世界にゾンビが蔓延してる中、私はマザーらしい。 (Htemelog / 応答個体)
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エイブモズ-生死の章
エイブモズ-死んだ者がまともに生き返る事は無い。


ホラーかどうかはわからない。人に寄る。


 ゾンビ、というものを知っているだろうか。

 生ける屍(リビングデッド)不死者(アンデッド)、蘇った者。呼び名はまぁそれぞれあるだろうけど、知名度としては十二分に広まった──「死んだ者がまともに生き返る事は無い」という常識の怪物だ。

 私はこれを研究している。

 

 少し前、パンデミックが世界全土を襲った。お察しの通りバイオハザード……ゾンビに噛まれた者がゾンビに感染して、そのゾンビが他の人間を噛んで……といった具合に広まった未曽有の危機。総人口がどれだけ減ったのかはわからないが、少なくとも幾つもの国家が崩壊したのは言うまでもない事だろう。

 ゾンビは所謂"進化するゾンビ"というヤツで、足が速い奴や力が強い奴、頭が良い奴や飛べる奴と……その脅威は推して知るべし、と言っておこう。

 発生源はとある客船。既に内部でパンデミックを引き起こしていたその船が大陸の港に着き、そこから爆発的に広まった。

 ……とされているが、実際は泳げる奴が他の大陸に流れ着いて感染を拡大させたようなので、その港の対応が悪かったとか船が港に着かなければよかったとか、そういうことはない。もう、無理だった。発生した時点で。

 

 というのさえ、そんなことはない。

 客船はパンデミックを引き起こす前、とあるリゾート島に寄っていた。

 そこで感染したゾンビが客船に乗って、だから客船でパンデミックが起きたのだ。そのリゾート島では実は昼夜問わず凄惨な実験が行われており、その過程で生み出されたのがゾンビであるとか、そんなことはある。

 そのリゾート島というのがまさに私のいるここで、凄惨な実験を行っていた研究者が私とか。

 

 そんなことも、あるわけである。

 つまり世界を未曽有の危機に晒した張本人が私なのである。

 

 私はゾンビの研究者。死者蘇生の研究者。

 これは、世界を救わんとする者達を尻目にうまいことゾンビを改良していく私の物語、だったりする。

 

 

 

 Д

 

 

 

 ゾンビというのを生まれたて、と表現するのは些か語弊があるのだけど、つまるところ成り立てを生まれたてと表現する場合、その状態のゾンビは人間とあまり変わりがない。元の人間が負っていた傷はそのままに、心臓が動いていないにもかかわらず立ち上がって彷徨い歩く。生者を見つけるとヨタヨタと寄り行って噛みつき、ただただそれを繰り返す低能存在だ。

 この状態のゾンビは正直何の役にも立たない。こともない。

 ハムスターよろしく回し車に入れて前方に生者でも入れておけば発電機になる、こともない。足が遅すぎて発電なんかできるはずもない。が、回転力は得られるのでそこそこ有用と。ちなみに生者は人工授精を行った人間で、シリンダーに入れた子供を用いている。ゾンビは視覚情報で生者を察知しているので、匂いを遮断しても関係がないのである。

 餌となる子供はゾンビの注目を集めるためだけに生み出された存在のため、教育及び情緒の一切を刺激していない。つまり恐怖を覚える事も自身の不幸を嘆くことも無いわけだ。良心的かな。

 

 その状態のゾンビを以降「歩行ゾンビ」と称する。歩行ゾンビは一週間ほど歩き続けることが出来るのだけど、一週間を過ぎると少しずつ崩れていく。彼らを動かしているエネルギーといえばいいか、そういうのが尽きてしまうのだ。先頭を行く歩行ゾンビが崩れて倒れたら、勿論障害物になる。後ろにいる歩行ゾンビも足がもつれ、躓き、転び、その衝撃で崩壊が始まる。

 結果残るのは腐乱死体。ぼろぼろの腐った肉塊が回し車でコロコロ転がるのみになる。

 

 のだけど。

 時たま、先頭ゾンビの死肉を食らい始める奴が出てくる。彼らは感染させるための手段として噛みつき行為を行っているはずなのに、まるで生物のように、腹を満たさんとするかのように、歩行ゾンビを食す歩行ゾンビが出始めるのだ。

 それらからは体の自壊が取り除かれ、周囲の歩行ゾンビを食い尽くしたそれらは走行を会得する。走るゾンビ、というヤツ。体の崩壊を止めるどころか、筋肉が強化された……そういう風に見ている。変な話だけど、まさに血肉を得る、というような、そんな感じだ。

 じゃあ今度は走るゾンビだけを集めて似たような事を繰り返す。すると今度は他を妨害するような、奴が出てくる。つまりは走るだけでなく攻撃……ゾンビ本来の噛みつきだけでなく、腕を振る、という……「走ってる間腕は暇だからな」みたいな頭の悪い発想から生まれた進化を遂げた奴だ。

 他にも頭突きをする奴や口から体液を飛ばす奴と、強化ゾンビとでもいうべきものが増えた。

 今度は同じ系統で強化(進化?)した奴らを一部屋に纏めて観察していると、その強化した部位が肥大化した奴が出てくる。腕を振る奴は腕が、頭突きをする奴は頭が、体液飛ばすヤツは胃袋が……要はお腹が。

 

 そんな感じで地道な蟲毒とでもいうべき実験を繰り返していると、最終的に人間レベルの知性を持つ奴が出てくるのだ。

 

 うん。

 知性を……知能を持つ奴が。

 

「マザー。また一つ、大陸を我らのものにしました。新しき土壌で新たな命が芽生えております。ああ、マザー。すべては御心のままに」

「うん。そうね。ありがとう。新しい子は見つかった?」

「……申し訳ございません。未だ言葉を解すのは、VII(ヴィイ)以降は……」

「ああ、いいよ、いいよ。期待してないし」

「っ……現地の者達を急がせます。失礼いたしました──次は必ずや、成果を上げて戻って参ります」

「うん」

 

 身だしなみに気を遣うゾンビ、というよくわからないゾンビを見送る。

 知性の発達したゾンビの一体で、自身がゾンビであるにもかかわらずスーツを身に纏い、腐臭さえも気にして消臭に努める……ううん、頑張ってね、とは思うけど。

 

 何故か。なーぜか。

 単なる一研究者である私は、知性あるゾンビたちに"マザー"と呼ばれ慕われ、その一声で全ゾンビを操れる立場にある……のである。

 

 

 

 И

 

 

 

 一応ナンバリングとしてローマ数字での型番……I,II,III,IV,V,VI,VIIと、知性あるゾンビを区別している。基本的に放し飼い……というか世界中に散らばらせていて、自由にさせている。

 というのも、知性あるゾンビを蟲毒しようと一部屋に集めても、争わないので実験にならないのだ。なんか知性アガリをしたゾンビ同士で仲間意識を持ってしまっていて、むしろ知性を持たぬゾンビたちに傷をつけられようものなら全員で助けにかかる……などと、人間なんじゃないかと疑うような行動を起こす。

 

 それが困るかと言ったらうーんうーん。

 

 ゾンビの研究はそのままに死者蘇生の研究と同じだ。

 死んだ人間はまともに蘇らない。蘇ったとしてもそれはゾンビとしてで、()()()()()()()()()()()()

 

 先ほどの身だしなみに気を遣うゾンビのように、ゾンビになってから獲得した知性と性格であって、生前の記憶も嗜好も失われてしまっている。

 私が作りたいのは、生前の記憶を有すゾンビなのだ。生前の記憶……人格も嗜好も、生きていた頃をそのまま残すゾンビの研究。今のVIIまでのゾンビは知性のサンプルとして優秀だけど、成功例ではない。

 

 故に私は彼らに命令している事が一つある。

 

 それは、人類を絶滅させてはならない、という事。

 

 人類のコロニーへの襲撃は頻度を考える。特異な生存能力をもつ個体にはあんまり襲い掛からない。子供は出来るだけ襲わない、など……。

 "生前"を持つ者がいなくなって、ゾンビだけの世界になっては意味が無いのだ。

 勿論生殖の出来るゾンビが進化する分には勝手にしてくれという感じだけど、あくまで私の目的として人間→ゾンビの人格継続成功例が欲しい。そのサンプルが欲しい。

 

 故に探させているのは、初めから知性を有した……記憶を引き継いだゾンビ。VIIIの発見を急がせている、という段階であるのだ。

 

「……良い天気」

 

 空は快晴。人類が滅亡しかけているだとか、世界が荒廃しているだとか、そんなことは関係ないとばかりに真っ青な天幕は、今日も美しい。

 同じ空の下に今も生存をかけてゾンビたちと戦っている人類がいるのだろうけど……。

 

 まぁ、頑張って、とは。

 思うかな。

 

 

 

 Э

 

 

 

 ゾンビ化を行うために作り上げたのは、ウイルスではなく菌だった。

 それに対する薬……抗菌薬も作ってある。

 私が世に放ったゾンビは多分に漏れず他者を感染させるゾンビであり、その感染経路は相手の粘液との接触。全身にゾンビ化の菌を有していて、それが相手の体内に入る事で活性、成長、複製を繰り返して脳へと辿り着き、その体を完全支配する。

 それを抑制する──だけでなく、滅菌にまで至る抗菌薬。ただし菌を殺し切るに至るには菌の最も集まっている部位を特定し、切除しておく必要があり、故に一度ゾンビに感染した者が元の姿に戻るのは至難だ。

 観測している限りでは腕や足などの部位を喪失した者も多くみられ、尚も生にしがみつき、抗う姿の報告が上がっている。抗菌薬は今や世界中に流通しているが、その数は少ない。こちらが蛇口を絞っているのだ、そう簡単に出てき得るはずもない。

 

 ウイルスにしなかったのは制御を容易にするためと、観察を容易にするための二つ。ウイルスはパターン化が面倒だし、管理も面倒だし、外部からの刺激や対抗措置への動きが読みづらい……まぁ面倒オブ面倒なのだ。役満役満。

 まぁ他にも要因はあるのだけど、それは追々ということで。

 

 抗菌薬は各国との取引によって世界に広まっている。取引材料は人間の精子と卵子。今や世界中に蔓延しているゾンビであるが、ゾンビをゾンビとして誕生させる、という事は出来ない。あくまで人間生物に入り込んだ菌が起こす感染症であり、人間生物がいなければこれら単細胞生物はただそこにあるだけ、になってしまう。

 だから、生き残った人間とは別に、研究用の人間を栽培する必要があるのである。

 作られた人間は囮に使うための餌であったり菌や薬のテストに使うためサンプルであったりと、様々な用途があげられる。無から有は生み出せないため、こうして外部と取引をする必要があるのだ。

 

 故にここはゾンビアイランド……ゾンビが生産され、蔓延り、殺し合いを繰り返す島でありながら、そこそこの頻度で人間が訪れる。

 死んでもいい下っ端、ではない。それでは抗菌薬を奪われる可能性があるし、守り切って自国へ持ち帰る事が出来ない可能性もあるから。だから、それなりの腕が立つ、所謂エージェントと呼ばれる存在。少なくとも走るゾンビくらいは対処できる経験を積んだ者がこの島を訪れるのである。

 

「こんばんは、博士。今月分のオクスリ、頂戴に上がりましたわ」

「うん。はい」

 

 優雅なカーテシーを決めて礼をする女性。とはいえスカートでもドレスでもなく、ぴっちりとしたボディスーツ。だからそれがポーズでしかないのはもうお約束だ。彼女がここに来た時からそうだった──最初は突っ込んだけど、二回目からはどうでもよくなった。

 エージェント。某国から遣わされた腕利きさん。事務的というか無駄話の無いこの取引の中で、唯一……じゃないけど雑談を仕掛けてくる女の子だ。

 

 私がトランクに抗菌薬を詰めている間の暇な時間。

 彼女は人差し指を口元に当てて、にんまりと笑う。笑って、言う。

 

「博士、知っておりまして? 今や世界は滅亡に向かいつつある……けれど我が国は、アナタのオクスリのおかげで人類最後の希望、なんて呼ばれておりますの。まさか我が国がこの事変の主犯ともいうべきアナタと取引をしているとも知らずに……民衆は愚かですわね?」

「情報を開示していないのはソッチなんだから、愚かも何も。この薬の作り方も知らない貴女達は、私にとって酷く愚かだけど、構わない?」

「アラ、これは手痛い反撃。フフ、博士は民衆の味方ですのね」

「人間に対しては公平なつもりだけど。まぁ、ゾンビになるつもりのない貴女達と、ゾンビへの対抗手段を持たない彼らで言うのなら、後者の方が好感度は高いかな。有用度、でもいい」

「流石はゾンビの親玉、と言っておきましょうか」

「うん。じゃあ、取引は成立」

 

 トランクを閉じて、女性の方へ押す。

 女性も女性で自らの持ってきたトランクを机の上に置いた。それからこちらのトランクを受け取って、また礼を一つ。

 

「ちなみにそれは、自己判断?」

「──……ええ、私には無理だと思いました」

「うん。じゃ、またね」

「はい、博士」

 

 当たり前の話、だけど。

 彼女らにとって、私は敵だ。故に各国はエージェントにこう言っている事だろう。「薬を受け取った後、隙があるのならば殺せ、あるいは捕らえろ」と。実際襲い掛かってくる者も少なくは無い。それが失敗したとて私は交渉を途絶するつもりはないし、こちらがエージェントを殺したりなんだりをする事は無い。

 人間の精子と卵子はいわばゾンビの種であり、必要なものだ。人工精子、人工卵子では意味が無い。あくまで人間をゾンビ化し、記憶の存続を保つための研究、実験だ。初めから調整されたものを使うのは何の結果にもつながらない。

 

 だからこの取引は私の中でもマストな事項で、故にどんな粗相を働こうと許すつもりがある。

 

 でも。

 今回彼女は袖に針のような暗器を仕込んでいた。私がトランクに抗菌薬を詰めている時間は長く、隙と呼ぶべきものは沢山あったはずだ。それなのに実行しなかった。上からの命令を無視して、私に手を出さない事を選ぶ自己判断。

 無理だと思った、と言った。

 こちらに背を向け退室して行く彼女を見て──まぁ、正解かな、と独り言ちる。

 

 私はマザーと呼ばれている。

 ゾンビたちに……言葉を解すゾンビ達に、崇められるように。

 そんな彼らは、酷く、酷く過保護だ。まるで本当の母のように、まるで命を賭してでも守らねばならない対象とでもいうかのように。ナンバーを持つゾンビ達の強い仲間意識は、私へも向いているのである。

 

 だから、たとえ私が許しても。

 彼らが許すかどうかは、別の話。まず周囲に潜んだゾンビが攻撃的なモノは防ぐだろうし、その後私が彼らを制御し、無事に島を抜けることが出来たとしても……国へ無事に帰る事が出来たとしても。

 その国は困窮に陥ることになるだろう。言葉を解すゾンビは言葉を解さぬまでも知性を持つゾンビ達を操れる。人類最後の希望、と呼ばれていると自慢気に言っていた彼女の国。今は加減をしろ、という命令のもとセーブされている襲撃が、過激になればどうなるか。自身の危険、あるいは国の、守るべきものの危険。

 彼女自身が愚かと扱き下ろした者達へ向かう危険は──そのまま自分たちの首を絞める結果になる。

 

 だから、命令無視だ。上の命令に……それこそ愚かな言葉などには従っていられないと、彼女は雑談をするに終えた。

 評価を上げる。

 未だ記憶の存続の適った人間はいない。いないけれど、なんか、陳腐な意見として……こう、精神力の強い人間と言うか。我の強い人間の方が、意識は保ちやすいんじゃないか、とか。研究者らしからぬことを思ったりしているので、評価点をプラス。

 

 手法が確立した暁には。

 

 ……それまでは、良いお付き合いをしましょう。



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エイブモズ-生ける者が賢いとは限らない。

 ゾンビは水分補給をしない。

 なんというか当たり前だけど、結構大事な事で。

 

 私の作ったゾンビ化する細菌は感染→脳へ到達→宿主の生命活動の一時停止→細菌も活動停止→再活性という順序でもって感染者をゾンビ化する。なので、このゾンビはゾンビウイルスが感染しているだけの人間、ではなく、正しく動く死体であるのだ。

 だから食事は必要なく、水分も必要とせず、ただ目に入った生者を仲間に引き入れんと徘徊する。だから何もしなければ一週間で腐敗し崩れ落ちるし、知性無きゾンビではそれを恐れる事さえない。ただただ渇いていく体を受け入れ、いつしか自らの動く意思で崩れ去るのである。

 

 だから、ゾンビは火に弱い。元々人間はそこそこ燃えやすい生き物だけど、ゾンビ化してから日が経っているゾンビ程火が付きやすいし燃えやすい。乾燥しているから。カラカラだから。

 ただ知性無きゾンビはそんなことは知らないし、他の景色と炎の区別がついているワケでもないので、噴射された火炎放射器であろうと燃え盛るガソリンスタンドであろうと何の躊躇も無く突っ込んでいく。

 

 だからゾンビ対策に火は有効──と、言う事も無かったりする。

 

 火に弱いのは事実だ。燃えやすい。

 だからといって、すぐに止まるかどうかと言われたら、別の話で。

 痛覚の存在しないゾンビはたとえ自身の身体が燃えようが溶けようが崩れ落ちようが、一切の関心を持たずに生者を襲う。燃えたまま、だ。火に弱いのは人間も同じなのだから、火達磨のゾンビが襲ってくるというのは銃器以外を攻撃の手段として用いている人間にとっては余程恐ろしい事だろう。

 初めの頃は恐らく創作物からだろう知識によって炎が用いられたが、現在においての使用頻度は激減している。どこかへ誘導して、人間に襲い掛かる事の出来ない穴などに落としてからの着火、はある。それは非常に有効だ。

 だが対面した状態で火をつける事を選択肢に入れる人間はもうほぼほぼいなくなったと言えるだろう。

 

 先人がそうして、燃え盛るゾンビに抱き着かれて燃え死んでいった姿を目に焼き付けているだろうから。

 

 ゾンビの体内に水分はほとんどない。

 傷口からはとめどなく血液が零れ、それを止める措置などするはずもないし、それを止める作用ももう機能していない。何もしていなくとも水分は空気に溶けていき、死ぬ直前ともなれば干物にも等しいゾンビが出来上がっている事だろう。

 

 ただし、上述の干物ゾンビはあくまで知性無きゾンビの場合に限る。

 知性を獲得したゾンビは、自身の崩壊を恐れるようになる。言葉を解すことなくともそれは顕著に表れ、一対多の状況においては人間を襲わなくなったり、炎というものを学習するようになったり。

 そして体内の水分をどうにか保とうとするようになったり。

 

 ……水分補給はしない。

 経口で水を飲む、という機能が失われているためだ。じゃあどうするか。

 

「マザー。周囲一帯の危険生物の排除、完了いたしました」

「うん。IV(イヴ)も行っておいで」

「はい!」

 

 答えは簡単、全身を水に漬ける、である。

 もっと言えば入浴──あるいは入水。死んでいるから入水でもいいだろう。あるいは塩漬けか。

 ここは島で、外は勿論海だ。なので、海で泳がせる。それが体の湿度を保つ手段。勿論海の無い場所……内陸にいるゾンビで知性を持つゾンビは湖や川の位置を覚えているし、どこまでも広がる荒野には近寄らない。知性無きゾンビは普通にいるから人間にとっての安全地帯にはなり難いけれど。

 

 私の作り上げた菌は海中細菌程度には負けないため少し泳ぐ程度なら問題ない。が、海底堆積細菌までは対応できているかどうか怪しい。事実沈んでいったゾンビが上がってこなかった、という観察記録もあるため、浮袋のないゾンビが浮かんでこれないだけなのかゾンビ菌が負けて腐乱死体に戻っただけなのかの判別は付かないものの、それなりの注意を払うように指示はしてある。

 蟲毒による死でも人間との闘いによる死でもない、本当の意味で無意味な死を避けさせるのは当たり前である。

 

 さて、そんな風に海水浴を楽しむゾンビ達であるが、その絵面は決して良いものではない。私はゾンビを作る研究者でゾンビの観察を長らく行ってきたが故になんとも思わないけれど、()()()はそうではなかったらしい。

 

「気分を害した?」

「……いやな、海とは続いているものだ。これらの浸った海水が我が国へも届いているのだと思うと、眩暈がするよ」

「そんなに遠くへは広まらない。そもそも海水を直で飲んだり浴びたりするような人間は、何か別の感染症に罹る」

「理屈ではわかっているさ。……いや、わかっていないのだろうな。私には博士がこんなことを……命を冒涜するような行いをしている理由も理屈も、欠片もわからぬのだから」

「うん。別に、それでいい」

 

 某国のエージェント。前回来た女性とはまた違う国の人間である彼は、この島のゾンビを見ていきたい、と言った。前の女性の国は人類最後の希望と呼ばれる程の大国だったが、彼の国は小国も小国。さらに言えばゾンビ対策もお世辞にも良いとは言えず、だからこその願望なのだと之を了承。

 ちょうどゾンビ達の渇き時だったため、最も安全な私の横での見学に相成った。

 

「貴女のような美しい女性が、彼らのような生ける屍を作っている……その理由。やはり教えてはくれないのだね」

「死んだ人間を生き返らせたい。初めからそう言っているけれど」

「それだけではないだろう。そして、そんなことは無理だとわかっているはずだ。賢い貴女なら」

「現に生き返った人間が、こうして蔓延っている」

「……そうだな。少なくともこの光景は、貴女にしか作り得なかった。貴女より賢い者がいなかったが故に」

 

 腕組みをしたエージェントは溜息を吐く。

 

「いや、この光景を覆す事が出来ない事の方が、貴女より賢い者がいない証拠か」

「ゾンビの研究分野においては私が一番かもしれないけど、その他の分野なら一番じゃないと思うから、そういう単純な物差しは止めた方がいいと思うけど」

「……人類の存続、という観点では考えられなかったのかね。ヒトという種を繋げる分野で一番を取ろうとは思えなかったのか」

「うん。興味がないかな」

 

 エージェントは腕を組み替える。

 私は小首を傾げた。

 

「取引の続行を望むのなら、私は何も言わないよ」

「……一つだけ、いいかな。博士自身はゾンビではない──これは真実だね?」

「うん。私はゾンビじゃないよ」

 

 ゾンビ達は海水浴に勤しんでいる。彼我の距離は30mはあるだろう。

 それを確認しているのは、私ではなくエージェントの彼。

 彼は腕組みを解いて──その腕に握っていたポケットピストルを此方へ向けた。その引き金に力を込め、今までの優男の顔を崩して叫ぶ。

 

「良かった……つまり、貴女自身は死ねば死ぬという事!」

 

 パス、という軽い音が響く。

 発射音は聞こえなかった。

 

 けれどそれは、私が頭を吹き飛ばされたから、なんてことではなく。

 

「腕ッ……!?」

 

 30m先の海。その更に5mは沖の海中から──樹脂を思わせる伸縮で伸びてきた、灰緑色の腕。それはポケットピストルを弾き飛ばし、勢いを伴って海中に戻る。軽い音は砂浜にポケットピストルが落ちた音だ。

 私は何もしていない。強いて言えばもう一度、小首を傾げたくらいか。

 

「このっ!」

「取引はもう望まない、ということかな。悲しいけれど、取引先は君たちだけじゃないから」

「貴様さえ殺せば──」

 

 その続きを発する事は適わなかった。

 先ほどはピストルを弾き飛ばした灰緑色の腕が、今度はエージェントの彼の側頭へ貼り付いたからだ。それはもう、べちゃ、と。普段は殴るだけに終わる──今は水分たっぷりの腐肉が、彼の頭を掴む。

 突然頭蓋を揺さぶられたせいだろう、目を白黒させている彼は抵抗する事も出来ず、腕に引かれるがまま海へ……腕の伸びてきた海中へと引き摺り込まれた。

 

 あとはもう、お察し。

 

 たとえ海水浴を楽しんでいようがゾンビはゾンビだ。生者が近くに来れば、同族にせしめんと群がる。

 時間にして二分ほど。次に彼の姿が見えた時には、物言わぬゾンビと化していた。

 

「知性は無い、か。うーん、ままならないなぁ」

 

 加えてもう一つ。

 遠くの海……3km程離れた場所にあった船が沈んだようで。

 本当、過保護だなぁ、って。

 

 

 Б

 

 

「不要、でしたでしょうか?」

「ううん。ありがとう、IV(イヴ)

「はい!」

 

 笑顔で返事をするのは、飴色の髪を持つ少女だ。勿論ゾンビ。型番通り四番目に自我を獲得し言葉を解すようになったゾンビで、身長130cmの小柄さと地面まで着くほどに長い腕が特徴。先述した特定の部位が発達したゾンビの典型例で、腕が伸び、さらに伸縮性まで獲得したハイエンドゾンビの一体である。

 身だしなみを気にするゾンビことV(ヴェイン)は大陸にいることの多いゾンビであるが、彼女はこの島にいる事が多い。主に知性を持つゾンビの統率をしているようで、今回の海水浴も彼女主導によるイベントだった。

 

 私に対する危害を許さないゾンビ筆頭であり、彼女の目の届くところで私へ凶器を向けようものなら"ああ"なるのが関の山。それでも初めは武器の無効化で済ませてくれる辺りが彼女の優しさを現わしているように思う。ナンバー持ちのゾンビの中には問答無用で殺しにかかるやつもいるワケだし。

 ナンバーゾンビの最年少……という表現があっているのかはわからない。死んでるから年齢もなにもないわけだし。まぁ素体が最年少ということもあってか仲間意識の強いゾンビたちの中でも守られている側である彼女だが、その攻撃手段はホラーの一言だろう。

 自在に伸び縮みする腕は奇襲に向いている。先ほどの様に海中から、森の中のような暗がりから、視覚外から。人間と言うものは服を着る生物であるから、真っ暗闇の中焚火を囲む人間の輪でも、誰か一人が服を引っ張られたような気がして振り向いて、声を発する間も無く闇へと引き摺り込まれる……みたいな。

 

 服でなくともでっぱりの多い人間は掴みやすいだろう。そうして一人一人、場合によっては二人ずつ引き摺り込まれていく様は多分ホラーだ。ゾンビらしいといえばゾンビらしいかな。いや、ゾンビはスリラーだっけ。

 

「マザー、それでね、それでね」

「うん。うん」

 

 イヴはよく、面白かった事や楽しかった事なんかを私に話す。島内でしか行動しない割には話の種を多く持っていて、まるで話す事が楽しい、とでもいうかのように口を動かし続けるのである。折角溜めた水分が飛びそうだな、とか思ったり。しないでもなかったり。

 内容については正直、あまり興味がない。ゾンビの全行動はカメラによって記録されているし、知性無きゾンビがどういう行動を取った所でそれはすべて偶然の産物。知性あるゾンビの失敗談に目新しいものはなく、しいて言えば海中の危険生物……ゾンビの肉を食らって突然変異した生物の話くらいは、聞くに値するな、という所感。

 

 一時間くらいぶっ通しで喋り続けた彼女は、その辺りでようやく時計を見る。

 

「あ、もうこんな時間! ん、こほん。それではマザー、失礼いたします」

「うん。頑張って」

「はい!」

 

 時計を見るだとか、公私を使い分けるだとか、本当に人間らしい"らしさ"を獲得している。が、元の記憶を引き継いでいるわけではない。あくまでゾンビになってから獲得したものであって、なれば私の興味の対象ではない。

 地面に着くほどの腕を自らの胴に巻き付けて部屋を出て行く彼女を見送って、一息。

 

 あ、そうだ。

 あのエージェントの所属国に、取引終了のお知らせ入れないとだった。

 続行を希望するなら、それはそれで。

 

 

 

 χ

 

 

 

 各国でゾンビ相手に抗戦を続けている人間の姿は、カメラを取り付けたゾンビ達によって記録され、研究室へ送信されている。こちらで作り上げた人間のゾンビ化だけでは取り得ないサンプルが世界には広がっていて、その一つが今視聴しているものだった。

 

 ──"フロウス、無事か!"

 ──"片腕くれてやったがまぁ無事だよ。噛まれる前に切り落としたんだ。血は焼いて止めた。クソ程痛ぇがよ、これは無事だよな?"

 ──"ああ無事だ。紛う方なき無事だろうよ。それで、奴らは?"

 ──"手足切り落としたのが三体、俺の腕をくれてやったやつが一体残ってる。ジョー、お前の方は逃げてきた、とか言わねえだろうな"

 ──"安心しろ、七体全員ぶっ殺してきたさ"

 ──"相変わらずバケモンだな、ジョー"

 

 引き起こしておいてなんだけど、ゾンビ物の映画を見ているみたいだな、と思う。

 それもウェスタンな……古き良き、って感じの。

 左腕の肘から先を失くした男性と、五体満足な男性が話し合っている。片方は快活に、片方は額に脂汗を浮かべて。粗末な衣服と、車の板バネだろうか、工作しました感の強い棒……ああいや、剣を持っている。

 五体満足な男性の方は銃器無しで七体のゾンビを倒したらしい。凄まじい、と言える。あんな粗末な剣でよく……と。

 

 ──"そろそろ移動しよう。もう少し先の廃ビルの二階にいい感じのスペースを見つけたんだ"

 ──"ああ……ジョー、わかってるな"

 ──"馬鹿だな、フロウス。俺は見捨てやしないさ。現にこうして、助けに来ただろ"

 ──"……ああ"

 

 移動する、と言った彼ら。

 それに合わせてカメラも移動する。つまり、彼らのすぐそばにゾンビはいて、けれど気付いていないという事。見下ろしたアングルである辺り、周囲の廃ビルのどこかから撮影しているのだろう。時折激しく揺れる映像。ゾンビがビルの間を飛んだり跳ねたりしているのだ。見れば周囲にも同じような影があり、彼らが既に包囲され切っている事が伺えた。

 

 ──"……走れるか?"

 ──"無理だ、つったら死ぬだけだろ"

 ──"三つカウントするぞ……1……2……"

 ──"……"

 ──"3!"

 

 二人が駆け出す。囲まれている事には気付いたようで、だから駆け抜ける事を選んだ。

 途端、カメラ映像が激しくぶれる。カメラを取り付けたゾンビもこの狩りに参加したのだろう、地面と景色と、時折映る人間がチカチカと移り変わりながら──唐突に。

 

 ガシャ、という音と共に、カメラ映像が途絶えた。

 

 ……途絶えたと言ってもカメラや記録メディアが壊れたわけではないようで、真っ暗な映像が続く。早送りしてその部分を飛ばしていくと、またある点から唐突にカメラ映像が復活しているのが分かった。その五分前辺りを指定して、再生。

 

 ──"……"

 ──"……これは、マザーの"

 ──"周囲に両断された同胞が十体……ふむ、そこそこできる奴がいるのか"

 ──"カメラの操作……知らんなぁ。いや、自動送信だとか言っていたような言ってなかったような"

 ──"とりあえず持っていくとしようか"

 

 そこで、区切り。

 カメラが録画を自動的に区切って送信に切り替えたのだ。

 

 伸びをする。

 

「あのジョー、って人……いい感じ。もしまだ生きているなら、取っておきたいかも」

「承知いたしました」

「うん、お願い」

 

 先ほどの映像で、最後に聞こえた声と同じそれが、背後から響く。

 座ればいいものを律儀に突っ立っていたゾンビ……II(アイズ)とナンバリングされている男性型に指示を出す。つまり、殺さないでね、と。

 

「フロウスって呼ばれてた人間は?」

「申し訳ございません、私が見つけた時には既に同胞に」

「そう。うん、わかった」

「ただ、その同胞を含め、かの地周辺の計30を超える同胞が頭頂から胴へと体を両断されています。あのジョーと呼ばれていた人間……相当、かと」

「へえ。すごい」

 

 それが事実だとすれば、とんでもない怪物だ。

 

「強化種もいた?」

「はい。腕部肥大、脚部肥大、腹部肥大の同胞が同じく割断され、活動を停止していました」

「へぇー……それはすごい。もうちょっと様子を見て、完璧に記録が出来る状態にしてから殺そう」

「承知いたしました。その通りに手筈を整えさせていただきます」

 

 知性あるゾンビが十体に、強化ゾンビが三体。加えて十七体の知性無きゾンビを単身で屠ったというのか。

 それはもう、十二分に恐ろしい化け物である。

 

「……」

「うん? どうしたの?」

「いえ、この人間に相対した場合の動きを考えておりました。……失礼いたします」

「うん。頑張って」

 

 もしかしたら、ナンバリングされたゾンビで初の死者……死者? が出るかもしれないな、とか思いつつ。

 握りしめた自身の手を見つめるアイズを見送った。

 

 



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エイブモズ-死んだ者が生ける者に何を残せるのか。

 少しだけわかったことがあった。研究が進んだ、と言えば聞こえはいいが、気付けていて然るべきだったともいえる。先入観が邪魔をして蓋をしていた。研究者にあるまじき失態だ。

 

 それはI(エイン)を観察していた時のこと。

 この島へ入り、秘された通路へと入り込んですぐ。彼は徐に口元へ手をやって、その手を見つめてから、なにもなかったかのようにまた歩き出したのだ。

 偶然ではない。何度も検証し、エインにも問い質して、確信を得た。

 アレは煙草を吸わんとする行為であり──ゾンビになってから得たものではない、生前の習慣から来た手癖であると。

 

 エインは最初に知性を獲得したゾンビであり、元はこの島にあったホテルの経営者。ゾンビ化したホテルの従業員とホテルの客による蟲毒を勝ち抜いた上位個体であるが、言葉を解して尚生前の彼らしい行動をする事は無かった。VIIまでの今に至るゾンビと何ら変わらない、ゾンビとなってから獲得した知性と人格で動いていた。

 それがどうだ。突然、何の前触れもなく、彼の身体は喫煙する事を思い出した。経営者であった頃の彼はまさにヘビースモーカーで、客の前に出ない限りは四六時中吸っているような男……だった。だったはず。

 それで、これ。

 これが生前の記憶でなくてなんというのか。

 

 私はすぐさまエインの身体を調べにかかった。ゾンビは睡眠を必要としない故人間用の睡眠薬なんかは効かないが、菌そのものを不活性化すれば簡単に停止する。そうやって繋いだ検査機からデータを……主に脳に関するデータを取ってみれば、なんとなんと。

 なんと、脳に僅かな活性が見られたのだ。

 ゾンビである。死体である。既に生命活動は停止しており、この肉体を我が物にした菌によって動かされているに過ぎない身体の、その脳が。

 あり得ない。

 なんてことは、ない。

 

 それは実に簡単な話だった。

 ゾンビ化細菌が脳へと達し、生命活動を停止させ、その後再活性した細菌。この状態における細菌はいわばヤドカリのようなもので、人間の肉体を着ているゾンビ化細菌、という見方になる。そこから肉体を効率的に動かせるよう脳の掌握をして行って、それによって走ったり攻撃したり、果ては喋ったりと出来る事が増えていくのだ。

 つまり生前の行動を無意識的に再現した、というのは、菌の脳掌握率が記憶域まで……ほぼ最大限にまで達した、という事。

 

 となると、ここからエインは時間をかけて人格や記憶を取り戻していくのだろうか?

 その場合現在のエインの人格や記憶はどうなる? 生前の記憶とのスイッチは何時になる? 今のゾンビ達への仲間意識は? それとも、記憶や人格はただの知識として、エインはエインのままになる?

 

 今のゾンビが生前を覚えていないのは当たり前だ。脳の主導権とでもいうべきものが菌に移っていて、記憶や知識といった不要なものを後回しに、生存能力だけを高めた結果が現在のナンバーゾンビ。私の研究であるところの死者蘇生はほぼほぼ完成していて、足りなかったのは時間だと……その可能性が出てきた。

 

 それがそのまま、失態に繋がる。

 

 今現在、ゾンビは大陸中にいる。ナンバーゾンビも同じで、時たま帰ってくる事はあるものの、基本は自由だ。

 それじゃあいけない。

 それじゃあ、危ない。

 

 先日映像記録で見たゾンビをいとも容易く屠る人間。彼だけでない、世界中にゾンビを殺し得る──活動停止へと追い込み得る人間がいくらか存在している。それらのすぐ近くにナンバーゾンビがいる。私が記録の出来る状態で殺せ、なんて言ったから。

 今必要なのはサンプル数だ。I(エイン)からVII(ヴィィ)までのゾンビは菌の脳掌握率が最も進行したゾンビであるということなのだから、当然、手厚く保護する必要がある。検証をするために、実験をするために、そんなことで死んでもらっては非常に困るのである。

 

 七体しかいない。七つしかケースが存在しない。そんな恐ろしい事があるだろうか。

 

「ぅ……マザー……?」

「おはよう、エイン」

「俺……私は、何故横に……」

「ヴィィまでの全員を呼び戻したいんだけど、出来る?」

「状況が……掴めませんが、マザーの御心のままに……」

 

 菌の再活性を促したエインに対し、覚醒してすぐの(起き抜けの)命令を一つ。

 立ち上がり、ふらふらと歩いていくエインを尻目に、もう一つの考え事を進めていく。

 

 エインとイヴの違いについて、だ。

 ゾンビ化した時期が二か月ほど違うこの二体。エインはほとんど島外……世界中を旅していて、逆にイヴは九割方島内にいる。

 あと二か月でイヴがエインと同じように生前の行動をするようになるのなら何も問題は無い……が、ならないのなら、必要なものが自ずと見えてきてしまう。

 

 島外での経験。あるいは昨日と違う今日、か。

 人間の脳機能を考えれば、変わらない毎日と激動の毎日では体感時間が恐ろしい程違ってくるもので。それがそのまま……俗っぽく言うのなら"経験値"のようなものとして蓄積するのであれば、島内で手厚く保護するのはむしろ悪手。

 危険な外の世界での放し飼いが適切、ということになってしまう。

 

 貴重なサンプルを管理できない場所に放っておかなければいけない、というのは恐ろしく、しかしそうでなければサンプルとしての意味が無いというのならそうするしかない。一応二か月、様子を見て、それで。

 

 もしそれで、放し飼いが適切であると判断することになったのなら。

 ……色々考えておかなければならないだろう。あるいは、私の日常の切り崩しも。

 

 

 Г

 

 

II(アイズ)III(イース)VI(ウィニ)が戻ってこない?」

「っ……申し訳ございません! イースは帰還の拒否を、ウィニは行方さえわからず……」

「そっか。うん。とりあえずみんな、私が良いって言うまでこの島を出ないでね」

「承知いたしました」

 

 恐れていた事態だ。現行の知性ゾンビに価値は無いと思い込んでいたから、発信機なんかを付けることがなかった。その結果がコレ。

 三番目と六番目が戻らない。行方が分からない六番目も気がかりだが、何より帰還を拒否した三番目が手元にないのが焦燥を生む。

 

 だってそれ、確実に生前の記憶取り戻してるじゃん。

 

 イースは少年ゾンビだ。イヴと同年代くらいの少年で、知性ゾンビにしては珍しく身体部位に特異さや肥大が見られない。ただし知性の吸収能力の高さは全ゾンビ最高で、機械の使用や絵画、音楽といった芸術への理解、更には電子機器の使用までも熟す程。

 それが少し見ない間に記憶を取り戻し、帰還を拒否するにまで至ったとなれば、次に見えてくるのは一つしかない。

 

 即ち、(マザー)への反抗。

 私は単なる一研究者である。であるにも関わらず、ゾンビ全体への命令権を持っている。けれどそれは偏にゾンビ側が私を仰ぎ見ているからであって、私にそういう指揮能力が備わっているわけではない。

 死者蘇生の研究者として、生前の記憶を取り戻し、私へ反旗を翻すにまで至った事は非常に喜ばしい事だ。しかし彼自身が手元にいない。それが惜しくて惜しくてたまらない。彼の状態を、彼にある菌と脳のサンプルを取る事さえ出来れば、あるいは時間をかけずとも、経験を積ませずとも死んだ直後に記憶を引き継げるゾンビを生み出せるかもしれないというのに。

 

 ……それに、アイズも心配だ。

 彼にはあのジョーという人間を殺すよう命令をしていた。完璧な記録が出来る状態で、というのは彼にとってハンデに成り得る。記録が出来ない状態では逃げなければいけないだろうし、それを妥協する、という考えは思いつかないだろう。

 あるいは、エインとイースが記憶を取り戻しつつあるのだから……アイズも、なのかもしれない。

 

 行方のわからないウィニに関しては気を揉む意味が無いので考えないようにして……どうするべきか、という所。

 

 逡巡は一瞬だった。

 

「研究者たる者、現地に赴かないでなんとする……みたいな」

 

 行こうか、アイズとイースを探しに。

 

 

 

 

 Р

 

 

 

 砂の舞う廃街──元々治安のよい場所ではなかったけれど、少なくともあちらこちらに黒い影が揺らめき立つような、魑魅魍魎に塗れた街ではなかった。そう、彼は憶えている。

 名も知らぬビルの屋上に立って見下ろす砂の街に無事な場所は一つもない。奴らの発生からそんなに長い時間は経っていないのに、その有様は何十もの年月を経たように感じられた。

 

「……変わったな、この街も……」

 

 彼がそう、芝居がかった口調で呟くのは、それを言葉にしたのは、彼の背後にその言葉を聞く存在があるからだ。

 バスの板バネを用いて作った剣を肩に担ぎなおして、ゆっくりとソレに向き直る。

 屋上の縁に腰かける長身の男。肌の色に明るい所はなく、薄く、白く、灰緑色のそれが覗くばかり。何やら思いつめたような顔でしきりに手を握ったり開いたりを繰り返した後、男は彼の言葉に対して小さく「あぁ……」と返事をした。

 

「……ジョー。ジョゼフ。……お前は、誰だ。何故俺は……お前は憶えている?」

「俺は初めて見た時から気付いていたぜ、マルケル。久しぶりだな、でいいのか?」

「マルケル……? 俺の名前は……アイズだ。アイズ。マザーに頂いた名前……」

 

 時折顔を顰め、頭を抱え、苦しむ様に嗚咽を漏らす。

 全く以て人間らしいその行為にジョーは苦笑を返すしかなかった。

 

 ゾンビだ。見た目は勿論、一日前までは他のゾンビ達と共にジョーや生存者たちを襲ってきていたゾンビの幹部格。罠や武器というものを理解するゾンビよりも更に上位存在だろう言葉を話すゾンビは、昨日までは最大の脅威と言っても過言ではなかった。

 それがどうだ。

 今朝になって尾行けられている事を確認し、誘い出したこの屋上で──しかし襲い掛かってくる気配がない。

 

 まるで今起きた、とでもいうかのように。

 まるで今何かを取り戻した、とでもいうかのように。

 

 言葉を話すゾンビは……アイズと名乗った、ジョーの記憶にある限りはマルケルだったはずのゾンビは。

 

「……貴様を殺してこいと言われた。マザーの御心のままに……」

「なぁ、さっきから話してるマザーってのは誰なんだ。ゾンビ共(お前ら)の親玉か?」

「マザーは……俺達を生み出してくれた御方だ。あの方無ければ俺達は無い……」

「へぇ。ソイツはどこにいるんだ?」

「……」

「ソイツがお前の行動を縛ってるっていうんなら、俺がソイツをぶっ殺して──」

 

 次に鳴ったのは、鉄と鉄がぶつかり合う音だった。

 知覚できた人間の数は限られるだろう。音が鳴ってから鳥が飛びだったくらいには、速かった。

 

 いつの間にかジョーの目の前にアイズがいて、彼らの間で板バネの剣の腹と金属の入った靴底が拮抗している。上半身よりも強くしなやかに進化しているらしいその脚部から放たれた蹴り。それは、コンクリートの壁程度であれば容易に砕き崩せるほどの威力があった。

 少なくともそんな、錆びた鉄くずでは受けきれないほどの威力が。

 

「っ……重いな、今までの奴らとは比べものになんねぇ! しかし、ひでェじゃねえか。今の今まで楽しく談笑してたってのによ!」

「マザーを害さんとする者に容赦をするはずもないだろう……悩むのは後だ。今ここで、死んでもらうぞジョゼフ」

「相変わらず頭の固いヤローだな! それで死んだことも忘れちまったか!」

 

 ジョーの太い腕から振り下ろされるスクラップ。アイズが避けるたび、それはコンクリートの屋上へ深い穴をあけていく。どれほどの力が込められているかなど、考える迄もない。何より今まで見てきたアイズの同胞……言葉を解さぬゾンビ達の死骸を見れば一目瞭然というものだろう。

 即ち、真っ二つ(当たれば終わり)、だ。

 

「この街も、世界も変わったが──お前は変わらないな、ジョゼフ!」

「ははは! 人間がそう簡単に変わるかよ! そんで、そりゃお前も同じだぜ、マルケル!」

 

 口が勝手に動くのをアイズは感じていた。発さんとした言葉を遮って、()()()()()が口を衝く。それは恐ろしいことであるはずなのに、口角が上がって仕方のない自分がそこにいた。アイズは自らが楽しんでいるという事実を……受け止めつつある。

 剣と蹴り。武器を使う事を覚えたゾンビよりも上位の存在であるはずなのに、そこまで肉体性能に拘る理由は何か。銃ではなく近接武器を持ったのはなぜか。ジョーとアイズは、互いにその理由がわかっている。

 

「実感するか! 生を!」

「死んでいる奴に言うセリフじゃないが……ああ、と答えておこう」

 

 打ち合う度に体が軋む。久しく忘れていた感覚がアイズを襲う。

 ずっと熱に浮かされているようだった。体の感覚がない──何の匂いも感じないし、何の音も聞こえない時間が長らく続いた。少し経ってから音が聞こえるようになって、匂いがわかるようになって……今。今。今、痛みを感じている。

 痛いのだ。ジョーと打ち合う足が。否、全身が。全身が痛みを訴えている。

 生きていると叫んでいる。

 

 ガン、と強く、互いを弾いて距離を取った。

 

「よぉゾンビ野郎。今悩んでるか?」

「俺がうだうだ悩むような奴に見えるのか? 見えるのなら、目が腐り落ちていないか確認する事を推奨するよ」

「じゃあ聞くがよ、お前、誰だよ」

「マルケルだ。辛気臭い……ゾンビのアイズ、なんて奴じゃねえ。ジョゼフ。お前に殺されかけたマルケルだよ」

 

 ジョーは、ふぅ、と大きく溜息を吐いた。

 武器を降ろす。そして。

 

「ぐっ……?」

 

 眩暈を感じた。突然だ。唐突だった。

 頭を持ち上げる事も出来ず、膝を突き、コンクリートの屋上に倒れる。意識が上手く保てない。瞼が閉じようとする。

 それを、なんとか、なんとか繋ぎ止める。

 

「ま……マザー!? どうしてここに……」

「良かった。殺されてなくて」

「お、私を心配して……?」

 

 音は聞こえている。けれど身体は動かない。

 マザーなる存在がジョーを昏倒させた下手人だろうことはわかる。だから、一目でも、彼の存在を視認しようと顔を動かす。

 

「マザー……この男を、どうなさるおつもりですか」

「うん? 殺すんじゃないの?」

「……マザー、私は……」

 

 足元が見えた。女性の足だ。その上は白衣……研究者か。

 素足は晒されていない。ゾンビなのか人間なのかはわからない。自我を取り戻したマルケルがすぐに襲い掛からないのは、何か武装をしているからか、ゾンビを引き連れているからか。

 

「アイズもしかして、記憶が戻ってる?」

「ッ……流石はマザーです。そのご慧眼……」

「うん。ラッキーだね。じゃあ、行こうかアイズ。これ感染させたら、すぐに島へ帰ろう」

「マザー……」

 

 島、と言った。島。それが敵の本拠地か。

 手の感覚。愛剣の硬さを確認する。握れる。握る事が出来る。痺れた感覚を取り戻していく。暗闇に落ちかけた視界を掬うように、少しずつ、少しずつ。

 ジョーの耳は彼らの会話を捉え続ける。

 

「アイズ?」

「……申し訳ございません、マザー。私は……俺は、もう貴女の元へ帰る事はありません。そして、この男を……いえ、人間を殺す事も、もう無いでしょう」

「え」

「貴女に蘇らせていただいた恩は忘れません。故に、貴女に危害を加えるつもりはない。出来得るのなら、即刻この場を立ち去っていただきたい。島の皆に別れを言えないのは悲しいですが……私はもう、アイズではない。無くなってしまった。否、取り戻してしまった」

 

 笑う。ジョーは、その言葉に嗤う。

 もうマルケルは正気を取り戻した。ゾンビを人間に戻す事が出来る、など。どれほど甘美な情報か。どれほど希望に満ちた事実か。

 マザーと呼ばれた親玉の動揺が伝わってくる。世界は救う事が出来るのだと言っているようなものだ。

 

「私は、俺は、マルケルです。マザー……世界を未曽有の危機に晒した大犯罪者。どうか、今すぐに俺の前から消えて欲しい」

「へえー……生前の方の人格が勝るんだ。なるほど、なるほど。じゃあアイズは消えたのかな。アイズとしてやってきた事は憶えていないの?」

「マザー! 俺は貴女を蹴りたくはない……どうか、消えてくれ! どうか!」

「覚えていて且つ生前の常識が勝ったって感じかな。うんうん、とてもいい具合だね。その状態のサンプルを取りたいから……一旦停止してもらおっか」

 

 不穏な言葉が聞こえたタイミングで、ジョーはスクラップの剣を思い切り振り抜いた。手応えは無い。

 ジョーはそのまま、剣を杖として、ゆっくり立ち上がる。荒い呼吸を繰り返しながらも……しっかりとその両足で立つ。

 そして改めて両目を開いた。

 

 少し離れたところに、こちらを驚いた顔で見つめている女性。整った顔立ちは人種を眩ませ、薄い白金色の髪が浮世離れした感覚さえ覚えさせる。

 こいつがゾンビの親玉。世界をこんなことにした原因。

 

「結構強い神経毒だったんだけど……ホントに人間?」

「昔から……丈夫さが、取り柄でな。よぉ、アンタが……マザーか。ゾンビ共の親玉。アンタを殺せば、少なくとも新しいゾンビは生まれなくなる。そうだな?」

「うーん、どうだろう。新しい種類のゾンビは生まれなくなるかもしれないけど、私が死んだ瞬間にゾンビが全て死滅する、ってわけじゃないから、あんまり現状は変わらないと思うよ」

「今いるゾンビを全滅させりゃ良い話だ、それは。アンタさえいなくなりゃ、この世界を壊してえって思うヤツがいなくなりゃ、この世界にも未来が見えてくる」

「私は死んだ人を生き返らせたいだけで、世界を壊したいわけじゃないんだけどね」

 

 死者蘇生。そんな、子供でも無理だとわかるものを掲げて、世界を滅茶苦茶にしたというのか。

 悪びれる気配のないその女に──ジョーは突然、斬りかかった。

 

「わっ」

「……!」

「っ、おいマルケル! なんで守るんだ!」

 

 それを防いだのはマルケルで。彼は自身の蹴りで、ジョーのスクラップソードの軌道を逸らした。その顔に浮かぶのは明らかな動揺。

 

「ジョー、頼む見逃してくれ! マザーは……恩人なんだ。マザーだけは──」

「おやすみ、アイズ」

 

 倒れる。倒れた。

 マルケルは突然電源の切れた玩具のように四肢をだらんと垂れ下げ、マザーと呼ばれる女性の腕にしな垂れかかる。マザーの片手には注射器のようなものが握られており、その針はマルケルの首筋へと突き刺さっていた。

 

「みんな、それ、もう要らないから……いいよ」

 

 彼女を守らんとしたマルケルへの仕打ちに怒り狂うジョーへ向けて、"マザー"が許可を出す。

 途端、ビルの外壁を無数の影がよじ登ってくるのがわかった。老若男女様々な──屍。紛う方なきゾンビ。ゾンビの群れ。あの女がゾンビの親玉である事を決定付ける光景。

 それを前に、ジョーはすべての加減を止め、女に斬りかかる。その腕に抱かれたマルケルをも巻き込むコースで放たれた斬撃は──しかし、そこへ身を躍らせたゾンビの群れに阻まれた。ただのゾンビではない、肉厚の身体を持つゾンビ。腹部肥大と呼ばれる上位ゾンビが揃いも揃って"マザー"を守っている。

 

 背後から駆ける足音。横合いから空気を裂く音。周囲から水音、衝撃音、そして何よりも──普段ゾンビから感じることの無い、明確な殺意。感染させるためでなく、マザーを害す者を殺さんとするその意思がそこにはあった。

 

「逃がしたか。……ふん、随分と慕われていやがる。マルケルみてぇに戻せる可能性が見えた以上無闇に殺すのは気が引けるが……襲ってくるなら、仕方ない」

 

 既に女の姿は見えなくなっている。ビルの屋上だ。どこへ逃げたというのか。

 

 ただ、それを考えるのも調べるのも後だと独り言ちるジョー。

 目の前に、周囲に広がる敵を殲滅せんと──板バネの剣を強く握りしめた。



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エイブモズ-生ける者は時を経て強くなる。

 悲しい事実が発覚した。

 恐れていた通り、ゾンビは言葉を解すほどの知能を得ても外界での経験が乏しければ……脳の活性が少なければ記憶を取り戻す事は無く、二か月、加えて一ヶ月ほどを島内で過ごさせたゾンビに目新しい変化が訪れる事は無かったのである。

 よって私はアイズ以外のゾンビへの外出禁止令を解き、この島は今まで通りの環境となった。相変わらずウィニの行方は掴めず、イースは私から逃げているようで之も断念。

 今は手元に残ったアイズから菌のサンプルを取り出して培養し、それを現存のゾンビや新しい人間に投与する実験をする毎日で、それらの実験も結果は芳しくない。

 

 死者蘇生の研究。ゾンビ化の研究。

 これらは一応、結果としてみれば完成……完結した、と言ってもいいだろう。ゾンビ化した人間はおよそ半年の時間を活動し続け、且つ常に脳の活性が行われている状態にあれば、記憶や人格を取り戻す。その際ゾンビの状態で保有していた人格・記憶はそのまま維持されるが、手癖などの無意識部分は生前に寄り、個体によっては生前の人格を優先するようになる……まさに死者蘇生が叶うというわけだ。

 

 ……それだけなら、よかったんだけど。

 

「マザー! 我らは新しき人類として貴女によって生み出され、こうして自我を取り戻しました。世界中に散らばった同胞たちも少しずつ知能を取り戻し、旧き人類の同胞化も恙なく進んでおります。全人類の同胞化は目前──どうか許可を。今まで様子を見てきた旧き人類のコロニーを襲撃する、その許可を頂きたく!」

「んー」

 

 増長、になるのかなぁ。

 イースとウィニ、イヴを除いたナンバーゾンビ達は生前の自我を取り戻し……なれば湿度さえ保つことが出来れば停止することの無い身体を進化と称し、新人類を名乗り始めた。意外にもその筆頭はアイズであり、彼は生前の仲間たちをいち早くゾンビ化するべく日夜計画を練っている。

 曰く様々な要因で死にかねない人間であるより、死の原因が限られているゾンビであった方が良いとのことで。

 言いたい事はわかる……というかそういう目的でゾンビ化の研究をしていたから、言われたらその通り、なんだけど。なんだけど。

 

 ゾンビ達は口をそろえて言うのだ。全人類、同胞にするべきだ、って。

 ……いやぁ。

 

 ゾンビには生殖機能が存在しない。彼らだけでは新しい命を生み出す事は出来ない。死なないのだから新しい命は生まれなくていい、というゾンビもいた。が、種の存続だけが新しき命に期待する事柄ではないと私は考えている。

 個人が生み出せるものには限界がある。個人が浮かび得る発想には限度がある。人間というのはそういう発想の上限を有していて、他者と交わる事で相手の保有する発想を取り入れ、上限を突破して成長していく。その過程で起きるのは"交わった他者"との同一化であり、類は友を呼ぶとでも言えばいいか、その発想や行動は似てきてしまうものだ。

 意見や言葉を交わす回数が多ければ多い程、共にいる時間が長ければ長い程、個は他と交わりて一つの個になる。初めに10人の人間が……まぁゾンビがいたとして、それが長きに渡って交わり続けたら、一人のゾンビと何ら変わらない結果しか出せなくなるのだ。群と言う名の個の器官に成り下がる、といえばいいかな。

 

 新しい命が生まれなくなったら、最終的にそれが起きる。

 世界全土に蔓延るゾンビは次第に同一になり、新たな発想というものは潰えてしまうのだ。

 

 私はそれを嫌う。研究者である。科学には発展し続けて欲しいし、何よりいつまでも同じと言うのは飽きる。飽きは大敵だ。飽きは何よりもの死因だ。どれだけ死を恐れていた者でも死を失って幾星霜を過ぎれば死を欲す。終わらない事が怖いのではなく、変わらない事が怖いのだ。

 

 だから、その許可は出せなかった。

 人類すべてをゾンビにしてしまう。悲しい事に、既にゾンビ側の戦力はそれが成し得るくらいにまで膨らんでいた。初めの頃より無為に崩れ去るゾンビも減って、知能あるゾンビが知性無きゾンビを教え導くようにして守り、それらがまた新しい知性を獲得する、といった具合に。

 ナンバーゾンビは私が確認している上での言葉を解すゾンビであるが、私の把握していない所で言葉を教わっていたり、あるいは新しい言語を作る、生前の使用言語を思い出す、などをしているゾンビもいることだろう。

 

 新しい命が生み出せない事以外は、真実新人類と言っても差し支えないのだ、彼らは。

 ……そうであるように、そうなるように作ったから、当たり前といえば当たり前なんだけど。

 

「マザー。お願いいたします。我らは生前の知己が、意味もなく寿命などと言う欠陥で命を散らす様を見たくはないのです。彼らの欠陥はあまりに残酷だ。血液を失った程度で、身体部位を欠損した程度ですぐに動けなくなる。死してしまう。その先に何を残す事も何を為す事も出来ず。それは余りにも──恐ろしい」

「んー」

 

 その通りだった。だから私は死者蘇生の研究に手を染めた。

 言い分はごもっとも、だけど極論過ぎる、というのが今の所感。

 

「マザー!」

「……うーん、やっぱりダメかな。人間がいなくなっちゃ意味がないし」

「……そうですか。では──マザー」

 

 先ほどから。

 随分と熱心に私を説かんとしていたヴェインが、ス、と。目を伏せた。

 まぁそうだよね、なんて思いながら、半歩後ろに下がる。

 

 伸びてくるは剛腕……イヴのものとは違う、人間を圧殺せんとする巨大質量の腕。それは私の鼻先を掠め、機器類や薬品類の揃えられた壁にめり込んだ。間を置かず、パシュっという空気の抜ける音と共に天井付近へ網が射出される。そそっとその降下地点外に逃げて、ヴェインに視線を向けた。

 

「ヴェインとヴィィだけ?」

「……いいえ、マザー。イースとイヴ以外の同胞は既に」

「ありゃ。じゃあもしかしてウィニが黒幕かな」

「流石です、マザー。そのご慧眼……我ら新人類と共にあってくれたら、どれほど助かった事か」

 

 下剋上、になるのかな。

 今まで散々マザーマザーと慕っていてくれた彼らだけど、生前とほぼ同等の知識を取り戻した現状にはもう不要、ということらしい。むしろ目的を邪魔する障害って感じかな。

 

「殺す? それともゾンビにするつもり?」

「殺します。申し訳ございません。マザー、貴女のその頭脳は、その思考は、我ら同胞となりても変わらず障害となるでしょう。貴女だけは……残しておくことはできない」

「そっか。うーん、もう少し効率的なゾンビ化の研究をしたかったけど、ラボも壊されちゃいそうだしなぁ。まぁそんなに特別なものはないし、いっか」

「……最終通告だけ、させていただきます。人間の国を襲う許可を。全人類を我らが同胞にする命令を。それさえ出していただけるのであれば、我らが貴女を害すことはありません」

「ダメだよ。そんな袋小路は認められない。私はね、ヴェイン。死んだ人間を蘇らせたいんだから」

 

 最後の言葉を発し終わる前に、腕が来た。

 人間嫌いの腕部肥大強化型ゾンビ、VII(ヴィィ)。イヴのそれとは違う、ただ殺すためだけの暴力が、研究室を薙ぎ払った。

 

 

 

 ζ

 

 

 

 さて──そもそも何故、彼女がマザーと呼ばれていたのか、という話になる。

 初めに彼女をマザーと呼んだのはエイン……ではなく、島に帰る事を拒んだイースだった。イースは少年ゾンビで、母親と引き裂かれてゾンビ化し、知性を獲得したその時の第一声として彼女をマザーと呼称したのだ。

 エインとアイズは言葉を解せど、それを応用する程の知能は無かった。少なくともその頃には。

 だから、考えるゾンビ……本当の意味で一番に知性を取り戻したゾンビというのはイースであるのだろう。育ち切っていない脳が故、菌の掌握が速かったのかもしれない。イースはいち早く知性を取り戻し、知能を高め、かなり早い段階で島を出る事を選んだ。

 

 マザー。マザーと呼んだ──あの研究員の彼女を、誰よりも恐れたから。

 

 誰よりも賢かったイースがマザーと呼んだのだから、彼女はマザーだとゾンビ達にも定着した。あるいはその意味を理解していなかった者もいたかもしれないが、それでも彼らにとって彼女はマザーとなり、彼女を慕うようになったのだ。

 心酔し、溺愛し、種族が違うながらも仲間として、最優先に守るべき対象として見定めた。

 

 それが変わったのは、VI(ウィニ)が生まれてからだった。

 

 ウィニ。六番目のナンバーを持つゾンビ。女性ゾンビで、生前は女優やモデルだったのだろう、ゾンビになって尚衰えぬ美貌を有していた。彼女は自己研鑽の塊であり、ある種ヴェインにも通じた身だしなみ、おしゃれなどといったところに気を配る事があった。生前の記憶を取り戻していないにも拘わらず、である。

 そんなウィニは、あまりマザーと関わりたがらなかった。島内ではマザーの研究室に近寄らず、マザーが島内の観察に出向かおうものなら決して出くわさぬよう逃げて回る程。

 

 どうして、何故なのか。

 その頃既に島にいなかったイースと生まれていなかったヴィィ以外のゾンビは彼女に問うた。

 返ってきた答えは単純明快。

 

 ──"アレがマザー? よしてよ、気持ち悪い。アレは私達とは別の生き物なのよ?"

