仮面ライダーソニック 掌編集 (度近亭心恋)
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彼女はなぜ模造されたのか

あなたが勝てると思えば勝てる。勝利には信念が必要だからだ。
ウィリアム・ヘイズリット(1778~1830)


 女心と秋の空、とはよく言ったもので、昨晩の雨が嘘のようにその日曜日は快晴だった。

 雨の直後ということもあり、朝もやは濃い。海沿いの街である内浦には、潮風が涼やかな秋風の風味を含んで吹きつけている。

 

「What a good fortune!」

 

 日課である朝のトレーニングを終わらせると、隼斗は伸びをした。まったく今日はいい日になりそうだと思える澄んだ空。

 なにより今日は────

 

☆ ☆ ☆

 

「じゃあ行こっか、デート!」

「デートって……。姉ちゃん言ったじゃんか、ただ『遊びに行こう』って」

「それってデートでしょ?」

 

 そこまで言って、松浦果南はひひっと笑った。

 

 正直なところ、隼斗の反応を見て楽しんでいるフシが彼女にあるのは否めない。

 常に「かっこいい自分」を思い描いて、それを実現することを目標にしている天城隼斗だが……どうにも、果南の前では理想の自分でいることが難しい。幼少のみぎりの、姉弟の如き関係の延長に今の二人があるからだ。

 

 理想のかっこいい自分を一番に見せたいのは、他でもない彼女だというのに。

 

 久々の日曜のお出かけだからと果南の自宅に王子様の如く迎えに来たつもりが、気づけば弄ばれている。二人は隼斗のライドソニックのところまで歩いていきながら、他愛もない話を続けていた。

 少年の悩みと憂いをよそに、果南はフンフンと鼻歌を歌っている。そのメロディに、隼斗は聞き覚えがあった。

 

「姉ちゃん……その歌……」

「これ? 昨日TVのバラエティで使っててさー、好きなメロディだなーって」

 

 それだけ返すと、また果南はフンフンと鼻歌を再開する。隼斗は困った。

 

(それJ Geils Bandの『Centerfold(堕ちた天使)』……。高校の頃の憧れの女のコが、雑誌のヌードピンナップに出てたーってショック受けるって内容の歌なんだけど……)

 

 アメリカでの生活は、隼斗に洋楽のざっくりした知識を授けていた。

 意味が解っていると、何となく高校生の年ごろでは気恥ずかしくなるような洋楽の曲は多い。一瞬歌の内容を説明してやめて貰おうかと思ったが、説明する方が何だかキモいなと思い、思い直して果南の気の向くままにさせた。

 

 結果として、隼斗一人がもやもやとしながら一緒に歩く羽目になったのだけれども。

 

 ライドソニックの下に辿り着くと、二人は跨りヘルメットを着ける。ハンドルを握る隼斗に、果南がしがみつく形だ。

 

「じゃあ、行こうぜ! 姉ちゃん!」

「おっけー。ゴー! 隼斗!」

 

 果南がぎゅっとしがみつく。服越しでも伝わるぬくもり。やわらかさ。至福のひととき、かと思いきや──

 

「あっだだだだだ!! 痛い!! 姉ちゃん痛いから!!」

「え? あー、ごめんね」

 

 惚れた弱みとでも言うべきか、天城隼斗は時たま忘れそうになる。

 松浦果南が、みかん運搬用のトロッコのハンドルをバキ折るぐらいの怪力の持ち主だということを。自分なりに鍛えているつもりではあるが、それを易々と飛び越えてくる力はどれだけだという話だ。

 

「……皆を守るんなら、もう少し強くならなきゃね」

「いやあ姉ちゃんが規格外……あだだごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」

 

 戒めの如く再び強められた力に、隼斗はまたも悶絶した。

 

 

 全く、松浦果南(このひと)には敵わない。

 

☆ ☆ ☆

 

 ライドソニックを飛ばし、二人は沼津の市街地に降り立っていた。気分転換に街に出よう。数日前にそう誘ったのは果南の方からだった。本当ならばAqoursの面々全員で行きたいところだが、急なことで結局二人きりのアドリブデートと相成ったのだ。

 何せ、気分転換の理由が────

 

「廃校、決まっちゃったね」

 

 Aqoursの母校、浦の星女学院が廃校になるからだ。

 廃校が決まった時には、随分と落ち込んだ。

 学校を守る。

 その約束を果たせなかったことが隼斗のアイデンティティを揺さぶり、何よりも悔しかったからだ。

 だが、彼は再び立ち上がった。

 一時霧香博士の言葉を受け、過去を悔やむのではなく、未来を変えようと決めた。しかしながら、果南には隼斗のその姿がどうにも不安でしょうがなかった。無理をしすぎているのではないかと。

 

「大丈夫だって! 俺はもう迷わない。浦の星の名前がラブライブの歴史に残るように、全力でサポートする。仮面ライダーとしてみんなを、世界を守る。それだけ」

「それだけってねえ! それがどれだけ大変なことか解ってる!?」

「解ってるってばさ! こればっかりはマジだぜ!?」

 

 それでも、果南の表情にはどこか不安そうなものがあった。信じていないわけではない。ただただ、心配なのだ。

 

「ところで、姉ちゃんさあ」

「なに?」

「何か甘い物持ってない?」

「え?」

 

 そこで隼斗は少し顔をしかめた。

 

「いやさあ! 今日の朝は千歌が焼いた焼き鮭だったんだけど塩がきつくて……! 口がしょっぱい」

 

 大真面目に話す隼斗に、果南は思わず笑った。

 こっちの心配をよそに、この少年は極めていつも通りに毎日を過ごし、傍から見ればばかばかしいことにすら真剣になれる。それがどうにもおかしく、緊張を解きほぐしてくれた。

 

「そんなにおかしいかな……」

「ごめんごめん! ほら、これあげる」

 

 果南はポケットから個包装のキャンディを取り出し、隼斗に渡した。

 

「これあれでしょ、バターとミルクのやつ。『私のおじいさんが初めてくれた……』の」

「そうそう。『隼斗にあげるのは、勿論ヴェルタースオリジナル。何故なら隼斗もまた……』」

「『特別な存在だからです』」

 

 そこで、二人は声を合わせて笑った。

 その後は、ひたすら沼津の街を楽しむだけだ。そろそろ冬服も買うべきかだの、誕生日に隼斗にあげた指輪とペンダントに合わせて青ベースのフェイクピアスも買うかだの他愛も無い会話をしながら、街を練り歩いていく。

 何かに全力になる青春の昇華も良いが──こうやって何の身にもならないようなことを楽しんで過ごす、青春の浪費もまた必要なのだ。

 

「そろそろお昼にする?」

「いいね。俺、いいとこ調べてきた」

 

 隼斗の提案で、二人は沼津駅近くの小洒落たパスタ屋に入る。

 

「私はシーフードかな。隼斗は?」

「明太子」

「明太子?」

「ヴェルタースオリジナルで口が甘くなったからさ」

 

 それだけ会話を交わすと、隼斗は店員を呼ぶ。

 

「Hey,彼女にはシーフード。俺は……明太子。明太子多めの思い切り辛いやつで」

「かしこまりました」

 

 店員が去ると、果南がふふっと笑った。

 

「え、何?」

「なーんでもないっ!」

 

 店員相手にちょっと気取った注文をしていたのがおかしかった、とは隼斗のプライドの為に言えなかった。

 自分の前で、どうやったらカッコ良くいられるかを常に考えて彼は行動している。少年の背伸びを、わざわざ口に出して貶めることもない。

 運ばれてきたパスタを談笑しながら楽しみ、二人は店を出た。

 

「美味しかったよ。いいお店知ってるじゃん、隼斗」

「そう? ……また来ようよ、姉ちゃん」

「うん」

 

 隼斗の目下の悩みは、果南と一緒にいられる時間の残り少なさだった。

 三年生の果南は、あと半年もしないうちに卒業となる。卒業後はダイビングの資格を取る為、留学するそうだ。浦の星存続までの時間は、そのまま自分達の残された時間でもあった。

 

「姉ちゃん……俺は……うぃっ!?」

 

 そこで、果南が隼斗の頬を両手で挟んだ。

 

「また難しい顔になってる。今日は気分転換だって、そう言ったでしょ?」

 

 隼斗は一瞬言葉に詰まる。

 

「ほら、面白い話でもしようよ! こんなのとかどう? 『赤い洗面器の男』の話!」

 

 果南は隼斗の前に出ると、大げさに身振りをつけて話し始めた。

 

「ある日道を歩いていると、向こう側から赤い洗面器を頭に乗せた男が歩いてきました。洗面器の中にはたっぷりの水。そこで私はこう尋ねました。『すいません、あなたどうして赤い洗面器なんか頭に乗せて歩いてるんですか?』 すると男は答えました」

 

 果南はそこで、すぅっと息を吸う。

 

「『それは君の……』」

 

 ドッカーンときた。

 

 話のオチよりも先に隼斗の耳に入ってきたのは、沼津の街が爆発する音だった。どこかの建物が爆破されたらしく、たちまち逃げ惑う人々の悲鳴と、怪物だという声が聞こえてくる。

 

「ロイミュードか……!?」

 

 隼斗は忍ばせておいたマッハドライバーMk-Ⅱを取り出すと、爆発の現場の方に向かっていった。勿論、

 

「姉ちゃんは安全なところまで!」

 

 振り返って、果南に警鐘を出すのも忘れない。

 

☆ ☆ ☆

 

 爆破された建物──小さな商店のようだ──の跡地で、スパイダー型のロイミュードは逃げ遅れた男をネックハンギングツリーの要領で持ち上げていた。そこに、

 

「オルルァロイミュード!! てめえ折角の姉ちゃんとの日曜日を……!!」

 

 天城隼斗のご到着だ。

 

「……遅かったね」

 

 ロイミュードは手短にそれだけ言うと、掴んでいた男を投げ飛ばし人間態へと姿を変え……

 

「待ってたよ、隼斗」

 

 松浦果南の貌で振り返り、微笑んだ。隼斗は一瞬たじろぐが、すぐに今まで以上の怒りを見せる。

 

「果南姉ちゃんをコピーしたのか? ……そんなフザけた真似して、ただで済むと思ってんのかテメェ!!」

「やだなあ隼斗、何怒ってるの? 怖いよ」

 

 そこで、果南をコピーしたロイミュードは両手を広げ、

 

「……ハグ、しよ?」

 

 オリジナルと寸分違わぬ笑顔で、そう言った。

 

「許せねえ!!」

 

 果南の尊厳を弄ぶかのような真似に、隼斗は怒りのままにドライバーを巻きシグナルソニックを装填する。

 

“SIGNAL BIKE! RIDER! SONIC!”

「Ready……変身!!」

 

 風が吹く。

 吹き荒れる風が集約し、隼斗を中心に渦を巻く。それは風よりも速く、鮮やかに舞う蒼い戦士────仮面ライダーソニックを象徴するかのようだ。

 

「悪は撃滅! 正義は不滅!」

 

 その口上は、

 

「この世の総てをトップスピードでぶっちぎる!!」

 

 天城隼斗の、信念の証だ。

 

「仮面ライダー……ソニック!!」

 

 名乗りを上げると、まずは牽制とばかりにソニックは超速で駆け出し、拳を振りかぶる。しかし、

 

「酷いなあ、隼斗」

「消えた……!?」

 

 一瞬のうちに、ロイミュードが姿を消した。

 

「こっちこっち! おいで!」

 

 ソニックは慌てて振り返る。背後5メートルほどのところでロイミュードが、果南そっくりの屈託の無い笑顔で手を振っている。

 

「このっ……!」

 

 再び殴りかかるも、再びロイミュードは姿を消す。

 

「どうしたの? 早く、ハグ……しよ?」

 

 今度は近くの建物の上。

 

「ほらほら!」

 

 自動販売機の陰。

 

 神出鬼没のその戦術に、ソニックは翻弄されていた。

 相手の場所がはっきりと定まらなければ、飛び道具であるリジェネレイトブラッシャーも意味はない。

 

「クッソぉ……!」

「隼斗?」

「!? そこかッ!!」

 

 ソニックは背後の声に、思い切りその方向を殴りつけた。しかし、

 

「はや、と……?」

 

 そこには拳がめり込んで砕けたコンクリートの壁と、怯えた顔でへたり込む松浦果南の姿があった。

 

「テメェ……今更そんな顔したってダメだぜ!! ぶっ潰す!!」

 

 ソニックは再び拳を構え、思い切り殴りつけようと力を込める。

 

「待って待って待ってやめて!! やめて隼斗!!」

「ルセェェェ!!」

 

 その瞬間、ソニックの背後でがさっと地面を擦る音がした。

 音と共に、刺すような殺気も背後から感じ取れる。ソニックは身の危険を感じ、慌てて振り返った。そこには、

 

「あらら、残念……。バレちゃった」

 

 松浦果南をコピーしたロイミュードが立っていた。果南の貌で残念そうにつぶやくと、その正体──スパイダー型ロイミュード027の姿を露にする。

 

「そっちがロイミュード……!? じゃ、じゃあ!?」

 

 ソニックは慌てて、先程殴りつけようとした相手を見る。

 

「ごめん、私、心配、で……」

 

 そう。それは、彼の様子をこっそり伺いに来た松浦果南その人だった。

 

「てっ……テメェ────!!」

「本当に残念! 折角仲間殺しが見られると思ったのになぁ~~! 頭がスイカみたいにパーン! 血しぶき! 脳漿! 絶望のエンターテイメントが見たかったなぁ~~!!」

 

 敵の狙いは、市街地の破壊なんて生易しいものではない。仮面ライダーとその周辺人物を徹底的に追い詰めて殺す為の、周到な作戦だ。

 

「じゃあ作戦変更で……」

 

 027は再び果南の姿に戻る。

 

「この顔と体と恰好で、とりあえず適当に10人から20人ばかり殺してこようかなん? 大量殺人鬼、現代の都井睦雄! もうスクールアイドルどころか一生まともな人生送れなくなっちゃうねえ、きっと! 死刑だよ死刑!」

 

 ロイミュードがAqoursの関係者をコピーしたのは、初めてではない。

 津島善子の仲間入り前後に、善子の姿をコピーして進化態となったロイミュード011の一件では、善子の人格を進化の為のベースにされた程度であり、社会的な影響は微々たるものだった。

 だがこいつは違う。

 

 「人間の姿をコピーして、本人の記憶と人格まで手に入れる」。その特性をどれだけ悪用できるかどうか、完全に知り尽くしている。

 元々ロイミュード027は、ドライブとの戦いではてれびくんの偽物「てびれくん」を作って荒稼ぎしたり、ドライブに化けて悪事を働いたほどの“模造”“複製”のプロフェッショナルなのだ。

 

「そんなこと、させるか!!」

 

 今度はリジェネレイトブラッシャーをガンモードにして構え、027めがけて撃ち放つ。しかし再び027は、異常なほどの速さで消えてしまう。

 

「おーっほっほっほっほ!」

 

 ロイミュードとは違う突然の甲高い笑い声に、ソニックは驚く。声のする方向には、

 

「随分と手ごたえの無い方ですわね。今までの連中はこんな相手に手こずっていたんですの?」

 

 “異物”がいた。

 否、正確に言えばそれは人間だった。しかしながらそれは、“異物”としか言いようがない。

 裾の長い真紅のドレス。ふわふわのブロンドの髪。まるっきりマンガ的なお嬢様だ。この沼津の街に似つかわしくないその人物────隼斗と同じぐらいの年ごろの少女は、異物そのものだった。

 

「あんたは……?」

(わたくし)、あなたを始末する為にここまで来させていただきましたわ。有体に言えば、そう……」

 

 そこで、少女は微笑んだ。物凄い殺気を放ちながら。

 

「殺し屋ですのよ」

「誰に頼まれた?」

依頼人(クライアント)の名前を言う殺し屋がいると思いまして?」

 

