アクタージュのその後 (ナビゲート編) (坂村因)
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「108話目に相当する話」の紹介

舞台演劇「羅刹女」の打ち上げ会場は、焼肉料理専門店。

お店の2部屋を貸し切りにして、部屋の仕切りの(ふすま)を取っ払って(しつら)えた広めの宴会場。

打ち上げ参加者たちは、宴会場で料理やお酒を楽しみつつ談笑していた。

 

そして、なぜか唐突に始まった出演者たちによる「王賀美陸のモノマネ勝負」が過熱していた。

 

 

ついに夜凪景と百城千世子の2人、主演女優同士の対決となった。

 

 

夜凪が威勢よく、

「いくわよ、まずは私から!」

と、千世子の顔を見据える。

 

「読み合わせが楽しみ過ぎて、前日から待機していたギンギンの王賀美さん!」

 

…片手で表情を隠した状態でカウントダウンを始める夜凪。

 

「3!! 2!! 1!!」

 

通路からモノマネ勝負をこっそり覗き見していた有島あゆみ(6歳)も、そのカウントダウンに息をのむ。

 

 

 

「失礼します。本日のメインディッシュ、シャトーブリアンです」

 

 

 

…店員がメインディッシュを運んできた。

 

夜凪は、

 

「えっ!? メインディッシュ!?」

 

と、シャトーブリアンの登場に強く反応する。

 

他の参加者たちも、ざわっ、という声を上げる。

 

それぞれの席において、鉄板の上でジュゥゥーと蠱惑的(こわくてき)な音とともに火が通っていく極上の肉。

夜凪は嬉し涙を流し、その味に身体を震わせながら、もぐもぐもぐもぐ、と肉を頬張った。

隣に座る千世子もにっこりと相好(そうごう)を崩し、

「とろける~」

と、シャトーブリアンにご満悦。

 

烏山武光と白石宗も笑顔になっている。

宴会場は、メインディッシュの美味しさを称える空気に包まれる。

 

サシの多いシャトーブリアンを頬張る黒山墨字は、

「赤身のが好きだな」

と、通ぶった言葉を口にした。

 

黒山の隣に座る山野上花子は、

「歳ですね」

と、簡単にあしらった。

 

とはいえ、宴会場全体としては、

 

「おいし~」

 

「おいし~」

 

という声があちらこちらから上がり続ける状況だった。

 

そんな空気の中、王賀美は肉に手を付けず、着席すらせず、立ち尽くしていた。

そして、

 

()れよ!!」

 

と、残念そうに叫ぶ王賀美。

 

それまで、唯一無二である王賀美陸の真似は成立しない、とモノマネを否定していた王賀美に対し、

 

「どっちなんだよ」

 

と、黒山はもぐもぐと肉を食べながらツッコミをいれた。

 

モノマネ対決をこっそり覗き見していた有島あゆみが、その展開を呆然と見守っていた。

 

 

 

打ち上げ会場には、疲れや酔いで寝てしまった者が散見され始めた。

ようやくお祭騒ぎの雰囲気が静まった。

 

この打ち上げを穏便に済ませたいと気を張っていた柊雪は、

「ふぅ、やっと落ち着いてくれた」

と、安堵した。

 

ぐったりしている雪に、背後からぎゅうぅぅ~と抱きつく者がいた。

雪の高校時代のクラスメイトでもある女優の朝野市子。

市子は御機嫌に顔を赤くしており、まだまだテンションが落ちていないニコニコな調子。

 

「おつかれぇ~。ねぇ、この近くにパフェのおいしい店あるんだよ~。この後、行こうよ~」

 

「やだよ。こんな酔っ払い連れて」

 

「え~。酔ってないから~」

 

抱きつかれている雪は、顔をしかめている。

 

 

 

…お祭りムードが治まった宴会場で、無言でビールを飲む黒山。

 

そこに千世子が、

 

「ここ、いい?」

 

と声を掛け、千世子は黒山の隣の椅子に座った。

 

黒山は、

「あ? ああ」

と生返事を返す。

 

「はい」と黒山にビールを注いであげる千世子。

「ん、悪いな」と答える黒山。

 

注がれたビールを口にする黒山に、千世子は笑顔を向けて、

「ねぇ」

と話を振る。

 

黒山は、

「ん?」

と、顔を正面に向けたまま調子を合わせた。

 

 

 

「私たち、もうおしまい?」

 

 

 

千世子の言葉に、黒山はゴホっとビールで大きくむせてしまう。

さらにゴホっと苦しそうな息遣いで黒山は身体を震わせる。

 

黒山の、

「お前、マジで色々気をつけろよ。そういう…」

という説教を、

千世子は、

「気づいていたよ」

と言葉を被せて(さえぎ)る。

 

 

「あなたはずっと私を通して夜凪さんを見ていた」

 

 

その言葉を聞いた黒山は、ようやく千世子の方に顔を向けた。

目つきを険しくして、千世子の顔を見つめた。

 

しかし、千世子は(ひる)まない。

目を大きく妖しく光らせて、

 

 

「次はあなたを私に惚れさせる」

 

 

と、千世子の言葉は黒山をさらに追撃する。

 

目を逸らした黒山は、

「………。」

と無言。

 

しばらく考えた後、

「惚れてねぇ役者の演出なんてしねぇよ」

と千世子の言葉を無下には否定しない「大人」の態度で、黒山は応じた。

 

ここで背後からガシっ、と黒山の肩に誰かの腕が回された。

 

肩に腕を回してきたのは王賀美。

 

「おい、黒山墨字。内緒話か」

 

「なんだよ。次から次へと」

 

黒山の「大人」の対応を王賀美が良いタイミングで潰してくれた、と千世子は思う。

そして千世子は、

「今日はごちそう様。王賀美さん」

と、微笑んだ。

 

「あ? 百城。何を終わったみたいに。まだ9時前だ」

 

「こいつら未成年だ。そろそろ帰すぜ」

 

そんなやりとりを交わす3人。

 

千世子が思い出したように、

「さっきはごめんね。お肉がすごくて勝負が流れちゃった」

とモノマネ対決の話に触れる。

 

王賀美は「あ?」と、話の意味が分からないという反応を見せたが、

 

「…ああ」

 

と理解が追いついた呟きを(こぼ)し、千世子の横顔を見つめた。

 

「…いいよ。もう物真似は卒業したんだろ?」

 

「ガキの頃から知ってはいたが、良い女になったよ、お前は」

 

そんな王賀美の語りを、千世子は真顔で聞き入る。

 

王賀美は思い出していた。

公演前の空港で、帰国しようしていた自分を(はば)むように立った千世子と明神阿良也の姿を。

 

退屈していた自分に対し、「私のこと名前から覚え直させてあげる。きっと楽しいよ」と言い放った千世子。

対等な遊び相手は夜凪だけと考えていた自分に、「俺もこの女も化け続けてる。あんたの本当の遊び相手は夜凪じゃない。俺たちだ」と睨みつけてきた阿良也。

 

王賀美は、打ち上げで酔いつぶれて、スピ~、と気楽に眠っている阿良也を見ながら、

「こいつの言う通りだったよ。まだ遊び足りねぇな」

しみじみとそう言った。

 

そして王賀美は、

 

「次は映画なんだろ、黒山墨字。俺たちの準備はできているぜ」

 

きっぱりとした口調で言葉を発した。

 

黒山は、

 

「…ああ」

 

と肯定した。

続いて、

 

「待ってろ。すぐに動き始める」

 

と宣言した。

 

酔い潰れると目を覚まさない阿良也にイタズラする夜凪とルイとレイ。

夜凪は、阿良也の頭を膝枕に乗せて、その顔にマジックで落書きをして笑っていた。

 

宣言した黒山は、その光景を見つめていた。

 

 

 

夜も更けてきた。

打ち上げも終わりに近づいた頃、それまでテーブルに伏していた山野上花子が、

「モテモテでしたね」

と呟いた。

 

近くの席でまだ飲んでいた黒山は、突然聞こえてきた声に「…!」と驚く。

 

「起きてたかよ」

 

「ありがとう、黒山さん」

 

テーブルに突っ伏したまましゃべる花子。

 

「何がだよ。酔っ払いの相手はごめんだぞ」

 

「私はもう2度と演出をすることはありません」

 

花子はさらに言葉を続けた。

 

「それどころか、…絵も小説も、もう描きたいと思えないんです」

 

自身の内面の怒りや他の諸々の都合から逃げるために、絵や彫刻に打ち込んできた。

世の不条理への怒りに満ちた小説を書いてきた。

花子はそういう生き方を選んできた人間。

 

自分を舞台演劇「羅刹女」の制作に関わらせた人物である天知心一の言葉が思い出された。

 

「もう創らなくていい。創る理由がない…」

 

花子は顔を上げ、

 

 

「やっと自由になれた」

 

 

と、解放感の清々しさを表情に浮かべて、自らの本心を口にした。

 

黒山は、複雑な表情で花子の言葉を聞いていた。

本心を晒した敵側の演出家。

すっきりと()き物が落ちたような笑顔を見せる敗北者。

 

そして、黒山も笑顔を見せた。

やや寂しそうなその笑顔で、

 

「ずりぃな。お前だけ」

 

黒山は、業界を去っていくであろう花子にそんな言葉を贈った。

 

 

 

朝の夜凪家。

ピピピピ、と目覚ましの音が響く。

 

夜凪は、ぱち、と目を見開いた。

 

「はっ、遅刻だわっ!」

 

布団から勢いよく身を起こす。

 

廊下を歩きながら上着を羽織り、

「稽古に…!」

と慌てる夜凪。

 

廊下ですれ違った妹のレイから「舞台ならもう終わったでしょ」と言葉を掛けられた。

 

「そ…、そうだったわ。ごめんね。ごはん今、作るから」

 

「あ、それももう大丈夫だよ」

 

「え?」

 

そして夜凪は目にした。

 

…夜凪家のダイニングの異様な光景を!

 

エプロン姿で台所に立つ星アリサ。

その手伝い役に、同じくエプロン装着の清水。

 

…有り得ない光景!

 

この状況を普通に受け入れて、朝食をもぐもぐもぐもぐと食べるルイとレイ。

 

「酷い格好ね。それでもあなた女優?」

 

そんなアリサの言葉を、まだ状況が呑み込めないまま耳にする夜凪。

 

びっくり顔の夜凪に、アリサから業界人としての助言が伝えられる。

 

「ファッションセンスの酷さも然る事ながら、致命的なのは立ち振るまいね。あなた、スキンケアや髪の手入れしてる? ポテンシャルに頼るのも止めなさい。…ああ、引越しも急いだ方がいいわね。防犯も何もあったものじゃない。ともかく、若さにかまけていたらすぐに老いるわよ」

 

エプロン姿のまま、一気にしゃべり切るアリサ。

 

さらに、

「女優としての自覚を持ちなさい」

と助言を続けるスターズ社長。

 

夜凪は怪訝そうに見つめる。

アリサの顔を、不思議な物を見るような目で、まじまじと見つめる…。

 

 

「返事は?」

「はっ、はい」

 

 

アリサは、表情の威厳を維持しつつ、話題だけをコロリと変えて、

「ああ、そういえば朝食を作ろうとしたら(ことごと)く焦がしてしまったの。ごめんなさいね、キッチン汚して」

と現状に関する報告をする。

 

「ウーバーイーツっておいしいね」

 

ルイとレイが美味しそうにもぐもぐと食べていたのは「ウーバーイーツ」だった。

 

夜凪は、

(なぜ料理が苦手なのに、人の家で朝食を作ろうとしたのかしら)

と依然として謎だらけの現状に困惑する。

 

「あの、…なぜ料理が苦手なのに…いや、それよりなぜうちに?」

「?」

 

困惑を解消するために、夜凪はアリサに尋ねる。

アリサの反応は「?」だった。

 

「まさか聞いてない? 黒山から」

「う、うん。じゃなくて、はい」

 

夜凪とアリサのやりとりを、清水、ルイ、レイ、は黙って見守る。

 

「まったく、あの男は…」

「…? …?」

 

一向に状況を把握出来ない夜凪に対し、アリサは説明を始めた。

 

「夜凪景。あなたは元井製薬シェアウォーターのイメージモデルに決まったわ」

 

そしてアリサは握手のための右手を差し出す。

唐突な展開に夜凪は、ビクッ、となる。

 

 

 

「今回、あなたのマネージメントを任された星アリサよ。改めてよろしく。あなたには国民的スターになって貰うわ」

 

 

 

アリサの右手は、夜凪の右手をしっかりと握っていた。

 

「CMに取材…、今日からしばらく忙しくなる」

 

「でも大丈夫よ、千世子も通った道なんだから」

 

現実感が伴わない表情で、夜凪はアリサの言葉に聞き入った。

 

「まずあなたには、表舞台に立つための基本を学んで貰うわ。ついてきなさい」

 

 

 

 

スターズ、本社。

その一室で、夜凪の到着を待つ2人がいた。

 

黒髪の少女が「はぁ~」とため息を吐いていた。

 

「嫌になっちゃうわ…。ねぇ、信じられる? アリサさんたら私に新人の面倒を見ろなんて言うのよ。それもよその子よ、よその子! 全く、どうしたのかしら、アリサさん」

 

「でもやってくれるんだろ? 君は優しいから」

「べ…別に、そんなんじゃないわよ! あなたはいつも、そうやって…!」

 

ここで、コンコン、とノックが鳴らされた。

 

(あ、来たみたいだね。彼女は君に比べたら芸歴も知名度もまだまだだけど。ちゃんと敬意を持って接してあげるんだよ)

(分かってるわよ! 子供扱いしないで!)

 

「コッ、コホン。どうぞ」

 

その言葉を聞いた夜凪は「失礼します」と言って、ドアをガチャ、と開けた。

 

「えっ」

 

部屋の中で夜凪を待っていたのは、星アキラと初対面の小さな女の子の2人だった。

 

星アキラは、

「やぁ、久しぶり」

と、夜凪に笑顔を見せた。

 

女の子は机に頬杖を突いて、夜凪をまっすぐに見ていた。

 

               「scene108.スター」/おわり




以上が、アクタージュ「scene108.スター」の紹介となります。

扉絵は、嬉し涙を流す有島あゆみ(←通りすがりの一般人です。羅刹女の甲乙の投票に悩んでいた子供です。後の出番はありません)にサイン色紙を書いてあげた満面の笑みの夜凪。
夜凪は、ちゃんと子供に目線を合わせるようにしゃがんで接しています。
夜凪の隣で既に色紙にサインを書き終えた千世子が微笑んでいます。
千世子もしゃがんでいます。
夜凪の次にサインを書くつもりで待機している王賀美もしゃがんではいるのですが、それでもなお有島あゆみの目線より遥かに高くなってしまっています。
色紙は1枚しかなく、夜凪と千世子のサインが既に記されていますが、王賀美が文字を入れるスペースはちゃんと残されています。

本編の絵面では、「私たち、もうおしまい?」「次はあなたを私に惚れさせる」と言う千世子が素敵で恰好いいですね。

ぐったりしている雪と、酔っ払って雪に絡んでくる市子の絵もいいです。

黒山が花子に「ずりぃな。お前だけ(←実に黒山らしい言い回しです)」と「はなむけの言葉」を贈る1コマ。
右を向いて笑ってしゃべる黒山1人がコマの右側に描かれているため、枠線の外側に言葉を発している構図になっていて「絵面、工夫してるなあ」と私は思いました。

朝の夜凪家の、エプロン装着済みのアリサと清水が立っているダイニングの光景も面白いです。
そして、アリサと夜凪の握手のシーンは、絵と台詞込みで迫力のある大ゴマとなっています。

最後の1コマは、久々のアキラと、今後の重要登場人物となる少女の顔見せとなっています。


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「109話目に相当する話」の紹介

アリサに連れられてスターズ本社にやって来た夜凪は、アキラと黒髪の少女の2人と顔を合わせた。

 

夜凪は、久しぶりにその顔を見たアキラに対して、

「あっ、アキラ君!?」

と声を上げた。

 

黒髪の少女が思わず立ち上がった。

 

「ちょっと、あなた!! どうして私より先に、アキラにあいさつするのよ!?」

 

立ち上がった拍子に少女はアキラにゴン、と頭突きをかましてしまう(←故意ではありません)。

少女は、てくてくてくてく、と夜凪のほうに歩いてくる。

 

「まず、これからお世話になる先輩にあいさつでしょ!? この世界の常識でしょ!? 次はないから。覚えておきなさいね!」

 

痛みに耐えながら(け…敬意を…)と小さく呟くアキラ。

 

夜凪の前で立ち止まった少女は、人差し指を立ててさらに言葉を続けた。

 

「全く。あいさつから教えないとなんて、全然使えないのね! これで本当に私の共演者が務まるのかしら」

 

自分を見上げて説教をしてくるその可愛らしい生き物を、背の高い夜凪は見下(みお)ろす。

見下ろしながら「………。」となっている夜凪の頬は、朱色に染まっていく。

 

…少女は、鳴乃(めいの)皐月(さつき)

スターズ所属の俳優、8歳。

 

夜凪はマジマジと皐月の顔を見つめて、(か…カワイイ)と思った。

頬がさらに赤く染まった。

 

そして、

 

「あっ、あなた今、私のことカワイイと思ったでしょ!? 次思ったら炎上させるわよ! 私をカワイイと思っていいのは視聴者とアキラだけ、…視聴者だけなんだから!!」

 

と早口でまくし立ててくる皐月を見て、夜凪は(何これ、カワイイ)と思った。

 

 

 

アキラが、

「向こうで出演していた作品の監督に誘われてね。他に幾つかの作品に参加していたんだ。帰国が遅れてしまったけど、何とか千秋楽には間に合って良かった」

と夜凪に帰国の報告をする。

 

「千秋楽きてくれてたのね! ありがとう」

「ああ、驚いたよ。2人の芝居には」

「あのね、王賀美さんって役者さんがね…」

 

楽しそうに談笑を始めた2人にはさまれた皐月は、

「ちょっと! 何さっそく無視してるのよ。それが先輩に対する態度!?」

と会話に割って入った。

 

夜凪は(ひざ)を折って姿勢を低くし、

「あ、ごめんね。アメなめる?」

と、皐月の頭をなでなでする。

 

その様子を見ていたアリサが、

「鳴乃皐月。あなたでも見覚えくらいあるでしょう」

と夜凪を(さと)した。

 

皐月は、後輩としても人としても色々と間違っている夜凪の態度に憤慨して怒り顔になっている。

 

アリサの言葉を聞いた夜凪は「!」となり、自分の記憶を探ってみた。

そして弟と一緒に視聴していた子供番組に思い当たった。

 

その番組で、

 

「さなぎはね~ いつか大人になるんだよ~」

 

と着ぐるみ姿で歌っていた女の子が皐月だ。

テレビの前で夜凪は、さなぎちゃん可愛い、と頬を赤く染めながら番組を見ていた。

 

「さなぎちゃん!(MHK教育の!)」

 

「ちょっとやめてよ。さなぎだったのは半年も前のことなのよ!」

 

皐月は、

「今は、ちょうちょ、なんだから!」

と腕組みでドヤった。

 

夜凪はドヤる皐月に、(今はちょうちょなんだ。カワイイ)、と赤くなった顔を近づけた。

至近距離で皐月を眺め、ちょうちょ姿を思い浮かべた。

 

…皐月が仕事の話に触れた。

 

「まったく嫌になるわ。2歳からこの世界にいる私がこんな素人と共演なんて」

「…? 共演?」

 

…アリサが説明を加える。

 

「あなた達2人にCMのオファーが来ていてね。これから撮影よ」

「…え?」

 

当然、

 

「今から!?」

 

と大声で驚く夜凪。

 

「な…何も聞かされてないの?」

と皐月は戸惑う。

 

夜凪はアキラに話を振る。

「アキラ君も!?」

「いや、僕は母さんに付きそうように言われて…」

アキラは共演者ではないらしい。

 

腰に手を添え人差し指を立てた皐月が、

 

「ともかく。足引っぱったら炎上させるからね。覚悟しておきなさい」

 

と、先輩っぽく言った。

 

夜凪は、

「は…はい」

と素直に返事した。

思いきりしゃがんで、後輩っぽく目線も皐月より低くした。

 

 

 

少し日をさかのぼり、スタジオ大黒天で会話をする黒山とアリサ。

この日、黒山とアリサの間で夜凪のCMに関するマネジメントが決められた。

 

「起用される広告の規模が俳優の価値と言っても良い。逃す手はないわ。受けなさい、黒山」

 

黒山は少し間を空けてから、

「…小せぇメーカーのウェブCMとは訳が違うからな」

元井製薬の企業としての大きさに触れた。

 

「呆れたわ。まさかここに来て迷ってるの? 広告嫌いは相変わらずのようね」

 

「いや…。…山野上を見て、思ったよ」

 

…続けて黒山は自分の見解を述べる。

 

「俺たちは役者を通して、他人の心を変えるようなもんを作っている。そこだけ見りゃ、映画も広告も似たようなもんだ。皆等しく度し難いよ」

 

「ただそれでも広告はな…。夜凪と食い合わせが悪過ぎる。夜凪みたいな奴は、小さな劇場で自分の芝居を追求し続けていった方が幸せかも知れねぇ」

 

アリサは、以前スターズの方針について黒山から「あんたが他人の幸せを決めるのか?」と言われたことを思い出していた。

 

夜凪の幸せについて言及する黒山に対してアリサは、

 

「他人の幸せをあなたが決めるの?」

 

という言葉をぶつけた。

 

「だったかしら? フ…あなたも人の親らしくなってきたわね。…独身のくせに」

 

「…悪かったな」

 

「芝居が商業活動である限り、俳優は商品。私たちはその事実に生かされ、殺されてきた」

 

「それでも戦い方はあるはずだと足掻いてきた」

 

「最善を尽くすわ。借りは早く返したいから」

 

 

 

清水が運転するベンツ。

CMの撮影現場に向かうその車中。

助手席にアリサ、後部座席にアキラ、皐月、夜凪、が座っている。

 

「あなたはついに大手企業や代理店からオファーが来るような女優に至った。今この機にどう売るか、どう仕掛けるか。これであなたの芸能人生が決まるといってもいい」

 

アリサが今回の仕事の「重大さ」について語る。

 

アリサは正面を向いたまま、

「黒山はその裁量を私に任せたのよ」

と、夜凪に伝える。

 

夜凪は、

「………。アリサさんに?」

と不思議そうな顔で言葉を返した。

 

アキラが助手席の方に身を乗り出すようにして、

 

(これ、数千万の仕事だろう? 信じられないな。マネジメントを任せるということは、せっかくの利益をスターズに投げるようなものだよ?)

 

アリサに、こそっ、と話し掛ける。

 

「あいつも親バカなのよ」

 

「…?」

 

アリサは、ざっくりとした理由を答えた。

アキラにはピンと来ない返答だった。

 

並んで座っている夜凪と皐月がしゃべっていた。

 

「ふーん、あなたメチャクチャね」

 

「…?」

 

「芸能界入りして、一年弱でこのCMのオファーが来るなんてバケモノよ」

 

皐月は、このオファーが如何にすごい物かという説明を続ける。

 

「いくら舞台や映画で芝居を評価されたとしてそれが何? 芸能人の主戦場はテレビなんだから」

 

「あなた、今日を機に人生変わるわよ。CMにはそれだけの力があるんだから」

 

夜凪は、(千世子も通った道よ)とアリサが言っていたことを思い出す。

 

 

 

千世子も通った道…。

 

 

 

それは一流スターの道。

 

一流スターは、商業ビルの超大画面モニターに宣伝広告が映される。

舞台挨拶用の豪華な衣装を着て、うるさいくらいに眩しいフラッシュの中を歩く機会もあるだろう。

ライブ公演ともなれば、ライブ会場の渦巻く熱気の中で、偉い先生が作ってくれた曲を汗をかきながら歌うことになる。

 

それが、一流スターの姿…。

 

「私も…、千世子ちゃんみたいに…?」

 

「何よ、急に嬉しそうに。案外ミーハーね、あなた」

 

妄想で頬を朱に染める夜凪に、皐月は呆れたような目を向けた。

 

 

「有名になることが、役者の幸せになるとは限らない」

「…!」

 

 

助手席のアリサから重い言葉が届く。

 

「もう分るでしょう、あなたなら」

 

夜凪に向けられた重い言葉を、アキラ、皐月、夜凪、はそれぞれに受け止める。

 

夜凪は、天知に絡まれた時のことを思い出した。

 

捏造(ねつぞう)された週刊誌の記事。

夜凪が「悲劇のヒロイン」という内容。

来週発売予定だというその週刊誌を手に、

(これを皮切りに、君をスターにしたいと思っています)

と天知は告げた。

実際には週刊誌に「悲劇のヒロイン」の記事は掲載されなかったが、嫌な出来事だった。

 

また、高校の文化祭のことを思い出した。

 

たかが高校の映像研究部が作った映画に多くの人間が集まってしまった。

教師から、(映研の上映会は中止)、と言い渡された。

(芸能活動など許した学校側のミスだ)と嫌味を言われた。

自分が有名人なせいで、映像研究部の自主制作映画の上映に許可が下りないという事態になったことが悲しかった。

 

「…うん」

 

夜凪は(うつむ)いて、平静に肯定した。

 

…思い出されるのは、「羅刹女」の舞台の後に千世子と交わした会話。

 

千世子は、

(舞台が終わっても、勝負は毎日続くんだって)

と言っていた。

 

 

「それでも」

 

 

千世子は、

(どうせ私たちは、しわしわのおばあちゃんになっても役者だから)

と言っていた。

 

 

「それでもやりたい」

 

 

前に進む、という夜凪の覚悟の言葉。

 

その覚悟をアリサは受け止める。

 

そして、

「…そうよね」

と言葉を(こぼ)した。

 

事情を知らない皐月は、

「当然でしょ!? こんな良い話、逃したら一生後悔するわよ!」

と明るく意見を述べた。

 

「なんたって、私たちに来たオファーは、あの天下の元井製薬からなんだから」

 

 

 

 

撮影が行われる浜辺に到着した夜凪は、大規模な撮影現場を目の当たりにした。

 

「すごい…。デスアイランドの時より大勢スタッフがいるわ」

 

アキラが、

「ああ。キャストはたった2人なのにね。テレビCMのすごいところだよ」

と口にした。

 

夜凪は目を伏せ気味にして、皐月に尋ねる。

 

「本当にすごいのね…。モトイセーヤクって何の会社?」

「え? まさか知らないの? あなただって飲んだことあるでしょ“シェアウォーター”。風邪ひいた日とか、運動会とかの日に」

 

「う…うち、あまりジュースとか飲まないから」

「ジュースじゃなくて、スポーツ飲料よ」

 

ここで、

 

「あはは、正直でいいねぇ」

 

という声が割り込んできた。

 

声を掛けてきたスーツ姿のおじさんは、「どうも」、とにっこり挨拶してきた。

 

夜凪は、

「…誰?」

と思ったままの言葉を口にした。

 

 

「スポンサーよ」

 

 

と、アリサから説明が入る。

 

つまり、話し掛けてきたスーツ姿のおじさんは元井製薬本社の人間。

 

「えっ、元井製薬さん!? 今日はよろしくお願いしますっ。鳴乃皐月です!」

 

皐月は営業モードのスイッチを入れて、可愛さ全振りの口調で挨拶する。

 

「いや~、さつきちゃん。お人形さんみたいにカワイイねぇ」

 

元井製薬の男はアリサに挨拶する。

 

「いやいや、まさか社長自ら。光栄です。まさか息子さんまで」

 

みんなのやりとりについていけない夜凪はアキラに質問した。

 

「……。アキラ君」

「うん?」

 

「スポンサーって、監督でもプロデューサーでもないのよね?」

「うん。このCMに夜凪君を選んでくれた人だね」

 

「選んでくれた人?」

 

元井製薬の人は次に夜凪に声を掛ける。

 

「あ、そうそう、景ちゃん」

「あっ、はい」

 

「大丈夫だと思うけど、今後うちの競合会社の製品は外では使わないようにね」

 

この言葉が意味するところを夜凪は瞬時に理解出来ず、

「え」

と言ってしまう。

 

すかさず皐月が後輩をフォロー。

 

「もちろんですよ。私、ポカリよりアクエリより“シェアウォーター”が好きですから!」

 

「あはは、嬉しいなぁ。釈迦に説法だったね、ゴメンね~」

 

…そして元井製薬の男は「CMのイメージガール」がどういうものなのかを夜凪に語って聞かせた。

 

「ほら、最近多いでしょ、芸能人の不祥事。広告塔の不祥事は、商品のイメージに大打撃だ。今後一層、プライベートでの品行にも注意して貰って…」

 

「だって困るでしょ。違約金数億と言われても」

「え」

 

「うちの広告をやる、ということは、うちの商品になる、ということだからね」

 

夜凪は、話を聞きながら表情を硬直させてしまう。

 

「ん? どうかした?」

「……。」

 

そんな夜凪の様子をアリサとアキラが見つめる。

 

夜凪は、「デスアイランド」の撮影時の千世子のことを考えた。

ロケ地の宿泊施設での出来事。

修学旅行っぽい遊びを拒絶する千世子について、アキラが、

(悪く思わないでやってくれ。彼女は多くの企業の広告塔も担っている。ちょっとした怪我が何億もの損失になりかねないんだ)

と、フォローしていた。

そんな立場にいた千世子の現場での方針や振る舞い等を思い出していた。

 

「はい、がんばります」

 

気持ちを固めた夜凪は、元井製薬の男にそう返事した。

 

 

 

CMの撮影が開始された。

 

…撮影の流れは、

 

砂浜の上を波打ち際に向かって「はぁ、はぁ」と息を乱しながら走るセーラー服姿の夜凪

息が整うのを待ってから海に向かって

「だいきらーい!!」

と叫ぶ

そこに、「お姉ちゃん」と歩み寄ってくる黒のワンピース姿の皐月

皐月の両手にはシェアウォーターがある

ゴクゴク、とシェアウォーターを飲む夜凪

姉妹は波打ち際に並んで立ち、にっこり笑っている

その手にはそれぞれシェアウォーターが握られている

 

…という感じ。

 

テスト本番が行われた。

無難に芝居を仕上げた夜凪と皐月。

 

「はい! カット!」

「いいね、カワイイね! 最高のコンビだね!」

 

スタッフは役者の士気を高めるそんな言葉を掛けた。

 

皐月は、

「わーい、ありがとうございまーす」

と笑顔で応じた。

 

夜凪は「……。」と無言。

疑問が残る、というもやもやした表情になっている。

 

「じゃ次、本番かな」

「えっ。あ、あの!」

 

もやもやを解消すべく夜凪は尋ねる。

 

「私はどうして走っていて何が大嫌いなんですか…? スタンドインの通りにやりましたけど、まだ気持ちが掴めなくて…」

 

監督は軽い感じで、

「えー? あるでしょ? そういう気分のとき」

と返事する。

 

当然、夜凪の「役の気持ちが掴めない」という問題点は解決されず、

 

「皐月ちゃんは私の妹ですよね」

「うん、そうだね」

 

「どうしてここにいて、シェアウォーターをくれたんですか?」

「えー、おいしいからじゃない?」

 

という感じで監督との問答が始まった。

 

皐月は先輩として後輩のために、

「そうそう。“シェアウォーター”すごくおいしいから」

と助け船を出す。

 

「シェアウォーターがおいしいから、最後私は…、この子は笑ったんですか?」

「あーまぁ、そうだね」

 

そして、

「それと、視聴者に飲んで欲しいから?」

監督がCMの「肝」となる部分に触れた。

 

…現場は「もう疑問はないよね? 撮影大丈夫だよね」という空気になっている。

 

(どうしよう…。ついていけていないのは私だけ?)