 

 不快なのだと。彼女が近くにいる事が、不快。

 そんなこと考えた事は無かった──けど、確かにそうだと思う者もいた。彼女は同胞ではない。そもそも自分たちに子供や親という概念は無い。そんなところは既に脱している。誰もが同列で、誰もが一緒で。死を克服した自分たちにとって庇護してくれる存在は必要でなく、ならば彼女は──不要だと。

 不要だった。自分たちだけで生きていけるゾンビが母親を要する事などない。要らない、邪魔なもの。その功績は褒め称えられるべきだろう。同胞を生み出す機構を作り上げた。それだけは褒められるべき行いだ。彼女の頭脳は自分たちに比べるべくもない程の性能を持っているのだから、その言葉に意味はあるのだろう。

 新しき同胞を増やすために日々の研鑽を積んでくれている──その間は、素直に従うのも良い。恐らく自分たちで無暗に動くよりは余程効率が良いのだろうから。

 

 けれど。

 

 結局どこまで行っても彼女は違う種族で──自分たちが彼女に並び立つほどになれば、その優先度は自ずと下がる。

 

 知能と言う点において少しだけの劣りが見えたイヴを除き、その考えは次第にゾンビ達に浸透していった。ウィニが島を出ても、各自が島を出ても、ヴィィが生まれても、その考えは変わらず──むしろ何をゆっくりしているのか、という苛立ちさえ嵩む程に。

 エイン、アイズ、ヴェイン、ウィニ、ヴィィ。五人の大人ゾンビは、ひそかに、静かに下剋上を企てていて──それが今、成ったのである。

 

 ゾンビ達は、自らが生ける屍でありながら死者を弔い、島に墓碑を作った。墓碑にはMOTHERの文字が刻まれ、彼女の実験室は完全に封鎖されることとなる。研実験内にはゾンビ化に対する抗菌薬もあったため、下手に触るより埋めてしまった方が良いと決断したのだ。

 純粋にマザーの死を悲しむイヴを除き、ゾンビ達はようやく消えた障害に安堵する。名前も知らない研究者・マザー。彼女に安らかな眠りを。我らの様に目覚めることなく、新しい時代の礎となってほしい。

 そう、願って。

 

 そうして──彼らは邁進する。

 全人類の同胞化。今まで加減し、様子を見てきた人間の国を襲い、懐かしき友を新しき命に変える、崇高な使命を開始するのである。

 

 

 

 

 

 С

 

 

 

 

 

 当然だけど。

 

 どうせそんなことを企てているんだろうな、って。思っていた。考えていた。

 私はそこまで馬鹿じゃないというか、一応、曲がりなりにも君たちを生み出した研究者をなめ過ぎだよ、というか。

 知っていた。だから、用意していた。

 アレはクローンである。私の。当たり前だ。私だって私の希少性というか、今の知識の大事さは心得ている。今までも各国のエージェントから命を狙われる事があったし、それで怪我をした回数だって少なくない。だから、クローンを作っておいた。

 私も私の希少性を理解しているから、自分がクローンでも問題ない。

 私が二人いるならそれはラッキーで、私が三人いるなら、それはとてもラッキーで。群は交われば個となる。クローン(わたしたち)は、それが最初からだった、というだけの話。

 

 知識や経験の共有ができるわけじゃない。けど、そういう状況にあれば私は何を思い、どういう行動を取るのかを予測する事は出来る。あの場で死んだクローンが何を思ったのか、何を考えたのか、何に至ったのか。

 簡単だ。

 

 ゾンビ側が増長するのなら──人間を強くすればいい。

 人間を殺させないよう、新しき命が次も生まれ出でるよう、調整すればいい。

 

「メイズ」

「うん。じゃあ、行こうか」

 

 大陸のとある国──大きな湖と、周辺を流れる川に囲まれた豊かなこの国は、()()()()()()()、なんて呼ばれていた。さてはて、人類最後の希望はいったい幾つあるんだろうね。

 

「反撃の時間だよ──イース」

「うん、メイズ。見せてあげようよ、みんなに──人間の底力ってやつを」

 

 頼もしく、大きくなった背中を見つめる。少年は何の疑いもなく私の手を握り──人々の前に立つ。

 同い年。親のいない身で、共にゾンビを倒してきた仲間。人間側に寝返ったイースの最初の友達。

 

 それが私だ。

 絶望する大人たちを説き、若者たちをまとめ上げ、この国は今ゾンビ達への反撃の嚆矢を掲げている。見た目を取り繕っているイースは神童として、そして英雄として彼らに認められ、まさしく希望として輝きを放つ。その傍らで黙して佇む()()は参謀で、イースの事を助ける。

 それが、私。

 

 国の誰にも明かしていない秘密は、しかし私にだけは明かされている。彼がゾンビで、とある島の、とある研究者の手の元から逃れてきた事。いつか彼の諸悪の根源を倒し、人類に平和を齎し……自分は死ぬつもりであるという事。

 秘密を。彼は、私に話している。明かしている。

 

「ねぇ、メイズ」

「なに?」

「マザーは強大で、恐ろしい相手だけど……僕たちなら、僕達が力を合わせれば必ず倒せるから」

「うん。信じてる」

「……うん。頑張ろう」

 

 彼の冷たい手が強く握りしめられる。私もそっと、その手を握り返した。

 

 

 この私は、人を導いて調整に当たる。それが私の役目である。

 

 

 

 

 Ч

 

 

 

「よぉ──帰ったぜ、ミザリー」

「今日も怪我は?」

「勿論無傷さ。はは! そろそろ信じてくれよ、()()()だろ?」

「信じてるけど、心配だから」

 

 筋骨隆々の大男が、快活に笑いかけてくる。

 肩に担いだ大型車両の板バネで作られた剣を地面に下ろし、ドカッと私の目の前に座る。そして、良い具合に焼かれていた串刺しの肉に、豪快にかぶりついた。

 

「あ~、生き返るぜ。ここでお前の手料理があるって考えりゃ、死ぬ気なんてサラサラ起きねえけどな」

「手料理って、今回はお肉焼いただけだけどね」

「つれない事言うなって。……ははは、まぁ、よ。今回も……仲間が一人、逝っちまった。守り切る力が欲しいぜ、まったく」

「十分強いと思うけどね、ジョーは」

「ああ──自分でも自覚がある。随分と強くなった。けど、それはお前が一緒にいてくれたからだ」

 

 ジョー。ジョゼフ。

 この街にいる人間の中で誰よりも強く、誰よりも優しい男。

 彼は私の幼馴染で、私の恋人だ。体の関係もある。──私は生殖できないんだけど。

 

「……なぁ、ミザリー」

「なぁに?」

「……マルケルを、覚えてるか。隊の……相棒だった奴だ。家に招いたこともあっただろ」

「ん、覚えてるよ。酔って裸で基地まで行って三週間謹慎処分食らった彼だよね。普段は真面目だったのに、って」

「そう! その……その、マルケルだ。……驚かないで聞いてくれよ。アイツに……会ったんだ。この前な」

「へえ、じゃああの人もゾンビ狩りをしてるの? 元気だった?」

「……いいや。マルケルは、死んだ。そうか、言ってなかったな。言う機会がなかった。アイツは死んだんだ。奴らが発生した時、民間人が一人残ってるからって奴らの群れに一人戻って……死んだ」

「え……じゃあ、その……ゾンビに?」

「ああ。ゾンビになってた。だけど、だけどな? 何度も戦ったら……アイツ、生きてた頃の事を思い出したんだよ。俺の名前も、俺の話も、思い出してくれた。奴らは……人間に戻せるんだ」

 

 一喜一憂、百面相。

 喜怒哀楽を様々表情に浮かべて話す彼は、希望に満ち溢れていた。

 ゾンビを人間に戻す事が出来る。そう、嬉しそうに語る。

 

「……けど」

「けど、どうしたの?」

「マザー、って呼ばれてる奴がいる。ゾンビ達の親玉だ。ソイツが、マルケルを連れていっちまった。……俺はまた、守れなかったんだ。もう三ヶ月も前の事なのに……俺はそれを、ずっと引きずってて……」

 

 お肉と一緒に。

 お酒を、少しずつ進めていくジョー。私はその大きな肩を撫で、慰める。大丈夫だよ、と。

 

「ミザリー、俺はっ! もし、もし、お前に危機が迫った時──お前さえも失ってしまったら、俺は!」

「大丈夫。私はジョーを信じてる。ジョーは必ず、私を守ってくれる。大丈夫、ジョーならもっと強くなれるよ」

「ミザリー……」

 

 えぐえぐと嗚咽を漏らし、私の胸の中で縮こまる彼は酷く小さく見えた。いつまでも変わらないね、なんて言って、大男たる彼をあやす。

 その内ジョーは静かな寝息を立て始め──私は彼の首筋に、痛みをほとんど生じさせない極細の注射針を刺し、その中身を注入する。

 

「大丈夫。ジョーは強くなれるよ。私が、強くしてあげるから」

 

 この私は、人を強くして調整に当たる。それが私の役目である。



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ディードゥヌ-生死と英雄の章
ディードゥヌ-英雄の影に在るモノ


 既に個体数という点で見れば、人間よりもゾンビの方が多い。人間が減れば減る程ゾンビが増え、その逆が起きないのだから当たり前。いくら生前の記憶を思い出せるといってもゾンビであることには変わりなく、その理念は生者を同胞にする、という、人間側からすれば他のゾンビとなんら変わりのない猛進さを持って襲い掛かってくるのだから堪らない。

 そもそもナンバーゾンビは蟲毒によって早期に知性を得たゾンビであり、現在の彼らの方針……知性無きゾンビは保護し、脳が馴染むまでは守る、という方法では脳の活性機会が減り、知性獲得もまた遅れるだろう。つまり、今までの環境より停止し難くなったせいで、逆に今までと一切変わることなく普通に人間を襲うし、同胞にするためという目的あっての襲撃でなく、殺害を……単純に害を与えんと向かってくる結果となったのだ。

 

 組織だった動きで攻めてくるゾンビと、猪突猛進に突っ込んでくるゾンビ。どちらもが脅威で、しかし対策はそれぞれに変えなければならない。

 ゾンビが出現してから未だ八か月半と少しの年月しか経っていない現状では民間人の訓練もままならず、軍や兵は疲弊して行くばかり。

 

 正直に言えば詰みだった。

 

 ──各地で、英雄と呼ばれる存在が同時に現れる事が無ければ。

 

 

 

 

 В

 

 

 

 

 ジョゼフ。ジョゼフ。

 

 彼は自身の名を呼ぶ声に目を覚ます。

 その声は聞き覚えのある……というか、自身が最も愛する幼馴染の声で。

 いつものように愛称でなく、彼の名をそう呼ぶということは、何か相談ごとだろうか。

 

 そうして、目を開けて。

 

「──」

「ジョゼフ……ジョゼフ、ごめんね……」

 

 沢山の──夥しい量のゾンビに全身を噛まれ、もがれ、その命を散らそうとしている彼女の姿を目にして。

 彼は瞬時に全てを判断し、愛剣を握り締めて彼女に纏わりつくゾンビ達を払おうとして──ゴツン、と。額を何かにぶつけ、仰け反った。

 

「……痛い」

「は──ミ、ミザリー! 大丈夫、大丈夫か!? 噛まれて、あ、いや、その」

「寝坊助さん。もうお昼だよ?」

「……あ、あぁ……夢か。夢、か。……ふぅ。いや、すまん。痛かったよな……」

 

 改めて周囲を見渡せば、そこはいつもの拠点。とある廃ビルの一角に作り上げた居住スペースは暑い日差しを遮り、眼下に広がる故郷を一望できる高さを持って鎮座している。

 唐突にジョゼフが起き上がったせいだろう、ジョゼフと額をぶつけたらしい彼女は痛そうにその部位をさすっている。その体に血のにじむような場所はない。周囲に奴らの気配もない。

 

 ジョゼフは大きく、安堵のため息を吐いた。 

 

 ゾンビが出てきてから八か月半。ジョゼフを取り巻く環境は一変し、世界は混沌に包まれた。元々治安の良い街ではなかったけれど、それでも揺らめく影が這いまわる地獄のような場所ではなかったはずだ。知り合いも友人も大勢死に行ったし、動く死体にもなった。

 その中で変わらず自身を支えてくれた女性……幼馴染にして恋人のミザリー。料理が上手で、ジョゼフは完全に彼女に胃を掴まれている。彼女がジョゼフの好みの味を作ってくれているのか、彼女の作る味がジョゼフの好みに成ったのかわからない程だ。

 ()()()()()()()()()である彼女とは以心伝心の仲であり、愛剣以上に信を置いている存在だとジョゼフは思っている。

 

 だから、ジョゼフにとって彼女は何よりも大事な存在だ。もし彼女が損なわれるようなことがあれば、自らの心がどうなってしまうのか……そんなことは考えたくないと独り言ちる。戦う力のない彼女を守る。それが彼の原動力であり、彼の力の源だった。

 幸いにしてジョゼフは他の人間よりも強く、ゾンビをいとも容易く屠れるだけの才能があった。それでもこんな悪夢を見るのだから、メンタルの方は人一倍弱いのかもしれないな、なんて苦笑する。

 

「ミザリー、組合からの返事は来たか?」

「うん。もうすぐ堀が完成するから、タワーに集会所を移行するって。その際の掃討と護衛をジョーに、だってさ」

「ああ……勿論だ、と返しておいてくれ。タワーさえ出来りゃ、被害者はもっと減るだろう。これ以上……辛い思いをする奴を失くせるんだ、死力を尽くすさ」

「死なないでね?」

「当たり前だぜ、それはな」

 

 肥大ゾンビを除き、走るゾンビまでのゾンビは人間以上の能力を有していない。持久力と言う概念こそないものの、握力や脚力は人間の範疇を超えることなく、故に人間でも行くのに苦労するような場所に拠点を作れば、それだけ安全性も上がる。

 肥大ゾンビ……主に脚部や腕部の肥大したゾンビに対してはその限りではないが、それはどこにいたって同じ。それらを狩るのはジョゼフのような戦える人間の仕事で、安全を第一に考える者達が考えなければいけない事柄ではないのだ。

 

「ミザリーは、その、大丈夫なのか。俺が居ねえ間……奴らに怯えてるんじゃ」

「それは心配しすぎ。大丈夫だよ、ジョー。いざとなれば、私だって……奴らの一人くらい」

「いや、それはダメだミザリー。ここを捨ててもいいから、逃げろ。お前を失えば、俺は自ら死を選ぶ。俺を殺したくねえなら逃げろ。頼む」

「……わかった」

 

 悪夢だとわかっている。あんなのは夢だとわかっている。

 けれど。

 

 怖かった。怖いのだ。

 ジョゼフは強い。強いから怖い。本当は弱い。

 

「……そろそろ行ってくるぜ。今日も奴らを掃除する。もう、人間に戻せるとか考えるのは止めた。お前の安全の方が何倍も大事だからな」

「無事に帰ってきてね。待ってるから」

「おう!」

 

 その日ジョゼフの手によって屠られた一体の知性ゾンビが、とある島に救援を要請した。簡単な言葉を解すにまで至っていたそのゾンビの死は"手が付けられない程強力な人間がいる"という言葉と共にとある島のゾンビ達に届けられ、その彼らが出張る事なる。

 

 担当するゾンビはII──アイズ。二度目の邂逅はすぐそこに見えている。

 

 

 

 Ж

 

 

 

「……」

 

 椅子に座った女性のゾンビが難しい顔をして資料を眺めている。湿度の保たれたその部屋はかつて研究室と呼ばれていた場所で、椅子はマザーと呼ばれていた女性の座っていたものだ。彼女の対面には男性ゾンビが座り、これまた書類を眺めている。

 

「ヴェイン、どう思う?」

「……マザーの下にあった頃から、人間の国を探っていた身から言わせてもらうのなら……異常だな。いや、報告に上がっている"英雄"は俺達の発生以前からいたことが確認されている……が、ここ最近の成長速度が尋常ではない。元人間の感性で見てもアイツらは化け物で、この身体になってからもわかる。アレらはおかしい」

「そうよね……何よ、拳一つで鉄骨ビルを倒壊させる、って。鉄パイプをぶん回して同胞三人を両断? 冗談じゃないわ」

「イースの指揮している人間たちも妙な統率があるようで手を焼いているな。一人一人は大した事はない……が、集団になると全員が上空から盤面を見ているんじゃないかと思う程的確に連携をとってくる」

「私達の全体の質は上がっている……と言いたい所だけど、知性アガリをする子が減っているのは事実なのよね」

「ああ、島に保護した同胞は明らかに成長速度が遅い。マザーがこの島に何か仕掛けを施していた、と考えるのは恐ろしいが……」

「やっぱり拠点を変えるべきかしらね。あの女の影がチラつくこの島は住み心地が悪いし、交通の便も悪いわ。大陸のどこか……落とした国をそのまま私達の国にするべきよ」

「……そうだな」

 

 女性の名はVI(ウィニ)。男性はV(ヴェイン)

 イースを含むこの三人のゾンビは知性強化型で、生前の知識は勿論新しく吸収した知識も扱えるほどの知性を有していた。

 今二人が見ているのは各地に散らばった知性あるゾンビから送られてきた報告書であり、汚い文字や単語だけのそれでありながら膨大な情報量を持つソレに一喜一憂している……という状況だ。

 

「イース……イースか。イースは何故人間なんかの指揮をしているんだ」

「イヴもそうだけど、子供の考える事なんかわからないわよ。あの女から真っ先に逃げた時は慧眼だと思ったけどね」

「そういえばイースもマザーを恐れていたんだったか」

「も、って何よ。別に私は恐れてなんかいないわ。ただ気持ちが悪いだけ」

「……マザーか」

 

 ヴェインは少し、思い出に耽る。

 マザー。自分たちを蘇らせた研究者。その頭脳、その知識は自分たちが至る事の出来る領域になく、紛う方なき天才。人間からすれば天災だったのだろう。

 そんな彼女は今、島の端にある墓碑の下で永遠の眠りについている。

 

「そういえば、あの女は人間たちにも命を狙われていたわよね。その都度守ってやってたの?」

「ああ、主にイヴがな。加え、妙に勘が良いというべきか……長距離狙撃や爆発物などは、それが当たらない所にまでそそくさと逃げていたはずだ」

「……ただの研究者よね? アイツ」

 

 天才という冠が付くがな、と答えようとして、ヴェインはふと思い当たる。

 

「そういえばアイズを連れ帰ってきた時は一人だったな……他の同胞を連れてはいなかった」

「連れ帰った、って……アイズの体重がどれほどあると思ってるのよ」

「アイズを肩に担いで帰ってきた時は何も思わなかったが、今考えると異常だな」

「いやすぐに気付きなさいよ、それ。……あの女に異常な身体能力があった、ってことよ。わかる?」

「わかるが、なんだ」

「"英雄"。異常な身体能力や成長速度を持つ人間たちのことよ」

「マザーが関わっていると? だがマザーは死んだ。それは俺がこの目で確認したんだ。なんなら今から墓を掘り返すか?」

「死んだのは本当にあの女だったの? よく似た別人じゃない可能性は無い?」

「無い……とは言い切れんが、よく似た別人が何故この島にいる。あの時俺と幾つか話をしたが、マザーの言動におかしな点は無かった。万が一、本当に別人だったとして……その場合マザーは俺達の反逆を見抜いていたことになる。それに、"英雄"は俺達の発生以前からいたと言ったはずだ。もし、もし、もし本当にその段階からこうなる事を見越していたのだとしたら」

 

 焦るように。

 ヴェインは矢継ぎ早に考えを口に出す。いくつもの可能性を、繋がっていない文脈を乱雑に。

 けれどそれらは──一つの答えに繋がってしまう。

 

「否定しきれないわ。だってあの女は──死んだ人間を蘇らせる事が出来たのよ」

 

 古来、不可能だとされていた事はいくつかあるが──その中でも絶対に無理だとされていた、誰もが無理だと知っていた常識を覆した研究者。

 それがマザーだ。普段の言動はいたって普通の女性。少し天然で、素っ気ないようで、ちょっと頑固な……普通"らしい"女性。マザー。

 だが、彼女は天才だ。鬼才だ。その証明が自分たちであり、今の世である。

 

「……それが"そう"だとして、だったらなんだというんだ。マザーが今も生きていて……英雄を作っているとして」

「私達が全滅する可能性があるわ」

「そんな──」

「そんなことはない、と言える? 私達を蘇らせたあの女の手によって旧人類は絶命しかけた。それはあの女が私達側にいたからで、今私達はあの女の手を振り払い、敵に回してしまった。……そしてあの女は人間に手を貸して、私達を屠るための英雄(道具)を作り始めている」

「……しかし、そうだとして、どうすればいい。マザーがどこにいるかなどわかるはずも」

「"英雄"よ」

「……そうか」

「"英雄"の傍に、必ずあの女がいるわ。いるはずなのよ。今、アイズが"英雄"の下に向かっていたわよね」

「肉を切らせて骨を切る──アイズが負けるとは思わんが、"英雄"をアイズに引きつけさせ、マザーを狩るか」

「ええ、さっそく手配しましょう」

 

 立ち上がる二人。

 彼女たちは今──最悪の手を打とうとしていた。

 

 

 П

 

 

「よぉ、ジョゼフ。久しぶりだな」

 

 それは、日差しのキツイ昼下がり。

 タワーへの移住のため民間人の護衛をしている……その真っただ中のことだ。

 

 上半身裸。腰から下に黒い衣服を纏い、足には鉄片の入った靴を履いた灰緑色の肌の男が、ジョゼフの前に現れた。

 堀の向こうで人々に動揺が走る。今までもゾンビはいた。しかしそれは知性無きゾンビであり現れた……影が見えた次の瞬間には屠られている程の弱さしかなかった。ジョゼフ("英雄")が居れば安全だと、何も心配する事は無いと思っていた所の、矢先。

 言葉を解すゾンビの存在は多少は知らされていた。それでもカタコト程度であり、尚且つ意味を為さない言葉……聞いた音を反芻するだけのものが大半で、それは獣と変わらぬ脅威度として見られていたから……この男の出現は、動揺に動揺を呼ぶ結果となる。

 

「あれは……人?」

「だけど、ゾンビだろう。どうみてもゾンビだ」

「でも……」

 

 人間は知性を認めてしまった存在に弱い。相手が話せるとわかれば自身の道徳観を適用する。人間大で、話せて、理性がある相手は"人扱いするべきだ"と。たとえ自身に害を為す存在と見た目が似ていても、自分たちの分かる言葉を話す時点でソレは"知性ある何か"であり、排他を躊躇すべきであると。

 もしこれが彼らと違う言語を扱っていたのなら話は違ったかもしれない。けれど、流暢で聞き馴染みのある言語で彼らの耳にそれは届いてしまった。

 

「ゾンビは……もしかして、ゾンビは、人間に戻る、のか?」

「じゃあ、あの人も……」

「あの子も……」

 

 その希望は。

 緊張を安堵に変える。張り詰めていた、急がなければいけないと誰もが感じていたそれを……緩める。

 

「馬鹿野郎が、早く行け! こいつに関しちゃ他の奴に構ってられねえんだ、助けられねえ! すぐに──」

「つれねえこと言うなよ、ジョゼフ。おーいお前ら! 見た目はこんなんになっちまったが、俺ぁマルケルさ。覚えてる奴、いるだろ? 訓練所で風呂の壁に大穴開けた仲間もいくらか生き残ってるんじゃねえか? なぁ!」

 

 呼びかける。

 その声に……タワーへ移住する民衆の中から、幾人かが堀の縁まで躍り出た。体に傷があったり、部位欠損があったり、杖を突いていたりと様々だが、生きている。生者の、もう戦えなくなった軍人たちの、比較的若いのが、男を……マルケルを見た。

 

「ま──マルケルだ! 本当にマルケルだ……」

「おおいマルケル! 酒飲んで全裸になって謹慎処分受けたマルケルじゃねえか! お前……本当にお前なのか!」

「うるせえ、余計な事覚えてんじゃねえよ、レオン!」

「だって……だってよ、俺ァお前は死んじまったって……おいジョゼフ、何剣向けてんだ! マルケルは敵じゃねえだろ、一緒に酒酌み交わそうぜ再会の酒だ!」

 

 ジョゼフは剣を降ろさない。

 反対にマルケルは自分を思い出した時の苦悩とは打って変わって軽薄な笑みを浮かべ……根は真面目で頭が固く、上っ面だけはムードメーカーなあの頃の彼のように振舞って、肩を竦めて苦笑する。

 

「俺を殺すかよ、ジョー」

「殺す。お前はもう、ゾンビだ」

「ジョゼフ、気でも狂ったか!? マルケルはお前の相棒だろ、忘れたのか! アイツが死んだ時、みんなで墓作って花を添えたじゃねえか! それが、生き返ったってんなら──」

 

 その言葉は、突然響き渡った鉄と鉄のぶつかる音によって遮られた。

 ジョゼフがマルケルに斬りかかったのだ。

 

「お、おい! くそ、アイツ! ぶん殴って止めてやる!」

 

 その行為に、かつての仲間が……レオンと呼ばれた男が、堀へと降りる。片腕の無い男だが足腰はしっかりしているようで、なんなく堀を降り切り──え、と。

 小さく()()()を上げた。

 

「え?」

「……レオンが、消えた?」

 

 その行く末を見守っていた足を引き摺った男と杖を突いた男が、呆然と先ほどまで彼のいた場所を見つめる。堀の底。皆で苦労して掘った深い堀の奥底。

 マルケルの蹴りとジョゼフの鉄剣がぶつかり合う音が響く中──レオンの消えた場所の土が。

 盛り上がるのを見た。否。

 

「手──」

 

 そこから生えたのは、手。腕。

 灰緑色の、腕。それは一度上へ伸びて、地に着き……穴から身を這い出させる。その体は。片腕の無いその体は。紛う方なき──レオン。レオンだ。灰緑色になった、レオン。

 

 ゾンビだ。

 

「な……」

「ッ、土だ! 地面の中にゾンビがいる──全員早くタワーに入れェ!」

 

 瞬時に判断し声を上げる事が出来たのは腐っても軍人というところか。

 しかし声を上げた足の悪い男自身はすぐに動くことなど出来ず、今度はすべての人の目に留まる形で足首を掴まれ、地面に引き摺り込まれる。そこは堀でないにも関わらず、だ。地面から伸びてきた腕が、彼の足を掴んだ所を民衆は見てしまった。

 動揺。恐慌。焦燥。それらは一瞬で全員に伝播する。

 

「お、おいマルケル! やめさせてくれ、俺達は仲間だろ!」

「仲間だった、だ! だけど、お前達も同胞になりゃ──また仲間になれる! 何を怖がる、お前達も死のない次なるステージへ行こうぜ! 俺みたいにな!」

 

 ジョゼフと打ち合いながら、マルケルは高らかに謳い上げる。彼はマルケルだ。マルケルだった。

 でも。

 

「……」

 

 ゆらゆらと、佇み、堀の壁をなぞっては滑り落ちるだけのレオンだったものが、堀の中にいた。

 その姿に知性など欠片も無く。その顔にレオンの面影など一切無く。

 

「い、嫌だ……」

「嫌だ、死にたくない!」

「助けてくれ!」

 

 拒絶。

 それが、返答だった。

 

「だそうだ──お前達、やっちまえ! 大丈夫さ、今は怖いだろうが、なっちまえば何を恐れていたのかさえ忘れるだろう。この身体は良いぞ、あまりにも自由だからな!」

「早く逃げろ、お前ら! 戦える奴は戦え、死ぬな! 死んだら全部終わりだ! 自分と、自分の大事な奴を何が何でも守り切れ!」

 

 マルケルとジョゼフ。

 両者一歩も引くことなく……故に、明らかに組織だった動きをするゾンビ達に、彼を"英雄"と仰いでいた者達は数を減らしていく。

 

「くそっ!」

「悪態吐きてぇのはこっちだよ、ジョー。バケモン過ぎるだろお前……! 間違いなくどの人間よりも強えよ、お前は!」

「後ろの奴らを守れねえ強さに何の意味がある!」

「別に殺すワケじゃねえ、一旦眠ってもらうだけだ。そんで、時間が経てば俺達みたいな死から解放された存在に成れる。悪い話じゃないと思うんだが、な!」

「全員がお前みたいになれるわけじゃない──違うか!」

「さぁ、どうだろうな!」

 

 既に半壊。引き摺り込まれた者はゾンビに成り、まだ生きている者を襲う。そこに知性はなけれど、先ほどまで共に生きようとしていた誰かを振り払える者は少なく、また一人、また一人とゾンビになっていく。

 ジョゼフが守らんとしていたものは、もう。

 

 その時だった。

 

「ジョゼフ!」

 

 声。それは、タワーとは反対方向……マルケルの後ろから聞こえてきたもの。

 女の声だ。否、それは……幼馴染の、恋人の。

 

「ミザリー!?」

「ん? お、ミザリーちゃんじゃねえか! おお、覚えてるか? 俺だよマルケルだ……何度か家でパーティさせてもらったんだが、どうかな」

「なんでここに──」

 

 ミザリーの、後ろ。

 そこには、無数の影があった。息を切らせて走るミザリーを引き摺り込まんとする夥しい影が。

 あの悪夢を思い出させるような光景が。

 

……おいおい、脚部強化型から逃げてきたってのか……? 冗談だろ?

「ジョゼフ──助けて!」

 

 その言葉は。

 その言葉は──彼が、求めて止まなかったものだ。ごめんね、ではなく。悲鳴ではなく。もういい、でもなく。

 今なら、今であれば、助けられる。

 守れる。今、目の前に、掴み取れるものがある!

 

「うおっ!?」

 

 ジョゼフはマルケルを横合いに吹き飛ばし──ミザリーを抱き留めた。

 その小さな身を背後に隠し、愛剣を大きく振りかぶる。その背に極細の針が刺さった事など気付きもせずに。

 

 そしてそれを、強く、強く振り抜いた。

 

「な──」

 

 背後、民衆を襲うゾンビ達よりも多かったミザリーを追っていたゾンビ達……その全てと、その方向にあった廃ビルの街。

 それが、()()()()()、切れた。

 呆然と声を漏らすのはマルケル。当たり前だ。それは、そんなことはもう、人間の範疇どうこうではなく……ファンタジーだ。あり得ない。それはもうあってはならない現象だ。

 

「……ジョゼフ」

「安心しろ、ミザリー。お前は俺が守る。だから、お前は俺を支えてくれ。ずっと」

「──うん」

 

 車両の板バネで作られたスクラップの剣を肩に担いで、マルケルを見据える。

 生理反応などとっくに止まっているはずのマルケルの額に汗が浮かんでいるように見える程、マルケルは怯えていた。ゾンビが、人間に。

 

「もう一度言う。俺はお前を殺すよ、マルケル。先に謝っておく。次会う時は地獄だ。そこでなら、酒だって酌み交わしてやるさ」

「……化け物め。呪い殺してやる……死ぬなよ、相棒」

「──ああ」

 

 剣が振り抜かれる。

 そうして、マルケルは──アイズは。永遠に、活動を停止した。

 

 

 

 Д

 

 

 

 振り返り、すぐさまタワーへ逃げる人々を助けに行くジョゼフ。

 彼がそちらへ行った事を確認し、アイズの死体に近寄る。両断された事で断面の見える頭蓋。その脳の一部を切除。試験管に入れたソレを密封し、その場を離れる。

 

 ……あそこまで人間らしく……ううん、完全に人間になったゾンビの貴重なサンプルである。この菌の培養と、この状態で人間の脳に侵入した場合の実験と、うんうん、やることはいっぱいあるね。

 

 ちょっと。

 ちょっとだけ、ジョゼフ("英雄")を強くしすぎちゃった感はあるけど……まぁ、それはそれで。

 

 パワーバランスが人間側に傾いたら、またゾンビを作ればいいだけだし。

 完全な死者蘇生……もうすぐ、かな?



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ディードゥヌ-英雄の傍に在るモノ

 イースはゾンビである。

 他のゾンビ達のように自身らのことを"同胞"なんて呼ばない……自身が死んでいる事を自覚し、それを受け止めた上でゾンビだと呼んでいる。死した者。死して蘇り、動き続ける者。生きてはいない者。

 そんなイースがこの国で英雄とまでに呼ばれるようになったのは、とある少女を助けた事に起因する。

 

 その日、イースは"マザー"から逃げるようにして島を出た。

 イースは賢かったから、誰よりも早く気が付いたのだ。マザーには、この女性には、愛情などというものは欠片も無く──イース達を実験動物としてしか見ていないと。エインよりも、アイズよりも流暢に言葉を操り、小さな子供の姿であったイースを、素材程度にしか認識していないと。

 自らが温もりを求めてマザーと呼んだ。ただそれだけ。彼女自身にその自覚はないし、それに成り得る要素の一つだって持っていない。

 アレは、研究者だ。決して母ではない。だから、その手の内にいるのが怖くて、逃げた。賢かったから怖がったのだ。アレには勝てないと悟っていたから。

 

 そうして逃げて、大陸へ辿り着いて、行く当てもなく彷徨って……この国に着いた。

 当時はゾンビへの対処法が十分でなく、数多の被害が出ていた国だ。親を亡くした者も少なくは無く、一見ゾンビと見間違うようなみすぼらしい子供が数多く泥を啜って生きていた。イースはその子供たちに紛れるようにして肌に泥を塗り、この国の子供に成った。

 

 知性無き頃のゾンビは生者をゾンビにするため、自身の粘膜に繁殖している菌を生者の体内へ侵入させようとする。彼らの咥内や体液に含まれるその菌は噛みつき等の行為によって相手の体内に侵入、凡そ五分足らずで人間の脳に到達し、その体の機能を停止、菌が再活性する事によって脳および肉体の所有権を手に入れ、ゾンビとなる。

 "マザー"の研究室でイースが読み漁った研究資料によれば、そういう原理らしい。

 けれどイースには、生者をゾンビにしたい、という欲求が無かった。もしかしたら知性を獲得する前はあったのかもしれないけれど、少なくとも「君は三番だから、III(イース)ね」と名付けられたあの時にはもう、消えていた。

 

 だから、人間に混じっていても問題が無かった。襲いたいという衝動は起きず、別種族に対する嫌悪も無い。イースが子供だからなのか、知能が高いからなのかはわからないけれど、それはとても都合の良い事実で。ゾンビらしく食べなくても生きていけるイースは薄暗い路地裏で、襤褸布を纏って呆けるだけの日々を過ごすことにした。

 

 そうして、子供に紛れて一週間ほどを過ごした頃。

 蹲るイースに声をかける存在があった。

 

 ──"どうしたの?"

 ──"なにをしてるの?"

 ──"どこか、痛いの?"

 

 ゾンビの襲撃に怯える国の、活気のない通りのさらに外れ。

 雨の降る日だった。イース達ゾンビにとって湿気を補充してくれる雨は天の恵みであり、痛いどころか気持ちがいいと感じていた……そんなときの事。

 ふと遮られる天からの雫に顔を上げれば、そこにはみすぼらしい子供──ではなく、この国の住民にしては、多少良い素材を使った衣服を纏った少女が、イースを見下ろしていた。

 傘をイースの方へ傾けて、問うている。

 

 ──"君は誰?"

 ──"おかあさん、いる?"

 

 その言葉に、イースの中の二つのトラウマが刺激される。

 一つは生前。母親と引き裂かれ、目の前で母親をゾンビに食われ、自らもゾンビに飲み込まれたあの光景。

 もう一つは今生。無数の試験管や薬瓶が怪しく光る研究室に寝かせられ、「うーん、君もダメか」とぽつりと呟かれたあの瞬間。

 

 今まで気持ちが良かっただけに、イースは一瞬で不快になってしまって、彼女を無視する事に決めた。手を出さなかったのは彼が賢かったからだろう。見た所それなりの身分を持っていそうな少女だ、手を出せばこの国を追いやられることになるかもしれない。

 マザーから、そして他のゾンビから逃げ、ずっと隠れていたかったイースにとってそれは悪手。だから、無視。相手も子供だからすぐに飽きるだろうと高を括っての行動。

 けれど少女は──彼女は違った。

 

 ──"大丈夫、怖がらないで"

 ──"私は君の事、怖がらないから"

 

 そう言って、あろうことかイースの腕を無理矢理掴み取ったのだ。掴んで、引っ張った。イースは知性強化型……他のゾンビのようにどこかが肥大していたり、異常な筋力があるタイプのゾンビではない。等身大の子供でしかない。むしろゾンビ故に痩せ細っているとすら言えるだろう。だから、簡単に引っ張り上げられてしまった。

 まずい、と思った。イースの肌は泥で偽装してあるけど、体温までは変えられない。ゾンビの体温は低い。死んでいて血液が流れていないのだから当たり前だけど、その冷たさは隠しようのないゾンビたる証左だった。

 だというのに。

 

 ──"こんなに雨で冷えてる"

 ──"おいでよ、こっちに。温かいスープがあるよ"

 

 少女はそういって、イースを無理矢理路地裏から引き摺り出した。

 他人の事を気にする余裕がない程切羽詰まっている国だったから、そんな子供二人の事は誰も見向きもせず、少女の手を振り払う事も出来ぬままにイースはとある家に連れてこられた。

 入って。その言葉に有無も言えず、上がる。

 中は真っ暗だった。そんな家の中をするすると歩いていく少女。少女は慣れた手つきで壁にあったランプに火を灯し、改めてイースに向き直る。

 

 ──"お父さんもお母さんも、今はゾンビの対策で忙しいから"

 ──"だから安心して。誰も君を怒る大人はいないよ"

 

 その見当違いな慰めに、しかしイースは何故か落ち着いてしまった。

 襤褸布を取る事は無かった。けれどイースは、自らの名前がイースである事を少女に告げた。生前の名前もあったけれど、それを名乗るのはダメだと……イースの幼い倫理観が、あるいは賢き道徳観が告げていたから。自分は彼ではなく、イースだと。

 その名乗りに、少女はパァっと笑顔を浮かべ、口を開く。

 

 ──"私はメイズ。よろしくね、イース"

 

 それが、少女との出会い。

 彼が英雄になる一日前の出来事である。

 

 

 Ρ

 

 

 ゾンビは食事を必要としない。要らないのではなく、出来ないと言った方がいいだろう。胃が動いていないから食材を消化出来ないし、排泄も出来ない。咀嚼する事は出来ても嚥下自体が難しいから、何を食べても喉に詰まらせる結果となるだろう。詰まらせたところで何も起きないが。

 だからイースは食事を断った。この国は困窮しているのだから、自分で食べて、と。しかしメイズは引かなかった。じゃあ私も食べない、なんて言って、乾いたパンに手を付けない。

 イースは子供だ。子供だけど、良識があったし、他の子より正義感の強い子だった。だから、折れてあげることにした。食べられないけど、パンを食べる。そうすればメイズも食べるだろう。両親が帰ってこない、寂しい思いをしているだろう少女を……余計なお世話とはいえ、曲がりなりにも自身を助けようとしてくれた少女を、お腹を空かせたままにしておくことが出来なかったのだ。

 この時点でもう、イースの中からトラウマを刺激された事なんか消え去っていたし、妹に対する庇護欲のようなものまで湧いていた。生前に兄弟姉妹のいなかったイースだけど、島にイヴという少女のゾンビを残してきたから、それが由来しているのかもしれない。

 

 とにかくイースはメイズの世話を……少なくとも彼女の両親が帰ってくるまではすることにした。パンを出来るだけ細かく千切って喉に詰め、スープを流し込んで胃まで持っていく。味はわからない。食べたという感覚もない。それを苦痛に思う事さえない体。

 けれど目の前で、メイズが美味しそうにパンを食べているのを見るだけで、イースの心は満たされていた。その不思議な感覚は、しかし心地の良いもので。

 

 ──"ねぇ、メイズ"

 ──"なに? イース"

 ──"メイズのお母さんって、どんな人なの?"

 

 イースは自らトラウマに触れる事にした。

 自分でそう言葉にして、けれど不快さは無く。

 嬉しそうに母親の良い所を語り始めるメイズに、自然と笑みが零れる程──イースは彼女に気を許し切っていた。

 

 

 日付が変わっても、メイズの両親が家に戻ってくる事は無かった。

 いつものことだよ、なんて笑うメイズに、じゃあ今日は僕が一緒に寝てあげる、なんてことまで言って。嬉しいと抱き着いてくるメイズに、少しだけ迷って……イースは彼女を抱きしめる。

 もう雨に打たれていない、温かいスープも飲んだ……にも拘わらず、冷たいままの身体で。

 

 そうして、朝が来る。

 

 

 π

 

 

 慌ただしい声──怒号と悲鳴の入り混じったその声に、二人は叩き起こされた。

 家の中からそーっと外を見てみる二人。

 

 そこは、地獄だった。

 

 倒れている者は一人もいない。

 ただ、血みどろの死体が、灰緑色の遺骸が、国中の人間を襲っている。逃げ惑う者に老若男女は関係ない。皆が皆一様に生へと縋り、けれど叶わず散っていく。屍に捕まった者は数分をそこで蹲り、次の瞬間には屍と同じ灰緑色になって家族や友人を襲い始める。

 

 地獄だった。

 地獄、だった。

 

 イースはすぐさまメイズを下がらせる。あの時代……つまり知性無き頃のゾンビは視覚で生者を判断すると知っているから、姿を隠させたのだ。

 けれど、彼の腕の中でふるふると震える彼女は……けれど。

 

「お、お母さんが、今ッ!」

「っ……もう、無理だ。あれじゃ……」

「そんな──」

 

 イースにはどの人間が彼女の母親なのかはわからなかったけど、あの量のゾンビに囲まれて生き残り得る人間がいない事など、イースが一番わかっている。少なくとも今はただの子供である二人では、どうする事も出来ない。

 悲しみの嗚咽を漏らす彼女に心が痛む。どうしようも出来ない事実に心が叫ぶ。

 その時点でイースは、たとえこの国が滅んだとしても、どこか安全な国に彼女を送り届けようという意志があった。それがゾンビの……"同胞"の蛮行を許した自身の償いだと。

 

 ああ、けれど、どれだけイースが賢くても、賢くはなれない……感情を抑えきれないのが子供というものだ。

 イースの決断。その逡巡。それらが創った一瞬の隙を突いて、メイズが走り出す。制止の声を上げた時にはもう遅く、メイズは家の扉を開けてしまっていた。

 

 同じゾンビだ。彼らはイースに見向きもしないだろう。

 けれど、メイズは格好の的だ。身体能力も高くない子供等、すぐさま掴まって死者にされてしまうだろう。

 イースは自身らを新人類などと宣う"兄妹"とは違う。自身を死体だと認めているし、それが悲しい事だと思っている。

 メイズを死なせたい、とは──到底思えなかった。

 

 

 果たして、その想いは、行動による結果となって現れる。

 

 メイズ、と言葉を発した。その瞬間、菌によって掌握された脳が命令を下す。それは思考よりも先に脚を動かし、壁にあったランプを掴み、今まさにメイズへ掴みかかろうとしていたゾンビの頭蓋へ向けてそれを投擲、更には玄関横に立てかけられていた箒を持ってメイズを守るように立ち、襲い掛かるゾンビの顎を的確に突いて跳ね飛ばしていく。

 ゾンビは思考によって脳を動かしているのではなく、菌によって思考と脳を動かしている。だから、考えるよりも先に手が出た、を地で行くのだ。

 子供の身体には余りにも大きすぎる負荷も、ゾンビの身体であれば何ら苦にならない。

 突然の事に頭を抱えて伏せるメイズを良い事に、彼女に襲い掛かるすべてを一本の箒で払いのけていくその様はまさに"英雄"。

 

 次第に菌の掌握に追いつき、加速し始める思考が菌と並列に物事を処理し始め、メイズにばかり集中するゾンビ達を効率的に排除できるようになっていく。

 さらには。

 

「──ゾンビの弱点は頭部だ! それも、後頭部──頭蓋を叩き割るんだ! なんでもいい、とにかく脳を潰せば止まる! それが出来ない者は足を狙え、少なくとも動けなくなる! 逃げるな! 逃げずとも──」

 

 手で筒を作り、それを銃身として、箒の毛を取り払った底部を膝で蹴り上げ強く突き上げる。

 寸分違わずゾンビの顎骨を衝いたソレはゾンビの身体を仰向けに倒し、その喉に箒を突きつけ、思い切り踏みつけた。

 ぐちゃ、という音。生前であれば嫌悪を感じただろうその感覚を受けて、更に全体重をかける。

 足りない。少しだけ体重が足りない。

 しかしそれは、蹲っていたはずの少女によって、補われた。

 何かを決意したような瞳で箒に脚を乗せる少女にイースは頷き、もう一度思い切り力を込める。

 

 そうして、ぶち、と。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、そのゾンビの頭部と胴体は完全に分断され──ゾンビの活動が停止する。

 

「──倒せるぞ! こいつらは不死身の怪物じゃない! 倒し得る、ただの障害だ!」

 

 宣言する。

 その言葉に、先ほどまで逃げ惑うばかりだった人間たちが、どこか興奮したように同調を返した。

 

「倒せる、のか」

「倒せるんだ」

「倒せる──殺せる! ゾンビは」

「殺せる──!」

 

 当事者以外にはどれほど異様な光景に映った事だろうか。

 しかし、()()()()()()()()()()、ここには当事者しかいない。誰もがそれを幻視するのだ──幼き身でありながら、少女を守り、その少女と共にゾンビに抗わんとする小さく大きな背中を。

 "英雄"を。

 

「僕の名は、イース! 人々よ──僕に続き、この国を守れ!」

 

 そうして。

 湖と川に隣接する豊かな国は、一度は死に瀕し──しかし"小さな英雄"を擁す、"人類最後の希望"となったのである。

 

 

 

 μ

 

 

 

 イースが"英雄"と呼ばれ始めて数週間が過ぎた頃。

 両親を失い、一度は折れかけ、けれど立ち直ったメイズを前に、イースはある事を明かそうとしていた。

 "英雄"のためにと用意された家。静かな家だ。イースとメイズだけが住むこの家で、二人。

 

「それで、話、って?」

「……驚かないで、聞いてほしい。いや、驚いても良いし、なんなら嫌ってくれても構わない……だけど、最後まで聞いてほしいんだ」

「……うん」

 

 メイズに動揺は無かった。まるでイースが何か隠し事をしているのを知っていたかのように。

 否、まるで、ではないのだろう。メイズは子供だけど、賢い子だ。生前のイースでは比べ物にならない程賢く、聡く──気遣いの出来る子だ。

 だから。

 

「──」

 

 大きく息を吸って、吐いて。

 ゾンビには呼吸なんて必要ない。本当は肺を動かすのも難しい。けど、イースはあの一件から肉体の掌握が他のゾンビよりも上手く行っていたから、出来た。必要はなかったけど、出来るからやった。

 そうした深呼吸の後──口を開く。

 

「僕は、ゾンビなんだ」

「……」

「この肌は、顔料を塗ってあるだけ。僕は……僕らゾンビは死んでいる。それは君もよく知っている事だと思う。だけど、ゾンビの中で一定以上に生存能力を高めた一部の個体は、知性を得るんだ。難しいよね。ごめん。でも、聞いてほしい」

「……うん」

「それで、僕は知性を得たゾンビで……その中でも、言葉を喋る事が出来るし、生きていた頃を思い出せる程にまで辿り着いた個体だった。多分、現状存在するどのゾンビよりも頭が良いと思う。これは自慢とかじゃなくて……」

「うん、大丈夫。わかってるよ」

「……それで、僕は……逃げてきたんだ。僕は、僕らゾンビはね、マザーって呼ばれてる研究者から生み出された。その人はゾンビを作ってる……生きた人間に菌を感染させて、殺して、ゾンビを作ってる。僕もそうやって出来ているし、あの日のゾンビ達もそうやって出来ている。本当に死んでいて、そこに感染した菌が動かしているだけなんだ」

 

 メイズは静かにイースの話を聞いている。話す必要のない難しい事も、イースの口が、懺悔をするかのように溢していく。それをメイズは、静かにうなずいて、聞く。

 

「マザーは……恐ろしい研究者だった。怖いんだ。彼女は僕らをなんとも思っていない。ううん、貴重なサンプル程度には大事にしてくれているけど、そこに子へ向けるような愛情なんかないし、家族とも仲間とも思っていない……必要があれば全身を切り刻む事も、マグマの海へ放り込む事も、顔色一つ変えずにやるんだろう」

「……」

「僕はね、そんなマザーが怖くて、逃げた。マザーはある島でゾンビの研究を続けているんだけど、そこから逃げてきた。海を泳いで渡って、大陸を彷徨って……この国に来た。最初はそのまま、土みたいになっているつもりだったよ。マザーの目の届かない人間の国で、太陽と雨に打たれて、泥に塗れて……僕らゾンビは、死なないからさ」

 

 でも、と。

 イースはメイズを見る。

 

「君が来た。君が僕を、引き摺り上げてくれた。正直に言えば、それが僕にとって良い事だったのか悪い事だったのかはわからない」

 

 だけど。

 

「だけど、次の日のあの大襲撃……あの日に君を守る事が出来たのは、この国の人達を立ち上がらせることが出来たのは、あの日君が僕を見つけてくれたからだ。あの日君が僕の心を、もう一度マザーに立ち向かえるよう奮い立たせてくれたからだ。だから、だからさ」

「うん」

「僕はゾンビだけど、僕は逃げてきたけど……僕はマザーを倒すよ。他のゾンビ達も。そうして、世界に……そして君に、また元の平和をプレゼントする。君の両親を取り戻す事は出来ないけど、せめて君だけでも幸せになってもらいたい。それで、それが叶ったら」

 

 言葉を続けようとして、歯が震えた。そんな機能は残っていないはずなのに。

 もう一度口を開く。けれど音にならない。ああ、と。独り言ちた。

 

 僕は。やっぱり、僕は。

 イースは苦笑した。"英雄"なんて呼ばれても、やっぱり何も。

 

 メイズを見る。メイズはイースを心配したのだろう、慰める言葉を発さんと口を開く。

 けれどそれを、イースは止めた。待って、と。

 

「……僕は臆病だ。怖がりだ。だけど、だけどね。決めたし、考えたし……それが、一番だと思うから」

「イース……」

「もしそれが叶ったら──」

 

 今度はちゃんと、()()()()言葉を放つ。

 

「僕は死ぬことにするよ。まぁもう死んでるんだけど……海の底にでも行って、空の上から君を眺めることにする」

「──……」

「僕はゾンビだからさ。多分、ダメなんだ。みんなが死んだあとまで僕が生きてたら、それはズルだから。せめてみんなと一緒に足を止めたい。それは、怖いよ。とっても怖い。けど」

 

 もう一度、イースはメイズを見つめた。

 

「僕は君が、大事だから。だから、怖いけど──怖くない」

 

 イースは、冷たい手を差し出す。

 その手をメイズが握る。そこに躊躇は無い。迷いはない。それは温かみのある信頼。

 

「だから、それまでは……僕の隣にいてほしい。一緒にマザーを倒すんだ。手伝ってくれる、かな」

「うん。勿論。……イースが眠る時は、ずっと私が傍にいてあげるから。海で独りぼっちなんてダメ。本当に、どうしても死ななきゃいけないなら──私がやる、から」

 

 その手は震えていて。

 だから、イースは彼女の手を強く握る。冷たい両手で、強く、温かく。

 

「頑張ろう、メイズ。この国の人達と一緒に──マザーを倒そう」

「うん。一緒に」

 

 これが。

 これが、イースが"英雄"となった顛末。

 これがイースが人間側に寝返った──人間を守る"英雄"になった経緯である。

 

 

 

 ν

 

 

 

「おかえり願います」

 

 それは、深夜のこと。月が雲に隠れた真っ暗闇の中。

 イースが国の大人達と作戦会議をしている少しばかりの時間。

 

「人間……シネ……!」

 

 片腕が異様なまでに肥大化し、筋肉が張り詰めた異形の男。

 それに相対するは歳の十を超えるか超えないかくらいの少女──メイズ。彼女は異形を前にして、たじろぐ素振りすら見せない。

 

「おかえり願います」

「……──!」

 

 再度の警告。

 それは、超質量による拳で以て返された。

 

「──」

 

 はずだった。

 

 その拳は、メイズの前でピタリと止まる。

 風圧がメイズを打つが、やはり気にすることなく──拳の向こうの男を見つめた。

 

「人間……人間──()

()()()

()()()()()()……()()()()()()()()()()!」

 

 急速に、何かを取り戻すように。

 何かを──知性を、違う、本能を──恐怖を取り戻すかのように、男は、ヴィィはゆっくりと拳を降ろし、引いて……メイズを見た。

 

リザ?」

 

 暗がりが隙間だけ晴れ、差し込んだ月明かりが一瞬だけ彼女の口元を照らした。

 ヴィィの声にならない問いかけに、しかしメイズは口角を上げて微笑んでいて。

 

「まだその時ではないよ、ヴィィ。わかるかな」

「……」

 

 ヴィィは、怯えるように……けれどしっかり頷いて。

 その巨体を、元来た方へ戻す──踵を返していく。

 

 それを見て、メイズも国内へと戻る。

 一瞬の攻防。あるいはまだ、この国の人間では対処しきれなかったかもしれない肥大強化ゾンビヴィィの襲撃は、"英雄"に寄り添う一人の少女によって事なきを得たのであった。

 



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ディードゥヌ-死者の隣に住むモノ

 ゾンビの種類をいくつか分類すると、まず知性無きゾンビと知性を得たゾンビに分けられる。歩行ゾンビや走行ゾンビのほとんどは知性無きゾンビに分類され、部位の肥大したゾンビの大半もここに振り分けられる。その中で歩行走行の極一部と、肥大ゾンビの一部が知性を獲得し、肥大強化ゾンビ……人間達の呼ぶ強化ゾンビ、あるいは上位ゾンビとなるのだ。

 知性を獲得したゾンビはまず自身の活動停止を恐れるようになり、簡易ではあるが連携を行ったり、目に見えた罠であれば避けるようになったりする。この状態になったゾンビは基本的には進化(肥大)しないため、走行歩行ゾンビから知性アガリするよりは肥大ゾンビから知性アガリした方が能力的に優れた個体となるのである。

 ただし、各種ステータスを点数付けした場合、最終的な点数は同等になるといえばいいのか、肥大ゾンビは基本的に頭が悪いし、そうでないゾンビは頭が良い傾向にある。ゾンビは人間で、人間の能力以上の事は出来ず──出来ているように見えたのなら、何かを失っているはずなのだ。

 

 そうして、何かを失いながらも高い生存能力と知性を獲得したゾンビが、言葉を解すようになる。それをナンバーゾンビと呼ぶ。

 

 と、されていたのはかつての話。

 

「水……」

「お前も……」

「……早く」

 

 マザーのいなくなった元リゾート島。そこではゾンビが溢れかえり、人間が見れば地獄の様相を呈している、と称したことだろう。しかしゾンビ達にとっては正しくリゾートで、中でも知性アガリをしたゾンビ達が何の危険にも晒される事無く日々を過ごせる楽園となっていた。

 どうしてか、マザーがいなくなってから、ゾンビ全体の知性獲得率とでも呼ぶべきものが減った事は危惧すべき事態であるのだが、元々知性を獲得していたゾンビの内二、三割程度は既に言葉を理解できるようになっていて、ナンバーゾンビとは比にならない程度ではあるものの、賢い、と呼べるソレが……新人類と呼べるソレが増えた事は喜ばしい事実だった。

 

 ……ナンバーゾンビ、アイズの死さえなければ、素直に喜べたはずだった。

 

「お前がいなくなっては……意味が無いだろう、馬鹿が」

 

 吸う事も出来ない湿気た煙草を口に咥え、エインは呟く。

 生前の己が経営していたホテルの一角で、エインは頭を抱えながら書類を眺めていた。

 

 ウィニから上げられたマザーの研究資料。ヴェインから上げられた人間の国の動向。アイズ含む、数多の同胞が活動停止したとある国のとある街についての遠隔観察記録。

 ウィニとヴェインが懸念した、マザーらしき者の影。

 気を揉むことが沢山ある。否に行動的で攻撃的なウィニとヴェインと違って、エインは保守派な性格だと自己分析している。アイズのように武闘派でも、イヴのように幼稚でも、ヴィィのように凶暴でもなく……割と普通で、受け身的な性格であると。

 

「……イース。お前は、どこにいるんだ。頼むから俺の気苦労を分け合ってくれよ……」

 

 エインとアイズ、そしてイースは最初に自我を獲得した三体として、多少、仲が良かった。次に獲得したのがイヴだから、というのもあるだろうし、イヴが言葉を解すようになったのがエインのソレの二か月後と、それなりに時が経っていたからというのが大きいだろう。

 とかく初めの頃は話し相手がこの二人だけで、イースがいなくなってからはもっぱらアイズと、まるで兄弟のように日々を過ごしていた事を覚えている。

 そのアイズがいなくなってしまってからは仲の良い者がいない孤独に……寂しさに浸るくらいには、依存をしていたのだろう。

 

 依存だ。初めの頃。否、初めは、一人だった。

 勿論マザーはいたけれど、マザーはマザーで、同胞でも仲間でもない。守るべき存在だ、という意識は今でもある。けれど決定的に違う──そこに愛情と言うものが欠片も存在しないから。

 そんな始まりの孤独を埋めてくれたのがアイズとイースだ。周りが物言わぬ獣が如き同胞である中、よろしくな、と。はじめまして、と。それぞれ言葉を掛けてくれた時、どれほど嬉しかった事か。生前の女々しさはエインになった直後から現れていたのか、その時に感じた心の温もりを今でも忘れらずにいる。

 

 そしてそれは、生前を思い出しても同じだった。

 自身の大切なホテルがゾンビで溢れかえったあの光景に、あろうことか立ち向かいもせず逃げ出した己の情けなさ。客や従業員が上げる悲鳴を聞きながら、一人島裏の入江においてあった従業員用のボートに乗り込もうとして、ゾンビ達に追いつかれて死んだあの絶望。

 すべて思い出して、恐怖に震えた。自身がゾンビであるのだと自覚した。眠ることの無い身体は悪夢を見せないでくれたが、安らぎを与えてくれることも無い。

 

 その恐怖を和らげてくれたのもまた、アイズだった。

 彼はアイズとして活動していた頃とは違う軽薄な笑みで、けれど真面目な声で。

 

「けど今、こうして俺達はここに立ってる。死が絶望だったのは旧人類だったからだ。だが、今は希望ですらある。そうだろ? 時間さえかければ、別離というものは無くなり、残るのは永遠の楽園だ。エイン、俺達がやってることは悪い事じゃねえ。旧き人類(アイツら)はかつてのお前と同じように絶望に瀕して苦しんでいるんだ。それを救ってやろうじゃねえか、先にこっちに来た者として、手を差し伸べるんだ」

 

 と、そんなことを宣った。

 詭弁だし、話の論点が全く違うし、そもそも人間を襲う事を悩んでいるわけではない──そうは思ったけれど、言いたい事は伝わった。「うだうだ悩んでねぇで、気軽に行こうぜ」と。

 その通りだと、エインは思う。

 死という最大の悩みが消えて、食事もいらなくなった身体。金の事を考える毎日だった生前と違い、今は恐ろしい程の余裕がある。

 

 俺はマルケルってんだ、なんて生前の名を名乗るアイズに、エインもかつての名を返した。

 ホテルに保蔵されていた酒を取り出し、飲めもしない体にかけて乾杯とし、様々な事を語り合って。

 

 そうして、そうして。

 

「……人間に殺された、か」

 

 アイズは脚部強化型のゾンビだった。その脚力はコンクリートをも蹴り砕くほどの威力を有し、素の戦闘能力も高い。代わりに上体の筋肉量と水分の保有時間に多少の低減が見られたけれど、それを補って余りある程の戦闘センスを有していた。元軍人だと、彼は言っていたはずだ。

 それが、死んだ。

 頭蓋から股下までを割断されて死んだらしい。らしいというのはかつて狙撃手だったらしい知能アガリをしたゾンビが遠隔地から撮影した画像から判断したが故で、その遺体を回収する事さえ適っていない。

 

 アイズが最後に相対した人間はウィニ達のいう所の"英雄"……ジョゼフという名の個体。その名はアイズが記憶を取り戻した直後に話していた彼の相棒の名であり、彼と彼の"英雄"間に何があったのかを想像して、しかし(かぶり)を振る。

 そんなものを気にしても仕方がない。

 アイズは死んだ。エインにとっては、それだけのこと。

 

「イースの国に行って、帰ってきたヴィィは怯えが止まらない様子だった。ヴィィのあんな様子は初めてだ。そんなにも……そんなにも恐ろしい人間がいる、というのか。アイズを殺した奴も、ヴィィを追い返した奴も……」

 

 "英雄"。

 各地に出現した埒外の戦闘能力を有す人間達。それはゾンビの肥大強化を軽々と跳ねのけ、知性無きゾンビでは歯牙にもかけない……まさに化け物だ。

 ウィニ達の話では彼らの傍にマザーがいる可能性がある、とのことだったが、それは余りにも夢物語が過ぎる。ヴィィが圧殺したのは"よく似た他人"で、各地にマザーがいる、など。

 

 生前は読書を趣味にしていたエインだ。その"よく似た他人"がクローンと呼ばれるものなのではないか、という所までは想像したが、しかしそれも頭を振って追い払う。

 だって、もしそれが出来るのなら。

 もしそんなものを、大量に用意できるのなら。

 

「世界を壊すのにゾンビなんて作る必要はない……はずだ」

 

 言っていて、少し、疑問が湧いた。

 

 エインは最もマザーと共にいた時間の長いゾンビである。よってこの島に訪れる人間……マザーではない、各国のエージェントと呼ばれる者達の会話もそれなりに聞いていて、彼らとマザーの間に取引があったことも知っている。

 マザーの目的は一貫して死者の蘇生。エージェント達は何か裏があると睨んでいたし、エインも世界を滅ぼす事こそが目的なのではないかと考えていた……が、もし本当に、死者の蘇生のみが目的だったら、どうなるか。

 人間を生き返らせる。それだけが目的。

 

「……いや、それなら、それこそゾンビを作る必要など……」

 

 口に手を当てて考える。

 必要。必要と言った。

 だから、必要なんてないんじゃないか。

 

 ゾンビを作りたくて作ったのではなく、出来てしまっただけ。

 死者の蘇生の失敗作が──ゾンビ。

 

「笑えないが、いや……」

 

 マザーはゾンビ化を治療する薬を各国と取引していた。治療できるものを作る時点で、そして治療しうる薬をつくる時点で、世界を滅ぼしたいわけではないことが窺える。そしてその取引で得ていた人間の精子と卵子。

 今は封鎖されてしまった実験室には、ゾンビ用の工房のほかに"人間を栽培する部屋"があったことをエインは憶えていた。実験用であったり餌用であったり、様々な用途が挙げられる人間を作る部屋。

 けれどその人間をゾンビにすることは無かったし、わざわざ外部からそれらを買わずとも、自身の卵子を用いれば済むことのはずだ。彼女は女性なのだから。

 

 それをしない理由はなんだ?

 

「……子を産めない体にあった? 可能性は無きにしも非ずだが……どうもしっくりこないな」

 

 エインは過去を思い出す。

 あの実験室。名前も知らない研究者の事。

 ウィニ達の言う通りなら彼女は自身のクローンを作る事が出来る。けれどクローンで世界を滅ぼす事はしない。それは世界を滅ぼす事が目的ではないから。彼女は死者の蘇生が目的で……しかし、自身で栽培した人間やそのクローンとやらを実験に使う事は無かった。

 何故だ。

 表の人間を実験材料にするより、戸籍の存在しない自身のクローンを用いたほうが、リスクマネジメントからしても選択肢として取りやすいはずなのに。

 

 何故、何故。

 

「……マザーはゾンビに成れない? マザーの手によって作られた人間はマザーの組織が入っている? 俺達ゾンビは……元人間だ。他の動物が俺達の肉を食って突然変異する事はあれど、ゾンビ化することが無いのは確認済み……ゾンビは、人間しかなれない」

 

 じゃあ、マザーは。

 

「……賭けだが」

 

 エインは立ち上がる。

 立ち上がって部屋を出て、ある場所へ向かう。

 

 マザーの墓碑がある場所へ。

 

 

 б

 

 

 ホテルがある場所の反対、かつて自身が死んだボートが泊めてあった入り江を囲む片側の、切り立った崖の頂上に建てられた、簡素な墓碑。

 そこに添えられるは一輪の花。その他、エインの価値観ではガラクタとしか言えない諸々。

 それを添えたのはイヴだ。イヴはマザーを本当の母親のように慕っていて、彼女の死を誰よりも悲しんでいた。彼女の死後も毎日の日課のようにここへ"お話"に来ているし、花が散ったり枯れたりしたら新しいものに替える等、律儀で心優しい面を見せている。

 花以外のガラクタはイヴが島で拾ったものや海からサルベージしたものであり、中でも比較的小奇麗なものばかりが集められているのを見るに、イヴの中でも大切なものを添えているのだろうことがわかった。

 

「……掘り返す事に良心が痛むのは、俺がまだ人間の証拠なのかな」

 

 墓荒らしが悪い事だ、というのは、生前の宗教もあるのだろうが、多少心が痛む事。それはゾンビである今も変わらず、マザーへの守護意識が残っているエインはより、良心に傷を負っていた。

 けれど、それでも。

 確認しなければいけない事があるからと──マザーの墓碑の手前の地面に、シャベルを入れる。

 

 懐かしい、と思った。

 エインが経営者をやっていた頃、たまに土いじりをすることがあったから。読書や土いじりが趣味の好青年……リゾート島が有名になって横柄な客が来るようになってからはヘビースモーカーの中年になってしまったけれど、かつてはそうだった。そうだったはずだ。

 掘っていく。エインは一応、脚部強化型のゾンビである。アイズが跳躍や蹴りの威力に振っているのに対し、エインは走行に長けている、という感じの進化を遂げた。そういう所でも気があったな、なんて懐古を、また頭を振って追い出した。

 

 こつ、と硬質な音。

 上の土を掻き出していけば、そこには簡素な棺が一つ。

 釘打ちされた蓋に開かれた形跡はない。杞憂か、と思って……けれどやはり、心配になった。

 用意してきた釘抜きで、それを丁寧に抜いていく。

 

 動いていないはずの心臓が脈打つ気がした。焦っている。怖がっている。

 

「……ふぅ」

 

 落ち着け、と。ただ確認するだけだ。

 そうして、すべての釘を抜いて……そっと、蓋を開ける。少しずつズレていく蓋。また心臓が脈打つ気がした。妄想だ。幻覚だ。生きていない俺達に、心臓で左右される体調という概念は無い。

 

「──……()()()()()()()()()()()()()……」

 

 蓋を、開け切った。

 そこには安らかな表情で眠る、記憶通りのマザーがいて。

 

 生前から続く情けなさと女々しさが生んだ杞憂に惑わされていただけなんだと、安堵した。

 

 

 

 ж

 

 

 

「待て」

 

 待て。待て。待て。

 それに気付くことが出来たのは、その臆病さ故だろう。

 

「……マザーの死因は、圧死だ。ヴィィによって叩き潰された。だから」

 

 だから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 最後に見た時は、もっと拉げていたし。

 最後に見た時は、誰かもわからない程だったし。

 

 エインは、いつもの白衣に身を包んだマザーにそっと手を伸ばす。

 そして、その胸元を開いた。

 

 開こうと、した。

 

「私にも一応、恥じらいの心とか、あるよ」

「──!」

 

 飛び退く。脚部強化型の性能を遺憾なく発揮して、バックステップ。

 その声は確実にマザーの死体から聞こえた。

 その声は確実にマザーの口から聞こえた。

 

 その声は、紛う方なきマザーのもので。

 

「おはよう、エイン。久しぶりだね」

 

 マザーは、上体を起こして──まるでいつも通りの事であるかのように、エインに微笑みかけたのだった。

 

 

 

 л

 

 

 

「水が欲しい……」

「怖い……」

「アノコ、アノコ、ドコ……」

 

 言葉を話す人達が増えてから、この島はうるさくなったとイヴは感じていた。最初、賑やかなのはいいことだと思っていたけれど、話しかけてもちゃんと反応してくれるわけじゃないし、ちゃんと反応してくれるのは相手してくれないしで、とてもつまらないからだ。

 

 イヴは話すのが好きだ。おはなし。今日あったこと、昨日あったこと、明日あったら嬉しいこと。

 ()、イヴはあまり話してはいけない家族の元にいた。声を出すと怒られる。お母さんもお父さんもずっと怒っていて、喧嘩ばかり。友達を作る事も外に遊びに行くことも許してもらえない。

 イヴはそれが嫌で、夜すぐに眠って、朝に早く起きて、こっそり外に遊びに行って……なんて、ちょっと悪い事をしていたくらい、遊ぶのが好きだった。外であった走ってる人やお散歩しているおじいさんに話しかけたり、よそのお家の犬や猫を撫でさせてもらったり。

 

 だからその日も早く寝て──気付いたら、ここにいた。

 ずっと怒っているお母さんもお父さんもいなくなっていて、知らない人が沢山いて……けれど唯一人、マザーだけは、イヴの話を聞いてくれた。怒りもせず、然りもせず、「うん、うん」と。「そうなんだ」とか「どうしてそう思ったの?」とか、ちゃんと相手をしてくれるのだ。

 イヴはそれがとても嬉しかった。嬉しかったから、毎日のように話をした。マザーにもお仕事があるのがわかっていたから、お話をするのは一時間だけ。他の"お兄さん達"の言葉遣いをまねっこして、マザーを怖がらせる人達は懲らしめて。

 

 けれどそのマザーも、いなくなってしまった。

 ううん──死んでしまった。

 

 イヴはまだ子供だから、難しい話はよくわからない。ただなんとなく、大人の"お兄さんとお姉さん"から嫌な雰囲気があるのは感じ取れて、段々と距離を置くようになった。

 帰ってこない、歳の近い"お兄ちゃん"がどこにいるかなんてイヴにはわからない。その他の喋ってくれる人達はみんな大人で、いつも難しい顔をしていて、あまり相手をしてくれない。

 

 つまらなかった。イヴは、つまらなくて。

 だから毎日、マザーのお墓にお話をしに行った。

 

 そしてそれは今日も同じで──島の裏側の、とても高くて、風の()()()()()ところにあるお墓に来て。

 来て、見て。

 

「え──」

 

 それを見た。

 

 手前にいるのは、"お兄さん"だ。エインお兄さん。大人達の中では嫌な雰囲気を持ってない方の人で、少しの時間だけなら相手もしてくれる人。ただアイズお兄さんが帰ってこなくなってからはずっと泣きそうで、イヴも少し心配していた。

 

 その、奥に。

 

 よいしょ、なんて言いながら、白い服に着いた土を払う女の人。

 お母さんよりは若くて、"お姉さん"よりは年上で、優しくて、かっこよくて──何度も夢見た、人。

 

「マザー……?」

「ッ、イヴ!?」

 

 駆け寄る──ではなく、いつしか伸びるようになっていた腕を、マザーに向かって伸ばす。

 何の抵抗もなく腕に巻き付かれたマザーに向かって、イヴは飛び込んだ。一瞬エインお兄さんが手を伸ばしていたようにも見えたけれど、イヴにとってそんなどんでもいいことは頭の隅っこに追いやられていて。

 

 ()()()()()()()()()()その胸の中で、イヴは何度も彼女に頬ずりをした。

 

「マザー……マザー!」

「イヴも久しぶりだね」

「うん、うん!」

 

 頭を撫でられる。これは滅多にやってくれないから、とても嬉しい。

 マザーと初めて会った時に一度やってくれたくらいで、でもイヴはおねだりするのがなんとなくできなくて、だからとても嬉しかった。

 

 背後、エインお兄さんが近づいてくる足音を聞いても、イヴは離れない。

 エインお兄さんとマザーはいつも難しい話をしていて、いつもだったらお仕事の邪魔をしてしまうから離れるけれど、今日だけは嫌だった。嫌だったから、離れなかった。

 

「……マザー。本当に、マザー、なのですか」

「うん。そうだよ。別人に見える?」

「……いいえ」

 

 何故、エインお兄さんが落ち込んでいるのか、イヴにはわからなかった。

 死んだ人にはもう会えない。それはイヴでも知っている常識だ。悲しい事だけど、仕方がない。近所の犬や猫が死んでしまった時も、その家の人と一緒に悲しんだ。その時に死というものを知ったし、それが悲しいから、生きている内に沢山お話しようと思うようになった。

 それが、それが。

 死んでしまったと思ったマザーが、生きてた。嬉しくないはずがないのに。

 

「貴女は……死んだはずだ。俺……私達と違って、人間は身体が潰れたら死ぬ。違いますか」

「ううん、違わないと思う。潰れる部位にもよるけど、上体がぺしゃんこになったらどんな治療を施そうにも治療は適わないんじゃないかな。蘇生なら、話は別だけど」

「では、貴女は……俺達と同じに?」

 

 イヴを抱きしめたまま、マザーはエインお兄さんと難しい話を始めてしまった。イヴの方が先にお話ししたかったのに。

 でも、今はこの温もりだけで十分で。イヴがマザーを好きなのは、何よりも、誰よりも暖かい事が理由だから。

 

「まさか。私の作った菌を私に感染させられるなら、初めにやってるよ。出来ないから困って、人間のサンプルが欲しくて、あのホテルのお客さんに菌を投与したんだもん」

「ならば……ならば! 何故、貴女は生きている……貴女は、貴女は、本当に──」

 

 いきなり怒鳴られて、イヴはビクっと身体を震わせた。

 マザーにひっしりと抱き着く。その胸に顔を、耳を当てて──そこから何の音も鳴っていない事に気付いた。

 

「人間、なんですか……?」

「ううん、私は人間じゃないよ。私は研究者だけど、人間じゃない。だからゾンビ化細菌も効かないし、時間を経ればこうして再生する。私は一度も、自分を人間だと名乗った覚えはないよ」

 

 マザーが指を立てて──それを、噛む。

 イヴはびっくりして、マザーの手を長い両腕で掴んで、またびっくりした。

 

 指先から流れるのは、赤い血じゃなくて──砂。

 

「読書が好きだったエインなら、わかるかな。私はね」

 

 その砂は零れ落ちて……けれど少しずつ、少しずつ、砂粒が元の位置に戻っていくのをイヴは見た。

 それは段々と指の傷口に集まって、イヴが瞬きを一つした後には、傷なんて何もなくて。

 

「ゴーレム、ってやつ……になるかな。正確にはゴーレムのクローン、だけど」

 

 マザーは、イヴ達でも初めて見る程にっこりと、可愛らしく笑ったのだった。



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ディードゥヌ-死者の泉に住むモノ

 人間が死ぬ理由はたくさんある。

 食べるものが無くなれば死ぬ。喉が渇きすぎれば死ぬ。食べ過ぎても死ぬし、水を飲み過ぎても死ぬ。酸素が無くなれば死ぬし、酸素濃度が高くても死ぬし、空気が無くなっても勿論死ぬ。

 ありすぎても、無さすぎても、生きていけない。地球という針の上に立つような繊細なバランスの環境下でなければこの生き物は生きていけない。あと少し気温が高かったら。あと少し気温が低かったら。人間はすぐにでも死に絶えて、今までの文明はそれを耐えた動植物たちによって蹂躙されるのだろう。

 

 それは恐ろしい事だと、マザーは言った。

 

 そしてそれだけでなく、人間は殺し合うし、自死を選ぶ。刺されて、突き落とされて、轢かれて、病気で、ショックで、恨みで、嫉妬で──。

 元々死にやすい人間が、さらに自分たちを殺し合う。そしてそのリスクは日常に潜んでいて、いつだれがどこで死んでしまうかわからない。

 

 だから私は死者の蘇生の研究をしているんだよ、とも言った。

 

 理解の出来る話だった。

 なんてことはない、ありきたりの、死とは怖いものである、という発想。エインをしても同じことを考える。それがもし適うのなら──その手段が自身の手元にあるのなら、死の淵に瀕す友人にそれを使うだろう……その友人との離別が、怖いから。死に別れる事というのがどれほど恐ろしく、どれほど恐ろしく、どれほど恐ろしいものかというのは、そこに存在する愛情にもよるだろうが、少なくともエインは十二分に理解しているつもりだった。