 そこでまた、少女はおっほほほほほほと高笑いした。

 

「進化態にもなっていない027一人に手こずるなんて、随分と弱っちい仮面ライダーさんですわねえ?」

「何だと? ……stupid! idiot! 俺の強さを知らないとはな、お嬢さん」

「あらら、本当のことを言われて悔しいんですの? 虚飾とかっこつけだけは一人前、お恥ずかしい人……」

「……もういい!!」

 

 ソニックは全力で拳に勢いをつけ、少女を殴りつけようとする。しかし、

 

「ダメ!!」

「姉ちゃ……!?」

 

 果南が両手を広げて立ちはだかった。先程のことがあるだけに、ソニックは慌てて止まる。だが────

 

「はい、だ~~まされたぁ~~!!」

 

 果南、いや……027がロイミュードの姿に戻り、逆にソニックを殴りつける。

 

「傑作ですわぁ~~! こんな女一人の為に、手も足も出ないなんてなんと滑稽! 014はやり方がヘタクソでしたわねえ、使いようでこんなにも効果的なのに!」

 

 少女はそこで、ネオバイラルコアを取り出した。

 

「さあ、ひとつになりましょう?」

 

 小さな唇で、ネオバイラルコアに口づける。027はネオバイラルコアを介し、少女と一体化した。二つに割った瓜の意匠、ルビンの壺……様々な複製の形を装飾に持つ、”イミテーション・ロイミュード”がそこに立った。

 

「リジェネレイトブラッシャー!!」

 

 ソニックは武器で二度三度ロイミュードを切りつける。ここまで侮辱されたのは初めてだと思うと、その怒りに勢いが増す。

 

「無様ですわねえ」

「何……!?」

 

 イミテーション・ロイミュードはブラッシャーを掴むと、ぐぐっと力を込めてその勢いを抑えた。

 

「ついでだから言っておきますけど……速さなんて何の意味も持ちませんことよ? 筋肉こそ力。圧倒的な力の前には、速さなんて無駄無駄無駄無駄、無駄ですわ……」

「速さが無駄だと……!?」

 

 その一瞬の隙に、イミテーション・ロイミュードは……

 

「リジェネレイトブラッシャー! ……でしたかしら?」

 

 ブラッシャーを複製し、ガンモードでソニックを撃った。寸分違わぬ複製の威力はすさまじく、ソニックの動きが止まる。

 ドライブと戦った027は銃の威力までは複製できなかった……というのがデータにあった筈だが、融合進化態となった027はそのハードルを軽々と飛び越えてしまっていた。

 

「面白いおもちゃですわねえ、なかなか楽しいですわ!」

 

 動きの止まったソニックを、今度はイミテーション・ロイミュードがブレードモードで切りつけ滅多打ちにする番だ。がっ、ぐっ、と声だけが漏れ、成す術もない。

 

「……さようなら。学校ひとつ守れない、無様な仮面ライダー」

 

 その一言と共に、再びガンモードに変えたブラッシャーの銃撃がソニックを捉えた。超エネルギーの奔流に全身から火花を上げながら……仮面ライダーソニックは、その場に頽れた。

 

「うそ……」

 

 松浦果南の、目の前で。

 

「隼斗? ……隼斗!!」

 

 ソニックは微動だにしない。

 

「や、やだ……! 隼斗! 隼斗隼斗!」

 

 思わず駆け寄り、果南はソニックを揺さぶる。

 慟哭が、瓦礫だらけの街に響き渡った。

 

☆ ☆ ☆

 

 秋の空の天気は変わりやすい。

 車軸を流すかのような大雨が、ソニックの身体に降り注いでいた。

 

(ウソだろ……? 負けるのか……? 死ぬのか……? 俺、ここで……)

 

 指一本動かせぬ身体の状態に、隼斗は困惑していた。スーツにかかった予想以上の負荷がフィードバックし、何一つできない状態だ。果南の声と、揺さぶる感覚だけが伝わってくる。

 

(姉ちゃん……泣かないで……)

 

 果南を哀しませてしまったことだけが、彼の心残りだった。やがて、イミテーション・ロイミュードが歩み寄ってくる音が聞こえてくる。

 

「学校は廃校。仮面ライダーとして無様に敗北。あなたの人生、良いことなんてひとつも無かったですわねえ」

 

 その声には、明らかな嘲笑が混じっている。

 

「悪は撃滅、正義は不滅……。ふふっ、正義なんて不確かなものを信じるから、こうなりますのよ」

 

 その言葉に、

 

「……ちょっと、あんた」

 

 果南が、キレた。

 近くにあったコンクリートの塊を、果南はガンと投げつける。大して効いてはいないが、その抵抗の意思をロイミュードは小馬鹿にして受け取った。

 

「何ですの?」

「正義が不確かとか、無様だとか……随分勝手な事ばっか言ってくれるじゃん」

「だってそうでしょう? これからこの世界は私たちが支配する。そうしたら、私たちの掲げる理想がマジョリティになり……正義になる。正義の定義なんて、いとも簡単に塗り替えられますの」

「……そんなことない!! 正義は、必ず勝つ!!」

「それはそうでしょうねえ。勝った人間の言葉が正義になるのですから」

「違う! 違う、違う!!」

「何が違いますの? やっぱり、無様で考え無しの人間とつるんでいるような人間は頭の程度も同じですのね」

 

「うるさいって言ってんでしょうが!! 怪物!!」

 

 果南の勢いに、ロイミュードは一瞬たじろぐ。

 

「正義の定義がどうとか、屁理屈ばっかりごちゃごちゃと!! 他人を傷つけたり、踏みにじったりすることが正しいなんて、そんなことがあっていいはずない!!」

 

 果南の脳裏には、隼斗の戦う姿が次々と浮かんでは消える。

 天城隼斗はいつだって、自分の信じるものを、周りの人々を……守る為に戦ってきた。それが正しいと信じているから。

 その“正義”は……不滅だ。いや、不滅であるべきだ。

 

「隼斗! 起きて!」

 

 果南は足元のソニックに呼びかける。

 

「無駄無駄無駄無駄……。もう死んでますわよ、それ」

 

「勝手な事ばっか言うなって言ったでしょ! 隼斗は……」

 

 果南の瞳は、

 

「簡単には、死なない!!」

 

 ただ真っ直ぐに、隼斗を信じていた。

 ああ、そうだ。

 こんなことで、こんなところで。

 倒れてなんかいられない。

 

「っ……!! あア“っ!!」

 

 ソニックはありったけの力を込めて、立ち上がった。

 

「隼斗!!」

「不安に……させたかよ……。姉ちゃん……」

 

 思えば、ここまで敵に打ちのめされたのは初めてだ。けれど、

 

「朝に言ってたよな……! 皆を守るなら、もう少し強くなれって……」

 

 こんな状況だからこそ、更に上に行ける。

 

「俺は、強くなる……!! 過去は変えられないからこそ、一時間前、一分前、一秒前の俺より強くなって、未来を変える!! その為に!!」

 

 力ない指先で、ソニックはイミテーション・ロイミュードを指す。

 

「お前を、越える」

「できもしないことを! ぼろぼろですわよ、みっともない。さっさと殺されて楽に……」

 

 ロイミュードの言葉は、空を切る音に遮られた。

 

「……え?」

「天下零剣、煌風」

「あっ……? ああ“あ”あ“あ”あ“あ”!!」

 

 打ちのめされて力の抜けた身体は、刀を振るうには却って都合が良かった。余計な力の入っていないひと振りが、ロイミュードの胸元を見事に切り裂いていた。

 

「姉ちゃん、離れてて」

「……うん!」

 

 今度こそ果南が安全な場所まで下がったことを確認すると、ソニック────隼斗は、改めて自らを鼓舞するつもりで叫んだ。

 

「悪は撃滅! 正義は不滅! この世の総てをトップスピードでぶっちぎる! 仮面ライダー……ソニック!!」

 

 目の前の悪を打ち倒し、自身の正義を不滅のものにする。

 それが、仮面ライダーソニックだ。

 

「あ……く……く……」

 

 ロイミュードは斬撃の痛みに呻いた後、

 

 

「クッッソ痛ェェェですわ!!」

 

 

 今までの余裕をかなぐり捨て、怒声を上げる。

 

「チョーシに乗ってナメたマネしてくれてんじゃねーですわよこのスッタコがァ!!」

「ヘイヘイ、汚い本性が漏れ出てるぜ? レディ」

「そのクセぇ口も閉じてろってんですのよォォォ!!」

 

 煌風を複製すると、ロイミュードはそれを振るう。だがソニックはそれを、リジェネレイトブラッシャーの方で受け止めた。

 

「なっ……」

「本邦初公開! これがソニック二刀流!」

 

 まともな二刀流を見たのはゴーストのムサシ魂と共に戦った時ぐらいではあるが、元来要領は良い方だ。リジェネレイトブラッシャーで複製された煌風を受け流すと、今度はソニックが自身の煌風で相手を突く番だ。うゲッ、という相手の声が漏れた時、

 

「────・──! ─・─・────────!!」

「……鳥!! あーいや、ブレイヴ・ファルコン!」

 

 ハヤブサ型支援機体擬似ロイミュードRF–01、名付けてブレイヴ・ファルコン。

 戦闘開始前に呼んでいたそれが、内浦の空から沼津まではるばると今到着したのだ。

 

「おせぇよ!」

「────・────!」

「……まあいいや。主役の登場を盛り上げてくれた、そう考えてやるよ」

 

 ブレイヴ・ファルコンは無言で、シグナルブレイヴを取り出す。

 

 “Evolution!”

「I'm Ready! 超……Hensin!!」

 

 “Brave! TAKE OFF!!”

 

 ズタボロだったソニックが再構成され、モーターショーの展示車よりも艶々と輝くブレイヴスタンバイフェイズへと変わる。そこにブレイヴ・ファルコンが合体し、

 

「勇気と奇跡がもたらす翼!」

 

 勇気はどこに。俺の胸に。

 

「望む未来を拓く為、オレの正義を貫き通す!」

 

 本気をぶつけあって、手に入れよう。”未来”を。

 

「仮面ライダー……ブレイヴソニック!!」 

 

 青い空のように、青い海のように蒼々としたその戦士は、雄々しく、派手に、勇敢に立ち上がった。

 

「Shall we……DANCE?」

「ごちゃごちゃごちゃごちゃうるせーんですわよォォォ田舎猿がァァ!!」

 

 イミテーションの複製は、何も今その場にあるものだけとは限らない。絶叫しながらも、イミテーションは一瞬のうちに無尽蔵に複製を空中に溢れさせた。

 

 岩。

 

 車。

 

 大木。

 

 ビル。

 

 トラック。

 

 ジャンボジェット。

 

 タンカー。

 

 エトセトラ。

 

 それらが地面に降ってくれば、逃げ場など無い。

 

「このつまんねー街ごとブッ潰れなさいな!!」

 

 ブレイヴソニックはそれには答えず、一瞬のうちに空へと飛び上がった。

 

「ソニック……二刀流!!」

 

 空中に無尽蔵に溢れた複製に対して、ソニックは縦横無尽に飛び回りながら刀と剣で全てを切り裂いて細切れにしていく。

 

「脳ミソパープリンですかァアァ貴方!? 瓦礫を増やしただけでしょーが!!」

 

 イミテーションが吼える。

 

「それは、どうかな」

 

 “ヒッサツ!”

 “Full throttle Over!! ヒート!! ブレイヴ!!”

 

「テンペスト……バァァァァ────スト!! 最・大・出・力ゥゥゥゥゥ!!

 

 リジェネレイトブラッシャーの砲身が焼け付くほどに激しい一撃が放たれた。その一撃は空中の瓦礫を全て吹き飛ばし、塵に変えた。

 地面に落ちてくるのは、わずかな灰と塵ばかり。

 

「ありえませんわ……」

 

 ブレイヴソニックが反動で地面を大幅に擦りながら叩きつけられて着地しているのを見ても、イミテーションの口からはそんな言葉しか漏れてこなかった。

 

「『どうする!?』」

 

 融合した027が困惑して尋ねる。

 

「どうするって、それは……!」

 

 少女が何か言いかけた時だった。

 

「何をどうするって?」

 

 ブレイヴソニックが、その眼前に立っていたのだ。

 

「んなっ……」

「俺は今サイッコーにキレてる。俺を侮辱するだけならまだいい。お前はこの街も、俺の仲間も、果南姉ちゃんも……俺の大切なものを何もかも侮辱した」

「待って隼斗!! 殺しちゃダメ!!」

 

 果南が叫ぶ。

 

「わかってるって。もう……」

 

 

「私の知る隼斗は、そんな風に人を恨みで痛めつけて、命まで奪おうとするような人じゃなかった。ただ真っ直ぐに……誰かのために戦うのが隼斗の戦い方だった!」

 

 頬の痛みは、今でもはっきりと思い出せる。

 

「ああいうのは、嫌だからな」

「おっほほほほほほ!! 殺さずに事を成すことができるとお思いですの!? 甘ちゃんが……」

 

「うるせえ」

 

 煌風の一撃が、再び胸元を抉る。

 

「あ“あ”あ“あ”あ“あ”あ“あ”あ“!!」

「ダイヤさんまで侮辱されてるようでムカつくんだよ、その喋り方」

「……喋り方にまでケチつけられる道理はねーですわよダボカスがァ!!」

「殺しはしない。けど……」

 

 煌風とリジェネレイトブラッシャーが、両手に構えられる。

 

「死ぬほど痛いぜ」

「なっ……!?」

 

 そこから先は、“一瞬の出来事”だった。傍から見ていた果南には、何が起こったか解らなかったほどだ。

 

 気づいた時には融合進化態の融合が解除され、大爆発が巻き起こっていた。半死半生で飛び上がった027のコアも、煌風の一太刀でスパァン! と見事なまでに両断される。

 

「勝った……」

 

 変身が解除され、ブレイヴ・ファルコンと分離した隼斗は虚空に向かって声を上げた。

 

「勝ったぜコンチクショオオオオオオオ!!」

 

 ゴルドドライブと戦った時並の高揚感。

 殺し屋を自称し、狡猾なまでの精神攻撃と絡め手を仕掛けてくる相手に、彼は見事勝ち抜いたのだ。気が抜けたのか、彼はその場に倒れ込んだ。

 

「隼斗!!」

「だいじょーぶ姉ちゃん……。ちょっと気ィ抜けただけ……」

「無茶ばっかりして……! あの子は?」

「殺し屋? 逃げた。融合が解除された一瞬の間に」

「一体何やったの?」

「煌風とブラッシャーでひたすら死なない程度にめった打ち。死なないけど死ぬほど痛い」

「全然わかんなかった……」

「最高速度でのめった打ちだぜ? ……速さが無駄かどうか、自分の身で確かめてみろ、だ」

 

 ともあれ、危機は去った。

 先程の瓦礫を吹き飛ばした勢いもあり、空はまた晴れ間を取り戻していた。

 

「……おつかれ」

 

 果南に頭を撫でられ、隼斗は空を見上げたまま笑った。

 

「ところで姉ちゃんさ」

「なに?」

「何か甘い物、ない?」

「……えぇ!?」

「いやさあ! あんな辛い明太子パスタ世の中にあったんだなあって! 辛すぎたよアレは!」

 

 この状況で出る言葉がそれかと、果南はまたおかしくて笑ってしまう。

 

「はい、バームクーヘン。皆のおみやげにと思って買ったけど、個包装だし今食べてもいいんじゃない?」

「さんきゅー……」

 

 ぼろぼろの姿で寝転がったまま、果南にバームクーヘンを口に運んでもらう。

 

「……うっま」

 

 その時、サイレンの音が遠くから聞こえてきた。爆発音が収まったことから、警察と消防が近くまで来始めたらしい。

 

「やっば!! 変に巻き込まれると面倒だ、逃げよう!!」

「え!? ちょっと!」

 

 隼斗は慌てて起き上がり、果南の手を引きながらライドソニックのところまで戻っていった。

 しかし、だ。

 逃げながら、隼斗の頭にはふたつの疑念が浮かんでいた。

 

 まず、あの少女に自分達の命を狙わせた“依頼者”。

(蛮野……ロイミュードの親玉だったゴルドドライブは、俺がブッ倒した。じゃあ、誰が?)