 

(全然この子の気持ちが分からない)

 

夜凪は自分が演じる「この子」の気持ちが掴めずに困惑する。

 

「じゃ本番、いこっか」

 

夜凪は(え、でも私まだ)と焦りの色を見せ、口を開きかけた。

 

皐月が、

(ちょっと、何(こだわ)り出してんのよ! 満足してくれてるんだからいいでしょ!?)

と夜凪の手綱(たづな)を握ろうとする。

 

「で、でもね。皐月ちゃん」

(やめてよ! 粘るほど現場に嫌われるんだから!)

 

皐月は手に持ったペットボトル入りのシェアウォーターを掲げ、

 

(主演はあくまでこの子! 私たちは助演なの!! 分かってる!?)

 

と、とても大事なことを説明した。

 

言われた言葉の意味は理解できても、夜凪の困惑はやはり解消されない。

 

一連の出来事を見ていたアリサが、

(やはり、こうなるわね…)

と心の中で呟いた。

 

(あなたが重んじているものが、この世界で重んじられているとは限らない)

 

(それでも活路はある。踏んばりなさい。夜凪景)

 

困惑したまま立ち尽くす夜凪を見ながら、アリサはそう思った。

 

               「scene109.テレビCM」/おわり




以上が、アクタージュ「scene109.テレビCM」の紹介となります。

扉絵は、鳴乃皐月がぼーっとした表情でペロペロキャンディーに噛みつこうとしているカット。
スポーツジャケット姿、上半身のみの正面絵。

皐月は夜凪より頭2つ分くらい低い身長です。
髪の長さは肩甲骨の下くらいまであり、けっこう長め。
さらさらの黒髪で、髪型はツーサイドアップです。

絵面としては、「私も…、千世子ちゃんみたいに…?」と妄想する夜凪が面白くて可愛いです。
妄想のライブでは、夜凪は水樹奈々ばりに熱唱しています。
カメラフラッシュの中を歩く夜凪は、何故かモデルウォークです。

今回の話では、「役作りを重視する夜凪」と「それが重視されないテレビCMの撮影現場」の対比に焦点が当たりました。

「何とか状況に追いつきたい」という思いと「役者とはこうあるべきだ」という信念の間で揺れる夜凪の表情が印象的でした。
困惑して、少し理解出来て、やっぱり理解出来てなくて、少し納得して、それでも困惑して、…といった表情の変化が丁寧に描かれていました。

皐月は現場慣れしていますね。
そして、なんとか夜凪をフォローしようと頑張るあたり、良い子っぽいですね。


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「110話目に相当する話」の紹介

そして迎えたCM撮影の本番。

夜凪は険しい表情で砂浜を駆ける。

波打ち際に立ち止まった夜凪。

そこに、

「お姉ちゃん」

と皐月からシェアウォーターのペットボトルが手渡される。

夜凪はシェアウォーターを飲み、キリッとした目つきで遠くを見つめ、満足そうに、…はぁ、と息を吐く。

 

監督から、

 

「おっ、オッケエ!」

 

「すごい迫力あったよ! 流石だよ、夜凪さん!」

 

という声が上がった。

 

アキラは、テスト本番と本番で芝居を変えてきた夜凪を見て、

「流石…すぐ軌道修正したね。くぐり抜けてきた修羅場が違うよ」

と感想を口にする。

 

妹役の皐月は、

「さ…流石、夜凪さん、すごーい」

と棒読み気味に言いながら、ちょいちょい、と夜凪を手招きする。

 

手招きに応じた夜凪に、皐月はひそひそ声で、

(ど…どういうこと!? さっきと今で、なんでそんなにお芝居が変わるの!?)

と訊いた。

 

夜凪は「?」と思いつつ、芝居内容の変更について皐月に説明する。

 

「人物に設定がないから、自分で作っただけよ?」

「…?」

 

自分で作ったという設定の説明をする。

 

「お母さんが亡くなって、父がいなくなって。私は全部嫌になって走り出すんだけど、いつだって支えてくれるのは家族…」

 

両親を失った自分の家族は妹だけ…。

 

「つまり、あなたなの」

 

「…フーン、重いわね。なんか、別にいいけど」

 

設定を聞かされた皐月は、

 

「でも、そういうことならその設定、私にも教えておいてよ! 困るわ、良いとこもっていって。一人で!」

 

芝居変更については理解しながらも、やや憤慨気味。

 

「ご、ごめん。そうね」

 

夜凪は素直に謝罪する。

 

 

 

夜凪と皐月は、関係者が集まっている方を見た。

 

「……?」

 

現場にいる多くの人間から、ざわざわ、という空気が生まれていた。

 

スタッフと関係者が資料を見つつ色々と検討していた。

 

「迫力はありましたけど」

 

「可愛い姉妹の掛け合いが見たいんだよね」

 

「良い芝居だったけどね」

 

「当初のコンセプトからズレてきてるよね」

 

「シェアウォーター、美味しそうに飲んでくれないと」

 

「ちょっと監督に伝えてきます」

 

ADの1人が伝令として走る。

すぐ(そば)まで行って顔を寄せ、検討の結果を監督に耳打ちする。

 

「…はぁ。はいはい」

 

監督は、伝令を聞いて了解したようだ。

 

夜凪の方を見て、

 

「じゃ、今の抑えで。最初のパターンいこっか」

 

と、笑顔であっさりと「撮り直し」を宣言した。

 

夜凪は、

「え」

と声を漏らした。

 

「で、でもあれじゃ私、全然気持ちが入らなくて」

 

「えー、でも可愛かったよ、ほんと! 大丈夫大丈夫!」

 

「可愛い? そうじゃなくて、私は役の気持ちが分からなくて…!」

 

夜凪と監督のそんなやりとり。

 

それを夜凪の隣で聞いている皐月は、

(ぐいぐい行くわね。新人のクセに…)

と思っている。

 

ADが監督に、

「監督、押してます。クライアントの心証も…」

と耳打ちした。

 

役者とクライアントの間で板挟みとなった監督は、「はぁ…」と困ったふうに息を吐いた。

 

「よし。じゃあどっちも撮ろう! そんでどっち使うか、あとで決めよう! ね!?」

 

そんな折衝案(せっしょうあん)を、明るい表情で提示する監督。

 

夜凪は、

「……。」

と、すぐには言葉が出ない。

 

やはり納得出来ないという顔で、

「どうして? だって監督は、さっきOKって…」

と、夜凪は主張し始める。

 

監督は、「えーと」と誤魔化すような声を出しながら、

(察してくれよ。これだから演技派とか言われる新人は)

と心の中で困っていた。

 

アリサが動く。

 

「監督のOKとNGは絶対でしょう。受け入れなさい、景」

 

厳格な口調で、アリサはそう告げた。

 

現場には気まずい沈黙が流れた。

 

空気を察した皐月は、

(ア…アリサさん、怒ってるじゃない。さっさということ聞きなさいよ! カワイイって言ってくれてるんだからいいじゃん!)

と、夜凪に耳打ちした。

 

…夜凪の表情は変わらない。

 

「じゃあ、もう一度役を考え直します。監督はどういう気持ちでこの話を考えたのか教えて下さい」

 

隣にいる皐月は、

(わっ、全然引き下がらない。何なのこの子)

と青ざめる。

 

夜凪は黒山との仕事を思い出しながら、

(せめて黒山さんみたいに、私のどんな気持ちを撮りたいのか教えてくれれば…)

と考えていた。

黒山は、

(俺は撮りたいのはお前の愛情だ。誰かのために努力するお前が観たいんだ)

と、その撮影で役者が表現するべきことを具体的に言葉にする監督だ。

 

しかし、CM撮影は過去に夜凪が経験してきた仕事とは別物だった。

 

 

 

…その現実を、夜凪は知ることになる。

 

 

 

「えーと。これは僕が考えたんじゃないんだよね」

「え。じゃあ誰が?」

 

「えーと、誰っていえばいいのか…」

 

CM製作を請け負った企業の人たちが、監督に替わって発言する。

企画会議に参加していた人たちだ。

 

「…えー、企画は我が社で担当しましたが」

 

「元井製薬さんの要望に応える形で考えたものなので…」

 

「シェアウォーターをより若者にというコンセプトで」

 

「僕はともかく夜凪さんが良いと言っただけですよ」

 

「皐月ちゃんと夜凪さんの姉妹役も合いそうだと思ったよね」

 

「高校生が全力で走ることで青春を表現できると」

 

「海辺を選んだのは、瑞々しいお2人に合ったロケーションと思い…」

 

「シェアウォーターをもっと若者文化に溶け込ませたくて」

 

想定外の事態に呆然とする夜凪。

思いもよらぬ人が口にする、思いもよらぬ言葉。

次々と自分に降り注ぐ言葉の数々。

 

 

 

夜凪は立ち尽くす。

 

 

 

降り注がれる言葉の雨に、ただ目を丸くするだけで、何も言うことが出来ない。

 

その様子をを見て、アキラは思う。

 

この規模のテレビCMとなると企画は組織で作り始める

一人の作家が担当する訳じゃない

 

目に見えない大勢の人々の理想に応える

夜凪君には…いや、世の多くの役者が経験したことのない芝居のはずだ

 

 

…夜凪は、再び千世子のことを思い出す。

 

 

(私達は友達にはなれないよ、って言ったらどうする? 演じられなくなる?)と言っていたこと

 

(だからお芝居に心はいらないんだよ)と言っていたこと

 

 

そっか…

 

千世子ちゃんはずっとこんな世界で演じていたからあんなこと

 

 

 

夜凪は、自分をこの場に連れてきたアリサの方に顔を向けた。

 

「アリサさん、ごめんなさい」

 

…そして、自分の決意を表明した。

 

 

 

「私は自分で納得のできないお芝居はできない」

 

 

 

撮影現場を凍りつかせるような夜凪の発言。

 

(なっ…、アリサさんに、この子)

皐月の反応。

 

(大物だな、夜凪景)

(相手、星アリサだぞ)

スタッフたちの反応。

 

アリサは夜凪の発言を涼しい顔で受け止めた。

 

俳優(あなた)の都合は私たちには関係ない」

 

さらに、

 

「プロを名乗るなら、意地でも求められている芝居をやりなさい」

 

と夜凪を(さと)すアリサ。

 

アリサは、

「それが大衆のスターになるということよ」

と言葉を続けた。

 

夜凪は、そんな言葉を吐いたアリサから目を逸らさない。

強い光を湛えた瞳で、夜凪はアリサを睨みつける。

 

 

 

この夜凪とアリサのやりとりを見ている監督は思う。

 

星アリサが現場に何の用だよって思っていたけどこういうことか…

手のかかる演技派新人女優のお目付役か…

有り難い

 

アキラは昔の自分と母親との会話を思い出していた。

 

ほっぺが痛いんだ

ずっと笑ってるから、カメラの前で

 

母親は、

その笑顔に大衆は騙され、癒されている。自分で選んだ道でしょう、アキラ

と言っていた

 

母親の言葉は、

それが大衆のスターになるということよ

と続けられた…

 

 

 

…夜凪は自分の信念を曲げない。

たとえアリサから厳しい言葉をぶつけられても、曲げない。

 

 

 

「私に人形を演じろと言ってるように聞こえるわ」

 

 

 

意見の衝突が、揉め事にまで発展しそうな雰囲気。

 

皐月は、(ま…まだ、やる気? 空気読んでよ)と困っている。

 

アキラは揉め事に発展する前になんとかしようと、「…夜凪くん」と声を掛けて説得を試みる。

しかし、アキラの予想とは違う展開になる。

 

 

 

「そうは言っていない」

 

 

 

アリサのこの言葉に、アキラの説得は(さえぎ)られた。

 

 

「この世界での戦い方を覚えなさいと言っているのよ」

 

 

スターズの社長として、業界を熟知する者として、女優業の先輩として、アリサは夜凪に教える。

 

夜凪は目に込めていた力を(ゆる)めた。

睨みつけるのもやめて、静かな表情でアリサを見た。

 

自分の場合と夜凪の場合で、アリサの言うことが異なることに「え」と戸惑うアキラ。

 

「CMの意味を答えなさい。景」

「え…(夜凪は、商品を手に持つタレントがキラキラしてる、という感じのイメージを思い浮かべる)。……。キラキラ?」

 

「宣伝よ、宣伝」

と代わりに答えてあげる優しい先輩の皐月。

 

「宣伝…。つまり、紹介。人が人になにかを紹介したくなるのはどういう時?」

 

このアリサの質問は夜凪にも分かりやすかった。

ふわふわしていた夜凪の目つきは、力強い光を取り戻す。

 

映画「デスアイランド」の共演を経て千世子が大好きになった夜凪は、普段テレビを見ていて画面に千世子が映ると、

(見て見て! 千世子ちゃんよ。綺麗ね! ね!)

と隣のルイとレイに語り、はしゃいでいた。

ルイとレイが(それも聞いたってば~)と呆れていても、語って聞かせていた。

 

夜凪は簡単に正解に辿り着く。

 

 

「自分が好きなものを好きになって(もら)いたい時」

 

 

様子を見守っていたアキラは驚いたよう顔で、きっぱりと返答した夜凪のことを見つめる。

 

夜凪は、

「…私の仕事」

と呟きながら、手に持っているシェアウォーターを見る。

 

皐月がくれた、

(主演はあくまでこの子! 私たちは助演なの!! 分かってる!?)

という助言が夜凪の頭をよぎる。

 

ペットボトルのキャップを(ひね)ると、ぱきっ、という音が鳴った…。

 

夜凪は(あご)を上げ、ゴクゴク、と勢いよくシェアウォーターを飲み始めた。

 

ゴクゴク

 

ゴクゴク

 

いつまでも周囲に響く、ゴクゴク、という夜凪の(のど)の音。

関係者の人たちは口をぽかん、と開けて、そんな夜凪を見守る。

 

隣にいる皐月は、

「ちょ…ちょっと、カメラも回ってないのに…。おしっこ行きたくなるわよ」

と心配する。

 

…改めてシェアウォーターを吟味(ぎんみ)する夜凪。

 

「やっぱり。甘くてすっぱくて。なのにうす味で」

 

そして、大きく目を開き、口元からシェアウォーターを垂らしながら、

 

 

 

「あんまり美味しくない」

 

 

 

と正直な結論を述べた。

 

見守っていた関係者たちは顔を引き()らせた。

「な…」という声も漏れた。

 

皐月は夜凪の失言を誤魔化すために、

 

「えー!? 何言ってるの!? シェアウォーター超おいしいのに!! あはは!」

 

と、必死の形相(ぎょうそう)で頑張る。

 

(はは…。クライアントの前で…。がんばれ、皐月君…)と苦笑するアキラ。

 

だが、夜凪は別にふざけている訳ではない。

表情は真剣。

 

「まず、これを好きになることが私の仕事」

 

「いつもの役作りと一緒だわ」

 

夜凪は手にしたペットボトルのシェアウォーターを、じっ、と見つめる。

 

夜凪の本気に周囲は(……!)と驚き、沈黙してしまう。

 

沈黙を破り、意を決した監督が、

「いや…それは立派なことだけど。何もそこまでしなくても」

と夜凪に声を掛けた。

 

「シェアウォーターを作った人は誰ですか!?」

 

「…え」

 

「私、料理作る時、食べてくれる人のこと想像して作ります! これを作った人の気持ち知りたいです! どうしてもっと美味しく作ってくれなかったのか、とか!」

 

「か…開発者のことかな? 彼らはここにはいないよ。もう40年も前の商品だし、もう引退し…」

 

監督の場当たり的な返答を、

「繋げてあげて下さい」

というアリサの力強い言葉が(さえぎ)った。

 

次に、クライアントの(そば)に歩み寄ったアリサは、

 

 

「開発者に繋げてあげて下さい。お願いします」

 

 

はっきりとそう言った。

 

「………。」

 

再び関係者たちに訪れる沈黙。

 

やがて、関係者たちは動き出し、開発者に繋げるための連絡を回し始めた。

ようやく電話が繋がる。

 

…そして、開発関係者と夜凪の通話が始まる。

 

「もしもし。あ、はい。夜凪景です。はじめまして。役者です」

 

「はい」

 

「はい…今、本番中で…。はい」

 

「商品の宣伝するためのお芝居をしてて」

 

現場にある音は夜凪の声のみ。

テントの下で、電話機を手に1人簡易椅子に座る夜凪。

大勢の視線を浴びつつ、夜凪はしゃべり続ける。

 

関係者の間でこっそり会話が交わされる。

 

()めなくて良かったんですか。…時間押してるらしいですよ」

 

そう尋ねられた元井製薬の担当者は、

「…()められるはずないでしょ」

と答える。

 

 

「うちの商品を好きになりたいと言ってくれてるんだよ」

 

 

皐月は怪訝そうな表情で、

(カワイイって言ってくれてるんだから、ちゃちゃっと()ればいいのに…。意味分かんない)

と、そんなふうに思う。

 

そんな皐月に、アリサが声を掛ける。

 

「皐月。あの子をよく見ておきなさい」

 

「え」

 

               「scene110.宣伝」/おわり




以上が、アクタージュ「scene110.宣伝」の紹介となります。

絵面としては、アリサに対しても自分を曲げない夜凪、アリサを睨みつけて自分の意志を伝える夜凪、このあたりが格好良いです。
あと、企画会議参加者からバラバラに色んな言葉を言われ、目を丸くして立ち尽くす夜凪が面白いです。
口元からシェアウォーターを垂らしながら「あんまり美味しくない」と言う夜凪も良いですね。

アリサは、アクタージュの登場人物の中ではトップクラスに「物事が見えている人物」です。
業界の構造を正しく理解しています。
夜凪の驚異的な才能についてもきっちり把握しています。
だからこそ黒山は夜凪のマネジメントを託したんでしょうね。

そんなアリサが「夜凪の戦い方をよく見ておけ」と皐月に告げるシーンで「scene110.宣伝」は終わります。

役作りに成功している時の夜凪の芝居の迫力を見て、監督は思わずOKテイク扱いにしてしまいました。
これは監督の采配ミスです。
クライアント側から「要求していた物と違う」という声が上がるのは当然の成り行きです。

かと言って、テスト本番の時の「中身がスカスカな物語」では、夜凪は役作りが出来ません。
そういう場合にどうすればいいか?
この手の問題が発生した時のために、アリサはわざわざ撮影現場まで来ているわけです。

そして一連の出来事を皐月とアキラにも見せておきたい、とアリサは考えています。


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「111話目に相当する話」の紹介

夜凪はまだ開発関係者と通話中。

 

「な…」

 

「なるほど! そういうことだったのね…!」

 

夜凪は笑顔で、

 

「ありがとうございます!」

 

「はい! これで『シェアウォーター』好きになれるかも知れないです!」

 

電話を片手にスタスタと走り、監督たちの方へと戻ってくる。

 

ようやく話が終わったらしく、時間を気にしていた監督も一安心。

 

「終わった!? もう気が済んだ!? じゃ、ちゃちゃっと撮ろう! ね! ね!」

 

アリサから(よく見ておきなさい)と言われた皐月は、にこやかに戻ってくる夜凪を見て、

「…。」

と無言。

 

…戻ってきた夜凪は監督に向かって、朗らかな表情で、

 

「はい。その前に、その辺一時間くらい走ってきていいですか?」

 

と尋ねた。

 

ここまで温厚だった監督も、

「ダメに決まってるよね! マジで時間ないからもう!」

と、さすがにプンプンしながら返事した。

 

監督の隣に立っていた皐月は、

(何考えてるの、この子。怖いんだけど)

と、顔をしかめた。

 

夜凪のリクエストを耳にしたアリサ。

 

真面目な顔で、

「本当に走る必要があるの?」

と、夜凪に問いかけた。

 

「…うん」

そう答えた夜凪も真面目な顔。

 

ADと監督が、

「ちょ…、いくら星アリサの要望でも、これ以上時間使えませんよ!」

「わ…分かってるよ」

と、現状確認の会話を交わす。

 

その会話がアリサの耳に入る。

 

この時間が使えない状況下。

一時間くらい走る必要がある、と言う夜凪。

 

アリサは、

 

「じゃあ、足と時間を使わずに走ってきなさい」

 

「あなたなら可能でしょう」

 

と、不可解な提案をした。

 

 

「…! あ、そっか」

 

 

言われたことの意味を理解した夜凪は、なるほど、という表情で答えた。

 

周囲の者は、当然、

 

「…は?」

 

という反応を見せた。

 

…そこから夜凪の沈黙タイムが始まる。

 

目を閉じる夜凪。

黙って立っている夜凪の長い髪を、海から吹いてくる風が(もてあそ)ぶ。

ザァ……、という波の音。

 

「……。」

 

周囲の者たちは、そんな夜凪を無言で見つめる。

夜凪が何をしているのかは判らない。

 

皐月も、

「な…何? 急に黙っちゃって」

と、周囲の者と同じく夜凪が何をしているのかが判らない。

 

 

 

目を閉じて無言で立つ夜凪。

 

…その頭の中には、「炎天下の風景」がある。

 

灼熱の太陽

 

どこまでも続くアスファルトの道路

 

はっ

 

はっ…

 

はっ

 

熱気を帯びた息を吐きながら走る

 

はっ

 

はっ…

 

夜凪の靴は、ザッ、とアスファルトを蹴っていく

 

 

 

皐月は、夜凪の顔を覗き込んだ。

ピクリとも身体を動かさずに、ただ無言で突っ立っている夜凪の顔。

 

その頬には、ツーっ、と幾つもの汗が流れていた。

首にも汗が伝っていた。

(あご)から汗の粒が(したた)り落ちていた。

 

「え」

 

皐月は、驚きのあまりそんな声を上げた。

 

砂の上に落ちる大粒の汗の(しずく)

はっ…、はっ…、という荒い呼吸。

次々と溢れ出る汗は頬から顎を伝い、ポタポタ、と落ちていく。

 

 

 

全身汗だくになり息を切らせた状態で、夜凪は立っていた。

 

 

 

見ていた人たちの間に、大きく、ざわっ、と騒めきが起こった。

 

皐月は目を見開き口を開けて、

(突然、汗が…)

と心の中で呟いた。

 

夜凪の才能を何度も目の当たりにしているアキラは、

「走ってきたんだね。想像の世界で」

と、(こと)()げに言った。

 

アキラの説明を聞いた皐月は、

「!?」

という状態。

 

皐月にとっては、信じがたい出来事だった。

 

(想像の世界で…!?)

 

皐月が初めて目にする芝居のスキル。

夜凪のメソッド演技法のスキル。

 

夜凪は頬の汗を右腕で軽く(ぬぐ)いながら、

 

「準備できました。待たせてごめんなさい」

 

乱れた息で、そう告げた。

 

現場は驚きと困惑の空気に包まれた。

その空気は(おさ)まらない。

 

 

…治まらないまま、本番テイクの撮影が始められた。

 

 

まだ治まらない。

皆の驚きと困惑は続く。

 

カメラは回っている。

 

夜凪は芝居を続ける。

汗まみれの身体に染み込ませるように、シェアウォーターをぐいぐいと飲む。

 

元井製薬の担当者は、口を半開きにして夜凪の芝居を眺める。

 

監督も、

(信じられない)

と心中で呟きながら、撮影を進める。

 

「カット」

 

「オーケー…!」

 

撮影を終えて、波打ち際に立っている夜凪。

 

その姿を見つめる元井製薬の担当者は思う。

 

本当に走ってきたとしか思えないような汗と息切れと疲労感

シェアウォーターをがっつき気味に飲む喉の動きと仕草

飲み終えた時の美しい笑顔から滲む、「これが飲みたかった」、という満足気な心情

 

(いるものなのか)

 

(こういう子が)

 

夜凪の仕事に、驚嘆(きょうたん)する担当者。

 

現場にいる皆から、パチパチ、と長い拍手が続いた。

拍手は、夜凪と皐月に向けられた。

 

 

 

皐月が夜凪に詰め寄る。

 

「ちょっとあなた、どういうこと!? 何したの!?」

 

「…!」

 

ここで夜凪は、ふふん、と得意げな態度になる。

 

「ああそっか。皐月ちゃんはまだシェアウォーターを美味しく飲む方法を知らないのね」

 

「…? 何よ?」

 

そして得意げな表情のまま夜凪は大いに語る。

 

「シェアウォーターは、元々ランナー用に開発されたスポーツ飲料!」

 

「美味しさより、枯渇した身体への水分補給を目的にしたものなのよ!!」

 

ぽかーん、となる皐月。

 

さらに夜凪の演説は続く。

 

「例えば、真夏に一時間近く走ってから口にしたら、ほらどう!?」

 

「枯渇した身体に染み込むような瑞々しさだわ!」

 

「しかもミネラルからビタミンバランスまで全部考えられてるの!!」

 

「これは開発者の高橋さんの元カノさんが、元々マラソンランナーだったことが理由で、誰にも内緒らしいわ!」

 

演説を聞く関係者たちの間で、

 

「そ…そうだったんですか?」

 

「いや知らん」

 

といったやりとりが発生した。

 

夜凪は顔を輝かせて、

「とてもすばらしい飲み物だわ! ルイとレイの運動会に持たせなきゃ」

とシェアウォーターを掲げて見せる。

 

「いや…、そういうのをききたかったんじゃなくて…」

 

皐月が聞きたかったのは、「想像の世界で走ってきた」という部分。

 

唐突にアリサが皐月に、

 

「愚直で非効率」

 

「バカみたいでしょう?」

 

と話し掛けてきた。

 

皐月は夜凪への追及を中断し、アリサの方を見る。

 

アリサは真剣な表情で、

「それでも…」

と一度()めてから、

 

 

「良い芝居は必ず人の心に残る」

 

 

と、皐月に教えた。

 

…撮影されたばかりのVを、スタッフたちは食い入るように見ていた。

そこに映されている夜凪の表情。

シェアウォーターを飲んだ満足感が伝わってくる笑顔。

汗まみれなのに、美しい…。

 

皐月は、

「…。」

と黙り込んでしまう。

 

(映画や舞台で演技派と持てはやされたとしてそれが何!?)

