転生したドン・キホーテが真の騎士になるそうです (シデ・ハメーテ・ベネンヘーリ)
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百年戦争編
プロローグ


「サンチョよ、今まで済まなかった。私の狂行に付き合ってもらって…」

 

「旦那様、何をおっしゃいますか。あっしは旦那様のおかげで小島の領主になれましたし、騎士の従者として最高の旅をさせてもらいやした」

 

「ですから、旦那様。また元気になってから、一緒に旅をしましょう。今度はイベリアだけじゃない…フランスでも、イングランドでも!騎士の旅をしようじゃないですか!」

 

「あぁ、そうか。…そうだな、私は……サンチョにとっての騎士でいられたのだな」

 古びた木のベッドに横たわる老人の目から涙がこぼれ落ちる。

 

 自らは風車を巨人と思い込み戦い負けた。

ライオンに挑んだがライオンに相手にされなかった。貴族の戯言を真に受けてサンチョに屈辱を味わわせてしまった。顔も知らぬ田舎娘を貴婦人だと思い込み多数に迷惑をかけた。

 

 だが……それでも。

【アロンソ】は騎士を愛していた。

 

 狂うまでに騎士物語を愛し、騎士を目指した。

だが、時代が時代なのだろう。騎士は求められていない時代になりつつあるのは分かっていた。

 

 それでも、アロンソは……。

否。

 

 【ライオンの騎士ドン・キホーテ】は望む。

我は騎士たらん。ゆえに騎士なり。騎士であることを望む。

 

 病に侵され、叶わぬ騎士道から目覚め正気になった老人は。

たった一人の従者の言葉で、再び狂う。

 

 だが、少なくともそれは誰にも気づかれることなく。

老人の心中でのみ終わるモノ………のはずだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 西暦1412年。

冬の雪がこぼれ落ちるフランス北部…ドンレミ村の一角の貧相な下級騎士の家にある男の子が生まれた。

 

 名はアロンソ・キハーノ。

赤子の時分にして最初から狂っていた、いわゆる自分を騎士だと思いこんでいるただの一般異常者である。

 

 

 1424年夏。

百年戦争と呼ばれる大乱がフランス全土を覆う中、辺境のど田舎であるドンレミ村では間延びた雀の鳴き声がちゅんちゅんと響き渡っている。

 

「私は騎士ドン・キホーテ・デ・ロレーヌ!父上と母上、申し訳ないが旅に出させていただきたい!」

 

「いや、アロンソ…何度もいうが私達はお前が心配なんだ。それに騎士騎士って…シャルルマーニュ物語の読み過ぎだぞ。あと軽々しくロレーヌを名乗るのはな…」

 

「お父さんの言うとおりよ、アロンソ。確かに私達は騎士の家だけど、下級も下級なの。それにお前はまだ小姓にもなってないし騎士見習いにもなれてないのに…」

 

「父上、母上。お二人の寂しさは承知の上。しかしこのドン・キホーテ!必ずやドルネシア姫をお救いに悪の魔法使いのもとへとゆかねばなりませぬ!」

 

「だめだ、話聞いてない。母さん、家に戻ろう。しばらくしたら家に戻ってくるはずだ」

 

「そうね…お父さん。アロンソ、暗くなるまでには帰ってくるのよ」

 こじんまりとした石造りの藁葺屋根の家の近くにある小川の川べり。

 

 そこに立つは弱冠12歳の若き日の我らがドン・キホーテ・デ・ロレーヌ。泣く子も黙る正義の騎士である。ちなみにロレーヌなのはドンレミ村がロレーヌ地方にあることに由来する。

 

 何はともあれ、騎士ドン・キホーテは苦悩していた。

母と父からは修行不足だから旅に出るなと言われるのだ(間違ってはないが間違っている)

 

 そして我らが騎士ドン・キホーテ。

なんと馬も従者も路銀も鎧も武器もないのだ。これでは旅には出られぬ、おそらくは悪しき魔法使いが家より奪ったに違いない。

 

 むむむ…と小川に泳ぐ小さなマスを眺めながら川面に映る焦げ茶色の精悍な騎士(ただの12歳の少年)たる自らを眺めるドン・キホーテ。

 

 そんなとき、ドン・キホーテの耳におかしなことが入ってきた。

 

「ダルクさんのところのお嬢さん、神様の啓示を聞いたんですって」

 

「あらまぁ。でもこんなど田舎の村にそんな啓示を聞けるような人はいないでしょ」

 

「そうよねぇ。ダルクさんもお嬢さんが子供ながらにおかしくなっちゃったって思ってるみたいよ。まぁ、どこの家でもそういうことはあるわよねー」

 

「そうそう。キハーノさんの家のお子さんに比べたら何百倍もマシよマシ!アロンソくんだかしらないけどあの子この間、村の水車を巨人だとか言って―――」

 

(神の啓示を聞いた少女…だと!これは、もしかしなくてもドルネシア姫の居場所を知っているのやもしれぬ!いや、もしくはドルネシア姫である可能性も!)

 ドン・キホーテの脳内の中でむくむくと妄想……もといその明晰な頭脳による理論が構築されていく。

 

「…そういえば、未だに私は騎士としての叙任式を受けていない。どのみちその準備として教会には行かなければならなかったな!フッ、ゆくぞドン・キホーテ!我こそが騎士として大成する日は近い!」

 そういって教会へと走っていくドン・キホーテ。

赤いボロボロの布をマントとして纏ったその姿は、12歳にしてはあまりにも偉大すぎる騎士にしか見えない。

 

 

 ドンレミ教会。

そこで一人祈りを捧げる金髪碧眼の少女がいた。傍らにて佇む神父は、信心深いその姿を見て感服を受けている。

 

「ジャンヌ嬢、今日も来られるとは……そのような幼さで、そのように信心深いとは。主もお喜びになられるでしょう」

 

「いえ…まだ祈りが足りません。こんなことでは、主のお声を聞くことは…」

 

「ジャンヌ嬢。私は貴女のことは理解します。しかし、少なくとも主の声が聞こえるということは他の人々には信じられるものではない。あまり公にするものでは…」

 少女らしい火照りのようなものだろう。

その火照りはいつか冷めるもの。故に神父はジャンヌの火照りをいきなり冷めさせるようなことを言うのではなく、あくまでも容認しているがやんわりと冷める方向へと持っていく言葉遣いで言えば。

 

「しかし、私は――」

 

 

 

「たのもう!!!我こそはドン・キホーテ・デ・ロレーヌ!噂に名高い主の声が聞こえし貴婦人にお会いしたいのと騎士としての叙任準備を受けに参った!!」

 静謐に満ちていた小さな教会の中に、大きな声が響き渡る。

 

 だが、その声の主は明らかにこの村のものであれば理解できるだろう。

 

 根は優しいが異常者、騎士と思い込んでいるただの一般人、騎士道RP有段者。

 

 数ある異名の中で、そのものを表す名はひとつ。

我らが騎士、ドン・キホーテ卿に違いないのだ!!

 

「………ど、ドン・キホーテ卿。教会ではお静かに…」

 ジャンヌのそれとはベクトルが違う奴に顔を引くつかせる神父。だが、やはり心広く優しい神父なのだろう。ドン・キホーテを否定するような言葉は投げかけない。

 

「む、貴殿が司祭様か!騎士の叙任式の準備をお願いしたい!」

 

「じょ、叙任式ですか。いや、あの、あ、そ、そうですな!しかし、ドン・キホーテ卿には主君がお、おられないでしょう?それで騎士はできませんぞ」

 

「むむ!迂闊だった…今私に主君はたしかにいない。だが、しかし!この村に我が主君は必ず!む?」

 腰紐に佩いた愛剣デュランダル(村で拾った木の棒)を揺らすドン・キホーテ卿。すると、ふと怪訝な目で自らを見つめるもう一人の人間……ジャンヌに気付いたようで。

 

「貴殿……もしかして」

 金髪碧眼。周りと比べ明らかに異色を放つ可憐さ(ドン・キホーテ比)。

 これは、ドルネシア姫に違いない!

我が主君となる女性に違いない!!ありがとう主よ!

 

「ドルネ「私の名前はジャンヌ・ダルク。ドンレミ村のジャック・ダルクの子です」

 

「ド「ジャンヌ・ダルク」

 しょぼん、というふうな顔のドン・キホーテ。

もっともなんと、刹那のうちにその驚くべき思考力で彼はその名前がドルネシア姫の偽名であることを看破してしまったのだ!

 

 そう、この世には悪しき魔法使いが存在している。

そのような者がいるのに自らをドルネシア姫であると分からせてしまえば身の危険は危うい!故にドルネシア姫はジャンヌ・ダルクとかいう偽名を使い、身を隠しているのだろう!あぁ!なんという健気さにして聡明さ!ドン・キホーテ卿は感動のあまりに感服するが、姫の前である。冷静な面持ちのまま持ち直す。

 

「…わかりました。ジャンヌ・ダルク姫よ」

 

「ひ、姫!?私はそんな偉くは…」

 

「む、確かに迂闊でしたな」

 気付くドン・キホーテ卿。

ここで確かに姫と呼べば魔法使いが勘付くやもしれぬ。やはりドルネシア姫は只者ではない。可憐だけでなく頭脳も聡明とは!

 

「決めましたぞ、司祭様」

 

「うぇ!?な、なにをでしょうか?」

 

「ジャンヌ・ダルクひ…様を我が主君としていただきたい!」

 

「は?」

 

「えっ、ええ!?」

 流石の神父も放心状態。

神の啓示が聞こえるという傍から見たら電波ちゃんに思われかねないジャンヌも流石にびっくりである。ドン・キホーテ卿はそれを見てドルネシア姫改めジャンヌが感動しているように思い、思わずジャンヌの目の前で跪く。

 

 そして自らの愛剣を両手でびっくりして立ち上がったジャンヌに捧げる。叙任式では主君より剣の腹を使って儀式が行われる。その傍らには教会の司祭もいるものなのだ。

 

 奇しくもその風景は確かに叙任式感は出ており、少なくともジャンヌや神父が引いていなければ見世物としては最高レベルの雰囲気を醸し出しているに違いない。

 

(何言ってんだこの子供…流石にこれ以上は――いや、待てよ?)

 

(このまま叙任式させたらおとなしくなるんじゃないか?少しの羞恥心でこの暴れ馬のような子供をおとなしくさせられるなら……しかもジャンヌ嬢は根が良い子。なんならこいつなんかお嬢さんを主君と思い込んでるし都合がいい。口裏合わせてこいつが暴走しないようにしてもらおう)

 

「ジャンヌ嬢、少しこちらへ…」

 

「ふぇ?…ぁ、はい!」

 唐突に教会の隅に向かう二人。

ドン・キホーテは叙任式の前準備と思い込んでるようで疑う素振りも見せず、恍惚とした表情でうっとりとしている。

 

「え!で、でもそれは」

 

「そこをなんとか!」

 

「あ、え、えっと…」

 

 

 

 

 十数分後。

覚悟を決めたらしいジャンヌが真っ赤な顔でプルプルしながら、跪くドン・キホーテ卿の前へ立つ。その横にはジャンヌよりはマシだが羞恥心でぷるぷるした若き神父が一人立っていた。

 

「な、汝ドン・キホーテ・デ・ロレーヌを…き、騎士へと任命する」

 そしてぽんっと木の棒を優しく頭の上に乗せるジャンヌ。

ドン・キホーテは思わず感極まって涙が出かけるが、姫の前で醜態は見せられぬ。顔を見上げ、凛とした表情で返事した。

 

「承りました。以後、このドン・キホーテ・デ・ロレーヌ。ド……ジャンヌ・ダルク様にこの身を賭けて忠誠を誓います」

 

「で、では神の祝福を……」

 そして、叙任式が終わる。

クオリティの高い子供のおままごとにしか見えぬそれ。

 

 だが、少なくとも偉大なる騎士たるドン・キホーテ卿にとってはまるで王城での儀式に違わぬものであり、そしてこの時よりドン・キホーテ卿がかの聖女と運命を繋いでしまったというのは……正に歴史的事象であった。

 

 後に真の意味でライオンの騎士と称されるドン・キホーテ・デ・ロレーヌ卿。

 だが、彼を本当の騎士であると呼ぶものは少ない。

しかしながら少なくとも、彼を騎士ではないと称するものは一人もいない。

 

 そんなおかしな騎士物語。

それをこれより綴っていこうと思う。



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誓い

1428年7月

 

 心地よい爽やかなフランスの風を感じさせる季節。

そんな時期、豊かな自然の恵みも生まれれば…その反対に来てはいけないものも湧いてくる。

 

 そんなことも露知らず、偉大なる騎士(自称)のドン・キホーテ卿は鍛錬と称した素振りをあいも変わらず繰り返していた。

 

 ともあれ、ドン・キホーテ卿の父は下級騎士である。

剣術の心得はあり、頭のおかしい息子ではあるもののいずれは騎士の家を継ぐものとして父親は鍛錬には丁寧に付き合っていた。利害一致、win-winとかいうやつである。

 

「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……おい、アロンソ。いい加減、休まないか?大人は子供に比べて疲れやすいんだぞ?ことさらお前は体力バカだから自重をな…」

 

「何をおっしゃいますか父上ェ!このドン・キホーテ・デ・ロレーヌ!姫をお守り致す為に強くならねばなりませぬ!」

 

「ひ、姫……あぁ、ジャンヌちゃんか。あの子優しいからいいけど、あんま迷惑かけないようにな…ぜぇ、ぜぇ」

 ドン・キホーテ卿は前世で50歳の高齢で天真爛漫暴れまくった天賦の体力と精神力の持ち主である。そんな馬鹿が16歳の若さに溢れし体を手に入れたらどうなるだろうか?

 

 考えたくもないことだが、目の前のように騎士である父親を上回る馬鹿みたいな体力を持つことになってしまった。これでいて頭もよく聡明で礼儀正しいというので、正直言って自称騎士でもなければ引く手数多の人材だったことは間違いない。

 

「しかし、父上がお疲れの様子。ここはお休み致しましょうではありませんか」

 

「ほんと……ぜぇ、お前…自称騎士でさえなかったら本当に自慢の……ぜぇぜぇ、倅だったんだがなぁ」

 

「なんとぉ!?父上、訂正を!私は自称騎士ではなく、正真正銘の騎士ドン・キホーテ・デ・ロレーヌです!人々の規範となりし騎士であるがゆえ!」

 

「あ…うん。そうだね、うん。そうだな」

 諦めたような顔でぷるぷる疲労で震えながら頷くドン・キホーテ卿の父。おそらく脳内ではどうすればまともになってくれるかを考え尽くしていることだろう。

 

「アロ……じゃなくてキホーテ、あまりお父さんを困らせてはいけませんよ!」

 ふと、凛とした鈴のような声が響く。

その声がきこえてから僅か0.001秒!

 

 ドン・キホーテ卿はシュバっと効果音を出すがごとく振り向き、そして素早く跪く。

 

「ひm……ジャンヌ様!ご機嫌麗しゅう!!」

 

「こんにちは、キホーテ。あと様はつけなくていいって何度も言ってるんですがいつ聞き入れてくださるのですか?」

 

「ジャンヌ様!そのようなご無礼、このドン・キホーテにはできませぬ!」

 

「ジャンヌちゃん。申し訳ないけど、そこの馬鹿相手してあげてくれる?ちょっと自分は家戻るよ…そうだ、アロンソ!!お前持ってる木剣ちゃんと倉庫にしまえよ!あともう二度と絶対木の棒拾って腰に差さないでくれ恥ずかしいから!」

 無数の声の響き渡るドン・キホーテ卿邸の近くにある小川のそば。跪いたドン・キホーテ卿を目の前にして相変わらず苦笑いしながら見つめるジャンヌ。ドン・キホーテ卿の補正が無くても可憐なその姿は、なるほどなかなか馬鹿も見る目があるということだろう。

 

「じゃあ、私はキホーテのことをアロンソと呼ぶので、キホーテは私のことをジャンヌと呼んでください。えぇーと、そうじゃないと…なんでしたっけ。悪い魔法使いが私を連れ去ってしまうかも」

 

「くっ……わかりました、ジャンヌさ………ジ、ジャンヌ…」

 

「よろしい。さ、今日はなにをして遊びま……?なんだか焦げ臭いですね。一体なにが…」

 

「ッ、ジャンヌ様、危ない!」

 

「ですから、様付けは…ふぇ!?」

 ずざーっ!とジャンヌの前から覆いかぶさるようにして庇い伏せるドン・キホーテ卿。

 

「えっ、えっと…その、私達、そういうことまだ早いというか…その、いや、嫌なわけではないんですけど、でもその…」

 

「――ジャンヌ様、そのままで」

 先程と違い鋭い目つきに変わったドン・キホーテ卿。

そして、すぐさま手持ちの木剣を携え…茂みにいるであろう痴れ者へと迫真の剣撃を放つ!