 

 もう一つは、

(027の能力は『複製』……。俺が殴ろうとした瞬間、瞬間移動したように消えたあの能力は?)

 

 これはただの小競り合いではない。何か大きなものがやってくるような予感に、隼斗は武者震いした。

 

☆ ☆ ☆

「痛いですわ……。痛いですわ……。クッッソ痛ェェですわ……」

 

 一瞬で逃げおおせた少女は、路地裏を抜けて駅前のショッピングモールの中へと入った。種々の商品には目もくれず、彼女はフロアの隅にあるが故にほとんど人の寄りつかない女子トイレへとすべり込む。そして、並んだ個室のドアの前に────

 

 二人の女がいた。

 

 一人は艶のある黒髪を切りそろえておかっぱにした、背の高いレディーススーツの女。その上から羽織った大きな白衣が、この場には何とも不釣り合いだ。

 もう一人は大きなフードのついたローブを羽織り、顔を隠している。少しばかりのぞく脚や手で、かろうじて女性だということが解る程度だ。ローブの裾からは、スーツの女同様に白衣がちらちらと覗いている。

 

「まあまあなんじゃない? ジュリアン」

 

 可もなく不可もなく、といった様子で、スーツの女が少女に言った。ジュリアン、というのが少女の名らしい。

 

「お姉様、至らず申し訳ありませんわ……」

 

 少女──ジュリアンは深々と頭を下げる。その様子に、スーツの女はケラケラと笑って返した。

 

「充分よ充分! 憲法は条文! 微分積分古文に漢文、教えているのはスティーブン? ぎゃっはははははは!!」

 

「027の複製をもう少し活かせたとも思うのですが……」

「……あー、それはそうね。そこはあたしがあとで講評するから」

 

 その時、ローブの女が初めて口を開いた。

 

「……感謝しているよ。おかげで、隼斗はまたひとつ成長した」

「別にぃ? あたし達とあんたは互いの利害一致で組んでるだけなんだから、感謝なんてしなくていいわよ。ノーセンキュー千利休! 茶の湯、and you!」

「ソニックの初期データをベースにした高速移動も、なかなかだったろう?」

天城隼斗(クソガキ)をちょろっと驚かしてやっただけじゃないのさあ!」

 

 スーツの女は満足いっていないといった顔だったが、ジュリアンは改めてローブの女────此度の”依頼人”に向かい、うやうやしく礼をした。

 

「ご所望通り、あの子の適性を引き出して御覧に入れましたわ。”トレーナー”、ジュリアン・ヘイクスのトレーニングコース、如何でして?」

 

 そう、ジュリアンは殺し屋などではない。

 戦士の、怪人の適性を引き出す、一流のトレーナー。それが彼女の正体だ。

 

「しかしトレーニングにしては、随分と派手にやられたじゃないか」

 

 ローブの女はジュリアンの姿を指差す。ソニック二刀流に打ち据えられた彼女の服は、ぎりぎりのところで服の形を保っているだけのぼろきれ同然だった。

 

「恐ろしい子ですわねえ……! トレーニングはトレーニング、ですが……途中から本気になってしまいましたわ」

「どこら辺から本気?」

「起き上がってきて斬られたところから。冷静に考えてあんな複製の雨を降らせたら、私まで潰れてしまいましてよ!」

「ほっほう……」

 

 ローブの女の声は、満足気だった。本当に、隼斗の”成長”を喜ぶかのように。

 

「では、私はこれで。良い日曜日を」

「あらァもう行っちゃうの? 一緒に鍋食って酒飲んでサザエさん見ようよ~~! サザエさんの無い日曜日なんて、福神漬けの無いカレーみたいなもんじゃあないの~~!」

「……君のそのテンション、正直ウザいよ」

「はッはー! 言ってくれるじゃねーのケツ穴女ァ! これがあたしよ。大門桐子の生き様、とくと御覧あれーってんだ」

「……失礼」

 

 そう言い残し、ローブの女はトイレを後にした。トイレから出る途中、彼女は手にしたタブレットを改めて見つめ──そこに映った論文の存在に打ち震えていた。

 論文の題はこうだ。

 

 

『別次元の存在とその干渉について』

 

 ☆ ☆ ☆

 

 一方で、トイレに残った二人は”講評”を始めていた。

 

「松浦果南、ね。一際執着してるみたいだし、アレに目をつけたのはなかなか良かったんじゃあないの?」

「ありがとうございます……」

「けどねえ。今回はコロシは無しって話だったからいいけど、残虐エンターテイメントをやりたいなら演出力が足りないわよ」

「演出ですか……?」

 

 呑み込めていない様子のジュリアンに、スーツの女──大門桐子は呆れたといった顔を見せた。

 

「あのねえ! 折角コピーが出来るんだからそれを演出に使わない手はないって話よ! 隼斗をコピーした状態でAqours全員半殺しにしてオリジナルを憎悪の対象にして修復不能なまでに関係ブチ壊すとか! わざわざ正体バラさなくても途中でオリジナルの果南とすり替わってハグした瞬間に刺すとか色々あるわけじゃん!?」

 

 ジュリアンは青ざめた。

 

「なんと恐ろしい……!」

「この程度で恐ろしいとか言ってんじゃねーわよ……。今回だってあたしが一回サポートしてんだから」

「えっ」

「あのねえ。果南だってバカじゃねえのよ。隼斗が逃げろって言ったのにわざわざ様子なんか見に来ると思う?」

「じゃ、じゃあ……」

「仲間殺しさせてみたい、それでどう成長するかが見たいってのがあんたのオーダーだったから、あたしは逃げてるフリしながらあの女に聞こえるように言ってやったのよ。『あれはやばい、仮面ライダーが負けそうだ!』ってね」

 

 合点がいった。

 正直果南を伴って来るだろうと思っていた読みが外れて残念だったところに、偶然にも果南が来てくれたのは僥倖だ程度に思っていたが……読みが浅かったと反省するばかりだ。

 

「まあトレーナーとしては十二分だけどさ、あんたも大ショッカーの人間なら……如何に世界を残虐に征服できるか、考えとかないとね」

「はい……」

 

 うなだれたジュリアンを見ると、大門はにかっと笑った。

 

「はい、反省会おわり! 基地に帰って鍋食いましょ! 濃ゆ~~い味噌ちゃんこなんかいいわねェ」

「賛成ですわ! ああ、なんと待ち遠しい……。クッッソうめえ鍋で暖まりたいですわ!」

 

 そんな他愛も無い会話を交わしながら、二人は消えた。

 その場に現れた、灰色のオーロラをくぐって。

 

☆ ☆ ☆

 

「秋の海も、きれいだね」

「ああ……」

 

 あの場から逃げ出した二人は、内浦まで戻る道すがらライドソニックを停め海を見ていた。

 やはり、この街から見える海は良い。秋の夕日に照らされた海は、鈍く光っていた。

 

「姉ちゃん。無くなるものもあるけどさ……この海みたいに、変わらないものもたくさんある。失ったものばかり数えるのは、やめだ」

 

 今日の戦いを乗り越えて、隼斗も守りたいものがなにかはっきりした。

 

「うん……」

「ところで姉ちゃん」

「何?」

「……何かしょっぱいもの、持ってない?」

 

 果南はずっこけそうになる。

 

「隼斗! 悪循環だよ!」

「いやだって姉ちゃんこのバームクーヘン食べた!? 親の仇みたいに甘いよこれ!」

「どれどれ? ……あ“っっま!!」

「だろ!?」

 

 互いに笑いあった後……果南の表情が少し曇ってきた。

 

「えっ、どしたの……」

「いや、さ……今こうやって話してるのが、嘘みたいで……」

 

 言葉を紡ぐ度、果南の表情が崩れていく。

 

「今日は、本当に死んじゃったかと思った」

 

 そうなのだ。

 例え逆境から勝ち上がったとしても、目の前で最大の危機を見せてしまったことに変わりはない。

 涙をこぼす果南を前にして────

 

「ほいっ!」

 

 隼斗は、両手を広げた。

 

「……え?」

「ハグ、しよう? 不安なことや苦しいことは忘れて……今、生きてるって実感しようぜ!」

 

 そう勢いで言った後、

 

(……べええええええ!? いや勢いで言ったけどこれはなかなかにアレだろってゆーかハグに俺から誘うとかなんつーかかんつーかエトセトラ……!!)

 

 頭の中のそのぐるぐるとした感覚が、かき消された。思った以上にぎゅっと抱きついてきた、果南の鼓動によって。

 

 嗚呼。ああ。

 

 あたたかい。

 

 脈動も、体温も、呼吸も、匂いも。

 

 何もかもが近い。

 

 その瞬間だけ、まるで溶け合ったひとつの生き物であるかのような錯覚に陥るほどに。

 

 やがて体を離すと、果南はもういつもの笑顔で笑っていた。

 

「……ありがと」

「姉ちゃんに泣いててほしくないだけだって」

 

 全く、女心と秋の空とはよく言ったものだ。

 

「そうそう隼斗! 結局言えなかった赤い洗面器の男の話の続き!」

「今それ!?」

「私は男に尋ねました。『すいません、あなたどうして赤い洗面器なんか頭に乗せて歩いてるんですか?』。すると男は答えました」

 

 果南はすうっと息を吸う。

 

「『それはね』」

 

 

「ハ──イ! あま~~い二人のおクチにご所望の塩昆布デ──ス!!」

 

 声と共に、塩昆布の箱が飛んできた。二人はびくっとして声の方向を見る。

 

「鞠莉!」

 

 小原鞠莉を筆頭に、Aqoursの面々が全員集合していた。

 

「お前らいつから!?」

「沼津に二人が着いたあたりから!」

 

 桜内梨子がふふっと笑って返した。

 

「くくく、なかなかに楽しい青春白書であったぞ……。我らの魔力も高まり、溢れ……」

「やめるずら」

 

 津島善子と国木田花丸は、いつもの調子だ。

 

「ロイミュードが出てからは、見守るどころではありませんでしたが……」

「逃げてる人に流されてやっと駆けつけたら、よくわからないうちに終わってて」

 

 黒澤ダイヤとルビィの姉妹は、揃いの碧の瞳を夕陽に輝かせながら言う。

「じゃあ、今日一日ずっと見られてたってこと……?」

「果南とハヤトがどんな感じか、みーんな気になっててネ」

「鞠莉~~!」

 

 この幼馴染が時々怖いと、果南は顔を赤くした。

「お~~ま~~え~~ら~~なぁ~~!」

 

 今日一日、実質的に”二人きり”でなかったことを考えると、隼斗も思わず吼える。

 本当の二人きりはクリスマスまでおあずけだと知るのは、まだ先の話だ。

「でもさー!」

「隼斗くん、調子戻ったでしょ!?」

 

 渡辺曜と高海千歌。幼馴染二人にそう言われ……

 

「……ああ! 皆、ありがとな!!」

 

 天城隼斗は、今日一番の笑顔で返してみせた。

 これからも、大きな壁にぶつかることはあるだろう。

 残された時間に、焦燥を感じることもあるだろう。

 泣いてしまう時も、あるだろう。

 けれど、めげない。負けない。

 きっと────明日が、その先に見えてくるから。

 

「ところで、憐は?」

「……え?」

 

☆ ☆ ☆

 

 同刻、沼津。

「ワリいハーさん今着いタ!! ロイミュードは!?」

 

 しかし、事態はとっくに終息し辺りはすでに警察の統制下。

 寝過ごしていた憐は、すっかりいいとこ無しと相成った。

 

「ウッソダロ……」

 

 あまりのことに、憐は頭を掻く。それと同時に、ひとつの疑念が浮かんでいた。

 

「何で……」

 

 

 

 

 

 

 

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 おわり



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なにが狩人を慟哭させたのか

幸福には翼がある。つないでおくことは難しい。
ヨーハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・シラー(1759~1805)


 冬来たりなば春遠からじ。

 

 今の辛い時期を耐え忍んでいれば、必ず良いことは来る。

 

 まるで漢文のような言い回しと内容だが、実はこれはイギリスの詩人、パーシー・ビッシュ・シェリーの『西風の賦』の結びの一文なのだそうだ。

 全く人の考えることは、いつの世もどんな国でもそう変わらないのではないかとそう思えてくる。

 

「だから、私はいつか”春”が来るって信じてるんだ」

「ヘエ、双葉チャンは物知りダナ」

 

 そう返しながら、狩夜憐は買ってきた缶のホットココアを黒川双葉に渡した。手袋もしておらず2月の寒風に冷え切った手は、その熱を本来以上に感じ取る。あつ、あっつ、と缶を掌中でしばらくぴょこぴょことさせつつ、手を慣れさせた双葉はそれを開け、小さな口で少しずつ飲み身体を暖めていった。

 

「図書館でならいくらでも本がただで読めるからね。なんか気づいたらいっぱい覚えてた」

 

 寒さ故に頬を紅潮させつつ、ひひ、と双葉は笑った。

 吹きつける寒風は、勢いを止めることはなかった。

 

「だから、かな。小説家になれたら……嬉しいなって」

「小説家……」

「まずは賞に出してみたの! 図書館の共有パソコン借りて、毎日ちょっとずつ、ちょっとずつ書いて、やっと……」

「結果が出ルといいナ」

 

 うん、と双葉は頷いた。こうしたやり取りだけ見れば、ありふれた少年と少女の他愛もない冬の会話だ。しかし、今の彼らの真の関係は────

 債務者と、債権者だ。

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 米国でハーレー・ヘンドリクソン博士に次世代の”仮面ライダー”として選ばれた狩夜憐が、トレーニングを終えて知り合いを頼って帰国したのは一ヶ月ほど前のことになる。

 いずれ復活するであろうロイミュードに備えろとは言われたものの、彼はその力を正直なところ持て余していた。世界に秩序をもたらす為に、強大な悪の力を抑え込むのに見合っただけの強大な力。そんなものをその手にして、好奇心の強い盛りの少年が黙っていられるはずも無い。

 

「ならば、ダ」

 

 それから彼は、東京は歌舞伎町の一角に頻繁に出入りするようになった。この場所には、様々な事情を抱えて集まってきた青少年たちが沢山いる。いくつかのグループがここではハバを利かせ、リーダー格にもなると反社や半グレの”受け子”を任されている者も多い。

 

 憐は腕っぷしを見せて、「青鞭會」と名乗るグループのリーダー、ユキノリに近づいた。ユキノリが他のグループと人目も構わずに怒声をぶつけ合っていた時に飛び込み、相手のグループをノしてみせることで、一瞬にして信頼を得ることができた。

 

「俺っちも、青鞭會に入レテくれヨ」

 

 ユキノリは劣悪な家庭環境で育ったが、生きる為の賢い判断は本能的にできる男だった。相手はこの界隈でそれなりにハバ利かせてる大手のグループだ。それを一瞬にしてノしてみせるよーなヤツを、自分の側にくわえこまない理由が無い。

 それからユキノリは、自分が手に入れた無敵の用心棒、憐をしばらくは自慢気に連れまわし仲間に紹介していった。酒やタバコに誘ってもノらないところには、随分とイライラさせられたが。

 

「憐、オマエ”チョコ”か”アイス”いるか?」

「……? ああ、貰おうかナ」

「ほれ」

 

 青鞭會のたまり場のクラブのソファーでユキノリが渡したのは、言葉に反してチョコレートやアイスクリームとは似ても似つかない小さな紙包み。

 その中身と意味がわかると、憐は激昂してそれを突っ返した。

 