 

(芸能人の主戦場はテレビなのよ)

 

夜凪に対して言ったそんな自分の言葉が思い出された。

 

それは、テレビ以外で活躍する役者を軽んじる発言。

先輩面して偉そうに語った自分を、皐月は(かえり)みた。

目には涙が浮かびそうになっていた…。

 

そんな皐月に、アリサは言葉を続けた。

 

「皐月。真似ることはないわ。ただ、覚えておきなさい」

 

「こういう役者もいる」

 

「こういう戦い方もある」

 

皐月は、アリサの言葉に聞き入り、そして夜凪を見つめた。

 

 

 

次にアリサは、アキラに話し掛けた。

 

「皐月はまだ若い。これから色んなものを見せていってあげたいのよ」

「…!」

 

「頬を痛ませることだけが、戦い方じゃないかも知れないから」

 

アキラは、これまでの自分に思いを()せた。

子供の頃に母親から言われた言葉を、長年に渡り守ってきた。

そんな芸能生活を過ごしてきた自分。

 

「…そうだね」

 

アキラは、自分がこの現場に連れてこられた意味を理解した。

 

(それでわざわざ僕を呼んだのか)

 

アキラにも、色々な戦い方を選ぶ道がある。

 

 

 

アリサは、砂浜に立っている夜凪に歩み寄る。

 

「さあ、景。あなたに入っている仕事はこれだけじゃない。これからしばらくの間、私が…」

 

…ここで乱入者が登場。

 

「私がしごいてあげるわ」

 

アリサの言葉に自分の言葉を被せてきたのは皐月。

二人の間に割って入り、より夜凪に近い位置で、皐月は腕組みで立っていた。

目を輝かせて、頬を朱に染めて、気合い十分の表情。

 

「…。」

 

「しごく?」

 

皐月に乱入されたアリサは無言。

夜凪は、普通に疑問に感じたことを尋ねた。

 

「だってあなた、自分の可愛さの売り方とか全然分かってないでしょ!」

 

「私が色々教えてあげるわよ! だって後輩の面倒を見るのが先輩の仕事だから!」

 

頬を赤らめながら先輩として指導していく意志を表明する皐月。

夜凪はそんな皐月を、(かわいい…)、と思いながら見る。

 

「いいわね!」

「うん」

 

うん、と返事しつつ、思わず皐月の頭を撫でてしまう夜凪。

 

「じゃまず、あの汗をいっぱい流すのどうやったのかきいてあげるわ! 教えてみなさい!」

「え…私が教えるの?」

 

ADが「次、写真撮影に入るのでよろしくお願いしまーす」と声を張っていた。

こんな感じで、夜凪のテレビCM撮影初挑戦は終わりを迎えた。

 

 

 

2週間後。

ギーナチョコレートのCM撮影。

フローリングの床、センターラグの上に座卓、右側に衣装用タンス、左側にベッド、という「部屋」のセット。

座卓には既に2人の女の子が付いている。

夜凪は、セットに足を踏み入れ、センターラグの上に立った。

 

「夜凪景です。役者です! よろしくお願いします!」

 

夜凪が挨拶した相手は、

 

雛森(ひなもり)小鳥(ことり)…18歳、グリーンレベル所属俳優

水野(みずの)(あおい)…17歳、オフィスAlice所属俳優

 

の2名。

 

「よろしくー」

「わぁ、新宿ガールだ。かわいい~」

 

雛森と水野の2人は、ニコォ、と返事した。

 

「ほら、真ん中真ん中」

「ごめんね。まだ羅刹女観てなくて」

 

「ううん…、じゃなくて、いいえ」

 

丸いクッションに座る雛森と水野の間に、夜凪用の丸いクッションが置いてある。

そこに座るように2人から勧められる夜凪。

 

 

 

…カメラテスト前。

 

水野は(はぁ、どうして私が千世子以外にセンター取られないといけないんだよ。何、この子…)などと考えていた。

 

雛森は(なぜかスターズが広告担当してるって話、マジだろうな。さっき星アリサいたし…。キナ臭い)などと考えていた。

 

…カメラテスト開始。

 

雛森は、

「ギーナチョコは子供の頃から大好きで! そのCMに出られるなんて嬉しいです!」

と、無難なしゃべり。

 

水野は、

「仲良しの友達に贈りたいチョコレートです。え? 彼氏はいないので~」

と、ぶりっ子気味のしゃべり。

 

そして夜凪は、

 

「ギーナチョコレートのすごいところは、カカオ83%でも85%でもなく84%のところなんです!」

 

「私、工場で色々な配分パターンのチョコを食べ比べしたんですけど、これが一番食べ易くて本当に美味しいんです!」

 

と、夜凪っぽさ全開。

 

「…。」

「…。」

 

他の2人は呆気にとられて言葉が出ない。

 

かまわずしゃべる夜凪。

 

「これは偶然かも知れないんですけど、他社のチョコと比べて一番湯煎し易くて、チョコケーキ作るのに便利なんです!」

 

「しかも定価は120円なんですけど、うちの近くのスーパーでは75円で一番安いんです!」

 

「皆さんも探せば75円で買えるかも知れません!」

 

真剣な顔つきで夜凪は、ペラペラペラペラ、とまくし立てた。

 

撮影スタッフの間で夜凪についての会話が始まる。

 

「ちょっと。あの子は何? ギーナの回し者?」

 

(小売店の安さをアピールされてもあれだけど…)

 

「商品に惚れ込んでからじゃないと、広告仕事やらないんだって彼女」

 

「いや、話にはきいてたけど異常だろ。怖いわ」

 

「タレントの鏡だな…」

 

雛森は、

(クッ…。こういう天然に見せかけたあざといタイプか)

(ちょっと新しい…。油断してた!)

と表情を引き締めた。

 

…夜凪の熱弁はまだ続く。

 

「あっ、でも。ルイとレイ…。私の弟妹の話なんですけど」

 

「…!」(←スタッフは「お!」という明るい表情になっています)

 

 

 

「ギーナはちょっと苦いから、マーブルチョコの方が好きらしいです」

 

 

 

…雛森と水野は心の中で、

 

「他社!?」

 

と同時に突っ込んだ。

 

「だから子供にはマーブルチョコの方がいいかも」

 

「カット! カット!」

 

現場の様子を見ている清水とアリサの会話。

「随分慣れてきたかと思いましたが、やはり怖いですね」

「いいのよ。あの子はあれで」

 

夜凪は、撮影用固定カメラの脚台にタヌキとキツネのお面を置いた。

「この子たちを観客に見立てたらお遊戯会みたいな感じで演じられるんです…。置いといていいですか?」

「い…いいけど、お遊戯会って…?」

現場の者たちは(変わった子だな)という目で夜凪を見た。

 

 

 

そしてメインとなる歌とダンスの撮影が始まった。

夜凪をセンターに、

 

「ギーナ ギーナ。チョコレートは青色ギーナ!」

 

と、3人で歌って踊る。

 

撮影を見守るスタッフたちは、夜凪の歌とダンスの演技を見て、多少面食らった顔を見せた。

 

「…いいね。全然いいよね」

 

「うん、思ったより良い…」

 

「たどたどしいけどタレント性があるというか」

 

「小鳥と葵を前に少しも(ひる)まないどころか…」

 

センターで光る物を見せる夜凪について感想を述べ合う。

そして、

 

 

「存在感でも勝っている気が」

 

 

そんなふうに、夜凪を見つめる。

 

アリサは、隣に立つ清水に見解を口にする。

 

「器量が良いだけじゃない」

 

「人のために懸命になれる者は無条件で他人を惹きつける」

 

「元々スター性はあったのよ、彼女には」

 

アリサは昔のスターズ、昔の夜凪との出会いを思い出していた。

 

(幸せになれる役者しか育てない。実力は関係ない)という考えだった

うちのオーディションに訪れたあなたを私は落とした

一度芝居の喜びを垣間見た人間はもう止まらない

そう分かっていて、私はあなたから逃げた

いつかこの世界で泣くくらいなら、私の見えないところで泣いてくれと…

 

 

…私はもうあなたたちから逃げない。

 

 

撮影現場を眺めつつ、そう決意したアリサ。

 

そんなアリサに話し掛ける者がいた。

 

「聞きましたよ、社長」

 

「知人に元井製薬の担当がいましてね」

 

アリサは、険しい視線を左に動かし、話し掛けてきた人物を見た。

 

天知…。

アリサの(そば)で天知が微笑を浮かべて立っていた。

 

天知は、

 

「芸能界に“本物”が現れたと」

 

と言葉を続けた。

 

アリサは、ビジネスに鼻が利くこの天知という男に告げた。

 

「仕掛けるのは来月から」

 

「…くれぐれも気をつけなさいよ、天知」

 

来月になると変わるであろう渋谷駅周辺の景色。

その未来予想図がアリサの脳裏に大きく描かれた。

渋谷駅ビルのライトアップ看板、歩道に立てられる大看板、商業ビル壁面に大きく(しつら)えられる広告。

 

それらが夜凪で埋め尽くされる…。

 

 

「もうじき、この国で夜凪景を知らない人間はいなくなるのだから」

 

 

 

               「scene111.本物」/おわり




以上が、アクタージュ「scene111.本物」の紹介となります。

絵面のインパクトはやはり最終ページの見開きの大ゴマでしょうね。
仕掛けた後の渋谷駅周辺の光景。
シェアウォーターを飲み、満足そうな顔をする夜凪のアップも素敵です。

そして、恰好いいのは想像の世界で走ってきて汗だくになる夜凪。

アリサから「夜凪のような戦い方もあると覚えておきなさい」と言われた皐月ですが、8歳の子供にはやや難しい話かと思います。
ただ、皐月は凄いことをやってのける夜凪に興味を持ったようですね。
テレビ業界では自分のほうに「一日の長」があるわけで、「色々教えてあげる」は皐月の本音でしょう。
まあ、結局は色々教えるという仕事はアリサが務めるわけですが。

今回、物語の上で重要なポイントがありました。
それはアリサが「逃げない」と決意したこと。
つまり、今後のスターズは「役者と向き合う」という方針に舵を切り始めるわけです。
当然、スターズに所属する多くの芸能人に影響があります。


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「112話目に相当する話」の紹介

4月某日。

この日は杉北高校の入学式が行われる日。

 

自転車で登校中の吉岡新太は、「ギーナ ギーナ。チョコレートは青色ギーナ」と歌いながら道を歩く小学生たちとすれ違う。

吉岡は、

「…はは」

と複雑な笑みを浮かべた。

 

電車で登校中の朝陽ひなは、「あっ」という声を上げた。

手に持ったスマホに、

「ギーナ ギーナ 青色ギーナ」

と夜凪が歌って踊るギーナチョコレートのCMが流れていた。

朝陽は、

(また? テレビでも、ネットでも)

と思いながら「…ふふ」と小さく笑った。

 

「なぁ、あの子かわいいよな」

「ああ、いいよね。デスアイランド観たんだけどさ」

 

電車内の誰かのそんな会話が朝陽の耳に入る。

会話をしている人が見ている物は電車の窓の外の大看板。

朝陽の目に、窓の向こう側の光景が映る。

 

大看板には、シェアウォーターを手に持ちニカッと笑う夜凪の姿があった。

 

電車内の扉の上部の広告枠にもシェアウォーターを手に持つ夜凪の姿。

大通りに並ぶ店が歩道に置いた夜凪の等身大パネル。

家電量販店の店頭に複数設置された大画面テレビに、同時に映るギーナのCM。

 

街のあちこちに、宣伝用の夜凪の映像や写真があった…。

 

 

 

…路面を蹴り、勢いよくダッシュ。

杉北高校の校門へと続く道。

その道を、全速力で走る制服姿の少女(夜凪)がいた。

 

「ねぇ今の」

 

「マジ?」

 

「えっ、本物?」

 

「メッチャ速かった」

 

『入学式』と書かれた立て看板の横を、バッ、と通り過ぎる。

 

「わっ」

 

驚いた男子生徒が声を上げた。

 

そんな声を置き去りに、夜凪は高校の敷地内へと駆け込む。

 

…「ふぅ」と息を吐く夜凪。

 

「ちょっと夜凪。どうしたの、朝から全速力で」

「声かけたけど、聞こえなかった?」

 

声を掛けてきたのは映像研究部の仲間である朝陽と吉岡。

夜凪は、

「あ、おはよう、2人共。久しぶり」

と、笑顔で答えた。

 

走ってきたせいで、夜凪はまだ顔に汗をかいていた。

 

朝陽が、

「もうフツーに有名人なんだから、目立つことやめなよ」

と何気なく助言をする。

 

夜凪は、

「うん」

それは分かっている、という感じの笑顔。

 

「でもどうせ変装してもバレちゃうし、走るのが一番だなって思ったの」

 

「え」

 

夜凪の言葉を聞いた朝陽と吉岡は顔を見合わせる。

 

「そっか、ごめん。やっぱり大変なんだね、有名になるって」

 

「ううん」

 

芸能人と一般人では、やはり色々と違う…。

 

「でも最近は走る必要ないかもって思ってて」

 

「…え? どういうこと?」

 

ちょうど、高校の敷地内にいる生徒たちから、

 

「見て見て。CMの」

 

「夜凪景だ。本当に北高の生徒だったんだ」

 

「北高受けて良かったー」

 

といった声が上がっていた…。

 

夜凪は、

「ほら」

と質問への回答を示唆(しさ)した。

 

「遠巻きで見てくるだけで、意外に近づいてこないの」

 

朝陽と吉岡は、

「あー」

と納得し、

 

「そっか。有名になり過ぎると、逆にそうなるんだね」

 

「私も渋谷で芸能人見かけた時、そうなったかも…」

 

それぞれに納得した理由を述べた。

 

会話の後、朝陽は寂しそうに「……。」と視線を落とした。

 

そんな朝陽に向かって吉岡は、

「なんか夜凪さん。どんどん遠くなっていくね」

と、暢気(のんき)なことを言った。

 

朝陽は、

 

「は…はぁ!?」

 

「フツーに全然そんなこと思わないけど!!」

 

と焦り気味に反応する。

 

…朝陽には、「芸能人である夜凪」と一緒の学校で高校生活を過ごす上で思うところがあった。

 

「ねぇ夜凪。今日クラス分けでしょ?」

「? うん」

 

そして自分が思うところを夜凪に伝えようとする朝陽。

 

「もし私たちクラス別々になっても部室で映画観たりできるじゃん?」

 

「だから忙しくても部活辞めることないと思うんだよね、フツーに…」

 

朝陽の話は重要な部分に差し掛かろうとしていたが、

 

 

 

パシャ

 

 

 

という「音」の横やりが入った。

 

「え…」

 

朝陽は困惑した声を漏らす。

 

「写真…?」

 

「誰が…」

 

犯人探しの空気が生まれた。

周囲に集まっていた生徒たちは、各々(おのおの)に反応を見せる。

固まった笑顔を見せて、自分じゃないよ、とアピールする生徒。

何者かによるその不届きな行為に呆れた顔を見せる生徒。

 

吉岡が、

 

「…だ」

 

と口を開く。

 

「誰だよ、今の!!」

 

「芸能人にだって肖像権あるんだぞ!?」

 

大声を出してしまった吉岡…。

 

すかさず夜凪が、

 

「大丈夫よ。吉岡君!」

 

と場を(おさ)めようとする。

 

真面目な表情で、目を大きく開いて、

 

「よくあることだから」

 

と、吉岡に理解を求める夜凪。

 

「キリがないの。一々気にしていたら」

 

夜凪にとっては自分が「芸能人」であることを忘れて、気を休められる場所。

そういう場所であるはずの学校敷地内。

その学校内でのこの出来事に、

「で…でも」

と、朝陽は心配そうに言葉を漏らす。

 

「ほら、クラス分け見に行きましょ。ね? ありがとう」

 

吉岡は、盗撮を許せない物と考えたわけだが、大声を出してしまったことで夜凪に気を遣わせてしまった。

夜凪にとっての「学校」の存在意義を考えてみても、その意義を壊しかねない吉岡の「正論を大声で言う」という判断は正しかったとは言えない。

吉岡は「……。」と黙り込んだ。

 

朝陽は、自分たちに気を遣う夜凪の背中を見ながら、「夜凪…」と寂しそうに呟く。

 

一方、盗撮犯。

その新入生と思われる男子生徒は、

(…フッ。よく撮れてる。今日から夜凪景と同じ学校の生徒かぁ)

と、ニヤけながら画像の確認をしていた。

 

 

 

「お前。クラスと名前は?」

 

 

 

花井遼馬が、その男子生徒の真後ろに立ち、凄みのある声を出した。

 

「え」

 

冷や汗をかきながら後ろを振り返る男子生徒。

振り返った目線が上を向く。

身長の低いその男子生徒と高身長の花井だと、自然とそういうアングルになる。

 

「クラスと名前は?」

 

花井は男子生徒を見下ろし、威圧感のある声を出す。

 

「リョーマ! データ消させるだけでいいから!」

大ごとにしたくない朝陽の言葉。

 

「リョーマ。私は大丈夫! また停学になっちゃうわ!」

夜凪は朝陽につられて「リョーマ」呼び(←夜凪は本来なら「花井君」と呼びます)。

 

夜凪の「また停学」という言葉に反応し、(ま…、また!?)とビビる男子生徒。

 

花井は、

「クラスと名前は?」

と、まだ詰め寄る。

 

男子生徒は、

「1年2組の田島です…。すみません」

と、泣きそうになりながら答えた。

 

花井は、

「…おい、夜凪」

と、今度は夜凪に声を掛ける。

 

目をぱちくりと大きく開けた夜凪は、

「は…、はい」

と、素直に可愛くお返事。

 

花井は、(おお)(かぶ)せるように腕を田島の肩に回して、

 

「1年2組の田島が、お前と写真撮りたいってよ」

 

と、不思議なことを言った。

 

予想外の言葉に、

 

「……。」

 

「ん?」

 

となる夜凪。

 

…講堂(体育館)では教師たちが不思議がっていた。

「…ねぇ。なんで入学式なのに、生徒こんな少ないの?」

「……。」

がらんとした講堂に、そんな言葉が虚しく漂った。

 

…校庭のほうは大盛況。

 

夜凪は元気よく口を大きく開けて、

 

「だからアキラ君とは熱愛してないし!」

 

「王賀美さんは全然乱暴な人じゃないわ!」

 

と生徒たちに説明する。

 

「ウソー。でもネットに書いてましたよ」

 

「本当だってば! じゃあ今本人に電話して聞いてみる!?」

 

「えっ、嘘。ヤバッ、アキラに電話!?」

 

「ちょっと夜凪先輩。それはやめた方がいいって!」

 

「だって誰も信じてくれないんだもの!」

 

「あははは。夜凪さん、面白い」

 

夜凪のもとに多くの生徒が集まり、質問やそれに対する夜凪の回答等でわいわいと盛り上がっていた。

 

その様子を見守っている映像研究部の3人。

「…あれ?」

「さっきまで皆、遠巻きから見てるだけだったのに…」

目の前の光景を不思議に思う朝陽と吉岡。

花井は真面目な顔つきで盛り上がっている様子を見つめる。

 

“腕を組んで一緒に写真”をリクエストしてくる女子生徒まで現れている。

夜凪は腕を組まれた状態で、両手でピースサインを作っている。

 

この状況が生まれるきっかけを作った花井が、

 

「半端にキョリ置くから、()(もの)扱いしちまうんだよ」

 

「お互いな」

 

と、解説。

 

吉岡は「…!」と理解する。

 

「学校の中くらい、そういうのいいだろ」

「そっか…! 流石元腫れ物」

「お前、やんのか」

 

花井と吉岡は(こういう感じでいいんじゃないか?)と互いの意見を確認中。

 

朝陽は、ほっ、と安堵の息を吐いていた。

生徒たちに囲まれている夜凪が楽しそうな顔を見せていたからだ(←夜凪のすぐ近くまで来ているのは女子だけです。さすがに男子たちは遠慮してちょっと離れています)。

 

「おい、お前ら! 進級早々何やってんだ!!」

「うお、やべ」

「あれ、チャイム鳴った?」

 

と、ようやく教師による介入が入った。

 

「早く体育館行け!! 入学式!」

 

「はーい!」

 

「夜凪さん、またね!」

 

「うん!」

 

教師に急かされて、校庭にいた生徒たちは体育館へと向かう。

夜凪は駆け足で向かう。

その隣を駆ける朝陽は、走りながら夜凪に、

「ねぇ夜凪。私たち、もしクラス別々になってても、フツーにさ。今まで通り…」

と、盗撮犯騒動で中断された話を再開させた。

 

「うん」

と夜凪は即答。

 

「私、新しい友達いっぱい作って、映研に勧誘するね」

 

朝陽は、期待通りの言葉を力強く告げてくれた夜凪に対し、

「うん」

と、返事して微笑んだ。

 

映像研究部4人の走りながらの会話。

 

「おい。部室の人口密度、増やすなよ」

 

「えー、増やそうよ。今年も映画撮るんだから」

 

「え、ホント? 私メイクやりたい! 夜凪の!」

 

「吉岡君、もう脚本あるの? 私どんな役?」

 

こんな感じに杉北高校の新年度はスタートした。

…夜凪景、高校3年生に進級。

 

 

 

スタジオ大黒天。

柊雪はスマホで通話中。

「はい。問題ないですよ、けいちゃんは。初めは戸惑っていたみたいですけど、もう全然」

 

雪は、デスクの上のカップにコーヒーを注ぎながら通話を続ける。

「うん。引っ越しも勧めたんですけどね。お母さんとの想い出があるからって。アリサさんは流石に不満そうだったけど。それより墨字さんはいつこっち戻ってくるの? けいちゃん、スターズに預けてからまだ一度も戻ってきてな…」

 

話の途中だった雪は、突如険しい顔で、

「…あ」

と、いう声を上げた。

 

「また勝手に切って、あのヒゲ…」

 

黒山は基本、自分が知りたいことさえ聞ければ自分の都合でさっさと電話を切ってしまう、そんな男だ。

 

 

 

都内、オフィス街。

商業ビルの一室にいる2人の男(黒山と天知)。

 

「もぅ十分じゃねぇのかよ。最近毎日テレビで観るぜ。夜凪のやつ」

 

「十分なものか。CMで得た知名度は、次の仕事のための名刺だ。その先に君の映画が待っている。そもそもクランクインまで夜凪さんを休ませるつもりか?」

「……。」

 

「矛盾してるよ、黒山。夜凪さんが有名になることを避けたがってるように見えるぞ」

「…そうじゃねぇよ」

 

黒山と天知がビジネスの話をしていた。

2人並んで下座の席に座り、他の席は空席。

 

「ただ、余計なリスクを背負わせる必要はねぇだろ」

「…はは」

 

…そして天知の持論が展開される。

「元より芸能はギャンブルだ。リスクが怖いなら転職させるといい」

「夜凪景で映画を撮りたい」

「だがリスクは避けたい」

「黒山、君のそれは優しさじゃない。甘えだよ。自分に対するね」

 

それまでムスッと無言で天知の論を聞いていた黒山は、指をポキポキ鳴らしながら、

「誰が甘えって。このノッポ」

と、顔に青筋を立てた。

 

「お、やるかい? 勝てば愉快。負けても賠償金を絞り取るよ」

 

ここで待ち人登場。

部屋の中に9名の人たちが入ってきた。

 

「すみません。お待たせしまして」

 

「いえ、お時間頂き、ありがとうございます」

 

「企画書は拝見しています。お会いできて光栄です。黒山監督」

 

「どうも」

 

儀礼的な言葉を交わし、全員が着席した。

 

そして、天知1人が立ち上がった。

 

「さて、これは良い話です」

 

天知の語りが始まった。

 

「黒山墨字の初大作映画となるだけでなく、夜凪景の初主演作品にもなります」

 

次に天知は、「夜凪景」について説明する。

 

「まだ知名度に不安を覚えるかも知れませんが、ご存知の通り、彼女の活躍は飛ぶ鳥を落とす勢い。公開は2年後目標ですが、その頃には比類ない女優となっていることでしょう。そのためにも今、テレビの方に注力しています」

 

集まった人の中から「テレビですか」という声が出て、天知は「はい」と答えた。

 

 

「テレビドラマです」

 

 

スタジオ大黒天で、資料を管理する作業中の雪。

雪が手に持つ資料には「オーディションのお知らせ。MHK大河ドラマ」の文字があった。

そして雪のデスクの上には、オーディション申し込みに使用する夜凪の宣材資料が置かれていた。

 

               「scene112.有名人」/おわり




以上が、アクタージュ「scene112.有名人」の紹介となります。

絵面では、目をぱちくりと大きく開けて「は…、はい」と言う夜凪が可愛いです…。
広告用の「シェアウォーターを手に持ちニカッと笑う夜凪」の写真はなかなかに良いセンスです。

ちなみに、この「scene112.有名人」はアクタージュ世界の「時間の進み」が初めて明確に示された回となります。
夜凪が高校3年生になった、という部分ですね。

物語の上では、黒山の映画の公開予定が2年後目標であることが明かされた点が大きいです。
あと、夜凪の次の仕事が「大河ドラマ」であること。

アクタージュとしては珍しく、絵面として目立つ箇所は少なめです。


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「113話目に相当する話」の紹介

スターズ事務所の一室に、夜凪、アキラ、皐月の3人がいた。

テーブルに付き、椅子に座ってジュースを飲みながらのおしゃべり。

 

アキラは、

 

「自分で選ぼうと思ったんだよ、自分の出演する作品を」

 

「夜凪君みたいに」

 

と、仕事に対する自身の考えを述べる。

 

「少し前なら母さんに一蹴(いっしゅう)されただろうけどね」

 

「受け入れてくれたよ」

 

夜凪はストローでジュースを、ちゅ~、と吸い上げながら聞き役を務める。

 

アキラは、

 

「10代の僕は10代のうちしか演じられないから」

 

爽やかな笑顔でそう言った。

 

皐月が、ブン、と身を乗り出し、

 

「ちょっとアキラ! それじゃ私が子供みたいじゃない!!」

 

とアキラに噛みついた。

 

皐月は顔を赤くして夜凪の方を見る。

 

「私には私にふさわしいお仕事しか入ってこないの!」

 

「アリサさんはその辺、分かってくれてるから任せてるの、私は! 分かる!?」

 

夜凪に向けて熱弁。

この3人の中で自分だけが「自分で仕事を選んでいない」ことで、「自立していない人」扱いされるのが嫌らしい。

 

アキラは、別に「自分で選ぶことが立派」だと考えているわけではないので、

「そ、そうだね。それもいいと思うよ(なぜ夜凪君に…)」

と、皐月をなだめる。

 

このやりとりで「……。」と(うつむ)いて押し黙る夜凪に、アキラは「? どうかした?」と尋ねた。

 

「私みたいにって言ったけど。私、自分でお仕事選んだことないわ」

「…! ああ、そうだったんだ。僕はてっきり」

 

「うん。そういうのは全部、黒山さん任せだったから」

 

…3人の話題は「黒山」へと移った。

 

「ふーん。スタジオ大黒天なんて聞いたこともないけど」

「?」

 

「割と優秀みたいね。そのクロヤマサンって」

「…!」

 

その皐月の言葉を聞いた夜凪は「そうなの?」とアキラに訊いた。

アキラは「そうだね」と即答。

 

「君がスターズのオーディションにやってきた時、僕は君の力を見抜けなかった」

 

オーディションの時の出来事を思い出す。

 

自分は、

(課題は「悲しみ」のはずだ!)

(それをただつっ立って! 冷やかしなら帰ってくれ!)

と夜凪に告げた

 

黒山は、

(アキラ君 ママには内緒で夜凪を…)

画策(かくさく)した

 

アキラは言葉を続ける。

 

「でも黒山さんは違った。優秀に決まってるよ」

 

「君をこの世界に招いたのは彼なんだから」

 

夜凪は、アキラの言うことに無言で聞き入った。

 

 

 

スタジオ大黒天。

(そう。私を選んだのは黒山さんなのに、最近姿を見せない)

夜凪は、別にいいんだけど、と心中で呟きながら、書架にある資料群の中の「何か」を探している。

 

(思えば“羅刹女”から、まともに会話もしていない気がする)

探し物を続けながら、別にいいんだけど、とまた心中で呟く。

 

(アリサさんにお世話になって、CMが流れるようになってからは一度も顔を見ていない気がする)

書架を丹念に調べながら、別にいいんだけど、とさらに呟く。

 

(別にいいんだけど、なんかムカつくわ)

 

色々仕事で頑張っているのに「放ったらかし」という扱いを受けていることに不満がある夜凪。

 

夜凪は事務所の外の気配に気づく。

「…! 声…!?(まずい! 雪ちゃんが戻ってきた!?)」

 

慌てた夜凪は、床に散らかっていた書類を踏んづけてしまい、

「あ…」

と言う声とともに、つるん、と足を滑らせた。

 

事務所の外。

雪は階段を昇りながらスマホで通話中。

 

「だーかーら、常にきてるんですって! けいちゃんへのオファーが! 私の判断で対応する訳にはいかないでしょ!? これ以上スターズには甘えられませんって!」

 

階段を、タン、タン、タン、タン、と昇る雪。

 

「だから早く戻ってきてって! え? はい。MHKのオーディションは受けるようにしましたけど…。え? それだけでいい? せっかくこんなにオファー来てるのに。…あ」

 

雪は、

「また一方的に切って…」

とスマホ画面を見つめた。

 

そして事務所内から響く、ガタタン、という音。

ドアを開け中に入ると、盛大に床にぶちまけられた書架の資料群の中に、ぐちゃあ、と横たわっている夜凪の姿があった。

 

「…何してるの」

 

「…別に?」

 

「別にって…」

 

そして雪は気づいた。

床に散らかった物の中に黒山の過去作品のビデオがあることに。

 

「それ探していたの? 墨字さんの映画」

「え」

 

夜凪は、自分のすぐ横に探していたビデオがあるのを見て、

「あ。あった」

と声を出した。

 

「興味あるんだ? 墨字さんの映画」

「え」

 

雪が、

 

「千世子ちゃんの演出すごかったもんねぇ」

 

「そりゃ流石に気になってくるよねぇ、墨字さんのこと」

 

そんなふうに、いきなり「夜凪の気持ちは分かる」という感じでしゃべり始めたので、夜凪は目を見開いて思考停止状態。

 

「言ってくれたらよかったのに。いいよ、それ、持っていって」

「…。」

 

…床に転がっていた夜凪は上体を起こした。

 

「な、何のこと? ルイに頼まれてアニメを探しに来ただけですけど?」

 

「黒山さん? あーあのヒゲのこと? 最近見ないわね(そーいえば)」

 

目を逸らし、冷や汗を流しながらしゃべる夜凪。

 

雪は、

 

「………。」

 

と事務所の宝である夜凪を凝視する。

 

夜凪はそそくさと帰っていく。

 

「じゃ、じゃあお邪魔しました」

 

(この子…。…本当に役者か?)