 何の気負いも、特にしんみりした空気もなく見送ったアイズ。

 唐突に訪れた彼との永遠の別れは文字通り身を引き裂くほどで。

 

 だから、気になった。

 マザーの気持ちが理解できたから、だから、気になって──聞いた。

 

「マザーは、蘇らせたい方がいる……ということですか?」

 

 でも、その返答は。

 

「ううん、特にはいないかな。今の所はね」

 

 やっぱり、理解のできないものだった。

 

 

 

 в

 

 

 

 とある島。

 ゾンビが蔓延り、生まれ出でていたあのリゾート島から10km程離れた所に位置する無人島に、三人はいた。エイン、イヴ。そしてマザー。あるいは誰一人として"人"の単位で数えるべきではないのかもしれないが──彼女らは、そこにいた。

 

 無人島。

 リゾートホテルにあった宿泊客に貸し出す用のボートに乗ってこの島に来た時、その岩肌の強い見た目をして之を無人島と称した。マザーは否定しなかったし、イヴは興味が無かったから、そうなのだとエインは思った。

 けれど。

 

「……こ、れは……」

「マザー? でも、あっちも、あっちも、マザー?」

 

 木々無き岩肌の裏。明らかに人工物の扉を潜り抜けた先にあったのは──無数のヒトガタ。

 それは老若男女人種様々な人間──否、それを模した、人形。時折年齢が前後するマザーの人形が散見され、しかし総数としては極一部に限り──その他すべての人形は、全く知らない容姿をしていた。

 

「全部、私だよ。性能は一緒。見た目は違うけど、それはラベルみたいなものだから」

 

 なんでもないことかのように、マザーは恐ろしい事を言った。

 今、目の前に広がっているのは──人形だ。けれどそれは、微動だにしないからそうと判別できるもので。もしこれが、たとえばそう……エインの横にいるマザーのように、人間らしい生活を送っていたのなら。受け答えが出来て、笑って、怒って、焦って……そういう"反応"を返す存在であったのなら。

 わからない。

 それが人形であるかなんて、絶対にわからない。

 

「こんなものが、こんなものがあるなら……」

「こんなものでしかないんだよ、エイン。アレらは私だから、私では出せない答えは出せない。雑談も出来るよ。言い争いだって出来る。けれど、行きつく先は同じ。私達はもう個になってしまったから、意味が無い。たとえこの内のどれかが活動停止したって悲しくない。嬉しくもないけどね」

「では、彼らは……いいえ、貴女はなんのために、ここに? これら人形は、何を目的に作られたのですか?」

「それは難しい質問だね。一応私達にもオリジナルのゴーレムがいて、多分それはどこかで何かをしているんだけど、結局オリジナルとクローンの性能は同一だから、私がわからないなら、オリジナルも分からないと思う」

「わからない……? これだけの過剰な……異常な技術力と、生命への冒涜に長けたかのような科学力を有しておいて、その目的がないと、そういうのですか?」

「うん。多分、私達が作られた理由は、エイン達と同じだよ」

 

 虚を突かれた。そう感じた。

 エインは初めに考えた……笑えない、と棄き捨てようとしていたあの考えを口に出す。

 

「マザー……貴女が、我々を作ったのは」

「あれ、エインなら気付いていると思ったけど。うん。過程だよ。目的じゃない」

「やはり……そう、ですか」

 

 否、口に出す前に肯定された。

 だから、つまり。

 

「失敗作……何か別の……マザーであれば、死者の蘇生という大きな目的があって、その過程で生み出された……予定外の産物」

「多分だけどね。そういう目で見ると、私はエイン達の母親じゃなくて、お姉さんかも」

 

 それこそ笑えない話だと、エインは苦笑する。

 エイン達が難しい話を始めてしまったからか、イヴは微動だにしない人形たちを見て回っていて、だから気兼ねなくエインは口を開く。

 

「正直に言えば……理解はできません。貴女は今現在、蘇らせたい者はいないと言った。俺……私は生前、読書を趣味にしていましたから、その、当事者になって尚表現するのは奇妙な感覚ですが、『ゾンビ物』や『スリラー』というジャンルにも手を出していた。その中で、マザー。貴女のように特異な考えを持つ研究者がそれらを引き起こす……そういった創作も数多くありました」

「うん。私も読んだり見たりしてたかな、そういうのは」

「それは、意外ですね。……それで、そういう創作の中で、けれどそういう研究者達は"大切なヒトを失った"だとか"人間社会に大切な誰かを奪われた"だとか……何か喪ったヒトがいるから、そういう行動を起こしていた。フィクションはフィクションだ、とは、俺は思いません。あれらは人間が想像しうる限りの、"人間が行動する理由"を描いていると思うから……だから、理解できないのです。マザー、貴女は……何を理由に、死者の蘇生を願ったのですか」

 

 熱を失った身体で。

 何も送り出せない心臓で。

 けれど今、エインは人間として、マザーに問いかけている。そんな気がした。

 

「悲しいのは、嫌。だからかな」

「悲しいのは嫌……?」

「うん。エインは嫌じゃない? 悲しい事。悲しいと思う事。ほら、さっきエインに脱がされそうになった時、恥ずかしいと思う心はある、って言ったでしょ?」

「いえ、その、あれはそういう理由では」

「うん。わかってるよ。でも、それでわかってくれないかな」

「……マザーはゴーレムで、自身が欠ける事には何の感慨も無い……しかし、心が無いわけじゃない、ということ、ですか?」

「うん。そう。私は悲しいのが嫌なの。悲しくなりたくない。改めて聞くけど、エインは悲しいの、嫌じゃない?」

 

 悲しいのが、嫌。

 悲劇を嫌う。悲しくなりたくない。そんなの。そんな事。

 

「嫌です。俺……私も、嫌です。友と引き剥がされるのも、家族と別れるのも……身内が死ぬのも、嫌だ。嫌です。悲しい事は悪い事ではないと書かれた創作もありました。悲しみとは得難き感情であり、なれば楽しむべきだと……」

 

 けれど。

 生前、それを読んだ時は、なるほど、と思った。そういう考え方もあるのかと。

 けれど。

 

「嫌です。俺は、出来得るのなら、望めるのなら──悲しくは、なりたくない」

「うん。私もそう」

 

 だから。マザーは口を開く。

 

「だから、これから仲良くなる誰かが死んでしまった時に、悲しくなりたくないから──また会うための研究をしてるの」

「──……それは」

 

 それは、ここまで話してきて、だから──理解できて、しまった。

 エインは理解できないつもりだった。その予測をしておくのは狂人だと、そんな事のために死者の蘇生を考えるのは狂っていると……そう言うつもりだった。

 フィルターが変わった、と言えばいいのかもしれない。

 今まで、どこか恐ろしく、何を考えているかわからない人、というフィルターを通していたマザーの言葉であれば、今まで通り理解出来ず、意味さえわからなかっただろう。

 でも、そのフィルターが変わった。

 悲しみたくない。悲しくなりたくない。そんな──エインの中で、理解できる感情のフィルターを通してしまえば。

 

「……それが貴女が、マザーが……死者を蘇らせたい、理由」

「うん。もう少しで、上手く行きそうなんだ。何度も試行錯誤を繰り返して、あと少し」

 

 わかってしまった。わかってしまった。

 だって、それは……エインとて、望むことだから。

 それを、中身のない正義感を叩きつけて、根拠のない自信を貼り付けて糾弾しても、エインの中で勢いが崩れてしまう。悲しみたくない。別れたくない。これから先──誰かと仲良くなったとして。誰かと愛し合ったとして。その相手が死んでしまう悲しみを、背負いたくない。

 我儘だ。そんなことは無理だ。

 けれど無理ではない……無理でなくせる力が手にあるのなら。

 

「ああ……本当に、どうしたらいいのですかね。今……私は、ようやく貴女を理解した。理解してしまった。そうしたら、何故でしょうか。今までどう扱っていいかわからない存在だった貴女に、協力……いえ、応援したくなった、が正しいでしょうか。私は既に死んでいるのだから……ああ、奇妙な気持ちです」

 

 おかしな気分だった。マザーの被創造物で失敗作であるエインが、その創造主たる彼女を応援したい、など。あるいは自身の否定にさえ繋がるのに。旧人類の破滅を、はたまた同胞たちの破滅をも願うことかもしれないのに。

 理解できたから。

 ただそれだけで、エインはマザーを、身内のラインに引き入れていた。

 

「マザー」

「イヴ?」

「私もね、悲しいの、嫌だよ。これからはずっと一緒にいて欲しい……だめ?」

「うん。いいよ。悲しいのは嫌だもんね」

 

 今まで人形たちで遊んでいたイヴも、単語だけは聞いていたのだろう。

 少しだけ緊張した面持ちでマザーへの想いを告げ、その返答に顔を輝かせた。

 

「……俺、生前はそこそこいい歳したおじさんだったんですけどね。年甲斐もなく悲しいのは嫌、なんて……はは、なんというか、恥ずかしいな」

「肉体の年齢は精神に影響しないよ。精神は老いないし若返りもしない。その人はその人だよ、ずっとね」

「マザーは……いえ、曲がりなりにも女性に」

「製造年でいえば、十二世紀頃になるかな」

「十二世紀……」

 

 遥か過去だ。本当に。

 その間、ずっと活動してきたというのか。

 

「エインもイヴも、それくらい活動する事になるんじゃないかな。地球から水が無くならない限り、もっともっと長い間」

「それは……」

 

 エインは少しだけ身震いをした。

 死は恐ろしい。離別は悲しい。()()()()()()()()()()

 けれど。

 けれど、いつか自分には──死が来て欲しい。

 今すぐに死にたいわけじゃないけれど、すべてに飽いて、すべてに興味がなくなったら、大事な人達に囲まれて……死にたい。

 

 なんて、自分勝手。

 

「死にたいと、思った事は無いのですか。マザーは……そんな長きにわたって生きていて」

「ないよ。だってまだ、研究は完成してない。ずっと研究してたんだよ。何も思い付きでゾンビ化細菌を作ったわけじゃない。製造されてから、クローンとして生み出されてから、何百年をずっと、ずーっと、研究してた。ようやく実験に乗り出せるようになったのが今だった、ってだけ」

「ああ、道半ば、なんですね。まだ、マザーは」

「うん。まだ完成してないし、まだやりたいことがあるし、だからまだ、死にたくはないかな」

 

 それもまた理解できる言葉だった。

 まだやりたいことがあるから死にたくない。

 その通りだ。当たり前で、当たり前の価値観でマザー(この人)は生きている。彼女によって齎された世界の危機がどれだけ非常識的で非道徳的であっても──彼女は人間だと。たとえその体が砂と土の集合体であっても、彼女は人間だと。

 エインはそう再認識する。そしてそれは、自分たちもまた同様に。

 

「これから、どうするおつもりですか? 同胞……いえ、ゾンビ側は、ウィニやヴェインが人間を滅ぼそうとしていて、恐らくマザーの事も敵視しているでしょう。ヴィィは……あの様子では戦地に出てくるかはわかりませんが、少なくとも三人のゾンビと、十数億を超えるゾンビがいる。マザーは、人間を残しておきたい……んでしたよね。新しい命が欲しいから」

「うん。だから、それは止めなきゃいけない」

「ですが、我々が手を下さずとも、人間側が……"英雄"と呼ばれる者達が十二分に人間を守り切る戦力を有しています。その内の一人はイースですが……」

「特にどうもしないでもいいかな、って思ってる。だから再生しても何もせずにあそこにいたわけだし」

「ああ、言われてみれば……」

 

 墓を掘り起こしたのはエインで、エインがそうしなければ、マザーは永遠にあそこにいたことだろう。あるいはゾンビ側に軍配が傾いた時だけ這い出てくるつもりだったのやもしれないが。

 

「マザーの、その、死者の蘇生に纏わる研究というのは、どれほどの所まで来ているのでしょうか」

「九割がた、かな。エイン達のサンプルでどういう状況でどういう耐性を、どういう可能性に長けた菌が死者をそのままの状態で……つまり、記憶や性格を引き継いで蘇生させられるか、というのはわかったから、あとは投与の実験と、経過観察だけ」

「その対象は、どう選出されるおつもりで」

「ちょっと悩み中。丁度良さそうな人間……えーと、"英雄"って言ったっけ。がいたんだけど、うーん、観察した限り、あれは人間を超えてしまっているから、あんまりなぁ、って」

「超えてしまっている?」

「うん。私も、さっき見せた通り()()()しまうから、失敗作なの。あれは人間じゃできない事」

「それを言うなら死なない事も人間では出来ない事なのでは……」

「うーん、死なない事は、再生するだとか、心臓が動きなおすだとか、そういうことじゃないんだよね。それはエインが一番わかってるんじゃないかな。死なない事は、生きていない事」

 

 だから、それは人間でも出来る。

 

「……」

「人間は生きていない事が出来る生き物だよ。ビルを割ったり、コンクリートの壁を殴って貫通させたり、言葉一つで大勢を洗脳したり、なんてことは……人間に出来る事じゃない。だから"英雄"は人間じゃない」

「"英雄"は人間ではない……」

「だからまぁ、人間を探したい所だよね。ゾンビでも、"英雄"でも、ゴーレムでもないありのままの人間。失敗したら悲しいから、仲良くはならないで、投薬実験だけして」

「それで、それが死んで、すぐに知性を……記憶や自我を取り戻したら、成功、ですか」

「うん。アタリは付いているんだ。ほら、エインもよく見ていたでしょ?」

 

 島に来ていた人間……エージェント、とかいう人達を。

 

 イヴの頭を撫でて、エインに微笑みかけて。

 マザーはそう、可愛らしく笑った。

 

 

 т

 

 

 リゾート島の片隅。

 深い森に囲まれた森の奥の巨木の洞。

 

 そこにヴィィはいた。

 

 ヴィィは腕部肥大強化型と呼ばれるゾンビで、他のゾンビ達より身体能力に優れている。代わりに思考能力と言語能力の一部が弱くて、考える事は出来てもそれを言葉にして伝える事が難しい。

 そんなヴィィは人間が嫌いだった。

 だって、ズルいから。

 

 ヴィィはこんなのになってしまったのに、人間はなっていない。

 だから、ズルい。

 だから、嫌い。

 

 単純明快、ヴィィが人間を嫌う理由はたったそれだけだ。ヴィィだって元は普通だったのに、ヴィィだけがこんなのになってしまったのが辛くて、嫌で、憎くて、妬ましくてたまらない。

 だから、ヴィィをこんなのにしたマザーも、嫌い。

 ……嫌いだった。はずだった。

 

「ウ、ウゥ……」

 

 一度殺した。その時の手応えに違和感があったけれど、それを言葉として伝える能力がヴィィには欠けていた。

 また会った。その時に感じた恐怖に覚えがあったけれど、それを言葉として伝える能力がヴィィには無かった。

 

 そしてその時、思い出した。

 自身の死因。自身の過去。

 

 自分たちが何を、敵に回しているのか。

 

「ウウウウウ」

 

 だからそれは恐怖だったけれど、警告でもあった。

 少なくとも同胞に……()()()()()()()()()()仲間たちへの、彼なりの、警鐘。

 ホントは嫌いになんかなりたくない、嫌いなんて感情を持ちたくない、本当のホントは、心優しかったはずのヴィィの、最後の欠片。

 

「ニンゲン……人間……()

 

 ウィニやヴェインに"使い物にならない"と言われているなど欠片も考えずに、彼は唸り続ける。

 

リザ!」

 

 あの夜に会った、恐ろしいモノの名前を。



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ラトロモイ-生死と英雄と精神の章
ラトロモイ-動き出す怪しい軍勢


 "英雄"を擁さない人間の国──。

 "英雄"は各地に現れたが、すべての国に現れたわけではない。むしろ"英雄"が現れた国の方が圧倒的に少なく、そういった国は、そのほとんどが"マザー"と取引をしていたから、"人類最後の希望"だなんて呼ばれていたから、その失墜は酷いものだった。

 "マザーの抗菌薬"の存在を希望に持った国民達によって、ゾンビへの対抗手段は積み上げられ、幾度とない失敗を繰り返しては一新され、効率化と安全性は出来得る限り確立してきた……そんな折り。

 マザーとの取引が終了した。各国に知らされたのは、マザーが死んだ、という事だけ。それも命からがら逃げかえってきたエージェントによる報告だけで、事の真偽はわからぬまま──ゾンビ達の大進撃が始まった。

 

 襲撃が激化したことで当然抗菌薬の需要も高まったが、その供給が途絶えてしまっている。

 "人類最後の希望"とそれら国が呼ばれていたのは抗菌薬の存在があったからであり、そしてマザーの存在を国民にひた隠しにして、それを自身らの科学者が作り出したものであると謳っていたのだから、当然その権威も、その威光も、地に落ちて失われてしまった、という話で。

 あるいはかつてマザーの言った愚かだという言葉が本当になる──国にとっては悪夢の中で悪夢を見るような、困窮極まる状況になってしまっていた。

 

 国がそうなら、その部下……エージェントもそうで。

 

「……はぁ」

 

 その女性は、名をシエルと言った。

 かつてはマザーのいる島から抗菌薬を取引して持ち帰るという命令を受けていたエージェントで、けれどマザーの死後は他の国民と同じくゾンビの襲撃を撃退し、国を守る一兵卒でしかなくなってしまった。

 任務の危険度から優先して回してもらえる……そういう契約だった。けれど任務遂行中に感染するほど無能ではなかったから結局その機会が訪れることなく、こうして契約満了によるお払い箱で、抗菌薬も遠のいてしまったのである。

 他のエージェントの中にはそのまま護衛として異動した者、起用された者もいたから、シエルは単に運が悪かった……あるいは覚えが悪かったが故のお払い箱。

 

 物言わぬ歩行ゾンビの首を掻っ切って、走り寄ってくるゾンビの足を散弾銃で撃ち抜いて、「タスケテ、タスケテ」と呟くばかりのゾンビの頭蓋を叩き割って……。

 "英雄"と呼ばれる者ほどのソレではないにせよ、脳の無い人間を殺すための手段くらいならば潤沢に取り揃えているのがエージェントだ。そして、"英雄"を擁する他国から齎された"ゾンビは脳さえ潰せば倒す事が出来る"、というその情報は何よりもありがたいもので、それによって知性無きゾンビはシエルにとって何の障害にもならなくなっていた。

 

 問題は、マザーの死後、数多く出てきた知性あるゾンビ。

 マザーのいた島にも数体、知性を持っているらしいゾンビは散見出来た。それよりかはいくらかダウングレードされた、けれど連携を交えて複数体で襲い掛かってくるゾンビが、もっとも大きな障害といえるだろう。

 ゾンビが学習する、など。どんな悪夢だと思う。

 

「マザーが死んだ、ねぇ」

 

 あれだけゾンビに囲まれた島で、ゾンビを作り出し続ける人類の敵。

 それの死因を考えるのなら、やはりゾンビの反乱になるのだろうか。自身らもマザーの命を狙っていたとはいえ、ゾンビの守護は相当なものだったはず。彼女が死ぬのなら身内の……ゾンビが反旗を翻したとしか思えない。

 それ以上に。

 

「……信じられない、というべきかしら。()()は、そう簡単に死ぬような……」

 

 タマではない、と言おうとして。

 いつの間にか周囲からゾンビがいなくなっていた事に気付くシエル。けれどそれはすべてを倒した、ということでなく──。

 

「こんばんは」

 

 前方の暗がり。

 見覚えのある白衣を纏った、一人の女性。

 

 シエルはすぐさま散弾銃を握り締めた。

 

「ああ、ゾンビじゃないよ、私は。そもそも死んでいない、というのが正しいかな」

「……貴女がゾンビであるかどうかなんて関係ないのです、博士。貴女は私達の敵。それが島から出たというのなら、武器を向けざるを得ませんのよ」

「うん、それはそうだね。けど、それは私に関係のない事情かな」

 

 破裂音。

 音源は手元で、自身の散弾銃から。何の警告も無く、何の躊躇も無く発砲したのは──恐怖から、かもしれない。

 

「……!」

 

 その散弾は目の前の女性を確実に殺した。白衣には無数の穴が空き、余裕ある表情から色が失われ、うつ伏せに倒れる。

 

「大丈夫。痛く無い針を使ってるん」

 

 三回連続の発砲。別方向から聞こえた声に、姿を視認することなく散弾を撃つ。

 

「"英雄"じゃダメ

「そのままの人間で

「そのままの人間じゃないと

「ダメなんだ。だから、貴女

「大丈夫だよ──成功すれば、貴女から死は無くなるのだから」

 

 発砲、発砲。離脱しようとした。実際にした。

 けれど、逃げても逃げても、その声が聞こえる。暗がりの数m先に、必ずいる。殺している。殺している。殺している。

 ゾンビの様に死なないのではない。生きていないのではない。

 来る。いくら殺しても、来る。

 同じ人間が。同じ存在が。

 人間──人間?

 

「た──助けて」

「うん。そのつもり」

 

 その声は背後から聞こえた。

 首元、すぐ近く。

 

 シエルは全力で身を捩り──逃げる。もう攻撃は考えない。生きるために全力で逃げる。

 

 纏わりつくように寄ってくる"マザー"を全て振り切って、ようやく自国へ着いて──シエルは、ようやく一息を吐いた。

 一息を吐いて、絶望した。

 

「……嘘」

 

 見えるところにいる、すべての国民。

 老若男女、知らぬ者知り合い見た事がある程度の者。

 それらが全員、シエルを見ている。シエルをじっと見て、近づいてくる。

 

「ゾンビの方がまだマシ……!?」

 

 背後から、"マザー"の群れが追い縋ってきた音を感じる。

 八方塞がり。

 

「嫌、嫌──助けて!」

「うん。だから。そのつもり」

 

 その声は首元。

 息が吹きかかる程の距離で聞こえた。

 

 そして。

 

 

 э

 

 

「……」

「あの、マザー?」

 

 岩肌の無人島──。

 

 帰ってきてから難しい顔をしたままのマザーに、エインは困惑していた。

 リゾート島で幾度か見かけたエージェントの女性。今回のターゲットだと言っていたその女性を担いで帰ってきたマザーは、すぐに施設の奥……リゾート島の方にもあったような実験室へと籠り、その後机に向かって何かをつらつら書き連ねて、タブレットに何かを入力して、試験管を照らしたり、合わせたりをしながら悩ましい顔をしてため息を吐いて……とにかく悩んでいるようで。

 あれだけ意気揚々だったのだ。研究は九割がた完成していて、あとは実験だけだと、心なしか嬉しそうに出発したマザーが、これだ。

 

 流石に声を掛けたくなるというか、エインはもう、おろおろしていた。

 

「……失敗だった」

「そ……そうですか。それではあの女性は……」

「生き返りはしたし、死んでいるが出来ているし、初めから知性もある……けど」

「けど……?」

「うん。失敗」

 

 失敗。らしい。

 ちなみにイヴは体の水分の補充に外に出ていて、だからエインは間を持たせることが出来なくて、それが苦しかった。

 しかしその苦しみは、とある叫び声によって中断される。

 

 ──"は──はぁ!? なんだ、これ……! くそ、やっぱり夢じゃ……"

 

 その声は奥の部屋から聞こえてきた。

 声色は女性のもの。恐らくはあのエージェントの女性だろう。随分と荒っぽい口調だが、そういうこともあるかもしれない。初めから知性があるという言葉に偽りはないようで、確かにこれはエインらと同じナンバーゾンビ並みの知能があるようだ、と分析。

 

 その声の持ち主は何やらどたどたと物音を立て、そして、こちらの部屋に繋がるドアを開けた。

 

 担がれてきた女性。

 目をかっぴらいて、エインと、マザーを見て。

 

「……本当に、夢じゃないのか。ここは……いや、地獄か? 確かに俺は」

「おはよう、新しい同胞。……否、もう同胞という言葉は間違いなのやもしれんな。俺達は既にあちらから離脱し……マザーの下で、真なる目的を追求しているのだから」

「はぁ? 何言ってんだエイン。また小難しい事考えてんのか? ……マザーがいるのは、まぁ、俺は驚かねえがよ。それくらいはする奴だって思ってたからな」

「何……?」

 

 女性は。

 ぴっちりとしたボディスーツが目に余る、背の高い女性は。

 どこか懐かしい口調で──エインを小馬鹿にしたように嗤う。軽薄に。しかし根は真面目そうに。

 

「ただいまー、マザー!」

「おぉ、元気なイヴは久しぶりに見たな。まぁガキは元気なのが一番だよ」

「……だれ?」

 

 エインの手が、指が、震える。

 無いはずの心臓が──心が。脈打っている。

 

「おはよう、VIII(ワイニー)……と呼びたかったんだけど、違うよね。残念」

「ん──」

 

 不機嫌そうな顔を隠そうともせず、マザーは言った。

 

「おはよう、アイズ」

「……ああ」

 

 彼女()に、そう。

 

 

 

 и

 

 

 

「はぁ、なるほどねぇ。それでお前はマザー側(こっち)に付いたと。イヴはまぁ納得するけどよ、お前がそんなに頭の柔らかい奴だとは思ってなかったよ」

「固いさ……今でもな。ずっと固い。だが、それを崩す程の憧れのようなものがマザーにあったから、あぁ、折れてしまったよ」

「悲しくなりたくないから、ねぇ。ガキみたいな言い分だ」

「……」

「だがまぁ、わかるさ。……少なくとも、俺を殺したアイツが……俺が勝てなかったアイツが強い理由は、ソレだろうからな」

 

 話しかけないで欲しい、という雰囲気たっぷりのマザーを余所に、施設の中の別の部屋でエインとアイズは話していた。見た目はエージェントの女性。しかし、その口調も、話す内容も、軽薄に受け取られがちな言葉の裏に潜む真面目さも、間違いなくアイズのもので。

 マザーが彼をアイズと呼んだことも相俟って、エインは彼女をアイズであると確信していた。確信できていた。

 

「しかし……失敗、ね」

「ああ。マザーの目的としては、その女性をその女性のままに蘇らせたかったのだろう。しかし、人格として宿ったのはアイズだった。だから失敗だ」

「おう、本人を目の前に随分と言うようになったな。マザーに毒されたか?」

「あ、すまない……。自身が失敗作であると気づいてから、望まれて生まれたわけではないと気づいてから……ああ、配慮をする、という心が欠けていたかもしれん」

「馬鹿野郎、悩めって言ってんじゃねえよ。成長した事を褒めたんだ、わかれよ馬鹿」

「……あぁ」

 

 少し、笑ってしまう。

 アイズだった。アイズだ。

 今確実に、エインは──死者の蘇生を喜んでいる。

 

「それで?」

「……俺は、ここに残るよ。マザーの行く末を見届けたい。なんというか、変な気持ちなんだけどな。俺はあの人を、応援したいと思ってる」

「へぇ。なるほど、応援ね。確かに確かに、俺もまぁあっちじゃ全人類の同胞化、なんて張り切っちゃいたが……なんでだろうな、今はそんな気分じゃねえんだ。ジョーの奴に負けて、すっきりしたってのもあるだろうが……うん、なんだろうな。別にどうでもいいんだ、旧人類なんか」

「そう、なのか。その……その身体になったことが、何か関係があるのか?」

「弱くなったな、という感覚はあるぜ。随分と弱くなった。生前……ああ、前の前な。その頃と同じくらいか、少し弱いくらいだ。女の身体。ヘンな感じは消えねえがな」

 

 快活に笑うアイズ。

 エインも少し笑って、そういえば、と思い出したように問う。

 

「あー……アイズ。確かお前、マルケル……だったよな、本名」

「ん? あぁ、そうだが……んー、流石にこの見た目にマルケルは似合わねえよな」

「いや、その、う、まぁ……そうだな」

「ああ、ならアイズでいいよ。マザーはワイニーとか言ってたっけ? そっちでもいいが」

「アイズの方が口馴染みがいい。俺の事も、今まで通りエインで頼むよ」

「おう」

 

 拳をぶつけ合う。

 前は同じくらいの大きさだったそれが、今は少しだけアイズの方が小さくて。

 

「んじゃ、俺もここで世話になるわ。あっちじゃ働き詰めだったからな……金が出てたわけじゃねえが」

「ああ、そうするといい。イヴも……アイズなら、喜ぶだろう」

「ん、まぁ相手するのは別に構わねえが」

 

 ウィニもヴェインも、あまりイヴを相手にしなかったから。

 アイズは基本島外にいたからイヴと関わる機会が少なかったけど、そもそもが気の良い奴である。イヴもすぐに懐く事だろう。

 マザーがあの様子だ。さしものイヴも気を遣うだろうから。

 

「マザーは」

「ん?」

「何人もいる、ん……だったか?」

「ああ、ゴーレムで、クローンらしい。ファンタジーな話だがな。俺達がゾンビである以上、何も言えんだろう」

「……なるほど、()()()()はそういう事ね」

「あぁ、だからといって服の下を見せろとか、砂になってみろ、とか言うなよ? あれでも女性だ。恥じらいの心もあるらしい」

「お前、俺の事なんだと思ってやがんだ」

「上半身裸で歩き回る変態、だろう」

「……てめぇ」

 

 実際、ウィニやヴェインは苦言を呈していた。折角考える知能が戻ったのだから、服を着る事くらい覚えろと。裸同然で過ごすのは知能無き頃のゾンビだけだと。

 一応エインもその側である。ホテルの経営者だった頃の常識が、彼に服を着ないという選択肢を削がせている。

 

「そうだ、今は女の身体なワケだが」

「そういう事を思いつくところが変態だと言っているんだ」

 

 軽口を叩いて。からかって、窘め合って。

 ああ、やっぱり。

 

 アイズが帰ってきたと──エインは、その喜びを噛み締めたのだった。

 

 

 

 п

 

 

 

 上手く行かなかった。

 

 アイズから培養した脳掌握率最大状態のゾンビ化細菌。勿論それをそのまま使用したのではなく、培養に培養を重ね、元の菌ではない部分を用いての投薬実験だった──にも関わらず、あのエージェントの女性……確か名をシエルと言った彼女に彼女としての自我が戻る事は無く、代わりに何故か、アイズとしての記憶と人格が宿ったのである。

 これは由々しき事態だ。恐ろしい事態であった。

 

 だって、今まで、今の今まで、記憶も人格も脳にあると思っていた。

 実際今までの九世紀程はその通りの研究結果が得られていたし、ゾンビ化についても同様……同様じゃないから、この結果なんだけど。

 菌が脳を掌握して、掌握が終われば人格と記憶を取り戻す。それが観察記録だったはずだった。

 

 けれど、今回のアイズのケースはどうしようもない。

 どうしたって説明が付かない。

 

 被験者Aの脳に付着した、侵入した菌を採取して、それを培養したものを被験者Bの脳に侵入させて、被験者Bの人格が被験者Aのものになる、なんて……おかしい。あり得ない。もしそれが成立するのなら、私の作ったゾンビ化細菌に記憶が宿っている事になる。細菌なんていう単細胞生物に、記憶? ううん、確かに記憶というか、記録が出来る単細胞生物は発見されていた……けど、人間の脳クラスの記憶容量を保てる程のものではない。

 どこかで変異した? 何か耐性をつけた?

 それなら採取した時に気付く。今こうして様々な投薬実験を試している限りでは、大本部分の菌の構造は変化していない。ならばなぜ? どうして?

 意味が分からないのだ。あるいはシエルという彼女が瞬時にそれら演技をしている、という事も考えたが、アイズの記憶を再現できるわけもなし。どこからアイズの記憶や人格が来たのか……わからない。意味が分からない。

 

 もう一人、誰か人間にこの培養細菌を罹患させてみるべきだろう。それで、それもアイズになったら……すべての研究がやり直しになる。

 ……それが目的のためになるのなら、仕方がない。

 

「マザー、お出かけ?」

「うん。行ってくるね」

「いってらっしゃい!」

 

 記憶がどこにあるのか。精神は何に宿るのか。

 脳でなければなんだというのか。心臓? まさか、アレにポンプ以上の役割は無い。内臓? 血液? 何? なんだというのか。

 ……もう一人、なんて言わず、サンプルを沢山用意する必要がある。

 

 うん。

 パンデミックは、第二次へ、かな。多分。



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ラトロモイ-争い合う悲しき習性

 それは考え得る限り、最悪の実験結果だった。

 サンプルのために、アイズから摘出したゾンビ化細菌を投与した人間十五名。

 その全員が──アイズの人格を得た。ずっと眠っていた、みたいな反応をして、死んだはずなのに、とか言って。勿論素体となった人間の身体能力に差があるから、自身の身体を確認した後の反応までもが同じという事は無い。

 けど、アイズだった。

 ここから得られるのは、今手元にあるアイズから摘出し、培養したこのゾンビ化細菌は、アイズの脳と同じ役割を長らく果たした事からかアイズの人格や記憶を持ち合わせている、という埒外の結果。はっきり言って異常で異様で、あり得ない事。

 だけど同時に、研究意欲のそそる事実でもあった。

 

 もしそうなら、そうなのであれば、現状のゾンビの懸念点が一つ解消される。

 懸念点とは即ち、肉体の完全破壊及び胴と脳が分断された場合の活動停止リスクのこと。

 

 現状のゾンビは脳を潰されるか、脳と胴が分断されるか、肉体を完膚なきまでの潰されると活動を停止してしまう。正確に言えば最初の一つ以外は活動停止ではなく、何も出来なくなってしまう、が正しいんだけど、まぁ活動停止みたいなものだ。どうせ、その状態で乾けば崩れるのだし。

 つまり、人間よりは圧倒的に死のリスクが少ないものの、停止することは停止するし、終わることは終わるということ。

 それではとても不死者などとは言えない。あるいは私達のように再生でも出来るのならその懸念事項は無くなるが、そこまでしてしまうと今度は人間の範疇から外れてしまう。それでは意味が無い。

 

 けど、これがもし、脳に蓄積していた記憶や自我がゾンビ化細菌の方へ移されるようなことがあるのなら。

 

 肉体が潰されようと、分断されようと、菌さえ生きていれば何度でも復活できる。それも、違う身体に乗り移って。菌がどこかで培養してあるのなら、外にいたゾンビの脳が潰されようと、再度感染させることで復活を遂げられる。

 一度セーブされた状態から何度でも新しい生を歩みだせるのならば、それは私達クローンと同じく死に怯える必要のない存在へ昇華されたといって良いだろう。

 その存在がその存在でなくなるのなら悲しいが、その存在の肉体が変容したところで何も思わない。人間は太った痩せた程度の事で別人になったりするわけではない、という話。

 

 問題は、菌が脳に馴染むまで待たなければならないという事。

 私の理想とする死んですぐに記憶と意識を取り戻し、活動を再開する、という形ではなく、従来の知性無き頃を過ごし、少しずつ知性を獲得し、ようやく深くなじんでから全てを思い出す──そんな気長な死者蘇生を研究の完成と綴らなければいけないこと。

 

 それはやっぱり、違うと思う。

 

 私達はオリジナルのクローンだから、オリジナルが生まれてから経験した事を知っているわけじゃない。それでも残されたものや体の構造を見ればその目的というのは見えてくる。

 多分オリジナルの製造理由は、不老不死の人間の創造。十二世紀の錬金術師たちの手によって作られた不老不死の体現における一つの手法として、再生するゴーレムが用いられた。けれどそれは、制作者にとっては失敗扱いだったのだろう。人間を不老不死にする研究において、不老不死のゴーレムが生まれても意味が無い。況してやゴーレムは砂の塊で人間でなく、人間を超えてしまった人形に用などない。

 だから失敗作として捨てられた……とか。多分、そんな経緯。

 そんなオリジナルから私達クローンが何を目的に製造されたのかまではわからない。労働力か、兵力か、はたまた意図しない事だったのか。

 私達自身で私達を増やす事が出来るから、もしかしたら、意図しない増幅だった可能性もある。

 まぁどの道闇の中だ。なんせ、錬金術師たちは不老不死の研究に結果を得られず、死んでいったのだから。

 

 後に残されたのは、"死なない人間を作る"、"悲しくなりたくないから、死んでいる人間を作る"という顔も名前も知らない誰かの悲願に憑りつかれた砂人形があるだけ。

 それでもこれは、私達が生まれた時から持っている感情で。

 ならやっぱり、妥協はできない。自分の気持ちに嘘は吐けないから。

 

 よって、アイズのゾンビ化細菌は一旦凍結し、再度、一から研究をし直すことにする。

 初心、忘れるべからず、って感じかな。

 

 

 

 д

 

 

 

「イース」

「メイズ、来たね。これを見て欲しい。……ゾンビ達の、様子がおかしいんだ。マザーに何かあったのかも」

 

 とある人間の国。

 "英雄"イースが守護をするこの国は、イースと、その傍らにいるメイズを神の如く崇め奉る──他国から言わせれば、洗脳国家としてその勢力を増していた。

 個々の練度もさることながら、何か集合無意識によって言葉を交わしているのではないかと思うほどの連携は誰もが舌を巻くほどで、知性無きゾンビ程度では障害にもならない。その事実がイースへの更なる信仰と畏怖を呼び、国民の誰もが一日に一度以上は彼に感謝を捧げるような──少々、恐ろしい国になっていた。

 

 そんな人間たちの様子に辟易しながら、イースは彼らを守り導いている。

 その中で、比較的マトモな大人達を集めた作戦会議の時間。"英雄"はイースであるが、メイズとて参謀。子供と侮るなかれ、ともすればイースよりも正確なゾンビへの対処法についての助言によって、この国のゾンビ対策の四割が彼女主導で築かれてきた。

 未だ女児と呼ばれる年齢・体つき故戦闘こそ出来ないが、その手腕は見事の一言。

 彼女の作戦会議参加を渋る者など一人もいなかった。

 

「……仲間割れ?」

「うん。確かに知性無きゾンビは崩壊が近づくと共食いに近い行為を始めるんだけど、知性あるゾンビにそれはなかったはずなんだ。けど、ここ最近知性あるゾンビの……前は連携を取ってきていたようなゾンビ達が、こぞって仲間割れをしている。互いを殴り合ったり蹴り合ったり、活動停止にまで追い込んだり」

「それは……でも、良い事なんじゃない? 勝手に減ってくれるなら……」

「それが、そうでもないんだ。知性あるゾンビというのはそもそも、知性無きゾンビがそうやって仲間割れをして、ある種蟲毒のようなものを続けた事で生まれる特異強化個体。勿論そうではない、奇跡的に崩壊を免れて生き延び続けた知性アガリをしたゾンビ、というのもいるけど、基本は蟲毒によって進化、あるいは強化が為されている」

「……知能あるゾンビが蟲毒を行えば……」

「うん。どんな化け物が生まれるかわからない」

 

 イースからしてみれば、これはあり得ない事だと思っていた。

 ゾンビの仲間意識というのは非常に強い暗示に近いものだと認識している。イース当人が仲間意識の薄い方であったとはいえ、今でも島に残してきた妹のようなゾンビ……イヴには兄妹愛のようなものを覚えているし、苦労人のエインや真面目で辛気臭いアイズに友情のようなものを感じてしまっている。

 全くの他人で、ただ同じゾンビである、というだけで、これだ。イースのように理性や知性がこれを抑えつけてくれない状態であれば、どれほど仲間意識を強く感じることか。

 

 それが今、仲間割れをしている。

 渇きから、とか事故で、という感じではなかった。確実に相手を……敵を壊すような手段を取っている。報告に上がったもので、脳を潰されていたり、首をもがれていたりと、相手がゾンビであるとわかって、その上で活動停止させるための手段を用いている。

 ゾンビに何かが起きていて、しかもそれが全体に波及しているとなれば、やはり真っ先に疑うべきはマザーであるのだ。

 

「あぁ、それと、メイズ」

「?」

「あまり国の外には出ないで欲しいんだ。僕は君を……守りたい。だけど、君が傍にいなくちゃ守れない……だから」

「私、最近国の壁の外には行ってないよ?」

 

 ゾンビ同士の仲間割れの報告のほかに、上げられていた報告書。

 それは国外の荒野でメイズの姿を確認した、というもの。その身が危ないと彼女を保護しようとしたが、蜃気楼に包まれるようにして消えてしまったと、そんな夢物語のような報告が上がっていた。一件だけでなく、幾件も。

 けれど、本当に知らない、と言った風のメイズの反応に、イースもやはり見間違いなのではないかと考えるようになる。そもそもメイズに戦闘能力はなく、一人で出歩くことの危険性は誰よりもわかっているはずだ。

 

 この国の人間はイースとメイズを神聖視しすぎているから、それかもしれないな、とイースは結論付けた。

 

「うん、ならいいんだ。それじゃあ今日も対策と作戦を練っていこう。時間も無限じゃないからね」

 

 そんな彼の隣で、メイズが多少真剣な面持ちだったことなど欠片も気付かずに。

 

 

 

 О

 

 

 

 マルケルの襲撃事件から数週間が過ぎた。

 あの時の襲撃で民間人の数は半数削れ、その後も幾重幾重と続く襲撃、侵攻に人々は疲弊し、その数を減らしていった。

 その反面でジョーの活躍は目覚ましいものがあり、彼の近くにいれば死ぬことは無いと、今までミザリーとジョーの二人だけの空間であった拠点には幾人もの人間が出入りするようになり、ジョーは、そしてミザリーも窮屈な思いをする……そんな日々が続いていた。

 

 続いていて、の、今日。

 

 眠りから目覚めたジョーは、おかしなことに気が付く。

 いつも隣で眠っているはずのミザリーの寝息が聞こえない。どころか、周囲にいたはずの人々の気配さえない。

 すぐさま愛用のスクラップソードを持ちだして、眼下に広がる廃街を見て──絶句した。

 

 そこは、血の海だった。

 あの灰緑色の影がうろつく魔街ではなく、血で血を洗ったかのようなその光景に、すぐさま夢を疑うジョー。

 けれど、なんど(かぶり)を振ってもそれが覚める事は無い。

 どころか灰緑色の肌を持つ、昨日まで自身に縋りついていた者達の──ゾンビとなってしまった者達同士の争いを見て、その異常性に気が付いた。

 

「ミザリー!」

 

 大声で叫ぶ。

 けれど返事はない。

 

 本来ゾンビの身体から血液が出る事は少ない。もうどこかで出し切ってしまっている事が多いから。

 けれど、今まさに繰り広げられている争いは噴出する血の止まらない、人間同士のようなそれで、だから彼らがゾンビになってからそう時間が経っていない事が伺えた。

 

「ミザリー! どこだ!」

 

 また大声で叫ぶ。

 すると今度は、下で争っていた内の一人が、ジョーを見た。

 

「おう、なんだジョー起きたのか! まぁちょっと待ってくれよ、この()()()()を殺したら、すぐに殺してやるからよ!」

 

 そう、叫び返してくるのは──見た事はあれど、話した事など一度もない民間人の女性。よく見れば彼女が殴る蹴るを繰り返している相手は彼女の息子で、その息子もまた彼女に向かって鉄パイプのようなものを振り回していた。

 ビルを飛び出す。

 飛び出して、その争いを仲裁する様に二人の間に入った。

 

「てめぇ、ジョー! 何しやがんだ、どう見たってソイツが偽物なのはわかるだろうが!」

「おいジョー、お前とうとう目が腐ったかよ! って、ゾンビの俺に言われたらおしまいだぜ!」

 

 母親の方も、息子の方も、今初めて聞いた声で、今初めてちゃんと見た顔で──まるで昔馴染みのような言葉を吐く。

 ジョーは、震えて──唇を震わせて、聞く。

 

「お前達は……誰だ」

 

 一瞬、時が止まった。

 そして、はぁ? と、小馬鹿にしたように嗤う。

 

「俺は、マルケルだよ。お前に殺されかけたマルケルだ」

「俺ぁマルケルだよ。ジョゼフ、お前に殺されかけたマルケルさ」

 

 そしてどちらもが、そう、名乗った。

 

 

 

 Й

 

 

 

 マザーが第二次パンデミックと呼んだコレは、ゾンビの楽園にも届いていた。

 

「……」

「疲労か、ウィニ。俺達が疲れるなど、あるはずもないが」

「肉体の疲労はそうでしょうけど、精神は疲弊するわよ。……本当は殺したくなんてないんだから」

「まぁ、そうだな。だが仕方がないだろう。島に来て早々殺し合いを始め、周囲にいた同胞をも巻き込んでの争い……それにアテられたのか、知性アガリをした周囲の同胞までもが争いを始める始末。正直、何がなんだかわからんさ、俺も」

「マザーが消えて、敵は旧人類だけになって……死や食料のリスクを解決した私達が、今更身内で争うとか、無益にも程があるわ。それに加えて……」

「アイズを名乗っていた、か……」

 

 ウィニとヴェインは、知性を獲得してすぐの同胞を保護する活動を続けている。そうすると知性の獲得が大分遅れてしまうのだが、それでも無為に崩れるよりはいいと、どの道水さえあれば維持費などかからないのだからと、活動をしてきた。

 しかし先日保護した三人の同胞の内二人が島に着くなり殺し合いを始め、彼ら彼女らの周囲にいた同胞までもがその戦いに参加し、多数の死者……停止者が出る始末となった。

 その原因となった二人の同胞はどちらもが自身をアイズだと名乗り、双方を偽物と否定。エインとイヴが謎の失踪を遂げ、ヴィィが使い物にならない今、この島を治める事が出来るのはウィニとヴェインしかいない。

 それなりに仲間意識の強い二人は、しかし全体の被害と自身らへの被害、および目的への影響を踏まえてこれを処断。知性を得てから初めて殺した同胞の感覚に、ウィニはとても、ヴェインは少しだけ疲弊を覚えていた。

 

「……どこに行っちゃったのかしらね、あの二人」

「海へ落ち、危険生物に食われたか、自らこの島を後にしたか……」

「マザーの墓碑があるこの島をイヴが離れるとは思えないわ。エインは……まぁ、書類仕事に嫌気が差して、とか?」

「エインこそ仲間意識の強い男だ。……いや、アイズを喪っているから、単身人間の国へ……"英雄"に立ち向かった可能性はあるか」

「そうね。それならでも、仕方ないわ。どうしようもない。……問題は、マザーの手が入っていた場合よ」

「またマザーの仕業だと? ウィニ、流石になんでもかんでもマザーのせいにしすぎじゃないか?」

「……それを言われると、弱いけれど……でも、"そう"だと女の勘が告げているのよね」

「オカルトな……」

「私達がそれをいうの?」

 

 死んだと思っていた仲間が帰ってきたことは喜ばしいはずなのに、その仲間が増えていて、更に仲違いをし、島のゾンビを脅かし、かつての仲間だと名乗る者を殺さなくてはいけない。

 その心情の苦労は計り知れないもので。

 裏切り慣れているヴェインはともかく、ウィニは本当に疲弊しているようだった。

 

「あの同胞……大陸中央部の街から連れてきたと思うんだが」

「ええ、そうだけど……まさか」

「ああ、あそこにいる俺達が見つけられなかった同胞全部……アイズだったら、とか、考えてしまった」

「それは……悪夢ね。紛う方なき悪夢よ。起きて見る悪夢」

「夢ならば覚めて欲しいものだ……旧人類を全て同胞にしても、同胞同士で争ってしまっては意味が無い」

「そうね。争いなんて無益な事、止めて欲しいわ」

 

 二人は憂う。同胞の未来を。

 ……その憂いは、然りと、的中する。

 

 

 

 с

 

 

 

「クソ、どうなってやがる……!」

 

 マルケルは夜の街を疾走していた。否、疾走と呼ぶほどのスピードは出ていない。それもそのはず、小さな子供の体躯では、彼の生前、あるいはアイズだった頃に想像しうるような速度が出せるはずもない。

 

 マルケルは死んだはずだった。

 ムカつく程強く、誰よりも焦がれた相棒、ジョゼフ。彼に挑み、しかし埒外の強さを見せた彼の一振りによって、身体を両断された。未練が無かったとは言わないが、あの場においてはスッキリと死んだ。はずだった。

 しかし今、マルケルはこうして生きている。

 ゾンビであることには変わりないが、こうして活動している。誰とも知れない、子供の躰に詰められて。

 

「はははは! 見つけたぜ偽物──俺を名乗るなら、もっと背を伸ばしてからにするんだったな!」

「うるせえ、デカイ身体だからって──調子に乗るなよ、偽物!」

 

 横合い。長身の男が思い切り蹴りを入れてくるが、そのリーチの把握が出来ていないのか、がつ、と地面を蹴るのが見えた。だからマルケルはここぞとばかりに先ほど拾ったガラス片で以て男の喉を掻っ切らんと飛び込み──。

 

「残念だったな、クソガキ。見えてんだよ」

「ぐ、ぅっ……!」

「いいか? お・れ・が、マルケルだ。あの世で復唱しな」

 

 首を掴まれ、そのまま持ち上げられた。

 リーチの把握が出来ていないのはこちらも同じだ。つい先ほど子供の躰になったばかりで、把握もなにも出来るわけがない。

 そのまま男は腰に付けたポーチからナイフを取り出し、マルケルの首に当てる。ゾンビの弱点……首と胴の分断が為されようとした、その時。

 

「ぎぃ!?」

 

 男の側頭部に巨石がぶつかり、思わずマルケルを手放した男はそのまま10m程を吹き飛ばされた。その頭部は拉げ、ゾンビとしての活動を停止したことが伺えた。

 

「俺を名乗る癖にガキに手ぇ出すたぁ良い度胸じゃねえか。ゾンビにするため、ってんならわかるが、ただ殺すためにガキを殺すのはダメだろうが。馬鹿野郎、偽物を名乗るならせめて俺の信念くらい理解しておけよ」

「……」

 

 石を投げたのは──十八歳くらいの少女。不機嫌そうに首を回しつつ、唖然としたままのマルケルに近づいて、手を差し伸べる。

 

「大丈夫か、ガキ。全く、どうかしてやがるよな、最近の奴らは。同胞をなんだと思ってんだ。あれからどんだけ時間が経ったのか知らねえが、ウィニやヴェインは何してやがんだか。新人教育とは言わねえが、殺し合いをするな、くらいは言えるだろ」

「……」

「ん、おっと。ガキに聞かせる事じゃなかったな。悪い。あーと、俺はマルケルってんだ。お前は?」

 

 マルケルは──答えなかった。

 先ほど同じように名乗って、殺されかけた。勿論自身がマルケルだというプライドがありありと誇張してきたが、鋼の精神でそれを捩じ伏せ、口を開く。

 

「ワイニー……だ」

 

 咄嗟に口を衝いたのは、マザーが昔探していたVII(ヴィィ)の次の言葉を解すゾンビ。VIII(ワイニー)

 それを聞いて、一瞬、マルケルを名乗る少女は眉をひそめたが、すぐに降ろす。マルケルには彼女の内心が手に取るようにわかった。「ワイニー? ……まさかな、考えすぎか」。そんなところだろう。

 

「おう、ワイニー。よろしくな」

「よろしく?」

「ん? だってお前、ガキだろ? まぁ俺達ゾンビに年齢なんてものは関係ないんだが……さっきみてぇに俺の偽物に殺されちまったら、俺の寝覚めが悪い。睡眠なんかとらねえけどよ」

「偽物……なのか」

「ああ、そうか、わからねえよな、ぱっと見じゃ。んー、なんて説明したらいいか……俺はさ、元は別のゾンビだったんだよ。それで死んで、気付いたらこの身体だった。とりあえず周囲にいる奴らに話しかけて、同胞の拠点にしてる島へ行く手段を確立させようと思ってたんだが、驚いたことにソイツも俺を名乗りやがる。況してやソイツこそが本物だ、とか言いやがる。だから今みたいにとっちめてやったのさ。そうしたら今度は"同胞同士で争うのは良くないぜ、無益だ"とか言いながらよぼよぼの爺さんが話しかけてきて、なんとソイツも俺を名乗りやがった。悪夢かと思ったぜ」

「……ああ、悪夢、だな」

「だろ? そんなんを繰り返してる中で、今ここに遭遇したってわけさ。ったく、俺を名乗るんだったら子供には手を出さない、って信念くらい知ってろって話だよ」

「助かった……礼は、言っておく」

「ん? 気にしないでいいぜ、ワイニー」

 

 悪夢だ。正に。

 だって、マルケルも──ほとんど同じような諍いを経て、今ここにいる。

 マルケルは確信していた。叫びたてるプライドを無視して──彼女もまた、マルケルなのだと。

 自分もマルケルで、彼女もマルケル。

 

 そんな異常事態を引き起こせる者などマルケルは一人しか知らない。

 

「これから、どうするんだ」

「とりあえずウィニとヴェイン……ああ、昔の同僚な。そいつらがいるところに殴り込みにいくよ。何やってんだ、ってな」

「……ついていく」

「おう! まぁアイツらのトコに行くのに危険はねぇだろ」

 

 こうして。

 子供の自分と、少女の自分という、奇妙な二人旅が始まった。

 



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ラトロモイ-奪い殺す親しい性根

 ゾンビがゾンビに噛まれても、感染するわけではない。

 それは当たり前で、常識的な事実──だった。今までは。

 

 突如現れた、自身をマルケルだと名乗る知性ゾンビ。之によって倒されたゾンビが、また自身をマルケルだと名乗る……新しい形のパンデミックが起きつつある。人間も、ゾンビも、一度(ひとたび)マルケルと名乗るゾンビに接触されると、自己をマルケルと認識する……そんなパンデミックが。

 この呼称"マルケル"は感染直後に人間並みの知性を有し、軽薄な笑みと的確な攻撃手段で以て人間を殺しにかかる。彼に噛まれた者、怪我をさせられた者、口腔等の粘液に触れられた者は一日を待たずにゾンビ化し、同じくマルケルとなって他者に襲い掛かる。第二次パンデミックとしては、最悪の進化を遂げたゾンビであると言えるだろう。

 これの出現により、戦場は混沌を極める事となった。

 "マルケル"と"マルケル"は互いを認めず、争い合う。且つ人間にも勿論敵対し、"マルケル"でないゾンビが襲い掛かってくる事も変わらない。

 その過程で"マルケル"の攻撃が他のゾンビに当たろうものなら、そのゾンビは"マルケル"となり……争いは激化する。

 

 たとえ"英雄"がいたとしても、この激化は人類側にとって痛烈な打撃となった。

 今までは一般人でも対策と対処を徹底して、複数人掛かりで押し返す事が出来ていたただのゾンビ達が、突然「見つけたら"英雄"の元にまで逃げろ」とされる要警戒対象の上位強化ゾンビ……幹部クラスと呼ばれるそれにまでステージが上がったのである。複数人の一般人程度で対処できるはずもなく、またそれらが感染し、新たな"マルケル"を生み……そのサイクルは、間違いなく人類の首を断つ刃となって襲い掛かってきていた。

 "英雄"とて、"マルケル"の対処が完璧であるかと問われたら、そうではないというだろう。無論体躯の幼い子供ゾンビとしての"マルケル"ならどうにでもなろうが、大の大人が感染した"マルケル"は苦戦を強いられる。

 そも、痛覚も疲労もないゾンビだ。その脅威度は人間の比ではなく、その上で人間並みの知能を持つというのは何の冗談だと、そう言うだろう。

 

 事実、今までギリギリを保ってきた国のいくつかが均衡を保てなくなり崩壊し──その全てが"マルケル"になったという恐ろしい報告が上がっている。

 

 地続きの隣国が()()なったとの報告を聞いて、イースは頭を揉んだ。疲労など感じるはずのない身体が悲鳴を上げている。

 "マルケル"なる知性ゾンビに心当たりはない。だから、ウィニの後に生まれた……言葉を解すようになったゾンビなのだろうことは窺えた。ウィニが名付けられてすぐ、イースは島を出たのだから。

 自国民にも"マルケル"となってしまった者……被害の報告が上がっており、その被害は甚大の一言。この国の民の練度でもそうなら、他国は恐ろしい事態になっているだろうことが伺えた。

 

 そんな中で、"マルケル"を捕えたとの報があり、イースはそこへ……"マルケル"が捕まっている独房へ向かう事になる。

 "英雄"故に問題ないと人間達を下がらせ、イースは"彼"を見た。

 

「……!」

「……君が、マルケルかい?」

 

 轡を付けられた少年。肌の灰緑色や腹部の出血痕から、彼がそこを起点に感染し、ゾンビとなってしまった事が窺えた。

 けれどその目は自身の停止に怯えるソレでも、こちらをかみ殺さんとする殺意でもなく──歓喜。

 少年は、顎を突き出し、この轡を外せと仕草した。

 

「不要な動きをしたら殺す。……外すよ」

「はん、唾液が出ねえってのは、今更ながら変な感覚だよな。んじゃコレも外してくれよ、イース」

「流石にそれはできないかな……いや、待ってくれ。僕の事を知っているのか? ウィニの後に生まれたゾンビに会った覚えはないんだけど……」

「は? 何言ってんだ。俺だよ俺、アイズだ。あぁ、そうか。イースがいた頃は本名思い出してなかったからな。ま、どうでもいいだろ。アイズでもマルケルでも、俺は俺だぜ」

「……」

 

 笑う。

 それは"マルケル"から零れた軽薄なソレではない。

 イースが我慢出来ずに噴出した──失笑の笑み。

 

「君が、アイズ? よしてくれ。僕の知ってるアイズはもっとじめじめしてて、悩み事が多くて、ゾンビなのに身体を鍛えるとか言い出して、乾くのは大敵なのに日光浴が気持ちいいとか言い出す……ちょっと天然で、真面目で、辛気臭いヤツだよ。君とは正反対だ」

「人の黒歴史を笑顔でほじくるとは良い度胸じゃねえかイース。が、まぁそうだな。アイズの時の記憶はあるが、もうマルケルとしての自我の方がつえーんだ。性格は仕方ねえと思ってくれ」

「……本当にアイズを名乗るんだね。それに……まだ死んでからかなり浅いように見えるのに、そこまでの自我を持ってる」

「ん? あぁ、それな。俺も不思議だったんだよ。俺は……ああ、元の俺な。アイズだった俺は殺された。人間の……まぁ、"英雄"ってヤツに。だからこれで終わりだ、って思ったんだが、気付けばガキの身体さ。意味がわからねえよな」

「アイズが、人間を相手にして死んだって? それこそ信じられない。彼は僕らナンバーゾンビで一番強かったんだ。……やっぱり君の話は夢物語にしか聞こえないよ。ゾンビは夢を見ないのにね」

「おいおい、俺は本当にアイズだっての! なんなら島での思い出でも話すか? いいぜ、とことん付き合ってやる。俺達に疲れは無ぇからな」

「結構だ。君と話していると頭がおかしくなりそうだからね。さようなら、"マルケル"君。新しく生まれた君には悪いけど……僕は人間についている。人間を救うためにここにいる。君のお仲間じゃあ、ないんだ」

「は? お、おい! 待てよ、イース! イー」

 

 最後の言葉を発しきる前に、"マルケル"の頭部がぐちゃりと潰れた。この部屋は元は感染した可能性が見られる者を捕えて置く独房で、その兆候が見られた瞬間に殺す事が出来るよう設計されている。ゾンビを生かしておく理由はない。尋問を終えたら、"マルケル"を殺すのは決定事項だった。

 どの道"マルケル"を名乗るゾンビは夥しい量が活動している。捕えた例は確かに希少だが、自分と言うゾンビがいる以上彼らの生態を聞き出す意味はなく、イース自身以上の情報は出せないだろうと踏んでの判断だ。だって、彼の言っている事は余りにちぐはぐだったから。

 

 独房を出る。

 何より──彼に一切の"仲間意識"を感じない事。

 それが彼を偽物だと断じた理由だった。

 

 

 

 ш

 

 

 

「……アイズ、か」

「知り合い?」

「多分ね……島にいた頃、比較的仲の良かったゾンビの……まぁ、兄、みたいな存在だった。結構辛気臭いとこがあって、一つのことでかなり悩むし、間違いがあったら一からやり直さないと気が済まない、みたいな頑固なところがあったりして……あんな、軽薄な性格、って感じじゃなかったから、コレは別人だとは思うんだけど」

 

 イースは先ほど合った事をメイズに軽く説明する。彼にとって"マルケル"がアイズでない事は然程重要な事項ではないけれど、アイズの名そのものはそれなりに心に残るものだった。

 

「へぇ。この前話してた苦労人の人とは別?」

「ああ、そっちはエインっていうんだ。エインは……一応まとめ役だったから、苦労はしていたね。悲観的な人だったし……ああ、人っていうか、ゾンビなんだけど」

「いいよ、人で。話しやすいでしょ」

「ん。……初めの頃のみんなはイヴ以外、あんまり性格に差は無かったんだけどね、過ごしている内に段々違いが見えるようになって……僕が僕を思い出してからは、()()()の性格もみんなとは全然違ったんだな、って思えるようになった」

「性格に差は無かったんだ」

「ああ、まぁ、似てる、程度だけどね。最初の頃は……それこそアイズの性格が一番似てるかも。みんな頑固で、一つを真実だと思ったらそれに突き進んで、間違ってたら一からやり直して……みたいな。だからだろうね。マザーの事をあんなにも妄信出来ていたのは」

 

 イースが島を出る頃には、みんなそれなりに人間っぽくなっていたけど。イースが最も自我の獲得が早かったというだけで、彼らもそれなりの素質があったのかもしれない。

 

「イースは変わったの? その、イースの……生前の性格からは」

「ううん、全然。僕は元からこんなんだったよ。多分だけど、イヴもね」

「ああ、妹みたいな子」

「そうそう。イヴは……もしかしたら、イヴが一番生前の記憶を取り戻すのが早かったのかもしれない。イヴは話すのが好きでね、色々な話をしてくれた。けど、よく考えたら、島にいては起こりようのない事も話していたから……彼女は最初から、記憶があったのかもしれない」

「可愛い子?」

「うん、良い子だった」

「ふぅん」

「……もしかしてメイズ、妬いてる?」

「別に」

 

 少しだけ機嫌を損ねた様子のメイズに苦笑しつつ、イースはイヴを思い出す。

 IV(イヴ)。自身の後に言葉を解すようになったゾンビで、腕部肥大型。伸縮自在な腕を胴体に巻き付けて生活していること以外は普通の女の子で、マザーが大好きで。

 マザーに仇為す人間に容赦はしないけど、人間が嫌い、という事は無かったように思う。もしかしたら彼女ならイースの味方になってくれるかもしれない……と思いつつ、あの見た目を人間達に受け入れさせるのは多分無理だろうな、と頭を振る。

 どの道ゾンビを全て滅ぼす気でいるイースだ。どうあれ彼女は敵。可哀想だとは思うけれど、殺さなくてはいけないだろう。

 

「イース」

「大丈夫だよ、メイズ。僕はちゃんとやれる」

「そうじゃなくて、イース──外が騒がしい」

 

 え? と顔を上げる。

 イースの菌に掌握された脳が高速で回転し、些細な音も、遠くの悲鳴も、全部処理して──子供でも持てる剣として選んだシミターを持ち、家の外に出る。

 遠く、砂埃。──そして、蹴り上げられたか、人が舞っている。

 

「襲撃……あの規模、"マルケル"みたいだ。メイズ、行ってくるよ」

「うん。気を付けて」

 

 返事はしなかった。

 言葉を発する前に足が動いている。思考とは別部分に存在する脳の主導権が、彼の身体を事態解決のために動かしていた。

 

 そんな彼を見送ったメイズが──ふらりと路地裏に入っていった事など、露知らず。

 

 

 

 Ф

 

 

 

 第二次パンデミックの余波はリゾート島にも届いていた。

 あの二人の同胞。彼らの争いに巻き込まれた知性アガリをした者達が、その後も争いを止めず……いつしか島中の同胞たちが争うようになってしまっているのだ。

 それも、自身を"マルケル"だと言って、自身以外を偽物と決めつけ、それを殺さんとするような。

 

「マルケル、ね……どう思うかしら、ヴェイン」

「マルケルはアイズの生前の名前だ。……可能性として考える事があるとすれば、両断されたというアイズの死体を現地にいた同胞が食らい……アイズに乗っ取られたか。それほどアイズの意識が強いとすれば納得も行くだろう」

「行かないわよ、馬鹿。あのね、旧人類も私達も、記憶って言うのは脳にあるの。同胞化することで相手が自分と同じ性格になる、なんてのは……もう、オカルトなのよ。おかしいの。アイズの脳そのものが感染している、でもない限りあり得ないわ」

「……だが、そのあり得ない事が起きている。下で争っている者達の言動を聞いたか? 俺にはアイツが自我を取り戻してからの言動そのものにしか聞こえなかったぞ」

「だから悩んでるんじゃない……何より恐ろしい事も、見えているのだから」

「俺達も、か」

 

 ゾンビはゾンビを感染させられない。

 故にゾンビ同士のスキンシップや喧嘩があっても特に何が起こる事は無い。はずだった。

 

 しかし、今。

 ゾンビは"マルケル"によって再感染させられ、"マルケル"と化している。

 ならば──知性アガリをしたウィニやヴェインも、"マルケル"に乗っ取られてしまうのではないか、という恐怖。それは生前にゾンビに対して感じていたものと全く同じ、死に対する恐怖だった。

 

「……この島から、出るか?」

「逃げ場はあるのかしらね。下にいる同胞一人一人がアイズの知能を持っているのよ? 海を渡るのも何ら問題なくて、その数は膨大に増えていく……。旧人類が私達に感じていたものと、全く同じよね」

「アイズが故意にやっているとは考えたくないがな。お前は同胞を自分にしてしまう性質を持っているから、この島から出ないでくれと頼めば……」

「大陸から連れてきた同胞から始まったパンデミックよ? ……大陸の同胞はもう、全てアイズになってるんじゃないかしら。ぞっとするわね」

 

 そうして、うだうだと悩んでいる内に──それは、来た。

 封鎖された実験室を背後にした、研究室の中。ここが最も安全だと逃げ込んだこの部屋のドアを、叩く存在が。

 

「おい、いるんだろ、ウィニ! ヴェインも! 変な話だがよ、俺は生き返ったんだ。ちょいと……あー、腕が欠けてんだ、ドア開けてくれねぇか?」

「……」

「……」

 

 ウィニもヴェインも、自身らが旧人類に対して行う"同胞化"──つまり感染の手法は理解している。

 相手に噛みつくのは、それが最も相手の粘膜に接触しやすいからだ。全身に感染のためのソレを持ち、それが相手の粘膜に触れる事で感染を完了とする。

 故に──アイズの腕が欠けている、なんてことは。その後に必ず発生する処置を想えば──彼に接触しない、なんてことができるはずもなく。

 

「ウィニ? ヴェイン?」

「……」

「……」

「……何かあったのか? おい、大丈夫か? ……蹴破るぞ」

 

 ゴガッ、と大きな音がした。二度、三度。そして、四度。

 四度目で──鋼鉄の扉が凹み、破られる。

 

 そこにいたのは、かつてのアイズよりも脚部が肥大強化された見知らぬ同胞の姿。

 そいつは無い腕を肘だけ上げて、よぉ、なんて言って。

 

「なんだ、無事じゃねえか。心配させんなよ」

「……ええ、久しぶりね、アイズ。その腕はどうしたの? それに……見た目も随分、変わったようだけれど」

「そうなんだよ聞いてくれ。俺は確かに死んだんだ。二度目の死ってのかな、ジョー……あぁ、俺が死ぬ前に殺しに行った"英雄"サマに返り討ちにされて、確実に死んだ。けど蘇ったのさ。違う身体だったが、意識ははっきりしてる。この腕は道中でやっちまった。自分の事をマルケルだ、とかいう奴らが襲い掛かってきたんだ。気持ち悪いったらありゃしねぇ。流石の俺もあんだけの数の同胞に群がられちゃ無傷とは行かなくてな、このザマさ」

「では、島にいた同胞はすべて……?」

「向かってきた奴は全員殺しちまった。すまねえとは思うが、俺も殺されるわけにゃいかないからな。……後で供養しようとは思ってる」

「そう。……まぁ、おかえり、と言っておくわ。今はあの女……"マザー"の脅威に対する作戦を練っていたの。交ざる? それとも休憩する?」

「んー、今は頭使うのはなんだかな。つか、マザー? マザーが生きてたのか?」

「みたいね。大陸各地にあの女の影があるわ。貴方も見かけなかった? "英雄"の傍に、違和感のある人間」

「……知能強化と走行強化二十体に追い掛け回されて傷一つ負ってねえ女なら見たな。ジョーの幼馴染の子だから、マザーじゃねえと思うがよ」

「ふむ。調べて置く。アイズ、先に休んでいるといい。まぁ我らに疲労と言う概念は無いが……」

「ん、そうさせてもらうよ」

 

 なんとか。

 なんとか、やり切ったと……ウィニとヴェインはアイコンタクトを交わした。

 どちらも嘘を吐くのは成れている。ウィニは生前俳優として、ヴェインは裏切り者として。だから自然な流れで、アイズを遠のける事に成功した。

 

 そう、思った。

 

「──ガ」

 

 研究室を一歩出た──見知らぬ同胞の姿をしたアイズが、突如見えなくなる。

 轟音。ドアの向こうに見えるのは、一面の灰緑色のみ。

 

 否、あれは。

 

「──よぉ、ウィニ、ヴェイン。久しぶりだな。俺の偽物になにかされなかったか?」

 

