ブラック・ブレット『漆黒の剣』 (炎狼)
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第一章 神を目指した者たち
第一話


 ガストレア。

 

 ガストレアウイルスに感染し、異形のバケモノと化した生物の総称である。異常なまでの再生力と赤い眼、醜悪で巨大な体躯が特徴の人類最大の敵。

 

 2021年。人類はこのガストレアとの戦争に敗北し、巨大なモノリスと呼ばれる黒き壁の内側へと追いやられた。

 

 かつて人類が統治していた世界は異形のバケモノたちが闊歩する死の世界と成り果てた。その中で細々とエリアと呼ばれる箱庭で震えながら暮らす人類達だったが、戦争に負けてから数年。人類は民警と呼ばれる対ガストレアのスペシャリストを結成し、ガストレアを少しずつであるが狩っていた。

 

 そんな民警の中の一つ。黒崎民間警備会社で働く青年、断風凛(たちかぜりん)は相棒であるイニシエーター、天寺摩那(あまでらまな)と共に、今日も人類のために戦っている。

 

 これは、この二人が織り成す物語。

 

 

 

 

 

 冬。

 

 季節らしく東京エリアにも雪が降っていた。大雪と言うほどではなく、薄っすらと路面に雪が積もっている程度に積もっていた。

 

 その中を傘をさし、黒いロングコートに身を包んで、マフラーを巻いているのは、今降っている雪と同じように真っ白な髪をした青年、断風凛。彼の手を握るのは、女の子らしいフワフワとしたファーがついたコートを着込み、これまた暖かそうなモコモコとした耳あてをつけた燃えるような赤毛の少女、天寺摩那。

 

二人はとある場所に向けて足を進めていた。

 

「摩那、寒くない?」

 

「大丈夫。凛の方こそ寒くないの? 耳当て貸してあげようか?」

 

「僕は平気だよ。それに、これから戦うわけだから多少は身軽になっておかないと」

 

 見上げながら言う摩那に対し頬を掻きながら苦笑いを浮かべる凛であるが、摩那はそれを見ると彼の腕を包み込むように両手で握った。

 

 手袋に包まれた彼女の小さな掌はとても暖かかった。

 

「ありがとう、摩那」

 

「……」

 

 礼を言う凛だが、摩那はそれが恥ずかしかったのか頬を真っ赤にしながら顔を伏せた。しかし、彼女の顔は僅かにほころんでいた。

 

 それから歩くこと数分、凛と摩那は依頼に記された建物までやって来た。依頼は警察からであり、エリア内にガストレアが侵入したとのことで呼び出されたのだ。

 

 さほど大きなガストレアではないらしいが、その一体がとんでもないことにつながる可能性もあるので早急に駆除を頼みたいとのことらしい。

 

 建物は背の低いビルなのだが、使うものがいなくなってからか壁には大きな穴があいており、所々ひびも入っている。

 

「いまにも崩れそうな感じだけど……行くしかないか」

 

「サポートは任せて」

 

「うん。よろしく!」

 

 二人はそれぞれ互いの武器に手を添えた。

 

 凛は腰から下げられている日本刀に、摩那は袋に入れてあった黒い爪がついたクローを手にはめた。彼等が使う武器はガストレアの再生力を阻害するバラニウムと言う鉱物で出来ており、それらは東京エリアを囲む巨大な壁、モノリスもそれで出来ている。

 

 互いに頷き合うと、二人はビルの中に足をすすめる。その瞬間、凛の隣で周囲を警戒していた摩那が臭いをかぐようにヒクヒクと鼻を動かした。

 

 同時に顔をしかめると、凛の袖を引っ張り彼に告げた。

 

「凛。ガストレアの臭いは二階が一番強いよ」

 

「わかった、なるべく察知されないように一気に行こう!」

 

 凛の指示に摩那は頷くと階段まで駆け、一気に二階へと駆け上がった。先導するように摩那が凛を引き、凛もそれに続く。彼女、天寺摩那はイニシエーターであり、モデルはチーターだ。その速力はまさにチーターのように速く、力を解放していない今でさえかなりの速度が出ている。

 

 摩那と凛は二階へと駆け上がると摩那は二階のある場所へと足を向ける。そこはホールのようになっており、かなりの人数が収容できるつくりとなっている。

 

 そのホールの真ん中に黒い異形の影、ガストレアが獲物を待ち構えていたかのように鎮座していた。

 

 そのガストレアは四本足であるものの頭はまさに異形だった。狼のような顔の横には、更に二つの頭がついており、まるで地獄の番犬であるケルベロスを思わせる体躯をしていた。大きさから考えればステージⅡあたりと言ったところだろうか。

 

 するとガストレアは入ってきた獲物である凛と摩那にその赤い眼光を光らせる。

 

 普通の人間であればこの時点で腰を抜かしてしまうかもしれないが、凛と摩那は違った。彼等は自分達を睨みつけるガストレアを臆することなく見据えていた。

 

 ガストレアもまたそれを理解したのか、すぐに飛び掛ることはせず態勢を低くし唸る。摩那もまた、それに対応しクローを構える。それと同時に摩那の双眸が赤く染まった。力を解放しようとしているのだ。けれど凛がそれを制した。

 

「いいよ、摩那。僕がやる」

 

 優しく告げると摩那は瞳をもとに戻し凛の後ろに下がる。

 

「さて……君に恨みがあるというわけではないけれど、狩らせてもらうよ」

 

 声音を変えずに目の前のガストレアに告げる凛はコートのボタンを外し、腰に差してある刀に手をかけようとする。

 

 だが、その一瞬を狙ったのかガストレアが唸り声を上げたまま凛へ飛び掛った。

 

「……断風流参ノ型、懺華(ざんか)

 

 ぼそりと小さく告げた凛の姿が突如としてそこから消失したかと思うと、ガストレアの背後に一瞬にして移動していた。見ただけでは只移動しただけのように見える。

 

 ガストレアは凛がいたところに着地するが、瞬間、その身体に亀裂が入った。そしてせきを切ったようにガストレアの体がバラバラと裂かれ、叫び声も何もあげられず崩れていった。

 

 もはや只の黒い肉片となったガストレアを振り返りながら見つめるが、その瞳には光が灯っていなかった。

 

「凛」

 

 その様子に摩那が呼ぶと、凛は首を振り大きく息を吐いた。

 

「どうにも……こうなるのは癖になっちゃってるなぁ」

 

「まぁそれは後から直していけばいいと思うよ? ところで刀の方は大丈夫?」

 

「いや、多分刃こぼれしてるだろうし、もう使い物にならないよ。やっぱり冥光(みょうこう)じゃないとダメだね」

 

 苦笑いを浮かべながら腰にさしている刀を鞘から抜くと、凛の言ったとおり刃はボロボロになっており、今にも折れそうだった。

 

「最初から冥光を持って来れば良いじゃん。また社長にどやされるよ?」

 

「いやーなんて言うか。あれはそんなに使いたくないというか……」

 

「そういうものなの? ……まぁいっか。じゃあさっさと後始末をして依頼を完遂しちゃおう!」

 

「そうだね」

 

 刀を鞘に納めながら凛は頷くと、現場の後始末と、依頼主である警察に連絡をとった。

 

 

 

 

 

 

 十数分後、依頼主である警察が到着すると、こげ茶色の髪と、無精髭が特徴の男性が二人に声をかけた。

 

「いやー、お疲れさん。悪いねこんな雪の日に頼んじゃって」

 

「いえ。これが僕たちの仕事なので。それじゃあ、後は頼みます金本警部」

 

「ああ。また頼むよ凛くん。摩那ちゃんもまたね」

 

 金本警部と呼ばれた男性は二人に手を振った。凛と摩那もそれに頭を下げながら会社へと戻っていった。二人の後姿を満足そうに見送った金本の後ろから若い刑事が彼に声をかけた。

 

「それにしてもアイツ、どんな殺し方すればガストレアがあんな風になるんですかね警部。もうバラッバラでしたよ。パズルの名人でもありゃあもとの形には戻せませんよ」

 

「そりゃそうだ。なんてったって彼は民警の中でもかなりの実力者らしいからな。彼の勤めてる会社の社長に聞いたことがあるんだが。彼の民警の中の序列は――――」

 

 そこまで言ったところで金本の携帯がなる。

 

「っと。……はい、金本ですが? あぁ、黒崎さん。……ええ、先ほどそちらに戻りましたよ。はい、……いつも通り素早い解決でした。ありがとうございます。彼なら特に問題なさそうでしたよ。ガストレアは凛くんの話ではステージⅡの犬型のガストレアだったようです……はい、わかりました。ではまた、失礼します」

 

「誰っスか?」

 

「さっきの子達の社長だよ。事件のことを聞きたかったらしい」

 

「なるほど、ていうか先輩。良いんですかあんなにベラベラしゃべっちゃって」

 

「良いんだよ。彼等だって市民を守ることに変わりはない」

 

 タバコに火をつけながら笑いながらいう金本に、後輩の彼は肩を竦ませるが、思い出したように手を叩いた。

 

「で、あいつ等の序列って何位なんスか?」

 

「あぁそうだったな。確か彼等の序列は……666位だ」

 

「ろ、666位!? それってかなり上のほうじゃないですか!?」

 

「だろう? 俺も最初は思わず疑ってしまったが、彼等の社長もそれは本当だって言っていたよ。だが、彼等の実力は本物だよ。……さて、無駄話はこれまでだ。さっさと終わりにしてラーメンでも食いにいこう」

 

 金本はタバコをポケット灰皿に押し込むと、踵を返し、現場へと戻っていった。それを彼の後輩も追うが、その顔は未だに半信半疑と言った感じだった。

 

 

 

 

 

 

 行きと同じ道を戻った凛と摩那は一つのビルに入っていった。

 

 看板には『黒崎民間警備会社』と書かれていた。そう、ここが凛と摩那が所属する民間警備会社なのだ。ビルは四階建てであり、全てが黒崎民間警備会社が所持しているものだ。

 

「ただいま戻りましたー」

 

「あぁ。お疲れ様」

 

 凛が言いながら事務所に入ると窓際にある高級そうな椅子に座った女性が彼にねぎらいの声をかけた。

 

 彼女の名は黒崎零子。この会社の社長である。彼女の特徴を一言で言えば美人である。端整な顔立ちに肩にかかる程度に伸ばされた黒髪。体つきも実に女性らしく、十人男がいれば十人全員が美人と答えるだろう。

 

 それでも、彼女の顔にはその顔つきにはそぐわないものがあった。それは眼帯だ。無骨なデザインの黒い眼帯が巻かれている。

 

 凛は彼女のもとまで行くと、腰に差していたバラニウム刀を机の上にのせながらバツが悪そうに告げた。

 

「すいません社長。また刀壊しちゃいました」

 

「またか!? まったく……だから冥光を持って行けと言うんだ愚か者。司馬のお嬢さんから仕入れるのも大変なんだぞ?」

 

「まぁそれはわかってるんですけど……。冥光は出来ればあまり使いたくないというか」

 

「君のその信条はわかっているつもりだがもう少し力をセーブしろ。一回の出撃で一本壊すとか出費がハンパないぞ!!」

 

 声を荒げながら言う零子は若干呆れ気味だが、凛は苦笑いを浮かべたままだ。零子はそれに溜息をつきつつも目の前にある刀を抜き、再度大きな溜息をついた。

 

「それにしてもよくもまぁここまで派手にぶち壊せるものだ。君の剣術の衝撃は相変わらず凄まじいな」

 

 タバコを吸いながら刀を鞘に収めた零子は感心とも取れる言葉を漏らす。すると、ソファに座っていた摩那が零子に聞いた。

 

「社長。杏夏と美冬はどこかへ出かけたの?」

 

「ああ、彼女達には夕食の買出しに行って貰っている。今日は整理する書類が多いからな。君達にも悪いが今日は残ってもらって良いかな?」

 

「はい、構いません」

 

「私も大丈夫!」

 

 二人の返答に零子も頷くと椅子から立ち上がり、凛の軽くたたきながら、

 

「と言うわけで……夕飯は頼んだ」

 

「……やっぱり」

 

 零子の指示に小さく溜息をつきながらも、凛は笑みを浮かべながら頷いた。

 

 その後、夕食の買出しから戻ってきた後二人の社員、春咲杏夏(はるさききょうか)秋空美冬(あきそらみふゆ)が帰り、社員総出の書類整理を行った。

 

 

 

 

 

 それから数ヶ月後、黒崎民間警備会社は東京を救うための極秘任務を背負うこととなる。




……やってしまった……。
妄想を抑えきれなくなってしまった……。

とりあえず一話はこんな感じです。
次は数ヶ月跳んで春先、蓮太郎くんたちが影胤あたりと遭遇する辺りのお話を出来ればと思っております。


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第二話

 以前の事件より数ヶ月。季節は既に春になっていた。

 

 その中で凛達黒崎民間警備会社の面々は勾田公立大学付属の大学病院の一室に顔を揃えていた。

 

 ベッドの上には一人の少女がなんとも申し訳なさそうな顔をしている。

 

「やれやれ、人助けをして自分が怪我をしては元も子もないじゃない。杏夏ちゃん」

 

 呆れたような声を漏らすのは社長である零子だ。しかし、以前のような男性的な口調ではなく、柔和な女性らしい口調であり、目元もどこか以前とは違い柔らかさを感じる。

 

「いや~、アハハ……。まさかあそこで自転車と衝突するとは思ってなくって」

 

 頭をかきながら零子に説明する少女は、黒崎民間警備会社のもう一人のプロモーターである、春咲杏夏だ。彼女の腕と頭には包帯が巻かれており、痛々しさが現れている。

 

 すると、彼女の傍らに座っていた茶髪に少しロールがかった髪をしている少女が、彼女の足をひっぱたいた。

 

「まったくですわ!! 人助けをするのは構いませんが、もう少し自分を労って欲しいものです!」

 

 お嬢様口調で話すこの少女は杏夏の相棒である秋空美冬だ。彼女は腕を組みながら頬をプクッと膨らませ、怒っていることを表現していた。

 

「まぁまぁ美冬ちゃん。杏夏ちゃんもそこまで大きな怪我じゃなかったんだからいいじゃないか」

 

「それはそうですけど……。杏夏はお人よし過ぎるんですのよ、さっきも言いましたがもう少し自分を優先で考えてもいいと思います」

 

「だよねー。凛も大概のお人よしだけど杏夏は重度のお人よしだもん。もう病気ってレベルだよ?」

 

 ケタケタと笑いながら言う摩那だが、杏夏は怒ることはせ相変わらず申し訳なさそうな笑みを浮かべたままだ。

 

「けど……困ってる人がいたら助けたくなっちゃうよ。民警になったのだってそれが理由だし」

 

 笑みを浮かべたままの杏夏だが、その言葉を聴いた皆は大きく溜息をつくが、「まぁしょうがないか」といった表情をしたまま肩を竦めた。

 

「さて、それじゃあそろそろ面会時刻も終わりだから私達は帰りましょう。明日には退院できるんでしょう?」

 

「あ、はい! お医者さんも今日だけ安静にしていれば問題ないって言ってました。ただ、包帯は取れませんけど」

 

「まぁそれは仕方ないわね。それじゃあまた明日ね。皆行くわよ」

 

 零子が言うと凛達は頷きそれぞれ病室を後にする。

 

「凛先輩」

 

 しかし、凛が出て行こうとすると、杏夏が彼を呼び止めた。

 

「なんだい?」

 

「えっと……美冬のこと今晩よろしくお願いします。あの子一人だとお料理とか出来ないんで」

 

「了解。杏夏ちゃんもなるべく早く寝るようにね。それじゃ」

 

 凛はそう告げると病室を後にし先に行った零子たちと合流した。

 

 出口に差し掛かったところで零子が立ち止まる。それに皆が怪訝な表情を浮かべるが、零子は三人に告げる。

 

「私は野暮用があるからあなた達はもう帰りなさい。凛くん、摩那ちゃんと美冬ちゃんの面倒ちゃんと見るのよ?」

 

「わかってますよ。じゃあ、また明日」

 

「ええ。おやすみー」

 

 彼女は軽めに手を振ると、踵を返し、病院の奥へと消えていった。

 

 零子と分かれた凛達は、病院から出るといつも買い物をしているデパートへ向けて歩き出す。道中、凛は二人で仲良く手をつなぎながら歩く摩那と美冬に問う。

 

「二人は今日の晩御飯何が食べたい?」

 

「カレー!」

 

「カレーはこの前食べたじゃないか。また食べたいの?」

 

「うん! だって凛のカレー美味しいし」

 

 快活に答える摩那に対し小さく笑みを浮かべながらも、摩那の隣で悩んでいる美冬に聞いた。

 

「美冬ちゃんは何か食べたいものとかある?」

 

「いえ、わたくしはお世話になる身ですのでリクエストなどとおこがましいことは」

 

「それぐらいのこと気にしなくても良いよ。一人増えたぐらいはどうってことないし」

 

 それを聞いた美冬は少し気恥ずかしくなったのか頬を染め、指をいじりながら凛にリクエストをしてみた。

 

「では、ハンバーグを……」

 

「ハンバーグかぁ……暫く食べてなかったから良いかもしれない」

 

 彼は頷きながら言うが、ふと思いついたのか指を鳴らした。

 

「じゃあ、カレーとハンバーグをあわせてハンバーグカレーでも作ろうか。二人とも好きなものが食べられるし、どうかな?」

 

 凛が問うと、二人は顔を見合わせ満足げな表情を浮かべたまま大きく頷いた。凛もそれを確認すると頷き、三人はデパートの食品コーナーを目指した。

 

 

 

 

 

 

 零子は病院内の北側へ足を向けていた。

 

 元々時間帯も時間帯だからか人は少なかったが、そちらに行くにつれて看護師や医師の姿さえもなくなり、さらには人の気配が完全になくなっている。

 

 病院でこんな空間があれば恐ろしいことこの上ないが、零子は特に気にも留めずに廊下を進んでいく。そして、突き当たりに行き着いた。

 

 その突き当りには四角く落とし穴のような穴が開いているが、よく目を凝らしてみると、そこは急な階段だということがわかる。

 

 彼女はそれに若干溜息をつきながらヒールの音を鳴らしながら階段を下りていく。

 

 階段を降り切ると、そこには仰々しい悪魔のバストアップが描かれた扉が現れた。その扉を見てもう一度大きな溜息をつきながらも、零子はそれを開けた。

 

 中に入ると、室内には鼻にツンと来るような芳香剤の香りが漂っている。室内は薄暗いものの、広さはそれなりだ。床は緑色のタイルで固められ、なんとも不気味である。

 

 しかし、室内には脱ぎ捨てられた下着と、空になった弁当箱が乱雑に置かれていた。

 

 だが、それでも一番目を引くのは部屋の真ん中の手術台のような場所におかれた男の死体だ。何故死体かとわかるかと言えば簡単なことである。キツイ芳香剤の香りに混じって死体が早く腐るのを避けるための防腐剤の臭いが僅かながら漂ってるからである。

 

 それに顔をしかめながらも、零子は部屋の主が眠っている椅子に近づく。彼女は近場にあったハードカバーの小説なのか何かの辞典なのか分からない本を振りかぶり、そのまま眠っている部屋の主の顔に振り下ろした。

 

 バシッと渇いた音が部屋に響くと、部屋の主が唸りながらその本をどけた。

 

「うー……。何をするー」

 

「何をするー、じゃないでしょ菫。そっちから呼んどいて」

 

 菫と呼ばれた女性は半眼を開けながら零子の顔を見ると、椅子から気だるそうに起き上がった。

 

 彼女の名は室戸菫。この地下室の主であり、ガストレア研究者であり、法医学の室長でもある。零子とは学生時代の腐れ縁と言ったところの関係だ。

 

「そうだったな、すまないな零子。なにぶん、今日はそこの彼とお楽しみだったのでね」

 

 大あくびをしながら手術台に寝かされている男性の死体を指差しながら告げる菫に零子は肩を竦めた。

 

「死体とお楽しみって……。一体どんな楽しみ方が出来るのか知りたいくらいなんだけれど?」

 

「おや、知りたいかい? だったら十時間ほどかけてゆっくりじっくり、まったりねっとりと君の脳髄に刻み込むように説明してあげよう」

 

「遠慮するわ。死体フェチにはなりたくないし」

 

 菫の提案を一蹴した零子だが、菫は「なんだよくそー」などといいながらも、来客である零子をもてなす為なのか、研究用と見られるビーカーにコーヒーを注いでいる。

 

 彼女、室戸菫は人間とは関わらない性格をしている。但し、それは生きた人間であり、死んだ人間であれば話は別だ。死んだ人間、すなわち死体を目の前にした彼女はかなり生き生きとする。

 

 そんな彼女と零子が何故ここまで親しくできているかと言うと、零子と菫は小さい頃からの付き合いなのだ。幼稚園だったか保育園だったかの頃から常に零子と菫は一緒にいた。

 

 菫の性格で彼女が爪弾き物にされていても、零子だけはいつも傍らに寄り添っていた。零子自身、菫のことはそれなりに理解しているつもりではあるし、菫もまた零子のことを心から信用している。

 

「ホラ。とりあえず飲みたまえ」

 

「ん、ありがと」

 

 菫が持ってきたコーヒーを受け取りながら零子は適当な椅子に腰を下ろした。

 

「それで? 私を呼び出した理由は何かあったの?」

 

 コーヒーを飲みながら自分専用の椅子に座る菫に聞く零子に菫はゆっくりと頷いた。

 

「実はね、今日君と同じく民警の少年である里見蓮太郎くんと言う子が訪ねてきたんだよ。知ってるだろう?」

 

「確か天童民間警備会社の社員の子だったかしらね。その子がどうしたの?」

 

「うん。彼は今日ステージⅠのガストレアを駆除してきたんだよ。一応ガストレアの死体があるので持って来るか。ちょっと待っていてくれ」

 

 菫はまたしても立ち上がり、今度は部屋の奥のほうまで行くと、それなりの大きさがあるトレイを持ってきた。

 

 それには数本の足と、大きく膨れた虫の臀部のようなものが乗せられていた。

 

「なんのガストレアだと思う?」

 

 なぞなぞをかけるように聞いてきた菫に零子はガストレアの残骸を見やりながら嘆息気味に告げた

 

「形からすれば蜘蛛……かしらね。お尻が大きいし」

 

「ご名答だ。相変わらず鋭い洞察力だなホームズ」

 

「それはどうもワトソンくん。それでこれがどうかしたの?」

 

 菫のノリにノリで返しながら零子は菫に問う。

 

 それに菫は頷くと、椅子に座り机に頬杖をつきながら解説を始めた。

 

「先ほども言ったとおり、それは今日蓮太郎君が駆除したガストレアでね。しかし、感染源ではないんだよ。それは感染源ガストレアに体液を注入され、ガストレアとなってしまった人間の成れの果てと言うわけだ」

 

「可哀想にね」

 

「全くだ、これは流石に不幸な事故としか言いようがないかな。まぁそんなことはさておきだ。その感染源ガストレアは未だに見つかっていないようでね。蓮太郎君も駆除を目指しているんだがどうにも面倒な能力を得ている可能性があるんだよ。そのガストレアは」

 

 肩を竦めながら告げた菫だが、なにやら手持ち無沙汰になったのか、胸ポケットにしまってあったペンを器用にクルクルと回し始めた。

 

「普通ガストレアがその辺にほっつき歩いていたら民警やら警察やらが発見するはずだ。それでも未だに発見されていないことを考えるとどこかに身を潜めているか……何か身を隠す能力を有していると考えられるだろう」

 

「身を潜める能力っていうと、カメレオンみたいな擬態って言葉が当てはまるかしらね」

 

「だろうな。蓮太郎君は最初光学迷彩などと言っていたが、流石にそれはない」

 

「もしそんなガストレアがいれば、明日中には東京エリアにガストレアが溢れかえるでしょうね」

 

 椅子の背もたれに背を預け薄暗い天井を仰ぎながら零子は大きく息をついた。

 

「けど、なんだって急に私にそんなことを教えてくれたわけ?」

 

「なぁに、一応友人だからな。これくらいは教えておいて損はないと思っただけさ。それに、君の部下の断風凛くんに教えておけばうまくやるかもしれんだろう?」

 

「そういうことね。まぁ確かに凛くんなら何とかできるかもね。なんと言ってもあの断風流剣術の免許皆伝者だからね」

 

 肩を竦めながら軽く笑みを浮かべた状態で言う零子に対し、菫は首を傾げると彼女に問うた。

 

「断風流とはそんなに名が通っているのか?」

 

「いいえ。世間的にはそこまでではないわ。ただ、剣術をしている者には知っている人は多かったらしいわ。剣術だけで言うならあの天童にも匹敵するほどだったらしいわ」

 

「ほう、そうなのか……出来れば今度凛くんもここに招待したいね。または彼が駆除したガストレアを見てみたい」

 

 凛に対し興味がわいたのか、若干興奮した様子で語る菫を見ながら零子は苦笑いを浮かべた。確かに菫は人間嫌いだ。しかし、時にそれは変わるのだ。生きている人間でも興味が湧けば話をしてみたくなることが稀にあるのだ。

 

「まぁ次にあの子がガストレアを狩ったらその死骸を貴女のところに持ってくるように言っておくわ」

 

「ああ。次はよろしく頼むよ」

 

 零子は頷くとコーヒーが空になったビーカーを菫に返しながら彼女に告げた。

 

「じゃあ私はそろそろ帰るわね。あんまり引きこもりすぎないで偶には外に出なさいよ?」

 

「えー……。日の光は私には毒なんだよ、でられるわけないだろ。私はこの地下の城が一番落ち着くんだよ」

 

 子供のように駄々をこねる菫に呆れた顔を見せながらも、零子は扉に手をかける。しかし、彼女の去り際菫が右目を指しながら彼女に問う。

 

「零子、目の調子は大丈夫か?」

 

「……ええ。まぁね」

 

 零子は眼帯の下の右目を押さえながら告げると、地下室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 都内の凛と摩那が住まう賃貸マンションで、三人は食卓を囲みながら話し込んでいた。因みに夕食は凛が言ったとおり、カレーとハンバーグをあわせたハンバーグカレーだ。

 

「それにしても、社長って本当に事務所にいる時と外にいる時で性格違うよねぇ」

 

「そうですわね。もはやあれは二重人格と言うものなんでしょうか?」

 

「コラコラ二人とも、そんなこといっちゃダメ。確かに零子さんの性格の違いは凄いけど……」

 

 二人の素朴な疑問を苦笑いで受け止めながら凛は二人に説明を始めた。

 

「二人はまだ零子さんから直接は聞いてないんだよね。じゃあ話しちゃっても良いかな……。えっとね、零子さんのあれは自分でけじめをつけてるんだよ」

 

「けじめ?」

 

「そう。事務所にいる時の零子さんは仕事を淡々とこなす人あとはヘビースモーカー。外にいるときは人柄がよくて品行方正な人、この時はタバコは全く吸わないんだ。それ以外にも依頼の電話とかに出るときも後者を使うときが多いんだよ。ようは、外に出てるときは仕事の顔、事務所にいるときは気が抜けた顔って感じ。……まぁもっと平たく言っちゃえば凄くよく出来た猫かぶりって所かな」

 

 凛が説明してみるものの、二人はまだ理解できていないのか首をかしげている。それを見た凛は二人の頭をなでた。

 

「そんなに深く考えなくてもいいと思うよ。どっちも零子さんであることには変わりはないし、それに、あの人はどっちも合わせて零子さんだしね。ほら、早く食べないと冷めるよ?」

 

 指摘された二人は思い出したようにカレーを食べ始めた。

 

 その二人の様子を見ながら凛もまたカレーを食べた。

 

 

 

 

 

 

 その日の深夜、凛は二人が眠ったのを確認すると、自室の一角に置かれている日本刀。冥光を取り出し、マンションの屋上へ上がった。

 

 どうやら今夜は満月であるようで、夜だというのに影が出来るほど明るかった。眼下にはネオンやオフィス街の光、車のテールランプなどが見える。

 

 その光景の逆を見ると、人類を守る巨大な漆黒の壁、モノリスが月明かりに照らされて鈍く光っているように見えた。

 

 凛はそれらを一頻り眺めた後、もって来た刀、冥光を鞘から抜き放った。

 

 抜き放たれた冥光の刀身は黒く、バラニウムを連想させる。だが、それもそのはず、この冥光はバラニウムと刀の原料である玉鋼を混成して作られた日本刀なのだ。

 

 若干、バラニウムが多いため刀身は黒く染まっているが、その刀身は日本刀らしく濡れたような輝きがあり、月明かりに照らされたそれは幻想的に見える。

 

 また、この冥光の切れ味は凄まじいものであり、ガストレアの強靭で堅固な筋肉や骨も易々と裁断することができ、なおかつ、刃こぼれも見られないのだ。

 

 凛は冥光の重さを再確認するように軽く振るう。

 

「よし……いい感じだ。そろそろバラニウム刀だと限界あるし、明日は試しでこれを持って行ってみるかな」

 

 冥光を鞘に納めながら小さく溜息をつく凛は、いつも出撃の際に持って行っているバラニウム刀を思い返す。

 

 ……やっぱり摩那を守るためにもバラニウム刀だけじゃなくて冥光を持って行こう。それに――――。

 

「――――最近ガストレアが妙に強くなっている気がするし」

 

 凛は鋭い眼光でモノリスの外側に住まう大量のバケモノ。ガストレアを睨みつけるように見た後、屋上を降り、自室へと戻っていった。




今回は前回予告したとおり数ヶ月跳んで蓮太郎くんが影胤にあった日の事を書いてみました。

零子さんと菫先生は同い年ってことにしてますが、これは作者の勝手な解釈ですので
特に気になさらないでくれてもいいです。

感想などありましたらよろしくおねがいします。


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第三話

 翌日、凛はまだ寝ている摩那と美冬を起こさないように、ゆっくりとキッチンに行くとリビングのテレビを音量をなるべく小さい音でつけた。

 

 ちょうど天気予報をやっていたようで、天気予報士の若い女性が東京エリアの天気を説明していた。どうやら今日は終日晴れのようだ。

 

 それを流し目で見つつ、凛は冷蔵庫から手馴れた様子で食材を取り出していく。

 

「とりあえず、目玉焼きとウィンナー、あとは食パンでも焼けばいいかな」

 

 そう呟くと、凛は手早く調理を開始した。

 

 数分後、鼻腔をくすぐるいい香りが漂い始めた。それは二人が眠る寝室にまで届いていたのか、二人は目を擦りながら寝間着姿のままやって来た。

 

「ん、起きたね二人とも」

 

「うん……まだ眠いけど……」

 

「わたくしもですわ……」

 

「アハハ。だったら顔洗ってくるといいよ、すっきりするから。あぁそれと服も着替えちゃえば?」

 

 凛が促すと、二人は頷き洗面所へ向かった。その姿を見送った凛は、出来上がった朝食を盛り付けに入った。

 

「よし。完成っと」

 

 盛り付け終わった皿をテーブルにのせ、コップに牛乳を人数分注ぐとちょうど顔を洗い終わった二人がやって来た。それとほぼ同時にトースターに突っ込んであった食パンも焼きあがったようだ。

 

 それを二人に配ると、三人はそれぞれ席に着き手を合わせる。

 

「「「いただきます」」」

 

 その声と共に、三人は朝食に手を伸ばす。テレビは天気予報からトップニュースの話題へ変わったようだ。まだ若い男性MCが事件や事故を説明している。

 

「今日は二人とも勉強の日だっけ?」

 

「うん、タマ先生に呼ばれてるから行かないと」

 

 凛の問いにパンを咀嚼しながら答える摩那だが、その横で美冬が彼女を注意した。

 

「摩那、食べている時にしゃべってはいけませんわ。はしたないですわよ」

 

「えーいいじゃん別にー。凛はいいよねー?」

 

「まぁ僕は別に構わないけど……外ではやらない方がいいかもね」

 

「だったら平気だよ! 私外だとおとしやか? だから!」

 

「それを言うなら摩那、『おしとやか』ですわ」

 

 いい間違いを指摘する美冬は溜息をつきながらヤレヤレと首を横に振った。それを苦笑しながら見る凛は更に二人に問う。

 

「今日は何の勉強をするの?」

 

「えっとね……あれ? なんだっけ美冬?」

 

「今日は国語と算数ですわね」

 

 それを聞いた瞬間摩那の顔が強張るが、凛と美冬は見慣れているので特に気にすることはせず、それを受け流す。

 

 先の『おしとやか』の一件もあるが、摩那は国語があまり得意ではないのだ。それでも全く出来ていないわけではなく、所謂覚え間違いが多いといった感じではあるのだが、なかなかそれが直らないのだ。

 

「国語と算数か……母さんの得意分野だね。結構厳しいでしょ?」

 

「んーん、そこまでじゃないよ。けどたまーに寝ちゃうとものすごい勢いでチョークが飛んでくるけど」

 

「それは貴女が居眠りをするから悪いんですのよ、摩那」

 

 摩那の説明に苦笑いを浮かべる凛と、相変わらず呆れ顔の美冬であるが、ふと摩那が時計を見ると慌て始めた。

 

 時刻は午前7時45分を指しており、そろそろ二人が出なければいけない時刻になっていたのだ。

 

「うわっ!? やばいよ美冬!! もうそろそろ出ないと!!」

 

「あら、もうそんな時間でしたの? だったらもう出ないといけませんわね」

 

 慌てる摩那とは裏腹に落ち着いた様子で食事を済ませた美冬は食器を片付けた。

 

「えっ!? なんでもう食べ終わってるの!?」

 

「貴女が話しているうちに食べてしまいましたわ。早くしないと先生に怒られますわよ?」

 

「ちょ、ちょっと待ってて!! マッハで食べきるから!!」

 

 摩那はそういうとパンを口に押し込み、目玉焼きもかき込んだ。その様子は確かに早いものの、かなり無理をしているように見える。

 

 すると案の定喉に詰まったのか、摩那は青い顔をし始めた。それを見た凛が急いで牛乳をコップに注ぎ差し出すと、摩那はそれを目にも止まらぬ速さでひったくると、ごくごくと飲み干した。

 

「ぷはぁっ!!? し、死ぬかと思った!」

 

「そりゃああんなに急いで食べればそうなるよ。それより、摩那片付けはいいからさっさと歯を磨いて行っていいよ。美冬ちゃんも待ってるみたいだし」

 

 凛がリビングの扉の方を指差すと、既に準備万端と言った感じの美冬が摩那の鞄を持って待っていた。

 

 摩那は凛の言う事に勢いよく頷くと、急いで洗面台へ歯を磨きに行った。そして数十秒後、歯を磨き終わったのか、玄関の方から摩那の元気のよい声が聞こえた。

 

「いってきまーす!!」

 

「いってきますわ」

 

「いってらっしゃい。車には気をつけるんだよー!!」

 

「わかってるー!!」

 

 玄関の方から聞こえる言葉に笑みを浮かべながらも、凛は残った食器を片付けると、慣れた手つきでそれを洗い終えた。

 

「さてと、僕もそろそろ出ないとかな」

 

 壁に立てかけてある時計を見ると、凛もまた洗面所へ行き、寝癖を直したり歯を磨いたりなどの身だしなみを整える。

 

 ひとしきり身なりを整えた凛は、今度は自室へ向かいクローゼットから着慣れた仕事着を取り出した。

 

 凛が着ているのは所謂スーツだ。しかし、会社員のようにネクタイを締めておらず、かなりラフな格好となっている。

 

「よし。こんなもんかな」

 

 部屋に置いてある姿見に映る自分に変な所がないかと最終確認を行った凛は壁に立てかけてある刀、冥光を手に取り部屋を出ると、リビングのテレビの電源を切り玄関へ向かい、自宅を後にした。

 

 自宅マンションから出ると、凛はいつも会社へ行く道を刀を腰に差してある冥光の柄をいじりながら先に行った二人のことを思い返す。

 

「まぁあの二人の速力なら普通に間に合うだろうけど……母さん怒らすと怖いからなぁ」

 

 苦笑いを浮かべる凛は、先ほど二人が向かった場所にいる母のことを思い出す。

 

 凛の母親は断風珠(たちかぜたまき)と言い、凛の実家で塾を開いているのだ。凛の実家はそれなりに広い屋敷であり、中には剣術修行のための道場がある。

 

 珠はそれを改装して子供達を集め、そこで小学生が学ぶことを学校に通えない子供達に教えているのだ。因みに珠は元小学校の教師であり、一通りのことは教えることが出来るのだ。珠だからタマ先生である。

 

 ここで出てくる子供たちと言うのは、摩那や美冬のような所謂『呪われた子供たち』のことだ。

 

 呪われた子供たちと言うのは何も本当に呪術などで呪われているわけではない。ガストレアの抑制因子を持ち、ウイルスの宿主となっている子供たちのことを言うのだ。

 

 出生時に瞳が赤くなっているのが特徴であり、また、ガストレアウイルスは遺伝子を組み替えてしまうということから、生まれてくる子供たちは皆女性であり、第一世代から換算すると、十歳以下の少女達がそれに相当する。

 

 見た目は普通の子供たちと変わらないのだが、ガストレアウイルスを体内に宿していること、桁違いの力と運動能力から多くの子供たちが差別、迫害の対象となっているのだ。

 

 殆どの子供たちは親に捨てられ、エリアの外周区のほうでマンホールの中に暮らしていたりする。エリアの内側にもいることはいるのだが、内部にいると、子供たちに対し異常なまでの迫害をする者達に襲われることもあるので内部で暮らすことは危険なのだ。

 

 もちろん、中にはそんな子供たちを救おうと慈善事業を行おうとしている者もいるらしいが、ほとんどは長続きせず潰れて行ってしまうのだ。

 

 そんな中、凛の母はその現状に耐えることができず、街で路頭に迷う子供たちを見つけては実家へ導き、食事を与えたり、勉強を教えたりしているのだ。

 

 これには彼の祖母である断風時江(たちかぜときえ)も参加しており、勉強の合間に折り紙や昔の遊びを教えたりしている。

 

 無論、そんなことをすれば周囲から迫害を受けたのだが、珠と時江はそれに対し真っ向から立ち向かい。周囲から罵声を浴びようと、石を投げられようと特に気にも留めずに子供たちを養っている。

 

 今では凡そ40人以上の子供たちが凛の実家へ通っている。そして、今ではもはや迫害の声をかける気もうせたのか、そんなことは全くなくなった。

 

 それどころか、同じように呪われた子供たちを擁護しようとする者達から多くの援助をもらっているのだ。

 

 二人はそれを使い、道場内を改装したり、帰る場所のない子供たちを家で預かるために、新たに離れをつくったりもした。

 

 それに対し、凛が何もしていないわけではなく、自分の生活費と最低限の給料以外は全額実家へ仕送りをしており、それなりに経営を助けている。

 

 ……それにしても、今日の目玉焼き地味に失敗したなぁ。一つだけ半熟に出来なかった。

 

 今度は朝食に出した目玉焼きのことを思い返しながら凛が信号待ちをしていると、前の歩道に若干目つきの悪い高校生ぐらいの自転車に乗っている少年と、彼の後ろのサドルに立っているツインテールの少女が目に入った。

 

「まったく!! もっと早く言えよ延珠!! 時間ぎりぎりじゃねぇか!!」

 

「妾のせいだと言うのか!? 元はといえば蓮太郎が亀のように鈍間なのが悪いのであろう!!」

 

「うっせ!! こっちだって色々あんだよ!!」

 

 なにやら学校に遅れそうな雰囲気のようであり、それぞれが罪の擦り付け合いをしているようだ。それに対し、思わず笑ってしまう凛だが、信号が青になったのを確認し彼等とすれ違う感じで横断歩道を渡った。

 

 彼らは結局ずっといい合いを続けていたが、凛はそれを見て随分と中がいいのだとおもった。同時に彼は自転車を漕いでいる蓮太郎と呼ばれた少年を見ながら誰にも聞こえない声で呟く。

 

「……大変だね同業者さん」

 

 それだけ呟くと、凛は会社への道を進もうと一歩歩みを進めるが、次の瞬間、その姿は露に消えるように見えなくなった。

 

 

 

 

 

 

 横断歩道を渡りきった蓮太郎はふと視線を感じ、ブレーキをかけた。

 

「おぉっと!? いきなり止まるな蓮太郎! 妾が落っこちるところだったではないか!!」

 

「なぁ……延珠。今横断歩道渡るときに、真っ白な髪の毛で腰に刀差してた奴いたよな?」

 

「ん? あぁ、そういえばいたな。妾や蓮太郎と同じく民警なのではないか?」

 

 延珠の言う事に頭の中で同意する蓮太郎だが、振り向いても先ほどの人物は見受けられない。

 

 ……消えた? 路地に入ったのか? いや、あの辺は人が入れるような路地はなかったはず。

 

 不意に消えた民警と思われる人物に疑念を抱いていると、凄まじい衝撃が彼の双肩を襲った。

 

「ぐぉう!?」

 

 自分でもわけが分からない悲鳴が出たもんだと思いながらも、衝撃を与えたであろう延珠を肩越しに睨む蓮太郎であるものの、延珠は逆にそれを睨みながら高らかに告げた。

 

「早くしろ蓮太郎!! 妾が遅れたらどうするつもりだ!!」

 

「わーったよ!! ええい、もう気にしてられるか!!」

 

 延珠に急かされ、蓮太郎は自転車のペダルを全力で漕いだ。

 

 

 

 

 

 

「おはようございまーす」

 

 いつもの様に事務所の扉を開けると、かぎなれたタバコの臭いが鼻腔を貫いた。凛はそタバコの臭いの元である社長の方を見ると、案の定、高級そうな椅子に座った零子がタバコをふかしていた。

 

「ん、おはよう凛くん。二人は勉強に行ったのか?」

 

「はい。ギリギリだーっていいながら焦った様子で飛び出していきましたよ」

 

「ハハッ。まぁそれも学生ならではの楽しみと言うやつだな」

 

「本人たちはそうでもなかったみたいでしたけどね」

 

 笑みを浮かべながら言う零子に対し、凛もまた笑みを浮かべると、自分のデスクに冥光を置くと奥の給湯室へ行き手馴れた様子でコーヒーを入れ始めた。

 

「社長ー。そろそろコーヒー買っといたほうがいいみたいです」

 

「わかった、買っておくよ」

 

 新しいタバコに火をつけながら答える零子はヒラヒラと手を振り、それに応答した。

 

 コーヒーを自分の分と零子のぶんを入れ終えた凛はカップを持ち零子に手渡した。

 

「ん、いつもすまないな」

 

 手渡されたコーヒーを早速飲むと、零子は大きく息を吐きながら背もたれにもたれかかる。

 

「うん。やはり、凛くんの入れたコーヒーは格別だな」

 

「いえ、そんなことは」

 

「謙遜するな。素直に褒めているんだ、おとなしく受け止めておけ」

 

 もう一口コーヒーを飲みながら零子は凛を褒める。凛はそれに頭を下げると、カップを片手に自らのデスクへ戻った。

 

「そういえば、冥光を持ってきたんだな。一体どういう風の吹き回しだ?」

 

「なんていうか試しでそろそろ持って行くようにしたほうがいいかなって思ったんですよ。……それに、勘なんですけど最近ガストレアが妙に強くなっている気がしてきて」

 

 凛の『ガストレアが強くなっている』と言う言葉に、昨日の菫との会話を思い出す零子は呟いた。

 

「……序列666位の彼が言うということはあながち間違っていないのか」

 

「社長?」

 

 呟きが聞こえたわけではないのだろうが、いきなり真剣な面持ちにななった零子を不信に思ったのか、凛が首をかしげる。

 

「あぁいいや、なんでもない。さて、今日は特にガストレア討伐の依頼はない。凛くんはいつもの通り書類整理を頼む」

 

「分かりました」

 

 零子の指示に頷くと、凛は棚に入っている資料をいくつか取り出し整理を開始した。

 

 

 

 

 

 

 仕事を開始してから数時間後、突如事務所の電話が鳴った。

 

 休憩中だった零子が気だるそうにそれを取った。

 

「はい。黒崎民間警備会社社長、黒崎零子です。ご依頼でしょうか?」

 

 気だるげに受話器を取り、なおかつ足を机に乗っけている人物と同じ声とは思えない声が出た。

 

 普通であればここで多くの人物は「猫かぶり早!!」と突っ込みを入れたくなるところだろうが、凛は聞きなれているのか、特に気にした様子もなく空になったコーヒーを再度入れようとケトルを手に取る。

 

 自分の分のコーヒーを入れ終わり、零子の分を入れようと彼女のカップに注ごうとするが、彼女はそれを受話器を持っていないほうの手でそれを制した。

 

「……分かりました、では今から向かいます」

 

 電話の相手に告げた零子は受話器を置き、凛に告げた。

 

「凛くん、防衛省から要請が入った。今から庁舎へ行くぞ」

 

「防衛省? なんでまたそんなところから?」

 

「詳しくは向こうで説明するとさ。とりあえず今は行こう」

 

 零子は言うと、事務所の入り口へと向かい、扉に手をかけたまま彼に告げた。

 

「ちょっと着替えてくるから先に降りてて」

 

 零子はそれだけ告げると、自分の住まいである三階へ上がっていった。凛は先ほどの防衛省からの要請と言うことが頭に引っかかっていたものの、デスクに立てかけてある冥光を手に取り、事務所をから出ると、一階へ降りた。

 

 凛が外で待っていると、シャッターで閉ざされた一階のシャッターが開き、中から黒塗りのイタリア車、ランボルギーニ・アヴェンタドールに乗った零子が現れた。

 

「ゴメンね凛くん。少し待たせちゃったかな?」

 

「いえ、そこまで待ってないです」

 

「そう。じゃあ早く乗って、電話の内容は走りながら話すから」

 

 それに頷き、凛は車に乗り込む。それを確認すると同時に、零子はアクセルを踏み込み車を走らせる。

 

 ふと凛は車内に漂う甘い香りに気がついた。

 

「社長? もしかして香水つけてきたんですか?」

 

「ええ。外に出るときにタバコの臭いをさせるのは嫌だからね。スーツも変えてきたわ」

 

 そうは言うものの、先ほどのスーツから何が変わったのか全く分からない凛であったが、彼は続けて彼女に問うた。

 

「ところでさっきの電話の内容って結局なんだったんですか?」

 

「まぁそこまでたいしたことじゃないわ。簡単に言っちゃえばそのまんまよ。防衛省のお偉いさんから至急来るようにって言われただけ」

 

「けど、防衛省がうちに連絡してくるなんて普通はないですよね?」

 

「普通はね。けど……見なさい」

 

 零子が顎で前方を指すので、凛もそちらを見やると、凛達が向かう方向と同じ方向に黒い高級車が何台も走っていた。

 

 凛はそれを見て、顎に手を当てて考えるものの、零子が説明を開始した。

 

「恐らく呼び出されたのはうちだけじゃない。東京エリアの殆どの民警が呼び出されているわね」

 

「でも、どうしてそんなこと?」

 

「さぁね、それは行ってみてからのお楽しみってやつかしら」

 

 零子は小さく笑うと、ギアを変速させ、自身が駆る猛牛を更に早く走らせた。




次は影胤さんやら木更さんやらが出ます。
展開が少々早めですが、次はそこまで進まないと思われます。

本編補足としては、凛くんの実家に通う子供たちは、外周区から通う子供たちもいれば、凛くんの実家で暮らしている子達で半々くらいと言ったところです。

感想などあればよろしくお願いします。


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第四話

 庁舎へと到着した零子と凛は受付へ行き、それぞれ名と用件を告げた。すると、受付の職員が立ち上がり、「どうぞこちらへ」と言い、二人に後に続くように促した。

 

 二人もそれに頷くと、無言のまま職員に続く。

 

 やがて二人は第一会議室と書かれた部屋の前まで案内された。職員は軽く腰を折ると背筋を伸ばしたまま自身の持ち場へ戻っていった。

 

「さて……何があることやら」

 

 嘆息気味に零子が告げ扉に手をかけようと手を伸ばすが、後ろにいた凛がそれを制した。

 

「ここは男の僕が開けますよ」

 

「あら、ありがとう。じゃあお願いね」

 

 凛は頷くと扉を開けた。

 

 扉を開けると、そこには小さめな扉からは想像がつかない広さの空間が広がっていた。中央には楕円形の巨大な卓があり、奥の壁にはこれまた巨大なELパネルが埋め込まれていた。

 

 そして、それと同時に目に付くのは中にいる人間だった。

 

「やっぱりね……」

 

 零子が中にいる人物を一瞥しながら呟くが、その声には最初から分かりきっていたという風な雰囲気があった。

 

 中にいたのは皆、高級そうなスーツに身を包んだ民警の社長格の人間が卓についており、その後ろにはバラニウム製の武器などを担いだ恐らくプロモーターと思われる連中がいた。中にはイニシエーターの少女達も見受けられる。

 

 二人が中に足を踏み入れると、ザワザワと話していた社長格の連中とプロモーター達が皆口をつぐんだ。

 

 しかし、二人はそれを気にした風もなく室内を進む、すると、ヒソヒソと二人を見ながらであろう話し声が聞こえた。

 

「……なぁおい、あの白頭って……」

 

「ああ。IP序列666位の断風だ」

 

「マジかよ。あんな優男が俺らより上ってことか?」

 

「そうだな、少なくともオメェよりはつえーだろうよ」

 

 粗野な言葉遣いからしてプロモーターであることは明確であるが、凛は表情一つ変えない。また、注目されているのは零子も同じなようで、

 

「ほう……アレが黒崎零子社長ですかな」

 

「えぇ、明確な年齢はわかりませんが、二組の民警を持っており、そのどちらも千番越えだそうです」

 

「それも凄まじいですが……随分とお美しい方だ」

 

「うむ、眼帯が残念であるがそれでもあの美貌は素晴らしい」

 

 零子の方も他の社長達の注目にさらされていたが、零子は凛にしか聞こえない声で小さく呟いた。

 

「……まったく、人の身体をじろじろと。少しはデリカシーと言うものがないのかしら」

 

「……しょうがないですよ。実際零子さんかなり綺麗ですし」

 

「……君みたいな若い子に言われるのは嬉しいけれど、あんなオヤジ共に言われてもねぇ……」

 

 肩を竦め小さく笑みを漏らす零子だが顔は本当に呆れ顔だ。

 

 二人は周囲の注目に晒されながらも自らの席にたどり着くと、零子はそこに腰を下ろす。席としては後ろの方であるが、それは仕方ないといえるだろう。

 

 確かに零子は二組の民警を持ち、なおかつ、その二人は千番越えだ。しかし、従業員の数などを比べれば大手にはまだ適わない事も多い。

 

 恐らくこの席は業界大手順の席と言う感じなのだろう。

 

 零子は凛に見えるように指で自分の顔の横に耳を持ってくるように促すと、凛もそれを理解し彼女の顔の横に自身の顔を近づけた。

 

「私はいいから、凛くんはもっと下がっていいわよ」

 

「わかりました。何かあったらまた呼んでください」

 

 凛は軽く一礼をすると、そのまま壁際にまで下がり壁に背を預けた。

 

 すると凛がいなくなったのを見計らったように、周りにいた民警の社長達が零子に声をかけ始めた。零子はそれを仕事用の顔で軽やかに受け答えを始める。

 

 それに肩を竦めつつも、凛は周りのプロモーター達に視線を向けた。

 

 ……確かに零子さんの行ったとおり、東京エリアの殆どの民警が集まってるのは確かだけど。でもどうしてこんなことを? 防衛省が頼み込んでくるとなると東京エリアそのものの危機ってことかな……でもそうなると防衛省の一任だけでは決められないはず……となると関係してくるのは――――。

 

「――聖天子様ってとこかな」

 

 現在この状況で考えられることを頭の中にある情報で絞り込んでみた結果を呟く凛だが、その声は呟きと言うよりも寧ろ声に出さず、口だけ動かしたようなものだった。

 

 すると、先ほどまでざわついていた室内が先ほど零子と凛が入ってきたときと同じように静かになった。それだけでまた誰かが入ってきたのだということがわかるため、凛はそちらに方目だけ視線を向ける。

 

 その瞬間、凛は入ってきた人物達を見て目を見開いた。

 

 一人は高校生くらいの少年であり室内に広がる光景に驚いているのか若干口が半開きになっていた。その少年は凛が今朝会社に行く途中ですれ違った少年だ。名は確か蓮太郎と言っただろうか。

 

 けれど、凛が驚いたのは蓮太郎ではなくその隣にいる少女の方だった。少女もまた隣の少年と同じく、高校生くらいだが、その制服は御嬢様学校として有名な美和女学院のものであり、彼女自身かなりの美少女である。

 

 だが凛が驚いたのは彼女の美貌ではなく、彼女自身だった。

 

 ……まさか。

 

 心の中で呟いた時には既に凛は一歩を踏み出そうとしていた。しかし、別の方向から飛んできた粗暴な声に凛は一瞬動きを止める。

 

「おいおい、最近の民警の質はどうなってんだぁ? ガキまで民警ごっこかよ。社会化見学なら回れ右してさっさと帰れや」

 

 苛立ち混じりの声に凛がそちらに目線を送ると、髪をワックスで逆立て口元には髑髏の模様が描かれたバンダナを口元に巻いた青年が蓮太郎達に近寄っていた。彼の手には大きく無骨な巨大な剣、恐らくバスターソードと思われるものが握られていた。

 

 彼はそのまま二人の下までにじり寄ると、少女の方を見やる。それに反応した蓮太郎が視線を遮るように少女と青年の間に割って入った。それが気に入らなかったのか、青年は蓮太郎となにやら言葉をぶつけ合っているようである。

 

 それを見た凛は軽く溜息をつきながらも三人の下へ早足で向かった。それを流し目で見ていた零子がヤレヤレと言った様子で首を振っているのが見えたものの、凛はそれに振り向かず歩を進める。

 

 しかし、三人に手がかかるところ数メートルのところで、青年のほうが蓮太郎に対し、頭を振りかぶり頭突きを食らわそうとしているのが見えたため、凛は苦い顔をする。

 

 それとほぼ同時に凛の姿がその場から消え、青年の頭突きを片手で受け止めた。

 

 瞬間、周りにいた民警全員が息を呑む音や、どよめくのが聞こえた。

 

 突然の第三者の乱入に蓮太郎はまだ状況が飲み込めていないようだが、青年のほうは舌打ちをすると、乱暴に頭を掴んでいた手を振り払い、目の前に立つ凛を野獣のようなまなざしでにらみつけた。

 

「白頭ぁ……!!」

 

 凛の髪の毛のことを言っているのだろうが、凛はそれを無視し青年に言い放った。

 

「止めておきなよ、僕たちは今日ここに争い事を起こすために来た訳じゃないだろう?」

 

「うっせぇ!! テメェなめてっとそっ首刎ねるぞゴラァ!!」

 

 バスターソードを持つ手に力をこめる青年だが、凛のほうは冥光を構えず大きく溜息をつく。

 

「やめんか将監!! 彼の言うとおり私たちは今日ここに戦いに来たわけではないんだぞ!!」

 

 卓についていた一人の男性が声を少し荒げ、将監と呼ばれた青年の行動を止めた。恐らく彼の所属する会社の社長なのであろう。

 

「そりゃあねぇだろ三ヶ島さん! コイツが舐めたこと言いやがるから――」

 

「黙っていろ。自分の序列と目の前にいる彼の序列を考えてみろ! お前が勝てるわけがないだろう。ましてや、こんなところで流血沙汰でも起こされては我々とてハイスイマセンでしたというわけではないんだぞ!!」

 

 上司の恫喝と、自分の序列と凛の序列を脳内で比べたのか、将監は「ケッ」と言うと凛と蓮太郎を睨み、壁際まで行くと腕を組みながら壁にもたれかかった。

 

 卓の方では三ヶ島が回りに礼をすると同時に、零子に対しても深々と頭を下げた。

 

「申し訳ない黒崎社長。どうか今のことは穏便に」

 

「頭を上げてくださいな三ヶ島社長。今回は互いに両成敗と言うことにいたしましょう。勝手に割って入ったうちの子も悪いですし」

 

 零子もまた立ち上がると、三ヶ島に対し軽めに頭を下げた。

 

 その様子を見ていた凛だが、彼はすぐに振り向くと後ろにいた蓮太郎達に声をかけた。

 

「大丈夫かい? えっと、蓮太郎くん?」

 

「あ、あぁ大丈夫だ。でも、なんで俺の名前を?」

 

「あれ? 覚えてないかな。ホラ朝横断歩道ですれ違ったでしょ。君は確か……延珠ちゃんって子を学校に送ってあげるところだったのかな?」

 

 凛が朝の状況を説明すると蓮太郎も思い出したのか、頷いた。それを確認した凛は蓮太郎の後ろにいる少女の方にも声をかけた。

 

「……久しぶりだね木更ちゃん」

 

 その言葉に蓮太郎は思わず目を見開いてしまった。

 

 すると、木更と呼ばれた少女は凛に対し一礼をしながら笑顔で言った。

 

「ええ。お久しぶりです、凛兄様」

 

「にい……さま……? え? ちょ、ちょっと待ってくれ木更さん! この人と知り合いのなのか!?」

 

 蓮太郎は木更からもらされた思いもよらない言葉に目を白黒させながら彼女に聞くと、木更は落ち着いた様子で返した。

 

「知り合い……と言うよりは最早兄と妹って言った感じが正しいかもしれないわ。この人の名前は断風凛。里見くんも一度は聞いたことがあるでしょう? 天童と肩を並べるほどの剣術、断風流を」

 

「断風……そういえば一回ジジイがぼやいていた気がするな。でもそれがどうして木更さんと兄妹関係になるんだ?」

 

「僕のおじいちゃんと、天童の菊之丞さんは旧知の仲でね。小さい頃は一緒に遊んだりしてたから自然とって感じかな」

 

 蓮太郎の疑問に対し、凛が言うと、蓮太郎は納得が言ったのか数度頷いた。するとその様子を見ていた零子がこちらにやって来た。

 

「ほら、思い出話もいいけれどそろそろ席に着いた方がいいわよ。天童木更社長」

 

 零子が促すと、木更は頷きそのまま自分が指定された席へと向かい、零子もまた自らの席へと戻っていった。

 

「それじゃあ僕達も適当な場所にいようか?」

 

「はい」

 

 凛が言うと、蓮太郎もまた頷き二人は互いに壁際まで下がった。壁にもたれかかった二人だが、特に互いが話すことはないのか黙ったままだ。

 

 しかし、その空気に耐えられなくなったのか、蓮太郎が凛に問うた。

 

「えっと……凛さんの序列って何位なんだ?」

 

「知りたい?」

 

「一応は……さっきの将監ってやつの社長がお前が勝てる相手ではないって言ってたんでどれ位なのかなって思って」

 

 蓮太郎の素朴な問いに凛は頷くと、彼に対して説明を始めた。

 

「さっきの彼、将監って呼ばれてたからおそらくは伊熊将監だろうね。彼の序列は1584位、数いる民警の中でもかなりのやり手だね」

 

「千番以上か……ん? となるとそれ高い序列ってことは凛さんの序列って千よりも上ってことか?」

 

「うん。人のを言った後に自分のを言うって言うのは少し気が引けるけど……。僕の序列は666位だよ」

 

「ろっ!?」

 

 蓮太郎は凛が言った言葉に対し絶句した。千番台でも何万もいる民警の中では高位序列といわれているのに、凛の序列はそれを更に超えているのだ。驚くのも無理はない。

 

「666位って……マジか?」

 

「流石に嘘はつかないよ。でも、あんましいい物でもないよ? こういう場所に来れば変な風に注目されるしね。それで、蓮太郎君はどのあたりなんだい?」

 

「俺は……。えっと、端数の方は覚えてないですけど、確か十二万ちょい辺りだったかな」

 

 若干うなだれた様子で言う蓮太郎だが、凛は彼の肩を軽めに叩くと、軽めに告げた。

 

「そんなに気にする必要はないと思うけどね。蓮太郎君がもっと戦果を残せばあっという間だよ。僕ぐらいならすぐに追い越せるんじゃないかな」

 

「そういうもんか」

 

 頭をガリガリとかきながら溜息をつくに笑いかけながら凛は先ほどから感じる視線の主を見つめた。

 

 凛の視線の先には一人の少女がいた、隣には先ほどの伊熊将監が眉間に皺を寄せながら目を閉じていることから、彼のイニシエーターであることがわかった。

 

 先ほどの凛と将監の争いが気に喰わないわけではなさそうで、送られる視線は何かを欲しているような、何かを求めているような視線だった。

 

 凛はその視線に覚えがあった。摩那も時折、今視線を送っている少女と同じような視線を送っている時があり、それは大概お腹が減っているときであったり、夕食や昼食前であったりすることが多いのだ。

 

『もしかしてお腹減ってる?』

 

 その様子を見た凛がジェスチャーでそれを聞くと、少女はそれを理解したのか、コクリと頷いた。

 

 それに苦笑しながら凛が何かないかとポケットをまさぐっていると、巨大なELパネルの前に中年の男性が現れた。

 

 男性の登場とほぼ同時に席に着いていた皆が一斉に立ち上がろうとするものの、男性はそれを首を振って制する。

 

「本日は集まってくれたことは簡単だ。我々政府から諸君等民警に依頼があって集まってもらった。空席が一つあるようだがまぁいいだろう」

 

 男性は皆の顔を一通り見回すと、小さく咳払いをし皆に告げた。

 

「依頼を話す前に諸君等に一度言っておこう。今回の依頼を受ける受けないは君達の自由だ。腕に自信がないものは速やかに退室してくれたまえ」

 

 その言葉に一瞬皆の顔が曇ったような感じがしたが、誰も退室することはなくみな男性を見据えていた。

 

「……なるほど、辞退者はいないようだな。では依頼の説明はこの方が行うので心して聞くように」

 

 そう最後に告げると、男性はそのまま捌けていった。同時にELパネルの電源がつけられ、そこに二人の人物が映し出された。

 

「ごきげんよう、皆さん」

 

 映し出された人物にその場にいたほぼ全員が現れた人物に驚きを露にし、その場に立ち上がった。

 

 それもそのはず、パネルに映し出されたのはガストレアとの戦争で敗北した日本、東京エリアの現統治者。真っ白な衣装に、輝く銀髪が特徴の少女――聖天子だったのだ。

 

 彼女の登場に皆驚きを隠せないでいたが、その中で二人、驚かずに微笑を浮かべているものがいた。

 

「……やっぱりこういう事だったんだね。聖天子様」

 

「……予想通り、って感じかしら」

 

 その二人と言うのは、凛と零子だった。




影胤さんを出そうかと思いましたがそこまでやるとやたら長くなるので次回へ持ち越しと言う感じになりました。
予告ミス申し訳ありません。

木更さんと凛の細かい関係は追々明かして行きたいと思います。後は聖天子との関係や菊之丞とかの関係もですねw

感想などありましたらよろしくお願いします。


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第五話

 聖天子が姿を現し、皆が泡を食ったように立ち上がる中。

 

 蓮太郎は隣にいる凛が微笑を浮かべていることに疑問を思った。彼は首をかしげ、凛を見てみるものの、ふとパネルの中のもう一人の人物が凛と視線を交差させていることにも気がついた。

 

 それは聖天子の斜め後ろで不動明王のように動くことがない屈強な身体をした老人、木更の祖父である天童菊之丞であった。

 

 凛との視線の交差は一瞬のもので菊之丞はすぐに目を閉じ巌の様に動くことはなかったが、二人の間には何かしらの意思の疎通があったのではないかと蓮太郎は感じた。

 

 ……そういえば木更さんは。

 

 只でさえ菊之丞との因縁がある蓮太郎であるが、それ以上に天童そのものに憎しみを抱いている木更が菊之丞を見て黙っているわけではないと思い、蓮太郎は木更の方に目を向けた。

 

 しかし、木更は菊之丞を睨んでいたものの、そこまで激しいものは感じられなかった。それに胸を撫で下ろす蓮太郎は、もう一度パネルの方へ視線を戻した。

 

 それとほぼ同時に、聖天子は室内の皆に凛とした声で告げた。

 

『皆さん楽にしてくれて構いませんよ』

 

 その声は皆聞いたはずであるが、誰一人座るものはいなかった。只一人、零子だけは聖天子が映し出された時から変わらずに椅子に腰掛け妖艶な笑みを浮かべている。

 

『今回の依頼ですが、依頼事態は単純明快です。昨日東京エリアに侵入し一人の男性をガストレアにした感染源ガストレアが現在も逃亡している最中なのです。民警の方々にはこの感染源ガストレアの排除と、もう一つ、このガストレアが保持していると思われるあるケースを無傷で奪還して欲しいのです』

 

 聖天子が言うと同時に、パネルの一角にジュラルミンケースが映し出され、その横に依頼の報酬金額が表示されていたが、その報酬は只のガストレアを駆除するにしてはありえないほど高額だった。

 

 すると、木更が聖天子に張りのある声で問いを投げかけた。

 

「ケースの中身がなんであるか教えてもらってもよろしいでしょうか?」

 

『おや、あなたは』

 

「天童木更と申します」

 

 木更は軽く一礼をするともう一度聖天子を見据える。聖天子も「天童」と言う名に一瞬驚いたような素振りを見せたが、すぐにそれを振り払うと木更の問いに答える。

 

『……貴女の御噂はかねがね聞いております……ですが天童社長それは依頼人のプライバシーを侵害してしまいますのでお答えすることは出来ません』

 

「納得がいきませんね。感染者が感染源と同じ遺伝子を受け継ぐということは、恐らくそれはモデル・スパイダーのガストレアで相違ないでしょう。それぐらいであればうちの民警でも普通に対処できます。……恐らくですが」

 

 ちらりと蓮太郎を見つつ、最後のほうは尻すぼみになった木更だが、蓮太郎のほうは頬をヒクつかせていた。

 

 それに気付いた凛は蓮太郎の隣で小さく笑みを零していたが、すぐに彼の眉間に皺がよった。

 

 ……微かだけど、血と硝煙の匂いがする。

 

 それぞれ独特の鉄のような臭いと、硫化化合物のような鼻を刺すような微かな香りを凛は見逃すことはなく、椅子に座る零子に合図を送った。

 

 零子はそれに頷くと、いまだ意見をぶつけ合っている二人の間に割って入るように声を上げた。

 

「御二方、一旦そのお話はやめにしましょう。どうやら侵入者がいるようですわ」

 

 瞬間、零子はホルスターから黒塗りのデザートイーグルを抜き放ち、空席の椅子に銃口を向け躊躇もなく引き金をひいた。

 

 その場にいた皆が腰を抜かしそうになったが、その空席に銃弾が当たる瞬間、銃弾は甲高い音を上げて明後日の方向へ跳んでいった。

 

 同時に先ほどまで空席だった椅子にシルクハットを被り、ニタリと笑っているような仮面をつけ、趣味がいいとは言えない赤黒い燕尾服を着込んだ人物がいた。

 

「ヒヒヒ……いやはや、ばれていないと思っていたが存外そうでもないようだねぇ。随分と勘の鋭いものがいるようだ」

 

 燕尾服の男はシルクハットを抑えながら気味の悪い笑い声を漏らすと、勢いよく跳ね上がり卓の上に立った。

 

『何者ですか』

 

「おっとこれは失礼、国家元首殿」

 

 男は聖天子に真正面から相対しながら彼女に対し深々と頭を下げた。

 

「私の名は蛭子、蛭子影胤という。お初にお目にかかるね、お会いできて光栄だよ無能な国家元首殿。まぁ簡単に言ってしまうと私は君達の敵といっていいかな」

 

 影胤は聖天子に対し中傷する様に告げる。

 

 それとほぼ同時に凛の隣にいた蓮太郎がXD拳銃を構え、銃口を影胤に向けた。

 

「お前……ッ!!」

 

「やぁやぁ、またあったね里見くん。元気そうで何よりだ」

 

「どっからもぐりこみやがった!!?」

 

「簡単だよ、正面から堂々と入ってきただけさ。ただ……小うるさい羽虫がいたから殺してしまったがね。おぉそうだ! いいタイミングなので私のイニシエーターを紹介しようじゃないか。小比奈、おいで」

 

 影胤が軽く手招きをすると、蓮太郎の後ろから短めのウェーブがかった黒髪の少女が小走りにやって来た。蓮太郎はそれにギョッとする。それもそのはず、彼女の気配など先ほどから全く感じられなかったのだ。蓮太郎かすれば驚くのは当然である。

 

 凛は驚く蓮太郎の隣で小比奈と呼ばれた少女をじっと見ており、彼女の腰に差された日本の小太刀に目を向ける。

 

「……なるほど、血の匂いはあの子ってことか」

 

 彼女の腰から下がっている小太刀からは血が滴っており、恐らく人を殺してきたのだと連想させた。

 

 小比奈は卓の上に難儀しながら登り、影胤の隣まで行くとスカートをつまみ上げ軽くお辞儀をした。

 

 凛はその二人から目を離さずに蓮太郎に軽く耳打ちをした。

 

「……蓮太郎くん。木更ちゃんの近くに控えておいた方がいいよ」

 

 蓮太郎もまたそれに静かに頷くと、木更の隣に控える。

 

 凛はそれを確認すると、いたって普通の動きで零子の元までいく。

 

「……いきなり撃たないでくださいよ」

 

「あらいいじゃない。ネズミが出てきたんだから」

 

 くつくつと笑う零子は笑みを絶やさずに影胤と小比奈を見据える。

 

 すると、影胤は蓮太郎へ向けていた視線をグルンと勢いよく変え、凛と零子を仮面の下にある双眸で見る。

 

「そう言えばよく私があそこにいるとわかったじゃないか。黒崎社長」

 

「優秀な社員が知らせてくれてね。貴方の娘から匂う血の香りと貴方自身から匂う硝煙の香りがきつかったそうよ」

 

「ほう……。しかし、それだけじゃないんだろう?」

 

 影胤は首を傾げながら凛を見ると、凛はそれに小さく笑い静かに頷いた。

 

「もちろん、血や硝煙の匂いもそうでしたけど……貴方から出る異常なまでの殺気がガンガン伝わってきてましたから」

 

「なるほどねぇ……君も彼と同じで見込みがありそうだ。名を聞いても言いかね?」

 

「いいですよ。僕の名前は断風凛です。以後お見知りおきを蛭子影胤さん」

 

 不気味な仮面の男に一歩も臆することはなく、笑みを絶やさずに言う凛に周りの社長たちは背筋に悪寒が走るのを感じた。

 

 しかし、影胤だけは嬉しそうに頷いていた。

 

「断風凛くんか。近いうちに君とじっくり話が出来ればいいね。……さて、話が脱線してしまったが今日は君たちとやり合う為にここに来たわけじゃない。今日はただの挨拶だよ」

 

「挨拶……?」

 

「そう。私達もこのレースに参加しようと思ってね。この、『七星の遺産』をめぐるレースにね」

 

 『七星の遺産』という聞きなれぬ言葉に皆が顔をしかめる中、零子がそれを解説した。

 

「七星の遺産……悪しき者が使えばモノリスを破壊し、大絶滅を引き起こす政府の封印指定物」

 

「おや? 君は知っているのかい? 随分と物知りじゃないか黒崎社長」

 

「ちょっとした伝手でね。……まぁどうせそんなものだと思っていたけれど」

 

 肩を竦める零子だが、そこで一人の男が影胤に怒号を投げかけた。

 

「グダグダグダグダ、うるせぇ野郎だな。ようはテメェがここで死ねば万事解決だろ?」

 

 声の主は髑髏のフェイススカーフを巻いた伊熊将監だった。

 

 彼はバスターソードを握り、影胤の懐へ一気にもぐりこもうと態勢を低くした。

 

 しかし、そんな彼の腕を凛が掴みあげた。

 

「落ち着きなって。直感で言うけれどこのまま切りかかっても確実に返り討ちにあうだけだよ。将監くん」

 

「テメェ……。どういうつもりだ? あの野郎を守ろうってのか!?」

 

「だから言っているだろう? 君があの人に切りかかっても倒されるのがオチだって言ってるんだよ」

 

「おもしれぇ……あの野郎やる前にまずはテメェから――!」

 

 将監が激昂し凛の腕を乱暴に振り払うと、今度は凛の胸倉を掴みあげようとした。

 

 しかし、凛はそれを軽やかに避けると、伸ばされた彼の腕を逆に掴み、一本背負いの要領で彼を床に叩き伏せた。

 

 鈍い音が響き投げられた将監が呻くが、凛は気に留めずに影胤の方を見据える。

 

「おやおや、随分と仲が悪いようだ。これでは私の圧勝になってしまうかもしれないね」

 

 影胤はそういうと卓から降り、窓の方まで歩く。

 

「では今日はこれで失礼しよう。……あぁっと忘れるところだった」

 

 ポンと手を叩いた影胤は一瞬で蓮太郎の元まで行くと、彼の手に白い布をかぶせ、手品のようにリボンで縛られた箱を彼の手の上に置いた。

 

「これは君へのプレゼントだ。……では、諸君。また会おう!」

 

 影胤はそのままごく自然な動きで窓の外へと飛び出した。小比奈もまた彼に続き室内から消える。

 

 室内には異様な静けさが残るが、そこで聖天子が口を開いた。

 

『皆さん、先ほどの依頼を変更します。ケースの奪還もそうですが、まず、あの男よりも先にケースを保護してください。さもなければ、先ほど黒崎社長が言った通り、東京エリアを滅ぼす大絶滅が起こってしまいます』

 

 聖天子の言葉に、会場内の民警たちは皆一様に頷いた。

 

 

 

 

 

 

 その後、多くの民警達が帰るなか、零子と凛は防衛省の職員に呼び止められ別室へと案内された。

 

「悪いね木更ちゃん。また今度ね」

 

「はい。凛兄様も色々お気をつけて」

 

 木更は一礼をすると、踵を返し正面玄関へと向かった。それについていく蓮太郎だが、凛が彼を呼び止めた。

 

「蓮太郎くん」

 

「なんだよ?」

 

「木更ちゃんのこと、守ってあげてね。あと……君自身も気をつけなよ」

 

「……ウス」

 

 蓮太郎は神妙な面持ちのまま頷くと、木更の後を追った。

 

 その二人を見送った零子と凛は案内された部屋へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 庁舎から出た蓮太郎と木更は駅まで肩を並べながら歩いていた。すると、蓮太郎が木更に問うた。

 

「なぁ木更さん。凛さんの強さってどれ位なんだ?」

 

「そうね、簡単に言っちゃえば……病気がない私以上って言ったところかしら」

 

「……マジで?」

 

「ええ。あの人の強さははっきり言って人間じゃないわね。あの人も危険視するぐらいだから」

 

 木更が言うあの人と言うのは恐らく菊之丞のことだろう。蓮太郎はただただ驚くことしか出来なかったが、木更は僅かに笑みを零していた。

 

「ところでさ……凛さんは木更さんが天童を抜けたこと知ってるのか?」

 

「知ってるわ。凛兄様は私が天童を抜けるといっても反対もせずに只話を聞いてくれた人。そして、私が信頼している人物でもあるからね。里見君、貴方と同じようにね」

 

 木更は蓮太郎に笑みを見せ、蓮太郎よりも先を進んだ。

 

 蓮太郎は信頼しているといわれたことが嬉しいのか、僅かに頬を緩ませていた。

 

 

 

 

 

 

 庁舎の一室に通された零子と凛は室内に入った。

 

 そこは先ほどまで広い部屋ではなく、なにやら会社の社長室を思わせる部屋だった。豪華な机の上にはノートパソコンが置かれており、零子はその意図を理解したのか、椅子に座り、ノートパソコンを開いた。

 

 同時に、パソコンの電源が入り、そこにある少女が映し出された。

 

「呼び出して何の用かしら? 聖天子様」

 

 零子が言うと、画面の中の少女、聖天子は大きく溜息をついた。

 

『その理由はわかっているんじゃないですか? 零子さん』

 

「まぁ言いたいことは分かるわ。七星の遺産のことでしょう?」

 

 零子が言うと、聖天子は静かに頷いた。そして、もう一度溜息をつくと零子を嗜めるように告げる。

 

『まったく……いくら貴女でも言っていいことと悪いことがあります』

 

「そんなこといったってしょうがないじゃない。……それに、私が言わなくたって結局言うハメにはなったと思うわよ?」

 

『そうですが……まぁいいです。確かに、いずれはばれてしまうことですから』

 

 ヤレヤレと言った様子で首を振った聖天子は、今度は零子の隣で苦笑いを浮かべていた凛に視線を向けた。

 

『貴方もですよ凛さん』

 

「うっ……。いやぁでもあそこは止めておかないと、伊熊君が怪我をしていたかもしれませんし」

 

『それでもです。というか、目立ちすぎですよ。貴方の秘密は本来知られてはいけないんですから、あまり目立った行為はしないようにお願いします』

 

 秘密と言う言葉に凛は一瞬神妙な顔になると、彼女に対し頭を下げた。

 

 聖天子もまたそれに頷くと、二人を真剣なまなざしで見据える。

 

『では、もう一度あなた方へお願いします。ケースのを無傷で、そして、あの蛭子影胤よりも早く奪還してください』

 

「了解」

 

「わかりました」

 

 二人がそれに返答したのを確認すると、聖天子は最後、もう一度二人に『お願いします』と告げると向こう側から電源を落とした。

 

「さて、引くに引けなくなったけど……覚悟はいいわね?」

 

「もちろん、東京をなくならせるわけには行きませんから」

 

 凛はそれに了承すると、零子もまたそれを確認し、二人は部屋から出て庁舎を後にした。

 

 庁舎の駐車場へ向かおうと、零子がそちらに歩を進めようとした時、凛が彼女に告げた。

 

「すいません零子さん。ちょっと夕飯の買出しがあるんで一人で帰ります」

 

「そう、わかったわ。気をつけてね」

 

 零子が言うと、凛は軽く一礼をし庁舎から出て行った。

 

「……じゃあ私は杏夏ちゃんを迎えにいこうかしら」

 

 車の鍵を手でいじりながら零子は車を取りに行った。

 

 

 

 

 

 

 その日の夜、凛は夕食を食べながら目の前で同じように夕食を食べている摩那に今日あったことを教えた。

 

「ふーん、じゃあその『七星のいさん』? をその悪い人より先に手に入れればいいの?」

 

「うん。過酷な任務になると思うけど……大丈夫?」

 

「まっかせて!! 凛のサポートをするのが私の役目だから! どんなヤツが相手だって負けないよ!!」

 

 摩那は拳を握り快活に言うと、凛に拳を向けた。

 

 凛もそれに小さく笑うと、摩那の拳に自らの拳を軽くぶつけた。

 

「よし、じゃあ悪い人たちを捕まえるために、ちゃんとピーマンも食べるように」

 

 摩那の皿の端に避けられたピーマンを指差しながら凛が言うと、摩那は頬を引きつらせた。

 

「えー!? むー……凛の鬼ー!!」

 

 文句を言う摩那だが、凛はそれに聞く耳を持たなかった。

 

 その後、残されたピーマンとにらめっこしながらも何とか食べ終えた摩那であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深夜。

 

 聖天子が住まう聖居の一室。聖天子の自室では、彼女が空に上がっている青白い輝きを放つ月を見つめながら小さく呟いた。

 

「……どうか、無理をなさらずに。凛さん……」




とりあえずは影胤さんのところはこんな感じで……w
斥力フィールドのところは近いうちにうまく出せればと思います。

感想などありましたらよろしくお願いします。


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第六話

 庁舎での出来事の数日後の昼ごろ、凛は蓮太郎が通っている勾田高校に顔を出していた。しかし、蓮太郎に会いにきたわけではなく、目的はこの学校の生徒の頂点、生徒会長に用があってきたのだ。

 

 実際は凛が用があったわけではなく、零子の所にこの学校の生徒会長であり、黒崎民間警備会社に武器の提供をしてくれている兵器会社、『司馬重工』の令嬢、司馬未織が話があるとのことで凛を呼び出したのだ。

 

 学校の方にも既に許可は取ってあるとのことで、特に誰にも咎められることなく校内へ入ることが出来た凛であるが、校内は昼休みであるため、特殊な髪の色や、腰から下がっている刀のせいなのかかなりの注目が集まっている。

 

「ねぇあの人めっちゃかっこよくない?」

 

「うん、背も高いしそれにあの髪の色凄いね。地毛なのかな?」

 

「いやいや、地毛ってことはないでしょ。多分染めてるんだよ」

 

「でも……あの腰から下がってる刀って?」

 

「民警なんじゃないの?」

 

 主に女子生徒からの声に晒されつつも、凛は真っ直ぐに生徒会室を目指す。

 

 やがて生徒会室に到着した凛は扉を軽くノックした。

 

「どうぞー」

 

 中から柔和な女性の声が聞こえ、凛は扉を開ける。

 

 室内に入った凛は声の主に嘆息しながらも投げかけた。

 

「まったく……出来れば放課後に呼び出して欲しいものなんだけどね。未織ちゃん」

 

「ええやないの。零子社長に聞いたら今日暇や言うてたし。凛さんも特に用事はなかったんやろ?」

 

 柔らかな関西弁で話すこの少女こそ、黒崎民間警備会社への武器提供者、司馬未織である。

 

「まぁそうなんだけどさ……」

 

 小さく溜息をつきながら未織の問いに頷いた凛に対し、未織は手でこちらに来るように促し、凛はそれに頷き未織の隣の椅子に腰掛ける。

 

「それで? お話って何かな、未織ちゃん」

 

「うん。凛さんの刀についてな……前々から渡しとったバラニウム刀弐式やと凛さんの力に耐えられないやんか。せやから色々開発してみてな、新しい型のバラニウム刀が出来たんで試してもらおう思うてな」

 

 未織はパソコンの画面にバラニウム刀を出しながら解説をはじめ、画像の横には『弐式』と表示されており、未織はその後更にパソコンを操作し、次の画像を表示した。

 

 画像自体に大きな変化はないものの、文字だけが変わり、今度は『参式』と表示されていた。

 

「参式は鋼を入れて強度を増してある分、結構重さが増しとってな。扱いにくいとは思うけど、頑丈さでは今迄で一番や」

 

「なるほど……。じゃあ今日はもしかして」

 

「うん。これから本社に行ってちょいと試してもらうために呼び出したんや」

 

「だったら別に放課後でもよかったんじゃ?」

 

「こっちも学生なんやで? 色々勉強せなあかんし、忙しいんやわ」

 

 扇子を広げながらパタパタと自分を仰ぐ未織に対し、凛は軽く溜息をつくと、静かに頷いた。

 

「わかったよ」

 

「うん、凛さんなら言うてくれると思ってたで。ほな、いこか」

 

 未織は立ち上がると同時に携帯を取り出し、どこかに連絡をとった。

 

 凛はそれにもう一度溜息をつきつつも、前を行く未織についていった。

 

 

 

 

 

 

 勾田高校の校門前には黒塗りのリムジンが止まっていた。

 

「うわーお……。さすがお嬢様」

 

「何言うとんの、リムジンなんて電話一本で呼べるんやで? まぁこれはウチのやけど」

 

 リムジンに乗り込みながら小さく笑みを浮かべる未織に肩を竦めつつも、凛も未織に続きリムジンへ乗り込んだ。

 

 バタンと運転手がドアを閉めると同時に、運転席と後部座席を一枚の板がスライドし、前に会話がもれないようになった。

 

 運転手も乗り込み、リムジンがゆっくり動き出すと、未織は凛に問うた。

 

「そういえば里見ちゃんと会ったらしいやんか凛さん」

 

「うん、ちょっとね。そういえば未織ちゃんは蓮太郎君にも武器を提供してるんだっけ」

 

「せやね。あの子は私のお気に入りやから」

 

 クスッと笑う未織は本当に蓮太郎のことを気に入っているようだった。すると、未織はすぐさま思い出したようにノートパソコンを取り出し、凛の隣に座りパソコンを軽く操作し始めた。

 

「凛さんの刀もそうやけど、摩那ちゃんのクローも新しいのが出来てるんよ」

 

 キーボードを叩き、先ほどと同じように画像を表示させると、そこには現在摩那が装備品として活用しているクローがあり、パラメータのようなものも表示された。

 

「新しいクローは全体的に軽量化しとるんよ。摩那ちゃんの力であるチーターのスピードを最大限に引き出すためにな」

 

「まぁ確かに摩那の持ち味だしね。あまり使わせたくはないんだけど」

 

「それでもあることに越したことはあらへんやろ? そんでな、他にも色々調整したんやけど……」

 

 未織はその後も本社に到着するまで武器の調整の話や、新たに入荷した武器などの解説をしていた。

 

 

 

 

 

 

 司馬重工本社に到着した未織と凛は二人である場所を目指す。

 

 やがて着いたのは司馬重工本社ビル、地下五階にあるVR特別訓練室と言うところだ。室内は真っ白であり、上から照らす証明の反射が痛いほどだった。

 

 同時に凛の頭に装着されたヘッドセットから女性の声が響いた。

 

『モーションリアリティ・プリズム・バトルシミュレータVer10.0起動。IDカード読み取り終了。またお会いできて光栄です凛』

 

「毎度ありがとう。今日もちょっとばかし付き合ってもらうよ」

 

『はい』

 

 合成音の女性の声は聞こえなくなるが、今度は変わりに目の前を電子データで出来ているであろう子ウサギがぴょんぴょんと跳ね回っている。

 

 ここは直径が凡そ一キロある広大なキューブ上の部屋であり、室内は全て特殊なゴム素材で出来ており、実弾はおろか爆薬まで使用可能と言う超高度な仮想戦闘訓練施設である。

 

『景色はどないする?』

 

 今度は未織の声が聞こえ、凛はそれに声音を変えずに返答する。

 

「なんでもいいよ」

 

『ほな、街中での戦闘を想定してみるか……。対ガストレア戦闘やけど、敵のステージとレベルはどないする?』

 

「ステージはⅣ。レベルは最大でよろしく」

 

『相変わらず人間離れしとるなぁ。場合によってはショック死するで?』

 

「大丈夫だよ。攻撃に当たらないうちに倒すから。ほら、さっさとはじめよう!」

 

 凛が言うと同時に、景色が一変し周囲が東京エリアの風景へと変わった。

 

 そして、目の前にはステージⅣの仮想ガストレアが凛に対し牙をむいていた。形状から元が何の動物なのかは最早判断が出来なくなっているものの、その巨大な口と強靭な足から、恐竜を思わせる風貌をしている。

 

『そんじゃまずは一体目。スタートや!!』

 

 未織の開始宣言と同時に凛は先ほど未織から手渡された黒膂石刀参式を構える。

 

 恐竜のようなガストレアは耳をつんざくような轟咆を上げると凛に向かって猛進した。凄まじい巨体か迫り、地面が揺れているが、これらは全て仮想なのだ。

 

 ……まったく、本当に本物と戦ってる気分だよ。

 

 内心で技術力の高さに感心しつつも、凛は凄まじい速さで接近するガストレアに冷たい視線を送ると大きく深呼吸をする。

 

 そして、恐竜型のガストレアの巨大な顎が凛に噛り付いた。

 

 と、思われた瞬間、既に凛は恐竜の真後ろにおり、刀を鞘に納めているところだった。

 

「……断風流壱ノ型、禍舞太刀(かまいたち)

 

 刀を鞘に三分の二まで納めた凛は最後にそう告げると、残った刀身を勢いよく納刀した。その瞬間、先ほどまで動いていたガストレアが頭から一気に裂けた。

 

 大量の血が辺りに撒き散らされるが、凛は小さく息を吐いた。

 

『お疲れさんやー。ほんで、刀のほうはどや?』

 

「大丈夫だと思うよ。特に刃毀れした様子もないし」

 

 言いながら鞘から刀を抜く凛だが、確かに刀には傷一つなく、以前のようにボロボロになっていない。

 

『ならよかったわー。じゃあこれで平気やな』

 

「そうだね。まぁ僕が本気を出さなければだけど」

 

『ヘっ!? ちょ、ちょい待ち! 今の本気やなかったん!?』

 

 凛の本気ではないという発言に、未織は驚愕の声を上げるが凛は首を傾げていた。

 

「アレ? 本気でやった方がよかった?」

 

『そ、そりゃあそうやけど……。えっとでも因みに聞いとくで? 今ので力何ぼくらい?』

 

「うーん……まぁざっとで十分の一くらいかな」

 

 あっけからんとした様子で言う凛に未織は一瞬気が遠のきかけた。何せステージⅣのガストレアが一撃で両断されたのだ。それを本気でも力の半分でもなく十分の一というありえない数字に危うく卒倒するところだった。

 

 ……い、今ので十分の一てアホか!?

 

 内心で目の前で訓練している凛に悪態をつきながらも、未織は口の中に溜まってしまった唾の塊を何とか嚥下するともう一度凛に問うた。

 

『もし……もしやで? 凛さんが本気でぶった切ったらその刀は……』

 

「間違いなく鍔の部分からぽっきり折れてるだろうね。最悪粉になってるかも」

 

『あぁもうえぇ……。聞きとうない。アレやな、用は間違いなく折れる言うことやろ?』

 

「まぁ……そうなるね」

 

 未織はその発言に頭を抱えるどころか呆れ果ててしまった。この男は何処までバケモノなのだと、もしかすると、ガストレアよりも恐ろしいのではないかと訓練室にいる凛を見て思ってしまうほどだった。

 

『まぁええわ。凛さんちょいと上がってきてくれるか?』

 

 未織は軽く溜息をつきながらも訓練場にいる凛をよんだ。凛もそれに頷くと訓練場を後にし、未折の元へとやって来た。

 

 未織は椅子に腰掛けながら、凛が持っていた冥光を指差した。

 

「前々から言おうとは思ってたんやけど、冥光を解析させてくれへん?」

 

「解析?」

 

「うん。さっき凛さんが使うた参式もかなり強度は上げてるって言ったやんか? けど、凛さんの本気には耐えられない言うことは……その冥光なら本気に耐えられる言うことでええんやろ? せやから、その冥光を解析すれば何かしらわかるんやないかと思うてな」

 

「なるほどね。別にいいけど、どれ位かかるかな?」

 

「大してかからへんて。ほんの5分くらいや」

 

 未織は掌を開き五本の指を全て立てた状態で笑いながら言う。

 

 凛はそれに頷くと、未織に冥光を手渡した。

 

 冥光を受け取った未織はすぐさま部屋の奥まで行くと、大きな機械の上に冥光を置いた。

 

 その機械はまるで病院にある全身をCTスキャンするようなものに見える。

 

「これでちょちょいとやればー……」

 

 手元の端末を操作すると、未織と凛の目の前に冥光のデータが表示されていく。

 

 はじめはそれらをうんうんと満足げに頷きながら見ていた未織だが、ふと眉間に皺がよった。

 

「これは……」

 

「どうかした?」

 

「うーん……玉鋼とバラニウムが絶妙なバランスで融合しとってな、これは機械での大量生産は難しいかもしれへんなぁ」

 

 腕を組み唸る未織はもう一度端末を操作し始める。

 

「なぁ凛さん。冥光を作った刀匠の人は今何処におるん?」

 

「残念ながらもうその人はこの世にはいないよ。冥光はその人が最後に残した刀だからね」

 

 肩を竦め、若干残念そうに言う凛を見て、未織もまた残念そうに肩を落とした。

 

 しかし、すぐに未織は立ち直ると、端末を操作し冥光の隣に新たにもう一つの画面を出しそこにデータを打ち込んでいく。

 

「冥光と同じものは作れへんかもしれんけど、冥光に迫ることは出来ると思うんでとりあえずデータだけ保存しとくわ」

 

「へぇ……さすが司馬重工」

 

「おだてても何も出ぇへんでー。けど、あんまし過度な期待はせんといてな。冥光を再現できたとしても恐らく凛さんの本気には耐えられへん」

 

「いいよそれでも、それに早急に欲しいわけではないからね。ゆっくり作ってくれていいよ」

 

「そう言って貰えると助かるわー。そんなら今日は摩那ちゃんのクローだけ持ってく?」

 

 未織が聞くと、凛は首を横に振った。

 

「いや、今日はこのまま帰るよ。クローは明日に会社に送っておいてくれるかな。あと、参式も三本合わせて送ってくれる?」

 

「了解やー。けどなんで参式三本も? なんか大きな仕事でもあるん?」

 

「ん……まぁあれだよ、壊しちゃうかもしれないから仕入れるならそれなりに仕入れとけと社長に言われてたからさ、それじゃあ僕はそろそろ行くね」

 

「あぁ、だったら送りの車手配しとくわー」

 

 冥光を凛に手渡しつつ、携帯を開いた未織は本社正面に車をよこすように社員に手配をした。

 

 

 

 

 

 

 

 司馬重工の車に会社まで送られた凛は、零子にことのいきさつを報告した後、自らの仕事に戻っていた。

 

 隣のデスクには退院した杏夏の姿もあるが、まだ完全に直りきっていないのか腕に包帯が巻かれており、それを首から巻いた包帯で吊っていた。

 

「まだ痛むの?」

 

「少しだけですけどね。それよりすいません、東京エリアが危険なことになっているって言うのに……」

 

 凛の問いに答えつつ、昨日零子から聞かされた依頼を自分が手伝えないということに暗い顔を浮かべる杏夏だが凛は彼女の肩に手を置くと、

 

「大丈夫。それに、怪我をしてるんだから今はそれを直さないと。君の今の仕事は怪我を治すことなんだから。そうでしょう? 零子さん」

 

「ああ。別に会社に顔を出す必要もないんだぞ? 家でゆっくりと療養していろ」

 

「いや、流石にそれは甘えすぎなんで、できる仕事はやりますよ」

 

 杏夏は動かせる方の手で頬を掻きながら苦笑いを浮かべた。

 

 それに二人は肩を竦ませたが、特にとがめることはせず自分達の仕事を続行した。

 

 その後、勉強から帰ってきた摩那と美冬が合流し、その日の仕事は終了となった。

 

 

 

 

 

 

 

 夕暮れに照らされる帰り道を摩那と並んで歩いていた。

 

「そういえば摩那。未織ちゃんが新武装を作ってくれてたよ」

 

「ホント!? やったー!」

 

 今日あった未織との一件を話すと、摩那はくるりと回り身体で喜びを露にしていた。しかし、嬉しげにしていた表情が突如として一変し、摩那は鼻をヒクつかせ周囲を見回した。

 

 凛もまた摩那が反応すると同時に背後から突き刺さるような殺気を感じていた。

 

「凛……」

 

「うん、わかってる」

 

 摩那が凛の服の袖を引っ張り危険を知らせると、凛も彼女の手を握った。二人はそのまま歩き出すと人気のない方へと向かってゆく。

 

 既に夕刻と言うこともあってか会社から帰るサラリーマンや学校帰りの学生達が多く見受けられるものの、一本、路地を入るとその光景は変わり、人気は少なくなる。

 

「……凛、まだついて来てるよ」

 

「わかってる。とりあえずここを真っ直ぐ行けば人気のない公園があったはず」

 

 摩那の手を引きながら、凛は真っ直ぐに目的の場所を目指す。

 

 そのまま、路地を抜けた二人の視界に広がったのは、閑散とした公園だった。遊具は所々さび付いており、周囲にも人の気配はない。

 

 二人は公園の中心まで行くと同時に振り向いた。

 

「ここなら人目につきません。出てきても大丈夫ですよ」

 

 その声に答えるように二人の人影が凛と摩那の前に姿を現した。

 

 一人は摩那と同じくらいの黒いフリル付きのワンピースに袖を通し、腰から二本の小太刀を下げている少女。

 

 そして、もう一人は不気味な仮面とシルクハット、赤い燕尾服を着込んだ怪人。

 

「やぁ、数日振りじゃないか。断風くん」

 

 先日、庁舎にいきなり現れ宣戦布告した蛭子影胤と、彼の娘、蛭子小比奈がそこに悠然と佇んでいた。




未織さんを登場させてみました次第でございますw
後数話で未踏破区域での戦闘に入れればいいと思います

冥光を持っているのにバラニウム刀を新たに持つ理由はあとあと明らかになりますのでしばしお待ちを……。

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第七話

「こんばんは……影胤さん」

 

 夕日に照らされる公園内で影胤と対峙する凛は笑みを浮かべたまま告げた。冥光には手を伸ばしておらず、至って楽な姿勢で影胤と小比奈を見据えていた。

 

「ヒヒ、本当に君は面白い反応をする。この状態で自分の得物に手をかけないなんてねぇ……」

 

 シルクハットのつばのところを軽く持ちながら笑う影胤だが、凛はそれでも態勢を変えることはしない。

 

 そういう彼は右手に黒い銃を持っており、いつでも打ち出せる状態になっていた。

 

 ……かなりカスタムされてるけど、形からして元はベレッタかな。触ったら痛そうだなぁ。

 

 影胤の携えている銃はいたるところにスパイクがつけられており、グリップ部分には邪神クトゥルフをかたどったメダリオンが埋め込まれていた。

 

「随分と痛そうな銃ですね」

 

「これかい? フフ、まぁね。こちらの銃はフルオートの射撃拳銃『スパンキング・ソドミー』。そしてこちらの銀色の方が『サイケデリック・ゴスペル』と言ってね。どちらも私の愛銃だよ」

 

 ホルスターに収まっている方の銀色の銃を見せた影胤は誇らしげに解説を始めた。しかし、彼の隣でずっと黙っていた小比奈がふと凛の隣にいる摩那を指差した。

 

「パパ。アイツずっとこっち睨んでくる、殺していい?」

 

 小比奈に言われ、凛は手を握っていた摩那を見る。

 

 そこにはいつもの快活な笑みを浮かべた彼女ではなく、犬歯をむき出しにし、真紅の瞳を小比奈に向け、赤い髪の毛を威嚇するように逆立たせていた摩那がいた。

 

「摩那!」

 

 凛が呼びかけると摩那はハッとしたように我に返り、むき出しにしていた口を閉じ、髪もいつものように降り、赤い瞳も消えた。

 

「……ごめん、凛」

 

 摩那は凛の腕を抱くように掴むと顔を伏せた。

 

「随分と興奮しているようだねぇ、その子は」

 

「多分、小比奈ちゃんに染込んでる血の匂いに反応しちゃったんだと思います……。摩那は人一倍匂いに敏感ですから」

 

 自身の腕にしがみつく摩那の頭を優しく撫でながら答える凛は影胤から目を離さない。

 

「ねぇパパ。アイツ斬っちゃだめなの?」

 

「ああ。彼女は斬ってはいけないよ。今日は戦いに来たわけじゃないからね」

 

「むー……」

 

 影胤の袖を引っ張り訴えかけた小比奈であるが、影胤はそれに首を横に振りながら答えた。小比奈はそれに少し不服そうにしながら頬を膨らます。

 

「聞いての通り、今日も決して君と戦闘をしにきたわけじゃないんだよ。ただ、君と話がしてみたくてね」

 

「銃を持っている人に言われましても」

 

「あぁ、これは失敬。君が刀を抜いた時応戦するためにね」

 

 影胤は『スパンキング・ソドミー』をホルスターにしまうと、仮面の位置を戻すように動かすし、凛に問いを投げかけた。

 

「断風くん。君に少し提案なのだが、私と手を組まないかい?」

 

「何故?」

 

「君と私は似ている気がするんだよ。それに、君はそんな序列で甘んじる男じゃないだろう?」

 

 凛を誘うように手招きをした影胤だが、凛はそれに対し首を横に振って返事をした。

 

「答えはノー、と言うわけかい?」

 

「そう受け取ってくれて構いません。僕は今の序列に満足していますし、それに僕にも守る人たちがいます。その人たちのためにも東京エリアを滅ぼす手伝いをするわけにはいきませんよ」

 

「そうか……。それは実に残念だ。……まぁいいだろう、では今日はこれで失礼するよ。次に会うときは本気で殺すよ」

 

 影胤はそういい残すと、踵を返し、凛達に背を向けた。

 

 それに従うように小比奈もまた振り返ろうとするが、彼女はもう一度凛達に向き直ると摩那に問う。

 

「赤いの。名前教えて」

 

 小比奈に言われ摩那は一瞬震えるものの、やがて覚悟を決めたのか凛の腕を離れ小比奈を真っ直ぐ見据えながら告げる。

 

「天寺摩那。モデル・チーターのイニシエーターだよ」

 

「摩那、摩那……。うん、覚えた。私は蛭子小比奈、モデル・マンティスのイニシエーター。次に会ったら殺す。延珠と摩那、どっちを先に殺すか楽しみ」

 

 小比奈は屈託のない笑みを浮かべると、影胤のあとを小走りに追いかけていった。

 

 

 

 

 

 

 

 夜になり、凛は夕方に会った影胤たちのことを思い出していた。

 

「君と私は似ている……か」

 

 真っ暗な室内で天井に手を掲げながら影胤に言われたことを呟くいた。

 

 もちろん誰も答えるものはいないが、凛は掲げていた手をグッと握り締める。

 

 その時、部屋の扉が軽くノックされた。凛はベッドサイドの灯りをつけると、ノックの主に聞いた。

 

「摩那?」

 

「うん、入っていい?」

 

「いいよ」

 

 凛の返答に、摩那がおずおずと室内にやって来た。

 

 彼女は枕を両手で抱いており、表情も不安げだ。

 

「怖い夢でも見た?」

 

「ううん、違う。……ねぇ凛、今日は一緒に寝てもいい?」

 

 摩那の不安げな声に凛は静かに頷くと、軽くて招きをした。それを確認した摩那は少しだけ笑みを浮かべると、凛のベッドにもぐりこんだ。

 

 布団の中から顔を出した摩那の頭を軽く撫でた凛は、改めて彼女に聞いた。

 

「夕方のこと?」

 

「……うん。ゴメンね、反応しないようにしてたんだけど……あの子、小比奈ちゃんからすっごく濃い血の臭いがしてきて自分を抑えられなくなかったんだ」

 

「それはしょうがないよ。摩那は鼻が利くからからね。……だけど、これからあの子と戦うことになると思うけど、行ける?」

 

「大丈夫。あの臭いには慣れたから。凛もあの仮面つけた人と戦うんでしょ?」

 

「……そうだね、次会ったら問答無用で戦うことになるはずだよ」

 

 肩まで布団に包まる摩那に対し、凛はもう一度彼女の頭をなでる。

 

 それを安心した様子で受け入れている摩那は、緊張が解けたのか目を閉じた。

 

 その後、摩那が完全に眠るまで凛は彼女の頭を撫で、自身もまた眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 翌日、今日は摩那が塾に行くこともなく、凛も仕事がない休日であるので二人は出かけることにした。

 

 特に予定があるわけではないので行き当たりばったりの散歩と言う形だ。

 

「そういえば、摩那は何か欲しいものがあるんじゃなかったっけ?」

 

「うん、天誅ガールズのキーホルダーが欲しいんだよねー」

 

「天誅ガールズって確か摩那がよく見てるあのアニメだっけ? 魔法少女なのに赤穂浪士っていう」

 

 凛が聞くと摩那は「そうだよー」と言い、そこからアニメの解説をしていた。

 

 一通り説明が終わったところで凛は摩那に聞き返した。

 

「それで、摩那はその子たちの中で誰が一番気に入ってるの?」

 

「それはもちろん主人公の天誅レッドが一番好きかなー。ブラックも捨てがたいけれどもやっぱり王道だよね! ……それに凛と同じで刀使ってるし」

 

「え? ゴメン、最後の方なんて言ったの? よく聞こえなかった」

 

「な、なんでもないよ! そ、それよりもこのあとどうするの?」

 

 頬を朱に染めながら凛に聞き返すと、彼はある一点を指差した。摩那もそちらに視線を送るとそこは二人がたまに利用する大型のショッピングモールだった。

 

 摩那がそれに気を取られていると、不意に凛が彼女を肩車した。

 

「うわわっ!? な、なに!?」

 

「ん? たまにはこういうのもいいかなーって思ってさ」

 

「は、はずかしいってば!!」

 

「大丈夫だよ、ちょっと歳の離れてる兄妹がじゃれてる風にしか見えないって。さて、それじゃあオモチャコーナーにでも行こうか」

 

「えっ?」

 

「だって欲しいんでしょ? 天誅ガールズのグッズ。ホラ、しっかり掴まってないと落ちるよー」

 

 凛はそのまま摩那の返答を聞かず駆け出した。摩那も最初はそれに目を白黒させていたが、やがて彼に身を任せ二人はオモチャコーナーへ向かった。

 

 

 

 

 

 

 数十分後、オモチャコーナーでの買い物を終えた凛と摩那はショッピングモール内をブラブラとあてもなく歩いていた。

 

「摩那がほしかったものは買っちゃったし……。あとは何かしたいこととかある?」

 

「うーん。あ、じゃあカラオケでも行かない?」

 

「カラオケか。いいね、久々に行ってみようか」

 

 摩那の提案に同意した凛は、そのままショッピングモールを出るために出口へ向かった。摩那もそれに続く。

 

 ショッピングモールから出た二人は、適当なカラオケ店を探すが、その中で凛は気になる人影を発見した。

 

「? どうかした?」

 

「ごめん、摩那。ちょっと気になることが出来た」

 

 凛は言うが早いか人影の方へ走る。

 

 その人物はゆっくり歩いていたからかすぐに発見することが出来た。

 

「延珠ちゃん!!」

 

 凛がその人物の名を呼ぶと、延珠は一瞬肩を震わせたが、ゆっくりと振り向いた。

 

 彼女は藍原延珠。蓮太郎のイニシエーターであるが、凛とは明確な面識はなく凛が一方的に覚えているだけだ。

 

「誰だ……? お主は」

 

「僕は断風凛。君の相棒の蓮太郎くんと同じ民警だよ。一度すれ違ったけど覚えてないよね」

 

「すれ違う……あぁ、お主はあの時の白い頭の男か。それで、妾になんのようだ?」

 

 延珠は覇気のない声で凛に聞く。その目にも以前すれ違ったときのようなあかるげな光は感じられない。

 

「こんな時間にどうしたの? 学校は?」

 

「っ! ……学校は早退した」

 

 早退したというものの、調子が悪そうには見えない。しいて言うのであれば、身体よりも心の方が病んでしまっているのかもしれない。

 

 ……何か学校で嫌なことがあったって考えた方が妥当かな。

 

 延珠の一瞬顔をゆがめたのを見逃さず、内心で考察した凛だが、ふと昨日小比奈が言っていたことを思い出した。

 

 ……摩那と延珠どっちを先に殺すか楽しみ……まさか!?

 

 一つの結果に辿り着いた凛は聞くべきか否か迷ったものの、彼女に問うた。

 

「延珠ちゃん、もしかして学校で君のことがばれたのかい?」

 

 延珠はそれに顔をこわばらせ、下唇を噛んだ。その行動から凛は全てを悟った。

 

 恐らく彼女のことをばらしたのは影胤だろう。でなければこんなことにはならないはずだ。早退は教師の救済措置なのだろうが、延珠からすれば学校からすぐさま出て行けと言われたようなものだったに違いない。

 

 延珠の目尻にはやがて涙が溜り悔しげに顔を歪ませていた。

 

 すると、その様子を見かねたのか、摩那が凛の袖を引っ張った。摩那は言葉には出さないが視線だけで凛に訴えかけた。

 

 凛もその意図を汲み頷くと延珠の手を取った。

 

「な、なにを?」

 

「ちょっとだけ付き合ってくれるかな?」

 

 凛が笑顔のまま言うと、延珠は怪訝な表情をするものの摩那が彼女の背中を押した。

 

「いーからいーから。ちょっとだけついて来て延珠ちゃん!」

 

「お、お主は誰なのだ!?」

 

「私? 私は凛のイニシエーター、天寺摩那。よろしくね」

 

 摩那の自己紹介に戸惑いながらも頷いた延珠はそのあと自らの自己紹介も始めた。

 

 

 

 

 

 

 やがて三人はある場所へとやって来た。そこは大きな和風の門があり、塀もかなり長く伸びている。門の表札には『断風』と書かれている。そう、ここが凛の実家である。

 

「ここは?」

 

「僕の実家。つれてきた理由は後になればわかるよ」

 

 凛は言うと門を開けた。

 

 重厚な音を立てて門が開くと、その奥には延珠が予想だにしない光景が広がっていた。

 

「……これは」

 

 延珠は門の中に広がっていた光景に口をあんぐりと開けて驚いていた。

 

 それもそのはず、門を開けたところに広がっていたのは、延珠や摩那と同じくらいから、それよりも年下と思われる子供たちが楽しげに遊んでいたのだ。

 

「僕の家は身寄りのない子供たちや勉強がしたくても出来ない子供たちを集めて、勉強を教えたりしてるんだよ。まぁ今は休み時間みたいだけど」

 

「あの者達は皆、妾のような存在なのか?」

 

 延珠の問いに凛は静かに頷いた。それを確認した延珠はもう一度広い庭で遊んでいる少女達に目を向ける。

 

「その……ここを経営しているのは凛の親なのか?」

 

「うん。僕の母さんとばあちゃん二人でやってるんだよ」

 

「その二人は妾の様な『呪われた子供たち』が恐ろしくないのか?」

 

「恐ろしかったらこんなことしてないよ。まぁその辺りがもっと詳しく聞きたいなら本人達から聞いてみて」

 

 凛は庭の一点を指差した。

 

 そこには一人の年老いた風貌の女性と、彼女の隣でこちらに手を振っていたまだ若い女性がいた。

 

「とりあえず、こんなところに突っ立ってないで中にはいろーよ!」

 

 摩那は言うと、延珠の手を引き二人の女性の方へかけていく。凛もそれに続くが、途中凛の登場に気付いた子供たちに囲まれてしまった。

 

「凛にーちゃんだー」

 

「ねーねー、あの子だれー?」

 

「新しい子?」

 

 口々に言われる疑問の言葉に凛は答える。その顔は全く煩わしそうではなく、とても明るい笑顔を浮かべていた。

 

「ううん、あの子は僕の知り合いの子なんだ。っと、ゴメンねみんな。ちょっと先生とお話があるから遊ぶのはまた今度ね」

 

 凛は駆け寄ってくる子供たちの頭をなでつつ、二人の女性の方へ駆け寄った。すると、老人の方が凛に声をかけた。

 

「おかえりさん、凛」

 

「ただいまばあちゃん。元気そうだね」

 

「当たり前だってんだい。まだまだあんた等若いもんには負けやせんよ」

 

 口を開け「かっかっか」と笑う白髪に若干黒髪が混じった老人は断風時江。凛の祖母である。かつては武術の達人であったらしく、今でも時折見せる眼光は鋭いものがある。

 

「まったく、来るならもっと早く連絡しなさいな」

 

「しょうがないでしょ。何せ急だったんだから」

 

 彼女の隣で凛に対し嘆息気味に言った眼鏡をかけた黒髪の女性は凛の母親、断風珠だ。以前は小学校の教師をしており、とても真面目でしっかりものである。

 

「まぁいいわ。それで、電話で言ってた子はその子かしら?」

 

「うん、藍原延珠ちゃん。天童の民警会社ではたらいてるイニシエーターの子だよ」

 

 天童と聞いた瞬間、茶を啜っていた時江が半眼を開けた。

 

「天童ってぇと、木更の嬢ちゃんがやってるところだったかねぇ」

 

「木更を知っているのか?」

 

「あぁ。小さい頃は凛とよくあそんどったよ。それよりもだ、嬢ちゃん一体なにがあったんだい?」

 

 時江は延珠の顔を真っ直ぐ見据えたまま彼女に問うた。延珠はそれに口を真一文字に噤む。まだ、いえる覚悟が出来ていないのだろう。

 

 それを察した時江は延珠に近くに来るようにと手で誘った。延珠はそれに首を傾げるものの、そのまま時江の近くまで行く。

 

 そして、延珠が時江の手が届く距離まで来た瞬間、時江は延珠を抱きしめた。突然抱きしめられ、困惑の表情を浮かべる延珠であるが、時江はそれを落ち着かせるように彼女の背をなでる。

 

「無理をしなさんな。嫌な事は全部ぶちまけちまった方が楽になるよ」

 

 優しく延珠の耳元で言う時江に、延珠は一瞬身体を震わせた。同時に、今まで我慢していたのか、目から一気に涙が溢れ出した。

 

 彼女は声こそ出さなかったものの、その瞳からはとめどなく涙が流れ相当辛かったのだということが伺えた。

 

 やがて、延珠は泣き止んだ。同時に、今日学校であった事をポツリポツリと語りだした。

 

 時江はそれにただ頷き、全てを受け止めていた。そして、延珠が話し終えると彼女の頭をポンポンと軽く叩いた。

 

「よく話してくれたねぇ。ありがとうよ。さて、これからどうするかねぇ」

 

「とりあえず、学校には戻らせない方がいいと思うんだけど……」

 

「いや、嬢ちゃんはそうしたくないだろうさ。そうだろう?」

 

 時江が聞くと、延珠は頷いた。

 

「妾は……自分がガストレアと同じであるなどと学校の皆に思わせたまま学校を去ることは出来ぬ」

 

「それだけ小学校に思い入れがあるんだろう」

 

「ですが、御婆様。流石に一人で行かせては危険かと」

 

「そりゃあそうだ。子供といえど、馬鹿な大人共に間違った知識を植えつけられちまってるからねぇ。恐らく嬢ちゃんが戻っても罵倒の嵐だろうさ」

 

 やれやれと首を振る時江はお茶を啜る。すると、延珠が二人に問う。

 

「気になっていたのだが二人は妾のことが怖くないのか?」

 

 その問いが可笑しかったのか、時江は口に含んでいたお茶を思わず吹き出して笑った。

 

「かっかっか! 嬢ちゃんみたいなちんちくりんなんざ、毛ほども怖かないねぇ!」

 

「なっ!? わ、妾は『呪われた子供たち』なのだぞ!?」

 

「それがどうしたい? アタシからすりゃ、普通の人間となんら変わりはないがねぇ」

 

 肩を震わせながら笑う時江は延珠の問いが本当に可笑しかったのかまだ笑っている。延珠未だにそれがうまく理解できていないのか、首をかしげていたが、珠がそれを補足した。

 

「延珠ちゃん。私たちは貴女みたいな子達の事を怖いなんて思ったことはないわよ。寧ろ、怖いのは貴女達みたいな存在を勝手にバケモノ扱いしている今の大人たちのほうが怖いわ」

 

 真剣なまなざしで塀の外を見やる珠は大きく溜息をついた。

 

「自分達の都合だけで小さな子供たちを見捨てて、さらには迫害するなんて私は絶対にしたくないの。それに、寧ろ貴女達は被害者よ。望んでそんな風に生まれてきたわけじゃないのにぞんざいに扱われて……。私一人が謝って済むとは思っていないけど、謝らせてくれるかしら」

 

 珠はそういうと延珠に対し頭を下げた。すると、延珠は慌てた様子でそれに首を振った。

 

「な、なぜ珠が謝るのだ!? お主は何もしてないではないか!」

 

「そうかもしれないけど、不甲斐ない大人たちのせいで貴女のような子供に辛い思いをさせてしまったのもまた事実だから。けじめをつけさせてちょうだい」

 

 頭を下げ、謝罪する珠の姿は真剣そのものだった。

 

 そして、珠が頭を上げると彼女は凛に疑問を投げかけた。

 

「延珠ちゃんのプロモーターの子には連絡はしたの?」

 

「あっ!? しまった、やってない。というか蓮太郎くんの番号知らない……」

 

 凛は肩を落とし、どうしたものかと困惑するが、そこで延珠が告げた。

 

「妾が知っている。携帯を貸してくれ」

 

「よかったー。じゃあ、話は僕がするから番号だけ打ってもらえるかな」

 

 安堵したようにホッと胸を撫で下ろした凛は延珠に携帯を渡した。延珠はそれを手馴れた様子で操作すると蓮太郎の番号を打ち込んだ。

 

「よし、これでいいはずだ」

 

「ん、ありがとう」

 

 延珠から携帯を受け取ると通話ボタンを押し耳にあてる。

 

『も、もしもし!?』

 

 数コールの後、慌てた様子の蓮太郎の声が聞こえ、凛は彼に話し出した。

 

「蓮太郎君? 凛だけど今何処にいるのかな?」

 

『今か、今はちょっと延珠を探しに外出てる。わりぃんだけど、急いでるから早めに要件言ってもらってもいいか?』

 

「あぁうん、延珠ちゃんなら今僕の実家にいるから今から言う住所まで来てくれるかな」

 

『はぁ!? え、延珠が今そこにいんのか!?』

 

「うん、いるよー。今はちょうど摩那とアニメの話してる」

 

『アニメって……。何やってんだよあいつは!!』

 

 蓮太郎は相当心配していたのか、安堵から来る怒りを声に出していた。しかし、凛がそこで彼に告げた。

 

「延珠ちゃんを怒らないであげてね蓮太郎くん。連れて来たのは僕だから」

 

『え、なんで凛さんが?』

 

「街でさびしそうに歩いてたからちょっとね。それよりも、今から住所言うから迎えに来て上げてね」

 

 凛は言うと蓮太郎に実家の住所を教えた。蓮太郎はそれを聞き終えると、「すぐ行く!」と言い残し電話を切った。

 

「これでよし……。延珠ちゃん、蓮太郎くんすぐ迎えに来るって……」

 

 そこまで言いかけたところで、凛は小さく笑みを零した。

 

「やっぱり天誅ガールズで一番いいのはレッドだよ!! なんと言っても王道は外せないでしょ」

 

「レッドも素晴らしいが、妾的にはブラックもオススメだな! あのニヒルな感じがたまらん!!」

 

「あー、ブラックもいいよねー。そういえばレッドとブラックって同じ形のポーチしてるけど過去になにかあったのかなぁ?」

 

「かもしれんな。どちらにせよこれからの展開に目が離せんよな!!」

 

 延珠は摩那と二人で縁側に腰かけながらアニメの話に華を咲かせていた。先ほどまでの不安な表情は何処へやら、一気に明るい顔ぶれになった延珠はとても楽しげだった。

 

 それから数十分後、蓮太郎がやってきて延珠は彼と共に帰っていった。その頃には既にあったときのような暗い顔は見えなくなっていた。

 

「さてっと……じゃあ僕達もそろそろ帰ろうか。摩那」

 

「だねー。じゃあタマ先生、時江ばーちゃんまたねー」

 

「はいよー。凛、また暇な時来んさいな」

 

「摩那ちゃん! ちゃんと出しておいた宿題終わりにしてくるのよー! あと、凛! 栄養バランス考えてご飯作ってあげるのよ!!」

 

「わかってるよー。じゃあまた来るよ」

 

 凛と摩那は門を出るまでずっと手を振り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

「おい、延珠。お前そんなキーホルダー持ってたっけ?」

 

「うん? あぁこれか! これはだな、摩那がくれたのだ! 天誅ガールズのブラックだぞ!」

 

 帰り道、延珠のカバンに見慣れぬキーホルダーが下がっていることに疑問を思った蓮太郎が彼女に聞くと、延珠は嬉しそうに蓮太郎にそれを見せ付けた。

 

「摩那って凛さんのイニシエーターのあの子か」

 

「うむ! 摩那とは話が合ってな、天誅ガールズについて飽きずに語っていたぞ!」

 

「へぇ……よかったな」

 

「ああ! 摩那とはもっと話をしてみたいものだ」

 

 鼻歌交じりに言う延珠は心底嬉しそうだ。蓮太郎は自分の先を行く延珠の背中を見つめながら先ほど見た凛の実家の光景を思い出していた。

 

 ……もし、普通の学校が無理だったら凛さんの実家で……。

 

「……いや、これは最終的には延珠が決めることだ。俺が口出すわけにはいかねぇ……」

 

「おい、蓮太郎! 何をやっている、早く帰るぞ!」

 

「あぁ! わかってるよ!!」

 

 延珠に呼ばれ、蓮太郎は小走りに延珠のあとを追った。




長くなってしまい申し訳ないです。
二つに分割すべきでしたかねw

とりあえず、次の次くらいには未踏破区域での戦闘に入れればと思っております。

感想などありましたらよろしくお願いします。


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第八話

 昼下がり、凛は事務所で仕事をこなしながら窓の外を見やる。

 

 お昼から降り始めた雨は次第に勢いを増し、先程から忙しなく窓を叩いていた。凛はそれに軽く溜息をつく。

 

 すると、それに答えるようにソファで漫画を読んでいた摩那が呟いた。

 

「よく降るねー。何時ごろ止むのかなー」

 

 それに無言で頷いた凛は内心で苦い顔をした。

 

 ……傘持ってくるの忘れちゃったなぁ。

 

「零子さん。今日の雨ってどれくらい続くんでしたっけ?」

 

 凛は窓の外を見ている零子に問うが、彼女からの返答はない。彼女はただぼんやりと、まるで意識がないかのように外を見ていた。

 

 それを不審に思った凛はもう一度彼女の名を呼ぶ。

 

「零子さん?」

 

「ん……あぁ、すまんね凛くん。少々ボーっとしていた」

 

 彼女はハッとし、凛の方に向き直った。凛は体調が優れないのではと思ったが、顔色からしてそうではないようだ。

 

「珍しいですね。零子さんがぼんやりしてるなんて。何か思い出してたんですか?」

 

「まぁね、雨にはあまりいい思い出がなくてね。偶に自分でも気付かぬうちにぼんやりしてしまうんだ」

 

 そういう零子は苦笑いを浮かべながら、右の眼帯をなぞるように触れた。凛は怪訝な表情をするものの、零子は続けた。

 

「そういえば、私に何か聞いていたようだが?」

 

「あ、ええ。雨っていつ止むのかなーって思って」

 

「確か天気予報では夜には止むといっていたな。傘でも忘れたのか?」

 

「はい、なので夜まで此処に居ようかなと思って」

 

「そういうことなら構わんさ。私も今日は夜遅くまで此処に居る予定だからな」

 

 零子はパソコンを開きながら軽く肩を竦ませた。凛がそれに頭を下げていると、給湯室からケトルを片手に杏夏がやってきた。彼女の後ろにはお茶請けのケーキをトレイにのせた美冬の姿も見受けられる。

 

「凛先輩今日残るんですか?」

 

「残るって言うよりは、雨が止むまで雨宿りって感じかな」

 

 コーヒーを凛のカップに注ぎながら聞いた杏夏は頷くと、ケーキを零子に渡していた美冬に問うた。

 

「美冬ー。私たちはどうするー?」

 

「わたくしはどちらでも構いませんわ。杏夏が帰りやすい方で良いんじゃないですの?」

 

「そっか。じゃあ私も少し残ってみようかな」

 

 杏夏は頷きながら呟いた。

 

 しかしその時、事務所の電話が鳴り響く。

 

「はい、黒崎民間警備会社ですが?」

 

 零子がいつもの調子の外での声を使い電話に出るが、彼女はすぐに眉間に皺を寄せ、難しそうな表情になる。

 

 そして、ひとしきり話した彼女は大きな溜息をつきながら受話器を置いた。

 

「まったく……。残念だが凛くん、ブレイクタイムはまたの機会になりそうだ」

 

「任務ですか」

 

 零子はそれに黙って頷くと、パソコンの画面を凛に見えるように反転させた。

 

「ケースを持った感染源ガストレアが見つかったらしい。場所は三十二区」

 

「結構遠いですね」

 

「あぁ。だからそこまでは司馬のお嬢さんから借りたヘリで行ってもらう。それと例の里見君が急行しているようだ。手柄はどっちでも構いやしないが、恐らく蛭子影胤も既に情報は掴んでいるだろう。戦闘の覚悟はしておけ」

 

 凛はそれに頷くと、机に立てかけてある冥光を腰に差す。摩那も腰にクロー収納用のベルトを巻くと、そこに黒刃の爪を収納する。

 

 二人は互いに頷き合うと零子に向き直る。同時に零子も立ち上がり二人に声を張って命じた。

 

「いいか、感染源ガストレア自体はたいした強さではない。しかし、蛭子影胤には注意しろ。奴はまだ何かを隠している可能性がある」

 

「はい!」

 

「了解!」

 

「では行って来い。ここから南に走って五分のところに大きな駐車場がある。そこでヘリと合流しろ」

 

 凛と摩那はその言葉に頷くと、事務所の扉を開け放ち雨の中を駆けて行った。

 

 小さくなる二人を見送りながら、零子は眉間に皺を寄せた状態で難しい表情を浮かべながら、杏夏と美冬は二人の無事を祈るように心配げなまなざしを送っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘリと合流し三十二区の上空に辿り着いた二人は地上に目を凝らす。

 

「GPSではこの辺りを示してますが……。見えますか、断風さん」

 

 操縦士の女性が凛に声をかけるが、凛は首を横に振る。摩那にも視線を送ってみるものの、彼女も首を横に振った。

 

「もしかすると地上に落ちた可能性もありますね」

 

「地上ですか……しかし、この辺りに着陸できるところは……」

 

 凛の言葉に操縦士は言葉を詰まらせるが、凛はそれを尻目にシートベルトを外す。

 

「えっ!? ちょ、なにを!?」

 

「ちょっとこれ借りていきますね」

 

 後部座席に移動しながら凛が手に持っていたのは、ワイヤーロープだった。それを目撃した瞬間、操縦士は顔面を蒼白に染めた。

 

「正気ですか!? ハーネスもカラビナも持ってきていないんですよ!?」

 

「大丈夫ですって。ファストロープで降りますから」

 

 操縦者の心配を他所に、凛はてきぱきと準備を進めていく。摩那も準備を整えるために後部の扉を開け放つ。

 

 同時に横殴りの雨と、強風が二人の身体を濡らすが、二人はそれを気にした風もなくワイヤーロープを垂らす。

 

「ロープの長さは200mだから余裕で地上までは足りてる。あとは手袋……」

 

 凛が座席の周りを探していると、操縦士が二人に手袋を投げた。

 

「それ使ってください。正気とは思えませんが、あなた方を全力でサポートしろと言うのがお嬢様からの命令なので」

 

 彼女は焦りながらも二人がなるべく安全に降下できるように、強風に流されないようにホバリングを維持する。

 

「ありがとうございます。摩那、これを片手にはめて」

 

 凛がそれを放ると、ロープを固定していた摩那が軽くキャッチし右手にはめた。凛は残った左手のぶんをはめるとヘリの外へ身体を出す。

 

「じゃあ降ります! 完全に折りきったら信号弾をあげるので見えたら離脱してくれて構いません!!」

 

 聞こえるように大声で言うと、操縦士は大きく頷いた。凛と摩那もそれに頷くと互い視線を交わすと降下を始める。

 

「行くよ、摩那!!」

 

「うん!!」

 

 まず最初に降りたのは凛だ。彼は手袋でワイヤーロープを掴むと、そのまま一気に地上へと降下していく。

 

 昼間と言っても既に太陽は暗雲に隠れており、下は整備が行き届いていない外周区だ。明かりもあるはずもなく、地上は薄暗く見える。

 

 しかし、凛はそれを恐れずに降下していく。スピードを殺していないためまるで落ちているような速度であり、既に地上はすぐそこだ。

 

 その瞬間、凛は左手に力を込めスピードを押し殺した。雨で滑りやすくなっていたロープであるが、凛は手袋が破ける寸前までロープを握り地上に到達する直前でロープから手を離した。

 

 鈍い衝撃が足から全身に伝い、身体を震わせる。

 

「ふぅ……」

 

 一息ついた凛は上から続いて降下してくる摩那を見上げた。彼女の方もなんら問題はなく、うまく降下できているようだ。

 

 そして摩那が凛の背丈と同じくらいの場所まで降りると、彼は摩那をキャッチしそのまま地面に下ろし、ヘリから見えるように信号弾をあげた。

 

 信号弾が確認できたのか、ヘリは空域から脱した。

 

「さて……注意しながら進もうか」

 

「だね。ガストレアはクモだっけ?」

 

「そう、ただガストレアだけに注意を向けるわけにも行かないけど」

 

「小比奈ちゃん……」

 

 摩那の小さな呟きに頷きつつ、凛は歩を進める。

 

 

 

 

 

 雨の中を歩くこと数分、凛は妙な静けさを感じていた。

 

 ……静か過ぎる。他の民警の人たちは何処に……。

 

 零子から言われたことが本当であれば、既に多くの民警がこの場所に集まっていてもおかしくはない。しかし、先程から声はおろか人影すら見えないのだ。

 

 摩那もそれは感じ取っているようで、周囲をしきりに見回している。匂いを嗅いでもらおうにも豪雨のため、あまり望むことは出来ないだろう。

 

 その時、凛と摩那は微かな足音を聞いた。

 

「凛……」

 

「うん。誰かこっちに来るみたいだね……」

 

 雨の音が激しいからか聞こえてくる音は小さいものだが、凛はその状況下でも前から来る人物が何者であるか感じ取る。

 

 ……足音からして子供、イニシエーターの子かな。

 

 徐々に近づく足音はやがてその人物本人を浮き上がらせた。

 

 その人物は、凛と摩那が先日会った少女。

 

「延珠ちゃん!?」

 

 最初に声を上げたのは摩那だった。延珠はその声に気がついたのか、そのまま摩那の前にいる凛の足にしがみ付いた。

 

「……助けて欲しいのだ凛……! このままでは蓮太郎が……蓮太郎が……!!」

 

 延珠のその悲痛な声に、凛はなにがあったのか予想することが出来た。

 

「影胤さんか……。延珠ちゃん、蓮太郎くんはこのまま真っ直ぐ行ったところにいる?」

 

「あぁ。妾は真っ直ぐ走ってきたから間違いない」

 

「わかった。摩那! 延珠ちゃんと一緒に僕の後ろについて来て。絶対に前には出ないようにね!」

 

「了解!!」

 

 摩那が頷くのを確認すると、凛は駆け出した。泥水でぬかるむが、凛はそれをものともせずに突き進んでいく。

 

 すると、凛の耳に雨音と混じって銃声が聞こえた。彼はそのまま銃声がした方向へ足を向け、摩那と延珠もそれに続く。

 

 ……間に合え!!

 

 心の中で祈った凛は木々の隙間から三人の人影を見出した。

 

 増水した川を背にしているのは、二人とと対峙し苦しげな表情の少年、里見蓮太郎。

 

 そんな彼にカスタムベレッタの黒い銃口を向けている蛭子影胤と、彼の横に控えている蛭子小比奈の姿がそこにはあった。

 

 3人の姿を確認した凛は舌打ちをすると、摩那に視線を送った。彼女もそれを理解すると、延珠の腕を掴み、凛の近くから飛び退く。

 

「……久々にやってみるかな」

 

 彼がそう呟くと、凛は一瞬で抜刀の態勢を取る。腰を低くし木々の間から見える影胤を見据えると、彼は言う。

 

「天童式抜刀術、一の型一番――――滴水成氷ッ!!」

 

 その声と共に雷撃のような斬撃が凛の眼前の木々を全て切り裂く。

 

 だが、斬撃は威力を損なうことはなく、そのまま真っ直ぐに影胤を捉えた。影胤は後ろから来る凄まじいまでの殺気と圧力を感じ取った。

 

「イマジナリー・ギミック!!」

 

 珍しく焦った影胤の声と共に、彼を中心に青色の燐光が迸った。そして、その燐光と凛が放った斬撃が衝突し合い青白い火花が散った。

 

「飛ぶ、斬撃だと……?」

 

 影胤の驚嘆の声は凛の方まで聞こえてきた。

 

 彼は凛の姿を確認したのか仮面の下の双眸から凛を睨んだ。

 

 それに答えるように、凛は冥光を収めることはせず影胤まで一気に接近すると、上段から冥光を振り下ろす。

 

 するとまたしても影胤を中心に青白いドーム状の光が展開され、凛の攻撃を弾く。

 

 ……バリア? いや、違う弾き返す所をみると……斥力?

 

 ドーム状のバリアのようなものの正体を予想した凛であるが、彼の懐にニヤッと笑った小比奈がもぐりこみ、バラニウムブラックの刀を凛の腹に突き立てようとしていた。

 

「アハハッ!」

 

 笑い声と共に小太刀が凛の腹に突き刺さりそうになる。しかし、寸でのところで、彼女は大きく右に吹き飛ばされた。

 

「貴女の相手は私だよ! 小比奈ちゃん!!」

 

 声と共に小比奈と転がりながら言うのは摩那だった。

 

「摩那ぁ!!」

 

 どちらかともなく二人は起き上がると、互いの得物である漆黒の爪と小太刀をぶつけ合う。衝撃が強いためか、一発一発ぶつかり合う度に火花が散る。

 

 影胤と凛はそれを見ずに眼前に佇むそれぞれの敵を睨みつけていた。

 

「まさか君が来ていたとは思わなかったよ。なるほど……先程の信号弾は君たちだったか」

 

「確認しなくてもわかるでしょう。それよりも、影胤さん貴方の先程の青い光……どうやら斥力を操っているようですね」

 

「ほう! あの一瞬でそこまで見切ったか。ヒヒヒ、やはり君は殺すには惜しい……」

 

 いつもの不気味な笑い声と共に、影胤はシルクハットのつばを持ち、凛に対し頭を下げる。

 

「君には改めて名乗っておこう……。私は元陸上自衛隊東部方面隊第七八七機械化特殊部隊『新人類創造計画』蛭子影胤だ」

 

「新人類創造計画……」

 

 凛はその名に聞き覚えがあった。以前、零子が凛だけに教えたことがあるのだ。

 

 『新人類創造計画』――――。

 

 それは人間の身体の一部を機械化し、超人的な戦闘能力をもつ兵士を作り出す極秘計画であり、それは四賢人と呼ばれる世界屈指の天才達が進めいたとのことだ。

 

 しかし、呪われた子供たちの戦闘能力が世に明かされてからは計画は消失したらしい。

 

 世間的には都市伝説と言うことで凛も高校の友人達が話しているのを聞いたことがある。当初は信じてなどいなかったが、零子の真面目な雰囲気からあながち嘘でもないかもしれないと思っていたのだ。

 

「やっぱり本当だったのか」

 

「おや。その様子から察するに聞いたことがあるようだねぇ。やはり、あの黒崎社長が話したのかな?」

 

「さぁ? 何処からこんな情報を仕入れたかなんてどうでもいいことでしょう」

 

 凛は冥光を構えなおしながら言う。すると、影胤の後ろから延珠に抱えられながら出てきた蓮太郎が彼に告げる。

 

「ダメだ……!! 凛さん! 近接攻撃じゃ跳ね返される!!」

 

「それは遠距離でも同じことだよ。まぁ見てなって」

 

 蓮太郎の忠告を聞かずに、凛は下段に構えた冥光を下から影胤の顎を狙って切り上げる。

 

 早さも踏み込みも十分であり、まさに誰もが殺ったと思う斬撃だ。しかし、影胤は先程と同じように斥力によるフィールドを展開する。

 

「先程のように跳ね返してあげよう!!」

 

 影胤の声が響くが、次の瞬間、彼は目を見開いた。

 

 凛の冥光は跳ね返されることはせず、斥力フィールドに冥光を密着させた状態でおり、跳ね返されずにいたのだ。

 

「なにっ!?」

 

「確かに凄い斥力ですね。だけど、まだ上げられるみたいですね」

 

 ニヤリと笑いながら言う凛に対し、影胤は仮面の下で眉をひそめると小さく笑う。

 

「ではご所望どおり、さらに強い斥力を浴びせてあげよう。マキシマム――」

 

 影胤が行った瞬間、凛は大きく後ろに飛び退くが影胤はそのまま手を突き出した。

 

「――ペイン!!!!」

 

 その声と共に、凛に向けて斥力が増大し彼を吹き飛ばそうとする。

 

「凛さん!!」

 

 蓮太郎の声が聞こえるが、凛は迫る斥力フィールドを見据えると大きく息を吐き、目を閉じた。

 

 そして、凛に斥力フィールドが届く瞬間、彼は目を開け刹那の速さで冥光を降りぬいた。

 

 ビキン、という何かが割れるような音がしたと思うと凛は吹き飛ばされずに、彼の周りの木だけが次々となぎ倒されていった。

 

「まさか……!!」

 

「斥力フィールドを斬った!?」

 

 二人が驚愕の声を上げるが、凛は静かに息をつく。

 

「まだ続けますか?」

 

 凛は影胤に問うが、影胤は仮面を押さえながらまたしても不気味に笑った。それと同時に彼は指を鳴らし小比奈を呼ぶ。

 

「すまないが、これで失礼させてもらうとしよう。当初の目的は果たしているからね。ヒヒヒ」

 

 そういう彼の手にはジュラルミンケースがあり、影胤はそれを川の向こう側へ放った。それに蓮太郎と凛は眉を歪ませるが、影胤は傍らにやって来た小比奈と共に跳躍した。

 

「ではね諸君」

 

 彼は高らかに言うと向こう岸へ渡りケースを持ちながら闇の中へと消えていった。それを見据えつつも冥光を鞘に納めた凛に摩那が声をかけた。

 

「凛! 追わなくていいの!?」

 

「追う事は可能だけど今は……」

 

 彼の視線の先には背中から大量の血を流し、喀血している蓮太郎の姿があった。

 

「蓮太郎くんを病院に連れて行かないと」

 

 凛が言うと、蓮太郎は首を横に振りそれを否定した。

 

「俺は大丈夫です……! 凛さんは早くあいつ等を……!!」

 

「ダメだよ。今のままの君を此処に放っておいたら間違いなく失血死する。目の前にいる敵を追うよりも目の前にいる味方を救いたいからね。それに、君を死なせたりしたら木更ちゃんにどやされそうだし」

 

 肩を竦めた後、凛は蓮太郎を担ぎ零子に連絡をとった。

 

 数分後、蓮太郎と凛、摩那、延珠の四人は救急車に乗り込み病院へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 病院へ担ぎ込まれた時、蓮太郎は緊張の糸が切れたのか意識を失っていたが医師の話によれば命に別状はないとのことだ。

 

 零子と杏夏、美冬そして、木更も病院にやってきたが、凛と摩那が無事であったことに胸を撫で下ろしていた。

 

 木更は凛に頭を下げた後、蓮太郎の下へとかけていった。

 

 そして凛は美冬と杏夏が帰宅し、摩那が疲れて眠った後零子に全てを話した。蛭子影胤の正体や彼の能力、そしてケースが持ち去られてしまったことも。

 

「そう……ケースは持っていかれてしまったわけね」

 

「はい。すいませんでした、僕の力不足です」

 

「いいえ。貴方が悪いわけではないわ。それに、もうその事は聖天子様も聞いているみたいよ」

 

 零子は携帯の画面を見せながら言う。凛は画面を覗き込むと、静かに頷いた。

 

「明日聖天子様からの説明があるわ。私は出席しなければいけないけど、凛くんは休んでいて構わないわ。恐らくかなり大規模な任務が待っているだろうから身体を休めておきなさい」

 

「わかりました」

 

 凛が頷いたのを確認すると、零子は椅子から立ち上がり零子の方に手を置きながら彼に告げた。

 

「ごめん、今休んでっていったけど後一時間だけ付き合ってくれるかしら。ちょっと会わせておきたい人物がいるから」

 

 彼女はそのまま振り返ることはせず、ただ手だけを「来い」と言う風に合図をすると病院の北側へ向かった。

 

 凛は首を傾げつつも眠りこけている摩那を背負いながら彼女の後をついていく。

 

 やがて、彼女の案内で連れてこられたのは仰々しい悪魔のバストアップが描かれた地下室の扉だった。

 

「零子さん、此処は?」

 

「私の小さい頃からの友人の部屋。近いうちに貴方を紹介するって言ってあったからついでにと思ってね。あ、そうだ。摩那ちゃんはマスクしておいた方がいいかもしれないわ」

 

 零子はポケットからマスクを取り出すと、凛の背中で眠っている摩那にかける。摩那は一瞬嫌そうな表情をしたが、すぐに静かに寝息をたて始めた。

 

「さて、じゃあ開けるわよ」

 

 零子は扉に手をかけ、扉を開けた。

 

 同時に、凛の鼻腔には鼻を突く様なミント系芳香剤の臭いが漂ってきた。凛は一瞬顔をしかめるが、すぐにこれだけ濃密な芳香剤の香りがしているのか部屋の真ん中を見て理解することが出来た。

 

 そこには手術台のようなものがありその上には男の死体が乗っていた。

 

「んお? おぉ来たのか零子」

 

 すると、部屋の中にあったデスクの椅子に座っていた黒髪の女性、室戸菫が零子に声をかけた。

 

「えぇ。貴女が会いたがってたうちの凛君をつれてきたわ」

 

「ほうほう。なるほど、その子が噂の凛くんか……」

 

 菫は椅子から跳ね起きると、興味深げな表情で凛を上から下まで舐めるように観察した。

 

「菫」

 

 その様子に零子が溜息をつきながら彼女の名を呼ぶと、彼女は思い出したように手を叩いた。

 

「自己紹介が遅れたね。私は室戸菫、零子とは子供の頃からの腐れ縁だ。好きなものは死体とかそういうのだな。と言うわけでよろしく、断風凛くん」

 

 菫は手を差し出し、凛に握手を求めた。

 

 凛もそれに答えると彼女と握手を交わした。




あと一話で未踏破区域って所ですかねぇ……w
結構かかってしまいましたなwww

とりあえずは次話は前半菫先生との会話。後半に未踏破区域へ出発。と言う感じで行きたいと思います。

感想などありましたらおねがいします。


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第九話

 菫との握手を終えた凛は思い出したようにハッとした。

 

「室戸菫ってあの四賢人の室戸菫さんですか?」

 

「ああ、そうだよ。その四賢人の室戸菫だ」

 

 「ハハッ」と小さく笑いながら丈が合っていない白衣をずるずると引きずり、菫は椅子に座りなおした。

 

 そのまま彼女はまたしても凛を観察するように暫く見つめると、一回頷き指を立てた。

 

「一つ、君に質問したいんだが。君のその髪は地毛かい?」

 

 不思議そうに首を傾げながら凛の白髪を指摘した菫だが、凛はそれに対し苦笑いを浮かべながら答える。

 

「前は黒かったんですけど……ちょっといろいろありまして」

 

「なるほど、地毛ではあるものの後から色素が抜け落ちた。と言うことで合っているか……いや、わるいね。気になってしまってついつい聞いてしまった。許してくれ」

 

「いえ、御気になさらず」

 

 凛は菫に対し首を振った。すると、壁に背を預けていた零子が一度大きな溜息をつくと菫に問うた。

 

「とりあえず凛くんは紹介してみたけれど……これといって何か話がある?」

 

「うーん、そうだな。零子には既に頼んであるし、特にこれと言ってはないんだが……しいてあげるなら蛭子影胤について教えよう」

 

 彼女は指をパチンと鳴らすと、デスクにあるパソコンをいじり始めた。

 

 凛と零子は互いに彼女の下に近づくと、パソコンの画面を覗き込んだ。

 

「蛭子影胤は今でこそ民警ライセンスの停止、序列を凍結されていたりなどしているが、彼の元の序列は134位。能力は斥力フィールドと言ってね、攻防どちらにも使用できるんだ」

 

「あれを菫さんが作ったんですか?」

 

「いや、私は別のものを作ったが蛭子影胤の斥力フィールドは作っていないよ。彼を執刀したのはドイツの科学者であり私を含む他二人を統括していた四賢人最高責任者、ドイツのアルブレヒト・グリューネワルト教授だよ。グリューネワルト翁は私のように自国にラボを持っていなくてね。日本、アメリカ、オーストラリアにそれぞれ一つずつ自分のラボを構えていたよ。蛭子影胤がいたのはセクション16と言うところでね、そこはグリューネワルト翁の管轄だったというわけさ。

 さらに言ってしまうと、我々は四賢人などと呼ばれてはいたが、実際のところ私と他の二人と比べても、グリューネワルト翁は上だったよ。以前彼の機械化兵士計画のノウハウを盗もうと図面を見たが、一部、理解できないところがあったほどだからね」

 

 やれやれと肩を竦めあきれ返った様子の菫は胸ポケットに入っていたペンを取り出し手馴れた様子でペン回しを始めた。

 

 それを見る二人であるものの、この途方もない話を聞いていても二人は驚いた様子を見せずにいた。それどころか、零子は少し笑みを浮かべながら菫に問うた。

 

「それでその馬鹿みたいな天才が作り出した斥力フィールドを破る方法はあるの?」

 

「一応はあるな。斥力フィールドとは言っているが、全てを跳ね返せるわけじゃあない。耐え切れない強さの攻撃を当てれば破ることは可能だよ。しかし、アレは対戦車ライフルの弾丸は弾けるし、工事用の鉄球も止める事ができるんだぞ? 場合によってはそれ以上の力が出せるかもしれない。いくら凛くんが666位と言う高位序列者であっても破ることなど出来ないと思うがね」

 

 凛の体つきを見ながら小さく溜息をついた。しかし、それに対して零子は怪しげな笑みを浮かべると、凛に確認を取った。

 

「凛くん、君の秘密……菫に教えてあげていいかしら?」

 

「僕は構いませんけど……。聖天子様に許可とか取らなくていいんですか?」

 

「大丈夫よ。菫は此処から殆どでない地下の住人だから」

 

「人を地底人のように言うな。……それで? 凛くんの秘密と言うのはなんなんだ零子」

 

 二人の言い合いに訝しげな表情を浮かべていた菫が首を傾げる。零子はそれに頷くと菫に説明を始めた。

 

「凛くんの秘密って言うのはね……」

 

 

 

 

 

 

 

 凛達が菫の地下室で集まっている同時刻。

 

 蓮太郎は病室で意識を取り戻し、隣に座っている木更と話していた。

 

「お疲れ様、里見君」

 

「……ああ。だけどあいつ等は逃しちまった」

 

「仕方ないわ、負傷していたんだもの。それよりもあそこに凛兄様が駆けつけてくれて本当に助かったわね。もし、あのまま蛭子影胤にやられていたら貴方は生死の境をさまよっていたかもね」

 

 ゾッとする言葉であったが、蓮太郎は確かにそうだと心の中で呟きながら凛が助けてくれた時のことを思い出していた。

 

 ……あの時、凛さんが使ったのは確かに『滴水成氷』だった。

 

 口元に手を当てながら蓮太郎は少し考えると、意を決して木更に問う。

 

「木更さん。凛さんが天童式抜刀術を使っていたんだけどさ、もしかして天童で習ってたりしてたのか?」

 

 その問いに木更は一瞬押し黙るが、やがて諦めたように溜息をつく。

 

「……凛兄様は天童式抜刀術の免許皆伝者よ」

 

「はぁっ!? あの人自分の流派以外にも天童式抜刀術も覚えてんのかよ!? しかも免許皆伝って……」

 

「騒がないで里見くん。それに前にも言ったでしょう、あの人は人間じゃないって。凛兄様が免許皆伝と認められたのは兄様が10歳の時だったわ。ちょうど貴方は病院に行っていていなかった時期ね。そして、兄様はあの助喜与師範からこう言われていたわ。『お前の剣は澄み切っていて逆に恐ろしい』ってね」

 

「あの妖怪ジジイが……」

 

 助喜与師範は木更の剣の師であり、彼女を免許皆伝と認めた人物であり、その齢は既に100を超えている。

 

「一度凛兄様と打ち合った時があるんだけれど……恥ずかしながら当時の私じゃ手も足も出なかったわ。けれど、対峙してわかることは、あの人の剣には一切の迷いがないの。容赦がないって言葉も当てはまるかもね」

 

 当時を思い出しているのか、木更は肩を竦ませ大きな溜息をついた。しかし、蓮太郎は木更の話を聞きながらある疑問が思い浮かんだ。

 

 ……それだけの実力者なのにどうして600番代なんだ? 普通ならもっと行けるんじゃ。

 

「……なぁ木更さん。それだけ強いのにどうして凛さんは666位なんて順位なんだろうな」

 

「さぁ? 流石にそれはわからないわよ。それに、民警の序列は強さだけで判別できるものでもないでしょ? 依頼や任務の多さとかも大きく関わってくるし」

 

 木更はそこまで言うと立ち上がり、「飲み物買ってくるわ」と告げ、病室を後にした。

 

 その姿を目で追いながら蓮太郎は眉間に深く皺を寄せながら、先程木更が言っていたことを思い出す。

 

「……子供の頃の話でもあの木更さんが手も足も出ないなんて……。どれだけ強いんだあの人。だけど、もしそうなのだとしたら今日のあれは全然本気じゃなかったってことなのか?」

 

 昼間の影胤と凛の戦闘を思い出し、蓮太郎は天井を仰ぎながら深く溜息をついた。

 

 

 

 そして、翌日の昼ごろ。

 

 先日に防衛庁舎へ集まった民警達が招集され、聖天子から蛭子影胤と蛭子小比奈の能力を聞かされ、影胤らが現在潜伏している未踏査領域への大規模な作戦を実行に移すことを発表した。

 

 民警の皆は毅然とした表情でそれを聞き終えると、各々自分達が保有している民警たちへ連絡をとりに行っていた。

 

 零子もそうであり、凛にことのいきさつを説明し彼に任務を命じた。

 

 木更もまた蓮太郎に全てを話し、彼に命じた。

 

 二人の青年は自分達の社長に頭を下げると、各自準備を始め未踏査領域へ向かうためにヘリに向かった。

 

 

 

 

 午後八時三十分。

 

 ヘリに向かう凛の携帯に着信が入る。画面を見たところ見たことのある番号だったため、凛が出ると柔和な女性の声が聞こえた。

 

『こんばんは、凛さん』

 

「どうも聖天子様。今日は一体どんな御用ですか?」

 

 隣にいる摩那の肩を軽く叩いた凛は、路地裏の壁に背を預けた。

 

『用と言うよりも殆ど命令に近くなってしまいますが……凛さん、もし蛭子影胤を倒すことが出来ず、東京エリアにステージⅤのゾディアックガストレアが出現したときはすぐさま東京に戻ってきてください』

 

「人使い荒いですねぇ。だったら僕と摩那は未踏査区域に行かない方がいいのでは?」

 

『いいえ、今のは最悪の事態の場合です。出来れば貴方の力を皆に知らしめるわけにはいきませんので』

 

「なるほど。わかりました、もし本当にそうなった場合はまた連絡をください。そのときは即座に東京に戻りますよ」

 

『お願いします。……最後に一つ、御武運を』

 

 聖天子は張りのある声で告げるとそのまま電話を切った。凛はそれに肩を竦めるとしゃがみ込み、摩那の目の高さに自分の目を合わせる。

 

「摩那。聞いたとおり、もしかしたら〝やる〟かも知れないから、そのときはよろしくね」

 

「うん。覚悟は出来てるから大丈夫だよ」

 

 摩那は強い覚悟の灯った瞳を凛に見せながら大きく頷いた。凛はそれに笑顔で答えると、彼女の頭をクシャッと撫でる。

 

 二人は路地裏を出ると、ヘリがある集合場所へと向かった。

 

 集合場所へ到着した凛は周りを見回した。すると、右の方から聞き覚えのある声が凛を呼んだ。

 

「凛さん」

 

「お、蓮太郎くん。傷は大丈夫なのかい?」

 

「ああ。まだちょっと痛むがこれぐらいなら大丈夫だ」

 

 そう言って腹の辺りをさする蓮太郎の顔は確かに血色が良さそうだ。凛はそれに頷くが、蓮太郎はまだ凛に聞きたいことがあるようで、少し眉間に皺を寄せ難しい表情をしながら聞いた。

 

「えっと、凛さん。木更さんから聞いたんだけどよ……天童式抜刀術の免許皆伝ってやっぱ本当なのか?」

 

「……本当だよ、あまり使わないんだけどね」

 

 少しだけ口にするのをためらった素振りを見せた凛であるが、彼は頷きながら蓮太郎の問いに答えた。

 

 蓮太郎はそれを再確認するように深く頷くと、凛の腰にある刀に違和感を覚えた。

 

「あれ? 凛さん刀が四本も……」

 

「あぁこれ。一本は最終兵器として、もう三本は折れてもいい刀として持ってきたんだよ。因みにこの三本は未織ちゃんから買ったものだけどね」

 

「未織って司馬未織!?」

 

「そうだよ。蓮太郎くんも未織ちゃんから武器を提供してもらってるんだよね。案外共通点が多いね僕ら」

 

 これから東京が消滅するか否かの瀬戸際に立たされているというのに、凛は軽く笑った。それを聞いた周りの民警達が凛を睨むが、彼は全く気にした様子を見せない。

 

 すると、配置してあるヘリへ乗り込めという号令がかかり、皆それぞれ自分達に割り当てられたヘリに乗り込んでいく。

 

 凛と蓮太郎は互いに頷くと凛の方が蓮太郎の肩を軽く叩き、小さく笑いつつも真剣な面持ちで告げる。

 

「とりあえず互いに生きて帰ってくることを考えよう。それじゃあ僕たちはこっちだからまたね」

 

「ああ。凛さんたちも気をつけろよ」

 

 蓮太郎の言葉に凛は一度頷くと、踵を返し自身が乗り込むヘリに足を進めた。

 

 摩那と延珠は互いに手を振り合いまた会うことを約束していた。

 

 しかし夜天に浮かぶ月はこれからはじまる出来事を予見しているかのように美しく、そして妖しい赤い光を放っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 軍用ヘリが任務を終え帰還していく姿を見送ると、凛と摩那は周囲をぐるりと見回した。周囲は鬱葱とした森であり、此処が十年前まで人間が統治していたとは思えないほどに荒れていた。

 

 幸い二人が降り立ったのは以前使われていた道路部分であるため泥のぬかるみは感じられないが、先日降った大雨の影響がまだ残っており、あちらこちらに水溜りが出来ているし。独特の土の香りが漂っていた。

 

 そして、周囲を見回すと同時に摩那がヒクヒクと鼻を動かし匂いを嗅ぐと、彼女は一度大きく頷き凛に報告する。

 

「周囲はガストレアの匂いだらけ。だけど小比奈ちゃんたちの匂いもしないよ」

 

「ガストレアは寝ている奴が多いのかもね。けど、影胤さんたちの匂いがしないのはちょっと厄介だね。雨で洗い流されちゃったかな」

 

「ううん。私が感知できる範囲に入ればわかるよ、小比奈ちゃんの匂いは印象的だから」

 

 摩那は真剣な面持ちで言うと、グッと拳を握り締めた。それだけ小比奈の血の匂いは濃かったのだろう。

 

「よし、突っ立ててもしょうがない。とりあえずこの道を進んでみよう。確かこの先には街があったはずだから」

 

「うん」

 

 二人はそのまま歩き出した。整備されていない道路は所々ひび割れており、大きな穴が空いている場所もあった。

 

 地面が隆起しているアスファルトもあり、懐中電灯がなければ転んでしまうことだろう。すると、凛の後ろで摩那が間の抜けた声を上げた。

 

「わひゃっ!?」

 

「おっとと。気をつけてね摩那、僕が言っておけばよかったね」

 

「ううん気にしないでいい――」

 

 と、そこまで摩那が言いかけたところで身体を内側から震わすような重低音の爆発音が響いた。それとほぼ同時に周囲の森全体がざわめき始めた。

 

 ぎゃあぎゃあという鳥や蝙蝠達のけたたましい声が聞こえると同時に、それ以外にも地を這うようなおぞましい咆哮も聞こえた。

 

「これはちょっとまずいかもね。摩那!」

 

「うん!」

 

 凛に呼ばれ、彼女は周囲の空気を大きく吸った。そして、一気に吐ききると彼に告げる。

 

「まずいよ! 今の爆発で周囲で動かなかったガストレアの匂いが動き出したよ!」

 

 若干焦った様子の摩那の声に、凛は頷きながらも腰に差してあった四本の刀うちの一本、バラニウム刀参式を抜き放った。

 

 それとほぼ同時に凛達の目の前に一匹のガストレアが姿を現した。ズンッ! という重量感のある音が辺りに木霊すると同時に、現れたガストレアの姿が月明かりに照らされ露になった。

 

 そこにいたのは頭と上半身がグリズリーのようであり、左右の手の一方は蠍の尻尾の様な巨大な針があり、もう一方はカニの鋏を思わせる爪が生えていて、下半身がムカデのようになったガストレアがいた。

 

「これはまた随分と混ざったもんだねぇ」

 

「うげぇ……足気持ち悪いよぉ」

 

 ガストレアの姿を確認した凛と摩那はそれぞれ顔をしかめた。摩那にいたっては舌を出して気持ち悪さを表現している。

 

 するとガストレアは二人の反応を他所にその多すぎる足で二人に急接近し、巨大な鋏で凛を殺そうとする。

 

 しかし、凛はそれを冷静に対処し鋏が通り過ぎるギリギリのところでそれを交わすと肩の辺りからガストレアの腕を切り落とした。

 

 血が吹き出し、ガストレアは苦痛の悲鳴を上げるが凛はそれに容赦はしなかった。もう一方の腕も切り落とすと、彼はそのままガストレアの正面に回りこみ下半身と上半身を真一文字に両断した。

 

 一閃しただけで大木よりも太かったガストレアの胴体はまるで、豆腐を切るように簡単に切断され、支えがなくなった上半身はそのまま前のめりに倒れこむ。

 

 それを飛び退いて回避した後、凛はまだ息のあるガストレアの頭部にバラニウム刀を衝き立てた。ガストレアはそれが完全に致命傷になったのか、そのまま動くことはなく絶命した。

 

 動かなくなったガストレアから刀を抜いた凛は、刃に付着した血を振り払い鞘に収めた。すると、摩那が満足げに聞いてきた。

 

「結構調子いいみたいだね。未織が作ってくれたその刀」

 

「そうだね。以前はすぐに壊れちゃったけど……これなら五頭ぐらいならいけるかな」

 

「それでも五頭なんだ……」

 

 摩那は若干溜息混じりに呟くが、その時彼女の鼻腔に僅かな血の香りが漂ってきた。

 

「血の匂い……凛! 血の匂いがする!!」

 

「影胤さんたちかい?」

 

「ううん違う。これは多分私と同じイニシエーターの子のだと思う。ねぇ凛、助けに行こう!」

 

 摩那は凛の服の袖を掴みながら言う。凛はそれに神妙な面持ちのまま頷くと摩那に命じた。

 

「わかった! 案内はよろしくね摩那!」

 

「任せて! こっちだよ!!」

 

 摩那はそのまま草木が生い茂る森の中へダイブし、凛もそれに続き森へ飛び込む。

 

 森の中は先日の雨で草木に水滴が付着しており、湿気が多かったが凛と摩那はお構いなしに突き進む。

 

 時折ガストレアの赤い瞳がチラついていたが、摩那が匂いを察知しているため遭遇することはなかった。

 

 そして、5分ほど走ったところで摩那が突然足を止める。凛もそれに習い足を止めると、摩那の前方を見やる。

 

 そこには大戦時に作られたであろう防御陣地(トーチカ)があった。ボロボロであるが、風除け程度には使えそうだった。同時にその中ではパチパチと言う焚火をしているような音が聞こえる。誰かがいることは明白だ。

 

 凛はその光を確認すると摩那に小声で問う。

 

「……中には何人いる……?」

 

「……一人。嗅いだことのない匂いだから小比奈ちゃんではないはずだよ……」

 

 それを聞いた凛は一度頷くと、刀には手をかけずに防御陣地の中へ足を踏み入れた。

 

 同時に凛に対してショットガンの銃口が突きつけられるが、彼はあせることはなく銃を突きつけた人物に弁解した。

 

「待った。大丈夫だよ……ってあれ? 君は……」

 

 そこにいたのは息を荒げつつも銃を構えたうつろな目の少女がいた。落ち着いた長袖のワンピースにスパッツを着用しており、腕からはとめどなく血が流れ続けている。

 

「貴方は……」

 

 少女の方も凛の姿を確認できたのか、ショットガンを下ろし緊張の糸が切れたように大きな溜息をついた。

 

「凛、知り合い?」

 

「うん。以前あったことがあってね。僕のこと覚えてるよね」

 

「もちろん、将監さんを叩き伏せた断風凛さんですよね」

 

 少女は壁に背を預けながら言う。凛もまたそれに頷くと摩那と共に彼女の隣に腰を下ろした。

 

「直接はしゃべってなかったからね、できれば君の名前を教えてくれるかな」

 

「申し遅れました。私は伊熊将監のイニシエーター千寿夏世といいます」




アニメ良い!!
日高さん延珠が可愛くて悶死しそうです!!

……申し訳ありませんちょいとハッスルしすぎました。
けれどアニメは良い感じでよかったですw

こちらのほうもやっと夏世ちゃんを登場させることが出来ました。
この後彼女が生きるか死ぬかは凛の行動次第でございますw
えっ? 凛が刀を四本装備していてどっかの大総統みたいだって?
偶然ですよ、偶然。


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第十話

 焚火に拾ってきた適当な枝を折って放り入れながら凛は隣に座る夏世の傷口を見やる。巻かれている包帯には血が濃く滲んでいるが、恐らくその下の傷口は既に回復が始まっているだろう。

 

 ふと凛は思い出したようにポケットをまさぐり始めた。そして、目当てのものがあったのかポケットの中身を夏世に手渡した。

 

「はい」

 

「……なんですかこれ? アメ?」

 

「うん。庁舎であった時お腹空いてたみたいだから後で渡そうと思って持ってたんだ。いる?」

 

 首をかしげながら聞く凛に夏世は小さく笑みを零した。同時に彼女はアメを受け取ると封をあけそれを口の中に運ぶ。

 

 アメはりんご味だった。フルーティな甘みと酸味が口の中に広がり、夏世は頬を綻ばせた。

 

 それを見た凛はトーチカの外で周囲を警戒している摩那にもアメを手渡した。

 

「それで、将監くんとは連絡はついてないのかい?」

 

「はい。生きているとは思うのですが、どうにも」

 

 夏世は無線機を持ちながら小さく溜息をついた。

 

 彼女の話では、森に降り立った際罠にかかったのだという。しかもそれは人間が仕掛けた罠ではなくガストレアが仕掛けた罠らしい。それは薄青い光を点滅させていたらしく、彼女らはそれを味方の誰かだと思って近づいたとのことだ。

 

 しかし、その光に近づくにつれ物が腐ったような強烈な腐臭が漂っており、彼女等が気づいた時にはガストレアは身をぶるぶると震わせ、まるで歓喜しているような素振りを見せたらしい。

 

 そうして、彼女は咄嗟に榴弾を使用してしまったとのことだった。その影響で森のガストレアたちが目を覚まし、それらから逃げている最中に将監とはぐれてしまった。と言うのがことのいきさつだった。

 

 凛はそれを聞いても特に咎める事はしなかった。夏世はそれに少し驚いていたが、すぐに視線を落としぱちぱちと音をたてる焚火を見ていた。

 

「ねぇ断風さん。貴方は私達イニシエーターを殺すための道具だと思っていますか?」

 

「いや、そうは見てないけど……どうしてかな?」

 

「私は此処に辿り着く前、出会ったペアを殺害しました」

 

 冷淡な口調で言う夏世だが、凛はそれを聞いても眉一つも動かさなかった。それを不信に思ったのか、夏世は凛を見つめながら彼に問う。

 

「驚いたりしないんですか?」

 

「うーん……内心では驚いているけど、まぁそういった考えの人もいるからねぇ。君にそういうことを命令したのは将監くんだろう?」

 

「それは……そうですけど……」

 

「だったら僕は気にしない。けれど人を殺すことはとても悪い事だ。それは君もわかってるんだろう?」

 

 凛が言うと、夏世は顔を伏せながら静かに頷いた。すると、凛は彼女の背をなでながら優しく告げる。

 

「いいかい、君たちは決して道具じゃない。僕達と同じ生きた人間だよ。イニシエーターだから道具のように扱っていいなんてことは僕は考えてない。……まぁ将監くんを責める気にもならないけどね。彼も戦争の被害者だから」

 

「被害者……」

 

「いや……彼だけじゃないね。言ってしまえば東京エリアや他のエリアの人々。そして、君たち『呪われた子供たち』も被害者だね。僕は直接的にガストレア戦争で親族をなくしてはいないけど、他の人々は言葉じゃ表現できないような苦しみを味わったんだろうね。

 家族、親戚、恋人、友達、自分達の大切な人々が目の前でガストレアに殺され、引きちぎられ、切り裂かれ、喰われ、ましてや喰われるだけではなくその人達が異形のバケモノに変貌し自分に襲い掛かって来るなんてある意味、死よりも辛いだろうね」

 

 枯れ木を炎に放り投げながら言う凛は真剣な表情だった。しかし、どこか彼の瞳は悲しげだ。

 

「けど、だからと言って君たちのような存在を否定し、迫害して良い理由にはならないと僕は思うよ」

 

「それは……綺麗事ですね」

 

「うん、僕もそう思う。……それでも僕はこの気持ちを持ち続けるよ。この考え方を僕に託したおじいちゃんのためにもね」

 

 拳を握り締め燃え上がる火をどこか儚げで、悲しげな瞳で見つめる凛の言葉にはとても硬い決意の念が込められている様に夏世は思えた。

 

 同時に、彼の瞳が物語るもう一つの感情を夏世は読み取ることが出来てしまった。

 

「断風さん、貴方は――」

 

 と、彼女がそこまで言いかけたところで無線機がなり、粗暴な男性の声が聞こえてきた。

 

『……い! おい、夏世!! 生きてんだったら返事しやがれ!』

 

 声からして将監だろう。夏世は言いかけた言葉を飲み込み、無線機を手に取った。

 

「はい。そちらもその様子から察すると元気そうですね」

 

『まぁな。って、んなこたぁどうでもいい、夏世、いいニュースだぜ』

 

 いいニュースと言う言葉に凛と夏世は首を傾げるが、次に将監が言った言葉に納得した。

 

『仮面野郎を見つけたぜ。海辺の市街地だ。今から他の民警の連中総出で奇襲をかける手筈になってる。本当は出し抜いてやりたいところだが、仮面野郎の序列は俺よりも上だし、何より肝心のイニシエーターがいねぇからな。まっ、報酬は仲良く山分けって感じだってよ。テメェもさっさと合流しろよ』

 

 将監は夏世の返答を聞かずに一方的に無線を切った。夏世もまたそれを聞き終えると焚火を足で踏み消した。

 

 凛もまた腰を上げると、トーチカの外にいる摩那を呼んだ。

 

「腕は大丈夫かい?」

 

「はい。もう治りました」

 

 夏世は包帯を取りながら告げる。確かに既に彼女の腕には傷一つ残っていなかった。

 

 そして、三人は将監の言っていた海辺の市街地へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 森の中を歩くにつれ、段々と風に乗って漂う潮の匂いが濃くなってきた。トーチカから出た当初から鼻がきく摩那を先頭に三人は作戦が行われる市街地に着実に近づいていた。

 

 ……四時か……奇襲ってことはやっぱり朝駆けかな。

 

 時計を確認しながら将監が言っていた奇襲作戦のことを考えていた凛であるが、先程から胸騒ぎがしてならないのだ。

 

 影胤の斥力フィールドは凄まじい力だ。一度戦った凛だからこそ分かることなのかもしれないが、彼の斥力フィールドはまだ出力が上がると凛は踏んでいる。

 

「早く着かないとまずいかもね……」

 

 呟いた凛であるが、そこで先頭を行く摩那が二人に声をかけた。

 

「見えたよ。二人とも」

 

 摩那が指差す方には街が広がっているが、街の規模は大して大きくはない。港には小型船の船舶やボートが多く係留されている。

 

 当然のように街には灯りが灯っていないだろうと、三人は街を見やるものの、一つの建物に明かりが灯っていた。形からして恐らく教会だろうか。

 

 途端、その建物から銃声が響いた。最初の一発だったのか、それを皮切りに次々に銃撃音が鳴り、剣を使っているであろう剣戟音も聞こえる。

 

「始まったみたいだね……っとその前に!!」

 

 凛は言いながら振り向くと、腰に差してある刀を鞘から抜き放ちそのまま茂みへと投げつけた。回転しながら茂みへ突き刺さった刀であるが、次の瞬間その茂みから虎のようなガストレアが頭に深々と刀を突き刺されたまま倒れ付した。

 

 倒れ、絶命したガストレアの頭部に刺さっている刀を引き抜くと、頭部から血が吹き出す。

 

 血が付着した刀の血を振り払い、街が見えるところに戻るが既に作戦は終了してしまったのか、それとも影胤が勝利したのかわからないが凛は真剣な面持ちのまま二人に告げる。

 

「よし、行こうか」

 

「私は残らせてもらいます」

 

 凛の言葉に夏世は首を振って否定をした。隣にいる摩那はそれを聞いてぎょっとするが、凛はその意図が分かっているように彼女を見据えた。

 

「ガストレアを此処で止めるつもりだね?」

 

 夏世は静かに頷くと、先程凛が殺した虎のようなガストレアを見やりながら背嚢を下ろす。

 

「今のガストレアもそうですが、断風さんや摩那さんにも聞こえてますよね?」

 

 確かに彼女が言うとおり、先程から森の奥から唸るような声や甲高い声が聞こえている。恐らく、周囲のガストレアが交信しているのだろう。

 

「ここで誰かがガストレアを止めなければいけません。その役を私が買わせてもらいます」

 

 夏世はショットガンに弾薬を込めながら二人に告げる。しかし、凛は彼女に告げた。

 

「だったら、僕はこれから一人で行くよ。摩那、夏世ちゃんをサポートしてあげて」

 

「了解!」

 

「な、なにを言ってるんですか!? あの蛭子影胤にイニシエーターなしで挑むつもりですか!?」

 

「うん。だって、そうしないと夏世ちゃん絶対に無茶するでしょ? それに、摩那は近接戦闘型で夏世ちゃんは遠距離型いい関係じゃないか。だけどもし、無理だとわかったら撤退していいからね」

 

 凛はそれだけ告げると、一気に街へと駆ける。

 

 それを呆然とした表情のまま夏世が見送るが、摩那はそんな彼女の肩を叩くとベルトから黒い爪を取り出し腕に装備した。

 

「さぁ、私達もがんばろう!」

 

「摩那さんは心配じゃないんですか!? たった一人であのバケモノのような男と戦うんですよ!?」

 

「大丈夫だよ。凛は絶対に負けないもん。だって凛は強いしそれに――」

 

 そこまで言ったところで摩那がいいとどめた。夏世は首を傾げるが、摩那は小さく笑うと首を横に振りこれからやってくるであろうガストレアの群れがいるであろう森に対峙する。

 

「ごめん、なんでもないや。けどね夏世ちゃん。これだけはわかるんだ、凛は絶対に負けないし強いよ」

 

 摩那の力強い言葉に夏世は呆れながらも、ショットガンを構え摩那と同じように森をにらみつけた。

 

「序列666位の力。見せてもらいますよ?」

 

「ふふん! 上等だよ!!」

 

 

 

 

 

 

 二人と別れた凛は森を抜け街へ辿り着いた。

 

 街は人が住まなくなったからか老朽化や自然の力の前に成す術なく所々ひび割れ、ビルにも大穴があいているところがあった。

 

 港に止められている船舶も先程から風あおられ軋む音をたてるが、凛はそれを気にした様子もなく進んでいく。

 

 ……この様子からして作戦は失敗したと見るほうが妥当かな。

 

 先程もそうだったが、既に街中で銃声や剣戟音はまったく聞こえなくなっていた。不気味な静けさに包まれた街であるが、ふと凛の耳にジャリッという靴で砂を踏んだような音が聞こえた。

 

 一瞬影胤かと思ったが、凛が見た方向にはバスターソードを支えに何とか立っていた伊熊将監が立っていた。

 

 しかし、彼は荒い息を吐きながらその場に倒れた。

 

「将監くん!!」

 

 凛が駆け寄り彼の上体を起こすが、凛はその時彼の腹部からまだ温かみのある血が出ていることに気がついた。

 

「血が……早く止血しないと!」

 

「や……めろ。俺はもう、助からねぇ」

 

 将監は止血しようとする凛の手を力ない手で払うと、一度大量に喀血した。

 

「断……風……。テメェに頼むのは……釈然としねぇが……ゲホっ! グッ……アイツを、蛭子影胤を倒しやがれ」

 

「わかってる。だけど、君の手当てもしないと」

 

「だから、いいって言ってんだろ……!! ガハっ!」

 

 また口から大量の血を吐き出し、彼の血色はどんどんと悪くなっていく。目も焦点が合っておらず、とても虚ろだ。

 

 しかし、彼は凛の胸倉を残った最後の力で掴むと苦しげな息を吐きながら彼に言い放った。

 

「そんで……もしテメェが勝ったら、アイツを……夏世を頼めるか……?」

 

「夏世ちゃんを?」

 

「あぁ……。俺が死ねばアイツはまた施設に逆戻りになっちまうはずだ。そうなれば……アイツはまた一人だ。テメェはいけ好かねぇが……あいつ等みてぇな存在を大切にしてるって事はわかる……! 勝手だとは思ってる……! けどよ……恥を承知でテメェに頼む……!! アイツを、夏世を! 頼む!!」

 

 庁舎で会った時や、先程の無線の声の主とは思えないほど弱弱しくも、しっかりした声で凛に懇願する将監に、凛は胸倉を掴んでいる彼の手を握り締めると深く頷いた。

 

 将監はそれを確認できたのか、僅かに口元を緩ませながらゆっくりとまぶたを閉じながら、消え入るような声で最後の言葉を口にした。

 

「……あばよ、夏世……。今まで……わるかったなぁ……」

 

 それはきっと彼の心からの言葉だったのだろう。いつも粗野で粗暴な彼だったのかもしれないが、きっと内心では誰よりも夏世のことを思っていたのかも知れない。

 

 しかし、それを気付かれないために他の民警を殺してでも戦果を出すということを彼女に教えていたのかもしれない。

 

 凛は将監の遺体をその場に静かに寝かせると、そのまま立ち上がり彼に両手を合わせた。

 

「君の意思は受け継ぐよ。だから、ゆっくりと休んでくれ」

 

 将監の亡骸を背にしながら、凛は歩き出した。

 

 そして、大通りへ出た凛はそこに広がっていた惨状を見て眉間に皺を寄せた。

 

 通りには影胤たちによって殺されたであろうプロモーターやイニシエーター達の死体が転がっていたのだ。中には首を切られ、腕を飛ばされ、銃で頭を吹き飛ばされ、壁にめり込ませられ、最早原型を留めていないものまであった。

 

 血の海に沈む死体の山を見ながら凛はそれらを作り出した張本人二人と真っ向から対峙する。

 

「おやおやぁ? 君一人だけかい? イニシエーターはどうしたのかな」

 

 笑みを浮かべたような仮面がつけられた顔を凛に向けながら影胤は凛に問う。

 

「摩那は別のところで戦ってくれています……。悪いね小比奈ちゃん、摩那は来ないよ」

 

「いいよ、別に。来ないなら貴方を殺してその首を摩那に渡す。そしたら戦えるでしょ?」

 

 赤い瞳を凛に向けながら小比奈は笑みを零す。彼女の手に握られている小太刀には赤い鮮血がべっとりとこびり付いていた。

 

「それで、君は私達二人とどうやって戦うつもりなのかな?」

 

「もちろん……真正面からですよ。……蛭子影胤さん、ならびに蛭子小比奈ちゃん。僕は貴方達を止めます」

 

「面白い!! できるものならやってみてくれたまえ断風くん!!」

 

 影胤は両手を上げ、本当に面白げな声を発した。

 

 凛は態勢を低くしバラニウム刀に手をかけると影胤と小比奈を見据えたまま告げる。

 

「……断風流現当主、断風凛。参ります……」




なんか凄いお気に入り登録が増えててびっくりしておりますw
評価もつけていただいてありがたい限りです。

やっと此処まできました……
将監の願いは私の勝手な妄想ですので「将監はこんなこと思ってねーよ!」って思っていらっしゃる方がいらしたら申し訳ありません……!

次話は蓮太郎くん達を出します。

あと数話で一巻の内容も終わりになりますががんばって行きたいと思います。

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第十一話

 態勢を低くし抜刀の姿勢を取った凛は鋭い眼光で二人を睨みつける。

 

 それに対し、影胤はシルクハットのつばから手を離すと軽く指を鳴らしながら隣の小比奈に命じた。

 

「行け、小比奈」

 

 小比奈はそれに小さく頷くと、小太刀を構え大きく地面を蹴った。力が強いためか地面が多少抉れたようだが、小比奈はそんなことを気にした様子もなく凄まじい勢いで凛に接近する。

 

 まさに一瞬とも言うべき速度で凛の眼前に迫った小比奈は、黒刃の小太刀を神速の速さで凛の首下に向けた。

 

 通常、彼女等イニシエーターの力は成人男性を軽く凌駕し、ステージⅠのガストレア程度ならば戦闘訓練を受けていれば一撃で破砕することが出来る。勿論そんな彼女等の攻撃を普通の人間であるプロモーターが受け止めようとしても、圧倒的な力の差の前になす術なく圧倒されてしまうだろう。

 

 小比奈もまた先程まで散々殺した民警たちと同じように、凛の首を刎ねようと彼の首を狙った。

 

 しかし、小比奈は小太刀が凛の首筋に食い込む瞬間、彼がこの危機的状況で笑みを浮かべているのを見たのだ。

 

 その笑みに小比奈は一瞬、ほんのコンマ一秒だけ心が揺らいだ。今まで殺してきた人間は数知れない彼女であるが、その中では皆一様に恐怖や驚愕に顔を染めるものしかいなかった。

 

 つまり、殺されるかもしれない状況で笑みを浮かべた対象など今まで一度も遭遇したことがなかった彼女の精神に本当に僅か、隙が生まれたのだ。

 

 凛はそれを見逃すことはなく抜刀態勢のまま半歩後ろに飛び退き、先程の抜刀態勢よりも更に態勢を低くし刀の柄頭で小比奈の顎を狙う。

 

 だが、小比奈も気付かないはずもなく、彼女は振りぬいた小太刀をそのままに凛が抜いた刀の柄頭を足で蹴ると、そのまま空中でくるりと一回転しながら大きく後ろに飛びのいた。

 

 これら一様の時間、僅か三秒にも満たないほどである。

 

「さすがにやるなぁ……」

 

 刀を鞘に納めつつ呟いた凛であるが、小比奈はもう一度地を蹴るとまたしても凛へ小太刀を振るう。

 

「私の攻撃避ける普通の人初めて見た!!」

 

「それはどうも、ありがとう!」

 

 小比奈の小太刀を抜き放った刀で受け止めた凛は、驚きと楽しさが入り混じったような表情を浮かべている小比奈に、軽く礼を言うが、その顔には若干苦悶がうかがえる。

 

 ……やっぱり力強いなぁ。気を抜いたら刀折られそう。

 

 凄まじい速さで繰り出される小比奈の剣戟を、苦い顔をしながらも受けとめ、いなして行く凛であったが、通算で二十回目のぶつかり合いの瞬間、凛のバラニウム刀参式が甲高い音を立てて折れた。

 

 小比奈はそれを確認しニヤリと笑うが、凛はそれすらも落ち着いて対処し自分の顔を目掛けて振り下ろされた小太刀を寸でのところで直撃を避けた。

 

 凛はそのままバク転の要領で小比奈との戦闘から離脱する。彼の頬からは先程の小比奈の攻撃の影響か、薄く切れた傷口からは鮮血が流れ頬を伝っていた。

 

 すると、小比奈は追撃をするためまたしても地を蹴ろうとするが、その瞬間顔から笑みが消え、代わりに苦悶が広がった。

 

 見ると、彼女の黒いワンピースの肩口の辺りが切れており、服の下から僅かであるが血が傷口が見える。

 

「アレだけやって小さい傷一つか……。流石に序列134位だけはあるね」

 

 態勢を立て直しいつの間にか抜いていた刀を地面に突き刺した凛は小さく溜息をついた。

 

「……一体いつ私に傷を?」

 

「バク転して後ろに後退する時腕をちょっと伸ばしただけだよ。まぁまぐれみたいなもんだから」

 

 肩を竦めた凛であるが、小比奈は傷をつけられたことが気に入らないのか歯を食い縛り、赤い双眸で凛を睨みつけていた。

 

 すると、割って入るように影胤の狂笑が響いた。

 

「ククク、ハハハ、フハハハハハハッ!! 全く、君は本当に人間かい? まさか小比奈とあそこまで渡り合うとは思わなかったよ!」

 

 興奮した様子で影胤は拍手をしながら、凛に賛美を送った。凛は彼の姿を警戒しつつも刀を戻すと、おもむろに残っていたもう一本のバラニウム刀参式を抜き放ち、小比奈と同じように両手でそれを持つ。既に鞘は動きの邪魔になるため下ろしているが、まだ一本だけ凛の腰には冥光が残っていた。

 

「ほう、二刀流?」

 

「まぁそんなところです。けど、これで貴方達に勝てるとは思っていないんでご心配なく」

 

「なるほど、と言うことはまだ腰に差してあるその刀が君の最終兵器と言うわけか」

 

 影胤は数度頷くとホルスターから『スパンキング・ソドミー』『サイケデリック・ゴスペル』を取り出し、凛に銃口を向けた。

 

「此処からは私達二人だ。何処まで相手に出来るか見せてもらおう!!」

 

 影胤と小比奈は同時に駆け出し凛へ接近した。

 

 

 

 

 

 

 凛と影胤、小比奈ペアの戦闘が始まった当初から高度八百メートルの位置から三人を見下ろす機械的な瞳があった。

 

 東京エリアの第一区作戦本部、日本国家安全保障会議の会場には無人機から送られてきた鮮明な映像がリアルタイムでモニターに映し出されていた。

 

 つい先程まで作戦本部にはまるで通夜や葬式のような静けさが漂っていたが、今はそれが変わり皆驚嘆に言葉を失っていた。

 

 それもそうだ、十数分前に突入した十四組のペアと一人のプロモーター。合計二十九人がモニターの中で蛭子影胤らに惨殺、蹂躙された直後。突然現れた一人の白髪の民警、しかもプロモーターの青年が影胤らとほぼ互角に渡り合っているのだ。驚くのも無理はないだろう。

 

「彼は一体何者だというのだ? 戦っている相手はあの蛭子影胤だぞ!?」

 

 恰幅のある体型の防衛大臣が驚愕の声を上げるが、聖天子も菊之丞も答えることはない。すると、聖天子は驚いている防衛大臣に問うた。

 

「今現在あの場所に一番近い民警は何分ほどで到着しますか?」

 

「あ、は! 現在一組の民警が向かっております。恐らくあと5分ほどで合流できるかと……」

 

「そうですか。わかりました」

 

 聖天子は静かに頷くと、真剣な面持ちでモニタ内で戦う凛の姿を見やりながら心の中で祈った。

 

 ……凛さんがんばって。あと少しの辛抱です。お願いします、早く来てください――。

 

「……里見さん……」

 

 聖天子のつぶやきは隣に控える菊之丞にだけ聞こえていたようで、菊之丞は眉間に皺を寄せモニタの中で戦闘を繰り広げている凛の姿を見やった。

 

 ……腕は衰えていない様だな。流石は劉蔵の孫と言ったところか……。

 

 内心で凛の戦いぶりを見て彼の祖父であり、自身の親友であった断風劉蔵(たちかぜりゅうぞう)を今影胤ら二人を相手にしている凛と照らし合わせていた。

 

 

 

 

 

 

 

「フハハハハッ!! 楽しい! 実に楽しいよ断風くん!!」

 

 影胤は愛銃をから弾丸を射出しながら凛に笑いかける。凛はそれに反応し打ち出された弾丸を刀で断ち切るが、その隙を狙い小比奈が切りかかる。

 

 けれど凛は冷静に状況を見極め小太刀を受け止める。だがその瞬間、凛は刀の刃から自身の腕に伝わる嫌な感触に顔を歪ませると、刀を斜めにし小比奈の小太刀を滑らせるようにいなす。

 

 同時に彼は彼女の背中を右足を軸にした左足での回し蹴りを放つ。しかし、凛の足は空しく空を切るだけに終わり、小比奈は先ほど凛がやったのと同じようにバク転しながら後退した。

 

 すぐに影胤の追撃が来るだろうと踏んでいた凛は刀を構えなおすが小比奈から受けたダメージは大きいようで、刀の刃の部分がザックリと抉られていた。その状態であっても凛は影胤を見据えるが、彼はやや肩を竦ませながらマガジンに弾丸を詰めていた。

 

「ふむ……面白い、面白いことに変わりはないのだが……。断風くん、君はまだ全力を出し切っていないだろう」

 

 影胤が言っているのは先日、凛が彼の斥力フィールドを切り裂いたことだろう。

 

「この刀だとアレできないんですよ」

 

「なるほど、ようは君が今扱っているその刀では君自身の力に耐えられないというわけか……。では何故君はそんな不良品を使っているんだい?」

 

「それは簡単ですよ。この刀は僕の武器提供者が作ってくれたものなんです。それを使わずに置いておくなんて勿体無いじゃないですか」

 

 凛は刀の切先を影胤に向けるが、それと同時に小比奈と打ち合った際つけられた傷から刀が鈍い音を立てて折れてしまった。

 

「あ……やっぱり小比奈ちゃんの攻撃強いですねぇ。こんなに早く折れるなんて」

 

 凛は折れた刀を見やりつつ、柄の部分と僅かな刀身が残った刀を放った。すると、影胤はその反応が可笑しかったのか仮面の口の部分を押さえながら笑いを漏らした。

 

「ククク……。この状況下でなおその様な平静を保っていられるなんてやはり君は私と似ている。……前にも言ったねぇ断風くん。『君と私は似ている』と、それが今何処が似ているのかわかったよ。

 断風くん。私が言えたことではないが、君は異常者だ。この状況で笑みを浮かべる余裕があるのもそうだが、君の目は私と同じ輝きを持っている」

 

 影胤は首を少しだけ傾げながら凛を見る。凛はそんな彼の姿から視線をそらさずに彼を見つめていた。

 

 すると影胤は『サイケデリック・ゴスペル』の銃口を凛に突きつけながら笑みを孕んだような声音で告げた。

 

「はっきり言おう。……君は人を殺したことがあるだろう?」

 

 凛はそれに無言のまま影胤から視線をそらすと、持っていたバラニウム刀を放り地面へ突き刺した。

 

 同時に彼は鞘に納まっていた冥光に手をかける。

 

「その行動は肯定と受け取ってもいいのかな?」

 

「どうぞお好きに。……すいませんね、影胤さん。今まで本気じゃなかったので……今からは本気で行きます」

 

 そう言った凛の瞳から光が消え、まるで死人のような瞳が影胤を見据える。それがスイッチだったのか、凛からとてつもなく鋭く洗練された殺気が放出された。しかし、それは鋭さ以上に何か黒く歪んだものも混じっているように思える。

 

 並みの人間なら卒倒してしまいそうな強烈な殺気だが、影胤はそれすらも面白いというように銃を構えた。凛の後ろにいる小比奈も凛の殺気に怯えることはなく小太刀を構えた。

 

 凛もそれらに答えるように抜刀の姿勢をとる。

 

 3人の間にはまるでそこだけ時が止まってしまったのではないかと言うほどの沈黙が流れる。しかし、その沈黙は思いもよらない形で破られた。

 

「てりゃあああああああ!!!!」

 

 気合の咆哮が聞こえたかと思うと、凛の後ろでツインテールを棚引かせながら小比奈に飛び蹴りを放っている延珠の姿があった。

 

 まったく予感していなかった第三者の介入に凛と影胤は揃って驚いた様子だが、そこへXD拳銃を構えた蓮太郎が割って入った。

 

「凛さん、わるい遅れた!」

 

「蓮太郎くん……」

 

「おやおや、まさかこのタイミングで君が来るとはねぇ里見くん」

 

 影胤はやれやれといった風に肩を竦めながら蓮太郎と凛を見比べる。すると、蓮太郎は銃を構えたまま凛に告げた。

 

「凛さん。勝手だとは思うんだけど、こいつは俺に倒させてくれないか?」

 

 呼吸を落ち着けながら凛に問うた蓮太郎からは緊張と覚悟が入り混じった感情が読み取れた。凛はそれに対し一度目を閉じて頷いた。

 

「……力を使うつもりなんだね。蓮太郎くん」

 

「どうしてそれをッ!?」

 

 蓮太郎は自らの秘密を絶対に知らないであろう凛から漏らされた言葉に目を見開いた。

 

「菫さんに聞いたんだ君の秘密をね。ちょっと失礼だったかもしれないけどね。……あと蓮太郎くん、今から言うことを覚えていて欲しいんだ。伊熊将監くんが殉職した」

 

 その名を聞いた瞬間、彼の顔が驚嘆に歪んだ。蓮太郎自身、将監の序列は高位であると認めている。そして、高位序列者に違わぬ強さも兼ね備えているとも思っていた。その彼が殉職したと聞かされたのだ。驚くのも無理はない。

 

「彼はなくなる間際僕に言ったんだ。『蛭子影胤を倒せ』って、本来なら僕がこれを完遂すべきなのかもしれないけど、今回はこれを君に託すよ。頼めるかな?」

 

 凛の問いに蓮太郎は即座に頷いた。彼の眼光はとても鋭く、覚悟を決めている人間の瞳だった。凛もそれにうなずくと影胤に向き直る。

 

「と言うわけで、影胤さん。貴方の相手は今から蓮太郎くんがしてくれます。ですが、先日までの彼と思わないほうが身のためです」

 

 それだけ告げた凛は摩那と夏世がガストレア達との戦闘をしているところへ駆けた。

 

 凛が去ると、影胤と蓮太郎は向きあう。

 

「随分と彼も思い切ったことをする。あのまま私と戦っていれば勝てたかもしれないのにねぇ」

 

 凛の行動を嘲るように笑いを漏らした影胤であるが、蓮太郎は彼に言い放った。

 

「影胤、さっき凛さんが言ってたろ。前戦ったときと思うなってな。……選手交代だ、蛭子影胤! こっからは俺がお前をぶっ倒す!!」

 

 蓮太郎が言うと同時に、彼の右腕と右足にパキッと音をたてながら亀裂が走った。

 

 

 

 

 

 

 

 蓮太郎と凛が入れ替わるとほぼ同時刻。摩那と夏世は押し寄せるガストレアの群れを次々に駆逐していた。

 

 しかし、彼女たちの顔には疲れが見られていた。

 

「ああもう!! 弱いくせに数だけ多いなぁ!! 鬱陶しいよ!!」

 

 苛立ちの声を上げる摩那であるが、彼女は迫り来るガストレアを装着されたバラニウムのクローで切り裂いていた。

 

 その速さは目にも止まらぬ速さであり、速さだけならば小比奈も圧倒しているのではないだろうか。

 

 夏世はそんな摩那の姿を見やりながら、ショットガンでガストレアの頭部を吹き飛ばしていた。

 

 ……凄い。しゃべりながらだけど、最初から一撃ももらってないし速さが尋常じゃない。

 

 驚嘆しながら摩那の戦いぶりを見ていた夏世であるが、そこへ摩那がひどく焦った様子で悲鳴にも似た叫びを上げた。

 

「夏世ちゃん! 上!!」

 

「えっ?」

 

 摩那に言われ夏世が上を見ると、木々の枝の間を縫うようにして現れた蛇のガストレアが大口を開けて夏世を飲み込もうとしていた。

 

 赤い瞳が獲物である夏世を見据え今まさに飛び掛るか否かの瞬間。

 

 不意に何か重いものが風を斬る様な音が聞こえたかと思うと、夏世の頭上にいた蛇のガストレアの頭に黒い大剣、バスターソードが深々と突き刺さり、ガストレアはそのまま木の上から引き摺り下ろされ、大きな一枚岩に剣が刺さると身体を数回震わせ動かなくなった。

 

 しかし、夏世はそんなことよりもガストレアの頭部に突き刺さっているバスターソードに目が行っていた。

 

 ……あれは将監さんの剣。

 

 そう、ガストレアに突き刺さっている剣は夏世の相棒である将監の獲物であるバスターソードだったのだ。

 

 すると、彼女等の背後に人が立つ気配がした。夏世はもしやと言った様子で振り返るが、そこにいたのは、

 

「断風……さん?」

 

 そこには冥光を鞘に収めた状態の凛が申し訳なさそうな表情をして佇んでいた。そして、夏世はその凛の表情から全てを悟った。

 

 ……嗚呼。死んでしまったんですね、将監さん。

 

 夏世は直接将監の死を見ていない。しかし、凛の表情とガストレアに刺さっているバスターソードが全てを物語っていた。

 

 凛は夏世の下まで行くと静かに彼女に告げた。

 

「将監くんは亡くなったよ……。ごめん、僕がもっと早く着いていれば」

 

 申し訳なさそうに言う凛であったが、夏世は静かに首を横に振った。

 

「いいえ、断風さんの所為ではありません。将監さんが勝手に行ったのが悪いんです」

 

 彼女はそういうが、瞳には僅かに光るものがあるように見えた。しかし、夏世はすぐに凛の顔を見ると、真剣な面持ちで問うた。

 

「それで、蛭子影胤は倒したんですか?」

 

「いいや。別の人に任せてきたよ」

 

「別の人?」

 

 夏世は首を傾げると不思議そうな表情した。凛は街のほうを見やりながら呟いた。

 

「里見蓮太郎くんと藍原延珠ちゃんだよ」

 

 それを聞いた瞬間、夏世は驚愕に顔をゆがめた。そして、思わず彼に口にしてしまった。

 

「正気ですか? 里見さんと言うのは庁舎で将監さんに絡まれていた人ですよね? あの方達の序列はかなり低かったと思うのですが」

 

「うん、そうだね。だけどね夏世ちゃん、蓮太郎くんはある秘密を持っているんだよ」

 

「秘密?」

 

 夏世の問いに答えるように凛が頷くと、瞬間、街の方から雷のような轟音が鳴り響いた。夏世や摩那でさえその音に驚き、ガストレアも萎縮した。

 

 凛はその空気の中で傍らに立つ夏世に教えた。

 

「蓮太郎くんの秘密って言うのはね。彼もまた影胤さんと同じ『新人類創造計画』の被験者だということだよ」

 

 夏世がそれに驚く中、凛は蓮太郎の秘密を語る。

 

「彼は蛭子影胤と同じ機械化兵士の一人。元陸上自衛隊東部方面第七八七機械化特殊部隊『新人類創造計画』里見蓮太郎くんだよ」

 

 凛が言い終えると同時に、もう一度大きな音が響いた。




ふいー……戦闘描写が下手だなぁ……。
まぁそれは追々直すとしまして。
結構無理やりに蓮太郎くんをねじ込み、凛君を離脱させてしまいました。いいわけになってしまいますが、こうでもしないと蓮太郎くんの活躍の場がないのでスミマセヌ……。

とりあえずは、次回で戦闘が終了と言った感じでしょうかね。
その後はー、いよいよティナがでるぞぉ!!

アニメは結構端折ってましたが何処までやるんでしょうかねぇ……
Wikipedia見てたら我堂さんやら、片桐兄妹、彰磨兄ぃの声優さんも決まってたんでアルデバラン辺りまで行って欲しいですなぁ……。

では感想などありましたらお願いします。


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第十二話

 蓮太郎と影胤が戦っている街の方を凛と夏世が見ていると、後ろのほうでガストレアを次々に殺していた摩那が抗議の声を上げた。

 

「二人ともー!! 延珠ちゃんたちの方見てないでこっちも手伝ってよー!」

 

 軽く言っているものの、彼女は華麗に身を翻しながらガストレアからの攻撃を一切喰らわず駆逐している。

 

 凛と夏世はそれに頷くと、摩那の方へ駆ける。

 

「ごめんね摩那」

 

「まったくだよ! 東京に帰ったら美味しいもの食べさせてくれないと許さないんだからね!?」

 

「うん、わかった。……だったらこいつ等をさっさと倒さなくちゃね」

 

 凛は冥光を抜き放ち、迫り来る二体のガストレアをただの一振りで一気に斬殺する。しかし、それでもガストレア達はいまだ怯むことなく、先にやられた二体を押しのけるようにしながらまた数体のガストレアが凛と摩那に突進してきた。

 

「右は任せて!!」

 

 摩那は言うと同時に力を解放し、彼女の瞳が真紅に染まる。摩那は地を蹴ると、ほぼ一瞬ともいえる速さでガストレアに肉薄すると、そのまま装備しているクローで顎を切り上げ頭を吹き飛ばした。

 

 頭からどす黒い血液を噴出させながら絶命するガストレアであるが、摩那はそれに目もくれず次の標的へ狙いを定めた。

 

 ガストレアも彼女の姿を捉えようとするが、さすがチーターの因子を持っているというべきか、摩那は一撃ももらうことなく的確にガストレアを切り裂いていく。

 

「さて……僕もがんばらないと」

 

 凛は冥光を一度鞘に収めると、自身に向かってくる三体のガストレアを見据えそのまま瞬時にそれらの後ろに移動した。

 

 同時に、凛の背後では細切れにされたガストレアがボロボロと崩れ去る。凛はそれに見向きもせずに摩那と同じように次の標的を定めた。

 

 二人の戦いを見ていた夏世はただただ茫然自失と言った感じだ。

 

 ……なんて速さ。これが666位の実力? でも……。

 

「それ以上の力があるようにも見えるけど……」

 

 夏世は二人が繰り広げる戦場を見ながら誰にも聞こえない声で小さく呟いく。しかし、彼女も役に立つべきだとショットガンを構え、ガストレアを倒していく。

 

 

 

 

 凛が加わって五分ほどが経過しただろうか。街の方では蓮太郎と延珠が戦っている音が響いているが、凛達がいる場所では未だにガストレアのうめき声が聞こえていた。

 

「まだ来るのー? どんだけなの本当に……」

 

 呆れた様子で進行してくるガストレアを見据えている摩那の額には僅かに汗が滲んでいた。夏世も同様で、肩で息をするぐらい疲労が見られた。

 

 二人の様子を確認した凛は、一度小さく頷くと二人に命じた。

 

「二人とも、僕の背後に回って絶対に前に出ないように」

 

 夏世はそれに怪訝な表情をするものの、摩那はその意図を理解したのか夏世の手をとり、凛の後ろへと回った。

 

 凛はそれを軽く見やると、目の前から進行するガストレアを見据える。

 

「出来ればこの一撃でもう来ないで欲しいものなんだけど」

 

 凛は抜刀の姿勢を取り、光が灯っていない眼でガストレア達を睨む。ガストレアは凛を多方向から喰らうつもりなのか広く横に展開している。

 

 中にはステージⅢでありながら、ステージⅣクラスに匹敵しそうな大きさのガストレアもいる。恐らく進化直前なのだろう。

 

 しかし、凛はそんなことを気にも留めずに展開するガストレアを端から端まで見回した後、叫んだ。

 

「断風流、陸ノ型。切裂け――――八首龍(ヤマタノオロチ)ッ!!!!」

 

 声と共に冥光が抜き放たれ、その黒い刀身から八方に斬撃が放たれた。地面を蛇のよう駆ける剣閃は真っ直ぐにガストレアを捉え、その黒く醜悪な体躯を一気に両断していく。

 

 ほぼ一瞬で起こった出来事であるが、十数体ほどもいたガストレアがあっという間に切断され、その場には濃密な血の匂いが漂う。

 

 同時に、周囲からガストレアの唸り声は聞こえなくなり、異常な沈黙が訪れる。

 

 その沈黙の中、冥光を鞘に収めた凛は軽く息をつくと背後に退避していた摩那と夏世に声をかけた。

 

「もう出てきてもいいよ二人とも」

 

「はーい。……うひゃー、相変わらずすっごいねー」

 

 摩那は驚嘆の声を上げながらガストレアの死骸を呆れたように眺めていた。夏世のほうはまさに絶句と言った感じであり、凛を見たりガストレアを見たりしていた。

 

「とりあえず、これで少しは休めるかな。まだ来そうな感じはするけど」

 

 肩を竦める凛であるが、摩那と夏世は苦笑いを浮かべていた。

 

 するとその時、蓮太郎達が戦っている街の港に停泊している船が大きく揺れたかと思うと、巨大な水柱が発生した。

 

 その場にいた全員がそちらに目を向けると、凛の携帯が鳴った。

 

「もしもし?」

 

『凛さん。私です』

 

「聖天子様。どうしたんですか? まさか蓮太郎君が――」

 

『いいえ。里見さんは無事です。蛭子影胤を撃破しました』

 

 その報告を聞いた凛はホッと胸を撫で下ろすが、聖天子の声に未だに緊張があることに気が付く。すると聖天子は電話の向こうで一度大きく溜息をつくと凛に告げた。

 

『凛さん、よく聞いてください。ステージⅤ――ゾディアックガストレア・スコーピオンが姿を現しました』

 

「ゾディアック……」

 

 聖天子からその名を聞いた瞬間、凛の眉間に皺がより彼は苦い顔をした。

 

「それでは僕は東京に戻った方が?」

 

『いえ、凛さんはそこで待機をしてください。ちょうど凛さん達がいる位置から見えると思いますが、『天の梯子』を使用し里見さんにゾディアックを撃破していただきます』

 

 凛が周囲を見回すと、確かに視認できる位置にガストレア大戦の末期、完成したはいいものの結局使われることがなかった超巨大兵器、通称『天の梯子』が天に向かってその砲身を伸ばしていた。

 

 『天の梯子』――またの名を『線形超電磁投射装置』。全長1.5キロの二本のレールが雲を貫き、角度70度ほどの兵器のは直径八百ミリ以下の金属飛翔体を亜光速まで加速し打ち出すことの出来るレールガンモジュールである。

 

『これは天童社長の案ですが、恐らくこれを使えば凛さんに戻ってもらう必要もないかと……』

 

「なるほど。それで、蓮太郎くん達は?」

 

『既に天の梯子に向かっています。そして、凛さん達には彼等元へガストレアが向かわないようにそこでガストレアを食い止めて欲しいのです。今確認したところ、そちらにステージⅣのガストレアが三体向かっています。恐らく戦闘の音を聞いて来たのでしょう、頼めますか?』

 

 聖天子は落ち着いた声音で言っているものの、内心ではかなり焦っていることだろう。しかし、凛はそれに小さく笑みを浮かべると、彼女を安心させるような声で告げた。

 

「わかりました。ガストレアの方はお任せを。あと、蓮太郎くん達の方は心配しなくても大丈夫だと思いますよ。彼も決めるときは決めるでしょう」

 

『……そうですね。では、凛さん。お互いに生きていたらまた会いましょう』

 

 彼女はそういい残すと連絡を断った。凛も携帯をポケットにしまいこむと摩那と夏世に現在の状況を説明した。

 

 それを聞いた二人は驚いていたものの、取り乱すことはなくこれから向かってくるであろうステージⅣのガストレアを迎え撃つために準備を始めた。

 

 

 

 

 

 

 それから凡そ五分後、地響きを立てながら森の中から三体の巨大な化け物が現れた。

 

 一番右端にいるガストレアは四足歩行の生物を主体としており、顔は肉食獣であるライオンを彷彿とさせる。しかし、体の所々から植物のツルの様な触手が伸びている。

 

 左端もまた四足歩行であることには代わりがないが、背中には巨大な翼が生えており、神話のグリフォンを思わせる体躯だ。

 

 そして、極めつけが真ん中の猿のようなガストレアだ。他の二体とは明らかに大きさが群を抜いている。他の二体が四足で真ん中が二足立ちと言うのもあるのだろうが、端の二体が立ちあがったとしても確実に真ん中のガストレアのほうが大きいだろう。

 

「やれやれ、蓮太郎くんも大変だろうけど。こっちも骨が折れそうだねぇ」

 

「まっ、動きはとろそうだけどね」

 

 相対しただけで魂が抜かれてしまいそうな圧倒的な敵の登場にも臆したことなく、随分と軽いノリで凛と摩那は互いに肩を竦めた。

 

 夏世はそんな二人を見て、改めて彼等がどれだけ強いのか再認識していた。

 

 ……こんな大きなガストレア……将監さんなら一体は行けたかもしれないけれど、三体同時なんて。

 

 ただ驚嘆していた夏世であるが、そこで凛が夏世に振り向き彼女に優しく声をかけた。

 

「夏世ちゃんは此処で待っててくれていいからね。幸い他のガストレアは来てないみたいだから、此処でゆっくり休んでて」

 

 凛はそれだけ言うと、目の前で唸っているガストレアを睨みつける。

 

「じゃあ……行くよ!! 摩那!!」

 

「おっけい!!」

 

 摩那も瞳を赤く染め二人は一気に駆け出した。

 

 するとガストレアは二人を威圧するように凶暴な咆哮を上げる。大気を震わせるほどの咆哮に凛達は決して臆することはなくガストレアに立ち向かう。

 

「どっちからやる?」

 

「じゃあ右端、左端、真ん中の順で!!」

 

「凛ならそういうと思ったよ!」

 

 摩那は凛の前を走りながら小さく笑うと、右端のガストレアに向かう。ガストレアもそれを確認すると、触手を伸ばし二人を捕らえようとする。しかし、そんなものに捕まる二人ではなく、摩那は全てを避け、凛はそれを切裂いていく。

 

 ガストレアはそれに苛立ったのか、自身の前足を二人に叩き付けるが、摩那は犬歯をギラリと光らせ振り下ろされた脚をジャンプして避ける。そして、脚の上に着地した摩那はそのままクローをガストレアの身体に衝き立てると一気にガストレアの身体を駆け上がった。

 

「はああああああああああっ!!!!」

 

 咆哮と共に尻尾まで駆け抜けた摩那は次の標的である左端のガストレアに向かう。

 

 摩那につけられた傷が痛むのか、ガストレアは痛々しい悲鳴を上げる。しかし、次にその赤い瞳が捉えたものは自身の目の前で刀を抜き放ち、構えを取っていた凛だった。

 

「断風流、参ノ型。崩れろ――惨華(ザンカ)!!!!」

 

 その声と共に、ガストレアの後方に回った凛は摩那が向かった左端のガストレアに向かう。惨華を喰らったガストレアはまるでサイコロステーキのように細切れにされ、バラバラとその場に崩れていく。

 

 振り向きもせずに左のガストレアに向かう凛と摩那であるが途中、真ん中のガストレアが大木よりも太い腕を振り上げ、二人を攻撃するものの、凛はそれを冷静に対処し振り下ろされた腕を人間で言うところの肘の辺りから切り落とした。

 

「君は一番最後!!」

 

 切り落とした腕を足場にしながら凛は跳んだ。既に摩那は左端のガストレアの目を潰したのかガストレアは苦しげに暴れていた。

 

 凛はそれを確認すると、摩那がこちらを向いているのに気付いた。二人は互いに頷くと、摩那は真ん中のガストレアの真正面に回りこむ。凛は空中で冥光を納刀すると、次の瞬間、刹那の速さで抜き放った。

 

「天童式抜刀術、一の型一番――――滴水成氷ッ!!」

 

 技名と共に放たれた雷光のような斬撃がガストレアの頭部を抉り、その頭を切り落とした。ガストレアはその場に力なく倒れる。凛はただの骸となったガストレアの背中に着地すると摩那がいる所までかける。

 

「お疲れ様」

 

「摩那もね。さて、後は真ん中の彼だけだ」

 

 二人は真ん中の猿のようなガストレアを見据えると、腰を低くする。既に先程凛が切り落とした腕は再生しつつあり、基本構造の構築は終了しているようだ。

 

「流石にステージⅣともなると再生も早いね」

 

「だけど、再生される前に心臓か頭を吹き飛ばせばこっちの勝ちだ。今と同じように気を抜かずに行こう」

 

 摩那の感嘆の声に答えながらも凛は小さく笑った。しかし、その瞬間先程のガストレアとは比べ物にならないほどの凄まじい咆哮が聞こえた。否、聞こえたと言うのもそうだが、寧ろ体感したというほうが正しいかもしれない。

 

 天を割り、大地を砕き、海を裂くような強烈な咆哮を上げたのは恐らく東京湾に出現しているゾディアックガストレア、スコーピオンであろう。この世の全てを死に至らしめるような戦慄の咆哮は東京湾から50キロ離れているこの房総半島まで届くとは、さすが全てのガストレアの頂点に立つ十二体のうちの一体と言うべきか。

 

 すると、真ん中のガストレアはまるで嬉しさを体現するようにゴリラするようなドラミングを始めた。自分達の頂点の存在が近場まで来ている事が嬉しいのだろうか、それともただ、咆哮にあわせて自分も吠えているだけなのかはわからない。

 

 しかし、凛と摩那はそれをやかましそうに顔をしかめた。

 

「うっさいなぁ!」

 

「まぁこれだけ大きければしょうがないよね。向こうも相当やばそうだけど」

 

 凛は東京方面を見やりながらいまだ発射されないレールガンモジュールを見る。

 

 ……蓮太郎くんはまだなのか。

 

 内心で蓮太郎のことを案じつつも、凛は今目の前に立ちはだかるガストレアに目を向ける。

 

 ガストレアも既に腕が完全に修復され凛と摩那を憎悪するように睨んでいた。

 

 摩那はそれに答えるように態勢を低くしガストレアを睨むが、凛がそれを摩那の前に出るようにしながら制した。

 

「摩那、コイツは僕一人でやるよ。夏世ちゃんと一緒に後ろに下がってて」

 

「……わかった! 負けないでね!!」

 

「フフッ……わかってるよ!!」

 

 凛は頷くとただ真っ直ぐに駆ける。それに呼応するようにガストレアも凛に向かって走り出す。ガストレアが進むごとに大地が揺れるが、凛はそんなことはお構いなしだ。

 

 そして、凛とガストレアが肉薄した瞬間、ガストレアが凛に向かってその強靭な両腕を振り下ろした。

 

 しかし、圧倒的な質量の差を前にしても凛は怯まずその瞳に今までで一番鋭い眼光が灯った。

 

「僕が考えたオリジナルだけど……断風流壱ノ型、改!! 双撃ノ太刀(ソウゲキノタチ)!!!!」

 

 禍舞太刀と同じ構えから凛は二回冥光を振った。それと同時に剣閃がガストレアの腕を駆け上がり肩口まで一気に裂いた。

 

 ガストレアは痛みに顔をゆがめ悲鳴にも似た声を上げるが、凛は容赦はせずにガストレアの股下までもぐりこむと、ガストレアの股間の辺りを目掛け冥光を走らせた。

 

「今度は家の伝統の剣術だよ!! 断風流壱ノ型、禍舞太刀(カマイタチ)!!!!」

 

その声と共に刀が振り上げられ、猿のガストレアの股から脳天が切裂かれた。

 

 声を発するはずの喉さえも裂かれ、ガストレアは両断された身体を左右に倒れさせた。倒れたことにより、大地が揺れるが凛は溜息をつきながら摩那達の元へ戻った。

 

「おっつかれー!! これで任務達成?」

 

 摩那が一番に声をかけながら凛に抱きついてきた。凛はそれを受け止めると彼女の頭を撫でる。

 

「まぁ僕達の分はね、後は蓮太郎くん達がどうするか……」

 

 凛がそこまで言い天の梯子を見やった瞬間、その砲身から眩い光が発せられた。同時に、射出された弾丸がまるで箒星のように東京湾へと向かっていく。

 

 その場にいた凛と摩那、夏世がそれを心配そうに見送ると、数秒後東京湾がカッ!! と光を放った。

 

 どれくらいの時間がたったのだろう。恐らく時間にして数秒もたっていないのだろうが、凛達からすると、それが数十分にも数時間にも感じられた。

 

「……どうなったんでしょうか?」

 

「わからない。多分連絡が入るはずだと思うんだけど……」

 

 すると、夏世の心配げな声に答えるように凛の携帯が鳴った。凛は落ち着いた様子でそれを取ると連絡主に声をかけた。

 

「聖天子様?」

 

『はい。私です凛さん。……結論から申します。里見さんが放ったレールガンは見事スコーピオンに着弾。東京は救われました』

 

 落ち着いた様子で言っている聖天子であるが、声が若干震えていた。恐らく、彼女自身も嬉しさが抑えられないのだろう。しかし、皆の代表である自分が浮かれて入られないと我慢しているのだ。

 

 電話の向こうではお偉い方の興奮しきった声が聞こえており、本当に東京は救われたのだということを実感した。

 

「そうですか。じゃあこれで任務終了ですね」

 

『はい、任務終了です。迎えのヘリを向かわせています。里見さんと合流し東京へ帰還してください』

 

「了解です」

 

 凛は通話をきると、目の前で心配そうな顔をしている摩那と夏世に全てが終わったことを報告した。

 

 それを聞いた二人は抱き合って喜び、夏世の目尻には涙が見えた。凛はそれを見て苦笑すると摩那に問うた。

 

「摩那。周囲のガストレアの様子は?」

 

 凛に聞かれ摩那は数回周囲の匂いを嗅ぐと肩を竦め、笑みを浮かべながら告げた。

 

「ガストレアの血の匂いばっかでわかんない。けど、もう動いてないと思うよ」

 

「その根拠は?」

 

「うーん……女の勘ってやつかな!!」

 

 それを聞いた凛と夏世は互いにクスッと笑い。摩那もまた自分の言ったことが可笑しかったのか笑っていた。

 

 やがて、東京を救った英雄である蓮太郎と延珠がレールガンモジュールから凛達の元に合流し、それぞれ互いをたたえあった。

 

 そして十数分後、東京から派遣されたヘリが五人を迎えに来て、五人は無事東京へ帰還した。

 

 ヘリから見えた朝日は五人を祝福するようでとても暖かかった。




つ…強い!ほとばしるほど強い!(解説:SPW)

え? なんだって? ステージⅣのガストレアを同時に三体相手にしていてアルデバラン戦はあっさり終わってしまうんじゃないかって?
心配後無用! 今回登場させたステージⅣの内二体の四足歩行くん達はなりたての赤ん坊みたいなヤツなんでそんな強くないってわけですよ!! ほら、アルデバランとかプレヤデスとか結構特殊な能力持ってたし、今回出てきたやつ大していろいろ持ってないただ力が強い脳筋みたいなヤツですから……。
それにチートって言ってしまっていますしおすし!!

とりあえずはこれでガストレアとの戦闘はひとまず終了、次話は蓮太郎の序列アップ、夏世の処遇、後日談的な感じでお送りすることが出来ればと思っております。

では感想などありましたらよろしくお願いします。


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第十三話

 事件から数日後、凛は零子と共に聖居に顔を出していた。彼等の目の前には豪奢なドレスや高級そうなスーツを着込んだ紳士淑女が卓を囲んでひしめいている。

 

 凛と零子は彼等から少し離れ、壁に背を預けた状態で零子はワインを、凛はオレンジジュースを飲んでいた。

 

 二人の装いのうち、零子は真紅を基調とし肩が全て見え、その豊満な胸が強調されるように胸元がバックリと開いたドレスに身を包んでおり、普段黒を好んでいる彼女と比べると少々違ったいでたちだ。

 

 凛はいつもの様に黒いスーツに、下は黒いワイシャツ、更にネクタイさえも黒い全身黒ずくめの格好だった。

 

「それにしても、蓮太郎君の叙勲式なのになんで僕たちまで呼ばれたんですかね」

 

「さぁね。というか面倒くさいから早く終わりにして欲しいのだけど」

 

 肩を竦める零子はやれやれと言った様子だ。凛の方もオレンジジュースを口に運びながら本日の主賓が現れるのを待つ。

 

 すると、入り口の扉が開きそこから真っ白なフォーマルスーツを着込んだ蓮太郎が現れた。その蓮太郎の姿を見ながら零子が呟いた。

 

「蓮太郎くん、白いスーツ似合わないわね……後で菫に話しておこうかしら」

 

 零子は悪戯っぽい笑みを浮かべながら蓮太郎を見つめていた。零子の行動に苦笑いを浮かべつつも、凛も蓮太郎の姿を見やるが、これもまた口元を押さえて笑ってしまった。

 

 ……ゴメン、蓮太郎くん。零子さんの言うとおり白スーツが似合ってない。決して君を蔑むつもりではないんだ。

 

 心の中で謝罪しながら凛は軽く咳払いをすると蓮太郎と玉座に座っている聖天子を見やる。既に数回言葉が交わされているようで、彼らは互いに視線を交わしている。

 

 彼女は玉座に座したまま蓮太郎に薄く微笑みながら凛とした声音で問う。

 

「里見さん、貴方はこれからも東京エリア存続のため尽力してくださいますか?」

 

「はい。必ず」

 

 蓮太郎は床に跪き聖天子に返答する。それを見た零子が小さく肩を竦めた。

 

「あら、今日は随分とおとなしいのね蓮太郎くん。天童社長にああいう風にしろっていわれたのかしらね」

 

「多分そうかもしれませんね。そう言っておかないと蓮太郎くんの性格からして聖天子様に突っかかりそうな感じがしますし」

 

「まぁ確かにそうね。こんなところで突っかかったりすれば不敬罪で処罰されかねないし」

 

 肩を竦めワインを口に含む零子はクスクスと笑っていた。すると、先程よりも大きな声で聖天子が蓮太郎に告げる。

 

「里見さん、貴方の今回の功績、ゾディアック『天蠍宮(スコーピオン)』の討伐、及び、元序列134位の蛭子影胤、蛭子小比奈の撃破。以上を称え私とIISOは協議の結果、この戦果を『特一級戦果』と判断しました。よって里見蓮太郎、藍原延珠両名のIP序列を千番まで昇格させることを決定しました」

 

 途端、会場が歓声と拍手に包まれた。皆が喜びを露にする中、聖天子は蓮太郎に微笑みかける。同時に彼女は蓮太郎に問うた。

 

「では、最後に貴方から何かご質問はありますか?」

 

 会場にいた全員が蓮太郎の答えを『いいえ、ありません』と判断していただろう。しかし、蓮太郎の口から飛び出したのは全く逆の言葉だった。

 

「はい、あります」

 

 彼は跪いたまま聖天子を真っ直ぐに見る。

 

「……聞きましょう」

 

「俺は、ケースの中身を見た」

 

 その言葉に会場がどよめいた。恐らく七星の遺産と言う言葉自体を耳にしていないものもいるのだろう。動揺や困惑が入り混じったような空気が流れていた。

 

 それを見ていた凛と零子は「あちゃー」と言った風に顔を押さえ小さく溜息をついた。

 

「やっちゃいましたね」

 

「やっちゃったわねぇ……薄々こんな予感はしていたけどまさか本当に言っちゃうとはね。……と言うか結構ピリピリしてきたわね空気が」

 

 零子の言うとおり、会場内には痛いほどに殺気がはびこっていた。質問を聖天子に投げかけることに集中しているため気付いていないようだが、既にそこかしこから殺気が発せられていた。

 

「どうしますかねぇ?」

 

「黙ってれば平気よ。それに、彼もそろそろ気が付くんじゃないかしら」

 

 零子がそういうのとほぼ同時に聖天子に掴みかかろうとしていた蓮太郎が止まり、自分が凄まじい殺気に狙われていることに気が付いたのか押し黙った。

 

 しかし、彼は一度深く息をついて己を落ち着かせるような素振りを見せると、義手ではない方の腕で壁に背を預けていた凛を指差した。

 

「じゃあ、もう一つだけだ。どうして俺の序列は上がってあの人の序列は上がらない!?」

 

 蓮太郎の言葉に聖天子は一瞬顔を曇らせる。

 

「あの人だって立派な功績を残したはずだ! 第一あの人がいなければ俺はここまで戻ってこれなかったし、レールガンだってまともに撃てなかった!! なのに、どうして凛さんの序列は変動しないんだ!!」

 

 一度自身を落ち着かせたのにもかかわらず、またしても興奮した様子で聖天子に問う蓮太郎であるが、それを見ていた凛はなんとも微妙な表情をしていた。

 

「僕を巻き込まないでー……。なんかすっごい見られてるしー」

 

「確かに、不信に思うのも仕方ないといえば仕方ないわよねぇ」

 

 零子も呆れた様子で首を振っているが、凛は小さく溜息をつくと聖天子の眼前まで行くと彼女に対し頭を垂れた。

 

「恐れながら、聖天子様。発言の許可をいただいてもよろしいでしょうか」

 

「許可します」

 

「ありがとうございます。……いいかい蓮太郎くん。僕の序列が変動しないのは聖天子様とIISOが決めたことなんだ。だから、君がいくら騒いでも変わることじゃないんだよ」

 

 凛は立ち上がりながら未だ納得が言っていない様子の蓮太郎に告げる。蓮太郎はそれに歯噛みをすると苛立ち混じりに踵を返し、「失礼します……」とだけ告げるとそのまま大扉から出て行った。

 

 その姿を見送った凛は一度聖天子に深く頭を下げると、卓を囲んでいた会場の皆にも頭を下げた。凛はそのまま、零子がいる壁際まで戻った。

 

「随分と思い切った行動にでたわねぇ」

 

「あの場を納めるためにアレしかないと思ったので。それに、あのまま行ったら蓮太郎くん間違いなく聖天子様の胸倉を掴んでましたよ」

 

「そうなったら東京を救った英雄から一転、聖天子に掴みかかった愚か者ってレッテルを貼られると同時に、すぐさま処刑でしょうね」

 

 鼻で笑いながら首を横に振る零子はいたって冷静だ。凛もまた特に気にした様子はなく場をまとめている聖天子に目を向けた。

 

 そして、それから凡そ五分後、聖天子の言葉により会場に集められた来賓は皆それぞれの帰路についた。

 

「さて、じゃあ私達も帰りましょうか」

 

「ですね」

 

 零子に言われ凛も扉から出ようとするが、不意に後ろから聖天子が呼び止めた。

 

「凛さん。少々お話があります」

 

 彼女は真剣なまなざしで凛を見ており、零子もそれを確認すると「先に行ってるわ」とだけ告げ大扉を外側から閉めた。

 

 会場に残された凛と聖天子は向かいあったまま互いの顔を見つめる。

 

「それでお話と言うのは?」

 

「まずその前に先程のお礼から、ありがとうございました凛さん。あの場をうまく納めてくれて」

 

「いいえ、アレぐらいだったら貴女にも出来ますよ。僕はアレ以上蓮太郎くんを危険な状況に追い込みたくなかっただけなので」

 

 凛は言いながら先程まで蓮太郎に対し、強い殺気を放っていたであろう人物達が隠れていた柱の陰などに目をやる。今は聖天子が控えさせているのか、気配は感じられない。

 

「では、本題に移ります。凛さん……貴方の序列のことを知っているのは今現在誰まででしょうか」

 

「社長に社員の二人、母と祖母、聖天子様に菊之丞さん。……あとは社長が勝手に話しちゃったことですが、四賢人の室戸菫さんですかね」

 

 菫の名が出た瞬間聖天子が驚いた表情を浮かべていたが、凛が菫の状態を教えると、納得した様子で頷いた。

 

 すると、聖天子は曇った表情を見せながら口元に手を添えて呟いた。

 

「……本当を言うとゾディアックが現れたときすぐさま貴方を呼び戻そうと思っていました。しかし、あの時幸運にも天の梯子があったことであの場は里見さんに託すことが出来ました」

 

「結果的に蓮太郎くんの手によって東京は救われたんですからそれでいいじゃないですか。何を気にすることが?」

 

「……ですから、もうそろそろ頃合いだと思うのです。貴方を本来の序列に戻す頃合いだと」

 

 聖天子の言葉に凛は顔をを伏せ悲しげな表情を浮かべる。しかし、彼は顔を挙げ聖天子に向き直ると、静かに首を横に振った。

 

「聖天子様、勝手だとは思うんですがまだもう少しだけ待ってください。せめて夏までは待ってくださいませんか」

 

「夏まで……ですか。どうし――」

 

 そこまで言いかけたところで、彼女は口元を押さえハッと息を呑んだ。凛はそれに静かに頷くと聖天子に笑いかけた。

 

「考えを汲んでくれてありがとうございます。……本当にあと少しだけ待ってください」

 

 凛の言葉には覚悟の重みが込められており、聖天子もまたそれに対し深く頷いた。

 

 

 

 

 

 

 聖居から出た凛と零子はある場所へと向かった。そこは自分達と同じ民警会社『三ヶ島ロイヤルガーダー』に顔を出していた。

 

 ビルの前には一人の少女と、社長である三ヶ島影似の姿があった。

 

「遅れて申しわけありません。三ヶ島社長」

 

「いえ、そこまで待っていませんよ。……では、この娘のことを頼んでもよろしいのでしょうか?」

 

 三ヶ島が言うこの娘と言うのは、彼の隣で考えを読めない表情を浮かべている千寿夏世だ。彼女は相棒である伊熊将監を失い、IISOの施設に送られる予定だったのだが、凛が将監に『夏世を頼む』と言われたことを三ヶ島に話すと、三ヶ島もそれに了承し、夏世は黒崎民間警備会社が預かることとなった。

 

「勿論ですわ。うちの子がそちらの伊熊将監くんと約束をしていたのですから、これは当たり前と言うことです」

 

 零子が優しげな声で告げると、三ヶ島は深く頷くと二人に頭を下げそそくさとビルへ戻っていった。

 

 後に残された三人の中で、零子が夏世の肩を軽く叩き車に乗るように促した。夏世もそれに素直にうなずくと、車に乗り込んだ。

 

 しかし、零子の車は二人しか乗れないため、夏世は凛のひざの上に乗っている。

 

「さて、じゃあ行きましょうか」

 

 零子はギアを変速させ車を走らせる。

 

 少し走ったところで信号に引っかかった。そのタイミングを見計らってか、夏世が零子と凛に問う。

 

「あの……私を預かってくださるのは感謝しているのですが、私のプロモーターはもう決まっているんですか?」

 

「ええ。すでに決まってるわ。……まぁ目の前にいるんだけどね」

 

 零子はウィンクをしながら夏世に言うと、夏世はその言葉に納得がいったのか零子に聞き返した。

 

「その言い方からすると……私のプロモーターは貴女ですか、黒崎社長」

 

「大正解。そう、私が貴女のプロモーターを勤めるわ。あんまり任務なんてしてないから序列はまだまだ全然下だけれどね。確か六万とちょっとぐらいだったかしら」

 

 零子が言い終えると同時に信号が青になり、再び車が走り出す。

 

「まぁ細かい説明は明日にでもするわ。今日は行くところがあるしね」

 

 夏世はそれに首を傾げるが、凛が夏世の肩を軽く叩いて目の前を指差した。

 

「あそこだよ」

 

「……あれは、墓地……ですか?」

 

「そう、ちょっと御墓参りに行くからね」

 

 

 

 

 

 

 墓地に到着した三人は墓地の頂上を目指す。墓地は丘のようになっていて、一番上にはガストレアとの戦いで戦死したプロモーターやイニシエーターの少女達の名が刻まれている石碑がある。

 

 つい先日も蛭子影胤との戦闘の際戦死してしまった民警たちの名が刻まれたばかりだ。

 

 その中には夏世の相棒であった将監の名前もあった。

 

 凛達三人は慰霊碑の前に行くと線香を置いて手を合わせる。ひとしきり目を閉じて祈り終えると、夏世は将監の名前が彫られているところを指でなぞる。

 

「……民警の死っていうのは随分と簡単に済まされてしまうんですね」

 

「まぁ……ああいう戦いだと特にね。中には遺体が確認できなくて火葬さえもしてもらえない人もいるし」

 

 凛は悲しげな面持ちで立ち上がると、まだ数本余っている線香を持ちながら慰霊碑から少し下がったところにある小さな墓まで行く。

 

 夏世と零子もそれに続くと、凛は車から出してきた包みを広げた。それはバラニウムで出来たバスターソード。将監の愛刀だったものだ。

 

 袋から開けたバスターソードを凛は小さな墓の隣に突き刺した。

 

 夏世はその意図を理解したのか、墓の前でしゃがみ込んだ。

 

「此処に将監さんが眠っているんですか?」

 

「うん。火葬してもらって、特別に此処に眠らせてもらえることになったんだ」

 

 夏世に線香を渡しながら言う凛は自身も持っていた線香を将監の墓に手向ける。

 

「いつの時代も人の死ほどやるせないものはないわよね……」

 

 眼帯に覆われている右目を抑えた零子も悲しげな表情のまま目の前にある小さな墓を見る。同時に彼女は持ってきた花を将監の墓に手向けると、「先に戻ってるわ」と告げ車に戻っていった。

 

 夏世はと言うと、墓石をゆっくりと撫でていた。その表情はどこか悲しげであるが、その双眸には何かを決めたような光がある。

 

「断風さん。私が将監さんのために出来る供養ってどんなことでしょうか?」

 

「……それは、君が生き続けることじゃないかな。将監くんは亡くなる間際、君に謝っていたよ今まで悪かったって。だから、将監くんからしたら君にはもっと生きて欲しいんじゃないかな? そして、いろんな体験をして欲しいんだと思うよ」

 

 凛はそう言うものの、「まぁ僕の勝手な想像なんだけどね」と苦笑いを浮かべながら言っていた。しかし、夏世はそれに僅かに顔を綻ばせると、将監の墓石をペシッと軽く叩く。

 

「まったく……将監さんは亡くなっても勝手ですね。勝手に謝って勝手に死なないでくださいよ。言いたいこともたくさんあったんですけど……まぁいいです。貴方の分まで生きてみますよ。だから、できれば天国で見守っていてください」

 

 夏世はそれだけ告げると立ち上がり、踵を返し車の方へ下っていった。凛はそんな彼女について行きながら階段の途中で将監の墓を見やった。

 

 ……安心してよ、将監くん。夏世ちゃんは絶対に守りぬくから。

 

 心の中で今は亡き将監に誓うと、凛は夏世と共に零子の待っている駐車場に戻った。

 

 

 

 

 

 

 将監の墓参りを終えた後、凛は冷蔵庫の残りが少なかったことを思い出し行きつけのスーパーで零子に降ろしてもらい食料品を買いに向かった。

 

「今日の夕飯どうしようかなぁ……明後日あたりに零子さんがみんなで焼肉に行くって言ってたし……少し軽めにうどんにしようかな」

 

 買い物籠を片手にぼやいた凛は、乾麺を取り扱っているコーナーへ足を運び、うどんをかごに入れる。

 

 次に具を何にするかと野菜や肉を品定めする凛はある程度悩んだ後、かごをいっぱいにした状態でレジへ向かい、会計を済ませた。

 

「とりあえず今日は肉うどんでも作ろうかな。肉ないと摩那がふてくされちゃうし」

 

 小さく笑いながら凛は家路についていたが、その途中黒塗りの高級車が凛の隣を通り過ぎたかと思うと、サングラスをかけた強面の男性が運転席から出ると、凛の前まで進み彼に頭を下げた。

 

「断風凛様。天童閣下が車に乗っておられます。少し話をしたいとのことです」

 

「……わかりました」

 

 凛がそれに頷くと、男性は後部座席のドアを空け「どうぞ」と促した。それに一度頷くと凛は車に乗り込む。

 

 後部座席は思ったよりも広く、リムジンほどではないにしろ人が向かい合って座れるようになっていた。

 

 そして、扉が閉められると同時に凛が前を向くと、そこには普段と変わらぬ巌のような表情の菊之丞が腕を組んで座っていた。

 

「こうして話すのは久しいな。凛」

 

「ええ。お久しぶりです菊之丞さん。……と言っても一度庁舎で顔合わせだけはしましたけど」

 

 買い物袋を適当に置きながら凛が返しても、菊之丞は表情を全く変えなかった。すると、彼は鋭い眼光で凛を睨む。

 

「……凛、貴様なぜ蛭子影胤との戦闘の時蓮太郎にあの場を任せた? ヤツが戦うよりも貴様が戦っていた方が絶対もっと早く勝てただろう」

 

「うーん、まぁあれは蓮太郎くんの覚悟を見たからですかね。彼が影胤さんと同じ機械化兵士って言うのはある人から聞いてましたし。彼も自身と同じ存在の人が東京エリアを滅ぼそうとすることを彼は許せなかったっんじゃないでしょうかね? そんな感じで僕は彼に任せました」

 

 相手を威嚇するような眼光にも全くひるむことはなく、凛はいたって軽い調子で菊之丞に返答した。しかし、菊之丞は相変わらず表情を変えないままだ。

 

 すると、今度は凛が菊之丞に問いを投げかけた。口元は笑っているが、目元はとても鋭い。

 

「僕の方からも聞いていいですか菊之丞さん。……貴方はどうして蛭子影胤を使い東京エリアを滅ぼそうとしたんですか? 貴方は聖天子様を裏切るつもりだったんですか?」

 

「……何のことかわからんな。なぜ私がそんな無意味なことをせねばならん?」

 

「実際のところこれから話すのは僕の想像です。しかし、貴方にはそれをするだけの理由があるじゃないですか。……十年前、大戦中に貴方は奥さんをガストレアに殺されました。以来、貴方は超がつくほどのイニシエーター差別主義者ですね。

 今回の事件には蛭子影胤だけでなく、彼の娘でありイニシエーター……つまり『呪われた子供たち』が含まれています。もし、東京エリアを滅ぼすようなテロ事件にあの子たちのような存在が世間し知られれば彼女たちの居場所は一気になくなります。

 今は外周区で何とか暮らしている彼女達もやがて追いやられてしまうでしょう。貴方はそれが狙いだったんじゃないんですか?」

 

「くだらん戯言だ。第一、そんなことをして私に何の得がある?」

 

「それは簡単です。――『ガストレア新法』の撤廃……が貴方の真の目的だったんじゃないんですか? あの法律はイニシエーターの子供たちや他の『呪われた子供たち』の社会的人権を確立し、共に共生てしていくと言う新しい法律です。貴方はそれがどうしても気に食わなかったんじゃないんですかね。だから影胤さんと取引をして今回の騒動を起こさせた」

 

 凛の言葉が終わると同時に、今まで眉一つとて動かさなかった菊之丞が眉間に皺を寄せ拳を握り締めていた。

 

「確かに貴方があの子たちやガストレアを憎む理由はわからなくはありません。しかし、貴方がやったことは聖天子様に対する反逆と同意です」

 

 凛が言い切ると、菊之丞は凛の顔を見据えながら憎悪に満ちた表情で言い放った。

 

「あぁ、そうだとも!! 私があの蛭子影胤と取引をしゾディアックを呼び寄せさせたのは真実だ。しかし、それを知ったところでどうする? 私を告発するか? 無理だろうな、既に証拠はない。貴様がいくら方便を聞かせたところで所詮はただの戯言だ」

 

「僕は別に貴方を告発する気はありませんよ。ただ……どうして『呪われた子供たち』を排除するためだけにこんな大掛かりで、なおかつ東京が消滅するかもしれない事件を引き起こさせたのか、その根本的な理由が知りたいだけです」

 

「理由など……貴様が全て話したではないか。だが、まぁ確かに一つだけ抜けているところがあるな。……すべては平和ボケしている哀れな連中の目を覚まさせてやるためよ! モノリスで囲まれたこのエリア内にいれば安全だと誰もが思っている。しかし、それと同時に十年前におきたあの惨事のことすらもおろかな連中は忘れようとしている!!