 

「ぐぎっ!」

 

「えっ…?」

 

「愚か者です。おそらくは悪しき魔法使いの手下でしょう」

 単なる野盗なのだが、その素早い行動で剣でぶん殴り行動不能にさせた姿はまごう事なく騎士の如きであり、こいつが騎士物語オタクの馬鹿でなければ確実に好感度上昇なのは間違いない。

 

「な、そんな…ドンレミにもまさかイングランドの手が?」

 

「いえ、この服装からして…兵ではなさそうです」

 完全に魔法使いの手下と思いこんでいるドン・キホーテ卿。完全にアホのそれなのだが、ジャンヌはそれを気にもかけずに立ち上がる。

 

「アロンソ、村の中心の行きましょう。まだ他にいるかもしれません!」

 

「そうですな…その前に、父上を呼んだほうが良いかもしれません。騎士たるもの、頼れる者は頼るべき。シャルルマーニュ王もアーサー王も皆、一人で戦った騎士はいません」

 騎士道に酔狂しているだけで、客観的に物事を測れるのか合理的な思考を述べるドン・キホーテ卿…、まぁ物語でアーサー王とかが一騎当千していたら一人で突っ込んでいっていた可能性も大いにあるので、結局はあんまり考えてなさそうな可能性が高い。

 

 

 

 

 

「まぁアロンソの言うことはおいといて…野盗か。仮にも騎士がいるというのに村を襲うとはよほど困窮してるんだな」

 村の中心に、最低限の軽装鎧を着込んで古いがよく手入れされたロングソードと小さなダガーを携えるドン・キホーテ卿父。

 

 一方のドン・キホーテ卿は成長した際に新調したのか、ボロボロの布には変わりないが大きめの赤いマントもどきをチュニックの上に身に着けて木剣を携えている。

 

 ジャンヌはどうやらドン・キホーテ卿父からの言伝を貰って領主の館に向かっているようであり、この場にはいない。

 

 

「息子、ついてこれるな?」

 

「父上、私は騎士です。このようなゴロツキ共に負けはしない!」

 村に火を放ち、物や人を奪い盗もうとしている野党たちに、二人の"騎士"が斬りかかる。

 

「な!?おい、話が違うじゃねぇか!なんでこの貧相な村に騎士がいんだ!」

 

「しかも二人ッゴゲェ!?」

 切られ、殴られ、倒れ伏せる野党たち。

曰く、騎士と雑兵の違いはその戦闘能力にある。

 

 屋敷無しの下級騎士と言えど、少ないが兵たちを束ね時には軍の騎兵主力として戦い舞う。

 

 技術的には拙いが余りある体力でカバーするドン・キホーテ卿と技術的に熟練して少ない手数と体力の消費を抑えて合理的に戦う二人。

 

 剣を盾で抑えたかと思えば押し倒されダガーで縊り殺される。

 

 木剣を弾いたかと思えばタックルされ、出来た隙に頭をかち割られる。

 

 一般に中世末期、剣術は大きく分けてイタリア式、ドイツ式に分かれていた。

 

 その中でもドン・キホーテ卿たちが扱うのはドイツ式剣術である。技量と力、その2つを組み合わせてありとあらゆる手段を用いて敵を殺すことに特化した剣術。

 

 剣術すらも覚えが薄いかまったく覚えてない雑兵や野盗がまず勝てるはずがないのだ、それほど騎士と雑兵には力量差がある。

 

「た、たすけてくれ。で、出来心だったんだ!」 

 

「言い訳は聞かない。あの世で懺悔でもしてるんだな」

 ザシュ!と音を立ててロングソードの剣先が野盗の喉元を突き裂く。血が噴水のようにドン・キホーテ卿父の顔を汚すが、気にした様子もなく。

 

「父上、こちらも終わりました。魔法使いめ…私を侮ったな」

 ドン・キホーテ卿はそう言って血のこびりついた木剣を地面に刺し、そう声を上げる。周辺には頭を真っ赤に染めて呻いているものもいれば、脳漿を撒き散らして絶命しているものもいる。共通するのは、全員頭を攻撃されているということだ。殴打という攻撃の都合上、それを重点的に狙ったことがわかる。鍛錬の賜物と言えよう。

 

 総勢12名程度だったのだろうか?

野盗団は壊滅し、死屍累々を見せている。家々は焼かれているものの、二人の活躍で壊滅的被害は避けられたようだ。

 

 

 

  

 

「アロンソ、大丈夫でしたか?」

 広葉樹のふもと。

そこにドン・キホーテ卿が座っており、細かな痣や傷などをジャンヌが看病していた。

 

「ハハハ、ジャンヌさ……ジャンヌ。心配ありません。このような日のために鍛錬していたのですから」

 

「そうなのですね……私は何もできませんでした」

 

「?、どういうことですか?」

 

「私は、村の皆のために戦うことができませんでした。領主様に言伝を送ったといえば見栄えは良いですが、実際は逃げたも同じ…。神の声を聞いたとはいえ、これでは皆に疑われても仕方がないですね」

 

「ジャンヌ、それは違います」

 木漏れ日が二人を照らす中、ドン・キホーテ卿が珍しく真面目な表情(本人はいつも真面目なつもりだろうが)でジャンヌを見つめる。

 

「え?」

 

「確かに、ジャンヌは戦えませんでした。しかし、それは仕方のないことです。私は鍛錬していました、戦うために、鍛錬していました。しかし、ジャンヌはそれをしていません」

 

「そ…うですね。やはり、努力が「それも違います」

 

「武術などは今から努力をしても間に合います。それに、ジャンヌが領主殿に言伝を伝えてなければ、村の復興は遅れていました。誰でも出来ることではありません」

 

「それに、四年前に私はジャンヌ自身に忠誠を誓いました。神の声が聞こえるのであればジャンヌは特別な存在でしょう。であれば、私はジャンヌのために役立てることを騎士であるがゆえに行うだけ」

 

「それが騎士です。主君の為に尽くすのが騎士であり、主君はただそれに微笑んでくれたら構いません。我が剣はジャンヌ様のためにあり。我が命もです。故に主君は我が剣を傍に自身の行うべきことを行ってください。たとえ何があれど、必ずや私は主君の助けとなります」

 その言葉に、ジャンヌは思わずキョトン、としてしまうが、今までの緊張が解けたのか思わず微笑んでしまう。

 

「ふふ、また私の事ジャンヌ様って呼んでますよ」

 

「ぬぁ!いや、これは…」

 

「そうですね、アロンソの言うとおりです。私には主より与えられた使命があります。その上で今できないことを嘆いていても仕方ありません。でしたら私もこれから剣を覚えましょう、それに文字や文学だって覚えたいです」

 

「だから…ね、アロンソ」

 

「はい、我が主ジャンヌ」

 

「私はあなたにとっての"主君"であり"お姫様"なのでしょう?」

 

「それは勿論です!何があれど私は「分かっています」

 

「では、アロンソは私の道についてきてくれますか?嘲笑されるかもしれません、道化と笑われるかもしれません。それでも…来てくれますか?」

 

「そんなこと」

 ドン・キホーテ卿の脳裏に、とても懐かしく朧気な出来事が浮かぶ。

 

 なんのことかはもう覚えていない。だが、忘れることはない。

 

 ある老人が騎士になるべく必死に古い鎧を磨き、老馬に跨り広きイベリアを旅した。

 

 農夫を従者に醜女を貴婦人と称して旅をしたのだ。

その中で、様々な人間に笑われ邪魔もされた。

 

 だが、それでも。

それでも老人は諦めなかった。狂気のさなかだったのか?否、違う。

 

 老人は騎士になりたかったのだ。

故に、もう一度狂気という名の覚悟に身を染めた。

 

「元よりそのつもりです。たとえ何があれど剣は我が主の物。たとえ王や公が我が剣を求めど、変わりはしませぬ」

 

「アロンソ、信じてますよ?」

 

「えぇ。共に希望の道を行きましょうぞ」

 この日を境に、ドン・キホーテ卿とジャンヌ・ダルクは真の主従の誓いを交わしたのだという。

 

 青空が輝いている。白鷺が飛ぶ。

騎士と淑女、そして二人の木漏れ日のもとでの誓い……それはまるで、ある男が求め望んだ騎士物語のようであった。



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拝謁

リアル忙しくて遅れて申し訳ありませんでした


 1429年3月上旬。

シノン城、謁見の間。

 

 王の宮というよりかは騎士の城と呼ぶべき質実剛健な風貌の謁見の間。

 

 貴族風の服を纏い優男といった風情の顔つきの男…王太子シャルルは玉座の上から跪く二人の男女に言葉を紡ぐ。

 

「ドン・キホーテ・デ・ロレーヌくんとジャンヌ・ダルクちゃんだね。まずはよく来てくれた、歓迎するよ」

 にっこりと笑う茶髪の王太子。

けして美男子と呼べぬが、それでも整った顔で微笑むそれは、時代さえ良ければ大層愛妾を囲えたことであろう。

 

 もっとも、今のフランス王家にとってこの時代は最悪であるのは間違いない。

 

 ヴァイキングの末裔たるイングランド王はフランス王の名を求めフランスがそれらとの苛烈な戦に身を投じてから早80年ほど。

 

 フランス国民は疲れ果て、しかもあまつさえイングランド王をフランス王として仰ぐものも出てきた。

 

 パリは奪われ、ランスでの戴冠式など行えはしない。

そんな絶望的な中、シノンにてフランス起死回生の策を臣下らと練っていた王太子シャルルの元へヴォークルール城主よりある伝令が入った。

 

 曰く、神の声を聞いたと言う狂女が来たと。

曰く、その女は聖女らしいと。フランスに勝利をもたらすとのことであると。

 

 あとついでになんかヤバい男も付き人にいるというのもあったのだが、シャルルはこれを利用しようと考えた。

 

 というより、もう後がないのだ。

客寄せパンダでもなんでも居なければまともにフランス軍が機能しないくらいに士気の低下が甚だしい。

 

 王位の正統性が薄れている王太子、パリを奪われた王太子、フランス王太子(笑)。

 イングランドからのプロパガンダ含め散々な言われようなのだ、そこらの農婦を聖女として担ぐなど正真正銘最終手段であったのだが…。

 

(なるほど。この立ち振る舞いは…聖女と言われても疑いは持てないね。横の自称騎士は――ロレーヌ公がそんな名前の騎士を雇っているとは記録がないし、あとでカマでもかけてみるかな)

 

「さて、ジャンヌ・ダルクよ。僕は君を正式にフランス軍の聖女…指揮官として受け入れよう」

 

「殿下、左様な横暴は!」

 

「僕は君に発言を許したつもりはないが?それともなんだ、正統性に疑問のある王太子になど発言の許しを得る必要はないと?」

 

「い、いえ、そのような事はありませぬ」

 

「ならばいい。君が忠臣であることは承知の上だ。あぁそれに。他の臣下たちのことも勿論信じているよ」

 

「さて、聖女ジャンヌ・ダルクよ。君が正当な聖女であるかどうかはこの後にきちんと調べるとして……横のドン・キホーテくんは何者なんだい?」

 

「殿下、ありがたきお言葉。そして……ドン・キホーテは我が騎士に御座います」

 ジャンヌ・ダルクは跪いたまま、そのように言葉を返す。緊張感は感じられない、礼儀知らずというふうには思えない…さすが聖女といったところなのだろうか?なにより、(自称)騎士ドン・キホーテ卿を羞恥なく自身の騎士と言えるとはジャンヌもだいぶ染まっている風な感じもある。

 

「ハハハ!騎士だと?革鎧のその男が?笑わせる!殿下、やはりすぐさまその農婦をつまみ出しましょう!」

 

「―――騎士の主君を惜しげもなく侮蔑するとは王家の貴人も堕ちたものですな」

 

「なに?」

 

「シャルルマーニュの血を継ぎしフランス王家の方々、我が主がそこに身を預けると聞いて安心しておりましたが、見当違いのようだ。ジャンヌさ…ジャンヌ、やはり去りましょう」

 

「ふぇ!?あ、アロンソ!何言ってるのですか?ステイ!ステイです!不敬になりますよ!」

 珍しくあわあわしてドン・キホーテ卿を止めようとしているジャンヌ。まぁこのバカは何をやらかすかわからないのでいつもあわあわしてそうなので、やはり可哀想である。だが聖女をあわあわさせるとはドン・キホーテ卿もなかなかの強者と言えよう。

 

「田舎者が私に楯突くとは。我が爵位は「爵位など興味ありません。所詮は位を称するものに過ぎぬ。貴殿の人となりを信じるに値せぬものとしたまで」

 

「な、こ、こやつ!おい、衛兵!いますぐこいつを打ち首に!」

 

「やめよ。疾く控えるが良い」

 

「で、殿下!流石にこのような無礼は」

 

「控えろと言った。次はないぞ、私は血族だろうが容赦はせぬ。それともなんだ、我が令に背くとは貴公はイングランドの手の者であるのか?」

 

「ぐ、ぅ……し、承知致しました」 

 不満げな顔をしながら後ろに下がるデブ貴族。

プライド高そうだが仕事はできそうだ。ちょっと可哀想である。

 

「さて、ドン・キホーテ卿よ。貴公に尋ねたいことがある」

 

「王太子殿下のお言葉とあれば如何様にも」

 そして跪くドン・キホーテ卿。

リテラシー分かってんのかわかってないのかよく分からないのがさすが我らのドン・キホーテ卿である。

 

「貴公、我が騎士にならぬか?此の時勢にて貴公のような騎士は珍しい。我が騎士となれば貴公の家も相応の物とするが…」

 

「殿下の手前、大変申し訳ありませんがお断りさせて頂きます。私には既に主がいます故」

 

「ほう……こう言ってはなんだが、聖女殿は農婦の出だ。後で調べてみるものの貴人の血筋ではない。それと比べ、私はヴァロワの血を受け継いでいる。騎士としては主の位の高き者のほうが名誉と思うが?」

 

「貴人であるかどうかは血や位ではなく心や気風にありまする。大変な不敬と存じ上げて申し上げますが、この世には生まれながらにして王や貴人になった者は存じませぬ」

 

「この中にも、先祖が農夫や海賊であった方もおられることでしょう。しかし武勲や功績を挙げられて貴きを手に入れたことと存じ上げます」

 

「殿下、私の主は例え何があれどジャンヌ様がのみ。ジャンヌ様が望めば殿下にもお仕え致しますが、ジャンヌ様が望まねばお仕えはできませぬ」

 跪きながらそう述べるドン・キホーテ卿。

騎士物語みたいな事言ってるが、騎士の時代割と終わりかけなのにリアルでこれ言ってるのは結構アカンやつである。

 

「ふ、ふふ、ふふふふ」

 

「ふはははははは!いやいや、申し訳ない!流石だ、聖女殿。君は最高に素晴らしい騎士をお持ちのようだ!」

 

「いやなに、ドン・キホーテくんが単なるつまらぬものと思い試させてもらったが……思った以上に傑作だ。悪いということではない、むしろ君のようなものは非常に面白い!そして素晴らしい!」

 

「あぁ、シャルルマーニュ王の気持ちも少しはわかったかもしれないな。形だけの騎士ではなく心も騎士のものを相手とするのはこのようなことなんだね」

 

「あぁ。では聖女殿。改めて君にお願いしたい」

 

「ひゅあ!は、はい!」

 ぼーっとしていたジャンヌ。

思わずびくっとしてシャルル王太子の言葉に返事をする。

 

「君の騎士殿に細やかながら私から名前を授けたい。よろしいかな?」

 

「え!?あ、えーと、それは…」

 ちらっとドン・キホーテ卿を見るジャンヌ。

ドン・キホーテ卿はこくり、と頷く。

 

 少し考えたジャンヌ。

そして次の言葉を返す。

 

「大丈夫です、殿下。何卒よろしくお願い致します」

 

「そうかそうか!では、どうしようかなぁ」

 すると、さっきから顔を真っ赤にして我慢しているデブ貴族を一瞥するシャルル王太子。

 

「貴公、なにか良いものは思いつかないか?案がほしい」

 

「ぬぉ!で、殿下!あ、案ですか…そ、そうですなぁ?このどどど、ドン・キホーテ卿に名付けるにふさわしい名は…」

 いたずら小僧風に微笑むデブ貴族。

ろくな名前をつけそうにない。

 

「ローラン、などいかがでしょう?」

 訂正、こいつも中二病だった。

赤くなったのは多分酸欠だったのだろう。デブ貴族と思いきや隠れ中二病なのは珍しいことである。少なくとも騎士物語の騎士の名前を提案するなどだいぶ拗れている。

 

「いや…安直だからローランは却下だ」

 しょぼんとするデブ貴族。

シャルル王太子は思案して…そして結論を出す。

 

「よし、ドン・キホーテ卿。君にはフランスの名字を授ける。これからはドン・キホーテ・デ・ロレーヌ・フランスと名乗るが良い。貴殿を正式にフランスの騎士と認める」

 あとでロレーヌ公にも連絡入れとこうと思いながら、ドン・キホーテをジャンヌと一緒の客寄せパンダみたいにしようと思ったシャルル。

 

 だが、シャルルは心の隅でこうも思っていた。

この二人と友人になりたい、と。

 

 その出生より損得合理でしか動けなかったシャルル王太子。だが、彼はいつも孤独であった。

 

 しかし、彼は久しぶりに笑った。

滑稽であろう、馬鹿であろう、アホであろう。よりにもよって王太子の前で即刻打ち首になりそうなことを長々と述べる騎士など笑うしかない。

 

 だが……不思議と疑う気にはならなかったのだ。

そして、それが間違いでなかったことに気づく。

 

 たった一人の狂人の出現。

それはフランスの歴史…いや、世界の歴史を動かしていくのは未だ誰も気がついてはいない。

 



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武具調達

息抜き回です


「アロンソ、いいですか?今日はトゥールで武具を揃えます。ですから、あなたも何かと暴れないように…」

 

「ジャンヌ、心配は無用です。流石に私も革鎧では心配でしたからな!ちゃんとした鎧を頂きます!」

 