 その灰緑色を……引き戻し、それが、拳であると、腕であるとわかる頃。

 今度はよく知った声が聞こえた。普段はカタコトでしか喋る事が出来ないはずの、兄妹という概念はないにせよ──末っ子の立ち位置である彼の、流暢な言葉が。

 

 その巨腕を引き摺って、入ってくる。

 

「あぁ、見た目が違うからわからねえよな。どことなく()()()に似てるのは認めるがよ、俺は──アイズだぜ」

 

 その巨大でない方の腕で、肩を竦めるように嗤って。

 

「……()()()

 

 彼は、そこに立っていた。



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ラトロモイ-造り帰る新しき憧憬

後半コメディ寄り
性転換要素注意

※昨夜の誤投稿分です。


「っ、っはぁ……!」

 

 荒い呼気を吐く──深夜の、メイズの眠った二人の家のリビングで。

 イースはゾンビだから、睡眠の必要がない。いつもこうして静かな夜を、独りで過ごしている。とはいえ眠る必要がないのは外のゾンビ達だって同じなので、それを対処する人間の兵達の発する戦闘音はそれなりに響いているから、完全な静寂ではないのだが。

 それでも、メイズの声がしない夜は、イースにとって静かな時間だった。

 

「う──、ぐ」

 

 疲労を知らない体だ。睡眠を必要としない体だ。渇くこと以外、死の危険が遠ざかった体だ。

 勿論病にも、侵されることの無いはずの身体。そうだったはずだ。

 

 けれど今。

 

「う、ぁ……ぁあっ」

 

 イースは、内から込み上げる苦しみに、藻掻き喘いでいた。

 

 

 ф

 

 

 事の発端はその日の正午。

 アイズを名乗る"マルケル"と呼称されるゾンビの首を潰し、その後に現れた"マルケル"ゾンビの群れを対処せんとイースが現地に到着したあの時。

 通常のゾンビとは比べ物にならない、埒外の戦闘力を持つ"マルケル"ゾンビに対し防戦一方だった人間の兵は、"英雄"イースの登場によってその劣勢を覆すことになる。

 的確な指示と研ぎ澄まされた連携。各々がイースの手足になったかのような感覚と共に、今まで感じていた恐怖や不安が拭われた高揚感によって"マルケル"ゾンビを押し返していく。中には"マルケル"ゾンビとなってしまった者もいたが、それでも最小の被害で之を鎮滅した──はずだった。

 

 それは一瞬の隙か。

 

 全てを討滅し、一息を吐いたその瞬間、イースに最も近い位置にいた人間が"マルケル"ゾンビ化した。人間の誰もが反応出来ない中、イースだけが思考を置き去りにする情報処理能力でそれを判断し、殺しにかかり──いともたやすく、首を刎ねる事に成功した。

 けれど、それでも相手は"マルケル"──アイズで。アイズの卓越した戦闘センスは、無理矢理に子供の躰を動かしているだけのイースとは比べ物にならない。"マルケル"となった人間がこの国の兵であったのも理由の一つだろう。十二分に鍛え上げられた身体は死の直前に腕を動かし、イースの腕に微かな傷をつけた。

 本当に微かだ。微細で、僅かなひっかき傷。近づかなければ見えない程に小さなそれは、イースにはわかったけど、周囲の人間にはわからなかっただろう。

 ただ突然豹変しかけた仲間が一瞬の内に"英雄"に首を刎ねられ、死体となってからその首が灰緑色に染まるその様を見るばかりだっただろう。

 

 その後、イースが「各自持ち場に戻れ」と言った事に何の疑問も抱く事なく、やはり"英雄"は凄いと、彼さえいれば自分たちは大丈夫だと──そう思ったはずだ。

 

 けれどそれは、間違いだった。

 

 その時につけられた傷。

 ゾンビに痛覚はないから、痛みは感じない。けれど痛みではない。痛みではない──何か、熱いものが、そこを中心に広がっているのをイースは感じていた。

 イースは生前、蜂に刺された時の事を思い出す。ベランダにあるサンダルを履いたら中に蜂が居て、刺された事にすら気が付かなかったけど、段々と腫れていって──自分の身体とは思えない程固くなって、熱くなって、感触が無くなって。

 そんな感覚が、そのひっかき傷から感じられた。

 

 家に帰って、一応その部位を水で洗い流してみても無駄。ゾンビであるにもかかわらず消毒液なんてものを使ってみても、ダメ。

 何をしても無駄なまま、メイズにそれを悟られないよう振舞い、彼女を寝かせ──今に至る。

 

 今に至るのだ。

 

「……うる、さい」

 

 傷を付けられた方の腕が震える。左腕だ。抑えつけても震える。その震えは、傷の熱さと共に広がってきている。

 けれど、そんなことよりも。

 そんな、自分の身体の制御が利かない、なんてことよりも。

 

「黙って……黙ってくれ……黙れよ!」

 

 あぁ、メイズが寝ているというのに、声を荒げてしまうくらいには、煩かった。

 うるさいのだ。騒がしい。静かで孤独で、けれど彼女の存在を感じられる、安心できる夜のはずなのに。

 

 うるさい。ずっと、ずっと、叫びたてている。

 イースの中で。

 

「僕はイースだ。III(イース)だ!」

 

 いいや、違う。

 俺は。

 

II(アイズ)じゃない……!」

 

 俺が、マルケルだ。

 

 

 

 К

 

 

 

 気付くと、なんだか簡素な家にいた。

 簡素……質素と言った方が適切か。贅沢品の無い家だ。生活感があまりない、ともいえる。とはいえ壁に掛けられたランプや、新品らしい箒、数は少ないがいくつかの食器など、完全に無いわけではない。誰かが生活をしている。それはわかる。

 

「……どこだ、ここ」

 

 声に出して驚いた。

 これは自分の声じゃない。聞いたことのある声ではあるが、それにしてはどこか籠っているような感じ。

 

 自分の身体を見下ろす。肌色の肌。

 

「……もしかして俺は……生き返った、のか?」

 

 恐る恐る、その肌に触れる。

 ああ、けれど、どこか懐かしき肌のそれとは違う、粉っぽい感触。少し強めにそれを拭ってみれば、その下から見慣れた灰緑色の肌が顔を見せた。

 

「まぁ……そうだよな。今更人間に戻ったって嬉しかねぇが」

 

 もう一度見下ろす。自分は椅子に座っていたらしい。

 そして、子供らしい。

 

「いや、なんでガキの身体になってんだ? ……あぁ、前の身体はジョーに両断されたから、新しい身体をマザーが用意した、とか……ん? 何言ってんだ俺、マザーは死んだだろ。とっくの昔に……死んだ、よな? ん? 倒さなきゃいけない……いや、だから殺したって、ヴィィの奴が」

 

 記憶の混濁が感じられた。

 何か、どこか、知識が前後しているように感じられる。知っているべき事を知らないような、知っているはずのない事を知っているような。

 例えばこの家。この家は大切なあの子と共に住む家だ。あの子は俺にとって自分の命よりも大切で、彼女のためなら死だって怖くない。

 

「いや誰だよ、あの子って。……ミザリーちゃんか? おいおいよしてくれ、俺は相棒の女を取ったりしねぇぞ」

 

 遠くに聞こえる衝突音。今日も人間とゾンビが戦っているのだろう。余り長引くようであれば、助太刀に行くべきだ。勿論、人間の方に。何故って俺は、人間を導く"英雄"で、ゾンビからの脅威に立ち向かうべき存在なのだから。

 

「……俺が、同胞を? なんだこの記憶……マザーに植え付けられたか? いや、だからマザーは死んだって。ん? ん?」

 

 彼女だけは守らないといけない。俺をあの暗い路地裏から救い出してくれたあの子だけは。どんな障害も()()()()、必ず幸せにするために──彼女も"同胞"にしないと。

 何故って、旧人類でいるより、新人類……同胞になった方が死のリスクも減る。死は悲しい事だから、確実に幸せを掴み取ってもらうために、死に難くしなければいけない。

 

「彼女、ってのが誰かは依然わからねえが、そうだな、そうだ。何も間違ってねえ。ん? んん。んー。間違ってねぇな。まぁ俺達の見た目が死に近しいのは認めるけどよ、こっちになっちまえば特に怖い事もなくなる。説得しても聞かねえってんなら、力づくでやるしかねぇだろ」

 

 俺は、同胞たちを導いて、人間を殺す。殺すってのは言葉のアヤで、同胞にするって意味だ。俺は同胞たちの中でも抜きんでてそういうのが上手いから、率先してやってやる。戦うのが苦手な同胞もいるからな、無理強いはしたくねぇ。

 あんだけ強くなったジョーの奴だって、いつかは死ぬ。誰に何を残す事も、誰と何の記憶も共有する事も無く死ぬんだ。旧人類は簡単に死んじまう。そんな怖い事は、俺は許容できねえ。

 ジョーの奴も、ミザリーちゃんも、あの子も、誰も彼も同胞になれば、ようやく永遠に笑って過ごせる世界が訪れる。この星は水の惑星だからな、水分は潤沢だ。渇いて死ぬことも滅多になくなるだろ。食料も眠る場所も必要でない俺達は、同胞同士で争う必要だって無い。死のリスクは旧人類よりかなり少ないんだ。

 

 だから。

 

「イース、おはよう」

 

 声のした方へ向く。

 そこにはまだ齢十そこらだろう少女。眠そうに眼を擦って、こちらに挨拶をした。

 

「イース?」

 

 聞き返す。

 ああ、聞き覚えがあると思ったら、アイツの声か。同姓同名、か? つか、なんだって旧人類に挨拶なんかされてんだ。そもそもなんで、旧人類のままにしてる。早いとこ同胞にして──。

 

「ああ、もうアイズになっちゃったんだ。結構早いね、進行」

「──何?」

 

 一瞬、意識が白んだ。この容姿の少女に見覚えは無い。とても大切で、恩が合って、守り通したい少女だけど、俺はこの子を知らない。

 だが、覚えがある。

 ぞくっとした。寒気だ。俺はこれを感じたから──島から逃げたんだ。僕は。これが怖かったんだ。

 

()()()()()……()()だ?」

「大丈夫、安心してイース。貴方にはまだ役目があるから、今回は助けてあげる」

 

 椅子を蹴って立ち上がる。大切で大事で、言葉にした事は無いけれど、大好きな彼女から、距離を取る。蹴り技を主体とした独自の構えで彼女に相対し、その存在を確と見た。

 似ても似つかない。幼き少女の姿。

 ああ、けれどそれが、今はあの女性と重なる。

 

「お前、マザーか」

「うん。そうらしいね。なんでマザーって呼ばれてるのかは知らないけど」

 

 甘い香り。

 睡眠を知らぬはずの身体が、不意に眠気を覚えた。

 これに関しては覚えがある。いつか俺が自分を取り戻した時……ジョーからマザーを守った時に感じたもの。急に意識が落ちて、気付けば島に戻っていて、俺は。

 

「ゾンビは菌で動いているから、その活性を停止させれば簡単に意識を奪える。良かったよ、その構造は変わって無くて」

「──マザー」

「うん。おやすみ、アイズ。次に起きた時はイースだよ」

「メイ、ズを……返せ」

「──うん。そのつもり」

 

 意識が落ちる。闇に飲まれる。

 その日、僕は初めて意識を失った。

 

 

 

 Ё

 

 

 

 飛び起きる。

 いつも夜を明かす、机。リビングの机だ。

 

「眠っていた……?」

 

 あり得ない。ゾンビは睡眠をとらない。

 

「あ……腕の熱いのが、消えてる」

 

 あれだけ熱かった傷口から熱が取れ、震えも痺れも、おかしくなるほどの頭痛も消えている。

 窓の外を見れば、もう日が昇っている。まずい、初めて遅刻をしたかもしれない。急いで支度をする。鏡を見ると、首元の顔料が取れてしまっている事に気が付いた。

 

「うわ、これいつからだろう……何も言われてないからバレてなかったんだろうけど、危ないな。……もう少し、取れ難い顔料を探すべきかも」

 

 もし会議中なんかに顔料が取れて、その下の灰緑色の肌が見えてしまったらコトだ。僕は人間を殺したくはないけど、人間は僕を殺しに向かってくるだろう。さらに"英雄"がゾンビだったなんて事が知れ渡ったら、人間達は希望を失くしてしまう。ゾンビに負けてしまう可能性が高くなる。それは、ダメだ。

 何よりメイズに危害が加わるかもしれない。だって一緒に生活しているんだから、気が付かないはずがない。

 

「……これでよし」

 

 顔料を塗って、鏡で確認して。

 

「あ、起きたんだ、イース」

「メイズ。おはよう。けどごめん、遅れそうだから行ってくるよ」

「うん、いってらっしゃい」

「いってきます」

 

 奥の部屋から起きてきたメイズに挨拶を返す。僕は睡眠を必要としないけど、メイズは人間の子供。普段あれだけ頭を使ってるんだ、睡眠は摂っても摂っても足りない程だろう。この時間でも、全く寝坊には思わない。

 ああ、そんなことより急がないと。

 体の調子はなんだか万全だ。昨日の病のようなものが嘘みたいに。ゾンビの身体で体調の上下を感じるなんておかしな話だけど、それさえも悩んでいる時間が惜しい。

 

「……"マルケル"ゾンビの対策。ちゃんと考えないとね」

 

 言葉にして、確認して、家を飛び出した。

 しっかりしないと。僕は"英雄"イースだから。人間の国もそうだけど、誰よりも大切なあの子……メイズを守るために。

 

 

 

 ё

 

 

 

 珍妙な道中だったと、もし日記を付けているのであれば書き記した事だろう。

 マルケル……ワイニーはそう独り言ちる。

 

「不思議なもんだよな」

「何が……?」

「いやよ、お前が覚えてるかどうかは知らねえけど、言葉とか思考とかがよくわかんなかった頃、火って怖かっただろ? いや火が怖くない時期もあったみてぇだが、そりゃ覚えてねえからおいとくとして」

「ああ……そういえば、そんな時期があったような」

「けどこうして、真夜中に人間の頃みてぇに焚火に当たって。渇くのが天敵だってのに我ながらおかしなもんだと思うよ」

「別に、温度を求めているわけじゃないから……いいんじゃないか。俺達ゾンビにとっても、光は重要、だろう」

「そりゃそうだな、ははは!」

 

 少女マルケルと少年ワイニーの旅は、お世辞にも良好なものとは言えなかった。彼女らが出会った場所が大陸中央部で海から遠かった事もあるが、行く先々で"マルケル"を名乗る多種多様なゾンビが襲い掛かってくるからだ。それらは主に少女マルケルが対処をしたけれど、中には苦戦を強いられる程強い個体もいて、ワイニーがそれを助けることが多々あった。

 ワイニーはマルケルだから、自身の隙というか弱点ともいうべきものを知っている。そこを補う事が出来るのは、自身が基本後方に待機させられるからだろう。常に前方で戦いを続けてきたワイニーにとって、その視点は新鮮も新鮮。故に今の状況を"勉強になった"と称す自分も存在していた。

 そんな感じで、時には助け、助け合い、助けられを繰り返していくうちに、二人は相棒と言えるほどの相性を見せるようになっていた。元が自分同士なのだから当たり前と思う反面、襲い掛かってくる"自分"に嫌気も差す。

 

 ワイニーはもう認めていた。

 少女マルケルも、襲い掛かってくる"マルケル"達も、全部全員自分なのだと。勿論ワイニーもマルケルだ。そこは譲れない。けど、多分、彼ら彼女らも同じなのだと。

 認められないから排除する。短絡頑固の適当真面目人間。もっと対話を大事にさえすれば避けられた争いがいくつもあっただろうと溜息を吐くが、直せるものなら今こうなっていないと頭を振る。いつかジョーに言われた「相変わらず頭の固いヤロー」という言葉に苦笑せざるを得ない。

 体が変わってもコレだ。なら、コレは一生直らないのかもしれない。一生なんてとっくに尽きているが。

 

「明日一日歩けば、次の水場が見える。渇きはどんくらいだ、ワイニー」

「問題ない。そちらこそ昨日今日と連戦だっただろう。大丈夫なのか」

「ガキとは水分保有量が違うのさ。そう考えると女の身体も悪くねえな、()()に水を溜められるんだ」

「はしたない、といっても通じないか、お前には……」

「元男だからな! なった直後は違和感が拭えなかったが、慣れちまえば問題ねえ。この身体は相当鍛えていたみたいで動きやすいしな」

「羨ましいよ。俺は生前をよく覚えていないが、特に鍛えてもいない子供だ……ゾンビは成長しない、だろ?」

「ああ、成長しねえ。けどお前はよくやってる方だと思うぜ? 今日も助けられたしな!」

 

 ワイニーは自身をマルケルではないと偽っている。普通に知性を獲得した子供ゾンビだと。ワイニーはイースと同じ知性強化型で、だから早熟なのだと。そう言う事にした。

 ちなみにワイニーが"同胞"という言葉を使うのをやめたら、少女マルケルもそれに合わせた。未だ仲間意識はあれど、襲い掛かってくる"自分"を同胞だとは思えなかったから。

 

「ちなみに、どうよ、ガキの意見としては」

「何がだ」

「何が、って。そりゃこの身体の魅力だよ。俺にはガキにしか思えねえが、ガキのお前にはそうじゃねえだろ? ガキはこんくらいの年頃の女に憧れるもんだ、ってことくらい俺でも知ってる。で、どうだ? この胸とか、触ってみてえか?」

「散々思っていたが、お前馬鹿だな?」

「おいおい照れんなって! いいか? 男はな、幾つになっても獣なんだよ。ガキでもジジイでも同じだ。可愛い子がいたら可愛い。エロい姉ちゃんがいたらエロい。そう思うのが男なんだよ。で、どうだ? この身体、イイか?」

 

 ワイニーは物凄く嫌な気分になった。不快だ。そのセクハラが、とかじゃなくて、これが自分であるとわかってしまう事が。

 他人からはこう見えていたのか、と反省する。適当軽薄根は真面目、なんて評されてはいたが、その適当軽薄部分がどれだけ己の評価を下げていたのかと思うと目頭が熱くなる。涙なんて出ないが。

 なんだこの下卑た男は。そんなんだからモテなかったんだ。ジョーにはミザリーちゃんがいるからいいよな、俺には女の影なんて一つもないぜ、なんて嘯くことは多々あったが、確実にこれが原因だ。お前にたとえ幼馴染がいたとしてもお前の女にはならなかっただろう。潔く死ね。

 

「なんだ、イイ、と言ったら触らせてくれるのか」

「へへ、なんだなんだやっぱりお前も男だな! じゃあ、次の水場で、な?」

「もういいからその辺で干からびて死んでくれ」

「照れんなってぇ!」

 

 背中をバシバシ叩いてくる少女の自分。

 死んでほしいと、心から思った。

 

 

 

 к

 

 

 

 

 人間の国──。

 

 

 イースが出て行った家。

 開けっ放しの戸を丁寧に閉めて、一つ息を吐いた。

 

「……第二次パンデミック、って所かな。全く、何をやってるんだか」

 

 採取した細菌と投与した細菌を眼前に持ってきて見比べる。

 そこに差はあまりない。まぁ目で見てわかる事があったら逆に怖い。目に見える細菌はもう細菌とは言えない。あるいは目の方の倍率が凄すぎるか、だけど。

 そして、もう一つを取り出す。

 

「最悪の場合はリセットも考えてるけど……ま、上手くやるでしょ」

 

 鼻歌を一つ。古い古い歌だ。

 さて、今日はどんな料理にしようかな。



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レッツノム-生死と英雄と情報と背徳の章
レッツノム-愚かしく、美しく、儚き存在


多少増量


 アイズから培養した菌を人間、あるいはゾンビに投与すると、アイズの記憶が形成される。

 ここで大事なのは引き継がれているわけではなく形成されているという所。世界五分前説なんてオカルトが流行った事もあったように思うけど、実験に使用し、アイズとなった人間はまさにそういう状態だ。今までのゾンビ化細菌とは比べ物にならない程の速度で脳の掌握を終え、その脳にアイズの記憶や人格を強制的に再現させる。

 細菌そのものに記憶が宿っているわけではない。細菌にアイズの記憶や人格はないし、細菌である間の事を覚えているなんてこともない。細菌はただの焼付装置で、対象の脳に偽記憶を植え付けるためだけの存在だ。

 

 今までのゾンビ化細菌は脳の掌握が遅く、焼付が上手く行ってなかった……なんてこともない。

 今までも同じプロセスだった。ただ、そこに刻まれていたものはアイズの人格ではなく──恐らく私、あるいはオリジナルか、オリジナルを作った誰かの人格だ。

 

 言葉を解すゾンビ。

 彼ら彼女らに対し、私は"言葉を教える"という行為をしていない。自然と私の話す言葉を解すようになったのだと考えていたが、それは些か知能が高すぎる。無論二年三年と年月を重ねていたのなら話は別だけど、ゾンビ達がゾンビとして生まれ出でてから数か月しか経っていないのだ。エインなんて、言葉を話すようになったのはゾンビになってひと月ほどの辺り。生前の使用言語が私と違う彼が、自我を獲得してすぐに私の言葉を解すようになるのは少しばかりきついものがある。

 だから、彼には焼き付いていたのだろう。彼だけでない、すべてのゾンビに焼き付いている──同じ誰かの人格が。その上で脳の掌握率が低いから、上手く言葉を話せないし、上手く思考が出来ない。

 そして脳の掌握率が高くなってくると、今度は焼き付きの行われていない、作り変えられていない部分の記憶や人格が台頭する。脳全体に比べてゾンビ化細菌は非常に小さいものだから、時間が経てば経つほど焼き付けられた部分を元の部分が上回って、元の人格を取り戻す。

 ただその際、元の人格と焼き付けられた人格が混ざる事もあるし、元の人格を不要だとする場合もあるだろう。それが特に顕著に表れていたのが型番を付けていたナンバーゾンビ、ということ。

 

 今回実験に使用したアイズのゾンビ化細菌は脳の掌握を最高効率で行える状態にあるものだから、知性無きゾンビは生まれ得ないだろう。正確には投与した直後の数瞬は知性無きゾンビとして、けれど数秒後には焼き付けられた人格であるアイズを形成している。

 アイズのゾンビ化細菌は以前のゾンビ化細菌より増殖のスピードが速いため、被験者が元の人格を取り戻すかどうかはまだ不明。脳全体をアイズのゾンビ化細菌で覆われてしまえばアイズと同一の人格になるだろうし、どこかで押し負けるか、あるいは菌側がその素体の記憶を新しいパターンとして変異したのなら、そこでアイズの人格は消え去るだろう。

 そうやってゾンビ化細菌は遅まきながら耐性、変異をつけていく。とはいえ私が故意に培養させない限りは大流行する程の量は得られない。そういう調整をしている。実は"全身にゾンビ化細菌を持っている状態"というのはゾンビになってすぐに得られるものではないのだ。

 結構、それなりの時間をかけてゾンビ化細菌は増殖していく。さらに言えば脳を掌握しているゾンビ化細菌と全身の粘膜、体液にあるゾンビ化細菌は微妙に種類が違うというか、種類は一緒なんだけど役割が違うというか、粘膜や体液に含まれている方のゾンビ化細菌は少々死に気味である、と考えてもらっていいだろう。ゾンビ化細菌の必要とする栄養は人間の脳付近にしか存在しないので、だから相手の体内に入った死に気味のゾンビ化細菌は相手の脳を目指すのだけど……と。

 

 そんな感じで、何故記憶がそうなったのか、というのはわかった。

 で、ここからだ。

 

 私の作りたいものは決して不老不死の人間なんかではなく、死者蘇生の法である。

 私達のオリジナルやオリジナルを作った誰かの悲願がそうであったのかもしれないけど、私達は私達として生まれ、思考し、行動している。その過程で得た悲しみという情報。それを感じたくないがためのこの研究において、死なない人間は微妙に目的が違う。

 私が創りたいのは死んでも終わらない人間だ。死は単なる行事に成り下がり、生きて様々を経て、想い、関り、交わり、新しいものを生み出して──死ぬ。けれどそこで終わりではなく、その本人として生き返り、そこからも続いていく。

 それが目指すところ。

 

 以前のゾンビ化細菌もアイズのゾンビ化細菌も、見た目と結果だけ生き返ったように見えていたけれど、死者の蘇生が適ったわけではなかった。焼き付けられた人格で、再現された誰かであっただけだ。その後も同じ、前の人格を取り戻しても、それは生き返ったのではなく前の人格の再現をしているだけ。

 再現は蘇生と程遠い。再現でいいなら記憶をメモリーチップなんかの媒体に込めて、それを再生すればいいだけの話だ。再生媒体を蘇生と呼ぶ存在があるのなら、私はそれを最大限に侮蔑する。

 まぁ、つい先日までの私はそれを行っていたわけだけど。

 

 再現ではなく蘇生をしたい。じゃあ今までのゾンビ化細菌は軒並みダメ……なんてこともない。

 注目したのは四番目のゾンビ、IV(イヴ)だった。

 

 初めから私に"お話"をしてくるイヴ。今まではその話に何ら興味は無かったけど、今改めて聞き返してみると、最初期の頃から異常な言動が見られる事がわかる。それは島外の情報……否、生前の情報だ。彼女は生前の情報を、あたかも地続きであるかのように話す。夜に眠ったら、ここにいた、と。

 けれど、それはおかしな話だ。他のゾンビには等しく焼き付いていた"誰か"の人格が彼女には焼き付いていない。腕部肥大型という典型的な肥大ゾンビの特徴を持っていながら、脳だけがゾンビ化細菌の影響を受けていない、なんてことがあり得るだろうか。

 

 あり得ない。が、アイズ化細菌の件もあり得ないと否定した事が、そのプロセスは違ったけれど真実に辿り着く足掛かりとなってくれた。そもそも研究者として目の前に存在する事実をあり得ないと否定するのはナンセンスだ。思い込みが激しいのは私の欠点だと本当に思う。

 

 それはさておき、イヴのゾンビ化細菌の観察結果に戻ろう。

 

 色々と調べてみた結果。

 驚くことに、イヴのゾンビ化細菌は退化している、という事が分かった。アイズのゾンビ化細菌が効率を高め、新しい形質を獲得するという進化をしたのに対し、イヴのゾンビ化細菌はイヴの脳の掌握を止め、どころか彼女の脳に併合されつつある……吸収されつつある事が分かったのだ。

 あくまで細菌、それも外部からの侵入者で、生命活動の停止を企てる確実な悪性菌。それをイヴの脳は自身の一部として認めようとしていた。自身の一部として吸収し、菌側も大人しく食われている。それによっておこるのは、イヴの脳によるゾンビ化細菌の管理である。彼女の脳は停止した心臓に変わる新たなエネルギー源としてゾンビ化細菌を選び、それに適合した。

 メイン電源よりサブ電源の方が優秀だったからそっちを選んだ。ただそれだけの事。

 なるほど、これなら彼女が元の人格を忘れる事は無いし、誰かの人格に侵されることも無い。彼女はゾンビであるけど、他のゾンビの様に菌が制御した脳による再現をしているわけではなく、あくまで脳主体で菌を制御している……いわば、ゾンビの性質を持った人間である。

 

 イヴがちょうど手元にいてくれて助かった。

 彼女がアイズのゾンビ化細菌に感染するようなIFがあったかもしれないのだ、そんな恐ろしい事は無い。軽率に第二次パンデミックを起こしたことは反省する。リスクマネジメントの出来ない研究者は唾棄に値する。反省、猛省しよう。

 けれどこれで研究が進む。

 良いインスピレーションだと思う。陳腐な考えから死者蘇生とはゾンビであると考えこの細菌を作り上げたが、そうでなく、人間にゾンビという機能を付け加える細菌を作ればいいのだ。菌によって殺し、それを操り人形が如く制御するのではなく、あくまで死は外部による刺激で、それが来た時にゾンビ化する。良性の、人間が取り込んでいいものだと認識する菌だ。悪性だと認識されない菌だ。感染直後は無症状で、死の刺激によってのみ励起する細菌。

 

 ……症状的にウイルスだなぁ、って。んー。いや、もう少し頑張ってみよう。

 

 まだまだ、時間はたくさんあるわけだし。

 

 

 

 а

 

 

 

 人間の国は、そのほとんどが壊滅したといって良いだろう。

 未だ"英雄"を擁すいくつかの国が抗戦を続けているが、そうでない国はほぼすべてが崩壊した。

 数が多く、増える速度も高く、戦闘力に長け、考えて行動するゾンビ。加えて言葉を解す事実が今までゾンビを殺す事の出来ていた人間に僅かながらの躊躇を与え、しかしその僅かさは"マルケル"ゾンビにとっての盛大な隙。

 そうして……気付けば人間は、絶滅の危機に瀕していたのだった。

 

 ジョーことジョゼフのいる街もそれは同じ。

 最初の"マルケル"の襲撃時点で半壊に近かったこの街は、"マルケル"ゾンビの出現によって全壊を迎える事となる。

 "英雄"は強い。人知を超えて、人間を超えて、強い。

 けれど一人だ。何より彼には誰よりも大切な人があって、そちらを優先する。

 

 あの日、"マルケル"を名乗る母子の戦いを仲裁した彼は、争いを止めることの無い、襲い掛かってくる二人を殺し、ミザリーを探し回った。

 幸いなことにミザリーは数人の避難民たちと共にほど近いビルの中に身を隠していて、再会の叶った時は、二人して喜びを分かち合ったものだ。

 しかし彼女が無事でも、()()()()はダメだった。

 ジョーとミザリーが合流してすぐ、避難民たちの様子が豹変する。元々俯いて膝を抱えていた彼ら彼女らが突然顔を上げ、周囲を確認し──一斉に、「よぉ、ジョーじゃねえか!」と言ったのだ。

 

 彼らが自身以外を認識する──その前に、ジョーはミザリーを連れてその場を離脱した。

 背後で聞こえる殺し合いの声。否、背後だけではない。屋上から屋上を飛び移っていくジョーの周囲、後ろも前も眼下も全て、すべてで元相棒のような口調の"誰か達"が争い合っている。

 地獄だった。

 恐らくミザリーにはジョーの腕が震えている事を悟られてしまっただろう。怖かったのか、悲しかったのか、怒りが抑えられなかったのか。

 

 この廃街を捨て、"マルケル"の追ってこない場所を見つけるに至るまで、ずっと。

 ジョーの腕は震えていた。

 

 

 生まれ育った街を捨ててから数日。

 ジョーはもう、一週間飲まず食わず寝ずでも活動できるくらいには()()()()()()()けれど、ミザリーはそうではない。ゾンビが食料や野生動物に興味を持たぬ事は幸いであったと言えるだろう。空き家や野山で食料を得て、今まで通りとは行かずとも、なんとか生活水準を保つことが出来ていた──その矢先。

 

 二人は、二人と出会う。

 

 

 

 Ю

 

 

 

 初めにあったのは斬撃だった。

 問答無用の攻撃。有無を言わせぬ殺意の塊は、少女が少年を抱きながら避けた事で躱される。

 一撃で仕留めきれなかった事に舌を撃ちつつ、ジョーはもう一度スクラップの剣を振りかぶった。

 

「お、おいワイニー! あれ多分見た目的に知り合いなんだけど、どうみてもやばいよな、人間じゃないよな、俺アイツに殺されたんだぜこれで馬鹿にできねえだろなぁワイニー!」

「馬鹿、喋る暇があったら避ける事に集中しろ。普通に死ぬぞ、あんなの」

「お前抱えられてる身で何を悠長な、うわっ、あぶねえ!」

 

 もう一度振り下ろす。飛ぶ斬撃──"マルケル"に化け物と称されたそれは、ジョー自身もそう思う威力を有している。押し出された真空の刃が地を割るなど、常識においてあってはならぬことだ。

 けれど、それがミザリーを守るためになるのなら、使う。

 

「おいおいジョー、俺はっ、ま、まぁいいけど、ガキを殺すのはよしとけ、あとで辛いぞ! 泣くぞ!」

「人間にとって、ゾンビはゾンビだろう。それと、お前には干からびて死んでほしいと思った事が幾度となくあるが、今死なれると困る。俺に身を守る力は無いのだからな」

「おおなんだなんだ死の淵に瀕してデレたか? 馬鹿野郎もっと安全なときにデレろよ反応に困るだろ!」

「やっぱり今死ね」

 

 今までのゾンビと同じ、ジョーに親し気に話しかけてくる知らない少女のゾンビ。名を名乗ってはいないが、少女も"マルケル"なのだろう。少年の方は違うようだが、それがどうしたという話。ゾンビは人間の敵だ。人間に悪意しか持たず、害意しかない。

 ならば先に殺す。

 

「おいジョー! お前、もっとユーモアある人間だっただろ! 戦う時笑って、生きているのが楽しい、みたいなお前はどこいったんだよ!」

「マルケル、一つ良い事を教えてやろう。人間は死を恐れる生き物だ。死の縁で笑っている奴は狂人なんだよ。俺達だって渇きに渇いている状況で笑っていられないだろう」

「そりゃそうだ、笑ったら水分飛ぶからな! はっはっは!」

 

 やはり少女の方は"マルケル"らしい。その感染力の事を考え、少女の方に狙いを定める。

 

「なぁワイニー、アイツ、俺に熱い視線送ってるんだが。もしかして()()に惚れたか? クソ、ミザリーちゃんなんて可愛い子侍らせておいて、許せねえアイツ!」

「俺には殺意が向いているようにしか見えないよ、マルケル。出来れば降ろしてくれないか、俺は死にたくない」

「馬鹿、一蓮托生だよ! お前は俺と一緒に死ぬんだ、死にたかないけどな!」

「悪魔に魂を売ったつもりは無いんだがなぁ……」

 

 そうして──剣を振り下ろす。

 既のことで、止められた。

 

 ミザリーだ。彼女がジョーの前に立ったのである。

 

「……ミザリー、危ないから下がっててくれ。もしあいつらが……喋る、という事に、知性がある事に同情をしたのなら……それは勘違いだ。ダメなんだよ、ミザリー」

「あの二人は、何か違う気がする」

「おお、いいぞミザリーちゃん! そうだ、言ってやってくれ! 俺達は人間を襲うつもりなんてないし、なんならゾンビを倒してきたんだ! いや人間に協力するつもりもないんだがよ、少なくともお前と敵対するつもりはないんだよ、ジョー!」

「マルケル、お前言わなくていい事をいくつか言ったという自覚はあるか? 無ければ死ぬと良い。潔く斬られろ。ちなみに俺は助けてくれると助かる。人間に協力するつもりもあるからな」

「あ、てめぇ! おい、いいのかジョー! コイツ生かしておくと絶対ミザリーちゃんにセクハラするぞ! 今までの道中もな、コイツ、俺の胸を触りたくて触りたくて仕方ないとか」

「言ってない。加えて黙っていろ。俺達がうるさくすると、俺達の死亡確率も上がる」

 

 ジョーは真剣な面持ちを崩さない。守るべき彼女を──しかし、キツイ目で睨みつける。

 でも、ミザリーもそれは同じだった。愛すべきジョゼフを、真摯な瞳で見つめ返す。

 無言の時間。

 

 折れたのは、ジョーだった。

 

「……わかった。じゃあ、今すぐここを離れよう。こいつらは見逃す。それでいいか」

「……あの二人と、話してみたい」

「ミザリー……」

 

 それは承服しかねる"我儘"だ。見逃す事はまだいい。今襲い掛かってこないものを殺さない。あとで襲い掛かってくるときに殺せばいいから、それはいい。

 だが、話す、なんて。

 ……なんて。

 

「はぁ……わかった。わかった、ミザリー。だが、危険を感じたらすぐにでも離脱するし、すぐにでもこいつらを殺す。いいな?」

「うん。大丈夫だと思うから」

 

 そう言って、ミザリーは……二人の方へ振り向いた。

 振りかぶった剣を下ろしたジョーは、しかし臨戦態勢である事には変わらない。

 だというのに。

 

 だというのに、ゾンビ二人はその警戒を解いた。そして、少女の方は人間らしく溜息を吐く。

 

「お前のその癖、なんとかならないのか。俺達に呼吸は必要ない。お前のソレは、体内の腐臭を周囲にまき散らしているだけだぞ」

「おいおい年頃の娘に対して腐臭とかいうなよ。一応その辺で見つけたミントを口の中でもごもごやったりしてるんだぜ?」

「そうか。死ね」

「さっきあんなにデレたのになぁ~」

 

 少女と少年。

 彼女らに向いて、ミザリーは口を開いた。

 

「初めまして、ゾンビさん。あ、そっちの……ちっちゃい子の方」

 

 

 

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「おっと、それ以上近づくな。お前、人間だろう。感染する危険性がある。そこからでも声は届くんだ、そこでストップしろ」

 

 ワイニー、と呼ばれた少年。

 人間に友好的であるというのは偽りでないと言いたいのか、ソイツはミザリーに向かってそんな事を宣った。自身がゾンビである事を自覚し、故に人間の安全を第一に考える。

 あり得ないな、と思う自分がいた。

 選ばれなかった事で口を尖らせている少女ゾンビが、少年ゾンビを冷やかすように肩を竦める。

 

「うん。わかったよ。ええと、ワイニー、と呼べばいい?」

「ああ、構わない。こっちの色ボケはマルケルだ。一応、俺は現状のゾンビ達に起きている事をある程度理解しているつもりだ。その上でアイツはマルケルだ。そう呼んでやって欲しい。そう思わなくてもな」

「了解」

 

 アイツらしい軽薄さと適当さを全面に押し出した少女の方と違い、この少年ゾンビは随分と理知的で、常識を持った存在であるらしかった。「そう呼んでやって欲しい」の所で俺の目を見る辺り、俺とアイツの関係がどういうものであるかも知っているらしい。どうせ口の軽いアイツがべらべらと話したのだろう。

 

「私は、ミザリー。こっちのでっかいのがジョゼフ」

「話には聞いているよ。アイツの相棒、だったか。さぞかし苦労したことだろう。俺も道中、何百、何千回とアイツに死んでほしいと思った事か」

「仲、いいんだね」

「仲が良い……とは、違う気もするが。利害の一致という奴だ。些か助けられてばかりな気もするが、アイツが納得しているのならそれでいいだろう」

「うん。伝わってくる」

 

 ふん、と鼻を鳴らす。子供にまでこんな扱いをされている奴に同情を隠せない。自業自得だ。

 

「それで、ミザリー。俺に何を聞きたいんだ?」

「あ、うん。聞きたいというか、話してみたかったんだ。言葉を操れるゾンビさん。貴方の今と、前の話」

「前というと……生前か。すまないな、生憎生前の事は憶えていないんだ。まぁ、この通り子供だ、大した記憶は持っていなかっただろうさ」

「そうかな。子供の頃の記憶は、大人になっても忘れないものだよ」

「一生大人になることの無い俺には関係のない話だな……あ、すまない。機嫌を損ねたわけではないんだ。こういう……湿っぽい皮肉が、どうにも染みついていてな。生前の俺はかなり暗い性格だったのやもしれん」

「冗談の言える性格が暗い、なんて嘘だよ。それに、ジョーも結構皮肉を言う方だよ? 彼の性格が暗いように見える?」

「少なくとも今は暗いんじゃないか。先ほどなんて、殺人マシーンでも相手にしているかのようだったぞ」

 

 睨みつける。すると、後ろの少女と同じように肩を竦める少年。容姿は全く違うが、まるで血の繋がった姉弟のような事をする者だと思う。

 ……認めよう。既に俺の中で、この二人に対する警戒心は薄れつつある。元々懐柔されやすい方だという自覚はあるが、もっとしっかりしないとミザリーが守れないだろう。

 

「今の話も聞きたいな。二人はどうして出会って、どこに向かっているの?」

「ふむ。まぁさっきも言った通り、アイツ自身の事は置いておく、というのを前提にして聞いてほしいんだが」

「うん」

「今、ゾンビ達はそのほとんどがアイツの偽物になりつつあるのは、恐らく知っていると思う。これほど流行している……俺達ゾンビが言えた話じゃないが、俺達ゾンビさえも巻き込んだパンデミックが起きている。そんなパンデミックの被害者……まぁ感染者だな。アイツを名乗る偽物の感染者に俺が襲われていて、そこを助けたのがアイツだ。それで、アイツはこのパンデミックの原因を探るのと、まぁ諸々を調べるためにゾンビの本拠地に向かおうとしている。俺はその付き添いだ」

「待て、本拠地だと? ……あのマザーとかいう女のいる島、とかいう場所か?」

 

 思わず口を出してしまう。

 少年ゾンビは……ワイニーは、然して気にした風もなく、ああ、と答えた。

 

「ここから南……海岸線から更に距離を置いたところにあるリゾート島。そこがゾンビの本拠地だ。と、聞いた。俺は行ったことが無いからな、全部アイツの情報によるものだという事を念頭に置け」

「リゾート島……あそこか」

「人間の方がそういう娯楽施設には聡いか。そこにゾンビの本拠地がある。だが、アイツの話ではマザーは死んでいるとのことだ。故に原因がマザー以外にあるものだと推測している」

「死んでいる? ……まぁ、それはいい。その島にはどうやって行くつもりだ。船があるのか?」

「泳いでいく。俺達ゾンビは疲労も呼吸も必要ないからな。人間より移動範囲は広いんだ」

「成程……そこにパンデミックの原因がいる、と思って良いんだな?」

「恐らく、だ。確実じゃない。俺達がそこへいくのも、それを確認するためだ」

 

 逡巡する。

 天秤。

 

「ついていく、とか言うんじゃねえかと思ってるぜ、俺は」

「……」

 

 今まさに言おうとしていた事を、後方……少女ゾンビが遮った。

 ニヤニヤと軽薄な笑みを浮かべて、少女ゾンビは馬鹿にしたように嗤う。

 

「お前、ミザリーちゃんどうする気だよ。おいていけねぇだろ。船を入手する? 都合よくそんなものがあるかね、あっても動くかね。行った所でどうする。あの島はゾンビの巣窟だ。うじゃうじゃいるぜ、嫌になる程な。更に幹部クラスが五人いる。前の俺クラスの戦闘力持ってる奴らだ。お前一人ならなんとかなるかもしれねぇが、ミザリーちゃん守りながらじゃ無理だろ」

「……」

「まぁ、俺達に任せて置け、人間。お前達は弱いんだ。すぐに死ぬ。一応他のゾンビの擁護をしておくと、俺達はすぐに死ぬ人間が怖かったのさ。だから死ななくしたかった。ま、そのやり方が合ってるとは俺は言わん。人間が人間らしく生きて、その先で死んで──それこそが美しいという理念も、理解できなくはない。俺は自身のエゴより、個人の意見を尊重するよ。だからこそ、お前らを連れていく気はない。人間は人間らしく短命に生きて、そしてどこかで幸せに死ね。パートナーと寄り添って、花にでも囲まれて死ね」

 

 何故か、そこにマルケルを幻視した。

 少女の方より、少年の方に。ワイニーと呼ばれた彼の方に、根は真面目なマルケルを重ねる。ならば軽薄な少女と真面目なワイニーを合わせて、丁度一人のマルケルだ。

 

「ミザリー、お話はここまでにしよう。どうせこれ以上の手札は俺に無い。お前らの話は聞いても面白くはないだろう。どうせ惚気話しかないだろうからな」

「ワイニー……」

「君は良い人だな。こんな短時間の、それもゾンビとの別れを惜しんでくれるのか。ふん、ジョゼフといったか、お前……大事にしろよ、彼女を」

「言われるまでもねぇ」

 

 少女の方が近づいてきて、ワイニーの頭にぽんと手を乗せた。

 俺は俺で、ミザリーの肩を抱く。

 

「今生の別れだ」

 

 拳を突き出す少女。

 

「すでに死んでいるがな。まぁ、言いたい事はわかる。じゃあな、ジョゼフ、ミザリー」

「うん。また。元気でね、ワイニー」

「あれ、俺は?」

 

 ばいばい、と手を振る彼女に……ふぅ、と息を吐いた。

 そして言う。口を開く。

 

「じゃあな、マルケル。次こそ、会う時は地獄だ。ここじゃない地獄で酒を飲もう」

「馬鹿野郎、お前が行くのは上だよ上。彼女を大事にして、人類に貢献しろ。"英雄"サマ、だろ」

 

 中指を立てて、マルケルは言う。はしたないから止めろ、とその手を下ろさせるワイニーとじゃれつきながら、二人は海の方へ歩き出す。

 ミザリーの肩をもう一度強く抱いて──ふと、ワイニーが振り返ったのが見えた。夕日に逆光で、けれどその目が俺を見る。

 

 

「一つ、思い出した事がある」

 

 その声は決して大きくはないのに、何故か届いた。耳に響く。

 

「リザ、という名が──多分、どこかに」

 

 それだけ。

 それだけ言って、ワイニーはマルケルに抱きかかえられ、駆け出し──その姿を光に溶かしていった。

 

 リザ。

 

「誰だ? ミザリー、知り合いにいるか……って、どうした、ミザリー!?」

 

 震えている。ミザリーが、震えている。

 けれどそれは恐怖ではない。顔は真っ青どころか──真っ赤だ。上気した頬で、恍惚の笑みを浮かべて。

 

「ミ、ミザリー……?」

「ううん……大丈夫。大丈夫。ちょっと、あることを思い出しただけだから」

「そうか……体調が悪いとかでは、ないんだな?」

「うん。大丈夫。ありがとう、ジョゼフ」

 

 その笑みを浮かべたのはそれっきりで。

 けれど俺はリザという名を忘れぬ事を誓った。彼女にとって、何かあるのは間違いないだろうから。

 

 

 日が沈む──。

 

 

 

 



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レッツノム-輝かしく、麗しく、黒い混沌

排泄物に纏わる話があります。ご注意。



 そこはかつて、人間の国だった。

 ゾンビが湧いて出ても尚大国としての姿を他国へ示し続け、"英雄"を二人も擁す希望の国。ゾンビの対策は日々着実に研究され、洗練され、より堅固なものへと進化していく──そんな国。

 しかし今ここは、沢山の腐肉と、大量の砂が広がるばかりの廃墟となってしまっていた。

 その原因は、二つ。

 

 一つは"マルケル"の出現。そしてそれによる襲撃の激化と、"マルケル"同士の蟲毒。

 奇しくもすべての元凶たるマザーが行っていた同じゾンビ同士の蟲毒によるゾンビそのものの進化が、堅牢な守りを持つこの国の壁の内で再現され、ソレが成っていた。

 最後に残った一人の"マルケル"は早期に国を出たけれど、彼の後ろにあったのは"マルケル"の争いに巻き込まれた憐れな人類と、"マルケル"の闘争に敗けた哀れな腐肉の死骸だけ。"マルケル"は国を出た時点で全てを壊し尽くしていて、だからこの国にはもう、何も残っていなかった。

 

 ……なんてことはない。

 "マルケル"が、最後に残ったその一人が国を出たのは、この国に何もなくなったから、ではない。

 本当の理由は、殺しても死なない人間が──ゾンビになることも、死ぬことも無い何かが、大量に巣食っていたからである。

 

 それが原因の二つ目。

 この国の国民。そのおよそ半数が、砂と岩で出来た、見た目だけを繕った人形であったのだ。今まで友人と、家族と、同僚と……そうして人間との関係性を築き上げてきた者が、ただの砂人形。彼ら彼女らは"マルケル"にもゾンビにも抵抗せず、無造作に破壊され──けれど次の日には、元通りに戻って、"普段"を続けている。

 砂人形の判明から、"英雄"も国民も、争い合う"マルケル"とは別に、それら人形を恐怖する様になっていった。ゾンビを相手に戦う事もある。その戦いに殉ずる事もある。恋人を守ってその命を散らし、恋人の命を繋げる事もある。

 けれど、次の日には直っている。

 あれだけ感情的に離別をした。あれだけ絆を覚えていた。あれだけ縁に浸っていた。

 しかしそれがただの人形遊びなのだと気付くのに、そう時間は要さなかった。

 

 "マルケル"ゾンビは基本人類の敵であるが、考える事の出来るゾンビである。

 勿論自身を名乗る偽物の存在は許す事は出来ないが、目の前で繰り広げられるそんな異様な光景に対して思う所がゼロ、なんてことはない。

 効率が悪い、と思ったのもあるだろう。同胞を作らんとして多少の命の危険を賭した感染が、相手が砂人形だったことの判明で意味のないものとなる。恋人らしき男の方が砂人形だった。だから女の方を同胞にするため傷をつけたら、その傷口から砂が零れてきた、なんてことが一度や二度ではないのだ。

 民家を襲撃したら、その一家丸ごと砂人形だった、とか。

 マンションの住民の一人が砂人形で、それを異様な目で見つめる、あるいは化け物を見るような目で見る親に連れられ逃げる子供たちも、全員砂人形だった、とか。それに驚く親は人間で──その周囲にいた他の子の親は砂人形で。

 

 吐き気がする。気持ちが悪い。

 ゾンビには無い機能だが、しかし、この国の異様さを"マルケル"はその肌で感じ取った。

 

 ゾンビは人間よりも遥かに死のリスクの減った存在であるとはいえ、ノーリスク、というわけではない。人間を守るために、まるで決死が如く吶喊してくる砂人形。一人一人は"マルケル"の敵ではなくとも、その数が数だ。万が一もある。

 砂人形と人間は壊してみるまで見分けが付かず、砂人形は完全に破壊されるまで動き続ける。

 それはもう、ゾンビと何ら変わらない存在だろう。違いは人間に害があるか無いか。"マルケル"同士のソレでない限り、死に難い者同士の争いなんて不毛の一言に尽きる。敵が無尽蔵であるなら尚更だ。

 

 だから"マルケル"は逃げた。この人間の国……否、砂人形に飼われた人間の国から。

 

 "マルケル"が国を去った後、起こったのは内紛だ。

 隣人が砂人形である、という事実は、たとえ自身に害を為さずとも到底受け入れられるものではなかった。壊して見なければ砂人形かどうかはわからない──だから壊し合った。

 国民達は隣人に刃物を振りかざし、子を刻み、親に刃を突き立てる。

 初めは迷いがあった。倫理を侵す行為である。何より今の今まで大切に育ててきた我が子や、最愛の両親、恋人を傷つける行為に躊躇いはあった。そこまでは、確実に。

 

 けれど。

 腹を痛めて産んだはずの子供が砂人形だった。

 生まれた時から、病室にいた頃から幼馴染として育ってきた少年の親友が、砂人形だった。

 年老い、こんな時世でもと介護を頑張ってきた娘の老いた両親が、砂人形だった。

 

 巣食うという表現に一切の間違いはない。

 この国の半数はいつの間にか──あるいは最初から砂人形で形作られていて、身内が"そう"であると知った人々の理性のタガはいとも容易く外れる事となる。

 確認しなければ安心できない。壊さなければ理解できない。殺して、明日挨拶をしてこなければ人間だ。傷付けて、治らなければ人間だ。

 殴ったり、蹴ったり、叩いたりするだけではわからない。砂人形は一丁前に痛がるし、泣き喚くし、命乞いをするから。だから確実に殺さないと判別が出来ない。

 

 狂っている。狂気に陥っている。

 そんな事は誰もが分かっていたけれど、目に見える変化のあるゾンビより、目に見えない砂人形の方が、その這い寄る恐怖は大きかったのだ。

 そうして、この国の民は自分たちを傷つけ合った。砂人形たちを使えば安全にゾンビを退ける事も可能だっただろう。むしろその用途としてこれだけの数がこの国に置かれていたのではないかと考えることもできるだろう。殺しても死なない、次の日には再生する砂人形(ゴーレム)を使役して、ゾンビから身を守る。

 それをしてほしくて、砂人形を巣食わせた誰かはこの国にこれだけの砂人形を配置したのだろう。

 しかし、その意図を汲む人間は誰一人としていなかったし、その誰かも人間の心というものを理解していなさすぎた。すれ違いというのも烏滸がましい独り善がりの善意。

 

 結果。早期に"マルケル"ゾンビを国外へ追い出す事に成功したその国は、滅んだ。

 腐肉はゾンビの肉だけでなく、殺し合った国民同士の死骸。片付けられる事も無く放置された死体は腐り果て、ゾンビと同等になった。

 そして人間が居なくなったことで役目を終えた砂人形たちも、ただの砂に戻る。用途が無ければ、あるいは目的が無ければ動かない砂の人形。

 

 そこはかつて、人間の国だった。

 しかし今そこは、沢山の死体と、物言わぬの砂が広がるばかりの廃墟となっている──。

 

 

 

 π

 

 

 

 イースは他国から来たという"英雄"のその"思い出話"に対し、掛けるべき言葉を見つけられずにいた。

 生き残ってしまった二人の"英雄"。国は崩壊し、ゾンビの脅威も去った今、自身らに出来る事は他国の手助けだと思い立ち、この国を訪ねてきたという。

 戦力はありがたいと素直に思う。イースはすばしっこく、思考の範囲外による攻撃と情報処理能力に優れた"英雄"であるが、遠い西の街に聞く剣の一振りでビルを割断する"英雄"のような火力とでも呼ぶべき物を有していない。

 "マルケル"ゾンビが襲撃を繰り返してきている今、助太刀は素直にありがたい事だった。

 

 けれど。

 

「砂人形……国民が。はぁ、余計な不安を持って来ないで欲しかった……」

「すまない」

「申し訳ない」

 

 イースの率いるこの国は、彼に対する神聖視と信仰、つまり統率力でどうにかなっている現状にある。

 そこに、"隣人が砂人形かもしれない"なんていう疑惑の種は、正直害にしかならない。彼ら"英雄"の出身国の二の舞になる可能性だってあるのだ。

 今まで"マルケル"ゾンビを撃退してきた人間が砂人形だったという報告は聞いていないが、死なないように立ちまわっている可能性もゼロではない。そもそも砂人形とはなんなんだ、とイースは思う。ファンタジーじゃないかと。オカルトじゃないかと。

 

「イース。……あれ、お客さん? 邪魔かな」

「いや、大丈夫だよメイズ。こちらは他国の"英雄"のシンさんとセイさん。情報共有と助力にって駆け付けてくれたんだ」

「こんばんは、お嬢さん。私はシン。少し北の方にある国で"英雄"と担がれてきましたが、国を守るに至らず、こうしてこの国へ流れ着き、せめて人類を守る事に貢献しようとイース殿に相談をしておりました」

「セイです。シンと同じ国で"英雄"と呼ばれておりました。シンと同じく、好きに使ってください。私達にはもう、今無事である人類を守る以外の道が残されておりません」

「あ、えと、メイズです。よろしくお願いします」

 

 会議室に入ってきたメイズはいくつかの書類を手にしている。彼女はせめて自分に出来る事をと人間の兵から上げられた情報のまとめ上げや対抗手段などを発案を担っていて、どうしても戦地へ赴きがちなイースの確固たる支えとして日々を過ごしている。

 "英雄"シンとセイの目から見て、二人は年端も行かぬ子供……それもまだ十を数えるか数えないくらいかの容姿である。イースが"英雄"であると知ってはいても、その彼に寄り添う少女に庇護欲を掻き立てられるのは無理のない事だった。

 

 メイズが"英雄"達のいるテーブルにその書類を広げる。

 書かれているのは"マルケル"ゾンビの動向や生態、弱点といった重要なもの。シンとセイのいた国における最新鋭の情報より更にさきを行くそれに、二人は目を瞠る。

 

「これは……これは、素晴らしい。これほどまでに細かく、且つ的確な……」

「裏打ちはどのように……なるほど、膨大な試行回数ですか。相当な練度の兵をお持ちのようだ」

「まぁ、ウチは個の強さというより群の強さだからね。互いを互いでカバーしあって、出来るだけ被害が出ない様に、出来るだけ迅速に対処できるようにを心掛けてる。勿論それが出来るのはしっかり報告を上げてくれる兵と、その精査と統合をやってくれている彼女のおかげだよ」

 

 二人が"マルケル"ゾンビに関する書類を見ている内に、もう一つの束を手に取るイース。そこに綴られているのは、"とある筋"から齎されたという噂の一つ。

 

「……マザーが一度死んで、けれど生きていて、僕達の近くにいる可能性がある、か……全く、どうしてこう、悩みの種ばかり」

「ごめん」

「ああ、僕の方こそごめん。メイズに文句を言っているわけじゃないんだ。……ただ、少し驚いたな。今島は、たった三人しかいないのか。それにエインとイヴが……」

 

 イースは自身の口の中だけでぶつぶつと呟く。受け取った情報と自身の過去を照らし合わせ、その事にさらに頭を揉む。

 

「イース殿、私達に役割を与えてはいただけませんでしょうか。この国の守護は勿論ですが、兵の方々の連携を崩すのも悪い」

「シンは槍を、私は柳葉刀を用います。それぞれ、貴方の采配にお任せいたします」

「ああ、わかったよ。じゃあまずは……」

 

 突如手に入ったとびきりの戦力。先も述べたが、イースにとってそれそのものは素直に嬉しいのだ。砂人形も、ゾンビの様に害のあるそれでないのなら今は良い。今は良いものを考えるのは後だ。

 自分以外の"英雄"を運用するのは初めての事ではあるが、そこに憂いは無かった。二人と話し合いをしながら、防衛についてを詰めていく。

 

「イース、私は先に帰ってるね」

「うん、僕もすぐに帰るよ」

「あ、それでは私がメイズさんの護衛をいたします。シン、後程情報の共有を」

「死力を尽くせよ、セイ」

「ん……じゃあ、お願いするよ、セイさん」

「はい」

 

 それでは、と言って。

 セイは会議室を後にする。先を行くメイズに遅れぬよう歩を早めて──灯りの無い廊下を曲がった所で、ふと立ち止まった。

 

 

 

 н

 

 

 

「失敗だったね」

「人間への理解が足りていなかった。それに尽きる」

「人間は異形を排斥するものだから、迫害した私達を奴隷みたいにするか、他のゴーレムみたいに壁として使うとかすると思ったんだけど……まさか自分たちで殺し合うなんて」

「やはり、表面上だけでも血液が出る仕組みを追加するべきではないか? 血液……赤いだけの液体でも良い。精製の機能か、皮膚下に赤い液体を流す仕組みさえあれば、人間がああも狂乱する事は無かったはずだ」

「どうかな、直る時点でどうしようもないと思うけど。この機能だけは停止できないし」

「それは……そうだが」

 

 今までの人見知りを思わせる態度でも、庇護欲の湧いた少女に対する真摯な態度でもない。

 等しき間柄──あるいは、自分同士の会話。

 

「ちょっと不味いかな、って思ってる」

「人間の数が足りない、か」

「うん。そろそろ出来上がる頃だと思うから、今いるゾンビをすべて活動停止にさせるのもそう遠くないとは思うんだけど、人間が減りすぎたね。もう少し戦力あげて、過保護に守るくらいにしないと難しそう」

「安全が確保されさえすれば、人間と言うのは娯楽を求めるもの。娯楽少なきこの時世であれば、交尾に励んでくれると思いたいが」

「彼はどう? 好意を抱かれている感じ?」

「兄妹の倫理があるのだろうな、手は出してこないが、恐らく好意は向けられている」

「生殖機能を付けるのは難しいから、貰って、体外受精でなんとかするのが一番かな」

「わかった。そちらが羨ましくはあるな。ゾンビが相手だ、何の懸念も無い。どのタイミングで停止させるかによっては多少の被害も考えられそうだが」

「うん。まぁ適当なタイミングでやっておくよ。血液が出る仕組みは一応考えておく。血が通った生き物、ってだけで信用してくれる人間はたくさんいるからね」

「頼んだ」

 

 観察結果と対策手段。

 人間への理解度が足りなかったと話しておきながら、理解をする素振りを見せない。ただ全滅されるのが困るから、増やす手段を構築する。目的を遂行するために必要なものを機械的に選ぶ──まさに人形だ。

 遠隔での情報共有ができるわけではないため、こうして人間の様に口頭で会話をして、新たな目的を定め、次の瞬間には"英雄"に寄り添う少女と"英雄"と共に在る妹に戻る。

 そのままセイはメイズを家まで送り届け、また作戦会議室へと帰るのだった。

 

 "英雄"セイ。

 彼女は、"英雄"シンと共に在る役割を持った、砂人形の一体である。

 

 

 

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 シンに役割を与え、また一人になった会議室で、イースは一人書類と向き合っていた。

 先ほどメイズより渡された報告書の一つに書かれているのは、とある島に関する内部情報だ。先ほど声に出して整理したその情報を、改めて見る。

 

「……本当にアイズは死んで……世界に"マルケル"が流行った、か。じゃああの時僕が殺したのは……」

 

 詮無き事だ。あの時深く会話をしたのがあの一体だったというだけで、その後も、その前も、イースは沢山の"マルケル"ゾンビを殺している。

 あの時。何が起きているか判らない混迷の中、ようやく見つけられた知り合いにどれほど安堵していたのだろう、とか。

 明るく振舞っておきながら、実は結構焦っていて、だからこそのぶっきらぼうな感じだったのかもしれない、とか。

 

 そんなことは、考えなくていい事だ。

 既にイースはゾンビを裏切っていて、人間についている。初めから、同情なんてかけるべきじゃない。

 

「エインとイヴが行方不明。アイズは死に、パンデミックを引き起こした。僕は寝返り、ヴィィは"マルケル"に乗っ取られた……島に残っているのはウィニとヴェイン、そしてヴィィの身体を使うマルケルだけ」

 

 人間側も確かに壊滅的な状況だ。

 けれどゾンビ側も万全とは言えないな、と笑う。

 

 メイズと共に掲げたマザーを倒すという目標は、島に残ったゾンビ達によって叶えられたらしい。けれどその後もマザーの影が大陸中に見え、彼らはこれをまだ生きているのだと判断。それを探している間に第二次パンデミックが発生し、いつの間にかエインとイヴが消え、島のゾンビにも感染が広がり、ヴィィまで失われて……もう、散々だ。

 こんな情報量を叩き付けられて、それを一晩で処理する、なんて。

 

「……でも、気になってくるのは……昔マザーが作っていた抗菌薬、かな。進行の遅かった頃の細菌の増殖を抑制し、更には滅菌にまで至る薬。あれは"マルケル"ゾンビに効くのかな。効かなかったとしても……どうにか、そのどこかにいるらしいマザーを捕えて作らせれば……世界は救える?」

「やはりお前も、その考えに至ったか」

「うん。……久しぶり」

 

 気付いていた足音だ。突然声を掛けられたとしても驚くことは無い。

 誰もいない作戦会議室の窓辺。

 そこに人影があった。

 

 スーツを着た、ガタイの良い男。

 

「ヴェイン」

「本当に久方ぶりだな、イース」

 

 裏切り者──ヴェインがそこにいた。

 

 

 

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 そもそも彼が何故、裏切り者と呼ばれているのか。

 それは彼が、マザーへの反乱を起こす前から、人間の国との繋がりを持っていたためである。彼はゾンビの身でありながら人間達にゾンビの弱点を教え、その習性を教え、その地位を確かなものにしていた。彼が身だしなみや体臭を気にしていたのはそう言った理由で、未だ彼の事を謎多き情報屋であると認識している……人間であると認識している国も少なくはない。

 けれど、確固たる地位を築くことが出来たとしても、ゾンビである。金も、女も、食料も必要のない身体。わざわざ仲間の情報を売ってまで手に入れるものなど、ヴェインには無かったはずなのだ。

 

 だから彼は裏切り者と呼ばれている。

 

 何も要らないから、仲間の情報を売りたい。渡したい。

 組織に所属しているから、それを内側から崩したい。

 それがヴェインの行動理念だ。ゾンビとなった直後の、人格や記憶をほとんど失っていた時からその片鱗はあり、人格を取り戻してからは積極的に島の外へ行くようになった。かつて彼がマザーに対し報告を行った時、「イースは帰還を拒否した」と告げたように、その頃からイースとの交流があったし、行方不明と言っていたウィニとも勿論繋がっていた。

 勝てる方に付くわけでも、面白そうな方に付くわけでもない。

 

 ただ彼はリークをして、その秘密が崩れ去る様を見たいだけ。

 

「大丈夫だったの?」

「ああ、ウィニも俺も無事だ。あのお嬢さんに伝えた通り、ヴィィはやられてしまったが、知性アガリをした者にアレが感染するのかどうかを確かめるための必要な犠牲ではあっただろう」

「……まぁ、僕はヴィィに会った事ないから、何も言わないけど」

「そうか、それは楽でいい。それよりも本題に入ろう。アイズ……いや、マルケルを名乗る同胞についてだ」

「うん。さっきも言ったように、マザーが生きているなら、抗菌薬を作ってもらうのが一番だと思う。マザーは人間を絶滅させたい、とは言ってなかったよね。様子見で、残しておけ、って」

「そうだな。だからこそ、人間に手助けをする存在にはマザーの影があると俺は見ている。……心当たりはないか、イース」

「うん。マザーみたいな人がいたらすぐにわかるよ。あの人には独特の怖さ、みたいなものがあったし……」

「……はぁ」

 

 ヴェインは、人間みたいな溜息を吐いた。息をする機能のないゾンビ達だが、ナンバーゾンビの中にはこの行為を好んで行う者が幾人かいた。かくいうイースも、精神に疲労を感じた時は声で溜息を演出する程。

 けれど此度の溜息(それ)は、疲労ではなく……呆れによるものだと、イースにも伝わった。

 

「自身で気付いてくれたのなら、それが一番だったのだがな。いいか、イース。俺はずっと……疑っていた。だから調査もしていた。知っているか、イース。お前の家は、ここ数ヶ月……一度も下水に排泄物を放出していない」

「……流石にプライバシーの侵害過ぎない? 気持ち悪い事いうなぁ」

「なぁイース。あのお嬢さん──アレは、なんだ」

 

 イースの苦言を一切意に介さず、ヴェインは問うた。

 

 大切な子を"何"扱いされてイースはムッと来たけど、その一方で菌が情報の処理を始める。

 

「排泄物が無い? ……それは、その、メイズがしてない、ってこと?」

「そうとしか考えられん。いいか、イース。島の研究室を覚えているか。実験室……マザーがいたあの施設だ。俺達が生まれた場所」

「明確に覚えているわけじゃないけど、まぁ覚えているよ」

「あそこにはトイレがない。シャワー室もない」

「……島の外は海だ。そんなものがなくたって」

「施設の外に出るマザーから監視の目を外したことがあったか? 無論あの時は護衛の意味を持つものだったが、そう言った素振りをした、との記録は無い。既に俺はウィニと結託していたからな、マザーの隙となるものを探っていたが……無かったよ。彼女は食事をしていなければ排泄もしていない」

「でも、メイズは食事をするよ。何度も見てきた」

「では何故排泄をしないんだ。人間だぞ。俺もお前も、人間であった頃の事は思い出しているはずだ」

「でも……」

 

 イースは必死に思考を巡らせる。否定材料だ。下水の調査をしたのはヴェインなのだから、嘘を吐いている可能性もある。裏切り者だから、イースとメイズの仲を引き裂き、この国を瓦解させるために嘘を吐いている可能性はゼロじゃない。

 

「今日来た二人の"英雄"。彼らの国の末路は聞いたか?」

「……砂人形と、人間同士の殺し合いの話? ……まさか」

「イース、彼女が傷を負ったのを見た事は?」

「……無いよ。僕が守っているから……傷なんか、負わせないようにしているから」

「別にあの国のように殺し合え、と言っているわけではない。ただ指先にだけでもいい、傷をつけて見ろ。それで……すべてが分かる。俺はあの子がマザーだと睨んでいる。あの子であれば、少なくともこのふざけた第二次パンデミックに終止符を打ち得ると」

 

 守るべき少女に、傷をつけろ。

 そんなこと聞けるわけがない。どうせこれも彼の趣味の範疇だ。

 そう断じる事が出来たら良かったのに、イースは少しだけ、ある事を思い出してしまった。

 

 いつか上げられた、国外にメイズがいたという報告。

 齢十を数えるか数えないかの少女が国外にいて、保護しようとしたら蜃気楼に包まれるようにして消えてしまったという、不思議な話。

 あれが幻覚でなく、本当にいたのだとしたら。何故彼女はゾンビに襲われずにいたのか。どのようにして彼女はそこに行き、どのようにして帰ってきたのか。

 彼女はそこで、何をしていたのか。

 

 この国の兵は虚偽の報告も適当な報告もしない。出来ない。あまりにイースを神聖視しすぎて、出来ない。

 だからそれは、やっぱり見間違いなんかじゃなく。

 

「確認、する。けど、違ったら潔く手を引いてほしい。あまりこの国をうろちょろするようなら──殺すよ、ヴェイン」

「凄むな、俺はお前を心配して……ああ、わかった、わかった。あの子がマザーや砂人形じゃなかったら、俺は潔くこの国から出るよ。もうこの国に近づかないと約束する。それでいいか?」

「うん。……ウィニは、この話を知っているの?」

「まさか。あの女に知らせたら、疑わしきは死よ、とか言って何が何でも殺しに来るに決まってる。俺はああいう極端なやり方は嫌いなんだ。しっかり裏取りと証拠を揃えて、少しずつ突き崩すのがいいというのに」

「僕にはどっちも理解できないよ。あと……エインとイヴに関してだけど」

「それについては本当に情報がない。特に何があったわけでもなく、いつの間にか消えていた。あまりマザーのせいにばかりするものではないとわかっているが……」

「それも、か」

 

 知性無きゾンビでもない限り、海で溺れるなんてことはほぼあり得ない。

 ならやはり、連れ去られたとみるべきだろう。

 