 

 

 

TSUTAYAにやってきた夜凪。

キャップにサングラスに髪型ポニテと変装もばっちり。

役者仲間の湯島茜と源真咲についてきてもらった。

 

「それで、わざわざレンタルショップなんや」

「うん。2人なら映画に詳しいと思って」

 

店内を歩く3人。

 

「事務所からは、もう借りられないの。なぜかとっさに興味ないふりしてしまったから」

 

「まずそれが、なんでなんだよ」

 

「分かってへんな、真咲ちゃん。夜凪ちゃんも乙女ってことやろ」

 

「ん?」

 

茜が無邪気な笑顔で、

「年上で出来る演出家って魅力的に見えたりすんねんな」

と、「夜凪ちゃんも乙女」について解説。

 

 

闇のオーラをまとい、歯をギリリと噛んで怒りの視線を茜に向ける夜凪。

 

 

「ち…違うみたいだぞ。謝れよ、茜さん」

「ご…ごめん」

 

ここで真咲が、

「まぁでも、俺は羨ましいよ」

と、そんなことを口にした。

 

「自分に惚れてくれた監督に惚れ込めるなんて、役者冥利に尽きるだろ」

 

この真咲の言葉に、夜凪は少し驚いた表情を見せた。

 

「だから惚れたとかって意味ちゃうんやろ」

「そういう意味じゃねーよ」

 

真咲が言っているのは、「この役者を撮りたいと願っている監督に対して、この監督に撮ってもらいたいと思えることは、その役者にとって幸せなことだ」という意味だ。

 

「お、いた」

真咲が店員の姿を見つけた。

 

「すんません。黒山墨字って監督の作品置いてますか?」

「あーはいはい。黒山監督ね」

 

夜凪が、

「知られてる…」

と呟く。

 

店員は、

「そりゃ俺だって名前くらいは知ってるよ。黒山墨字」

すかさず反応。

 

夜凪は、

「ゆ…有名なのね? 黒山さん」

と言いつつ、口元が捻じれた変な表情を見せた。

 

真咲はその表情を見て(嬉しそうだな…)と解釈した。

 

「でも、うちには置いてないんですよね」

 

「え」

 

 

 

空に三日月が浮かんでいた。

公園を抜ける歩道を夜凪は1人、とぼとぼ、と歩いた。

 

「はあ」

 

(あのあと何軒か回ったけど、結局黒山さんの作品は見つからなかった)

 

黒山の名前を知っていると言った最初の店の店員とこんなやりとりをした。

 

「あの。店員さんは黒山さんの映画観たことありますか?」

「ああ、はい。昔、ミニシアターで」

 

「ど…どうでしたか…? 黒山さんの映画…」

「…うーん。正直、ちょっとよく分かんなかったスね、俺には」

 

そのやりとりを険しい顔つきで夜凪は思い出していた。

 

(どうして私、イライラしてるんだろう)

 

 

 

…1本の映画のために、70億人からたった一人を探し続けてる

 

…俺が撮りたいのはお前の愛情だ

 

…私って思ったより綺麗なのね……浮かれてんな、バァカ!! お前の才能はあんなもんじゃねぇんだよ!

 

…お前の芝居を世界に届けるのはこの俺だ……うん、よろしく

 

 

 

過去に交わした会話が思い起こされる。

黒山が演出家を務めた「羅刹女」での千世子の凄い演技も思い起こされる。

へらへら笑いながら「正直、ちょっとよく分かんなかったスね」と言った店員の姿も思い起こされる。

 

 

「…何よ。あの店員」

 

 

夜凪は自分の今の心理状態に驚き、

「…ん?」

と立ち止まった。

 

「あれ? 私、今怒ってた? ヒゲのことで? 作品も観たことないのに…?」

 

アキラが(自分で選ぼうと思ったんだ。自分の出演する作品を)と言っていたことが思い出された。

 

私が出演したい作品…。

 

黒山は(ずっと待っていた。お前のような奴がこっち側に来るのを)と言っていた…。

 

夜凪は、木立ちの向こうにある商業ビルの壁面に大きくライトアップされているシェアウォーターの看板を見上げた。

 

「私、もう“こっち側”に来たわよ。黒山さん」

 

大看板に真剣な眼差しを向けていた夜凪は、プルルルル、という音にビクッとなった。

 

黒山からの電話だった。

 

 

 

…日が変わって。

この日は、黒山と映画館に行く予定の夜凪。

渋谷駅で待ち合わせ。

 

いつも通り黒いシャツに黒いパンツ姿の黒山。

「おう」

 

ちゃんとした外出用の服装にハットにサングラスの夜凪。

「うん」

 

「行くか」

「あ、うん」

 

目的地まで歩く二人。

 

「私、次のオーディションまでしばらくお休みだって」

「ああ、聞いた」

 

「聞いたじゃないでしょ。雪ちゃん、怒ってたわよ、全然帰ってこないって」

「忙しいんだよ、今」

 

「私を映画に誘う時間はあるのに?」

「そういうのも仕事だろ、俺の。それより何だよ、よそ行きみたいな格好して」

 

「…? 当然でしょ。映画観に行くんだから」

「あ? 何だよ、映画くらいで」

 

ここで黒山は「……。」と少し考える。

 

「いや…そうだな」

 

と意見を改める。

 

「特別な場所だもんな。映画館って」

「? 当然でしょ? テレビより大きい画面で、ポップコーン食べて、皆で観るのよ?」

 

そして目的地に到着した2人。

上映のラインナップに、「たんぽぽ」という映画のポスターがあった。

ポスターには「黒山墨字 監督作品」の文字があった。

 

何の映画を見るかは知らされていなかった夜凪は、まじまじとその文字を見つめた。

 

「お前。俺の映画、まだ観てなかったよな」

「あ…あー、そうね! そういえば、そうね!」

 

しどろもどろになりながら、

「ちょ、丁度良かったわ! 私しばらくお休みだから、色んな映画を観たいと思ってたとこだったのよ!」

と口にする夜凪。

 

「…なんか変だぞ、お前」

「な、何が?」

 

(黒山さんの映画…)

 

映画館のあるビルのほうへ足を踏み出しながら夜凪は思う。

 

(ああ、私。ワクワクしている)

 

               「scene113.役者冥利」/おわり




以上が、アクタージュ「scene113.役者冥利」の紹介となります。

扉絵は、キャップにポニーテールの夜凪(サングラスはしていません)。
腰から上のアップで、アングルは少し斜め(目は正面を見ています)。
相変わらず可愛い夜凪です。

「自分に惚れてくれた監督に惚れ込めるなんて、役者冥利に尽きるだろ」という真咲の言葉から副題が採られています。

無論、夜凪と黒山のお出掛けはデートではありません。

なお、この「scene113.役者冥利」で黒山が「忙しいんだよ、今」と言っています。
これは前回に天知としていたようなことを進めているわけです。
ようするにスポンサー集めですね。
黒山は自力で企画を立ち上げるほどの蓄えを持っていません。

金策に頑張らなければならない立場です。


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「114話目に相当する話」の紹介

チケット購入の手続きをする黒山の背後で、夜凪は(やっと観れる。黒山さんの映画)と緊張気味の表情になっていた。

 

「よし、じゃあ行くぞ」

「え? どこに? 今から上映でしょ?」

 

「俺の映画は夜からだよ」

「あ、ほんとだ」

 

上映時間は「19:00~」となっていた。

 

「それまで暇だろ」

 

黒山が、

「今日は映画館梯子(はしご)して、映画三昧(ざんまい)といこうぜ。役者らしくよ」

と提案し、色んな映画を観て回ることになった。

 

映画を観て回る間の夜凪の様子は、

 

基本、食い入るように映像を見つめる

びっくりするシーンでは、びくっ、と大きくリアクション

悲しいシーンでは、涙が頬を(つた)って(あご)に届く勢いで泣く

 

という感じ。

 

3ヶ所の映画館を渡り歩いた2人は、一旦喫茶店へと入った。

 

「…はぁ」

「…何だよ。たかだか3本続けて観ただけでダウンか?」

 

夜凪は、

「…ううん」

と否定する。

 

「ただ最後の作品…途中から主人公のことがよく分からなくなってしまって」

 

夜凪は自分が感じたことを話す。

 

「私、あの主人公なら声を殺して泣くと思うの。でも彼は人目も憚らず声を上げて泣いたでしょ。そこからついていけなくなったの。プライドの高い彼ならきっと誰にも弱いところを見せないはずなのにって」

 

夜凪の話を聞いた黒山は、やや張りつめた表情になった。

 

「? どうかした?」

「…いや」

 

そして、黒山は映画と観客に関する一般的な意見を述べた。

 

「そういうこともあるだろ。そいつの性格があまりに自分からかけ離れてりゃな。映画の好みなんて、所詮相性だからよ」

 

 

(怖いな)

 

 

カウンターに顔を伏せて休んでいる夜凪を見ながら、黒山はそう思った。

 

役が役らしからぬ動きをする作品ってのは案外多い

監督や役者がその役を理解し切っていない時に見られる現象だ

こいつ(夜凪)はもう下手な作り手以上に、役の気持ちに立てる

作り手からしたら、一番恐ろしい観客だ

 

…いや

 

一番嬉しい観客か

 

「そろそろだ。戻ろうぜ」

黒山は、顔を伏せている夜凪に声を掛けた。

 

 

 

夜凪と黒山は上映室入口の前に立った。

 

「つ…、ついにね」

 

表情も声もカチコチの夜凪。

 

「なんで、お前が緊張してんだよ」

「し、してないわよ」

 

そして緊張した顔のまま、

 

「ただ…、なんというか」

 

「黒山さんの映画、つまんなかったらどうしようって」

 

と、夜凪は心情を告げた。

 

黒山の反応は、

 

「はっ」

 

と、小さな笑い。

 

「な、何、笑ってるのよ! だって嫌でしょ! 自分がすごいと思ってる人の作品が面白くなかったら!」

 

と声に出してしまった夜凪だが、すぐに我に返って「……。」となり、

 

「…別に、すごいとは思ってないけど?」

 

と、もにょっとした口調で自身の言葉を否定した。

 

「…気にし過ぎだよ」

と、黒山は落ち着いた口調で言う。

 

「映画の良し悪しなんて所詮好み、…相性だろ」

 

そんなやりとりがあって、やっと2人は席に着いた。

 

(…相性か。考えたことなかった)

 

そう思いつつ、夜凪の目はスクリーンに向けられていた。

 

…もうすぐ始まる。

 

黒山墨字監督作品「たんぽぽ」が、…始まった。

 

夜凪は目をしっかり開いて、映像を見つめた。

 

 

スクリーンいっぱいに広がる「腰から上の女性の後ろ姿。その女性がベランダから町の景色をただ眺めているだけ」という映像。

 

 

それは奇妙な映画だった

一人の女性の日常をただ描いているだけの映画

その映画はしかし その女性の顔をただの一度もフレームに収めることがなかったから…

 

それは奇妙な体験だった

彼女の顔を一度も見ていない事実に私が気づいたのは エンドロールが終わった後だったから…

 

 

 

上映室の扉が開かれ、鑑賞を終えた客たちがぞろぞろと出てきた。

 

「羅刹女の人の作品っていうから観に来たけど…」

 

「うん…。全然よく分からなかったね」

 

「一応、賞とか取ってるんでしょ?」

 

「アートっていうの? ああいうの」

 

他の客が皆退室しても、まだ夜凪は席に座っていた。

夜凪が席を立たないので、黒山も座っていた。

 

「…どうした?」

 

黒山から問われても、夜凪は口を閉じていた。

やがて夜凪はその口を開き、

 

「あの主演の人。きっとお芝居をしてなかった」

 

と、真面目な口調で言った。

 

「観客に何かを表現しようなんて少しも考えてなかった。なのに表現できていた。表情が見えなくても、彼女がどんな気持ちか分かった」

 

夜凪はアリサとの会話を思い出した。

(人が人に何かを紹介する時はどんな時?)

(好きなものを好きになって欲しい時)

 

そして真咲がレンタルショップで言ったことを思い出した。

 

「友達も言っていたの」

 

(惚れてくれた監督に惚れ込めるなんて、役者冥利に尽きるだろ)

 

「これはそういうラブレターみたいな映画だったんだと思う」

 

夜凪は「たんぽぽ」から感じたことを言葉にしていく。

 

「この役者さん。幸せだと思う」

 

「今日、私。この映画に出会えて良かった」

 

黒山は、夜凪の言葉を真剣に受け止めていた。

そして、

「…はぁ、そうか…」

と中途半端な言葉を呟いた。

 

「…? 何?」

「…いや。ほっとしたのかな」

 

「お前にフられる可能性も考えていた。いくら映画の好みは相性だっつってもよ。できれば、お前には望んで俺の映画に出て欲しかった。少し安心したよ」

 

「…黒山さん。私、これから自分の出演する作品は自分で選びたいの」

 

「いつ私で撮ってくれるの?」

 

真面目に自分の考えを言葉にする夜凪に対して、黒山はまず昔を振り返る話をした。

 

「これ(たんぽぽ)はよ。16年も前、ハタチのガキだった俺が撮った自主制だ。国内じゃ誰にも相手にされなかったが、なぜか海外で持ち上げられてよ。未だにちょくちょく上映して貰ってる。流通はさせんなって俺が()めてるけどな。当時の俺にはこれが精一杯だった。一人の女の美しさを描くだけで精一杯だった」

 

黒山は椅子から腰を上げ、床に立った。

 

「今はもう違う。世界のことを少しだけ知った」

 

「撮りたい映画じゃない。撮らなければいけない映画が見えるようになってきた」

 

「そのための力がまだ足りない。俺にもお前にも」

 

座ったまま話を聞いていた夜凪も立ち上がった。

黒山は言葉を続けた。

 

「でもすぐそこまで来ている」

 

「都会の若者だけに知られる役者じゃだめなんだ。田舎のジジィやババァにも知られるような、そういう役者じゃねぇと」

 

夜凪は黒山の正面に立ち、言葉を聞いていた。

そんな夜凪に黒山は、

 

 

「最後の総仕上げだ、夜凪。オーディションで役を勝ち取って来てくれ」

 

 

と、お願いの言葉をぶつけた。

夜凪は、引き締まった良い笑顔でその言葉を受け止めた。

 

「分かった。任せて」

 

 

 

MHK編成部内、オーディションスタッフルーム。

書類を見て、意見を述べる制作関係者がいた。

 

新名(にいな)(なつ)(18)

「アイドル出身ながら本郷監督の新作で主演を張り、民放ゴールデンでの出演も決まっている実力派です」

 

阿笠(あがさ)みみ(19)

「去年ブルーリボン賞で助演女優賞を取ってますが、ドラマでは目立った活躍はまだなく、ブレイクが約束されていると言えます」

 

日尾(ひお)和葉(かずは)(17)

「モデル出身ですが、オフィスベリーに移籍してからドラマやCM中心に活躍してます。今年、西映で主演も決まっており、去年まで芝居未経験とは思えない才能を見せています」

 

夜凪(よなぎ)(けい)(17)

「巌裕次郎の遺作など舞台での活躍が目立ってましたが、一時期新宿ガールとネットで騒がれていた子です。鳴乃皐月とCM共演したことでも話題になりました」

 

「旬なのはこの辺ですね。芝居も本物ですし」

 

「誰を取っても期待できる顔ぶれです」

 

「おい。オーディションに固定観念を持ち込むな」

 

「あ、すみません」

 

…スタッフルームのドアを、ガチャ、と開ける者がいた。

 

「おはよ~」

 

「…!」

 

「ちょ…え!? (たまき)さん!? どうしてここに…!?」

 

「えー。どうしてって」

 

“環さん”と呼ばれた女性は、コツ、コツ、と部屋の中を進む。

 

「そりゃ見たいじゃん。私の十代の頃を演じてくれる子を決める訳でしょ?」

「……。」

 

先刻「オーディションに固定観念を持ち込むな」と言った男の傍に、“環さん”は立ち止まった。

 

「邪魔するなよ」

「大丈夫、大丈夫」

 

書類を見ながら女性は、

「“今の”墨字君のお気に入りか…」

と口元に笑みを浮かべた。

 

そんなふうに言った女性は、夜凪景の書類の上に、とん、と右手を置いた。

 

「嫉妬させてくれよ。新人」

 

 

 

オーディションに臨む役者たちの控室。

 

(オーディションか。随分久しぶりな気がする)

 

気合い十分な雰囲気の夜凪は、「よし」、と呟く。

 

(まずは証明しよう。私がこの中で一番だって)

 

 

               「scene114.役者冥利②」/おわり




以上が、アクタージュ「scene114.役者冥利②」の紹介となります。

絵面としての注目箇所は、やはり「たんぽぽ」の映像でしょうね。
海外で評価された黒山作品の画が、アクタージュ内で初めてきっちりと描かれました。
スクリーンには「女性の後ろ姿と平凡な日本の住宅街」が映っています。

なお、今回から初登場の「環さん」の顔はまだはっきりとは描かれていません。


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「115話目に相当する話」の紹介

とある撮影スタジオにて。

 

「突然やってきて何かと思えば、必ずオーディションに受かる方法?」

 

「あるはずないでしょ、そんなもの」

 

撮影現場内を歩くアリサ。

その後ろをついてまわる夜凪。

 

「でも私、今度のオーディションは必ず絶対に受かりたいの!」

「スタジオでは静かになさい、景」

 

現場にいるスタッフたちは、

(夜凪景だ…)

(夜凪景がいる…)

(新宿ガールと星アリサ…)

と、二人が歩いてる方に目を向けた。

 

結局、アリサは立ち止まって夜凪と話を始めた。

 

「景。去年のスターズのオーディション、なぜ私があなたを落としたか分かる?」

「…!」

 

少し考えてから、夜凪はおそるおそる、

「…シュ、シュミ?」

と回答した。

 

「そうよ」

「そうなの!?」

 

アリサはオーディションがどういうものかを夜凪に語って聞かせる。

 

「監督やキャスティングの趣味や方針。役と印象が合うか。他のキャストとのバランスに、政治的な戦略」

 

「オーディションは加点式のテストじゃない。相性を見るためのお見合いよ」

 

「ましてや“大河”のオーディションとなると、千世子に引けをとらない有名どころも受けにくる」

 

「必勝法なんて、ありはしないわ」

 

会議用の長机がずらりと並べられた大部屋。

書類選考を通過した40名が席に付いて待機する中、夜凪は周囲の面々に目をやった。

 

確かにデスアイランドの時と違う

あの人も、あの人も、あの人も、どこかで見たことがある気がする…

 

「それではオーディションを始めます。4人ごとに番号でお呼びします」

 

スタッフの1人が大部屋のドアを開けて、そう告げた。

 

(よし…! まずは証明しよう。私が一番だって)

 

 

 

 

別室に移動した4人が横に並べられた椅子にそれぞれ座った。

新名夏は、

(さあ、落ち着け、新名夏。お前なら出来る。大丈夫だ)

と自分に言い聞かせた。

 

正面数メートル先の長机に付いている8名。

机の上に資料を置き、自分たち4人のほうを向いて座る審査員の人たち。

部屋の壁際にも関係者らしき人たちがいて、立ったままこちらを見ている。

 

夏は自分以外の3名を横目で観察する。

 

阿笠みみに日尾和葉か

やっぱ大河ともなるとこのレベルの子たちがオーディション受けるんだな…

一人知らない子がいるけど、無名でも上手い子はたくさんいる

 

…夏は、お団子ヘアーに黒縁メガネの「知らない子」の横顔を見た。

 

待合室で私よりキャリア浅い子 夜凪景しかいなかったし、きっとこの子もキャリアでは私より上

 

油断できない…

 

 

 

オーディションに関する説明が始まった。

 

「チーフ監督の犬井(いぬい)五郎(ごろう)です。さて始めますか」

 

犬井が詳細について語る。

 

「大河ドラマ『キネマのうた』は、戦後の日本の映画界を支えた女優・薬師寺真波(やくしじまなみ)の半生を描いた作品です」

 

「主演薬師寺真波役は(たまき)(れん)

 

「今回は、その環蓮の少女時代とその当時の共演者3人の女優を決めるオーディションです」

 

「奇しくも君たちと同じ立場の少女を描いた物語です。やり易いでしょう」

 

そして審査が開始された。

犬井から質問が提示される。

 

「まずは簡単な質問をさせて下さい。今回、このオーディションをお受けになった理由は何ですか?」

 

夏は「…。」と少し考えてから、

「えっと、誰からですか?」

と犬井に尋ねた。

 

「それは問いません」

「え?」

 

壁に(もた)れて立っていたキャップを被った女性から声が飛んできた。

 

「自主性とか、コミュ力とかも見てんだよ。性格悪いよね」

 

「君は見学だって言ったろ。黙ってろ」

 

唐突な「声」の介入に、夏は少し驚く。

そして、そのキャップ姿の女性に目をやり、

「嘘」

と声を漏らす。

 

 

…その女性は、環蓮。33歳。「キネマのうた」の主演を務める女優だ。

 

 

環はオーディションに挑む4人に向けて、フランクにしゃべり始めた。

 

「ねぇ知ってる? 10代の頃の私なんて私がそのまま演じるって言ったんだよ。まだまだいけるってね、あはは」

 

「でも、こうして見ると肌が全然違うね10代って。ちょっとショック」

 

「大河で女が主演って8年ぶりなんだって。今年は私たち、女の年だ」

 

「緊張してたら損だよ。がんばって」

 

 

 

夏は(環蓮…。すごい。初めて会った!)と、はしゃぎ気味に、

「は…はい! じゃ私から」

と、笑顔で声を張った。

 

しかし、夏の宣言を無視して、阿笠が先に答え始める。

 

「私はテレビの仕事が好きではありません」

「…!」

 

「特に民放ドラマは1シーンあたりの撮影時間が映画の半分とかで稽古なんか全然ないし。そんなんじゃ芝居に(こだわ)れない。芝居の喜びを味わえないと思うんです」

 

「だけど大河は別です。稽古も入念で、作品も面白いです。大河ほど俳優にとってキャリアになるドラマもありません」

 

「何より、今年の主演は環蓮さんです。必ず受かりたいと思っています」

 

(りん)とした表情で、阿笠は回答を言い終えた。

宣言を遮られる形で先を越された夏は、(阿笠みみ…。すごい自信)と警戒モード。

 

「あはは。私、あの子好き。正直で」

 

「黙ってろって」

 

環のおしゃべりを犬井が注意する。

 

そして、

 

「なんかムカつくの私だけですか?」

「…!」

 

日尾和葉の発言によって唐突に険悪な空気が生まれる。

夏は、日尾と阿笠の雰囲気に多少ビビる。

 

一旦、横目で鋭く隣の日尾を睨んでから、阿笠は口調を抑えて、

「…何が?」

と、落ち着いた表情を作って見せた。

 

言われた日尾は、

「は?」

という反応。

 

夏は、

(ひぃ…)

という反応。

 

「ここは喧嘩する場所じゃないよ」

 

犬井の言葉に、「?」となる阿笠。

阿笠は、自分は喧嘩を回避する対応だったでしょ、と思っている。

 

「私がムカついてんのは阿笠サンに対してじゃない。あなたの質問に対してです」

「…!」

 

「オーディションの案内、うちらの事務所に送ってきたのはあなた達でしょ。今日ここに来た理由なんて、事務所の意向に尽きるに決まってます」

 

髪をいじりながら日尾は言葉を続けた。

そして、

「私は偶々(たまたま)才能があって偶々(たまたま)お金がなかったから女優やってるんです。なのに大河のギャラって民放の半分もないんでしょ。できれば落として欲しいです」

と、真面目な顔で主張した。

 

「なるほど」

 

「あはは。正直者ばっかだなぁ」

 

夏は、

(日尾和葉…。噂にはきいてたけど、本当にこんな性格してるんだ。どうして売れてるんだろ)

怪訝(けげん)に思う。

 

「それでいうなら私も事務所の意向です。でも私はその意向に納得しているし、私も必ず今日役を(もら)うつもりです。よろしくお願いします」

 

次に回答したのは、 お団子ヘアーに黒縁メガネの女の子。

笑顔で淀みなく言葉を言い切った女の子に対し、

(見たことない子なのにすごい自信…。きっと上手い子なんだろうな)

と、夏はそんな印象を持つ。

 

(上手い子は皆、自分を持っているから)

 

黒縁メガネの女の子の大人しそうな横顔を見ながら、夏はそう考えた。

じゃ私から、と宣言したのに、状況判断に振り回されているうちに結局最後になってしまった夏。

 

犬井が、

「最後に、君は?」

と告げた。

 

「あっ、はい。私は以前アイドルをしてまして…!」

 

「それは知ってるよ。この中じゃ一番の有名人だからね。君は」

 

その言葉に夏は、「…!」、と表情を硬くさせてしまう。

 

ここで、

「新名夏 総選挙で3位 センター張ってたしね CMの起用数もファンの数も一番でしょ」

夏と犬井のやりとりを見ていた環から、「助け船」的な言葉が出された。

 

「きょ、恐縮です…! 私は元々女優志望だったんですが、なぜかアイドルとしてデビューしてしまって。実力はまだまだって自覚してますが、今遅れを取り戻すつもりで…!」

 

「まぁ、君はいいか。じゃあそろそろ始めます」

 

犬井はオーディションの次の工程である「本読み」に移る旨を告げた。

 

(えええ! あーダメだコレ。落ちるパターンの時のやつだ!)

 

夏は、涙目になりながら犬井の態度を分析する。

 

しかし、オーディションはまだ終わっていない。

夏は、気を取り直してオーディション用台本を開く。

 

(オーディション内容は、エチュードじゃなくてただの本読み。実力は認めてくれていて、後は役が合うかどうかのチェックってところか…)

 

左右の頬を両手でむにむにしながら、夏は(よし…、挽回(ばんかい)してやる)と意気込みを見せる。

 

…最初は夏の本読み。

 

「では、始め!」

犬井が手をぱん、と叩いた。

 

「たか子さん。私ね、あなたは自ら降板すべきだと思うの」

 

「大島監督がなぜあなたを起用するのか私分からないもの」

 

「だってそうでしょ? あなたヘタクソだもの」

 

…犬井は思う。

 

上手いな

去年までアイドルだったとは思えない

相変わらず安心して見てられる芝居だ

アイドル時代、歌もダンスも頭抜けていたのはあの子だ

努力の子だな

 

…次は、阿笠の本読み。

 

黒髪に黒い瞳のその顔は悲しそうに崩れ、目からはツーっと涙が伝う。

 

「すみません…私」

 

「マキコさんに迷惑ばかりかけて…」

 

…犬井は、

 

本読みで涙を流すか

役への没入の深さと速度が異常だ

感受性が鋭いというべきか

 

と、評価した。

 

見学中の環は、阿笠が涙を流したところで、(おっ!)、という感じの笑顔を見せた。

 

…次は、日尾の本読み。

 

「ん? …ああ。次、私か」

 

「すみません私。マキコさんに」

 

「そこじゃない。その次だ」

 

「ああ」

 

環は、(あはは。本当にやる気ない)、と思いつつ日尾の本読みを聞く。

 

涙を流していた阿笠は、「…!」と隣の日尾に反応する。

 

「気にすることねぇよ、たか子」

 

「こいつ、あんたが怖いんだ」

 

本来の本読み部分を読み始めた日尾が、凄みのある迫力を(ふる)ったからだ。

 

「あんたの才能が怖いんだよ。惨めなもんだろ。落ち目の女優ってのはよ」

 

…犬井は、

 

この性格で仕事が途絶えないはずだ

王賀美陸を連想させる存在感

有無を言わさぬ魅力がある

 

と、日尾を評する。

 

 

 

ぱたん。

 

 

 

「え」

夏は小さく声を上げた。

 

(あの人。本を閉じた)

 

日尾は人影が自分を覆っていることに気づく。

 

お団子黒縁メガネの役者が日尾のすぐ前に立っていた。

 

「私、マキコさんが正しいと思う」

 

「たか子さんは私たちの足を引っ張っている」

 

黒縁メガネの役者は、日尾を見下ろす。

 

「でもね。私からすると皆さん、五十歩百歩」

 

見下ろされた日尾は、(こいつ…!)と視線を上に上げた。

 

「あはっ」

笑い声を上げたのは環。

環は、(やる気のない日尾を煽ってる。監督に背中向けてまで)、と面白がっている。

 

「それってどういう意味よ。真波さん」

日尾も立ち上がった。

椅子の上に台本を置いて。

 

阿笠は、(日尾も本を閉じた…)と、涙を維持しながら、すっ、と立ち上がった。

 

合わせて夏も立ち上がる。

(まだ暗記できてないのに! 最悪エチュードに持ちこんででもアピールするしかない)

 

「いいんです、私! 私が下手なのが悪いんですから!」

 

「もうそういう話じゃないわ、たか子。黙ってなさい」

 

「真波。言いたいことがあるならハッキリおっしゃい」

 

「ずっと言ってます。私が一番上手いって」

 

「あはは! 笑わせないでよ!」

 

環はこの展開を興味深く見つめる。

 

「いいんですか。…とっくに台本の台詞尽きてエチュードになってますよ」

同じくじっと見つめる犬井に、スタッフが声を掛ける。

 

「…いや」

 

「エチュードというより、これじゃ喧嘩だ」

 

黒縁メガネの役者の仕掛けから始まった4人の芝居。

 

「よし、十分です。役入れ替えてもう一回で」

 

犬井が手を叩いて、カット、を告げた。

 

夏と日尾はそれぞれ、

 

(阿笠さんと日尾さんは分かる。…でも、いくらなんでも)

 

(…こいつ、ハッタリじゃない。…上手い。こんな奴がまだ無名なんてどうなってんの)

 

と、黒縁メガネの役者を意識する。

 

…黙って壁に凭れていた環が、口を開いた。

 

「ねぇ、ずっと気になってたんだけどさぁ」

 

「どうして君はオーディション前から芝居してるの?」

 

環から黒縁メガネの役者に放たれたそんな言葉。

 

「…え」

 

「…?」

 

「どういう意味…」

 

 

 

 

「オーディションは相性を見るお見合い。必勝法はないってきいたんです」

まずお団子を解く。

 

「……!!」

 

「…!」

 

 

 

 

「だったら、できるだけ色んな子を演じた方が有利だと思って」

次に黒縁メガネを外す。

 

 

 

「夜凪景…」

 

 

 

夏は、顔を晒した役者の名前を口にした。

 

変装を()いた夜凪は、力強い輝きを(たた)えた瞳を環に向けた。

 

「なるほど。想像以上に面白いな、君」

 

環は、目だけが笑っていない笑顔を夜凪に向けた。

 

               「scene115.必勝」/おわり




以上が、アクタージュ「scene115.必勝」の紹介となります。

絵面としは、環蓮の容姿がはっきり描かれたことが重要ですね。
そして変装を解いた夜凪の大ゴマが迫力があって可愛いです。

今回は新名夏視点で語られる内容が多めでした。
その夏の絵面の中では、本読みの時の表情が圧巻です。
かなり怖い目つきで、怪しい魅力も伴っています。
夏は、茶髪ロングストレートぱっつん混じりの髪型、正統派アイドル顔の容姿です。

阿笠みみは最初の犬井の質問への回答時の顔が恰好いいですね。
阿笠は黒髪ボブ、クールな美人系の容姿。

日尾和葉は本読みの顔でしょうか。
目力がありそうな顔です。
日尾は、毛先が散らされたウェイビーな長めの茶髪ボブ、ちょっと派手目な顔立ちという容姿。

環は、恰好いいお姉さん、という容姿ですね。
背も高い。
キャップにポニテにスポーティな軽装でも美人だと分かる感じの、大物感が漂う女優です。


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「116話目に相当する話」の紹介

夜凪は、

「オーディションは相性を見るお見合い。必勝法はないってきいたんです。だったら、できるだけ色んな子を演じた方が有利だと思って」

と告げ、変装を解いた。

 

夏は、

(1つでも多く役を見せるために!?)