「ンだよオメェェ──はよォォォォ~~~!! ノリわりーんだよ!!」

 

 ユキノリは流石にキレ、怒声を上げながらテーブルを蹴る。周りの仲間達はいつもの調子だとばかりにギャハッ! と笑い、パンパンとおかしそうに手を叩いた。

 

「ねーレン! この後ヒマっしょ、遊んでかない?」

 

 青鞭會の女子メンを仕切るユカが、素早く憐の腕に抱きついてくる。冬向けのふわふわとしたファーの服の下の身体の感覚がわかるくらいに、ぴったりと。だが、

 

「……いや、俺はイイヨ」

 

 憐の態度は素っ気ないものだ。さりとてソデにされても、ユカは自信ありげな表情を崩さずに酒臭い息で大笑いだ。……まだ17の筈だが。

 

「かわい~~! チョーウブだよねレンって! ドーテーっしょ、ドーテードーテー!」

 

 ユカの一声で一同はまたギャハハ! と笑う。憐はそれに特に答えることは無いまま、こぎり、と首を鳴らした。その仕草に一同は、笑い続けながらも話題を変えようという気になる。

 

 小兵(こひょう)ながらに見せる憐の腕っぷしは、皆わかっているからだ。

 

「レン! おら唐揚げ!」

「サンキュ」

「おメーほんと酒ぐらいガンガン入れられるよーになれよな~~」

 

 ユキノリにいつも小突かれている下働きのシュンが持ってきた唐揚げの皿から、憐はいくつか唐揚げをむしるように取ると頬張っていった。ろくに酒もタバコも付き合わない憐だが、飯の食いっぷりだけはいいと評判だ。

 

「……ユキノリ」

 

 口の中で唐揚げを咀嚼しながら、憐はぼそっとユキノリに声をかける。

 

「何だよ」

「あの”チョコ”や”アイス”、ドコで手に入レタんだヨ」

「あ? いらねーんならカンケーねーだろーがよ」

「いや、アル。ユキノリにはあーいうのを手に入レられるだけのツテがアルってコト、ダロ? でけえ相手がバックにツイてるってコトダ」

 

 憐の表情はここまでで一番真剣だ。

 

「会わせてクレよ」

「あー……」

 

 ユキノリは逡巡し宙を仰いだ。腕は立つがまだ得体のしれない憐を、その相手に会わせるのは気が引ける、といった調子だ。

 

「ナア」

 

 気が引けた相手にも憐は引かず、ずいと詰め寄る。

 

「……わかった」

 

 ユキノリは是非も無しとばかりに、ボストンクーラーのグラスをぐいと一息に飲み干した。

 

「は? レンオマエぬけがけかよ? 俺だってまだユキノリさんと一緒に会いに行ったことねーのに……!」

 

 シュンが憤るが、瞬間ユキノリは───

 

「イキんなよシュンコラァ!! オメーみてーにヨソのチームにボコられてネンショー行きかけたハンパなんか連れてけっかよジャリがァ!!」

 

 キレてまたテーブルを蹴った。皿の上の唐揚げが飛び、ユカの方に飛んでくる。アッ!とユカは目をつぶったが、その瞬間憐は素早く飛び上がりそれを口でキャッチし胃の腑へと収めた。

 

「やば」

 

 ユカはアハハ、と笑った後にぱちぱちと手を叩いて憐の俊敏さを称えた。

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 失礼シャッス!とユキノリの声が薄暗い事務室に響いた。

 ユキノリの後に続き、蓮はシャス、と事務室に入っていく。応接テーブルを挟み、革張りのソファが向かい合わせになっている。

 二人の目線の先のソファには、

 

「おーきたかーユキノリ。まー座りや」

 

 オールバックの髪。居丈高な口髭。金のネックレス。紫のシャツ。ストライプの入ったスーツ。くゆらせたタバコ。

 一目見てそれ以外にどんな選択肢があるとばかりにバリバリのやくざ者が、カラカラと笑いながらテーブルに足を投げ出して座っていた。座れという男の声に電気を流されたかのようにユキノリは反応し、シャス! と応え座ろうとする。男を立ったままじっと見ている憐に気づくと、ユキノリはその袖をぐいっと引っ張って座れと合図した。

 

「どないや、調子は」

 

 男はタバコを口から離し、にこにこと笑いながら聞いてくる。

 

「い、いやまあ……へへ、おかげさんで……ハハハ……」

 

 男の調子につられ、ユキノリは半笑いで返事をする。しばらくハハハと笑う彼を男はにこにこしたまま見ていたが────

 いきなり、ユキノリの頭を掴みテーブルに押しつけた。がっ!?とユキノリは呻くが、お構いなしだ。

 

「何がおかしいんやコラ。ワシ何かおもろいこと言うたか? なあ」

「あ、あの」

「……何がおもろくてヘラヘラ笑ろてんねんコラァ!!」

 

 そのまま男はタバコを掴むと、ユキノリのシャツの襟の下の首すじにそれをジュッ、と押しあてた。ユキノリは声にならない声を上げる。

 憐は目の前で矢継ぎ早に繰り広げられるその光景に、ただただ目が離せなかった。男は憐などいないかのように、ユキノリの首根っこを掴み起こし上げるとソファの背もたれに乱暴に叩きつけた。

 

「……まー折角来たんや、一杯飲んでけや」

 

 男の言葉に、ユキノリは小さくハイ、と答えるしかできない。まだ燻っているタバコを、男は灰皿に押しつけてしっかりと消した。応接テーブルの上のその灰皿は、あまり掃除していないのか吸い殻と灰が随分と溜まっている。

 

「あにき」

 

 どこから出てきたのか、こちらもやくざ者然とした男の部下らしき青年が酒のボトルを持ってくる。男はそれを受け取ると蓋を開け────

 目の前の灰皿に、なみなみと注いだ。

 灰が少し酒と一緒にこぼれるが、お構いなしだ。

 

「ほら、ユキノリ」

 

 男は酒とタバコの灰で満たされたそれを、にこっと笑いながらユキノリの方へと差し出した。

 

「飲んでけや」

 

 男は笑顔を貼りつかせたまま、ユキノリにそう言う。顔こそ笑っているが、その圧が空気をものすごい重さに変え、プレッシャーに押しつぶされそうだ。ユキノリはえっ、という顔の後にまたハハ、と愛想笑いしそうになるが、必死でこらえた。

 

「あの……」

「あ“ぁ!?」

 

 ユキノリの切り出しはたった一言、しかし物凄い圧の怒声に押しつぶされた。ヒッ、と小さく声を漏らした後、ユキノリは逡巡の後────

 うぶゥゥ、と声を上げながら、灰皿を引っ掴みそれを全て飲み干した。

 憐は一瞬目を丸くするが、息一つ漏らさずその異常な光景を最初から最後まで見届けていた。一方の男はユキノリが飲んだ瞬間、ハハハハ!と手を叩いて笑い上機嫌だ。

 

「飲んだなァーッ! え~~え飲みっぷりやわ自分! 自分の立場ちゃんと解っとるなあ!」

 

 ユキノリはたった一杯でグロッキー状態になり今にも吐きそうという目をしていたが、男の手前必死に堪えていた。そんなユキノリの姿が、憐には痛々しくて見ていられなかった。

 あれだけ非行少年たちの中でリーダーぶってイキっている彼も、本物のやくざ者の前では弱いものだ。灰皿になみなみと注がれた酒だって、飲めと言われれば飲み干さなくてはならない。強い者が弱い者を食い物にし、その強い者はより強い者に食い物にされる。そんなどうしようもない加虐の連鎖は断ち切られねばならない。憐はそう決意を固くしていた。

 

 そこからしばらく男とユキノリはやり取りをしていたが、その途中で憐は立ち上がった。

 

「……あ?」

「トイレ、どっちデスか」

 

 ユキノリのお前本当勘弁してくれよという視線を浴びつつ、憐は部屋を後にした。トイレの場所は聞いたが、そこに向かうつもりは毛頭ない。素早く廊下を移動すると、憐は人の声がする方の扉のところまで肉薄していた。

 憐がユキノリに連れられてやってきたそこは、場末の小さなバーだった。入る時は裏口の方から入り事務室へと顔を通したため、店の方はまだ見ていない。だが、憐にはこの店がどういうものかどうかは何となく予想がついていた。そしてその予想は──

 

「おいおいおいおいお父さんさァァァ~~~~ッ、つまりこーゆーワケ? 自分が食べて飲んだモノのお金払えないって、そーゆーコト?」

 

 見事に当たっていた。

 

「食い逃げ? 食い逃げしちゃうワケ?」

「いや、その」

「違うの?」

「あのねえ!」

「違うんなら早く払って?」

「そうではなくてだね!」

 

 扉の向こうで恫喝されているらしき壮年の男の声が、一際大きくなった。

「ピーナッツひとつかみと水割り一杯で7万円というのはどう考えてもおかしいだろうと、そういう話だよ!」

 

 壮年の男は声を上げるが、やり取りしている若い男の呆れたため息が聞こえ……

 

「お父さんねェェ~~ッ、困るんスわ……。まるでウチが『ボッタクリ』のヤベー店みたいな言い方ァ……」

「しかし……」

「伝票見ました?」

 

 そこで、かしゃかしゃと紙の音がする。

 

「ほら見てくださいよここォ~~~~~~~~……。ここ、ここね? ウチのピーナッツはもースッゲ! 高級品使ってるんでェ、一個5千円はするんですわァ……。ピーナッツ13個で6万5千円! 水割り一杯で5千円、計7万! 踏み倒すつもりッスかぁ? 食い逃げ? やっぱ食い逃げキちゃいますかこれェ?」

 

 ビンゴだ。

 こんな繁華街でも外れの方にある店でやくざ者が仕切っているとなれば相場は決まっている。相手を言葉と論で巧みに追い込んで市場価格をブッ飛ばしたやべー値段を請求して暴利を貪るタイプのアレだ。だが、

 

「上々……!」

 

 憐はむしろ、その確信が事実であったことに高揚すらしていた。

 ロイミュードのいない今の世の中で仮面ライダーが正義の狼煙を上げるにはどうすれば良いか。それを考えた結果……

 

“SIGNAL-BIKE!”

 

「……変身」

 

“RIDER! SLAYER!!”

 

 こうすることに、決めた。

 (クロ)(クロ)(クロ)。悪の浸食を塗り潰して染め上げんと言わんがばかりの黒一色の仮面ライダー。憐が変身したそのライダーは両腕に備え付けられた爪で、扉を引き裂き────

 

「ソコまでダ」

「ッ……!? てっ……てめェェ~~何やってくれてんだよダボがよォォォ! ドアブッ壊してんじゃあねーぞッ!」

「……うるセエ」

 

 ライダーは騒ぎ立てる店員を尻目に爪を振るい、酒瓶の並ぶ棚にそれを叩きこむ。棚が壊れ、瓶が割れ、洋酒が床に飛び散った。その事態に、たちまち店は騒然となる。

「どこのモンだコラァ!!」

 

 店員はこの店を預けられている責もあるのか、それでも怯まずライダーへと歩み寄り、三白眼で威圧するように睨みつける。ライダーはしばしの沈黙の後……

 

「この世の悪党、魑魅魍魎。全てを狩り殺す闇の戦士」

 

 ゆっくりと、

 

「仮面ライダー……スレイヤーだ」

 

 その名を、告げた。

 そこから先は、もう嵐だ。一分と経たず店中がずたずたになり、数人の店員はズタボロになりながら虫の息で床に転がっていた。

 

「てめえ、は……」

 

 店員はそれでもスレイヤーを睨みつけながら、その正体を探ろうとしていた。憐はその視線に応えるかのように、変身を解く。

 

「俺っちは……”仮面ライダー”だ」

 

 そう宣言することで、彼はまるでこの世の全ての悪に宣戦布告するかのような大見得を切った。

 しかし、

 

「ほ────ん……。(ボン)ズお前、仮面ライダー? おもろいなあ」

 

 後ろから聞こえた声に振り返った瞬間、顔面に熱いものがくっつけられ憐は吹っ飛んだ。いや……熱いものではない。もの凄い勢いでブン殴られたのだ。熱いと感じたものが痛みだとわかるまで、数秒かかった。

 

「お前……!」

 

 既に顔面が二倍ぐらいの大きさに腫れあがるまで殴られたユキノリが男の後から続いて出てきたが、その表情は全く信じられないといったものだった。当然だろう。連れ歩いてた用心棒がやくざをブッ飛ばす仮面ライダーだと知ってあッそーでスかと即座に受け入れられる方がどうかしている。

 

「ドライバー!!」

 

 憐は慌ててフッ飛ばされた時に落としたドライバーを探したが、

 

「残念やなあ、こっちや」

 

 既にマッハドライバーは、男の手に握られていた。

 

「返セッ!!」

 

 憐は飛び出そうとするが、その瞬間もの凄い力で背後から締めあげられ、身体がふわっと宙に浮いた。一瞬驚くも、やがてそれがものすごい巨躯の筋肉質な男に締め上げられているのだとわかってきた。

 

「先生、ありがとなぁ」

 

 先生、と呼ばれた男は本当に筋肉質の巨漢だった。服の上からでもその筋肉のラインがわかるほどだ。憐とて体術には自信があるが、それはあくまで体術を繰り出せるだけの肉体的余裕があればの話。完全に体を抑え込まれては、どうすることもできない。

 

「どないしょっかなあ」

 

 男は怒るでも笑うでもなく、淡々と憐に近づき彼をじっと見た。どこまでも冷たい目が、氷で撫ぜるかのように憐を見つめている。

 

「痛かったやろさっきの。何でこんなことしたん?」

 

 どうやらさっきの一撃はこの男からだったらしい。冷静に見えても手が出る時はもの凄いというのが、それだけでわかる。

 

「お前ラみたいな……悪党をブッ潰すためダ……!!」

 

 それでも負けるかとばかりに、憐は睨み返しながらそう返す。

 

「悪党? 悪党かァ」

 

 そこで男は、ようやくカラカラと笑った。

 

「何がおかしイ!!」

「いや、幼稚園児みたいなコトわざわざこの場で言うから、おもろいなあ思てな。正義だとか悪だとかそないなコトで世の中測るの、早めに卒業せえよ」

 

 瞬間、目にも止まらぬ早さで冷たいものがぴたっと憐の頬に当たる。男がナイフを取り出し、刃の平たい方を頬にぴたぴたと押しあてているのだ。

 

「正義だとか悪だとかごちゃごちゃ言わんでも、弱いヤツが死んで強い奴が生き残る。それだけやろ? 正しい正しい正義の味方のお前は絶対にくたばらんのんか? これを首に突き立てたら、どないに正しかろうが何だろうがくたばるやろが」

 

 男は握りかえ、刃の先を憐の頸動脈に向けた。

 

「なあ?」

 

 それでも、憐はビビらない。ただただ、男から目線を逸らさぬよう睨み続けている。男はしばし考えていたが、

 

「このベルト、返してほしいやろ」

 

 ナイフを下ろし、憐に語りかけてきた。憐は答えない。

 

「なあ!?」

 

 さっさと答えろと、男は拳を握りまた頬を思い切り殴りつける。口の中が切れ、血の味がじわじわと広がってきた。

 

「……アア」

 

 やっとのことで、憐はそれだけ答えた。

 

「ほな、条件出したろか」

 

 男は口の端を吊り上げ、いやらしく笑った。

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

「こんなトコロに……?」

 

 翌日の昼、憐は痛む頬をさすりながらだいぶガタのきたアパートの前に立っていた。ドライバーを返してもらうための「条件」を果たしに来たのだ。

 男の出した条件はこうだ。

 

 

「ここのアパートにな、わっるいわっるいヤクザもんが住んどるんや。こいつブチのめしてウチの事務所に連れてきてくれたら、これは返したる。頼むでえ、正義のヒーロー! ンハハ!」

 

 