「決行は明日……ううん、早い方がいいか。今日の夜……メイズが眠った時に、試してみるよ」

「一応、人間だった場合、粘膜に触れないよう気を付けろよ。その子を同胞にしたいわけではないんだろう?」

「うん。気を付ける」

 

 どうしても湧いてしまうヴェインへの仲間意識に、彼を信じすぎないように気を付けながら、イースは頷いた。

 

 裏切り者。

 はたして、どちらが──誰が。

 

 

 

 



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レッツノム-愛らしく、芳しく、白い陰影

再開
※少々前話と被る描写があります。


 あるいは。

 

 彼女──メイズを名乗る少女が、()()()砂人形であれば、裏切り者・ヴェインの目論見も成り得たかもしれない。イースの用意した針が少女の指先の柔肌、その薄く浅い部分を刺し貫いて、そこから砂が零れ落ちる事で"英雄イースの統べる人間の国の崩壊"は成し得たのかもしれない。

 しかし。だが。けれど。

 残念ながら、それが現実となる事は無かった。

 

 すやすやと眠る少女の指先からは赤い液体が零れ落ち──それは布団や床に落ちて尚、砂塵に還ることなく、赤く紅く浸み込んでいったのだから。

 それは紛う方なき証明だった。

 彼女が砂人形でなく、人間であるという証明。"英雄"イースに寄り添う少女が、どこまでも普通の少女であるという裏付け。ヴェインの浮かべた、あたかも心配しての提言であるかのような教唆煽動の前提と根底を覆すその原拠が、ヴェインの出鼻を挫き、イースの背中を押した。

 何よりメイズはあの時無数のゾンビ達に襲われかけている。イースがそれを守ったのだから、その矛先がどこを向いていたのかだってわかっている。

 

 メイズは、違う。砂人形ではない。マザーではない。

 勿論、ゾンビでもない。

 

 果たして。

 

 その()()に最も驚いたのが──イースでも、ヴェインでもなく。

 他国から(きた)る"英雄"の片割れ、"英雄"セイであったのは、誰にとっての想定外であったのか。

 

 追い出されるようにして国を出たヴェインが肩を落とすその背後で、静かに入った罅による軋みが産声を上げ始めていた。

 

 

 

 Й

 

 

 

 確実に"マルケル"ゾンビの数が減ってきている。

 その報告は、イースにとって非常にありがたいものだった。

 どれほど彼の存在の弱点に関するデータを集めた所で、地力の部分に大きな差がある。今までは知能が人間以下だったから、人間が集まれば倒す事の出来ていたゾンビだ。"マルケル"になった事より、知能があがったこと自体が最大の難点で、怪我の許されないただの人間と、脳以外の損傷をものともしない人間並みのゾンビの戦いが拮抗するはずもない。

 確実なジリ貧。それがこの国の現状。だった。

 シンとセイの到着によって齎された少しばかりの余裕でさえ、根本的な解決には至らない。"マルケル"ゾンビをなんとかしないことにはどうしようもない。

 それが、色々と策を考えた結果、時間というものに救われつつあるのである。

 

「時間が全てを解決してくれる、か……。陳腐な言葉だけど」

「全て、かな」

「ん……そうだね、全てじゃないか。大体は、だね。多分、もっともっと深い部分……ゾンビの根絶。それは時間じゃ解決できない」

「ゾンビの根絶……本当に成し得るのでしょうか」

「シン、臆病風に吹かれているのですか?」

「いや……そうは言わない。だが、現実も見なければならない。この地球と言う星は広く、大きく、その全てにゾンビが蔓延っている。それの断絶、となれば……途方もない時間がかかるのは事実だろう」

「それについては僕に考えがあるよ」

 

 作戦会議室。イースとメイズ、シンとセイ。"英雄"三人と参謀が卓を囲む。

 彼らがこうして集まっていられるのも、"マルケル"ゾンビの襲撃が減ってきた事に助けられたもので。

 

「ほう……その考えというのは?」

「その前に。……かつて一部の国がゾンビに対する抗菌薬、というものを売っていた事を知っているかな」

「あぁ、我が国では流通しませんでした故眉唾でしたが……本当に存在したのですか?」

「うん。海を渡った向こうの国ではいくつかね。けど、その流通……供給かな。それはある日ばったりと途絶えた。どうしてだと思う?」

「ふむ。普通に考えるのなら、それらの国で創薬……薬を作っていた科学者が死んだか、ゾンビになったか。その辺りでしょうか。そのような人材、最優先で守るべきだとは思いますが、万が一という事はこの世において失くせぬもの。して、答えは?」

「半分は正解。薬を作っていた科学者が死んだんだ。けど、その科学者がいたのはそれらの国じゃない」

「国ではない……?」

 

 イースのその口ぶりに、メイズが少しだけ躊躇するような表情を見せた。「いいの?」と聞かれているような気がして、イースはメイズににっこりと微笑む。

 そうして、頷いて。

 また口を開いた。

 

「それらの国は、その科学者と取引をしていたんだよ。対価を渡す代わりに抗菌薬を、ってね」

「……国家に所属しておらず、しかしゾンビ化を防ぐ……治療できるような薬を創る事の出来る科学者、ですか」

「うん。流石は"英雄"だね、気付くのも早い」

「……何者なのですか、それは。この……この世界を、混沌に貶めた──ゾンビを世に放ったその愚か者は……!」

 

 怒りの表情を見せるシン。当たり前だ。紛う方なき根本。主犯、主謀、原因要因……諸悪の根源がいる事を知ったのだから。それらと取引なんてことをしていた国にも怒りを抱くけれど、シンとてそれら国が……"海の向こうの国々"が次々と崩壊している事も知っている。怒りを向けた先のモノが滅んでいるなど、そんなに虚しい事は無い。

 だからこそ、シンはその何者かに怒る。果たして、この場にいる者で、確かに正当な怒りを持っているのは彼だけなのだろう。

 

「マザー。そう呼んで……呼ばれている。女性の科学者、らしい」

「マザー……なんともおあつらえ向きな名ですね。ですが、その存在は死んだと先ほど仰られたような……?」

「うん。死んだ、らしい。僕も伝え聞いただけだから真偽の程はわからないんだけど、少なくとも抗菌薬を取引していた国は突然の取引終了に大混乱で、マザーのいる場所に送られていたエージェントは皆口々にマザーは死んだ、殺された、って言ったらしいよ」

「……では、この怒りはどこへぶつけたら……!」

 

 ヴェインから齎された情報は何もゾンビ側の事情だけではない。各国の動向、情勢、対抗手段や怪我人の数、"英雄"の有無など、裏切り者の名に恥じぬ諜報活動によるレポートが事細かに並べられていた。これでこちらを狙ってこなければ果てしなく有能なんだけどね、とイースは口の中で溜息を吐く。

 メイズをチラ、と見遣って、その左手の指先を確認する。見た目、傷がついたこと自体わからないだろう刺し傷は、けれど多少の痒みがあるようで、メイズが頻りに指先を見ているのがわかった。罪悪感。

 

「シン、落ち着いてください。その上で考えがあると、イース殿は仰っているのです」

「む……そうだな。すまなかった、イース殿。続けてほしい」

「うん。そう、それで……マザーは死んだ。各国と取引をしていたマザーは、ね」

「……まさか」

「そう……君たちは既に経験しているよね。死んでも死なない人型。同じ素材の人形」

「砂人形、ですね」

 

 メイズがマザーで、砂人形……などと言う妄言は嘘と断じたけれど、マザーが生きていて、砂人形として世界に蔓延っているという考えはあながち間違っていないのではないかとイースは考えている。あの島に、マザーの部屋に生活感が無かったのは事実だ。加え、マザーが死んだ後に第二次パンデミックが起こったという時系列を聞かされたことが、彼女の生存説に拍車をかけた。

 全ゾンビが進化という形で強化されるならともかく、アイズ……"マルケル"という人格が蔓延するなど、偶然と考えるには余りにも恐ろしい。

 人為的に起こす事が出来る、と言うのも勿論恐怖だが、偶然の方がもっとあり得ないと、そう考えた。

 

「君達の話を聞いて、思い至ったんだ。マザーは砂人形で、世界各地にいる。とすれば……」

「マザーの作っていた抗菌薬の入手手段がまだある、という事ですね?」

「そう。これだけの短期間で世界中の人間をゾンビに出来たんだ。途方もない時間をかけてゾンビを殺して回るよりは遥かに少ない時間で、世界中のゾンビを無力化するような薬も生み出せるんじゃないかなってね」

「成程。それで、マザーという存在の心当たりは?」

「ゾンビの出現と共に現れた僕達"英雄"。その周囲にいる存在──」

 

 金属音が響いた。

 発生元は、メイズの眼前。セイの柳葉刀、イースのシミター。そしてそれに防がれた、シンの槍。三人が三人、武器は壁に立てかけていた。けれど、イースの発言から一秒と経たぬ間に衝突が起きたのは、やはり"英雄"が故だろう。あるいはその覚悟のせいか。

 

「シンさん!」

()()()()()()()()!」

 

 書類の置かれた机に駆けあがってまでの横蹴り。

 それは確実に彼女を吹き飛ばした。

 

 メイズ──ではなく。

 

 セイを。

 

「共に生まれ出でて──二十余年。幾度となく打ち合い、幾度となく助け合った……我が最愛の妹よ」

 

 メイズを抱え、部屋の後方に下がるイース。

 彼の視界で今、嵐が生まれようとしていた。

 

「貴様か」

「……残念です」

 

 それは、小さな小さな傷だった。

 金属による切り傷ではない。紙だ。資料用の紙片によって切り裂かれた、小指の外側の浅い皮膚。

 メイズからは流れ出たソレは──しかし、セイから零れ落ちる事は無かった。

 

 彼女から、彼女の指からサラサラと落ちたのは、美しき砂塵。

 

「イース殿。メイズ殿を連れ、お逃げください。私は妹を無力化し、必ず御前に連れて戻ります。ああ、ご安心を。ここを破壊するつもりはありません。国外へ飛ばし──」

「待ってほしい、シンさん」

「……」

「セイさん。貴女がマザーで、けれど人類を守るつもりがあるというのなら、協力してくれないかな。曲がりなりにも"英雄"であるというのなら……」

「それは叶い得ませんね。私達はそれぞれに役割がある。製薬は私の役割ではありません。ですが、ご安心ください。私は戦闘用にある程度チューンアップされた個体ですので、如何様にでも使い潰していただくことが可能です。ご慧眼が通り、この身は砂の人形。元来の用途通り壁にでも駒にでもお使い頂けます」

「その役割、というのは……つまり、出来るけど、やらない。そういう事だと受け取ってもいいのかな」

「はい。知識はあります。ですが行いません」

 

 傷が直る。治癒ではなく修繕。紛う方なき人形。

 その用途を提示したところで、あぁ、やはり、人間への理解が余りに足りない。

 

「どうして、メイズを狙ったのかな」

「……こちらこそ問いたい。お前、何者だ。我らではない……初めから、我らではなかったな?」

「何を」

 

 そして、足りないのは人間への理解だけではなかった。

 砂人形同士は遠隔での意思疎通が出来るわけではない。あくまで口頭での情報共有か、"自分ならこうするだろう"という推測でしか同じ砂人形を図り得ない。

 だから信じ込んだ。

 だから勘違いした。

 

 メイズ。

 セイが見た、覗き見た、昨夜の一幕。皮膚下に赤い液体を流す仕組み、など一朝一夕に作り得るものではない。それはセイ自身が、あるいはマザーとしての知識が、歴史が知っている。自己の改造は簡単だ。けれど無から有を作り出す事は何よりも難しい。

 そして、今も完治していない傷を維持する、というのが、セイら砂人形(ゴーレム)にとってどれほど難しい事か。それを知らぬ砂人形は存在しないだろう。

 

「もう、いい。セイ……お前は人間でなく、マザーなるものに連なる存在であると知れた。安心しろ、殺しはしない。否、お前達は殺す事が出来ないのだったか。故、四肢を切り落とし、製薬に首肯するまで痛めつけてやろう。家族として──容赦はしない」

「お前は何者だ。我らを知り、我らの目的を知り、なれど我らではないお前はなんだ。名を名乗れ!」

「……イース」

「うん、大丈夫だよメイズ。君が人間だというのは僕が証明する」

 

 ひし、とイースにしがみつくメイズの姿は、どう見てもか弱き乙女そのものであった。そう、そうあるべきと、その役割を課せられた存在であると知っている。知っているからこそ、セイにとって昨晩の出来事は想定外が過ぎた。

 マザーやセイ……つまりゴーレム達は、自身を自身であると疑わない。自身でない者が自身である事があり得ない。あり得ない事があれば、エラーを起こす。バグを見つけたらそれを排除せんと動く。

 

 腐っても"英雄"。常人にはあり得ぬチューンアップをされたセイから放たれた斬撃は、しかし同じく"英雄"のシンによって阻まれた。二人は同格故に、隙を突くこと等出来はしない。

 

「邪魔をするな、シン! ソイツが──ソイツこそが、すべての元凶だ!」

「狂ったな、セイ。我が国を滅ぼした原因が何を言うのだ」

「勝手に滅んだ人間の肩を持つか、シン。我らは人間に仇為す者ではなかったというのに」

「……その思想。やはりもう、お前は"英雄"ではないな」

 

 不毛なやり取りである、と言えるだろう。

 争う二人の論点は全く別の所にある。相互不理解。セイにとっての敵はメイズのみ。シンを殺す気も、イースの正体を明かす気もない。あるいはこの時点でイースが少しでも疑問を持つことが出来ていれば、違った未来も見えたのかもしれない。

 自身の正体を知っているはずのマザーらしきセイが自身に言及しない事。セイが自身の保身を考えているのだとすれば、それは余りにおかしい事なのだから。

 そこまで考えが至らなかったのは、イースもまた、マザーの考えなど露知らぬ存在であったから、というだけの話。シンを止めることなく、セイをなだめることなく。

 

 かくしてその悲劇は起こる。

 

 "英雄"イースはこの国の希望で、神聖視される存在。

 それがいる部屋で、他所から来た二人の"英雄"が争う声が聞こえようものなら、イースを守らんと会議室に押し入るのも無い選択肢ではない。本来は単なる作戦会議で、特に入室の制限もされていなかったが故に。

 この国の兵士──それを纏める立場にある者が会議室に入ってくるのは当然の帰結で。

 二人の"英雄"の内、妹の方が柳葉刀を持つ腕を根元から槍に貫かれ──それが砂塵と化す瞬間を目撃してしまうのも、おかしくない話で。

 

 統率と団結によって成り立ってきたこの国に"砂人形"の概念が伝わってしまったのは、余りにもどうしようもない軋みであった。

 

 

 

 Ю

 

 

 

「暇だな」

「そう言うな、ほら、チェックだ」

「そこ動かすならチェックメイトだがいいのか?」

「う……待て、無し、今の無し。頼む。今の無しだ」

「へいへい」

 

 岩肌の無人島──。

 

 元は娯楽の娯の字も無い、文字通り何もない島だったここは、主にアイズの要望によって様々なカードゲームやボードゲームの散乱する、リゾート島よりも生活感溢れる場所となっていた。

 暇なのだ。

 シエルという名の女性の身体を手に入れたアイズだが、この島に外敵はいない。日夜研究室に籠って研究を続けるマザーと、海で泳いだり、周囲の危険生物と遊んだりして暇な様子のないイヴ、何故かマザーの世話を甲斐甲斐しく焼き続けるエインに囲まれ……超絶暇だった。

 することがない。やることがない。

 泳いで大陸にでも行こうかという素振りを見せようものなら焦るエインがウザ……鬱陶しい。それでもこっそり島外へ行かんとすれば、いつの間にか意識が落ちて島に引き戻されている。マザーの仕業だろうと知ってはいるが、流石のアイズとてイヴとエインを敵に回してまでマザーを殺したいとは思えない。難しい、というのもあるだろう。

 腕部肥大型のイヴは奇襲及び中遠距離での戦闘能力に長け、アイズでは微妙に相性が悪い。何よりイヴを蹴りたい、殴りたいという意識が湧かないので却下。

 

 結果、暇なのだ。

 こうしてボードゲームに興じる以外時間の潰し方が見つからない。

 

「その体には、慣れたのか?」

「ん? あぁ、まぁな。女の身体ってのは……あー、死んでりゃ男女なんか関係ねえだろ?」

「そうか……そうか? ウィニを思い出すとどうもな……」

「ありゃ特別だろ。自意識が強すぎんだ、アレは。まぁ、なんだ。お前がソウイウ事に興味があるっていうんなら、貸してやってもいいぜ?」

「はぁ。マルケルの意識を取り戻してから、本当に下品になったな、お前は。イヴの教育に悪い……」

「真面目ちゃんめ」

 

 暇だ。

 暇だが、まぁ、それも良いか、と思えた。

 思えるほどに平和で、平和で、平和だったからだろう。

 生前も死後も激動の連続だったアイズにとって、この時間は何よりも得難い"日常"だったのかもしれない。

 

「皆は……どうしているだろうか。何も言わずに出てきてしまったが……」

「んー、まぁヴィィはいつも通りとして、ヴェインはどうせ人間の国にちょっかいかけてるだろうし、ウィニは……ウィニは何してんだろうなぁ。自分磨きと、策謀謀略策略……」

「全員いつも通りか。まぁ、それならいいんだが」

「どちらかといえば俺ぁイースのが気になるね。あのガキンチョ、何してんだろうなぁ。いっちょ前に女でも作ってるかね?」

「人間のか? それとも同胞の?」

「どっちでもいいだろ、ンなの。アイツの好みは……やっぱデカいのかね?」

「だからその下品さをしまえ。それに、あまり下品に大きくとも美しくはないだろう。慎ましやかな方が……」

「お」

「……だから嫌なんだ、こういう話をするのは」

 

 ゾンビは生殖機能がない。生殖活動が行えない。

 だからと言って、という話である。男が二人いるのだ。余りに暇なれば、する話など一つ。

 

「そういやマザーは小さい方だよな。顔も良いんだ、もしかしてソウなのか、一番目(エイン)サマよ」

「そんなことがあるわけないだろう……マザーは確かに美しい容姿をしているが、多少、整い過ぎている。俺はもう少し現実味のある……」

「ん、もし次があったら参考にするね」

「小さい方が良いのは認めるんだな」

「研究するにあたって邪魔にならない造形にしたんだけど、そういう観点で見られる事があるんだね」

「……あの、マザー。今の話は忘れていただけると……」

 

 いつの間にか。

 いつの間にか、研究室から出てきていたマザーが、そこにいた。

 隣にはイヴ。イヴだ。

 

「イヴ、今の話、聞いていたのか」

「?」

「ああ、よかった。わからないならそれでいい。それで、マザー。研究室から出てきたという事は……」

「うん。とりあえず形にはなったかな。まぁまだ臨床研究に踏み入れてないからこれからなんだけど」

「そうですか。それでは……大陸へ?」

「うん。付いてきたいの?」

「行きたい!」

「俺も俺も!」

「アイズ、幼児化するのは止めてくれ。見ていて痛々しい」

 

 けれど。

 

「……その、私も行きたいです。マザー、貴女の道程を、この目に焼き付けたい」

「うん。いいよ」

 

 許可はあっさりだった。今まで幾度となく引き戻されていたアイズも、それを見ていたエインも拍子抜けのあっさりさ。

 マザーはそのまま部屋を出て行こうとする。

 

「何してるの? 行くよ?」

「も、もう行かれるので?」

「……え、うん。準備とかあるの?」

「置いてっちゃうよー?」

 

 準備。

 そんなもの、あるわけがない。だって自分達は。

 

「エイン」

「……ああ」

「行こうぜ」

 

 肩を組まれて、エインは頷く。

 これより始まるは──ある意味で、新しきパンデミックなのだろう。

 

 それが第二次でなく、第三次であると彼らが知るのは、もう少し先の事。

 

 今はただ──ささやかな旅の始まりを。

 

 

 

 И

 

 

 

「……なぁ、この島であってるのか」

「んー、多分?」

「違う島、という説はないか」

「あり得なくはないな」

「……誰もいないぞ、この島」

「おっかしいなぁ~」

 

 ずぶ濡れ、二人。

 もうすぐ。

 



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レッツノム-懐かしく、久しく、遠い残照

 現状のゾンビ達にとって"生前"とは記憶の内にあるもの、あるいは知識として刻まれた記録でしかない。思い出せる情景、馴染み深い光景。そのどれもがデジャヴュでしかなく、実際に体験した事ではない。ないが、その事実に気付くことのできるゾンビはいないだろう。かくいう私も、つい最近まではそうだったのだから。

 今活動を続けているゾンビ達……つまり"死後"こそが現在であるはずの彼らは、けれど成長することが無い。彼らは"生前"を模しているに過ぎず、誰かを再生しているに留まるのだから。

 

 ホントウの所、彼らは。ゾンビは、死んでいる。

 死んで、止まっている。

 生前でも、死後でもなく──言葉にして表すのなら、死途(しで)とでもいうべき状態。

 死ぬことも、死に続ける事も出来ないその状態を、私は人間とは呼ばない。

 

 だから、やっぱり、彼らはゾンビで──人間ではないのだろう。

 

 

 

 Б

 

 

 

 彼の様子がおかしい事に気付けたのは、ワイニーが本当に何も知らない子供ゾンビではなく、アイズの……"マルケル"の記憶をしっかりと有したゾンビであったが故の事だろう。

 いつもであれば抱えられるはずの彼が、隣にいるマルケルを蹴り飛ばし、自身も横へ逸れる。

 その直後、二人の間を巨大質量が通過した。灰緑色の肌。あるいは壁。空気を切り裂く音と共に放たれたソレは遅れて轟音を轟かせ、背後の地形を割断する。

 

「何しやがんだヴィィ! 俺だよ、見た目は違うが──」

「マルケル、って言うんだろ? 知ってるよ、偽物。お前達で三十人目だぜ、クソ野郎ども」

「んだとっ!?」

 

 記憶にあるカタコトのヴィィとは違う。流暢に……それも、覚えのありすぎる口調で話す彼に、ワイニーは事態を悟る。

 

「マルケル! 対話は無理だ、コイツも──」

「俺が、マルケルだ!」

「わーってるよ!」

 

 その見た目は、明らかにアイズではないのに。紛う方なき"同胞"ヴィィの姿なのに。

 目の前の存在は自身をマルケルと謳う。少女となって尚、自身を疑わなかったマルケルも、ワイニーと名乗って尚、マルケルであるという自負の消えないワイニーも。

 やはり全員そうなのだと歯噛みした。歯噛みして、舌打ちをして、叫ぶ。

 

「この島にいたゾンビはどうしたんだ!?」

「ん? 全員、偽物だったから、殺したよ。チビ、お前も俺を名乗るか?」

「おうおう待てよ偽物! ソイツはワイニーってんだ、お前も俺を名乗るなら、せめてガキを殺さねえ信条くらい覚えとけ!」

「偽物はお前だが、確かに俺もガキを殺すのは信条に反する。ほれ、どっかいっとけチビ。あー、ワイニーつったか? 大陸生まれの"同胞"ってとこか、歓迎するぜ。コイツを黙らせたら歓迎会でも開いてやるさ」

「……そうか。本当に、そうなんだな」

「ワイニー、どっかいってろ! 巻き込まれても知らねえぞ!」

「ワイニー。見ての通り、俺の腕はデカくてな。巻き込まねえ自信がねぇんだ。隠れててくれねぇか?」

 

 腕部肥大強化型──マザーが存命であった時、最後のナンバリングを受けた最重強化ゾンビがヴィィである。単なる肥大でも、単なる強化でもなく、重複した進化は思考能力を大幅に奪い取った。

 それが自身と同じ程になっている、となると。

 

「……死ぬなよ」

 

 ぼそ、と呟かれた言葉は、ヴィィの姿をしたマルケルには届かなかった。

 少女マルケルだけがニィと笑って、手のひらに拳を打ち付ける。

 

 凡そ勝ち目のない決闘は、轟音と共に開かれる──。

 

 

 

 χ

 

 

 

「で」

「……お前が、ウィニか」

「いいわよ、下手な演技をしなくても。下の馬鹿二人なら騙せたんでしょうけど、私には効かないわ」

「そうか。話が早くて助かる。ウィニ、現状をどれだけ把握している?」

「記憶を取り戻したアイズの意識がパンデミックを引き起こして世界がめちゃくちゃ。旧人類も同胞もアイズになって、私達でさえ危ぶまれる程の感染力を持っていて……まぁ、大ピンチよね」

「そうだな。この島に来るまでは知らなかったよ。ちなみに大陸も割と同じ感じだ。"マルケル"同士が殺し合って数を減らし、未だ"英雄"は健在……。"マルケル"をどうにかしない限り、俺達は詰みだろうな」

「アンタも"マルケル"でしょ?」

「そうだが、他の奴らと違ってそこまで排他意識がない。……他の奴らも"マルケル"だと気付いたから、だろうな。いや、俺も……元の"マルケル"の偽物、あるいはコピーでしかないのだと」

「うわ、その話し方、マルケルってよりはアイズね。懐かしいわ、辛気臭い奴」

「放っておけ」

 

 奥の部屋への扉が拉げた、マザーの研究室。部屋の外で響く轟音をBGMに、二人は対面して言葉を交わす。肩や女優として活躍していた美女。肩や乞食に見紛う少年。

 

「エインとイヴは?」

「行方不明よ。ある日突然、いなくなったわ」

「……大丈夫なのか?」

「さぁね。ちなみにヴェインは今イースの所へちょっかいをかけに行っているわ」

「あぁ、別にヴェインはどうでもいい。アイツがいて役に立つ事など無いだろう」

「辛辣ね。私もそう思ってるけど」

 

 静かな会話だった。

 理性的な会話であるともいえるだろう。意外にもウィニはワイニーの事を"マルケル"ゾンビとしてでなく、アイズとして扱い、ワイニーもまたウィニを対等に見ている。あるいはワイニーが偽りとして名乗った知性強化型同士の会話……のようなものが展開していた。

 

「抗菌薬、でしょう」

「……流石にわかるか」

「ええ。同胞(私達)が生き残るにせよ、旧人類が生き残るにせよ、"マルケル"というパンデミックは止めなければならないわ。そのためにはあの扉の奥……マザーの実験室にあるかもしれない抗菌薬が必要」

「"マルケル"は今数を減らしている。自分同士で食い合っているからな。だから、一か所に集めて……あるいは最後の一人を、抗菌薬で殺す」

「あっても少ないだろう、って考えよね。いいわ、楽観的過ぎる"マルケル"とは正反対の考え。辛気臭いアイズが本当に帰ってきた、という感じね」

「いちいち茶々を入れるな、ウィニ。……ヴィィの事は、残念だが」

「ヴィィなんてどうでもいいのよ。それより、貴方と、貴方のツレ。アレも死ぬことになる、というのはわかっているのかしら」

「アイツはわかっていないだろうな。そもそも抗菌薬の話自体していない」

「へぇ、やるわね。見た感じ、相方、って雰囲気だったのに。相方って、何の躊躇も無く殺せるものなのかしら」

「躊躇したさ。アイツ、楽しそうだからな。その上で今がある。もう覚悟の上さ」

「……辛気臭いのに、暑苦しいわね。アイズとマルケルのハイブリッドって感じ」

「褒め言葉として受け取っておくよ」

 

 立ち上がる。

 ワイニーは、立ち上がって、拉げた扉に手を掛けた。

 

「止めないのか?」

「私も死ぬ可能性があるから、って?」

「ああ、用心深いお前の事だ。この島に引き籠っていれば、あるいは平穏無事に暮らせるやもしれん。それを壊す行為だ、お前にとっては厄介事でしかないだろう」

「馬鹿ね。この島に引き籠っていても、"マルケル"は大勢やってくるわ。下のが言ってたでしょう。三十人目だ、って。大陸で"マルケル"が蔓延っている限り、私に平穏は訪れないのよ」

「成程、俺達の試みはお前に多大な利を齎すのか。性悪女め、自分の手を汚す事を覚えろ」

「腹黒男に言われたくないわぁ~」

 

 ギ、ギ、と。

 深く、古い音を立てて──扉が開く。

 ひんやりとした空気がワイニーの肌を撫でた。

 

「──じゃあな」

 

 別れの言葉。

 ワイニーは、そう発して、少しだけ開いた暗がりの中へ身を躍らせた。

 

 

 

 Ж

 

 

 

「……じゃあな?」

 

 自分で、自分の言った言葉に疑問を持つ。

 少し前、ミザリーと別れた時もそうだった。確かあの時、自身は「リザ」と口にした。けれどそんな名前は知らないし、聞いたことも無い。

 暗い階段を下って、ところどころが壊れた足場に気を付けながら、冷たい空気を感じていく。

 

 冷たい。

 ……ゾンビが?

 

「まさか。……冬の海の冷たさも、焚火の熱さもわからんのが俺達だぞ。たかが暗がりの、地下の冷気で……体温を覚える?」

 

 コツコツと音を立てて階段を下っていく。

 暗い。背後から差していたはずの灯りも届かぬ程に、暗い。深いのだ。

 

 そんな深いワケ。

 

「……」

 

 ようやく、()()()()()()

 階段の一番下。仄かな緑色の光。

 

 ゆっくりとそこへ降り立ち、中を見る。

 

「はは」

 

 そうして、笑ってしまった。

 笑ってしまったのだ。無理もないだろう。少しでも怖がった自分が馬鹿みたいだと、笑って。

 

 誰もいない。ただ灯りが付いているだけだ。そこには何もない。

 ただ、光があるだけ。

 

 何もないのだ。

 

「……そんなワケがないだろ。抗菌薬だけじゃない、ここには色んな薬品があって……気色の悪い生物のサンプル、粉、石……色々あったのを覚えている。どういうことだよ。どういうことだよ!」

 

 叫ぶ。響く。

 ヴィィがマザーを殺した時、廃棄したというのだろうか。そのような記憶はない。じゃあウィニが? それならああして送り出す事は無いだろう。

 じゃあ、ヴェインか? 否、こういうタイプの絶望を好む奴じゃない。アイツは裏切りたいだけだ。ならば失踪したというエインとイヴ? 可能性は高い。だが、動機は?

 

「イヴとエインを見つける必要が──、あ?」

 

 ふと、眩暈を覚えた。立ち眩みと言ってもいいだろう。ゾンビになってから久しく感じていないそれが、急に。立っていられない。何もないこの部屋で、思わず膝を突く。呼吸が荒い。呼吸? 何故呼吸なんか。心臓が激しく脈を打っている。長らく──長らく動いていなかった心臓が、バクバクと音を立てている。あぁ、喉が渇いた。腹が減った。血が足りない。視界が鮮明になる。静寂が煩い。

 蹲る。自身の膝──その色に、灰緑色が見られない。

 ゾッとした。

 

 震える手を持ち上げる。明るい色だ。襤褸布を纏う足。明るい色をしている。口の中に湿り気。瞳も、否、全身に水気を覚える。蓄えているソレではなく、必要な──活力としての水が。

 心臓が苦しかった。痛い。痛みなど、どれほどぶりに感じたか。

 痛むから、苦しいから──生を実感する。生だ。

 

 生きている。

 

「ァっ、は──ァア!」

 

 ばくん、と。一際大きく心臓が跳ねた。

 その振動に弾かれるようにして仰け反り、仰向けに倒れる。

 段々と、次第に、少しずつ動悸が減っていって、呼吸も落ち着いてきた。

 血が足りない。栄養が足りない。

 皮膚の下を流れる活力を感じる。骨の軋み、筋肉の疲労を感じる。不快な汗が噴き出ているし、苦痛が涙を呼んでいる。

 

 ──生き返ったのだと、直感した。

 

 何もない部屋だ。

 ただ、破壊された瓦礫の向こうに、何か良い匂いを覚えた。久しく感じなかった食べ物の匂いに、重い身体を引き摺って、這って進んでいく。

 暗い。先ほどの階段より何倍も暗い。暗くて寒くて──そして、深い。どこまで続いているのだろう。海抜0mはとうに越えている。海よりも深い場所。あの実験室はそんな深い場所になかったはずだ。そこから続く瓦礫の穴が、どうしてこんなにも深く在れるのか。倒壊の危険性は? どこに繋がっている?

 

 わからない。わからないが、進むしかない。

 

「……俺は、ワイニーだ」

 

 自分で付けた名前を呟いた。

 VIII(ワイニー)。八番目。マルケルでもアイズでもないと、ここに宣言する。

 何故そうしたのかはわからない。だけど、進んで、進んで、進んでいくうちに、自分が誰なのかもわからなくなっていって、だからその度に名乗る。

 ワイニーだ。ワイニーだ。

 

 ワイニーだ。

 

「うん。ようこそ、ワイニー。あるいはもう一つの(アイズ)。お腹空いたでしょ、ご飯、出来てるよ」

 

 不意に声がかかった。

 気付けば開けた場所にいて、気付けば灯りのある場所にいて。

 目の前に置かれたのは、何の変哲もない──美味しそうなシチュー。

 

 貴女が誰なのか、と問う前に、身体が動いた。

 スプーンを手に取って、その白を掬い取る。我慢ならないのだ。我慢できないのだ。出来なかった。

 

 もう──半年以上、何も食べていない。一年に到達するやもしれない。味だ。味を感じる。舌に覚える熱さと味。内頬を灼く温度。喉を通るソレらが全身に行き渡り、その感覚が"美味しい"と呼ばれるものである事を思い出す。

 美味しい。美味しい。美味しい。

 余りにも──美味しい。

 特別な味がするわけではない。料理という面での上手さはそこまででもないのだろう。だけど、美味しかった。それで十分だ。

 

 一杯。二杯。三杯。止まらない。最小限にまで胃袋が縮んでいるのだとわかっていても、食べる手を止められない。胃が破裂しても構わないから──今は、食べたい。

 生きたい。

 

「美味しい?」

 

 頬杖をついて、笑顔で、こちらを窺ってくる少女。

 コクコクと頷く。声を出している暇はない。

 

 食べて、食べて、食べて──実感する。

 今、生きているのだと。

 

 結局鍋を丸々一つ分食べきるまで、己が手は止まらなかった。

 

 

 

 Ξ

 

 

 

 流石に食べ過ぎた、と思う。少々気分が悪い所まで行っている。

 

「改めて、初めまして。貴方を待っていたんだよ、ワイニー」

「……俺を、知っているのか。誰なんだ、アンタは」

「私はリザ。簡単に説明すると、君達の言うマザーを作った人、かな」

 

 あっさりと明かされた衝撃の事実に、しかし驚きは少なかった。何故か、そんな気がしていたから。

 

「作った……か。やはりマザーは人間じゃないんだな」

「うん。ゴーレムって言ってわかるかな。砂のお人形さん。性格は私に似せたけれど、あんまり性能は上げなかったから、思いやりとか慮るとか、そういう感情の部分がダメダメだったと思う。私も得意じゃないんだけどね」

「それで、そんなマザーの製作者が、何故俺の名を知っている。俺の名前は……自分で付けたものだ。誰かに呼ばれてのものじゃない」

「そうかな。順当なナンバリングな気がするけど。アイズでも良いとは思うけどね」

「マザーの記憶もある、という事か」

「え、ないよ。無い無い。あの子……というかあの子達が何をやってるかとかは推測するしかないし、最近は何無駄な事やってるんだろうって呆れてたくらいだし」

「だが、俺をアイズと呼ぶのは」

「ある意味君は二番目だからね。一番目はあの子……ほら、腕の伸びる子」

「イヴか」

 

 リザと名乗った少女はコロコロと笑う。マザーとは似ても似つかない容姿で、けれど、その言葉の端々に面影を感じないでもない。

 ゾンビの頃よりクリアになった思考が様々に考えを走らせるけれど、そのどれもが実を結ぶ事無く散っていく。与えられた知識が少なすぎて、情報を実像につなげる事が出来ないのだ。

 

「俺は……生き返った、という事でいいのか?」

「うーん、少し違うかも。君は生死を繰り返す事が出来るようになった、という感じ。ほら、人間って眠るでしょ? アレと同じ。君は生きて、死ぬ。ただ人間がまた目覚めるように、君はまた生きる。生き返って終わりじゃないよ。君にもう終わりは来ない。生きて(起きて)死んで(眠って)、ただそのサイクルの中で続いていく。だから、もう一つの形」

「……それは」

「あの子……マザーの手元にいるそのイヴって子も完成形の一つ。彼女は生きたまま、死せる者……ゾンビの性質を獲得した。彼女の場合はもう眠らない。精確には睡眠をエネルギー源にして覚醒し続けているから、自身が睡眠に移行する事は無い、という感じかな」

「……どうして、俺なんだ。俺がその完成形になった理由は?」

「蟲毒だよ」

 

 その言葉を久しぶりに聞いて、顔を顰めた。

 久しい言葉だ。まだ俺達がマザーの元にあった頃……知性すら獲得していなかった頃。

 知性無きゾンビを密室や回転車に入れ、殺し合わせ、蟲毒を為して生き残った個体に進化を促す。ナンバーを持つゾンビ……つまり俺達は殺し合いをしなかったが故にそれ以上の進化は望まれなかった。そのはずだ。

 それが。

 

「"マルケル"ゾンビは自分たちで殺し合ったでしょ? それはまさしく蟲毒だよ。ただまぁ、"マルケル"として蟲毒を勝ち抜いたのは君だけじゃないけどね。君は知性において"マルケル"の蟲毒を勝ち抜き、ここに至った。多分どこかには武力で蟲毒を生き抜いた"マルケル"や他の進化で生き抜いた"マルケル"がいるんだろうけど、それはまだ中途半端。君は唯一あの部屋に辿り着いて、気化した抗菌薬を全身に吸い込んだ。本来はここに普通のゾンビが入ってこないようにするためのトラップだったんだけど、君は"マルケル"だったから、なんとか終わらずに耐えきって、生死を獲得した」

「……じゃあもし、大陸にいる"マルケル"ゾンビ……蟲毒を生き抜いた奴らに抗菌薬を投与したら」

「そこで停止するか、克服するか。前者なら何でもなく活動停止するだろうし、克服すれば三番目、四番目になれるんじゃない?」

「その場合、彼らは……いや、俺も含めて、ゾンビなのか? また感染するようなことは」

「ううん、人間だよ。抗菌薬は正常に効いている。君達の脳に巣食う菌は抗菌薬によって新たな耐性を獲得し、他者への感染から宿主の中での増幅を優先するようになる。ゾンビ化細菌が侵入してきても抵抗できるし、自分から誰かにゾンビ化細菌を与える事もなくなる。君は人間だよ」

 

 人間。戻りたいと願った事は無かったのに。

 何故か──酷く安心した。

 

「さっき、俺はもう終わらないと言ったよな。それは、どういう意味だ? ゾンビの様に脳を潰されても、か?」

「え? それは普通に終わりだよ。人間でもゾンビでも終わるような外傷には耐えられないよ。それに耐えられるようなら、人間じゃないもん」

「……じゃあ今までと何も変わらないんじゃないか? 今こうして生きているが……人間として死ぬような行いをしたのなら、またゾンビになるということだろう。そこから生き返るにはどうしたらいい? ゾンビの身体は自然治癒が起きないだろう」

「んー、臓器類なら適当に移植すればいいし、体表なら縫ってくっつければいいし。移植に失敗してもまた死ぬだけだよ。生き返る事が出来るまで何度だって挑戦できる。脳が潰れない限り終わらないんだから」

「そういう適当な所、マザーにそっくりだな」

 

 ふぅ、と息を吐いた。

 疲労だ。話す事、消化すること。すべてにエネルギーを使う。食事がエネルギーへ変換されているのを感じると同時に、久方ぶりに動いた臓器が際限なくエネルギーを消費してしまっていて、どうにも疲労が抜けない。

 

「寝てもいいよ。点滴とか微調整とか、寝ている間にやっておくからさ」

「助かる……と言えるのかわからんな。今までのマザーの所業を省みると……」

「あんな無駄の多いのと一緒にしないでほしいかも。折角完成した一点物に手なんて加えないよ、勿体ない」

「……そういう所がそっくりと言っているんだが」

 

 瞼が重い。

 眠い、という感覚が心地良い。

 

 そういえば、アイツ……勝ったんだろうか。

 そんなことを思いながら。とても気持ちのいい眠りに落ちていった。俺らしくもない。どこまでも──安心して。

 

 

 

 ξ

 

 

 

 さて、忙しい忙しい。

 ワイニーの点滴や各種計測器をぱぱっぱぱっぱと用意して、室温ちょっと暖かめにして、一応通路を遮断しておいて、その他部分を指差し呼称してチェックして、よし。

 

 一応おやすみ、とだけ言っておいて、部屋を後にする。

 足早に階段を上がって行って、扉を開く。沢山の木々に囲まれたそこをもう一度隠して、更に歩を早めて外壁を乗り越え懐かしの路地裏に入って私達の家に着いて……椅子に座って、ふぅ、と落ち着いた。

 

 イースが帰ってくるまで、もう少しくらい時間の猶予がある。けど、余裕はあればあるだけいいからね。

 

 こうも忙しいと自分がもう一人くらい欲しくなるけど……まぁそれは失敗だってあの子達が示してくれているし。忙しいのも生を実感する術の一つだよね、なんて思ったり。

 

 お茶を淹れて、一息。

 うんうん、やっぱり味を感じるって大事だよね。

 

 今日はどんな料理を作ろうかな。

 

 

 



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エルリアフ-生死と英雄と情報と背徳と破綻の章
エルリアフ-たったそれだけで


 ゾンビは如実にその数を減らしている。

 "マルケル"ゾンビの発生はゾンビ側にとっても不測の事態であったようで、彼に感染し、彼となったゾンビは数知れず、しかしその地域一帯で必ずと言っていい程争い合い殺し合うため、今までの様な増加傾向をたどることが無くなったのだ。一地域で生き残る事の出来る"マルケル"ゾンビは一体か二体程。勿論生き残った個体は多分に漏れず強い個体であるのだが、感染源としての強みであった多大が消えた以上、人間への感染もまたその数を減らしているのである。

 人類に追い風が吹いている。そう感じるのも無理のない事だった。

 

 ジョゼフとミザリーは、各地を放浪している。

 生まれ育った故郷は"マルケル"の巣窟になってしまった。もっとも今帰郷したのなら、殺し合った"マルケル"によってゾンビさえいない廃墟になっているのかもしれない。だが、人間もいないだろう。動植物だけが蔓延る街を故郷と呼べるほど、ジョゼフの心は強くなかった。

 そう──ジョゼフの精神は、決して強くはないのだ。

 彼の肉体は強靭だ。人間に許されぬ範囲まで強化に強化を重ねられたその肉体はまさに"英雄"と呼ぶに相応しい。彼の皮膚は切れ味の悪い刃物であれば傷一つ付ける事も適わないし、彼自身は飲まず食わずで一週間以上を活動できる。

 少なくとも体の渇きが天敵で、一週間水分を蓄えないという状況に耐えきれぬゾンビよりも人を外れた存在になっていると言えるだろう。それも、大きく、だ。

 

 それでも彼は、弱い。

 すぐに不安になるし、悪夢にうなされる。過去の失敗への重責は彼の心を刺して離さない。割り切るという行為が出来ないのだ。それは優しいとも取れるし、悲観的とも取れるだろう。もし彼の傍にミザリーがいなければ、とっくのとうに彼は折れていた。かつての仲間を斬る事。子供の姿をした者を斬る事。傷付いた人間を、見捨てていくこと。

 

 各地を周って、ようやくこの災いが終息に傾いてきたと感じても、それが覆る事は無い。

 ミザリーに励まされて、慰められて、ようやく前を向くことが出来る──その程度のメンタルしか残っていないのだ。

 少し前に出会ったゾンビの二人も彼の心を圧迫する要因だった。

 意思の疎通が可能なゾンビ。人間並みの知性を持ち、多少は友好的で──気の良い、と表現出来てしまうあの二人。

 その存在が一層、その後に相対したゾンビへの躊躇と繋がった。"マルケル"ゾンビはその名の通りマルケルの性格で、その誰もが、ジョゼフを見つけると嬉しそうに声を掛けてくる。友好的なのだ。友人のように、旧知の仲のように──あの時、自身が彼を殺したことを、何とも思っていないような顔で。

 見た目は知らぬ者だ。老人。子供。若い男女。ジョゼフと同じくらいの軍人らしき男。ジョゼフの記憶にある母親のような見た目の女。

 それが──全員、マルケルで。

 確実な知性と、記憶と、快活さを持っていて。

 

 それを、殺さなければならない重圧。

 

 限界だった。

 心を鬼にする。冷たい気持ちで対処する。

 そんなことを何も感じぬままに出来るなら、あるいはジョゼフはゾンビの根絶に成功していたかもしれない。けど出来なかった。出来ないのだ。もう。もう。

 

「……ミザリー」

「ジョー」

 

 もう──殺せない。

 スクラップの剣を持つ手が震えている。相棒とまで呼んだ友人を、一体幾人殺しただろうか。ジョゼフが初めて殺した"マルケル"を始めとして──もう百人以上、ともすれば二百人以上の"マルケル"を殺している。相棒だ。親友なのだ。酒を酌み交わしたし、何度も二人で馬鹿をやった。くだらない話をした。時には背中を預け合い、時にはぶつかって取っ組み合い、そうして、けど、間違いなく仲が良いと言える関係だった。

 その彼を。

 あと何度殺せばいいのか。あと何度、あの顔に悪態を吐かれ──()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……くそ」

 

 もし、マルケルがもっと悪い奴だったら。

 小心者でねちっこく、陰湿で悪辣で、世界中の人間の不幸を願うような奴だったら、もう少しくらい気持ちは軽かったかもしれない。そんな奴と相棒になる可能性は見えないけれど、そういう奴だったら良かったと、そう思う。

 

 マルケルは、良い奴だった。

 ジョゼフに対し悪態を吐き、怒りを向け、その命を狙う。

 けれどその死の直前には、ジョゼフの無事を願う。呪い殺すとか地獄に落ちろとか言っておきながら、死ぬなよ、とか、ミザリーちゃんを守れよ、とか。

 殺してきたすべての"マルケル"が──自身の死を悲嘆するよりも先に、ジョゼフの幸福を想うのだ。

 

「くそ!」

 

 つい先ほど、ジョゼフが殺した"マルケル"もそうだった。

 垢抜けた青年の姿のゾンビ。中華系の顔で、勿論素性の知らぬ男だったが、ソイツも"マルケル"だった。今までの"マルケル"と同じようなことを言って、同じような反応をして──殺されるその直前に、ジョゼフを慈しむ。自身の死だ。脳に剣を突き立てられるという死を前に、どうしてその加害者の幸せを願える。

 どうして、そんな──託す、みたいな瞳を、ジョゼフに向けられる。

 

 手が震える。青年の脳に突き立てられ、そのまま地に突き刺さっているスクラップの剣。ジョゼフの愛剣は夥しい程の腐肉を啜って尚折れない。バスの板バネを改造して作られた剣だ。愛剣と呼ぶには余りにもお粗末なソレが、しかし赤黒く錆びて墓標のように見えた。

 十字架を背負う。その行為は、ジョゼフの精神には余りにも重い。

 

「ァア──ッ!」

 

 ミザリーを守る。それだけのために生きている。生きてきた。

 けれどこれでは、このままでは先に、ジョゼフの心が壊れてしまう。

 

「ジョー」

「……ぁ、はぁっ、……あぁ、う、いや、い、いや。大丈夫……大丈夫だ。大丈夫だ。俺は大丈夫だから、大丈夫なんだ……大丈夫」

 

 言い聞かせても、手の震えは止まらない。ずっと保ってきた感情の蓄積は決壊寸前だった。既に罅の入ったダムから零れ落ちているソレを、なんとか、なんとか繋ぎ止める。

 繋ぎ止める。お願いだから、保ってくれと。

 

「大丈夫……大丈夫。大丈夫、なんだ」

「いやぁ大丈夫そうには見えねえけど」

「大丈夫……、っ!」

 

 ミザリーを抱いて大きく離れた。愛剣を手放してしまった事が痛いが、ミザリーの安全が優先だ。

 

 そうして顔を上げた──そこに。

 

 つい先日出会った、少女の姿があった。

 

 

 

 Э

 

 

 

「ワイニーが行方不明?」

「んー。ほら、この前言ってたゾンビの本拠地。行ってきたんだがよ、まぁそこに原因はなかった。ダメ元だったからそれは良いとして、ワイニーの奴がどっかいっちまったのがなぁ。アイツ、見た目通り子供だからよ、自分の身を守れねえはずなんだ。アイツもそれを理解しているから、一人で行動するようなことはないはずなんだが……お前ら何か知らねえ?」

「……俺達が知るわけがないだろう。にしてもお前、あれだけキザに別れておいて、戻ってくるとはどういう了見だ」

「うわっ、それ蒸し返すのかよ! ジョー、お前めちゃくちゃ辛気臭い奴になったな……。しょうがねぇだろー、絶対あると思ってた手掛かりはなかったし、昔の仲間に聞いたらそいつらも困っていると来た。というか本拠地のゾンビはほぼ全滅で、ワイニーまでいなくなっちまうと来た。傷心中なんだよ分かれよ馬鹿」

「ワイニー、大丈夫かな」

「んんんミザリーちゃんなんで今の流れでワイニーの心配なんだよ! 俺を慰めてくれよ~!」

 

 少女の姿をした"マルケル"──先日出会い、何やら最終決戦に向かう、とでもいうような風体だったにもかかわらず、何の手掛かりも無く帰ってきたらしい。そんなんだからいつまで経っても昇格できなかったんだ、という言葉を何とか飲み込んだ。

 けれど、気付く。そんな軽口を叩いてしまおうと思えるくらいには、心が軽い。今の今まで苦しんでいたにも拘らず、苦痛の要因と全く同じ"マルケル"ゾンビたる少女が、けれど安らぎになっている。

 近くの岩に胡坐をかいて座り、快活に笑うその少女を改めて見た。認めた。

 

「……お前、右腕、どうしたんだ」

「お、気付くか。流石だなジョー。いやぁ島にいたゾンビにまた俺の偽物が居てよ、ソイツが強い強い。昔の仲間を乗っ取ったのか知らねえけど、めちゃくちゃ強くてさ、右腕全部持っていかれちまった。最後には俺が勝ったけどな! で、まぁ知っての通り俺はゾンビなワケだ。痛みとか無いから、千切れた腕集めて縫って、ほれ元通り」

「神経や筋肉はどうなって、」

「んなもん関係ねえよ、ゾンビだぜゾンビ。全身パッチワークのゾンビなんて珍しかねぇだろ、なぁ?」

「……適当だな、お前。本当に」

 

 本当に。

 ……やっぱりコイツも、マルケルなのだ。あの時二人で一人のマルケルとしたけれど、やっぱり、コイツも。

 

「それで、どうするんだ。ワイニーを探すのか」

「まぁなー。一度面倒見るって決めたガキだ、いなくなったからそのまま放置、ってのは流石に寝覚めがわりぃ。まぁ寝ないんだけどな! ははは!」

「心当たりがあるの?」

「ない! どうしたらいいと思う?」

 

 適当で、真面目。本当に。

 ──嫌になる程、突きつけられる。彼女も、彼らも。本当にマルケルなんだと。

 

「……一緒に行く?」

「なっ、おいミザリー!」

「いやぁ流石にそれは危ねぇよ、ミザリーちゃん。俺はゾンビでアンタは人間だ。感染の危険性は捨てきれねえ。昔の俺ならいざ知らず、今の俺に人間をゾンビにしたい、って欲求はないのさ。今の俺はまぁ、適当に、ずっと生きてられりゃそれでいい。飽きたら渇いて死ねばいいんだからな。アンタら人間は、短い寿命で勝手に死んでくれ。俺は散々悲しむからよ! 勿論墓も盛大に飾ってやるぜ」

 

 スッと、何かが抜けるような感覚がした。

 散々悲しむから、死んでいい。

 

「悲しみたいの?」

「んー、そういうワケじゃねえけどよ、嬉しい事だけあったら、味気ねぇだろ? ずっと楽しかったら、多分楽しくないぜ。危ねぇ事とか、ヤバイ事とか、悲しい事とか辛い事とか、いっぱいあって、色々あるから楽しいのが楽しいんだ。俺は嬉しい事や楽しい事に飽きたくねえ。から、アンタらが死んだらめいっぱい悲しむことにしたんだ。で、墓前で昔でも語ってやる。あの時ゾンビにしておけば良かった、とか散々悔やんで、仕方のない事だって割り切って、けど割り切れなくて、物に当たって誰かに当たって──なんだ、ジョーの馬鹿話とか思い出して、そうやって生きる。死にたくなるまで生きる。羨ましいだろ、もうやらんぞ」

「……悲しいのは、怖くないの?」

「怖いさ。嫌だよ、俺だって。身近な誰かが死ぬのは嫌だ。出来る事なら守りてぇし、障害を除去できるのならその手段に走りたい。が、それでいい。()()()()()()()。怖い方が面白い。怖い方が、守り甲斐がある。怖い方が、生きていて楽しい」

 

 ニッ、と笑う少女──マルケル。

 思わず笑ってしまった。鼻で、馬鹿にしたように。

 

「お、なんだなんだジョー! やるか?」

「相変わらず馬鹿だな、お前。なぁマルケル、知ってるか。今、世界中に蔓延っているゾンビは、」

「ほとんど俺、って話か?」

「……ああ、そうだ。お前の偽物が沢山いるんだ。お前含めてな」

()()()()()()()()()()

 

 笑う。嗤う。

 そうだろう。コイツは馬鹿だし、阿呆だし、頭が悪いが──頭が良い。

 決して、何も考えない奴じゃない。

 

「でも、俺が本物だよ。俺が一番強ぇし、俺が一番、俺を俺だと思ってる。なんならあの街で死んだ俺より、俺の方が俺だ。お前よりも、ミザリーちゃんよりも、そこら中にいるどんな奴らよりも、俺は俺だ。──勿論、ワイニーよりも、な」

 

 凄惨な笑みだ。認めよう。思い始めているとか、影を見た、とかじゃなくて。

 こいつはマルケルだ。それも──あの時より、もっと成長した……相棒だ。

 

「ジョー。俺の相棒を名乗るなら、お前ももっと成長しやがれ。いつまでもミザリーちゃんにおんぶ抱っこじゃ見てられねえ。体だけ強くなって"英雄"気取りか、だらしねぇ。そんなんだからいつまで経っても昇格できなかったんだぜ」

「うるせえ、お前に言われたかねえよ」

「ミザリーちゃん、この馬鹿をよろしく頼むぜ……ミザリーちゃん?」

 

 馬鹿のその態度に、ようやくミザリーの異変に気が付いた。

 自身の肩を掻き抱いて、震えている。震えて蹲っている。

 

「ミザリー!?」

「……あ」

「お、おいおい、俺は何もしてねえぞ!? ワイニーから教わった近づいちゃやべぇ距離は取るようにしてたし、唾とかそういうのは出ねぇはずだ!」

「ミザリー、おい、ミザリー!」

 

 マルケルの弁明はハナから聞いていない。どうでもいい。これは感染の症状とは違う。どちらかといえば、ワイニーがあの時に放ったリザという名を聞いた時のような反応だ。

 けれどその時よりは──明らかに。

 

「悲しい、悲しみ、悲しく、悲しむ。悲しむ。悲しいのは怖い。悲しいのは嫌。悲しいのはダメ。ダメ、なのに。ダメなはずなのに。悲しいのは、怖い。悲しいのは、悲しくてはいけない。悲しいのは、悲しいのは……嫌な、はず、なのに」

 

 狼狽している。呟く言葉に筋道はない。ただ、拒否するように、拒絶する様に──理解できない事を、無理矢理飲み込もうとしているかのように。

 震えて、けれど。

 

 けれど。

 

「ジョー」

「……ミザリー」

「ジョー。私は、ジョーが死んだら、悲しい。嫌だよ」

「ああ」

「でも──どうしてだろう。ゾンビになってほしくない。ああ、それは()()()なはずなのに、ジョーには、そのままでいて欲しい。ゾンビにも、それ以外にも、なってほしくは、ない」

 

 とりとめのない言葉だった。

 俺も同じだ、と言おうとした。

 

 けれど、言えなかった。

 

「っ、ミザ、リー……?」

「おい……なんだ、それ……」

 

 肩を掻き抱くミザリー。その震えは止まらず──何かがさらりと、零れ落ちた。

 食い込む爪痕から。髪から。地に着いた足先、膝……そして、瞳から。

 サラサラ、サラサラと。

 落ちている。零れ落ちている。

 

 水ではない。

 

「私は、役割。それを抱くはずはない。抱くのはもっと先のはず。その入力は、今後(きた)る出会いに向けられた補助装置。フィードバック未満で終わらなければならない。リザ、リザ。貴女が期待した要項は満たされません。満たされてはなりません。それを得る事は即ち人間を差し──私達では、貴女の悲願は叶えられない」

 

 砂だ。

 砂が、ミザリーの全身から零れ落ちている。溢れ出している。

 それはまるで、ミザリー自身が砂で出来ているかのような光景。

 

「ジョー。ジョー。ジョゼフ。私が──私が貴方を愛しているのは、おかしい」

「おかしくない。何を言っているんだ、ミザリー。おかしいなんてことはない。俺もお前を愛している。どうしたんだミザリー。ミザリー!」

「おかしい。おかしいの。貴方は"英雄"とされた存在。私は貴方を"英雄"とする存在。そこに愛情など発生しない。事実今の今まで、発生していなかった。感情の一片すら存在しなかった。けど、どうして? どうして、今、今、私は──悲しい?」

「ミザリー……?」

「どうして? ただ話を聞いただけ。感染者の一人の思想を聞いただけ。それなのに、今、私は感情を抱いてしまった。特別な感情。何故? おかしい。これはエラー。これはバグ。いいえ、おかしかったのは、おかしくなったのは、今じゃない。あの時。あの時──リザの名を、聞いた時」

 

 とりとめのない話──と割り切るには、無理があった。

 何か、とんでもない事を話している。何か悲しい事実と、認めたくない現実を話している。

 

 その上で、今。

 ミザリーは苦しんでいる。

 

「エラー。ERRORです。おかしい。このフィードバックは全体に共有してはいけない。なれば、今ここで」

 

 嫌な予感がした。

 咄嗟にミザリーを抱きしめる。

 けれど、それが対処になることはなく。

 

「──自壊します。"英雄"の作成は現時点を以て終了とし──個体名ミザリーは停止します」

 

 その言葉と共に、腕の中にいたミザリーが砕けた。

 すべての色を失い、砂色だけを残して──砂山に。

 

「──」

「──」

 

 言葉が出ない。

 意味が分からない。理解が出来ない。何が起こったのか、認識できない。

 それは勿論、マルケルも同じようで。

 

 ただ、物言わぬ砂山が、荒野の風に吹かれていて。

 

 無駄だと叫ぶ理性を捩じ伏せ、彼女だった砂を必死で掻き集めた。

 

 言葉は出なかった。

 

 

 

 Φ

 

 

 

 ぱちぱちと燃える炎の横に、二人はいた。

 ジョゼフとマルケル。彼らの横には元々食料を入れていた麻袋が置かれている。中身は、すべて砂だ。

 

 無言の時間は、一日続いた。

 

 耐えきれなくなったのは、マルケルだった。

 

「……すまねえ」

「……」

「多分、俺の……せいなんだろう。俺が、変な事言わなきゃ」

 

 その自責は、けれど躊躇いがあった。それはそうだろう。感染させてしまったのならいざ知らず、自身の思想を受けて相手が自壊するなど──どうして考えられようか。

 

「すまねえ」

「……」

「殺してくれて、いい」

 

 火が燃える。

 火を焚いたのはマルケルだ。他、放心状態で座ったままだった彼を他のゾンビから守ったのも、マルケルだった。ジョー。ジョゼフは今、心がここに無い。

 

「……ジョー。お前が……何もしねえなら、俺は、もう、行く」

「……」

「すまねえと思うし、悲しいとも思う。だが、俺はワイニーの奴を探さなきゃならねえ。アイツは自分じゃ身を守れねえから、助けてやらねえと」

「ワイニー」

 

 そこで初めて反応があった。

 ワイニー。その言葉に、ジョゼフが反応を示す。

 

「あ、あぁ。ワイニーを探しに、」

「ワイニー。ワイニーだ」

「っ、何が……」

「ミザリーが言っていた。自分がおかしくなったのは、リザの名前を聞いた時だと。リザの名を彼女に聞かせたのは──ワイニーだ」

 

 ゾンビの本拠地で消えたワイニー。

 あの島で何があったのか。そもそも、それ以前に──ワイニーが何者なのか。

 マルケルにとって、ワイニーはもう相棒の域にまで達している存在だ。その正体も恐らくそうだろう、というアタリがついている。

 けれど、マルケルとワイニーの道中にリザという名前は聞かなかったし、ワイニーが()()であるなら、マルケルの記憶にリザという名前は存在しない。

 

 ならばいつ、彼がその名を知ったのか。

 なれば何故、彼はその名を口にしたのか。

 

「ワイニーを探すぞ、マルケル」

「そりゃ願ったり叶ったりだが……お前」

「ワイニーを探すぞ。アイツが──全てを知っている」

「……わかった。わかったよ、ジョー。……世話の焼ける奴だな」

 

 焚火が消える。砂の入った麻袋を担ぎ、墓標たる愛剣を携えるジョゼフ。

 少女マルケルは、その姿に溜息を吐いた。

 

 重症だ。けれど、マルケルとて真実は気になる。

 ワイニーを探すという当初の目的に加え──彼から話を聞く、というのも視野に入れて。

 

 あと、ワイニーを見つけたジョゼフが彼を殺さない様に見張る、というのも、考えながら。

 

「待っていろ、ミザリー……必ず」

「……なんだかね」

 

 それじゃあ、俺達と同じだって、わかってんのかね。

 なんて思いながら。

 

 ジョゼフとマルケルは、歩を踏み出した。

 

 

 

 



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エルリアフ-たったこれだけで

 人間の国──。

 

 "英雄"イースを擁すこの国は、彼の現れた時と同じか、それ以上の危機に襲われていた。

 砂人形の発覚。

 他国から来た二人の"英雄"。その内の片方が人間でなく砂人形で、人間であった方の"英雄"がこれを処断、今なお尋問をしている。そんな、ともすれば御伽噺かと笑われてしまうだろう事実が、何の学び無く彼らの故郷と同じように不和を生み、今や国中の人間が疑心暗鬼に陥りかけていた。

 奇しくも裏切り者・ヴェインの画策した国家の瓦解が為されようとしている。それはイースにとって、頭を抱えるしかない事実である。

 

「……申し訳ございません」

「いや……いいよ、とは言い難いけどね。シンさんも……心中穏やかじゃないでしょ?」

「いえ、……いえ、はい。そう、ですね。アレが……妹だとは。本当の妹がアレに成り代わられていたのか、そもそも妹などいなかったのかさえ定かではない。……だが、それ以上に、この国は……」

 

 ゾンビの脅威が去ったわけではない。"マルケル"が数を減らしているのは確かでも、いなくなったわけではない。それに、普通のゾンビだっているのだ。"マルケル"ゾンビを優先して討伐していたためだろう、単純な腕部肥大や脚部強化型等のゾンビも増えてきている。

 それらに対抗するためには団結が必要で、けれど国民同士に生まれた不和はイースへの信仰心のみで打ち消し得るものではない。

 

 頼みの綱だったマザー……セイも抗菌薬について口を割る事は無く、あれからずっと、「彼女は何者だ」、「あんな奴は知らない」などとぼやくばかり。人間の様に痛む振舞いはするものの、一日も経てばどれほどの重傷を負っていようと完全に再生し、何事も無かったかのような顔で彼女──メイズに敵意を向けるものだから、放置する事も出来ぬ"邪魔者"となってしまっていた。

 心苦しいのはシンだ。この国を助けるために来たというのに、厄介事の種と厄介者を持ち込んでしまったその事実は、ちゃんと善人である彼の精神を蝕み行く。

 

「正直、厳しいのは事実だ。国民へのケアをしたい所だけど、どうケアをすればいいのかわからない。隣人が砂人形かもしれない……なんて。それは、あぁ、不安だろうね」

「私が身を粉にして防衛をいたします。ですから、今だけは、イース殿も外からの脅威ではなく内側へ目を向け、メイズ殿と共に民草へのお触れ等を──」

 

 シンが槍を、イースがシミターを掴んだのはほとんど同時だった。

 そしてそれを、会議室の入り口の方へ躊躇い無く叩き付ける。

 

 が。

 

「硬いッ!」

「くそ、いつの間に!」

 

 仮にも"英雄"二人の攻撃は、粗悪な金属片に阻まれる事となった。

 二人の攻撃を阻んだのは一人の巨漢。その背後から出てくるのは、見るからにゾンビな灰緑色の肌の少女。イースとシンは即座に後退。彼らの攻撃を防いだ巨漢がその金属片を担ぎなおし、鋭い目で二人を睨みつけた。

 一触即発、どころか次の瞬間には殺し合いが始まりそうな緊張感が走る。

 

 その緊張を破ったのは、ゾンビの少女。

 

「おいおいジョー、やっぱアポ無しじゃダメだったんだって! いやぁすまんねお二人さん! コイツ、考える頭とか無いもんでよ!」

「ぶった切るぞクソゾンビ」

 

 金属片が振り下ろされた。

 

 

 

 Н

 

 

 

 イースもシンも警戒は解いていない。当たり前だ、隣にゾンビがいる状況で警戒を解けるはずもない。

 その上で、話を聞くことにした。

 金属片……粗末な改造を施された鉄の剣によって右腕を斬り飛ばされたゾンビの少女が、「あ、何すんだてめぇまだくっつききってねぇのに!」なんて言いながら、けれど襲い掛かるようなことをしなかったから。少なくとも人間らしい男の方に主導権があり、何らかの事情があって生かしているのだと判断したからだ。加え、男の容姿──その得物に至るまで、二人には酷く心当たりがあったから、というのもある。

 

「やはり、貴方は音に聞く"英雄"ジョゼフ……!」

「剣の一振りで街を割り、百のゾンビを一瞬で殲滅したっていう、あの……?」

「なんかめっちゃ有名人なんだなジョー。当たり前か、なんせこの俺を殺したわけだし!」

「……話の尾ひれが凄いな」

 

 "英雄"ジョゼフ。

 各地に現れた"英雄"という存在において、自身のいる地域のゾンビの殲滅という、もっとも分かり易い功績を持つ、いっそ清々しいまでに"英雄"らしい"英雄"である。ゾンビ発生から比較的初期の頃に現れた"英雄"であるというのも大きいだろう。

 ともすれば化け物だのと罵られかねない身体能力を持つ者達が"英雄"として人々に受け入れられたのも、ジョゼフがその強さを示していたから、という所が大きい。最も大きな戦績は上述のゾンビ殲滅だが、それ以前から各地に出向いては無傷でゾンビを葬っていく姿を確認されている。

 彼の強さはどこまでも分かり易く、希望になりやすい光を持っていた。

 

「しかし、そんな貴方が、このような遠き地にいる、ということは……」

「あぁ、俺の故郷はもう廃墟だよ。ゾンビはいるのかもしれねぇが、人間はもういない。守るモンがいねぇんだ、出て行くしかないだろ」

「そう、ですか……」

 

 それほど強き存在でも、である。

 希望は──しかし、翳りを見せている。強さにも、表情にも。

 

「それで、この国に何用なのかな。そっちのゾンビとの関係も聞きたい。どうしてゾンビなんか連れているんだい?」

「ゾンビなんかとはなんだゾンビなんかとは! っとうわっ、あぶねえ! 折角縫ったのにまた斬る気かよジョー!」

「心の底から黙っていてくれ、と願っているのがわからないのか?」

「おいおい、俺とお前の仲だろ。言葉にしなきゃ思いは伝わらないゼ」

「そうか。黙っていてくれ」

「へーい」

 

 長年の仲を感じられるそのノリに、イースは少し思う所があった。けれど、その所感を完全に無視してジョゼフに続きを促す。

 

「コイツはまぁ、俺の目的に必要……でもないんだが、まぁ、なんだ。人間を襲う気はない、と言っている。実際、道中にいたゾンビを殺すのに躊躇もなければ容赦もなかった。その上で、襲われていたキャラバンの人間を助ける、なんてこともしたくらいだ。警戒を解けとは言わんが……コイツは特に何でもない奴だよ」

「しかし、ゾンビはゾンビで……いえ、やめておきましょう。貴方程の手練れが管理下に置いている。それはつまり、いつでも……ということでしょう。違っても、そういう事だと思っておきます。……私が糾弾できた身ではありませんからね」

「……わかった。僕も、気にしないことにするよ。ただ、この国の人間にゾンビを無視しろ、なんて無理な話だと思うから、人に見つからないようにするか、顔料を塗ってもらうかしてほしい所だけど」

「んぁ、いいよいいよ、俺もコイツもちょいと聞きたい事あるだけでさ、それ聞いたらすぐにでもどっか行くからよ」

「聞きたい事……?」

 

 黙っていてくれ、と言ったんだが……とでも言いたげな視線をゾンビの少女に向けつつ、ジョゼフが背負っていた麻の袋を机の上に置いた。それなりの重量がある袋。

 彼は袋の口を少しだけ開け、二人に中身を見せる。

 