とひたすら驚く。

 

阿笠は、

(嘘…! 芝居する前から別人を演じ分けていたってこと!? 思いついてもやらないでしょ、普通…。大河のオーディションだよ!?)

と夜凪のやり方に疑問を感じる。

 

日尾は、

(こいつ、シェアウォーターの子でしょ…。アイドルみたいなもんだと思っていた…!)

と認識を改める。

 

そして、

「面白い子だなぁ」

と、環は目だけが笑っていない笑顔を夜凪に向ける。

 

 

 

オーディション実施日の少し前の日の杉北高校、授業中。

 

夜凪は、隣の席の女子生徒をじぃーっと見た。

 

「私の顔、何かついてる?」

「あ、ううん。ごめんなさい。夜凪景です」

 

「知ってるよ、有名人だもん。今井です。よろしく」

 

…まずは、隣の席になった今井さんから始めた。

 

 

 

過日、夜凪は明神阿良也からレクチャーを受けていた。

阿良也は「夜凪カレー」を食べながら、夜凪の質問に答えてくれた。

 

「役のバラエティを増やしたい? ああ、そういうことか。じゃあ、テキトーに人の物真似しまくればいいよ。え? マジメだって」

 

「仕草、目視、話し方、笑い方、歩き方、すべて心の現れだ」

 

学校で、夜凪は「今井」を追う。

 

今井さんは話す時、相手の目を真っ直ぐ見る

ぴんと姿勢が綺麗で、笑う時は口元を隠す

考え事をする時は爪を噛む癖がある

 

形を真似れば、心が()えてくる

 

夜凪は、学校の中で今井を観察して形を真似て、学校の帰り道も今井が自宅に着くまでの行動を見届けた。

 

阿良也のレクチャーには、

「後はいつもの喰い方と同じだよ。生まれた時から住んでいる家、つるんでる友達。その中で生きていれば、いずれ自分の中にあるはずのない役の記憶が見えてくる」

という言葉があった。

 

今井が帰宅するまでを見て、さらに今井の自宅周辺を観察した夜凪。

 

今井家周辺の過去の光景が見えた気がした

あはは、という笑い声

ボールを抱えて走る幼少の今井

 

夜凪は、(よし)と何かをつかんだ笑顔になった。

 

日が暮れて、夜凪は外出する。

お団子ヘアーに黒縁メガネの今井を真似て、「偽今井」として外見や仕草をトレースして、夜の街に出陣。

途中、駅にて本物の「今井」を発見。

平凡で華美さのないスカートルック、お団子ヘアーに黒縁メガネ。

相変わらず全体的に地味な雰囲気の今井。

 

夜凪は(まずい)と身を隠す。

 

(どうして本物がこんなとこに…。どこ行くのかしら)

 

今井は駅のトイレへと入っていった。

夜凪は今井を観察。

 

服を着替え、メイクをして、髪型を変えて、今井はトイレから出てきた。

 

「まぁ、その程度で掴み切れる程、浅くないんだけどね。人間って。だってそうでしょ? どいつもこいつも皆、役者だからさ」

 

阿良也のレクチャーの続きの言葉を思い出しながら、夜凪は今井を眺めた。

 

攻めたメイクで大人っぽいワンピースにネックレスを添え、隣を歩くスーツ姿の男性の右腕に自分の腕を絡ませて微笑む今井の姿を。

 

(そっか…!! 人って相手によって態度や性格が変わるから、たった一人を真似るだけで何人もの人を演じられるんだわ!)

 

偽今井の恰好をした夜凪は、路上に立ったまま考えた。

 

楽しい…

やっぱりお芝居って楽しい…

 

 

 

…「隣の席になった今井さん」から始めた夜凪は、クラスメイトたちを真似る日々を過ごした。

 

「今井」の次は、普段から見た目を整えるタイプの子。いつも学校でメイクをするクラスメイト。

 

 

もっと…

 

 

授業中、よく席で寝てしまう子。

 

 

もっと…!

 

 

見た目が派手な感じで黒板を見ながら無意識に髪をいじる子。その毛先を気にする仕草。

 

 

もっともっともっと…!

 

 

休み時間に目を閉じて長い髪をブラッシングする子。

 

 

そんなふうに…。

夜凪は、次々とクラスの女の子たちの物真似を手の内に入れていった…。

 

 

 

場面は戻って、現在…。

オーディションの真っ最中。役を入れ替えての本読みが続いていた。

 

…突然、犬井がパン、と手を叩いた。

 

「分かった…。もういい」

 

犬井は、このオーディションはもう終わり、という感じで告げた。

 

「夜凪さん。一つ聞いていいかな…。あんた、さっきから一人芝居を演じるごとにまるで別人だ」

 

「一体、中に何人連れてきた…?」

 

…夜凪は一度薄く唇を開いてから、

 

 

 

「12人かな。でもそれぞれ色んな顔を持ってるから30人くらい?」

 

 

 

暗闇に浮かぶ光を従えるように立ち、怪しく(つや)めいた表情で微笑み、そう返答した。

 

「30人全部合わないようなら100人に増やすし」

 

審査員たちは驚きに言葉を失う。

 

「それでもダメなら1000人に増やす」

 

阿笠と夏は怯えた顔になる。

環は腕組みで立ち、口元には笑み。

 

皆それぞれ押し黙って、夜凪のこの独白(どくはく)に似た語りに耳を傾けていた。

 

 

「私、何だって演じられるから。だから私に役を下さい」

 

 

場を制する空気を発しながら、夜凪はきっぱりと言葉を述べた。

 

 

 

少し首を傾けて、キャップのバイザーから覗くように夜凪を見ながら、

「すごいの連れてきたね。墨字君」

と、環は感想の言葉を場に落とした…。

 

 

 

MHK放送センター内、オーディション参加者の関係者が待機している通路。

柊雪は、

(最近の私はすっかりマネージャーだな)

と考えていた。

 

そして、

(はー…。映画撮りてぇ)

などとぼやきながら夜凪が戻ってくるのを待っていた。

 

「みみ」

 

雪はオーディションが終わったことに、阿笠のマネージャーの声で気づく。

 

「おつかれ。どうだった? いつも通り?」

 

(阿笠みみ…。あの子も受けてたんだ)

 

阿笠は、

「…まだ、ドラマとかやってる場合じゃない」

(うつむ)き、

 

「基本から学び直す」

 

と、マネージャーに背を向けて足早に去っていく。

 

阿笠のマネージャーと雪は同時に、「え」、と声を上げた。

 

雪は、

(…な、何かあったのかな)

と、参加者が出てくる方に目を向けた。

 

「邪魔」

 

「わっ、すみません」

 

雪がぶつかりそうになった相手は日尾。

 

(日尾和葉!? 流石大河!! オーディション、レベル高っ!!)

 

「おつかれ」

「落ちたよ」

 

「え!? また何かやったの!?」

「違う。負けただけ」

 

日尾は険しい表情で歩いていく。

 

雪が「?」となっているところに夜凪が戻ってきた。

 

「は~、楽しかった」

目を細めて、ぱあああっ、と明るく御機嫌顔の夜凪。

 

「あっ、けいちゃん、おつかれ。幸せそうな顔してんな」

「うん。久しぶりにお芝居したから、気持ち良かった」

 

「夜凪さん」

声を掛けてきたのは夏。

 

「あの、…えっと、何を聞こうと思ったんだっけ、私…。ごめん…、ともかく呼び止めないとって思って」

「…?」

 

雪は、

(おお、なっちゃんじゃん。カメラ回ってなくてもオドオドしてんだ)

と、挙動が怪しい夏を見つめた。

 

中々言葉を見つけられない夏は、

「今が本物のあなたなの?」

ようやくそんな言葉を絞り出した。

 

夜凪はきょとんと、

「? 全部本物よ?」

簡潔に、そう答えた。

 

夏は「…。」となって、続く言葉を見つけられない。

 

「ありがとう。会えて良かった」

「?」

 

雪も、「?」と不思議に思う。

 

「ねぇ。中で、何かあったの?」

「? 何も」

 

そんなやりとりをする雪と夜凪に背を向けて、夏はその場を離れていった。

 

 

「ねぇ。墨字君、いないの?」

「…!」

 

 

唐突に現れた環に驚く夜凪。

環は、夜凪の肩に腕を回してきた。

 

雪は、

(…!! 環蓮!! 環蓮!? メッチャいい匂いする!! 気がする!!)

と、言葉を心中に忙しく並べた。

 

そして、(ん? 墨字君…?)と環の態度に違和感を覚えた。

 

「? 今日は来てないわ」

「そっかぁ。残念」

 

環は回していた腕をあっさりと(ほど)き、

「じゃ現場でね」

と、立ち去ろうとした。

 

夜凪の頭に、先日観たばかりの黒山作品「たんぽぽ」の映像がよぎる。

ポスターにあった「出演 たんぽぽ」の文字を思い出す。

 

夜凪は環の背中に向かって、

 

 

 

「たんぽぽさん?」

 

 

 

と、尋ねた。

 

その質問に驚き、足を止めて振り向く環。

 

鋭い視線とともに、離れかけていた夜凪への関心を繋ぎ直す。

 

雪も知らないその情報。

「え…?」と声を漏らす雪。

 

「…ああ」

と、環は夜凪に話し掛ける。

 

「あれ、墨字君、観せたんだ。すごいな…。名前どころか、顔も映していない。それも16年も前の私なのに…」

 

環はまだ言葉を続ける。

 

「よく気づいたね。あれが私だって知ってるのは当時のスタッフだけだよ。そっか…、バレたかぁ。恥ずかしいなぁ」

 

さらに、

 

「だって気づいてるよね?」

 

と、詰め寄ってくる環。

 

「当時の私は今のあなたの足元にも及ばない」

 

「でもね」

 

コツ、コツ、と環のヒールが床を鳴らす。

 

「あの2年後には、名実共に今の君を抜いている」

 

「私、遅れ咲きなんだ」

 

夜凪のすぐ近くに立ち、環は視線を飛ばす。

 

(…何、この空気。環蓮がけいちゃんを煽ってる?)

 

「若さを妬ましいと思ったのは初めてだよ」

 

「どうしてか分かる? 景ちゃん」

 

顔を、ずい、と間近に寄せてくる環。

 

「分からない」

と答えながら、すすっ、と距離を取る夜凪。

 

「だよね」

 

「所詮、映画は一期一会」

 

「子供の役は子供にしか」

 

「少女の役は少女にしか演じられない」

 

環のこの言葉に、夜凪は顔色を変えずに「…?」という反応を見せた。

 

「あ、あの、環さん。墨字さんとはどういう…」

空気の悪さを察して、雪が言葉を挟もうとする。

 

…だが、環は()まらなかった。

 

「私が後10歳若かったら」

 

「墨字君の隣にいたのは私だったんだよ」

 

「君じゃなくてね。景ちゃん」

 

夜凪は依然(いぜん)として顔色を変えない。

 

「妬いちゃうなぁ。私だけ妬いていてムカつくなぁ」

 

「どうしよっかなぁ…」

 

「そうだ。仕返しに墨字君には憂えて貰おう」

 

…環は、夜凪の肩に手を置いた。

 

 

「『本当は環で撮りたかったけど仕方ない。夜凪で我慢しておくか』…って」

 

 

両腕を夜凪の肩に乗せて夜凪に迫り、環はその言葉にずしりと重さを加えた。

 

「無理だと思う」

 

夜凪は目を逸らさずに、さらりと答えた。

 

「あはは。そう?」

 

環の視線はまだ夜凪に絡みついていた。

 

               「scene116.もっと」/おわり




以上が、アクタージュ「scene116.もっと」の紹介となります。

扉絵は、ショート丈タンクトップ姿でピースサインを決める環蓮。
腰まである黒髪ロングストレートで、前髪は6・4で2つに分けた長めの外ハネ。
腹筋が割れています。

今回は、何と言ってもオーディションにおける夜凪の「TUEEE」っぷりです。
「何人連れてきた?」と問われて「12人かな」と答える夜凪の、まあ恰好良いこと。
「100人に増やす」「1000人に増やす」と周囲を圧倒する様子は、アクタージュ内での「TUEEE」の最大瞬間風速を記録しています(あくまで私の個人的計測器使用結果です)。

環に絡まれた時も、夜凪の強さは揺れません。
相手は大河の主演を張る大物女優で、こっちは新人女優なのに。
終始、夜凪が強い、というエピソードでした。

ちなみに、役のバラエティに関する阿良也のレクチャーは夜凪家で行われたわけですが…。
どうなんでしょう?
夜凪は、「今日はカレーなんだけど、少し多めに作ってしまったわ」という不自然な電話を掛け、阿良也は特に疑問を持たず「じゃあ食べにいく」と釣りあげられてしまった感じですかね。

そして、憑依型カメレオン俳優阿良也は、夜凪のレクチャー役にされてしまった…。

あくまで私の勝手な推測ですが。

食事シーンでは、ルイとレイも一緒にカレーを食べています。
阿良也は「夜凪カレー」が好物なので幸せそうにもぐもぐ食べています。



…あと、私としては、夜凪が戻ってくるのを待ってる雪の、(はー…。映画撮りてぇ)、がすごく有り難かったのですよ。
小さいコマで小さい文字で、なんてことはない場面なんですけどね。
雪が「映画」に対する想いを語るシーンは、貴重というか希少というか、これは嬉しいなあ、と思いました。


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「117話目に相当する話」の紹介

スタジオ大黒天のキッチンに響く、トントントントン、という音。

その音は、黒山、雪、ルイ、レイ、の4人が卓に付いているダイニングまで届いている。

 

雪は気まずそうな顔で、いつまでも続く包丁の音を聞いている。

黒山は暢気に新聞を読んでいる。

ルイとレイはおとなしく座っている。

 

雪は立ち上がってキッチンの様子を覗きにいった。

 

「け、けいちゃん。手伝うよ」

 

「いい」

 

「は、はい」

 

…キッチンで夕食の準備を進める夜凪はそんな反応。

 

「おねーちゃん、最近ずっとイライラしてる」

 

「おねーちゃんは怖いなあ」

 

「何かあったのか?」

 

ダイニングに戻ってきた雪は、

「そのことで、ききたかったことがあって」

と、新聞に目を向けたままの黒山に話し掛ける。

 

先日のオーディション会場で環は、

(墨字君には憂えて貰おう。「本当は環が良かったけど仕方ない…。夜凪で我慢しておこう」…って)

と、夜凪に対して謎めいた言動をとった。

 

雪はそのことを思い出しつつ、

「環さんって一体墨字さんとは」

と言い出したのだが…、

 

 

ゴン!

 

 

力強い音とともに、卓上に鍋が置かれた。

 

「お鍋できました」

 

ダイニングに来た夜凪は、鍋の置き方だけではなく、その口調も力強かった。

 

「あ…、ありがとう」

 

雪は、

(え? 何? 墨字さんには聞く必要ないってこと? (こわ)…)

と、冷や汗を垂らした。

 

 

 

そして、出来上がった鍋料理を食べ始める5人。

 

「なんで、そんな不機嫌なんだよ」

 

「オーディション、通ったんだろ」

 

「それも主演の少女時代の役だ。こんな良い話もねぇ。よくやったよ」

 

自分がお願いした通りに、きっちりと役を取ってきた夜凪を称える黒山。

 

褒め言葉は夜凪の意識を素通りする。

夜凪の目は暗黒色のまま。

 

「…そうね」

 

「あの人の少女時代の役ね」

 

料理を頬張りながら、平坦な声音でそんなふうに返事する夜凪。

 

「…? ああ、環な」

「…うん」

 

夜凪は箸を動かす手を()めた。

 

「うめぇ」

「……。」

 

黒山は鍋料理の味の感想を述べると、もぐもぐもぐ、と無言で口を動かした。

 

夜凪は顔に筋を浮かべて、ムカァ、と判り易い怒りの表情で黒山を睨んだ。

 

(ああ。気にはなってるのに、こっちから聞くようなことはしたくないのか。面倒臭い…)

 

 

 

…傍観者・雪は、夜凪の心理を分析する。

 

 

 

「しかし、偉くなったよな。環も」

 

食べるのを再開させていた夜凪は、

「…!」

という反応を見せた。

 

「へ…、へぇ? そうなの? 別に興味ないけど?」

 

「ああ。そりゃそうだろ」

 

(けいちゃん。誘導作戦に移ったようだ)

 

「大作映画の主演を張るような連中が何十と出演する規格外のドラマ。それが大河だよ」

 

「その主演を張れるようになっちまったんだからな。環は」

 

「この前までガキだったのによ」

 

黒山は少し嬉しそうに環について語った。

 

夜凪は、

 

「…ふーん」

 

と、つまらない話を聞かされた、という感じの表情。

 

「じゃあ私じゃなくて環さんを主演に映画を撮ればいいのに」

 

ぼそっ、と呟かれた(とげ)のある夜凪の意見。

 

よく聞き取れなかった黒山は「…?」と夜凪のほうを見る。

 

「あ? 何か言ったか?」

「…別に」

 

(あああ。そういうすね方をしているのか。けいちゃん!)

 

雪は、オーディション終了後の環の態度を思い出す。

 

(……。…でもあんな煽られ方したら当然か)

 

(自分は2番目なんじゃないかって不安になるよね…)

 

「要するに、その環さんの人気に乗っかって有名にして貰えばいいんでしょ。分かってるわよ」

夜凪は、ぷい、と顔をそむけた。

 

(ああ。なんて卑屈な子になってしまったんだ)

 

「乗っかる…?」

「…!」

 

「環に乗るんじゃねぇ。環から奪うんだよ」

 

夜凪は、予想外の黒山の言葉に目をぱちくりとさせた。

 

「確かに奴の少女時代を演じるお前の出番は前半の数話だけだ」

 

「だが裏を返せば、環より先に視聴者に認められるのもお前だ」

 

「それを利用してお前のすべきことは何だ?」

 

「考えろ」

 

黒山から大河出演に対する考え方を並べたてられ、考えろと言われた夜凪。

 

その瞳の光は、鋭さを伴う輝きを取り戻す。

 

 

 

「大河の主演は私だと、初めの数話で視聴者に刷り込ませること」

 

 

 

黒山は、

「そうだ。それがお前の仕事だろうが」

と、真剣な口調で「狙い」の確認。

 

…二人のやりとりを眺める雪。

 

「そうすりゃ、その後の本編を担う環に、視聴者はお前の影を見続ける」

 

「そっか…。環さんの活躍は私の活躍になる」

 

「ああ。環の5分の1の撮影時間で、大河のすべてを奪う作戦だ」

 

(海賊みたいな会話だな…)

 

「…ふふ」

 

夜凪は頬に朱色の、にや、を貼りつけた。

 

「それって、とっても楽しそうね」

 

「そうだろうが! 何イライラしてんだバカ」

 

「イライラなんかしてないわよ。イチャモンやめてくれる?」

 

(おお。機嫌が直った)

 

声がテカテカするほどのテンションで箸の動きも速くなった夜凪の心理を、傍観者・雪は分析する。

 

もぐもぐ、と棘の取れた優しい表情で口を動かす夜凪。

 

そんな夜凪を見て、雪は微笑んだ。

 

 

 

スタジオ大黒天が入っているビルの屋上に来た雪。

そこには風になびく黒髪を手でおさえる夜凪が立っていた。

 

「気になるならちゃんと訊けばいいのに」

 

空には三日月が見えていた。

 

「環さんとのこと」

「ううん。別にそういうんじゃないの」

 

「分かってるの。あの人、私を怒らせるためにわざとあんなこと言ったんだって」

 

「あの言葉が挑発でも、黒山さんとどんな仲でも。私は役者。関係ない」

 

「売られた喧嘩は買うだけよ」

 

物騒な言葉をキラキラとした笑顔で言う夜凪。

 

(いや喧嘩って言っちゃってるけど! めっちゃ意識してんじゃん)

 

雪は昼間黒山と交わした会話を思い出す。

 

 

 

それは事務所で二人の時の会話。

 

「俺、来週からまた空けるから」

「ええ。聞いてない! また!?」

 

「しゃあねぇだろ。そろそろ動き出さねぇとな」

「普通、そういうの私も同行させますよね?(助手なんですけど)」

 

黒山は、

「悪い」

と、端的に答えた。

 

黒山は新作映画に向けて動き始めたことで忙しい。

まだスポンサー集めの段階だ。

 

「今は夜凪を頼む。お前の出番はもう少し後だ」

 

そんな会話…。

 

 

 

屋上に立つ夜凪の後ろ姿を見ながら雪は思う。

 

(そうだ…)

 

(けいちゃんはいずれ映画界全体の財産になる。つまり巡り巡っていつか私の財産になるということだ)

 

(今はけいちゃんに尽くそう)

 

「雪ちゃん。顔合わせまでまだ時間あるわよね」

「うん。来週だね」

 

「じゃあまずは敵情視察ね!」

「うん!」

 

 

 

まずは経歴を調べることから。

 

環蓮 33才

芸能人好感度ランキング例年1位の言わずと知れたトップ女優

12才で 大手芸能事務所のスカウトキャラバンでグランプリを取ってデビュー

 

応募動機は よく可愛いと言われるからって当時インタビューで答えている

…昔から変わんないね そういうとこ

 

役者としての開花は18才からだね

日本アカデミー新人賞を取ってからはすごい

去年の主演ドラマは4本 知名度で言っても千世子ちゃん以上だね

 

ザ・スターって感じだけど 親しみ易さでも有名でね

しょっちゅう恋人が出来たり別れたりしてるけど それが公になることが人気のダウンに繋がらないんだよね

 

一般人と飲んでる姿がよくSNSに上がっていて もはや週刊誌も追わないレベル

だから行きつけの店に行けば割と簡単に会えちゃう

 

それくらい身近な芸能人…

 

 

 

その夜、環は都内のバーにいた。

会社帰りのサラリーマンたちと野球拳の勝負をしていた。

 

「後1枚! 後1枚!」

 

「ジャンケン七人抜きってどんな確率だよ!」

 

「マジ、どうなってんの。蓮ちゃんの勝率!?」

 

「その調子で証券マンも剥いちゃってえ!」

 

お酒で楽しく赤い顔になっている環は、

「言ったじゃん。私、じゃんけん、負けたことないって」

と、余裕の発言。

 

証券マンはパンツ1枚にされているのに、環は無傷。

 

「さーて。東大卒の全裸かぁ…。興味ねぇ~」

「予知? どうなってんだよ、クソォ」

 

 

 

…夜凪と雪が、環の「行きつけ」の1つであるバーに到着した。

入口近くに立った二人が見たのは、野球拳の光景だった。

 

「じゃんっ、けんっ、…ん?」

 

環は自分のことを眺めている二人の存在に気づいた。

夜凪は短パンと無地の白Tシャツにキャップという軽装。

雪はいつものスポーツジャケット。

 

「何してんの、景ちゃん」

酔っているので声が大きい環。

 

「そ…、そちらこそ」

別世界に迷い込んだ状態の夜凪の声は小さい。

 

「野球拳。やる? それとも飲む?(ジュース)」

 

「の…、のむ」

 

(本当に奔放なんだ。環蓮…)

 

パンツ1枚にされた証券マンが、

「ちょっと、環ちゃん! まだ勝負終わってない!」

と口を尖らせた。

 

「あっはっは。子供の前で、これ以上脱がせられるか」

 

「…!」

 

ムッ、とした夜凪は拳を握りしめて、私は平気、とアピール。

 

「子供じゃないです! どうぞ脱いで下さい!」

 

「いや。どこに反応してんの。脱がないで下さいね。こっちはシラフなんで」

 

「いや別に、脱ぎたい訳じゃないですからね、俺も」

 

 

 

バーの壁側、カウンター席。

3人で並んで座る。

 

「さて…」

 

飲み直す環。

夜凪の前にはジュース。雪の前には水。

 

「顔合わせまで待てなかった?」

 

「うん」

 

そして夜凪は来訪(らいほう)の理由を述べる。

 

「環さんの過去を演じるなら、環さんのことを知らないとって」

 

「あはは」

 

頬杖を付いて、

 

「思った以上にあまちゃんだな。ちょっとがっかり」

 

環は目線を下に向けた。

 

そんなことを言った環の横顔を、夜凪は目を開いて睨む。

 

「ど、どういう意味ですか」

 

「冷静のつもりなんだろうけど。まだ熱くなり過ぎてるよ。マネージャーさんも()めてあげないと」

 

環は、がっかりした理由を告げる。

 

「芝居のために私を知ろうと思ったって?」

 

「私たちの演じる『薬師寺真波』について知る前に?」

 

雪は「…あ」と声を(こぼ)した。

夜凪は何も言い返せずに「………。」と無言。

 

「私たちは一緒に同一人物を演じるだけじゃない。実在した人間を演じるんだよ」

 

「普段の君がそんな基本を忘れる訳ないよね」

 

「随分、私の挑発が効いたみたいだ」

 

夜凪はまだ言い返せない。

雪が、

「そ…それは。けいちゃんはこれからやるつもりで…!」

と夜凪をフォロー。

 

「あはは。そうなの? ごめんごめん」

 

環の「言葉」による攻撃は続く。

 

「じゃあ勿論、一話目に登場する薬師寺真波の8才の頃を演じる子役。その子とも会うんだよね?」

 

「あれ? もしかして、たった1話だけの子役なんて興味なかった?」

 

ようやく夜凪は、

「ち…違う。そういう訳じゃ」

と、声を出す。

 

「あはは。分かってるよ。きっと普段の君なら失念することもなかったんだろね。ごめんね、意地悪言って」

 

「でもね、景ちゃん。やる気も空回ったら虚しくない?」

 

「ちょっと煽られたくらいで何も見えなくなっちゃうなんて可愛い」

 

環は、愉悦に満ちた目で夜凪を見た。

夜凪は険しい表情で、環の言葉を受け止めるだけ。何も言い返せない。

 

 

 

都心の高層ビル。

その玄関口にいる芸能人の少女とマネージャー。

 

「お待たせ。スミス」

「清水ですよ」

 

「私の前では、スミスって言ってるでしょ! 外国人のマネージャーってカッコイイじゃない、なんか!」

「そのせいで、社長まで未だに私をスミスと呼ぶんですよ」

 

「あら、良かったじゃない」

 

仕事を終えたその少女を車で迎えに来た清水。

 

「…今日も、お母様は?」

「………。」

 

言葉に詰まる少女。

 

「うん。だって、親同伴でお仕事なんて子供みたいでしょ」

「…。そうですね」

 

「でしょ!? だからママに来ないでって私が言ってるの!」

「なるほど」

 

「…フフ。ママがね。大河なんてすごいねって」

 

清水の車の後部座席に乗り込んだ少女は、鳴乃皐月。

 

「たった一話の子供時代の役だけど、主役は主役だからって」

 