 あの日、人類は外にいる虫けらどもに駆逐されかけた!! ではその因子を受け継いでいるあの悪魔どもが街を闊歩していていいのか!? 否、断じて否!! やつらはやがて世界を滅ぼす! そんな奴等に人権をだと? ふざけるのも大概にしろ!!」

 

 菊之丞は拳を振るい怒りを露にしながら声を荒げて言い放った。それを全て聞き終えた凛は一度大きく溜息をつくと、哀れみの視線を菊之丞に送る。

 

「……やっぱり、貴方と僕の祖父では相容れないのは仕方のないことだったのかもしれませんね」

 

「ふん。劉蔵もかつては私の親友だった。しかし、こともあろうに奴はあの餓鬼共を集め、勉学を教えるだけでは飽き足らず育てるとまで言い出したのだぞ? 相容れぬのは当然といえるだろう」

 

「けれど、それでも僕は祖父の信念を託されました。もし世界中が敵となっても、僕はあの子たちを守り抜きます。何に変えても、祖父のようにこの命を捨てたとしても」

 

「……綺麗事だ。劉蔵もそういい残して結局はガストレアの餌食となったではないか……あんな悪魔どもを身を呈して守るなどと言うばかげた理想を追い求めた結果がそれでは元も子もないだろう」

 

 菊之丞は決して凛の祖父を馬鹿にしているわけではない。寧ろその声にはやるせなさと、悲しさが込められているように思えた。

 

「……凛。最後に貴様に聞きたいことがある。何故お前は劉蔵を殺したガストレアと同一である餓鬼共と共に暮らしている?」

 

「簡単なことですよ。僕自身『ガストレア』は許せません。……だけど、僕が接してる『彼女達』はガストレアではありません。普通の人間と同じようにうれしいことがあれば笑って、悲しいことがあれば泣いて、腹が立つことがあれば怒って……それぞれの意思を持って行動しています。そんなあの子たちをガストレアと同一に見るなんて、僕には決して出来ません」

 

 凛はそれだけ言い残すと、自ら車のドアを開け家路へ戻った。車の中に残された菊之丞はただ一言。

 

「くだらん……所詮は夢物語よ」

 

 

 

 

 

 

 

 その日の深夜、凛は一人ベランダに出て星空を眺めていた。今日は月が出ていないが、星の明るさは目に痛いほどだった。

 

 すると、彼の携帯が振動し、凛はそれに応答する。知らない番号だった。

 

「もしもし?」

 

 やや不信な声で応対すると、携帯から案の定あまり聞きたくない声が聞こえてきた。

 

『やぁこんばんは、断風くん』

 

「……影胤さん。生きていたんですか?」

 

『おや? 随分と軽く返してしまうんだねぇ。里見くんはもう少し驚いていたよ?』

 

「まぁ貴方があれだけでやられる様な柔な人ではないと思ってはいましたから……」

 

『嬉しいことを言ってくれるねぇ。しかし、里見くんに与えられたダメージは思ったよりも深刻でね、しばらくは動けそうにない。だから安心したまえ、君たちの前にはまだ姿を現さないよ』

 

 恐らく笑みを浮かべながら電話しているのだろうと、凛は想像した。

 

「そうですか、でもその口ぶりだといつかまた現れるぞ。といっているようにも聞こえますが?」

 

『ククッいずれそうなる時がくるよ。ではね断風くん』

 

 影胤はそういい残し凛に別れを告げたが、凛がそれを止めた。

 

「影胤さん。貴方は先日戦ったときに言いましたね。『人を殺したことがあるだろう』って……その真実を次に会うことがあればお話しますよ」

 

『ほう! 君から話してくれるとはね。ふむ……ではいずれそのときが来た時話してくれたまえ』

 

 そのまま影胤は通話を切り、凛も携帯をポケットにしまいこんだ。

 

「……さてと、そろそろ寝ようかな」

 

 そういうと、ベランダから室内に入った凛はベッドにもぐりこんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 勾田大学付属の大学病院の地下室。

 

 四賢人室戸菫の部屋で部屋の主である菫は零子からもらった凛の情報を眺めながら大きく溜息をついた。

 

「……やれやれ、まさかこんな近場にこんな化け物がいたとはね。……IP序列666位断風凛。またの名を……『刀神(エスパーダ)』」




違うからね、決してエスパーダはブリーチのエスパーダから取ったわけじゃないからね!?
スペイン語とかで刀剣などを表すって書いてあったし!!

まぁそんなへんな説明は置いといて……とりあえずこれで第一巻の神を目指した者たち編は終了でございます!!
ここまで書けたのも皆様の応援があってこそでございます。ありがとうございました。
これからも皆様が楽しめるようにがんばって行きたいと思っております。

さて、今回の話の途中慰霊碑なるものが登場しましたが、あれは私の勝手な解釈ですので、もし「おかしい」「いらない」などのお声があればすぐに改変する所存でありますので、何かありましたらお願いします。

後のほう蓮太郎の言葉をちょいといじっただけのような感じもしますが……


では、感想などありましたらお願いします。


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第二章 VS神算鬼謀の狙撃兵
第十四話


 蓮太郎の叙勲式が行われてから一ヶ月あまりすぎた後、凛は実家に顔を出していた。

 

「ふーむ……。こりゃあ随分と痛んできちまったねぇ」

 

 断風家の母屋の時江の部屋で彼女は凛が持ってきた冥光の刃を難しげな表情で眺めていた。

 

 一見特に何の問題もなくいつもの黒い輝きを放っている冥光であるが、凛は蛭子影胤との戦闘のあと、冥光に違和感を覚え、今日時江の下へ持ってきたのだ。

 

「やっぱり?」

 

「ああ。パッと見は普段と変らないが、僅かに光の反射の仕方が違う。恐らく刀身自体が歪みはじめちまってるんだろうねぇ」

 

 窓から差し込む太陽光を黒い刀身に当て、光の反射具合を見ている時江の表情は真剣そのものだ。

 

「しかしまぁ冥光が折れちまったらアンタの力に耐えられる刀なんてないからねぇ。劉蔵じいさんが生きとりゃあまだ何とかなったんだが……」

 

「僕も鍛冶技術を習っておくべきだったかな」

 

「そうさねぇ……だけど凛。アンタにそんな暇はなかっただろう? 十歳になるまでに断風と天童を行ったりきたり、毎日のように剣術の稽古だったし。その後も稽古は続いて結局民警をはじめちまったわけだし」

 

 肩を竦め小さく笑う時江は冥光を鞘に収めながら凛に渡す。

 

 凛もそれを受け取ると難しい表情をしながら冥光をどうするべきかと考える。すると、時江が何か思い出したのかポンと手を叩いた。

 

「なんなら司馬の嬢ちゃんに新しく作って貰えばいいじゃないか。データは渡したんだろう?」

 

「まぁね。だけど、未織ちゃんも『冥光を再現することは出来ない』って言ってたよ?」

 

「だったら冥光を溶かして新しい刀を作ってみたらどうかねぇ? 冥光も変え時だってことさね」

 

「変え時かぁ……」

 

 その言葉に凛は感慨深げな表情をするが、それに気付いた時江が小さく溜息をつき、

 

「けどまぁ、私の見立てじゃまだ折れるとは思わんよ。……もし折れるとすりゃあ対戦車ライフルの弾丸を弾いたり斬ったりすりゃあ折れるかもしれないねぇ。ガストレアぐらいならまだ平気だろうさ」

 

「対戦車ライフルって……そんなのを相手にすることなんてないと思うけど……」

 

 肩を竦め立ち上がった凛は冥光を腰に差し踵を返した。

 

「ありがと、ばあちゃん。また来るよ」

 

「あいよ。凛、あまり無理はしなさんな」

 

 凛はそれに頷くと部屋を出て実家を後にした。

 

 

 

 

 

 

 実家を後にした凛は、そのまま会社へ戻ろうとしていた。しかし、会社に辿り着いたところで見覚えのある黒髪の少女が会社の前で行き倒れていた。

 

 着ている制服や、流れるような黒髪から推測されるのは簡単であったため、凛は彼女に声をかけた。

 

「木更ちゃん? なんでうちの会社の前で行き倒れてるの?」

 

「……にい……さま。……お腹……へって……て……ガクッ……」

 

「えー……」

 

 言葉の途中で気を失ってしまったのか、木更はそのまま動かなくなってしまった。凛はそれに呆れた様子で溜息をつくと、木更を背負い事務所への階段を上がっていった。

 

「事務所に何か食べるものあったかな」

 

 階段を上がり事務所の扉を開けるといつも零子がいるはずの椅子に零子の姿がなく、彼女の隣に新たに置かれた机の椅子に夏世が座り、書類に目を通していた。

 

 杏夏も同様であり資料を見比べながら電卓を叩いていた。すると、扉が開けられた音に反応してか二人はほぼ同時に顔を上げた。

 

「あ、凛先輩。用事は済んだんですか……っておぶってるその人は?」

 

「あぁ、僕の知り合い。ホラ前の事件の時にゾディアックを倒した蓮太郎くんいたでしょ? その子の事務所の社長で、天童木更ちゃん。僕の妹分てきな子」

 

「はぁ……」

 

 凛の説明を聞くもいまだに状況が飲み込めていない様子の杏夏であるが、そこへ夏世がやってきた。

 

「それで、何故天童社長が気を失った状態で凛さんにおぶられているんですか? ……まさか拉致」

 

「凛先輩……」

 

「えっ!! なにその軽蔑のまなざしは!? ちがうよ!? 決して疚しいことがあったわけじゃないよ。ただ、木更ちゃんが事務所の前で倒れてたからさ。そのままにもしておけないでしょ」

 

 凛は木更をソファに寝かせながら二人に弁解する。すると、夏世がコクンと頷き視線をそらした。

 

「まぁ誰かが事務所の前に倒れているのは私も知っていましたが」

 

「助けてあげて!? 知ってるとか知らないとかどっちでもいいから助けてあげようよ!!」

 

「すいません、将監さんと組んでいた時の癖で面倒ごとには首を突っ込みたくない性質でして」

 

「此処で将監くんの名前を引き合いに出してくるのはずるいと思うんだけど!?」

 

 夏世の平坦な口調に対し、凛は若干焦った表情をみせていたが、夏世はそれに小さく笑うと彼に告げた。

 

「冗談ですよ。本当は助けに行こうと席を立つはずだったんですが、ちょうど凛さんが天童社長をおぶっていたところだったので行きませんでした」

 

「なるほどね……まぁその辺は聞かないでおこう……杏夏ちゃん、冷蔵庫に何か食べるものあったっけ?」

 

「え? あ、はい。コンビニで買ってきたおにぎりとサンドイッチがあるんで持ってきますね」

 

 杏夏は給湯室にある冷蔵庫から食事を取り出すため駆けて行った。

 

「まさか行き倒れですか?」

 

「みたいだね、お腹減ってたみたいだし」

 

「天童といえばお金持ちのイメージがあるんですが……」

 

 夏世の素朴な疑問に対し、凛は苦笑すると彼女の頭をポンポンと軽くたたきながら告げた。

 

「木更ちゃんは結構特殊だからね。今度暇があったら話すよ」

 

 夏世はそれに首をかしげていたものの、給湯室からコンビニの袋を持ちながら杏夏がやってきた。

 

「お待たせしましたー」

 

「うん、ありがと。……さて」

 

 凛は袋から適当にサンドイッチを出すと封を開ける。それを片手に持ったまま木更の顔に近づける。それに呼応するように木更の鼻がヒクヒクと動き、次の瞬間、彼女の目が見開かれ凛が持っていたサンドイッチに齧り付いた。

 

 木更はそのまま目にも止まらぬ速さでサンドイッチを平らげると、思い出したように顔を真っ赤に染め凛達のほうを見た。

 

「み、見ました?」

 

「そりゃあもうばっちりと」

 

 凛が答えると、後ろにいる杏夏と夏世もコクンと頷いた。木更はそれに対し真っ赤だった顔をもっと真っ赤に染め手で顔を覆いながら顔を伏せる。

 

 それを苦笑いのまま見つめていた凛だが、残りの食材が入った袋をテーブルに置くと木更は顔を伏せつつもパクパクと平らげていた。

 

 ……本当にお腹へってたんだなぁ。

 

 次々に食事を平らげていく木更を生暖かい目で見守りつつ、凛は小さく息をついた。

 

 

 

 

 

 それから数分後、全てを平らげた木更は軽く咳払いをしつつソファに座りなおし三人に向き直った。

 

「御見苦しい所を見せてすいませんでした」

 

「いいっていいって。それだけお腹が減っていたわけなんだし」

 

「本当に凄い勢いで食べていましたね。掃除機か何かかと思いましたよ」

 

 凛がフォローするものの、夏世は驚嘆の声を上げるものの、その言葉が木更のプライドを抉ったようで彼女は悔しげな表情をしていた。

 

「……夏世ちゃん! 木更ちゃんにそういうこと言っちゃダメだから……!」

 

「……はぁ。なるほど」

 

 夏世に耳打ちすると、彼女は頷いた。すると、話題を空気を変えるように杏夏が木更に問うた。

 

「え、えーっと、天童社長は何故に行き倒れられてたんですか?」

 

「それは……うちの唯一の社員である里見くんが甲斐性なしだからです」

 

「あれ? でもこのまえの叙勲式で報酬とかもらったんじゃ?」

 

「ええ。もらったはいいんですけど……あの事件の最中に恥ずかしながら来年の学費分のお金を支払ってしまって、それをもらった報酬で補ったんです」

 

「ミワ女はお嬢様学校だからねぇ……けどそれでもまだ余るくらいあるでしょ?」

 

 首をかしげながら聞いた凛であるが、木更はそれにまたしても恥かしげに俯くと、いじいじと指をいじりながら語りだした。

 

「そ、それが……その後色々と身辺整理とかしたらもらったお金が一気になくなっちゃいまして……。結果今に至るといった感じです」

 

「うわぁ……」

 

 非常に不幸なものを見る目で夏世がドン引きしているが、凛と杏夏は苦笑いを浮かべていた。

 

 四人の間になんともいえない沈黙がはびこるが、それを打ち砕くように快活な声が聞こえ事務所の扉が勢いよく開け放たれた。

 

「たっだいまー!!」

 

「ただいま戻りましたわ」

 

 扉から入ってきたのは勉強を終えた摩那と美冬だった。どうやら今日の勉強はお昼ぐらいまでだったようだ。

 

「おかえり、今日は随分早かったね」

 

「まぁねー。それに今日は社長に送ってもらったし……ってお客さんじゃん!」

 

 摩那はそのまま木更の下に駆け寄ると彼女に頭を下げた。美冬も同じく頭を下げると、木更はかなり頬を緩ませていた。

 

 ……そういえば子供好きだったっけ。

 

 木更が子供好きであったことを凛が思い出していると、またしても扉が開かれ二人を送ってきた零子がやってきた。

 

「ただいまっと……あら? 天童社長?」

 

 事務所に入ってすぐにソファに木更が座っていることに気が付いた零子はいつもの外で使う声音になった。木更も立ち上がると、零子に対し頭を下げた。

 

「お邪魔しています黒崎社長」

 

「いえいえ、こんなところにようこそ。……それにちょうどよかった。凛くん、貴方に新しい指令が出たわ」

 

「指令?」

 

 聞き返すと、零子は木更の隣に腰掛けビジネスバックからノートパソコンを取り出し皆に見えるように画面を表示させた。

 

 皆がそれを覗き込むと木更と凛が驚いた表情を浮かべた。すると、夏世が皆を代表して表示されている文章を読み上げる。

 

「『依頼内容、護衛任務。概要、今回依頼する任務は聖天子様の護衛。なお、これは聖天子様からの勅命であり、拒否することはできない。また、今回の任務は天童民間警備会社所属、里見蓮太郎・藍原延珠ペアと、黒崎民間警備会社所属、断風凛・天寺摩那ペアとの合同任務とする』……これって」

 

「うん、夏世ちゃんが読んだとおり、今回の任務はここにいる天童社長の部下の蓮太郎君と、私の部下である凛くんが行う任務って事。今日はこれを聞くために聖居に行っていたのよ」

 

 パソコンを閉じながら零子は隣にいる木更の肩を軽く叩く。

 

「というわけで……今回もお願いします天童社長」

 

「はい。こちらこそ」

 

 二人は軽く握手を交わし、木更はそのまま携帯で蓮太郎に連絡をとった。そのときの彼女の顔は明らかに喜びに満ちていた。恐らく聖天子の護衛任務の報酬が高かったことに喜んでいるのだろう。

 

 それを横目で見ながらクスッと笑った零子は木更の電話が終わったと同時にその場にいる全員に高らかに告げた。

 

「よし、じゃあ今日は合同任務のための親睦を深めるということで焼肉にでも行きましょうか」

 

「一ヶ月くらい前行ったじゃないですか」

 

 凛が呆れた表情でやれやれと首を振ると、零子はムッとした顔になり皆のほうをぐるりと見回した。

 

「それとこれとは話が別よ。じゃあ多数決取るわよー、焼肉行きたい人ー」

 

「「「「「はーい」」」」」

 

 杏夏に美冬、摩那、夏世がそれに手を挙げ、なぜか木更までも手を上げていた。凛はそれに微妙な目線を送るが、木更は先程とはまた別に目を輝かせていた。

 

「焼肉……じゅるり……」

 

「木更ちゃん……」

 

 ……食べ物の魔力恐るべし……。

 

 内心でなんともいえない感情に襲われつつも、凛も渋々零子の提案に同意し、焼肉に行くことが決定した。

 

 

 

 

 

 

 その日の夜。

 

 零子達、黒崎民間警備会社の行きつけの焼肉店でテーブルを囲んでいた。既にテーブルの上には多くの肉が並べられており、皆ギラギラとした目つきでそれらを見据えていた。

 

「では、我等、黒崎民間警備会社と天童民間警備会社の親睦会を始めます。今日は私の奢りよ皆、気にせずじゃんじゃん食べなさい」

 

 零子の号令に皆が頷くと、箸を持って皆自由に肉を焼き始めた。同時に肉の焼ける香ばしい香りが皆の鼻腔をくすぐるが、その中で零子が一人浮かない顔をしている蓮太郎を見つけた。

 

「どうかしたかしら蓮太郎くん。不幸そうな顔が更に不幸そうになってるわよ?」

 

「俺、そんなに不幸そうな顔してるのか?」

 

「ええ。もう不幸が顔全体に滲み出ているというか、オーラが不幸と言うか」

 

「……もういい、聞いてるほうがつらい」

 

「まぁいいけど。で? なんでそんなに俯いちゃってるわけ? 何か気に喰わないことでもあった?」

 

 零子が再度問うと、蓮太郎は箸をおいて話し始めた。

 

「……ここは、大丈夫なのかなって思ったんです。延珠達みたいな存在がこんな人の集まるところに来て」

 

 その言葉から察するに、蓮太郎は延珠や摩那のようなイニシエーター、『呪われた子供たち』がこのような公衆が集まる飲食店に来て差別や迫害の言葉をかけられないか心配しているのだろう。

 

 しかし、蓮太郎の心配も他所に肩を竦めると彼に告げた。

 

「安心しなさいな。ここはそんな連中が集まれないようになってるから」

 

「え?」

 

「表の看板見なかった? 看板には『呪われた子供たちに差別意識のない方だけご来店ください。差別意識のある方は回れ右して帰れバーカ』って書いてあるのよ?」

 

「……マジッすか?」

 

 蓮太郎は驚愕に顔を染めるが、零子はいたって冷静だ。更に彼女は蓮太郎に「見ろ」と言うように顎で見せのカウンターを指した。

 

 蓮太郎がそこに目を向けると天童民間警備会社の事務所がある雑居ビルの、四階に構えている闇金の連中よりも更に強面で筋骨隆々な男達が数人控えていた。

 

 思わず同じ日本人かと疑ってしまいたくなるような体躯に蓮太郎は引いてしまったが、零子はそれを面白がるように彼等に声をかけた。

 

「おーい! 生ビール追加ー!」

 

「ヘイ、少々お待ちください零子の姐さん!!」

 

 男の一人が零子に深々と頭を下げビールを注ぎに行くのをポカンとしたした表情で見ていた蓮太郎に零子が更に続けた。

 

「ほらね? なんともなかったでしょ。それに、もしこの店でこの子達みたいな子の事を差別するような言葉を使ったら彼等につまみ出されるしね」

 

「じゃあ、今いるお客は全員延珠たちみたいな存在を否定していないってことなのか?」

 

「ええ。東京にはこんなところもあるのよ。これで少しは楽しんでお肉が食べれそうかしら?」

 

 零子が首を傾げると、蓮太郎は今までよせていた眉間の皺を解き箸を持って網に置いてある自らの肉を食べようとした。

 

 しかし、蓮太郎が取ろうとした瞬間その肉がとんでもない速さで掠め取られてしまった。

 

「あっ!?」

 

「フフン。よそ見してるからいけないんだよ蓮太郎!」

 

「摩那、テメェ!! それ俺の育てた肉だぞ返せ!!」

 

「やーだもん! 取ったもん勝ちだもーん!」

 

 蓮太郎が抗議するが、摩那はそれをモシャモシャと咀嚼した。蓮太郎はそれに拳を握り締めるが、木更が頭を軽く叩いた。

 

「コラ、摩那ちゃんを睨まない! それに摩那ちゃんの言うとおりよ。さっさと食べない里見くんが悪いわ」

 

「俺だって色々考え事してたんだよ! つーか、木更さんは食いすぎだろ!? 頬パンパンに膨れてハムスターみたいになってんじゃねーか!」

 

「何を言うのよ。こんな機会私達にはめったにないのよ!? 食べられる時に食べないとそんでしょう!」

 

 木更はそういうとメニューを持ちながら店員に追加で注文した。その姿に苦笑いしつつ、蓮太郎は隣に座る延珠の姿を見る。

 

 彼女は向かいに座っている摩那とアニメの話をとても楽しげに話している。その姿はとても嬉しげだった。

 

 それに満足げな表情をしている蓮太郎であるが、蓮太郎の斜め前、零子と凛の間に座っている少女、千寿夏世が蓮太郎を一瞥すると凛の袖をクイッと引き彼に問うた。

 

「凛さん……あの人もしかしてロリコンですか……?」

 

「ブッ!?」

 

 その単語に蓮太郎は思わず口に含んだウーロン茶を噴いてしまった。

 

「か、夏世ちゃん!? 何を言い出してんの!? 蓮太郎君はそういうんじゃないと思うよ……たぶん」

 

「えー……だってさっきから延珠さんの顔を見ながらニヤニヤといやらしい笑みを浮かべていましたし……」

 

 それを聞いた瞬間、周りの空気が一瞬にして凍りついたのを蓮太郎は感じた。

 

「……蓮太郎さん……さすがにそれは……」

 

「見てはいけませんわ杏夏。心が汚れてしまいますわ」

 

 杏夏は信じられないような者を見る目で蓮太郎を軽蔑のまなざしで見ており、相棒の美冬は完全に蓮太郎を敵視していた。

 

「里見くん……前々からそんな気があるんではないかとは思っていたけどまさか本当に……?」

 

 木更でさえ携帯に手をかけており、画面には110の数字が見えた気がするが、蓮太郎はそれを見たくはなかった。

 

「あーららぁ? 蓮太郎くんはそっち系なのかしらぁ?」

 

「えー、蓮太郎マジで? 蓮太郎のことは確かに嫌いじゃないけども……流石にないわー」

 

「零子さん! それに摩那も! 失礼だって!」

 

 すっかり酒が入って顔が赤くなり始めた零子に、蓮太郎を小ばかにしたようにケラケラと笑う摩那。その二人を凛が注意するが、二人はかなり楽しげに笑っていた。

 

「大丈夫だぞ蓮太郎! 妾は蓮太郎がその気になればいつでも体を差し出してやるぞ! なんなら今日帰ったら早速するか!?」

 

 延珠のその発言がさらに場の空気を凍りつかせ、軽蔑の眼差しが更に強くなった。凛もさすがにフォローが出来なくなったのか、蓮太郎に対し顔を伏せると。

 

「……ごめん、蓮太郎くん。流石にもうどうしようもないかな……」

 

「ふ、ふふ、ふざけんなぁあああああああ!! 俺はロリコンじゃねえええええええ!!!!」

 

 蓮太郎の大絶叫は店を飛び越え通りの方まで響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 そして親睦会が終わった後皆それぞれ帰路についた。

 

 凛と摩那も家路についていたが、凛は店で起こったことに溜息をついていた。

 

「まったく……ふざけ過ぎだよ摩那」

 

「えー、そう? だって面白かったし」

 

「面白いって言ってもさぁ……」

 

 肩竦め先を歩く摩那としゃべる凛だが、ふと路地から出てきた少女とぶつかりそうになってしまった。

 

「おっとと、ごめん。君怪我はない?」

 

「はい。大丈夫です。こちらこそすいませんでした前を見ていなかったもので」

 

 少女は恐らく色に例えればプラチナブロンドと言った感じの髪色をしており、肌も日本人とは全く違った白人種のそれだった。年は摩那と同じくらいだろうか。

 

 彼女はそのままぺこりと頭を下げそのまま凛が来た道を歩いていき、最終的には夜の闇の中へ消えていった。

 

 そんな彼女が気になったのか、凛は少女の姿が見えなくなるまで彼女の後ろ姿を見つめいていた。

 

「凛ー? なにしてんのー? 早く帰ろうよー」

 

「あぁうん。今行くよ」

 

 凛と摩那はそのまま家路に戻った。

 

 

 

 

 

 

 

『どうした?』

 

「いえ、なんでもありませんマスター。一般人とぶつかりそうになっただけです」

 

『そうか、まぁいい。だがあまり目立つなよ。名前も極力偽名を使って自分の情報は絶対に流出させるな』

 

 少女は携帯越しに聞こえる男性の声に頷いた。

 

『では、もう一度確認するぞ。――ティナ・スプラウト、お前の任務はなんだ? 私に聞かせて送れ』

 

 ティナと呼ばれた少女はその可愛らしい口からは到底飛び出さないような言葉を発した。

 

「ご安心くださいマスター。――聖天子抹殺は必ずや成功させて見せます」

 

 言い切ると、彼女の目が赤く染まった。




今回から『VS神算鬼謀の狙撃兵』の開始でございます。

聖天子様は凛と蓮太郎二人の合同任務と言う形にしました。
そして今回は少々蓮太郎君をいじりすぎた感じもしますが……w

というか、黒崎民間警備会社の周辺に『呪われた子供たち』差別の人物がいなさすぎぃ!!w
なんだ今日出てきた焼肉店は! よくやっていけるな!! 明らかに経営ギリギリだろ!w
……なぁんてことを書いているうちに考えてしまいましたw

では、感想などあればお願い致します。


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第十五話

 親睦会から数日。今日は凛と蓮太郎が二人で聖天子に今回の任務を了承することを伝えにきたと同時に彼女に呼ばれていたのだ。

 

 しかし、聖居に近づくにつれ蓮太郎の溜息がドンドン多くなっていった。

 

「その様子からすると随分気乗りしないみたいだね」

 

「……まぁ叙勲式のとき色々あったしな。流石に忘れることは出来ねぇし」

 

 蓮太郎が言っているのは自らが叙勲式のときにやってしまった聖天子に掴みかかろうとしたことだろう。

 

「あれはねー、僕と零子さんも見てたけど確かにやっちゃったよねー」

 

「笑い事じゃねぇって」

 

「でもそんなに気にすることもないんじゃない? 聖天子様優しいし」

 

 凛は小さく笑っていたが、蓮太郎はいまだに気乗りしていないのか溜息がやむことはなかった。

 

 その後、凛と蓮太郎は聖居前までやってくると、門の前に控えていた守衛に用件と名前を告げた。それを聞き取った守衛は中と無線で連絡を取り合うと、凛と蓮太郎は守衛に挟まれた状態で聖居内へと向かった。

 

 二人はてっきり以前と同じく玉座に通されるのかと思いきや、通されたのは記者会見室だった。

 

 しかし、報道官やカメラの姿はなく、壇上では聖天子と秘書官のような人物が数名立っており、どうやら会見のリハーサル中のようだった。

 

「……聖天子様もリハとかするんだね」

 

「……まぁあの人も人の子ってわけだよな……うおっ!?」

 

 小声で話していた二人だが、蓮太郎がずらりと並べられたパイプ椅子の背もたれに体重をかけた瞬間、体重のかけ所が悪かったのか大きな音を立てて椅子が倒れた。

 

 その場にいた全員の視線が蓮太郎にそそがれるが、聖天子は二人の姿を確認するとクスッと笑いかけた。

 

「ごきげんようお二人とも。時間通りですね」

 

「どうも聖天子様」

 

 凛は彼女に頭を下げるが蓮太郎は掴みかかろうとしたことが脳裏をよぎったのか、後頭部を書きながら彼女に謝罪した。

 

「その、この前は悪かった」

 

「いいえ、気にしていません」

 

 聖天子が頷きながら答えると、蓮太郎は謝罪するように軽く頭を下げた。

 

 すると、聖天子の隣に控えていた鋭角的な眼鏡をかけた女性が凛達を見ながら聖天子に問うた。

 

「聖天子様、この方たちは?」

 

「清美さんは初めてでしたね。白髪の男性の方がIP序列666位の断風凛さん。そして、こちらがステージⅤから東京を救った里見蓮太郎さんです」

 

「里見蓮太郎って元歌のお兄さんでゲイバーのストリッパーのっ!?」

 

 清美と呼ばれた秘書官らしき女性が口元を抑えて驚愕の表情を浮かべるが、蓮太郎はそれにいらだたしげな声で言い返した。

 

「ちげぇよ!! なんだよ元歌のお兄さんでゲイバーのストリッパーって!! 最近ネットで色々言われてるけどどれもこれも身に覚えがねぇわ!」

 

 蓮太郎は大きな声で否定していたが、凛は持っていた携帯で『里見蓮太郎 ゲイストリッパー』で検索してみたところ、かなり多く検索結果が出てきた。

 

 恐らくネットで広まるうちにあらぬ尾ひれがドンドン付いていった結果変なうわさが広まったのだろう。その他にも『元シイタケ栽培技師』とか『元開運アドバイザー』とか『元アニマルセラピスト』などと言ったものがあった。

 

 ……変に情報規制されてたからすごいことになってるなぁ……。と言うか元歌のお兄さんでゲイバーのストリッパーってどうかと思うけど……。

 

 肩を竦め携帯をポケットにしまいこんだ凛は聖天子の前に歩み寄る。

 

「聖天子様、今日は依頼の了承をしに参りました」

 

「ありがとうございます、お二人とも」

 

 彼女はそういうと周囲の人間に視線を向け、皆を下がらせた。

 

 壇上に聖天子以外がいなくなったところで、彼女は凛と蓮太郎の下に近寄った。

 

「実は明後日、大阪エリアの代表である斉武大統領が非公式で東京エリアに訪問します」

 

「それはまたどうして?」

 

「ご存知かとは思いますが、現在この日本は札幌、仙台、大阪、博多。そしてここ東京の五つに分かれていて、それぞれに国家元首がいます。そして、その中の一人である斉武大統領が先日急に東京エリアに寄るという事で私との会談を申し込んできたのです」

 

 聖天子の言葉に蓮太郎は驚いていたが、凛は落ち着いた様子で口元に手をあて考えこんでいた。同時に彼は室内に入ってから菊之丞がいないことを思い出した。

 

 ……確か菊之丞さんはロシア辺りに訪問中だっけ。なるほど、斉武大統領が『いま』くるのは菊之丞さんがいないのが原因か。

 

 昔菊之丞が言っていたことだが、二人は大戦前からの因縁関係にあったらしい。その敵のいない留守を狙ってくるということなのだろう。

 

 どうやら聖天子もそれはわかっていたようで、蓮太郎に話していた。

 

「で? 護衛ったって何処をすりゃあいいんだ?」

 

「はい。お二人には移動中の護衛、斉武大統領との会談の席では後方に控えていて欲しいのです」

 

「なるほど、凛さんもいいか?」

 

「うん。僕は大丈夫」

 

 凛は頷くが、蓮太郎が思い出したように聖天子に問うた。

 

「まぁ俺達がアンタの護衛をするのは別にいいんだけどよ。アンタにはもう護衛がついてんじゃねぇか」

 

「ええ。ですからそれを今紹介しようとしたところです。入ってきてください」

 

 聖天子が促すと、軍靴をならしながらすばやい動きで男達が会見室に整列した。テレビのニュース番組などでよく目にする聖天子付きの護衛官達だ。

 

 彼等の装いは白い外套に制帽で、腰には銃が差してある。パッと見では護衛官と言うよりも第二次大戦の頃の憲兵達にも見えてしまう。

 

「ではご紹介します。こちらが隊長の保脇さんです」

 

 聖天子が言うと、保脇と呼ばれた長身の男性は人のよさげな笑みを浮かべ蓮太郎と凛の前に歩み出ると、握手を求めるように右手を差し出した。

 

「ご紹介に預かりました、保脇卓人です。階級は三尉で護衛隊長をやらせていただいています。任務中もしも何か起こったときはよろしくお願いしますね。里見くん、断風くん」

 

 にこやかな笑みを浮かべている保脇であるが、蓮太郎は保脇が出している右手を無視した。凛はそれに小さく笑うと、それに謝るように保脇と握手を交わす。

 

「こちらこそ、よろしくお願いします。保脇三尉」

 

 凛の方もとても人のよい笑みを浮かべていはいるものの、内心では保脇が見せたほんの一瞬の苛立たしげな表情を見逃さなかった。

 

 同時に、凛は保脇が自分達のことを快く思っていないということも見抜く。

 

 ……明らかに僕達のことを邪魔者としてみているみたいだね。だけど、一番気に食わないのは蓮太郎君のことかな。

 

 保脇との握手を終えた凛は聖天子のほうを見やる。どうやら蓮太郎が保脇の握手を拒否したことを咎めている様だ。

 

 それを見た保脇は聖天子に首を振りながら蓮太郎の行動を咎めることはしなかった。

 

 すると、聖天子が時計を確認し先程の秘書官を呼んだ。秘書官は蓮太郎と凛に一枚の紙を渡した。

 

「では、こちらに必要事項などを記入した上で後ほどご連絡ください」

 

「私もそろそろ次のスケジュールが押していますので、これで失礼しますね」

 

 聖天子はそう告げると護衛たちをと共に記者会見室から出て行ってしまった。その場に残された蓮太郎と凛はその姿を見送るが、蓮太郎が呟いた。

 

「……出口どっちだよ」

 

 しかし、凛はそんな彼の肩を軽く叩くと、

 

「大丈夫。道順は此処にくるうちに覚えてるから」

 

「結構記憶力いいな凛さん……」

 

「そうかな? まぁでも用は済んだことだし行こうか」

 

 その言葉に蓮太郎も頷き、二人は記者会見室を後にした。

 

 聖居の中を出口を目指して歩く凛と蓮太郎は二人で互いに話し合っていた。

 

「どう思う?」

 

「護衛任務の依頼か?」

 

 凛はそれに頷くと廊下を歩きながら語る。その瞳は真剣そのもので有無を言わさない迫力があった。

 

「なーんか嫌な予感がするんだよね。前回みたいに聖天子様が何か隠しているわけではなさそうだけど、何かがおかしいんだよね。例えば、既に結構やり手の護衛官があんなについているのにわざわざお金を払って僕達民警を雇う理由とか」

 

「金がらみではなさそうだよな。けど、護衛官のやつらならまだしも護衛任務なんて早々回ってこない俺等にとっちゃ結構重責だよな。そんなのを任せられるか?」

 

「どうだろうね。けどまぁそれは――」

 

 凛は小さく不適に笑うと、目にも止まらぬ速さで冥光を鞘のまま腰から抜いた。その行動に蓮太郎はぎょっとしてしまうが凛が自分に目配せをしたことを感じ取ると、右に飛び退き壁に背中をぶつけた。少し強く飛びすぎたようだ。

 

 しかし、背中をさすりながらも蓮太郎は目の前に広がる光景に目を見開いた。

 

 そこには先程聖天子といなくなったはずの護衛官の一人と、そんな彼の喉仏に刀が納められている鞘の先端、小尻を突きつけている凛の姿があった。

 

「――この人達に聞いたほうが早いかもね」

 

 ニヤリと笑った凛であるが、喉仏に刀を突きつけられた護衛官の男はその笑みに若干の恐怖を覚えたのか一方後ろに引き下がった。

 

「さぁて、なんで僕達を襲おうとしたのか聞かせてくれませんかね?」

 

 首をかしげながら聞く凛であるが、男は凛から視線をそらした。

 

「そこまでだ」

 

 ふと凛の後方でカチッと言う拳銃の撃鉄を起こす音が聞こえた。凛はそれに振り向かないが、蓮太郎が凛の背中を守るように立ちはだかり、XD拳銃に手をかける。

 

「あれ? 護衛官が聖居で銃を撃とうとしていいんですか? 保脇三尉」

 

「ふん、僕の部下が襲われているんだ。これぐらいは出来るに決まっているだろう」

 

「……ざっけんな。最初に襲ってきたのはそっちだろうが」

 

 蓮太郎がはき捨てるように言うと、保脇は憎々しげに二人を睨むと「おい」とだけ告げ、凛に刀を突きつけられている男を下がらせた。

 

 凛もそれに反応し冥光を納めると蓮太郎と同じように保脇と向かい合った。

 

「単刀直入に言う。貴様等今回の依頼を受けるな」

 

「それは無理なご相談です。この任務は拒否することは出来ないと言われているので」

 

「フン、そんなもの何か理由をつけて断ればいいだろう。それに、聖天子様には我々護衛隊が付いている。貴様等民警の力など借りずとも守り抜ける。……だが、一番気に食わないのは貴様だ里見蓮太郎」

 

「あぁ?」

 

 保脇に銃口を向けられながら蓮太郎は彼を睨むと、保脇は更に眉間に皺を寄せ憎悪を込めた言葉を吐いた。

 

「何故貴様があの方の後ろで護衛をする? 貴様などたまたまあの場にいただけで、偶然レールガンが当たったに過ぎないじゃないか。あそこに僕がいればゾディアックを倒したのは僕だ。何が英雄だこの成り上がりのガキが」

 

 先程の笑顔は何処へやら。

 

 まるで親の敵を見るような目で蓮太郎と凛を睨む保脇は更に続けた。

 

「第一、僕は天童閣下に任されたのだ。なのに何故だ? 何故貴様のようなヤツに聖天子様の護衛をさせなければならない?」

 

 保脇の言葉には明らかにある感情が出ていた。それは怒りでもあるが、一番の感情は『嫉妬』だ。自身だけが聖天子の傍にいる最大の特権を奪われてしまったことによる醜い嫉妬。

 

 それに気が付いた凛はやれやれと言った様子で肩を竦めるが、保脇が急に笑みを浮かべた。しかしそれは、幸福から来るような物ではなく、もっと暗く、人間の淀んだ感情からきている笑みであり、彼は開いた口からべろりと生理的に受け付けたくない舌なめずりをした。

 

「なぁ貴様等、聖天子様も16歳だ。そろそろ世継ぎを残されるべきだとは思わないか?」

 

「……なるほど、結局はそういう魂胆かよ」

 

「……うわー、キモイですねー。さっき握手した時も手がべたべたしてたし……」

 

 蓮太郎は舌打ちをし、凛は先程握手を交わした手を汚いものを触った後のようにパタパタと振った。

 

 その行動が保脇をさらに怒らせることとなったのか、彼は額に血管を浮き立たせわなわなと拳を震わせていた。

 

「貴様等ぁ……!! 僕を馬鹿にするのも大概にしろよ!」

 

「馬鹿にも何も……実際キモイこといってるのは事実じゃないですか。ねぇ蓮太郎くん」

 

「だな、三十過ぎのオッサンが十六の聖天子様に欲情するとか目も当てられねーぜ」

 

 二人のその言葉についに堪忍袋の尾が切れたのか、保脇は目を血走らせながら部下に命じた。

 

「やれ、お前達! あいつ等の四肢の骨を砕け!!」

 

 その掛け声と共に保脇を取り巻いていた男達が一斉に凛達に襲い掛かってきた。凛は小さく笑うと蓮太郎の肩をたたいた。

 

「左はよろしく」

 

「ああ」

 

 二人は同時に駆け出し、凛は冥光を鞘に抑えたまま向かってくる護衛官の首筋に冥光を叩きつけた。「ガッ」と言う短い悲鳴が聞こえたかと思うと、護衛官は首筋を押さえる。

 

 しかし、それでも護衛官の男は凛を押さえつけようと体全体でタックルを仕掛けてくる。凛はそれに小さく笑うと男の懐に自らもぐりこみ、男の鳩尾に柄頭を思い切り叩き込んだ。

 

「ガハッ!?」

 

 その途端男が一瞬呼吸を止め、身体をくの字に折り曲げた。凛はそのまま流れるような動きで男から離れると、一気に保脇に迫る。

 

 蓮太郎もまた自身の相手を天童流で下しXD拳銃を抜き放ち銃口を保脇に向け、彼の鼻先に銃口を突きつけ、凛も保脇の喉仏に小尻を突きつけた。

 

「まだやるか?」

 

「くっ……!」

 

「流石に聖居でこれ以上騒ぎを起こすのもどうかと思いますけど?」

 

 二人に言われ、保脇はギリッと歯軋りをすると二人を睨みながら一歩後退し、憎しみの言葉をはき捨てた。

 

「……殺してやるッ! 絶対に殺してやるぞ、里見、断風ッ!!」

 

 彼はそのまま部下達とわらわらと消えていった。その後姿を睨みつつ、XD拳銃をホルスターに納めた蓮太郎は隣にいる凛に溜息をつきながら告げた。

 

「あれ完全に逆ギレだよな?」

 

「だね。でもどうする? 殺害予告されちゃったけど」

 

「どうするもこうするも……殺されねぇようにするしかなくね?」

 

 肩を竦める蓮太郎に対し、凛も小さく笑って頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 聖居を出た凛は蓮太郎と分かれ会社に戻った。

 

 いつ戻り事務所の椅子に腰掛けた零子に対し、凛は先程あった出来事を話した。

 

「……なるほど、いくら聖天子付きの護衛隊といっても誠実勤勉と言うわけには行かないようだな」

 

「はい。むしろ下心丸出しでしたよ。僕でさえ気持ち悪いって思いましたし」

 

「ハハッ! 君に気持ち悪いといわれるとはその保脇と言う男はかなり気持ち悪いんだなぁ。杏夏ちゃんはどう思う?」

 

「気持ち悪いですよ!! 最低のクソ野郎です! 生ゴミとしてゴミ処理場に送りたい気分ですっ!」

 

 話を聞いていた杏夏も拳を握り締め怒りを露にしていた。確かに自身と同じ女性の聖天子をその様な目で狙っているやからがいるとすればイラつくのは当たり前か。

 

 零子はそれに笑みを零した。

 

「やれやれ、厄介な任務だな。しかし、拒否権はないわけだ……やれるか?」

 

「勿論。まぁ色々面倒なことはありそうですが」

 

「その辺は仕方ないな。……だが、もし今日のように襲われたりしたら今度は問答無用で無力化して構わん。好きにやれ」

 

 凛はそれに頷くと彼女に頭を下げた。すると、零子は「話は変わるが……」と言いながら机の引き出しから三枚の紙を取り出した。

 

 それには診断書と書かれており、氏名のところには摩那、美冬、夏世の名前が書かれていた。

 

「彼女たちの診断書だ。ガストレアウィルスによる体内侵食率だ」

 

 零子が言った瞬間凛と杏夏の顔に緊張が走る。杏夏は席を立ち零子の机まで来ると美冬の診断書を取った。

 

 その様子を心配してか零子はなだめるように優しげな声で告げた。

 

「大丈夫だ。三人ともまだまだ侵食率は低い」

 

 確かに零子の言ったとおり、それぞれの侵食率はそこまで高くはなかった。

 

 見ると摩那の侵食率は21.1%。美冬の侵食率は20.3%。夏世の侵食率は二人と比べると僅かに高いものの、まだ危険域には程遠い26.8%だった。

 

「幸い皆まだ20%の領域を出ていない。それも君達が彼女達に力を使わせないおかげだな」

 

 零子は薄く笑うが、夏世の侵食率が高かったことを気にかけているのかその瞳は少し悲しげだった。

 

「さて……暗い話をしてしまったな。そろそろ帰っていいぞ」

 

 その言葉に従い、凛と杏夏は軽く頭を下げ会社を後にした。

 

 

 

 

 

 

「それにしてもよかったですね。三人とも何も無くて」

 

 帰り道、夕日に照らされる家路を凛と並んで歩いていた杏夏はホッと胸を撫で下ろすように息を吐いた。

 

「そうだね。けどこれからも気は抜けないね、あの子たちには極力力を使わせないようにしないと」

 

「ですね」

 

 杏夏も覚悟を決めたように拳を握り締めたが、彼女の腕にはまだ包帯が巻かれていた。

 

「包帯、いつ取れるんだっけ?」

 

「えーっと確か来週の終わりごろには取れたはずです。もう痛くないんですけどお医者さんがちゃんと骨と骨がくっつくまであまり動かすなって言ってて」

 

「まぁ骨はちゃんとくっつけた方がいいからね。けど、それならよかった」

 

 凛は何の気無しに杏夏の頭をなでたが、その瞬間彼女の頬が真っ赤に染まった。

 

 しかし、夕日で照らされているためか凛がそれに気が付いた様子はない。

 

 ……うぅ~……。凛先輩ってこういうの本当に自然にやって来るんだもん心の準備が出来ないよ。

 

 凛になでられ自身が高揚していることに気が付く杏夏であるが、凛は全くそれに気がついていない。

 

 この一連の様子からもわかる様に、春咲杏夏は断風凛のことが男性として好きなのである。それは既に零子や美冬も知っていることだ。

 

 好きになったのは今から数年前、凛との合同任務の時彼が杏夏をガストレアから守ってくれたことから始まる。

 

 最初は感謝こそすれど好きだという感情は芽生えていなかった。しかし、その後段々と一緒に仕事をこなしたり、凛の何気ない優しさに触れたりする後とに段々と男性として意識してしまうようになってしまったのだ。

 

 勿論当初はそんなことが信じらえず否定しようとしていてのだが、凛が綺麗な女性と話していれば妙にイラついたり、摩那と楽しげに遊んでいれば自分とも遊んで欲しいという感情が芽生えるようになってしまった。

 

 そして、既に気付いた時には時遅くどうしようもな凛が好きになってしまっていたのだ。本当は蛭子影胤を追う任務にだって行っては欲しくなかった。

 

 いつものように自分の隣でコーヒーを飲みながら一緒に仕事をしていたかったのだ。だが彼は行ってしまった。だから杏夏は凛が帰ってくるまでずっと祈り続けていた。無事に帰ってくるようにと。

 

 しかし帰って来た時には凛に抱きついてまで喜んだのに、彼はそれを仲間として心配してくれていたんだと解釈してしまったようだった。

 

 ……もう! いくらなんでも凛先輩気が付いたっていい頃だよね!? 大体摩那ちゃんとはあんなにいちゃついてるくせになんで私には……。

 

 内心で悶々と考えながら俯く杏夏であるが、ふと自身の額を何かに押される感覚がした。彼女はその正体を確認しようと前を向くが、その瞬間固まってしまった。

 

「うーん、熱はなさそうだけど……」

 

 凛が自分の額を杏夏の額にあて熱を測っていたのだ。恐らく杏夏の顔が赤くなっていたことに気が付いたのだろう。

 

「り、凛先輩!? な、なななな、何してりゅんでしゅか!?」

 

 あまりにびっくりしてしまったからか二回も噛んでしまった。

 

「うん? なにって熱測ってるんだよ。顔真っ赤だったし」

 

「そ、そうれならちゃんと了承を得てください!!」

 

「? 取ったよ? そしたら杏夏ちゃん頷いたじゃん」

 

「へっ?」

 

 杏夏は先ほどまでの自分の行動を思い出す。

 

 すると、彼女は思い出したようにはっとした。確かに凛のことを悶々と考えているときに顔を俯かせてしまった。

 

 恐らく凛にはそれが了承に見えたのだろう。

 

「そ、それは……いろいろ違うんですーーーーーッ!!!!」

 

 全てを思い出した杏夏は更に顔を真っ赤に染め全力ダッシュで家に急いだ。

 

「ちょ!? 杏夏ちゃん!?」

 

「ごめんなさい! 用事を思い出したのでこれで失礼しますー!!」

 

 杏夏はそのまま走っていってしまったが、彼女の口元は緩みまくっていた。

 

 結局凛はそれに気がつくことはなく、首を傾げると少々疑問を残しつつも自宅に帰った。

 

 その日の夜、摩那にそのことを話したらなぜか頭を齧られた凛であった。




意外! それは突然の恋愛要素ッ!!(CV大川透)

さぁ二日連続での投稿でございます。
そして急に始まった杏夏の恋愛要素。まぁ成就するかはわかりませんが……
影胤を追うところで凛の心配をしてた描写あったし……これぐらいあってもいいはず……。
いや、まぁいいんですぜ? 恋愛なしのバリッバリの戦闘ものにしても……けどそうすると花がないじゃないすか……。
というわけではじめてみました恋愛要素。この後も展開次第では更に増えていくかも知れませんね凛くんの彼女を決めるお話が。

では感想などありましたらお願いします。

(P.S.保脇さんプライドズタズタとか言っちゃダメ。あとキモイと言ってもダメ……いや、これはいいか)


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第十六話

 聖天子護衛任務の当日、凛と摩那、蓮太郎と延珠のペアは揃って聖天子の乗るリムジンに乗り込んだ。

 

 リムジンはとても豪華なものであり、以前凛が未織と乗ったリムジンよりも豪華さが際立っていた。

 

「広ッ!? 車ん中めっちゃ広いよ凛!!」

 

 乗り込んだ瞬間摩那が興奮しながら目を白黒させているが、聖天子は特に気にした様子もなくいつもの笑みを浮かばせていた。

 

「摩那。今日は遊びに行くんじゃないからもう少し落ち着いてね?」

 

「わかってるよー」

 

 摩那はそういうと先に乗車した延珠の隣に腰掛け、またしてもアニメの話に花を咲かせていた。それに軽く溜息をついた凛は既に座席についている聖天子に頭をさげた。

 

「騒がしくしてしまって申し訳ありません、聖天子様」

 

「いいえ、子供らしくてとてもいいと思います」

 

 彼女は凛に笑いかけると手で凛に座るように促した。凛もそれにうなずくと摩那の隣に腰掛ける。

 

「では行きましょう」

 

 凛が座ったことを確認した聖天子は運転士に告げた。それに呼応し、リムジンは非公式会談の目的地に出発した。

 

 揺られること凡そ二時間、特にこれと言った話もなく、会談が行われる地上八六階建ての超高層ホテルに到着した。

 

 まず先に凛が一歩外に出て周囲に危険がないかを確認する。車内から車外へ出るときと言うのはしばしば暗殺などに使われることもある。それを警戒しての行動だ。

 

 ……まぁ他にもこれだけ護衛官がいる中でそんな馬鹿なことをする暗殺者はいないと思うけど。

 

 既に周囲には保脇達護衛官が展開しており、ネズミ一匹入ることは不可能だろう。保脇は凛を睨んでいたが、凛はそれを気にした風もなく今度は回りに立ち並ぶ高層ビルを零子から渡されたスコープで見回す。

 

 暗殺の方法は何も一つではない。遠方からの狙撃も一つの手だ。古今東西世界の要人たちの中には銃での狙撃事件で命を落とした者も多い。アメリカの第三五代大統領である、ジョン・F・ケネディも遊説先であるテキサス州ダラスで銃により狙撃され殺害されたのは有名な事件だ。

 

 周囲には背の高いビルが立ち並んでいるため狙撃手がいてもおかしくはないが、どうやら今はいないようだ。

 

 凛はそれに頷くと、聖天子に手を差し伸べた。

 

「周囲に問題はありません。出てきても大丈夫ですよ」

 

「ありがとうございます」

 

 聖天子は凛の手を借り車外へ姿を現した。一瞬保脇の方から妬ましいそうな視線を感じたが凛はそれに振り向きもしない。

 

 ウェディングドレスを彷彿とさせる純白の礼装をはためかせながら聖天子はホテルへと向かう。その後に続き凛と、車から出てきた蓮太郎が彼女の後ろへ付こうとするが、車内から摩那と延珠が二人を呼び止めた。

 

「蓮太郎、お仕事がんばってくるのだ」

 

「凛ー。失敗しちゃダメだよ」

 

 窓から身体を乗り出して二人を応援する少女達に凛と蓮太郎は頷くと、先を行く聖天子を追いかけた。

 

 すると、蓮太郎が聖天子の背に問う。

 

「なぁ聖天子様。延珠や摩那を連れて来なくてよかったのか?」

 

「子供が元気なのはよろしいですが、こういった真面目な場では子供を連れて行くわけには行きませんから」

 

 即答に蓮太郎は「やれやれ」と言ったように肩を竦めて見るが、聖天子はそのまま回転扉をくぐりホテル内へと進んでいく。

 

 ホテルに入ると、オーナーであろう男性が聖天子の登場にブリキのオモチャのようにカクカクとした動きで挨拶すると、手に持っていた鍵を彼女に握らせる。

 

 聖天子はそれに微笑みながら軽く会釈をすると、オーナーの男性は額に僅かに汗を滲ませながら礼を返した。

 

 エレベーターに乗ると聖天子が凛に鍵を渡し、凛はそれを鍵穴にさし込み本来表示されないはずの最上階を押した。

 

 やがてエレベーターが動き出しアンティーク調のインジケーターがカチカチとなりながらエレベーターは最上階を目指す。

 

「そういえば思ったんだけど……聖天子様って斉武大統領と会ったことあるんでしたっけ?」

 

「いいえ。私は一度も会ったことはありません。ですので、里見さんなら知っているかと思ったんですが……」

 

 聖天子は蓮太郎のほうを見やる。凛もそれと同じように彼を見ると、蓮太郎は小さく溜息をついて話し始めた。

 

「……あぁ。俺が天童の家にいた時は菊之丞(クソジジイ)が俺を政治家にしようと目論んでたからな。よくパーティに連れ回されて、いろんな政治家に会ってその時斉武と会った事もあった。結構前の話だけどな」

 

「なるほど……。ではもう一つお聞きしたいのですが、里見さんから見た斉武大統領とはどんな人なんですか? 菊之丞さんに聞いてみても露骨に不機嫌になってしまって話してくれなくて……」

 

「あ、それは僕も聞いておきたいかな。どんな人なんだい?」

 

「アドルフ・ヒトラー」

 

「「は?」」

 

 突拍子もない発言に凛と聖天子は思わず間の抜けた声を上げてしまった。すると聖天子はまぶたの辺りを少し押さえながらもう一度蓮太郎に問うた。

 

「えっと……冗談ですよね?」

 

「こんな時に冗談言ってどうすんだっての。まんまだよ、歴史上の人物に表せば一番しっくり来るのがヒトラーだ」

 

 聖天子はそれにまたしても驚いてしまったようで、いつもの彼女では絶対に見られないような表情をしていた。

 

 その時、凛はアドルフ・ヒトラーと表された斉武のことを思い返していた。

 

 ……確か零子さんの話だと……。

 

 凛は先日零子が話していたことを思い出す。

 

『斉武宗玄と言う男はかなり大阪エリアの市民に恨みを買っているようでな。既に即位してから十七回も暗殺されそうになっているらしい。まぁネットで調べればすぐわかることだが、アレだけ重い税金をかけられれば誰だって怒りたくなるだろうさ。

 因みに言っておくと、他のエリアの統治者は皆かなりの野心家だ。荒廃期からたった一代でエリアを再興させた極めつけの奴等だからな。その中でも斉武はかなりの危険人物だと聞く。会うときはそれなりに警戒しておけよ』

 

 零子が言っていたことと今現在蓮太郎が言っていたことを重ね合わせた凛は聖天子に零子と似たようなことを説明している蓮太郎を見た。

 

 ……なるほどね、蓮太郎君も警戒してるわけだ。

 

 蓮太郎は特に聖天子に説明しているようにも見えるが、彼の声は自らにも言い聞かせているように聞こえた。

 

「大体理解できました。ありがとうございます里見さん」

 

 そう告げた聖天子は自身の両隣に控えている凛と蓮太郎を見ると少しだけ不安げな面持ちで見つめた。

 

「お二人とも、私の傍を離れないでください」

 

「了解しました」

 

「へいへい」

 

 凛は礼儀正しく会釈をしたが、蓮太郎は若干気だるそうに返事をしたため、聖天子はムッとした顔で蓮太郎の鼻先に人差指をつきつけた。

 

「……それと里見さんはかなり短気なので、もしもの時は凛さん。組み伏せてくれて結構です。あと『ざけんじゃねぇよ』や『うっせぇよ』などの言葉遣いをしたときも殴り倒してくれて構いません」

 

「聖天子様の御心のままに……」

 

「おいおいおい! 凛さんもなに了承してんだよ!? まさか本当にやるつもりなのか?」

 

「依頼主の命令は絶対だからこればっかりはねぇ。まぁ蓮太郎君がそういうことをしなければ何もしないからさ」

 

 凛はにこやかに言っているものの、蓮太郎からすればその笑顔がとてつもなく恐ろしく背筋に悪寒が走った。

 

「……しねぇよ。でも、向こう側が突っかかってきたらやるかもしれないけどな……」

 

 蓮太郎は自分にしか聞こえない声で呟くとそのまま最上階を睨む。

 

 やがて最上階へ到着したエレベーターの扉が重厚な音を立てて扉が開いた。同時にエレベーターに乗っていた三人は目の前に広がった光景に思わず息を呑んだ。

 

 まず最初に飛び込んできたのは空だった。最上階はドーム上になっているようでそのドームには六角形の窓ガラスが張り巡らされており、一寸の曇りもない。

 

 エレベーターの横に控えていた斉武の護衛と思われる男性が三人の登場に頭を下げる。聖天子はそれに頭を下げると、部屋の真ん中でこちらに背を向け、ペーパーディスプレイに視線を落としていた白髪の男性が立ち上がりながらこちらに振り向いた。

 

「はじめまして、聖天子様」

 

 男性は聖天子に挨拶をしたが、隣にいる蓮太郎に気がついたのか急に声のトーンを低くした。

 

「……隣にいるのは天童のもらわれっ子か」

 

「テメェこそまだ生きてたとはな。いい加減誰かに暗殺されて死ねよジジイ」

 

 その瞬間、聖天子が隣にいる凛に声をかけようとしたものの、その行動は男性の怒号によって止められた。

 

「口を慎め民警風情が! ここをどこだと心得ている!」

 

 聖天子はそれにビクッと肩を震わせ、目の前にいる男性を見る。

 

 彼等の前にいる男性は白髪で髭が髪とつながっており、まるでライオンを思わせる風貌だ。眼光は歳の割りに鋭く、相手を威圧するような長身である。顔色からも全く老いを感じさせない出で立ちで、たっているだけでかなりの威圧感がある。彼こそが、天童菊之丞のライバルであり、多くの政治家達を闇へと葬ってきた老獪、斉武宗玄だ。

 

 凛は目の前にいる斉武を見据えるとその風貌を理解するように数度頷いた。

 

 ……なるほどねぇ。確かに菊之丞さんとライバル関係がありそうな感じだ。

 

 そんなことを思っていると、聖天子が凛の服の袖を引っ張った。蓮太郎を止めろということなのだろう。しかし、凛は彼女の手を握ると軽く耳打ちをした。

 

「……大丈夫ですよ聖天子様。あれは斉武大統領が蓮太郎君を試しているだけですから……」

 

「……そうなんですか?」

 

「はい。その証拠にそろそろ終りますよ」

 

 凛が言うと同時に斉武の方が口を吊り上げ小さく笑った。蓮太郎を合格と見たのだろう。すると斉武は凛の方をその鋭い眼光で見据えた。

 

「貴様は見ない顔だな。聖天子様の護衛官か?」

 

「いいえ、僕はそこの彼と同じ民警です」

 

「……」

 

 斉武は凛を頭から足先まで眺めた後納得したように頷くと、聖天子にソファに座るよう勧めた。彼女もそれに頷くとガラステーブルを挟んだソファに斉武と向かい合うように座った。

 

「蓮太郎、貴様ステージⅤのガストレアをレールガンモジュールを使って撃破したらしいな」

 

「だったらなんだってんだよ」

 

 そこで斉武が口を開こうとするが、凛がそれを遮るようににこやかに告げた。

 

「あのレールガンは本来月面に設置して地上にいるガストレアを掃討する為の兵器。貴方はそれを蓮太郎君が壊してしまったことに苛立っているわけですね。斉武大統領」

 

「……ほう。貴様、中々わかっているようだな。そうだ、俺が言いたいのはそういうことだ。いいか? 戦争と言うのは制空権を取ったほうの勝ちだ。丘から弓を放った方の勝ち、空から戦闘機で爆弾を落としたほうの勝ち、衛星で敵の情報を盗んだ方の勝ち。と言うようにな」

 

「ですが、貴方の性格からしてガストレアを掃討した後もレールガンを使いそうですね。……例えば自身に従わないエリアを破壊するとか」

 

「ククッ。まさかそこまで読んでいるとはなぁ……目つきからしてそこの青二才とは違うとは思っていたがなかなか驚いたぞ」

 

 凛の恐れを知らぬ言葉に聖天子は顔が強張っていたが、斉武は面白いヤツを見つけたという風な顔をしている。一方青二才といわれた蓮太郎はやや気に食わなさそうな顔だ。

 

「他国を力で脅かそうと?」

 

 聖天子が斉武に聞くと、彼は短く笑うと立ち上がりながら腕を大仰に広げ言い放った。

 

「そうですとも。いいですか聖天子様、貴女にはビジョンがなさ過ぎるのだよ。我々はガストレアを打ち滅ぼした後のことも考えなくてはならん。十年前、ガストレアによってかつての列強達は大敗をきした。そしてそれから十年後の現在、あの災害からいち早く再興した国が次世代の世界を先導するリーダーとなる権利があるのだ。そして、日本はそれを目指すべきだ。それこそが大局を予想したグランド・プランなのだ! そのためであれば、俺に逆らうような者、使えぬ者、無能な者など不要!! 全てを蹴散らすのだ!!」

 

 声高々に演説を披露した斉武であるが、その緊張感をぶち壊すように凛が大あくびをした。蓮太郎と聖天子がそれにぎょっとすると、斉武も凛を睨んだ。

 

「なんだ? 退屈か?」

 

「あぁすいません。僕自身そう言った政治的な話は全く興味がない話なので。僕を気にせずに続けちゃってください」

 

 睨まれても一切笑顔を崩さずに言う凛であるが、斉武は何かを思い出したようにもう一度凛の顔をまじまじと見据えた。

 

「その態度と憎たらしい笑み……どこかで……小僧、名は?」

 

「断風凛です」

 

 その瞬間、斉武が目を見開き驚いたような顔を浮かべた。

 

「断……風……だと? まさか貴様あの断風劉蔵の孫か!?」

 

「祖父をご存知なのですか?」

 

「……一度会っただけだがな。そうか……と言うことは剣星(けんせい)の息子か。なるほど、その洞察力は劉蔵から受け継ぎ、いけ好かない笑みは剣星から受け継いだということか……」

 

 斉武は小さく笑みを浮かべると凛の瞳をもう一度確認するように見据えた。すると彼は凛に手を差し伸べた。

 

「凛。俺と組まんか?」

 

「なぜ?」

 

「簡単なことよ。俺は強いものを欲している。貴様が劉蔵や剣星の力を受け継いでいることは目を見ればわかる。だから、俺と組みそこの蓮太郎も交え三人で国取りと行こうではないか」

 

 誘うように指をクイッと曲げた斉武であるが、凛はそれを断るように首を横に振った。

 

「残念ながら僕は国とかそういうのは興味がありません。ただ、みんなが幸せに暮らせればそれでいいです。だから、みんなを幸せに出来そうにない貴方のやり方に加担は出来ません」

 

「俺もだ。んなくだらねぇことに付き合ってられるかってんだ。テメェはさっさと巣に帰ってろ」

 

 蓮太郎もまた凛に続いて斉武の提案を断った。すると斉武は苦い顔をするも、心の奥ではまだ諦めていないようだ。

 

 三人の話を聞いていた聖天子がそこで声を上げた。

 

「ではそろそろ本題と行きましょう。斉武大統領」

 

 凛とした声に斉武もが興が削がれてしまったのか、軽く舌打ちをするとソファに腰掛け、二人は会談を始めた。

 

 

 

 

 

 

 凛達が会談を始めたちょうどその時、リムジンの中では摩那と延珠が退屈そうに座席に寝転んでいた。

 

「暇だな」

 

「暇だねぇ」

 

 二人はリムジンの天井を眺めながらあくびをしたりしているが、延珠が思い出したように手を叩いた。

 

「そういえばまだ摩那のモデルを聞いておらんな」

 

「あれ? そうだったっけ?」

 

 二人は起き上がると互いに向かい合った。

 

 摩那は自身の胸に手を置きながら延珠に自身が何の因子を持っているのか話した。

 

「私のモデルはチーター。延珠ちゃんと同じスピード特化型だよ」

 

「チーター……。確か地上最速の肉食獣だったか?」

 

「うん。確か最高速度は百二十キロだったかな」

 

「……妾より早いな。さすが序列が上なだけはある」

 

 延珠は感心するように頷くとやや真剣なまなざしで摩那に問うた。

 

「摩那。お主はイニシエーターをやっていて苦しいと思ったことはないか? 例えば、大人から差別されたり……とか」

 

「うーん……差別とかは凛と組む前から確かにあったよ。だけどね、私には凛がいるからさ、私がガストレア討伐任務で傷つけば真っ先に手当てしてくれるし、私が独断でガストレアに突っ込んだときは泣きながら叱ってくれたんだ。その優しさがとっても嬉しくって暖かくって私は凛といようと思ったんだ。回りがどんなことを言っても関係ない。私は私だよ」

 

 その言葉には確かな覚悟と、心が込められていた。延珠はそれを聞いて心の底から摩那の精神力の強さを知った気がした。

 

「蓮太郎だって優しいでしょ? その辺りを見ると凛と蓮太郎って似てるよね。まぁ凛の方がカッコイイけど」

 

「なっ!? なんだとう!? 蓮太郎だってカッコイイぞ!! やるときはやる男だ!!」

 

「それを言うなら凛だってそうだよ! 作ってくれる料理はどれも美味しいし、ちゃんとリクエストにも答えてくれるもん!」

 

「フフン、料理であれば蓮太郎とて負けてはおらん! もやし一袋で絶品料理を作れるんだぞ」

 

「へぇ、じゃあ今度二人に勝負してもらおうよ」

 

「望むところだ!」

 

 なにやら凛と蓮太郎が聞いていないところで変な勝負が決定されたようだ。

 

 その後も凛と蓮太郎、どちらが優れているかという話を聖天子たちが帰ってくるまで続けていた二人であった。

 

 

 

 

 

 

 会談が終った時は既に日はとっぷりと暮れており、空は真っ暗だが、リムジンに乗っている凛達には周囲のビル群から放たれている光がまぶしいほどだった。

 

 車内で長時間待たされ、なおかつ摩那と激しい言い合いをしていた延珠は蓮太郎の膝を枕にして口から涎を垂らして眠っていた。

 

 一方の摩那はと言うと寝てはいないものの、先程からこっくりこっくりと舟を漕いでいた。

 

「それにしても、斉武さんはやっぱり凄い危険人物だねぇ」

 

「そうだな。つーか、俺としてはアンタのじいさんが菊之丞やあの斉武と面識を持ってることにびっくりだよ」

 

「あーそれは僕もびっくりしたなぁ。と言うか斉武さん、父さんのことまで知ってたし」

 

 凛は肩の力を抜くように大きく息をついた。すると、聖天子が凛に問いを投げかけた。

 

「凛さんのお父様とはどんなお方だったのですか? 御爺様の話は菊之丞さんから聞いていたのでわかるんですが……」

 

「正直言うと僕もあまり知らないんですよ。僕が二歳くらいの頃に病気で死んじゃったんで……」

 

「す、すいません。無作法でした」

 

「あぁいえ気にしないでください。母さんから聞いた限りだと、かなりおちゃらけてた人みたいでしたよ。いっつもへらへらしてて掴み所がないって言うか」

 

「そういや斉武も笑みがどうのこうの言ってたな」

 

 蓮太郎が思い出していると聖天子が凛を真っ直ぐと見据えながら真剣な面持ちで聞いた。

 

「あの……凛さんは斉武大統領の申し出を断りましたがそれはどんなことがあってもですか?」

 

 不安げに聞く聖天子だが凛はその不安を消すようなとても優しい笑みを浮かべながらゆっくりと頷いた。

 

「もちろんです。たとえ天地がひっくり返っても僕は貴女につきますよ。そういう約束でしたから」

 

「……ありがとうございます」

 

 礼を言う彼女の目尻には僅かに光るものが見えたが、蓮太郎と凛はそれに気がつくことはなかった。

 

 聖天子は綻ばせていた顔を真剣なものに戻すと二人に向き直った。

 

「お二人には話しておきます。……斉武大統領は外国と関係を持っているという情報があるのです」

 

「外国ってことは……狙いとしてはバラニウムですかね?」

 

 凛の返しに聖天子は静かに頷いた。

 

 ガストレアに唯一対抗できる金属であるバラニウムは、火山列島に偏って存在しているのだ。そして、それが一番多いのが日本。

 

 大国として知られるアメリカやロシアからすれば、居住できる範囲を広げるために大量のバラニウムが必要になってくるだろう。

 

 そして、先程の会談の内容を思い返せば斉武の言動は最早会談と言うよりも宣戦布告と言うことに等しい気がした。

 

「つーことは斉武は大国に操られてるってことか?」

 

「そこまではわかりません」

 

 聖天子は首を振るが、凛は難しい顔のまま口元に手を当てた。

 

「うーん……あんな野心のある人が大国の傀儡に成り果てはしないんじゃないかな。寧ろ外国は斉武さんを操ろうと、けれど斉武さんは外国を利用しようとしてるんじゃない?」

 

「だな、あのジジイが誰かの下で動くようなことはないだろうし」

 

「そうですね。それが一番可能性が高いでしょう」

 

 二人の意見に彼女は頷くと更に言葉をつなげた。

 

「お二人ともこれから世界の国々が日本のバラニウム欲しさに時には友好的に、時には敵対的に接触してくるやもしれません。そして、次世代の戦争は高位序列者の民警を送り込んでの暗殺、破壊工作などが主流となって来るでしょう。その時、この東京エリアを守ってもらうためにも、お二人には尽力してもらいたいと思っています。それでもよろしいですか?」

 

「僕はいっこうに構いませんよ。だって聖天子様との約束がありますから」

 

 凛は頷くものの、蓮太郎は大きな溜息をついており、表情を曇らせていた。

 

「ったく、勝手な話だ。あんたは何でもかんでも勝手に決めちまうんだな」

 

「勝手だということは承知しています」

 

 彼女は自身の下腹、ちょうど女性の子宮がある辺りに自身の手を置いて沈痛な面持ちで呟く。

 

「……私も既に子供を産める身です。側近の人たちからもいつ倒れるかもわからないからか世継ぎをせがまれています。しかし、機械的や政略的に生んだ子供よりも、私は確かな愛を持って子供を産みたいと思っています」

 

「だったら戦えよ! 死ぬことばっか考えてんじゃねぇ!! 斉武がああいう奴だってわかったんだから今ならいくらだって対処法があんだろうが!!」

 

 延珠が乗っているのにも関わらず声を荒げて腰を浮かせた蓮太郎であるが、聖天子は首を横に振って残念そうな表情をした。

 

「貴方も菊之丞さんと同じことを仰るのですね」

 

「なんだと?」

 

 蓮太郎は訝しげに顔をゆがめるが、そこで凛が彼を座席に座らせ聖天子に変わって代弁するように告げた。

 

「聖天子様は君の視野が狭いって言ってるんだよ。聖天子様はこれから東京エリアの領土をガストレアから取り返して、仙台や大阪と繋げるつもりなんだ。そして、いつの日か全ての土地がつながった時、やがて皆恥じる。かつて日本と言う国が一つであり、国民一人一人が同胞であったことを思い出してね。今は日本のエリア各地がまるで敵のようになっている。聖天子様はそれが我慢できないんだよ。……そうですよね、聖天子様」

 

「はい。いいですか里見さん。貴方もわかっているとは思いますが、戦争とはとても悲しいものです。その中で一番に淘汰されてしまうのは、まだ目も開かない赤ん坊や子供、そして老人達です。戦後の混乱期に私はそんな彼等の元を訪れて愕然としました。

 劣悪な衛生環境の中で身動きも取れなくなってしまった子供たちが私が傍に行くと懸命に笑みを見せてくれるんですよ? けれど、そんな子達ほど次の日には冷たくなってしまっているんです……!

 こんな悲しいことがあっていいんですか……!? 私は絶対にあってはならないと思っています」

 

 聖天子の確かな決意が込められた言葉に、蓮太郎は思わず下唇をかみ締めてしまった。

 

 なんて真っ直ぐで純朴な少女なのだろうと、自身の目の前で理想を話した国家元首を見た蓮太郎は彼女から視線をそらして小さな声ではき捨てた。

 

「早死にする理想主義者だよアンタ」

 

「わかっています。ですが、自身の理想も語れないような人間にはなりたくありません」

 

「……」

 

 蓮太郎は大きな溜息をつくと、ふてくされるように頭をガリガリと掻いた。

 

「けどまぁ嫌いじゃないぜ。アンタの考え、寧ろ好きな方だ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 褒められるとは思っていなかったのか、聖天子は頭を下げる。それを見た凛もまた彼女に告げた。

 

「僕も貴方の考えはとても素晴らしいと思いますよ。それに、現実主義者よりも貴方のように一見ただの幻想でしかないようなことを目指している人についていったほうが面白そうですし」

 

「お、おもしろいって……」

 

 聖天子は少々戸惑っていたようだったが、やがて肩の力が抜けたのか備えてある冷蔵庫から桃果汁のドリンクを取り出しそれをグラスに注ぐと蓮太郎と凛に手渡した。

 

「……割と乙女チックですね。桃ジュースとは」

 

「い、いいじゃないですか! 私だって好きなものぐらいあります!」

 

 少々ムキになったのか、彼女は自身のグラスに注いであるジュースを一気に飲み干してしまった。そして、二杯目を注いでいた。

 

 その姿は国家元首には到底思えず、ただの十六歳の少女だった。

 

 凛はそれに笑みを浮かべつつも、隣で自身に体重を乗せていたはずの摩那の感触がないことに気が付き隣を見やった。

 

「摩那?」

 

 摩那は一人窓の外を見つめていた。しかし瞳は赤く染まり犬歯がむき出しになって唸っているような声も聞こえる。

 

 凛は彼女の下まで行くと摩那の背中をさすり落ち着かせる。

 

「どうしたの?」

 

「凛。誰かがこっちをずっと狙ってる。殺気を感じるよ」

 

 真剣な面持ちで言う摩那の様子から、凛はただ事ではないと確信し聖天子のほうを見やる。すると、先程まで眠っていた延珠が目を覚まし摩那と同じように外を睨んでいた。

 

 それとほど同時とも行っていいタイミングでリムジンが速度を落とし始めた。どうやら信号に引っかかったようだ。しかし、その瞬間、凛は視界の端で何かが光ったのを感じた。それは明らかにビルから発せられている光ではなく、火が吹いたような光だった。

 

 ……銃口炎(マズルフラッシュ)!? まさか、街中で狙撃!

 

 考えるよりも早く凛の脚が動いていた。彼はリムジンの床を蹴り聖天子に飛び掛った。それとほぼ同時に銃口炎に気が付いた蓮太郎が「伏せろ!」と声を張り上げるが、既に凛が聖天子を床に伏せさせている最中だった。

 

 そして、彼女が床に頭をつけるとほぼ同時に窓ガラスが割れる破砕音と、それと同期したリムジンの急ブレーキ。止まりかかっていたとはいえ、急にかけられたブレーキに人間の体が反応できるはずもなく、蓮太郎はそのままドアにたたきつけられ、凛は聖天子に覆いかぶさるようにして第二波から彼女を守る。

 

「蓮太郎くん! ドア開けて!!」

 

「わかった!」

 

 言うが早いか彼はドアを蹴り破り、延珠と摩那は運転手を助け出すために運転席へ走った。

 

 そして、彼等が外に出た瞬間、二発目の弾丸がリムジンの燃料タンクを撃ち抜いたのか、エンジン部から火があがって、リムジンは一気に爆発炎上した。

 

 街中のまだ一般人が歩いている往来での爆発に一般人は悲鳴を上げていた。しかし、凛はそれどころではない。

 

 ……どこか隠れるところはっ!?

 

 周囲を見回すがここは街中の十字路。遮蔽物などないに等しい。とにかく聖天子を逃がそうと凛は思考を走らせる。

 

「聖天子様、走れますか!?」

 

「す、すいません、今の爆発で腰が抜けてしまって……!」

 

 強張った表情で言う聖天子に顔をしかめた凛であるが、彼は一瞬の後に聖天子を抱き上げた。

 

「ひゃっ!?」

 

「すいません、少し乱暴なことします! 蓮太郎君! 聖天子様を受け止めて!!」

 

 その声と同時に凛は聖天子を蓮太郎のほうへ放り投げた。蓮太郎はそれに驚いた表情を浮かべたが、何とか彼女をキャッチすると自身が盾になるように彼女を守る。

 

 それと同時に第三発目の光が見えた。

 

「摩那ァ!!」

 

「了解!!」

 

 運転手を救出し終えた摩那が力を解放した状態で光がしたほうを睨むとすぐさま凛い伝えた。

 

「今だよ凛!!」

 

 その声と共に凛は地を蹴って冥光を抜き放ち、空中で上段から振り下ろした。

 

「ハァッ!!」

 

 気合一閃。

 

 その声が聞こえたと同時に冥光が何かを切った感触が凛に伝わり、彼の後ろの方でキンッという金属質な音が聞こえた。

 

 音は一つだったが、それは確実に凛が切った弾丸だろう。

 

 しかし、またしても今度は四発目の弾丸が放たれたのを凛は確認した。今度は凛の後ろにいる聖天子に確実に当たるコースだ。

 

 ……マズイ!

 

 ギリッと歯をかみ締めるが、その時、凛のすぐ近くで延珠が姿を現し放たれた弾丸を空中で踏み付け弾道を変えた。

 

 そのおかげか弾丸は聖天子に届くことはなく、地面に直撃した。

 

 凛は空中で冥光を納めると光を放ったビルの屋上を見据える。

 

 背後では既に護衛官たちに守られた聖天子が顔を蒼白に染めながら震えていた。

 

「凛さん! 敵はどうした!?」

 

「……逃げたみたいだね。もう撃ってはこないと思うよ」

 

 凛は一度小さく息をつき緊張をほぐすが、その時何か、そう、例えるなら虫の羽音のような音が聞こえたのだ。

 

 それは蓮太郎も同じだったようで、凛の反応を見て頷いた。

 

「今の……」

 

「ああ、俺も聞こえた」

 

 凛と蓮太郎はもう一度狙撃ポイントであろうビルの屋上を見据えると、二人同時に呟いた。

 

「君は……誰なんだ……?」

 

「テメェは……誰だ……ッ!」

 

 その呟きに答えるものはおらず、その代わりと言うように雨脚が激しさを増していった。

 

 まるでこれから起こる騒乱を暗示しているように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すみませんマスター。任務失敗です。シェンフィールド回収後撤退します」

 

『なんだと!? 聖天子の護衛はあの間抜けな護衛官だけではなかったのか!?』

 

「はい。おそらく民警がいたのかと……」

 

 ビルの上で先程の狙撃に用いたバレット社製の対戦車狙撃ライフルをケースに片付けていた。すると、無線越しに主がいらだたしげな声でティナに問うた。

 

『民警の顔はみたか?』

 

「いいえ。ですが姿は見ました」

 

 ティナはもう一度燃え盛っているリムジンのほうを見ると、先程の三発目と四発目の弾丸を弾いた二人の民警の姿を思い返した。

 

 ……四発目を弾いたのは体格からしてイニシエーター……。だけど、三発目を弾いたのは?

 

 顔は見えなかったものの、体格からしてイニシエーターではなくプロモーターだろう。しかし、そんなことが可能なのだろうか。

 

 ティナが持っているライフルは大砲や、バルカン砲を除いてこの世にある全ての銃の頂点的な存在だ。それをプロモーターが弾くことができるのか?

 

 ……しかも弾いただけじゃなくて斬っていた。

 

「貴方は……一体誰なんですか……?」

 

 ビル風に揺れるプラチナブロンドの髪を押さえながらティナは冷たいまなざし眼下を睨んだ。




ぐあー……一万字を超えてしまった……

なかなかに急ぎ足でしたが如何でしたかね。
まぁこの辺りはオリジナル要素がなくてつまらなかった思いますが……すいません。
次の話辺りからはオリジナル展開がありますので……。

そして今思ってみればお気に入り数が300を突破しておりました!
いやー……こんなに読んで下さっている方がいらっしゃるとは……感謝でございます。

では感想などあればよろしくお願いします。


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第十七話

 聖天子暗殺事件から一週間が過ぎたとき、凛は会社に顔を出しパソコンを操作していた零子にあるものを見せた。

 

「零子さん。この弾丸の種類って分かりますか?」

 

 そう言って凛がデスクの上に出したのは、先日の聖天子襲撃の際凛が両断した弾丸だった。

 

 出来れば延珠が蹴り、地面へめり込んだ銃弾の方がよかったのだがあの後保脇達が証拠ということで持って行ってしまったので、摩那が回収しておいてくれた弾丸を持ってきたのだ。

 

「ふむ……」

 

 コーヒーを飲んでいた零子であったが弾丸の形状に興味が湧いたのか、両断された弾丸をくっつけて眺めていた。

 

 隣にいた夏世も興味を持ったのか興味深げにじっくりと見つめていた。

 

 数秒それを眺めていた彼女は一度頷くと、凛を見ながら説明を始める。

 

「恐らくだが、これは12.7×99mm NATO弾だな」

 

「なんですかそれ?」

 

「君は銃にはからっきしだからなぁ、知らないのも無理はないか。いいだろう、教えてやる。着いてこい。夏世ちゃんもな」

 

 零子は立ち上がると給湯室の床板を一枚はがした。そこには一階へ通じる梯子があった。零子はなれた様子で下がっていく、凛と夏世は若干驚いていたが彼女に続いて一階へ降りた。

 

 一階には零子の愛車であるアヴェンタドールが停めてあったが、彼女が目指したのは車の後ろの扉だった。

 

 零子は扉の近くまで行くと壁に設置されている指紋静脈認証装置と扉を開けるための数字を打ち込んでいく。

 

 数秒の後、鍵が開いたような音が聞こえると同時に零子は扉を開け二人を中に招いた。

 

 中に入ると真っ暗だったが、すぐさま零子が明りをつけ部屋全体が照らし出される。いきなり点いた照明に二人は一瞬目をくらましたが、やがて光に目が馴染んできて部屋の様子を確認する。

 

 そして、部屋の中を見た瞬間二人が息を呑んだ。

 

 室内の壁一面には騒がしいほど銃火器が設置されていたのだ。また、真ん中に設置してある机にも多くの銃が置かれており、それらの弾丸も箱に入れられていた。

 

「二人を入れるのは初めてだったな。私のコレクションであり、武器だ」

 

 零子は悠然といった様子で壁に掛けられている銃の中から自分が探しているものを確認しに行った。

 

「うわぁお……」

 

「すごいですね。一面銃だらけ……銃に圧迫されている気分になりそうです」

 

 ただ驚嘆の声を上げる凛とは裏腹に夏世は一定の声で言っていたが、内心ではかなり驚いていることだろう。

 

 すると、奥のほうに行っていた零子が「あったあった」といいながら一丁の銃を持ってきた。かなりの大きさの銃だ。

 

「あの弾丸を撃つ銃はこの銃以外ありえない」

 

 机の上に銃を置くと、椅子を引っ張ってきて三人は机を囲むように座る。

 

「これは……対戦車ライフルですか?」

 

「そう、察しがいいな夏世ちゃん。最近では対物ライフル、アンチマテリアルライフルとも言うのさ」

 

「対戦車ライフル……」

 

 凛が口元に手を当てながらその銃をまじまじと見つめる。

 

 ……すごい大きな銃、それだけ反動も大きいはずだよね。でも、こんなものを普通の人間が連続で四発も撃てるのかな?

 

 疑問を思い浮かべていると、零子が銃身をなぞりながら銃の名称を二人に教えた。

 

「この銃の名前は『M82』と言う。メーカーは――」

 

「アメリカの『バレット・ファイアーアームズ』。これは主力商品だだったものです。ほかにもバリエーションは幾つかあれど、これが大体基本形となっていて、高い破壊能力と射程距離がアメリカ軍の目に留まり、湾岸戦争から投入されていたらしいですね」

 

「――そう。よく勉強しているね夏世ちゃん」

 

 零子は割って入った夏世をとがめることはせず笑顔で頷いた。

 

「いま夏世ちゃんが言ったとおり、『M82』はかなりの殺傷能力を誇る。そしてこれだけ大きな銃だ、反動も相当ある。スコープをつけていれば二キロの射程距離があるらしい。……しかし、問題なのはそこじゃあない。凛くん、狙撃ポイントであるビルはどれくらい離れていた?」

 

「目算でですけど、大体一キロは離れていたと思います」

 

「さらにそれに付け加えて、夜間、ビル風による強風、さらには雨だ。これだけ狙撃に向いていない状況で至近弾ではなく、一キロも離れたポイントから狙い打つなど、普通の人間にはまず出来ない」

 

 零子は机に両肘を乗せて手を組むと真剣な面持ちのまま続ける。

 

「……夏世ちゃんがいる前で話すべきようなことではないが、恐らく犯人はイニシエーターである可能性が高い」

 

「どうしてイニシエーターの子だと?」

 

「あくまで可能性の話だが、先ほどあげた要素を踏まえても普通の人間があそこまでは出来ん」

 

「だけど仮にイニシエーターの子だとしてもどうしてその子が聖天子様を殺す必要が? むしろ彼女はイニシエーターの子達を擁護する存在なのに……」

 

 凛が言葉に詰まるが、そこで夏世が口を開いた。彼女は珍しく難しそうな表情をしていた。

 

「プロモーターの人に命じられたからではないでしょうか」

 

「……確かに、そちらの方が可能性としては高いかもしれないな。考えてみれば彼女らはまだ十歳ほどの少女だ。そんな子達が自ら率先して聖天子様を暗殺するはずはない、か……」

 

「確かに夏世ちゃんの言うとおりかもしれませんね。ですが、もしプロモーターが真の犯人だとしても、どうして聖天子様を殺すようなまねをするんですかね」

 

「さぁなそこまではわからん。しかしよくよく考えるとまた新たな疑問が生まれてしまった」

 

 零子は大きなため息をつくと眉間に皺を寄せた。

 

「イニシエーターだったとして……その子だけの能力であそこまで精密な狙撃が出来るか?」

 

「というと?」

 

「……まさか、里見さんやあの蛭子影胤のような機械化兵士だとでも?」

 

 夏世が悟った風に言うと、零子はそれに指を差した後立ち上がりながら二人に告げた。

 

「可能性はある。例えイニシエーターと言えどすべてが完璧に出来るわけじゃない。風の流れを読み、目がよく、夜目が利くなど完璧すぎる。何か別の力が備わっていると考えていいかもしれないな」

 

「だけど、彼女達には蓮太郎くんや影胤さんのようなバラニウムの義肢は合わないはずです。そんなことをすれば再生能力が著しく低迷して……」

 

 凛はその後の言葉を発せずに悔しげに歯を軋ませた。零子も同じで沈痛な面持ちでいるが、夏世だけがいつもの調子で言い放った。

 

「確実に死に至りますね。しかし、その手術を受けて生き残った子供達は普通の子供達以上の力を手にする可能性があります……」

 

「なんともやるせないな……これから先は菫と話してみよう。凛くんは引き続き聖天子様の護衛につくように」

 

 凛はそれに深く頷く。零子はそれを確認すると凛の隣で伏し目がちに下を見ている夏世の頭を軽く撫でる。

 

「君が深く考えすぎることじゃない。もっと気持ちを楽に持っていい」

 

「……はい」

 

 少々楽になったのか夏世はわずかに頬を緩ませた。

 

 

 

 

 

 

 

 昼下がり。

 

 凛は零子に「今日は早く帰れ」と言われたのでいつもよりかなり早く会社を後にした。

 

 ……それにしても、機械化兵士の力を持ったイニシエーターの子か……。

 

 口元に手を当てながら眉間に皺を寄せて悩みながら歩いている凛は、あの狙撃の精密さを思い返していた。

 

 そして、あの時蓮太郎も聞いた虫の羽音のような音のことも。

 

 ……夜なんだから本当に虫がいるわけじゃないし。それに雨が降ってた。だけどあの音何か機械的な感じが……。

 

 記憶の中に残る情報をフル活用して事件の状況を思い出していた凛だが、不意に彼の腹がなった。

 

「う……そういえば朝から何も食べてなかったっけ……」

 

 凛は思考をいったん中断し周囲を見回し何か食べるものはないかと探す。すると、凛の目に公園の一角にあるたこ焼き屋がとまった。

 

「たこ焼きか……久々に食べてみようかな」

 

 財布の中を確認した凛はそのままたこ焼き屋へと向かった。

 

 

 

 数分後、たこ焼きを買った凛は公園内のベンチを探す。

 

「えーっと……ベンチは何処にって……うん?」

 

 ふと凛は視界の端に見知った人物がいるのに気がついた。

 

「あれは……蓮太郎くんかな? だけど隣にいるのは……」

 

 凛の視線を追うと、ベンチに腰掛けている蓮太郎と彼の隣に座るプラチナブロンドの髪色をした少女がたこ焼きを食べていた。

 

 いや、食べていたと言うより蓮太郎に食べさせられていたと言う方が妥当だろうか。

 

「あの子どっかで……」

 

 気になった凛は二人の方に歩み寄った。

 

「やぁ蓮太郎くん、延珠ちゃんに隠れて浮気かい?」

 

「ちげぇわ!! って、凛さんかよ……アンタも段々俺の扱いがひどくなって来たな」

 

「いやーだってこんな可愛い女の子と戯れているしさー。それにたこ焼きで餌付けでもしてるの?」

 

「だから違うって……」

 

 蓮太郎はだらりとベンチの背もたれに背中を預けながら「やってられるか」と言うような表情で虚空を見上げていた。

 

 凛はそれに小さく笑うものの、蓮太郎の隣で口の中に入れてもらったたこ焼きを咀嚼しながら自身のほうを見上げる少女を視線を交わした。

 

「やっぱり君だったね。僕のこと覚えてる?」

 

「はい。先日私が夜道を歩いていたところぶつかりそうになってしまった方ですよね。あの時は申し訳ありませんでした」

 

「あぁ謝らないで、あれは僕も前を見ていなかったからさ。自己紹介がまだだったね。僕は断風凛、よろしくね。えっと……」

 

「ティナです。ティナ・スプラウト。よろしくお願いします断風さん」

 

「うん、よろしくねティナちゃん」

 

 凛は彼女に手を差し出し握手を求める。ティナもそれに僅かに笑みを浮かべると凛と握手を交わした。

 

 握手を終えると、ティナの視線が凛の持っているたこ焼きに注がれていることに凛は気がついた。

 

「食べる?」

 

 凛の申し出にティナは無言でコクコクと頷いた。

 

 その行動が可愛らしかったからか凛は一瞬頬を綻ばせるが、楊枝で刺したたこ焼きをティナの口に一個放った。

 

 ティナはそれを見事に口でキャッチしパクパクと平らげていく。

 

 まるでハムスターなどの小動物が一生懸命食べているような姿が面白かったのか、結局凛は先ほど蓮太郎がしたように、自分のたこ焼きをすべて与えてしまった。

 

「ほひほうひゃふぁれひは」

 

 口の中がいっぱいなのか舌っ足らずな言葉でお礼を言うティナに凛は小さく笑みを浮かべた。

 

「そういえば凛さん今日はどうかしたのか?」

 

「ちょっと会社までね。社長に聞きたいことがあったからさ」

 

「ふーん」

 

 蓮太郎と会話をしていると、ティナの携帯が鳴った。彼女は送信者画面を見た瞬間顔を強張らせると、スクッと立ち上がった。

 

「すみません里見さん、断風さん。私もう行かないと」

 

「お、おい。どうしたんだ急に」

 

 蓮太郎は彼女を呼び止めるが、ティナはもう一度振り返り二人に深々と頭を下げた後公園から出て行ってしまった。

 

 その後姿を見送りながら蓮太郎は大きなため息をついた。

 

「結局聞きそびれちまったなぁ……」

 

「蓮太郎くんはティナちゃんとはいつ知り合ったんだい?」

 

「知り合ったのは聖居に言った日の夕方でさ。あいつがパジャマで自転車に乗ってて、チンピラの足を引いちまって、それで絡まれてるところを助けたのが始まりだな」

 

「それ以降も結構会ってた感じ?」

 

「ああ。今日で四回目だ。前は遊園地に連れてってくれって言われて一緒に行って、その前は外周区を見たいって言ったから延珠の故郷を見せた。けど、条件があってな」

 

「条件?」

 

 凛は疑問を投げかけながらベンチに腰を下ろした。

 

「なんか『私と会っていることは誰にも言わないでください』ってやつでさ。まぁ別にそのときはあんま気にしてなかったんだけど、よくよく考えてみればたまーにもらしてる自分の過去みたいな話が結構きつめな話っぽいんだ」

 

「なるほどねぇ。何か隠している節はありそうだね」

 

「ああ。そういえば凛さん、さっき会社に行ってたって言ってたけど、何か分かったのか?」

 

 蓮太郎は凛を見ながら問うと、凛はポケットから両断された弾丸を取り出し蓮太郎に渡した。

 

「これを撃った銃の正体がわかったんだ。銃の種類は対戦車ライフル。恐らくバレット社製の『M82』じゃないかって社長は言ってたよ」

 

「『M82』か……。かなりヤバイなそれ、普通対人用に使うもんじゃねぇ。腕とかの末端あたりに当たれば千切れ飛ぶし、体に当たっても大穴が開く、頭に当たれば頭が吹っ飛んじまう」

 

「かなりの破壊力らしいもんね」

 

「……まぁそのかなりの破壊力がある銃の弾丸を跳んでぶった切った化けもんが俺の目の前にいるけどな」

 

 蓮太郎は苦笑いを浮かべながら凛のほうをジト目で見ており、凛は彼から視線を逸らした。

 

 すると先ほどのティナと同じように蓮太郎の携帯が鳴った。どうやらメールのようだ。

 

「……わりぃ凛さん。ちょっと用事ができた」

 

「うん、じゃあまたね」

 

「ああ」

 

 蓮太郎は携帯を閉じると小走りで公園から出て行った。凛はその姿が見えなくなると自らも公園から出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

 公園を出た凛はまっすぐに自宅へ向かっていた。しかし、その途中人ごみが出来ているのを凛は見つけた。

 

 同時にそこから聞こえてくる人の体を殴るような音。そして、小さな少女が咳ごむ声。

 

 凛はそれらの情報ですべてを悟ったのか、その人ごみに近づき人を掻き分けていく。

 

 人ごみの中心にいたのは四、五人の男と彼らに囲まれ鉄パイプや金属バットで殴られている少女だった。少女の目は赤く一目で彼女がどのような存在なのか把握できた。

 

「この害虫が!!」

 

「テメェみてーなのが人間がいるところをうろつくんじゃねぇよ化け物め!!」

 

 男達は怨嗟の声を上げながら少女を殴り続けている。少女の方はもはや抵抗する気も起きないのかやられるがままになっている。

 

 これが『呪われた子供たち』迫害の実態だ。

 

 いくら聖天子や時江や珠のような慈善活動家がいようとも、このような非人道的な行いは一向に減ることはない。

 

 ……彼女が何をしたって言うんだ。

 

 凛はギリッと歯をかみ締めると、近くにいた男性の肩をたたき状況の説明を請うた。

 

「どうして彼女はあんな風に殴られているんですか?」

 

「はぁ? アンタなに言ってんだ? そんなもんあそこにいるからに決まってんだろ。あいつらは存在そのものが邪魔なんだよ」

 

 その心無い言葉を聞いた瞬間、凛の中で何かが切れた。

 

 ……存在そのものが邪魔? 何だそれは。彼女は人を傷つけてすらいないのに何の理由もなく殴られるのか?

 

「……ゴミが」

 

「あぁそうゴミ……っておいあんちゃん何してんだ!?」

 

 男の制止を聞かずに凛はゆらゆらとした足取りで少女を殴り続ける男達に歩み寄る。

 

 新たな乱入者に周りの人々はどよめくが、凛はそんなことは聞こえていないのか男の近くまで行くと声をかけた。

 

「……僕にも参加させてくださいよ」

 

「お? お前もやるか? さぁやれ東京にいるゴミを俺たちで処分するんだ!」

 

 男は何の気なしに凛に道を明けると、凛も僅かに笑みを浮かべる。

 

「……そうですね。ゴミは処分しなくちゃ……」

 

「そうだろそうだろ! さぁ!!」

 

 そこまで言ったところで男が持っていた金属バットがほぼ根元から切られた。

 

「え?」

 

 男が驚愕の声を上げながら斬られた金属バットを見るが、次の瞬間、男の鳩尾に冥光の柄尻が叩き込まれ男は人ごみ向かって吹き飛んだ。

 

 場が騒然とする中、凛は鞘に収めたままの冥光を握り締めながら言い放った。

 

「貴方達のような……人間の風上にも置けないようなゴミを!!!!」

 

 普段の落ち着いた凛とは比べ物にならないほどの怒りをあらわにした凛は、少女を殴っていた男達に掴みかかると、最初に掴んだ男の鼻先に拳を叩き込んだ。

 

「うげっ!?」

 

 鼻血を噴出させながら男は吹っ飛び、先ほどの男と同じように人ごみ近くまで転がった。

 

「……二個目」

 

 凛が言うと、残った二人が凛を囲み罵声を浴びせてきた。

 

「何だテメェ! 俺たちは東京を汚すゴミを処理しようと!!」

 

「そうだ! こんなやつ生きてたって何の価値もねぇ!!」

 

「黙れ!!!!」

 

 その一喝で男達はもちろん、周りで騒いでいた人々も一気に黙ってしまった。

 

「何の価値もない? ふざけるのも大概にしてくださいよゴミ。貴方達がこの東京エリアでのうのうと日々平和に生きていられるのは誰のおかげですか!? 民警ですか? 違います! 彼女達が死力を尽くして戦っているからだ!! 

 それを貴方達は何の役にも立たない!? だったら貴方達のほうこそ生きる価値がない!! 彼女が貴方達に何をしましたか!? 誰かを傷つけましたか!? 誰かを殺しましたか!?」

 

「そ、それは……」

 

「理由もなくこの子を傷つけるなど貴方達の方こそガストレアと同類だ!! このゴミ虫共!!」

 

 凛は肩で息をしながらその場にいる全員を憤怒の眼光で睨む。その瞳に場にいた全員が萎縮した。

 

 それを確認もせずに、凛は倒れこんでいた少女を抱き上げた。少女は凛を弱弱しい目で見つめていた。

 

 少女を抱き上げた凛はそのまま人ごみの中を進んでいく。人々はそれを避けるように凛に道を開ける。

 

 結局誰一人として凛を呼び止めることはなく、彼はそのまま実家へ向かった。

 

 少女の傷跡は既に回復が始まっているが、彼女の心のダメージは計り知れないことだろう。すると抱き上げられた少女が凛を見上げながら舌足らずな言葉で聞いた。

 

「おにいさんは『みんけい』さんですか?」

 

「……うん、僕は民警だよ」

 

「じゃあいいひと?」

 

「……」

 

 『いいひと』と聞かれ、凛は無言だった。しかし、目じりには涙が溜まっていた。

 

「おにいさん?」

 

「……ごめん、なんでもないんだ。本当にごめん……」

 

 その『ごめん』という言葉は問いに答えらなかったことに対する謝罪ではないように聞こえた。




はい、前回の投稿から少々時間が空いてしまいましたね。

ティナの使ってる銃が『M82』というのは私の勝手な想像ですので本当はどうか分かりません。バレット社といっていたので多分これかなーって感じですw

後半凛君ブチギレです。
まぁこういうことをやるとは以前から決めていましたがやっぱりつらいですね……

では感想などあればよろしくお願いいたします。


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第十八話

 暴力を振るわれていた少女を助けた翌日、凛は摩那と共に勾田大学付属病院の地下室、室戸菫の城に足を運んでいた。

 

「やぁ、一ヶ月ぶりだね凛くん。そして君とは始めましてだね、天寺摩那ちゃん」

 

「はい。はじめまして室戸菫さん」

 

「うん、礼儀だ正しい子だ。私は君のような子は大好きだよ。死体になったときも可愛いだろうね」

 

 菫は瞳に怪しい光を灯し、鼻息を荒くしながら摩那を見ていたが凛がそれをため息をつきながらも止めた。

 

「菫先生。その辺にして置いてください摩那が怯えてます」

 

「おおう、それは残念。しかしまぁ君の顔はいつ見ても綺麗だね凛くん。昨日来た不幸面の蓮太郎くんとは月とスッポンだ。死ぬときはその顔は傷が付かないように死んでくれよ」

 

「善処します。それで、今日僕たちを呼び出した理由は?」

 

 凛が問うと菫は一度頷きビーカーにコーヒーを注ぎ机の上を滑らせて二人の元に運んだ。

 

「まぁ飲みたまえ」

 

「どうも」

 

 凛と摩那はそれぞれビーカーを受け取り適当な位置にあったパイプ椅子に腰を掛ける。

 

 それを確認した菫は二人のほうを見据えて先程よりも声のトーンを下げてつげるた。

 

「君達は蓮太郎君達と組んで聖天子様の護衛任務についているそうじゃないか」

 

「そうですけど……もしかして、狙撃のことも聞きましたか?」

 

「ああ。昨日蓮太郎くんに聞いているしな。まぁそれはいいとして、今回の敵は狙撃手らしいじゃないか。君的には勝てそうかい?」

 

「勝てるとは思います……しかし、ちょっと気になることが」

 

「狙撃手がイニシエーターではないかという話か。今日の夜零子と話すことになっているが……事件の概要を大まかに教えてはくれないかい?」

 

「分かりました」

 

 凛は頷くと昨日零子と話し合ったことも踏まえて事件が起こった状況と、狙撃手の狙撃ポイント、風、天候などを菫に説明した。

 

 それらを頷きながら聞いた菫は時折口元に手を当てて考えているようだった。因みに摩那は大して興味がないのか部屋をものめずらしそうに見回していた。

 

「なるほどな、確かに話を聞く限りでは普通の人間に出来る芸当ではなさそうだ。だが君的にはまだ何か引っかかっているんだろう」

 

「……菫先生、イニシエーターを機械化兵士のようにすることって可能なんですか?」

 

「理論上は可能だ。しかし、そんなことをすれば再生能力などが著しく下がって死に至る。我々四賢人とてそんなことは――」

 

 その瞬間、菫が口をつぐみ一際真剣な表情になった。彼女は立ち上がると口元に手を当てながらブツブツとつぶやき始めた。

 

「……待てよ……まさか四賢人のうちの誰かが……いや、まさかそんなことは……」

 

「菫先生?」

 

「ん、あぁいやすまない。少し考え事をな……ではそろそろこの話はお終いにしよう。今日君たちに来てもらったのは主に摩那ちゃんに質問があるんだ」

 

「私?」

 

 コーヒーに口をつけて苦そうにしていた摩那が急に指名されたことによりピクンと動いた。

 

 菫はそれに頷くとバインダーにはまっている資料を眺めながら摩那に問う。

 

「摩那ちゃん。君は延珠ちゃんと同じくスピード特化型のイニシエーターだが最近戦っていて何か壁にぶち当たっているような感じはないかい? 例えば足がこれ以上速くならないとか」

 

「うーん……そう言われても最近本気で走ってないからなぁ。けど、体に変なとこはないし、多分出そうと思えばもっと行ける筈だと思うよ」

 

「なるほど、成長中というわけか。まぁそれだけだあまり気にしなくていいよ」

 

 菫はバインダーを適当に放り投げると肩をすくめてふと疑問に思ったように凛に問うた。

 

「そういえば話を聞く限りではかなりその犯人は情報収集能力に長けているようだな」

 

「ええ、だからこちらも気をつけないと……」

 

 凛がそこで言葉につまり、菫もそれの意図を感じ取ったのかハッとした。

 

「マズイな、そうなってくると聖天子様を護衛しているのが護衛官だけでなく君たち民警というのもあちらは割り出している可能性がある。そして、真っ先に狙われるとすれば異例の序列アップを果たした蓮太郎くんたち天童民間警備会社が狙われる可能性が強い。木更が危険だ」

 

「菫先生、僕と摩那はこれから天童民間警備会社へ向かいます。零子さんには先生が連絡しておいてもらっていいですか!?」

 

「ああ、かまわん。早く行け!!」

 

 菫に送り出され、凛と摩那は一気に地下室から外に駆け上がるとそのまま天童民間警備会社を目指した。

 

 その途中凛は蓮太郎に連絡を取り蓮太郎と延珠も会社へと向かわせた。

 

 ……木更ちゃん!

 

 心の中で妹分の心配をしながらも凛と摩那は天童民間警備会社へ向けて疾走した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕日が遠くの高層ビルに沈んでいく様を見ながら、大きなカーキ色のガンケースを持ったティナは自身の主と話していた。

 

「マスター、なぜ今回天童民間警備会社を先に潰そうと思ったのですか?」

 

『お前が気にすることではない。お前はただ任務を完遂すればいいだけのことだ』

 

「申し訳ありません。では黒崎民間警備会社についてお聞きしても?」

 

『あぁ、それは教えておこう。社長の名は黒崎零子、年齢は不詳でその他の情報もすべて抹消されていて名前程度しか分からなかった。社員はイニシエーターを含め四人……いや、最近一人配属されたようだから五人だな。また、所属する民警の序列はどちらも千番を超えている。しかしお前には取るに足らん相手だろう。そこまで気にする必要もない』

 

「わかりました、ではその二組のうちのどちらかが先日いた民警の内のどちらかということですね」

 

『そういうことだ』

 

 主がそういい終えるとほぼ同時とも言っていいだろうか、ティナの視線の先に天童民間警備会社と書かれた看板が見えてきた。

 

「マスター、標的が確認できたので話は後ほど」

 

『ああ』

 

 ティナは交信を終了して滑るような動きで建物内へと入っていく。一階二階の店舗を無視して三階にある天童民間警備会社を目指す。

 

 得物であるガトリングガンはバレルを極限まで切り詰めているので移動の邪魔にはなっていないものの、やはり重いものは重い。

 

 しかし、彼女は与えられた任務をただ完遂するために標的がいる室内へ入り込んだ。

 

 窓の近くにある大きな机には天童木更と思われる女性が書類を整理していたが、誰かが入ってきたことが分かったのか目を閉じて仏頂面でぷいっとそっぽを向いてしまった。

 

 おそらく別の誰かと勘違いしているのだろう。

 

 その好機をティナが見過ごすわけがなく、彼女は低いトーンで告げた。

 

「……貴女が天童木更ですね?」

 

「え……?」

 

 この瞬間、木更はやっと入ってきた人物が自分が想像していた人物ではないと悟りそちらに眼を向けるが、それとほぼ同時にティナがガトリングガンの砲身を向けて冷徹な声音で言い放った。

 

「お覚悟を」

 

 その言葉と共にティナの細い指がトリガーボタンを押し込んだ。そして動力によって稼動する回転銃身がスピンを始め、次の瞬間には堰を切ったように耳障りな轟音が響き、ガトリングガンが火を噴いた。

 

 それに木更がしゃがんで回避行動を取るのとほぼ同時とも言っていいだろうか、ティナの顔が驚愕に染まった。

 

 彼女の視線の先には一人の白髪の青年がいた。年は十九位だろうか。いや、そんなことを想像している場合ではない。なんと彼は窓の外にいたのだ。

 

 ……どういうこと? ここは三階のはず。

 

 確かにここは三階だ。イニシエーターならまだしも普通の人間が跳躍してここまで飛んでくることなど不可能だ。ならばどうやって来たと言うのか。

 

 ティナがそんなことを考えている中窓の外にいる青年が腰に差した日本刀を抜き放ち窓と壁を断ち切った。

 

 途端窓がフロアに落ちて割れる音がするが、ティナは彼が次にとった行動が信じられなかった。

 

 彼は一瞬で先ほどまで木更がいた机の前に躍り出ると、向かってくる弾丸の雨をその黒い刀身の日本刀で弾き出したのだ。

 

 ティナはそれを目撃した瞬間驚きもそうだが、無理だと悟った。

 

 ガトリングガンは鏖殺兵器とも呼ばれている。それは一秒間に百発の弾丸を打ち出すこの銃にふさわしいなと言えるだろう。

 

 そんな化け物じみた銃の弾丸をすべて防ぐなど、神技、奇跡としか言いようがない。

 

 ティナからすれば飛び込んできた青年はただの無謀なバカとしか言いようがなかったが、彼女は目の前に広がる光景に息を呑んでしまった。

 

 なんと彼は弾丸を弾いているではないか。しかし、全てではない、自身と背後にいる木更に当たることのない弾丸にはふれず、自分達の致命傷になるであろう弾丸だけを払い、斬り落としていたのだ。

 

「……そんな」

 

 馬鹿なこと。と、ティナが言いかけるとティナは目の前で神技をやってのける青年に見覚えがあるのを思い出した。

 

 凛とした顔立ちに通った鼻筋、特徴的な白髪は彼女の脳内の記憶から簡単に今目の前にいる人物を特定することが出来た。

 

「断風さん……?」

 

 彼女がつぶやいたとほぼ同時に事務所の扉を突き破って新たな敵が乱入してきた。

 

「天童式戦闘術二の型十六番――――ッ!! 隠禅・黒天風ッ!!」

 

 その声と共に放たれた攻撃をティナは上半身のばねを使って回避するが、その頬をチッと音をたてて回し蹴りが過ぎていった。

 

 ティナはバク天しながら十分距離を開けると新手の顔をうかがう為に顔を上げる。

 

 途端、凛を見たことによって今にも泣いてしまいそうな顔だったティナの顔がさらに悲しげにゆがんだ。

 

 

 今目の前にいるのは自身が東京で最初に言葉を交わして、先日もたこ焼きを食べさせてくれた白髪の青年、断風凛と、その面倒くさげな表情からは到底想像もできないようなお人よしで、ティナ自身心を許してしまっていた人、里見蓮太郎だった。

 

 彼女は喉から漏れそうになった嗚咽を何とか押しとどめると、悲鳴にも似た声で二人に向かって叫んだ。

 

「どうしてッ! どうして貴方達が私の前に立ちはだかるんですかッ!! ――断風さん!! 蓮太郎さん!!」

 

 

 悲痛な叫びは事務所に響き、凛と蓮太郎の鼓膜を揺らした。

 

 蓮太郎も自身の目の前で悲しげに顔をゆがめるティナに対する衝撃を抑えられないでいた。

 

「……どうしてお前が」

 

 自分でもよくこんな低い声が出たものだと思った蓮太郎であるが、目の前にいるティナは俯いて下唇を噛んだ後言いたくなさげにポツリを言った。

 

「暗殺の邪魔になるからです」

 

「……そうか、じゃあお前が」

 

 このやり取りだけで蓮太郎は直ぐに分かった。この少女、ティナこそが聖天子を襲った狙撃手であると。

 

 蓮太郎は悔しげに目を閉じて歯をかみ締めると大きく深呼吸し、自身が今するべきことを再確認する。

 

 だがそのとき、今まで黙っていた凛がティナの真横に一瞬にして移動すると冥光を乱雑に振りぬいた。

 

 ティナはそれをガトリングガンを盾にすることで防いだが、あまりの強さと体格差の力に押し負けて凛が作った窓の穴から外に放り出されてしまった。

 

 空中でガトリングガンを木更に向けようとしたが、先ほどの攻撃の影響でバレルが大きくへこんでおり、弾丸を撃てば暴発することは明白だった。

 

 彼女は撃つ事はあきらめ、そのまま重力に従い三階から落下し、下に停めて会った車の上に着地すると眼にも留まらぬ速さでその場から離脱した。

 

 彼女の目じりには光るものがあり、それは夕日に反射してオレンジ色に光っているように見えた。

 

 その姿を穴が開いた窓から見送った凛は冥光を鞘に収めて呆然としている蓮太郎たちに向き直った。

 

「ごめん、今のはわざと逃がした」

 

「……いや、凛さんを責めるつもりはねぇよ。アンタには木更さんを守ってくれた礼もある」

 

「ええ。ありがとうございました、凛兄様。おかげで命拾いしました」

 

 深々と頭を下げる木更に凛は安心したように頷くと、急にその場に座り込んでしまった。

 

「蓮太郎くん……悪いけど、病院まで運んでくれる? どうやら一発ぐらいもらっちゃったみたいだ」

 

 その言葉にハッとした二人が眼をやると確かに凛の左肩には銃創があり、ぽっかりと穴が開いていた。傷口からは血があふれていた。

 

「里見くんタオル!! それと包帯!!」

 

「お、おう!」

 

 木更がすぐさま蓮太郎に命じると、彼は救急セットと清潔なタオルを取りに行った。

 

「とりあえずここで応急処置だけします。……もう、無理しすぎですよ兄様」

 

 潤んだ瞳で凛を睨む木更だが、彼は小さく笑うと右手で彼女の頭を撫でた。

 

「……ごめん、ちょっと無理しすぎたよ。けど、妹分である木更ちゃんを守るのが僕が出来る唯一のことだからさ」

 

 「ハハ」と軽く笑いながら言う凛であるが、木更の眼には涙がたまっており今にも泣き出しそうだった。しかし、彼女はそれを服の袖で乱雑に拭うと、蓮太郎が持ってきたタオルで傷口を綺麗に拭き、これ以上血が流れ出ないようにきつく止血をした後、延珠と摩那を呼んで凛を病院まで運んだ。

 

 道中、零子にも連絡を取り五人が病院に到達したのはもうとっぷりと日が暮れた頃だった。

 

 

 

 

 

 

 

 凛が担ぎ込まれてから三時間が経過した。

 

 すでに凛の傷口の縫合は終了しており、凛はベッドの上で横になっており、彼の周りには皆が顔を合わせていた。

 

「いやー、ちょっと無理しすぎましたねぇ」

 

「まったくよ、ガトリングガンの弾丸を弾こうとするとかさすがにきついでしょうに」

 

 零子は呆れ顔でやれやれと首を横にふり、その隣では杏夏がべそをかきながら美冬と夏世に慰められていた。

 

「凛さん、杏夏をなかせないでくださるかしら?」

 

「全くですね、女性を泣かせるとか……この女たらし」

 

「それはもう本当にごめんなさい……。でも夏世ちゃん、女たらしはなくない?」

 

 美冬の絶対零度のまなざしにさすがの凛も何度も頭を下げていたが、夏世の女たらし宣言には首を横に振っていた。すると、零子が皆に告げた。

 

「さて……じゃあちょっと三人で話がしたからみんな少しの間出ててくれる? ここまで運んでくれた天童社長と蓮太郎くんもいいかしら?」

 

「はい。では凛兄様安静にしていてください」

 

 木更が頭を下げると、それを皮切りに皆ぞろぞろと病室から出て行った。そして、摩那と零子が残ったところで零子が小さくため息をつきながら椅子に座った。

 

「『力』がまだ戻っていないのにあんな無茶するから怪我するのよ?」

 

「だよねー。社長もっと言っちゃっていいよ。凛ってば無理しすぎだもん」

 

 ベッドの端に腰掛けていた摩那も頬を膨らませていたが、凛はそれに俯きながら頭を下げた。

 

「それは……すみません。けど、どうしても木更ちゃんを助けたくて」

 

「それは分かるけど、もっと他の助け方を考えなさいな。……まぁいいわ、それで敵のこの名前は分かったの?」

 

「……はい。名前はティナ・スプラウト」

 

「ティナ・スプラウト……どこかで聞いた名前ね……」

 

 零子は顎に指を当てて考え込んでいたが、結局思い出すことが出来なかったのか小さくため息をついた後立ち上がって摩那に告げた。

 

「それじゃあ面会時間も過ぎてることだし帰りましょうか。摩那ちゃんは今日杏夏ちゃんのところに泊まることになってるから」

 

「分かりました。摩那、杏夏ちゃんに迷惑かけないようにね」

 

「わかってるよー。凛もさっさとそれ直してよね!」

 

「明日には退院できるから大丈夫だよ」

 

 凛は二人に手を振り、二人も凛に軽く手を振った後病室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深夜。

 

 既に夜中の二時を回った頃、凛の携帯がなった。

 

 彼はおもむろにそれを取ると携帯の画面を見る。見たことのない番号だ。

 

 しかし、凛にはそれが誰か分かっているのか自然な動きでそれに応答した。

 

『……こんばんは、断風さん』

 

「やぁこんばんは、ティナちゃん」

 

 電話の相手は天童民間警備会社を襲撃し、聖天子を狙撃しようとした張本人、ティナ・スプラウトだった。




凛くん負傷!
まぁそこまで大きな怪我ではありませんが……蓮太郎くんだって小比奈にお腹ザクザクされたし肩ぐらい……ねぇ?w
今回は木更さん守ったりしてましたし、ハンデ的な?
それに最後のほうで零子さん言ってますもんね、『力』が戻ってないのに~って
凛君のまだ分からぬ力フラグ建ったし!!(震え声)

因みに本編補足としては、凛が三階まで跳べたのは下で摩那が蹴り上げたことによる力です。

では感想などあればよろしくお願いいたします


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第十九話

「やっぱり電話してきたね。アレ持たせてよかった」

 

 ベッドから起き上がり、窓際の椅子に腰掛けた凛は夜の空に浮かぶ星を眺めている。

 

『……私を吹き飛ばすあの一瞬でポケットに貴方のメールアドレスと電話番号が書かれた紙を渡してきて……一体何のつもりですか?』

 

「何のつもりって言われてもねぇ……。僕は君を止めたくてさ」

 

『なるほど、では私に聖天子の抹殺をやめるように呼びかけるためにこの紙を渡したんですか』

 

 ティナは冷徹な声で告げると、小さくため息をついてそのまま続けた。

 

『残念ながら断風さん。貴方がなんと言おうと私は任務を達成するだけです。その邪魔をするのであれば……貴方達でも殺して見せます』

 

「ふーん。でも僕は君には人は殺せないと思ってるよ。だって、ティナちゃん優しいじゃないか。木更ちゃんを撃とうとしたときもすっごく悲しそうな目してたよ?」

 

『ッ! ……あの時は少し緊張していただけです。断風さん、貴方の肩の傷では聖天子の護衛に付くことは不可能でしょう。以前のように貴方に弾丸を斬られることもありません。次は確実に仕留めて見せます』

 

「それはどうだろうねぇ。蓮太郎くんも延珠ちゃんも強いよ? それに、こっちにはまだ強い子がいるよ」

 

 凛がそう言い切ると、電話越しに息を呑む音が聞こえた。しかし、ティナは『ではおやすみなさい……』と律儀に挨拶を返して電話を断った。

 

 その挨拶を聞き終えた凛も耳に当てていた携帯を降ろして空浮かぶ月を眺めた。

 

「肩の傷では護衛は出来ないでしょう……か。まるで僕に来ないでくださいって行っているようにも聞こえるよ。ティナちゃん……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして翌日の夕方、蓮太郎、木更、延珠の三人は黒崎民間警備会社に顔を出していた。

 

「さて、お三方も集まったことだし今日の聖天子様護衛任務のメンバーの変更を言って置くわね。知ってのとおり、凛君はこの現状」

 

 零子に言われ苦笑いを浮かべた凛は外見こそあまり変化はないものの、その服の下、右肩の辺りにはきつく包帯が巻かれている。

 

「というわけで今回凛くんの代わりを務めることになったのはここにいる杏夏ちゃんと美冬ちゃんペア。実力は確かだから護衛には事欠かないでしょう」

 

「だけど、問題はティナだろ黒崎社長」

 

 蓮太郎が言うと、杏夏がそこで口を出した。

 

「ティナちゃんが何処にいるは美冬に索敵してもらいますから何とかなるはずだよ。私は蓮太郎や延珠ちゃんと同じく聖天子様が乗る車に乗って護衛をするから」

 

「索敵って言ったってどうするんだ?」

 

「そこは私の能力の出番ですわ。今杏夏も言いましたが私は車内には入らず、摩那と共に外で周囲に気を配りますわ」

 

「まぁ蓮太郎たちは大船に乗ったつもりで安心してていいよん」

 

 摩那は美冬と肩を組んでブイサインを作って蓮太郎に見せるが、蓮太郎はまだ少し納得がいっていない様子だった。

 

 すると、凛が蓮太郎の向かって微笑を浮かべながら告げた。

 

「大丈夫だよ、蓮太郎くん。杏夏ちゃんは十分戦力になるし、何より美冬ちゃんの能力はティナちゃんに対してはかなり有効だから」

 

 その言葉に黒崎民間警備会社の面々は皆一様にうんうん、とうなずいていた。蓮太郎は若干の心配を残しつつもそれに了承し、六時頃に杏夏達と共に聖居へと向かった。

 

「大丈夫でしょうか」

 

「大丈夫だよ。蓮太郎くんは元々強いし、杏夏ちゃんも序列は高いほうだ」

 

 聖居に向かう五人を心配そうに見つめていた木更に声をかけた凛の瞳は自信に満ちていた。

 

「さて、じゃあ僕達も色々準備しようか。まぁ実際事務所で仕事するのは零子さんと夏世ちゃんなんだけど」

 

 木更と共に事務所へ戻る階段を上がりながら言う凛に対し、木更は首をかしげていた。

 

 そして事務所へ上がった木更はいきなり掛けられた声と零子たちの行動に思わず口を半開きにして驚いてしまった。

 

「凛くん、そこのケーブルこのモニタに接続してくれる?」

 

「ここですか?」

 

「そうそこ。あぁ夏世ちゃん、そのモニタはこっち」

 

「了解しました」

 

 零子は凛と夏世にそれぞれ指示を出しながらも自身もパソコンを操作していた。木更はこの状況を理解しようとするが、ちょうど零子が木更を指差して告げた。

 

「木更ちゃん、悪いんだけその足元のケーブルをコンセントに差し込んでくれる?」

 

「え、あっはい。アレ……いま名前で」

 

「だって木更ちゃん苗字で呼ぶと少し嫌そうだったからね。まぁ気付いたのは最近だったんだけど。貴女の生い立ちの深いところは聞きはしないけど、本人が嫌がることを続けるわけにもいかないし」

 

「黒崎社長……」

 

 木更がその発言に対し微笑むと零子も木更に笑いかける。

 

「それに、年下の女の子に社長付けするのもどうかと思ったしね。はい、さっさとコンセントに接続して、時間がないから」

 

 木更はそれに頷くと足元のケーブルをコンセントに接続した。

 

 そして数分の後、室内を見回した後零子に声をかけた。

 

「社長、準備完了しました」

 

「はいはーい。それじゃあ、行って見ようかしらね!」

 

 零子はそういうとキーボードのエンターキーを叩いた。それと同時に事務所内に設置されたモニタに画面が表示され、何かのパラメータのようなものや、気温湿度、風速、風向きなどが表示され始めた。

 

 そして一際大きなモニタには立体の地図のようなものが表示された。

 

「これは……」

 

 木更が驚嘆の声をもらすと、零子がニヤリと笑いながら立ち上がった。

 

「ふふん、これは3DCGを使った東京エリア全体の立体型の地図よ。司馬重工の令嬢、未織ちゃんからもらったものでね。結構重宝するのよ?」

 

「全体って……よく観測しましたね」

 

「まぁね。車に観測機つけていろんなところ乗り回してたらあっという間に終わったからそこまで疲れはしなかったけど」

 

「それでも車では入れないところもありますよね? 外周区とか」

 

「そのあたりは徒歩で行ったりしてたわ。手で持つ観測機持って行ってね」

 

 夏世の質問に対し肩を竦めた零子は小さく笑っていた。そうこうしているうちに、モニタには東京エリア全体の地図が完全に表示され、事細かなビルの位置まで精巧に再現されていた。

 

「まぁ内部まではさすがに無理だけど、外側だけならこんな感じね。それで、これにデータを打ち込むと……」

 

 零子は手元のキーボードを弄り、今夜二回目の会談が行われる高級料亭である『鵜登呂亭』の座標を入力していく。

 

 すぐさまモニタに変化があり、料亭がズームアップされた。そして料亭を中心として円が描かれた。

 

「とりあえず料亭から半径三キロの位置を映し出してみたわ。あとは美冬ちゃんにがんばってもらって狙撃ポイントを割り出すってこと」

 

 そういいながら零子は壁にかけてある時計を見る。既に時刻は午後七時。そろそろ会談へ向けて蓮太郎たちが出発した頃だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして夜七時半ごろ、移動中の車内には蓮太郎と延珠。そして、負傷した凛の代理として配属された杏夏の姿があった。

 

「なるほど。凛さんにそのようなことがあったのですか」

 

「はい。ですので今回は私が聖天子様をお守りするために来ました」

 

 車内で聖天子に対し軽く会釈をした杏夏に対し、聖天子も「よろしくお願いします」と頭を下げた。

 

「なぁ杏夏。二人はいまどの辺なんだ?」

 

 挨拶を終えた杏夏に蓮太郎が問うと、懐からトランシーバーを取り出した杏夏が外で走っている美冬に聞いた。

 

「美冬。いまどのあたり? オーバー」

 

『もう料亭が見え始めました。あと三分もしないうちに到着しますわ。オーバー』

 

「りょーかい。料亭近くまで行ったら作戦通りにね。オーバー」

 

『わかりましたわ』

 

 美冬が行ったのを確認すると杏夏は蓮太郎のほうを見た。

 

「だってさ」

 

「だってさって……。結局何をするんだ? 二人を先に行かせたりして」

 

「あぁその辺はまだ説明してなかったね。二人を先に行かせたのは地形を美冬に完全に把握してもらってティナちゃんがいるポイントを探し出すためだよ」

 

「だからそれはどーやってやんだよ」

 

 蓮太郎が問うと同時に、聖天子もまたその意図を聞きたそうに小首をかしげていた。

 

 杏夏はそれに対し小さく笑うと美冬がやろうとしていることの説明を始めた。

 

「美冬のイニシエーターとしての能力は戦闘向きでもあり、戦闘向きでない能力でね。いわゆる超音波を出せるんだよ」

 

「超音波? じゃあまさかあの子のモデルって夏世と同じイルカとかなのか?」

 

「ううん、違うよ。美冬のモデルはバット……すなわちコウモリ。ここまで言えば美冬が何をしようとしているかは見当がつくよね?」

 

 杏夏の言葉に対し、蓮太郎はハッとしてそれに答えようとするが、そこで聖天子が答えた。

 

「反響定位……エコーロケーションですか?」

 

「正解です聖天子様。そう、美冬はそれが出来るんです。通常コウモリの反響定位の範囲はそこまで長くないですが、ガストレアウィルスの影響なのか、美冬の超音波が届く範囲は最大で五キロまで到達します。本人曰くまだまだ成長しているらしいです」

 

「五キロ……ってことはティナの狙撃ポイントがその範囲内であれば」

 

「うん。確実に索敵可能ってわけ。細かい位置の割り出しは事務所の方で社長と夏世ちゃんがやってくれるよ」

 

 ニヤリと笑った美冬に蓮太郎は驚いていたが、そこで延珠が彼の袖を引っ張り首をかしげた。

 

「蓮太郎。その、えこーろけーしょんとは一体なんなのだ?」

 

「あぁ、そうだな。えっと超音波って言う人間には聞き取れないぐらいの音を出して、その音が跳ね返ってきた音を聞いて、障害物とかがどのぐらいの位置にあるのかを割り出す能力だ。動物で言えば今言ったコウモリやイルカ、クジラとかが出してるな」

 

「ふむぅ……よく分からんがとにかく敵の位置を見つけ出せるってことか!?」

 

「まぁそんな感じだ」

 

 延珠は蓮太郎の説明に若干興奮したような面持ちで「すごいなー」などと言っていた。すると、杏夏のトランシーバーから今度は摩那の声が聞こえてきた。

 

『あーあー、杏夏ー聞こえるー? オーバー』

 

「聞こえてるよー。着いたの? オーバー」

 

『うん。今会談をするりょーてーの屋根の上にいるよ。 オーバー』

 

「わかった。じゃあ美冬に『もうやっていいよ』って伝えてね。オーバー」

 

『りょーかいしましたー。オーバー』

 

 摩那は言うとあちらから電源を切った。それとほぼ同時にフロントガラスに料亭が小さく見えてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 杏夏との無線を切った摩那は携帯を出しながら、大きく深呼吸をしている美冬に声をかけた。

 

「美冬ー。杏夏がやっていいってさー」

 

「わかりましたわ」

 

 摩那に返答した美冬は肺の中の空気を一気に吐き出した後、胸が膨らむほど大きく息を吸い込んだ。

 

 ……せーのッ!!

 

「――――ッ!!!!!!」

 

 心の中で気合を入れた美冬は人間の可聴域では決して聞き取ることの出来ない超音波を放射した。

 

 はたから見ればただ大口を開けて息を吐いているようにしか見えないが、今彼女の口からは凄まじいほど高い音が出ているのだ。

 

 数秒間超音波の放射をしていた美冬は今度は耳を澄まして音が跳ね返って来るのに集中している。

 

「……摩那。見つけましたわ。あの大きなビルの屋上の右端に人影と銃のような形状なものが見られますわ。そしてもう一つ気になることがありますわ。何か球状のものが三つほど浮かんでいて、それと同時に虫の羽音なものもしますわ」

 

「きゅうじょー?」

 

「ボールのようなものってことですわ。凛さんに連絡をお願いします」

 

「りょーかい。もしもし凛ー?」

 

 摩那が呼ぶと電話の向こうから凛の声が聞こえた。

 

『摩那。どこかわかったの?』

 

「うん。ここから一キロくらい離れてるおっきなビルの上にいるって。あとなんか気になることがあるんだってさ」

 

『気になること?』

 

「なんかボールみたいなのが三つ浮かんでるんだって。あと虫の飛ぶ音って感じの音も聞こえるってさ」

 

『虫が飛ぶ音……。わかった、後はこっちで何とかするから二人はそこで待機しててね』

 

「あいあいー」

 

 摩那はちょっとおどけた風に返すが、彼女はビルの屋上を鋭い視線で睨んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

「零子さん。料亭から見える一番大きなビルの屋上の右端にいるみたいです」

 

「一番大きなビルというと……ここかしらね」

 

 摩那から伝えられた情報を凛が零子に告げると、彼女はパソコンを操作して情報を打ち込んでいく。

 

 同時に狙撃ポイントであるビルの屋上の右端に赤い点が表示され、そこから料亭まで赤い点線が延びる。

 

 すると、知れをみていた夏世が凛の袖を引っ張りながら問うた。

 

「先ほど虫の飛ぶ音とおっしゃっていましたが何かあったのですか?」

 

「うん。美冬ちゃんがエコーロケーションをしたときに球状の三つの浮遊物と、虫の羽音みたいなのが聞こえたんだって」

 

「虫の羽音……そういえば以前もそのようなことを言っていましたね。もしかするとそれがティナ・スプラウトのありえない距離からの狙撃を成功させた能力の一つなんじゃないでしょうか?」

 

 口元に手を当てて一際難しい表情を浮かべる夏世はさらに続けた。

 

「例えばその浮遊物はティナ・スプラウトの目のようなもので、そこから得られる情報をその浮遊物を通して見る事が出来ているのではないでしょうか。そしてそこから得られる情報を頼りに彼女は狙撃を行っている」

 

「じゃあまさか……」

 

「料亭のほうまでそれを飛ばしている可能性があります。さらに言ってしまえば彼女に対して車を乗り換える程度では意味がないのではないでしょうか」

 

 夏世が言いきると、そばにいた木更も不安げな表情を浮かべ、凛も苦々しげに歯噛みした。

 

「零子さん!」

 

「あぁわかってる……!」

 

 零子がそれを伝えようと手元のトランシーバーに手を伸ばそうとしたが、そこで彼女の携帯が鳴り響いた。

 

「えぇい! 何だこんなときに!! もしもし!? 菫ッ! 一体何のよう……!」

 

 彼女がそこまで言ったところで零子は眉間にしわを寄せて下唇を噛んだ。

 

「あぁわかった……情報感謝する」

 

 零子は大きくため息をつきながら携帯を閉じるとトランシーバーで杏夏に命令を下した。

 

「杏夏! 何が何でも聖天子様を車から出すんじゃない! 車の中にとどめて近場にある地下駐車場に連れて行け!!」

 

『えぇ!? で、でも会談はどうするんですか!?』

 

「知るか! 今は聖天子様の命を優先しろ! あと保脇とか言う嫉妬深いインテリ能無し護衛官がいようが無視して聖天子様を守り抜け!!」

 

『や、ヤー! わかりました!』

 

 杏夏はあちらからトランシーバーの電源を落としたが、零子は無線機を放り投げ悔しげに歯噛みした。

 

「あちらの方が厄介なものを持っていたのか……まさか『シェンフィールド』とは」

 

 彼女は悔しげにうめいた後、タバコに火をつけて落ち着きを取り戻そうとしていたが、3Dの地図上にはティナがいるポイントからの計算が終了し、弾丸が届くまでの時間と料亭までの距離が表示されていた。

 

 料亭までの距離はおよそ1.5キロ、弾丸の到達は一秒という回避する暇のないほどの早さだった。

 

 

 

 

 

 

 

 零子の怒号にも似た命令に杏夏が頷くと、先ほどまで蓮太郎に怒りをぶつけていた保脇の鼻柱に愛銃であるグロック17を突きつけて言い放った。

 

「アンタは黙ってなさいこのスカタン!! 運転手さん早く出してください! 延珠ちゃん窓の外を警戒して!」

 

「な、なんだと貴様ぁ! この僕に向かってそんな口を叩いていいとでも……!!」

 

「うるっさい!! 聖天子様が狙われてんのにアンタみたいなバカと話なんかしてらんないのよ!!」

 

 保脇を一蹴した杏夏はスライドドアを無理やり閉めた。それと同時に前方のリムジンと杏夏達が乗ったバンが走り出すが、それとほぼ同時に延珠が叫んだ。

 

「杏夏! ビルの上が光った!」

 

 延珠の声が蓮太郎たちに届いた瞬間。それは起こった。

 

 前方のリムジンの天窓の辺りがティナが放ったであろう弾丸で割れたのだ。その影響でリムジンは大きく蛇行を始め、さらにもう一発リムジンのタイヤに弾丸が当てられ、リムジンは大きくスピンを始めた。

 

 目の前で起こる光景にバンの運転手は呆然といった表情を浮かべていたが、そこでトランシーバーから摩那の声が響いた。

 

『杏夏! そのままとまらずに走り抜けて!! リムジンは私が何とかするから!!』

 

 その声に杏夏たちがハッとするが、前方でスピンしているリムジンの上に摩那が降り立つのが見えた。

 

 彼女はスピンを続けるリムジンのちょうど運転席のあたりの屋根を手に装着したクローで抉ると、中から気絶した運転手を引きずり出して最後にリムジンの回転を抑制するために車体を力強く蹴った。

 

 その衝撃で先ほどまで自分達のバンにぶつかりそうになっていたリムジンの回転の速度が弱まり、バンが抜けるだけの隙間が出来た。

 

「運転手さん! アクセルめいっぱい踏み込んで!!」

 

 杏夏が叫ぶと、呆然としていた運転手はハンドルを握りなおしアクセルを全開まで踏み込んだ。急にスピードが上がったことで全員が後ろに引っ張られるような感覚に晒されたが、何とかリムジンを抜けた。

 

「そこのビルの地下駐車場に入ってください!!」

 

 運転手はそれに頷くと思い切りハンドルを左にきって地下駐車場に飛び込んだ。急なハンドル操作のためか車内にいた聖天子が窓に叩きつけられそうになるが、杏夏が彼女の腕を引っ張り盾になるように聖天子を抱きこみ、彼女の代わりに背中から窓に叩きつけられた。

 

 車が停車し、車内には先ほどまでのパニックが嘘のように静まり返っていたが、その静寂を破るように聖天子が声をあげた。

 

「春咲さん! 大丈夫ですか!? 春咲さん!」

 

 蓮太郎は思い切りたたきつけた背中をさすりながら聖天子と杏夏の方を見た。そこには目が虚ろで口を半開きにしてしまっていた杏夏がいた。恐らく先ほど聖天子を守ったとき背中だけでなく、頭も打って軽い脳震盪を起こしているのだろう。

 

「待て、聖天子様。多分頭を打ってんだろうからあんまり揺らさないほうがいい」

 

「は、はい。わかりました」

 

 蓮太郎に言われた聖天子は顔を蒼白に染めつつも、気丈に振る舞って杏夏の手をギュッと握った。

 

 蓮太郎はそれを一瞥した後、外の状況を見るため駐車場の隙間から外を見やる。外にはリムジンが横たわっており、エンジン部からは炎が上がっていた。

 

 ……なんて奴だ。こっちだってかなりの布陣で挑んだのにそれをものともしないなんて。

 

 眉間に皺を寄せてティナがいるであろうビルの屋上を睨みつける蓮太郎だが、彼の袖を延珠が引っ張った。

 

「蓮太郎。妾があの狙撃手を追って来る!」

 

「追うって……行けるのか?」

 

「ああ! 妾だけならすぐに追える筈だ! だから行かせてくれ蓮太郎! 摩那や美冬が協力してくれたのにみすみす逃がせんだろう」

 

 延珠は真剣な眼差しで蓮太郎を見上げる。

 

 蓮太郎もそれに頷くと延珠の肩を持って告げた。

 

「わかった。行って来てくれ延珠! 但し、危ないと思ったらすぐに戻ってくるんだぞ!」

 

「わかった! じゃあ行ってくるぞ!」

 

 延珠は駐車場から飛び出しティナを追跡しに行った。

 

 蓮太郎は一抹の心配を覚えつつも、先日行ったゴム弾での訓練で延珠が全ての弾丸の軌道を読み自分の銃を蹴り上げたことや、最初にティナの狙撃を足で踏みつけたことを思い出して心の中で何度も「大丈夫だ」とつぶやいた。

 

「春咲さん! あぁよかった……」

 

 駐車場のほうから聖天子の安心した声が聞こえ、蓮太郎もそちらに戻る。

 

 車の中では杏夏が頭を抑えながら意識を覚醒させるように何度も目を瞬かせていた。

 

 そして完全に意識が覚醒した彼女は延珠がいないことを疑問に思ったのか蓮太郎に問うた。

 

「蓮太郎。延珠ちゃんはどこか行ったの?」

 

「あぁ、今ティナを追いに――」

 

 蓮太郎がそこまで言ったところで杏夏が焦ったように立ち上がって蓮太郎に告げた。

 

「ダメだよ! 今すぐに延珠ちゃんを戻して蓮太郎!! 殺されちゃうよ!」

 

「えっ?」

 

「今さっき零子さんに聞いた話だと……あの子……ティナちゃんの序列は九十八位。あの蛭子影胤よりも上なんだよ!! 今の延珠ちゃんじゃ相手にならない!!」

 

 九十八位という数字に蓮太郎は頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。同時に彼はすぐさま携帯を取り出して延珠の番号にかける。

 

 ……頼む頼む頼む! 出てくれ、出てくれ延珠!!

 

 携帯を握りつぶしてしまいそうなほど手に力をこめた蓮太郎だが、そこで電話がつながった。

 

「延珠! よかった……!! いいか、よく聞けよ延珠、今すぐティナの追跡をやめて戻って来い!! 作戦を立て直すぞ!」

 

 蓮太郎は焦りから来ているのか早口で言い切ったが、帰ってきたのは無慈悲なまでの沈黙だった。

 

「お、おい。延珠? なに黙ってんだよ返事しろよ……おい! 延……!」

 

 怪訝な表情をしたまま蓮太郎は携帯の画面を見るが、そこからは何も帰ってこない。帰ってくるのは痛いほどの沈黙。そして恐怖だった。

 

「まさか……お前、ティナなのか?」

 

 茫然自失といった表情で両膝をガクリと折って地面につけた蓮太郎だが、それに答えるようにブツッという音がなり、今度は不通話音がなり始めた。

 

 ……うそだろ。ティナが携帯を持っていたって事は延珠はどうなったってんだ!? まさか殺された……?」

 

 

「延珠が殺されたって言うのかよ……」

 

 

 蓮太郎は乾ききった喉で微かにつぶやき頭を左右に振った。

 

 押しつぶされそうなほどの絶望の中、それを見ていた杏夏がトランシーバーを持って叫んだ。

 

「摩那ちゃん!! 今すぐティナちゃんを追って!!」

 

『え? なんで急に』

 

「お願いだから追って摩那ちゃん!! 延珠ちゃんが……延珠ちゃんが……!!」

 

 そこから先を杏夏は言葉にすることが出来ず、彼女は瞳から涙を流し、それを見ていた聖天子も目じりに涙をためていた。

 

 するとその状況から全てを悟ったのか、摩那は言い放った。

 

『わかった! 私が絶対に延珠ちゃんを連れ戻すよ!!』

 

 その言葉を最後に摩那からの連絡はなくなった。

 

 杏夏はトランシーバーを握り締めながら祈るようにつぶやいた。

 

 

「お願い……摩那ちゃん……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、翌日まで延珠はおろか、同じく追跡しにいった摩那からも連絡が入ることはなかった。




はい今回は延珠がやられたところですね。

しかし、何かとハイテクな黒崎民間警備会社……w
ですがティナのシェンフィールドはそれの上を行ってしまったということですねぇ。
まぁ四賢人が作ったんだから当たり前ですか……。

美冬のモデルはコウモリということにしました。
決してトリコのゼブラのアレを想像したわけじゃないよ! 本当だよ!

では感想などあればよろしくお願いします。


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第二十話

「来たね凛くん」

 

 焦げ茶色の髪に汚さのない無精髭をはやした捜査一課の警部、金本明隆警部が現場である建設途中のビルの前で凛を出迎えた。

 

「現場はどんな感じですか?」

 

「うん、まぁそれは上に行きながら話すよ。……摩那ちゃんからはまだ連絡がないのかい?」

 

「ええ。ですがあの子なら大丈夫です。強いですから」

 

 凛が自信に満ちた顔で言うと、金本も思い出したように「そうだね」と頷き、二人は階段を上がっていった。

 

「被害者は一人ってことになってる。何せ死体がなくてね。ただ多くの弾痕と大量の血痕、あとはこれかな」

 

 金本は懐から数枚の写真を取り出し凛に手渡した。それを受け取った凛は眉間に皺を寄せて下唇を噛んだ。

 

 そこに写っていたのは肉片と骨片、そして大量の血液だった。

 

「……ひどいですね」

 

「ああ。暑さのせいもあってハエがたかっていたよ。あと少し妙でね」

 

「妙?」

 

 凛が聞くと同時に大量の血痕が残されていた六階に辿り着いたようで、一際警察官や鑑識官と見られる人たちがせわしなく動いていた。

 

「被害者は四方向から同時に撃たれていたんだ」

 

 金本は現場であるビルの右と左、正面と斜め右上のビルを指差した。凛もそれを見ながら見比べてみると、屋上には鑑識官が見て取れた。

 

「やっぱりあそこに銃があったんですか?」

 

「そうだね。ただ、証拠を隠滅するためなのか銃器は全てプラスチック爆弾で爆破されていたよ。細かいところは司馬重工に調べてもらっているところさ。あと銃器の製造番号は削り取られていたし、たださっきチラッと見ただけだから断定は出来ないんだけど、銃器には見られない装置の様な物も取り付けられていたようなんだ」

 

「なるほど……。被害者は藍原延珠ちゃんで断定しているんですか?」

 

「いいや、まだ断定は出来ていない。DNA鑑定が終わってからだね」

 

 金本は一際弾痕が多く残されているほうを一瞥した。凛もそちらを見やると、そこには拳をきつく握り締めた状態で俯いている蓮太郎と、金本と同じく警部と見られるエラが張った顔をした男性がいた。

 

「彼が里見くんだったね」

 

「ええ。延珠ちゃんのプロモーターで僕の友人です」

 

「彼が一番辛いだろうね……。さっき多田島と話しているのを聞いたけど写真にその子が着ていた服の切れ端と彼女のスマートフォンが叩き割られていたらしい」

 

 すると蓮太郎は今にも転んでしまいそうな足取りで踵を返し、凛にも気が付かずに現場から立ち去っていった。

 

 その後姿を見ながら金本が凛の肩をたたいて聞いた。

 

「声をかけなくてもいいのかい?」

 

「……僕が声をかけても、彼の心に空いた穴は埋めることは出来ません。それに、今回の事件は僕のミスでもあります」

 

 悔しげに拳を握り締めた凛の手には血が滲んでおり、それを見た金本は静かに頷いた。

 

「おう、金本。そっちがもう一人の方か?」

 

 後ろから掛けられた低い声に凛と金本は振り向いた。そこには先ほど蓮太郎と話していた多田島が眉間に皺を寄せた状態で難しげな表情をしてたっていた。

 

「ああ。前話しただろ。黒崎民間警備会社の断風凛くんだ」

 

「そうかい。俺は多田島茂徳だ。コイツとは同期で同じく警部だ」

 

「初めまして多田島警部。断風凛です」

 

 凛は頭を下げたが多田島はその姿を見て怪訝な表情をすると凛に問うた。

 

「お前さんもアイツと同じようにイニシエーターの生存がわからねぇんだろ? ずいぶんとおちついてるじゃあねぇか」

 

「多田島それは……」

 

 金本が多田島を制しようとするが、凛はそれに首を横に振ると多田島を見据えて言い放った。

 

「確かに不謹慎かもしれませんね。ですが、あの子はとても強いです。どんな状況であっても摩那は決してあきらめないし死にません。だから僕はあの子を信じて待つつもりです。悲しみにくれていても何も始まりませんから」

 

 凛はそういいきると多田島と金本に軽く頭を下げて現場を後にした。

 

 去っていく凛の背中を見ながら多田島は頭をガリガリと掻きながらため息をついた。

 

「あのガキ、なんて目してやがる。本当に自分のイニシエーターが生きてるって信じてやがる。それに、もう一人のほうも生きてるって思ってるみてぇだ」

 

「彼と行方不明の摩那ちゃんは固い絆で結ばれているようだからね。きっとその絆がそうさせているんだろうさ」

 

 肩を竦めた金本に多田島は呆れた表情を浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 事務所に戻った凛は現場での状況を零子に報告した後、凛は菫のところへ顔を出していた。

 

「やぁ、凛くん。顔色は良さそうだね」

 

「ええ。それでティナちゃんについて何かわかりましたか?」

 

「ああ。まぁとりあえずこれを見たまえ」

 

 菫はパソコンの画面を親指で差しながら凛に告げた。凛もそれを見るためにパソコンに近づくと、菫は表示されていた動画を再生した。

 

 動画には目隠しをされた禿頭の男がおり、彼はジャケットのポケットから拳大のボール状の黒いビットを地面に放った。

 

 ビットは地面に落ちるかと思ったが、それはフワッと重力を無視して浮き上がり男の頭上を旋回し始めた。

 

 やがて男は腕を高く上げてビットに命じるように振り下ろした。同時にビットが目標に向かって突き進んだ。

 

 男は拳銃を上に向かって三発弾丸を放った。

 

 そしてカメラが切り替わったのか、今度は別角度からの映像に切り替わり、凛は目を見開いた。

 

 なんと目標全てしかもど真ん中に銃弾が当たった形跡があるではないか。

 

「菫先生、これがティナちゃんが使っているものの正体ですか?」

 

「ああ、恐らくそうだろうな。これは思考駆動型インターフェイス『シェンフィールド』というシロモノでね。恐らくエインの奴はこれをティナという子に扱えるようにしたんだろうさ。……凛くん、君はブレイン・マシン・インターフェイスというものを聞いたことがあるかい?」

 

「確か手足が不自由な人の頭に電極をつけて扱うことの出来るものでしたっけ?」

 

「そうだ。略してBMIとも言うが、映像の男が使っているのはそれの発展機だな。脳に直接ニューロチップを埋め込んでただ念じるだけであのビットを操作することが出来るんだ。いわばアレは偵察機のようなものだな」

 

「じゃあ僕と蓮太郎くんが聞いた虫が飛ぶような音は……」

 

「恐らくコイツのモーター音だろう。さらにこのビットは対象地点から目標の位置座標、温度、湿度、角度、そして風速などあらゆる自然的要因を使用者の脳に直接送信することが出来る。今の映像で男が外さなかったのはそれが関係しているんだ。しかし、今回の相手、ティナ・スプラウトが施された手術はこれだけではないはずだ。

 零子から聞いているかもしれないが、狙撃には指の震えすらも関係してくる。恐らく彼女の体内にはバランサーが仕込まれていて心臓の鼓動による震え、呼吸による運動さえも全てカットしているんだろう。この手術だけならば私やエインであれば簡単に施術することが出来る」

 

 凛はその言葉を聞き眉間に皺を寄せていた。その『シェンフィールド』を扱わせるためにどれだけの少女達が犠牲になったのか。凛にとっては耐え難いまでの怒りだった。

 

 ……エイン・ランド。

 

 その名を忘れないように胸に刻んだ凛は菫に問うた。

 

「菫先生。このビット、最大で扱えるのはどれくらいですか?」

 

「三つだ。それ以上行くと使用者の脳が焼き切れてしまうからな」

 

「なるほど……」

 

 凛が口元に手を当てて考えていると、それを見た菫が彼を訝しげな表情で見据えながら問う。

 

「凛くん。君、まさかティナ・スプラウトを止めるつもりなのかい?」

 

「……ええ。そのつもりですよ」

 

「やめろ」

 

 凛の返答を間髪いれず否定した菫だが、凛はそれに首を振った。だが菫も引き下がらずに彼に告げる。

 

「いいか凛くん。全盛期の君ならまだしも『アレ』を体に射ち込んでいる今の君では彼女には勝てない。行ったとしても犬死するだけだぞ!」

 

「零子さんから渡された資料を見たんですね菫先生」

 

「ああ、まさか『アレ』を射ち込んでいるものが本当にいるとは思っていなかったが……だとしたらその白髪も頷ける。それに君は肩を負傷しているじゃないか。

 何度でも言うぞ凛くん。絶対にティナ・スプラウトと戦うんじゃない。序列百番超えの連中の強さは君も知っているだろう」

 

 菫は凛を説得するように言うが、凛は小さく笑みを浮かべてそれを否定した。

 

「すみません菫先生。僕は聖天子様を守るための任務についているんです。だからあの人を殺させるわけにはいかない。それに、ティナちゃんをこれ以上苦しめるわけには行かないんですよ」

 

 凛はそのまま踵を返すと地下室を出て行った。菫はその姿を見送りながらただただ悔しげに歯噛みした。

 

「……それが君の覚悟なのか『刀神』」

 

 

 

 

 

 

 

 その日の深夜。

 

 凛と蓮太郎に一通の連絡が入った。

 

 凛はそれに胸をなでおろしつつ、信じていたという風に笑みを浮かべ。蓮太郎は泣いてしまいそうな顔で喜びをあらわにしていた。

 

 摩那と延珠が見つかったのだ。

 

 いや、見つかったのではなく摩那が延珠を背負って勾田大学の付属病院まで運んできたのだという。

 

 凛と蓮太郎はすぐさま勾田大学病院に向かうと、共に病室へと駆け上がった。

 

「摩那!!」

 

「延珠!!」

 

 二人が名を呼ぶと、それを咎める様に木更と零子が口の前で人差し指を立てて「しーっ」っと二人に言った。

 

 病室を見ると、向かい合うようにベッドに寝かされた延珠と摩那の姿があった。二人の胸はしっかりと上下しており、生きていることが確信できた。

 

「摩那ちゃんが泥まみれになって運んできてくれたのよ。お医者さんの話じゃ二人とも命に別状はないって。ただ、延珠ちゃんは致死量の何倍もの麻酔を打たれて最低でも後二日は目が覚めないって」

 

 木更の言葉に蓮太郎は摩那の方を見やり頭を下げた。そして彼は延珠のか弱い手をとって彼女の命を確かめるように握り締めた。

 

 それを見た木更も泣き出しそうだったが、蓮太郎を後ろから抱きしめていた。二人とも精神的に限界だったのだろう。

 

「零子さん。摩那の容態は」

 

「摩那ちゃんは特に何もされていないわ。この子は昨日の夜から今の今まで東京を駆けずり回って延珠ちゃんの匂いをずっと追い続けていたみたいなの。今は疲れて眠っているだけ。ドクターの話じゃ明日の夕方には目が覚めるでしょうって。だけど経過を見るから退院するには少しかかるみたい」

 

「そうですか……よかった……」

 

 凛も張り詰めていた心を和らげると、ベッドで寝息を立てる摩那の頭をやさしく撫でる。

 

「よくがんばったね……摩那……」

 

 するとそれに答えるように摩那は寝顔のまま小さく笑みを浮かべてボソッとつぶやいた。

 

「……お肉たべたい……」

 

 そのつぶやきにその場にいた皆が緊張の糸を切られてしまったかのようにずっこけてしまいそうになったが、皆先ほどまでの暗い顔が嘘のように笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 延珠と摩那の詳しい容態を医師から聞き終えた凛と蓮太郎は木更と零子から第三回の会談の日時を聞かされた。

 

 日時は明日の午後八時だそうだ。凛と蓮太郎は互いに顔を見合わせると頷き合って自分の社長達に「依頼を継続する」と告げた。

 

 二人はその返答がわかっていたかのように頷くが、木更は鼻をつまんで蓮太郎を指差した。

 

「その前に里見くん。お風呂行ってきなさい! 男臭くてしょうがないわ!」

 

「え? そんなにか!?」

 

 蓮太郎は自分で体の匂いをかいで見ると、確かになんともいえない男臭さがしていた。

 

「凛くん。貴方は別に臭くないけれど、ご飯食べてきなさい。ご飯!」

 

「ご飯ですか?」

 

「そう。なんなら蓮太郎くんと一緒に食べてきなさい。お金はあげるから!」

 

 零子は財布から万札を二枚出すと凛に強制的に握らせた。凛はそれに申しわけなさそうに頭を下げるが、木更がそこで二人に告げた。

 

「ホラ、ダッシュ!! 明日のために英気を養いなさい二人とも!」

 

 木更に背中を押され、二人は首をかしげながらも病院を出るとまず蓮太郎の体を洗うために銭湯に行くこととなり、二人は一旦着替えを取りに家に帰り、蓮太郎が住んでいるアパート近くの銭湯で体を温めた。

 

 湯船に浸かっているとき蓮太郎は凛に感謝の言葉を述べた。

 

「凛さん。ありがとう。摩那がいてくれなかったら延珠は今頃どうなっていたことか……」

 

「それは摩那に言ってくれないかな。僕は何もしていないよ。だけどごめんね、僕が事務所の一件でティナちゃんを止めてさえいればこんなことにはならなかっただろうに」

 

「いや、アンタが気にすることじゃねぇ。俺が行かせちまったのも要因の一つだ」

 

 蓮太郎はそういうと凛に質問を投げかけてきた。

 

「なぁ凛さん。延珠にかなりの量の麻酔が打たれてたってのは聞いてるよな。なんかそれっておかしくないか? 本気で延珠を殺す気ならティナは心臓や頭を打ち抜けばいいのにあえてそれをしなかった……なんかへんだよな?」

 

「そうだね。これは憶測だけど、ティナちゃんは暗殺のリストに載っていない人物は極力殺したくはないんじゃないかな。ホラ、この前警察官が重症で発見されてパトカーだけがボロボロにされた事件があったじゃないか。もしそれもティナちゃんの仕業であれば、彼女は殺しのリストに載っていない人物は殺そうとはしないんじゃないかな」

 

「じゃあティナは延珠や摩那が目覚める前に聖天子の暗殺を完了させて東京から立ち去るつもりってことか!」

 

「それが濃厚だろうね。延珠ちゃんや摩那がいなくなった今、イニシエーターである彼女に対抗できる戦力はないに等しいと言ってもいいからね」

 

 すると二人は湯船から上がると脱衣所へ行き体を拭くと新しい着替えに袖を通した。

 

「だったら、もうやることは一つってことか」

 

「うん。明日の夜に決着をつけるしかない」

 

 二人は銭湯から出ると、互いに拳をぶつけ合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 銭湯に入った後適当なファミレスで食事を済ませた二人はそのまま病院へ戻ろうとしていた。

 

 しかし、蓮太郎が喉が渇いたとのことで高架下の自動販売機で飲み物を買うことになり、蓮太郎は炭酸飲料を凛はお茶を買ってそれぞれ一気に飲み干した。

 

 そして歩き出そうとしたところで凛が後ろを振り向きながら告げた。

 

「コソコソつけてきて一体何のつもりですか。保脇さん」

 

 その名を聞くと同時に蓮太郎も後ろを振り向くと、そこには黒塗りのベンツに乗りこちらに嫌味な笑みを向けている保脇と護衛官達の姿があった。

 

「ククッ。ずいぶんと散々な目にあったらしいじゃないか。貴様らのイニシエーター共は。一人は例の狙撃手に、もう一人は東京中を走り回って疲労困憊だとか……これで貴様らの頼みの綱であるガキ共も動けなくなって貴様らにはこれは不要だろう?」

 

 保脇はホチキスで止めてある資料のようなものを二人に見せびらかすように見せ付けてきた。

 

 凛と蓮太郎にはそれが第三回の警護計画書であることがすぐにわかった。

 

 蓮太郎はすぐさまそれを保脇からひったくると、取られてしまわないうちに頭の中に護衛経路をインプットする。

 

 すると案の定保脇が車から降りて計画書を奪い返すと、もう見えないように計画書を踏みつけた。

 

「何のつもりだ里見蓮太郎! 貴様護衛を降りないというのか!?」

 

 保脇の声に蓮太郎は彼を睨みつけると低い声で言い放った。

 

「ああ、降りねぇよ! テメェらみてぇな無能な護衛官どもに任せていたら聖天子様は絶対に殺されちまうからな!」

 

「貴様ぁ……! 僕達が無能だと!? なめた口をきくとその頭吹き飛ばすぞ!!」

 

 保脇は懐のホルスターからルガーP-08拳銃を抜き放ち蓮太郎の眉間に突きつけるが、蓮太郎もXD拳銃を抜いて保脇の眉間に押し当てた。

 

 ほかの護衛官達も加勢しようと車から降りてくるが、彼らの前には笑顔で漆黒の刀を抜き放つ凛が立ちはだかりやさしい声音で告げた。

 

「今彼に手を出させるわけにはいきません。もし手を出したいのであれば僕を倒してからどうぞ?」

 

 凛は軽々しく言うものの、護衛官達は凛から発せられる研ぎ澄まされた刀のような殺意に動けずにいた。

 

「おい、保脇。アンタ本当にこんな計画書でいくつもりか? また経路がばれるぞ?」

 

「だからそれは貴様らが情報を漏らしたからだろう!!」

 

「ふざけんなッ! 誰がんなことするかってんだ!!」

 

「貴様らの名は既に内部調査で疑わしい人物のトップに出ているんだよ!」

 

「だったらその情報リーク容疑者全員に偽の情報を流すんだな!!」

 

 その言葉が保脇の癇に障ったのか、彼はついにヒステリックな声を上げて銃の引き金に添えていた指に力をこめた。

 

「僕に指図するなぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 その声と共に彼は引き金を思い切り引こうとしたが、蓮太郎が彼の腕を払い、さらに足払いの要領で彼を転ばせた後、ひざで押しつぶすと、保脇はカエルの潰れるような声をもらした。

 

「いいか! 何回だって言ってやるよ! 情報リーク者全員に偽の計画書を流せ! 後のことは俺と凛さんで蹴りをつけてやる!! わかったかこのボケナス!!」




連投してみました……w

とりあえずは二巻の内容が終わるまで恐らくあと三話~四話と言った所でしょうかね。
段々と凛くんの秘密も明らかになってきましたし、これからさらに面白くできればと思っております。

では感想などあればよろしくお願いします。


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第二十一話

 早朝。まだ夜も明けきっていない時間帯に凛は一人で司馬重工へ足を運んだ。

 

 既に未織に連絡を入れているためか、警備員には特に止められることはなくすんなりと中に入ると、未織がいるVR特別訓練室の近くにある別室に行くと、未織は高級そうな椅子に腰を下ろして凛を笑顔で迎えた。

 

「おはようさん。急に話がある言うからちょっと緊張してもうたよ。凛さん」

 

「僕と君の仲で何を緊張することがあるんだい」

 

 未織が色っぽく言うが凛は軽く肩を竦ませた程度で特に気にした素振りは見せなかった。

 

 それに対し未織は「つれへんなー」といいながらカップにコーヒーを注いで凛に手渡した。

 

「零子さんから聞いたで、摩那ちゃんに里見ちゃんのとこの延珠ちゃんみつかったそやなぁ」

 

「うん。幸い二人とも命に別条はなかったよ」

 

「よかったなぁ。ほんで? ウチにお願いってなんなん?」

 

 未織はもう一度座りなおすと凛に投げかえるように手のひらを向けた。凛はそれに頷くと腰に差してある冥光を近場のデスクの上において告げた。

 

「今日の戦いが終わったら恐らくこの冥光は折れると思うんだ。だから、今日の戦いが終わったら……未織ちゃん。冥光を一度溶かして新しい刀を作って欲しい」

 

「……それは司馬重工の腕を見込んでってことでええの?」

 

「いいや、司馬重工の腕もそうだけど、何より未織ちゃんならきっと受けてくれると思ったからさ。それに、未織ちゃんならこの冥光を超える刀を造ってくれると確信しているからだよ」

 

 凛が笑顔を浮かべながら言い切ると、未織は若干気恥ずかしそうに頬を染めたが、すぐに咳払いをすると頷いた。

 

「わかった。そこまで言われたら造らないわけにはいかへんな。けど結構時間かかってまうで?」

 

「構わないよ。未織ちゃんが納得がいくものを造ってくれて」

 

「了解や。ほんなら早速この前とったデータに色々加えて行きながら構想練ってみるわ。そんで、多分ほかにも用事があるんやないの?」

 

 未織はモニタに移るVR特別訓練室のほうを一瞥したあと凛に向き直った。凛もそれに苦笑すると未織に対し肩を竦めた。

 

「さすがわかってらっしゃる……」

 

「フフン。凛さんが考えそうなことなんて大体わかるでー。ほんなら設定はどうする?」

 

「そうだね、設定は狙撃兵で頼めるかな。レベルは∞で」

 

 その凛の要求に未織は待ってましたと言わんばかりに訓練室の設定を開始した。

 

 数分後、設定を終えた未織に言われ凛が訓練室に入ると、周囲が夜の闇に包まれ、凛の周囲には廃墟となったビルが立ち並んでいる。

 

『ほな、始めるけど。準備はいいかえ?』

 

「いつでもどうぞ」

 

 凛がいうとヘッドセットから電子音のナレーションが聞こえ、訓練が始まった。

 

 数分の後訓練が終わったが、その結果に未織は愕然とした。

 

 そして未織は自分がまだ知らぬ凛の力のほんの一片を垣間見た気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 午前六時。

 

 決戦まであと後数時間と迫った時、凛は以前から親交のある禅寺へ行き朝日に照らされながら座禅を組んだ。

 

 呼吸以外で体を動かさず、ただ心神をクリアにするために凛は自然と一体化する。

 

 鼓膜を通して聞こえてくるのは、時折吹く風に揺らされる木の葉の音と、境内にある池に流れる水のせせらぎと鳥の囀りだった。

 

 凛はそのまま微動だにすることはなく、約一時間座禅を組み続けた。

 

「そろそろやめたらどうかいのう。凛坊」

 

 不意に後ろから声をかけられ凛が後ろを振り向くと、そこには禿頭と綺麗にまとめられていた白い髭を携えたやさしげな老人がいた。

 

 彼はこの禅寺の坊主である、修蔭老師だ。断風家とは以前から親交があり、凛が赤ん坊の頃もよく遊んでもらったらしい。

 

 年齢はすでに九十八だと言うが、まったく老いを感じさせることはない。

 

「お前さんのそういうところを見ると、剣星と劉蔵の血を引いていることをおもいだすのう。二人の面影がありよるわ」

 

「そうなんですか?」

 

「ああ。あの二人も何か重大な仕事をする時や、試合の前はよくここで座禅をしとったよ」

 

 どっこいせと凛の隣に腰を下ろした修蔭は「まぁ剣星の場合は珠に言い訳を考えるために来ておったことが多かったがのう」と笑いながら言った。

 

 凛もそれに苦笑を浮かべると輝く朝日を眺める。朝日はとても暖かく、これから数時間後に命をとした戦いを開始するなどとても思えないほどに暖かかった。

 

「凛坊。一体どんな人物と戦うかは知らんが、お主は強い。どんな敵にも負けることはないじゃろう。行くなとか、戦うななどという言葉はかけん。自身の持てる力を持って戦って来い」

 

「……うん」

 

 凛はそれに返答すると足をほどいて禅寺を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕方になり、凛は摩那の病室へ向かった。

 

 病室には眠っている延珠の隣に座る木更に挨拶をした後、既に起き上がってベッドの上で大あくびをしている摩那に声をかけた。

 

「意識が戻ったみたいだね。摩那」

 

「ふぁ~……。うー、んー。ちょっとまだ眠いけどねー」

 

 首をコキコキと鳴らした摩那は大きく伸びをして意識を覚醒させようとする。

 

「そういえば零子さん達は?」

 

「社長なら菫先生と話があるってさー。杏夏と美冬はさっき帰ったよー。もう杏夏なんかわんわん泣いちゃって大変だったんだからー」

 

「杏夏ちゃんには辛い目にあわせちゃったからね」

 

「それにしたって心配しすぎだよねー。私が死ぬわけないじゃんー」

 

 まだ眠いのか目を擦り擦り、語尾をだるそうに延ばしながらしゃべる摩那は頭を振り子のように振っていた。

 

「けどどうして連絡を入れなかったの?」

 

「うーんとね……。あれ? 何でだっけ?」

 

 摩那はボーっとした表情で凛に問うが、凛はそれに小さく噴き出してしまった。

 

 すると摩那は思い出したように手をポンと叩いた。

 

「あーそうだ。延珠ちゃんの匂いが消えそうだったからずっと集中してて連絡する暇がなかったんだったー。ごめんー」

 

「いいよ。けど、次はちゃんと連絡するようにね?」

 

「りょーかいー」

 

 摩那は凛の言葉にゆるゆると敬礼をするとそのまま糸が切れたようにベッドに沈み込んだ。

 

 すぐに彼女から穏やかな寝息が聞こえ、凛は摩那に布団をかけてやる。

 

「摩那ちゃん、本当にがんばってくれたんですね」

 

「そうだね。退院したら好きなもの作ってあげないと」

 

 苦笑しながら言う凛に木更も笑うが、凛はいまだに眠っている延珠を見た。

 

「延珠ちゃんは大丈夫そうかい?」

 

「はい。特に大きな変化もなく、このまま行けば明日には目覚めるでしょう」

 

「そうか、よかった」

 

 凛は微笑を浮かべ胸を撫で下ろすが、木更は心配そうな面持ちで凛を見つめるとそのまま頭を彼の胸板に押し付けるように寄りかかった。

 

 それに対し凛はうろたえる事はせずに彼女の頭を撫でた。

 

「どうしたんだい? 木更ちゃんが僕にこうして来るなんて……」

 

「……凛兄様。里見くんとあのティナちゃんを倒しに行くんですよね?」

 

「そうだね。きっと死闘になるね。どちらが死んでもおかしくはない」

 

 落ち着いた声音で言う凛は木更の肩を持つと彼女を一旦引き剥がそうとするが、木更は凛の胸倉を掴んでいて離れようとしない。

 

「兄様……いまの私にとって兄様と里見くん、延珠ちゃんだけが家族なんです。だから、きっと生きて帰ってきてください」

 

「うん。わかったよ、蓮太郎くんもちゃんと連れて帰る。約束だ」

 

 凛の言葉を聞いた木更は目じりに僅かながら涙を溜めつつも彼から離れると、右手の小指を凛に向かって立てた。

 

「指きりです。嘘ついたりしたら天童式抜刀術の奥義を食らわせます」

 

「それは怖いなぁ。だったら絶対帰ってこないとね」

 

 口元に手を当てて苦笑した凛だが、彼は木更に答えて彼女と指きりを交わした。

 

 凛は指きりを終えると凛は病室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 決戦まであと二時間と迫った時、凛は事務所で夏世と話し込んでいた。

 

「それで凛さんはティナ・スプラウトのシェンフィールドをどうやって突破するつもりなんですか? こう言ってはあれですが、あちらの武装である対戦車ライフルの弾丸を貴方がいくら斬れようと、近づけないことにはとどめはさせませんよ」

 

「うん、それはわかってる。だから一応策は考えているんだけどこれは蓮太郎くん頼みになっちゃうかなぁ」

 

「なるほど、まぁ作戦の詳細を聞いたところで私にはどうすることも出来ませんが、私からちょっとしたアドバイスと言うか予想を言わせてください」

 

 夏世はそう言うと自分のデスクに凛を招いてパソコンのモニタを指差した。

 

 凛がそちらに目を向けると、なにやら動画の再生前なのか真っ暗な画面が広がっていた。凛が見ていることを確認した夏世はマウスをクリックして動画の再生を始めた。

 

 動画はいたって単純なもので、延珠が狙撃されたであろうビルと、その周りを囲むビルを3DCGで造ったものがあり、しばらくそれを見ていると周囲のビルの屋上から延珠が狙撃されたポイントまで赤い線が延び、四つの線が交差したところで動画はとまった。

 

 凛はこれが狙撃のシュミレータだということがすぐにわかったが、夏世は画面を指差して告げた。

 

「今朝方社長から聞かされた狙撃の情報を元に私がシュミレートしたものです。その中で四方向から同時狙撃ということを聞いたので私なりに考えてみましたが、恐らくティナ・スプラウトは複数のライフルを同時に扱えることが出来るのだと思います」

 

「同時に?」

 

「はい。最初は協力者がいるのかもしれないと思いましたが、おそらくそれはないでしょう。人を殺すのに大人数ではばれやすいです。それに四人が息を合わせてライフルを同時に目標へ着弾させる事は不可能でしょう。人にはどうしても自分のクセがありますから。知っていますか? 広大な砂漠で自分で真っ直ぐに歩いているつもりでも、右利きの人は知らず知らずのうちに右へ曲がっていってしまっているそうです。つまり同じところをかなり大回りでグルグルと回っていると言うことになりますね。そして砂漠は常に地形を変えますから目印になるものなどありませんので結局その人は体力を使い果たして、水もなくなり死亡……なんてこともあるようですよ。

 ……んん、話がそれましたね。つまり私が何を言いたいかと言うと、四人同時の狙撃は無理と言うことです。

 そしてそこから考えられることがもう先ほど言った『ライフルを同時に扱っている』ということです。恐らく彼女はシェンフィールドのビットの信号を受け取ることが出来る遠隔操作装置のようなものをライフルに取り付けていてそれを使用することで、四方向からの狙撃を可能にしたのではないでしょうか?」

 

 摩那と同い年とは思えない推理力に凛は驚嘆させられながらも、彼女のモデルがイルカであり、IQもかなりあると言うことを思い出し無理やり納得した。

 

「そして彼女の序列も考えてライフルは彼女が自分で持っているものも含めて四つ以上あるでしょう。それを同時に撃たれた時、貴方に勝算はあるんですか?」

 

 夏世は少しだけ脅すように言うが、声から取るに凛を心配しているようだった。

 

 凛はそれに少しだけ笑みを浮かべると、夏世の彼女を真っ直ぐと見ながら自信に満ちた声で言った。

 

「あるよ。ティナちゃんがどんな芸当をして見せようと、僕は絶対にやられない。いいや、僕だけじゃない。僕と蓮太郎くんはね」

 

「……はぁ。貴方ならそう言うと思っていましたが……まぁいいです。けれど絶対に生きて帰ってきてください」

 

「了解。じゃあそろそろ行ってくるよ」

 

 凛が時計を見ると時計の短針が七を指し示す頃だった。いよいよ後一時間後には決戦が始まるのだ。

 

 そのまま事務所を出た凛は蓮太郎との待ち合わせ場所である病院前に駆けて行った。

 

 そんな彼の後姿を見送りながら夏世は手を合わせて祈った。

 

「……お気をつけて……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 病院の前に辿り着いた凛は正門に背を預けて待っていた蓮太郎に声をかけた。

 

「待ったかい?」

 

「いいや、時間ピッタシだ。……んじゃ行こうぜ」

 

 蓮太郎はそのまま凛と共に歩き出すが、凛が蓮太郎を呼びとめ、彼は蓮太郎にタブレット端末を渡した。

 

「忘れないうちに今渡しておくよ」

 

「あぁ、サンキュ」

 

 蓮太郎は短く礼を言うともらったタブレットを胸ポケットにしまいこむと、今度こそ二人は決戦の地へと歩き出す。

 

 二人の心境はひどく落ち着いており、これから殺し合いが始まるなど微塵も思わせないほど穏やかだった。

 

 しかし、そこで蓮太郎が凛に言葉をかけた。

 

「なぁ凛さん。やっぱり作戦を変えたほうが――」

 

「いいや、作戦は変えないよ」

 

「だけどやっぱりアンタのリスクが高すぎるだろ。やっぱり俺が代わりに」

 

 蓮太郎はなおも食い下がるが、凛はそれに静かに首を振ると蓮太郎の肩を軽く叩いて告げた。

 

「残念ながらティナちゃんを直接止めるには僕では役不足だ。だから、君のほうが向いているんだよ蓮太郎くん」

 

「俺が……」

 

「うん。僕の事は心配しないで、君はただ前だけを見て突き進んで。そしてティナちゃんを止めてあげてくれ」

 

 凛が真っ直ぐと蓮太郎を見ながら言うと、蓮太郎は下唇を噛んだが静かに頷いた。

 

 それを確認した凛は蓮太郎に拳を向けた。蓮太郎もまたそれ頷くと、二人は力強く互いの拳をぶつけ合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 午後八時。

 

 凛は外周区である第三十九区に足を踏み入れていた。あたりはシンと静まりかえっており、凛が一歩を踏み出し道を歩く音が以上に大きく聞こえるほどに静かだった。

 

 周りには玉突き事故で壊れた車や、アスファルトを突き破ってツルや樹木と一体化してしまっているような建造物もある。

 

 しかし、壊れた自動車などから取れる金や白金、パラジウムなどの金属は都市鉱脈などと呼ばれ、周辺に住まう呪われた子供たち『マンホールチルドレン』達の貴重な財源だ。

 

 ……ここにいる子供たちに危害がないようにしないと。

 

 ここに来てまで他人の心配をする凛であるが、ふと彼の携帯が鳴動した。

 

 通話ボタンを押して電話に出てみると、かかってきた相手は案の定と言った相手だった。

 

『一杯食わされましたね。やはりこちらはブラフでしたか』

 

「やぁこんばんは、ティナちゃん」

 

 凛は挨拶をしてみるものの、ティナから帰ってきたのは冷徹な言葉だった。

 

『断風さん。貴方はこれで聖天子抹殺を防いだつもりですか? 会談が行われている会場は頭の中に入っています。今からであれば、貴方の目を盗んで聖天子を殺す事は可能です』

 

 廃墟となったビルのどこかからこちらを見ている狙撃兵の言葉に、凛はくつくつと笑った。

 

『何がおかしいんですか?』

 

「いいや、別におかしくはないんだけどさ。残念ながらティナちゃん。それは僕がさせないよ」

 

『貴方は今の現状がわかっていないんですか? 先日のガトリングガンの一件とは違い、今回は私と貴方の間にはかなりの距離があるんですよ? それを貴方はその細い刀一本でどう埋めるおつもりですか』

 

「さぁそれはどうだろうね。今のところは秘密かな」

 

 凛はクスッと笑いながら近場の上れる建物の屋根に上がった。障害物がなく、狙撃するには格好の場所だろう。

 

 普通であれば狙撃兵相手にこんな場所は選ばないが、凛はあえてここを選んだ。

 

「ティナちゃん。君はとてもやさしいね。さりげなく僕との戦闘を避けようとしているだろう」

 

『残念ながらそうではありません。いちいち貴方の相手をしていては弾薬がもったいないのです』

 

 取り付く島もないさめた返答に凛は肩を竦めたが、そこでふとティナが問うた。

 

『そういえば蓮太郎さんの姿が見えませんね。てっきり二人で来るものだと思っていました』

 

「蓮太郎君には聖天子様の警護についてもらってるよ。万が一のときのためにね」

 

『そうですか。……では早急に貴方を葬り、聖天子を抹殺を成し遂げます』

 

 ティナはそういうと電話を切った。凛は携帯をポケットにしまいこむと冥光を抜き放って大きく深呼吸した。

 

「……決着をつけようか。かわいい狙撃手さん」




対決目前!

果たして刀対ライフルはどちらが勝つのか!
そしてクソ小物である保脇はどうなるのか!!
次回作戦の概要も合わせて明らかに出来ればと思っております。

では感想などありましたらよろしくお願いいたします。


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第二十二話

 ティナは狙撃ポイントから凛の姿を見据えていた。凛までの距離およそ1.5キロ。さらに夜間と言うこともあって普通の人間には人影すらもわからないだろう。

 

 しかし、彼女はフクロウの因子を持つイニシエーターだ。これだけの距離が開いていてもティナにとっては昼間のように凛の姿を捕捉することが出来る。

 

 だが皮肉にもその見えすぎる瞳が今のティナにとっては自身の心を揺らがせる要因となってしまっていた。

 

 ティナの瞳には凛の姿が写っていたが、瞳の中の彼は不適に笑みを浮かべながら抜き放った漆黒の刀で自信が立つ周囲に小さな円を描いたのだ。

 

 そして彼はティナのことが見えているかのように告げた。

 

『僕はこの円から出ずに君の攻撃を防いで見せよう』と。

 

 恐らく声には出していないのだろうが、口の動きを読み取ったティナにはそう見えた。

 

 ……ハッタリじゃない。

 

 重厚な対戦車ライフルの重みを僅かながらその身に感じながら、彼女の頬を一粒の汗が伝った。

 

 だがティナはそれを指の腹で拭うと大きく深呼吸をした後もう一度凛を見据え、彼女は小さく言った。

 

「……望むところです……」

 

 ティナはライフルの引き金を絞った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 凛は視界の端の摩天楼の屋上で小さな火が光るのを凛は見逃さずに、彼は一瞬で飛来した弾丸を両断した。

 

 ギンッ! と言う耳をつんざくような音が聞こえ、凛のすぐ近くで切り裂かれた弾丸が二つ、屋上に突き刺さった。

 

「大体1.5キロか……」

 

 弾丸が飛んできた方向を一瞥した凛は目を閉じる。

 

 ……集中しろ。体全体を自然に溶け込ませて自然と一体化するイメージを持て。

 

 言い聞かせながら凛は心をクリアにする。

 

 澄み切った水面のような静けさを心に持たせながら、凛は第二射が放たれたことを確認し、そちらに向き直るとまたも飛来した弾丸を斬り落とす。

 

 斬った影響なのか刀身に衝撃が伝わり凛の腕を揺らすが、凛はそんなものは気にしない。

 

 そして続けざまに第三射の弾丸が放たれるが、凛はそれを視認せずに風の流れと、弾丸によって切り裂かれる空気の僅かな変動を感じ取ることで確認している。

 

 端から見ると落ち着いて対処はしているが、凛は改めてティナの狙撃能力に驚嘆していた。

 

 ……確実なヘッドショット。寸分狂わず相手の鼻先、そして額を打ち抜く軌道だ。

 

 今まで斬った三発の弾丸の軌道は全て凛の頭を射抜く軌道を描いており、少しでも気を緩めれば一瞬の後に命を狩り取られることだろう。

 

 だが凛に恐怖はない。それだけ今の彼の心は研ぎ澄まされているのだ。

 

 そして打ち出される第四射。決して音が聞こえたわけでも、銃口炎が見えたわけでもない。ただ空気の流れで感じ取ったのだ。

 

 一秒の後に凛の額に寸での所まで迫った弾丸を凛は円の中から出ないように、くるりと回って避けてみせる。

 

 まるで研ぎ澄まされた刀のような、一遍の曇りも見られない鋭敏な空間把握能力があるからこそ出来る神技。

 

 凛は一度大きく深呼吸をすると、ズボンのポケットにしまってある無線機を数回叩く。

 

 ……さて、もうちょっと頑張らないと蓮太郎くんが動けないな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 凛が立つ廃墟から三キロ後方のマンホールの蓋が開き、中から金髪縦ロールの幼女、美冬が顔を出した。

 

 彼女は周囲にティナのシェンフィールドが展開していないことを確認すると、肺いっぱいに空気を溜め込み、先日のように超音波を放射した。

 

 同時に美冬は耳を澄まして音の反響を感じ取る。途中、凛が立っていることや、ティナが放った弾丸、三機のシェンフィールドの位置を補足できたものの、今知るべきなのはそれらではなく、それらを操っているティナを見つけ出すことだ。

 

「見つけた……」

 

 美冬はマンホールを閉じると、下水道へと降りた。

 

 下水道に降り立つと、パソコンを操作している杏夏と落ち着いていられないのかウロウロとしている蓮太郎がいた。

 

「美冬、見つけた?」

 

「ええ」

 

 美冬が頷くと蓮太郎が動きを止めて美冬に詰め寄り、真剣な面持ちで問う。

 

「どこだ? アイツは、ティナ何処にいた?」

 

「私達から見て右手の方角にある大きなビルにそれらしき反応がありましたわ。シェンフィールドのビットと思われる球状の物体は三機。まだこちらには気付いていません。恐らく凛さんの行動を把握しようとしているのでしょう」

 

 美冬の説明に蓮太郎は頷くともう一度凛が考えた作戦を頭の中で反復させる。

 

 凛の作戦とは、まず凛がティナの眼とシェンフィールドを自分のみに合わせるようにする、いわば囮役だ。そしてその隙に美冬の能力でティナの凡その位置を補足。下水道を伝ってティナの近くまで蓮太郎が行き、凛に集中しているであろうティナの背後に回ってホールドアップ。

 

 と言うのが凛が考えた作戦だ。

 

 幸いと言うべきかここ一体の下水道は入り組んではいるものの、崩落はしていないためまだ人間が通れるのだ。

 

 だが、この作戦はかなりの危険性もある。

 

 もしティナが凛の行動に不可解な点を見出せば下水道へシェンフィールドを向かわせるかもしれない。

 

 さらに、凛にも重大な仕事がある。それはシェンフィールドを最低でも二つ壊す仕事だ。

 

 蓮太郎がティナのいるビルに辿り着いたとしても、シェンフィールドが二つ残っていれば、ティナは自身の周りに浮遊させて警戒することも可能となり、蓮太郎が近づくのは容易ではなくなる。

 

 これら全てがそろって初めてこの作戦は大成功と言えるのだろうが、果たしてそううまく行くのだろうか、という感情が蓮太郎の中には渦巻いていた。

 

「大丈夫だよ蓮太郎。凛先輩なら絶対にシェンフィールドを落とせる」

 

 パソコンを操作しながらも蓮太郎に言う杏夏の言葉は凛に対する絶対的な信頼に満ちていた。

 

 蓮太郎もそれを見ると軽く頭を振って雑念を振り払い、杏夏に確認した。

 

「杏夏。ティナがいるビルまでどれくらいだ?」

 

「約4.5キロ。普通のマラソンみたいに行けば十五分くらいかかっちゃうけど、蓮太郎ならもっと早くいけるんじゃない?」

 

 蓮太郎の右足、超バラニウムで出来ている義肢を指差しながら言う杏夏に蓮太郎は頷いた。

 

 杏夏もそれを確認するとパソコンの画面を蓮太郎に見せながら下水道内のルート説明を始めた。

 

「ティナちゃんがいると思われるビルの近くまで下水道は伸びてる。ルートは凛先輩が前もって渡しておいたタブレットの中に入れておいたから、もしわからなくなったときはそれを確認してね」

 

「ああ。了解だ」

 

「それとこれ。暗いからヘッドライトつけて行ったほうがいいよ」

 

 バッグから出したライトを蓮太郎に放り投げた杏夏はさらに続けた。

 

「あとティナちゃんはフクロウのイニシエーターだから――」

 

「近くまで行ったら音を立てるなってことだろ?」

 

「――うん。気をつけて」

 

「おう。じゃあ行ってくる!」

 

 蓮太郎は下水道の中をヘッドライトで照らしながら決着を付ける為に駆けた。

 

 走りながら彼の人工皮膚にひびが入り、中から漆黒の義肢が姿を現す。

 

 ……もう少しだけ待っててくれよ!

 

 蓮太郎は脚部カートリッジの底部を擬似伏在神経内部のストライカーが叩き、炸裂し、空になった薬莢を吐き出す。

 

 同時に脚部スラスターが火を噴き、蓮太郎は衝撃にも似た加速感に見舞われながら下水道内を疾走した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ポケットの中の携帯が振動したのを確認した凛は、打ち出される弾丸の雨を弾き続けていた。

 

 ……蓮太郎くんが動き出したか。

 

 凛は顔には出さずにまたしても飛来した弾丸を斬り落とす。

 

 既に攻撃が始まってから五分ほどがたっただろうか。摩天楼からの攻撃はひっきりなしに続いていたが、さらにもう二方向からも銃弾が飛んできていた。

 

 凛はあせる事はせずに落ち着いた様子で対処していたが、夏世や未織の行っていたとおりだと。少しだけ肩を竦めそうになった。

 

 夏世が事務所で言っていたのもそうだが、ここに来る前に未織から連絡があったのだ。

 

 機関銃を調べたところ、銃には遠隔操作が出来る装置が取り付けられていたらしい。その情報だけで凛にとっては十分であり、夏世が言っていた事が見事に当たったと心の中で彼女を賞賛した。

 

 その時またしても別の方向から銃弾が飛んできたのを察知し、今度はそちらの銃弾を両断する。

 

 瞬間、冥光から自身の腕に嫌な感覚が伝ったのを凛は感じ、冥光の刃を凛は一瞥した。

 

 そこには刀身にわずかながらであるが亀裂が入った冥光があった。

 

 ……マズイな。弾くにはまだ何とかなるけど、大技は一回撃てるかどうか。

 

 そう考えているうちにもまたしても別方向から銃弾が発射され、凛の頭を打ち抜こうとする。

 

 それを頬を掠める様にして避けた凛だが、彼の頬から鮮血が流れでた。

 

 血を拭う暇もなく今度はビルの屋上が光り、銃弾が襲う。

 

 ……今のところわかっている銃の位置は、ビルの屋上とそれを真正面としたときの僕の左上と右下、そして真後ろ。

 

 銃口炎の起きた位置を把握した凛は右下と左上から同時に襲い来る銃弾を、神速の速さで二つとも両断する。

 

 すると、凛の鼓膜にもう何度目かにもなる虫の羽音めいた音が聞こえた。

 

「……来た」

 

 連続で襲い来る銃弾を切り裂きながら凛は目の端で動く黒い球状の物体に気が付いた。

 

 シェンフィールドのビットだ。

 

 数は二機で、凛とはそれなりに距離をとっている場所に旋回しながら浮かんでいる。

 

 恐らくティナはここまでは攻撃が届かないと踏んでいるのだろう。だが凛は僅かに口角を上げて不適に笑った。

 

 ……残念ながらティナちゃん――。

 

「――そこは僕の射程範囲内だ」

 

 凛が言うと同時に凛の真正面のビル。右下、左上、真後ろ、右、そしてビルの十階部分が掃除に光りを放った。

 

 ティナが仕掛けてあるライフル全てから銃弾を発射したのだ。

 

 まさに絶体絶命のこの時凛は真正面を見据えて冥光を構えた。

 

「断風流、陸ノ型――八首龍ッ!!」

 

 叫ぶと同時に飛来する六つの銃弾と、凛の近くで旋廻を続けていたビットに斬撃が奔った。

 

 合計八方に走った剣閃はまさに刹那の瞬間であり、弾丸もビットも一瞬で両断された。

 

 ゴシャッと言う音が聞こえ、凛がそちらを見ると、真っ二つにされたビットが火花を散らせていた。

 

 同時に冥光の刀身が中ほどから音を立てて折れた。

 

 カラン、と乾いた音が響くと、凛は折れた刀身を拾って鞘に収めた。

 

 ……お疲れ様、冥光。

 

 小さく笑みを浮かべた凛はビルの方を見据えて小さく言った。

 

「あとは蓮太郎くんに頑張ってもらおうかな」

 

 凛は自信が佇んでいた屋上をあまった刃で切り裂き廃墟の中へと消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんて人だ。

 

 と、ティナは思った。

 

 自分の瞳に写った人間技を遥かに超えている、まさに神技と言うにふさわしい芸当を目の当たりにした彼女は、凛が廃墟の中に姿を消したのも忘れてただただ驚いてしまった。

 

 しかし、彼女の目にはすぐに冷徹な光が灯り、ティナは大きく深呼吸をした。

 

 ……大丈夫。こちらにはまだビットもある。ライフルもまだ壊されていない。

 

 まだ持ち直せると彼女は立ち上がる。と、同時に彼女の耳に僅かながら人の足音が聞こえた。

 

 ……断風さん? いや、そんな事はないはず。あそこからここまでこの速さでたどり着くなんて事は出来ない。だとすれば――。

 

「――蓮太郎さん?」

 

 ティナが後ろを振り向いてフロアの入り口に目をやると、たいそう疲れた様子の蓮太郎がティナに銃を向けていた。

 

「ティナ。これで積みだ。おとなしく投降しろ」

 

 銃口を向けた状態で緊張した様子で蓮太郎が言うと、ティナは小さく笑みを浮かべて首を横に振った。

 

「断風さんはずるい人ですね。一人で来たなんて嘘をついて……」

 

「あの人はわりと掴めない人だぜ。俺だってわかんねぇよ」

 

 肩を竦めた蓮太郎はティナを見据えるが、ふと彼女は一機のビットを呼びもどし、さらにポケットから二つのビットを取り出して空中に放った。

 

 それを見た蓮太郎は、「やっぱりか」と思った。

 

「予備は持ってたか」

 

「ええ。万が一と言うこともあるので……では蓮太郎さん、今度は貴方が私の相手と言うことですね?」

 

「あぁ、上等だ。かかって来いよティナ!!」

 

 蓮太郎はXD拳銃をホルスターにしまいこむと、腰を低くして戦闘態勢を取る。ティナもビットのカメラアイを蓮太郎に向けながら戦闘態勢に入った。

 

 一瞬の沈黙が二人の間に流れるが、どちらかともなく駆け出した二人はフロアのちょうど真ん中で刺突と閃きがぶつかった。

 

 本来プロモーターとイニシエーターの格闘戦はやってはいけない。それはもちろん百パーセント、プロモーターに勝ち目はないからだ。

 

 序列百位越えのプロモーターなら分からないが、それでも基本的にイニシエーターと戦おうなどと言う気は誰も起こさないだろう。

 

 しかし、蓮太郎は確かな覚悟を持ってティナとぶつかり合った。

 

 ……凛さんたちが繋いだこの機会は逃すわけにはいかねぇ!!

 

 二人の衝突でフロアの窓ガラスが全て割れる。けたたましい音も蓮太郎とティナは気にすることもなく互いから生まれた衝撃で大きく後ろに飛ばされる。

 

 蓮太郎はすぐさま追撃するためホルスターのXD拳銃を抜き放ってティナへ銃口を向ける。

 

 だが、既にティナの姿はなく、蓮太郎は銃を持ったままバックステップをしながら柱の影へと身を隠す。

 

 途端大きくため息をつきそうになるが、蓮太郎はそれをやめた。いや、やめざるをえなかった。

 

 ティナはフクロウの因子を持つイニシエーターだ。超音波を扱う美冬ほどではないにしろ、夜目と獲物を感知するための聴覚は凄まじいものだろう。よって、今のこの状況は彼女の独壇場と言える。

 

 蓮太郎は息を殺すが、そのとき足元に何かが転がる音が聞こえ、彼はそちらに目を向ける。

 

 そこにはピンを抜かれた状態の破砕手榴弾が転がっていた。

 

 考えるよりも早く、蓮太郎の体は手榴弾を蹴飛ばしすぐさま回避行動を取る。

 

 数秒後蓮太郎の後方で爆炎が巻き起こり、埃が舞う。蓮太郎もそちらに眼を向けると煙の中から黒い球体、ビットが蓮太郎を目掛けて突貫してきた。

 

 蓮太郎は歯を食い縛りながら銃弾を放つ。だが、ビットはそれを難なく避けると、蓮太郎の懐に肉薄する。

 

 同時に蓮太郎の背筋に悪寒が走った。

 

 本来であれば敵の情報を察知するはずの機器をこのように扱うという事は、それに相手を殺傷するだけの何かが備わっていると考えていいだろう。

 

 そう、それはつまり自爆だ。

 

 既に懐にまでもぐりこまれた蓮太郎は避けることも出来ず、胸付近でビットが炸裂し、爆発した。

 

 炎熱が肌を焼く鋭くジワッとした痛みに蓮太郎は声を上げそうになるが、爆風の影響で彼は大きく吹き飛ばされ柱に叩きつけられた。

 

 肺から一気に酸素が吐き出され、蓮太郎は苦しめにうめくが、同時に胸の傷が悲鳴を上げる。

 

 刺す様な激痛に顔を歪めながらも、蓮太郎はティナを睨む。彼女は悠然とした状態のまままたしても懐からビットを放り、空中に浮かせた。

 

 その光景を見ている蓮太郎にティナが止めを刺すためかゆっくりと自分のほうに近づいてくるのが確認できた。

 

 それを見つつ、蓮太郎は自身の胸を見た。そこには爆発したビットの欠片が突き刺さっていた。

 

 現代アート風味の面白オブジェにもならない、ただグロテスクなその光景に蓮太郎はため息をつきそうになるが、それすらも痛みが走るためする事は出来なかった。

 

 ……なんて強さだ。

 

 喀血しながらこちらに近づいてくるティナを虚ろな瞳で見返す蓮太郎だが、もはや彼に動く事は不可能だった。

 

 胸の傷からはとめどなく血が溢れ、段々と体に寒さが襲ってきた。

 

 ああ、死ぬのか。

 

 蓮太郎はなんとも情けない気持ちに苛まれながらも、今までの人生で起こったことが脳裏にフラッシュバックするのを感じた。

 

 ……これが、走馬灯ってやつか。

 

 体の力が抜け、どんどんと自分の体が岩のように重くって行くことを感じた蓮太郎だが、そこで誰かに名を呼ばれたような気がした。

 

『あきらめるな! 蓮太郎!!』

 

「……えん、じゅ……?」

 

 しばらく聞いていなかった自分の相棒の声を聞いた気がした蓮太郎は、掻き消えるような声でつぶやいた。

 

 その瞬間、蓮太郎とティナがいるフロアに突如として剣閃が疾走した。同時に二人に襲い来るふわりとした宙に浮く感覚。

 

 浮遊感を感じながらも、蓮太郎は一階下のフロアに折れた刀を鞘に収めている凛の姿を発見した。

 

 ……そうか、凛さんが斬ったのか。

 

 蓮太郎はそのまま凛がティナを無力化してくれるだろうと思ったが、凛はそこで蓮太郎に告げた。

 

「……君がやるんだ。蓮太郎くん……」

 

 瓦礫が崩落する一瞬の言葉であったが、蓮太郎には確かにそう聞こえた。内心で思わず「なんて人使い荒い……」などと思ってしまったが、次の瞬間蓮太郎の瞳に強い光が灯った。

 

 崩落する足場に膝を立てた蓮太郎は真っ直ぐにティナを見据える。

 

 ティナは突然、気配もなくフロアが崩落したことに動揺しているのかまだ蓮太郎の行動に気が付いていない。

 

 これが最後のチャンス。

 

 ティナに出来る最後の隙。

 

 歯をギリッという音が鳴るまでかみ締めた蓮太郎は構えた。

 

「お……ッ! あああああああああああああああああッ!!!!!!!!」

 

 絶叫とも取れるような蓮太郎の雄たけびが轟いた。

 

 同時に彼の脚部から薬莢が吐き出され、スラスターが炸裂し、急加速。

 

 目の前にはだかる瓦礫を突き破った蓮太郎はティナに迫る。

 

 鬼気迫り修羅の表情をした蓮太郎は一切の容赦なく、ティナに体当たりをかます。

 

 天童式戦闘術の三の型九番、『雨奇籠鳥』だ。

 

 減速しない高速の体当たりは相手の内臓をひっくり返してしまうほどのダメーじだろう。

 

 渾身の体当たりにティナは大きく飛ばされ、体が中に浮いた。

 

 だが今の蓮太郎がそれを逃すはずもない。

 

 まだあまるスラスターの推進力を継続した彼は続けて腕を構える。

 

「天童式戦闘術一の型十五番ッ!!」

 

 蓮太郎が叫び彼の腕から発せられた炸裂音。ティナはそれに目を見開く。

 

「『雲嶺毘湖鯉鮒』ッ!!!!」

 

 激烈な破壊力を持つ蓮太郎のアッパーカットがティナが防御用に出したダガーナイフを粉々に砕き、彼女は天井に打ち上げられる。

 

 ティナが先ほどまでいたフロアのちょうど真ん中辺りまで吹き飛んだ。同時に蓮太郎は崩落を続けるフロアの瓦礫を蹴り、またしてもティナに接近する。

 

「天童式戦闘術、二の型四番ッ!」

 

 蓮太郎は飛び上り右足を直角に振り上げた。その際体がギシギシという嫌な音が聞こえたが、蓮太郎は構うことはなかった。

 

 同時に彼は脚部から三発の薬莢を炸裂させる。

 

 蓮太郎の瞳に弱弱しいティナの瞳が写るが、彼は意を決して振り上げた足を振り下ろした。

 

「『隠禅・上下花迷子・三点撃』ッ!!!!!」

 

 まさに全身全霊を駆けた最大級の凄絶たる踵落しがティナに炸裂し、彼女はそのまま一階下のフロアに叩きつけられる。

 

 衝撃がフロア全体に走り、ティナが叩きつけられた部分は陥没し、貫通した。

 

 ビルそのものが崩れて消えるのかと思うほどの崩落が起こったが、数秒後にそのノイズは止んだ。

 

 蓮太郎は構えを説いて残心するものの、それと同時に猛烈なまでの痛みと吐き気が彼を襲った。

 

 思わず足がふら付き前のめりに倒れこみそうになるが、それを凛が受け止めた。

 

「お疲れ様」

 

「……あぁ。やってやったぜ」

 

 ニヤリと笑った蓮太郎はふら付く足で何とか立ち上がると、凛に目配せをする。凛もそれに頷くと凛は蓮太郎に肩を貸して階段を降りる。

 

 階段を下りること八階分、ティナはそこに仰向けで僅かに胸を上下させながら倒れこんでいた。

 

 変な音の息を苦しげに吐きながら蓮太郎を確認した薄目を開けたまま彼に頼んだ。

 

「蓮太郎……さんに……断風さん。とどめをさして、ください。テクノロジーの……塊である、私は……生きていてはいけないんで……す」

 

 蓮太郎はそんな彼女の状態を見ながら菫から聞いた人物、エイン・ランドのことを考える。

 

 話を聞く限り、ランドという男は彼女達イニシエーターの命を歯牙にもかけないような超がつくほどの外道ということが分かる。

 

 もしティナが聖天子暗殺に失敗したときのことを考えて彼はティナに対し自害の命令を立てているだろう。

 

 それに、ここで蓮太郎か凛、どちらかがティナを救ったとしても今度はティナ自身が暗殺対象に切り替わる可能性がある。

 

 どちらにせよ彼女の未来が素晴しく明るいものになるというものは想像はできなかった。もし生き地獄を味あわせてしまうというのなら、ここでこの少女を殺してしまったほうが彼女のためになるのではないか。

 

 蓮太郎はティナをじっと見つめると、凛に視線を送った。それに頷いた彼は蓮太郎を一旦離すと、仰向けの状態のティナを抱きかかえる。

 

「どうして……」

 

「僕と蓮太郎くんは君を殺しに来たんじゃないよ。蓮太郎くんは延珠ちゃんを助けてくれたことにお礼を言うため、僕は……さっき言ったね。君を止めるために来たんだ」

 

 ティナはその言葉が嬉しかったのか、我慢していたものがもれてしまったのか、目から大粒の涙を流した。

 

「……私わからないんです。こんなはずじゃなかったのに、どんどん人生がおかしくなっていって……もうわけが分からなくて」

 

「しゃべんな、傷に障るぞ……」

 

 隣にいる蓮太郎が言うとティナは黙り込んだが、彼女はしばらく凛の胸から顔を離す事はしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長い階段を降りきったところでやっとこもったようなにおいのするビルから外に出ることが出来た。

 

 先ほどの激闘が嘘のように外は静まり返っていた。

 

 ……まずは病院に行かないと。

 

 全てが終わったことを知らせるために杏夏たちに連絡を取ろうと、携帯を取り出した凛だが、ティナが彼を見上げて問うた。

 

「誰か呼ぶんですか?」

 

「うんちょっともう――」

 

 とそこまで言ったところで、凛が抱えていたティナを瞬時に蓮太郎のほうに放った。

 

 彼女は小さく悲鳴を上げ、蓮太郎も驚いていたが、その瞬間凛の眼前で火花が散った。

 

 最初二人は何が起こったのかわかっていないような表情をしていたが、後ろから聞こえた金属質な音に、凛が銃弾を斬ったのだと確信した。

 

 すると、闇の中からルガー拳銃を持った白マントの男、聖天子の護衛官をまとめる隊長である保脇が下卑た笑みを見せながら佇んでいた。

 

「なにをしてるんですか保脇さん」

 

「なにをだと? 簡単だ。貴様らが始末し損ねたその殺し屋を僕が直々に始末してやろうと思ったんだよ。まぁ安心しろ、僕の銃の腕はかなりよくてね。君に傷はつけないつもりだった」

 

 なんとも軽い口調で言う保脇だが、凛は鋭い眼光で保脇を睨みつける。

 

「うん? なんだその目は? 貴様らの不備をこの僕が払拭してやろうと言うのに」

 

 保脇が言うと同時に凛たちの背後から保脇以外の護衛官達が気配もなく現れ、三人を拘束しようと飛び掛る。

 

 蓮太郎とティナは先ほどの戦いで体が動かなかったのか回避は出来ていなかったが、凛はあっという間にそれに反応すると自身を捕まえようとし護衛官のわき腹に冥光の柄尻を叩き込んだ。

 

 護衛官はあまりの激痛に拘束することも忘れてのた打ち回るが、凛はそれを蹴り飛ばした。

 

「蓮太郎くん伏せろ!」

 

 呼ばれた蓮太郎はハッとしてティナを抱き込むように身をかがませた。その上を先ほど凛が蹴り上げた護衛官の一人が通過し、二人を拘束しようとしていた二人にぶつかった。

 

 護衛官達はそれぞれうめき声を上げており、それを見た保脇は憎憎しげな視線を凛に送った。

 

「貴様……僕達にこんなことをしてただで済むと思うなよ! 大体なぜそのガキを助けようとする!? そいつは聖天子様を殺そうとした暗殺者なんだぞ!」

 

「彼女は自ら望んで聖天子様を殺そうとしたわけではありません。断れない状況にあったんです」

 

「それがどうした! 殺し屋の事情なんぞ知るか!! そいつはここで殺す! 審議にかける必要などない!」

 

 その言葉に凛は呆れて者を言えなかったが、次の瞬間、保脇は彼の逆鱗に触れることになる。

 

「大体、僕はそのガキのような『赤目』が大嫌いなんだよ! 汚らわしい以外のなに物でもない! この蛆虫が!」

 

 その瞬間、保脇と護衛官達に上から押しつぶされるような殺気が襲い掛かった。

 

 先ほどまで怒鳴り散らしていた保脇はすぐさま黙りこくった。

 

 ……な、なんだこれは!? あの男の殺気だと言うのか!?

 

 保脇は手にしているルガー拳銃を撃つこともできずに、ただただ冷や汗をかいていた。

 

 凛は光の灯っていない眼で保脇を一瞥したあと、蓮太郎に振り向かずに告げた。

 

「蓮太郎くん。ティナちゃんをしっかり守っていてね」

 

「あ、ああ」

 

 蓮太郎は頷いたが、凛の威圧感に圧倒されかけていた。

 

 凛は再度保脇に向き直ると、ゆっくりとした足取りで近づいていく。

 

「保脇さん、先ほどの発言撤回してください。彼女は『赤目』などと言う名で呼ばれていい存在ではありません」

 

「な、なんだと? 奴らなど使い捨ての道具に過ぎないじゃないか! ただでさえガストレアと同じ存在だと言うのに!」

 

「なるほど、撤回する気はないと……つくづく貴方はゴミヤローですね」

 

 先ほどとは打って変ってにこやかに言ってのけるが、言葉にはかなりの苛立ちが見える。

 

「ぼ、僕がごみだと!? 貴様ぁ! この僕に向かってぇ!!」

 

「ゴミにゴミといって何が悪いんですか? あぁそれとも自分がゴミだと認識されていない? だったら教えてあげますからよぉく聞いてください。貴方は男の癖に嫉妬深くて前髪が気持ち悪くて、眼鏡が似合ってなくて、その白装束が破滅的なまでに気色悪くて、しゃべり方がねっとりしてて、十六歳の聖天子様に欲情している変態インテリヒステリッククソゴミ男なんですよ。分かりましたか?」

 

 全く悪びれていない様子で言う凛だが、それを聞いていた保脇はワナワナと手を震わせながらルガー拳銃を凛の額に押し付ける。

 

「ぶっ殺してやる!!」

 

 彼はそういうと引き金を引こうとするが、その瞬間彼の右手首から先が消失した。

 

「え?」

 

 保脇が疑問符を浮かべて小首を傾げるが、何回見ても彼の手首から先がない。

 

 すると、彼の右の方でドチャっという小汚い音が聞こえ保脇をそちらに恐る恐る目を向けた。

 

 次の瞬間、保脇から聞くに堪えない恐怖の絶叫が聞こえた。

 

「ひ、ひあああああああああああ!? ぼ、僕の手! 僕の右手がぁ!!?」

 

 そう、保脇の視線の先には銃を握ったままの自身の手があったのだ。凛はそれに顔をしかめると、彼の足を払った。

 

 彼はそのまま右手から血を垂れ流しながら尻餅をついた。

 

「うるさいです。ゴミはゴミらしく黙っていてください」

 

 凛は尻餅をついた保脇の顔を乱暴に引っ掴むと先ほどと同じように光の灯っていない目で保脇を見下す。

 

「彼女達は人類最後の希望です。そんな彼女達に守られているということも忘れて彼女達を蛆虫や『赤目』などと……」

 

 凛は拳を握り締めていた。それも手に血が滲むほど強く。それを確認した保脇はやっと凛の殺意がハッタリではなく本気の殺意だと言うことを感じたのがもがき始めた。

 

「や、やめろ貴様! 殺人罪になるぞ!? 序列の降格だってありうるんだぞ!」

 

「だから? 別に僕は序列に思い入れなんてないですし、今貴方をここで葬ることなんてなんとも思いませんよ? だってゴミ処理なんだから」

 

 凛は中ほどから折れた冥光を保脇の首筋に這わせるように突きつけた。その瞬間他の護衛官達が凛に拳銃を向けるが、凛はギラリと光った眼光で護衛官達を睨む。

 

 次の瞬間、護衛官達は皆泡を噴きながら糸の切れた人形のように膝から崩れ落ちた。

 

 それをティナを守るようにして抱きかかえていた蓮太郎は絶句した様子で見ていた。自分達には向けられていないが、護衛官達が味わった殺気はとんでもないものだったのだろう。

 

 凛は護衛官達から視線を戻し保脇を見るが、保脇は足をもつれさせながら逃亡しようとしていた。しかし、そんなことを凛が許すはずもなく、鞘に収まっているもう半分の冥光の刃を取り出すと保脇のアキレス腱を狙って投げつけた。

 

「ギャッ!?」

 

 短い悲鳴を上げて保脇を顔面から倒れこんだ。だが彼はまだ往生際が悪く動かなくなった足を引きずりながら芋虫のように這いならが醜く逃げ始めた。

 

 それを見た凛はやれやれと首を振ると保脇に向かって歩み始めた。

 

 後ろから迫る恐怖の対象に保脇は一刻も早くこの場から逃げ出したいと思いながら逃げる。

 

 だが、あっという間に追いつかれた保脇の背中を凛が踏みつけた。

 

「グエッ」というカエルが潰れたような音の悲鳴を上げた保脇だったが、彼は動くことが出来ずにもがくだけだった。

 

「じゃあそろそろやりますか」

 

 凛は保脇を蹴り仰向けにさせる。そのまま保脇の鳩尾に踵をねじ込むと、保脇は息を詰まらせるが凛はお構い無しに保脇に冥光を突きつける。

 

「安心してください。痛みはないように殺してあげますから」

 

「い、嫌だ! やめてくれ、やめてくれぇ!!」

 

「勝手な人ですねぇ。自分がピンチになったら命乞いですか」

 

「た、頼む! 僕に出来ることならなんでもする! だから命だけは命だけは……!!」

 

 保脇はプライドも何もかもかなぐり捨てて、ただただ凛に命乞いをした。すると凛は爽やかな笑顔を彼に向けた。

 

 保脇もこれで救われたと思ったのだろう。僅かに頬が緩んだが、次の瞬間保脇は更なる恐怖を見ることとなった。

 

「貴方にしてもらいたいことは……今すぐ死んでください」

 

 笑顔のままいう凛だが、保脇にとってはその笑顔がまるで死神が命を刈り取る鎌を持ち上げた時に見せるような、残忍な笑顔に見えた。

 

 凛はそのまま冥光を振り上げると、折れた切先を保脇の心臓目掛けて振り下ろした。

 

「待って下さい!!」

 

 張りのある美しい声が聞こえ凛がそちらを向くと、肩で息をしていた聖天子が二人を見ていた。

 

「斉武さんとの会談は終わったんですか?」

 

「いいえ、ですがそこの保脇さんが独断専行したとのことなので中座して来ました」

 

 聖天子は保脇を指差して言っており、当の保脇はあまりの恐怖からか気絶し口からは泡を吹いており、股間からは失禁までしていた。

 

 それを見た聖天子は嫌悪感たっぷりな顔で保脇を一瞥した後凛に告げた。

 

「凛さん。貴方に人殺しはさせません。その男とあちらの者達は厳正に処罰します」

 

「……聖天子様がそう仰るのであれば僕は貴方に従います」

 

 凛は踏みつけていた保脇から軽やかに降りると折れた冥光を鞘に納めた。

 

 その後聖天子の計らいで蓮太郎とティナ二人分の救急車が呼ばれ、後から合流した杏夏と美冬と共に凛達は救急車に乗り込み病院へ向かった。

 

 長いようで短かった夜の死闘が終わったのだった。




やっぱり決戦となると文字数が多くなってしまいますなぁ……w

最後の方、蓮太郎が決めるところは原作と同じ流れでしたが丸々持ってくるわけには行かないので、文章表現は稚拙ですが私がやってみました。

そして声を大にして言います……
保脇ザマァ!!!!!! 超ザマァ!!!!!! 