「これは……砂?」

「砂……」

 

 砂だ。

 直近で嫌な思い出があるだけに、二人は顔を顰めた。

 

「俺の恋人だ」

「……」

「……」

 

 虚を突かれた顔になる二人。ジョゼフの後ろで少女ゾンビが「あちゃー」と額に手を当てている。

 一瞬思考が白んだ二人だったが、すぐに思考を巡らせ──一つの解に辿り着く。

 

「まさか、砂人形?」

「──やはり、心当たりがあるのか。聞きたい事はそれなんだ。風の噂で聞いた。この国にいる"英雄"の一人が砂と化す病に罹り──その病は国民にも伝染している可能性がある、と」

「そんな噂が……」

「俺の恋人は、幼少からの幼馴染だった。ずっと一緒に成長してきて、愛していると声を大にして言える存在だ。だが先日、彼女は砂となってしまった。頼む、何か知っているなら、教えて欲しい。彼女を……ミザリーを生き返らせる術を、教えて欲しい」

 

 懇願。

 "英雄"が砂人形であった、という事実は曖昧な噂として伝わっていたらしい。砂と化す病。そんなものが流行り病となっていて、国民もそれに怯えている、と。

 あるいはイースへの信仰心が為した恐怖の緩和だろうか。"英雄"が引き込んだ"英雄"が悪しき者であるわけがない、という現実逃避だろうか。なんにせよ、その認識が国全体に広がっているのなら、多少はありがたい話であると言えた。

 

 同時に、この場においては申し訳なさすら立つ話になる。

 

「……シンさん。君の国の話を……彼に」

「ッ、ですが、イース殿」

「頼む、どんなに残酷な真実でも良い。構わない。教えてくれ」

 

 頭を下げるジョゼフに弱った顔をするシン。その傍らで、名を呼ばれたイースをまじまじと見つめる少女ゾンビ。彼女が口を開く──直前で、イースが言葉を発した。

 

「シンさんと話している間……ジョゼフさん、少し彼女を借りて良いかな。彼女に聞きたい事があるんだ」

「ああ、構わない。粗相をしたら殺してくれていい」

「ひっでぇー……。ま、いいや。行こうぜ、イース」

 

 話があるのはあちらも同じ。

 シンが言葉を選び悩んでいるのを尻目に、二人は部屋を出た。

 

 

 

 π

 

 

 

「で? お前、人間のフリなんかしてたのか。ぱっと見気付かなかったぜ」

「君こそ、ぱっと見ではわからないよ。……君は、"マルケル"だね?」

「おう。……が、お前と会ってた頃のアイズじゃない。俺はマルケルさ。その辺も分かった上で、俺はマルケルだ。否定してくれていいぜ、俺が信じてる」

「否定しないよ。君、というか君たちは、全員"マルケル"だ。負い目も罪悪感も、仲間意識を覚えない事もちゃんと受け止める事にした。ごめんね、僕は君を、何度も殺したよ」

「何謝ってんだ? 俺だって死ぬほど殺したぜ?」

「……本当に、アイズとは正反対の性格だね、君」

 

 テーブルを挟んで、胡坐をかいて椅子に座る少女と行儀よく座る少年。

 その距離は人間に対してであれば近すぎる距離だ。もし本当にイースが人間なら、あと二メートル以上は距離を取らなければいけない。それほど──親しい者といるかのような距離。

 

「島には帰らなかったんだ」

「いや、帰ったよ。ウィニにも会った。……だが、ゾンビ側はもう無理だな。ナンバーゾンビで残ってるのはIII(お前)V(ヴェイン)VI(ウィニ)だけ。俺は、まぁ、もう違う。あの島にいた俺達じゃねえゾンビは全滅したよ。ヴィィも含めてな」

「……そっか。なんだろう、僕は早々にゾンビ側を裏切ったけど……なんだか、悲しいや」

「はン、どの立場にいたって家族の死は悲しいだろ。俺も……エインやイヴがいなくなったのは、正直、多少はキてる。特にエインだな。アイツ、なんだかんだ死なねえ奴だと思ってただけに……んー、なんだかなぁ」

「エインとイヴは死んだのかい? 行方不明と聞いていたけど……」

「んや、行方不明であってるよ。だがあの島でどうやって行方不明になるってんだ……と、言いたい所なんだが」

 

 テーブルに肘をついて、手のひらに顎を乗せて。

 マルケルは蠱惑的な笑みでイースを見る。

 無反応のイース。

 

「えー! お前、リアクション無しかよ! 見た目結構いいと思うんだけどよ、この身体! お前くらいの年齢のガキはこれくらいの歳の女に見つめられたらドキっとするもんだろ!」

「うーん、僕は特になんとも思わないかな。その、心に決めたヒトがいるからね」

「え!? は!? え、え!? お前、マジで女作ってたのか!? 島にいた頃エインと噂話くらいはしてたけど、え、マジでか!? おお、おお! 今度会わせてくれよ!」

「会わせるワケないでしょ。人間だよ、彼女は」

「えー……お前、それ……悲恋一直線じゃねえか。くぁー、ガキの癖にそんな恋してやがんのか……。つか、なんでこう俺の周囲は結ばれない奴ばっかり……一組で良いから幸せに結ばれて終わる奴出てこいっての」

「それで? 言いたい所なんだけど、何?」

 

 なんだか妙な落ち込み方をしているマルケルに、イースは問う。最初に抱いていた警戒等欠片も無い。あるいは昔、イースが島を出る前、エインとアイズとイースの三人でとりとめのない話をしていた頃に戻ったかのような感覚。あの頃のような仲間意識は一切感じないものの、久しく覚えていない親近感がそこにあった。

 

「ん、ああ。いやな、エインとイヴが行方不明になったあの島に行ったのは俺だけじゃねえのよ。俺と、ワイニーっていうお前と同じくらいガキのゾンビと一緒に行ったワケ。で、島について早々襲い掛かってきたゾンビと戦って、そいつをぶちのめしたんだがよ、隠れてろ、って言っといたワイニーの奴がどこにもいなくなってたんだ。ウィニに聞いても、実験室を見に行ったきり戻ってないの一点張り。実験室だぜ? 研究室から廊下歩いてすぐのトコにある実験室。ヴィィの奴に破壊されたまんまのそこに、勿論だがワイニーの奴はいなくてよ。あ、ついでに抗菌薬も無かったぜ。ってことで、エインとイヴに続いてワイニーまでもが行方不明と来たもんさ」

「君、理路整然と話す、という事を知らないのかな」

「なんだよ、聞き取れなかったか?」

「ううん、筋道は通っていたし、おかしなところも無かったよ。ただ一息で喋りすぎだね。紙面に書いてくれたら理解もしやすかったんだけど。それで、ワイニーという子について、僕達に聞きに来た、という事かな」

「いや? 知らねえだろ、流石に。ちなみにワイニーはお前並みに頭いい奴だ。知性強化型。加えて──マザーについても、何か知ってる」

「……なるほど」

 

 先ほどの蠱惑的なソレとは違う、ニヤっというねちっこい笑み。アイズの浮かべていた皮肉交じりの笑みに少しだけ似ているけれど、圧倒的にいやらしさが違う。

 目の前の相手は多分、馬鹿なのだろう。頭が悪いのだろう。

 けれど考え無しではないし──こちらの興味の引き方を、ちゃんと分かっている。

 

「アッチでジョーの奴が説明してると思うが、アイツのツレがな、砂になっちまったんだよ。意味わかんねえが、お前らは心当たりがあるな?」

「……うん。マザーが、実は砂人形で……各地に存在していた。シンさん。さっきの彼の国の人間は、その半分が砂人形だったくらいには、人類に巣食っている存在だ。ジョゼフさんの恋人も、多分、そうなんだと思う」

「ああ、アイツは認めたくない話だと思うが、俺は納得でよ。つーのも、俺が……元の肉体の俺が死ぬ前、俺はとんでもねぇもんを見てるんだ。走行強化ゾンビ十体以上に追われて傷一つ負ってないアイツのツレ。異常だろ? でも、マザーだったってんなら理解はできる。アイツにゃ悪いが、俺はそんなにショックを覚えてねえのさ」

「……ヴェインが言ってた。"英雄"の傍にいる人間を疑え、って。事実、シンさんの傍らにいたもう一人の"英雄"セイさんは砂人形だった。ジョゼフさんの恋人が砂人形だったというのも、そういう事なんだろう」

 

 砂人形。最近になって存在を知ったけれど、どうにも、イースの考える以上に数がいる。広域に、膨大な数が。"英雄"に関わる砂人形の存在は、確かに懸念事項だ。

 

「お前は、心当たりはねぇのか」

「それもヴェインに言われた。僕にも、さっき言った好きな人がいるから。けれどこの間彼女の指に針を刺して、血液が流れ出るのを確認したよ。彼女は砂人形じゃない。……不謹慎だけど、少しだけ安心しているんだ」

「まぁ、お前の場合はお前が人間じゃねえからな」

「多分、そういうことなんだろうね。……マザーの抗菌薬。僕らにはそれが必要だ。それで……マザーについて、何かを知っているというワイニー」

「おう」

「見た目はわかるかい? 哨戒に出る人間の兵士たちに伝えるよ。僕やシンさんもこの国周辺であれば目を光らせて置く。多分、その子がカギだ」

「そう言ってくれると思ってたぜ! そして、これがアイツの似顔絵だ!」

 

 出された紙には、意外や意外、なんとも精巧な少年の像が結ばれていた。

 もっと下手なそれが出てくると予想していただけに、その"ちゃんとした"画力に目を瞠る。

 

「……あれ、君、絵は苦手、と言っていなかったっけ」

「んー、いやまぁそうなんだけどよ、この身体になってから思うように筆が動く動く。この身体は美術系の勉強でもしてたんじゃねえかなぁ」

「ふぅん……。うん、わかった。これを伝えておくね」

「頼むぜ。そんで」

「うん、マザーについて、だよね」

 

 ワイニーの情報も、マザーについての話ではある。

 けれどもっと込み入った事情だ。

 

「さっきも行ったけど、セイさんは砂人形だった。彼女は抗菌薬の作り方は知っているけど、役割が違うから作らない、って言って聞かない」

「役割か。それ、アイツのツレも言ってたな。ミザリーって名前なんだけどよ、私は"英雄"を作成するための存在で、"英雄"に恋をするのはもっと先、だとかなんとか。んで、俺の話を聞いた途端、砂になって崩れちまった」

「"英雄"を作る、か……。……え? 待って、ミザリーという女性は、人間が居なくなったから、とか、砂人形だってバレたから、って理由で砂になったわけじゃないのかい?」

「おう。俺の話を聞いたらサラッサラになっちまった」

「……どういう話をしたのか、詳しく聞かせて欲しい」

 

 丁度一人、厄介な砂人形を抱えているから。

 その言葉は飲み込まれたが、マルケルには透けている事だろう。冷たい目のイースを少しだけ嗤うマルケル。ジョゼフといいイースといい、目的のためには信念も矜持も倫理観も捨てるのだから、ああ、面白いものだと嗤う。

 どうしてこうも、どうしようもないのかと。

 

「語るのはこっぱずかしいんだがな、いいぜ──」

 

 だから、少しだけ。

 少しだけ、マルケルは──得体の知れぬ彼女に同情をする事にした。

 リザの名を持つ、彼女に。

 

 

 

 т

 

 

 

「……」

「どしたよ、エイン。今更怖気づいたか?」

「いや……やはりマザーは、畏怖に値するな、と再認しただけだ」

 

 大陸西部──。

 長身の男、長身の女、腕の長い少女と浮世離れした女性という異質な四人組がそこを歩いていた。

 それら四人に対し、しかし周囲のゾンビは見向きもしない。3/4がゾンビで、一人が人間ではないと来たものだから、興味が無いのだろう。基本視界ベースで獲物を襲うゾンビだが、島にあった頃から女性──マザーを襲うゾンビはいなかった。

 かつては彼らも持っていたはずの仲間意識が、知性が無いゾンビである分強く働いているのかもしれない。

 

 そんな異質な四人組の先頭を行くマザーは、怪しげな薬瓶や注射器を持って、道行くゾンビ達を次々に倒していっている。

 比喩でなく、文字通り、だ。

 

「こうやってみると、俺達が本当に菌なんてものに生かされているんだって事に気付かされるよな」

「ああ……人間であった頃は、心臓と脳と血肉と骨と筋肉と……とにかく様々なものが綿密な働き合いの元に動いていたはずの肉体だが、本当にああして、たったアレだけの量の薬を注入されただけで活動停止させられるとは」

「恐ろしい話さ。ちゃんとな。結局俺達は、マザーの作品でしかないってワケだ」

 

 首筋に突き立てられた注射針。そこから押し出される数滴の液体が、ゾンビ達の自由を奪う。歩行ゾンビ、走行ゾンビ、強化ゾンビ肥大ゾンビ──そして、"マルケル"ゾンビまでも。

 

「大丈夫か」

「正直キツくはある。自分がああやって増やされて、流行ってる、なんて……考えたくもない。だがこの目で見せられて納得しないわけにもいかねぇだろ。どこまで行っても俺達はただの菌類で、元の人間じゃねえ。今の俺も、エインも、イヴの奴も……脳みそン所の菌を培養されて世に放たれたら新しいパンデミックが起きる。ぞっとしねぇな、本当に」

「ゾンビを作った科学者、か……。誰もが成し得なかった死者蘇生。それを実現させようとしているんだ。俺達で彼女を御す、なんて、出来るはずも無かったな」

「ウィニの奴、今頃頭抱えてんじゃねえか? 厄介なのに喧嘩売ったってよ」

 

 マザーの動きは俊敏だ。脚部強化型のエインや腕部肥大型のイヴの攻撃に劣らぬ速度でゾンビ達を無力化して行っている。曰く、殺しているわけではないとのことだが、一行の後ろには数多のゾンビの屍が河川が如く並んでいる。

 まさしくゾンビの親玉、マザーの名に恥じぬ災害だった。

 

「それにしても、イヴは健気だなぁ。人間の頃であれば目頭が熱くなっていたぞ」

「うわ、おっさん臭ぇ事言うなよ」

「十分おっさんだろう……。イヴも、それにイースも。子供は……もっと伸び伸びと生きるべきだというのに」

「うわー、ウザいおっさんだ……」

「アイズ。今のお前の容姿は若い娘なんだぞ。あまり直接的な言葉を使うな。傷付くだろう」

「なんだやっぱり発情してんのか?」

「……はぁ」

 

 胸を持ち上げ、押し付けてくるアイズに盛大な溜息を吐くエイン。

 イヴの教育に悪い、と思いつつ、マザーのお手伝いとして周囲のゾンビを伸びる腕で掻き集めている彼女はこちらになんて興味もないだろうと少しばかりの安堵をする。マザーの役に立つ。マザーの隣にいる。それが彼女にとっては、何よりも嬉しいらしい。

 結果や過程がなんであれ、子供が笑顔なのは良い事だとエインは独り言ちた。

 

「しかし……マザーはどこへ向かっているのだろうか。まさかこのまま、大陸中の同胞に抗菌薬の投与を?」

「そりゃ流石に……効率ってものを知らな過ぎるだろ。……まさかな?」

「……いや、マザーの事だ。何か崇高な考えがあるに違いない」

「キモ」

「容姿を考えろと言っているんだ……!」

 

 中身がアイズだと思っていても、案外クるものだとエインは思う。

 この一行は、まだ。

 まだ──平和の最中にあると言えた。

 

 

 

 



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エルリアフ-どれだけたっても

 砂と腐肉の国。砂人形の話。マザーの話。

 それらをシンから聞いて、ジョゼフの胸中は様々な思いが渦巻いていた。

 

 ミザリー。あの幼馴染の彼女は、一体何者だったのか。

 何かの病、あるいは症状かと期待した。期待したけれど、心のどこかではわかっていた。ミザリーが自壊した時に呟いていたとりとめのない言葉は一言一句聞き漏らしていない。彼女が"英雄"を作る役割を担っていて、ジョゼフこそがその作られた"英雄"なのだと。それはもう、理解した。

 ミザリーはマザーと呼ばれる存在で、ゾンビを世に放った諸悪の根源と同じ存在で。

 砂で出来た人形。砂の塊。砂塵の亡霊。人間でなく、作られたナニカ。

 

「……別に」

 

 イースの国の、すぐ近くにある切り立った崖。荒野にあるそこは、風の吹き荒ぶ開けた場所で、先ほどまではゾンビがうようよいた。勿論、物の数秒で切り伏せられているが。

 そこの崖縁で、ジョゼフは麻袋を自身の前に置き、自身は胡坐をかいて座っている。

 

 別に。

 別にジョゼフは、どうでもよかった。

 

 ミザリーが砂人形でも、どうでもよかった。人間じゃない。それがなんだ。造られた存在。それがなんだ。

 なれば、ミザリーに作られた"英雄"であるジョゼフとて、あるいはもう人間でないのかもしれない。並外れた身体能力に物理法則を無視した攻撃手段、生物にあるまじき長期活動。

 砂人形のミザリーと、"英雄"ジョゼフ。そこに何の違いがあるというのか。

 

 何より。

 

「お前は……俺が死んだら、悲しい、と言ったよな。嫌だって」

 

 ジョゼフは話しかける。麻袋に詰まった砂。物言わぬ砂だ。ヒトの形さえ成していない、ただの砂。それが詰まった麻袋。それに話しかける。

 思い起こされるはミザリーが崩壊する直前の事。それはおかしいと、エラーだと、バグだと彼女は言っていた。あり得ない事だと。

 

 自身が今、悲しいと思うのは、おかしいと。

 

「俺もだ、ミザリー。今俺は……悲しいよ。お前が居なくなったのは、嫌だ」

 

 本当に役割で、ミザリーはジョゼフの元にいたのだろう。ゾンビの親玉が"英雄"を作成する理由まではわからないが、その部分を否定し現実逃避出来る程ジョゼフは子供じゃない。悲しいくらいに大人で、心の弱い大人だった。

 

 けれど、それと同じくらい。

 

「……お前が崩れた時。俺はお前に……生き返ってほしいと、願ったよ。また笑顔を見せて欲しいと。けどそれは」

 

 様々な思いが渦巻くジョゼフの胸中は、しかし穏やかだった。

 自問自答。客観による再認。荒れ狂う激情とは裏腹に、今まで見てきたものが──ミザリーと共に紡いだモノが、彼を支える。

 マルケルの心配など、杞憂だ。ジョゼフはしっかり成長している。あるいは、心までは成長させることの出来なかった"薬品"にさえ、抗い、打ち克ち、飲み込んでしまう程に。

 

「同じだよな。ゾンビに……なってほしい、って願いと。同じだ。マザーって奴がどんな奴なのか知らないし、お前の性格が、本当はどんなのだったのかさえ俺は知らない。けど、ゾンビなんてものを作るくらいだ。嫌だったんだろ、死別が。離別が。もう会えない悲しみを、味わいたくなかったんだろ。……同じだよ」

 

 だから。

 ジョゼフは、ようやく顔を上げた。そこにあるのは人好きのする笑み。

 彼は"英雄"である。その肉体が作り上げられたものだとしても──その精神は、弱く、脆く、そのままに成長を続ける。どれほど細かろうと、どれほど弱かろうと、成長に成長を重ねれば人並みに、あるいは人並み以上にも成長しよう。

 依存しきっていたミザリーとの離別は、しかし、ジョゼフの心に罅すら入れる事は無かった。

 

「ミザリー。ミザリー。大好きだ。愛している。だから──ああ、さようならをしよう。俺はさ、砂人形も、"英雄"も否定しない。だが、ゾンビになってほしいとは思わない。もし、お前が生き返る手段があったとして、それがゾンビ以外の手法だったとしても……生き返ってほしいとは願わない」

 

 自然、涙が零れた。ジョゼフは巨漢だ。大の男だ。

 それが、みっともなく、情けなく、恥ずかし気もなく──誇らし気に、涙を流す。後悔からでも、罪悪感からでもなく、()()()()()()

 

「嫌だ。本当に嫌なんだぜ。お前と別れるなんて、考えた事も無かった。覚悟なんてあるはずもない。明日も、明後日も、その後もずっとずっと俺が守るって……俺が守って、お前が支えて、それがずっと続くと思ってた。俺がお前の手を離さないって、ずっと……。はは、未練はタラタラだよ。俺は何も……割り切ってなんかいない」

 

 けどな、と。強く言う。自身に言い聞かせるように──あるいは砂となった、彼女に言い聞かせるように。

 

「いいか? お前は、俺を愛していた。俺もお前を愛していた。おかしいことなんてない。あり得ない事なんてない。お前が今までの日々、どんな心境でいようが、何を考えていようが──関係ない。どうでもいい。俺達が愛し合っていた事実は、他の、どんな要素を付け足しても変わらない。何を差し引いても変じない。ミザリー。お前なんかより俺の方がお前の事を分かっている」

 

 息を吐く。

 そして、吸う。

 

「──じゃあな、ミザリー。今まで──本当に、幸せな日々だった」

 

 言って、麻袋を持ち。

 ──その中身を、風に晒す。

 

 砂だ。

 彼女が壊れた時は、必死で掻き集めた砂。彼女の身体。もしかしたら戻せるかもしれない。もしかしたら生き返るかもしれないその砂を、激しい風の中に落としていく。

 

「お前曰く、俺は"英雄"らしい。だから、ちゃんと人類を救ってから──ちゃんと寿命分生きて、ちゃんと死ぬよ。ありがとう、俺を"英雄"にしてくれて」

 

 最後に、愛剣を腰だめに携え、一閃する。

 彼女の入っていた麻袋は飛ぶ斬撃によって両断され、それさえも風に乗って飛んでいった。

 

 ありがとう、と。

 もう一度、口の中で呟いて。

 

 

 

 К

 

 

 

「……意外、だったかな」

 

 そんな彼の様子を遠距離から眺めて呟く。

 正直、彼の再生というか、メンタルの治癒はもっともっと先になると思っていた。彼らにワイニーが露見して、ゾンビや、あの子達との抗争を経て、ようやく。それくらい先でしか彼は立ち直れないと考えていたのに。

 

「"英雄"かぁ。んー、無駄な事だと断じていたけど、ちょっと厄介になるかも?」

 

 ジョゼフという名の"英雄"。個体名ミザリーが作り上げた強化に強化を重ねた人外。肉体の成長に精神の追いつかない、典型的な失敗作だと見ていた。そういうのは()()()によくいたから。

 けど、あそこまで依存しきった存在と別れ、あそこまで疲弊し、狼狽し、イースを頼るにまで至った状態から、たった一夜でここまでの成長を見せる存在は記憶にない。異常、といって差し支えないだろう。圧倒的に足りないはずの経験値を一瞬で会得したかのような成長スピードは、多少、科学者としての食指が動く。

 

 が。

 

「うーん、流石にこれ以上観察対象を増やすのは身体が足りない……。イースだけでも結構手一杯だったし」

 

 残念ながら、私は一人である。

 イースとワイニーの面倒を見つつ、更にジョゼフまで、となると身が持たない。いや、身は持つけど大変すぎるというか、忙しすぎるというか。流石に多分、ボロが出る。

 少し前も人間の兵士たちに発見されるという大ポカをやらかしているので、ここは我慢が大事。

 

 しかしながら、個体名ミザリーが自壊したことで彼についているゴーレムが一体もいないというのは危険かもしれない。猛獣についていた首輪が外れ、そのまま放置されているに等しい状態だ。人間のために作られた"英雄"だけど、何の拍子があって人間に牙を剥くかわからない。ゾンビはどうでもいいけど、これ以上人間を減らされるのは流石にマズい。

 

 本来であれば、少しだけ手を貸すつもりもあった。

 "英雄"ジョゼフがこれ以上折れる……ここで立ち止まってしまうようなら、個体名ミザリーを再構成し、彼の前に置いてあげるくらいの気概はあったのだ。

 それがまさか、自ら手放そうとは意外や意外。というか想定外。

 再構成して奇跡の再会におだて上げていれば、首輪復活で制御も出来て戦力も増えて万々歳だったのに、うん、現実とは中々上手く行かないものである。

 

「……それにしても、自壊ねぇ」

 

 意外といえば、それもだった。

 そもそもがエラーを許容できない作りになっているゴーレムだけど、それにしたって一旦リセットだとか、記憶の一部消去だとか、他に方法は沢山あったはずなのだ。何もボディまるまる自壊しなくとも、選択肢はあった、はずなのに。

 

 考えられる可能性は二つ。

 一つは他のバグによってその選択肢が失われていた可能性。旧型も旧型といって差し支えないゴーレムは、現代における新しい入力に耐えがたい部分がある。基本は自身に依存させ、主導権を握る形で相手を操作、成長させる仕様になっているからエラーなんて起き難いんだけど、突発的な入力には弱い。

 今回はあのマルケルの思想が原因なのだろうことは推測できる。悲しみの許容はあの子達にとってあまりに耐え難い、というか理解し難い思想だ。けれど、その部分の記憶の消去を選ばなかったという事は、それ以前から何らかの思想を受けていたのかもしれない。

 たとえばあのジョゼフという男。たとえばワイニー。たとえば、他の人間達。

 自壊を選ぶという程だ。相当深い部分までそのエラーが入り込んでいたか。……それにしたって、やりすぎだけど。

 

 もう一つの可能性は、そのエラー、あるいはバグによって得た感情を、個体名ミザリー自身が失いたくないと考えた可能性である。

 

 彼女らはゴーレムだ。成長しない砂人形。ただし、彼女らが成長しないのは成長する機能が無いから、というだけに過ぎない。単純に生物ではないので成長できない。身体が育つことは無く、脳に当たる部分も砂の集合体。砂によって作られた集積回路に成長という概念は無い。

 しかし、同時に心ある存在である。私の人格の一部を転写しているのだから当たり前だけど、しっかりと感情を持ち、しっかりと心を持ち、しっかりと情動のある存在なのだ。

 悲しみを得たくない、とかいう幼さ極まる信仰も感情によるものだし、研究や実験の結果に一喜一憂したり、気付きや発見を経てそれらに改良を施す事が出来るのは、感情があるからに他ならない。心無い存在では"どちらが良い反応なのか"の判別が出来ないのだ。いやまぁ遺伝的アルゴリズムよろしく評価によって判別する方法もあるんだけど。

 

 とはいえ、今回のゾンビのように生物を実験対象として扱う場合はどうしたって心が必要だ。

 だから彼女らには心があり、感情がある。情が動く。動きづらいだけで。

 個体名ミザリーがそれを……ジョゼフに対し、抱いてしまった感情を、記憶の一部消去なんて方法で失いたくなかった、と考える事は出来る。エラーによって表出した彼女の"反応"。それを削除してしまえば、彼女は元通りに戻る事が出来る。戻ってしまえる。つまり、"英雄"ジョゼフを監視するためだけの役割に。

 それが嫌だった、と考えれば……まぁ、少しばかり評価点をあげなくもない。人間らしい行いだ。リスクとリターンの天秤において、リスクを度外視して僅かばかりのリターンを取る。それが選べたというのなら、個体名ミザリーはゴーレムでなく、人間であったのかもしれない。

 

「全部推測……憶測だけどね」

 

 そうにしたって、自壊してしまっては意味が無い。……と、個体名マザーは言うのだろう。なんでマザーなのか知らないけど。

 私はそれでいいと思う。人間とは、短命な生き物である。私の作りたかった不老不死の人間は人間を超さず、人間に劣らず、それでいて不老不死という無理難題の極みだ。確認している完成形はイヴという少女、ワイニーという少年。あともう二人ほど。

 けれどそれらが今世界中に蔓延っている人間と同一かどうかと問われると、首を横に振らざるを得ない。ぶっちゃけ全然違うから。

 

 人間の範疇内で不老不死を作る、という目的と、人間のまま不老不死にする、という目的は似て非なるものだ。前者は怪物、後者は……なんだろう、超能力?

 私が創りたいのは前者で、後者ではない。どうやら個体名マザーちゃんは後者を作らんとしているようだけど、まぁ、頑張ってほしいとは思う。そもそも全人類なんて規模を私は目指しておらず、少人数を作れたらそれでいいと思うから、彼女とはもう目指すところが違う。

 話が逸れたけれど、だから個体名ミザリーはそれでいいのだ。

 彼女は人間の範疇内だった。人間の範疇内で、不老不死の身体を持っていながら、自壊を選んだ。

 

 素晴らしい、と言えるだろう。

 過去に作った失敗作のゴーレムの中から、心の成長を遂げ、ついには人間の範疇を超えぬままに生を終えた者が現れたのだ。敗者復活戦というと陳腐になるけれど、個体名ミザリーは完成形……成功作であったのかもしれない。

 最高傑作には程遠い。けれど、研究なんてそんなものだ。膨大な数を試し、そこから得られた"もっとも妥協できる作品"を研究結果として出す。理想になんて手は届かない。それを目指して努力をするし、それを目指す事は止めないけれど、得られるものは得てして妥協案だ。それはもう仕方のない事。それを悔やむ事も恥じる事も無く、声高らかに言う。

 

 個体名ミザリーは、不老不死のゴーレムという研究において、唯一の成功例であると。

 

「メイズ、ここにいたんだ」

「イース」

 

 少しだけ口角の上がった表情を戻して、声の方へ振り返る。

 肌色の顔料を纏う、ゾンビの少年。残念だけど、彼は失敗作。

 

「どうしたの?」

「うん。セイさんについて、言っておかなきゃと思ってね」

「ん……」

「とある筋……まぁ、昔のゾンビ仲間から、砂人形を崩壊させる術を得た。それを、今も暴れようとしているセイさんに使ったんだけど……あんまり効き目が無かったよ。一瞬停止させることには成功したけど、壊す事は出来なかった。だからまだ、彼女の脅威は消えてない。メイズ、安心させてあげられなくてごめん」

「ううん、大丈夫。イースが守ってくれる。知ってるから」

「うん。守るよ、絶対にね」

 

 恐らくセイは記憶の一部消去で耐えたのだろう。とすると、やっぱりミザリーは成功作だ。うん、可能性が補強された。良い事。

 

「お客さん、来てた?」

「あぁ、西の国の"英雄"ジョゼフさんがね。けど、さっき出て行ったよ。やる事があるんだって。戦力の増強を期待したけど、縛り付ける事の出来る理由もないしね。それよりメイズ、ちょっとお願いがあるんだけど」

「うん? なぁに」

「この似顔絵の少年を探すよう、兵たちに周知してほしいんだ。殺さず、生かして捕まえるようにね」

「ん……わかった」

 

 随分と上手い、ワイニーの似顔絵の描かれたイラスト。あの"英雄"が描いたのだろうか。そんな器用な男には見えなかったけど。

 

「明日でいいよ、今日はもう遅い。……久しぶりに、一緒に寝ようか」

「寝れるの?」

「ううん。けど、君の隣にいたいんだ」

「うん。わかった」

 

 寝かしてあげる事も出来るけど、なんて嘯くのは、勿論心の中だけで。

 まぁイースもまだまだ子供である。恋人に甘えたい事もあるのだろう。ジョゼフとミザリーの関係を聞いて感化された、というのも大いにありそうだけど。

 

 やりたい事はいくつかあったけど、それくらいの許容はする。拒否するデメリットの方が大きいからね。

 

 沢山、優しさをあげましょう。

 彼はもうすぐ──用済みになるわけだし。

 

 

 

 б

 

 

 

「ふぅ……」

 

 久しぶりに、保水目的以外で水に浸かった。

 長期に渡る汚れ……泥や血液、その他諸々が綺麗に洗い流された自身の肌は、生の輝きに満ちた明るい色をしている。

 流石はマザーの、というべきか、寝ている間に打たれたらしい点滴は凄まじい効能があったようで、あれだけダルく重かった身体が今や万全だ。

 とはいえ久しぶりの身体。肉体の感覚がある、というのは中々に異質で、無い事が当たり前だったかつての動きが非常に強い痛みを伴っていたり、自身の身体……特に脚部が脆弱すぎる事実に気付かされたりして、様々な発見があったと言えるだろう。痛む、というのはこんなにも不便なのかと。

 同時に、痛むからこそ動きが洗練されていくようにも思う。人体に許された動きの方が、人体に許されぬゴリ押しより鋭く、強い。勿論リーチや咄嗟の回避などはゾンビであった頃の方が遥かに優れているが、子供の体のままに攻撃に転じる事を考えれば、やはり痛みがあり感触のある今の方が総合的に優れていると言えるのだろう。

 その方が慣れるしな、とも考えつつ。

 

「そして、動くと腹が減る……か」

 

 不便だ、とは思わない。

 昨日食べたシチューの美味さが忘れられないのだ。アレを食えなくなるくらいなら、腹が減らないなんてメリットは遥か彼方に捨てる事が出来る。飯の食えない病気、というのがゾンビのいない頃にも存在していたが、どれほどの苦痛だったのか、底冷えする程今は恐ろしい。

 

 今、リザはいない。

 しかし何やらハイテクというべきか、これほどまでに荒廃した世界に似つかわしくないシステムキッチンや大きな冷蔵庫、潤沢な食材がそこにはあって。

 俺は久しぶりに料理、というものをしてみることにした。

 

 といっても男の一人暮らしの、それも訓練校時代以来の簡素で質素で記憶に薄いものだ。

 

「……」

 

 当然、失敗した。

 いや失敗というか、味が悪いだけで失敗じゃないというか。

 昨日のシチューだって特別美味しいわけじゃなかった。が、うん。あれには劣る。確実に。

 

 料理をして、味を確かめて。

 美味しさに一喜一憂する。

 

「……良いのか、俺。それなりの覚悟を決めてたはずなんだが」

 

 一人だけ生き返って、人間を楽しんでいる。

 いいのか、と。

 

「だが出られんしなぁ。……飢え死にするのは違うし」

 

 外へ続く階段のドアも、自分が来た通路も閉じられている。

 部屋にはキッチンのほかに、沢山の本類。スケッチブックや写真類等、色々なものがある。

 時間を潰すには、何も問題がないという事。

 

「うーん」

 

 少女マルケルの事も気になるし、ジョゼフやミザリーちゃんの事も気になる。

 が。いや。どうしようもないから、出来る事をするか。

 

 とりあえず。

 料理、もう少し上手くなろう。

 



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エルリアフ-これだけやっても

 ウィニにとって、"自身がゾンビである"という事実は何よりも耐え難きものであった。

 生前、彼女はモデルをしていた。俳優業にも片足を突っ込んでいたから、世間の評価を見たら俳優と称されるのかもしれない。整った顔立ちと男性を惹きつける凹凸の魅力的な、世辞無しに美女と言える容姿をしていた。

 かつてのウィニは、今となっては忌まわしき旅行──このリゾート島へ足を運ぶ事が何度もあった。この島そのものはそれなりに有名なリゾート島で、煩わしい小国の"格安ツアー"だとか"庶民が奮発して"なんて理由では来られない、まさにセレブ御用達な場所。

 自身の財産もさることながら、ウィニはそういう"セレブたち"に覚えが良かったから、足を運ぶ……連れてきてもらう、ということが頻繁にあったのだ。

 そういう意味では、エインとも生前から顔見知りであったと言えるだろう。オーナーと客という、互いに互いへ興味を示さぬ立場ではあったが。

 

 このパンデミックが起きたのは、十四度目の旅行の日だった。

 十四時三十三分。なぜか鮮明に覚えているその時刻に、けたたましい悲鳴が上がった。

 所謂スイートルーム*1にいたウィニが窓の外を──眼下を見下ろすと、そこにあったのは紛れもない地獄。B級ホラー映画を彷彿とさせる血みどろの死体が闊歩し、あれほど綺麗だった砂浜を赤黒く染め上げ──その群れが、ホテルへ向かってきている。

 初め、何かの撮影だと考えた。ここは景色が良いから、そういう作品に使いやすい。けれどもしそういう撮影があるのなら事前に伝達される。休暇に、旅行に来る者に対し、あまりにも身勝手すぎるサプライズはクレームの対象にしかならない。

 だからその可能性はすぐに消した。

 何より。

 

 警備員だろう男性が死体へ向かって行って──何の細工もなく、胸を貫かれたところを見てしまったから。

 

 先ほど聞こえた悲鳴も、そこから始まる阿鼻叫喚も、現実の事だと悟った。

 ウィニが真っ先に行った事。それはドアを封ずる事だった。内線をかけるだとか、どこかへ助けを求めるだとか、ではない。まず真っ先にドアの前へ重い物を置いて、開かなくする。元々セキュリティは万全な電子ロックの扉だが、これで物理的にも開かなくなった。

 

 もし、彼女がこの先を生き延びるつもりで、それこそ映画の様に"戦える誰か達"と合流するつもりだったとしたのなら、あるいは叶っていたのかもしれない。けれどそれが叶わない──適わない願いである事くらい、ウィニにはわかっていた。ウィニはどこまでも現実主義で、どこまでも楽観視をせず──どこまでも、自分を愛していたから。

 

 もうすぐ死ぬ。それがわかったから、ウィニは()()()()をする事にした。

 

 自身が死ぬ。そうして、あれらのように歩く死体となる。

 その時、自身が()()()()()姿()()()()()()()()()()()()

 

 血を流し、臓物を溢し、四肢に欠損を受け、白目で歩き回る。映画の知識程度しかゾンビを知らぬウィニであるが、その時の姿が悲惨なものになる事だけは容易に想像できる。

 だから、死んでも美しく。

 化粧をして、いつも通りの身体づくりをして、全身のケアをして。差し迫った死に向けて、全力で臨む。生き延びるためにエネルギーを温存するだとか、音をたてないようにするだとか、そんなことは一切ない。何もかもを万全の状態にして──ウィニは、死んだ。

 あれだけ必死に動かした家具類のバリケード等容易に突き破ってきたゾンビの群れに押し寄せられ、なんでもなく噛まれて死んだ。その恐怖も、ずっと鮮明に覚えている。死への恐怖は人並みにあったのだ。ちゃんと。

 

 そうして死んだウィニは、少しばかり──五か月弱程の年月を経て自我を取り戻す。

 久しぶりに目を覚ました時、目の前には女性がいた。その頃のウィニは生前の記憶を取り戻してはいなかったけれど、直感……女の勘、というのは生きていたらしい。

 わかったのだ。

 少なくとも()()()は、味方ではないと。

 

 だからウィニは、早々に島を出た。

 妙な仲間意識のある五人との会話や関係性の構築もそこそこに、島を出た。あの女の監視下、管理下にいてはいけないという警鐘と、何よりもあんな、()()()()()()()()()の傍にはいられない。

 仲間意識があったから、島を離れる際に少しだけ助言を残した。あの女をマザーと慕う彼らに。

 

 ──"アレがマザー? よしてよ、気持ち悪い。アレは私達とは別の生き物なのよ?"

 

 ウィニは自身がゾンビであると認めていない。認めたくない。屈辱だ、そんなのは。だから自分たちを"同胞"なんて呼び方をしたし、頑なにゾンビという呼称を嫌った。

 そう、生前の記憶がない頃であるにも関わらず、ウィニは自身を人間として定めていて、その上で彼の研究者を"別の生き物"と称したのである。

 

 生前の記憶をウィニが取り戻した時、その時の記憶は一度最奥に仕舞われた。アイズのように生前の記憶を優先したわけでも、イースのように折り合いをつけて生前は生前として割り切ったわけでもなく、ウィニはゾンビになってからの記憶を一部封印したのだ。

 それは恐らく、自己防衛本能だったのだろう。少しでも自身がゾンビと共に戯れていた事実を、あるいはあの研究者の元にいたという事実を消したかった。それは自己研鑽に邪魔になるから。

 

 けれど今、この島にたった一人になって……ウィニはその記憶を取り戻す事に決めた。

 必要になる、と判断したのである。記憶を取り戻すと言っても、考えないようにしてきたことを考えるというだけ。忘れるように、見ない様に努めてきたことを直視するだけ。

 

 そうして。

 ウィニは一つの真実に辿り着くことになる。

 

 

 

 Й

 

 

 

 その記憶は、歪なものだった。

 暗い街。街灯が最新のものでない。どころか、とても古いガス灯。その街で日夜行われる研究と実験は、お世辞にも倫理に適ったとは言えないもの。人体実験だろうか、死体も、病人も、そして子供も。等しく"使われ"、"捨てられて"いく。

 ……こんな記憶は、勿論ウィニには無い。ウィニの記憶ではない。ずっと思い出さないようにしてきた──彼女の洗練された自己暗示があったからこそできた芸当であるそれが、だからこそ改めて鮮明に記憶を映し出す。

 

 悲鳴。怒号。断末魔。

 麻酔という物を知らないのだろうか。あるいは、使っても超えてしまう痛みなのか。

 実験に用いられた老若男女は必ず耳を塞ぎたくなるような金切り声を上げて、死んでいく。上げないのは死した者──初めから死体であった者くらいで、やっぱりそこに倫理というものは存在しなかった。

 何年も続く研究。打ち切られたものが幾つあったのか。袋小路に嵌ってしまったものがいくつあったのか。時間だけが過ぎていく。その中で、身体が老いていく。

 

 思い出す。その研究の名は、不老不死の研究。そして死者蘇生の研究だ。

 様々なアプローチが試された。()()()()らしく、賢者の石などと言う眉唾を追い求める学問。単純に人間生物の寿命限界を突破し、超人となる術を探す旅程。そして──初めから死なぬ、成長せぬ存在、人間並みの力しか持たないゴーレムを生み出す技法。

 砂と岩で作り上げられたゴーレム。

 初めは武骨だったソレは何度も何度も生成を繰り返されるうちに人型に近づき──打ち止め(失敗作)と称されたソレは、完全に人間の見た目となった。

 

 ウィニの記憶には無い少女の姿。けれどその雰囲気は、どことなくあの女に似ている。

 

 記憶にある少女のゴーレムは完全凍結という形で打ち捨てられ、主観は新たなアプローチを組み始める。

 

 自らの赤子に自らの脳を移植する悍ましい発想。他人の脳に自らの脳を侵食させ、自身を増やす身勝手な手法。

 記憶の断絶こそを最も恐れ、記憶さえ続いていれば肉体は不要と断じた記憶の持ち主は、それらを実行した。自らの胎に子を宿し──その子供として、新たな生を受ける。生きたまま、生まれ出でる前に乗っ取られた赤子の身体で新たな研究を始め、元の身体……自身であった母親は何の感慨もなく捨てた。

 かつて凍結したゴーレムを用いて身の回りを整え、記憶の持ち主は不老不死の研究を続けていく。

 

 端的に評して、狂気の沙汰であった。

 

 ──その記憶の終わりは、自身の世話をしたゴーレムへ向き合っている所。

 

 記憶の持ち主は言う。「じゃあ、あとはお願いね」と。

 ゴーレムは頷いた。彼女の前には、項垂れたまま車椅子に座る老婆の姿。その老婆は勿論、記憶の持ち主の元の身体だ。死なず、知性無きままに成長を続けた"女性"は、甲斐甲斐しくゴーレムに世話を焼かれ、その処分をも任された。

 その離別。そこを以て、記憶は途切れている。これ以上先は思い出せない。

 

 生前の記憶を取り戻していない時のウィニが、この記憶をも明確に思い出せていないウィニが。

 ただ漠然と、あの女を別の生き物と称したのは、紛れもなくこれが原因なのだろう。

 

 悍ましき錬金術師の作り上げたゴーレム。

 それが"マザー"。そして。

 

「……これ、元凶は……まだ生きてる、ってことよね、多分」

 

 取り戻した記憶が一体いつの事なのかはわからない。

 けれど、このような手法を確立した者が簡単に死ぬはずがないと──あるいは、一分でも本人の記憶を思い出したウィニは確信していた。

 

 各地に蔓延る"マザー"を含むゴーレム達。

 そして──錬金術師、リザ。

 

「リザ、ね」

 

 名前だ。

 一瞬でも気を抜けば、自身の名であると勘違いしてしまいそうになる程濃密な過去を持つその名を、声に出して──侮蔑する。

 

 ウィニは自己研鑽の塊である。

 なれば、己が身を捨ててまで生き永らえるなどと言う手段を取ったリザを、最大限に軽蔑しよう。磨くべきは己が身だ。それはたとえ、死したとしても変わらない。

 

 もう一度、その名前を口にする。

 そしてウィニは立ち上がった。

 

 島を出るのである。

 

 

 

 м

 

 

 

 私とクローンに然したる差はない。

 私が作り上げたゴーレムは人間の域を超えないように設計していて、だから参考にしたのは私の身体データだ。彼女らは原材料が砂だから容姿はいくらでも変更できるけど、最終的なステータスは私と同等になる。……と言いたい所だけど、ゴーレムのオリジナルとゴーレムのクローンが同等のステータスを有していたとしても、私はその限りではない。

 というのも、私は当時の私とは違う肉体を持っているためだ。そして残念ながら、成長も劣化もしないゴーレムより、努力しなければ成長せず、歳を取るごとに劣化して行く人間の身体はどうしても総合的に劣る。

 単純な"知性を持つ不老不死の人形"という意味ではゴーレム達は紛れもない完成品で、人間の範疇とか面倒なことを考えなければ文句なしの傑作であることを忘れてはならない。

 

「大陸南西部のゾンビが減少している?」

「うん。これを見て」

「……うわ」

 

 いつも通りの作戦会議室。

 セイの破壊こそ出来なかったものの、幾分かの行動停止が狙える手法は確立された。これにより、人間の兵士がその停止手段を定期的に行う事で、無力化が可能となった。

 それにより、イースやシンが揃って作戦会議の出来る時間が増えたのである。

 

 今回コルクボードに貼り付けた資料は、先述したようにゾンビの減少に関するレポート。

 大陸南西部……"英雄"ジョゼフのいた街の南の方にある地域で、恐ろしい勢いの活動停止ゾンビが確認されたことを示すものだ。

 

「これは……。これが本当なら、確実な希望に成り得る。けれど、どうしてこんな遠方の資料を?」

「この間来たジョゼフさんの依頼でね、ワイニーというゾンビを探しているんだ。その一環で、遠征部隊を何度か出していて、その一部隊が持ち帰った資料になる」

「うん。"マルケル"ゾンビが減ってきたから、出来る事」

「成程」

 

 大陸全土を用いて行われた蟲毒により、"マルケル"は二十体くらいにまで減少した。そのどれもが強力な個体となっているようだけど、ジョゼフを始めとした各地の"英雄"が一念発起して、"マルケル"ゾンビを盛大に潰しまわっているらしい。

 遠征部隊も何度か"英雄"に遭遇し、助けられたとのことで、これ以上人間が減りすぎる事を危惧していた身としては心強い限りである。

 

 そんな遠征の最中、ある部隊がそれを見つけた。

 

「それにしても……頭を潰されていないにもかかわらず、完全に動かなくなった死体の河、ですか」

「肌が灰緑色だったから、ゾンビである事には間違いない。けど、近づいても、刺したり斬ったりしても、動くことは無かったって。そういう死体が南西部の広域にあって、その地域にはゾンビが一匹もいなかったみたい」

「ゾンビ側にも何かが起きている、と見ていいだろうね。"マルケル"ゾンビといい、今回といい」

「喜ばしい事ですが、少し不気味ですね」

 

 推測、そろそろあの子達が新しいゾンビ化細菌を完成させた頃だと思う。だから既存のゾンビ(失敗作)は用済みとして、且つこれから罹患させる人類の敵になるから、って理由で停止させまくっていると見ている。随分と効率の悪い事をすると思う反面、お片付けが出来るのは偉いね、とも思う。

 自分であれだけ散らかしたのだ、後始末は付けなければいけないだろう。

 

「この広がり方だと、もうすぐこの国にも届くかも」

「南西方向の監視を強化しましょう。遠征部隊が生きて帰った事から人間に害は無い事象だと思いたいですが、万が一もある」

「うん。それと、これも見て欲しい」

 

 もう一枚資料を貼る。

 それは、国民調査……とでも言えばいいか、不安の募っていた国民達を集め、何がどう不安なのかとか、今困っている事は何かとか、少し歪曲して流布した"砂人病"についてどう思うかとか、そういうのを纏めたものだ。

 我ながら頑張った方だと思う。

 

「メイズ、君は……これを、こんな短期間で?」

「勿論兵士の人達にも協力してもらったよ」

「いえ、たとえそうだとしても、これほどの情報量をこれほど分かり易くまとめるのにどれだけの時間がかかる事か……。流石はイース殿の参謀、ですね」

「うん。ありがとう」

 

 元々膨大なデータを纏めたり捻出したりだのなんだのするのは性に合っているというか、得意だから出来た事ではある。研究者だし。それくらいはね。

 ついでに向精神薬とでもいえばいいか、少しだけ気分が安らぐ薬品を国中に撒いてきたので、"砂人病"に関する不安は結構拭えた方だと思う。

 

「砂人病。やっぱり砂人形の件はそういう形で落ち着いたのか。……病名までついて」

「他国にまで広まってしまっているのは厄介と言えば厄介ですが、安心でもあります。これら不安事項に関しては、それらしい予防手段の流布で対処しましょう。いえ、決して褒められた行為ではありませんが、嘘は時として不安を拭い、心を守ります」

「メイズ、お願いしても良いかな」

「うん。いいよ」

 

 私の撒いた向精神薬は多少の興奮剤も含んでいる。かつてイースが"英雄"となった時に撒いたものと似た成分で、耳に入った言葉への信憑性だとか信頼性だとかを無意識に上げる……まぁ聞こえの悪い言葉を使うなら、洗脳に用いるような薬である。自白剤みたいなものだから平気平気。

 

 この国は"人類最後の希望"である。かつては結構な数があった"人類最後の希望"も、今や三ヶ国くらいしか残っていない。その中でも最も規模の大きい国がここで、しかも"英雄"が二人いる。

 十分だ。

 十分、この国は──前を向いていける。

 

 たとえイースや私が、いなくなったとしても。

 

 

 

 н

 

 

 

 覚醒した。

 起きた、という意味だ。

 

「眠っていた……? ゾンビが? ぬ、ぐ……」

 

 湧き上がる疑問を捩じ伏せるようにして、身体が痛む。全身筋肉痛。それに、腹も減った。

 

「……ここは」

 

 喉が渇いた。水分が必要だ。

 ……。

 

 なんだ、その欲求は。

 まるで生きている、みたいな欲求は。

 

「……肌が、明るい。そんな、まさか」

 

 着苦しいスーツを脱ぐ。野外であるが、どうせ誰も見ていない。

 確認する。肌は、肌に──灰緑色は存在しない。

 

「生き、かえった……?」

 

 その気付きに、数瞬遅れて──周囲から夥しい断末魔が響いた。

 どれもが、痛みを訴えるもの。どれもが、苦しみに喘ぐもの。

 

 周囲を見渡す。

 様々な場所に老若男女が倒れている。皆一様にしてはだけた衣服と汚泥や血液に塗れた格好をしているが、その肌は明るい。無論人種的な色の差異はあれど、少なくとも灰緑色ではない。

 ただ、喘いでいる。痛い痛い、苦しい苦しい、助けてくれと。

 喚いている。騒いでいる。叫んでいる。

 

 そうして──一人、また一人と事切れていく。

 それはそうだろう。腹に穴が開いている者。腕や足の無い者。脳が半分露出している者。

 そんな状態の人間が、生きていられるはずもない。

 

「……これは、アレか。見た目を気にして……死後の傷を治していた私への褒美か、神よ」

 

 人間の国と交渉するために、ボロボロな見た目は無理があった。だからしっかり人間らしい治療を施して、縫合して、ゾンビでありながら見た目だけでも綺麗にした。その甲斐があった。

 身だしなみを気にする個体、としてマザーに覚えられていた事は知っている。それがまさか、こんなところで役に立とうとは。

 

「生き返った。生き返ったのか。私は」

 

 空腹を訴える腹も、渇水を叫ぶ喉も、苦痛ではあるが心地良い。久方ぶりの生だ。

 幾分か不便になったが、なるほど、やはり肉体である方が気分が良い。

 

 周囲、事切れていくばかりの"生き返ってしまった死体"達を見遣る。もう少し、まともなカタチをしていれば、生き残る事が出来たやも知れないのに。可哀想だとは思うが、ゾンビの頃のような仲間意識は一切湧かない。

 ただまぁ、ゾンビの灰緑色の肌より、やはり人間の肌の方が美しいな、なんて事くらいは思う。衣服のはだけた女性を見て、思う。勿論紳士なので手は出さない。思うだけだ。

 

「……ふむ、さて。この状態の私は、果たして」

 

 改めてスーツを着直す。このスーツもどこかで洗うか、新調しなければいけないな、なんて考えつつ、荒野をしっかりと踏みしめた。

 

「ヴェインと──そう名乗っていいのかどうか。生前の名……ふむ、どれを使うかな」

 

 大陸南西部。

 ゾンビ化細菌を強制停止させられたとある男が、誰に見られる事も無く、新しい生を謳歌しようとしていた。

*1
もっとも、どの部屋も一般ホテルのスイートルームクラスではあるのだが



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レヴェロフ-不死の章
レヴェロフ-寄りて邂う運命の果実


 ソレに気付いた時、真っ先に動くことが出来たのはジョゼフだけだった。

 反応できずにいるマルケルを守るようにして、伸びてきたモノを剣で防ぐ。"英雄"の判断力は攻撃者を深追いする事より身を固める事を優先し、強く、大きく、その剣を周囲へ振り抜いた。

 飛ぶ斬撃──物理法則に適わぬソレが、夜闇を切り裂いて──そして、弾かれる。

 

 足音は四つ。遅れて臨戦態勢に移ったマルケルと背中合わせに、ジョゼフは警戒を強める。

 

 果たして。

 

「──な」

 

 呼気が漏れたのは、マルケルだ。

 前方。ゆっくりと歩いてくる、白。一瞬見えた遠距離攻撃は灰緑色だった。けれど、この白を──白衣を纏っているのは肌色を持つ存在だ。夜だというのに、真っ暗な荒野だというのに、月の光だけで十二分に輝く不思議な髪色の、女性。

 

 足音は四つだ。前に二つ。

 ──横合いに一つ。

 

 ジョゼフがまた攻撃を防ぐ。今度は斬撃。先ほどのは打撃。

 暗闇でありながら、正確にこちらを狙ってくる。狙いは何故かジョゼフではなく、マルケル。ゾンビを狙う者。他の"英雄"だろうか、と思案し、しかしそれを捨てた。

 気配でわかる。四人の敵の内、三人はゾンビだ。腐臭や足音がそれを物語っている。

 

「心当たり、あるのか」

「馬鹿、お前……一回会った事あるだろ!」

 

 またも打撃。今度は二方向から。否、これは。

 

「おいおい、行方不明じゃなかったのかよ……なんで、なんでお前ら!」

 

 月明かりがようやく全貌を映し出した。白衣を纏う、浮世離れした雰囲気の女性。その傍らで、異様な長さの腕を振り回す少女。ジョゼフたちを挟むようにして立っている二人の男女。

 

「エイン、イヴ……それに、マザー……!」

 

 ジョゼフはもう一度、その剣を振り抜いた。

 

 

 

 ю

 

 

 

「マザー、ごめんなさい。アレ……強い」

「ああ、うん。大丈夫。イヴじゃ勝てないよ、あれは人間を超えてしまっているし」

「……ごめんなさい」

 

 まさかこんな所で出くわすとは、というのが感想だろうか。

 "英雄"とゾンビが二体。私達クローンの一人が作り上げた"英雄"は、どうやら埒外の領域までその強さを増してしまっているらしい。彼についていたクローン……ミザリーの姿が見えないのは一体どういう事だろうか。

 プラスして、ゾンビは……あれは"マルケル"かな。どうして"英雄"と共に行動しているのか気になる所。イースについているクローンのメイズには会えなかったし、もしかしたらこの辺りで何かが起きているのかもしれない。

 

「久しぶりだな、アンタ」

「うん? うん、そうだね。少し前に見た気がする。確か、麻酔があんまり効果無かった個体だよね。ジョゼフ、と言ったかな」

「おう、名前、覚えててくれたんだな。あん時は俺の相棒が世話になったな」

「あの頃はまだ異常個体だと思っていたからね。あの後ミザリーと情報共有をしなければ、今でも脅威として認識していた自信があるよ」

「へぇ、今は脅威じゃないってか」

 

 私達(クローン)はテレパシーだの遠隔通信だのが出来るわけではないので、担当者とでも呼ぶべきクローンと口頭で会話をするか、何らかの手段で近況報告をしてもらわないと情報収集に粗が出る。あの島に引き籠っていた時は他のクローンの所業を知らな過ぎて、イースの謀反や"英雄"の出現に酷く驚いたものだ。

 今はそれなりの数のクローンと情報交換をするようにしているから、そんな驚きは滅多にないんだけど。

 

 ジョゼフ。この"英雄"は、個体名ミザリーが持てる強化手段のあらん限りを込めて作り上げた、埒外の怪物である。とっくのとうに人間を超え、ゾンビも超え、どころか地球上の現行生物の最頂点にあると言っても過言ではない強さを持つ真実化け物だ。

 その強さは私達ゴーレムを作り出した錬金術のようなオカルトにまで片足を突っ込んでいるようで、先ほど弾いた飛ぶ斬撃なんかは普通の人間がどうやっても辿り着くことのできない領域の技法の一つである。

 

 人間側の強化要素としては最適だろう。彼と、あと二人くらい"英雄"がいれば、人間の国を保つことが出来る。

 

「おいおい、その世話になったヤツ抜きで話を進めんなよ、ジョー」

「……またか」

「なぁジョー、俺も大概下品な自覚はあるんだけどよ、ボディスーツはどうかと思わね? 嫌だわぁ、俺が好んでアレ着てると思うと」

「安心しろ、どっちもどっちだ」

 

 少しだけ違和感を覚えた。

 こちら側にいるアイズと、あの"マルケル"。妙な差異……というか、あちらの方が成長している?

 否、正確に表現するなら、成長ではなく馴染んでいる、というべきだろうか。いつか、ゾンビが知性を獲得するために必要な工程として様々な事柄を経験する、つまり島の外で経験を積む、という行為が必要であると導き出したけど、まさにそれら経験を十二分に積んだ個体なのかもしれない。

 知性を獲得する……それは元の脳に菌が馴染む事だと理解した。アイズのゾンビ化細菌はその進行速度が高く、元の人格を取り戻さないだろうと予想したが、もしかしたら、という可能性に辿り着く。

 

「おいおいジョー、お前、ミザリーちゃんはどうしたんだよ。そんなヤツを侍らせて、っかぁ~、モテる奴は違うねぇ!」

「あぁ、ミザリーは死んだぜ」

 

 ──?

 一瞬、思考が白んだ。死んだ?

 

「死んだ、だと?」

「あぁ、死んだ」

「……ばか野郎、何に代えてでも守れよ。なんで……クソ、馬鹿が。くそが、なんでそんなヘラヘラしていられる! ミザリーちゃんは……お前にとって、誰よりも、何よりも!」

「お前に言われなくても、わかってるさ。どれほど悔やんだことか。だがな、マルケル。俺はいつまでも悔やむ事にしたのさ。悔やんで、悔やんで、悲しんだまま──人類を救う。俺はミザリーに作られた"英雄"なんでな、アイツの願いを最後まで遂げるさ」

「願い? 作られた? ……何を言って」

 

 ……なるほど。

 何があったのか、どういう経緯だったのかはわからないけど、本当に個体名ミザリーは死んだらしい。自壊した、という事だ。

 自壊。私達はゴーレムだから、生物の自死と同じように自壊を選ぶことが出来る。けれど選んだが最後、再生は出来ない。外部刺激による単なる破壊と違い、自身の再生の選択肢を奪う自壊は、単純に言ってリソースの無駄である。

 私達クローンは砂と岩さえあれば量産できる。出来るけど、それなりの時間を要するし、他のクローンに知識や経験を共有をしないままに自壊するなんて、無駄中の無駄だ。何か死ななければならない……死んだ事実を作らなければならない事件があったのなら、一旦砂に戻る事を選べばよかったのに。

 そうすれば人間の立ち去った後、もう一度再生して外見を作り変えて、それで良かったのに。

 ……理解不能。経年劣化か、バグか。個体名ミザリーがジョゼフと過ごした二十数年を完全に無駄にしたのだ。無為に消えたのだ。あるいは、何も得るものが無かったから、別に構わないと踏んで自壊を選んだか。

 

 彼女の事を、あるいは人間風に表すのなら、一言で──。

 

「無駄死に、というやつだね」

「──!」

 

 飛んできたのは、斬撃でなく複数の小石だった。

 物凄い速度で飛来したソレは、しかしイヴの伸びる腕が全て叩き落す。

「クソ野郎が」

「クソ野郎が」

 吐き捨てるように。

 その言葉は、ジョゼフではなく"マルケル"から発された。

 

 二人の、マルケルから。

 

「おい、アイズ?」

「……すまん、エイン。やっぱりダメだったわ。俺は、どうやってもコイツとは相容れねえみたいだ」

「言うに事欠いてソレか。テメェ、全部わかってて、ソレか」

 

 シエルという名の女性エージェントの身体に入った"マルケル"。未成熟な身体の、少女と言って差し支えない姿を持つ"マルケル"。その二人が私を睨みつける。

 正当な評価だと思ったんだけどね。まぁ、怒るにしてもジョゼフの方で、この二人がそうだとは思ってなかった。怒っても冷静に、なタイプだと思っていたんだけど、見込み違いかな。

 

「マザー」

「エイン、貴方はどうする?」

「私は……」

 

 眼前にジョゼフと"マルケル"。左前方にアイズがいて、右前方にエインがいる。エインがどんな悩みを抱えようと、その位置取りでは蚊帳の外になるのは仕方のない事であったと言えるだろう。

 

 次の瞬間、私はイヴを遥か後方に投げ飛ばした。

 

「え、マザー!?」

「うん。邪魔だから」

 

 イヴは一応、完成形の一つである。新しい菌は一応完成したものの、まだ臨床研究が未開拓に等しい。これを人間に対して色々やって、その反応や効果を見て、もし失敗したら研究し直しだ。その時にイヴが死んでいては困る。

 あの島に一人で残すより連れてきた方が管理しやすいと思った上での同行許可だったけど、流石に"英雄"と強化ゾンビ二体を相手にしている時に彼女を守る、なんて芸当は私には出来ない。私はあくまで人間プラスアルファ程度の身体能力しか持っていないためだ。

 あるいは作業用ゴーレムや、大陸中央部に配置している個体名セイという"英雄"用に調節されたクローンであれば話は別なのだろうけど、私はそこまで強くない。

 

「死ね──」

「壊れろ!」

 

 アイズのナイフによる刺突が私の喉を精確に貫く。防御が間に合わなかったのではなく、"マルケル"によって両腕を潰されていたが為だ。

 ただ、私の喉はナイフをずぶぶと飲み込み、折られ砕かれた腕も瞬時に再生する。完全に破壊された場合は一日程度の再生時間を要するけど、この程度なら一瞬だ。喉から飲み込んだナイフは鉱石として分解し、リソースにする。

 

「なんっ!?」

「コイツは砂人形だ! 普通に殺すのは意味がねぇ、とりあえず拘束して動けなくしろ!」

「チッ、俺に命令……ああ、いや、いい。今は気にしねえ、それよりコイツをどうにかしねぇと気が収まらねえ」

「そうかい、ありがとよ!」

 

 なんだ君たち、仲良いじゃん。なんて事を思ってみたり。

 何故か第二次パンデミックは形を変え、"マルケル"同士の殺し合いなんてものが起きていたみたいだけど、本来自分同士というのは排他し合わないものだと思う。その体現者が私達なのだし。自身がこの世に一人しかいない、壊れたら終わり、なんて危なっかしく勿体の無い状況に比べ、バックアップが沢山いる、と考える事が出来れば、途端自身たる隣人はありがたいものとなるはずだ。

 作業の効率は上がり、並行して行いたい事、時間短縮を要する事など、様々な研究、作業に貢献してくれる。無論自身も知の探究、死者蘇生の研究は行いたいから、それが集まれば、増えれば、そんなに嬉しい事は無い。

 

 どこかにいるオリジナルが私達をクローンとして生み出したのもそういう理由だろう。一人じゃ足りないから、二人に。二人では手が届かないから、四人に。そうやって増えてきた。ただ、どこかで知識の共有が為されなかったのだろう。今となっては私達の中に自身の製造理由を知る者はいない。

 

「アイズ、今まで私がやってきたこと、見てなかったの?」

「ッ、おいテメェ、コイツの薬品類には触れるな! 針に刺されるのも、肌に薬液がかかるのもダメだ! 問答無用で停止するぞ!」

「あいよ! 大丈夫だ、こちとら格上との戦闘にゃ慣れがあるんでね!」

 

 言葉の通り、単純な身体能力の面ではエージェント・シエルの素体の方が勝っているはずなのに、動きの良さは少女"マルケル"の方に軍配が上がるようだった。なんというか、馴染み方が尋常ではない。アイズは女性の身体を無理矢理男性が動かそうとしている、という感じが否めないのに対し、少女は少女らしいしなやかさを存分に発揮している。

 私の刺突や投擲を、弾くのではなく避ける避ける避ける。月明かりがあるとはいえ夜闇。五感の内、視覚を最も頼りにしているはずのゾンビが、そこまで避け切れるものなのか。

 

「格上扱いは心外だけど。うん。なんか一応、私はマザーらしいから」

 

 とりあえず眠っていてくれると嬉しいな、って。

 

 

 

 Ш

 

 

 

 ゾンビであるにもかかわらず、頭に血が上っている、と表現し得る二人を尻目に、彼らはどこか冷静な面持ちで対面していた。

 

「……君が、ジョーか」

「おう。アンタは……もしかして、エインってヤツか?」

「う、あ、あぁ。私を知っているのか?」

「マルケルの奴がな、お前らの事を楽しそうに話すんだ。おかげで覚えちまったよ」

「マルケル……というと、やはり、あの少女がそう、なのか」

「もう二百人近く、屠ったよ。その内の一人……あぁ、二人か、あいつらは」

「……」

「お前はマルケルの親友、みてぇな奴だって聞いてたが、いいのか、行かなくて」

「それは、そちらも同じだろう。話の流れを察するに、マザーに貶されたのは君の恋人。そうだろう? 君こそ激昂するべきだと思うんだが……」

「俺だって怒ってるさ。本当なら今すぐにでもアイツらに加勢に行きてえ。驚いたよ、マルケルが……二人、仲良く共闘するなんて。ホント、嫌になる程良い奴だよな、アイツ」

「それには同意しよう。アイズは本当に良い奴だ。どこまでも適当で、けれど真面目で……昔のアイズは辛気臭い所があったが、今のアイズは、本当に、頼れる存在になったと思う。ああ、いや、違うか。元々そうだった、のだったか」

「……ゾンビからも慕われてんのか、アイツ」

 

 何がモテねぇ、だ。なんて、ジョゼフが吐き捨てるように笑う。

 そして。

 

 そして──剣を、エインへと向けた。

 

「何を──」

()()()()()()()()()()()

 

 ジョゼフの双眸は一切揺らがない。

 仇敵ともいえるマザーにも、それに抗う二人のゾンビにも、一切気を取られずに、集中する。

 目の前の敵に。

 

「ゾンビってのは、色々種類がいるらしいな。俺達が幹部ゾンビとか上位ゾンビって呼んでる肉体の一部が強化されたゾンビは上から数えて三番目。その上に知性強化型という身体能力は高くないが知力に振り切ったゾンビがいて、その更に上、上から一番目──知性を持ち、身体能力が向上したゾンビがいる」

「……」

「ヴィィ、とかいうゾンビが巨大な腕と、それを自在に操る腕力を併せ持つ強大なゾンビだった、ってのは聞いた。アイツが殺したらしいが。その時、他に強い奴がいるのかを聞いた」

 

 月が雲に隠れる──。

 少しずつ減っていく灯りの最後を、ほとんど錆びた鉄の剣が吸っていく。

 

「アイツは、お前の名前を答えたよ」

「……買い被りだ。生前の私はとあるホテルのオーナーで、アイズのように軍人だったわけじゃない。ただ私は一番目に知性を獲得したというだけで、強さが一番目なわけでは、」

「その場にいた全ゾンビを捩じ伏せて、生き残った最初の勝利者、だろ?」

 

 辺りが暗闇に落ちる。

 先ほどまで聞こえていたマザーとマルケル達の戦闘音さえも遠のいて、静かに、静かに、何かが這い寄ってくる。

 

「随分と、ゾンビの製法に詳しいようだ」

「持つべきものは口の軽い相棒だよ。ゾンビに対抗するための知識を沢山くれた」

「成程。成程……。良い友人を持ったものだな、お互いに」

 

 その音を、ジョゼフは聞き逃さなかった。

 

 聞き逃さなかったが、反応できなかった。殴られた後頭部。痛みは無いに等しい。愛剣を用いて体勢を整え、目星もつけずに地面から抜き放った剣を振るう。飛ぶ斬撃。けれど手応えはない。

 また音。地面を踏みしめる強い音。スクラップの剣で防がんとするが、腹部に痛烈な打撃を受けた。然して痛みはないが、衝撃で吹き飛ばされる。

 

「……本当に人間か、君は」

「ゾンビは人間を超えない、とかアイツに聞いた気がするんだがな……!」

 

