただけだし、またの機会にしておくよ」
店番の少女の提案をやんわり断りつつ、趣味を見つけるのも有りだな、と思案する。ぶっちゃけ、幻想郷に来るまでの趣味はどれも退廃的というか……動画サイトを観たり、ゲームをすることが大半だったから、ここらで健康的な趣味を始めるべきなのかもしれない。
今の生活が落ち着いたら、考えよう。まだ幻想郷生活は始まったばかりだしな。
しかし、言い換えれば、俺が外の世界で行方不明になってもう一週間も経ったことになるのか。確か、失踪届は七年間行方不明になったら出せるんだっけ? 七年もあれば、高校生活を二回と三分の一回も送れるな。
高校は、今のところ外の世界に戻る予定は無いから、近い内に退学扱いになるだろう。折角入ったんだから、卒業証書くらいは貰っておきたかったな。家から一番近いっていう理由で選んだだけの学校だったとは言え、何だか勿体無いことをした気分だ。
「趣味なら
「私も妖魔本っていう珍しい本を集めているんですが、新しい妖魔本を入手した時は感動しますね。こう、満たされていくと言いますか」
「一応、私もいくつか
「それ、集めてるって言うのか……?」
一生借りる、みたいな言い草だ。いや、まさか借りるという名目でパクったりはしていないだろうけど、妙に引っかかる。
にしても、幻想郷には魔導書が存在するのか。それっぽいインチキ本なら外の世界にもあったが、どういうことが書いてあるのか一度読んでみたいな。
……そういう話を聞くと、どうせ非常識で空想的な世界なんだからと、そういう本格オカルト的な趣味を始める道にも興味が湧いてくる。例えば、魔理沙の知り合いという魔法使いに、魔法を教えてもらって勉強するとか……うん、楽しそうだ。実際可能かどうかはともかく。
今度、永琳や輝夜にソレ系の面白そうな趣味がないか訊いてみるか。あの人達は色んなことを知っているし、亀の甲より年の功、良い案を出してくれるかもしれない。
今まで学校で、散々現実的な勉強をしてきたんだ。思い切ってベクトルをひっくり返して、オカルト的趣味を見つけてみようか――――と、俺は脳内スケジュール表に、こっそり趣味の捜索について書き込むのであった。
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第十二話 俺は一体どこにいるんだ……?
前回のTIPSの分ではないですが、今回は少し長め(九千五百文字程度)です。……少し?
ついでに活動報告も更新したので、良ければそちらもご覧下さい。
「…………どうすりゃいいんだ?」
その場で立ち止まって、呟いた。
現在地、迷いの竹林――――の、どこか。見渡す限り竹、竹、竹で、正確な位置を知る手掛かりは一切無く、その上、天高く伸びた竹に日光が遮られて、辺りは薄暗い。
デジャブを感じる。確か、一週間くらい前にも、同じような状況に陥ったことがあったな。あの時はとりあえず出口を探そうと移動し始めたところで、鈴仙に出会ったんだっけ? 何だか懐かしいな。いや、そんな懐かしんでる場合じゃないんだけど。
ひゅぅと風が吹き、周辺の竹が、まるで俺を笑っているかのように音を立てる。
……あぁそうさ、笑いたきゃ笑え。俺だって笑いたい事態なんだ。
上空を見上げて、大きく溜め息をついた。
「どうして一人で帰るなんて言っちゃったんだよ、俺さぁぁぁ……!」
佐倉霜夜、元高校生。
絶賛迷子中である。
くそ、あの時退屈に負けてなければ……っ!