 あからさまにバカにされてはいるが、とにかくドライバーの回収が最優先だ。あの後隙を見て取り返そうとしたものの、先生と呼ばれている用心棒の巨漢、野見にまたしても組み伏せられ、骨が折れるぎりぎりまで腕を捻られた。言いなりになるのはシャクだが、現状これ以外に方法が無い。

 ここに住んでいるやつを連れ出して、ドライバーを奪取したらどっちも潰す。それしか手は無いという考えだった。

 言われたアパートの部屋は1階の角部屋の為、憐はまず裏手のベランダの側に回ってみることにした。玄関から正面切っていくのは面倒だ。当然と言うべきか、ベランダの側は落ち葉やゴミが散乱し、鎧戸は閉まったままになっていた。そこでどうするかと考えれば、答えはひとつ。

 

「……ブチ抜けル!!」

 

 後方に下がると助走をつけ、憐は飛び上がって蹴りを鎧戸の上からたたき込んだ。錆びが浮きぼろぼろの鎧戸は紙のように裂け、すぐさま足がその下のガラスにジャストミート。ガラスはあっと言う間に砕け、見事に空いた大穴から憐の身体は部屋の中にそのまま飛び込み、これまたぼろぼろのソファの上に叩きつけられた。あまり使っていなかったのか、ほこりが物凄い勢いで舞う。

 

「あっテテ……。まあ何トカ……」

「だっ……誰だ君はああああああああ!!」

 

 憐の耳に、野太い男の声が響いた。慌ててその方向を見ると、そこにはうす汚れてくたびれた中年男が目を見開いて憐を見ていた。憐はそれには答えず、素早く男の首元に両手を回しネックハンギングツリーで持ち上げていく。

 

「がっ……」

「お前も悪ダロ? アイツらも悪。悪はまとめて俺っちが消してやるヨ……」

 

 殺すつもりはない。あくまで捕らえて奴に渡す為に連れていき、そこでまとめて……

 

「何してんのよあんた!!」

 

 ガン、ともの凄い衝撃が後頭部に走り、そこで憐の意識は途絶えた。

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 悪を滅ぼさなケレばいけナイ、と思ッタのはいつカラだっただろう。

 

 

「警察官はな、市民を守る立派な仕事だ」

 

 

 父サンは立派な人だった。

 

 

「お父さんと一緒に、同じ気持ちで仕事ができる!ってのが、お母さんの自慢のひとつよ」

 

 

 母サンも同じくらい立派な人だった。

 

 だから俺は、二人が仕事で家に一人デモ全然寂シクなんかなかった。

 たくさんの人を守ル立派な仕事をしているんダと、ワカっていたカラ。

 けど、

 

「チクショ~~ッ……! マジに『ナメたマネ』してくれてんじゃねーかよサツがよォォーッ、ノロノロノロノロ『ドン亀』みてェーに動きやがって……!! 妥協して1000万なんて用意しやすい『はした金』条件にしてやってんのがわかんねーのかッ!」

「ガキのクセにこんな高ェー『レストラン』でメシ食いやがって!! 『見せしめ』にハチの巣にしてやるぜッ!」

「『食器洗い』用の『スポンジ』みてェーに穴ボコだぁぁぁぁーッ!! ギャハハハハハ!!」

「憐!!」

 

 

「……午後4時38分、容疑者確保」

「やったわ……」

「バケモンがよ……!! 何で死なねェ──んだよてめーら二人そろってよォォ~~~~……」

「『警察官の肩には、大いなる責任が乗せられている』。殉職した偉大な先輩の言葉だ……。倒れてなどいられるか」

 

 

「大丈夫だ、憐」

「そうよ、お父さんもお母さんも強いから。このぐらい」

「帰ったら、また一緒に……遊ぶぞ……折角の……休み……」

「お風呂にも、一緒に入ったら……いいんじゃない……」

 

 

 俺は弱カッタ。

 ガキだったカラとかソンナの関係無イ。今だってガキダ。

 

 でも俺は、抱きしめテクレた二人の手が冷タく、固クなっていくノニ、ただ泣イテいることシカ出来なカッタ。

 

 何故ダ。

 何故立派ナ人だった父サンとが、死ななケレばならナイ。

 何故ダ。

 

 人の命を踏みニジり、金をムシり取り、世の理を歪めている奴ラは生きているのに。

 

 何故ダ。

 何故ダ。

 何故ダ。

 

 だったら俺が変えてヤル。

 どうしようもナイ理不尽と不条理を俺と俺の大切ナ人に押しつけ、そしてコレから世界に押しつけるであろう“悪”を叩きのめして。

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

「……あ?」

「うわっ起きた!」

 

 目を覚ました憐は、まず自分の身体が縛られていることに困惑した。

 

「離セ!!」

 

 殆ど本能的にそう叫ぶが、

 

「離すわけないじゃん!! あんた人ん()に飛び込んで何してくれてんの!」

 

 目の前に、憐とあまり年の変わらない少女が立っていた。

 

 ありふれた制服。

 染めていない()のままの黒髪。

 化粧気なんてなく純朴だが、かわいらしい顔立ち。

 ここのところクラブやゲーセンでハデな女子ばかり見ていたからかだろうか。その普通さに、心が落ち着く。

 

 だが、

 

「お父さんに何しようとしてたの!?」

 

 その一言に憐は警戒する。確かに部屋の隅では、先程の男が恐々と憐を立ったまま見やっていた。

 

「娘サンか? ……だったら解ってルダロ? コイツはヤクザだ、だから……」

「はあ!?」

 

 少女が苛立つ。

 

「ヤクザはあんた達の方でしょ!! 無理矢理むしった上に家の窓まで……」

「はァ!?」

 

 今度は憐が苛立つ番だ。

 

「俺っちがヤクザなモンか!! 俺っちは……」

「何?」

「正義の、味方ダ」

「あのねえええ──っ、人の家の窓ブチ抜いてガラス撒き散らす正義の味方なんてどこにいるって──のよ!!」

「ここにイルんだヨ!!」

 

 二人がヒートアップしてきた時、

 

「……何か、勘違いしているんじゃないかな。お互いに」

 

 憐を見やっていた男────少女の父親が、割って入った。

 

「……勘違イ?」

「まず君ね。君は私のことをヤクザだと思っているがそれは間違い。私は逆に、ヤクザに権利書と利息で雁字搦めにされた男さ」

「アンタガ……?」

「そして私と双葉……ああ、うちの娘ね。とにかく私達は、君をそのヤクザのところの下っ端だと思っている」

「うちに飛び込んできてお父さんにそこまでするって、あいつのとこの下っ端ぐらいしか無いでしょ」

「でも、違うんだろう?」

 

 憐は頷き、自分がここまでに来るまでのあらましを大体話した。勿論、仮面ライダーと言うことは伏せてだけれども。

 

「じゃあ、あんたも……」

「ああ。アイツに雁字搦メにされテル」

 

 その瞬間、少女は深い哀悼の表情を見せた。自分達と同じように食い物にされている憐の姿に、何かしら思うところがあるようだった。

 

「ごめんね」

 

 そう言うと、少女は憐の縄を解いていく。もっとも無我夢中でやたらめったらに縛ったが故か、簡単には解けなくて苦労し結局ハサミでブツブツに切りまくるしまらなさだったのだけれども。

 

「やっと自由ダぜ……」

「本当にごめんね。でも! だからって人の家の窓ブチ抜いて飛び込んでくるのはナシ!」

 

 叱られてハハ、と憐が苦笑いした時、少女が声を上げた。

 

「血が!」

 

 言われてみて、憐は自分の右腕から背中の付け根にかけてがガラスで裂けているのに気づいた。全身で飛び込んで打ちつけた痛みと傷自体の浅さから、今の今まで気づかなかったのだ。

 

「大丈夫ダッテ、コレくらい」

「ダメに決まってるでしょ!」

 

 そこで少女ははたと気がついた。あるだけの金をほとんどむしられている彼女の家には、救急箱もその他衛生用品も何もない。

 

「買イに行クか……」

 

 当惑する少女に、憐はそう言った。

 ドラッグストアまで向かい憐の金で消毒薬とキズパワーパッド、包帯を買うと、二人はとりあえず河原のベンチで手当てを済ませ、寒空の中でも流れ続ける河をぼんやりと見つめた。

 

「……大変だよね、お互い」

「ああ。俺っちの方コソ、ゴメンな。えと……」

「双葉。黒川双葉ね」

「双葉チャンね。俺っちは憐。狩夜憐。親父サンに怪我させルとこだった……」

「もういいって。ただ……窓どうしよっかなあ」

 

 そこだけは割と本気で参ったといった表情の双葉に、だったら、と憐は立ち上がった。

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

「やるじゃん憐君」

「コレぐらいは、ナ」

 

 応急処置を施された窓の前で、二人は感嘆した。

 スーパーから廃棄する予定のダンボールを貰ってきて貼り付ける。全く小学生の工作かというぐらいには簡単な応急処置だが、それでもこの寒い中寒風がだいぶ抑え込めるだけましだ。

 

「君、これからどうするんだ」

 

 双葉の父、黒川は心配そうに憐を見る。

 

「……まあ、俺っちの方から何トカ言ってみル」

 

 正直、憐に何ができるかもわからない。それでも、とにかくこの状況を好転させねばという気概はあった。

 

「また来ルから!」

「約束ね」

 

 去り際に憐は、双葉と約束を交わした。

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

「……ただイマ」

「兄ちゃんおかえり! ごはん! おかーさんごはん!」

 

 憐が帰りついたのは、自分の家でもユキノリ達とのたまり場でもなく、ありふれたマンションの一室だった。

 出迎えてくれた6、7歳ぐらいの少女の笑顔がまぶしい。この家の家主の娘だ。

 

「おかえりぃ、大変やねぇキミ」

 

 リビングに向かうと、キッチンで鍋の様子を見ている母親がふふっと笑う。憐はッス、と頭を下げつつ、手を洗ってくると食卓についた。その時、

 

「ただいまぁ」

「おとーさん!」

 

 この家の家主のご帰還だ。

 

「……ッ」

 

 憐は苦い顔になる。

 この家の家主こそ、不良少年たちをいいように使い、憐のドライバーを奪い、黒川親子に憐を差し向けたヤクザ────山上辰也なのだから。

 

「うまそうやなぁ」

「あんた早かったねえ」

「店に顔出してもおもろなさそうやったしな。それに……」

 

 山上は憐をちらり、と見やる。

 

「どやった、憐」

 

 彼の一番の狙いはそれだ。憐が事務所に顔を出さなかった時点で、結果はある程度わかっている。

 わかっていて詰めてくるのだ。

 

「ソノ……」

「はいはい、あとでね」

 

 妻の邦子にやんわりたしなめられ、夕食がはじまる。

 

「ウマい」

「だよねー!」

 

 娘の一花の純粋さだけが、今の憐にとっては救いだった。

 

「一花ァ、今日学校はどないやった」

「今日も楽しかった!」

「そうかァ」

 

 山上はにかっ、と心底嬉しそうに笑った。眉一つ動かさず他人を叩きのめす、あの男と同一人物とは思えないほどに良い笑顔で。それを考えると、食事は美味いが色々と考えてしまう。

 そして夕食が終わると、山上は憐を伴って部屋に入り……

 

「こん……ダラァ!!」

 

 いきなり頬にガツンと拳が一発入る。憐はキッと睨み返すが、その態度にもう一発。

 

「ワシなんて言うた? あいつ連れてこい言うたよなあ? あ?」

「……嘘ツイてたダロ! アイツが、イヤ……アノ人がヤクザだナンテ!」

 

 憐の反論に、山上はチッと舌打ちし憐の脛に蹴りを入れる。

 

「余計なこと詮索せんでええねん。ベルトいらんのんか? なあ」

「ドライバーは……」

 

 あれから山上は憐の知らない場所にマッハドライバーを隠してしまっていた。例の店以外にも事務所や拠点があるらしく、捜索も回収も容易ではない。

 

「何も考えんとはよあのオッさん連れてくりゃええねん、道具(ガキ)がいっちょ前に考えんな」

「アンタは……!!」

「何やコラぁ!!」

「アノ人がどういう人だか知ってんのカ!?」

「……債権回収対象や」

「ソウじゃネエ!!」

 

 憐は立ち上がり、ここではっきりと山上に向かい合った。

 

「アノ人には娘サンが居ル。アンタだって一花チャンって娘サンを持つ父親ダロ……!!」

 

 山上は一瞬呆気にとられたような顔をした。娘がいることは知らなかったのか、と憐は思った。

 が、

 

「だから、何やねん」

 

 ハハッ、と山上は嘲笑した。

 

「どんだけションベン臭いねんなこんダラァ……! うちの一花とあんボケのコブ一緒にすんな!!」

「同じ娘サンダロ!!」

「搾取する勝ち組と搾取される負け組が同じや思とんのか!!」

「一花チャンが同じ立場だったらンなコト言えないダロ!!」

「そないならん為にボゲ共から金むしっとんねんコラァ!!」

 

 そこでまた山上の拳が飛ぶ。憐は辛抱たまらず、飛びかかると山上をドアに叩きつけ胸倉を掴む。

 

「コノ……!!」

「……ゲッホ! ええのんか」

「ア?」

「この手、どないすんねん。ワシの首絞めて殺すんか」

「……お前ガいなくなったら、世界は少し良くナルかもナ」

「人一人バラしたヤツが正義語れる思うなよ、(ボン)ズ。お前みたいなガキ一人のしょーもない理屈でポンポン人死によったらなぁ、日本のサツも法律もなんもかもわやくちゃや」

 

 その一言に、憐はハッとなる。

 

「警察……」

「あ? 何や、イキっとるクセにサツにはビビッとんのか自分」

「ウルサイ!!」

 

 そうだ。

 

 両親は警察官として、誇りを持って法に則って使命を為していた。

 決して、正義を盾にただ闇雲に戦い命を奪うだけの暴力装置では無かったはずだ。

 

「とにかくなァ、あんボゲんとこは資金繰り悪すぎんねん。ここらでひとつナシつけたいんや、早よ連れてこんかい」

「アンタが行けばいいダロ」

「あかんあかん、こっちも地元のサツには目ェつけられとんねん。表向きはきちんとした不備の無い契約書やし法的に問題あらへんけどなァ、下手なことしとうない」

「だから俺っちを使ってルってワケかヨ……!」

「おー、理解が早くてええなあ! そないなわけで、よろしく頼むで」

 

 それが、その晩山上と交わした最後の会話だった。

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

「……正義の味方ってのはさ、一日経っただけでそんなに青アザ作ってくるものなの?」

 

 双葉の察するかのような言葉が、何とも言えぬ気まずさを感じさせる。

 今日は黒川は金策に出ており、家にはいない。そこで双葉とお互いに大変だと語り合うわけだが、本来黒川家に実力行使する側の憐がヤクザ側を抑えているぶんかなりの負担がかかっているというのは、双葉も気になっていた。

 

「俺っちナラ大丈夫、ダカラ」

「ほんとに?」

「ホントに」

「ほんとのほんとに?」

「ホントのホントに」

「ほんとのほんとのほんとに?」

「しつこいっテ」

「なら、いいけど」

 

 苦笑いしつつ、双葉は憐の頬の青あざを撫ぜる。

 

「ソレから、コレ」

 

 憐は甘めの缶コーヒーをポケットから三本取り出す。

 

「どしたの、これ」

「差し入れ。何買ったらイイか……わかんなくテ……。一本はお父サンに」

 

 双葉は一瞬きょとんとしたが、やがてあっはは、と笑った。

 

「優しいね、憐君は」

「ま、まーナ……」

 

 それから二人は缶を開け、ゆっくりとそれを飲み干した。

 

「どうするの?」

「ナニが」

「……お金、取ってこいってあいつに言われてるんじゃないの」

「……ウン」

 

 憐は隠さない。双葉が察している以上、隠していてもしょうがない。

 