……はい、御見苦しいところを見せました。
でもねぇ、保脇とかもういらんキャラですしおすしw

では次話の予告的なものを。
次回はほんわかとした空気を出した後日談をお送りしたいと思います。

感想などありましたらよろしくお願いします。


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第二十三話

 事件から一週間ほどたったある日、天童民間警備会社の面々が黒崎民間警備会社へやってきた。

 

 既に延珠も回復しており快活な笑みを零しながら摩那とハイタッチをしているし、木更の傍らにはティナの姿もあった。

 

 あの後、気絶してしまった蓮太郎の変わりに凛が聖天子にティナのいきさつなどを全て話したのだ。彼女がどういう存在なのか、暗殺は決して彼女の意思ではないことも踏まえて全て。

 

 すると聖天子の計らいでティナは極刑を免れ、木更が彼女を雇ったのだと言う。それを聞いた零子は腹を抱えて笑っていた。

 

 まさか自分の命を狙った者を雇うとは思っていなかったのだろう。

 

 そして、今日蓮太郎たちが訪れたのは凛達に礼がしたいとのことだった。

 

「お礼なんて別にいいのに」

 

「いや……あの時凛さんが囮をしてくれたから俺はティナに勝てたんだ。杏夏や美冬の協力もあったしな」

 

「そんなに気にしないでいいってば。私達も役に立ててよかったし」

 

「ですわね。というか、四人がかりで向かって倒せないほうがおかしいですわ」

 

 美冬は肩を竦めていたが、それを見たティナが凛に問うた。

 

「あの場所にこのお二人もいたんですか?」

 

「うん。マンホールの下、下水道にね。美冬ちゃんはコウモリのイニシエーターだから超音波で君の事を補足して貰ったんだよ」

 

 凛の説明にティナは頷き、美冬は誇らしげに胸を張ったが、そこでティナがジト目で凛を見据えた。

 

「一人で来た。なんて言って蓮太郎さんも含めて三人も連れてきていたなんて……やっぱり貴方はずるい人です」

 

「ティナちゃんだってシェンフィールドのビットを操ってこっちと同じで合計四人だろう? だったら同じじゃないかな」

 

「む……。だけど個々人の強さが全く違います。ビットも自爆は出来ますが貴方にはそれは無意味でしょう」

 

 ティナは眠そうな顔を若干赤らめながら頬を膨れさせた。

 

 凛はそれに苦笑いを浮かべたが、彼女の頭を軽く撫でた。

 

「確かに君の言うとおり、ちょっと大人気なかったね。ごめんごめん」

 

「……わかればいいです」

 

 ティナはぷいっとそっぽを向いていたが、本気で怒ってはいないようだった。

 

 するとそれを見ていた零子がパンと軽く手を叩いて皆に告げた。

 

「さて、それじゃあ例によってみんなお疲れ様って言うことで、どっか食べに行きましょうか。今回は未織ちゃんも呼んでね」

 

「いや、黒崎社長。それはやめたほうが……」

 

 蓮太郎が心配しているのは木更と未織が壊滅的なまでに仲が悪いということだろう。しかし、零子はそれににこりと笑うと、

 

「大丈夫よ。もし何かあったら私が容赦なく二人を外につまみ出すから。ねぇ木更ちゃん、貴女は変な事はしないわよねぇ?」

 

 威圧感のある眼光で零子が木更を見据えると、彼女は一瞬ビクッとしてゆっくりと頷いた。

 

 それを見た蓮太郎は内心で「スゲェ」と思ってしまった。なんといっても木更もこれでそれなりに我侭な所や手がつけられないところもあるのだ。それを一睨みで納得させるとは。

 

 蓮太郎が驚いていると、木更の隣で凛が小さく耳打ちをしていた。

 

「……零子さんのあの目からすると本当だから、喧嘩はしないほうがいいよ」

 

「……善処します」

 

 木更はご飯が食べられなくなる事は嫌なのか、やや俯いて小さくため息をついた。

 

 一方零子はというと未織に連絡を取っているようで携帯を耳に当てていた。

 

 それから数分後、未織との話を取り付けた零子に言われ、皆は以前行った焼肉店へと向かった。

 

 時刻は午後六時半、歩けば三十分程なので食べ始めるのは午後七時となって夕食にはちょうどいいだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 道中、蓮太郎は凛と話していた。

 

「なぁ凛さん。聞いたとは思うけど」

 

「うん。君の序列が上がったんだろう? 確か三百位だっけ?」

 

「……ああ。だけど相変わらずアンタの序列は上がってねぇみたいだな」

 

 蓮太郎は訝しげな視線を凛に送りつつ言うが、凛は肩をやや竦めただけであまり気にしていないようだった。

 

「まぁ今回は最終的にティナちゃんを無力化したのは蓮太郎くんだからさ、序列が上がるのは当たり前だよ」

 

「そうかも知れねぇけど、あれは凛さんや杏夏達の協力があったからこそ成功したんだ。俺一人じゃどうなっていたか……」

 

「いや、例え君一人でも彼女には勝てたよ。きっとね」

 

 凛は前を行く四人の少女のうちの一人、ティナを見ながら言った。既にティナは摩那達と仲良くなったのか楽しげに談笑している。

 

 だが、蓮太郎はまだ引っかかることが終わっていないのか、凛に突っかかった。

 

「凛さん、アンタ何を隠してるんだ? アンタの序列が上がらないのはどう考えてもおかしいぜ。聖天子様に聞いたって何もいわねぇし……教えてくれ凛さん。アンタは一体何者なんだ」

 

「……」

 

 蓮太郎の真剣な声に凛は軽くため息をつくと、蓮太郎に鋭い眼光を向けて小さく言った。

 

「今教える事は出来ないけど。あと少しだけ待ってくれれば僕が言うよ」

 

「どれくらいなんだ?」

 

「そうだねぇ……あと一ヶ月と少しくらいかな。そうしたら話してあげるよ。僕の真実をね。あぁそうだ、そのときは木更ちゃんも呼んでおいてね」

 

 凛の言葉に嘘偽りはなく、蓮太郎はただそれに頷いた。凛もそれを確認すると、もうその話は持ち出さずに前を行く皆に駆け寄った。

 

 蓮太郎は僅かに胸の引っ掛かりを覚えつつも皆の下へ駆けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 焼肉店に着くと既に未織が鉄扇で口元を隠しながら凛達を待っていた。

 

「あら、未織ちゃん。少し待たせちゃったかしら?」

 

「ううん、待ってへんで。今着いたとこやし、それよりもありがとうなー零子さん。ウチもちょうど息抜きしたかったんよー」

 

 未織は柔和な笑みを浮かべながら零子に言うと後ろにいる木更を見ながら一言。

 

「まぁ本当は木更と行くって事に結構悩んだんやけどなぁ」

 

「奇遇ね。私もよ。いくら黒崎社長の計らいといえどもアンタと行くなんて結構な屈辱だわ」

 

 木更も先ほどの零子の言葉は何処へやら、忘れてしまったように未織と視線を交錯させていた。

 

 二人の仲を知っている蓮太郎や凛の間には見えない火花が散っているような気がしてならなかった。

 

 するとティナが蓮太郎の袖を引っ張って小首をかしげた。

 

「あの着物の人はどんな人なんですか?」

 

「あぁティナは会ってなかったよな。アイツは司馬未織。巨大兵器会社司馬重工の社長令嬢で、俺のパトロンで凛さんのとこにも武器を売ったりしてるんだ。ただ、木更さんとは破滅的なまでに仲が悪い。二人がそろったら確実に血の雨が降るな。まぁ今日は黒崎社長が仲介になってるからそこまでひどくはねぇけど」

 

「つい先日などすごかったんだぞ。アパートの中で二人が戦い始めたのだ! こじんてきには未織のほうに勝ってもらってもよかったのだが……」

 

 蓮太郎の話を聞いていた延珠が自身の胸をさすりながら難しい顔をしていたが、そこで木更たちのほうから殴られるような音が聞こえた。

 

 皆がそちらに目をやると、いがみ合っていた二人の間に入った零子が二人に拳骨を放っていた。

 

「まったく……仲が悪いのは知ってるけど、もうちょっと抑えなさいな。今日は任務で疲れたみんなを癒すための慰労会なんだから」

 

「うぅ……零子さん痛いー」

 

「……この年で拳骨をもらうことになるなんて……」

 

 二人は殴られた頭を摩りながら目じりに涙を溜めていた。恐らく相当強く拳骨を落とされたのだろう。

 

「二人を呼んだ私にも非はあるとは思うけど、貴方達も十六歳なら自制することを覚えなさいね」

 

「「はーい」」

 

 ここだけはなぜか二人仲良くハモッた木更と未織だったがすぐに睨みこそしないものの、互いのことをジト目で見ていた。

 

 零子はそれにため息をつきつつも店の中へ入っていく。それに続いて皆入っていくが、未織と木更は放って置くといつまでも睨みあっていそうなので、蓮太郎は木更を、凛は未織を抱えて中へ入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 テーブルについても木更と未織のにらみ合いは収まらなかっため、二人を同じ網がある場所には座らせず、別々の網にしてひとまずは安心となり、慰労会が始まった。

 

 皆好き好きにメニューを見て注文しており、あっという間にテーブルの上は肉や料理でいっぱいになった。

 

 すぐに肉の焼ける芳しい香りがして肉が飛ぶように消えていく中、未織は端で掴んだカルビを凛に差し出した。

 

「はい、凛さん。あーん」

 

「え? い、いいよ未織ちゃん、僕は一人で食べられるから」

 

「何いうとんの。気にせず食べてええんやで? そ・れ・にぃ、凛さん断ったら新しい刀つくらへんよ?」

 

「……それってもはや脅迫」

 

「んー? なんか言うたー?」

 

 未織は威圧感たっぷりな笑顔を向けたまま凛に肉を差し出す。凛はそれに渋々ながらも頷くと未織が差し出した肉を口に運んだ。

 

「おいしい?」

 

「うん、おいしいです……」

 

 もはやそう言うしかなかった。

 

 だが、それを見ていた凛の左隣に座っていた杏夏が首を引っ掴むと、無理やり自分のほうを向かせた。

 

 一瞬グキッという骨が軋むような音が聞こえたが、凛はそれを気にしないようにした。

 

「り、凛先輩! 私のも食べてください!」

 

「杏夏ちゃんまで……いったいどうし」

 

「い・い・か・ら! 食べるんです!!」

 

「……はい」

 

 未織とはまた違った威圧感を向けられながら凛はこちらの肉もいただいた。

 

 杏夏はそのとき得も言われるような顔をしていたが、凛はそれを見る余裕もなく、肉を租借するだけだった。

 

「ど、どうですか?」

 

「うん、おいしいと思うよ。焼き加減もばっちりだね」

 

「そ、そうですか! ありがとうございます! じゃあもう一つどうぞ……」

 

 杏夏がそう言ってまた肉を差し出したとき、またしても未織が凛を振り向かせた。

 

「凛さ~ん。ほらぁこっちも食べごろやでー」

 

「え、あ、いや未織ちゃん……?」

 

 凛が戸惑うのも無理はない、彼女は自分の胸に凛の腕を抱きこんでいたのだ。若干はだけた胸元からは慎ましい胸が若干顔を覗かせていた。

 

 するとそれに対抗するように、杏夏が凛の腕を未織と同じように抱きこんだ。

 

「先輩! こっちのほうがおいしいですよ!」

 

「なに言うとんの杏夏。ウチのほうが肉焼くのうまいにきまっとるやん」

 

「ふ、ふん! 私のほうが上手いよ未織!」

 

「ほぉ言うやないの。そんなら凛さんに食べ比べてもらってどっちが上手いか決めてもらおうやないの」

 

「望むところだよ!」

 

 白熱する二人だが、真ん中に挟まれた凛は成す術がなく呆然としていた。

 

 その後、凛の意見も聞かずに二人の戦いは始まり、凛は肉をたらふく食わされてしまった。

 

 それを見ていた美冬と摩那はただ一言。

 

「お人好し過ぎるのもダメだねぇ(ですわねぇ)」

 

 肩を竦めた二人であるが、未織とはなれ木更と隣同士で座っていた蓮太郎は静かに凛に頭を下げた。場合によっては自分がああなっていたかもしれないと恐怖しながら。

 

 因みにこの会を開いた零子は既にお酒が回り始めていたのか、大爆笑。夏世はそれを見てもため息をつくだけ。

 

 木更に至っては肉を食べるのに夢中でその様子に気がついておらず、ティナはそれを見て面白げに笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぷっ……食べ過ぎた……」

 

 慰労会が終わって家路についていた凛と摩那であるが、凛は胃の辺りを押さえていた。

 

「まったく。いくら二人の薦めだからってもうちょっと強く断ろうよ凛」

 

「しょうがないじゃん……二人の威圧感すごかったんだから……」

 

「まぁ確かにそうだったけどさー」

 

 摩那はやれやれと首を振っていたが、凛は大きくため息をついていた。

 

 やがて家に着いた二人だが、凛は体を落ち着かせるために、ペットボトルのお茶をもってベランダへ出るとそこから夜空を見上げた。

 

 摩那はすぐに風呂に入っていたので至って静かだ。

 

 しばらく凛が虚空を見上げて大きく息をついていると、彼の携帯が震え、凛はそれを取った。

 

 画面を見ると『ティナ・スプラウト』と表示されており、凛は小さく笑いながらそれに出た。

 

「やぁどうかしたかいティナちゃん」

 

『先ほどは大変でしたね。お腹の調子は大丈夫ですか?』

 

「まぁね。やっと落ち着いてきたところだよ。それで、何か用かな?」

 

 凛が聞くと、ティナは少し黙ってまじめな声音で凛に告げた。

 

『断風さん。貴方に話しておきたいことがあります。……私は以前、マスター……エイン・ランドから絶対に相手にしてはいけない剣士の話を耳にしました。なぜ戦ってはいけないかと聞き返したとき、彼はこういいました。「奴はお前が手におえる相手ではない。だから遭遇しても絶対に戦うな」と』

 

「四賢人であるランド氏がそう言うってことはその剣士は相当の使い手なんだろうね。それで、その剣士がどうかしたの?」

 

『その剣士は民警のなかでのトップにも食い込む実力だったそうです。本名までは分かりませんが、二つ名であれば聞いています。その人物の二つ名は「刀神」。エスパーダと呼ばれていたそうです。性別、国籍など全てが不明の謎の民警と言われてもいたようです』

 

 ティナの言葉に凛はやや笑みを浮かべた。

 

 ティナはさらに言葉を繋げる。

 

『……単刀直入に言います。私はその剣士が貴方ではないかと思っています。約1.5キロ離れた私の狙撃をいとも簡単に両断し、なおかつほとんど体にダメージもなく、十メートルは離れていたビットすらも切り裂いたあの技量……到底人間技とは思えません』

 

「……」

 

『断風さん。貴方の序列666位というのには私は疑問を思っています。貴方の実力は明らかにもっと上のはずです……以上のことから私は貴方をその「刀神」ではないかと考えたんです』

 

 ティナの言葉には少しの確信と、疑問がこめられていた。凛はそれをすべて聞き終えると、一度小さく頷いてティナの言葉に答えた。

 

「なるほど。確かに君がそう疑うのは無理もないかもね。……だけどねティナちゃん。真実を知りたいのであればもうちょっとまってくれるかな? まだ僕のことを君に話すわけにはいかない」

 

『それは貴方が自分のことを「刀神」と認めたということですか?』

 

「さぁ、そこはどうだろう。けれど一つ言えるのは……あと少しすれば君が引っかかっている事は全て話すよ。蓮太郎くんや木更ちゃんたちの前でね」

 

『……分かりました。では今日はこれで失礼します。おやすみなさい』

 

「うん。おやすみ」

 

 凛が言うとティナのほうから電話をきった。

 

 携帯をポケットにしまいこみながら凛は空に浮かぶ大きな月を見上げながらつぶやいた。

 

「……もう、隠せないところまで来ちゃったな……」

 

 彼の言葉はとても小さく、そして悲しげだった。




はい連投です。
若干文章が荒いですかねw

これにて神算鬼謀は終了ですかね。
次回からはまだ三巻、炎による世界の破滅には入りません。
凛の秘密を明かす準備をしなくてはいけないので……。
まぁもうほとんど分かってしまったかと思いますが……w

では感想などありましたらよろしくお願いします。


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第三章 炎による世界の破滅+復讐するは我にあり
第二十四話


 灼熱の太陽が東京エリアを煌々と照らしていた。同時に凄まじいまでの熱気で陽炎が出来ている。

 

 その中を半袖の黒いポロシャツに黒の七分丈のパンツを着込んだ凛と、腰まである朱色のタンクトップワンピースにダメージジーンズ風のホットパンツを着ている摩那は茹だる様な暑さの中事務所へ向かっていた。

 

 東京エリアは夏真っ盛りといった感じである。

 

「あっつ……」

 

 隣にいる摩那は服の襟の部分をつまんでパタパタと空気を送り込んで少しでも暑さを和らげようとしているが、仰ぐたびにないに等しい胸がチラチラと見えてしまっており、凛はそれに小さくため息をついた。

 

「摩那。女の子がこんな往来でそんなはしたないことしちゃいけません」

 

「えー、だって暑いじゃん。それとも凛は私の麗しい体に興奮しちゃうのかな?」

 

 悪戯っぽく笑みを浮かべる摩那であるが、凛はそれに肩を竦めながらため息をついた。

 

「残念だけど僕はそっち系の危ない趣味はないよ。小さい子は遊んでいて好きだけど、性的な対象にはならないから」

 

「それって私に魅力がないってこと!?」

 

「いいや、摩那は十分魅力的だと思うよ。ただ、十年後に期待って感じかな」

 

 小さく摩那に笑いかけた凛であるが、摩那は不服げに頬を膨らますと凛の足を軽く蹴った。

 

「あだっ!? いきなりなにすんの!?」

 

「フン! 凛がでりかしーのないこと言うからだもん! えい!」

 

「いたぁ!? ちょ、ちょっと摩那ストップ! 結構痛いって!」

 

 もう一度蹴られて凛は摩那を制しようとするが、摩那は膨れたままゲシゲシと凛の足を蹴り続けていた。

 

「わかった、わかったってば! 君は十分魅力的だって、それにあとで好きなアイス買ってあげるから」

 

 アイスという言葉が耳に入ったのか、摩那は蹴ることをやめて少し考えた後頷いた。

 

「ダッツの売ってる味全部だかんね!」

 

「了解、お姫様」

 

 凛が返答したのを確認した摩那は先ほどとは打って変って意気揚々とした様子で事務所へと向かった。

 

 その後姿を見ながら凛は苦笑すると聞こえない声でつぶやく。

 

「……そういう所はまだまだお子様だねぇ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 事務所に到着すると同時に凛はデスクにつき、摩那は美冬や夏世と話しはじめた。

 

 仕事を開始して数時間、子供達は携帯ゲームの対戦で白熱していたが、大人組みである三人はパソコンを操作していたり、ファイルに目を通したり、電卓を叩いていた。

 

 そんな中、不意に零子が窓の外を見やりながら大きく伸びをした。

 

「それにしても今日は今年一番の暑さだな」

 

 零子はアイスコーヒーを口に運びながら外に広がる光景にため息をつく。

 

「今日の気温は38度らしいですからしょうがないですね」

 

「こういう日は仕事なんかしたくないな。そう思わないか?」

 

「そりゃあまぁ外で仕事してる分にはそうかもしれませんけど……。ウチはエアコンついてるんですから」

 

 凛が言うとおり、事務所内は業務用のエアコンのおかげで寒すぎず、暑すぎず、とてもすごしやすい空間となっていた。

 

 しかし、零子は人差し指を立てると左右に振った。

 

「わかってないな凛くん。こういう暑い日はたとえエアコンが付いていようと働きたくなるものなんだ」

 

「……零子さんもしかしてアイスが食べたくなってませんか?」

 

「大正解だ。よく分かったな」

 

「零子さんが仕事をしたがらないときは相当疲れているときか、甘いものが欲しいときだけですから」

 

 肩を竦めた凛は立ち上がると事務所内にいる皆に聞いた。

 

「ちょっとでアイス屋さんに行って来るから、みんな食べたい味を言ってくれる?」

 

 凛がアイスクリームショップのメニュー表を見せながら聞くとまず始めにリクエストを出したのは子供三人だった。

 

「私チョコミント!」

 

「ではわたくしはカスタードで」

 

「私はオレンジシャーベットでお願いします」

 

 スマホでメモを取り終えると、今度は杏夏と零子に話を振った。

 

「二人はどうします?」

 

「ブラックチョコで頼む」

 

「私は無難なところでバニラで……私も行きましょうか?」

 

「ううん、いいよ。一人で持てるしそれに、女の子はどっちかって言うとこういった太陽の下をなるべく歩きたくないんじゃない? 紫外線的な意味で」

 

 杏夏の申し出を笑顔で返した凛はそのまま事務所から出るが、途端に熱波に襲われてしまった。

 

 それに一瞬顔をゆがめるものの、凛はアイスクリームショップへと足を運んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 目当てのアイスクリームショップは凛たちがよく買い物に行くショッピングモールの中にある。

 

 ショッピングモール内は平日ということもあってさほど込み合ってはいなかったが、それでも人は多いほうだ。

 

 まだ夏休みに入っていないため学生の姿はあまり見られないが、中にはスカートを下着が見えてしまうんじゃないかというほどに上げた女子高生や、派手な髪色をした少年達の姿も見える。

 

 まぁ白髪の凛が言えたためしではないのだが。

 

 アイスクリームショップは列が出来ていたものの、さほど多いほうではなく五分もならんでいればすぐに順番が回ってくるだろう。

 

 凛はそのまま列に入るが、不意に聞き知った声に呼び止められた。

 

「こんにちわ、断風さん」

 

 凛が声のしたほうに目をやるとティナが眠そうな目でこちらを見ていた。

 

「やぁティナちゃん。今日はどうかしたの?」

 

「はい、天童社長とお買い物に来ました。今は天童社長とは別行動中です。断風さんはアイスを買いに?」

 

「うん、この暑さで社長がアイスが食べたくなったらしくてね。ちょうど休憩がてら出てきたんだよ」

 

 ティナは納得したように頷いたが、先ほどからしきりにアイスクリームショップのほうに目を向けていた。

 

 凛はそれに苦笑するとティナに問うた。

 

「買ってあげようか?」

 

「え……いいんですか?」

 

「うん。というか、そんなもの欲しそうな顔でずーっとお店見てれば食べたいんだなってすぐに分かるよ」

 

 凛が手招きするとティナは嬉しげに頬を綻ばせて凛の隣にやってきた。

 

「そういえば断風さん。刀の件、申し訳ありませんでした」

 

「あぁ冥光のことか。謝らなくていいよ、元々痛んでいたのに無理に使った僕が悪いんだし」

 

 ティナに笑いかけながら言う凛だが、ティナは少しだけ首をかしげながら凛に問うた。

 

「あと気になっていたんですが……あの刀は一体誰が造ったんですか? はたから見てもなんとなくすごいオーラだったので」

 

「オーラか……。うん、じゃあアイスを買ったら話してあげるよ」

 

 凛が言うと同時に凛たちの前にいた客が会計を終えて、凛達の番となった。二人は前に進むと凛は零子達に頼まれたアイスと、ティナの分のアイスを購入した。

 

 二人はそのまま近場のベンチに腰掛けると、ティナが軽く一礼をしてアイスを食べ始める。

 

 その様子を一瞥した凛は冥光について話しはじめた。

 

「あの刀、冥光は僕の祖父である断風劉蔵が作った最後の刀なんだ。祖父は剣士である前に刀匠でもあったからね」

 

「なるほど……最後の作品ですか、となると御爺様はすでに?」

 

「うん。四年前、僕が十五のときに死んでしまったよ。まぁそのまえから祖父が作ってた刀は使っていたんだけどね。結局一番使っていたようで使わなかったのが冥光だったよ」

 

 その言葉の意味がよく分からなかったのかティナは首を傾げる。凛はそれに気付くと指を組みながら静かに告げた。

 

「……実を言うと冥光はあまり使いたくはなかったんだ。あの刀は祖父の遺産のようなものだからね、だから使わずに取っておくべきかと悩んでいたんだ。けど、あの冥光以外の刀だとすぐ折れちゃうんだよ。僕の力の影響でね。

 まぁ全く使わなかったわけじゃなくて、たまに使ってはいたんだけどね。けれど、君が来る前に出会った蛭子影胤さん達との戦いの時から常に使うようになったんだ」

 

「それはなぜですか?」

 

「……その頃からガストレアが僕の中で妙に強くなって気がしてきたって言うのもそうだけど、一番の要因は祖父の死と向き合うためだったんだ。

 僕の力に耐えられる冥光だったけどやっぱり物だからね。いつかは壊れると思っていたからあまり気にしていないよ。だから君が気に病む事はないよ」

 

 凛はティナの背中をポンと叩くとそのまま立ち上がった。

 

「さて、じゃあそろそろ戻ろうかな。あんまり待たせるといろいろ怖いし」

 

「はい。お引止めしてすみませんでした」

 

「いや、僕も君と話が出来てよかったよ。じゃあねティナちゃん」

 

 凛は手を振りながらショッピングモールを後にし、事務所へと戻った。

 

 彼の後姿を見送ったティナは先ほどまで自分に対し話をしてくれた凛の瞳を思い出していた。

 

 ……貴方はなんて悲しい瞳をするんですか――。

 

「――断風さん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 凛を見送ったあと、ティナは木更と合流しそのまま帰路に着いた。

 

 その途中、ティナは思い切って木更に凛のことを聞いてみた。

 

「天童社長。貴女は断風さんと兄妹のような関係だと聞きました。そんな貴女から見て断風さんはどんな人ですか?」

 

「え、随分と急ねティナちゃん」

 

「さきほど断風さんとあったので少し話していたんです。それで、少しだけ気になってしまったんです」

 

 ティナの言葉に木更は頷くと凛のことを語り始める。

 

「凛兄様と私は、私が三歳くらいの頃からの付き合いでね。既に凛兄様は七歳でありながら天童流を殆ど扱えていたわ。まさに天才、神童とも言われていたわね。性格は今と変わらず本当に優しくて強い人だったわ」

 

「神童……」

 

 ティナは凛が自分との戦いで見せた神技を思い出して、そう呼ばれているほどの実力があると再確認していた。

 

「それから三年後に私と里見くんはこの体になっちゃうんだけど……今でも思うわ。もしあのガストレアが凛兄様がいるときに襲ってきたら、恐らく私のお父様とお母様死ななくて、里見くんだってあんな体にならなかったんじゃないかって」

 

「では、断風さんを恨んでいるのですか?」

 

「ううん、そんな事ないわ。そう思ったのは本当にそうだったらどうなっていたのかなって話だから」

 

 木更は苦笑すると遠くに広がるモノリスを眺めた。

 

 既に夕暮れ東京エリアを照らしていたが、モノリスはいつものようにただ整然とした様子で立ち並んでいる。

 

「ではもう一つだけ聞いていいですか?」

 

「何かしら?」

 

「……断風さんの祖父である断風劉蔵氏とはどんなお人だったのですか?」

 

「あら、凛兄様ったら劉蔵おじ様のことまで話していたのね」

 

 木更は若干驚いた様子だったが、すぐに笑顔を浮かべた。

 

「劉蔵おじ様は聞いたと思うけど凛兄様の祖父でね、私も何度かあっていたんだけど……四年前に亡くなったわ。死因は病死だって」

 

 そういうものの木更は何処となく病死ということに納得がいっていないようだった。

 

「納得していないようですね」

 

「……少しだけね。劉蔵おじ様は確かに老年ではあったけど、健康を絵に描いたような人だったからちょっとだけ信じられなかっただけなの」

 

 ティナはそれに静かに頷くとそれ以上木更には聞かずにいた。

 

 二人は凛の話を打ち切り、自宅へと戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 深夜。

 

 ベッドに入った凛は自身の手を握ったり開いたりを繰り返していた。

 

 まるで自身の力を確かめるかのようなその仕草だが、その瞬間、凛の瞳に自身の手が血で真っ赤に染まる光景が広がった。

 

「ッ!?」

 

 短く息を呑んでもう一度手を確認する凛の瞳に写ったのはいつもどおりの自身の手のひらだった。

 

 凛はそれに胸を撫で下ろすが、不意にドアがノックされた。

 

「凛、入るよ?」

 

「……うん」

 

 小さく答えると、以前と同じように枕を抱いた摩那が心配そうな面持ちで凛を見つめていた。

 

 彼女はそのまま凛の傍らに寄り添うと、彼の手を取って自身の胸にあてがった。

 

「こんなに震えて、また思い出してるの?」

 

「うん……この季節はどうしてもね。向き合おう向き合おうとは思ってもどうしても心が拒絶するんだ」

 

「凛……」

 

 凛の言葉はとても弱弱しく、まるで親に捨てられた幼子のようだった。

 

 すると摩那は何か決意したのか凛の首に手を回して彼を自身の胸に引き寄せた。

 

 突然起こった出来事に凛は目を白黒させたが、摩那はそんな凛を安心させるように彼の背中を優しく撫でる。

 

「大丈夫だよ、凛。凛ならきっと向き合える。どんなに苦しくても、どんなに怖くても、どんなに辛くても……貴方ならきっと向き合える。

 だけどね、もし一人じゃ辛いって思ったら私がいる。ううん、私だけじゃない。零子さんや夏世、杏夏に美冬、蓮太郎や延珠、木更やティナ。いろんな人が一緒にいるから一人で抱え込まないで、辛かったらぶちまけていいんだよ。それがどんな形であったとしても」

 

 昼間凛をおちょくった少女と同じとはとても思えないほど優しく、そして慈愛に満ちた言葉に凛は瞳を潤ませた。

 

「ありがとう……摩那」

 

「ううん、いいよ。だって私は凛の相棒だもん、パートナーが辛かったら助けるのが相棒の役目でしょ? 凛だって私にそう教えてくれてじゃない」

 

 摩那の言葉を聞くと、凛は彼女から離れて向き合いながら笑顔で頷いた。

 

「そうだったね。うん……そうだった」

 

「うん、顔がいつもの凛に戻ったね! よかったよかった」

 

 摩那は言いながら枕を凛の枕の隣に寄せると、そのまま寝転がった。凛はそれに苦笑するものの彼女の隣に体を寝かせると、摩那と向き合った状態で眠りに付いた。

 

 しかし、なんとなくであるが今のこの光景を第三者が見たら完全に自分は変態扱いされるんじゃなかろうかと思ってしまった凛だった。




はい更新遅れて申し訳ないです。

まぁ今回は特に三巻のための閑話的なものですw
次は恐らくほんわか回でみんなで面白おかしくしたいと思いますw
重くて絶望的な話だと息詰まるしね!
というか三巻四巻は殆ど息詰まるから多少はギャグ回を入れねば……w

最後に摩那に付いて一言……

摩那ちゃんマジ姉ちゃん!

では感想などありましたらよろしくお願いします。


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第二十五話

 土曜の昼下がり。

 

 今日は仕事もないので事務所に行くこともなく、凛と摩那は自宅でのんびりとすごしていた。

 

 凛はソファに座ってハードカバーの厚い本を読み、摩那は天誅ガールズのブルーレイをを貪るように観賞していた。

 

 その時自宅のチャイムが鳴らされた。

 

「摩那、ちょっと見てくるね」

 

「はーい」

 

 摩那は振り向かずに返事だけを返したが、凛は気にすることなく玄関へと向い扉を開けた。

 

「どちらさまでしょうか……って杏夏ちゃんに美冬ちゃん」

 

「こんにちは、先輩。突然お訪ねしてすみません、美味しいケーキを買ったので一緒に食べませんか?」

 

 杏夏の手にはインターネットで話題に上がっているほどの有名店の包みがあった。凛はそれに驚きつつも杏夏に聞き返した。

 

「これってかなり並ばないと買えない所のケーキだよね? いいの?」

 

「もちろんですわ。一緒に食べるために人数分買ってきたのですから。ですわよね? 杏夏」

 

「うん。だから大丈夫です」

 

「そっか、じゃあありがたくもらおうかな。それじゃあ中に入って外暑かったでしょ」

 

 凛が二人を招き入れると、二人は軽く頭を下げて室内へと足を運んだ。

 

 リビングにやってくると摩那がブルーレイディスクを交換しているところだった。

 

「摩那、杏夏ちゃんと美冬ちゃんがケーキ持って来てくれたよ」

 

「ケーキ!? 食べるー!」

 

 ブルーレイをパッケージにしまい終えた摩那は飛び上がって凛の元に駆けて来た。

 

「じゃあグラスに氷を入れてテーブルの上に並べてもらえる? お皿は僕が持っていくから」

 

「りょーかい」

 

 摩那はキッチンへ行くと台を使って食器棚から来客用のグラスを取り出してトレイに乗せると、冷蔵庫の製氷室から取り出した氷をグラスへ入れてテーブルへ運んだ。

 

 凛もまた人数分の皿とフォークを用意して冷蔵庫からアイスコーヒーのボトルと、オレンジジュースのボトルを取り出してテーブルへ置いた。

 

「じゃあ開けるよ」

 

 杏夏が箱を開けると、甘い香りが四人の鼻腔をくすぐった。包みの中にはイチゴのショートケーキ、モンブラン、チーズケーキにチョコレートケーキといった定番のケーキが並んでいたが、どれもとても美味しそうだ。

 

「おー! 私、ショートケーキもらい!」

 

「ではわたくしはモンブランをいただきますわ」

 

 子供二人が取ったのを確認すると、凛は杏夏に手のひらを見せて先に選んでいいと促した。

 

 杏夏はそれに軽く会釈すると、チョコレートケーキを手に取った。凛もそれに頷くと最後にあまったチーズケーキを手に取った。

 

 全員にケーキが行き渡ったのを確認すると、凛はアイスコーヒーを自分と杏夏のグラスに注ぎ、摩那と美冬のグラスにはオレンジジュースを注いだ。

 

「ではいただきます。杏夏ちゃん、砂糖とミルクを使いたかったら好きにとっていいからね」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 杏夏は頷き、その隣では美冬がお上品にケーキを口に運んでいた。それと対照的に摩那はがっついていたが、どこか可愛げのあるがっつき方だった。

 

 その様子を小さく笑みを浮かべながら見守っていた凛だが、ふと杏夏が凛に恥ずかしげに声をかけた。

 

「えと、あの……先輩。食べさせあいっこしませんか?」

 

「うん? 僕は構わないけど二人はどうする?」

 

「ご心配なく、わたくしたちは二人でいたしますので。ねぇ摩那」

 

「ムグムグ……。うん! 私達は二人でやるからそっちも二人で交換してみれば?」

 

 どこか打ち合わせをしたような二人の空気に違和感を覚えつつも、凛は自分がとったチーズケーキを一口大の大きさに斬るとフォークに乗せて杏夏の口元まで運んだ。

 

「はい、杏夏ちゃんから先にどうぞ」

 

「ひゃ、ひゃい! ありがとうございまひゅ!」

 

 杏夏は顔を真っ赤にしつつ凛が差し出してきたケーキをほお張った。

 

 ……あぁやっぱりこれって間接キスだよね!

 

 内心で喜びすぎて味などよく分からなかったが杏夏はとりあえず呑み込むと「お、おいしいですね」と返し、今度は自分のケーキを凛の口まで運んだ。

 

 凛もそれを躊躇することなくいただき、じっくりと味わうと「うん、美味しいね」と笑顔で告げた。

 

 杏夏はその笑顔の凄まじいまでの破壊力に当てられたのか若干胸を押さえていたが、肝心なところで凛はそれを見ていなかった。

 

 その後、ケーキを食べながら談笑したり、食べ終えた後も凛は杏夏と共に仕事のことやガストレアの対処などを話し込んでいた。

 

 摩那と美冬は特に介入してくる事はなく、天誅ガールズをじっくりと見ていた。

 

 あれやこれやと話し込んでいるうちに時刻は既に午後五時となっており、外は茜色に染まり始めたころあいだった。

 

「あ、もうこんな時間……すみません先輩。私達はこれで」

 

「いや、今日はご飯食べていきなよ。今から帰って夕飯の準備をするのはちょっと大変でしょ? 幸い家にはまだ食材があまってるし」

 

「いいんですか?」

 

「うん。僕達の仲じゃないか、遠慮することなんてないよ」

 

 凛が笑いかけると杏夏はすごく嬉しそうに笑った後、美冬の元まで行って夕食をご馳走になる旨を話した。

 

 その様子を優しく見ていた凛であるが、そこで本日二回目のインターホンの鳴る音が聞こえ、凛は玄関へと向かった。

 

 玄関の扉を開けるとほぼ同時に扉の前にいたであろう人間がしなだれかかってきたが、凛はそれを間一髪で避けると、思わぬ珍客に驚いた。

 

「蓮太郎くんに木更ちゃん? それに延珠ちゃんにティナちゃんまで……」

 

 そう、倒れこみながら入ってきたのは蓮太郎たちだった。すると彼らは皆声をそろえてつぶやいた。

 

「腹……減った……」

 

「おぉう……」

 

 その光景に思わず苦い顔をしてしまった凛だが、今度はその四人の上に倒れこむように和服を来た少女、司馬未織が倒れこんだ。その時下にいた蓮太郎からは苦しげな声が聞こえた。

 

「凛先輩? どうかしってうわ!? 何ですかこれ!? 蓮太郎や木更に未織まで」

 

「はぁ……杏夏ちゃん、二人を呼んできてくれる? 五人をリビングまで運ぼう」

 

 凛が言うと杏夏は頷き摩那と美冬を呼びに行った。

 

 再び倒れこんでいる五人に目を落とした凛は小さくつぶやいた。

 

「……合計で九人前か……これだと少し買出しを頼まないといけないな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数分後意識を取り戻した五人に話を聞いたところ、木更とティナは蓮太郎にご飯を作ってもらうために蓮太郎の下を訪れたらしいのだが、蓮太郎たちも食べるものがなかったためどうしたものかと悩んだ末に凛の家に行くことになったらしい。

 

 しかし、あまりにもお腹が空いていたためか最初に木更が倒れ、次にティナが倒れて二人を背負った結果蓮太郎たちのスタミナも底をついて、やっとこさついた時には立つこともままならなかった結果、先ほどのように玄関に倒れこんでしまったらしい。

 

 因みに未織はただ単に流れに乗っただけらしい。

 

「……なるほどね、大体理由はわかったよ。それじゃあここまで来てくれたわけだし、全員分のご飯を作るよ。ただ、冷蔵庫にあるだけの食材だと足りないから、おなか減ってるところ悪いけど蓮太郎くんと木更ちゃん、あと杏夏ちゃんはこのメモにある食材を買ってきてもらっていいかな?」

 

「ああ、わかった。気ィ使わせて悪いな凛さん」

 

「ううん、気にしないでいいよ」

 

 凛が返すと、蓮太郎は木更と杏夏と共に食材の買出しに向かった。

 

 玄関が閉まる音が聞こえ、三人が行ったのを確認すると、凛は未織に告げた。

 

「さて、未織ちゃん。さっきはノリで来たって行ってたけど本当のところは僕に話があったんじゃない?」

 

「お、さすが凛さんやなー。正解や。ちょいと報告があってなぁ。刀のこと何やけど、完成まではあと少しって感じってこと伝えとこ思うてな」

 

「そっか……うん、まぁあまり急がないでいいよ。ゆっくり造ってくれて」

 

「そういってもらえると助かるわぁ。あぁそうや! 摩那ちゃんちょいときてくれるか?」

 

 未織が呼ぶと延珠たちと天誅ガールズを見ていた摩那が未織の元までやってきた。

 

 二人はそのまま摩那の武器のことについて話しはじめたため、凛は蓮太郎たちが帰ってくる前に料理の下ごしらえを始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 凛が下ごしらえを始めて大体一時間後、蓮太郎たちが買出しから戻り本格的な調理が開始された。

 

 始めは蓮太郎も手伝おうとしたのだが、お客さんだからと言うことで凛はそれを断ったのだが、その後蓮太郎は実力の差を思い知らされることとなった。

 

 食材から察するに中華料理を作ろうとしているのだろうが、普段から料理をしている蓮太郎の目から見ても凛の手際のいいこと。

 

 あっという間にエビチリとチンジャオロースーを同時に作り終えた凛は、休むこともなくホイコウロウに麻婆豆腐を調理し始めた。

 

 その光景に蓮太郎たちがあんぐりと口をあけていると、凛が摩那に告げた。

 

「摩那、出来た料理からテーブルに乗せていいよ。あと取り分けるための小皿もよろしくね」

 

「はいはーい」

 

 摩那はすばやく食器棚に向かうと小皿を人数分取り出してテーブルに並べ始めた。

 

 その間に新たに作り始めた二つの料理もパパッと済ませると、それらを盛り付けた皿をこれまた摩那がテーブルへと運んでいく。

 

「みんな先に食べてていいよー。僕はあとチャーハンとスープだけ作っちゃうから」

 

 凛が言うと、皆はそれぞれ席について小皿に凛が作った料理を取っていく。

 

 ただでさえ空腹の蓮太郎たちにとって、目の前に並ぶ料理の香ばしい香りには勝つ事は出来ずに彼らは料理を口に運んだ。

 

 一瞬の沈黙が流れ、蓮太郎たちは箸を静かにおいてただ一言。

 

「「「「「うま」」」」」」

 

 全員の声が重なったのもつかの間、蓮太郎たちは料理をガンガンと口に掻き込みはじめた。

 

「すごいおいしいんやけど!? 凛さんウチの専属シェフになってくれへん!?」

 

「ちょ、何言ってんのよ未織! 凛兄様はアンタなんかに構ってる暇なんかないのよ!」

 

 未織の言葉に木更が反応するが、彼女は麻婆豆腐にがっついていた。その横ではティナも一心不乱に料理にありついている。

 

 蓮太郎や延珠も同じであり、手を休めることなく次々に料理を貪っていく。

 

「……超うめぇ」

 

 同じく家で料理をしている蓮太郎にとっては実力の差を見せ付けられたような気になったが、今はそんな事はどうでもよかった。

 

 皆が料理に満足している光景を見つつ、凛は新たに作ったチャーハンを大皿に盛ると摩那に運ぶように促した。

 

 摩那はそれを受け取るとテーブルに置きに行き、凛は暖め終わったスープを人数分用意してみんなの下へ持っていった。

 

「なぁ凛さん。アンタ中華のほかもやっぱり作れるのか?」

 

 スープを配り終えて席に着いた凛に蓮太郎が問う。

 

「そうだねぇ……とりあえずだけど和食、中華、洋食は大体作れるよ」

 

「ほらねー凛は料理もすごいって言ったでしょ延珠」

 

 自分のことではないのだが誇らしげに胸を張る摩那に対し、延珠は悔しげに歯噛みしていたが、彼女は蓮太郎のほうを見やって告げた。

 

「ふ、ふん! 蓮太郎だってこれぐらい出来るのだ! そうだろう蓮太郎!」

 

「お、おぉ……まぁここまで上手くはできねぇかも知れねぇけど、それなりにはできる……かもな」

 

 延珠の期待の眼差しで見つめられた蓮太郎はしどろもどろになりながら答えた。それを見た未織やティナたちは面白そうに笑っていた。

 

 結局皆あっという間に夕食を食べ終えて食後のお茶を飲みながら談笑していると、未織が「さて」と腰を上げた。

 

「ほんならウチはそろそろ帰るわー。凛さん、夕飯ありがとうな。あともしウチの専任シェフになる気があったらいつでも言ってくれてかまわへんで」

 

 軽くウインクをしながら凛に告げた未織に当の凛は小さく笑うと頷いた。

 

「そうだね、もし民警の仕事がなくなったらそのときは喜んで就職させてもらうよ」

 

「うん、凛さんのそういうとこは大好きや。ほな、また今度な」

 

 未織はひらひらと手を振って凛の自宅を後にした。

 

 その後食べた食器を子供達と共に木更が洗い終えると、今度は蓮太郎が延珠たちに告げた。

 

「んじゃ、俺達もそろそろ行こうぜ木更さん。ほら延珠、ティナ行くぞ」

 

 蓮太郎が声をかけるが延珠とティナは摩那と美冬と共にテレビゲームに夢中だった。

 

「待つのだ蓮太郎! 今すごくいいところなのだ!」

 

「そうです、お兄さんもう少し待っていてください」

 

 夜型のティナにとっては今が本調子であるためか、目はらんらんと輝きながらゲームに熱中していた。

 

「いや、さすがにいつまでも世話になるわけにはいかねぇしよ。そろそろ帰ろうぜって」

 

「ダメなのだ! 今摩那と妾の勝利数が五分五分で一番白熱しているから途中で投げ出せんのだ!」

 

 延珠は蓮太郎の言葉に聞く耳を持たずに言うが、それを見てた凛はどうしたものかと悩んでいる木更と蓮太郎に告げた。

 

「この分だとまだまだ帰れないと思うから、今日は泊まっていくかい? ちょうど明日は日曜だから蓮太郎君たちも学校はないだろう?」

 

「いいのか? なにもかも世話になっちまって……」

 

「そうですよ。本当に大丈夫ですか?」

 

「大丈夫大丈夫、僕達も明日は仕事がなかったから。ねぇ杏夏ちゃん」

 

「はい。え? という事は私も泊まっていいんですか!?」

 

「もちろん。着替えは僕のになっちゃうけどそれでもいいならだけどね」

 

 凛がそう補足したものの、杏夏は間髪いれずにすぐに頷いた。それを見ていた蓮太郎も木更と目を合わせると互いに頷き合って凛に返答した。

 

「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうな。ありがとな凛さん」

 

「気にしないでいいってば。それににぎやかなほうが色々面白いしね」

 

 こうして凛の家に合計六人の来客泊まっていくこととなった。

 

 凛はすぐに立ち上がると、ゲームをしている摩那に一時中断するように言うと部屋に行かせて延珠たちの寝間着に使えそうなものを持ってこさせた。

 

 凛も自室のクローゼットまで蓮太郎たちを招き入れるとラフな服を取り出して木更たちに放った。

 

 リビングに戻ると凛たちはソファに座りながら部屋割りを決めた。

 

「それじゃあ客間は杏夏ちゃんと美冬ちゃんが使って、僕のベッドは木更ちゃんとティナちゃんが使ってね。摩那と延珠ちゃんは摩那のベッドで寝られると思うから。それで、僕と蓮太郎くんはこのソファで寝るっていう形でいいかな?」

 

「凛兄様のベッドを使わせてもらっていいんですか?」

 

「うん、女の子に床で寝てもらうわけには行かないからね。蓮太郎くんはソファでも大丈夫かい?」

 

「ああ、いつもは布団だから全然平気だ」

 

 蓮太郎が頷いたのを確認すると凛は風呂を沸かしに行き、すぐに戻ってくると部屋からボードゲームやトランプのようなものを取ってきてリビングに広げた。

 

「摩那達はテレビゲームに夢中みたいだからお風呂が沸くまで僕達はローカルなジェンガでもするかい?」

 

「あー、懐かしいですね。私結構得意でしたよ」

 

「私はやったことないんだけど……どんなゲームなの里見くん?」

 

「簡単に言うと積んだブロックを崩さないようにするゲームだ。まぁとりあえずは口で説明するよりはやってるのを見たほうが早いと思うぜ」

 

 蓮太郎が言うと凛はジェンガのブロックを積み上げており、それから一分ほどした後ゲームが開始された。

 

 最初は戸惑っていた木更だったが、凛や杏夏達がやるのを見ながらやっているとすぐにやり方がわかったようで、楽しげに遊んでいた。

 

 その後お湯が沸いたころを見計らって杏夏と摩那と美冬が入り、その後に木更と延珠、ティナが一緒に入った。

 

 そして、六人が入り終えた後に蓮太郎が先に入って、一番最後に凛が入る形となった。

 

 全員が入浴し終えると、今度は人生ゲームを楽しむということになり、皆が眠りについたのは夜十時を過ぎてからだった。

 

 

 

 

 

 

 

 皆が眠りについた後、リビングのソファで横になっている凛に蓮太郎が問うた。

 

「なぁ凛さん。アンタの夢って何だ?」

 

「どうしたのさ藪から棒に」

 

「いや、少し気になってさ。凛さんは一体何のためにガストレアと戦ってんのかと思ってさ」

 

 蓮太郎の問いに凛は小さく息をつくと静かに言い放った。

 

「僕の夢は……ガストレアの殲滅。も、そうだけど、一番は摩那みたいな存在の子が誰からも差別されないで安心して生きていられる世界を作ることかな」

 

「……それがどんなに辛い道でもか?」

 

「うん。どんなに辛くて厳しい道のりだとしても……僕は絶対にあきらめないよ。もし全世界の人たちから怒りを向けられようと、僕は絶対に彼女達を救ってみせる」

 

 凛の言葉には確かな重みがあり、それだけの覚悟があるのだということを思わせた。

 

 蓮太郎はただただそのように気丈でいられる凛の心持に感心していた。

 

「アンタ……やっぱりつえーよ凛さん」

 

「……そうでもないよ。……未だに過去とも向き合えていないんだから……」

 

「うん? なんか言ったか?」

 

「いや、なんでもないよ。ほらそろそろ寝よう、明日は蓮太郎くんが朝食を作ってくれるんだろう?」

 

「ああ、そうだな。おやすみ」

 

「うん。おやすみ」

 

 二人は互いに挨拶を交わすと、そのまま眠りについた。




あい、ギャグ回というかほんわか回というかお泊り回というかそんな感じでお送りしました。

さて、いよいよ次回からは東京会戦編が始まります。
凛の過去との向き合いと、力の解放がまっております。
あとは新しい刀ですねw

では感想などありましたらよろしくお願いします。


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第二十六話

 黒崎民間警備会社に勤める千寿夏世の朝は早い。

 

 朝零子よりも早く起きた夏世は、いつものように自室のカーテンを開けて夏の朝日を浴びる。

 

 彼女はそのままテキパキと寝間着から私服に着替えると、歯を磨くために洗面台へ向かった。

 

 途中リビングを通ったが零子はまだ眠っているため、起こさないように抜き足でゆっくりと進みながら洗面所へやってきた夏世は綺麗に歯を磨いた後、軽く顔も洗った。

 

 冷たい水で寝ぼけ眼だった瞳も完全に覚醒すると、夏世はキッチンへ赴き朝食の準備を始めた。

 

 今日の献立はスクランブルエッグにベーコン、そして食パンにサラダという至ってシンプルなものだった。

 

 調理をしていると将監と組んでいた頃はこんな爽やかな朝はなかったな、などと思ってしまってついつい笑みがこぼれてしまう夏世だった。

 

 そして十数分後、あっという間に完成した朝食をテーブルに並べていると昨晩も遅くまで仕事に明け暮れていた零子がぬぼーっとした様子で、ワイシャツ一枚とパンツだけを身にまとった状態のまま自室から現れた。

 

「おはようございます、零子さん」

 

「おはよう……おー、今日もまた美味しそうな朝御飯……毎日済まないな夏世ちゃん」

 

「お気になさらず、では食べる前に顔を洗ってきてはいかがですか? スッキリしますよ」

 

 零子はそれにのろのろとした動きで頷くとふら付きながら洗面所に向かった。それに苦笑する夏世だったが、今日の天気を確認しようとテレビの電源を入れた。

 

 ちょうど今日の天気をお天気お姉さんが伝えているところであり、東京エリアの天気を説明していた。

 

 どうやら今日は終日晴れのようだ。続いて天気予報がエリア内の気温の情報に移り変わったが、ちょうどその時夏世の頭上で洗顔から戻ってきた零子がつぶやいた。

 

「今日も暑くなりそうだな」

 

「そうですね、今日も出来れば何事もなく終わって欲しいものです」

 

 夏世の言葉に零子は肩を竦めると「暑い日は仕事をしたくないものな」などといいながら夏世の向かいに腰を下ろした。

 

「では、いただきます」

 

「いただきます」

 

 二人は朝食を食べ始める。

 

 この時二人は先ほど夏世が言ったように今日も何事もなくことが終わると思っていた。

 

 しかし、朝食を食べ終えいつものように凛達が出社してきて少し経つと同時に、そんな平穏は音を立てて崩れ去ることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど……貴女の話では約一週間後、東京エリアは壊滅すると。そういうことですか?」

 

 暗幕が引かれ、真っ暗な事務所の室内で零子はやれやれと言った様子でため息をつくと目の前のモニタにの中の純白の少女、東京エリア国家元首である聖天子に聞き返した。

 

『はい、何も対策を取らなければ東京エリアは確実に消滅します。こちらを見てください』

 

 聖天子が端末を操作するとモニタの脇に数枚の画像が表示された。そこには無人機が撮影したと思われる漆黒のモノリスがあったのだが、その壁に何か白いカビのような、汚れのようなものがこびりついているのが見て取れた。

 

 さらに写真をスライドしていくと、その白い点はどんどんと広がってやがて点から面となっていく様が見て取れた。

 

『このような形でモノリスの白化は進んでいます。そして、このようなことが出来るガストレアは世界でただ一体……かつてゾディアックガストレア中最強の強さを誇った金牛宮(タウルス)と共に現れたステージⅣのガストレア――アルデバランです』

 

 その名に事務所内にいた全員が顔を強張らせた。

 

『先ほどお見せした写真の白いカビのようなものはアルデバランの能力である、バラニウム侵食液の影響を受けたものです。今はまだあの程度で済んでいますが、いずれ東京エリアの何処からでもモノリスの白化は見て取れるようになるでしょう』

 

「しかし妙です。私もアルデバランの話は聞いたことがありますが、あのガストレアはステージⅣです。モノリスはステージⅤのガストレアには耐えられませんが、ステージⅣまでであれば耐えられるはずです。それなのにどうやって……」

 

 聖天子の話を聞いていた夏世が考え込むが、モニタの中の聖天子は残念そうにかぶりを振った。

 

 彼女もまだそのあたりは把握できていないのだろう。

 

「最終的にアルデバランによって召集されたガストレアの総数はどれくらいになる予測が立っていますか?」

 

『観測上なので断定は出来ませんが……約二千体に上るかと』

 

 凛の問いに答えた聖天子の言葉に一同は皆眉間に皺を寄せる。それもそうだ、二千体のガストレアなど今東京エリアにいる民警や自衛隊をかき集めたとしても対処できるかどうか……。

 

 すると、聖天子が凛に対し張りのある声で告げた。

 

『凛さん、貴方との約束は最低限守るつもりです。しかし、もしもの場合はすぐさま体内のアレの機能を停止し、貴方の力を引き出してもらいますがよろしいですね?』

 

「はい。聖天子様の仰るとおりに僕は従いましょう」

 

 凛の言葉に聖天子は深く頷くと今度はその場にいる全員に言い放った。

 

『ではこの場であなた方にお伝えします。今作戦はアジュバント・システムを用いての作戦となります。アジュバントの説明については……不要のようですね。

 最後に一つ、代替モノリスの到着には最低でも後九日かかります。そしてその三日間民警の皆さんには三十二号モノリスの倒壊ラインからエリアに侵入してくるガストレアを一体も逃さずに撃破、および殲滅をしてください。

 まことに勝手で無慈悲なまでの物言いとは十分承知していますが、どうかお願いします。東京エリアを救ってください』

 

 聖天子は椅子から立ち上がると凛達に向かって深々と頭を下げた。その肩はモニタ越しでも分かるぐらいに震えており、彼女も相当辛いのだということが見て取れた。

 

 零子はそれに小さく頷いた後社員達の顔を見やった。すると皆それに真剣な面持ちのまま静かに頷く。

 

 それは零子の隣にいる夏世も同様であり、零子もそれに頷き返すと聖天子に告げた。

 

「お顔を上げてください聖天子様」

 

 零子に言われ聖天子は顔を上げた。そして零子は彼女に覚悟の籠った決意の言葉を口にした。

 

「その依頼、我が会社全員で受けさせていただきます。そして、確実に代替モノリスの完成までこの東京エリアを守り抜いて見せましょう」

 

 零子の言葉に聖天子は一瞬身を震わせると、安堵したように肩の力を抜き小さくつぶやいた。

 

『有り難うございます、皆さん……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、聖天子との回線を切った零子は凛に暗幕をあけるように促した。

 

 暗幕をあけると夏の凄まじい陽光が目に痛いほど差し込んでくる。窓の外に広がる世界は平和そのもので、今まさに東京エリアが消滅に危機に陥っているなど誰も思っていない。

 

「さて……随分とまずいことになったな」

 

 零子は取り乱す様子もなくアイスコーヒーを飲んでいた。すると、零子の隣に控えていた夏世が零子に頼んだ。

 

「社長、今回の作戦に私も参加させてください」

 

 その発言に凛や杏夏が止めようとするが、零子は凛達を制すると夏世を真っ直ぐと見つめて優しく告げた。

 

「わかった……君を作戦には出そう。だが、絶対に無理はするな。そして今からなまった体を私と鍛えなおすぞ」

 

「……はい!」

 

「いい返事だ。よし、そうと決まれば皆、司馬重工に行くぞ」

 

 零子はいうとスマホを取り出して未織に連絡を取って迎えの車を依頼した。それはあっという間に取り付けられたようで、電話してから三十分後には事務所の前に黒塗りのリムジンが到着した。

 

 そして黒崎民間警備会社の面々はリムジンへと乗り込むが、そこで彼らを迎えるように柔和な関西弁が聞こえた。

 

「いやー、いろいろ大変になっとるみたいやなぁ」

 

 車内にいたのは司馬重工の令嬢の未織本人だった。

 

 彼女も恐らくモノリスのことを聞いているのだろうが、全く動じた様子はなくその瞳はいつものように妖艶な光を持っていた。

 

「悪いわね未織ちゃん。急なお願い聞いてくれて」

 

「なに言うとんの、零子さんとこはウチのお得意様やしこれぐらいは力貸すで~。で、アジュバントの方は凛さんペアと、杏夏ペア、そして零子さんペアできまっとるん?」

 

「そうね、だけど出来ればもう一組入れたいところね。蓮太郎くんのところを入れるとオーバーしちゃいそうだからあと一組……凛くんに杏夏ちゃんはあてとかある?」

 

「いえ、私はないです」

 

 杏夏はかぶりを振って零子と共に凛のほうを見る。すると彼は小さく頷くと未織を見つめた。

 

「未織ちゃん、彼らは今いるかい?」

 

「彼らって言うと……あぁ、あの子らね。なるほどなぁ、確かにあの子らなら凛さん達とでも引けを取らんな」

 

 未織は口元に鉄扇を当ててクスクスと笑ったが、杏夏はまだ合点がいっていないらしく首をかしげていた。

 

 凛の隣では摩那が「彼らってあの二人?」などと言っていたが、杏夏にはさっぱりだった。

 

 すると彼女の傍らで零子が凛と未織のいっている『彼ら』を理解できたのか納得したように頷いている。

 

「零子さん、彼らって?」

 

「あぁ、そういえば杏夏ちゃんはまだ初めてだったわね。まぁ行けばわかるから期待していなさいな」

 

 不適に笑った零子は窓の外に見えてきた司馬重工の本社ビルを見据えた。すると、例の『彼ら』に連絡を取っていたであろう未織は柔和な笑みを浮かべた。

 

「うん、二人ともいるみたいや。凛さんの名前出したらトレーニングルームまで来るようにって言うとったよ」

 

 未織はまたしてもクスッと笑うと傍らにあった刀を凛に放った。

 

「残念ながらまだ新武装は出来てなくてな、それは冥光のデータをベースに作ったバラニウム刀肆式や。強度は冥光よりも若干劣ってるけど大丈夫なはずや」

 

「わかった、ありがとう未織ちゃん」

 

 凛はバラニウム刀を受け取るとそのまま腰に差す。

 

 リムジンはいよいよ司馬重工本社ビルの正面までやってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 凛と摩那は地下にあるVRトレーニングルームとはまた別のトレーニングルームに向かっていた。

 

 零子達は別室で様子を見るとのことで既に姿は見えない。また、凛は先ほど受け取ったバラニウム刀を腰に差していたが、摩那もまた腰にクローを携えていた。

 

「さて、彼らは素直にアジュバントに加わってくれるかな?」

 

「どーだろ、まぁなんとかなるでしょ」

 

 摩那は楽観的に言うと凛もそれに肩を竦めた。

 

 そして、二人はトレーニングルームの扉の前まで辿り着いた。扉は自動的に開くと、凛達を中に招き入れる。

 

 室内は真っ白であり、遮蔽物はまるでない大型の体育館ぐらいはある広さだった。

 

 そのちょうど真ん中に二人の人物が立っていた。

 

 一人は蓮太郎と同い年ぐらいの青年であり、少し眺めの黒髪に若干のウェーブがかかっているのが特徴的で、瞳も気持ちすこし赤いように見える。彼の腰には凛と同じように一本の刀が差されていた。

 

 もう一人は延珠や摩那と同じくらいの背丈の紺碧色といえる髪色をした少女で、彼女の腰にも刀が差されていた。また、彼女の手にはmk-5a5 と見られる銃が二丁握られていた。

 

 すると、青年のほうが入ってきた凛に声をかけた。

 

「よう、久しぶりだな凛」

 

「そうだね澄刃くん、君も元気そうで何よりだ。香夜ちゃんもね」

 

「ええ、お久しぶりや凛さん。摩那も元気そやなぁ」

 

「もちろん! 私は年中元気だよん!」

 

 香夜と呼ばれた少女の問いに摩那はブイサインを作って答えると、香夜も満足そうに頷いた。

 

 彼ら黒霧澄刃(くろきりすみは)天月香夜(あまづきかぐや)は司馬重工の民警部門所属の民警ペアだ。序列は凛より上の500位であり、実力も序列に負けていないほどの力を持っている。

 

「話は未織から聞いたけどよ、俺はあんたらのアジュバントに入るとは言ってねぇからな」

 

「わかってるよ、そのためにここに呼び出したんだろう?」

 

 凛が笑顔で言うと、澄刃もまたニヤッと笑って頷いた。

 

「あぁ、アンタが俺に勝てば俺達はアンタらの傘下に入る。俺が勝ったらアジュバントのリーダーは俺だ。いいな?」

 

「うん、いいよ。じゃあやろうか」

 

 凛が笑顔を見せたままいうと、澄刃もニヤリと笑みを浮かべて隣の香夜を見やる。香夜もそれに頷くと、「いっくぞー」と言いながら屈伸運動をしている摩那を見据えた。

 

「んじゃ、行くぜ凛! 今日こそテメェに勝ってやる」

 

 澄刃は言うと同時に刀を向き放ち凛へと駆ける。それと入れ替わるように摩那も香夜目掛けて突進する。

 

 凛がそれを見送るとほぼ同時に澄刃は肉薄し、逆袈裟切りに斬りつける。しかし、凛はバックステップをして軽々と避けると自身もバラニウム刀肆式を抜いて澄刃の攻撃に備える。

 

 ……さて、以前からどれくらい強くなったかな。

 

 そう思ったのも束の間、澄刃はすぐさまフロアを蹴ると刀を上段から振り下ろした。

 

 凛も至って落ち着いた様子で刀を構えると、強烈な振り下ろしをいとも簡単に防いで見せた。

 

 刀と刀がぶつかった衝撃で火花が煌くが凛と澄刃は気にした風もなく鍔迫り合う。

 

「やっぱこれぐらいは防ぐかよ!」

 

「そりゃあね。けど、随分強くなったじゃないか。さすが序列500位だね」

 

「ぬかせぇ!」

 

 凛の物言いが気に食わなかったのか澄刃は刀を外して大きく後ろに飛び退き、刀を鞘に収めながらもう一度凛を見据えた。

 

 それに答えるように凛もバラニウム刀を鞘に納めて態勢を低くした。

 

「こっからは殺すつもりで行くぞ!」

 

「じゃあ僕もそうさせてもらおうかな」

 

 二人は言うと互いに抜刀の姿勢を取った。




はい、三巻に突入でございます。
東京会戦……やっとここまで来ましたw

今回の話の中で出てきた「黒霧澄刃」と「天月香夜」の二人は私が考えたものではなく、読者様のお一人から「自分の考えたキャラを使ってもらいたい」とのご要望があったので、それにお答えしてみましたw
その読者様が考えたものの初期設定と比べると少々弱体化しておりますが、とても魅力的なキャラですw

では感想などあればよろしくお願いします。


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第二十七話

 二人が居合いの姿勢で睨みあう中、摩那も香夜との戦いを繰り広げていた。

 

 香夜の持っている銃はサブマシンガンだ。連射可能なフルオート、単発で銃撃が出来るセミオートが完備されている。小型であり銃身が短く、取り回しが楽なため警察や軍隊などでも扱われることもある。

 

 以前ティナが天童民間警備会社を襲撃したときに使われたガトリングガンほど破壊力はないにしろ、連射機能はそれだけで十分脅威になる銃器だ。

 

 ……まっ当たらなければ意味ないんだけどねん。

 

 摩那は不適に笑みを浮かべるともう一度フロアを蹴り、速度を上げる。

 

 ほぼ一瞬で香夜まで肉薄した摩那であるが、その瞬間摩那は香夜の目が自身と同じように赤熱し、自身の姿を性格に捉えていたようにキロリと動いたのを目撃した。

 

 同時に今度は回避運動をするために摩那はフロアを強く蹴った。彼女はそのままバク転の要領で数メートル退き、香夜を見据えた。

 

「やっぱ避けるなぁ摩那」

 

 香夜は小さく笑みを浮かべながら言っていたが、彼女の片手には先ほどまでのサブマシンガンではなく黒き刃を持ったバラニウム刀があった。

 

「あっぶな……。そういえばアンタのモデルはイーグルだったね。久しぶりだったから忘れてたよ」

 

「フフ、そうやぁ。ウチのモデルはイーグル……日本語にすれば鷲。鷲の特性はその視力、高速で空を飛びまわって地上にいる獲物を捕らえるその視力を舐めたら痛い目見るで?」

 

 悪戯っぽく笑みを浮かべる香夜であるが、摩那は胸に手を置いて大きく深呼吸をした後、その場に四つん這いになって香夜を見据えた。

 

「なんやその態勢? アンタのモデルは確かチーターやったなぁその真似事かいな」

 

「真似事じゃないよ……。私は今から本物のチーターになる」

 

 その瞬間摩那のくれ真紅の髪が逆立ち、瞳孔がまさにチーターのように細長くなった。

 

 同時に香夜は背筋が凍るのではないかと言うほどの戦慄を覚えた。

 

 ……な、なんやこれ? ちょいシャレにならへんて!

 

「香夜。残念だけどアジュバントに加わってもらうためにこの勝負……私が勝つよ」

 

 冷たく低い声で言い切った摩那の姿が一気に駆け出す。

 

 香夜は頬に汗を流しつつも、サブマシンガンを摩那に向けて発砲。連続で射出される弾丸で銃口からは炎が噴く。

 

 しかし、摩那は迫り来る銃弾を次々に回避していく。その姿を見ると彼女の逆立った髪の毛はまるで舵を取るように左に右に動いている。

 

 野生のチーターは尻尾を何回もの高速ターンで傾かせる。いわば今の摩那のような状態にあるのだ。

 

 摩那がそれを知っているかは定かではない。しかし、彼女の長い真紅の髪はまさしくその役割を果たしているのだ。

 

 その速度は鷲の因子を持つ香夜で何とか視認できるレベルであり、普通の人間から見れば真紅の流星に見えてしまうかもしれない。

 

 そして、全ての弾丸を避けきった摩那は速度をそのままに香夜の首元、頚動脈に黒刃の爪を数ミリを残した状態で這わせた。

 

「う……」

 

「降参……してくれる?」

 

 摩那はいつものような髪を下ろした状態にもどして、笑みを浮かべながら香夜に問うた。

 

 すると彼女は参ったと言う風に持っていた刀と銃を離して両腕を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その光景を目の端で見ていた凛と澄刃は互いに視線を交差させた。

 

「香夜はやられちまったか、相変わらずアンタのイニシエーターはチートじみてんな」

 

「いやいや、香夜ちゃんも十分すごいと思うよ。摩那のあの速度に目が追いついてるんだからさ」

 

「そりゃあ俺じゃなくて香夜本人に言ってやってくれ。んじゃ、俺達も決着付けるかね」

 

 すでに何度か剣戟をぶつけ合った二人であるが、どうやら澄刃はこれで決めるようで腰を下ろす。

 

 凛もそれに頷くと静かに腰を落とした。

 

 二人の間に静寂が流れるが、その沈黙を破るように澄刃が叫び、凛が静かに告げた。

 

「黒霧流抜刀術、一之型一番――竜爪戟(りゅうそうげき)ッ!」

 

「断風流弐ノ型――幽凪(ゆうなぎ)

 

 澄刃が繰り出すは上から切り下ろす形の抜刀術。対し、凛が繰り出すは横に薙ぐ抜刀術。

 

 どちらの剣閃も一瞬ともいえる速さで交わるが、次の瞬間一際高い剣戟音が発せられると同時に澄刃の愛刀、霧黒が吹き飛び壁に突き刺さった。

 

 二人の方に視線を戻せば凛が澄刃の首元にバラニウム刀を突きつけており、いつでも首を落とせる状態になっていた。

 

 すると自分の置かれた状況を理解したのか、澄刃は悔しげな表情をしながら両腕を上げて降参を表した。

 

「参った、俺の負けだ。約束どおり、あんたらのアジュバントに入る」

 

 凛はそれを聞くと笑みを浮かべて頷き刀を鞘に戻すと澄刃に手を差し出した。

 

「じゃあ改めてよろしくね、澄刃くん」

 

「ああ、こちらこそな」

 

 二人が握手を交わすと、それを見ていた摩那たちも駆け寄ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その光景を別室でモニターしながら眺めていた零子達であるが、そこで杏夏が零子に問うた。

 

「零子さん。あの二人と凛さん達って一緒に仕事をしたことがあるんですか?」

 

「過去に一度ね。確か澄刃くんがまだ序列が今よりも低いときに未織ちゃんから合同任務の依頼があってね。そのときは杏夏ちゃんも別の仕事に行ってたから知らないのもしょうがないわね」

 

「確かあん時は海洋ガストレアの討伐やったっけ? 後から澄刃に聞いたら結構苦労したらしいなぁ」

 

「まぁ二人とも近接型だからね。凛くんの話じゃがんばって釣り上げたあと、空中でぶった切ったって言ってたわね」

 

 肩を竦めながら言う零子の話に場にいた全員が笑みを浮かべるが、ちょうどそこに戦闘を終えた四人が戻ってきた。

 

 それを確認した零子は小さく頷くと夏世の背中をポンと軽く叩いた。

 

「じゃあ私達も訓練を始めましょう。杏夏ちゃんもいらっしゃいな」

 

 零子の誘いに三人は一度頷くと別室のVRトレーニングルームへと向かった。するとその背中を見送った澄刃がなんとなくと言う風に凛に問うた。

 

「まだ聞いてなかったけどよ。俺らのリーダーは誰になるんだ? やっぱりアンタか凛?」

 

「ううん、僕じゃなくてリーダーは零子さん」

 

「はぁ!? おいおい、冗談はよせよ。アンタんとこの社長さんの序列はかなり低いじゃねぇかよ。本当に大丈夫か?」

 

「そないなこと言うとると痛い目見るでー」

 

 未織はそういうとトレーニングルームにやってきた零子達の映像をモニタに投影し、零子に呼びかける。

 

「零子さん、射撃訓練でええの?」

 

『ええ、レベルはまぁ適当に決めちゃっていいわ』

 

「了解やー」

 

 零子の返答に軽く答える未織はキーボードを叩いて訓練のレベルを設定していく。

 

「うん、ほんなら零子さん、三十秒後に開始やから準備してなぁ」

 

 未織が言うと零子はモニタの中で小さく頷いて軽く肩を回した後、ホルスターから黒塗りのデザートイーグル二丁を取り出し、大きく深呼吸をした。

 

 そしてカウントがゼロになると同時にアラームが鳴り、トレーニングルームにターゲットが出現する。

 

 同時に零子はターゲットに銃口を向けて引き金を絞る。だが、彼女の目を見ても彼女はそちらに一瞬目線を送っただけですぐさま他のターゲットに目を向けてもう一方の銃でターゲットを粉砕する。

 

 そこからはもう圧倒的なまでの力の蹂躙だった。出現したターゲットを一秒も経過しないうちに沈めて行き、カートリッジが空になれば流れるような手さばきでカートリッジを装填して出現したターゲットを粉砕……。

 

 片目が眼帯で覆われているなどと感じさせないような行動をモニタで見ていた澄刃と香夜はただただ驚嘆に顔を染めていた。

 

「これでも零子さんの下につきたくないかい?」

 

「……はぁ、わーったよ。俺の判断ミスだった」

 

 澄刃は大きくため息をついた後頭をガリガリとかいた。それを見た未織と凛、摩那はおかしげに笑っていた。

 

 すると画面の中でもう一度激しくアラームが鳴って訓練が終了したことを皆に知らせた。

 

 

 

 

 

 

 

『お疲れさん、零子さん』

 

 スピーカーから聞こえる未織の声に零子は静かに頷くと銃をホルスターに収めて大きく深呼吸をした。

 

「ふむ……まぁうまく行ったかしらね」

 

 コキコキと軽めに首を鳴らした零子は安全圏で訓練の様子を見ていた杏夏たちの元へ戻る。

 

「お疲れ様でした、零子さん」

 

「ええ、ありがとう夏世ちゃん」

 

 零子がやってくると同時に彼女の元まで駆け寄ってきた夏世の頭を撫でた。

 

 撫でられたことが気恥ずかしかったのか夏世は少々頬を染めていたが、すぐにいつものように冷静な顔に戻る。

 

「それにしてもすごいですね。片目であそこまでのパフォーマンスが出来るなんて」

 

「まぁ片目で生活することにも慣れてたしね。それじゃあ、この後は各自でトレーニングをしましょうか。夏世ちゃんは私と、杏夏ちゃんは美冬ちゃんと一緒にね。凛くんはどうする? 今日は帰ってもいいのよ?」

 

 零子はこちらをモニタしている凛に問うと、スピーカーから凛の声が聞こえた。

 

『僕達はVRの方を貸してもらいますよ。けど今日は先に帰らせてもらうかもしれませんけどいいですか?』

 

「構わないわよ。あぁそうだ、この場で言っておくわね。未織ちゃんからトレーニングルームは隙に使っていいって言われているから、トレーニングをしたいときは司馬重工に直接来なさい。あと二日もすれば三十二号モノリスの近くに前線基地が設置されるはずだからそのときになったら皆でアジュバントの登録をしにいくわよ。いいわね?」

 

 その言葉に凛と摩那、澄刃と香夜、杏夏と美冬、そして夏世は皆一様に「了解」と言い放つ。

 

 ここに、黒崎民間警備会社と司馬重工民警部門とのアジュバントが結成された。

 

 そして、モノリスが倒壊するリミットは今日を入れてあと七日。いや、六日と半日と言ったところだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから数時間後、凡その訓練と摩那とのコンビネーションをVRトレーニングルームで行った凛は零子たちよりも一足先に司馬重工を後にした。

 

 外に出ると空調の聞いた室内とは違い、ねっとりと絡みつくような熱気が体にまとわりつく。空を見上げると既に空は茜色に染まっていた。

 

 摩那は疲れてしまったのか凛の背中で寝息を立てていたが、凛は嫌な顔をするわけでもなく、家に帰るために歩き始めた。

 

 十数分後、家路についていた凛のスマホが震える。

 

 画面を見ると『里見蓮太郎』と表示されていた。

 

「やぁこんばんは蓮太郎くん。どうかしたかい?」

 

『あぁ、凛さん。アンタも聞いたと思うけどアジュバントのことで相談があってさ。……単刀直入に言う、凛さん。俺のアジュバントに入ってくれないか?』

 

 蓮太郎の声には相当な緊張が走っており、彼自身動揺しているのだと言うことが凛にも感じ取れた。

 

「ごめんね、入りたいのはやまやまなんだけど、僕ももうアジュバントを組んでてさ残念ながら入れないんだ」

 

『そうか……いや、こっちこそ急に電話して悪かった。他を当たってみるよ』

 

「うん、本当にごめん。でも同じアジュバントじゃないからといって共闘しちゃいけないわけじゃない。きっと戦いのときはきっと共闘できる。その時は皆でがんばろう」

 

『ああ、じゃあまたな』

 

 蓮太郎はそういいきると通話を切った。凛もスマホをポケットにしまうと遠く並ぶ漆黒の壁を真剣な眼差しで見据える。

 

「……モノリスの倒壊……か」

 

 彼の小さな呟きは静かなつぶやきは夏の風の中へと溶け込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、朝の報道番組でニュースキャスターが神妙な面持ちで速報を読み上げていた。

 

 内容を要約すればこうだ。

 

 日本に十万人近くいるとされる反『呪われた子供たち』の秘密結社『日本純血会』の東京支部の支部長が『呪われた子供たち』に殺されたらしいのだ。

 

 そして『日本純血会』の厄介なところは政界や各エリアの有力者も多く入会している巨大な結社だと言うことだ。

 

 また、この事件によって会長は残虐かつ野蛮的な方法で糾弾することを表明した。

 

 さらにこの事件がきっかけで聖天子が進めていた骨子の政策である、『ガストレア新法』が参院を通りかけていたと言うのに棄却され、それに代わるように『子供たちから人へのガストレアウィルスの感染の危険の再認とその対策』などという政策が衆院を通ったのだ。

 

 この法案は俗称として『戸籍剥奪法』とされ、これが施行された瞬間摩那や美冬と言ったイニシエーターも含み、『呪われた子供たち』は戸籍を剥奪され、日本国憲法の庇護外におかれてしまうのだ。十歳ほどの少女たちにとってはあまりにも過酷で、そして残酷な法案だった。

 

「凛……」

 

 ニュースを見終わり、摩那が悲しげな面持ちで凛に抱きついた。

 

 凛は彼女を優しく抱き頭を優しく撫でる。

 

「大丈夫……大丈夫だよ摩那。どんなことがあっても君達は僕が守るから」

 

「うん」

 

 肩に摩那の顎が乗っている状態で彼女が頷いたのを確認した凛は、険しい表情で窓の外を睨み付けた。




今回でアジュバント完成です。
それにしても摩那の戦い方激しいですなw

次回は久々の菫先生との問答とかが出来ればいいと思います。
なんというか、三巻から四巻の内容だけで軽く四十話まで行きそうな感じが半端ないですw
凛の力の解放はまーだまーだ先ですw

逃亡犯編どうしましょうかねぇ……

では感想などあればよろしくお願いします


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第二十八話

 ニュースを見終えた凛は摩那を連れて実家へと足を運んだ。ニュースの内容からして『呪われた子供たち』を擁護している実家は『呪われた子供たち』を迫害している人々にとっては恰好の的ではないかと考えたからだ。

 

 幸いと言うべきかまだ実家には反『子供たち』の人々は見られなかった。しかし、やがて多くの人々やってくるだろう。

 

 硬く閉ざされた門を凛が軽く叩くと、くぐり戸の方から珠のものでも時江のほうでもない舌足らずな声が聞こえた。

 

「どちらさまですか?」

 

「凛だよ。開けてくれるかい? 初音ちゃん」

 

 するとくぐり戸の錠が開く音がして凛と摩那はくぐり戸からなかにはいる。

 

 門の前には青みがかった黒髪をボブカットにしている少女が笑顔でおり、凛と摩那の元に駆け寄ってきた。

 

「おかえり、凛兄ちゃんに摩那」

 

「うん。初音ちゃん、ちょっと母さん達のところまで連れて行ってくれるかな?」

 

「はい」

 

 初音は小さく頷くとくぐり戸と門の戸締りを確認した後、凛達を連れて教室になっている道場へ向かった。

 

 道場に着くと、初音は凛達に軽く一礼した後トコトコと自分の席に着いた。

 

 道場内ではいつものように珠が子供たちに授業をしていたが、今朝のニュースがあったからか表情は晴れない。

 

 珠は凛に気がつくとアイコンタクトで道場の隅を見る。そこには難しげな表情ををした時江が小型のモニタをじっと見据えていた。

 

「ばあちゃん」

 

「ん、おう凛に摩那。いい所に来てくれたね。朝のニュースは聞いたね?」

 

 凛と摩那はそれに静かに頷くと、時江と向かい合うように座り込むと神妙な面持ちのまま話を始めた。

 

「やれやれまずい事になったもんだ」

 

「そうだけど、家は何か対策はある?」

 

「確か監視カメラは門と塀の外に結構な数ついてたよね?」

 

「ああ。外を監視する分にゃ問題はない。ただ面倒なのは爆弾を投げ込まれることでねぇ……アタシがもうちょい若けりゃあ同時に十個ぐらいだったら防げたんだがねぇ。いまじゃあ五個が限界だ」

 

 時江は大きくため息をついて自分の拳を握り締める。

 

 彼女が言う爆弾というのはただの爆弾ではなく、爆弾の中に呪われた子供たちに対しての殺傷力を上げるため、バラニウムの破片などが仕込まれた特殊な爆弾のことだ。

 

 以前ここにも数本の爆弾が投げ込まれたが、時江がその全てを蹴り返したり、投げ返したりしたことで負傷した子供たちはいなかったが、その時は放られた爆弾の数が少ないと言うことから何とかなったものの、今回はそれを越えてくる可能性があるのだ。

 

 凛も出来ればここに残って爆弾を防ぎたい気分であったが、来たる戦争に向けての準備もあるのでいつまでもここにいるわけにはいかなかった。

 

「どうするかねぇ……」

 

 顎に指を当てて考え込む時江だが、生憎と凛にもこればかりはどうしようもない。

 

 三人がそれに考え込んでいると凛のスマホが鳴動し、凛はそれを取り出す。画面を見ると『司馬未織』とあった。

 

『もしもし凛さん? 未織やー。今実家おるんやろ?』

 

「そうだけど……ごめん今日の訓練は少し遅れ――」

 

『ちゃうちゃう、電話したんは訓練のことやのうて凛さんの実家のことや。あと数分でそっちつくからちょっと待っててやー』

 

 未織は一方的に連絡を切る。凛がそれに首をかしげていると時江が問うた。

 

「誰だい?」

 

「未織ちゃん。今から来るって言ってたけど……なんだろ」

 

 疑問が凛の胸を渦巻く中、数分後黒塗りの高級車に乗った未織が屈強な男達と共に現れた。

 

「やっほー凛さん。昨日ぶりやなぁ、あと時江さんに珠さんお久しぶりやー」

 

「ええそうね未織ちゃん。ところで、今日はどうしたの?」

 

 未織の言葉に珠が首をかしげると、未織は小さく笑みを零してこちらの様子を観察している子供達をちらりと見ながら告げた。

 

「今日の朝のニュースでいろいろとウチも考えたんよ。多分凛さんの家が狙われてしまうんやないかなーってな? せやからウチなりに策をこうじて見たんよ」

 

 未織が言うと黒服の男達が一歩前に出た。

 

「まさか……」

 

「うん、そのまさかや。今日から凛さんの実家にウチの警備隊の何人かを配備する。なぁに安心してええで、ウチの人選はバッチリやからこの人らはあの子たちみたいな存在に嫌悪感は持ってへんよ」

 

 クスクスと笑いながらいう彼女に呼応するように男達も僅かに笑みを浮かべた。すると時江はそれに肩を竦めると未織に問うた。

 

「だけどただってわけじゃあないんだろう?」

 

「……ご名答や時江さん。実は凛さんの刀のことやねんけど、実は設計はもう出来取るんよ。ただ、バラニウムと合成するための金属がまだ出来てへんのよ。せやからまだ時間かかるってことでな。こっちも刀造るだけのお金はもらっとることやし、今回はお詫びってことで警備隊を配属しよう思ってな」

 

「未織ちゃん……ありがとう」

 

 未織の計らいに凛が頭を下げると、摩那も一緒に頭を下げた。未織はそれにかぶりを振ると周りにいる男たちに告げた。

 

「ほんなら皆それぞれ配置についてくれるか? 暑いからこまめに水分補給して警備してな?」

 

 その言葉に男達は敬礼をするとそれぞれ銃を担いで塀の外へと警備をしに行った。

 

「まぁこれで殆どの連中はちかづかへんやろ」

 

「わるいね、嬢ちゃん」

 

 時江もまた未織に頭を下げるが、未織は気恥ずかしそうに頭をかく。

 

「なんや皆に頭下げられるとちょい恥ずかしいなぁ……」

 

 それに凛達は笑みを浮かべるが、同時にほっと胸を撫で下ろしてもいた。

 

 ……なんとかこれで家は守られるかな、あとは僕達が東京を守らないと。

 

 決意を新たにしていると、またしても凛のスマホが震えた。

 

「はい?」

 

『凛さん! ちょっと頼まれてくれるか!?』

 

 電話の相手は蓮太郎だった、かなり焦っているようだ。

 

「どうしたんだい、そんなに焦って。朝のニュースのこと?」

 

『ああそうだ! それで凛さん……いや、凛さんの実家のほうに頼みがあるんだ! 時江さんいるか!?』

 

「うん、いるけど。代わろうか?」

 

 凛が言うと蓮太郎は「頼む」とだけ答え、凛はスマホを時江に渡す。

 

「ん、どうかしたかい蓮太郎くん」

 

 時江が聞くと蓮太郎が話し始めた。時江はそれにただ頷くだけだったが、数分後「わかった、連れて来い」とだけ言うと通話を切った。

 

「どうしたの?」

 

「少しばかり子供達が増えそうだ。蓮太郎君が言うには外周区でうちと同じように勉強を教えていた子供達がいたらしいんだが、どうやらその子達が襲われるのを懸念してこちらで預かって欲しいみたいだよ。まぁうちに拒む理由なんてないから受け入れたが移動のことも考えて今日の夜来ることになったって話さ」

 

 時江はスマホを凛に投げ返すと珠に告げる。

 

「少しばかり忙しくなるがそれでもいいかい?」

 

「もちろんです! 子供達が増えるのは嬉しいですからね」

 

 珠が笑顔を浮かべて答えたのを小さく笑って返した時江は子供達に事情を説明するためにその場を後にした。

 

 すると未織もまた時間を確認して凛に告げた。

 

「ほんならウチもそろそろ帰るな。刀は全力で作っとるから心配せんでええからね」

 

 軽くウインクをした未織は車に乗り込み、断風家を後にした。それを見送った凛もまた摩那と共に実家を後にしようとするが、それを珠が呼び止める。

 

「凛」

 

「なに? 母さん」

 

「……ガストレア達を倒して、生きて帰って来るんだよ」

 

 珠の目じりにはわずかばかり涙がたまっており、凛のことを心配しているのだと言うことが容易に理解できた。

 

 凛はそれに無言で頷き、珠に笑顔を見せた。

 

「だいじょーぶだよタマ先生! 凛と私は絶対に負けないから!」

 

 彼の手を握る摩那はブイサインを作りながら快活な笑顔を見せた。それを見た珠は目じりにたまった涙を拭って静かに頷いた。

 

 それを確認した凛達は実家を後にした。

 

 

 

 

 凛と摩那の姿が見えなくなるまで珠は心配そうな面持ちのまま彼らを見つめていた。

 

「……どうか、あの子達を守ってください……御爺様、剣星さん……!」

 

 今は亡き義父と夫の名を呼んだ彼女は手を合わせて凛達の無事を祈った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕刻、摩那を司馬重工でトレーニングをしている杏夏達に預けた凛は勾田大学病院の地下室を訪れていた。

 

「急に呼びだしてすまないな凛くん」

 

「いえ、それで用件と言うのは?」

 

 菫から出されたビーカーに入ったコーヒーを受け取った凛は適当な椅子に腰掛けて彼女に問う。

 

 彼女はそれに頷くと先ほどまでの薄い笑みをなくして凛の方を真っ直ぐ見据えて問うた。

 

「凛くん……いやこの場合は『刀神(エスパーダ)』と言ったほうがいいか。君は、この映像を見たことがあるだろう?」

 

 菫はそういうとPCを操作して一つの映像ファイルを再生した。凛もまたそれをじっくりと凝視する。

 

 映像は最初ノイズがひどかったがやがて鮮明になった画面に手術台のようなものに寝かされた状態の化物がいた。

 

 異常なほど膨れ上がった眼球は真っ赤に染まっており、太ももからは三本の足が伸び、左右対称なところなど殆どない醜いものだ。

 

 しかし、唯一わかるのはそれが男性のような体つきではなく、女性的だったもののため女性だろうと言うことだった。

 

 恐らく人間の女性だったであろう化物は真っ赤な眼光を撮影者に向けており、開きっぱなしになった口からは止め処なく唾液が垂れ流しになっており、手術台にしみを残していた。

 

 常人であれば目を背けたくなるような異形の存在だが、凛は全く動じる事はなくその映像を見つめいていた。

 

「アクセス権限レベル十のファイルなのによく入手できましたね」

 

「まぁ政府職員がマシンの操作を誤ってアップロードしたものでね。すぐさま削除されたがキャッシュが残っていたため私が復元したんだよ。……それで、これを知っていると言う事は見たことがあるんだな?」

 

「えぇ。このファイルの名前は『アルディ・ファイル』。確かそろそろ右下あたりに『Devil Virus』って文字が表示されるはずですけど……あ、出ましたね」

 

 凛の言ったとおり映像の右下に『Devil Virus』と言う文字が表示された。しかし、それとほぼ同時に映像がぷっつりと切れてしまった。どうやらここまでのようだ。

 

「なぁ刀神(エスパーダ)これは蓮太郎くんが言っていたことだが、なぜあれは『Devil Virus』なんて名前なんだろうな。あの化物の状態からしてあれはガストレアウイルスで違いはないだろう。なのになぜ我々はアレをガストレアウイルスと呼んでいるんだろうね。元から付いている『Devil Virus』と言う名前でいいだろうに」

 

 菫は凛を試すような声で聞くが、彼はクッと小さく笑みを零して彼女に言い放った。

 

「さぁ? 何ででしょうね」

 

 ガシャン! という耳障りな音を立てて菫が椅子から転げ落ちた。数秒後、彼女は落ちたところを摩りながら椅子に座りなおすと軽く咳払いをしたあと目頭を揉みながら凛に問うた。

 

「……一応聞くが、本当にどういうことか知らないのか?」

 

「はい。残念なことにあの頃の僕は強くなるために必死でしたから。この映像だって聖天子様に見せられただけですし。さすがにどうしてアレが『Devil Virus』なんて呼ばれているかまではわかりません」

 

 あっけからんとした様子で肩を竦めた凛は菫に軽く頭を下げた。それに対し、菫はやれやれと言った様子で首を振るとパソコンの電源を落とした。

 

「まぁ君が知らないと言うのであればそうなのだろうさ。だがさすがと言うかなんと言うか、あそこまで衝撃的な映像で動じないというのも蓮太郎くんとの大きな差だね」

 

「彼もこれを見たんですか?」

 

「ああ。危うく吐きそうになっていたがね。あんなものを見れば仕方ないとは思うが」

 

 コーヒーを一口すすった菫は椅子でくるりと回ると今度は凛のほうをじっくりと見つめて問う。

 

「まぁ用件はこれと後一つ。こちらはどちらかと言うと君の心理的な話になるが……いいかな?」

 

「どうぞ」

 

「うんありがとう。……凛くん、君は『大の虫を生かして小の虫を殺す』と言う言葉を知っているかい? または『小の虫を殺して大の虫を生かす』とかだ」

 

「……ええ、知っていますよ」

 

 凛は菫がこれから言わんとしている事が大体予想できたのか静かに頷いた。すると菫はそれに答えるように頷く。

 

「これは極端な話だが、例えば地球上からガストレアを一掃出来る代わりに呪われた子供たち全員を生贄にするということが起きたら……君はどうする?」

 

「彼女達を守ります」

 

 即答だった。

 

 その言葉に一切の迷いはなく、また一遍の揺らぎも感じられない。

 

「さっきの質問はそういうことだったわけですね。さながら小の虫と言うのは彼女達で、大の虫と言うのは普通の人間達でしょうか」

 

「……あぁそうだ。凛くん、君の考え方は破綻しているよ。いいか? 人は『正義の味方』なんて物にはなれない。同時に『誰もが幸福な世界』なんてのは御伽噺だ。世界には幸福な者と不幸な者がいる、それはガストレアが世界を闊歩する前からあったことだ。

 金持ちの御曹司に生まれ一生裕福に暮らす者。禄でもない親元に生まれ一生を薄汚れた貧民街で過ごす者。今だってそうだろう、彼女達は外周区に追いやられて我々普通の人間はよりエリアの内側で暮らしている。

 格差なんてものは人間がいる限り埋めることができないんだよ。弱いから淘汰され、強いから生きるなんてものは大昔からあったことだ」

 

 菫はまくし立てるように語っていく。

 

「君のやり方は全てを救おうとしている。彼女達もそうだがエリア内にいる人間すらも。もし先ほど言ったようにどちらかの命を天秤にかけなければいけない日がやって来たとき、君が彼女達を守る側に付いていたら、君はきっと地獄を味わうことになるぞ。この世の人間全てから悪意を向けられ、最終的には君もろとも彼女達が殺されるなんて時がやってくるよ。

 君が目指しているのはただの幻想だ。幻想は幻想でしかない、そんなものを現実に出来るのなんて神か悪魔ぐらいさ。

 もう一度言うぞ凛くん。君の考えは破綻しているし、君は正義の味方にはなれない。これは蓮太郎くんにも言ったことだが、私はね君たちのような綺麗事を平気でほざく奴が大嫌いなんだよ。『がんばれば何とかできる』『皆で力を合わせる』……反吐が出るよ」

 

 菫の声は僅かながら震えていた。

 

 彼女もそれだけこの世界の現実を見てきたのだ。今、凛に向けられているのはその経験からいえる言葉なのだ。

 

「答えろ、断風凛。君は何になるつもりだ? もし今言ったような正義の味方なんてものを目指しているなら即刻民警をやめてただの慈善活動家にでもなって二度とここに顔を出さないでくれ」

 

 試すような眼差しで凛を真っ直ぐと見据えた彼女に対し、凛は静かに言い放った。

 

「僕は正義の味方になるつもりはありません。ただ、彼女達を守れればそれでいいです。それに、彼女達を救う事は案外簡単ですよ。世界中のガストレアを全部殺せばいいだけの話じゃないですか。実にシンプルだ。

 それに、その後の世界のことだって菫先生みたいな天才さんがいつかガストレアウイルスを中和できるような薬を作ってくれれば万事解決です」

 

 凛は至って柔和な笑みを浮かべると菫に向かって首をかしげた。

 

 対し、菫は口を半開きにさせたまま固まっていた。しかし、すぐに肩を竦めるとクスッと小さく笑った。

 

「まったく簡単に言ってくれる……。確かにガストレアの掃討なら君や第一位がやれば何とかなるだろうな。しかしガストレアウイルスを中和するワクチンだと? まったく無理難題を言ってくれるね。まぁでも、君のそういう無理やり何かを押し通すようなところは嫌いじゃないよ」

 

 先ほどとは打って変って優しげに微笑む菫に凛もまた微笑みかけるが、そこで菫のスマホがなった。

 

「うん? もしもし……あぁ零子か、何? わかったちょっと待て。凛くんテレビをつけてくれるか?」

 

 菫は凛の近場にあるテレビのリモコンを指差す。凛はリモコンを取ってテレビをつけるとすぐさま現状が把握できた。

 

 画面の中では明日の夕刻から行くことになっている三十二号モノリスが映し出されていた。しかし、明らかにモノリス他のモノリスとはまったく別の装いを見せていた。

 

 白化していたのだ。

 

 すでに隠し切れないほど大きくなった白き毒ともいえるものは視認できるまでモノリスを蝕んでいた。

 

「始まりましたね」

 

「……ああ。そうだな」

 

 零子から凡その事は聞いていたのか菫も硬直したり慌てたりする事はなく、冷静にテレビ画面を見ていた。

 

 画面の中では空撮と思われる録画映像が流れはじめ、モノリスの向こう側にいるガストレアの大群を写しだしていた。

 

 天に向かって咆哮するガストレアたちはこれからたくさんの人間を食えることに興奮している様にも見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モノリス倒壊まであと四日。




はい、今回は実家が何とか救われましたね。
司馬重工ってやっぱり便利……w

凛の考え方は本当に破綻しています。
おそらくどこかの魔術師殺しが聞いたら「綺麗事だ」と言われるか、ガン無視されるでしょうね。
因みに何話だったかで凛がブチギレてますがあれは『呪われた子供たち』に対して非道な行いをしていた人物に対して怒っていたので、それ以外にはあまり怒ってません。
普通にエリアに住む人々を守ろうとする気持ちはありますからw
綺麗事だというのは十分理解していますw

では感想などあればよろしくお願いします。


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第二十九話

 翌日の昼下がり、早々にテントを設置して陣地を得るために訓練を途中で切り上げた、黒崎民間警備会社の面々は新たな仲間である澄刃たちと共に第四十区にある三十二号モノリスから約十キロほど離れた前線基地に向かっていた。

 

 途中まで司馬重工の車に送ってもらったものの、基地まで乗り付けると不用意に目だってしまうため、一キロほど手前のところで降ろしてもらい、現在は歩きで移動中である。

 

 太陽は煌々と照っており、アスファルトは灼熱の熱気を放っていた。そんな中を歩いている一行であるが、澄刃の双肩からはベルトでつられた銃器が入ったコンテナが担がれていた。

 

「あちー……そしておめー……。つーかこれから男臭そうなとこ行くとかマジないわー」

 

 一番後ろを歩く澄刃は気だるそうにしながら手を団扇代わりにパタパタと仰いでいた。

 

 因みになぜ澄刃がこのように銃器が入ったコンテナを担いでいるかと言うと、司馬重工の車を降りる際、未織が「ウチの社員ならお客さんの品物が入ったコンテナを運ぶのは当たり前やでー」となんだが邪悪な笑みを浮かべながら、澄刃に命じたおかげで彼が運ぶことになったのだ。

 

 そんな澄刃を哀れむような視線で軽く見た零子は肩を竦めると小さく行った。

 

「まぁ荷物を運んでもらってるのはありがたいけど、暑いのは皆同じだから我慢しましょうね」

 

「へーい」

 

 零子に言われ渋々頷く澄刃であるが、やはりまだ暑いのかなるべく日陰を選んで歩いていた。それを苦笑しながら一瞥した杏夏は大き目のテントを担いでいる凛に問うた。

 

「先輩、ご実家の方は大丈夫そうですか?」

 

「うん。未織ちゃんが有能な人を派遣してくれたからね」

 

「それを聞くとやっぱり司馬重工ってすごいですよねぇ。兵器の開発や売買だけじゃなくて澄刃や香夜ちゃんみたいな民警部門なんてものを持ってたり、警備隊を持ってたり」

 

 杏夏は改めて司馬重工の規模の大きさを確認したように「うんうん」と頷いていた。

 

 すると、前を行っていた子供達が立ちどまり摩那が凛達を手招きした。どうやら談笑しているうちに前線基地へ到着したようだ。

 

 確かに改めて見ると周囲には屈強な体つきをしたプロモーターや、それにくっつくように付いて来ているイニシエーターの少女達の姿があった。

 

「さて、それじゃあ私と夏世ちゃんはアジュバントの申請をしてくるから貴方達はテントを張って待っててね。夏世ちゃん行きましょう」

 

「はい」

 

 夏世は凛達にぺこりと頭を下げると、零子を追ってタッタと駆けて行った。それを見送った凛は杏夏たちに告げる。

 

「それじゃあ僕達はテントを張れる所を探してちゃちゃっと立てちゃおう。澄刃君あと少しだからちゃんと銃を持ってきてね。テントを張る時は休んでていいから」

 

「わかってんよー。あー……あちィ、さっさとテントで休みたいぜまったく」

 

 澄刃は毒を吐くものの、皆の武器を背負いなおして凛達について行く。

 

 歩いてから数分、凛達の先を行って空いている場所を探しに行った摩那と美冬、香夜が「ここ空いてるよー」指を差しながら凛達に示した。

 

 凛もそれに頷くと彼女達の下に駆け寄りテントを地面に下ろして皆に告げた。

 

「これだけの広さがあれば十分テントを張れるね。よし、それじゃあパパッと張っちゃおう」

 

「「「「おー!」」」」

 

「……疲れた……」

 

 凛が号令をかけると女子四人は高らかに手を挙げたが、澄刃だけは邪魔にならない位置に銃器を置くと、適当な日陰に腰掛けて大きくため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テントを張り始めてから数分、凛がテントを固定するための(ペグ)をハンマーで打ち込む事でテントの設置が完了した。

 

 するとそれを見計らったように零子と夏世が戻ってきた。どうやら杏夏がテントの場所を報告したようだ。

 

「アジュバントの申請通りましたか?」

 

「ええ、まぁ通ったは通ったんだけどねぇ……」

 

 零子は苦笑しながら傍らに寄り添う夏世を見やる。皆がそれにつられる様に夏世のほうを見ると彼女は頬をぷっくりと膨らませて不機嫌そうにしていた。

 

「どうかしたんですの? 夏世?」

 

 美冬が首をかしげて夏世に問うと、彼女は膨れ面のまま零子を見上げた。

 

「実はね、アジュバントの申請は出来たんだけども……ほら、私の序列が低いじゃない? それで受付の人に「そんなので戦えるのか?」ってからかわれちゃってね。私は別にどうも思わなかったんだけど、どうも夏世ちゃんは気に食わないらしくて」

 

「……当たり前です。社長はそのあたりのプロモーターよりもずっと強いのにあの人たちと来たら……」

 

 わなわなとしながら拳を握り締める夏世は心底怒っているようだった。零子はそれに小さく息をつくと彼女を宥めるように頭を撫でたあと、テントの中へと入って行った。

 

 凛達もそれに続くが、銃器をテントの中に押し込んでコンテナを椅子代わりに周囲を見回していた澄刃が凛を呼び止めた。

 

「こうやって見てっとガストレアとの戦争じゃなくて民警が集合して戦いあうみてーだな」

 

「まぁね、というか既に喧嘩してる人もちらほら見えるけど」

 

「そりゃあな。気にいらねー奴の一人や二人はいるだろうさ。酒飲んでる奴もいるし、ある意味ここは無法地帯だな」

 

 澄刃はケタケタと笑っていたが、凛は億劫そうにため息をついた。先ほど彼も言ったように周囲にはガラの悪そうな民警や、全身を迷彩柄のような戦闘服に身を包んだり、西洋の騎士甲冑のようなものを装備し、これまた西洋の騎士のような剣を携えた者の姿も見える。

 

 中でも一番驚いたのは奇抜な色のモヒカンヘアーで皮製で出来たジャケットを着込んだ、知っている人から見たら「何処の世紀末だ」とツッコミを入れたくなるような格好をしている者もいた。

 

 それに対して凛達は下は動きやすいように改造されたスラックスに、ワイシャツ、ジャケットと言った至って普通の格好をしている。

 

 しかも凛と澄刃はジャケットを着ずに黒地の半袖シャツを着ているだけだ。随分とラフな格好である。

 

「そーいや里見とかはまだ来てねぇのかな?」

 

「どうだろう。というか、澄刃くん蓮太郎くんのこと知ってたんだ」

 

「そりゃあ東京エリアを救った英雄だからな……まっ、ホントのとこは俺もアイツと同じ高校通ってるし。アイツとは一回も話してねーけどな」

 

「なるほどね」

 

 凛もそれに頷くともう一つのコンテナに座り込んで過ぎ行く人を眺める。テントの中では子供達がアニメの話で盛り上がり、杏夏と零子はなぜかこの場で化粧品の話をしていたりなど、これから戦争が始まるなどとは微塵も感じないほどだった。

 

 瞬間、その平和な空気を切り裂くような絶叫が響き、凛達だけでなく前線基地にいたほぼ全員がそちらのほうを見た。

 

「あんだ?」

 

「さぁ……結構騒がしくなってるみたいだけど……」

 

 凛が立ち上がって声がしたほうを見ると、細身の男が息せき切って人ごみを掻き分けて出てきた。

 

「すいません。何かあったんですか?」

 

「あ、あぁ、殺しだよ殺し。現場見てきたけどひでぇ有様だったぜ。テメェも見に行くなら用心しとけよ」

 

 男はそのまま自身が所属するアジュバントへ合流するために消えていった。

 

「殺しとはまた物騒だな」

 

「ちょっと見て来るよ。零子さん達には澄刃くんから言っておいて」

 

「あいよー」

 

 澄刃は凛を送り出して手をひらひらと振っていたが、そこで零子がテントの中から顔を出した。

 

「今の声なんだったって?」

 

「なんか殺しらしいッスよー。今凛が様子見に言ってます」

 

「そう……喧嘩ならわかるけど殺しとはまた穏やかじゃないわね」

 

 零子は口元に手を当てると、テント内にいる杏夏たちに状況を説明するためにテントの中へ入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 人の波を掻き分けながら凛が声のしたほうに向かうと、急に人垣が晴れて視界が鮮明になった。

 

 ドーナツ状に出来た人垣のちょうど真ん中に思わず目を背けたくなるような、プロモーターとイニシエーターの死体が転がっていた。

 

 周りの連中が何も出来ずにただただ眺めている中、凛は静かに死体のそばまで行くと、わかり切っている事ではあるが一応呼吸と瞳孔の確認をした後静かに手を合わせた。

 

 だが凛は彼らが息を引き取っていることもそうだが、もっと気になることがあった。

 

 ……傷からして刀、だけどこの斬り口どこかで……。

 

 顎に手を当てて斬り殺されている民警の傷口をなぞりながら過去の記憶から似た斬り口をする刀使いを思い浮かべていく。

 

 数秒考え込んだ凛は一人の人物に行き着いた。

 

 ……まさか。

 

 凛は弾かれたように周囲を見回した。そして雑踏の隙間にこの惨状を作り出したと思われる人物が目に入り、凛は全速力で駆ける。

 

 急に駆け出した凛に驚いたのか人ごみが割れていく。そんなことを気にせずに凛は見かけた人影を追うために走る。

 

 だが、50メートルほど走ったところで追っていた人影は急に見えなくなり、凛はもう一度ぐるりと周囲を見回す。

 

「……見失った」

 

 僅かながら額に浮かんだ汗を拭ったところで、凛は自分を呼ぶ声に気が付いた。

 

「凛!」

 

 声の主は摩那であり、彼女は何かに気が付いたため凛に報告をしにきたのだ。

 

「摩那。もしかして感じた?」

 

「うん! あの匂いは絶対に忘れないよ! ……でも、どうして()()()()が?」

 

「それはわからない……。だけど、あの人たちがいるのは確かだからそれなりに警戒するようにね」

 

「了解」

 

 摩那は真剣な面持ちで頷いた後、周囲を気にしながらテントへと戻っていった。それを見送った凛は周囲をもう一度だけ周囲を見回した後、テントへと戻っていった。

 

 

 

 そんな彼らを人気のない廃墟から見つめる影が二つ。

 

「やはり気がついたか……さすがだね」

 

 男はくつくつと笑いながら身を翻す、その後を付いて行く様に隣にいた少女が摩那を見ながら口を三日月に吊り上げた。

 

「今度は戦えるといいね、摩那」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日が傾きかけた頃、テントで過ごしていた凛達はそれぞれの武器の調整を始めていた。皆昼間までのおしゃべりが嘘のようにそれぞれの武器の調整を丹念にしていると、その静寂を破るように凛のスマホが鳴動した。

 

「もしもし?」

 

『凛さんか? 蓮太郎だ。今前線基地にいるんだけどさ、そっちも来てるか?』

 

「うん、もう皆そろってるよ。蓮太郎くんのアジュバントはそろったかい?」

 

『ああ。ちょうど今四組目が決まったとこだ。それでさ、一応皆を紹介したいから俺達のテントに来てくれないか? 共闘するときに互いの情報を知ってたほうが何かと便利だろ』

 

「そうだね。わかった、じゃあどのあたりにいるか教えてくれる?」

 

 凛が蓮太郎に問うと、彼は自分達のアジュバントのテントの位置を説明した。それを聞き終えた凛は一度頷くと蓮太郎との通話を切る。

 

「蓮太郎くんかしら?」

 

「ええ、アジュバントが大体そろったから自己紹介もかねて来て欲しいそうです」

 

「そう。じゃあ行きましょうか」

 

 零子が言いながら立ち上がると、皆それに頷いてテントを後にする。

 

 因みに予備の弾丸は後から司馬重工から持ってくるため、物取りの心配もないまま一行は蓮太郎たちのテントを目指した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 以外にも蓮太郎たちのテントとはそこまで離れておらず、ものの数分で到着してしまった。

 

「こんばんはっと」

 

 凛が先に代表してテントに入ると、蓮太郎たちが迎えた。

 

「よう凛さん。悪いな急に呼び出して」

 

「ううん、こっちもちょうど暇だったから。ねぇ零子さん」

 

「そうね。あのまま無言なのもどうかと思ったからちょうどよかったわ」

 

 零子は小さく肩を竦めるとヒールを脱いでテントの中へお邪魔する。それに続くように凛達も後に続く。

 

 摩那は延珠とティナを見つけると嬉しげに飛び跳ねており、それに続くように美冬や夏世も楽しげに談笑を始めた。

 

 凛の後に続いて澄刃と香夜も入ってくるが、彼は一瞬蓮太郎を一瞥すると何事もないように視線を逸らした。

 

 その行動に蓮太郎は疑問を持ったのか訝しげな表情をしていたが、特に気にすることもなく座り込んだ。

 

 凛も適当な位置に座ろうとするが、その時聞き覚えのある声に声をかけられた。

 

「久しぶりだな、凛」

 

「あれ? 彰磨くんじゃないか! 本当に久しぶりだね。びっくりしたよ君が天童を抜けたって聞いてさ」

 

「まぁ……俺にも色々あってな。そういうお前は相変わらず腕は衰えていないようじゃないか。いや、子供の頃よりもより洗練されているな」

 

「ハハッ。ありがとね。そっか、君も民警になったのか」

 

 凛は感慨深げに数回頷くと久しぶりの再会が嬉しいのか笑みを見せていた。

 

 彼、薙沢彰磨(なぎさわしょうま)は蓮太郎と同じ天童式戦闘術の使い手であり、蓮太郎の兄弟子だ。凛とは過去によく話をしていた親友とも呼べる存在で、二人は互いの再会に頬を綻ばせていた。

 

 すると杏夏がそこで「あれ?」と声をもらした。

 

「もしかして木更も戦うの?」

 

 確かに彼女の隣に愛刀である雪影が置かれていて彼女からも戦う気満々といった雰囲気が醸し出されていた。

 

「ええ、里見くんたちががんばるのに私だけ事務所で安全圏にいるわけには行かないからね。それに黒崎社長も戦うって聞いたから、ティナちゃんとコンビを組んで参加することにしたの」

 

 木更の言葉に黒崎民間警備会社の面々が「おー」と声を上げる中、凛が心配げな面持ちで彼女に問うた。

 

「体の方は大丈夫なのかい?」

 

「はい。無理をしなければ大丈夫ですよ。それに、いざって時は里見くんが守ってくれるそうなので」

 

 彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべると蓮太郎のほうを見やった。蓮太郎はそれに顔を赤らめていたが、しっかりと頷いた。

 

 それを聞いて安心したように頷いた凛はふと摩那達と遊んでいる延珠やティナの近くにいる金髪ので黒いパンクファッションの少女について問う。

 

「ところで蓮太郎くん。あの子は?」

 

「ん? あぁ片桐妹か、アイツは片桐弓月(かたぎりゆづき)本当は兄貴がいるんだけど今ちょっとばかり木更さんのパシリに行っててな。そろそろ戻ってくると思うぜ」

 

 ちょうど蓮太郎が説明し終わったと同時にテントの外から黒のカーゴパンツと同じく黒のフィールドジャケット、そして飴色のサングラスにくすんだ金髪、両耳にはピアスをつけ、手にはフィンガーグローブを装着した青年が現れた。

 

 彼が先ほど蓮太郎が「弓月の兄貴」といっていた人物、片桐玉樹(かたぎりたまき)だ。筋肉質な体つきでそれなりの威圧感があるが、人のよさそうな笑みも浮かべているため、悪い人物ではないと言う事はすぐにわかった。

 

「いやすまねぇ姐さん。ちっとばかし混んでて時間かかっちま……」

 

 玉樹が木更にそこまで言ったところで袋から取り出したメロンパンを持ったままある一点を見たまま硬直してしまった。

 

「ちょっと兄貴? どうしたのよ」

 

 その行動を弓月が不審に思ったのか声をかける。同時に皆彼の視線が注がれている先をたどる。

 

 そこにはテントの骨組みに背を預けて座っている零子の姿があった。彼女は見られていることに気がついたのか、一番自分を見ている玉樹に大して人のよさげな笑みを向けた。

 

 瞬間、玉樹が目にも留まらぬ速さで零子に詰め寄ると彼女の手をとって零子の目を真っ直ぐに見つめて一言。

 

「結婚してください」

 

 サングラスの奥の玉樹の瞳にはハートマークが浮かんでいるように見えた。




はい、とりあえずこんな感じですかねw

まぁ途中で出てきた凛を見ていた二人組みはもうお分かりですよね。
後半の玉樹はこんな感じだろうと思ったので書いてみました。
多分彼は年上でもいけるはず!! そう信じたい!!
凛、彰磨、玉樹の三人が話してるところとか書いてみたいですねw

次回はみんなの自己紹介で我堂さんの演説の終わりあたりまでかければいいと思います。

では感想などあればよろしくお願いいたします。


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第三十話

「それにしたっていきなり結婚宣言はどうかと思うんだけど兄貴」

 

 ため息混じりに言う弓月は目の前で正座する自身の兄を呆れた様子の視線を送っていた。長身の玉樹が背の小さい弓月に怒られていると言うのはなんとも妙な光景だ。

 

 玉樹から零子へ送られた突然の「結婚してください」宣言の後、それを見かねた弓月が零子から玉樹を引っぺがして現在に至るのだが、テント内の零子以外の全員がそれに苦笑を浮かべていた。

 

 当の零子は何か可愛らしいものを見るような優しい微笑で玉樹を見やっていたが、残念ながら玉樹はそちらを向いていないためそれを確認する事は出来ていなかった。

 

 まぁ出来ていたらいたでまた面倒なことになりそうなのだが。

 

「いや、聞いてくれ弓月。確かにな、木更の姐さんもすっげぇ魅力的だけどよ。あの黒崎社長は別格なんだよ。なんつーんだその、そう! 大人の女の色気ってやつがすげーのよ」

 

「うっさい! ったく、少しはあたしの身にもなってよ! 恥ずかしいったらないわ!」

 

 玉樹の真剣な反論を顔を真っ赤に染めながら一蹴した弓月は玉樹の首根っこを引っ掴むとそのままずるずるとテントの端へ運んでいった。

 

 その途中、玉樹はすごくいい笑顔を浮かべて零子に問うた。

 

「黒崎社長! アンタのこと名前で呼んでいいか!? または木更の姐さんと同じように姐さんって呼んだ方がいいか!? というかもう呼ばせてくれ!!」

 

 玉樹はずるずると引きずられながらも零子を見つめながら叫ぶ。

 

「好きに呼んでいいわよ玉樹くん。アナタの呼びやすい呼び名で呼びなさいな」

 

 その言葉を聞いた玉樹は「っしゃあ!」とガッツポーズをすると、おとなしく引きずられていった。

 

「かわいいわねぇ」

 

「零子さん、年下の男子を誘惑しないでください」

 

「あら、誘惑なんてしてないわ。魅了しているのよ」

 

「社長、それでは同じ意味です」

 

 夏世に冷静なツッコミを入れられ、零子は「ちょっとしたお遊びなのにー」と言うとプクッと膨れた。

 

 なんとも大人げがない人である。

 

「さて……とりあえず改めて自己紹介を始めようぜ。最初は俺達からするからその次に凛さん達頼んだ。みんなもそれでいいな?」

 

 蓮太郎の言葉に皆が頷くと、まず最初に立ち上がったのは片桐兄妹だった。

 

 まず最初に玉樹が自身の名前を言い終えると、自慢の武器である小型化の動力ユニットを積んだ手甲とブーツにしくまれたチェーンソーを回転させた。

 

 しかし、残念なことに仲間内には不評だったようで、「うるさい!」という木更の一喝で玉樹はチェーンソーの回転を止めて今度は腰につってるマテバ拳銃を抜くと「これが俺様のビィィィィッグ・マグナァァァム!」と叫んだが、今度は女性陣から石を投げられると言うなんとも残念な自己紹介に終わった。

 

 男性陣はそれに「やれやれ」と首を振る者に、ゲラゲラと腹を抑えて笑っている者がいた。

 

 すると兄の醜態に顔を真っ赤にしながらも自己紹介をした弓月はそのまま皆を外に連れ出した。

 

 彼女は二本のブナの木に自身が作り出したクモの糸を橋の様に渡すと、その上を綱渡りをするように伝っていく。

 

 兄とは打って変って周囲が歓声を上げると、弓月は自慢げに胸を張ると地面に着地して「まっ、あたしにかかればこんなもんよね!」と声高らかに言った。

 

 その後、木更が天童式抜刀術で十メートル先にある大木を斬って見せ、ティナはシェンフィールドを駆使して凡そ二キロ先にある標的を見事に射抜き、周囲を驚嘆させた。

 

 蓮太郎はそこまで言うこともなかったのか、自信の義眼と義肢のことを軽く話した後延珠にバトンタッチした。

 

 延珠はスクッと立ち上がると五百メートルほど先にある木まであっという間に駆けて戻ってきた。

 

 そして蓮太郎たちのアジュバント最後の組である彰磨は細身の木を天童式戦闘術で見事に粉砕してみせ、彼のイニシエーターである布施翠は自己紹介の途中、噛んでしまっていたがなんとか自己紹介を終えると自身の武器でもある爪を伸縮させてみた。

 

 おー、と皆の声が上がるが翠はそれが恥ずかしかったのかすぐに帽子のつばを持って深く被りなおした。

 

 凛はそんな彼女の行動を見ていた僅かながら違和感を覚えた。

 

 ……随分と帽子の位置を気にしてるなぁ。なにかあるのかな?

 

 そんなことを考えていると、彰磨が翠を優しく見つめながら告げた。

 

「翠、これから仲間になる皆に隠し事はするな」

 

 その言葉に翠は一瞬悩んだように見えたが、小さくなずくととんがり帽子をとって頭を露にした。

 

 彼女の頭をみた瞬間、場の全員が一瞬息を飲むような音が聞こえた。すると、凛の隣にいた摩那が疑問を投げかけた。

 

「ねぇねぇ凛。こんなことってあるの?」

 

「まぁそうだね。体内のガストレア因子の作用の具合だと思うけど、僕も見るのは初めてかな」

 

 凛の答えに摩那は「ふーん」と頷くと美冬の下まで行って彼女の歯を見始めた。

 

「なんですの?」

 

「んー? いや、翠に猫耳が付いてたから美冬はコウモリの因子があるんだから牙とかないのかなーって思って」

 

「あぁそういうことですの。残念ながらわたくしはありませんわよ」

 

 美冬の簡単な答えに摩那は「なんだー」と残念そうに肩を落とす。だが彼女はすぐに立ち直ると、翠ににじり寄って彼女の前で小さく手を合わせた。

 

「ねぇ翠。あとでその耳障らせてもらってもいい?」

 

「ふぇ!? ……べ、べつに大丈夫ですけど……」

 

「そっか! じゃあ後でね」

 

 摩那はそれだけ言うと翠の下を離れ、凛の隣に戻ってきた。凛はそれに小さくため息をつくと彰磨と翠に謝罪もこめて軽く会釈をした。

 

 二人はそれを「気にしていない」と言うように首を振る。

 

「さて、それじゃあ蓮太郎君たちの自己紹介も終わったことだし、今度は私達がやりましょうか」

 

 零子の声に凛達は頷くとまず最初に立ち上がったのは杏夏と美冬だった。

 

「序列七八九位、春咲杏夏、歳は十八です。武器は主にこのグロックを使いますけど、他の拳銃も扱えます」

 

 彼女は軽く一礼をすると、その辺りに転がっていた空き缶を拾い上げると少し離れたところに缶をおいて、また始めの位置に戻るとグロックを抜き放ち引き金を絞る。

 

 弾丸がぶち当たり、缶が大きく弾かれて中空を舞うが杏夏はそれをお構い無しに次々に缶に弾丸を当てていく。

 

 十発ほど撃った所で彼女が銃撃をやめて地面に落ちた缶を拾うと、それを片手に皆の下に戻ってきた。

 

 連続で打たれたのだから缶は蜂の巣だろうと誰もが思ってそれを覗き込むと、次の瞬間皆が絶句した。

 

 缶には二つしか穴が開いていなかったのだ。しかもそれは弾丸が入った弾痕と貫通した弾痕であり、それから導き出せる答えは……。

 

「まさかこの一点だけを狙って全弾当てたのか!?」

 

 玉樹が驚きで素っ頓狂な声を上げるが、杏夏はそれに静かに頷いた。それを見ていた皆は今まで見たことがなかった杏夏の能力にただ驚いていた。

 

 拳銃を使ってでの超高精度の射撃技術は皆の度肝を抜くのにぴったりだったようだ。

 

「ではわたくしの番ですわ。杏夏のイニシエーター、秋空美冬ですわ。モデルはバット、武器は主にナイフ投擲などが主ですが銃も扱えますわ。あと特技というと……」

 

 美冬はそこまで言うと一度目を閉じて、皆に適当な位置にバラけるように告げる。そして皆がバラけ終わると同時に大きく息を吸い込み、以前聖天子暗殺事件の際に発揮した超音波を発した。

 

 発した超音波の跳ね返りを耳で聞くと、美冬は目を閉じたまま何処に誰がいるかを的確に当てていった。

 

「凄まじい索敵能力だな。地中にも有効なのか?」

 

「そうですわね。空気中や地中、水中にも通らせる事は出来ますわ。ただ水中とかだとかってが違うので手間取ることもありますが」

 

 彰磨の言葉に丁寧に答えた美冬は、次に控えていた澄刃たちにバトンを渡す。

 

「あー、えっと。黒霧澄刃だ、歳は十六で一応そこの里見と同じ勾田高校に通ってて、司馬重工の民警部門で働いてる。序列は五百位だよろしく頼む」

 

「え? マジか? お前俺と同じ高校だったのかよ!?」

 

「あぁ、けど最近は学校に行ってなかったしお前も学校じゃあんま人と接しねぇだろ? だから知らねぇのも無理はねぇさ」

 

 肩をすくめた澄刃はそのあと適当に自分が扱う剣術のことを話して、そのまま先ほど木更が斬った大木を綺麗に両断して見せた。

 

「では次はウチですなぁ。名前は天月香夜と申します、モデルはイーグル。以後よろしゅうお願いしますわ。武器はアサルトライフル二丁と、このバラニウム刀一本です」

 

 香夜はクスクスと笑った後軽く一礼をし、自分の能力の説明をした後摩那と凛に代わる。

 

「序列六六六位、断風凛。武器は今のところはこのバラニウム刀肆式を使ってるよ。使う剣術は断風流。よろしくね」

 

「それじゃあ次は私だねん。名前は天寺摩那、モデルはチーターで武器はこのクローだよ」

 

 凛と摩那は互いの武器を見せた後、先ほど木更と澄刃が斬った大木を摩那が軽々と持ち上げる。一行はそれに「何が始まるんだ?」という顔を見せる。

 

 すると摩那は「いくよー」と軽く言って大木を凛に向かって放り投げる。それに玉樹と弓月が「ちょっ!?」と驚いた声を上げるが、次の瞬間その大木に斬れこみが入りあっという間に板状にに切りそろえられてその場に綺麗に積み上がった。

 

 その光景に蓮太郎たちだけではなく、周囲のテントからその状況を眺めていた民警達も驚嘆をあらわにして大きな拍手が起きた。

 

 軽くそれに会釈で答えた凛は刀を収める。すると、摩那が先ほど延珠がやったように自分のスピードを表したいのか、ティナが狙撃した二キロ先にある目標を取ってくるとだけ言うと凄まじいスピードでその場から消える。

 

 誰もがその後ろ姿を追おうとするが、その姿を確認できたのはシェンフィールドを扱うティナと、鷲の因子を持つ香夜だけだ。

 

 そして数秒も経たないうちに摩那は「ただいまー」と軽い様子で言うと、ティナが狙撃した目標を手に持って帰ってきた。

 

 延珠を超える超絶なまでの速さに皆があんぐりと口をあけるが、摩那と同じネコ科の動物の因子を持つ翠と同じくスピード特化型の延珠は「……私たちよりもずっと速い……」と悔しげに呟いていた。

 

 いよいよ長かった自己紹介も最後の一組を残すこととなり、その最後の一組である零子と夏世が互いに立ち上がる。玉樹が待ちわびていたように目を爛々と輝かせてはいたが、もう皆反応する気も失せたようだ。

 

「では大取りを務めさせていただく黒崎民間警備会社社長、黒崎零子。序列はこの中で一番低い六万三千九十一位。武器は主にこのデザートイーグルね」

 

 ホルスターから愛銃である漆黒のデザートイーグルを二丁取り出して見せたあとそれらをホルスターに収める。

 

 零子はそのまま夏世に視線を送ると自己紹介をするように促した。

 

「千寿夏世です。モデルはドルフィンで、武器は基本的に銃火器全般です。能力はあまり戦闘向きではありませんがIQがそれなりに高いです」

 

 皆にお辞儀をした夏世に対し、皆がうなずいたのを確認した蓮太郎は最後に皆に共闘の時の注意事項を話そうとするが、ふと零子がそれを制する。

 

「ちょっとばかし時間をもらえるかしら?」

 

「あぁいいぜ。どうしたんだ黒崎社長」

 

 蓮太郎が言うと零子はそれに頷き語り始めた。

 

「さっきの彰磨くんの言葉を借りるとすれば仲間に隠し事はできないものね。凛くん達にも初めて見せるけど、これは蓮太郎くんが一番よくわかるんじゃないかしらね」

 

 言い終えると同時に彼女の右目から眼帯がするりと落ちた。眼帯の下には僅かながら傷があったものの、そこまで大きなものではない。

 

 零子は皆のほうを見ながらゆっくりと右目を開ける。

 

 彼女の右目が完全に開かれた瞬間、その場にいた全員が大きく息をのんだ。そして、蓮太郎だけがつぶやいた。

 

「それは……俺と同じ二十一式義眼!? まさか黒崎社長アンタも新人類創造計画の被験者なのか!?」

 

「うーん、そうとも言えるしそうとも言えないっていうのが本当かな。この目は私がある事件の時に負傷してね。ずっと何も見えなかったのよ。けれどちょうどそのころ新人類創造計画を進めていた菫が試作的に作ったのを移植したのがこれ。

 まぁ試作型の後蓮太郎くんのヤツで完成したから後でそれを移植しないかって言われたんだけど、どうにもこっちのほうがしっくり来ちゃってね。

 あぁでも能力的には蓮太郎くんの義眼とほぼ代わりはないから」

 

 いたって軽々と言う零子であるが、凛も含めてその場にいた全員が口をあんぐりとあけて驚いていた。

 

 しばしの沈黙が皆に流れるがそこでその沈黙を破るように、いかにも文官気質と言った様子の自衛官が「失礼」と短く告げて割って入った。

 

「作戦に参加する民警全員は一九三○時に前線司令部に来るようにと我堂長正団長から招集がかかりましたのでお急ぎを」

 

 それだけ告げると自衛官は別のアジュバントに召集の連絡をしにいったのか姿を消した。

 

「……とりあえず驚くのは後にしていくか。共闘にあたっての注意点はまた後で話そう」

 

 蓮太郎の言葉に皆頷き、彼らは前線司令部へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先ほどまで出ていた夕日もすっかり西の空に沈み、周囲は闇に包まれていた。

 

 司令部前には既に多くの民警たちが集まり、その周りには闇夜を照らすために置かれた篝火がぼうぼうと燃えていた。

 

 周囲を見回した凛はふと零子がいないことに気がついた。

 

「摩那、ちょっと零子さん探してくるから蓮太郎くん達とはぐれない様にいてね」

 

「わかったー」

 

 返事を聞いた凛は人を掻き分けながら零子を探す。

 

 程なくして零子は見つかったが、彼女は珍しく外でタバコを吸っており背中を近場の木の幹に預けていた。

 

 篝火によって夜の闇に浮かび上がる彼女は、妖しげな色香があった。一瞬それにドキリとしてしまった凛であるが、小さく息をつくと彼女に声をかけた。

 

「零子さん」

 

 その声に零子は顔を上げるとフッと小さく笑みを浮かべてタバコを指の間に挟んで口から離した。

 

「どうした? 私がいなくて寂しくなってしまったか?」

 

「そんな事はないですけど、ちょっとだけ気になったんで来てみたんです。……タバコ、外でも吸うんですね」

 

「ん、あぁ。たまに……な。さっきの事は済まなかったな、君達に隠すつもりはなかった。だが、いつか言おうとは思っていたんだが如何せん話しづらくてね」

 

 肩を竦めてクッと笑う零子は先ほどの自分が皆に見せた義眼のことを謝罪した。

 

 しかし、凛はそれに首を振ると優しく告げる。

 

「別に気にしていませんよ。それに蓮太郎くんたちもあんまり気にしてなさそうですし」

 

「そうか……優しさに甘えてしまっている気もするが、すまないな」

 

 もう一度小さく謝罪した零子に凛は頷くと彼女の隣に立って目の前で我堂の登場を待っている民警たちを見据える。

 

「零子さん、我堂長正さんってどんな人でしたっけ?」

 

「序列二百七十五位、我堂長正。今年で五十四歳らしいがまだまだ現役であるらしい。直接会った事はないがかなり武人気質だと聞いたな。

 そして彼のイニシエーターは壬生朝霞。モデルまではわからんが、その実力は序列に決して引けを取らないほどだそうだ。

 因みに行っておくと、我堂はこう呼ばれているらしい――『知勇兼備の英傑』とな」

 

 零子がそこまで言ったところで民警たちが沸いた。

 

 凛がそちらに視線を送ると、ちょうどその我堂と朝霞が登壇しているところだった。

 

「ほう……鎧タイプの外骨格か。随分と高いものを持っているものだな。それに隣の壬生朝霞も同じものをつけているとはねぇ」

 

 零子は面白そうにくつくつと笑う。確かに我堂と朝霞はそれぞれ赤と水色の鎧武者型の外骨格に身を包んでいた。

 

「外骨格って確かパワードスーツの強化版って解釈でよかったでしたっけ?」

 

「そうだ。昔はやたら重いわ量産に向かないわ……さらにその他もろもろの事情もあって全くと言っていいほど表舞台に出てくる事はなかった。しかし、近年の科学技術の発展、例えばそうだな、カーボンナノチューブや私達が使っているバラニウム合金などの便利なものが出てきてから、ああいった動きやすくてしかも軽いものが作られるようになったんだ。

 まぁあんなもの君には必要ないだろうがね。むしろ断風流の神速剣術には邪魔だろうさ」

 

「因みにお幾らだったり?」

 

「ウチでも買えない事はないが、あっても無駄なだけだ。聞いても意味はないよ」

 

 零子は手をひらひらと振ってかぶりを振った。

 

 

 

「よくぞ集ってくれた勇者諸君ッ!」

 

 突然始まった大喝に凛と零子は一瞬驚いたような表情を見せるが、すぐに我堂が挨拶を始めたのだとわかる。

 

「声でか。まぁ血の気の多いほかの民警連中を纏め上げるにはアレぐらいの大喝のほうが効果はあるのかもな」

 

「そうですねぇ。というか僕達こんな後ろに下がっていていいんですかね?」

 

「別にいいだろう。ここも司令部前には変わりはないし、なにより今動くと帰って目立つからここにいた方がマシだ」

 

 零子は紫煙を燻らせながら我堂の演説に耳を傾ける。

 

「諸君らも知ってのとおり、今、この東京エリアは未曾有の危機へと陥っている。しかし! それを防ぐことが出来るのは我等以外にいないッ!! いいか諸君! ――奴らを、ガストレアを殺せ!!

 我等の父母、祖父母、兄や弟、姉や妹。親友に恋人を殺した憎きガストレアどもを殺しつくすのだ!! 勝者のみが歴史に名を残すことの出来る創造者だ」

 

 拳を握り締めて力強く言い放つ我堂はさらに続ける。

 

「勝つぞ諸君! 我々が歴史の創造主となるのだ! そして後世へと語り継いで行こうではないか! 我等は押し寄せるガストレアの軍団に引けを取ることもなく圧倒し、彼奴等を葬ったと!! 勝利した暁には誇ろう、自らの子孫や国民に、この国を守るために獅子奮迅の戦いを繰り広げた英霊達に!! 今一度言う! 奴らを殺すぞッ!!」

 

 その豪快極まる演説に民警達は大地を震わすほどの歓声で答えた。

 

 確かに我堂の演説には相当の力がこめられており、凛や零子であってもそれに思わず頷いてしまったほどだ。

 

「すごいですね。さすが『知勇兼備の英傑』って言われてるだけはある」

 

「ああ、今ので殆どの民警の心をわしづかみにしているからな。まぁあの男が民警軍団の指揮を執るのなら変なことにはならないだろうが……おっとぉ? アレは蓮太郎くんじゃないか?」

 

「みたいですね」

 

 二人の視線を追うと、確かに蓮太郎と思しき人物が我堂に対して意見を述べていた。

 

 恐らく自衛隊と民警たちの距離が離れすぎているとでも質問を投げかけているのだろう。

 

「彼もまぁよく懲りずに突っかかっていくものだ。確かに離れすぎているとは思うが、今聞かなくてもいいだろうに」

 

「だけど、そうやってすぐに自分の思ったことを聞くのが彼のいいところだと思いますよ」

 

 凛が笑顔で言うと、零子は「そうなんだがね」と言い小さく肩を竦めた。

 

 その後、我堂は蓮太郎の問いに答えることなく翌日の予定だけを説明して降壇してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやーにしてもおもしれーもん見せてもらったわ」

 

 テントまで戻ってきた一行だが、その中で澄刃は腹を抱えてゲラゲラと蓮太郎のほうを見て笑っていた。

 

「普通あそこであんなこと聞くか? 完全に空気やばかったじゃねーか」

 

「俺は気になったことを聞いただけだ。つーか黒霧、お前だって違和感ぐらい感じてただろ」

 

「……まぁな。明らかに自衛隊との距離が離れすぎだし、ありゃあ自衛隊が俺達を出させないようにしてると考えていいんじゃねーか?」

 

 澄刃はそう告げると肩を竦める。

 

 それを見ていた凛、彰磨、玉樹だが、玉樹が大きくため息をついた。

 

「澄刃がいってんのもわかるけどよー。実際自衛隊だけで片付いちまったら面白みもねぇよな」

 

「まぁまぁ、それならそれで被害も抑えられていいとは思うよ」

 

「そうだな。凛の言うことももっともだ、余計な犠牲が出ないだけマシだ。まぁ明らかに我堂団長の様子はおかしかったがな」

 

「オレッちも別にガストレアと戦いたくてうずうずしてるわけじゃねぇから別に構いやしねぇんだがどうにもなぁ」

 

 頭をガリガリと掻きながら玉樹はもう一度大きくため息をついた。

 

 すると、話し込む男子連中を木更が呼んだ。

 

「ねぇ皆! せっかくだから現担ぎでもやらない? ほら、自分達を鼓舞する意味もこめて」

 

 木更が焚き火を指差して言うと、男五人はそれに一瞬「やれやれ」と言った表情を浮かべると互いに頷きあい、焚き火の近くまで足を運ぶ。

 

 赤々と燃える炎を囲った十六人は互いの肩が触れ合うぐらいまで密着するとそれぞれ自分達の武器を焚き火に掲げるように突き出す。

 

「音頭とりはやっぱり蓮太郎くんじゃない?」

 

「はぁ!? なんでだよ! こういうのは片桐兄の仕事だろ!!」

 

 凛の言葉に動揺した蓮太郎は玉樹に話を振るが、

 

「おいおいボーイ。オレッち達の中で一番序列がたけぇのはお前だろうがよ。ここはお前がやれよ」

 

「そうだな、片桐と凛の言うとおりだ。お前がやれ里見」

 

「彰磨兄ぃまで……」

 

 蓮太郎は苦い顔をしながら小さくため息をつくと皆のほうを見やる。それに延珠、木更、ティナ、玉樹、弓月、彰磨、翠、零子、夏世、杏夏、美冬、澄刃、香夜、そして凛と摩那が頷く。

 

 すると蓮太郎もいよいよ覚悟を決めたのか大きく深呼吸をすると意を決したように告げる。

 

「よし、それじゃあ皆絶対に一人も欠けることなく戦い抜くぞ!」

 

「ああ!」

 

「ちょっと気負いしすぎじゃない里見くん?」

 

「それがお兄さんのいいところでもありますよ」

 

「蓮太郎よぉ、オレッち達が力貸してやるんだおろそかに済んじゃねぇぞ!」

 

「ホントーよ、変なことばっか気にしてたら承知しないわよこの変態!」

 

「俺や凛も付いている。負ける事はないだろうさ」

 

「そ、そうですよね! 里見リーダーもしっかりしてましゅし! 彰磨さんや凛さんもつよいです!!」

 

「若い子にはまだまだ負けてられないわねぇ」

 

「零子さん、そんなことを言うと一気に婆臭くなってしまいますよ?」

 

「私達もがんばるよ、美冬!」

 

「ですわね。皆をサポートできるようにがんばりますわ」

 

「どんなガストレアだろうが、俺がいりゃあぜってーにぶっ潰せるぜ」

 

「さすが澄刃やなぁ、期待し取るよ」

 

「大丈夫、皆で力を合わせれば不可能はないはずだよ」

 

「だね。絶対にあきらめないで最後まで戦うよ!!」

 

 皆が口々に言うと、蓮太郎は深く頷いて一際大きく声を張り上げた。

 

「んじゃ、皆、一緒にがんばっていくぞ!! えい、えい――!!!!」

 

 蓮太郎はその瞬間確信を持っていた。この仲間達がいれば絶対に勝てると。

 

 目的としていたアジュバントの人数には足りなかったが、こちらには凛やその仲間達がいる。

 

 当初蓮太郎が想定していたよりも凄まじい戦力だ。

 

 内心でこの二組のアジュバントが全民警で最強なのではないかと思ってしまうほどだった。

 

 思うことや、気になる事はあれど、蓮太郎は今はそれを振り払った。

 

 そして、総勢十六人のスクラムの中心が凹み、次の瞬間、全員の武器が天に向かって掲げられた。

 

「「「「「「「「「「「「「「「「オーーーーーーーーーーーーッ!!!!!!!!!!」」」」」」」」」」」」」」」」

 

 遥か高みまで漆黒に染まる果てし無い夜天に十六人の雄たけびが木霊し、ここに二組のアジュバントが協力する関係が結成された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 皆で現担ぎを終えた後、大まかな戦闘方法の確認を行った一行はそのほかのコンビネーションの確認を明日としてそれぞれのテントへと戻って休息を取ることとなった。

 

 そして深夜。

 

 草木も眠る丑三つ時、凛は十キロ先にある白化が始まった三十二号モノリスを見据える。

 

「……絶対に勝つ、そして……過去とも向き合わないと」




はい、これで二組のアジュバントが共闘することになりました。

零子さんの眼帯の下は義眼でしたというオチですが、一応は二話あたりでフラグは立てておきました。
そのほか最後のほう何せ十五人もいたもので台詞だらけになってしまいました。申し訳ない。
ここまでかなり原作沿いでしたが、次はオリジナルがかければと思います。

では感想などアレばよろしくお願いします。


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第三十一話

 司馬重工の一室、装備品開発室で未織は凛のための新武装とにらめっこしていた。

 

「ぐぬぬ……やっぱ玉鋼だけやとどうしても強度がなぁ……『アレ』が完成してくれればええんやけど」

 

 未織は小さくため息をつくがそこでモニタの端に内線が来たことをあらわすアイコンが表示された。

 

 彼女がそれをタップすると、モニタの中にさらにモニタが表示されてまだ若い女性が映し出された。

 

『お嬢様、手配されていたものですがあと少しで完成します』

 

「そかそか、ありがとうな~。……あ、そうや、急かす様で悪いんやけど『アレ』は、まだ時間かかりそうか?」

 

『申し訳ございません。そちらの方は最低でも後二日はかかるかと……』

 

 女性は伏せ目がちに謝罪をするが、未織はそれにかぶりを振った。

 

「あぁそんなに気にせんでもええよ。先方さんは十分理解してもらっとるから」

 

『本当に申し訳ありません。鋭意製作中ですので、完成したらまたご連絡を差し上げます』

 

「うん、待っとるよー」

 

 未織が笑顔のまま答えると、女性は一礼をしてあちらから通信を断った。内線モニタを閉じながら、未織は別のモニタを開いて確認する。

 

「『アレ』さえ完成すれば、凛さんの新武装が全て完成する……。そしたらアルデバランなんてイチコロや」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 東京エリアの一角。

 

 黒御影と呼ばれる色をした御影石が整然と並ぶ墓地に凛の姿はあった。墓石は夏の陽光を浴びて輝いており、その反射光がまぶしいほどだった。

 

 凛はその墓の通路を水の入った桶と水を汲むための柄杓、それと花屋で購入した墓花を手に持って歩いていた。

 

 彼のほかにも老齢の男性や女性がちらほらと見えるが、皆の瞳には絶望の光しか灯っていなかった。

 

 それもそうだ、モノリスの白化の報道がされてから東京エリアは阿鼻叫喚と化していた。

 

 約二千体にも及ぶガストレアの軍団に民警や自衛隊だけで勝てると思う人々は少なく、富裕層は既に他エリアへの脱出をするために航空券を買い占めているし、航空券自体も足りる事はなくネットでは有り得ないほど価格が高騰しているのだ。

 

 他にも聖天子が用意した大深度地下シェルターへの当選券がランダムに配られたが、これ自体は火に油を注ぐようなものだった。

 

 シェルターに収容できるのは東京エリアの三十パーセントの人々のみで、他の七十パーセントの人々にとって、それは死刑宣告も同義である。

 

 しかし、人々を激昂させたのはそれだけではなく、シェルターへ収容される人々の中には呪われた子供たちも含まれていたことにある。

 

 これには多くの人々が拒絶反応を示し、中には呪われた子供たちを殺害し、力づくでシェルターの当選券を奪おうとする組織まで現れているらしい。

 

 現に、凛の実家の周囲にも怪しげな人物がうろついていると言うのを司馬重工の警備隊の隊員から聞いている。

 

 もちろん聖天子にも凄まじいほどの批判が集中したが、凛から見てみれば恨む方向を見紛うのもいいところだという心境であった。

 

 確かに彼女は人々にモノリスが白化していることをすぐに報道する事はしなかったが、遅かろうが早かろうが結局のところは同じものだ。

 

 それにアルデバランが東京エリアに出たのは彼女のせいでもなんでもない、ただの偶然なのだから。

 

 そんなことを考えながら歩いていると、目的の場所に到着し、凛は考えを一旦中断した。

 

 彼の目の前には周囲の墓と同じ御影石で出来た墓石があり、それには『断風家之墓』と刻まれていた。そう、ここが凛の家の墓である。

 

 ここには先祖と共に凛の父、剣星と祖父、劉蔵が眠っている。

 

 凛は墓の前で一礼するとまず始めに墓の周囲の雑草を抜くと、その後手桶に入っていり水を柄杓で掬い、墓石にかけてスポンジで軽めに磨いていく。

 

 ある程度掃除を終えると、持ってきた花を墓の水鉢に供えて、墓石のてっぺんから柄杓で水をかけた。そのまま線香にも火をつけると彼はそれを供えてから、目を閉じて静かに手を合わせた。

 

 十秒ほど手を合わせると、凛は目を開けて墓石を確認するとつぶやいた。

 

「……ちょっと早いけど、墓参りに来たよ父さん、じいちゃん」

 

 墓石に触れながら小さく声をかけた彼は僅かに笑みを浮かべると、拳を握り締めて静かに自分の決意を独白した。

 

「じいちゃん……多分聞いてたら『何を気にしているこの馬鹿者がッ!』って怒るのかもしれないけど、言うよ。四年もかかったけど……覚悟を決めた」

 

 小さな声であったが、その中には確かに力強いものがあり凛の決意の固さが現れていた。

 

「周りの人にもかなり迷惑をかけちゃったから、その分皆に恩返しをしなくちゃいけないね。あぁそうだ、子供達はみんな元気だから心配しないでいいよ。ばあちゃんや母さんも元気だから」

 

 近況も報告し、「それじゃあ」と立ち上がろうとしたとき凛は自身の後ろに誰かが立っていることに気がつき、振り返った。

 

 そこには凛と同年代くらいの流れるような黒髪をポニーテールに纏め上げた女性が佇んでいた。

 

「あの、なにか?」

 

 凛が小首をかしげて女性に問うと、彼女は少しだけ焦った様子を見せて凛に対して頭を下げた。

 

「す、すみません。ここで私と同じくらいの人を見かけたのが初めてだったのでつい……」

 

「あぁ、なるほど。そういえば僕もここで同い年くらいの人を見るのは初めてです。貴女も御墓参りですか?」

 

「はい、祖父に挨拶をしに来ました。あの……盗み聞きをしてしまったようで申し訳ないんですが、先ほどの言葉から察すると貴方も?」

 

「えぇ、僕も祖父と父の墓参りです。……というかやっぱり聞かれてましたか、ちょっと恥ずかしいですね」

 

 凛は気恥ずかしそうに頬を掻きながら言うと、女性はそれにかぶりを振った。

 

「いいえ、ちっとも可笑しいとは思いませんよ。私もさっき祖父に声をかけてきたので。不躾かもしれませんが、お言葉から考えられるとすると、とても厳しそうな御爺様でいらしたのですね」

 

「フフッ、まぁそんな感じです。いつも眉間に皺を寄せて難しい顔をして……とても厳しい人でした。けど、時には優しかったりしたんですよ。

 ……特にあの時は優しかったです……」

 

 言葉の中に影が写ったのを感じ取ったのか、女性は不思議そうに首を傾けるが、凛はすぐに女性に向き直り軽く頭を下げた。

 

「すみません、僕の話ばかり。貴女には関係もないのに」

 

「お気になさらないでください、私も久しぶりに同年代の方とお話が出来て楽しいですし。……東京エリアがこんな状態で友人も皆家族と過ごしたいらしくて、当たり前ですよね。モノリスが崩壊してしまうんですもの」

 

「貴女は御家族と一緒に過ごさなくてもよろしいんですか?」

 

「私の家族は……もうこの世にはいませんので。父と母は大戦時に、祖父と祖母もこの十年の間に亡くなりましたから」

 

 彼女は伏目がちに呟くが、凛がそこで頭を下げて謝罪した。

 

「すみません、無遠慮な質問でした」

 

「いえ、もう慣れていますので。……あの、もしよろしければ少しお時間いただけますでしょうか? さっきも言ったとおり、同年代の方とお話をしていなかったので少しだけ人肌が恋しかったと言いいますか……」

 

 彼女の目には凛をどうにかしようとかそういうものは全くなく、ただ純粋に凛と話をしてみたいと言う感じしかなかった。

 

 凛はそれに小さく笑みを浮かべると静かに頷いた。

 

「いいですよ。では、僕の名前を教えておきますね。断風凛です、貴女は?」

 

「あぁすみません! 湊瀬(みなとせ)あずさです。急なお願いを聞いてくださりありがとうございます。断風さん」

 

 彼女はそういうと凛に握手を求め、凛もそれに答えたあと手桶と柄杓を墓地を管理している管理所に返した後、二人は街中の『ミルヒシュトラセ』という喫茶店へと足を運んだ。

 

 窓際の二人用の席に付いた凛とあずさは少しばかりメニューを眺めた後、それぞれアイスコーヒーとオレンジジュースを注文した。

 

 注文した品が運ばれてくまであずさは凛に改めて頭を下げた。

 

「お付き合いしてくださり本当にありがとうございます」

 

「いえ、僕もちょうどどこかで休んでいこうと思っていたので」

 

 凛が笑顔で答えると同時に、スタッフがトレイにアイスコーヒーとオレンジジュースを乗せてやってきた。

 

 テーブルにそれが置かれると二人はスタッフに軽く会釈をして答える。

 

「あのう、これまた不躾で申し訳ないんですけど。断風さんの髪の毛って天然ですか?」

 

「これですか? さすがに違いますよ。これは……あるものの副作用でこうなってしまったんです」

 

「副作用ってことはお薬か何かで?」

 

「まぁそんなところです。……ところで、お聞きしたかったのですがよろしいですか?」

 

「はい。なんでしょうか?」

 

 あずさが小首を傾げると、凛は彼女を静かに見据えて問うた。

 

「怖くはないんですか? モノリスが倒壊して、民警や自衛隊が負ければ東京エリアは消滅してしまいますが」

 

 凛の問いは純粋なものだった。これで彼女が「怖い」言ったとしてもそれは至極当然なことであり、責める気など毛頭なかった。ただ、一民警として気になっただけだ。

 

 彼女は少しだけ考えた後、ポンと手を叩いて頷いた。

 

「怖いですよ。だけど、私は民警さんや自衛隊の人たちが勝ってくれると思ってます。だからそこまで怖くはないです」

 

 彼女の言葉に嘘偽りはなく、本当に心からそう思っているようだった。

 

 凛はそれに僅かに笑みを浮かべるとジャケットの胸ポケットからライセンスを取り出して、あずさに見えるようにテーブルの上をスライドさせた。

 

 あずさはそれを覗き込むと、焦ったように顔を赤くしてライセンスと凛を見比べて口をパクパクとさせた。

 

「試すようなことをしてすみません。民警としてどんな風に思われてるのかなーって思いまして」

 

 クスクスと笑う凛だが、あずさは心底驚いていたのかあわあわとしていた。

 

「み、民警さんだったんですね。驚きました、断風さんってそんなイメージなかったんで……」

 

「じゃあ湊瀬さんから見た民警のイメージってどんな感じですか?」

 

「えっと、なんと言うか筋骨隆々な人がいっぱいって感じが強いです」

 

「あぁ、まぁそんな人もいますね。けど僕と同い年か、下の子もいますよ。僕の友人では十六歳の子達もいますし。大体は二十代後半から四十代後半っていう人が多いんですけどね」

 

「へぇそうなんですか」

 

 あずさは興味深げに頷くとオレンジジュースを飲んだ後少しだけ暗い面持ちとなって凛に問うた。

 

「断風さんは今回のガストレアの大群と戦うんですよね? さっきの質問を返すようですけど、怖くないんですか?」

 

「もちろん怖いですよ。けど、僕が……いえ僕達が逃げ出したら東京エリアを守る事は出来ませんからね」

 

 そういうものの、凛は笑みを浮かべており恐怖しているなどを全く感じさせていなかった。

 

 するとその時、窓の外で呪われた子供たちに対する批判を行っている組織がデモを行っているのが見えた。掲げているパネルや旗には「呪われた子供たちをシェルターに入れるな」や「化物に人権など必要ない」などといった字が書かれていた。

 

 凛はそちらを悲しげな瞳で見やるが、そこであずさが小さく呟いた。

 

「……ひどい」

 

 あずさがそう呟いたのを凛は聞き取るが、そこで彼女がゆっくりと話し始めた。

 

「どうしてあんな事が言えるんでしょうね。あの子達の中には断風さんみたいなプロモーターの人と組んで、イニシエーターとしてエリアを守ってくれている子達もいるのに。

 それにそうでない子達も外周区で一生懸命生きてるのに。……なんで分かり合えないんでしょうか」

 

「……人は自分とは全く別の存在を恐怖しますからね。ましてやそれがガストレアウイルスを保持しているとなればああいう行動に出るのは必然なのかもしれません。……だけれど、それで彼女達を傷つけて良い理由にはなりません」

 

 凛は静かにあずさの言葉に答えると、そのまま問う。

 

「湊瀬さん。貴女は彼女達のような存在に嫌悪感は抱きませんか?」

 

「全くありません。確かに父と母を殺したのはガストレアです、しかしあの子達ではありません。以前、少しだけでしたけどあの子達とお話する機会があったんですが、あの子達は本当に普通の人間と変わりはありませんでした。

 笑ったり泣いたり怒ったり悲しんだり……普通の人間と全部同じでした。それに話に聞けばあの子達は能力さえ使わなければ、私達と同じように成長できると言うじゃないですか。それなのに、どうしてあの人たちは……!」

 

 あずさはテーブルの上に置いた手をギュッと握り締めると、唇をかんで悔しげな顔をした。

 

 凛もそれに頷くと静かに告げた。

 

「きっといつか皆が分かり合える日が来ますよ。貴女の様な優しい方がいてくれればね」

 

「それを言うなら断風さんだって優しいんじゃないですか?」

 

「僕は……無理ですよ。どうしてもあの子達が傷つけられているところを見てしまうと、周りの人たちが許せないですし。決して彼らのことが憎いわけではありません。ガストレアによって恐怖を植えつけられた人々があのような行動に出ることもわかります。

 けれど、僕はどうしても――」

 

 と、凛がそこまで言ったところで彼のスマホが鳴る。

 

「失礼……もしもし?」

 

『凛兄様、急ぎでお話したいことがあるので今からよろしいですか?』

 

 電話の相手は木更だった。

 

「わかった、少し待っててね。場所はどうする?」

 

『事務所に来てください。そこでなら安心して話せます』

 

 木更の言葉に凛は「了解」とだけ返答すると通話を切ってあずさに一礼して謝罪をした。

 

「申し訳ありません湊瀬さん。至急行かなければならないところができたので、続きはまたいつか、これ僕の名紙なんで何か困ったこととか今日の話の続きのときに連絡してください。

 あと、これからしばらくは戦争のために会う事は難しくなると思われます。貴女もなるべく外に出ずに安全な場所へ避難をして置いてください」

 

 名紙を渡してあずさの分の代金まで置いていくと、凛は「それじゃあまた」とだけ告げて店を後にした。

 

 店に残されたあずさはもらった名紙を確認した後、それを胸に抱いて小さく告げた。

 

「……がんばってください。断風さん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 喫茶店を飛び出した凛はそのまま天童民間警備会社へと足を運んだ。真夏日の中を走ってきたおかげで僅かに凛の額には汗が浮かんでいた。

 

「それで話ってなんだい?」

 

 木更から受け取った冷えた濡れタオルで汗を拭った凛はガラステーブルを挟んで前に座る木更に問う。

 

 すると彼女は凛を真っ直ぐと見つめた状態で語りだす。

 

「凛兄様、三十二号モノリスにアルデバランが取り付くことが出来たのか、凛兄様はその原因を掴んでいますか?」

 

「いや残念ながらそれは掴んではいないよ。ただ、わかる事はある。アルデバランは確かにステージⅣだと言うことだ。なぜ三十二号モノリスに取り付くことが出来たのかまではわからないけど、アルデバランはアレから他のモノリスには全く手を出していない。

 これから考えられるとすれば、三十二号モノリスに何らかの欠陥があったと言うことだね。それが人為的なのか、はたまた自然の現象なのかはわからないけどね」

 

 肩を軽く竦めて見せた凛だが、木更は内心で舌を巻いていた。元々凛の洞察力と観察力はかなりのものであり、幼い時でも一度見ただけの天童流を数回試しただけで習得してしまったほどだ。

 

 木更は一度軽く咳払いをすると凛に封筒に入れられた紙を見せた。

 

「これは?」

 

「私がコネで調べてもらった三十二号モノリスのデータです。先日里見くんと、話したとき彼が凛兄様にように言ったんです。『モノリスに何か問題がある』って。だから調べてもらったんですが、そうしたらこんなことがわかったんです」

 

 紙を受け取った凛はそれを上からじっくりと眺め、やがて最後の分まで行き着く。

 

 そこには凛もよく知る人物の名前と、三十二号モノリスが何時ごろに建てられたのかが記されていた。

 

「……なるほどね。こういうことか」

 

「これを見て凛兄様はどう思いますか?」

 

「まぁあの人ならやりかねないね。けれど、これを知ったってことはやるつもりなのかな木更ちゃん?」

 

 凛が問うと彼女は静かに頷く。その瞳からは光が消え幽鬼のような眼だった。同時に彼女は僅かに笑みを浮かべて凛に言い放った。

 

「……凛兄様、もしこれが本当だった場合、私は私がなすことを成します。その時が来たら同席してもらってもよろしいですか?」

 

「……構わないよ。それで君の気が済むのなら、だけどね」

 

 冷静な声音で告げる凛に対して木更は頭を下げた。次に彼女が頭を上げると先ほどのような幽鬼の瞳は消えていつものような彼女が凛に顔を向けていた。

 

 それに対して木更に気付かれないように小さく息をついた凛だが、不意に彼女が悲しげな面持ちになった。

 

「どうかしたかい?」

 

「あ、いえ……この話の後で言うのも変だなぁって思うんですけど聞いてもらえますか?」

 

「もちろん、妹分の話を聞くのも兄貴分のつとめだからね」

 

 凛が笑顔で答えると、木更は少しだけ安心したのか僅かに頬を綻ばせた。

 

「最近ある夢を毎日のように見るんです。気が付くと朝靄みたいなのがかかった橋の上に私はいて、見渡してもずーっと橋だけが続いているんです。だけど自分がどうしてこんなところにいるのかとかは全くわからないんです。けれどなぜか前に進まなきゃいけないことだけはわかっているんです。

 それで仕方なく橋を進むんですけど……何処まで行っても本当に誰もいないんです。そしてやがて橋が終わって何か黒いドロドロしたものが私を引きずり込んでいくんです。

 それでも、私はあせる事はなくてそのまま引き込まれていくんですけどやがて頭まで全部飲み込まれてしまうんです。だけれど、そのうちその泥みたいな沼みたいな中での呼吸法がわかってきてすっごく気持ちよくなるんです」

 

 木更の話に凛は黙って耳を傾ける。

 

「それで朝起きて鏡を見てみると何でかわからないんですけど涙を流した跡があるんです。

 それから私は考えたんです。なんで私が泣いているのか……最近になって気が付きました。それは私がこの幸せにいつか終わりが来ることに気が付いてしまったからなんだって」

 

 『この幸せ』と言うのは恐らく蓮太郎や延珠、ティナと共に毎日を楽しく過ごしていることなのだろう。

 

 すると彼女は肩を震わせて目尻に涙を溜めて嗚咽混じりに告げた。

 

「……私が、殺しちゃったんです。世界中の人……里見くんや凛兄様も含めて全部、全員……殺してしまったんです」

 

 恐らく蓮太郎にもこの話はしたのだろうが、そのときは涙を流さなかったのだろうと凛は予測した。

 

 ……プライドが高いとかじゃなくて、ただ単に彼に心配をかけたくなかったんだろうな。

 

 凛は小さくため息をつくとスッと立ち上がり、木更の下まで歩み寄ると彼女の頭を自身の胸に引き寄せて彼女の背中を優しく撫でる。

 

「……大丈夫。君はそんな事はしないし、蓮太郎君たちも何処にも行かないよ。もちろん僕もね」

 

「そう、ですよね」

 

「うん。けどちょっと嫌味なことを言うよ?」

 

「? はい」

 

 木更が疑問符を浮かべたのがわかると、凛はにやりと笑って彼女の即頭部に拳骨を作って押し当て、グリグリとし始めた。

 

「いたたたたたたッ!!!? り、凛兄様!! 痛いです!」

 

「まったく、君はさっき世界中の人の中に僕まで入れただろう。残念ながら君に負けるつもりも更々ないし、それに思い出してみなよ君が天童にいるとき最後まで僕に勝てたためしがあったかなぁ?」

 

 グリグリと拳骨を回転させながら余裕綽々といった様子で木更を攻め立てる凛だが、木更は先ほどまでとはまったく別の意味で涙を流していた。

 

「ちょ、ちょっ本当にしゃれになってませんから! いい加減離して下さい!!」

 

 ついに我慢が利かなくなったのか、彼女は凛のグリグリ攻撃から脱出すると即東部を摩りながら涙目で凛を睨んだ。

 

「もう! 何するんですか! こんな美少女を傷つけるつもりですか!?」

 

「いやーそんなことはないよー。ただ、舐めたこと言ってる妹分にお仕置きをと思ってね」

 

 ニコリと笑う凛だが、木更はそれに恐怖しか感じなかった。すると彼女は焦った様子で後ずさった。

 

 すでに顔からは先ほどまでの暗い顔はなくなっており、半泣き状態だ。すると凛はそれが可笑しかったのか腹を抱えて笑い始めた。

 

「ハハハ! 冗談だよ。まっこれで少しは気分が入れ替えられたかな?」

 

 凛が笑いながら言うと、木更は一瞬キョトンとしたあと急に顔を真っ赤に染めて凛の下までやってくると彼の鳩尾に腰の捻りを加えたボディブローを叩き込んだ。

 

「ゴホァ!?」

 

「なーにが、気分が入れ替えられたかい? ですか!! こっちは真剣に悩んでいるって言うのにあんなに嫌味たっぷりに言わなくたっていいじゃないですか!!」

 

「いやね、さすがにいつまでも暗い気分のままじゃ息詰まると思ったからちょっと兄貴分として妹を心配した結果ですよはい」

 

 殴られた鳩尾を摩りながら木更に弁解する凛は彼女の顔をみて笑顔を見せた。

 

「まだ笑いますか!?」

 

「違うよ、やっぱり君はそういう風に強気でいた方がいいと思ったんだよ。『木更』」

 

「うっ……」

 

 幼少期以来の名前の呼び捨てに思わず木更は顔を赤らめた。凛はそのまま彼女の頭にポンと手を置くと優しくなでた。

 

「そんなに心配しなくても大丈夫。蓮太郎くんは絶対君の前からいなくならないだろうし、少なくとも僕は君が僕を殺そうとしたときに十分圧倒できると思うから」

 

「まだ言うかー!!」

 

「あだぁ!?」

 

 最後に言った言葉が仇になったのか木更は凛を再度殴りったあと「もう知りません!!」とだけ告げてドスドスと音を立てながら事務所から出て行ってしまった。

 

 一人残された凛は殴られたところを抑えつつ薄く笑みを零した。

 

「やれやれ、兄貴分って言うのも大変だなぁ」

 

 凛はそのまま立ち上がり、木更が残していった事務所の鍵を持って事務所の鍵を閉めたあとテントまで戻っていった。




はい、最後の方は若干凛の茶目っ気が出てましたね。

まぁ途中で出てきた湊瀬あずささんですが……果たしてヒロインになるかどうかはわからない!!
まぁいろいろと不思議ちゃんですが、ヒロインにするかどうかは考え中。
ヒロインでないとしたら多分凛の友人枠ですかねw

そして次話からいよいよ第三次大戦……じゃなかった第三次東京会戦が始まります!ナニガハジマルンデス? ダイサンジタイセンダ。
長い道のりになりますががんばって書き上げて逃亡犯編まで行きたいと思います!

では感想などあればよろしくお願いします。


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第三十二話

 モノリス崩壊まであと一日と迫った時、零子は夏世をテントに置いて一人で菫の下を訪れた。

 

 地下室の扉を開けると同時に鼻を突く芳香剤の匂いに顔をしかめつつも、零子はパソコンを操作している菫の隣に座った。

 

「何をしているのかしら?」

 

「戦争で負傷した兵達の予想を立てているんだ。医師が足りなくなるかも知れないと政府から依頼があってね」

 

「ってことは菫も来るのね」

 

「まぁな。今の外には出たくないが、戦争で負傷者ばかりの外と言うのは私にとっての聖域(サンクチュアリ)だからな」

 

 菫はくつくつと笑って楽しげにしていた。だが、彼女の瞳に宿る眼光は真剣なものだった。

 

 しかし、すぐに彼女は零子のほうに向き直るとため息をつきながら聞いた。

 

「そういえば義眼のことを話したそうじゃないか」

 

「まぁいつまでも隠しておくわけにはいかないからね。それに凛くんだって近々力を元に戻す訳だし」

 

「力を戻す……ねぇ。一応彼の施術には私が出向こうと思っているが……何事もなければいいのだがね」

 

「けど注射を打つだけの簡単な施術って聞いたけれど?」

 

 菫の言葉に零子が首を傾げるが、菫は難しい顔をしたままペン回しを始めた。

 

「確かに手術自体にそれほどの危険はないよ。だが私が言っているのは精神論の話だ。いくら彼が覚悟を決めたと言っても、過去のトラウマはそう簡単に捨てられるものじゃない。今回の手術はただ注射をするだけだが、同時に意識も失うんだぞ?その間彼の精神に異常が起こるかもしれないだろう?」

 

「精神に異常って……精神崩壊みたいな?」

 

「そこまで極端ではない。だがあるとすれば……意識混濁や昏睡などだろうな精神と言うものはかなり繊細なんだ。自分が納得したと思っていても、それは理性で無理やりなっとくさせただけで、本能は否定しているなんてこともあるんだよ。

 現に私はそういった患者を診たこともある。まぁ何時かは起き上がるんだが、それがいつになるかはわからんがね」

 

 肩を竦めていう菫は最後に「凛くんが確実にそうなるってわけじゃないけどな」とだけ付け加えてまたパソコンを操作し始めた。

 

 零子はそれに難しい顔をしながら、四年前起こった出来事を思い出していた。

 

 四年前の夏、掠れて今にも消え入りそうな声で凛に呼ばれた零子は彼の実家へ赴いた。そのまま電話で指定された道場の中に入ると、彼は顔から下を鮮血に染めており、手にはべったりとこびり付いた血液がまとわり付いていた。

 

 あの時の彼の瞳は忘れようもなかった。まさに絶望しきったその双眸に光はなく、生きているのかを疑ったほどだった。

 

 すると、そんな過去の記憶から彼女を引き戻すようにスマホが鳴動した。

 

「もしも――『零子さん!! 今すぐに外に出てモノリスを見てください!!』」

 

 電話の相手は夏世だったのだが、彼女は零子の応答も聞かずにかなり焦った様子だった。その声はかなり大きかったためスピーカーにしていなくても菫にまで聞こえたようだ。

 

「外……ってまさか!?」

 

『そのまさかです!!』

 

 零子はその言葉を聞くと弾かれるように地下室を飛び出すと一気に外へと駆け上がる。普段地下から出ることがない菫もこのときは零子に併走するように共に外に出た。

 

 外にでて二人が最初に見たのは三十二号モノリスだった。だが、その三十二号モノリスにはここ、勾田大学病院から見てもわかるほど大きな皹が入っていた。

 

 ついにバラニウム侵食液に耐えられなくなったモノリスがいよいよ倒壊を始めたのだ。

 

「どういうこと!? 倒壊までは後一日あるはず……!」

 

 零子はそこまで言うが、不意に自分と菫の間を駆け抜けた突風に戦慄した。

 

「風……? クソッ! そういうことか!!」

 

 いくら技術が向上したといっても未だに人類は気流の流れを完全に把握する事は不可能だった。

 

 JNSCは完全に風の流れを読みを誤ったのだ。

 

 だがそんな結論に至ったのも束の間、ついにモノリスは倒壊を始めた。

 

 ガラガラと瓦解する白く変色した壁が崩れていく様はスローモーションのように見えた。

 

 地表にモノリスが激突した瞬間、轟!! という程の吹き飛ばされるのではないかと言うほどの轟風と地鳴りが東京エリアを駆け抜け、さらにその後には衝撃波までもがエリアを襲った。

 

 咄嗟に零子は菫を守るように抱え込むと薄目を開けて三十二号モノリスをもう一度見やる。

 

 すでにそこにモノリスの姿はなく、変わりと言う様に天高く粉塵と土埃が舞っていた。

 

 始まったのだ――第三次東京会戦が。

 

 風がやんだのを見計らうと、零子はスマホを耳に押し当てて夏世に告げる。

 

「夏世ちゃん、聞こえるかしら!? そっちは今どんな状況!?」

 

『はい、私達のアジュバントは全員そろっています。ですが、里見さん達のほうはまだわかりません!』

 

「わかったわ。じゃあ今すぐに蓮太郎くん達と合流しなさい。合流が終わったら前線基地から一キロほど進みなさい。じきに自衛隊が砲撃を始めるはずだけど、もし私が行く前にガストレアが進行してきた場合は躊躇なく殺しなさい!」

 

『わかりました! では、零子さんもお気をつけて!』

 

 零子は夏世が返答したのを確認すると通話を切って菫の方を見た。

 

「菫、私は今から行くから。けが人とかの治療は頼んだわよ」

 

「あぁわかっている、……死ぬなよ親友」

 

「互いにね……」

 

 二人は拳をぶつけ合うとそれぞれ別の方向に駆け出した。

 

 零子は愛車であるランボルギーニ・アヴェンタドールに乗り込むと凄まじい勢いで猛牛を発進させた。

 

 まさしく荒れ狂う猛牛を思わせる豪快な唸り声を上げるエンジンの振動を感じながら、零子は逃げ惑う人々の間を縫うように車を操る。

 

 途中大きく曲がるところがあったがそこは持ち前のドライビングテクニックの一つ、ドリフトを敢行して曲がりきった。

 

「……間に合えよ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 零子との通話を終えた夏世はテントにいる凛達に告げる。

 

「皆さん、零子さんは今真っ直ぐこちらへ向かっています。私達は里見さん達と合流するようにとのことです」

 

「了解、それじゃあ行こう」

 

 凛はそれに立ち上がると皆の顔を見回す。すると皆はそれに答えるように頷いて立ち上がるとそれぞれ自分達の得物を装備して蓮太郎たちのテントへと向かう。

 

 前線基地はかなりの混乱状態であり、皆どうするべきかと手をこまねいているようだった。

 

「どうすんだよこの状況!」「知るかよ!」「自衛隊は大丈夫なのか!?」「だから俺に聞くんじゃねぇよ!!」

 

 他のアジュバントのメンバーが言い争っているのを尻目に凛達は真っ直ぐに蓮太郎たちのテントを目指す。

 

 しばらく進むと人ごみの中に蓮太郎達が確認でき、凛は彼らに声をかける。

 

 どうやら蓮太郎たちもその声に気が付いたようで、凛達の下へ駆け寄ってきた。

 

「蓮太郎くん、全員いるかい?」

 

「ああ、そっちは!?」

 

「零子さんがまだ来ていないけどすぐに来るよ。それで、零子さんからの指示だけれど聞いてくれるかな?」

 

 凛が言うと全員が頷いた。すると凛は傍らにいる夏世に説明をするように促した。

 

 夏世は一歩前に出ると軽く咳払いをして皆に告げた。

 

「零子さんから指示されたものは至って単純です。里見さん達と合流した後、ガストレアの襲撃に備えるためここから一キロほど進むとのことです。しかし、最終決定権は序列が一番上である里見さんに任せるとのことです」

 

「わかった……」

 

 蓮太郎は口元に指を当てて考えること数瞬、全員の顔を見回した蓮太郎は力強く言い放った。

 

「行こう。恐らく他の民警たちも動くはずだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全く予期しなかったタイミングでのモノリス倒壊により、民警が態勢を立て直すにはそれなりの時間がかかった。

 

 しかし、一キロ以上の高さがあるモノリスが倒壊しての現状は予想を大きく上回る程だった。

 

 白化したモノリスが崩れた影響によりモノリス灰が天高く舞い上がり、まるで雲の様に広がると太陽光を完全にシャットアウトしてしまっていた。

 

 時刻は午後七時を回っており、夏場であれば空が暗くなってくるころあいだ。

 

 既に零子も合流しており、今は凛達と同じように自衛隊が展開しているモノリス近くを見据えていた。

 

 あの後、凛達が移動するとほぼ同時に我堂長正から十個単位のアジュバントを纏めている中隊長に指示が下り、民警軍団は遠くモノリスの前でガストレア軍を待ち構えている自衛隊からの要請を待っていた。

 

「なぁ凛」

 

「なんだい?」

 

 凛の傍らで不機嫌そうな顔をして腕を組んでいるのは澄刃だ。彼は頭をガリガリと掻きながら未だ何も動きがないガストレア軍と自衛隊を見ていた。

 

「どっちが勝つと思うよ」

 

「……無難に行けば自衛隊かな。彼らは第二次東京会戦も経験しているからガストレア自体にはさほど遅れは取らないと思うよ。だけど、今回は予期していないことが重なってるからどうなるか」

 

「確かにそうですね」

 

 難しい顔をして言う凛に答えるように夏世が静かに言葉を繋いだ。

 

「明日であればまだ自衛隊が有利であったかもしれません。しかし、今回は今凛さんが言ったとおり全く予期せずにモノリスが崩壊しました。それにより舞い上がった土煙とモノリス灰のせいで自衛隊の視覚はないといっても過言ではないでしょう。

 それに、彼ら自衛隊が私達に援助を求めるとも思えません。彼らには彼らなりのプライドがありますからね。だけれど今はそんなことを言っている場合ではありません」

 

 夏世の大人びた発言に澄刃は短く「ヒュゥ」と口笛を吹いて見せた。

 

 その瞬間、砂塵の中からガストレア軍団の地を這うような唸り声や咆哮が聞こえ、民警全体が体を強張らせた。

 

 同時に砂塵の中で赤き光が迸った。

 

 そして耳にする戦争の音、自衛隊の遠距離武装である戦車砲、自走砲、機関砲、その他多数の銃火器が一斉に火を噴いたのだ。

 

 かなり離れている民警たちの下にまで届いた轟音が鳴り響き、砂塵の中で焔が舞う。

 

 滲み出るは紅と黒の境界線。まさに戦争、生き残るための死力を尽くした戦争が始まったのだ。

 

 隊列を組んで現れたガストレアは最初の列が吹き飛び、その穴を埋めるようにガストレアがなだれ込む。

 

 火焔の熱気が凛達の肌をなで、鼻腔につんと来る硝煙や火薬の香りが風に運ばれてやってくる。

 

 赤き戦場をじっと見つめながら誰も声を発する事はなかった。ただ皆は目の前で広がる戦場に息を呑んで見守ることしか出来なかった。

 

 そして砲撃が始まって凡そ五時間ほどたったところで、彰磨と玉樹が凛に声をかけた。

 

 三人は先ほどいた場所から数メートル下がると円を作りながら話し合う。

 

「どう見るよ、凛」

 

「どっちが勝つかってこと?」

 

「いいや。自衛隊からの要請がねぇことだ。さすがにおかしくねぇか? 相手は二千体もいるんだぜ? どう考えても自衛隊だけで済む話じゃあねぇ」

 

 腕を組んで眉間に皺を寄せる玉樹は大きくため息をついた。確かに凛も玉樹の言う事はもっともだと思う。

 

 自衛隊が過去にガストレアを退けたのは確かな戦果であるため民警の協力を得たくないと言うのが彼らのプライドの表れなのだろう。しかし、今回の敵はアルデバランだ。

 

 しかも話に聞く限りでは戦闘機でアルデバランを直接叩こうとしても、途中で戦闘機が撃墜されてしまったらしい。これによりアルデバランのほかにもう一体何か強大な存在がいるのではないか。

 

 もちろん自衛隊もそんな事はわかっているのだろうが、それでも彼らは民警たちに援助は求めたくないのだろう。

 

「この戦いで意地を張るべきではない。皆で協力すべきだろうに」

 

 彰磨が小さくため息をつきながら未だに鳴り止まぬ砲撃を見据えていた。

 

 時折聞こえるのはガストレアの轟吼に奇声、そしてその中に混じって断末魔も聞こえた。

 

「つーか、要請が来たとしても中隊長がアレじゃあな」

 

 玉樹が顎でそちらを差すと、そこにはメガネをかけてグレーの外骨格に身を包んだ男性と、彼の傍らに佇む少女の姿があった。

 

 男性の名は我堂英彦、他でもない我堂長正の実子だ。しかし親である長正の豪快さは全くなく、端から見るとナヨナヨとしたイメージが強い。

 

 彼はずっと何かを祈るように手を合わせていた。大方自衛隊が勝つことを望んでいて自分に何も来ないことを祈っているのであろう。

 

 実際彼は訓練時でも命令が遅いなどの不安要素が多かった。しかし、もっとも危険なのは決断力がないことであろう。

 

 長正であればきっぱりと決断できる場面であっても、彼はわたわたとするのも多かったのだ。

 

「あれじゃアジュバントの統率なんて無理だぜ」

 

「……残念だがそれに関しては俺も同意だ」

 

「……まぁあの人先頭向きではなさそうだしねぇ」

 

「あんなのが中隊長やるぐらいなら零子さんがやったほうがいいぜ」

 

 肩を竦めてかぶりを振った玉樹に凛と彰磨はそろって苦笑した。

 

 瞬間、急に先ほどまで鳴り響いていた砲撃音が聞こえなくなった。

 

「凛!」

 

 摩那がこちらに手招きをする姿が見えたので彼らがそちらに行くと、彼らの目の前に広がったのは砲撃による紅ではなく、黒々とした夜の闇だった。

 

「どうなったの?」

 

「わかんない。急に段々音が小さくなっていって今はもう全然」

 

 全てを見ていたであろう摩那が困惑した表情でいると、蓮太郎が英彦の下まで行くのが見えた。恐らく何かしらのアクションを起こしたほうが良いとでも助言をしにいったのだろう。しかしそんなことが彼に通じるかどうか。

 

「さて……自衛隊はどうなったかしらね」

 

 零子は神妙な面持ちで目の前に広がる闇を見ている。すると杏夏の傍らで彼女の手を握っていた美冬が緊張した様子で皆に告げた。

 

「二キロほど先に人影がありますわね。それも五十人近く」

 

 蓮太郎が弾かれたように美冬を見て彼女がコウモリの因子を持つイニシエーターであることを思い出す。

 

 さらにそれから数分の後、鷲の因子を持つ香夜とフクロウの因子を持つティナも同じように説明した。

 

 だが、やはり夜行性ではない鷲の因子はいまいち夜向きではないのか香夜は若干苦戦しているように見えた。

 

 そして皆が緊張した面持ちで暗闇を見つめていると、暗闇から先ほど三人が言ったように五十人ほどの自衛隊員が姿を現した。

 

 暗いため表情はうかがえないが、人間が出てきてくれたことに民警は皆どこか安堵した表情を浮かべていたが、凛達はいまだに緊張を解いていなかった。

 

 ……何だろう妙に胸がざわつく。

 

 凛が胸を握り締めていると、隣のアジュバントからイニシエーターの少女が自衛隊員を労おうとしたのか駆け出す。

 

 しかし、それから数秒後に凛の隣にいた摩那が駆け出した。

 

 地面が抉れるほどに大地を蹴った摩那の瞳は赤熱しており、力を解放していることがわかった。

 

 その瞬間、凛の脳裏に最悪の光景がよぎり彼もまた駆け出すと顔を綻ばせている民警たちの背筋を正すような一喝を入れた。

 

「総員!! 戦闘準備!!!!」

 

 恫喝が響き渡り、民警たちは一瞬なにを言っているんだ? と言うような顔をしたが蓮太郎たちはその意図が理解できたのかそれぞれ自分の得物を構えた。

 

 それと同時に最初に駆け出した少女が目の前にいる自衛隊員の異常に気がつき、彼の眼前で足を止める。

 

 自衛隊員の空虚な瞳を何処に向けることもなく歩いており、その首から下は真っ赤な血がこびり付いており、腹からは血塗れた臓物がこぼれ出ていた。

 

 少女は振り向こうとしたがその瞬間、彼女をあざ笑うかのように二本の黒い鋏が彼女の首を刈り取った――はずであった。

 

 見ると少女を摩那が頭を引っ込めさせるように抱え込んで低い態勢のまま体を反転させていた。彼女の頭上には鋏があったが、摩那はそれに恐れることなく彼女がいたアジュバントまで彼女を運ぶため疾走する。

 

 途中凛とすれ違った摩那に凛は頷くと、そのまま異形の鋏を携えた自衛隊員――いや、自衛隊員だったものと対峙する。

 

 瞬間隊員の体が内側から爆散し中からサソリと思しき姿のガストレアが姿を現した。

 

 ガストレアは品定めするように凛の体をその赤い瞳で見る。

 

 だが、残念なことにサソリのガストレアはこの世に生を受けたこの瞬間、その命を散らすこととなった。

 

 凛が容赦のない刀の一閃を放ったのだ。

 

 真っ二つに引き裂かれたガストレアの死体からはどす黒い血が噴出す。しかし、凛が真っ直ぐに前を見据るとそこには赤い光が列を成していた。

 

 それらは上下しており移動していることがわかる。さらには先ほどいた五十人近い隊員たちも皆ガストレア化しすでに複数のアジュバントに飛び掛っていた。

 

 背後で聞こえる悲鳴に凛が顔をしかめていると、先ほど助けた少女を送り届けた摩那がクローを装備した状態で戻ってきた。

 

「あの子は?」

 

「無理。戦いには参加できそうにないね、かなり震えてたし」

 

「プロモーターの人は何だって?」

 

「さすがにこのままじゃ可哀想だから自分達は退くってさ」

 

 賢明な判断だ。凛は彼女のプロモーターが良心的でよかったと心の中で安堵した。

 

 すると、長正がいる中央列から照明弾が放たれそれに呼応するように中隊長達が照明弾を発射した。

 

 その光に照らされ、いよいよガストレア軍の姿が垣間見えた。

 

 まさに無数とも呼ぶべきガストレアの大群が約一キロ程先におり、こちらに着実に進撃を開始していた。

 

「多いねぇ」

 

「ざっとで三千……いいやもっといるかな」

 

 この絶望的な状況でも凛と摩那は冷静に対処しており、焦り一つ見せなかった。

 

 やがて背後にいた蓮太郎達が凛の元までやってくると同時にガストレアたちが吼えた。

 

 二千を超えるガストレアの咆哮は大気を揺らし、民警たちに絶望を運んでくるようだった。

 

「うそ……だろ……」

 

 蓮太郎が茫然自失といった表情で呟くが、すぐに自分の頬をはたくと余計な雑念を振り払う。

 

 そして彼はそのまま深呼吸をするとXD拳銃を抜き放つ。背後では上ずった声で英彦の「そ、総員! 戦闘配置!!」という声が聞こえていた。

 

「行けるかい?」

 

「あぁ、大丈夫だ」

 

 凛が問うと蓮太郎は若干緊張した面持ちながらもガストレアをにらみつけた。距離は凡そ二キロを切った。

 

 すでに他のメンバーは自身の得物に手をかけていたり、戦闘態勢に入っていた。

 

 この間にもガストレアの大群は迫り、感覚は残り一キロとなった。

 

 既にアサルトライフルを構えたアジュバントがガストレアを迎え撃っていたが、最前列が破れればその穴を塞ぐように次々にガストレアが顔を出すため減っているためしがない。

 

 すると零子が蓮太郎の肩に手を置いて静かに告げた。

 

「いい? 蓮太郎くん。いちいち他人の許可を取る必要はないわ。自分が成すべき事、信じたことを成し遂げなさい」

 

 彼女は言いながら眼帯をほどき、二十一式義眼を解放する。そして両手に持つは黒き愛銃。彼女の隣にいる夏世はショットガンを構えた。

 

 ガストレアとの距離五百メートル。

 

 そこで動いたのはまたしても凛と摩那であり、さらにそれにくっついていく様に澄刃と香夜も駆け出した。

 

「じゃあとりあえず敵部隊を少しでも減らしてきますね」

 

「蓮太郎たちは後から来る奴等お願いねー」

 

「さぁて久々に暴れるかぁ!!」

 

「あんま無理せんといてなぁ、澄刃」

 

 四人はガストレア軍の眼前まで行き着くと、そこで凛と澄刃がそれぞれバラニウム刀を抜いた。

 

 それと同時に放たれた剣閃がガストレア軍の一角を斬り飛ばした。

 

「そら行くぜぇ!! 耐えてみろやぁ!!」

 

 澄刃はにやりと笑うと空いた穴を塞ごうとするガストレアの頭を吹き飛ばした。そんな彼を横から押しつぶそうとするようにガストレアが雪崩れ込むが、そこでガストレアが一瞬にしてばらばらにされた。

 

「澄刃君周りにも気を配らないと」

 

「わーってんよ。つーかアレぐらい俺でも対処できるっつの邪魔すんな」

 

「それは失敬、次からは気をつけるよ」

 

 肩を竦めた凛であるが、彼はしゃべりながらもガストレアを斬り刻んでいく。

 

「二人ともさっすがー。私達も負けてらんないね香夜」

 

「せやなぁ、まぁぼちぼち頑張るとするかえ」

 

 摩那はクローでガストレアのやわらかい腹部に潜り込むと下からアッパーカットをするように斬り挙げた。

 

 ガストレアは断末魔の叫びを上げるが、摩那はそれを。

 

「うるさいッ!!」

 

 と短く言い放ち首を抉った。

 

「ひゃーエグイなぁ摩那……」

 

 と香夜がそこまで言ったところで彼女の背後からガストレアが飛び掛るが、次の瞬間その体は蜂の巣にされた。

 

「ウチもなんやけど」

 

 口元を押さえてクスクスと笑った香夜はそのまま次の標的へと向かう。

 

 まだ戦闘が開始されて間もないが、この時点で狩られたガストレアの数は十を軽く超えていた。

 

 四人の羅刹のような戦いぶりに口を半開きにさせたまま蓮太郎達が驚いていると、その背中を杏夏が軽く叩いた。

 

「ホラ、ぼさっとしてないで行くよ蓮太郎!」

 

「あ、あぁ」

 

 杏夏に言われ蓮太郎達も彼女達に続いて駆け出し、ガストレアとあと少しといったところでティナが空を指差して声を張り上げた。

 

「お兄さん! 空を見てください!!」

 

 その言葉に反応したのは蓮太郎だけでなく、零子たちもまたしかりだった。するとちょうどよく照明弾が発射され空にいるガストレアの姿があらわになった。

 

 空を飛ぶ飛行型ガストレアだが、蓮太郎達にとって一番気になったのはその足の持っている丸い物体だった。

 

 ……まさか!?

 

「別働隊だって言うのかよっ……!」

 

 その蓮太郎の呟きをバカにするかのように空では飛行型ガストレアが旋廻していた。




東京会戦開始ィィィィィィィィィッ!!!!!

しょっぱなから死ぬはずだった幼女を救ってみました。アブネー……
次は光の矢が出てガストレアが一時撤退するところまで書いてって感じですかね
あとは予告としてもう一つ、あの人たちが出るかもです。 ハレルゥゥゥヤァァァ!!!!

では感想などあればよろしくお願いします。


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第三十三話

 蓮太郎と同じく空を見上げた零子は『別動隊』と言う言葉にギリッと歯噛みした。

 

 ……どういうこと? ここまでガストレアが統率された動きを取るなんて、まさか、アルデバランにはバラニウム侵食液以外の何かフェロモンのようなものがあるって言うこと?

 

 眉間に皺を寄せた状態で考え込む零子だがそこで蓮太郎が声を上げた。

 

「黒崎社長! 俺達が行くからここは任せる!!」

 

 蓮太郎は零子の返答も聞かずに木更たちと共に別動隊の方へ駆けてしまった。しかし、零子はそれに舌打ちをした。

 

「成すべきことを成せとは言ったがこの場面でその行動は拙いわ蓮太郎くん」

 

「どういうことですか?」

 

 迫るガストレアに向けて銃口を向けている夏世が問うと、零子は難しい表情をして言い放つ。

 

「誰もがあのガストレアの別動隊に気がついていればあの行動は確かに褒められたものよ。しかし、この状況下であの行動は」

 

「……敵前逃亡と見られてしまうということですか?」

 

「可能性としてはね。しかし私たちまでここを離れるわけにはいかいし。今は彼らに別動隊を頼むしかないわね」

 

 悔しげに言った零子はすぐ後ろまで迫っていたガストレアの頭に黒き弾丸をぶち込んだ。そのあとに続くように夏世もショットガンの引き金を絞り、ガストレアを蹴散らしていく。

 

 ……無理はしないでね蓮太郎くん。

 

 零子たちの隣ではその一部始終を見ていた杏夏と美冬がガストレアと対峙していた。

 

「数多いなぁ」

 

「ですわねぇ、まぁピンポイントで射撃するためにあまり焦らないことが大切ですわね」

 

「だね。……というか間近で見ると凛先輩の戦いって本当にすごいよね」

 

「ええ、例えるならば削岩機でしょうか。襲い来るガストレアがあっという間に切り裂かれていますし」

 

 二人の視線の先には凛がおり、彼は迫るガストレアの波をまるで豆腐を斬るように切り裂き細切れにしていく。

 

 まさにその様子は先ほど美冬が言ったように削岩機のようだった。もはやガストレア自体との戦力差が大きすぎるのだ。

 

 しかし、そんな彼が一人でがんばっていてもさすがに二千体をゆうに超えるガストレアの軍勢を全ての民警が凛のように対処できるわけがなく、すでに周囲では恐怖の悲鳴を上げる者達もいた。

 

 彼らを救ってやりたいのも杏夏にはあるが、この混戦の中誰かを助けに行く事は完全に自殺行為だ。

 

 ……ごめんなさい。

 

 心の中で彼らに謝りつつ、杏夏は迫るガストレアの頭部に弾丸を射ち込んだ。

 

 的確に放たれた弾丸は甲殻をもつガストレアの僅かな隙間に入り込み脳に侵入、そして数秒も経たぬうちにガストレアの頭部が爆散した。

 

炸裂弾(バーストバレット)。調合しておいてよかった」

 

 倒れるガストレアの亡骸を尻目に杏夏はさらに他のガストレアを倒すために駆ける。

 

 先ほど彼女が放ったのは彼女自身が開発した弾丸、炸裂弾だ。榴弾のような大きなものではなく、小型化に成功したそれがもつ破壊力はガストレアの肉を焼き、四散させるほどだ。

 

 杏夏には精密射撃のほかに開発者としての素質もあり、その手際は未織も認めるほどである。

 

「蓮太郎達にも渡したかったけど、銃の形状も違うから時間かかっちゃうし」

 

 申し訳なさそうに愛銃に弾丸が装填されたマガジンを差し込んだ杏夏は小さく息をついて別の目標へと向かった。

 

 するとその彼女に両脇から二体のガストレアが飛び掛る。しかし、次の瞬間彼らの頭部には黒刃のナイフが深々と突き刺さっていた。見るとそのナイフには鋼線のようなものが取り付けられていた。

 

 二体のガストレアは脳を破壊されたことによってその場に倒れるが、今度は別方向からガストレアが飛び掛る。

 

「残念ながらそこも私の射程範囲ですわ」

 

 聞こえたのは美冬の声であり、彼女は杏夏の脇に来ると、ナイフから伸びる鋼線を引き寄せて向かってきたガストレアの首にかけるようにしたあと、一気にそれを引っ張った。

 

 同時に鋼線がガストレアの首を断ち、ドチャっという音と共に首が落ちた。彼女はそのままナイフと鋼線を回収し杏夏と共に駆ける。

 

「相変わらずすごいナイフ捌きだね」

 

「ふふん、そうでしょう」

 

 美冬は誇らしげに言うと、斜め右前から迫るガストレアの頭にナイフを叩き込んだ。

 

「まったく、埒が明きませんわ」

 

「そうだね。だけどまだまだくるよ? いける?」

 

「見くびってもらっては困りますわ杏夏。貴女こそ大丈夫ですの?」

 

「もちろん! それじゃ、二人でがんばるよ!」

 

 二人は互いの手の甲を軽く合わせたあとガストレアに向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その二人から離れて凛と澄刃は迫るガストレアをいとも簡単に蹴散らしていく。

 

「里見達は別働隊の方に行ったのか?」

 

「みたいだね。それじゃあこっちはこっちで頑張ろうか」

 

「おう、ボヤボヤしてんなよ?」

 

「それはこっちのセリフだと思うけどっと!」

 

 凛は小さく笑うと自身の後方にいたガストレア五体を一気に切り裂いた。いとも簡単に敵を断ち切る様には驚嘆を覚えるが、見ると彼の持つバラニウム刀に大きなひびが入り、次の瞬間粉々に砕け散った。

 

「冥光がねぇのにやりすぎだろ。あと四本しかねぇけど大丈夫かよ」

 

「まぁそのときは適当になにか使うさ」

 

 そういうと彼は腰から二本目のバラニウム刀を抜き放って迫り来るガストレアにその切先を向けた。

 

「さて、君たちはどれくらい生き残れるかな?」

 

 その言葉と共に凛の瞳から光が消え失せた。隣にいる澄刃はそれに肩を竦めると自分も迫るガストレアを真っ直ぐと見据えた。

 

「なるべく楽しませて欲しいなぁガストレアさんよ!!」

 

「行くよ」

 

「おう!!」

 

 二人は同時に駆け出した。

 

 まず最初に襲ってきたのは蟹を思わせる硬そうな甲殻をもつガストレアだ。しかし、澄刃の前ではそんな甲殻による装甲など紙にも等しかったようで、

 

「邪魔だボケがぁ!!」

 

 彼はガストレアの甲殻が薄いところを狙って切り取ったあと、再生が始まる前にガストレアの脳に刀を滑り込ませて横薙ぎにした。

 

 どす黒い血が噴出しズンッという重々しい音と共にガストレアが地面に伏せた。

 

「とれーくせに俺の邪魔してんじゃねぇぞゴミカスがよ」

 

 死に至ったガストレアを踏み台にして澄刃は凛を追うが、既に凛は迫り来るガストレアを走りながら倒していた。

 

 その光景に口をあけて驚いてしまう澄刃だが同時に彼は多少なりの悔しさも味わっていた。

 

「……こうも力の差があるもんか……」

 

 澄刃とて決して弱いわけではない。しかし、比較対象である凛が規格外なのだ。

 

「さすがの俺も若干ナイーブになっちまうけど……そんな弱音も吐いてられねぇよなぁ!!」

 

 ニヤリと凶悪な笑みを浮かべた澄刃は凛の後を追ってガストレアを狩りに向かった。

 

 一方、凛はガストレア達を切り刻みながら妙な感覚を覚えていた。

 

 ……妙だ。統率が取れすぎているのもそうだけど、一番気になるのはガストレア事態が恐怖を覚えていない。

 

 ガストレアも生物であることには変わりはない。生物にはもちろん恐怖と言うものが存在する。

 

 自分より力の強いものに対する恐怖で逃走を図ろうとする生物もいる。それはもちろんガストレアもそうであり、凛が今まで戦ってきた中でもガストレアは凛に恐怖して逃げ出した個体も多くいた。

 

 しかし、今彼が対峙しているガストレアにはその恐怖が見られないのだ。むしろ恐怖していると言うより一種の興奮状態にあるような状態を連想させる。

 

「……アルデバランはこのガストレア達に何かしらのことをしたってことなのか」

 

 凛はその考えに行き着くものの、すぐに頭を振った。

 

 ……いまはそんなことを考えても仕方がない。目の前のガストレアを掃討することだけ考えないと。

 

 彼は再び冷徹な視線でガストレアを見据えて刀を振るう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな彼らから少し離れると摩那と香夜がガストレアをなぎ倒していた。

 

「あーもー! 疲れるからそんな来るなってば!!」

 

「モテモテやなぁ摩那」

 

「それはアンタも一緒でしょーが!」

 

 香夜の意見をため息をつきながら答えた摩那は向かってくるガストレアの目玉を潰した後、顎から頭を吹き飛ばす。

 

 その様子を一瞥した香夜もまたアサルトライフルをガストレアのちょうど額にあたる部分に突きつけて引き金を絞った。

 

 途端にオートで撃ち出された弾丸がガストレアの頭を抉る、

 

「弱いのにウチに挑んでくんなや」

 

 クスクスと笑う香夜に摩那は辟易した様子を見せつつも自らの力を解放して、一気に周囲を駆け抜ける。

 

 時にガストレアを踏みつけ、その脳漿をクローで抉り、頭を吹き飛ばす。赤い髪い振り乱して戦うその姿は美しくさもあった。

 

 だがそれでもガストレア達が止まる事はなく、少し離れたところからまたしても進軍をする姿が見られた。

 

「なんなのかなー! 普通こんだけやれば逃げるはずじゃん!?」

 

「そうやなぁ、なーんか全体的にロボットみたい言うかなんちゅうか」

 

 肩を竦めた香夜とげんなりとしている摩那であるが、そこで摩那が弾かれたように崩れたモノリスの方を見やる。

 

 香夜もそれに釣られるようにそちらを見た瞬間、彼女に凄まじいまでのGがかかった。

 

 見ると摩那が香夜を抱えてその場から離脱していたところだった。

 

「おわっ!? なにすんねん摩那!!」

 

「黙って!! 早くここから逃げないと!!」

 

「はぁ!? なに言うて――」

 

 香夜が言った瞬間、今まで彼女達がいた場所に光が迸った。

 

 音もなく飛来した光が駆け抜けた跡に残ったのは抉れた地面と、その光に巻き込まれたガストレアの残骸、そしてその先には人間と思しき体の一部が転がっていた。

 

「……なんや今の」

 

「わからない。だけど、あれは相当やばいよ。凛達にも連絡しに行かないと!」

 

 摩那が言うと香夜は零子達の方へ、摩那は凛と澄刃の下へ先ほどの『光』を知らせるために駆けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 零子の下まで辿り付いた香夜は零子達に先ほど自分達が見た『光』を説明した。

 

「それはどれぐらいの物質かわかった?」

 

「ううん、それはわからへん。せやけどかなり大きなものやったってことはわかる。地面もかなり抉れとったし……」

 

「なるほどね。……美冬ちゃん、超音波使って索敵できる?」

 

「はい。やってみますわ」

 

 零子に言われて美冬は大きく息を吸い込むとモノリスが合った方角に向かって超音波を発した。

 

 途中ガストレアの軍勢がいたが今は無視だ。彼女はそのまま音の跳ね返りを集中して聞き取っているたが、瞬間彼女の顔が強張った。

 

「これは……」

 

「わかったの?」

 

「はい。ここから五キロ、私が索敵できる最大範囲ですが、それぐらいの位置に一体のガストレアがいます。アルデバランは途中で索敵できましたが、それよりも奥にいますわ。恐らくこれがその『光』を打ち出しているものの正体でしょう」

 

 美冬の説明を聞いていた零子達だが五キロ先と言う答えに内心驚いていた。しかし、次の瞬間夏世が叫ぶ。

 

「皆さん伏せてください!!」

 

 その言葉に弾かれるように地に伏した皆だが、それから一秒も立たないうちに彼女らの頭上を先ほど香夜が見た『光』が駆けていった。

 

 その光はまるで槍のように細長く、零子達の頭上を通過したあと、我堂英彦たちがいる辺りを吹き飛ばした。

 

「……あれが?」

 

 杏夏が香夜に問うと彼女は静かに頷いた。

 

 例えるのであれば『光の槍』とでも言うべきだろうか。恐らくアレを食らえば人間など姿すら残らないだろう。

 

 するとそれを見ていた零子は先を行く凛と摩那と澄刃を呼び戻した。危険だと判断したのだろう。

 

「……あんなのをどうやって防げばいいの」

 

 杏夏は絶望こそしていないものの悔しげに唇を噛んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 別動隊を掃討し終えた蓮太郎は木更達と共に戦場へと戻ってきていた。

 

 あちらこちらから剣戟音や叫び声が聞こえていたが、ガストレアの軍団の一角に一箇所だけ異常なまでに欠けたところがあった。

 

 ……まさか凛さん達だけでアレをやったってのか?

 

 そんなことを思っていると蓮太郎に声がかけられた。

 

「蓮太郎くん!」

 

 すぐにその声に皆が反応してそちらを見やるとそこには数人のプロモーターとイニシエーターの少女を背負っていた凛達の姿があった。

 

 プロモーターの中には腕や足がなかったものもいたが、幸いガストレア化は進行していないようだ。

 

 しかし、どう数えてもプロモーターとイニシエーターの数が合わない。だが蓮太郎はすぐにそれを悟ったのかやるせない表情を浮かべる。

 

「今のところ救えたのはこれだけ。中にはプロモーターの人が殺されてたりガストレア化してしまっていた子もいたよ」

 

 凛は救うことができなかったことを悔やむように拳を握り締めていた。

 

「いや、アンタのせいじゃねぇ。それよりは中隊長の我堂英彦は――」

 

 と、そこまで行ったところで蓮太郎は先ほどまで我堂英彦がいた丘の上が大きく抉れていることに気がついた。

 

 そして凛の傍らでカタカタと震えている英彦のイニシエーター、心音の姿があることにも気付く。

 

 凛は蓮太郎の質問に答えるように彼に言い放った。

 

「残念ながら我堂英彦さんは戦死してしまったよ。『光の槍』にやられたらしい」

 

「『光の槍』?」

 

「なんだよそりゃあ」

 

 蓮太郎と玉樹が訝しげな顔をすると、零子が彼らに説明をした。それを聞き終えた蓮太郎達は信じられないといったような顔をしていたが、大きく抉れた丘がそれを物語っていた。

 

 すると彼らから見て斜め右上の方向にその『光の槍』が飛来し、地面とその場にいた民警たちを根こそぎ削っていった。

 

「……アレが『光の槍』」

 

 誰からともなく息を呑む音が聞こえた。

 

「僕達はこれから他の人たちを援護しに行くよ。蓮太郎君たちも行ってくれるかい?」

 

 凛が問うと蓮太郎は逡巡したあと木更たちと顔を見合わせて頷いた。

 

「ああ、わかった。それじゃあ前に決めたメンバーでって感じだな?」

 

 蓮太郎の言葉に凛が頷くとその場にいた全員が事前に決めておいたグループに分かれた。

 

 グループ分けはこうだ。

 

 蓮太郎、延珠ペアと凛、摩那ペア。

 

 玉樹、弓月ペアと澄刃、香夜ペア。

 

 彰磨、翠ペアと杏夏、美冬ペア。

 

 そして木更、ティナペアと零子、夏世ペアといった組み合わせだった。

 

「それじゃあ行こう」

 

 凛の掛け声と共に全員が別方向に駆け出し、それぞれ苦戦を強いられている民警たちの援護に向かった。

 

 蓮太郎は凛と並走している途中で彼に問うた。

 

「凛さん。あのガストレアが欠けてる部分はあんたがやったのか?」

 

「……僕だけじゃないけどね。澄刃君と一緒にってところかな」

 

「……そうか」

 

 蓮太郎は改めて凛がでたらめまでの力を持っているのだと再確認した。少なくともあの欠けた部分のガストレアの屍骸はゆうに百は越えていただろう。

 

 それをこの短時間で片付けたのだ。凄まじいとしかいいようがなかった。

 

 すると傍らを走っていた摩那が凛に声をかけた。

 

「凛! 蓮太郎!」

 

 二人が摩那が指を差すほうを見ると、泣きじゃくっているイニシエーターの少女がいた。

 

 だがすぐ近くまでガストレアが押し寄せている。このまま走っていたのでは間に合わない。

 

 しかしそれは普通の人間が走っていればの話だ。こちらにはスピード特化の二人がいる。

 

「蓮太郎! 妾と摩那が行く!」

 

「……わかった、気をつけろよ二人とも!」

 

「二人とも! 『光の槍』には注意してね」

 

 蓮太郎と凛の言葉に頷いた摩那と延珠は足に力をこめて速度を上げた。

 

 それを見送ったあと、凛と蓮太郎も別の民警たちを救いに行くため紅蓮と轟音に包まれる戦場を駆けた。

 

 戦場はまさに地獄と呼ぶべきものに等しかった。

 

 無残な姿に引きちぎられ、食われ、裂かれ、押しつぶされ、すり潰され、体が四散し、脳漿が飛び出していた死体が当たり一面に転がっていた。

 

 濃密なまでの死臭と血臭。そして火薬の煙と火炎が肉を焼く臭いが鼻を突いていていた。

 

 摩那と延珠の救出劇は目まぐるしいものがあり、摩那が人を担げば延珠がそれを援護。延珠がけが人を運べば周囲のガストレアを摩那が掃討していた。

 

 同じスピード特化と言うこともあって阿吽の呼吸で二人は次々に負傷者を救出していた。

 

 だが彼女らだけでは救えない命や、切り捨てなければいけない命ももちろんあった。

 

 時にはガストレア化しかけたプロモーターの傍らに寄り添っていた少女を見かけ、蓮太郎がプロモーターを人の姿のまま殺してやろうと銃口を向けたが、少女がその前に立ちはだかって「やめてくれ」と泣き叫んだ。

 

 その姿に蓮太郎は躊躇してしまったが、凛は全く躊躇する事はなくプロモーターの首を刎ねた。

 

 イニシエーターの少女がそれに怒りの声を吐くが、凛はそれを気にする様子もなく別の民警たちを助けに行く。

 

 だが、民警たちを救出する中で火焔の向こうから飛来する『光の槍』と呼ばれる攻撃を何度も目撃した蓮太郎は内心で震えていた。

 

 勝てるわけがない。と。

 

 明らかに人智を超えたその攻撃に息を呑み、前を走る凛を見ていた彼は凛にまた問いたくなった。

 

 ……凛さん、アンタならあれを斬ってくれるんだよな?