「えっと、ですからそういうことじゃなくて」

 ガヤガヤと戦時であるにも関わらず賑やかなトゥールの道を歩く"ライオンの騎士"ドン・キホーテ・デ・ロレーヌ・フランス卿と聖女ジャンヌ・ダルクの二人。

 

 シェール川とロワール川のほとり。ロワール渓谷の一角にあり重要な地域でもありながら古代ローマより存在する歴史ある街。

 

 二人はそんなトゥールに武具と軍旗を揃えに来ていた。

もっともジャンヌは一応は軍の司令官であるので貸し与えられた甲冑鎧を纏っており、その腰には古ぼけた細剣を佩いていた。

 

 これは単なる伝承のたぐいであるのだが…トゥールへと向かう道中、ジャンヌはサント・カトリーヌ・ド・フィエルボワという町にある教会の祭壇の後ろの地面に剣が埋まっているというような声がしたと言う。

 

 そこで従者(ドン・キホーテ)が訝しみそこを調べたのだが、なんとその祭壇で本当に錆ついた十字が五つ刻まれた剣が発見された。

 

 五つの十字架とはかのキリストの聖痕に対応するデザインである。つまり聖剣と思われるそれがフランスの片田舎に発見されたのだ。

 

 後世では事実とも眉唾とも称されるそれは、ここで確かに事実であったと読者諸君は知ることができる。

 

 さて、後に《フィエルボワの剣》と呼ばれるそれはまだ錆びついているので当然ながらトゥールで研ぐ必要はある。

 

 閑話休題。そんなことより我らがドン・キホーテ卿は教会で剣を見つけたことで一瞬自分のための剣ではないか?と頭によぎったが、じっくり剣を見ていた己を疑うようにジト目で見てきたジャンヌを見て常識人でありなにより主君に忠誠を誓う彼の思考がそれを唾棄。

 

 そういうこともあって剣を得られなかったドン・キホーテ卿。とりあえずはトゥールで武具を揃えて、戦果を上げて王家の剣を下賜してもらえないであろうか?と狸の皮算用のごとく思考していた。

 

 だが、原典のごとくドン・キホーテ卿の主装備は槍であり、無論ドン・キホーテ卿は剣はそうだが槍を優先的に手に入れたい考えでいた。ついでに言うならドン・キホーテ卿は自身の愛馬であるロシナンテがこの広大なガリアの地にいる事を信じてトゥールの街中を血眼で探りまわっていた。単に何か騎士っぽいランスチャージがしたいだけじゃないか?という無粋な詮索は無用である。

 

 

 武具屋。

優しげな若い男店主がドン・キホーテ卿の装備を、女の店員を遣わせてジャンヌの装備のサイズなどを測っている中。

 

「いや…ふふ、キミ良い体してるね」

 

「?それはまぁ、鍛錬せねば騎士が廃りますから」

 前言撤回。

どうやらホの気がある店主は頬を紅潮させながら、なんか変な手付きでドン・キホーテ卿の体格を測定…もとい吟味しているようであった。

 

「フフッ、いや、今夜よければ僕の家にどうだい?そこの女性は別部屋になるけど…」

 

「今日は宿が決まっておりますので、申し訳ないがお断りさせて頂きたい。ですが提案感謝いたします」

 たぶんそういうのに遭遇したことがないドン・キホーテ卿は自身の体をさわさわされていることに一切気づくことなく、自分の家に泊まらせようとしてくれるなんていい人なんだ!という馬鹿なのか純粋なのか分からない思考をしていた。自己の貞操の危機であることに気づかずに。

 

 そして、店主の目がゆっくりとドン・キホーテ卿のドン・キホーテ卿のほうの位置へと向かう。まるでその目は兎を狩ろうとする狐がごとく。

 

 そして、手が伸ばされる。あぁ、可哀想なドン・キホーテ卿!

だが刹那、その手が力強く掴まれた。

 

 店主は咄嗟に振払おうとするが、ピクリとも動かない。

まるで…そう。筋骨隆々の男にでも掴まれているようなその感覚。だが、腕を見るが明らかに細腕である。

 

「店主様、もう測定はお済みでは?」

 店主の目に映るはニッコリと微笑む聖女。

だが、店主はその笑みに慈愛ではなく別のものを感じる。

 

「お、はは、はは!そ、そうですね!すみません、もう済んでます!」

 

「む?そうだったのですか?」

 聖女より解放されてからドン・キホーテ卿よりパッと離される店主の手。それを見て一瞬?マークを頭に浮かべるが気にせずジャンヌの方を向くドン・キホーテ卿。

 

「それはそうと、ジャンヌ。そちらはもう済まれたのですか?」

 

「はい、だいぶ前に。それよりアロンソ、少しは貞操について教育する必要があるようですね」

 

「む?貞操…ハハハ!ジャンヌ、騎士たるものそこに心配はありません!それに先程は男同士であったではないですか!そんな話になり得ることは「いいですから、少しそっちの椅子に座ってもらえますか?」…はい」

 そして互いに向かい合って机を挟み椅子に座る。

そしてその日はなぜかジャンヌにドン・キホーテ卿が「まずあなたは自分の貞操観念というものをしっかりと見直しなさい!」というふうなことで小1時間も叱られる。

 

 ちょこんと椅子に座ったドン・キホーテ卿はなんで何もしてないのに自分が怒られているのかわからないまま、そして店主は骨折寸前だった自分の青くなった腕で作業をしつつ、二人の男は憂い顔で今日を過ごすことになるのであった。



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青髭

 1429年4月29日。

 

 オルレアン。

ジャンヌ・ダルクといえば?と言われると真っ先に思い浮かぶのがオルレアン防衛戦だろう。

 

 シャルル7世の軍勢を破り、威風堂々とフランスの心臓の大手門と言っても過言ではないオルレアンをイングランド軍が狙うのは必然であったと言えよう。

 

 そして現在強固なオルレアンはイングランド軍の築城した砦に囲まれ、完全なる持久戦となりつつあった。

 

 もっとも補給線を構築しているイングランド側は待てば勝てるものの、完全に陸の孤島と化したオルレアンの中に籠もるフランス軍は決め手に欠けている上に食料も有限である。結果的にオルレアンにて指揮を取るジャン・ド・デュノワ司令官はフランス王や諸侯からの加勢を以ての最終攻勢での勝利を望むしかなかった。

 

 そんなデュノワ司令官の元に訪れたのは、雑多な装備のフランス軍を率いる聖女と名乗り王より担ぎあげられた少女。

 

 純白と金で象られたフランス王家の旗を掲げ、オルレアンを助けようと向かってきた少女を最初はデュノワ司令官も疑っていた。

 

 だが、少女の眼の真実味や立ち振る舞いなどがデュノワ司令官にとって信じるに値する存在となった。

 

 しかし、増援として本隊が来るのは約5日後ほど。

それまで、ジャンヌ・ダルクとドン・キホーテ・デ・ロレーヌ・フランス卿はオルレアンにて待機をすることとなるのであった。

 

 

 

「宮廷より騎士として派遣されましたジル・ド・モンモランシー=ラヴァルと申します。聖女様…以後、お好きなようにお呼びくださいませ」

 オルレアンの司令部の置かれた聖堂の中で、少しばかり痩せた顔つきの男――一般にジル・ド・レと呼ばれる男が兜を外し、跪きジャンヌへと挨拶をする。

 

 もっともジル・ド・レは、宮廷内でジャンヌに自身の立場を奪われることを危惧したラ・トレモイユ卿より派遣されたいわゆる監視役であった。

 

 一般に青髭になるまではまともだったと言われるジル・ド・レであるが、実際には青髭時代までではないもののいくつかトラブルを起こしていた不良騎士であった。

 

 そんなジル・ド・レはラ・トレモイユの政争をするための軍事上の手駒としていいように使われていたので、今回もジル・ド・レは精々仕事を行うまでというふうな調子で無気力な雰囲気を漂わせている。

 

「私はジャンヌ・ダルクと申します…ただの農婦と呼ばれることもありますが、フランス王より正式に司令官と聖女の名を賜りました。今後とも永くよろしくお願いしますね?」

 

「私はドン・キホーテ・デ・ロレーヌ・フランス!フランス王家より騎士の称号を賜った者だ。同じ騎士としてよろしくお願い致しますぞ」

 ジル・ド・レは聖女を見る。

確かに、どこか神気を感じる立ち振る舞いに笑み。だが、所詮はそれすらも演技かもしれぬ。このオルレアンで見極めてみせようと心の内で呟く。

 

 そしてもう一方…ドン・キホーテを見てジル・ド・レはどこか心にしこりのようなものを感じる。

 

 古ぼけた鉄の鎧…おそらくは誰かしらが扱ってた物を拵えなおしたものだろう。腰にかかるファルシオンも同じく、背中に備えたグレイヴもけして華美な騎士とは言えない。

 

 聖女の隣にイカれた騎士(まぁ実際そうなのだが)がいるとラ・トレモイユ卿から聞いていたジル・ド・レは、見聞とは違うその姿になにかを覚える。

 

 ジル・ド・レは幼い頃より祖父より放任されて育った。

貰えぬものは何もない、まさしく退廃貴族然とした教育環境と家庭環境。

 

 しかし、目の前の男は違う。

フランス…いや、明らかに違う。様々な騎士の混ざりものに見えた。

 

 だが、その目はまさしく騎士。

少なくとも、自ら狂気に飲まれ狂気を是としたドン・キホーテ卿は紛れもなく騎士であったのだ。

 

 それこそ、何者か著名な騎士が憑依したと言われても疑う余地がないまでに。

 

 それ故に、ジル・ド・レは奥歯を噛む。

"私がなれなかったもの"。

 

 改めて、見つめ直す。否。

睨みジル・ド・レは静かにドン・キホーテ卿へと声を投げつける。

 

「そうか。ドン・キホーテ・デ・ロレーヌ・フランス卿、貴公に決闘を申しつける。はたしてまことにフランス王家に認められて聖女の傍にいるに貴公が相応しいのか。よもや断るまいな?」

 その声に、ドン・キホーテ卿はニッと白歯を見せて笑い。

そして溌剌と声を返す。

 

「ジル・ド・モンモランシー=ラヴァル卿、貴公よりの決闘を受ける。共に騎士として存分に高め合おうではないか」

 

「え、ちょっと今からオルレアンの戦術会議に向かうのですよ!?それにイングランド軍と戦う前にそんな仲間割れをしてはなりません!」

 

「ハハハ、偉大なる聖女よ。それは違いますよ」

 ふと、背後から声が響く。

そこにいるのはうら若きデュノワ司令官であった。

 

「二人の騎士が自身らの力を確かめ合うため、そして誇りをぶつけ合うのです。不肖ながらこのジャン・デュノワ、お二人の決闘を仕切らせていただこうではありませんか」

 

「もちろん死なれては困りますので互いに武器は刃を落とした訓練用の武器を選んでいただきます。互いに戦闘不能と私が判断したらその時点で勝敗を決定」

 

「さて両者、いかがかな?」

 もはや返事は決まっていたようなものであった。

そして返された返事に対しデュノワ司令官は微笑めば、呆然とするジャンヌへと振り返る。

 

「戦術会議は少しばかり遅らせましょう。イングランドとの戦いの前に余計なわだかまりは除いておきたいですからな」

 

 正午。

太陽がオルレアンの市街地を照らしつけている。



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決闘

リアルの事情で遅れて申し訳ありません。今日ぐらいからはどしどしやっていきます


「そんなものか、ドン・キホーテ卿!そんなものでは、王家に仕えるには足りませんね!」

 

 剣を振り下ろし、ドン・キホーテ卿を気絶させんとするジル卿。

 

 

 

「まだまだぁ!」

 

 それを相手に笑みを浮かべながら剣を避けるドン・キホーテ卿。

 

 

 

 刃を落としたエストックと呼ばれる細剣を持ったドン・キホーテ卿。同じく刃を落としたロングソードと盾と言ったベーシックな武装のジル卿。

 

 

 

 互いに実戦訓練や決闘で扱われる全身鎧を身にまとい、しかし馬には跨がらず地面を蹴っての戦いを行っていた。

 

 

 

(思ったより、強い。単なる口だけの者と思えば…だが、妙な剣術を使う!)

 

 ドン・キホーテ卿の動きを見て、ジル卿は歯ぎしりをする。

 

 それもそのはず。

 

ドン・キホーテ卿が使っている剣術はイタリア剣術でもなければドイツ剣術でもない。スペイン剣術と呼ばれるこの時代にはないモノ。

 

 

 

 スペイン剣術の最大の特徴は数学的に計算された幾何学的な動きで敵の動きを読むかのように…そう、まるで闘牛を相手にするマタドールの如き戦闘機動で敵を翻弄し、隙を見つければその剣で刺し殺すのだ。

 

 

 

 父から教えられたドイツ剣術、前世よりの知識にあるスペイン剣術。この組み合わせや使い分けを行う我らがドン・キホーテ卿。思慮深く知識に富んだ彼が、いかに努力をしたかは表現するまでもない。

 

 

 

 特にスペイン剣術に関しては前世の知識のみで師範はいない。南よりもたらされたイタリア剣術の写本を手に独学でスペイン剣術を脳内で構築、学んだ自己流の剣術とも言えるだろう。

 

 

 

 そしてその成果が今、成し遂げられようとしていた。

 

ジル卿はロングソードと盾でのフランス騎士流の剣術による戦いを行っているが、振った剣は避けられシールドバッシュしようにも飄々とした動きに合わせることは困難である。

 

 

 

「くっ、あ?」

 

 そして……首に刃が突きつけられる。

 

もっとも先端には球状のものが取り付けられているので死にはしないが、決まりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ジル・ド・モンモランシー=ラヴァル卿。良い腕でした」

 

 

 

「………」

 

 がくっ、とジル卿の腰が崩れ、その場に座ってしまう。

 

敗北の虚無感によるものか、別のものか。

 

 

 

 だが、ジル卿は笑う。

 

憑き物が取れたかのごとく。

 

 

 

「ジル。ジルで構いません、ドン・キホーテ卿」

 

「貴公は王の騎士に相応しい。私が保証人です」

 

 伸ばされたドン・キホーテ卿からの手を掴むジル卿。

 

だが、その片手には刃落としされたダガーが一つ隠されて握らていた。更に勝利の声が審判よりまだ挙げられていない。

 

 

 

「…うぉお!!」

 

 

 

「ジル卿、お見事です」

 

 言葉とは裏腹に、エストックの先端でジル卿の手……その先にあるダガーごと押さえつけるドン・キホーテ卿。

 

 

 

 隙が全くなかった。

 

油断していなかったのだ。

 

 

 

「勝負あり!ドン・キホーテ卿の勝ち!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ある口伝によれば、ジル卿とドン・キホーテ卿はこれより友になったのだという。ドン・キホーテ卿と共に聖女を守らんとする騎士が、この決闘を経て生まれたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アロンソ」

 

「は?どうかされましたか、ジャンヌ」

 

「あなた。私に一言もなく決闘を受け入れましたね?」

 

「ああいや、それは…」

 

 

 

「そこに座ってください。お説教の時間です」

 

 決闘が終わった後の黄昏のオルレアン。

 

広場に置かれたベンチを指差す聖女の顔は、不思議と怖かった。




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悪夢

「ドン・キホーテ卿、今日はどのような話をしてくださる?」

 自身に話を尋ねる妙齢の侯爵夫人。

だが、その目はまるでピエロを笑い見下す主人の如き視線だ。

 

「イカれ野郎が!物語の騎士なんぞイベリアにいるわけねぇだろうが!」

 通りすがりの傭兵に殴られた。

そして、そう吐きつけられた。

 

「気持ち悪い。さっさとどこかへ行ってよ!」

 ほくろやそばかすのある農婦。

やはり、目は自身を見下している。

 

「友よ、今君を狂気から覚ましてみせる!」

 身分を隠した友人が、私に決闘を挑むときそう聞こえた。

やはり、狂気か。

 

「あんたに売るもんなんてないよ。憂い顔の騎士殿」

 あざ笑う顔つきの商人。

騎士でいることが、そんなにも、そんなにも見下されるべきことか?

 

 

 

 

 

 無数の言葉が、脳を反響する。

俺は、俺は、私は、私は。

 

 手が、若かった手がどんどんとシワだらけになっていく。

鍛えられた体が、まるで空気を失った袋のごとくしぼんでいく。

 

 明瞭だった視界がどんどんとあやふやなものになっていく。

 

 皆が、私を見下し侮蔑する。

道化、狂人、馬鹿、道楽爺。

 

 私は。

私は、私は。

 

 ぐるぐると、脳の中を頭の中を暗くぬめった何かが這いずりまわる。蛭や蛇や百足のようななにかが、脳を這いずりまわる。嫌だ。やめろ、やめろ、やめてくれ、やめてくれ!