己の愚かさに嘆きつつ、およそ一時間前の出来事を思い返す。
そう、集合場所で鈴仙と交わした会話の内容を――――――。
★★★
鈴奈庵で本を借り、市場で調味料を買い揃えた俺は、鈴仙から伝えられていた集合場所に向かって歩いていた。
場所は里の入り口となる門の前だ。万が一迷子になった際は、どうにかして探してやるから大人しくしていろと言われていたが、この調子なら、無事鈴仙に手間をかけさせることなく集合場所まで辿り着けそうだな。
大丈夫、経路はちゃんと覚えている。
そんな自信を裏付けるように、しばらくすると、見覚えのある門が遠くに見えてきた。あそこで鈴仙と合流すれば、おつかいミッションはコンプリートである。
門に近付き、その傍らに寄りかかる。いやぁ、疲れた。道中どうなるかと思ったが、案外何とかなるもんだな。案内をしてくれた魔理沙には感謝感激雨あられだ、心の中で存分に感謝しておいてやろう。ふむ、褒めて遣わす。
頭の中で、妄想の魔理沙が「ははー、有難き幸せ!」と返事をする。いや、あれはそういうことを言わなそうだな。誰に対してもフランクに接してそうだ。
そうおかしなことを考えて、通行人に気付かれない程度に小さく笑っていると。
「……何一人で笑ってるのよ。おかしな薬でも飲まされたの?」
……大きな笠で顔を隠した鈴仙が、怪訝そうに俺を睨んでいた。
「いや、ちょっとな。さっき変わった奴に出くわしたんで……」
「変わった奴? まさか、変なのに騙されてないでしょうね?」
「騙されてないし、むしろ世話になったんだよ。霧雨魔理沙って名前の奴なんだが、知り合いだよな? よろしく伝えるよう言われたよ」
と、魔理沙の名前を出すと、鈴仙はどういう訳か露骨に嫌そうな顔をした。
……あれ? その反応は予想外だったぞ?
「……もしかして、関わっちゃまずい奴だったか?」
「そういうんじゃないけど……何かと強引な人間だから、警戒しただけよ。企みが無いとも限らないし」
「俺の接した感じ、好奇心で近付いてきただけっぽかったけどな。深い考えは無さそうだったぞ」
「その好奇心が先行するタイプだからタチが悪いのよね……私、前に追いかけられたことがあるもの」
兎追いし、ってか?
妖怪兎を追いかけるとは、またアグレッシブな奴だな。
「人間相手にいきなり襲いかかったりはしないでしょうけど、注意はしておくことね」
「そう言うなら、一応。っと、そうだ。頼まれたもの買ってきたぞ。あと本もな」
本を選んだのが、例の霧雨魔理沙だってことは伏せておこう。正直に喋って問題が生じるとは限らないが、万一生じては堪ったもんじゃない。終わった気でいるので、選び直しに行く気力が無いのだ。
「ん、お疲れ様。それで、この後のことなんだけど……私の方はもうしばらく時間が掛かりそうなのよね。ここで待ってても良いし、一緒に付いてきてもいいけど、どうするの?」
「そうか、だったらここで適当に時間を――――」
俺がいても仕事の邪魔になるだけだろうから、ここで一人じゃんけんでもして時間を潰してるか……と考えたが、その時俺の脳裏に第三の選択肢が浮かび上がってきた。
ちょっとした思い付きだった。特に深い考えも無ければ、その結果起こるであろう未来も見えていなかった。
そして、俺は安易にその愚案を口にする。
「――――いや、先に帰ってみてもいいか? 来た道を引き返すだけなら多分、迷わずに永遠亭まで帰れるだろうし」
妙な自信があった。
竹林の正確な地理など当然把握していないし、把握出来る気もしない。しかし、ただ永遠亭に一直線に向かうだけなら、何故か出来そうな気がした。