 

 それはむしろ問いと言うよりも懇願に近かった。「斬れる」といってほしい。少しでも勝機を見出したいと言うことから来る願いだった。

 

 するとそんな蓮太郎の考えを吹き飛ばすように地を這うような咆哮が木霊した。

 

 その声を皮切りにガストレア達が動きを止め、同時に民警達も声のしたほうを見る。

 

 そこには小山のようなシルエットを持つガストレアが苦悶に身をよじっていた。

 

 遠目から見てもわかるその大きさに周囲の民警たちが息を呑んでいるのが感じられる。

 

 アレがアルデバランで間違いないだろう。

 

 途端、周囲にいたガストレア達が後退を始めた。その途中で人間を襲うよな者はおらず、彼らは一目散にアルデバランに取り付いてその巨大な体を守護するように壁を形成して下がっていた。

 

 やがて戦場からガストレアが全ていなくなり、異様なまでの静けさがはびこる中、誰かがポツリと呟いた。

 

「助かった……?」

 

 その声にこたえるものはいなかったが、蓮太郎は緊張を解かれ小さくため息をついたあと凛の方を見やる。

 

 凛は静かにアルデバランが去っていた方向を睨みつけており、その目には確かな殺意があった。




ハレルゥゥゥヤァァァ!!!! が出ると言ったな……アレは嘘だ。

……はい、というわけで申し訳ない頑張ってあの人だそうかと思ったんですが出るところまで書くと二万行きそうなので断念しました。
期待してくださった方々には大変なご迷惑をかけ申しわけありませんでいた。謹んでお詫び申し上げます。

今回はそれなりに幼女を救いました。
心音も生き残ってますが、原作との違いを出すために『光の槍』に貫かれたのは英彦さんということにしました。
申し訳ない英彦さん……。

次はいよいよ「あの人」がでます!!
これは絶対です!
では感想などあればよろしくおねがいいたします。


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第三十四話

 翌日、東京エリアには日本がまだ日本と呼ばれていた時代、第二次世界大戦末期、広島と長崎に投下された原子爆弾のあとに降ったという『黒い雨』が降った。

 

 もちろん今回の雨には放射線物質などはまったく含まれていない。雨が黒く染まった理由はエリアの上空に立ち込めたモノリス灰の影響だ。

 

 身体には害がないらしいが、それでもこの黒い雨は世界の滅亡を表しているようで、先の戦いで生き残った民警たちの士気を下げるには十分すぎるほどだった。

 

 そして厚く形成されたモノリス灰は太陽の光を遮り、さらに人々を陰鬱とさせていた。

 

 しかしたとえそんな状況でも生き残った民警たちには仕事があった。

 

 それは生存者の確認と言う名の実質的な死体集めだった。政府からすれば人肉が腐敗して伝染病を招くのを防ぐためと、遺族に遺体を送り届けると言う意味がこめられているのだろうが、集まっている民警からすればその惨状に目を背けた気分だろう。

 

 蓮太郎もまた丁寧に死体袋に肉片を集めて回収していくが、彼の視界の先には特徴的な真っ白な髪が黒い雨によって灰色がかった色になっている凛の姿があった。

 

「凛のヤツ。俺達が入る一時間も前から死体集めと生存者の確認をやってたみてぇだぜ」

 

「黒霧……」

 

 蓮太郎の傍らにやってきたのは澄刃だった。彼も死体袋を持っており遣る瀬無い面持ちで目の前に広がる惨状を目の当たりにしていた。

 

 地面は抉れ、ところどころ焦げた痕跡も残っていた。破壊された戦車は鋭利な刃物で切られたように真っ二つになっていた。あの光の槍にやられてしまったのだろう。

 

 そのほかにも地面が陥没している箇所も多数見られた。昨日戦闘が終わってから木更たちと合流した際に蓮太郎はモグラと思しきガストレアがいたと教えられた。

 

 尤も、そのガストレアはティナと夏世が協力して掃討したらしいが、恐らくこの陥没した箇所はそのモグラ型のガストレアが穴を作り、その上にあった自走砲や戦車などの重みで地面が陥没したのだろう。

 

 陥没した地面から戦車は抜け出すことが出来ずにそのままガストレアの餌食となってしまった。というのが蓮太郎の大まかな予想だ。

 

「……本当にひどいもんだ」

 

 蓮太郎はため息をつくと生存者の確認と遺骸集めを澄刃と共に再開した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蓮太郎達から離れて五十メートル程のところで凛は戦場の惨状を遺骸を集めていた。

 

 他の民警たちがやってくる一時間も前から遺骸集めを行っていた彼の髪の毛は灰色に変色し、実年齢よりも若干年を取ってしまったようにも見える。

 

 しかし彼はそんな事は気にせずに黙々と遺骸を集め、遺体を見つける度に手を合わせて祈った。同時に彼は心の中で「すみません」と謝罪をした。

 

「……僕が不甲斐無いばかりに、貴方達を死なせてしまって……本当に申し訳ありません……」

 

 消え入るような声で告げる凛であるが、彼の目には何かを決意したような光が見えた。

 

 ……やっぱり、もうとやかく言っていられない。一刻も早く力を元に戻すために聖天子様に――。

 

「なぁアンタ」

 

 そこまで考えていたところで凛は背後から声をかけられた。振り向くとそこには昨日凛が救ったプロモーターの男性がイニシエーターの少女に支えられながら立っていた。

 

「貴方は昨日の……具合は大丈夫ですか?」

 

「あぁ、幸い骨折だけで済んだよ。アンタに礼が言いたくてな……助けてくれてありがとう。お陰で俺もこの子も死なずにすんだ」

 

「いえ、助け合ってこそですから」

 

 凛は薄く笑みを見せて男性に笑いかけると、男性の方も小さく頷いた。するとイニシエーターの少女が男性をゆっくりと放して、凛に深々と頭を下げる。

 

「本当にどうもありがとうございました」

 

「……どう、いたしまして」

 

 少女の真っ直ぐな言葉に凛は彼らから見えないように後ろで拳をきつく握った。

 

 男性もそれに釣られるようにもう一度頭を下げ、二人はその場からゆっくりと立ち去って行った。

 

 その後姿を見つめながら凛はギリッと歯を噛み締めた。

 

「僕にお礼を言われる資格なんてない……」

 

 するとそんな彼の呟きをかき消すような音が上空から聞こえた。凛がそちらを見上げるとテレビ局と思われるヘリが上空を旋廻しており、スライドドアからはリポーターが身を乗り出して何かしゃべっていた。

 

 だがそんな彼らを追い払うように蓮太郎と話していた玉樹がマテバ拳銃を撃っていた。

 

 その弾丸がヘリに被弾したのか、リポーターは短い悲鳴を上げてヘリの機内に引っ込んだ。ヘリはそのまま尻尾を巻くように逃げ帰っていったが、玉樹はヘリが思い通りにならなかったことに腹が立ったのか何か叫んでいた。

 

 彼らの行動に少しだけ笑みを浮かべる凛であるが、すぐに何処となく悲しげな表情になった。

 

 その後半日近く生き延びたプロモーター全員で生存者を探した結果、生き残った人々は計六十九人だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 生き残った自衛官達を医療班に渡した後、凛は蓮太郎達とは合流せずにふらりとどこかへ消えた。

 

 今、民警たちが待機しているのは戦場となった平野から少し離れた場所にある町だった。

 

 町といっても誰かが住んでいるわけではなく、すでに放棄された町だ。建物には亀裂が入り、アスファルトの隙間からは草木が生えてしまっている。

 

 もはや廃墟と化した町であるが、ひびが入った屋根や壁は崩れそうな様子はなく、雨風はしのげそうだっため民警はここに集結することとなった。

 

 その中にある中学校の体育館に負傷者は集められているようで、有志で集まった医師や看護師がてんてこ舞いで働いている。

 

 凛はそこから一キロ弱離れたビルの屋上に佇んでいた。彼はジッと三十二号モノリス跡を見つめるとスマホを取り出してあるところへ連絡を入れようとした。

 

 だが、電話帳を出すよりも早く連絡を入れるべきところからキャッチが入った。

 

 ゆっくりとスマホを耳に押し当てると、落ち着いた少女の声音が聞こえた。

 

『凛さん、私です』

 

「ちょうどお電話しようと思っていたところです。聖天子様」

 

 凛が言うと、聖天子は電話の向こう側で静かに問う。

 

『となると、アレの機能の停止ですね?』

 

「ええ。……本当はまだ時間がありますが、もうとやかく言っている時間はなさそうです」

 

『そのようですね……。しかし、こちらの不手際で今すぐと言うわけには行かなくなってしまいました。準備が整うまでには最低でも半日はかかるかと。全てが完了したときに連絡いたしますので、室戸教授と一緒にいらしてください』

 

「わかりました……では」

 

『凛さん』

 

 連絡を切ろうとした凛を聖天子が呼びとめ、彼はもう一度スマホを耳に押し当てる。

 

『ありがとうございます』

 

「……お礼なんて言わないでください。この惨状は僕が弱かったから招いたことです。もっと早く僕が克服できていればこんなことにはなりませんでした」

 

『そんな悲しいことを言わないでください。あの事件は誰にでも起こり得ることですが、貴方の場合は失ったものが大きすぎました』

 

「本当に貴方はお優しいですね……。では、準備が完了したら連絡をお願いします」

 

『はい』

 

 凛の言葉に聖天子が答えると、凛は通話をやめてスマホをポケットにしまいこむ。そのまま彼は三十二号モノリスの向こう側に撤退したアルデバランを睨むように一瞥したあと、杏夏達がいる体育館へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方体育館では零子と菫がパイプ椅子に向かい合いながら座っていた。

 

「やれやれね、まったく」

 

「ガストレアの数は予想を上回っていたようだな。それに、自衛隊が減った分ガストレア軍も増えている」

 

「そうね。敵が二千以上に対してこっちに残っているのは五百人。普通に見れば絶望的な数字だわ」

 

 零子も疲れた様子を見せながら天井を仰ぐが、そこで菫が小さく笑みを浮かべて告げた。

 

「だが、ただ一人を残してその絶望的な数字を覆せるものがいるじゃないか」

 

「……凛くんね」

 

「ああ。彼の力が完全に戻ればアルデバランも倒せるだろうし、光の槍とやら、まぁ水銀だが、それを撃っているガストレアも容易に倒せるだろうさ」

 

「ちょっと待って菫。水銀?」

 

 零子が手のひらを菫に見せた状態で小首をかしげた。

 

「ん? あぁ、そういえばまだ言っていなかったか。実はなあの光の槍に手足を持って行かれた負傷者を診ていたんだが、どうにも難聴やら視野の狭窄。その他手足のふるえといった『水俣病』と同じ症状が出ていた」

 

「なるほど、それで水銀ってわけね」

 

 零子も納得したように深く頷いた。水俣病はその他三つの公害病と合わせて四大公害病とされていた病だ。

 

 その病と同じ症状が確認されたと言う事は、あの光の槍の正体は圧縮されて打ち出された水銀とでも言うべきだろう。

 

「さすがにあの速度で打ち出される水銀は凛くんでもどうかしらねぇ。斬ったり弾道を逸らす事は出来たとしても、刀の方が持たないでしょうよ」

 

「まぁだろうな。だがこうも考えられる。約五キロも離れている場所からの狙撃を可能にしていると言う事は、そのガストレアは狙撃に特化しすぎてしまったんじゃないか?」

 

 菫が問うと零子は彼女が言いたいことが理解できたのか静かに頷いた。

 

「……近接戦闘には向いていないってことね」

 

「そういうことだ、近くまで行くことができれば凛くんだけでなくとも、蓮太郎くんでも倒せるだろうさ。っと……凛くんが来たな」

 

 彼女の視線の先を追うと体育館の入り口に凛の姿があった。するとそこへ先ほどまでここで仕事の手伝いをしていた延珠や木更と交代した摩那が凛の腹部辺りに目掛けてすっ飛んで行った。

 

 凛は摩那を軽く抱きとめると手伝いをしていた彼女を労うように頭を優しく撫でた。さらにそこへ杏夏と美冬も加わって今度は三人が凛を労うように声をかけていた。

 

「モテるねぇ……蓮太郎くんとは大違いだ」

 

「まぁ顔はかっこいいし強さも申し分ないし、それに優しいからかしらね」

 

「蓮太郎くんは天地がひっくり返っても勝てそうにないな」

 

 二人が肩を竦めて笑い合っていたところで摩那たちと別れた凛が菫の下へとやってきた。

 

「零子さん、菫先生。お話があります」

 

 その声どこか決意を露にした声に二人は何かに気がついたのか、彼を見据える。

 

「やるのか?」

 

「はい。……もう僕が出なければならないと思ったので。それに、力があるのにこんなところで立ち止まるわけには行きません」

 

「じゃあ聖天子様に連絡は入れたのかしら?」

 

「ええ。ですが準備に少々時間がかかるそうです。準備が完了し次第、あちらから連絡が来て迎えも来るみたいです。その際菫先生もお願いします」

 

 菫の方を見ながら凛が言うと彼女は目を閉じてゆっくりと頷いたあと伸びをしながら負傷者の方へ歩いていった。

 

「さて、ではその時間になるまで治療を続けるとしようかな」

 

 その姿を見送りつつ、凛は菫に頭を下げた。そんな彼の肩に零子が優しく手を置きながら告げる。

 

「あと少しでシフト交代だからここで待っていなさいな。拠点のほうは澄刃君と香夜ちゃんが綺麗にしてくれてるみたいだから」

 

「はい」

 

 凛は頷いたあと、仕事に向かう零子を見送りつつ体育館内で苦しげにうめく人々を見て拳を握り締めた。

 

 ……僕ががんばらないといけないんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 澄刃たちが見つけた拠点は蓮太郎達が拠点としているホテルから数百メートルの位置にある民家だった。

 

 二階の屋根には穴が開いていて部屋が一つ使いものにならなかったが、それ以外は至って正常だったため、先に来た澄刃と香夜が掃除をしておいてくれたらしい。

 

 やがて凛達がやってくると、綺麗にされたキッチンに凛が立ち支給された食料でそれなりの料理を作って皆に振舞った。

 

 皆戦場で支給された食料とは思えないほど美味な料理に舌鼓をうったあと、杏夏が淹れたコーヒーを飲んでリラックスしている中、凛が皆に告げた。

 

「皆に伝えなきゃいけないことがあるんだけど聞いてくれる?」

 

 真剣な様子の凛の態度に皆が耳を傾けた。

 

 皆が聞く態勢に入ったのを確認し、凛は一度小さく頷いて話を始めた。

 

「実は少しの間……前線を外れることになったんだ。期間はまだどれくらいかわからない。だけど、絶対に戻ってくるから」

 

 凛の言葉に彼の秘密を知っていた杏夏たちは素直に頷いた。しかし、彼女達はゆっくりと澄刃のほうを見やる。恐らくこれを聞いた澄刃が怒り出さないかどうか心配なのだろう。

 

 だが、予想に反して澄刃は至って普通であった。すると彼は杏夏たちの視線に気がついたのか肩を竦めながらため息をついた。

 

「そんな心配そうな目でみんなよ。別に凛が何を言おうが怒鳴り散らすような事は考えてねぇよ。つーか、コイツがいなくなってくれて帰って俺の目立つ場が増えて嬉しいぐらいだぜ」

 

「そやなぁ、なんやかんや言うて澄刃、凛さんに負けっぱなしやし」

 

「うっせ。……けどまぁちゃんと帰って来いよ」

 

「……うん。ありがとう澄刃君」

 

 凛が彼に頭を下げると、澄刃は「やめろ」と言うようにパタパタと手を振った。

 

「それじゃあ、蓮太郎くんにもこのことを教えてくるよ」

 

「うん? あぁ待て待て凛。里見ならさっき我堂たちがいる中学校の校舎まで行ったぜ。なんか呼び出しを食らったらしい。だから、話をするんならそのあとの方がいいんじゃねぇのか?」

 

 澄刃の言葉に凛は嫌な予感がし、弾かれるように民家を飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蓮太郎は我堂に呼び出され民警本部までやってきたのだが、どうも歓迎されているようではないらしい。

 

 それもそのはず、彼が呼び出されたのは蓮太郎のアジュバントが命令無視をしたということのけじめをつけろと言うものだったのだ。

 

 そのけじめとは、蓮太郎のアジュバントを解散処分とし、リーダーである彼を極刑に処するものという内容だった。

 

 無論それに蓮太郎が「はいわかりました」と言うわけがなく、彼は座っていた椅子を倒しながら立ちあがった。

 

「ふざけんなッ!! あそこで俺達が別動隊を倒してなきゃ皆――」

 

 瞬間、我堂の隣に控えていたイニシエーター、壬生朝霞が瞳を赤熱させ一瞬にして蓮太郎に肉薄し、彼の溝に拳を叩き込もうとした。

 

 だが、

 

「はいストップ」

 

 そんな声が聞こえると同時に朝霞の拳は蓮太郎に直撃する寸前でとまり、代わりに彼女の喉下に切先が突き付けられていた。

 

「何者ッ!?」

 

 朝霞が身を翻して刀から逃れると、彼女の拳を止めた人物――断風凛は静かに刀を鞘に納める。

 

 するとその様子を見ていた我堂が周囲で銃や刀を向けていたアジュバントのメンバー達に銃を降ろさせた。

 

「君は確か、断風凛だったか? なぜこんなところにいる?」

 

「僕の友人である里見蓮太郎くんがあらぬ容疑をかけられているようなので、それを擁護しようかとおもって推参した次第です。我堂団長」

 

「あらぬ容疑? 残念ながらそれは君が間違っているな。彼は中隊長の命令を無視して単独行動に走ったのだぞ? 確かに彼らはガストレアの別動隊を殺し、民警の全滅を防いだのかもしれんが、端から見ればそれはただの敵前逃亡にも見える。この軽率な行為は民警の士気を下げることにもつながった。そのためのツケは払わねばならんのだよ」

 

 我堂が睨むように凛を見据えるが、凛は至って冷静に彼に問うた。

 

「では、貴方に問います。極刑などと言っていますが、本当のところ処刑する気などないんじゃないですか?」

 

「ほう……」

 

「貴方が本当に彼にやらせたいことは、光の槍を打ち出すガストレア、コードネームは確かプレヤデスでしたか。それを彼単独で殲滅させることなのでは?」

 

 凛の言葉にその場にいた全員が絶句した。彼は我堂が今から言おうとしていたことを全て言って見せたのだ。皆が驚くのも無理はない。

 

 しかし、我堂だけは小さく笑みを浮かべると静かに頷く。

 

「その通りだ。例えばアルデバランをキングとするなら、プレヤデスはクイーンだ。キングを獲ろうとすれば確実にクイーンが邪魔をする。それを防ぐためにも彼にはそうしてもらいたいのだよ。

 尤も、彼がこの件を拒否すればアジュバントは解体、里見くんには死が待っていて彼のアジュバントにも相応の処罰が下るがね」

 

「……随分とひどいことをお考えのようで」

 

「時として人は非情にならなければならんのだよ。……で、どうするかね里見くん。受けるか受けないか、まぁどちらに転んでも待っているのは地獄だが」

 

 我堂は涼しげに言うが、目だけは真剣そのものだった。決して冗談などではない蓮太郎を試しているような目つきだった。

 

 それに蓮太郎は逡巡したあと、大きく息をついて言い放った。

 

「……わかった。受けてやる。だけどな、俺がいない間に延珠や木更さん、他の皆に手を出したら例え死んでもテメェをぶっ殺す!!」

 

「ふむ、いいだろう。交渉成立だ。では荷物などはこちらが用意する、君は出発までに別れを済ませておきたまえ」

 

 我堂に言われ、蓮太郎は凛と共に本部を去る。

 

 中学校の校舎から出たあたりで、凛は蓮太郎に問う。

 

「本当にあれでよかったのかい?」

 

「……ああ。俺が延珠と木更さんをまもらねぇといけないんだ。命に代えてもな」

 

「……」

 

 拳を握り締めながら言う彼に、凛はこんなときに彼のサポートにもいけない自分の不甲斐無さを呪った。

 

 ふと蓮太郎がそこで凛に振り返った。

 

「なぁ凛さん、アンタ多分いなくなるだろ?」

 

「……どうしてそう思うんだい?」

 

「なんとなくだ。けど俺は別にアンタを責めたりしねぇ。けどさ、全部終わったらアンタのこと色々教えてくれよ」

 

 蓮太郎は微笑を浮かべながら言うと、そそくさと木更たちが待つホテルまでかけていった。

 

 彼の姿が闇に消えていくまで見送った凛は、誰にも聞こえない声で呟きを漏らす。

 

「……必ず話すよ。だから、君も生きて帰って来てくれ蓮太郎くん……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜。

 

 モノリス灰に覆われた影響で星明りも何もなく、真っ暗な町並みの一角にある少し他の建物よりも背の高いビルの屋上。

 

 そこにはランタンを持った凛の姿があった。彼は一度周囲を見回したあとに告げた。

 

「そろそろ出てきても大丈夫だと思いますよ」

 

 その声に呼応するように、屋上に一人の人影が現れた。

 

 そこにはワインレッドの燕尾服にシルクハット。趣味がいいとは言えない装飾があしらわれた二挺の拳銃『スパンキング・ソドミー』と『サイケデリック・ゴスペル』。そして一番に目に付くのはニタリと笑みを浮かべているような仮面をかけた男性が悠然と佇んでいた。。

 

 男性はシルクハットのつばを軽く持った状態で静かに言い放つ。

 

「こんばんは、我が親友。断風くん」

 

「どうもこんばんは、蛭子影胤さん」

 

 かつて東京エリアに未曾有の惨事をもたらさんとした魔人--蛭子影胤に対しても、凛はまったく臆することなく挨拶を返した。

 

「今日は小比奈ちゃんはいないようですね」

 

「あぁ眠ってしまったよ。まぁ子供というのはそういうものだ。それよりも……随分と民警諸君はやられてしまったようだねぇ」

 

「ええ、あなた方が昨日の戦いに参加してくれていればもっと被害も少なかったんですが」

 

 凛が言うと影胤は面白そうにくつくつと笑った。しかし、凛はある程度彼がこういった反応を取るだろうと予想は出来た。

 

「残念ながら私は見物をさせてもらっていたよ。もとより参加する気もなかったしね」

 

「まぁ貴方はそうでしょうね。でも別に貴方のやり方にとやかく言うつもりもありません」

 

 軽く肩を竦めつつ凛が言うと二人の間に数瞬の沈黙が流れる。

 

 するとその沈黙を破るように凛が影胤に投げかけた。

 

「影胤さん。貴方に頼みごとがあります」

 

「ほう? 君が私に頼みごととはねぇ。おもしろい、話してみたまえ」

 

「実は蓮太郎くんがプレヤデスという圧縮した水銀を打ち出すガストレアを倒しに行きます。それも単独で。不躾だとは思いますけど、貴方には彼の援護をしていただけないでしょうか?」

 

「ふむ。プレヤデスか、そういえば今日の午後軽く未踏査領域を見てきたときにそのようなガストレアがいたね。まぁ私は戦うことが出来れば一向に構わんが。その頼みごとを完遂するに当たって、君は私に何をしてくれるのかな?」

 

「以前言ってありましたね。僕の過去を話すと、それを今ここでお話します。そのほかにもあるのであれば謝礼金も――」

 

「いいや、その話だけで結構だ。では話してくれるかい? 君の過去とやらを」

 

 影胤は屋上に座り込むと凛に話すように促した。凛は話だけですむとは思っていなかったのか面を食らったような顔をしていたが、すぐに影胤と向かい合うように座り込む。

 

「ではお話します。僕は――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の深夜、蓮太郎はプレヤデスを倒すために未踏査領域へ。

 

 翌日の明け方、凛は聖天子によって手配された車に菫と共に乗り込み一路聖居に向かった。

 

 それぞれの覚悟を胸に。




はい、ではこんな感じで。
影胤さん最後で出せましたしよかったよかった。

凛の過去明かしまではまだありますです。
次回は凛の体内に仕組まれたアレの話をやって、蓮太郎と影胤さんの絡みをそれなりにやれればいいですかねw
出来ればプレヤデス掃討あたりまでやりたいですが、そうすると後半が原作飯になってしまうのでもしかしたら視点が違うかもしれません。

やっぱり影胤さんはいいキャラですなぁ。
あとアニメでの小比奈ちゃんかわいかったです。危うくティナから小比奈派になるところだったぜ……

ではでは感想などありましたらよろしくお願いいたします。


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第三十五話

 聖居に到着した凛と菫はそのまま聖居内の一室に通された。

 

 そこには天蓋付きの豪奢なベッド。その周りには多くの医療機器が配置されていた。

 

「お待ちしておりました、凛さん。そして室戸教授」

 

 凛達が入ってきたのを確認した聖天子はベッド近くにあった椅子に座りながら声をかけた。

 

 二人はそれに軽く会釈すると、菫が返した。

 

「こうしてお会いするのは初めてとなりますね。聖天子様」

 

「はい。お呼び立てして申し訳ありません」

 

 聖天子は頭を下げるが菫はそれに小さく笑みを浮かべただけだ。するとそこで凛が聖天子に問うた。

 

「そういえば菊之丞さんの姿が見えませんが」

 

「菊之丞さんは防衛省に行っています。おそらく戦争が終わるまでは帰ってこないでしょう」

 

「なるほど」

 

 凛が頷いたところで、菫が「さて」と挨拶を終わりにして告げた。

 

「ではそろそろ始めるとしよう。聖天子様、準備は完了しているか?」

 

 菫が問うと彼女は静かに頷き隣にいた秘書と思われる女性に視線を送る。すると、秘書の女性は傍らにあったジュラルミンケースを持って凛と菫に見えるように開けた。

 

 ケースの中には一本の注射器が入っており、中に入っている薬品と思しき液体は無色透明だ。それを確認した菫は納得したように頷くと凛の背中をポンと押した。

 

「じゃあ凛くん、ベッドの上に横になってくれるかな」

 

「はい」

 

 凛はベッドまで行くと静かに横になった。同時に菫は医療機器の中から酸素吸入器を凛の口に取り付け、生態情報モニタから伸びる電極を凛の体に貼り付けた。

 

 モニタの中にはすぐに凛の生態情報が表示されるが、今のところは何ら問題はないようだ。

 

 すると凛の手のひらを聖天子が優しく握った。それに気がついた凛は彼女に優しく微笑みかける。

 

「大丈夫ですよ、聖天子様。絶対に帰ってきますから」

 

「……約束ですよ。嘘をついたら針千本飲ませます……!」

 

「それは怖い。是が非でも帰ってこないといけませんね」

 

 目尻に涙を溜めて僅かに凛を睨んでいる聖天子に対しても凛は笑顔を崩さなかった。

 

「やれやれ君のそのモテ過ぎなところも少し自重して欲しいものだね。聖天子様まで手篭めにするつもりかい?」

 

「そんなつもりはないんですが……」

 

「そ、そうです! 私だって凛さんは頼りになるって思っているだけですから!!」

 

 聖天子は顔を真っ赤にしながら否定したが、菫はそれが面白かったのか肩を竦めて笑みを浮かべた。

 

「まぁ君が聖天子様を落としてもそれはそれで面白くて私は好きだが……今はこっちが先だな」

 

 菫は注射器をケースから取り出すと、笑みを消して真剣な面持ちになる。雰囲気が変わったのを理解したのか凛と聖天子の顔からも明るさが消えた。

 

 それを確認した菫は深く頷いて静かに告げた。

 

「これより断風凛の体内に打ち込まれた、筋神経活動拘束ナノマシン『ヤドリギ』の機能停止のための術式を開始する」

 

 そのまま彼女は手に持った注射器を凛の腕に刺し込んだ。チクッとした痛みが凛に伝わり、凛はそれに一瞬顔を歪めるがすぐに視界がかすみ始めた。

 

「いいか、凛くん。何があっても絶対にこちら側に戻って来い。過去に囚われるな」

 

 菫のそんな声に凛が返答しようとしたと同時に凛の視界が完全に黒に染まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 凛の治療が開始されたころ、零子のアジュバントと蓮太郎のアジュバントは一箇所に集まって、凛がなぜ戦場を去ったのかを零子が説明していた。

 

「筋神経活動拘束ナノマシン『ヤドリギ』?」

 

「零子さんなんですかいそりゃあ」

 

 彰磨と玉樹がそろって疑問を浮かべると、零子はそれに淡々と説明をしていった。

 

「『ヤドリギ』はその名のとおり、被験者の体の中に打ち込まれた際に筋肉、及び神経の活動を拘束するナノマシンよ。それによってどれだけの力が拘束されるかというと、本来の力の三十パーセントから五十パーセントの力が封じられるのよ。

 あと『ヤドリギ』を打ち込むと髪の毛や目と言ったところにある変化が起きるのよ」

 

「まさか凛兄様の白髪って……」

 

 木更の問いに零子は静かに頷いた。

 

「そう。凛くんの白髪は『ヤドリギ』を打ち込んだ際に変化したのよ。そうよね摩那ちゃん」

 

「うん。凛が注射を打って一日過ぎたら髪の毛が真っ白になってたよ」

 

 摩那がソファに座りながら言うと、事情を知らない者達は困惑とも取れるような顔をしていたが、彰磨は静かに問うた。

 

「黒崎社長。凛はなぜそんなものを体に打ち込まなければならなくなった? 自らの力を封印するのだからそれだけの理由があったのだろう?」

 

「……えぇ。けれど、それは教えられないわ。その事は彼の口から直接聞いて」

 

 真剣な面持ちの零子に対し、彰磨は静かに目を閉じながら頷く。

 

 すると今度は木更が皆に告げた。

 

「里見くんは、命令違反を犯したということで私達全員の責任を取ってプレヤデスを倒しに行ったわ」

 

「無茶だろ……蓮太郎のヤツ一人で抱え込みやがって」

 

 玉樹は悔しげに歯噛みしていたが、ここにいる自分には何も出来ないことにも苛立っているようだった。

 

 延珠を見ると彼女は自分を置いて行ってしまった蓮太郎のことが心配でたまらないのかずっと一人用のソファで膝を抱え込んでいた。

 

 その様子を見かねたのか摩那が彼女の背中をポンと軽く叩いた。

 

「摩那……」

 

「まったく、なにしょげてんの。確かに蓮太郎が心配なのはわかるけどさ。私だって凛がいないから、二人でがんばろうよ」

 

「……うん。そうだな、蓮太郎ならきっと大丈夫であるよな?」

 

「それはそうですよ延珠さん。お兄さんならきっと帰ってきます」

 

 二人のやり取りを見ていたティナも話に加わってくると、延珠を元気付けるためか他の子供達も集まってきた。

 

 その姿を皆が笑みを浮かべて見守りつつも、その顔にはやはりどこか心配げな色があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同時刻、蓮太郎はプレヤデスを倒すために入った未踏査領域の中を黙々と進んでいた。しかし、どこか彼は必要以上に苛立っているように見えた。

 

 だが、彼の後ろを見てみるとその様子も頷けた。

 

「おい、影胤。俺の前を歩けよ」

 

「断る。いつ背中から銃撃されるかわからんからね」

 

 そう答えたのは仮面を被った燕尾服の男性、蛭子影胤だった。傍らにはイニシエーターであり娘でもある蛭子小比奈もいた。

 

 蓮太郎はそれに舌打ちをすると踵を返してずんずんと進んでいく。彼らに出会ったのは昨日の夜のことだ。

 

 未踏査領域に入ってすぐ、蓮太郎はモデル・ウルフのガストレアたちに襲われた。

 

 圧倒的に数が多かったことと、夜で視界が悪かったことも災いしてか蓮太郎はすぐに窮地に立たされてしまった。

 

 しかし、そんなところを救ったのが、かつての宿敵である蛭子親子だったのだ。

 

 そのまま彼らと共にキャンプをしたはいいものの、何故か二人は蓮太郎の後をずっとついてくるのだ。

 

「おい。いい加減何のために動いてんのか教えろよ」

 

「それも断ろう。クライアントとの約束なのでね」

 

「クライアントだ? またジジイの悪巧みにでも加担してるってことかよ」

 

「クク、残念ながらそれは違うよ里見くん。今回あの天童菊之丞は全く関係がない」

 

 影胤は仮面のしたで小さく笑って答えたが、蓮太郎の中ではさらに疑問が渦巻くだけだった。

 

 前を行く蓮太郎の後をついていきながら昨夜の凛の話を思い返していた。

 

 ……筋神経活動拘束ナノマシンか。そんなものを打ち込んでいるとすれば、彼は本来の力を抑えた状態で私や小比奈と渡り合ったと言うことだ。本気の彼とは一体どれほどまでの力を有しているのか……実に楽しみだ。

 

 蓮太郎に気付かれないように静かに笑みを浮かべる。

 

 ……そして彼の本質も実に面白い限りだ。彼もまたあと一歩踏み出せばこちら側にくる存在。そうなるまで私はいつまでも待とう、断風凛。

 

 そんな風に考えている彼の隣で小比奈は父の姿を見ながら口角を吊り上げて笑みを浮かべた。

 

「……パパ楽しそう……」

 

 その呟きは影胤にも蓮太郎にも聞こえる事はなく、三人はそのままプレヤデスの下まで歩いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モノリス灰に覆われた東京エリアの一角、凛の実家では庭に子供達が集まって心配そうに戦場の方を見ていた。

 

 するとその中の一人、花房美影が時江の服を引っ張りながら聞いた。

 

「ねーねー時江おばーちゃん。凛にーちゃん達だいじょうぶだよね?」

 

「もちろんさ。凛にーちゃんは強いんだからねぇ。どんなヤツが相手だって負けやしないさ」

 

「そーだよね! だって私達のヒーローだもん!」

 

 美影はとてとてと友人達の方に駆けて行ったが時江は傍らに来た珠と顔を見合わせて、皆とは別の方角である聖居のほうを見た。

 

「……御婆様。先ほど聖居の職員の方から連絡があって、凛が力を戻すそうです」

 

「……そうかい。あの子もやっと決心がついたわけだねぇ。まったく、劉蔵さんは気にしとらんと言うとるのにねぇ」

 

「凛が悩んでいたのはそれだけではなく、恐らくあの時自分に起こったことも含まれていたんでしょう……」

 

「……『りん』の名を受け継いだものには確実に現れるからしょうがないと言えば、しょうがないんだが……タイミングが最悪だったからねぇ」

 

 時江は深くため息をついた後、祈るように手を合わせた。それを見た珠もまた心配そうな面持ちで凛がいる聖居を見やった。

 

 しかし、いつまでもそうしているわけにも行かず、珠は子供達に告げた。

 

「さてみんな! 今からご飯作るから手伝ってねー」

 

 珠の言葉に子供達は大きな声で返事をする。そのまま母屋に入っていく子供達を見送りながら時江は心の中で静かに凛に告げた。

 

 ……力に呑まれるんじゃないよ凛。そして必ず帰ってきな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 漆黒の闇。

 

 まさしくそう言えるべき世界が凛の前に広がっていた。しかし、不思議なことに自身の体は確認できる。

 

 何処までも広がる闇、闇、闇……。

 

 自分が浮いているのか、立っているのか、横たわっているのか、全くわからない空間だ。

 

 そんないるだけでおかしくなりそうな空間にいながらも凛は落ち着いていた。

 

 すると、そんな闇の中に一縷の光が差し込んだ。

 

 蜘蛛の糸のように細いその光に凛が近づいていくと、段々とその光の糸が横に広がっていき、やがて真っ暗闇の空間が一転して真っ白な空間に変わった。

 

 背後を見るとそこにはもう黒い空間は存在しておらず、まるで露と消えてしまったように見えた。

 

 凛はそれを確認したあと、ゆっくりと歩き出した。今度はしっかりと足場があるようで、歩いているということが実感できていた。

 

 そのままどれくらい歩いただろうか、白い空間は無限に広がっているようで、行けども行けども終わりは見えなかった。

 

 しかし、そこでその空間に変化が起きた。

 

 凛の視線の先にふと二人の人物が現れたのだ。

 

 一人は蓮太郎達と同じくらいかそれよりも少しだけ年が低そうな黒髪の少年。

 

 もう一人は白髪の老人で、顔には深く皺がよっていた。

 

 少年の手には黒い刀が握られており、老人の方の体にはまるで何かに体を裂かれたかのような傷が深々と刻まれていた。

 

 すると少年は刀を片手に駆け出し、老人の体を袈裟斬りに断ち斬った。

 

 その速さたるやまさしく一瞬、刹那とも呼ぶべき速さで放たれた神速の斬撃に老人は成す術もなくその場に倒れ付した。

 

 老人が倒れたあとには大きな血溜まりが出来ており、老人はそのまま動く事はなかった。

 

 けれど老人の顔には苦しさがまるでなく、むしろ本望であるように笑顔を浮かべていた。

 

 しかし、少年の顔には老人の体から噴き出た鮮血がかかっていた。通常、人を殺したこの状況であれば誰しもが焦ったり、恐怖におののいたりするだろう。

 

 だがこの少年は違った。

 

 

 

 少年は笑みを浮かべていたのだ。

 

 

 

 それもただの笑みではない、残忍であり狂気と殺意に満ち満ちた笑みが浮かべられていたのだ。

 

 だけれどもそれは少年が望んだことではないのか、すぐに彼は首を振って自分を否定した。

 

『こんなの僕じゃない』と。

 

 そんな彼の姿を目を逸らさずに見据えていた凛は悔しげに歯噛みした。

 

「……これは僕の記憶か……」

 

『そういうこった』

 

 ふと凛以外の声が彼の背後から聞こえた。

 

 凛がそちらを振り向くと、自分と瓜二つの容姿をした青年が、先ほど少年時代の凛が浮かべていた以上に残忍で、狂気に満ち満ちた笑みを浮かべていた。

 

 鏡写しのような自分と瓜二つの青年の登場にも凛は動じる事はなく、ただただ青年を見つめて静かに言い放った。

 

「……久しぶりだね『りん』」

 

『あぁ、久しぶりだなぁ「凛」』

 

 二人の『りん』は互いの視線を交錯させた。

 

 だがどちらもその瞳の奥には悲しげな光が宿っていた。




あい、今回はちょいと短めでした。

凛の体内に打ち込まれたものの名前も判明させることも出来ましたしよかったよかった……。
なんか自分自身と精神世界みたいなところで会っているとなると……エスパーダに引き続きブリーチ臭が強まってしまった……!!?
ま、まぁ一護と白一護は色々反転してたけどこっちは反転してるのは性格くらいだしィ!? 断風家の秘密みたいなのも明かせるようになってきてるしィ!?
だ、大丈夫だよ大丈夫……。

次回は第二回目のアルデバラン撃退のあたりを零子さん達の視点で書ければと思います。
果たして翠はどうなるのか……真実は読者様の目でお確かめください。

そして凛が覚醒するのは第三回目ですね。

あと、読者様方のお陰でこの二次創作のお気に入り数も八百という数字までやってきました。
ここまでやってこれたのも皆様のお陰でございます。
これからは今まで以上に皆様が楽しめるようにがんばって行きたいと思いますので、応援してくださると幸いです。

では感想などあればよろしくお願いいたします。


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第三十六話

 自分と瓜二つの容姿をした青年、『りん』と対峙する凛は真っ直ぐに彼を見据える。

 

 見れば見るほど『りん』と「凛」は瓜二つだった。顔の形から目の形、眉毛や睫毛、細部に至るまで彼らは同じ容姿だった。

 

 しかし、唯一つ違うところがあった。それは髪だ。『りん』が黒髪なのに対し、「凛」は白髪なのだ。

 

『その白髪似合ってねぇな』

 

「かもね、だけどこれは君を封じた代償だから」

 

『代償……ねぇ。そう言えば聞こえはいいが実際のところはお前は俺から逃げただけだろうがよ』

 

「……そうだね。僕は君から逃げてしまった。いいや違うね……僕自身から逃げたんだ」

 

 凛は伏目がちに言うが、そこで『りん』は口角を吊り上げて笑みを浮かべた。

 

『そう、俺はお前だ。そしてお前は俺だ。なぁ凛よ、俺がどんな存在かは……時江のばーさんから聞いてんだろ?』

 

「うん。君は断風家で『りん』と言う名を受け継いだ者に継承される存在……そして君の本質は――狂気的なまでの破壊衝動と殺人衝動」

 

 すると彼は凛の言葉を遮るように首を傾けながら嘲笑した。しかし、彼がそんな態度を取っていても、凛は眉一つ動かさなかった。

 

『よく勉強してるな。そう、俺はお前の破壊衝動そのものってわけだ。まぁ俺はお前だけに存在してきたわけじゃない。さっきお前が言ったように断風家には何代かに一度『りん』という名を受け継ぐ者が現れる。

 では、その『りん』という名を受け継ぐに値する子供を見分ける方法は何だ?』

 

「……胸にある卍の紋様」

 

『そうだ。但しこれは齢十五になると消える。同時に、十五になると俺と言う存在が現れるってわけだ。

 俺が現れたその日に本来であれば儀式的にそいつが気絶させられて、今のお前みたいに精神世界で戦ってどちらか勝ったほうが外に出られるってわけだ。

 まぁ昔話はこの辺にしてそろそろ本題に入るか。今回お前がここに来たってことは力を取り戻しに来たってことでいいんだろ?』

 

 『りん』の問いに凛は静かに頷いた。すると彼はくつくつと笑い出した。

 

『たくよぉ。テメェほど自分勝手なヤツも見たことねぇぜ。だが……そういうのは嫌いじゃねぇ。力づくとかそういうのは俺が一番得意なことだからな。

 そんじゃ凛、いっちょやっか。俺が勝ったらお前の体は俺がもらう。お前が勝ったら力を戻してやるし、俺も消えてやるよ』

 

 『りん』は何処からか刀を出して凛に放った。凛はそれを受け取ると、『りん』と間合いをあけて態勢を低くした。

 

『んじゃあ、おっぱじめるとするか。負けても後悔すんじゃねぇぞ』

 

「うん、わかってる。僕は君に勝つ、そして力を元に戻して皆を救いに行くよ」

 

『ハン、できるもんなら……やってみろやぁッ!!!!』

 

 彼は吠えながら凛に向かって駆け出した。それに呼応するように凛も刀を抜き放って二人は激突した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 凛が眠っている部屋では菫が生態情報モニタを見やりながらメモをとっていた。

 

「……心拍数、呼吸、脈拍、全てにおいて異常はなし。となると考えられるのは過去の自分との決別か……はたまた別の自分との決闘か……。どちらにせよまだ彼は目覚めそうにもないな」

 

 凛が眠りについて既に半日近くが経過しようとしていた。相変わらず外はモノリス灰によって薄暗く、気分を陰鬱とさせることこの上ない。

 

 しかし、凛の隣でぴんと背筋を伸ばして彼を見守っている聖天子の瞳にはあきらめの光はこれっぽっちも見えなかった。

 

 菫はそれに「やれやれ」と言うように肩を竦めると、着ていた白衣を彼女にかけた。

 

「あ、ありがとうございます」

 

「なぁに気にするな。医者が近くにいたというのに国家元首が風邪を引いたなどと知れればことだからね。というか、少し眠ったらどうだい聖天子様」

 

「いいえ。凛さんが目覚めるまで私は彼を待ちます」

 

 聖天子は凛の手を握って強く告げた。

 

 菫はその行動を止めはしなかったが、眠っている凛の顔を一瞥して心の中で呟いた。

 

 ……こんなに思われているんだ。帰ってきたまえよ、凛くん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 プレヤデス討伐のために未踏査領域へ入り込んだ蓮太郎と、凛に頼まれて彼の護衛と協力をになっている影胤と小比奈の三人はガストレア軍団の近くまでやってきていた。

 

 だが足を運んでいる中で不可解なことを三人は発見した。

 

 ガストレア達の近くでコカインの原料となる植物である、コカの葉が食いちぎられていたのだ。

 

 その際影胤はなぜコカの葉が食われているのか疑問を浮かべていたが、一回目の戦闘を経験した蓮太郎には思い当たる節があった。

 

 民警本部を出る前に木更達や凛達が言っていたことを統合すると、ガストレア達は何か極度の興奮状態にあったという。無論これは蓮太郎も感じていたが、最初はアルデバランのフェロモンの中に独特の洗脳作用があるのではとも考えていたのだ。

 

 しかし、コカの葉が齧られている事からガストレア達が自ら自分達を興奮状態にしたということがわかる。まぁもっともガストレア達が自分で選択をしたのかはわからないが。

 

「里見くん、見たまえ」

 

 考えながら進んでいた蓮太郎に前方を行く影胤が見るように促した。

 

 茂みからゆっくりと顔を出す蓮太郎だが、次の瞬間瞳に飛び込んできた光景に顔をしかめた。

 

 そこには様々な動物をモデルとしたガストレアがひしめき合っていた。

 

 また、ガストレア達から吐き出される呼気からは腐臭のようなものが漂っているため、鼻をつまみたくなりたくなった蓮太郎だが、何とかそれに耐えた。

 

 けれどガストレア達も全てが全て満足な状態ではないらしく、手足がもげて再生しきっていないものや、目が白濁しているものなど、様々な個体がいた。

 

「里見くん、プレヤデスというのはあれじゃないかな?」

 

 影胤が指を差す方向に蓮太郎が目をやると、確かに他のガストレアとは形が明らかに違う個体がいた。

 

 大きさは目算で縦横十メートル。ティナの『シェンフィールド』からの情報と、美冬の超音波からの情報のとおりの大きさだった。

 

 その体躯は我堂達からの情報どおり口は漏斗状にとがっていた。そして一番目が行くのはパンパンに膨れ上がった腹部だった。

 

 今にも破裂しそうな腹部には恐らくであるが、例の『光の槍』もとい水銀がたんまりと入っているのだろう。

 

 しかし、そこで影胤が顎に手を当てて考え込んだ。

 

「妙だね。あの体躯では歩く事はおろか、自身で食事をすることも困難のように見えるが……」

 

 確かにそうだ。と蓮太郎も思った。確かに圧縮した水銀は打ち出せたとしても、プレヤデスが生きるための食料は一体どうやって摂取しているのだろう。

 

 すると、そんな疑問に答えるように一匹のガストレアがプレヤデスの腹の上に乗って肩を震わせたかと思うと、その口から川からとってきたのか魚をプレヤデスの口に流し込んだ。

 

「なるほど、そういうことか。どうやらあのプレヤデスとか言うやつは固定砲台だけの役割をになっているようだね。そのために生き長らえさせられているということだ」

 

「……敵ながら嫌な生き方だな」

 

「そうだね。道具として利用されるなど反吐が出るよ」

 

 影胤が言い終えると、蓮太郎の腰を小比奈が小突く。彼女はジト目でおり、「行くなら早くしろ」といっているように見える。

 

 蓮太郎はそれに小さくため息をつくと、林を大きく迂回しながらプレヤデスまで接近した。

 

 途中何回もガストレア達が蓮太郎達に気付きそうになったが、何とかやり過ごし、ついに三人はプレヤデスに手を伸ばせば届く距離まで接近することに成功した。

 

「本来であればここで爆弾を使って消滅させるつもりだったんだろうが、君の荷物は流されてしまったと言うわけだ」

 

「……あぁそうだよ。だからやる事は一つだ」

 

 蓮太郎は言うとバラニウムの義肢を構える。しかし、そこで影胤が手を出して制した。

 

「けが人は引っ込んでいたまえ。ここは私がやろう。こういうヤツの相手もしてみたいからね」

 

「残念ながらテメェの斥力フィールドじゃ力不足だ。俺に任せろ」

 

 二人が声を潜めながら言い合いをしている中、小比奈は適当な大きさの岩に腰掛けてつまらなそうに小さくあくびをしていた。

 

 だが、いくら声が小さいと言えど二人の声はプレヤデスに届いていたようで、プレヤデスの片目が二人を捕らえた。

 

 けれどプレヤデスの瞳にはまるで生気がなく、完全に諦め切っているようだった。それもそうだろう、破壊にだけ特化し続けた末路がただの固定砲台として生かされているだけの存在なのだ。自身で満足に食事も取れないその様は、植物状態の人間と同じだ。

 

「このまま言い合っていても埒が明かない。二人で仕留めるとしよう」

 

「ああ」

 

 二人が茂みから出ると周囲のガストレア達がやかましく鳴き始めたが、二人はそれを気にせずにプレヤデスに近寄って構えを取った。

 

 そして数瞬の沈黙が流れた後、二人は叫んだ。

 

「天童式戦闘術一の型三番――」

 

「エンドレス――」

 

 影胤の手には青白い燐光が収束し、やがて巨大な槍を形成。蓮太郎の腕からも薬莢が三発吐き出された。

 

「轆轤鹿伏鬼・三点撃ッ!!!!」

 

「スクリィィィィムッ!!!!」

 

 漆黒の拳がプレヤデスの腹に叩き込まれ、青き魔槍がプレヤデスの腹を貫いた。その衝撃波で周囲の地面が凹み大きな皹が生まれた。

 

 大きく膨れ上がったプレヤデスの腹が波打ったかと思うと、次の瞬間、プレヤデスは叫び声すら上げずにこの世から四散し、消滅した。

 

 プレヤデスの死にガストレア達は驚愕の声を上げるが、蓮太郎はそれどころではなかった。

 

 すぐにこの場を離れなければならないからだ。

 

 だが、先ほどの技の影響でウルフのガストレアにやられた傷が開いたのか、腹部に激痛が走った。

 

 しかし、不意に誰かに持ち上げられる感覚がして蓮太郎が視線を向けると、小比奈がむすっとした顔で蓮太郎を小脇に抱えていた。

 

「お前、なんで……」

 

「うるさい。パパとの約束だから仕方なくだよ。ホントだったら斬ってる」

 

「小比奈。今は逃げることが先決だ、急ぐとしよう」

 

 影胤はシルクハットを被りなおして駆け出す。それを追う様に小比奈も駆け出すが、蓮太郎のことなど全くもって意識していない乱暴な運び方であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蓮太郎達がプレヤデスを狩って三十分が経過したころ、民警本部に残っていた民警たちにアルデバランが動き出したと言うことが知らされた。

 

 到着は一時間も先だとのことだが、前もって準備をしておくようにとの通達だった。

 

 無論それは零子達にも知らされており、彼らは各々で準備を始めた。

 

「蓮太郎、大丈夫でしょうか……」

 

「どうかしらね。けれど彼はちょっとやそっとのことでは死なないわよ。ねぇ延珠ちゃん」

 

「うむ。妾のふぃあんせである蓮太郎がそう簡単に死ぬわがないのだ! ……そう、絶対に」

 

 付け加えるように最後の方を言っていたが延珠だが、その場にいた皆がそれに頷いた。

 

 そして皆の準備が完了したのを見計らい、二つのアジュバントの指揮を執ることとなった零子が皆の前に立って告げた。

 

「この中で一番序列が低い私が皆に何か言うのも変かもしれないけど……これだけは言わせてね。皆、生きて帰りなさい。決して刺し違えようとか考えてはダメ。無理だと思ったら逃げるか、誰かと協力しなさい」

 

 零子の言葉に皆が頷く中、玉樹が親指をぐっと立てながらニヤッと笑った。

 

「安心してください零子さん。貴女は絶対に俺が守ります! もちろん姐さんも含めて!」

 

「あーはいはい、少し黙っててバカ兄貴」

 

 玉樹は弓月に首根っこを掴まれてずるずると運ばれていったが、彼の行動で張り詰めていた空気が僅かに和んだ。

 

「んじゃ、そろそろ行こうぜ。準備も整ったことだしよ」

 

 話の区切りを見つけて壁に背を預けていた澄刃から外へと出て行く、それぞれが生き残ると言う覚悟を胸に抱いて。

 

 戦場となる平野までやってきた零子達の耳には遠くガストレア達が進撃してくる地響きが聞こえ、その中に混じってとてつもなく大きな咆哮が聞こえた。恐らくアルデバランだろう。

 

「摩那ちゃん。さっき菫から連絡があったんだけど、凛くんはまだ目ざめてないみたい。それでもいける?」

 

「ふふん、ぐもんだね社長。私は凛なしでも大丈夫だよ。それに、凛なら絶対に帰ってくるからね」

 

「そうですね。まだまだ新米の私から見ても凛さんは約束を破る人ではありませんし」

 

 するとその話を聞いていた杏夏達も答える。

 

「そうですよ零子さん。凛先輩は絶対に帰ってきます。だから私たちも生き残らないと」

 

「ですわね。わたくし達があきらめては凛さんに合わせる顔がありませんもの」

 

「そうね……。うん、そうだった」

 

 四人の言葉に零子は頷く。

 

 そん彼女らのやり取りを眺めていた翠は少しだけ鼻をスンスンと動かして彼女らの匂いをかいだ。これは翠の特技でもある『匂い占い』と言うやつである。

 

 ……なんて暖かくて安心する匂い……。本当にこの人たちの絆は強い。

 

 思わず頬を綻ばせる翠を見た彰磨も零子達を見て僅かに口角を上げた。

 

「……まったく、早く帰って来い。凛」

 

 彰磨の呟きは誰にも聞こえることがなく虚空に消えた。

 

 

 

 

 そして民警達が二回目の戦闘のために集まり終えてから三十分ほどたち、アルデバランと二千を超えるガストレア軍団が姿を現した。

 

 

 

「行くぞ諸君!! 奴らを、叩き潰せぇッ!!!!」

 

 団長である我堂の雄たけびに呼応するように民警達も各々の武器を掲げて迫り来るガストレア軍団を迎え撃つ。

 

 ガストレアの布陣は先日とほぼ同じであったためか、我堂率いるアジュバントはガストレアの軍勢を掻い潜ってアルデバランまで走っていった。

 

 そんな我堂たちの姿を遠目で見やりながら、零子達は自分達へと迫り来るガストレアを次々になぎ払っていく。

 

 だが、零子は義眼の力を解放しながらガストレアを駆逐しつつ、空を気にしていた。

 

 普通であればもうそろそろプレヤデスの攻撃があってもいいころだからだ。

 

 しかし、待てども待てどもプレヤデスの攻撃は飛来しない。そしてそれから答えに導き出すのは実に簡単であった。

 

「里見のヤツ、やったみてーッスね」

 

「そうね。さすがというべきかなんと言うか……」

 

 澄刃の言葉に肩をすくめながら答えた零子は犬型のガストレアの口にデザートイーグルの銃口を押し当てて、三発弾丸をぶち込んだ。

 

 すると彼女の死角を突いてもう一体のガストレアが飛びかかろうとするが、

 

「零子さんはやらせません」

 

 即座に反応した夏世がショットガンをリロードし、銃身をガストレアの喉奥に押し込んでから引き金を引く。

 

 バラニウム入りの散弾がガストレアの脳髄を吹き飛ばし、再生することなくガストレアは絶命した。

 

「さすがね」

 

「ありがとうございます。でも零子さん、油断しないようにしてくださいね?」

 

「ええ、わかってるわ」

 

 零子は義眼ではない方の目でウインクする。夏世もそれに笑いかけるが、そこで杏夏と共に戦っていた美冬が悲痛な声を上げた。

 

「翠ッ! そちらに行ってはいけませんわ!!」

 

 その声に全員がそちらを見た。彼らの視線の先には彰磨からはなれた翠が、走っており、さらにその先では戦場でプロモーターと逸れて両足を失っているイニシエーターの姿があった。

 

 恐らく翠はそれを助けようとしているのだろうが、なぜ美冬がそこまで声を上げるのだろうか。

 

「どうしたってのよ美冬? 確かに危ないけど周りにガストレアの姿はないじゃん」

 

 弓月が首をかしげながら問うが、美冬はそれを大きくかぶりを振って否定した。

 

「いいえ、あの足を失っている少女の真下に大きな空洞があるんですの! モグラの穴ではなく、アレは……アリジゴクだと思われます」

 

 美冬のその言葉にその場にいた全員が顔を強張らせて翠のほうを見やる。彼女はまだ少女の元まで到達はしていないが、このままでは危険なことこの上ない。

 

 瞬間、摩那達イニシエーターの瞳が真紅に染まる。それを零子は彼女らに告げた。

 

「行きなさい皆。だけど、絶対に皆で帰ってくるのよ」

 

「「「「「「「はい!」」」」」」」

 

 彼女らは全員で頷く。そしてまず最初に先陣を切ったのは美冬と香夜だった。

 

「私らで道を作る。その隙にあんた等が行きんさい!」

 

「頼みましたわよ!」

 

 二人は頷き合うと、延珠とティナ、摩那と弓月、夏世が駆け抜けられるように周囲に集まりかけていたガストレアを殲滅しに行った。

 

 その間に翠が少女の下まで辿り着いてしまい、一瞬彼女の姿が消失しかけた。だが、それとほぼ同時にスピード特化の二人が同時に地面を蹴った。

 

 ドガッ!! という轟音が響いたかと思うと、ティナを延珠が夏世を摩那が背負って駆け出していた。

 

「はああああああッ!!!!」

 

「とりゃああああああッ!!!!」

 

 雄たけびを上げながら加速する二人の背中に乗るティナと夏世は互いに頷き合うと、それぞれ摩那と延珠の背中から飛び上がって翠が落ちそうになった穴の真上へ躍り出た。

 

 穴は漏斗状になっており、まさにアリジゴクの巣そのものだった。しかし、真ん中で獲物を待ち構えているガストレアは進化が進んでいるためか、明確にアリジゴクということまではわからなかった。

 

 けれど、その残虐さ極まる口元はみるだけで相手を恐怖させるものだ。だが、ティナと夏世にそんな事は通用せずに二人はそれぞれの武器、ティナは対戦車ライフルを、夏世はショットガンから背負っていたG36アサルトライフルを構えてガストレアに照準を合わせた。

 

「私達の友人を罠に嵌めようとしたこと――」

 

「――存分に後悔させて差し上げます」

 

 二人が言うと同時に、それぞれの銃から火焔が吐かれた。

 

 ティナの対戦車ライフルの弾丸はガストレアの顎を砕き、夏世のG36の弾丸がガストレアの脳漿を蜂の巣に変える。

 

 続けざまにティナの第二射が放たれ、ガストレアを完全に死滅させた。

 

 二人はそのまま重力に従って落ちるが、その瞬間、彼女等を狙ってか鳥型のガストレアが二人に襲い掛かった。しかし、

 

「やらせるか!」

 

「遅いんだよ!」

 

 そんな声が聞こえたかと思うと、ティナを狙ったガストレアが頭から切り裂かれ、夏世を狙ったガストレアは頭に踵落としを喰らい、そのまま地面に叩きつけられていった。

 

 ガストレアを倒したのは摩那と延珠だったのだ。彼女等はそのままティナたちと地上に降りる。

 

 それと同時に先ほどアリジゴクの巣に落ちかけていた翠と両足を失ったイニシエーターの少女が弓月の糸で引っ張り上げられた。

 

「いよっと。大丈夫翠? どっか怪我してたりウイルス注入されたりしてない?」

 

「は、はい。皆さん助けていただいてありがとうございました……。それと、勝手に行動してすみませんでした」

 

 翠は尻餅をついた状態でありながらもみ皆に頭を下げた。だが、皆それを叱責する事はなく、優しく告げた。

 

「気にしなくていいよ、翠。仲間なんだから助け合うのは当たり前だもんね?」

 

「ああ。もちろんだ!」

 

 摩那の言葉に延珠はニッと笑いながら言い、後から合流した香夜と美冬もそれに頷いた。

 

「では皆さん、行きましょう。零子さん達のサポートに行かなければなりません」

 

「せやなぁ、けどこの子どーする?」

 

「さすがにこのまま置いていくわけには行かないよね」

 

 香夜と弓月が両足を失った少女を見やると、そこで摩那が手を挙げた。

 

「だったら私が安全なところまで運ぶよ。皆は先に戻ってて」

 

「大丈夫ですか、摩那さん」

 

「へーきへーき! ホラ、みんな早く行って」

 

 夏世の問いに摩那は笑顔で頷く。延珠たちもそれを確認すると少しだけ気がかりそうな顔をしつつも零子達の下へ戻っていった。

 

 彼女等を見送ったあと、摩那は少女を背負って民警たちの本部があるところまで駆ける。

 

「ねぇ、ちょっと聞きたいんだけどいい?」

 

 摩那が問うと、少女はそれに頷いた。

 

「ガストレアに足を切られたっぽいけどウイルスを注入されたり、体液を入れられたりしてないよね?」

 

「うん。それは大丈夫、斬られただけだから……でもこれじゃあもう戦えない」

 

「でも命があってよかったね。足がないだけなら生きてはいけるよ」

 

 摩那の言葉に少女は少しだけ悔しげな表情になる。恐らくこれからどうやって生きていくべきか悩んでしまっているのだろう。

 

「戦うだけが世界じゃないよ。だから絶対にその命を自分で投げ捨てるような事はしないでね? いい?」

 

「……わかった」

 

 少女はそれだけ言うとそのまま黙ってしまった。摩那もそれ以上は口に出さずに民警本部へ駆け抜けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 摩那が少女を届け終わり、彼女も戦線に復帰するために戦場へ戻ろうとしたとき、彼女の頭上を戦闘機や対艦ミサイルが通り過ぎていった。

 

 轟音と共に駆け抜けた現代兵器が戦場から離れた場所からでも視認できる、小山のようなガストレア、アルデバランの頭部に着弾して業炎が吹き上がった。

 

 衝撃波がびりびりと摩那に届いた。通常であれば頭部を破壊されたガストレアはそのまま絶命するはずだ。

 

 ミサイル攻撃によって誰もがアルデバランの死を確信しただろう。

 

 しかし、頭部を破壊されたアルデバランは倒れる事はなく、そのままゆっくりと体を反転させて未踏査領域へと帰っていったではないか。

 

 さすがの摩那もそれに顔をしかめたが、すぐに雑念を払うように頭を振ると零子達の下へ戻っていった。

 

 零子たちの元へ戻ると、誰も欠けることなく皆がいた。その中にはプレヤデス討伐から無事に帰ってきた蓮太郎の姿もあり、彼は延珠に抱きつかれて肩口の辺りをがぶりと噛まれていた。

 

 その様子に摩那もつい笑顔になりつつ零子の下へ向かう。

 

「零子さん。ただいま戻りましたー」

 

「ん、お帰り摩那ちゃん。女の子は大丈夫だった?」

 

「うん、足斬られてたけどガストレアウイルスは注入されてないみたい」

 

「そう。ならよかったわ……けれどこちらはちょっとそうでもないのよねぇ」

 

 零子は深くため息をつく。摩那がそれに首をかしげていると、夏世が彼女の肩を叩いて告げた。

 

「実は団長である我堂長正さんが戦死されたようなんです。それで次の団長として選ばれたのが、里見さんなんです」

 

「なるほどねぇ……けどなんでそれに零子さんは微妙な顔をしてるわけ?」

 

「それは里見さんが団長を勤めるには若すぎるからだと思います。零子さん自身は特に問題はないでしょうが、他の民警たちがどう出るか……」

 

 夏世も眉間に皺を寄せつつ難しい顔をすると、摩那も納得したように頷いた。

 

 すると彼女は未だ来ない凛を呼ぶように聖居の方を見やった。

 

「……まずいよ、凛」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐあッ!!」

 

 そんな苦しげな声が凛の口から吐き出された。

 

 彼の体には刀で斬られた傷が刻まれており、傷口からは止め処なく血が溢れている。

 

『どうしたよ、凛。そんなもんか? あぁ?』

 

 そう声をかけるのは『りん』だったが、彼にも頬に傷が刻まれていた。しかし、凛と比べれば傷は少ない方だった。

 

 すると凛は血を流しながらもゆっくりと立ち上がって『りん』を見据えた。

 

『ハハッ、いい目だ凛。ホレかかって来いよ』

 

 『りん』はケタケタと笑うと刀の峰を肩にとんとんと当てながらもう一方の指で凛を誘った。

 

 凛はそれに対して眉を動かすことなく、額から流れてきた血を拭って刀を構える。

 

「行くよ、りん」

 

『そうこなくっちゃなぁ!!』

 

 二人は同時に駆け出して刀と刀をぶつけ合う。

 

 刃と刃がぶつかり合って火花が散るが、二人はそれぞれ一歩も引かずに剣戟をぶつけ合った。




はい、今回はプレヤデス討伐とアルデバラン二回目撃退ですね。

翠は生きてますからご安心をw
ちゃんとこの後、翠の処遇をどうするかも決めてあるのでそれは逃亡犯編で明らかにします。

凛くんピーンチ!!
果たしてこのまま『りん』に負けて取り込まれてしまうのか!?

次はアルデバラン討伐に突入して、いよいよ凛が覚醒ってとこまでですかねー
その次に決着と言った所でしょうか。
凛の再登場は猛烈にかっこよくしたいと思っております。
まぁどこかでみたような登場になってしまうかも知れませんが……w

では感想などありましたらよろしくお願いします。


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第三十七話

 戦闘を開始してからどれくらい経ったのだろうか。

 

 すでに何十……いや、何百と剣戟をぶつけ合う「凛」と『りん』。

 

 だが、明らかに「凛」の方が劣勢だった。腕、足、腹部、背部、額、体の各部位からは血が流れ出し、表情も苦悶に歪んでいた。

 

 それに対し『りん』の方はまだまだ余裕といった表情で凛を見据えている。

 

 凛もまた彼と視線を交わすが、彼にはこの戦いの中で疑念があった。それは自分と『りん』との力の差だ。

 

 確かに彼もまた『りん』であることには変わりはない。しかし、ここまで差がつくものなのだろうかと凛は思考をめぐらせていた。

 

 同時に、彼にはもう一つの疑問があった。凛が使う技全てが自分が全く見たこともないものだったのだ。

 

 するとそんな凛をあざ笑うかのように『りん』がくつくつと笑みを零した。

 

『その技は何だ? って顔してんなぁ、凛よ』

 

「……」

 

『まぁいい機会つーか、どうせ遅かれ早かれわかることだから教えてやるか。お前が使ってる断風流と、俺が使ってる断風流にはある違いがある。

 簡単に言うとお前が使ってるのは表で、俺が使ってるのは裏だ。どういうことかわかるか?』

 

 『りん』が問うが凛はそれに首を横に振る。それに『りん』は静かに頷くと説明を始めた。

 

『俺が使ってんのは初代が編み出した技だ。しかし、お前が使ってるそれもまた初代が作り出した技に代わりはねぇ』

 

「じゃあ何が違うって言うんだ?」

 

 凛は問うて見ると、『りん』はニヤリと笑みを浮かべて言い放った。

 

『俺が使ってんのは断風流剣術じゃない。断風流戦刀術(たちかぜりゅうせんとうじゅつ)だ。これは相手をただ滅することのみに特化した殺人剣。そして、これが扱えるのは「りん」の名を受け継いだ者のみだ。

 ここまで言えばどういうことかは……わかるよな?』

 

「……君を倒せばその剣術がわかるってことか」

 

『ご明察だ。だけど残念だな凛、お前の使う技じゃ俺が使う技には勝てねぇ。それに、俺は普通の断風流もよぉく知ってる。お前が構えを取れば次に何がくるかはわかるんだよ。

 まぁこれが俺とお前の力の差の理由ってわけだ。理解できたか?』

 

 首をかしげて問う『りん』に対し、凛は小さく笑みを浮かべると刀を鞘に収めて抜刀の姿勢をとる。

 

 その様子に『りん』は「やれやれ」と言うように頭を掻いた。

 

「『りん』君がどれだけ強くても僕は帰らなくちゃいけないんだ。だから、君はここで倒す」

 

『まぁせいぜい頑張ってみろよ。どうせもうすぐ終わることだしな』

 

 そういうと彼もまた抜刀の姿勢をとり、二人はそのままにらみ合った。

 

「断風流弐ノ型――」

 

『断風流戦刀術弐ノ型――』

 

 二人はそれぞれ言う。

 

 そして次の瞬間、凛の頬からたれた血の雫が落ちたと同時に二人は地面を蹴った。

 

「幽凪ッ!!」

 

『蓬雷ッ!!』

 

 手加減なしのどちらも横なぎの抜刀術。

 

 甲高い金属質な音が響き、刃から火花が散る。

 

 二人はもう何百回目かとなる攻防を再開した。

 

 互いの存在をかけて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蓮太郎が帰還した民警本部は困惑していた。

 

 団長である我堂長正が戦死したのだ。歴戦の勇士である彼の存在は大きく、既にガストレアの負けると自棄になっている者も多くみられた。

 

 しかし、そんな中で民警本部の校庭に二人の人物を囲んで人だかりが出来ていた。

 

 人だかりを形成しているのは民警たちだが、彼等の瞳には怒りの表情が見られる。それもそのはず、今彼等の瞳に写っているのはかつて東京エリアを滅ぼそうとしたテロリスト、蛭子影胤と小比奈の姿があるのだから。

 

 だが、影胤らはそんな視線に晒されつつも、特に意に介した様子もなくあたりを見回していた。

 

 すると目当ての人物を見つけたのか、彼等は人垣を軽く払って歩き、目的の人物の下にやってきた。

 

「こんばんは、黒崎社長」

 

「ええ、久しぶりね。蛭子影胤さん」

 

 彼等が声をかけたのは零子だった。彼女は影胤に臆した様子もなく挨拶をすると、影胤は彼女の耳元に顔を寄せてささやいた。

 

「……断風くんから話は聞いていると思うが、この事は一切他言無用で頼むよ?」

 

「……わかっているわ。貴方達もよくやってくれたわね、感謝するわ」

 

「お礼などしてくれなくてもいいが……そうだな、断風くんの容態はどうだい?」

 

「芳しくないわね。未だ昏睡状態。一体いつ目覚めるやら」

 

 零子は肩をすくめて見せるが、影胤はそれにシルクハットのつばを持ちながらくぐもった笑いを漏らした。

 

 それに零子が怪訝な表情を浮かべるが、影胤は気にした風もなく告げた。

 

「いいや、彼は来るよ……彼の本質もまた私と同じで闘争を望んでいる。そんな彼が最後となるかもしれないこの戦いに現れないはずがない」

 

 彼の言葉に改めてこの男、蛭子影胤が狂っていると言うことを再確認した零子だが、そこで今まで黙っていた小比奈が割って入った。

 

「ねぇねぇ、摩那はどこ?」

 

 彼女の口元は三日月に歪んでおり、実に楽しげだった。恐らく摩那と戦おうとしているのだろう。

 

 零子は居場所を教えようかどうか迷った。しかし、そんな彼女の考えを破壊するように声が響く。

 

「私ならここだよ、小比奈ちゃん……いいや、小比奈」

 

 その声がした方を小比奈ともども零子と影胤も見ると、クローを装備した摩那が佇んでいた。

 

「摩那ぁ! 会いたかったよぉ、さ、斬り合おう!!」

 

「待って。斬りあうのは別に構わないけどさ、ここだと周りのみんなにも危害が及ぶから少し離れようよ」

 

「えー、いいよそんなの。死んだら死んだそいつが弱かっただけじゃん」

 

 小比奈は小太刀を持ちながら文句をたれる。

 

「そう、ならやらない。他を当たってもらえる? 私も用事があるからさ」

 

 そう言うと、摩那は踵を返して一瞬で跳躍しどこかへ行ってしまった。忽然と姿を消した摩那に小比奈は追いつけずにポカンと口を半開きにしてしまっていた。

 

 すると彼女のそんな様子に影胤はくつくつと笑いを漏らした。

 

「残念だったね小比奈。今のは彼女の言うことを聞いておけば戦えていたというのに。それか、彼女が振り返った瞬間に攻撃を仕掛けるという手もあったが……」

 

 と、彼がそこまで言ったところで小比奈がむくれた様子でそっぽを向いた。よほど摩那と戦えなかったことが不満なのだろう。

 

 影胤はそれに肩を竦めて見せるが、そこで零子が彼に同情するように声を漏らした。

 

「子供の相手は大変ね」

 

「あぁ。彼女等は本当に扱いにくくてならないよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小比奈たちの下から離れた摩那はある人物を探していた。

 

 その人物は割りとすぐに見つかり、彼女はゆっくりと探していた人物の近くまで歩み寄った。

 

「こんなところにいたんだ、朝霞ちゃん」

 

 その声に名前を呼ばれた少女、壬生朝霞は振り返った。彼女がいるのは校舎内の一角に置かれた死体安置所だった。

 

「どなたですか?」

 

「序列六六六位のイニシエーター、天寺摩那だよ。凛の事は知ってるよね?」

 

「六六六……あぁ、あの白髪の男ですか。彼のイニシエーターである貴女が一体何の御用ですか?」

 

 朝霞はパートナーである我堂を失っても、毅然とした表情のまま摩那を見据える。

 

 それに対し、摩那は笑みを浮かべながら彼女に提案した。

 

「実はさ、私のパートナーもある事情で今いないんだよね。だからしばらく私と組まない?」

 

「イニシエーター同士で組む? そんなこと聞いたこともありませんが」

 

「うん。だって今さっき思いついたことだもん。それで、どうかな? 組む? 組まない? もちろん無理にとは言わないよ」

 

 摩那は首をかしげながら朝霞に問う。

 

 彼女の提案に朝霞は少しだけ考えるそぶりを見せる。同時に彼女は自分の拳を止めた凛の姿を思い返していた。

 

 ……あの男、かなりの使い手だった。それにこの子もお茶らけた様に見えるが、恐らくかなりの実力者であることはわかる。

 

 朝霞はもう一度摩那を一瞥したあと、小さく頷いた。

 

「……わかりました。一時的に貴女と組みましょう」

 

「ホント? いやーよかったー。内心断られるんじゃないかとドキドキしてたんだよね。それじゃ、これからしばらくよろしくね、朝霞ちゃん」

 

「ええ、こちらこそ。ですが……」

 

 二人は握手を交わすが、その途中で朝霞が言いよどんだ。摩那がそれに首を傾けると、朝霞は僅かに頬を染めながら恥ずかしそうに告げた。

 

「ちゃんづけはやめて頂けないか? 少し、恥ずかしい」

 

「あー……。うんわかった。それじゃあよろしくね、朝霞」

 

 こうしてここに史上類を見ないであろうイニシエーター同士のコンビが結成された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の早朝。

 

 生き残った民警たちが集められていた。そこから少し離れたところには黒崎民間警備会社の面々と澄刃や玉樹達の姿も見受けられる。

 

 なぜこのように民警たちが集められたかというと、これから新団長となった蓮太郎が皆に意識表明をするとのことらしい。

 

 しかし、民警たちは朝早くから集められたことと我堂を失ったことにより皆苛立ちを露にしていた。

 

「里見リーダー大丈夫でしょうか?」

 

 彰磨の隣に寄り添っていた翠が心配そうに呟くが、彰磨はそれに小さく笑みを浮かべると彼女の頭を優しく撫でた。

 

「大丈夫だろうさ。アイツも決めるときは決める男だ。それに俺達はアイツと共に戦うことを決めているのだからな」

 

「そう……ですよね」

 

 彰磨の言葉に翠は小さくうなずくが、どうしても蓮太郎の匂いのことが気がかりだった。

 

 翠の特技『匂い占い』は本当に匂いが当てているわけではなく、直感的なものなのだ。しかし、それでも的中率は高いらしい。

 

 彼女は昨日蓮太郎と木更、二人の匂いを嗅いだのだ。もちろん任意ではなかったのだが。

 

 その時、翠が感じた彼の匂いは『滅びの匂い』だったそうだ。そして、それ以上に強い滅びの匂いがしたのは木更だったのだ。

 

 このことを伝えるべきか否か、彼女は一晩中悩んでいたのだが、結局答えは出せずに今日を迎えてしまった。

 

 ……やっぱり、どちらかに伝えておいた方がいいですよね。

 

 彼女は決心したように思いつくが、そこで目の前にいる民警たちがどよめいたのを聞いた。

 

 彼女がそちらに目をやると、そこには登壇した蓮太郎と木更がいた。だが、蓮太郎の服装はいつもの黒い制服の上に我堂が着込んでいた羽織を纏ったなんとも不思議なものだった。

 

 すると民警たちはそのことが気に入らなかったのか、口々に文句をたれる。

 

「うひゃー……すんごい不人気。我堂のおじさんとは大違いだねぇ」

 

 そう声を漏らしたのは、いつの間にか彰磨達の隣にいた摩那だった。見ると、彼女の隣には朝霞の姿も見える。

 

「まぁそれは仕方ないだろう。元来民警なんてものは自分より上の存在が気に入らないものだ。しかもそれが年下のガキだったら苛立つのもわかる。しかし、今はそんなことを言っている場合ではないのだがな」

 

「だよねー。さっすが彰磨さん、年上だけあって色々わかってるー」

 

 摩那はカラカラと笑いながら言うが、その隣の朝霞は蓮太郎の姿を見て眉をひそめていた。

 

 それもそうだ。彼が今羽織っているのは、昨日まで自分のパートナーであった我堂のものなのだから。

 

 すると今度は民警の内の一人の男が蓮太郎の話を聞かずに戦場からフケてしまおうと他の連中を煽った。

 

 それに賛同するような声も聞こえたが、蓮太郎はそれを黙って聞いていた。

 

 しかし、男はそれに対しても突っかかり始め、蓮太郎を挑発し始めた。だが、蓮太郎は傍らに控えていた木更から刀を取ると、降壇しながら刀を抜き放ち、当たり前のような動きで男の肩口に刀をつきたてた。

 

 一瞬、場が静寂に包まれたが次の瞬間、その静寂を壊すように肩口に刀を突きつけられた男が痛みによる絶叫を上げた。

 

 蓮太郎の行動を見ていたアジュバントのメンバーである玉樹や弓月は驚いたような顔をしていた。

 

 その隣では澄刃が真剣な顔で蓮太郎の行動を見ていた。

 

 男から刀を取り出した蓮太郎は周囲の民警たちに質問を投げかけた。民警たちは口々に不満をぶちまけるが、蓮太郎はそれを冷静に対処していく。

 

 そして一つの質問が投げかけられた。「こんな少数で足りるわけがない」と。

 

 確かにその質問は尤もだろう。だが、蓮太郎はそれにすら落ち着き払った態度で対応すると軽く顎をしゃくった。

 

 皆が彼が差した方を見やると、驚愕の声が漏らされる。

 

「お、おい! まさかお前負傷者を駆り出すってのかよ!?」

 

「そうだ。人員が足りないなら少しでも補給すればいいだけの話だ」

 

 その声だけ明確に聞こえた。すると、そこで彼等の様子を静かに見守っていた零子が蓮太郎達の下へ拍手をしながら歩み寄った。

 

 不意にもたらされた拍手に皆が怪訝そうな顔でそちらを見やると、零子は口元を上げながら告げた。

 

「いい考えね里見団長。確かに負傷者といってもまだまだ戦えそうな奴等はいっぱいいるみたいだし。たかが耳が吹き飛んだとか腕や足が片方吹っ飛んだとか、片目が潰されたくらいならまだまだ戦えるものね」

 

 クスクスと笑いながら言う彼女にその場にいた全員が恐怖を隠せなかった。同時に先ほど蓮太郎に肩口を貫かれた男がヒステリックな声を上げて震え声で言い放った。

 

「な、なんなんだよお前等! 狂ってる! お前等狂ってるよ!!」

 

「狂ってる? それはおかしいわね。戦争なんてこんなものよ。腕がないなら口にナイフを咥えて戦いなさい。足がないなら銃を持って戦いなさい。両目がないなら銃を乱射して戦いなさい。

 体のどんな部分が欠損していても、体が動くなら戦いなさいな。それに銃なんて撃って当たればいいんだから簡単なことじゃないのよ。そこで里見団長を狙ってるお嬢さんのようにね」

 

 その声にビクッと肩を震わせたのは二人が狂っていると言った男のイニシエーターと思われる少女だった。

 

 少女は声をかけられたことであきらめたのか銃を降ろした。

 

 それを見た蓮太郎は一度大きく息をつくと、皆に聞こえるように高らかに宣言した。

 

「いいか。もし逃げようとしたり、集団の和を乱そうとしたりするやつがいれば即刻排除する。もちろん、俺に逆らおうとしたヤツも同様だ。俺は我堂ほど甘くはないぞ!」

 

 それだけ告げると蓮太郎は木更と共に校舎内へ消えていった。

 

 あとに残された民警たちは未だにどよめいていた。

 

 そんな彼等を尻目に零子たちは集まって話を始めた。

 

「やれやれ、里見のヤツも随分と思い切った行動に出たもんだよな」

 

「まぁアレぐらい言って置かないと皆戦えないだろうからしょうがないでしょうね」

 

 澄刃の意見に肩を竦めて答える零子であるが、皆は先ほどの彼女の言動を聞いていたので若干苦笑いだ。

 

 しかし、そこで黙っていた朝霞が口を開いた。

 

「けれどあのようなやり方はただの暴君です。それで皆がついてくるなど……」

 

 朝霞は我堂のことを思い返しているのか悔しげに顔を歪めた。

 

「時には暴君になることも大切なのよ朝霞さん。特に弱気になっている連中を鼓舞するためにはね。もちろん我堂団長のやり方も正攻法でいいとは思うわよ? けど、この状況下ではああいう方が効果があったりするのよ」

 

 朝霞はそれにも何か言おうとしていたが結局何も言わずにその場は押し黙ってしまった。

 

「黒崎社長。それもそうだが……凛の容態はどうなんだ?」

 

「ダメみたいね。今さっき菫から連絡が入ったんだけれど、まだ昏睡が続いているらしいわ」

 

「断風さん……大丈夫でしょうか」

 

「大丈夫! 凛なら絶対に戻ってくるよ。約束どおりにね」

 

 翠が心配した様子で俯いたが、摩那が彼女の背をポンと叩いて笑顔を見せた。それを見た皆はうなずいたが、玉樹は影胤たちの方を見て舌打ちをする。

 

「俺は凛のことよりもあいつ等の方が気になってしょうがねぇよ。昨日はあんなことがあったわけだしな」

 

 玉樹は言いながら傍らの弓月の頭を撫でる。

 

 そうなのだ、昨日摩那が朝霞と会っていた時、校庭では影胤や玉樹たちとひと悶着あったらしく、弓月が小比奈に腹を刺されたらしい。

 

 傷は回復しているものの玉樹からすれば大事な妹を傷つけたものと一緒に戦うことは思うところがあるのだろう。

 

 喧嘩自体は木更が仲介して収めたらしいが、まだわだかまりがあるのも事実である。

 

「それは確かにそうだよね……私も初めてあの二人にであったけれど、やっぱり怖いかな」

 

「ですわね。この際協力しないとは言えませんが」

 

「けれどもまぁ、影胤は蓮太郎くんにご執心のようだから変なことしなければ突っかかってこないでしょ。それに、今は少しでも戦力が必要だしね」

 

 腕を組んでため息をついた零子に皆はそれぞれ微妙な表情を浮かべながらも静かに頷いた。するとそこにヘリの音が真上から降り注いだ。

 

 またしても報道か何かかと皆が顔をしかめるが、ヘリの胴体に刻印されているマークが『司馬重工』のエンブレムだったことに気がついた。

 

 最初は何か武装でも持ってきてくれたのかと思ったが、ヘリの中からは数人の護衛に付き添われた着物姿の令嬢、司馬未織が柔和な笑みを浮かべながら出てきた。

 

 未織は校庭に下りると同時に周囲を見回す。少しすると彼女は零子たちを発見したようで駆け寄ってきた。

 

「零子さん、元気そやな~。あと他の皆も」

 

「おかげさまでね。それで、どうしたのかしら急に」

 

「ふふん、実はなぁ、里見ちゃんに戦術指南役としてお呼ばれしたんよ。あとは他にも武器もたっぷり持って来とるし……まぁ細かい話はあとにしよ。今は作戦会議進めんと」

 

 未織がそこまで言ったところで彰磨のスマホが鳴動した。そのまま数秒はなした彼は皆に告げた。

 

「里見からだ。作戦会議をしたいようでな、三階の生徒会室まで来るようにといわれた」

 

「ほんならいこか」

 

 そのまま彼等は未織を先頭に生徒会室を目指した。

 

 途中、澄刃が未織の近くまで言って軽く耳打ちをした。

 

「随分と太っ腹じゃねぇのよ。会社赤字なんじゃねぇの?」

 

「赤字とまではいかんけど。結構な損失はしとるね。でもまぁ何とかなるやろ」

 

「そうかい」

 

 未織の言葉に澄刃は軽く肩を竦めると香夜の元に戻っていった。

 

 それから数分後、生徒会室に集まった面々に未織が作戦を説明し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 剣戟の音がただひたすらに続いていた。

 

 だが案の定と言うべきか、凛はまだ劣勢であり、その顔は苦悶に歪んでいた。

 

 けれども、彼には『りん』が扱う断風流戦刀術の動きが見切れてきていた。しかし、そんなことを思ったのも束の間、凛は腹を蹴り上げられて大きく吹っ飛ばされた。

 

「ガ……ッ!!」

 

『ボヤボヤしてんじゃねぇよ。刀使うだけが戦いじゃねぇだろうが』

 

 彼はそういうと地を蹴って飛ばされて着地した凛に肉薄する。

 

 凛もそれに対処しようとするが、ほんの一瞬。刹那の一瞬だけ反応が遅れ、無情にも『りん』の刀が凛の胸を切り裂いた。

 

 途端、鋭い痛みが走り鮮血が周囲に舞い散った。

 

 だがそれだけで『りん』の追撃は止む事はなく、立て続けに肩口から斜めに切り下ろされた。

 

 その攻撃でついに凛は力なく膝から崩れ落ちる。

 

 そのまま倒れ付した彼を一瞥しながら『りん』は吐き捨てた。

 

『テメェの負けだ。なぁに安心しろ。お前の仲間は守ってやるよ、俺だって鬼じゃねぇからな』

 

 彼の言葉には嘲笑はなく、ただ本心で言っているように聞こえた。

 

 それを聞いた凛は僅かに口元に笑みを零した。

 

 

 

 

 ……負けたんだね、僕は……。本当に情けない、自分過去とも向き合えずに結局負けるなんてね。

 だけど、これでよかったのかもしれない。情けない僕が帰っても、弱い僕が帰っても。きっとみんなを守ることなんて出来ない。

 ごめんよ、皆。

 

 心の中で凛は皆に謝罪した。

 

 既に指一本にすら力が入らず、頭が重く、寒くもないのに寒さが襲ってきていた。

 

 ……『りん』君は本当に強い存在なんだね。君と分かり合ってきた歴戦のりん達はどれほど強かったんだろうね。

 だから、強い君に託すよ。皆を守ってあげてほしい。僕にはもう……無理だ。

 

 そんな風に思ったとき、光の灯っていない双眸から涙が零れた。

 

 ――あきらめるのか?――

 

 ふとそんな声が聞こえたような気がした。

 

 例えるなら若い女性の声。一番近しい人物で例えるなら、零子が妥当なのだろうか。

 

 ……だれ?

 

 ――誰であろうと構わん。我は断風家全員にいるもの。まぁこれを知っておるのはお主ぐらいだろうがな。

 しかしそんな事は今はどうでもよい。凛よ。貴様、どうして諦めようとしている?――

 

 ……それは……。

 

 「負けたから」と凛は言いたかった。けれど、どうしてもいえない。まるで自分がまだ負けていないと本能が叫んでいるようだった。

 

 ――そう。お前はまだ立ち上がれる。冗談や茶番で言っているのではない。お前は立って『りん』に勝つことが出来る。

 お前はもう、そのことに気がついているのではないのか?――

 

 ……。

 

 ――わかっているなら立って戦え。それに、こんなところで負けておったら、約束を破ることになるぞ?

 待たせている者達がいるだろう。家族、親友、仲間……皆との約束だったではないか。『必ず帰る』と。ならばそれを貫いて見せろ。

 

 途端、凛の脳裏に待たせてきた仲間たちの顔がよぎった。杏夏、美冬、零子、夏世、澄刃、香夜、蓮太郎、延珠、木更、ティナ、彰磨、翠、玉樹、弓月。アジュバントとして共闘したかけがえのない仲間達。 

 

 次に思い出したのは実家で待つ珠、時江、多くの子供達。

 

 自分のわがままを受け入れて理解してくれた聖天子や、武器を新たに開発してくれた未織、様々な情報を提供してくれた菫。

 

 そして、自らのことを信じ、いつも明るい笑顔を見せてくれる相棒、摩那。

 

 ――断風家の男児たるもの、自分自身に負けるなど許しはせん。もう一度立ち上がって、己の力を証明しろ。

 ここで負けると言う事は、彼等に対する裏切りと同意ぞ――

 

 ……裏切り。

 

 ――そう。裏切りだ。貴様はこんなところで消えてはならん。だから、頑張れよ凛。

 

 『頑張れ』と言う言葉を聞いた瞬間、凛の脳裏では摩那がそう叫んでいるように聞こえた。

 

 ……わかり、ました。誰かは知りませんが、ありがとうございます。

 

 すると、凛の双眸にスッと光が戻った。

 

 同時に体中が熱く、沸騰したような感覚に襲われた。

 

 だが、その感覚が凛の動かなくなった四肢を動かせるようにしたのだ。

 

 彼はゆっくりとではあるが、立ち上がり始めた。傷口からは止め処なく鮮血が溢れ、口からも喀血している。

 

 しかし、凛は刀を持って立ち上がるとゆっくりとそれを鞘に収めて抜刀の姿勢に入る。

 

 既に凛から踵を返していた『りん』は背後の気配に気がついたのか振り向いた。

 

『おいおい。タフにもほどがあんだろ、やっぱり心臓に一撃入れた方がよかったかね』

 

 彼はそう一人ごちると自身もまた抜刀の態勢に入る。

 

「り、ん。……僕、はこの一撃……にすべて、を賭ける」

 

『ハッ! その一撃で終わりにするって!? おもしれぇやってみろよ凛!!』

 

 そう吠えた『りん』を、凛は今まで見せたこともないほどの鋭い眼光を光らせて睨み付ける。『りん』もそれに気がついたのか、先ほどまでの笑みを消して凛を見据えた。

 

 次の瞬間、弾かれるようにして二人は同時に駆け出した。

 

 ……一度は諦めた。だけど……! 僕はみんなと約束した。必ず帰るって!! だったら、それを守らないといけないんだ!!

 

 歯を食い縛り、傷口からはさらに血が舞う。

 

 体はぼろぼろで、今にも崩れてしまいそうだ。

 

 しかし、皆との約束を守るため、凛は己を奮い立たせる。

 

 そして、『りん』の方が先に抜刀術を放った。

 

『断風流戦刀術奥義二式――滅離崩翼(めつりほうよく)ッ!!』

 

 まさに神速。神をも殺せるのではないかというほどの斬撃が凛の首目掛けて放たれた。

 

 瞬間、凛は瞳をカッ! と見開き迫り来る刀をありえないほどの速度で避けきって見せた。

 

『なッ!?』

 

 驚愕の声を上げた『りん』であるが、その隙に凛が詰め寄って――叫んだ。

 

「断風流奥義新ノ型――夢想刃(むそうじん)幻乖光芒(げんかいこうぼう)ッ!!」

 

 叫びと共に放たれた物理法則を無視したような速さで放たれた斬撃を『りん』が避けられるはずもなく、まともに喰らった彼の後ろで凛が刀を鞘に納めると同時に、『りん』の四肢にひびが入り、次の瞬間彼の四肢は完全に砕けて消えた。

 

 最後に残ったのはかろうじて息をする四肢をなくし、胸に十字の傷を刻まれた『りん』の姿だった。

 

 しかし、『りん』は何処となく満足そうな笑みを浮かべていた。




ついにここまできた!

断風流戦刀術のネーミングについては触れないでください……w
はい、凛の新技ですな。
あれの詳細は次のお話で細かく説明します。

次はいよいよ最後のアルデバラン戦でございます。
果たして凛はどのような登場をするのか、そして凛の新武装もいよいよ明らかになりますです。

次で終わりの一歩手前って感じですかね。

では感想などありましたらよろしくお願いいたします。


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第三十八話

 『りん』が背後で倒れるのを感じ取った凛は血が溢れ続ける傷口を押さえてその場に肩膝をついた。

 

 しかし、彼はそのままゆっくりと立ち上がると四肢を切断された『りん』の下まで歩み寄った。

 

『……また勝てなかったぜ、嫌になるな』

 

 四肢を切断され、胸には十字の傷があると言うのに彼はあっけからんとした様子で呟いた。

 

 凛は傷の痛みも忘れて目を見開きそうになったが、静かに彼に問うた。

 

「痛みとかはないわけはないよね?」

 

『ったりめぇだろうが。超いてぇよ。けどな、昔にもこんなことがあってよ。慣れちまったわ』

 

「慣れたって……」

 

 そこまで言ったところで凛は自分の体に起こった異常を感知した。そのまま自分の体に視線を落とすと、先ほど『りん』に斬りつけられた傷が見る見るうちに回復していたのだ。

 

 同時に、『りん』の体も切断された四肢が体にくっつき、傷が治癒していった。

 

 その光景に凛がポカンとしていると、完全に傷が修復した『りん』が「いよっ」と言いながら跳ね起きた。

 

「どうなって……?」

 

『あん? あぁ、まぁこれは俺がお前に負けたって認めたからっつーか、なんつーかそんなもんだ』

 

「けど、僕も一度は負けたって思ったけど?」

 

『そりゃああれだろ、お前の理性では負けたって思ってたんだろうが、本能が負けたくないって思ってたから直らなかったんじゃねぇの?』

 

「そういうシステムなの?」

 

『さぁ? 俺もそこまで詳しくねぇし。つーか、んなことはどうでもいい。お前、最後俺に喰らわしたあの技なんだ? 見たことねぇが』

 

 肩をすくめて問う『りん』に凛は静かに頷いて語りだす。

 

「アレは僕が考えたんだ。最初の一撃で横真一文字に切り裂いたあと、縦に切り払って鞘に収めると、四肢へ衝撃が端って爆散って感じなんだけど」

 

『エグイなおい。……まぁその辺はさすがというかなんと言うか。しかも戦ってる中で即興で作るとは恐れ入るぜ。っと、こんなこと話してる場合じゃねぇか』

 

 彼はそういうと、パチンと指を鳴らした。同時に彼等の背後にこれまた真っ白な扉が現れた。

 

『いけよ、摩那達が待ちくたびれてるんだろ? あぁそうだ、力のほうは目が覚めれば戻ってると思うぜ』

 

 薄く笑みを見せながら彼は顎をしゃくって扉を指した。その体は段々とだが手足の末端から薄くなってきていた。

 

「『りん』君は……消えてしまうのかい?」

 

『そりゃな。でもまぁまた新しい『りん』が生まれれば俺はまた生まれるさ。俺はそういう存在なんだからな。ほれ! くだらねぇこと話してないでさっさと行け。この甘ちゃんが』

 

 彼は凛を突き放すように彼の肩を押した。凛は一瞬それに戸惑ったように見えたが、彼は深く頷くとそのまま扉へ向かって歩き始めた。

 

 やがて凛の手がドアノブにかかった時、『りん』が背後から声をかけた。

 

『凛! そのまま振り向かずに聞け。……お前はきっとこれからとんでもない戦いに巻き込まれる。その時、人を殺さなくちゃいけない時もあるだろう。だがな、絶対に迷うな。お前が信じた道を行け、お前の正義を貫けよ』

 

 その言葉に背を押されながら凛はドアノブを回し、扉を開け放った。完全に扉が閉まりきる前に凛は背後の『りん』に見えるように手を高く挙げた。

 

 それを確認した『りん』は僅かに笑みを浮かべて凛を見送った。

 

 扉が完全に閉まり、一人白い空間に残された『りん』は大きくため息をつきながら誰かを呼ぶように声を張った。

 

『いい加減出て来いよ。「(りん)!!」』

 

 その声にこたえるように『りん』の目の前に透き通るようなサラサラとした長髪の女性が姿を現した。

 

 彼女は煌びやかな着物に身を包んでおり、その佇まいからは大人びた雰囲気が醸し出されていた。しかし、表情は悪戯が成功した童女のように笑みを浮かべている。

 

『ったく、いくら子孫の凛が気になるからって口添えまでしてやる気出させんなよ初代断風さんよ』

 

 初代断風――。そうよばれた彼女は口元に手を当ててクスッと笑う。

 

 そう、この人物こそ先の戦いで凛の心を回帰させた人物であり、断風流初代当主、そして初代りんである。

 

 彼女は笑みを浮かべたまま『りん』を見ると静かに告げた。

 

『それは悪いことをしたな。しかし、現断風家当主である凛は我の子も同然。子を助けてやるぐらい大目に見ろ』

 

『あーそうかい。まぁアンタのわがままも今に始まったことじゃねぇから何もいわねぇけどよ。……初代断風であるアンタから見て凛はどうだった?』

 

『強いな。まぁ精神的なものはこれからまだ成長の余地はあるとして……戦闘能力は全盛期の我を超えるだろう』

 

『マジか? 確かに強いとは思うが……本当にそこまで行くかね?』

 

 若干の疑念を抱きつつ彼女に問うと、麟は誇らしげに胸を張ると力強く言い放った。

 

『我の目に狂いなどない。凛は今までの断風の中で最強になるだろう。しかし、それになるにはもう少し時間が必要だろうがな』

 

『へぇそうかい。……おっと、俺もそろそろリミットか』

 

『む? そのようだな』

 

 『りん』が自身の体を見ると、既に胸の近くまで透明になって来ていた。それに対し、彼は口角を上げると、

 

『んじゃ、俺はまたしばらく眠るわ。またいつかな』

 

『ああ、またな』

 

 彼女が返すと同時に、凛の姿は白い世界に溶け込むようにスッと消えていった。それを見送った麟は子孫である凛を思い浮かべながら静かに呟いた。

 

『頑張れよ、凛』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蓮太郎は焦っていた。

 

 今、彼等民警が展開しているのは当初の本部から離れた『回帰の炎』まで下がっていた。

 

 未織が到着して新たに立案された計画は、アルデバランの中である爆弾を起爆させることだった。

 

 その爆弾の名は『エキピロティック・ボム』略称で『EP爆弾』という。これは司馬重工の技術者達が開発した特殊爆弾だ。

 

 破壊力は未織お墨付きであり、自衛隊がアルデバランに落とした五百ポンド爆弾の二十倍の破壊力があると言う。

 

 しかして、それだけでアルデバランは倒せないと言うのが未織の見解である。結果導き出された作戦は、アルデバランの体内に直接『EP爆弾』を叩き込み、体内で爆破してアルデバランを塵も残さず消滅させると言うのが今回の作戦『レイピア・スラスト』であった。

 

 そして、EP爆弾をアルデバランに叩き込むのは他でもない蓮太郎なのだ。未織が言うには「凛さんが追ったら二人で協力してで来たんやけど……」と非常に悔しげな表情を浮かべていた。

 

 だけれど、蓮太郎の焦燥――いや、蓮太郎達民警の焦燥には別の理由もあった。

 

 この『レイピア・スラスト』が行われるのはアルデバランが進行してくる時間、つまり夜だ。未だ厚いモノリス灰の生で月明かりや星明りは期待できないため、大量のサーチライトを使いアルデバランを補足するのが当初の予定であったのだが、そのサーチライトを動かすためのバッテリーが未だ到着していないのだ。

 

「クソッ! なんでバッテリーが届かないんだ!!」

 

 歯を食い縛って苛立ちを露にする蓮太郎だが、表情には苛立ち以外にも不安の色が写っていた。

 

 しかし、それは皆同じなようでざわめきの声も多く聞こえた。傍らの延珠もまた不安げな顔をしている。

 

「もしこのままバッテリーが到着しなかったらどうするつもりだ? 里見よ」

 

「黒霧……」

 

「まぁ団長はお前だ。俺はお前に従うさ、この状態でも一応は戦えるしな」

 

「確かにウチらなら平気やけど……他の連中は結構キツイんちゃうの?」

 

 澄刃を見上げつつ言う香夜は笑みを浮かべているものの、僅かながらその表情の中には皆を心配している色が見える。

 

「なぁ黒霧。……凛さんはくると思うか?」

 

「断定はできねぇ……が。アイツは約束は何が何でも守るヤツだよ。特に仲間のこととなると人一倍な」

 

「じゃあ」

 

「ああ、くると思うぜ? んじゃ、まだ時間はありそうだからいろいろ調整しとくわ。香夜、行くぞ」

 

 澄刃はくるりと踵を返して玉樹たちの下へ帰っていった。そのあとにトテトテと香夜も続く。

 

 確かに、アルデバランの襲撃まであと三十分近くあった。先ほどティナに確認したところ、まだ目視圏内には入っていないらしい。

 

 しかし、時折彼方から聞こえてくるガストレア達の咆哮は生き残った民警たちを脅しているようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 零子は未織と並びながら話をしていた。

 

「未織ちゃん。単刀直入に聞くけれど、凛くんの新武装は完成したのかしら」

 

 内心、零子は少しだけ不安が残っていたのだ。もし凛が目を覚まして戻ってきたとしても果たして彼の力に耐えうるだけの武器があるのかと。

 

 すると未織はそんな不安を消すように悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 

「もちろんや。凛さんの新武装はもう出来上がっとるよ。全てにおいて司馬重工最強の刀になっとる。

 それ以外にも、色々凛さんに新しい兵器と言うかオプションもつけといたで」

 

「オプション?」

 

「まぁそれは見てからのお楽しみやな。因みに武装は聖居に送ってあるから心配あらへんよ」

 

 未織の説明に零子は静かに頷くと聖居の方を見やりながら呟いた。

 

「帰ってきなさい。凛くん」

 

 そんな零子の近くでは、摩那と朝霞が肩を並べており、摩那は真剣な面持ちで零子と同じように聖居を見やっていた。

 

 その時、彼女の肩を隣にいた朝霞が軽く叩いた。

 

「心配なのか?」

 

「……少しだけね。大丈夫だって言う事はわかってるんだけどどうしても心配しちゃうよ」

 

「摩那。私はあの男、断風凛とは一度しか会っていないから深いことまではわからない。しかし、ただひとつわかることがある。

 あの男は武人だ。長正様とはまた違うタイプではあるが、彼も芯がしっかりとしている感じがした。

 だから、心配する必要はないと思う。それに、お前を見ていれば彼とお前が固い絆で結ばれているのもわかる。きっと戻ってくる、その時彼を笑顔で迎えられるように生き残るべきだろう」

 

「朝霞……」

 

 我堂の横に並んでいたときには決して見せなかった優しげな表情に、摩那も思わず笑みを綻ばせると力強く頷いた。

 

「うん! そうだね。いやー、私としたことがナイーブになってたよー」

 

 後頭部をぽりぽりと掻きながら笑う摩那につられて朝霞も僅かながら笑顔を浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから二十分たっても、結局バッテリーは届くことがなく、ガストレア達の赤い瞳が目に見えてくる距離に迫ってきていた。

 

 蓮太郎は止む終えず総員突撃命令を下そうとするが、そこで摩那が「あっ」と声を上げた。

 

 その声に全員が摩那の視線の先を追うと、そこにはオレンジ色の暖かな光がぼうっと東京エリアの空に浮かんでいた。

 

 それも一つ二つではない。数百、数千をゆうに超えているであろう光が空高く上がっていた。

 

 蓮太郎をはじめ、誰もが「なんだろう」と首を傾げかけた。だが、そこで零子が声を漏らす。

 

「幻庵祭の熱気球……。なるほど、聖天子様の考えかしらね」

 

 その声を蓮太郎が聞き終わったとき、自身のスマホが鳴動したことを感じ、蓮太郎は画面をタップする。

 

『里見さん、私です』

 

「聖天子様。アンタの計らいか?」

 

『はい。ただいま東京エリアの国民を集めて皆に熱気球を上げてもらっています。これだけの光が集まれば照らせるのではないでしょうか』

 

「……見えてるよ。ガストレアの姿も、しっかりと見えてる」

 

『それはよかったです……。里見さん、あの光の一つ一つは東京エリア全員の願いです。この戦いで敗北すれば、東京エリアは壊滅し人々は蹂躙され、殺されてしまいます。そうならないために、貴方方に全てを託します。

 凛さんがいないこの状況でも貴方ならきっとやり遂げると、私は信じています。だから勝って下さいッ』

 

「ああ、わかった。俺が――いや、俺達が東京エリアを救ってみせる」

 

 蓮太郎は聖天子に告げると、通話を斬ってスマホをポケットに押し込んだあと、ガストレア達に視線を向ける。

 

 オレンジ色の光に照らされたガストレアは外周区の町付近まで迫っている。

 

「里見くん!」

 

「お兄さん!」

 

「蓮太郎!」

 

 木更とティナ、そして延珠の声が聞こえ、蓮太郎は皆に号令をかけた。

 

「行くぞッ!! 総員、攻撃開始ッ!!!!」

 

 その言葉を待っていたというように、街中に配置されていた銃火器が火を噴いて前列のガストレア達を吹き飛ばしていく。

 

 最終決戦の火蓋が落とされたのだ。

 

 巻き上がる砂煙。

 

 燃え盛る火焔。

 

 耳を貫く爆音。

 

 それらが蓮太郎に届いたころ、彼は拳を強く握り締めて言い放った。

 

「行くぞ、アルデバラン。人間を舐めるなよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蓮太郎との会話を終えた聖天子は覚束無い足取りながらもゆっくりと凛が眠る部屋へと向かっていた。

 

 扉の前に立つと、彼女は震える唇をキュッとつぐんでドアノブを回した。

 

 内心で凛が起きていて欲しいと彼女は願っていた。

 

 ……お願いします、凛さんッ!

 

 まさに神に祈るような心持で部屋に入って凛が眠るベッドを見やる。

 

 が、そこに彼の姿はなかった。

 

 一瞬、彼女は何が起きているのかわからなかった。確かに、先ほどまで眠っていた彼の姿がなくなっているのだ。驚くのも無理はない。

 

 すぐに彼女は被りを振ると、部屋を見回した。

 

 そして、彼を見つけた。

 

 外から差し込むオレンジ色の光に身を照らされ、下半身は黒のカーゴパンツにブーツ。さらに腰にはベルトで固定された腰マント。

 

 上半身はファスナーがついたニット素材のタンクトップ。その上には黒のジャケットを羽織った、いつもの白髪ではなく、黒髪の凛の姿がそこにあった。

 

「……凛さん?」

 

 思わず出た言葉は疑問系だった。すると、彼女の言葉を聴いた凛は振り向いて優しく笑みを浮かべた。

 

「お待たせして申し訳ありません。断風凛、ただいま帰還しました」

 

 その声を聞いた瞬間、聖天子は目に大粒の涙を溜めながら彼に走りより、彼の胸を駄々っ子が叩くように叩いた。

 

「……遅すぎますよ……! 私が、どれだけ……どれだけ心配したと思っているんですか……!!」

 

「……すみません」

 

 聖天子の震えた声に凛は笑みを消して神妙な面持ちになると、彼女を軽くであるが、宥めるように抱きしめた。

 

「本当に……ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」

 

 凛が謝罪をすると、聖天子は涙を乱暴に拭ってきりっとした眼光で彼を見据えて言い放った。

 

「では、その気持ちを行動で示してください。断風凛、貴方にはこれからアルデバラン討伐作戦へ戻っていただきます」

 

「御意に」

 

 凛は聖天子からはなれ、彼女の前で方膝をついて頭を垂れた。

 

 聖天子はそれに頷くと「ついて来てください」とだけ告げると扉の方へ歩み寄った。

 

 しかし、その途中彼女は思わず態勢を崩してしまって転びそうになってしまう。

 

 するとそんな彼女の背を優しく持った凛が彼女を抱えて部屋から飛び出した。

 

「な、なにを」

 

「少々荒っぽいですが、今は時間がありません。聖天子様、通路を案内してください。そこに僕の新武装があるんでしょう?」

 

「はい、では次の角を左です」

 

 凛はそれに頷くと、聖天子に言われたとおりの道順を進んでいった。

 

 時間にして凡そ一分ほど経っただろうか。それだけ走ると、凛と聖天子の前には暗証番号でロックされた堅牢な扉があった。

 

 聖天子は凛から降りると、横に設置された端末を操作してロックを外す。

 

 ガチャンと言う音がして扉がゆっくりと開き、自動的に中の様子が照明によって照らされた。

 

「入ってください」

 

 聖天子に促され、凛が中に入ると、そこには黒塗りの大型バイクが鎮座していた。鈍く光る黒いボディはバラニウムだろうか。大きさは普通の大型バイクよりもさらに大きめであり、前輪とハンドルまでの長さが妙に長くなっていた。

 

「これは……」

 

「本日早朝。司馬重工の司馬未織さんが運びこんだ、戦闘用バイクだそうです。大本はV-MAXというバイクだそうで、そこに未織さんなりのチューニングを施し、最高時速は200km。さらにニトロブースターによって加速も絶大だそうです。あと、バックギアもつけているとのことです。

 そしてもう一つの機構が、これです」

 

 聖天子はバイクのハンドル部分に取り付けられたあるスイッチを押した。それに呼応するように前輪とハンドルまでの間の装甲が展開し、その中には左右で計六本のバラニウム刀が差し込まれていた。

 

 そして、バイクの全容をみた凛はただ一言。

 

「FF○AC?」

 

「はい?」

 

「あ、いえ。何でもありません」

 

 聖天子が小首をかしげたことに凛は口をつぐんでもう一度バイクを見つめると、未織のことを思い浮かべながらなんとも微妙な顔を浮かべた。

 

 ……すごく未織ちゃんの趣味と言うかなんと言うか……まぁ作ってくれたから文句はないんだけどね。

 

 そんなことを凛が思っていると、聖天子はバイクの近くにあったデスクまで行くと、刀を両手でしっかりと持って凛にそれを手渡した。

 

「これを。未織さんが造った最高の刀だそうです」

 

 彼女が渡した刀は濃い藍色の鞘に収まっており、鍔はバラニウムで出来ているのか、黒く輝いていた。柄巻は鞘と同じく濃い藍色だ。

 

 だが、一番目を引くのは刀身の長さだった。普通、日本刀の刀身の長さと言うのは凡そ七十センチのものが多いと言う。

 

 しかし、この刀の刀身はゆうに一メートルを超えていた。大体で言えば一メートル二十センチほどだろうか。

 

 凛はこの刀の形状にもどうしても某有名ゲームを連想してしまうのか一瞬顔をしかめたが聖天子から刀を受け取ると、どこか懐かしい感じがした。

 

「……本当に冥光と上手く融合させたんだね」

 

 小さく言った凛は刀をゆっくりと抜き放った。刀はバラニウム製の黒い刀身であったが、刀身の所々には僅かに蒼く輝く部位があった。同時に、刀は鳴いているかのようにヒィンという音を小さく放っていた。

 

「この刀もあのバイクの車体のあたりに格納できるとのことです。……では凛さん」

 

「わかりました」

 

 凛は刀を納めつつ頷くと、こなれた様子でバイクに跨った。聖天子から受け取った新しい刀を車体近くにある格納場所に差し込む。

 

 そうして凛がいよいよバイクのハンドルに手をかけると、バイクに埋め込まれたモニタに『登録完了』の文字が浮かび上がった。

 

「これでこのバイクは凛さんのみにしか扱えなくなりました。凛さん、起きてすぐに申し訳ないと思いますが、東京エリアをお願いします」

 

「申し訳ないなんて思わないでください。これは僕の責任ですから。では、行って来ます」

 

 凛はそういうとバイクのエンジンをかけた。同時に室内後方にあるハッチが開き、バイクを留めていた留め具が外された。

 

 そのまま凛はバックギアにギアを変換すると、室内からバックで出るとギアを直してアクセルを回して聖居から戦場へと向かった。

 

 ……今からいくよ、皆。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦場はまさに混沌と化していた。

 

 しかし、当初の目的のとおり、蓮太郎を送り出すため皆が協力してガストレアを狩っていた。

 

 蓮太郎を先頭に走る中、彼等の目の前にステージⅢと思われるガストレアが立ちはだかる。

 

「チッ! こんな時に!」

 

「任せて!」

 

 蓮太郎が舌打ちをするが、そこで後ろにいた摩那が地を強く蹴って飛び上がるとガストレアの頭を吹き飛ばした。

 

 すると、そのガストレアの影に隠れるようにして佇んでいたガストレアが大口を開けて彼女を丸呑みにしようとしていた。

 

 けれど、次の瞬間その口は上から飛来した少女、朝霞によって強制的に閉じられた。

 

「さっすが朝霞。コンビネーションバッチリだね」

 

「あまり出すぎるなよ、摩那。お前が強いのは知っているが万が一と言うのもあるからな」

 

「はいはーい」

 

 あっけからんとした様子で返事をする摩那に朝霞は小さくため息をつく。しかし、蓮太郎は彼女たちの戦いぶりを見て自分達よりも強いのではないかと思ってしまった。

 

 すると、そんな彼の後ろでガストレアが切り裂かれた。途端、空中から飛来したガストレアもショットガンの弾丸によって撃墜させられた。

 

 見ると、澄刃がガストレアを叩き斬り、夏世が銃殺したようだった。

 

「蓮太郎くん、行きなさい。ここは私達が食い止めるわ」

 

 そういう零子も脇からやってきた小型のガストレアを二丁の銃で掃討する。

 

「速くアルデバランを倒してきて、蓮太郎!」

 

 そんな彼女と背中合わせでガストレアをなぎ倒していく杏夏も蓮太郎を促した。彼もそれに頷くと、延珠や木更たちと共にアルデバランに接敵するために一気に駆け出した。

 

 彼の後姿を見送った零子達はそれぞれ視線を交錯させる。

 

「さて、んじゃあいつ等のとこにあんましいかねぇように俺達も頑張りますかね」

 

「そうね。でも皆無理はしないように」

 

「了解です」

 

 口々に言うと、皆自分たちの前に現れたガストレアを倒すために視線を戻した。

 

 それから数分後、零子たちの前には多くのガストレアの屍骸が転がっていたが、杏夏と美冬の姿が見えなかった。

 

 途端、零子たちの顔に不安がよぎる。

 

 そんな時だった。

 

「零子さーん。すみません、ちょっとガストレアを追っているうちに深追いしすぎちゃいました」

 

 零子たちの視界の端から杏夏と美冬が駆けてきていた。距離的には200メートルあるかないかくらいだろう。

 

 杏夏達が帰ってきたことに皆安堵の表情を浮かべるが、次の瞬間その表情は一気に絶望のそれに変わった。

 

 その視線を辿ると、なんと杏夏達の背後、と斜め背後からトラ型やと思われるガストレアが音も無く現れ、二人に飛び掛らんとしていた。

 

「杏夏ちゃん! 伏せなさい!!」

 

「え?」

 

 零子のただならぬ声に杏夏も何が起きているのか振り向いて確認しようとした。しかし、それが拙かった。

 

 背後から迫るガストレアに杏夏も応戦しようと銃を抜こうとしたが、焦っていたためか取りこぼして銃を落としてしまった。

 

 それを見た摩那が駆け出そうとし、零子が銃を構えたがもう間に合わなかった。

 

 ガストレアの手は杏夏と美冬に届くところまで来ており、摩那が走ったとしてもどちらかが犠牲になる事は必然だった。

 

 同時にいくら義眼を装備しているからといっても、零子の銃を撃つ早さが速くなるわけでもない。

 

 澄刃もまた刀で斬撃を飛ばそうとするが如何せん距離が長すぎる。

 

 そこからは世界がまるでスローモーションのようだった。

 

 杏夏と美冬の眼前に迫ったガストレアはその猟奇的な牙を光らせ、彼女等に襲い掛かる。

 

 彼女達はそれに成す術もなくかみ殺され、喰いちぎられる――はずであった。

 

 突如、零子達の耳元で何かが空を切り裂くようなヒュン!! という音が鳴ったかと思うと、杏夏たちにガストレアの爪と牙が届く瞬間、ガストレアの頭部に黒刃の刃が深々と突き刺さったのだ。

 

 ガストレア達はそのまま音を立ててその場に倒れ付す。

 

 突然起こったその光景にその場にいた誰もが呆然としていると、彼女等の横を一台のバイクが駆け抜けた。

 

 バイクは零子たちと杏夏と美冬の間に止まる。

 

 すると、そのバイクに乗っていた人物に驚いた様子で「あっ」と夏世が声を上げた。

 

 その声に反応するように、バイクに乗っていた黒髪の青年が笑みを浮かべた。

 

 彼の笑みに誰もが嬉しげな顔を浮かべる。

 

「お待たせしました。断風凛、ただいま戦線に復帰しました」

 

 恐らく、この戦場で最強の青年はそう言い放った。




凛、完全復帰!

いやー……長かった気がする……。
とりあえず次回で東京会戦は終了という感じですかね。

途中で出てきたバイクは……まぁ……はい……。
F○7ACでクラウ○が乗っていたフェ○リルが元です。
後は刀とかもセ○ィロスのあれです……。

……まぁこれぐらいいいよね!!
かっこいいし! バイクぐらい乗らないと凛くん見せ場なさそうだしこれから!

というかブラブレ自体既刊のなかで菫先生が「ラピュタパン」とか「ぐりとぐらのパンケーキ」とか言ってますし、それに蓮太郎も「マトリックス」って言ってるからこれぐらいいいかなーなーんて思ってみたり……。

はい、とりあえず言い訳はこれぐらいにして、本編補足というべきか……
凛の精神世界で登場したのは初代断風当主である「断風麟」でした。
彼女は断風家直系に当たる、者全員の精神の中にいます。
まぁ本来は知覚なんて出来ないんですが、りんの名を告いだものの中にはまれに知覚できる人物も生まれてきています。

では感想などありましたらお願いします。


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第三十九話

 バイクから降り立った凛は皆に向かって申し訳なさそうな笑みを見せた。しかし、そこで摩那が無言で駆け出して地面を蹴ったかと思うと、一瞬にして凛の頭にしがみついた。

 

「おうふっ!?」

 

 思わず変な声が出てしまった凛であるが、摩那はそんな凛の頭にしがみ付きながら小さく告げた。

 

「おかえり……」

 

「……うん、ただいま」

 

 凛がそれに答えると、摩那は満足したのか凛から飛び降りていつもの笑みを彼に見せた。

 

 彼もそれに答える様に笑みを見せると、今度は杏夏達の下まで行き二人を引き起こした。

 

「よっと。大丈夫かい? 二人とも」

 

「は、はい。なんとか。それと……おかえりなさい」

 

 杏夏の声にも頷いてこたえた凛は、彼女等の後ろにいたガストレアの屍骸の脳天に突き刺さっているバラニウム刀を引き抜いて、血を振り払ったあとバイクの装甲内に収めた。

 

「おかえりなさい、凛くん。早速で悪いけど状況はわかっている?」

 

「はい。今蓮太郎君たちがアルデバランを撃滅しに出ているわけですね。確か、司馬重工のEP爆弾を使うとか」

 

「そう。おそらくあと数分もしないうちに蓮太郎くんはアルデバランと会敵するでしょうね。だから貴方にやってもらいたい事は一つ」

 

「彼等のサポートと、他のガストレアの殲滅ですね」

 

 凛が零子の言葉に答えると、彼女は静かに頷いた。凛もまたそれに頷くと視線を下げて朝霞の頭にポンと手を置いた。

 

「朝霞ちゃん、摩那と組んでくれてありがとう。あと、前は面倒ごとを起こしてごめんね」

 

「いいや。私も彼女と組むことでイニシエーター同士という特殊な組み方を体験できた。それに、摩那もとても強かった。むしろ助けられたのは私だと思う」

 

 朝霞は薄く笑みを浮かべたあと、摩那の下まで行くと彼女の肩を持って優しく告げた。

 

「摩那。相棒が帰ってきことで私達の臨時ペアは解消だ。だが、私はお前と戦えたことを誇りに思う」

 

「朝霞……。うん、私も貴女と組めてよかったよ」

 

 二人は固く握手を交わす。

 

 それを見ていた皆は笑みを浮かべる。すると、澄刃がため息交じりに声を上げた。

 

「おい、凛。そろそろ行けよ、こっちは俺が守るからよ」

 

「わかった。……澄刃君、後は頼むよ」

 

「おう。さっきみてぇなへまはしねぇさ」

 

 澄刃は肩を竦めながら頷く。凛もそれを確認すると摩那を呼んでバイクに跨った。

 

「それじゃあ、行って来ます。皆気をつけて」

 

 彼はそう告げると摩那を乗せてバイクを走らせ、蓮太郎達の援護に向かった。

 

 そんな彼等の後姿を見送りながら残された零子達は祈るような面持ちだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バイクを走らせながらモニタを操作した凛は未織に連絡を取る。

 

『凛さん!?』

 

「やぁ未織ちゃん、戻ったよ。バイクと刀、ありがとね」

 

『あ、あぁ。ううん、それよかや、凛さん今里見ちゃんがアルデバランと会敵した。今の状態で行けば確実にアルデバランの体内にEP爆弾をぶち込めるはずや。せやから凛さんは周りのガストレアに専念してもらえるか?』

 

「了解。っと……それじゃあ未織ちゃん、こっちはこっちでやるから蓮太郎くんにも僕が戻ったことを教えておいてくれる?」

 

 凛はそれだけ言うと未織の返答も聞かずに通信を切った。そして彼は前方の人影に声をかけた。

 

「影胤さん!」

 

 呼ばれた人物、蛭子影胤は待ちわびたと言うように凛のほうをぐるんと見る。凛はバイクを止めると、未織からもらった刀と、バラニウム刀を装甲から数本取り出して腰に収める。

 

「やぁ、随分と遅かったね。断風くん」

 

「少しだけ手間取ってしまいました。あと、蓮太郎くんのサポートをしてくれてありがとうございました」

 

「なぁに、クライアントからの依頼は聞く性質でね。しかし、君のその様子から察すると、力が元に戻ったようだね」

 

「ええ。まだ体が馴染んでないんで百パーセントというわけには行きませんが、十分すぎるくらいには戦えますよ」

 

 影胤の言葉に笑顔で答える凛に、影胤もまたくつくつと笑った。

 

 しかし、そんな彼等の周囲にはすでにガストレアがぐるりと囲んでいた。凛と影胤の背後では摩那と小比奈が戦闘態勢に入っていた。

 

 すると影胤は仮面に覆われた瞳でガストレア達を見やると、高らかに宣言した。

 

「それでは奏でようじゃないか! 私と君とで死の狂想曲をッ!!」

 

 影胤が言い終えると同時にガストレア達がいっせいに飛び掛ってきた。二人はそれに同時に笑みを浮かべる。

 

「ネームレス――」

 

「断風流参ノ型――」

 

 そして、二人にガストレアが触れそうになった瞬間、二人は同時に技を放つ。

 

「リィィィィパァァァァァッ!!!!」

 

「惨華ッ!!!!」

 

 影胤は眼前のガストレア達に向かって鎌状のエネルギーを放って切り裂き、凛が放った斬撃はその場にいたガストレアの大半を吹き飛ばし、そして断裁した。

 

 まさに細切れとなったガストレア達を見やりながらも、二人の攻撃はとまる事を知らなかった。

 

 影胤は斥力フィールドを駆使しながら華麗な銃捌きで次々にガストレアを駆逐し、凛もまたガストレアをいとも簡単になぎ倒していく。

 

 摩那と小比奈はまるで打ち合わせをしていたかのように、華麗に空中を舞いながらガストレア達を駆逐する。

 

 どんなガストレアであっても彼等の前には成す術もなく散っていく。

 

 その光景はガストレアが人間を食っているのではなく、魔神達がガストレア達を貪り食っているようにも見えるほどだった。

 

 五分もしないうちに軽く百体はくだらなかったガストレアの群れはあっという間に屍骸の山となった。

 

 自分達の周りに広がる光景に影胤は狂笑を漏らした。

 

「ハハハハハッ!! 素晴しい!! そう、これこそ私が望んでいたもの!! これが戦争ッ!! 私は生きている!! 素晴しきかな人生! ハレルゥヤァァァァ!!!!」

 

 そんな彼を一瞥しながら凛は視界の端から新たなガストレアがやってくるのがわかった。

 

 ガストレアは二体向かってきており、それぞれ蛇のような体をしていてかなりの大きさがある。

 

 影胤もまたそれに気がついたのか凛の隣に並ぼうとしたが、凛はそれを片手を上げて制した。

 

「僕一人でやりますから」

 

 凛はそれだけ言うと迫るガストレアに向かって横薙ぎに刀を振った。

 

 ヒュオンという甲高い空気を切るような音が聞こえたかと思うと、少なくとも三十メートル以上は離れていた蛇型ガストレア二体の頭部が断ち切られた。

 

 同時に、周囲にあった廃ビルもまるで硬さが無いかのように切れていく。

 

 それだけでも影胤は息を呑みそうになったが、凛が刀を収めた瞬間、彼は更に驚くこととなった。

 

 先ほどまでかろうじて原型があったはずのガストレアの巨大な体躯が一瞬にして細切れになったのだ。

 

 音も無く崩れ去るガストレアを尻目に凛は摩那を呼ぶと共にバイクに乗り込んだ。

 

「一緒に行きますか? 影胤さん」

 

「いいや……。こちらはこちらで楽しませてもらうよ。速く行きたまえ」

 

 影胤の言葉に凛は頷くと、他の民警たちの援護へと向かった。

 

 凛の姿が見えなくなると、影胤は傍らに寄り添う小比奈に問うた。

 

「小比奈。彼と先日争いそうになった天童の女社長……どちらがヤバイ?」

 

「簡単だよパパ、そんなの――」

 

 そして影胤は次の小比奈の言葉を「やはり」と言うように深く頷くこととなった。

 

「――摩那と一緒にいたリンの方がすっごく上だよ。もしあの女とリンが戦うことになったらリンの圧勝だよ」

 

「……そうか」

 

 影胤は静かに呟くと、今は見えなくなった凛を見やりながらくつくつと笑いを漏らした。

 

 ……やはり君は、おもしろい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バイクを走らせながらガストレアの大群を切り倒して行く凛に未織から連絡が入った。

 

『凛さん……最悪なニュースや。EP爆弾がはたらかへんようになった』

 

「不発?」

 

『うん、爆弾自体は行きとるんやけど、起爆装置が止まってしまっとるんよ……』

 

 未織の顔には申し訳なさと焦りが見られた。しかし、凛はそれに笑みを浮かべると安心させるように告げた。

 

「それなら僕が起爆させるしかないね」

 

『いいや、それは無理なんよ。EP爆弾を起爆させるためには「衝撃」を与えないといけないんや。凛さんの斬撃だと衝撃どころかEP爆弾ごと切り裂いてもうて、爆破できたとしても、爆破エネルギーが霧散してアルデバランを消滅させるにはいたらんのよ……』

 

「じゃあどうすれば?」

 

 凛が問うと、未織は唇をかみ締めながら悔しげに言葉を搾り出した。

 

『誰かが……アルデバランの体内に衝撃を与えるほどの攻撃をするしかない。それも、零距離で』

 

 その残酷すぎる言葉に凛も悔しげに歯噛みする。EP爆弾の破壊力は凛も知らされているためどれほどのものか知っている。

 

 そんな爆発を零距離で喰らえば間違いなく命はないだろう。だが、それでも誰かがやらなければいけないのだ。

 

 すると、凛が考えている中、彰磨から連絡が入った。

 

『凛、戻って早々悪いがこちらに来てくれ。翠が負傷した。場所は携帯のGPSで確認してくれ』

 

「翠ちゃんが? うん、わかった。……ごめん、未織ちゃん彰磨くんのところに行って来るよ」

 

『了解や。ウチもできるだけ策を講じてみる』

 

 未織と連絡を断った凛は彰磨の下へと急いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彰磨の携帯のGPSを頼りにやってきた凛と摩那はバイクを降りて周囲を見回した。

 

 周囲にはガストレアの姿は無く、戦場の中でそれなりに安全と思われる場所だった。

 

 しかし、いくら探しても彰磨たちの姿は見られない。

 

「彰磨くん!」

 

「翠ー! 何処にいるのー?」

 

 二人が声を上げてみるものの返事は帰ってこない。

 

 まさか、と二人は思ってしまったが、雑念を振り払うともう一度くまなく周囲を捜索する。

 

 手分けして捜索をはじめて少し経ち、とある廃ビルの一階の壁に翠が眠っているのを摩那が見つけた。

 

「凛! 翠いたよ!」

 

 摩那の声に反応した凛は眠っている翠の呼吸と脈を確かめる。

 

「呼吸も荒くないし、脈もしっかりしてる……。怪我もないみたいだけど……摩那、彰磨くんを見た?」

 

「ううん、彰磨はいなかったよ。でも変だよね? あの人が翠を置いて何処かに行くなんて」

 

 摩那も彰磨がいないことに首を傾げる。凛もそれに疑問を思ったが、ふと翠が一枚の紙を握っているのがわかった。

 

 凛は翠の手を開かせると、握られていた紙を破らないように開いた。

 

 次の瞬間、凛はその紙に書かれていた文字を見て目を見開く。

 

 紙には血で書かれた文字でただ一言。

 

『翠を頼む』

 

 と。

 

 瞬間、凛は弾かれたようにビルから飛び出すと、バイクに跨って摩那に告げた。

 

「摩那!! 翠ちゃんを連れて回帰の炎まで下がってて!」

 

「え?」

 

 摩那は不思議そうな顔をしたが、凛はそれを見ずにアクセルを回した。

 

「ちょ、ちょっと凛!?」

 

 後ろで摩那が叫んでいるが、凛はそれに答えずにアルデバランがいる方向に向かう。

 

 彰磨は未織と凛の話を聞いていたのだ。

 

 EP爆弾が作動しなかったことや、それを起爆させるには内部に衝撃を走らせなければならないことも全て。

 

 今思えばなんて軽率だったのだろうと自分を殴りたくなるほどの自責の念に駆られていたが、凛は一秒でも早く彰磨の下へたどり着く必要があった。

 

 ……ダメだ! 絶対にダメだよ彰磨くん!

 

 心の中で彰磨に叫びながら凛は自分に対しての苛立ちも募らせていく。

 

 恐らく、彰磨は爆弾を起動させるつもりなのだろう。彼の技は相手を内部から破壊する技だ。それを持ってすればアルデバランの外殻を貫いてEP爆弾に衝撃を与えることも可能だろう。

 

 しかし、それでは確実に彰磨が命を落とすこととなる。

 

「それだけは絶対にダメだ……!!」

 

 凛は迫り来るガストレアをバラニウム刀を投擲して排除していく。

 

 そして、ついにビルの隙間からアルデバランが見えた。凛は「早く! 早く!!」と心の中で焦りを見せながらバイクを走らせる。

 

 ……この角を曲がりきればッ!!

 

 凛はドリフトの要領ですべるようにビルとビルの間をかけていく。

 

 けれども、そんな彼の視界に入ってきたのは想像していた最悪の光景だった。

 

 凛の瞳には巨大なアルデバランに向かって駆けて行く小さな人影が見えた。

 

 それが彰磨だと言うことに気づくのは一瞬だった。だからこそ凛はバイクを走らせて彰磨の下へ急ぐ。

 

 だが、もう遅すぎた。

 

 彰磨の手は既にアルデバランに届きそうなほど近づいていた。

 

 その時、凛は喉が張り裂けんばかりに叫んだ。

 

「ダメだあああああああああああああああああああああッ!!!!!!」

 

 その声に気がついたのか、彰磨は一瞬だけ視線を凛に向けると小さく笑みを浮かべた。

 

 瞬間、彰磨の拳はアルデバランに激突し、アルデバランの体内に凄まじい衝撃を送り込んだ。

 

 そして凛の瞳の先でカッ!! っと閃光が迸る。

 

 一瞬、世界から音が消えたのも束の間、次の瞬間には耳を割らんばかりの轟音と熱波が襲ってきた。

 

 爆風によってバイクがスピンし凛は大きく後ろへ後退させられた。

 

 再び顔を上げた時、凛の瞳に写ったものはEP爆弾によって生じた巨大なきのこ雲だった。

 

 爆煙でアルデバランの姿は確認が出来ないが、きっと終わったのだと、凛は思った。しかし、同時に彼の心の中には悲しみと怒りが渦巻いていた。

 

「う……あ、あああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」

 

 凛は叫んだ。

 

 もう二度と声が出なくなるのではないかと思うほどに。

 

「何が!! なにが皆を守るためだッ!! ふざけるな! ふざけるなよッ!!!!」

 

 そして責めた。

 

 自分の不甲斐無さを。

 

 なんのために力を取り戻したのか。なんのために皆に迷惑をかけていたのか。

 

 それは皆を守るためではなかったのか? 救うためではなかったのか?

 

 次々に湧き出る自責の言葉に凛は涙を流していた。

 

 しかし、帰ってくるのは爆発によって起こった轟音だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 胸を誰かに叩かれている感覚に襲われ、蓮太郎は目を覚ました。

 

 目の前には泣きはらした顔の延珠と、心配そうに顔を覗き込んでいる仲間達がいた。

 

 蓮太郎はそれに上半身を起こすが、そこで延珠が感極まった様子で蓮太郎に抱きついた。

 

 彼はそれを受け止めると延珠の頭を撫でる。

 

「……ごめんな、延珠」

 

 小さく謝った蓮太郎に延珠は許さないと言うように、蓮太郎の胸に頭突きをかました。

 

「ごっふぁ!」

 

 変な声が出てしまったが、蓮太郎は胸を摩ると近くにいた玉樹に肩を貸してもらいながら皆に問うた。

 

「戦闘はどうなったんだ? ガストレア達は?」

 

「……まぁ落ち着けよ、蓮太郎。戦闘は終わった、アルデバランも消えた」

 

「そう……か」

 

 アルデバランが消えたと言うことを聞いた蓮太郎は、自分の右足が無いことと、そんな自分の代わりにアルデバランに特攻した彰磨のことを思い出していた。

 

 そして、蓮太郎は玉樹に支えられながらアルデバランがいた場所を見た。

 

 そこには巨大なクレーターが形成されているのみであり、アルデバランの姿は塵一つ残っていなかった。そして、彰磨もまたその姿はなかった。

 

「そうだ……凛さんが帰ってきたんだろ? あの人は何処にいるんだ?」

 

 問いを投げかけた瞬間、玉樹たちの顔が強張った。まるで何かにおびえるように。

 

 蓮太郎がそれに首をかしげていると、ティナが蓮太郎の前までやってきてある方角を指差した。

 

「お兄さん、アレを見てください」

 

 言われたとおり、蓮太郎がそちらを見やると同時に蓮太郎は息を呑んだ。否、呑まざるを得なかった。

 

 そこには小高い丘のようなものがあった。

 

 しかし、その丘からは凄まじい血臭と死臭が漂っていた。すぐに蓮太郎はその丘がガストレアの屍骸によって形成されたものだと理解した。

 

 目を背けたくなる死の丘に蓮太郎は顔を背けたくなったが、その丘の頂上に二人の人物が佇んでいることに気がついた。

 

 一人は赤髪の少女、天寺摩那であり、彼女のクローからはどす黒い血が滴っていた。

 

 もう一人は黒髪で長刀を丘に突き立てた青年、断風凛だった。彼の顔や服はガストレアの血でぐっしょりとぬれていることがわかった。

 

「アレを……あの二人が全部やったのか?」

 

「ええ。最初は私達も戦っていたんだけれど、殆ど凛兄様が駆逐したわ。逃げ出そうとしたガストレアも全てね」

 

「それじゃあ、あの二人だけで三千近くいたガストレアを斬殺したってことか!?」

 

 蓮太郎の言葉に皆静かに頷いた。確かに、周りを見てもこの戦いが始まった時の人数から殆ど減っていなかった。

 

「凛の戦い方は完全に次元が違ったぜ。アイツが刀を振るえば軽く十体以上のガストレアが切り刻まれてたからな。終盤なんざガストレアがかわいそうに思えるほどだったぜ」

 

 玉樹もまた大きく息をつきながら凛を見やった。

 

 誰もが屍骸の山に立つ凛に恐怖と羨望が入り混じったような視線を送っていた。

 

 すると凛は屍骸の山から下りると、蓮太郎達のところまでやってきた。

 

 蓮太郎は皆を守ってくれたことに礼を言おうと声をかけようとしたが、凛は彼の横を通り過ぎ様に小さく言った。

 

「――ごめん」

 

 その言葉に蓮太郎は返す言葉が無かったが、凛を退き止めようと彼の服を掴もうとした。

 

 だが、そこで摩那が蓮太郎の服の裾を掴んで止めた。

 

「蓮太郎……。今は一人にしてあげて? きっと少ししたらいつもの凛に戻るから」

 

「……あぁ、わかった」

 

 蓮太郎は静かに頷くと、一人どこかへ消えてしまいそうな凛を見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蓮太郎達から少し離れたところにある廃ビルの壁を背を預けて凛は虚空を見上げた。

 

 彰磨が自身を犠牲にアルデバランを倒したあと、凛はガストレアを狩りつくした。

 

 ガストレアの頭を引き裂き、胴体を細切れにし、もはや原型が残らないほどに凛はガストレアを撃滅した。

 

 しかし、そんなことをしても彰磨が帰ってくるわけでもない。気がついたころにはガストレアの屍骸で出来た丘に凛は佇んでいた。

 

 ……僕は結局、仲間を守れなかった。

 

 ただただ虚空を見上げて大きなため息をつく凛だが、そこで右の方から声をかけられた。

 

「あの……断風さん」

 

 控えめな声だったが、凛にはその声の主が誰なのかはっきりわかった。

 

「翠ちゃん……」

 

 力ない動きで凛は翠を見ると、彼はゆっくりと立ち上がって彼女に頭を下げようとした。けれど、

 

「頭を下げないでください」

 

 翠は少しだけ力をこめた声で言う。凛はそれに一瞬体を震わせると翠のほうを見やる。

 

 彼女の双眸は潤んでおり、今にも涙が流れ落ちそうだった。

 

 そんな彼女の姿を見て凛の胸にはチクリとした痛みが走った。

 

「断風さん、彰磨さんが死んだのは貴方のせいじゃありません。彰磨さんは皆を救うために逝ったんです。だから、断風さんが気に病む事はありませんよ」

 

 翠は一生懸命笑顔をつくって見せた。しかし、内心では悲しくてたまらないのだ。

 

 ずっと一緒にいるはずだった彰磨との突然の別れ。しかも死別という最悪な形でのものだ。彼女の心のダメージは果てし無いだろう。

 

 しかし、そんな彼女が凛に心配をかけまいとしている。凛は拳を強く握ると、彰磨が残した言葉を思い出す。

 

 『翠を頼む』と彰磨は凛に残した。だったら、こんなところで立ち止まってはいけないのではないかと凛は思った。

 

 同時に、凛は大きく息をつくと、自分の頬を思い切り殴った。

 

 重い音が響き凛の口元からは真っ赤な血が流れ始めた。口の中を切ったのだろう。翠がそれに心配そうに駆け寄ってくる。

 

「た、断風さん?」

 

「うん、ごめん。でももう大丈夫だよ」

 

 凛は翠の視線の高さまで下がると、彼女の頭を優しく自らの胸に引き寄せた。

 

「翠ちゃん、僕は彰磨くんに君を頼むと言われたんだ。だから、言わせて欲しい。僕に君を守らせてくれないかな? 彰磨くんを助けられなかったヤツの言葉なんて信用できないかもしれないけど」

 

 凛が言うと、翠は首を横に振った。

 

「そんなこと……ないです。貴方は本当に優しい人ですから、約束は守ってくれます。現に私達のところに帰ってくるって約束を守ってくれたじゃないですか。

 なので私は貴方を信じます。たとえペアでなくとも、私は貴方を信じています。だから、泣かないでください。わたしも……もう、泣きませ……んから」

 

 翠の声は途切れ途切れになっており、泣いているのがすぐにわかった。

 

 一方凛もまた、その双眸からはそれぞれ一筋の涙が流れ出していた。

 

 そんな彼等の頭上を代替モノリスの建設のため、政府のヘリが何十機も飛んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第三次東京会戦はこうして幕を閉じた。

 

 多くの尊い命が犠牲になった戦争は辛くも人類側の勝利と言う形で終わった。

 

 生き残った民警たちや自衛隊員は英雄としてたたえられた。

 

 戦争で失ったものは多く、誰もが晴れやかな気持ちと言うわけには行かなかった。しかし、東京エリアは勝利した。

 

 

 

 

 

                   

 

              『第三次関東会戦報告書』

 

 二〇三十一年四月末のゾディアックガストレア『スコーピオン』と、同年七月中旬に襲来した『アルデバラン』との戦闘行為による累計ダメージ。

 

 陸上自衛隊戦力、八十三パーセント減衰。

 

 海上自衛隊戦力、四十五パーセント減衰。

 

 航空自衛隊戦力、九十五パーセント減衰。

 

 また今回の戦争で目覚しい戦果を上げた者達は序列昇格とする。

 

 片桐玉樹、片桐弓月ペア。序列千八百五十位から千位に。

 

 天童木更、ティナ・スプラウトペア。序列九千二百位から三千五百位に。

 

 里見蓮太郎、藍原延珠ペア。序列三百位から二百十位に。

 

 黒崎零子、千寿夏世ペア。序列六万三千九十一位から四千五百五十位に。

 

 黒霧澄刃、天月香夜ペア。序列五百位から四百三位に。

 

 春咲杏夏、秋空美冬ペア。序列七百八十九位から六百六十六位に。

 

 断風凛、天寺摩那ペア。このペアは序列引き上げではなく、元の序列へと戻すこととなった。

 

 序列六百六十六位から、序列十三位に。二つ名は『刀神(エスパーダ)』。

 

 また、断風凛、天寺摩那両名の序列変動を知る権利を有するものは、上記の者達及び、彼の近親者のみとする。

 

 イニシエーター、壬生朝霞はプロモーター死亡のため身柄をIISOに。

 

 イニシエーター、布施翠はプロモーターが死亡したものの、身柄は黒崎民間警備会社に移すこととする。

 

 現場にいたとされる蛭子影胤、蛭子小比奈の両名は戦争後姿をくらました。未だ所在はつかめず。

 

                                 以上。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 東京エリアは自らの国防は困難となったため、バラニウムの優先供給及び、海外からの有能な民警を招聘することに決まった。

 

 また、東京エリアは「大絶滅」の運命を覆した世界唯一のモデルケースとなり、世界もまたその事実を受け止めた。




あい、第三次会戦終了となります。

いやー……長かった……。
ちょっとだけ駆け足になってしまいましたが、長々と話をするよりはこれぐらいに纏めた方がいいかなーなんて思ってみたり。
凛が活躍したようで活躍しませんでしたね……申し訳ない。
彰磨くんは原作どおり退場していただきました。
翠は誰かと組みます。まぁその誰かはオリキャラなんですが……w
凛とフラグが立ったような気がするけどキニシナーイキニシナーイ。

次回は和光さんのとこですね。
キチラさんが出ますが……さて、凛くんどう出るか。

その次からは和み回をやって、そのあと数話にわたってオリジナルストーリーでも書きましょうかねw

では感想などありましたらよろしくお願いします。


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第四十話

 第三次関東会戦から数日後のある日の夕刻。

 

 モノリス灰もなくなった東京エリアには、夏らしい太陽が赤々と照っており、外気は纏わりつく様にねっとりとしていた。

 

 そんな中、廃墟と化した天童流の道場に凛の姿があった。

 

 いや、凛だけではなく、彼の隣には蓮太郎と延珠、そしてティナの姿もあった。

 

 そしてそんな彼等の視線の先には『殺人刀・雪影』を携えた木更が悠然と佇んでいた。

 

 しかし、彼女からはピリピリとした威圧感が放たれており、蓮太郎や延珠たちは不安げにしていた。

 

 すると、道場内の静寂を破るように一人の男性と、女性がやってきた。

 

 男性の方はアルマーニのスーツに身を包み、ネクタイもきっちりと締めているパッと見であれば仕事のできる男といった風な男性で、女性の方は男性に付き従う秘書というべきだろうか。

 

「お待ちしておりました、和光お兄様。いいえ、国土交通省副大臣様とお呼びしたほうがよろしかったですか?」

 

「木更……」

 

 和光と呼ばれた男性は、木更のことを憎憎しげな瞳でにらみつけた。

 

 そう、この人物こそ木更の本当の兄である、天童和光その人だ。

 

 和光は木更を一瞥したあと、壁際に控えている蓮太郎の方を見て冷やかすように言った。

 

「なんだ、そちらは子連れか? 蓮太郎」

 

 しかし、蓮太郎は答えずにだんまりを決め込んだままだった。和光はそれに対して驚くこともしなかったが、彼の視線が蓮太郎の隣にいる凛を見た瞬間、彼は舌打ちをした。

 

「……凛」

 

「こんばんは、和光さん。お会いするのは随分と久々ですね、またお偉くなったものだ」

 

「フン、貴様の笑みは相変わらずいけ好かないな。それと、その敬語もだ」

 

「おやおや、それは失礼いたしました。なにぶん、敬語は昔からなものでして。それにこの笑顔もね」

 

 ニコリと笑顔を浮かべながら言う凛だが、和光はその行動が気に食わないのか再度舌打ちをした。

 

 凛はそれに肩を竦めたが、そこで木更が和光に話を持ちかけた。

 

 どうやら話は和光が手がけたと言う三十二号モノリスの話のようだ。

 

「貴方はモノリスに混ぜ物をして安く作り、その浮いたお金を懐に入れるのは感心しませんよ。和光お兄様」

 

「ッ!」

 

「まぁ当然そんな混ぜ物をしたモノリスでは、バラニウム磁場がが落ちてしまいます。弱いガストレアならば露知らず、今回のような強力なガストレアならば、そこを突いてこれますものね」

 

「理論上はあれでも問題は無かったんだ! 事実、ここ十年三十二号モノリスは破られていなかっただろうッ!!」

 

「けれども、それはアルデバランには通用しなかったのは事実ですよね」

 

 そこで声をかけたのは凛だった。和光は眉間に皺を寄せて凛を睨むが、凛はそれを何処吹く風と言うようにさらっと視線を逸らした。

 

「ガストレア、アルデバランを呼び込み、第三次関東会戦の引き金を引いたのは他の誰でもない……貴方です和光お兄様」

 

 和光は拳に血が滲むほど握り締めると。

 

 そんな二人のやり取りをみていたティナが凛の袖を引っ張った。

 

「ん?」

 

「断風さん……この戦いはどうしてもしなくてはならないんですか?」

 

「……そうだね、これは木更ちゃんの復讐だ。僕が同じ天童だったらまだしも、今の僕は完全に部外者だからね」

 

「ですが、貴方は天童社長の義兄のようなものなんでしょう? だったら止めることだって……!!」

 

 そこまで彼女が行ったところで、凛はティナの頭を優しく撫でる。

 

「ティナちゃん、やっぱり君は優しいね。だから君や延珠ちゃんはこの戦いを見ないほうがいいのかもしれない。

 けれど、これからも木更ちゃんと組んでいくなら君は知っておかないといけない。彼女の闇を」

 

 凛が言い切り、ティナは服を掴む力を少しだけ強めた。

 

「では、双方立会人を前に」

 

 木更が凛とした声音で言うと、まず最初に出たのは和光に着いて来た女性だ。

 

「私、椎名かずみはこの場の決闘の立会人として存在し、例えこの場で片方が殺されたとしても、警察その他の司法機関に訴えでないことを誓います」

 

 彼女が手を挙げて告げたあと、蓮太郎も苦い顔をしつつゆっくりと手を挙げて宣言しようとしたが、ふとそれをやめて向かい合う二人に言った。

 

「二人とも、最後に聞かせてくれ。この戦い、本当にやらなくちゃいけないのか!? 天童流の免許皆伝者同士の戦いには俺も興味がある。だけど、それは真剣じゃなくて木剣や竹刀を使ってやるべきじゃないのか!?」

 

 しかし、そういったところで凛が蓮太郎の肩を掴んだ。蓮太郎は凛の方を見やると彼は首を横に振っていた。

 

「蓮太郎。凛が表しているとおりだ、この戦いは止められん。いや、止めてはならんのだ。ここでこの女を殺しておかねばコイツはべらべら真相をしゃべりだすからな!」

 

「でも! 和光義兄さん……」

 

「私を義兄などと呼ぶな! いい機会だから言ってやるぞ蓮太郎、そして凛も聞け。この女は化物だぞ! お前達はこの女の妖花にだまされているんだ! 目を覚ませッ」

 

「里見くん。お父様とお母様の仇の一人をやっと追い詰めたの。この男との戦いは宿命なのよ」

 

 二人の言葉に蓮太郎は顔を伏せるが、ゆっくりと手を挙げて先ほどかずみがやったのと同じように宣言した。

 

 それから蓮太郎は壁際まで下がり、道場内は木更と和光二人のみの闘技場へと変化した。

 

 和光は槍袋から愛槍を取り出して整然と構えを取った。天童式神槍術『八面玲瓏の構え』だ。

 

 それに対し、木更もまた天童式抜刀術『涅槃妙心の構え』をとった。

 

 途端に道場内には刺々しい威圧感が張り詰め、蓮太郎達を気圧した。

 

 道場内に広がる感覚が嫌なのか、延珠やティナは不安げに木更たちを見るが、彼女等の前に凛がゆっくりと立った。

 

「苦しいなら僕の後ろに下がっていた方がいいよ」

 

 凛が言うと、蓮太郎も頷いて延珠を凛の後ろに下がらせた。また、ティナも二人の決闘が見える位置に立つが、やはりそこも凛の後ろだった。

 

 二人が凛の後ろに立つと、延珠は直感的に先ほどまで感じていた嫌な感覚が少しだけ改善されたように感じた。

 

 ……凛がいるからなのか?

 

 小首をかしげる彼女だが、その瞬間、視界の先で和光が怒号を上げた。

 

「木更、貴様なんだその構えは!」

 

「あぁ、知らないのも無理はありませんよね。これは天童式抜刀術『龍虎双撃の構え』といいます。全ての天童を屠るために私が開発しました」

 

「型を……開発したというのか? ふざけるなよ貴様!! 助喜与師範の技に独自のアレンジを咥えるなど……!!」

 

「あら? お兄様は何か勘違いをなされていませんか? 免許皆伝者には技の創出と伝授の権利が与えられます。

 凛兄様ももちろん知っておられますよね?」

 

 木更は視線を和光に向けたまま凛に問う。

 

「うん、僕も結構アレンジを加えている技もあるし、そんなに不思議なことじゃあありませんよ。和光さん」

 

「貴様等揃いも揃って……」

 

 和光の手が怒りに震えていた。

 

 すると、彼は「椎名!」と呼び、秘書であるかずみはその手に持っていた槍袋を放った。

 

 それをキャッチした和光はゆっくりとそれを構える。

 

 和光が構えたそれは所謂『混天截』という槍であり、先端には四つの刻み目のある刃、更にそれを囲むように四方へ広がる月牙がある。そして、月牙には鎖でつながれた分銅が延びている。

 

 これこそ、和光の宝槍であり、刺突、切断、殴打を可能にした重量級の槍だ。

 

 しかし、木更はそれにただ眼を細めただけであり、それを見ていた凛も目を伏せて小さくため息をついた。

 

 和光は『八面玲瓏の構え』から『麟鳳亀竜の構え』に変えた。

 

 そのまま和光は息を落ち着かせる。

 

 二人はそのまま睨みあいを続け、それぞれが互いの腹の中を探るように体重移動をしていく。

 

 そして、二人が動きを止めた瞬間、和光が気合の声を上げて凄まじい刺突を放った。

 

 木更はそれに一コンマ遅れて反応し、槍を弾くが、和光は更に追撃を加えようとする。同時に、彼は自身が勝った事を確信する。

 

 が、そこで凛の声がスッと耳に入った。

 

「……無理ですよ……」

 

 瞬間、もう一歩踏み込もうとした和光の重心がぐらりと緩み、彼は前につんのめるようにして転んだ。

 

 和光は一体何が起こったのか理解できなかった。

 

 踏み込もうとした足がまるで空を踏んだかのようにすっぽ抜けたのだ。

 

 こんな失敗などするはずはないと何度も反復するのだがどうしても、自分が失敗したことがわからなかった。

 

「私は……負けたというのか?」

 

「そんなことまで理解できていないなんて、まぁ仕方ないですよね。ではお兄様、貴方の足をご覧ください」

 

 木更に促され、和光は恐る恐る自分の足を見た。

 

 そこには、自分の足が無かった。そして、一瞬送れて足から鮮血が噴出し、痛みが襲った。

 

 和光は痛みと恐怖、そしていつの間に足を切られたのかという意味不明な状況で混乱していたが、そこで凛が静かに声をかけた。

 

「混乱しているようなので教えて差し上げます。さっき和光さんは『天子玄明窩』を放って木更ちゃんがそれを弾いたところまでは見えたのでしょう。しかし、次に貴方が奥義を放とうとした瞬間、すでに貴方の足は斬り飛ばされていました」

 

「技名は天童式抜刀術零の型三番――『阿魏悪双頭剣』といいます。そして、この技の二撃目は音速を超えます」

 

 和光はそれに驚愕していたが、木更は容赦することなく雪影の柄に手をかける。

 

「天童式抜刀術零の型一番――」

 

 その声と同時に蓮太郎たちが木更を止めようと名を呼ぶが、遅かった。

 

「螺旋卍斬花」

 

 ヒンという小さな音がしたと思うと、雪影は鞘に収まっており和光の足から流れ出ていた血が止まった。

 

「血止めを施しました。まだ貴方には聞きたいことがあるので」

 

 その言葉を聴いて少しだけ安心したのか蓮太郎は胸を撫で下ろすが、凛だけは険しい表情をしたままだった。

 

 蓮太郎はそれが気になったのか、凛に声をかけた。

 

「どうしたんだ? 凛さん」

 

「……いや、なんでもないよ」

 

 静かに言い放った凛の瞳には哀れむような光があった。蓮太郎はそれに疑問を持ちながらも木更と和光に視線を戻した。

 

 今は木更が和光に父と母を殺した計画に携わったであろう人物を聞き出しているところだった。

 

 和光はそれに震えながらも語りだした。

 

「け、計画に加担していたのは……私と、天童日向、天童玄琢、天童燳敏、そして天童菊之丞の五人だ」

 

「五人ですか……思いのほか少ないのですね。ではどうしてあなた方はお父様を殺したのです?」

 

「そ、それは……親父殿が天童の闇を告発しようとしたからだ。天童は財政界にも重鎮を置く家だ。無論のし上るために汚いことにだって手を染めた。

 それを親父殿は突然告発すると言い出したんだぞ!? だから、殺すしかなかった」

 

「仮にもあなた方の父親なのによくも殺せたものですね」

 

「俺達が真に忠誠を誓うのはお祖父様(菊之丞)だけだ。それに、あの男は母上が死んだというのにすぐに妾腹と結婚してお前を――」

 

 しまったと言うように和光は押し黙るが、木更は表情を変えずに言い放った。

 

「どのように呼ばれるのも構いません。では次の質問です。どうして私や里見くんまで襲わせたの?」

 

「お前達はまだ子供で説明したとてわかるはずもない……。だからせめて一緒に――」

 

「せめて一緒に葬ってさびしくないようにしてやろう、と? 随分とお優しいことで」

 

 木更の瞳の置くには相当な憎悪があり、蓮太郎はそれを見て震え上がった。すると、そこで黙っていた凛が静かに告げた。

 

「木更ちゃん。もう十分情報は聞き出せたんじゃないかい?」

 

「……そうですね。では、お兄様貴方を助けて差し上げます」

 

 その言葉に和光は先ほどまで恐怖におののいていた顔を呆けたような顔にして驚いた後、ハッとしたように木更に頭を下げた。

 

「あ、ありがとう! 本当に、ありがとう……!」

 

 その様子を木更は不快そうに一瞥したあと、スタスタと同情の出口まで歩いていった。

 

「里見くん、延珠ちゃん、ティナちゃん、凛兄様帰りましょう」

 

 蓮太郎達はそれに頷くと木更に感謝し続ける和光を少しだけ見たあと、木更の元へかけていく。

 

 凛もそれについていくが、道場をでて障子戸を閉める瞬間、彼は道場内でかずみに寄り添われる和光を見ながら誰にも聞こえない声でただ一言呟いた。

 

「……さようなら、和光さん」

 

 言いながら凛が障子を閉めると、前方を行く木更に蓮太郎が声をかけた。

 

「一時はどうなるかと思ったけど、よく耐えたな木更さん」

 

 しかし、木更は答えない。

 

 けれどそんな彼女の変わりと言う様に凛が静かに言った。

 

「蓮太郎くん。言っておくけど、抜刀術に血止め技なんて無いんだよ」

 

「え?」

 

 蓮太郎がそう疑問符を浮かべた瞬間、木更はゆっくりと手を挙げて指を鳴らしながら静かに告げた。

 

 

 

「天童式抜刀術零の型一番――『螺旋卍斬花(らせんまんざんか)開花(オープン)。復讐するは我にあり』

 

 

 

 瞬間、道場内で爆裂音が響き、世界が静寂に包まれた。

 

 同時に障子戸に赤いものが飛び散った。

 

 蓮太郎はいても立ってもいられずに障子に手をかけようとしたが、凛がそれを制した。

 

「やめたほうがいい」

 

 凛の瞳は真剣そのものであり、道場内に広がっているであろう惨状を蓮太郎に見せまいとしているのは歴然だった。

 

 すると凛は静かに木更の下まで行くと彼女に問うた。

 

「最後の技、アレは君の任意で相手を爆散させることが出来る技だね? だから開花ってことか」

 

「そうですよ。さすが凛兄様!! やっぱり私が憧れる人です! それで、どうでした? 私、仇の一人を殺すことが出来たんです!!」

 

 まるで童女が「ほめてほめて」というように木更はぴょんぴょんと飛び跳ねながら喜びを露にしていた。

 

 延珠やティナはそれが恐ろしかったのか息を呑んでいた。

 

「勝てますよね! これなら私全ての仇を倒せますよね!」

 

 凛に抱きとめられながら問う彼女に凛は目を細めながら静かに言い放った。

 

「そうだね、確かに君なら天童を殺せるかもしれない」

 

「ほらね! ね、里見くん。これで仇の一人を打ち倒せたのよ! 私達の復讐が一人果たせたの」

 

 凛からはなれて蓮太郎に飛びつく木更だが、蓮太郎は拳を震わせながら言ってしまった。

 

「違う、ちげぇよ木更さん! これはアンタの処刑だ!! アンタ、和光兄さんが自分には勝てないってわかってたんだろ!! それなのになんであんな惨い殺し方をしたんだ!! 確かに、親の仇ってのはわかる。でも……それにしたって……!!

 それに、アンタ俺にいつも言ってんだろ! 正義を遂げろって!! アレのどこに正義がある! アレは一方的な蹂躙じゃねぇか!!」

 

 蓮太郎は肩で息をしながら木更に言い放った。

 

 しかし、木更はそんな風に言われることを理解していたようにくるりと体を反転させると、笑みを浮かべながら言った。

 

「ねぇ里見くん、どうして私が天童和光を裁くことが出来たかわかる?」

 

「……」

 

 蓮太郎は答えない。

 

 否、答えることが出来なかった。

 

「それはね、私が絶対悪だからよ。悪を殺せる悪、それが絶対悪。里見くんは正義だから悪である蛭子影胤も殺しきれなかったし、斉武宗玄も殺せなかった。けれど、私は私の中の憎悪をかき集めて悪を悪として裁くことが出来るの。私にはその力があるのよ!」

 

 声高々に宣言する木更だが、そこで凛が静かな横槍をいれた。

 

「本当にそうかな?」

 

「え?」

 

「君は本当に絶対悪なのかなって思ったんだよ木更」

 

 いつものような『ちゃん』付けではなく呼び捨ての凛に、木更は少しだけ背筋が強張ったのを感じた。

 

「君はただ単に絶対悪を演じているだけじゃないのかな? そうでもしないと自分の精神が持たないから」

 

「そんなことはありません。私は自分で望んで悪の道へと」

 

「それじゃあ、悪の道とはなんだろうね。人を殺すこと、物を盗むこと、女性を犯すこと、道端にゴミを捨てること、人の陰口を叩くこと……まぁ他にも例を挙げればきりがないけど、君は何を持って悪を悪と決め付けているのかな?」

 

「それは……」

 

 木更はそこで押し黙ってしまった。

 

 しかし、凛はそこに畳み掛けるように言葉を繋いでいく。

 

「悪を殺せるのはそれを上回る悪……とはよく言ったものだね。けどね、残念ながら君は悪に染まりきれていないと僕は思う。

 まぁ君がこれから先そのまま修羅の道を進んでいくとしても、僕は君を見守り続けるんだけどね。それが、君が天童を抜けるときに僕と交わした契約だから」

 

「凛兄様……」

 

「でも、もし君が仇である天童以外にもその矛先を向けるというのであれば……そのときは容赦せずに切り捨てるよ」

 

 凛は最後にそう言うと光の灯っていない冷徹な絶対零度の眼差しで木更を見た後、「それじゃあね」と笑顔を作ってバイクに跨ってそのまま姿を消した。

 

 凛の姿が見えなり、少しすると、木更はポツリと呟くように三人に告げた。

 

「先に戻ってるわ」

 

 ふらふらとした足取りで木更は事務所までの道のりを歩いていった。

 

 蓮太郎はそんな彼女の後姿が見えなくなると、延珠とティナに告げた。

 

「二人とも……場合によっては俺は木更さんの敵になるかもしれない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夜、蓮太郎のところに凛から電話があった。

 

『こんばんは、蓮太郎くん。今日はいろいろ大変だったね』

 

「あぁ……。なぁ凛さん、アンタは木更さんを止められるのか?」

 

『僕が木更ちゃんを止めるときは……彼女を殺すよ』

 

 その言葉に蓮太郎は歯噛みして、思わず怒号を飛ばしてしまった。

 

「なんでだ! アンタなら木更さんを無傷で無力化することぐらいできるだろ!! どうして殺さなくちゃならないんだよ!! アンタ、あの人の最後の支えだろ!?」

 

『……いいや、彼女はたとえ両腕を飛ばしても、足を切り落としても、命ある限り復讐をあきらめないよ。だから彼女を復讐から解き放つには殺すぐらいしかないかな』

 

「そんなの……残酷すぎるだろ」

 

 蓮太郎は血が滲むほど拳を握り締めるが、そこで凛が「だけど」と続けた。

 

『もし、彼女を救う手が他にあるとするならば……そのキーパーソンとなるのは君だよ、蓮太郎くん』

 

「俺?」

 

『うん、君は僕よりも彼女と接していた時間が長い。だからこそ、彼女を深く理解して上げられるはずだ。僕ではどうにも力不足なところが多くてね。

 だけど、君ならきっと彼女を変えられると思ってるよ。君は君の正義を貫いていけばいいんだ。他の誰に何を言われたとしても、君は自分の信念を持って生きていけばいいんだよ。っともうこんな時間だね。ごめん、それじゃあまた今度』

 

 凛はそういうと通話を切ってしまった。

 

 しかし、蓮太郎はスマホを放り出して満天の星が輝く夜空を仰ぎながら、決意したように頷いた。

 

「……俺は俺の正義を貫く……か」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 和光の一件から数日後、凛はバイクに乗って関東会戦でアルデバランが爆死した場所へやってきていた。また、彼の腰には翠が掴まっていた。

 

 やがて、アルデバランがEP爆弾によって消滅した場所に出来た巨大なクレーターまでやってきた二人はそれぞれバイクから降りて、献花の花を供えてから静かに手を合わせた。

 

「断風さん、いいんですか? 叙勲式をすっぽかして」

 

「うん、摩那に頼んであるから大丈夫だよ。それより、翠ちゃんのほうも大丈夫? まだ精神的にもきついんじゃ」

 

「いいえ、彰磨さんが亡くなったのは悲しいですけど……いつまでも悲しんでいられませんから」

 

 翠は柔らかな笑顔を見せた。

 

 はかなげで今にも消えてしまいそうな笑顔であったが、それでも、彼女が前に進もうとしていることが伝わってきた。

 

 凛もそれに答えるように笑みを浮かべようとしたが、ふと、視界の端に妙な光がみえた。

 

 それはクレーターの中腹辺りにあり、凛は危険防止として張られたテープを飛び越えた。

 

「断風さん?」

 

「ごめん、翠ちゃん。ちょっとそこで待っていてくれる?」

 

 凛は翠を待たせ、何かが光った場所まで下っていく。

 

 光が見えたところまで降りた凛はその光の正体に思わず息を呑んだ。

 

「これは……彰磨くんのバイザー……」

 

 そう、凛が目にした光は彰磨がつけていたバイザーが太陽の光を反射していた光だったのだ。

 

 ……これが残っているって事は、彼は生きている? でも、これだけじゃ判断できない。

 

 凛はもう一度周囲を凝視してみると、凛から一メートルほど離れたところに、妙なくぼみがあることを発見した。

 

 それは人の形をしているようであり、その周りには何人かの人がそれを運んだような形跡が見て取れた。

 

 しかし、パッと見では調査をしに来た職員の足跡と何ら変わらないようにも見える。

 

 だが、凛にはそれが明らかに人為的に何者かが工作されたものだとわかった。

 

 ……まさか、誰かが彰磨くんを回収した? でも何のために?

 

「でも……これで、彼の生死はわからなくなったってことか……」

 

 凛は透き通るような蒼穹を仰ぐ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 真っ暗な空間で薙沢彰磨は目を覚ました。

 

「俺……は……?」

 

「おう、目を覚ましたか小僧」

 

 自分の呟きに答えたのは、相手を威圧するような低い男の声だった。同時に彼の視界が一瞬真っ白になった。

 

 何だと思いながらも目を開けるが、そこでその白い光がハロゲンランプの光だということがわかった。

 

 するとそのハロゲンランプの前にライオンのような髭を携えた男が現れた。 

 

「アンタは?」

 

「俺を知らないと来たか、まぁいい。それより、貴様こそ自分の名は思い出せるか?」

 

「俺は、薙沢……彰磨」

 

「ほぉ、随分とタフだなぁ。あの爆心地から貴様を回収したときは意識回復さえ絶望的だったと思ったが……なかなか面白い男よ」

 

 男はククと短く笑うと、彰磨に向かって言った。

 

「貴様の事は色々調べさせてもらった。あの憎き天童の技を極めたらしいじゃないか。五体満足ならよかったものの、今のままでは惜しいものだな」

 

「何を……言っている? 俺は……どうなって」

 

「おっと、自分の体を見ないほうが懸命だぞ小僧。何せお前の体は四肢が吹き飛び、片目が潰れて髪が解けて、さらには全身の七十パーセントが火傷を負っているんだからな」

 

 男の言葉に彰磨は絶句したが、そこでさらに四人の人物が彰磨を覗き込むように現れた。全員逆光で顔立ちまではわからない。

 

「この男がグリューネワルト翁のお眼鏡にかなったと? 信じられませんなぁ」

 

「ハッ、どうとでも言え。しかし、俺はこの小僧が気に入った。俺はコイツが欲しくなったぞ」

 

 ライオン髭の男はこちらからでは見えないもののニヤリと笑っているのがわかった。

 

「お前たち、は……一体、なんなんだ?」

 

「我々は『五翔会』。まぁ今の貴様にはそれ以外を知る必要はない」

 

「五翔、会?」

 

 彰磨が疑問を浮かべると、ライオン髭の男は再びニッと笑う。

 

「貴様はこのまま放置すれば遅かれ早かれいずれ死ぬ。しかしな、あることをすれば助かるぞ? そこでだ……一つ俺の話に乗ってみないか、小僧」 




はい、これで本当に四巻の内容は終了って感じですね。
まぁ原作沿いなので大して変わり栄えしなくて面白くなかったかもしれませんが……
その場合は申し訳ない。

あと、昨日ミスってなのはの方をこちらで投稿してしまいました……
読者の皆様には多大なご迷惑をおかけしたこと、ここに深くお詫び申し上げます。

では、次回予告的なものを。
次回はこれまでの話とは打って変ってほんわかとした和み回が出来ればと思います。木更さんと凛の仲が若干不安ですが、まぁ何とかなるでしょうw

あぁあともう二つお知らせ的なものがございます。
この度、友人に相談したらこの小説の登場人物、まぁオリキャラたちをですね、絵として描いてくれることになりました。イエー!!
お披露目はいつになるはわかりませんが、友人は出来次第送ってくださるとのことですw
以下私と友人とのやり取り。

私「これの登場人物の絵描いてくんね?」
友人「ええよ」
私「ファッ!?」

とまぁ、かるーく頼んでみたら割と簡単にOKしてくれたので私自身が思わず驚いてしまいましたw

では二つ目のお知らせというかまぁ出来たらいいなーって感じなヤツですが……
「アカメが斬る!」の二次創作を書くやもしれません。
まぁまだ完結していない状態でなに言ってんだって感じもするんですが……なんとも書きたくなってしまいましてw
元々原作は全巻揃ってたんで何時かは書こうと思っていたんですがアニメ化もしたんでいいかなーなんて思ってみたり。

まぁそんな感じです。
以上、あとがきが長くなってしまいましたが、これからもよろしくお願いいたします。

では感想などありましたらよろしくお願いします。


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第四章 逃亡犯、里見蓮太郎+協力者、断風凛
第四十一話


『凛! そっち行ったよ!!』

 

 トランシーバーから相棒の摩那の声が聞こえ、凛はそれに頷きながら「了解」と短く返答し、長刀を構える。

 

 今、凛がいるのは都内の路地裏だ。

 

 関東会戦からしばらく経っているものの、エリア内におけるガストレアの出現数は右肩上がりとなっていた。

 

 それに対し、政府がとった対策がガストレアの目撃情報が上げられた瞬間、その場所から半径十キロ圏内にいる民警にアラートメールが送信され、最初にガストレアを狩った民警が報奨金を受け取るというものだった。

 

 現在、凛達は例によってそのアラートメールをもらい、ガストレア狩りの真っ最中なのだ。

 

「……今日も暑いなぁ」

 

 茹だるような熱気に包まれ、煌々と輝く太陽を見上げながら凛は大きくため息をついた。

 

 それとほぼ同時といってもいいだろうか。凛の視界の端に赤い瞳の化物、ガストレアが姿を現した。

 

 大きさからしてステージⅡ、体躯は五メートルほどだろう。足は六本あり背中には鋭利な棘が生えていた。

 

 ガストレアは凛に気がつき向かってくるが、それと同時にガストレアの身体は縦に裂かれた。

 

 それと同時にヒュオンという甲高い音が聞こえた。凛の方を見ると、彼の手には抜き身の状態の長刀が握られており、彼が斬撃を放ったのだと物語っていた。

 

「終了っと……摩那、終わったから報酬をもらって戻ろう」

 

『りょーかーい』

 

 摩那が返答したのを確認すると、凛はスマホを取り出して区画を閉鎖している警察隊に終了したこと報告した。

 

 それから少し経つと連絡を受けた警察隊が到着し、凛と摩那は報酬を受け取って事務所へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 事務所へと戻った凛と摩那は外気の暑さから解放されて大きく息をついた。

 

「お疲れ様でした」

 

 そういいながら麦茶の入ったグラスを持ってきたのは黄色の半袖に、黒のフリルスカート姿の夏世だった。

 

「ありがとう、夏世ちゃん」

 

 凛はグラスを受け取って夏世に礼を言うと、そのまま翠と美冬がいるソファを通り過ぎて窓際のデスクにいる零子の下へ行く。

 

 彼の後ろでは、夏世からグラスを受け取った摩那が麦茶を一気に飲み「夏世、もう一杯ちょーだい!」と催促していた。それを見ていた翠は面白そうに笑っており、美冬はやれやれといったように肩を竦めていた。

 

「暑い中災難だったな。凛くん」

 

「いえ、確かに暑かったですけど感染爆発が起こらなくてよかったですよ」

 

「まぁそうだな」

 

「それにしても、どうしてあの時凛先輩が殆どのガストレアを殲滅したのに東京エリアのガストレア出現率が上がってるんでしょうか?」

 

 そう声を発したのは出来上がった書類を零子に提出しに来た杏夏だった。

 

「確かに凛くんと摩那ちゃんによって三千体近かったガストレアは殲滅されている……しかし、代替モノリスの建造中である今だからこそなんだろうさ。何匹かに一匹はバラニウム磁場の結界を乗り越えて侵入してきたんだろう。

 他に考えられるとすれば、あの場で凛くん達の目を掻い潜って東京エリアに潜伏していた……とかな」

 

「けどそれにしたって多いですよねぇ」

 

 杏夏が呆れたようにため息をつくと、そこで摩那が思い出したように「あっ」と声を上げた。

 

「ねぇ凛、ずっと聞こうかと思ってたんだけどさ。未織からもらったって言う長い刀の名前ってなんて言うの?」

 

「そういえば僕も聞いてなかったな。聞いてみるよ」

 

 凛は自分のデスクに戻ると、スマホで未織のところに連絡を取った。数コールの後、柔和な未織の声が聞こえた。

 

『はいなー』

 

「未織ちゃん、凛だけどちょっと聞きたいことがあるんだけどいいかな?」

 

『ええけど、なんちゅうかグッドタイミングやったなぁ。ウチも凛さんに話があったんよ。せやから司馬重工の本社ビルまで来てくれるかー?』

 

「あぁ、わかった少し待ってて……零子さん、ちょっと司馬重工行っていいですか?」

 

 凛は零子に問うと、彼女は静かに頷きそれを了承した。

 

「お待たせ、それじゃあ今から向かうから多分二十分後ぐらいには着くよ」

 

『了解やー。ウチはロビーのとこでまっとるからなー』

 

 未織は返答したあと向こう側から連絡を切った。凛もスマホをポケットにしまいこむと零子に視線を向けた。

 

「それじゃあ行ってきますね」

 

「ああ。あ、そうだ、凛くん。未織ちゃんにこれを渡してくれ。武器の発注書だ」

 

 零子は引き出しからA4サイズの紙を取り出して凛に手渡す。

 

「わかりました。摩那はどうする? 行く?」

 

「んー……今日はいっかなー。時間かかるなら翠と先帰ってるから。ね、翠」

 

「はい。先に帰るときはご一報連絡を入れるので心配しないでください」

 

 摩那と翠の言うことに頷いた凛は、再び肌にまとわりつくような外気に触れながらバイクに跨ると司馬重工に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「いらっしゃーい、待っとったでー」

 

 約束どおり司馬重工に到着した凛がロビーに入ると、ソファに腰掛けていた未織が笑みを浮かべながらやってきた。

 

「暑い中ごめんなぁ凛さん」

 

「ううん、僕も用事があったからちょうどよかったよ。あとこれ、零子さんから」

 

「武器の注文書やね、確かに受け取りました。ほんなら場所変えてお話しよか」

 

 未織は踵を返すと凛を指で誘いながらエレベーターに向かった。凛もそれに従い未織とともにエレベーターへ乗り込んだ。

 

 エレベーターに乗り込むと、未織は上階のボタンを押してエレベーターが上に動き出した。

 

「そういえば上に上がるのは僕初めてだな」

 

「そやね。上はオフィスとか開発室とかあるけど、ラウンジもあるんよ」

 

「へぇ、社員のことしっかり考えてるんだ」

 

「凝り固まった頭じゃ活気的なアイディアなんて浮かばへんからなぁ。たまにはいき抜きも必要なんよ」

 

 未織はクスクスと笑うが、そこで思い出したように指を立てた。

 

「あぁそういえば、凛さんは澄刃達が別のエリアにしばらく行ったって話きいとる?」

 

「え、そうなの?」

 

「やっぱ澄刃のヤツいっとらんかったかー……。本来なら今の東京エリアの情勢で澄刃みたいな高位ランカーの民警が別のエリアに行くのはまずいんやけどな。関東会戦が始まる前から決まってたことやから仕方なくいったんよ」

 

「何処のエリア?」

 

「北海道やね。ホントは言うなって言われてたんやけど、まぁこの際やし言うてしまってもええかなーって」

 

 未織はまったく悪びれた様子もなく言ったが、凛は腕を組んでため息をついた。それは口止めさせてるのに言ってしまった未織に対してでもあり、何も言わずに立ち去った澄刃に対してでもあるため息だった。

 

「行ってくれれば見送りぐらいにはいったんだけどね」

 

「まぁ澄刃もそういうの嫌なんやろ」

 

 そんなことを話していると、エレベーターは目的の階に到着したようで、二人はそのままラウンジへと向かった。

 

 ラウンジへやってきた二人はオレンジジュースを二つ注文して窓際の席に着いた。

 

「さて、ほんならお話といこか。凛さんがウチに聞きたいことってなに?」

 

「うん、あの長刀のことなんだけどさ。名前とかあったら教えて欲しいなって思ってさ」

 

「あぁそういや教えてなかったなぁ。えっと、なんやったっけな……」

 

 未織は言うと着物の胸元からタブレットを取り出して操作し始めた。恐らくタブレット内に保存されているデータを開いているのだろう。

 

 すると、凛はそんな未織に少しだけ悪い顔をしながら問うた。

 

「やっぱり○宗?」

 

「ちゃうちゃう。というかその名前であの外見やったら完全にパクリやん。版権に引っかかるわ」

 

「いやー、未織ちゃんならそれぐらいやるかなって思ってさ。未織ちゃん割とゲームとか好きそうだし」

 

「まぁゲームはそれなりに好きやけどな。それにしたって正○はあかんて。ス○エニさんに訴えられてまうわ」

 

 未織は肩をすくめるが、凛はもう少しだけ突っ込んで聞いてみることにしたようだ。

 

「でもあのバイクは結構ギリギリだよね?」

 

「ぐぬ……。いや、まぁ最初はな? アレやのうて某英霊が乗っとったヤツにしようかと思ったんやけど、アレやと武器入れたり出来んからあの形に落ち着いたってわけなんよ」

 

 未織は視線を逸らしつつも、凛の質問に答えタブレットを操作していた。

 

「なるほど。けど、あのバイクかなりハイスペックだよね」

 

「そりゃあ我が司馬重工の技術がつまっとるからね。スペックは申し分ないで……っとあったあった」

 

 彼女はタブレットに保存されていたデータを見つけたのか、凛にタブレットの画面を見せた。

 

 凛がそれを見ると、画面には長刀が表示されておりその横には以前、バラニウム刀参式を見せてもらったときと同じようなパラメータが表示されていた。

 

 そして、そのパラメータの上には『黒詠(クロヨミ)』とあった。

 

「名前は黒詠か……」

 

「せや、まぁ若干厨二っぽく感じてまうかもしれへんけどその辺は大目に見てや」

 

「ううん、そんな風には思わないよ。あぁでももう一つ聞きたかったんだ。黒詠の表面で光ってる青いラメみたいなヤツって何?」

 

「あれは黒詠を形作っとるバラニウム以外のもう一つの金属の『オリハルコン』やね」

 

「オリハルコン? それってアトランティスにあるって言われてる伝説上の金属だよね」

 

 凛が小首を傾げて聞くと、未織は小さく頷き指を立てて説明を始めた。

 

「そうやね。まぁその辺は名前を借りたってことなんやけど、あの黒詠に使われとるオリハルコンは今現在司馬重工で作れる最高強度でなおかつ、伸縮性に優れとるんよ。せやからオリハルコン。

 ほんで、何で青いラメみたいに光るかっちゅうと、完成したオリハルコン自体が蒼い輝きがあったんよ。それをバラニウムと合成した結果、ああいう風になったわけ」

 

「そういうことだったのか。うん、教えてくれてありがとね」

 

 凛は未織に頭を下げるが、未織はいつもの笑みを浮かべながらかぶりを振る。

 

「これくらいならお安い御用やー。ほんなら次はウチの番やね。まぁ凛さんの武装の話であることには変わりはあらへんのやけどね。

 黒詠は折れる事はあらへんと思うけど、バイクに積んであるあの刀は定期的に変えといてな。手入れとかは……凛さんなら平気やね。そんで次はバイクやけど、アレに積んどるニトロは二個。ハンドル部分にスイッチがあるからそれで操作してな。ただ、使いどころは十分注意すること! 少しでも操作をミスったらいくら凛さんといえど制御きかへんよ」

 

「了解。そのほかは何かある?」

 

 凛が返答すると未織は唇に指を当てて思い出すようなそぶりを見せる。

 

「うーん……まぁ今んところはそんぐらいやなぁ。もしも乗ってるときとかに違和感とか感じたら持って来てくれるか? 無償で修理したるさかい、安心してな」

 

「わかった。それじゃあ今日はそろそろ帰るよ。また何かあったらよろしくね」

 

「はいなー、そんじゃまたなー凛さん。あぁまた凛さんち行ってご飯食べてもええ?」

 

「もちろん、でも来る時には前もって連絡を入れておいてね? そうすればより美味しいものが作れるはずだから」

 

 凛は笑顔を見せながら言うと、ひらひらと手を振ってエレベーターへと向かい、そのまま司馬重工本社ビルから出る。

 

 空はすでに茜色に染まっていたが、昼間灼熱の太陽に照らされたアスファルトからは熱気が立ち込めており、肌にまとわりつくような熱気は健在だった。

 

 彼はそれにため息をつきつつもバイクに向かうがそこでスマホが鳴動した。メールのようだ。

 

 スマホを操作してメール画面を開くと、摩那からのメールのようだ。

 

『題名:先に帰ってるよー。

 

 本文:あ、そうだ翠が今日の晩御飯はカルボナーラスパゲティがいいっ』

 

 なぜかメールはそこで途切れていたが間髪いれずにもう一通メールが届いた。見ると今度は翠のようだ。

 

『題名:違いますからね!!

 

 本文:今のは摩那さんが勝手に送ったことですから! 確かに私は凛さんのカルボナーラスパゲティ好きですけど、この前も食べましたしさすがに食べすぎなので今日は別のでも平気です!!』

 

 随分と力のこもったメールだったが凛は思わずクスッと笑ってしまった。大方摩那が翠を食いしん坊キャラにしたかったのだろう。すると凛はスマホを操作して翠に返信を打ち始めた。

 

『題名:了解

 

 本文:それじゃあカルボナーラじゃなくて海鮮系のスパゲティに挑戦してみようか。幸い家にはまだブイヨンが余ってたから作れるはずだよ。それとも他のにする?』

 

「送信っと……さて、それじゃあ海鮮系を買いに行きますか」

 

 凛はスマホをポケットにしまいこみバイクに跨ると、エンジンをかける。するとそれとほぼ同時に翠から返信が来た。

 

『題名:無題

 

 本文:……それでお願いします』

 

 控えめな文体で送られてきたメールに凛はまたしても笑いそうになったが、凛はそのメールに短くだが『了解!』とだけ返し、バイクを走らせ行きつけのデパートの食品売り場へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごちそーさまでした!!」

 

「ごちそうさまでした」

 

 方や快活に、方や控えめに言う摩那と翠の前には空になった皿があった。

 

「お粗末さまでした。それじゃあ二人とも、お風呂沸いてるから入っちゃいなよ」

 

「はーい。翠、いこ!」

 

「はい。それじゃあ凛さん、お先にいただきますね」

 

 摩那はトタトタと先に行ってしまったが、翠は凛に軽く頭を下げて風呂場へと向かった。

 

 その様子見送りながら凛は二人が食べ終わった食器を流し台に持って行き、皿洗いを開始した。

 

 つけっぱなしのテレビからは今日一日のニュースをメインキャスターがまとめているところだった。

 

 それを時折見ながらすべての食器を洗い終えると、凛はソファに腰を降ろす。ニュースは既に明日の天気予報に変わっており、お天気お姉さんが東京エリアの天気を解説していた。

 

「明日も晴れかー……また一段と暑くなりそうだなぁ」

 

 肩を竦めながら呟く凛はソファの背もたれにもたれながら大きく息をついた。その時、スマホに着信があった。

 

 画面を見ると知らない番号だった。それに凛は少々小首をかしげながらも通話ボタンをタップした。

 

「はい、断風ですがどちら様でしょうか?」

 

『あ、あの私、湊瀬です。覚えてらっしゃいますか?』

 

 電話の相手は会戦が始まる前に凛が会った湊瀬あずさという女性だった。

 

「ああ、湊瀬さん。お久しぶりです、そちらは変わりありませんか?」

 

『はい。断風さん達民警さんと自衛隊の方々が守ってくれたおかげで大丈夫でした』

 

「それはよかったです。それで、今日はどのようなご用件でしょうか?」

 

『あ、はい! えっと、民警さんのお仕事ってガストレアの退治だけなんでしょうか?』

 

「いいえ、場合によってはいろんなことをしますが……何かありましたか?」

 

 凛が問うと、あずさは少しだけ言いよどんだが、ゆっくりと話し始めた。

 

『その、このお仕事は出来れば断風さんだけに頼みたいんです。……実は私、先日合コンに誘われてしまいまして……』

 

「はぁ……合コンですか。それがどうかしたんですか?」

 

 あまりに神妙な声音で言うものだからどれほど重要な話なのかと覚悟していたのだが、あまり大したことでもない話に凛は思わずこけそうになったが、何とか答えた。

 

『私自身合コンって苦手なんですけど、友人が少しは遊んだ方が言いと言うので了承したんです。だけど一人男の人の人数が足りなくなってしまったんです。それで急遽友人も集めようとしたんですけど、誰も空きが無いらしくて……それで、友達に誰かいないか? って言われてしまって』

 

「それで僕に白羽の矢が立ったと?」

 

『……はい、本当にごめんなさい。もちろん無理にとは言いません! 断風さんにも予定はありますし、遊んでいられるような仕事じゃないってことはわかってます。だから無理なら無理と――』

 

「いいですよ」

 

 あずさが言い切るよりも早く、凛は小さく笑みを浮かべながらそういった。しかし、当のあずさはまだ上手く状況が飲み込めていないようだった。

 

『え、え? いいんですか!?』

 

「はい、夜は基本的に暇ですから。子供達にご飯を作ってから行くので少し遅くなってしまうかもしれませんがそれでも構わないのなら」

 

『も、もちろんです! そのあたりは私が無理にお願いしてしまっているので断風さんの予定に合わせてくださって大丈夫です! でも……本当にいいんですか?』

 

「構いませんよ。ただ、まだ未成年なのでお酒は飲めませんけどね」

 

 凛が言うと、あずさは電話越しでも頭を下げているのではないかと思わせるような声音で答えた。

 

『わかりました。それじゃあ友人に知らせておきます。……本当にご迷惑おかけして申し訳ありません。日程の方はあとでメールします、それじゃあおやすみなさい』

 

「おやすみなさい。あまり夜更かしはしない方がいいですよ」

 

 凛は最後にそういうと電話を切ってテーブルの上に置いた。

 

「……合コン……ねぇ」

 

 そう凛がつぶやくと同時にリビングと廊下を繋ぐ扉が開け放たれ、そこから摩那が飛び出してきた。

 

 しかし、彼女は身体になにも纏っておらず、全裸だった。

 

「あー……エアコンってやっぱいいよねー」

 

 彼女はエアコンの下まで行ってそんなことを呟いていたが、凛はそれに大きなため息と共に被りを振った。

 

「摩那……暑いのはわかるけどさ。すっぽんぽんで出てこないでよ……女の子なんだからさ」

 

 凛がそういったものの、摩那は聞く耳を持たなかった。同時に、脱衣所からは摩那を追いかけてきた翠がやってきたのだが、彼女もまたバスタオルだけを身体に巻いている状態であった。

 

 だが、ちょうど摩那にパジャマを渡した瞬間、彼女の身体を守っていたバスタオルがはらりと落ちてその下の純白の肌が露になった。

 

 数秒後、なんとも可愛らしい悲鳴が上がったのは言うまでも無い。




はい、では今回はアレですね凛の持つ正○みたいな刀の名前が明らかになりましたね。
……「黒詠」ってどんだけ私は厨二なんだ……orz

その他にも候補はあったんですけどね……「幻煌」とか「閃皇」とか「影朧」とか……
まぁそんな事は置いておいて。


今回はまぁそれなりにほんわかですかねw
最初ガストレアと戦ってますけどw
最後の方摩那と翠をすっぽんぽんで登場させたのに後悔はしていない( ・`ω・´)キリッ

次回は……凛くん初の合コンでございますw
まぁ私合コンなんていったこと無いんでどんな話させればいいんだか知らないんですけどね!!
あと、あずささんはDQNとかそんなんじゃないから!! たまたま友達に誘われてしまっただけだから!!

それが終わったら水着会的なものも出来たらいいですねー……

では感想などありましたらよろしくお願いいたします。


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第四十二話

 あずさから連絡があった翌日、今度はあずさから合コンの日程が記されたメールが送られてきた。

 

 日程は三日後の土曜日の夜七時で、二次会をするかどうかはその場で決めるそうだ。人数は男が凛を含めて四人で、女性の方もあずさを含めて四人の計八人で行うらしい。

 

 しかし、凛には人数や一次会や二次会よりも心配なことが一つあった。

 

「……合コンって、なにを話せばいいんだろう?」

 

 口元に手を当てて首をかしげながらじっくりと悩んだ末、凛は一度小さく息をつくとスマホの電話帳を開いてある人物と連絡を取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 数十分後、凛の姿は東京エリアの一角にある隠れ家的な喫茶店にあった。

 

 凛はぼんやりと外を行き交う人々を眺めながらコーヒーを飲んでいた。すると、カランという鈴の音が喫茶店の入り口から聞こえた。

 

 ちらりと凛がそちらに目をやると、そこには凛と同い年くらいの長身で筋肉質な青年と、細身で若干赤みがかった髪の女性がキョロキョロと誰かを探していた。

 

 その様子に凛が軽く手をふると、二人は凛に気付いたようだ。だが、彼等は一瞬何か驚いたような表情をしていた。

 

 そして二人がやってくると、凛は薄く笑みを作りながら二人に声をかけた。

 

「久しぶりだね。雅武(まさたけ)鮮巳(あざみ)

 

「まったくだぜ、ここ最近全然連絡しやがらねぇから危うく死んだかと思ったぜ」

 

 色黒の肌に黒のタンクトップとダメージジーンズを着込んだ、がっしりとした体型の青年、橘雅武(たちばなまさたけ)はため息をつきながら凛に言う。

 

「本当よ。幼馴染なんだからもうちょっと連絡ぐらいしてくれてもいいと思うんだけど? 凛」

 

 こちらでもため息をつくのは、赤みがかった髪をショートにし快活そうな雰囲気を発している、白のチノパンと薄ピンク色の半袖のシャツを着込んだ女性、暮浪鮮巳(くれなみあざみ)だ。

 

 この二人は凛の幼少時代からの友人であり、小学校から中学校、さらには高校まで同じと言う組み合わせだ。しかも、席替えを行えば確実に三人は近い位置にいるという、ある意味運命的なものが関係しているのではないかと言うほどだ。

 

 だが、今は凛は民警になり、二人はそれぞれ大学で学業に励んでいる。

 

「それはごめんね。最近いろいろ忙しくてさ」

 

「まぁ関東会戦やらいろいろ大変だったみてぇだしな。それよりも、お前こんなところで油売ってていいのか? 民警の仕事は?」

 

「連絡は入れてあるから大丈夫。それに、今はいつ何処で民警に出動要請がかかるかわからないからね」

 

「確かにな。ニュースやら新聞やらでその話は聞いてるぜ」

 

 雅武は肩をすくめて言うが、そこで鮮巳が二人の中に割って入った。

 

「はいはい、とりあえずその話は後にして適当に飲み物でも注文しましょうよ。外暑かったから喉渇いちゃって」

 

「あぁ、それもそうだな」

 

 鮮巳の言葉に雅武は頷くと、ウェイトレスを呼んで雅武はアイスコーヒー、鮮巳はレモネードを注文した。

 

 数分後、トレイにアイスコーヒーとレモネードをのせたウェイトレスがやってきて二人の前に品を置くと、鮮巳がレモネードをかき混ぜながら問う。

 

「それで? アタシ達に用ってどんなこと?」

 

「うん……実はさ――」

 

 凛が指を組みながら言い始めると、二人はそれに耳を傾ける。瞳は真剣そのものだった。

 

「――合コンに行くことになったんだけど、一体なにを話せばいいのかわからないんだよね」

 

「「……は?」」

 

 凛の言葉を聞いた瞬間、二人はポカンと口をあけたままになってしまったが、鮮巳が雅武よりも速く回復し、眉間に皺を寄せながら凛に問いを投げかける。

 

「えっとさ……なんていったの今? 私には合コンに行くことになったけど、話題がわからないっていう感じに聞こえたんだけど?」

 

「うん、そのとおりで合ってるよ。僕もそういうイベントは初めてだからさ、二人なら参加したことぐらい――」

 

 瞬間、凛の鼻先を鮮巳の細い指が掠めた。

 

「うぉわッ!? あ、危ないな鮮巳!!」

 

「うっさいわね! なに真剣な顔して相談してくんのかと思ったら合コンの話題についてですってぇ!? アンタは本当にまったく……まぁいいわ。とりあえず一発思いっきり殴らせなさい」

 

「なんでさ!?」

 

「そりゃそうでしょうよ! そんなくだらないことで呼び出して、もう!」

 

「まぁまぁ落ち着けよ、鮮巳。他の客に見られてっから」

 

 いつの間にか回復していた雅武がどうどうと鮮巳を嗜める。確かに彼のいうとおり、店にいた数人のお客が凛達のほうを眺めていた。

 

 鮮巳もそれを見て大きくため息をついたあと席に座りなおしてムスッとした顔で凛を見据える。

 

 その威圧感はなかなかのものがあり、凛は背筋に冷や汗が流れるのを感じた。

 

「……すみません」

 

「わかればよろしい」

 

「おい、鮮巳。あんまり言ってやるなよ」

 

「アンタは凛に甘すぎんのよ。珍しく凛が相談なんてするから何事かと思ったら合コンって……」

 

「まぁなぁ……そんでよ、凛。なんでそういうことになったわけだ? まさかお前が進んで合コンに出たいって言ったわけでもねぇだろ?」

 

 雅武は促すように凛に手のひらを向ける。凛もそれに頷くとことのいきさつを二人に説明した。

 

 話を聞き終えると、二人は大きくため息をついた。

 

「な、なにさ」

 

「いや、なんつーかよ……なぁ?」

 

「そうねぇ……アンタって本当にお人よしよねーって思ってさ。ついつい呆れちゃったわけ」

 

 二人はそういうものの、その顔は不快感は出ておらず、小さく笑みを浮かべていた。

 

「んじゃあ、いきさつも聞いたわけだし……どれ、合コン百戦錬磨の俺様が凛にご教授してやるか」

 

 雅武は誇らしげに胸を張るが、横槍を入れるように鮮巳が言った。

 

「アンタが合コンで成功したとこなんて見たことないんだけど?」

 

「……言うなよ」

 

 そういいながら窓の外に見える夏の青空を仰いだ雅武の目尻には輝くものがあった。

 

「とりあえず、このバカは放っておいて。合コンのやり方だっけ?」

 

「うん、自己紹介とかその辺はやるとはわかってるんだけどさ。問題は話題だよね」

 

「話題ねぇ……。普通に趣味や特技とか最近見た映画とかでいいんじゃない? あとはまぁテレビ番組とか?」

 

 指を立てながら凛に言う鮮巳だが、凛は顎に手を当てながら考える。

 

「映画は最近見てないから無理だとして……。趣味は……料理とか読書? 特技はガストレア狩りあとはテレビ番組だと天誅ガールズくらいかなぁ」

 

「うん、とりあえず料理と読書以外はしゃべんな。でもさすがに料理だけじゃなんとも……って一番話題性があるのがアンタにはあるじゃないの」

 

「それって、もしかして……」

 

「そう、第三次関東会戦のことでも話してあげればいじゃない。一番皆が聞きたいことじゃないの? 普通民警の話なんて簡単に聞けないわけだし」

 

 鮮巳はレモネードを一口飲んで喉を潤す。しかし、凛はどうにも腑に落ちないようで渋い顔をしていた。

 

 鮮巳もそれをみると「なによ」と言う風なジト目を凛に送る。すると、その二人の中に割って入るように再び回復した雅武が言った。

 

「さすがに合コンの席で戦争の話しちゃダメだろうよ。皆聞きたいだろうが、そういうのはもうちょっと違う場で話した方がいいな。まっ基本的に仕切りのヤツがいるだろうから、そいつに任せとけば大丈夫だろ。あんま深く考えすぎんな。

 楽しませようとか、変な気が回っちまうと失敗するしな」

 

「それはアンタが経験してきたってわけね」

 

「おうよ! ……ほんと、あの空気は耐えられねぇからな……」

 

 雅武は頭をガクッと下げてうなだれるが、それを見ていた鮮巳も顎に手を当てて考え込む。

 

「まぁ確かにそうよね、ごめん凛。さっきのはなしにして、あまり自分から行かずに聞かれたら答える感じでいいんじゃないかしら。というか、アンタの場合普通に笑ってるだけでもその辺の女子なら釣れるわよ」

 

「釣れるって……鮮巳」

 

「本当のことでしょうよ。小さいころからアンタと一緒だったけど、言い寄ってくる女子なんて数知れず……女子の中じゃ難攻不落って言われてたわよ?」

 

「初耳なんだけど……」

 

「言ってないからね」

 

 あっけらかんとした様子で言ってのける鮮巳に苦笑しながらも、凛は静かに頷いた。

 

「ようは、普通にいれば大丈夫ってことだね」

 

「そういうこと。まっ、特に気にしないで平気でしょ。ねぇ雅武」

 

「ん、おう。気にすることもねぇだろうさ」

 

 雅武の言葉に凛が頷いた。その後、三人は思い出話に花を咲かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ摩那、翠ちゃん、ちょっと行って来るから戸締りしっかりしててね。先に寝ていいからね」

 

「りょーかい。いってらっさーい」

 

「いってらっしゃいです」

 

 二人に見送られ、凛はマンションから出ると合コン会場となっている居酒屋近くの駐車場までバイクを走らせた。

 

 凛の装いは至ってシンプルであり、黒のジーンズに黒のベスト、そしてシンプルなデザインの半袖のTシャツを来た装いだった。また、腕には珍しく腕時計もつけている。

 

 近場の駐車場にバイクを停めると、凛は指定された居酒屋を探す。すると、前の方で自分を呼ぶ声が聞こえた。

 

「断風さん! こっちです!」

 

 案の定、呼んでいたのはあずさだった。凛は小さく頷くとあずさの下まで駆けて行く。

 

「すみません、お待たせしました」

 

「あ、いえいえ! 全然大丈夫です!」

 

「他の皆さんはもう中に?」

 

「はい。……けど、断風さん本当に大丈夫でしたか?」

 

 あずさは申し訳なさそうに俯きながら言うが、凛は小さく笑みを浮かべながら頷いた。

 

「大丈夫ですよ。それに言ったでしょう? 夜は基本的には暇なんです」

 

「そう、ですか……。じゃ、じゃあ中に入りましょう。皆待ってることですし」

 

 あずさが店の扉を開け、凛もそれに続く。

 

 店の中には会社帰りのサラリーマンやOL。大学生くらいの青年や女性が酒やら焼き鳥やらを堪能していた。

 

 そんな彼等から更に奥に行った所に障子で仕切られた席があり、あずさは「あそこです」と告げた。

 

 そのままあずさに続き、彼女が障子を開けると凛が続こうとするが、そこであずさが恐らく友人と思われる女性に声をかけられた。

 

「お、あずさ。呼んだ人来てくれたの?」

 

「うん。断風さん、どうぞ」

 

 あずさに促され、凛も中に入る。

 

「遅れて申し訳ありません。皆さん」

 

 凛は柔和な笑みを浮かべながらその場にいた皆に軽く会釈をする。そして、凛が顔を上げた瞬間、女性陣は顔をぽかんとしていた。

 

「え、えっと皆? どうしたの?」

 

 あずさもそれを不審に思ったのか皆に問う。そして、それから一秒ほど経ったところで一人の女性がポツリと呟いた。

 

「……超イケメン」

 

 同時に、あずさを抜いた女性陣二人も静かに頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでは、今から始めたいと思います! はい、皆拍手!」

 

 恐らくこの合コンの主催者であろう女性がそういうと、皆一様に軽く拍手をした。

 

「じゃあ、まずは乾杯と行きましょうか。それじゃあ皆グラスを持って、はいカンパーイ!」

 

「「「「「「「カンパーイ!」」」」」」」

 

 女性の音頭と共に、皆がそれぞれグラスを当てる。カランという小気味いい音がして少しだけ水滴がはじけた。

 

 因みに、凛が注文したのはもちろん酒ではなくウーロン茶だ。

 

 一通り皆が自分の飲み物に口をつけると、先ほど音頭をとった女性の前にいた金髪の青年が「よし」と言って皆に言った。

 

「んじゃ、ここは王道的に男の俺等から自己紹介するな。いいよな?」

 

 青年の言葉に凛を含め、男性陣が頷くと金髪の青年が自己紹介を始める。

 

「俺は高本潤哉(こうもとじゅんや)、今は大学通いながらアルバイト生活してる。趣味はカラオケとかボウリングとかその辺だ。気軽にジュンって読んでくれてかまわねぇぜ! 今日はよろしくな!」

 

「カラオケのハイスコアってどれくらいなの?」

 

「そうだなぁ……ものによるけど、最高だと98くらい行った事あるぜ!」

 

 女性の対応も欠かさずに潤哉が言うと、彼は「ほい、次」と促すと彼の隣に座っていた茶髪の青年が頷いて彼と同じように自己紹介を始めた。

 

「オレは燕丞和斗(えんじょうかずと)っていいます! 自分もジュンさんと同じで大学通ってます。アルバイトは先日クビんなったっス!」

 

 そのことに女性陣から少々笑いがこぼれた。だが、和斗は気にせずに続ける。

 

「えっと、趣味は自転車です。ロードバイクとかで走るの大好きなんスよ。今日はよろしくお願いしまっす!」

 

 和斗が言うと、先ほどと同じ女性が声を質問を投げかける。

 

「ロードバイクってあのタイヤの細いヤツだよね? 怖くないの?」

 

「最初は確かに怖いってこともあるかもしんないっスけど、なれればどうってことないっすよ」

 

 快活に笑みを浮かべながら答えると、皆それに感心したように頷く。そして今度は黒縁眼鏡をかけたいかにも真面目そうな青年が軽く会釈をして自己紹介に入った。

 

「自分は時城修一郎(ときしろしゅういちろう)といいます。今は専門学校に通っています。趣味はスポーツ全般、あとはビリヤードなども最近始めました。よろしくお願いします」

 

「じゃあさ、修一郎くんの中で一番得意なスポーツって何なの?」

 

「そうですね……強いてあげるならテニスなど得意ですよ。大会では上位に入ったこともあります」

 

 そういうものの、彼の言葉には嫌味などはなく、単に質問に答えただけと言う雰囲気が見て取れた。

 

 修一郎はそのまま凛に「どうぞ」と促す。同時に、女性陣の視線が先程よりも集中する。いや、女性達だけではなく男性達も僅かながら凛が気になるようだ。

 

「僕の名前は断風凛です。趣味は料理とか読書とかですね。あとは……あ、仕事は民間警備会社に勤めてます」

 

「「「「「「民警!?」」」」」」

 

 民間警備会社という単語を聞いた瞬間、皆が一様に驚いた表情を浮かべて凛に聞き返した。

 

「ちょ、ちょっとまてよ、凛くんよぉ!? 君俺等より年下だよな!? 酒飲めないって言ってたし!」

 

「はい、歳は十九です」

 

「民警ってそんな歳からなれるもんなの!?」

 

「なれますよ。僕の知り合いには十六歳の子達もいますから。まぁ僕の事は置いておいて、女性達の自己紹介がまだですから。まずはお互いの名前を知っておかないと」

 

 凛が言うと、皆落ち着きを取り戻したようで先ほど音頭を取った女性が、頷いて皆に言った。

 

「私の名前は木山瑞祈(きやまみずき)。まぁ男の子三人は知ってると思うけど、凛くんは初めてだからね。大学に通ってて趣味は水泳。あ、因みにこっち四人は皆同じ大学だから。今日はよろしくね」

 

 和斗よりも少し色素の薄い茶髪の瑞祈が言うと、それに続いて次の黒髪の女性が口を開いた。

 

榊原悠(さかきばらゆう)です。大学の方は今、瑞祈が言ったとおりです。趣味は……漫画とか小説を書いたりしてます。よろしくお願いします」

 

 落ち着いた様子で自己紹介を終了させた悠だが、そのあとに弾かれたように隣の短髪の女性が自己紹介を始める。

 

「うしッ! そんじゃあアタシだな、アタシは剣渉子(つるぎしょうこ)! 趣味っつーかまぁこれは特技に入っちまうけど剣道をやってる」

 

「あぁ、渉子は腕力が半端ないからメスゴリラって言われてるわ」

 

「誰がメスゴリラだゴラァ!!」

 

 瑞祈がさらりと言うも、渉子は鋭い眼光で彼女を睨む。しかし、既にいつものことなのか慣れっこなのか、誰も動じた風はなく、自己紹介はあずさの番になった。

 

「え、えと……湊瀬あずさです! 趣味はお裁縫と断風さんと同じでお料理を少々……。き、今日はよろしくお願いしまひゅ!?」

 

 ……あ、噛んだ。

 

 ……噛んだッスねぇ。

 

 ……噛みましたね。

 

 ……噛んじゃいましたねぇ。

 

 ……噛んだわね。

 

 ……まぁいつものとおりですね。

 

 ……あー、肉食いてぇ。

 

 六人プラスαがそんなことを思っていると、あずさは恥ずかしそうに顔を真っ赤に染めたあと頭を下げた。

 

「さて、それじゃあ自己紹介も終わったことだし、本格的に始めましょう」

 

 瑞祈が言うと、それとほぼ同時に男性陣、女性陣の視線が凛に集中する。

 

「断風くんは民警だって言ってたけど、やっぱりこの前の関東会戦にも出ていたの?」

 

「もちろん、出ていましたよ」

 

「けどさ、ガストレアはかなりいたんだろ? 怖くなかったん?」

 

 首をかしげながら問うのは和斗だった。凛は彼の問いに薄く笑みを浮かべると、小さく頷いて質問に答える。

 

「そうですね、確かに怖いか怖くないかって言われたら多少は怖さもありましたよ。だけど、ガストレアを倒してエリアを守ることを承知で僕は民警になったんです。それなのに怖いから逃げる……っていう考えは僕にはありませんでしたよ」

 

「はぁ~……なんか、オレ等より年下なのに人間が出来てるっスねぇ。オレはちょっと真似できないっすわ」

 

「つーか、真似したくてもできねーよ」

 

 感心した様子で息をついた和斗に潤哉は肩を竦める。すると、渉子が凛の身体を見ながら彼に問うた。

 

「気になったんだけどよ、凛くんもしかして刀とか使って戦ってんのか?」

 

「はい。さすが、剣道をやっておられるだけはありますね」

 

「ああ、筋肉のつき具合が剣術とかやってる人と同じ感じだったからな。そっかぁ刀使ってんのか……今度暇とかあったら一戦やってくれないか?」

 

「お? 渉子ちゃんグイグイいくねぇ」

 

 渉子の誘いに潤哉が茶化すが、凛は彼女がそんなやましい気持ちで誘っているのではないとわかっているため、静かに頷いてそれを了承した。

 

「いいのか!?」

 

「ええ、暇なときがあればお相手しますよ」

 

「おー、凛くんが乗り気でよかったわねぇ渉子。でもアンタ、力入れすぎて怪我なんてさせんじゃないわよ?」

 

「わーってるっての! いやぁ、今から楽しみだ!」

 

 渉子は心底嬉しげに笑みを浮かべる。凛もそれに笑みを浮かべていると、ビールの入ったグラスを片手に瑞祈が凛の隣までやって来ると、彼に軽く耳打ちをした。

 

「ごめんね、あの子思い至ったら真っ直ぐだから」

 

「いえ、とても明るくて魅力的な女性だと思いますよ。もちろん貴女もですよ瑞祈さん」

 

 凛は心からの笑みを瑞祈に向ける。すると、瑞祈はまるで何かに撃たれたかのようなリアクションを取った。

 

「……な、なんて破壊力……ッ! 年下恐るべし……ッ!!」

 

「?」

 

 そんな彼女の行動に凛は小首を傾げるが、次に悠が静かに手を挙げて凛に問いを投げかけた。

 

「凛くん、民警ってことは貴方はイニシエーター……つまり『呪われた子供たち』と一緒に行動をしているわけだけど、貴方は彼女達のことをどう思っているの?」

 

 その問いを聞いた瞬間、場の空気が一瞬だけ凍ったようになってしまった。あずさを見ると、彼女は少し焦った様子でいた。しかし、凛は実に落ち着き払った様子で対処する。

 

「彼女達については……そうですね、かけがえのない親友や相棒っていうイメージが強いですね。戦場で彼女達に何度も助けられましたし、それに一度彼女達と接してみると普通の人間と何ら変わらないって皆さん感じると思いますよ。

 だけれど、まだ世の中はそこまで認めてくれないのが難点ですけどね。っと、暗い話になってしまいましたね。僕ばかりに質問ではなく、もっと他の方に質問なさってください。例えば、ジュンさんとか」

 

「おっ! わかってるな、凛くん! そう、俺も速く質問して欲しくてうずうずしてたとこなんだ!! さぁ何でも聞いてくれ!!」

 

 凛の振りに動じることなく、潤哉は皆に言う。すると、渉子が答えるように彼に問う。

 

「さっきカラオケが趣味って言ってたけど、どんな歌とかすきなんだ?」

 

「そうだなぁ……やっぱロックだな! シュウイッチはカラオケとかしねーの?」

 

「シュウイッチ!? それ、もしかして自分のあだ名ですか!?」

 

「そりゃそうだろ! どー考えてもお前しかいねぇって。それに、ずーっと黙ったまんまだったからよ、もっと話しに混ざろうぜ!!」

 

 潤哉はキランッと白い歯を輝かせるが、当の修一郎はやれやれと言った様子だった。

 

 そのあと、先ほど流れていた一瞬の暗い空気は何処かに行ってしまったかのように、合コンは続いた。

 

 凛も話しに混ざり、面白おかしく過ごしていたが、ふとあずさが話についてこれていないことを察した彼は彼女の隣に座って話を始める。

 

「大丈夫ですか?」

 

「あ、はい。……ちょっとみんなの雰囲気に圧されちゃって……断風さんはすごいですね。本当に何でもそつなくこなせて」

 

「僕もいっぱいいっぱいですけどね。けど、確かに湊瀬さんはこういうの苦手っぽいですから、無理はしなくてもいいと思いますよ」

 

 凛は彼女に微笑みかけると、思い出したように指を立てた。

 

「そうだ、今思ってみれば湊瀬さん僕のこと苗字で呼んでますよね? まずはそのあたりから変えてみませんか?」

 

「それって、名前で呼ぶってことでいいんですか?」

 

「はい。瑞祈さんや渉子さん、悠さんは普通に名前で呼んでましたし、湊瀬さんもそうしてみたらすこし慣れるかもしれませんよ?」

 

「そう……ですね。で、では」

 

 あずさはそういうと深く深呼吸をした後、ごくりと生唾を飲み込んで凛のほうを見る。

 

「り、り……り、凛さん……」

 

「はい、あずささん」

 

「え、今私の名前……」

 

「あぁすみません、あずささんが名前で呼んでくれるのに僕だけ苗字呼びなのはどうなのかと思ってしまいまして。嫌でしたら変えますよ?」

 

「あ! い、いいんです! 変えなくていいです! 名前で呼んでください!!」

 

 あずさは顔を真っ赤に染めながら手をブンブンと振って言うが、すぐに俯いてしまった。

 

 すると、そんな二人の様子を見ていた皆がニヨニヨとした視線を送っている。

 

「いやー……凛くん、ホント天然ジゴロの素質あるわぁ……」

 

「はい?」

 

 瑞祈の言葉に凛は小首を傾げるが、彼女の言葉に同意するように潤哉たちが「ウンウン」と頷いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 合コンの一次会も佳境に入り、皆それなりに酒が回ってきたころ潤哉がほろ酔いながら皆に宣言した。

 

「よーっし! んじゃあ二次会行こうぜ! もちカラオケでな!」

 

「お、いいっすねぇ! 女の子達もいくっスよね?」

 

「そうね。皆は大丈夫?」

 

 瑞祈の問いにあずさを含めた三人が頷くと、今度は修一郎が凛を見る。

 

「凛くんは大丈夫ですか? 無理なのであれば帰っても大丈夫ですよ?」

 

「あぁ大丈夫ですよ。明日は仕事がありませんからっと……失礼」

 

 凛が修一郎の問いに答えているなか、彼のスマホが鳴動した。凛はスマホをポケットから出すとメール画面を確認する。

 

 瞬間、彼の表情が一気に険しくなった。

 

「どうかしましたか?」

 

 修一郎の問いに凛は静かに頷くと、二次会のカラオケを何処でやるか話し合っている潤哉達に声をかけた。

 

「ジュンさん、瑞祈さん。二次会はやめておいた方がいいかもしれません。いいえ、やめてください」

 

「えぇ? どうしたってんだよ凛くんよ。まだ九時じゃねぇの、まだまだ夜はこれからだぜ!」

 

「何かまずいことでも起きたの?」

 

 瑞祈が問いを投げかけると、凛は真剣な面持ちのまま今度は皆に聞こえるように静かに告げた。

 

「この近くにガストレアの目撃情報が入りました。じきに警察が避難誘導を始めます。それまでここで待機してください」

 

 そういう彼は皆に見えるようにスマホの画面を見せる。

 

 画面に書かれていたのは民警の出動要請だった。




はい、なんか物騒な感じで終わりましたねw
せっかくの合コンだったのに!!
……まぁその辺は置いときまして、次回は摩那の出生を明らかにしてみようかなんて思ってます。
凛は多分ガストレアと戦ってます。

というか一話で新キャラ増えすぎィッ!!
八人も増えてしまった……orz
幼馴染二人はまぁ原作でも蓮太郎の前に突然水原が出てきたからいっかなーって感じで出してみました。
殺さないよ!?

次回に摩那の出生とガストレアをぶち倒して……
その後の話は翠と組むオリキャラちゃんをすこし出しましょうかね。


では、感想などありましたらよろしくお願いします。


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第四十三話

「マジ……かよ……」

 

 凛が見せたスマホの画面を見ながら、潤哉は驚きと恐怖が入り混じったような声を漏らした。同時に話を聞いていた他の皆の顔も緊張が走る。

 

「じゃ、じゃあ早く逃げた方がいいってことっすよね!?」

 

 多少パニック状態に陥ってしまったのか、和斗が上ずった声を上げる。そして、彼の恐怖が伝播するように皆もそれぞれ顔を見合わせ始めた。

 

 しかしそれを制するように凛が皆を宥める。

 

「パニックになるのはわかりますが、皆さんどうか落ち着いてください。ガストレアが目撃されたのはここから凡そ南西に三キロ行った所です。ガストレアが俊敏であってもこちらに来るまでには十数分かかるはず。それに、もうすぐ警察の避難誘導が始まります。今は冷静にお願いします」

 

 落ち着き払った声で凛が言うと、皆はなんとか納得したのかその場にゆっくりと座った。

 

 それを確認した凛は家にいる摩那に連絡をしようとしたが、既に休んでいる可能性もあったことから連絡をするのをやめた。

 

 ……明日も勉強だから疲れさせるわけにはいかないな。

 

 そして凛がスマホをしまうと店の入り口の方から警察のものと思われる声が聞こえた。

 

 皆がそれに反応し障子をあけると、入り口の方で数人の警察官が避難誘導を始めているのが見て取れた。

 

「対応が早い」

 

 凛は呟くと皆の方を一瞥し、告げた。

 

「それじゃあ皆さんは避難誘導に従ってください。僕はガストレアの方を倒してきますので。あぁそうだ、これ今日の会費です」

 

 彼は財布から金を出すと幹事である瑞祈に握らせ、皆を店から出した後、駐車場に停めておいたバイクをに跨る。

 

 彼はそのまま避難誘導をしていた警察官に民警ライセンスを見せて状況を確認した。

 

「周辺の避難はどうなっていますか?」

 

「今のところ大きな混乱はない。他の地区の非難もほぼ完了しているから、残りはガストレアだけだ。頼むぞ民警」

 

 警察官は少々釈然としなさげだったが、凛はそれに頷くとゴーグルを付けてバイクを走らせようとする。

 

 しかし、そんな彼を呼び止めるようにあずさが声をかけた。

 

「断風さん! ……気をつけてください」

 

「わかってます。あぁそうだ、他の皆さんに渡してください。あと、今日は楽しかったです。それじゃ」

 

 凛はあずさに人数分の名紙を渡した後、アクセルを回してバイクを走らせる。マフラーから排気された熱い空気があずさの頬を這い、次の瞬間には凛の姿は彼方へ行っていた。

 

 

 

 

 

 皆から分かれ、ガストレアが目撃された場所までバイクを走らせている中、凛はふと懐かしいことを思い出していた。

 

「一人での任務はかなりひさしぶりだな」

 

 そう呟いた彼は小さく笑みを浮かべつつ、ガストレアの出現地点に急行した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私と凛は組んでどれくらいかって?」

 

 少しだけ驚いたような声を挙げたのは摩那だった。彼女の視線の先にはソファに座りながら冷えた麦茶を飲んでいる翠がいる。

 

「はい。ちょっと気になったので聞いてみたいんです。でも、無理にとは言いません」

 

 翠は真剣な眼差しで摩那を見つめており、この質問が遊びなどと言った軽い気持ちでもたらされたものではないと物語っていた。

 

 摩那は取り出そうとしていたゲームソフトをいったんパッケージの中に収めると、小さく息をついて彼女の隣に座った。

 

「いいよん、話してあげる」

 

 摩那が言うと翠も背筋を伸ばして彼女の話を真剣に聞く態勢に入る。それを見た摩那は麦茶を一口飲んだあとゆっくりと話はじめた。

 

「私が凛と組んで民警として働くようになったのは今から四年前、六歳のころだったよ」

 

「六歳……」

 

「うん、あぁ勘違いしないでね。凛が無理やりに私を戦わせたんじゃなくて、私が望んでイニシエーターになっただけだから。まぁどうして私が凛のイニシエーターになったかってことまで話すと、私の出生までさかのぼらなくちゃならないんだけど……それでもいい?」

 

 摩那が首をかしげると、翠は静かに頷いた。

 

「私はさ0歳のころにお母さんに捨てられたんだ。でも結構マシな方でね、断風家の門の前に毛布にくるまれた状態でいたんだってさ。それで胸のところにはお母さんが書いたらしい一枚の紙がのせられてたらしいよ」

 

「その紙にはなんて書いてあったんですか?」

 

「んー? 『ごめんなさい。この子をお願いします』って書いてあったよ。その紙は時江ばーちゃんが今も持ってるから、見たいなら後で見に行ってみればいいと思うよ。

 けどさぁ、やっぱり気になっちゃうじゃん? 謝るなら捨てないでよって私は思っちゃってさ、時江ばーちゃんに聞いたんだよ。『お母さんはどこにいるの?』って」

 

「でも、それはさすがに無理だったんじゃないですか? 紙には住所とか書いてなかったんですよね?」

 

 翠の質問は尤もだった。しかし、摩那はそれに対して被りを振ると続けるように説明を再開する。

 

「そのときに聞いたことなんだけど、私が預けられた次の月に手紙が贈られてきたんだって、それと一緒にお金が送られたらしいんだ。そのときから今でも毎月毎月私の養育費ってことでお金が送られてきてるんだって。

 それでさっきの話に戻るわけだけど、結局時江ばーちゃんがその住所を教えてくれてさ、途中まで凛と一緒に行ったんだよ」

 

「お母さんのところに……ですか?」

 

「うん、最初はちょっと怖かったよ。けど行ってみたんだ……」

 

 そこで摩那は少しだけ悲しいような、さびしそうな表情を浮かべた。しかし、すぐに大きなため息をつくと「やれやれ」と言うように天井を仰いだ。

 

「まぁ行ってみたって言っても直接話は出来なかったんだけどねぇ。お母さんはお花屋さんをやっててさ、それでちょうど外にいたから話しかけてみようと思ったんだ。あぁ、何でその人がお母さんってわかったかって言うと、私と同じにおいがしたからなんだけどね。

 それで私が一歩踏み出そうとしたらさ、ちょうどお店の中から男の人とその人に抱えられてた赤ちゃんがいたんだ」

 

「まさか、それって」

 

「うん。お母さんは新しい家庭を持ってたんだよ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、翠は自分の質問がなんて軽率だったのだろうと自分のことを恥じた。

 

 同時に、彼女は摩那に謝罪しようとしたが、摩那はそれに気付いたように首を振ると話を続ける。

 

「最初は何か悪い夢だって思った。自分に仕送りをしてくれてたお母さんが新しく子供を作ってるなんてって……悲しくて、寂しくて、涙が出た。もしかしたらお母さんはもう私のことなんかどうでもよくて、きっと仕送りもしてくれなくなっちゃうんじゃないかなって思ったんだ。

 けどね、問題なのはそのあと。しばらくお母さんの動きを見てたら、一人であるところに出かけて行ったからその後をつけてみたの」

 

「あるところとは何処だったんですか?」

 

「……神社。安全祈願の神社でさ、お母さん絵馬だっけ? あの願い事を書くやつ。それに何か書いてたんだよね。

 んで、お母さんがいなくなったあとその絵馬になんて書いたのか確認したの。最初は新しく生まれた赤ちゃんが元気になるようにってお願いしたんだろうなって、すこしお母さんを恨んじゃってた。

 だけどね、その絵馬にかかれてたお願いを見たとき、私はまた泣いちゃったんだ」

 

 摩那は今度は嬉しそうに笑みを見せた。彼女は喉を潤すためにもう一度麦茶を煽る。

 

「その絵馬にはこう書かれてた。『摩那が元気でありますように』って」

 

「じゃあ、摩那さんのお母さんは……」

 

「うん。新しい家庭を持っても私のことを見放そうなんて思ってなかったんだよ。現に今も仕送りはされてるわけだしね。まぁその後はお母さんに声をかけずに帰ったんだけどね」

 

「どうしてですか?」

 

 翠が問うと、摩那は薄く笑みを浮かべて答えた。

 

「簡単だよ。お母さんには新しい家庭がある。だったらそれを壊しちゃいけないって思ったんだ。もしそこに私が入っていったらお母さんの幸せをぶち壊すことになっちゃうんじゃないかってね。

 そんなことは私も望んでないからさ、だから私はそこで身を引いた。それ以降私はお母さんには一回も会ってないよ。見てもいない。けど、毎月の仕送りはずっと続けられてる。私はそれで十分かな。あ、お母さんがどうして私を捨てなくちゃならなかったのかってことは、時江ばーちゃんが聞いててね。私の本当のお父さんは大戦中に死んじゃったんだって。それで二人で生きていくのが大変だってことで私を捨てなくちゃならなかったんだってさ。はい、これでおしまい」

 

 話し終えた摩那はニカッと太陽のような笑みを浮かべる。そして、思い出したように指をパチンと鳴らした。

 

「あぁそれで私がどうして凛と組むことになったかって言うと、私を育ててくれたことに対する私なりの恩返しってヤツなんだよ。最初は猛反対をされたんだけど、私も一歩も引かなかった。

 そしたら時江ばーちゃんが折れて、次にタマ先生、最終的に凛が折れたってわけ。以上! これが私の過去でしたー。ね? つまらなかったでしょ?」

 

 摩那はバツが悪そうな顔を浮かべて頬をポリポリと掻いていた。しかし、翠はそれに首を振ると小さく頭を下げた。

 

「ありがとうございました、摩那さん。それと……話しにくいことを聞いてしまって本当にすみませんでした」

 

「あーいいよ気にしなくて。もう四年も前のことだし。それに、過去を気にしないのがわたしのショーブンだから! 私は今を生きる女だよ」

 

 摩那はフフンと言うようにソファに立つと、張るにはすこし足りない胸を張り、先ほどしまったゲームのパッケージに手をかけて中からディスクを取り出した。

 

「さて、辛気臭い話の後は楽しいことをしよう! 翠、格ゲーしようよ! 私けっこー強いからね」

 

「格ゲーって格闘ゲームですよね? 私やったことないんですけど大丈夫ですか?」

 

「大丈夫大丈夫! 私が教えるし。あ! 使うキャラなら初心者だからラ○ナがいいと思うよ! 私はテル○使ってヒャッハーするけど」

 

 コントローラーを翠に手渡すと、摩那は電源を入れてゲームを起動する。

 

 その後、摩那によるレクチャーのかいあってか翠もそれなりに格闘ゲームに慣れてきたようで、二人は夜遅くまでゲームを楽しんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目撃されたガストレアを撃破し終えた凛は警察に討伐の旨を伝え終え、帰路についていた。

 

 自宅のマンションの近くまで来ると、自分の部屋にまだ明りがついていることが確認できたので少しだけため息をついてしまったが、凛はそのまま駐車場にバイクを停めて自宅へと戻る。

 

「ただいまー。摩那ー? 翠ちゃん? もう遅いから寝ないと明日が辛いよ――」

 

 そういいながら廊下とリビングを仕切るドアを開ける凛だが、彼は思わず笑みを漏らしてしまった。

 

 彼の視線の先には、ソファで互いにもたれかかりながら寝息を立てている摩那と翠がいた。

 

 テレビは未だにゲーム画面がついたままでいたので、恐らくゲームをするうちに眠くなってしまったのだろう。

 

 凛はテレビを消すと、二人を抱えてベッドまで運んで彼女達を寝かせた。

 

 リビングへと戻った凛は摩那がつけっぱなしにしていたゲームをセーブするためもう一度テレビをつける。

 

「BLA○B○UEか……久々に少しやろうかな。キャラは……ハ○マでいっか」

 

 凛はカーソルを合わせてキャラを選択すると、アーケードモードでゲームを始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 ゲームを始めてから約一時間ほど経過した後、凛のスマホにメールが入った。

 

 時刻は既に午後十一時半だ。だが、凛は特に気にした様子もなくスマホのメール画面を開く。

 

 差出人は『露木凍(つゆきとう)』と言う人物であり、本文はいたってシンプルだった。

 

『件名:Re:プロモーターの件。

 

 本文:プロモーターの話だが、(ほむら)は喜んで了承した。オレはこちらを離れられないからお前の方で守ってやってくれ。一週間後には行けるはずだ』

 

 凛はメールを読み終えると、了解と感謝の旨を書いたメールを送ったあとゲームの電源を落としてテレビを消した。

 

 そして彼はベランダから夜空に浮かぶ星を見上げながら小さく呟いた。

 

「さてこれからもっと賑やかになるな」

 

 彼の呟きは夏の夜に消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん、凛も了解したか」

 

 そういいながら人差し指で逆さ腕立てをしているのは腰まである髪をポニーテールに纏め上げた麗しい女性だった。

 

 彼女はスマホの画面を確認したあと身軽な動きで立ち上がると、小さく息をついた。

 

「鍛錬はこのぐらいにしておくか。明日は焔と(さくら)の稽古をつけてやらないといけないしな」

 

 彼女はそういうとシャワーを浴びるためにバスルームへと向かった。




お待たせしましたああああああ!!
何せテストがあったもんですからぁ!! 一週間あけてしまい本当に申し訳ないです!!

さて、今回はどちらかと言うと摩那の過去のお話でしたね。
多少はいい話に出来たかと思いますが……どうでしたかね?

とまぁそんなことはさておき……
またもや新キャラ登場!
まぁ最後の方なんですがねw

こちらのキャラの方は次話でもちょこっと出していきたいとおもいます。

あと前にお伝えした友人に依頼したキャラ絵のことですが、これは友人によると19日近辺には送ってくれるみたいなことを言ってましたw
どんな風になるのか、こちらもお楽しみにw

では感想などあればよろしくお願いします。


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第四十四話

 大阪エリア某所。

 

 瓦屋根の塀に囲まれた純和風建築の日本家屋の庭に二人の女性の人影があった。

 

 一人は昨日に凛と連絡を取っていた露木凍という女性であり彼女は以前と同じように長い髪をポニーテールに結わいていた。

 

 そして彼女の前にいるのはシャギーの入った肩まである赤みがかった髪をしている少女だった。

 

 どうやら二人は組み手をしているようで、お互いに蹴りや拳での殴打を放っていた。

 

 すると少女の方が態勢を低くし凍の懐に潜り込んだ。

 

「ハッ!!」

 

 短い気合の声と共に炸裂したのは凍の顎を狙ったハイキックだ。しかし、凍はそれを造作もないように回避すると、少女の足首を引っ掴んで逆方向に放り投げた。

 

 放り投げられた少女は一瞬悔しげな顔をするが、すぐにハッとし凍を見やった。

 

 しかし、既に先ほどの場所に凍の姿はなくその代わりと言うように頭上から彼女の声が聞こえた。

 

「追撃がくるかもしれないと予測するのはいいが、もう少し早く反応しておくべきだな」

 

 その声に反応した少女が上を向くと、頭上にはいつでも攻撃を放てる態勢の凍がいた。

 

 少女は突発的に防御態勢を取る。瞬間、防御のために身体の前で組んだ腕に衝撃が走り、彼女はそのまま地面に急降下した。

 

 だが、地面に叩きつけられる寸前に何とか身体を反転させた彼女はすぐさま次の攻撃に備えるが立ち上がった瞬間首筋につめたい感触が押し当てられた。

 

 少しだけ頭を動かしてそちらを見ると、首筋にはバラニウム製のクナイが押し当てられていた。

 

「う……」

 

「終了だな。とりあえず一時休憩にしよう」

 

 凍は静かに告げるとクナイを胴着の袖に戻した。凍がクナイを収めたのを確認すると、少女は緊張していた身体をほぐすように大きく息をついた。

 

「はぁ~……。凍姉ぇ相変わらず強すぎ」

 

「姉が妹に負けるわけには行かないからな。それよりも焔、桜がお茶を淹れてくれた様だから行こう」

 

 彼女が言うとおり、家の縁側の方で桜色の髪をした童女がグラスに麦茶を淹れているところだった。

 

 焔もそれに頷くと凍と共に縁側の方まで駆けて行った。

 

「お疲れ様でした。凍様、焔様」

 

 桜色の髪をストレートにした童女、桜は小さく一礼したあと二人に麦茶の入ったグラスを手渡した。

 

「ああ、ありがとう桜」

 

「ありがとー。ふぅ、生き返るー」

 

 焔は受け取った麦茶を一気に飲み干すと、桜が持ってきたタオルで汗を拭った。

 

 三人は縁側で他愛のない話をしていたが、しばらくすると凍が静かに切り出した。

 

「焔。昨日凛にお前が了承したことを伝えておいた。土曜の夜の便で東京に行け。チケットは既に予約してある。友人達には別れを済ませて置けよ」

 

「了解! 友達と別れるのは少し寂しいけど……兄さんと一緒にお仕事できるのはすごく嬉しい!

 あぁ……早く会いたいなぁ……愛しの兄さん……」

 

 後半のほうから段々怪しい声を漏らし始めた焔に凍が苦笑いを浮かべていると、凍の傍らに控えていた桜が彼女に耳打ちした。

 

「凍様、その凛様と言うのはどなたなんですか?」

 

「ん? あぁ、そういえば桜には言っていなかったか凛は私達露木家が古来より仕えてきた断風家の現当主だ。まぁオレの曾爺さんの代まで主従関係ということで露木の者は断風家の当主を『御館様』と言っていたんだがな、爺さんの代に変わってからそういうのはなくなったんだ。まぁ親戚みたいな関係になったんだ。

 だけど焔は小さいころから凛のことが大好きでな。それはもう猟奇的なまでに。焔が抱いて寝てる人形あるだろ? アレは凛のことが好き過ぎて作った『りんぐるみ』なんだよ」

 

「なるほどそういうことだったのですか。ですが、なぜ今回焔様が凛様に呼ばれたのですか?」

 

 桜が首をかしげながら聞くと、凍は静かに頷いたあと説明を始めた。

 

「実は凛のところに一人プロモーターをなくしたイニシエーターの少女がいるらしくてな。このままだといずれIISOに引き取られてしまうことから、何とかしてやりたいんだとさ。

 それで焔に白羽の矢が立ったわけだ。焔は最近民警ライセンスをとったわけだしな。それに焔にはまだ、オレで言うお前のようなイニシエーターはいないわけだ。ちょうどいいと思ってな。まぁ凛のところにいる子もいい子だそうだから問題はないだろう」

 

 肩を竦めつつ凍が言うものの、彼女の隣では夢心地のような焔がポワポワとした空気を醸し出していた。

 

 ……大丈夫なんでしょうか。

 

 焔の姿を見ながら桜は少々心配になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヘックシ!!」

 

 事務所でいつものように仕事をしていた凛が唐突にくしゃみをした。

 

「風邪ですか?」

 

「ううん、違うと思う」

 

 隣に座っている杏夏の問いを否定しながら言う凛だが、そこで窓際でパソコンをいじっていた零子が聞いた。

 

「そういえば凛くん、翠ちゃんの新しいプロモーターだが見つかったのか?」

 

「はい。昨日その子のお姉さんからメールをもらって、その子も了承してくれたみたいです」

 

「ほう。それで翠ちゃんの新しいプロモーターになる人物はどんな子なんだ?」

 

 零子が真剣な眼差しで問うと、凛はそれに対し静かに頷いて杏夏にも説明するように告げた。

 

「名前は露木焔。民警にはつい先日なったばかりですが、戦闘技術やその他の技術が秀でていたため序列は九千六百三十位。年齢は蓮太郎君たちと同じ十六歳です」

 

「焔ってことは女の子ですよね?」

 

「そうだね。性格はいたって優しい子です。翠ちゃんとも仲良くなれるでしょうし、何より彼女のお姉さんも民警ですから。イニシエーターの子とも過ごしています」

 

「なるほどな。しかし、今お姉さんも民警と言ったがかなりの使い手なのか?」

 

 零子が問うと凛は頷き、そのまま説明を再開する。

 

「彼女の名前は露木凍、序列は百六十三位。これは僕の独自の解釈ですが単純な戦闘能力で言えばあの影胤さんよりも上だと思っています。戦闘は蓮太郎くんのような拳や足を使った体術で『露木体術』とよばれる体術の皆伝者です。

 因みに蓮太郎くんには悪いですが今の彼では凍姉さんには勝てないでしょう」

 

「そこまでか……。ではもう一つ、君はどうしてそんな人物と面識を持っているんだ?」

 

「それはですね、断風家と露木家は昔は主従の関係だったんです。ですが、今はそれが解消されて親戚同士という付き合いと言う感じです。しかし元々露木は大阪に家があるので、最近はあまり会っていなかったんですけどね。でも、時折連絡は取ってました」

 

 凛が説明を終えると零子と杏夏はそれぞれ深く頷いていたが、そこで杏夏が問いをなげかけた。

 

「お姉さんが免許皆伝者って言う事は妹さんもそうなんですか?」

 

「うん、焔ちゃんも免許は皆伝。だけど、凍姉さんからするとまだまだみたいだけどね」

 

「ふむ、それでその事は翠ちゃんには話したのか?」

 

「ええ、今日の朝話しました」

 

「反応は?」

 

「そこまで戸惑ってはいませんでした。後は本人達が会ってみてって感じですね」

 

 凛の言葉に零子も納得したようだった。

 

 彼女からしてみても、プロモーターを失った翠の精神面が心配なところではあるのだろう。

 

 そして零子が新しいタバコに火をつけようとしたとき、事務所の扉が勢いよく開け放たれた。

 

 三人は瞬間的にそちらに振り向く。すると、そこにはピクピクと身体を小刻みに震わせている木更がいた。

 

「あれ? なんでしょう私デジャヴが……」

 

「これはまた……」

 

 凛と杏夏がなんとも微妙な表情をしていると、そこで零子が凛に命じた。

 

「凛くん。君、今日はもう帰っていいぞ。帰ってそこで伸びてる木更ちゃんを看病でもしてやれ」

 

「え? でもまだ仕事がおわってないで――」

 

「社長命令」

 

 零子は腕を組みながら鋭い眼光で彼を威圧した。それに対し、凛は小さくため息をつくと木更をおんぶした。

 

「それじゃあお疲れ様でした。零子さん……ありがとうございます」

 

 凛は一礼しながら事務所から出て行くが、零子は軽く手を上げただけであった。

 

 彼がビルから出て行ったのを確認した零子は「やれやれ」と言いながらタバコに火をつけた。

 

「あの様子からするとまだギクシャクしてたみたいだな」

 

「え?」

 

「なんだ、杏夏ちゃんは気がついていなかったのか? ホラ、以前凛くんが木更ちゃんや蓮太郎くんと出かけたことがあっただろう? あの次の日から凛くんの様子がおかしかったんだよ。まぁ大方木更ちゃん絡みなんだろうとは踏んでいたがね」

 

「それでそれを解消させるために看病をって感じですか」

 

「ああ。さて、私達も残ってる仕事はちゃっちゃと終わりにするか」

 

 零子の言葉に杏夏は頷くと残った仕事を片付けるためにデスクに向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 木更は鼻腔をくすぐる匂いと共に目を覚ました。

 

 そして自分がソファの上に寝かされているのだと気がつくと彼女はボーっとする頭を振りながら匂いのする方に視線を向けた。

 

 視線の先にはエプロンを付けてキッチンに立つ人影が見えた。木更は最初それが誰かわからなかった。しかし、その人物が振り向いた瞬間木更はその人物が自分のは母の姿と重なった。

 

『よく眠っていたわね、木更』

 

 そんな風に声をかけられた気がした。

 

「お母……様?」

 

 彼女の目尻から涙が一滴こぼれる。しかし、同時にそれによって彼女は現実に引き戻されることとなった。

 

「木更ちゃん?」

 

 聞き覚えのある青年の声に木更はハッとして目を擦った。

 

「凛……兄様。あれ、私……」

 

「ウチの事務所に倒れこみながら入ってきたんだよ。またお腹減らしてたみたいだね」

 

 凛は言いながら小さい土鍋をトレイにのせながらソファの前のテーブルに運んだ。

 

 鍋に入っていたのは卵粥だった。

 

「こんな暑い日にお粥もどうかって思ったんだけど、空腹の時に消化の悪いもの食べさせちゃうとお腹がビックリしちゃうからね。熱いけど冷ましながら食べて」

 

「ありがとうございます……」

 

「ううん、気にしないで。あぁそうだティナちゃんや蓮太郎くんには連絡しておいたからそのうち迎えに来ると思うよ」

 

 凛はエプロンを取りながら彼女の隣に腰掛けると静かに告げた。

 

「この前は君を試すようなことを言ってごめんね」

 

「いえ、気にしないでください。私も……少し気が高ぶってしまっていましたから」

 

 木更はあの時と言うのが自分が和光を殺したときだとすぐにわかった。

 

 あの後、一人で帰った木更は母と父に敵の一人を殺したことを報告した。そして、同時に凛の言っていた自分が絶対悪を演じていると言われたこともずっと考えていた。

 

「あの、凛兄様。聞きたんですけど、もし私が刃を復讐以外に向けたら私を殺すって言ってましたけど……本気ですか?」

 

「うん、本気だよ。けどね、僕は君ならそうならないと思ってる。というか、僕も蓮太郎くんも君をそうさせないようにするけどね。君を殺すって言うのは本当にどうしようもなくなったとき。君が止められない復讐鬼に堕ちてしまった時だよ」

 

 凛の瞳は真剣そのものであり、それが冗談でもないことをはっきりと物語っていた。

 

 木更はそれに対し少しだけ俯いてしまったが、ふと彼女は頭を撫でられたのを感じた。

 

「大丈夫、君をただの殺戮者には絶対にしない。これは僕が約束するよ。けど、これだけは覚えておいてね。その刀を向ける相手を違わない様にね。

 さて、辛気臭い話はここまで。お粥食べちゃって、あと今日は皆で夕食会をするから蓮太郎君たちが来たら買出しに行こう」

 

 凛は優しい笑みを浮かべるとソファから腰を上げるとスマホを取り出した。どうやら零子たちにメールを送信しているようだ。

 

 そして、木更が凛の作ったお粥を完食した後ちょうど蓮太郎達と摩那と翠が帰ってきてそのまま全員で夕食の買出しをすることとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕食の買出しから戻って凛と蓮太郎が台所に立っているとインターホンが鳴らされ、玄関から杏夏と美冬、夏世、更に未織の声が聞こえてきた。

 

「こんばんはー、いやぁまた呼んでくれてありがとうなぁ凛さん」

 

 未織は扇子を口元にあてがいながら柔和な笑みを見せた。凛もそれに答えるが、ちょうどトイレから戻ってきた木更は未織がいることに顔をゆがめた。

 

「げっ未織」

 

「あらぁ、おったん木更? 相変わらずデカイのぶら下げとんなぁ。動きにくいんやないの?」

 

「お生憎様、これでも十分動けるんで。それにアンタの『貧相』な胸よりもあったほうがましよ」

 

「あーやだやだ、胸が大きくなると寛容な心がなくなるんやねー。というか、男はウチぐらいの慎ましい胸のほうが好きなんよ。ねぇ凛さん、里見ちゃん?」

 

 未織が威圧感たっぷりの視線を凛と蓮太郎に送り、木更もまたそれに続いた。因みに、杏夏は早々に退散したようで摩那達の面倒を見ていた。

 

 しかし、二人の視線を送られている蓮太郎はこの場をどう切り抜けるかで頭がいっぱいだった。だが、そこで隣で御浸し様のきゅうりを切っていた凛が小さく笑みを浮かべて二人に告げた。

 

「僕は胸の大きさよりも、笑顔が素敵な人が好きかな」

 

「「おぉ……」」

 

 凛の答えを聞いた瞬間、木更と未織はなにかに気おされてしまったようだが、凛は何故か背景にキラキラとしたものが浮き上がりそうな笑顔を浮かべたまま静かにいった。

 

「やっぱりどっちかを選んだ方がよかったかな?」

 

「い、いや。大丈夫や、そのまま料理続けてくれてかまへんから」

 

 未織はそそくさとソファに座る。木更も恥ずかしさから若干頬を赤らめつつ、ソファにゆっくりと腰を下ろした。

 

 するとそれを確認した蓮太郎がフライパンに油を引きながらため息混じりに言った。

 

「凛さん、ああいうのなんか上手いよな」

 

「どっちかを選んでどっちかに角が立っちゃう場合には、第三の選択肢を出すことも大切だよ」

 

「そりゃあアンタだからいいものの、俺が言ったら確実に凄まじい制裁が待ってる気がして言えねぇよ。そんで今日は他に誰がくるんだ?」

 

「あとは玉樹くんと弓月ちゃん、それと零子さんが菫先生も連れてくるってさ」

 

「先生もかよ……つか、あの人地下室から出てくんのか?」

 

「どうだろうねぇ、まぁ零子さんが何とかしてくれるって。それよりもホラ、僕らは料理を作らないと」

 

 凛が言うと蓮太郎も頷き、二人は料理を続ける。

 

 それから数十分後、買い物袋を引っさげたパンクファッションの兄妹、玉樹と弓月がやってきて二人が料理をしているのを見た玉樹が料理を手伝い始めた。

 

 さらに彼等から送れること数分、零子とじゃっかんぬぼーっとした感じの菫までやってきて全員が集合となった。

 

 だが、全員が揃ったところで菫がポツリと呟いた。

 

「それにしてもこれだけ女子が揃っていると言うのにキッチンに立っているのは男子三人とはねぇ」

 

「それはしょうがないでしょ。料理は凛くんが格段に上手いわけだし」

 

「せやねぇ。ウチも作れん事はないけど凛さんや里見ちゃんに任せといた方が美味いし」

 

「まぁ普通なら逆なんだろうけどね……。あ、そうだ! 凛先輩! デザートは私達が作りますよ!」

 

 杏夏が挙手しながら言うものの凛は申し訳なさそうな顔をした後軽く頭を下げた。

 

「ごめん、今ケーキ作ってる最中なんだ」

 

 ……女子力高!!