「何とかゴマかすサ」

 

 その日はそれで引き上げた。山上に詰められたが、憐は悪びれず答えた。

 

「また、明日ナ」

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 次の日も黒川はいなかった。

 先日のガラス騒動で部屋がまだ少し散らかっていたのもあり、その日は一緒に掃除をした。

 

「また、明日ナ」

 

 次の日は窓ガラスの修理はアパートの管理会社に頼めば手配してもらえることを調べ、二人で管理会社に申し込みに行った。バカ正直に憐が飛び込んだことを話したため費用は住人負担となると言われた時は絶望したが、憐がユキノリから小遣いとして渡されていた金を全てつぎ込むことにした。どうせ山上経由のロクでも無い金だ。

 

「これで凍えなくて済みそう」

「良かっタ。また、明日ナ」

 

 次の日は街を出歩くことにした。ガラスの業者はまだ数日かかるとのことだったし、ありったけむしられた家にいてすることも限られているからだ。

 

「出歩くって言ってもさ、何か買えるわけでも無いし」

「マ、見て回るだけデモ」

 

 金がない、というのがこんなにも惨めだとは思わなかった。二人は苦笑しながらも、また河原を通りがかるとベンチで一息つく。

 

「シンドイな……」

「まーね。でもまあ、冬来たりなば春遠からじって思って頑張るしかないよ」

「ア?」

「今の辛い時期を耐え忍んでいれば、必ず良いことは来る。パーシー・シェリーの『西風の賦』の結びの一文ね。だから、私はいつか”春”が来るって信じてるんだ」

「ヘエ、双葉チャンは物知りダナ」

 

 そう返しつつ、狩夜憐は買ってきた缶のホットココアを黒川双葉に渡した。双葉は熱さに手を慣らしつつそれを開け、小さな口で少しずつ飲み身体を暖めていった。

 

「図書館でならいくらでも本がただで読めるからね。なんか気づいたらいっぱい覚えてた。だから、かな。小説家になれたら……嬉しいなって」

「小説家……」

「まずは賞に出してみたの! 図書館の共有パソコン借りて、毎日ちょっとずつ、ちょっとずつ書いて、やっと……」

「結果が出ルといいナ」

「うん。ここのとこあんなだから選考の途中経過も見られて無いけど……。一次は通ったんだよね」

「スゴいじゃんか!」

「それにさ。今回の賞は賞金も出るんだよ。これで賞取れたら残りのお金も……何とか……」

「ますます頑張らなきゃジャンか!」

 

 あはは、と双葉は笑った。

 

「もうあとは結果待つだけだから、頑張るもなにもないって」

「あ、そっか」

「……ありがとね」

 

 その瞬間、すうっ……と双葉の目から涙がこぼれた。

 

「エ!?」

「あ、いや、ちがくて」

 

 そうは言われても、憐には困惑するしかない。

 

「自分の夢の話を誰かに出来るなんて、思わなかった」

 

 冬来たりなば春遠からじ。

 いつかは春が来ると信じてはいても……やはり、耐え忍ぶだけでは辛いものだ。

 奇妙な縁ではあるものの、狩夜憐の存在は思った以上に大きなものとなっていた。

 憐は優しく双葉の肩を抱き寄せ、ウン、ウン、と頷いた。

 

「また、明日ナ」

 

 そんな日々が二週間続いた。

 痺れを切らした山上は家ではなく事務所に憐を呼びだすと、部下に憐を叩きのめさせた。

 金属バットで打ち据えられ、ひたすらに殴る蹴るを繰り返される。まるで乱戦の中で取り合いになるサッカーボールだ。

 

「ガッ……!」

「えーかげんにせーよ自分ン……! あとまわしあとまわしでまた明日、ばっかで許されると思とんのかコラァ!!」

「だから、明日は……」

 

 山上はキレて歩み寄ると、憐の顎を引っ掴む。

 

「一花が懐いとるからって調子乗っとんちゃうぞオイ。ハンパにケンカ売ってきたよーなガキはやることもハンパか? あ?」

 

 憐は答えない。

 

「明日はちゃんとやってこいや」

「ああ……また、明日ナ」

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

「ちょっと!! また怪我が増えて……」

「大丈夫ダッテ」

「大丈夫なわけないじゃん……!」

「憐君、病院に行った方がいいぞ」

 

 翌日は当然ながら心配されることになった。目元のあざが青あざを通り越して黒々としていればそれも当然だろう。

 

「病院に行かなきゃ私怒るからね!」

「……わかっタ」

 

 結局双葉に根負けし、憐は病院に行くことになった。

 

「ほら、総合病院ね。保険証ある?」

「財布に入れテル」

「よかった」

 

 玄関先で二人がそんな会話を交わしていた時だった。ううっ、と大きな声が聞こえ、誰かの倒れる音がした。中年の男性が、玄関先に倒れ込んだのだ。

 

「オイ!!」

「おじさん!? おじさん大丈夫!?」

「双葉チャン! 病院の人!!」

 

 憐に言われ、双葉は急いで病院のスタッフを呼びに行く。憐は男を仰向けにすると、心臓マッサージを始めた。

 

「死ぬナ……!!」

 

 必死に手に力をこめることしかできない。ただただ、目の前で命が失われることだけは耐えられないという想いが憐を突き動かす。

 

「ッ……!!」

 

 途中で憐の腕にも激痛が走る。昨日あれだけ痛めつけられたのだ。骨にヒビが入っていてもおかしくない。だが、

 

「止められルかよ……!!」

 

 手を休めることはできなかった。たとえ変身できずとも、命を守ることを諦めることなどできるものかと。ああああああああっ、と叫び、憐は心臓マッサージを繰り返した。そして、

 

「君!! ありがとう!!」

 

 ベテランらしき年配の看護師が駆けつけ、憐に礼を言うと処置を変わった。男性スタッフ数人の手で男はストレッチャーに乗せられ、病院の中へと運ばれていった。

 

「知らせていただいて、ありがとうございます」

 

 先程の看護師を補佐していたこれまたベテランらしき看護師が、二人に頭を下げた。

 

「あなたが知らせてくれなかったら大変だったわ」

「いえ、私は……頑張ってたのは憐君だし」

「双葉チャンが知らせてくれたから、ダロ?」

 

 互いに謙遜しあった後、二人は笑った。

 それからは憐自身の受診だ。怪我の具合からしてケンカか、それだったら健康保険は使えないだの色々と言われながらも整形外科で見てもらい、応急処置を受けることができた。しばらくは安静にしていろ、とも。

 

「安静っテ……。あそこにいタラ安静もナニもないケド」

「やっぱり警察に相談した方がよくないかな。うちの方は法的に問題ないかもだけど、憐君をボッコボコにした件で何とか」

「ダナ……」

「本当に、ごめん」

「双葉チャン?」

「私と知り合わなかったら、そんなに殴られなくて済んだのに」

 

 双葉は暗い表情でうつむくが、

 

「何言ってんだヨ」

 

 憐は気にするなとばかりに、快活に笑った。

 

「コンナの全部、俺っちが勝手にやったコトだ。何もかも全部投げ出して、双葉チャン見捨てて逃げるコトだって出来た」

「憐君……」

「でも、そうしなカッタ。いや、そうしたくなカッタ。だって……」

 

 憐の眼には一点の曇りもなく、

 

「こんな良い子を、見捨てるなんて出来なカッタ」

 

 はっきりとそう言った。双葉は一瞬困惑した後、

 

「……ばか」

「エッ……」

「ばかだよ憐君は! それで自分が怪我してたら意味ないじゃん! もっと自分を大事にしなよ……!!」

「でも」

「憐君がいなくなったら哀しむ人だっていると思わない!?」

 

 ぎゅっ、という力強さとあたたかさ、優しい匂いが伝わってきた。

 双葉はたまらず、憐に抱きついていた。

 

「双葉チャン……」

「ってかさ。憐君がいなくなったら哀しい人、ここにいるし」

「……」

「私、憐君が……す……」

 

 その時、

 

「あーっと……君達?」

「うおあァァ!?」

 

 突然の第三者の声に、憐は絶叫し双葉はバッと離れた。

 

「ここ、病院だからね」

 

 先程の年配の看護師だ。

 

「す、すいません……」

「中村さん?」

 

 看護師が呼ぶと、後ろからぬっと顔を出した相手がある。それは、

 

「さっきの……!!」

 

 先程二人が助けた、中年の男だった。

「どうも、中村です。ありがとう君達……!! 本当に助かった!!」

 

 男は深々と頭を下げる。

 話によると、男はトラックの運転手をしている頑健な男だが、最近胸の調子が悪く今日は病院に行こうと思ってやって来た矢先に心不全で倒れてしまったらしい。看護師曰く、憐の心臓マッサージが無かったら助からなかったかもしれないとのことだった。

 

「本当にありがとう、このお礼は改めて」

「イヤ、そんな……」

「当たり前のことをしただけですよ」

「いや、それができる子はなかなかいないよ」

 

 中村に何度も何度も感謝され、二人はすっかりのぼせ上ってしまった。だが、悪い気分ではない。

 

 誰かの命を助けられた、というのは。

 

 そして、その為に感謝されるというのも。

 その日は病院を後にし、憐がアパートまで送ると解散となった。

 

「あのさ」

「ナニ?」

「さっき、途中まで言ってたんだけど」

「何ダッケ?」

 

 憐のその表情に双葉は少し考えた後、

 

「……なんでもない! また明日ね!」

「? ああ、また明日ナ!」

 

 別れを告げた。

 憐は困惑しながらも、アパートを後にしていく。

 

(今日は、スゲーヒーローらしいコトできたカモ……)

 

 今日の事を思い出すと、また満足気な気持ちになる。その気持ちは……

 こっそりと物陰から見ていた相手に気づかないほどに、憐の心を満たしていた。

 憐を見ていた影はポケットからスマホを取り出すと、登録してある連絡先にコールを入れる。

 

「おー、ユキノリか? ちょっとなァ、やってもらうことがあるんやけど」

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 翌日の憐は急いでいた。

 

「早く知らせないとな! 双葉チャン!! 絶対嬉しいダロこれ!!」

 

 双葉に知らせたいあるものを片手に、彼はアパートへと急ぐ。昨日のことといい、良いことずくめだ、遂に彼女に「春」が来たのだと憐は満ち足りた気分になっていた。

 ひとつだけ気になるのは、昨日また山上の家に戻ってから「また明日」と報告した後のことだ。

 

「おー、そうかあ。まあ明日は頑張りや。明日はな」

 

 いつもなら明日と言っただけでも一発殴られるのに、特に関心を示さずそれだけだったのだ。何かあったか? とも思ったが、昨日は病院の一件があっただけにすぐに頭の片隅に追いやってしまった。

 

「双葉チャン!!」

 

 憐はいつものようにアパートの呼び鈴を鳴らした。

 だが、誰も出ない。

 

「留守カ……?」

 

 どうせ勝手知ったる黒川家だ、と少々図々しく、憐はドアに手をかける。力を入れノブをひねると、ドアは簡単に開いた。

 

「あ?」

 

 その瞬間、ぞわっとした感覚が全身を駆け巡った。

 

 玄関には物が散乱していた。

 

 昨日までは貧しいながらも、きちんと片づけられていた筈なのに。

 

「……双葉チャン!!」

 

 憐は思わずリビングに飛び込み、そして絶句した。

 部屋の中は何かが暴れ回ったかのように、物が散乱していた。壁紙には大きく何かで擦ったような跡があり、数少ないグラスはすべて割れている。棚や机の類もめちゃくちゃだ。

 

 何かあった、と察するには充分だ。

 

 憐が戦慄して足を一歩踏み出した時、ぐるぬ、と柔らかい感触が足を引っ張った。びくっ、となり、足元を見た瞬間────

 

 

 黒々とした生乾きの血が、そこを濡らしているのに気づいてしまった。

 

 

「ッッッ~~~~ッ!!」

 

 声にならない声を上げ、憐が飛び出そうとしたその時だった。

 憐のスマホが、鳴った。

 相手を確かめるが非通知だ。この時点でどうにも怪しいが、そのタイミングの良さにまたザワザワと胸騒ぎをさせながら出ると、

 

「『おー、憐……。どないや? 部屋もう見たか?』」

「……山上ィィィィィ!!」

「『そない怒んなや。お姫様は二丁目の鉄工所跡やでぇ』」

 

 電話口の山上の声が終わるか終わらないかのうちに、憐は部屋を飛び出していた。

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 山上に電話口で言われた鉄工所跡にライドスレイヤーを走らせ、憐は息つく間もなくひとつしかない入口に飛び込む。だが、

 

「ウッ……!!」

 

 元々は玄関かつ靴箱があったらしきその小さな部屋には、どす黒い血が散乱していた。そしてその中心には……

 

「お父サン!!」

 

 黒川が手足を縛られて横たわっていた。うう、うう、と呻いている辺り、まだ息はある。

 

「大丈……」

 

 憐は抱き起しながらそう声をかけようとしたが、夫、とまではとても言いきれなかった。

 黒川の口元はまるでデミハンバーグを食べこぼした幼児のようにベタベタのぐちゃぐちゃだった。ああ、うう、と呻くその口元には……

 

 

 歯が、一本も無かった。

 

 

 近くには乱暴に引き抜かれた歯がいくつか落ちており、血でべっとりと汚れたペンチもあった。

 なんでこんなことができるんだ、と思った。

 相手は同じ人間だ。自分と寸分たがわず、寝て起きて飯食ってクソする人間のはずだ。

 こんなことをする時、何も感じなかったのか。何とも思わなかったのかと。

 そして、

 

「双葉チャンは!?」

 

 その問いに黒川は、あう、と息も絶え絶えに顎をしゃくった。その先には、部屋の奥に続く扉があった。

 憐はすぐさま飛びつき、大急ぎでその扉を開けた。そこには────

 

 

 

「ん゛っ、ん゛っ、んん゛、ん……」

 

 

 

 地獄が広がっていた。

 

 冬だと言うのに、むせ返るかののような饐えた臭気と熱気が鼻をつく。

 

 元々は作業用だったらしいサビだらけの大きめの台がいくつもその部屋にはあったが……そのうちのひとつの周りには、人が密集していた。

 どいつもこいつも伸びきった植木のように広がったチャラついた髪やピアスの目立つ、見ただけでわかるほどの不良少年(ワルガキ)ども。無駄にシャレっ気の出た格好をしていたが、総じて見ればかなり不格好だったと言わざるを得ない。

 皆が皆、一様に下半身をフルチン(まるだし)にして突っ立っていたのだから。

 突っ立っていたのは、股の間のモノも同様にだったが。

 

「お゛っ、スゲッ、ん゛、ま、またイッ」

 

 台の上では、上も下も脱ぎ捨てて全裸になった不良が引き締まっているもののなまっちろい(ケツ)をぶるぶるっ、と振るわせながら────

 

 すべすべとした白い肌に浮かぶ、思い切り殴ったが故の青あざ。

 ほどよい大きさと丸みに育った乳房に浮かぶ歯の跡、乱暴にされ赤くなった乳首。

 蠱惑的な丸みを帯びながらも、力を失って投げ出された肢体。

 昨日まで黒川双葉と呼ばれていた、一匹のメスをひたすらに貪っていた。

 

「ユキノリさん代わってくださいよォ、もう三回もナカイキキメてんじゃないスか」

「あ゛──っ……はぁ……!」

 

 双葉の中に無責任に子種を好きなだけ吐き出したユキノリは、虚脱感と疲労から息を大きく吐く。

 

「るっせンだよシュン、口でも手でも好きなとこ使えや……。お前らもよォ、ボーッと突っ立って……ないで……」

 

 そう言いかけたユキノリが目にしたのは、扉を開け放ち顔面を蒼白にして突っ立っている憐だった。

 

「レン!? オマエ……山上さんのトコで何かやってたんじゃ……!」

 