最初に人里を訪れた時は、徒歩での移動で、一時間程度の道のりだったが、今は違う。空を飛ぶことで、足元の悪さは完璧に克服されたし、単純な移動速度も格段に上がった。それでも多少は時間が掛かるだろうが、言ってもここから三十分かそこらで永遠亭まで辿り着けるはずだ。
たかだか三十分の道のりで、しかも三度も通ったルート。
まぁ、行けるっしょ! と、楽観的にそう思った。
鈴仙は俺の愚考を聞くと、少し考える仕草をして、これまた楽観的に答える。
「そうね、これも良い機会かも……良いんじゃない? まだお昼だし、迷っても割と何とかなるでしょうし」
「っし、じゃあ俺は先に帰って、おつかいの成果を輝夜に見せてくるよ。また後でな」
「くれぐれも、私の方が先に帰った、なんてことにはならないようにね」
「そんな間抜けなことにはならないって。んじゃ、お先に失礼しまーす」
籠をしっかり手に持ち、鈴仙と別れて里の外に出る。
何だか、冒険にでも出かける気分だ。そういえばこっちに来てから、外に出る時は基本的に鈴仙が一緒だったんだよな。里の中では別行動をしてたけど、セーフティゾーンでのことを除けば、一人で外を出歩くのは神隠しに遭った直後以来か。
……なんか、子供に初めてのおつかいを頼むテレビ番組が頭に浮かんできた。
丁度おつかいの帰りだし。
地面を蹴り加速しつつ、霊力を解放して宙に浮き、その勢いを持続させたまま、竹林を目指し進む。どうせだから、自転車で下り坂を全力疾走するか如く速度を出して、風を切る感覚を味わいたいところだが、事故った時の代償が恐ろしいので、そこそこの速さにセーブしておいた。
それでも自転車くらいの速さは優にあるけどね。
空を飛ぶ力がチート能力であることを、改めて認識する。空を飛んでいるから地形を無視出来るし、結構な速度を出せるし、それに体力の消費も控えめだ。自転車で同じ速度を維持するのに必要な体力と比べたら、歩いているのと大差無いレベルである。
これを知ったら、大抵の人間はもう元の生活には戻れないだろうな。すっげー楽だもん。
などと、怠惰なことを考えていると、あっという間に竹林の入り口まで到着した。
やっぱり速いな。サラマンダーより、ずっと速い!
確か、来た時はこの場所から出てきたはずだ。ということはつまり、ここから一直線に進めば、永遠亭に到着するに違いない。
うっかり竹にぶつかるといけないので、若干速度を落として安全性を確保してから、竹林に進入する。
……さて、さっさと帰って休むとするか。
★★★
「どこなんだここ……俺は一体どこにいるんだ……?」
竹林に入ってから、もう随分と時間が経ったというのに、未だに永遠亭の影も形も見えない。おかしい。絶対におかしい。道を間違えでもしてなきゃ、こんなこと起こり得るはずが無い。
…………道、間違えたんだろうなぁ。完全に遭難状態だ。
当ても無く彷徨いながら、一人で帰るなどと言い出したクソバカ野郎に怨嗟の念を浴びせる。常識的に考えて、こんな竹しかない土地で迷わず移動出来る訳ないだろうが。太陽の位置もよく分からない、ただただ広大な自然の中を、どうして自分一人の力で歩けると勘違いしてしまったのか、理解出来ない。
……どうしよっか。いたずらに移動したところで、事態は悪化するばかりだろう。運良く永遠亭を発見する可能性が無きにしも非ずとは言え、そんなことをしても、最悪の結末を迎えるだけに違いないと容易に想像出来る。
何より、ここは『迷いの竹林』だ。素人が勘で歩いていい名称じゃない。
ますます帰れる気がしなくなってきた。
これが紙に描かれた迷路だったら、上から全体を見てルートを発見出来たのにな。一人称視点でやる迷路は難易度が高すぎて、俺には難し……いや、待てよ?