 

 凛の言葉に女性達の心がまとまった瞬間であった。

 

 そんな彼女等と凛達を見ていた延珠が呟きを漏らす。

 

「凛は本当に何でもできるのだな」

 

「まぁ大体の事は出来てるよねぇ。この前もプリン作ってたし」

 

「あれは美味しかったです」

 

 摩那の言葉に翠がその時のことを思い出していたのかほわーんとしていた。するとティナが小首を傾げながら疑問を浮かべた。

 

「断風さんの苦手なことってなんなんでしょうね?」

 

「虫が苦手とか?」

 

「いやいやいや、さすがにそれはないっしょ。ガストレアと戦ってんのに虫とか嫌いじゃ無理でしょうよ」

 

 夏世が挙げた候補を弓月が否定すると美冬が髪の毛をいじりながら告げた。

 

「そんなに気になるのでしたら凛さんに直接聞いてみてはいいんじゃないですの」

 

「それもそうだね。ねぇ凛ー! 凛の苦手なものってなにー?」

 

 美冬の言葉に頷いた摩那はキッチンにいる凛に聞こえるような声で問うた。

 

「苦手なもの? うーん……強いて言うならヌメッとしたものとか嫌いだね」

 

「ヌメ?」

 

「うん、ナメクジとかカタツムリとかあとはカエルとかかな。ガストレアなら平気なんだけどどうにもあっち系の虫は苦手かな」

 

「まぁ確かにアレを好き好んで触るやつはいないよな」

 

 隣でひき肉をこねていた玉樹も肩を竦めながら言うと、今の話を聞いていた女性達もそれぞれの苦手なものを語り始めた。

 

 その後、男子連中による料理が完成し総勢十五人での夕食会が行われた。夕食会は深夜まで続いたが、最終的には前回のように誰かが泊まる事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやー、凛くんの料理は本当に美味いんだなぁ。アレならいつでも婿にいける。顔もいいし性格も大して問題じゃあない、まったく蓮太郎くんとは大違いだね」

 

 帰りがけ、零子の車の助手席で菫はそんな言葉を漏らした。

 

「というか零子。杏夏ちゃんは凛くんのことが好きだろう?」

 

「やっぱり気がついた?」

 

「そりゃ気付くさ。しかし、凛くんは何で答えてやらないんだ?」

 

 菫が腕を組みながらため息混じりに言うと、零子が小さく息をついてその疑問に答えた。

 

「以前彼に恋愛はしないのかって聞いたことがあるんだけどね。彼自身、恋愛に興味がないわけではないらしいわ」

 

「ふむ、となると何かが彼の恋愛を邪魔しているってわけか。それも聞いたのか?」

 

「ええ、彼はこう言ってたわ。『もし僕が任務中に死んでしまったらお付き合いしている子にとんでもない悲しみを与えてしまいます。だから、まだ恋愛をする気はありません』ってね」

 

「なるほどね……彼はとことん周りを悲しませたくないわけだ。しかし、それじゃあいつになったら恋愛するんだろうな」

 

「さぁね。それは私達が口を出すことじゃないわ」

 

「それもそうか」

 

 二人は互いに肩を竦めながら笑い合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 某エリア某所。

 

「では東京エリアに潜入するメンバーは『ネスト』『ダークストーカー』『ハミングバード』『ソードテール』の四人。あとは現地構成員として櫃間親子でいいですかな?」

 

 真っ暗な部屋の中で男の声が響いた。しかし、別人の男の声が聞こえた。

 

「いや、もう一人連れて行くべきだ。それだけではあの『断風』に勝てん。『リジェネレーター』を提案する」

 

「そうですな。ヤツがいれば計画もより一掃楽になる」

 

 男の声にまた別の男が同意した。すると、それに納得がいったのか最初の男が了承の声を発した。

 

「では先のメンバーの中に『リジェネレーター』を追加ということでよろしいですかな?」

 

 その言葉に今度こそ誰も反論をすることがなかったのか真っ暗な部屋は静寂に包まれた。

 

「では、メンバーに伝えておきましょう。では……」

 

 男が言うと同時に、彼等の足元から五芒星とその頂点から複雑な意匠をなされた五枚の羽根が青い光となって浮き上がった。そして、彼等はただ一言。

 

「五翔会に栄光あれ」




うぇーい!
とりあずこれで閑話は終了となります。

次からはいよいよ逃亡犯編でございます。
そして、最後に出てきた『リジェネレーター』はオリジナルの五翔会構成員です。
果たしてどんな能力を有しているのか、そして凛が五翔会相手にどう立ち回るのか……ご期待ください。

最初に出てきた焔が翠のプロモーターとなる子です。彼女の能力にもご注目を。

ではでは感想などございましたらよろしくお願いします。


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第四十五話

 だんだんと空が白んできた早朝、凛はスマホの着信音で目が覚めた。

 

 目を擦りつつスマホを手に取った凛は通話アイコンをタップした。

 

「はい。もしもし?」

 

『朝早く悪いな凛。凍だ』

 

 電話の相手は凍だった。凛は意識を完全に覚醒させるために軽く頭を振る。

 

「おはよう、凍姉さん。今日だよね焔ちゃんが来るの」

 

『そうだ、今日の昼の便で行く、到着時間はこの前連絡したとおりだ。……凛、焔を頼むぞ』

 

「わかってる。焔ちゃんは僕が守るよ」

 

『ああ……それじゃあよろしく頼んだ。じゃあな』

 

 凍は自ら通話を断った。凛もスマホをベッドの上に一旦置くといつもの時間よりは少し早いが、寝間着の作務衣から黒のカーゴパンツと白のポロシャツに着替えた。

 

 そしてベッドの布団を綺麗にたたんだ後、凛はリビングへと足を運ぶ。

 

「えっと、焔ちゃんが来るのが三時くらいだから……じいちゃんの部屋の掃除は二時くらいまでには終わりにしないとな」

 

 カレンダーを確認した凛はリビングにこもった空気を入れ替えるため、ベランダをに続く窓を開けた。

 

 夏特有のにおいと連日の猛暑で暖められてあまり下がることのなかった暑い空気が肌にまとわりつくようだったが、時折吹く朝の風は心地よいものだった。

 

「さて、もう少ししたら朝御飯作って、ご飯を食べたら摩那と翠ちゃんと一緒に家に行かないと」

 

 凛はそういうとテレビをつけて朝のニュースを確認した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 午前九時、凛の実家の庭に数十人の子供たちと時江、珠、凛の姿があった。勿論杏夏と美冬、夏世も一緒である。一方零子はというと、今日は用事があるとのことで出席はしていない。

 

 また、その中には以前関東会戦のときに避難した子供たちと、その子供達の面倒を見ている松崎の姿も見受けられた。

 

「では今日は皆でお家の大掃除をします。全部綺麗になったら皆でスイカ食べるわよー」

 

「はーい!」

 

 珠の言葉に子供達は元気一杯の返事をすると、それぞれ掃除用具を持って分担が決まった持ち場へと駆けて行った。

 

 その姿を見やりながら珠は松崎の下に行くと静かに頭を下げた。

 

「すみません松崎さん。大掃除につき合わせてしまって」

 

「いいんですよ、子供達もここの子達と会いたい会いたいと言っていましたし、私達も十分お世話になりましたから。これぐらいの事はやらせてください」

 

 松崎は優しげな笑みを浮かべると掃除用具をもって子供達の下に向かった。すると、珠は杏夏にも声をかけた。

 

「杏夏ちゃんもごめんね、お休みだったのに引っ張り出して」

 

「いえ気にしないでください。いっつも美冬がお世話になっていますからこれぐらいさせてください。それじゃあ、美冬、夏世ちゃん。お掃除に行こう!」

 

 杏夏は二人を連れて自分達の持ち場へと向かった。凛もそれを見やりながら摩那と翠に告げた。

 

「さて、それじゃあ僕達も掃除を始めようか」

 

「はーい」

 

「わかりました」

 

 二人が返事をしながら手を挙げたのを確認すると、二人と共に自分の持ち場へと向かう。

 

「んじゃ、私等も行くとしようかね」

 

「はい」

 

 時江と珠もまた自分達が掃除すべき場所へ進んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同時刻、零子は菫に呼び出され彼女の自室へ赴いていた。

 

「それで? 話ってなに?」

 

 パイプ椅子に菫と向かい合う形で座った零子は彼女に問うた。すると、菫は耐熱ビーカーの中にコーヒーを注ぎながら話を始める。

 

「実はな零子。先日、エリア内で三件の殺人事件が起こった。しかも一日に三件だ」

 

「一日に三件……。確かにちょっとおかしいわね、しかも全部違う場所なわけでしょ?」

 

「ああ、確かに通り魔とかそのあたりなら三人が死んでしまうなんてことはあるがな。それで私も気になってね。未織に情報を流してもらったんだが……零子、被害にあったうち二人はお前も名は聞いたことがある人物達だったよ」

 

 菫の言葉に零子はビーカーを煽りつつ疑問を浮かべた。それもそのはずだ、ここ最近彼女の知人が死んだなどという話はないのだから。

 

「一人目は新国立劇場でオペラを鑑賞していた芳原健二、三十五歳。劇場内で心臓を刃物で一突きにされ即死。二人目は高村莢、二十八歳。自宅でショットガンのようなもので射殺され死亡。そして最後の一人が海老原義一、五十三歳。彼は高速新幹線に乗車中に狙撃。頭を撃ち抜かれこちらも即死……どうだ?」

 

 彼女の問いに零子は持っていたビーカーを実験用の机の上において静かに頷いた。

 

「……芳原健二と高村莢は新人類創造計画の元強化兵士」

 

 そう、前者二人は以前零子が菫から聞かされていた機械化兵士の手術を受けた人物だったのだ。

 

「そうだ。彼等は私の患者だ。しかし、最初は面食らったよ。なにせ機械化兵士が二人も殺されたんだからね」

 

「けど同じ日に二人ってのはある種の計画性があるわね」

 

「ああ、おそらくそのとおりだろう。彼等は計画的に殺されたんだ。しかし彼等は隠居生活を送っていた、それなのに殺されると言うのは妙だと思ってね、少し調べてみたらコイツに行き当たった」

 

 菫はそういうとクリップで留められた資料を机の上をスライドさせる形で零子に渡した。

 

 そこに書かれていたのは海老原義一の顔写真と彼のプロフィールだった。

 

「まさかとは思うけどコイツ公安警察?」

 

「ビンゴ。そう、その男は公安のお偉いさんだそうだ」

 

「だけどなんで公安のおっさんがこの二人に接触をするの?」

 

「そこだよ。調べてみたら海老原は、二人にスパイまがいの仕事をさせていたらしい。まぁ『らしい』というのはその男が死んでしまっているからだな。しかし、海老原の秘書が芳原と彼の話を盗み聞いたらしくてね。そのときにこんな単語が出てきたんだとさ『新世界創造計画』……とね」

 

 『新世界創造計画』――零子にはその名前に聞き覚えがあった。蓮太郎や蛭子影胤のような機械化兵士は身体の一部を機械化して絶対的な力を有している強化兵士だ。これが『新人類創造計画』だ。

 

 しかし、『新世界創造計画』はこれの更に上を行っているものであり、身体の半分以上。そしてゆくゆくは脳以外すべての帰還を機械繊維やメタルスキンなどを使用したものに変えるというものだったのだ。

 

「じゃあこの二人は『新世界創造計画』を調べていたけれど……」

 

「恐らく知ってはならないことを知ったんだろうな」

 

 二人の間になんとも言いがたい静寂が流れるが零子が静かに問いを投げかけた。

 

「でも何で私にそんなことを?」

 

「決まってるだろ、お前も私の患者だからだよ。まぁお前の義眼は試験機だから新人類創造計画に入っているようで入っていないものだけどな。二人とは違って命を狙われる事は少ないと思うが……気をつけろよ」

 

「わかったわ。教えてくれてありがとね菫」

 

「いや、礼には及ばないさ。まぁ限界点を突破できるお前のそれがあれば何とかなるだろうがね。しかし、慢心するなよ? アレをやり過ぎると脳が焼ききれるからな。だがアレを自力でオンオフできるお前には要らない心配か」

 

 菫は零子の眼帯の下にある試験型二十一式義眼を指差しながら静かに告げた。零子もそれに頷くと眼帯を押さえながら小さく答える。

 

「ええ……『二千分の一秒の向こう側(ターミナル・ホライズン)』は極力使わないようにするから安心していていいわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実家の大掃除を開始してから三時間ほど経過し、凛は最後の持ち場である、祖父、断風劉蔵の私室の中にいた。

 

「使わなくなってたから随分と埃っぽくなってるなぁ……」

 

 確かに彼の言うとおり本棚や文机の上には埃がたまっているのが見える。部屋の四隅の一角には蜘蛛の巣が張っている。

 

「まっここで最後だからちゃちゃっと終わりにして皆でスイカを食べよう」

 

「だねー、それじゃあ最初は天井からだっけ?」

 

「そう。僕が埃を落としていくから、二人はそれを集めてね」

 

「わかりました」

 

 翠が頷き摩那も軽く敬礼をしたのを確認すると、凛ははたきを持って天井の誇りを落とし始めた。

 

 それに続いて本棚、文机と順々に上から埃を落としていくが、途中翠が声を上げた。

 

「凛さん! ちょっとこれを見てください」

 

「ん?」

 

 凛が翠のほうに目をやると、彼女の足元の埃が四角形の線を描くようにそこだけ埃がなかった。

 

 摩那も不思議そうにそちらを見ているが、凛はその線の上に手をかざす。

 

「……風が通ってる。まさか地下室?」

 

「かもしれません、あけてみますか?」

 

「うん、あけて見たいけど……力技であけるわけにもいかないし」

 

 凛は口元に手を当てて考え込む。同時に彼は部屋の中をぐるりと見回した。地下に部屋があるのであれば、ここにそれを開けるはずのスイッチのようなものがあるのではないかと思ったからだ。

 

 すると、彼は視線の先にある本棚に目が留まった。凛がそちらに歩みを進めると、摩那と翠も彼についていく。

 

「これは……」

 

 凛は本棚に並べられている本に目を凝らしながら、その本棚の本が揃っていないことに気がついた。

 

 凛の祖父、劉蔵は几帳面な性格でもあった為本などの整理整頓はきっちりとしていた。しかし、今彼の目の前にある本棚の本は数冊がバラバラに置かれているのだ。

 

「なにか変じゃないこれ? なんでこの本がこっちにあるの? 普通あっちでしょ」

 

 摩那もそれに気がついたのか本棚を見上げながら首をかしげていた。すると同じように首をかしげていた翠が提案した。

 

「このばらばらになっている本を元の位置に戻したら地下室に行けるんじゃないですか?」

 

「うん、それもあるかもしれないけど……ちょっと待ってて」

 

 凛はそういうと目の前の本棚の両隣の本棚もよく見て回る。同時に、彼は本の質感を確かめるように収納されている本を触って確認をする。

 

 本棚を調べ始めて数分、凛は一種類の本のまとまりに違和感を覚えた。

 

 ……ここだけ紙の手触りじゃない。

 

 不審に思った凛は本の一つを取り出そうとした。しかし、彼が少しだけ力を加えた途端、本の纏まりが全て引き出された。

 

 それに凛と摩那、翠が驚いていると本の纏まりが出され終わると同時に、その中から一風変わった形のキーボードと小さなモニタが展開された。

 

「なにこれ」

 

「多分これでパスワードを入力すれば地下室に行けるんじゃないかな」

 

「ですけどパスワードがなんなのか……あっ!」

 

 翠は何かを思い出したように声を上げて先ほど凛達がいた本棚に目を向けた。そして指で追う様にバラバラに配置された本をなぞっていく。

 

「やっぱり……このバラバラの本の背表紙に数字とアルファベットが刻んであります。多分上に刻まれた数字が下に刻まれたアルファベットが何文字目か表しているんじゃないでしょうか?」

 

「だろうね……じゃあ摩那、翠ちゃん。バラバラになってる本を一回全部出して、背表紙の文字を確認したら僕に伝えて。それで僕が一文字を打ったらそれに続いて本をあるべき場所に戻してくれる?」

 

 凛の言葉に二人は静かに頷くと配列がバラバラの本を本棚から出し始めた。

 

 そして、本を出し終えると彼女らの目の前には十冊の本が積まれていた。

 

「それじゃあいくよー、最初の文字は大文字で『T』」

 

 凛は頷くと摩那に言われたとおりにキーボードを打ち込んでいく。その後、翠と摩那交互に言っていくアルファベットや数字を打ち込んでいく。

 

 そして、凛が最後の文字を打ち込み、翠が最後の本を本棚に押し込む。瞬間、部屋のどこかから「カチャ」という何かスイッチが入るような音が聞こえた。

 

 数秒後、床の四角形の溝が数センチ沈み、そのまま奥にスライドした。スライドした後の床にはコンクリートで出来た地下へと続く階段があった。

 

「すんご……秘密基地みたい」

 

 摩那が興味津々といった感じでうんうんと頷いていたが、そこで凛が彼女に告げた。

 

「摩那、母さんとばーちゃん、杏夏ちゃんと美冬ちゃん、夏世ちゃんを呼んできてくれる? あと懐中電灯も持ってきて」

 

「はいはーい」

 

 彼女は頷くとトタトタと珠と時江を呼びに行った。

 

 凛は地下室の入り口付近にしゃがみ込むと、その隣で翠がスンスンと鼻を動かした。

 

「……中からは紙とかのにおいがします。あとは……お金?」

 

「お札ってことかな?」

 

「恐らくそうかもしれません」

 

 翠がうなずいたを確認すると、凛も顎に手を当てながら考え込んだ。

 

 すると、摩那が五人を連れてやってきた。

 

「おやおや……コイツぁたまげたねぇ。まさかウチにこんなもんがあったは……」

 

「お爺さまがこんなものを作っているなんて」

 

 珠も時江も驚きが隠せないようだった。二人の脇から地下室への入り口を覗き込んでいた杏夏や美冬、夏世も同じようだ。

 

「とりあえず中に入って何があるか確かめてみるよ。摩那、懐中電灯貸して」

 

「はいよー」

 

 摩那は持ってきた懐中電灯を凛に放った。それをキャッチした凛はスイッチが入ることを確かめると、一度地下室内を照らすとそのまま階段を降りて行く。

 

 地下室に入りきると、凛は一度室内を照らしてみる。

 

「どう?」

 

「うん、危なくはなさそう。高さは二メートルくらい」

 

 珠の質問に答えながら地下室内を照らしていた凛は壁に蛍光灯のスイッチと思しき物を発見し、それを押してみた。

 

 案の定それは地下室を照らすための蛍光灯のスイッチだったらしく、室内は白い光に照らされた。

 

 室内が照らされると、地下室は八帖ほどでそれなりの広さがあった。しかし、壁際には何かの調査書のようなものや、大量のメモ帳や本が置いてあった。

 

 中には巻物などと言う時代錯誤の代物もある。凛はそれらを見やりつつ、部屋の一番奥に置かれた文机の上にある二つの封筒を見つけた。

 

 凛はとりあえず室内のものを全て持ち出すのは不可能だと割り切り、机の上に置かれていた二つの封筒を持って、一度部屋に戻った。

 

「なにかあったかい?」

 

「うん、じいちゃんからの手紙っぽいのが二つあったよ。僕に宛てたのが一つと、こっちは二人と子供達に書いたやつみたい」

 

 二つのうち一つを時江に渡した凛は腕時計を見て時間を確認した。

 

「ごめんばーちゃん、そろそろ焔ちゃんを迎えに行かないと」

 

「ん、もうそんな時間か。わかった、後はこっちでやっておくからお前さんは焔を迎えに行ってきな」

 

「ありがと、じゃあ摩那、翠ちゃん終わったら帰ってていいからね。僕もそのまま帰るから」

 

「はーい」

 

「……わかりました」

 

 摩那は普通に返事をしたものの、翠はやや緊張気味といった様子だった。恐らく自分の新しいプロモーターと仲良くできるのか不安なのだろう。

 

 すると凛は彼女の前まで行くと彼女の視線の高さまでしゃがみ込み、優しく告げた。

 

「大丈夫。焔ちゃんは優しい子だから、心配しないで」

 

 翠はそれが恥ずかしかったのかいつものとんがり帽を目深に被ってしまった。

 

 それに少しだけ笑みを見せつつも、凛は杏夏たちに後のことを任せて焔を迎えに行くためにバイクに乗り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実家を出てから数十分後、凛は空港に到着していた。空港のロビーで適当なベンチに腰掛けた凛は飛行機が到着するまで待っていた。

 

 待つこと十数分、到着ホームの中から飛行機でやってきた人々が現れた。

 

 凛もベンチから立ち上がり、焔の姿を探す。すると、出口からオレンジ色のキャリーバックをガラガラと引っ張ってきた焔がやってきた。

 

 そして、彼が焔が気付くように手を挙げようとした瞬間、焔の瞳が効果音を受けるなら「キュピーン」と言った感じで光った。

 

 同時に焔はキャリーバックを引っ張りながら凄まじい速さで凛の近くまで移動すると、あと数歩と言うところで彼女は走り幅跳びをするように踏み切り、頭から凛に飛びついた。

 

「に・い・さーーーーんッ!!!!!!」

 

「ゴファッ!!」

 

 凄まじい勢いで飛び込んできた焔を咄嗟に支えることが出来なかった凛は、そのまま彼女に押し倒される形で空港の冷たい床に倒れこんだ。

 

「ああ! 十年ぶりの兄さん! 兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん!!」

 

 凛に抱きつきながら何度も「兄さん」を連呼していた。普通に考えれば明らかに異常なその光景だが、凛は後頭部を摩りながら起き上がると、未だに「兄さん」を連呼している焔の頭をポンと撫でた。

 

「久しぶりだね焔ちゃん、随分と大きくなった」

 

「はい! 兄さんと会うために毎日お肌の手入れもして髪も高級なシャンプーで洗って、ちゃんと身体も動かして勉強も頑張りました。そして兄さんのどんなせいへ――」

 

「ストーップ! 焔ちゃん、ここだと目立っちゃうからいったん僕のバイクが停めてある駐車場まで行こう」

 

 凛が言うと焔は「あっ」と言うようにあたりを見回して他の客の目が集中していることに気がついた。

 

「すみません、兄さん! 私ったらつい……。かくなるうえはこの命でお詫びを!」

 

 焔は懐からクナイを取り出して首筋にあてがおうとしたが、凛がそれを制した。

 

「いいから! そんなことしなくていいから! ホラ、行こう」

 

 スッと凛が手を差し伸べると焔はパァっと明るい表情を見せ、凛の手を包み込むように握った。

 

 凛もそれを確認すると二人はそのまま駐車場に向かって歩き始めたが、焔はと言うと、

 

 ……あぁ! 感じる。兄さんの体温、兄さんの濃密な香り、兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん……。

 

 絶賛暴走中だったりした。

 

 

 

 

 バイクのところまでやってくると、凛は焔のキャリーバックを座席の後ろ側に縛り、焔にヘルメットをかぶせた。

 

「よし、それじゃあ僕のマンションまで行こうか。母さんは挨拶は明日でいいって行ってたから、明日行こう。今日は僕の家でゆっくりしてて」

 

「はい! あの、兄さん? イニシエーターの子はいるんですよね?」

 

「うん。焔ちゃんもちょっと緊張してる?」

 

「あ、はい……。上手くやっていけるかなーって少し心配ではあります」

 

「平気だよ。翠ちゃんはいい子だし、君もそうだ」

 

 凛は焔に優しく告げると自分もヘルメットを被り、バイクに跨って焔に乗るように促した。

 

「それじゃあしっかり掴まっててね」

 

 焔はそれにうなずくと凛の腰に手を回して彼と密着する。凛はバイクのギアをいれてアクセルを回した。

 

 そのまま空港から一般道に出た凛だが、彼の後ろでは焔が「にへらー」と笑みを浮かべていた。

 

 ……兄さんが近いよおおおおおお! 最高おおおお!! あぁもっと顔をうずめてクンカクンカしたいよぉぉぉぉぉ!! 兄さんの汗とか体液とか血もペロペロしたいぃぃぃ!! ハッ!? ダメダメダメ! これからイニシエーターの子と会うんだから変な風に顔が緩んでたら嫌われちゃうよ! あぁでも……兄さんいいにおい……ぐひひ。

 

 頭の中では制御が効いているようで効いていない焔であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてバイクに揺られること数十分、凛と焔は彼の自宅の玄関の前にいた。

 

「ここが兄さんのご自宅ですか」

 

「うん。部屋は用意してあるから、今日はそこを使ってね。それじゃあ、開けるよ」

 

「は、はい!」

 

 焔は若干緊張した様子だったが、凛は玄関を開けてリビングへと向かった。

 

「摩那ー、翠ちゃーん帰ったよー」

 

 言いながらリビングへ通じる扉を開けると、天誅ガールズを鑑賞していた摩那と翠が駆けて来た。

 

「おかえりー」

 

「おかえりなさいです」

 

 二人に言われ凛が返事をすると、彼は横にずれて後ろの焔を二人に紹介した。

 

「紹介するね、この子が露木焔ちゃん」

 

 凛が二人に言うと焔は二人に軽く頭を下げた。

 

「初めまして。露木焔っていいます。呼ぶときは焔でいいからね、えっと……」

 

「私は天寺摩那、凛のパートナーだよ。んで、こっちが翠」

 

「初めまして、布施翠です」

 

 翠は少し恥ずかしそうに会釈をすると、とんがり帽を深く被った。

 

 すると、その行動が焔の何かに火をつけたのか彼女は翠の脇に手を入れて彼女を高い高いするように持ち上げた。

 

「わひゃあ!?」

 

「すんごいかわゆいー! なにこの子すっごいかわいいです兄さん!」

 

 驚く翠を尻目に焔は彼女を抱きしめてみたり、くるくると回ってみたり、頬ずりしてみたりとやりたい放題だった。

 

 しかし、そんなことをすれば翠のとんがり帽が飛ぶのは必然であった。翠の頭からとんがり帽子が取れ、彼女の秘密である猫耳が顔を出した。

 

 瞬間、翠が頭を手で隠したが、焔は彼女を降ろしてただ一言声を上げた。

 

「猫耳キターーーーーッ!!」

 

 焔の反応に翠がビクゥ! とするが、焔は翠を抱き上げるとその柔らかい頬に自分の頬を当てて再び頬ずりを始めた。

 

「こんなにかわいいのに猫耳ってもう最強ですよ兄さん!」

 

「うんわかった、わかったから焔ちゃん。いったん翠ちゃんを降ろしてあげて目を回してるから」

 

 凛の言うとおり、翠は焔の反応が予想できなかったのか目を回していた。焔はそれに気がつくと翠をソファに座らせた。

 

 翠は座った直後までは目を回していたが、すぐに戻ったようだった。それを見計らい、焔が翠に謝罪した。

 

「ごめんね、いきなりやっちゃってびっくりしたよね?」

 

「は、はい。びっくりしました……けど、嫌じゃありませんでしたよ」

 

「ほ、ほんとに? 怒ったりしてない?」

 

「はい。全然です」

 

 翠が見せた微笑みに焔はほっと胸を撫で下ろすと、翠をまっすぐ見据えて真面目な声音で告げた。

 

「翠ちゃん、兄さんから話は聞いているかと思うけど、一応私が貴女のプロモーターとして来た訳だけど……翠ちゃんはどう? いやじゃない? 嫌じゃなかったら私のイニシエーターになってくれるかな?」

 

 焔が言うと、翠は微笑みをそのままに小さく頷いた。

 

「はい。嫌じゃないです。だから、私は貴女と組みます。これからよろしくお願いします、焔さん」

 

「おおお……! ありがとうね翠ちゃん! 私頑張るから!」

 

 焔は翠の手をギュッと握って真剣な顔で宣言した。翠もそれに笑いかけ、焔もまたそれに笑みを浮かべた。

 

「とりあえずは何とかなったっぽいじゃん?」

 

「だね、よし。それじゃあ今日の夕飯は少し豪勢に行こうか」

 

「お、やった。じゃあ肉お願いね!」

 

 焔と翠のやり取りを見守っていた凛と摩那も互いに笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 四人で夕食を済ませ、それぞれが風呂に入って皆が寝静まったころ。

 

 凛は一人ベランダに出て昼間地下室で発見した劉蔵からの手紙を広げていた。

 

 手紙はかなり簡素なもので、A4の紙を四つ折りにしたものが封筒の中に入っているだけだった。

 

 凛はそれを一言一句逃さないように読んでいく。

 

『凛よ、これをお前が読んでいるという事は儂はもうこの世にはおらんのだろう。まぁそれがどのような形であれ、お前や子供たち、時江に珠が生きているのならそれでよい。

 さて、この手紙でお前に教えておきたいことがある。それは忠告だ。凛よ、五芒星と羽根を持つ者達に気をつけろ』

 

「五芒星と羽根を持つ者達?」

 

 凛は思わず声に出してしまったが、そのまま読み進める。

 

『彼奴等の名は『五翔会』。世界を転覆せしめんと目論んでいる悪しき者達だ。彼奴等は世界中にその根を伸ばしている。無論、この東京も例外ではない。恐らく五翔会は聖天子様の暗殺や菊之丞達天童の抹殺もい目論んでおるはずだ。よいか、彼奴等の思うようにさせてはならん。

 彼奴等を止められなければ世界が終わる。そして、愛する子供達の未来さえも失われてしまう。凛、どうか五翔会を打ち倒して欲しい。お前は強い。だからその力で彼奴等を倒し、どうか子供達を……いいや、世界を救ってくれ』

 

 『五翔会』という聞きなれない名が出てきながらも、凛は至って冷静に手紙を読み進めていく。

 

 そして、手紙はついに最後の文に差し掛かった。

 

『最後に、ここで儂が調べ上げた五翔会の一人を記しておく。いいか、彼奴と遭遇するときはくれぐれも用心しろ。一人目は、大阪エリア大統領斉武宗玄。

 これだけでは少なすぎるかもしれんが、斉武は用心すべき男だ。絶対に油断はするなよ。

 では、ただお前に託すだけになってしまったが、どうかこの老い耄れの最後の願い。聞き入れてくれ』

 

 手紙はそこで終わっていた。凛はそれをたたみ直し、封筒に入れると作務衣のの懐にしまいこんだ。

 

 そして、劉蔵に答えるように呟く。

 

「……わかったよ、じいちゃん。じいちゃんの願いは僕が継ぐ……五翔会は、僕が潰す……」

 

 凛はまだ見ぬ敵『五翔会』に宣戦布告とも取れる言葉を吐いて、このエリアの何処かに潜んでいるかもしれない者達を睨み付けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日のまだ世が開けきらないころ、東京エリアに一人の男が潜入した。

 

「あーあー、こちら『リジェネレーター』から『ネスト』へ。潜入成功しました」

 

『聞こえている。そんなでかい声を出すな。いいか、『リジェネレーター』お前の役目は断風凛が出てきた場合の保険だ。決して余計な騒ぎは起こすなよ』

 

「了解、ようは獲物が出てくるまで引っ込んでろってことでしょう?」

 

『そういうことだ。いいか、念を押すが決して余計な騒ぎを起こすなよ』

 

 『ネスト』と呼ばれたスマホの向こう側の男はそれだけ言うと連絡をたった。そして自らを『リジェネレーター』と名乗った男も肩を竦めるとスマホをポケットにしまいこむ。

 

 だが、ちょうどその時声をかけられた。

 

「おいそこのお前、こんな時間にこんなところで何をやっている」

 

 『リジェネレーター』がそちらを見やると、背後に二人の若い警察官がいた。しかし、『リジェネレーター』はそれに対し残忍な笑みを浮かべて小さく呟いた。

 

「……まぁでも人がいなけりゃ殺してもいいわけだ……ヒヒヒ」

 

「え?」

 

 その呟きが聞こえたのかわからないが、警察官が疑問の声を上げた瞬間、『リジェネレーター』は警察官に向かって身の丈ほどもある大鎌を振りぬいた。

 

 瞬間、警察官二人の胴体が横にずれ真っ赤な鮮血が飛び散った。二人は声を発することも出来ないまま絶命したが、『リジェネレーター』は頬に飛び散った血をべろりと舐め取ると君の悪い笑いをもらした。

 

「ケヒヒ……やっぱり最高だなぁこの肉を切る感触はぁ……さぁて断風凛? お前は俺に何処までやれるのかなぁ……ケヒ、ケヒケヒヒヒ!」

 

 薄気味悪い笑い声を漏らした彼はそのままどこかへ消えていった。




はい、いよいよ逃亡犯編突入でございます。
といってもまだ蓮太郎くんが捕まったり木更さんがお見合いしたりはしてませんがw
今回は新キャラたちのお披露目って感じですかねw
そして零子さんスゲェ! ターミナル・ホライズン使えるんだって!!(ヲイ
まぁ試験機と言うこともあってリミッターは当初ついていない訳だからできないと言う事はないんですがねw

書いてて思った……
焔がヤンデレなのか猟奇的に凛がすきなのかわからないw
ま、まぁヤンデレ成分は後から出していけばいいかなウン!
とりあえずは凛が五翔会の存在を知ることが出来ましたしまぁよかったよかった
そして最後、『リジェネレーター』さん人に見られていなければいいけどあんま殺したらダメダメよー。
というか今の時点で若干目立ってますが、それも個性の一つとしましょう。あとでネストが片付けてくれるだろうし……。

次は何処までやりましょうかねw

ではでは感想などありましたらよろしくお願いします。


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第四十六話

 焔がやってきた翌日、凛は彼女を連れて実家に顔を出した。時江と珠が焔を向かえ、四人は屋敷の居間で向かい合う形となって座った。

 

「お久しぶりです。時江様、珠様」

 

 焔はびしっと背筋を伸ばした後、深々と頭を下げた。だが時江はそれに軽く肩を竦めると手をひらひらと振った。

 

「様付けなんてやめとくれ。もうそんな時代でもないんだ、好きに読んでくれて構わないよ」

 

「そうよ焔ちゃん。気軽にしていいから」

 

 二人が言うと、焔は頭を上げて可愛らしく笑顔を作って二人に言った。

 

「それじゃあ、改めまして。久しぶり、時江ばーちゃんに珠さん」

 

「うん、やっぱりそっちの方がいいねぇ。それでどうだい? 凍のヤツは元気そうかい?」

 

「もちろん、凍姉はいっつも元気だよ。あ、そうだこれ……凍姉から皆にお土産だってさ」

 

 焔は隣に置いておいた荷物から数箱のお土産を珠に手渡した。箱の形状からして和菓子のようだ。

 

「ありがとう、あとで皆でいただくわね。さて、今日はゆっくりできないんだったかしら? 凛」

 

「そうだね、この後事務所に行って色々手続きしたりがあるからね。まぁその後は零子さんから大まかな説明を受けたりして……結局ゆっくりできるのはもう少したってからかな」

 

「なら仕方がないね、今日はもう行きな。家には何時来たって構わないし、翠ちゃんも週二、三回は通っているわけだしね」

 

 時江がそういうと、焔と凛は立ち上がり焔は静かに頭を下げた。

 

「じゃあ、これからよろしくお願いします!」

 

 彼女の元気のよい言葉に二人が頷き、焔と凛はそれぞれ摩那と翠を呼んで、二人に軽く手を振りながら屋敷を出たあと、そのまま四人で事務所へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 四人が事務所に到着すると、すでに零子、夏世、杏夏、美冬が定位置についていた。そして、凛が焔をつれて、窓際の零子の机の前に立つ。

 

「零子さん、焔ちゃんを連れてきました」

 

「ん、ご苦労さん。さて……君が露木焔ちゃんか……随分とかわいらしい顔をしているな。まぁ十六歳なら当たり前か。私がこの黒崎民間警備会社社長、黒崎零子だ。好きに呼んでくれて構わない、但し呼び捨て以外はな。

 社員の紹介は、あとで適当に受けてくれ。では、早速だが我が事務所の社訓を教えておこう。夏世ちゃん」

 

「はい」

 

 零子が言うと隣に座っていた夏世が一枚の紙を焔に手渡した。焔がそれを受け取ると、零子が「読んでみろ」と彼女を促した。

 

「『黒崎民間警備会社社訓。

 

  其の一、任務においては命を第一として考えよ。

  其の二、仲間を見捨てること、傷つけてはならない。

  其の三、任務からは必ず生きて帰るべし。』

 

  ……これは」

 

「読んでのとおりだ。うちの事務所は命を第一として考えている。間違っても刺違えてだとか自分が犠牲になって……というのは絶対に認めない。そして仲間を見捨てたり、仲間を攻撃したりするのも許さない。勿論、自分のイニシエーターであってもだ。最後の一つは……読んで字の如くだ。必ず生きて帰って来い、そういうことだ。ではこれ以外に何か質問はあるか?」

 

 零子が手のひらを見せるように焔に問うと、焔は静かに首を振って零子に宣言した。

 

「いいえ、とてもわかりやすかったです。黒崎社長、私と私の相棒である翠をここで働かせてください」

 

「……ああ、勿論だ。というか最初から雇う気しかしていなかったんだがな。では君のデスクはっと……おや? 凛くんはどこに行った?」

 

「あ、凛先輩なら電話が来たみたいで外で話してるみたいです」

 

「そうか、それなら杏夏ちゃんと美冬ちゃんに夏世ちゃんは焔ちゃんに自己紹介でも済ませておけ、依頼も早急なものはないし今日は適当に過ごしていればいいさ。要請がなければね」

 

 零子は肩を竦めるとタバコに火をつけ、紫煙を燻らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お待たせ、それで話したいことって何かな木更ちゃん」

 

 事務所の外、階段の下にやってきた凛はスマホを耳に当てて相手である木更に問うた。

 

『その、話しづらいことなんですが……実はお見合いの話が私に来てるんです』

 

「お見合い……随分と突拍子もないね。いつだい?」

 

『明日です』

 

「これまた随分と急だね。相手は誰? 木更ちゃんも知ってる人?」

 

『はい。私とあと里見くんも知っています。名前は櫃間篤郎、私と里見くんが十一歳の頃に会った人で……私の、許婚だった人です。今回は紫垣さん経由で話が持ち上がったんです』

 

 紫垣というのは紫垣仙一のことだろう。彼は木更が天童にいるときから使えていた執事であった人物だ。凛も何度か顔を合わせており面識はある。

 

 ……確か今は天童をやめて、バラニウム鉱山を掘り当ててから都内の一等地に邸宅を持ってるって噂だけど……恐らく木更ちゃんの雰囲気からすると、書類上の経営者が紫垣さんで、尚且つ二人の後見人もやっているって言うのが妥当かな。それで断るに断れないってことか。

 

 木更の言葉はどこか震えていて若干の緊張も見え隠れしているため、凛がその答えにたどり着くのはそこまで難しいことではなかった。

 

「ところでこの事は蓮太郎くんには言ったの?」

 

『いえ……里見くんは、今ティナちゃんとガストレアが出現した東京タワーの近くに出動しています。里見くんには帰ってきたら話すつもりです』

 

「なるほどね。でも明日ってことはもう断れない状況にあるわけだ」

 

『はい、それで付添い人をお頼みしたんですけどいいでしょうか? 世話人の方は紫垣さんがやってくれるんですけどそれでも一人足りなくて……里見くんにお願いはしたいんですけど……彼、櫃間さんのことをあまりよく思っていないかもしれないので』

 

「僕はいいけど……うーん、この場合どうなんだろうねぇ。木更ちゃんと長く一緒に居たのは蓮太郎くんだし、どっちかって言うと彼の方が適任と言えば適任だと思うけど」

 

 凛が言うと、木更は少しだけ答えに詰まった。恐らく凛の言うことも一理あると感じているのだろう。そして彼女は数秒考えた後、凛に告げた。

 

『わかりました、里見くんに話して彼の反応を見てから決めたいと思います。後でまた連絡します』

 

「了解。木更ちゃん、一つだけ君に聞いて欲しいことがある」

 

『なんですか?』

 

「うん、もし君が今回の縁談の話の中に少しでも不可解な点があるのなら……明日どんな話を持ちかけられても断った方がいい。もしかしたらそれが君のこれからを大きく左右するかもしれないからね。……突然ごめんね、でもそれだけは覚悟をしておいて欲しいんだ。それじゃあね」

 

『あ、はい……』

 

 木更は凛が告げた忠告とも取れる言葉がよく理解できなかったのか、あいまいな言葉を返した。

 

 しかし、凛はスマホをポケットにしまいこんでも眉間に皺を寄せて難しい顔をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ今日はお疲れ様でしたー」

 

 時刻は午後五時。段々と日が傾き東京エリア全体が朱色に染まる頃合に、事務所の入り口で焔が告げた。

 

「では、お先に失礼します零子さん」

 

「ん、お疲れさん。焔ちゃん、明日から頼むぞ」

 

「はい!」

 

 零子の言葉に焔はビシッと敬礼すると、凛と摩那、翠と共に事務所を出て行った。後に残されたのはPCを操作して何かを計算している零子と、彼女を手伝っている夏世。

 

 そして、自分のデスクにがっくりと突っ伏している杏夏と、彼女の姿を「やれやれ」といった様子で見ている美冬だった。

 

「杏夏……いつまでそうやって突っ伏しているつもりですの?」

 

「……」

 

 帰ってきたのは沈黙だった。

 

 なぜ彼女がこのような状態になっているかと言うと、数時間前に行われた自己紹介にある。

 

 杏夏はいたって普通に自身の名前と、趣味やらなんやらそういったことを話した。焔もまたそれに習って自己紹介をしたのだが、その自己紹介が凄まじかったのだ。

 

 その自己紹介というのがこうである。

 

『初めまして! 露木焔です! これからよろしくお願いします、杏夏先輩! あ、私の趣味は兄さんの人形を作ったり兄さんの観察をしたりすることです! あと、好きなものは兄さんです。嫌いなものは兄さんを邪魔するもの全てです。では、改めまして、これからよろしくお願いします!』

 

 なんともサイコな自己紹介だったが、杏夏や美冬にも焔が凛のことを好きなのは十二分に理解できた。それもかなり猟奇的に好きなのだと。

 

 それだけならまだよかった。しかし、杏夏をこんな状態にしたのは別の要因が関係している。

 

 それは焔が凛の自宅で同居していると言うことだ。そのことを聞いてからというものの、杏夏は仕事に身が入らずずっと上の空で、結局今に至る。

 

 普通ならこんな状態の相棒を気遣うのだろうが、美冬は違った。

 

「しょうがないじゃありませんの。焔は東京エリアに来て一日しか経っていないのですから、住まいが凛さんのところでも当たり前ですわ」

 

「そーだけどさー……焔の目を見てると、なんか今にも凛先輩を喰いに行くと言うかなんと言うか……すっごい肉食系の感じがするんだよね」

 

 杏夏は言い切ると同時に頭をもたげて大きくため息をつくと、ゴンッ! デスクにおでこを打ち付けた。

 

「……痛い……」

 

「当たり前ですわ。……はぁ、零子さん、夏世。何か杏夏を立ち直させる方法ありませんの? このままだと家に帰るまで結構時間がかかりそうなんですが」

 

 美冬はお手上げといった様子で手をぷらぷらと振りながら二人に問うた。すると、零子と夏世は顔を見合わせながら考え込んだ。

 

「いっそのこと凛さんのことをあきらめるとかはダメなんですか?」

 

「夏世ちゃん、それはさすがに酷過ぎだろう。でもこのままでいられるもの色々と面倒だな……いいか、杏夏ちゃん。焔ちゃんは確かに凛くんと同居しているが、何も二人がそういう関係だとは誰もいってないだろう?

 彼女が猟奇的に凛くんが好きなのは十分わかっているが、あの凛くんが襲われると思うか? 襲われる前に撃退する絵しか私には見えないんだが」

 

「まぁ確かにそうですね。あの人はそういうのはしっかりしてますし」

 

 夏世も同意するようにうんうんと頷いた。すると、それを聞いていた杏夏がゆっくりと立ち上がってぐっと手を握り締めた。

 

「そ、そうですよね! 凛先輩なら襲われても絶対に大丈夫なはずですし! 何よりあの凛先輩がそんなことを許すはずがないですもんね!」

 

 若干無理をしているようにも見えたが、杏夏は力強く言い放った。美冬はそれを呆れた様子で眺めていたが、杏夏がそれなりに立ち直ったようなので安心した様子も見せていた。

 

 零子と夏世もそれを見つつ小さくため息をついていたが、内心では出来れば彼女の恋が成就することを願うばかりであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 事務所で四人がそんなことをしている時、凛達四人は揃って帰宅しそれぞれ家事にいそしんでいた。

 

 摩那と翠はバスルームを掃除し、焔はベランダに干してある洗濯物を取り込み、凛はいつものとおりに夕食の準備を始めていた。

 

 しかし焔はと言うと洗濯物を取り込む際、自分達の服を片付けた後凛の服を目の前にして鼻息を荒くしていた。

 

 ……はぅあ~、夢にまで見た兄さんの……兄さんの……パ・ン・ツ!! そして兄さんの匂いが満載のシャツ!! ……クンカクンカ……ふおおおおおお!! 身体の奥底から力がみなぎるぅぅぅぅぅ!!

 

 凛の洗濯物に顔をうずめながらしきりに悶えていたが、不思議とその顔に苦しさはなく、ただただ幸福を噛み締めているようだった。

 

「も、もうちょっとだけ……ウヒヒ……」

 

 欲望に染まりきった表情を浮かべながら凛のパンツに手を出した焔。だが、その瞬間彼女は後ろから声をかけられた。

 

「焔ちゃん」

 

 ビクゥッ!! と焔は一瞬飛び上がったが、幸い凛はこちらを見ていなかったようで気づかれる事はなかった。

 

「は、はい? なんでしょうか兄さん?」

 

「洗濯物取り込み終わったらちょっとお手伝いに来てくれるかな? 少し野菜を切ってもらいたいから」

 

「わ、わかりましたー……ふぅ……気付かれなくてよかった……」

 

 汗を拭うように額を摩った焔は安堵したように胸を撫で下ろした。

 

 一方、凛は冷製のパスタを作るためにパスタの中でも極細のカッペリーニを茹でていた。

 

 だが茹でると言ってもそこまで長い時間ではなく、ほんの二分ほどだ。しかし、二分茹でてしまうと麺がナヨッとしてしまい素麺のようになってしまうので、凛はいつも三十秒ほど早めに上げている。

 

「よし……っと」

 

 タイマーを見ながらパスタを熱湯から取り出すと、そのまま氷水にいれ一気に冷やしにかかった。

 

 ちょうどその時、凛のスマホにメールが届いた。

 

 片手で麺を冷やしながら片手でメールを見ると、今日木更からあったお見合いの件の連絡だった。文面からすると、木更は凛に付添い人を頼みたいようだ。

 

 凛はそれを確認すると木更に了解のメールを返した。すると、洗濯物を畳み終えた焔が凛の手伝いをしにやってきた。

 

「お待たせしましたー。何を切ればいいんですかね?」

 

「とりあえずトマトとナスを切ってくれるかな。小さめにね」

 

「わっかりました!」

 

 焔は快活な笑みを浮かべると手を洗った後包丁を手にトマトを切り始めた。しかし、トマトを切り始めてから数十秒後、焔は凛に問うた。

 

「そういえば兄さん? さっきメールしてましたけど何かあったんですか?」

 

「ん? あぁ、明日ちょっとお見合いに行かなくちゃいけなくなってね」

 

 瞬間、焔が今まで持っていたトマトを握りつぶした。彼女の手からはトマトの果肉と果汁がまるで血のように滴っており、しかももう片方の手には包丁を持っているためパッと見かなり恐ろしい。

 

「おみ……あい? 兄さんが……? だれとなんですか!?」

 

 焔は必死の形相で凛に詰め寄りながら問うた。彼女の瞳には光が灯っておらずとてもうつろな目をしていた。だが、口元は三日月のように笑っているため、こちらもとても恐ろしかった。

 

「兄さん、答えてください……。誰とお見合いをされるんですか? 私とっても気になります」

 

「うんわかった、ちゃんと言うからさ焔ちゃん。お願いだから包丁を首に持ってこないで」

 

 凛に言われ焔は少々落ち着きを取り戻したのか、包丁をまな板の上において凛の話を聞く態勢に入る。しかし、瞳は相変わらず虚ろだ。

 

「ふぅ……えっとね、僕がお見合いをするんじゃなくて、僕の知り合いの子がお見合いをするらしいんだ。それでその子の付添い人になってくれって頼まれたんだよ」

 

 凛がそう説明すると、焔の瞳にスッと光が戻り先ほどのような笑顔が戻った。

 

「なぁんだ……それならよかったです。それでお見合いをするって言う兄さんの知り合いって誰なんですか?」

 

「あれ? 話したことなかったっけ? ホラ、天童家の木更ちゃん。前に一回話したと思うんだけど」

 

「あー、そういえば話してましたね。確か東京での妹分的な子でしたっけ?」

 

「そうだよ、その子も別の子に頼もうかと思ってたみたいだけど、生憎断られちゃったみたいでね。それで僕が行くことになったんだ。

 ということでこの話はお終い。焔ちゃん、握りつぶしたトマトは無駄にしないようにミキサーに入れといてトマトソースを作るから」

 

 凛に言われ焔はハッとした後、自身の手の中でグチャグチャになっているトマトをミキサーの中に入れた。

 

 その後、氷水で冷やしたパスタの水気をしっかりと切り、トマトソースとトマトとナスを上からかけた冷製トマトパスタが出来上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕食後、女子三人がお風呂に入っている中、凛はリビングで適当なバラエティ番組を見ていた。

 

 そのとき、またしても凛のスマホが鳴動した。

 

 木更かと思いながらスマホの画面を見ると、彼女ではなく凍の名前が出ていた。

 

「もしもし?」

 

『よう、凛。焔は元気でやってるか?』

 

「うん、翠ちゃんともすぐに仲良くなったし。調子もよさそうだったよ、ただ時折目から光が消えるときが怖いけど」

 

『あぁ、あれな。まぁ……大目に見てやってくれ、勝手だとは思うけどな。それよりもいい相棒を見つけられたようでよかったよ。そうだ、お前に焔が得意なことを話しておくべきだな』

 

「得意なこと?」

 

 凛は小首をかしげながら彼女に問うた。すると、凍はそれに静かに答える。

 

『ああ。アイツは戦闘能力は私ほどではないにしろそれなりにはある。しかし、それよりもアイツにには秀でたところがあってな。焔はこと隠密行動に関してはオレを凌駕するんだ。だから、ばれないように調べ物をしたりだとか少し何処かに潜入することにはめっぽう強いぞ』

 

「隠密……」

 

『ああ見えて『露木隠密術』もしっかり会得しているしな。まっ、焔に頼みたいことがあったらそっち方面でやってみるのもいいと思うぞ。

 とりあえずはそんな感じだ。また何かあったら連絡する。こちらも少々きな臭いことになってきたからな』

 

「何かあったの?」

 

『ああ、斉武が最近妙な活動をしているらしくてな。まぁこちらから手は出さないが、とりあえずそれだけ言っておく』

 

 斉武の名が出た瞬間、凛の表情が強張った。理由は昨日読んだ劉蔵からの手紙だろう。

 

「凍姉さん、くれぐれも気をつけてね」

 

『なんだ? オレの心配をしてくれるのか? 安心しろ、オレは関わっていないからオレが狙われる事はない。だが、そちらもそちらでいろいろ気をつけろよ』

 

「うん、わかった。それじゃあね」

 

『ああ』

 

 凍の返答を聞いた後、凛はスマホを置いて天井を仰ぎながら大きくため息をついた。




少々更新が遅れてしまいましたねw
申し訳ない。

今回は少し原作と違う点を出してみました。
それは木更さんのお見合いに蓮太郎ではなく凛がついて行くことになったことです。
まぁ多少原作と違う点を出さないと丸ぱくりと何ら変わらないですからね……ややまんまなところもありますが……
しかし、なぜ私がこんなことをしたかというと、櫃間が気に入らないからです。まったく、人の弱みに付け込んで木更さんを取り入れようなんて……男のすることではありませんねw
だが、原作のようには行かないぜ櫃間さんw

と言うか思ったことがあるんですが、櫃間と保脇ってなんか似てる気がしてしまうんですよねw
ネチッこいところと言うか、表の顔はよくても裏の顔は超最悪とか……

まぁそんな話は置いておいて。
最後の方でなんか凍姉さんに死亡フラグ的なものがビンビンですが、死なないからね? 結構お気に入りなキャラですしおすし。

そして最後のお知らせです。
友人作のキャラ絵ですが、友人が忙しくなってしまったようでもう少々時間がかかるとのことです。しばしお待ちください。

では感想などあればよろしくお願いします。


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第四十七話

 翌日、凛は木更の見合いの席に出席するために礼服を着て、以前斉武と聖天子の会議が行われる予定だった高級料亭『鵜登呂』にいた。

 

 木更も普段着慣れない和服に袖を通し、髪も簪でとめ、顔にも薄く化粧をしていた。

 

 すると、木更が久しぶりに着る着物のせいなのか足をもつらせ転びそうになってしまった。

 

 だが凛がそれにすばやく反応し、彼女を優しく抱きとめた。

 

「大丈夫かい?」

 

「は、はい。すみません、着物なんて久しぶりなので」

 

「そうだね、僕も久しぶりに見た気がするよ。っと……髪が少し乱れてしまったね」

 

 凛は言うと懐から櫛を取り出してそっと彼女の髪をすく。その手際はかなり手馴れているものであり、普段から彼が誰かの髪をすくのを手伝っていたのがわかった。

 

「兄様、うまいんですね」

 

「摩那がやってくれってせがんでくるからね。それに最近は焔ちゃんや翠ちゃんもいるから」

 

「焔?」

 

「あぁ話してなかったね、僕の家と親交がある露木家の女の子だよ。翠ちゃんのプロモーターとして来てくれたんだ。今度紹介するよ、ほら、これで綺麗になった」

 

 凛は木更の髪をすき終えると櫛を戻した。木更もそれに頷くと笑みを浮かべたが、そこで二人は前を行く初老の男性に声をかけられた。

 

「おい、これから見合いだってのになに二人でイチャついてんだ。早く来い」

 

 男性は呆れたようなため息をつきながら二人を呼んだ。

 

「すみません、紫垣さん」

 

 木更がいうと紫垣はやれやれと首を振っていた。そう、彼が木更たちの事務所の書類上の経営者である紫垣仙一だ。

 

「凛、お前ももう少し木更から距離をとらんと……あれじゃあいつまで経ってもお前離れができんぞ?」

 

「すみません、なにぶん大切な妹分なので色々と心配で」

 

 紫垣の注意に凛は苦笑しながら答えた。その様子に紫垣も呆れていたが、三人はやがて木更の見合い相手である櫃間篤郎とその両親が待つ部屋にたどり着いた。

 

 凛と木更に目配せをすると、紫垣は「失礼します」と告げたあと襖を開けた。

 

 室内には高身長で、精悍な顔立ちの眼鏡をかけた青年、櫃間篤郎が座っていた。そんな彼の両隣には顔に深い傷のある強面の男性、現警視総監櫃間正と、彼の奥方が座っていた。

 

「どうもお待たせして申し訳ないです」

 

「いえいえ、こちらからお願いしたことですので。どうぞ、お座りになってください天童さん」

 

 奥方に促され、木更たちは櫃間親子と向かい合うように座った。その後、簡単な挨拶の後見合いが始まった。

 

 しかし、見合い開始直後から相手方の、奥方の息子自慢がまるでマシンガンのように始まり、さすがの凛もそれには若干引いていた。

 

 因みに凛の事は木更の義理の兄貴分ということで紫垣が説明していた。しかし、そのとき櫃間篤郎がほんの一瞬眉をひそめていた。

 

 すると、やっと奥方の話が一段落したようで室内には木更と櫃間が残ることとなった。

 

「ほれ、行くぞ凛」

 

「はい。それじゃあ木更ちゃん無理はしないようにね」

 

 紫垣に言われ凛は櫃間の目の前で彼女に顔を寄せて耳元でささやいた。木更はそれに一瞬顔を赤らめたがすぐに平静を取り戻して静かに頷いた。

 

 凛はそれを確認した後一瞬だけ櫃間を見やった後、室外へ出て行った。

 

 しかし、室外に出て襖を閉めた瞬間、脇に控えていた紫垣に軽く頭を小突かれた。

 

「このアホ、見合いの席で別の男があんなに近くに顔をよせるな。あれじゃ最初っから脈なしって言ってる様なもんだ」

 

「そうですかねぇ? アレぐらい櫃間さんも気にしてなさそうでしたけど」

 

「ハァ……こういっちゃなんだが、お前さんは普通に見るとあの青年よりもイケメンに見えちまうからなぁ。というか、お前さんなら寄ってくる子なんてより取り見取りだろ?」

 

「紫垣さん、そういうのはやめてください。それで、この後紫垣さんはどうするんですか?」

 

「そりゃあ先方の親御さんと話すんだよ。お前はどうする? 帰ってもいいぞ?」

 

 紫垣が問うと、凛はそれに首を振った。

 

「僕は木更ちゃんと一緒に帰るんで、もう少しいますよ」

 

「わかった、そんじゃ後は好きにしとけ」

 

 彼はそういうと櫃間の両親の下に向かった。その後姿を見送りながら凛は外から木更と櫃間を観察できるところはないかと探した。

 

 しかし、生憎とそこまで好都合には出来ておらず、凛は人目を盗んで料亭の屋根の上に上がった。

 

 ……さぁて、木更ちゃんはどこかなっと。

 

 凛は態勢を低くしなるべく目立たないように屋根の上を駆けて行く。すると、彼の瞳の端に木更と櫃間の姿が写った。

 

 二人は枯山水の日本庭園の中にかけられた朱塗りのアーチ状の橋の上で何やら話をしているようだった。

 

 その姿を遠目からじっくりと観察する凛だが、ふと櫃間が木更に擦り寄り、数秒の後二人の姿が唇を合わせるように重なった――はずだった。

 

 見ると、木更が櫃間の唇と自分の唇が触れ合う瞬間にその間に指を通して断りを入れた。

 

 すると木更はそのまま料亭の方へ戻ってしまった。しかし、凛はすぐに彼女を追わず櫃間のほうに目を凝らした。

 

 彼は一瞬残念そうな顔をした後、懐からスマホを取り出して誰かと話はじめた。

 

 遠すぎるため口の動きも読めなかったが、凛はそんな彼の後姿を見やりながら、先ほど凛が木更に耳打ちしたときに凛が見た櫃間の表情を思い出した。

 

 彼は微笑こそ浮かべていたものの、その瞳の奥底には計り知れないほどの野心を持っているように見えた。そして、彼の瞳は僅かであるが凛に嫉妬している色も見せていた。

 

「……貴方が今何を考えているのかは知らないが……僕の妹分を利用しようとするのなら容赦はしない」

 

 凛は小さく告げると、その場から消え、料亭の中に戻っていった。

 

 

 

 

 

「ん?」

 

 櫃間は一瞬誰かに見られているような感覚に陥り、背後を見た。しかし、そこには誰も見えない。

 

『どうした?』

 

「あぁいや、なんでもない」

 

『そうか。まぁいい、計画の方はどうだ?』

 

「多少の誤算があったが、特に心配するほどでもないな。ところであの断風凛という男、本当に上が注視するほどの実力者なのか? そうは思えなかったがね」

 

『どうだろうな。私も現物を見たことがないのでわからないが、心配する必要もないだろう。いざというときは『リジェネレーター』もいる』

 

「そうだな、ではまた」

 

 櫃間は自分から通話を切ると、口角を吊り上げて先ほどとは全く違う顔でほくそ笑んだ。

 

「……必ず私のものにしてやる……天童木更……ククク」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 見合いが終わり、凛と木更は帰路についていた。最初は紫垣が送っていくといったのだが、木更が断って二人は夏の夕暮れを並んで歩いていた。

 

「櫃間さんとは上手く話せた?」

 

「はい、けどあの人結構強引な節があって……少しだけ変な気分になりました」

 

「変な気分?」

 

 凛が問うと、木更はポツリと語りだした。

 

「言われたんです……『貴女は私を利用してくれてかまわない』って。櫃間さんは私の今の事情を知っていました。その上で私も軽くあしらおうとしたんですけど、あの人『櫃間の一族も天童には良い感情を思っていないから、天童の牙城を崩すことになれば喜んで協力する』って言っていました」

 

「その見返りとして自分と結婚してくれってことか」

 

「……はい。でも私思ったんです、私には凛兄様との契約があるし、何より里見くんや延珠ちゃん、ティナちゃんだっている。だから結婚はまだ早いかなって思いました。

 それに私、あんまり櫃間さんのこと好きじゃないんです。里見くんは私の初恋が櫃間さんだって思ってるみたいでしたけど……本当は別にいるんです。誰かは思い出せませんけど」

 

 木更はクスッと可愛らしく笑った。凛もそれに笑みを浮かべると、二人はそのまま他愛のない話をしながら歩いていった。

 

 そして木更を事務所まで送り届け、自宅に戻るために凛は歩き出した。

 

 十数分何事もなくあるっていた彼だが、木更を事務所に送ってきてからというものの、ずっと背後から視線を感じていた。

 

 それは例えるなら蛇が下をチロチロと出しながら獲物の動きを観察しているようなもので、とてもいい心地とはいえなかった。

 

 ……誰かに見られてる事は確実だけど、なんともなぁ。

 

 凛は近くにあったカーブミラーを通して、後ろを確認して誰もいないことに頷くと、適当に後ろに向かって殺気を放ってみた。

 

 瞬間、先ほどまで感じていた視線が感じなくなり、気配もなくなっていた。それに肩を竦めながら凛は再び家路につく。

 

 

 

 

 

 

「おー、いい殺気を放つじゃねぇのよ……いいなぁアイツ、ぶっ殺しがいがあるかもしれねぇ」

 

 ビルの屋上に上がりながら凛がいた方向を見やる青年、『リジェネレーター』はくつくつと笑いながら言った。

 

「さぁて俺の出番があって欲しいもんだが……けどまぁもしなくても何人かぶっ殺せりゃそれでいいか」

 

 リジェネレーターは狂気の笑みを浮かべながら自らの潜伏先へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 木更が事務所で着替え終えると、ちょうど蓮太郎が戻ってきた。

 

「あら里見くん? どうしたの?」

 

「ちょっと忘れもんしてな。……木更さん、見合いはどうだったんだ?」

 

 蓮太郎は少し視線を逸らしながら緊張気味に問うた。しかし、木更はすぐに彼が忘れ物といいながら、自分がどのような返答をしたのかを気になるのだろうと思った。

 

「お見合いなら私は断ったつもりよ。まぁちょっと返事があいまいだったから先方にはそう受け止められていないかもしれないけど」

 

「……そっか、いやならいいんだ。えーっと確かこの辺にスマホを……」

 

 木更の話を聞き終えた蓮太郎は、頬をポリポリと掻きながらわざとらしくソファの上を探し始めた。

 

 そんな彼の姿に苦笑しながら木更は彼に問うた。

 

「そういえばティナちゃんは?」

 

「今延珠と遊んでんよ。あと三十分もすれば帰ってくるよ。っとあったあった」

 

 蓮太郎は下手な演技でスマホを見つけたふりをすると、そのまま事務所の出口まで行った。

 

「それじゃあ俺はこの後水原と約束があるから帰るな」

 

「ええ、お疲れ様里見くん」

 

 木更は笑顔を浮かべて彼に手を振る。すると蓮太郎もひらひらと手を振りながら事務所を出て行った。

 

 蓮太郎が階段を降りたのを確認すると、木更は窓から彼の姿を目で追って小さく呟いた。

 

「まったく……本当におバカなんだから。それに演技も下手すぎよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 凛が家に着くと、リビングの方がなにやら騒がしかった。声からして摩那たちだろうが、そのほかに鼻腔をくすぐる香ばしい香りもした。

 

「ただいまー? 三人ともなにかしてるの?」

 

「あ、兄さん! はい、今日は私が料理してみました! シンプルにカレーですけど、夏野菜をいっぱい使った夏野菜カレーです!」

 

 キッチンに立つ焔は凛のエプロンをしており、彼女の前にはカレーが入った鍋があった。どうやら匂いはここからのようだ。

 

「とてもおいしそうだね、ありがとう焔ちゃん」

 

「いえいえ、それに私だけが作ったわけじゃないですから。摩那と翠もしっかりと手伝ってくれました」

 

 焔が言うと、摩那は「どうだ!」というように張るには小さすぎる胸を張り、翠も少し恥ずかしげにしていたが、口元は僅かに緩んでいた。

 

「そっか、二人もありがとうね。さてとそれじゃあ僕は着替えてくるよ」

 

「わかりましたー」

 

 焔は元気よく返答した。凛もそれにうなずくとそのままリビングから自室に着替えをするために戻っていった。

 

「それにしてもお見合いってけっこーかかるもんなんだねぇ」

 

「そうですね。私ももっと早く終わるのだと思ってました」

 

 子供なりの素朴な疑問を二人が浮かべていると、焔がそれにうんうんと頷いた。

 

「そうだよー、お見合いって言うのは結構時間がかかるもんなの。凍姉のときもそうだったし」

 

「あれ? 焔さんのお姉さんは結婚しているんですか?」

 

「ううんしてないよ。ただ、凍姉にも結構お見合いの話とか多くてさ、私も何度か付添い人としてついていったんだけど……もう長いのなんのって」

 

 焔はヤレヤレとため息をついていたが、摩那と翠はまだその大変さがわからないのか揃って小首をかしげていた。

 

「さて、そんなことよりも兄さんが戻ってくる前に夕飯の準備をしておこうかな。あ、そうだ二人はお風呂見てきてくれる? もうそろそろいっぱいになった頃だと思うから」

 

 焔の指示に二人は頷くとタタッとお風呂の様子を見に行った。

 

 その後姿を微笑んで見ていた焔は少しするとまぶたを開けた。しかし、彼女の瞳には光が灯っていなかった。

 

「さてと……兄さんのカレーを準備しなくちゃ」

 

 彼女は皿にご飯を盛り付けると、その上にカレーをかける。普通ならこれで終わりのはずだが、焔は不適に笑うと包丁を手にとった。

 

「これで私と兄さんはいつでも一緒……」

 

 彼女は虚ろな目のまま包丁の刃を自分の指に押し当てて少しだけ切ろうと動かした。だが、

 

「焔ちゃん」

 

「ひゃい!?」

 

 急に名を呼ばれて焔は飛び上がったが、幸いにも先ほどの行動は見られていないようだった。

 

「な、なんでしょうか?」

 

「あぁうん、ビックリさせちゃったみたいでごめんね。実はね、ちょっと話があるから摩那と翠ちゃんが眠ったらリビングに来てくれるかな?」

 

「あ、はい。わかりましたー……痛ッ」

 

 答えた瞬間、焔の指先に鋭い痛みが走った。見ると指先から僅かに出血していた。凛は焔の様子に気がついたのか駆け寄ってくる。

 

「包丁で切っちゃったみたいだね。ごめん、僕が声をかけたから……」

 

「あ、いえいえ! いいんです! それにこんなの舐めておけば治りますから」

 

 彼女はそういうと傷口を舐めようとしたが、それを凛が止めた。

 

「待って、ただ舐めただけだと黴菌が入るからちゃんと処置しよう。救急箱取ってくるから椅子に座って待ってて」

 

 彼は言うと戸棚から救急箱を取り出して中から絆創膏とガーゼを取り出した。

 

「ちょっと沁みるけど我慢してね」

 

「はい」

 

 焔が伸ばす指先の傷口を流水で洗ったあと、傷口を清潔なタオルで拭うと、その上からガーゼを当てて絆創膏を貼り付けた。

 

「これでよし。それじゃあ焔ちゃんが用意してくれたカレーを準備しようか」

 

 凛が言うと焔は頷いて皿にご飯を盛り付けた。

 

 その後、戻ってきた二人と共に四人は夕食をとった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 午後九時。

 

 いつもはまだ起きているはずの摩那と翠も今日はどういうことか早く眠ってしまった。

 

 しかし、凛にとっては好都合だった。

 

「二人にはまだ早すぎる話だからね」

 

 ひとりごちると、廊下から寝間着姿の焔がやってきた。

 

「ごめんね、休みたいところを無理言って」

 

「全然平気ですよー、それでお話ってなんですか?」

 

「うん……焔ちゃんに調べて欲しいことがあるんだ。この人のことなんだけど」

 

 凛は言うとスマホを出して画像を開いた。そこには櫃間の画像があった。

 

「この男は?」

 

「名前は櫃間篤郎。警視総監、櫃間正の息子で今は警視をやってる。今日のお見合いで木更ちゃんの相手だった人だよ。昔は許婚って関係だったらしいけどね」

 

「なるほど……。それでどうしてこの人のことを?」

 

 焔が問うと、凛は真剣な眼差しのまま彼女に告げる。その雰囲気から焔もただ事ではないことを感じたのか自然と背筋を伸ばした。

 

「ちょっと引っかかることがあってね」

 

「というと?」

 

「元許婚だったのに五年間一回も連絡すらしなかった、けれど今になって急にお見合いだなんてさ……変だと思わない?

 それに木更ちゃんから聞いた話だとこの人は木更ちゃんのことを愛しているらしいんだ。でもそれなら何で五年間連絡の一つもよこさなかったんだろうね」

 

「確かに言われてみればそうですね。愛していたのなら多少なりコンタクトを取ってくるはず……それなのに一回もないのは妙です」

 

 彼女も合点がいったのか顎に指を当てながら考え込む。確かに今回の木更の見合いの話には妙な点があるのは事実だった。

 

「それともう一人、この人は調べられればでいいけどね。名前は紫垣仙一、元天童の執事で今は木更ちゃんたちの事務所の書類上の経営者。今回の見合いの話を木更ちゃんに持ちかけた人物でもある」

 

 凛は画面をフリックして次の画像を表示した。

 

「この人はどこか怪しいところがあるんですか?」

 

「ちょっと疑問に思った程度なんだけどね。この人天童の執事を辞めた途端にバラニウム鉱山を掘り当てて財を築き上げたんだ。普通こんなにうまく行くかな? 確かに運が味方したって言えばそれだけなんだろうけど、僕にはどうにもきな臭くてならないんだ。

 ただこの人の邸宅は東京エリアの一等地にあるからね。潜入するのは難しいかもしれない。もし無理そうだったらやめてもいいよ」

 

 凛が言うと焔は小さく笑みを浮かべて自慢げに言いはなった。

 

「ふっふっふー。兄さん、露木隠密術をなめてもらっては困りますよ。露木の忍はどんな場所にも溶け込み、そして絶対にばれません。無論私も例外ではありませんから安心してください。それにこれでも私、凍姉よりも隠密術は得意なんですよ」

 

 焔はふふんと胸を張ると、櫃間と紫垣二人の男の写真を凛に送ってもらった。

 

「では、調べておきますね。翠には……一応後で言っておきますね。心配かけたくないんで」

 

「うん、わかったよ。焔ちゃん……ありがとう」

 

 凛が感謝の言葉を述べると、焔はニコッと笑ったあと自室に戻っていた。

 

 それに続いて凛も部屋に戻ろうかと思ったとき、彼のスマホがなった。

 

「もし――」

 

『凛兄様!』

 

 凛が言い切るよりも早く電話の相手だった木更が声を発した。

 

「どうしたの、そんなに慌てて。何かあったの?」

 

『里見くんが……里見くんが……!』

 

「蓮太郎くんが?」

 

 木更の尋常ではない焦り方に凛は疑問をいただきつつ彼女に問う。だが、次の言葉は凛が予想していなかったものだった。

 

『里見くんが……殺人事件の容疑者として警察に捕まってしまいました……!』

 

「蓮太郎くんが……殺人?」




はい、では今回は木更さんのお見合いでしたね
凛さんわりとやりたい放題w

そして凛の驚異的な洞察力半端ねー
櫃間はおろか紫垣まで範囲とは……すごいね!

焔のヤンデレが加速しましたが、まぁこれぐらいはかわいい方でしょう
次回からはいよいよ逃亡編のほ本番開始です

では感想などございましたらよろしくお願いいたします


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第四十八話

 蓮太郎は取調室で怒りを募らせ、同時に自分の無力さを痛感していた。

 

 彼は今、殺人の容疑をかけられているのだ。

 

 今日の深夜、蓮太郎は小学生時代の友人の水原鬼八と約束があったため、彼がしていた建設途中の勾田市役所の新ビルに足を運んだ。

 

 しかし、その途中彼は自分の愛銃である『XD拳銃』がないことに気がついていた。どこかで落としたのかと思いながらも、約束を優先させたのだが蓮太郎が待ち合わせ場所に到着すると、水原は後頭部、右胸部、脇腹、太腿の計四箇所を何者かに打ち抜かれて既に事切れていた。

 

 だが、ここまでは蓮太郎がやったと言う明確な証拠がない。けれど、現場には彼を犯人としてしまう物があった。それは彼が「なくした」と思っていた愛銃だった。

 

 そして蓮太郎はやってはいけないことだと頭で理解しながらも、それが本当に自分の銃なのか確かめるためそれを手に取ってしまった。

 

 ほぼ同時に警察官が突入し、蓮太郎は水原の殺害容疑をかけられてそのまま拘束されてしまったのだ。

 

 彼は必死に無実を主張したが、状況証拠が完全に揃ってしまっている以上、警察の誰も彼の言葉に耳を貸すものはいなかった。それは蓮太郎と面識がある多田島茂徳も同じだった。

 

 ……ちくしょうッ! 一体誰が水原を……ッ!!

 

 蓮太郎はパイプ椅子に座りながら膝の上できつく拳を握り締めた。しかし、そこで取調室の扉が開いた。

 

「よう、ちょっといいか?」

 

 先ほどの多田島とは全く違う優しげな声に思わず蓮太郎も顔を上げた。

 

 同時に取調室で記録をとっていた警官が立ち上がって背筋を伸ばす。

 

「か、金本警部!? 取調べであれば先ほど多田島警部が終わりにしましたが……」

 

「ああ、知ってるよ。でもさ、俺も少しこの子と話してみたくてね。お前さんはちっと席外してくれるかい? なぁに、安心しろ記録はちゃんととっといてやるから」

 

 金本警部と呼ばれた男は人のよさげな笑みを浮かべると、記録係の警察官を半ば強引に取調室の外へ追い出した。

 

「さてっと、俺の事は覚えてるかな。里見くん」

 

「え?」

 

「ほら、君んとこの社長さんと今組んでる……なんて言ったっけ……。そう! ティナちゃんだ! 彼女が起こした事件の時に一度現場検証のときに話したんだけど、まぁあの時は君も心ここに在らずって感じだったから覚えてないのも無理はないか」

 

 ハッハッハと軽く笑って見せた金本は蓮太郎に手を差し出した。

 

「では改めて自己紹介と行こう。俺は金本明隆、殺人課の警部だ。さっき君を取調べした多田島とは同期だ。とりあえず、よろしく」

 

「あ、あぁ……よろしく」

 

 蓮太郎も金本の握手に答えた。握手を終えると二人は座って金本は記録を眺めた。彼は記録を読みながら考え込むように無精髭を撫でた。

 

「ふむ……確かに状況証拠だけだと君が犯人だと疑われるのは間違いないか。それにその様子だと多田島にえらく絞られたみたいだ」

 

 金本は肩を竦めて言うと、記録されているファイルをパタンと閉じて鋭い眼光で彼に問うた。

 

「率直に聞こう、里見くん。君は未完成の勾田市役所の新ビルで水原鬼八くんを殺したのかい?」

 

「いいや、俺はやってない。俺はあの日水原と約束があってそれを果たすために行ったんだ。だけど……」

 

「待ち合わせ場所に着いたら水原君が既に殺害されていて、彼の遺体の傍らには君の銃が転がっていたと……」

 

 彼が聞くと蓮太郎は静かに頷いた。金本もそれに頷き返すともう一度ジッと彼の瞳を見る。

 

 その気迫は先ほどの多田島以上のものであり、蓮太郎は一瞬気圧されたが目を逸らさなかった。

 

 すると、金本は僅かに口角を上げて笑みを零した。

 

「なるほどね、どうやら君の言ってる事は本当のようだ」

 

「し、信じてくれるのか!?」

 

「ああ、俺は信じよう。ただ、君はまだ何か隠している節があるな」

 

「ッ!」

 

 瞬間、蓮太郎はほんの少しだけ動揺した。しかし、それを隠そうとはせずに、彼は金本を見据えた。

 

「……言えない、か。うん、まぁいいだろう。だがこのままだと状況証拠で君は被疑者から被告人への階段を駆け上がることになるぞ?」

 

「それは……」

 

 蓮太郎はまたしても口をつぐんだ。

 

 ……このまま水原の言っていた『新世界創造計画』と『ブラックスワン・プロジェクト』。この二つをこの人に言えば、多分凛さん達にもその話しは行く。けど、それだとあの人たちに迷惑がかかっちまう。

 

 蓮太郎はギリッときつく歯をかみ締めると、そこで金本が軽く咳払いをしながら胸元から手帳を出し、ボールペンをページに向けてトントンと叩いた。

 

 彼は一瞬なんのサインなのかわからなかったが、ページを見た瞬間目を見開いた。

 

 そのページにはただ一言こう書かれていた。

 

『凛くんに知らせる』と。

 

 同時に蓮太郎は金本を真っ直ぐと見据えると小さな声で問うた。

 

「……アンタを信用していいんだな?」

 

 彼の言葉に金本は静かに頷く。蓮太郎もそれを確認すると、ボールペンを取ってメモ帳に『新世界創造計画』と『ブラックスワン・プロジェクト』と書き込んだ。

 

 そのまま蓮太郎はメモ帳を閉じて金本に手渡した。金本もそれを頷きながら受け取ると蓮太郎を真っ直ぐ見据えて告げた。

 

「大丈夫、必ず届けるよ。それと里見くん、君はこれからもっと辛いことに遭うかもしれない。そのときもし俺の力が足りなくなったら誰でもいいから頼るんだ。決して一人で抱え込んではならない。自分の心が崩壊しないようにね」

 

 金本はそれだけ告げると取調室のドアノブを握った。しかし、金本は「おっと」と言いながら振り返った。

 

「多田島の事は悪く思わないでやってくれ。何せ人を疑うのが俺達の仕事だからな。アイツはその職務を真っ当しただけなんだ」

 

「アンタはいいのかよ」

 

「俺は人を疑うの好きじゃないの」

 

「警察に向いてねぇだろ……」

 

 蓮太郎は苦笑しながら言うと、金本も頭をガリガリと掻きながら肩をすくめた。

 

「それはよく言われる。上司にも後輩にも、勿論多田島にもな。だけど、簡単に人を疑うのはどうにもね。それじゃあ俺は行くけど……いいかい里見くん、この後どんな聴取をされても『自分はやっていない』を貫き通すんだ。そうすれば多少の時間は稼げるはずだ」

 

 金本はそれだけ告げると取調室を出て行った。それを確認した蓮太郎はパイプ椅子の背もたれに身体を預けた。

 

 スポンジの少ない背もたれは背を預けるには頼りなかったが、蓮太郎の心は多田島や他の警官に絞られた時よりは随分と軽くなった。

 

「……待ってろよ、みんな」

 

 コンクリで固められた取調室に蓮太郎の言葉が小さく響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 取調室を出てそのまま零子達に先ほどのメモの内容を知らせようとしたとき、彼は後ろから荒い声をかけられた。

 

「金本」

 

 名前を呼ばれて振り返ると、エラが張ったごつい顔に、眉間にきつく皺を寄せた男、多田島茂徳が金本を睨んでいた。

 

「どうした多田島? 随分と不機嫌そうじゃあないか」

 

「不機嫌そうに見えなかったらテメェの目は節穴だな」

 

「おいおい随分とひどい言われようだな」

 

 金本はやれやれと肩を竦めるが、次の瞬間、多田島が彼の胸倉を掴み挙げた。

 

「テメェ、あのガキから何か聞きだしやがったな?」

 

「だったら?」

 

「今すぐその情報を渡せ!」

 

 多田島の表情には鬼気迫るものがあり、普通の人間が見てもヤクザ者が見ても震え上がることに変わりはないだろう。

 

 しかし、金本は落ち着き払った状態で彼に問う。

 

「それは警部、多田島茂徳としての言葉か? それとも多田島茂徳個人としての言葉か?」

 

「何ッ?」

 

「もしそれが警察としてのお前の意見なら情報は渡せない。……なぁ多田島、お前も気がついているんだろ? 里見くんは犯人じゃあない、あの子が殺人なんてできない事はわかってるはずだ」

 

「ふざけるな! 前々から思っていたが、お前は人を簡単に信じすぎだ!! もしあのガキが本当に殺人を犯しでもしていたら、お前は犯人を取り逃がすことになるんだぞ!?」

 

 多田島は鬼の形相で金本に怒鳴り散らす。同時に胸倉を掴み挙げる彼の手にも力が入る。だがそこでつかみ挙げていた腕を金本が掴んだ。

 

 彼の力は凄まじいものであり、多田島はすぐに彼から手を離した。いいや、離さざるを得なかった。

 

「いいか多田島、確かに状況証拠を並べればほぼ百パーセント里見くんがやったと思うだろう。けどな、残った僅かな可能性から本当の真実が見出せるかもしれないだろ。

 それに彼はまだ子供だ。俺たち大人とは違う、まだまだ心も弱い。そんな彼をこれ以上追い詰めて真実が見出せるのか?」

 

 金本は大きくため息をつきながら多田島の腕を払った。多田島はつかまれていた腕を押さえながら金本を見据えるが、金本は静かに言い放った。

 

「俺は俺自身の心に従って行動する。それが警察組織に刃向かうことになってもな」

 

 金本はそれだけ告げると踵を返して自分の車に向かった。彼の後姿を見送りながら多田島は壁を思い切り殴りつけた。

 

「クソッタレが……!!」

 

 壁を殴った拳の痛みは、まるで多田島自身を抉るようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒崎民間警備会社には社員全員が出勤していた。そして皆一様に難しい表情をしていた。

 

「蓮太郎くんが殺人……ねぇ」

 

「どう思いますか?」

 

「どうもこうもなぁ、彼が人を殺すとは到底思えない。そりゃあ蛭子影胤辺りなら殺せるかもしれないが……今回殺されたのは彼の昔の友人だろう?

 私は無理だと思うがね」

 

 肩を竦めながら凛の問いに答えた零子はタバコに火をつけて紫煙を燻らせる。すると彼女の隣に座っていた夏世が零子に紙の束を見せた。

 

「零子さん、出来ました」

 

「ん、ご苦労さん。それじゃあ皆に配ってくれるかな」

 

「はい」

 

 夏世はそれに頷くとホチキスで束ねられた紙を杏夏、凛、焔の順に配った。

 

「これは?」

 

 杏夏が首をかしげると、零子も夏世から紙を受け取って説明を始める。

 

「実はな先日菫と会ってある三件の殺人事件の話を聞いたんだ。これはその三人の資料だよ」

 

「なるほど……でもどうしてこれを私達に?」

 

 焔もなぜこの資料を配るのかわからなかったのか首をかしげる。すると零子は真剣な眼差しで皆を見てから指を軽く組んだ。

 

「君達に話しておくべきことがあってな。凛くん、それに杏夏ちゃんは蓮太郎くんや影胤のような存在を生み出した『新人類創造計画』は知っていると思うが、焔ちゃんは知らないからここで多少復習をしておくぞ。

 まず『新人類創造計画』とは人体の一部に、スーパー繊維にしたり代替臓器にしたり、バラニウム製の義肢をつけたり等、身体のごく一部を機械化して驚異的な戦闘力を引き出すものだ」

 

 零子の説明に『新人類創造計画』の名を知らなかった焔も納得したようにうなずき、凛と杏夏も再確認するように頷いた。

 

「しかし、その『新人類創造計画』は次の段階があったんだ。その名も『新世界創造計画』これは菫が恋人を失ったことの憎しみによって生み出したものでな。『新人類創造計画』と違うところは身体の一部ではなく、身体の半分以上、そしてゆくゆくは脳以外の全身全てを機械化するという計画だったんだ。

 だが結局資金的な面や、夏世ちゃんや摩那ちゃんたちのようなイニシエーターの存在によって頓挫したんだよ」

 

「でもどうして今その『新世界創造計画』のことを僕達に話そうと?」

 

「簡単だ。配った資料に書かれている三人は、恐らく『新世界創造計画』の何かを知って殺された可能性があるからだ。それにもしかしたら私も狙われるかもしれないからな、一応知っておいたほうがいいと思ったのさ」

 

 零子は軽く言ってのけるが、隣に座る夏世は彼女を心配そうに見上げていた。それに気がついたのか、零子はクールな笑みを浮かべると彼女の頭を撫でる。

 

「心配するな、私は簡単には殺されないよ。それよりも今は蓮太郎くんの心配をするべきだな」

 

 彼女がそういったところで、彼女のスマホが鳴った。

 

 零子はそれにいつものように外で扱う柔和な声音に受け答えた。

 

 凛達は彼女の行動は見慣れているので突っ込みをいれなかったが、彼女のこの行動を始めて見た焔は口を半開きにして驚いていた。

 

「え? 零子さんなんで急に?」

 

「アレは外で話をするときの零子さん。さっきまで私達に話をしていたのは事務所にいるときの零子さん。特に気にしなくても大丈夫だよ」

 

「は、はぁ……」

 

 凛が言うものの焔はいまだに驚いていた。すると通話を終えた零子がスマホをしまって皆に告げた。

 

「少し出てくる。お昼には戻ってくるから適当なものを買ってくるよ。夏世ちゃんもついて来い」

 

 零子はそれだけ告げると、夏世と共に事務所から出て行き一階から愛車で出て行った。

 

「用ってなんでしょうね?」

 

「うーん、わからないけど心配する事はないんじゃないかな。おっと、僕も少し木更ちゃんのところに行ってくるね。摩那行くよ」

 

「はーい」

 

 凛は摩那と共に天童民間警備会社へ足を運んだ。

 

 事務所に残された杏夏と焔、そして美冬、翠が残された。

 

 すると、おもむろに杏夏が立ち上がり、焔に向かって問う。

 

「焔、貴女は凛先輩のことがすきなんだよね?」

 

「もちろんです。と言うかむしろ愛してます」

 

 焔はとてもイイ笑顔を浮かべて杏夏に向かって宣言した。それに杏夏は一瞬眉をひくつかせるが、一度大きく深呼吸をして焔に言い放った。

 

「それじゃあ私も言っておくね。貴女が先輩を好きなのは十分わかってる。だけどね、私も先輩のことが好きなの。これだけは絶対に譲れない」

 

 杏夏の真剣な宣言を聞いた焔は一瞬ポカンとした顔をし、彼女の宣言を聞いていた美冬は静かに頷き、翠はこういった色恋沙汰になれていないのか少々顔を赤くしていた。

 

「なるほど……杏夏先輩は兄さんのことが好きだと」

 

「うん」

 

「それは別に構いませんが、最後に勝つのは私ですよ?」

 

「へぇ……随分と強気だね」

 

 杏夏は鋭い眼光を焔に向け、焔もそれに答えるように視線を杏夏に向ける。

 

 そんな二人をソファ越しに眺めていた翠と美冬には、二人の視線が交差するところにバチバチを火花が散っているように見えた。

 

 同時に杏夏の後ろには虎が、焔の後ろには龍が互いににらみ合っているようにも見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 事務所を出て木更がいる天童民間警備会社にバイクを走らせていた。しかし、いつもよりもスピードが出ているようで、先ほども交差点をドリフトするように曲がってきたばかりだ。

 

「凛! なんでそんなに急いでんの?」

 

 凛の腰に掴まっている摩那の問いに凛は前を向いたまま答える。

 

「いいかい、摩那。もしこのまま蓮太郎くんが警察に捕まったまま殺人容疑が晴れなければ、彼は民警をやめることになる。もしそうなったとき、彼と組んでいた延珠ちゃんはどうなる?」

 

「まさかコンビを……?」

 

「そう、コンビを解消することになる。そしてもっと拙いのはティナちゃんだ。さっき零子さんに配られた資料の中に、約二キロ離れた所から新幹線に乗っている人物を狙撃した犯人がいた。

 僕達の知り合いの中でそれが出来るのはティナちゃんただ一人だ。当然彼女はそれをやっていないだろうけど、蓮太郎くんが捕まった事で恐らく彼女にも捜査が及ぶと思う。そして最悪の場合、彼女はその狙撃事件の犯人にされてしまう可能性がある。もしそうなったら天童民間警備会社は崩壊する」

 

 凛が言い放った言葉に摩那はゴクリを生唾を飲み込んだが、同時に今彼がしようとしていることが理解できた。

 

「凛もしかして……」

 

「うん、そのもしかしてだよ。僕はこれから三人のところに言って延珠ちゃんとティナちゃんを保護する。同時に木更ちゃんもね」

 

「でもそんなことしたら凛も危なくなるんじゃないの?」

 

「だろうね。けど、一緒に戦った仲間達を見捨てるなんて事は僕には出来ないよ。蓮太郎くんは絶対に殺人はしていないだろうし、木更ちゃんをこれ以上苦しませはしない」

 

 その言葉には相応の重みがあり、凛がそれだけ本気なのだと摩那にも理解できた。すると、摩那はヘルメットを彼の背中に押し当ててわかるように頷いた。

 

「そうだね、凛。仲間を守ろう」

 

 彼女の言葉に凛も頷くと更にはやくバイクを走らせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 凛が木更の元に向かっている中、零子は事務所からある程度はなれた所にある喫茶店に入り、電話の相手が来るのを待っていた。

 

 窓際の席で夏世と向かい合いながら座る零子に夏世が問うた。

 

「零子さん、今から誰が来るんですか?」

 

「私に情報を流してくれたりする警察官。蓮太郎くんのことで渡したい情報があるんだってさ」

 

 零子がいうと、ちょうど喫茶店の扉が開いた。そして店内に無精髭を生やした焦げ茶色の髪の男が入ってきた。

 

 男は店内を一度見回すと、零子の後姿を見つけ彼女の背後の席に座った。同時にスタッフが男の下にお冷を持ってきた。男はそのままスタッフに注文をすると、スタッフは奥に消えていった。

 

 店内にはスタッフを除いて零子たち三人しかいなくなった。しばらくすると、零子のほうが後ろの男に声をかけた。

 

「呼び出しとは珍しいじゃない、金本警部」

 

「申し訳ない。しかし、貴女にどうしても伝えなくちゃいけないことがありましてね」

 

「蓮太郎くんの件だっけ?」

 

 金本警部と呼ばれた男はそれに小さく頷いた。そして彼は背後に座る零子に一枚の紙を手渡した。

 

「そこに彼が我々警察に言えないことが書いてあります。俺は表立って動く事が出来ないのでなるべく彼のフォローに回ります。黒崎さん達はそちらを調べてもらっても構いませんか?」

 

「いいわ、こちらもこの事件の真相には興味があるからね」

 

 零子はそれだけいうと残っていたアイスティーを飲み終えた。夏世もそれを見るとオレンジジュースを飲み干し、彼女と共に店を後にした。

 

 喫茶店を後にして車に乗り込むと、先ほど金本から受け取った紙を零子が広げた。

 

「『新世界創造計画』……この名前って確か」

 

「ええ、さっき私がみんなに話したものね。なるほど……蓮太郎くんの友達もこれについて知ってはいけない何かを知ったのでしょうね。でももう一つのこれ……『ブラックスワン・プロジェクト』……これは一体……」

 

「ブラックスワンと言う事は『ブラックスワン理論』が関係しているんじゃないでしょうか?」

 

 零子の疑問に答えるように夏世が持ってきたノートパソコンで調べ始めた。

 

「ブラックスワン理論ってアレだったかしら? 確率論や従来からの認識や経験からでは予想することができない現象ってやつ」

 

「そうです。さっき見た資料の三人は新世界創造計画の何かを知って殺された。そして里見さんの友人はこの二つを知って何者かに殺された……。だとすればこの二つには少なからずの関係があると見ていいでしょう」

 

 夏世はノートパソコンを閉じながら零子を見た。

 

「零子さん、この事件。裏で大きな組織が暗躍していると考えたほうがいいかもしれません」

 

「そうね、それは確実でしょう。でも今は事務所に戻って皆にもこのことを話しましょう」

 

 零子は小さく息をつくとシートベルトを締めて愛車を発進させた。彼女は眼帯に覆われた右目を抑えつつ静かに思った。

 

 ……『二千分の一秒の向こう側(ターミナル・ホライズン)』を使う覚悟をしておいたほうがよさそうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天童民間警備会社の前まで来た凛と摩那はバイクから飛び降りると事務所まで一気に駆け上がった。

 

「木更ちゃん! ティナちゃんと延珠ちゃんは!?」

 

「凛兄様……」

 

 凛が事務所の扉を乱暴に開け放って中に入ると、木更がつかれきった表情でデスクについていた。

 

 彼女のほかにも室内には陰鬱とした様子のティナと延珠がソファに座っていた。

 

 凛と摩那は三人がとりあえず無事なことにほっと胸を撫で下ろすと、木更の下まで言って彼女の肩を掴んで告げた。

 

「木更ちゃん、今すぐここを離れよう」

 

「え?」

 

 木更は一瞬わけがわからないという表情をしたが、凛はそんな彼女の手を引いた。

 

「延珠ちゃん、ティナちゃんもついて来て。話しはうちの事務所でするから」

 

「ま、まつのだ凛! ここからいなくなったら蓮太郎が帰ってきたとき誰もいなくて蓮太郎が寂しがるぞ!」

 

「そうですよ、凛さん! お兄さんが帰ってきたときにここに誰もいなかったら……」

 

「わかってる、でも今はお願いだから僕についてきて欲しいんだ。君達をばらばらにさせるわけには行かないから」

 

 凛は木更の手を離して延珠とティナの目線の高さまでかがむと真剣な眼差しで彼女に告げた。延珠とティナは一瞬それに困惑していたが、互いに顔を見合わせるとコクンと頷いて凛に従った。

 

「ありがとう、二人とも。それじゃあ木更ちゃんは僕のバイクに、ティナちゃんは摩那におぶってもらって、延珠ちゃんは摩那についてきて。あと二人は街中じゃなくてビルの屋上を走って来て」

 

「りょうかい、他に何か守ることとかある?」

 

「僕の半径五十メートルからは絶対に離れないこと。それ以上いくと僕がフォローし切れないからね」

 

 凛はそう告げると木更の手をとって階下へ走り、そのままの勢いでバイクに乗り込んだ。

 

 延珠やティナも摩那と共に屋上に上がると、下にいる凛に手を振った。凛もそれを確認するとバイクを走らせる。

 

 それに呼応するように摩那はティナを背負い、延珠と共に黒崎民間警備会社へ駆け出した。




はい、では今回は蓮太郎が捕まってから一日過ぎた感じです。

金本さん……消されるフラグがビンビンだぜ……

とまぁ途中で杏夏の宣戦布告とかありましたが、まぁそれはさておき、金本のおかげでいずれ凛達にもブラックスワン・プロジェクトが話されますし、蓮太郎のほうも多少は精神面的に楽になるでしょう。

櫃間の計画は早くも崩れかかっていますが……そんな事はしーらない♪
木更さんのお胸を揉もうとした事は万死に値するのだ……!!
せいぜい上に見放されないように頑張りたまえよフハハ

あ、友人に頼んだイラストですがまだかかりそうなのでもうチョイお持ちください。

そしてついにお気に入りが千件突破!!
本当にこのような作品を読んでくださりありがとうございます!!
ここまで続けられたのも皆様の暖かい応援のおかげでございます。
これからはもっと読者様がお楽しみなれるように頑張っていただきたいと思いますので、これからもよろしくお願いいたします。

では感想などあればよろしくおねがいします。


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第四十九話

 木更たちを自分達の事務所に連れてきてから数分後、大手ジャンクフード店の袋を持った零子と夏世が帰ってきた。

 

 二人はそのままジャンクフードの袋をガラステーブルの上に置くと、中から小袋をだして、それを持ったまま自分のデスクについた。

 

「すみません、零子さん。三人を独断で保護しました」

 

「構わないわ、君があの子達を大切にしているのはわかっているから。ハンバーガーも一応ここにいる全員に渡るように買って来たから、まずは腹ごしらえでもしてて」

 

 彼女は全員に指示したが、全体的にイライラしているようだった。けれど凛はあえてそれには触れずに袋を開けて皆にハンバーガーとポテト、そして飲み物を配った。

 

 しかし、蓮太郎のことが心配なのか三人は喜んで食べているという雰囲気ではない。

 

「三人とも食べにくいのはわかるけれど、多少はお腹に入れておかないといざって時に動けないから」

 

 凛が言うと、三人は俯いたまま少しずつ食べ始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 食事が終わって三十分ほどしたとき、不意に零子が皆に漏らした。

 

「さっきとある情報口から今回の事件と関係のありそうな情報をもらったわ」

 

 その話に一番反応を示したのは木更達三人だった。零子はそれを確認すると、そのまま皆に説明を始めた。

 

「情報は二つ、一つはさっき凛くんたちに話した『新世界創造計画』。そしてもう一つは『ブラックスワン・プロジェクト』。二つ目に関してはまだ情報が少なすぎるけど、蓮太郎くんが逮捕されたことに少なからず関係はしているでしょうね」

 

「その根拠は?」

 

「簡単よ、蓮太郎くんから直接聞いた人からの情報だから」

 

「里見くんから!?」

 

 零子の言葉に木更がソファから立ち上がって聞くと、彼女はそれに静かに頷いた。

 

 凛もまたそれを見ると、内心で小さく笑みを零す。

 

 ……金本警部か。あの人も無理をしなければいいけれど。

 

 するとそこで事務所の前で車が止まる音が聞こえた。零子がそちらに目を落とすと、彼女は軽く舌打ちをした。

 

「こういうときだけ動きが早いわね。夏世ちゃん、延珠ちゃんとティナちゃんを連れて一階の隠し通路に隠れてなさい」

 

「警察ですか?」

 

「そうね、まったく嫌になるわ」

 

 凛の問いに零子は頷きながらうんざりしたように溜息をついた。その間に夏世はソファに腰掛けていた二人に声をかけ、給湯室の奥にある梯子から一階へ降りるように促した。

 

 二人を半ば押し込む形で一階に降ろした夏世は床下収納の蓋を閉めながら零子に静かに告げた。

 

「では隠れていますので」

 

「静かにね」

 

 夏世はそれに静かに頷くとそのままスッと階下へ消えた。

 

 彼女等を見送ったあと、まだ警察が踏み込んでくるまで時間があるので凛はお茶の準備をして、さも木更だけをもてなしているように見せる。

 

 一方杏夏と焔も協力して先ほどまで二人がいたところを入念に拭き取った。

 

 それらが完了した瞬間、事務所のドアノブが回され、数人の警察官が入ってきた。

 

「全員その場を動くな!」

 

 鋭い一喝は誰もが震え上がるものだったのかも知れないが、黒崎民間警備会社の面々はそんなもの何処噴く風だ。

 

「あらあらあら、警察の方々が一体何の御用でしょうか?」

 

 零子は落ち着き払った様子で凛がいれたコーヒーを飲みながら問うた。彼女の軽い受け答えに、警察官は拍子抜けしたように事務所内を見回すが、どうやら目当ての人物はいなかったようだ。

 

 すると警察官数人を割るように、高身長で精悍な顔立ちの眼鏡をかけた青年が現れた。

 

「昨日捕縛された里見蓮太郎のイニシエーター、藍原延珠と、別の事件での重要参考人とされるティナ・スプラウトがここに入るのを目撃したと言う情報が入ったので捜査に来たんですよ。黒崎零子社長」

 

「へぇ、そうなの。でもおかしいわねぇ、そんなの下っ端に任せておけばいいのになんで貴方のような人が出てくるのかしら? 櫃間篤郎警視」

 

 肩を竦めながら零子が問うと、櫃間も薄く笑みを浮かべて彼女に説明した。

 

「私とて時には現場に出ることもあります。しかし、今回は私の婚約者である天童さんが絡んでいるので――」

 

「――婚約者じゃなくて、“元”婚約者でしょう? 先日お見合いをした程度でもう昔に戻った気でいるとは恐れ入りますね」

 

 櫃間の言葉の途中で割って入ったのはコーヒーを片手に椅子の背もたれに寄りかかっていた凛だった。

 

 彼の発言に警察官の数人は苛立たしげな表情を浮かべ、木更は少しだけ心配そうな視線を送る。

 

「確かに断風くんの言うとおり気が早すぎたようですね。申し訳ない、ではティナ・スプラウトと藍原延珠を渡してもらえますか?」

 

「渡してもらえますかと言われても彼女達はここにはいないのよねぇ。どうしてもここにいるといいたいのであればどうぞ好きにお調べになってくれて構いませんわ」

 

 零子は人のよさげな笑みを浮かべたまま彼等を促すと、櫃間は静かに礼をしたあと警察官達に探すように命令を下した。

 

 しかし、探せど探せど櫃間らの目当てである二人は一向に見つからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 警察官達が必死で延珠とティナを探している中、当の二人は夏世に連れられて一階の奥にある、零子の銃器が置いてある部屋の壁の中で息を潜めていた。

 

「天童社長達、大丈夫でしょうか?」

 

「大丈夫ですよ。あの方達は何もならないでしょう」

 

 壁に背を預けてティナの問いに答えた夏世は懐中電灯の電源を入れた。

 

 真っ暗だった空間に薄オレンジ色の光りが行き渡り、二人は少しだけホッとした様子だった。

 

「でもすぐにばれてしまうのではないか?」

 

「ここは外から見ると隙間すらなくて風も通りません。それに壁を叩いて音の変化を感じようとしても、この壁自体衝撃を吸収してしまいますから他の壁と何ら変わりませんよ」

 

 体育座りをしながら微笑んだ夏世の説明に延珠とティナはそれぞれ感心したように頷いたが、そこでティナがすこし俯きながら呟いた。

 

「でも、どうして私達が隠れることになったんでしょうか……」

 

「それも……そうだな。なぁ夏世? おぬしは何か知っておるのか?」

 

「はい、知っていますが……ここだと入り口に近すぎますからもう少し奥に行ってから話しますね」

 

 夏世は立ち上がると二人を連れて通路の更に置くに進み、少し言ったところで二人を座らせ、自分も座って話を始めた。

 

「ではまず最初にティナさんが警察から狙われる理由をお話します。先日東京エリアの新幹線に乗っていた海老原義一という男性が狙撃されて殺害されました」

 

「走行中の新幹線に乗っていた被害者を狙撃!?」

 

「はい、そしてその事件とティナさんが狙われる因果関係は唯一つです。貴女は以前、聖天子様暗殺未遂という罪を犯しています。現在は聖天子様の計らいで何とかなっていますが、警察からすれば今回殺人の容疑がかけられている里見さんの仲間である貴女ならやりかねないと思っているのでしょう。

 もし、貴女が警察に捕まれば恐らく出てくる事は難しいでしょう。そして最悪の場合死刑もありえます」

 

 残酷な発言だったが、夏世は予測されることの全てを話した。半端な希望を持たせるよりは全てを話し予測される状況を教えたほうがいいと思ったからだ。

 

 しかし、ティナは泣き出すこともなく夏世の言ったことを受け止めて静かに頷いた。

 

「それじゃあ、私がお兄さんや天童社長や延珠さんとこれからも一緒にいる為には、逃げ切るしかないと言うことですね」

 

「はい。では、次に延珠さんですが貴女は警察に狙われているのではなく、むしろIISOに狙われている可能性が高いです」

 

「どういうことだ? 妾には蓮太郎がおるからIISOがなにかしてくることなどほとんどないぞ?」

 

 延珠は小首を傾げた。それもそうだ、IISOが関与してくるなど普通に民警をしていれば殆どないことだからだ。

 

 だが今回は状況が状況だ。夏世はまたしても最悪の場合を彼女に話す。

 

「いいですか? 確かに今の状態であれば貴女には里見さんがいて、同じアパートで暮らせていますが、これは里見さんの持つ民警ライセンスのおかげです。このまま里見さんが被疑者のままでいて無事に無罪が獲得できれば何事もなく再会出来るでしょう。

 ですが、もし里見さんが被告人になって有罪になったとき、彼の民警ライセンスは剥奪されてしまいます。この意味がわかりますか?」

 

「蓮太郎と……離れ離れになってしまう?」

 

「そうです。そして貴女はIISOに身柄を拘束されまったく別のプロモーターと組まされるでしょう」

 

「い、いやだ! それは絶対にいやだぞ!!」

 

 延珠は目尻に僅かながら涙を溜めていったが、そのとき夏世が彼女の口を塞いで懐中電灯のスイッチを切った。

 

 数人の人物の話し声が聞こえたからだ。

 

 ……声からして人数は四人。

 

 壁に耳を当てながら状況を確認した夏世は、延珠の口から手を離して懐中電灯の光りを最小にして、二人に見えるように唇の前で人差し指を立てた。所謂「シーッ」の合図だ。

 

 二人もそれを確認できたのか声を潜める。

 

 狭い通路内に三人のかすかな呼吸音だけが聞こえる。そのまま数分が経過し、やっと声が聞こえなくなり、扉が閉まる音が聞こえた。

 

「……行ったみたいですね……」

 

 ティナが言ったが、夏世は懐中電灯をつけながら小さく言った。

 

「……もう少しここにいましょう。零子さんから連絡がくるまではいた方がいいです……」

 

 彼女の言葉に二人は静かに頷き、三人は壁に背を預けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ティナと延珠の捜索が始まってから二時間。結局二人がここにいると言う証拠も発見できないまま、櫃間と数人の警官達は事務所のある二階にいた。

 

「だから言ったじゃないですか。二人は最初からいないって。私達は蓮太郎くんが逮捕されたって言うから木更ちゃんが不安だと思ってここに招いただけなんですよ」

 

 零子は警察官達と櫃間を若干挑発するように言うと、彼等に対して手で合図した。

 

「どうぞお引取りくださいな。お出口はそちらですから」

 

 その声に警察官達はぐっと手を握り締めていたが、櫃間は静かに礼をして告げた。

 

「お騒がせして申し訳ありませんでした。では」

 

 櫃間の言葉と共に警察官達も出口から出て行くが、最後の一人となった櫃間は木更のほうに振り向いて少しだけ悲しそうな顔を見せながら言った。

 

「天童さん、私も今回の事件には心を痛めています。彼が殺人をしたとは私も思っていません。しかし、これは仕事なので仕方のないことなのです」

 

「はい……わかっています」

 

 木更がそう答えると、櫃間は思い出したように告げた。

 

「あともう一つ、このままご自宅の事務所まで戻られるのはいささか心配なので私が送って――」

 

「――結構です」

 

 答えたのは凛だった。木更はそれに驚いたような表情を浮かべたが、彼は間髪入れずに櫃間を突き放した。

 

「彼女は兄貴分である僕が責任を持って送ります。櫃間さんはお忙しいのですからご無理はなさらずにお仕事に専念なさってください。

 あぁでもせっかくですからお土産の一つでもお渡しいたしますよ。焔ちゃん」

 

「はい、兄さん」

 

 凛が言うと焔が缶でできた紅茶のパッケージを持ってきた。

 

「櫃間さんにお似合いの上質な紅茶です。お仕事のリラックスのときなどに使ってください」

 

 とても人のよさげな笑みを浮かべて凛が言うと、櫃間は小さく「……ありがとうございます」とだけ告げて事務所を後にした。

 

 そして事務所の前から彼等の車両が完全になくなると同時に零子が大きな笑いを漏らした。

 

「ハハハハッ!! 凛くん、アレはやりすぎよ。あの男相当プライドを傷つけられていたわよ?」

 

「そうですかね? 僕はいたって普通の対応をしただけなんですが」

 

「いやいやいや、凛先輩あの人に対して「早く帰れ」感すごかったですよ!?」

 

「でもそこが兄さんの素晴しいところ……さすがです兄さん!」

 

 口々に言う中、凛は肩を竦めていたが木更は口を半開きにしたまま固まっていた。けれどすぐに我に返ったのか軽く頭を振ると彼に詰め寄った。

 

「り、凛兄様!! なんで櫃間さんを挑発するんですか!?」

 

「うーん……なんというかねぇ。僕、あの人ことちょっと信用できないんだよね」

 

「信用できない……?」

 

 木更が小首を傾げると、凛は静かに頷いてソファに腰掛けた。

 

「そう、だって変じゃない? 五年もたってるのにいきなりお見合いとかさ」

 

「それは……そうですけど……」

 

 やはり木更もそれになりに思うことがあるのか顔を俯かせるが、そこで給湯室の床が開いて三人が顔をだした。

 

「ただいま戻りました」

 

「ん、お疲れ様問題はなかったかしら?」

 

「はい。お二人にも事情をお話しました」

 

 夏世が言うと延珠とティナが少々落ち込んだ様子でやってきた。しかし、すぐに摩那達が駆け寄り二人を励ます。

 

 すると、二人は摩那達にまかせたほうが良いと踏んだのか、零子は凛達を手招きで呼び出し静かに告げた。

 

「それじゃあこれからの方針を決めようかしらね」

 

 ニヤリと笑みを浮かべた彼女の顔はサディストのそれだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒崎民間警備会社から戻った櫃間は先に同行した警官達を戻らせて自分は適当な地下駐車場に停めた車の中にいた。

 

 そして、彼は左手を思い切り助手席にたたきつけた。

 

「クソッ!! あのガキ……断風ぇ……!! 行く先々で私の邪魔をしやがって……クソクソクソ!!」

 

 普段の彼からは想像もつかないほど汚い言葉を吐き散らしながら櫃間は血が滲むほど拳を握り締めた。

 

 すると彼の視線に先ほど凛からもらった紅茶が見えた。彼はそれをこの場で捨ててしまおうかと思ったが、窓を開けた瞬間やめた。

 

「……いいや、計画が完了した瞬間、勝利を味わうために取っておくのもいいじゃないか」

 

 口元を吊り上げた彼は窓を閉めて紅茶を助手席に戻した。

 

 するとそこで彼のスマホが鳴る。

 

「私だ」

 

『どうも、こちら「ネスト」です』

 

「そんなことはわかっている。それよりもなんだ?」

 

『はい、そろそろリジェネレーターが必要な頃合かと思いまして』

 

「フン、ヤツはまだ温存しておけ。来るべき時までな」

 

『ほう。早々に『断風凛』を片付けておいた方がいいとおもいますがね。計画は多少ずれてきていますよ?』

 

 ネストが言うが、櫃間はそれも鼻で笑って言いのけた。

 

「まだ大したことではないだろう。天童木更を篭絡するなどいつでもできるし、私の権限を持ってすれば里見蓮太郎を被告人に仕立て上げることなど造作もない」

 

『……そうですか、ではそうしましょう。この計画自体はあなた方が権限を持っていることですし』

 

 それだけ言い残すとネストのほうから通話を切った。櫃間はそれに大した反応も見せずに形態をしまうと車のエンジンをかけて警察署に向かった。

 

「クク……今に見ていろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夕刻、凛は木更達を連れて自宅へ戻っていた。

 

「とりあえず今日は早く寝ようか。三人は僕の部屋使っていいから」

 

「えぇ!?」

 

 驚いた声を上げたのは木更ではなく焔だった。

 

「どうかした?」

 

「あ、いえいえなんでもないです! そ、それよりも兄さん、明日調べものがあるので出てきますね」

 

 焔は最初こそ笑みを浮かべていたが、最後の方は真剣な顔をしていた。凛も彼女がやろうとしていることが理解できたのか小さく頷く。すると、そのやり取りを眺めていた摩那が溜息混じりに言った。

 

「というかさー、さっさとお風呂はいろーよ。今日も暑かったし」

 

「そうだね、それじゃあお風呂先に入ってていいよ。僕は夕食の準備をしちゃうから」

 

「はーい、んじゃ延珠、ティナ、翠。行こ」

 

「う、うむ」

 

 摩那に誘われ、延珠達はバスルームへと向かった。

 

「子供達が入った後は二人が入っていいからね」

 

「はい、……凛兄様、本当にいろいろとありがとうございます」

 

「気にしないで、君は家族も同然だからね」

 

 凛が微笑むと、木更も微笑み返した。しかし、そんな二人を見つめる焔は何か気にくわなそうな表情を浮かべると凛に詰め寄った。

 

「兄さん! 私も家族ですよね! ねっ!?」

 

「もちろん、焔ちゃんも僕の大切な家族だ」

 

 大分迫力のあるつめより方だったが、凛は特に気にした風もなく彼女の頭を撫でる。

 

 それを見ていた木更はどこか胸の奥で何かがチクリとさすようなものを感じた。

 

 ……アレ? なんで私……。

 

 木更は少しだけ疑問に思ったがすぐにそれを振り払い、凛に告げた。

 

「それじゃあ今日は私がお料理を」

 

「それはやめて」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 皆で夕食を済ませた後、凛と摩那、焔と翠はリビングに集まっていた。

 

 木更達は気疲れがたまっていたのか今はぐっすりと眠ってしまっている。

 

「これからどうするんですか、兄さん」

 

「とりあえずは蓮太郎くんを釈放してあげたいけれど……」

 

「それは難しいよねぇ」

 

「確かに。今のままでは里見さんを助ける事は無理かもしれません」

 

 凛の言葉に摩那と翠も静かに頷いた。凛もそれはわかっているのかそれに同意するように頷くと「まぁそれは後から考えるとして」と言ったあと、焔に問うた。

 

「焔ちゃん、昼間に櫃間さんに持たせた紅茶の中にはちゃんと仕込んである?」

 

「もちろんです。缶の中にはばれないようにしっかり仕込みましたよ」

 

 凛の問いに焔はまるで小悪魔のような悪戯っぽい笑みを浮かべた。それを聞いていた翠たちは何のことなのかわかっていないのか首をかしげていた。

 

「さて、それじゃあ明日僕と摩那は蓮太郎くんのところに行くから、焔ちゃんは調べ物の方よろしくね」

 

「任せてください!」

 

「調べものってなんですか?」

 

 二人の会話を聞いていた翠が焔に問うた。すると、焔は翠の頭を撫でながら告げる。

 

「それはお部屋で話そうか。それじゃあ兄さん、お先に」

 

「うん、おやすみ」

 

 凛が言うと、焔も軽く会釈をしたあと自室に戻っていった。彼女等が消えると、凛の服の袖を摩那が引っ張りながら問う。

 

「で、凛? 私は今日何処で寝る感じ?」

 

「ここだね。ソファがあるし」

 

「なるほどねぇ、まぁ、たまにはいいかも。ベッドじゃなくてソファもね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部屋に戻った焔と翠はベッドに向かい合いながら座っていた。

 

「それじゃあさっきの質問の答えだけど。翠、私の一族がどんな一族かは兄さんから聞いてる?」

 

「はい、大まかな事は聞きました。確か元忍者の一族でしたよね?」

 

「そう。私達露木一族は古来から断風家に使える忍の一族。昔は暗殺やらそういうのもやってたけど、今はそういうのはないけどね。

 だけど、そんな一族の中でも脈々と現代まで受け継がれてきたのが『露木隠密術』っていってね。簡単に言えば敵の情報を掴んだり、潜入したりそういうのをするんだよ」

 

 焔の真面目な声音に翠も思わず背筋が伸びて、彼女の話を聞く。

 

「それでね、今回兄さんからある二人の人物を調べて欲しいって言われているの。調べものっていうのはそのこと」

 

「危険なことなんですか?」

 

「だろうね、かなり危険だと思う。だけどね、翠私はやらなくちゃいけないんだよ、そのあたりを理解してくれるかな?」

 

「はい……理解はできます。けど、一つだけいいですか? その調べもの私も連れて行ってください」

 

「へ?」

 

 翠から出た思わぬ言葉に焔は素っ頓狂な声を上げてしまったが、彼女の目尻に少しだけ涙が浮かんでいるのを見た。

 

 同時に、焔は理解することができた。彼女がどうして一緒に連れて行って欲しいのかを。

 

「もう、パートナーがどこか知らないところでいなくなってしまうのは嫌なんです……! 足手まといには絶対になりませんからお願いです焔さん、私も連れて行ってください!」

 

 彼女の力強い宣言に焔は微笑むと、両手を広げて彼女を招いた。

 

「おいで、翠」

 

 翠はそれに答えるように彼女の胸に収まった。そして焔は翠を静かに抱きしめる。

 

「わかった……翠も連れて行く。でも、危なくなったらすぐに逃げるんだよ?」

 

「はい……」

 

 抱きしめられながら翠は頷いた。そして、翠は焔の“匂い”を嗅いでみた。

 

 ……あぁ、この匂いなら大丈夫。

 

 自身の持つ特技、「匂い占い」で占ってみた結果、焔からはとても優しくて暖かい匂いがした。




あー
話が全く進まない……
しかし、とりあえずこれで次ぐらいで蓮太郎に会って色々できるかな

というか凛さんが櫃間挑発しすぎてワロリンヌw
おそらく保脇と似たものを感じたんでしょうな!

後半では翠と焔が共に行動する感じですしこれぞ隠密って感じを出して行きたいですね。
そして一向に現れない火垂……この調子だといつになるやら……
リジェネレーターとの戦闘だっていつになるかわかんねぇよ……w

では変な風に愚痴ってしまいましたが、これからも頑張ります。

感想などありましたらよろしくお願いします。


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第五十話

 強化アクリルガラスで仕切られた部屋で凛と蓮太郎は真剣な顔で向き合っていた。

 

「意外と元気そうで安心したよ、蓮太郎くん」

 

「まぁな、一応メシは出るし睡眠もしっかり取れてるからな」

 

 肩を竦めながら言ってのける蓮太郎は凛が想像していたよりも、気が楽そうだった。恐らく、金本が声をかけて軽い世間話でもしていたのだろう。

 

 凛も僅かに笑みを零すとアクリルガラスを見回しながら溜息混じりに言う。

 

「本当は今すぐにでもこのアクリルを斬って君と木更ちゃんたちを引き合わせてあげたいんだけどね、生憎と刀は持ち込み不可だってさ」

 

 彼の言葉を聞いた瞬間蓮太郎の後ろにいた留置係が軽く咳払いをして凛を睨んだ。しかし、彼はそれに悪びれた様子もなく適当に会釈をする。

 

「……ところで、凛さん。木更さん達は大丈夫か?」

 

 蓮太郎の問いに凛は無言で頷き、留置係から見えないように指でアクリルガラスに字を書いた。『二人も大丈夫』と言う文字を。

 

 それを理解した蓮太郎はほっと胸を撫で下ろすが、同時に自分の旧友が殺されたことに対する怒りも見え隠れしていた。

 

「あぁそうだ。あのこともちゃんと聞いてるから安心してね。こっちで調べてるから」

 

「サンキュ、迷惑かけて悪い」

 

「気にしないでいいよ。他に何かある?」

 

 問いを投げかけると、蓮太郎は思い出したように顎に手を当てて呟いた。

 

「水原のイニシエーター……」

 

 彼の呟きに凛も思い出したように眉間に皺を寄せて考え込んだ。

 

 事件の後、凛は民警のアクセス権限を用いて水原のことを調べてみたのだ。彼は民警であり彼にも当たり前のようにイニシエーターの少女がいた。名前は『紅露火垂(こうろほたる)』だったか。

 

 しかし、水原が殺害されたと言うのに彼女の話題は一向に世に出る事はなかった。

 

 通常プロモーターを失ったイニシエーターはIISOによって施設に戻されるのがセオリーだ。だが、凛が調べてみたところ彼女が施設に収容されたと言う情報はなかった。

 

「考えられるとすれば、水原くんが殺害されたことを知った後、IISOに身柄を移されないように何処かに逃亡しているのが濃厚かもね」

 

「ああ、それが一番考えられそうだな。でも、その子から話を聞ければ水原があの二つについて、どんなことを調べていたのかわかるかもしれねぇ」

 

「そうだね。よし、それじゃあそっちの線もいろいろ調べてみるよ」

 

 凛が言った瞬間、面会時間である三分になったようで凛のいる部屋の扉が開いた。

 

「もう時間か……じゃあ蓮太郎くん、僕は一旦出るけど木更ちゃんが来てるからちゃんと話してね」

 

 凛はパイプ椅子から立ち上がってそれだけ言い残すとさっさと出て行ってしまった。最後に声をかけようかと思っていた蓮太郎は拍子抜けしてしまったが、凛が出て行った扉から少し俯きがちに木更が部屋に入ってきた。

 

「里見くん……」

 

「よぉ木更さん。結構元気そうでなによりだ」

 

 少しの時間しかあっていないと言うのに、まるで長年あっていなかった様にどたどしくぎこちない動きをする二人だが、すぐに両方とも黙ってしまった。

 

 壁にかけられている時計の秒針が時を刻む音だけが響き、なんともいえない雰囲気が二人の間に流れるが、不意に木更が小さくふきだした。

 

「なんだよ、急に」

 

「ううん、案外元気そうだなって思って」

 

「今日二回目だなそれ言われんの。先生は『やつれたかい?』なんて言ってたけど」

 

「そう。……ねぇ里見くん? 弁護士さんとはもう話したの?」

 

「あぁ話したよ。起訴は確実でしかも勝てる見込みは低いと来たもんだ。これぞ八方塞がりってヤツだな」

 

 蓮太郎は呆れ気味に肩を竦めるが、木更は心配そうな顔をして彼に告げる。

 

「大丈夫よ、里見くん。こっちでも色々調べているから、里見くんの無罪もすぐに証明してあげる」

 

 木更は微笑んで言うものの、その目尻には涙がたまっており彼女が今相当参っているというのも理解できた。

 

 同時に蓮太郎は薄く笑みを浮かべた後、勢いよく頭を下げて彼女に頼んだ。

 

「あぁ、よろしく頼む。木更さん」

 

「もちろん! 出てきたらまた皆で事務所を再開しましょうね」

 

「おう、わかってんよ。凛さんにもよろしく言っといてくれ。っと、そろそろ時間だな」

 

 蓮太郎は壁に立てかけられた時計を見やりながら言うと自分から立ち上がった。そしてそのまま踵を返すと木更に背を向けながら告げる。

 

「木更さん……俺、絶対にあきらめねぇから」

 

「……うん、私も絶対にあきらめない」

 

 木更の返答を聞いた蓮太郎は小さく笑みを浮かべると、片手をヒラヒラと振りながら面会室を後にした。

 

 そんな彼の後姿を見送りながら木更もまた拳を握り締めた。どうやら覚悟を決めたようだ。

 

 木更はドアノブに手をかけてそのまま凛の元に戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 凛達が蓮太郎と会っているちょうどその頃、櫃間は警視庁内に設けられた自分の私室でスマホを片手にある人物と連絡を取っていた。

 

「以上が里見蓮太郎と断風凛の情報だ。頭に入っているか? 『ダークストーカー』」

 

 櫃間の声にスマホの向こうからはまだ若い青年の声が聞こえた。

 

『わかっていますよ。しかし、断風流というのは随分と謎が深いようですが?』

 

「フン、そんな事はどうでもいい。お前はあのお方が作った傑作なんだ、同じ機械化兵士である里見蓮太郎を抹殺できるレベルだ。断風ごとき簡単に殺せるだろう?」

 

『実際に見ていないのでそれはわかりませんが……普通の人間であれば可能でしょう』

 

「だったら四の五の言わずにやれ。近いうちにまた連絡をする、その時までに準備を整えて置けよ。『ハミングバード』と『ソードテール』、『リジェネレーター』にも先ほどの情報は伝えておけ」

 

『了解しました』

 

 ダークストーカーが了解したのを確認すると、櫃間は通話をきってスマホを自分の胸ポケットにしまいこむと、そのまま私室を後にした。

 

 

 

 

 櫃間が部屋を出て行ってすぐ、彼の私室の天井裏にて動く影が二つあった。

 

「いいこと聞いちゃったねぇ」

 

「はい、かなり有益な情報です」

 

 そう言いながら互いに笑みを浮かべているのは焔と翠だった。

 

 彼女等は今日の早朝、まだ日が出ない時間帯に警視庁内に文字通り忍び込み、昨日櫃間に渡した紅茶の缶に仕掛けられた発信機を辿ってここまでやってきたのだ。

 

「それにしても本当に忍者みたいですね」

 

「まぁね、うちはそれが専門だし。さてっと、とりあえずまずはこっから出てから今度はあの男の自宅に行こうかな」

 

「自宅にですか?」

 

「そう、パソコンのデータを見たいからね。さっき行ってた『ダークストーカー』やらそのあたりの情報とかのってそうだし」

 

 焔は言うと盗聴器やら持ってきたものをしまいこんで、そのまま翠と共に匍匐前進しながら辿ってきた道を戻っていく。

 

「でもあの人、一体何を企んでいるんでしょうか?」

 

「さぁね。でもとりあえずあの男の協力者が少なくとも四人いるってわかった。これだけでも十分大きな成果だよ」

 

 焔はニヤリと笑うと更に言葉を続ける。

 

「それにああいう人の方が結構罠に引っかかってくれるんだよねぇ。まぁそれが面白くもあるんだけど」

 

「なるほど……」

 

 翠は感心したように頷き、焔もとても満足げだった。

 

 そして二人はエレベーターの上に乗ったり、その他監視カメラの死角を縫うようにして地下駐車場まで何事もなく降りきり、そして何事もないように警視庁から姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、黒崎民間警備会社の事務所では零子と杏夏が二人で仕事をしていた。摩那達は昼食の買出しに行っているのだ。

 

「杏夏ちゃん、一つ頼まれてもらってもいいか?」

 

「なんですか?」

 

 杏夏はパソコンから手を離して小首をかしげた。零子はそれに頷くと真剣な面持ちで彼女に告げた。

 

「新しい弾丸を作って欲しいのだけれど、作れるか?」

 

「構いませんけど何用ですか?」

 

「狙撃用」

 

「わかりました。でも珍しいですね、零子さんが狙撃なんて」

 

 杏夏が言うと、零子は肩を竦めて僅かに笑みを浮かべながら静かに告げた。

 

「私の本領が発揮出来るのは狙撃なんだ。もちろん今の拳銃二丁でも十分戦えるんだがな。それに今回はどうやら敵方にスナイパーがいるようだし」

 

「なるほど、それで使う銃の種類はノーマルの狙撃銃ですか? それとも対物ライフル?」

 

「対物ライフルで頼む。弾丸は12.7x99mm NATO弾でね」

 

「その弾丸だと使うのはヘカートですか?」

 

「大正解。まぁヘカートといっても未織ちゃんに頼んでかなりスペックは上げってもらっててな」

 

 コーヒーを片手にいう零子だが、杏夏はその間もパソコンを使って彼女から出された注文を打ち込んでいった。

 

「それで一番望むこととかは?」

 

「とにかく飛距離を伸ばして欲しい。銃のほうはカスタムして最大射程が三キロまで達してるんだが、どうにも今回はそれ以上あったほうがいいと思ってね」

 

「となると最大でも五キロ以上は飛んだ方がいいですか?」

 

「高望みすればな。まぁ無理はしなくてもいいが」

 

 零子はそういうものの、杏夏は指を軽く振って悪戯っぽく笑みを浮かべると自慢げに胸を張る。

 

「あまいですよ零子さん。その注文絶対に叶えてみせます。だから、少しだけ時間をもらってもいいですか?」

 

「ああ、君が作れる最高の物を作ってくれ。その間は事務所にも来なくても大丈夫だ」

 

「了解です。では早速明日から制作に取り掛かりますね」

 

 ニッと笑う杏夏に零子も微笑を向けると小さく頷いた。

 

 同時に零子の右目が僅かに疼いた。彼女は眼帯の上からなぞるように右目に触れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蓮太郎との面会を終えた凛と木更は事務所への道を歩いていた。

 

「蓮太郎くんは、結構平気そうだったね」

 

「はい。思ったよりも元気そうで何よりでした」

 

 木更も満足げに凛の問いに頷くと、蓮太郎と会ったことで少しだけ気が楽になったのか微笑を浮かべた。

 

 しかし、凛は顎に手を当ててこの後予測されることを考えていた。

 

 ……もし櫃間が今までの事件全てに関与しているのであれば、邪魔者となってくる蓮太郎くんをすぐにでも裁判にかけるはず。遅かれ早かれ手を打たないと。

 でもあまりに早計だと逆に足元を掬われる可能性もあるから、手を出すには細心の注意が必要かな。

 

「……様! 凛兄様!!」

 

 ふと隣の木更が大きな声を発したので、凛はハッと我に返って彼女を見やる。

 

「ん、あぁごめん」

 

「大丈夫ですか? すごく怖い顔してましたけど……」

 

「うん、平気。少し考え事しててね」

 

 苦笑を浮かべる凛だが木更は少々不安そうだった。

 

「凛兄様、本当に櫃間さんが怪しいと思っているんですか?」

 

「……そうだね。君には悪いけれど、僕はどうしてもあの人が信用できないし、それにあの人の君を見る目が気に入らない」

 

「目?」

 

「……ごめん、今のは忘れて。ちょっと感情的になりすぎだね」

 

 凛は木更に顔をみせないように片手で軽く顔を覆った。木更は凛にそれ以上は問わず、別のことを質問した。

 

「延珠ちゃんとティナちゃんは兄様のご実家で預かってもらってるんですよね?」

 

 その質問に凛は覆っていた手を離して頷いき、話を始める。

 

「うん、少しの間離れ離れになっちゃうけど、うちなら安全だから。二人には外に出ないように言ってあるし。今日も摩那が裏道を使って目立たないように行ってるから平気なはずだよ」

 

「そうですか。それなら良かったです」

 

 木更は薄く笑みを浮かべるものの、その表情にはどこか暗いものがあり、やはり蓮太郎達とやってきた『天童民間警備会社』が運営できないと言うことにショックを感じているのだろう。

 

 すると、そんな彼女を見かねた凛がポンと軽く彼女の頭を叩いた。

 

「大丈夫。きっと再開することが出来るよ、いいや、僕達がさせてみせる。君達を離れ離れには絶対にさせない」

 

「……ありがとうございます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夕刻、凛は自宅のリビングで焔と翠が仕入れた情報を聞いていた。

 

「以上が今日、櫃間篤郎を監視して得た情報です。また、今の事は零子さん達にも伝えてあります」

 

「『ダークストーカー』、『ハミングバード』、『ソードテール』、そして『リジェネレーター』か……」

 

「恐らくそれは何かのコードネームだと思われます。櫃間篤郎は間違いなくクロと見込んでいいでしょう」

 

 焔の視線は鋭く、いつもの彼女からは感じられないほどの威圧感があった。凛は彼女の眼光を見て凍と彼女を照らし合わせてしまった。

 

 ……やっぱり姉妹だなぁ。凍姉さんそっくりだ。

 

「兄さん?」

 

「あぁ、ごめん。続けて」

 

「はい。明後日には櫃間宅に潜入して櫃間篤郎のパソコンを調べてみようと思います」

 

「わかった、でもパソコンにデータを引き出すにしてもパスワードとか必要なんじゃない?」

 

 凛が問うと焔はニヤリと笑みを浮かべて彼に告げた。

 

「心配無用ですよ兄さん。私にはこれがあります」

 

 彼女がそういって取り出したのは普通とは少し形が違うUSBメモリ二つだった。

 

「そのUSBメモリの中に何かあるの?」

 

「はい、これの中には姉さんが開発したとあるソフトが入っています。これを電源を入れたパソコンに差し込んで、私のほうのパソコンにもう一方をさせば、あら不思議。あっという間にパスワードを読み取ってしまうんです。

 そしてUSBをさしたままにしておけば、パソコンの中に入っているデータは全てこちらのハードディスクに送信されるってわけです。痕跡は残りませんし、誰かが開いたと言う情報も残りません。まさに完璧なスパイソフトです」

 

「なるほどね。それじゃあそのUSBの差込口じゃない方についてるのは、データを送受信するトランスミッターのようなものだね?」

 

「はい、そう思ってくれて構いません」

 

 焔はUSBをしまいこみながら彼の問いを肯定した。凛もそれに答えるように頷くと、焔に問うた。

 

「そういえば翠ちゃんは?」

 

「翠なら疲れたようで今は眠っています。恐らく初の隠密行動で気疲れしたんだと思います」

 

「まぁ……そりゃあそうだよね」

 

 凛は彼女が疲れるのも仕方ないと思った。何せ今まで隠密行動などしたことのなかった少女が、いきなり緊張感が最大の隠密行動に耐えられるわけがないからだ。

 

「でも、翠には隠密の素質がありますよ。嗅覚が優れているのでターゲットの匂いを追ったり、ターゲットが帰ってきたりなどをあらかじめ察知できます。鍛えればかなりの逸材になると思います」

 

「元々翠ちゃんはかなり強かったからね。組んでいたパートナーが相当の使い手だったって言うのもあるけどね」

 

 凛は彰磨のことを思い出すように虚空を仰いだ。すると、焔が彼に問うてきた。

 

「そういえば木更はどうしたんですか?」

 

「木更ちゃんなら着替えを取りに行くっていったん事務所に戻ったよ。多分そろそろ繰るんじゃないかな? 摩那もそろそろだと思うけど――」

 

「――ただいまー!」

 

「ただいまもどりました」

 

 と、彼がそこまで言ったところで玄関の方から威勢の良い声と摩那の声と、木更の控えめな声が聞こえてきた。

 

「帰ってきたみたいだね。そうだ、焔ちゃん明日はゆっくり身体を休めていいからね。今日一日色々回って大変だったでしょ」

 

「いえ、そんなことないですよー」

 

「ううん。君の情報のおかげで敵の数が随分と絞れた。これだけでも感謝しきれないくらいだよ」

 

 凛が柔和な笑顔をみせながら言うと、焔は一瞬にして茹蛸のように顔を真っ赤に染めて俯いてしまった。

 

「あ、ありがとうございます。それじゃあ明日はお言葉に甘えて」

 

「うん。ゆっくり休んでて、さてっと……今日の夕飯は何にしようかな」

 

 彼はそのまま何事もなかったかのように踵を返すと、キッチンへ向かって冷蔵庫の中身を見て今日の献立を考えた。

 

「はーおなかすいたー……ってなに口半開きにしてんの焔?」

 

 リビングに戻ってきた摩那がそんなことを漏らしていたが、今の焔にはそんなことは聞こえていないようで、彼女の周りにはなにやらふわふわした雰囲気が醸し出されていた。

 

 彼女のそんな様子に木更と摩那は揃って首を傾げるが、木更は凛がキッチンに立っているのを見て彼に声をかけた。

 

「凛兄様、私も手伝います」

 

「え? いいよ、木更ちゃんはゆっくりしていて」

 

「いえ、里見くんたちが帰ってきたときに私が作ったお料理で迎えてあげたいので……ダメですか?」

 

 木更は僅かに頬を染めて気恥ずかしそうに言う。そんな彼女の様子に凛は苦笑すると頷いて食器棚の下に置かれている収納棚の中を菜ばしで差した。

 

「そこにあまりのエプロンがあるからそれつけてね」

 

「はい!」

 

 凛に言われ、木更は明るく返事をすると彼が差した収納棚からエプロンを取り出して準備を始めた。

 

 やがて彼女が準備を終えたのを見ると、凛は彼女の今日作るものを発表した。

 

「今日はオムライスとコンソメスープ、あとはサラダを作ります。木更ちゃんは卵を十個用意して、一人分で二つ使うから焼くときになったらボウルにあけてね。

 チキンライスの方はマッシュルームがないけど何とかなると思うから、こっちは僕が作るよ。調味料とかを入れるタイミングはそのつど説明を入れていくからよく聞いておいてね。

 あとはスープだけど、こっちはチキンライスに入れるタマネギを少し使って具の代用をするね。あとはサラダだけど……これは特に問題はないね。摩那でも作れるし。では、調理開始」

 

「はい」

 

 凛が言うと木更は気合たっぷりといった様子で頷き、二人はそのまま調理を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深夜、草木も眠る丑三つ時……。

 

 凛は自室から持ち出したパソコンである人物のことを調べていた。それは今回殺された水原鬼八と彼のイニシエーターである紅露火垂についてだった。

 

 IP序列が第三次関東会戦の終結後に元の十三位という数字に戻ったため、凛はそのアクセス権限を使って二人のことを調べているのだ。実は昨日も見たのだが、今回はそれよりももっと深く調べて見ることにしたのだ。

 

「水原鬼八、十六歳……使用拳銃はグロック。民警としてはいたって普通のようだけど……彼は一体何を知ったんだ?」

 

 凛はソファの背もたれに背をあずけて考え込む、だがふとそこで何かに気がついたのか水原の情報が載っているページをスクロールしてガストレアの殲滅記録を見る。

 

「これ……なんで一ヶ月前から更新がされていないんだ?」

 

 彼の視線の先には水原と火垂がいままで倒してきたガストレアが記録として残っていた。しかし、そのページは一ヶ月前に飛行型のステージⅡのガストレアを狩ったときから全く更新されていないのだ。

 

 民警は基本的にガストレアを狩って生計を立てていく、それが一ヶ月もないとなると、凛からすれば不審でならなかったのだ。けれど他の仕事で生計を立てると言うのもあるとすればある。

 

「でもこれは明らかにおかしい……一ヶ月前なら関東会戦が終わったすぐ後ぐらいだから、ガストレアの出現率が尤も多かった時だ。そんなときに一体しかないなんて……」

 

 関東会戦が終わってからというもの、ガストレアのエリア内での目撃情報は多くなっていったはずだ。もし水原が普通に民警をしていたなら出動要請で他にも何体かのガストレアをかっていてもおかしくはないはずなのだ。

 

 しかし、このページには一ヶ月間まるでガストレアの討伐記録がない。

 

「調べてみる価値はありそうだね。でも、まずは彼のイニシエーターであるこの子を探さないと……」

 

 凛はマウスで水原のイニシエーターである火垂の画像をクリックして情報を表示した。

 

「紅露火垂、九歳か……モデルは……プラナリア? プラナリアって確かかなり再生能力が高い生物だっけ」

 

 顎に手を当てながら凛は考え込むが、小さく息をつくとパソコンを閉じて頭を軽く振った。

 

「今は彼女を見つけることが先決だな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 都内某所。

 

 簡素なアパートの一室で部屋の明かりもつけずに一人の少女が膝を抱えて座っていた。

 

「鬼八さん……」

 

 少女の口から小さく漏らされたのは、他でも水原鬼八の名だった。少女のいでたちは、下はデニムのショートパンツ。上はピンクのタンクトップにその上にジャケットを羽織っており、髪色は栗色で髪型は所謂ショートボブと言う髪型だった。

 

 彼女こそ、殺害された水原鬼八のイニシエーター、紅露火垂だ。

 

 すると彼女は抱え込んでいた膝を離して、ゆっくりと顔を上げた。

 

 彼女の眼光はとても鋭く、獲物を逃がさない肉食獣のようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 凛達が蓮太郎に会った二日後、蓮太郎は起訴処分を受けて被疑者から被告人となった。




よし……とりあえずこれで火垂を出すことが出来た。
櫃間の計画? ハッ (゚⊿゚)シラネ。
まぁいろいろ準備が始まりましたからそのうち蓮太郎くんが逃亡して、色々あってダークストーカーさん達が出てきて、色々あって色々あった結果、最終的に櫃間が惨めな最後を迎えるのでしょう。
うん、それだけ覚えてれば完璧だな!!

最後の方は結構無理やり感が否めませんね、申し訳ない。
というか零子さん……五キロってアンタ……どんな位置から狙撃するつもりなんだかw
まぁターミナルホライズン使えるからいろいろ平気なんでしょうがw
そしてそれを作ろうとする杏夏ちゃんもスゲェ……。
しかしそんな事は気にしない。ほら、最近やった吹き替えがひどかった『WANTED』って映画でもスゲェ位置から狙撃してたし……w
それに最終兵器……『この物語はフィクションです』がありますしおすし……。

まぁ変な言い訳は終わりにして、
ついに五十話まで来ました。ここまで書けたのも皆様の暖かい感想と評価の賜物でございます。
本当にありがとうございます。
これからも頑張って書いていきたいと思います。

では感想などありましたらよろしくお願いします。


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第五十一話

「やれやれ……随分と早い起訴だこと」

 

 デスクに座りながら大きなため息をついた零子の顔には呆れた様子が滲み出ていた。

 

 現在事務所には凛と零子しかおらず、二人はコーヒーを飲みながら話をしている最中だった。

 

 杏夏は零子が注文した弾丸を作るために自宅にこもっているし、摩那と美冬、夏世は勉強だ。焔と翠は隠密中だし、木更はショックを受けてしまったためか今は零子の部屋で眠らせている。

 

「それで、蓮太郎くんの様子はどうだった?」

 

「毅然としてましたよ。取り乱した様子もありませんでした。でも、流石に堪えてるみたいでしたけど」

 

「だろうな。何もやっていないのに罪に問われるのはつらいだろう。一刻も早く彼の無実を証明してやりたいのは山々だが……まだ決定的な証拠がない。

 焔ちゃんの調査からして櫃間篤郎が関わっているのは間違いないだろう。それに可能性としては彼の父親、警視総監の櫃間正もクロだろうな。奴等が警察組織じゃなかったら適当に拷問して吐かせてやるのもありだったんだが」

 

「拷問て……」

 

 零子の若干過激な発言に凛は少々苦い顔をするが、零子はいたって普通な顔をしている。

 

「爪の何枚でも剥がしてやれば結構簡単にはいてくれそうなものだがね。いや、ここは石抱でもさせるべきか……」

 

「拷問は置いておいて今はどうするべきですかね。表立って動けば今度はウチが狙われる可能性は大です」

 

「ああ、だから裏で動くのは当たり前なんだが……さっき金本警部から連絡があったが、明日蓮太郎くんは聖居へ連れて行かれるそうだ。おそらく聖天子様に民警ライセンスを返還するんだろうさ」

 

「そうなれば、延珠ちゃんは……」

 

「二度と彼とは会えなくなる。そればかりかいずれティナちゃんも発見されて延珠ちゃんはIISOに、ティナちゃんは処刑。天童民間警備会社は運用できなくなり、木更ちゃんの支えであるはずの蓮太郎くんは牢屋の中。そして仲間を失い茫然自失となった木更ちゃんに、優しく手を差し伸べて彼女を自分の良いように利用するのが櫃間の狙いなんだろう。まったく反吐が出るね、外道共の考え方っていうのは」

 

 肩を竦め苛立ちを露にしながら零子が言うと、凛も眉間に皺を寄せて小さく息をつくと、見合いの席で木更にキスを迫っていた櫃間を思い出して吐き気がするのを感じた。

 

「まぁあの男に相応の報いを受けさせるとして、どうするべきでしょうかね?」

 

「理想としては裁判の最中に決定的証拠を全て押さえて弁護側に提出するのが一番良いのだろうが、なんだかそれさえも握りつぶされそうだしな」

 

「もしそうなった場合は?」

 

 凛が聞くと零子はカップをデスクに置いて彼のほうを片目で見据えながら静かに告げた。

 

「実力行使だ。蓮太郎くんを拘置所から連れ出し、救出する。まぁどうせその時に出てくるだろう、『ダークストーカー』とやら達が。君的にどうだ? 勝てる見込みとかはあるのか?」

 

「勝てない事はないと思いますけど、あちらがどう出るのかにもよりますね」

 

「そうか……しかし、一つだけいえる事は殺さずに無力化なんてあまっちょろいことは考えない方が良いな」

 

「そうですね、じゃあそろそろ僕はいったん実家に戻って延珠ちゃんたちの様子を見てきます」

 

「ああ、木更ちゃんは任せておけ」

 

 零子は軽く手を振り、凛は会釈をしたあと一階まで駆け下りるとそのままバイクに跨って実家へ急いだ。

 

 窓から凛が行ったのをかくにんした零子はスマホを取り出して金本に連絡を取った。

 

「もしもし、金本警部?」

 

『どうも、黒崎さん。すみません、俺の力不足でした。まさかここまで彼の起訴が早いなんて』

 

「いえいえ、それは仕方のないことですわ。でも一つ貴方にお願いがあるのですけどよろしいかしら?」

 

『お願いですか? なんでしょう?』

 

「水原鬼八くんの遺留品を一つ持って来て下さいませんか? なんだったら破片でも結構です。とにかく彼の匂いが染み付いているようなものがあればなんでも」

 

 零子の頼みごとに金本は電話越しで「うーん」と唸るが、すこしすると返答した。

 

『……わかりました。鑑識に親しいヤツがいるんで、何とか頼んでみます。また後で連絡差し上げます』

 

「はい。無理を言って申し訳ありません」

 

『いえ、俺も里見くんを救いたいですから。それでは』

 

 金本が通話をき切り、零子もスマホを放るとパソコンを操作し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実家前でバイクを停めて硬く閉ざされた門の前に立つと、凛はくぐり戸を軽くノックした。すると、その向こうから聞き知った声が聞こえた。

 

「どちら様ですかー?」

 

「僕だよ」

 

「凛か、じゃあ私の好きなアイスの味は?」

 

「チョコミント」

 

 凛が答えるとくぐり戸が小さな音を立てて開き、中から摩那がひょっこりと顔を出した。

 

「大正解、さすが私の相棒」

 

「ありがとう。二人の様子は?」

 

 凛は問いながら中に入り摩那に問うと、摩那は凛の先を歩きながら延珠とティナの様子を語る。

 

「今のところは落ち着いてるけど……やっぱり蓮太郎のことが心配なんだろうねぇ」

 

「今日の朝言った事は教えた?」

 

「ううん、言ってないよ。というか今延珠にそんなこと言ったら飛び出して行っちゃいそうだもん。あ、夏世と美冬は小さい子達の面倒を見てるから」

 

 摩那が指差しながら告げ、凛も彼女が差した先を見ると五、六歳の少女達の面倒を見ている夏世と美冬の姿があった。

 

 二人は凛に気がつくと軽く手を振り、凛も手を振り返す。

 

 摩那に続きながら母屋に入ると、居間では延珠とティナが陰鬱な表情で座っていた。

 

 その前には腕を組んで胡坐をかき、難しい表情をした時江も座っていた。

 

「ばあちゃん」

 

 凛が声をかけると時江はちらりとそちらを見やった後に彼に問う。

 

「凛、蓮太郎くんの様子はどうだい?」

 

「芳しくないね、このまま行くと明日にはニュースが流れ始めると思うよ」

 

 するとその声を聞いていた延珠がスッと立ち上がって、凛の横を通り過ぎようとした。

 

 しかし、彼女の細腕を凛が掴んでそれをやめさせた。

 

「待って。何処に行く気だい?」

 

「決まってる……蓮太郎のところにだ」

 

「ダメだ。今は君を行かせるわけにはいかない」

 

 凛が言うと、延珠はギリッと音がするほど歯を噛み締め、彼の手を乱雑に振り払った。

 

 それに驚いた様子を見せたのはティナだけであったが、次の瞬間、延珠は大きく床を蹴って縁側から外に飛び出した。

 

 彼女を追って凛も外に飛び出すと、凛と延珠は真っ向から対峙した。

 

「うそつき……」

 

 延珠は静かに呟いた。その声には何処にぶつけていいかわからない怒りと、相棒を救えない悲しみが入り混じっていた。

 

「凛は言ったではないか! すぐに蓮太郎を助け出してくれるって!! なのに何で蓮太郎が悪者扱いのままなのだ!?」

 

「……」

 

 彼女の悲しい叫びに凛は答えない。ただ沈黙を表すのみだ。

 

 延珠の我慢はもう限界をとっくに突破していたのだ。それもそうだろう、自分の大切な相棒が殺人の容疑をかけられ、ずっと拘留され続けているのだ。我慢できないのも無理はない。

 

 しかし、それ以上に彼女を憤慨させていたのは凛が必ず蓮太郎を救うと言った事にあった。

 

 彼女自身、凛の強さが尋常ではないと関東会戦の時で十二分に理解している。だからこそ、それだけの強さがあるのに蓮太郎を救ってくれないのかという八つ当たりにも似た怒りが今の彼女を体現していた。

 

「それに関しては僕から言える事は一つだけ……。君を行かせるわけにはいかない」

 

「ッ!!」

 

 言われた瞬間、延珠は地面が抉れるほど地を蹴り一瞬で凛に肉薄した。

 

「延珠さん!!」

 

 ティナが焦った声を漏らすが、延珠は止まることなく凛に蹴りを放った。既に彼女の双眸は赤熱し真っ赤に燃え上がっており、その蹴りが容赦のないものだとその場にいた全員が理解できた。

 

 普通であれば延珠の凄まじい威力と速度の蹴りが凛に叩き込まれ、そこですぐに終了だと誰もが思うだろう。けれど、凛は違った。

 

 彼はいたって冷静に半歩後ろに下がると寸での所で延珠の蹴りを回避する。ギリギリでよけたためか服の一部が少しだけ削れたが、身体の方にダメージはない。

 

 しかし、一度避けられたからといって延珠が攻撃の手を休めるはずがなく、彼女は凛の鳩尾を狙って蹴りを叩き込もうとする。

 

 が、凛はそれをターンするように避けると延珠の足を右手で掴み、そのまま引き寄せると彼女の胸に掌底を軽く打ち込んだ。

 

「カハッ!?」

 

 肺の中に入っていた空気が一気に吐き出され、延珠は苦しげに顔を歪めるが、次に顔を上げた瞬間、凛の姿は既に目の前から消失していた。

 

 いなくなった彼を探そうと顔を動かしたが、その瞬間、自身の背後に気配があることを感じ取り、延珠は空中で無理やり身体を反転させようとした。だが、そう行動しようとした時に、彼女の首筋に鋭い痛みが走り、延珠は意識が薄れるのを感じた。

 

 視界が掠れ、意識が遠のいていく中延珠は凛を見上げた。

 

 彼はとても悲しげな目をしており、表情も硬かった。そして、完全に意識がなくなる瞬間、延珠は彼の口が「ごめんね」と動いたのを見た。

 

 延珠が完全に地面に落ちる前に凛は彼女を抱き上げると、彼女を抱き上げたまま縁側まで運ぶとそのまま寝かせた。

 

「断風さん、延珠さんは?」

 

「大丈夫、軽い当身だから。一時間もしないうちに目が覚めるよ。それよりもごめんね、君達を守る側の僕がこんなことをして」

 

「いいえ、ああでもしないと延珠さんは止まらなかったと思いますから、しょうがなかったと思います」

 

 駆け寄ってきたティナが柔和な笑みを浮かべて言うと、凛も小さく頷き「ありがとう」と短く言った。

 

 するとそれを見ていた時江が延珠を抱き上げて凛に言った。

 

「延珠ちゃんも自分が何も出来ないから悔しくてたまらなかったんだろう。それにこんな小さな子にいつまでも我慢が効く筈もない」

 

「うん、でも延珠ちゃんを苦しめてしまったのは僕の無責任な約束のせいでもある。だから、絶対に蓮太郎くんを救い出すよ」

 

 凛の力強い言葉に時江は静かに頷き、ティナは彼の手を握って「お願いします」と頭をさげた。

 

 ティナの頼みに凛は了解すると摩那を呼んで彼女と話し合う。

 

「摩那、明日蓮太郎くんが聖居に護送される。その帰り際を狙うよ?」

 

「襲うの?」

 

「そうだね。彼をいったんこちらに移しておいた方が延珠ちゃんも精神的に楽になるだろうし」

 

「まっ、凛が決めたならいいけどさ。そうなると私達も警察に追われることになるんだねぇ」

 

「見られなければ平気だよ」

 

「それけっこー悪いよね?」

 

 摩那が呆れたように言うが、凛は表情を変えずに、護送車を襲撃することを零子達に報告するために実家を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 東京エリアの一等地に建つ櫃間邸の屋根の上は焔と翠がいた。

 

「確か今の時間は櫃間篤郎と櫃間正は警視庁で、奥方は友人のホームパーティに出席中だったっけ?」

 

「はい、現在邸宅には誰もいません」

 

「よし、それじゃあパパッと入って仕事を終わりにしようか」

 

 焔は大きく伸びをした後、邸宅の天窓を外して邸宅内へ音もなく侵入した。監視カメラは外にしかついていなかった為、室内の活動は容易だが細心の注意が必要だ。

 

「えーっと、櫃間篤郎の部屋は……」

 

 音を立てずに滑るように移動していく焔と、彼女とは逆方向に進んでいく翠は手分けをして櫃間篤郎の私室を探す。

 

 数分後、翠が小さな声で焔に告げた。

 

「焔さん。ここではないでしょうか?」

 

 翠に呼ばれて焔も彼女の元までやってくると、翠が見つけた室内を見回した。室内は高級そうな木材で作られた本棚や、そこに飾られているトロフィーや賞状があった。

 

 賞状を見ると受賞者が櫃間篤郎とあり、ここが彼の部屋だと物語っていた。

 

「ビンゴだね。ありがと、翠。赤外線は……なさそうだね。まぁ警視総監の家に侵入しようなんてやからがいないんだから当たり前か。それじゃあターゲットが帰ってくる前にパソコンからデータ抜き出しちゃおう」

 

「はい」

 

 二人は慎重に室内に入り、パソコンの元まで駆け寄ると焔はパソコンの電源を入れ、翠は焔側のパソコンの電源を入れた。

 

 やがてパソコンに待機画面が表示され、焔はUSBを接続。翠もUSBを接続した。

 

「これで後はパスワードを自動的に読み取るから……大体二、三分待つかな」

 

 既に焔のパソコンの方には最初のパスワードが表示され始めており、それらは合計で八桁あった。

 

「とりあえずこれが終わるまで周囲を警戒して……ん?」

 

 焔が言いながら室内を見回すと、賞状が入っている額の端から何か白い封筒のような目に入った。

 

「なんだろこれ」

 

 皮手袋をつけたまま封筒を取ると、封筒はそれなりの重さがあった。特に警戒することなく中身を出すと、それは写真だった。しかし、その写真をみた瞬間、焔の顔がヒクついた。

 

 それを見た翠は何事かと彼女が手にしている写真を除きこむと、彼女は顔をしかめた。

 

「これって……天童社長の写真ですよね?」

 

「だね。しかも全部視線が合ってないってことから隠し撮りで間違いないね。典型的なストーカーだよ。あーキモキモ」

 

 焔は寒気がしたのか写真を元通りの順に並べて封筒に戻し、元の位置に戻した。

 

「でも結構近いのもありましたけど……櫃間篤郎が撮ったんでしょうか?」

 

「それはないでしょ、多分適当に依頼したんだろうね。っと、そろそろパスワードが割り出せたかなっと」

 

 焔は翠に答えつつパソコンの様子を見に行くと、案の定パスワードが割り出されていつでも櫃間のパソコンを開ける状態になっていた。

 

 不適に微笑みながらパスワードを打ち終え、櫃間のパソコンを立ち上げると、数秒後今度は彼のパソコン内のハードディスクを読み取り、コピーが開始された。

 

「これでパソコンの中に入ってるデータが引き出せるんですか?」

 

「そだよー。知られたくない性癖やらエッチな動画やら、エッチなゲームやら、エッチな画像もなんでもかんでも引き出せちゃうの。この調子だとあと五分ってところかな」

 

 時計を確認し、焔はまたしても室内を物色し始めた。だが、そのまま特にめぼしいものが発見できずに四分ほどが経過していた。コピーの状態も九十パーセントあたりまで達しており、終わるのは目前だった。

 

 だがそのあと少しというところで翠が猫耳をピクンと上げた。同時に顔にも緊張が走った。

 

「焔さん、誰かが帰ってきました」

 

「ゲッ……このタイミングで帰ってくるとか……ミッ○ョンインポッシブ○じゃないんだからさ。○ム・ク○ーズみたいに天井から吊ってればまだしもなぁ」

 

 言いながらパソコンの画面に視線を落とすと、完了するまであと三十秒とあった。

 

 ……車庫に入れて来るんだったら最低でも四十秒ある。あと三十秒で読み取りが終わってすぐに抜けば十秒の余裕がある。十秒あれば翠に担いでもらって逃げ出す事は可能。まぁそれは櫃間篤郎だった場合なんだけど。

 

 そんなことを考えているうちにカウントは二十秒になった。しかし、二人の緊張は最高潮に達している。

 

 いつドアノブが動くのかと心臓が脈打ちを早くするばかりだ。けれど、二人の心配は杞憂に終わることとなる。

 

『いやだわ私ったら携帯電話を忘れちゃうなんて』

 

 おっとりとした声は一階から聞こえた。どうやら櫃間の母が帰ってきたようだ。言動から察するに友人宅に遊びに行く途中で携帯電話を忘れてしまったのを思い出して取りに戻ったのだろう。

 

 二人はそれに安堵し、ホッと胸を撫で下ろした。やがて奥方は携帯が見つかったのか玄関を閉めて出て行った。

 

「あー……冷や汗かいた」

 

「はい、私もです」

 

 二人の額には汗が滲んでおり、それだけ緊張していたのだと物語っていた。そして再度焔がパソコンに目を落とすと既にコピーは完了していた。

 

「よし……そんじゃ、さっさとこんなところはおさらばしてお風呂入りに行こう。嫌な汗かいちゃった」

 

「そうですね」

 

 二人は苦笑いを浮かべると室内を元通りにして入ってきた天窓から外に出て、櫃間邸を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実家から事務所に戻った凛は零子に明日行うことを話した。

 

「そうか延珠ちゃんが……」

 

「ええ、僕のミスです。なので一刻も早く蓮太郎くんと彼女を引き合わせるために明日、護送車を襲撃します」

 

 凛は言うと、懐から綺麗に折りたたまれた紙を出した。そこには『退職届』とかかれていた。

 

「何のつもりだ?」

 

「もし僕が襲撃したとばれれば、こちらにも迷惑がかかります。だから……」

 

「だから辞めていた方が私達に迷惑がかからないと? フン、全くバカも休み休み言えよ凛」

 

 零子は鋭い眼光で凛を睨むと、辞表をつまみ右下からライターを近づけて火をつけた。

 

 見る見るうちに辞表は黒くなり、最終的に零子はそれを灰皿に放った。凛がそれに一瞬驚いていると、次の瞬間彼の脳天に軽めのチョップが当てられた。

 

「いいか? 私たちとて、もうこの事件に無関係なわけじゃないんだ。既に軽く片足以上は突っ込んでいる状態だ。君はそれをここでやめにしろというのか? 私はお断りだ。一度やり始めたら最後まで貫く、それが私達だ」

 

「零子さん……」

 

「フン、昼に言った事は撤回する。蓮太郎くんを救出するのは明日に変更だ。メンバーは君と摩那ちゃんで十分だろう。顔を見られないようにこれをつけていけ」

 

 言いながらデスクの一番下の引き出しから彼女が出したのは、摩那達がよくみている天誅ガールズのお面だった。

 

「何処で買ったんですか?」

 

「祭りで売ってた。夏世ちゃんがなんやかんやで欲しそうにしてたし、こんなこともあろうかと買ってみたんだ」

 

「まぁ時間は夜みたいですからお面も必要ないかと思いますけど、一応持っていたほうが良いですね。借りていきます」

 

 凛はお面を受け取るが、そこで事務所の扉が開いた。

 

「ただいま戻りましたー」

 

「ただいまです」

 

 入ってきたのは焔と翠だった。彼女等はなぜか髪が湿っており、頬もどこか赤かった。しかし、近くにやってきた彼女達からシャンプーとボディソープの香りがしたため、何処で風呂に入ってきたのだということがわかった。

 

「おかえり、お風呂行ってきたの?」

 

「はい。ちょっと潜入先で嫌な汗をかいちゃったんで。ねっ、翠」

 

「すごい緊張感でしたからね……」

 

 二人は苦笑いを浮かべたが、すぐに真剣な表情に戻ると、焔はリュックからパソコンを取り出して零子に差し出した。

 

「零子さん、櫃間篤郎のパソコンのデータを抽出しました。調べていただけますか?」

 

「さすが隠密、仕事が速い。助かるよ」

 

 パソコンを受け取ると、零子はすぐさまデータを自身のパソコンに移し始めた。

 

「そいえば木更ちゃんはまだ寝てますか?」

 

「もう起きてくる頃だと思うぞ。ホラ」

 

 凛の問いに凛が振り向くと、木更が毅然とした表情で事務所の入り口に立っていた。

 

「お騒がせしました」

 

 深々と頭を下げる彼女だが、零子はそれに肩を竦めてみせる。

 

「礼なんてやめろ、困った時はお互い様だ。っと、そうだった忘れるところだった」

 

 彼女は思いだしたようにデスクの引き出しを開けると、中に布が入った二つの袋を取り出して四人に見せた。

 

「これは?」

 

 焔が問うと、彼女は頷いてから説明を始めた。

 

「これは殺された水原くんが着ていた服だ。まぁこれは切れ端だがね、警察機関のある人が持ってきてくれたんだよ。で、これを使って何をするのかと言うと――」

 

「匂いを辿るんですね?」

 

 言葉を遮るようにいったのは以外や以外、翠だった。彼女は小さく笑みを浮かべると、零子の代行をするように告げた。

 

「私と摩那さんは特に嗅覚が優れていますから、その水原さんの服の匂いを辿って彼の自宅に行くと言うことですよね?」

 

「ご名答だ。そう君と摩那ちゃんにはそれをやってもらいたいんだ。まるで警察犬のように扱ってしまって悪いんだが、やってもらえるかい?」

 

 一度頭を下げて言うと、翠はそれに対して文句を一切言うことなく頷いた。

 

「それぐらいお安い御用です。私が動くことで里見さんが救えるならなんだってします」

 

「翠ちゃん……」

 

 彼女の誠意ある言葉に木更は瞳を潤ませると、「ありがとう」と頭を下げた。

 

「それじゃあこっちは僕が摩那に渡してみます」

 

「ああ、頼んだ。それと、今日はもう帰って良いぞ。後は私がやっておく」

 

 彼女の言葉に皆は一瞬視線を交わすと、それぞれ頷いて零子に頭を下げた。彼等は踵を返して事務所を出て行き、零子はスマホを取り出して夏世に連絡をとった。

 

「もしもし夏世ちゃん? 今すぐ帰って来てもらえるか? 仕事だ」

 

『了解しました。今からそちらに戻りますね』

 

 夏世のほうから通話が切れ、零子はパソコンを見やるといつもとは少し銘柄の違うタバコに火をつけて一度大きく吸い込むと一気に吐き出した。

 

「ハァ……相変わらずこのタバコは不味い。けど、それがまたいい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕食を食べ終えた凛達はそれぞれリビングのソファに座りながら、焔と翠が潜入した櫃間邸で発見したものの話を聞いていた。

 

「そんな……櫃間さんが私を?」

 

「うん。アレは完璧にストーキングしてたね。しかも自分じゃなくて他の誰かにやらせてる」

 

「櫃間っての救いようがない変態じゃん」

 

 摩那が呆れた様子で溜息を漏らしながら言うと、凛もそれに頷いたがその顔は芳しくない。

 

「でもまだあの人を殺るには早いからね。もっと完璧な証拠が出てこないと」

 

「パソコンをいじってれば結構簡単に出てきそうですけどね」

 

 焔も早く仕掛けられないことが気に食わないのか眉間に皺を寄せていた。だが、木更だけは青い顔をしていた。それもそうだ、つい先日お見合いをしてキスされかけた男が自分をストーキングしていたかもしれないなんて、思い出すだけで身の毛がよだつだろう。

 

 しばしの間皆の間に沈黙が流れるが、そんな沈黙を破るように凛の携帯がなった。

 

 画面を見るとどうやら零子からのようだ。

 

「もしもし?」

 

『凛くん、焔ちゃんが持って帰って着てくれた櫃間のパソコンのデータを私と夏世ちゃんで調べていたらビンゴだったよ。あの二つの名前があったぞ』

 

「あの二つ? まさかそれって――」

 

『――そうだ、「新世界創造計画」と「ブラックスワンプロジェクト」の二つだ。だが、その中に知らない組織と思われる名があった』

 

「組織の名前?」

 

 瞬間、凛は劉蔵の手紙を思い出した。同時に彼は、その組織の名前を零子が言うよりも早く発する。

 

「その組織の名前ってもしかして、『五翔会』ですか?」

 

『よくわかったな、その通りだ。漢数字の五に羊のくねったやつに羽を加えた翔。そして会合の会だ』

 

 零子からの返答を聞いた瞬間、凛は胸の中で手紙の中にあった言葉と全てがつながった。

 

 ……そうか、そういうことだったのか。じゃあ櫃間篤郎は本当に木更を利用しようとしていたわけだ。天童を抹殺するただの捨て駒として利用するためだけに。

 

「……零子さん、それで他に何かわかった事はありましたか?」

 

『いいや、今のところはそれまでだ。また何かあったら連絡する』

 

 零子は通話を切ったが、凛は拳を握り締めながら呟く。

 

「……これで本当に生かすわけにはいかなくなりましたよ。櫃間篤郎さん」




今回は地味に時間がかかってしまいましたね。
なんだか原作とは違う感じで櫃間が変態になってますが……特に気にしない。あいつ外道だし。
そして中盤延珠を若干暴走させてしまいましたが……これってアンチに入ってしまうのだろうか……延珠なりの弱さを出してみた結果なのですが……
延珠スキーの方いらっしゃったら申し訳ない許してください(トリプルアクセル土下座)

とりあえず次で蓮太郎が本格的に逃亡ですかね。
そしていよいよダークストーカー達と凛がまみえる可能性大です!
……アレ?おかしいな……ダークストーカーが一瞬でやられる絵しか見えない……ゴシゴシ

次にこの作品とは関係ないことを一つ、
以前アカメを投稿するかもしれないといっていましたが、いつの間にか八月も終わってしまいましたw
ですが、アニメをやっているうちには出したいと思っているのでもう少々おまちくださいませませ。

では感想などありましたらよろしくお願いします。


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第五十二話

 翌日の夕刻、凛は摩那とともに蓮太郎が護送されるルートの近くにやって来た。

 

 すると、摩那が小首をかしげながら凛に問う。

 

「ねぇ凛、ここって蓮太郎が聖居に行った後に通る道だよね? どっちかって言うと民警ライセンスを返還する前に蓮太郎助け出しちゃったほうがよくない?」

 

「それもあるんだけど、聖居への道は人通りも多いし夕方だから人目にもつきやすい。こっちの道なら夜になればあまり人は通らないし、例え見られたとしても暗いから顔を見られる確立も少なくなる。まぁ一応念のために零子さんが用意したこのお面被ってやるよ」

 

 言いながら凛はバイクの収納から二枚のお面を出した。そのお面は摩那も大好きなアニメ『天誅ガールズ』のものだ。

 

「天誅ガールズのお面じゃん! じゃあ私はブラックにしよー」

 

 凛の手からひったくるように一方のお面を掴み取ると、早速お面を被って視界がよいかどうか確認を始めた。

 

「おー、わりと見えるもんだねー」

 

 きょろきょろと周囲を見回しながら呟く摩那を見やりながら、凛は聖居の方を見据えた。

 

 ……できれば聖天子様の慈悲があればいいんだけど……。

 

「そうもいかないかなぁ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鮮やかな橙色の太陽が西の空に沈み、空に星が浮かび始め、周囲が暗くなった頃、凛は近場の路地裏に、摩那は街路樹の上で護送車がくるのを待っていた。

 

「摩那、暗視スコープは大丈夫?」

 

『おっけおっけー、よく見えるよん。つまみを回せばズームが出来るんだっけ?』

 

「うん、あぁでも、直接街灯とかを見ないようにね。目がくらむから」

 

『りょーかい』

 

 トランシーバーで話をし終えると、凛も路地裏から目立たないように道路を見やる。

 

 やはりここの道は夜になると利用する人間が少ないのか、人通りはまばらだし、車も大して通ってはいなかった。

 

 ……時間通りならそろそろのはずだけど。

 

 スマホの時計を見ながら凛が車道を確認すると、遠くに車のヘッドライトが見えた。それと同時に摩那から連絡が入る。

 

『来たっぽいよー。多分アレだと思う』

 

「了解、じゃあ摩那、手はずどおりに」

 

『あいあいー……ッ!? 凛!!』

 

 返答を聞いてトランシーバーをしまおうとした瞬間、摩那の焦った声が聞こえ、更に車道のほうから凄まじい音が聞こえた。

 

「なに!?」

 

『護送車が横転した! 私達よりも前に誰かが護送車の前に誰かが割って入ったみたい』

 

「わかった、摩那、木から降りて現場に行くよ」

 

 凛は言いながら路地裏から飛び出し、護送車が横転した現場へ向かう。彼に続くように摩那が木から飛び降りた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蓮太郎は突然起こった護送車の横転事故に顔をしかめていた。

 

 聖居で聖天子に民警ライセンスを返還し、強い憤りを覚えたままでいた最中に起きた横転事故。

 

 何とか護送官三人を横転した車内から引きずり出し、爆発炎上から救ったのも束の間、彼は延珠と同じくらいの少女に銃を突きつけられた。

 

 少女は蓮太郎を見据えてただ告げた。

 

『鬼八さんを殺したのはあなたね』と。

 

 蓮太郎はそれを断固として否定したが、少女は銃を突きつけ今にも引き金を引きそうな剣幕だった。

 

 同時に、蓮太郎は彼女が水原のイニシエーターだと直感することも出来た。鬼八さんなどと漏らすのは彼に尤も近しいものしかいないからだ。

 

 けれど彼女はいっこうに引き金を引かなかった。恐らくずっと蓮太郎が水原を殺したと思っていたのに、その殺人犯が護送官三人を救うなどと思っていなかったのだろう。

 

 やがて警察車両のサイレンが聞こえ、少女は軽い舌打ちの後林の中に消えていった。

 

 あとに残された蓮太郎は打たれなかったことにほんの一瞬安堵したものの、着実に近づいてくるパトカーのほうに目をやった。

 

 ……このままここにいればまた拘置所に逆戻りか……。

 

 もしそうなれば、蓮太郎は逃亡を誰かに幇助させたとして、更に罪が重くなるかもしれない。そして、民警ライセンスがない今、延珠とは一緒にいられないのだ。

 

「……凛さんの話じゃ何とかかくまってくれてるみたいだけど、いずれそれもばれちまう」

 

 逡巡した蓮太郎は、静かに目をまぶたをあげると護送官の腰についている鍵を拝借して手錠を外し、腰の縄もほどいた。

 

 すでにパトカーのサイレンは先程よりもかなり近くなっている。

 

 深く深呼吸をして呼吸を整えた蓮太郎は、そのまま先ほどの少女と同じように林の中へ消えていった。

 

 林を駆けながら彼は静かに言った。

 

「……わりぃな凛さん、自分の無実は自分で晴らす」

 

 里見蓮太郎は、夜の闇へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 凛と摩那が現場に駆けつけると、そこには炎上した護送車と意識のない護送官三人がいた。

 

「蓮太郎いないよ!?」

 

「多分逃げたんだ。ホラ」

 

 歩道に落ちていた鍵の外された手錠をつま先で軽く小突いた凛は摩那を呼び、踵を返した。

 

「摩那、ここを離れよう。もう警察が目と鼻の先に来てる。このままここにいたら怪しまれる」

 

「う、うん。わかったけど……どうして蓮太郎は逃げたの?」

 

「きっと彼なりに今回の事件を解決したいんだよ。亡くなった水原君や、一人残してしまっている木更ちゃんのためにもね」

 

 もと来た道を小走りに走りながら二人は現場から離れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 現場から離れて街中をバイクで疾走していると、凛の元に連絡が入った。ヘルメットに内蔵されているヘッドセットの電話に出るため、バイクの液晶画面をタップすると、聞き覚えのある声が飛び込んできた。

 

『凛さん、私です』

 

「こんばんは、聖天子様。随分とあせっているようですが何かありましたか?」

 

『……里見さんが捕まった事はもう知っていますか?』

 

「ええ、なにやら殺人の容疑をかけられているようで」

 

 いつもの凛とした透明感のある彼女の声はいくらか不安な色が出ていた。全てを話さずに、ただ蓮太郎がそういう状況にあるとだけ知っている風を装うと、聖天子は話を続けた。

 

『先ほど聖居の職員の方から報告を受けたのですが……里見さんが護送中に逃亡したそうです』

 

「おやおや」

 

『既に捜査は始まっているようで、先ほど私と菊之丞さんの所に警視総監の櫃間正氏がやってきました。里見さんの捜索は彼のご子息である櫃間篤郎氏が指揮を取るそうです』

 

 櫃間の名を聞いた瞬間、凛の眉間に小さく皺がよった。どうやら櫃間は徹底的に蓮太郎を潰す気の様だ。

 

 軽い苛立ちを覚えながら凛がいると、聖天子は震える声で凛に問うた。

 

『凛さん……、私は今日里見さんの民警ライセンスを取り上げてしまいました。彼はずっと無実を主張していたのに……私は国家元首と言う立場から彼を擁護することが出来なかった……。教えてください凛さん、貴方なら里見さんが無実だと知っているのでしょう?』

 

 恐らく電話の向こうでは彼女は大粒の涙を流していることだろう。その様子から、凛は聖天子が少なからず蓮太郎に好意を寄せているのかもしれないと推測した。

 

 あながち間違ってはいないだろう。彼女は蓮太郎に多大な信頼を寄せていたし、蓮太郎はそれを全て完遂してきた。更には彼女の命を救っても見せたのだから。

 

 凛は一度小さく息をつくと静かに告げた。

 

「……聖天子様、彼は確実に無実です。これは僕達が調べてわかったことです。けれど、彼をどうしても罪人に仕立て上げ抹殺しようとしている組織が裏で暗躍しています」

 

『組織?』

 

「はい、その組織の名前は五翔会。まだ彼等がどのようなことをしているのかはハッキリしていませんが、今回殺害された水原鬼八くんは彼等の何かしらをしって、五翔会の手のものによって殺されたとみて間違いはないかと」

 

『ではその事実を公表して里見さんをッ!』

 

「ダメです。今のままでは情報が少なすぎます。今言ったとしても五翔会は一時的に手を引くのみで根本的な解決にはつながりませんし、彼等が何をしているのかも隠されてしまいます。

 だから、蓮太郎くんには悪いですが、このまま公表せずに捜査を続けます。でも、聖天子様、彼を心配してくださるのなら貴女は彼を信じてあげてください。自分を信じてくれる人がいるのはそれだけでも大きな支えになります。それでは」

 

 凛はこちらから連絡を断った。

 

「誰から?」

 

「聖天子様。結構心配してたみたいだよ。やっぱりあの人はやさしいね」

 

「まぁそうだよね。って、また電話来てるよ?」

 

 摩那が言ったとおり、バイクの液晶画面には『CALLING』の文字が出ていた。

 

 液晶をタップして連絡に出ると、木更からだった。

 

『兄様! 今何処にいますか!?』

 

「今事務所に戻るところだけど……」

 

 どうしたの? と聞こうとした所で、その問いを遮るように彼女が凛に告げた。

 

『さっき里見くんから連絡があって、今夜八時半に勾田プラザホテルのロビーに着て欲しいって言われたんです! 凛兄様、何がどうなっているんですか? 里見くんは兄様が救出したんじゃ――』

 

「ごめん、蓮太郎くんは僕と摩那が動く前に横転した護送車からどこかへ逃亡してしまったんだ。だから今は一緒じゃない」

 

『そんな……』

 

 呆然と言った声を漏らす木更だが、凛は至って冷静に切り替えした。

 

「いいかい木更ちゃん、一回落ち着くんだ。蓮太郎くんのところには僕が向かうから、君はそのまま事務所で零子さん達と一緒にいて。もし誰かが君のところに訪ねて来て蓮太郎くんのことを聞いたとしても知らぬ存ぜぬを通すんだ」

 

『わ、わかりました』

 

「あぁそうだ、あと焔ちゃんと翠ちゃんもそこにいる? だったら二人にも来る様に言ってくれるかな」

 

『はい。……兄様、里見くんをお願いします』

 

「了解」

 

 返答し通話を切ると、凛は若干乱暴に反対車線へ割り込んで勾田プラザホテルへ急いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 凛と木更が話したほんの数秒後、まるで図ったかのように櫃間篤郎が黒崎民間警備会社に現れた。

 

 それに零子はいぶかしむ様な視線を送ったが、特に口は出さずにいた。

 

 蓮太郎が彼女に電話をしたのだと確信があるような口ぶりで、木更にあまく問いかける櫃間だが、焔、夏世、翠はそれに心底呆れきっていた。

 

 けれど櫃間はそれにも気がつかずに木更に問うていくが、彼女は毅然とした表情のまま櫃間に告げた。

 

「里見くんから連絡はありません」

 

 一瞬、櫃間の眉根がヒクつき、あからさまに不快な表情を浮かべたが、木更はそれに気がつかなかった。

 

 しかし、彼女以外の全員は彼の表情の動きを見逃す事はなかった。

 

「……失礼しました」

 

 櫃間はそれ以外何も聞かずに出て行ったが、彼が外に出て誰かに連絡を取るのを零子は見逃さず冷笑を浮かべた。

 

「まったく……もういろいろバレているのに、おめでたい男だ」

 

「まぁしばらくは泳がせておいて良いでしょう。兄さんが相応の報いを受けさせるでしょうし」

 

「だな、それよりもよく耐えたな木更ちゃん」

 

 肩を竦めながら問うと、木更はコクッと首を縦に振った後、ソファに腰を下ろした。

 

「でもすごく気持ち悪かったのは確かです。もしあの人の正体を聞かされていなかったと思ったらゾッとします」

 

「だろうな、アレはキスまで迫りそうな勢いだったしなぁ」

 

「子供の私から見てもアレはないです」

 

「私も生理的に無理です」

 

 零子の言葉に夏世と翠も同意した。それに笑みを浮かべる一同だが、焔は翠に声をかけた。

 

「翠、私達は勾田プラザホテルに行こう」

 

 コクリと頷いた翠を連れて焔は屋上から屋根伝いに勾田プラザホテルへ向かった。

 

 

 

 

 

 

 黒崎民間警備会社から出た櫃間はすぐさま携帯をリダイヤルした。

 

 ワンコールの後に相手が出ると、櫃間は若干イラついた声音で問う。

 

「天童木更の携帯に仕掛けた盗聴器の具合は?」

 

『良好ですね。それよりも、随分と苛立っているご様子ですが?』

 

「……天童木更は口を割らなかったんだ。大方あの断風に言うなと言われたんだろう。まったく忌々しいガキだ」

 

『おやおや、やはり『リジェネレーター』を使うべきなのでは?』

 

「……かもしれん」

 

 櫃間は小さく息をついて、苛立ちを抑える。

 

「ところで、メモリーカードと紅露火垂の消息はわかったか?」

 

『残念ながらどちらもまだですね』

 

 舌打ちをしそうになったが、櫃間はそれを押さえて話を切り替える。

 

「警察には後三十分遅れて知らせる。『ネスト』その間に里見蓮太郎の始末に『ダークストーカー』を、保険として『リジェネレーター』を送れ」

 

『承知しました。ですが消してもよろしいので?』

 

「無論だ。水原が里見蓮太郎に何処まで話したのかは知らんが、やつが生きていると我々にも都合が悪い。出来ればあの断風も潰しておけ、ある意味里見蓮太郎以上に邪魔で警戒人物だからな」

 

 

 

 

 

 

 櫃間との会話を終えたネストは携帯で最初にダークストーカーに連絡を取った。

 

「ダークストーカー、仕事だ。午後八時半までに勾田プラザホテルに向かい、里見蓮太郎、断風凛を始末しろ」

 

『了解しました』

 

 短い返答の後にネストは通話を切り、もう一方のッ人物、リジェネレーターにかけた。

 

『やっと出番か?』

 

「ああ、お前に仕事だ。今すぐに勾田プラザホテルへ向かえ。だが、お前は保険だ。本気で戦おうとするな」

 

『へいへい。あぁそうだネスト、悪いんだけどまた何人かぶっ殺しちまったから事後処理よろしく頼むわ』

 

「ッ! 貴様はなぜそれほど聞き分けがないのだ!? 目立つ行動は控えろといったはずだぞ!」

 

『別に誰にも見られてねぇよ。ただ死体の処理が面倒だからさ、そんじゃよろしく』

 

 謝罪のかけらもない言葉にネストは苛立ったが、大きなため息をついてリジェネレーターが殺害した者達の処理へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 勾田プラザホテルのロビーで蓮太郎は俯き、まるで仕事で失敗したサラリーマンが自棄酒をするような勢いで、コーヒーを煽っていた。

 

 勢いで木更に連絡を取ってしまったものの、なんて浅はかだったのだろうと蓮太郎は自分の行動を後悔していた。

 

 ……流石にここは人目が多すぎだ。木更さんが来たらとりあえず場所を変えて……。

 

 そんなことを考えていると、不意に声をかけられた。

 

「お一人ですか?」

 

 顔を上げてそちらを見やると、いかにも人のよさげな少年が柔らかな笑みを浮かべてこちらを見ていた。

 

 歳は自分と同じくらいだろう。また、彼が身につけている紺色の詰襟の制服は確か額狩高校のものだったか。その笑顔はいつもムスッとしている蓮太郎から見ればかなり陽気なものを発している笑顔だった。身近な人物で例えれば凛が最適だろうか。

 

「お一人なら、ブラック・ジャックでも楽しみませんか?」

 

「あ、いや……俺は……」

 

 蓮太郎は断ろうとしたが、少年は向かいの席に座り、トランプをシャッフルし始めていた。

 

 仕方ないから一度だけ付き合うかと蓮太郎が覚悟を決めると、そこでまたしても声をかけられた。

 

 しかしそれは蓮太郎にかけられたものではなく、どちらかというと蓮太郎と目の前の少年にかけられたような声だった。

 

「僕も入れてくれるかな?」

 

 言いながら蓮太郎の隣の席に腰掛けたのは黒のカーゴパンツに黒のシャツ、黒のジャケットを着た天誅ガールズのお面をつけた男だった。

 

 蓮太郎はおろか、向かいの席に座る少年も驚きの顔を浮かべる中、男はお面の下から若干くぐもった声を漏らした。

 

「さぁカードを」

 

 蓮太郎はその声を聞いた瞬間、顔には出さなかったがハッとした。男の声は蓮太郎が良く知る人物で、本来の序列が十三位などという存在。

 

 断風凛だったのだ。

 

 けれど蓮太郎はそれを顔には出さずに、目の前の少年を見やる。少年はクスッと笑うと、凛と蓮太郎二人分のカードを配った。

 

 蓮太郎がカードをめくり、続いて凛がめくろうとした所で、凛が静かに問うた。

 

「ところで……君は誰なのかな?」

 

「あぁ申し訳ありません。僕の名前は巳継悠河(みつぎゆうが)といいます。額狩高校の生徒で――」

 

「――そうじゃなくてさ。君は『ダークストーカー』『ハミングバード』『ソードテール』『リジェネレーター』この内の一体誰なのかな?」

 

「ッ!?」

 

 途端、先ほどまで笑みを浮かべていた悠河の顔が強張った。同時に、凛がカードをめくると凛の手はスペードのキングとスペードのエースという最強の名手だった。

 

「……まさかそこまで知っているとは……。何者ですか?」

 

「さぁね。けれど、君が所属している組織の名前は知っているよ? 確か五翔会だったかな? 巳継悠河くん」

 

「正解です。ここまでくればもう隠す必要もなさそうですね」

 

 配ったトランプを回収し纏めると、悠河は静かに告げた。

 

「残念ながら里見くん。天童木更はこないと思いますよ?」

 

「……」

 

 挑発とも取れる言葉に蓮太郎は少しだけ睨みをきかせるが、彼はそれを軽くいなしながら笑顔を浮かべたままだ。

 

「一応改めて名乗っておきましょう。僕のコードネームはダークストーカー。『新世界創造計画』巳継悠河です、里見くんから見れば僕は後輩になります」

 

「お前が……だが、新世界創造計画は頓挫したはずだぞ」

 

「表向きはね。でも、そんなこと機密にしていればばれない事なんですよ。あぁ一応聞けという命令なので聞きますけど……水原から受け取ったメモリーカードは何処ですか?」

 

 メモリカード? と蓮太郎は疑問を浮かべた。水原からはそんなもは受け取っていないからだ。だが言葉には出さずに蓮太郎は隠したまま悠河に問う。

 

「それを渡せばどうなるっていうんだ?」

 

「少なくともこの場はすごく穏便に方がつきます。あとは貴方が檻に入っておとなしく裁きを受ければいいだけだ」

 

「仮初の裁きを?」

 

 凛が言うと、悠河は否定することもせずに頷いた。

 

「その仮初の裁きを彼に受けさせて、君は――いや、君達は目的を達成するということか。ティナ・スプラウト処刑し、藍原延珠をIISOに送還、新たなプロモーターと組ませて人知れずに殺害……またはガストレア化。そして残った天童木更を篭絡して骨抜きに、最終的には天童を潰す捨て駒として利用というのがシナリオかな?」

 

「御明察です。凄まじい洞察力と推理力だ。探偵さんかなにかで?」

 

「どうだろうね。けれど、これらのことを知っている僕を君たちは生かしてはおかないんだろう?」

 

「ええ、貴方も確実に消します。でも今は彼が先だ、それで里見くん? 交渉は決裂ということで?」

 

「最初っから俺とテメェの間に交渉なんざねぇ」

 

 眉間に皺を寄せて言い切ると、悠河は肩を竦めて残念そうに呟く。けれど、その口元は僅かに笑っていた。

 

「バカな人ですね。命までは取らないと言っているのに、そのチャンスを自ら捨てるなんて」

 

 悠河と蓮太郎の視線が交錯し、間に見えることのない火花が散る。

 

 二人の発する尋常ではない空気に近場にいた客も席を立ったり、そそくさと立ち去るものもいた。

 

「それじゃあここではなんですし、場所を移しましょうか。あぁ無論貴方もついて来てください、彼を始末した後には貴方を――」

 

 悠河が凛のほうを見やった瞬間、蓮太郎はテーブルを蹴り上げて悠河の隙を突いた。

 

 このような行動に出るとは思っていなかったのか、流石の悠河も驚愕の表情を浮かべる。しかしそれもテーブルですぐに見えなくなった。

 

 これで悠河の視界は遮られるが、蓮太郎は片足で床を踏みしめてテーブルの中心に蹴りを叩き込む。

 

 自分の行動のほうが一瞬早かったため、恐らく悠河はそれに反応が出来ないと蓮太郎は踏んだ。

 

 だが、そんな蓮太郎の読みをあざ笑うかのように悠河は平然とテーブルを越えてきた。

 

 そのまま蓮太郎に向けてとび蹴りを放つ悠河に蓮太郎はすぐさま臨戦態勢に入る。だが、そんな二人の間に割って入るようにホテルの窓を割って一本の長刀が飛び込んできた。

 

 それに驚いたのは蓮太郎、悠河の二人だった。

 

 二人の脇にいた凛は投げ込まれた長刀を受け取り、鞘から抜き放つと、悠河のとび蹴りを刀の腹ではらうように弾いた。

 

 大きく後ろに弾かれた悠河は空中で一回天してそのまま絨毯の敷かれた床に着地すると、二人を見据えた。

 

「蓮太郎くん、今は逃げるんだ。彼の相手は僕がしよう」

 

「……わかった、頼む!」

 

 凛の言葉に蓮太郎は頷いてエレベーターまで駆ける。

 

 それに反応して悠河も床を蹴って追撃しようとしたが、その間に凛が立ちふさがった。

 

「君の相手はこの僕だ。彼を殺したいならまずは僕を殺すんだね」

 

 漆黒の長刀『黒詠』の切先を悠河に突きつけながら、天誅ガールズのお面を被った凛は言い放った。




あい、今回は蓮太郎の本格的な逃亡編ですね。
櫃間……君はもうとっくにばれているんだよ? 何を必死こいて隠そうとしているんだい?
木更さんにもキモイといわれ、翠や夏世にまでキモイといわれる貴方はもう死ぬしかないね。
最後、なんだかすげーシリアスですが悠河や蓮太郎が話している中凛はずっと天誅ガールズのお面を被っていましたとさ……ハイここ笑うとこですよー。(キラキラ)
まぁ警察が来るまで凛は天誅ガールズのお面を被って戦うのでしょうねぇ……超シュールじゃん……

次回は蓮太郎が打たれてしまうところですが、悠河は凛に抑えられていますから、さてはてどうなることやら。

では感想などあればよろしくおねがいします。


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第五十三話

 漆黒の長刀を悠河に突きつけていると、凛は彼の双眸に、ある変化が起こったことに気がついた。

 

 彼、巳継悠河の瞳には幾何学的な模様が生まれていたのだ。それは蓮太郎の左目に搭載されている『二一式黒膂石義眼』を髣髴とさせる。

 

「その目は……なるほど、蓮太郎くんの後輩って言うのはあながち嘘ではなさそうだ」

 

「フフ、気付いたようですね。僕はそこにいる彼、里見蓮太郎を超越するために生まれた存在です。この瞳は彼の『二一式黒膂石義眼』を踏襲し、改良を加えた『二一式改』です」

 

 その言葉に凛の背後にいる蓮太郎が息をのんだが、彼とは違い凛は落ち着き払った状態で、悠河に問う。

 

「『改』と言う事は、スペックは蓮太郎くんを凌駕すると言うことだね?」

 

「はい。基本スペックでは彼を上回ります。それでも、やりますか?」

 

 脅しとも、挑発とも取れる言葉だったが、お面に表情を隠されながらも頷いた。

 

 すると、悠河の背後にこのホテルのガードマン、それもかなり筋骨隆々としたサングラスをかけた、いかにもな男が近づいていた。

 

「お客様、ホテル内での揉め事は――」

 

 そこまで言ったところで、悠河の腕が動いた。裏拳をガードマンに叩き込むつもりだろう。

 

 しかし、彼の手を阻止するように黒刃が首元に押し当てられた。

 

「一般人を巻き込むのは、いただけないね」

 

 思わず内心で驚いた。自分の動きは明らかに常人では見切れないほど早かったはずなのに、それをいとも簡単に防がれるなど予想だにしていなかったからだ。

 

 けれど悠河はそれを顔には出さず、首元に突きつけられた刃を跳ね除けると凛とある程度の距離をとる。

 

 一方、声をかけようと近づいたガードマンは何が起きているのかわからないといった様子だ。

 

「ガードマンさん、一般の人を避難させてください」

 

「え?」

 

「でないと、死人がでますよ」

 

 瞬間、悠河が懐から取り出した拳銃、ブローニング社製のハイパワーが火を噴く。射出された弾丸は凛に向かうが、弾丸は黒詠によって容易に弾かれた。

 

 けれど、銃声が聞こえたことによって沈黙が蔓延っていたホテルのロビーが、一転して大勢の人々の悲鳴や怒声が飛び交う空間へと姿を変えた。

 

 ガードマンも我に返ったように出口へ向かうと人々の避難誘導を始めた。

 

「弾丸を切りますか……。それにあの反応速度、貴方も相当なやり手のようだ」

 

「それはどうも、機械化兵士の人に褒めてもらえるなんて恐悦至極だね。でもさ、何も一般人のガードマンを殴り倒すようなことはしなくても良かったんじゃないのかな?」

 

「邪魔でしたので」

 

「そう……あぁ、蓮太郎くんは逃げたから彼を追うにはまずは君が僕を倒すしかないよ?」

 

 その声に小さく笑みを浮かべた悠河は優しく告げる。

 

「ご心配なく。いくら貴方の反応速度が凄まじいといっても、所詮はただの人間……僕には勝機しかありませんよ」

 

「ふーん。それじゃあ、やってみようか。どっちかが死ぬまで」

 

「貴方が死ぬのは目に見えていますが」

 

 その言葉を最後に、凛が駆け出し、悠河はハイパワーの引き金を引いて銃弾を発射する。

 

 しかし打ち出される銃弾はいとも簡単に凛に切り落とされ、彼にダメージを与えるにはいたらない。

 

 けれども悠河からすればそんなものは予想できたものだった。

 

 ……最初の一発を防いだのはまぐれではない。筋肉の動きからすれば容易に想像がつく。

 

「……だから」

 

 彼が言った瞬間、剣閃が首筋を駆け抜けた。

 

「次にどのような攻撃がくるのかも簡単に予想が出来る」

 

 剣閃を回避し、右の拳を硬く握り締めながら凛の間合いに潜り込んで、拳を彼の鳩尾に叩き込む。

 

 悠河自身、よける事は出来ないと踏んでいるし、鳩尾に入れば気絶は確実であり、内臓破裂もありうるだろう。

 

 しかし、次の瞬間悠河は思わず驚愕に顔をゆがめた。

 

 拳が鳩尾に叩き込まれる瞬間、凛は悠河の腕を掴んで、そのまま片腕で逆立ちをするように飛び上がって回避したのだ。

 

「馬鹿な……」

 

 そんな声を漏らしたのも束の間、背後から凄まじい殺気が彼を襲う。

 

 瞬間的に横に回避すると、先ほどまで自分がいた床の大理石に深々と亀裂が入っていた。

 

「残念、もうちょっとだったかな」

 

 ため息をつきつつ、黒詠をヒュンヒュンと振り回す凛からは研ぎ澄まされた殺気が発せられており、それは悠河を的確に捉えていた。

 

 生唾を飲み込む悠河の様子が、その殺気がどれほど凄まじいものなのかを物語っている。

 

「蓮太郎くんを倒すために体力を温存なんてしないほうが良いよ? じゃないと、今すぐ死ぬから」

 

「どうやら、そのほうが良さそうですね。前言を撤回させてもらいます。貴方は普通の人間ではないようだ。しかし、その程度の動きならば、見切れないことはない!」

 

 ハイパワーを捨てて構えを取る悠河をみて、凛もそれに答えるように黒詠を構える。

 

 一瞬の沈黙がまるで永遠の沈黙のように長く感じたが、次の瞬間、二人は同時に駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 多田島や金本達警察官が逃げ惑う人々でごった返すホテルの前に到着すると、既に警報ベルが作動していたようで、耳障りな音が鳴り響いていた。

 

 警察官の指揮車には電話を片手になにやら話している櫃間がおり、多田島と金本はそちらへ向かった。

 

「警視!」

 

 多田島が呼ぶと、櫃間は直通電話の相手に了解の旨を伝える連絡をきる。

 

「お二人ともちょうど良いところに。今、総監から特殊強襲部隊の突入命令が出た」

 

「SATのですか!? 待ってください櫃間警視! 里見蓮太郎は生かしての捕縛が聖天子様からの命だったはずです!」

 

「状況が変わった。里見蓮太郎を補足した場合は、即座に射殺しろと言うのが命令となった」

 

 彼はいい終えると、機動服を着た特殊部隊隊長を呼び説明を始めた。

 

 それに訝しげな視線を金本が向けていると、多田島が彼の肩を掴んで首を横に振った。

 

「金本、変な気を起こすんじゃねぇぞ」

 

「……ああ、わかってる」

 

 とはいうものの、金本の拳はブルブルと震えていてとても大丈夫そうには見えなかった。

 

 すると、ホテルの一階ロビーの窓が全て割れた。

 

 警察官達がその身を思わず萎縮させてしまうが、いち早く立ち上がった金本と多田島にそれぞれ二人の後輩、金本の方には織田が、多田島の方には吉川が双眼鏡をもってやってきた。

 

 二人から双眼鏡を受け取って金本と多田島がロビーを見やると、中では二人の少年が戦闘を行っていた。

 

 しかし、ただの戦闘ではなく、明らかに人智を超えた、まるで魔物同士が戦っているような光景だった。

 

 一人は額狩高校の制服を着た少年でまだ表情にも幼さが残っている。そしてもう一人は子供達に人気のアニメのお面を被った男であり、彼の手には長刀といわれる刀が握られていた。

 

 その二人の戦闘はとにかく人の域を超えており、コンマ数秒の中で繰り広げられる闘争だ。

 

 少年がお面男の顎に向かってハイキックを放てば、それを掠めるようにして回避したお面男が追撃と言わんばかりに長すぎる刀で斬撃を放つ。

 

 一撃一撃が命を落としかねない必殺の攻撃であることにはどちらも変わりはなかったが、多田島や金本から見ると何処となくお面男の方が手加減をしているようにも見えた。

 

 わざと隙を作ってそこに攻撃をさせて、まるで戦闘を引き伸ばすかのような、時間稼ぎめいた戦い方に疑問を思った二人だが、それでも自分達が割り込んでいってどうにかできるものだとも思えなかった。

 

 二人は顔を見合わせながら互いに首を振ると、多田島はホルスターに収まっている拳銃に手を当てながら大きなため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 悠河との戦闘のなか、凛は外に展開している警察をみていた。

 

 ……機動服を来た人が数人いるってことは、SATが出張ってくるのかな。そうなると蓮太郎くんが心配だけど、突入される前に僕も脱出しないと。

 

「戦闘中に余所見とは僕も舐められたものですね!」

 

 喉をえぐるような突きが悠河から放たれるが、それを軽く避けて見せながら追撃として悠河の脇腹に蹴りを叩き込む。しかし、打撃は簡単に避けられた。

 

 けれどそんな事は先刻承知であり、大して驚く様子もなく二人は間合いを取る。

 

「そろそろ警察が展開してきたね。この場合、どっちが逮捕されるのかな?」

 

「間違いなく貴方です」

 

「まぁそうだよねぇ。だって、そっちは警察のお偉いさんとも仲がいいんだろう?」

 

「……どうでしょうね」

 

 悠河は涼しい顔をして答えてみるものの、内心では凛の強さに舌を巻いていた。

 

 ……強い。僕の目でも追いきれない動きも多々ある。最悪、僕を倒したアイツよりも強いかもしれない。でも――。

 

「――質問よろしいですか?」

 

「いいよ、何かな?」

 

「……なぜ本気で戦わないのですか?」

 

 その問いに凛は一瞬、鳩が豆鉄砲を食らったような表情をすると小さく笑みを浮かべて刀をその場に突き立てた。

 

「やっぱりばれてたみたいだね。何で本気で戦わないか……ね。僕が本気で戦っちゃうと、このホテル崩しかねないし、外の警察の人にも迷惑かかるからじゃダメ?」

 

「ホテルを崩しかねない? 冗談も休み休み言ってくださいませんか?」

 

「うーん、冗談でもないんだけど……まっいっか」

 

 凛は肩を竦めると床に差した黒詠を引き抜いて刀を持っていないほうの手で彼を誘った。

 

「それじゃあ続きでもする?」

 

「いいですよ、というよりも貴方はここで潰しておいた方がよさそうなのでここで殺させていただきます」

 

 二人は互いに態勢を低くして、同時に床を蹴るとそれぞれ凛は黒詠を下段に、悠河は拳を構えながら駆ける。

 

 しかし、二人の戦闘は思わぬ形で中断されることとなった。

 

「ッ!」

 

「ッ!」

 

 何かの気配を察知した二人はそれぞれ真逆の方向に飛び退く。そんな彼等の眼前を何か大きな物体が通り過ぎていった。

 

「アレは……」

 

 最初に声を漏らしたのは悠河だ。

 

 凛も同じように飛び込んでた物体を見やる。

 

 それは一言で言うのなら鎖がついた鎌だった。所謂鎖鎌というやつだろう。しかし、問題なのはその形状だ。その鎖鎌の鎌の部分は異常なまでに大きかったのだ。大きさからすると、人が創作して作り出した死神の大鎌のような大きさだった。

 

 けれど、その大鎌の刃の部分には鮫の歯の様な細かく鋭利な刃が付いていて、チェーンソーのようだ。

 

 二人がそちらに目を取られていると、悠河のスマホが鳴る。

 

「はい」

 

『グッドイブニーング。ようダークストーカー、苦戦してるみてぇじゃねぇのよ。手伝ってやろうかぁ?』

 

「……その必要はありません、貴方は自分の任務を完遂してください。リジェネレーター」

 

『まぁ俺はお前のサポートだからなぁ。けどよぉ、そこのヤツと戦いてぇのはいいんだが……お上からの命令だ、今すぐ戦闘を中止して里見蓮太郎の始末に行けってよ。今から引き上げてやるから、鎌につかまれ』

 

 その命令に悠河は小さく舌打ちをすると、スマホをしまいながら凛に告げた。

 

「残念です、どうやら貴方とこれ以上戦う事は出来ないようだ。では」

 

 彼が言うと同時に壁に突き刺さっていた大鎌が引き抜かれ、悠河はそれに掴まりホテルから脱した。

 

 そんな彼を見送りながら、凛は警察官が突入してくる前にエレベーターに乗り込んだ。

 

「もしもし摩那? 今何処にいる?」

 

『ホテルからちょっと離れたビルの屋上』

 

「蓮太郎くんはまだ屋上に出てない?」

 

『さっき警察のなんだっけ……SAT? が入っていたのが見えたから多分面倒なことになってるんじゃない?』

 

 凛はそれに多少なり心配を抱いたが、機械化兵士である蓮太郎がSATに負けるとは思えないので、余計な心配を振り払った。

 

「摩那、蓮太郎くんが上がるのが見えたら一回周りを見回して狙撃手がいないか見てね」

 

『了解。そいつは倒しちゃうの?』

 

「いいや、けん制だけでいいよ。適当に小石を投げつける程度でね。絶対に戦おうなんてことは起こさないように。あと、そろそろ焔ちゃん達が来るから」

 

『あいあいー』

 

 ちょっとだけ間の抜けた声を聞きながら通話を切ると、エレベーターのインジケーターを見やりながら小さく溜息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 凛との通話を終えた摩那はスマホをポケットに入れると、ビルの貯水タンクに上って周囲のビルを見回した。

 

 ……今のところは誰もなしか。でもさっき大鎌に回収されてた人がくるかもしれないから、気は抜けないかな。

 

「あー……。出来れば何事もない方が良いけど……そうでもないんだろうなぁ」

 

 そんなことを呟いていると、ビルの屋上伝いに焔と翠がやってきた。

 

「摩那さん」

 

「ん、待ってたよー。とりあえず、今あのホテルの屋上から蓮太郎が出てくるの待ってるんだ」

 

「それじゃあ、蓮太郎くんが出てきたら私達がサポートをする感じ?」

 

「そだねー。凛は今同じホテルのエレベーター乗ってるみたい。あ、あと敵を発見しても決して本気の戦闘はせずに、けん制だけで良いってさ」

 

 二人に説明していると、翠が鼻と耳をヒクヒクと動かしてホテルを見た。

 

「里見さんが出てきたみたいです」

 

「ホントだ。さて、それじゃあ私はあっちから回るから、二人は逆側から回ってくれる?」

 

「はい」

 

「りょーかい」

 

 焔の指示に二人は頷くと、三人はそれぞれ自分達の持ち場へと駆けて行く。

 

 

 

 

 

 

「摩那さん。凛さんの戦闘はどんな感じか見ていたんですか?」

 

 ビルの上を飛びながら翠は摩那に問うた。

 

「ううん、最初に刀を投げ込んだけどそれ以降は見てないよ。でも一つだけいえるのは……凛と戦おうとしたやつ、凛なら勝てると思うよ」

 

「凛さんが優勢と言うことですか?」

 

「そうだね。相手のヤツも普通に見ればすごく強いと思う。蓮太郎でも苦戦すると思うし、私達みたいなイニシエーターもそうかも。けど、凛が負けるビジョンが想像付かないんだよね」

 

「なるほど……」

 

 納得したように翠が頷くが、「ただ」と彼女が続ける。

 

「途中ででっかい鎖鎌を投げ入れたヤツは……ちょっとばかしやばいかも」

 

「大きな鎖鎌?」

 

「うん、ホテルの向かいのビルから投げ込んだヤツがいたんだよ。顔は見えなかったけど、殺気はかなり強かった」

 

 摩那の瞳は真剣そのものであり、僅かな気迫さえも伝わってくるほどだった。

 

 すると、摩那が立ち止まって蓮太郎を見やる。

 

「ちょっとまって……蓮太郎まさか、飛ぶ気!?」

 

「え!?」

 

「だって助走するために下がってるし、確かに足にはスラスターが付いてるから飛べるかもしれないけど、一歩間違ったら」

 

 そこまで言ったところで蓮太郎がゆっくりとした速さで駆け出し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 摩那と翠から分かれた焔は隣接したビルの屋上を走りながら、時折双眼鏡で周囲を見回していた。

 

「ん?」

 

 注意しながら見回していると、ホテルから凡そ二百メートルほど離れているビルの上。ライトアップされた広告看板の脇に人影がいるのを発見した。

 

 同時に、その人影がライフルのようなものを持っているのも見えた。

 

 ……まずい。

 

「ちょっとそれはやばいって!」

 

 言うが早いか焔は広告看板に向かって全力疾走。

 

 途中、あまり隣接していないビルがあったが、それは強化ワイヤーを使うことによって乗り切った。

 

 そして広告看板手前まで来ると強化ワイヤーを鉄骨に巻きつけ飛び上がると、狙撃手に向かってクナイを投げつける。

 

 クナイが当たるか否かの瞬間、狙撃手は身体を捻ってそれを避ける。

 

「流石にやらせるわけにはいかないんだよね」

 

 十分な間合いを取りながら焔は狙撃手に言う。すると狙撃手はゆっくりと立ち上がり、焔を見据える。

 

 広告看板のライトで照らし出された顔は所謂美男子だった。しかし、焔からすればそんなこと大した問題ではない。

 

「アンタがさっきあのホテルで戦ってたやつ?」

 

「ええ、そうですよ。それにしても、今日は随分と邪魔が入る」

 

 やれやれと大きなため息をつきながら少年が言っても焔は戦闘態勢を解く事はない。

 

 それは、少年から発せられる威圧感が尋常ではなかったからだ。

 

 ……すごい殺気。それにこれで全開ってわけでもなさそうだし。

 

 焔は戦闘態勢を解かないが、少年はいたって普通な表情で見てきた。

 

「貴方は里見蓮太郎の仲間ですか?」

 

「どうなんだろ、まだ会ったことも話したこともないんだけど」

 

「そうですか、まぁそんな事はどうでも良いです。ところで、今の攻撃で本当に僕の狙撃を防いだおつもりで?」

 

「え?」

 

 少年の言葉に思わず疑問符を浮かべてしまったが、彼女の視界の端ではホテルの屋上から蓮太郎が飛び出すのが見えた。

 

 ……どういうこと? まさかホテルの近くのビルに協力者がいるってこと? もしコイツが例の四人なら、後三人何処かに控えているって言うの?

 

 その可能性は十分にあるが、焔が考え込んでいると、少年は小さく笑みを浮かべて告げた。

 

「貴方が想像しているであろう三人のうち二人はいませんよ。ここにいるのは僕ともう一人です。さっき僕が言ったのはこういうことですよ」

 

 言うと同時に彼は足元にあったライフルを片足で押すとビルから落とした、そしてそれに続くように少年も落ちていく。

 

「なっ!? ちょ、待て!」

 

 すぐさま落下した少年の姿を目で追おうとしたが、次の瞬間、焔は凄まじいものを見てしまった。

 

 少年が落ちながらライフルを滑空中の蓮太郎に向けていたのだ。

 

 そしてライフルからオレンジ色の銃口炎が吹き上がる。

 

 瞬間、蓮太郎を見やると遥か二百メートル先の空中であと少しというところまで飛んでいた彼の体勢が崩れているのがわかった。

 

 ……まさか当てたの!? 落下中に!?

 

 驚きも束の間焔が少年に視線を向けると、まだ彼は落下し続けていた。けれど、そんな彼を救出するように彼の真横に鎖大鎌が投げ出された。

 

 少年がそれに掴まると鎖が巻かれ、引き上げられて別のビルに彼は降り立った。

 

 彼はそのままビルの中に消えていったが、その後姿を見やりながら焔は下唇を噛んで悔しさを露にしていた。

 

 すると、そんな状態の彼女の耳に聞き覚えのある声が聞こえてきた。ホテルのほうからだ。

 

 双眼鏡を覗き込むと、またしても驚かされることとなった。

 

「摩那ちゃん!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蓮太郎は自分が落下しているのがわかった。

 

 腹部には銃創があり、止め処なく血が溢れている。

 

 ……クソッタレ。あんなのありかよ。

 

 落ち始めてから銃弾が飛んできた方向を見やった蓮太郎の目には、ライフルを構えた『ダークストーカー』こと、巳継悠河の姿があったのだ。

 

 しかし、彼の狙撃の方法は尋常ではなかった。なんと二百メートルほど先にある広告看板のあるビルから落下しながら自分の腹に銃弾を当てたのだ。

 

 ……でもアイツがあそこにいたってことは凛さんが負けたのか? いいや、あの人が負けるわけねぇ。多分アイツの援軍があったんだ。それか警察が踏み込んだと同時に混乱にまぎれて外に出たのか。

 

 こんな状態であっても思考をめぐらせる自分に内心感心しつつも、落下速度はどんどんと上がっていく。

 

 ……下は……川か。でも、この高さじゃ骨がバラバラになっちまうな。最悪、即死か。

 

「くそっ。まだ……何もしてねぇってのに」

 

 呟きながら脳裏に浮かんだのは、大切な相棒である延珠。そして死闘の末わかりあうことの出来た少女、ティナ。想い人の木更だった。

 

 ……けど、俺が死んでも……凛さんたちが何とかしてくれるか……。

 

 あきらめ、目を閉じて落下に身を任せようとした時。誰かに名前を呼ばれたような気がした。

 

「……っかり!! れん……ろうッ!」

 

 これが走馬灯と言うやつなのだろうか。最近の走馬灯は音声付きなんだと馬鹿なことを想像していると、そんな考えを吹き飛ばすような怒声が聞こえてきた。

 

「しっかりしろ蓮太郎ッ!! 目ぇあけてこっち見ろ!!」

 

 いや、これは走馬灯などではない。

 

 すっかり重くなったまぶたを開けると、ホテルの外壁を真下に向かって走っていた摩那がいた。

 

「摩那ッ!?」

 

「気が付いた!? 今からそっちに飛んで川に落ちてあげるから、対ショック態勢とってよね!」

 

「お、おう!?」

 

 返事をした瞬間、摩那は外壁が大きく凹み、尚且つ蜘蛛の巣状のひびが入るほど蹴った。

 

 次の瞬間、摩那が弾丸のように突っ込んできて思わず胃の中のものが出そうになったが何とかこらえた。

 

「お、お前無茶しやがって!」

 

「黙って! ホラもう川に突っ込むよ!!」

 

 彼女の声が聞こえたと同時に、蓮太郎は身を丸めて対ショック態勢をとった。

 

 それから一秒もしないうちに大きな水しぶきと水柱が上がり、二人の姿は暗い川に消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「摩那さん……なんて無茶を」

 

 ホテルの屋上から蓮太郎と摩那が落ちた川を見下ろしながら翠は呟いた。

 

 蓮太郎が狙撃され、体勢を崩した瞬間、摩那は「蓮太郎を助ける!」とだけ告げてホテルの外壁を真下に向かって走ったのだ。

 

 そして、彼女は見事に蓮太郎をつかんで川へ落ちることに成功した。

 

 もし蓮太郎が重力のままに川に落ちれば重傷も免れなかったかもしれないが、摩那が途中でスピードを殺したため命だけは何とかなっただろう。

 

「でも、さすがにこのままでは……」

 

 呟き、自分もなにかしなくてはと動き出そうとすると、屋上に凛がやってきた。

 

「翠ちゃん、蓮太郎くんは?」

 

「里見さんは向こう側のビルに渡ろうとした途中で何者かに狙撃されてしまって……。落下していたんですけど、摩那さんが外壁を走って今は川の中です」

 

「そっか……うん、わかった。とりあえず、摩那は蓮太郎くんに任せて僕達はここから退避しよう。その内警察が乗り込んでくる」

 

 屋上から下の警察官達を俯瞰しながら凛が言うと、翠は驚いた表情を表情を浮かべていた。

 

「し、心配じゃないんですか!? スピードは殺していたとしても、川に落下したんですよ!?」

 

「いいや、心配だよ。今すぐにでも二人の生存を確かめにいきたいくらいだ。でもね、摩那は自分ならできるって思って蓮太郎くんを助けに行ったんだ。だから、きっと大丈夫。あの子は強いし、蓮太郎くんもこの程度じゃ死ぬ事はないよ」

 

 彼は拳を硬く握り締めており、眉間にも深く皺がよっていた。同時に、翠からすればそれだけ凛が摩那を心配していると言うことも理解できた。

 

 その後、悠河を取り逃がした焔が申し訳なさそうに戻ってくるが、凛はそれを責める事はなく「よく無事だった」と、ほっと胸を撫で下ろしていた。そして三人はいったん事務所へ戻ることとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蓮太郎と摩那が落ちた川ではすぐさまダイバーが派遣されて捜索が行われたが、結局見つけ出す事は出来なかった。

 

 そこから離れること一キロほどの下流で、摩那が蓮太郎を担ぎながら水面から顔をのぞかせると、そのまま近場の岸辺に上がった。

 

「ゲッホゲホッ! あー、死ぬかと思った。蓮太郎は大丈夫?」

 

 声をかけても蓮太郎から返事が返ってこなかった。

 

「え!? 蓮太郎ちょっと! まさか……死んだっ!?」

 

「……勝手に……殺すな」

 

「よかったー生きてたー」

 

 どうやら疲れきって声を出すことが出来なかったようだ。しかし、悠長なことも言っていられないのは確かであり、彼の腹部の銃創からは血がドクドクと流れ出していた。

 

「とりあえず止血しなきゃ」

 

 来ていた服を脱ぎ捨てると、水気を切り、それを蓮太郎の傷に押し当てる。瞬間、腹部に激痛が走ったのか、蓮太郎は顔を歪める。

 

「我慢して。血を止めなきゃ死ぬだけだよ」

 

「ああ……わかってる。摩那、銃弾は貫通してるか?」

 

「うん、後ろまで貫通してるのが見えるから残ってないと思う」

 

「そっ、か。……摩那、助けてくれてさんきゅな」

 

「気にしないで良いよ。それよりも今は血を止めないと」

 

 その言葉に「ああ、そだな……」とだけ蓮太郎が答えたが、すぐに気を失ってしまった。恐らく心労や身体的疲労がたまっているのもあるのだろう。

 

 しかし、それに反して傷口からは血があふれ出している。

 

「このままじゃ……」

 

 なんとか腹部を押さえて大量出血は抑えているものの、このままではどちらにせよ蓮太郎の命が危ない。

 

 ……でも病院は無理だよね。

 

 眉間に皺を寄せて考え込んでいると、近場の橋から通じている階段を誰かが下りてくるのがわかった。

 

 瞬間的にそちらを睨んでクローを装着すると、そこにはショートボブの少女がいた。しかし、摩那は彼女と彼女の匂いに覚えがある。

 

「貴女は確か……」

 

 その問いに少女は答える事はなく、彼女の瞳が赤く光った。




こ、今回は誤字がないはず!ちゃんと見直しもしたし!!(誤字がないと信じたい)

はい、今回は蓮太郎くん打たれちゃいましたねー……
まぁ原作とは違う撃たれ方でしたがw
多分悠河ならアレぐらいできるって、リジェネさん以外と仲間思いw
そして異常なまでに凛が強いと言うことが再確認ですね。まぁなんといっても十三位ですから……(震え声)
けれど、摩那の直滑降と見事な空中キャッチによって川に落ちたけど無事救出。
凛くんお面を被ったことによりなんだが影胤みたいな性格になってないか……?