 

 

 

 

 

 

 目覚める。

汗が肌着を濡らし、熱気のようなものを我が身を覆っている。

 

「また、この夢か」

 アロンソは3度ほど深呼吸をして呼吸を整えると、予備の服に着換える。

 

 時刻は夜とも朝ともつかぬ時刻だ。

夜の狂気と朝の正気の混ざった時間帯。いつも、この時間に起きる…とアロンソは一人心地に思いながら身支度を整えていく。

 

 この部屋に自ら以外は誰もいない。

オルレアンの住民が誠意で宿を貸してくれたのだ。アロンソにとってはありがたいものだった。

 

「―――俺は」

 冷気の漂う庭で桶に井戸水を汲み取り、顔を洗いながら水面に映る自身の顔を見つめていると、ふといつもの自分ではない一人称が出た。

 

「俺はどうすればいい?サンチョ」

 体が、細かく震えていた。

一度正気でいられたものがいつも狂気でいられるわけではない。否、戦の前で震えていた。アロンソとて人の子である。気丈な騎士ドン・キホーテとは全く違っていた。

 

 彼女は、『救国の聖女』は自らをアロンソと呼ぶ。

だが、それは彼の弱きところである。本当は、アロンソとしての自らなど彼女に見せたことはないのだった。

 

「…いや、俺はこのままドン・キホーテとしていればいい。死ぬまで、ずっと。俺はドン・キホーテのままでいい」

 それが自身に与えられた運命(Fate)だから。

そう思わねば、狂気には染まれない。そうアロンソは思い込む。

 

 だが。

 

 彼女が夢の者たちのように自らを見下さない未来はないと思うのか?他の者たちからも、自らは同じように見下されはしないのか?何度も、悪い未来を、自分が過去辿ってきた人生と重ね見てしまう。

 

 

「アロンソ!今日も早いですね」

 声が、背に響く。

いつのまにか怯えたような表情をしていたアロンソはぐっと歯を食いしばり、瞼を閉じ。

 

 ドン・キホーテ卿として目覚める。

にっと笑みを浮かべ、表情も明るいものとする。

 

「やぁ、ジャンヌ!騎士たるもの、主より遅く起きてはなりませんからな!」

 そして《ドン・キホーテ卿》は振り返ると、明るげにそう言葉を返した。

 

 そして彼はまたいつものように狂気に染まる。

理想の騎士であろうとするために。



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憂い顔の騎士

5月7日。イングランド最後のオルレアン攻撃での砦とも言えるレ・トゥーレル要塞がフランス軍の手によって落ちた。

 

 同時に聖乙女ジャンヌの活躍はまたたく間にフランス全土へと響き渡る。

 

 神が遣わせた使徒。

聖者であると讃えられたジャンヌ……だが、実際に行った戦い方は至極合理的なものだったことは当時はあまり知るものは少なかった。

 

 

 

 

「野戦に砲兵を持ち込む……たしかにそれは思いつかなかった」

 ジル・ド・レェ卿はオルレアンの周辺の戦場跡を見れば、その荒れ様とジャンヌの戦法に舌鼓を打つ。

 

「当然ですな。我が主ですので!」

「ハハハ、相変わらずドン・キホーテ卿はジャンヌどのを信じられておられる!ですが……私がもう気になることがひとつ」

「ドン・キホーテ卿、『知っておりました』な?」

「―――ハハ、何をおっしゃいます。ジル・ド・レェ卿……私はただジャンヌの花道に手を添えただけなれば」

 くすんだ鎧。

剣を地面に刺しながら話し合う男二人の話に、華々しさの欠片はない。

 

「フランス貴族というのは学習するものが少ないものでしてな。突撃、突撃、突撃すれば勝てると思う。それを裏手に取られイングランド弓兵に殺されるのは多々あった。ポワティエしかり今まで然り」

「ですがドン・キホーテ卿。あなたは違う…重騎兵に遥か劣ると言われる農民上がりの軽騎兵を分け与えられながら、至極有利な位置へと動かした。まるで……ジャンヌの野戦砲兵戦術に適した戦術機動であった」

「軽騎兵を重騎兵のごとく扱う術、よければご指導願いたい、ドン・キホーテ卿。あなたの戦術を」

 先程から黙しているドン・キホーテ卿に、ジル・ド・レェ卿は教えを乞う。物憂げな目をしていたドン・キホーテ卿は、それに対し唇を開けば。

 

「軽騎兵は機動性に優れます。ハンガリーの方などもそうですが、重騎兵はある一定の火力に対しては軽騎兵に大きく劣ります」

「ですが、軽騎兵はもとから装甲がなく速い。馬の突破力はありますからね……扱いは難しいですが、今後は主流になるでしょう」

「なるほど。しかしドン・キホーテ卿。それでは騎士を駆逐してしまうのでは?」

「騎士とは面持ちですよ、ジル・ド・レェ卿。自らの理想のために部下を殺すのは……騎士ではありません」

 ニッコリと笑うドン・キホーテ卿。

ジル・ド・レェ卿はそれにどことなく何かを感じてしまう。

 

「ドン・キホーテ卿、なにかあったのですか?」

「なにか、とは?」

「いえ、顔持ちが暗いと思った次第です。いつもであればもっとはつらつとされているでしょう?」

「あ、あぁ。ははは!少しばかり感傷に浸っていたのです。初の戦いですからな!しかしジル・ド・レェ卿に言われて目が覚めました。もう、戦も終わっておりますからな!」

 はつらつと話すドン・キホーテ卿。

だが……その顔に、なにか影が差し込んでいた。

 



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立ち直り

 オルレアン解囲から2日。

ジャンヌ一行はロッシュに滞在するシャルル王太子殿下のもとへと向かっていた。

 

「もうすぐロッシュにつきますね。アロンソ」

「……」

「アロンソ?」

「あ、あぁ!そうですな、ジャンヌ……はは、殿下に粗相はできませんな」

 それを見て、ジャンヌは少しばかり不安げな表情を見せた。自らの騎士を名乗り戦ってくれているドン・キホーテ卿がオルレアン戦からずっとこの調子なのだ。

 

 不安や躁鬱とは無縁といったドン・キホーテ卿が暗げな雰囲気を見せるのはジャンヌにとって初めてと言っても過言ではなかった。

 

「アロンソ」

「はい、ジャンヌ」

「あなたは私の騎士をやめたくなったのですか?」

「え!?いえ、そのようなことは断じてありません!」

「では、なぜそのように思い悩んでいるのですか?」

 

 言えるはずがない。自身があの悪夢から狂気に染めきれてないということを。自分がピエロだということを知られてはならない。

 

「アロンソ、あなたは私の騎士です」

「悩みがあれば言ってください。それに」

「アロンソが思い悩んでいるとなれば、私はとても心配なんですよ?」

 文字通り太陽のように微笑むジャンヌ。

ドン・キホーテ卿は、口を噤むまま考える。

 

 

 そうだ。

私は、騎士だ。狂気などとは関係のない、騎士ではないか。

 

 外聞、内聞、人から謂れのないことを言われようと。

私は騎士だ。私は、ドン・キホーテ。聖乙女ジャンヌ・ダルクより叙勲を受けし、まごうことなき騎士なのではないか?

 

 

「ジャンヌ。私はあなたの騎士としての責務が果たせないのではないかと心内で思い悩んでいました」

「アロンソ、それは違います。あなたは私の騎士として、十分に責務を果たしてくれています」

「私はその言葉に救われたのです、ジャンヌ。もう悩むことはありません」

 ドン・キホーテ卿は自身が跨っているイングランドから鹵獲した老馬を同時に見る。

 

 

 あぁ、この感覚。どこか湧き水のように考え出てくる。

そうだ、お前にも名を付けてやろう。私が改めて騎士としての面持ちをやりなおしたこの時をもって。

 

 

「ロシナンテ!」

「アロンソ?いきなりどうしたのですか!?」

「行くぞ!ロシナンテ!殿下のもとへ走るぞ!」

 その言葉を待っていたと言わんばかりに老馬……ロシナンテは前足を上げてヒヒィン!と叫ぶ。

 その姿はまるで。

まるで、往年の卿のようであった。

 

 

 

 

 

 ロッシュ。

フランス中部に位置するこの小さな都に、王太子は滞在していた。

 

 後日訪れる戦略会議のために中部へと訪れているのだ。

他の貴族もチラホラと見える様子がある。

 

「やぁ、お二人とも!よく来てくれたね!」

 シャルル殿下がいると聞いてた大聖堂へと入ると、早速奥で暇をしていた殿下が迫ってきたと思えば手始めにドン・キホーテ卿へと抱擁を交わしたではないか。

 

「ドン・キホーテ卿、まずは君に抱擁だ!よくやってくれたね!」

「いやはや殿下!熱い抱擁ありがたく存じ上げますぞ!」

「ジャンヌ、君もどうだい?」

「いえ殿下。私は……!?」

 すると今度はジャンヌへと抱擁を交わすシャルル殿下。

とはいえ、ドン・キホーテ卿にしたものよりは短く。

 

「ははは、最近はセクハラとか宮廷でうるさいからね。あんまり女性にハグするといけないんだ」

「それよりもよく頑張ってくれたね、二人とも。僕は今すごく幸福だよ」

「オルレアン解放、それと共にイングランド軍は後退した。何十年ぶりのまともな勝利だろうね?」

 柔らかな光の差し込む大聖堂。

聖乙女とその騎士であるドン・キホーテ卿、そして未だ冠を持たぬシャルル王太子殿下。

 

「僕はね、君たち二人を友人だと思っている」

「身分とかではない。だから、この戦争が終われば存分に友人として遊ぼうじゃないか!まぁ、仕事は来るだろうから四六時中は無理だけどね」

「もちろんです、殿下!このドン・キホーテ、偉大な友人を作れることを喜びますぞ!」

「フフフ、その調子で僕の騎士になってくれないか?」

「それは無理ですな、殿下。私はジャンヌの騎士ですゆえ」

「全く頑固だ!それがいいんだけどね」

 そんな風な二人を見るジャンヌはにっこりと微笑み、そして一人思う。平和な世の中が訪れたら、自らはどうするのだろうか?と。

 

 世の女性は結婚をするものだという。だが自分にはそのような人はいるのかと思うジャンヌ。するというわけではないが、興味はある。ジャンヌは聖女の前に年頃の少女であるのだ

 

 ふと、目をやると溌剌に笑うドン・キホーテ卿が目に入った。

 

「…やめです。まだ戦争も終わっていないのに」

 でも。

もしも平和になれば…その時は。

 

 ロッシュの空は明るく青色に輝いていた。

フランス王家の旗色が如く、爛々と。

 



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シャルルの決心

軽いダイジェストと閑話みたいなものです。歴史が動きます


 ロワール作戦。

ジャンヌ・ダルクの信仰者の一人とも言うアランソン公が旗を振るその作戦は、激しく成功を遂げた。

 

 もはや、イングランドの絶対的優位はない。

そんな時にあることが起きる。

 

 ロワール作戦に次ぐランス進攻後のシャルル王太子の即位式である。

シャルル七世国王陛下となった王太子殿下は、もはやイングランドの掲げていたフランス王権をその手に掴んだのである。

 

 特にランスはフランス王家では代々即位を行う由緒正しき場所。イングランド王の請求権失墜は確実だった。

 

 さらに言えばここまで進軍されてはフランスの心臓であったパリまで目と鼻の先である。

 

 だが……ここであることが起きた。

パリ侵攻派と講話派の対立である。

 

 史実ではジャンヌ・ダルク処刑の遠因ともなったそれは、此度の世界線でも問題なく起きていた。

 

 史実ではシャルル七世とジャンヌ・ダルクとに溝を作ることになるそれ。だが、今回は少し空気が違っていた。

 

「ドン・キホーテ卿、君はどう思う?」

 流れ髪の国王、シャルルは連日起きる祝賀会の中でドン・キホーテ卿に話しかけていた。内容はパリ侵攻に関する事柄であることは間違いなかった。

 

「陛下、私はジャンヌの騎士。ジャンヌに従うまでです」

 ドン・キホーテ卿は自身の黒髪を揺らし、シャルルへと物怖じすることなくそのように返事を行う。  

 

「たとえ私が……そのせいで友人でなくなるとしても?」

 少し鋭めの視線でドン・キホーテ卿を見つめるシャルル。

ドン・キホーテ卿は鈍感なのか違うのか、少し場にそぐわない「ふーむ」という声を呟きながら、シャルルへと返事をする。

 

「そうですな。私は陛下と友人でいられなくなるのは嫌です」

 

「え?」

 こいつはどうせ容赦なく友人捨てそうだな……と思っていたシャルルは、少し呆けたような顔でそう返事する。

 

「よし!今からでもジャンヌに提言をしてきましょう。陛下との不和を作るのはよくありませんからな!」

 そう言ってジャンヌのもとへ向かおうとするドン・キホーテ卿。だが、それを待ってくれというふうに肩を掴むシャルル。

 

 だが、その顔は手の甲で口を抑えながらくつくつと笑っていた。

怒りの笑みや嘲笑ではないだろう……むしろ爽やかな笑みだった。

 

「くく、ドン・キホーテ卿。君はほんとにわからないよ」

 

「わからない?とは」

 

「いや、いい。君はそのままでいてくれ!そうだな……私も譲らないとだな」

 なにか吹っ切れたのか、決心した様子でその場を去るシャルル。

 

 ドン・キホーテ卿ははてなマークを頭に浮かべながら、ずるるとまずそうにワインを飲むのだった。

 

「酒……慣れないといけないな!いや、でもやっぱりまずい。剣術は苦じゃないんだけどなぁ……」



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パリ攻防戦

割と急展開かもしれません


1429年9月

 

 今や聖ゲオルギウスの象徴たる十字旗の掲げられたパリを城壁を挟み遠くから睨むドン・キホーテ卿。

 武装は一変し、老馬ロシナンテに跨り一本のランスを握っている。腰にはエストックが一本だけ差し込まれていた。

 

 グレイヴなどを複数装備した重武装では扱いきれぬと判断したためであった。もっとも、今回のパリ攻囲戦は今までとは比べ物にならないほどのフランス兵が揃っている。5000の歩兵と弓兵の混合隊、3000の騎兵、100の砲。必死に国王や諸侯が今回の決戦のためにかき集めたことは明白であった。

 

 だが、パリを決戦の地と判断したイングランド軍の量も凄まじい。3000を超えるロングボウ兵が連なり、3000の歩兵と1000の下馬騎士がパリを守っている。それを率いるはイングランドの王族であり名将、ベッドフォード公ジョン・オブ・ランカスターである。

 

 戦闘の規模で言うのであれば、オルレアン包囲戦のほぼ2倍と言ってもいい。無論、ここでフランスが負ければ今までの勝利は水の泡となりかねない。そのリスクを考慮し、此度のパリ攻撃は行われる。

 

 史実では、パリ攻囲戦はあくまでも形式的なものに近かった。それはジャンヌ・ダルクとシャルル国王との間に溝があり、シャルル国王が反戦派であったことが原因とされる。

 

 だが、ドン・キホーテ卿という人物がそれを変えた。

歴史を確実に変えたのだ。まぎれもなく自分を騎士と思い込んでいただけの騎士が。

 

 薫風がパリの周囲に広がる草原を流れていく。

戦争の前だというのに、のどかすぎるほどの風景であった。

 

「アロンソ」

 配下の軽騎兵隊100名の準備を待ちながら馬上で遠景のパリを見ていたドン・キホーテ卿の横に、馬に跨ったジャンヌが訪れる。

 

「ジャンヌ!なにか御用ですかな?」

「いえ、特には。強いて言うなら激励、でしょうか?」

「ほぅ、激励、ですか。騎士冥利に尽きますね!」

 ジャンヌの言葉に朗らかに笑うドン・キホーテ卿。

まるで決戦の前だというのに、その笑顔は全くのくもりを見せていなかった。

 

「アロンソ」

「はい、ジャンヌ」

 ドン・キホーテ卿は問いかけてきたジャンヌに対し、ゆっくりと返事を行う。

 

「……死なないでくださいね。あなたがいなくなると、私はとても悲しいです。だから」

「ジャンヌ、騎士は出来ぬ約束は行なえませぬ。此度は決戦……私も死ぬ可能性は十分ありえます。ですが、これだけは約束します!」

 ドン・キホーテ卿は右手に携えたランスを掲げ、蝶番にて留められた顔の上部を隠す兜の面を上げれば、その素顔で叫ぶ。

 

「私は聖女であり忠誠を誓う姫の騎士。ジャンヌ、あなたに勝利を齎すと誓いましょう!」

 その言葉を見て、なにかを返そうとしたジャンヌ。

だが、口を噤んで微笑む。その目は、どこか潤んでいた。

 

「――アロンソ、共にフランスの勝利を願いましょう」

「主の命とあらば、喜んで」

 決戦は着々と訪れようとしている。

王権を巡り百年もの間続いた血みどろの戦争の終わりは、もうすぐ見えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「総員、攻撃開始ィィィーーーー!!!」

 射石砲の砲音が小鳥の鳴き声を押しつぶすほどの音量であたりに響き渡る。

 

 旧来の攻城兵器である投石機も用意され、そこから焼夷弾や通常の岩が投げられていく。

 

 だが、兵士たちが攻城櫓を使い迫ることはない。

城壁の崩壊を狙い、そこから一気に突入するつもりだったのだ。

 

 パリの城壁は強固だ。

これまでの戦いで砲の危険性を理解しているベッドフォード公が攻撃に備え、壁の補強も更に行われている。忠誠心に篤いロングボウ兵たちによる決死の射撃などの射撃も行われており、当然イングランド兵のモチベーションはMAXと称してもいいだろう。

 

 だが、砲の数が違った。

フランス中からかき集められた射石砲による一斉射撃は、激しくぶつかるそれに対応していないパリの城壁をどんどんと削っていく。

 

 砲兵を守るクロスボウ兵とロングボウ兵による決死の射撃戦。投石機による妨害攻撃。

先程まで平和そのものであったパリの地は、いまやまごうことなき戦乱の渦中と成り下がってしまった。

 