そうだ、俺には上から見る手段があったじゃないか。いつも竹林の中を移動していたから、この竹だらけの空間を攻略して永遠亭を目指さなきゃいけないもんだと思い込んでいたが……上空に移動して、そこから俯瞰すればいい問題だったな。
いくら竹がわさわさ伸びまくってると言っても、結構な広さの永遠亭の敷地内全てを覆い隠せる程ではないだろう。探せばすぐに見つかるはずだ。それに、そのまま上空を移動すれば、竹や地形に惑わされる心配も無い。
何て素晴らしいアイデアだ。
すぐさま足に力を入れ跳躍し、飛翔の態勢に入って天を目指す。
普段は墜落した時のことを考えて、低空飛行ばかりしているので、少し不安もあるが、今ばかりは仕方無い。どうせ霊力が制御出来なくなって墜落なんて、まず起きることじゃないんだし。
日光を遮っていた竹の葉を乱暴に突っ切り、竹林から脱出すると、日差しが視界に飛び込んできた。若干霧が立ち込めてはいるが、それでも下よりは充分眩しくて、久々の日光で目が痛くなってくる。
「やっぱ高いな……高所恐怖症じゃないけど、流石にまだちょっとビビるわ……」
霊力でしっかり身体を支えているので、下手な命綱よりはずっと安全なんだが、ついここから落ちた場合を想像してしまう。下は地面だし、竹で衝撃も多少は緩和されると思うが……万が一、落下した地点に筍が生えていたらぶっ刺さって死ぬな。おぉ、こわいこわい。
グロテスクな想像を振り払って、絵探しをするように、目を凝らして竹林を見渡す。多分、そう見つけるのに苦労はしないはずだ。上空を移動しながら、あちこち探していけば、すぐに発見出来るだろう。
にしても、この竹林無駄に広いな……。
――――――ヒュンッ!!
「…………え?」
不意に、どこかからボールのようなものが飛んできた。
幸い、直撃することなく俺の真横を通過し、いずこへ消えていったが、当たったら何かしらのリアクションをせざるを得ない程度には勢いがあるように見えた。
最初はサッカーボールが飛んできたと思った。しかし、こんな空の上までボールが飛んでくるはずないだろうと、すぐに次の発想に至る。
即ち、それ光弾――攻撃であると。
即座に光弾の放たれた方向に顔を向けた。誰が相手か知らんが、まずは顔を拝んでやらんことには始まらない。
やや距離のある位置から、ふわふわと浮かびながらこちらの様子を窺うそいつの正体を、視界に収める。
小柄で虫のような羽の生えた、一人――いや、一匹の女の子。竹林の中でも時折見かけることのある種族の容姿だ。見覚えの無い顔だが、そんなことはどうでもいい。問題は、そいつがどんな種族かということなのだから。
正直、ホッとした部分もある。もっと恐ろしいものに襲われなくて良かったとか、弱そうな奴で助かったとか。可能なら、あまり遭遇したくないことには変わりないんだが。
しかし、本格的な妖怪に襲われるよりがずっとマシな相手だった。
そいつの種族は、妖精。
自然があるところならどこにでもいるという、比較的危険度の低い連中だ。
悪戯好きで頭の弱い、見た目通り子供みたいな奴らだと聞いているが……実際こうしてその標的になるのは初めてである。
どうしたもんかな……。
一応、光弾で弾幕を展開する程度の技術は会得しているから、今この場でその技術を披露し、戦闘に入ることは可能だ。だが、わざわざ撃ち合う必要性があるようには思えない。撃ち落とされるリスクもあるし、むざむざ危険に首を突っ込むのもいかがかと思う。
あと、妖精とはいえ、小さい女の子に攻撃するのは俺の評判に響きそうで躊躇する。
十秒にも満たない僅かな時間、睨み合うような構図のまま逡巡していると。