次は、蓮太郎と火垂が会って、摩那がそこにいる感じですね。そのまま、彼女が蓮太郎と一緒にいるかどうかは、内緒です。
気付いてみれば未織ちゃんがいないジャマイカ……。
ま、まぁ逃亡編終わったら未織をメインにしたお話を何話かやるつもりですハイ。

アカメの二次創作どうしようかな……どっちかに絞らないといけないんだけど……ドSなあの人の関係者が主人公か、全くオリジナルの主人公か……。

では、感想などありましたらよろしくお願いします。


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第五十四話

 顔に吹き付ける涼風で蓮太郎は目を覚ました。

 

 ぼんやりとした視界がやがて鮮明になり、蓮太郎は仰向けで寝かせられていると言うことがわかった。

 

 頭がボーっとするが、なんとか生き残ったようだ。どうやらここはどこかの民家の一室のようで、室内は襖が閉められた和室で、エアコンが冷たい風を送っていて夏の暑さは感じられなかった。

 

 靄がはったような頭を覚醒させるために軽く頭を振ると、ゆっくりと起き上がる。瞬間、腹部に痛烈な痛みが走り思わず顔をゆがめる。

 

 上半身は裸にされているようで、腹部には包帯がきつく巻かれていた。血も出ていないことから出血は収まっているようだ。 

 

 けれどどこか焦げ臭いのはなぜだろう。

 

 すると、またしても声が聞こえてきた。

 

「昨日凛から説明を聞いたと思うけど、水原さんはこの二つ、『新世界創造計画』と『ブラックスワンプロジェクト』がどういうものかを知って五翔会って連中に殺されたんだよ」

 

「それは貴女のプロモーターから聞いたわ。確かに、思い返してみれば殺される日まで鬼八さんの様子はおかしかった……。でもその二つはまだわかっていないんでしょう?」

 

 声は襖を挟んだ向こう側の部屋から聞こえてきた。一人は聞き知った摩那のものだったが、もう一人はつい最近聞いたような声だった。

 

 腹部が痛むため押さえながら立ち上がり、そのまま襖に手をかけ開ける。

 

「あ、蓮太郎やっと起きたー」

 

「摩那……。ここは……って、お前は確か」

 

 襖の向こう側の部屋には摩那とショートボブが特徴的な少女だった。

 

「どうも、里見蓮太郎。私のことわかる?」

 

「……ああ、水原のイニシエーターだろ。名前は紅露火垂、というかどうしてお前がここに?」

 

「怪我した蓮太郎を川から引き上げたあと、ちょうど火垂がいてね。そのままここまで一緒に運んだってわけ」

 

「最初は殺すつもりだったのだけれどね」

 

 肩を竦めながら言う火垂に苦笑いをうかべつつ、その場に腰を下ろして問うてみた。

 

「最初はってことは今は殺す気はないってことか?」

 

「そうね。少なくとも今は貴方を殺そうとは思っていないわ、摩那のプロモーターの断風凛って言う人から今回の事件について色々教えてもらったから」

 

「そうか……」

 

 安心してほっと胸を撫で下ろしたのはいいものの、ふと目に付いたテレビのニュース番組の日にちを見た瞬間、驚愕してしまった。

 

「アレから三日も俺は眠ってたのか」

 

「うん、もう死んでんじゃないかってくらい寝てたよ。多分、傷もあると思うけど今までの疲れが来たんだろうね。でも、これからどうする? いったんウチの事務所に行く?」

 

 摩那が問うてくるものの、蓮太郎は首を横に振ってそれを否定した。

 

「いいや、それはダメだ。俺が動けばそれだけ目立つ、それに凛さんたちのとこには木更さんもいるんだろ? だったらあの人を危険な目に合わせるわけにはいかねぇ」

 

「そう、まぁ良いけどさ。それじゃあこの後どうすんの?」

 

「……俺なりに水原が『新世界創造計画』と『ブラックスワンプロジェクト』の何を知ったのか、調べに行こうと思ってる。あいつは、俺に何かを伝えようとしてくれていた。だから、アイツが俺に伝えたかったことを俺が調べてみようと思う」

 

「本気? 世間的には蓮太郎は死んだ事になってるから、バレたら一大事だよ?」

 

「それでも俺は、やらなくちゃならねぇ」

 

 覚悟を決めた眼光に摩那は小さくため息をつくと、呆れながらも頷いた。

 

「わかった、それじゃあ私も手伝うよ。凛には事情を説明してあるし、それに蓮太郎も延珠と同じスピード特化の私がいた方が何かとやりやすいでしょ?」

 

「いいのか?」

 

 問いに対し、摩那は静かに頷いた。

 

 確かに、彼女の申し出は蓮太郎にとってもありがたいものであった。摩那と延珠は同じスピード特化型のイニシエーターだ。得物は違えど、驚異的なスピードを持っていることには変わりはない。

 

 それに指示を出すのも延珠と同じやり方で間違いはないだろう。

 

 すると、話を聞いていた火垂が蓮太郎に救急箱を渡して告げた。

 

「私も行くわ。でも、勘違いしないでね? 貴方の為じゃなくて、鬼八さんを殺したダークストーカーってヤツと、暗殺を指示した櫃間って男を殺すためだから」

 

「復讐をするためだけならやめろ。水原はそんなこと望んじゃいない」

 

「綺麗事ね。安い刑事ドラマみたい。いい? 例え鬼八さんが私に復讐をして欲しくなかったとしても、私は鬼八さんを殺した奴等が許せないのよ」

 

 彼女の瞳は赤熱しており、その奥には憤怒の炎が見え隠れしていた。

 

 しかし、蓮太郎は内心で彼女の言うことも尤もだと思った。確かに今のセリフは安い刑事ドラマやサスペンスドラマのような御伽話のようなセリフだ。

 

 死者と話せるわけでもないのに『○○は復讐を望んでなんかいない』、『そんなことをすれば○○が悲しむだけだ』。こんなセリフはただの気休め程度だ。いや、気休めにすらならず、むしろ逆効果にもなりうるだろう。

 

 菫が聞けば『人間は何でもかんでも自分達に都合のいいように作り変えるものだからね。だからそんなセリフも生まれてくる。けど、それはただの幻想にしか過ぎないと私は思うよ』なんていいながらニヒルな笑みを浮かべることだろう。

 

「……わかった。だけど、あまり無茶はするなよ」

 

「そんなのわかってるわ。貴方に指図されなくてもね。でも、一応貴方には謝っておくわ。鬼八さんを殺されて周りが見えなくなっていたとはいえ、行動が軽率すぎたわ。犯人だと思ってて悪いわね」

 

「もう済んだことだ。気になんかしてねぇよ。あの状態じゃ俺が疑われるのしょうがねぇ。しかしだな、ここでお前等二人に聞きたいことがある」

 

「「?」」

 

 二人は前から打ち合わせていたかのように小首をかしげた。

 

「俺のこの傷はどうやって塞いだんだ?」

 

「「焼いて直した」」

 

「……あぁうん、大体わかってた。焦げ臭かったしな」

 

 若干遠い目をしながら包帯をほどき、蓮太郎は傷口に救急箱から取り出した生体ノリを取り出して貼り付ける。

 

 ひんやりとしたノリが心地よかったが、同時に痛みも走った。ノリをきれいに貼り終えると、その上から新しい包帯を巻いていく。

 

 包帯を巻き終え、服を着たところで火垂が黒い何かを放った。

 

 キャッチし黒い物体を見ると、それはナイロン製のヒップホルダーだった。一つはナイフ用と、もう一つは銃のものだった。

 

「SATからくすねたやつか。ナイフはいいとして、銃は……ベレッタか」

 

「そういえば蓮太郎はいつもXD拳銃使ってたけど、ベレッタで平気なの?」

 

「使えねぇことはないだろ。けど、やっぱり扱いが少し違うんだけどな」

 

「XDなんて安銃よく使う気になるわね」

 

「うっせ、俺はあれに慣れてんだっつの」

 

 火垂に対して言ってみるものの、彼女は摩那に目を移して問いを投げかけた。

 

「摩那、貴女は銃を持たないの?」

 

「うーん、銃って使ったことないんだよねぇ。それにスピード特化型だからこういう近接武器の方が私の性に合ってるんだよ」

 

 腰のホルスターに収まっている黒刃のクローを見せながら摩那が言うと、火垂は「それもそうね」とだけ告げた。

 

 すると、それを見ていた蓮太郎の腹がなった。

 

「死にかけていたのにお腹って空くのね」

 

「俺の意思とは反してっけどな。ちょっと台所借りるぞ」

 

「お好きにどうぞ。ここは鬼八さんの部屋じゃないし」

 

 彼女の言葉に思わず眉をひそめてしまった。しかし、改めて室内を見回してみると確かに物が足りないように見える。

 

 水原は火垂を実の妹のように大切にしていた。それなのにベッドが一つしかないのはおかしい。

 

「じゃあ、ここは何処なんだ?」

 

「火垂がIISOに捕まらない様に逃亡した、外人とか、所謂カタギじゃない人たちが使ってる非合法のアパートみたいなものだよ」

 

「なるほどな……確かに、こんなところならIISOの局員も予想はしないか」

 

「納得したならさっさと食事を済ませたら? あと、私の事は名前で呼んでくれて構わないわ。『お前』なんて呼ばれるのは好きじゃないの」

 

「ああ、わかったよ。火垂」

 

 火垂はそれに対し頷くと摩那と事件のことについて話し始めた。

 

 そんな彼女等を見つつ、蓮太郎はとりあえず空っぽになった胃に何かを入れるために調理を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふーむ……。やはり解せないな」

 

 黒崎民間警備会社の社長用のデスクで、零子は高級な椅子にもたれかかりながら大きくため息をついた。

 

「やっぱり気になりますよね?」

 

「ああ、気になることだらけだよまったく」

 

 苛立たしげに凛の問いに答えた彼女はタバコを取り出し、紫煙を燻らせる。

 

 一番気になっているのは、警察の展開の早さだった。あの時、木更が蓮太郎から連絡をもらって彼が勾田プラザホテルにいるという情報は、事務所にいたものしか知らなかった。

 

 更に付け足すならば木更が連絡した凛と摩那も含まれる。

 

 しかし、その中の誰も警察には連絡などしていない。それはそうだ、蓮太郎を守るべくして動いている自分達が蓮太郎を売るなどする事はない。

 

「考えられるとすれば……この事務所内が盗聴されている可能性があるということと、木更ちゃんの携帯に盗聴器が仕掛けられている可能性だな」

 

「どちらかというと後者じゃないですかね。事務所には零子さんがいますから何か物音が合ったら気付くでしょう?」

 

「まぁな。ふむ、彼女が帰ってきたら一度携帯を調べさせてもらうか。あ、カンペを忘れるなよ? 盗聴している側にはばれていない風を装うからな」

 

「了解しました」

 

 凛はそれに頷くとパソコンでカンペを作り始めた。

 

 それに続くように自分も木更のスマートフォンを分解する工具を取り出して準備をする。

 

 全ての準備が終わり準備万端となった頃、事務所の扉が開いた。

 

「ただいま戻りました。すみません、途中で例の櫃間が声をかけてきたものでして」

 

 言いながらコンビニ袋を片手に入ってきたのは焔だった。そして彼女に続くように翠、木更、夏世の順で事務所に入ってくる。

 

 事務所に入った四人はまだ話を続けていたが、そこへノートパソコンを持った凛が声をかけた。

 

「お昼は何を買ってきたの?」

 

 それに対し木更が答えようと凛の方に振り向いて話をしようとしたところで、木更の瞳にパソコンの画面が写った。

 

 彼女の様子に他の三人もパソコンを覗き込む。

 

 画面にはこう書かれていた。

 

『盗聴されている可能性があるからこれを見たら普通を装って。木更ちゃんはスマホを零子さんに渡して』

 

 四人がそれを全部読み終えると、凛は口元に手を当てて人差し指を立てた。四人もそれに頷くと、木更が先ほどの質問に答えるように告げた。

 

「えーっとですね、お昼ごはんはコンビニ弁当とサンドイッチ、あとはおにぎりですね。いっぱい食べたい人はお好きにどうぞ。あとは、飲み物もちゃんと買ってきました」

 

「ありがとう、それじゃあ木更ちゃんは零子さんにお弁当を渡してくれる?」

 

 木更はそれに頷くと弁当とお茶を持って零子の元まで行った。同時に、ポケットからスマホを取り出して彼女に渡す。

 

「どうぞ、零子さん」

 

「ん、悪いね」

 

 短く言って弁当とスマホを受け取ると、零子は静かにスマホをデスクの上に置いた。

 

「さて、とりあえず腹ごしらえをしよう。話はそれからだ」

 

 わざとらしく言うと、皆がそれに返事をしてそれぞれ弁当を広げた。

 

 零子も弁当を広げるが、彼女の手には箸ではなくドライバーやらピンセットなどといった工具がもたれていた。

 

 既に凛達は他愛のない話を始めており、零子も時折その話に加わりながらスマホを分解する。

 

 そして分解している途中で零子の動きが止まった。

 

 ……あった。

 

 内心で「ビンゴ」と思いながらも声には出さずに凛にアイコンタクトを送る。彼もそれに頷くと事務所の棚から防音加工のケースを取り出して彼女の元まで持っていく。

 

 デスクの上に置かれたケースの蓋を開け、零子はピンセットでスマホ内部に仕掛けられていた盗聴器を取り出して、ケースの中へゆっくりと入れ、音がたたないように蓋を閉める。

 

「ふぅ……これで完了だ」

 

「やっぱり盗聴器でしたか」

 

「ああ。けれどあれは多分電話の時だけに働くものだろうな。したがって私達がつかんだ情報があちらにもれている事はないだろう」

 

「でも、一体いつつけられたんでしょうか」

 

 木更が心配そうに聞いてくるが、零子は肩を竦めた。

 

「それはわからないな。君が眠っている時かもしれないし、お見合いの時かもしれないし、まぁどちらにせよこれで会話が聞かれる事はなくなったわけだ。そういえばさっき櫃間がコンタクトを取ってきたらしいが?」

 

「そうなんですよ! 私達がコンビニから出たら、まるで待ち構えていたみたいに、すぐに木更に声をかけてきて。すごく不甲斐無さそうな顔をしながら「すみません、私の力不足で里見くんを……」とか言ってきたんですよ!? ホント人をなんだと思ってんだか、ねぇ翠」

 

「はい。同情を誘うような顔をしていてとても不快に思いました。全部あの人が命令しているのに」

 

「まぁそうですね。流石にアレは私もどん引きです」

 

 口々に言われる櫃間に対する暴言に零子は肩を揺すって笑った。

 

 ……まったく、滑稽だな櫃間篤郎。

 

 笑みの中には残忍性もはらんでいたが今はそんな事はどうでもよい。

 

「それで木更ちゃんからも何か言ってやったのか?」

 

「もちろんです。あの人、「里見くんの代わりと言ってはなんですが、私を頼ってくださってもいいんですよ?」なんて言って来たんでこういってあげました。

 『私には里見くん以外にも支えてくれる人たちがたくさんいますからご心配なさらず。あと、勝手に里見くんを殺さないでくださいますか? 彼はあんなことで死ぬような男じゃありません』って」

 

 とてもすっきりとした顔で言う彼女に、零子を含めその場にいた全員が爆笑した。

 

「ハハハッ! いやはや、言われた時のヤツの顔が見てみたいな。さぞ悔しかっただろうなぁ」

 

「そうですね。自分の思い通りに木更ちゃんを篭絡できると思っていたんでしょうが、本当にご愁傷様です」

 

 肩を竦めながら凛も冷笑を浮かべた。

 

 すると、夏世が凛の服の袖を引っ張って彼に問うた。

 

「ところで、里見さんと摩那さんは大丈夫なんですか?」

 

「うん。さっき摩那から連絡があってこれから水原君の殺害現場に行ってみるってさ。摩那は延珠ちゃんがいない蓮太郎くんの臨時パートナーとして動くみたい」

 

「なるほど。紅露火垂も同行する形ですか?」

 

「そうだね、摩那から聞いた話だとそうみたい。まぁ下手に僕達が動くと、蓮太郎君たちも動きづらいだろうからこっちは別行動をするけどね」

 

 凛はそういうと事務所のドアノブに手をかけて零子に告げた。

 

「それじゃあ零子さん。ちょっと調べものがあるので行って来ます」

 

「わかった、行って来い」

 

 凛を送り、タバコを灰皿に押し付けると零子は食べ進んでいない弁当をかき込んで昼食を終える。焔たちは食べ終えていない昼食をたいらげるために席へと戻った。

 

 そしてもう一度タバコに火をつけたところでデスクの上においておいたスマホが鳴り、通話ボタンをタップする。

 

「もしもし?」

 

『どうも、零子さん。少し振りです』

 

「おや、杏夏ちゃん。君が電話してきたってことは……出来たのかな?」

 

 問うてみると、杏夏は少し黙ってから短く笑うと答えた。

 

『……はい、出来ましたよ。超長距離狙撃用の弾丸、名付けて「ガングニエル」』

 

「『ガングニエル』ね。随分とかっこいい名前だな。だが、嫌いじゃない」

 

『今から持っていくので、夜にでも試し撃ちして見ますか? 作れたのは5発だけですけど』

 

「そうだな、一応二回ほど撃って感覚をならして置くか。それじゃあ待っているよ」

 

 零子の言葉に杏夏は「はい」とだけ答えて通話を切った。

 

「ヘカートの手入れでもしておくか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 凛はバイクを走らせながらある場所を目指していた。

 

 そのある場所とはガストレアの死体安置所だ。ガストレアは倒した後、そのガストレアの情報を解析するために一旦死体を解剖される。

 

 菫もそれをやっているが、凛も実際に行ってみるのは初めてだ。

 

「確か水原くんが最後に倒したのは飛行型のガストレア……それが今安置されているのは……ここか」

 

 バイクの液晶画面には水原と火垂が屠ったガストレアが安置されている死体安置所までのルートが表示されていた。

 

「まずはそこに安置されているガストレアに何かしらの情報があるはず」

 

 急加速の影響でエンジンが唸りを上げるが、特に気にせずに突き進む。




今回はそこまで物語は動きませんでしたが、いろいろ準備が整ってきましたね。
次で蓮太郎が水原の携帯を発見してハミングバードの登場までいけたらいいんですが……はてさてどうなるやら。

ガングニエル……まぁグングニルを適当にそれっぽくしただけです。
普通に英語で訳したりすると「ウルトラロングスナイプバレット」ということになってしまうので、それよりは伝説上の武器を参考にしたほうが良いかと思った次第ですはい。

凛はしばらく単独行動ですね。
そして蓮太郎は摩那がいることによって延珠と同じ指示が出せて色々楽になると……アレ? 火垂いなくね? とか言っちゃダメ。

では感想などありましたらよろしくお願いします。


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第五十五話

 ガストレアの死体安置所に到着すると、凛は受付の係員に民警ライセンスを見せた。受付の係員はライセンスを見ると「少々お待ちください」とだけ告げて奥へと消える。

 

 適当な椅子を見つけてその場に腰を下ろしてからやや前傾姿勢になりながら、凛は思考を回転させる。

 

 ……もし、水原くんが倒したガストレアに何かしらの手がかりがあるのなら、それが事件を導く鍵になるはず……。

 

 なんてことを考えていると、不意に声をかけられた。

 

「四四九〇号のガストレアを拝見したいってのはお宅かい?」

 

 立ち上がりながら声のほうを見やると、ボサボサ頭の男性が面倒くさそうにしていた。胸にかけられた名札には柴田と書かれていた。

 

「ええ、お時間はかけませんので」

 

「まぁ別にもう死んでるのは確認できた死体だから、いくら見てったって構いやしないけどさ。そんじゃ、一応規則だからライセンス見せてくれる?」

 

 だるそうに手を出した彼に、民警ライセンスを渡す。柴田はライセンスを一瞥すると軽く頷いてから告げる。

 

「そんじゃ、ここにサインして」

 

 手渡されたボールペンを受け取ってペンを走らせ、サインを書き終えると、ライセンスを返されそのまま奥へ案内された。

 

「にしてもお宅、変わってるねぇ」

 

「そうですか?」

 

「あぁ、民警がガストレアの死体を見たいなんてあんまり言って来ないしね。差し支えなければ何をしに来たのか聞いてもいいかい?」

 

「構いませんよ。こちらもお仕事の時間を頂いて見に来させていただいているわけですから」

 

 青白いLEDが照らす不気味な通路を歩きながら答えると、柴田が問う。

 

「そんじゃ、なんで四四九〇号のガストレアを見たいんだい?」

 

「調べものがありまして。そのガストレアが大きな手がかりになりそうなんですよ」

 

「手がかりって……まるで探偵のようなことをしているけど、何かあったのかい?」

 

「友人が少し面倒ごとに巻き込まれておりまして、そんな彼の手伝いといったところですよ」

 

 薄く笑みを浮かべて見せると、柴田は肩を竦めてそれ以上は聞かなかった。

 

 そのまましばらく無言のままでいると、青白い光りに照らされてぼうっと浮き出るように、所々錆びた鉄格子が現れた。

 

 柴田が鍵穴に鍵を差し込んで小気味よい音と共に解錠され、鉄格子が内開きに開き、そのまま鉄格子を越える前と同じように柴田を先導として二人は更に奥へと進んでいく。

 

「どうして死体安置所に鉄格子なんて? って思ってる?」

 

 突然問われたが、凛は特に気にした様子もなく答える。

 

「多少は気になりますが、大体は予想が付きます。ガストレアには腹の中に子供を隠し持っているものもいますし、何より生命力が強い個体もいますからね。それが襲ってきた時の対処としてでしょうか」

 

「ビンゴ。大正解。そう、以前一回そういうことがあってね。いやぁあの時は参った参った」

 

 ハハッと短く笑う柴田に苦笑いを浮かべていると、どうやら目当てのガストレアがいる部屋に到着したようだ。

 

 室内に入ると壁一面に取っ手が付いており、何かが収納されているのはすぐにわかった。

 

 柴田が手元の紙に視線を落としながら指で追う様に取っ手の番号を確認していく。やがて首尾よく例のガストレアが安置されている引き出しを見つけたのか、柴田は引き出しを思い切り引いた。

 

 引き出しの中に溜められた冷気が凛の肌を撫で、人間が入るよりも少し大きめな棺おけのような直方体が現れた。

 

 その中に入っていたのはステージⅡと思われる飛行型のガストレア。鼻が異常に長く胸郭が透けたもので、十人が答えれば十人が気持ち悪いと言うだろう。

 

 いや、前言撤回。どちらかというと十人中にグロテスクなものが好きな人がいたとして、尚且つガストレアにそれほど恐怖を抱いていないものなら受け入れられるかもしれない。

 

 まぁそんな話はさておき。

 

「コイツがお宅のお目当てのガストレアさ。ハイ、手袋。好きに見て良いから」

 

「どうも。写真を撮ったり、少し身体を削っても?」

 

 投げ渡されたピンク色のゴム手袋に指を通しながら問うと「構わないよ」とだけ言われた。そして凛はスマホを片手に早速ガストレアの首を持ち上げてみる。

 

 ざっと見回しても特に異常なし。

 

 続いて、鼻、頭、羽、爪、足の順番でよく目を凝らしながら見る。けれど、これと言って不可解な点はない。

 

「となると……」

 

 呟きながら透けた胸郭と、大きく開けられた内臓に手を突っ込んでみる。冷蔵されていたとはいえ、まだ中に粘液状のものが残っていたのか、かき回すたびにグチャグチャ、ネチャネチャという気色悪い音がする。

 

 そのまま内蔵の裏まで凝視していると、不意に柴田が声をかけてきた。

 

「お宅、民警もあってるかも知れないけど、解剖医とか医者とかもあってるかもね。随分と度胸がある」

 

「ハハ、どうも……ん?」

 

 話しつつ凛は手に持った内臓の一つに何かが描かれているのを見た。

 

 手にしている内蔵には五芒星。世間一般的に言えば『星マーク』とその内一つの頂点から複雑な意匠を施された羽のようなものが描かれていた。

 

 凛はそれに覚えがあった。

 

 それは劉蔵の手紙の中でだ。

 

『五芒星と羽根を持つ者達に気をつけろ』と手紙には書かれていた。これは五翔会のことだ。同時に、『五芒星と羽根を持つ』というのは、恐らくメンバーの一人一人にこれらの刺青やら焼印が刻まれていると考えるのが妥当だろう。

 

 五芒星が所属を表しているとして、頂点から延びている羽根はそれぞれの位の高さでも表しているのだろうか。

 

 ……まぁこのガストレアが地位が高いとも思えないから、最終的にこのマークが五翔会のシンボルとでも言うのかな。

 

 溜息をつきながら内臓の写真を撮り終え、マークの近くを懐から出したバラニウムの小刀で切り取り、表皮も削り取ってから用意していたフィルムケースに入れた。

 

 最後にガストレアの全体像を写真に納めると、ガストレアを格納する。

 

「何か見つかったかな?」

 

「ええ。とてもいいものが見つかりました。あぁそうだ、処理官が来ても僕が調べた事は内密にお願いできますか?」

 

「ああ、別にいいよ。まっどうせそんなこと聞いて来ないと思うけどね」

 

「ありがとうございます。では」

 

 軽く頭をさげてゴム手袋を返却すると、凛は死体安置所を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 摩那は先を行く蓮太郎と火垂を見ながら大きくあくびをした。

 

 火垂が臨時で借りていた部屋から出た三人は、水原が殺害された現場に向かっている真っ最中だ。

 

 夏の太陽が天高く上がっている正午の街中は多くの人で賑わいを見せており、ただでさえ暑いと言うのに、人の熱気のせいで更に熱く感じる。

 

 前を行く蓮太郎も暑さは感じているのだろうが、それよりも通行人の目が気になってしょうがないようだった。先ほどから見ていると、しきりに視線を気にしている。

 

 そんな彼の隣を歩く火垂は堂々としているものの、かなりピリピリとしているようで、気迫がこちらにまで伝わっていた。

 

 一度大きく溜息をつくと、蓮太郎と火垂を路地裏に引き込む。

 

「うおっ!?」

 

「きゃっ!?」

 

 短い悲鳴を上げた二人がすぐさまこちらを見てくるが、摩那は大して気にしない風に溜息をつきながら二人に言った。

 

「二人ともさ……もう少し自然体でいようよ。まず、蓮太郎。人の目を気にしすぎ、確かにいろいろ心配だとは思うけどさ、あんなに挙動不審じゃもっと怪しく見えるよ。こういうのは堂々としてたほうがいいの。

 つぎに火垂。もっと物腰を柔らかに行こう? 水原さんが殺されて腹が立つのはわかるけど、それでも頭に血が上ってる状態じゃ冷静な判断なんて出来ないよ。頭はクールに、ハートは熱くがいいと思うよ」

 

「あ、あぁそれもそうだな」

 

「そうね。確かに少し熱くなりすぎてたわ」

 

 二人とも自分を見直したのかそれぞれ頷いた。すると、俯きがちな蓮太郎に摩那が小悪魔的な笑みを浮かべながら言った。

 

「まぁ、蓮太郎みたいな不幸面した男を四六時中考えてるのなんて、どっかのおっぱいかツイテウサギちゃん、ブロンドフクロウちゃんぐらいだろうねぇ」

 

「おっぱい? 蓮太郎……貴方まさか……」

 

「違ぇよ! てか、摩那! お前結構性格悪いだろ!!」

 

「さぁどうだろーね」

 

 クスクスと口元を押さえて笑う姿は何処となく未織と酷似していた。

 

 蓮太郎はそんな彼女に対して小さく息をつきつつ、路地裏から出て勾田市役所の新ビルを目指す。彼の足取りは先程よりも幾分かマシになり、目つきも堂々とし始めていた。

 

 そんな彼に続くように火垂が歩き出し、摩那も肩を竦めてから腰より下まで伸ばしている赤髪を揺らしながら軽やかに駆けて行く。

 

 そのまま三人が歩いていると、やがて勾田市役所の新ビルのむき出しになった鉄骨が見えた。

 

「とりあえず、一度水原が殺された場所に行ってみよう。何か見落としがあるかもしれない」

 

「そうね。出来ればあって欲しいものだけれど」

 

 二人は言いながら中に入っていき、摩那もそれに続いて行こうとした。けれど、ふと視界の端で何かがチカッと目をくらます。

 

「まぶしっ。なに?」

 

 何かが光った方に視線を向けながら、そちらに歩みを進める。何歩かゆっくりと近寄ると、雑草が生えていた草むらの中に、何か黒い板状のようなものが草の間から見えた。

 

 近くまで行くと、地面に腹ばいになりながら草を掻き分けて黒い物体を拾い上げる。

 

「これってスマホだよね……誰かの落し物かな?」

 

 草むらの中に落ちていたのは黒いスマートフォンだった。液晶には少しひびが入っているが、電源を入れてみた結果、電源は着くので本体の方は無事のようだ。

 

「でもここにあるってことは、工事の人のヤツかな? でも、他にあるとすると……」

 

 そんな風に考え込んでいると、手にしていたスマホが鳴動した。

 

「うぉぉぉいッ!? ビックリしたぁ……」

 

 誰もかけてこないだろうと完全に油断していたところに、バイブレーションとポップな音楽が鳴ったせいで思わず飛び上がってしまった。しかし、ひび割れた液晶画面には『火垂』と表示されていた。

 

 同時に、摩那の中でこれが水原鬼八のスマホであることがわかった。恐らく階上に上がった蓮太郎と火垂が彼のスマホに何かしらの手がかりがあるのだと踏んだろう。

 

 彼女からの電話に出ようと画面をタップしようとしたところで、タイミング悪くスマホの電源が切れてしまった。どうやら充電の残量がギリギリだったようだ。

 

「おい、摩那!」

 

 声が聞こえ、上を見上げると、上階で蓮太郎と火垂がこちらを見下ろしていた。

 

「そこに何かあったか?」

 

「あぁうん、ちょい待っててそっちに行くから」

 

 問いに答えながら軽く屈伸をすると、瞳が赤熱。そのまま地面を軽く蹴り、今度は現場にあったショベルカーのアーム部分を蹴ると、そのまま蓮太郎達がいる階に躍り出る。

 

「よっと……。下で見つけたのはスマホだったよ。多分水原さんのじゃないかな?」

 

「ええ。このスマホは鬼八さんのものだわ。液晶が割れているようだけど、大丈夫だった?」

 

「うん。電源は入ったからメモリも無事だと思う」

 

「じゃあコイツの充電をしてから中を見させてもらうか。手がかりがあるかもしれねぇ」

 

 蓮太郎の提案に頷くと、彼の掌にスマホを乗せる。

 

 三人は新ビルを出てから近場のネットカフェに駆け込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガンッ!! という耳障りな音が聞こえ、その近くにいた額狩高校の詰襟の制服を着込んだ少年、巳継悠河は肩を竦めながら溜息をついた。

 

「櫃間さん、イライラしないでくださいよ。天童木更が思い通りにならないからって。女々しくて目も当てられませんよ」

 

「黙れ。元はといえば貴様が里見蓮太郎をホテルのロビーで仕留めなかったのが悪いのだろうが。あんなふざけたお面男と交戦したからこんな自体を招いたんだ!!」

 

 眉間に深く皺を寄せて、額には血管を浮き立たせ、まさに鬼気迫る表情の櫃間だが、悠河は小さくため息をついた。

 

 現在二人がいるのは、外見が真っ黒だということから通称「黒ビル」と世間では呼ばれている、建物「中央制御開発機構」のあまり人気がない通路だった。

 

 近くには自動販売機があり、先ほどの耳障りな音は櫃間が自動販売機の横に設置されているゴミ箱を蹴った音だ。

 

「まぁそんなこと言わないでください。一応里見蓮太郎の行方は捜索中なんでしょう? それに、あの場で死んでいたならばそれでいいじゃないですか。川に流されて今頃は海の藻屑でしょうし」

 

「フン、貴様があの場で殺しきっていればこんな面倒ごとにもならなかったというのに……。しかしだ、たとえあの里見蓮太郎を死んでいたとしても、まだ計画には邪魔者が一人いる」

 

 その言葉に思わず眉根がピクリと反応する。

 

「……断風凛ですか?」

 

「そうだ。ヤツがいるから天童木更を篭絡できないのだ。ヤツが余計なことをあの女に吹き込んでいるせいでな!!」

 

 櫃間はもう一度ゴミ箱を蹴る。よほど凛に怨みがあるのだろう。けれど、悠河からすればそんなことはどうでもいいことだ。

 

 ……ホテルで戦ったあの男……恐らく、彼が断風凛で違いはないだろう。かなりの強さだった。でも……。

 

 脳内で何度も凛が告げた『僕が本気を出すとビルを破壊しかねない』という言葉が響く。

 

「……アレが本当のことならば、真に警戒すべきは里見蓮太郎ではなく、断風凛なのでは……」

 

「何か言ったか?」

 

 どうやら聞こえてしまったようだ。

 

 けれどそれには被りを振ることで返答をする。櫃間は一度小さく舌打ちをすると「まぁ」と続ける。

 

「里見蓮太郎の一件が片付けば、邪魔者である黒崎民間警備会社も潰してやるさ。そうすれば、あの天童木更も我が手中に……ククク」

 

「……そこまで執着してもしょうがないと思いますが……」

 

 小さく突っ込みを入れてみたが、どうやら櫃間には届いていないようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネットカフェで水原のスマートフォンを調べた蓮太郎は、東京エリア第六区にある歯孕尾(しだお)大学に勤めている駿見彩芽(するみあやめ)医師を訪ねた。

 

 水原のスマートフォンの通話履歴にここ最近で一番連絡を入れていたのが、彼女だったからだ。けれど、大学を訪れた蓮太郎達に突きつけられたのはなんとも言いがたい返答だった。

 

 駿見医師は四日間も無断欠勤をしているらしいのだ。その話を聞いた角城という太り気味な医師が言うには、勤務態度はそこまで悪くないらしかったのだが、ここ最近全く出て来ていないらしい。

 

「やれやれだよ。ガストレアの出没件数が増えているというのにどうしたのやら」

 

「そこまで多いのか?」

 

「多いなんてものじゃないよ。異常と言うべきだね。皆の間ではやっぱり崩壊した三十二号モノリスのバラニウム磁場が弱いからじゃないかって言ってるのが大半だね。

 でもネットだと結構いろんな憶測が飛び交っているらしくてね。なんか、三千体近くいたガストレアを一組の民警が全て駆逐したとかも書かれているよ。まぁそんな話は信じていない人ばっかりだけどさ」

 

 太鼓腹を揺らして小さく笑った角城医師だが、蓮太郎は苦笑いを浮かべるしか出来なかった。なにせ、彼のいっている事は事実だからだ。

 

 市民には表向きは民警が協力してガストレアを退けたということになっているが、実際はこの場にいる摩那と、彼女のプロモーターである凛が殆どのガストレアを掃討したのだ。

 

 ガストレアの屍骸で出来上がった丘はまだ鮮明に覚えているし、その上に佇む凛と摩那の姿も克明に記憶している。

 

 はたと、摩那はどんな顔をしているのかと、そちらを見ると、近場にいた若いナースと世間話に花を咲かせていた。随分とおませさんである。

 

「まぁ結局、統計的に見るとエリアに侵入してくるガストレアは基本的には地上型のほうが多いって……話聞いてるかい?」

 

「あ、ああ悪い。それで?」

 

「うん。まぁ関東会戦の影響で自衛隊はかなりのダメージを追ったわけだし、しかも民警もそこまで数が減っていないにせよ、減っているのは事実だしね。それにまだ怪我が治らないものも多い。頼みの綱としては、海外に逃亡してた民警なんだけど……如何せん頼りないからねぇ。

 英雄なんていわれてた例の彼もニュースで死んじゃったなんていわれてるし。やれやれ、これからどうなるのかねぇ」

 

 椅子に深く腰かけていう角城医師に頷いて答えるが、火垂が問う。

 

「お姉ちゃんはお仕事をしている最中に何かへんな所とかありませんでした? あと、警察とかに連絡は?」

 

 因みに、お姉ちゃんというのはもちろん演技である。妹ということにしておけば何かと便利だからだ。

 

「警察かぁ……あぁごめんね。実はこの仕事結構、離職率は高くてさ。あまりこういうケースも珍しくはないんだよ。だから警察には連絡していないんだ。

 でもそうだねぇ変な所か……あ、そうだ! そういえば彼女、欠勤する前になんだかノイローゼ気味っぽくてさ。なんかうわ言の様に言ってたんだよ」

 

「言ってたって何をだ?」

 

「えっと確か『ヴィニヤードを焼かないと』だったかな。すごく思いつめた表情をしていてさ。あ、あとは『ブラックスワン』とも言ってたなぁ。君達何かわかる……わけないよねぇ。

 とりあえず妹さん、駿見くんのところに行くみたいだから住所教えてあげるよ。その代わりと言ってはなんだけど、こちらの用事も済ませてもらっても良いかな?」

 

「なんだ?」

 

「駿見くんが多分家に持って帰ってしまったデータを取ってきて欲しいんだよ。アレがないと報告書がまとめられないからね。それじゃあよろしくね」

 

 住所を書きとめた紙を火垂に渡した、角城医師に頷き返すと、診察室を後にする。

 

 そのまま大学病院の外に出ると、蓮太郎と火垂はそろって大きな溜息をついた。

 

「収穫がなかったの?」

 

「いや、あることにはあったけどよ。なんとも……摩那お前ヴィニヤードって――」

 

 そこまで言ったところで眼前にずいっとスマートフォンの液晶が突きつけられた。最初は何事かと思ったが、画面に表示されている文字を見てスマートフォンを受けとる。

 

「『vineyard』……ぶどう園?」

 

「角城医師の話とつなげてみると、『ぶどう園を焼かないと』ってなるけど何なのかしらね?」

 

「わかんね。でも、まずはこの駿見医師のところに行ってみようぜ。というか、摩那。お前話聞いてたのかよ」

 

「ふふん、ただ世間話をしていた訳ではないのだよ」

 

 むふん、とドヤ顔をする摩那に軽く肩を竦めると、隣にいた火垂はクスクスと笑っていた。

 

 けれど、二人に見られている事がわかるとすぐに先ほどのような冷静な顔に戻る。だが頬は赤いままだった。

 

「ところで火垂。一ヶ月前にガストレアがどんなヤツだったか覚えてるか?」

 

「一ヶ月前は……確か、飛行型のガストレアを狩ったわ。胸郭が透けてて、鼻が長い気持ち悪いヤツ。高速道路で鬼八さんが運転する車に乗って、散弾銃で撃ち落したわ」

 

「その後はどうなった?」

 

「後は現場を警察に任せて私と鬼八さんは家に戻ったわ。でも、その後すぐに電話があって、鬼八さんは飛び出していってしまったの。でも、今思ってみればそれが駿見医師からの電話だったのね」

 

「そうか」

 

 小さく言って口元に手を当てて考え込む。

 

 ……全てが一ヶ月前のそのガストレアから始まってる? いや、まだ断定は出来ないか。

 

「摩那、凛さんは何か言ってなかったか?」

 

「なんかガストレアの死体安置所に言ってくるみたいな事は言ってたけど?」

 

「死体安置所……なるほど、そういうことか」

 

 自分でも口元が緩むのを蓮太郎は感じた。恐らく凛もこのことにたどり着いて方々を調べまわっているのだろう。

 

 自分達もできればそちらに合流したほうがいいのだろうが、今はなんとしても駿見医師から話を聞かねば。

 

 そう決意して顔を上げると、いつの間にか大学の敷地は終わっていた。しかし、同時に蓮太郎は正門の前のとおりを俯瞰する監視カメラに気がついてしまい、思わずそちらを見てしまった。

 

 瞬間、弾かれたように視線を逸らすものの、カメラのレンズは間違いなくこちらを向いていた。

 

 三人は足早にその場を後にする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中央制御開発機構のコントロールルームの中はどよめいていた。

 

 それもそのはず、今まで死んだとされていた里見蓮太郎の姿が第六区の歯孕尾大学の正門カメラに写っていたのだ。

 

 しかも、その隣には二人の童女。一人は断風凛のイニシエーター、名前は確か天寺摩那だったか。そして、もう一人は櫃間たちが血眼になって捜索していた紅露火垂だった。

 

 すぐに多田島が櫃間に敬礼をした後彼の拘束に向かったが、櫃間は携帯を取り出して連絡を取る。

 

「ネストか。紅露火垂を発見した、里見蓮太郎もだ。あと人為的に渋滞を起こせ、パトカーを止めてほしい。向かわせるのは『ハミングバード』だ」

 

 それだけ言うと、携帯を閉じた櫃間はそっとコントロールルームから出て行こうとする悠河を引き止める。

 

「貴様はここにいろ。お前は顔を見られている。下手に動くと私でも擁護しきれん」

 

「ハッ、そんなのはどうでもいいですよ。いいですか櫃間さん、里見蓮太郎は僕の獲物です。彼を殺すのはこの僕だ」

 

「くどいぞ、里見蓮太郎は手負いだ。『ハミングバード』だけでも十分すぎる。もう一度言うぞ、お前はここにいろ」

 

「しかし――――!」

 

「くどい!」

 

 一喝だけすると、悠河は押し黙って小さな舌打ちをした。彼はそのままコントロールルームを出て行ったが、蓮太郎の下には向かわないだろう。

 

 それを一瞥しながら櫃間はパネルに表示されている蓮太郎を見ながら、口元を回りから見えないように吊り上げて邪悪な笑みを見せた。




はい、今回は蓮太郎くんたちが動き始めて凛がグチャグチャしたお話ですね。

次はいよいよハミングバードとの戦闘ですが……摩那はどう戦うのやら。
そして、着々と固まる櫃間包囲網。ククク……

全てが終わった暁には盛大にザマァと言ってやりますか。

では、感想などありましたらよろしくお願いします。


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第五十六話

 歯孕尾大学の角城医師から駿見彩芽の現住所を聞いた三人は、彼女が住まう高層マンションの彼女の自宅前に来ていた。

 

「それじゃあお嬢ちゃん。鍵を返す時は管理人室に放り込んでおいていいからね」

 

 やせた老人の手から鍵が渡され、火垂は人懐っこい笑みを浮かべながら鍵を受け取ると頭を下げる。管理人は踵を返して戻っていくが、蓮太郎ははて? と思った。

 

 ……こういう時って普通は管理人も付き添うんじゃねぇのかよ。

 

 なんてことを思っていると、管理人の姿が見えなくなり、先ほどまで笑みを浮かべていた火垂の表情が一気に無表情になった。

 

「今の火垂見てたら、なんというかウチの社長を思い出したよ。変わり身早いね」

 

「まぁこれぐらいはね」

 

 なんてことを言いながら火垂は鍵を渡してきた。「開けろ」ということなのだろう。それに溜息をつきつつも扉を開けようとするが、一応もう一度インターホンを鳴らすことにした。

 

 ピンポーンという音が響くが、結局応答はない。すると、蓮太郎と扉の間に摩那が無理やり身体をねじ込んできた。

 

「お、おい。何してんだ摩那」

 

「ちょっと待ってて」

 

 ぴしゃりと摩那に言われ蓮太郎は押し黙ってしまうが、彼女を見ると扉の隙間に鼻先を押し当ててスンスンと匂いを嗅いでいた。

 

 二、三回彼女の鼻がヒクヒクと動いたかと思うと、摩那は顔を引きつらせて大きくため息をついた。

 

「どうしたの?」

 

「んー? いや、ちょっと久しぶりに嗅ぐ匂いだったから鼻に来た……。蓮太郎、残念だけど多分死んでるよ、駿見さん。腐った匂いがしたから。あーきっつ」

 

 鼻をつまみながら鼻声で言う摩那だが、蓮太郎はすぐに鍵を開けて室内に入る。

 

 瞬間、猛烈なまでの冷気が三人の身体を撫でていく。同時に、摩那が言ったとおり物が腐る匂いがした。

 

 蓮太郎は小さく息をついた後火垂達よりも先に中へ入る。一応、銃もいつでも打ち出せる状態にはしてある。

 

 そのまま彼はキッチンの向こう側にある引き戸に手をかけてゆっくりとあける。

 

 室内はカーテンで閉め切られていて、光りが入ってこないため視界が悪かった。けれど、つけっぱなしにしてあるエアコンからは止め処なく涼風が吹き付けており、ゴウゴウと音を立てていた。

 

 緊張感を持ちながら別の部屋に足を運び、衣装箪笥やドレッサーなども見て回るものの、腐敗の匂いの発生源はない。

 

 一度摩那と火垂の元に戻ろうと来た部屋に引き返した瞬間、声が聞こえてきた。

 

「あーらら、やっぱ死んでたかー」

 

 あまりにこの状況に似つかわしくない声に思わず息をのんでしまったが、蓮太郎は声がしたほうに急ぐ。

 

 すると、バスルームの入り口で火垂が立ったまま固まっており、バスルームの扉が開いていた。

 

 同時に先ほどまで感じていた腐臭が強くなっているのも感じることが出来る。

 

 一旦息を落ち着かせて震える唇を噛み締めながら、火垂を下がらせながらゆっくりとバスルームへ入っていく。

 

 そこには浴槽いっぱいに張った水に顔をつけている女性の死体と、それを観察している摩那の姿があった。

 

「蓮太郎、この人が駿見彩芽さんでしょ?」

 

「……あぁ、だろうな」

 

 死体に近くにいても全く動じない摩那に少し驚いてしまったが、軽く遺体の検死を始めた。

 

「爪が剥がされてるってことは……」

 

「拷問されたのでしょうね。まぁ三枚だから痛みに耐え切れなかったのでしょうけど」

 

「……何の訓練も受けてない一般人だ。しゃべっちまうのはしょうがねぇさ。摩那、押入れから何か被せるものを探してきてくれ。流石にこのままじゃかわいそうだ」

 

「りょーかい」

 

 摩那はバスルームから出て別室へ向かう。

 

 すると、火垂が小さくため息をついた。

 

「残念ね、生きていれば情報を聞き出せたのに」

 

「残念って、火垂、お前の知り合いなのになんとも思わないのかよ」

 

「確かに多少はショックはあるけれど……大したものでもないわ」

 

 瞬間、蓮太郎は怒りが湧き上がってくるのを感じた。グッと火垂から見えないほうの拳を握り締める。

 

「なんでそんなに冷徹でいられんだよ……ッ!」

 

「それは貴方に関係はないでしょう」

 

 まさに一触即発というところだったが、そこに割って入るように摩那が飛び込んできた。

 

「ハイハイ、喧嘩はそこまで。まったく、すぐ喧嘩するんだから。ほら、レジャーシート持ってきたからかけてあげなよ」

 

 呆れた様子でバスルームに入ってきた摩那がレジャーシートを放ってきた。キャッチしつつ遺体にかけ終えると、摩那が遺体の近くにしゃがみ手を合わせた。

 

 蓮太郎も今更ながら目を閉じながら手を合わせる。ふと、火垂はどうしているのかと薄目を開けてみると彼女も手を合わせているようだ。それを見た蓮太郎は先ほどまでの怒りが少しだけ収まった。

 

 その後二人と共に何か手がかりになるようなものはないかと部屋を捜索し始める。

 

 しかし、やはりというべきか。

 

 駿見彩芽を拷問し、殺害した犯人は彼女が調べていた資料も持ち去っているようで、机の鍵は壊されており、望みは薄かった。

 

 そんな中でもあきらめずに本棚の本をめくっている時だった。

 

「ん?」

 

 視線を落とした先は机と本棚の隙間だった。けれどそこには何かが挟まっている。

 

 ゆっくりとそれを引っ張ると、どうやらそれは写真のようだ。被っていた埃を袖で拭うと、その写真は解剖したガストレアの写真のようだった。恐らく内臓だろう。

 

 しかし、内臓にはおかしなところがあった。

 

 内臓にとあるマークが刻まれていたのだ。五芒星と、そのうち一つの頂点から延びるのは複雑な意匠の羽根。

 

「摩那、火垂。来てくれ」

 

 蓮太郎は最初にやってきた火垂に写真を見せる。主に聞きたいのは火垂の意見だ。

 

「見覚えはあるか?」

 

「このガストレアの爪……一ヶ月前に鬼八さんと倒したガストレアの形状に似ているわ。でもこの星型のマークはわからないわ」

 

「そうか」

 

 肩を落としそうになるが、摩那が写真を覗き込んで「あ」と声を上げた。

 

「これ、確か櫃間のパソコンの中にあったよ。多分、五翔会のマークだと思う」

 

「ホントか!?」

 

「うん。焔が調べに言ったから間違いないよ」

 

 摩那の言葉に思わず頷くと、そのまま火垂と視線を交わす。

 

「とりあえずは収穫アリね。今日はここまでにして帰りましょう」

 

「ああ。摩那、後で凛さんに連絡取っといてくれるか?」

 

「はいよー」

 

 ガストレアの写真をポケットに収めて二人と共に部屋から出て行こうとした時だった。

 

 急に隣の洋室にあった電話が鳴った。

 

 思わずそれに三人全員が身体を飛び上がらせた。しかし、数秒で息を整えた蓮太郎が受話器を手にとって電話に出る。

 

『里見くんだね?』

 

 酷くノイズが混じったような、意図的に声を変えた、所謂ボイスチェンジャー越しの声が聞こえた。

 

「アンタは?」

 

『今からそちらに敵が向かう。コードネームはハミングバード。聞いた事はあるだろう?』

 

 相手は蓮太郎の質問には答えずに一方的に話を進めていく。

 

「ちょっとまて、アンタは一体誰なんだ?」

 

『こちらの情報はどうでもいい。まぁ信じる信じないはそちらの自由だ。しかし、ヤツは新人類創造計画の兵士である、芳原健二を殺した戦士だ』

 

「なに?」

 

 思わず問い返してしまったが、蓮太郎は理解が出来た。電話の相手が伊達や酔狂、ましてや冗談で言っているのではなく、本当のことを言っているのだと。

 

 ……ハミングバードってのは確か凛さんが言ってたヤツの一人だっけか。

 

 ホテルで凛が言っていたことを思い出していると、電話の相手が更に続ける。

 

『今からヤツの能力を教えよう。いいか、ハミングバードの能力は――』

 

 ブツッという途絶音が鼓膜に伝わり、通話の相手の声が聞こえなくなった。

 

「おい、どうしたんだ? おい!」

 

「貸して」

 

 声を上げていると、横から火垂に受話器を引っ手繰られた。彼女も耳に当ててみるもののすぐに首を横に振る。

 

「ダメね、多分電話線が切られてる」

 

「みたいだね、ホラ」

 

 二人の後ろではスマホを持った摩那が二人に画面を見せる。

 

 画面の端には「圏外」の文字が並んでいた。

 

「ヤバイな……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな蓮太郎達のはるか上空千メートル、西の空に茜色の太陽が傾き、オレンジと群青の見事なグラデーションが生じている空に一機の輸送機が飛行していた。

 

 すると、輸送機のスライドドアが開かれ、中からワンピースを着た麦藁帽子の少女が姿を現した。

 

 彼女はそのまま何の躊躇もすることなく背面から空中に躍り出る。

 

 そのまま頭を下にした状態で少女は直滑降。

 

 凄まじいスピードで空気を切り裂きながら落下していくが、落下から五百メートルを切ったことを察知すると、パラシュートを開く。

 

 ガクン、とムチ打ちになりそうな感覚に陥るが、あまり気にはしていない様子だ。

 

 そのまま彼女はパラシュートを見事に操作しながらターゲットがいる高層マンションの屋上へ降り立つ。

 

 前のめりに転びそうになるがそれに耐える。そしてすぐにパラシュートが少女の上に覆いかぶさるが、手馴れた様子でハーネスのベルトを外し、パラシュートから脱する。

 

 すぐにハーネスとワンピースの間に挟んでいた麦藁帽子を被りなおすと、お気に入りである熊のぬいぐるみを抱く。

 

 そしてポケットから携帯電話を取り出して連絡を始めた。

 

「こちらハミングバード、目標地点に到達完了」

 

『了解、ではこちらからデータを送信する』

 

 あまり時間がたたずに送られてきたファイルをすぐさまホロディスプレイ化すると、三枚の画像が広がる。

 

 そこには自分より年上の少年と、年下の少女が二人表示されていた。

 

 少年の画像の下には『里見蓮太郎』。二人の少女の画像の下にはそれぞれ『紅露火垂』『天寺摩那』とあった。

 

「ちょっとネスト、一度に三人とか聞いてないんだけど? それに前回からのインターバルが短すぎだし」

 

『御託を言うな。それにお前のオーダー通りマンションは三十分間は電子的な隔離状態に置いている』

 

「あーはいはい、わかりましたー。ったく、なんで私が男共の尻拭いをしなきゃいけないんだか。そもそも、リジェネレーターなんてまだ何にもやってないんだからアイツを来させればいいじゃない」

 

『ヤツは対断風に櫃間が取っておいているのさ。あぁそうだ、ダークストーカーからお前に伝言だそうだ。「里見蓮太郎は君の手に負える相手じゃない。油断をすれば足元をすくわれるよ」だそうだ』

 

 ネストの言葉にハミングバードは鼻で笑った。

 

「取り逃がしたヤツに忠告なんてされたくないわね。まったくダサいッたらありゃしないわ。けどま、ソッコーで終わらしてさっさと帰るとするわ」

 

 言い切ると同時に彼女の後を追うように二つのパラシュートが屋上へ降りる。

 

 一見するとただのタイヤのように見える。サイズ的には円盤遊具ほどだが、無論そんなものではない。

 

 ハミングバードの脳内には、インプラントチップが埋め込まれている。そして念じるだけでリンクした対象物を自在に動かすことが出来る能力である、ブレイン・マシン・インターフェイスがあるのだ。

 

 そして、リンクしたものこそ、目の前に転がっているタイヤ型の駆動型インターフェイス。

 

「『死滅都市の徘徊者(ネクロポリス・ストライダー)』――起きて、私のかわいい使い魔達」

 

 彼女が命じると同時に、タイヤが起き上がってクルクルと彼女の周りを回り始める。

 

 その姿は本当に主人を慕う使い魔のようだった。

 

「じゃあまずは、邪魔者が入らないようにしようか――『攻勢付加(オフェンシブ・エンチャント)(ソーン)≫』」

 

 瞬間、先ほどまでいたって温和な雰囲気だったタイヤ型のインターフェイスが魔の顔を露にした。

 

 ブチリという音を皮切りにタイヤのいたる所に大振りな刃が姿を現したのだ。

 

 先ほどまでの温厚さは何処へやら、一瞬にして肉を引き裂き、骨を砕く狂気へと変貌したそれはなおも屋上を壊しながらハミングバードの周囲を回る。

 

「それじゃあ、行って来て!」

 

 命令とともに『徘徊者』達が猛スピードで飛び出し、屋上の扉を火花を散らしながらぶち破った。

 

 聞くに堪えない音を響かせながら扉を破った『徘徊者』達はそのまま階段や壁を破壊しながらマンション内へ突き進んでいった。

 

 それを見送りながら、ハミングバード――久留米リカは残忍な笑みを浮かべながら、鼻歌を歌い始める。

 

 階下ではすでに蹂躙を始めた使い魔達が、人体を引き裂く音や、それによって響く人間の悲鳴が聞こえている。

 

 殺戮という名の演目が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 摩那はマンションの中を紅い疾風となりて駆けていた。

 

 双眸は真紅に燃えており、力を発動していることがわかる。

 

「まったくもう! なんであの二人はもう少し仲良くすることが出来ないのかなぁ!」

 

 愚痴をたれている理由は先ほどの蓮太郎と火垂のやり取りにあった。彼等は敵の刺客が襲撃してきたというのに、また意見を衝突させてあまつさえ別行動を取ってしまったのだ。

 

 敵の能力が知れない以上一人で動くのは危険だというのに。

 

 そして二人が分かれ、摩那は一般人を巻き込まないために先ほどまで蓮太郎と避難誘導をしていたのだ。

 

 できることなら火垂を追いかけたかったが、一般人に死傷者を出すわけには行かない。

 

「あぁもう! こういうときに凛がいてくれると収めてくれるのに!」

 

 改めて相棒の統率力を見習いたくなるものの、今はそんなことを思っている場合ではない。

 

 そして角を曲がったところで摩那は顔をしかめる。

 

 そこには大量の死体が転がっていたのだ。いや、中にはもはや死体とよんでいいのか、それともただの肉塊というのかわけのわからないものまで転がっているのだ。

 

「でも、まさかこれをハミングバードが全部やったわけじゃないよね。考えられるとすれば……なにか自立型の兵器?」

 

 考えて走っていると、視界の先に見覚えのある栗色の髪をショートボブにした少女、火垂がいた。

 

 けれどその先には、麦藁帽子を被ったワンピース姿の少女の姿が見える。年齢的には自分達よりも若干上だろう。生存者だろうか。

 

 とりあえずは火垂が生きていたことにほっと胸を撫で下ろし、彼女の元へ駆け寄る。

 

 しかし、彼女まであと十数メートルといった所で、前方から来る麦藁帽子の少女の瞳が殺意に満ちていたことを理解する。

 

 ……まさか、アイツが!?

 

 思い至った瞬間には既に行動に出ていた。

 

 マンションの廊下を大きく凹みが出来るほど強く蹴り、そのまま第二歩を踏み出して一気に加速。

 

 既に赤熱していた瞳は更に赤みが強くなっていた。

 

 そして、麦藁帽子の少女と火垂の身体が触れ合う瞬間、火垂の肩口を持って彼女を持ち上げて、少女を飛び越える。

 

 同時に摩那は麦藁帽子の少女の手に銀色の光りを放つナイフがあることを目撃した。

 

 火垂を床に降ろしてから摩那は少女を見据える。

 

「摩那、貴女なにを……」

 

「黙って。アイツは敵だよ」

 

 背後の火垂に言い切ると、こちらに背を向けていた麦藁帽子の少女が肩を揺らして笑うと、こちらを見た。

 

「ざーんねん、まさかばれるなんて思わなかったわ」

 

「ハン、相手を殺す時はもっとギリギリまで殺気抑えときなよ」

 

「そうね。そのほうが良さそうだわ、アンタみたいな勘の鋭いガキに見破られないようにね」

 

 先ほど火垂に助けを求めていた不安げな表情はどこかへいき、今は残忍極まりない笑みを浮かべた少女に摩那が問う。

 

「アンタがハミングバード?」

 

「ええ、そういうアンタは天寺摩那?」

 

「私まで殺しのリストに上がってるんだ。まぁそうだけどさ、というか別にこんな説明要らないんじゃないの? どうせ写真でももってるんでしょ」

 

「あらあら、本当に勘の鋭いガキねぇ。私そういうのだいっ嫌い」

 

「そう、私もアンタみたいなやつだいっ嫌い」

 

 互いにののしりあいながら、二人はそれぞれ視線を逸らさない。すると、ハミングバードがパチンと指を鳴らした。

 

 それから少しして彼女の背後から二体のタイヤの形をした兵器がリノリウムの床を破壊しながら転がってきた。

 

「それがそこで死んでる人たちをそんな風にした兵器ってわけ?」

 

「ええ、紹介しておくわね。私の使い魔『死滅都市の徘徊者(ネクロポリス・ストライダー)』よ」

 

「はぁ? 使い魔? 何言ってんのアンタ、まさか厨二病?」

 

 挑発するように言うと、ハミングバードは頭に来たのか頬をひくつかせる。

 

 すると、摩那の後ろにいた火垂が耳打ちしてきた。

 

「助かったわ、摩那。私が甘かった……もっと自分をセーブしないと」

 

「わかってくれたところで、火垂。蓮太郎の所に行って一般人の避難誘導をしてあげてくれない?」

 

「え、でも貴女アレを一人でやるつもり?」

 

「もち」

 

 小さく頷いた摩那に火垂が首を横に振る。

 

「自殺行為だわ。あっちの方が手数が多いのだから、ここは私達二人で協力すべきよ」

 

 火垂の言い分も尤もだ。けれど、摩那は絶対に譲らない。

 

「ダメ、アンタはさっさと蓮太郎の所に行って仲直りしてきてよ。この後まで糸を引かれると面倒だからさ」

 

 彼女の語気は多少苛立っているようで、火垂はそれに気圧されてしまった。そして、彼女は逡巡したあと、摩那に告げる。

 

「……わかったわ。でも、絶対に死なないでね?」

 

「大丈夫だよ。私を誰だと思ってんの? アレぐらい私一人で十分」

 

 にやりとニヒルな笑みを浮かべた摩那に対し、火垂も笑みを返しながら近場のエレベーターを使って蓮太郎の元に急いだ。

 

「あら、私と一人で戦うつもり? その意気は認めるけど……残念ながらアンタ死ぬよ?」

 

「ご愁傷様だよ。それに、火垂を蓮太郎の所に向かわせたのは助けを呼んでもらうためじゃなくて、私の戦闘に巻き込まないためなんだよ」

 

「言うじゃない。アンタにそれだけの力があるのかしら?」

 

 嘲笑を浴びせてくるハミングバードだが、摩那は大して気にもしていない様子で言い放った。

 

「民警序列第十三位、『刀神(エスパーダ)』の片割れ、『幻紅(スカーレット・ファントム)』の力。見せてあげるよ」

 

 炎のように赤い摩那の瞳が煌めいた。




はい、今回はハミングバード戦の序盤までですね。
摩那ちゃん煽っていくスタイルですね、わかります。

この辺オリジナルの要素をだすのが難しいですねw特にハミングバードのところとかはw
まぁそんな事はさておき……いよいよ戦いも本格化してきましたね。
最後に出した『幻紅』ですが、日本語読みをするとだせぇので、『スカーレット・ファントム』ということにしました。ちょちょちょ、橙○さん違う違う、あんたのこと違うって……ギャーーーーーッ!!

……こほん、気を取り直しまして。
次回はハミングバード撃破のあと、凛サイドの方も進めて行きます。今回は凛一回も出てませんからね!!

あと、宣伝になってしまいますが、アカメが斬る! の二次創作も書き始めました。
タイトルは『白銀の復讐者』です。興味をもたれたらそちらのほうもよろしくお願いします。

では、感想などあればよろしくお願いします。


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第五十七話

 ハミングバードと対峙する摩那は腰のホルスターから黒刃のクローを装備する。

 

「へぇ、アンタの武器はクローってわけ。だったら近接戦闘向きね」

 

「だったらなに?」

 

 摩那が怪訝な表情のまま問うと、ハミングバードはクスリと笑って『死滅都市の徘徊者』を指しながら、自信に満ち満ちた声で告げた。

 

「見てのとおりこの子たちは中距離から遠距離の攻撃が専門。まぁ使おうと思えば近距離もいけるんだけど。でもそれに対してアンタはクローによる近距離の攻撃だけ。どう考えたって優位に立っているのは私よ。

 あぁそれと冥土の土産に教えといてあげるわ。この子達はアンタも面識のあるティナ・スプラウトのシェンフィールドと同じように扱っているの。だから、私が念じれば思うように動いてくれる。

 序列十三位だかスカーレット・ファントムだか知らないけど、アンタと私じゃ相性上で私の方が上なの。わかる?」

 

 小馬鹿にしたような態度からして、摩那の序列のことを信じていないのは目に見えていた。

 

 ……まぁ私の序列のことを知ってんのは蓮太郎達くらいだからしょうがないんだけど。

 

 内心で肩を竦めながらも、摩那はハミングバードに切り返す。

 

「信じる信じないはアンタの自由だよ。でも、そんなおもちゃで私を捉えられると思ってるなら……」

 

 瞬間、摩那が態勢を低くしてリノリウムの床を凹みができるほど踏み込んで一気に接近する。

 

 ハミングバードもそれに臨戦態勢を取る。

 

 しかし、摩那はニヤリと笑った後臨戦態勢を取ったハミングバードの肩口を踏み台にして彼女の後ろに控えていた『死滅都市の徘徊者』のうち一機、の中心部分にクローをねじ込み、中の基盤をめちゃくちゃに破壊する。

 

「なっ!?」

 

 背後でハミングバードが驚きの声を上げる。そして、すぐにクローを突っ込まれなかったもう片方の徘徊者を回転させて、摩那をその刃ですりつぶそうとする。

 

「千切れろ!」

 

「ざーんねん」

 

 危機的状況であるのに対し、至って冷静に答えると、腕を突っ込んでいた徘徊者を迫るもう一方に向けて投げつける。

 

 それにより徘徊者の鋭い刃が届くまでにほんの一瞬隙ができ、摩那はその隙に距離をとる。

 

 この一連の流れをハミングバードの目には、まるで真紅の影が駆け抜けたかのように見えただろう。

 

 一方摩那を見やると、彼女はいつか見せた四つん這いの状態でハミングバードを見据えていた。真っ赤な髪の毛は燃えているように逆立ち、瞳孔もチーターのように細長くなる。けれど、彼女の一方の手に装備されていたクローは一つなくなっている。恐らく先ほどの徘徊者を壊す時に犠牲にしたのだろう。

 

 ハミングバードの隣には壊れた徘徊者がショートしたのか、青白い電気を放出しながら煙を上げていた。

 

「ずいぶんとやってくれるじゃない」

 

「油断してる方が悪いと思うけど? それでどうする? 今退いてくれれば私はアンタを追わないし、アンタの命も取りはしない。でもまだ戦うのなら次は殺す」

 

 脅しではない。摩那の瞳には明確な殺意があった。

 

「退くですって? 冗談言わないで。まだ一つが壊れただけ。それにアンタだってクローを一個犠牲にしたじゃない。普通に考えれば次にこの子を壊す時にそれを失って、最終的にアンタが私に攻撃できる手立てはなくなる。それにこの子を倒している隙にアンタの頭にバラニウム製の銃弾をぶち込めばそれで終了。万事解決よ」

 

「そんなこと言ってるけど、本当は私のスピードに目がついてこられてないんじゃないの?」

 

 挑発するような声音で言うと、ハミングバードが苛立ちの表情を見せる。図星なのだろう。

 

 すると摩那は小さく笑って告げる。

 

「さっきアンタは私に冥土の土産って理由で自分の能力をしゃべったけど……今度は私がアンタに冥土の土産に教えてあげるよ。

 私の二つ名「幻紅」なんて名前がどうして付いたのか。私のモデルはチーター、言わずと知れた地上最速の肉食獣。そんで、私が力を解放した状態で走るとさ、この真っ赤な髪と相まって真紅の影みたいな、帯みたいな風になるんだって。

 その姿がまるで真紅の幻みたいだからこういう二つ名が付いたってわけよ。はい、説明終わり。それじゃあさっさと決着つけようか?」

 

「死ぬのはアンタよ!」

 

 言い切ると共にハミングバードは徘徊者を特攻させる。しかし、そんなもの摩那からすれば鈍重もいいところだ。

 

「残念だけど、これで終わりにさせてもらうよ」

 

 真紅の残像を残しながら摩那は駆ける。疾風の如く。

 

 眼前に迫った徘徊者を瞬時に避けると同時に、基盤にもう一方のクローを叩き込んでショート。

 

 その隙に出来る一瞬を狙ったのか、ハミングバードは銃を構えて乱射する。

 

 銃弾は摩那の額に向かって真っ直ぐに飛んでくるが、それが当たる直前に彼女は身体を捻って回転しながらそれを避ける。

 

 しかしその手にはクローがない。だがそんな事はお構い無に一気に廊下を駆ける。途中銃弾を走りながら回避する様は、もはや人間の反応速度とはかけ離れていた。

 

「くっ!?」

 

 BMIを両方破壊され、銃弾もいとも簡単に回避された彼女に既に打つ手はない。悔しさと、恐怖が入り混じったような表情をしたハミングバード。

 

 次の瞬間、摩那が彼女の手前で飛び上がって口を大きく開ける。長めの犬歯がギラリと光る。その姿はまさにチーター。獲物を確実に仕留める強靭な歯に、ハミングバードは避けることすらままならなかった。

 

 そして一瞬の後に摩那がハミングバードの後ろに駆け抜ける。

 

 摩那が駆け抜けた後には、車がブレーキをかけたときのようなブレーキ痕のようなものが残っていた。

 

 奇妙な静寂が両者の間に流れた。けれど、一秒が経った頃、ハミングバードの首筋から鮮血が散った。

 

 背後で起こるスプラッタな光景に目をやることもなく、摩那は口に入っていたものを「ペッ」と吐き出した。

 

 ベチャリと水音を立てながら、冷たいリノリウムの床に落ちたものは、ハミングバードの首の血管とその周りの皮膚だった。

 

 そう、摩那はハミングバードの頚動脈をその鋭い犬歯で喰いちぎったのだ。

 

「そ……んな。はやす……ぎる」

 

 喰いちぎられた頚動脈の傷口を押さえながら絶え絶えの声を漏らす。彼女はそのまま床に膝をついて身体を痙攣させながらその場に倒れ付す。

 

 そんな彼女を見ながら摩那は思う。

 

 ……あの出血量じゃもう立てるとは思えない。まぁ頚動脈をちぎったから当たり前なんだけど。

 

 すると、ハミングバードは身体をコロンと仰向けにさせて小さく笑いを漏らした。

 

「……ハハ。私も、ざまぁない、わね。新人類創造計画、の……里見蓮太郎なら、まだしも、名前も禄に知らない……イニシエーターに、負けるなんて……」

 

「油断は大敵ってヤツだね。まぁアンタが私の序列を知らないのなんて無理はないと思うけど」

 

「ホント、アンタ……生意気。ガキのくせに……見下してんじゃないわ、よ。でも、いいわ……どうせアンタは、死ぬ。いえ……アンタだけじゃ、ない。里見蓮太郎は、もちろん……紅露火垂、そして、アンタの大切な人、全部殺されるわ。

 里見蓮太郎に、言っておきな、さい。ダークストーカー……が、再戦を……したがってた……って。アイツ、結構……評価、してる。見たいだったわ。

 クク、でもまぁ……アンタにはそれは無理……ね」

 

 残忍な笑みが戻ったハミングバードに対し、怪訝な表情を浮かべていると、彼女は熊のぬいぐるみのほうを一瞥して、もう一度摩那に笑みを見せたあと息を詰まらせて絶命した。

 

 摩那はハミングバードが最後に見た熊のぬいぐるみを持ち上げる。だが、妙に腹の辺りに違和感と、普通のぬいぐるみにしては重過ぎることに気がついた。

 

 まさかと思いながらくまの頭を裂くと、腹の中の綿が飛び出すが、問題なのはその中にあったものだ。

 

「マジ……?」

 

 ぬいぐるみの中に入っていたのは粘土状に固められた物体と、ぐるぐるに巻かれた配線。そしてタイマーだった。

 

 説明しなくてもわかるだろう。それは爆弾だった。

 

 カウントは残り十秒。爆弾を放り投げるにしても窓がないこのマンションでは、外に放り投げるうちに起爆してしまうだろう。

 

「そんじゃ、私にできる事は一つかな」

 

 軽く言ってのけると、摩那はぬいぐるみをハミングバードの亡骸に放り投げて、逆方向に駆けて回避運動を取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マンションの住人を外に避難させた蓮太郎は、後から合流した火垂とともに摩那が交戦している階へ向かっていた。

 

「無事でいてくれよ……!」

 

 蓮太郎自身、摩那の実力を疑っているわけではない。自分の相棒である延珠はイニシエーターの中でも十分すぎるくらいの戦闘力を誇っている。

 

 しかし、そんな彼女と比べても摩那は余裕で勝ちを得るだろう。IP序列十三位と言う超高位に存在していると言うこともそうだが、それを抜きにしても戦闘時の彼女は凛と同じほどの気迫が伝わってくることがある。

 

 そんな彼女であるものの、ハミングバードがどんな敵なのかわからない今、あまり楽観視も出来ないのだ。

 

 ふと隣を見ると、火垂も心配そうな表情を浮かべていた。

 

 蓮太郎はそのままエレベーターのインジケーターに目を戻すが、そこで上階から衝撃が伝わる。

 

 一瞬エレベーターが大きく揺れたが、運行自体に問題はなさそうで動き続けている。だが蓮太郎は先ほどの衝撃に覚えがある。

 

「……爆弾か」

 

「爆弾!? まさか、こんなマンションで……」

 

 火垂が驚いたような声を上げるが、蓮太郎は被りを振る。

 

「標的を殺すためには一般市民の殺害だって厭わないやつ等だぞ? マンションの一つや二つ壊すことぐらいなんとも思ってやしないだろ」

 

 言いつつ、腰のホルスターからベレッタを抜いて安全装置を解除。リロードしてからいつでも撃ち出せる状態にスタンバイ。

 

 火垂もそれを見て銃を構える。

 

 そしてインジケーターが目的の階を表示すると同時に、二人はそれぞれ銃を外に向ける。

 

 しかし、二人の前には爆発によって生まれた煙と、所々に飛び火した火焔だった。壁には穴も開いている。

 

「二人はどこに……」

 

 火垂が疑問を上げながら周囲を警戒しながら歩き出すが、ふと足を止めて口元を押さえた。

 

「どうした?」

 

「……これ」

 

 彼女が指を差す先にあったのは、爆発の影響で身体がの部位がバラバラになり、さらに焼け爛れた足や腕。一見すると、少女のような体躯の死体だった。

 

「まさか……」

 

「いや、それはねーよ。これ見てみろ」

 

 そういって蓮太郎はバラバラになった死体の一部を持ち上げてその傷口からぶら下がる、機械部品のようなものを指差す。

 

「これは俺と同じ機械化兵士の特徴だ。それに新世界創造計画は身体の半分以上を機械化するらしいからな、爆発があればこんな風に部品が出てもおかしくはない。だから、コイツはハミングバードってヤツだ」

 

「だったら摩那は何処に」

 

 と、彼女がそこまで言ったところで蓮太郎達の左手の方向から「ジャリッ」っという砂を踏むような音が聞こえた。

 

 弾かれるようにそちらに向かって銃口を向けるが、聞こえてきたのは聞きなれた声だった。

 

「いやー……まいったねー。まさか爆弾仕込んでるとは思わなかったよ」

 

 あっけらかんとした軽いノリで煙のなかから姿を現したのは、赤い髪の少女、摩那であった。彼女の瞳はいつもの状態に戻っており、力を戻しているようだった。

 

 蓮太郎は彼女の姿を確認すると同時に銃をホルスターに収めて大きなため息をついた。

 

「無事だったか……」

 

「お? その様子だと私のこと心配してくれてたんだねぇ。でもダイジョーブ、私はこんなことじゃ死なないって」

 

 軽く笑ってみせる摩那だが、その口元には真っ赤な血がこびり付いていた。

 

「摩那、貴女その口……どうしたの?」

 

「ん? あぁこれね。そこで死んでるハミングバードの頚動脈を喰いちぎった時についたんだと思う。まぁあんな戦い方したのは久しぶりだったけど。あっ! そうだ蓮太郎。私のクロー両方壊れちゃったからナイフ貸してー」

 

「あ、あぁ」

 

 頷いて摩那にナイフを渡すものの、蓮太郎を含めて火垂も今の摩那の言動に驚いていた。

 

 クローで切り刻んだならまだしも、口で喰いちぎったと言うのが、いかにもチーターと言うか、そういったものを想像させてしまうのだ。

 

「……とりあえずここを離れるぞ」

 

「ええ」

 

「りょーかい」

 

 三人は非常階段から降りてマンションを後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 櫃間は焦っていた。

 

 先ほどハミングバードの心音が止まり、彼女が死んだことを知らされた。

 

 本来であれば自身の完璧ともいえる計画がことごとく潰されてきたのだ。それも里見蓮太郎も含めて、イレギュラーである黒崎民間警備会社に。

 

 その中でも特に癪に障っていたのが、木更との見合いについてきた断風凛だ。

 

 上層部から聞いた話では要注意人物だと聞いていたが、まさかここまでとは思いもよらなかった。

 

「クソッ!」

 

 近場のゴミ箱を蹴飛ばし、苛立ちを解消しようとするもののそんなもので晴れるわけもない。

 

 すると、後ろから声が聞こえた。

 

「あーぁ、そんなに取り乱してどうするんですか? 上層部からこの作戦を任されているというのに」

 

 振り向くとそこにいたのは悠河だった。彼は肩を竦めて笑みを浮かべていた。

 

「だから最初から僕を出しておけと言ったのに。ハミングバードの任務達成率は確かにどれを見ても百パーセント。でも、彼女がいままで相手にしていたのは小物ばかり。そんな彼女に任せてしまったのが間違いでしたね」

 

「私の失態だと報告するのか?」

 

「そんなこと言ってないじゃないですか。あぁそうだ、断風凛ですがどうやらこちらのことをかなり掴んでいるようです。よって早急に始末すべきはむしろ里見蓮太郎よりも断風凛の方だと思います」

 

 確かに、と櫃間は思った。

 

 見合いの席でもそうだったが、凛の瞳はまるで何もかもお見通しと言うような瞳だった。

 

 口元に手を当てて数秒考えると、静かに頷く。

 

「いいだろう、今回はお前の意見を聞いてやる。里見蓮太郎の始末よりも先にまず最初は断風凛を始末することにする。しかし、送るのはソードテールだ」

 

「おや? リジェネレーターは使わないので?」

 

「ヤツを出す時はお前と同時期に出すのがよいというのが上からの指令だ」

 

「なるほど、わかりました。では僕のほうからネストへ伝えておきます。櫃間さんは早く多田島警部と金本警部のところに戻ったほうが良いと思いますよ。

 あと、一つだけ言っておくと、多田島警部もそうですが、厄介なのは金本警部も同じなのでお忘れなく」

 

「フン、貴様に言われなくてもわかっているさ。だが、彼等もいずれは定年だ。自ら波風を立てるような真似はしないだろう」

 

 肩を竦めてみるものの、悠河は若干呆れ顔だった。しかし、櫃間はそれには気がつかずに戻っていく。

 

 

 

 

 そんな彼の後姿を見送りながら悠河は大きなため息をついた。

 

「やれやれ……上はどうしてあんな無能な人を『三枚羽根』を選んだのやら……」

 

 櫃間を小馬鹿にしながらも悠河は、ネストへソードテールを出すと言うことを伝えるためにスマホを取り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜もふけた頃。

 

 司馬重工の地下三階にある分析室に、未織と凛、夏世の姿があった。

 

「にしても、里見ちゃんが生きとるようでホンマよかったわー」

 

 ほっと胸を撫で下ろしながら未織は目の前の端末を操作する。そんな彼女の隣のデスクには凛がガストレアの屍骸から採取した細胞の入ったフィルムケースが置かれていた。

 

 ガストレアの死体安置所から戻った凛は、零子に報告をした後その足で司馬邸にいた未織にガストレアの細胞を調べて欲しいと頼んだのだ。

 

 未織はニュースで蓮太郎が死んだと聞かされて落ち込んだ様子だったが、凛が生きているということを伝え、彼の無実を証明するために力を貸して欲しいと言うと快く了解してくれた。

 

「解析するのにどれくらいかかる?」

 

「そやねぇ……まぁ三十分くらい待ってくれれば出来ると思うわー。あ、その間暇やったら適当にどっかいっててもええでー。ここには夏世ちゃんもおることやし」

 

 傍らでビーカーやら試験管の準備を始めていた夏世を見やりながら言うと、夏世も頷いた。

 

「ここには私が残りますから、凛さんは何処かに行っていても平気ですよ。何か来たとしても私が未織さんを守りますので」

 

「いやーん、こんなかわええのに守るだなんて、夏世ちゃんはええ子やねー」

 

 夏世の頭を優しく撫でる未織に凛は苦笑を浮かべつつ、分析室を後にした。

 

 そのままエレベーターに乗って一階のロビーに出ると、外の空気を吸うために本社ビルから出る。

 

 自動ドアがスライドし、エアコンの効いた室内から真夏の暑さの余韻が残った熱帯夜独特の纏わりつくようなねっとりとした空気が肌を撫でた。

 

 しかし、時折吹く風は気持ちよくもあった。

 

 大きく深呼吸をして肺に空気を送った後、一気に吐き出す。たまっていた空気が排出されたことによりすがすがしい気分になった。

 

「できれば、あと数日以内には決着をつけたいかな」

 

 真剣な表情のまま凛が呟いた。

 

 

 

「ほう、ではここで決着をつけてやる」

 

 

 

 声は後ろからだった。

 

 同時に凛は弾かれるように前方に跳躍して、空中で身体を捻って先ほどまで自分がいたところを見る。

 

 そこには大振りのナイフが中に浮かんでいた。

 

 疑問を持ちつつ、着地すると凛は姿の見えない人物に問いを投げかけた。

 

「いきなり後ろからとは……実に暗殺者らしいやり方ですが、貴方はどなたなんでしょうか」

 

 問いには答えないかと思ったが、意外にも敵はそれに返答をしてきた。

 

「俺は『ソードテール』。新世界創造計画の一人だ。今日は貴様を殺すようにとの任務でな」

 

「それは怖い。じゃあ殺されないようにしなくちゃいけませんね」

 

 凛は腰に手をかけて刀を抜こうとするが、刀はなく、バイクに収納したままだと言うことを思い出した。

 

「クク、丸腰の貴様など恐るるに足らず!」

 

 ソードテールの声が聞こえると同時に、空中に浮いていたナイフがなくなった。

 

「……光学迷彩ってことでいいのかな」

 

 声を潜めて言うと、凛は軽く笑みを零す。

 

「面倒くさそう……」




はい、今回はハミングバードさんご退場です。
摩那さん殺し方がえぐいよ。CCOみたいになってるじゃんガブッといっちゃってるしw

まぁ櫃間は無能でいいとして、ここからはもう原作とはまったく流れが違います。
ソードテールが凛と戦うことになってるし、既に調べも進んでるし……五翔会はもうダメだ♪

この後はそうですね、凛がソードテールをエグく切り刻んだ後に情報を漏らしてもらって、蓮太郎にそれを伝えてって感じですかね。

では、いよいよ原作とはまったく違う展開になってきましたが、これからも見てくださると幸いです。

感想などありましたらよろしくお願いいたします。


以下

今回入れようと思ったけどめんどくさいから入れなかったお話。

多田島達と別れた櫃間ザルは黒崎民間警備会社へと向かいましたとさ。
ちょうどその時間、零子さんは杏夏ちゃんが開発した銃弾の試験運用をしに出て行きましたとさ。
そこですっかり発情してしまった櫃間ザルは木更さんに急接近しました。
けれど、事務所の扉は固く閉ざされており、中からこんな声が聞こえましたとさ。

翠「せーはんざいしゃはおかえりくださいです」
焔「変態は家で寂しく自分のナニでも慰めてな」

櫃間ザルは大そう傷ついて自分の家に帰り、パソコンの秘密フォルダに入っている画像でいっぱいナニをしましたとさ。
けれど、秘密フォルダはすでに数人の人に見られているのでした。

おしまい♪


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第五十八話

 姿の見えないソードテールと向き合いながら凛は小さく息をつく。いや、今のは語弊がある。実際には向き合っていないのかもしれない。なにせ姿が見えないのだから。

 

 ……どうしたものかな。

 

 などと考えていると、またしても背後から大型ナイフが襲ってきた。

 

「おっとと、あぶないあぶない」

 

 ギリギリでそれを避けるが、顔を上げた時には既にナイフは見えなくなっていた。先ほどはソードテールがしゃべってくれたから場所が把握できたものの、今は声が聞こえないので捕捉がしづらい。

 

 ……まぁそれ以外にも探し当てる方法なんていくらでもあるんだけど。

 

 内心で笑みを浮かべながら凛は、姿の見えないソードテールに問う。

 

「ソードテールさん聞こえてますー? できればあなた方がどんな存在なのか教えてくださると嬉しいんですが」

 

 言ってみるものの、帰ってくるのは沈黙だけ。まぁそれもそうだろう、自分の位置をわざわざ教える馬鹿もいるわけない。

 

 それをするのであれば、そうとうの馬鹿かそうとうの手馴れだろう。

 

 まぁ例によって答えないのは想定していたので別に構わないのだが。

 

 すると、今度は自分の左側に誰かが立っている感覚がしたので、後方にバックステップで飛びのく。

 

 瞬間先ほどまで自分がいたところに銃口が現れて銃弾が発射された。そして、銃口は闇の中にスッと消える。

 

 ……ふむ、まぁ大体わかった。

 

 凛は態勢を立て直しながらソードテールの光学迷彩がどんな様なものなのか理解した。

 

 銃が闇に消える瞬間に、僅かながら布がはためく様な動きが見えたのだ。

 

 ……光学迷彩はマント状のものがやってるってことかな。でも、攻撃する際にはそれから手を出さなくちゃいけないってところか。

 

「だったら……」

 

 一度大きく深呼吸をすると凛は静かに目を閉じる。

 

 

 

 

 

 ソードテールこと鹿嶽十五(かたけじゅうご)は足音を立てないように、ターゲットである凛の背後に迫っていた。

 

 ……二度避けるとは、ダークストーカーの言ったとおり中々の実力者のようだが、武器がない奴など、恐れる事はない。コイツを始末したら次は里見蓮太郎だ。奴も俺が始末してしまえば組織での地位も上がる。

 

 ほくそ笑みながらこれからの計画を立てるが、すぐに雑念を振り払って目の前の標的を見据えようとした。

 

 しかし、先ほどまでいた獲物の姿がない。

 

 ……逃げたか? それもいいが、俺からは逃げられな――ッ!?

 

 思った瞬間、背中から何者かに蹴られ、さらに背中に痛みが走る。自身の腹を見てみると、大型のナイフが腹を貫通していた。

 

「ば、馬鹿な……!?」

 

 驚いているのも束の間、すぐにナイフを引き抜かれて再び強く蹴られる。痛みによろめいたためかバランスを保てずに、そのまま前のめりに転んでしまった。

 

 すると、そんな彼の背後から戦慄の声が聞こえた。

 

「結構背が高いんですね。あと音もなく殺したいのがポリシーであるならば、もっと殺気を収めることをお勧めしますよ。アレだけ殺気が出ていれば足音がしようとしなかろうと、大体の場所はつかめますから」

 

 後ろを振り向くと、そこには笑顔を浮かべた凛がいた。しかし十五はまだやれると踏み、再び光学迷彩を起動させる。

 

 が、

 

「逃がしませんよ。いちいち隠れられると面倒なんで」

 

 その声と共に背中を強く押さえつけられ、思わずうめき声が出てしまった。同時に、起動しようとしていた光学迷彩が完全起動までには至らなかった。だが、自分もプロだ。たかだか押さえられた程度で終わるわけにはいかない。

 

「なめるなぁ!!」

 

 言いながら立ち上がろうとしたが、右の掌に鋭い痛みが走る。その痛みに一瞬力が抜けまたしても地面に押し付けられてしまう。

 

 十五が右手を見ると、自分が持っていた大型のナイフが深々と突き刺さっていた。するとまたしても優しげな声で凛が告げてきた。

 

「質問に答えてくだされば治療をして差し上げますが、どうしますか?」

 

「フン、質問だと? 俺が組織の情報を売るとでもおも――ガァッ!?」

 

 言いかけたところで今度は左の掌に鋭い痛みが走る。二本目のナイフが突き刺されたのだ。

 

「ナイフはあと一本……でも、銃もありますからね。出来れば大きな怪我をしないうちに吐いた方が身のためだと思いますよ? 僕は元々銃の扱いにはなれていないんです。なので、当たり所が悪ければすぐさま死んでしまうかもしれませんね」

 

 後ろから伝わってくる圧倒的な強者の殺意。思わず生唾を飲みこんでしまい、恐怖から秘密をしゃべってしまいそうになるが、十五は硬く口を閉ざした。

 

 その様子を見た凛は感心したような声を出す。

 

「ふむ……その組織に対する絶対的なまでの秘密主義は素晴しいと思いますが――」

 

 そこまで言ったところで今度は銃声と共に左足首に激痛。

 

「ぎっ!?」

 

「――そこまでして守る価値のある組織には思いませんが……まぁいいです。話してくれないのなら話してくれるまでこれを続けます。出来れば僕も痛めつけたくはないので早く吐いてくれると嬉しいのですが」

 

「な、なめるな! 拷問だろうがなんだろうが受けきってやる。貴様などに組織の情報は売らん!!」

 

「まぁ貴方の心情なんてどうでもいいんですがね。では、始めさせてもらいます」

 

 そこからは一方的な拷問が始まった。凛が問いを投げかけるたびに十五はそれに黙るか口答えをするだけだった。

 

 しかし、口答えをすればナイフで死なない程度の傷を負わされ、黙っていれば銃で撃たれるという仕打ちだった。

 

 十五の身体はカーボンナノチューブで出来たナノ筋肉で構成されており、さらに脊椎も自動修復バラニウムで出来ている。しかし、だからこそこの痛みが苦痛だった。

 

 ナノ筋肉で弾丸を防ぐのでそこまで深い傷は入っていないが、小さな傷が徐々に十五の精神を削り取っていくのだ。さらに、ナイフによる攻撃も急所を外しつつも痛みを与えてくる。

 

 しかもあえて質問と質問の間に長い間をおくことによって、更なる恐怖を植えつけてくるのだ。

 

「もう一度お聞きしますよ? ダークストーカーは四賢人である室戸菫さんの『二一式黒膂石義眼』の進化版を持っていますが、貴方を含めて三人はどんな能力なんですか? 安心してください。答えてくれさえすればちゃんと治療を施して差し上げますから」

 

 耳元で囁く凛の言葉は酷く優しかった。しかし、その声の中には今まで十五が経験したことのなかった殺意が含まれていた。そして十五はついに口を割ることとなった。

 

「ハ、ハミングバードはティナ・スプラウトを作ったエイン・ランドの『シェンフィールド』のコピー能力者だ。お、俺はアーサー・ザナックが開発した『マテリアル・インジェクション』と言う能力を有している!」

 

「なるほど、ではもう一人。リジェネレーターは?」

 

「わ、わからない! アイツの能力はわかっていないんだ、し、信じてくれ!」

 

 すでに十五にプライドと言うものはなかった。延々と与え続けられる痛みと気が狂いそうになるほどの鋭い殺気。もう耐えられなかったのだ。

 

「では質問を変えましょう。このガストレアはなんですか?」

 

 突きつけてきた写真を見せられて十五は絶句してしまった。

 

「き、貴様まさかここまで調べて――がッ!?」

 

 肩口を思い切り刺された。

 

「口答えはしないでください。それで、このガストレアに覚えは?」

 

「そ、それは……組織が培養したガストレアだ」

 

「培養? ガストレアをですか?」

 

「ああ、組織は抗バラニウムガストレアを生み出したんだ。その写真の奴は試験体として東京エリアに放たれた個体だ」

 

「では内臓にあるこの印はやはり貴方達のものですね」

 

 次の写真を見ると、そこには十五が所属する五翔会のシンボルマークが刻まれたガストレアの内臓と思しき器官があった。

 

 十五はそれを見せられて首を縦に振る。

 

「しかし解せないことがあります。ガストレアは本来人に御しきれるものではないはず。それをどうやって――」

 

 彼がそこまで言ったところで着信音が響いた。上に跨る凛は十五に対して「失礼」とだけ告げると通話に出る。

 

「未織ちゃん、何かわかった? ごめん、いまちょっと手が離せなくてさ……うん、うん。大丈夫後少ししたら戻るから。それでガストレアの細胞には何かあった? …………なるほどね、わかったありがとう。もう少ししたらそっちに行くからちょっと待っててね」

 

 話を終えたようで、凛はスマホをしまった。そして再度十五に向き直ると問うてくる。

 

「ではこれで最後にしてあげます。これに答えてさえくれれば解放してあげます。もちろんこの苦しみからも解放してあげますよ。

 トリヒュドラヒジン……この薬品の名前に覚えは?」

 

「ッ!!」

 

「その様子からするとあるようですね。トリヒュドラヒジンは大戦中に作られ、ガストレアのウィルス増殖を抑えると一時期注目された薬ですよね。でも実際はそんな事はなく、ほんの少し抑えるに過ぎなかった。

 けれど、このトリヒュドラヒジンにはもう一つの面がありましたね。確か、人間やガストレアに使用すると副作用として強力な催眠効果を発揮するんでしたか? それによって一時期はレイプドラッグなどとしてブラックマーケットに流出していたそうですが……それがガストレアから検出しかも細胞レベルで、となると限られてきますよね?」

 

 優しげな声で問うが、威圧感は異常なほどだった。十五はゴクリと生唾と混ざった血を飲み込むと語りだす。

 

「……そうだ、組織はガストレアにトリヒュドラヒジンを大量に注入したんだ。ガストレアウィルスは体内に侵入した異物を排除使用とするからな。かなりの量を注入したんだ」

 

「では、その研究所があるはずですよね。それは何処にありますか?」

 

「そ、それは……」

 

 言いよどんでいると、容赦なく背中を切りつけられた。しかし、すでに大量の傷を負っているためかもう感覚が磨耗して明確な痛みすら感じなくなってしまっていた。それでも、恐怖だけは異常なまでに強くなる。

 

「NO.0013モノリスの近くのマンホールだと聞いている……! 俺も実際に行った事はないからわからないが、上層部の連中が言っていたので間違いはないはずだ! た、頼む、これで知っている事は全て話した! 解放してくれ!」

 

 十五の瞳には涙すら見えた。それだけ恐怖が強かったのだろう。なにせ、自身の上で自分に拷問を仕掛けていた少年は、殆ど笑顔を浮かべながらしていたのだから。

 

 すると、凛は十五の頼みに答えるように彼の腕からナイフを抜き取り、彼が持っていた銃を全て破壊すると、立ち上がった。

 

「ええ、とても有意義な情報ありがとうございます。おかげで助かりましたよ、ソードテールさん」

 

 言いながら彼は踵を返して司馬重工の本社ビルへと戻っていく。十五は傷口を押さえながら何とか上体を起すと、彼の後ろ姿を見据えた。

 

 ……この俺があんなガキに、恐怖を与えられるなど……!!

 

 ふつふつと怒りが湧き上がってきた。そして彼は凛が残していったナイフを持って彼に向かって投擲しようとした。

 

「?」

 

 しかし、そこで自分の身体の異変に気が付く。先ほどまで血が流れ出ていたと言うのに、今では嘘のようにそれが止まっているのだ。

 

 ……なんだ? ナノ筋肉の異変か?

 

 疑問に思いつつも十五はそんなことはすぐに振り払って腕を振りかぶり、凛に対してナイフを投擲する。

 

 ナイフは真っ直ぐ凛の後頭部に向かって飛ぶが、突き刺さる直前で凛がそれを後ろを振り向きもせずに指と指で挟みとる。

 

 彼はそのまま振り向かずに告げてきた。

 

「まぁ攻撃してくるとは思っていましたから気にはしてません」

 

 十五は攻撃を仕掛けてくるかと身構えたが、彼が何かをする事はなく、そのまま司馬重工の本社ビルの自動ドアの前まで行く。

 

 すると、彼はナイフを放り捨てると、こちらを振り向いてから人のよさげな笑みを向けてきた。

 

「では、有意義な情報ありがとうございました。そして、さようなら」

 

 いいながら彼はゆっくりと手を挙げてから所謂指パッチンをするように構えを取った。

 

そして彼はパチンと指を鳴らす。

 

 

 

「天童式抜刀術零の型一番……『螺旋卍斬花(らせんまんざんか)一斉開花(フルオープン)……散れ』」

 

 

 

 瞬間、十五は内側から何かがせり上がって来るかのような感覚に襲われた。しかしそれも一瞬、次の瞬間には目の前が真っ赤に染まり、痛みもないまま命の花を散らす。

 

 

 

 

 

 

 

 目の前でソードテールが細切れに爆散したことを確認した凛は、そのまま何事もなかったかのように分析室で待つ未織たちの元へ行きながら、先ほどソードテールが漏らした情報を思い返す。

 

「ダークストーカー、ハミングバード、ソードテール。……全員が四賢人が生み出した機械化兵士の強化やコピー能力者……。リジェネレーターも恐らくそれに含んでもいいだろうけど……」

 

 呟きながら考え込んでいると、以前菫が言っていたことを思い出した。

 

『さらに言ってしまうと、我々は四賢人などと呼ばれてはいたが、実際のところ私と他の二人と比べても、グリューネワルト翁は上だったよ。以前、彼の機械化兵士計画のノウハウを盗もうと図面を見たが、一部、理解できないところがあったほどだからね』

 

 蛭子影胤のテロ事件の際、菫は確かにこう言っていた。そして、そんな彼女や、アーサー・ザナック、エイン・ランドを統括していた四賢人の最高責任者である、アルブレヒト・グリューネワルト……。

 

 菫から見ても群を抜いていた天才中の天才。

 

 もし、そんな彼が頓挫した新世界創造計画を未だに続けているとすれば、蓮太郎や他の機械化兵士達を越える機械化兵士を可能かもしれない。

 

「じゃあ、五翔会のトップはグリューネワルト翁なのか?」




もはや凛無双というよりも、ソードテールいじめとなった今回……言わせてください。

……凛こえええええええええッ!!!!
これ書いてて若干恐怖を感じましたよ!
りんが入ってるんじゃないか!? または某ドSな女将軍の精神が乗り移ったんじゃないのか!?

失礼いたしました……
なんかもうね、最後のほうとか四巻の木更さんが乗り移ってましたねw
『螺旋卍斬花』も習得するというキチッぷり。しかもそれを大型のナイフでやってのけると言うチートっぷり。もうやだー……この子手に負えなーい!

次回は蓮太郎と合流でもさせますかね。

では、感想などありましたらよろしくお願いします。


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第五十九話

「トリヒュドラヒジン?」

 

 カーテンが引かれ、蛍光灯が室内を照らす黒崎民間警備会社の事務所で、高級そうな椅子に腰掛けている零子は怪訝な声を上げた。

 

 見ると彼女は煙草を片手にスマホで通話をしていた。

 

 それを聞いていた杏夏と焔に木更、美冬に翠も首をかしげる。

 

「それが水原君の倒したガストレアの中から検出されたというのか?」

 

 零子が問うと電話の相手である凛が冷静に答える。

 

『ええ。未織ちゃんに調べてもらったところ細胞から僅か0.1パーセント検出されました』

 

「細胞レベルの鑑定で0.1パーセント……という事は注入された量は相当だな。出所は?」

 

『残念ながら出所は聞きそびれましたが、五翔会の研究所の場所を特定することが出来ました。NO.0013モノリスの近くにあるマンホールから行けるそうです。あと、敵のエージェントが持っていた鍵のようなものを回収したので夏世ちゃんに渡しておきました。

 零子さん達はそちらに行ってもらえますか?』

 

「ああ、構わないよ」

 

『ありがとうございます。未織ちゃんが車を用意してくれるそうです。今からそちらに夏世ちゃんを乗せて行ってくれるらしいので、あとはよろしくお願いします』

 

「そちらも無理はするなよ」

 

 零子がそれだけいうと凛は短く「はい」とだけ答えて通話を切る。

 

 スマホをポケットにしまいこむと、零子は小さく息をついてからこちらを見ている五人に静かに告げる。

 

「これより私たちはNO.0013モノリスへと向かう。司馬重工が車を出してくれるそうだから、杏夏ちゃんはそちらの運転を頼む。木更ちゃんは……一緒に行くか?」

 

「……はい。私ももうこの事件には無関係ではないので行きます。でもその前に事務所に寄ってもらってもいいですか? 刀を取って来たいので」

 

「ああ、構わない。では各自準備を開始しろ」

 

 その指示に皆はそれぞれ頷き、おきるかもしれない戦闘の準備を開始した。

 

 零子も一階にある武器庫へ行き準備を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 司馬重工本社ビルの正面にはバイクに跨った凛と、夏世、未織の姿があった。

 

「それじゃあ夏世ちゃん、零子さんにこの鍵を渡してね」

 

「わかりました。ところで凛さん……貴方、五翔会からの刺客を始末したようですね」

 

「うん、殺したよ。木っ端微塵に」

 

 ほぼ即答だった。それに動揺などはまったく見られない。むしろほぼ当たり前という表情を彼は浮かべていた。

 

 夏世はそれに頷いた後駐車場に出来上がっている血溜まりを見やる。すると、未織が扇子を口元に当てながら肩を竦めた。

 

「にしても凛さんえぐ過ぎやろー。原形留めてないとかそういうんじゃなくてもう完全に存在がなくなっとるやん」

 

「まぁ向こうも殺されることを覚悟してやってるんだろうからね。というか、自分達が人を殺してきたのに何の報いも受けないと思っているほうがおかしいしね」

 

 言い切る彼の瞳は酷く冷酷な光りが灯っていた。

 

「じゃあ、僕はそろそろ行くね」

 

 キーをまわしてエンジンをふかして発進しようとするが、そこで夏世に声をかけられた。

 

「凛さん……気をつけてください」

 

「うん。夏世ちゃんもね」

 

 それだけ告げてバイクを走らせ凛は司馬重工を後にした。

 

 けれど、そんな彼の後姿を見やりながら未織は「はて?」と小首をかしげた。

 

「そういえば凛さん、零子さんのとこに連絡を入れる前に誰かと連絡取っとったみたいやけど……アレ、誰やったんやろ」

 

 

 

 

 

 

 バイクを走らせてから数分、信号で止まったところである所に連絡を入れる。

 

『はいはーい。なにー凛ー?』

 

 通話の相手は摩那だ。返答の軽さに思わず苦笑してしまうが、彼女に問う。

 

「摩那、少し蓮太郎くんに代わってくれるかな」

 

「はいよー。れんたろー、凛が話したいってー」

 

 そんな声が聞こえてから少しして蓮太郎の声が聞こえた。

 

『俺だ、凛さん』

 

「怪我の調子は大丈夫そうかい?」

 

『まぁなんとかな。それで、話ってなんだ?』

 

「実は水原君とそこにいる火垂ちゃんが一ヶ月前に狩ったガストレアの細胞を未織ちゃんに調べってもらったんだ」

 

 言うと、マイクの向こうから蓮太郎が息をのむ音が聞こえた。そして彼はそのまま『続けてくれ』と言ってくる。

 

「細胞を調べたらガストレアからトリヒュドラヒジンが0.1パーセント検出されたんだ」

 

『トリヒュドラヒジン? それって確かアレだよな、人間やガストレアに使用すると副作用として強い催眠状態になるって言う』

 

「そう。そのトリヒュドラヒジンだよ。まぁそれがわかった時僕は五翔会の機械化兵士であるソードテールっていう人を拷問していろいろ情報を引き出してたんだけど」

 

『拷問って……』

 

 蓮太郎が驚愕をはらんだ言葉を漏らしたが、今はそんなことを気にしている時ではない。凛は更に続ける。

 

「五翔会はどうやら抗バラニウム性を備えたガストレアを培養していたらしいんだ。それでその研究所の在り処も引き出せてね。そこには今零子さん達が向かってくれてるから――」

 

『――俺たちが残りの巳継悠河ともう一人の機械化兵士、リジェネレーターを叩くってわけだな?』

 

 凛が言い切るよりも早く、蓮太郎が答えた。凛はそれに対して小さく笑みを零しながら応答した。

 

「そういうこと。だから、君達がいる場所を教えてくれるかな?」

 

『ああ、今俺達は……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 櫃間はいよいよ後がなくなってきたと実感した。先ほど凛に差し向けたソードテールの生体モニタが反応しなくなったのだ。ハミングバードの時と同じように。

 

「これを失敗すれば……私に後はない……」

 

 小さく呟いた彼は懐からスマホを取り出して、ネストへ連絡を取る。

 

 一回コール音が鳴ると、ネストが答えた。

 

『はい』

 

「ネスト、リジェネレーターを出せ。もう四の五の言ってられん。あの戦闘狂を使ってでも断風凛と里見蓮太郎を殺す。こちらからもダークストーカーを送る」

 

『了解しました。ではそのように伝えておきます。情報は彼に直接送ってください』

 

 ネストの方から通話が切られた。櫃間は小さく息をつくが、背後から声をかけられた。

 

「やっと決心がつきましたか。最初から僕を使っていれば余計な損失にはなかったというのに」

 

 声はダークストーカーこと、巳継悠河のものだった。

 

「黙れ」

 

「はいはい、では行ってきますので」

 

「おい、場所――」

 

 櫃間が声をかけようと振り向いた時には、既に悠河の姿は忽然と消えていた。

 

 

 

 

 

 黒ビルから出た悠河はスマホをいじって電話帳から目当ての番号をタップした。

 

『よう、ダークストーカー。ネストから聞いたぜ、やっと俺たちの出番だって?』

 

「ええ、ハミングバードもソードテールもやられてしまったのでね」

 

『まぁあいつ等じゃあ無理だわなぁ。ソードテールは断風凛にやられたんだろ?』

 

「そうですが、なぜ?」

 

『アイツじゃあのバケモンには勝てないのは当たり前だ。お前も感じてるかどうかはしらねぇが、アイツ……断風凛はあの腹の中にとんでもねぇバケモンを飼ってやがる』

 

 彼の言葉に返答はしなかったものの、悠河はなんとなくだが理解は出来ていた。確かに、勾田プラザホテルで凛と対峙した時、一瞬だが尋常ではない殺意を味わった。

 

『まぁオレはアイツと戦えればそれでいい。それに、例えアイツだろうともオレを殺しきることは不可能だろうからな』

 

 くつくつと笑うリジェネレーターの声は狂気をはらんでいた。けれど悠河はそれを気にせずに彼に告げた。

 

「いいですか、リジェネレーター。今里見蓮太郎は廃棄され、一週間後に解体が予定されている工場地帯に身を潜めています。恐らく、断風凛もそこに向かっていることでしょう」

 

『了解だ。んじゃ、仕事を始めるとするか』

 

 彼はそれだけ告げると通話を切った。

 

 スマホをしまい大きく息をつくと、悠河はニッと口角を上げた。

 

「さて、いよいよ勝負をつける時が来ましたね」

 

 

 

 

 薄暗く鉄のような匂いが漂う部屋の中で、リジェネレーターこと蛟咲嶺(かざきりょう)は自身の武器である二対の鎖大鎌を持ち上げる。

 

 鎖がジャラッという独特の音を立てるが、嶺は気にする事はない。

 

 ……さぁて、どういう風に殺してやろうか……。

 

 恐らく口元は喜びに歪んでいることだろう。しかし、それでいい。嶺に取っては戦いこそが自身が生きていると実感できる場所なのだから。

 

「ケヒ……ケヒヒ……!」

 

 薄暗い闇の中で、ただただ不気味な声が木霊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 零子と木更は天童民間警備会社の事務所にいた。木更は自身の愛刀、殺人刀・雪影を取りに来たのだ。

 

 彼女が刀を持ってくる間、零子は事務所の中を見回していたが、ふと棚に立てかけられている懐中時計らしきものに目が留まった。

 

「木更ちゃん、これは?」

 

「え? あぁそれはお見合いの席で櫃間さんが私に送った懐中時計です。いらないって言ったんですけど」

 

 彼女は迷惑そうな表情をしていたが、零子はもう一度懐中時計に視線を落とす。

 

 ……ふむ、見た目は特に何の変哲もない懐中時計と言った感じだが……なにか引っかかる。

 

 そんなことを考えていると、横から木更に声をかけられた。どうやら準備が完了したようだ。

 

 零子はそれに頷いた後、懐中時計を指差して彼女に告げる。

 

「木更ちゃん、この時計少し調べさせてもらってもいいかしら?」

 

「構いませんけど……なにか引っかかることでも?」

 

「ちょっとね。まぁ今はそんなことより、NO.0013モノリスへ急ぎましょう」

 

 懐中時計を掴んで木更の背中を押しながら零子は杏夏達の下へ戻ってから、NO.0013モノリスへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちょうどその頃、深夜の警視庁の休憩室で多田島は金本と共に缶コーヒーを片手に話をしていた。

 

「金本……お前は何を知っている?」

 

「お前が知らないことだよ。多田島」

 

「俺が知らないことだと?」

 

 金本の言葉に缶コーヒーを持つ手に力が入り、スチール缶が少しだけ凹んだ。けれど、金本は大して動じる様子もない。

 

「教えろ金本、お前は俺に何を隠している」

 

「……隠していることか……。そうだな、もうお前にも話さなくてはならないよな」

 

 煙草に火をつけて紫煙を燻らせる彼は、こちらにも煙草を渡し、それに火をつけた。

 

「多田島、俺が知っているのは警察上層部の闇だよ」

 

「闇?」

 

「ああ。彼等はある組織とつながっている。そして彼等はその組織の力を使って、今このときも一人の少年と一人の少女の命を狙っている」

 

「少年っていうのは……里見蓮太郎か?」

 

 その問いに彼は静かに頷いた。

 

「お前も最初はおかしいとは思わなかったか? この東京エリアを二度も救った少年がわざわざ殺人をする必要が何処にある、って。

 彼は嵌められたんだ。警察上層部とその組織に、水原鬼八くんを殺したというありもしない罪をかけられてな」

 

「バカな……そんな映画や昔のドラマのようなことが現実に起こっているというのか?」

 

「そうだ。これは全て現実だ。そして、この事件を起している張本人こそが、警視総監櫃間正とその息子である櫃間篤郎警視だ」

 

「ッ!?」

 

 声が出なかった。

 

 確かに櫃間篤郎の捜査には不自然なところが幾つかあった。けれど、まさか事件の黒幕が一番近くにいたなど。

 

 思わず拳に力がはいる。

 

 すると、金本が静かに立ち上がって休憩室を出て行こうとする。

 

「何処に行く」

 

「俺にはまだやることが残ってる。だから、俺はそれを片付けに行くんだ。多田島、お前もこの話を信じてくれるのなら、お前なりの捜査をしてくれ」

 

 彼はそれだけ言い残すと休憩室を後にして姿を消した。

 

 あとに残された多田島は大きく息をついた後、意を決したように立ち上がって休憩室を出て行く。

 

 

 

 

 

 休憩室を出てそのまま地下駐車場に降り立った金本は、自身の車に向かう。

 

「何処行くつもりですか、先輩」

 

 その声に振り返ると、後輩である織田裕樹が僅かに笑みを浮かべながらこちらを見ていた。

 

「織田、お前こそ何してる。もう帰ったんじゃないのか?」

 

「ったく、何年先輩と組んでると思ってんですか。……俺も行きますよ」

 

「……結構無理するかもしれないぞ?」

 

「先輩と組んでれば嫌でも無理はしてますって」

 

 肩を竦めていって見せる織田に金本も小さく笑うと「乗れ」と短く告げ、二人は車に乗り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 東京エリアにある工業地帯。その中の廃棄された工場内に蓮太郎、火垂、凛、摩那の姿があった。

 

 凛の手には長刀、黒詠がもたれている。

 

「なるほどな……それでトリヒュドラヒジンか」

 

「うん、五翔会は試験的に培養したガストレアを東京エリアに放ってその性能を確かめたんだ」

 

「それで秘密を知った水原と駿見医師を殺したってことか……ふざけやがって」

 

「本当にふざけているわ。そんな研究のために鬼八さんを殺すなんて……ッ!!」

 

 蓮太郎の隣では火垂が怒りを露にしていた。凛は彼女を見やりつつ、蓮太郎に告げる。

 

「木更ちゃんは今零子さんと一緒にいるから問題はないよ。あと、延珠ちゃんとティナちゃんもウチの地下室に隠れてるからどっちも無事」

 

「そうか……よかった」

 

 蓮太郎は怒りから一転ほっと胸を撫で下ろす。しかし、こちらも悠長には構えていられない。

 

 これだけのことを知った今、櫃間は確実に自分達を潰しにかかるだろう。そのために派遣される人選は二人。

 

 リジェネレーターとダークストーカーだ。

 

「蓮太郎くん、恐らくここに――」

 

 言いかけたところで、凛は摩那と共に弾かれるように振り返った。蓮太郎と火垂もそちらを見やる。

 

 四人の視線の先には二人の人物がいた。

 

 一人は額狩高校の紺色の詰襟制服を着た美少年。五翔会のメンバー、ダークストーカーこと巳継悠河。

 

 そしてもう一人は黒いコートを羽織った凛と同年代ほどの青年だ。顔は悠河程ではないにしろ、普通に見ても整った顔立ちをしている。

 

 けれど、彼の手には鎖でつながれた二対の大鎌が握られていた。消去法で考えれば彼が『リジェネレーター』で間違いないだろう。

 

「こんばんは、里見蓮太郎くん」

 

「巳継、悠河ッ!!」

 

 悠河の声に蓮太郎は戦闘態勢を取る。

 

 けれど、凛はというとリジェネレーターのほうを見やったまま動く事はない。すると、リジェネレーターはニィッと三日月のような笑みを浮かべて告げてきた。

 

「やっと真正面から会えたなぁ、断風凛」

 

「そうだね。ここ最近僕に纏わりついていた殺気は……やはり君のものだったか」

 

「ああ、そうだ。さすがだな」

 

 くつくつと笑うリジェネレーターだが、殺気は強くなるばかりだ。しかし、凛は臆すことはない。

 

 すると悠河が笑みを浮かべながらこちらに告げてくる。

 

「では、始めましょうか。最後の殺し合いを」




今回は少し短めでしたね。

しかし、いろいろな人の視点からかけた気がします(自己満足)
ちょっと読者の方は視点がコロコロ代わって読みにくかったかと思います。その辺りは謹んでお詫び申し上げます。
そしてもはや原作など形が残っていないというw

そういえば、玉樹は? 弓月は? 朝霞は? と思っていらっしゃる方もおられると思いますが、ご安心ください。ちゃんと出ますよ!
……戦闘に参加するかどうかはわかりませんが。

そしていよいよ大詰めとなってまいりました五翔会編!
恐らくあと三話ほどでケリがつくでしょう。
そしたら未織メインのちょっとしたパロディネタをやってみたいと思うので、そちらもお楽しみにしてくださると嬉しいです。

では、感想などあればよろしくお願いいたします。


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第六十話

 悠河が言葉を発した瞬間リジェネレーターが、両手に携えていた鎖大鎌を凛と蓮太郎を分断するように投げてきた。

 

 二人はそれぞれサイドステップをして大鎌を回避すると、凛は摩那にハンドサインを送る。摩那もそれを確認すると、地面に突き刺さった大鎌を横目に、火垂を強引に担ぐ。

 

「ちょ、摩那ッ!?」

 

「ごめん、でもここから離れるよ」

 

 それだけ言うと彼女は蓮太郎を見る、蓮太郎もそれに対して了解するように頷いた。

 

 彼が頷いたのを確認すると、摩那は工場内の窓を蹴り破りながら外に脱する。すると、リジェネレーターがくつくつと笑い始めた。

 

「ハハハハッ! ガキ共は巻き込みたくないってかぁ? お優しいことだな断風よぉ」

 

「これから血なまぐさいことが始まるというのに、彼女達をここに置いておくわけにはいかないからですよ」

 

「ケッ……タヌキが……。おい、ダークストーカー絶対に手ぇ出すんじゃねぇぞ。コイツはオレが狩る」

 

 大鎌を引き抜きながら言うリジェネレーターに、悠河はコクッと頷くと蓮太郎を正面から向き合って戦闘態勢を取る。

 

 それを見つつ、凛は蓮太郎に告げた。

 

「蓮太郎くん、恐らくここから一人の戦闘になる。だからティナちゃんの時のように手助けは出来ない」

 

「ああ、わかってる。大丈夫だ、アイツはオレが倒す。凛さんも負けんなよ」

 

「わかってるよ」

 

 答えると同時にその場から凛の姿が消失し、次の瞬間にはリジェネレーターに斬りかかっていた。

 

 だが、リジェネレーターも予測していたのか、笑みを見せたまま大鎌の柄で一閃を受け止める。

 

「いいねぇ、そうこなくっちゃなぁッ!!」

 

 笑顔を見せるリジェネレーターは、凛を振り払って彼から一度大きく距離を取る。凛もそれを追撃するため、二人は工場内を飛び出していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先に工場を飛び出した摩那は工場から数百メートル離れた所で火垂を下ろした。だが、火垂から跳んできたのは文句だった。

 

「なんで私も一緒にあそこから離れさせたの!? アイツは……ダークストーカーは鬼八さんの……ッ」

 

「うん、わかってる。火垂がアイツのことが殺してやりたいほど憎いのもわかってる」

 

「だったら!」

 

「でも! あの男はアンタが刺違えてでも倒せるような相手じゃない!!」

 

「ッ!」

 

 摩那の声に火垂は身体を硬直させた。見ると、摩那の瞳は赤熱しており、感情が高ぶっているのがわかる。

 

 それは恐らく怒りから来るものではなく、心配とかそういったものからくる感情の高ぶりなのだろう。

 

「アンタが今考えてることを当ててあげる。アンタは自分の持つプラナリアの因子の再生力で一度死ぬことによって、ダークストーカーを油断させて蓮太郎と一緒に倒すつもりだったんでしょ?」

 

「それは……」

 

 火垂は言葉に詰まる。図星だったのだろう。

 

 プラナリア。扁形動物門ウズムシ綱ウズムシ目ウズムシ亜目に属する動物の総称だ。また、この動物は凄まじいほどの再生力を持ち、体を三つに切り分けられれば斬り口から頭部や尾部が再生する。

 

 この動物の中で日本がまだ日本だった時に見ることの出来た、ナミウズムシという名前の因子を火垂は持っている。

 

 彼女にはその再生能力があり、普通のイニシエーター。例えば摩那などが即死するほどの攻撃を受けても再生して生き返ることが出来る。その再生力は通常のバラニウムの再生阻害効果を押し返すほどだ。

 

 しかし、万能というわけではない。再生中、すなわち死んでいる最中にガソリンで燃やされたり、首と胴を切られてしまえば再生は出来ないのだ。だからこそ彼女の能力は敵に知られていないことが前提となってくるのだ。

 

「これは私の予測だけど、多分アンタの能力は向こう側にばれてる。もしそうなのであれば、確実に殺されるよ」

 

「でも、通常のバラニウム弾程度なら少し喰らったって――」

 

「――通常のバラニウム弾じゃなかったら?」

 

「え?」

 

 摩那の言葉に火垂が疑問符を浮かべる。

 

「火垂、濃縮バラニウム弾って知ってる?」

 

「濃縮バラニウム弾?」

 

 この反応からして知らないのだろう。まぁ使う場面が多くはないので知らないのも無理はないのだが。

 

「私の仲間にそういった銃の弾丸を制作をしている子がいてさ、たまに教えてもらうんだけど。その濃縮バラニウム弾って言うのは普通のバラニウム弾以上にガストレアや私たちを殺しきる力を持ってるの。構造はあんまよく覚えてないけど、再生レベルⅢまでのガストレアを絶命させるほどらしいよ。

 火垂の話から推測するとアンタの再生レベルは恐らくⅡ。もしその弾丸を一発でも喰らえば再生できずに……死ぬよ。二度と生き返ることなく」

 

 摩那の声は心配もそうだが、若干脅かしとも取れる色が混じっていた。けれどそれは彼女の優しさ来るものなのだろう。たった数日間であったが行動を共にした火垂を失いたくないからこそ、脅してでも行かせたくないのだ。

 

 すると、火垂は一瞬悔しげにしたが静かに頷いた。

 

「……これは私の想像だから綺麗ごとに聞こえるかもしれないけど、水原さんはアンタに生きていて欲しいから自分が調べていることを教えなかったんじゃないのかな」

 

 摩那の言葉は火垂の心に突き刺さった。しかし、そんな彼女らから離れたところでは剣戟の音が鳴り響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 離れた所で激しい剣戟音を聞きながら蓮太郎は悠河を睨みつけていた。

 

「あまり睨まないでくださいよ」

 

「別に睨んでるつもりはねぇさ。ただこの目つきは治らないもんでな」

 

 言ってのけると悠河は人のよさげな笑みを見せる。けれど、そんな事は気にせずに問いを投げかける。

 

「一つ聞きたい。ハミングバードが来るってことを俺に知らせたのはお前か?」

 

 数秒の沈黙が流れた。外ではしきりにリジェネレーターと凛が互いの得物を激しくぶつけ合う音が聞こえる。

 

「違いますよ」

 

「ごまかすんじゃねぇ。お前はハミングバードの仲間なのに、なぜ俺が得するような情報を教えるような真似をした?」

 

 問うてみるものの、悠河は言葉を返さずにしばしの沈黙のあとこちらをじっと見据えてから、制服の右腕をシャツごとまくって、肘の裏をこちらに見せてきた。

 

 そこには☆と四つの頂点から伸びる複雑な意匠の刺青が彫られていた。けれど、そのうち二本の羽は掻き毟られたように消されている。

 

「里見くん、君はこの刻印に覚えがあるかい?」

 

「五翔会のシンボルマークだろ。凛さんが全部調べて教えてくれたよ」

 

「そう。これが五翔会に所属していることを表すシンボル。僕は最初四本の羽を持っていた。でも一回の敗北で二本をもがれていまではあの断風凛が殺したソードテールと同じ二枚羽にまで落ちてしまった」

 

 拳を握りしめたあと、彼は小さく息をついてからこちらを見ながら言って来た。

 

「僕は先天的に目が見えなかったんです。所謂全盲って奴ですよ。でも別に自分の境遇を悲しんだりはしなかった。だってこれが普通だと思っていたから。けれど小学生の頃には周囲から散々な目に合わされましたよ。でも、そんな僕を救ってくれたのがアルブレヒト・グリューネワルト教授……四賢人の一人です。君も聞いたことがあるでしょう?」

 

 確かにある。菫から聞かされもしたし、先ほどの凛との会話でも出てきた。あの菫が天才と認める四賢人の最高責任者だ。

 

「そして僕はこの両目を手に入れて光りを手に入れた。この『二一式改』は通常の状態でも視覚がある。そして僕は全てを見た。春の色、夏の色、秋の色、冬の色。一日で様々な色を見せる空、煌めく星や月、天高く輝きを見せる太陽を。

 だから僕はそれ以外何も欲しなかった。だから僕にこの瞳をくれた教授のためにこの命をささげようと思ったんだ。そして僕は五翔会のトップから一つ下の四枚羽根にまで上り詰めた。教授も僕を気に入ってくれた。……でも先ほども言ったことだけど、一回の敗北で一気に二枚羽根に落ちてしまったんですよ」

 

 悠河が拳を握る手に力がこもっていくのがわかった。けれど、蓮太郎は何も言わず沈黙を通す。

 

「さきほど君は『なぜ俺が得をするようなことをする』って言いましたね。別に君を助けたかったわけじゃないんですよ。ただ、ハミングバードのようなただのブリキ細工に先を越されるのが気に食わなかっただけです」

 

 口角を上げて冷笑を浮かべる悠河の瞳は強い拒絶と嫌悪の色があった。

 

「それに君を殺しさえすれば、教授は僕をまた四枚羽根に昇格させてくれると約束してくれた。だから、君は絶対に僕が殺す」

 

 悠河の瞳に冷たい光が灯り、こちらを見据えてくる。おそらく十数秒後には戦闘が開始されるだろう。

 

「お前に卑劣な暗殺をやらせてる時点で、グリューネワルトは大した人間じゃなさそうだけどな。ティナを機械化兵士にしたエイン・ランドとやってる事はかわらねぇ」

 

「君がなんと言おうと関係ないんですよ。教授が僕をどう思っているのかではなく、僕が教授を信じていればそれでいいんです」

 

 言うと同時に彼は地面を蹴り、こちらに向かってくる。

 

 それに対しこちらも臨戦態勢をとり、そのまま悠河に向かって駆け出す。

 

 数瞬もしないうちに二人の拳と拳がぶつかりあい、音が工場内に響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蓮太郎と悠河のいる工場から離れること数十メートル離れた工場の屋根の上で、凛はリジェネレーターと戦闘を繰り広げていた。

 

 すると、二人は同時に駆け出して空中に躍り出る。

 

「ヒャハハァ!!」

 

 下卑た笑い声と共に大鎌が空気を切り裂きながらこちらに振り下ろされてくる。すばやい振り下ろしだったが、凛は持っていた黒詠を放り投げてから振り下ろされる鎌を白刃取る。

 

「マヌケが。こっちの存在忘れてやしねぇかぁ!!?」

 

 言いながら今度は鮫の歯を髣髴とさせる細かい刃がついた大鎌をこちらの胴体に向けて振るリジェネレーター。

 

 けれど、凛は白刃取りをした手と腕に力をこめて、逆立ちするように下半身を上に振り上げる。同時に鎌を離すと空中で一回転し、今度はリジェネレーターの肩口を踏み台にして更に空中に飛び上がる。

 

 流石にリジェネレーターもこれには面食らったようで、一瞬驚いたような顔をするが、凛は飛び上がった状態で空中で回転する黒詠をキャッチ。

 

 そのまま筋肉の力だけで体を反転させると、重力にしたがって垂直落下。

 

 下を見るとリジェネレーターもこちらを見ている。

 

「今度はこちらから」

 

 言いながら凛はリジェネレーターに向かって黒詠を振り下ろす。けれど、リジェネレーターはニヤリと笑みを見せて鎌と鎌を繋ぐ鎖をピンと張って黒詠の攻撃を受け止める。

 

 だがそれも一瞬、次の瞬間には鎖はあっさりと断ち切られた。

 

 キィン! という甲高い音と共に張り詰めていた鎖が二つに分かれるが、その先を見てもリジェネレーターの姿はなく、彼は先に屋根の上に降り立っていた、恐らく凛が切った瞬間に鎖を鎌から切り離すことによって事なきを得たのだろう。

 

 既に彼はこちらを見据えて対空迎撃の態勢に入っているが、凛は内心で小さく笑みを零す。

 

 そう、この状況こそが凛が待っていたことだ。

 

「……断風流戦刀術(たちかぜりゅうせんとうじゅつ)玖ノ型(きゅうのかた)……堕天壊裂(だてんかいれつ)

 

 言うと同時にリジェネレーターの鎌が迫ってきた。

 

 けれど身を翻すことでそれを避けると、刹那の瞬間で凛はリジェネレーターの背後に駆け抜ける。同時に、駆け抜ける瞬間、なにかを切ったような音も聞こえてきた。

 

 そして、黒詠を鞘に納めた瞬間、それが起こる。

 

「ぐっ……ああああああああああああああッ!?」

 

 リジェネレーターが絶叫しながらその場に倒れ込んだのだ。見ると、彼の手足は見事な斬り口で切断されていた。両腕は肘から、両足は太ももから。

 

「クソがぁ……テメェよくもッ!!」

 

 怨嗟の声を吐いてくるが、凛はリジェネレーターの首筋に黒詠を突きつける。

 

「両手両足をもがれた状態でよく吠えますね」

 

「ハン、テメェこそ余裕ぶっこいてるじゃねぇか。こんな状態になったオレを狩るのは簡単だってか?」

 

 凶悪な表情こちらを睨んでくるが、凛はそれに答えることなくリジェネレーターの首筋、頚動脈を切り裂いて止めを刺した。

 

 リジェネレーターは何度か体を震わせたものの、すぐに動かなくなった。

 

 それを確認したあと、小さく息をついてから踵を返す。

 

「さてと、蓮太郎くんの加勢にいくとしようかな……ッ!?」

 

 凛は前転するような形で前に飛びのくが、その上をリジェネレーターの大鎌が空気を切り裂くヒュオンという音を立てながら通り過ぎていった。

 

 すぐに起き上がって背後を見やると、そこには先ほど切断した足と腕が元に戻り、尚且つ首筋の頚動脈の傷が治癒しかけているリジェネレーターの姿があった。

 

「ケヒヒ! どうした? 随分驚いてるじゃあねぇか。まぁわからなくもないぜ、自分が今殺した男がぴんぴんしてるんだからな。驚くのも納得だ」

 

「……」

 

「黙ってたってわかるんだぜ? 目は口ほどに物を言うって言うのはよく言ったもんだよなぁ。相手の目を見ればそいつが驚いてるのかとか、恐怖しているのかなんて簡単にわかっちまう。

 さて、それではここでお前にわかりやすく解説してやろう。どうして一度死んだはずの俺がこのようにぴんぴんして生きているのかをな」

 

 リジェネレーターは大鎌を担ぎながら三日月の笑みを浮かべる。

 

「俺のコードネームはリジェネレーター……日本語にすれば「再生者」って感じだ。まぁこのあたりでもうわかるよな。俺の機械化兵士としての能力が」

 

「再生……。でも、どうしてあんなに早く……」

 

「そこがミソなんだよなぁ。俺の体は九十パーセント近くが人工臓器やらスーパー繊維、カーボンナノチューブで構成された筋肉で出来上がっている。そして、さらに人口筋肉や皮膚の中にはある生物の細胞をこれでもかと入れてある。

 お前もよぉく知ってると思うぜ? なんてったって、あの紅露火垂と同じ生物の細胞なんだからなぁ」

 

「ナミウズムシ……」

 

「大正解。いやぁ物分りがいいねぇ。けどただのナミウズムシの細胞じゃねぇ。チッとばかしいじくった……そうだな、『超再生細胞』とでも言っておくかね。ヒヒッ!」

 

 くつくつと笑いこちらを見やってくるリジェネレーターを睨むが、彼は大して気にも留めていない様子だ。

 

「でも解せませんね。ただ再生するだけならもっと時間がかかってもおかしくはないはず。だのに、貴方の再生速度は明らかにおかしい、もっと別のカラクリがあると思うのですが」

 

 凛の問いにリジェネレーターは面白げな笑みを見せると、自分の腕を鎌で切断した。その動きに一切の躊躇はない。

 

 彼はそのままこちらに向かって傷口を見せてくる。

 

「それはこの骨が関係してんだよ。見えるか?」

 

 彼が見せる傷口をじっくり凝視していると、凛はあることに気が付いた。

 

 黒いのだ。

 

 いや、確かに夜だから暗く見えるのは当たり前なのだが、そうではない。

 

 リジェネレーターの骨が黒かったのだ。

 

「黒い骨……まさかバラニウム?」

 

「惜しいなぁ、確かにバラニウムであることには変わりはないが……俺のはさらに変化を加えてある」

 

 言うと、彼は切断し、持っていた腕を空中に放り投げるとそれに向かって切断面を突き出す。

 

 すると、空中を待っていた腕が切断面を下にして一瞬にして落ち、もう一方の切断面と合体し、見る見るうちに傷口を塞いでいき、数秒も経たない内に接合が完了。そして腕がちゃんと動くまでに回復していた。

 

「わかったか? 俺の骨が何で出来ているのか」

 

「恐らくですが……磁石。それもかなり強力な奴ですね。尚且つ、自身の骨としか反応しないようになっている。特殊な磁場が出ているみたいですね」

 

「ご明察だ。そう、俺の骨は殆どがバラニウム合金にある特殊な磁石を混ぜたもので出来てる。それによって切断されてもすぐさま合体することが出来るってわけ。さらに、傷口もナミウズムシの再生力ですぐさま回復が始まる。

 だからこそリジェネレーター……「再生者」ってわけだ。それにしても、ここまで早く回復したのはお前のお陰でもあるんだぜ?」

 

「僕の?」

 

「ああ、本当に見事な斬り口でなぁ。細胞も殆ど傷ついてなかったからこそあそこまで早い回復が出来たんだ。感謝するぜ、ケヒヒ」

 

 先ほど凛が切断した傷口を指しながら笑みを浮かべるリジェネレーターだが、彼は着ていた黒いコートを脱ぎ捨て、インナーも引きちぎって上半身を露にする。

 

 彼の右胸には五翔会のシンボルマークである五芒星、その頂点からは合計で三つの羽根が刻まれていた。

 

「改めて自己紹介だ。五翔会、三枚羽根、グリューネワルトの機械化兵士の一人、リジェネレーター。蛟咲嶺だ。よろしくな、断風凛」

 

 言い切った彼は残忍極まりない表情を浮かべていた。

 

 しかし、凛は先ほどの嶺の説明など大した問題ではないという表情のまま黒詠を構えなおした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 NO.0013モノリスの付近には零子たちの姿があった。

 

 彼女らの手にはそれぞれの得物が握られており、皆周囲への警戒は怠らない。

 

 数分間そこでマンホール近くを捜索していると、美冬が声を上げた。

 

「ありましたわ!」

 

 皆彼女の声に集まると、マンホールとその脇に注意しなければ見落としてしまいそうなほど小さい五芒星と羽根が刻まれていた。

 

「なるほど、確かにこれじゃあわからないはずね。よっと……」

 

 零子は嘆息気味に言うとマンホールを持ち上げて脇に置いた。

 

 その下からはオオオオ、というまるで亡者のようなうめき声が聞こえてくるが、皆それに臆したような様子はない。

 

「さてっと、それじゃあいよいよ敵の研究所に殴りこみね。皆、準備はいい?」

 

 彼女の言葉に皆、静かに頷いた。それを確認した後、零子を最初に杏夏達がマンホールの中に入っていった。

 

 真実を見るために。




いよいよ六十話ですねぇ……気が付けば随分と遠くまで来たものだ……(しみじみ)

まぁそんなどうでもいいネタはさておき、今回は戦闘に入るかと思いきやちょっと戦闘しただけで、リジェネさんの力がわかっただけでしたねw
リジェネさんの身体はトンデモ金属のトンデモ磁石と、ナミウズムシの細胞を強化した超再生細胞で出来てたってわけですなこれがw
そしてお前等人間か? というほどの空中戦www
多分凛は某ソルジャーのクラス1stくらいはあるんじゃないかな(白目)

次回はそれぞれ本格的な戦闘ですが……玉樹たちが出るのは実際この戦闘ではないんですよねぇ。どちらかと言うとそのあとすぐって感じというかなんと言うか……お見舞いではないですよ。

では感想などありましたらよろしくお願います。


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第六十一話

 闇夜の空の下、廃棄が決まった工場地帯で剣戟の甲高い音と、拳や脚が激突しあう鈍い音が響いていた。

 

 そのなかで、廃工場内で死闘を繰り広げている蓮太郎と悠河が吼える。

 

「ラアアアアアアアアアッ!!!!」

 

「ハアアアアアアアアアッ!!!!」

 

 互いの拳がぶつかり合うが、やはり一歩蓮太郎の方が及ばないのか悠河がの蹴りが蓮太郎の腹にヒットする。

 

 しかし、そんなことでいちいち隙を作ってもいられない。

 

 すぐさま蓮太郎は頭を振りかぶると、悠河の鼻先に向けて頭突きをかます。

 

「ぐッ!?」

 

 恐らく腹を蹴ったことで隙ができると思っていた悠河はすぐの反撃に対処できずに、頭突きを喰らった鼻からは血がダラダラを流れ始めていた。

 

 けれど彼もそんなことで怯まずに懐から銃を取り出し、至近距離でこちらに発砲。銃口炎が吹き上がり、弾丸が飛んで来るが考えるよりも早く体が反応し、反射的に頭をかたむける。

 

 チッ! という銃弾が掠める音と、耳に火傷の様な痛みが走る。掠ったのだろうが、音速で飛んでくる銃弾が肌を掠めたという事は耳は多少なり切れているだろう。

 

 瞬間、蓮太郎は悠河の銃を蹴り上げると、彼から距離をとった。同時に、先ほど蹴られた痛みが今になって効いてきたのか表情を曇らせる

 

 対する悠河も無傷というわけではなく、頭突きの影響でその顔は苦悶に歪んでいる。

 

 しかし、蓮太郎の二一式義眼と悠河の二一式改の双眸は互いの次の動きを予測するように高速回転をしていた。

 

「五翔会はなぜバラニウムに耐性のあるガストレアを生み出した。アレを使って何をするつもりだ」

 

 気が付いたときには問いを投げかけていた。すると悠河もこちらを見据えながら告げてくる。

 

「我々の組織に歯向かうエリアを更地にするためですよ。この世界の覇権を握るには、一度足並みをそろえなくてはなりませんからね」

 

「更地だと? 世界征服とどう違うって言うんだ?」

 

「まったく別物ですよ。今現在、他国はガストレアに対してどうしようもなくなり、大戦以前に世界を牛耳っていたとも言えるアメリカなどの大国も今や穴熊を決め込む始末。だから我々がそのような世界各国に成り代わり、秩序を維持し、尚且つガストレアを始末してあげようってわけですよ」

 

「……だからその理念に反するエリアは一度綺麗さっぱり更地にしようってか……自分達が作り出した生物兵器を使って!!」

 

 怒号を飛ばすが悠河はまったく気にしていないといった態度で飄々と答える。

 

「正解です。それに我々はなにもその他の国の人を奴隷にしようとしているわけじゃないんですよ。ただ、我々が新たな世界の秩序を齎そうとしているわけです。『新世界』のためのね」

 

「その『新世界』のためならどれだけの人間が犠牲になってもいいって言うのか!? 水原や、他の機械化兵士……諸外国の人間まで!!」

 

「何かを成そうとするには犠牲はつき物ですからね」

 

「ふざけんじゃねぇぞテメェッ!! そんな世迷言のために水原を殺し、あまつさえあんな小さな子を泣かせたのかッ!!」

 

 激昂し憤怒の表情を浮かべる蓮太郎の気迫は、今まで見たこともないものだった。

 

 しかし悠河はまるで「くだらない」とでも言うように肩を竦めて見せる。

 

 瞬間、蓮太郎は自身の中で何かがキレるのを感じ、言葉を発した。

 

「――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――まぁこれが俺たち五翔会が考えてる思想ってわけだ。ケヒヒヒ」

 

 戦闘をやめ、蓮太郎と同じように五翔会の狙いをリジェネレーターこと蛟咲嶺から聞きだしていた凛だが、彼の頬には戦闘でつけられた傷が一筋あった。

 

 嶺は下卑た笑みを浮かべているが、凛は前髪で隠れた瞳を義憤の色に染める。

 

「くだらない……」

 

「あ?」

 

 

 

 

 

「今なんといいましたか?」

 

「くだらないって言ったんだ……クソヤロー」

 

 蓮太郎の言葉が気に食わなかったのか、悠河は鼻血を拭いながら彼を見据える。

 

 

 

 

「くだらねぇだぁ? ハッ! 言ってくれるじゃねぇか」

 

 嶺は凛に向かって大鎌を向けるが、凛は戦闘態勢もとらずに一歩を踏み出す。

 

「罪のない人々を殺して得る新たな世界なんてくだらないにも程がある」

 

 

 

 

「今の言葉……撤回してくれませんかね?」

 

「誰がするかよ。何度だって言ってやる。そんな世界、反吐が出る」

 

 蓮太郎は吐き捨て、一歩ずつ悠河に歩み寄る。

 

 

 

 

 図らずとも、二人の言葉は重なっていた。

 

 そして二人はさらに自身の敵に向かって言い放つ。

 

「お前はここで倒す」

 

「五翔会も倒してみせる」

 

 離れた場所にいるというのに二人の言葉はまったくと言っていいほどつながっていた。それは彼等の本心が根底でつながっているということを体現しているかのようだ。

 

 そして二人は同時に吼える。

 

「「貴様等の野望と共にッ!!!!」」

 

 瞬間、凛と蓮太郎は互いの敵に向かって駆けた。それに対し、悠河と嶺も戦闘態勢に入る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 NO.0013モノリス近くにマンホールから下水に降りた零子たちはモノリスの方角に向かって二百メートルほど歩いていた。途中道が蛇行したものの、殆ど一直線であった。

 

 けれど、いま彼女等の前にあるのはブラッククロームの壁だった。

 

「行き止まりですか?」

 

 懐中電灯を持った杏夏が呟き、木更達も同じように怪訝な表情をしている。しかし、零子は夏世と共に黒い壁の表面を調べ始める。

 

 ある程度触りながら調べていると、夏世が声を上げた。

 

「皆さん、これを見てください」

 

 彼女に言われ皆がそちらにいくと、夏世が懐中電灯でそこを照らす。

 

「鍵穴、ですわね」

 

 美冬の声に皆が頷くと、夏世は凛から預かった鍵を取り出して鍵穴に差し込んだ。

 

 カチャリという鍵が開く音がすると、向こう側から招くように扉が開く。まず始めに零子が懐中電灯を片手に中に入り、その後に皆が続く。

 

 奥に入るとそこは一軒家ほどの小さなドーム上に岩盤が抉れており、さらに電車一両よりは少し小さく、かといってマイクロバスに比べるとやや大きめの車両が停車していた。

 

 更にその奥を照らしてみると、トンネルと線路が果てし無く伸びていた。

 

「これは……ビンゴってことでいいのかしらね」

 

「みたいですね」

 

 木更が頷いたのを確認すると、零子は皆で手分けをしながらライトレールに爆弾などが取り付けられていないか確認を始めた。

 

 一通り見て回った結果、爆発物などはないようだったので皆、ライトレールの車両に乗り込んでいく。

 

 すると乗り込んだ瞬間焔が口を開く。

 

「埃を被ってないってことは……つい最近まで使用されていたみたいですね」

 

「そうね。それにしてもご丁寧につり革まであるなんて……五翔会って形から入るタイプなんじゃないのかしら?」

 

 などと肩を竦めながら運転席にいき、計器類を適当に見た後、キーを回す。

 

 途端、前照灯がトンネル内を照らし出す。それでもトンネルの奥までは照らすことが出来なかった。

 

「零子さん、皆席につきました」

 

 夏世に言われて振り向くと、確かに全員席についており準備万端と言った感じだ。

 

 皆に頷きつつ、零子はマスコンハンドルに手をおいてから操作を始める。一度、ガコン! と大きく揺れたが、ライトレールはすぐに加速を始めた。

 

 時速五十キロまで加速したところで、慣性航行に切り替え、そのまま運転席の背もたれに背を預けた。

 

「はてさて、鬼が出るか蛇が出るか……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君は僕と同じ選ばれた存在だというのになぜ支配する側に回ろうとしない!!」

 

「俺のこの手は誰かを殺すためじゃなく、他の誰かと繋ぐために先生がくれた義手だ! 殺すための道具なんかじゃない!!」

 

 拳をぶつけ合い、時には銃を撃ち合いながら二人は怒号を飛ばしていた。

 

 それぞれ人智を超えた魔物同士の殴り合いは、一撃一撃が必殺となる。

 

「それこそくだらない! 君と僕は同じ穴の狢だ! その手が生み出すのは破戒と混沌。君だってわかっているはずだろう!!」

 

「わかっているからこそ、俺はそんなことをしたくはない!!」

 

「いつまでも詭弁を垂れるな里見蓮太郎!!」

 

「黙れ! 俺はお前とは違う」

 

 言い切ると同時に蓮太郎は悠河に接近する。悠河もそれに反応して銃を構えてから引き金を引くが、打ち出された弾丸は蓮太郎の頬を掠めるだけだった。

 

 蓮太郎の頭と身体は今まで以上に洗練され、五感全てが鋭くなっていた。

 

「天童式戦闘術一の型十五番――」

 

 一気に懐に滑り込むと同時に、腕部のカートリッジが吐き出され、金色の薬莢がコンクリートの地面を跳ねる。

 

 それに気が付いた悠河はバックステップで避けようとするが、推進力が追加された蓮太郎の拳からは逃れられない。

 

「雲嶺毘湖鯉鮒ッ!!!!」

 

 唸りを上げながら突き上げられる強烈なアッパーカットは、悠河の持っていた拳銃を粉砕し彼の鳩尾に叩き込まれた。

 

「がはっ!?」

 

 悠河の体が浮き上がり、彼の口からは大量の血が吐き出されたが、蓮太郎は手を休めない。

 

「まだまだァッ!!」

 

 気合と共に蓮太郎は空中に打ち上げられた悠河に対して、脚部のカートリッジから弾丸を排出。

 

 ティナと戦った時のようにそれを推進力に変換し、空中で仰向けになっている悠河に肉薄し、彼はオーバヘッドキックをするように身体を回転させる。

 

「天童式戦闘術二の型十一番――隠禅・哭汀・初弾発撃(ファーストブレイク)ッ!!」

 

 瞬間、脚部から金色の薬莢が吐き出され、漆黒の斧となった蓮太郎の脚が悠河の胸部を襲う。

 

「ラアアアアアアッ!!」

 

 気合の咆哮と共に蓮太郎の脚が悠河へ炸裂。蹴りの衝撃で悠河の体がくの字に曲がったが、そんなことおかまい無しに脚を振り抜く。

 

 先ほどとは逆に下方に蹴り飛ばすと、一瞬の後にコンクリートに叩きつけられる重い音が響き、地面には大きなクレーターが形成された。同時に工場内にたまっていた埃と割れた地面によって出来た砂煙が舞い上がって視界が悪くなる。

 

 着地し、砂埃がまう眼前を見据えている蓮太郎には確かな手応えがあった。初撃と二撃目は確実にヒットしているし、なによりカートリッジを消費しているのだ。例え機械化兵士であっても相当なダメージだとは思うが……。

 

「なっ!?」

 

 蓮太郎から漏らされたの驚愕の言葉だった。

 

 なんと、砂煙の中でゆらりとうごめく影があるではないか。しかし、その影を確認したのも束の間、次の瞬間には砂煙を裂く様に血を流しながらも、悪鬼の表情をした悠河が躍り出てきた。

 

 反応しようとしたが、先ほどの連撃と蹴られたダメージが影響しているのか、ほんの一瞬行動が遅れた。

 

 隙を突くように、悠河は血みどろのまま口元を不適に歪ませたのを蓮太郎は目撃した。

 

 そして掌打が腹部に叩き込まれる。

 

 次の瞬間、ただの掌打ではありえない激痛が全身を伝播した。

 

「ご……あああああああッ!!!?」

 

 視界が逆転するのではないかというほどの衝撃と、全身がバラバラに砕け散るのではないかというほどの痛み。

 

 これ以上はヤバイ。と蓮太郎は悟り、悠河の腕を無理やりに引き離して距離を開ける。

 

 視界が霞んで息も荒くなったが、すぐに体の中から熱い塊が競りあがり、口を押さえる暇もなくそれを吐き出す。

 

 ビシャッ! という水音と共に吐き出されたのは真っ黒な血と、先ほどの攻撃によって無理やりに剥がされたと思しき肺腑だった。

 

「なん……だ、今……のは」

 

 息も絶え絶えに吐き出した言葉だったが、それに対する悠河も蓮太郎と同じように大量に吐血する。

 

 しかし、彼は薄く笑みを浮かべながら蓮太郎の問いに返答した。

 

「どうやら……断風凛がつかんだ情報に……これのことは含まれて、いなかった……ようですね。今のは僕の能力……超振動デバイス『ヴァイロ・オーケストレーション』。細胞を破壊するほどの振動を発生させる能力です。ぐっ!?」

 

 言い切ると同時にまたしても彼の口から大量の血が吐き散らされた。蓮太郎もそうだが、彼のダメージも相当のものだろう。なにせ、まともに喰らったのだから。

 

 すると、悠河はこちらを見据えながら小さく呟いた。

 

「僕は負けるわけには行かない……! 同じ天童流の使い手に二度も……ッ!!」

 

 ……天童流の使い手に二度?

 

 痛みに顔をゆがめつつ、蓮太郎は悠河の言葉に疑問を浮かべていた。

 

 どういうことなのだろうか。彼は一度天童流の使い手に負けたことがあるのか……。

 

 そこまで思ったところで蓮太郎は頭の中で思いつく限りの天童流継承者を思い浮かべる。

 

 ……誰だ、コイツを負かした天童流の使い手は……。

 

 天童流と言っても抜刀術やら合気術、神槍術、戦闘術など多岐にわたる。その中で目の前の少年を打ち負かしたのは誰なのか。

 

 けれど蓮太郎はすぐに思い浮かべるのを中断して、震える足で立ち上がる。傷口からは止め処なく血が溢れており、傷の深さを物語っている。対する悠河も同じで頭からは大量に流血し、尚且つ腹の辺りを押さえている。

 

 二人の少年の身体は既に限界を突破している。恐らく、決着がつくのはそう遠くないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蓮太郎が戦っている最中、東京エリアの一角では三人の人物が集まって話をしていた。

 

 その中の一人、パンクファッションでレザーの黒ジャケットを羽織った青年が他の二人に確認をするように言う。

 

「凛の情報が正しけりゃ、俺たちがやる事は一つだ」

 

「確かガストレアの死体安置所から運び出す業者を捕まえんだよね?」

 

 青年と同じようなパンクファッションの少女が答える。

 

「ああ、そのガストレアが今回起きちまった事件を解決するために必要なんだと。零子さんも動いてるらしいが、証拠はあったほうがいいからな」

 

「しかし、どうやって見分ける? 少し見ただけではわからんぞ」

 

 古風なしゃべり方をするのは、鎧型の強化外骨格を装備した黒髪の少女だ。

 

「その辺は俺の勘ってヤツだな」

 

「……兄貴、さすがにそれは」

 

「冗談だ。まぁ本当はもう一人協力者がいてくれるんだけどな。っと、そろそろ行くぞ。弓月、朝霞」

 

 手に持っていたサングラスをかけ、片桐玉樹は妹である片桐弓月と、第三次関東会戦で共に戦ったイニシエーター、壬生朝霞を呼んである場所を目指して歩き出した。

 

「さぁて、お仕事と行くかね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そらそらァ! さっきまでの勢いはどうしたァ!!?」

 

 叫びながら大鎌が振り下ろされるが、凛はそれを全て避ける。しかし反撃は一切しない。パッと見だとこちらが押されているように見えるだろう。

 

 すると、嶺が苛立たしげな表情を浮かべてこちらを睨みながら吠える。

 

「避けてばっかじゃつまんねぇぞゴラァ!! もっと楽しませろやッ!!」

 

「別に楽しませるつもりはないんですけど」

 

 言いながらも大鎌による攻撃を寸でのところで避け続ける。そのまま三撃ほど避けきって見せ、距離をとったものの、左肩と右足に走る鋭い痛みに思わず顔をしかめた。

 

 見るとそれぞれの場所から血がたれていた。恐らく二撃を軽く貰ってしまったのだろう。

 

 すると、それを見た嶺が下品な笑みを見せながら告げてきた。

 

「オレもお前の速さに目が慣れてきたところでなぁ。まぁ安心しろや。殺す時はサックリ殺してやるからよ」

 

「そうですか。なら僕も貴方を殺す時には優しく殺してあげますよ」

 

「そうかい、じゃあそんときはよろ――ッ!!?」

 

 そこまで彼が言ったところで黒詠を構えずに凛は駆け出す。嶺もそれに反応して大鎌を交差させることで防御したが、凛はそれに対して不適に微笑む。

 

 刹那、大鎌の一つの柄と共に嶺の右の肩口が切り飛ばされた。凛はというと、既に嶺の背後に回っており、絶対零度の眼光を向けていた。

 

 しかし、切り飛ばされた嶺の腕は磁石に引き寄せられてすぐに傷口の断面と接着。見る見るうちに回復が始まる。

 

「無駄だってのがわからねぇか? お前お得意の『斬る』だけじゃ俺は倒せねぇんだよ」

 

 挑発するような声音で再生した腕を回しながら言ってくるが、凛はそれに至って冷静に答える。

 

「ええ、確かに貴方の言うとおり『斬る』だけじゃね。でも、再生できないほどの斬撃を与えられたら……流石に死にますよね?」

 

 その言葉を吐くと同時に、凛は殺気を放つ。それは濃密で重たく、それでいて洗練された刃のようなもので、常人なら卒倒するほどのものだろう。

 

 だが、嶺はそれにさえ笑みを向ける。

 

「おもしれぇ! やっぱお前は俺と同類だ!」

 

「同類?」

 

「ああそうだ! お前だって人を殺したくて殺したくてたまらねぇだろ? さぁ見せてくれ、お前の中のバケモノを、俺に!!」

 

 狂気をはらんだ笑みを向けてくる嶺だが、それに対して、絶対零度の視線を向けると小さく言い放った。

 

「くだらない」

 

 しかし、その声は狂笑する嶺には聞こえていなかったようで、彼は気が付いた様子がない。

 

 やがて嶺は残った一本に大鎌を構えなおして、こちらを見据えてくる。それに対し、こちらも黒詠を構える。




はい、いつまでも引き伸ばしてるようですが、次でいよいよ戦闘は最後です。
その次は……いよいよ待ちに待った櫃間の処刑です。
リジェネさんすごいね、ちゃんと凛と張り合っているものw
(凛が手加減してるんじゃない? っていうのは言っちゃダメ。というか触れちゃダメ)

蓮太郎と悠河の決着の仕方は原作だと銃の撃ち合いでしたが、こっちだと格闘術系になりそうです。
凛は……確実に滅却しそうですねw
今回で玉樹達も出てきましたから、やっとと言った感じです。次回は戦闘に終幕、五翔会の研究所爆破、玉樹達のお仕事……櫃間の処刑、とイベントがたくさんです。恐らく一万字超えますw
読みにくいと思ったら分割いたします。

ではでは、もうちょっとだけお付き合いくださいませませ。

感想などありましたらよろしくお願いします。


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第六十二話

長いです。
一万字超えましたw


 凛は黒詠を下段から構えつつ、真正面にいる嶺を見据える。まるで蛇のようにベロリと舌なめずりをする嶺の瞳の奥には、闘争心と狂気、殺意が渦巻いていた。

 

「再生できないほどの斬撃……やってみろよ断風ェッ!!」

 

 言いながら、こちらにむかって突き進んでくる嶺は大鎌を思い切り振り上げると、そのまま斜めに薙ぐ。

 

 空気を切り裂きながら命を刈り取る凶刃が向かってくるが、次の瞬間、大鎌を持つ嶺の腕が斬り飛ばされ、凛の姿は彼の真後ろにあった。

 

「なっ!?」

 

 突然自身の腕が消失したことに驚きの声を上げる嶺を尻目に、凛は息をつく。

 

 断風流戦刀術奥義、初式(はつしき)天武黎明(てんむれいめい)』。

 

 一呼吸の後に放たれたのは一切の容赦のない一閃。

 

 しかし、それだけで手は休めない。

 

 凛は横に薙いだ黒詠を今度は斜めから振り抜きながら嶺の前方に駆け抜ける。

 

「て……めぇ……!?」

 

 何か言っていたがそんなもの今の凛にはどうでもよいことだった。今の彼の頭にあるのは、自身の前に立ちはだかる一切合切を切り刻むことのみなのだから。

 

「……弐式(にしき)、『滅離崩翼(めつりほうよく)』」

 

 今度は下段から逆袈裟斬りに振り抜きながら、嶺の左の肩口までを斬り払う。この時点で嶺は上半身と下半身を分断されており、上半身には×字がつけられていた。

 

 だが、すでに回復は始まっており、斬り口が接合しようとしている。

 

 そんな光景を見ても、凛はまだ攻撃の手を休めず言い放つ。

 

終式(ついしき)、『轟刃壊齎(ごうじんかいせい)』」

 

 迷いのない縦一閃の剣閃が走る。嶺の身体はそれによって真っ二つになったが、それでもしぶとく回復を始めようとしている。

 

 けれど凛の腕はまだ止まることはなく、彼は最後の一手を放つため、黒詠を一度鞘に収めてから回復を始めている嶺に肉薄してから目にも止まらぬ速さの斬撃を放ち、刀身に付着した血液を払いながら静かに告げる。

 

「断風戦闘術奥義三連閃、『万乖焉亡撃(ばんかいえんほうげき)無限斬葬(インフィニット・バースト)』」

 

 その言葉と共に黒詠が納刀され、背後では切り刻まれ、再生をしようとしていた嶺が不規則な形に砕け散った。その凄惨さたるや、バラバラに粉砕された和光がかわいい方だと思えるほどだ。

 

 

 

 なんだこれは?

 

 と、嶺はかすれてゆく意識と視界の中で思った。

 

 嶺の再生能力は目を見張るものがある。これは自分でも思っていることだ。しかし、その再生能力も斬られたりした傷跡があってこそのものだ。

 

 ……ふざけるな、こんなことがあってたまるか。まだまだ殺したりないのに……。

 

 意識の底で思い、体を動かそうと思うものの、その体が存在しない。

 

 なぜなら凛が再生も不可能なほどに消し飛ばしてしまったのだから。けれど、嶺は認めない。自分の敗北を。

 

 ……俺は、まけてなんか……ない。俺は最強なんだ……最強なのに……。

 

 そこまで思ったところで、視界が完全に闇に包まれ、思考も止まった。

 

 最後の最後まで蛟咲嶺は自身の死と敗北を認めはしなかった。けれど彼は死んだ。あっけなく、無様に、この世から消滅したのだ。

 

 

 

 背後で爆散し、肉片すらも残らなかった嶺に対し、身も凍りつくような視線を向けた凛は小さく告げる。

 

「……さようなら、蛟咲嶺」

 

 言いつつ、彼はそのまま振り返ることなく蓮太郎の下へ歩き出した。

 

 恐らく今の自分はとても酷い顔をしているのだろう。けれど今はそれでいい。

 

「……皆を守るためなのなら、僕は殺人者と呼ばれても構わない」

 

 覚悟と闘志を孕んだその言葉は、誰に向けたものなのか。自分か、それともまだ見ぬ敵か。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蓮太郎は苦戦を強いられていた。

 

 もらった傷が大きすぎるというのもそうだが、それよりもやはりというべきか、義眼の性能が明らかに劣っている。

 

 ……チクショウ。

 

 菫に文句を言っているわけではない。彼女から授けられた力を使いこなせていない自分に対して憤慨しているのだ。

 

 この事件が始まる前、彼女に言われたことを思い出す。

 

『蓮太郎くん、君の義眼にはリミッターがしてあるんだよ』

 

『リミッター?』

 

『うん。君のその瞳はある一定以上の思考の回転数にまでは届かないようになっているんだ。今の君の能力であれば、標的の位置の未来位置の予測、距離計。そのほか時間の流れが遅く感じる程度だろうけど、実は更に先がある。でもそれをやろうとすると見えすぎてしまってね。君より前にその義眼を搭載して臨床実験をした際には……全員帰ってこなかった。

 あぁいや、一人生き残った奴がいるな。今では自由自在にオンオフができるバケモノみたいな奴が』

 

『だ、誰なんだ?』

 

『それは言えないよ。本人に口止めされてるからね。でも、一つだけ言わせてもらうと、恐らく今の君の攻撃なら、アイツは全部避けきってみせると思うよ?

 まぁとりあえず「二千分の一秒の向こう側(ターミナル・ホライズン)」という言葉だけは覚えておきたまえよ』

 

『二千分の一秒の向こう側?』

 

『能力の名前だよ。君のその義眼は……そうだな、君の感情、例えば怒り、悲しみとか感情が高ぶったりすると回転数が上がる。それは君の脳にある思考回路と直結しているからだ。「二千分の一秒の向こう側」はその思考の回転数が限界線を突破したってことだ。

 二千分の一秒……即ち、一秒が二千秒に感じるってことだ。因みに言っておくけどこれは世界が本当に遅くなってるんじゃなくて、君の思考回転数が上がってそう見えるだけだからね。ラノベやゲームやアニメで達人同士が刀で戦っていると、「刀がとまって見える」なんて表現があるけど、ようはアレを人為的にやってるって言った方が君にとっては簡単かな?』

 

 菫はそういってくれたものの、蓮太郎はそれを聞いて理解が出来ないというよりも愕然としてしまった。

 

 今でさえ相当時間感覚が伸ばされているというのに、さらにそれを伸ばしたらどうなるというのか。興味もあったが、どちらかと言うと恐怖も沸いた。

 

 そしてその力をオンオフできる機械化兵士がいるということにも驚きだ。

 

 だが、そんなことを考えていると、悠河の掌打が首元を掠めていった。

 

 ヴァイロ・オーケストレーション。彼の手にはそう呼ばれる超振動デバイスが搭載されており、アレで頭を触られでもしたら、一瞬で殺されるだろう。

 

 すると、蓮太郎が避けたところで悠河が口元を押さえて血を吐いた。先ほどの傷が影響しているのだろう。

 

 その隙を狙い、蓮太郎は傷の痛みを無視して腕のカートリッジを撃発させる。

 

 天童式戦闘術一の型八番『焔火扇』。

 

 ……ここだッ!!

 

 覚悟を決めて拳を叩きこもうとするが、その瞬間蓮太郎は口元を押さえていた悠河が不適な笑みを浮かべたのを目撃した。

 

 瞬間、悠河の手に戦慄の物体が握られているのが見えた。

 

 ……MK3手榴弾ッ!?

 

 手榴弾の名前を思い浮かべた時には、既に遅かった。投げられた手榴弾はピンを抜かれた状態であり、すぐにでも爆発するだろう。

 

 弾かれるように蓮太郎は脚部のカートリッジを撃発。

 

 エネルギーを推進力に変えて後方に飛びのこうとしたが、その瞬間、手榴弾が炸裂し、衝撃波と爆風が襲ってくる。

 

「っ!」

 

 揺さぶられるような衝撃が全身を駆け抜け、傷口が悲鳴を上げる。

 

 その影響で蓮太郎は推進力を操作することに失敗し、地面に打ち付けられながら何とか立ち上がろうとするが、顔を上げた瞬間、蓮太郎の表情が固まった。

 

「これで終わりです。さようなら、里見蓮太郎」

 

 冷徹な殺人者の顔をした悠河が掌打をこちらに向けていた。

 

 彼も先ほどの手榴弾で相応のダメージを負ったが、彼はそれに痛みを感じていないかのように悠然とこちらを見据えて、掌打を放ってきた。

 

 全てを破壊せし恐怖の腕が迫ってくるが、蓮太郎はダメージのせいで動くことが出来なかった。

 

 ……クソッ! クソッ! 動け、動けッ!!

 

 何度も心の中で言うが、身体は動くことがない。けれど、義眼の演算ばかりはどんどん早くなっているようで、悠河の動きがスローモーションのように見える。

 

 ……死ぬのか? ここで? まだ何もやっていないのに。延珠やティナ、木更さんが待ってるのに!

 

 ドクンドクンと心音が大きくなり、脳裏には延珠、ティナ、木更の姿が浮かぶ。ここで自分が死んでも、凛が彼女達を守ってくれはするだろう。しかし、残された彼女達の心には深い傷が残ってしまう。

 

 そんなことでいいのか。

 

 想い人を悲しませ、延珠とティナを寂しくさせてしまっていいのか?

 

 ……ダメだ! それだけは絶対に、皆を悲しませることだけは、絶対にしちゃいけねぇッ!!!!

 

 瞬間、視界が真っ白になった。

 

 瞬間的に悠河の『ヴァイロ・オーケストレーション』を喰らって死んだのかと思ったが、そうではない。意識ははっきりとしているし、腕や脚の感覚も確かにある。

 

 そして思い出す、義眼の回転数が千九百を突破していたことを。

 

 ……そうか、これが。

 

 

二千分の一秒の向こう側(ターミナル・ホライズン)

 

 

 菫が言っていた義眼の限界線を突破した世界。

 

 白すぎて眩しいほどだったが、蓮太郎は目の前でこちらに掌を向けている悠河の姿が光っているのが見えた。

 

 しかし、その速度はかなり遅い。

 

 同時に蓮太郎は一歩を踏み出して悠河に肉薄する。

 

「なッ!?」

 

 驚きの声を上げているが、蓮太郎は息を吐ききりながら拳を悠河の腹部に叩き込む。

 

 天童式戦闘術一の型十二番、閃空瀲艶。

 

 確かな手ごたえと共に、悠河が後退したが攻撃の手は休めない。

 

 後退した悠河を天童流を無視した完全な自身の力で蹴り上げる。

 

「がはっ!」

 

 吐血しながら工場の天井近くまで蹴り上げられた彼に、蓮太郎は脚部カートリッジを撃発させて傷を無視して脚を振り上げ、叫んだ。

 

「天童式戦闘術二の型四番ッ!!!! 『隠禅(いんぜん)上下花迷子(しょうかはなめいし)全弾撃発(アンリミテッド・バースト)』ッ!!」

 

 脚部のカートリッジを全て使い切った唸りを上げる全力の踵落としが悠河の左胸、心臓を抉った。

 

 こちらも傷口が悲鳴を上げて吐血しそうになったが、それをこらえて脚を振り切った。

 

 踵落としを叩き込まれた悠河は仰向けのままコンクリートの地面に叩きつけられ、先ほど以上のクレーターを形成し、それを中心として蜘蛛の巣状に亀裂が入った。

 

 蓮太郎はそのまま重力に引かれて地面に降り立って、肩で息をしながら悠河の方を見つめる。同時に、瞳の回転数も下がり、世界が鮮明になってきた。

 

 最初まだ起き上がってくるかとも思ったが、彼は結局起き上がってくる事はなく、仰向けに倒れたまま小さく笑った。

 

 蓮太郎も脚を引きずりつつ、彼の元までいくと声をかける。

 

「俺の勝ちだ、巳継悠河」

 

「そう、ですね。……まさかあそこで反撃されるとは思いませんでした」

 

 自嘲気味に笑みを浮かべる悠河に対し、蓮太郎は言う。

 

「別の形で会えていたら、俺たちはいい友達になれたかもしれないな」

 

「フフ……。おめでたい「if」ですね。でも、僕も嫌いじゃありません」

 

「……聞きたいことがひとつある。お前が負けたという天童流の使い手は何を使っていた?」

 

「君と同じですよ。天童流戦闘術です。でも、あちらの方がもっと禍々しかった。開始して十二秒で負けました。最初の三秒で腕を飛ばされて、次に足を折られたんです」

 

 蓮太郎は思わず息をのんだ。

 

 目の前の少年は今まで戦った中でもトップランクの強さだ。そんな彼を十二秒で圧倒できる天童流の使い手とは一体……。

 

「そいつの名前は?」

 

 焦燥した様子で問う蓮太郎だが、帰ってきたのは関係のない言葉だった。

 

「里見くん、まだガストレア戦争は……終わって、いない」

 

「なに?」

 

「僕は、全盲だって……いいましたよね。でも、そんな僕にも見えるものが……あったんです。それは、死者でも……生者でも、ない。煉獄を彷徨い歩く、者達の行列が……。

 里見くん、これは断風さんにも伝えておいてください。天国は遠いけれど……きっと地獄は恐ろしく、近い。

 では、先に地獄で……待ってます、ね」

 

 嗜虐性に満ちた笑みを浮かべて悠河は薄目を開けたまま息を引き取った。けれど、その顔はどこか満足そうでもある。

 

「蓮太郎くん」

 

 その声に振り向くと、頬や肩口、脚から多少の血を流した凛が佇んでいた。

 

「よぉ、そっちも終わったのか?」

 

「うん。終わったよ、でも今は君を病院に運ばないと」

 

 言いつつ、凛はこちらに肩を貸してきた。それに頷きつつ、立ち上がった蓮太郎は凛と共に工場地帯を出て行く。

 

 しかし、工場地帯を抜けようとしたところで、二人の前に赤い光りを放つパトランプが見えた。

 

 やがて工場地帯を抜けると、十数台のパトカーと二台の救急車があった。また、多くの警察官の姿も見える。

 

「凛! 蓮太郎!」

 

 言いながら駆けて来るのは摩那と、火垂だった。その後ろを見ると、エラの張った顔のゴツイ刑事、多田島が眉間に皺を寄せた状態でいた。

 

「摩那達が呼んだのかい?」

 

「ううん、私たちがここで待ってたら多田島って人が来たんだよ。蓮太郎に言いたいことがあるんだってさ」

 

 摩那が言うと、多田島が軽く咳払いをしながらやってきた。

 

 彼は数瞬何かを考え込むと、小さく頭を下げた。

 

「すまなかった、里見。お前を疑ってしまったことを謝罪させてくれ」

 

「……それはしょうがねぇだろ。アンタだって自分の仕事を全うしただけだ。だからアンタを恨んだりはしねぇよ」

 

「そうか……じゃあとりあえず救急車へ行け」

 

 多田島が言いつつ道を開けると、蓮太郎はそれに頷き凛に肩を貸されたまま歩き出す。しかし、その途中で、凛と火垂、摩那が交代した。

 

「お疲れ様、蓮太郎」

 

「おう。さんきゅな」

 

 火垂に微笑を浮かべながら答えると、蓮太郎は頭を上げた。周囲には多くの警察官がいたが、皆一様にこちらへ向けて敬礼をし、その表情は畏敬の念がこめられていた。

 

 そのまま少し歩いて救急車に座りこむと、救命士が手当てを始めてくれた。しかし、そこでふと気が付く。

 

「摩那、凛さんは何処に行った?」

 

「……最後の仕事だよ」

 

 そういいきった彼女の顔はどこか暗い影を落としていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これはまた……ショッキングなところねぇ」

 

 ライトレールに二十分揺られてからたどり着いたのは『第三生化学研究所』という場所だった。

 

 単純に計算すれば恐らく位置的にはモノリスから十六キロぐらいはなれたところにあるのだろう。

 

 しかし、今は距離とかそういうのが問題ではなく、目の前にある壁に埋め込まれたバラニウムの檻の中にいるガストレアだ。

 

「バラニウムの檻で囲まれてるのに死んでない……」

 

「恐らくこれが抗バラニウムガストレアなんでしょうね。まぁそれでも多少は苦しいのでしょうが」

 

 木更の言葉に答えつつ、零子は小さく溜息をつく。

 

 すると、檻の中のにいた一体が懐中電灯の光りに反応して飛び掛ってきたが、零子は危うくアサルトライフルを撃ちそうになった夏世を落ち着かせる。

 

「とりあえず一旦ここを出て他の場所を見ましょう」

 

 それに皆が頷き、歩き始めたものの、研究所の内部は酷いものだった。何処を見てもガストレアが檻に入れられながら蠢いていた。しかもその檻は全てバラニウムで出来ているのにどのガストレアも死には至っていない。

 

 恐らくここの研究員達はこのガストレアの殺処分に困り果てて、ここを放棄したのだろう。

 

 まったく自己責任の欠片のない奴等である。

 

 しばらく歩いていると、『培養室』と書かれた部屋へたどり着く。

 

「あの、零子さん。すっごく嫌な予感しかしないんですけど……」

 

「そうねぇ。私も同意見よ」

 

 苦い顔をする杏夏に頷きつつ、零子は扉を開けた。

 

 途端、冷気が漏れ出し肌を撫でるが、そんなことよりも皆目の前に広がる光景に息をのんでしまっていた。

 

 室内には黄緑色の葡萄の房のようなものが垂れ下がっていた。しかし、それは一つ一つが胎動しており、表面には血管のようなものが浮き出ている。

 

 また、その房は一つ一つがかすかに透けており、中には甲殻を持った昆虫のようなもの、トカゲや蛇のようなものもいる。

 

「まさか、これが全部?」

 

「でしょうね。五翔会はここで抗バラニウムガストレアを培養していたってわけ。で、さっきの檻にいたのがここにぶら下がってる奴等が成体になった……とでも言うべきかしらね」

 

「でもどうしてそんなことを」

 

 焔の問いに対し、夏世が答えた。

 

「おそらく、人為的にパンデミックを引き起こすためでしょう。あと、ブラック・スワン・プロジェクトというのは、やはりブラックスワン理論から取っているのでしょうね。

 ブラック・スワン理論は本来金融的な恐慌や、自然災害で用いられていますが、今回はガストレアがそのブラック・スワンということなんでしょうね。

 そして恐らくこのガストレア達を操るためのトリュドラヒジンだと思われます。」

 

「一種の催眠状態にしたガストレアを放つってわけね。やれやれだわ、まったく」

 

 大きく溜息をつくと、零子は振り返りながら皆に告げた。

 

「じゃあこの施設手っ取り早く爆破させるとしましょうか。皆ボストンバック持ってると思うけど、その中のもの全部C4だから」

 

 一瞬みんなの顔が強張った。恐らく今まで何も知らされずに持たされていたことに驚いたのだろう。

 

「とりあえず仕掛けるのはここと、さっきの檻の所。まぁ後は……そうだ、杏夏ちゃん。濃縮バラニウム弾とかある?」

 

「一応持って来ましたけど、どうするんですか?」

 

「爆弾に仕込んで飛ばすわ。さぁ皆パパッと爆弾を仕込んじゃいましょう。あぁそうだ、施設の写真も忘れずにね」

 

 零子は指示をすると、夏世と共にボストンバックを担いで爆弾をセッティングしに向かい、それに続くように杏夏達もセッティングに向かう。

 

 

 

 それから凡そ一時間後、研究施設から少し離れた森の中に零子たちの姿があった。既に爆弾は施設の各所にセットし、タイマーも仕掛けてある。

 

「あと十秒…………四、三、二、一……ドカン♪」

 

 零子が言ったと同時に施設から爆音と火焔が轟き、崩壊が始まった。同時に、施設から爆音に混じってガストレアの悲鳴のようなものまで聞こえた。

 

 やがて研究所自体が完全に崩壊したのを見届けると、零子は皆に告げる。

 

「それじゃあ東京エリアに戻るとしましょうか。皆エリアに戻るまでが任務だからね」

 

「……零子さん、遠足じゃないんですから」

 

 夏世の呆れた声に対し、肩を竦めてみたが皆苦笑いを浮かべていた。

 

 

 

 

 零子たちが東京エリアに戻ったのは、朝焼けが眩しい明け方だった。

 

「やれやれ、十六キロってなかなか距離あったわね」

 

「というか、最初からライトレールで戻ってくればよかったのでは」

 

「ライトレールで戻りたいところだったけど、実際私たちが言ったことに気が付いた五翔会の連中が爆弾を仕掛けていないとも言い切れないじゃない? だから徒歩で来たわけよ」

 

 夏世の意見に対して答えてみたが、そこで木更が何かに気付いたように駆け出した。

 

 そちらを見てみると、数台のパトカーと一台の救急車が零子の愛車の隣に停車していた。そして、救急車には皆が見知った顔がいた。

 

 蓮太郎だ。

 

 彼の隣には延珠やティナ、火垂の姿もあり、そこから少し離れたところには摩那がクールな笑みを浮かべている。

 

 零子たちはモノリスを通過して摩那の下に合流する。

 

「お疲れ様、みんな」

 

「そっちもね、摩那ちゃん。凛くんは……やりにいったわけね」

 

「そうでもしないと気がすまないんだろうからね。でも、蓮太郎達が無事に再会できてよかったね」

 

 摩那の視線の先を見ると、木更が蓮太郎に駄々っ子パンチをしており、蓮太郎は傷口を押さえながら対処していた。

 

 

 

 

 

 

 

 東京エリアの一角にあるガストレアの死体安置所では、処理官に変装した五翔会の構成員、君嶋貫之が抗バラニウムガストレアをトラックに運び入れていた。

 

「ちょいと待てよ、そこの処理官さん」

 

 声をかけられ、貫之は弾かれるようにそちらを見る。そこにはパンクファッションの金髪の青年が佇んでいた。

 

「な、なにか?」

 

 平静を装おうとしたものの、声が僅かに上ずってしまった。

 

「俺は民警の片桐玉樹だ。そのガストレア、どうするつもりだ?」

 

「どうするって、焼却処分するに決まっているだろう。私は処理官だから一ヶ月に一度ここにきてこうして――」

 

「――嘘言うんじゃねぇよ、五翔会。そのガストレア、抗バラニウムガストレアって奴なんだろ? お前等の組織が開発したって言う」

 

 自分が言い切るよりも早く、玉樹が言ったことに貫之は生唾を飲み込んだ。

 

 まさかここまでばれているとは思っていなかったのだろう。

 

「な、何を言っているんだ。五翔会? なんだいそれは、私は普通の処理官だ」

 

「へぇまだゴタクを並べるか。でもよぉさっき確認取ったらそのガストレアはまだ処理される日まで二日ぐらいあるらしいんだわ。それなのにどうしてアンタは持ち出そうとしてるんだ?」

 

「そ、それは……」

 

 貫之は言葉に詰まる。しかし、彼の心の奥底では黒い影が落ち始め、彼は作業服の腰に隠していた拳銃に手をかけ、それを玉樹にむける。

 

 しかしその瞬間、彼は引き金を引くことなくそのままの姿勢で固まった。

 

「動かない方がいいよオッサン」

 

「少しでも動けば即座に首を刎ねる」

 

 首筋にはバラニウム製の日本刀、そして腕には蜘蛛の糸のようなものが巻きつき、腕をうっ血させていた。

 

 視線だけを落とすと、首筋に刀を押し当てているのは強化外骨格を装備した武士風の少女。腕に糸を巻いているのは、玉樹と同じようなパンクファッションの少女だった。彼女等の目は赤く染まっており、それだけで二人がどのような存在なのか理解することが出来た。

 

「あきらめろよ。あんたはここで終わりだ。……いいや、アンタのお仲間もな」

 

 玉樹が顎でしゃくったほうを見ると、そちらには二人の刑事と思しき男に拘束された仲間の姿だった。

 

 

 

 君嶋貫之とその仲間をパトカーに乗せたあと、玉樹は髭を生やした刑事、金本明隆と話をしていた。

 

「協力感謝するよ、片桐くん」

 

「気にすんなって。俺も仲間をコケにされたことが晴らせてよかったぜ」

 

「そうかい。だが、今回は本当にありがとう」

 

「だから気にすんなって。それより、アンタのお仲間が呼んでるぜ」

 

 親指を立ててそちらを差すと、金本の後輩である織田が彼のことを呼んでいた。金本はそれに頷いたあと玉樹に軽く頭を下げてパトカーに乗り込んで君嶋達を連行して言った。

 

「兄貴、お疲れ」

 

「おう、お前等もな。っとどうする? メシでも食って帰るか、朝霞もまだIISOに戻るまでは時間があるだろ」

 

「ではお言葉に甘えさせていただくことにしよう」

 

 朝霞が頷いたのを確認すると、玉樹達はいつもより少し早めの朝食を取るためにファミレスへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 櫃間は朝焼けに照らされる東京エリアを、アクセルをめいっぱい踏み込みながら車で走り抜けていた。

 

 つい先ほど、リジェネレーターとダークストーカーのバイタルサインが消え、二人が死んだことを告げられたのだ。

 

 同時に、ネストからの連絡があり、五翔会本部からの指示を待てと言われた。下される処罰はかなり重いものになるだろう。

 

 羽根の全没や除名だけならまだ御の字といえる。だが、処罰によっては街中で暗殺されるかもしれない。

 

 しかし、そんなことよりも今は櫃間にとって一番恐ろしい者が一人いる。自身の命を刈り取らんとするであろう死神が。

 

「早く、早く、早くッ!!」

 

 何度も言っているものの、既に車の最高速度は普通に出ている。早朝と言う事もあって他の車や歩行者がいなかったことが幸いだろう。赤信号だろうがなんだろうが一切止まることなく突き抜ける。

 

 時折バックミラーやサイドミラーを確認するものの、まだ死神の姿は見えない。

 

 それに安堵し、交差点を曲がった時だった。視界の端に、変わったバイクに跨った男がいる。

 

 だがそれだけで、櫃間は一気に冷や汗が噴き出るのを感じた。

 

「断風……凛……ッ!!」

 

 そう、バイクに跨って赤信号で止まっていたのは凛だった。櫃間は落としたスピードをすぐに取り戻すためにめいっぱいアクセルを踏み込む。

 

 しかし、その頃にはもう全てが遅かった。

 

「おはようございます、櫃間さん」

 

 戦慄の声がすぐ真横から聞こえた。そちらを見やると、薄く笑みを浮かべた凛がいた。

 

 瞬間的に櫃間はハンドルをきって車体でアタックをしようとするが、それは易々と避けられ、凛は左側にやってきた。

 

「酷いですねぇ。会って早々事故らせようとしないでくださいよ。でもまぁ、この状態じゃいささか話しづらいですね……止まってくださいません?」

 

「ふ、ふざけるな! 貴様と話すことなど何もありはしない!!」

 

 言いつつもっとアクセルペダルを踏み込むがその隣で凛が「仕方ない……」と呟いたのが聞こえた。

 

 その声に反応し、彼が何をしようとしているのか確認しようとした時には、車体がスピンを始めていた。

 

 遠心力で外に放り出されてしまうのではないかという力に何とか耐えていると、やがて電柱にぶつかり、強い衝撃が身体を揺さぶった。

 

 

 

 

 

 櫃間の乗った車が電柱にぶつかって停車したのを確認すると、凛もバイクを降りて黒詠を持ちながら彼の下に近寄っていく。

 

 しかし数歩近づいたところで、車から降りた櫃間が銃口を向けてくる。

 

「く、来るな!! それ以上近づくと撃ち殺すぞッ!!」

 

「どうぞご自由に。……まぁ貴方が僕に当てることが出来ればいいですけど」

 

「う、うるさいッ!! 黙れぇ!!」

 

 櫃間は言うと弾丸を撃ちだす。しかし、凛はいとも簡単に銃弾を避け、一歩一歩近づいていく。

 

 ……Cz75か……装弾数は確か十五発だったっけ。あぁあとそれに一発入れるから合計で十六発か。

 

 あと何度避けるか思いつつ、次々に撃ちだされる弾丸を避け続ける。

 

 そして銃弾を避け続けること十六回。ついに銃から乾いた引き金の音しかしなくなった。

 

「どうやら打ち止めのようですね。では、そろそろこちらからやらせていただきます」

 

 瞬間、凛の姿が消失。そして次に彼が現れたのは櫃間の目の前だった。

 

「っ!?」

 

 息をのむ音が聞こえたが、凛はそれに容赦なく黒詠の柄頭を彼の鳩尾に叩き込む。櫃間の体がくの字にひん曲がり、彼はその場に膝をついて胃の中のものをぶちまけた。

 

「ちゃんと鍛えてないんですね櫃間さん。もう少し鍛えることをお勧めしますよ」

 

 言いつつ、凛は黒詠の切先を櫃間の首筋に押し当てる。

 

 刀身の冷たい感触が伝わったようで、櫃間は尻餅をついて後ずさった。

 

「ま、待ってくれ。天童木更に手を出そうとしたことは謝る! も、もうお前たちに関わろうとはしないし、近づくこともしない!!」

 

「……」

 

「もしそれでもダメだというのなら、私のコネで慰謝料をぐッ!?」

 

 凛が櫃間の手に黒詠を突き刺した。

 

「別に僕は貴方に謝って欲しいわけでも、お金がもらいたいわけでもないんですよ。それに、もう近づかないと言っても貴方は既に僕の逆鱗に触れたんです。

 僕の大切な妹分を弄ぼうとし、あまつさえ彼女の大切なものを奪おうとした罪。僕の友人である蓮太郎くんを罠に嵌め、更に彼の友人であった何の罪もない水原くんの殺害……そのほか上げていてはキリがありませんが。貴方はそれだけの罪を犯した。だのに、自分が殺される側になったら命乞いするなんて、随分と勝手じゃあないですか」

 

「そ、それは――」

 

「人を殺すのなら自分も殺されるという覚悟を持ってください。自分だけが報いを受けないなんてむしが良すぎますよね。だから今回は貴方が殺される側に回っただけ。ただそれだけのことです」

 

「ではお前などうなんだ!? 貴様だってソードテールとリジェネレーターを殺しただろう! それだけの覚悟があるというのか!?」

 

 櫃間が言い切った瞬間、凛は彼の両肩口を二回斬りつける。

 

「ぎっ……ああああああッ!?」

 

 そして踵を返し、黒詠を鞘に収めながら言い放つ。

 

「当然です。僕もいずれは報いは受けるでしょう。どこかでゴミのように死ぬかもしれない。でもそれは今じゃない」

 

 言い切った後、黒詠を完全に鞘に収める。

 

「――断風流奥義禁ノ型『忌牙生劫(きがせいごう)滅刃(めつじん)』――」

 

 刹那、櫃間が糸の切れた人形のようにパタンとその場に倒れ付した。その瞳は光がなく、生をまったく感じられなかった。

 

 さらに異常性を醸し出していたのが、櫃間の遺骸に先ほど斬られた傷がなかったということだ。

 

 まるで何事もなかったかのよう傷が消え、服だけに亀裂が入っていたのだ。

 

 その死に様はまるで魂だけを抜き取られたようだった。

 

 忌牙生劫……。断風流の禁じ手であり、対象者を二度斬りつける技だが、その際対象者の細胞を一切傷つけることなく斬るため、鞘に収めた瞬間には傷口が回復する。しかし、最初の二撃で心臓には多大なダメージが及び、まるで心臓麻痺を起したような死に様になるという禍々しい奥義である。言い伝えによれば、これを使用したものは魂が磨耗するとも言われている。

 

「さようなら、櫃間篤郎。地獄で皆にわびてください」

 

 そのまま歩き出そうとしたところで、彼の隣に一台の車が停車し、窓が開けられパチパチと拍手をされた。

 

「はじめまして断風凛さん。私はネストといいます」

 

 ハンチング帽を被った若い男だった。名前からして本名ではないだろう。五翔会のコードネームと言ったところか。

 

「どうも」

 

「いやはや助かりましたよ。上からの指示では失敗者には死をということでしたのでね。私の代わりに貴方がやって下さり本当に助かりました」

 

「そうですか。では僕はこれで」

 

 そちらに目もくれずに歩き出そうとするとそれを止められた。

 

「断風さん。貴方も五翔会に入りませんか? 貴方が加わってくれれば我々の組織はきっと素晴しいものになる」

 

「お断りします」

 

 即答だった。取り付く島もないというのはまさにこのことだが、凛は続けた。

 

「そうだ、ネストさん。貴方にお願いがあります。五翔会に在籍しているであろう、大阪エリア大統領、斉武宗玄さんとアルブレヒト・グリューネワルト翁にお伝えください。

 貴方達の野望は必ず打ち砕くと」

 

「……わかりました。伝えておきましょう、では」

 

 ネストはそのまま走り去っていったが、凛は振り返らずにバイクに跨るとその場を後にした。




はい、決着完了です。
そして出ましたね、大分厨二ってる断風流の技がw
櫃間の殺し方はバラバラでも良かったんですが、それだと芸がなかったのでこういう感じにしました。
そして長かった逃亡編も次で終了です。
火垂の今後とかいろいろありますが、これでひとまずの終止符が打てます。
それが終わったら次はちょっと楽しい未織と凛のお話を数話やりたいと思っています。完全にネタ要素満載なので、苦手な方は見なくても大丈夫です。

あと、この作品を推薦してくださったc+java様。本当にありがとうございます。
これからも精進してまいります。

では、感想などありましたらよろしくお願いいたします。


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第六十三話

 事件から数日、凛はいつもより少し送れて事務所へ出勤した。

 

 理由は零子が「休め」と言ったからである。思い返してみれば事件中は基本的に深い睡眠はとっておらず、一時間や二時間程度の仮眠ぐらいしかとっていなかった。

 

 それでも合計で三人の人物を殺害した事には、自分自身バケモノじみていると自嘲してしまう。

 

「くぁ……」

 

 デスクの背もたれにもたれかかりながらこぼれ出たあくびは、疲れから来るものというよりも、休息を取りすぎた結果かもしれない。

 

「一気に暇になっちゃいましたねぇ」

 

「私の潜入任務も終わっちゃいましたし」

 

「二人もお疲れ様、美冬ちゃんや翠ちゃんも大丈夫だった?」

 

 ソファの上でくつろぐ杏夏と焔はそれぞれ頷いた。すると、窓際のデスクでパソコンをいじっていた零子が呼んで来た。

 

 そちらに行くと、三人はパソコンの画面に視線を落とす。

 

「これは?」

 

「水原君が自力で調べた『ブラックスワン・プロジェクト』の詳細よ。まぁ、櫃間篤郎は凛くんが殺したし、櫃間正も誰かに殺された。だからこのファイルは蓮太郎くんに渡しておくよ。こっちの懐中時計は……火垂ちゃんだな」

 

 零子が懐中時計の裏蓋を見せてきた。そこには『YOU ARE ALWAYS IN MY HEART』、日本語訳で『いつも君の事を思っている』と刻まれていた。

 

 これは櫃間が見合いの席で木更にプレゼントしたものだというが、恐らく水原から強奪したものだろう。人から奪ったものをプレゼントにするなど、死んでなお人をイラつかせる男である。

 

 すると思い出したように焔が声を上げた。

 

「そういえば今日、蓮太郎達は水原さんのお墓参りでしたね」

 

「ああ。午後になったら皆で来るとさ。勿論火垂ちゃんも一緒にな。今頃は事務所に戻っているんじゃないか?」

 

「そうですか。だったらこれで私も正式に自己紹介ができます」

 

「――オレもだな」

 

 焔が言ったところで凛とした声音でありながら、どこか男勝りな口調の女性の声が聞こえた。

 

 皆がそれに怪訝な顔をしていると、その人物は突然現れた。恐らく木更よりも大きな胸を「たゆん」と揺らしながら。

 

 凛を含めた全員がそれに対しぎょっとしていると、焔が驚きの声を上げる。

 

「と、凍姉ぇッ!? え、なんで? 何でここにいんの!?」

 

 そう、声の主は焔の実姉である露木凍だった。彼女は軽く「よっ」と返事をした後、説明を始めた。

 

「いやな、大阪エリアに桜と二人でいるのもつまらないからさ、こっちで雇ってもらおうと思ってな」

 

 言うと同時に凍は零子に対して軽く頭を下げる。

 

「初めましてだな、黒崎零子社長。オレは露木凍、焔の姉だ。今言ったが……オレとオレの相棒である桜を雇ってくれないか?」

 

 突然の登場と突然の物言いであったが、零子は彼女をじっくりと見据えた後、小さく頷いた。

 

「序列百番台の仲間が増えるのはありがたい限りだ。歓迎するよ、露木凍さん」

 

「こちらこそ姉妹共々よろしく頼む。桜、いいぞ」

 

 凍が言うと同時に、事務所の扉がゆっくりと開き、延珠や摩那と比べるとやや小さな少女がひょっこりと現れた。

 

 彼女はそのまま零子の机の前までやってくると、ペコリと頭を下げる。

 

「はじめまして、東間桜と申します。凍様のイニシエーターでモデルはスコーピオンです」

 

「スコーピオンってことは……サソリ?」

 

「ああ。桜はサソリの因子を持っている。因みに種類は……デスストーカーの異名をとる『オブトサソリ』だ」

 

 凛の問いに答えた凍はふふんと大きな胸を揺らしてドヤ顔をすると、桜が照れながら凍の背後に隠れた。

 

 すると、杏夏がオブトサソリの事を聞いて驚いた様子を見せた。

 

「オブトサソリってサソリの中でも最強の毒を持ってたって言うサソリですよね!? 因子を持っているってことは桜ちゃんも持っているんですか?」

 

「もちろんだ。桜の爪からは本人の意思で毒を分泌することが出来る。それに桜はかなり動きがすばやいからな、摩那のようなチーターのような動きは出来なくとも、瞬間的な動きは驚異的だぞ」

 

「と、凍様。そんなにいわないでください。恥ずかしいです……」

 

「おっとスマンスマン、というわけだ。これからよろしくな、春咲杏夏」

 

「こちらこそ、よろしくお願いします。凍さん」

 

 二人は軽く握手を交わし終えるが、凍が思い出したように「あ」と声を上げた。

 

「焔、お前まだ凛のところに厄介になっているんだろう?」

 

「うん。そうだけど?」

 

 なにを今更というように小首をかしげる焔だったが、彼女は次の凍の言葉でその顔を驚愕にゆがめることになる。

 

「一週間以内に新しい部屋で暮らすからな。いつまでも凛のところに厄介になるわけにもいかないだろう」

 

「なん……だと……!?」

 

「顔を劇画調にするな。まぁそういうわけだ、いつまでも凛に迷惑をかけるわけにも行かないからな。翠にも伝えておけよ」

 

「うそ……だろ……!?」

 

「本当だバカタレ」

 

 最後にそう突っ込みを入れた凍は零子と話し始めた。どうやら今後のことを話し合っているようだ。

 

 しかし、そんな彼女らのすぐ近くでは、両膝をついた焔が天井を仰いで呆然としていた。口からはなにか魂というか、精神体のようなものが出ている。まさに心ここにあらず、放心状態と言ったかんじだ。

 

 そんな彼女の肩に桜がポンと手を置いて慰めていたが、凛はそれを見ながら苦笑を浮かべることぐらいしか出来なかった。

 

 因みに、そんな焔の姿を見ていた杏夏はガッツポーズをしていたそうな、していなかったそうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 午後になり、蓮太郎達が尋ねてきた。摩那達も彼等よりも先に勉強を終えて既に戻っている。

 

「このたびの事件は本当にお世話になりました。零子さん」

 

 木更が頭を下げて、それにつられるようにティナや延珠、火垂、蓮太郎も頭を下げた。しかし、零子は肩を竦めると優しく告げる。

 

「よしなさいな、私たちは仲間を守ろうとしただけ。仲間を守るのに理由は必要ないわ。そうでしょう?」

 

 すると、顔を上げた木更も頬を綻ばせ「そうですね」と笑みを浮かべた。

 

「そうだ、蓮太郎くんにはこれを渡して置かなくちゃね」

 

 零子は言いながら胸ポケットからメモリカードを取り出して蓮太郎に渡した。

 

「これは?」

 

「水原くんが自力で調べ上げた『ブラックスワン・プロジェクト』の詳細。彼はそれをこれの中に隠していたのよ。これは火垂ちゃんに渡しておくわ」

 

「私に?」

 

 火垂が怪訝な表情をするが、懐中時計の裏蓋をみたとき、瞳から涙が零れ落ちた。

 

 それを見た木更や蓮太郎が心配そうな顔をするが、零子は続ける。

 

「この時計すごく精巧で緻密な仕掛けがしてあってね。私もそのメモリーカードを取り出すのに苦労したわ。

 そして、その時計はある日時になると自動的に開いて、オルゴールがなる仕掛けになっていた。そのある日時は……言わなくてもわかるわね」

 

「私の……誕生日」

 

「そう。貴方の誕生日はつい先日。恐らく水原くんはそれを貴女の誕生日プレゼントにするつもりだったのね。でも、五翔会に目をつけられていることを知った彼は、それにメモリーカードを隠したけれど、奴等が部屋に押し入った際にそれをもって行かれてしまったのでしょうね」

 

「……そうか、だからあの時水原は『証拠を盗まれた』って……」

 

 蓮太郎も思い当たる節があるのか口元に手を当てた。

 

「本当はメモリーカードを聖天子様や天童菊之丞に渡すつもりだったのでしょうね。でもその途中で盗まれ、二人とコンタクトの取れる蓮太郎くんを頼ったけれど……ダークストーカーに殺された。

 火垂ちゃん、その時計は大切にしなさい。裏蓋の文字を見てもわかることだと思うけど、彼はずっと貴女のことを思っていた。綺麗事を言うようだけれど、それはきっと亡くなった今でもね。だから自分の再生能力が優れているからと言って、自分を犠牲にするような事はもうやめなさい」

 

 微笑みを浮かべていう零子の言葉はとても重いものであったものの、同時にとても優しく、暖かいものでもあった。火垂は涙を流しながらそれに頷き、懐中時計を胸に抱く。

 

 それを見ていた子供たちが彼女の元に集まり、皆口々に彼女を慰めてやっている姿は、胸が暖かくなる光景で、木更の目尻には涙がたまっていたし、蓮太郎も小さく笑みを浮かべていた。

 

 また、それは凛たちも同じであり、それぞれ顔を見合わせながら微笑んでいた。

 

 しばらくすると、零子が蓮太郎に告げた。

 

「さてっと、それじゃあ新しい仲間を紹介しておきましょうね。蓮太郎くんはまだ直接会ったことなかったでしょう」

 

 零子が言うと、後ろで控えていた焔が前に出て軽く頭を下げながら自己紹介を始めた。

 

「初めまして、蓮太郎。私の名前は露木焔、翠の新しいプロモーターね。あ、因みにIP序列は九千六百三十位ね。まだまだ民警としては駆け出しだけど、これからよろしく」

 

「ああ、よろしくな」

 

「焔ちゃんは櫃間の家に行って彼のパソコンから色々情報を抜き取ってきてくれたんだよ。勿論翠ちゃんも一緒にね」

 

 凛が言うと、焔と翠は「フンス」というようにそれぞれ胸を張った。それを聞いた蓮太郎は立ち上がると頭を下げる。

 

「さんきゅな、二人とも。いろいろと助かった」

 

「気にしないでいいってば、私は兄さんの役に立てればそれでモガッ!?」

 

「はいはい、お前はこれ以上言うとドン引きされる可能性があるから黙ってろ」

 

 呆れ口調で言いながら彼女の口を後ろから塞いだのは凍だった。彼女はそのまま焔を引っ込ませると、スッと蓮太郎の前に出る。

 

 その際、彼女の豊満すぎる胸がたゆんと弾んだ。

 

「オレとは完全に初めましてだな。露木凍だ、苗字でわかるだろうが焔の姉だ。こっちは相棒の桜だ」

 

「はじめまして、東間桜と申します。これからよろしくお願いいたします、里見様」

 

「お、おう。よろしくな、凍さんに桜」

 

「ああ、こちらこそな……ふむ、中々いい身体をしている。鍛えているようだな、一度手合わせをしたい気分だ」

 

 桜に様付けをされて若干たじろいでいた蓮太郎を見据えつつ、彼の身体をポンポンと触る凍は嬉しそうな笑みを見せた。

 

 しかし、そこで延珠がボソリと呟いた。

 

「……木更よりおっきいのだ……」

 

「ん?」

 

「おっぱいが……木更よりおっきいのだ……!!」

 

 延珠の声に彼女を見ていた凍が、木更の胸と自分の自己主張の激しすぎる胸を見やると、納得したように頷いた。

 

「ああ、これか。何故かわからんが大きくなる体質でな。ブラのサイズがなくて困ってるんだ」

 

「えっと……因みにおいくつあるんですか?」

 

 木更も少し気になったのか小首をかしげながら問うと、凍は特に恥ずかしげもなく淡々と告げた。

 

「確か最近百を超えてたか。もう重いのなんのって」

 

「ムキイイイイイイイイイイイイイイイイイッ!!!!」

 

 笑いながら言った凍だが、ついにおっぱいヒステリーを起した延珠が彼女に飛び掛った。しかし、延珠がつかもうとした凍、もとい凍のおっぱいはその場から消えうせ、延珠は背後から首根っこをつかまれた。

 

 その移動速度たるや、蓮太郎や木更、ましてや延珠も反応できないほどだった。

 

「延珠っ!?」

 

「すまんな里見、若干狂気を感じたものだからついやってしまった。延珠……だったな、おっぱいを大きくしたいのか?」

 

「う、うむ。できれば木更を抜かすぐらいバインバインでボインボインになって蓮太郎をゆーわくしたいのだ!!」

 

 その言葉に凍はクスクスと笑ったが、蓮太郎はというと頭を抱えていた。凛や杏夏たちもそれに対して若干の苦笑いを浮かべる。

 

「そうだな。胸を大きくしたいなら、毎日良く食べよく眠り、よく運動をすることだ。または……適度なマッサージも必要だというな。オレはやったことがないが」

 

 延珠を放しながら彼女が言うと、そのまま延珠は凍の言葉を真剣に聞いていた。しかし、それは延珠だけではないようで、凛がチラリと視線を落とすとティナもそれに聞き耳をたて、メモを書いていた。

 

 そのあと、凍のおっぱいを大きくする方法を聞いたり、今後のことを話し合った一同は、夕方になった頃合を見て一度解散。

 

 その後、また合流した皆は以前やった親睦会の会場である焼肉屋に行き、未織や玉樹、弓月、朝霞、さらには金本まで交えた大宴会を開いた。

 

 皆で泣いて笑って食べた時間はとても暖かく、全員にとって忘れられない一夜となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 深夜、凛はマンションのリビングで凍と焔と向かいあっていた。すると、焔が口火を切る。

 

「それでは報告させていただきます。以前、兄さんから調査を依頼された紫垣仙一ですが……調査の結果はクロでした。邸宅に潜入した際、書斎にて秘密の部屋を発見しました。それと、彼の腕には五芒星と頂点から伸びた五つの羽根も見られました」

 

「なるほど……ありがとう焔ちゃん。危険な任務だったけど、本当に調べてくれて感謝するよ」

 

 凛は頭を下げたが焔は「いえいえ」と頬を赤らめながら答える。すると、今度は凍が大阪エリアであったことを話してくれた。

 

「大阪エリアでも五翔会の連中の動きが活発になってきていたぞ。特に斉武のやつ、前にもまして過激だな。劉蔵爺様の手紙には奴の名前があったんだろう?」

 

「うん。斉武は五翔会に属しているから気をつけろだって。でも、よく調べられたね凍姉さん」

 

「オレと焔は忍者の家計だぞ? 裏仕事は手馴れたもんさ。五翔会だろうがなんだろうが敵じゃない」

 

 肩を竦めて言う彼女の瞳には自身が満ち溢れていた。確かに、凍の気配を消す能力は一級品だ。現に今日彼女が現れたときも、凛を含めた全員が彼女の気配に気が付くことができなかったのだから。

 

「で、どうする? その紫垣とやら……殺すか?」

 

「いいや、それはまだやめておいたほうがいいかもしれない。下手に手を出すと面倒なことになりそうだし、何より蓮太郎くんたちが完全回復していない今は危険すぎるよ」

 

「そうですね。それが妥当だと思います」

 

「ふむ、確かにお前達の言うとおりだな。では今日は眠るとしよう、焔行くぞ」

 

 凍はスッと立ち上がると、焔をつれてリビングを出て行こうとする。だが、ドアノブに手をかけたところで凍はこちらに振り向いてクールな笑みを浮かべる。

 

「凛、今度久々に稽古をしようじゃないか」

 

「……わかった、いいよ」

 

「よし。ではその時になったら里見も誘えよ? アイツの力は見ておきたいからな」

 

「相変わらず、バトルマニアだね。凍姉さんは」

 

 若干呆れつつ言うと、凍はニッと口角を上げると言い放つ。

 

「当たり前だ。強い奴と戦えるのはいい経験だからな。それじゃあ頼んだぞ」

 

「おやすみなさい、兄さん」

 

 二人がそのまま部屋に消えていったを見送ると、凛はソファに身体を沈めながら大きく息をついてから、天井を見上げる。

 

「これからまた、忙しくなりそうだなぁ」

 

 凄まじい事件が終わったばかりだというのに、新たな来客とあって、凛の周りは忙しない事ばかりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「以上が今回のことの顛末でございます。斉武大統領」

 

 ハンチング帽を被った若い男が言うと、獅子の鬣を思わせる髭をはやした男、斉武宗玄が軽く鼻で笑った。

 

「フン、やはり櫃間親子は使い物にならんかったか。紫垣の言ったとおりだな」

 

「はい。もとより無能な輩でしたから仕方ないともいえますが」

 

「確かにな。それでネストよ、俺に対しての報告とはなんだ?」

 

 斉武が言うと、ネストは顔を上げて告げた。

 

「断風凛からの伝言です。『貴方達の野望は必ず砕く』だそうです。グリューネワルト翁にもそうお伝えください」

 

「……ほう、さすが断風というべきか。劉蔵と剣星の忘れ形見……断風凛……。我々を狩る死神となりうるか。

 クク、おもしろい。果たしてあの男に何処までのことができるのか、見せてもらおうではないか。既に日本全土に網を張り巡らせている我々に勝てるかどうか」

 

 斉武はそれだけ言うとその場を去った。その双眸は野望という黒い炎が揺らめいていた。




はい、これにて逃亡編完結です。

木更と蓮太郎のやり取りなかったけど……まぁ蓮太郎くんは漢を見せたことでしょう。
そしてついに凍姉さんと桜ちゃん合流。一時は死んだのではないかと思ったほど動きがなかった凍姉さんですが、このたび合流しました。

そしてびっくり、木更さんを超えるおっぱいの持ち主……ムムッ

火垂はしばらく蓮太郎のとこにいる感じですかね。

次は未織メインの小話です。
予告的なものをするとすれば、夏の終わりくらいに訪れた司馬家の大事件に対して、凛が一週間か二週間を未織と共に過ごします。どのような形で共に過ごすのかは……お楽しみにw
オリジナルの会社名とか出すので、小話といえど面白くしていきたいと思います。
まぁ話自体は重くないコミカルなものに仕上げて行きたいと思います。

では感想などありましたらよろしくお願いします。


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司馬家執事編
執事編 第一話


「というわけで凛さんお願いッ!! 一週間……いいや、二週間でええからウチの執事になって!!」

 

 かなり焦った様子で懇願する未織がいるのは黒崎民間警備会社の事務所だ。彼女の前には戸惑い顔の凛と、お願いに目を丸くしていた杏夏と焔、そしてそれぞれのデスクで微笑する零子と凍がいた。

 

 さて、なぜ未織がこんな突拍子もないことを凛に頼んでいるのかと言うと、それは数時間前に遡る。

 

 

 

 

 

「ふいー……摩那ちゃんの新武装の案はこんなとこでええかなぁ」

 

 開発室にて凛から新たに依頼された摩那の新武装についてまとめ終え、未織は椅子の背もたれに寄りかかりながら大きく伸びをした。

 

 蓮太郎が巻き込まれた事件から既に一週間がたち、8月も終わりとなってきた。もう少し経てば学校も始まる。

 

「さてっと、最近はずっと会社の方に入り浸っとったから今日は久々に家に帰ろかなー」

 

 言いつつパソコンの電源を落とし、軽く周りを整理したところで、開発室の扉が開き一人の女性が飛び込んできた。

 

「お、お嬢様! 大変です!!」

 

「うぉわ、どないしたん巳月。そないあわてて」

 

 飛び込んできたのは未織が本社で共に開発することが多い、千羽巳月だ。彼女は肩で息をしており、額には僅かながら汗が滲んでいる。なにやら随分と焦っているようだ。

 

 彼女は荒かった息を一度深呼吸をすることで落ち着かせると、未織を真っ直ぐ見て告げた。

 

「それが、お屋敷に勤めている侍女や執事の方々が全員……ウイルス性の風邪を発症してしまったらしくて」

 

「なるほど全員……って全員!?」

 

「はい。でも一過性のものらしいので、皆命に別状はないそうです」

 

 巳月の説明に未織は一瞬呆けてしまったが、すぐに思考を切り替え、巳月に問い直した。

 

「まぁ皆命の危険はないみたいでよかったわ……でも全員かぁ……。屋敷の方はどうなっとるの?」

 

「はい、お屋敷の方は今日中には滅菌が済むそうなので、明日から戻れるそうです。しかし問題は使用人が足りません」

 

「うんそやね。まぁお父さんとお母さんは別のエリアに行っとるから、屋敷にいるのはウチ一人やから一人いてくれればそれで事足りるんやけど……一番早く回復する人はどんくらい?」

 

「一番早くだと……二週間近くですね。熱は一週間ほどで下がるそうなのですが、その後も一週間近くウイルスが残るそうなんです」

 

「なるほど、それで二週間ってわけか……。どないしようかなぁ、もう少ししたら学校も始まるから里見ちゃんに頼むわけにもいかへんし」

 

 顎に手をあてて悩みながら未織は室内をグルグルと歩き回る。確かに彼女の言うとおり、勾田高校はあと数日で夏休みが終了してしまうため、同じ高校に通う蓮太郎に頼むわけにもいかない。

 

 それに身体もまだ万全ではないだろう。

 

「それとお嬢様、今週末と来週の半ばにはパーティにも出席しないといけませんので、できればボディガードも兼ねたほうがよろしいかと」

 

「あーそういえばそうやったねぇ、となると……車の運転が出来て、料理が出来て、なおかつウチのボディガードをしてくれるほど強いとなると……ハッ!?

 おったわ。一人、かなりいい人が。巳月、車だしてくれるか?」

 

「あ、はい。何処に行くんですか?」

 

「黒崎民間警備会社や」

 

 

 

 

 

 

 こうして未織は凛の下にやってきたというわけだ。

 

「えっと……未織ちゃん? 僕は別に構わないけど本当にいいの? 料理って言っても僕が作れるのは普通の家庭料理程度だし」

 

「そこはウチは気にせんよ! というかこっちが頼んでるわけやし文句は言わへん」

 

 凛の言葉に未織は真剣な眼差しで言ってくる。すると、デスクにいた零子が小さく息をつきながら凛に告げる。

 

「いいじゃない、やってあげなさいな凛くん。未織ちゃんにはたくさんお世話になっているじゃない。それの恩返しって感じで」

 

「確かにそうですけど……僕が言っているのは僕に司馬家の執事が務まるのかなってことなんですけど」

 

「大丈夫でしょう。未織ちゃんはそんなに特殊なことをさせるわけじゃないんだし。そうでしょ?」

 

 零子が未織に問うと、彼女は頷き後ろで控えている巳月を呼んだ。彼女は持っていたファイルから一枚の紙を取り出すと、ガラステーブルの上にそれを置いた。

 

「これが凛さんにやってもらいたい仕事なんよ」

 

「食事やお茶の準備、車での送迎、屋敷の掃除に衣服の洗濯……ふむ、これだけなら出来ると思うよ。それで後はボディガードだっけ?」

 

「せやね、今週末と来週の半ばにパーティがあるんよ。本当なら両親が行くだけでよかったんやけど、二人とも今別のエリアの仕事に行ってて出席できないんよ。せやからウチが代わりに出席せなあかんの。

 社員の警備員連れてってもええんやけど、なにぶん短気な連中もおるさかい、ちょっとな……」

 

「なるほどね……うん、わかった」

 

 凛は用紙を眺めた後、静かに頷くと未織を見つめながら告げる。

 

「僕でよければ二週間やらせてもらうよ」

 

「ほんまに!? いやー、助かったわー。そんなら巳月、凛さんに資料渡して」

 

「はい。……では、こちらが司馬家執事のマニュアルとなります。執事の業務は明後日の朝からとなりますので、明日の夕刻にはお嬢様の下にいらしてください。

 執事服はこちらから支給するのでご心配なく。」

 

 A4サイズの紙の束を渡しながら巳月が言ってきた。その際紙を多少めくってみたが、そこまで面倒な仕事はなさそうだ。

 

 すると、未織は立ち上がって軽く頭を下げてきた。

 

「ほんなら明後日から二週間、よろしゅうな凛さん」

 

「了解しました、お嬢様」

 

 少々茶目っ気を出しつつ言うと、未織は若干照れくさそうにしたが、次に零子にお礼を言った。

 

「承諾してくれてありがとうな零子さん」

 

「気にしないで。こちらも未織ちゃんにお世話になっているから、ギブアンドテイクで行きましょう」

 

 肩を竦めながら言う零子に対し、未織も小さく笑うと巳月と共に事務所を出て行った。

 

 彼女らを見送った後、凛は改めて紙面を見るが、ふと後ろの方で杏夏と焔がぶつぶつと何か呟いているのが聞こえた。

 

 そちらを軽く見やると、杏夏は体育座りでいじいじと床に円を描き、焔はこちらに背を向けた状態で寝そべっていた。

 

「……先輩が未織と四六時中付きっ切り……付きっ切り……付きっ切り……」

 

「……兄さんの執事姿をずっと拝めるとか……うらやま……爆ぜればいいのに……」

 

 なにやらどす黒いオーラを発しながら呟いている彼女らに苦い顔をしていると、凍が言ってきた。

 

「明後日から執事をするのなら、今日は帰ってそれを読んだほうがいいんじゃないのか?」

 

「確かにそうだな。凛くん、今日はそれをしっかり読んで明後日の仕事に備えておけ、司馬家の執事なんて仕事、早々ある話じゃないからな」

 

「わかりました……でも二人ともなんか楽しんでません?」

 

「「そんなことはない」」

 

 かたやクールな笑みを浮かべ、かたや肩を震わせているようでは信頼性にかける言葉であったが、凛はそれにため息をつくと未だにぶつぶつと呟いている杏夏に声をかけた。

 

「杏夏ちゃん、僕が未織ちゃんのところに行っている間、摩那を頼めるかな?」

 

「はい、もちろんですッ!!!!」

 

 凄まじい速度で立ち上がった杏夏は先ほどの負のオーラを何処かに吹き飛ばし、ビシッと敬礼をした。しかし、その傍らの焔のオーラは更に濃くなり、彼女のところだけ時空が歪んで見えた。

 

 それに苦笑いをしていると、凍が「ほっとけ」とだけ告げてきたので放っておくことにした。彼女ならすぐに立ち直るだろう。

 

「それじゃあ、今日はこれで失礼します」

 

 言いつつ、凛は事務所を後にし、自宅へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

「というわけで、摩那。明日の夕方から二週間、杏夏ちゃんのところでお世話になってね? くれぐれも迷惑はかけちゃダメだよ」

 

「わかってるって。でも凛が執事ねぇ……向いてる?」

 

 から揚げを頬張りながら行ってくる摩那は若干こちらを試すような視線を送ってくる。それに対しテーブル脇に置いておいたマニュアルを見せる。

 

「やる事は基本的に簡単だから大丈夫。ここに載っているとおりのことをすれば平気だよ」

 

「ふーん、まぁがんばってね。というか、凛って車運転できたんだ」

 

「そりゃあ民警ライセンス持ってるからね。最近は乗ってないけど」

 

 肩を竦めると、摩那がジト目を送ってきた。

 

「なに?」

 

「いや、しばらく乗ってないのに運転できるのかなって思ってさ」

 

「大丈夫だよ。リムジンに乗るわけじゃないし。それよりも、摩那もちゃんと杏夏ちゃんの言うこと聞いてね」

 

「わかってるってば、心配性なんだから」

 

 やれやれと首を振りながら言った後、摩那は夕食を食べ終えて食器を片付けると、お風呂に行った。

 

 摩那がお風呂に入ったすぐ後、凛も夕食を終えると食器を洗いながらマニュアルに目を通す。そして、食器を洗い終えた後もマニュアルをじっくりと読み込む。

 

 ……未織ちゃんは朝はパン派とかご飯派とかそういうのはないのか……じゃあ初日はベーコンエッグとサラダ、トーストって感じでいいかな。明後日ならまだ学校は始まらないだろうから、昼食はご飯ものにして……夕食は未織ちゃんのリクエストを聞こう。

 

 頭の中で献立を考えていると、リビングのドアが開いて摩那がすっぽんぽんで出てきた。八月の終わりといえど、まだまだ猛暑日が続き、熱帯夜も連日のように続いているため暑いのだろう。

 

 しかし、幼女がすっぽんぽんで出てくるとはいかがなものか。それにため息をつきつつ、凛は摩那にバスタオルを巻いて濡れた髪を乾かした。

 

「ありがと、凛」

 

「どういたしまして。ホラ、パジャマ着てきな。あぁそうだ、今は夕飯を食べた後だからダメだけど、もう少ししたら冷蔵庫にあるアイス食べていいよ。摩那が好きな味を買ってきてあるからね」

 

「ホントに!? やった、ありがと凛。あ、そうだ。凛がお風呂から出たらさ、久々に格ゲーで勝負しようよ。私けっこー上手くなったからさ」

 

「いいよ、摩那はやっぱりテ○ミ使うかい?」

 

 問うと、「もち」といいながら親指を立てて答えてきた。それに苦笑しつつこちらも答える。

 

「それじゃあ僕は安定でハ○マかな。ハ○メンでもいいけど」

 

「えーまた『ズェ○』するの? あ、そうだ、コ○ノエのコンボが上手くつながらないから後で教えてー」

 

「わかった。それじゃあちょっと待っててね」

 

 言い残し軽く手を振りながらバスルームに足を運んだ。

 

 その後、凛の部屋から「ヒャッハー!!」「ガサイショウ」「ジャヨクホウテンジン!!」、「ゴウガソウテンジン!!」「モウメンドクセェノハナシダ!!」「オロチザントウレップウガ!!」などという声が聞こえたのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして約束の時間、凛はバイクで司馬家の屋敷にやってきた。適当な場所にバイクを止めて周囲を見回した後、自然に一言漏れ出した。

 

「いつ見ても大きいなぁ……うちの倍くらいはありそうだ」

 

「そないあらへんよ」

 

 背後から聞こえてきたのは未織の声だ。振り返ると、いつもの和服姿の未織が薄く笑みを浮かべながら立っていた。

 

「来てくれてありがとうな、凛さん」

 

「いえ、こちらも司馬家のご令嬢の執事を出来ることを光栄に思いますよ。未織お嬢様」

 

 腰を曲げて挨拶をすると、未織は若干驚いたようだ。

 

「おぉ……なんというか、すごいなぁ。でもまだお嬢様って呼ばなくてええで、それが始まるのは明日からや」

 

「そうだったね。それじゃあ早速だけど屋敷の中を案内してもらってもいいかな? 色々把握しておきたいし」

 

「ええよ、そんならレッツラゴーや!」

 

 未織はこちらの手を握ると、そのまま凛と共に屋敷内へ入っていった。

 

 屋敷の中はやはりというべきか、かなりの広さがあった。弓道場やその他修練場もあり、圧巻の一言だった。また、石塀には監視カメラが設置してあり、管理体制はバッチリと言った感じだ。本当にボディガードとか必要なのだろうか。

 

 などと思っていると未織がとある一室に案内してくれた。そこはそれなりの広さがある部屋で、ベッドにソファ、さらにはパソコン、テレビまで完備している部屋だった。

 

「ここは凛さんの部屋や。あるものは好きに使ってくれてかまへんで。あぁそれと、パソコンでエッチな動画を見るときは、ちゃんとヘッドホンしてな♪」

 

「そういう機会があったらね」

 

 肩を竦めながら答え、凛は適当に荷物を置く。すると、その横を未織が通り過ぎ、クローゼットを開けた。

 

「おぉ……」

 

 思わず声が出てしまった。

 

 クローゼットの中には執事服の一式が全て揃っていたのだ。燕尾服は勿論黒だったが、その下に着るウェストコートとワイシャツも全て黒という徹底した黒固めではあったが。

 

「まだまだ暑い日があるから燕尾服は毎日着なくてもええからね。あぁそうそう、こっちの引き出しには……」

 

 未織は言うと、クローゼットの中にあった引き出しを開けた。そこには鈍い銀色の光を放つ大型のナイフと、黒き輝きを持つバラニウム製と思しき大型のナイフがズラリと並んでいた。

 

「ウチが外に出歩く時は基本的にこれを装備してくれるか? あと銃も一応用意してみたけど……凛さん銃使えるっけ?」

 

「残念ながら銃はからっきし。今まで撃ってみたこともあったけれど、一度も標的に当たった事はなし。使うとしたら牽制かな」

 

「ふむ……ほんなら牽制用としてベレッタM92でも使ってみる? なんやかんやで使いやすいと思うし」

 

「じゃあちょっと貸してくれる?」

 

 その声に頷いた未織がもう一方の引き出しからベレッタを取り出し、渡してきた。グリップを握り、撃つ構えを取ってみる。

 

「うーん、撃つ構えは様になっとるけど……本当にあたらないん?」

 

「全然あたらない。なんだったら試してみる? 弓道場でためさせてくれればわかると思うよ」

 

「ふーん、ほんなら行ってみよか」

 

 その後、弓道場まで行った凛は銃を撃ってみたものの、結局一発もあたる事はなかった。

 

 惨状を見た未織は「壊滅的やな……」とだけ呟いていたらしい。

 

 夜には凛が焼き魚や肉じゃがなどを作って夕食とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、未織は浴衣タイプの和服を少しだけ乱しながら、ベッドの上で可愛らしい寝息を立てていた。

 

「お嬢様、お目覚めの時間ですよ」

 

 声をかけられ、未織は陽光に目を細めながらゆっくりと目を開けた。最初はぼんやりとしていた視界が段々と晴れ、鮮明になると自分の前に黒い執事服に身を包んだ凛の姿が見えた。

 

 彼はなにやら準備をしているようで、食器の音や、紅茶のいい香りが鼻腔をくすぐった。

 

「凛さん、なにしとんの?」

 

「はい、お嬢様のお目覚めをよりよくするために本日は紅茶をご用意致しました。所謂、アーリーモーニングティーというやつです。本日の茶葉は香りが高いダージリンをご用意いたしました。どうぞ」

 

 言いつつ、凛はティーカップをベッドサイドテーブルに置いた。確かに彼が言ったとおり、紅茶の良い香りがする。

 

「それじゃあ、いただきます」

 

 ベッドから足を出し、紅茶を手に取るとそのまま口に運ぶ。瞬間、未織は口の中に広がった、渋さの中にも香り高い紅茶の味に驚いた。

 

「おいし……」

 

「ありがとうございます。がんばって練習した甲斐がありました」

 

 凛が微笑むが、その笑顔には妙な色気が合った。

 

 ……ひょっとしてウチ……えらい人執事にしてしまったんやない?

 

 そんなことを思っていると、凛は更に続けた。

 

「では着替えが終わったら居間に来てください。朝食のご用意が済んでいますので、あと今日の朝食はトーストとベーコンエッグ、サラダ、コンソメスープとなっておりますので」

 

 軽く腰を曲げて言い終えると、凛は未織の部屋から出て行った。流石に女子の着替えに何か手を出すほど野暮ではないのだろう。

 

 

 

 こうして、未織と凛の二週間限定の主従関係が始まった。




はい、小話開始です。

なぜ執事ネタなのか……やってみてかったからですw
執事って、かっこいいじゃないですかw

まぁ結構いろんなことが待ってますが、二週間と言っても二週間一日一日すべてやるわけではないので、十話以内には纏めようと思っています。はい。

因みに話中でもありましたが、凛は銃を撃つのが下手ですw
ソードさんの時は当ててましたが、アレは接射したからですねw
少しでも離れれば外れます。

では、感想などありましたらよろしくお願いします。


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執事編 第二話

 着替えを終えて食卓についた未織は出された朝食を見ながら関心したように何度か頷いていた。

 

「ほえー……そういえば凛さん朝食は?」

 

「はい。お嬢様がお休みになられている間に取らせていただきました。……ところでお嬢様、二週間という短い期間ではございますが、僕は貴女の執事。『さん』付けではいささか不自然かと」

 

「なら呼び捨てのほうがええかな?」

 

「そうですね。明後日にはパーティもございますし、その際までには慣れておいた方がよろしいでしょう」

 

 小さく笑みを浮かべながら言う凛は未織のティーカップに紅茶を注いでから、彼女の元にこんがり焼けたトーストを差し出した。

 

「どうぞお召し上がりを。その間今日のご予定を確認させていただきます」

 

「はいなー」

 

 それに返事をしながら未織はサラダに手をつけ、朝食を開始。凛はその隣で今日の予定を読み上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 朝食を終え、凛は未織を司馬重工の本社ビルに送っていた。今日の予定は摩那の新武装の案を纏めることと、そのほか新たな兵器の考案だそうだ。

 

「それにしても凛は車の運転もできるんやなー」

 

 朝食か大して時間がたっていないが、彼女は凛を呼び捨てることになれたようだ。

 

「民警のライセンスがあれば車両系は大体運転できますからね。あぁでも、僕はリムジンを運転する事は出来ないので登校とパーティの際もこの車でよろしいですか?」

 

「かまへんよー。というかこの車も結構な高級車やし」

 

「そうでしたね」

 

 小さく笑みを浮かべ凛は運転を続ける。

 

 しばらく走っていると見覚えのあるビルが見え、未織専用の駐車スペースに車を止める。そして先に凛が降りると、彼は後部座席のドアを開けて未織に手を差し出す。

 

「ん、ありがとなー」

 

 言いながら彼女は凛の手を取って車外に出る。未織が完全に出たのを確認し、ドアを閉めてから車をロックすると、未織の後についていく。

 

 そのまま司馬重工のビルの中にある未織の私室まで行き、彼女はデスクに着く。

 

「ほんなら凛、ちょいと相談なんやけど。摩那ちゃんの新武装の案が今のところ三つあるんよ見てくれるか?」

 

 未織に言われデスクの方まで行くとデスクトップパソコンのモニターには三つの画像表示されていた。

 

「これが?」

 

「うん。摩那ちゃんの新武装の案やね、左端のは従来どおりのクロー。真ん中はクローって言うよりはガントレットって言った方がしっくり来るかもしれへんね。でも爪の部分はかなり鋭利になっとるからガストレアを倒すぐらいは余裕やね。

 そんで最後、右端のやつは結構特殊でな。腕装備は真ん中のガントレットクローとかわらへんけど、これにプラスして足にもグリーヴって感じのやつをつけようとおもっとるんよ」

 

 彼女の言うとおり、モニタの右側に移っている武装は黒塗りのガントレットと、摩那の脛のあたりまでを覆うであろうグリーヴだ。しかし、グリーヴといってもただの脚部装甲ではない。

 

 つま先部分は獣の爪の様になっており、しっかりと地面を踏める構造になっている。どうやらスパイクとしての要領も果たすようだ。

 

「これは初動スピードをちょっと落とす代わりに、地面をしっかり踏むことが出来る形になっとるから、加速スピードはかなり行けると思うで。

 いろいろ計算してみたら普通の靴だと摩那ちゃんの踏み込みの力を百パーセント引き出せてないし、どっちかって言うとこういう風な形がええんちゃうかなーって思てなー。まぁ最終的に決めるんは摩那ちゃんやし、一応全部作ってみるんやけどな。

 今回見せたんはこんなんがあるよーって感じなんね。多分二週間以内には出来ると思うから、執事中には摩那ちゃん呼んでくれるか?」

 

「了解しました、摩那には後で伝えておきます」

 

「うん、よろしゅうなぁ。さて! ウチは他の新兵器の案でも搾り出そうかなぁ。あ、凛は好きにしとってかまわへんよ」

 

「はい。ではなにかありましたらお呼びして下さい」

 

 軽く腰を曲げて礼をしたあと、凛は未織の私室を後にして腰から下がっている懐中時計を確認した。

 

 時刻は午前十時半。お昼まではあと一時間半ほど残している。いいや、調理する時間も踏まえれば一時間というのが打倒か。

 

 ……とりあえずは未織ちゃんの要望にすぐに対応できるようになるべくはこのフロアにいた方がいいかな。

 

 思い至ると懐中時計をポケットにしまって適当に時間を潰すために歩き始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ク、ハハハハハハハハッ!!!! 執事!!? 凛くんが執事!? いやぁ、いいねぇ面白い、彼も彼でいろいろと難儀だよねぇ」

 

 目尻に涙を溜めて大爆笑したのは勾田大学病院の地下に居を構える地下の住人、室戸菫だ。

 

 彼女の前にはビーカーに入ったコーヒーを飲む零子がいた。しかし、彼女の顔にもどこか笑みがある。

 

 やがて菫は笑い終え両手で腹を押さえていた。

 

「ひーひー……あー久々に大笑いした。ゲホゲホ……咽た……。しかしまぁ彼もいろんなことをするもんだねぇ。蓮太郎くんとは違う意味で苦労人かもしれないな」

 

「まぁそれでも大体の事はそつなくこなすのはすごいと思うけどね。……それよりも菫、アンタ私の目の事蓮太郎くんに話した?」

 

「ん? あぁ一応名前は伏せておいたがそれらしい事は言っておいたよ。『二千分の一秒の向こう側(ターミナル・ホライズン)』が使えることも言っておいた」

 

「あっそ、やっぱりねぇ……蓮太郎くんが私の義眼をジッと見てた理由がわかったわ」

 

 嘆息してタバコに火をつけると、灰皿らしきものがスライドしてきた。どうやら「使え」ということらしい。

 

「ふーん……蓮太郎くんが零子に熱い視線を送っていたわけだ」

 

「誤解されるようないいかたすんじゃありません。まぁそのうち言った方が良いのかしら。……でも言ったら言ったで使い方教えてくれとか言われそうで面倒くさいわね」

 

「いいじゃないか教えてやれよ。どうせなら狙撃の技術も教えてあげたらどうだい? 『必撃の戦女神(デッドリー・ヴァルキュリア)』黒崎零子」

 

 菫のその言葉を聞いた瞬間、零子がゴンっと頭を机の上におろした。そのまま顔面を下にした状態で菫に告げる。

 

「……お願いだからその厨二全開のあだ名やめてくれないかしら」

 

「えーいいじゃないかかっこいいと思うよ、デッドリーヴァルキュリア。なんかゲームのタイトルでありそうだけど」

 

「別に私がつけた名前じゃないけど、いつからそんなあだ名がついたんだか……」

 

「少なくとも君に義眼を入れたときには既についていたから、君が現役だった頃からついてたんだろ。それにしても……フフ、本当にセンスが厨二のそれだね」

 

 肩を竦めていう菫に零子も「やれやれ」といいながら深くため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私室でパソコンをいじっていた未織はふと思いついた。

 

「甘いものが食べたい……」

 

 確かに時計を見てみると午後三時ちょうど。所謂三時のおやつの時間である。しかし、ここで女性ならではの葛藤が始まる。

 

 ……食べるべきか食べらざるべきか……。最近帯が苦しくなってきているような、いいや! それはただの勘違いや! 体重は増えとらんしそう偶々……偶々や。

 

「……よし!」

 

 意を決した未織はスマホをもって凛に電話をかける。

 

『なんでしょうか、お嬢様』

 

「凛、お願いがあるんや。……出来るだけ低カロリーなおやつプリーズ……! あと紅茶も」

 

 そういうと、電話の向こう側で凛がかすかに笑ったように聞こえたが、彼は続けた。

 

『了解しました。しばしお待ちを』

 

 

 

 

 数分後、凛の姿は司馬重工のラウンジの厨房にあった。特別に許可を得て借りているのだ。

 

「さて、低カロリーのお菓子か……まぁお嬢様もそれが気にあるお年頃だからなぁ……でもどうしたものか」

 

 顎に手を当てて考え込むと、ふと思い出したようにパチンを指を鳴らす。

 

「そうだ、確か使って良いって言われた冷蔵庫の中に豆腐とヨーグルトにクリームチーズがあったはず……」

 

 言いながら冷蔵庫を開けると、目当ての食材はある程度揃っていた。それに頷き、それらを冷蔵庫から出して調理を始める。

 

 調理を始めてから数十分後、出来上がった豆腐を使ったチーズケーキを冷蔵庫から取り出していると、ラウンジに先日会った巳月が顔を出した。彼女はこちらに気が付いたようで声をかけてきた。

 

「断風さん、こんなところで何をしているんですか?」

 

「未織お嬢様のおやつを作っていたんです。今ちょうど出来上がったところなんですが……少し作りすぎてしまったので、少しお食べになられますか? 豆腐を使っているので多少はカロリーを抑えられているはずです」

 

「へぇ、それじゃあ少しいただきます」

 

 それに頷きつつ、チーズケーキを切り分けると皿に盛り付け、ブルーベリージャムをかけてから巳月に手渡す。

 

「どうぞ、ではお嬢様のところにお届けしてくるので、残りは他の皆さんで食べてください」

 

 軽く一礼をしてから、ケーキと蒼と白の配色が成されたティーポットとティーカップを銀製のトレイに乗せ、未織の私室へと向かう。

 

 エレベーターを使って未織の私室にたどり着くと、未織はデスクに突っ伏していた。

 

「お嬢様、ケーキと紅茶をお持ちしました」

 

「ケーキ? どんな?」

 

 くぐもった声で問うてくる彼女に、小さく笑みを見せて凛はデスクの上にケーキをおいて説明する。

 

「豆腐を使用したチーズケーキです。普通のチーズケーキよりは多少カロリーを抑えられているはずです。これよりもっとカロリーを抑えるとなると、寒天のゼリーなどになりますが、いかが致しますか?」

 

「いや、紅茶に合うのはやっぱケーキやし。ケーキ食べるわ……」

 

 のそりと顔を上げた未織は目の前に置かれたケーキをフォークで切って口に入れる。

 

「あ、うまーい。というかこれ本当に豆腐つこうとるん?」

 

「もちろん。クリームチーズとあとヨーグルトも使用しました。紅茶の方はダージリンほど香りの強くないセイロンなので、すっきりとご賞味いただけるかと」

 

 ティーカップに注いだ紅茶を差し出しながら言うと、未織が感心したように頷いていた。

 

「なんや凛随分と紅茶のこと勉強しとるんやなぁ」

 

「事務所では最近紅茶が流行っていたので、その一環としてですがね。特に杏夏ちゃんが紅茶について色々教えてくれていたんです」

 

「杏夏は紅茶が好きなんかー」

 

 などといいながらも未織はチーズケーキを次々に口に運んでいた。

 

 その後、チーズケーキを平らげた未織は再度パソコンに向かって仕事を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜、司馬家に帰ってきた未織は凛の作った夕食、焼き魚と煮物、味噌汁に小さめのサラダを口にしていた。

 

「煮物とかあるけどいつ作ったん? しっかり味しみとるし」

 

「朝の内に作っておいたんです。夜には出汁を吸っていい味になる頃合だと思いまして。お口に合いましたか?」

 

「うん、申し分ないうまさやったよー。あぁそうや、忘れんうちに言っとくわ。週末のパーティは同業者同士の会合も兼ねてるんやけど……一人面倒なやつがおってなー」

 

 眉をひそめながらいう未織の顔はなんとなく嫌そうだった。

 

「面倒なやつ?」

 

「凛は宝城グループって知っとる?」

 

「確か司馬重工と並ぶ兵器開発会社でしたか? 本社は確か博多エリアにあると聞いています」

 

「そう、まぁ基本的にスペックやとウチのほうが儲けとるんやけど、そこの令嬢が何かにつけてウチに突っかかって来るんよ。名前は宝城琉璃(ほうじょうるり)。ウチが和服を着るのに対抗してあっちは絶対にドレスで来るやろうし、髪の毛は金ドリルやからなぁ。所謂漫画やアニメで出てくるガチモンのお嬢さまって感じや」

 

 大きなため息をつきながら箸を置いた未織の反応に凛も興味を示したのかもう少し突っ込んだ質問をしてみることにした。

 

「では木更ちゃんと比べたらどちらが面倒ですか?」

 

「むぅ……それは悩みどころやな。しつこさで言えば琉璃の方が上かもしれへん。まぁでもとりあえずそういう奴がおるってことは覚えておいてな。

 多分来週半ばのパーティにも来ると思うし……」

 

 未織は嘆息しながらも残りの夕食を片付けにかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 未織が入浴し終え、部屋に戻ったところで、凛も自身に割り当てられた部屋で遅めの夕食をとっていた。

 

「それにしても……思いのほか執事って疲れるんだなぁ。これが未織ちゃんだったから良かったけど、他の人だったら結構きつかったかも」

 

 溜息をつきながら煮物を口にする。

 

 ……我ながらよくできた。さて明日の予定も確認して朝食のメニューも考えないと。

 

 その後、パパッと夕食を終えて入浴も済ませた凛は明日の予定を纏め、朝食の献立を考えながら屋敷全体の戸締りを確認して眠りについた。

 

 全てが終わったのは午前一時半だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 凛が眠りに着く少し前に時間はさかのぼって博多エリアの超高級マンションの最上階。

 

 ワンフロア丸ごと買い取った豪邸で一人の少女が眼下に広がる街明りを俯瞰しながら、所謂縦ロールとなったブロンドの髪をなでていた。

 

「フフ、週末には東京エリアですわね。待っていなさい……司馬未織ッ!!!!」

 

 豊満なバストを揺らして言う少女の目には、未織に対する敵意が見え隠れしていた。




はい、お待たせいたしました。
執事編第二話でございます。

とりあえず今回は摩那の新武装の話やら零子さんのあだ名やらをやりましたw
そして最後出てきた生粋のお嬢さま、琉璃のお胸は木更よりはちっちゃいです。

まぁイメージとしては某型月の金ドリルでいいと思われます。
ワンフロア丸ごと……魔術師殺しに爆破されそうな……w

そんな事はおいておいて、次回は一気にパーティまでもって行きます。
実際に事件が起こるのは次のパーティだと思われます。

では感想などありましたらよろしくお願いいたします。


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執事編 第三話

 時間は経っていよいよ週末。東京エリアの一級ホテルのパーティホールには、いつもの和服よりも一段と高そうな和服を着付けた未織。その傍らには黒の執事服に袖を通している凛の姿があった。未織は薄く化粧もしているし、凛はいつもはつけないヘアワックスで髪形をしっかりと決めている。

 

 二人の視線の先には、高級そうなドレスを着込んだ婦人や、タキシードや背広をきっちりと着ている男性の姿が多く見られる。彼等の年齢層は様々であり、凛より少し上と思われる人から、壮年の人間までと実に幅広かった。

 

「これが全員兵器開発に関わっている人なんですか?」

 

「全員やあらへんけどね。ウチみたいに直接関わっとる人もおれば、間接的に関わっとる人もおる。あとは自衛隊やら警察のお偉いさん、中には政治家の先生までおるんやで」

 

「年齢もそうですけど、職種も幅広いのですね」

 

 言いつつ、未織の持っていた飲み物のグラスが空になったことを確認すると、凛は新たなグラスを彼女に渡す。

 

「ん、ありがとうなー」

 

 彼女はそのままグラスを傾けようとしたが、そこで何かを感じ取ったのか弾かれるようにパーティホールの入り口、大扉を見た。

 

「お嬢様?」

 

「……来る」

 

「はい?」

 

 小さく言った声に凛は思わず聞き返してしまった。しかし、その声はすぐに大扉が勢いよく開け放たれる音にかき消されることになる。

 

 開け放たれた大扉にホール内の全員がそちらを向くと、大扉の置くから丸まった状態のレッドカーペットが転がってホールを二分するように敷かれた。転がるレッドカーペットを場にいた全員が目で追っていると、大扉をくぐって一人の女性がホールに現れた。

 

 腰まで伸ばしたブロンドの髪は縦ロールになっており、キラキラと輝いて見える。そして日本人離れした雪肌。その肌を包むのは肌の白さを際立たせるような、明るめの紺色をした、胸元を強調するような豪奢なドレス。

 

 彼女が歩くと場にいた全員が目を奪われる中、未織だけは肩を竦めて呟く。

 

「……やれやれ、もっとまともな登場の仕方はできひんもんかなぁ。琉璃のやつ」

 

「ということはあちらの方が?」

 

「そう。宝城グループのお嬢様、宝城琉璃。クォーターやからあの髪は染めとるんやなくて地毛らしいわー」

 

 小声で会話をすると、凛はもう一度琉璃に視線を戻す。

 

 すると、彼女はこちらに顔を向けた。いや、正確には凛の斜め前にいる未織だろう。未織も彼女の視線に気が付いたのか小さく「ハァ……」と漏らしている。

 

 挨拶をしてくる人々を軽く流しつつ、琉璃は未織の前までやってきた。

 

「久しいですわね、司馬未織」

 

「あーはいはい、久しぶりやね琉璃」

 

 ため息をつきつつ言う未織の表情は背後からではうかがうことはできないものの、恐らく声音からして凄まじくいやな顔をしているのは間違いないだろう。

 

「あら、随分と適当な物言いですわねぇ。それにしても……フフ、相変わらず貧相なお胸ですこと」

 

 豊満な胸を弾ませて言う彼女だが、凛はそこで未織から苛立ちのオーラが発せられたのを感じ取る。数秒置いて未織は袖から取り出した扇子を口元に当てて言い放つ。

 

「女は慎ましい方がええのよ、でかいだけが魅力やないし。それにアンタぐらいでかかったら今はええかもしれんけど……年取ったら垂れるで?」

 

「なっ!?」

 

「垂れたら目も当てられへんよなぁ。それにアンタやっぱり胸にばっか栄養いっとるんやないの? レッドカーペットも全部渡り切らんうちにこっち来とるし、みんなの前でなんか言うかと思たら何もいわずにこっち来て、アホなん?