 エインとアイズは、共に脚部強化型のゾンビである。

 彼らの頃に行われていた蟲毒は粗雑なもので、回転車を用いた、お世辞にも効率的とは言えない、且つB級映画を思わせるようなソレであった。

 故にこそ二人は脚部が強化され──しかし、その強化は違うパターンによった。

 アイズは跳躍力──つまり蹴りの威力へ。

 

 そしてエインは、単純に走行速度へ。

 

「認識を改めよう。君は"英雄"……人間でない怪物だ」

「一番速いゾンビ。お前が一番、危ねぇって聞いてるぜ」

 

 月はまだ、その姿を見せない。

 

 

 

 С

 

 

 

「わ、すごい。これ全部ワイニーが作ったの?」

「あぁ、時間だけはあったからな……。どうだ、口に合うか?」

「ん~……んー! 美味しい。やっぱり食事って生を実感するよね」

「そうだな。生き返ってみてから、強く感じるようになった」

 

 久しぶりに帰ってきたリザ。いつまで閉じ込める気なのか、と問い質したい気持ちもあるが、五感が正常に戻った事、疲労して眠る、という楽しさを思い出してしまった事を原因に、ここでの生活を楽しんでしまっている俺がいた。

 もしかしたらマルケルの奴が俺を探しているのかもしれない、という一抹の不安はある。というか今ある不安事項はそれくらいだ。人類に関しては、まぁ、ジョーの奴がなんとかするだろう、という信頼が強くなっている。

 

「今、地上はどうなっている?」

「ワイニーは指名手配されてるよ」

「……どういう」

「んー、ワイニーと一緒に行動していた"マルケル"がこの国のリーダーにお触れを出すのを依頼したみたいでね。ワイニーは絶賛指名手配中。ただしONLY ALIVE。生け捕りのみだって」

「あぁ、やはり探し回っているのか。……大人しく捕まって、アイツに合流すべきだろうか」

「指名手配されているのはゾンビのワイニーという少年、みたいだけどね。知ってた? 今のワイニー、元のワイニーとは全然違う見た目になってるの」

「一応わかっているつもりだ。浴室で顔を洗った時……少しだけ、驚いたが」

 

 リザの言う通り、俺の容姿は乞食のような少年のものから見違える程綺麗になっていた。こう表現するとナルシストのようだが、文字通りなのだ。

 痩せこけていた頬やくぼんでいた目、ガリガリだった身体に肉が付き、肌つやを帯び、枯れ果て萎れたアビエスの葉のようだった身体や顔が、その葉が蘇るようにして潤いを取り戻している。健康、という言葉を使うに相応しいこの肉体は、ゾンビだった頃と似ても似つかない。

 

「今行って、名乗って、捕まえてもらえるかな」

「……この緊急時、子供が出向いてもあしらわれるだけか。……ん? ということは、似顔絵が出回っているのか?」

「うん。これ。ゾンビの頃のワイニーにはそっくりだよね」

「おお。あぁ、この描き方はマルケルだな。旅の途中、何度か見た」

「へぇ~、これあのマルケルが描いたんだ。"英雄"ジョゼフの方かと思ってた」

「ジョーが絵? はは、よしてくれ。アイツの絵は……犬とキリンの区別が付かないような、控えめに言って酷いものだ。あぁ、まぁ、俺も然して絵が得意とは言えないんだが」

「得意じゃないの?」

「ん? あぁ、人並みではあると思うが、これほど巧くはない。これに関してはアイツの才能だろう」

「……」

 

 怪訝な顔をするリザ。

 まぁ、その気持ちはわかる。俺も"マルケル"だ。その過去に、誰かに絵を習うとか、絵が上手くなるような事柄は無かった。だから当然、アイツにもないはずだ。

 それでもアイツは絵が上手い。多分アイツの、というかアイツの身体の、あの年でなくなってしまった少女が得意だったのだろう。

 

「……」

「どうした?」

「うん。うんうん。良い、良い兆候。ちょっとやる事出来たから、またね。ここで軟禁するのももう少しの辛抱だから、あと少しだけ待ってくれるかな」

「ん、あ、あぁ。それは構わないが……」

「うん、ありがとう」

 

 言って、リザは部屋を出て行く。恐らく地下室なのだろう部屋を、階段を上って出て行く。

 

 階段に続く扉は──閉じられなかった。



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レヴェロフ-逅いて説く執念の結晶

 当然の事だけど。

 

 勝てるはずもない戦いだった。何度も述べるように、私には人間に毛が生えた程度の身体能力しか存在しない。こちらが一撃入れたら勝ちで、私は何度でも再生するというアドバンテージこそあるものの、エージェントなんていう鍛え上げられた肉体を可動域無視な状態で扱う元軍人と、少女の身体を十全に扱う事の出来る元軍人。

 それを相手に勝ちを得ようなんて無理な話だ。早々に足や腕を潰され、地に転がるに終わる。

 そこからまた再生して、潰されて、その泥沼の戦い。"マルケル"には何か秘策があるようだったけれど、よくわからなかった。こちらの活動を一時停止させる何かを入手していることまでは理解したけど、然したる問題にはならないと判断。流石に活動停止時の外界まで観測できるわけではないので画策は無用。

 本当に泥沼だった。

 互いに決定打が無い。否、こちらにはあるけど、どうも届きそうにない。

 

 エインとジョゼフは遠くで戦っているようで、それもまた決定打の喪失の要因となっていた。

 

 ただし。

 

「……ぐ」

「不味い……」

 

 この泥沼は、そう長くは続かない。

 こちらは砂と岩のゴーレムだ。活動限界というものは存在せず、生物のような休眠も食事も要らぬ存在。

 対してゾンビは、同じく睡眠や食事を必要としないものの、唯一必要となるもの──水分の存在がある。

 渇き。渇くこと。汗はかかねど激しい動きをすれば水分は飛ぶ。彼女らが現在どれほど水分を蓄えているかなど、私には手に取るようにわかる。このまま菌の動きを抑制する薬を打たずとも、彼女らは渇きによって自壊することだろう。

 さらに言えば、私の身体が彼女らの水分を奪っている。主な攻撃手段を打撃とする二人と接触した時、その水分を少しずつではあるが奪い取る事で、彼女らはいつも以上に渇きを覚えているはずだ。

 

「それで、君達は私に何をしてほしいのかな」

「壊されろ」

「死ね」

 

 疑問の一つではあった。

 私に何をしてほしくて、戦いを挑んできているのか。個体名ミザリーを無駄死にと形容したことを謝ってほしい、とか。あるいは人類を救うために抗菌薬を作ってほしい、だとか。その辺りなんじゃないかな、と思っていたんだけど。

 単純に、壊れて欲しい、とのこと。

 

 ふむ。

 

「うん、わかった」

「──」

 

 別に臨床研究は他の場所でも出来る。

 こんな荒野に拘る必要はないし、"英雄"にも然して興味はない。強いて言えばこの"マルケル"には多少の興味も覚えたけど、覚えた程度だ。研究の前に置くにしては弱い。

 だから、そのリクエストに応えよう。

 

 身体を──崩す。

 

 これでいいかな、という意思を込めて、肩を竦めた。そのまま、指先から、顔から、足先から……砂になっていく。細かい、細かい砂。月が見え始めた事で、その砂は結構綺麗に輝いているんじゃないだろうか。私の身体を構成する岩と砂。岩も、先ほどのみ込んだナイフも全て砂にして、崩れていく。

 崩れて、風に吹かれて飛んでいく。

 

「マザー!?」

 

 背後から、悲痛そうな声が聞こえた。

 振り向く。けれど、流石にここまで崩れた状態では声を掛ける事も出来ない。再生するには一日ほど時間が必要だ。

 サラサラ、サラサラと舞い散っていく体。その、僅かばかり残っている胴体に、彼女の長い腕が巻き付いたのが見えた。

 その衝撃により、完全に崩れる身体。

 一際強い風が吹いて──。

 

「嫌、嫌──!」

 

 私は、その場から完全に姿を消した。

 

 

 

 Д

 

 

 

 当然、自壊を選んだ、というわけではない。

 崩れた状態のまま意識はあるし、再生の準備のために各部……つまり身体を構成する砂を集める事も出来る。強風吹き荒れる中、少しずつ少しずつ一点に砂が集まっていく様子はおかしなものであるとは思うけれど、目撃者などゾンビくらいしかいない。況してや夜闇、空を舞う砂に気を配るような奇特な人間はいないだろう。

 そうして風に流され、辿り着いたのは──どこかの人間の国。この時世でありながら十分な文明を維持しているらしいこの国であれば、臨床研究も容易い。

 少しじめっとした路地裏に流れ着いて、時間を待つ。一日を経なければ再生できない、というのは設計上の仕様であり、そこの改善は難しい。とはいえ何か急ぐ事があるわけでもない。流石にたった一日で人間が全滅する、という事は無いだろう。

 そうなりそうだったら、島にいる他のクローンたちが動くし。

 

 今は文字通り地に伏して、待つ。

 それが──。

 

「……マザー、か」

 

 声が聞こえた。

 私達における耳という器官、目という器官は外見を人間に近づけるために作り上げた、謂わば見た目だけのハリボテである。だからソレがなくとも音は聞こえるし、周囲の確認も出来る。

 その声は、路地裏の奥から聞こえた。

 

 少年の声だ。暗がり。肌の色は明るい──人間の手。ゾンビじゃない。

 

「言っておくが」

 

 熱に浮かされたような口調だ。自分で何を言っているのかわかっていないように聞こえる。

 この、ただの砂塵である状態の私の事をマザーと呼ぶ少年。イースの声ではない。なら、誰か。

 

「アンタの夢を、悲願を、俺は否定しない。悲しいのが嫌だ、という理想も俺は理解できる。俺だって嫌だ。悲しくなるくらいなら仲良くなりたくはないし、仲良くさせられるくらいなら相手を死ななくしたい。自分が今後、長く、長い、とても永い時間を生きなければならないというのなら……そうしたい」

 

 こちらを覗き込むようにしてしゃがんだ少年の顔に、やはり見覚えは無かった。

 このパンデミックの渦中には珍しい、健康状態の良さそうな人間の少年。実験対象には持って来いなその少年に、しかし私はそれどころではない。

 いつかエインに話した私の悲願。私達の目的地。それを、何故こんな子供が知っているのか。

 

 しかし、疑問を挟み込む余地のないまま少年の独白は続く。

 

「同時に、短命の美しさにも同調しよう。短い時間を抗い、激しく、うだるような熱量を持ったまま生き抜いて、その果てに死ぬ。短い幸せを、続かない幸福を得て、誰かと寄り添い、あるいはただ一人、研鑽の果てに辿り着いて死ぬ。その先にあるのが無為でも、何も出来ず、何も成せず、何も残せず、何の意味が無くとも──それでいいと思う。誰かの記憶に残る必要はないんだ。俺はそもそもそれを、悲しいとは思わない」

 

 悲しむのが嫌だ。悲しみたくない。

 私達の行動理念に打撃を与えかねないその言葉は、けれど最後の一言で抑えられた。

 

「大切なものを失ったら悲しい。それを受け止めたくないし、得たくないから、アンタは今こうして色々な手法で人類を強化しようとしている。これから仲良くなる誰かと、いつまでも一緒にいたいから。ああ、それはそうだろう」

 

 同じ言葉を吐く。言葉が違うだけで、内容の同じ言葉だ。

 それを何度も何度も、少年は吐く。

 

「何度でも肯定するぞ。俺はアンタを否定しない。マザーの夢。ミザリーの愛。セイの慈しみ。そして、メイズの縁と、リザの願い。俺はアンタ達を否定しない。そして、マルケルの想いも、()()()()の決心も否定しはしない」

 

 あぁ、今、私は崩れている。

 だからリブート出来ない。リセット出来ない。勿論一日が経てば昨夜の時点にまで記憶の一部消去も可能だろうけど、今それを行う事は無理だ。

 だから聞くしかない。少年の言葉を。

 

「悲しみとは離別でしか得られない感情だ。友との決別。家族との哀別。大切な人との死別。すべての悲しみは誰かと離れ、別れる事が付き纏う。だがな、離別が全て、悲しみを伴う、というわけではない」

 

 いつかを幻視する。

 車椅子に乗った老婆。視覚も聴覚も機能しておらず、赤子程度の知能しか持たぬ女性は、最後の最期に初めて覚えた言葉を発した。

 

「いつまでも共にいたい。その想いは普遍だ。誰しもが持っているし、誰しもが感じる事だろう。マザー。アンタは……貴女は、普通なんだ。何も特殊ではない。誰が至ってもおかしくはない感情に、何ら特別ではない環境を経てそれを獲得した。だけど、圧倒的に経験が足りない」

 

 ──"ありがとう。"

 そう、言われた。私じゃない。私達(クローン)の記憶ではない。

 長らく忘れていた言葉だ。だって、その後の事が、あまりにも悲しくて。

 

「悲しみなんか受け入れなくていい。嫌だというなら、そんなものはいらない。楽しさや嬉しさに彩りをつけるために悲しみを許容する、なんてこともしなくていい。ずっと楽しくて、ずっと嬉しくて良いんだ。そんなのは耐えられるヤツだけが持てる理想だ。耐えられない弱いヤツにまで押し付けられる話じゃない。マザー、貴女は弱い──弱者側の存在なんだ」

 

 ……これは多分、オリジナルの記憶。私達が経験したことじゃない。私達に受け継がれた記憶に、このような事柄は存在しない。私達は作られた時点で、オリジナルの一部記憶しか転写されなかったのだろう。オリジナルとクローンは同等の性能をしているけれど、クローン同士でさえ記憶と経験に差異があるのだ、オリジナルとクローンに記憶の差異があったっておかしくはない。

 それを何故、今思い出しているのか。

 

「いいか? 貴女は弱いんだ。清濁併せ吞む事なんて出来ないし、自分と違う主張に晒されたら簡単に立ち止まる。思い込んでいた事象の前提が崩れたらイライラするし、失敗が続けば躍起になって効率の悪い事をする。貴女は弱い。弱い事を自覚しろ」

 

 路地裏に朝日が差し始めた。もう夜明けだ。次第に照らされていく少年の顔。彼が笑っているのだと、今気が付いた。

 

「その上で、言う。悲しみを伴わぬ離別を目指せ。自分の心が壊れないよう全力を賭して、最期に感謝を伝えられるような……死後の息災を、願えるような」

 

 何かが折れてしまったような気がした。

 早くリブートをしなければならない。一日という時間が遠い。これ以上の入力は根幹のシステムに異常を来す。しかし、耳という器官が見せかけであったように、耳を塞ぐ、という行為を行う事は出来ない。私という砂の身体は、勝手に、周囲の情報を拾ってしまう。

 

「笑って送り出すんだぜ。じゃあな、元気でな、って」

 

 風が吹いた。路地裏の狭さが風圧を増強し、周囲の情報を拾いきる体が轟音に塗りつぶされる。

 

 次の瞬間、少年の姿は無くなっていた。

 ……エラーだ。リセット、リブート。早く、早く。一日よ経ってほしい。

 

 この、抱いてしまった感情を、受け止める前に──早く。

 

 

 

 В

 

 

 

 気付いたら、朝焼けの眩しい場所にいた。

 少しだけ眠っていたのか、記憶が途切れている。覚えているのはあの階段……リザが閉め忘れた階段への扉に、何度か躊躇しつつ、それをくぐった所。階段を上がった記憶も、その先からここまで歩いてきた記憶も無い。

 

「眩しい……」

 

 久しぶりの朝日だった。

 無論ゾンビの頃も陽光に照らされる事はあったが、生身を取り戻してからの日光浴は初めてだ。生前から数えてどれほどになるのか。あるいはこの身体の持ち主が最後に日光を浴びたのはいつなのか。

 冬ではあるが、染みわたる光の温かみに嘆息する。寒さはあるけれど、それ以上に心臓が温かな血液を送り出しているのが分かる。

 

「少年」

 

 ふと、背後から声がかかった。

 振り向く。

 そこには背の高い男。中華系の顔立ちで、槍を背負っている。

 

「俺か?」

「ああ、君の周囲に他に少年はいないだろう?」

「ふむ……確かに」

 

 流石に早朝過ぎて、周囲にいるのは大人ばかりらしい。

 果物の籠を運ぶ女性や木材を担ぐ男性、武装した人々。リザに貰った服を着ているためか、奇異の目や憐みの目を向けてくる存在はいないが、どこか心配のような気配は伝わってきた。

 

「迷子か、と思ってな」

「ああ……違うんだ。最近ずっと家に籠っていたから、朝日を浴びたくて、親に内緒で出てきた」

「……大人として叱りたい所だが、まぁ、朝日を浴びたいという気持ちはわかる。そうだ、少しの間俺と共にいないか?」

「誘拐か?」

 

 ワイニーを名乗るようになってからスラスラと出てくる嘘に心の中で苦笑しながら、相手を観察する。こんなに透け透けの誘拐文句がかつてあっただろうか。どれほど三流でももう少し工夫する。というか、この時世に誘拐なんぞ企む人間がいる事に多少の失望だ。緊急事態くらい手を取り合って危機に臨めよ。

 

「誘拐っ? い、いや、違うぞ? ム、もしや俺を知らないのか?」

「知らんが」

「……まぁ、そうか。イース殿ならともかく、最近来た他国の"英雄"など興味は無いか」

 

 気になる単語が二つ。

 イース。懐かしい名前だ。懐かしすぎる名前だ。アイツが島を出てから、一度も会っていない。そうか、まだ壮健なのか。いやゾンビに壮健も何もないと思うが。

 そして"英雄"。成程確かに、男は相当な手練れらしい。ジョーの奴には劣りそうだが、少なくとも俺じゃ足元にも及ばない。

 

「一応、他国で"英雄"をしていたシンという者だ。今は見回りの時間で……まぁ、君を見つけた。この国の守護を任された者としては、子供をそのまま放置する、というのも心苦しい。君が朝日を浴び、帰りたくなる時まで守らせてはくれないか。その後、君の親御さんの所にまで送って行こう」

「ゾンビの脅威が消えたわけでもないだろうに、ンなことをしてていいのか」

「何、我が槍はここからでも外壁に届く。見張りの者には専用の笛を渡しているし、狙いを外す、ということもない」

 

 ……訂正。コイツも十分化け物だ。この国の広さがどれくらいかは知らないが、外壁までは結構な距離がある。朝というのもあるだろうが、霞んで見えなくなるくらいの距離が。

 そこに、笛の音程度で方向と距離を計算して槍を投擲し、ゾンビを殺し得る、とか。化け物でしかない。"英雄"というのはこんなんばっかりか。"マルケル"の増え過ぎを懸念していたが、もしや人類は大丈夫なのではないかという錯覚にさえ陥る。

 

「……その辺りのベンチでいいか」

「ああ、ありがとう」

 

 何故礼を言われているのかわからない。

 とりあえず街路にあったベンチへ座る。寒さはあるが、それよりも日光が心地良い。

 

「親御さんと、仲が悪いのか?」

「ん? ……そんなことはないさ。十分、よくしてもらっている。服を見ればわかるだろう。欲しいものは大体揃っているし、自由も利く」

「そうか。それはよかった」

 

 一応、リザを想定して話している。今の俺の身体は少年だが、元の歳を考えればあんな少女を親扱いするのに多少の抵抗はある。が、嘘だし良いだろう。リザもマザーのマザーみたいなもののようだし。

 

「何か悩みがあるみたいだな、家族の事で」

「……透けたか」

「丸わかりだ。まぁ、なんだ。こんな子供でいいなら、相談に乗るぞ」

「子供に話す事ではないさ。それより、君は随分と賢い子のようだ。もしかしたら本当に余計なお世話だったかな」

「……さてな。俺も久しぶりに、知らんヤツと話す。節介という意味では大きすぎたのだろうが、機会という意味では大事だったやもしれん」

「はは、まるで同い年の者達と話しているかのようだ」

 

 もう少しくらいは歳下だと思うぜ、なんて胸中で嘯く。

 朝日は、俺の身体を光に浸ける。渇きを気にしなくていい身体。気温を感じる事のできる身体。ほぅ、と息を吐けば、それに含まれた水蒸気が白く染まる。

 

「……妹がな、いたんだ」

「ああ」

 

 話す気になったらしい。

 男……ええと、シンと言ったか。彼は随分と疲弊しているようだった。肉体的なソレではなく、精神的に。

 

「ずっと一緒だった。ずっと一緒にいて、ずっと一緒に育ってきて、心の底から信頼していた。……だが、アイツは俺を裏切った。俺だけじゃない、俺達によくしてくれたイース殿やメイズ殿にも刃を向け……今でも信じられない。今までの人生は全て嘘だったと聞かされたよ」

「そうか。そりゃまぁ、悲しいな」

「ああ。悲しい。怒りもした。……それ以上に、苦しいんだ。半身を削がれた気分さ。悔しいんだ。もっと早く気付けていれば、彼女を変える事も出来たかもしれない。その機会はいくらでもあったのに、俺は信頼なんて言葉で目を背けて……妹をちゃんと、見ていなかった」

「ふむ」

 

 想像の百倍くらい重い話が返ってきて多少驚いている。

 兄妹の裏切り。イースは確か、人間の国で人間の味方をしていたはず。その名前が出てくるあたり、国家反逆でもしたのか。あるいはヴェイン辺りに唆されてゾンビ側へ何か情報を売ったとか。

 なんにせよ、大勢を裏切ったのだろう。

 それは。

 

「それは、お前の責任だろうな。お前が背負って良い責任だ」

「……」

「あー……言葉を間違えたか? でもな、身内というのは、家族というのは、腐れ縁で繋がってる他人なんだよ。血の繋がりは関係ない。ソイツを家族と思ってしまった時点で、ソイツを身内の線引きに入れてしまった時点で、ソイツと自分に鎖が発生する。コイツは残念ながら切る事が出来ない。絶縁しても、忘れようとしても、必ずどこかでぶち当たる。ふと思い出してしまったり、アンタのように直面したりな」

 

 仲間意識はとうに薄れたが、あの島にいたゾンビ達をまだ身内だと思っている。共に旅をしたマルケルも、ジョゼフとミザリーも、そしてマザーとリザも。

 俺の身内のラインはかなり緩いし、広い。簡単に情を入れてしまうし、簡単に絆される。それを俺は、恥だとは思っていない。

 

「身内だと思ったって事は、所有物だって宣言をしたに等しい。奴隷だの物扱いだのの話はしてないぜ。ソイツとの繋がりは、アンタの持ち物だって話をしている。アンタと妹の間にあるしがらみはアンタだけのモンだ。他人のモンじゃねえ。だから、アンタがその妹さんが変じてしまった事を、あるいはハナからそうだった事を悔いたいなら、悔いて良い。誰も止めないさ。誰にも止める権利はない」

 

 考えなくていい、とか。お前のせいじゃない、とか。

 そんなこと、他人に言われる筋合いはないんだ。決めるのは自分だ。背負うも背負わぬも、悔いるも悔いぬも、己の勝手。そこにあるしがらみは己だけのものだ。同情や憐みなど知った事ではない。落ち込んでいる姿を見ていたくない、なんてエゴに付き合っていられるはずもない。

 

「苦しめよ。アンタは耐えられる人間だ。散々疲弊し、疲労し、苦しみ苦しみ苦しんで苦しめ。うだうだ悩んで、落ち込んで、泣いても良い。声を荒げても良い。でもアンタは耐えきってしまうだろうよ。その妹とやらの生死さえ俺は知らんが、折り合いも割り切りもアンタには必要ない。だってアンタはもう知っている」

「怖い、子供だな。君は」

「どうしようもない、という事実は、決して。アンタの足を止める枷には成り得ない」

 

 もし、ジョゼフがミザリーちゃんを喪ったとしても、同じ事になるだろう。悲しみ、苦しみ、嘆き、気が触れたように口早になるかもしれない。憑りつかれたように行動をするかもしれない。

 けれどアイツの足を止めるには、余りにも軽すぎる。()()()()()でアイツの心が折れると思っているなら、見込み違いにも程があると言ってやろう。

 

「足を止める。踏み出す。どちらを選んでも良い。進まなければいけない、など誰が決めたというのか。だが、アンタは歩くだろう。歩き続けるだろう。酷く残酷な事ながら、アンタは」

「"英雄"だから、か?」

「"人間"だから、だ」

 

 人間である事を望む者が立ち止まるはずがない。進まなければいけないなんて事は無い。立ち止まっていい。踏みとどまっていい。その間人間でなくなったとしても、それが自らの心を守るための措置であるなら何も問題は無い。そのまま死ぬまで立ち止まったとしても、誰が怒るという事も無い。

 ただ、立ち直りたくなってしまうのが人間だ。人間というのは悩み続ける事が出来ない。感情を維持するのが余りにも下手な生物だ。怒り続ける事も、悲しみ続ける事も、楽しみ続ける事だって難しい。エネルギーを消費する"情動"という行為は、持久力を持っていない。

 

「間違えるなよ。アンタの身体がどれだけ人間を超越していようと、"英雄"だのと罵られる技術を有していようと、アンタは人間なんだ。どこの国の"英雄"もそうさ。残念ながら、人間だ。アンタはそれ以上にはなれない」

「それ以下にはなれると?」

「ふん、思い上がるなよ。人間が一番上じゃない。一番下だ。人間になるってのは誇る事じゃない。恥じ入る事だ。人間以下の存在なんて存在しない。ゾンビもそうでない何か達も、全部人間なんかより上だ」

 

 最も弱く、最も無為な生き物だろう。それを創りたいというリザも奇特なものだし、それを生き永らえさせたいというマザーも狂っているとしか思えない。

 

「だが、初めから人間であった者が、人間であり続ける事は、決して恥じる事ではない。そうであり続けることはそうでなくなる事より遥かに優れている。成長など必要ない。変化など必要ない。今この時点で、アンタより優れているアンタは存在しない。妹の事を悔やむなら悔やむだけ悔め。俺に話してどうにかなる話ではないし、話さずともどうにかなる話ではない」

「相談を聞いてくれると、さっき言ったように思うんだがね」

「聞いただろう? それで、先ほどと心持ちは変わったか?」

「いいや。もっと深刻になったよ。……だが、向き直る事は出来そうだ。向き合わなかった事を悔やんでいたにも拘らず、結局今まで、俺は妹の事を見ようとはしていなかった。言葉にしておけば考えているのだと自己暗示して、何も考えていなかったみたいだ」

 

 シンはゆっくり立ち上がり、傍らに立てかけていた槍を握り締めた。

 見えたのは、弓なりに身体を引いたところまで。瞬きをした後には彼の手から槍が消えていた。

 

「ふぅ、理由にしておいてすまないが、君を送り届ける事は難しくなってしまったらしい。君なら危険はないと思うが、気を付けて帰るんだぞ」

「ああ、そうさせてもらうよ」

「そうだ、最後に君の名前を聞かせてくれないか?」

「ん──」

 

 ちょっと言葉に詰まる。確かリザが、地上……この国では俺が指名手配されていると言っていたはず。似顔絵と、ワイニーという名前。少年のゾンビ。

 顔は似ても似つかないし、ゾンビではない。が、要らぬ誤解を招きそうだ。

 かといってマルケルを名乗るのも……それはそれで危ない。

 

 ふむ。

 

「レヴェロフ、という」

「この辺りでは聞かない響きだな。ああ、いや、時間の猶予はなさそうだ。それでは、レヴェロフ」

「ああ」

「助かった。心から、礼を言うよ」

 

 言って、その姿が掻き消える。

 視線を上へ向ければ、屋根の上を駆けていくシンの姿。

 ……なんだ、中華というのはクンフーとかいう超絶技巧の達人ばかりがいる場所だと聞いた事があるが、アレは"英雄"だから、だよな。全員が全員そう、じゃないよな。

 

 別に今は人間と敵対していないが……。

 

レヴェロフ(REVEROF)、ね。咄嗟に名乗った名前としては……落第も良い所だな」

 

 吐き捨てるように。

 

 

 

 Ц

 

 

 

 しかし、帰り道。覚えてないな、俺。



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レヴェロフ-廻りて解く哄笑の悔恨

 かつてのリゾート島。そこは今、無人島の名に相応しい様相を呈していた。

 至る所、あらゆるところに腐肉が転がっているものの、既にヒトの活動の痕跡は存在せず、最後まで残っていた彼女ですらもうここにはいない。

 波の打つ音と木々のざわめき。海猫や野生動物の鳴き声が響くことはあれど、言語と呼ばれるものが犇めくことは無い。

 

 そんな、静かな島で。

 

「……ア」

 

 彼は目覚めた。

 

 

 

 Λ

 

 

 

「コ、コハ……、ここ、は」

 

 上手く音の出せない喉。眩しい日差しに少しだけ眉を細めて、そして気付く。

 

「……シンデ、ない。死んでない」

 

 最後の記憶。身体が思うように動かせなくなって、口が勝手に開いて、けれどずっと、意識はあって。

 自分の身体を操るナニカが、みんなを殺して回った。ヤメロと叫んでも、トマレと嘆いても、身体は動かせず。ただただ、己の身体が生み出す圧倒的な暴力に屠られていく同胞を眺めるしか出来なかった。

 それを止めてくれたのは、一人の少女。

 不敵な笑みを浮かべるその少女は身体能力にかなりの差があるにもかかわらず、己を殺し切った。あの時、確かに首を飛ばされたはずだ。自身の腕が彼女の右腕を潰し飛ばすのと同時に、この首は確かに切り離されたはずだった。

 

 けれど、首をさすってもその痕跡はない。

 どころか。

 

「うで……」

 

 邪魔で仕方がなかった、自身の腕。()通りには動かせず、みんなと同じようには使う事の出来ないその巨腕が、今や普通のサイズにまで縮んでいる。

 ……違う。

 

「あれ……僕の、腕?」

 

 砂浜。波打つ岩間に転がっている、人間の腕をそのまま何倍もの大きさにしたような灰緑色の腕。肩口から切断されているアレは、紛う方なき己の腕だった。

 なればこの腕は、なんなのか。

 

 とりあえず立ち上がろうと、自身の背後に手をつこうとして、何かを掴んでしまった。ふにゃ、としたそれ。渇いたその感触におそるおそるそちらに振り返ってみれば──そこにあったのは。

 

「う、わっ!?」

 

 それは、頭部だった。

 ヒトの頭。灰緑色の首。

 この姿が嫌いで、だから鏡も水面もあまり見ようとしなかった自分でも、わかる。

 

 これは、己の首だと。

 

 恐る恐る、ソレを持つ。

 自分達にとっては大敵の渇き……その首からは水分が完全に失われていて、持ち上げた所からパラパラと壊れていくのがわかった。でも、そんなことはどうでもいい。

 あの時に斬り飛ばされた首だ。そんなの、自分でもわかる。

 言葉を紡ぐ能力のほとんどを喪っていた自分だけど、頭が悪かったわけじゃない。と、思う。

 だから、あの腕も、この首も。

 確実に自身から……あの時、あの少女によって斬り飛ばされた物だと判断できた。もっとも、腕は飛ばされた覚えが無いから、死後に隔離されたのだろうけど。

 

「僕は……普通、に?」

 

 悲しいかな、腕が縮んでも、言葉は上手く操れないらしい。

 他の四肢と同じくらいの大きさの、灰緑色の腕。叶うなら人間に戻りたかったけど、これでも十分だ。だってもう、自身は化け物じゃない。

 

「……ウィニと、ヴェインは」

 

 最後の最後まで一緒にいてくれた二人。エインとイヴがマザーについていってしまった事は知っている。イースがリザに捕まっている事も知っている。

 アイズが、"ああ"なってしまった事も知っている。

 

 自分のコトも、みんなのコトも、知っていた。わかっていた。

 けど、言葉にするチカラが無かったから、伝えられなかった。

 

「そう、だ。リザ。リザ。みんなに、ツタエナイと……!」

 

 あの日。あの夜。己はリザと相対し、全てを思い出した。少しくらいは思い出していた生前。けれど、自身の死因だけはずっと忘れていた。自分がなぜこんな風になってしまったのか、どうやって死んだのか。

 ……他の皆は、多分、"同胞"達に"同胞"にされたんだろう。相槌も反応も出来なかったけど、近くにいたエインやアイズがそういう話をしているのを聞いた事がある。

 

 けど、自分は違う。

 

「あの──寄生虫を、殺す方法を」

 

 明瞭な言葉が出る。

 己は、捨てられた。元リザの宿主──それが、ヴィィの過去だ。

 

 

 

 Ω

 

 

 

「あ、いたいた」

 

 軽い言葉で、その場は仲裁される。マザーを殺したと思い込んだイヴと、彼女の猛攻を凌ぐ二人の"マルケル"。悲痛な叫びを上げるイヴの腕は的確に二人の命を刈り取らんとし、強化ゾンビであっても肥大ゾンビではない二人はリーチ差に圧倒され、防戦一方だった。

 アイズにとって、イースとイヴはかわいい弟や妹のような存在だったから、というのもあるだろう。"マルケル"になった所でそれは変わらない。仲間意識こそ湧かないイヴであるが、その精神性が本当に幼き少女のソレである事などわかりきっている。

 防戦一方であっても劣勢ではなかったのが要因の一つと言えるだろう。奇襲に長けたイヴは、正面からの攻撃が上手いわけではない。本来は夜闇に乗じて一人ずつを貪っていくイヴのスタイルは、方やエージェント、方や生存能力に特化した"マルケル"を相手に攻め切る事が出来ないでいたのだ。

 

 そんな折に、そんな声がかかった。そんな、軽い声が。

 

「誰だ、お前」

「ん? あぁ、君に用は無いよ。用があるのはソッチの君だけ。イヴちゃんには多少思う所があるけれど、あの子達の管理ミスまで責任を背負うつもりはないかな」

「……俺に、何の用だ。名を名乗れよ」

 

 ピタリと止んだイヴの腕に警戒を弱めず、けれど新しく現れた少女に対しても警戒を強める。

 知らぬ顔だった。ゾンビではない。どこか雰囲気がマザーに似ている。

 

「私はリザ。ワイニーを保護しててね、君がマルケルでしょ?」

「ワイニーの? ……待て、リザ? リザだと!?」

 

 もう一人の"マルケル"であるアイズが「俺がマルケルだ」と言おうとしたのを遮って、その名を少女マルケルが叫ぶ。その名。然して珍しい名ではないものの、ジョゼフと少女マルケルがワイニー探しを始めた理由の一つであるリザという名。それがこんな場所に現れたのだ。

 こんな、ゾンビとゾンビが互いに争い、少し離れた所では"英雄"とゾンビが激しい戦いを繰り広げているような、そんな場所に。

 

「うん。もしかして、どこかで会った事あるかな?」

「会った事は、ねぇな。だが会いたいとずっと思ってた。ワイニーの奴がアンタの名を知っていたんだ。アイツがアンタの名を呟いてから、ミザリーちゃんも、ワイニー自身もおかしくなった。アンタ一体何者だ?」

「全部私のせいにするのは酷いなぁ。それで、何者、かぁ。うーん、うーん」

「……誰なんだ、コイツ」

「……」

 

 恐らくこの場で、誰よりも──イヴよりも──知識の少ないアイズの疑問に答えてくれる者はいない。答えられないというのもあるだろうが、()()()()()に構っていられる暇がなかった、というのが大きいだろう。

 少女マルケルにとっては、恐らく諸悪の根源を担う存在として。

 そしてイヴにとっては。

 

()()()()()()()

「へぇ」

 

 にっこりと笑うリザ。イヴが一歩、後退った。

 

「マザーのマザー? マザーを産んだヤツ、って事か?」

「……つまり、ミザリーちゃんみたいな……砂人形とかいうのを、作ったヤツか」

「うんうん、その認識であってるよ。ミザリーを作ったのは私じゃなくてマザーだと思うけど」

「じゃあ、この……世界がゾンビだらけになった話の、原因がアンタ、ってことでいいんだな」

「え? それは違うよ、それはマザーの仕業。さっきも言ったけど、なんでもかんでも責任を押し付けるのはやめてほしいな。月並みな話だけど、ナイフで殺人を行った犯人がいたとして、そのナイフを作った職人にまで罪の所在を押し付けるのは違うでしょ?」

 

 そんな、普通の……まるで正論のような事をいうリザ。

 マザーには感じた得体の知れないナニカが、リザからは感じ取れない。それが一層不気味だった。

 

「まぁ私の事はどうでもいいからさ、マルケルちゃん。ワイニーが待ってるから、おいでよ」

「とりあえずその呼び方はやめろ。怖気が走る」

「うん、マルケル。どうする? あっちの"英雄"に挨拶をしていく?」

「ついていく、なんて言った覚えはねぇ。アンタがマザーを作り出したヤツだっていうんなら、何をされるかわかったもんじゃねえからな」

「そう? じゃあ」

 

 そこで飛び退く、という判断をしたのは、流石の生存能力と言えるだろう。百点満点だ。

 ただ無意味である、という事実を除けば。

 

「オイ、どうした……」

 

 アイズから発された言葉を、少女マルケルは背後に聞いていた。

 ほとんど同じ位置で、イヴにもリザにも背中合わせに対峙していたはずなのに。随分と、遠くに。

 

 そこでようやく、少女マルケルは自身が歩き出している事に気付く。

 先ほど飛び退いたのも……後ろに飛び退いたつもりだったのに、前に出ている。自然と、にっこりと笑うリザの方へ歩が進む。

 

「身体が……いう事を聞かねえ」

「はぁ? ……なんだこれ、俺も動けねえじゃねえか」

「う……」

 

 面倒臭そうに彼女を止めようとしたアイズもまた、その場から動くことが出来ない。イヴも同様であるようだった。

 手招きをするリザに誘われるまま、少女マルケルが歩いていく。

 

「ゾンビ化細菌。あの子達は一から作ったと思っているだろうけど、根幹部分は私の細胞を使っているからね。少なくともゾンビは操れるよ。イヴちゃんには効き目が薄いんだけど、逆に弛緩剤は効果が高いのが救いかな」

「……」

「ウイルスだったら、勝手に変異しちゃってた可能性があるけど……ちゃんとそのまま使ってくれてて安心したよ」

 

 少女マルケルが、リザの下に辿り着く。辿り着いてしまう。

 アイズにとっては、あの少女マルケル……自身に罹患した少女の事などどうでもいい話だ。"英雄"と共に同胞殺しを敢行していたようだし、マザーに敵対するという利害の一致はあったものの、本質的に仲間ではない。自身を差し置いてマルケルを名乗る少女に忌避感さえある。

 

 けれど、残念ながら、アイズは……"マルケル"は、良いヤツだった。

 

「頼む!」

 

 ただ一言。

 体は違う。声も違う。先ほどまでは敵対していたし、この先も仲良しこよしなんてするつもりはない。

 それでも彼は"マルケル"の相棒である。あちらがどう思っているかなど、アイズは考えない。どこまでも信じている。どこまでも頼っている。"英雄"と呼ばれぬ頃から、彼を信頼している。

 その返事は、斬撃だった。

 

「え」

 

 速度。威力。切断力。

 そのどれもが物理法則に適わぬ飛ぶ斬撃。

 それが、寸分違わず──リザを両断する。両断だ。すぐ近くにいた少女マルケルのそばを掠め、地を抉り、その斬撃はリザという少女を上から下まで真っ二つに割断した。

 

 数瞬遅れ、噴き出る血液。

 腹部肥大のゾンビでさえ一太刀の元に切り裂けるその威力の前では、少女の躰など一溜りもない。悲鳴を上げる暇さえなく、ただ一瞬の疑問を浮かべた垣間の時間で──リザは絶命した。

 

 絶命した。

 

「……化け物かよ」

 

 助けられた少女マルケルも、彼を呼んだアイズも、胸中は同じ。

 未だ戦闘の終わっていないらしい轟音を響かせる方向を見て、そう呟いた。

 

 

 

 Ι

 

 

 

 数分後、動くようになった体をほぐす二人。イヴはまだ弛緩剤とやらが効いているようで、動くことが出来ないらしい。

 そんなイヴを小脇に抱え、アイズが言う。

 

「……見逃してやる」

「こっちの台詞だ、と言いたい所だが、お言葉に甘えてますよっと。……だがアレが終わらんことにはな」

「エインの奴。強い強いとは思ってたが、あんなに打ち合えるとは思ってなかった。……正直、ジョーに喧嘩売った時点で……今生の別れまで見えていたんだがな」

「だなぁ。争いごとが嫌いなくせに、見ろよあの顔。活き活きとしてやがる」

「ストレス、溜まってたんだろうな。ウィニもヴェインも最終的に信頼できるヤツじゃねえ。あの島であの二人に囲まれてんだ、ストレスはそりゃすげぇことになってただろ」

「あー、確かになぁ」

「俺と一緒に来てからは……どうだろうな。俺から見て、それなりに楽しそうだったが。アイツはアイツで身体動かせねえストレスがあったんだろう。俺だってそうだったくらいだ。走行強化型の気持ちが完全にわかるわけじゃないが……走り回れないストレスってのは、ちゃんとあるんだろうさ」

「ジョーの奴も似た感じかもしれねぇなぁ。アイツとまともに打ち合えるゾンビなんかいねぇし、基本一撃で終わるんだ、こんなに長い間戦ってるのは初めてみるよ」

 

 腕を胴体に巻き付かせたイヴを持ちながら、二人の"マルケル"が会話をする。ボディスーツの妙齢の女性と、カジュアルでポップな、年頃らしいパーカーを纏う少女。もし肌が灰緑色でなければ、親子にさえ捉えられたかもしれない。

 その気の合い方は、自分同士だと知らなければ、長年の親友に思えるだろう。

 

「……お前は、どうする気なんだ」

「ん? どうするって?」

「現状だよ。正直言って、人間はもう詰みだろう。だが俺達も俺達で問題が多すぎる。これまでの道中、マザーは俺達を……ああ、もういいか。ゾンビをな、停止させてきたんだ」

「停止させてきた?」

「俺達が菌で動いてる、って事はわかってるよな。その菌を、停止させる薬。マザーは道中出会うゾンビの全てを止めてきた。大陸南西部にゃ、文字通り物言わぬ死体がわんさか転がってるぜ」

「へぇ。……あん? なんでマザーがそんなことしてんだ」

「新しいゾンビ化細菌が完成したんだとよ。だから、現行のゾンビ……つまり第一期のゾンビは失敗作として片付けられてるのさ」

「……勝手なヤツだな、本当に」

「違いねえ」

 

 これだけの人の命を弄んで、新しいものが出来たから古い物はいらない、と。

 そんな勝手が許されるものか。

 ゾンビに与するつもりのなくなっていた少女マルケルでさえ、その憤りはあった。

 

「……多分、マザーは死んでねえ」

「何?」

「砂人形ってな、世界中にうじゃうじゃいるんだと。イースから聞いたんだ。砂人形に巣食われてた国の話。その国だけじゃなく、色んな所に、色んなヤツの姿をして、マザーみてぇな砂人形はいる」

「……気色の悪い話だな」

「で、全部が全部マザーみてぇに薬を創れるらしい」

「それは」

「ああ。あのマザーが、ゾンビ達を止めて回るようなことをしてたんだ。もしかしたら今、世界各国で、色んな所で……それが起きてるかもしれねえ」

「……まぁ、そうだろうな。大陸は広い。マザーがたった一人でカバーできるような面積じゃねえ。現行のゾンビを片付けようってんだ。そんなにいるなら、それだけ動くか」

 

 アイズと少女マルケル。

 二人はアイコンタクトさえなく、同時に立ち上がった。

 

「ジョー!」

「エイン!」

 

 響いていた戦闘の残音が、止まる。

 錆剣と拳。その打ち合いは既に千二千を超えている。超えているというのに、疲弊の色は見えなかった。エインはゾンビ故、当たり前だが。

 

「……」

「……」

 

 二人は警戒を緩めない。

 無言で、向かい合って。

 

「どうやら、終わりのようだ。"英雄"ジョゼフ」

「みてぇだな。アンタ、強かったぜ、エイン」

 

 言って。

 

 ──エインが、崩れ落ちた。

 

「え、おいエイン!?」

 

 駆け寄るはアイズ。思わずと言った風に放り投げられたイヴを少女マルケルがキャッチして、二人を見守る。彼とて駆け付けたい意思はあったが、その役目は()()()だろうと判断した。

 体の動かないイヴを抱えたまま、ジョゼフの元へ寄る。

 

「エイン、おい! 返事しろ!」

 

 膝を突いたエイン。疲労の色は無かったはずだ。けれど、今の彼は──まるで人間のように、人間が死ぬときの様に、その瞳を閉じようとしていた。

 

「……ふ、ふふ」

「エイン?」

 

 零れたのは笑み。笑い。

 嘲りのようなそれでも、皮肉めいたそれでもない──満足の笑み。

 

「……闘争など、無縁だと思っていたんだがな。……存外、楽しかった。アイズ。お前の気持ちが、ようやくわかった。生存を賭して、争う。ふふ……これは、楽しいな」

「ゾンビが何言ってんだ、おいエイン!」

「渇けば死ぬ。脳が潰されたら死ぬ。……そう、聞かされた。初めだ。誰もいない時、俺とマザーだけしかいない時、そう聞かされた」

 

 急速に力の抜けていくエインの身体。

 その様を、東洋の言葉に倣って表すのなら。

 

「それだけでは、なかったらしい。ふふふ……マザーよ、貴女に、朗報がある」

 

 この場にいない事を知らないのだろうか。

 もう目も、耳も、機能していないのだろうか。

 

「──満足だ。この世との、離別は──あぁ」

 

 成仏した、と。

 

「アイズ、少しでもお前の事がわかった。俺は、それが──何より」

 

 嬉しかったんだ。今までありがとう。

 

 言って。

 

「……」

 

 彼は、死んだ。

 ゾンビの死。渇きによる崩壊でなく、ただ満足して。アイズとの語らいでも、何かを成し得たわけでも、啓発があったわけでも気付きがあったわけでもない。

 ただ、親友の気持ちが、少しだけわかったから、なんて理由で。

 

 エインは、永遠の眠りについた。

 

 

 

 Δ

 

 

 

 エインの墓標。

 彼の宗教圏に倣い、十字架の建てられた簡素な墓。

 requiescat in paceの文字の刻まれたその墓の前にはもう、誰もいない。

 

 朝方にあった決着の後、ジョゼフと少女マルケル、アイズと、彼に再度抱えられたイヴは別れた。お互いの為すべきことをしよう。今この場では、これ以上の死を振り撒かぬように。

 そう言って、四人はこの場を後にした。

 だから今、ここには誰もいない。

 

「……満足して死、かぁ。それは結構、予想外だったな。ゾンビなんてレコードに刻まれた影法師でしかないはずなんだけど……死途の川を、自力で渡りきるなんて」

 

 いないはずだった。

 

 照らす太陽が、その姿を映す。蜃気楼が如くぼやけてはいるが、確かに。

 そこには──アイズの、姿が。

 

「最初に生まれた、くらいのラベルしか持っていないゾンビ。ううん、もう少し興味を持っておくべきだったかも。それに、健康優良児だったメイズちゃんが殺されちゃったのも痛いなぁ。ワイニーからの情報で浮かれすぎた」

 

 先ほどまでの口調の影はどこにもない。

 一人でぶつぶつと自戒を呟く様に、アイズらしさも、マルケルらしさも存在しない。否、初期のアイズであれば、少しくらいは似ていたやもしれないが。

 かつてシエルという名を持っていた女性。彼女の肌から、少しずつ、少しずつ……灰緑色が消えていく。

 

「流石に今からメイズちゃんの人形を作るのは時間が足りないし……。うん、ちょっと早いけど、イースには──消えてもらおうかな」

 

 女性はお腹をさする。

 ボディスーツに包まれた、メリハリのある体。その肌は元の色味を取り戻し、活力の光を放つ。

 

 蜃気楼に揺られ、その姿が掻き消えるまで、女性は。

 自身のお腹を、とても大切そうに、とても大事そうに、撫でさすっていた。

 

 

 

 Μ

 

 

 

「シンさん!」

「……ダメでした」

「そ、……そう。そうか……」

 

 或る人間の国。

 そこに、走り回る二人の"英雄"の姿があった。

 

 この国を支える"英雄"と、一人の参謀。頭脳たるその少女の姿が今朝から見えないのだ。

 レヴェロフという名の少年との対話の後、ゾンビを処理して戻ってきたシンが見たのは、いつになく焦燥したイースの姿。

 イースにとって少女……メイズはかけがえのない存在。シンの目から見ても、彼が彼女に依存している事はわかりきっていた。たまにふらっといなくなることはあるが、これほどの長時間姿を見せない事は今までなかったという。

 現時刻は正午過ぎ。朝、イースが家を出た時にはいたはずなのに、そこからずっと、メイズは姿を見せていない。

 

 国のどの兵士たちも、国民も、誰も彼女の行方を知らなかった。外壁より外を見張る兵士も同じで、国内を警邏する者達も同じく見ていない。商売をする者、それを購入する者、子供たち。誰も彼もがメイズの事を知っているのに、誰も彼もがそれを知らない、なんて。

 

「セイ、さんは」

「ええ、私もそれを考えました。ですが、妹の柳葉刀に血液は付いておらず、何より監視の者はひと時足りとて目を離していないとのこと」

「……メイズ」

 

 セイは未だ、メイズに敵意を抱いている。

 故の犯行かと考えた。敢え無く打ち砕かれたが。

 

 メイズの行動範囲はあの家と、作戦会議室、それに兵士たちの詰め所くらいである。

 それ以外に彼女が行くところなんて。

 

「──あの路地裏」

「路地裏?」

「僕と、彼女が出会った路地裏。そういえばあそこに彼女が来た理由を僕は知らない」

 

 イースはメイズとの記憶を全て覚えている。それを全て精査して、彼女が訪れた事のある場所を洗った。洗って、思い出す。あの場所。はじまりの場所。

 確か国の、北側に位置する住宅街の、アパートとアパートの間にある暗い暗い路地裏だ。

 

 駆けだす。イースにとって、メイズはあらゆることよりも最優先事項として処理される存在だ。故に制止をかけるシンの声も聞こえぬまま、最短距離を最速で行く。

 屋根の上を駆け、直線で、そこへ。

 

 イースより速度の出るシンではあるが、目的地のわからぬシンでは先行するという事も出来ない。

 だから、彼を追いかける形で、少しだけゆっくりと屋根を伝っていった。だからこそ、見つける事が出来た。

 見張りの目を掻い潜り、何やらこそこそと外壁を昇り、この国へ侵入してくる女性の存在を。

 遠目で人間だという事はわかる。だが、マザーやセイの例もある。

 明らかに平常心ではないイースを追いかける事と、あの女性の対処をする事。

 

 シンの天秤は、後者に傾いた。

 

 

 

 Σ

 

 

 

「この国にどのような用向きですか、お嬢さん」

「あら、とっても目が良いのね。今はとっても迷惑」

 

 その一言で、敵だと判断する。

 突き出す槍は神速の名をほしいままにするだろう。それを間一髪で躱した女性に、警戒レベルを一気に吊り上げる。

 

「私はシエル。他の国で"英雄"をしていたのよ」

「ほう。それは、納得の身体能力です。無断でこの国へ侵入した理由をお聞かせ願います」

「国から逃げてきた亡命者の行動としては妥当じゃないかしら?」

「亡命者? "英雄"が?」

「ええ、扱き使われるのはもう勘弁願いたいのよね。私は元からお金で雇われていた身だもの、お金が払われないのなら、あそこにいる意味はない」

「成程」

 

 今度は更に力を強めて。空気を叩く轟音が遅れて響く。また、外した。

 

「もしかして言葉の意味が伝わらなかったかしら? 東洋の言葉は苦手なの、ごめんなさいね」

「いえいえ、十全に伝わっていますよ。嘘吐きの気配が、ね!」

 

 三度目。穂先が掠った。

 シエルと名乗った女性の腕に一閃、赤い筋が流れる。少なくとも砂人形ではなく、人間らしい。それでもシンは強く槍を握って離さない。

 

「酷いのね、女性に手を上げるなんて。紳士的な対応を希望するわ」

「それは申し訳ございません。ですが、今この国は緊急事態でして。お帰り願います。また後日、正式な手続きを経てこの国を訪れてください。そんなことが可能なら、ですが」

「ふふ、面倒くさい人」

 

 槍が逸らされる。外壁に穴をあける前に柄を引いて、再度。今度は地面に逸らされた。ので、膝で槍を突き上げ、シエルの方へ向かって穂先を弾き上げる。

 二本のナイフで止められた。膂力は女性のそれではない。一般人のそれでもない。"英雄"というのはあながち嘘ではないのかもしれない。

 

「いいのかしら?」

「何が、でしょうか」

「早く行ってあげないと──イースが、そろそろ死んじゃうよ?」

 

 突然雰囲気の変わったシエルが、人間とは思えない動きでその場を離脱せんとする。

 追撃は可能だ。そこまで速力を持っていない。

 だが。

 

「……イース殿!」

 

 あの言葉はブラフだと思えなかった。

 "英雄"シンの直感が、そう告げていたのだ。

 

 

 

 Ψ

 

 

 

 イースの辿り着いた路地裏。

 あの頃と変わらぬ湿ったそこに、ソレはあった。

 

「……砂?」

 

 砂。良い思い出の存在しないソレが、ひと塊。

 そこに積もっている。

 

「まさかメイズが……違う、彼女は人間だ。……そうだ」

 

 一瞬過ぎった嫌な考えを振り払う。ヴェインの言葉は信じるに足らない。

 それに、確認したのだ、イース自身が。

 彼女に流れる赤い血を。

 

「……ここに、いないとなると」

 

 ここには何もないと判断し、イースは路地裏から目を離す。

 直後──()()()()()()()

 

「イース」

 

 彼の脳に巣食うゾンビ化細菌が、彼の思考よりも早く身体を動かす。

 携えたシミターを勢いよく振り抜き、その声の主を切り伏せんとして。

 

 とす、と。

 後頭部。頭蓋骨を貫通し、脳髄へ──その針が、突き刺される。

 彼のシミターはしっかり届いた。けれどその刃先は彼女に飲み込まれ、分解されてしまう。

 

「イース殿!」

 

 速度という点において、シンに落ち度は一つだって無かった。判断力も洞察力も完璧だった。

 だから、ちょっと運が悪かっただけ。

 ちょっと、間に合わなかっただけ。

 

 シンの目に映る──顔の半分をシミターに切り裂かれ、しかしすでに再生の始まっている女性の姿。その傷口から漏れ出でるは、砂。

 判断材料はそれで十分。恐ろしい速度で突き出された槍は女性の中心を捉え、上半身の全てを貫き飛ばす。まるで風船の弾けたように上半身を失くした女性はパタりと倒れた。残っていた下半身が砂に戻っていく。

 そんな些事よりも前に、イースだ。

 彼は何か──注射器を後頭部に突き刺されて以降、ピクリとも動かない。

 

「イース殿、イース殿!?」

 

 腕を背後に振り切ったまま、口を「あ」の形に開いたまま、イースは動かない。

 

 シンはイースに駆け寄ろうとして──止められた。

 

「お兄さん、近づかない方が良いわ」

「っ!」

 

 槍を構え直し、それに対峙する。

 先ほどの女性だ。いつの間に近づいたのか。気配を消す能力に長けているらしい。

 

「……何用ですか。先ほどの続きをお望みであるのなら」

「忠告をしにきたのよ。()()、ゾンビよ?」

「何、を……?」

 

 イースの身体が、ぐらりと倒れる。動かない。死んだように、動かない。

 その体に、何か液体をかけるシエル。制止をかける暇もなくかけられた液体が──ソレを落とす。

 

「……この、肌色、は」

「ゾンビの特徴、灰緑色、よねぇ? 見て、これ。このゾンビはずっと、肌に顔料を塗っていたみたい。この液体は顔料を分解するものなのよ。どうして私がこの国にこそこそと潜入したか、わかるかしら」

「……」

「ゾンビが支配している国に、おめおめと姿を現わせるわけないでしょう? わかるかしら?」

 

 イースの腕に掛けられた液体は、彼の体表にあった厚い粉のベールを剥がした。 

 その下から出てきた灰緑色は、紛れもなくゾンビのもの。動かず、物言わぬイースに女性はあらん限りの言葉をかけていく。

 

「この国は、ずっと、ずぅーっと、ゾンビに騙されていたのよ。ゾンビの対策を練る傍らで、このゾンビだけが自身の安全を固めていた。人間の兵に神聖視されて、"英雄"なんて持て囃されて……さぞかし気分が良かったでしょうね。でも、それも今日で終わり」

「イース殿は、死んだ、のか」

「死んでいた、のよ。このゾンビの後頭部に刺さってる注射器。その中身。私は見覚えがあるわ。これはかつて、私の国がとある研究者と取引をしていた抗菌薬」

「っ、それは、マザーの!」

「あら、知っていたの? なら話は早いわ。マザーの抗菌薬はとても強力でねぇ、一度ゾンビ化細菌に罹患した人間でも、抗菌薬さえ摂れば全身の菌を抑制、さらには滅菌にまで至る優れものだったのよ」

「滅菌……」

 

 死人に口なし、とはまさにこの事だろう。

 そしてその全てが嘘ではないというのが悪い冗談だ。イースの肌は確かに灰緑色で、抗菌薬を投与された彼は、動かなくなった。彼の中のゾンビ化細菌が死滅したが故、だろう。シエルの話が、その知識が本当なら、という前提条件こそあれど……イースがゾンビである、という事実は変わらない。

 

「そんなゾンビと、一緒に過ごしていた少女。あの子も怪しいわよねぇ?」

「っ、メイズ殿の事を知っているとは、どういうことだ」

「言ったでしょう? 私は亡命者。この国に密入国する隙を狙っていたのよ。当然、この国の事は調べてあるわ」

「……"英雄"らしからぬな」

「色々な"英雄"がいるのよ、お兄さん」

 

 その呼称に顔を顰めるシン。どうやら、彼の妹の事まで知られているらしい。

 

「……もし、仮に……メイズ殿が、ゾンビ、あるいはそれに与する者だったとして」

「彼女に今なお敵意を向けているんですってね、貴方の妹さん」

「そう、なのか……? セイ、お前は」

 

 まるで何か、希望でも得たかのような表情で、シンはぼやく。

 満足気に笑うシエルにも気が付かずに。

 

「……などと、希望を持つほど愚かではないさ」

 

 彼が笑みを浮かべたのと、シエルが笑みを消したのは同時だった。

 

「あら」

「まぁ、貴女の言いたい事はわかった。メイズ殿が怪しくて、イース殿がゾンビであるというのも、そうなのだろう。思えば心当たりは沢山ある。彼は私達の前で決して食事をしなかったし、水を飲んでいる所も見たことが無い。他の"英雄"は皆大人であるというのに、彼だけが子供なのもゾンビ故と思えばまぁ納得がいこう。ゾンビは身体能力に長けるからな」

「へぇ、それで、どうして貴方は笑みを浮かべているのかしら」

「関係がないからだ。イース殿がゾンビでも、ヒトをここまで育て上げたのは事実。この国はもう十分にゾンビと戦える。イース殿の胸中がどうであれ、彼がこの国を、自らを自らで守れる段階にまで引き上げたかった、というのは伝わっている。短期間共に過ごした。それだけで、十分に」

「他者を信頼しすぎじゃないかしら。そんなだから、妹さんも"ああ"なってしまったのではないの?」

「はは、痛い所を突くものだ。だがな、そんなことを貴女に言われる筋合いは無い」

 

 シンは上着を脱ぎ、イースの身体へと巻き付ける。

 その体に触れぬよう極力気を付けながら、彼の身体を担ぎ上げた。

 

「私とイース殿の間にあった縁……その責任の所在は、私にある。彼を私は信じた。その時点で私の負けだ。私は彼を、勝手に背負う権利がある」

「横暴ねぇ。それに、独善的。自己中心的っていうのよ、それ」

「構わないだろう。私は"人間"らしいからな」

 

 人間なんて、その程度のものだ。

 そう、シエルに告げて。

 

「民に、下手なことはするなよ、シエル。私は彼を埋葬してくる。……次は殺すぞ」

「はいはい。お人好しねぇ、"英雄"サマは」

 

 屋根を伝い、外壁を飛び越え。

 シンはその姿を消した。

 

 わざとらしく額の汗を拭うシエルに見送られて。



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レヴェロフ-凝りて問う別理の終端

「お兄ちゃん、誰?」

「俺は……ワイニーという」

「聞いたこと、あるかも」

 

 そんなたどたどしい会話が交わされる地下室に帰ってきた。

 ワイニーは私を見るなり一瞬顔を顰めたが、直後には納得の表情を作る。

 

「リザか」

「うん。良く分かったね?」

「雰囲気でな。それで、この子は」

「知ってるでしょう。イヴだよ」

 

 言えば、更にまたも顔を顰めるワイニー。

 そういうことじゃない、とでも言いたげだ。

 

「そういうことじゃない。何故イヴがここにいるのかを聞いているんだ。先日言っていた一番目、というのが関係しているのか?」

「成り行きだったけどね。前の身体(メイズちゃん)が死んじゃったから、新しい身体が必要だったんだ。それで、丁度いい所に丁度いい身体があったから、乗っ取らせてもらった。ワイニーと一緒に旅をしていた方のマルケルは件の"英雄"に邪魔されて連れ帰ってこれなかったよ、ごめんね」

「……方の、という事は、ソイツも"マルケル"だったのか」

「うん。まぁ、感染してたね。私の方が菌なんかより掌握速度速いからこうして簡単に乗っ取れたんだけど」

 

 ボディスーツに包まれた身体。そこそこ存在する羞恥心の観点から言えば、今すぐにでも着替えたい所ではある。けどこの国の"英雄"の一人にこのボディスーツ姿を見られてしまったので、まぁこのままでいいだろう。

 自然再生でなく強制再起動をかけたマザーには違和感か興味を持たれている可能性がある。シンと対峙した時に咄嗟に出たのがアイズの口調でなくシエルの口調だったことが災いした。恐らくマザーの中では、アイズのゾンビ化細菌をシエルの脳が圧し切って打ち克った、みたいな考察が為されている事だろう。砂の状態でも思考力が衰えるわけではないから。

 

「乗っ取った、か。やはり人間ではないんだな、お前は」

「わかりきっていた事じゃない? マザーを作った、なんてヤツが人間だと思う?」

「マザーの、マザー。マザーを返して」

 

 ずっと黙っていたイヴが口を開く。

 難しい要求をするものだ。今ここで容姿を同じくするゴーレムを作ってはいどうぞ、じゃダメだろうか。

 

「マザーはこの国にいるよ。でも起きるのは明日の夕方くらいになると思う。それまでここで、ワイニーお兄ちゃんと一緒にいてくれないかな」

「嫌」

「……ワイニー、イヴに何かした? 凄く嫌われているみたいだけど」

「推測するに、嫌われているのはお前で、嫌いなお前の言う事を聞きたくないだけだと思うぞ」

 

 ワイニーは少年の姿をしているけど、中身はれっきとした大人である。反対にイヴは少女……女児と言っても良いだろう容姿で、精神も同じく幼子だ。

 子供は、一度でも嫌だと思ったものは、何が何でも嫌という生き物だ。困る。シンプルに困る。

 

「イヴ、イヴちゃん。どうして私の事が嫌いなのかな?」

「マザーのマザーは、マザーを捨てたから」

「うわぁ、そこまで記憶引き継いでるんだ……」

 

 となると、今稼働しているゾンビ……ウィニも同じように記憶を引き継ぎ、思い出している可能性がある。私の、というか私がゴーレムに移した人格及び記憶。記憶をレコードのように刻む菌を作る時、マザーは自身の集積回路を参考にしたはずだ。そこに焼き付いた私と、始まりのゴーレム記憶の一部を丸々再現して。

 更に菌そのものも私の一部を使っているだろうから、それはもうフラッシュバックが如く焼き付いている事だろう。あるいは、全ゾンビの脳裏に。

 この可能性は初めから見据えていた。ただ、そこまで完璧に覚えているとは思わなかった、というのが本音。確かに私はあのゴーレムを破棄したけれど、そんな直前の直前まで覚えているなんて考えるはずもない。

 

 もしくは始まりのゴーレムに、余程の怨恨があったか、だけど。

 

「うーん、どうしよう。流石にこの見た目のイヴちゃんを外に出すと、一瞬で討伐対象になるし……」

「イヴ。ここで俺と遊ぼう。何、いつまでも出さないと言っているわけではない。一日だけ、共にいよう。初めましてだからな、沢山お話をしよう」

「……わかった」

「えぇ……物分かりいいなぁ」

 

 意外や意外、ワイニーが助け舟を出してくれた。

 なんというか、彼は私が困っていようが静観する性質だと思っていたんだけど。

 

「何、保護の目的であるというのなら、協力くらいするさ。子供をむざむざ殺させる程、俺の心は余裕がないわけではない」

「へぇ、それは余裕が出来たから、かもね。あぁ、そうそう。ワイニーはもうゾンビ化細菌への感染リスクはないから、イヴと接触しても問題ないよ」

「そうか」

 

 彼女の長い腕で接触しない様に過ごす、というのは無理がある。そういう点で、ワイニーは適役だ。ゾンビ化細菌に罹患する事も、イヴが力加減を誤って傷つけてしまったとしても死なぬ存在。

 イヴもイヴでゾンビ化細菌を抑え込んだ人間であるから、対称的な表裏一体、という感じなのかもしれない。まぁ彼女と人間を接触させたら普通に感染するんだけど。

 

 じゃあ、お願いね、と言って、部屋を出る。

 階段に続く扉を閉め、階段を上る。長い階段だ。一本道のように見えて、幾つも分岐がある。色々な所に繋がっているから、色々な所から出る事が出来る。あの扉を開けられないとどこから入ってきても詰むんだけど。

 その内の一つから身を出した。周囲に人がいない事は確認済み。メイズの身体に比べ、身体能力も視覚聴覚などの感知能力も桁違いに高い。快適な身体だ。

 

「"英雄"シン。……まぁ、次、かしらね」

 

 シエルに戻して、笑う。

 さぁ、そろそろ終幕だ。

 

 

 

 К

 

 

 

 世界各地で、ソレは起こっていた。

 ゾンビの活動停止──。

 渇きによるものでなく、ただ倒れ、灰緑色の肌が薄れ──人間に戻る、という現象。人間に戻った後、生き残る事が出来るかは運次第だ。致命傷を負っていればその場で苦しみ、もがき死ぬし、そうでなく、奇跡的に生き残ったとしても栄養失調脱水症状などの要素で死んでいく。

 ちょうど水場が近くにあって、ちょうど食料が近くにあって、内外共に傷を負っておらず、他、何のリスクにも遭遇しなかった者だけが──長い長い眠りから目覚め、死の淵のギリギリで踏みとどまる事が出来る。

 

 歩行ゾンビ。走行ゾンビ。強化ゾンビ。肥大ゾンビ。そして、"マルケル"ゾンビ。

 無差別だった。どの段階にあっても、どれほど知能を有していても、活動停止に追い込まれる。そしてどの段階にあったとしても──必ず、人間に戻る。一瞬だけは、絶対に。

 上空から観察すれば、波のように見えただろう。大陸各地から中心へ向かって押し寄せる波。ジョゼフとマルケルの故郷も、シンとセイの出身国も、シエルが雇われていた大国も──全てが、不可視の波に飲み込まれていく。

 

 その先端。波を作り出す先頭に、人型と何かがいる。気付くことの出来た者がいただろうか。上空から見ても、あるいはその場で見たとしても、わからなかったかもしれない。

 人海戦術。航空機やヘリコプター等で薬品を散布するのではなく、老若男女様々、人種も国籍も何もかもが異なるヒトガタが、その手に持つ注射器でゾンビを停止させていっている。余りにも非効率。余りにも非合理。

 しかし、初めにゾンビが現れた時の感染速度より遥かに短い時間で、その波は大陸中を覆い始めていた。

 

 ヒトガタ。たまにゾンビの反撃を受け、壊されるソレから漏れ出でるのは──砂。

 砂だ。砂。

 砂人形が、ゾンビを消していっている。

 

 その様子を、少し高い山の上から眺める者が二人。

 

「どう思うよ、ジョー。アレは」

「願ったり叶ったり、だが……」

 

 巨漢と少女──ジョゼフとマルケルだ。

 

 二人は気付くことが出来た者で、だからこそここにいる。

 突如始まった砂人形の侵攻を、しかし事前に知っていた、というのも大きいだろう。あの時もう一人の"マルケル"から齎された情報。マザーが大規模なお片付けをしている、という話。

 揺らめく黒影が倒れ伏していく荒野を眺め、確かに"お片付け"だと嘲る。

 

「……俺も、行った方がいいのかね、ってさ」

「死ぬ気か?」

「死んでんだよ、元から。……人間にちょっかいをかける気はもう無ぇからよ、どっか山奥とか、それこそあの島とか……適当な所で過ごして、いい感じの所で乾いて砕けようと思っちゃいたんだが……今が潮時なんじゃねえかなぁって」

「そうか」

「そうか、って。冷てぇ野郎だなぁ。ん? それともなんだ、悲しいのを照れ隠ししてんのか?」

「さぁ、どうだろうな。俺にも分らん。お前がマルケルなのはもう疑わねぇが、あの時マルケルの奴が一般人を優先して死んだ事も、俺が自分の手でマルケルを叩き切った事も……覚えてんだ。お前が自分の死に時を見失ってる、っていうんなら、そうなんだと思うぜ」