 

 

「ドン・キホーテ卿!城壁が一部崩壊したことをご報告いたします!」

「報告感謝する。軽騎兵隊……私に続け!」

 伝令による報告の後、ドン・キホーテ卿は軽騎兵隊を率いて城壁へと向かう。

が、目前に見えるは破れた城壁から敵を入れさせないため、即興ながら強力な陣形で穴の外へと出て構えるイングランド兵たちであった。

 

 歩兵隊と下馬騎士隊による縦列陣。

騎兵の衝撃に耐えられるようにロングシールドを構えて数列に並び、なおかつ長槍が槍衾を構成して歩兵相手にも万全の防御を展開している。

 

 砲撃で崩壊してからの時間で即興で粗さは見えるものの陣形を素早く形成した練度。確実に精鋭部隊であることは確かだった。城壁の穴埋めに精鋭を使うまでのイングランド軍もフランス軍と同じく必死である……ということは薄々と感じるが。

 

「隊長、どうします?いくらうちの歩兵がかち合ってるとはいえ、敵の予備兵力も考慮したら今日中の突破は無理っすよ」

 ドン・キホーテ卿は思考する。

確かに、フランス軍の歩兵隊がかち合うとはいってもロングボウ兵による城壁からの妨害射撃に耐えなければならない。必然的に機動力は削がれるし、ロングボウから身を守るがために白兵戦もおろそかになる。

 

 故にクロスボウ兵によるロングボウ兵のある程度の殺傷を待つのが健全だろう。しかし、フランス軍は伝統的に歩兵主体である。個々の兵士たちの武装の性能差や練度も考えれば長期戦は不利だ。

 

(いくらこちらに砲があるとはいえ、あそこを突破できなければ負けが強まるな)

 そこでドン・キホーテ卿が取った行動は。

単純明快だが……最も危険な方法であった。だが、これしか方法はない。

 

 勝利を勝ち取ると願った。

ならば、もはやこれを行う他ない。

 

「皆、私に命をくれないか?」

 

 

 

 

 

 

 

「おいおい、あいつら死ぬつもりか!」

 盾で矢を防ぎながら、イングランド歩兵隊に近づいていたフランス歩兵。そんな彼らが口々に絶句する。

 

 後方からイングランドの陣形に真正面から突っ込もうとするは、ドン・キホーテ卿率いる軽騎兵隊。

本来衝撃力や防御力という面では重騎兵に劣る軽騎兵隊。だが、ドン・キホーテ卿は矢や投槍による攻撃を巧みな指示により機動力での回避を行っていたのだ。

 

「軽騎兵でなにができる!おい皆、絶対に受け止めろ!」

「オォォォォォォ!」

 イングランド歩兵がしゃがんで斜めに長槍を構え、対騎兵の槍衾の態勢に入る。

 通常で行けば確実に妨げられる。

だが、フランス軍にあってイングランド軍にはないものがあった。

 

 十字旗の兵たちが、爆音と共に吹き飛ぶ。

投石機ではない、大砲による砲撃だ。

 

「人に向かって大砲を撃ってやがる!?」

「フランス人はキチガイか!」

「おいおい、まずいぞ!」

 もっとも、このままでは予備兵力が後方より補充されて肉の壁は元通りだ。いくら砲支援があるといえど榴弾ではないただの岩……威力には限度がある上に、他の城壁も攻撃しているから砲をそこまで配分するわけには行かない。

 

 だがそれを好機とばかりに、軽騎兵隊が突撃を敢行する。

ランスチャージの構えのドン・キホーテ卿を先頭に、長槍を構えた軽騎兵たちがまるで”く”のような陣形で向かっていく。

 

「ロングボウ兵はなにやってんだよ!」

「当たらない!当たらねぇ!なんだあいつら、なんなんだよぉ!!」

 もっとも、軽騎兵隊も無傷ではない。

数人が弓や投槍の餌食になり、落馬して息絶えるものもいる。

 

 だが、蹄の音と共に。

軽騎兵隊は砲撃によって陣形が多少崩れて槍衾に隙ができたイングランド兵の陣形を文字通り『貫通』する。

 

「ぬおおおおおおぉぉぉぉぉ!!」

 ロシナンテも足を止めることなく、主たるドン・キホーテ卿を運び進んでゆく。

ドン・キホーテ卿の肩に矢が刺さり、激痛が脳を揺らすが唇を強く噛み締めて、ドン・キホーテ卿はランスチャージを止めない。

 

 着いてくる軽騎兵たちの数が目減りしていく。

あるものは槍に突き刺さり、あるものは落馬した後に殺され、またある者はロングボウによって射殺される。

 

 だが、それでもなお突撃の勢いは止まらない。

イングランド兵の陣を正面より突破していくとともに、砲音のオーケストラを伴奏に騎兵突撃をしてきたフランス騎兵に恐怖したせいでイングランド軍の防御に緩みができたのだ。

 

 そして後追いのように、自らも命を失うことを恐れないというふうにフランス歩兵たちが後を追って突撃で造られた細長い陣形に対しての『傷』をえぐり、広げていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――気づけば、自ら以外全員が死に絶えていた。

パリ侵入への活路への代償は、あまりにも重かった。

 

 そして、別れはまだ近くにいた。

ロシナンテである。

 

「ヒヒィーン……」

 突破を終えたとたん、どさりとその場に横に倒れるロシナンテ。ドン・キホーテ卿は素早く着地体勢を取るが、その後に間髪おかずにロシナンテへと走り寄る。

 

 ロシナンテの体に、いくつもの矢と槍の穂先が突き刺さっていた。ただの老馬の体には、あまりにも多すぎるほどの傷だった。

 

「ロシナンテッ、すまない、すまない」

 自らの作戦。

これしかなかったとはいえ、その謝罪はロシナンテだけに向けてのものではない。

 

 勝利をもたらすために、皆死に絶えた。

王より賜った軽騎兵隊。全員自らと交流のあり、顔見知りだった者たちも多くいた。

 

 中には、まだ14ほどの子供なのに死んでいるものもいた。

60ほどの老人も、馬の下敷きになって死んでいる。

 

 結果がどうであれ、自身の命令がこれをもたらしたのだ。

ドン・キホーテ卿は、自らだけが生き残った事実にただ震える。怒りや、悲しみだけではない。喪失感や、虚無感によるものもある。

 

「ブルルッ」

 ロシナンテの命は長くはなかった。

痛いだろう、辛いだろう。ドン・キホーテは奥歯をギリッと噛めば、重いデッドウェイトに成り下がったランスを投げ捨ててエストックを抜き放つ。

 

「ロシナンテ、今生もありがとう。お前は、本当に良い馬だ」

「ヒヒンッ」

 それが、ロシナンテと名付けられた老馬に理解できたのかはわからない。ましてや、この老馬が前世でのロシナンテなのかすらもわからない。

 

 だが、老馬。否。

『ロシナンテ』は明るく返事をする。走れなくなった自らを悔やまず、主を連れてこれたことに喜んでいるように見える。

 

 フランスの勝利のため。

だが勝利のために、ここまでの犠牲を行ってしまった自身は本当に騎士なのか?

 

 ドン・キホーテ卿は葛藤しながら、エストックの狙いを静かに定めた。一撃で……終わらせられる急所。

 

「ロシナンテ、願えば……空の上で私のことを見ていてくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 血の付着した剣先のエストックを幽鬼のようにぶらんと携えながら、ドン・キホーテ卿は火に燃える町並みを背景に悲鳴と怒号と剣戟や射撃、そして砲撃の音が絶え間なく鳴り響くパリ市内を歩んでいく。

 

 その目は、勝利だけを願っていた。

数多の騎士が、理想を願って理想に殺された。アーサー王も、シャルルマーニュも、そして他の騎士たちも皆。理想に従い理想を得られたものは砂漠の中の砂金の如く希少だ。

 

 だが、ドン・キホーテ卿の心にあるは唯一つ。

ジャンヌに勝利をもたらす。その過程で例え自らの命果てようとも。

 

 切りかかってきた数名のイングランド兵を切り捨て、イングランドの持っていた長槍をエストックを持っていない方の左手で握る。

 

 こんな火災の中で、避難を知らせる教会の鐘が反芻して響く。まったくもって地獄だ。

 

 

 

 

「まさか、イングランドがここまでやられるなんてさぁ。困るなぁ、これ以上やられてもしイングランドに上陸なんかされて、フランスに霊墓を荒らされたくないんだけどぉ……」

 独り言のような声が聞こえる。

ドン・キホーテ卿が立ち止まった。

 

「貴公、誰だ」

「ほんと、困るなぁ。……あぁ、君ってフランスの人かい?」

 褐色の肌の……黒い長髪の青年だった。

半裸で下半身はローブを着ているかのような装いで、裸の上半身には紫色の幾何学模様のタトゥーをしており、なんとも奇妙な見た目をしている。

 

「ドン・キホーテ・デ・ロレーヌ・フランス。フランス王家の騎士でありながら、聖女ジャンヌ・ダルクに唯一の忠誠を誓う騎士だ」

「自己紹介ご苦労。僕?僕の名前はグランドット・ジグマリエ。お飾りのロードさ、繋ぎのね……ってパンピーにこんなこと言ってもわかんないかぁ」

 てへっ、というふうに舌を出してわざとらしい仕草をするグランドット。だが、その禍々しい雰囲気は明らかに隠せていない。

 

「僕はね〜、ジグマリエ家の一応当主なんだけど弟が幼すぎてね〜。弟のが将来的に有能だけど父親が死んだからしかたなーく当主やってるんだぁ」

 グランドットは自分の人差し指をれろれろと舐め、ちゅぽんっと抜けばその人差し指をドン・キホーテ卿へ向ける。

 

「でもさ。僕一つだけしか使えないんだよ、ねぇ、何だと思う?いーち、にー、さーん、よーん、ごー」

 ドンッ!と波動のようなものが空気を震わせる。

同時に、ドン・キホーテ卿の体が一瞬でガンッ!と燃える家屋へと叩きつけられた。

 

「時間切れ〜。正解はガンド〜、って君」

「……貴公、敵か」

 ドン・キホーテ卿はふらつきながらも、武器を構え立ち上がる。それを見て、グランドットはひゅーっと口笛を吹きながら口を歪めた。

 

「”ソレ”耐えるとか、なかなかやるね。殺すつもりでやったんだけど」

「悪の魔術師、まさかここで出会うとはな」

「はぁ?」

 ドン・キホーテ卿はにっと笑い、エストックの刃をチャッと構え直す。

 

「悪いが、通してもらうぞ」

「通さないよぉ。さっさと死んじゃえ、電波クン」

 

 



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La Pucelle , Chevalier du héros

ひとまず百年戦争編の終わりです


 ―――爆ぜる。

火薬ではない。文字通り、空気ごと爆ぜたのだ。

 

「魔術の類か」

「さっさと死んでくれないかなぁ。常人が魔術師に勝てるわけ無いでしょ?」

 

 

 ドン・キホーテ卿が地面を蹴る。

石畳を僅かに削りながら、赤く燃え上がる炎で鎧の表面をオレンジ色に照らしながら。

 

 

「ほらほら、避けてみてよ」

 次々に空気が連鎖的に破裂する。

時折廃墟と化した建物の壁を貫き壊しながら。  

 

 ボン、ボンと。

魔術師が放つ魔術はドン・キホーテ卿が走り避ける後ろを次々と破壊していく。

 

 

(空気を魔力で押しつぶしているのか?いや、それにしてはどうにもおかしい)

 壁を支点に飛び跳ね、空中からエストックで狙いを定める。しかし、すんでのところで横に体をくねらせては飛んできた魔術を避ける。

 

「勘だけが妙に良いのは面倒なんだよね」

 

「……風を感じない」

 

「は?」

 ドン・キホーテ卿は燃え盛るパリを背にエストックを下段に構える。剣先がやけに明るく反射しては輝いていた。

 

 

「貴様の放ったものからは風を感じない」

「はぁ?何いってんの……追い込まれすぎて頭イカれちゃったのかな?」

 

 

 

 刹那。

 

 

 

 

 

「なっ!?」

 

 

「見切った」

 

 

 魔術師の目前に迫るは、甲冑の騎士。

自らの顔を写す琥珀色の瞳がそこにいた。

 

 

「ぐっ!」

 慌てて魔術を放つ魔術師。

しかし、その魔術がドン・キホーテ卿に当たることはない。

 

 空に舞う腕。

エストックの銀刃が確かに魔術師の腕を捉えていたのだ。

 

 

「疑問に思っていた。なぜわざわざ手をこちらに向けて放っているのか。そしてなぜ……破裂音がするにも関わらず、風の波を感じないのか」

 

「あ、あぁ!ぼ、僕の腕がぁ!」

 

「答えは単純だ。貴様の魔術は人をその手で捉えることで初めて作動する。現に明後日の方向へと向かう魔術はなく、どれも私の直ぐ側を通り過ぎていた」

 

 慌てて後ろへと飛び退く魔術師。

その顔には脂汗と焦りがべっとりと張り付いている。

目には、先程まではなかった怯えが浮かんでいた。

 

「呪いの類だな?ガンドと言っていたが……ドルイド系か」

 

「うっ……ぐっ……くそっ、なんで、魔術も知らないようなやつが理解できるんだ!」

 ドン・キホーテ卿がカツカツと魔術師へと近付いていく。

幽鬼のようにも見えるその風体。明らかな威圧の風を感じることだろう。

 

 

「知識は本から得ることができる。それらの知識を場合に応じて組み立て分析することで人は初めて理解することができるのだ」

 

「なんだと……あぁぁぁぁ!クソッ!ふざけるな。舐めやがって!」 

 先程までとは段違いの巨大な呪い。

ガンドがドン・キホーテ卿へと真っ直ぐに向かう。

 

 その威力と規模は段違いだ。

おおよそ避けることなどできぬほどの大きさ。魔術師が焦って出したものにしては、あまりにも強大かつ高負荷のもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一筋の風が石畳を通り過ぎる。

そこには……一人の影が立っていた。

 

 

「おい……嘘、だろ?」

 

「私には聖女の加護がある……少なくとも、こんな呪い程度に屈する訳にはいかんさ」

 だがその言葉とは裏腹に、甲冑は所々が破れ、更には大きく破損した箇所もある。

左目には一筋の鮮血が垂れ、目を潰していた。 

 

 顔の右半分は大きく目が見開かれている以外は赤く焼き潰れているのはおぞましささえも感じさせる。

 

 

「化け物が……お前みたいなやつが……いていいわけが!それぞれの時代や国には一人の英雄しかいないはずなんだ!あの聖女がそのはずだったのに……お前が、お前みたいなやつが!ただの人間が!」

 

「あぁ。だが、見て分かる通り私は生き残れた」

 ドン・キホーテ卿の足は止まることはない。

慌てて魔術を放とうとする魔術師。だが、大した威力のあるものは出すことすらできない。

 

 

 ドン・キホーテ卿のからだが、魔術を放たれるごとにゴムまりのように跳ねようとする。だが、その体が吹き飛ぶことはなく。

 

 

 魔術師が尻餅をついた。

ずり……ずり……と必死で後ずさりする。

 

 だが。

その音は、血しぶきの音と共に途絶えた。

 

 

 首筋に刺さった銀色の刃。

血がどくどくと心臓の音に合わせて放たれている。

 

 

「ぁ、あっぶ、あっ、ぐ……ぎぃ」

 刃が引き抜かれると、プシュー!と血が吹き出す。

どちゃりと倒れ伏せる魔術師。  

 

 

 

「……」

 ドン・キホーテ卿はそれを顧みもせず。

トドメとばかりに頭を踏み潰し、パリの炎の中へと身を進めていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひ、ひぃ!」

 

「化け物!」

 

「く、くるな!くるなぁ!」

 

「や、やめてくれ、俺には家族が」

 

 

 

 

 

 血溜まりが、出来ている。

フルプレートには無数の血と脂がこびりつき、剣や槍は血を浴びすぎて紅く刃を染めていた。

 

 

 ノートルダム大聖堂のステンドグラスが中を照らす。

夜闇と火が、磔のイエスを輝かせる。

 

 

 

「……まさか、貴様のようなものがいるとは」

 赤いコートに戦装束たるフルプレートをまとった男。

イングランド軍総指揮官であり王族たるジョン・オブ・ランカスターは、顔を引くつかせながらそう言った。

 

 

 パリ市内が劣勢とはいえ、ジョン・オブ・ランカスターは百人ほどの護衛をつかせていた。高い金を払って魔術師も雇っていた。

 

 なのに。

目の前の男は……それをすべて切り捨てたのだろう。

 

 

 体の半身は焼けただれたのか焦げたのか見分けがつかぬほどおぞましく、鎧には無数の矢や短剣、折れた槍のたぐいが突き刺さっている。

 

 満身創痍だろう。

なのに、男はジョン・オブ・ランカスターへと近付いている。

 

 

「……イングランド王家を殺すつもりか?」

 

「……」

 

「フランスは、そこまで本気を出しているというのか?」

 

「……」

 立ち止まる。

修羅の如き騎士は、殺した兵士から奪ったのであろう剣をジョン・オブ・ランカスターへと向ける。

 

 

「―――これが、姫の願いとあらば」

 

「カビ臭い騎士道物語を信じた大うつけか?ふざけおって……殺してくれる」

 総指揮官であり王族は、鞘から刀身が半分折れた見た目の直剣を抜く。

 

 

「国王陛下より賜りしこのカーテナで、勝利をもぎ取ってみせよう」

 