 そこまで言った時、ユキノリはああ、と気づいた。

 

「オマエもヤってこいって言われたってか! チョード良いや、オレ終わったから」

 

 そう言いながらユキノリは、

 

「ギャーギャーうるさかったけど一晩中殴ってヤって大人しくさせたから具合良いぜ? オナホとかわんねーけど」

 

 乱暴に双葉の髪を掴んで頭を持ち上げた。

 殴られまくり、青あざと膨れ上がったところの無いぐらいひどい顔が、憐の目に飛び込んできた。

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

「や、めて……」

 

 かすかに聞こえてきた声で、憐はハッと我に返った。

 思い出せ。俺は何をしていた。それを考えた時、やっと周りが目に入った。

 二十数人いたはずの不良少年たちは、全員虫の息で地面に転がっていた。骨を折られ、内臓を破裂させられ、血ヘドを吐きながらうめいていた。

 そして、憐の左手にはユキノリがいた。首を乱暴に捕まれ、顔面が数倍の大きさに腫れあがっていたが、憐の右拳は先程までその顔面を打ち据えるのをやめていなかった。

 

「双葉チャン!!」

 

 憐は駆け寄ったが、その瞬間双葉はギャ──ッと絶叫した。ビクッと憐が一瞬止まった瞬間、双葉は身体に力を入れ転がると自分から台の下に落ちた。憐は驚くも、すぐにそこに飛んで行く。だが、

 

「なぐらなっ、みな、みな、みなあああああああああああああああ」

 

 憐の姿を視界に入れた途端、双葉はまた絶叫しばたばたと打ち上げられた魚のように跳ねた。

 

「しっかり!!」

 

 憐はその肩を掴み、地面に横になったままの彼女を押さえつける。

 

「れん、く」

「そうダヨ俺っちダ!! 俺ガ……」

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

「双葉チャン!!」

「あああああああああああああああああああああああああっ……あ、みな、あああ、み、みないでっ」

 

 その瞬間、すうっ……と冷たいものが背筋に走っていくのがわかった。

 黒川双葉は、こんな姿は誰にも見られたくなかったはずだ。

 ましてや、”友人”の憐には。

 

「やだっ、に、にんし、あかちゃっ、や……」

 

 息も絶え絶えに、双葉は”行為”の結果に恐怖し怯えた。

 

「大丈夫!!」

 

 何の根拠もないはげまし。だがそれは、

 

「だいじょう、ぶじゃっ、ないいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい」

 

 極限まで痛めつけられた心に、鞭を打つだけだった。

 

「大丈夫……大丈夫……だカラ……」

 

 狩夜憐にはただ、そう言い聞かせて抑えることしかできない。その時、

 

「おーおー派手にやったなぁ! ユキノリ達は派手にヤッたし、お前も派手にブチのめしてくれとるやないか。ワルガキ共で勝手に潰し合ってりゃ世話無いわ……。騒ぐしか能のないノータリンのアッパラパーがなァ」

 

 山上辰也が、にやにや笑いながら姿を現した。

 もう、その名を呼ぶことすら無い。

 憐は絶叫し、ものすごい音と共に山上をドアに叩きつけた。窓に嵌め込まれていたガラスは、一瞬で吹き飛ぶかのように砕け散った。

 

「何や、そないに怒らんでもええやないか……。お前があとまわしあとまわしでボケーッとしよったから括! 入れてやったんやろ? これはお前の責任や」

「黙れェェェェェェェェ!!!」

 

 憐はまた絶叫し、胸倉を掴んだまま何度も何度も山上をドアに叩きつける。

 

「殺ス……!! 殺してヤル……!! お前ダケはァァァァァ!!」

「イキっとんちゃうぞ、コラ」

 

 その瞬間、山上はドアに残っていた大きめのガラスの破片を引っ掴む。憐がしまった、と思った次の瞬間、山上はその破片を────

 

 

 自分の首元に突き立てた。

 

 

「……は???」

 

 呆気に取られた憐の力が緩んだ瞬間、山上の鉛のような拳が憐を吹っ飛ばす。吹っ飛んだところに追いつくと一発、また一発と追撃が入れられる。首にガラスが刺さったまま。

 

「殺すってのがどーゆーことか……身体で覚えさせてから実践したるわこんションベンチビリのゲボカスがァ!!」

 

 ダン! ダン! ダン! と革靴の底で、憐の顔が思い切り踏みつけられる。

 

「まーだ気づかんのかいダラぁ……。仮面ライダーも質が落ちたなァ」

 

 そう言いながら、ゆっくりと山上の姿が揺らぎ、容を変えていく。

 

 髑髏から機械が飛び出たかのような強烈な頭部。

 全身を構成する金属のボディ。

 胸に刻まれた、「012」のナンバー。

 かつてはテロ組織ネオシェードにその身を置いていた、スパイダー型ロイミュード012が姿を現したのだ。

 

「お前……!」

「仮面ライダーがまた現れたって聞いた時は焦ったが……こないなショボくれたガキ相手なら屁でも無いわ」

 

 そう言うと、今度は鉄の脚で憐の身体が蹴り上げられる。地面に落ちた憐から、がっ、と声にならない声が漏れる。ロイミュードはゆっくりと歩み寄ると、腰を屈めぐりぐりと拳を憐の頬に擦り付ける。

 

「ほ~らほ~ら……ゆっくり頭潰したろかァ?」

 

 憐は素早くその拳を払いのけると飛び跳ねるように立ち上がり、があああ、と叫び拳を振りかぶる。だがロイミュードの圧倒的な動体視力の前には全く意味が無く……

 

「死ねや」

 

 逆に鉄の拳で殴りつけられた。口の中が切れた。アバラも何本か逝った。

 本気で殺し合えば、変身できないだけでこんなにも俺は弱いのか。

 何が正義だ。

 間違っているって思ったことを、間違っていると言いたい。

 けれど、それを口にしただけでは何も変わらない。

 その為に、正しいと決めたことをやり通す”力”が要るんだ。

 

「死なねエ」

 

 ボロ切れみたいになりながらも立つ憐に、

 

「……ゴジャゴジャやかあしゃあボゲがァ!! ショボくれたボロゾーキンがイキっとんちゃうぞ!!」

 

 012はキレて掴みかかる。その瞬間、

 

「……死ねやレンんんんん!!」

 

 鋭い痛みが憐の背中に走った。背後から右肩をナイフで刺されたのだ。

 

 その下手人は、

 

「……ユキノリ」

「お、おめェいい加減にしろよマジで!! おめェがウチに来なけりゃこんなコトにならなかったのによォ!!」

 

 ユキノリだった。震えながらもナイフだけはがっちりと掴んで離していない。

 憐にダメージが行ったことを考えれば012にとっては利する状況だ。だがそれは、

 

「いい加減にすんのはお前や!!」

 

 かえって012の逆鱗に触れた。

 012は憐を離して放り投げると、代わりにユキノリの側頭部に裏拳を叩き込む。ンぎっ、とユキノリは”音”を漏らし、先程まで双葉の身体を貪り蜜月の時を楽しんでいた作業台に叩きつけられた。

 地面にゴミのように崩れ落ちたユキノリだが、その手足はまだぴくぴくと動き、口は何か言葉を発しようとする。しかしながら、

 

「あっ、あーっ、あっ、あっ」

 

 舌がもつれ、喉が震え、出てくるのは言葉ではなくやはり”音”。殴られた時か叩きつけられた時かはわからないが、脊髄に不可逆の損傷が行ってしまったらしい。

 

「チョーシ乗っとんちゃうぞ、コラ」

 

 012は身動きの取れないユキノリの下顎の歯に指をひっかけると、そこを起点にして吊り下げるかのように持ち上げていく。そして、上顎の歯にも反対の手で指をひっかけ……

 

「やめロオオオオオ!!」

 

 上顎と下顎から、ユキノリの身体を紙のように引き裂いた。

 ビジャビジャビジャッ、と水風船が破裂したかのようにドス黒い血が溢れるが、012は意にも介さない。

 

「自分もこうなるんやで」

 

 012は両手に持っていたユキノリの残骸をゴミ同然に投げ捨て、憐の下へとゆっくり歩を進める。

 終わりか。

 終わってしまうのか。

 この程度の相手に。

 憐が己の不甲斐なさに歯噛みした時、

 

「……!!」

 

 眼前に、光るものがあった。

 

「マッハドライバー……!!」

「あ?」

 

 012は完全に虚を突かれた。

 

「それ」

 

 双葉が震える唇で、一言だけ発する。

 

 この場の誰も知る由もなかった。

 

 ユキノリがこっそりと山上の隠していたマッハドライバーを持ってきてこの仕事に使えないか試していたこと。

 そして先程012が投げ捨てたユキノリの残骸が埋もれていた荷物の中のそれにぶつかり、憐の視界にとどまったことを。

 双葉はそれが何なのかは知らなかったが、ユキノリ達がそれを弄ぶのは見ていたのだ。もっともその直後に、自分が弄ばれることになったのだけれども。

 

「あっ、はあっ、はあッ……!!」

 

 憐は這いずるようにして、それを掴んだ。すぐさま抱きとめるかのようにそれを胸の近くまで抱き寄せ、離さない。

 

「こんガキ……!!」

 

 使わせるものかと012は走ったが、

 

「シグナルスレイヤー!!」

 

 憐は最後の力を振り絞ってそれを呼んだ。瞬間、飛び込むかのようにそのシグナルバイクは012を何度も打ち据え、素早く憐の掌中に収まる。

 腰に巻いたドライバーに、憐はそれをゆっくりとセットした。

 

“SIGNAL-BIKE!”

 

 今のこの状況を────否。

 己の生きる道を変えられるのはいつだって、自分だけだ。

 だから憐は叫ぶのだ。叫ばなくてはならないのだ。

 この状況を打破できない自分から、打破できる自分へと────

 

「変身!!」

 

“RIDER! SLAYER!!”

 

 (クロ)(クロ)(クロ)

 穢れの色。罪の色。闇の色。

 知ったことか。

 力を手にするってのは、そういうことだ。

 俺が全部背負ってやる。

 

「仮面ライダー……スレイヤー……!」

 

 それが、打破できる自分。俺の名だ。

 012はハッ、と嘲笑した。

 変身させてしまったのは痛いが、相手の中身は所詮手負いのガキだ。今の今まで殆ど活動の噂も無かったとあれば、先の戦いにおけるドライブ、マッハほどの脅威にはなり得ない。

 

「さっさとおねんねせ……」

 

 えや、と言い切ることは出来なかった。

 012が拳を振るうよりも早く、スレイヤーの両手に携えられた鉄爪が、012の顔面を貫いたからだ。

 

「あ……え? えぁ……!?」

「地獄への土産に覚えとけ」

 

 スレイヤーがそう口にした辺りで、やっと痛みが走ってくる。

 

「俺はお前ラみたいな奴らがこの世界を汚さないように、全て狩り殺すモノ」

「あっ、てっ、てめええええええあああああああああああ!!!」

 

 012は貫かれながらも拳を振るったが、

 

「……”スレイヤー”だ」

 

“ヒッサツ! フルスロットル!! スレイヤー!!”

 

 012の顔面から爪が引き抜かれ、力強く唸った。その爪先は確実に012の身体を捕え……

 

「……『狩 り の 終 焉(ハンティング・エンド)』」

 

 鉄爪にエネルギーを送り込み、一瞬で回転し切り裂いた。

 鉄の身体は木端微塵に爆散し、ロイミュードの核となる数字型の「コア」が逃げるかのように浮揚する。

 しかし、

 

「……逃げられると思うなヨ」

 

 振るわれた鉄爪で一瞬で地面にそれは叩きつけられ、鋭い爪先でぎりぎりと押しつけられた後……

 

 弾けて、欠片も残さずこの世から消え去った。

 

 勝った。倒した。

 

 だが、この勝利はあまりにも虚しい。

 相手を打ち倒し、確かに悪を潰した筈なのに────得るものが何一つないこの虚脱感。

 得るもの。

 得るもの────

 

「双葉チャン!!」

 

 憐は変身を解き叫んだが、その瞬間痛みにウッと体を屈めた。

 アバラが何本もヘシ折れた状態で戦っていたのだ。むしろ今まで立っていられたことの方がおかしい。

 

「ふ……たば……」

 

 それでも憐は双葉を目で追ったがその瞬間、

 

 

 血だまりの中に頽れる双葉がいた。

 

 

 憐は絶叫し、痛む身体を引きずりながら双葉に駆け寄る。

 

「れ……く……」

「ダメだ!! だめだだめだダメだ……」

 

 咄嗟の事でそれだけの言葉しか出ない。

 双葉は先程ユキノリが憐を刺したナイフを拾い上げ、自分の腹に突き刺していた。

 辱められ、汚され、それを一番見られたくない人間に見られた人間に残された選択肢は、それしか無かった。

 憐が抱きかかえると、

 

「あ」

 

 双葉は力の抜けた手をゆっくり伸ばし、憐の頬に触れようとする。

 

「いきろ……!! だめだ……いきて……」

 

 憐はさらに顔を近づけ、双葉の耳元で何か囁いた。

 

「……!!」

 

 双葉の双眸が、大きく見開かれる。

 

「だから生きろ……!!」

 

 憐は自分の命をあげられるなら、とばかりに強く肩を抱く。その頬の近くまで、双葉の手は届いている。

 

「は、る」

「……エ?」

「はる、きたね」

 

 その瞬間、確かに────

 黒川双葉は、笑っていた。

 だが憐の頬に添えられようとした手は……力を失い、ぱたりと落ちた。

 

「え」

 

 それが何を意味するのか。

 

「……ふたば、チャン」

 

 何を意味するのか。

 

「うそ、だろ」

 

 何を、意味するのか。

 

「オイ!!」

 

 双葉は答えず、その双眸をゆっくりと下ろしていた。

 

 直後に、もの凄い叫びがびりびりと響く。

 

 狩夜憐のこれまでに無いほどの力強く行き場のない慟哭が、空気を振るわせていた。

 

 吹き込む冬の風が、とても冷たかった。

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

「おーおー、相変わらずのナマイキそーなツラしょってからに」

 

 山上辰也は事務所の自室で、へらへらと笑いながら眼前で厳しい目を向ける憐を見やった。

 あれから一ヶ月が経っていた。

 全身の傷はまだまだ痛む。

 だがそれでも、こいつとの決着だけははっきりさせておきたいと憐はここに来たのだ。

 

「話って何や」

「……まず、ロイミュードのことダ」

 

 ああ、と山上は悪びれる様子もない。

 

「警察があの後、ユキノリ達のスマホから双葉チャン達の家に行く指示をした相手を探し出した。ケドその相手は、どこにもいなかった。偽名と架空の個人情報で契約してた」

「それが何年か前にえらい騒ぎになっとった機械生命体やったんやろ? お前の話によると」

「とぼけるなヨ!!」

 

 憐は憤って立ち上がる。脇に控えていた子分たちがオイ! と凄むが、山上はええ、ええと落ち着かせた。

 

「あのロイミュードはお前をコピーしてた!! お前が狙ってた双葉チャン達を襲うようユキノリ達に指示させた!! それはお前があいつと組んでたからダロ!! 双葉チャン達だけじゃない……」

 

 憐は目を伏せる。

 

「ユキノリの……家族だっテ……」

 

 それは思い出すのもはばかられる出来事だった。

 あの一件の後警察が騒ぎを受けての通報から駆けつけ、不良少年たちがヤクザに狙われていた家族を襲ったこと、それを指示した謎の存在がいたことまでは割れていた。そこに憐が駆けつけ叩きのめしたことも。

 中でもユキノリの遺体は圧倒的だった。人間が真っ二つに紙のように裂かれるなど、ただの不良のケンカではあり得ない。もちろん憐も重要参考人として取り調べられたが、紐づく証拠は見つからなかった。