「ッぐふぅ!?」
背中に、衝撃と痛みが走った。
吹き飛ばされそうになるのを堪え、身体を循環する霊力量を増やして体勢を維持する。
何だ、何が起こった。
バッと振り返って、その正体を視認する。
数匹の、少女の姿をした妖精が視界に映り、理解した。俺を急襲したのは、間違いなくこいつらだ。最初に姿を現した妖精は、恐らく俺の注意を引く為の囮だったのだろう。
連中の顔や服装をよく見ると、ほんの僅かだが見覚えがあった。鈴仙と霊力の特訓をしていた時に、こちらを観察していた妖精が、彼女達とよく似た姿だった気がする。
きっと、その時に襲いやすい奴だとでも思われたのだろう。仕方無い、霊力の扱いに関しちゃ、俺は未だ素人のまんまだ。そんな俺の訓練風景を観察していた彼女達にとって、俺はまさにカモのような人間……こうなるのは想定出来ることのはずだった。
「にしたって、こんなドッキリを喰らうとはおも…………って、まだ撃ってくんのかお前らっ!?」
妖精達は、まんまと自分達の作戦に引っかかった俺を馬鹿にするかのような顔をして笑うと、続けて一斉射撃を始めた。
大小様々な光弾が、弾幕となって俺に迫る。咄嗟に目視で弾の密度が低い位置に移動し被弾を免れるが、慣れない弾幕避けに、神経は既に金切り声をあげていた。
正直、回避し続ける自信は無い。逃げた方が得策だろう。
たかが妖精に遁走するのはちょいと情けないかもしれんが、つまらないプライドよりは命の方がよっぽど大事だ。
加えて、俺の挙動がそんなにおかしかったのか、彼女達は
「きゃははっ! あの人間よわーい! 空を飛んでるくせにあんな……ぷぷっ、あはははは!」
……言い返したくなるが、無視だ無視。俺は大人だ、あんな子供の言葉に感情を揺さぶられる程幼稚ではない。
あんなちっさいガキに何を言われたところで、俺の圧倒的大人の余裕は崩れない。
「ねー、男なんだしもっと強くなきゃ駄目だよねー」
「弱いし、顔は女の子みたいだし、ほんとは乙女なんじゃないのー?」
「んだとテメェら!! 上等だ、今から全員ぶっ………………っ、つ、次会ったらとっちめてやるからな!」
割と気にしていることを突っつかれ、思わずキレかけてしまったが、ギリギリで押し留めたからセーフだ。今のはキレた内に入らない。俺はまだ大人だ。
これ以上の会話は不要だろう。霊力のベクトルを下向きにし、竹林内部に向かって急降下する。
「あっ、逃げた!」
竹林に突っ込み、追いつかれないよう、速度を出して奥に移動する。
一度竹林の中に入ってしまえばこっちのもんだ。上からは竹が邪魔で見えないし、中は鬱蒼としているから隠れやすい。逃げるが勝ちとは、まさにこのことだろう。
撒いたと確信したところで、地上に降りて一息つく。
「ふぅ、これで一安心…………じゃなくて、結局永遠亭見つからなかったじゃねえかよっ!!」
で、叫んだ。
そうだった。永遠亭を探す目的で空飛んでたんだった。
……でも、もう一回上に行くのはまずいよな。さっきの妖精連中と出くわしたら最悪だ。気持ち的に、あまりそれはやりたくない。
ってことはつまり、地上から永遠亭を探さなくちゃいけないってことで……振り出しに戻ったって訳だ。
「はぁぁ……何でこうなるかなぁぁあ……」
近くの竹に手をついて、己の無能さに絶望する。
やることなすこと全部駄目だ。もしかしたら俺は、自分が思ってる以上に駄目な人間なのかもしれない。
「あー……その、困っているなら手を貸そうか?」
色々ネガティブな感情が込み上げてきて
こんなところで誰かと遭遇するとは。もしかして、不運の後には幸運が待っているとかいうアレか?