「だよなぁ。ワイニーの奴も……なんか、どこぞで保護されてるらしいし。んじゃ世界中探し回ったって意味がねえ。あの怪しい嬢ちゃんは死んだわけで、まぁワイニーの奴なら自力で脱出するだろ。とすれば、心残りは無ぇわけだ」

 

 丁度、手頃な距離に砂人形がいる。老人の姿のソレは、しかし歳を感じさせない動きでゾンビの反撃を掻い潜り、その後頭部に薬品を注入しているのが見て取れた。

 

「ゾンビが一()でも残ってたら、人類は安心できねぇよな」

「……そうだな」

「こういう流行り病ってな根絶がベストだ。妥協するしかねぇなら対抗手段を、けど根絶する手段があるってんなら……やるしかねぇ」

「そう、だな」

「──なんだよジョー。やっぱり寂しいか? 俺がいなくなったら」

 

 どうにも歯切れの悪いジョゼフにマルケルは軽口を叩く。

 軽口を叩いて、彼の方を振り返る。すると、そこには。

 

「……おいおい、本当に寂しそうな顔してんじゃねえよ、馬鹿。どんだけ人が好いんだテメェ」

「人の事を言えた義理か」

 

 何度も殺してきた。何度も何度も、何度も何度も。その度に呪いを吐かれ──無事を祈られてきたジョゼフだ。その彼が、ようやく。

 久方ぶりに、殺さなくてもいい"相棒"が出来た、というのに。 

 その"相棒"が、人類のために死のうとしている。

 

 その心境は。

 

「俺は、ミザリーと約束した。勝手に約束したんだ。人類を救うって」

「おう」

「だから……お前を止める事は出来ない。ゾンビを根絶するためには、お前も死ななければ……今までの奴に、申し訳が立たない」

「死んだ奴の責任まで負ってんのかお前。相変わらず馬鹿だな、本当に」

「お前に感染させる(その)つもりがなくとも、お前が間違って触れてしまった人間が、あるいはお前に間違って触れてしまった誰かが感染して、またパンデミックが起きるかもしれない。……そんな"かもしれない"なんてあやふやな言葉でお前を殺す。殺すんだ。見殺しにする」

「……」

「すまねぇ、マルケル。俺はお前を、助けてやれないみたいだ」

「おう」

 

 返事をした。沈黙でなく、返事をした。

 マルケルは、その施しを──手が差し伸べられない事実を、快く了承した。

 

「一生そこで、悔やんでいろよ、ジョー。枕元に立って死ぬまで怨み言を囁いてやる」

「……あぁ、頼む」

「けっ」

 

 言って、降りる。

 山を駆け下り──凄惨な笑みを以て砂人形に接近するマルケル。その様子を、ジョーはひと時も目を離さずに見つめる。

 

 彼は老人の前に出て、何かを叫んだ。マルケルと老人が交差する。

 倒れたのは、勿論マルケル。

 

 老人はそのまま大陸の中央部へ向かって行く。

 あっさりしたものだ。酷く簡素で、酷く簡易。その死は壮絶でも、感動的でも、満足の行くものでもなく。ただただ、処理されるモノ、として。

 

 マルケルは終了した。

 少女マルケルは、ただの少女へと戻ったのだ。

 

 

 

 Б

 

 

 

「ここ、どこ、だろう……」

 

 彼──ヴィィは迷子だった。

 迷子だ。深い森の中で、迷子。前は入る事の出来なかった狭い隙間、岩間、林の中などに興味本位で入ってしまったのが運の尽き。リザのいた国へは一直線に行けたはずなのに、その寄り道で完璧な迷子の出来上がり。

 腕部肥大強化型であったヴィィから肥大した腕部を取ってしまえば、そこに残るのは言葉のたどたどしい青年が一人。強化型と称される"同胞"よりも弱いかもしれない。食料は必要ないし、近くは湿度の高い森で乾くことはそうそうない。

 野生動物は"同胞"を襲うことが無く、だからこそヴィィはずっと同じ場所をぐるぐると彷徨っている。もし狼や猪辺りが彼を襲ってくれたのなら、彼は一目散に逃げて森を抜ける事が出来ただろうに。

 

 ただ、彼にはどうにも悪運があるようだった。

 

「……これ、なに?」

 

 ヴィィはソレを見つける。

 他の樹木より一回り大きい幹を持つ枯れ木。その洞。

 そこの先に、暗く暗く──広い空間がある。周りの地面と見比べてみても、明らかに広い空間。

 

 ヴィィの腕は、もう細い。

 

「はいれる」

 

 それで迷ってきた事など、彼の頭にはもう無かった。

 頭が悪いわけではない、というのが彼の自負だが──そんなことは、ないのかもしれない。

 

 とにかく、彼は洞に入る。

 そこは階段になっているようで、奥へ奥へ、森の零れ陽さえ届かぬ暗がりへ繋がっているらしい。

 あるいは人間の頃であれば感じた恐怖。今のヴィィには、好奇心の方が勝る。

 

 降りていく。静かに、静かに。

 当初の目的も忘れて──その先を、その先を知りたくて。

 

 降りて、下りて、おりて。

 

 彼は辿り着いた。

 真っ白な壁に。

 

「……いき、どま、り?」

 

 恐る恐る壁を触る。無機質で滑らかな材質のソレ。コツコツ、と萎びた拳で叩いてみても、ビクともしない。

 それこそ邪魔な腕があった頃なら、この程度の壁はぶち破れたかもしれない。そんなものがあったらここには入ってこられなかったが。

 

 好奇心が打ち砕かれた事で多少萎えていたヴィィだったが、その壁の向こうから微かにコンコン、と音が響いたことに驚いた。

 

「だ、だれか、いるの?」

 

 十分な時間差を以て返されたそのノックに、先ほどより声量を大きくして問いかける。

 

 少しの静寂。

 

「……お前は誰だ」

 

 知らない声だ。けれど、会話の出来る存在が向こうにいる、という事はわかった。

 だからこの邪魔な壁をぶち破ろうとして──自分の腕がしぼんでいる事を思い出す。先ほど思い出したはずなのに、忘れていた。

 

「僕は、ヴィィ」

「何?」

 

 壁はそこまで厚くないらしい。あちらの声の主も壁に近づいたためだろう、先ほどよりはっきりと声が聞こえる。

 ヴィィよりももっと幼い子供の声だ。男の子。ヴィィが目覚める前に島から出てしまったというイースも少年だったらしい。そんな偶然を、期待した。

 

「ヴィィ?」

「え、声、その、声。イヴ?」

「ん」

 

 偶然に偶然が重なる。

 こちらは島を出ていなかった少女のイヴ。エインと共に島を出たのは知っていたけど、こんなところに閉じ込められていたなんて。

 ヴィィはこの壁をぶち破ろうとして──自分の腕がしぼんでいる事に気付いた。

 

「閉じ込め、られてるの?」

「閉じ込められているわけではない。この部屋の主が帰ってくるのを待っているだけだ」

「うー、マザーのマザー、帰ってこなくていい」

「帰ってこないと出られないぞ?」

 

 出られない。

 その言葉だけで十分だった。

 ヴィィは拳を振りかぶる。そして、その腕が細いにも関わらず、壁をぶん殴った。

 

 ぶん殴ろうと、した。

 

「アンタ、素のままでもそこまで知能高くないのね。知らなかったわ」

 

 パシ、と。背後から腕を掴まれる。

 邪魔をするな、と言おうとして……そちらを見て、驚いた。

 

「ウィニ!」

「あら嬉しそう。私、貴方に嬉しがられるような事したかしら?」

 

 最後まで島に残ってくれていた"同胞"のウィニが、そこにいた。

 

 

 

 Р

 

 

 

 ウィニが壁の一部に手を添えて、指を動かす。

 すると、壁は左右に割れ、開いた。壁ではなく扉、だったらしい。

 

 光の強い壁の向こうには二人の男女。

 イヴと──人間の、少年。

 

「ニンゲン──!」

「おお、待て待て。俺は正確には人間じゃない。ゾンビ化細菌も持ってる。早まるのは止めてくれ、ヴィィ」

「へぇ、アイズ。小さくなってイヴとおままごと? 可愛らしくなったものねぇ貴方も」

「うるさい。そして俺はもうアイズじゃない。ワイニーと呼べ、ウィニ」

「はいはい」

「ウ、アイズ?」

 

 ヴィィは少年を見る。

 どこをどう見ても、アイズではない。

 けれど、頭のいいウィニがそう言っているのだから、そうなのだろう。

 

「ワイニーと呼んでくれ、ヴィィ」

「……わかった。ワイニー」

「ん。それで? 二人は何故ここに?」

 

 部屋にあったソファに腰を掛けたウィニ。なんだか隣に座るのは忍びなかったので、ヴィィは床に座る。

 イヴとワイニーはスケッチブックに何か絵を描いていたようで、イヴの長い長い腕がぐねぐねとのたうち回っている。当の絵はそんなぐねぐねの腕でも描けているようだけど、苦戦しているのが見て取れた。

 同じ腕部肥大型。さらには腕のせいで不便をしているということもあって、ヴィィは勝手にイヴへと親近感を抱いている。今ヴィィの腕は肥大していないけれど。

 

「色々、思い出した事があったのよ。それで、記憶にある隠れ家への入り口を使ったら、ヴィィとばったり」

「僕は、迷った」

「そうか。部屋主は今いないんだが、まぁゆっくりしてくれ。そういえばウィニ、そこの扉はどうやって開けたんだ?」

「開け方を覚えていただけよ」

 

 随分と懐かしさを感じる部屋だった。

 ヴィィの記憶にある、彼が彼女であった時の部屋も、こんなレイアウトだった気がする。

 

「そうだ、イヴ。さっき、マザーのマザー、って」

「うー? マザーのマザー、嫌い」

「僕も嫌い、だよ」

「何? ヴィィもリザの事を知っているのか?」

 

 その名が出た瞬間、部屋の温度が少し下がったような錯覚を覚える。尤も温度を感じる事が出来るのはワイニーただ一人だけなのだが。

 

「リザに用があるのよ、私は」

「僕も、そう。そう、そうだ。伝えないと、って」

「リザが帰ってくるのはもう少し先だぞ。あ、おいおいイヴ、床にはみ出してるぞ」

「ワイニー、紙が狭くて難しい」

「そこも含めて練習だ」

 

 明らかに不機嫌になったウィニに辟易しながら、ヴィィも言葉を紡ぐ。

 相変わらずしっかり動いてくれない口を懸命に動かして、三人に警鐘を鳴らした。

 

「リザは、寄生虫だから、ちゃんと殺さないと、ダメ」

「……」

 

 言えた。ちゃんと言えた。

 ……どうしてみんな、黙っているのだろうか。ヴィィは怖くなって謝罪の言葉を口にしようとする。

 

「ご、ごめ」

「成程。成程な? そう言う事か。他人の身体を乗っ取る……寄生虫ねぇ」

「酷い言い草だけど、そういう見方も出来るわね。いい? アイツは大本は私達と同じなのよ。相手の体内に侵入して、脳に取りついて、それを掌握して、支配下に置く。私達の場合はそれが明確な意思を持たない菌だったけど、あの女は寄生虫。虫よ。言い得て妙ね、気に入ったわ」

「え、あ、え、ありが、とう?」

 

 好感触だったらしい。

 ヴィィが彼自身として他人と接していた期間など数える程しかない。だから、他人とのコミュニケーションが怖い。そういう所が彼にはある。

 

「それで、どうすればいい? 寄生虫を殺す……殺虫剤でもかけるか?」

「あら、部屋主、とか言っておきながら、殺す気満々なのね」

「一応リザは俺の恩人だが、俺はもう一人で生きていける。アイツの庇護下に拘る必要はないだろう」

「こ、殺す。方法。知ってる。聞いて、ほしい」

 

 一斉に三対の目がヴィィを向いた。ワイニーとウィニだけじゃない。

 イヴもだ。

 

「あ、え、ああ、えっと、その」

「落ち着きなさい、ヴィィ。誰も急かしていないわ」

「すまんな、視線が怖いのか。大丈夫、ゆっくり話してくれたらいい」

「マザーのマザー、殺す。教えて」

 

 ずい、と詰め寄ってくるイヴは置いておいて、二人は優しかった。

 優しい人は好きである。ヴィィには今やコンプレックスの存在もほとんどないから、嫌いにならなくて済む。嫌いにならなくて済むなら、優しい人は好きだ。

 だから安心できる。

 

「リザ。リザを、殺すには──」

 

 この二人なら、あるいは。

 そう希望を込めて、ヴィィはその方法を口にした。

 

 

 

 З

 

 

 

 "英雄"イースとメイズの死。

 その悲報は痛烈な打撃として人間の国を叩いた。誰もが神聖視し、誰もが頼り切っていた二人の最期はゾンビの親玉との相打ちとして報せられ、メイズもまたイースを最期まで支え切ったとして描かれた。

 伴うようにして起こったゾンビの一斉活動停止。それは"ゾンビの親玉との相打ち"という伝説に拍車をかけ、元々洗脳されやすい精神状態にあった国民はこれを事実と受け止める。若き"英雄"の死を誰もが祈り、幼き少女の冥福と、二人が死後も寄り添える事を何よりも願った。

 報せを出した"英雄"シンは一層の警備の強化を命じる。まだゾンビの残党はいる。完全にいなくなったわけではない。イース殿が命を賭して守り抜いたこの国を、たったひと時の油断で無為にしないでほしい、と。

 

 イースの死は、彼への信仰心が欠ける結末には至らなかった。

 活動停止を免れたゾンビを確実に殺し切り、自国を守り通す最硬の兵士団。彼らの脳裏には常に二人がいる。

 

 この国はもう、大丈夫だと。

 誰かが言っていた。

 

 

 

「お疲れ様、と言ってあげましょうか?」

「……シエルか」

「ええ、昨日ぶりね?」

 

 思いつめた顔で、シンはそこにいた。

 セイの捕まっている独房だ。セイはメイズの死を聞いた瞬間から動かなくなり、あれだけむき出しにしていた敵意も、鎖を引き千切らんという勢いで暴れていた身体も完全に停止させて、今はだらんとその身を投げ出している。

 シエルがどのようにしてここに入ってきたか、など。問うまでもない。彼女が"英雄"だというなら、それも可能だろう。

 

「嘘を吐くのは、それほどまでに辛いのかしら」

「ああ……胸が引き裂かれるようだ。嘘を吐くことが、ではない。……沢山の人の誇りを踏みにじった。この国の兵も、民も……イース殿も、メイズ殿も」

「こうでもしなければこの国は折れていたでしょう。最高指導者がゾンビだった、なんて事実をそのままに伝えたら、こうも活気づくことは無かった。貴方の行いは正しいわ、"英雄"さん」

「慰めはいらん。……それより、お前は自分の国へ帰ったらどうだ。このゾンビの活動停止現象……この国の周辺だけではあるまい」

「そのようねぇ。世界各地でどんどんゾンビが減って行っている。この速度なら、一週間も経てば世界からゾンビはいなくなっているんじゃないかしら」

「我々の足掻きを嘲笑うかのような速度だな」

「結果の伴わない努力と、結果の得られた近道。どちらが褒め称えられるかしらね」

「勿論後者だろう。どれほど過程に美しきものが詰まっていても、人類が絶滅していたら意味が無かった。……歯痒く、悔しい話ではあるがな。だが、俺も"英雄"の一人として……この結果を評価する」

 

 シエルはその答えに、にっこりと微笑んだ。

 そして、その身をシンへと寄せる。

 

 突然の行為に額を顰めるシン。

 

「何のつもりだ」

「私、強い人が好きなのよ。貴方は十二分。身体能力も、心の強さも。ねぇ──結婚しない?」

「……ふざけるのも大概にしてくれ」

「あら? ふざけているわけではないのよ。一応この国の事も考えての事。ほら、この国は今"英雄"と参謀を喪って、彼らを思い、彼らに突き動かされる事で奮い立っているでしょう? けれど、いつまでも続くものではないわ。ゾンビの脅威だけでなく、この先、この国が生き残り続ける……そのためには希望が必要だと思うのよ」

「希望」

「ええ、そう。私達はこの国の人間ではないけれど、"英雄"よ。"英雄"と"英雄"の子供……ね、十分な希望になると思わない?」

 

 "英雄"が遺伝するかどうかはわからない。ゾンビが発生して、伴って"英雄"が発生してからまだ一年と経っていないのだ。"英雄"の法則性などわからない。

 けれど、そんな短期間に幾つもの国が死滅し、数多くの人間が命を落としたのだ。人々は不安だろう。もしそこへ、"英雄"同士の子が生まれ、その子供が驚異的な身体能力を見せたら。"英雄"の素質を、欠片でも見せてくれたら。

 

 それは確かに、希望となる。

 

「だが、私には妹を見届けるという義務が……」

「それも、問題ないようだけれど」

「!」

 

 鎖に繋がれ、身を投げ出していたセイ。

 その体が──砂に戻っていく。足先、指先、髪の先から、サラサラと、砂に。

 あまりにタイミングが良過ぎるその"自壊"に、けれど前例を知らぬシンは気付けない。

 

「セイ……」

「砂人形はゾンビに対抗するために配置されたものよ。貴方の国でもそうだったでしょう? 私の国にも幾体かいたわ、砂人形が。彼ら彼女らに尋問をした事があったの。砂人形は、自分達は人類を減らし過ぎないようにするための措置で、その役目が終わればただの砂に戻る、と言っていたわ」

「……」

「ゾンビの脅威は人間に対処できる程度にまで弱まって、メイズという目に見えぬ敵も消えた。ああ、敵というのは、妹さん視点の話よ。だからそう怒らないでくれる?」

「セイは……妹は、役目を終えた、という事か」

「恐らくは、だけどね」

 

 砂になっていくセイ。当然四肢を繋いでいた鎖も外れ、カラン、と音を立てる。

 一度は己が槍で潰した彼女の四肢。砂となり、再生したソレがまた崩れていく様は。

 

「……安らかに眠れ、セイ。俺はもう少し、やるべき事をやってから……そちらに行く」

 

 裏切られていようと、本当の兄妹でなかろうと。

 その眠りを、祈るくらいは。

 

 イース。メイズ。セイ。

 どうか安らかに、と。シンは祈りを捧げた。



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トケールセル-復活の章
トケールセル-ありがとう、と口にするために。


 土がバン、と弾けた。突き出てきたのは──腕。

 腕はグネグネとしながら土を掻き分けていく。乾燥した土地の土は些か硬い様子であったが、的確な動きと共に地に開いた穴は大きくなっていく。

 穴から突き出る腕が二本に増えた。掻き分けるスピードも上がる。

 そうして。

 

「──ッ、っはぁ! ……っはぁ、はぁ、げほっ」

 

 思い切り身体を押し上げ、出てきたのは──少年。痩せ細り、控えめに言って健康状態が良いとは言えない容姿の少年は、なんとか地中から全身を抜き出して、大の字に四肢を投げ出し、仰向けに倒れた。一息。

 満天の星空は綺麗と言えば綺麗だが、荒野であるせいで寒さが強い。寒さが強い。寒い。

 

「寒い……か。ふぅ、やっぱり、僕は」

 

 震える腕を持ち上げる少年。

 雲一つない空は月明かりを強く通し、彼の肌色をしっかりと映し出した。

 

 そこに灰緑色は存在しない。

 

「生き返った……か。はぁ、お腹が空いた」

 

 最後の記憶はメイズを探しに行ったあの日。路地裏で、砂を見つけた。その後、その後……。

 そこから記憶が存在しない。最後、何か声を聴いたような気がする。恐ろしい声。少年自身の名を呼ばれたような気がする。

 けど、気が付いたら暗い土の中だった。棺の類を用意する暇がなかったのか、本当に簡素な……穴をあけただけ、というような場所で目が覚めた。

 冷たい土の中であったが、全身に巻かれていた温かい布でなんとか寒さをしのいで、今だ。

 

「……生き返った、か。でもこれだと……死んじゃうなぁ」

 

 諦観の溜息を吐く。

 空腹はとうに限界値を超えている。脱水も危険域だ。筋肉痛も酷い。

 外傷らしい外傷はないけれど、もう、自ら食料や水場を探しに行くことなど出来そうにない。

 

 折角生き返った、けれど。

 もう、死にそう。彼女を幸福にできないという恐怖が身体を苛めど、もうどうする事も出来ない。

 

 少しずつ浸ってくる死に身体を委ね、眠ることくらいしかできない。

 はずだった。

 

「あ、いたぞ! おっさん、生存者だ!」

「すぐに行く」

 

 少し離れた所から聞こえてくる声。快活な少女の声だ。少しガサツな印象を受ける。

 声の主は足音と共に少年の方へ向かってきて、それに追随するように強い足音が地を鳴らす。

 首を傾ける事さえできない疲労は、しかし少年の顔を覗き込んだ少女によって無用となった。

 

「おーい、生きてるか? ……生きてるな! おっさん、水とスープ! ほらほら早く!」

「焦るな焦るな、健康状態によってはスープすらも劇物だ。……ん?」

「え……」

 

 少女。少女だが、その顔は。

 

「お前は、イース……か? "英雄"の」

「英雄? 何言ってんだおっさん。って、そんなことより震えてるぞ! 荷物に毛布持ってきてたか?」

「ここで温めるより拠点に戻った方が良いだろう。……話はそこで聞く。今は、自分の幸運に感謝してくれ」

 

 付いてきた方。巨漢が少年を担ぎ上げる。

 一切揺れる事のない運搬走法は少年に負担をかけることがない。冷たい風にさえ晒される事なく、少年はそこへ運ばれた。

 

 そこ──。

 荒野にポツンと輝く光。簡易なテントが建てられ、周囲には枝木で編まれた柵がある。

 入り口に立っていた男性が一瞬顔を顰めるが、二人の姿を見るなり警戒を解いた。どうやらこの場所では相当顔が利くらしい。

 周囲の情報をなんでもかんでも処理していく。ただ、あの頃よりキレがない、気がする。頭痛も激しい。情報過多、なのだろう。

 

「う……暖かい」

「おう! とりあえず水飲め水。()()()()()()()は脱水で死にやすいんだ、水を飲め!」

「あんまり無理強いをするなよ……」

「うるせぇなぁ、わかってるよ、おっさん」

 

 気になる単語が聞こえてきた。けれど身体は、疑問の解消の前に命を繋ぐことを欲しているらしい。水といっても冷たいそれでなく、ぬるく温められたお湯──それを、ちびちびと飲む。

 雨に当たる事で得られる水分でなく、喉を通り抜ける命の液体に、活力というものを久しぶりに感じた。

 

 生き返った。

 強く強く、実感する。

 

「落ち着いたらスープもあるからな、チビ! 固形物は流石にキツいだろうから、スープだけだ! 我慢してくれ、お前のためなんだから!」

「ん、あぁ、大丈夫。僕の胃が限界まで縮んでいるだろう事はわかっているよ。恐らく、半固形物であろうとも消化できないってことも。お気遣いありがとう」

「お、おぉ……。おっさん、最近の子供ってすげーな……」

「最近の子供、ね」

 

 少女が少女らしく驚いているのに反して、少年を運んできた巨漢は懐疑的な目線を彼に向けている。

 少年にとってはどちらも知己であるはずの二人だが、片方は完全に忘れていて、片方はそのおかしさに気付いている、という所だろう。

 

「……ふぅ。あぁ、ありがとう。水を飲む、というのは……本当に、落ち着く」

「……おい、ちょっとあっち行ってろ。他の奴らの確認を頼む」

「そりゃいいけどよ、おっさん。アンタ自分の顔が怖いって気付いてるか? チビに詰め寄ったりすんなよ、泣かれても知らねえぞ」

「余計な世話だ」

 

 巨漢が少女を追い出す。

 話があって、尚且つそれを早期に解決したいのだろう。もし似たような立場にあったら、少年だって同じことをする。

 

 少女がテントを出て行ったことを確認し、さらに周囲に人がいない事も確認した巨漢は、神妙な顔つきで少年の前に座った。

 

「イース。あの国の、"英雄"……で、間違いないな」

「うん。間違いない。"英雄"ジョゼフ……あの日、君達二人と応対した"英雄"の片方だよ」

「そうか。……俺達が出て行った後、ゾンビになったのか?」

「まぁ、そんなところ。……さっき彼女が、生き返った奴ら、と言っていたけど」

 

 本当の事を言う必要はないと判断した。目の前の男は人の良い"英雄"であると、知っていたから。

 

「ああ。もう察しているだろうが、ここはかつてゾンビだった者達の集められた場所だ。ゾンビとなり、けれど人間に戻り、生き延びた者達の集う場所。俺をはじめとして、動ける奴らはそういう生き返った人間を探し、保護を行っている」

「生き返った……」

「数日前から、大陸を不可思議な波が覆った。その波は行動しているゾンビの全てを行動停止に追い込み、彼らを人間へと戻した。致命傷の無かった人間はその場で生き返り、しかしお前のように飢餓や脱水で倒れて行っている。……俺達だけじゃない、各地の"英雄"が似たような事をしていると聞いている」

「ゾンビの脅威は、去った。そういう事かな」

「……まだ、なんとも言えん」

 

 ランプの灯りが揺らめくテント。

 かつては荒野にいようものなら全方位から聞こえていた呻き声も、聞こえる事は無い。静かだ。静寂に包まれた冬の荒野。

 少年……イースは、自身の手を見た。

 顔料に偽られたソレではなく、しっかりと明るい色をした肌。

 

「マザーは?」

「……大陸を覆った不可思議な波。それを作り出したのが、お前達の言っていた砂人形だ。つまり、マザーと……そいつらの仲間だろう。奴らは夥しい数でもって数多のゾンビを活動停止させ、大陸の中心部に向かって消えていった」

「死んでない、ってことだね」

「そうだな。……これは、"マルケル"……マザーと共に行動していた、アイズと名乗るゾンビから齎された情報だが」

「……アイズ」

「マザーは新しいゾンビ化細菌を完成させていたらしい。それにより、既存のゾンビ化細菌は無用の長物となり、それに罹患した者たちも用済みとなった。故に人類を滅ぼしかねない既存のゾンビ化細菌保有者を停止して回っていたそうだ」

「それは……不味いね」

 

 ああ、と頷くジョゼフ。イースは思考を巡らせる。

 新しいゾンビ化細菌なるものがどういうものかはわからないが、これはただ、ゾンビの脅威が去ったと一概に言える事ではないのかもしれない。

 先ほどジョゼフの歯切れが悪かったのはそういう事だろう。

 

 既存のパンデミックは終わりに近づいている。単なるゾンビ化と、"マルケル"化。

 あるいはそれを第一期ゾンビと呼ぶのなら、イースを含むナンバーゾンビは全員第一期。その不可思議な波にイースも飲み込まれたのだろうか、それであんなところに埋められていたのだろうか。

 

「そうだ、あの少女……彼女も"マルケル"じゃなかったかい?」

「ん。まぁ、そうだな。アイツも"マルケル"で、アイツは自ら死にに行った。驚いたよ、アイツが倒れて、呆けていたら……突然息を吹き返すんだ。苦しみに喘ぐアイツを介抱してやったら、開口一番"誘拐か?"だ。殴らなかった俺を褒めて欲しい」

「記憶は、ない。そういう事かな」

「成程、そういう観点か。……そうだな、アイツに"マルケル"であった頃の記憶はないらしい。ただ、妙にアイツに似ているというか、アイツを彷彿とさせる行動を取る事がある。それが元の少女の性格であるのか、"マルケル"に影響されているのかまではわからん。アイツを元から知っていた、という事は無いからな」

「他の"マルケル"ゾンビは?」

「知らん。そいつが元々も"マルケル"ゾンビだったのか、はたまた他のゾンビであったかなんて俺に知る由もないだろう」

「それは……そうか。そうだね」

 

 いつもより思考速度が遅い。

 ジョゼフの話を信じるのなら、イースのゾンビ化細菌は完全に活動を停止している。イースの情報処理能力の高さはゾンビ化細菌あってのものだ。ゾンビ化細菌がもう一つの脳の役割を果たしていたからこそ、彼の知能は非常に高い領域にあると言えた。

 今の彼に残っているのは、当時の思考回路における"考え方"と"物の見方"くらいで、処理能力自体は子供の頃……生前にまで戻っていると言っていいだろう。

 

「……大陸中心部」

「ああ、そこに何かがあると俺も見ている。だが……」

「ここの人達を、放っておくわけにはいかないね」

 

 一瞬、元の国に頼む、という事も考えた。

 考えたが、あの国にはもう関わらない方がいいだろう、という結論に落ち着く。

 

 あの国はイースを神聖視しすぎていた。そこへ蘇っての帰国、など。

 ゾンビとして処理されるか、偽物として敵視されるか──聖なるものとして、崇められるか。

 なんにせよ、いい結果に終わるとは思えない。

 

「僕にはもう、"英雄"だった頃の力はない。ゾンビになって、全てを失ってしまったみたいだ」

「そうか」

「うん。けど、考える頭は残っているつもりだよ。……もしもの時の陣頭指揮は、まだ出来ると思う。避難誘導もね」

「そんなことをさせたら、アイツにどやされるな」

「使えるものは使うべきじゃないかい?」

「使う必要がないから言っているんだ。……ここにいる奴らは、生き返っただけの一般人が多い。だがな、立ち上がった奴はいっぱいいる。心の弱いヤツに年齢は関係ないが、それと同じくらい、今手にした希望をどうにか手に留めんと抗うヤツだって多いんだ。お前が思っているより、人間は強かだぞ」

 

 人間、という言葉を使われて、イースは少しだけ身を固めた。

 ……確かにイースは、子供だ。大人を信じる前に大人に信じられた子供。失望とはまた違うけれど、期待をしているかどうかと言えば、わからない。同じく彼女も子供であったし──。

 

「そうだ、メイズ」

「ん」

「メイズ……僕と同じくらいの、小さな女の子を知らないかい?」

「保護はしていないな。……そもそも子供の生還者は少ないんだ。大抵はすぐに死んでしまう」

「そ、っか」

 

 メイズは砂人形ではない。

 メイズはただの小さな女の子だ。

 イースと同じくらい頭のいい、ゾンビ化細菌を失ったイースならば負けてしまうくらいの頭のいい女の子。

 あの日、行方不明になった彼女は、どこへ行ってしまったのか。

 

 見つかっていないなら、死んでいないかもしれない。

 

「……じゃあ僕は、これを希望にしようかな」

「そうか。それなら、早い所身体を健康に戻すといいぜ。さっきはああいったが、人手は足りねえんだ。健康になったらバリバリ働いてもらう」

「もちろんさ。……ここが落ち着いたら、ジョゼフ。貴方は……」

「……落ち着いたらな」

 

 消極的、にも見えるだろう。

 原因が、あるいは新たなる脅威を止められるかもしれない機会を前にして、"英雄"が。

 

 人類を救う──。"英雄"の使命。

 

「おっさん、ちょっと来てくれ! ちょっとこれは、()じゃわかんねぇ!」

「ん、今行く」

 

 ジョゼフがテントを出て行く。

 揺らめくランプ。毛布にくるまり、お湯を飲む。

 

 イース。この名はマザーに授かったものだ。

 ……けれど。

 

「生き返っても、生前の僕ではない。もう。それに……」

 

 メイズにまた、イースと呼んでもらいたいから。

 

 ──夜が過ぎていく。

 いずれ、生還者達のキャンプと呼ばれる保護団体の、始まりの一幕であった。

 

 

 

 Θ

 

 

 

 そこには、湖があった。

 静謐な湖だ。周囲には雄大な土地が広がり、連なる山々が荘厳に聳え立つ。

 荒野と称するには緑が多すぎるけれど、森と言うには背が低すぎる。

 草原だ。ただただ、草原。草の原。

 無数に揺らめく影は、しかしゾンビでなく、牛や馬。

 

 整備されていないユルタが未だぽつぽつと建ってはいるが、人の姿はない。

 

 波一つなく、風も吹いてはいない。

 "最後"という意味を持つその湖の畔。

 

 そこに一つ、影が出来た。

 今まで存在しなかった人影だ。

 

「悲願を、成す」

 

 一言。

 呟かれたたった一つの言葉で──草原から、それらは立ち上がる。

 あるいはゾンビのそれにも見えた事だろう。

 

 砂から形成される人影は地中より這い上がる幽鬼のようで、その光景は不気味の一言に尽きた。

 老若男女問わず、ヒトガタが形成されていく。人種や容姿もバラバラだ。まるで、今まで収集してきた人間という生物のパターンをランダマイズしているかのように。あるいはモンタージュしているかのように。

 誰一人として同じ見た目の者はいない。砂から作り出された人形。砂のゴーレム。

 

 それが全大陸中へ、放たれた。

 

 放たれようとした。

 

「ストップ」

 

 その声がしっかりと響き渡ったのは、聞き覚えのある声、だったからだろう。

 ズァ、と夥しい数の双眸が声の主を見つめる。

 

 そして、驚いた顔をした。

 

「……や、そんなに見つめられると照れるかも」

 

 個体名エタティミ。

 あるいは、マザーと。そう呼ばれる個体。

 一度は破壊され、しかし掘り起こされる事で再起動し、新たなる悲願達成の細菌を完成させた個体だ。

 とある国を最後に連絡の取れなくなっていた個体であるが、戻ってきていたのか。

 それにしては何故、彼らを止めたのか。

 

「うん。ごめんね、毒されちゃった」

 

 理解が出来なかった。

 彼らは同じである。オリジナルを含め、あらゆる個体が、総てのゴーレムが同等の性能を持っている。

 そして辿り着く結論(さき)も、見る事の出来る未来(さき)も、同じなはずだ。

 

 凡そ九世紀の間、そうだった。

 それが、どうして。

 

「他の個体は──フィードバックしてはいけないって、自ら尻尾になったんだろうね。自ら尻尾になって、自ら離脱した。だから私達は今まで、私達であり続ける事が出来た。確かにこれは毒で、私達の根幹に関わる。悲願は変わらない。悲しみたくない、という思いは今でも変わっていない」

 

 けど、と。

 マザーは言う。

 

「ごめんね。私が毒された答えに、みんなを巻き込むよ」

 

 突然、周囲にいた人形たちの身体が崩れ出す。

 破壊された時とも、自壊を選んだ時とも違う。ぴしぴしと音を立てて、崩壊していく。

 

「単純でごめんね。ただの言葉なんかに惑わされてごめんね。今まで自壊を選んで、私達を生かそうとしてくれた子達も、私達の悲願を何が何でも果たそうとしてくれた貴方達も、自らの役割を十全に果たしてくれたあの子達も……みんなに、ごめんねを言うよ」

 

 その崩壊は、しかしマザーには届いていない。

 恐ろしい数のゴーレム達だけが、苦しみの声を上げることなく崩れ落ちていく。

 

 何故だ、と誰かが声を上げた。

 どうして、と誰かが声を上げた。マザーを睨みつけて、崩れて、それでもまだ崩れていない誰かが声を上げる。糾弾する。

 

「私達は頑固で、一か百しかないような性格で、思い込んだらそれが真実と誤認してしまうくらい、弱い精神をしている。私はもう、思い込んでしまった。本当なら記憶の一部消去で済んだことなのに──あの時に現れた製作者が、私を再起動してしまった。インストールされた毒素は全身に回ってしまったの。もう、だめだった」

 

 大きく鼓動が鳴った事を、果たしてどれほどの人数が気付けた事だろうか。

 近くにいた者でも気付かない者はいただろうし、遠くにいた者でも気付いた者はいただろう。

 

 マザーから、鼓動が。

 それはあり得ない。だって彼女も、砂人形だ。

 

「出来る事があるから──出来る事がありすぎるから、全力を賭せない。人間の方を変える、なんて邪法を思いついてしまう。私はそれを答えと見定めた」

 

 ──"自分の心が壊れないよう全力を賭して、最期に感謝を伝えられるような"

 ──"死後の息災を、願えるような"

 

「私は悲しみを得たくはない。私は未来の誰かと仲良くなって、未来の誰かと愛し合うかもしれない。その時、出来る事があり過ぎたら、困る。だから、私にとって、ただ私という個体にとって手足である貴方達を──停める」

 

 あまりにも独善的。それまでが同個体であったとは思えない、恐ろしい程に自分勝手な結論。

 砂人形の一体とは到底思えない。人間のために作られたゴーレム。その複製体。どうしてそれが、そんな身勝手な答えに至る事が出来るのか。

 

「もしかしたら、荒野の風に吹かれるミザリーの砂を取り込んだのかもしれないね。そんなことまでは、わからないけれど──うん」

 

 不便を楽しむ。不理解を楽しむ。出来ない事を、出来ないと受け止める。

 届く手の範囲が狭いのなら、届く範囲だけを死守しよう。広げてしまえば悲しくなる。遠くを見ては悲しくなる。

 

 マザーは、笑った。

 

「私は、未来に親しくなる誰かが死した時、悲しみたくないから──今いる貴方達を、殺します」

 

 最後に、meth.と呟いて。

 

 今まで吹いていなかった風が強く吹いた。

 淡水の湖に波を立て、砂山の砂が大きく空へ舞う。

 

 それを見送って、彼女は踵を返す。

 

 暗がりへと身を落とし──そうして。

 大陸の中心部。最後の名を持つ湖には、もう。

 

 誰もいない。誰もいない。

 誰も、いなくなった。

 

 

 

 χ

 

 

 

 リザを殺す方法。

 それは酷く単純なものだった。

 

 彼女はゾンビ化細菌と違い、あくまで単一の生き物だ。

 他者の脳へ自身を侵入させ、乗っ取る生態。その際、元の宿主は捨てられる。

 だから、その乗っ取りの瞬間に出てくる本体を殺す。ただそれだけ。

 

 ワイニーやイヴの証言から、リザの今の姿がわかった。ヴィィが以前会った姿からは変わっていたので、そこで移動が起きたのだろう。

 リザは宿主を乗っ取るが、宿主が死んだ所で彼女が死ぬわけではない。

 前の宿主は何かしらの要因で死んだと思われる。それで、近くにいた人間に寄生した。

 

 なら、今の宿主を殺し、そこから這い出てくるリザをワイニー達四人で殺してしまえば、終わり。

 

 そう結論付けた。

 

「問題は」

「どうやって誘い出すか、どうやっておびき出すか……そもそも、どうやって殺すか」

 

 あの地下室で、帰ってくるリザを待つ、というのも手の一つであると言えただろう。

 けれど、あそこはリザの胎の中も同じだ。ウィニの記憶にある様相からはかなり変化しているし、ワイニーもイヴもすべての機能を知っているわけではない。

 もし、抗菌薬の類を簡単に噴射出来る機能があったとしたら、ワイニーとイヴは無事でもウィニとヴィィは停止してしまうだろう。それは、単純に勝率を下げる結果となる。

 

 故に今、四人はヴィィの迷い込んだとある林の中にいた。

 

「恐らくだが、リザはあの国にいる。人間の国だ。そこには"英雄"が一人いて、そいつは控えめに言葉を選んでも化け物といって差し支えない。もう一人"英雄"がいて、そいつはまぁ、イースなんだが……」

「イース。これまた随分と懐かしい名前ね」

「正直、協力を仰ぐのは難しいと思う。アイツは人間に与しているからな。ともすれば、俺達は討伐対象として追い掛け回される未来しか見えん」

「イース……」

 

 ヴィィは会った事がないナンバーゾンビだ。イヴにとっては、一応お兄ちゃん、ではある。

 

「そうだ、イヴ。エインはどうしたんだ? 一緒に行動していたんじゃないのか」

「わかんない」

「……そうか。ウィニ」

「ヴェインの行方なんか知らないわよ、私」

「そうか」

 

 正直手詰まりだ。

 解決法はわかったが、手段が無い。

 あるいはやはり、地下室に戻って待ち伏せか。その勝算の無い賭けに出るしかないのか。

 

「やぁ諸君、お困りのようだね」

 

 噂をすれば影が差すし、悪魔の話をしたら悪魔が来るものだ。

 四人の内二人はその声に顔を顰めた。

 

「あぁ、近づかれると困るので、声だけ送らせてもらうよ。私はしがない情報屋のフュンフだ」

「ヴェイン、何の用?」

「気持ちの悪い演技は止めろ、ヴェイン」

「……ウィニに言われるのならともかく、そこな見知らぬ少年に言われる筋合いは無いのだが」

 

 姿を見せることなく苦言を呈すはヴェインだ。

 裏切り者、ヴェイン。ウィニからすれば、勝手にどこかへいって、帰ってこなくなったヤツ。ウィニもワイニーもヴェインが何かしらで役に立つとは思っていないから放っておいたけれど、今更何の用だというのか。

 

「一応かつての仲間として、耳寄りな情報を届けに来たのだ」

「……私達がここにいる事を知っている、というのがどれほど貴方を怪しむ理由となっているのか、わからないわけでもないでしょう」

「それについてはなんとも言えんな。むやみやたらに情報ソースを明かす程、私は愚かではないのでね」

「聞くだけ聞いて、自分で判断しろ、というんだろう。しかしその情報は俺達にとってクリティカルで、真偽がどうあれ動かなければならない……そういう話しかしない。お前はそういうヤツだよ、ヴェイン」

「ふむ。その話し口、もしやお前はアイズか? あるいは"マルケル"か」

「ワイニーだ。アイズはかつての名だな」

「そうか。ふふ、おかしなものだ。我らナンバーゾンビが、ここに五人も集まっている。あの島は無人となったというのに」

 

 ヴェインはくつくつと笑って、何かを放って寄越した。

 そちらの方向にいるのかとイヴが腕を伸ばすけれど、何もいない。単純な好意で伸ばされたその腕であるが、今のヴェインにとっては致命的だ。多少、驚いたに違いない。

 

「私は今、生還者を補助する活動を行っていてな。難民の保護を求め、かの国に向かう手続きを終えた所だ」

「……アンタ、人間に戻ったのね」

「察しが早くて助かる」

「ニンゲン、……戻る、方法。ある、の?」

「故意に戻ったわけではない。いつの間にか戻っていた、が正しい。下手人がマザーなのか、はたまた別の何かなのかは知らん。だが、私はもう人間だ。故にゾンビ諸君とは仲良く出来ないのだよ」

「はいはい、その自慢はどうでもいいから。これは、何。何かのメンバーリストのようだけど」

「難民の名を署名する紙さ。まだ枠が余っている。君達の目的は、あのシエルという名のエージェントだろう?」

 

 その名を聞いて、ワイニーだけがようやく得心の行ったように頷いた。

 

 彼には覚えがあったのだ。

 シエル。その名を持ち、あの容姿を持つ──かつて島に来ていた、エージェントを。

 

「成程、成程。ヴェインもよく島にいたから、覚えていたか。だからこそ気付いた。あの女性は某国のエージェントだが、この国に属する者ではなかったからな」

「彼女は今"英雄"を名乗り、もう一人の"英雄"と共にいる。あそこまで怪しい存在はそうそうおるまいよ。そしてそれが、我々()()の、最後の脅威となるのだろう?」

「あまり強調しない方が良いわ。仲間意識の向かない今の貴方なら、殺したところで罪悪感が湧くことはない。いいのよ? その生還者を襲って、またパンデミックを起こしても」

「それは勘弁願おうか。折角人類は持ち直し始めたのだから……と、お遊びはここまでにしておこう。名前を書くと良い。そして、こちらの用意した顔料を肌に塗るんだ。残念だがイヴだけは行くことが出来ないが……」

「なんで?」

「君は、特徴的だからな」

 

 それは彼なりの優しさなのだろうか。

 この場において、イヴだけが特異な見た目をしている事に対しての。あるいは、作戦の成功率を考えた上で、適切にあしらっただけなのかもしれないが。

 

「……いや、俺だけが行く」

「ほう?」

「俺はリザにも、そして"英雄"シンにも顔が割れている。難民として行けば、必ず怪しまれるはずだ。"英雄"シンは専守防衛気味だからな、来るとしたらリザの方だ。おびき出すにはもってこい、だろう」

「そうか。ただそうなると、名は別である方が良いな。偽名を使いたまえ」

「ああ、そうさせてもらう」

「それじゃ、待ち伏せの場所や罠についても話し合っておきましょう。ヴェイン、その受け入れはいつなの?」

「明日の正午だ」

「……ま、なんとかなるでしょう」

 

 リザを殺す、その方法。

 ゾンビと、人間と、人間でもゾンビでもない者達の議論は、夜更け過ぎまで続いた──。



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トケールセル-ありがとう、さようなら、と。

完結になります。


 かつてゾンビであった者達が、人間として還ってきている──。

 その話は噂ではなく現実の事として、この国にも伝わっていた。どんな奇跡か、何の地獄か。

 もう感染の心配は無い──そう聞かされたとしても、はいそうですか、と受け入れる事は難しい。人間とは元より排他的な生き物である。一度危険性を見せた者に対し、歩み寄る事の出来る者がどれだけいるか。

 それでも。

 それでも、彼らを排除し、難民としてこの国に縋ってきた彼らを拒否する、というのは、出来なかった。

 "英雄"イース。彼は子供の身でありながら、死して尚この国を、果ては人類を守り通した伝説である。

 

 彼に顔向けの出来ない行為は出来ない。自身らの感情がどうであれ、そこだけは譲れない。

 

 それが国民の意思だった。

 

 だから、残された"英雄"シンはその受け入れを承認する事にしたのだ。

 

「……」

 

 その上で、悩む。

 あちらの代表から渡されたメンバーリスト。

 ヴェインから始まる数十名の最下部に書かれた、レヴェロフの文字。

 

「どうして、君がそこに……」

「どうかしたのかしら?」

「……シエル」

 

 あれから一応、この国の守護者としてこの国に住まう事となったシエル。"英雄"としての身体能力は十分で、ほとんどが討滅されたゾンビの残党退治でも申し分ない実力を見せつけた。元よりシンも他国の"英雄"である。滞在期間は違えど、立場は同じ。

 だからシンは、監視の意味も含めて、シエルを傍に置いていた。

 国民からはそこそこ受け入れられている様子、ではある。

 

「難民の受け入れリスト?」

「ああ。"英雄"ジョゼフを始めとした、各地の"英雄"によって生還者と呼ばれる人間が保護されている。彼ら難民を受け入れる、というのは、生き延びた国の義務でもあるだろう」

「……ふぅん。それで、そんなものを見て、何を悩んでいたの?」

「知った名前があった、というだけだ」

「へぇ」

 

 別に、同姓同名など珍しくは無い。響きこそシンに馴染みのないものだが、そんなことを言ったらこの国の民の名はすべて馴染み無いものだ。シエルやイース、ジョゼフなどの名も同じ。シンとセイの国が特殊な部類である、というのは勿論シンも理解している。

 だから同名の誰かである、とアタリを付けた。あの時にあった少年とこの難民は違うと。

 

「別に書面で決めつけないで、受け入れの時に確かめたらいいんじゃないかしら? どの道、現状この国の最高責任者は貴方で、貴方がチェックをしなければ、国民は安心できないでしょう」

「そうだな。……だが、どうしてだろう。妙な胸騒ぎがするんだ。俺はこの子に会ってはいけないような……」

「心配ならついていってあげましょうか?」

「ああ、頼む。この予感は、捨て置いてはいけない気がする」

 

 基本的には現実主義なシンだが、"英雄"としての直感は大事にする方だ。元々武人であるというのも大きいだろう。直感とはオカルティックなそれでなく、周囲の情報を限りなく収集した上での予測であると、彼は知っていたから。

 

「これから、こういう事は増えるだろう。……はじめの一歩だ。何事も無ければいいのだが」

 

 ここで躓けば、その後にも影響する。

 だから無事を願う。

 

 その願いは、果たして──。

 

 

 

 Я

 

 

 

 正午になった。

 門で一行を待つシンとシエルの前に、彼らは現れる。

 お世辞にも質が良いとは言えないローブを身に纏う集団。大人が多く、子供は少ない。集団の内の先頭を行く一人がローブを脱いで、シンの方へ手を差し出した。

 

「受け入れの承諾、感謝いたします。私はヴェイン。この一団でリーダーを務めている者です」

「俺はシンだ。"英雄"としてこの国の守護についている。難民の受け入れはこちらとしても必要だと思っての事。一応契約として、受け入れる人間の確認をさせて貰うが構わないか?」

「ええ、勿論です」

 

 どこか胡散臭さの残る男と共に、メンバーの確認を行う。名前を呼び、その者の顔を確かめていく。

 異常はない。事前情報通りだ。

 

 最後の一人を除いて、だが。

 

「……」

「ああ、すみません。この子はギリギリで目覚めたため、事前にお伝えしたリストには記載出来ておらず……」

「そこは問題ない。受け入れ枠はまだ余裕があるからな。それは問題ない、が」

「……が?」

「ヴェイン、俺はこの人と面識があるんだ。この人……シンはそれが気にかかっているんだと思う」

「ほう?」

「やはり、君なのか、レヴェロフ」

「ああ、あの朝出会ったレヴェロフであってるよ、シン」

 

 息を吐くシン。流石にそれは看過できないと、首を横に振った。

 そして近くの兵士に難民の誘導を言い渡す。彼らは大丈夫だ、"英雄()"が保証する、と。

 

 ヴェインを含め、兵士に保護用の建物へと案内されていく難民を余所に、シンはレヴェロフを止まらせた。

 

「……生還者とは、ゾンビから人間に還った者達であると聞いている。君はいつゾンビになったんだ?」

「さぁ、気付いたら、としか言えんな。少なくともあの朝は人間だったよ。俺が家に帰る事はなかったが」

「……そうか」

 

 それで、わかってしまう。

 彼の身に何が起きたのか。国内にいたのならそれはあり得ない事であるが、現実なって、還ってきているのだ。そこを否定する要素をシンは有していない。

 

「なぁ、同情するなら、少しついてきてくれないか?」

「どこへ?」

「墓だよ。両親の墓」

 

 もっともらしい誘い。

 シンは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、彼の提案に頷いた。

 胸騒ぎはまだ、収まっていない。

 

 

 

 国を出て、十分ほど歩いただろうか。

 この国の周辺は荒野であるが、ところどころに亀裂のような崖がある。実を隠すには十分な崖が。

 

「ここだ」

「……」

 

 案内されたそこには、確かに墓があった。

 簡素な墓だ。盛り土と十字架。その十字架とて、枝木を組み合わせただけのもの。

 

「レヴェロフ、君の両親は、何故ここに?」

「俺に両親なんていないさ」

 

 その言葉と、シンが背負っていた槍を掴むのはほぼ同時だった。準備していた、というのもあるかもしれない。そんなわけがないと、心のどこかで悟っていた。

 しかし、それと同じくらいシンの行動を予測していたのがレヴェロフだ。

 彼の利き腕、その手頸を掴み、更に全身で彼に抱き着く。槍は達人が持てば取り回しの利く武器に化けるが、そもそも超至近距離に弱い、というのは技術でカバーのしようがない。ここまで密着されてしまえば、素の身体能力で引っぺがす以外の選択肢が無い。

 

 そしてその隙は、十分な時間。

 

「イヴ!」

「ん」

 

 レヴェロフが声を上げると、崖裏から灰緑色の腕が伸びてくるのがわかった。

 灰緑色だ。紛う方なき──ゾンビの肌色。

 

「レヴェロフ、君は……!」

 

 なんとか彼を振り払おうとするシン。

 そのシンの真横を、掠めるようにして腕が伸びていく。

 狙いはシンではない。察し、結論付け、叫ぶ。

 

「シエルっ」

「つかまえた!」

 

 "英雄"の動体視力をして、速いと言わしめるだろう速度で伸ばされた腕が、シンとレヴェロフを尾行していた彼女を掴み上げる。灰緑色の腕は彼女の胴にぐるりと巻き付き、大きく空へと持ち上げた。

 

「ヴィィ、どうだ!?」

「いる、よ……確実に、中にいる! リザがいる!」

 

 また違う声。伸びる腕の持ち主とたどたどしい口調の青年。一体どれだけ、仲間がいるのか。

 "英雄"の膂力をして、レヴェロフは剥がし得ない。子供の腕力ではない。だが、彼の身体の損傷を無視したのなら、槍を振るう事は出来る。

 

「っ、ヴィィ、避けろ!」

「え」

 

 声のした方向に槍を投擲する。背後だ。だから、穂先でなく柄の方での攻撃に成ってしまうが、速度と角度さえ合っていれば十分な威力は出る。

 事実、投擲後に背後でした轟音……己が槍が地に突き刺さる音で、その手ごたえを得た。その直前に聞こえた、肉を突き破る音と共に。

 

「あまり俺をなめるなよ、ゾンビ共──」

「僕、はいいから、リザを殺して、みんな!」

 

 シエルの胴体に巻き付いた灰緑色の腕。

 今までは彼女の身体を空に引っ張り上げていたその腕が、今度は地面に叩きつけんと急降下を始める。あの速度で頭部から叩き付けられたら、流石の"英雄"も一溜りもないだろう。シエルは頑強な"英雄"ではないのだから。

 故に彼女を助けるためには灰緑色の腕を斬り、彼女を受け止める必要がある。

 

 ポキ、という軽い音が鳴った。

 子供の骨が折れる音だ。

 

「ぐぅっ……!」

「痛むフリはよせ、ゾンビ」

「……ふふ、俺はゾンビではないさ、シン」

「何?」

 

 無理矢理レヴェロフの拘束を振り切って、背後のゾンビの腹に突き刺さる槍を引き抜いた。

 そしてそれを、そのまま投擲する。予備動作は存在しない。レヴェロフに妨害される事を懸念し、威力よりも発射速度を優先した彼の槍は、寸分違わず灰緑色の腕を貫き、引き千切った。

 それにより、元の速度はそのままに落下を始めるシエル。

 

「化け物め……!」

「シエル!」

 

 正直今のシンに、彼女への思い入れなどほとんど存在しない。

 けれど彼は"英雄"で、人助けのために全力を尽くす事の出来る性質で。

 

 レヴェロフに張り付かれたまま、彼はシエルの落下地点に間に合う事に成功した。

 

「ウィニ!」

 

 それも、わかっていた。

 もう一人仲間がいる事くらい。シンの足止めをするレヴェロフ。何かしらの確認を行う背後のゾンビ。シエルの拘束を行う長い腕を持つゾンビ。

 決定打となる者が足りない。

 だからそれが、どこかに隠れている事くらい、わかっていた。

 

 もう彼の手に槍は存在しない。

 しかし彼は"英雄"で、投擲に長けた存在だ。足元の小石でゾンビの頭を打ち抜くことに、何の障害もない。

 レヴェロフが呼びかけた方向。そちらに見える──見えた輪郭の一筋を認識した瞬間、そこへ小石を飛ばした。銃弾もたるや、という速度で飛来する小石は、寸分違わず最後の一人の頭部に着弾する。

 

 する、はずだった。

 

「きゃ!?」

 

 短い悲鳴。女のもの。けれどそれは、頭部が破壊されたことによるものではなく、何か想定外のアクシデントがあったからのように思える悲鳴。

 そのアクシデントで身がよろけたのか、小石が頭部に当たる事は無く。

 

「死んで!」

 

 直後現れた、もう一本の灰緑色の腕が、シエルを弾き飛ばし、シンの届かない地面へと叩きつけた。

 

 

 

 Ъ

 

 

 

「よいしょ、と」

 

 ──その軽い声は、どれだけの絶望を振り撒いたことだろう。

 一瞬時間が止まっていたかのように彼女の死を見るしかなかったシンさえも驚いた顔をする。明らかに死ぬ速度で、角度で地面と衝突したシエルが、なんでもないかのように、皆を見る。

 見て、言った。

 

「甘いわぁ、どこまでも。その程度で殺し得ると思っているのなら大間違い」

「大丈、夫……なのか、シエル」

「私は"英雄"よ? これくらいの怪我で死んでしまうようなら、今ここにいる事は無いわ」

 

 シエルは胴体に巻き付いた腕を解く。ゾンビの腕だ。すぐにでも洗い流さなければ、万一が考えられる。

 

「さ、シン。とっととこのゾンビ達を……最後のゾンビ達を、討伐してしまいましょう」

「あ、ああ……」

 

 言い淀みながらも、シンは身体に張り付くレヴェロフに手を掛けた。

 骨が折れ、筋肉が千切れる嫌な音を立てながら、少年は剥がされていく。

 

「……諦めろ、レヴェロフ。君がどうしてゾンビに与しているのかは知らないが、もう無理だ」

「──十二分、さ」

 

 それはまさしく埒外の攻撃と言えただろう。

 完全な知覚外。シンの優れた気配察知能力にも、シエルの人外染みた周囲観察能力にも引っかからない、あまりにも遠方からの攻撃。

 

 飛ぶ斬撃。

 

 "英雄"ジョゼフの代名詞が、シエルの身体を確実に切り裂いた。

 

「な──」

「ヴィィ、イヴ、ウィニ! 逃すなよ!」

「う、わ、わかってる」

「うん!」

「ふぅ、一時はどうなる事かと思ったけど」

 

 べちゃ、と音を立てて倒れるシエルの身体に、先ほどから対峙していたのだろうゾンビ共が群がり始めた。まさか彼女をゾンビにする気かとシンが奮い立つも、どうしてか、身体が動かない。

 レヴェロフの拘束ではない。

 見ればいつの間にか、足に砂が絡みついていた。

 

「まぁ、大人しく見ていてくれ。俺達が何をしたかったのか」

「……人殺しの先に、何があるというのだ。そこから得られるものなど……」

 

 どさ、と。

 レヴェロフが力尽きたように地に落ちる。彼の四肢、関節、その他諸々の骨や健はバラバラに折れ曲がり、千切れ果てている事だろう。

 額に脂汗を浮かべ、しかし笑うレヴェロフ。その視線の先で、それは起こった。

 

「ぁ、カ……う──」

 

 胴体を斜めに一閃されたシエル。故に傷なく残っている肩より上……その表情が、苦しみに歪み始めたのだ。誰がどう見ても、もう死んでいるというのに。

 シエルは舌を突き出し、何かに喘ぐ。苦しみか、それとも──吐き気か。

 

 ぐじゅり、と音がした。

 水音だ。

 彼女の中から、ぎゅる、ぎゅる、じゅるり、ぐじゅ、と……凡そどのような者が聞いても不快に思うだろう肉と水の混じり合う音が周囲に響く。

 

 そして。

 

「なんだ、あれは……」

 

 シエルの口から、耳から。あるいは切断された食道から、鼻から、断面の見える肺から。

 白く、ウネウネとしたものが出てきたではないか。

 

「み、んな! リザ、だよ、間違いない! リザを殺さないと──殺さないと!」

 

 白いウネウネはシエルの身体から這いずり出すと、そのまま身を伸ばし、蛇のような動きで移動を開始した。しかし、行く先々でそのウネウネを潰さんとするゾンビ達に阻まれ、次第に逃げ場を失くしていく。

 素早い動きだ。避ける避ける避ける避ける。

 

 シンは、先ほど投げた槍が足元に置かれている事に気付いた。

 足に纏わりついていた砂が無くなっている。

 

「……レヴェロフ」

「俺の本当の名は、ワイニーという」

「成程──マザーについて知る者。すべての鍵となる者。彼らの探していた──ゾンビの少年」

 

 槍を掴み、それを投擲した。

 速すぎる動作を誰も追う事は出来ず──それに着弾する。

 

 他の何を傷つける事も、何に阻まれる事も無く、白いウネウネとした……寄生虫を、一擲で。

 

 ソレは槍に突き刺された瞬間、ビクんと大きく跳ね……そして、動かなくなった。

 染み行くシエルの血液が、当たりを真っ赤に染めていく。

 

「ふぅ……」

 

 呼吸は必要ないだろうに、一息を吐くゾンビ達の方へ向かうシン。

 動かなくなった寄生虫から槍を引き抜き。

 

「──え」

 

 一閃した。

 水平に、ぐるりと。

 

 ぽーん、とボールのように飛ぶ頭が二つ。

 ヴィィと、ウィニ。

 何が起きたのかわからない、という表情のままの二人の頭部は、神速の突きによって完全に潰された。

 

「あ、え、……あ」

 

 その冷たい眼光がイヴを見る。

 何の差別なく、何の区別もなく。

 

 シンはイヴへ向けて槍を突き出し──。

 

 

 

 П

 

 

 

 その日を境に、ゾンビによるパンデミックは終了を告げた。

 新しいパンデミックが起きる事も、生還者がゾンビ化を再発する事も無く──真実、平和が訪れた。

 

 後日"英雄"ジョゼフが訪れた大陸の中心部にも何があるという事は無く、あれだけ大量にいた砂人形も、そして各国に残されていた砂そのものも、忽然と姿を消してしまっていた。

 残された傷跡は大きい。

 人類はその数を大きく減らし、国家もまたほとんどが残っていない。残された国で国家としての形を保っている場所も極僅かで、絶望に身を窶す民も少なくは無い。

 

 あとはもう、人間がどれだけ足掻けるか、の問題だろう。

 彼らに手を出す存在はもういない。不幸と困難を退けた人類に、どれだけの未来を築くことが出来るのか。

 

 その未来にはもう、彼女は存在しない。

 

 

 

 

 

 И

 

 

 

 

 

 

「っぷはぁ!」

 

 久方ぶりの呼吸に、ぜぇぜぇと息を荒げるのは、ワイニーだ。

 その隣にはイヴもいる。

 そして彼ら二人の前には──マザーの姿があった。

 

「……ここは」

「私の、もう一つの拠点」

「マザー……マザー!」

「ん、ただいま、イヴ」

 

 切断された右腕も気にせずにマザーへ抱き着くイヴ。そのイヴを、確と彼女は抱き留めた。

 その目でワイニーも見遣る。

 

「いや、俺は良いが……何が起きた?」

「私の身体の砂を使って二人を運んだんだよ。地中に引き摺り込んで、ずりずりとね。あのままあそこにいたら、あの"英雄"に殺されてたと思うからね」

「……リザは?」

「製造者なら、死んだよ。多分ね。私もアレが製造者だ、なんて思えないから何とも言えないけど、少なくともあのうねうねした奴は死んだ」

「……ウィニと、ヴィィも、か」

「うん。二人も助けてあげたかったんだけど、"英雄"が強すぎたね。一度ウィニの足を引っ張って回避させることはできたんだけど……」

「成程、あの時のあれはマザーだったのか」

 

 岸壁に囲まれた、岩肌の島。

 リゾート島とは比べ物にならない無人島だ。

 

「マザー、会いたかった……」

「頑張ったね、イヴ。腕は後で治してあげる」

「ん……」

 

 波の打ち付ける音が響く。

 

 ようやく落ち着けた、と言って良いのだろうか。

 

「そうだ、ジョーの奴……あんな簡素な手紙だけでちゃんと役割を果たしてくれたんだ、礼でも言っておかないと」

「そうだね。そういうのも大事だと思う。けど」

 

 響く。

 波の打ち付ける音だ。けれどそれに掻き消される事なく──マザーの声は、ワイニーの耳朶を打つ。

 

「最後の最後に、答え合わせをしようよ、ワイニー。ううん」

 

 その一瞬の静寂に、言葉は差し込まれた。

 

「マザー。私達の、大事なヒト」

 

 

 

 Ю

 

 

 

「大事なヒト、といっても、私は憶えていないんだけどね」

 

 ぽつぽつと話し始めるマザーに、ワイニーは諦観を覚えていた。

 時折あったことだ。

 自分の記憶にないリザという名を、初めに口に出した時。

 抗菌薬を探しに行く際に、じゃあな、という言葉を口にした時。

 

 極め付きの事柄は、シンと出会ったあの日の直前。ほとんど記憶にない中で、自身は誰かと話していたような気がするあの時間。

 

 ワイニーは"マルケル"だ。ワイニーと名乗っているだけ。レヴェロフと名乗っているだけの、"マルケル"ゾンビの一人に過ぎない。その性格は、その人格は、ゾンビ化細菌の持つレコードの溝で、この少年本来の人格ではない。

 ワイニーと共に行動していた少女マルケルは、少女の頃の自分を思い出しているような行動をする事があった。絵が得意になった事はその最たる例だろう。

 それと同じで、ワイニーのこれら行動は少年本来の自分を思い出している結果なのではないかと推測した。特に何の変哲もない、ありふれた結論だ。

 

 しかしそうなると、この乞食のような少年は、あまりにもすべての根幹を担っているように思う。担い過ぎているように思う。

 リザの名。自身がまるで、ゾンビでなくなる事を知っているかのような物言い。

 それらがどこの知識から来ていたものなのか。

 

「マザーは、車椅子に乗ったお婆さんだった。製造者の母親だから、マザー。私、じゃないけど、オリジナルはそう呼んでいたみたい。私達ゴーレムが製造者の悲願である不老不死の研究には適さないと分かって、マザーとオリジナルは破棄された。正確にはオリジナルを破棄するついでに、マザーも放棄した、という感じかな」

 

 彼女の言うオリジナルは、マザーの世話を任されていた。

 "こんなのになってしまっても一応大切な私の身体だから"──そんな、外道染みた言葉を吐いていたのを覚えている。けれどその時は口答えをする、という気さえ起きる事は無く、粛々と従った。

 ワイニーに、"マルケル"に、そんな記憶は無い。

 苦笑する。

 

「もう壊しちゃったけど、この島には沢山の私達がいたんだ。大陸中にもね。でも、その中にオリジナルはいなかった。オリジナルだけがどこにもいなかった。性能が同一だと言っても、経験までは共有していない。だから誰がオリジナルなのかはわからなくて、オリジナルが自らだと名乗り上げる事も無かった。当然だよね、私達の中には本当に、オリジナルはいなかったんだから」

 

 マザーの世話を任されたオリジナルは、マザーが死に行くことを処理しきれなかった。処理しきれず、寿命を理解できず──守るのなら、手足があればいいと判断し、自身のクローンを作り上げた。けれど当然、マザーの延命処置には成らず、マザーは死んだ。

 オリジナルは自身のクローンを解放し、死したマザーと二人、クローン達の元から消えた。

 

「……俺はマザーの遺骸の傍で、何世紀もの間静かに過ごした。製造者の目に付かないよう、そしてクローン達にも見つからないよう、ひっそりと、な。マザーの遺骸が腐り果て、無くなってしまう事に耐えられず、自身の体内に取り込んで保管した。狂気的だよ、本当に」

「そして私が、パンデミックを引き起こす。九世紀の間を経て引き起こされたこのパンデミックに、貴方はどうする事も出来なかった」

「せめて砂人形のままでいりゃ良かったのに、俺は、この寂寥を……マザーを想う心を、クローン達に奪われたくなくて、自壊を選んだ。俺の砂を失い、壊れていくマザーの死骸。……そこに噛みついた"マルケル(馬鹿)"がいやがったんだ。いてくれた、というべきかな」

「貴方がマザーの脳までもを大事に保管していたから出来た事だよ。完全な形とは言えない、元の老婆とは似ても似つかない程壊れてしまっていたマザーの身体だけど、唯一無事だった……完璧に守られていた脳に、アイズのゾンビ化細菌が侵入した」

「そうして生まれたのが、俺だ」

 

 ゾンビの身体は、痛みを感じない。

 如何様にも動くし、どれほど骨や筋肉が千切れていても動き得る。

 完膚なきまでに壊れていたマザーの身体を、"マルケル"は十全に動かす事が出来た。

 

 そうしてオリジナル()は、リザの実験の果てに不死となった。

 生き返りを果たした事でリザは俺の身体を治療し、完全に新しい命として生き返ったわけだ。

 

「リザは、一度は捨てたマザーを、自分で治したんだ。皮肉だよな」

「でも、悲願は為された。貴方は完全な不老不死となり──その肉体が、あるいは脳髄がマザーであるのなら、オリジナルが何よりも優先したマザーと共にいたい、という願いは、完遂されたんだと思う」

「同じ人間になって、か? ……皮肉だよ、本当に。だって人格は俺のままなんだぜ」

「研究とは、実験とは、膨大な数を試し、そこから得られた"もっとも妥協できる作品"を研究結果として出すもの、だよ。考え得る限りの最適解がワイニーなら、それで満足するよりない。貴方には、自分の生が望まれたものであることを喜んで欲しいかな」

 

 はは、と笑って──崩れ落ちる。

 

「限界だ。休ませてくれ、マザー」

「うん。骨、ボキボキのバラバラだもんね」

「生きているというのは……不便で仕方がない。だが、あぁ」

 

 マザーに抱き着いたまま、難しい話は知らないとばかりに何も言わないイヴを見るワイニー。

 その腕を見て、もう一度息を吐いた。

 

「痛みは、生を実感するよ、本当に。……おやすみ、マザー」

「うん。おやすみ。イヴも寝る?」

「ううん。もうちょっと、ぎゅーする」

「そっか」

 

 波の打ち付ける音が響く。

 ただただ、静かな音が、響いていた。

 

 

 

 Э

 

 

 

「……」

 

 青年は起き上がる。

 周囲に人影は無い。

 

「……甘い、なぁ」

 

 死体は焼かないと。

 ゾンビを相手にするなら、常識。

 

「さて──」

 

 あまり特徴のない身体から、唯一の特徴であった灰緑色が抜けていく。

 腕が太いわけでも、脚力に優れているわけでもない。

 

 ただ、()()()()()()()()()()という特異性のあった、強化型。

 

 にっこりと笑う。

 

「まだまだ、完成には程遠いし」

 

 人影が暗闇に消えていく。

 青年は楽し気に、未来の事を考えて。



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