 敷いたんなら最後までわたりきった方がかっこつくのになぁ。もったいないことしたなぁ琉璃」

 

 嫌味満々の声音は木更のとき以上というべきものであり、凛も僅かながら苦笑いを浮かべる。琉璃はどちらかと言うと木更と同じような性格なのか、拳を握り締めて額にはピキリと血管が浮かんでいる。

 

「貴女って本当に、礼儀を知らない女ですわね!」

 

「ハァ? アンタに礼儀なんて必要ないやろ。なんでウチがアンタごときに礼儀払わんとならんのよ」

 

 軽く言ってのける未織に対し、琉璃はとうとう我慢がならなくなったのかドレスのスカートに隠されていた拳銃、シグザウエルSP2022を構えて未織に向ける。

 

 それに周囲がどよめくかと思いきや、既に慣れっこな状況なのか特に気にかけた様子もなく話をしていた。

 

 すると未織も懐から専用カスタムが施されたガバメント拳銃『ソードフィッシュ』を抜き、もう一方の手では鉄扇を広げる。

 

「宝城の名にひれ伏しなさい!」

 

「司馬の名を舐めへん方が身のためや!」

 

 まさに一触即発。どちらかが引き金を引けば間違いなく戦闘が起こるだろう。しかし、凛は何かを感じとると、大型のナイフを取り出してすぐさま未織の前に躍り出る。

 

 驚いた顔をする未織だが、次の瞬間、凛のもつ大型バラニウム製のナイフに銀色の光りを放つナイフが激突した。火花が周囲にちり快音が響く。

 

 バラニウム製のナイフに力をこめながら、凛は自身の目の前に立ちはだかった人物を見やる。

 

 目の前に立った人物は男であった。それも凛と同じような執事服に身を包んだ青年。年齢は凛よりも上、恐らく二十代前半だろう。

 

 しかし、執事服は執事服でも彼のは見事に凛と対照的な真っ白のものであった。

 

「レオ、手を出す事はありませんわ。今のはただのお遊びです」

 

 琉璃の声がレオと呼ばれた青年に届いたのか、彼はナイフをおさめてから琉璃に対して頭を下げてから下がっていった。

 

 彼に視線を向けつつ、凛もまた持っていたバラニウム製のナイフをホルスターにしまいこむ。すると、琉璃が拳銃をおろしながら言ってきた。

 

「レオの攻撃を凌ぐとはなかなかやりますわね、貴方」

 

「どうも」

 

「見たところ未織の従者のようですが、お名前は? 特別に聞いて差し上げますわ」

 

 その問いに対し、凛は一度未織を一瞥する。彼女は鉄扇と拳銃をおさめてからこちらに「うん」と頷いてきた。挨拶をして構わないということだろう。

 

「初めまして宝城様、自分は未織お嬢様の執事を務めさせていただいている、断風凛と申します」

 

「断風凛、なるほど覚えておきます。ではお遊びはこれくらいにして、私はこれからあいさつ回りがあるから失礼しますわ」

 

 彼女は実に優雅に踵を返すと、レオと呼ばれた従者をつれてあいさつ回りをしにホールの奥のほうに消えていった。彼女の姿が見えなくなると、未織は大きく伸びをしてため息をついた。

 

「あー……面倒くさかったなー」

 

「いつもあんな調子なんですか?」

 

「せやね、けど今日はおとなしい方やけど。前なんかもうすごかったんやで。ウチと琉璃が喧嘩してホテルのワンフロアを使い物にならなくさしたし。もちろん修理代はウチとアッチで折半したけど。あん時は凄まじく怒られたなぁ」

 

「それもまたすごいですね。でもお二人はなんやかんや言いながら仲が良さそうにも見えますけど?」

 

「えー、なんかそれ嫌やー」

 

 げんなりとしつつ、円卓に置いておいたグラスを持って中身のオレンジジュースを飲み干すと、未織は思い出したように指を立てた。

 

「あ、そういえばさっきレオって言われてた琉璃の執事、随分とやり手っぽかったなぁ」

 

「初めて会ったんですか?」

 

「うん。前に会うた時は琉璃一人だけやったし、新しく雇ったんかな」

 

 口元にてを当てて言う彼女を見つつ、凛は今一度人ごみに消えていった二人を見やりながら、先ほどのレオの動きを思い出す。

 

 ……気配遮断は焔ちゃんと同等くらいか。民警であれば相当の使い手かな。

 

 などと思いながらも、凛は未織の傍らに立ちながら彼女に付き従う従者としての責務を果たした。

 

 

 

 

 

 

 

 未織と別れてからあいさつ回りをしながら、琉璃は凛の動きを思い出していた。

 

 ……レオの動きにあれほど反応できるなんて……かなりの使い手ですわね。

 

 口元に手を当てながら考え込んでみたが、琉璃はレオを呼ぶ。

 

「レオ。さっきの男、貴方的に見てどう思いますの?」

 

「実力的には私よりも上であると思われます。お嬢様はお気付きになられなかったかもしれませんが、あの男の一瞬の殺気は堅気のものではありません。恐らく、私と同じかと」

 

「そう。まぁいいですわ、下がりなさい」

 

「御意に」

 

 腰を折り曲げて半歩下がるレオだが、彼の警護は完璧だ。もしこの場で琉璃が殺されそうになっても、逆に殺されるのは犯人の方だろう。

 

 レオこと、風間レオは某国の特殊部隊にいたらしいが、大戦によって国が滅んでからは、宝城家に拾われ執事として仕えている。また、特殊部隊であったがゆえに琉璃の護衛も兼ねている。ちなみに名前は本名であるらしく、日系の血を引いているとのことだ。

 

「……未織もなかなか面白い従者を見つけたものですわね」

 

 ニィッと笑いながらも、琉璃は淡々と挨拶を済ませていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 パーティが終わった深夜、未織は凛の運転する車に乗りながら窓の外を流れる景色をぼんやりと眺めていた。

 

 すると、その様子をバックミラー越しに確認したであろう凛が声をかけてきた。

 

「お疲れのようですね」

 

「んー? まぁなぁ。パーティ言うても力抜けへんし、何かと大変でなぁ」

 

 事実である。琉璃との一件はいつものことであり、瑣末なものである。まぁ本人が聞けばまた突っかかって来るのは明白なのだが。

 

「基本的にパーティの後なんかはいつもこんな感じなんよ。力が抜けてぼーっとする感じ。学校の授業が終わった後の放課後なんかそうやない?」

 

「あぁ確かにわかりますね。ついつい夕日を見たりしてぼんやりすることが」

 

「ようはそういう状態なんよ。まぁ後考えられるとすれば……お腹減ったかなぁ」

 

「料理は口に合わなかったのですか?」

 

 その質問に対して未織は首を横に振る。

 

 料理自体は決して不味いわけではなかった。むしろ絶品といえるだろう。流石は一級ホテルだけはあると感心するほどだ。しかし、挨拶を中心にしていたためか物を食べる余裕などなかった。巨大兵器会社『司馬重工』の恩恵を受けようとするものは数多いとでも言うべきなのだろうか。

 

 しかし、それらをないがしろにしていては代理できた意味がない。普段であれば両親がやっている仕事を引き受けるというのは、やはり大変なものである。

 

「あんまし食えなかったんよー。せやから凛ー、ハンバーガー食べてかえらへん?」

 

「僕は構いませんが、お嬢様は平気ですか、夜も遅いですよ?」

 

「たまには平気やってー。なぁ、おねがーい」

 

 後部座席から運転席に座る凛に腕を回しながら言うと、彼の呆れがちの嘆息と笑いが聞こえてきた。

 

「わかりました。ですがご自分の体重の事は自己責任でお願いしますよ」

 

「明日はちゃんと体動かすし、平気やよ。ほんなら近場の店にレッツラゴー!」

 

「仰せのままに、ご主人様(マイロード)

 

 それだけ言うと、凛は未織の腕をほどくこともせずに車を近場のジャンクフード店に向かわせた。

 

 

 

 その夜。和服を着込んだ美少女と、全身真っ黒の執事がジャンクフードを食べていたとネットでちょっとした騒ぎになったのは言うまでもない。因みに、変なことを書いた人物は皆消息を絶ったとか絶っていないとか……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パーティから三日が経過した朝、未織はいつもより早い時間に凛に起された。

 

「うー……まだ寝たいー」

 

「ダメですよ、お嬢様。今日から学校でしょう?」

 

 そう、凛の言うとおり、勾田高校は今日から長かった夏休みが終了し、二学期が始まるのだ。しかし、やはりというべきか。長期の休みの後に学校に行くというのは面倒くさいものである。

 

「……太陽ってなんで毎朝昇るんやろうね」

 

「いきなり大自然に向かってクレーム出さないでくださいよ」

 

「むー」

 

 むくれながら凛に剥がされた布団をもう一度頭から引っかぶり、布団の中から凛に文句を言ってみる。

 

「凛はええよなー、家の仕事だけしとればええんやしー。この仕事終わっても毎日好きな時間に事務所行けばええんやろー? ずーるーいー」

 

「僕もこれで結構大変なんですけど。まぁいいです、早く起きてください。いつもの紅茶はここに置いておくので」

 

 彼はそれだけ言い残すと、紅茶を置いて出て行ってしまった。しかし、残された未織も観念したのか布団から這い出て紅茶に手を伸ばして口に含む。

 

「ん、今日はアールグレイやな」

 

 一週間近くモーニングティーを嗜んでいるためか、茶葉の名称まで当てられるようになってしまった。紅茶を飲み終えてから大きく息をついてから立ち上がる。

 

「うじうじ言うてても始まらんし、着替えてガッコいこか」

 

 呟きつつ箪笥から通学用の着物を取り出して袖を通す。しかし、そこでふと未織はあることを思いついた。その表情たるや、悪戯を思いついた悪ガキのようだ。

 

「ええこと考えた~、ニヒヒ」

 

 そして彼女はスマホを取り出してあるところに電話した。

 

 

 

 

 

 

 朝食を終えた未織を車で高校に送り届けている凛は、後部座席でニヨニヨと笑みを浮かべている未織が気がかりだった。

 

 ……またなんか悪巧みをしてそうな予感が。

 

 などと思いながらも口には出さずに車を走らせていると、思ったよりも早く勾田高校の駐車場に到着してしまった。凛はいつものように自身が先に下りてから後部座席のドアをあけて未織を下ろすと、彼女に小さな包みを持たせる。

 

「これは?」

 

「お弁当です。お昼はこれないので。お迎えは何時にいたしましょう」

 

「迎え? あぁええよ、どうせ今日は一緒に帰ることになるんやし」

 

「ヘ?」

 

 それに疑問を抱いていると、未織が悪戯っぽさたっぷりの笑顔で笑いかけてきた。そして次の瞬間、凛は彼女の口から予想だにしない言葉を聴かされることとなる。

 

「今週一週間のうち四日は、凛もこの学校の生徒になるんやし」

 

「なん……だと……!?」

 

 思わず驚きが言葉に出てしまった。いつぞやの焔のようだ。

 

「マジで言ってます?」

 

「うん。あぁでも家の掃除とかの事は心配せんでええよ。ちゃんと学校に行かない日も設けてあるし」

 

 そういう問題ではないのだが。凛は今年で二十歳になる。それなのに高校生、しかも十六歳の高校一年生と学ぶなどなかなかのハードルの高さである。これが高校三年生くらいだったらまだ良かったのだが。

 

「……因みにクラスは」

 

「ウチと同じ。ほんなら行くでー」

 

「ちょ、お嬢様!?」

 

 説明も適当に、未織はこちらの手を引いて校舎へと入っていってしまう。

 

 結果、凛はそのまま逃れることが出来ずに、執事服のまま大勢の生徒の目に晒されることとなってしまった。

 

 後から聞いた話では、未織が理事長を脅したとか脅していないとか、そんな方法で無理やりに凛を通わせることにしたらしい。なんともやりたい放題なお嬢様である。




はい、今回は琉璃さんとレオさんでましたね。

彼女たちが出てくるのは次か、次の次の話ですね。第二回目のパーティ回です。ここでは多少なり戦闘じみたことができれば良いと思っています。

そして未織お嬢様のわがままスキル!
凛を学校に通わせるという暴挙!
まぁ彼女ならできるでしょうw金持ちのお嬢様ですしおすし。

そしてなんともぽっと出で思いついてしまったアカメのクロスがお一つw
アカメの世界に「直死の魔眼」を持った能力者ぶち込んだらおもしろいんじゃなぁい?w
または式か志貴をぶち込むとかさぁw
まぁ書かないんですけど。

では感想などありましたらよろしくお願いしますです。


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執事編 第四話

 勾田高校の教室は妙な空間と化していた。皆ある一点を見つめているのだ。そのある一点とは、教室の窓際から二列目の一番後ろの席だ。

 

 男子生徒は奇異と疑問の視線を。女子生徒は好奇と羨望の眼差しを送っている。

 

 彼等は声には出さないものの思っていた。全員が唯一つのことを。

 

 ……執事がいるッ!!

 

 そう、彼等の視線の先には生徒会長の司馬未織と、彼女の隣の席に悠然と構える黒服の執事の姿があった。彼はまったく動くことはせず、ただ静かに瞳を閉じているだけだった。

 

 

 

 

 

 ……やっぱりかなり見られてる。

 

 瞳を閉じて動揺していないそぶりを見せている凛はかなりの数の生徒からの視線をヒシヒシと感じていた。廊下を歩いていた時もそうだが、教室に入ってからはもっと視線が増えた。廊下のほうでも騒ぎ声が聞こえるので上級生も見に来ているのだろう。

 

「……お嬢様、やはり少々無理があったのでは」

 

 隣に座る未織だけに聞こえるように小さく言ってみるが、彼女は軽く鼻を鳴らした。

 

「そないなことあらへんよ。皆面白がって見とるだけやし、ビクつくことあらへん」

 

「いえ、僕が言っているのはそうではなくてですね」

 

 言ってみたものの、実際のところ未織に効果はないだろう。

 

 結局何度か説得してみたものの最終的には「平気やろー」だけで全てあしらわれてしまった。

 

 やがてホームルームの時間を告げる予鈴が鳴り、廊下にいた生徒は全てはけた様だが、未だに教室内では数人の生徒がこちらに視線を向けているのが感じられる。しかしそれも担任の教師が来てからはなくなった。

 

 視線がなくなったのを気に、凛はまぶたを開けて教壇を見ると、二十代後半と思しき女性教諭が出席簿を広げていたところだった。

 

「はい、皆おはよう。えーっと……既に知っているかと思うけど、司馬さんの執事さんが今日から数日間皆さんとともに勉強することになっているの。では、執事さん。皆に自己紹介してもらってもよろしいですか?」

 

「……はい」

 

 若干迷いながらも立ち上がり、凛は一度教室を見回す。皆一様に興味の視線をこちらに送ってくるが、男子生徒から若干の殺意が伝わってくるのはなぜだろう。

 

「司馬未織様の下で執事として仕えている、断風凛と申します。数日間だけですが、皆さんよろしくお願いします」

 

「ありがとうございました。あ、私の名前も教えておきますね。このクラスの担任の天木悠です。それじゃあ、断風さんに質問がある人は休み時間にね。それじゃあ今日は半日がんばっていこう!」

 

 彼女の一言で締めくくられたホームルームだが、天木教諭教室からいなくなった瞬間に、女子生徒が凛に詰め寄った。同時に男子生徒からの殺気が強くなる。

 

 その後、一限目の授業が終わるまで質問攻めにされた。まるで転校してきた生徒のようである。

 

 そして昼。普通であればあと二限ほど授業があるはずだが、今日は夏休みが終わって初日ということで午前で授業が終了となっている。

 

 未織には弁当を渡してあるので問題ないのだが、凛は自身の分を用意していないので、半日でも品物を置いてくれている購買に走ることとなった。

 

 そのため現在、絶賛購買に向けて疾走中である。割と本気で走っているためか、周りからの注目を集めてしまうが、空腹は良くないので走り抜けるしかない。

 

 廊下を全力で駆け抜け、階段を一番上の段から踊り場まで飛び降り、凛は購買に到着できた。幸いまだ生徒でごった返すような事態にはなっていない。そのまま適当にパンを購入し、自販機でペットボトルのお茶を買った後教室に戻るが、道中、帰りがけの生徒の視線に晒された。

 

 同時にヒソヒソという話し声も聞こえる。

 

「え、なんで執事?」

 

「アレでしょ。確か生徒会長の」

 

「あぁ、司馬さんの家の人なんだ。でもなんでいるの?」

 

「やっぱりお嬢様のやることは違うわねぇ」

 

「黒い執事……『あくまで執事ですから』とか言って欲しい、ハァハァ」

 

 声からして女の子だろうが、最後の方はあまり聞きたくはない空気であった。その声に混じって男子生徒の声も聞こえる。

 

「イケメンなら執事とか」

 

「ざけんな、死ね」

 

「四六時中あの会長と一緒とかマジゆるせねぇ」

 

「所詮この世は世知辛いものだぜ」

 

「つーかお前等皆涙拭けよ」

 

 なんとも言いがたい声が聞こえたが、それにはまったく顔を崩さず、凛は教室への歩みを進める。やがて教室にたどり着いたところで、聞き覚えのある声が聞こえた。

 

「いきなりなんだよ未織。今日はこれで終わりなんだからさっさと帰りたかったんだが」

 

「んー? いやいやもうちょい待ってなって里見ちゃーん。そろそろ帰ってくる頃やと思うし」

 

 楽しげな未織の声と、最初の声の主は蓮太郎だろう。話の内容からして未織が呼び出したようだ。まったく本当にやりたいほうだいなお嬢様である。

 

 やれやれと彼女の反応に嘆息しつつ、凛は教室に入る。すると、未織が蓮太郎にこちらを見るように促したようで、彼は振り向き、一気に表情を驚愕に染める。

 

「凛さんッ!? 何やってんだこんなところで、しかもそんな格好で!!」

 

「話せば長いことながら」

 

 驚愕する蓮太郎に対し凛は伏せ目がちに答えるが、未織が小さく笑いながら説明する。

 

「凛には今私の執事やってもらっとるんよ。二週間限定でなぁ」

 

「いや執事はまだわかるけどよ、なんで学校にいんだよ」

 

「アレよ、なんかウチだけ学校にくるの癪だったし」

 

「だからって巻き込むなよ……やってる手法、俺の時と大して差がないぞ」

 

 呆れ気味に言う蓮太郎だが、未織は気にかけた様子もない。その様子小さく溜息をついた蓮太郎はこちらに小さく言ってきた。

 

「未織の執事とか色々大変だと思うけど、がんばってな」

 

「ありがとう。けど、はじまっちゃったものはしょうがないから最後までやるよ」

 

 肩を竦めつつ答えると、彼は頷いて答えて告げてきた。

 

「そんじゃ俺はもう帰るぞ。さっき延珠から電話がかかって『青空教室に来るのだ!』って騒いでたからな」

 

「外周区の子達に勉強教えてあげるんだっけ?」

 

「ああ。妙に懐かれちまってな。そんじゃあな二人とも」

 

 蓮太郎はそれだけ告げると踵を返してヒラヒラと手を振りながら教室を出て行った。彼の姿がなくなると、未織は息をついたあと凛が作った弁当を広げた。

 

「そんならウチらもささっとお昼平らげてしまおか」

 

「今日は確か生徒会のお仕事でしたね」

 

「うん。二学期やから文化祭やらいろいろあるからなぁ。他の役員の子も残るから、凛は紅茶とか淹れてくれるか?」

 

「かしこまりました」

 

 胸に手を当てて腰を曲げた凛に未織は頷く。

 

 そして凛と未織はそれぞれ昼食を平らげ、生徒会の仕事に向かった。全ての仕事が終了したのは午後三時頃だった。

 

 

 

 

 

 

 

「……地味に疲れた」

 

 自室のベッドの上に寝転がった凛は大きなため息をつく。

 

 時刻は午後八時。未織の夕食も終わり、暇な時間である。いつも通りであればこのまま軽く夕食をとって睡眠をに入るのだが、それを防ぐかのようにスマホに連絡が入った。画面を見てみると未織からだ。

 

「はい、なんでしょうかお嬢様」

 

『ちょっと来てくれるかー?』

 

「承知しました」

 

 短い会話の後に凛はベッドから立ち上がり、身だしなみをそろえると未織の部屋に向かった。

 

 未織の部屋に到着すると未織は寝間着姿でベッドの上に寝転がっていた。

 

「お嬢様、用事とは?」

 

「格ゲーで対戦しよーや」

 

「……摩那から聞きましたか」

 

「もち。いやーまさか凛が格ゲーマニアやったとはなぁ、以外にバトルジャンキー?」

 

 悪戯っぽい笑みを見せながら言う彼女に対し、凛はクスリと笑う。

 

「バトルジャンキーと言うほどではないですが、学生時代は幼馴染とゲームセンターを巡っては記録を塗り替えるようなことはしていましたね。まぁ僕の場合はついて行った結果それなりに実力が付いてしまったというだけですが」

 

「うわーお、なかなかにヘヴィなことやっとるなぁ。でも民警と両立とか大変やったんやない?」

 

「四年前は……数ヶ月の間民警として働いていない時期もありましたからね。結構塞ぎこんでもいましたから、幼馴染が他のことも考えろってことで連れ出されてたんです」

 

「へぇ、ええ幼馴染さんやなぁ。さて、思い出話はそんくらいにしてはじめよか。一応いろいろそろっとるけど、やっぱB○AZBL○E? あとはメ○ブラ、UNDE○ NI○HT IN-B○RTH、アル○ナハー○もあるけど?」

 

「普通にB○AZBL○Eでいいのでは?」

 

 提案すると、未織は小さく頷いてディスクをセットする。しかしそこで思い至ったのか、指を立てて問うてきた。

 

「コントローラーはアケコン? それとも普通の?」

 

「あるのならばアケコンで」

 

「はいなー。ウチも久しぶりやからなぁ、凛は何使うん?」

 

「基本的にはハ○マとテ○ミですね。あとはハク○ンも使いますし、あぁカ○ラもたまに使いますね」

 

「……なんか前半二人が凄まじいほど凛のイメージにあってへんけど、まぁええか。ウチはノ○ルにニ○ーにコ○ノエ、レ○チェルあたりかなぁ」

 

「女性キャラメインですね。ラ○チ先生やマ○トは使わないので?」

 

 問いを投げかけてみると、未織の眉間に皺がより、額には血管が浮き出た。なにやら地雷を踏んでしまったようである。

 

「巨乳は敵や」

 

「あぁなるほど……」

 

 ついつい納得してしまったが、予想はついていた。木更や琉璃ともめている時も大概が胸のネタだからだ。そんなに胸とは大切なものなのだろうか。確かに男性の魅了するためのものとしてはそうかもしれないが、木更ほど大きかったら動きづらそうなものだ。

 

 蓮太郎も木更のことを好いているのは何も胸ばかりではないだろう。もし彼が木更の胸だけが好きなどとほざけば、凛が彼に対して『O☆HA☆NA☆SHI』することは辞さないのだが。などと考え込んでいると、未織が小突いてきた。どうやら準備が出来たようだ。

 

 例によってハ○マを選択すると、未織がスタートボタンを押し対戦がスタートした。

 

「手加減はせぇへんよ」

 

「こちらも全力で行かせてもらいます」

 

 言うと同時に対戦が始まり、二人はゲームを始めた。

 

 

 

 

 

 二時間後。未織はその場にガクリと両手を突いた。

 

 そして彼女の隣には、髪をかき上げてなおかつ燕尾服を脱ぎ捨てた状態の凛が悠然と構えていた。その瞳はどこか嗜虐的な光りを見せている。

 

 結果として未織は凛に一勝しかすることが出来なかった。その強さは確かに紛れもないもので、コンボの繋げ方にもまったくのむらがなかった。まさしくゲーマーのそれだ。

 

「つ、強すぎやろ……」

 

「まぁがんばって鍛えましたからねぇ。ですが、お嬢様も強かったです」

 

 呟きに大して微笑を浮かべながら答えた凛だが、未織にとってはその笑みがゲーム内で煽りまくってくるハザ○や○ルミのそれに見えてならなかった。

 

「なんかムカつくからまだまだやるんじゃー!!」

 

「流石にもうお休みなったほうがよろしいのでは」

 

「うっさい! ホラさっさとキャラ選んで始めるで! 私が一勝するまで寝かせへん!!」

 

「明日がキツイですよ?」

 

「うっさいわボケェ!!」

 

 いつもの和やかな雰囲気はどこえやら。未織は完全に凛に対して敵意をむき出しにしていた。まぁ子供が癇癪を起している様なものなのだが。その辺りはまだまだお子様と言ったところだ。

 

「ではお嬢様が満足するまでお付き合いしましょう。それが執事としての勤めでもありますから」

 

 やれやれと溜息をつきつつ、再度凛はコントローラーに手をかけた。

 

 それから数時間、対戦は続いたものの、結局勝負は未織の寝落ちという形で終わってしまった。

 

 翌日、凛は何食わぬ顔で起きることができたものの、未織がぬぼーっとした様子でいたのは言うまでもない。しかも凛の場合、今日は学校がなく家事などだけだったので余計に彼女の神経を逆撫でしてしまい、学校に送っていった時去り際に「今日もやるで!」と言われたのだった。

 

 

 

 

 

 

 その日の夕刻。

 

 司馬重工のVRトレーニングルームには摩那の姿があった。

 

『あーあー、摩那ちゃん聞こえるー?』

 

 ヘッドセットから聞こえてくるのは未織の声だ。摩那はそれに「うん」とだけ答える。

 

『ほんなら今から摩那ちゃんの新武装の試験運用を行うけど、準備はいいかえ?』

 

「ダイジョーブ。いつでも始められるよ」

 

 そういう摩那の腕には漆黒のガントレットクロー。そして足には腕と同じ漆黒のグリーブクローが装着されていた。

 

 ……若干重さはあるけど、まぁこれぐらいなら。

 

 内心で思いながら摩那は大きく息をつく。すると、それに答えるように風景が一変し、外周区のような風景に切り替わった。そして廃ビルの隙間からはこちらを見据えるバーチャルガストレアの影が。

 

『エリアないに配置したガストレアの数は合計で十体。いずれもスピードタイプを元にしとるから一筋縄ではいかへんでー』

 

「上等! それじゃあ、行くよッ!!」

 

 言うと同時に摩那の瞳が赤熱。そして彼女はスパイクのようなグリーヴで地面を蹴って加速。さらに、加速するために地面を蹴るがふとそこで摩那はあることに気が付いた。

 

「これ、結構蹴りやすい」

 

 そう、スパイクの役割を果たしているグリーヴは的確に地面を捉えているので、今までのシューズよりも格段に加速しやすいのだ。

 

 初動は確かに今までと比べると僅かに遅い。けれど、その後の加速は今までの比ではない。まさしくチーターの疾走のごときダッシュは、幻紅と呼ぶにふさわしいだろう。

 

 そして彼女は速さを保ったまま最初のガストレアに肉薄すると、ガストレアの顔を腕をクロスさせる形で吹き飛ばす。

 

 そこからは一方的なまでの蹂躙が始まった。ガストレアも摩那のスピードについて行こうとしたものの、彼女の俊敏な動きについていくことが出来ず、ある個体は顎から吹き飛ばされ、ある個体は脳髄を引き抜かれ、またある個体は身体を丸ごと引き裂かれた。

 

 

 

 

 摩那の新装備のためと彼女を呼び出した未織だが、目の前で起こった光景に驚きを隠せないでいた。

 

「いやー……摩那ちゃんの戦いかたってなかなか豪快やなぁ。延珠ちゃんのは前に一回見たことあるけど、まさかここまでとは……」

 

「実際のところ摩那は結構僕と似ているところがあるからね。一度戦いを始めると絶対に手は抜かないし」

 

 そう言う凛は敬語ではなく普通の口調だったが、それは今が執事の時間ではないからだろう。

 

「確かになぁ。でもあの装備、なかなかあっとるみたいやね」

 

「うん。あの速さは多分今まで以上だね。でもあれに決めるかどうかは摩那自身が決めることだから、なんともいえないけどね」

 

「せやね。せやけど、ウチの見立てでは摩那ちゃんは絶対にアレにすると思うなぁ」

 

 にやりと笑う未織はもう一度トレーニングルームの様子を見る。そこには既にガストレアを倒しきり、清清しい顔をした摩那が佇んでいた。

 

 結果、摩那は新武装を気に入ったようでトレーニングが終わった後、未織に作ってくれるように頼んできた。未織はそれを了承し、完成品を作るということで話は落ち着いた。

 

 

 

 

 夜になり、凛はまたしても未織の部屋に呼び出されていた。

 

「やっぱりまたやります?」

 

「当たり前やん、今日約束したんやし」

 

 未織はニコニコ顔で言ってくるが、凛は微妙な表情だった。しかし、結局有無を言わさず始められた対戦はまたしても深夜にまで及んだ。

 

 そして凛は思った。

 

 ……この対戦、多分執事期間中ずっと続くんだろうなぁ。

 

 と。




今回はいつもより短い日常回って感じですかね。

次は第二パーティ回でそれなりに事件を起します。
もうちょっと学校での凛の姿を描いても良かったのですが、それはもう少し先ですかね。

この執事編はあと三話か四話ほどで終わりにしたいと思っています。
いつまでも長々やってもしょうがないですしw
近いうちに活動報告でアンケート的なものを実施したいと思っています。

今のところ内容として考えているのは……
その一、零子さんの過去編。
その二、杏夏と凛の初任務編。
その三、まったく別のオリジナル編。
その四、零子さんの死闘編。
こんな感じでしょうか。

活動報告でアンケートを実施するので、ぜひぜひ参加して下さると幸いです。

では今回は駄文でしたが、これにて。
感想などありましたらよろしくお願いいたします。


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執事編 第五話

 前回のパーティより数日、第二回目のパーティ会場に宝城グループの令嬢、宝城琉璃は執事である風間レオの姿があった。しかしまだ、彼女の宿敵である未織の姿はない。

 

「ふむ……今日はわたくしの方が早く到着したようですわね」

 

 自慢げな彼女だが、その近くにいたレオは苦い表情をしている。それもそのはず、今はパーティが始まる一時間も前だ。こんなに早く来るものはそうはいないだろう。

 

 だが、琉璃がこんな時間に来たのは未織に突っかかるためだろう。

 

「今日こそあの女狐に目に物見せてやりますわ」

 

「なるべく喧嘩はしないようにしてください」

 

「わかっていますわ。というか、喧嘩に発展しそうになったらまた貴方とあちらの断風が止めに入るでしょう?」

 

 琉璃の言葉にレオが頷いて答えたので、琉璃は「なら安心ですわ」と笑みを浮かべた。実際何が安心なのかさっぱりわからないが。

 

 そしてそのまま四十分近くが経過し、会場にも多くの人がやってきてにぎわいを見せ始めた。琉璃もそれらの人の全てに挨拶をしていたが、めあての人物はいまだに姿を見せない。

 

「……遅い。……本当に遅いですわッ! 何をやっているんですのあの女!」

 

「まぁ司馬様にもご都合がありますし……」

 

「このわたくしが待っているんですのよ!? だったらもっと早く来るのが常識でしょう!」

 

「いえ、お嬢様。さすがにそれは自己中です」

 

 軽く突っ込みをいれられた琉璃だが、そんなこと耳に入っていないのか、彼女は立ち上がってズンズンと出口のほうに向かった。

 

「お嬢様、どちらへ?」

 

「お手洗いですわ」

 

 それだけ告げた琉璃はお手洗いに向かったが、彼女は気に食わなさそうに歯噛みしていた。

 

 

 

 ようをたした後手を洗い、それなりに化粧を整えた琉璃はトイレから出ようとした。しかし、そこで可愛らしいドレスを着た少女が立ちはだかった。

 

「宝城琉璃さん、ですね?」

 

「? えぇ、そうですけど……貴方は?」

 

 最初はパーティに参加している者の子供かと思ったが、次の瞬間、少女はこちらに殴りかかってきた。その跳躍は明らかに人間のそれではない。

 

 そして琉璃は目撃した。少女の瞳が赤く染まっていることを。

 

 ……まさか、『呪われた子供たち』!?

 

 思ったと同時に彼女は反応し、拳が叩き込まれる寸前で避けきった。琉璃が避けたところで少女の拳は壁にめり込み、蜘蛛の巣状にひびが入った。

 

 内心でゾッとしながらも懐から愛銃を取り出して少女に向ける琉璃だが、瞬間、首筋に鋭い痛みが走った。

 

「かッ!?」

 

 息が詰まるような声が漏れ、同時に意識が薄れていくのを感じた。かすれてゆく意識の中で、琉璃は直感で首筋に手刀を当てられたのだとわかった。

 

 そして最後に耳にしたのは随分と陽気な声と、残忍さを思わせるギラリと光る鮫歯だった。

 

「おやすみ、お姫様♪」

 

 声を聞いた瞬間、琉璃の意識は完全に途絶えた。

 

 

 

 

 

 目の前に横たわる琉璃を見下ろしながらホテルの女性用従業員の制服を着た人物は大きなため息をついた。

 

「ヤレヤレ、アタシって女を襲う趣味はないんだけどねぇ。出来るならイイ男の方が――」

 

「馬鹿なこと言ってないでさっさとしてください。その女性の従者が来ると面倒です」

 

「んもう、少しは聞いてくれたっていいんじゃなァい? アタシ傷ついちゃうワ」

 

 身体をくねらせながらドレスを着た少女に言うと、少女はまるでゴミを見るかのような目でこちらを見てきた。

 

「あーハイハイ、わかってるわよ。そんなに睨まないでもいいじゃないの。でもまぁアンタにそういう風に睨まれるのも興奮するというか……」

 

「オカマでロリコンとか救いようがありませんね。百回ぐらい地獄に堕ちて下さい」

 

「アァ! イイ! イイわァ! アンタのそのなじり方ゾクゾクしちゃうッ!」

 

「……失礼しました。もう一つ入れておくのを忘れていました、オカマでロリコンでドMの変態でしたね。カオルさん」

 

 あきれ返った様子で言う少女に対し、カオルと呼ばれた女装をした細身の男性は小さくため息をついてから頷くと、用意していたと思われる清掃員の制服に着替え、その間に少女の方はこちらも準備していたと思われる清掃員がゴミを集めるために使うカートを取り出し、琉璃をその中に入れた。

 

「さぁて、そんじゃあさっさととんずらして身代金でもサクッと頂いちゃおうかしら。ねぇ、リア♪」

 

 少女が頷いたのを確認すると、カオルはそのまま女子トイレから脱し、何事もなくホテルの地下駐車場に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 ちょうどその頃、ホテルの一階に到着した凛は前を行く未織に対して溜息をついていた。

 

「お嬢様……格ゲーに熱中しすぎでパーティの時間に遅れそうになるのはいかがなものかと……」

 

「えー凛がもっと早く言ってくれれば切り上げたで?」

 

「僕何回も言いましたよねッ!? 『遅れますよ』って何度も言ったけどお嬢さまが勝手に『まだまだやー!』とか言ってたんでしょうが!」

 

「チッ……バレたか」

 

 何がバレたのかわからないが、凛はもういちど嘆息する。すると、彼等の目前を清掃員が深く帽子を被り、軽く頭を下げながら通り過ぎていった。未織がそれに小首をかしげる。

 

「なんやアレ、随分と急いどるなぁ」

 

「まぁ清掃員というのも大変なんでしょう。そんなことよりもお嬢様、早くしないと本当に遅れます」

 

「はいはい、まったく凛は細かすぎやでー」

 

「司馬家の執事を任された以上、本気でやらせていただきます」

 

 未織の言葉にきっぱりと答えてエレベーターに乗り込み、彼等はパーティ会場のあるフロアへ上がる。

 

「にしても、今日のパーティとか本当はウチでなくてもええんやけどなぁ」

 

「そうなのですか?」

 

「今日はただのお話し合いみたいなもんやし、ウチがいなくても琉璃一人でどうにでもなったと思うんよ」

 

 肩を竦めながら言っているものの、凛は何かが引っかかったのか彼女に問うた。

 

「本音は?」

 

「めんどくさい」

 

「でしょうね」

 

「だって明日ウチ学校やで!? この気持ちわかる!?」

 

「まぁわかりますけどね……それでも兵器開発会社の重鎮の司馬重工のお嬢様が出なくてどうします」

 

「ぐぬぬ……」

 

 正論を言われてしまい未織は悔しそうにしていたが、そうこうしているうちにパーティ会場があるフロアに到着した。エレベーターのドアが開いて未織は渋々降り、凛もそれに続く。

 

 しかし、そこで二人は妙な人だかりが出来ているのを見つけた。

 

「なんやアレ?」

 

「女子トイレの用ですが……なにかあったようですね」

 

 疑念を抱きつつも二人がそちらに向かって、未織が適当な人物に声をかけた。

 

「なんかあったん?」

 

「こ、これは未織様! いえ、それがですね……宝城琉璃様が誘拐されてしまったようなのです」

 

 その言葉に未織の表情が一瞬固まったが、すぐさま彼女は驚愕の声を漏らす。

 

「ハァ!? 琉璃が誘拐ってなんやねんそれっ!?」

 

 今にも問うた人物につかみかかりそうな剣幕で未織が詰め寄ったが、そこでトイレの入り口から一人の男性が飛び出してきた。

 

 琉璃の執事である風間レオだ。彼はすぐにこちらを発見すると神妙な面持ちで告げてきた。

 

「司馬様……この方が言ったのは本当です。これを」

 

 彼が未織に私たのはドラマや映画でよく目撃するいかにもな脅迫文だった。

 

「えっと……『宝城琉璃は預かった。返してほしくば、二時間以内に三億を用意して建設中の勾田麗鵬ビルに来い♥』……って三億の前にハートってなんやねん! なめとんのか!」

 

 ペシッ! と大理石のフロアに脅迫文を叩きつけた彼女に凛は問う。

 

「いかが致しますか?」

 

「決まっとる。凛、主の命令や、今すぐにレオと協力して琉璃を奪還せえ」

 

 告げられ、凛はその場に肩膝をつき胸に手を当ててから彼女に頭を垂れる。

 

御意(イエス)ご主人様(マイロード)

 

 するとその光景を見ていたレオが不思議そうに問うてきた。

 

「ま、待ってください! 司馬様とお嬢様は仲が悪いはず! なのに、なぜ助けようなどと!?」

 

 レオの問いももっともだろう。しかし、未織は小さく息をつくと彼に言い切る。

 

「レオ、ウチは確かに琉璃のことは嫌いや。でもな、もしこのまま琉璃に消えられると、兵器系の話で張り合うヤツがおらへんようになってまう。そんなん暇やん。せやから助ける。琉璃とはまだまだやり合っていたいからなぁ」

 

 薄い笑みを浮かべて言う未織に対し、レオはハッとしたあと彼女に対し深く頭を下げた。

 

「ありがとうございます、司馬様……!」

 

「ええよ。ほんなら二人とも、全力で琉璃を救出するんや!」

 

 その言葉に頷くと、凛とレオは琉璃を救出するために麗鵬ビルへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 麗宝ビルに向かう車内の中で凛とレオは状況を整理していた。

 

「なるほど、宝城様がお手洗いに行っているうちにさらわれたと……」

 

「ああ。オレがついていながらなんてザマだ……!」

 

 レオは悔しそうに拳を握り締めていたが、凛はさらに問いを投げかけた。

 

「ところで、トイレには何か手がかりのようなものはありましたか?」

 

「手がかり? ……そうだ、壁に何者かによって殴られたような痕跡があった。あとはホテルの従業員の制服程度だ」

 

「殴られた痕跡……大きさは?」

 

「中心は小さかったが、ひびはかなりのものだった。それが手がかりになるのか?」

 

 問いに対し、凛は小さく頷いた。そして赤信号で停車しながら彼はレオに告げた。

 

「恐らくですが、敵は複数。その中には『呪われた子供たち』がいます」

 

「なっ!? だが、そうか……中心が妙に小さかったのは子供の手だったからか」

 

「ええ。しかもあのホテルの壁を破壊したとなると、パワー系だとは思います。宝城様は殴られてはいないでしょうが、それでもかなり力をセーブした方でしょう」

 

 凛の言葉にレオがゴクリと生唾を飲み込んだ音が聞こえた。そして車が再発進したところでレオが問う。

 

「もし、相手側の呪われた子供たちに殴られたらどうなる?」

 

「本気であれば即死は免れないでしょう。まぁ打ち所もあると思いますが、腹部に直撃すれば内臓破裂。頭に叩き込まれれば頭がはじけ飛ぶかもしれませんね。レオさんは呪われた子供たちの相手は初めてですか?」

 

「ああ。不甲斐無いがな……」

 

「いえ、それも無理はないと思います。基本彼女たちと戦うのは民警でも避けますから。まぁ僕の友人には勝利した人物もいますけど。

 では一応、分担を決めておきましょう。僕が子供の相手をしますから、レオさんはそのほかの相手をお願いします」

 

「承知した。しかし、断風。お前一人で大丈夫なのか?」

 

 レオが心配そうに問うてきたが、凛は小さく笑みを浮かべると頷く。

 

「一応は大丈夫だと思います。僕も過去に何度か相手をしてますから何とかなるでしょう」

 

「そうか……本当にすまない。オレがもっとしっかりしていればこんなことにはならなかった」

 

「今は気にしてもしょうがないです。ほら、もう着きますよ」

 

 凛が指差す先には建設途中で鉄骨がむき出しになった状態の麗鵬ビルが闇夜にそびえたっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 琉璃は頬に吹き付ける冷たい風によって目を覚ました。

 

 少々首筋が痛んだが、それを気にせずに軽く頭を振って意識をハッキリさせ、身体を起そうとしたが背中に当たる冷たい感触と、腕に巻きつく縄の感覚で自分が鉄骨に縛り付けられているのだと理解が出来た。

 

 仕方がないので周囲を見回すことで状況を確認すると、どうやらここは建設途中のビルのようだ。

 

「ここは……」

 

「お目覚めかしらァ? もうちょっとばかし眠ってるもんだと思っていたけれど……存外丈夫にできてんのねェ」

 

 声のする方に視線を向けると、そこには赤いコートに身を包み、真っ赤な髪の男がいた。しかし、顔は化粧をしているせいなのかわからないが、妙に女のような顔立ちだ。

 

「アナタは?」

 

「あぁ自己紹介がまだだったわねぇ。アタシは郷九薫(さとくかおる)。呼ぶときはカオル、カオルちゃん、カオルさん。あぁあとはカオル様でも可」

 

 身体をくねらせて言う彼に琉璃は嫌悪感たっぷりな眼差しを送る。すると彼もそれに気が付いたのか、琉璃の頬に指を食い込ませた。

 

「なぁにアンタみたいな雌豚がアタシにそんな視線向けてんのよ。さっきは形式的にお姫様って言ってあげたけど、次そんな顔したらただじゃ置かないわヨ」

 

「他人に自分の価値観を押し付けるのは良くないと思いますよ、カオルさん」

 

 その声が聞こえると同時に薫は手を離して肩をすくめた。

 

「冗談よ冗談。これぐらいいいでショ? リア」

 

 薫の視線の先にはハードカバーの本を懐中電灯を当てて読んでいた少女の姿があった。

 

「アナタはさっきの!」

 

「どうも、リアと言います。以後お見知りおきを」

 

 ペコリと頭を下げた彼女は薫と比べるとかなり礼儀正しかった。しかし、それがどこか恐ろしかった。

 

「その変態のことは気にしないでください。如何せん男にしか興味のないゲイなので」

 

「ちょっとリア! 男にしか興味がないってアタシが男ならなんでもいいって言ってるみたいじゃない! 訂正なさいヨ!」

 

「チッ……失礼しました。イケメンの男にしか興味がない変態ですので、女性から変な風に見られると、キレます。だからなるべく見ない方がいいですよ」

 

 リアが若干貶し気味でいうが、薫は大して気にもかけていない。というか、若干興奮した様子でいるのは、やはり変態なのだろうか。

 

「……アナタ達の狙いはなんですの?」

 

「狙い? それは金よ。アンタみたいな令嬢をさらえばかなりの金額がもらえるでショ? だから誘拐したの。安心しなさいよ、別に殺しはしないから」

 

 鮫のようにとがった歯をぎらつかせながら言う彼の言葉は信じられるものではなかったが、声には殺意は孕まれていなかった。

 

 すると、そこで本からパソコンに目を落としたリアが告げた。

 

「カオルさん。一階に二人の男が入ってきました」

 

「アラ、早いわねェ。もう金が準備できたのかしらァ?」

 

「さぁ? でも、どうしますか?」

 

「もちろん、下に行くに決まってるでショ。それじゃあね、お姫様。できればそこでおとなしくしてなさいよ」

 

 薫とリアはそのまま階段を使って降りていったが、琉璃は離れたところにあるパソコンのモニターを見て笑みを浮かべた。

 

「そちらも、わたくしに手を出すならもうちょっと下調べをしたほうが懸命ですわね」

 

 

 

 

 

 

 

 麗鵬ビルの一階にたどり着いた凛とレオはそれぞれ互いの獲物に手をかけていた。

 

 凛の手には大型のナイフが二本。レオはマグナム拳銃を持っている。

 

 コツコツと二人の歩く音だけが響くが、そこで二人に照明が照らされた。同時に、甲高い声が前方のエスカレーターの上から聞こえる。

 

「ようこそ、いらっしゃいました。お二方、さぁて……金は準備できたのかしらぁん?」

 

「金など用意していない! さっさとお嬢様を返してもらうぞ!」

 

「あら残念。お金がないんじゃあお嬢様は返せないわねェ」

 

 こちらをあざ笑うかのような声にレオが苛立ちを露にするが、そこで声の主と少女が現れた。

 

「でもまぁ、アンタ達戦う気満々みたいだから……少し戦ってあげるわ」

 

 声の主は奇抜な格好をしたオカマだった。顔だけ見れば女のようなのだが、体つきは男っぽさが残っている。

 

 彼の手には二丁の拳銃が握られており、少女はメリケンサックをつけている。

 

 すると、男の方はこちらをそれぞれ吟味するように舌なめずりをしながら見てくる。その際に鮫の歯のようなギザギザした歯が覗く。

 

 彼はレオを見たあと興が削がれたように「ヤレヤレ」とかぶりを振るが、凛を見た瞬間、瞳をくわっと見開いた。そして彼はしばらくワナワナとしたあと、万歳するように手を高く掲げる。

 

「イイ男キターーーーーーーーーーーーッ!!!!」

 

 大絶叫に少女の方はいやそうな顔をしながら耳を塞いでいたが、凛とレオは怪訝な表情をする。すると彼は凛を指差して問うてきた。

 

「そこのアンタ! 名前は!?」

 

「僕ですか? 凛といいます。断風凛です」

 

「リン……あぁ、なんて甘美な響きなのかしらッ! いいわ、アンタ実にイイ! 決めた、戦いが終わったらアタシがいろいろしてア・ゲ・ル♥」

 

 言いながら彼は投げキッスをしてきたが、凛はそれを無表情のまま迫っていたであろう『♥』をはたき落とした。

 

「アァン! そんな冷たいところもス・テ・キッ!! 胸がキュンキュンしちゃうッ!!」

 

 身体を捩らせ、頬を僅かに上気させる彼は男であるにも関わらず妙な色気があった。しかし、凛はそれを見ながらレオにただ一言。

 

「レオさん、僕ああいう人苦手なんで、やっぱり分担はさっきの通りでお願いします」

 

「……心得た」

 

 レオも嫌な表情をしていたが、それはそれで仕方がないだろう。というか、彼のパートナーである少女のほうでさえ嫌そうな表情をしているのだから、目の前の彼は相当気持ち悪いのだ。

 

 すると、ひとしきり悶え終えた彼とパートナーである少女はこちらを見やりながら自己紹介を始めた。

 

「アタシは郷九薫。よろしくネ、リンちゃん」

 

「リアといいます。よろしくどうぞ。あと、この変態をみて気持ち悪く思うことは至って正常なので大丈夫です」

 

「んもう、リア。もう少しフォロー的なやつ入れなさいヨ!」

 

「え? アナタにフォローを入れる余地なんてありましたっけ?」

 

 協調性があるのかないのか良くわからない二人の掛け合いに怪訝な表情をしつつも、凛とレオはそれぞれ戦闘態勢に入る。

 

 それに気が付いたのか、薫とリアも構えを取った。

 

「それじゃア、ヤりましょうかァ!!」




はい、大分空けてしまいました申し訳ない。

今回は琉璃さんが誘拐されました、オカマに。オカマに。
大事なことなので2回言いました。

まぁ元ネタは言わなくても皆様理解してくださるでしょう。
例のアイツです。CVは福○潤さんで再生どうぞ。
ちなみにリアも元ネタはアッチから引っ張ってきました。

凛の苦手なもの……それはオカマだったのだ……。

次回は決着つけて、執事編も終了です。
皆様このような駄文にお付き合いしてくださり、誠にありがとうございます。

一応アンケートは次回の投稿までは受け付けております。
今のところ杏夏のお話がトップですね。皆様ラブコメの波動を感じたいかー!?

ではでは、感想などありましたらよろしくお願いします。


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執事編 最終話

 薫の宣言と共にリアが飛び出してきた。

 

 狙いはレオのようだ。レオもそれに反応してすぐさま迎撃態勢に入ろうとするが、彼女の腕はそれの上を行く。

 

 呻りをあげて急接近する小さな拳は外見的には大したことがないようにも見える。けれど、レオの瞳にはとても巨大な拳に見えていた。

 

 だが、その拳はレオの身体に激突する前に凛によって止められた。彼がつかんだのは拳そのものではなく、リアの手首であり衝撃が伝わってはいないようだ。

 

 すると凛はレオに視線を送り、レオもそれに頷くとその場から離脱して薫を制圧しに向かった。レオの後姿を見ているとリアが冷静な声音で告げてきた。

 

「なるほど……私の相手はアナタということですか」

 

「まぁそうなるね。それにしてもすごい力、抑えてるのでやっとかな……!」

 

 リアの手首をがっちりと握っている凛であるが、その顔はどこか苦い表情だ。ふと、そこでリアが笑みを見せる。

 

「すごいですね。私の拳を止められる人は初めて見ました。……ですが!」

 

 瞬間、リアの力が今まで以上に強くなり凛は大きく弾き飛ばされた。それでも冷静に空中で身体を反転させて着地してからリアを見ると、彼女は腰を下げて息をついていた。

 

「一応私のモデルを言っておきます。私のモデルはライノー。つまりサイです。ゾウやマッコウクジラには及びませんが、パワー系のイニシエーターです」

 

「イニシエーター……やっぱり君達は民警か」

 

「はい。IP序列九三二位、リア・アトキンソンです。以後お見知りおきを」

 

 小さく頭を下げたリアに対し、凛も笑みを浮かべると燕尾服を脱ぎ捨ててリアに対して告げる。

 

「せっかく名乗ってくれたんだから、こちらも相応の対応をしないとね」

 

「? アナタの名前ならもう教えていただきましたが?」

 

 怪訝な表情を浮かべるリアだが、凛はそれに被りを振る。

 

「僕も君達と同じ民警でね。せっかくだから名乗っておいたほうがいいと思っただけさ。……IP序列十三位、断風凛。またの名を『刀神(エスパーダ)』。よろしく」

 

 瞬間、凛は一呼吸の後にリアに向けて鋭角的な殺気を放つ。すると、リアもそれを感じ取ったのか、大きく後退しこちらを睨んできた。

 

 睨む双眸は真っ赤に赤熱しており、力を解放しているのがわかったが、頬には汗が伝っている。

 

「……冗談では、ないようですね」

 

「序列を隠したり、適当な数字をいったりはしないよ。まぁちょっと前までは仮の序列だったけどね。それでどうする? やるかい?」

 

「当然です。たとえ十三位と言えど、私は負けるわけにはいかないんです。私の存在を表す為にッ!」

 

 言いながらリアはこちらに突貫してきた。その速さは摩那や延珠には及ばないものの、凄まじい速さだ。野生のサイは時速五十キロ近くで走るというが、彼女にはパワー以外にもその速さも備わっているのだろう。

 

「君が戦う理由は存在を証明するためか……。だったら、こっちもしっかりと答えないといけないね」

 

 告げてナイフを構え、目を閉じ再度開いた凛の瞳には本気の炎が見えた。

 

 

 

 

 

 

 凛とリアが戦闘に入ったころ、レオは薫と正面から対峙していた。

 

「アタシ本当はリンちゃんとやり合いたかったんだけどねェ」

 

「残念だったな。郷九薫……貴様、なぜお嬢様を攫った」

 

「そんなのイイトコのお嬢様だからにきまってんでしょーが。お嬢様を誘拐すればがっぽり身代金がもらえるしネ」

 

「そのようなことだけに、お嬢様を危険に晒したというのかッ!?」

 

 凄まじい剣幕で問い詰めるが、薫は耳を塞いで肩を竦めた。

 

「うっさいわねェ。別に死んだわけじゃないんだからそんなに怒る必要ないじゃないの」

 

「貴様、あのお方がどれ程の方かわかっての言葉か……。お嬢様はこれからの兵器開発に必要不可欠な存在なのだぞ!?」

 

「だぁからあんだってぇのよ。何不自由なく暮らしてきたんだから人生で一回くらいこんな感じの不幸を味わっておいた方がいいってェの。……アタシはね、あのガキみたいに何の苦労もしてこなかったヤツが大嫌いなのよ」

 

 薫の目には憎悪というよりも憤怒の色が見えた。しかし、レオはその瞳の色にどこか見覚えがあった。

 

 しかし考えるよりも早く、自身の足元に発砲され、小さな火花が股の間で跳ねる。

 

「なに呆けてんだか。戦うんでしょ? だったらさっさとしなさいよ」

 

 その声と同時に薫が持っていた二丁の拳銃から火焔が吐き出された。レオもすぐさまそれに反応すると、近場の建設用の材料の山の裏に身を隠す。

 

 そして銃撃がやむと同時に、こちらも応戦しマグナム拳銃を発砲する。

 

 しかし、銃撃戦の最中、レオの脳裏には先ほど薫が見せた瞳が写っていた。

 

 ……あの目は、オレと同じ……。

 

 

 

 

 

 

 

 レオたちが交戦している最中、鉄筋に縛り付けられている琉璃はなにやらもぞもぞと動いていた。彼女の手元を見ると小さなカッターの刃のようなものが握られており、彼女はそれで縄を切ろうとしていたのだ。

 

 しばらく動いていた彼女だが、やがて縄を切ることに成功したのかその場に立ち上がり、手首に巻きついていた縄をほどく。

 

「ふむ……もうちょっと時間がかかるものかと思っていましたが、存外そうでもないみたいですわね。殺す気がないというのは本当だったのかしら」

 

 手首を曲げて特に異常がないことを確かめていると、不意にヘリコプターのプロペラが風を切る音が聞こえた。そちらを見上げると、司馬重工のエンブレムがはいったヘリがこちらに向けてライトを照らしている。

 

 眩しさに若干顔をしかめていると、低空で滞空していたヘリのスライドドアが開き着物姿の美少女、未織が降り立った。彼女が降りると同時にヘリはどこかへいってしまったが、琉璃は未織に視線を向ける。

 

「なんや元気そーやなぁ。もうちょっとボコられてるかと思うたで」

 

「お生憎様ですわ。わたくしとて宝城グループの次期社長、修羅場の一つや二つくぐって来ています」

 

「あっそ。まぁそんなことはええわ、凛やレオがこっちに来たけど気づいたかえ?」

 

「ええ。先ほどわたくしを誘拐した二人が下に降りて行きましたわ。それに今も銃撃や剣戟の音が聞こえますし」

 

 琉璃の言うとおり、下の階では戦闘の音が聞こえていた。未織もそれを聞いて頷いていたが、琉璃が未織に告げる。

 

「未織。わたくしを誘拐したのは郷九薫というオカマでしたわ。立ち振る舞いは奇抜でしたが、恐らく彼は民軽ですわ。だから、名前に覚えとかありません? 司馬重工には確か民警部門がありましたでしょう?」

 

 彼女に言われ、未織は顎に手を当てて考え込む。

 

「郷九……郷九……あッ!」

 

 数秒間考え込んだ後、彼女はパチンと指を鳴らす。

 

「確かIISOに申請しに行ったとき、なんか手配書みたいな形で張り出されてたなぁ。ギザギザの歯しとったからよう覚えとるわ。確か殺しはやってへんらしくて、いずれも身代金を取ったら人質は即時解放って手口やったらしいけど」

 

「やはり彼等は民警でしたか……しかし、手配書が回っているということはもっと簡単に捕まえられそうなものですが……」

 

「変装の達人らしいから、切り抜けたんとちゃう? まぁそんなことはええわ、そろそろ戦いにも決着が――」

 

 そう未織が行った時、彼女のスマホが鳴動する。

 

「はいなー。……うん、うん……わかった、今上の階やから向かうわ。ほなな」

 

 なにやらやり取りをしている未織を、琉璃が首を傾げて眺めていると彼女はスマホをしまいこみながら告げてきた。

 

「凛とレオが二人を拘束したらしいから、いこか」

 

「早いですわね。レオなら当たり前ですが、まさかあのイニシエーターの少女までもここまで早く拘束できるとは……やはり、あの男、断風凛は相当の手馴れのようですわね」

 

「まぁそうやね。というか、今は凛の話の前にさっさと下いって状況確認が先や」

 

 未織はそれだけ言うと先に歩き出し、琉璃もそれに続いて下の階へ降りていった。

 

 

 

 

 

 

 一階へ降りた琉璃と未織の前に広がったのは、所々穴が開いた壁と、陥没した地面に空薬莢が転がっている光景だった。

 

 ちょうど部屋の中心にはロープでグルグル巻きにされたリアと、何故か亀甲縛りの薫がいた。薫は殴られたのか、所々が腫れ上がっていたが、リアは特に外傷はなく小さな寝息を立てている。まぁイニシエーターであるのだから多少の傷ならばすぐさま回復してしまうので、傷がないのも頷けるのだが。

 

「お嬢様っ! ご無事ですか!?」

 

 焦った様子のレオが駆け寄ってくるが、琉璃は小さく頷いて返す。しかし、彼は拳をきつく握り締めて頭を下げた。

 

「申し訳ありません! 私がついていながらお嬢様を危険な目に晒すなど……弁解のしようもありませんッ!! かくなる上はこの命をもってしてッ!」

 

「やめなさい、レオ。もう過ぎたことです。それにアナタとて人間でしょう? ミスくらいはあります。そのミスを次までに改善してくれれば何も言いませんわ」

 

 微笑を浮かべて対応すると、レオは再度深々と頭を下げた。その目尻にはかすかに涙も見える。

 

 するとそれを見ていた薫が縛られているにも関わらず高笑いした。

 

「なに綺麗事ほざいてんだか。そんなこと言ってもハラの底では「この役立たず」とか思ってんでショ? お嬢様」

 

 その声にその場にいた全員が言い返すことはなかったが、レオが薫の前に立って彼を思い切り殴りつけた。

 

 重い音と共に殴られた薫の頬は赤く腫れ、口の端からは血がこぼれ始めた。口の中を切ったのだろう。

 

「これで気が済んだ? ホラ、さっさとブタ箱にでもその辺のドブ川にでも捨てなさいよ」

 

 嘲笑を浮かべながらいう薫だが、そんな彼にレオの怒号が飛んだ。

 

「貴様はいつまでそんな不良じみたことを続けているつもりだ、郷九薫ッ!!」

 

「レオ……」

 

 琉璃が声をかけたが、レオはこちらを一瞥した後更に続ける。

 

「郷九、貴様もオレと同じだ」

 

「同じ? ハッ! 何が同じだってェのよ! イイトコのお嬢様の執事やってるボンボンがザケタこと抜かすんじゃないわ!!」

 

 レオの言葉に薫も激昂して声を荒げるが、レオは悲しげな表情で問う。

 

「……郷九、貴様はガストレア大戦の生き残りの兵士なのだろう?」

 

「ッ!? アンタ、どうしてそれを……」

 

「目を見ればわかる。貴様の目は一昔前のオレと同じだった。軍からほんの一握りの褒章だけをもらい、捨てられ、路頭に迷い、いつしか社会そのものを恨むようになった者の目だ。オレもそんな目をしていたころにお嬢様に拾われた」

 

 思い出すように言うレオに対し、薫も悔しげな顔を浮かべてポツリと呟く。

 

「……ええ、そうよ。アタシはもと自衛隊の特殊部隊に所属していたわ。もちろん功績だって挙げてたわ。でも、ガストレア大戦の終結の折、厄介払いをするように自衛隊を退役させられ、そのまま路頭に迷った。

 そこからは簡単だった。まるで坂道をすっころがるように転落に告ぐ転落……。まさに人生の終わりだったわね。けれど、そんなときにこの子と出会った」

 

 薫は目だけを隣で寝息を立てるリアに向ける。

 

「この子もアタシと同じだった。親に捨てられ、国に捨てられ、流れ着いた時にはもうボロボロ。それでも、不思議とアタシとこの子は気が合って、一緒に過ごしたわ。リアと一緒に居るときは、少しだけど幸せも感じられた」

 

「ではなぜ犯罪に手を伸ばした? それになぜ民警に」

 

「行ったでショ。アタシはあんた等みたいな上位層の人間が大嫌いだって。だから復讐がてらってわけよ。民警になったのだってそれに便利だったから」

 

 鼻で笑いながら言う薫だが、今まで黙っていた凛がそこで口を開いた。

 

「民警になったのは、それだけが理由ではないでしょう。リアちゃんに侵食抑制剤を注射するためではないですか?」

 

「……参ったわねェ。なんでそうも察しがいいのかしらリンちゃん」

 

 苦笑気味に答える薫だが、恐らく第一の目的はリアの侵食率を上げないためだったのだろう。イニシエーターは一日に一回ガストレアウイルスの侵食を留めるための注射が義務付けられている。それを怠れば常人よりは遅いペースではあるものの、すぐに限界に達してしまう。

 

「それほどこの子を思えるのになぜ犯罪など……」

 

「だから言ってんでショ? 全てはアタシらを見捨てた社会に対する報復のためよ。ホラ、これで満足した? したならもう好きにしなさいよ」

 

 あきらめた様子で天井を仰ぐ薫だが、そこで琉璃が告げた。

 

「そこまで社会に不満があるのなら、わたくしの元に来たらどうです?」

 

「は?」

 

 キョトンとする薫だが、彼女はロールがかかった金髪をサラっとなでながら告げる。

 

「ですから、わたくしの下で働きなさいと言っているのです。アナタの実力は素晴しいものですし、ちょうどウチも司馬重工と同じく民警部門を作ろうと思っていたところです。なので郷九薫、わたくしの軍門にくだりなさい」

 

「ハッ、アタシに仲間になれって? まったく、冗談も休み休みいいなさい――」

 

「冗談ではありませんわ。アナタの力をここで捨て置くにはもったいないと思っただけです。無論、ただでとはいいませんわ。入った暁には今まで奪った身代金を全額返却していただきます。待遇はそれなりに良くしますわ。IISOにも話を取り付けましょう。さぁ、どうします?」

 

 怪しい笑みを浮かべながら言う琉璃だが、薫は隣のリアを一瞥した後こちらに問うてきた。

 

「この子の安全も保障してくれるんでしょうね」

 

「もちろん。それは保障いたしましょう」

 

「……わかったわ、アタシの負けよ。アンタの軍門に下るわ。でも、果たしてアンタの下で働いて世界が少しでも変わって見えるのかしら?」

 

「ええ、わたくしが見せて差し上げます。この世界にはまだまだ面白いことがたくさんあると」

 

 そういった琉璃の笑顔は何よりも明るく、そして優しかった。

 

 

 

 

 彼女らのやり取りを見ていた未織が凛に声をかける。

 

「なんやウチら、かなり蚊帳の外やなぁ」

 

「まぁあちらの問題ですからね」

 

 答える彼の頬や袖には所々切った跡が残っており、薄く血が滲んでいた。

 

「なんや凛も大分怪我しとるなぁ」

 

「リアちゃんがなかなかに強かったんですよ。メリケンサックにはちょっと刃がついてましたし」

 

 肩を竦めて答えた凛に、未織は「ふーん」と答えたあと彼の背中をポンと叩いた。

 

「まぁ今夜はお疲れさんやった。もうパーティはどーでもええから帰ろか」

 

「パーティは本当によろしいのですか?」

 

「もともとあんまし出る意味もなかったからなぁ。ホラ、あそこの四人のせてさっさと帰るでー」

 

 未織はヒラヒラと手を振りながら先にビルから出て行ってしまった。凛もそれい方を竦めると、琉璃達を呼び六人はパーティ会場へ戻り、薫とリアは一度宝城グループのスタッフに引き渡され、琉璃とレオも泊まっているホテルに戻っていった。

 

 宝城グループの令嬢誘拐事件は、結局多くの被害を出さぬまま終わりとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 そして事件から二日が経ち、いよいよ凛が執事を辞める日がやってきた。司馬邸の執事も皆回復し、今日の昼には戻ってこれるらしい。

 

 凛と未織の姿は司馬邸の玄関にあり、凛は執事服から普段着に戻っている。 

 

「二週間お疲れさんやったなぁ。凛さん。まったく、最後の最後で琉璃が突っかかって来るとは思わへんかったわー」

 

「フフ、そうだね。でも僕も面白い体験をさせてもらって楽しかったよ。まぁ途中の格ゲー三昧は流石に疲れたけど……」

 

「結局勝てへんかったから、また後で勝負を挑みにいくでー」

 

 悪戯っぽい笑みを浮かべる未織に凛は肩を竦めたが、時計に目をやってから彼女に告げる。

 

「それじゃあそろそろ事務所に戻ろうかな」

 

「ん、もうそんな時間か。なんやいつでも会えんのに寂しいもんやなぁ」

 

「そうだね、僕ももうちょっとぐらいはしても良かったけど、これ以上やると杏夏ちゃんたちにも迷惑がかかるからね」

 

 言いつつ凛はバイクに跨り、ヘルメットを被ろうとした。しかし、そこで何かを思い出したように、未織をチョイチョイと誘う。

 

 彼女はそれに首をかしげつつも、こちらにやってきた。すると、凛はおもむろに未織の頭を軽くつかんで自身に引き寄せると、彼女の耳元で囁いた。

 

「……またいつでもお誘いください。ご主人様(マイロード)

 

 その声は優しさと、キザッぽさ、そして凄まじいまでの色気が含まれていた。すると、それを聞いた未織は顔を真っ赤にさせてしまった。

 

「それじゃあね、未織ちゃん」

 

「あ、ちょッ!!」

 

 声をかけられたが、凛は振り返らずにバイクを発進させて司馬邸を後にする。だが、すぐに未織の大きな声が聞こえた。

 

「絶対にまた呼んで今度はもっと迷惑かけるから覚えときや、凛ーーーッ!!!!」

 

 その声に軽く手を挙げて答え、凛はバイクを加速させた。

 

 

 

 

 事務所に戻る途中で、凛は空を見上げた。

 

 突き抜けるような青空はとても清清しく、時折肌を撫でる風は秋を感じさせる。

 

「もう秋かぁ……。出来れば何事もなく終わってほしいものだけどねぇ……」

 

 などと苦笑しながら凛は視線を前に戻してバイクを走らせた。

 

 こうして、凛の二週間限定の司馬家の執事としての仕事は幕を下ろした。未織のわがままにつきあったり、パーティに出席したり、ライバル会社の令嬢が誘拐されたり、オカマに気に入られたり……思い返せば多くのことがあったと思いながら、凛は皆が待つ事務所へと戻っていった。

 

 しかし、事務所に戻ってから早々、飛び掛ってきた焔に危うくひん剥かれそうになったのは内緒の話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 東京エリア第三十二区洋上特別犯罪者収容刑務所――。

 

 その中にある檻では一人の男が月明かりに照らされたパイプ椅子に座り、キリル文字が入ったハードカバーの本を読んでいる。

 

 黒い囚人服を着込んだその男の特徴は、日本人離れした彫りの深い顔に、割れた顎。月光に照らされる金髪はどこか幻想的な雰囲気を醸し出す。髭も生えているものの、不衛生さは感じられない。

 

「……そろそろか」

 

 テノールの声が独房に響いたが、誰もそれには答えない。しかし、彼は不適な笑みを浮かべていた。




はい、これにて執事編終了です。
戦闘回かと思った? 残念お話回でした!!

……はい、まぁそんな感じです。
戦闘メインにしても良かったんですが、勝ちは見えていたし、そんなに痛めつけてもしょうがないですからね。
薫さん、割と簡単に仲間になってくれます。まぁその辺は琉璃さんのカリスマでしょうなぁ。
最後の方は若干凛の色気を出してみました(何言ってんだコイツ……)
そして一番最後は七巻で登場するリトヴィンツェフさんです。……名前が打ちづらいことこの上ないッ!!

そして、とりあえず今日でアンケートは閉め切ります。いつまでもだらだらやってても仕方ないですからね。とりあえず集計すると、2の杏夏の話ですね。皆様しばしお待ちください。
次回は真面目に七巻の前日談でもしますかね。

ではでは、感想などありましたらよろしくお願いいたします。


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杏夏編
第一話


杏夏編第一話とありますが、内容は八割がた違いますので本格始動は次回からです。
その辺りをご了承の上、呼んでいただけると幸いです。


 八月の終わり。凛が未織の家に執事として仕え始めて、数日が立った頃。黒崎民間警備会社には、なんともいえない空気が漂っていた。

 

 事務所にはノートパソコンを開いている杏夏。書類整理をしている凍。そして凛がいないことで机に突っ伏してどんよりとしたオーラを撒き散らし、次元をゆがめている焔がいる。普通に考えれば焔がこの空気の張本人のようにも見えるが、今は違うようで、焔を除いた二人の視線は窓際のデスクにいる零子と、彼女の前で真剣な表情をしている蓮太郎に注がれていた。

 

 そう。事務所内にはびこっていたなんともいえない空気はこの二人から発せられていたのだ。蓮太郎は一度小さく息をつくと零子に言い切った。

 

「黒崎社長、アンタなんだろ。目の力を自在にオンオフできるのは」

 

 目の力という単語に杏夏と凍は首を傾げるが、零子は小さく頷いたあと椅子からゆっくりと立ち上がった。

 

「その話をするのなら場所を移そうか。三人とも今日は適当に切り上げて帰って良いからな。夏世ちゃんには私から連絡しておく」

 

「あ、はい。わかりました」

 

 杏夏が答えると、零子は頷いて蓮太郎と共に事務所から出て行った。

 

 少しすると一階の車庫から零子の持つアヴェンタドールのエンジン音が聞こえ、車で出かけたことがわかった。

 

 そこで今まで黙っていた凍が杏夏に問うた。

 

「里見はさっき目の力がどうの言ってたが、義眼のことか?」

 

「たぶんそうだと思います。二人は同じ義眼入れてますから」

 

「なるほどな。その中でまだ隠された力があるってことか。……まぁそれはさて置いてだ。杏夏、聞きたかったんだが、お前は凛の何処に惚れてるんだ?」

 

「ブハッ!?」

 

 凍のド直球極まりない質問に杏夏は口に含んでいたコーヒーを噴いてしまい。事務所に黒い霧が舞った。

 

「え、えっと、いつからそれに?」

 

「最初からだ。凛に対する反応が焔と殆ど同じだったからな。無論、焔よりは全然マシな反応だけどな」

 

 肩を竦めた凍は焔に視線を移した。彼女は未だに黒く禍々しいオーラを放っており、そこは相変わらず時空が歪んでいた。

 

 そんな焔に苦笑いをしながら杏夏は給湯室から布巾を持ってきて飛び散ったコーヒーを拭く。

 

「で、なんで凛の何処が好きなんだ? あぁ、そこのバカは気にするな。どうせ何にも耳に入っちゃいない」

 

「本当ですか?」

 

「ああ。じゃあ試しに引っ叩いてみるか? 反応すらしないぞ」

 

 凍は立ち上がって焔を軽く叩こうとしたが、杏夏がそれを止めた。そして杏夏は小さく溜息をついた後、小さな声で言った。

 

「えっと……強くて優しいところが一番です」

 

「ふぅん。強くて優しい、ねぇ。まぁ焔の場合はもっとカオスな答えが返ってきそうだから、その辺で言えばお前は純粋だよなぁ。

 でも一つだけいいこと教えてやる。凛はパッと見だとなんでもできる完璧超人って感じだろう?」

 

「はい、まぁ……」

 

「確かにアイツはこと剣術に対しては天才だ。これは断言できる。でもあれ以外は結構からっきしだったらしいぞ。特に勉強とかはな」

 

 悪戯っぽい笑みを見せる凍に杏夏は首をかしげる。

 

「凛は中学高校と赤点ばっかりとっていたんだとさ。高校にいけたのも奇跡らしい」

 

「そうなんですか? でも、日常生活は普通ですし、なにより戦闘中だとすごく頭が回転してる感じがしますけど」

 

「戦闘中とかその辺は頭が働くんだよ。そのかわり日常生活だと若干感情がうまく制御できないことがある。特に怒りの感情は激しい」

 

 肩を竦めていう凍の言葉に思い当たる節があったのか、杏夏はハッとした。確かに杏夏が見ていて凛の怒りは時折恐怖を覚えるほどのものだった。光が灯っていない彼の絶対零度の瞳は全てを凍りつかせてしまいそうな、そんなものだ。

 

「とまぁこんなことを話してはいるが、杏夏。出来ればお前の初任務の話でも聞かせてくれないか? オレ的になにやらそれがお前が凛のことを好きになったきっかけだと思うのだが」

 

「ふぇッ!? わ、私の初任務なんて聞いても面白くないですって!」

 

「いいや、オレは面白いと思う。ホラ、親交を深めるって感じでさ。もちろんただでとは言わない。話してくれたら凛を落とす有力な情報を教えてやろう」

 

 凛を落とすという言葉を聞いた瞬間、杏夏は口元に手を当てて真剣に悩み始めた。そして彼女はコクンと頷いてから告げた。 

 

「……わかりました。約束ですよ?」

 

「ああ」

 

「じゃあコーヒー淹れて来るんで、その後で話しますね」

 

 杏夏はそういうと給湯室に消えた。

 

 そんな彼女を見送りながら凍は実妹である焔に視線を向ける。彼女からは相変わらず黒いオーラが発せられており、その手にはペンが握られていた。見ると手元にはA4サイズの用紙があり、紙にはビッシリと「兄さん」の文字が書かれている。

 

「……わが妹ながら恐ろしいな。もうちょっと純粋に好きになることはできないものか」

 

 若干の恐怖を覚えた凍は、念のために焔の耳に耳栓を施しておいた。

 

 

 

 

 

 

 黒崎民間警備会社から車をとばして十数分。零子と蓮太郎は東京エリアの郊外にある広場にやってきていた。

 

 外周区に程近いためか、人の姿はなく閑散とした広場は所々雑草が生い茂っている。いまだ残暑は厳しく、二人を照らす陽光は一切の容赦がなかったが、二人は特に気にした様子もない。

 

「さて、まぁ『二千分の一秒の向こう側(ターミナル・ホライズン)』については菫から聞いてるだろうから解説はいらないな」

 

「ああ。それよりも教えてくれ。どうやったら『二千分の一秒の向こう側(ターミナル・ホライズン)』を自在に操れるようになるんだ?」

 

 蓮太郎は焦り気味に問うてくる。しかし、彼が焦ってしまうのもしょうがないだろう。ダークストーカー、巳継悠河との戦いで彼は劣勢に追い込まれた。無論今までとて劣勢にならなかったわけではない。対影胤戦でも重傷を負ったことだって相当な劣勢だ。

 

 けれども今回の敵は下手をすれば彼以上の強敵だったといえるだろう。そして蓮太郎は死ぬか生きるか極限の状態で義眼の新たな力、『二千分の一秒の向こう側(ターミナル・ホライズン)』を開眼した。

 

 だからこそ蓮太郎はその力を自由に扱えるようになりたいと望んでいる。いや、手に入れなければならないのだ。大切な者達を守るために。

 

 無論零子もそれに答えたいとは思っている。だが、彼女は渋い顔をしている。

 

「まぁ教えてあげたいのは山々なんだが……こればかりは個人的な問題だからな。こうやれば出来るなんていう絶対な方法はない」

 

「そう……か」

 

 蓮太郎は悔しそうに顔をゆがめたが、零子はタバコを携帯灰皿に入れてから眼帯を外した。

 

「しかし、アドバイスはしてやれる。他人がやっているのを見ればおのずとやり方がわかるかもしれないからな」

 

 言いながら蓮太郎を真正面から見据えた零子の右目の奥では、幾何学的な模様が高速回転を始めていた。演算を開始しているのだ。

 

 すると、蓮太郎もそれに気が付いたのか、自身の義眼を解放する。

 

「蓮太郎くん。義手と義足も解放しろ」

 

「え?」

 

「たかが銃弾を避けるだけなら通常開放でも余裕だ。『二千分の一秒の向こう側(ターミナル・ホライズン)』を使うのなら、私を殺すつもりでなければならない。一切の容赦、情けはいらない。全力で来い」

 

「……わかった」

 

 答えると同時に人工皮膚が剥げ、ブラッククロームの義肢が覗いた。そして彼は天童流戦闘術の構えを取る。

 

「行くぞ」

 

 言ってくる彼の言葉には、やはりどこか緊張の色が見える。それはそれで仕方のないことだろう。しかし、それではいけない。

 

「蓮太郎くん。緊張するのはわかるが――」

 

 言った瞬間、零子は猛禽類のように鋭くなった眼光を蓮太郎に向け、黒塗りのデザートイーグル二丁を抜き放ち、蓮太郎に向かって発砲した。

 

 弾かれるように飛びのいた蓮太郎だが、すぐさま彼に銃弾が打ち放たれる。

 

 義眼の演算能力でなんとか軌道を読み、何秒後に自分に着弾するかを計算した蓮太郎はそれすらも避けきって見せるが、顔は戸惑いを見せていた。

 

「なにを驚くことがある。言っただろう、殺す気で来いと。だからこそ私も君を殺すつもりで行く」

 

 そういう零子の瞳には一切合切の容赦がなく、覚悟の炎が灯っている。すると、蓮太郎もそれに答えるように立ち上がると、大きく深呼吸をした後零子を睨む。

 

「いい目だ。そうでなくてはこちらも本気を出す理由がない」

 

「本当に殺す気で行くぞ」

 

「当然だ。こちらもそのつもりなのだからな」

 

 言いながら彼女は銃を構え、蓮太郎は戦闘術の構えを取った。

 

 数秒間、二人の間に沈黙が流れる。そして二人の間を一迅の風が吹きぬけた瞬間、蓮太郎が最初に動いた。

 

 脚部のスラスターを開き、カートリッジを撃発させた推進力で一気に零子へと接近するが、零子はすでに彼の行動を演算で見切り、真横に飛びのいた。

 

 同時に彼女は銃口を蓮太郎に向け、銃弾を二発発射。

 

 銃口炎が吹き上がり、腕を伝わる強い衝撃と鼻を突く硝煙の臭い。照準は完璧であり、蓮太郎の腹部と頭部を的確に打ち抜く軌道を描いた銃弾は真っ直ぐに飛んでいく。

 

 しかし、義眼を装備しているのは蓮太郎も同じこと。彼は空中で身体を捻ることで、銃弾と銃弾の間に身体を滑り込ませて避けきる。

 

 同時に彼は腰にあるXD拳銃を抜き放ち、銃口を零子の頭部に向けて発射。瞬間、それは零子がまたしても放った弾丸によって撃墜され、目の前で火花が散る。

 

 それでもここまでは双方共に予想していたことだ。だからこそ、二人は次の行動に移る。

 

 零子は小さく笑うと、一方のデザートイーグルの銃口を蓮太郎に向けて立て続けに銃弾を撃ち放つ。彼女はそのまま一方が空になるまで撃ち続けたが、義足による機動力を持つ蓮太郎にはあたることはなかった。

 

 けれども、零子は落ち着いて対処し、空になったマガジンを吐き出させてから新たなマガジンを二本、別々のタイミングで空中に放る。その間もまだ銃弾が残っている方で蓮太郎を追撃。

 

 連続して放たれる弾丸に蓮太郎は苦い顔をするが、そこまで追い詰められているわけでもなさそうだ。今、彼はこちらへ攻め込む体勢を整えているのだろう。蓮太郎は確かに零子よりも戦闘能力は上だ。

 

 それでも零子が踏んできた場数は彼に負けることはない。本来の領分は狙撃手だった彼女でも、二丁拳銃での戦闘は十年以上の年季が入っている。

 

 すると、全ての銃弾を打ち切ったのか、撃鉄が渇いた音を立てる。同時に蓮太郎がこちらに向かって駆けてくるが、彼女は空中を舞っていたマガジンがちょうど自分の目線の高さに落ちてきたところで殴るようにマガジンをセットし、銃弾を撃ち出しはじめる。

 

 再び巻き起こる銃弾の雨に蓮太郎は真っ向から対峙する。しかし、彼の双眸に恐れはない。義眼による演算能力が弾道を予測しているため、どのルートで進めば避けられるのか予知が出来ているのだろう。

 

 すると、彼は最初の銃弾を避けたところで脚部のカートリッジを吐き出し、一気にこちらに肉薄する。そして彼は叫んだ。

 

「天童式戦闘術一の型十五番ッ! 雲嶺毘湖鯉鮒ッ!!」

 

 声と共に腕のカートリッジが飛び出した。恐るべき程の速度で放たれた拳は零子の鳩尾を的確に補足しており、これをまともに喰らえば内臓破裂は免れないだろう。

 

 しかし、そこで零子は内心で笑みを浮かべ念じた。

 

 ――『二千分の一秒の向こう側(ターミナル・ホライズン)起動(セット)――。

 

 同時に彼女が今まで見ていた世界が白一色になり、蓮太郎の姿は光りの線で描かれる。その動きは驚くほどのスローモーション。当たり前だ。今の零子には一秒が二千秒に感じているのだから。

 

 そして零子は蓮太郎が放った雲嶺毘湖鯉鮒を直撃する瞬間に、バックステップで避けきる。それでも僅かに掠めたのか、シャツが少し切れたが身体にダメージはない。

 

「なっ!?」

 

 蓮太郎の驚いた声が聞こえるが、それも無理はないことだ。今のは明らかに人間の反応速度を超えた人外の為せる超反応。だが、零子は彼に次の一手を踏ませる前に彼に接近してから、回転しながら落下してきたもう一方のマガジンを込めて蓮太郎の額に二丁の銃口を押し当てた。

 

 彼女は義眼の能力をゆっくりと閉じながら笑みを浮かべて告げた。

 

「はい。これでお終い」

 

「ぐっ……」

 

 悔しげな顔をする蓮太郎だが、すぐに両手を挙げて「参った」をあらわす。

 

 

 

 戦闘が終わってから数分後、零子は持参していたスポーツドリンクを蓮太郎に渡し、二人は向かい合って話を始めた。

 

「さて、今回は私の勝ちで終わってしまったわけだが……蓮太郎くん、私がタミホラを使ったタイミングはわかったよな?」

 

「ああ、最後オレが雲嶺毘湖鯉鮒をしたときだろ。つか、タミホラって……」

 

「いいだろう別に、長いし。まぁアレは誰でもわかるか。しかし、今回は勝てたが、実際君が本調子だったらどうなっていたかわからないな」

 

 零子の試すような視線を受け、蓮太郎はギクリとした。

 

「まぁ事件から大して時間もたっていないのだから当たり前か。だがあまり感心はできないな。焦りすぎだ」

 

「でも、いつまた五翔会の構成員が攻めて来るかわからねぇだろ。だから」

 

「うん。確かに君の言うことも最もだ。しかし、あちらさんも一度に四人の戦闘員と四人の構成員をなくしている。早々攻めては来ないだろう」

 

 肩を竦め笑みを浮かべる零子だが、蓮太郎は未だに浮かない顔だ。それでも零子は蓮太郎に向かって少し厳しい言葉を向ける。

 

「確かに備えあれば憂いなしだが、今の君の行動はただ身体を壊しに行っているようなものだ。そんなことでは次の戦闘中にガタが来るぞ」

 

「……それでも、オレは木更さんや延珠、ティナを守るために力がほしいんだ」

 

「ああ。それはわかるともさ。だがそこまで急ぐことでもないだろう。焦りは人に大きな隙を作る。身体にも、もちろん心にもね。だから君の今の仕事はその傷を完治させることだ」

 

 かけられた言葉に蓮太郎は遣る瀬無い表情をしていたが、少しだけ唇を尖らせながら小さく頷いた。

 

「わかってもらえたようでよかったよ。それで、タミホラの明確な使い方だが、私の場合は念じることでオンオフしている。多分これは個人で変わりはないと思う。そして私の場合は君のように極限状態で目覚めたわけではない」

 

「いつ目覚めたんだ?」

 

「実験中に目覚めたんだよ。どうやら私の脳はそれだけの思考の臨界線を突破できる構造をしていたみたいでな。今ではこの通りってわけさ。

 あぁでも、負担はかかっているよ。私がこの力を連続で使用できるのは最大で五十三秒。それ以上行くと脳が耐えられなくなって、最悪死ぬ。良くて廃人だろうね」

 

 蓮太郎が飲みかけていたスポーツドリンクをゴクリと音を立てて飲み込んだ。だが、彼とてこれだけの力に危険がないとは思っていないだろう。

 

「……オレには何が足りないんだろうな」

 

 彼は俯きがちに呟いた。

 

「いや、足りないことはないだろう。むしろタミホラを使えたんだから素質は十分すぎるくらいに備わっているのさ。でも、それが出来るきっかけが今はないんだろうね」

 

「きっかけか……」

 

「そう、きっかけだ。しかしそう気負っていてもしょうがない。私も暇な時は鍛錬に付き合おう。でもまずは体の傷を全て治すことだ。いいね」

 

 その言葉に蓮太郎は小さく息をついてから「木更さんと同じこというなよ」とぶつくさ言いながら頷いた。事務所に来る前に木更と一悶着あったのかもしれない。

 

「あぁそうだ。火垂ちゃんの今後の処遇は決まったのか?」

 

「いや、まだだ。今は聖天子様が計らってくれてIISOの干渉は防げてるけど、多分近いうちには送還されちまう」

 

 若干暗い面持ちで言う蓮太郎だが、零子は特に気にかけることはせずに告げる。

 

「それまでに新しいパートナーを見つけるか、あるいは彼女にイニシエーターを辞めさせるかだな。パートナーにあては?」

 

「まだないけど、もしかしたら未織んとこの民警部門で預かってもらえるかもしれねぇ。けど、火垂自身の意見も尊重してやりたい」

 

「その辺りは本人の選択の問題だからな。私達が下手に手出しする問題ではない。さて、とりあえずもう少し義眼のことを話してから今日は戻ろうか」

 

 その言葉に頷いた二人は一旦車内に戻り、空調を聞かせながら話を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 一方、二人が話し始める少し前。事務所に残された杏夏と凍はコーヒーとお茶菓子を中心に向かいあっていた。

 

「えっと、それじゃあ話しますけど……笑わないでくださいね?」

 

「ああ、笑わない。じゃあよろしく頼む」

 

「はい。私の初任務、というかこの事務所に入社したのは二年前の春で……」

 

 こうして杏夏の過去話が始まったわけだが、その間、凍は真剣に聞いていたが、焔はいつの間にか事務所の隅に移動して床にいじいじと文字を書きながら一言。

 

「……部屋のスミスは落ち着くなぁ……」

 

 と、光の灯っていない瞳を晒して呟いていた。しかし、相変わらず空間は歪んでいた。




はい、前書きのとおり、杏夏が出てきたのは最初と最後だけでしたね。
真ん中はタミホラの話ばかりでした。

まぁ蓮太郎も怪我してますから今回ばかりは負けてしまうのもしょうがないでしょう。
といってもけが人を割りと本気で殺そうとしている零子さんもどうかとおもぶげら!?(頭に風穴が)

はい、愛の鞭って奴ですねわかりまひゅ。
次回からは本格的に杏夏編に入っていきますので、次回はから数話は彼女が主人公です。
美冬との出会いやらもありますので、それなりにお楽しみにしていただけると幸いです。

前回の終わりで例のリトさんを出してみたんですが……リトさんもうちょい控え室にいてください。
八巻が出ないもんだから下手なこと書けませんw

では、感想などありましたらよろしくお願いいたします。


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杏夏編 第二話

 二年前――。

 

 季節は春。

 

 東京エリアには暖かい春風がそよぎ、満開の桜が生き生きと咲き誇る。

 

 そんなエリアの一角にある『黒崎民間警備会社』の前には一人の少女が緊張した面持ちで立っている。

 

 彼女、春咲杏夏は適度に伸ばした黒髪を後ろで纏め、顔には必要最低限の化粧を施し、キッチリとしたリクルートスーツに身を包んでいた。

 

「ここ、だよね」

 

 スマホに表示されている地図の上にある文字と、自身の目の前にある会社名を確認し、間違っていないことに「うん」と頷いた杏夏は、スマホの電源を落としてビジネスバッグにしまいこむ。

 

 大きく深呼吸をして緊張で早くなった鼓動を抑えてから杏夏は一歩を踏み出し、事務所があるという二階に上がった。

 

 事務所のドアには曇りガラスがはめ込まており、そこには外と同じように『黒崎民間警備会社』と刻まれたプレートが貼り付けてある。上に上って行く階段の壁には『関係者以外立ち入り禁止』と書かれた紙が張ってあった。

 

 だが今はそんな方に目を向けている場合ではない、と杏夏は事務所のドアに向き直る。事務所内では「カタカタ」というタイピングをする音が聞こえるので、従業員がいることはわかった。そして杏夏はもう一度深呼吸をすると、意を決してドアを三度ノックした。

 

『どうぞ』

 

 帰ってきたのは男性の声だった。声の高さからして十代後半と言ったところだろうか。

 

「し、失礼します」

 

 若干どもりながらも杏夏はドアノブに手をかけてドアを開く。事務所に入ると優しい香りの芳香剤が鼻腔をくすぐり、それに混じってコーヒーのいい香りがする。

 

 一瞬それに頬が緩みそうになったが、杏夏はすぐにを表情を引き締めてドアを閉めてから声の主を探す。だけれど、あまり室内を見回すことなく声の主を発見することが出来た。

 

 杏夏の視線の先には白髪を綺麗に切りそろえ、精悍な顔立ちの少年がいた。パッと見少しだけひ弱そうな少年ではあるが、その瞳は全てを見透かすように透き通っており、雰囲気もとても凛々しい雰囲気だ。体つきも筋肉がしっかりしていることがわかる。

 

「ご用件はなんでしょうか?」

 

 つい見惚れている間にこちらが声をかけるよりも早く声をかけられてしまった。

 

「あ、えっと、本日こちらで面接をさせていただくことになっている春咲杏夏です。黒崎社長は……」

 

「あぁ、貴女がそうでしたか。申し訳ありません、現在社長はIISOに行っていましてまだ帰ってきていないんです。ですが、そろそろ帰ってくる頃だと思うのでそちらに掛けてお待ちください」

 

 にこやかに言って来る彼に対し、杏夏は短く答えた後ソファに腰を下ろした。すると、彼は給湯室と思われる場所に消えた。数分後、彼はトレイを持って戻ってきた。

 

 彼はトレイにのっていたコーヒーカップと、お茶請けのためのクッキーをガラステーブルの上に置いた。

 

 同時に杏夏は彼に対して頭を下げる。

 

「あ、ありがとうございます」

 

「いえ。ブラックが苦手でしたら、こちらのミルクと砂糖はご自由にどうぞ」

 

 小さく会釈をしたのち彼は自分の席につこうとしたが、何かを思い出したのか振り返ってきた。

 

「自己紹介がまだでしたね。僕は断風凛と言います。変わっているでしょう、男で凛なんて名前」

 

「いえ、普通の名前だと思いますけど……あの断風さん、敬語は使わなくてもいいですよ? 私の方が多分年下ですし」

 

 杏夏が言うと凛は一瞬キョトンとした後、頷いてから告げてきた。

 

「わかった、それじゃあお言葉に甘えてそうさせてもらうよ」

 

「ありがとうございます」

 

 杏夏は凛に対して軽く頭を下げる。一方、凛はデスクに戻らずに杏夏の斜め前の席に腰を下ろすと問いを投げかけてきた。

 

「春咲さん。君はどうして民警になろうと思ったんだい? これは面接の合否には関係ないから答えたくなかったら答えなくても良いからね」

 

 その問いに対し、杏夏は少しだけ考え込んだ後口を開く。

 

「私が民警になりたい理由は人助けをしたいからなんです。私の家族がやっていた仕事は銃器の開発や銃弾を製作することだったんです。私もそれを継ぐために色々教えられていたんです……でも思っちゃったんです」

 

 自嘲気味な笑みを浮かべたあと言い切った。

 

「私の家の仕事は人助け程遠いんだなって。銃弾は人間を殺してしまう銃に必要なものです。でも、そう思った時には私の頭の中には銃器の知識が入っていました。だからこの知識を人助けのために使いたいと思って民警になろうと決意したんです。まぁ両親は病で死んでますし、親族もいませんから誰も止める人はいなかったんですけどね」

 

 恥ずかしげに小さな笑みを浮かべながら言う杏夏だが、話を黙って聞いていた凛は深く頷いた。

 

「なるほど、立派な理由だね。じゃあ武器も銃かな?」

 

「そうですね。主にこのグロックを使います。既にライセンスも取得できています」

 

 そういうと杏夏は内ポケットからライセンスを取り出して凛にそれを見せる。

 

「まだまだ駆け出しなので、序列はすごく低いですけどね」

 

「皆そんなものだよ。僕も最初はそうだったし」

 

「じゃあやっぱり断風さんも民警なんですね。只者ではない感じはしましたけど」

 

「うん。これでも一応はね。っと、社長が帰ってきたね」

 

 外から聞こえてくる重低音のエンジン音とシャッターが開く音に凛が言いながら立ち上がり、面接の準備を始めた。杏夏もそれを見て、緩んでいた気を引き締める。

 

 しばらくすると階段を上がるコツコツという音が聞こえたので、杏夏は立ち上がってから事務所のドアを見る。そして大きく深呼吸したあと、事務所のドアが開けられる。

 

「ただいまーっと。凛くんお客さんは……来てるみたいね」

 

 事務所のドアを開けて入ってきたのは無骨なデザインの眼帯をつけた黒髪の女性、黒崎零子だった。なぜ彼女が零子であったのかとわかったかというと、先日電話で話した声と同じであったからだ。

 

「は、春咲杏夏です! 先に上がらせてもらっていました。すみません」

 

「別に謝るようなことじゃないわ。私が変なタイミングでIISOに行っていたのが悪いんだし。さて、それじゃあさっさと面接始めましょうか。座ってて良いわよ春咲さん」

 

 零子は言うと窓際の一番大きなデスクの引き出しからA4の紙とクリップボード、ボールペンを取り出して杏夏の真正面の席に着いた。凛もすでに彼女の隣に腰を掛けており、彼もクリップボードを手にしていた。

 

 それを見た杏夏はすぐさまソファに腰を下ろして二人に向き直る。

 

「それじゃあ面接を始めるわね」

 

 その言葉を皮切りに杏夏の面接が幕を開けた。

 

 

 

 

 

「ふむ……とりあえずこんなところかしらね。お疲れ様」

 

 軽くペン回しをしながら零子が告げ、長かった面接が終わった。いや、実際は三十分か四十分程度だったのでそこまで長時間というものではなかったのだが、緊張していたためか長く感じてしまったようだ。

 

「ありがとうございました」

 

「ええ。結果はそれなりに早く入れるから楽しみにしておいてね」

 

 不適な笑みを浮かべながら言う彼女に対し、今日は苦笑する。

 

 というか面接の結果とは楽しみにするものなのだろうか。むしろ心臓に悪そうなものだが。

 

 そんな雑念を振り払い、杏夏はソファから立ち上がり再度頭を下げて「ありがとうございました」と告げた後、そのまま踵を返して事務所から出る。

 

「失礼しました」

 

 最後にそれだけ告げ、杏夏は黒崎民間警備会社の事務所を後にする。

 

 事務所から出た後、そのまま振り向くことなく歩いた彼女だがしばらく行ったところで大きなため息が出た。

 

「はぁ……緊張感すごかったぁ……。優しい人たちなのはわかるんだけど、社長さんの目つき鋭すぎだよ」

 

 胸に手を当てて溜息をつく彼女の顔には明らかな緊張が見て取れた。

 

 まぁそれも無理はない。何せ零子の視線は凛とは違い全てを射殺すような鷹のような光りを宿していたのだ。もし本気で睨まれたら大の大人でも萎縮してしまうのではないだろうか。

 

「でも、自分の言いたいことは言えたし悔いはないかな」

 

 しかし杏夏もすぐに心を切り替えて満足げな顔をしながら帰路についた。

 

 

 

 

 

 杏夏が帰った黒崎民間警備会社の事務所では、凛と零子が先ほどの面接の資料を纏めていた。

 

 すると零子がタバコに火をつけながら呟く。

 

「いい子だったな」

 

「そうですね。受け答えもハッキリしていましたし、何より言葉に迷いがなかったです。それに摩那達のような子にも嫌悪感も抱いていないようでしたし」

 

「そうだな。だがそんなヤツならば履歴書の段階で蹴っているけどな。まぁそんなことをしなくても、大概の奴等は目を見ればどんなヤツか理解できる」

 

 紫煙を燻らせ杏夏の履歴書をつまんだ零子は肩を竦めながら言う。すると、彼女にコーヒーを出した凛が問うた。

 

「ということは採用の方向で?」

 

「ああ。今まで見てきた志望者の中では一番の人材だろう。それに弾丸を制作できるというのはいい」

 

 にやりと笑った零子は引き出しからハンコを取り出し、朱肉に押し付けた後、杏夏の履歴書にポンと押す。

 

 そしてハンコをどけたところには「採用」の文字が入っていた。

 

 

 

 

 

 

 ちょうどその頃、横断歩道を渡っていた杏夏は人助けの真っ最中であった。

 

 彼女の片手には大きな風呂敷が持たれており、隣には腰の曲がったおばあさんが申し訳なさそうにしていた。

 

「お嬢ちゃんわるいねぇ、荷物持ってもらって」

 

「いえいえ。困った時はお互い様ってヤツですよおばあちゃん」

 

 笑顔を向けて言うと、おばあさんも安心したように柔和な笑みを浮かべていた。そして横断歩道を渡りきったところで杏夏はおばあさんに風呂敷を返す。

 

「本当に渡るだけで大丈夫?」

 

「大丈夫だよ、あとは真っ直ぐだからね。いやいや本当に助かったよ、ありがとうね」

 

「気にしないで。それじゃあ気をつけてね」

 

「あ、待っとくれ」

 

 踵を返そうとしたところで呼び止められた。それに振り向くとおばあさんは風呂敷の中をまさぐって菓子パンを渡してきた。

 

「お礼だよ。就職活動中なんだろう? あんまり足しにならないかもしれないけどそれ食べてがんばってね」

 

 そういい残すとおばあさんの方が先に行ってしまった。杏夏はもらった菓子パンに目を落とした後、満足げな笑みを浮かべて歩き始めた。

 

 家に帰る間、アパートの冷蔵庫事情を思い出しつつ今晩の夕食を何にするか考えていた杏夏だが、ふと耳に怒声が飛び込んできた。

 

「このバケモンがッ!」

 

「なに人間様のいるところうろついてんだクソがぁ!!」

 

 声は薄暗い裏路地からだった。見るとガラの悪そうな男達が小さな女の子に殴る蹴るの暴行を加えていた。少女は逃げ出す気力も体力もないのか、それとも既に絶命してしまったのかピクリとも動かない。

 

 その光景に杏夏は下唇を強く噛む。彼等が暴行しているのは、ガストレアウイルスを体内に宿す少女たち、『呪われた子供たち』だ。

 

 大戦後に生まれた彼女達はガストレアウイルスを保菌しており、酷く迫害されている。中には彼女達をエリア内から一掃しろという過激なことをほざく連中もいるという。

 

 それに対し、杏夏は本当に馬鹿馬鹿しいと思った。なぜならば彼女達の中には民警として働いている子供たちもいる。彼女らは成人男性を軽く凌駕する膂力を持っているため「イニシエーター」と呼ばれ、「プロモーター」と呼ばれる監督役の下で日々危険な任務に身を投じている。

 

 なのにそんな子供たちを一掃してしまって誰がエリアと守るというのだろう。プロモーターや自衛隊、警察だけではガストレアを倒しきるのはハッキリ言って無理だ。だからこそガストレア因子を持つ彼女達の力が必要なのだ。

 

「……本当に人間って勝手で残酷だよね……」

 

 小さく言いつつ杏夏は裏路地に足を踏み入れる。すると、男達がこちらを睨んできた。

 

「あんだテメェ? なにこっち睨んでくれちゃってんだよ」

 

「オレ等と遊んで欲しいんじゃネ? かなり美人だし楽しめそうだぜ」

 

「あぁそういうことか。ちょっと待ってろよ、このバケモンを掃除したらすぐに相手してやる」

 

 下卑た笑みと生理的に受け付けない舌なめずりをした男達に杏夏は大きなため息をつく。そして彼等に呆れ口調で告げる。

 

「あんた等みたいな社会のド底辺の連中と誰が遊んであげるって言うのよ。群れることと暴力しかのうのないバカがえらそうなことほざいてんじゃないわよ」

 

 すると男達はそれがムカついたのか、近場にあった鉄パイプを握り締めてこちらに向けてきた。

 

「行ってくれんじゃねぇかおねえちゃんよ。前言撤回だ、おいテメェら。この女にわからせてやろうぜ、オレらを舐めるとどういうことになるかってことをよ」

 

「あら意外。前言撤回なんて言葉知ってたんだ。本能のまま生きるサルみたいな連中かと思ったけどそれなりに知識はあるのね」

 

 小馬鹿にしたような笑みをを向けて言うと、ついに男はキレてしまったのか鉄パイプを高く振り上げながら声を張り上げる。

 

「上等だクソ女! 気絶した後に散々まわしてやるよぉ!!」

 

 怒声を浴びせてくるものの、そんなもの杏夏からすれば大した問題ではない。迫り来る鉄パイプも大振りであるし、筋肉もあまりついていないようで、体の軸もぶれてい。完全に戦闘面は素人だ。

 

 だから杏夏はあえて手加減をしてやった。まず鉄パイプを握る男の手首を骨が軋むほど握り、男が離した瞬間を見計らって手首を解放してやり、男がよろめいたところで、ショーツが見えることも厭わずに強烈な回し蹴りを男の顎先に掠めさせるように打ち抜く。

 

 快音が響き、男がよろめいたのを見てから適当に体を押してやるとあっけなくその場に倒れこむ。先ほどの一撃は脳震盪を狙ったものであり、上手く決まったようだ。まぁ上手く決まっていなくても大ダメージには変わりはないが。

 

 すると男の仲間が焦りながらも怒鳴る。

 

「て、テメェよくも俺たちのダチを!」

 

「倍にして返してやるからかかってこいやクルァ!」

 

 最後の方は興奮していたようで日本語かどうか怪しかった。しかし杏夏はそれに聞く耳を持たず、懐からグロックを抜き放って男達の足元に数発を打ち込む。消音機がついているので大通りに音が漏れることはないだろう。

 

 だが、男達を萎縮させるには十分すぎるほどだ。銃という簡単に人を殺せる武器を前に彼等はあまりにも無力である。そして杏夏は最後の一押しを告げた。

 

「この馬鹿をつれてさっさと消えなさい。もし次にその子達と同じように他の子供たちに危害を加えたら、不能にしてやるわ」

 

 今までの声とは一転ドスの効いた声音に男達の顔面は蒼白になり、杏夏の下で伸びている男を連れてそそくさと逃げていった。

 

 それに対して大きなため息をつくと、杏夏は少女の倒れこんでいた少女に駆け寄ってそっと抱き上げる。少女の傷は既に回復を始めていた。呪われた子供たちは体内のガストレアウイルスによって回復速度も尋常ではないのだ。

 

 だからと言って彼女が受けた心の傷が治るわけではない。杏夏は意識のない少女を抱えたまま立ち上がり、一目散に知り合いが経営している診療所へと向かった。

 

 

 

 

 夕暮れにそまる診療所の待合室の椅子に腰掛けた杏夏はぼーっと天井を眺めていた。するとそんな彼女の頬にヒヤッとしたものが押し当てられる。

 

「うわひゃ!?」

 

 いきなりのことに椅子から跳ね上がってしまった。改めて確認すると、いつの間にか隣には牛乳瓶の底のようなビン底眼鏡を掛け、無精ひげを伸ばした白衣の姿の青年がいた。

 

「相変わらず君はいい反応をしてくれるね。仕掛けるこっちも面白いよ」

 

「もう、なんでいっつも悪戯ばっかりするんですか諸星先生!」

 

 諸星と呼ばれた青年は杏夏に対してケラケラと笑ったあと、缶コーヒーを放って来た。杏夏はそれを受け取った後、今一度諸星を見やる。

 

 諸星一成(もろほしかずなり)。天涯孤独となった杏夏の友人のような相談役のような青年である。医師免許をもっており、このように診療所を開業しているものの変人であるためそこまで人は寄り付かない。

 

 来るのはヤのつくおじさんとか、後ろめたい過去をもつ人とかその辺らしい。

 

「それで先生。あの子は大丈夫でしたか?」

 

 もらった缶コーヒーのプルタブを開けながら問うと、一成はボサボサの髪をガリガリとい掻いた。その際ちょっとだけフケのようなものが飛んでいたが気にしないようにしよう。

 

「まぁ彼女達の生命力と回復力はすごいからねぇ。幸い頭の大事なところや心臓とかへのダメージは少ないみたいだから、生活に支障は出ないと思うよ。ただ、今晩はここで安静にしてもらうことになると思うけどね」

 

「そうですか、よかった……」

 

 ほっと胸を撫で下ろすと、急に喉の渇きが襲ってきたためもらった缶コーヒーを一気に飲み干した。すると、一成は真剣な声音で告げてくる。

 

「それにしても、君はお人よしにも程がある。確かに可哀想だとは思うけど、一歩間違えれば君が危ない目にあっていたかもしれないんだよ?」

 

「それはわかってるけど、目の前であんなふうになっている子を放ってなんかおけないよ」

 

「まぁそれもわかるけどね。とりあえずその話は置いといてだ……今日は面接だったみたいだけどうまくいったかい?」

 

 問いに対し、杏夏はすぐさま頷いた。

 

「それは大丈夫。自分の言いたいことは言えたし、受け答えもハッキリできた。ただ、ちょっと社長さんが怖そうだったけど……」

 

「面接なんて怖そうに見えてしまうものだからね。けど上手くいったならよかったよ。受かっていればいいね」

 

「うん、ありがとう先生。それじゃあそろそろ帰るね。あの子のことよろしく。そうだ、あともうちょっと身体を綺麗にしといたほうがいいよ」

 

 それだけ告げて杏夏は今度こそ家路についた。

 

 

 

 その日の夜。杏夏の元に一本の電話が入った。特に気にせずにその電話に出ると電話の主は零子だった。そして彼女はこちらが出るやいなや告げてきた。

 

「春咲さん合格だから明日の午前十時に事務所に来てねー」

 

 ブツッという音と共に通話は断たれてしまったが、スマホを持った杏夏はただ一言漏らした。

 

「結果出るの、早すぎない?」

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の午前十時。零子に言われたとおり事務所に顔を出すと「IISOに行くわよー」と言われ、そのままトントン拍子に車に乗り込み、あっという間にIISO東京支部につれてこられた。

 

 近代的な建物のなかに入り、幾つかのセキュリティを越え、二人がやってきたのは真っ白な空間だった。真四角の空間は照明の跳ね返りの光りのせいもあるため眩しいほどだったが、目が開けられないというほどではない。

 

「少々お待ちください。ただ今貴方のイニシエーターを連れてきます」

 

 係員の言葉に頷き、強化が前を見ていると零子が後ろに下がって壁に背を預けた。

 

「とりあえず向こうの扉からつれてきてもらえるから待ってなさいな。あと一つ言っておくと私昨日これから会う子に会ったんだけど……」

 

「だけど?」

 

「かなりキャラクターに個性があるから。順応するの大変だと思うわ」

 

 彼女はそういうものの若干頬が緩んでいるのはなぜだろう。というかこの人楽しんではいないだろうか。

 

 そんなことを思っていると向かいの扉が重厚な音を立てて開いた。そして係員に連れられてやって来たのは、輝く金髪とちょっとだけ気の強そうなツリ目の少女だ。髪はどういう原理なのかクルクルと捩じれており、所謂縦ロールというやつになっていた。

 

 すると、彼女はその強気な視線をこちらに向けるとニヤリと笑みを浮かべ、ゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。

 

 目の前までやってきた彼女は、今一度杏夏を値踏みするように眺めた後告げてきた。

 

「どうも初めまして。わたくし、秋空美冬と申しましゅの。これからよろしくお願いいたしますわ、わたくしのプロモーターさん」

 

 途中若干舌足らずな言葉遣いであったが、自己紹介はしっかりしていた。しかもお嬢さま言葉で。同時に彼女は手を差し出してきた。握手を求めているのだろう。

 

 杏夏もそれに頷いた後柔和な笑みを浮かべながら自己紹介をする。

 

「私は春咲杏夏。よろしくね、えっと美冬ちゃん」

 

 言いながら美冬を握手を交わそうとしたところで、美冬の瞳がギラリと光り、悪戯っぽい表情が覗いた。

 

 しかし、それに気づいた時には既に時遅く、彼女は浮遊感と共に宙に投げ出されていた。そして数秒の間、宙を待った後杏夏は背中から床に落ちた。

 

 何とか受身を取ったから痛みはそこまでではなかったものの、それよりもなぜ投げられたのかがわからなかった。

 

 するとそんな彼女に答えるように美冬の声が聞こえた。

 

「そんなのでわたくしのプロモーターが務まるんですの? 不安になってきましたわ」

 

 溜息をつく声と共に聞こえた美冬の言葉でやっと理解が出来た。どうやら彼女はこちらの技量を試したかったらしい。だが、技量を試すならばもう少しマシな方法があったのではないかと、杏夏の中で若干の苛立ちが湧き上がってきた。

 

 そして彼女はゆっくりと立ち上がった後美冬に向かって、眉間の辺りをヒクヒクとさせながら告げる。

 

「上等だよ美冬ちゃ……いや、美冬。そんなに腕を試したいなら、こっちだって本気でやってあげる!」

 

「フフン、たかが人間ごときがわたくしに勝てると思って?」

 

「やってみなきゃわかんないでしょ!!」

 

 こうして腕試し、という名のただの喧嘩が始まった。IISOの職員はオロオロとしていたが、零子は壁際でタバコを吸いながら楽しげに笑みをうかべていた。




今回は美冬との出会いまでですかね。
凛はまだ髪が白かった時代です。摩那は多分アレでしょう、凛のウチで勉強中です。

美冬は本編ではおしとやかな感じですが、当初はこんな感じのおてんばちゃんです。途中チンピラ相手に杏夏が戦いましたが、彼女はそれなりに肉弾戦も出来ます。恐らく義眼や義肢をい解放していない蓮太郎よりも若干劣るくらいと考えていただければおkです。
あとはアレですね、途中に出てきた諸星さんは本編では一度も出てきませんが、死んではいません。そのうち出てくると思われます。
というかIISO東京支部とかあるのだろうか……その辺はお任せします。

次回は美冬と組んでの初任務ですね。
まだまだ凛との恋話にはたどり着きません。
零子さんは平常運転です。

そして大問題発生。
まだまだ完結していないものがあるのにここに来てSAOの二次が書きたくなってしまっていると言う病に陥っています……
あぁ、なんやかんやあれ書きやすそうなんですよね……

ではでは感想などありましたらよろしくお願いいたします。


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杏夏編 第三話

 IISOの一室。真っ白な個室の中では杏夏と美冬がそれぞれ荒い息を吐いていた。

 

 しばらく向かい合った状態でいた二人だが、美冬が口角を上げながら呟く。

 

「やり、ますわね。アナタ……」

 

「ふ、ふふん。イニシエーターって言っても、格闘技も出来ないお子ちゃまになんか……負けらんないからね」

 

 若干腫れた頬を押さえながら杏夏が答える。

 

 すると、傷が全て回復した美冬は杏夏の間近まで歩み寄ると、スッと手を出してきた。握手を求めているのだろうが、杏夏はそれに対して怪訝な顔をした。まぁ先ほど投げ飛ばされたので無理もない。

 

「今回は投げません」

 

「ホントに?」

 

「ええ」

 

 その頷きに杏夏は少しだけ緊張しながらも美冬と握手を交わす。手が触れた瞬間少しだけビクッとしてしまったが、どうやらそれは杞憂に終わったようだ。

 

「改めてよろしくお願いしますわ」

 

「うん。でも、組んだらさっきみたいなことはやらないでね?」

 

「それはアナタ次第ですわね。杏夏」

 

 悪戯っぽい笑みを浮かべた美冬に杏夏は苦笑いで答える。

 

「喧嘩は終わったかしら?」

 

 壁際でこちらの様子を伺っていた零子が凛とした声音で問うてきたので二人はそれに頷いた。

 

 彼女もそれを確認し、IISOの職員に告げた。

 

「それじゃあ本人達の同意も済んだ様なので彼女はウチの社員ということで、よろしいですか?」

 

「え……あ、はい! では手続きがありますので、春咲様と黒崎様はロビーまでお願いいたします。秋空美冬に関しては後ほどロビーに向かわせますので」

 

 杏夏と美冬の喧嘩を目の当たりにして呆けた表情をしていた職員だが、すぐに平静を取り繕って二人をロビーに行くように指示した。

 

 それに従った二人は、入ってきた扉を開けてロビーに向けて歩き出す。美冬もまた職員に連れられれ奥へと消えていった。しばしのお別れである。

 

 廊下を歩く二人であるが、杏夏の前を行く零子が呆れ混じりの声を漏らした。

 

「それにしても、杏夏ちゃんは随分と無茶するわねぇ。民警になる時言われなかった? イニシエーターとは戦うべからずって」

 

「それは言われましたけど……でもあの場は引き下がれないっていうか。自分の力を見せなきゃって思ったんです」

 

「ふむ……なかなかどうしてウチの事務所はこういうのしかいないのかしらねぇ……」

 

「え? 社長、今何か言いました?」

 

 杏夏が問うてみるが零子はそれに「さぁ?」と肩を竦めて答えただけだった。しかし、すぐに彼女は声音を低くした。

 

「けど気をつけなさい。美冬ちゃんがパワータイプのイニシエーターじゃなかったから今回はその程度で済んだけれど、もしパワータイプだったらその程度の傷じゃすまないわ。最悪死んでいたかもしれないしね」

 

 〝死〟という言葉を聴いて杏夏の顔が強張る。同時に彼女の中で先ほどの自分の行動が軽率であったと気付く。

 

 本来、イニシエーターとプロモーターは絶対に肉弾戦をしてはいけない決まりになっている。それは間違いなくプロモーター側が軽傷、ないしは重傷、最悪死亡するからだ。

 

 バラニウム弾で脳か心臓を打ち抜けば彼女たちといえど絶命するが、イニシエーターの反応速度は人間とは比較にならない。そのままインファイトに持ち込まれれば、プロモーターはあっさりと負ける。

 

「けどまぁ今回止めなかったのはあの子がパワータイプじゃなかったのと、貴女がサバットとテコンドーをやっていたからなんだけどね。美冬ちゃんはイニシエーターと言っても格闘技の心得はないから、隙は生まれやすかったでしょう?」

 

「はい、まぁ……。でも確かに社長の言うことは正しいですね。ちょっと頭に血が上ってました」

 

「そんなに落ち込むことはないわ。でも本当に足技は目を見張るものがあった。的確な位置に重い一撃を入れられていたし、対人戦なら結構行けそうね」

 

 零子は素直に杏夏のことを賞賛した。確かに彼女の蹴りの鋭さは、達人とまでは言わないものの、それに迫ることは出来るものであった。

 

 杏夏も彼女の言葉に軽く会釈で答えるが、ふと疑問を口にした。

 

「あの、社長。断風先輩のイニシエーターの子も美冬みたいに好戦的だったりするんですか?」

 

「いいえ。帰ったら紹介するけどあの子は好戦的じゃないわね。でも引っ込み思案でもないわ。言うなればちょっとテンションが高めの普通の女の子って感じね。戦闘面は……凛くんに直接聞きなさいな」

 

 言い終えると同時に零子が道をあけた。どうやらロビーに到着したようだ。

 

 ロビーを見回すと女性の職員が椅子の脇に立っていた。彼女の前には小さめの木製テーブルもある。そして職員がこちらに気が付き腰を曲げて挨拶をしてきたので、杏夏もそれに答え、二人は手続きに向かった。

 

 

 

 

 

 手続きは意外と早く済み、現在、杏夏はIISOがよこした救急箱で簡易的ではあるが治療をしている最中だ。職員が言うには美冬が来るまであと数分あるらしい。

 

「いてて……」

 

 消毒液を浸した脱脂綿を引っかかれた箇所に当てて消毒し、腫れた頬には小さく切った湿布を張った。

 

 応急手当を終えて救急箱に使ったものをしまいながら杏夏は渡された美冬のデータを見る。書かれている内容は身長や体重など当たり前のことだが、途中で「モデル」と書かれた項目に目を留めた。

 

「美冬のモデルはコウモリだったんですね。だったらパワータイプじゃないって言うのも納得です。でもパンチはかなり効きましたけど……」

 

 湿布をはった頬を摩りながら言うと、自販機で缶コーヒー二つとオレンジジュースを買ってきた零子が「そりゃあね」と答えた。

 

「実際私の前でイニシエーターと真正面から戦ってるのを見るのは貴女で二人目ね。一人目……まぁ凛くんなんだけど。どっちかって言うと彼は稽古をつけてるって感じだったわね」

 

「稽古ってことは格闘技とかですか?」

 

「多少はそれも入っているでしょうけど、むしろ立ち回りって感じかしらね。敵に対してどういう風に位置取りをするかとかそんな感じ」

 

「なるほど……」

 

 もらった缶コーヒーを受け取りながら杏夏は考え込む。それは美冬の戦闘中の立ち回りのことだ。

 

 先ほど戦ってわかったことは、美冬のパンチやキックは思い切りが良いものの、相手に的確なダメージを与えられていないのだ。単純に言ってしまえば弱点を突けていない。

 

 隙が生じたとしてもそれを見つけることが出来ず、ただ闇雲に打撃を与えているだけ。もし彼女がパワータイプなのだったらそれでもいいのだろうが、決してパワーが突出しているわけはない彼女は、もっと洞察力をつけたほうが良いと杏夏は考えたのだ。

 

 そんなことを考え込んでいると、先ほど杏夏達が出てきた廊下に通じる扉とは別の扉が重厚な音を立てて開いた。

 

 覗きこむようにそちらを見ると、普段着に着替えた美冬が職員に連れられてやってきた。彼女はすぐにこちらを見つけると軽く手を振りながら駆けて来る。

 

「お待たせしましたわ」

 

「ううん、こっちもそんなに待ってないよ。それと、はいこれ」

 

「これは?」

 

 突然渡されたオレンジジュースに美冬は目を白黒させた。くりくりとした瞳がキョトンとするのはなかなかかわいいものである。

 

「社長が買ってくれたんだよ。お礼言ってね」

 

「そうでしたの。ありがとうございますわ黒崎社長」

 

 ペコリと頭を下げた美冬であるが、零子はニヒルな笑みを浮かべて指をヒラヒラと振った。

 

「社員におごれる位の甲斐性がないと社長なんてやってられないからね。それじゃあ事務所に帰りましょうか。今日は凛くんがご馳走作って待ってくれてるから」

 

 零子に言われ二人は頷いて答え、そのままIISOを後にした。

 

 

 

 

 

「おぉ……すっごい」

 

 杏夏は思わずそんな声が漏れ出してしまった。隣の美冬からも「ごくり」という生唾を飲み込む音が聞こえたので、彼女も驚嘆しているのだろう。

 

 現在、二人の目の前には大皿に大量のハンバーグ、から揚げ、その他揚げ物と、更にはきちんと野菜を取るためなのか、大きめのサラダボウルが二つ置かれている。

 

「ちょっと作りすぎちゃったけど、あまったらそれぞれ持って帰って食べるって感じにしようか」

 

 若干はにかみながら言う凛だが、ふと彼のことを呼ぶ声が聞こえた。

 

「凛ー。飲み物ってどれ持っていけばいいのー?」

 

「あるものは全部持ってきて良いよ」

 

「はーい」

 

 聞いたことのない声に杏夏は首を傾げるが、給湯室の奥からトレイに二リットルのお茶やらジュースやらをのせた美冬と同じくらいの少女が出てきた。

 

 彼女の特徴を一言で現すのなら、燃え上がるような真紅の髪だ。髪にクセやハネは見当たらず、綺麗なストレート。顔立ちもとても可愛らしく、まるでアニメの中から飛び出してきたような少女だ。

 

 少女はそのまま持っていたトレイをガラステーブルの上に置くと、杏夏たちに向き直って先ほどの美冬と同じように頭を下げてから自己紹介を始めた。

 

「えっと、はじめまして。凛のイニシエーターの天寺摩那だよ。よろしくね、杏夏に美冬」

 

「うん。こちらこそよろしくね、摩那ちゃん」

 

「……よろしくお願いしますわ」

 

 笑顔で答える杏夏であるが、美冬は少しだけ緊張気味なのか表情が強張っている。そこで先に席についていた零子が懐からタバコを取り出しながら告げる。

 

「ほら、自己紹介が済んだらさっさと席につけ」

 

「あ、はい……ってあれ? 零子さん、今口調が少し変わっていたような……。しかもタバコも」

 

 杏夏が不思議がるのも無理はない。なにせ今の零子は先ほどまでとはうって変わり、目元は鋭くなり、口調も男らしく、さらにはタバコをまでもふかしているのだ。パッと見だと人格が変わったようにしか思えない。

 

 けれど、零子は杏夏の問いに答えることはなく、紫煙を燻らせて天井を仰いでいる。

 

 すると不思議そうにしている杏夏を見かねてか凛が解説をした。

 

「零子さんは外出時と事務所にいるときで性格を変えてるんだよ。あぁでも二重人格ってわけじゃないからね。それに本質的には変わってないから安心して良いよ」

 

「はぁ……」

 

 そうはいうものの、杏夏からするとよくわからなかった。なぜそんな面倒なことをするのだろう。

 

「そんなに気にすることでもないよ。っと、説明はこのあたりにしてそろそろ食事にしようか。美冬ちゃんや摩那も待ちかねてるし」

 

 凛に言われ隣の美冬に視線を落とすと、彼女は口元から少しだけヨダレを垂らしていた。思わず笑いそうになってしまったが、杏夏はそれを飲み込み頷いた。

 

 それからお昼過ぎの午後三時まで食事やそのほかテレビゲームやらボードゲームなどを楽しみ、今日は早めに切り上げるということで四時には解散となった。

 

 

 

 

 

 夜中。

 

 杏夏はアパートで美冬にずっと思っていた疑問を何の気なしに投げかけてみた。

 

「ねぇ美冬。なんで貴女はお嬢様口調で話すの?」

 

「……」

 

 けれど美冬から帰ってくるのは沈黙のみであった。その反応に思わず聞いてはいけないことを聞いてしまったかと若干身体を強張らせる杏夏であるが、美冬は静かに言葉を発した。

 

「わたくしがこの口調なのは、舐められないようにするためですわ。わたくしたちイニシエーターは社会から蔑まれています。教養もなく、字もかけないだろうと思われていますわ。でも、わたくしはそんな風に思われたくないんですの。

 イニシエーターはガストレアを狩るための道具ではなく、同じ人間であって、皆それぞれ個性があるのだということを証明したいからこういうしゃべり方をするんです。そのためにIISOではたくさん勉強しましたわ。それにいつか世界が平和になった時、読み書きくらいは出来た方がなにかと得でしょう?」

 

 最後の方は笑って言ってくれた彼女であるが、どこか無理をしているようにも見えた杏夏は美冬を優しく抱きしめてみた。

 

「な、ちょっ!?」

 

 驚き、じたばたと腕の中で暴れる美冬であるが、杏夏は何も言わずに彼女を抱きしめる。

 

 しばらくすると美冬も暴れることをやめて杏夏に身をゆだねた。

 

 そして杏夏はこの場で心に決めた。腕の中の小さなこの少女を決して死なせはしないと。絶対に何があっても守りきらねばならないと。

 

 

 

 

 

 翌日から杏夏の本格的な事務所での活動が始まった。美冬はというと、凛の実家が経営しているという『子供たち』の塾に行くこととなった。

 

 最初のうちは事務仕事ばかりで退屈なものが多かったが、事務所に入ってから二週間がたった頃、警察からの要請で出動がかかった。

 

 けれど、出動の白羽の矢が立ったのは凛であった。それでも杏夏は拗ねたり、文句を言うことはなかった。なにせ彼女は新人なのだ。いきなり現場に出て「はいどうぞ」では危険が多すぎる。

 

 それに今回は凛と摩那が狩るのを見学するという理由もかねてあるそうだ。先輩の動きを良く見て学習しろという零子の配慮だろう。

 

 このようなことはその後も何度か続いた。最終的にこのような形での出動は十回となり、杏夏と美冬の中では少しだけ鬱憤というか、同じ事務所にいるというのに出動させてもらえないというモヤモヤとした気持ちが芽生えてきた。

 

 そんな時またしても警察から出動要請がかかり、今度は凛と摩那が監督役として同行するが、戦闘を行うのは杏夏と美冬が選抜された。

 

 二人は待ってましたとばかりに事務所を飛び出してガストレアの討伐へと向かったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間は戻って現在。

 

 

 

 

 

「わかった! その任務で失敗して命が危なくなって凛に救われてあいつに惚れたな!!」

 

 そう声を上げたのは凍だ。しかし、杏夏はそれに対して首を横に振った。

 

「いいえ。実際その任務は雑魚ガストレアだったので簡単に倒せました」

 

「なんだ違うのか」

 

 がっかり、と言った様子で肩を竦める凍だが、「ただ」と杏夏は続ける。

 

「助けてもらって好きになったって言うのはあたってます」

 

 若干顔を赤らめて俯きがちに言うと、凍は目元をキランと光らせて意味ありげに頷く。

 

「ほほう……。助けられて好きになるとは、またなんともテンプレだな」

 

「い、いいじゃないですか!」

 

「別にわるいとは言ってない。だがそんなことよりも続きだ、その任務の後の話を聞かせてくれ」

 

 興味津々と言った様子で顔を寄せてくる凍に若干たじろぎつつも杏夏はそれに頷き、コーヒーを飲んだ後軽く咳払いをして話を続けた。

 

「それでその後の任務はですね……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、こんな話をしている事務所の隅では焔が体育座りの体勢のままブツブツと言葉を吐いていた。

 

「……ニイサンノシツジ……シツジ……ワタシモオセワサレタイ」

 

 まるで壊れたおしゃべり人形のようにカタコトの言葉を漏らす彼女の瞳は生気が見えなかった。




新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

はい、新年一発目の投稿ですが……文章が下手すぎて笑えないw(泣)
ダメですねーかいてないと感を忘れてしまいます。

今回は美冬と組んだ話と、最後のほうは初任務の話となっていましたが、初任務は成功しました。問題はその次の任務です。そこでちょっとした事件が起こります。

杏夏編はあと二話くらいで終わりにしようかと思っています。いい加減本編を進めねば……なんか八巻もでそうな感じですし。

そういえば以前の投稿でSAOがどうの言いましたが……

主人公とサブキャラ作っちまったYO-!!(馬鹿)

……失礼。はい、作りました。設定からなにから作っちまいました!!
オレは馬鹿か!! SAO編も急ピッチで読み直してるし……書く気満々じゃねーかッ!!

たびたび失礼……。
恐らく投稿するとすれば一月の末だろうと思います。←もう投稿する気でいるダメ人間の図
投稿した際はそちらもお願いします。

では、今回はこの辺りで……感想などあればよろしくお願いします。


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杏夏編 最終話

 杏夏が黒崎民間警備会社に入社して早一ヶ月。

 

 仕事にも慣れて来た彼女は既にこの一ヶ月の間で数匹のガストレアを狩ることに成功していた。どれもそこまで強い相手ではなく、今は凛に同行してもらわなくても危なげなく狩ることが出来ている。

 

 また、民警の仕事はガストレア討伐だけでなく、迷子の犬猫を探したり、盗まれた自転車を探したり、なかには浮気調査などという物もあった。

 

 零子に聞いたところ「探偵じみたこともしないと食っていけないからな」という物であった。凛に至ってはストーカー被害に会っていた女性からボディガードを依頼されたこともあるという。

 

 本当に民警っていろんなことをするんだなぁ、と思いつつも彼女は嫌な顔一つせずに仕事に打ち込んだ。

 

 摩那とも仲良くなれているし、美冬との関係も良好で連携も完璧だ。

 

 ただ思うのは、民警になる前以上にエリア内のガストレア出現率が多いということだ。ガストレアは基本的にモノリスがある限り侵入することは出来ない。ゾディアックガストレならばモノリスが合ったとしても突破してくるが、それ以外のステージⅠからステージⅣのガストレアは侵入が難しいのだ。

 

 たとえ侵入ができたとしてもモノリスには自衛隊の部隊が控えているため、即時そこで潰される。けれどそれでも間に合わないことはあるのだ。だからこそ民警が内部に侵入したガストレアを叩く。

 

 それが大変なのは大変なのだが、最近はそれが多くなっている。一部ではモノリスの磁場が緩んでいるのでは? という意見も出ているようだが、それはないらしい。だが、たとえ磁場がゆるくなっていたとしても、杏夏達民警の成すことは変わらない。

 

 ……でも、本当になんでこんなに多いんだろう。

 

 パソコンの作業を終えて椅子の背もたれに寄りかかりながら杏夏は小さくため息をつく。

 

 ふとそこで同じようにパソコンを操作していた零子がクスッと笑いながら声をかけてきた。

 

「疲れたか?」

 

「え、あぁいえ、なんていうか最近ガストレアの出現報告って多いなぁって思って」

 

「ふむ、確かにそれはそうだ。でもな杏夏ちゃん、たまにあるんだよこういうことは」

 

「ガストレアの出現件数が急激に増えることがですか?」

 

 問い返すと零子は新しいタバコを取り出しながら頷き、紫煙を燻らせた後告げてきた。

 

「いい機会だから美冬ちゃんも聞いておけ。こんな家業を長いことやっているとわかってくるんだが、こういったようにガストレアの出現率が上がってくると、何かしら大きなことが起きるんだよ」

 

「大きなこと?」

 

「ああ。以前凛くんがそれを対処したことがあったが……アレは確かアリのようにフェロモンを分泌できるステージⅢのガストレアがエリア内に侵入していて、そいつから発せられる道標フェロモン? だったか。それに誘われてほかのガストレアが侵入してくるという事件があったな。まぁ殆どは自衛隊に駆逐されたんだが、対処が追いつかなくて凛くんが対処したんだ」

 

 肩を竦めて言って見せる彼女だが、杏夏は内心でゾッとした。確かにガストレアには様々な能力を有する個体がいるというが、そのような能力を持つガストレアがいるとは初耳であったため驚きだったからだ。

 

「じゃあ今回もそういったガストレアがいるということですの?」

 

「さぁ、それはどうだろうね。一概にそうだとはいえないが、そういうことも含まれているかもしれないから、頭には入れておいて損はないだろうさ」

 

 零子の話を美冬も納得したのか何度か頭を縦に振っていたが、ふとそこで周囲を見回して零子に問うた。

 

「そういえば零子さん。今日は凛さんと摩那の姿が見えませんがどうしたんですの?」

 

 確かに彼女の言うとおり今日は凛と摩那の姿がない。いつもは自分達と同じくらいかもっと早く来ているはずなのだが。

 

「あの二人なら今日は休みだ。凛くんの実家で勉強している美冬ちゃんなら分かるだろうが、彼の実家にはかなりの子供たちがいるだろう? だからたまに彼は事務所を休んで実家の手伝いをしているんだ。今日は偶々その日だったというわけだ」

 

「先輩も大変なんですね」

 

「そうだな。だが本人が好きでやっていることなのだから好きにやらせればいいさ。ウチは社員にはしっかりとした休暇を与える超ホワイト企業だからな」

 

 零子は高級そうな椅子の背もたれに寄りかかり、そのままグルグルと回転しながら「ハハハハ……」と満足そうに笑っていた。

 

 ……たまーにだけど零子さんの行動が良くわからない。

 

 彼女の行動に若干戸惑いつつも、杏夏は小さく笑みを浮かべて次の作業へ取り掛かろうとした。しかし、そこで事務所の固定電話が鳴り響き、回転していた零子がすぐさまそれを取って応対する。

 

 けれどふとそこで思う。ああいった電話の応対は社長である零子ではなくて自分のような社員がするものではないだろうかと。

 

「はい……はい、わかりました。では人員を送ります」

 

 零子は受話器を置くと杏夏と美冬を手で誘った。それだけでなんの電話だったのか分かる。

 

「推測は付いたかもしれんが出動要請だ。二十八区でステージⅡと思しきガストレアが発見された。現場の区域は既に封鎖が始まっているそうだから行けば警察が案内してくれる。いけるか?」

 

「はい!」

 

「もちろんですわ」

 

 二人の返答に零子は頷き、それを見た二人はすぐさま自分達の装備を整えて事務所を飛び出し、愛用の自転車で二十九区に向かって走り出した。

 

 道中、杏夏は美冬に告げた。

 

「ステージⅡってことは今までのステージⅠよりは手ごわいから気をつけてね」

 

「分かっています。杏夏も足元をすくわれないように気をつけてくださいな」

 

 美冬の忠告っぽいことを聞きながら杏夏は自転車を更に早く走らせた。

 

 

 

 

 

 二十九区に着くと既に市民の避難は完了していたようで、警察官が《立入禁止》と掻かれた黄色いテープを張っているところだった。

 

 杏夏は自転車に跨ったまま警察官に民警ライセンスを見せる。

 

 警察官は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに不機嫌そうな顔のまま告げてきた。

 

「ここからしばらく行った所に野球場がある。ガストレアが目撃されたのはそこだ。報告では蛇のような形をしていたらしい。頼んだぞ、民警」

 

「わかりました。行くよ、美冬」

 

 背後の美冬が頷いたのを感じ、杏夏は開けられた黄色いテープの隙間からガストレアがいるという野球場へと向かった。

 

 野球場は割りとすぐ近いところにあり、自転車を走らせてから十分ほどで到着した。

 

 野球場と言ってもスタジアムほど立派なものではないが、試合などは普通に行うことが出来るものだ。休日などは草野球のチームが練習などをしているのではないだろうか。

 

 だがここにいるというガストレアの姿がない。何処かに姿を隠しているのか、それとも既に別の場所に移動してしまったのだろうか。

 

「美冬、超音波出せる?」

 

「ええ。少し待っていてくださいな」

 

 杏夏の声に美冬は一度肺の中の空気を吐ききった後、胸が膨らむほど空気を吸い込むと、一気にそれを排出した。

 

 だがこれはただ息を吐いているわけではない。これは美冬のコウモリの因子発動させた広域索敵能力、超音波だ。今彼女からは人間の耳には聞くことの出来ない超高音の音波が発せられている。この音波の跳ね返りを利用したエコーロケーションで美冬はガストレアの姿を索敵することが出来るのだ。

 

 また、音は微弱であるが地中にも届くため、敵が地中に潜っていたとしてもあぶりだすことが出来る。

 

「……見つけましたわ。杏夏、手榴弾持ってきてます?」

 

「あるよ」

 

 美冬に言われ彼女に手榴弾を渡すと彼女は手榴弾の安全ピンを引っこ抜き。すぐさま野球場のマウンドに向かって投げ入れた。

 

 それなりの距離があったはずだが、力を解放している状態の美冬によって投げられたそれは見事にマウンドに落ちた。

 

 杏夏達はそれと同時に地面に伏せる。瞬間、投げ入れられた手榴弾が爆発し、爆発音と衝撃なこちらまで届いた。

 

 その音に混じって甲高い苦しみの声が聞こえたのでそちらを見ると、もうもうとたつ土煙の中に細長い影が見えた。

 

「出た!」

 

「どうやら本当に蛇型のガストレアのようですわね」

 

「地中でえさが来るまで待ってたってわけだね」

 

「いい性格してますわ。そういえば、あの手榴弾は確かバラニウム製でしたわね」

 

「うん。普通にあたったならステージⅡ程度なら殺せるはず」

 

 いまだ立ち込める土煙を睨みつけながらいるが、ガストレアが反撃してくる様子はない。やがて土煙は晴れかけた。

 

 けれどその瞬間、煙の薄くなったところから何かが飛び出してきた。

 

「杏夏!」

 

 美冬の悲痛な声が聞こえ、そちらを見るよりも早く力強く体を押された。そのまま二人はゴロゴロと地面を転がるが、すぐさま立ち上がる。

 

「美冬、大丈夫!?」

 

「これぐらい、掠っただけですわ」

 

 肩口を押さえながら言う彼女の腕を見ると、確かに掠った後があり、赤々とした鮮血が流れ出ている。しかしすぐに彼女は腕を放す。血の沁みはあるものの、既に回復が始まっている。

 

 それを見つつ杏夏と美冬は改めてマウンドにいたガストレアを見るが、そこに先ほどの細長い影はなく、代わりというように顔のない黒い触手のようなものがうねっていた。

 

「なに……アレ……?」

 

 その触手を不審に感じた杏夏は声を漏らすが、彼女に思考する時間を与えないかのように球場のいたるところから同じような触手と、一対の赤い瞳と鋭利な牙をもった蛇のようなものが出現した。

 

 それらを確認したのも束の間、蛇もどきと触手はこちらに向かって凄まじいスピードで接近してきた。こちらも迎え撃とうと愛銃を構えるが、体が後ろに引っ張られる感覚と共にその場から大きく後ろに離脱した。

 

 前方では自分達を喰らい損ねた蛇もどきがウネウネとうごめいている。

 

「美冬……ありがとう」

 

「礼には及びませんわ。ですがあのガストレア……どうにもステージⅡには見えませんわね」

 

「うん、というかあの蛇みたいなの地面から出てこないってことは、地下でつながってるのかな?」

 

「だとすればもう一度超音波を出して索敵してみますわ。その間、防御を頼んでもいいですの?」

 

「まかして」

 

 杏夏は美冬に答えると上着の内側から一本のマガジンを取出し、既に入れてあったグロックのマガジンを排出。取り出したマガジンを再装填してこちらに迫っている一本の触手と蛇もどきの頭に装填した弾丸を撃ち放つ。

 

 硝煙の臭いが鼻を突き、銃声が鳴り響く。

 

 真っ直ぐに飛んだ二発の銃弾は見事に触手と蛇もどきに命中。けれど大したダメージはない様に見える。けれど杏夏はニッと笑みを浮かべる。

 

 瞬間、触手と蛇もどきの頭が膨れ上がり爆音と共に破裂した。オレンジ色の爆炎が上がり、肉が焦げたような臭いが届く。二本ともその場に力なく倒れこむが、ガストレア特有の再生の兆しはない。

 

「撤甲型炸裂弾……うん、なかなかの威力」

 

 今の弾丸は杏夏が新たに開発した撤甲弾の中にたっぷりの火薬とバラニウム液を混ぜたものだ。対象に突き刺さってから数秒後に炸裂する仕掛けになっており、上手い具合に脳を破壊できればステージⅢでも相手取れるだろう。

 

 そのまま杏夏は次に向かってきた触手に銃弾をぶつけ、美冬が超音波を出すまでの時間を稼ぐ。

 

 そのまま迎撃し続けること数分、美冬が声を発した。

 

「杏夏! 一旦この場を離れましょう!」

 

 彼女の声に疑問を抱きつつも杏夏は美冬の元までもどると彼女に問うた。

 

「どうしたの? そんなにやばい敵?」

 

「ええ、大きさから推察すると恐らくステージⅢ後半……あの触手や蛇のような頭はただの索敵用の器官であると思われますわ」

 

「アレだけでも十分殺傷能力ありそうなんだけど!」

 

 言いつつ杏夏は蛇もどきを迎撃。またも爆裂する蛇もどきはその場に力なく倒れるが、ほかの触手の動きはあまり変わったようには思えない。

 

「美冬。もう一回確認するけど、アイツの本体が出てきたとして私達の手におえる?」

 

「……先ほどの弾丸を本体の脳に叩き込むことが出来れば可能だと思いますわ。けれど銃だけで突破できるようにはとても思えませんわ」

 

 美冬に言われ杏夏も難しい顔をする。そして手持ちの装備を再確認。

 

 今現在自分の手にあるのは手榴弾が五つ。先ほどの撤甲型炸裂弾があとマガジン二本分。通常のバラニウム弾のマガジンが二本。

 

 どうにかして本体を地中から地上へ引っ張り出すことが出来れば肉の壁を突破し、ガストレアの脳を破壊することも可能だろう。けれど、ヤツがどのタイミングで地上へ出るのか分からない今、二人だけでアイツの相手をするのは危険すぎる。

 

 同時に彼女の頭の中で零子が言っていたことが思い出される。

 

『ウチは従業員の命を第一に考える。決して刺違えてでも倒そうとか思うな。無理だったら仲間を頼れ』

 

 杏夏は触手や蛇もどきを迎撃しながらスマホを操作し、ある人物へと電話をかける。

 

 その人物は数コールで出てくれた。

 

『もしもし、杏夏ちゃん?』

 

「凛先輩! お休み中すみません、でもお願いです。力を貸してください!」

 

『まさかガストレアと戦闘中かい?』

 

「はい、そのまさかです。でもこのガストレア、私達だけでは手に負えないみたいなんです! だから、お願いします!!」

 

『わかった、場所は?』

 

「二十九区の野球場です。道は封鎖されているのですぐに分かると思います!」

 

 杏夏の言葉に凛は「必ず行くから」と返し、杏夏もそれに納得したように頷いてから通話をきった。

 

「凛さんはなんと?」

 

「必ず来るって。私達も負けないようにしないとね」

 

「当たり前ですわ。こんなところで死にはしません」

 

 二人は今一度ガストレアと向き直り、美冬は黒刃のナイフを二本取り出し、杏夏は銃と予備のマガジンをいつでも装填できる体制に持っていく。

 

 そして頷きあった二人はガストレアに向かって駆け出し、それぞれ触手と蛇もどきの相手をする。

 

 杏夏は先ほどまでと同じように銃で迎撃、美冬の方を見るとナイフの柄尻の部分から伸びたワイヤーとナイフを駆使して触手を切断している。

 

 だがガストレアもやられるがままではない。明らかにこちらの迎撃能力を学習し、動きに合わせてきている。杏夏も何撃か掠めたが、血液や体液は注入されていないことだけが幸いか。また美冬も同じようで服の所々が破けている。

 

 ……出来れば美冬には戦ってほしくないけど……ごめん、美冬。

 

 謝りつつも杏夏は手榴弾の安全ピンを引っこ抜き、触手の根元を爆破する。

 

 

 

 

 戦闘が始まって既に十五分近くが経過した。

 

 杏夏達は地上に出ていた全ての触手と蛇もどきを駆逐することが出来た。だが彼女達も傷が目立ち、美冬は一見して傷がないように見えるが、服は所々が破けているし、杏夏は頭からも出血している。

 

「とりあえず、これで触手系は倒したけど……」

 

「本体はまだですわね」

 

 息を切らしつつ二人が言うが、まるでそれに返事をするようにまたしても地中から触手が出現した。しかし今度はただの触手ではなく、その先には鋭利は刃のような爪が付いている。

 

 その触手たちは身体をささえるように地面に再び突き刺さると、それらの中心からついに本体が姿を現した。

 

 一言で言ってしまえばそのガストレアの形は北欧神話に登場する海の怪物、クラーケンのようだった。しかし、クラーケンのように吸盤はない。本体の頭にはクワガタ虫のような強靭な鋏。のっぺりと後ろに伸びた頭の先には一際太い触手があり、頭のすぐ下からは蛇もどきと触手が生えている。けれど問題なのは触手の数が尋常ではなかったことだ。

 

「大きい……」

 

「こんな大きなガストレア、何処から……」

 

「多分だけど、ここは外周区に結構近いよね。だから事務所にいるときに零子さんが言ってたけど、特殊なフェロモンを出してガストレアを誘き出して食っていたのかも」

 

「そんな! そんなことはありえませんわ!」

 

「いいや、ガストレアは時にありえないことも起すからね。昔の漫画の言葉を借りるとするなら『ありえないなんてことはありえない』かな」

 

 苦笑気味に言いながらも杏夏は警戒を怠らない。

 

 ……時間的にそろそろ凛先輩が着くはず。それまではなんとしても生き残らないと。

 

 杏夏は銃を構え、周囲でうごめく触手とキンキンと鋏を打ち鳴らす本体を睨みつける。美冬も驚きつつも相手を見据えるが、その瞬間、彼女の下の土が盛り上がり、触手が美冬の顎先を直撃した。

 

「美冬ッ!!」

 

 悲痛な声をあげて美冬に駆け寄り彼女の傷口を見る。幸いギリギリで避けることが成功したのか、大きな傷ではない。だが、目の焦点が合っていないことから軽い脳震盪を起していることが分かった。

 

 ガストレアはその一瞬を見逃さなかった。先ほどまで周囲で蠢いていた触手がいっせいに杏夏と美冬に向けられたのだ。

 

 美冬を抱えていることで逃げられないが、そこで杏夏の中の黒い感情が姿を現す。

 

 ……美冬を置いていけば私は助かる……。

 

 彼女は腕のなかの少女を見る。そう、IISOに申請すればいくらでも変えは効く。だからここで杏夏は美冬をはな――――さなかった。

 

「そんなこと……出来るわけないでしょうがッ!!」

 

 ……たとえこの子がそうしてくれと望んでも、仲間であるこの子だけは何が何でも。

 

「守り抜くって決めたんだからッ!!」

 

 杏夏は美冬を庇うように美冬に覆いかぶさる。

 

 次の瞬間触手が自分の体を貫くだろうと彼女は予測した。けれど、その衝撃は訪れず、代わりにガストレアの痛みにもがく悲鳴が上がり、どす黒い血があたりに降り注いだ。

 

 何が起きたのかと顔を上げて辺りを確かめると、自身の前に白髪の青年と赤髪の少女が佇んでいた。

 

 青年の手には漆黒の剣、バラニウム刀。少女の手には黒刃の爪。それぞれが陽光を怪しく反射していた。

 

「ごめん、杏夏ちゃん。遅れたね」

 

 優しい声とは裏腹に目の前の彼からはとてつもない覇気が伝わってくる。びりびりと伝わってくるその覇気に全身にゾワリとした感覚が駆け抜けた。

 

「来てくれたんですね……凛先輩」

 

「もちろんだよ。言っただろう? 必ず行くって。でも良くがんばったね。だからそこで休んでいていいよ」

 

 言うと同時に彼は腰を落とし、刀を下段に構える。

 

 ガストレアは残った触手で凛を捉えようとするが、それらは全て凛に触れる瞬間に細切れに切り刻まれた。

 

 その速さはまさに神速というにふさわしかった。とても人間の肉眼では判断できないだろう。それだけに彼の剣術は常軌を逸していたのだ。

 

 だがそんな彼にも見落としはある。別に触手が杏夏達を捕らえようとしていたのだ。杏夏がそれに声を上げようとした時だった。

 

 赤き閃光が彼女の周りを駆け、迫っていた触手が全て断ち切られたのだ。

 

「ふいー、げいげきかんりょー」

 

 軽い声が聞こえたのでそちらを見ると、返り血を浴びた赤髪の少女、摩那がいた。そして思い出す、彼女のモデルがチーターであったことを。

 

 そして前方では更に凄まじいことが起きていた。凛の倍以上はあろうかというガストレアの本体から生えていた触手が全て根元から斬りおとされ、凛がガストレア本体の体を中ほどまで切り裂いていたのだ。

 

 ドス黒い血液と粘着質な体液が零れ落ち、ガストレアは苦悶の悲鳴を上げているが凛はとどめは差していない。どうしたのだろうと小首をかしげていると、凛が呼んで来た。

 

 ちょうどそのとき美冬も目が覚めたのか、頭を何度か振っていた。彼女と摩那に託した後、杏夏は凛の元へ行く。

 

「杏夏ちゃん。このガストレアのとどめは君が刺すんだ」

 

「え、私が? でもここまでやったのは凛先輩ですから、先輩が……」

 

 その問に凛は被りを振って告げてきた。

 

「僕は何もしていないよ。こいつをここまで引きずり出せたのは杏夏ちゃんだし、何よりこの任務の出動要請を受けたのは君だ。だから、君がとどめを刺すんだ」

 

 真剣な表情と真剣な声音に杏夏は一瞬萎縮してしまうものの、逡巡の後小さく頷くと、撤甲型炸裂弾が入った銃を向け、一呼吸の後にガストレアの脳に叩き込んだ。

 

 こうしてなんともあっけなくガストレアは絶命し、杏夏は警察から報酬も受け取った。摩那は美冬と共に先に事務所に戻っていると告げ、二人は帰ってしまった。

 

 事務所に帰る道中、杏夏は絶体絶命の時に自身の心の中に芽生えた黒い感情を凛に打ち明けてみた。

 

 その話を凛は黙って聞いてくれていたが、話を終えると彼は小さくうなずいて告げてきた。

 

「確かにそう思ってしまうのも仕方のない状況だったかもしれないね。別にそういう感情を持つなとも言わないし、僕は君を責めるつもりもない。あの状況であれば誰だってそんな感情を持ってしまってもおかしくはない」

 

「……はい。でも私は自分が怖いんです。もし次にあんな状況になったら今度は本当に美冬を見捨ててしまいそうで……」

 

「だったら、君はもっと強くなるべきだ。最強になれとは言わない。ただ、自分の大切なものを守れるようになるぐらいまでには強くなることが必要だね」

 

 そういう凛の瞳にはかすかな悲しみがあり、杏夏は何処となく彼の言葉が胸に重く来るものがあった。

 

「常に恐怖や悲しみばかりを背負っていたのでは何も生まれない。誰かを失うのが怖いのなら失わせない。誰かを守るのなら絶対に守りきる。敵を打ち倒すのなら即時判断で倒す。それだけの強さと覚悟を持つことが君をもっと強くしてくれる」

 

「覚悟……」

 

「民警になるという君の覚悟は素晴しいものだと思ったよ。でもね、それと戦闘のにおいての覚悟はまったく別のもだよ。だから杏夏ちゃん、君はもっと強くなって強い覚悟を持つんだ。大切な相棒である美冬ちゃんを守るためにね」

 

 真剣な声音でいう凛に対し、杏夏は自身の内側から熱い物がこみ上げてくるのを感じた。

 

「すみません! 凛先輩、私先に事務所に帰って美冬に謝ってきます!」

 

 言うが早いか杏夏は自転車に跨り、全力で事務所を目指した。

 

 けれど彼女の心には刻まれた。大切な人を守って見せるという強い覚悟と、強くなってやるという覚悟が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「とまぁこんなところが私が凛先輩を好きになったところですねぇ。ピンチな所を助けてもらったのもそうですけど、一番はやっぱり私に覚悟の重要性を教えてくれたことです」

 

 夕日に照らされる事務所の中で杏夏は恥ずかしげに凍に告げていた。凍も話を聞き終わり満足げな顔をしている。

 

「なるほどな、それで覚悟を持って強さを目指した結果が今か……。いい覚悟じゃないか」

 

「そうですかね。これでもまだ失敗も多いですけど」

 

「いいや、それでいいんだ。人間は失敗からものを学ぶからな。凛だって失敗するし、黒崎社長だって失敗する。問題なのはそこから何かを学ぶか、学ばないかだ。お前は結果的に学んだからこそ、それほどの序列になったわけだしな」

 

 肩を竦めて言う彼女は残ったコーヒーをすすった後、杏夏に向き直って告げてきた。

 

「さて、凛を落とす方法だったか。まぁなんやかんやでアイツははっきりといわれることに弱いぞ」

 

「ということは……」

 

「思い切って告れよってことだ。アイツもそこまではっきり言われたら引き下がらないだろうしな。あぁ安心しろ、ヘタレではないからちゃんと答えてくれるはずだ。後はお前がはっきり伝えられるかどうかだな」

 

 凍はそれだけ言うと、部屋の隅で丸くなっていた焔を引っ張って「それじゃあがんばれよ」とだけ告げて帰っていった。

 

 後に残された杏夏はちょっとだけ唇を尖らせながらも「うん」と頷いた後拳を強く握り締めて立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 凛が司馬家の執事業務を終えて帰ってくる日、杏夏は緊張しながらも凛の帰りを待っていた。そう、今日この場で凛に正式に告白するつもりなのだ。これだけ人の目があるところなら凛もむげには出来ないであろうというちょっとだけ意地悪な作戦だが。

 

 けれど、その際焔が妙な気を起さないか心配だ。

 

 そしてついに事務所の扉が開けられ、凛が帰ってきた。

 

「ただ今戻りましたー。いやー、二週間けっこう疲れましたよー」

 

「そうか、お疲れ様だな凛くん。あぁそうだ、杏夏ちゃんが話があるそうだぞ」

 

 零子がちょっとだけサポートを入れて凛の注意を杏夏に向けさせた。それと同時に杏夏は立ち上がり、彼に告げる。

 

「り、凛先輩!」

 

「はい?」

 

「え、えっとその、わ、私は凛先輩のことが……す、す、す、す……!」

 

 だが悲しいかな、アレだけ思っているはずなのに「好き」という言葉だけが出てこない。漫画やラノベの女子達がこういうことになるのも必然なのだろうか?

 

 でもここで退いては女が廃ると、杏夏は意を決して凛に向き直る、

 

「私は、凛先輩のことがす――」

 

「シャー!! ニイサンー!!」

 

「え、焔ちゃ、どわぁッ!?」

 

「――きです!! ってアレ?」

 

 言い切ったと思ったものの、先ほどまでいた凛の姿が目の前から消えていた。けれど視線を下に落とすと、焔に組み敷かれている凛が見えた。

 

「ふおおおおおおおッ! 二週間ぶりの兄さんスメルー!! まさか司馬重工のお嬢様に何もされてないですよね!?」

 

「なにもって何を、ってうわっちょズボンはやめてってば!」

 

「グヘヘヘ、いいじゃないですかぁ! 親戚的関係なんだから法律的には何の問題もありませんッ!!」

 

「そんなに胸を張って言うことじゃないし、なんか笑い方がおかしいよ!? ちょ、凍姉さん助けて!」

 

 焔は凛の上に馬乗りになり、彼のシャツに頭を押し付け、空いた手は彼の下半身(股間部)をまさぐっている。すると見るに耐えかねた凍がかなり大きなため息の後、焔の後ろに歩み寄った。

 

「当身!」

 

「ぎゃん!?」

 

 手刀を首筋に当てられたことにより、焔はビクンと体を震わせた後、凍に首根っこをつかまれて縄でグルグル巻きにされた。

 

「ふぅ……助かった……ありがとう、凍姉さん」

 

「礼には及ばん」

 

 凍は短めに答えたが、凛は軽く頭を下げていた。

 

「えっと、それで杏夏ちゃん。よく聞こえなかったんだけどなにかな?」

 

「え!? あ、えっと……あ、そうだ凛先輩お寿司好きかなーって思ったんです!」

 

「お寿司? うん、嫌いじゃないけど……」

 

「そ、そうですか! じゃあ今度みんなで食べに行きましょう。そうしましょう! ちょっと私外回り行ってきます!」

 

「え、ちょ、杏夏ちゃん!?」

 

 凛が言って来るものの杏夏は凄まじい勢いで事務所を飛び出し、残暑厳しい東京エリアの道を走りながら叫んだ。

 

「もーーーー!! なんでこうなるのよーーーーーーッ!!!!」

 

 彼女の叫び声は凛に聞こえることはなく、虚空へと消えて行った。

 

 どうやら、杏夏の恋が成就するまではまだまだ時間がかかりそうである。

 

 

 

 杏夏編 完




短めでしたが杏夏編はこれで終わりとなります。

あと、お待たせしてしまったことを申し訳ありませんでした。
高熱に引き続いて期末テストなんていうクソめんどくさいものがあったので……そしてSAOまで投稿してしまったので……。

はい、今回いえることは焔空気よめオラァ!! ですねw
まぁ彼女はしょうがない……
けれどですね、私の個人的考えですが、杏夏ちゃんの恋はきっと成就するはずです。

次回からは七巻の内容に入ろうかなやんでおります。もしかしたら八巻が出るまで更新を停止する可能性まであります。
ですが、どちらにせよ原作完結までは書いていきますのでご安心を。
では、感想などありましたらよろしくお願いいたします。

あと宣伝ですが、SAOでも書き始めました。
題名は「ソードアート・オンライン -宵闇の大剣士-」です。語脅威がありましたらそちらもどうぞ。


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VS爆弾魔-悲しみの漂浪者-
第一話


 黒崎零子――。

 

 黒崎民間警備会社の社長にして民警。そして四賢人、室戸菫の機械化兵士計画の被験者。

 

 それにより二一式黒膂石義眼試作機に適合する。

 

 しかし、彼女の過去については一切の資料が抹消され、彼女の過去を知るものは室戸菫と、彼女自身しか存在しなかった――。

 

 

 

 これは一年前の夏、2030年八月に起きた東京エリアを騒がせる爆弾魔と黒崎零子の戦いの記録である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 東京エリアの一角にあるとあるビルの屋上に一人の男の姿があった。真夏だというのに喪服のように真っ黒なスーツを着込み、黒のパナマ帽を被っている。髪はボサボサで顔にもあまり手入れのされていない無精ひげが見える。しかし、顔立ちは不細工かといわれればそうではない。むしろ整っており、服装も相まってダンディーという雰囲気だろうか。

 

 彼の瞳には光が灯っておらず、ただ眼下に広がる風景を俯瞰しているだけのようにも思えたが、彼の口元は僅かに上がっていた。指に挟んでいるタバコからは紫煙が上がり、虚空に消えていく。

 

「……そろそろやるか」

 

 低いその声と同時に男性は持っていたタバコを咥え、懐から旧式の携帯電話を取り出して通話ボタンを押した。しばらく呼び出し音が鳴っていたが、ふと彼の視線の先のビルから赤い炎と黒い爆煙が吹き上がった。

 

 距離にして凡そ一キロ弱と言ったところか。携帯電話からは不通の音が聞こえ、男性の笑みは更に強いものとなった。

 

 通話を切って携帯を懐にしまいこんだ男性は、そのまま爆発したビルから視線を外した。

 

 男性の口元は相変わらず楽しげに吊り上がり、鼻歌も歌っているようだった。そして男性はただ一言呟いた。

 

「次はお前だ。……黒崎……」

 

 

 

 

 

『――今回東京エリア内で発生した爆発は、例の爆弾魔《パサード》によるものだと警察関係者からの調べで判明致しました。警察は――』

 

 ニュースキャスターが速報の原稿を読み上げている。それを資料整理の合間に眺めていた女性、黒崎零子は小さく息をつく。

 

 現在、彼女が経営している黒崎民間警備会社は、お盆休みに入っていた。事務所に凛と摩那、杏夏と美冬の姿はない。

 

 零子自身も休みなので休んでいれば良いのだが、彼女は休むことはせず事務所の纏められていなかった書類を整理していたのだが、少し休憩しようと思いテレビを点けたら今のニュースが流れたところだったのだ。

 

「爆弾魔、ねぇ……」

 

 言いながらタバコに火をつけて紫煙を燻らせる。ここ最近、東京エリアには《パサード》なる爆弾魔が世間を賑わせている。最初の犯行は二ヶ月近く前だ。警視庁にパサードという名義で犯行声明文が送られたらしい。当初警察は立ちの悪い悪戯だろうと勘繰っていたらしいが、その甘さが裏目に出た。

 

 結果として爆弾は起爆され、三十人近くの重軽傷者が出た。これはメディアでも多く報道されたのだが、警察上層部はこの事実を隠蔽したという。零子が話を知っているのは金本から教えられたからである。

 

 以来、警察は躍起になってパサード逮捕に向けて奮戦しているのだが、今になっても捕まえられていないのが現状だ。それをあざ笑うかのごとくパサードの犯行は激化しており、最近では死者も出た。

 

 一度は民警も助力するという案も出たというが、民警を嫌っている警察機関がそれを許すわけもなく、今に至るのだ。

 

「まぁいずれは捕まると思うけど」

 

 肩を竦めてコーヒーでも淹れようと給湯室に向かった時、ふと郵便物を確認していなかったと思い出して一階まで降りた。ポストを見ると茶封筒のようなものが入っていたので、それを取り出して封筒を確認してみる。

 

 しかし、封筒には差出人の名前もなく、ただ「黒崎零子様へ」と書いてあるだけだった。一応念のために事務所の目の前の道を確認してみるが、怪しげな人物は見えなかった。

 

 胸に妙なざわつきを覚えつつも事務所まで戻ると、とりあえずその封筒を開けてみる。鋏で切り取った方をさかさまにして中身を出してみると、手の中に二つ折りにされた一枚の紙と旧式の携帯電話が収まった。

 

 携帯の方は電源は入るようで、型番が古い意外特に変わった点は見られない。ひとまず携帯を保留として置いておき、紙の方に目を向ける。

 

 紙は普通の紙ではなく、少し固めの紙だった。結婚式とかに配られる案内状みたいな感じの紙といえばわかりやすいだろう。そして二つ折りにされた紙を開いた瞬間、零子の眉が怪訝に歪んだ。

 

 紙にはただ一言こう書かれていた。

 

『貴様を殺す』と。

 

「馬鹿馬鹿しい」

 

 零子は肩を竦めて花で笑ったあと、近くにあったゴミ箱に紙と封筒をシュートした。こういった悪戯まがいの手紙は何度か来たことがあるのだ。

 

 自慢ではないが、黒崎民間警備会社は業績的には業界の中ではそれなりに名が知れているほうだ。無論依頼や任務の数も必然的に多くなってくるので、それを妬む輩が多いのだ。だからこのような手紙は時折やってくる。まぁ『殺す』と書かれていたのは初めてだが。

 

「どっかで相当な恨みでも買ったかしらね」

 

 呆れた様子で席を立とうとした時。背後で轟音が響いた。弾かれるようにしてそちらを見ると、向かいのビルの五階辺りからもうもうと黒煙があがり、その中には時折赤い炎が見え隠れしている。

 

 割れた窓ガラスの破片がカチカチと音を立てて事務所の窓に当たっているが、零子はそんなことは気にしていられなかった。脳裏に浮かんだのは先ほど見た爆弾魔のニュースだ。

 

「まさか……」

 

 ある推測を立てたところで先ほど開けた封筒の中に入っていた携帯が鳴った。それに小さく息をつきながら手を伸ばし、通話ボタンを押して耳にあてる。

 

『こんにちは。黒崎零子』

 

 聞こえてきたのは変声機で加工された声だった。

 

「ええ、こんにちは。それで、貴方は今世間を騒がせがちなパサードさんでいいのかしら?」

 

『おや。既にばれていたか。さすが黒崎零子、いい洞察能力をしている。ご推察の通り、私はパサードだ』

 

 加工されているが声の調子からして笑っているのはわかった。それに対して眉間に皺を寄せつつ、零子は問う。

 

「それでパサードさんが何の用かしら?」

 

『カードは見たか? そこに書いてあることそのままだ。貴様を殺すといっているのだよ』

 

「貴方に命を狙われる理由がないんだけれど」

 

『貴様になくともこちらにはある。だが、ただ殺すだけでは楽しみがない。だからゲームをしようと思っただけだ。ゲームに勝てば貴様の命は保障する。ただし、ゲームに負ければ……』

 

「私の命はない」

 

 パサードが言い切るよりも先に言ってみたが、パサードはそれに鼻で笑ってきた。

 

『……そんなものではすまないぞ。貴様を含み、多くの人々が灼熱の劫火に焼かれることだろう』

 

「一般人を巻き込むとはね。さすが十人以上殺した爆弾魔さん」

 

『好きに呼べばいい。では今より三十分以内に陸上自衛隊の第一基地にまできたまえ。詰め所の中に入れとは言わない、付近に着いたらその携帯で連絡しろ。そこでちょっとしたクイズをだしてやる。クイズに正解できなければ爆弾が爆発する。途中で警察や貴様の部下に連絡でもすれば無差別に爆弾を爆破する。車は使うな、面白みがない。因みに、変なところで電話しきてもこちらからは見えているので小細工はしないことだ』

 

「この炎天下のなかランニングしろって? 随分と鬼畜なこと言ってくれるわね」

 

『言う暇があるなら走ったらどうだ。あと二十八分だ。時間内に到達できなければまたどこかで爆弾が爆発するぞ』

 

 パサードはそれだけ言うと通話を切った。零子はそれに大きなため息をつきつつも、愛銃を装備し、与えられた携帯を持つと事務所を出た。

 

 幸か不幸か陸上自衛隊の第一基地までは、零子の速力ならば二十分もかからずに到達できるはずだ。

 

「やれやれだわ。まったく」

 

 真夏の炎天下の中零子は目的地を目指して走り始めた。

 

 

 

 

 

 予定通りというべきかなんと言うべきか。零子は無事に陸上自衛隊の第一基地の付近に到着した。時間的には十八分弱。間に合ったようだ。

 

「タバコの吸いすぎかしらね。すこし息が上がるのが早くなってきた……」

 

 額に滲んだ汗を拭きながら基地の近くまで歩くと、携帯を取り出して電話をかける。

 

『私だ。到着したようだな。では近くにベンチがあるだろうそこに行け』

 

 指示に従って移動するものの、零子は溜息をついた。

 

「わかってんなら今度からそっちが連絡しなさいよ。こっちは息が上がってしゃーないんだから」

 

『では第一問』

 

 ……無視って。

 

 若干内心で毒づきつつも零子は出される問題を聞くが、次の瞬間には彼女の顔は驚愕に染まることとなる。

 

『東堂誠一、城之内辰護、花塚愛実、松永光、黒崎零子、鞍馬宗彦。この六人で構成された陸上自衛隊の部隊名は?』

 

「アンタ、なんで皆のことを……」

 

『そんなことは些細なことだ。それよりもホラ、あと五秒以内に答えねば爆弾が爆発するぞ』

 

 そう言われ零子はギリッと奥歯を噛み締め、苛立ちを露にした低い声で告げた。

 

「……陸上自衛隊第零特殊作戦部隊ハイレシス……」

 

『正解だ。まぁ自分が所属していた部隊の名前は覚えていて当たり前か』

 

「それよりも私の質問に答えなさい。アンタ、どうしてそのことを知ってるの。ハイレシスの情報は秘匿にされていたはず」

 

『貴様に質問権はない。では二箇所目に向かえ。次は少し遠いが三十八区のモノリスまで行け。三十分以内だ』

 

 言われるものの零子は苛立ち混じりに大きなため息をついた。

 

「さすがに三十八区までは足だと無理があるからそれ以外の方法をとらせて欲しいのだけれど」

 

『口の減らん女だ。まぁいい、では自転車はよしとしよう。だが時間は半分の十五分だ』

 

 電話は切られ、零子は小さく肩を竦めると近くにあったビルの壁を殴りつける。コンクリートの壁を殴ったにも関わらず、彼女の指が折れた様子はない。しかし皮膚は多少傷ついたのか僅かに血がこぼれている。

 

「なぜパサードがハイレシスのことを知っている……」

 

 そういう彼女の瞳には怒りの色が見え、眉間にも深く皺がよっていた。けれどここで立ち止まっているわけには行かない。自分が走らなければ自分はおろか多くの人に危害が及ぶ。

 

 パサードの正体は気になるところだが、今は指定されたモノリスに向かわなければ。

 

 意を決したように零子は近場にあった鍵のかけられていない自転車を拝借してモノリスを目指す。

 

 時間を見るとあと十三分と少しだ。全力でこぎ続ければギリギリ間に合うだろう。しかし、彼女の頭の中では先ほど告げた名前が反復されていた。

 

 陸上自衛隊第零特殊作戦部隊ハイレシス――。

 

 その名の通り、陸上自衛隊の特殊作戦部隊だ。十年前、零子はこの部隊に所属し、ガストレアと闘っていた。この部隊は完全に非公式の部隊であり、一般の自衛官にはその存在を秘匿され、この存在をしっていたのは聖天子の一族と軍部の上層部のほんの一部分のみである。

 

 作戦行動は基本的にガストレアの殲滅と変わらないが、非常に困難な戦地へ赴くことが多い部隊だ。言ってしまえば普通の兵士ではなく、エリートの寄せ集めとでも言うべきだろうか。

 

 ただし問題だったのは皆性格に一癖も二癖もある連中であったことだ。しかし戦闘能力は高かったため特殊作戦部隊というご大層な名前が付いたのだ。

 

 そんな部隊も結成されてから数ヶ月で解散となってしまった。その原因は零子一人を残して部隊が壊滅したことだ。その時のことは今でも鮮明に覚えている。

 

 目の前でガストレアに殺されていく仲間達。中にはガストレア化し向かってきたものさえもいた。

 

 その時の光景を思い出した瞬間、義眼の奥が疼くの感じた零子は自転車のハンドルから片手を離して押さえる。

 

 彼女の右目もその際に傷つけられたものだ。ガストレア化した仲間を撃つことができず、眼球を抉られた。眼球を失った痛みに苦しみながらも零子は銃の引き金を引き、目の前のガストレアを殲滅した。

 

 その後命辛々駐屯所に戻った彼女を出迎えていたのは、生きて帰ったことの祝福でもなく、戦い抜いたことの賞賛でもなく、いわれのない非難と中傷、そし任意除隊とは名ばかりの強制除隊だった。

 

 けれどそんなことは大して気にならなかった。言いたいヤツには好きに言わせて置けばよかったし、除隊もさほど心にダメージを与えるものではない。

 

 彼女を傷つけていたのは、仲間を助けられなかった自分の弱さだ。だからなのだろうか。零子は力を求めて菫の元をたずねて彼女が取り掛かっていた機械化兵士計画に乗ったのだ。

 

 そして新たな力である『二一式黒膂石義眼・試作機』を手に入れた。その頃には戦争は、人類の敗北という形で終結していたが、新たな組織である民警が設立されたので、零子は自身で民間警備会社を設立し、凛や杏夏達を雇って現在にいたるのだ。

 

 ……部隊の名前はおろか隊員全員の名前を知っていたとなると、パサードの正体は元自衛隊員か上層部の誰かっていうのが濃厚かしらね。

 

 思考を走らせてみるものの、上層部のことなど眼中になかったし、なにより自分に恨みを抱いていた自衛隊員など数知れない。最後の方などほとんど全員から非難されていたので探しようがない。

 

「えぇい、面倒くさい!」

 

 毒づきながらも零子はペダルをこぐスピードを速めた。

 

 

 

 

 

 そんな彼女から離れること数キロメートルのビルにある展望ラウンジの一席で、ノートパソコンの画面を眺めている黒スーツの男性は、コーヒーを飲んでいた。

 

 パソコンのモニターには地図のようなものとそこを進む赤い光点がみえる。

 

「さて……お前がどれだけがんばれるか見せてもらおうか、黒崎」

 

 彼の声はかなり小さく、誰も彼の呟きに気が付くものはいなかった。けれど、彼の手の中には型番の古くなった携帯電話が握られていた。




はいお久しぶりです。一ヶ月以上開けてしまいました。
思いのほかアンケートが集まらなかったので、また日を改めてアンケートをとりたいと思います。

今回は短めですねw
まぁ新章の取っ掛かりとしてはちょうどいいでしょう。

今回からは零子さんVS爆弾魔をやります。
また、同時に零子さんの過去編でもあります。最初は分けてやろうかとも思ったんですが、色々考えていたらこれを統合した方が面白くなりそうだったので、こういった感じにしてみました。

また、この話しでは凛及び、杏夏達は一切出ません。出るのは零子さんと爆弾魔パサードさんです。同時に彼女の現役時代の仲間達がチラホラ出てくるだけです。また、ガストレアさんもおやすみです。

では、短い話になるかもしれませんがしばしお付き合いくださると幸いです。


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第二話

 炎天下の中、自転車で駆け抜けること十数分、パサードが指定したタイムリミットギリギリで、目的地であるモノリス付近にやって来た。

 

 漆黒の巨壁は、夏の抜けるような青空を突き刺すようにそびえ立っている。ある程度光沢のある壁に、強い日差しがあたることによってキラキラと輝いても見えた。

 

 普段ならもう少し眺めていたいところだが、今の零子にそんな暇はなく、彼女はポケットから携帯を取り出して送り主の元へ電話をかけた。

 

 コール音が一回した後、変声機で加工された声が聞こえた。

 

『到着したようだな』

 

「まぁね。貴方がそれを分かってるってことは、やっぱりGPSで追跡してるわけだ」

 

『察しが良いな。だから貴様が嘘をついたとしても分かるわけだよ、黒崎。さて、おしゃべりはこのあたりにして、次の問題へ移るとしよう』

 

 パサードは至って冷静な声音で続ける。

 

『黒崎。貴様は今、自分がいる場所がどんなところかわかっているかな?』

 

「どんな場所って……モノリスに近い外周区じゃない」

 

『確かに。けれど貴様は覚えているはずだ、その場所のことを。今回の問題はそれだ、その場所が貴様にとってどんな場所だったか、見事に正解すれば何事もなく終わる。しかし、分からなければ、都内で爆弾が爆発する。制限時間は、三十秒やろう。では、スタートだ』

 

 彼はそういうと黙りこくった。恐らく電話の向こう側では、時計などで時間を計っているのだろう。

 

 けれど問題を出された零子は、なんとも面倒な問題だと思っていた。その理由は単純明快。この場所が自分にとってどんな場所だったか、はっきりと覚えていないからだ。

 

 ……なんだっけこの場所。覚えているようだけど覚えてない……。

 

 まるで脳内に靄がかかってしまったようにはっきりと思いだすことが出来ない。しかし、確実にこの場所には一度来たことがある。それはパサードの言葉からしても分かることだったが、彼女自身の記憶にもこの場所に一度来たことがあるという感覚があったことから来るものだった。

 

 ……恐らくヤツの言動からして、訪れたことがあるのはハイレシスに入った後。

 

 脳内で何度も何度も過去の記憶を反復させる。出来れば過去のことは思い出したくはない。その理由は死んだ仲間達の顔を思い出したくないからだ。軍部から追い出されたことなど大したことではないが、散っていった仲間達のことを思い出すのは今でも辛い。

 

『あと十五秒』

 

 変声機によって変換されたノイズ交じりの声が告げてくる。

 

 まったく、別に言ってくれなくとも良いと言うのだ。余計焦ってしまう。いや、寧ろこちらを焦らせて正解させないのが、狙いなのかもしれないが。

 

 けれど文句を垂れている場合ではない、時間を半分使っても思い出せていないのだから。

 

 このままでは埒が明かないと、視線を周囲に走らせると同時に、パサードがカウントダウンを始めた。せっかちなヤツである。

 

 視線を走らせる零子は早く脈打つ心臓を押さえ、過去の記憶と照らし合わせていく。脳内では、過去の映像と画像がフラッシュバックを続ける。

 

 そして、ついにその瞬間がやって来た。

 

 それはパサードが残り一秒を宣告したときであった。

 

「この場所は、ハイレシスが初任務のために召集された場所であり、私達はこの場所からガストレアの討伐に向かった……これでいいかしら?」

 

 言い終えると、パサードはしばらく沈黙していたが、やがて小さな笑い声が帰ってきた。

 

『正解だ。ギリギリで思い出したようだな』

 

「そうね。貴方がどこでそんな情報を仕入れてきたのかしらないけど、随分と物知りだこと。昔会ってるかしら?」

 

『どうかな……と、言いたいところだが、まぁいいだろう。二連続で正解した褒美として教えてやろう。確かに貴様の言うとおり、私と貴様は過去に一度接触したことがある』

 

「それは敵として遭遇したのかしら? それとも、以前は味方だったのかしら?」

 

『結論を急ぐな。では次だが……今回は私の指示通りに動いてもらおう。なに、無茶なことはさせんさ。ただし、到着した時にはちょっとしたゲームをしてもらうがね』

 

 変声機越しだが、彼の声音は僅かに上がっているように聞こえた。

 

 しかし、そんなことを確認する暇もなく、零子は自転車に跨ってパサードの指示通りに東京エリアを駆け抜けた。

 

 

 

 指示通りに走ること二十数分。零子の前にはガラス張りの高層ビルが建っていた。確かこのビルは複数の企業がオフィスを持ち、地下には商業施設が入っている複合ビルだ。

 

 なので地下の施設へ買い物に行くためなのか、家族連れや、アベックがチラホラと見える。無論、オフィスフロアには多くのサラリーマンやOLもいるのだろうが。

 

『到着したな。そのまま屋上へ向かえ。屋上へ続く扉は解錠してある』

 

「準備が良いこと」

 

 小さくため息をつきつつ、彼女はビルの中に入っていく。

 

 空調が効いたひんやりとした空気が肌を撫で、蒸し暑さから開放されるが、ゆっくりしている暇はない。

 

 真っ直ぐにエレベーターへ向かい、やって来たエレベーターに乗り込む。幸いと言うべきか誰も乗り込んで来なかった。パネルを操作して最上階を設定すると、ゆっくりと動き始める。

 

 携帯を耳に当てているものの、パサードは特に何も言うでもなく、ひたすらに沈黙を貫いている。

 

 多少のやり取りからおしゃべりかとも思ったが、存外そうでもないということか。別に話しがしたいわけでもないからどっちでもいいけれど。

 

 などと思いながらインジケーターを見ると既に三十階辺りを過ぎていた。このビルの階数は六十階だから、既に半分過ぎてしまったようだ。高速エレベーターと言うことか。

 

 どうでもいいことに溜息をつきつつ、零子は瞳を閉じる。

 

 すると、瞼の裏に嫌な映像が映った。

 

 それは血まみれの仲間達が自分に助けを求め、ガストレアに変貌する映像だった。

 

 最近はめっきり見ることも少なくなったというのに、再びこんなものを見たのはやはりパサードからの問題のせいだろう。

 

 ヤツはどうして自分の過去をあそこまで知っているのか。やはり軍部出身で間違いないのだろうが、よりにもよってハイレシスの初任務の集合場所まで知っているとは。

 

 ……相当私に恨みを持っているってことなんでしょうけど、そこまで恨みを買った覚えがないのよね。皆の親族には会ったこともないし。

 

 口元に手を当てて考え込んでいると、最上階に到着したようで、エレベーターの動きが止まり扉がスライドした。扉の向こうにはコンクリートがむき出しで、なにかの基盤のようなものがある薄暗い通路が続いていた。

 

 奥に目を向けると屋上へ通じるであろう階段と鉄製の扉が見えた。

 

『そのまま進め』

 

 言われたのでそのまま前に進み、階段を上がって屋上へ通じる鉄扉を開ける。再び真夏のネットリとした熱い空気が襲ってきて、おもわずうへぇと言う顔をしてしまうが仕方ない。

 

『正面に箱が見えるだろう。その箱を開けろ』

 

 確かに彼の言うとおり、白い箱が見えた。足をすすめて屋上のちょうど中心にある箱に手をかけてそれを開けると、中には三本の色違いのコードがあった。脇には小さなニッパーがある。

 

「これは? まさか爆弾ってわけ?」

 

『まぁ爆弾であることに変わりはないが、それは貴様を直接的に殺すためのものではない。その装置は所謂黒髭危機一髪のようなものだ。三本の配線のうち、二本はエリアのどこかに仕掛けた爆弾を起爆させるもの。そして一本は二つの爆弾を解除できる配線だ』

 

「……随分とまぁ嫌なゲームもあったこと」

 

『そんな軽い口を言っている場合ではないと思うぞ。なにせ、爆弾の一つはこの時期非常に人が多い、テーマパークに仕掛けてある。アトラクション稼働中に爆発でもすれば、死人は免れんだろうな。そしてもう一つは、臨海公園のゴミ箱に仕掛けてある。こちらも死人が出る可能性は高いな』

 

「今まで十何人殺しておいてまだ殺したりないってわけ?」

 

 苛立ち混じりの声で言うと、パサードは短く笑って返してきた。

 

『別に彼等に怨みがあるわけではないさ。ただ、私は貴様苦しむ姿を見たいだけだ。守ると決めた人々を守れない、貴様の悔恨と苦悩の表情が見たいのさ』

 

「そんなに見たいなら私の目の前に現れて、そこで私を苦しめれば良いじゃない」

 

『確かにそうともいえる。だが、それではこうして隠れている意味がない。さぁ、選択しろ黒崎零子。運も味方につけて見せろ』

 

 彼はそれだけ言い残すと、通話を切った。どうやら今回は時間制限はないらしい。チッ、と舌打ちをした後、その場にしゃがみ込んでニッパーを手にする。

 

「どうしたものか」

 

 眉間に皺を寄せて目の前にある三本の配線を睨みつける。それぞれの配線の色は右から、青、黄、赤の順に並んでいる。普通に考えればこの並びと配色からして、真っ先に思い浮かぶのは、信号機である。

 

 だとするのならば青が正解なのかもしれないが、そこまで安易に考えてよいものではない。なにせ失敗すれば、多数の死人と怪我人が出る可能性があるからだ。今、自分の手には幾人もの人の命がかかっているのだ。

 

 自然と呼吸が早くなっており、心臓はこれでもかと言うほど早く脈動している。ここまで早く心臓が脈打ったのは、あの時以来だろうか。

 

 零子は一度、天を仰ぐと瞳を閉じて大きく深呼吸する。ゆっくりと息を吐ききり、今一度配線に視線を落とす。

 

「ここは直感で行くしかないのかしらね……」

 

 そう言う彼女の瞳には、冷酷無比な光りが灯る。彼女は懐からライターとタバコを取り出し、火をつける。

 

 一度大きく吸い込んだ後、紫煙を吐き出して口にタバコを咥えたままニッパーの刃を赤色の配線に添える。最初は青かとも思っていたのだが、ここは己の直感を信じることにした。

 

 余計な計算や勘繰りを一切排除した結果、一番最初に目に入った色である赤を選んだ。

 

 これがもしテーマパークに仕掛けられた爆弾の起爆配線だったならば、自分はパサードと同じ殺戮者となってしまうだろう。けれど、それを恐れていては前に進めない。パサードの正体も掴めない。

 

 だから割り切るのだ。自分の失敗で大勢の人が死に、苦痛を味わったとしても、それは運が悪かったとして割り切る。

 

 決して自分の非力さから目を背けようとしているわけではない。このことが原因で多くの人に呪われようと、世間から非難をあびても構わない。それだけの気持ちが持てずして何が覚悟か。

 

 恨むなら好きに恨め、呪うならいくらでも呪え。私はそれら全てを飲み込んでやろう。

 

 全ての恨みを受け止める覚悟を持ち、彼女は赤の配線を切った。

 

 瞬間、世界が止まったような錯覚に陥った。音が消え、夏の暑さも感じず、心臓の鼓動も感じない。

 

 そして再び大きく息を吐いたとき、再び時は動き始めた。

 

 同時に零子は、弾かれるように屋上の端まで行き眼帯を外して周囲を俯瞰する。

 

 二十一式試作義眼に刻まれている幾何学的な模様が回転を開始し、演算を始める。望遠レンズの役割も果たすこの義眼であれば、臨海公園とテーマパークまでは見渡せるはずだ。

 

 最初に確認したのはテーマパーク。視線の先には様々なアトラクションがある大型のテーマパークが見えたが、何処にも爆炎らしきものは上がっていない。

 

 次に臨海公園だ。ぐるん! と音がしそうなほどの勢いでそちらを確認すると、こちらもテーマパーク同様特に変わった様子はない。

 

 この時点で配線を切ってから二十秒ほどが経過している。遠隔操作で爆発するにしても、どちらも爆発していておかしくないはずだ。けれど、爆発していないということは……。

 

「解除、成功……?」

 

 疑問を浮かべながら呟くと、先ほどまで一滴も出ていなかった汗が一気に噴出し、膝から力が抜け、その場に片膝をついてしまった。同時に呼吸も荒くなる。

 

 相当緊張していたようで、身体の反応が遅れてやってきたのだろう。背中を伝う汗は酷く冷たく感じたし、ドッと疲れが襲ってくるような感覚だ。

 

 しかし、そんな零子に容赦なく電話がかかってくる。通話ボタンを押してそれに出ると、開口一番祝福の言葉を告げられた。

 

『おめでとう、黒崎零子。いやはや、まさか本当に運まで味方につけてしまうとは恐れ入った』

 

「お褒めの言葉どうも。あんなことは二度とごめんだけどね」

 

『クク、確かにそうだろうな。しかし、このままでは私の爆弾魔としての立場がない……なので、適当に爆弾を爆破することにした』

 

「なッ!?」

 

 パサードの思いもよらぬ言葉に零子は息を詰まらせるが、次の瞬間、眼下で爆音とともに爆炎と黒い煙が吹き上がった。

 

 下を見ると、このビルのはす向かいにあるビルの真ん中辺りのフロアから、オレンジ色の炎と黒い煙がもうもうと上がっている。

 

「ちょっと、話が違うんじゃないかしら?」

 

『話? 何のことやら。私は貴様と一度たりとも爆破はしないという約束をした覚えはないが?』

 

「ハッ! 言ってくれるじゃない。まさに冷酷非道の爆弾魔ってわけね。少しでも話が通じると思った私が馬鹿だったわ」

 

『そう思ってくれて構わない。では次の場所へ行け。行き先は箱の蓋に貼り付けた封筒の中に入っている。今回はいささか場所が遠いのでな、制限時間を設けないでおいてやる。そら、行け』

 

 パサードは言うと通話を切る。零子はギリッと歯をかみ締めると、拳をきつく握り締め、怒りを露にしながら蓋に貼り付けてある茶封筒を引っぺがし、口を逆さにして中身を取り出す。

 

 最初に出てきたのは一枚の紙だったが、その次に別のものが出てきた。それはコインロッカーの鍵だった。そして紙を見ると、そこには『渋谷駅へ向かえ』と書かれている。

 

「コインロッカーの鍵に渋谷駅ってことは、今度はコインロッカーに何か入ってるってことか」

 

 息をつきながら彼女は紙と鍵を懐にしまいこみ、屋上を後にした。

 

 

 

 ビルの屋上から外に出ると、先ほどの爆発のせいで人だかりが出来ていた。皆、もうもうと黒い煙をあげるビルを見上げており、遠くからは消防車や救急車、警察車両のサイレンが聞こえる。

 

 爆破されたビルの下には人影はなさそうだったが、近くでは騒いでいる男性の声が聞こえた。男性は彼の同僚と思しき二人組みにつかまれて動けずにいる。

 

 しかし、今は彼に注目している時ではない。零子は歩みをすすめようとしたが、そこで男性の悲痛な叫びが聞こえてきた。

 

「放してくれ! あそこには俺の彼女が!」

 

「落ち着けって! 今お前が言ったらお前まで死んじまうぞ!!」

 

「構うもんか!! アイツを見殺しにするぐらいなら……ッ!!」

 

 同僚の言葉に耳を貸さずに彼はわめき散らす。確かに彼が言ったところでどうにかなるわけではない。最悪死体が一個増えるだけだ。

 

 残念だが彼女のことはあきらめるしかない。零子はそう割り切って足をすすめようとしたが、彼女の足は目的地とはまったく別の方向へ向いていた。

 

 そして次の瞬間には、彼女は炎を上げるビルへ向かって駆け出していた。誰かに制止されたような気もしたが、今の彼女にその声はまったくと言って良いほど届いていなかった。

 

 

 

 

 

 零子がビルに入ったのをパソコンのモニタで確認した髭面の男性、パサードはくっくっ、とくぐもった笑いを漏らした。

 

「どうやら逃げ遅れた者がいたらしいな。大方助けを求める声でも聞いて飛び出したか……まったく、その辺りは変わっていないようだな。黒崎」

 

 ひとりごちる彼の声音はどこか懐かしんでいるような雰囲気を孕んでいた。

 

 パサードは笑みを浮かべたままノートパソコンを閉じると、それをバッグの中にしまいこむ。代わりと言うようにタブレットを取り出して電源を入れると、先ほどパソコンに表示されていたのと同じものが画面に広がった。

 

 彼はテーブルの上に代金を置いた後、席を立ち、ラウンジを後にする。

 

「さて、そろそろこのゲームも終わりにするか。短いようだったが、いい加減私も舞台に上がらねば」

 

 低いテノール調の声で言いながら彼が帽子をクイッと僅かに上げると、彼の顔には何かに切られたかのような深い傷が刻まれていた。




はい、お待たせいたしました。

最近ガンプラばっかり組み立ててたのでめっきり更新できていませんでした。
そして新学期も始まってしまったのでWパンチですねw
まぁ私の近況はどうでもいいとして。

今回も前回と似たような感じでつまらなかった可能性がありましたね……
いや、可能性と言うかつまらなかったと思います。その辺りは反省しなくては。
次回で終わりにしてもよいのですが、そうすると大急ぎな感じがするので、あと二話ぐらいはやりたいと思います。
爆弾魔と闘うにしても、まだ正体もわかってないですからねw
次回で零子さんが正体に気付いて、次で一騎打ちって感じですかねー。
どんな一騎打ちにするかは決めてありますが、まぁいつものとおり、トンでも展開かもしれません。

では感想などあればヨロシクお願いいたします。


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第三話

 炎天下の東京エリアの路地裏。エアコンの室外機からは熱い空気が絶え間なく吐き出され、茹だるような気温で熱された温風とマッチしてより一層不快感を強めていた。

 

「……ったく。自分のお人よし加減にも吐き気がする」

 

 所々焦げたスーツを脱ぎ、近場の紳士服店で購入した黒のブラウスの着込んだ零子は吐き捨てた。

 

 彼女はつい先ほどまでパサードが起した爆発による火災の、人命救助にあたっていたのだ。水も被らずに火災現場に突入した時は流石に無謀かとも思ったが、最終的には女性も救えたのでなんとか事なきを得た。

 

 そして女性にお礼を言われたものの、パサードに指定された駅のコインロッカーに向かうために適当に切り上げて現在に至るというわけだ。

 

 さすがに焦げたスーツでいるのもどうかと思ったので、紳士服店で黒のブラウスを買ったが、店員からは随分と訝しげな視線で見られていた。まぁ行き着けの店でもないので顔などすぐに忘れてくれるだろう。

 

「それにしても、あのクソ爆弾魔。随分と人のことを弄んでくれる」

 

 煤けた髪をかきあげた彼女は、自販機で買ったミネラルウォーターを頭上から引っかぶった。暑さと火災で火照った身体に冷たく、心地よい感覚が流れていく。ブラウスが濡れてしまったがこの炎天下ならばすぐに渇くだろう。

 

 彼女は軽く頭を振って水気を払うと、もう一本のミネラルウォーターの封を切って口に含む。それと同時に、スカートのポケットから渋谷駅のコインロッカーの鍵を取り出した。

 

「次の目的地は渋谷駅……特に移動手段も移動時間も特に指定されてないからタクシーでも拾うか……」

 

 彼女の言うとおり、今の位置から渋谷駅まではそれなりの距離がある。タクシーで向かった方が明らかに時間の短縮にもなるし、体力の回復もできる。だが、彼女は小さく息をついた後、買い物袋をその場に放り、路地を出ながらお気に入りのタバコを開けて一本咥え、流れるような手つきでライターで火をつける。

 

 一度ゆっくりと煙を吸い込み、静かに吐き出した零子は目尻を僅かに上げた。

 

 ……やめた。時間制限もないんだったらゆっくり行った方が得だし、それに何よりも考えを整理する時間も取れる。

 

 内心で思うと、そのまま渋谷駅に向けて歩き出し、パサードがなぜ自分を執拗に狙うのか、なぜ自分の過去をここまで深く知っているのかを考える。そしてそれらを踏まえた上で、彼が何者であるのか、果たして自分の知っている人物であるのかを導き出そうとした。

 

 まず最初に彼が零子を狙う理由としては、自分に相当の恨みを抱いているほか理由がないだろう。または、ただ単に人をおちょくっているだけかもしれない。が、「それはないはずだ」と零子は踏んでいる。ただ人をおちょくるだけなら、いちいち自分の過去を詮索する必要はないし、無差別に爆弾を爆破させた方がよほど面白いだろう。

 

 だから考えられるのは零子自身にたいそう恨みを抱いている人物となる。

 

 では、自分に恨みを抱き、尚且つ過去の経歴をこれだけ知っている人物は誰だろうか。真っ先に思い当たるのは自衛隊にいたときに彼女を強制除隊させた上官共か、それとも同じ部隊だった仲間達の遺族か……。

 

 思い出せばきりがないが、今はそれらを一つ一つ潰していこう。まず第一の上官どもだが、これはないに等しいだろう。確かにハイレシスは毛嫌いされていたが、彼等にとって不利益になる情報は持っていない。というか、当時の上官は今は隠居生活か、更に上の役職についているはずだ。今更過去を穿り返して大事にはさせないと思われるので、殆ど白と思っていいだろう。

 

 となると、仲間達の遺族はどうだ? 実を言うとこれが結構怪しいと踏んでいたりする。遺族からすれば自分達の家族が死んだことほど悲しいことはない。だがハイレシスは自衛隊以外には秘匿に部隊だ。たとえ遺族であっても、情報の開示はされないはずだ。しかし、それはあくまでも「はず」である。絶対に開示されないわけではない。もしかしたら、どこかから情報が漏洩した可能性もある。

 

 それにハイレシスが崩壊したのはガストレア戦争中の真っ只中だ。情報規制が上手くしかれていなかったことも視野に入れれば、ありえない話ではない。これから導くとなると遺族はかなり黒に近いグレーではないだろうか。

 

 だとしてもこれらは全て仮説に過ぎない。証拠もなければ確固たる自信もない。さてはてどうしたものか。

 

 考えながら三本目のタバコに火をつけようとした零子は、足を止めてポケットからスマホを取り出し、電話帳を開いた。連絡するのは民間警備会社の社員ではなく、今も防衛省に勤務している知り合いだ。確か部署は部署は人事部だった気がする。

 

『はい、なんのようですか。黒崎先輩』

 

 返答の声音は面倒くささと、溜息が入り混じったようなものだった。声の質からして男性というのはすぐに分かった。

 

「私からの連絡には2コール以内に出ろと教えておいたはずだが?」

 

『だから出たじゃないですか』

 

「いいや、出てないな。今のは二回コールした後に三回目に入ったところだった。まったく、また教育が必要か?」

 

『わー、相変わらずの理不尽ー。……それで何で自分のところに電話して来たんスか? まさかただの悪戯のためだけにかけて来たってことはないッスよね』

 

「ああ。そのあたりは私もわきまえているさ。と言うか、私が連絡する時など体外何か問題が起きたときだろう? 志郎」

 

 僅かに口角を上げながら言う彼女に、電話の向こう側にいる志郎とよばれた男性も小さく苦笑した様子だ。

 

 彼の名は結城志郎(ゆうきしろう)。零子とのつき合いは簡単に行ってしまえば高校時代の部活の先輩と後輩だ。当時は彼のことをよくおちょくったり、パシリに使っていたものだ。

 

 卒業後は彼は零子とは別の大学に進学して防衛省に勤務したらしく、自衛隊にいた頃に再び顔を合わせることとなった。

 

『それで、自分に連絡するほどの問題ってなにがあったんスか?』

 

「ちょっと調べものをして欲しくてな。志郎。お前、私が所属していたハイレシスのことは知っているな」

 

『そりゃまぁ極秘事項だけど先輩が教えてくれましたからね。で、そのハイレシスについて調べて欲しいことってのは?』

 

「ハイレシスの私以外のメンバーの死亡記録と個人情報を調べて寄越せ。簡単だろう?」

 

 そういうと同時に電話の向こう側で咽た志郎の咳ごむ声が聞こえた。

 

「大丈夫か?」

 

『ゲホ、ゲッホ! ……えーっと、先輩? それマジで言ってます?』

 

「マジもマジの大マジだ。でなければこんな連絡は入れん」

 

『デスヨネー……ってか、なんで急にハイレシスのことを?』

 

「そのあたりは気にするな。少し気になることがあるだけだ。それで、できるのか? できないのか?」

 

『できないって言ってもやらせるくせに。その質問意味あります? まぁ出来ないことはないんですが、色々犯罪ギリギリのことをしなくちゃいけないんで、最低でもあと二十分ぐらいは待ってください。こっちだって仕事とかあるんですから』

 

「ハッ、私達の税金でお(まんま)を食べてるんだからそれぐらい働け公僕め」

 

『はいはい。それじゃあ調べられたら連絡しますんで、あと、このデータ絶対に見せちゃダメですよ? 使ったら物理的に破壊するなりなんなりしてください。それじゃあ、また』

 

 志郎は溜息交じりに電話を切った。

 

 電話を終えた零子はスマホをしまいながら、咥えていたタバコに火をつけて再び紫煙を燻らせる。

 

 ……これでハイレシス全員分の死亡記録が手に入る。まぁどこまで上手くいくかはわからんが、それでもかなり核心に近づけるはずだ。

 

 零子が考えているのはこうだ。まずハイレシスのメンバーの個人情報を今一度洗い直して彼等の家族構成を今一度洗いなおす。その中から東京エリアに在住のものを探し、更に彼等の今現在の年齢を計算して、今回のパサードの事件を起せるか解析するのだ。

 

 もし、ハイレシスの仲間の中に既婚者がいて、子供がいたとすれば、その子供が事件を起しているとも限らないからだ。まったく、今になって仲間達に子供の有無を聞いておくべきだったと思うとは中々に情けない話だ。

 

 そしてもう一つの方、仲間達の死亡記録だが、これは殆ど勘というか、想像の域の問題となる。それはもし、あの時あの場所でガストレアに食い殺されたと思った仲間達に生き残りがいたらということだ。無論零子とてハイレシスのことがどれくらい記録されているのかは分かっていない。

 

 記録は白紙かもしれないし、存在そのものが消されているかもしれない。まぁそうであればまた次の一手を考えるのみだ。しかし、最低でもこれは分かっている。パサードは自分にゆかりのある人物の知り合いか、その本人である可能性が高い。

 

「でも、もしハイレシスのメンバーが生き残っていた場合、爆弾の扱いに手馴れているヤツって言ったら、宗彦ぐらいだけど……アイツは私の目の前で喰われたはず……」

 

 そうなのだ。かつての仲間の中で爆発物の操作に長けている人物は鞍馬宗彦だった。しかし彼は任務中に零子の目の前で、狼型のガストレアに頭をもぎ取られて死んでいる。これは紛れもない事実であったはずだ。

 

 だがあの時は仲間全体に緊張が奔っていたので、もしかすると零子の見間違いと言うこともあるかもしれない。だから、一概に宗彦がパサードでないとは言い切れない。

 

 零子は問題は解決しないままであるが、いつまでも立ち止まっているわけには行かないと、渋谷駅へ向かう足を速めた。

 

 

 

 

 

 渋谷駅に到着したのはそれから三十分後だった。遠い遠いと思っていたが、早歩きで来てしまったのかかなり速く到着してしまった。残念なことに志郎からの連絡はまだない。それなりに手間取っているようだ。

 

「まぁこっちからお願いしてるから、時間がかかってもしょうがないが」

 

 軽く肩を竦めながら零子は指定されたコインロッカーへ向かう。久しく駅など利用していないので少しだけ迷いそうになったが、やがて指定されたコインロッカーにたどり着いた。

 

 番号を確認してその番号のロッカーの鍵穴に鍵を指して回すと、解錠することができた。中には黒いバッグのようなものが入っていたが、その形状と大きさからして、零子はその中に何が入っているかすぐに想像が出来た。

 

 ……縦の長さからして入ってるのは狙撃銃か。

 

 思いつつもファスナーを下げると、中にはやはりと言うべきか、鈍い光を放つ黒い銃身が見えた。形状を見るに、旧ソ連のエフゲニー・F・ドラグノフが設計したドラグノフ狙撃銃の系譜のようだ。恐らくイズマッシュが近代化を施したSVDKだろう。

 

 この銃はかつて零子が自衛隊にいたときに愛用していた、所謂愛銃と言うヤツだ。しかし、あの事件以来持つ気がうせてもう何年も触ってすらいない。それでもすぐに分かってしまうのは職業病だろうか。

 

 肩を竦めつつ、ガンケースを取り出してそれを肩に掛けようとすると、ガンケースにセロハンテープで一枚の紙が貼り付けられているのが見えた。それを引っぺがして紙面を見てみると、どうやら次の指令の様だ。

 

「『ニューセルリエアンタワーの屋上へ向かえ』ってまた屋上? 銃に屋上って……まさか今度は狙撃で爆弾をとめるとかじゃないだろうな」

 

 疑念を抱きつつも零子はガンケースを肩に掛けて指定されたビルへと足を進めた。

 

 指定されたビルに入ろうと自動ドアをくぐろうとしたときだった。スカートのポケットにつっこんでいたスマホが震えた。どうやらメールが送られてきたようだ。

 

 エレベーターに乗り込んで最上階のボタンを押し込み、扉を閉めるとエレベーターはゆっくりと動き出した。小さく溜息をついたあと、再びスマホの画面を見やると、そこには志郎が調べたハイレシスのメンバーの個人情報が写っていた。

 

 全員分の個人情報を見やるが、その中には特にこれと言ったものはない。というか、ハイレシスのメンバーには既婚者はおらず、そして彼等の両親も殆どはガストレア大戦中に命を落としているようだった。ただ一人、花塚愛実には祖父母がいたらしいが、残念ながら年齢を考えても今回のような事件は起せないだろう。最年長である東堂誠一でさえ結婚していなかったようで、息子や娘の情報もない。

 

「なるほど……」

 

 顎に手を当てて考え込むと、今度はそれぞれの死亡記録に目を通す。上から順に見ていくと、『城之内辰護 殉職、花塚愛実 殉職、松永光 殉職、黒崎零子 除隊、鞍馬宗彦 殉職』と言う風にかなり簡素な死亡記録が書かれていた。しかし、その中には含まれず、一人だけ別枠で名前を書かれているものがいた。

 

 その人物の名前が書かれている欄にはこうあった。

 

『任務中行方不明者』と。

 

 そしてその欄にあった名前こそが、零子達ハイレシスのメンバーを統率していたメンバー最年長の男性、『東堂誠一』であった。

 

「東堂隊長が行方不明……?」

 

 そう呟いた瞬間、零子は自分が既に屋上へ到達していることに気が付いた。無意識のうちにここまで来てしまったようだ。それほど東堂が行方不明であることが衝撃的だったのだろう。

 

 唐突にパサードから渡された携帯が鳴った。スマホをしまってからそれに出ると、相変わらずの変声機で変換された機械的な声が聞こえた。

 

『人命救助など下らんことをしているかとも思ったが、存外速く到着したな』

 

「それはどうも。それで、次は私に何をさせるつもりなのかしら? このドラグノフで的当てでもして爆弾解除でもするのかしら」

 

『ハハ、それもまた面白いがいい加減貴様も疲れただろうと思ってね。ここで最終局面にしてやろう』

 

「てことはこのビルごと爆破する?」

 

『ああ。私との勝負に負ければそうなる。そして更に、君が負けると同時に東京エリア中に設置した爆弾をいっせいに爆破してやる。クク、さぞかし綺麗な花火があがることだろうなぁ』

 

 面白げに言うパサードの声は相変わらずの機械音声だが、その中には明らかな意思が込められていた。彼は冗談ぬきで絶対にやるだろう。しかも設置した爆弾の殆どは人が集まる場所においているに違いない。

 

 もしそれらが一気に爆破でもされれば、犠牲者ははかりしれない。なんとしてもとめなくてはならない。

 

『さて、では勝負の内容を……』

 

「その前にひとつ良いかしら」

 

 パサードの声を遮るようにして零子が言うと、彼も『なんだ』と返してきた。その声には僅かに苛立ちが見える。

 

「こちらとしては貴方の招待が分からず仕舞いってのは中々気持ち悪くてね。だからこちら側でも色々調べさせてもらったわ」

 

『なに? それはルールを破ったことに』

 

「ならないわね。何せ私が連絡を取ったのは私の部下でもなければ警察でもない。ただ少しおえらい職場で働いている、大切な後輩だもの。最初貴方は警察と部下に連絡するなと言った。そう考えればこれはまったくルール違反ではないと思うのだけれど?」

 

 またしてもパサードの言葉を遮った零子は挑発するように言葉を連ねていく。

 

『屁理屈を……!』

 

「屁理屈結構。こっちは自分の命賭けてるわけだしね。それに準備不足な貴方だって悪いと思うわ。パサード……いや……」

 

 そして零子は最後の言葉をつむぎだす。殆ど自分の想像の域を出ないことだが、それでも確かめなくてはいけないことだ。

 

「……東堂誠一。ハイレシスの隊長にして私の狙撃の師匠。それが貴方でしょう?」

 

『……』

 

 パサードは答えない。沈黙は否定か肯定か……はたまた別のナニカか。

 

 数秒間の沈黙の後、携帯から聞こえてきたのは懐かしいテノール調の声だった。

 

『いつから気付いた、黒崎』

 

 この返答からして誠一であることは間違いない。と言うか声の感じで間違いようがなかった。

 

「残念ながら殆ど想像の域を出ませんでしたよ。ただ、さっきも言った調べたことを踏まえて、一度今日の最初から考え直して見たんです。最初から私のことを前々から知っている人物ではあるだろうとは考えていました。でも、思い出してみれば簡単なことでした。貴方は以前から優秀な人物でしたが、肝心なところで妙に詰めが甘い。そして笑い方が自然発生的なものではなく、作ったような笑いなのは相変わらずですね」

 

『ほう、そこまで見抜いたか。変声機を使ってもその辺りまでは隠し通せなかったというわけだな』

 

「まぁそれに気がつかなくても、どちらにせよカマを駆けてみる気ではいましたけど」

 

『ハッ、カマかけとは随分と賢しい手を使うようになったものだ』

 

「それだけ時が流れたということですよ」

 

 タバコを捨ててグシグシとヒールで踏んで火を消す。彼女の言うとおり、ハイレシスが壊滅し、自衛隊を除隊してからもう何年も経過している。

 

 零子は再び新しいタバコを咥えて火をつけると、誠一に問いを投げかける。

 

「東堂さん。なぜ今まで連絡を入れてくれなかったばかりか、こんなテロじみたまねを?」

 

『そんなこと語るには値しない……といいたいが、まぁいいだろう。なぜ私がこんなことを初め、貴様の命を狙うのかそれは至って単純なことだよ、黒崎』

 

 電話の向こうで彼は一拍置い語り始めた。

 

『全ては私達の活動を認めず、ハイレシスを解散させた連中に復讐する為だ』

 

「ならばどうして最初から上の連中を狙わず、何の罪もない人たちを巻き込んだんですか!」

 

『そう熱くなるな。全ては実験だよ。なにぶん爆弾など鞍馬よりも上手くは扱えんからな。実験期間が必要だったのだよ』

 

「実験? そんなことのために無関係の人たちを巻き込んだと?」

 

『そんなこととは言ってくれるな。それに今の東京エリアがあるのは我々が必死で守ったからだろう。守ってやったんだから実験用のモルモット位にはなってくれんと困る』

 

 声は冷たく、非情なものだった。過去の彼も時に非情とも言える行動をとってはいたが、このような横暴で自己中心的な性格ではなかった。それだけハイレシスの壊滅が彼を変えてしまったということか。

 

『それに今回のゲームは一種の試験でもあったのだよ。お前を私の仲間にするためのね』

 

「仲間?」

 

『ああ。私と組んで奴等への復讐を遂げようじゃないか。ハイレシスを壊滅させたあのクソッタレ共を皆殺しにするんだ。楽しいだろうなぁ。復讐を完遂すれば皆の魂も喜ぶだろうさ。どうだ? お前も奴等に怨みがないわけではないだろう? 何せ部隊を解体されたんだからな』

 

「……」

 

 彼の言葉に沈黙した。いや、実際のところは絶句したという方が正しいか。

 

 ……まさかここまで歪むとはな。実直だったからこそ反動強すぎるということか。だが、それにしても……。

 

 零子は拳をグッと握り締めた。ブチリという音が聞こえたので掌の皮が切れたのだろう。現に拳の隙間からは赤い血が滲み出していた。

 

 人がこうも変わるものかと驚嘆もあったが、それ以上に今の彼女にあるのは怒りと言う感情だった。

 

「実験で人の命を奪う……守ってやったのだから役に立てとは……神にでもなったつもりか、東堂」

 

『あ?』

 

 先ほどまでの零子とはまったく別人のような、低い声に誠一自身驚いたのだろう。マヌケな声が聞こえてきた。

 

『なにか言ったか、黒崎?』

 

「ああ、言ったとも。貴様の復讐などに私は何の興味もない。貴様の言葉も私の胸には届いてないどいない。今私にあるのは、貴様が許せないという憤怒だけだ」

 

『ほう……。私を裏切るのか? 自衛隊を除隊した時のように、また私を裏切るというのか』

 

「裏切りか……妄想に囚われるのも大概にして欲しいものだな。過去をいつまでも引き摺って、挙句の果てに復讐とは、まったく反吐がでそうになるよ。東堂」

 

 捲くし立てるように言葉を連ねていく。

 

「過去に起きたことを変える事は不可能だ。ましてや死者が喜ぶ? 空想に酔うのも大概にしろ。貴様は警察に突き出して法によって相応の罰を受けてもらう」

 

『そうか、私に罰を与えるか……。では交渉は決裂だな。変わりに貴様を殺してやるぞ、黒崎。今すぐにな』

 

 そう言って誠一は通話を切った。

 

 零子も携帯をしまおうとしたが、視界の端で何かが光った。だがあの光り方には見覚えがある。アレは照準機の反射光で違いないはずだ。

 

 光の正体が反射光だと核心した瞬間、またしても視界の中で何かが発光した。陽光交じりでよく見えなかったが、あれは発火炎(マズルフラッシュ)だ。

 

 弾かれるようにそちらを見ると同時に、眼帯を掠めるようにして何かが駆け抜けて言った。その何かを特定するのは容易すぎた。なにせ、照準機の反射光と発火炎とくれば、来るものはただ一つ。

 

 銃弾だ。

 

 これはもう確認せずとも分かることだ。発火炎が見えたのは今いるビルから南西方向のビルの屋上だ。どうやら最初から交渉が決裂した時にこちらを抹殺するために控えていたようだ。と言うかそうでない方がおかしいか。

 

 すると、第二撃をしらせる発火炎が上がった。だが零子はその場から動かない。

 

「いいだろう。狙撃勝負をしたいのならやってやる」

 

 呟く彼女の瞳には眼帯がなく、目尻よりやや後ろのあたりから斬った様な傷跡が見えた。先ほどの狙撃の弾丸を掠めてしまったのだろう。大した傷ではない。

 

 瞬間、彼女の元へライフルの弾丸が急接近してくるが、彼女はそれを難なく回避して見せた。

 

 傷跡からやや視線をずらすと、そこには幾何学的な模様が高速回転する黒い瞳があった。

 

 ハイレシス崩壊の折に使い物にならなくなった瞳の代わり。代用品と言うには余りにハイスペックな義眼だ。名前を『二一式黒膂石義眼試作機』と言う。四賢人と謳われる友人、室戸菫が作っていたものだ。

 

 これによって零子は弾丸を避けることが出来たのだ。義眼に備わっている演算装置による思考の加速、気温、湿度、風向、風速……様々な外部的要因を計算する力で、彼女は人智を超えた回避術を手に入れている。

 

 零子は第三撃が来る前に手早くガンケースを開くと、中からドラグノフとマガジンを取り出して手馴れた様子で弾丸を薬室(チャンバー)にセットしてその場から離れる。

 

 すると、後方の方で銃弾によって屋上が抉れた。そのまま零子は奔り続け、あの位置からは狙うことが出来ない死角にもぐりこむと、照準機に額を当てた後、静かに言い放った。

 

「復讐心にかられた亡霊は今ここで退場してもらう」




どうもお久しぶりの更新です。
四月末からですから約三ヶ月? ですかね。かなり間を空けてしまって申し訳ありませんでした。色々忙しかったものでして。テストとかもありましたからね。
まぁ私の近況はどうでもいいとして、とりあえずこんな感じです。この流れで行くと次の話しで終わりますね。まぁ最後はどういう終わり方をするのか……。
はっきり言ってしまいますと、七巻の内容に入る前に新キャラを入れるための話をしたいのです。
「まだ新キャラ増えるのかよ」って思う方もいらっしゃるかと存じますが、ガンガン増えて行くと思われます。因みに新たなキャラは主要メンバーになる予定です。実を言うとかなりお気に入りですw
また、このキャラにも元ネタとしているキャラがいます。恐らく分かる方ならすぐに分かってしまうと思います。すごく簡単です。というか殆どまんま言っても過言ではありません。

それでは急ぎ足でしたが、次の更新で零子さん編完結します。

その次はいよいよ七巻の内容に入って行きますが、八巻が出ないので更新がまた止まるかもしれませんが、がんばって行きたいと思います。

では、感想ありましたらよろしくお願いします。


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VS爆弾魔-悲しみの漂浪者- 最終話

 真夏の空の下、東京エリアの一角にある高層ビルの屋上で二人の狙撃手(スナイパー)が睨みあっていた。

 

 一人は過去に縛られた悲しき亡霊、パサードこと東堂誠一。対峙するは、過去と決別することの出来た隻眼の女性、黒崎零子。

 

 相反する二人の狙撃手は闘うのだ。互いの生き方を証明するために。

 

 

 

 

 零子は死角となっているコンクリートの壁に背を預け、壁の端から僅かに顔を覗かせて誠一の方を見やる。

 

 瞬間、「待っていた」と言うように打ち出された銃弾によって壁が抉られた。すぐさま顔を引っ込めたためあたりはしなかったが、彼女は少し大きめの舌打ちをした。

 

「向こうからすれば獲物が痺れを切らすのを待つようなものだしな。そりゃあ狙い撃ちにもされる。まったく忌々しい限りだ」

 

 亡霊は退場願うなどと言ってみたはいいものの、如何せん現状がよろしくない。なにせこちらは死角に入るところをはっきりと目撃されていて居場所もばれている。どこか別の場所に移動しようにもここは高層ビルの屋上。死角になるものなど殆ど皆無だ。今いるこの場所とて少し進めば体が見えてしまう。

 

 移動しようとすれば狙い撃ちにされて簡単にあの世行きだ。

 

 彼の技量がどれだけ高いかはよく知っている。ガストレアとの戦いでも完璧なヘッドショットで見事な戦績を残している。その技術には何度も何度も助けられた記憶もしっかりと覚えている。

 

 だからこそ気を抜くことは出来ないのだ。義眼を使えば銃弾を回避することは可能だろうが、回避するだけでは意味がない。こちらからも攻撃を仕掛けなければ。

 

「……無茶を承知でアレを使うしかないか」

 

 瞼の下にある義眼に触れるように肌を撫でた零子は溜息をついた。

 

 そして彼女は懐からタバコを取り出して一服しようとしたが、火をつけようとした瞬間彼女は手を止めた。

 

 ……一か八か試してみるか。

 

 不適な笑みを見せた彼女はタバコに火をつけた。

 

 

 

 

 

 零子がいるビルから離れること百五十メートル弱のビルの屋上では、誠一が伏射(プローン)の姿勢をとって腹這いになっていた。

 

 照りつける太陽は身を焦がすようだったが、耐えられない暑さではないし、冷却対策も取っている。なにより、この程度の暑さで集中力が切れることなどありえない。

 

 呼吸は必要最低限に抑え、極力振動を起さず、ただ獲物が目の前に出てくるのを待つ。そうすれば当てられぬことはない。

 

「さぁ、出て来い黒崎。隠れてばかりでは俺を倒すことはできんぞ」

 

 低い声で言う彼の口元には笑みが浮かべられていた。けれどその笑みは、決して良い笑みではなく、邪悪に満ちた笑みであった。

 

 そのまま構え続けること数分、誠一の視線の先で動きがあった。零子が隠れている場所から細い糸の様なものが揺らめいたのだ。

 

「煙……?」

 

 照準機の倍率を上げて確認すると、確かにそこに見えたのはタバコの紫煙だった。死角で一服して精神でも落ち着かせているのだろうか。

 

「タバコか。随分と余裕じゃないか」

 

 鼻で笑って再び集中に戻ろうとした誠一だが、そこでふと思い至る。零子があのようなことをするだろうか、と。

 

 確かにこれだけの距離が離れていれば、タバコの煙など注視していても目に入らないほどだろう。だから零子も一度気を抜いて精神を集中させるために吸っているのかもしれない。

 

 けれどあの彼女がそんなことをするだろうか。例え死角にいようとも、ああも簡単に自分の位置をバラすようなことをあの女がするはずがない。

 

 だからこそ導き出される答えは一つだ。

 

 ……ブラフか。

 

 誠一は照準機に刻まれているレティクルの先で漂う紫煙を見ながらほくそ笑む。

 

 彼はこう考えている。あのタバコの煙は零子の仕掛けた罠で、既に零子はあの場所にはいないと。あのビルの屋上は、零子が隠れているところ以外、死角が殆どないと言って良い。加えて、死角から死角へ移動するためには、どうしてもこちらに姿を現さなければならず、見つからないように移動するのは困難だ。

 

 そこで彼女は考えたのだろう。この状況を打破するためにあえて自分の居場所を教えることで注意をこちら側に逸らし、逆側からこちらを狙うつもりなのだろう。

 

「なるほど、確かに良い考えだ」

 

 この考えに誠一は素直に納得した。まぁあの状況下ではそれ以外に打つ手はないのだから納得もクソもないが。

 

「しかしな、黒崎。俺にはお前の行動が手に取るようにわかるぞ。お前は逆をつくようなことはしない。大方、逆に移動したと見せかけて場所は変えていないはずだ」

 

 不適な笑みを見せると、誠一はその場から銃を動かさずにジッと息を潜めながら零子がいる場所を見据えた。

 

 ……さぁ出て来い黒崎。お前は絶対にその場所に留まっている。貴様の考えなど最初から俺に通用などしないのだ!

 

 気持ちが高揚しそうになるのを抑えながら、誠一は口角を吊り上げる。

 

 そこからはまるで時間が停止してしまったかのようだった。極度の緊張と集中によって感覚が最大まで研ぎ澄まされているのだろう。全てのものはスローモーションに。

 

 空を飛ぶ鳥の羽ばたきの一回一回を数えられるほどに集中し、空を滑る雲の流れはそれでこそ止まっているようだった。確かこういった感覚を時間感覚の延長と言うのだったか。

 

 ……やれる。今の俺なら確実に黒崎をしとめられる。そして奴を仕留めさえすれば俺の計画を邪魔するものはいなくなる!

 

 身体の中から熱くなるような感覚を味わっている時だった。ついに誠一が待ち望んだ瞬間がやってきた。

 

 死角から黒い影が飛び出したのだ。その瞬間、誠一は引き金を絞った。容赦のない狙撃。弾丸は真っ直ぐに零子の左胸を打ち抜き、鮮血の華を咲かせるだろう。

 

「殺ったッ!!」

 

 思わず歓喜の声を口にしてしまった。だが、それだけ今の彼には零子を仕留めたと言う自信と確信があったのだろう。

 

 だが次の瞬間、誠一の瞳は信じられないものを目にしたように見開かれた。

 

 その視線の先を追って行くと、向かいのビルで銃弾に貫かれているはずの零子の姿がなかった。

 

 変わりに見えたのは、銃弾に射止められた黒い『ガンケース』。

 

 そう。誠一が零子だと思って打ち抜いた黒い影はドラグノフを収納していたガンケースだったのだ。

 

「馬鹿なッ! この俺が間違えたというのか!? この土壇場で……!!」

 

 自分自身の失態が信じられないと言う様に誠一は、歯を食い縛った。だが、彼はすぐさま平静に戻ると、銃を別方向に構え直した。

 

「ならば、こちらか! やってくれる!!」

 

 言いながら照準機を睨むように覗き込む。が、そこにも零子の姿はない。

 

 ……この絶好の機会にいないだとっ!? ならばアイツは何処に――ッ!?