顔を声の主の方に向け、返事をする。
「実は道に迷ってまして……永遠亭ってどこか分かります?」
見ると、相手は赤いもんぺを履いた、長い
随分と色素の薄い少女だが、彼女も妖怪の一種なのだろうか。いや、それにしては友好的に話しかけてきたし……ちょっと色が白いだけの人間か? 幻想郷だし、そういう人がいてもおかしくないと思うが。
「永遠亭? もしかしてあんた、病人なのか?」
「いや、そういうんじゃないんだが……ちょっとした事情があって、あそこに住んでいてな。日が暮れる前に帰らないとどやされちゃうから困ってるんだよ」
「あそこに? そりゃあ大変だな。気苦労も多いだろう」
「えぇ、まぁ……」
永遠亭って女ばっかだしな。それに加えて、俺はあまり社会生活が得意じゃないから、苦労していると訊かれれば苦労しているような。
俺が曖昧に答えると、少女は憐れむように俺の肩をポンと叩いて、こう慰めた。
「……辛いことがあったら愚痴くらいは聞いてあげるよ」
「はぁ、そうすか……」
なんだろう、この人。俺がそんな不幸そうに見えるのだろうか。
「とりあえず、永遠亭に帰りたいんだったな。付いてきな、永遠亭はこっちだ」
GPSで位置を把握しているかのように、少女が迷いなく歩き出す。鈴仙といいこの人といい、どうしてみんなこんな竹しかないような場所で迷わず歩けるんだか……慣れと経験って、そんな超能力じみた土地勘を得られるもんだっけ?
少女の後を追い、雑談がてら質問をする。
「ええっと……何さんでしたっけ?」
「
「妹紅か、よろしく。ちなみに、俺の名は佐倉霜夜。どうとでも呼んでくれ」
どうやら、この少女は藤原妹紅という名前らしい。藤原と言うと、芸人の名前や日本史に出てくる藤原氏を思い出すな。ここ最近はテレビも観ていなければ、歴史の勉強なんかもしてないから、どちらもほとんど覚えてないけど。
「歩き慣れているようだが、妹紅はこの辺に住んでるのか?」
「そうだ。お陰で竹林の地理には熟知しているよ。迷い人を道案内出来る程度にはな」
俺がこうして方向を見失って遭難している事実を鑑みるに、それはもはや熟知というか特殊能力の域に達しているような気がする。こいつは一体、どれだけ長い時間をここで過ごしたんだろう。何年か住んだくらいじゃ、そうそう身に付かなそうな能力だが。
「そういうお前は、どうして永遠亭に? 服装や雰囲気からして、外の世界から来たんだろう?」
「色々事情があって、帰れなくなりまして……永遠亭に住んでるのは、まぁ、あいつらの厚意だな。特に不自由も無く居候させてもらってるよ」
「……どういう事情があるかは訊かないが、忠告だ。もし輝夜とかいう奴に惚れたのが理由なんなら、あいつだけはやめた方が良いぞ。昔からそうなんだ、あいつに惚れた奴は皆ロクな末路を迎えん。さっさと諦めて元の生活に戻るのが吉だ」
妹紅は俺が説明を端折ったのを何か勘違いして、おかしな忠告を始めた。確かに、竹取物語に登場した、難題を吹っかけられた五人の
「詳しく話すと長くなるからまたの機会にするけど、そういうんじゃないっての。輝夜を口説くなんて理由で幻想郷に居座ってたまるかよ。見目が特上なのは否定しないが、あいつと付き合おうとは思わないし、付き合えるとも思わん」
「む、そうか。誤解して悪かったな。それを聞いて安心だ、お前が真っ当な感性の持ち主で良かったよ」
……つまり、輝夜に惚れる奴は真っ当な感性をしていないと。あいつってそこまで言われる程ヤバい奴でもないと思うんだが、妹紅は俺の知らないヤバい部分を知ってたりするのだろうか? 聞きたいような聞きたくないような……いや、やめておこう。怖いから。
「恋慕するんだったら、鈴仙ちゃんにしておきな。輝夜よりはずっと真っ当だ」