「……」

 騎士……ドン・キホーテは喋らぬ。

ただ、手負いの獣の如く剣を向け。

 

 

「来い、獣ぉ!!!」

 

 

 

 

 

 

 剣が交差する。

光の刃が、ドン・キホーテの頬を貫く。

 

 しかし、ドン・キホーテはその刃を掴み刃の進みを止める。ジリジリと、焼け切れる音が響いた。

 

「な、んだと」

 

「騎士は……最後まで諦めぬ」

 そして光の刃を引き抜き、ジョン・オブ・ランカスターを蹴り飛ばし……名もなき剣でその心臓をうがった。

 

 

「ゴガッ!?」

 

 剣が刃こぼれで二度目は刺さらない。

そしてドン・キホーテはジョン・オブ・ランカスターからカーテナを奪い取り……心臓へと再び剣を突き刺す。

 

「うぐぉ!?」

 

「これで……終わりだ」

 最後の一突き。

それが……誇り高き王家の一門の命をただの名も無き騎士が奪い取ることとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あぁ、ジャンヌ」

 

「アロンソ、なんで……あなたはっ!」

 

 不屈の英雄は、亡骸に剣を突きたてたまま生き残っていた。

 

 

 だが、その息はもう長くはない。

その体を見れば、一目瞭然であった。

 

 

「見てください……勝利を勝ち取りました。あなたの……ために……ガハッ」

 腐り黒く濁り焦げた血液がドン・キホーテの口から溢れる。

 

 

「もう……いいですから。だから、喋らないで、ください」

 

「ジャンヌ、あなたは勝利の乙女です……これで……」

 

 ポタ、ポタと涙が溢れる。

聖女が、泣いていた。

 

 

 砲撃音と悲鳴と剣戟の音が未だに響く。

教会の鐘が、その振動でゴーンと鳴る。

 

 

「私は……私は」

 勝利のために。

勝利のために、ドン・キホーテ卿は死に絶える。

 

 

「ドルシネア……姫」

 

「……はい、アロンソ。いえ、ドン・キホーテ」

 最後の声が、溢れる。

ジャンヌはその言葉に、静かに返した。

 

 

「忠義……果たしました」

 

「―――大義でした、ドン・キホーテ。私は、あなたのおかげで……ほん、とうに……本当に、幸せでした」

 

「ぁあ……もったいなき……お言葉です」

 ドン・キホーテ卿の口からは血がとめどなく流れる。

ボタボタと、ダラダラと、長く、濃く、死の香りが訪れてくる。

 

 

 

「私も……幸せでした。ジャンヌ」

 ニッコリと、ドン・キホーテ卿……否。

アロンソが微笑む。

 

 

 ほのかに、重みが軽くなった。

アロンソからは声が響かぬ。

 

 

 

 

 

 

「……アロンソ、私は、私は―――」

 

 

 

 

 

 あなたのことを、愛していました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フランス王国は、凄惨で恐ろしきパリ攻囲戦にてイングランド軍へと大勝を果たす。

 

 

 

 敵総司令官ジョン・オブ・ランカスターの戦死、カーテナの焼失、イングランド軍の大半の撃滅、パリや大半のイングランド占領地の陥落。

 

 

 

 これによりイングランドはフランス王国との講和を模索するようになるが、この大敗によりイングランドは激しい内乱の嵐へと巻き込まれる。

 

 

 

 本来は訪れないはずだった早期での薔薇戦争の勃発により、イングランド軍はノルマンディーなどの旧領も失い……フランス王国は事実上の勝利を勝ち取った。

 

 

 

 

 

 

 そして、聖女ジャンヌ・ダルクはパリにて姿を消した。

戦死した、炎により殉死した、失踪した、あらゆる声があるが……少なくとも、彼女は即刻聖人となることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「サンチョ」

 

「はい、旦那様」

 

「私は騎士になれたか?」

 

「ええ、そりゃもう。素晴らしい益荒男でした」

 

「そうか……私は、騎士になれたか」

 

「だけどね、旦那様。あんたはまだ……残してることがあるはずだ」

 

「?」

 

「そんな大業を成し遂げて、人並みの幸せを得られないんじゃあんまりでしょう?」

 

「円卓の騎士でさえも戦の中で死んだ。私にはもったいないさ」

 

「旦那様、あんたは古い英雄じゃない。後追いはしないでくだせぇ」

 

 

 

 

 

 

 運命は従うものではなく自分で掴み取るもの。

あんたは、自分でそう示したでしょう?

 

 

 



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第一次聖杯戦争編
Fate/Grand Zero


「……ここは?」

 

 ある寂れたマンションの一室。

そこで彼は目覚めた。

 

 

 短く切り揃えられた黒髪、僅かに褐色の肌。

そして―――自らの口から発せられる聞いたことのない言語(日本語)

 

 

 

「私は、確かにフランスで戦死したはずで……」

 ズキン。

一瞬の頭痛が男の意識を遮る。……記憶が、混濁してあまり思い出せない。

 

 

 

「ここは、どこなのだ?」

 ふと、手元にあった板……記憶のない記憶が、携帯電話と知らせるそれを彼は開く。

 

 

 2004/11/01。

男の記憶している時から……約500年後。

 

 

 

 だが、男は不思議と落ち着いていた。

否、男の中の知らない記憶が男を落ち着かせていたのだ。

 

 

「俺は、一体―――どうしたというんだ。俺は誰なんだ」

 無理やり落ち着かせられる感覚。

だが、男はただひとつ―――無理矢理に押し付けられた自らの名前を呟く。

 

 

「木波野。キハノ。……それが今、俺の唯一覚えている、俺の名」

 

 

 男……キハノは静かに自分の手を見つめる。

無垢な手のはずなのに―――キハノには薄汚れ……焦げた血に染まっているように見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……フユキ、それがこの街の名前、か」

 キハノは歩む。

天を衝くかのような見た目の高層ビル街、そんな場所にこころなしか辟易しながらも。そして、あるビルの看板に書かれていた《冬木商事》という字を見てそう呟く。

 

 

 

 

 人の波。

キハノの記憶していた頃……あの頃のフランスの街とは大違いの人の数だ。といっても、彼の脳にある記憶は所々が穴抜けていて正しい記憶とは言えない。だが、その記憶は確かと言えた。

 

 

 

「……食事でもするか」

 そんな、やけにあべこべなことを呟きながら財布の中身を見る。一万円札が20枚にあとは小銭がいくつか……一ヶ月生きるには十分だろう。

 

 

 

 

 

 

  

 外国から出店されたファストフード店。

そこでハンバーガーを食べたキハノは街を歩いていた。

 

 

 あてもなく歩いているせいで空は夕焼けに染まり、人の波もまばらになっている。

 

 

 キハノはただ、足を進める。

遠くへ、遠くへ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふと気づけば、港湾に着いていた。

貨物船が行き交い、大きなクレーンの立ち並ぶ場所だ。

 

 

 

「海の色は、変わらんのだな。いつの時代も」

 すっかり変わった夜の風景を見て、キハノはそう言葉を吐く。だが、刹那に音が響く。

 

 

 

 

 

 閑静な場所とは大違いの派手な爆発。

キハノは咄嗟にそれを避ける。

 

 

 

 

「クソッ、一体何なんだ!?」

 

 唐突の死の誘いに悪態を吐くキハノ。

そう……彼は知らず識らずの間に《戦場》へとまよい込んでいたのだ、

 

 

 

 

 

「……私の攻撃を避けただと?」

 遠く。

港湾どころか、そこから更に離れた建築物より狙撃のための矢を放った男は驚愕していた。

 

 

 

「アーチャー、まさか狙撃に失敗したのか?」

 

「―――マスター、先日見せてくれたマスター名簿……あれに漏れはあったか?」

 

「……アーチャー、何が言いたい。お前は遠坂の諜報力を指摘しているのか?」

 

「いや、そういうわけではないのだがね」

 

 

「どちらにせよ、今日は霊体化して私を守るために隠れ潜んでおけ。次は失敗するなよ、私はただでさえ本命が召喚できず無名のサーヴァントを召喚して気分が悪いのだからな」

 

 赤い服に白い髪の異質な男……アーチャーはマスターである貴族然とした顎髭の男にそう言われ……立ち去られる。

 

 

 

 

「………まさか、一般人か?だが、あの魔力はどうみても―――」

 



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第一次聖杯戦争

数週間前、冬木

 

「アインツベルンによる初の聖杯戦争……マキリ、遠坂はあくまで投資者。となると、アイリ、このデスゲームでは僕達に都合の良いカバーストーリーが用意されているのかい?」

 

「いいえ、工作などしようものなら誰も参加しないから。あくまでも私達は参加者にすぎないわ。切嗣」

 

 

 リゾートホテルの一室。

無気力な……しかし冷たい殺意の宿った30代ほどの男と、それに寄り添う白髪に儚げな姿の女。互いに切嗣、アイリと呼び合う仲であることから、おそらく恋仲なのだろう。

 

 

「そうか……」

 

「ねぇ、切嗣。これが終わったらイリヤを――」

 

「あぁ、わかってるさ。その為に来たんだ、そのために……この戦いにわざわざ参加したんだ。だから、言わないでくれ。もう、痛いくらいにわかってる」

 

 悲痛な表情を見せる切嗣。

それに対してアイリは儚げに微笑み。

 

 

「……それより、僕達が召喚するための道具は揃っているのかい?」

 

「っ!そ、そうよね。うん、大丈夫。ちゃんと準備してるわ」

 

 そこでアイリがベッドの下から重々しいスーツケースのようなものを取り出す。ガチャリと南京錠のように見える特殊な魔術式の組み込まれた錠を解錠すれば、そこには蒼と金色の装飾が入り混じった神秘的な鞘が鎮座していた。

 

 

 

「やけに物々しいな……これは一体?どんな英雄さんが呼ばれると言うんだい」

 

「実はこれはね……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2004/11/01、深夜11時、アニムスフィア別荘

 

 

 

「……マリスビリー、ボクはいつ動けばいいんだろう?君が指示すれば、すぐにでも戦うことができるというのに」

 

 

 

「平和が不服かね、キャスター」

 

 

「そういうわけじゃないさ。ボクに意志はない、だから君の好きにすればいい。だけれど、君は博愛主義者ではないリアリストだろう?わざわざ出揃うことを待つ理由はあるのかい」

 

 

「ハハハ、いやなに。私も最初はそうしようと思ったのだが―――」

 マリスビリーは執務室の窓の外に広がる摩天楼を見る。

輝かしいネオンの光、それがやけにけばけばしくも華々しい。

 

 

「私が気づくということは、君も気付いているんだろう。わざわざ聞くとは、私を試したのかな?」

 

 

「……さぁ、どうだろうか。ボクはただの写身のようなもの、意志はない者に試すだなんて高尚なことができるとは思えないだろう?」

 

 

「フッ、意思がない……か。私もそのように生きたかったものだよ」

 

 

「そうか、なら僕は君のように生きたかったよ。人並みに、意思を持って」

 

 

「だからこその聖杯戦争だろう。ギブアンドテイク、互いにビジネスパートナーだ……願いを叶えるための、な」

 

 マリスビリーはくるくると万年筆を指先で回す。

星の彫刻の施された万年筆、その彫刻に流し込まれた銀が月光に照らされて輝く。

 

 

 

「マリスビリー、ならば君は意志のない願いをするつもりなのかい」

 

 

 一拍、二拍。

静かに時間を置いて……マリスビリーは万年筆を握り折った。

  

 

「まさか。そうするには既に年を取りすぎている」

 



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キハノ、遭遇する

大変遅れました。基本的には登場人物はZero準拠となりますが、前々話等でも示されたようにサーヴァントに関しては一部を除いて非zeroとなります。ご了承くださいませ


(フム、儂が囮になって引き寄せたものをあちらが片付ける……ということだったが――)と、赤い中華服に丸いサングラスを掛けた筋骨隆々の武人のような雰囲気を醸し出す老人……アサシンは、えぐれた地面を驚き見る青年を見てそのように内心で呟く。

 

 

 

 

呵々(かか)、マスターよ。この場には敵のマスター以外は来ぬと聞いていたが?」

 

「私もそう聞いていた……が、ネズミは入るものらしい」

 

 黒髪に漆黒のキャソックを身に纏った男。

言峰綺礼はアサシンの言葉に対してそう短く返事をする。その表情と目はひどく空虚だ。

 

 

(運の悪い男だ。ここに入りさえしなければ良かったものを)

 

 言峰綺礼は敬虔な信徒である。

教会に従い、聖なる神を崇敬し、その名のもとに幾人もの道に反した魔術師を粛清してきた。

 

 

 そして、此度の聖杯戦争は父である璃正の願いもあってか魔術の師で父の友人である"魔術師"の遠坂時臣と共謀して彼による聖杯戦争の勝利を助けるために聖杯戦争へ出向いた。

 

 

 

 本来は聖杯戦争の裁定者として過度の混乱や秩序の乱れを抑制する聖堂教会の一員であれど、役目としてはただ単なるマスターの一人。

 

 

 

 一般に聖杯戦争を見たものは消されるか、もしくは無力化されて状態で中立地帯に連れ込まれ魔術協会謹製の記憶処理薬を飲ませられる。もっとも、記憶処理薬自体も完璧なものではなく危険なものではあるのだが―――。

 

 

 

「……アサシン、一瞬で片付けろ。私は父上に一報を入れる」

 

「おうよ、承知した」

 

 

 

(先程のアーチャーによる精密射撃……誤射としてもサーヴァントによる射撃はまず普通の人間相手ならば百発百中。万一の可能性を考慮しても、危うきは封じるべきだろう)

 

 

 言峰綺礼は、空虚だが用意周到な男である。

数年前に妻が他界して以来、一つの個性であり性格であったそれは更に頭角を現し――聖堂教会でも指折りの一人となった。

 

 

 それ故、目の前の男を排除することを決めたのだ。 

不確定要素は取り除き……自らの任務を果たすべく。

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 キハノは、連続で起こる一大事に驚いていた。

横に激しく地面を抉る弾が来たと思えば、今度は赤い服を身に纏った黒眼鏡の老人が近づいてきたのだ。

 

 

 だが、そこにあるのは明らかな殺気。

隠そうともしないそれに、キハノは息を呑む。

 

 

 反撃のしようなどは、ない。

キハノには武器もなく、あるのは日銭のみ。しかも経験上として目の前の老夫は明らかな武芸者であった。

 

 

 これがもしも■■■■■■ならば、反撃の機会はあったのかもしれない。だが――今はそんなものなどあるはずもない。

 

  

 そう、キハノにできることといえば。 

ただ、その老夫の一撃が来るのを待ち。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 悲鳴をあげず、倒れることのみ。

キハノの頸部に強く一点への衝撃が走り……一瞬のうちにその命が刈り取られる。

 

 

 

 哀れか、悲しみか。

キハノの短い一生はここにて終幕を遂げたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 などというのは、普通の人間にしか言えぬ表現だろう。

いつの時代にも英雄はいた。人々を率い、奮い立たせ、歴史を変えてきた幾人もの英雄。

 

 

 凡百とも呼ばれる者たちもいた。

歴史に名を深く刻み残し、唯一と呼ばれる者たちもいた。

 

 

 

 男は、唯一ではないのかもしれぬ。

歴史には残されなかった故、凡百の一部に過ぎないのかもしれぬ。

 

 

 

 

 だが、それでも。

キハノは―――否、その心のなかにある■■■■■■は。

 

 

 

 

 

「おおぅッ!?呵呵呵呵呵(かかかかか)!ハハハ、なるほどなぁ!おぬし、ものの見事に儂の拳を……ずらしたか(・・・・・)!」

 

 

 サーヴァント。

それは一時の幻想が生み出した強大な人理の影法師。

 

  

 ありとあらゆるものを超え、ありとあらゆるものを超越する莫大な力を持つ。

 

 

 だが、殊の外。 

人というものは―――とことん、想定外へ赴くものである。

 

     

 

 

 焼きごてを押し付け擦られたかのような跡を首に走らせ、苦悶の表情を浮かべながら後ろへ飛び退くキハノ。

 

 

 

 

 意識は朦朧、目はかすみ、喉からは血の味がするほど致命傷である。だが、死んでは居ない。キハノは……生きていた。

 

 

 

 

「アサシン、どういう事だ。その程度仕留めきれないのか?」

 

 

「呵々、マスター。軽くくびり殺そうとした小鼠が……毒蛇だったということよ」

 

 

「なに?そのような情報は、どこにも―――」

 

 

 その時だった。

キハノの手に、つんざくような激痛と共に赤色の刻印が刻まれたのは。

 

 

 

「っつ!?」

 

 

 

「……成程。マスター候補だったというわけか」

 一旦アサシンをその場にとどめ、言峰が前へ歩み出す。

キハノは死へ一歩手前の状態のせいで、ひどく狼狽する心を無理やり抑え、その声をなんとか聞き取った。

 

 

 

 

 

「なら―――」

 だが、その次の言葉が紡がれる前に。

キハノは後ろめがけて脱兎のごとく逃げ始めた!