 その下手人も方法もわからぬまま、ユキノリの両親は無惨に引き裂かれた息子を目にすることとなった。

 前にも述べた通り劣悪な家庭環境で育ったユキノリではあったが、それでもそんな姿を目にして平常心でいられるはずがない。もの凄い絶叫と慟哭、哀しみの声だけが渦を巻いていた。

 

 だが山上は、余裕の表情を崩さない。

 

「ん……。確かになあ、あの家の債権はウチが絡んどったし……ユキノリ達がホイホイノッたってことは、ワシに化けとったのも事実なんやろなァ」

「だっタラ……!!」

「けどな」

 

 山上は微動だにせず、

 

「そないな証拠がどこにあんねん」

 

 そう続けた。

 

「お前の言うとるのは全部創造やろ。ワシがバケモンとつるんでユキノリ達に指示出した。動機は足つかずにチョロチョロうっさいワルガキの始末と焦げついた債権むしる為か? どっちにしろ、ワシとバケモンが繋がっとった証拠はどこにもあらへん」

「……!!」

 

 憐は二の句が継げなかった。

 口ではこう言ってはいるが、山上がロイミュード012と繋がっていたのはまず間違い無い。しかしいくら何でも、知らぬ存ぜぬで押し通してしまえるのかとその悪辣っぷりに言葉が出ないのだ。

 

「残念やったなあ。その”作り話”、小説にしたらそこそこええトコ行くんとちゃうか? おもろいで」

「この……外道ガ……!!」

「おいおい気いつけや? 逆に侮辱罪で訴えてもええで、ウチは。あの債権だってやましいとこなーんもあらっせん。法的に問題なし! クリーンで健全なお金のやり取りなんやからなあ」

 

 憐はそれを聞いて────

 

 

 笑った。

 

 

「あ?」

「フフ……あハハ……ハハハ……!」

「なんやコラ」

「ハハハハ!!」

「何がおもろくてヘラヘラわろてんねんコラァ!! 誰が笑ってええ言うた!!」

 

 やっと山上がキレてくれたと憐は笑いを抑えつつ、

 

「クリーンで健全なお金のやり取り、ネ」

 

 書類を鞄から出し、机に叩きつけた。

 

「ならコレで問題ない、ダロ?」

「あ?」

 

 それは、黒川双葉宛の書類だった。

 

「『第52回小説芝生新人賞入選のお知らせ』……?」

「そ。双葉チャンは小説を書いてた。そしてそれが……新人賞の大賞になったんダ。この賞には賞金も出る。その金で債権はチャラ、でいいダロ? 金さえあれば。『クリーンで健全なお金のやり取り』なんだカラ……」

「はッ! それを何でお前が言うねんな。普通あの家のオッさんがワシのとこ来て……」

「許可は、取った」

「本人はどないすんねん。あのガキは……」

「それも、大丈夫」

 

 憐はここが正念場とばかりに相手を見据える。

 

「双葉チャンに、許可は取った」

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 黒川双葉は死んではいなかった。

 一晩じゅう犯しつくされた上に血を流し過ぎた為気は失ったが、まだ脈はあったのだ。そこで警察からの手回しで父と共に病院に運ばれ、二人は揃って手術を受け、快方へと向かっていた。

 

 だが問題は、心の傷だ。

 

 憐は怖くて、病院に行くことができなかった。

 自分が顔を出せば、双葉に辛いことを思い出させてしまうのではないかと思うと、足を踏み入れることができなかったのだ。

 だが警察で取り調べの際にそろそろ退院だという話を聞きつけ、流石にいてもたってもいられなくなり病院に向かったのは一週間前のことだった。

 双葉は病室に入れてはくれたが────

 

「双葉、チャン」

 

 ずっと、憐に背を向けていた。

 

「あの」

「……なに」

「今日まで、来れなくてゴメン。俺っちがいると……辛いこと……思い出させちゃうかと……思ったカラ……」

 

 流石の憐も、言葉がすっとは出てこない。

 

「……賞、おめでとう」

「え?」

「エ?」

 

 憐は面食らった。確かにあの事件の最後、自分は双葉の耳元で受賞の事実を伝えた。彼女は返したはずだ。はる、きたね、と。

 

「賞?」

「覚えてないノカ?」

「……ごめん、ぼんやりとしか」

「だったら、ホラ!」

 

 憐は手に持った文芸誌を双葉のベッドの反対側に回り込んで見せようとする。しかし、

 

「やっ!!」

 

 憐と目が合いそうになる前に、双葉は勢い良く寝返りを打ちまた反対側を向く。

 

「……ゴメン」

 

 憐はゆっくりと、双葉の手元の辺りに文芸誌を滑りこませた。双葉はそれを手に取り、ぱらぱらとめくって賞の概要を読んだ後……

 

 

「うっ……うっ……ううううう~~~~~~~~!!!」

 

 

 哀しみと、喜びと、怒りの混じった泣き声を上げた。

 

「双葉チャン」

「こんなっ!!!」

 

 双葉はたまらず、文芸誌を床に投げ捨てた。

 

「ちょっ……!!」

 

 憐は慌ててまたベッドの反対側に回りそれを拾いに走るが、その背中にぼすっ、と枕が飛んできた。憐は怖かったが……

 

 ゆっくりと、双葉の方を振り向いた。

 

 泣き腫らした眼で、双葉は憐をじっとりと見ていた。

 

「すっごく嬉しい……!! 嬉しいんだよ……!! でも喜べない!! 喜びたいのに!!」

 

 憐にはもう、何も言えない。

 

「一緒に喜びたかったよ!! 憐君と喜びたかったよ!! でも……私……もう……」

「……ソノ」

「……何で黙ってたの。自分が仮面ライダーだって」

「ソレは、覚えてるんだ」

「忘れるわけないよ!! 何で!? ねえ何で!?」

 

 一度堰を切った感情は、もう止まらない。

 

「何で、すぐに助けてくれなかったの……!! 私は助けてほしかった……憐君に助けてほしかったよ……!! ぐちゃぐちゃにされる前に!! もっと早く来てくれてたら……私……」

 

 自分で言った後で、双葉はまたうううう、と泣き声を上げる。

 

 やっぱり、来なければよかった。

 

 自分がやったことは、双葉を傷つけるだけだったというやりきれなさを胸に、憐は病室を後にした。

 

「……本当に、ゴメン」

 

 それが、

 

「俺、もう君の前には現れないカラ」

 

 最後の言葉になるのは、とても嫌だけれども。

 

 そう言い残し病室を出た瞬間、

 

「憐君!!」

 

 包帯の巻かれた手が、後ろから憐の手を取った。

 まるで追いすがるかのように。

 

「……双葉チャン」

「ごめん。ごめんごめんごめん……!!」

「何で、双葉チャンが謝るんだヨ」

「わかってるんだよ。憐君が秘密にしてないといけなかった事情があるんだろうなってことぐらい……!」

「わかって、くれるのカ」

「だって……憐君、優しいもん……!!」

 

 憐の手を握る力が、ぐっと強くなる。

 

「でも、もっと早く助けに来てほしかったって気持ちが抑えられない……だって……」

 

 うん、うんと憐は頷き、双葉に握られた手を強く握り返した。

 

「もう、いいっテ」

「でも」

「大丈夫。俺っちも、わかってル」

 

 双葉はしばし言葉に詰まっていたが、

 

「……一週間後、退院する」

「そっカ」

 

「ねえ」

「ン?」

 

「……また、うちに来てくれる?」

「もちろん」

 

「一緒にご飯食べに行ったり」

「喜んデ」

 

「遊びに行ったり」

「俺っちが奢ル」

 

「それから」

「ソレから?」

 

 

 双葉はそこで、勇気を出すかのようにすうっと息を吸い────

 

 

「私の夢を、一緒に見ていてくれる?」

 

 

 ゆっくりと、そう問うた。

 

 それに対して返す言葉など、

 

「当たり前ダロ? ……応援する。ずっと」

 

 決まっているじゃないか。

 

「……ありがとう」

 

 そこで初めて、黒川双葉は笑った。

 やっと、笑ったのだった。

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

「……それカラ、俺は金の話は何とかするって言った。それで許可は取ったって話ダ」

「なーるほどなあ」

 

 山上はもう、普段の余裕を取り戻していた。

 

「まーワシは別にええで? 金さえキッチリ貰えたら過程はどーでもええわ」

「そうかヨ」

 

 相変わらず見下げ果てた奴だと思ったが、今ばかりはそのビジネスライクな考え方が有難くもあった。

 

「とにかく、もう双葉チャンの家に手は出すナ」

「わかったわかった! そない睨まんといてや、敵わんなァ」

 

 山上はハハハ、と笑う。

 

「オッサンも歯の治療同じ病院で受けた言うとったしなァ。今日揃って退院か」

「そうダヨ。二人で車に乗って帰ってくる。さっさと終わらせて、こっから出ていきたい」

「おーおー早速イチャコラかぁ? ユキノリ達がアソびまくった後のユルマンで乳繰り合うんか! ガハハ!」

 

 ダンッ!と音がし、二人の間のテーブルが壊れた。

 

「……次言ったら、殺ス」

「キャーコワーイ! 正義のヒーローが怪人でもない人間殺してええんか」

「……俺は悪を潰すだけダ」

「……そのしょーもない正義ごっこはいつ終わるんや? あ?」

 

 二人が睨み合った時だった。

 

「あにき!!」

 

 山上の子分が、その部屋に血相を変えて飛び込んできた。

 

「ソースケェ!! お前何やこんな時に!!」

「あ、あ、あにき」

 

 ソースケと呼ばれた山上の子分は、震える指でスマホのネットニュースを見せた。

 郊外から都内に向かい首都高速に入る手前の高速道路で、事故が起きていた。

 都内から出発した長距離トラックが対抗車線に中央分離帯を越えて乗り上げ、乗用車をひき潰したのだ。原因はトラック側の運転手の運転中の急性大動脈破裂。運転手の即死状態でコントロールを失ったトラックが飛び込んだが故の事故だった。

 

「被害者は、乗用車に乗っていた……」

 

 憐の心臓が早鐘のように鳴った。

 違ってくれ。

 間違いであってくれ。

 

 まさか。

 まさか。

 まさか。

 

 

「黒川桐人さん(46)」

 

 だめだ。

 だめだ。

 だめだ。

 

 

 

 

「黒川双葉さん(16)」

 

 

 

 

 折角助かったはずの黒川双葉の命は、無惨にもそこで消えた。

 現場に居合わせた人間の証言も、ネットには上がっていた。

 

「『トラックに潰された乗用車から女の子の手が出てて、助けようと思って声かけて触ったら……』」

 

 

 

 

「『ぐにゅ、ってすっぽ抜けたんだわ』」

 

 

 

 

「『肩の辺りでちぎれてて筋とか血管とかもやもやしたものやひき肉みたいになったグジャグジャってしたのがいっぱいついてた。ぎゃーって叫んで腰抜けちゃって』」

 

「『あれ近くに落ちてたブヨッってしたやつ絶対脳だよな……。血でべっとりの小説芝生まで落ちててさあ……。しばらく肉食えねー、無理』」

 

 

 匿名掲示板の書き込みだ。

 真に受けるのもどうかとは思うが、小説芝生の件も考えると真実味は高い。ネットに上がっている現場の遠景写真も、その証言と一致している。

 

 

 黒川双葉は、ひき肉になった。

 

 

 加えて、もう一つ憐を打ちのめした真実がある。

 加害者となったトラック運転手は、中村といった。

 その名前、その顔。憐には見覚えがある。

 あの日、双葉と二人で病院で助けた男だ。

 心臓に疾患があったのは知っていたが、まさか大動脈破裂で逝ってしまうとは。

 それはつまり、

 

 

 憐が助けた人間のせいで、憐が守りたかった人が死んだということだ。

 

 

 あの日中村を助けなければ、双葉は死ななかった。

 けど、あの日あの時あの瞬間、中村を助けないという選択肢は無かったはずだ。目の前で失われそうな命を守らぬ理由など、無かったはずだ。

 

「そん、な」

「これは、これは」

 

 顔面を蒼白にしている憐の眼前で、山上がにやりと笑った。

 

「……ハハハ」

「……笑うな」

「ハハハハハハハハハハハハハハ!!!」

「笑うなアアアアアアアアアアア!!!!」

 

 憐は掴みかかった。

 

「こーんなおもろいことがあるかいな! お前が言うとった正義だなんだの結果がこれや」

 

 そのあまりにも皮肉な結末に、山上は心底おかしそうに笑う。

 

「なあ? どうなんや? 二人をひき潰してミンチにした運転手のおっさんは悪か? 心臓の血管破裂して逝ったおっさんのどこに非があったんや? 何が正義で何が悪なんや? 言うてみいやコラ!!」

 

 ともすれば吹けば飛ぶかのような脆弱な概念。

 正義だ悪だといったものは、簡単に揺らぐ。

 

「これで後腐れもないやろ」

 

 山上はカラカラと笑ったまま続ける。

 

「ウチに来いや。お前の力は、もっとデカいモンの為に使えるやろがい」

 

 彼にしてみれば、憐のような強力な力は無暗に泳がせるよりも手元に置いておきたいらしかった。

 

「……デカいモン、ネ」

「そーそー……。デカいモン手に入れる為やったら……」

「俺にとっての、デカいモンは」

 

 瞬間、ゴギィッ!と音がし、山上がサイドボードに叩きつけられた。

 憐が思いっ切りその頬を殴りつけたのだ。

 

「あにき!!」

「あにき!」

「覚えとけお前ラ!!」

 

 慌てふためく一同に、憐は宣言する。

 

「俺にとってのデカいモンは……誰もが安心して暮らせる世界ダ」

 

 それだけ言い残し、憐は事務所を去っていく。

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 二人で語らった、河原のベンチ。

 そこにはもう、誰も来ない。

 

「俺は……」

 

 憐の頭に、双葉の言葉がこだまする。

 

 

 

「私は助けてほしかった」

 

 

 

 

「憐君に助けてほしかったよ」

 

 

 

 

「もっと早く来てくれてたら……私……」

 

 

 

 自分のせいだ。

 何もかも。

 もう二度と、繰り返させない。

 憐の腕には、傷が残っていた。

 あの日、双葉の家に飛び込み、ガラスで傷つき────二人で応急処置をした後に、ついた傷だ。

 忘れないで、と。

 忘れるな、と。

 双葉が言っているかのようだ。

 

「……俺は、忘れないから」

 

 この傷は、永遠に残るだろう。

 双葉との想い出として。

 そして、憐の過ちの証明として。

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

「うわああああ! 来るな! 来るな!!」

「もう逃げられねえぞ。大人しく逃げるのをやめろ」

 

 山上の傘下のあの店は、まだ営業を続けていた。

 

「ぼったくりはもう辞める! 金もあの客に返すから命だけは!!」

「貴様はあの客を脅し、金を奪いこの世を汚した」

 

 金は重要だ。

 その金は、黒川双葉が春を迎えるために死ぬほど欲しかった金なのに。

 

「そんな悪いヤツが、今更命乞い? 笑わせるな」

 

 笑わせるのはどっちだ。お前自身の過ちで人が死んだ。

 守りたかったものが、この手からこぼれ落ちた。

 

「覚えとケ。俺はこの世の悪を全て狩り殺すモノ」

 

 鉄爪を振り下ろす。

 

「…………スレイヤーだ」

 

 殺しはしない。だが確実に、悪事だけは止めさせてやる。

 

「これでまた1つ悪が消えた。仮面ライダーの力、やはり凄い」

 

 違う。

 こんなことじゃ、”デカいモン”は手に入らない。

 

「ジーさんによれば俺よりも先にこの力を手にした人物がいて、今も1人で戦っている……」

 

 まずは、行くしかない。

 

「会ってみるカ……」

(天城隼斗サン……)

 

 

 

(仮面ライダー、ソニック……)

 

 

 

To be continue “DRIVE SAGA Kamen Rider SONIC”……



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