「それも身の丈に合わないし、そういう感情は全っ然無いからな。そもそも恋愛なんてのは、もっとこう、生き生きした奴がやるもんだ。俺みたいなのは死ぬまで一人でじめじめ過ごすのがお似合いだよ」
「独り身も良いと思うが……お前くらいの年の奴はもっとギラギラしてるべきじゃないか?」
万が一、もし俺がトチ狂って鈴仙に告白したとしても、「キモっ」と無下に扱われるのがオチだ。わざわざ辛い思いをする必要はどこにも無いし、俺はマゾなんかでもない。
ていうか、お前だって俺とそう年は変わらんだろうに。
「っと、永遠亭が見えてきたな」
雑談が続く程度の時間歩いていると、妹紅の言葉通り、永遠亭が竹の奥にあるのが見えてきた。俺はてっきり遭難してしまったものと思っていたが、妹紅にとってはこの程度大したことではないらしい。よくこんなあっさり永遠亭まで辿り着けるもんだと、つい感嘆の声を漏らしてしまう。
「凄いな、目印も無かったってのに」
「慣れてるからね。さ、ここまで来ればもう大丈夫だろう」
「おう、本当に助かったよ妹紅。ありがとな」
命の恩人に礼を述べ、永遠亭に帰ろうとして。
「次は迷子になるんじゃな……あ」
妹紅が、何かを見つけた。
「――――あら、早かったじゃない。鈴仙と一緒じゃないの……って」
輝夜だ。永遠亭の敷地外にいるのはあまり見たことが無かったが、散歩でもしていたのだろうか。どこに行っても竹しか無いんだし、散歩しても楽しくなさそうだけど。
それはそうと、輝夜は俺の後ろに誰か――妹紅がいることに気付くと、目を細めて、俺に言った。
「あらあら、どうしてあんなのと一緒にいるのかしら? 不思議ね。この辺は不審者がいるから、気を付けた方が良いと注意したはずだけれど?」
「いや、されてないけど」
「じゃあ今するわ。知らない人には付いていかないこと」
無茶苦茶な。
しかし、この態度……もしかしなくても、輝夜と妹紅はあまり仲がよろしくないようだな。あるいは犬猿の仲かもしれん。
チラリと妹紅の方を見ると、あちらもあちらでそれを態度で示していたから、間違いないだろう。
「な? やめた方が良いだろ?」
な?と仰られても。居候の分際で、家主の前でそんなことに同意してみろ。明日から、目が覚めた時天井の見えない生活を送ることになるぞ。
「どういう意味かしら?」
「霜夜に言ったんだよ。お前に惚れるのだけはやめておけ、ってな。まぁ、当人は
「…………ふーん、そうなの、へぇ……」
輝夜が俺を睨みつける。何故俺に火の粉を飛ばす、妹紅よ。
「い、いや、身の丈に合わないって意味だからな? 決してお前に問題がある訳じゃなくって、そう、俺なんかが惚れていい相手じゃないっていうことでね?」
「つまり、身の丈を理由に出来る程度ってことね。霜夜の言いたいことは分かったわ」
「何故そう解釈する!? だからそういうんじゃなくて……えぇ……?」
こういう時、どう釈明すべきか誰か教えてほしい。女の望む返答ってのが全く分からない。
「まぁいいわ。所詮は小娘の戯言、私の美貌が通用しないなんて、ありえないもの」
「大した自信だな。…………はっ」
嘲笑。
両者の間に、重苦しい沈黙が流れる。
心做し胸が苦しく感じる。この沈黙は心臓に悪い。
……あの、自分、さっさとやること済ませて休んでいいですか?
「……まどろっこしいな。もっとシンプルに行こうじゃないか」
「そうね、私も丁度同じことを考えていたわ」
妹紅が口を開き、輝夜がそれに応えると、バチバチと、不穏な火花の音の幻聴が聞こえ始めた。
嫌な予感がする。
もしかして、さっさと逃げた方が良いんじゃないだろうか。いや、まさか逃げなきゃいけないような事態になんて……ならない、よな?
「霜夜、危ないから少し下がっていなさい。流れ弾に当たったら痛いわよ?」
流れ弾!? 流れ弾って言った!?
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