 

 

 

 

 

 

 

「容赦をする必要は、ないな……と、逃げたか」

 

 

「クハハハハ!すぐに追いつけるだろうよ! しかし、儂の拳をずらせるやつが貴様以外にいるとはなァ――存外、現代とやらも面白い」

 

 

 

 月光が、海を走っていた。

ただ一人、瀕死の男を照らして。

 

 



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夜の森の逃避行、そして―――

「ぐっ、う!!」

 キハノはひたすら逃げる。

港から外れた小さな森の中を突っ切ろうと、ひたすら足を動かす。

 

 

 

「逃げてみよ!儂の拳を避けられるものならばな!」

 

 だが、その都度に木がへし折られていく。

アサシンの一撃は重く、そして確実にキハノの命を狙っていた。

 

 

 

「なんで、なんで俺がこんなことに!」

 

 キハノの言葉はそのとおりだった。

彼からしてみれば、街を歩く中で港に偶然たどり着いたら訳のわからぬ二人組に殺されかけている―――しかも絶賛逃走中だ。

 

 

 

 キハノは強くはない。

いや、正確にはそうではないのだが―――兎角、サーヴァントに立ち向かえるほどの力量は現在持っていなかった。

 

 

 

 

 

 

「この男、聖杯戦争を知らないのか?」

 

 キハノの言葉を耳に入れた言峰が疑問符を頭に浮かべる。

その左手には3本の刺突に特化した黒い短剣……黒鍵が握られており、並び立つ木の間をジグザクに走るキハノに対して照準を定めていた。

 

 

 

 

 

 

 

「ハァッ、ハァッ、ハァッ、げほっ、げほっ」

 

 十数分ほどだろうか?過度のストレスと激しい運動にキハノの肺はボロボロになっていた。気管支には血の味をする唾が上り、激しく呼吸したせいで喉奥は真っ赤に腫れ上がった。

 

 

 

 

 

「む。そろそろ、か」

 しゅたり、とキハノの前に回り込むアサシン。

言峰はそれを見て一言呟けば、走る足の速度を緩め、ゆっくりとキハノの首裏……脊椎を狙う。

 

 

 

 

 

「カカカ、楽しかったぞ、小僧。もっとも、今の貴様は力量不足以外の何物でもないが……流石にもう一度儂の一撃をそらすことはできんだろう?」

 

 

 

「……ぜぇ、ぜぇ」

 

 

「フム、返事もできぬ……か。まぁいい、直に―――」

 

 

「待て、アサシン」

 とどめを刺そうとしたアサシンを止める言峰。

それを怪訝そうな表情でアサシンは言峰を見た。

 

 

「なぜだ、マスター。殺せという命令のはずだが?」

 

 

「その男に少し話を聞きたい」

 そういって言峰はその場にしゃがみこんだキハノを見下ろし近づく。見た目は単なる一般人、右手にはフランス王家の国章であるフルール・ド・リスに酷似した令呪の赤い幾何学模様が刻まれている。

 

 

 

 

「貴公、この場が何か知らなかったのか?」

 

 

「けほっ、けほっ、知らないも何も……あなたたちは一体何者なんだ」

 

 

「ふむ、本当に知らない――か」

 言峰の脳裏でどうすべきか脳細胞が演算する。

ただの一般人なら右手を切り落とし、そのまま令呪だけ放棄させて聖杯戦争から脱退させればいい。だが、すでに言い訳できぬほどに聖杯戦争の濃い部分を見せつけてしまった……1個人に。

 

 

 

 再度、決定事項を提唱する言峰。

その一言は、とても冷酷なものだ。

 

 

「アサシン、この男は私が仕留める。その方が父上も納得されるだろう」

 

 

「おうよ、どのように殺すか見させてもらおうじゃねぇか」

 

  

 言峰の黒鍵がキハノの首めがけて飛ばされる。

完全なる死の剣が、風を切ってキハノの喉を切り裂かんと向かっていく。

 

 

 

 

 

(なんで、俺が、俺だけが。俺は……俺はなんで!)

 

 すべてがスローモーションに見える。

死の寸前というやつだろう。キハノは心臓が締め付けられる感覚に襲われる。

 

 

 

 

 だが、その時だった。

キハノの脳……否、かつての■■が、こう囁いた。

 

 

(願え、騎士を。今の弱き自らを守る、騎士を願え)

 

 

 

素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。

降り立つ風には壁を。

 

 

四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ。

 

 

(な、なんだ……この言葉は――聞き覚えがない)

 

 

 

閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)

 

繰り返すつどに五度。

 

ただ、満たされる(とき)を破却する

 

 

 

(所詮、たまたま選ばれた常人だったか……)

 言峰が虚無の目でキハノを見下ろす。

黒鍵は喉元まで迫っていた。

 

 

 

―――告げる。

 

汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。

 

聖杯の寄るべに従い、この意、この理ことわりに従うならば応えよ。

 

 

 

(……にたく、ない!死にたくない、俺は、まだ!)

 

 

誓いを此処に。

 

我は常世総ての善と成る者

 

我は常世総ての悪を敷しく者。

 

 

 

 

 黒鍵の剣先が喉に触れる。

あと一寸で、キハノは確実に死ぬ。

 

 

 

 だが、最後の一言をキハノは断末魔のように叫ぶ。

ただ1つ、生きたいがために。

 

 

 

「汝、三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!!!」

 

 

 

 

 

「む!?マスター、避けろ!!」

 

 アサシンが目を開き言峰に声一杯の警告をする。

明らかな魔力反応、否。膨大な魔力が森を覆う。

 

 

 頑丈に作られた黒鍵がその魔力反応に耐えられず、瓦解する。

 

 

 とてつもない熱気が森を覆う。

土を焼き、幹を焦がし、空を照らす。

 

 

 

「馬鹿な……この男にそのような魔力はッ」

 

 

 

 

 風が巻き起こる。

木が切り裂かれる。言峰の頑丈な衣がその風でことごとくほつれていく。

 

 

 

 

 

 

 

「サーヴァント、ランサー」

 凛とした、鋭く……しかし明朗な女の声が響く。

光と風の奥から、たった一人の……蒼い鎧を身に纏った純白の長髪をたなびかせる少女が現れる。

 

 

 

 

 キハノは気絶していた。

当然である。本来為すべき儀式もせず、触媒も持たず、たった1つの意思と自らの素質で呼び出したのだ。人理の影法師を……それも《本来召喚されるべきではない、抹消された存在》を。

 

 

 

 

「妖精騎士ランスロット、召喚に応じ参上した」

 

 

 

 湖の騎士。

その目に鎧と同じ色の仮面を被った少女は、ただそう告げる。

 

 

 

 

 アサシンは顔を強張らせる。

聖杯の知識には、このような存在……否、霊基は確認できない。

 

 

 

 明らかに、異常事態だった。

だが、アサシンは不思議と笑みがこぼれた。

 

 

「こやつ……強者か!!」 

 

 

 

「ランスロットだと……しかもランサー。三騎士のうちの一柱が召喚されていないのは聞いていた。だが、このような少女が。しかも、自分から真名を名乗るなど」

 

 

 

 異常である。

召喚され、その場で自らの真名を名乗る。そのような事態はあってはならない。しかも儀式もせずにこのような強力なサーヴァントが召喚された―――そんなこと、あってはならない。

 

 

 

「――この人が僕のマスターなんだ」

 妖精騎士ランスロット……そう名乗った少女(ランスロット)は自身の足元で横たわり失神するキハノを一瞥する。

 

 

 

「なぜここに呼ばれたのかは分からないし、いまいち状況も飲み込めてはいないんだ。だけれど」

 

 

 

 ランスロットの仮面の奥に潜む眼光が、アサシンと言峰を見る。

 

 

 

 

「キミたちが僕とマスターの敵ということだけは分かる」

 

 

「くく……くく、くく……くはははははははは!!!! 滾る滾る!! 血が!! 肉が!! やはり武とは生き死にあってのもの!」

 

 

 

 アサシンが声を上げた。

それをランスロットはただ見るのみ。

 

 

「良いではないか、なァ……湖の騎士よォ!!」

 

 

 

 アサシンがランスロットに飛びかかる。

その一撃は確実に霊基を……サーヴァントの心臓を狙ったもの。

 

 

 

 

 

 だが、ランスロットはそれを避けもせずに――両の篭手の表に取りつけられた剣の鞘で防いだ。

 

 

 

 

 

(やはりこやつ……相当の強者だな。しかも明らかに異常な魔力反応―――まともにやり合えば、確実に儂が不利か!)

 

 

 

 

 

「ねぇ、ひとつ聞いてもいいかな?」

 ギチギチと、鞘と拳が激しい音を立てながらせめぎ合う。

異常な魔力反応が尚も続いていた。

 

 

 

 

 

「おう、聞いてみるがいい!!」

 

 

 

 

「―――それ、本気?」



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湖の女騎士現る

「なに……ッ!」

 

 その刹那、アサシンが思い切り蹴り飛ばされる。

まるで竜にでも吹き飛ばされたかのような重い一撃に、さしものアサシンも苦痛の表情を隠せない。

 

 

(受け身を取ろうにも、一撃が重すぎる。これが三騎士――いや、さすが湖の騎士といったところか)

 

 

 ランスロット。

アーサー王伝説でもっとも高潔かつ最強の騎士であり、同時に円卓崩壊を齎した不義の騎士。

 

 

 

 アサシンの眼に映る目の前の少女が本当にランスロットなのかはさだかではない。だが、たしかにその実力は伝承通りかそれ以上と言われても仕方がないほど。

 

 

 

「ゲホッ、ゲホッ……くく、クカカカカ!!あぁ、そうよ――これが儂の本気。本気の拳!」

 

 

 

「やめろ、アサシン。撤退だ、遠坂氏のためにもこれ以上は――」

 

 

 

「しゃらくさいぞ、言峰!命の削り合いに……余計な言葉など必要無し!!」

 

 

 

「ふぅん」

 ランスロットはその血気盛んな表情と殺意に満ちた空気に物怖じすることなく、ただその両手の篭手剣……アロンダイトを静かに構える。

 

 

 

 

「敵が多いんだね、マスターは。……じゃあ、瞬きの間に終わらせてあげるから――私に任せてゆっくりと眠っていて」

 

 

 

 

「大きく出たな、小娘!!!」

 

 

「五月蝿いよ、おじいさん」

 

 

 アサシンの打突、蹴撃、体術……ありとあらゆる古今東西の武芸を組み合わせた攻撃が激しい音を立ててランスロットを襲う。

 

  

 だが常人なら対応できないその攻撃に対し、一つ一つをランスロットは流麗に受け流し、それどころかコンマも満たされない僅かな隙を突いては小攻撃を繰り返す。

 

 

 

 

「ぬぅっ!はぁ!」

 

 

「ふっ!はっ!てぇっ!」

 

 

 そして、アサシンの鉄脚とアロンダイトが重なり合う。

衝撃波があたりの木々を一気になぎ倒した。

 

 

 

 

 

(令呪を使うべきか。気絶した男を狙うのも手の一つだが……あのサーヴァントの力量からしてそれを狙うのは酷く難しい)

 

 

 言峰はキハノの命を取ろうと画策するが、自身の武人としての勘からそれは危険だと判断する。戦闘ではあえて隙を見せて、相手が引っかかった途端に取り返しのつかないような強撃を繰り出すのはテンプレートといってもいい。

 

 

 

(もうしばらく様子見をすべきか。それとも宝具を使用してあのサーヴァントを倒すべきか……いや――)

 

 言峰は激しく打ち合う化け物たちの戦闘を見て、アサシンの宝具を許可すべきか迷う。しかしそれは思考から捨てた。

 

 

 

 もとより言峰の役目は聖杯戦争で勝つことではなく、遠坂時臣を勝たせるべく補助をして努めること。ここであまり前に出すぎるのは危険であり、しかもアサシンとランサーではカテゴリーからして勝ち目がないことを一瞬にして叩き出す。

 

 

 

 

「令呪を持って命ずる、アサシン……撤退せよ!!」

 

「ぬぅっ、言峰、貴様……呵々(かか)、まぁ確かに頃合いか」

 

 

 アサシンは一瞬殺気のこもった目で言峰を一瞥したが、すぐさま状況を理解して後ろへと立ち退く。

 

 

 

「面白かったぞ、ランスロット……いやランサー。願わくば次で決着をつけたいものだ」

 

 

「ボクはマスターを守るだけ。そのためだけに召喚された―――できれば来てほしくないものだけど?」

 

 

「くはは、そうはいかんのよ。強者を見ては……血の気が収まらんのでな」

 

 

 そういって令呪の力を借りて高速で立ち去ろうとするアサシン。

だが―――ランスロットは追撃する構えを見せた。

 

 

(その心意義は良いが、果たして届くかよ)

   

 

 

 だが、アサシンの心境とは裏腹に。

ランスロットの追撃は『過剰』極まりなかった。

 

 

 

「『真名──偽装展開、清廉たる湖面、月光を返す。──沈め、【今は知らず、無垢なる湖光(イノセンス・アロンダイト)】!!」

 

 

「なぬゥっ!」

 

 

 次の刹那。

アサシンの腹部が黄金の刃に貫かれる。

 

 

 

 

 

 

「ぐっ、おぉ、おぉぉぉ!?」

 

 

 とてつもなく強力な一撃。

そして一瞬で引き抜かれ―――魔力の残滓が血色となって傷口から噴き出す。

 

 

 

「令呪を持って命ずる、アサシン。いますぐ本拠地へ帰還せよ!」

 

 

 遠目でそれを見ていた言峰は急ぎアサシンをテレポートさせるかのようにして帰還させ、自らも逃げ帰るようにして走る。

 

 

 

(迂闊だった。まさか追ってこないものという甘い考えに至った……あそこで、宝具を放つとは)

 

 しかし、想定できたことである。

だが、言峰の思考の穴が今回の事態を引き起こしたのだ。

 

 

 

(アサシンの霊基はおそらく半壊……遠坂氏にも修復は困難だろう。それに、あの女騎士は危険だ――即刻報告しなければ)

 

 

 

 

 

 

 

 

「一人で、何を話しているの?」

 

 ゾクリ、と言峰の眼前から声が響く。

眉目秀麗な少女である。宗教画に出てくる女神の如き美しさだ。仮面に隠された瞳も、さぞや美麗なのだろう。

 

 

 だが、その鎧に先程アサシンを貫いた刃……それは言峰にとって【畏怖】するに十分な代物だった。

 

 

「――なぜ気づいた、気配は消していたはずだが?」

 

 

「匂いは消せてないよ。そのむせ返るような血の匂いと、饐えた獣みたいな匂い。ボクはちょっと嫌いかな?」

 

 

 化け物め。

そう内心で呟きながら、言峰はアサシンを撤退させたことをしばし後悔する。だが……言峰自身、死を恐れているわけではない。妻をなくしたあの日から、言峰と死は常に隣り合わせだった。

 

 

 

 

 

 されど。

されど目の前にいるのは――あまりにも恐ろしく、あまりにも強く、あまりにも桁違いな【影法師(サーヴァント)の中でも最高峰の一人】とも言える存在。

 

 

 

 アサシン、【李書文】はサーヴァントの中でもトップクラスに強力である。若き日の姿ではないにしろ、その戦闘力は下手なセイバーを打ち倒せるほどにある。

 

 

 しかし。

しかし……それとはまた違うベクトルの存在。

 

 

 

「……どうした、早く殺さないのか?貴様なら私の心の臓など今すぐに貫けるだろう」

 

 

 

 

「そうしたいのは山々なんだけど、マスターは多分それを望んでないだろうから」

 

 

 

 

「召喚されたばかりのサーヴァントが何を言う。まだあの男の人となりも分かっていないだろうに」

 

 

 

 

「……過ごした時間だけ、人が理解できる――というわけではないと思うけれど?」

 

 

 

 ふと見れば、ランサーの脇には男……キハノが抱き抱えられていた。相当の忠誠心である――誰にもこうでこの才能なら、引く手あまたなサーヴァントであることには違いない。

 

 

 

「……何が目的だ。私に何を求めている」

 

 

 

「マスターとボクには一切の手を出さないということ。まずはただそれだけを確約してほしい」

 

 

 

「……ここで、それを了承したとして。私が裏切ったらどうするんだ?お前のようなサーヴァントは様々な連中から狙われるはずだ」

 

 最もな一言を返す言峰。

しかし、それに対してランスロットはただ表情をピクリとも動かさずに静かにそれに応じる言葉を告げる。

 

 

 

「そうなったら、ここ……いや、この世界を焼き尽くそうか?二度と再起できないように、すべて――終焉の炎で」

 

 

 

 

 言峰にとって普通なら聞き捨てていた言葉。

だが、その言葉は人の言葉でありながら人の言葉ではない――明らかな、冷徹で、鈍く輝く刃のようで、恐ろしく、本当に終焉をもたらしてやろうという意味がこもっているようだった。

 

 

 

「く、くく。そのマスターがそれを望むのか?人の子だろう?それは」

 

 

 だが、言峰はなんとか動じずに問答を続ける。

それに対して、ランスロットが告げた言葉はあまりにも――異常だった。

 

 

 

「確かに、そうかもしれないね。でも、それくらいしないと人というのは理解できないほどに愚かでしょう?」

 

 

 

「……」

 そして。

言峰が告げた答えは―――



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キハノは夢を見る

「■■■■!あなたは私にとって自慢の騎士です、だから…

…絶対に離れては駄目ですよ」

 

 

 顔に黒いもやがかかっている。

誰だ?あなたは……誰だ。俺が知っている人間なのか?

 

 

 

 すると突然反転。あり得ないはずなのに、見覚えのある風景が――。数百年前のフランスの町並みが懐かしさと共に心へなだれ込んできた

 

 

 

 

 

 

 

「■■■■、お前は俺の自慢の息子だ。だから絶対に死ぬなよ」

 

 

 

 

 あなたも、誰だ。

俺の何なんだ。俺は一体、誰なんだ?