「夜凪さんの子供時代役と考えるとちょっとムカつくけど、環さんの子供時代でもあるって思うと悪くないわ!」

 

「キネマのうた」の台本を開き、嬉しそうに頬を染める皐月。

 

「そうですね」

 

清水は微笑みながらそう返した。

 

 

 

…場面はバーに戻る。

 

「だから。仲良くしようよ、景ちゃん」

 

「私たちは敵同士じゃない」

 

環はグラスを片手に言葉を続けた。

 

「これから3人で、一人の女優を演じるんだからさ」

 

 

               「scene117.奪う」/おわり




以上が、アクタージュ「scene117.奪う」の紹介となります。

絵面としては、バーにやってきた時の夜凪と雪の呆れたような表情が面白いです。
再登場の皐月は、目もきらきらで本当に嬉しそうな様子です。
デビュー時の環は、後ろ髪の長さが肩くらいまでしかありませんね。

前回の反動のように弱い感じに描かれてしまった夜凪。
環の意地悪い感じの描写が目立ちますが、そこはやはり大人、物事が見えています。

薬師寺真波を演じるのは、皐月、夜凪、環、の3人ですね。


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「118話目に相当する話」の紹介

顔合わせ当日、MHK放送センター。

車から降りて、建物の前に立つ皐月と清水。

 

「…ふふ」

 

皐月は、両手を腰に添え堂々とした立ち姿で建物を見上げていた。

 

「いつもと景色が違って見えるわね、スミス」

「ここにはよく来てるじゃないですか。さなぎちゃんで」

 

MHK教育の番組内で皐月が務めていた「さなぎちゃん」は、成長して既に「ちょうちょ」になっている。

 

「今はさなぎじゃなくてちょうちょって言ってるでしょ!」

 

さなぎの着ぐるみを脱いだちょうちょは、ワンピースの背中に羽というフェアリー風のコスチュームだ。

 

「そういうことじゃないのよ。大河の顔合わせのために来るMHKは、いつもとちょっと違うってこと!」

 

「…なるほど」

 

「さあ。行くわよ、スミス! 私の覇道(はどう)を見せてあげるわ!」

 

皐月は気合い十分だ。

 

 

 

MHK放送センター施設内の通路。

夜凪と雪は自動販売機の前に立っている環を見つけた。

 

「あ、環さん」

「やぁ」

 

軽く言葉を交わす夜凪と環。

雪は、

「先日はすみませんでした。約束もなく勝手なことして」

と社交的な挨拶をする。

 

「いいよいいよ。水臭いこと言わないでよ」

 

環が発する柔らかい空気に、バーで言っていた(仲良くしよう。敵同士じゃない)は環の本音だ、と夜凪は思う。

そして、(3人で一人の女優を演じる)と言っていた環の顔をじっと見つめた。

 

「環さん。私、あの後色々調べたんです。私たちの演じる薬師寺真波さんについて」

「うん」

 

「生まれた時代、環境、性格、全てが違う私たち3人が1人の人間を演じる。こんなに難しいことってないと思うの」

「そうだね」

 

環は真面目な話をする空気に表情を合わせ、

「それで?」

と訊き返す。

 

「私、それで一つ方法を考えたの」

 

 

 

ぱた、ぱた、ぱた、ぱた。

 

 

 

手を振りながら走ってきた皐月は、

 

「蓮さーん。お久しぶりです! オールスター感謝祭でご一緒して以来ですね!!」

 

と、元気な声を響かせた。

 

皐月の登場に、夜凪の話は中断される。

 

「月9見ました! とても勉強になりました! 蓮さんの子供時代を演じられるなんて光栄です!」

 

「あっはっは。相変わらずよく出来た子だなぁ」

 

清水は胸に手を当てて(うやうや)しく、

「先日はお世話になりました」

と雪に挨拶。

 

雪は背の高い清水を見上げて、

「い、いえ。お世話になったのはこちらの方で…!」

と答えつつ、(この人、マネージャーだったんかい! ボディガードだと思ってたわ!)、と思う。

 

吐く息にも元気が溢れる皐月は、

「夜凪さんも大河出演おめでとう! 私も鼻が高いわ! しごいてあげた甲斐があったというものよ!」

と腰に手を当て胸を張って、後輩・夜凪に声を掛ける。

 

夜凪はわざわざしゃがんで、

「うん。ありがとう」

と返事して、(カワイイ…)、と皐月の頭を撫でる。

 

 

「景ちゃん」

 

 

背後から名前を呼ばれた夜凪は「?」と振り返った。

振り返った夜凪の頬に、ぶすっ、と人差し指が刺さった。

ゆっくり立ち上がる夜凪。

 

環は、

「バカが見る~」

と嬉しそうにはしゃぎ、(キミもカワイイよ)、と夜凪に笑顔を向ける。

 

立ち上がってもなお、環の指は食い込んだまま夜凪の頬を押している。

夜凪は、びきっ、と顔に筋を浮かべた。

 

「私、やっぱりこの人、好きじゃないわ…。黒山さんに似てるとことか…」

 

…そんなふうに、ぷんぷん、と怒る夜凪に対し、皐月は「…!」と目を見開いた。

 

「何度言えば分かるの! 目上には可愛がられてなんぼでしょ! 気に入られてるんだったら一々反発するんじゃないの!」

 

皐月に髪を掴まれて、再び低くしゃがまされた夜凪。

 

雪は、(すごいな、皐月ちゃん…。本当に8才か?)、と想いながらその様子を眺める。

 

大きく口を開けて自分に説教する先輩・皐月の顔を、夜凪は、じっ、と見つめた。

 

じっ、と見つめられた皐月は頬を赤らめながらも、

「…何よ(また私のことカワイイと思ってる?)」

と腕組みして怖い顔を作り、先輩の威厳の維持に努める。

 

皐月を見つめる夜凪の脳裏によぎっているのは、「たった1話だけの子役なんて興味なかった?」、と環から指摘された時のこと。

夜凪は自分の頬を皐月の頬に、むぎゅっ、と押し当て、皐月の身体をがっちり抱き締める。

 

「ちゃんと私、皐月ちゃんのことも大切に思ってるのよ。ごめんね」

 

「な…何よ、急に。気持ち悪いわね」

 

皐月は夜凪のホールドから逃れようと、顔を逸らして抵抗。

 

…いきさつを知っている環は、あはは、と笑顔で二人の攻防を見ている。

 

ホールドから脱出した皐月は、

「まぁ、安心しなさい。センパイとしてあなたと蓮さんの仲は私が取り持ってあげるわ」

と、元気一杯の表情で頼もしい言葉を夜凪に告げる。

 

 

 

通路を歩く新名夏。

その耳に、

「そろそろ向かいましょう。顔合わせに遅刻しますよ」

「そうね! 子役が遅れていくなんてとんでもないわ! 急ぐわよ、夜凪さん!」

という声が届く。

 

夏の視界に、環、夜凪、皐月、の姿が入る。

 

(主役を演じる3人だ。挨拶しなきゃ)

 

夏は歩を進める。

 

「蓮さんはちょっと遅刻するくらいが丁度良いと思うわ! 主演だから!(ナメられないように!)」

大きな声でそんなことを言っているのは皐月。

 

(なんてキャラしてるんだ。さなぎちゃん)

 

夏はびっくりして挨拶をするタイミングを失い、立ち尽くす。

 

 

 

後輩たちを前に、環は自身の考えを述べる。

 

「あはは。私のプランディングまで気にしてくれてありがとう」

 

「でも、流石にそれはできないかな」

 

眼光鋭く、少し怖い笑顔を作る環。

 

「私なんかが調子に乗れる面子じゃないから」

 

環の言葉に、

「? どういう意味?」

と夜凪が反応した。

 

隣の皐月も、中途半端な位置で立ち止まってしまっている夏も、環の言葉の意味が分からない、という表情。

 

 

 

「あそこは鬼の巣だよ」

 

 

 

環は、顔合わせの会場となる会議室のことをそう(たと)えた。

そして、

「私なんて可愛いもんだ」

と、言葉を添えた。

 

 

 

MHK放送センター内、会議室。

皐月は一番後列の席に座った。

 

進行役のMHK編成部の男が口を開いた。

「先日は記者会見お疲れ様でした。今回は第1週1話目のキャストを中心に来て頂いているので全体キャストの一部ではあるのですが、錚々(そうそう)たる顔ぶれに私も緊張しています。ははは」

 

夜凪と並んで座る皐月は、集まっている人たちを確認する。

 

1話目だけでこの顔ぶれ…

誰に媚び売りに行けばいいか分からないくらいの面子だわ…

 

昭和の大御所に

歌舞伎界の異端児に

ベテラン二枚目俳優

 

元トップアイドルに(←夏のことです)

デタラメな新人…(←夜凪のことです)

 

天才子役の私が かすんじゃうわ…

 

皐月は、(はあ)、と溜め息を吐いた。

隣の夜凪は、凹んだ表情になっている皐月の様子を「?」と不思議そうに見た。

 

 

 

次は、脚本の執筆者からの挨拶。

 

「脚本の草見(くさみ)修司(しゅうじ)です。実は私、この企画を一度断らせて頂いているんです」

 

「薬師寺真波と言えば撮影所時代の日本映画界を支えた大女優…。彼女を描く資格が自分にあるのか悩みました」

 

「しかし真波の祖母、文代(ふみよ)役に、薬師寺真波の愛娘薬師寺(やくしじ)真美(まみ)さんを起用するときいて考えを改めました」

 

…ここで薬師寺真美からの言葉が入った。

 

前から2列目にある長机の真ん中に1人、柔和な笑みを浮かべて座っていた真美は、

「真波は母というより師でした」

という言葉とともに表情を険しくした。

 

「彼女は私を娘ではなくライバルとして見ていました」

 

「あの人の恐ろしさも美しさも私が誰より知っています」

 

「許されるなら私が彼女を演じたいと願った程です」

 

当然、この言葉は実際に主演として真波を演じる環に刺さる…。

 

真美は斜め後ろを振り返り、

「私が後30才若かったら」

そこに座る環に視線を向けた。

 

環は静かな笑みで、

「ありますよね。そういうの」

と返した。

 

つい先日、環は同様のことを夜凪に対して言っていた。

 

…男性陣は、

 

「……。」

 

「……。」

 

と、緊迫したやりとりは歓迎出来ない、という空気を漂わせていた。

 

「怖い怖い。怖いなぁ。苦手だなぁ、こういうの」

 

30代と思われる男性俳優が、そうぼやいた。

その俳優は夏に顔を向けて、

「帰っていいかな? なっちゃん」

と問いかけた。

 

唐突な指名に驚いた夏は、

「え? 私? いやダメじゃ」

と、狼狽(うろた)えつつも真面目に返答する。

 

その返答に被せるように男性俳優は、

「後でサイン下さい」

と、夏の返答内容はどうでもいいという態度。

 

反射的に、

「あっ。は、はい」

と、応じる夏。

 

「女ってのはなぁ。いくつになっても怖いよなぁ! 怖いくらいが一番いいんだよなぁ!」

 

声を上げたのは50代後半くらいの俳優。

 

「なぁ、入江! お前の母ちゃんも良い女だったよなぁ!」

 

名指しされた若手の男性俳優は「……。」と無言。

 

「はっは! 無視かぁ!」

 

「お前。母ちゃん、そっくりだなぁ」

 

50代後半くらいの俳優は、こんな感じの騒がしいおっさん。

 

…夏は、

(どうして芸能界って、空気読める人、少ないんだろ)

と、一連の流れに冷や汗を垂らす。

 

最後列の皐月は隣の夜凪に、

「ねぇ。あの人たちは記者会見にいたわよね。私たちは呼ばれなかったのに」

コソっ、と小声で話し掛けた。

 

「? うん。私たちはあくまで主人公の子供時代だから」

 

むすっ、としながらも気力充実の皐月は、

 

「そんなこと関係ないわ」

 

「私を記者会見に呼ばなかったこと後悔させてやる」

 

と、強気の構え。

 

夜凪は考える。

皐月の姿勢は立派だ。

上を目指し続ける、という役者には不可欠な信念をしっかりと持っている。

 

「そうね。自分の上に誰かがいるって悔しいわよね」

 

夜凪は、環の存在を思い浮かべながら皐月に賛同する。

そして、上に行くために「出来ること」について考えを巡らせる。

 

…その「出来ること」の中の1つ。

 

(そのために、薬師寺真波の娘、つまり私たちの娘、あの人から話をきかないと…)

 

夜凪は、真美の背中を見つめた。

真美は、夜凪の視線に気づいたかのように顔を後ろに向けた。

真美の目は、はっきりとこちらを捉えていた。

 

 

 

「今の子に母を演じるのは酷でしょう」

 

 

 

表情こそ柔和だが、放たれる言葉の内容は厳しい。

 

真美は言葉を続ける。

 

「テレビもスマホもない時代。決して裕福ではなかった真波にとって、映画は人生の全てだった」

 

「母を演じるならそれ相応の女優に演じて貰いたいです」

 

「環さんともかく、ほら…」

 

「アリサちゃんはすぐ芸能を捨てましたから」

 

「心配で…」

 

続けられた真美の言葉は、皐月のことを実質的に名指しで不安視する内容。

 

昭和の大御所の役者は、この展開に心配そうな顔を見せた。

進行役の男は「…えー」と言葉を詰まらせた。

 

…皐月は、真美の言葉を咀嚼(そしゃく)する。

 

アリサちゃんって アリサさんのこと?

それって

 

この人 スターズの私はこの役に向いてないって言いたいんだ…!

 

アリサさんのこと 皆の前でバカにした

 

…皐月はギュ、と拳を握る。

(あふ)れそうになる涙を懸命に()める。

 

 

ぱ。

 

 

表情を切り替えた皐月…。

 

「気にかけて頂いてありがとうございます。精一杯がんばります」

 

夜凪は、皐月が拳を握ったことも涙目から瞬時に笑顔を作ってみせたことも隣から見ていた。

 

進行役の男が、ほっ、と息を吐き、

「えー、それでは」

と口を開いた。

 

 

ガタッ。

 

 

夜凪は、立ち上がった。

 

「私たち必ず3人で真波役を演じ切ります」

 

そして真美の背中に向けて言葉を投げる。

 

「だから、その時は皐月ちゃんに謝って下さい」

 

凍り付く会議室内の空気。

皆、無言。

ただ、その表情はバラバラ。

 

ふーん、という顔を見せる者。

困った、と汗を垂らす者。

おもしれー、と口元に笑みを含ませる者。

 

夜凪の視線は鋭く真美を(つらぬ)いている。

ゆっくりと後ろを振り返った真美の目と、夜凪の目が合った…。

 

 

「あなた、どなただったかしら」

 

 

この真美の言葉を受けても、夜凪は力強く唇を結んだまま鋭い眼光を維持した。

 

皐月は、大変なことになった、という表情。

環は、少し嬉しそうな笑みを浮かべていた。

 

 

 

夜、MHK放送センター内にあるホール。

顔合わせも終了し、照明が落とされた薄暗いホールの床に立つ3人。

 

「もう! 私がガマンしたのに、なんであなたがやっちゃうのよ!」

 

「相手、誰だと思ってんの!? 女優のトップとかそういうレベルじゃないのよ!?」

 

皐月は、ポカポカ、と夜凪を殴打しながら、

 

「バカバカバカバカ」

 

と涙目。

 

夜凪は、

 

「ごめん…。でも私、どうしても」

 

と、殴打をすべて手の平で受け止めながら謝罪。

 

「夜凪さんも目つけられたのよ。薬師寺真美に」

 

皐月の涙の訴えは続く。

 

「…それは、別に」

 

「干されたらどーすんのよ! 芸能界にはインボーがあるのよ!」

 

皐月はポカポカ殴りを再開させ、夜凪は余裕でポカポカを受ける。

 

 

「まだまだ甘いな。さつき」

 

 

環の一言。

皐月は「!」と手を止める。

 

「女優はね。女優に嫌われてなんぼなんだよ」

 

含蓄(がんちく)のある言葉だ。

ただ、子供の皐月にはまだ難しい話。

 

なので、

「実の娘に嫌われちゃったのよ…。始まる前から敵作っちゃうことないのよ」

と、まだ涙目。

 

夜凪の脳裏に、(ちょっと煽られたくらいで何も見えなくなっちゃうなんて可愛い)、と環にからかわれた時のことがよぎる。

夜凪は、今の自分はからかわれた時の自分とは違う、と自覚している。

 

「お芝居は喧嘩じゃない。私、今すごく冷静です」

 

「どうするの?」

 

環に問われて、ようやく中断されていた夜凪の話が語られる。

 

「私たち3人で、同じ家で寝て、同じものを食べて、同じものを見るの。薬師寺真波の暮らした町で」

 

これが夜凪の考え。

 

「撮影まで一緒に暮らしましょう」

 

「悪くないね。それでいこっか」

 

夜凪は真剣な眼差しを環に向けた。

環は表情こそ笑ってはいるが、真面目な口調で賛同の意を表明した。

 

               「scene118.鬼の巣」/おわり




以上が、アクタージュ「scene118.鬼の巣」の紹介となります。

扉絵は、薬師寺真波を演じる3人。
ページ下段、一番前の皐月は目をいっぱいに輝かせた笑顔。
中段、真ん中の夜凪は肩越しに背後から皐月を抱き締めて、表情は何故かふくれっつら。
上段、最後方の環は前の二人を右手でまとめて抱いて、ニカッと笑顔。
顔が重ならないように、頭の位置をジグザグにした構図です。
ジグザグを作るために、夜凪の頭が環の左手によって左側に引っ張られています。

今回は、とにかく「新キャラ」が多く登場した話でした。
そして、ほとんどのキャラに関する情報がまだ全然ありません。
立場も判らないし、名前すら判らない。

さて、「キネマのうた編」が本格的に始動しましたね。
大河ドラマとしては非常に異質な内容だと思います。
武将等にスポットを当てた物語とは、相当に趣を変える必要があるでしょうね。



なお、私は勝手に「騒がしいおっさん」を「沢村秀夫」と呼んでいます。
ベテラン二枚目俳優を「加賀銀三」と呼んでいます。
情報が無いので、しかたなく勝手にそう呼ばせて頂いています。
無論、この「アクタージュのその後(ナビゲート編)」ではそれら勝手な呼称は用いません。


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「119話目に相当する話」の紹介

ある作品の撮影現場。

明治時代の洋館のセットの前を、フォーマルな衣装をまとった紳士と淑女が歩く。

淑女のほうは朝野市子。

手にしたスマホの画面には「大河『キネマのうた』にシェアウォーターコンビ!」という記事がある。

市子は嬉しそうに語る。

 

「流石、夜凪さん。トントン拍子だなぁ。シェアウォーターの次は大河か…。役所(やくどころ)もおいしい」

 

市子の話を聞いて笑顔を見せている紳士のほうは白石宗。

 

市子と白石は、夜凪とは「羅刹女」で一緒になった仲だ。

 

「私も去年、大河で白石さんと共演させて頂いてから一気に仕事増えましたから」

「どこまで大きくなるのか楽しみですね。夜凪さんは」

 

「あ。でも、主演が環さんかぁ。強いなぁ」

「ははは」

 

白石は、

(環さんはともかく、共演者にスターズの鳴乃さんと薬師寺真美か…。その組み合わせの中に夜凪さん…)

と、記事の情報を整理する。

そして、その火薬混じりの人選について心配する。

 

「テスト入りまーす!」

 

「テストー!」

 

撮影を進行させるスタッフの声が響いた。

 

白石は書き割りの空を見上げながら、

(何事もなければいいが…)

と、願った。

 

 

 

顔合わせ終了後、環の行きつけのバーに集まった5人。

テーブル席に、環、夜凪、皐月、雪、の4人が付いている。

 

「薬師寺真美とケンカしたぁ!? なんで!? なんでそうなるの!?」

 

今は夜凪を頼むと言われている雪は、当然そう叫ぶ。

 

しかし、夜凪は料理に頬を膨らませて口をもぐもぐと動かしながら、

「別にケンカとかじゃないわ。ただ私たちが薬師寺真波をちゃんと演じ切ったら皐月ちゃんに謝ってって言っただけ」

と、自分の態度は間違っていなかった、と強調する。

力強く両拳を握っての主張。

 

環は暢気に、

「啖呵切ってたよね。格好良かったよ」

と夜凪の態度に高評価。

 

「ひぇ~」

と嘆く雪。

 

ここで清水が、冷静に自分の考えを述べた。

 

「…しかし。それではうちも真美さんの目の敵になったんじゃ」

「…あ」

 

雪は、

(なんで座らないんだろ。スミスさん)

と、どうでもいいことに思考が及ぶ。

 

「…つまんないこと言わないで。スミス」

「…!」

 

清水の考えを皐月が制する。

 

「あの人、アリサさんを侮辱したのよ。私が怒るべきだったんだわ」

 

「あはは。景ちゃんに借りができたね、さつき」

 

(わぁ。子供と言ってもやっぱり女優だなぁ。強ぇ…)

 

清水は、「…はぁ」と(うつむ)き、(ひたい)を指で支えた。

 

「薬師寺真美。故・薬師寺真波の長女にして日本を代表する女優の一人です」

 

「子役時代から名だたる巨匠と映画を撮り続けた大女優ですよ」

 

皐月は清水が言う今更な情報に、

「知ってるわよ。古い映画ばかりだから観たことないけど」

と不機嫌に、ぷん、とほっぺを膨らませた。

 

「アリサ社長とは十歳近く年が離れてますがよく共演されていました。2人はまるで姉妹のように親しかったと…」

 

環は、

「へぇ。そうは見えなかったけどね」

と夜凪に同意を求め、

夜凪は真美とアリサが並んでピースしている非現実的な絵面を思い浮かべながら、

「うん」

と答えた。

 

「…何か遺恨(いこん)があるんでしょう」

 

清水は厳しい目つきで語る。

 

「スターズの俳優は、今日まで薬師寺真美との共演は避けられてきましたから」

 

初耳の皐月は、

「え」

と目を丸くした。

 

「社長は今、変わろうとしてらっしゃる」

 

「皐月さんの共演はその変化の現れでしょう」

 

言い終えた清水は心の中で、

(…しかし。こうなるくらいならもっと注意しておくべきだった)

と続けた。

 

夜凪は、コトッ、とお箸を皿に置き、

「よく分からないけど、どうあれ私たちがすべきことは一つだけでしょう」

と、話のまとめに入ろうとする。

 

 

「薬師寺真波を演じ切ること。他のことは関係ないわ。役者なんだから」

 

 

もぐもぐと口を動かしながら語る夜凪。

そう。

役者にとって大事なのは芝居であり、外側の厄介な事情なんて食事のついでに話す程度でいい。

 

突き抜けた夜凪の考え方に、清水は「………。」と固まってしまう。

それでも食い下がろうと、

「しかし共演者の、それも主演のモデルの肉親に目をつけられたとなると…」

としゃべり始めるが、

「ビビりすぎよ、スミス。情けないわね」

と皐月に(さえぎ)られてしまった。

 

「つまり、こうすればいいんでしょ」

と言いながら皐月が取り出したのは「自由帳」。

 

カキカキカキカキ。

 

描く様子を覗き込む、環と夜凪と雪。

描き終えた。

皐月は2コマ漫画風の作戦立案書を作成した。

 

…1コマ目。

 

まず私が完璧なお芝居をするでしょ?

 ↓

それを見て真美さんが感動するでしょ?

 

なお、絵は「ガッツポーズの皐月」と「ははの生まれ変わりだわ、と言う真美」。

 

…2コマ目。

 

私を見つけたアリサさんも認められるでしょ?

 ↓

2人は仲直りするでしょ?

 

絵は、「やるじゃない、あなたもね、と互いを称え合う真美とアリサ」と「仲良くしなさい、と胸を張る皐月」。

 

「そして、大女優に認められた私は大女優になる。うん。カンペキだわ」

 

「なるほど良い作戦ね(絵、上手ね)」

 

「……。」

 

再び清水は(うつむ)く額を指で支え、(今ならまだ間に合う。一度アリサさんに相談して、場合によっては…)、と考える。

 

「いいね。その作戦でいこう」

 

環は澄んだ瞳で、笑顔で賛同。

 

「環さん。これは本当に真面目な話で」

 

環は「?」と清水を見やり、

「マジメだよ」

と真っ直ぐ答えた。

 

立ち尽くす清水。

その頭の中に色々なことが交錯(こうさく)しているらしい表情の清水。

 

夜凪と皐月は、

「問題はどう完璧なお芝居をするかよね」

「だ…大丈夫よ。私が演じるのよ」

と作戦内容の検討に入る。

 

雪が、

「まぁ、役者の力を信じるのも私たちの仕事ですから」

と苦悶中の清水に声を掛ける。

 

清水は、

「いえ。信じていない訳では」

口籠(くちごも)る。

 

 

 

作戦会議は、本格的に内容の吟味の段階へと入る。

 

「今回の役の難しいところは、三世代に渡って一人の人間を演じるということでしょ?」

 

「そうだね」

 

環はその難しさをボール投げに例える。

 

「個々で役作りしても見えない的に目がけてボールを投げるようなもんだからね。だからまずは真波のイメージを共有しないとだ」

 

ボール投げの失敗例として、

夜凪は「皆どこに投げてる?」

環は「あはは。分かんない」

皐月は「なんかあの辺よ」

と、3人がぽいぽいボールを投げるイメージ映像を環は思い浮かべた。

 

皐月が、

「…! 私、分かったわ」

と、アイデアが閃いた様子。

 

「整形して皆同じ顔にして貰う…?(マナミぽくしてもらう…?)」

「………。」

 

「…それは、最終手段ね」

 

「そ…そうね。そうしましょう」

 

(子供の発想ってすごいな)

 

ここで夜凪が、

「つまり。的がないなら的を作ればいいのよ」

と、ようやく実効的(じっこうてき)な意見を出す。

 

 

「皐月ちゃんの演じる薬師寺真波を、私たちの的に…指針にするの」

 

 

その言葉を聞いた皐月は、大きく目を開いて夜凪を見つめた。

 

…夜凪は意見を続けた。

 

「そうなれば、後はいつもの役作りとそう変わらないわ」

 

「皐月ちゃんを中心に自ずと役に一貫性が生まれて、同一人物を演じやすくなるはず」

 

「逆に言うと、皐月ちゃんの真波がズレていたら、私たち皆の真波がズレることになる」

 

「だから私たちは一緒に暮らしながら、皐月ちゃんに真波を掴んで貰うための手伝いをするの」

 

皐月は真剣な表情で、夜凪が言ったことを理解するために思考を回転させる。

 

雪は、(いやいや。正しいけど間違ってる。大河の主演はあくまで環さんなんだから…)と思いつつ、

「あー…」

と、口を挟むきっかけ作りの声を発する。

 

「でもここは、主演の環さんの真波をベースに2人が合わせにいった方が一般的なので」

 

環は、

「いや」

と、あっさり否定し、

「別にそんなルールはないし。大河は基本順撮(じゅんど)りだ。景ちゃんの方法は間違ってないよ」

と答える。

 

そして環は、

 

「責任重大だ。やれる? さつき」

 

と、作戦の決行を左右する最終確認。

 

「…うん」

 

皆の注目を浴びながら、皐月はしっかりと返答した。

 

「よし」

 

笑顔の環の「よし」で、作戦が決まった。

 

(いくら環蓮と言っても、大河だよ大河! 大河の役作りの主体を子役に委ねるなんて)

 

雪は環の顔をまじまじと見つめた。

 

(一体何を考えてるの。この人…)

 

 

 

清水が運転する車の後部座席。

皐月は下を向いて口をつぐんでいる…。

 

(…あれからずっと黙っているな。やはり不安なんだ)

 

ミラーに映る皐月の様子を見て、清水は心配する。

 

しかし、違った。

皐月は、これまでの6年間の芸能生活の出来事を思い出していた。

 

(さつきちゃん。カワイイね~)

(将来は大女優かな)

(さなぎちゃんだ~)

(流石上手だね~。お芝居)

 

そんな色々な場面を記憶から呼び出していた。

 

「ねぇ、スミス。あの2人は私を女優として見ているの」

 

「…?」

 

「子役じゃなくて。女優」

 

沈黙を破って出てきた皐月の声は平坦な響き。

 

清水は、そっと皐月の表情を確認する。

 

そこには女優としての自覚に目覚め、その本質を発露(はつろ)しつつある皐月の姿があった。

 

「……。…へへ」

 

興奮で顔を紅潮させながらも、食い入るように台本を見つめる皐月。

 

「薬師寺真美が何よ。あの2人をガッカリさせる方が問題だわ」

 

皐月の脳裏には、本物の「女優」の姿を自分に見せ、自分を驚かせてきた後輩・夜凪のことがよぎっていた。

 

 

 

「私だって…!」

 

 

 

この日ついに「女優」としての覚悟が宿った皐月の表情。

険しく引き締まり、その眼光も強い…。

 

清水は、色々と思うところはあるものの、

「そうですね」

と、本音から生まれる笑みを浮かべた。

 

 

 

鎌倉。

まずは浜辺にやってきた環と夜凪と皐月の3人。

 

「海よ! 海! 2人共! ほら海!」

 

「見えてる見えてる」

 

(カワイイ)

 

「水着持ってきたら良かったね。あ、別に下着でもいいか」

 

「まだ寒いわよ。きっと」

 

「ふふん。夜凪さん、知ってる?」

 

腕組みをして皐月は語る。

 