 

 

 

 

 

 牧歌的な風景と共にそうやって■■■■と顔にモヤのかかった人間たちが俺を呼んでくる。見知らないはずなのに、見覚えのないはずなのに、なぜこれほどまで懐かしい。

 

 

 

 

 

 

「私のライバル、■■■■■■よ!ともに聖女を守る騎士として死ぬときは常に同じでないとな?」

 

 

 

 

「■■■■■■隊長!俺たちはアンタについてくぜ。ただの農民の次男坊だって志次第で騎士になれる、アンタは俺たちにそう示してくれたじゃねぇか」

 

 

 

 

 今度は、城の中庭のような場所で鎧姿の男たちが俺を呼ぶ。相変わらず顔は見えない……だが、どこか心が燃え上がるような感覚に襲われる。 見覚えのないはずなのに、こんなこと、見覚えないはずなんだ。

 

 

 

 

 

「……■■■■、私は、私は―――」

 

 

 

 また情景が変わる。

燃える教会……血の匂い、ありとあらゆるものが燃える匂い、そして濃厚な死の匂いが充満している。

 

 

 

 

 だというのに―――そことは似つかわしくないほどに美しい純白のサーコートと鎧を纏い、俺をモヤのかかった顔で見つめる女。 誰なんだ……あんたを、俺は知らないはずなのに。

 

 

 

 

 

 黒いモヤから、ぽたりと水が落ちた。

あぁ、これは水じゃない。涙か。

 

 

 

「私は、あなたのことをッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 また、風景が変わった。

今度は、真っ黒に焦げた教会跡。 煙で作られた偽物の曇天は晴れて、きれいな夕雲が黄昏の空を泳いでいる。

 

 

 

 

 

「わぁ!ほんとにいた!すごいなぁ、ワインを被ったみたいに血だらけで、傷からはプディングみたいな内臓がちょこっと見えちゃってる!ジルもこの子がこんな分かりやすいとこにいるなら教えてくれたら良かったのにぃ!」

 

 

 

 

 声が聞こえる。

空を見上げている俺を覗き込むように見えた顔は―――嗚呼、モヤがかかっていなかった。

 

 

 

 

 硝子玉が嵌められたような無機質な瞳、青白い肌、それに白髪の少年だった。 だが、それには明らかに悍ましい雰囲気が漂い、俺はいますぐにでもぶち殺したくなる感覚に襲われた。

 

 

 

 

「わぁ、すごいなぁ。そんなになってもまだ生きてるんだ!でもでも、君もうすぐ死んじゃうよね?」

 

 

 

 どういうことだ?

お前は……何を言ってる?

 

 

「あ、そっか。今僕を見てるのは――アハハ!じゃあ成功したんだ!いやぁ、ボクって本当に天才だなぁ」

 

 

 

 無邪気な笑い声を放ちながら、ソイツは俺の頬を細指でねっとりとなぞってくる。 ぞくぞくと、寒気が走る。

 

 

 

「ねぇ、じゃあ起きちゃう前にボクの名前を覚えておいてよ。君をもう一回聖女に会えるようにしてあげる、恩人の名前だよ?よーく、聞くんだよ?」

 

 

 

 やめろ。お前の名前なんざ聞きたくない。

さっさと目覚めてやる。 だからその口を今すぐ閉じろ。

 

 

 

「ボクの名前は―――フランソワ。多分未来だとフランチェスカかもしれないけど……アハッ。なんならプレラーティって覚えてもいいよ。英雄クン」

 

 

 そして、ぐじゅり、と肉をえぐるような音が響いた瞬間。 

俺の意識は一瞬にして暗幕に閉ざされた。



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初対面の友人

遅れて申し訳ありません。色々立て込んでおりました……本家のドン・キホーテ実装は把握済みで、早々単発で当てることができました。

ご縁があったのか、はたまた別のものか。どちらにしてもこちらのドン・キホーテとサンチョはあくまでFGOのアロンソと心根は同じでも別人格のキャラとして楽しんでいただけたらと思います。


「マスター、起きた?目は……うん、大丈夫だね。この調子だと脳に異常はなさそう」

 

 月光。

青々とした光が森の中に差し込み、鎧姿でありながらもビスクドールのような見た目をした少女を照らしていた。さながら教会に飾られた宗教画のように。

 

「―――君が、呼び出されたのか」

 キハノが奥から絞り出した嗄れた声、それを聞いた少女……ランスロットは木を背に膝へ仰向けになったキハノの頭を載せたまま微笑みを浮かべる。

 

「そう……だけれど、ボクもなぜ呼び出されたのかは上手く分かっていないんだ。本来この世界は―――存在しない遠い世界のはずだから存在自体がないはず」

 

 ランスロットは血まみれになったキハノの頭を優しげになでながら、静かにそう言葉を紡ぎあげていく。

 

 

「でも、夢幻とか、泡沫とか……世界に存在するほんの一欠片の嘘。そこからボクは召喚されたんだと思ってるんだ、あまり……今のマスターにはわからないことかも知れないけど」

 

「あぁ、わからない。自分自身もうまくわからないんだ、俺は―――これが嘘の夢なのかもしれない。俺はすでに死んでいて、これは走馬灯なのかもしれない、そう思ってしまう。俺は自分が誰だかわからない」

 キハノはそう返した。

木の葉から雫が滴り落ちた。月が煌めく。

 

 

 

「なら、例えこれが偽りで嘘の夢だとしても……ボクはマスターを守り抜きたいな」

 

「助けてもらった恩はある、信用はできる。だけど、それは君に得があるのか?」

 

 キハノはランスロットの提案にそう返す。

夢が脳内を反芻していた。黄昏が、血が、十字架が、キハノの意識を濁らせていく。

 

 だからキハノは怖かった。

故に聞いたのだ。ランスロットが自らを助けようとする真意を保証したいがために。

 

 

「得……難しいな。マスターとサーヴァントだから、というのもなんだか違うし―――ボクはマスターと対等な関係でありたいからね」

 

 ランスロットはゆっくりとキハノをその見開いたチェシャ猫のような眼で優しく見据える。

 

 今のランスロットであれば簡単に殺せるほどに脆い体だ。

体は至るところが先程の襲撃や逃走時の過負荷でボロボロ、ただの人間でしかない。

 

 

 だが、ランスロットには理解できていた。

たった一つだけ。

 

(目が死んでいない。マスターの目には騎士がある。主を守るために戦う騎士の心……弱いモノは確かに嫌い、だけれどこの人は違う)

 

 ランスロットの脳裏に自らが仕えていた君主の姿がおぼろげながら浮かび上がる。あぁ、そうだ。自らは騎士なのだ、そして―――目の前のキハノもまた見失っているだけで確固たる騎士なのだと見抜いたのだ。

 

 

「なら、なぜ「マスターとは友人だから」……え?」

 

 

「マスターがボクに助けを求めて、ボクはそれに応じた。偽りの夢だろうと、それに変わりない。応じて、助けて、その時点でボクはマスターの友人」

 

「なんなんだ、その理論は……」

 

「あはは、ボクもそう思うよ。でも、友人を助けるのに理由なんていらないでしょう?―――だから守らせて、マスター」

 

 

 キハノは何かを返そうとする。

そんなすぐに友人などなれるはずもない。友人なんてものは長い期間積み上げてからようやくなれるものなのだと。

 

 だが、存在しないはずの。

"存在したはずの記憶"がキハノに呼びかけた。

 

 

『今日から―――は―――の騎士である』

 

『共に同じ主君に仕える、その時点で友人であろう』

 

 

 

「………」

 

「マスター?」

 

 

「……ありがとう」

 

 キハノは目を逸らさず、生真面目にそう言った。

ランスロットはそれを聞き、凜と笑う。

 

 

「どういたしまして、マスター」

 

 蒼い月光が雲で途切れた。

月の狂気を覆い隠すように。



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魔術王との邂逅、そして

だいぶ急展開かと思いますが、このまま続けても作者のモチベーションと展開がだらける恐れがあるので一気にFGZはクライマックスへ進みます!勿論、これからも進みながら伏線とかは回収していきたいと思うので、一年ぶりですが生温い視線で見守っていただけたらと思います!


「困ったな、これは想定外だ」

 全能のソロモン。

神の祝福を全身に受け、自らを願望機とした魔術王は目の前の騎士……あらざるものに淡々と感想を述べる。

 

 

「バーサーカーのマスター、ロード・エルメロイの死亡。ライダーとセイバーの相討ちを達成しつつ、ゆっくりと根回しして愉悦を感じるようになったコトミネがトオサカを殺め……結果的に勝利が転がり込むようにしたかったんだ」

 

「……あぁ、私も想定外だよ。まさか」

 

 

 妖精騎士ランスロット、本来有り得ぬような存在が"ライダーとセイバーの首"を持ってきたのだ。無論その場に首などあるはずもない。

 

 だが、この女の雰囲気は確実に違う。

いや、それどころか……一般人であるはずだった傍らのマスターも明らかに異貌だ。普通の容貌でありながらも、その目は只者ではない。

 

 

「言峰と約束したんだ。私とマスターが最低限度勝てるように手回しをするようにと。愉悦……は知らないけど、ボクは無事に殺すことができた。ううん、勿論これが成功したのはボクに賛成してくれたマスターのおかげだけどね」

 

顔をわずかに赤らめながらも、殺意を隠しきれていない顔でランスロットはそう言った。

 

「どこから分かっていた?」

 

「なにを?」

 マリスビリーがランスロットに問う。

分かっているはずなどなかった。ソロモンとマリスビリーの策は完璧であり、バレるはずなどないのだ。

 

 だが今回彼らは理解していた。

この聖杯戦争で、とんでもない確率……それこそ宇宙にビックバンが起こり地球が生まれ、更に地球で生命が生まれることがもう一度起こるような天文学的確率があったのだと。

 

「我々が影のフィクサーだと、どこで気づいた?」

 

「最初から。変な匂いを感じたんだ、濃い神秘の匂い―――大昔に嗅いだことのあるけど、あまり好きじゃない匂いだったから」

 

 マリスビリーは目を伏せ、溜め息を吐く。

本能的直感でバレたのだ。マリスビリーが最大限度の努力と血を滲むような計画が、あっさりと。

 

 

 セイバー(堕ちたアーサー王)ライダー(征服王)を奇襲や搦手を使ったとは言えど、死に至らしめたこの女騎士は只者ではない。

 

 少なくとも……その名前に表じられているランスロットという名前通りの人間ではない。マリスビリーは薄らと、ソロモンははっきりと気づいていた。

 

「マリスビリー、私も可能な限り……すべての宝具を使ってでも勝利したいとは思っている。だけどこの目の前のサーヴァント―――いや、正確には神霊と同等のこの存在と戦って十割勝てる保証はない」

 

 ソロモンは分析する。

相手のマスターは黙ったままだ。不気味なまでに。

 

 

「……」

 マリスビリーは絶望以前に、もはや言葉すら出せない。

当然だ、あのソロモン王がここまで言うのだ。ならばマリスビリーにとって出来ることは一つだった。

 

「そこのマスターの要求を聞こう。何を願う?大半の願いならば叶えてみせよう……金か、権力か?私には成さなければならない大義があるんだ。些細事ならばすぐにでも叶え―――」

 

「自らのサーヴァントの受肉と"私"の戸籍と最低限文化的な生活を生き抜ける金銭支援。それと」

 

「……」

 

 

「あなたの大義とやらに付き合わせてもらいたい」

 端的に目の前のマスターはそう述べた。

マリスビリーにとって、はらわたの煮えくり返る言葉の数々である。

 

 サーヴァントの受肉、戸籍と金銭支援。

あぁ、本来ならそれらも蹴り捨ててすぐにでも殺して聖杯を手に入れてやりたい。マリスビリーが異常者でも蛮人なのでもなく、こういった手合をそのままにしておけば計画にほころびがでかねないゆえになるべくサーヴァントは皆殺しにしたいのだ。

 

 

 だが、それ以前に大義に付き合いたいという言葉。

マリスビリーにとってそれは最大限の怒りでもあると同時に――――――眼の前の男を自身の駒にできる最大の利点があった。

 

 

 

「受肉は―――現状として不可能だ。まずキミのサーヴァントは著しく性能が高い、受肉するということはキミとの契約を破棄するということ。つまり……つまり、簡単に言えば世界のすべてを滅ぼしかねない」

 マリスビリーにとって、この目の前の女はソロモン王かそれ以上に恐ろしい存在である。

 

 いくらソロモン王とてサーヴァントの身。今は両者不完全なおかげで辛うじて取引材料にできるほどには太刀打ちできるが、本来このようなモノは聖杯戦争に降り立つべきではないのだから。

 

「私の計画の成果を応用していけば限定的な受肉と……いずれ永続的な受肉も行えるようになる」

 

 もっとも、マリスビリーにとっては冗談にしか思えない。

その気になれば単独顕現でもしそうなのだ。わざと人の身に窶しているのか?このマスターもそれを知らないのか、はたまた知った上なのか。

 

「聖杯は全マスターかサーヴァントを倒さなければ願いを果たすことができない。現状……残っているのは私と君だけだ。かといってキミのサーヴァントを殺さなければ聖杯戦争は終わらない―――最低でも一騎のサーヴァントを超える魔力を入れなければ」

 

 そういってマリスビリーは頭にある限りの魔術理論を構築していく。不可能に近いやり方だ。聖杯戦争は今回が初めてだが、ある程度の理論は確立されている。今やろうとしていることは規定されたシステムを改造する行為……つまりチートにほかならない。

 

「うん、たしかにボクは今のままだとサーヴァント。マスターとボクの魔力九割だとちょっと足りないね」

 

「君と私の魔力を死に消える寸前まで注いだとしても五分五分だ。ともあれど大聖杯を騙すなんで前代未聞だよ、マリスビリー」

 

 二人のサーヴァントがそう口にした。

やはり殺し合うしかないのか、マリスビリーがそうよぎった刹那。声が響く。

 

 

「聖杯へは私が行こう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キハノはこの数日間、ある程度混迷する記憶を整理して自分のことがわかっていた。

 

 まず、自らは百年戦争期の騎士であったこと。

何らかの原因で死に絶え、謎のマッドサイエンティストに無理やり蘇生させられて現代に生きているということ。

 

 

 自らがまだ何者なのかうまく分かりきってはいない。

だが、キハノの心根にはあるものがあった。

 

 それは嘘を真実として見る能力。

妄想、虚飾、虚像、仮初、嘘言。

 

 そういったたぐいのものは人であれば誰しも持つ。

だが、キハノは……その体の■■■■■■の虚実は、虚実を真実にまでしてしまえた。

 

 誰もが虚実だとあざ笑っても、その中で虚実を信じ続けた先に、それを真実にした。あぁ、本来の人にはありえぬ……だが、それでも。

 

 

 大聖杯。

既に五騎のサーヴァントが集まっているおかげなのか、魔力の奔流が激しくうずまき、そこに触れさえすれば飲み込まれてしまうだろう。

 

「……ここで君が死ねば私が優勝するだけのことだ。止めはしない」

 マリスビリーは冷たくそう言い放つ。

当然だ。どの魔術理論でも……奇跡に近い不確定事項がなければ聖杯を騙し、願望機とすることなど不可能なのだ。

 

「だが、最後に聞いていいか。名もなきマスターよ、なぜ君はそこまでして願いを叶えようとする」

 

 キハノは、立ち止まり振り返る。

その顔は微笑んでいた。

 

「自らのために手を穢させてしまった友人を見捨てるくらいなら死んだほうがマシだ。 それに―――キミの大義にも興味があるんだ」

 

「マスター、ボクも一緒に行くよ。騎士として、友人として当然だからね」

 

 

 キハノが一歩を踏み出す。

魔力の奔流が肌を焼く。だが、右手を確かにランスロットが暖かく繋いでいた。

 

「マスター、瞼を閉じて。君の成したいことだけ考えて?」

 

 

「……」

 キハノは目を……瞼を閉じる。

あぁ、そうだ。この感覚は、懐かしい。脳髄からそそり上がる髄液が体中へ巡り通り、世界自体が組み替えられる。長らく忘れていた感覚。

 

 

 

   

 

 

 キハノは………否、この名前は今でこそ無粋というべきであろう。

 

 これよりは喜劇の開演。

巨人風車と獅子に無謀にも立ち向かい、偉大なる騎士として名を残した男の物語。

 

 此度の演目は聖杯を自らの力で満たすこと。

矮小な人はおろか、大英雄でさえも成し遂げられないそれを、男は――――ドン・キホーテ卿はこれより成し遂げんとする!

 

 

 

 さぁ、進むのだ、ドン・キホーテ卿。

長き眠りは終わり、貴殿の騎士道は再び伸びんとするであろう。狂気ではなく―――自らの意思に於いて!

 

 

 

 

 にかりと笑う。

それでこそ騎士である、それでこそ勝利の騎士である!

 

 

「名もなき憂いの騎士ドン・キホーテ。これより聖杯へ向かわせていただこう!!」

 

「妖精騎士ランスロット、ささやかながらドン・キホーテ卿のエスクワイアを務めさせていただくね」

 

 

 そして、二人は聖杯の奔流へと消えていく。

嘘か真か……再び、物語は始まることであろう。




日間ランキングに乗っててびっくりしました。これも全部皆様のおかげです、ありがとうございます


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