「真波は泳げなかったのよ。だから私も泳がないの! だってその方が真波に近づけるでしょ」

 

夜凪は、うんうん、と納得しながら聞く。

 

「ちゃんと勉強してきたのよ、私」

 

皐月は、ふふん、と勉強の成果を披露(ひろう)する。

 

「真波のお母さんは活弁士(かつべんし)だったの。当時は無声映画で音がないでしょ。つまり映画の解説係みたいなものね。きっと真波はお母さんを見て女優に憧れたんだわ」

 

ここで夜凪が、

「でも7歳の時、火事で両親を亡くして、鎌倉の祖母の元に預けられるのよね」

と勉強した知識を述べる。

 

「うん。そこで毎日のように松菊(しょうきく)映画劇場に通ったのよ」

 

「きっと、お母さんを探しに行くような気持ちだったのね」

 

次は環が、

「それで?」

と合の手を入れる。

 

「きっと、その道すがらこの景色も見ていたのよ」

 

皐月は、ザザザア、と白く弾ける波打ち際を見つめた。

 

目を閉じ、波の音に耳を澄ます皐月。

そんな皐月を「……。」と眺める環と夜凪。

 

「真波の家は北鎌倉で、映画館はもっと内陸だから海は見えないわ」

 

「う」

 

「あはは」

 

「わ、分かってるわよ。でもほら、鎌倉といえば海だし、そう思った方がフンイキでるかなって」

 

夜凪から作戦内容の理解と確認を(うなが)す言葉が告げられる。

 

「駄目よ」

 

「分かってることは正確に解釈しましょう」

 

「分からないことは想像で補っていいけど、私たちと共有すること」

 

「そのための3人暮らしなんだから」

 

皐月は自由帳を取り出した。

 

「?」

「見ないで。プライバシーよ」

 

皐月は、(わからないことは想像でおぎなう ただし3人で共有する)、と記述し、ぱたん、と自由帳を閉じた。

 

「そんなこと初めから分かってたわ! よくひっかけに気づいたわね! ほめてあげるわ!」

 

不可解なことを元気に口にする皐月の顔を、夜凪はやや冷ややかに見つめる。

 

「その調子で気づいたことがあったら手を挙げて言いなさいね!」

 

「う…うん」

 

「あはは」

 

環と夜凪の大人(おとな)組は、

「まるで先生だね」

「…どっちが?」

と言葉を交わす。

 

「じゃそろそろ行くか」

 

 

 

移動した先は北鎌倉。

 

「真波の住んでいた北鎌倉に家を借りたんだ」

 

「築100年の古民家(こみんか)。きっと当時の真波の家に近いと思うよ」

 

大人2人に、たたっ、と走って追いついて、環の説明に間に合った皐月。

 

夜凪は、

「………。本当に住めるのコレ」

と古民家を見上げた。

 

「まずは片づけだな」

 

「環さん。色々用意してくれてありがとう」

 

「うん。気にすんな。自分のためだから」

 

これから共同生活を始める家を見上げながら夜凪は、

「うん。でも、この中で一番目立つのは私だから」

と、楽しそうな口調でそう言った。

それは、自然と口から(あふ)れ出てしまった言葉。

表情も口調も楽しさの(うち)にあるのに、口を突いて出た言葉はそんな内容。

 

「あはは。皆そう思っているよ。役者だもん」

 

環は当然、役者の本質を理解している。

 

「楽しみだね。女優3人共同生活だ」

 

「一番後輩の夜凪さんが一番がんばるのよ」

 

「え…?」

 

               「scene119.女優たち」/おわり




以上が、アクタージュ「scene119.女優たち」の紹介となります。

この号のアクタージュはセンターカラーでした。
扉絵を兼ねている見開きカラーがとにかく素晴らしい。
1つの絵の中に夜凪が8人、ほぼ同じ大きさで描かれています。
右から、シチューのCM、エキストラの町人A、カムパネルラ、羅刹女、シェアウォーターのCM。
この5人の夜凪が、それぞれ演じた時の衣装を着用して並んで立っています。
その隙間をちょろちょろする感じで「立ち姿じゃない夜凪」が3人います。
立ち姿じゃない3人は、見開きの右側に、デスアイランド編の制服着用で膝を抱えて座る夜凪。
中央に、カムパネルラ夜凪の背後に隠れる感じで、膝立ち姿勢で顔だけ出して覗き見する杉北高校制服着用の夜凪。
左側に、ギーナCM衣装着用で、ギーナチョコを片手にダンスというCM撮影時のポーズなのに、なぜか天地を逆(頭が下で脚が上)にされた夜凪。
絵の中央に横書きで「なんにだってなれる。」と文字が入っています。

なお、市子と白石のページもカラーでした。

本編での絵では、皐月の良い表情が多いように思います。
可愛いばっかりだった皐月が、ようやく「女優」としての表情を描いてもらった回ですね。


序盤の清水VS女優陣のやりとりは、実は清水が言っていることに理があります。
モデルの遺族は、特別・超権・絶対です。踏んではいけない虎の尾です。
詳細は割愛しますが、各人の反応を見る限り5人の中で「虎の尾」を理解しているのは清水だけでしょう。

しかし副題の「女優たち」が示す通り、役者たる者こうでなければなりません。

清水と同じく雪も、常識的な意見や一般論を述べる側の人間として描かれました。

役者は、常識や一般論を基に「役者としての考え方」を決めません。

外部の正論や常識を突きつけられても、役者は役者の生き様を曲げない。
芝居をする場が世界のすべて、…そんな素敵で強い生き物です。


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「120話目に相当する話」の紹介

北鎌倉駅から歩いてすぐの場所にある古民家。

その家の中、畳の()に布団を敷いて熟睡中の3人。

環、夜凪、皐月、の共同生活。

 

 

 

…昼食前。

 

「お腹空いたよう、景ちゃあん。朝、江ノ島まで走ってきたからさぁ」

 

環は、調理中の夜凪の肩に腕を回した。

 

「イワシの塩焼きとだし巻きかぁ。メッチャ分かってるね。早く早く早く」

 

「そんなに早く食べたいなら手伝って下さい。環さん」

 

「えー? だって、じゃんけんで勝ったの私じゃん」

 

そこに、

「お風呂掃除なんて初めてやったわ」

と皐月が顔を出した。

 

「お。おつかれ。さつき」

 

環はにっこりと、

「じゃ次は、トイレの掃除の係決めようか」

と、提案。

 

 

「じゃんけんで」

「いや!!」

 

 

二人は同時に「いや!!」の声を被せた。

皐月は、大きく口を開けて主張の強さをアピールした。

夜凪は、眉を吊り上げた怒りの形相を突きつけた。

 

「蓮さん。絶対ズルしてるでしょ!」

 

「そうよ! じゃんけんなんて運のはずなのに、負けなしじゃない!」

 

「じゃんけんにズルなんてあるはずないじゃん。じゃいくよー。さいしょはグー」

 

「いや!!」

 

 

 

いろいろ騒ぎながらも、家の掃除や片づけは完了した。

 

「で」

 

8畳の和室に丸い座卓を置いて昼食を取る3人。

 

「今日からどうする?」

「1話目の撮影は6日後から。前日からリハだから、残された時間は4日」

「長いようで短いね」

 

…もぐもぐと食事を頬張りながら、

 

「うん。まずは皐月ちゃんの真波を見たいわ。本読みしましょう」

 

「それを見てから、意見を()り合わせていきましょう。皆で」

 

と、夜凪が意見を出した。

 

環は、

「ま、基本だね。いいよ。私が相手役をやるよ」

と夜凪の意見に賛同する。

 

「うん…!」

 

皐月は、気後れすることなくしっかりと返事した。

 

 

 

草見修司脚本による「キネマのうた」の序章の紹介。

 

7才で母を亡くした真波は、鎌倉に住む母方の祖母文代に育てられた。

真波は文代の目を盗んでは毎日のように映画劇場に足を運んだ。

 

時代は無声映画(サイレント)から音声映画(トーキー)に。

 

当時、活動写真と呼ばれた映画は大衆を夢中にさせた。

真波もいつしか活弁士だった母の背中を追うように女優に憧れていた。

しかし、娘を芸能に殺されたとすら思っていた文代が真波の夢を許すはずもなかった。

 

転機は昭和11年。真波8才の年。

松菊鎌田撮影所が真波の住む鎌倉は大船に移転。

 

 

 

…皐月の本読み。

 

「…わぁ」

「撮影所…。この町に撮影所ができるんだ…!」

「きっと、お母さんが私に女優になれって言ってるんだ…!」

 

夜凪は、(…上手)、と思いながら皐月の台詞を分析する。

 

丁寧で聞き取りやすくて

それに何というか…華がある?

 

CMの時は気にしなかったけど

これでルイやレイと2つしか違わないなんて

やっぱりプロなんだ

 

…でも

 

本読みを終えた皐月は、

「ど…どう?」

と、自信と不安が混じった表情で問う。

 

夜凪は「…うん」と返事し、そして真剣な顔で、

 

「皐月ちゃん。…可愛過(かわいす)ぎるわ」

 

と、評価の言葉を口にした。

 

言葉のチョイスに(なん)があったせいで、変なことを言ってしまった夜凪。

場の空気が一瞬の沈黙に包まれる。

 

皐月は、

「…マジメに言ってるんだけど」

と、怒りで顔に筋を浮かせ、(やめてよ、そういうの)、と夜凪を責める。

 

夜凪は、

「あ、うん。ごめん。そうじゃなくて」

と、大いに焦る。

 

環はそのやりとりを、「あはは」、と軽く流した。

 

皐月への弁解の糸口を探す夜凪は、以前の千世子とアキラの芝居を思い浮かべた。

 

 

「お芝居が綺麗すぎる」

 

 

夜凪は、皐月の評価について、そう言い直した。

 

その言葉をすぐには理解できない皐月。

 

環は、言い直した夜凪に対し、

(うん。分かってるね)

と評価する。

 

…さらに環は、子役として長く仕事をしてきた皐月のことを分析する。

 

“愛らしさ”

さつきの…いや

日本の子役の芸能界での需要は(ほとん)どそれに尽きる

 

だから日本の子役は可愛らしさを演じることがクセになっているきらいがある

子役の宿命とも言える癖

これを外すのは一筋縄じゃいかない

 

一朝一夕で外せるものじゃない

だけどこの子はそれを外そうとしている

 

環は、皐月と夜凪を見つめながら、

(無策でこの街に来た訳じゃないでしょ。一体どうするつもりなのかな)

と、観察者っぽく考える。

 

「ちょっと出かけましょう」

 

「お。いいね。どこに?」

 

「真波に会いに」

 

そんな提案をする夜凪を見て、皐月は「…。」と怪訝(けげん)の色を顔に浮かべた。

薬師寺真波は故人だ…。

 

「怖い話?」

 

何故か少し嬉しそうに問う皐月。

 

「あ。私、そういうのパス」

 

「違うわ(怖いの苦手なのね…。覚えておこ)」

 

ここで皐月は「あ。分かった」と元気よく、ハイ、ハイ、と挙手し、

「つまり当時の真波を知る人の所に行くのね!(取材ね!)」

と回答した。

 

「ううん」

 

皐月の回答は不正解。

 

「子供時代の真波を知る人はもうこの世にいない。娘の真美さんすら知るはずがない訳だから」

「あ…。そっか」

 

「だから皐月ちゃんは自分の中から子供時代の真波を見つけないといけないの」

 

「……。なるほどね?」

 

なるほどと言いつつ皐月の理解は追いつかなくなった。

頭に大量のクエスチョンマークを浮かべ、自由帳を取り出す皐月。

 

環も、

「つまり?」

と夜凪に問う。

 

「真波が子供の頃、目にした景色。松菊大船撮影所」

 

夜凪は目的地の名を口にした。

 

 

 

目的地に到着した3人。

 

皐月は、信号機の横にある「松菊前」と記された標識を無言で見上げる。

隣に立っている環は、そんな皐月を横目で見る。

 

「…ここ? ただの交差点じゃない」

「20年以上前に取り壊されちゃって、敷地は今は大学になっているんだよ」

 

バス停標識の「松菊前」の文字を見ながら、

「もう名前くらいしか残ってないね」

と環は説明を加える。

 

皐月は、

「これ。私たち、鎌倉に来た意味ある…?」

という感想。

 

「これじゃ真波が見た景色とは程遠いわね。家で本読みしていた方がマシだわ。戻りましょう」

 

皐月は、撮影所に来たのは無駄足だったと結論づけた。

 

そして夜凪の姿が皐月の目に映る。

 

無言で突っ立っている夜凪…。

 

「…? 夜凪さん?」

 

(何…?)

 

夜凪は少し離れた虚空(こくう)を見つめている。

見つめても、そんなところには何もない…。

 

(一体何を見て)

 

 

「わぁ」

 

 

目を大きく開いた夜凪の口から発せられた言葉。

 

夜凪のそのキラキラした表情を、皐月は信じ難い物のように見つめた。

 

本読みの時の自分の単に「嬉しそう」という芝居とはまるで違う夜凪の表情と声音。

 

…そこに存在しないはずの「建設中の大船撮影所」と向き合っている夜凪の姿。

 

皐月は、役者・夜凪景を見つめる。

 

隣に立つ環が、

()えているんだね。景ちゃんには」

と、さらりと言った。

 

 

 

…皐月の思考がぐるぐると回る。

 

CM撮影の時のアキラ君の言葉。

 

走ってきたんだね、想像の世界で

 

アリサさんの言葉。

 

皐月

真似ることはないわ

ただ覚えておきなさい

こういう役者もいる

 

(…違う)

 

(真似なんてできない)

 

(したくてもできない)

 

車の後部座席で自分が清水に言った言葉。

 

あの2人は私を女優として見ているの

子役じゃなくて女優

あの2人をガッカリさせる方が問題だわ

 

(ガッカリさせないって決めたのに)

 

 

 

夜凪は、皐月が今何を考えているのか分かってるかのように、

 

「大丈夫よ」

 

と言った。

 

「皐月ちゃんには皐月ちゃんなりの方法があるはずだから」

 

と、優しく告げた。

 

その言葉に、皐月は少し苦しそうな顔を見せた。

 

…夜凪は話を続けた。

 

「私は子供の頃、役者になりたいなんて思ったこともなかったわ」

 

「子供のうちに抱いた夢を子供のうちに実現させてしまうなんて。真波も皐月ちゃんも特別で、きっとどこか似ているはずなの」

 

「だから大丈夫」

 

夜凪は、自分にはこんなやり方しか出来ない、と言いたいようだった。

皐月にはそう聞こえた。

 

夜凪は、真波に近い境遇の皐月には役作りの取っ掛かりなんて幾らでもある、と言いたいようだった。

皐月にはそう聞こえた。

 

とても優しい言葉だと思った。

 

そして皐月の表情は悲痛に歪み、その目には涙が滲んでいた。

 

 

「ママが女優になりなさいって言ったの」

 

 

吐露(とろ)された皐月の苦しみ。

 

夜凪と環は、黙って皐月のほうを見た。

 

「真波みたいに毎日映画を観てた訳でも誰かに憧れた訳でもないの」

 

「全部ママなの…。本当はママが私に女優になって欲しかっただけなの」

 

「あの人の言う通りなの」

 

皐月が言う「あの人」とは(今の子に母を演じるのは酷でしょう)と発言した薬師寺真美のことだ。

 

 

「本当は、真波の気持ちなんて分からないの…!」

 

 

皐月は大粒の涙をぽろぽろと(こぼ)していた。

 

環が、

「どうした。さつき。泣くことないでしょ。よくあることだ」

と皐月の頭を撫でた。

 

一度溢れ出た皐月の涙は止まらなかった。

いつまでも止まらなかった。

 

「まだ子供だからね。真似できない才能を前にするのも初めてなんだよ」

 

環は少し心配そうに皐月の頭を撫で続けた。

 

無言で立っていた夜凪が、皐月のほうに歩き始めた。

 

「知ってる? 皐月ちゃん。人って自分の気持ちが一番分からないものなんだって。でもそれが分からないと役者にはなれないんだって」

 

夜凪はしゃがみ、まだ涙が止まらない皐月の真ん前に顔を寄せた。

 

 

「今、真波に一歩近づいたわ」

 

 

皐月は目の前の夜凪の顔を見た。

夜凪の顔は、泣きじゃくる子供をあやす表情ではなかった。

()の表情だった。

 

環は黙って、夜凪と皐月の二人を見守っていた。

 

夜凪は、

 

「それとも。もう役者は嫌?」

 

まだ涙を落としている皐月に問う。

 

 

 

「嫌じゃない。いつか私が芸能界で一番になるんだから…!」

 

 

 

(まみ)れの顔で、皐月は懸命に目を開いて、夜凪を睨みつけた。

一番になるということは、環にも、目の前にいる夜凪にも、他の誰にも、負けない。

そういう意味になる。

 

「そうよね」

 

夜凪は素の表情で、そう言った。

役者なら上を目指すのは当たり前の話。

たとえそれが涙で(ふる)える言葉であっても、当たり前の言葉として、夜凪は受け止めた。

 

               「scene120.共同生活」/おわり




以上が、アクタージュ「scene120.共同生活」の紹介となります。

扉絵は、腰から上の皐月の後ろ姿。
皐月は、顔だけをこちらに向けています。
一糸まとわぬ姿ですが、後ろ姿なので大丈夫です。

絵面としては、「薬師寺真波」の外見が描かれている点に注目したいところです。
子供の頃の真波の横顔しか判りませんが、輪郭や鼻筋を見る限り相当に整った顔をしているようです(当たり前と言われればそれまでですが。後に大女優になるわけですし)。
髪はクセのない綺麗なストレートですね。
後ろ髪の長さは肩までくらい。

そして皐月の泣き顔がとても良い絵ですね。
アクタージュでは、必要とあらばキャラの顔を崩すところまで「攻めた絵」が描かれます。
これが本物の大泣きだ、と感心するほどの涙の量です。

もちろん夜凪にも素晴らしい絵があります。
じゃんけんに対して「いや!!」と眉を吊り上げている夜凪は眉間に皺まで入った迫力の怒り顔。
怒った顔も可愛いです。


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「121話目に相当する話」の紹介

古民家での共同生活。

3人とも丸い座卓に付いていた。

皐月は台詞の練習中。

 

「わぁ」

「撮影所…! この町に撮影所ができるんだ…!」

「きっと、お母さんが私に女優になれって言ってるんだ…!」

 

夜凪が、

「はい。じゃ今日はこれでおしまい」

と先生っぽく言った。

 

皐月は、

「ちょっと待って! 今日まだ全然本読みやってないわ」

と、物足りない様子。

 

「うん。台詞の感じくらいは覚えておいた方がいいから本読みは一応やるけど。もっと大切なことがあるから」

 

「大切なこと? 本読みより?」

 

「うん。まずは自分を知るの」

 

夜凪の提案により、皐月は「自分について」というテーマで自由帳に書き記すことになった。

 

…自由帳の見開きに書かれた皐月の記述。

 

(左ページ)

天才 子役(←この「子役」という単語は二重横線で消されています) 女優

めいのさつきについて!

かわいい。

一万年に一人の美少女

頭もいい

テスト学年1位!

 

(右ページ)

(MHK教育に出演する際のフェアリー風コスチューム姿の皐月の「ちょうちょ」のイラスト)

さなぎじゃなくて

ちょうちょ。

かわいい。

 

皐月は、

「書いたわよ。私について。これでいいの?」

と、夜凪の顔を見た。

 

夜凪は自由帳に書かれた内容を見つめる。

 

環は、

「あはは。素直でいいね(かわいいが2回あるね)」

と、簡単な感想を述べた。

 

「足りないわ。自由帳全部埋めるつもりくらいじゃないと」

「……。」

 

皐月は、夜凪の考えがよく分からない、という表情。

 

「こんなことして本当に意味あるの? 私、もっと大切なことがある気がするわ」

「大切なこと?」

 

皐月は、自分の考えを述べる。

 

「例えば、真波にとって撮影所は憧れだった訳でしょ? でも私、生まれつき可愛くて昔から芸能人だから、何かに憧れたことがないの」

 

それを聞いた環は、

「憧れのものを今から作りたいってこと? 気が遠くなるなあ~」

と呆れ気味に、ごろーん、と腕枕で寝そべった。

 

「うん。それはまだ早いです」

 

「な…、なんでよ!」

 

大事なことを言ったはずなのに大人二人が(それは現実的じゃない)という反応を見せたので、皐月は怒り顔になった。

 

夜凪は自由帳を手に、

 

「でもこれを埋めていけば必ず真波に近づけるわ」

 

と、自分を知ることの大事さを強調する。

 

皐月は、自分が大泣きした時に夜凪が「今真波に一歩近づいた」と言ってくれたことを思い出す。

 

「分かった。やるわよ」

 

「お」

 

「なんですか?」

 

「素直だと思って」

 

寝そべりながらも環は皐月の態度を観察していた。

 

「そうと決まれば行きましょう。遊びに」

 

夜凪のこの発言に、皐月は、

「うん。…ん?」

と、可愛く反応。

 

環は、無言で身を起こした。

 

 

 

場所が変わって、海。

海岸から延びるコンクリートの堤防。

 

環、皐月、夜凪、と並んで、何故か堤防釣り。

ちょい投げ、置き竿、椅子に座って魚信(あたり)を待つというシンプルな釣りをしながら、ザザザア、という波の音を3人は聞いていた。

 

「…ねぇ。もう2時間もこうしてるわ」

 

「うん。全然釣れないわね」

 

「分かってないな。さつき。こういう退屈な時間を楽しむのが大人の遊びだよ」

 

「私、真波の子供時代を演じるんですけど!!」

 

不安が(つの)った皐月はついに現状に物申(ものもう)す。

 

「私たち、明日には帰るのよ!? 明後日にはリハで、その次の日には本番よ!?」

 

「やっぱり、こんなことしてちゃ、いつまで経っても真波を演じられな…」

 

ここで、ぴた、と口をつぐんだ皐月。

隣にいた環がカメラのように構えるスマホが、ジー…、という不穏な音を鳴らしていたからだ。

 

「な…何、撮ってるんですか。蓮さん」

「思い出作りだよ」

 

ジー…、という音は引き続き鳴っている。

 

皐月は、サッサッ、と前髪を手櫛(てぐし)で整えた。

 

「今のインスタにあげないで下さいね。鳴乃皐月は人前で怒鳴ったりしないから」

 

「あはは。皐月はカメラに弱いなぁ」

 

「…。」

 

目を開いて環と皐月の掛け合いを観察していた夜凪は、

「皐月ちゃんはブリっ子」

と言いながら、自由帳に文字を書き記した。

 

「コラー!! 何、勝手に書いてんのよ!! 私、ブリっ子じゃないし!!」

 

大人の顔で笑みを浮かべた環は、

「さつきはブリっ子だよ?」

と指摘する。

 

「え?」

 

「ほら。案外自分のことって自分じゃ分からないでしょ。こうやって遊びながら、皐月ちゃんのこと知っていきましょう」

 

頬を赤くし、無言でふくれっつらになる皐月。

 

「皐月ちゃんは、怒ると顔が赤くなる(カキカキ)」

 

「あっ。また!!」

 

「さつきはいつも赤いよ」

 

「いつも赤い(カキカキ)」

 

「こらー! せめて自分で書くから返しなさいよ!」

 

 

 

場所を移動。

次は山道を歩く3人。

その後、3人は次々に場所を移動させた。

 

行く先々で、自由帳には皐月の手により文字が記入されていく。

 

歩くのは嫌い

スミスの運転するベンツが好き

 

毛虫は嫌い

さなぎは普通でちょうちょが好き

 

お風呂は好き

 

シラスは目が合うから嫌い

だけど美味しかったから困った

 

ファンは好き

私のことを好きな人が好き

 

 

 

夜も更けて、浜辺に並んで座る環と夜凪と皐月。

 

「いや~。楽しかったね」

 

「うん。私、生シラスって初めて食べたわ」

 

「明日も食べて帰りたいね」

 

「うん。おみやげも買いそこねちゃったし」

 

ここで皐月は立ち上がり、真面目な顔になる。

 

「いや。結局、何よ、これ!! ただの観光じゃない!!」

 

環は、

「いいじゃん。(たま)には」

と、のんびり答える。

 

「よくないですよ!! 私たち明日には帰るのに。全然真波に近づけてない!」

 

そう大声を出した皐月。

そして、

「…それどころか、自分のことを書けば書くほど、私が真波と全然似てないことが分かって…」

と、弱々しく言葉を続けた。

 

…皐月は膝を抱えて押し黙ってしまう。

 

「さつきはマジメだなぁ」

 

「『皐月ちゃんは真面目』、ほら書かなきゃ」

 

「うるさい!!」

 

皐月は、自由帳をじっと見つめる。

見つめているのはこの日に記した「自分のこと」のページではなく、先日描いた「真美とアリサの仲直り作戦」のページ。

 

「泊まり込みで役作りなんて、本当は親同伴じゃなきゃ許されないのよ」

 

「でも、ママは忙しいから、大河のためだからって。環さんもいるからって無理言って許して貰ったの…」

 

皐月は、悲痛な面持ちでページを見つめる。

 

「…私、この作戦、成功させたいのに」

 

そんな言葉が絞り出される…。

 

夜凪は、そんなふうに思い詰める皐月の姿を見つめた。

 

 

 

「また一歩近づいた」

 

 

 

言葉を発した夜凪と皐月の目が合った。

 

「意味分かんない」

 

怒った皐月は大口を開けて、ガブリ、と夜凪の右腕に噛みついた。

 

「痛い!! どうしたの。皐月ちゃん!」

 

痛みに顔をしかめる夜凪。

2人のことを可笑(おか)しそうに見ている環。

 

「もういい! あなたを信用した私がバカだったわ!」

 

「先帰る! 私一人でがんばるから!」

 

背を向け、歩き出した皐月。

 

夜凪は去っていく皐月の背中に、

「…皐月ちゃん」

と、声を掛けた。

 

そして真剣な顔で、

「『皐月ちゃんは怒るとかみつく』って書いておくのよ」

と告げた。

 

「うるさいから!」

 

夜凪は、少し冷や汗を垂らした…。

 

「嫌われてしまったわ」

 

「そう?」

 

ずっと観察役を務めていた環は自分の見解を述べる。

 

「あの皐月が素直に今日一日、君の言うこと聞いてたんだよ」

 

「信用されているんだよ。君」

 

 

 

浜辺を後にし、民家に戻ってきた3人。

これが共同生活の最後の夜となる。

 

…3人とも既に布団で寝ていた。

 

皐月の目がパチッ、と開いた。

 

夜空には星が見え、三日月が浮かんでいた。

 

皐月は1人、縁側に座っていた。

 

(何度観ても)

 

皐月が観ているのは、スマホの「シェアウォーターのCM」のデータ再生。

その中の、シェアウォーターを飲み終えた時の汗だらけの夜凪の笑顔。

 

「…綺麗」

 

皐月はそう呟いた。

 

(汗なんて本当は汚いはずなのに。どうして)

 

皐月はなおも画面を見つめる。

 

「…どうやったら夜凪さんみたいに」

 

「私みたいに?」

 

「わぁ!!」

 

起きてきた夜凪に突然声を掛けられた皐月は、驚いて大きな声を出した。

 

「何、見てたの?」

 

「何だっていいでしょ! びっくりするわね!!(あっちいって!)」

 

「皐月ちゃんは怖がり」

 

「もうそれやめて!! おやすみ!」

 

皐月は、ペタペタと歩いてその場を離れようとした。

 

夜凪は、送信ボタンを、ぽち、と押す。

 

皐月のスマホが、ピコン、と鳴り、皐月は足を止めた。

 

「見て。それ今、私が撮ったの」

 

皐月に送られてきたのは動画データ。

 

「動画?」

 

「うん。皐月ちゃんの横顔」

 

「隠し撮りは犯罪なのよ(何してんの)」

 

「私の友達がね。私の横顔を見て、私で映画を撮りたいと思ってくれたことがあったの」

 

「……?」

 

しばらく考えてから皐月は、

「…じまん?」

と、夜凪にジト目を向けた。

 

「いいから見て」

 

「わっ。何よ」

 

「私、カメラマンの才能あるかも」

 

「は?」

 

ぐいぐいと迫られて、皐月は仕方なく送られてきたデータを再生する。

 

それはシェアウォーターのCMの動画を観ていた皐月の横顔。

動画を観て「…綺麗」と呟いた時の皐月の(きら)めくような美しい表情。

 

その自分の表情を見た皐月は、交差点で夜凪が「わぁ」という台詞を言った時の横顔を思い浮かべた。

そこにないはずの撮影所と向き合っていた夜凪の姿が脳裏をよぎった。

 

「これって…」

 

ここで夜凪は、嬉々として皐月に身体を寄せた。

 

「今日、私ね。環さんにお願いして、ずっと皐月ちゃんを撮っておいて貰ったの。アイムービーでね。私、さっき編集したの。すごいでしょ。見て見て」

 

夜凪が編集したというデータを渡される。

 

皐月は再生ボタンを押す。

 

ふくれっつらの皐月

生シラス丼を美味しそうに頬張る皐月

風呂上がりに瓶入り牛乳を飲む皐月

夜凪の腕に噛みついた皐月

 

「皐月ちゃんは、お芝居をしていない時に誰かに可愛いと思われることを嫌っていたでしょ」

 

映像を見つめる皐月に、夜凪は語りかける。

 

「でも私、仕方ないと思うの」

 

「ブリっ子しなくても可愛いのが皐月ちゃんだから」

 

「皐月ちゃんは、子供の頃からお芝居をしていたからちょっと難しかったのよね。お芝居をしないことが」

 

映像にある素の自分の姿を見つめながら、皐月は夜凪の言葉に耳を傾ける。

 

 

「でもまた一歩近づいたね」

 

 

皐月は素直な口調で、

「……。…うん」

と、微笑みながら返事した。

 

「ねぇ。この時、何を見ていたの?」

 

「え」

 

「さっきの横顔。本当に良い表情だと思う」

 

この「何を見ていた」の正解は「夜凪の笑顔」だが、夜凪は正解を知らない。

 

「…そうね。真波が初めて撮影所を見た時ってきっとこんな…」

 

正解を知らない夜凪は、そんなことを口にする。

 

皐月は、自分が「真波にとっての撮影所」を「憧れ」と位置付けていたことを思い出す。

 

 

 

憧れ…

 

 

 

皐月はゆっくりと視線を夜凪のほうに向けた。

 

視界には、廊下にぺったん座りをして「……?」という表情を浮かべる夜凪の姿があった。

 

「……何?」

 

夜凪からそう詰め寄られた皐月は、顔を赤くして冷や汗を垂らす。

 

「違うから!!」

 

「な、何が?」

 

 

 

皐月が眠ってしまった後の縁側。

夜凪はそこに1人座り、先ほど自分が撮った皐月の横顔の映像を見つめていた。

 

出生も時代も関係ない

いつの世の子供も持っている感覚

ただ目の前のものに笑って 怒って 泣いて

大人になるにつれ失ってしまう感覚

 

皐月(それ)を経て

私は真波になる

 

縁側に座る夜凪の後ろ姿を、環は布団に横になりながらも観察していた。

 

そして、

「…おっかない」

と呟いた。

 

               「scene121.また一歩」/おわり




以上が、アクタージュ「scene121.また一歩」の紹介となります。

絵面としては、やはり「…綺麗」と呟いた時の皐月の横顔が良いです。
この共同生活は、「3人の真波」の的役となる皐月の役作りを手伝うことがメインです。
なので、皐月が目立つ回が続いています。

もちろん個々それぞれに思惑がある「共同生活」なわけですが。

夜凪は先生役っぽい感じなので素の表情が多いですね。
皐月に噛みつかれた時の顔と台詞は可愛いです。

環は観察役っぽい感じなので表情の変化も台詞も少なめです。


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「122話目に相当する話」の紹介

鎌倉生活4日目。最終日。

夜凪、環、皐月、は本読みをしている。

 

皐月の本読み。

 

「わぁ」

 

「撮影所…。この町に撮影所ができるんだ…!」

 

夜凪は本読みをする皐月を見つめる。

 

(わず)かに

だけど着実に

皐月ちゃんの芝居が変わり始めた

 

肩の力が抜けているというか

私の知る皐月ちゃんの愛らしさが垣間見えるようになってきた

 

本読みを続ける皐月。

その姿をじーっと目を凝らすように見つめる夜凪。

 

「きっと、お母さんが私に女優になれって言ってるんだ!」

 

「どうして! どうしておばあちゃんは映画が嫌いなの!?」

 

「嫌だ! 私は女優になるの!」

 

夜凪の目は、本読みをする皐月の細部を追っている。

 

しゃべる時の口元

眉毛を寄せる動きと、その時の瞳

口を大きく開けた時の、その開け方

 

見開かれた夜凪の瞳には、芝居をする皐月の姿が映っている。

 

そんな夜凪を、環は横目で見ていた。

 

観察…いや

同調しようとしているのか

皐月と

 

皐月の役作りを手伝うと言ったのはこういうことか

 

環は、先日の交差点で夜凪が言っていた、

 

(私は子供の頃、役者になりたいなんて思ったこともないわ)

(子供のうちに抱いた夢を子供のうちに叶えてしまうなんて、真波も皐月ちゃんもきっと特別でどこか似ているはずなの)

 

という言葉を思い出す。

 

この子の本当の目的は童心を演じる皐月の気持ちを追体験すること

この子はこうやって自分の中の役を増やしてきたんだ

 

環は、オーディションの時の出来事も思い出す。

中に何人つれてきたのか訊かれて、「12人かな」、と答えた夜凪のことを。

 

身の回りのもの

すべて食べ物

 

まるで怪物だ

 

皐月の本読みが終わった。

皐月は、ふぅ、とやり遂げた感じに息を吐き、

「…どう?」

と尋ねた。

 

環は、「うん。いいね」、と端的(たんてき)に答えた。

しかし環の目つきは、その端的な口調に合っていなかった。

瞳が愉悦に染まり、妖しく光っていた。

 

心の中で夜凪に対し、

 

頼もしいな

 

と、呟いていたからだ。

 

 

 

共同生活をしてきた民家を後にして、浜辺にやってきた3人。

皐月は波打ち際にしゃがみ込んでいる。

 

「さつき~。そろそろ行くよー」

 

「はーい。もう少し待って下さい」

 

皐月のことを眺めながら、環と夜凪はおしゃべりを始めた。

 

「帰る前に、お母さんへのおみやげ、浜辺で探してるんだって?」

「うん。手伝って来ようかしら」

 

皐月は、薄い形状の石を見つけて、(キレイな石!)、と石を手に取る。

 

「子供の成長ってすごいね。怖いくらいだ」

「え?」

「ああ。君も早熟組か。じゃあ分からないか」

 

環は、

「君はさつきで役作りしているくらいだもんな」

と、平静な口調で述べた。

 

夜凪は、

「? 環さんは違うの?」

と、やや驚いた表情で質問する。

 

「私はそんな器用じゃないからね」

「…! じゃあどうしてわざわざ鎌倉で私たちと…。皐月ちゃんをベースに役作りするっていう話だったから、私…」

 

そう。

環は、皐月と夜凪がやっていることをただ見ていただけだ。

夜凪は、皐月の役作りを自分の役作りに落とし込む作業をしっかりと進めていた。

 

「あー。心配してくれてるんだ」

 

環は、そう言って夜凪に笑顔を向けた。

 

そして視線を夜凪から外し、

 

 

 

「甘く見られてるなぁ。私も」

 

 

 

と、遠くを見る目でそう言った。

 

その言葉に重さのようなものを感じた夜凪は、少し(ひる)み気味に環を見た。

 

「当てようか。君と墨字君の狙い」

 

突然、そんなことを言い出す環。

 

「大河の主演は夜凪景だと世間に印象付けさせ」

 

「私から主演としての印象を奪うつもりだ」

 

正解…。

 

「いいよいいよ。気にしなくて。それが芸能界ってもんだし墨字君のやりそうなことだ」

 

環はそう言いつつ、歩き始めた。

 

夜凪は、歩き出した環の背中を見ながら、

「分かっていて。どうして協力してくれたの…?」

と、不思議そうに訊いた。

 

「先輩だから?」

 

振り返って答える環。

 

夜凪は、意外な答えが返ってきた、という表情で受け止めた。

潮風に、夜凪の長い髪が吹き散らされていた。

 

「後輩のために一肌脱ぐのが先輩の役目だ」

 

「君たちが一番実力を発揮できる環境を与えて、最後に私がその上を行く」

 

「それが作品にとって最善でしょ?」

 

(この人…)

 

夜凪は、歩いていく環の後ろ姿を見つめた。

 

(まるで私を脅威と思っていない)

 

「ありがとう」

 

後輩・夜凪から先輩・環への礼の言葉。

 

 

 

まだ波打ち際にしゃがんでいる皐月の近くまで、環と夜凪は歩いていった。

 

「そろそろ行くよ。さつき。暗くなる前に東京に戻りたいでしょ」

 

皐月の返事は無し。

 

夜凪が、

「皐月ちゃん?」

と、声を掛ける。

 

「大丈夫? どこか痛いの?」

 

「…ううん」

 

皐月は、

「ただ、これから東京に帰ると思ったら…」

と、沈んだ表情を見せた。

 

顔合わせの時に揉め事のようなことが起こった。

相手は薬師寺真美。

東京には、その真美と共演する仕事の予定が待っている。

 

「じゃあ、気分転換して帰ろっか」

「え」

「ほら。まだ挨拶してないじゃん。私たち」

 

環は、「挨拶」することを提案した。

 

 

 

鎌倉にある墓地。

ここに薬師寺真波の墓がある。

3人は真波の墓の前で、目を閉じて手を合わせた。

 

目を開けた夜凪は、

「こんなに近くにあったのね。真波さんのお墓」

と呟いた。

 

皐月は、

「すごいお供え物の数。持ってきたお花、置けないくらいね」

驚いた顔を見せた。

 

環が、

「うん。今日は彼女の命日だからね」

と、お供え物が多い理由に触れた。

 

「え」

 

夜凪も初耳だった。

 

環は、薬師寺真波について語る。

 

「すごいよね」

 

「逝去して40余年。こんなにも愛され続ける女優が他にいる?」

 

「薬師寺真波は、日本一の女優だと思うよ」

 

夜凪と皐月は黙って、環の話を聞いていた。

 

(日本一の女優)

 

夜凪は、その言葉の意味に思いを()せる。

 

私はずっと昔から薬師寺真波を知っていた

彼女の作品は押し入れにいっぱいあったから

 

モノクロだけどモノクロだと感じさせない

なんというか

鮮やかなのに落ちついていて

それでいて見ているだけで眠くなるような

そういう子守歌みたいな女優

 

そういう女優を私たちは演じる

 

 

 

皐月には、真波の墓を前にして思うところがあった。

そして再び目を閉じて手を合わせた。

 

二度目の合掌を行う皐月を見て、夜凪は、

「? 皐月ちゃん。何度も手を合わせなくていいのよ」

と、教える。

 

「ううん。謝ってるの」

 

「会ったこともないのに…。とてもすごい人なのに。勝手に演じてごめんなさいって」

 

環が、

「そういうつもりで連れてきたんじゃないよ。さつき」

と、皐月を諭す。

 

「彼女をモデルにすることは、ご遺族や関係者から承諾を得ているんだよ。その人たちが託したスタッフに君は選ばれたんだ。さつき」

 

「分かってるよね?」

 

合掌を解いて、

「うん」

と答えた皐月は、

 

「でも、あの人には認められていない」

 

と、真美の問題を挙げた。

 

過日、皐月は真美からほぼ名指しで配役を否定されていた。

 

「…そうね」

 

皐月の思いに夜凪が言葉を添える。

 

「だから、あの作戦を実現させるんでしょう」

 

「うん…!」

 

前向きな気持ちをその顔に浮かばせた皐月を、夜凪と環は見つめる。

 

 

 

じゃり。

 

 

 

背後から玉石を踏む音が聞こえた。

 

じゃり。

 

現れたのは真美…。

 

「あら、こんにちわ」

 

前向きな気持ちを表明したばかりの皐月だが、突然の邂逅(かいこう)に冷や汗を流す。

 

固まってしまった皐月の横を、真美は無言で通り過ぎた。

そして真美は、真波の墓の真ん前に立った。

 

「毎年こうなんですよ。私の来る意味がないくらいで」

 

3人の中では年長の環が、

「そんな。きっと喜ばれてますよ。真波さんも」

と、大人の言葉で応じた。

 

「最近は節操がなくて。あなた達も大変ですね」

 

「見境なくドラマ化、映画化…。それも大河なんて」

 

真美から3人に向けられた言葉。

続く言葉は、真波の墓に向けられた。

 

「あなたもついに歴史にされてしまった」

 

「この世のどこにあなたを演じられる女優がいるというのか」

 

真美の言葉は、3人全員の配役を否定する意味を持つ。

3人は、それぞれに言葉の意味を受け止める。

 

夜凪が口を開いた。

 

「真美さんも承諾されたんですよね」

 

真美は、墓の方を向いたまま、

 

「…そうですよ」

 

と短い言葉で肯定する。

 

夜凪は、

「…どうして」

と次の質問に移ろうとして、そこでしゃべるのをやめた。

 

真波の墓と向かい合っている真美は無言。

真美は真波と会話している最中。

その邪魔をしてはいけない…。

 

真美と真波の会話はまだ続いている。

 

じゃり。

 

真波との会話を終えた真美は、3人には一言も声を掛けずに去っていった。

 

皐月は、遠ざかっていく真美の姿を見つめる。

 

「さつき。大丈夫だよ」

 

環が、皆を鼓舞(こぶ)する。

 

「見せてやろうぜ。21世紀の女優ってやつを」

 

3人の視線は、真っ直ぐに一方向へと向けられていた。

 

               「scene122.挨拶」/おわり




以上が、アクタージュ「scene122.挨拶」の紹介となります。

扉絵は、ポニーテールの環の微笑。
バストアップの環が描かれたカラーページです。
黒のタンクトップ着用で、左手を後頭部にある髪の結び目に添えています。
これは、大河ドラマ「キネマのうた」のポスターの絵なんでしょうか?
そんなふうにも見えます。

絵面でも環のかっこよさが目立っています。
「甘く見られてるなぁ。私も」と言った時の表情。
浜辺にて、夜凪目線で描かれた強者感が漂う全身の後ろ姿。
共同生活の話では全体的に表情の変化が少なかった環ですが、今回は扉絵を張っているだけあり色んな顔が描かれました。

そして夜凪。
浜辺で風に髪を散らされる夜凪は、正統派美少女の可愛さに溢れてます。
とても良い絵です。


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「123話目に相当する話」の紹介

大河ドラマは1話約45分、放送期間は一年に及ぶ。

月曜にリハーサル。

火曜から金曜の4日間の撮影でおよそ1話を撮り終えるルーティン。

これを1年続ける。

 

 

 

月曜。「キネマのうた」1話目のリハーサル当日。

 

朝、自宅のベッドの上で目を覚ました皐月。

天井を見つめ、昨日の出来事を思い出す。

 

真美が、(この世のどこにあなたを演じられる女優がいるというのか)、と言ったこと。

 

皐月は、ムクっ、と上体を起こした。

パジャマのままキッチンへと移動する。

 

朝食用シリアルをお皿に盛って、牛乳を注ぐ。

テーブルに付き、もぐもぐ、とそれを食べ始める皐月。

 

月曜日の朝、家人は既に外出している。

だだっ広いリビング・ダイニングで、皐月は1人シリアルを食べる。

 

食事中の皐月は、テーブルの上に小冊子が置かれていることに気づく。

それは、中学受験コースを案内する予備校のパンフレット…。

 

皐月は、氷のような目でパンフレットを見た。

 

食事を終えた皐月は、「キネマのうた」の台本を両手で開いた。

 

 

ごん!

 

 

開かれた台本が、勢いよくテーブルを打った音。

正確には、パンフレットの上に置かれた音。

皐月は予備校のパンフレットを下敷きに使い、台本をその上に立てるように両手で持った。

 

台詞の発声をする皐月。

長々と続く芝居のおさらい。

やがて、皐月はパジャマから外出着に着替えた。

ぎゅっとサイドテールを(つか)み、髪型を綺麗に整えた。

 

家の前には清水のベンツが待機している…。

 

「あ」

 

「おはよ」

 

ベンツを背に、環、夜凪、雪、清水、が立っていた。

 

皐月の表情は、ぱっ、と明るくなる。

しかし、すぐに気づく。

自分が見せるべき表情は「これ」じゃない。

 

「…私。全然一人でも大丈夫なのに…」

 

皐月は、視線を横に逸らし、ぶい、とほっぺを膨らませた。

 

環は、

「何が? スミスに送迎お願いしただけだよ」

と、笑顔を見せた。

 

清水は、

「今回だけですよ。私は皐月さんのマネージャーなんですから」

と、真面目な口調。

 

雪は、

「スミマセン…」

と、申し訳なさそうに呟いた。

 

夜凪だけが、黙っていた。

 

そして夜凪が口を開いた。

 

「行こう」

 

それは、とても快活な声だった。

 

皐月は知っている…。

今日のこの日に自分がどれほどの緊張と不安を抱えているかを、環と夜凪が理解していることを。

そんな自分を盛り立てるために、環と夜凪はこの場に来てくれたことを…。

 

「仕方ないわね。今日だけよ! 乗っけていってあげる!」

 

 

 

 

MHK放送センター。

リハーサルが行われるスタジオ。

セットには「文代の家の一室」が準備されている。

皐月はそのセットの前に1人立つ。

 

周囲には40人ほどの関係者がいて、皆皐月を見ている。

 

「改めまして。鳴乃皐月です! 精一杯がんばります! よろしくお願いします!」

 

パチパチパチパチ、と拍手を贈る人たちは、笑顔で皐月を見つめていた。

 

姿勢良く立つ皐月の隣に、ぬっ、と現れたのは50代後半の男性俳優。

男性俳優の表情には笑みが浮かんでいる。

 

「嬢ちゃん。ちょっとイメージと違うな。そんな硬くなるタマじゃねぇだろ」

 

「…!」

 

「安心しなよ」

 

男性俳優は話の核心を突く。

 

「あのおっかないババアは来てねぇから」

 

「え」

 

皐月は、真美が来ていないという情報を多少驚いた顔で受け止めた。

 

…この情報に強い反応を見せたのは夜凪。

 

「真美さんが来ていない!? リハーサルなのに!?」

 

夜凪に突っかかられたスタッフは、冷や汗を垂らしながら手振りを交えて応じる。

 

「どうしても外せない別件が、ということで」

「でもだって、明日本番なんですよ! 皐月ちゃんが一体どんな気持ちで…!」

 

「すみません。代役を立てますので…」

「真美さんの連絡先、教えて下さい!」

 

「い、いや。それは…」

 

夜凪とスタッフのやりとりを眺めていた男性俳優は、

「がはは。あんたのお姉ちゃんみたいだなぁ」

と、隣にいる皐月に笑いかけた。

 

「…。」

 

皐月は、現場の隅っこで繰り広げられているその光景を、冷や汗気味になりながらも平静に見ていた。

スッ、と駆け出した皐月。

男性俳優は、おっ、という表情で皐月の行動を見る。

 

皐月は、夜凪とスタッフがいる場所まで行った。

 

「夜凪さん、やめて」

「で、でも」

 

皐月はその顔を険しい物に変え、力が宿った強い視線を夜凪に向けた。

 

 

「私は大丈夫だから」

 

 

夜凪は、その迫力に気圧(けお)されて口をつぐんだ。

そして、

「…ご、ごめんなさい」

という言葉を弱々しく場に置いた。

 

「お騒がせしてすみません(まだ新人なので)」

 

皐月は周囲に向けて頭を下げた。

 

「がははっ! 世話の焼ける後輩だなぁ!」

 

男性俳優は、豪快に笑って応じることで、場の雰囲気を和ませようとした。

 

「慣れなきゃね」

 

背後から掛けられたその声に、夜凪は「…!」と反応する。

 

声の主は環。

 

「この世界に大人も子供も関係ない。出過ぎるとさつきに恥をかかせるよ」

 

夜凪は自分の言動を反省しつつ環の言葉を聞く。

ばつが悪くて環の方を振り返れない。

 

振り返れないまま、

「…はい」

と、小さく返事をした。

 

「…でも、分かるよ」

 

環は気落ちしている夜凪を気遣う。

 

「奇妙だよね。大人も子供も対等な世界なんてさ」

 

その奇妙な世界にこれから慣れていけばいい、という先輩からのメッセージ。

 

 

 

これからリハーサルが開始される。

 

犬井が、

 

「では、シーン10、いきます」

 

「よーい」

 

と進行の言葉を発した。

 

雪と清水が並んで立っていた。

 

「こういうの、自分のことより緊張したりしません? あ、スミスさんはベテランだから、そんなことないか」

「……。」

 

少し間を置いて、

「いえ」

と清水は否定した。

 

清水は、皐月のマネージャーとして十分に緊張していた。

皐月が相当な意気込みで今日という日を迎えていることを、清水は理解していた。

 

…リハーサルが始まった。

 

「どうして!?」

 

「どうして、おばあちゃんは映画が嫌いなの!?」

 

声音にも表情にも緊迫感がきっちりと表現されている皐月の芝居。

 

「私もお母さんみたいになりたいのに。どうして許してくれないの…?」

 

少しトーンを抑え、声に悲壮感を乗せていく皐月。

 

やや驚いた表情になる清水。

周囲にいる他の者たちも同様の表情。

 

50代後半の男性俳優とベテラン二枚目俳優の二人が、皐月の芝居について語る。

 

「驚いたな」

 

「へぇ…。子役芝居が抜けてますね」

 

チーフ監督である犬井は、冷静な表情で皐月の芝居を観察する。

 

犬井は、酒飲み仲間である環から皐月に関する事前情報を聞かされていた。

行きつけのバーで、

 

(役作りのために共同生活?)

(うん。鎌倉だよ鎌倉。いいでしょ?)

 

(君たちはともかく皐月ちゃんはスターズだぞ。あそこがそんな非効率なものに許可を出す訳…)

(それがOKなんだって)

 

(…!)

(少しずつ変わってきてるみたいよ)

 

という会話を交わしていた。

 

今、犬井はその「共同生活」の成果を目の前で見せつけられている。

 

「はい!」

 

パン、と手を叩き、犬井は終了を伝える。

 

…終了の合図を聞いた皐月は、緊張した面持ちで犬井の方に目を向けた。

 

張りつめているように見える皐月の表情だが、そこに不安感は滲んでおらず、目の光も強い。

なにより、皐月の身体からは「役者」が(まと)う空気がしっかりと放出されている。

 

それらを確認した犬井は、

(うん)

と心の中で納得する。

 

「良かったです」

 

それが皐月の芝居に対して、犬井が発した言葉。

 

皐月は犬井を見ていた。

犬井の背後にいる夜凪の姿も見えていた。

 

皐月と目が合った夜凪はコクっ、と微笑んでみせた。

 

 

 

皐月の頬が朱に染まった。

 

 

 

犬井は、

「次のシーン行きましょう。皐月さんは一度休みで」

と、進行の指示を出す。

 

清水は皐月を迎える言葉を掛ける。

 

「おつかれ様です。皐月さ…」

 

しかし皐月は、

「おしっこ」

と、清水の横を駆け抜けていった。

 

清水は「え」という反応。

 

そして、昔のことを思い出す。

 

仕事帰りの車中で皐月が、

(あの監督嫌い! 全然ほめてくれないんだもん! やっぱりCMが一番ね! 皆ほめてくれるし!)

という不満を漏らしていたことが頭をよぎる。

 

環と犬井がしゃべっていた。

 

環は、

「もっとちゃんとほめてあげてよ(顔、怖いんだから)」

と、言いつつ犬井の背中を肘でつついた。

 

犬井は、

「言ったろ。良かったって」

と、不愛想ながらも自分はちゃんと褒めたと主張した。

 

「皐月さん」

 

走っていく皐月に声を掛ける清水。

 

「皐月さ…」

 

清水は通路の曲がり角で、出しかけた声を引っ込めた。

 

曲がり角の先で、皐月が喜んでいたからだ。

 

顔を赤くして

立ったままその場で足をバタバタバタバタと動かして

両手をぎゅっと胸の前で組んで

目を閉じて

お祈りの時のように(あご)を引いて

 

皐月は喜びを噛み締めていた。

 

目を開いて、

「ふぅ」

と息を漏らす。

 

そして、

 

「…よし」

 

と、(とろ)けた顔をちゃんと元に戻す皐月。

 

曲がり角の手前から皐月を見ていた清水の顔に笑みが浮かぶ。

 

「こういうことね。子供の成長が怖いって」

 

「うわっ」

 

いきなり背後に立っていた夜凪。

かなり驚いてしまった清水。

 

「よ、夜凪さん。バレたら叱られるので戻りましょう」

 

「うん」

 

戻りながら、夜凪と清水は皐月の成長ぶりについて話す。

 

「私、上ばかり見ていた。反省だわ」

 

「え」

 

「下も怖いのね」

 

清水は、顔合わせの日に立案された無謀にも思える皐月の「作戦」と、それに乗っかった周囲の大人たちのことを考えた。

 

「ありがとうございます。夜凪さん」

「え?」

 

「皐月さんに俳優を続けさせてあげられそうな気がしてきました」

 

当然、夜凪は清水の言葉に困惑する。

それが何の話なのか、まるで見えてこない夜凪は、

「え」

と、声を上げた。

 

清水は、マズイという表情で、

「あ」

と、小さく声を漏らした。

 

「スミスさん。それってどういう…」

 

ガタッ。

 

パサッ。

 

清水に詰め寄ろうとした夜凪は、机の脚を蹴とばしてしまった。

そして机から物が落下した。

 

「あ、いけな…」

 

夜凪は、落とした物を拾おうとして、それが皐月の自由帳だと気づく。

ちょうど開いていたページに夜凪が知らない「作戦イラスト」があるのを見つける。

 

自由帳を手に取った夜凪は、そのイラストを見つめた。

そこには皐月と皐月の母親の絵が描いてあった。

 

(右のページ)

 

テレビ画面を見た皐月の母親が、

「やっぱり、わたしの子は天才よ!」

と言っている。

 

皐月は、

「エッヘン」

と胸を張っている。

 

(左のページ)

 

しゃがんで皐月の肩に手を置き、

「ママがまちがっていたわ! あなたは大人になっても女ゆうよ!」

と告げる母親。

 

胸を張ったまま、

「とうぜんね!」

と答える皐月。

 

夜凪は、イラストをじーっと見つめた。

描かれている作戦の内容について考えてみた。

 

「大人になっても…?」

 

「………。これじゃまるで皐月ちゃんの芸能活動が期限付きみたいな…」

 

清水は、しばらく考えた。

考えた末、イラストの作戦の背景について説明することにした。

相手は、色々と皐月の力になってくれた夜凪だ…。

 

「芸能活動は子役のうちだけ」

 

「お母様は元々そういう意向でうちと契約していたんです」

 

「中学までに芸能界を退けば、支障なく一般社会に戻れるだろうと」

 

清水の説明を聞いた夜凪は

「…!」

と、動揺の色を出す。

 

夜凪は、共同生活で見せた皐月の決意を知っている。

涙を流しながらも、(いつか私が芸能界で一番になるんだから…!)、と言っていたことを知っている。

 

「でも、皐月ちゃんはそんなつもり…!」

「…はい」

 

清水は、夜凪が言いたいことは分かる、という感じで答える。

 

「だから、お母様の気持ちを変えるつもりでいるんでしょう」

 

「今回の大河で」

 

清水の返答を聞いた夜凪は無言。

共同生活で耳にした皐月の言葉の数々を思い出す。

 

(泊まり込みで役作りなんて本当は親同伴じゃなきゃ許されないのよ。でも、ママは忙しいから)

 

気づかなかった

 

(気づいたことがあったら手を挙げて言いなさいね……う、うん)

 

(私、この作戦、成功させたいのに…)

 

だからあんなに一生懸命に

 

(謝ってるの。勝手に演じてごめんなさいって)

 

夜凪は、ぎゅっと拳を握りしめた。

悲痛な目で、思いを巡らせた。

 

必死に頑張っていた皐月…

気づけなかった自分…

 

…清水と夜凪がしゃべっているところへ、環が歩いてきた。

 

「子役なんてさ。大概、親が始めさせるんだよ。初めはね」

 

「そのくせ、いつでも芸能界から足を洗える準備をしておいたりする。子供のためってことなんだろうけどさ」

 

「勝手なもんだよね。大人なんてさ」

 

環は、一般論を語るようにしゃべった。

無論、皐月のことがあるので、その表情にはやりきれなさが混じっている。

 

夜凪は、環の顔をじっと見た。

そんなふうに、よくある話っぽく受け止めたくない、と夜凪は思った。

 

 

 

MHK放送センター内の喫煙所。

中嶋と草見が会話を交わしていた。

大河ドラマ「キネマのうた」のプロデューサーである中嶋。

脚本を執筆した草見。

 

「草見さん。あなたのおかげです。編成部には企画を疑問視する声が多かったですから。脚本にあなたの…草見修司の名前がなければ『キネマのうた』は実現しなかった」

 

「中嶋さん、まだ40代でしょう。その若さで大河のプロデュース。それも近現代劇となると、そりゃね。攻め過ぎですよ。ただ勿論(もちろん)僕の力じゃありませんよ。あなたの力だ。僕はあなたの覚悟に乗っただけです。毒を喰らってまで成し遂げたかったんでしょう? この企画を」

 

「毒…?」

 

「毒ですよ」

 

一度は脚本執筆を断った…。

 

「それ相応の覚悟がなければ、あの人を起用せんでしょう」

 

考え直して執筆を引き受けることに決めた草見…。

 

「薬師寺真美。あれは毒ですよ」

 

(あなたの覚悟に乗っただけ)と言った草見は、中嶋にそう告げた。

 

               「scene123.毒」/おわり




以上が、アクタージュ「scene123.毒」の紹介となります。

絵面では、文句なしに足をバタバタバタバタと動かして喜ぶ皐月でしょう。
掲載最後となるこの回に、よくぞこの絵を入れてくれた、と私は思いました。
この絵のおかげで、皐月のキャラとしての魅力が跳ね上がってます。

そして皐月のバタバタバタバタを引き出した夜凪の(うなず)き。
目を大きく開き、口元に笑みを浮かべて、コクっと皐月に頷いてみせる夜凪の顔がとても良い絵となっています。



この「scene123.毒」が、アクタージュ最終話となります。
残念ながら未完です…。

そして、中嶋と草見の会話。
薬師寺真美は「毒」。
最後の最後にややこしい情報をぶち込んできたぁ、と私は思いましたよ…。


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