 

 瞬間、誠一の全身に悪寒が走った。強い殺気が明らかにこちらに向けられている。それも、さきほど零子が隠れていると思った場所からだ。

 

「狙われている」と思ったときには既に遅かった。

 

 そちらを向こうとした時、強い衝撃が銃と身体に加わり、甲高い音を立てて銃が手の元から吹き飛んだ。続いて襲ってきたのは、銃が弾かれたことによる痛みと、右肩を打ち抜かれた激痛だった。

 

「が……っ! ああああぁぁぁぁぁぁッ!!!?」

 

 

 

 

 

 

「……大当たり(Jack Pot)

 

 呟きながら構えていたドラグノフを降ろす。

 

 零子の義眼の先では、誠一が打ち抜かれた右肩を押さえてうずくまっている。押さえる手と服には血が滲みはじめている。あの傷では正確な狙撃をすることは不可能と言っていいだろう。

 

「殆ど賭けだったが、どうやら狙撃の時に集中しすぎる癖も直っていなかったようだな。東堂」

 

 新しいタバコに火をつけながら言う彼女は、屋上に転がっているガンケースを見やる。ガンケースには銃弾が貫通した後がくっきりと残っていた。アレが自分だと思うとゾッとするが、まぁ事なきを得たので今はいいだろう。

 

 そして零子は今一度自分の考えた作戦が危ない綱渡りだったことを思い返す。

 

 タバコを吸ったことで誠一の昔の癖を思い出した。本人は気が付いているか知らないが、彼は狙撃に関しては一級品だが、その実集中しすぎる傾向にある。

 

 つまり彼は極度に集中しすぎると、その一点のみしか見えなくなってしまう。零子はそこを利用したのだ。

 

 まず零子はタバコの煙を上げることで、誠一の注意を引いてそれが彼をかく乱するための作戦だと思わせた。無論誠一とて馬鹿ではない。この程度はすぐに看破して、零子が動いていないことは、簡単に解き明かしたことだろう。

 

 この時点で誠一の集中力はかなりのところまで高まったはずだ。誠一とて狙撃手だ。獲物を一発でしとめるというポリシーぐらいはあるだろう。

 

 この状態で零子はある程度の時間を置いた。集中力が高めている誠一は、徐々に感覚を研ぎ澄ませて行く。その時間は約五分弱。じっくりと時間をかけて、集中力を高めさせた。

 

 そして時間が経過した瞬間、彼女はガンケースを囮として放った。見事にガンケースは打ち抜かれ、誠一は方向を変えた。

 

 あとはその隙に銃を構えて狙撃をしただけだ。

 

 思い出してみれば単純な作戦だったが、単純であるからこそ誠一は罠に嵌ったのだ。

 

「もう少し準備が出来ていればマシな作戦も立てられたが……。まぁ急ごしらえにしては上々か」

 

 小さく笑った零子は、誠一から視線を外さずにスマホを取り出して、親身にしている警部、金本明隆に連絡を取った。

 

 何回かのコールの後、多少焦ったような声が聞こえた。

 

『はい、金本ですが?』

 

「どうも、金本警部。お忙しかったかしら?」

 

『あぁはい。ちょっと例の爆弾魔の事件で立て込んでまして、今日も既に二回ほど爆弾事件があったんですよ。今は事件現場なんですが、どうかされましたか?』

 

「ええ、その爆弾魔なんだけれどね。今は私の目と鼻の先のビルの屋上で、右肩を押さえてうずくまってるのよ」

 

『は? えっと、黒崎さん、いきなり何をおっしゃってるんで?』

 

 疑問符を浮かべる明隆。まぁ無理もないだろう。

 

「実は今日、私は爆弾魔と勝負してたんですよ。それで勝負に勝って、たった今爆弾魔の右肩を銃で撃ちぬいたってわけです。なので今から言うビルの屋上に来て――」

 

 そこまで言ったところで零子が口を止めた。

 

『黒崎さん?』

 

「――すみません、金本警部。また後で連絡しなおします」

 

 それだけ言うと通話を切って、彼女は誠一を見た。

 

 視線を追って行くと、今までうずくまって苦しげにしていた誠一が怨嗟の表情を浮かべながら、リモコンのようなものをこちらに向けていた。そして零子の義眼は、彼の口にした言葉を明確に読み取った。

 

 彼の口はこう動いていた。

 

『死ね』。

 

 と。

 

 弾かれるように零子は誠一から視線を外す。瞬間、屋上の一角で赤々とした爆炎と轟音がほとばしった。やはりあのリモコンは爆弾を起動するためのもので間違いないようだ。

 

「最後の悪あがきと言うことか……! 往生際の悪い奴だ!」

 

 毒づきつつも零子は屋上の入り口に向かって走った。

 

 

 

 

 

 

 零子がいるビルの屋上の爆弾を爆破させながら誠一は哄笑した。

 

「は、ハハハ、ハハハハハハハハハハッ!! 死ね、死んでしまえ黒崎ィ!! 俺を裏切ったものは皆死ねばいいんだ!! そうだ、裏切り者も、このエリアも、そしてこの世界も! 全部全部消えてなくなってしまえいいんだ!!」

 

 叫びながらリモコンのボタンを押し続ける。

 

 呼応するように向かいのビルの屋上では爆炎が上がり、すさまじい轟音が響き渡る。

 

「ヒハハ、ヒャハハハハハハ!」

 

 もはや彼の声は人としてのそれではなく、悪鬼のそれだった。狂ったように笑う彼は身体をくの字に折り曲げる。

 

 その瞳は何処までも虚ろで、濁りきっていた。

 

 

 

 

 

 

 爆弾が爆発する屋上で、片膝をついた零子は舌打ちした。

 

「ったく、ご丁寧に出口を爆破してくれちゃって……。完全に退路を断たれたな」

 

 彼女の先には爆弾で潰された屋上へ通じる扉の残骸があった。ここが潰されているということは、ここ以外の出口も全て潰されていることだろう。

 

 けれど、あちこちで爆弾が炸裂する様子を見ながら零子は一つだけ気がついたことがあった。それは誠一がこのビルごと爆破するつもりがないということだ。

 

 先ほどからしきりに爆弾が爆発しているが、それらは全て屋上を潰すだけのもののようで、ビル自体を倒壊させる力は持ち合わせていないらしい。

 

「とはいっても、人間が喰らえば一発で死ぬだろうし。どうせ最後にでかいのがまってそうだな」

 

 零子は毒づきながらも立ち上がると、走りながらこの場を離脱できるものがないかと探索を始めた。だが、悠長に構えてもいられない。

 

 しばらく脱出に使えそうな物を探していると、十数メートル先に、火事などのときに使用される消火ホースが収納されている赤い格納箱が見えた。

 

「……四の五のいってはいられないか」

 

 大きなため息をつきながらも、零子は爆発の合間を縫って格納箱にたどり着き、乱暴に箱を開けた。

 

 中には丸められた白いホースが二つと、ノズルがあった。あとは何かあった気もしたが、細かいことを気にしている場合ではない。

 

 ホースを二本とも引っ張り出すと、ホースとホースを解けないようにきつくつなぎ合わせ、今度は露出していた鉄筋に巻きつけ、最終的に自身の身体を固定するように巻いた。

 

「よし、準備完了。それにしてもこの状況って、子供の頃に見たアメリカの映画にそっくり」

 

 昔視聴したのことのある、最も運の悪い刑事の映画を思い出しつつ、零子は大きく深呼吸した。爆発はすぐそこまで迫っている。しかし、零子はまだ飛び降りることが出来なかった。

 

 身体を固定しているとは言え、これだけ高いビルから飛び降りるというのは勇気がいる。そして爆発がすぐそこまで迫った瞬間、彼女は飛んだ。

 

「……儘よ!!」

 

 まさに運を天に任せる思いで飛び降りた瞬間、一際大きな爆発が背後で巻き起こり、熱風が襲ってきた。

 

 そして飛び降りてから数秒後、ホースが限界まで伸びたのか、強い衝撃が身体に伝わってきた。

 

「いっ――!! これ確実にムチ打ちになってる……」

 

 言いながらも零子はすぐさま次の行動にでた。先ほど上を確認したところ、ホースには火が移っており、そう長くないうちに焼き切れてしまいそうになっていた。

 

 目の前にある窓ガラスに足をつけてそのまま足を蹴り出すと、ブランコの要領で零子の身体が振られる。そして彼女は懐から出した愛銃で窓ガラスに向けて発砲。それによりガラスには大きなひびが入り、零子は勢いをそのままに窓ガラスにつっこんだ。

 

 銃撃と体当たりによって窓ガラスは破られ、けたたましい音を立てる。そして彼女の身体がビルのフロアに入った瞬間、ホースは焼ききれた。

 

 ビルの中に入って難を逃れた零子はすぐさまホースを解くと、咳払いをしながら周囲を見やる。

 

 この階はオフィスのようだが、今日は休みなのか、それとも爆発で皆避難したのか知らないが、オフィスに人の姿は見受けられなかった。

 

「あー、もう二度とホースバンジーなんてやらない……。っと、金本警部に連絡しなくては」

 

 バンジーに対して愚痴をもらしつつも、零子はゆっくりと立ち上がると、誠一を捕まえるために明隆に連絡を取った。

 

 

 

 

 

 

「ク、ククク、ハハハハハハッ。やった……やってやったぞ……」

 

 屋上が爆発炎上するのを見た誠一は、くつくつとした笑いを零した。あの炎上の仕方からして、零子は生きてはいないだろう。念を入れて双眼鏡で覗いてもみたが、どうやら跡形もなく消し飛んだようだ。

 

「これで邪魔者はすべて排除できた……。残るはヤツらだけだ」

 

 打たれた傷口を押さえながら自身の周りに散乱した荷物の類を纏める。しかし、打たれた傷口は非常に深かったようで、ズキリとした激痛が走る。

 

「ッ! ……まずは肩の治療が先か。それにアレだけ大規模に爆発させてしまったからな。警察やら消防も既に嗅ぎ付けただろう」

 

 彼の言うとおり、遠くからは消防車やら警察車両やら、救急車やらのサイレンが聞こえてきた。

 

 早急のこの場を離れなければ完全に怪しまれてしまうだろう。なにせ肩に銃創があるのだ。そんな怪しい人物を警察が捨て置くわけがない。

 

 誠一は自身のアジトに戻るために荷物を纏め終えると、荷物の中から包帯を取り出して、右肩から止め処なく溢れる血を止めるためにきつく縛り上げた。

 

「よし。応急手当はこんなものだろう。速く戻らねば――」

 

 だが、止血を済ませて立ち上がった瞬間、誠一は背後から冷たい声をかけられた。

 

「――ホールドアップ」

 

 声は女の声だった。声には凄みがあり、明らかに脅されているという実感もあった。

 

 だが誠一にはその声に聴き覚えがある。なぜならば、その声はつい先ほどまで闘っていた女、黒崎零子のものであったからだ。

 

 誠一は言われたとおり手を上げて、首を少しだけ動かし、背後を確認した。

 

 そこにはまさしく黒崎零子その人がいた。顔には所々腫れた様な火傷のあとがあるが、まさしく彼女だ。

 

「どうした。幽鬼に出会ったような顔をしているぞ? 東堂」

 

「黒崎、貴様なぜ――」

 

「――なぜ生きている? か? まぁ簡単なことさ、ちょっとばかり映画のようなことをして切り抜けてみたんだよ。二度とやりたくはないがな」

 

「あの爆発でも死なんとは。まったく、往生際の悪い奴だ」

 

「それは貴様もだろう。肩を打ち抜かれてそのまま警察に捕まっていれば良いと言うのに。最後まで悪あがきを見せてくれる」

 

 肩を竦めた彼女は呆れたような笑みを浮かべている。その手には大振りの拳銃、デザートイーグルが陽光を反射してを光を放っていた。

 

 そして彼女の片方の瞳の中では何かが高速で回転しているのが見える。

 

「その瞳はなんだ。黒崎」

 

「さてね。これから警察に捕まるような奴に教えてやる義理はないよ。そら、聞こえてきただろう。パトカーが続々と集まってくる音が」

 

 確かに彼女の言うとおり、遠くにあったサイレンの音は着実に近くなっている。それも一台や二台ではなさそうだ。

 

「ふん……どうやら、俺も詰めの様だな。全力をもってしても貴様を倒せないとは……まったく、自分自身がなさけない」

 

 自嘲気味に語っているが彼の瞳には諦めの色はなく、口元は残虐に歪んでいた。

 

「降伏するよ。黒崎。だからその銃を降ろしてくれないか? もう俺に抵抗する気力なんて残っていない」

 

 諦め混じりの声音をもらすと、背後で零子が銃を降ろす音が聞こえた。

 

 瞬間、彼は上げていた左手をクイッと上げた。呼応するように彼の掌に小型の拳銃、デリンジャーが現れた。

 

「馬鹿がッ! 見誤ったな、黒崎ィ!!」

 

 瞳をギラリと光らせながら振り向いた誠一は、小さな銃口を零子に向けた。

 

 けれどその瞬間、渇いた銃撃音が聞こえ、それと同時に左肩に痛みが走った。この痛みは先ほど右肩を銃撃されたのと同じ痛みだ。

 

 それに続き、二回、三回と銃撃は続き、それぞれ右膝と左膝に的確に命中した。

 

「あ、あぎっぁぁぁぁ!!」

 

 苦しげな悲鳴を上げるものの、足を打たれた影響なのか、彼はその場に仰向けになるように倒れこんだ。

 

 そして聞こえてくるのは、冷徹な声。

 

「馬鹿は貴様だよ。東堂。おとなしくしていれば痛い目を見なくて済んだものを。貴様の考えを私が見抜けないとでも思ったか?」

 

 彼女は言いながらこちらに近寄ってくる。

 

 コツコツとヒールを鳴らしながら身体の上にやって来た零子は、そのまま馬乗りになるようにしゃがみ込むと、デザートイーグルの銃口を額に押し当ててきた。

 

「殺すのなら、殺せ!!」

 

 誠一は苦し紛れに悪態をつくが、零子は相変わらず冷徹な声音で言い放った。

 

「いいや、私は貴様を殺さない。いいか、東堂。貴様のやったことは復讐と呼ぶには余りにもお粗末なモノだ。いや、もはや貴様のこれは復讐と呼ぶにも値しないだろう。貴様の行ったことはただの殺戮だよ。そこに確固たる信念などはなく、貴様はただ殺しを楽しんだだけだ」

 

「なにをっ!?」

 

「だから私はここで貴様を殺さない。何処にでもいるような羽虫同然の貴様を殺したところで、私のプライドに傷がつくだけだからな」

 

「お、俺が、羽虫同然……だと!?」

 

「ああ。貴様はただの羽虫だよ。何の価値も意味もない、ただ息をして心臓を動かしているだけの、肉塊だ。そんな肉塊、殺したところで私に何の得がある。せいぜいゴミ処理程度の感謝だろうさ」

 

 言い終えた彼女の顔には、誠一が今まで見たことのない、残虐で、非道で、冷酷な嘲笑があった。

 

 その様子に誠一は自身の歯がガチガチと鳴らされているのを感じた。彼は恐怖を抱いていたのだ。目の前にいる女性に。そして気が付いた。目の前にいるのは、自分では絶対に手が届かない、絶対強者。

 

 けれど彼女はそんな様子に目もくれず、淡々と告げてきた。

 

「貴様は今から警察に捕らえられる。そして起訴されることだろう。裁判ではきっと最上級の判決が言い渡されるはずだ。せいぜい残りの人生を悔やみながら、哀れに、無様に生きていくといい。それではな、爆弾魔くん」

 

 もはや誠一の名前すら呼ばなくなった零子はその場から立ち上がると、踵を返して屋上から消えていった。

 

 しかし、誠一にとってはもう全てがどうでもよくなっていた。勝てると確証を持っていたかつての同僚に負け、自分の生き方を否定され、最終的にはゴミを見るかのように冷酷な視線を浴びせられ……。

 

 もは彼になにをしようと言う考えは微塵も残ってはいなかった。あるのはただ、強者に対する恐怖と、言いようのない虚無感だけであった。

 

 

 

 

 

 

 誠一を突き放した零子は到着した明隆に全ての事情を話した後、救急車にて応急手当を受けていた。

 

 ある程度の処置が終わったところで、明隆が軽く頭を下げながら聞いてきた。

 

「傷は大丈夫ですか? 黒崎さん」

 

「これぐらいどうってことありませんよ。傷と言っても火傷程度ですし、あとは多少擦りむいているだけですから」

 

「ならいいですが……。あぁっとそうだ、一応知らせておきます。東堂誠一ですが、治療のために一度警察病院で処置をすることになりました。それで……処置が終わった後は、聴取をとってそのまま起訴って感じになると思います。それで、多分裁判の結果は……」

 

 若干言いづらそうにしているのは、誠一と零子が旧知の仲だということを知らせたからだろう。

 

「気にしなくていいですよ。金本警部。大体予想はついています。死刑か終身刑、それのどちらかでしょう」

 

「……はい。今回は、爆弾魔確保に尽力していただきありがとうございました」

 

「いえ。私が警察に連絡しなかったせいで結構被害も出たので、お礼を言われる立場ではありませんよ」

 

「ですが、貴女が奴を倒してくれたおかげで、被害が拡大することが防げました。少なくとも、俺は感謝しています。では、これで。後日事情聴取を行うので、その際はよろしくお願いします」

 

 明隆はそれだけ言って去って行った。そんな彼の背後には、虚ろな瞳で天を仰いでいる誠一が救急車に乗せられ、そのまま警察病院に搬送されて行った。

 

 その後、零子も精密検査のために病院へ連れて行かれそうになったが、軽く断って彼女は事務所へと帰還した。

 

 

 

 戦いを終えて、事務所の上にある自宅に戻った零子は、スカートを乱雑に脱ぎ捨て、ブラウスとショーツ一枚だけの姿でベッドに倒れこんだ。

 

「あー……疲れた……」

 

 大きなため息をつきながら呟いた彼女はそのまま、天井を仰いでただ一言。

 

「さらばだ、東堂」

 

 それだけ言い残し、彼女は瞼を閉じて意識を闇の中へと埋没させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌年、四月上旬……。

 

 いつもどおり賑やかな黒崎民間警備会社の社長の椅子に座っていた零子の元に連絡が入った。画面を見ると、どうやら明隆からのようだ。

 

「もしもし?」

 

『どうも、黒崎さん。金本です』

 

「あら、金本警部。なにかありましたか?」

 

 いつもの調子で問うと、明隆は電話の向こう側で軽く咳払いをした後、告げてきた。

 

『実は今日、公にはされていませんが、パサード……いえ、東堂誠一の死刑が執行されたらしいです。異例の速さですが、アレだけの事件を起していたというのもあり、なにより、被害者と遺族がそれを強く望みましたので』

 

「……そうですか。はい、分かりました。ありがとうございました、金本警部」

 

『いえ、では俺はこれで。また何かあったら連絡します』

 

 そう言って彼は通話を切った。零子もスマホをデスクの上に置くと、背もたれに深く寄りかかって大きく息をついた。

 

「どうかしましたか、零子さん?」

 

 そう聞いてきたのは、黒崎民間警備会社最大戦力である青年、断風凛であった。彼の後ろでは、彼の相棒であるイニシエーター、天寺摩那と、もう一組の民警である、春咲杏夏と、秋空美冬が心配そうにこちらを見ていた。

 

 彼等の様子に対し、零子は小さく吹き出すと被りを振った。

 

「いいや、なんでもないよ。ちょっと金本警部から耳寄りな情報を聞いただけ。さぁ仕事に戻ろう。そうだ、今日は皆で焼肉でも食べに行くとしよう」

 

 

 

 

 

 

 

VS爆弾魔-悲しみの漂浪者-~完~




はい、今回で爆弾魔編終了です。
タミホラを使うと思った? 残念使いませんでした!!
……はい、すみません、調子こきました。

とりあえずこんな感じで終了となります。
結構あっけなくおわりましたねw
まぁこんなもんです戦いなんて。結局はあっけないんです。某金ぴかも某ルートではあっけなく消えましたしw

そして次回はいよいよ七巻の内容に入ります。ただ、八巻が出ていない状況なので、結構探り探りだと思われます。また、最初の方は新キャラの登場もあるので、あまり七巻に食い込まないかもしれないです。実際入り始めるのは、三話か四話進めた位だと思います。

では、次回もがんばって行きたいと思います。


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第五章 世界変革の銃弾
第六十四話


七巻突入の前の話です。


「はーい、それじゃあ午前中の授業はここまで! 午後の授業の始まりには、ちゃーんと席についているように。わかったー?」

 

「はーい!」

 

 東京エリアの外周区に程近い純和風建築の日本家屋の中から子供達の大きな声が響いた。

 

 ここは断風凛の母親と祖母が経営する、『呪われた子供たちの為の教育施設』だ。いや、施設と言ってしまうといささか語弊がある。

 

 実際は母屋や離れ、そして道場を改装して出来た家と言っていいだろう。けれど、ここには、子供たちが安心して眠れる場所と、暖かい食事がある。

 

 そして今、凛の母である珠と、彼女の生徒である子供たちは午前中の授業を終えたところである。子供たちは、教科書代わりであるプリントや文房具をしまうと、談笑したりしながら母屋の方へと駆けて行く。

 

 授業が終わったので昼食をとりに行っているのだ。母屋では珠の義理の母である時江が子供たちの人数分の昼食を用意してくれている。

 

 珠も子供たちに続いて母屋に入ると、ちょうど時江がおにぎりを配っているところだった。

 

「お義母様、私も手伝いますよ」

 

「いんや、いいよ珠。アンタはさっきまで授業をしていたんだ。子供たちと一緒に座ってな」

 

 人のよさげな笑みを浮かべた時江に言われ、珠は頷いてからおにぎりを一個受け取り、縁側に出た。その後、全員におにぎりや漬物が行き渡ったところで、「いただきます」の挨拶をして昼食を取った。

 

 

 

 

 昼食を取り終えると、子供たちは一目散に庭へと駆け出して、それぞれ好きな遊びを始めた。けれど外に出ずに、室内でお絵描きやトランプ、花札などのゲームをしている子供たちの姿も見える。

 

 今の時間は食後の休み時間だ。普通の学校で言えば昼休みと言ったところだろうか。時間は多めで、一時間半ほど取っている。『よく学び、よく遊ぶ』のが断風家のモットーだからだ。

 

 少女達が遊ぶ姿を眺めながら、珠は隣で茶を飲んでいる時江に問うた。

 

「お義母様、食料の備蓄は大丈夫ですか?」

 

「ああ、心配しなさんな。少し前に凛がたくさん買っといてくれたからね、まだ余裕はあるよ。お金の方も劉蔵爺さんが溜めてくれとった遺産がまだまだ残っとる。食材の価格が変な風に高騰しなけりゃまだ大分持つさ」

 

「そうですか、なら安心ですね。……でもよかったです」

 

「何がだい?」

 

「お金のことですよ。今まではずっと凛の収入と剣星さんの遺産でやりくりしてたじゃないですか。御爺様の遺産が残っていることで、少しでも凛の負担が軽くなった様で、よかったって思ったんです」

 

「あぁ、なるほどね。うん、そりゃあそうだ」

 

 時江は納得したように頷いたが、少しだけ視線を下に落とした。

 

「しかし、凛には本当に申し訳ないことをしてしまったね。思ってみれば、昔からあの子には苦労ばかりをかけている。剣術の修行も然り、断風の宿命然り、そして民警としての仕事……私らは幾分かあの子に頼りすぎたねぇ」

 

「ええ、それは私も思っています。できれば凛にも人並みの人生を歩んで欲しかったですね」

 

「そうだね。けれど、そのうちきっとそんな日が来るさ。凛や、あの子達が幸せに暮らせる世界がね。だからそれまでは、私らがあの子達を優しく迎えてやらないといかんね」

 

「はい」

 

 頷いて返すと、時江は室内に戻って花札をしている少女達の元へ歩み寄っていった。

 

 珠も視線を戻し、外で遊ぶ子供たちを見やる。広い庭では縄跳びやサッカー、バドミントン、あとは簡易的なバレーボールをしている子供たちが見て取れた。

 

 けれど、そんな彼女らから少しだけ視線を外したところ。高い塀の近くに、数人の子供たちが半円を描くように集まっている。

 

 ……どうしたのかしら?

 

 不思議に思い、そちらに駆け寄ると、数人の子供たちがこちらに気が付いて手招きをしてきた。

 

「タマ先生! こっちきてー!」

 

「どうしたの? こんなところに集まって」

 

 駆け寄りながら問うと、カールした栗毛が特徴的な少女、錦戸佳奈巳(にしきどかなみ)が、塀の近くにいる少女を指差して言ってきた。

 

「らんちゃんが塀の外から声がするっていってるんだ」

 

『らんちゃん』と言うのは、塀の近くで外に耳を傾けている少女、森川藍子(もりかわらんこ)のことであろう。確か彼女の身体の中に流れている因子は、犬の因子であった。だから彼女には珠が聞き取れない声を聞き取ることが出来る。なので、今回も塀の外で誰かが話す声を聞いたのだろう。

 

「らんちゃん。どんな声がしたの?」

 

 屈みながら藍子に問うと、彼女は少しだけ難しい表情をしながらも外から聞こえた声を伝えた。

 

「んとね、ちいさな声だったからはっきりききとれなかったんだけど、たぶん「助けてくれ」って言ってたと思うよ」

 

「助けてくれ!?」

 

 さすがに彼女が聞いたというこの声にはぎょっとした。『助けてくれ』と言う言葉を使うあたり、もしかすると何かの事件に巻き込まれているかもしれない。

 

 それか、塀の外でなにか野蛮な事件が起きているのかもわからない。

 

「らんちゃん、その「助けてくれ」って声以外には何か聞こえなかった? 他の人の声とか、音とか」

 

「ううん、それは聞こえなかったよ。聞こえてきたのは「助けてくれ」って声だけだよ」

 

「そっか……うん、分かったわ。それじゃあ私が様子を見てくるから、皆は中で待っていてね」

 

 言い残して門まで行くと、くぐり戸を潜って藍子が声を聞いたという塀の近くまで走る。その途中では特に人とすれ違ったり、車が通り過ぎたりすることもなかった。

 

 そもそものところ断風家にはあまり人が近づくことはない。理由としては、育てている子供たちが理由である。珠や時江からすればそんなもの大した問題ではないので、余り気にしていないが。

 

 やがて塀の近くまで来たところで、珠は視線の先に誰かが倒れているのが見えた。身体の大きさと服装からして男性と言うのはすぐに分かった。

 

 すぐさま男性のもとに駆け寄ると、珠は肩を叩いて反応を見る。

 

「大丈夫ですか!? 私の声、聞こえますか?」

 

 問いながら口元に手を当てると、息はしているようだ。外傷も特になく、血が出ているようなこともない。では、内臓的な問題だろうか。

 

 もしそうであったらここでは手におえない。大きな病院に連れて行かねばならないが……。

 

「やっぱり、救急車を呼んで……」

 

「……うっ」

 

 スマホを取り出して119番にかけようとしたところで、男性が小さな呻き声を漏らし、僅かに身体を震わせた。その際、かけているサングラスが少しだけずれた。露になった目元と顔を確認すると、凛々しい顔立ちの青年だ。

 

 歳は二十四、五歳と言ったところだろうか。けれど、無精ひげを生やしているのでもしかするとそれよりも低いかもしれない。

 

「お兄さん、大丈夫? どこか痛かったりする?」

 

 再び肩をトントンと叩きながら問うと、青年は眉間を小さく動かした。

 

「は、はら……が……」

 

「はら? お腹が痛いの?」

 

 首をかしげながら問うてみるものの、青年はそれに対して弱弱しく首をふって否定する。では、やはり何かの病気の発作なのかと考えていると、彼の腹部から『ぐぅ~……』と言う、なんともマヌケな音が聞こえてきた。

 

「え……?」

 

「は、はらが減って、死にそうなんや……」

 

 青年はげっそりとした顔を上げながら言い終えると、ガクッと頭を降ろしてしまった。その間にも彼の腹は、『ぐーぐー』と連続して鳴っていた。

 

 その様子を見ながら、珠はポカンとした表情を浮かべながら声を漏らす。

 

「えっと……これってつまり、行き倒れってやつなのかしら?」

 

 

 

 

 

 

 断風家の母屋にある居間では、皿に盛ってあった料理が凄まじい勢いで消えていった。料理を凄まじいスピードで平らげているのは、先ほど珠に助けられた青年だった。

 

 あの後、珠は子供たちを数人呼んで彼を家に運び入れた。最初こそ得体の知れない人物を入れるのはどうかとも思ったが、流石に一度確認してしまったのだから、見捨てるわけにも行かない。

 

 後々子供たちに聞いてみたところ、彼は悪い人じゃないと皆口を揃えていっていた。子供と言うのは時に人間の本質を見抜くことを言うので、今回は彼女らの言葉にしたがってみることにした。

 

 それに失神していたとはいえ、今現在このようにおいしそうに料理にがっつく青年が悪い人間とはとても思えない。

 

「それだけ美味そうに食べてもらえると、こっちも作った甲斐があるねぇ。味はいいかい? 若いの」

 

「ムグムグ……ング! あぁ、ばっちりやでおばあはん。特にこの煮物なんか最高や。しっかり味がしみてて、これぞお袋の味ってヤツやな」

 

「ならよかったよ。けど感謝するのはこの珠と、そこにいる藍子にしとくれ。二人が見つけてくれなかったらどうなってたかわかりゃしないよ?」

 

「せやな。ホンマおおきに。お姉はんに嬢ちゃん」

 

 青年は珠と藍子に軽く頭を下げると、再び食べることに戻った。この食べっぷりから見るに、相当腹を空かせていたのだろう。

 

 やがて青年は全ての皿を空にしてパン、と両手を打ち鳴らすと食後の挨拶をした。

 

「ご馳走さん。美味かったで、おばあはん」

 

「口にあったようでよかったよ。それで、そろそろアンタの名前を聞かせてはくれないかね」

 

「あー、そういえば自己紹介をまだしとらんかったね。わいは、大神樹(おおがみいつき)。話し方で分かると思うけど、大阪の出身や」

 

 樹は「以後お見知りおきを」と締めると、珠と時江にふかぶかと頭を下げた。そして彼に続き、時江が自己紹介を始める。

 

「私は断風時江だ。好きに呼びな。それでこっちは」

 

「断風珠です。この家で子供たちに勉強を教えてます」

 

「時江ばあはんに、珠姐はんか。よろしゅうな。でも、ホンマに助けてくれてありがとう。あのままやったら餓死してまうところやったわ」

 

「確かに……それだけの勢いはありましたね。でも、どうして行き倒れていたんですか? それに大阪出身らしいですけど……」

 

 珠は率直が疑問を彼に投げかけた。それに対し樹は「あー、それなぁ」と少しだけ悩んだようだったが、しばらくすると一度頷いて話し始めた。

 

「えっと、わいが東京エリアに出てきた理由はな、大阪エリアに残しとるガキ共を養うためなんや」

 

「ようは出稼ぎかい?」

 

「せや。知っての通り大阪エリアは斉武の独裁政権のせいで、東京エリアほど恵まれておらん。雇用も少なくて、どれも安月給なんよ。せやからもうちょい稼ぐために、東京エリアに来たんや」

 

「ガキ共ってことは、ご兄弟がたくさんいたり?」

 

「いんや、皆わいが拾ってきた孤児たちや、勿論そんなかには、ここにいる子達みたいな子達もぎょうさんおるで」

 

 顎をしゃくって縁側でこちらを見ている子供たちを指した樹。どうやら彼にはわかっていたらしい。

 

「それじゃあ、貴方は彼女達のことを特になんとも?」

 

「思ってへんよ。ちゅうか、そんなこと気にしとったらガキ共養うために出稼ぎになんて来てへんて。まぁなんちゅーか、あの子らはホンマ難儀な子達やで……」

 

 大きなため息をつきながら言った樹は複雑な表情を浮かべた。

 

 だが、珠はそんな彼の表情をみて内心でほっとした。このような考えを持っている人物が他エリアにもいることを再確認できたからだ。無論、すべての人が彼のような人物ではないと分かっているが、それでも彼のような考えを持っている人がいることがわかって嬉しかったのだ。

 

「じゃあ外で行き倒れていたのはなんで? 出稼ぎがうまくいかなかったの?」

 

「あー、まぁそんなとこやなぁ。やっぱり人を疑うのは東京も大阪も変われへんみたいで、わいのような得体の知れん男を雇う酔狂なトコはなかなか見つからへんのや。で、手持ちの金も尽きてもうて、飯食う金もなくて、最終的にこの家の外でぶっ倒れていたっちゅうわけや。いやー、恥ずかしいなぁ」

 

 照れ隠しに頭をかいた樹は苦笑いを浮かべていた。しかし、彼の言うことも分からなくはない。

 

「でも働けてなかったら仕送りも出来てないんじゃないのかい?」

 

「そのへんは一応問題ナシや。出てくるときにある程度の貯金は預けてきたんで、なんとかなっとると思う」

 

「なんだかかなり危なっかしいですね……」

 

 珠は目の前でお茶を啜る青年を見てなんともいえない不安感を覚えた。なんというか、動きに計画性がないのだ。なんとも行き当たりばったりな彼の行動は、今は亡き夫、剣星を見ているようだ。

 

 剣星の行動も実に行き当たりばったりで、かなり適当な感じであった。その点は本当に凛に受け継がれなくてもよかったと思う。まぁ凛も時折かなり無茶をしているようであったが。

 

「ねぇ、おじさーん! このおっきいのなぁにー?」

 

 考えていると、縁側からこちらを見ていた子供たちが塀に立てかけてある巨大な白い包みを指差していた。アレは樹を家に運ぶ時に、塀に立てかけられていたものだ。重量はかなりあって、自分で持つことが出来なかったので樹共々子供たちに運んでもらったのだ。

 

「それはわいの商売道具やでー。あと、おじさんはやめーや。これでもまだ二十代やからな、お兄さんにしてくれへんか?」

 

 樹が肩を竦めながら言うと子供たちは「はーい」と返事をした。そして大きな包みに興味がなくなったのか、庭に駆けて行った。

 

「商売道具って言ってましたけど、随分大きいですね」

 

「まぁなぁ。実際のところ就職先もアレを使える就職先を中心に探しとるし」

 

「あんな大きなものをかい? 大神、あんた一体なんの仕事をしたいんだい?」

 

 流石に時江も疑問に思ったのか、彼に問う。確かにアレだけ巨大なものを使うとなれば、やれる仕事は限られてくる。そもそものところこちらはまだアレがなんなのかわかっていないのだが。

 

 樹もその質問には若干答えるか否か迷ったようだったが、出稼ぎに来た理由を話す時のように頷くと、塀に立て掛けられている包みを持ってきた。

 

 ガシャリという金属音がしたので、包みの中身は金属製のなにかのようだ。

 

「それの説明はこいつを生で見てもらった方がわかりやすいんで、見せながら説明さしてもらうわ」

 

 言い終えると彼は白い包みを解いた。バサリとたなびいた白い布が床に落ちると、包みの中のものが露になった。

 

 白い包みの中に入っていたものの最初の情報は『黒い』という情報だった。次に頭に入ってきた情報は、人間の背丈ほどもあるという情報だ。

 

 その後、改めてその黒くて巨大な物体を見ると、それは盾のようであった。盾と言ってもスクトゥムのような長方形の盾ではない。一番近しいのは剣盾の盾であろうか。それを中心に、十字架と合体したようなデザインとなっている。

 

 だが、これを見てもう一つ分かったことがある。それはこの大盾が武器であるということだ。パッと見は十字架のような盾であるが、雰囲気が明らかに武器のそれであった。

 

 なので珠は思い切って聞いてみることにした。

 

「それは、武器?」

 

「察しがええな、珠姉はん。その通り、こいつはわいの武器や。名前はフェンリル言うてな。この通り馬鹿でっかい盾みたいやけど、後ろを見ると……」

 

 樹はフェンリルを回転させると、裏面を見せた。裏の盾の中心には銃のトリガーを思わせるものが見えた。ではこの大盾は銃……いや、機関砲なのだろうか?

 

 疑問に思っていると、樹がフェンリルをいじり始めた。そして何かが外れるような「カチャリ」という音がしたかと思うと、十字架の長いほうの先端が開き、その中から黒い杭のようなものが顔をのぞかせた。

 

「まぁここまでみれば分かると思うけど、これは所謂パイルバンカーって武器なんや。この中心にあるトリガーを引くと、先端からその杭がバシュッと出るってわけやな。ほんで、色でもうとっくにわかっとると思うけど、フェンリルは全部バラニウムで出来とる。せやから、わいが探してる仕事ってのは……もうわかるわな」

 

 確かに、バラニウムという単語まで出されてしまえば、もう仕事というのは簡単だろう。そう、彼が探している仕事と言うのは……。

 

「民警」

 

 珠の言葉に樹は静かに頷くと、再びフェンリルに向き直って先ほどいじっていた箇所と同じ箇所を操作して、杭を戻して白い包みを巻きつけた。

 

「なるほど、民警か……」

 

「ああ。この通りライセンスも持っとるで」

 

 彼は言うと懐から手帳のようなものを取り出す。それを覗き込むと、確かに凛が持っているものと同じ民警ライセンスだった。

 

「まぁ嘘を言っているとは到底思っていないけどねぇ。それにしたってアンタ、民警て言ってもイニシエーターはどうしたんだい?」

 

 時江の言うとおりである。民警というのはプロモーターとイニシエーターのツーマンセルのことを指す。

 

 時江の最もな質問に、樹は「うっ」と言葉に詰まってしまった。しばらく沈黙が流れたが、彼は頬をポリポリと掻きながら呟いた。

 

「それが……一回IISOに行ったんやけど、どのガキんちょとも粗利が合わなくてなぁ。せやからそのまま誰とも組まずに東京に出てきたんや」

 

「ということは樹くんは最近民警になったばかりなの?」

 

「いや、民警になったのは一年くらい前なんや。その間いろんなガキんちょと組んでは解消を繰り返しててな。結局そのまま来てもうて、確定したイニシエーターがいない状況なんや。あ、因みにわいのIP序列は一〇一〇やで」

 

 確かに彼の言うとおりのやり方で来ていればイニシエーターがいないのも頷ける。だが、珠はイニシエーターがいないことで就職にありつけていないのではないかと考えた。

 

「多分だけど、民間警備会社に就職ができないのは、やっぱりイニシエーターがいないからじゃないかしら?」

 

「珠の言うとおり、十中八九そうだろうね。相棒のいないプロモーターなんぞ就職させても後々組ませるのが面倒だろうし、金もかかるからねぇ」

 

「やっぱりそうかぁ……。あぁうすうす気付いてはいたんやで? でも、あーやっぱりそうかぁ。ほんならどないしたらええかな?」

 

 樹は腕を組み、こちらに何か案の提供を求めてくる。そんな彼の視線に対し、珠と時江は互いに視線を交錯させると、樹に断って彼から少し離れた所で相談することにした。

 

「どうします? 一応就職口紹介してあげますか? 二つ候補がありますけど……」

 

「零子さんとこと木更ちゃんのとこか……。でも、木更ちゃんのところはもう一組雇ってる余裕なんてないだろう。家計は火の車だって聞くよ」

 

「じゃあやっぱり黒崎民間警備会社ですかね?」

 

「消去法で行けばそうなるね。しかし、あっちもあっちでもう四組も雇ってるからねぇ。どうしたものか……」

 

 時江は「むぅ……」と呻ると、扇子を閉じて顎に当てる。珠も考え込むが、やはり最終的に黒崎民間警備会社を紹介する以外の手が思い浮かんでしまう。

 

「あ、そういえば、この前の事件の時に蓮太郎くんのところに一人、プロモーターをなくしてしまった女の子がいましたよね。名前は確か紅露火垂ちゃん」

 

「この前の事件ってぇと……あぁ、蓮太郎くんが指名手配された時のやつだね。ふーむ、だとすればやっぱり木更ちゃんのところかねぇ。でも家計がねぇ……」

 

「まぁ悩んでいてもしょうがないので、一応零子さんに電話してみましょうか。彼、悪い人ではないみたいですし」

 

 珠が樹の方を見やると、彼は今子供たちに誘われてトランプをしている。子供たちの懐き方から見ても、彼が悪人ではないことは明らかだ。それにしゃべってみても分かったが、彼の言葉に後ろめたいものは一切なかった。簡単に人を信じすぎかもしれないが、彼は悪い人間ではないと思う。

 

「それじゃあ少し連絡してきます。樹くんには御義母様が話しておいて下さい」

 

「はいよ。まぁ、零子さんだったらすぐに受け入れそうなもんだがね」

 

 時江は肩を竦めると、樹に報告するために彼の元へ歩んでいった。

 

 残された珠は今から出てスマホを取り出して零子に電話をかける。

 

『もしもし、黒崎ですが? どうかしましたか、珠さん』

 

「いきなりのお電話すみません、零子さん。すこし、お話いいですか?」

 

『はい、構いませんけど。なにかありましたか?」

 

「うーん、何かあったというよりも、現在進行形であるんですけど、じゃあとりあえず説明するので返答をください」

 

 珠は言うと、そのまま今日あった出来事を彼女に話した、そして最後に樹のことを話し終えると、電話の向こうで零子が「ふむ……」と小さく息をもらすのが聞こえた。

 

「それで、どうですか? 彼、悪い人間ではなさそうなんで大丈夫だとは思うんですけど、雇ってあげることって出来ます?」

 

『出来ますよ。面接はしますけど』

 

 即答であった。それはもう間髪入れない返答であった。

 

「え、そんなに簡単に? でもさっき『ふむ』って息もらしてませんでした?」

 

『あぁ、今のはその、大神樹くん? を雇うのに際してそろそろ事務所が手狭になってきたなって考えたんですよ。だから、彼を雇うのに特に問題はありませんよ。面接は行いますが』

 

「それじゃあ、彼にこのことを伝えても?」

 

『ええ、構いません。日時は……そうですね、三日後の午前十一時と伝えておいて下さい。あぁそれと、いかなる理由があっても遅刻した場合は落とすとお伝えください。では』

 

 零子は言い残すと通話を切った。電話を終えた珠は今に戻り、樹の前に座る。樹はかなり気になっていたようで、真剣な面持ちでこちらを見ていた。

 

「そ、それで珠姉はん。その、黒崎社長はなんていっとった?」

 

「雇うことは確定してないけど、面接はしてあげるってさ。それで面接は三日後の午前十一時。遅刻したらその時点で落とすって。場所はあとで教えてあげる」

 

「三日後の午前十一時やな……。わかった、ホンマおおきに! なにからなにまで世話になってもうて、感謝しきれんわ」

 

「困った時はおたがい様さね。ただ、私達が困った時は……」

 

「わかっとる。真っ先に助けにくるで! ほんなら、場所を教えてもらってええか?」

 

 樹は若干興奮した様子でこちらに問うてきた。どうやら希望が見えてきたようで興奮しているようだ。まぁ東京に出てきて初の就職口かもしれないのでうれしくてたまらないだろう。

 

 彼の様子に苦笑しつつも珠はエリアの地図のコピーを持ってきて黒崎民間警備会社の場所を教えた。

 

 その後、樹は自分が食べた分の皿を洗って子供たちと遊んだ後、「泊って行かないか?」という誘いを断って出て行ってしまった。彼曰く、「これ以上頼れへん」らしい。

 

 夕日が照らす東京エリアに消えていった青年の後姿を見送りながら珠は口を開いた。

 

「樹くん、受かるといいですね」

 

「まぁその辺は大丈夫じゃないかねぇ。不安なところは多々あるが、根はしっかりしてるいい子だと思うよ」

 

「あとは彼のがんばり次第ですね。さてっと、それじゃあ今日の分の夕飯を作りましょう。確か今日はカレーでしたっけ」

 

「ああ、仕込みは昼のうちに済ませてるからそんなに時間もかからないだろうさ」

 

 二人は今日の夕食のことを話し合いながら家に戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 断風家を出た樹はフェンリルを背中に背負い、宿はどうするかと悩んでいた。

 

「そういやぁ、荷物の中に大阪のおばちゃんが入れてくれたもんがあったなぁ」

 

 思い出し、大型のバッグを開けて中をまさぐると、小さな収納の中に巾着袋のようなものが入っていた。

 

 その中に手をつっこんでみると、カサリとした感触が伝わってきた。だが、この感触が何であるか、樹はすぐに想像がついた。

 

「これはもしやお金か……? やっぱり、おばちゃんはわかっとるなぁ、いざって時のために使えってことやな。よぉし、なら早速使わせてもらうで!」

 

 言いながら勢いよく巾着袋からお札を取り出すと、指先にあったのは、二つ折りにされた一万円札だけであった。

 

 夏風にたなびくそれをみた樹は先ほどまでのテンションは何処へやら。途端に静かになって小さく呟いた。

 

「……おばちゃん、一万円一枚じゃカプセルホテルもとまれへんて……」

 

 この瞬間、樹の野宿が確定したのである。

 

 後々彼は思った、素直に時江や珠の申し出を受け入れていればよかったと。




はい、今回もお疲れ様でした。

言っていた新キャラ登場です!
大神樹くん……さてさて、元ネタは分かるでしょうか?
まぁ鋭い人であれば簡単でしょう。そうでしょう。ええ、あの人です。

今回はこれでもかと言うほど凛の影がありませんでしたね。次回からはありますので大丈夫です。
また、この大神くん、七巻の内容だけに出てくる一発キャラかと思いきや、なんと普通に続投します。しかもかなり重要なキャラです。物語にとっても、そして凛にとっても。彼のことについてもちゃんと触れていくので、どうかゆっくりと見守っていただけると幸いです。

本当に面白いキャラですからね。この子。
あとは火垂との絡みですが……火垂は気難しそうですねえ。「私は鬼八さん以外はプロモーターと認めない」とか言いそうです。でも組んでもらいます、ねじ込みます。

では、感想などありましたらよろしくお願いします。


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第六十五話

 黒崎民間警備会社の事務所では面接が行われていた。

 

 事務所には凛達の姿はなく、あるのは社長である零子と、彼女の相棒である夏世だ。

 

 二人の前には黒いスーツを身に纏い、やや無精ひげを伸ばした男性、大神樹の姿がある。彼は数日前に凛の母、珠が紹介したフリーの民警である。大阪エリアから出稼ぎに来たらしいが、雇ってくれるところがないので路頭に迷っていて、断風家の塀の外で倒れていたらしい。

 

「えっと、大神樹くん。大阪エリアではフリーの民警として活動。決まったイニシエーターはなし……それでも序列一〇一〇位ってのはすごいわね。結構ガストレアを駆逐したでしょう?」

 

「せやな。このフェンリルやら使うて倒したで。ステージⅣも相手したことがあるんや」

 

「なるほどね……」

 

 零子は「フム」と唇に手を当てる。

 

 履歴書に目を通したところ特に怪しいところは見受けられないし、性格も問題はなさそうである。

 

 ……IISOに問い合わせて交戦履歴を確認したけど、偽りはなしか。

 

 質問に対して彼が答えたことと、隣の夏世が開いているノートパソコンのディスプレイを見やって見比べる。

 

 ディスプレイには樹のデータが表示されている。昨日のうちにIISOからリークしてもらった資料だ。

 

 しばらく無言のままでいると、樹が若干緊張した声音で問うてきた。

 

「黒崎社長、もっかい聞きたいんやけど、ホンマに敬語やなくてええんか?」

 

「そのあたりは構わないわ。言葉遣いなんて瑣末なことだし。それに下手に敬語で話されるよりは、ラフに話してもらった方がその人の本質が分かるってね」

 

 樹も最初事務所に入ってきた時は敬語だったのだが、妙にぎこちなかったので、零子は標準語で構わないと言ったのだ。

 

 まぁ普通の就職ではありえないだろうが、ここでは零子の好きで決められる。社長特権様様である。

 

「さてと、もう二、三質問をしていくわね。その後は、この子からも質問があるから」

 

「この子って、そこの?」

 

「千寿夏世と言います。よろしくお願いします、大神さん」

 

 夏世はぺこりと頭を下げ、樹もそれにつられるように軽く会釈した。

 

 今回、なぜ夏世を同伴させて質問をさせるかと言うと、樹が火垂に相応しいプロモーターかどうか見極めるためだ。

 

 夏世と火垂はあの事件以後、妙に気があったらしく、二人で話しているところをよく見かけるようになった。二人とも余りしゃべるほうではないので、うまがあったのだろう。

 

 そんな彼女であるからこそ、今回の見極めには重要なのだ。親友の夏世が、火垂と組むかもしれないプロモーターを見極めれば、火垂が必要以上に傷つく可能性もなくなるだろう。

 

 ……とは言っても、最終的には本人がどう判断するかなんだけどね。

 

 零子は、今頃天童民間警備会社に顔を出している凛達を思い浮かべながら、内心で溜息をつく。が、今は目の前の青年の面接に集中しなくては。

 

「それじゃあ幾つか質問するわね」

 

 

 

 

「嫌よ」

 

 きっぱりとした拒絶の声が天童民間警備会社の事務所内に響いた。

 

 声の主はややツリ目がちで、栗毛をショートボブに整えた少女、紅露火垂だ。彼女はキュッと拳を握ってソファの上に座っている。

 

 表情にはかすかな怒りと、苦悩の色が見えている。

 

 彼女の前には神妙な面持ちの凛がテーブルを挟んだソファに座っている。

 

 背後には蓮太郎に延珠、摩那がおり、事務所の入り口付近の壁には凍に桜、焔に翠がそれぞれ壁に背中を預けていた。木更とティナの近くには杏夏と、美冬がいる。

 

 今日、凛達が来たのは火垂に、新たに組む予定のプロモーターのことを話すためだ。

 

 しかし、話したはいいものの、火垂から返ってきたのは拒絶だ。

 

 恐らく、いいや、間違いなく、彼女の拒絶には前プロモーターである、水原鬼八が関わっている。

 

 確かに、彼女の拒絶もわからないでもない。ずっと一緒にいると思っていた鬼八を殺され、一人ぼっちになってしまったのだ、数週間が経過した今でも心の傷が癒えないのは当然だ。

 

 大人ならまだしも、彼女はまだ十歳になったばかりの少女なのだから、傷を癒すにはまだ時間が必要だろう。

 

 そこに「新しいプロモーター候補が出来たから組まないか?」と申し出れば、拒絶するのは明白だった。

 

「けど、火垂。いつまでも俺たちのところに居られるわけじゃないんだぞ。今でさえ聖天子様の計らいで、なんとかIISOから見逃してもらってるだけで、いずれは強制送還されちまう。それに、薬も配給されなくなるんだぞ?」

 

「そんなことは分かってるわ。蓮太郎。でも、私は鬼八さん以外をプロモーターとして認めたくないのよ」

 

「でも火垂……」

 

「そんな目で見ないでよ、摩那。決して貴女達の申し出が嫌なわけじゃないわ。私を心配してくれてるって言うのも充分理解出来てるの。でも……」

 

 火垂は首から下がっている懐中時計を握り締める。あの時計は鬼八が火垂の誕生日のために用意したものだ。だが、彼はその前に五翔会に殺害されてしまったが……。

 

「わかった。こっちも急な話だったからね。ゴメンよ、火垂ちゃん」

 

 凛は立ち上がり、出口へ足を向ける。ドアノブをまわして出て行くときに、軽く蓮太郎達に手を振り、彼はそのまま出て行った。それに摩那達が続いて出て行った。

 

 

 

 天童民間警備会社から出た凛達は、少し行った所にあるファミリーレストランに立ち寄った。それぞれが適当な料理を注文したが、なんともいえない空気が漂う。

 

 数分後、注文した料理がそれぞれの前に置かれ、皆食べ始めるが、そこで、杏夏が箸を置いて声を漏らした。

 

「やっぱり、そう簡単に気持ちは切り替えられませんよね。火垂ちゃん……」

 

「頭では理解していても、心が追いつかないのだろう。まぁあの歳の子に大人な対応を求める方がおかしいとは思うが」

 

「でもさぁ、凍姉。このまま行ったら火垂だって……」

 

 焔が顔を俯かせる。それにつられ、それぞれが小さく溜息をついた。

 

 皆、このままではいけないと理解している。

 

 けれども時間がないのだ。先ほど蓮太郎が言っていたが、火垂が今、蓮太郎の下にいられるのは聖天子の計らいで、IISOからの干渉を抑えているからだ。

 

 とはいっても、期間は永遠ではない。IISOが要求した期間は、二ヶ月以内だ。つまり、二ヶ月以内に火垂がプロモーターと組まなければ、彼女はIISOの施設に強制送還される。

 

 そうなれば、もうこちらから干渉するのは不可能だ。プロモーターの中には非人道的な輩も多い。火垂ならそんな連中などすぐに逃げ出せそうなものだが、これ以上彼女の心を傷つけるわけにはいかない。

 

「ねぇねぇ。凛はどうしようと思ってるの? さっさと出てきちゃったけど」

 

「この問題ばかりは僕達にはどうしようもないからね。火垂ちゃんと、彼女のプロモーター候補の大神さんの問題だ。それにあの場にずっといたとしても、火垂ちゃんは結論を出せないだろうから、早めに切り上げたんだよ」

 

「大神さんといえば、そろそろ面接も終わった頃でしょうか?」

 

 翠が問うた所で、全員のスマホが鳴った。それぞれがディスプレイを見ると、無料トーク用のアプリのメッセージが送信されたところだった。

 

 ディスプレイには「採用。全員戻ってくるように」とあった。どうやら面接に来た狼樹は、合格したようだ。

 

「とりあえず、火垂ちゃんのことは保留にしよう。今は事務所に戻って、大神さんに自己紹介をしないと」

 

 凛の言葉に全員が頷き、食べかけだった料理を平らげ、黒崎民間警備会社へと戻った。

 

 

 

 

 

「と言うわけで、今日からうちで働いてもらうこととなった大神樹くんだ。皆、仲良くするように」

 

 事務所に戻ると、開口一番零子が皆につげ、彼女に続いて件の樹が凛達に対してラフな感じで挨拶をした。

 

「大神樹や。よろしゅうな。えっと、かるく自己紹介しとくと、好きな食べモンとかは特にナシ、うまければなんでもええわ。趣味はバイクで、整備とかも得意やな。IP序列は一〇一〇位、武器は主にこのフェンリルと、銃やな。……こんなもんでええか?」

 

 樹は担いでいる巨大な盾と、格納されている銃を見せながら首をかしげた。すると、杏夏が一歩前に出て、右手を差し出した。

 

「初めまして、大神さん。春咲杏夏です。これからよろしくお願いします」

 

 彼女が笑顔で言うと、樹もそれに微笑を浮かべて握手を交わす。その後、杏夏が一通りの自己紹介を終え、今度は美冬が自己紹介に入った。

 

 そのままそれぞれ自己紹介が進み、最終的に凛の番になった時、樹は凛を指差して言った。

 

「お前さんが、凛か」

 

「はい。母と祖母から聞きましたか。大神さん」

 

「ああ。二人にはホンマ世話んなってもうたからな。今度埋め合わせさせてもらうわ。しっかし……ふむ……」

 

 彼は顎に指を当てると、凛のことを足先から頭までじっくりと観察してきた。

 

「なにか?」

 

「いんや、もうちょい背ぇが小さいかとも思っとったんやけど、案外でかいんやなぁ思うてな。まぁこれから一緒に闘っていくもん同士、仲ようしたってや」

 

「こちらこそ。よろしくお願いします」

 

 握手を交わしたところで、全員が自己紹介を終えた。

 

「よし。全員終えたようだな。では、これから皆に話すことがある」

 

 零子が椅子から立ち上がってこちらを見たが、「あっ、忘れとった」と樹が声を上げた。

 

「皆、ワイのことは大神さんやのうて、樹でええからな。そんだけや、途中で切ってすまんかった、社長」

 

「構わないさ。では、本題に入るぞ」

 

 彼女の声質が若干低くなった。

 

 こういうときの零子は、何かしら重大な発表をするときだ。

 

 樹もそれを感じ取ったのか、表情に真剣みが帯びてきている。

 

 果たしてどれだけ重要なことを発表されるのか。高難度の任務の通達か、はたまた要人の警護か……。

 

 全員が気を引き締めて事務所全体に緊張の糸が張り巡らされたところで、ついに零子が告げた。

 

「事務所を引っ越すぞ」

 

 瞬間、なにかがプツンと切れた音が聞こえたような気がした。同時に、全員が膝から力が抜けたようにずっこけてしまった。

 

「うん? どうした、皆」

 

 零子は少しばかり首を傾けた。

 

 その場にいた全員が彼女にツッコミを入れようと考えたが、誰よりも早く、樹が立ち上がった。

 

「引っ越しぐらいにそんな緊張感もたせんなやっ!」

 

「おー、さすが関西出身。見事なツッコミだ」

 

「いや、関西人やのうても、今のは普通にツッコミいれるわ!」

 

 樹の声に内心で頷くと、零子に問いを投げかける。

 

「まぁツッコミどうこうはともかくとして、随分と急ですね」

 

「焔ちゃんが事務所に入ってから少々手狭になってきたからな。ちょうど樹くんも入ったことだし、いい頃合だと思ってな。なので今日は荷造りをする。荷物を動かすのは明日の朝から始める。それぞれ私物をここに用意してあるダンボールに詰めておくこと。樹くんは私物がないので、棚に入っているファイルなどを詰めてくれ。子供達は詰め終わったダンボールにガムテープを貼って封をするように。では、荷造り開始」

 

 パンッと零子は両手を叩いて開始の合図を告げると、凛もそれに従い、ダンボールを持ってデスクに置いてあるものを詰め始めた。

 

 とは言っても、凛の私物はあまり多くはない。デスクの上には、暇つぶしのために置いてある小説やら、ライトノベルが数冊。四つある引き出しの一番上には筆記用具など、二段目にはノートパソコンや、マウスなどの周辺器材があるだけだ。では、その三つ目と五つ目の引き出しはと言うと……。

 

「摩那ー。引き出しに入ってるアニメのグッズとか、お菓子類はどうするー?」

 

「あ、待って待ってー」

 

 呼ばれた摩那がとことこと駆けてきた。

 

 そう、凛のデスクの下半分は、摩那の私物入れとなっている。とは言っても、彼女の場合、食べ切れなかったお菓子や、新しく買ってきたお菓子、大好きなアニメである天誅ガールズのグッズ、あとは携帯ゲーム機の充電器が収納されている。

 

「あー、食べかけのお菓子はいらないや。新しいお菓子とゲームの充電器と、天誅ガールズのグッズだけは凛のダンボールに一緒に入れておいて」

 

「わかった。じゃあ後はこっちで纏めるから、持ち場に戻っていいよ」

 

「りょーかい!」

 

 摩那は軽く敬礼をして戻って行った。

 

 そんな彼女の姿に微笑を浮かべると、

 

「ずいぶんと仲ええな、凛」

 

 見ると、ファイルをダンボールに詰め終えて、子供達の下に運ぼうとしている樹がいた。

 

「摩那とは、もう長い間一緒に過ごしてますからね。歳の離れた妹みたいな感じです」

 

「ん? 摩那はIISOから派遣されたんやないんか?」

 

「ええ。あの子はウチで育った子です。赤ん坊の頃から知ってますよ」

 

 自分の私物を詰め終わり、摩那の私物を詰めながら言うと、樹がポカンとした顔をしていた。

 

「どうかしましたか?」

 

「……いんや、辛くないんかな思うてな。そんな、妹みたいな摩那がイニシエーターとしてガストレアと戦うなんてってな」

 

「辛い事は辛いですよ。最初は反対しましたし、今だって出来れば摩那には闘ってほしくありません。いえ、これは全てのイニシエーターの少女に共通することですが。彼女達には静かに暮らして欲しい。これが本音です」

 

「せやったらなんで、摩那に戦わせとるんや?」

 

 樹の声音はやや低かった。それだけこの問いかけには真剣な思いが込められているのだろう。

 

「摩那を戦わせている。これ自体は否定しません。闘わせたくないのに闘わせている、明らかに矛盾しています。けれど、イニシエーターになる道は、摩那自身が選んだことです。その道を僕に邪魔する権利があるでしょうか?」

 

「……」

 

「僕はないと思っています。どういう形であれ、あの子は自分の道を自分で決めた。だったら、その道を最大限サポートするのが僕の役目であり、責務です。……まぁ殆どいいわけですけどね。本当に闘わせたくないなら、ずっと実家に押し留めていればいいわけですし」

 

「せやな。確かに言い訳や」

 

「そういった言葉をかけられるのは覚悟していました。けれど、もし摩那の道を阻んでしまったら、それは彼女自身のことを否定すると同じだと僕は考えています。人々に否定され、社会に否定され、世界そのものに否定された彼女達を、これ以上否定してはいけないと思っています」

 

 私物を全て詰め終え、ダンボールを持ち上げた凛は、樹を真っ直ぐに見据えた。

 

 端から見れば、何を言っているのやらと思われるだろう。だが、たとえそうであったとしても、凛は自分の考えを曲げるつもりはない。彼女達のことは否定しない、いいや、否定してはいけないのだ。

 

「なるほどなぁ。まぁええんやないの? ワイもそういう風に自分の考えを持っとる奴は、嫌いやないで」

 

「ありがとうございます」

 

 苦笑いを浮かべながら返答すると、背後から「そこの男子二人さぼるなー」と零子に叱られてしまった。

 

 その後、デスクやソファなどの荷物以外の事務所内の荷物を全てダンボールに詰め終わると、空は既に夕焼けと夜が交わったところだった。

 

 

 

 引越しの準備を終えた黒崎民間警備会社の三階。従業員のための宿泊室の布団に寝転がった樹は、気の抜けた息を漏らした。

 

「いやぁ~……久々の布団や~」

 

 大きく伸びをして背骨を伸ばす。

 

「やっぱ日本人は布団やなぁ」

 

 樹は緩んだ表情を浮かべてゴロゴロと布団の上を転がる。

 

 東京エリアに来てからというもの、まともな生活が出来たのは最初だけだった。なので、再びこういったやわらかい布団で眠れるというのは嬉しいものがある。

 

 やがて転がることをやめた樹は、仰向けになった後、跳ねるように起き上がって、懐からタバコを出しつつ、窓をあける。

 

 まだまだ残暑は厳しく、ムッとした熱帯夜独特の熱気が来るが、夏真っ盛りの時と比べれば、幾分か風が涼しくなっている。

 

 慣れた手順でタバコに火をつけ、口に咥える。

 

 ぼーっと眼下に広がる東京エリアの夜景を見つめていると、脳裏に昼間、凛が言っていたことが浮かび上がってきた。

 

「……子供達のことを否定しない、か……。眩しいこと言いよるなぁ、アイツ」

 

 彼の言うとおり、『呪われた子供たち』は世界に否定され続けてきた。だからこそ、凛は彼女達を受け入れているのだろう。一人でも多くの少女達の心と身体をこれ以上傷つけないために。

 

 凛は摩那がイニシエーターになると言った時、最初は反対したと言った。が、彼はその時気が付いたのだろう。彼女の言葉さえも否定してしまえば、それは子供たち全てのことを否定してしまうのではないかと言うことに。

 

「けど、アイツの生き方はなんちゅうか、あぶなっかしいなぁ」

 

 あの考えを持つ凛の生き方は、呪われた子供たちの事情を知っているものからすれば、尊敬できるものだとは思う。しかし、それはあくまでごく一部の、限られた人間にしか受け入れられない生き方だ。一歩間違えれば、彼はこの世界に存在する全ての人間を敵に回すだろう。

 

 いわば彼は己の人生をかけた綱渡りをしている状態だ。少しでも揺らげば、たちまちに全てが敵になる。

 

 だが、そんな状況下であっても、彼は決して揺らいでいない。

 

 ここまで来るともはや狂気の沙汰である。

 

 断風凛という青年は一見すると、常識人で誠実である言葉がしっくり来るだろう。けれどもその実、彼ほど狂った人間はいない。

 

「ワイもそれなりにイカレた人間を見てきたけど、あそこまでぶっ飛んでいるとは……」

 

 紫煙を深く吸い、長く吐き出す。

 

「ワイよりも年下やろうに、ホンマ、難儀なやっちゃで」

 

 零子から渡された灰皿にグリグリとタバコを押し付けて火を消し、窓を閉める。

 

 そしてエアコンを調節し、歯を磨いてから眠ろうとした時だった。

 

 不意に部屋の扉がノックされ、聞き覚えのある声が聞こえた。

 

「樹さん、夏世です。起きていらっしゃいますか?」

 

「夏世? あぁ、起きとるからちょい待っとき」

 

 樹はこんな時間にどうした? と怪訝に思いつつも、ドアを開けて夏世を部屋に招き入れる。

 

 彼女は行儀よく「失礼します」と頭を下げてから入ると、樹が敷いた布団の上にチョコンと座った。

 

「そんで、なんの用や?」

 

 コンビニで適当に買ってきた缶ジュースを差し出しつつ、聞くと、夏世は真剣な眼差しを向けてきた。どうやら相当重要な話であるらしい。

 

「実は、樹さんのイニシエーターの候補に上がっている子のことをお話しに来ました」

 

「随分とはやいなぁ。ワイが来る前に決まっとったんか?」

 

「はい。本音を言ってしまえば、この子以外ありえないといいますか、なんと言いますか。まぁそれは今はいいです。とりあえずこれを見てください」

 

 持っていたクリアファイルから一枚の紙を渡されたので、それを受け取って紙面に視線を落とす。

 

 渡された紙はイニシエーターの履歴書のようなものであった。上から順に、少女のッ氏名と年齢、血液型、身長、体重、そしてモデルの順番だ。

 

「その子の名前は紅露火垂。モデル、プラナリアのイニシエーターです。外見はその写真のとおりです」

 

「なるほど。せやけどプラナリアってのもなかなか面白いモデルやな。夏世はドルフィンやったか?」

 

「ええ」

 

「ほんで、この子がどないしたんや? わざわざこんな夜中に来たんやから、よっぽど重要なことなんやろ?」

 

 問い返すと夏世は静かに頷き、「紙面の一番したを見てください」と告げてきた。

 

 それに従い視線を更に下へ落としていくと、来歴というところにあたった。そこには彼女がいつイニシエーターになったのか、誰と組んだのかという記録があった。

 

 欄を読んでいくと、火垂がどのような経緯でイニシエーターになったのかと言うのが分かったが、今までで正式に組んだプロモーターは一人、『水原鬼八』という少年だった。

 

 しかし、その欄の下には非常に残酷な記録が残されていた。

 

『二〇三一年八月。プロモーター、水原鬼八、死亡により、ペアを解消』

 

 あまりにも残酷で悲しき記録であった。

 

 思うにこの火垂という少女は、鬼八という少年にしか心を許さなかったのではないだろうか。だからこそ彼女は鬼八と長い間ペアを組んでいた。恐らく、火垂にとっては、鬼八が心のよりどころだったのだろう。

 

「理解していただけましたか」

 

「ああ。こりゃまた、随分とヘヴィな話や。プロモーター亡くしたばっかの子と組めなんて、なかなか難しいで?」

 

「ええ。それは私も理解しています。ですが、今日の面接の時、私は貴方に質問しましたよね? 『どんな少女であっても組める自信はあるか?』と」

 

 確かに言われた。無論、この返答とてその場しのぎで返した言葉ではない。現に、今まで仮で組んできた少女達ともうまくはやれていた。ただ、長く続かなかったのは、長期間一緒に居るとなると、若干粗利が合わないということがあった。

 

「せやけど、この火垂って子、まだ心の整理がついてないんとちゃうか? 八月言うたらちょっと前やで?」

 

「はい。実は今日も凛さんたちに説得しに行ってもらったのですが、案の定駄目だったようです」

 

「そりゃあそうやろ。ガストレアと闘えるいうても、お前らはまだまだガキや。そう簡単に立ち直るなんてありえへん。それにこの子、この水原ってのに相当心を許してたんやないか?」

 

「そのとおりですが……よく分かりましたね」

 

「禄でもないプロモーターと組んどれば、もうちょい来歴に変動があってもええからな。まぁこれはあんまし言いたくないことやけど、プロモーターがクズやったら、こんな歳まで生きられんやろうしな。せやから火垂はこの水原に絶大な信頼を置いていたと考えただけや」

 

 イニシエーターはプロモーターを選ぶことは出来ない。だから、彼女らは時折人間のクズともいえるプロモーターにこき使われ、最終的に見捨てられるか、殺されるか……最悪ガストレア化してしまう。

 

 なので、総じて見ると十歳近くまで生きるということは、それだけ良いプロモーターに当たったということだ。

 

 そこから推察し、水原というプロモーターは火垂を大切にしていたのだろうと考察したまでだ。

 

「樹さんの仰るとおり、火垂さんは水原さんととても仲がよかったようです。彼女自身から聞きましたが、本当の家族のように接してくれたと、言っていました」

 

「家族かせやったらつらいやろな。水原はなんで死んだんや? ガストレアか?」

 

「いいえ、詳細は話せませんが、とある事件に巻き込まれて殺害されたのです」

 

「そらぁ、穏やかやないなぁ。しかし、事故やガストレアならまだしも、殺害か……。こりゃあ相当トラウマがあるやろ」

 

「今でこそ普通に振舞っていますが、心の奥底には癒えない傷があるはずです。話していても、悲しげな表情をすることが多く見られますので」

 

 段々と二人の間に流れる空気が重くなる。

 

 が、樹はそんな空気を吹き飛ばすように軽く咳払いをして「よっしゃ」と意を決したように頷いた。

 

「ウジウジ言っててもしゃーないわ。会って話してみんことにはわからへん」

 

「では、ペアを組んでいただけるのですか?」

 

「まぁ、ワイもこの子ことは気になっとるからな。向こうがOKしてくれるまでがんばってみようと思うわ。って、ここだけ聞くと好きな女子に告白する男子みたいやな」

 

「そうですね、気持ち悪いです」

 

「待てい! 今のは流れ的にお前さんが言わせたことやで、夏世!」

 

「そうでしょうか?」

 

「そうやろ!?」

 

 ツッコミを入れると、先ほどまで硬かった夏世の表情も少しだけ柔らかさが見えてきた。どうやら彼女も思いつめていたようだ。

 

「では、私はこれで戻ります。もしかすると、明日会えるかもしれないので、その時はがんばってください」

 

「おう。おやすみな、夏世」

 

「はい、おやすみなさい」

 

 夏世はそう言って室内から出て行こうとドアノブに手をかけたが、そこで振り返った。

 

「樹さん。私が貴方を選んだ理由は、貴方が火垂さんと組めると思ったからではありません。貴方はすごく優しい人です。それはもう、凛さんと同じくらいに。だからきっと大丈夫です。真っ直ぐに火垂さんと向き合ってください」

 

「ああ。おおきにな、夏世」

 

「いえ、では今度こそお休みなさい。明日は午前八時から引越し開始ですので」

 

 夏世はそれだけ言い残し、出て行った。

 

 残された樹は、頭を掻きながら小さく溜息をついた。

 

「ワイが優しい、か。言ってくれるなぁ、夏世も」

 

 

 

 

 

 

 

 

 蓮太郎のアパートに居候させてもらっている火垂は、空が白み始めた午前四時ごろ、ふと目が覚めたので窓から外を見やった。

 

「鬼八さん……」

 

 まだ蓮太郎と延珠は眠っているため、この声が聞こえることはないだろう。

 

 鬼八が亡くなって以来、時折夜中や朝早くに目が覚めて、彼のことを思い出すことがある。自分のことを本当の妹のようにかわいがってくれて、いつも優しかった鬼八は、火垂にとってなくてはならない存在であった。

 

 そんな彼が殺されたと知ったときは、まるで自分の半身がなくなったかのような消失感を味わった。同時に、彼を殺したものに対する、憎悪も沸きあがった。

 

 今では事件も解決し、多くの仲間を持ったことで消失感も薄くなっているが、それでも心には、ぽっかりと穴が空いてしまっている。

 

 凛に持ちかけられた話、新しいプロモーターの件だって、何とかしなくてはならないとは分かっている。けれど、どうしてもあと一歩が踏み出せない。

 

 本当に鬼八以外の人と組んでいいのか、組んだとして、鬼八との記憶が薄れてしまうのではないか。それが怖いというのも踏み出せない理由の一つだろう。

 

「鬼八さん……私はどうすれば……」

 

 そう呟いた時、右頬を一筋の涙が伝った。彼女はそれを拭うと、眠っている延珠と蓮太郎を見やる。

 

 二人は深く眠っていて、起きる様子はない。

 

 ……これ以上、みんなに迷惑はかけられない。

 

 火垂は小さく頷くと、手早く着替えて荷物をまとめ、二人を起さないように居間に出てから置手紙を書いてから、玄関に向かった。

 

「ありがとう、蓮太郎、延珠。……さようなら」

 

 彼女は最後にそれだけ言い残し、出て行った。その目尻からは涙が散った。

 

 

 

 

 

 それから数時間後、目覚めた蓮太郎と延珠が見たのは、ちゃぶ台に置かれた、『いままでありがとう。さようなら。火垂』と書かれた置手紙であった。




はい、お待たせしました。

今回で樹が正式加入しましたね。
あとは凛の破綻具合が見抜かれましたが、まぁ彼も色々背負ってるので……
凛は本当に危ない人生ですよねぇ。

そして最後、火垂失踪!
果たしてここからコンビが出来るのか!?
がんばります!

では、感想などありましたらよろしくお願いします。


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第六十六話

 朝早くから黒崎民間警備会社の社員は、全員がせわしなく動いていた。今日は引越しの日であるため、昨日詰め込んだ荷物を、司馬重工から拝借したトラックに運び入れているところなのだ。

 

「司馬重工ってなんでもありますねぇ」

 

「金を払えばその分よくしてくれるからな。まぁ私たちの場合は殆ど未織ちゃんの好意でやってもらってるが。待て樹くん、そのダンボールはこっちだ。凛くん、それは一番奥に置いてくれ」

 

「あいあいー」

 

「了解です」

 

 樹と凛は持っていたダンボールを、それぞれ荷台の指定された場所へ置く。

 

 そのままダンボールを運び入れること数十分、事務所の中にあるダンボール、及び、零子の自宅にあるダンボールは全て運びいれることが出来た。

 

「よし、では次に二台目のトラックに家財道具を入れるぞ。子供たちも手伝ってくれー」

 

 呼びかけに対し、暇そうにしていた子供たちがやってくる。

 

「次は机とか本棚を積み込む。重いものだから、皆気をつけて運ぶように」

 

「棚には分解できるものもありますが、それは一度分解しますか?」

 

「そうだな、じゃあ子供たちは分解できる家具があったら分解してくれて構わない」

 

 零子が夏世の問いに答えると、子供たち全員が返答した。

 

 事務所に上がっていく子供たちを見やりつつ、凛達も再度動き始める。

 

「それじゃあ僕達は机とかを運びましょうか。あれは分解できませんし」

 

「せやな。ああいうんは男が運んだ方がええやろ」

 

 凛の提案に樹は当たり前だというように頷いたが、凛はそれに苦笑を浮かべた。

 

 その反応を怪訝に思ったのか、「せーのっ」で机を持ち上げたあと、問いを投げかけた。

 

「なんや、わいへんなこと言うたか?」

 

「ああいえ、変なことではないんですけど。ウチの女性陣は男手が足りなくても運べそうな人ばっかりですし。それに今も下ではすごいことになってますよ」

 

「すごいこと?」

 

「まぁ見ればわかりますよ」

 

 凛は苦笑交じりに言ったが、樹は首をかしげて疑問符をあらわにした。

 

 そして机を一階に運び出して、そのままトラックに積み込んで、さぁ二個目だと荷台を降りたときだった。

 

 樹の視界に、一階の奥から出てくる女性陣の姿が入った。車庫が暗がりのため、いまいちよく見えないが、何かを抱えているようだ。

 

 やがて日の光に照らされて出てきた女性陣が抱えて持ってきたのは、様々な種類の銃器だった。

 

 零子はアサルトライフルやらライフル、杏夏はハンドガンやサブマシンガン、焔はショットガンに加え銃弾の入った木箱。凍に至っては木箱を片手で持ち上げ、グレネードまで持っているではないか。

 

「おぅ……」

 

「ホラね、言ったとおりでしょう? 特に凍姉さんはヤバイです」

 

「あぁ、せやな。あれ数十キロはあるやろ」

 

「基本的に物理で殴る人なので、力も尋常じゃないんです」

 

「誰の力が尋常じゃないって?」

 

 どうやら凛の声は凍に聞こえていたらしく、凛はガッチリと頭をつかまれた。若干メシメシという音が聞こえるのは空耳だろうか。

 

「ちょっと待ってみよう凍姉さん! 頭が割れる!! 脳内でメシメシっていう聞いちゃいけない音が聞こえるよ!?」

 

「なによくあることだ」

 

「ないと思う! 僕はないと思うなぁ!!」

 

 やがて凛はアイアンクローから解放されたものの、力なくその場に倒れこむ。

 

「まったく、変なこと言ってないで働け。まだまだ運ぶものはあるんだぞ」

 

「あい……」

 

 片腕を上げて返答した凛であるが、そんな彼にすぐさま焔が駆け寄った。

 

「兄さん! 待っててください、傷は浅いです! あ、でも、もしもの時のために人工呼吸を!」

 

 ぐへへと下品な笑みを浮かべる焔だが、彼女の行動はすぐに杏夏によって阻止された。

 

「はいはい、焔。まだまだ運ぶ荷物があるんだからこっち来てねー」

 

「キー! なにすんのよ杏夏! 私と兄さんの甘い時間をおおおおお!!」

 

「どう考えても甘くないよね! 下品な笑みを浮かべながらよだれを垂らす変態がいただけだよ!」

 

「変態じゃないわ。ただ兄さんとセッ」

 

「当身!」

 

「ぎゃん!!」

 

 焔は凍によって瞬時に昏倒させられた。途中何かを言いかけていたが、詮索しない方がいいのだろう。

 

「まったく、我が妹ながら変態が過ぎるな。樹、今のは忘れろ」

 

「お、おう。まぁ気にしてへんけど、つか、凛は大丈夫なんか?」

 

 樹は思いながら倒れていた凛に視線を向ける。すると、彼は何事もなかったかのように平然と立ち上がった。

 

「というように、凍姉さんをからかったりすると、こうなるので注意してください」

 

「……お前、ホンマに難儀なやっちゃなぁ」

 

「もう慣れてますよ」

 

 アイアンクローを喰らった箇所を摩った凛は、二個目の机を運びに事務所に上がっていく。それを追い、樹も続く。

 

 

 

 その後、凛と樹は解体することが出来ない家具をトラックに運び入れ、子供たちは、一度解体した家具を全てトラックに積み込み、零子たちは銃器系を乗せることが出来た。

 

 

 

「思いのほか作業が早く終わったな。まだお昼前か……」

 

 荷物の積み込み作業が終わったあと、零子が時計を確認すると、時刻は午前十時半だった。まだお昼には早い。この調子では、新しい事務所でお昼を食べる可能性が濃厚だ。

 

 引越し先はここから車で三十分ほど行ったところなので、到着する頃には十一時となる。

 

「よし、ではこうしよう。引越し先に到着したら、私達がお昼を買ってくる。凛くんと樹くん、子供たちは引越し作業を続けていてくれ。では、各自車に乗り込め」

 

 指示に返答しつつ、それぞれが車に乗り込もうとする。

 

 因みに、トラックに乗り込むのは、一台目に杏夏と美冬に樹、二台目に焔、凍、桜、翠が乗り込む形となっている。トラックもそれなりに人数が乗れる構造になっているので、問題はないはずだ。

 

 そして先頭、愛車のアヴェンタドールに乗り込むのは勿論、零子に夏世だ。最後は凛がバイクに乗り、摩那がそれに乗るという形で移動する。

 

 皆それぞれ忘れ物がないか、確認し、さぁ出発だという時だった。不意にこちらを呼ぶ、聞き覚えのある声が聞こえた。

 

「凛さん、皆!」

 

 声のする方を見ると、蓮太郎に延珠、木更にティナの姿があった。しかし、昨日までいた火垂の姿が見えない。

 

「あら、蓮太郎くんに木更ちゃん。どうかした?」

 

「ちょっとやばい事にって、何してたんだ?」

 

「あぁ、これ。今から引越しなのよ。ちょうど出て行こうと思っていたところ。あとで二人にも連絡しようと思ってたんだけどね」

 

「引越し!? 随分と急だな……」

 

「里見くん、今はそれよりも」

 

 蓮太郎が引越しの事実に驚いていたことを遮るように、木更が制した。

 

「随分と焦っている様子だけど、なにかあったの? 火垂ちゃんの姿も見えないし」

 

「ああ。問題はその火垂なんだ。実は、今朝起きたら家のちゃぶ台にこんな置手紙があったんだよ」

 

 彼がズボンのポケットから出した手紙を見ると、そこには火垂の文字で『いままでありがとう。さようなら』と書かれていた。

 

「……失踪か」

 

「クソッ、何でだチクショウ! こんなんじゃ水原に顔向けが出来ねぇ……!」

 

「自分を責めないで、里見くん。それよりも今は火垂ちゃんを探さないと」

 

「木更ちゃんのいうとおりね。火垂ちゃんが行きそうなところは探したの?」

 

「水原の墓には行ってみたけど、いなかった。その他にも皆で行った場所とかも探してみたんだけど」

 

 蓮太郎はやるせなささを出しながら首を振った。どれも空振りだったようだ。

 

「蓮太郎くんが起きたのは何時?」

 

「今日は非番だったから、九時ぐらいだ」

 

「その時には既に火垂ちゃんの姿はなかった、と。昨日の夜のことは覚えてる?」

 

 問いを投げかけると、蓮太郎ではなく延珠が答えてきた。

 

「昨日、妾は夜中にトイレに起きたのだが、その時にはまだいたぞ。確か三時くらいだった気がする」

 

「となると、いなくなったのは午前三時過ぎってことね。それで今までの時間を考えると七時間くらいか……」

 

 七時間。大人であれば電車やらタクシーを乗り継いで移動できる。場合によっては、飛行機に乗って他エリアに行くことも可能だろう。

 

 しかし、火垂は子供だ。パスポートもないだろう。なので、他エリアに行った可能性は必然的に消去。残るはタクシーと電車、または徒歩だ。

 

 ……待てよ。

 

 火垂は子供たちの中では、夏世やティナに次いで頭が良い。なので、痕跡の残るタクシーや電車は使わないのではないだろうか。電車に乗れば、駅のホームに仕掛けられている監視カメラに移るだろうし、タクシーであっても、タクシー会社に問い合わせれば簡単に割り出せる。

 

 なので、残った三つの選択しの内、前二つの線は少ないと言っていいだろう。

 

 残るは徒歩か走るかだが、イニシエーターである彼女が走れば、それなりに速度が出る。目立つようなことはしないと考えれば、殆ど歩いて移動している可能性がある。

 

「子供の足だからね。考えてみれば、そこまで遠くには行っていないはず……」

 

「でも、一番可能性が高かった水原の墓にはいなかった。だったら、アイツは何処に行ったんだ」

 

 蓮太郎が悩んでいると、ふと彼の服の袖を摩那が引っ張った。そして彼女は自身の鼻をツンツンと指差す。

 

「火垂を探すなら匂いで追った方がよくない?」

 

「そうか! 摩那の嗅覚なら追える!」

 

 確かに、摩那の嗅覚はかなり発達している。以前もその嗅覚で延珠の居場所を特定した。なので、出来ないことはない。

 

 ただ、七時間も経過しているので匂いがそこに留まっていない可能性もある。警察犬による捜査でもそうだが、匂いは途中で途切れる場合も充分にありえる。

 

 特に東京エリアは内地に進むにしたがって、他の匂いも濃くなる。そうなると多くの匂いの中からピンポイントで探し出すのは、かなり時間がかかる。

 

「よし。それじゃあこうしましょう。摩那ちゃんは蓮太郎くん達と一緒に匂いを辿る。私と夏世ちゃんは蓮太郎くんのアパートから東方面、杏夏ちゃんと美冬ちゃんは西、焔ちゃんと翠ちゃんは北、凍と桜ちゃんは南、凛くんは南西、樹くんは北東。一応聞き込みも忘れないようにね」

 

 振り返りながら零子が言うと、話を聞いていた皆が頷いた。

 

 それを確認してから零子は司馬重工のトラックの運転手達に、ことのいきさつを伝え、荷物を一旦司馬重工の本社で預かってもらうことにした。

 

「では、それぞれ散開! 連絡は怠るなよ」

 

 

 

 

 

「まぁ社長に言われたとおり探しに出たはええものの……」

 

 樹は零子に言われたとおり、火垂を一時的に預かっていたという里見蓮太郎のアパートの北東二kmの地点にいた。

 

「そもそものところ、ワイ、あんまし東京エリアの土地勘ないんやけどなぁ」

 

 大阪エリアから出てきてそれなりの期間は経っているが、未だに明確な場所の把握が出来ない。今もマップアプリを使っている状態だ。

 

 けれども、与えられた仕事はしっかりとこなさなければ。

 

 手元には蓮太郎から預かった火垂の写真があるので、それと見合わせながら周囲を見る。

 

 今の季節、小学校は二学期の授業が始まっている頃だろう。だとすれば、この時間帯、このあたりで小学生くらいの女の子が歩いていれば、割かし目立ちそうなものだが、残念ながらここには火垂の姿は見えない。

 

「とりあえずコンビ二とかでも聞いてみるか。もしかしたら、腹が減ってメシでもこうてるかもしれへんし」

 

 出て行ったにしても、いずれは腹が減る。一日くらいは我慢できるかもしれないが、育ち盛りの子供が我慢をするのはないだろう。

 

 樹はマップアプリを見ながら火垂の捜索を再開した。

 

 しかし、それからしばらくしても、火垂の捜索は難航した。

 

 通行人にも写真を見せて聞いたり、ファミレスやコンビニの店員に聞いてみたりと、思い当たる方法で探してみたが、一向に情報がない。

 

 ……これほど探してもおらへんちゅうことは、こっちの方角やないかもしれへんなぁ。

 

 ひとまず今までの捜索で、特に成果が上がらなかったことを零子に報告しようと、スマホを取り出す。

 

 その時、手の中にあるスマホが鳴った。画面を見ると、零子からの連絡のようだ。

 

『もしもし、樹くん?』

 

「あぁ。なんか進展でもあったんかいな、社長」

 

『ええ。ちょうど今ね。夏世ちゃんが火垂ちゃんと話している時に、水原くんとの思い出の場所を聞いたらしくてね。それがちょうど今君がいる場所の近くだから、連絡したのよ』

 

「そらぁ行ってみる価値ありやな。そんで、そこどこや?」

 

『今いる道をそのまま真っ直ぐ進んで、四つ目の信号機を右へしばらく行った所に、小さな教会があるの。そこに行ってもらえる?』

 

「教会か。了解や。あとでこっちから連絡するわ」

 

 樹は通話をやめてから、零子に言われた道を小走りに駆け始めた。

 

「出来ればおってくれよ、火垂」

 

 

 

 

 

 東京エリアの一角にある、小さな教会。

 

 内装は全体的にゴシック調を意識しているのか、天井はリブ・ヴォールト天井を採用している。

 

 左右から差し込むのは、ステンドグラスを通して差し込む色付けされた陽光。

 

 全体的に暖かで神秘的な雰囲気がある教会の一席に、火垂は膝を抱え、額を膝に当てて座っていた。

 

 蓮太郎のアパートから出てきたあと、火垂はどこか行くあてがあるわけでもなく、東京エリアを歩き回っていた。

 

 最初に足が向かったのは、必然的に鬼八の墓であった。そこで一時間以上座りながら、眠る鬼八に思い出話や蓮太郎達のことを話した。

 

 けれども、返ってくるのは虚しい沈黙だけ。当たり前だ、死者が話すことなんてないのだから。

 

 やがて火垂は墓を出て、再び東京エリアを歩き回った。基本的に行った場所は、鬼八との思い出が色濃く残る場所。そこに行くたびに、涙が溢れた。

 

 そのままずっと歩き回って、最終的にやってきたのがこの教会だ。

 

 この教会は、鬼八が自分の過去を話してくれた場所で、火垂にとっては、彼と家族になったような場所である。

 

 鬼八と組むようになってからと言うものの、彼には本当に大切にしてもらった。だが、そんな中でも火垂は自分に注がれる愛情染みたものが、自分本人に向けられているものではない気がしていたのだ。

 

 そして、鬼八と組んで一ヶ月ちょっと、ここにやって来たときに彼は、自分の過去を話してくれた。

 

 鬼八には妹がいたらしい。けれど、彼女は火垂達と同じ、『呪われた子供たち』であった。それが原因だったのだろう。彼の父親は妹を銃殺したという。

 

 そんな過去の話を聞かされたとき、鬼八は吐露した。

 

『俺はお前を死んだ妹に照らし合わせてしまっていた』と。

 

 別にそれが悪いとか、嫌とかそういうのはなかった。誰しも、過去のトラウマと言うのはあるだろう。それを払拭したいがために、誰かに頼るのも無理はない。

 

 鬼八は続けた。

 

『けど、今、俺が大切に思うべきなのは、死んだ妹じゃなくて、紅露火垂っていう俺の大切な相棒だ。だから、火垂、これからも俺と一緒に闘ってくれるか?』

 

 火垂はこの言葉に勿論と答えた。

 

 そしてこの日を境に、鬼八は、それまで以上に愛情を注いでくれた。

 

 その愛情は火垂と照らし合わせた妹へ向けられたものではなく、火垂自身へ向けられたものであった。

 

「……鬼八さん……」

 

 嗚咽交じりの声。

 

 火垂の目尻には涙が浮かんでいた。アレだけ愛情を注いでくれた彼に、もう二度と会えないことが、悲しくて悲しくて、心が押し潰されてしまいそうでたまらなかった。

 

 殺された当初は、犯人に対する憤りでいっぱいだったため、悲しさを感じなかった。が、怒りをぶつける対象がいなくなった今、心にあるのは半身を失ったような喪失感と、悲しさだけだ。

 

 ……このまま死んでしまえば、悲しい思いをしなくても済むのかな?

 

 ふと、脳裏に『自殺』という言葉がよぎる。

 

 けれども火垂はそれをすぐさま振り払う。

 

 ……だめ、それだけは絶対にだめ。この命は簡単に捨てられない。鬼八さんやみんなが守ってくれた命だもの。

 

 そうだ。この命だけは決して投げ出してはいけない。いいや、投げ出せない。

 

「でも……これ以上蓮太郎や皆に迷惑は……」

 

 呟いた時、教会の扉が大きな音を立てて開けられた。いや、実際は、教会の内部に反響して大きく聞こえただけかもしれないが。

 

 しかし、この教会に人が来るなど珍しい。鬼八と来た時も、あまり人気はなかった。今だって、火垂以外に人の姿はない。たまに神父やシスターが礼拝をするだけだ。

 

 コツコツと靴底と身廊が響く音が教会内に響く。音からして革靴だろうか。だとするならサラリーマン、お昼休みに礼拝をしにきたのかもしれない。

 

 ふと、足音が、火垂のすぐ隣で止まる。火垂は疑問に思い、視線だけを向けようとしたが、それよりも先に、隣の席に足音の主と思われる人物が座った。

 

 椅子はガラガラだというのに、なぜ自身のすぐ隣に座ったのか、火垂は不信に思い、席を移動しようとした。

 

「まてーや、嬢ちゃん」

 

 呼び止められた。

 

 声の低さからして成人した男性の声であることはわかった。火垂は恐る恐る声の主を見やる。

 

 そこにいたのは、無精ひげを少しだけたくわえた、長身の男性だった。黒のサングラスも特徴的だ。無精ひげも特に汚さはなく、綺麗に整えられている印象だ。

 

「お前さん、紅露火垂やろ?」

 

 男性は懐から火垂の写真を出して問うてきた。

 

「……そうだけど、貴方は?」

 

「わいは、大神樹や。凛とかから聞いてへんか?」

 

「大神……あぁ、それじゃあ貴方が……」

 

「せや。お前さんの新しいプロモーター……いや、プロモーター候補言うたほうがええか」

 

 樹は人の良さげな笑みを浮かべた。しかし、火垂はそれを突き放すように告げる。

 

「残念だけど、私はもうプロモーターは取らないわ。だから貴方とも組まない。どうせ蓮太郎達も探しているのだろうけど、私はもうあの人たちとは無関係よ。偶々利害が一致しただけのつき合いだもの」

 

「せやったら、なんでさっさと出ていかなかったんや?」

 

「それは……」

 

 言葉に詰まる。

 

 それはそうだ。今の言葉は全部嘘なのだから。本当は蓮太郎達には感謝しているし、無関係と思っていない。彼だって自分のことを仲間と呼んでくれた。

 

「なぁ、火垂。強がるのもええけど、もう無理すんなや。ホンマは誰かにすがりたくてたまらんのやろ?」

 

「……」

 

「誰かに自分の心の中のものを全部吐き出して、それを受け止めて欲しいんやろ」

 

「そんなこと、ない、わ」

 

 火垂は自分でもビックリするほどかすれた声が出たことに驚いた。鼻筋が熱くなり、目尻もかすかに濡れ始める。けれど、火垂はそれを否定する。

 

「そんなことないわけないやん。そんな泣きそうな顔で言うて、説得力ないで?」

 

「これは、違うわ。ただ、目にゴミが入っただけよ……!」

 

 下手ないいわけだと思う。なにせそんなことなわけがないのだから。

 

 樹の言っていたころは、殆ど当たっていた。本当は誰かに自分の気持ちをぶちまけたかった。悲しさも何もかも、全てを。

 

 けれど、蓮太郎のところで世話になっているときは決して辛い表情は見せなかった。いいや、見せたくなかった。それがきっと彼への負担になってしまうからと、感情を押さえつけ、無理に笑っていた。

 

 幸いと言うべきなのか、蓮太郎達にはそれを勘繰られずにいた。だが、夜になって誰とも話さなくなったとき、途端に涙が溢れてきた。押さえつけた感情が堰を切ったように流れ出してしまうのだ。

 

「まぁ泣く理由はなんでもええけどな。せやけど、お前、やっぱり勘違いしとるわ」

 

「勘違い?」

 

「お前、大方、里見やらあの木更っちゅう嬢ちゃんやら、凛達に自分の感情をぶちまけるのが、迷惑だと思うとんのやろ。それが勘違いや」

 

「どういうことよ」

 

 震える声で問い返す。

 

 樹はこちらを見て、小さく笑みを浮かべる。

 

「あんな、アイツ等がそないなことを迷惑に思うタマか? 昨日今日入った新人のワイが言うのもあれやけどな、アイツ等はそないなことを迷惑になんか思わへん、超がつくほどのお人よしやで? お前の感情ぐらい全部受け止めてくれるやろ」

 

「そんなの……あなたの勝手な、想像でしかないじゃない……!! 私はもう、これ以上蓮太郎達に迷惑をかけたくないの! だから、誰にも見つからないようにいなくなったのに、なんで探したのよ! もう私のことは放っておいてよ!」

 

 涙が溢れた。

 

 頬を伝うのは大粒の涙。制御しようとしても、もうとめられなかった。

 

 しかし、樹から返ってきたのは小さな溜息であった。

 

「なによ……」

 

「いんや、探して欲しくないとか、放っておけとか、色々言うてるけど、そんならなんで置手紙なんか残したんや?」

 

「だって、蓮太郎にはお世話になっていたし……」

 

「ちゃうな。それはちゃうで火垂。お前さん、本当は見つけてほしかったんや。自分のことを見つけて、自分が抱えているものを理解してほしかったんや。せやからこんなことをした。ホンマに探して欲しくないなら、何も置かんと出て行くやろ」

 

「ちが、う。そんなこと、私はおもってなんか……」

 

 言葉が上手く出ない。

 

 動揺しているのがよくわかった。自分では思っていないつもりでも、あの行動はそう取られてしまっても無理はないのかもしれない。

 

 けれど、火垂はまだ拒む。もうこれ以上誰にも迷惑をかけたくないから、拒絶する。

 

「じゃあ……だったらさぁ!! 貴方は、私のこの気持ちを受け止めてくれるの? 鬼八さんとの思い出にすがって、前にも進めないで、皆に心配をかけるような、こんな、お荷物の私の全てを受け止めてくれるのッ!?」

 

「……」

 

 樹から返答は返ってこなかった。しかし、これでいい。こうすることで、もう自分のせいで誰かに迷惑がかかることはなくなった。

 

 樹だってこのことを蓮太郎達に伝えることだろう。そうだ、これでいい。これで全て解決したのだ。

 

 火垂は荷物を持ち、涙を拭い教会を出て行こうとする。

 

 しかし、背後で樹が吠えた。

 

「わかった! ワイが全部受け止めたる!!」

 

「え?」

 

「聞こえんかったか! せやったら、両耳かっぽじってよぉ聞け! ワイがお前の全部を受け止めたる! 嬉しさも、怒りも、哀しみも、楽しさも、お前が思ったこと、お前が感じたこと、みんなみんな、全部!! 全部まとめて受け止めたるッ!!!! それがワイの覚悟や!」

 

「本気、なの……?」

 

「本気やなかったらこないなこと、こないなデカイ声でいうかい! ええか、火垂!! お前はまだガキや。イニシエーターやろうが、なかろうが、ガキであることに変わりはあらへん! ガキはガキらしく、大人に迷惑をかければええんや!!」

 

 樹の瞳はまっすぐに火垂を見据えており、その奥には覚悟の灯火が見え、本気だということがうかがえる。

 

 火垂は、再び自身の目尻から熱いものが流れるのを感じた。しかし、この涙は哀しみとかそういった後ろ向きな感情から来たものではない。これは、嬉しさから来たものだ。

 

 膝から力が抜け、火垂はその場に座り込む。瞳から大粒の涙が止め処なく溢れ、膝をぬらしていく。

 

 ふと、樹が目の前にやってきて、片膝をつく形で前に座った。そして火垂は彼の胸に引き寄せられる。

 

 そして彼は告げてきた。

 

「火垂。ワイは絶対にお前を一人にはせぇへん。決していなくならへん。寂しい思いもさせへんよ」

 

「……うん」

 

「ワイが、お前のプロモーターになってもええか?」

 

「……ええ」

 

 答えると、樹は頭をわしゃわしゃと撫でてきた。途端、火垂は声を上げて泣いてしまった。

 

 今まで押し殺してきた寂しさ、悲しさを全て彼の胸にぶつけるように、火垂はただただ泣きじゃくった。

 

 その姿に普段の冷静な火垂の影はなく、あったのは、ただただ涙を流す少女の姿であった。

 

 

 

 数十分後、教会にやって来た凛達が発見したのは、樹に寄りかかって寝息を立てる火垂の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 深夜。新黒崎民間警備会社の四階にある宿泊部屋には、樹と火垂の姿があった。

 

 とりあえずの一件落着となったあの後、黒崎民間警備会社では、新たな事務所に荷物を運び入れる作業が行われた。

 

 蓮太郎達の手伝いもあり、引越し作業は予定よりも少しだけオーバーする形で終わった。そして時間的も遅いと言うこともあり、今日は一旦解散し、再び明日集まって新事務所創設祝いと、火垂と樹入社祝いのバーベキューパーティを行うこととなった。

 

 無論、その際は蓮太郎達も一緒で、なにやらほかの知り合いも呼ぶらしい。嬉しいことである。

 

「コホン……。昼間は情けないところ見せてしまったわ」

 

「あぁ気にすんなて。ワイも小恥ずかしいこと叫んどったし、お互いそれは忘れようや」

 

「いいえ、忘れないわ。だって貴方言ったじゃない。私の全部を受け止めてくれるって。それとも、あれは嘘だったのかしら?」

 

「いや、嘘やないけども……」

 

「だったらお互い覚えていようじゃない。幸いなことにあの時のことは誰にも見られていないわけだし」

 

「まぁお前がええならええけど」

 

 樹が頷くと、火垂も微笑を見せた。昼間出会ったばかりの硬い表情とはえらい違いである。

 

「とりあえず今日はもう休みましょう。樹も私を探して疲れたでしょうし」

 

「せやな。その後引越しもあったし。そんなら、今日はもう寝るかぁ」

 

 蛍光灯とのリモコンを押して電源を切る。

 

 けれど、真っ暗になることはない。今日は月が出ていて、月光が窓から差し込んでいるのだ。

 

 だから布団に入って寝転がる二人も、お互いの姿が見えている。

 

「ねぇ、樹」

 

 ふと火垂が樹を呼んだ。

 

「んー?」

 

「……ありがとう」

 

 火垂は小さな声で樹に礼を言った。それに対し、樹は特に声で答えることはなかったが、軽く手を上げて答えた。




はい、お疲れ様です。
今回はまぁ樹がんばったね回ですかね。
なんかどっかの死後の世界で見たような気もしないではないけどそれは気のせいだろう。

……最近、凛の活躍を見ていない気がする。今回だってなんか最初のほうでギャグキャラ化していた気もするし……。
次回は凛メインで書きたいけど、まだ樹と火垂の話をしたい……
とりあえず後の展開は考えてあるので、八巻を待ちましょう。

では、感想などありましたらよろしくお願いします。


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第六十七話

話が……進まねぇ……!!


 黒崎民間警備会社の引越しと、火垂と樹が組んでから数日後、凛は都内にある大学の剣道場にいた。

 

 凛がいる大学の名は籠爛大学。東京エリアで二番目に広いキャンパスを持つ大学だ。

 

 なぜ彼が大学にいるかと言うと、いつかの合コンで、剣渉子と『剣道で勝負をする』という約束があったからだ。

 

 初めて会って以来、色々と戦闘があったりしたため、少々延びてしまったが、一週間ほど前にあずさから連絡があって今日試合をすることが決まったのだ。

 

 剣道場には面と胴、小手を身に付けた胴着姿の渉子と凛が、竹刀を互いに向け合った状態でいる。二人の周りには、剣道部の部員達と付き添いのあずさもいる。

 

 既に試合は始まっているのだが、先ほどから二人には動きがない。が、二人からはピリピリとした殺気じみた気迫が放たれている。

 

 凛は命を掛けた戦いをしている凛は言わずともわかるが、渉子はこの剣道部の中でもかなりの実力者であるらしく、女性部員では一番の強さを誇るらしい。

 

 だからこそ、これだけ空気が張り詰めているのだろう。

 

 しばらく沈黙が続いていたが、沈黙を破るように渉子が吼えた。剣道において、一本とは、充実した気勢と適正な姿勢、竹刀の打突部での打突、打突部位を打突、刃筋正しく打突、そして残心あるものとされており、これら全てが揃って初めて一本となる。

 

 ようはしっかりと声を発し、正確に相手を打突しなければならないということだ。だから、凛も続いて裂帛の声を上げる。

 

 そして二人がほぼ同時に動いた。

 

 杉の床を打ち鳴らすように踏み込んだのは渉子だ。対し、凛は静かに滑るように動く。

 

 竹刀と竹刀がぶつかり、渇いた音が道場内に響く。最初こそ、渉子が優勢に立っていると、その場にいた部員達は思っていた。が、その考えは一気に消え去ることになる。

 

 一際大きく音が響いたかと思うと、渉子の体が大きく仰け反ったのだ。見ると、凛が彼女の竹刀を弾き返したことがわかる。

 

 渉子は女性の中でも力があるほうで、男子部員の中にいる屈強な男と比べても、負けず劣らずの力がある。そんな彼女を大きくのけ反らさせたことに、部員達は驚きを隠せないようであった。

 

 大きく仰け反った隙を凛が見逃すはずもない。音もなく彼女に肉薄すると、駆け抜けながら吼えた。

 

「面ッ!!」

 

 パァン! という快音の後に、審判が旗を体側の斜め上に掲げる。

 

「勝負あり。勝者、断風凛!」

 

 声と共に、静まり返っていた剣道場が湧いた。皆が口にするのは、手馴れである渉子が敗北したこと、そしてそんな彼女を一本で沈めた凛に対する驚きであった。

 

 部員達に声をかけられつつも、二人は小手と面を外して握手を交わす。

 

「いやー、すごいな凛くん! 最初は押せたと思ったんだけど、見事に覆された」

 

「渉子さんも強かったです。打突の一つ一つが重くて、いなし方を間違えればやられていましたよ」

 

「そういわれると嬉しいね。それで、ずうずうしいとは思うんだけど、もうちょっと付き合ってもらえるかな? 私じゃなくて、部員達にさ」

 

 渉子が指差した方向を見ると、剣道部の部員達が凛の方を見ており、皆声にはしないものの、『凛と試合としてみたい』という雰囲気が出ている。

 

 その様子に苦笑しつつも頷く。

 

「構いませんよ。今日と明日はオフなので、付き合います」

 

「ありがとー。いやぁ、やっぱり強い相手と試合することで学べることもあるからさ。よかったよかった。あ、そうだ。あずさはどうするー? まだいる?」

 

「うん。私も断風さんとお話したいことがあるし」

 

 あずさが答えてから、「そっか」と渉子が返答する。それから、凛と剣道部員達との試合形式の練習が始まった。

 

 

 

「断風さんとお話したいことがあるですっとぅえ~~~!? あの女ぁぁぁぁぁ! 私の兄さんに色目使ってんじゃないわよ!!」

 

 籠爛大学の剣道場から二百メートルほど離れたビルの屋上で、露木焔は地団太を踏み、持っていたスコープを壊さん勢いで握り締めた。

 

「もう無理! 限界! 兄さん連れ戻してくる!」

 

「ちょっと待っててば、焔! 一旦落ち着こう! 今のアンタすごい顔してるから」

 

「なによ! そういうアンタは兄さんを放って置いて言い訳!? 杏夏!」

 

 焔に言われ、杏夏は「う゛ッ」と声を詰まらせる。

 

 二人がなぜこんなところにいるかと言うと、話は数時間前に遡る。引っ越したばかりの黒崎民間警備会社に顔を出した杏夏と焔は、凛がいないことに気が付いた。けれど、摩那の姿はあったので、彼女に聞くと「凛はデート行ったよー」と言っていた。

 

『デート』と言う単語に、焔は吐血しかけ、杏夏は一瞬意識を飛ばしてしまった。その後、何とか回復した二人は、凛がどこに行ったのかを摩那から聞き出し、事務所を飛び出してここにいるのだ。

 

 いわば二人は凛をストーキングしている真っ最中なのだ。が、焔曰く、これは凛に悪い虫が付かないようにするための行動らしい。

 

「やっぱり、あとをつけたりするのはよくないよ。今からでも帰ろう?」

 

「ハァァァァァアアアアアア!? アンタふざけてんの、杏夏!? それでも兄さんを好きなわけ!? 言っとくけどね、私は誰にも譲る気なんてないから。兄さんは私だけの兄さんなの。私だけを愛してくれる兄さんなの! だからその兄さんに張り付く雌豚は排除! サーチアンドデストロイ!! もっと言えばアンタだってその対象なんだからね」

 

「怖い怖い怖い! 一旦その光の灯ってない目をやめて! ……でもさ、焔。先輩のことが好きなら、先輩が悲しむようなことをしちゃいけないんじゃ……」

 

「バレなきゃいいのよ! あくまで事故を思わせるのよ! ファイナルなデスティネーションよ!」

 

 鼻息を荒くしながら言う焔には、言い逃れできない狂気があった。まぁ杏夏からすると、見慣れた光景であるので、さほど驚くことでもないが。できれば凍にもいて欲しかったが、彼女は彼女で仕事に行ってしまっている。

 

「でも、さっき見た程度じゃへんなことは起きなさそうだったし、もう少し様子をみようよ。それに、目立ちすぎちゃうでしょ」

 

「むー……それもそうね。じゃあ、いいわ。あの女が変なことをしようとしたら、それとなく偶然を装って兄さんに接近。そのあとであの女をデストロイ!!」

 

「……だめだこのヤンデレ。もはや手遅れ……」

 

 焔のあまりの病みっぷりと壊れっぷりに辟易しつつも、杏夏はスコープを覗き込んで剣道場の窓から中を見やった。

 

 今は凛と剣道部員達の試合が展開されている。

 

 面をしていて表情はつかめないにも関わらず、隣の焔の息が荒い。

 

「ハーハー……。あぁ、剣道着に防具をつけた兄さんもイイッ! くそう、このスコープにカメラ機能がついていればよかったのに! あぁッ!? 邪魔! そこの筋肉ダルマ邪魔!! 兄さんが見えないじゃん!」

 

 焔は悪態をつきつつ、屋上をゴロゴロと転がりながら凛の姿が見えるところを探し回っている。

 

 時折、凛が面を取って汗を拭ったりしていると「兄さんの汗ペロペロ!」とか「兄さんのうなじハァハァ」とか「んはぁぁぁ!」とか、聞くに堪えない声を上げている。

 

 本当に彼女の今後が心配になってくる。いや、彼女の今後と言うよりも、凛のことが好きな女性達の命が心配なのだが。まぁそれには勿論杏夏も含まれるわけではあるが。

 

 ……本当に殺されそうだからなぁ。

 

 冷や汗をかきつつも、杏夏はスコープを覗き込んだ。

 

 スコープの先では、相変わらず凛が剣道部員達と打ち合っている。監視している身としてはアレだが、こうやって見ると、凛が民警だということを忘れてしまいそうになる。

 

 けれど、周りにいる大学生と、凛とでは決定的な違いがある。それは彼の表情だ。面を取った時に大学生達と話す凛は笑っている。が、その笑顔はどこか達観していて、周囲の大学生とは異質なものであった。

 

 杏夏から見ると、その姿がどこか悲しげで、まるでそこにいるのに、いないかのようだ。

 

「ねぇ、焔。先輩って子供の頃からあんな風だったの?」

 

「あぁん!?」

 

 何故か睨まれた。どうやら凛の観察に夢中になっているところを邪魔されたことに腹を立てているらしい。

 

「……うん、まぁいいや。ところでこの尾行いつまで続けるわけ?」

 

「そんなの兄さんが家に帰るまでよ。ホテルにでも行こうものならデストロイ!」

 

「さっきからデストロイデストロイって、気に入ってんの!? マイブームかなにか!?」

 

「うっさいわねぇ。兄さんに近づく虫は排除するのがあたりまえなんだから、デストロイなのよ」

 

「その歪んでいても曲げない意志は尊敬するよ本当に」

 

 大きなため息をつき、杏夏は相変わらず鼻息がうるさい焔から視線を外して、悪いとは思いつつもスコープを覗き込んだ。

 

 

 

 

 

 お昼過ぎ。籠爛大学の大食堂で凛とあずさは昼食を取っていた。剣道部との練習はもう終わったので、凛は私服に戻っている。シャワーも浴びてきたためか、仄かにシャンプーの香りもする。

 

「ありがとうございました。断風さん。渉子に付き合ってもらって」

 

「いえ。前から約束していたことですし。それに僕も楽しかったですよ。剣道なんて久々でしたしね」

 

 微笑を浮かべながらカレーを口に含む。が、嚥下したところであずさがきょとんとしているのに気が付いた。

 

「なにか?」

 

「あ、いや、違うんです。断風さんは民警として刀を使っているって言っていたので、てっきり剣道の有段者さんなのかと思って」

 

「あぁなるほど。実を言うと、僕は今までで剣道はあまりやっていなかったんです。やっていたのは剣術。より実戦に特化したものです」

 

「実戦……」

 

 あずさがごくりと生唾を嚥下した。実戦などという不穏な言葉は、ただの大学生である彼女が聞くことすらないからだろう。

 

「実戦って言うのはやっぱり、ガストレアと闘うための?」

 

「それもありますが、実際のところは……いえ、これは伏せておきます。貴女が知るべきことではない」

 

 凛は口をつぐみ、それ以上を話さなかった。あずさもまた凛の表情から察したのか、それ以上は聞いてこなかった。

 

 その後話をそらして食事を続けて食べ終わり、食器を返して食堂を出ようとしたとき。あずさが「あの」と少しだけ緊張した様子で言った。

 

「断風さん。このあと、えっと、その……お暇ですか!?」

 

「はい。さっきも言ったとおり今日明日は終日オフなので。大丈夫ですが」

 

「だ、だったら、私とお出かけしませんか? まだまだ色々お話したいこともあるので!」

 

 頬を僅かに赤く染めながら言う彼女からは、断られるかもしれないという不安感が見え隠れしていた。

 

 そんな彼女に対し、少しだけ笑みを浮かべた凛は静かに頷いた。

 

「構いませんよ。お付き合いします」

 

「あ、ありがとうございます。それじゃあ、よろしくお願いします」

 

「こちらこそ。あ、そうだ。せっかくなので、名前で呼んでください。もう苗字でなくとも呼べますよね」

 

「わ、かりました。えっと、凛さん……」

 

 やはり気恥ずかしさが残るのか、あずさの頬は赤く染まっていた。

 

 二人はそのまま大学の正門から、東京エリアの中心街へ向けて歩き始めた。

 

 

 

 

 

「かッ!?」

 

 焔が喀血した。

 

 そのまま仰向けに倒れこみそうになった彼女だったが、何とか踏みとどまり、再び起き上がった。

 

「どしたの?」

 

 もはや驚くこともしなくなった杏夏が問うと、焔はワナワナと指を動かしながら、地を這うような声を発した。

 

「あの女デストロイ対象決定。完全に兄さんに気がある。排除しなければ」

 

「はいだめー」

 

「ぎゃん!?」

 

 屋上から降りようとした焔の足首に手錠が巻きついた。手錠から伸びている鎖を追うと、杏夏の手の中にあった。

 

「あにすんのよ! つか、なんでアンタはそんなにのん気に構えてられるわけ!? なに、余裕? 余裕とでも言いたいのかこの銃弾ヲタク!」

 

「違うってば。そりゃあ私だって、凛先輩のことが好きだけど。告白するのは誰にだって平等に与えられる権利でしょう? それがあの人だって可能性もあるだけのことだよ」

 

「だったら私にだってその権利はあるんじゃないの?」

 

「アンタの場合は周りに対する被害がすごいでしょ。だからここで止めるの。それに焔と私はいつだって凛先輩と話せるじゃない。だったら、時には人に譲るくらいのことはすべきじゃない?」

 

 諌めるように杏夏が告げると、手錠の鎖を喰いちぎろうとしていた焔が動きを止めて、その場に胡坐をかき、小さく舌打ちをした。

 

「ふん、まぁアンタの言うことにも一理あるわね。確かに私にはあの女と比べれば有り余るほどの時間があるし。時には大人の対応をしなくちゃね」

 

 なんとか言いくるめられたようで、焔は落ち着きを取り戻した。

 

「でも尾行はやめないわ。デストロイはしないまでも、変な空気になったら即刻邪魔しに行くし」

 

「うわぁ……」

 

 往生際が悪い焔に対し、杏夏はどことなく遠い眼差しを向けた。

 

 結局二人は、凛とあずさを再び追うため、尾行を再開した。

 

 

 

 

 

 

 所変わって東京エリア中心街。

 

 デパートやら専門店やらが軒を連ねる歩道を、珍しく私服の蓮太郎と、木更が歩き、その二人について行くように延珠とティナが歩いていた。

 

「なぁ、木更さん。これはすごく愚かなことだと思うんだが……」

 

「なにがよ里見くん」

 

 呆れた様子の蓮太郎に対し、木更は憮然とした態度のまま、目の前にあるショッピングモールに進んでいく。

 

「いや、まぁ確かにな? 黒崎さんとこの事務所が大々的に引越しして、ウチのボロ事務所とじゃ比べ物にならないビルを構えてるのが悔しいのはわかる。けどさ……」

 

 言いながら蓮太郎は手に持っているレジ袋を見せる。

 

「いくらなんでもこれは買いすぎだろ!? なに、なんなの!? 悔しいからって妬け買いかよ!」

 

「うるさいわね。いいのよ、今日は里見くんの家で鍋パーティなんだから。それに私は悔しくなんてないわ。ただ、ちょーっと羨ましいかなーって思ったり、ウチも引越ししたいなーって思ったり、里見くんの稼ぎが悪いなーって思ってるだけだから。ええ、本当にそれだけだから!!」

 

「充分嫉妬してんじゃねぇか! あとなんだ最後の里見くんの稼ぎが少ないって! 元はといえばアンタが考えなしに金バンバン使っちまうからだろ!? あと、ミワ女の学費が馬鹿たけぇ!」

 

「しょうがないじゃない。家を出たとはいえ私は天童なんだもの! それに、甲斐性を見せるのは男の里見くんの役割じゃないかしら?」

 

 立ち止まり、ギャーギャーと言い合いを始める二人。そんな二人を見ながら延珠のティナは大きなため息をついた。

 

「やれやれなのだ……」

 

「二人はいっつもキリキリしてますね。というか、少し前のガストレア退治で得た報酬はどこに……」

 

「あれならば木更の学校の学費とやらに消えたらしい。それで、今日はへそくりで鍋パーティをすると意気込んでいたのだ」

 

「……よっぽど引越しが堪えたんですねぇ。というか、うちの事務所にどこにそんなお金が……いえ、これ以上は詮索しません。闇に触れそうなので」

 

 ティナは遠くを見て考えるのをやめた。

 

 視線を再び蓮太郎と木更に戻すと、いまだに言い合いをしていた。

 

「大体、勝手に社員の内臓を担保にして金借りる社長がどこの世界にいるよ!? ブラック企業ならぬ暗黒企業だろうがうちの会社!」

 

「それはもう返し終わったでしょ。終わったことを蒸し返さないでよ! 里見くんだってうっかり報酬忘れそびれるわ、片桐兄妹に手柄横取りされるわ、注意力が散漫なのよ!」

 

「それはそうかもしんねぇけど、闇金にまで借りるなよ! つか、まだどっかに借りてるなんてことはないよなぁ!?」

 

 嫌な予感がしたのか、蓮太郎が問い詰めると、木更は言葉に詰まった。しばらく目を動かした後、露骨なまでに怪しい口笛を吹き始める。

 

「ちょっと待て。なんだその反応! 図星か、図星なのか!?」

 

「……え、えっとまぁ……零子さんにちょっとだけ借りたりしてたりしてなかったり……。流石におイモばっかりだと延珠ちゃんやティナちゃんが可哀想だと思ったし……」

 

「二人が可哀想ってのはわかるよ! でもなに、アンタ黒崎社長にまで借金してんのか!? ウチの会社火の車すぎんだろ! よく鍋パなんてやる気になったな。こんなに肉買っちまって……」

 

 蓮太郎が持っていたレジ袋に視線を落とすと、そこにはパックに詰められた鍋用の肉が詰まっていた。痛まないよう氷も乗せてある。そして、今から蓮太郎達が向かおうとしているのは、野菜の半額セールをしているデパートの地下だ。

 

「で、黒崎社長にはいくら借金してるんだ?」

 

「えっと、黒崎社長には100万ほど……」

 

「ひゃく!?」

 

「木更……」

 

「天童社長……」

 

 驚く蓮太郎と、哀れむ幼女二人。

 

「な、なによう! 黒崎社長に相談したら、返してくれるなら貸してくれるっていうから借りたの! 返済はいつでも良いって言ってくれたし!」

 

「そういう意味じゃねぇよ……。同業者にまで借りるほどやばい状況が哀れだってことだよ……」

 

「流石にアレなのだ。木更」

 

「ドン引きです……」

 

 今度は呆れる蓮太郎と、遠い目をする幼女二人。

 

 ついに木更は三人の視線に我慢できなくなったのか、顔を背けた。が、そこで彼女は視線の先に見知った人物がいるのが目に付いた。

 

「あれ?」

 

「どした、木更さん?」

 

 疑問符を浮かべる木更に、蓮太郎、延珠、ティナも不思議に思ったのか、木更の視線の先を見た。

 

「あれは……断風さん、ですか?」

 

 目の良いティナの言うとおりであった。確かに蓮太郎達の先にいるのは凛だ。が、彼の隣には見知らぬ女性の姿がある。非常に綺麗な人だ。

 

「あの女の人誰かしら?」

 

「依頼人とかじゃね?」

 

「依頼人なら兄様は刀を持ってるでしょ。だから考えるとすれば……」

 

「わかったぞ蓮太郎!」

 

 木更が言い終える前に延珠が蓮太郎の肩に飛び乗った。

 

「妾がさっするに、あの女は凛の恋人なのだ! いわば密会と言うヤツだな!」

 

「まぁ延珠ちゃんの言うこともわからなくはないけど、密会って。普通にデートじゃないの?」

 

「だよなぁ。つか、凛さんって彼女いたのか」

 

 などと二人が話していると、ティナが「見てください、二人とも」と声を発した。

 

 彼女に言われて、再び凛の方を見ると、今度は杏夏と焔がなにやらコソコソと動いていた。

 

「何やってんだあの二人」

 

「凛さんを尾行しているようですね」

 

「そういえば、焔ちゃんに杏夏さんは凛兄様のことが好きだって聞いたわ。だから、ストーキング中?」

 

「言い方が悪い」

 

「やっぱり妾の予想したとおりだったな! やっぱり凛は密会していたのだ!」

 

 延珠は何故か嬉しげに蓮太郎の肩の上で体を前後に揺さぶった。時折ではあるが、延珠はこのような恋愛ごとにがめつい面がある。

 

「なんか面白そうね。よし、里見くん! 兄様を尾行するわよ!」

 

「ハァ!? 何言ってんだ、木更さん! 人の恋愛ごとに首突っ込むべきじゃねぇって」

 

「大丈夫よ。兄様なら笑って許してくれるって。それに恋愛が成就したら成就したで祝ってあげれば良いでしょ。ホラ、行くわよ!」

 

 木更はなぜかうきうきとした様子で走り始めた。そんな彼女の後姿を見やりながら蓮太郎は大きな溜息をつく。

 

「あーくそ。なんなんだよまったく!」

 

「木更を追うのだ蓮太郎!」

 

「行きましょう。お兄さん!」

 

 凛を追った木更を追って蓮太郎達は走り始めた。

 

 

 

 

 

「それであずささん、今日はどこへ行きますか?」

 

 並んで歩きながら彼女に問うと、あずさは「えーっと……」と一度悩み、前方を指差した。

 

「ここを真っ直ぐ行って右に曲がったところに、私がよく行く小物屋さんがあるんです。まずはそこに行きましょう」

 

「わかりました。よく行くということはあずささんは小物が好きなんですか?」

 

「はい。部屋のインテリアとしても使ってますし、あとこのネックレスもそこで買ったんですよ」

 

 彼女は首元に光るネックレスを指した。ネックレスは銀のチェーンに、オニキスと見られる黒い石が二つ付いており、その中間地点に四枚の花弁を持った花が象られている。

 

「綺麗ですね」

 

「ですよね! もしかして断風さんもこう言ったアクセサリーとかに興味あります?」

 

「まぁ、そうですね。深く知っているわけではありませんが、興味はあります。それに、相棒にも言われましたからね。もう少しおしゃれしなよって」

 

 苦笑しながら凛は頭を掻く。

 

 実は、今日家を出てくるときに摩那に言われたのだ。『女の人との約束なのに、何でいつもの黒一色かなぁ……』と。

 

 摩那は結構おしゃれ好きであり、服は全て自分で選んでいる。そんな彼女だからこそ、基本黒の服しかない凛の服装は気になるのだろう。

 

 ……とは言っても、黒以外も一応あるんだけどなぁ。白とか、灰色とか。

 

 が、これを言うと、『それは代わり映えしてないよ。結局同じだもん』と一蹴されてしまう。

 

「相棒っていうのはイニシエーターの女の子ですか?」

 

「ええ。身内褒めになるかもしれませんが、結構ファッションセンスがある子で。だから、僕の服装には物申したいんでしょう。僕はこれでもいいんですが」

 

 今一度自分の今日の服装を見てみる。今日は、多少灰色の柄の入った黒の半袖のTシャツに、黒のジャケット。そして黒のジーパンとなっている。靴はいつもの靴だ。見事に全身黒尽くめである。

 

「うーん……その子の言ってることもわかる気はします。よし! それじゃあ、小物屋さんに行った後は、凛さんの服を見ましょう! 私が全身コーディネートしてあげます」

 

「え、僕はこれでも――」

 

「――ダメです!」

 

 ズイッとあずさが顔を寄せてきた。その表情には真剣さと、楽しさが入り混じっている。どうやら、彼女も摩那と同じでファッションは気にするらしい。

 

「……じゃあ、お願いします」

 

「はい。任せてください!」

 

 あずさはポンと胸に手を当てて満足げに頷いた。すぐに顔を離した彼女だが、凛はグイッと腕を引っ張られる。

 

「ちょッ!?」

 

「そうと決まればグズグズしてられません! 今日は皆学校とかがお休みですから、速く行かないと売り切れちゃいますよ!」

 

 打って変ってハイテンションなあずさに、半ば引き摺られる形になりながらも、凛は駆けた。

 

 

 

 そんな彼等をの後方に見つめる目が四つ。

 

「ネェ、キョウカ? ワタシキレチマッタヨ?」

 

「片言になってる!? 落ち着こう、まだ二人がそんな関係だって決まったわけじゃないから!」

 

 カクカクと古びたブリキ人形のように首を動かす焔の瞳には、相変わらず光が灯っていなかった。というか、今日事務所を出てから瞳孔が開きっぱなしである。そればかりか、瞬きすらしていない恐れがある。

 

「焔、一旦瞬きしようよ。なんか眼球カッサカサに見えるから!」

 

「ソナコトナイヨ?」

 

「こわッ!? もうやめよう、これ以上先輩の後を追ったら逆にアンタの精神が持たないよ!」

 

「ソナコトナイヨ?」

 

「ダメだった!!」

 

 杏夏が額のあたりに手を当てて、肩を落としていると不意に背後から声をかけられた。

 

「杏夏ちゃん、焔ちゃん」

 

 見ると、木更にティナ、蓮太郎に彼に肩車してもらっている延珠がいた。

 

「あれ、四人ともこんなところで偶然……。なにやってんの?」

 

 とりあえず、壊れた人形のようになっている焔を見せないようにして、問うと、木更が興味津々と言った表情を浮かべながら言ってきた。

 

「二人は今、凛兄様を尾行中なの?」

 

 見事に的中した。図星である。

 

 杏夏はなんとか取り繕おうとも考えたが、なんだか余計話がややこしくなりそうなので、あきらめた。

 

「……どのあたりで私たち見つけた?」

 

「ちょっと前だ。二百メートルくらい後ろの交差点で、凛さんが女の人と歩いてんのが見えて、そんでその次にお前等がコソコソしてるのが見えたんだ」

 

「あー……前ばっかり見てて気付かなかったか。まぁ当たってるよ。私はかえってもよかったんだけど、このホムホムが馬鹿なことやりそうで」

 

 背後で黒いオーラを放っている焔を一発叩く。すると、黒いオーラの放出が収まった。

 

「あにすんのよ、杏夏!」

 

「あ、正気に戻った」

 

「はぁ? まぁいいわ。アレ、なんで蓮太郎達がいるわけ?」

 

 凛しか頭になかったようで、蓮太郎達が来たことすら気付いていなかったようだ。なんとか瞬きもしてくれたようで、カッサカサの眼球ではなくなっている。

 

「私たちの尾行が四人に見つかってたの。それで、今話しかけられたトコ」

 

「ふぅん。で、四人はなんかしたいの? 話しかけただけ?」

 

「いいえ。私たちも二人の仲にいれて欲しいのよ。凛兄様の恋愛ごとなんて滅多に見られないし。なによりも楽しそうじゃない!」

 

 うきうきと楽しげな木更に、杏夏と蓮太郎はげんなりとし、ティナは苦笑いを浮かべ、延珠と焔は面白そうに笑う。

 

「よく言ったわ、木更。じゃあ協力して尾行しましょう」

 

「わかったわ」

 

 二人は何故かあつい握手を交わす。兄と慕う凛に対する感情は様々であろうが、木更はただ面白そうだからという、恋愛感情なんてまったくない感じだろう。

 

「おぉ! なんだか二人が天誅ガールズのように固い友情を芽生えさせたみたいだぞ! 蓮太郎!」

 

「いや……あれは違うんじゃねぇかな」

 

「同感です……」

 

「それは私も……」

 

 三人はそれぞれ微妙な視線を二人に向ける。

 

 その後、再び尾行は開始され、尾行する人数は合計で六人となった。

 

 

 

 

 

「ところでその肉何に使うの?」

 

「今日の夜鍋パするんだと。杏夏も来るか?」

 

「あ、行く行くー」

 

 どうやら、鍋パーティの約束もしたようであった。




はい、お久しぶりでございます。
お疲れ様でした。

今回は樹と火垂をもっと掘り下げようかとも思ったんですが、色々考えて過去の話も見た結果、そういえば合コンの時の約束まだ果たしてなかったなーと言う感じでここでぶち込みました。
凛はあずささんとイイ感じ。その背後にはヤンデレというか変態ほむほむさんがいるわけですな。

うーんこの混沌(カオス)……

まぁ後悔はしていません。楽しく書ければいいのです。
とは言っても、楽しく終わらないのがブラブレの世界なので、この話でもちょっとばかりシリアスな話も出てきます。この後の展開を示唆する内容も少し入るでしょう。

八巻が出なくちゃかけないんだけどね!もう無理よー!
リブラとか倒せる自身がないよー! いくら十三位でも毒喰らったら終わりよー! 

またオリジナル話でも書きますかね……
なんかいい案ないだろうか……


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第六十八話

 あずさに手を引かれるまま凛は彼女の行きつけの小物店にやってきた。店名は「fairy tale」直訳で言えば「御伽話」となる。因みに「fairy tale」と「fairy tail」は発音は同じだが、スペルが違う。前者は御伽話、後者は妖精の尻尾。あずさが言うには店長はそれを狙ってつけたらしい。

 

 店内の様子を一言で現すとすればウッドハウスだ。木目の壁には商品が並び、中央と壁際に配置された商品棚にも多くの商品がある。外から見たときは手狭かとも思ったが、奥行きがあるので実際入ってみるとそこまで狭さは感じない。

 

「本当に色々ありますね」

 

「はい。お部屋に置くようなものは奥に、身に付けるようなものは手前にあります。凛さんはなにを見たいですか?」

 

「うーん。今日はこの後もいろんな所を回りますし、あまり大きなものはかさ張ると思うので、小さいアクセサリー系を見たいですかね」

 

「それじゃあこっちですね」

 

 彼女の後に続くと、ネックレスやリング、イヤリングにピアス、バングル、アクセサリーチェーンなど金属系のアクセサリーは勿論のこと。女の子が使用するような髪留めやカチューシャ、シュシュ、さらにはバンダナなど非常に多くの種類のアクセサリーが取り揃えられている棚にやってきた。

 

 しばらく無言で商品を眺めていると、凛の目に黒いチェーンで出来たブレスレットが写る。非常にシンプルなデザインで、装飾などないに等しい。しかし、凛には妙にそのブレスレットに興味を引かれ、思わずそれを手に取ってみた。

 

「あ、凛さんそれ気に入ったんですか?」

 

「いえ、気に入ったというよりも、気になったって感じです。うーん、なんでだろ」

 

「そちらに興味がおありですか?」

 

 ブレスレットを眺めながら首を傾げていると、不意に横から声をかけられた。あずさのものではなく、もっと低い男性の声だ。

 

 そちらを見ると、白髪を綺麗に切り揃え、白い髭も見事に整え、片眼鏡をかけた老紳士がいた。

 

「失敬、私こちらの店のオーナー兼店長をしております。静希一成(しずきかずなり)と言います」

 

 軽く腰を折って挨拶をした一成に、凛も頭を下げる。そして一成は凛の持っているブレスレットについて説明を始めた。

 

「そちらのブレスレットには、モノリスと同じバラニウムが少し使われているんですよ」

 

「あぁ、なるほど。だからですね」

 

 凛はもう一度黒いブレスレットを見やる。職業柄バラニウムと接する時間は非常に長い。だからこそこのブレスレットに興味が湧いたのだろう。

 

「それにしても、湊瀬さんが男性を連れてくるのは初めてですなぁ。こちらのお方は彼氏さんですかな?」

 

「なっ!? ち、違いますよ店長! 凛さんと私はその、お友達ですから!!」

 

 ブレスレットを眺めていると、なにやらあずさと一成が話をしていた。言い合いと言うほど激しくはないが、一成があずさをからかっているようであった。

 

「おや、そうなのですか? 私から見ますとお二人はお似合いのアベックに見えますがなぁ」

 

 ほっほっほ、と楽しげに笑った一成は軽く頭を下げてから奥に戻っていった。その後姿を見ながらあずさがため息をつく。

 

「まったくもう。店長ったら、いっつもああなんだから」

 

「良い人じゃないですか。まさに老紳士って感じです」

 

「まぁ見た目はそうなんですけど、実際に話してみると結構適当な感じがある人ですよ」

 

「それぐらいの方が良いんですよ。堅苦しすぎるよりも、少しふざけた人の方が親しみやすいですからね」

 

 笑顔を向ける凛に対し、あずさは一度だけ一成を見やってから苦笑した。

 

 

 

 

 

 そんな二人を向かいのコンビニから見つめる影が六つ。

 

「やっぱりアレはデートだろう蓮太郎! 妾達も今からやろう!」

 

「騒ぐな延珠。あと肩車はかまわねぇけど髪を引っ張るな。いてぇから」

 

 漫画誌で顔を隠しつつ、二人を見やる蓮太郎の肩には延珠が楽しげな様子でいる。その横では非常にノリノリの状態の木更が彼と同じように雑誌で顔を隠して監視している。ティナはと言うと、延珠と交代で肩車をして二人を見ている。

 

 ……どっちかって言うとあの二人は蓮太郎に肩車して欲しいだけなんじゃ。

 

 思いながら杏夏は少女漫画誌で顔を隠しながら持ってきた伊達眼鏡越しに二人を見やる。二人を見ていると本当に似合いのカップルのように見える。が、凛に恋心を抱くが故、その様子をジッと見ていると、胸のモヤモヤがどんどん大きくなっていくのを感じる。

 

 ……やっぱり、この前緊張してないで告白しておけば良かったぁ……。今のままじゃ脈があるのかないのかわかんないままだよ。

 

 心の中で特大の溜息をつくと、ちょうど壁代わりに使っている漫画雑誌でもヒロインである女の子が、気になる男の子に告白を出来ずにやきもきしている描写がされていた。

 

 まるで今の自分を見ているようだと。今度は現実に大きなため息が出てしまった。けれど、そんな溜息は彼女の左から流れてきた紫と黒のオーラのようなものにかき消されてしまった。

 

 チラリと目だけを動かすと、ゴシップを扱った雑誌を握り締めている焔がいた。口元はブツブツと何かを呟いて、目には相変わらず光が灯っていない。しかも瞬きなど殆どしていないのか、眼球がカッサカサである。なおかつ彼女から発せられる闇のオーラのせいで空間が歪んでいる。

 

「……なんやねんあの女。ポッと出てきておいて私の兄さんを誘惑しよってからに……。もしも兄さんに手を出そうもんならそのドタマかち割って、バラバラにして海に放りこんだるわクソボケぇ……!」

 

 彼女の声に聞き耳を立てていると、普段は聞けない焔の関西弁が聞くことが出来た。まぁその内容はひたすらカオスなものであるが。

 

 ……興奮状態だと関西弁に戻るのかなぁ。

 

 思いながらも、杏夏は時折乗り込もうとする焔の動きを手錠で抑制する。そのたびにらまれるが、もう気にしないことにした。

 

 が、ふと凛がこちらに視線を送りそうになったので、杏夏たちは一斉に屈んで身を隠した。

 

「もしかしてばれた?」

 

「いや、バレてないと思う」

 

 標準語に戻り、オーラをおさめた焔が本棚の隙間からスコープで覗く。

 

「ていうかさ焔。もうちょい殺気抑えてよ。こんな近くであんな濃い殺気出してたら本当に気付かれちゃうって」

 

「仕方ないでしょ。出るものは出るのよ」

 

「殺気が勝手に出るっていうのもどうかと思うんだけど……」

 

「同感だ」

 

 会話を聞いていた二人も静かに頷いた。確かに凛の索敵能力は非常に高い。戦闘時でないとは言え、それは健在だろう。だから焔のあのような殺気の放出は彼に見つけてくださいといっているようなものだ。

 

「今回は先輩の索敵範囲が狭くなってたからいいけど、次は多分ないよ。もしもこれ以上尾行を続けるなら少しはその殺気を抑えて。じゃないと気絶させてでも連れて帰るよ」

 

「……わかったわよ。少しは抑えるわ。バレちゃったら元も子もないし」

 

 溜息混じりに焔に対し、杏夏は頷いた後スコープで凛を見やる。どうやらまだ気が付いていないようで、先ほどこちらを向きそうになったのは偶々であるようだ。

 

「あの、とりあえず四人とも……」

 

「そろそろ立った方が良いと思うのだ」

 

 ティナと延珠に控えめな声で言われ、四人は静かに立ち上がった。

 

 その後、二人が出てくるまで彼女等はコンビニで監視をしていた。

 

 

 

 

 

 小物店を後にした二人は大手のショッピングモール内にある男性用のファッションブランド店にやってきた。

 

「さて、それでは凛さんのコーディネート始めましょう!」

 

「テンション高いですね」

 

「服を選ぶときは女の子は自然にこうなります。そういえば、さっきフェアリーテイルを出るときにお店の中に戻ってましたけど、なにか買い忘れでもあったんですか?」

 

「ええ。ちょっとした忘れ物をしたんです。まぁ、そんなに気にしないでください」

 

 あずさに対してにこやかに言うと、彼女もそれ以上は詮索したくなかったのかすぐに納得した。

 

 彼女は凛よりも先に店の中に入ると、近場の商品棚から服を選んでいく。凛はそんな彼女の後ろをただ黙ってついて行くことに徹する。下手に口を出してもファッションセンスがない自分では役に立たないだろう。だから、彼女が手に取った服を預かるだけの役割を担うことにした。

 

 最初にTシャツやジャケット、シャツなどを一通り集め、二人はそのままパンツの棚へ移動した。

 

「凛さん。パンツはタイトなのとゆったりしたもの、どっちが良いですか?」

 

「どちらかと言うと動きやすい方が良いですね。だからできればゆったりめで」

 

「わかりました。それじゃあタイトストレートはナシで行きましょう。となると、ルーズかレギュラー、テーパードあたりが良さそうですね。あとはチノパンやカーゴパンツ、サルエルは……凛さんには合わないですね」

 

 ファッションに疎い凛からするとなんのことやらさっぱりだ。

 

「凛さん、ちょっとこの辺もってもらえますか?」

 

「あ、はい。それにしても、あずささん迷いがないですね」

 

「これだって思ったらとにかく着てみるのが一番なので。それじゃ、あとこれと、これ……あ、これも!」

 

 パッパと決めていくあずさに少々気圧されつつも、凛は彼女から渡された衣類を受け取っていく。

 

「ではこのお店ではそれを試着してみましょうか。試着室の前で私が合わせてから渡していくのでそれの通りに着てみてください」

 

「分かりました」

 

 そうして凛は試着室の中に入ると、あずさから渡された服を受け取っていく。

 

「まずはこのあたりですかね。もう夏は過ぎてるので今でてるものは殆ど秋物冬物ですから、まずは秋物系統の服から」

 

 渡されたのは青灰色のやや厚手の半袖のTシャツに、紺色と灰色のブロックチェックのシャツ、そしてネイビーのジーンズにあまり騒がしさのない落ち着いた感じの赤黒い色のベルトだ。

 

 渡されるがままに着てみてからカーテンを開けてあずさに見せてみると、彼女は凛に対して「後ろも見せてください」とか、「横から見せてください」とか、「ボタンをあけてみてください」といった指示を出してきた。

 

「なるほど。凛さん、上のシャツを脱いでこっちのシャツに着替えてみてください。多分凛さんの場合ブロックよりも、こっちのトーンオントーンの方が合うかもしれません」

 

 渡されたのは灰青、灰紫、灰色で統一されたチェック柄のシャツだ。先ほどのシャツよりも少しだけ大人っぽく見える。

 

 今度は上だけ着替えて再び出てみると、今度はあずさも納得がいったのか、うんと頷いた。

 

「こっちの方が良さそうですね。ではブロックチェックはやめましょう。凛さんには多分似合いません。凛さんはやっぱりかっこいい系のファッションが似合いますね。シャツもチェック以外にも色々選んでみましょう。ではそれ脱いでください。今度はこっちです」

 

 今度はベージュのチノパンに淡い青色のデニムシャツ、白のカットソーを渡された。どうやら彼女は凛が服を着ている間や脱いでいる間に一通りのコーディネートを完了させているらしい。

 

「すごいですね」

 

「なにがですか?」

 

「あぁいえ、あずささんがです。こんな短時間であっという間にコーディネートしているので」

 

「そうですかね。これくらい女の子だと普通ですよ。多分、凛さんの相棒の女の子もこれぐらいすぐに出来ると思います。そんな感じありませんか?」

 

「あー……」

 

 凛は以前摩那と買い物に来て彼女があっという間に服装をコーディネートしていったのを思い出す。確かに言われてみれば、彼女のコーディネート速度もあずさと巻けず劣らずだった気がする。

 

「っと、そんなことよりも早く着てみて下さい。カゴに入れたのを全部を試着し終わって買うものを決めたら他の店にも行くんですから!」

 

 答える前にシャッとカーテンを閉められてしまった。どうやら今日はこのまま夜まで服を見続けるハメになりそうだ。が、不思議と悪い気はしない。恐らく自分のために彼女ががんばってくれているからだろう。

 

 けれども、凛は内心で思うところがあった、それはあずさ個人ではなく世の中の女性全般に向けてだ。

 

 ……女の人っていろいろすごいなぁ。

 

 凛の長い長い服選びはまだまだはじまったばかりである。

 

 

 

 

 

 所変わって同じショッピングモール内のファミレスでは、焔、杏夏、木更が若干変装した状態で凛達が入っていった店を監視していた。

 

 因みに、蓮太郎、延珠、ティナはと言うと、肉が腐るといけないので先に帰った。まぁ蓮太郎は最初から帰りたがっていたが。

 

「ていうか木更さ、なんで先輩が気になるわけ? 恋愛対象じゃないでしょ?」

 

 杏夏の質問に木更は人差し指を立てて左右に振った。

 

「甘いわ、杏夏さん。凛兄様は私にとって確かに兄のような存在。けどね、そんな私でもあの人の恋愛事情はさっぱりなの。だからこれはまたとないチャンスなのよ。兄様の新たな一面を見ることが出来るかもしれないし」

 

「うん、まぁなんとなく分かるけど、それってようは尾行を楽しみたいだけだよね」

 

「そうとも言うわ!」

 

「言い切った!? 逆に清清しい!」

 

 やたらとハイテンションな木更に、杏夏はヤレヤレと項垂れるが、思い出したように頭を上げる。

 

「そうだ、前々から言おう言おうと思ってたんだけど、木更ってなんで私のことさんづけなの?」

 

「うーん、年上だからかしら。焔ちゃんの場合は年下だから」

 

「そういうの気にしなくて良いよ。年上って言ってもそんなに上じゃないし。なにより、未織が私のこと呼び捨てにしてるのに木更がさん付けっていうのもなんか変な気がするし。焔もそうじゃないの?」

 

「私は呼び方はなんでも良いわ。焔さんでも焔ちゃんでも焔君でも焔氏でも焔様でも……。あ、でもホムホムは禁止」

 

 ごぼごぼとアイスコーヒーにストローから空気を送る焔。行儀が悪いが、まぁ凛に目掛けて突貫していかないことや、殺気を馬鹿みたいに発することからすればはるかにマシだ。

 

「二人がそういうなら呼び捨てにさせてもらうわね。あ、そうだ。二人に聞きたいことがあったんだった。えっと、新しい事務所ってどんな感じなのかしら?」

 

 少々伏目がちに問うて来る木更。言っては悪いかもしれないが、天童民間警備会社は火の車らしい。なので、引越しが出来るほどに潤っている黒崎民間警備会社の新事務所がどのような感じなのか聞きたいのだろう。

 

「新しい事務所はねぇ。なんか零子さんが言うには前々から予約してあったらしいんだ。それで、まぁ前の事務所と違うところは外見で言うと大きさかな。前は四階建てだったけど、今回は地下もあるから実質六階建てになるのかな。地下室は武器庫兼荷物置き場、一階は皆の車庫、二階は今まで通り事務所、三階は私たちが泊まりこむときの休憩室と言うか宿泊部屋、四階五階は零子さんの自宅。因みに三階の宿泊部屋にはお風呂にキッチン完備」

 

「……」

 

 これだけ解説した時点で木更は遠い眼をしていたが、杏夏の説明は続く。

 

「あとはこの前の五翔会のエージェントが攻めてきたときとかに対処できるように隠しカメラは勿論、誰もいないときは赤外線センサー、動体検知の床及び階段、カメラによる録音録画、各種ブービートラップが満載。その他にもいつ攻められても良いように、武器が収納できる隠し壁、カレンダーと見せかけてその裏には銃が収納されてたり、ただの冷蔵庫かと思いきや武器いっぱい。まぁその他にもあるとすれば緊急時の脱出用ルートだったかな。あ、因みにこの変のギミックをしてくれたのは司馬重工ね」

 

「ホント、事務所と言うよりも要塞よね、アレ。まぁ必要なものだとは思うけど。って、木更? 大丈夫ー?」

 

 焔が木更の前で軽く手を振る。見ると、彼女の目から光が消えており、ぽかーんと大口を開けたままになっていた。どうやら新黒崎民間警備会社のギミックの数々に驚愕しすぎてしまったらしい。

 

 が、すぐに意識を取り戻した彼女は、小さく咳払いをした後何事もなかったかのように話を続ける。

 

「へ、へぇ。すごいのねぇ、さすが儲けているだけあるわ。今度お邪魔してもいいかしら」

 

「まぁ来ても平気だと思うけど、あんた大丈夫、木更?」

 

「なにが?」

 

 彼女は答えながらアイスコーヒーを口に運ぶ。

 

「だってアンタが今コーヒーにバサバサ入れてたの砂糖じゃなくて塩よ?」

 

 焔が告げた瞬間、木更の口からコーヒーが吹き出され、店内に控えめが霧が舞った。幸いだったのはお昼過ぎだったこともあり、人が余りいなかったことだ。目撃者はいない。

 

 咳ごむ木更の背中を撫でながらも、杏夏はヤレヤレと首を振る。

 

「というか、なんで木更のところはそんなに火の車なの? 蓮太郎だってがんばってるように見えるけど」

 

「仕方ないのよ。杏夏。里見くんは色々と甲斐性がないし、私だってがんばってはいるけれど、ここ最近は激しい戦いもあって、治療費とかもかさんで大変なのよ」

 

「いやそれもあるだろうけど……ねぇ、焔?」

 

「なによりもダメなのは立地条件が最悪でしょ。一階はゲイバーで、二階はキャバクラ、そして四階は闇金。負の吹き溜まりのような場所に構えてるのが悪いのよ。もっと良い物件なかったの?」

 

「最初の資金だとあそこしか借りられなかったの。ハァ……今度零子さんに会社経営の方法でも教えてもらおうかしら」

 

 溜息を付きながら頬杖を付いた木更は、店員を呼んでコーヒーを注文し直した。

 

 殆ど同い年ながらここまで苦労している少女に、杏夏と焔は同情するしかなかった。

 

 やがて木更が注文し直したコーヒーが来たところで、凛とあずさが入っていった店を監視していた焔が目の色を変えてそちらに向き直った。

 

 何事かと杏夏と木更がそちらを見ると、凛とあずさが出てきたところだった。けれど、二人が入ったとき変わっている点がある。

 

 それは凛の服装だ。先ほどまでは全身真っ黒のコーディネートだったのに、今の彼の服装は、紺色のユーズド加工のされたデニムに、彼にしては珍しい赤のTシャツ。そしてその上に先ほどとはまたデザインの違った黒のジャケットを羽織っている。

 

 同じ黒であっても、下に着るTシャツを変えただけで随分と様変わりするものだ。先ほどの黒一色よりも似合っている。

 

「かっこいい……」

 

 思わず声を漏らしてしまった。普段は見られないような彼のまったく別の服装に、杏夏は素直に驚嘆の声を漏らし、そして僅かに頬を赤く染める。が、そんな彼女の空気を一瞬にして吹き飛ばす存在が一人。

 

「おおおおおおお! さすが兄さん! なに着てもイケメン! というか、この世の全ては兄さんのイケメンさを引き立たせるためにあるというものッ!!」

 

「黙って、焔! 目立っちゃうから!」

 

 流石に今のは目立ちすぎたようで、数人いる客がこちらを見て怪訝な表情を浮かべている。彼等に軽く会釈しながら焔を座らせる。

 

「まったく、騒ぎすぎだってば!」

 

「そうよ。ここまで来てバレたらこの後の展開が見れないじゃない!」

 

「わ、わかったってば。というか、私のこと色々言うくせにあんた達も結構鬼気迫ってるよ」

 

「ここまで来たら乗りかかった船よ。こうなったら満足するまでついて行くわ!」

 

 もはや半分やけくそである。が、もう決めてしまった。ここまで来たら最後まで行ってしまおう。その先に何があろうとも。

 

 そして三人はファミレスを出て尾行を再開した。

 

 

 

 が、そのまま三人が尾行を続けても、凛とあずさが何かいかがわしいようなところへ行くそぶりはなかった。その反面というのか、何と言うのか分からないが、二人がファッション用品店から出てくるたびに、凛が若干疲弊した様子で出てきてはいたが。

 

 

 

 時間は過ぎて夜。尾行もいよいよ終盤となり、杏夏たちにも少なからず疲れの色が見え始めた。

 

「……なんかもう二人に動きないし、帰らない? そろそろ帰らないと鍋パーティ始まっちゃうわ」

 

「それもそうかもね。色々あって凛先輩も疲れてるみたいだし、今日はもう何もないと思うよ、焔」

 

 杏夏と木更は欠伸を浮かべながらショッピングモールのフードコートで夕食を取っている二人を見やった。二人は話をしながら食事を楽しんでいるようで、その様子からはとてもこの後男女の営み的なものをしそうには見えない。

 

 やがて焔も大きく溜息をついてから「わかった」ともらした。

 

「確かに時間も時間だしね。というか、考えてみれば、私のことを考えてくれてる兄さんがあの女ごときになびく筈もないわね。色々深く考えすぎたわ」

 

「はいはい。そうだねー。それじゃあ今日はもう帰って蓮太郎んちで鍋パしようよ。まだ食べてないよね」

 

「ええ。里見くんには私たちが来るまで始めないように念を押してるから。それじゃあ帰りましょうか。いつまでもここにいたら気付かれちゃうかもしれないし」

 

 木更に言われ、杏夏と焔はそれぞれ立ち上がってフードコートを後にする。最後、フードコートを出るとき杏夏は凛を一瞥する。

 

 相変わらずこちらに気付いている様子はないが、あずさと話す凛の笑顔は自分と話しているときに見せる笑顔とは、また別の笑顔に見えた。

 

「杏夏、行くわよ」

 

「あ、うん」

 

 木更に呼ばれ、小走りに駆けていく。

 

 

 

 

 

 食事を取りながらあずさと談笑する凛は、午前中から感じていた気配が消えたことに気が付いた。

 

 ……あの気配の感じからして、後ろにいたのは杏夏ちゃんに焔ちゃんかな。あとは木更ちゃんって感じか。あと途中から何人かいなくなったね。

 

 実は最初から気付いてはいたのだ。が、悪意のある気配ではなかったため、特に触れずにここまで放置しておいた。下手に関わっても、あずさに心配を掛けてしまうと思ったからだ。

 

 ……それにしても偶に感じる焔ちゃんの重たい気配はすごかったな。言い表せない暗黒さを感じた。

 

 ちょいちょい感じていた焔の負のオーラに内心では、若干の不安感を覚えていたりする。主にあずさとの距離が近いときに感じたが、あれはなんだったのだろうか。

 

 などと考えていると、あずさが小首をかしげて問うてきた。

 

「凛さん? どうかしました?」

 

「あぁいえ、なんでもないです。少しぼーっとしていただけです」

 

「もしかしてそれって私が今日色々連れ回しちゃったからですか!?」

 

「違いますよ。ちょっと考え事をしてただけです」

 

 彼女を傷つけないように言葉を濁すと、あずさは箸を置いて少しだけ表情を堅くした。

 

「考え事で聞きたかったんですけど、凛さん。今日のお昼、凛さんは実戦に特化した剣術を扱っていると言っていました。その実戦というのはガストレアのみのことなんですか?」

 

 真っ直ぐな瞳で問われ、凛もいつもの笑顔を消して真面目な面持ちで答える。

 

「……いいえ。実戦と言うのはガストレアではなく、人と闘う事を指します。即ち、僕が習得しているのは、俗に言う殺人剣です」

 

「殺人、剣……」

 

「ええ。人を殺すことに特化した剣。対象の命を刈り取り、対象を確実に絶命させ、斬殺する剣のことです。幻滅しましたか?」

 

「いえ! そんなことはありません! そう言った剣術が実際にあるって言うのは知ってます。だから、そんな幻滅するなんて……ただ、私は凛さんには殺人剣よりも、活人剣の方が似合っているんじゃないかって思っただけです」

 

 やや尻すぼみ気味で答えるあずさの様子に、凛は目の前の女性が本当に優しい女性なのだと改めて理解した。けれど、だからこそ教えなければならないと思った。彼女の言う活人剣の真実を。

 

「あずささん。活人剣とはどういう剣かご存知ですか?」

 

「はい。殺人剣とは対照的で、人を生かす剣です」

 

「確かにそのとおりです。迷いを断ち、不義、不正をしない人を生かすための、人を生きさせるための剣です。しかし、僕はこう思っています。たとえ活人剣であっても、振るう相手を間違えたり、振るう理由を間違えれば、途端にそれは崩壊します」

 

「凛さん……?」

 

 普段の雰囲気とはまったく違った声音に少しだけ不安を覚えたのだろう。あずさの声がやや震えている。けれど凛は容赦なく続ける。彼女の心を試すために。

 

「僕は活人剣は殺人剣だと思っています。剣や刀は凶器です。それこそ人を殺しうる破壊力を持った凶器です。活人剣であっても、真剣を使うことに変わりはありません。真剣を持っているということは、それだけで人を殺す力を持っていることになります。ホラ、どうですか? この時点で活人剣も殺人剣も変わりはありませんよ。だって、どっちも人を殺せるんですから。だから僕は活人剣という言葉があまり好きではありません」

 

「……」

 

「活人剣と言う言葉は甘えなんですよ。例えば、活人剣を習得したAさんがいるとします。AさんにはBさんという伴侶がいました。ある夜、AさんとBさんは夜に悪漢に襲われます。AさんはBさん守るために、習得した活人剣で悪漢たちを倒しました。その結果Bさんは生きることが出来ました。でも、この時にもう矛盾が生じていますよね。そう、人を生かす剣であるはずの活人剣で人の命を奪っているんです。だから、この世界において活人剣は存在しないんです。あるのは殺人剣ただひとつ。僕が振るうのはそういった剣です。

 あずささん。もしもこの話を聞いて少しでも僕に恐怖を覚えたのなら、もう僕に関わるべきではありません。僕はそういった剣を振るって闘う人間ですからね」

 

 凛は試すような視線をあずさに向ける。もしもこの話を聞いてあずさがこのまま席を立っても、凛は咎めようとは思わない。なぜならばそれが普通の反応だからだ。

 

 殺人剣を振るう相手を一緒にいるなど、それでこそ身の毛がよだつはずだ。凛はあずさがそういう反応をするだろうと思った。が、返ってきたのは予想とは真逆の反応であった。

 

「それでも……それでも私は、構いません。たとえ凛さんが殺人剣を振るって戦っていて、その結果として人を殺してしまってるとしても、私は気にしません。だって、凛さんが意味もなく誰かを殺すなんてことありえません。勿論、殺人は悪いことです。でも、貴方は誰かを守るために剣を振るうんでしょう? 第三次関東会戦の時だってそうでした。貴方はエリアの人を守るためにその剣を振るった。貴方の剣は殺人剣であっても、誰かを守る剣です。だから私は貴方と一緒にいます」

 

「あずささん……」

 

 あまりにも真っ直ぐで、素直な言葉に凛は驚きながら彼女の名を口にした。が、あずさはすぐに顔を伏せてあたふたをし始める。

 

「え、えっと、今の一緒にいますっていうのはその、友達としてって意味で! 決して男女の仲になるとか、結婚するようなことじゃないんです!! ただ、友達として一緒にいたいって意味なんです!」

 

「あ、えぇ。そのあたりはなんとなく分かってます。でもありがとうございます、あずささん。そして、試すようなことをしてすみませんでした。意地悪な話でしたね」

 

 凛は頭を下げる。確認するためとはいえ、彼女の心を傷つけてしまうような質問だったことに変わりはない。だからここは男として頭を下げるのが道理だろう。

 

「頭を上げてください。私は気にしてませんよ、凛さん。だって、今の問いは凛さんが私のことを思って言ってくれたことでしょう? 民警である自分と関わるとはそれだけの危険が伴うという心配をしてくれたんですよね。だから、むしろありがとうございます。私のことを気にかけてくれて」

 

「そう言ってもらえると、僕も少しは気が楽ですが、それでも不安にさせてしまったのは事実でしょう。だから、またなにかあったらお手伝いしますよ」

 

「それじゃあ、今度は渉子達も誘った買い物に付き合ってください。凛さんには荷物持ちをしてもらいますよ! 多分、今回の比じゃないと思うので、覚悟してくださいね」

 

「う……。わかりました。がんばらせてもらます」

 

 あずさの提案に僅かに頬を引き攣らせる凛。今日の買い物で改めて、女の子の買い物は大変だと思い知ったのだろう。

 

 その後、食事を終えた二人はショッピングモールを出る。そのまま凛はあずさを彼女のアパートまで送っていく。

 

 電車に乗って駅からしばらく行ったところにあずさのアパートはあった。

 

「ここでいいですよ。今日はありがとうございました。凛さん」

 

「いえいえ、僕の方こそありがとうございました。こんなに服を選んでもらって。それに何着かは買ってもらっちゃって」

 

「いいんですよ。私が好きでやったことですし。それじゃあ、おやすみなさい。また今度お電話しますね」

 

 そう言ってあずさが踵を返したときだった。凛は彼女を呼びとめてから持っていた紙袋から小包を彼女に渡した。

 

「これは?」

 

「僕からのお礼です。開けてみてください」

 

 あずさは小包の封を切って中のものを掌の上に出した。彼女の掌の上に乗ったのは黒いブレスレットだ。昼間、凛がfairy taleで買ったものと比べると、女の子さが増したものである。

 

「これって……」

 

「僕のものとは別のですけど、バラニウムが使われてるので、もしかしたらガストレア避けになるんじゃないかって思って」

 

「ありがとうございます。でも、高かったんじゃ……」

 

「その辺は気にしないでください。これでもそれなりには稼いでいるので。それじゃあ、また」

 

 凛はそのまま踵を返して駅へ向かって駆けて行く。二、三歩踏み出したところで呼び止められる。

 

「凛さん!」

 

「はい」

 

 振り向くと、あずさがあたふたとしていた。思わず呼び止めてしまったという表情だ。けれど、彼女はすぐに意を決したように問うてきた。

 

「その、凛さんは今好きな人とかいますか!?」

 

 まったく予期しなかった質問であったが、凛はそれにいつもの調子で答える。

 

「いいえ。でも、気になっている人ならいます」

 

「そう……ですか。すみません、変なこと聞いて。おやすみなさい!」

 

 あずさは小走りにアパートの中へ引っ込んでしまった。そんな彼女の様子に首をかしげながらも、凛は家路を急いだ。

 

 

 

 

 深夜。あずさはベッドに座ってスマホで話をしていた。相手は学友の瑞祈だ。

 

『それじゃあアンタ、凛くんに気持ち伝えてないわけ!? 絶好のチャンスだったのに!?』

 

「そんなに大声出さないでよ。仕方ないじゃない、こっちだって色々と混乱してたというか、緊張してたんだし……」

 

『かー……。アンタ馬鹿ねぇ、あずさ。せっかく凛くんとカップルになれるかもだったのに。好きな人がいますかって聞いただけって……そこは、私とお付き合いしませんかって持ってくところでしょうが』

 

「そうなのかなぁ……」

 

『あったりまえでしょうが! アンタは肝心な時に萎縮するんだから……聞いてるこっちが心配になってくるわよ』

 

 瑞祈は呆れた声を投げかけてくる。恋愛上手である彼女にとっては思うところがあるのだろう。

 

「というか、私だってまだ凛さんのことが好きなのかわかんないし……」

 

『だってアンタ、凛くんと一緒にいると胸が高鳴って、楽しい気持ちになって、笑顔を向けられるとほっぺが熱くなって、凛くんが女の人と話してるとなんか落ち着かないんでしょ?』

 

「う、うん」

 

『それを世間では惚れてるって言ってんの。まったく……』

 

 半ばイラついたような声音の瑞祈であるが、彼女の言うことは当たっている。初めて凛と会った時から、あずさは彼に惹かれた。勿論外見がかっこいいというのもある。が、それ以上に彼の纏うオーラのようなものや、彼の持つ心情に惹かれた。

 

 覚悟と闘志の灯った両目はどんなときでも輝きを失わず、浮かべてくれる笑顔は柔和で優しい。勿論あの優しさが自分にだけ向けられたものではないと分かっている。

 

『まぁ人のことだからわたしはこれ以上口出さないけどさ。後悔だけはしない方が良いわよ』

 

「それはわかってるけどさ……」

 

『凛くんだって、気になる人がいるって言ってたんでしょ? 早くしないと取られちゃうかもね』

 

「うぐ……」

 

『それじゃあおやすみー』

 

 瑞祈はそう言って電話を切ってしまった。あずさはスマホをベッドサイドテーブルに置いてごろんと横になる。

 

「早くしないと……か……」

 

 呟く彼女の視線の先には、凛から送られたブレスレットがあった。

 

 

 

 

 

 あずさとの買い物から二日後、凛はいつもとは違った装いで事務所に出勤した。

 

 コーディネートは完璧で、女性陣からの受けもよかった。樹には「まぁ真っ黒よりかはマシだわな」と呆れられてしまったが。

 

 そして凛は二日前にあずさと共に行ったfairy taleで買ったお土産の類を全員に配った。零子にはバラニウムで作られたネックレスを、樹にはバングルを、凍にはアンクレット。

 

 子供たちにはバラニウム素材のアクセサリーは気分が悪くなるかもしれないということで、銀であしらわれたアクセサリーを渡した。

 

 そして杏夏と焔には……。

 

「杏夏ちゃんにはこれね。バラニウムが使われてるネックレス」

 

 そう言って凛が渡したのは零子のものとはまた別のデザインのネックレスで、例えるなら零子のものがかっこいい系で、杏夏のものはかわいい系だろう。

 

「ありがとうございます、先輩! 大切にします」

 

「気に入ってもらえたみたいでよかったよ。そして、焔ちゃんにはこれね」

 

 そう言って彼が渡したのは、リングが付いたネックレスであった。が、リングの部分を見た瞬間、一瞬ではあるが焔がすごい顔をしたのを、凛以外は見逃さなかった。

 

「ネックレスばかりで代わり映えしないけど、ごめんね」

 

「気にしないでください兄さん! 私ネックレス大好きですから!」

 

「そう、ならよかった」

 

 焔が喜んでいるようなので、凛もホッと一安心すると、事務所の電話が鳴った。零子がそれを取ってからしばらく会話をすると、彼女は受話器を置いて告げてきた。

 

「エリア内にガストレアが侵入した。凛くん、樹くん、摩那ちゃんと火垂ちゃんと共にこれに対処に当たってくれ」

 

「了解です」

 

「おうさ」

 

 二人は返事をしてから相棒と共にガストレアの排除へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 凛達がいなくなった事務所内では、焔が肩をプルプルと震わせていた。その様子に気が付いた杏夏達は、皆自主的に耳栓を占める。

 

「くふ、くふふふふ……」

 

 不気味とも取れる笑い声をもらす焔。その様子を見ていた翠でさえも冷静に耳栓をする始末。

 

 そして、彼女は吼えた。

 

 

「いよっしゃアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!」

 

 

 リング付きネックレスの破壊力は凄まじかったようである。




はい、お疲れ様です。
とりあえずこれで凛とあずさのデート?回は終了です。

いやー、長い間放置して申し訳ない。

とちゅう色々凛が語ってますが、あの変は私の勝手な考えですんで、そう思わない人もおられるでしょう。勿論、そう思うことを否定はしません。けれど、私はそういった考えなのです。

あずささんに関してはこの後も色々と関わってきます。危ない目にもあうかもです。まぁブラブレの世界ではしょうがないことですね。

さて、随分前にブラブレのオリジナルの話を活動報告でさせていただきましたが、そちらの話をしようと思います。
今現在、読みたいと言っていただけた案は聖天子暗殺編です。これはティナよりも前、聖天子の命を暗殺者が狙うというお話です。まんまですね。主に凛と聖天子しか出てきません。その次の候補は凛の天童編です。小さかったころの凛が天童で修業してるころの話です。ただ、スケキヨ師範とかのしゃべり方は知らないのでオリジナルになります。そして未だ意見がないのは凛と聖天子の初対面編ですね。

とりあえず三つのプロットはあるに張るのですが、不意に思ったことがあります。それは凛と聖天子の初対面編と聖天子暗殺編を一緒にしちゃえば良いんじゃね? ということです。結構面白くなりそうなので、一応そっち方向でも考えてます。
もし、意見がございましたら、活動報告がメッセージの方でお願いします。

では、感想などありましたらよろしくお願いします。


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番外編 黒神の信徒達
番外編 第一話


お久しぶりです。
覚えてる人たちいらっしゃるかな?


 断風家の広大な庭では金属と金属がぶつかり合う甲高い音が響いていた。いつもなら多くの子供達が遊んでいる庭では、長刀を持つ凛と、両手にクナイを持った凍の姿があり、彼等は先ほどから仕切りに互いの得物をぶつけ合っている。

 

 時折空中や屋根にさえ上って闘いあう二人は実に楽しげな笑みを浮かべており、この戦いを心底楽しんでいるのが見て取れた。

 

 何度かの激突の後、二人の動きが止まり鍔迫り合いが始まった。二人の力が強いからなのか、ギチギチという音が鳴り、時折火花も散っていた。

 

「やはり戦闘は白兵に限るなぁ、凛よ。銃で撃ち合うのもまた一興かもしれんが、白兵での命のやり取りこそ素晴しい!」

 

「模擬戦だから命までは取らないでほしいんだけど……」

 

「今のは言葉の綾というやつだ気にするな。まぁ気を抜けば重傷は免れんだろうがなッ!」

 

 物騒な一言を吐いた彼女はグッと力を入れて長刀を弾き、身体を低くして凛の懐にもぐりこむと、彼の腹部にクナイをつきたてようとした。彼女の瞳に一切の迷いはなく、普通に殺してしまいそうな勢いだ。

 

 だが凛も刀を弾かれた程度では動じず、刀を一度放すとクナイを持つ凍の手首をつかむ。そこを支点として身体を浮き上がらせ、凍の側頭部を目掛けてえぐるような蹴りを放った。

 

 凍も反応できたようだが、利き腕は凛にガッチリと握られているので防ぐのは困難だったのか、彼女はそのまま小さく首を動かしただけで凛の蹴りを喰らった。蹴りが直撃した瞬間、凛は握っていた凍の手首を離し、彼女は大きく吹き飛ばされた。

 

 けれども吹き飛ばされた彼女から数本のクナイがこちらを目掛けて飛んできた。なんとかそれに反応できた凛は飛んできたクナイを掴み取り、何歩か下がりながら顔を上げる。

 

 そこには片膝をついた状態でありながらも、今まで以上に楽しげな表情をした凍がいた。

 

 ほぼ側頭部に蹴りが直撃したため、普通であれば脳震盪などを起しているはずなのだが、どうやら彼女にとってそんなものは意に介さないらしい。

 

 二人はしばらく視線を交錯させていたが、やがて二人の間、ちょうど真ん中のあたりに漆黒の長刀が突き刺さった。その様子を見た凍は低くしていた態勢を直し、新たに構えていたクナイをしまうと、「ふむ」と頷いて告げてきた。

 

「今日はこの程度で終わりにしよう。このままやり続けるとどちらかが本当に死ぬことになりそうだ」

 

「了解。というか、さっき完全に僕の事殺しに来てたよね?」

 

「さてな。だがあの程度ならば普通に避けられると踏んでいたし、なによりお前だって飛ばしてる殺気が模擬戦で出すものではなかったぞ?」

 

「その辺はどっちもどっちじゃないかなぁ……」

 

「というか本気で殺すならメイン武装を持ってくるしな」

 

 ハハハ、と笑いながらいう凍に対し、持っていたクナイを投げ返して返却し、地面に突き刺さった黒詠を鞘に収めようとした。けれど、柄に手をかけようとした瞬間、白魚のような美しい手が伸びてきたかと思うと、目の前で刀を掻っ攫っていった。

 

「ちょっと凍姉さん……」

 

「少しぐらいいいじゃないか。ふぅん、改めてみるとこの刀、かなりの業物という一言に尽きるな」

 

 陽光に黒詠を翳しながら呟く彼女の視線は、刀身の根元から刃先までを舐め上げるように動いていた。

 

「なによりオレがアレだけ強く打ち込んだというのに、刃こぼれらしい刃こぼれがまるでない。大したものだな、司馬重工の技術は」

 

「まぁ実際、日本でもトップの兵器産業会社だからね。いい仕事をしてくれるよ、未織ちゃんは。姉さんも頼んでみれば? アレだってもう長いこと使ってるでしょ」

 

「そうさなぁ……アレがぶっ壊れでもしたら頼んでみるか」

 

 持っていた黒詠を返却しつつ彼女は頷いた。凛も自身の手に戻ってきた愛刀を鞘に収めると、子供達がいる母屋の方を見やる。

 

「みんなー、お待たせー。もう遊んでいいよー!」

 

 瞬間、待ってましたと言わんばかりに子供達がわっと母屋から飛び出してきた。今の時間は本来ならば子供達の昼休み。普通であれば彼女らが自由に遊ぶ時間だったものをちょっとだけ借りて二人の模擬戦に使わせてもらっていたのだ。

 

「凛にーちゃん、たたかいごっこおわったのー?」

 

「うん。おわったよ」

 

「じゃーあそぼー!」

 

 駆け寄ってきた摩那よりも四歳ほど年下の少女はニカッと満面の笑顔を浮かべた。彼女は小さな手をスッと向けてきた。

 

 凛も微笑みの表情を浮かべると、黒詠を凍に預け少女に手を引かれながら子供達の輪へと混ざって行った。

 

 受け取った黒詠を肩に担ぎながら凍は母屋へと足を向けた。子供達は凍の方をチラチラと遠巻きに観察しているようだった。まだ彼女に対する警戒心が抜け切っていないのだろう。

 

 実際それはしょうがないことだと思う。どちらかと言うと彼女は、女性の中では身長が高いほうだ。東京エリアで暮らすための物件に引っ越した際、近場の銭湯の脱衣所にあった身長計で久々に測ったらまだ伸びていた。ちなみにバストの方もちゃっかりでかくなっていた。

 

 身長が100cmから130cmそこそこの少女達から見れば、凍はいささか大きすぎるのだろう。だからこそ余計に威圧感を感じてしまっているのだ。

 

「……成長期はもう終わってると思ったんだがなぁ」

 

 溜息をつきながら縁側に腰を下ろすと、氷の入った麦茶のグラスと羊羹が差し出される。

 

「お疲れ様、凍ちゃん」

 

「ありがとうございます、珠様」

 

「様はつけちゃダーメ。もう主君と従者って間柄じゃないんだから」

 

 思わず出てしまった敬称を指摘されてしまった。断風家と露木家が両家の関係を解消してから随分と経つが、露木の人間である以上、家の成り立ちを両親や祖父母からは耳にたこができるほど聞かされた。

 

「わかりました。では、遠慮なくいただきます。珠さん」

 

「はい。召し上がれ」

 

 差し出された麦茶を飲み、口の中を潤してから羊羹を食べる。

 

 模擬戦で適度に体を動かしたおかげで甘いものが身体に染み渡る。時折吹く心地よい風と風鈴の音を聞きつつ、眼を細めながらしみじみとした様子でまったりする。

 

 ……あぁ、闘いもいいが、こういうのも悪くない。

 

 聞こえてくる子供達の楽しげな声に微笑を浮かべていると、母屋の中を駆け抜けた風が一枚の紙を凍の近くまで飛ばしてきた。

 

 残っている羊羹を食べようと視線を移すと、凍の瞳にその紙が写る。紙はなにやら宗教勧誘のチラシらしく、『新世界への転生』だの『人類の救済』だのと胡散臭い謳い文句が記載されていた。

 

「珠さん、これは……」

 

「あぁ、それね。少し前に三人くらいの変な服装の人たちが来てね。うちのやっていることが素晴しいとか、ともに新世界がどーとかいって置いて行ったのよ。うちは宗教なんか興味ないんだけどねぇ」

 

 子供達とトランプをしながら呆れた様子でいう珠であるが、チラシを見ている凍の顔は先ほどとは打って変って険しいもの担っていた。

 

 ただの宗教勧誘ならよくある話で見過ごせたのだが、このチラシに書かれているのは民警として見過ごせる内容ではなかった。

 

「ガストレアが絶対神、ねぇ……」

 

 

 

 

 

 東京エリアのとあるカフェのテラス席では、一人の無精ひげを生やした青年とショートボブカットの少女が言い合いをしていた。

 

「せやからさっき見てきたトコから決めればええやんか!」

 

「いやよ、あんなオンボロ! 第一私たち二人が住むのに一部屋だけってありえないわ!!」

 

「そこは……ホラ、布団を別個にするとかいろいろ方法はあるやろ」

 

 痛いところを突かれたといわんばかりになんともいえない表情をしているのは、先日黒崎民間警備会社に入社した大神樹である。

 

 そんな彼に対し、ゴミを見るような絶対零度の視線を送るのは彼のイニシエーターである、紅露火垂である。

 

 コンビを組んでから数日経った現在、二人は居住先を探すための物件めぐりを始めていたのだ。いつまでも事務所の泊まり部屋に世話になるわけにもいかないということで、意気揚々と事務所を出た二人ではあるのだが。

 

 現在、絶賛意見が対立中である。

 

 樹はとりあえず住めればいいというスタンスであり、探す物件はどれも激安のものばかり。紹介された物件はどれも今にも倒壊しそうなものが多かった。例えるならば蓮太郎達の住んでいるアパートのほうがまだマシである。

 

 対して火垂は断固として二部屋は必要と言い、トイレとバスルームは勿論別、出来るだけ新しい物件がよいと譲らなかった。こちらも例えるとするならば、凛のようなマンションタイプがいいということだ。

 

「布団を別個にしたとしてもそれは嫌。プライベートな空間がなさ過ぎるでしょ……。まさかとは思うけど樹、アンタ……」

 

「なんやその人間のクズを見るような目は! ちゃうからな、ワイはロリコンの気は全くない!! 出来ればバインバインのお姉ちゃんがええ!!」

 

「大声でそういうこと言わないでくれる? 本当にデリカシーがないんだから」

 

「お前が誘導したんやないか……! こんガキィ……!!」

 

 プルプルと震えながら拳を構えている樹ではあるが、火垂はそんなことを意に介さないのか、広げられた物件の資料を纏めると、一気に引き裂き、小さく纏めると近くにあったゴミ箱にシュートした。

 

 さすがイニシエーターと言うべきか、結構な厚さがあった紙の束をまったく力を要れずに引き裂いていた。

 

「と・に・か・く!! 次の物件探しは私にやらせてもらうから。樹に任せていたんじゃどんな酷いところに暮らすことになるのかわかったもんじゃないわ」

 

「へーへー、わかりましたよー。ほな、休憩はこんぐらいにしてさっさと次行こうや」

 

 樹は頭をガリガリと掻いた後、少しだけふてくされたように唇をやや尖らせながら席を立った。

 

 自分よりも子供のような態度をとる相棒に嘆息しつつも、彼の後を追ってカフェを出る。

 

 カフェを出てから火垂は、タブレットを取り出して昨日ピックアップしておいた物件を扱っている不動産屋を目指す。

 

「準備ええやっちゃな」

 

「アンタが準備しなさ過ぎなのよ。事務所を出る時『ワイに任せとけ!』って行った辺りから『あ、これはダメだな』って思ってたわ」

 

「おぅ……辛辣ぅ……」

 

 非常にドライな態度に樹は苦笑いを浮かべるものの、その鼻先にズイッとタブレットが突きつけられた。

 

 ディスプレイには火垂が昨日探したであろう物件の情報が載っていた。広さも二人で住むにはちょうどよく、築年数もあまり古くない。初期費用も零子が出してくれる範疇におさまっている。

 

「ホラ、こういう良い物件だってあるんだし、ちゃんと探した方が特なのよ。住めるだけが帰る家じゃないでしょ? しっかり心のケアもできるのが本当の家よ」

 

「……そらそうかもしれんな」

 

「そうよ。で、樹。アンタ移動手段は考えてあるの? 確かバイクに乗れるって言ってたけど」

 

「ああ、せやな。けどバイク自体があらへんからなぁ。後で買うことになるかもしれん」

 

「だったらバイク置き場のあるところも候補にいれないとね。住んでみてバイクが置けませんじゃ損だもの」

 

 タブレットを戻しながら火垂はまたいくつかの物件をピックアップしていく。そつなく進めていく様に、樹は「現代っ子やなぁ」と肩を竦めるも、表情はどこか面白げだった。

 

 二人でしばらく歩いていると、二人のいる場所から車道を挟んで向かい側の歩道で奇妙な服を着た一団がマイクを使ってなにかを訴えていた。

 

『東京エリアの皆さん! 世界は今リセットの時にあるのです!! 人類は新たなステージへと上らなくてはなりません。そのためにガストレア様を恐れてはいけません!』

 

 必死に訴える声だが、樹と火垂は過激な内容にギョッとしてしまった。今のご時勢、ガストレアのことを『ガストレア様』などという呼び方をする人間がいるとは思っていなかったからだ。

 

 よくよく演説を続ける集団の方を見てみると、やはり服装からして異常だった。彼らが纏っている衣服は黒一色の着物であり、まるで葬列のようだ。他に例えるならば日本書記や古事記に出てくるような古墳時代の衣装といえば妥当だろうか。

 

 とにかく現代日本ではありえないような服装を纏った連中がマイクを使って、非常に過激なことを発言している。

 

 殆どの人は彼らの言葉に耳を貸していないようだが、中には立ち止まって演説を聞き入っているものもいる。

 

『よいですか! ガストレア様が行っているあの捕食行動は決して殺戮行動ではないのです! あの行動は我々人類を新たなる世界、エデンへと転生させていただける神聖なる儀式なのです!! 黒神様達は我々を救済するために現世を降立っているのです!!』

 

「……なんやそのむちゃくちゃな謎理論は」

 

「ホント、呆れるわね。人間って追い詰められたりすると本当にあんな風になっちゃうのね。ガストレアが神様って馬鹿みたい」

 

 火垂はあきれ返ったのかさっさとその場から早歩きで歩き始めた。樹も軽く首をすくめると、集団の方を軽く一瞥しながら火垂の後をついて行った。

 

 その際、彼の瞳には集団の周りに立てられているのぼりが目に付いた。

 

『黒神の寵愛』と黒い下地に赤い文字で書かれたのぼりは、どこか不吉にはためいていた。

 

 

 

 

 それから数日が経ったある日。黒崎民間警備会社に司馬重工から輸送物の護衛依頼の一報が伝えられた。

 

 担当するのは凛と摩那、杏夏と美冬のコンビとなった。どうやらエリア外にて小さいながらも新たなバラニウム鉱山が発見されたらしく、司馬重工がその土地の占有権を得たとか何とかで、採掘するための物資や機材を運ぶため輸送チームを護衛して欲しいとのことだ。

 

 期間は凡そ一週間から二週間の中々の長丁場の依頼であるが、依頼が無事に完遂されれば、司馬重工から買っている武器やらを特別価格で買うことができるため、黒崎民間警備会社としても非常に旨みのある話だった。

 

 護衛につくのが恐らく東京エリアにおいて最強戦力といっても過言ではない凛と摩那に加え、多くの銃火器の扱いに長けた杏夏に索敵特化型の美冬なので失敗することはないだろう。

 

 ゆえに零子も未織からの依頼を快諾し、凛達は連絡のあった翌々日から任務へ赴いたのであった。

 

 

 

 

 

 凛達が任務に出発した翌日、黒崎民間警備会社には彼らを除いた社員が全員しっかりと出勤していた。

 

 ただし、若干一名、魂が抜けて瞳孔が開いた眼差しで天井を仰いでいる社員が皆それには一切触れずにいた。いつものことだからである。

 

 事務所内のBGM変わりにつけられているテレビからはお昼のワイドショーが写っており、お笑い芸人上がりのMCが専門家やら芸能人やらと面白おかしくゴシップやらグルメやらを紹介していた。

 

 だが、先ほどまで和気藹々としていた番組だったが、CM明けのニュースで一気にシリアスな空気を漂わせ始めた。

 

『えー、では次の話題に移りたいんですけれども、これより先の内容はガストレア関連の話題になりますので、ご気分の悪くなった方はすぐに視聴を中止していただくことをおすすめいたします』

 

 MCが軽い注意喚起をしてから少したち、その話題へと番組がシフトしていく。

 

『現在東京エリアのあちらこちらでこのような、えー、チラシが配られていたり、街角では「黒神の寵愛」なる宗教団体が活動しているのを皆さんはご存知でしょうか』

 

 フリップを取り出したMCの言葉に、自然と事務所内の視線がテレビに集まる。ただ一人を除いては。

 

『この黒神の寵愛なる団体は、ガストレアを崇拝の対象として置いており、ガストレアを神とあがめているようなんですねぇ。私はそのー、にわかには信じたくはないんですが……先生方はどうお考えなんでしょうか』

 

 専門家の意見を求め、カメラが専門家陣を映し出す。すると、そのうちの一人、宗教の専門家と紹介された人物が口を開いた。

 

『実はこう言った団体は十年前の大戦前から結構あったんですよ。特に外国に多かったですかねぇ。ガストレアは神、もしくは神の使いであり、捕食されることは死ではなく新たな生への昇華のプロセスなんだという発言が多く見られました』

 

『そうなんですか!? いやー、知らなかったですねぇ。では、諸外国の影響で今回も新たに発足されたと考えるべきなんですかね』

 

『まぁそれもあるでしょうね。もしくはついこの間起きたばかりの第三次関東会戦ありましたよね。アレの影響で再び人々の心が不安定になってきているのかもしれませんねぇ』

 

 専門家は腕を組みながら難しい表情を浮かべる。それに対し、MCは眉間に皺を寄せながら頷く。

 

『警察や政府は動いたりしないんでしょうかね』

 

『ガストレア信仰自体かなり過激な思想ですからね、既に公安警察が動いていても可笑しくはないと思いますよ。だけど、宗教関連の問題は非常にデリケートな問題ですから、慎重に捜査していくことが必要だと思いますよ』

 

『なるほどぉ……。えー、一旦CMを挟みますが、この後も引き続きこの話題に触れて行きたいと思います。また、ご気分の優れない方はすぐに視聴をやめていただきたいと思います』

 

 MCが言い終えると、番組の音楽が流れCMへと移行した。すると、先ほどまで静かにテレビの話を聞き入っていた樹や凍が口を開いた。

 

「今でてきとった黒神の寵愛って奴ら、見かけたことあんで」

 

「オレは見たことはないが、凛の実家でチラシを見かけたな。珠さんがすぐに追い払ったらしいが」

 

 話題はやはり、先ほどテレビにも出てきたガストレア信仰の宗教団体の話だった。すると、窓際でタバコをふかしていた零子が「二人とも来てみろ」と呼んだ。

 

 彼女に呼ばれ何事かと二人は零子と同じように窓の外を見やる。子供達もそれに釣られて外を覗いた。

 

「どうやらテレビで言っている以上に熱心に活動しているらしいな。黒神の寵愛とやらは」

 

 彼女の言葉のとおり、窓の外の車道には所謂選挙カーのような形をした黒塗りの車が怪しげな謳い文句を叫びながら走っていた。

 

 屋根の上に設けられたデッキの四方には、『黒神様は神』『世界の救済者黒神様』などなど、ガストレアを崇拝しているような文字が赤い文字で描かれていた。

 

「街宣車まで所有しているとは恐れ入る。相当な信者がいなければできないぞあんなこと」

 

「街中でものぼり立てて宣伝しとったなぁ」

 

「加えてこんなチラシまで配っているとは、段々とひとごとのレベルを超えてきているな」

 

 凍は胸の谷間から珠から貰ってきたチラシを零子のデスクの上に置いた。その際樹が「不○子ちゃんかいな……」と呆れていた。

 

「ガストレア信仰か……。まぁこういう混沌とした時代だからこそ現れる問題だな。さっきも専門家殿が得意げに話していたが、実際この手の宗教は本当にあったんだ」

 

「そうなんですか?」

 

 夏世が首を傾げたので、零子は頷くと「いい機会だ」と事務所の暗幕のスイッチを押す。すると、窓際の暗幕が引かれ、天井からはそこそこの大きさのスクリーンが垂れてきた。

 

 天井に併設されているプロジェクターの電源を入れると、零子はパソコンに保存してあるデータを呼び出してスクリーンにを見ながら説明を開始した。

 

「遡ること十数年前、アメリカでとあるガストレアを神とあがめる新興宗教が誕生した。その団体の名前は『ブラックゲート』。最盛期の信者数は全世界を含めるとなんと五十万人を超えた超巨大宗教団体だ」

 

「五十万って、どんだけやねん」

 

「まぁ本気でのめり込んでいた連中は五十万人よりは少ないだろうが、当時あったネットの会員ページではそれぐらいをたたき出していたらしい。本拠地は、アメリカのとある地方都市。当時はまだガストレアの認知が甘く、世界もまさか人類がまけるなんて思っていなかった。しかし、戦況は段々と混迷しはじめ、世界の終わりだなんだと叫ぶ連中とともにこのような宗教が発足した」

 

 ページを切り替えながら零子が説明すると、子供達は興味津々と言った様子で聞き入り、凍と樹は斜に構えながら聞いていた。

 

「やがてガストレアがその地方都市に現れるようになり、『ブラックゲート』は都市内で急速に成長を始めた。それこそ市議会以上の発言権を得るまでにね」

 

「どうしてですか?」

 

「彼らは聖書にある言葉を巧みに解釈して民衆を煽ったんだよ。世界で一番信仰されているのはキリスト教だ。その数凡そ二十億人、その都市でも圧倒的にキリスト教の信者が多かったんだろう。そのため、人々はブラックゲートのことをやがて信じるようになり、盲信に近い状態になってしまった。そして、ついに悲劇が起こった……」

 

 零子は大きく息をついた後、「少々子供達には刺激が強すぎるが見てもらうよ」と言いつつ、動画ファイルを再生した。

 

 動画ファイルは家庭用のビデオカメラで撮影されたものらしく、画質はそこまでよくはなかった。しかし、何が写っているのかだけは理解できる。

 

 カメラの前には多くの人が半円を描くように展開しており、その人垣の前に一人の中年男性が一体の赤い瞳を持つ黒い獣と対峙していた。

 

「あれは、まさかガストレア……?」

 

「そう。大きさからいってステージはまだⅠ。やりようによっては何とか撃破できるはずだった。しかし、この街は既に手遅れだった。さて、始まるぞ」

 

 零子が声音を低くした瞬間だった、今まで動かなかったガストレアが突如として行動を開始し、中年男性の首元に噛み付いた。

 

 普通であればここで悲鳴が起きるはずだ。しかし、起きたのは悲鳴ではなく、歓声だった。余りにも異常と思える光景に子供達は困惑の表情を浮かべ、凍と樹は険しさを増した表情を浮かべる。焔は天井を仰いでいる。

 

「彼らはガストレアに捕食され、死ぬことが新たなる世界への転生を意味すると信じていた。ゆえに、ここで起きたのも教祖であるあの男が新たなる世界へ旅立ったことを信じているんだろうさ」

 

 淡々とした零子の声が響くなか、映像の中では、我先にガストレアに捕食してもらおうと数名の信者達が駆け出した。それを見ていた翠と桜が「あっ」と小さい声を漏らしたが、既に遅かった。

 

 ガストレアに体液を注入されたものは、遺骸からでもガストレアとなる。そして異形のバケモノとなり、その数をねずみ算式に増やしていく。

 

 そこからはまさに瞬く間の出来事だった。次々に信者達がガストレアに喰われ、そして形を変えて再びガストレアとして生まれ変わり、別の信者へと襲い掛かる。

 

 さすがに異常さを感じたのか、信者達はガストレアに向かうのではなく、我先にと逃げ始めた。だが、既に手遅れだったのだ。カメラをまわしていた人物も、カメラの電源を切ることもせずに駆け出した。

 

 画面が揺れながらも、阿鼻叫喚の悲鳴があちらこちらから上がっていた。まさに、この世の地獄そのものを表現した世界がそこにはあった。

 

「幸いなことにこのカメラの所有者は車に乗ってアメリカ軍に保護された。そしてこのの動画ファイルをフリーの素材としてアップロードした。ガストレアの危険性と安易に近づいてはいけないという警鐘を込めてね」

 

 零子は暗幕を開き、プロジェクターの電源を落とす。窓からは眩しい陽光がカーテンの隙間から事務所に降り注ぐ。

 

 事務所内には非常に重たい空気が流れている。特に子供達にはショッキングだったようで、困惑や恐怖が入り混じったような表情を浮かべている。

 

「ガストレア信仰とはこういう事態を招くから非常に危険だとされている。こういった動画を見せたとしても、信者達はガストレアに非はなく、寧ろ人間側の態度がダメだったと謎の論理を展開させているのさ」

 

「まさか、さっきの団体。黒神の寵愛もこんなことをしようとしているんでしょうか」

 

 桜は不安そうに零子を見やった。だが、零子は小さく笑みを浮かべると彼女の頭を優しくなでる。

 

「大丈夫さ。今は民警も多いし、東京エリアが滅ぶようなことにはならない。聖天子様も何か対策を講じようとしているはずさ」

 

 事務所の重い空気が少しだけ軽くなった。確かに彼女の言うとおり、今は民警も多く、ガストレアに対抗できる手段は十年前よりも増えている。それに、関東会戦を生き残った東京エリアであれば、何が起きても乗り切ることが出来るはずだ。

 

 安堵を浮かべた子供達であるが、その安堵すら許さないというように零子のデスクに置かれている電話が鳴った。

 

 ヒールを鳴らしながら電話に歩み寄った零子は、受話器を取り、応対用の声音で答えた。

 

「はい、黒崎民間警備会社ですが。……はい、はい。えぇ、私が黒崎です。はい……それは、ご依頼ということでよろしいでしょうか? ……はい、わかりました。細かい事情は後ほどこちら来て説明していただけるということでよろしいでしょうか。 はい、わかりました。では、明日お待ちしております」

 

 終始落ち着き払った状態で応対を終え、受話器を下ろす。大きく息をついたあと、社員達を見据えて告げる。

 

「公安警察だった。例の新興宗教団体『黒神の寵愛』の調査、及び解体を依頼したいそうだ」




改めてお久しぶりです。
二年ぶりですかね? 就職やらいろんなことがあって全然活動が出来ませんでした。
きっと読者の方々も離れてしまわれましたよね。本当に申し訳ありません。

さて、言い訳をこの辺りにして、行き成り番外編を始めてみました。
カルト教団との闘いを描いていきたいと思います。
活躍するのは既におわかりかもしれませんが、あの四人です。

なるべく早い更新をしていきたいと思いますので、また見守っていただけると幸いです。
では、感想などありましたらよろしくお願いいたします。


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番外編 第二話

 公安警察から連絡があった翌日の昼頃、黒崎民間警備会社には一目でブランド物だとわかるスーツをかっちり着込んだ壮年の男性と、まだ若さが見え隠れしている短髪の青年が来客用のソファに腰掛けている。

 

 この二人が昨日調査依頼をしてきた公安警察から派遣されてきた人物である。

 

 少々痩せ気味ながらも、眼光鋭く端から見てもただの一般人とは思えない風格の壮年の男性の方が、警視庁公安部総務課第五公安捜査10係主任、稲美秀利(いなみひでとし)

 

 稲美よりも筋肉質で、体育会系の風格を持つ短髪の青年の方は、同じく10係所属の巡査部長、樫井晃(かしいあきら)である。

 

 彼らの前には先ほど捜査資料を渡された零子が、ファイリングされている資料をペラペラを捲りながら眺めていた。事務所内には彼女が紙を捲る音のみが聞こえ、どこか不気味ともいえる雰囲気が漂っていた。

 

 一切表情を崩さず視線だけを動かす彼女に、稲美は動じず沈黙を貫いているが、樫井の方はどこか苛立っているような表情を浮かべ、指をしきりに動かしている。

 

 すると、資料を見終わったのか、零子がファイルを閉じて捜査資料をガラステーブルに置く。

 

「わかりました。今回のご依頼、お受けいたします」

 

 にこやかに言うと、二人はそれぞれ頭を下げ、稲美が感謝を述べる。

 

「ありがとうございます。黒崎社長」

 

「いえ、こちらこそ公安警察の方と仕事が出来るとは光栄です。それにしても、まさかこんなところに貴方のような主任がおいでになるとは思っても見ませんでした」

 

「公安警察もいまや人手不足でしてね。下のものばかり動かすわけにはいかないんですよ」

 

 口元に薄く笑みを浮かべる稲美であるが、瞳は笑っておらず零子を真っ直ぐに見据えている。明らかに威圧をかけているのは明白である。

 

 たじろいでしまいそうなその威圧感に対し、零子はまったく動じずに「なるほど」と短く答えるとタバコに火をつける。

 

「では改めて確認させてもらいます。今回の依頼の期間は新興宗教団体『黒神の寵愛』の調査、及び解体が完了するまで。調査に関しては私たち黒崎民間警備会社の社員が行い、解体の際はそちらの特殊機動隊とともに行うということで相違ありませんね?」

 

「ええ。そちらの調査に関しては我々は一切関与いたしません。どのような方法を取っていただいても構いませんとも。けれど、今仰ったように踏み込む際には、我々と行動を共にしていただきたい。また、調査の報告も定期的に頼みたいですな」

 

「承知しました。では、今回の依頼を担当するわが社の社員を紹介しておきます」

 

 言いながら視線を担当する二組に送ると、彼らがそれぞれ席を立ってソファの後ろに立った。

 

「担当する社員はこの二組となります。あなた方から見て右が、IP序列1010位の大神樹と紅露火垂」

 

 紹介された樹は「ども」と軽く会釈をし、火垂の方は特に挨拶もせずにツンとした態度をとっている。

 

「次にこちらがIP序列163位の露木凍と藤間桜です」

 

 樹と同じように紹介された凍は、「よろしく」と短く答え、桜はペコリとお辞儀をしてみせた。だが、凍の紹介を聞いた樫井が「……女かよ」とやや不満げな声をあげた。

 

 瞬間、ピリッとした空気が張り詰めるような感覚が走る。明らかに嫌悪を丸出しにした樫井の言葉に零子が反応する。

 

「彼女では不満ですか?」

 

「まぁ不満といっちゃ不満ですね。タダでさえあんた等民警の手なんて借りたくもないのに、よりにもよって担当する民警が女と来た。警察を舐めてもらっちゃ困るんですよ、黒崎社長」

 

「黙れ、樫井」

 

「いいや、黙ってられませんね。主任、やっぱり民警の手を借りるのはやめましょう。警視庁の知り合いの推薦だかなんだかしりませんが、こっちのやり方もろくに知らない連中なんて捜査の邪魔になるだけでしょう」

 

 よほど民警に嫌悪感を抱いているのだろう。彼はついに立ち上がって苛立たしげな表情を隠しもしなくなった。だが、実際は彼のような反応が多くの警察官の反応である。

 

 民警が発足されて以降、警察官はガストレア関連の事件、事故に口を出すことが出来なくなった。彼らができるのは、ガストレアが確認された区画の避難誘導や民警が戦った後の事後処理程度となる。

 

 ゆえに彼らは民警に手柄を横取りされる形になっている。なので、警察の民警に対する風当たりは非常に強い。金本のような民警に好意的な警察官は非常に稀有な存在なのだ。

 

「彼らは対ガストレアのスペシャリストだ。黒神の寵愛にガストレアの影がある以上、我々だけの捜査では危険が大きい」

 

「しかし……ッ!!」

 

 諭されてもなお食い下がろうとする樫井であるが、稲美が向けた鋭い眼光にはさすがに怯んだようで、悔しげに拳を硬く握り締めたかと思うと軽い舌打ちの後に稲美に頭をさげた。

 

「すみません、稲美主任。頭を冷やしてくるので先に車で待ってます」

 

 稲美が頷くと彼はすぐに頭をあげて、零子達には一礼もせずに事務所から出て行った。ただ最後、扉が閉まる直前、はっきりとこちらを睨んではいたが。

 

 事務所内に沈黙が流れるが、稲美がスッと立ち上がりふかぶかと頭を下げた。

 

「大変申し訳ない、黒崎社長。部下の暴言を許して欲しい」

 

「頭をあげてください。いいんですよ、我々も警察の方々によく思われていないのは重々承知しておりますので」

 

「そう言っていただけると助かります」

 

 やや険しい表情のままだが、稲美はソファに腰を下ろす。

 

「しかし、彼は他の警察官よりもさらに我々民警のことを嫌っているようにもみえましたが、なにかあったんですか?」

 

 問いに一瞬だけ彼が悩んだような表情を浮かべたが、小さく息をついた後に彼は「いいでしょう」と問いに答える。

 

「樫井の保身というわけではありませんが、一応あなた方にも知ってもらっていた方がいい。彼はかつてガストレアによって同僚を食い殺されているのです。その際、駆けつけた民警があまり性格のよくない輩だったのでしょう。酷い言葉を浴びせられたようです。同僚の死を馬鹿にされ、踏みにじられたことに憤りを感じた彼は、民警のことを嫌悪するようになったと聞きます」

 

「そういうことでしたか。まぁ確かに民警も様々な連中がいますからね。彼は最初にあった民警がわるかったということでしょう」

 

「こちらに赴く際、感情的な言動は控えるようにと念を押しておいたのですが、お恥ずかしい限りです」

 

 依然として険しい表情を浮かべる稲美であるが、彼にたいして今まで沈黙していた凍が声をかけた。

 

「アンタはどうなんだ? オレたちのような民警が邪魔なんじゃないのか?」

 

 あまりにもストレートな質問に、隣に立っていた樹が「今それ聞くんかい!?」と言いたげな表情を浮かべた。だが、凍の質問に稲美は被りを振った。

 

「そのような感情が0といえば嘘になります。しかし、あなた方民警も、我々警察もこの東京エリアを守るということに変わりはありません。いつまでも子供のような感情に流されてはいけないでしょう」

 

「そうか、ならいいんだ。変なことを聞いてわるかったな。社長と話を続けてくれ」

 

 満足したのか、彼女は瞳を閉じて腕を組み再び沈黙する。

 

 凍の若干失礼とも取れる質問を軽く流し、零子は「では報酬なども踏まえた話をいたしましょう」と、今後の方針も兼ねた会話を始める。

 

 

 

 

 約二時間近くの打ち合わせが終わり、公安警察の二人が帰った事務所では、「あー、疲れた」と愚痴をこぼしながらソファーに横になる零子の姿があった。

 

 夏世が給湯室からやってきてガラステーブルの上に冷たいお茶を置いた後、零子の上に跨ると労うようにマッサージを始めた。

 

 すると、先ほどまでの威厳のある声はどこかにいってしまい、代わりにやや気の抜けた声が響く。 

 

「あ~……そこそこ、うー気持ちいい~。上手くなったな、夏世ちゃん。このままいけばマッサージ師になれるぞー」

 

「お褒めに預かり光栄です。まぁ、話をする姿を見ていてこうなることは予知できました。さすがの零子さんでも公安警察と話すのは疲れるようですね」

 

「普段は金本警部とばかりはなすからなー。いきなり真面目一辺倒なおっさんが来てやりづらかったよ」

 

 大きく息をつきながらリラックスした声をもらす零子であるが、今まで腕を組んで黙っていた凍が「だが」と否定的な意見を述べる。

 

「あの稲美とかいう男、ただの真面目一辺倒な正義漢には見えなかったがな。アンタも気付いていたんじゃないか?」

 

 冷徹な声色の凍は、明らかに稲美に嫌悪感をもっているようだった。沈黙を貫いていたがゆえに不機嫌さが際立っている。

 

 ソファで寝転がって夏世にマッサージをしてもらっていた零子は、顔だけを横に向けて彼女の問いに答える。

 

「まぁ気付いてはいたさ。アレだけ野心丸出しの眼光をしていれば嫌でも気付く。というか、樹くんも気付いてたろう」

 

「そりゃ正面回ってあのおっさんの目ぇ見たら気付くわな。おっさん笑っとった時もあったけど、目だけは終始笑っとらんかったなぁ」

 

「あきらかにこちらを警戒、いやこちらに気を許すつもりはない。といいたげな雰囲気だったな」

 

 そう。彼らのいうとおりであった。打ち合わせの最中に感情を爆発させてしまった樫井と違い、稲美は難しい表情を浮かべていて近寄りがたい雰囲気ではあったが、会話自体はしっかりと成り立っていた。

 

 けれど、稲美は樫井以上に警戒心をむき出しにしてこちらと接していた。彼としては上手く隠しているつもりなのだろうが、事務所の面々にはあっさりとばれていた。あちらも場数は踏んでいるのだろうが、こちらの方が潜ってきた修羅場の数が違う。

 

「にしても意外やったのは凍の姐さんが樫井っちゅうヤツになにも言わんかったことやなぁ」

 

 肩を竦めながら言う樹は、心底意外そうな表情を浮かべていた。凍は彼女のまとう雰囲気や言葉遣いの影響もあり、喧嘩っ早い印象があるのだろう。

 

 そのため、見下したような態度をとった樫井に食って掛かっていくのではないかと、樹は心配していたようだ。

 

「お前はオレを凶犬かなにかと勘違いしていないか?」

 

「せやかてあない言われたらカチンと来ることもあったんやないか?」

 

「その逆だ。寧ろオレはあの樫井の方がまだ好感を持てる。人間としての対応として考えるなら間違っているが、感情をむき出しにして食って掛かるあの姿勢、自分に正直で良い生き方をしていると思うぞ」

 

「ほんならなんでそない不機嫌なんや?」

 

 不思議そうな表情を浮かべる樹に、鬱憤を晴らすかのような大きく深い溜息を着いた凍は、桜が持ってきてくれたお茶を飲み干す。

 

「オレが気に入らないのは、稲美だ。感情をむき出しにしろとは言わないが、あいつの自分の真意を隠そうとする姿が気に入らない。第一、民警に良い感情を持っていない部下をこんなところに連れて来るか? アレは樫井が民警に対して感情を抑制できないことを知っていてわざと連れて来たんだろうよ」

 

「どういうことですか、凍様?」

 

 おぼんに乗せたお茶を樹たちに配っていた桜がコテンと首をかしげる。子供達は皆同じように疑問を浮かべたらしく、夏世と火垂も疑問の表情を浮かべ、口から出掛かっている焔の魂を必死に押し留めている翠も首をかしげていた。

 

「ようは自分の株を上げるために部下を出汁に使ったんだよ。部下はああいうヤツだが自分は民警に嫌悪感は抱いていません。だから評価してくださいって言ってるようなもんだ。それに社長が聞いたからとはいえ、部下のフォローも行い、出来る上司アピールと来た。どうせ警察内部でもあんな風にやってるんだろうさ。ああいうヤツは、大概クズが多い。追い詰められれば部下に責任を押し付けるだろうよ」

 

「じゃあ、凍さんがあそこで質問したのは……」

 

「そうだ、火垂。アイツがどういう人間なのか見極めるためだった。結果は見事にビンゴだったがな」

 

 彼女は肩を竦めると、来客用のソファに仰向けに寝転がる。すると、ちょうど夏世によるマッサージが終わったのか零子が立ち上がって大きく伸びてから肩をまわす。

 

「相手がどうであれ今回の依頼は完遂する。とりあえずは明日から君達は黒神の寵愛の調査に当たってくれ。ガストレアの存在が明確になった時点で機動隊と共に踏み込む。踏み込んだ際は一般教徒に手を出さずに、ガストレアの対処を頼むぞ」

 

 命令に二組は「了解」と答えると、凍は「少しだけ寝る」と告げてソファの上で眼を閉じ、桜は彼女にタオルケットをかけてガラステーブルに残っていたグラスを下げる。

 

 樹も火垂と共にデスクに戻り、二人でパソコンを覗き込みながらなにやら相談を始めた。大方先日決まらなかったという部屋探しでもしているのだろう。

 

 焔はあいも変わらず口から魂が抜けかけているし、翠はそれを必死に繋ぎとめている。

 

 それぞれ非常に自由な過ごし方であるが、彼らの様子を見た零子と夏世は大きく溜息をついている。

 

「君達、一応は勤務中なんだが……いいか、書類整理と言ってもあまりないしな」

 

「こうして見るとやっぱり民警は事務作業に向いてませんね」

 

 

 

 

 

 都内を走る黒塗りのセダンの中では、険しい表情を浮かべた樫井がハンドルを握っている。

 

 現在彼らは黒崎民間警備会社から、本部に戻っている道中である。やがて車は赤信号で止まり、樫井は「あの」と稲美に声をかける。

 

「さっきは本当に、邪魔をしてすみませんでした。ついカッとなって……」

 

「そうだな。確かにアレは褒められたものじゃない。民警に恨みがあるといっても、今回はあくまでも協力関係にある。今後行き過ぎた行動は控えるように」

 

「はい……」

 

 静かな叱責に樫井は少しの間俯く。けれど、その様子を見た稲美は小さく笑みを浮かべる。

 

「けれど、お前の気持ちもわからなくはない。いくら協力関係とはいえ、私も民警の力を借りたくはない」

 

「主任も?」

 

「私だけではない。今回の捜査に関しては、殆どの警察関係者が反感をもっている。しかし、ガストレアの影がある以上、我々だけの捜査では捜査員に命の危険が及ぶことも考えられる。だからこその異例の協力体制だ。本当は誰だって民警如き部外者に大きな顔をされたくはないだろう」

 

 信号が変わり、樫井は再び車を走らせる。彼の表情は先ほどまでと比べると幾分か明るくなり、口元も少し口角が上がっているようにも見える。

 

「嬉しげだな」

 

「すみません、主任も民警の嫌ってるんだなって思ったらつい」

 

「民警のことが好きな警察官など本当に一握りだろうよ。お前も今回のことは割り切って行動しろ。民警はあくまでも道具だ。実権は我々が握っていることを消して忘れるな。今回奴らに捜査権を渡したのは仮にあそこの民警が殺されようと、私たちには関係のない話だ。全てあちらが勝手に捜査して死んだということにできるからな」

 

「なるほど。ようは捨て駒に出来るってことですね」

 

「そういうことだ。民警の一人や二人死んだところで誰も気にも留めん」

 

 ニヤリと笑う稲美に、樫井も自分が間違っていなかったと思ったのか同じように笑みを浮かべた。

 

 けれど、歳若い彼はわかっていなかった。稲美の笑みが自分と同じものではない、邪まで下卑た感情を秘めているということを。

 

 

 

 

 

 就業時間も終わり、露木姉妹は相棒達と共に先日見つけた賃貸マンションに戻ってきていた。部屋の数は凛のマンションよりもいくつか多い。まぁ住む数が違うので当然だが。

 

 キッチンでは事務所では魂が抜けかけていた焔が、桜と翠の二人も交えて夕食の準備をしている。どうやら焔は事務所に行くと愛しい凛がいないという現実を突きつけられ、魂が抜けてしまうらしい。

 

 杏夏がいればまだ多少は張り合い甲斐があるのだろうが、彼女は凛と行動を共にしているため、張り合う相手もおらず、事務所に残っている面々はツッコミには縁遠いメンツであるため、ツッコミすらされずに放置されているというわけだ。

 

「ところでさ、凍姉」

 

 包丁で野菜を切っていた焔が不意に声をかけてきた。ぼーっとテレビを眺めていた彼女はなんとも「んー?」とやる気のなさげな対応をする。

 

「今回の依頼って隠密術使うわけ? 宗教団体が相手なら結構ヌルそうだけど」

 

「どうだろうな。明日からは数日間「黒神の寵愛」の拠点の張り込みと決めているから少なくともその間は侵入はしない。隠密術の使いどころもないな」

 

 テレビから視線を外し、テーブルの上に置いた資料を眺める。樹と話し合い、とりあえず始めるべきところは、黒神の寵愛の拠点となっている建物の監視と、警備の確認である。

 

「けど張り込みって言ったって向こうはズブの素人でしょー? そんな連中に張り込みまでする必要性ってあるわけ?」

 

「まだ資料をみていないのか? あぁそういえば魂が抜けてたな……」

 

 溜息を着きながら妹を見やると、はてと疑問符を頭に浮かべている。いくら魂が抜けかかっていたと言っても露木の忍、話くらいは聞いているものだと思ったのだが。

 

 すると、そんな焔に呆れたように翠が説明を始めた。

 

「黒神の寵愛には有名大学のOBやOGに加え、現職の弁護士や医師に看護師もいるそうです。そして中には元警察関係者、元自衛官、さらには民警くずれなども含まれているため、彼らが主体となって拠点の周囲を常に警戒していると昼間来た刑事さん達が話していましたよ」

 

「え、マジで? そんなこと言ってたっけ?」

 

「焔さんは上の空でしたからね……。というかいくら凛さんがいないからと言っても気が抜けすぎですよ! 明日からはもっとシャンとしてくださいね。凍さんや樹さんがいない今、黒崎民間警備会社で出動できるのは私たちと零子さん達だけなんですから」

 

 少しだけ怒った様子の翠はほっぺをプクッと膨らませている。彼女の珍しい様子に焔もヤバイと思ったのか「ごめんごめん~」と額に汗を滲ませて謝っている。それを近くで見ていた桜は口元に指を当てて笑い、凍もやれやれと呆れた表情を浮かべる。

 

 キッチンから視線を戻し、凍は再び資料を見やる。この資料は警察から渡された捜査資料とは別のものである。いくら協力関係を結ぶとは言っても、捜査資料を安易に渡すことはできないのだろう。

 

 ここにあるのは、黒神の寵愛に関する最低限の情報が載ったものだ。確認されている黒神の寵愛の拠点に推定される信者の数。また、幹部連中の素性も調べてあるようで、数人分のプロフィールがあった。

 

 とは言っても最後の幹部連中のプロフィール意外は、黒神の寵愛が運営しているネットのホームページを確認すればすぐにわかることだ。つまり、これは公安の嫌がらせにも近い挑戦状のようなものだ。

 

 ……まぁ最初から期待などするわけもないが。

 

 資料を適当に放った凍は、おもむろに立ち上がると自分の部屋に行き、クローゼットを開ける。

 

 クローゼットの中には凡そ40cmほどの長さの桐の木箱があった。それを持って凍が再びリビングへと戻ると、焔が「おっ」と声を上げた。

 

「それ持っていくんだ。って、ガストレアがいるかもしれないんだから当たり前か」

 

「ああ。実際使うのは突入時だがな。念には念を入れて持っていくだけさ」

 

 言いながら木箱を開けると、中には左右でそれぞれ大きさの違う黒い籠手があった。黒でありながら綺麗に磨かれた金属の籠手は、妖しく輝いている。

 

 この籠手こそ凍が愛用している武器だ。先祖が使っていた籠手を対ガストレア戦用のため、大阪エリアの職人にバラニウムと混合させて鍛えたものだ。

 

 長さは凍の指先から肘までを覆い、内側は柔軟に動かせるように一部を除いて、柔軟なレザーを使用し、手の甲などの腕の外側に当たる部分をバラニウム合金が覆っている。

 

 左右で大きさの違う理由はそれぞれが別の役割を果たすからだ。左の籠手は合金の面積が広く厚い。これは左の籠手が防御専用であることを現している。また、左はガストレアに噛み付かれても牙や爪が届かないように内側にまで合金で覆われている。

 

 右の籠手は左と比べるとやや小さいが、その代わりに非常に鋭角的な意匠が施されており、ガストレアの肉を引き裂き、骨を砕ける仕様になっている。また、こちらは防御よりも攻撃に特化しているためか、軽さを重視しているようで、内側は殆どがレザーで構成されている。

 

「それも結構使ってるよねー。新しくしたりしないわけ?」

 

「壊れたら新しくするさ。凛にもいわれたよ、司馬重工に頼んで新しくしたらどうだってな」

 

「ふぅん。私もなにか作ってもらおうかな」

 

 呟く焔を横目に凍は籠手を腕に装備し、動きを制限しないか確認する。違和感がないことを確認すると、軽く拳を放ってみる。

 

 同時に近くにおいてあったラックのガラスがカタカタと揺れる。

 

「待った待ったッ!! 凍姉、部屋めちゃくちゃにする気!?」

 

 焦りながら焔が凍の腕を止めた。凍も「あっ」と声を漏らすと若干バツが悪そうに苦笑する。

 

「いや、すまんすまん。コイツを装備するとついテンションが上がってな。拳を放たずにはいられなくなった」

 

「だったら屋上にでも行ってやってきてよ。下手に力入れたら部屋が台風の後みたいになっちゃうでしょ」

 

「悪かったよ。それじゃあ、まだ夕飯は出来ないみたいだから屋上でトレーニングしてくる。出来たら呼んでくれ」

 

 籠手を外した彼女はそれを肩に乗せて部屋から出て行った。それを見送った翠は、隣で食材を切っていた桜に声をかける。

 

「桜さん。凍さんが部屋をめちゃくちゃにするってどういうことなんですか?」

 

「あぁ、翠さんは凍様の力を見たことがありませんでしたね。凍様はあの籠手を見てもわかる様に、拳を使った戦闘をします。あの人が放つ拳は、通常の人よりも強いため、拳を打った時の空気の余波でガラスが割れたりするんですよ」

 

「なるほど、そういうことなんですね」

 

「あまりおどろかないんですね」

 

 桜はあまり驚いていないことに気付いたようで首をかしげている。それに頭を振った翠は「そうでもないです」と続ける。

 

「驚いてはいますよ。けど、私の前のプロモーターの人も生身でガストレアを倒せる人だったので」

 

「そうだったんですね。その人も相当な使い手だったのでしょうね」

 

「はい、強かったです。強くて、優しい人でした……」

 

 少しだけ物悲しげな翠の様子に、桜がフォローを入れようとするが、彼女の代わりに焔が翠の頭を優しくなでる。

 

 それだけで翠の顔が明るくなったのを見ると、桜も安堵したように胸を撫で下ろした。

 

 

 

 

 

 いまだ新居が決まらない大神樹と、紅露火垂は今日も今日とて黒崎民間警備会社の宿泊室でくつろいでいた。

 

「ところで樹。アンタ明日からあの馬鹿でかい武器持って行くの?」

 

 スマホにインストールされているゲームを遊びながら視線だけを部屋の壁に向ける。

 

 そこには薄汚れた布とベルトで包まれた樹の武器、「フェンリル」があった。正式名称は『バラニウム式機動大盾抉杭フェンリル』であるらしい。

 

「うんにゃ、凍の姐さんと打ち合わせして調査の間は軽い携行武器だけ持っていくことになった。これとかやな」

 

 言いながら腰のホルスターにおさまっていたバラニウム製のナイフと、サブウェポンである、スミス&ウェッソン M&Pをちゃぶ台の上に置く。

 

 それを見た火垂は「ふぅん」と少しだけ残念そうなに顔をゆがめた。

 

「なんや、えらく不満そうやな」

 

「不満と言うわけではないんだけど。できればアレを使って戦うところを見たくて」

 

「何回か見とるやろ。今更なんか確認する必要あんのかいな」

 

「確かに何回かは見てるけど、まだ連携が取りづらいのよ。どうせまだ全部の仕組み見せてないんでしょ」

 

 火垂の鋭い眼光と鋭い洞察力に樹は「ギクッ」と体を震わせた。確かに彼女の言うとおり、まだ見せていないフェンリルの機構はいくつか存在している。

 

 後々見せていけば良いと考えていたのだが、まさか既に見透かされているとは。

 

「まったく鋭い子やなぁ」

 

「誰でも気付くでしょこんなこと。アレだけ大きいくせに武器としての機能が先端のバラニウム製の杭だけってありえないわ」

 

「そらそっか。まぁせやなー、じゃあ突入ん時に使うことがあったら見せてない機能見せたるわ」

 

「そうしてくれると助かるわ。アレだけ大きい武器を近くで振り回されて、頭に当たりでもしたら死ぬもの」

 

 僅かに棘のある言い方であるが、声音はこちらを信頼してくれているようだった。樹もそれに笑みを浮かべると、火垂に拳を向けた。

 

「なによ」

 

「グータッチや、特殊な依頼やけど頑張って行こうや」

 

「そうね。よろしく、相棒」

 

 ニッと笑った火垂は、樹と拳をあわせて互いの奮闘を願った。

 

 

 

 

 

 翌日、ついに黒崎民間警備会社による新興宗教『黒神の寵愛』の調査が始まった。




はい、お疲れ様です。

二年放置と比べれば多少は早く更新できましたかね。
文章は、ちょっと荒かったかもしれませんね、申し訳ない。
これから上手く書けるように勘を取り戻していきます。

今回は調査までの準備回って感じです。本格的な調査は次回からとなります。
実際ブラブレの本来の警察の民警に対する風当たりってこんなもんだと思うんですよね。
零子さん達の周りがある意味異常なだけで。多田島さんもここまでではないですけど、民警嫌いでしょうし。それが特化しちゃうと樫井くんみたいになるんじゃないかと。
稲美さんは多分悪い人です。世渡り上手かもしれませんが。悪い人です。

凍姉さんはガントレット使います。ガストレアに対してこう、ズドンと重い一撃を拳で叩き込む感じで……。
では、次回もなるべく早めに更新できるように頑張りたいと思います。


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番外編 第三話

はい、また遅れました。


 宗教組織、『黒神の寵愛』の総本山は東京エリアの中心部から離れた廃墟が点在する場所にあり、外周区の方がほど近い。

 

 実際のところこれは当然といえるだろう。最近になって急に勢力を拡大してきた組織とはいえ、ガストレア信仰は一般の人々からすれば狂った宗教であることに変わりはない。

 

 中心部に総本山を置いていればそれこそ非難、侮蔑の対象となり、世論的にもすぐさま潰される。

 

 だからこそ彼らはここを選んだのだろう。中心部から離れることで人々の視線を多くは集めず、行動を起す時にのみこの場を離れて街中で新たな信者を募る。使われなくなった廃墟も多いこの辺りであれば潜伏するのにもうってつけだ。

 

 そうやって世間の目から逃れながら彼らは巨大な宗教組織へと成り上がり、世間に自分達の存在を知らしめる時をうかがっていたのだろう。そしてそれは起きた。第三次関東会戦だ。

 

 あの戦争により、自衛隊、民警は甚大なダメージを受け、東京エリアの人間達は自分達が偽りの安寧の中にいることを思い出した。

 

 人々の心が不安定になったこのタイミングに乗じ、『黒神の寵愛』は活動を活発化させ、信者の数を急激に増やしたのだ。これを狙ってやったのだとすれば教祖は中々の策士といえる。

 

「まぁやっていることはあまり褒められたものではないが……」

 

 呟いたのは『黒神の寵愛』総本山から、距離にして約800メートルほど離れた廃ビルの屋上で伏せながら双眼鏡をのぞく凍だ。

 

 ちなみにこの双眼鏡は司馬重工が製造した最新モデルだそうで、現在凍が見ている視界には、気温、湿度、風速などは勿論、夜間には暗視ゴーグルと同じ役割をはたすそうな。

 

 それゆえに非常にお高いものだそうで、事務所を出る時「絶対に壊すな」と零子に念を押された。

 

 天童民間警備会社のように会社経営が難航しているわけではないが、零子もなるべく出費は抑えたいのだろう。凛が冥光を持ち出して来る前は出撃の度に新品の刀が粗大ゴミとなって帰って来たため、溜息がたえなかったらしい。

 

 とはいえ、今回の依頼の形式上、滞りなく進めばこれが破壊されることは殆どないだろう。

 

「滞りなく終われば、だが」

 

 一度双眼鏡から眼を離し、肉眼で視線の先に見える『黒神の寵愛』総本山を見やる。

 

 四方を二メートルをやや超えているであろう塀に囲まれたそこは、以前は理学系の研究施設であったらしい。だが、外周区に近くなってしまったこともあるのだろう。現在は建物だけを残し、よりエリアの中心部へと拠点を移したらしい。

 

 無論、中で使っていたらしい薬品やら備品やらの類は全て新たな拠点に移動、ないしは廃棄処理し、中にはもう殆どなにも残ってはいない。

 

 けれど、後に残った建物は中々に巨大だ。四角く囲われた塀の中心には地上四階、地下二階の主な研究施設。その周囲には、なにかの薬品などの保管庫と見られる建物に加え、かつての研究員達が使っていたであろう食堂なども見られる。

 

 そして現在、そこは黒神の寵愛の信徒達の集う場となっている。先ほど覗いた時も敷地内には黒い装束を纏った信徒達が見えた。

 

 口元に指を当てて総本山を睨みつけるようにして監視する凍であるが、背後で鉄製の扉が開く音が聞こえた。

 

「おいっすー、昼飯買うてきたでー」

 

 おちゃらけた様子でやってきたのは樹だ。彼の傍らには相棒の火垂と、凍の相棒である桜がいる。

 

「ああ、ご苦労。では昼食にするか」

 

 施設から視線を外し、三人と共に屋上に設置した簡易テントの下に入る。本格的な夏は過ぎたとはいえ、まだまだ日中は残暑が厳しい。ビルの屋上では日陰も殆どないため、熱中症予防ということでこれも事務所から持ってきたものだ。

 

 テントに入ると、桜が紙コップを用意しお茶を注いでいく。樹から渡されたコンビニ弁当を受け取りつつ、桜の横に腰掛ける。

 

「どうぞ、凍様」

 

「ああ、ありがとう。ところで三人とも街中はどうだった?」

 

 どうというのは、黒神の寵愛の行動についてだ。三人にはそれぞれ黒神の寵愛がホームページ上で行うと言っていた街頭演説の現場に行ってもらい、その様子を見てきてもらったのだ。

 

「やっとることは前見た時とそんな変わった様子はなかったで」

 

「右に同じく。連中が呼びかけているのは『ガストレアが神様』で『世界新たに生まれ変わる時を迎えようとしている』ってことばかり」

 

 火垂は辟易した様子で両肩を竦め、桜が彼女に続いて答える。

 

「どの演説も殆どの人は足を止めずに聞き流している状態でした。ただ、何人かは彼らの演説に足を止める人も見られました」

 

「それもおったな。せやけど肝心なのは、演説が終わった後や。演説中は近寄りもせぇへんかった連中が、終わった途端チラホラ近寄ってくのが見えたわ」

 

「一種の怖いもの見たさってのもあるんでしょうけど、中には熱心に話しを聞いてる人もいたわ。というか、あの連中の演説って言ってることは間違ってるんだけど、なんか耳に残るのよね」

 

 サンドウィッチを食べる火垂は、不快そうな表情を浮かべながらポケットからスマホを取り出し、気を紛らわすためにアプリゲームを開いている。

 

「耳に残る、か。桜、お前はどう感じた?」

 

 火垂の様子からこれ以上彼女に黒神の寵愛がらみのことを聞くのは、気分を不快にさせるだろうと考えた凍は、桜に問いを投げかける。

 

「火垂さんの仰ることとほとんど一緒です。言っていることは正しくはないのに、なぜか耳に残って興味を惹かれる。そんな感じがしました」

 

「ふむ……。ようは連中の演説にはカリスマ性があるということか。演説文を教祖が考えているとすれば、やはりそれなりに心理学を学んでいるということか。その他になにか気になった点は?」

 

「あー、気になったことって言えば、アレやな。話し方に結構抑揚つけてしゃべっとった。導入部分は大人しい感じやったけど、後半の特にしめに差し掛かるあたりはとにかく力強く演説してる感じやったな」

 

「なるほど。信徒や幹部の中には有名大学のOBやらOGもいる話だったが、これは政治家も絡んでいる可能性も出てきたか。演説教育も行き届いているとは、一筋縄で行かないな」

 

 溜息を漏らしながら視線の先にある総本山を見やった凍は、コンビニ弁当を手早く片付け、その場にゴロンと寝転がる。すると、樹が思い出したように「せや」と声を漏らす。

 

「姐さんはなんか収穫あったんか?」

 

「ああ。これで見てみればわかる」

 

 傍らに置いておいた双眼鏡を樹に渡し、「端まで行って見てみろ」と短く告げる。

 

 表情に疑問を浮かべながらも、樹は双眼鏡を片手に屋上の端まで足を運ぶ。

 

「倍率を上げて施設の正門前と屋上、あとは敷地内をくまなく見てみろ」

 

 寝転がった状態で指示を出され、彼女の言うとおりに総本山を見やる樹であるが、しばらくすると「おいおいマジか……」と、若干驚愕交じりの声を上げた。

 

 それにつられ、ゲームをしていた火垂と桜も双眼鏡を覗き、二人も樹と同じように驚愕交じりのリアクションをとった。

 

 凍も体のバネだけで飛び起きると、三人の下へ向かう。

 

「見えたか?」

 

「ああ。そらもうバッチリと……。せやけどどうなっとるんやアレ」

 

 樹が驚くのも無理はない。凍は桜から双眼鏡を受け取り、再び施設を見やる。

 

 施設には相変わらず黒装束の集団がチラホラを見えているが、凍が見ているのは施設の正門前だ。

 

 主に外部からやってくる信徒を迎える正門であるが、そこは決して穏やかな空気が流れているとはいえない。

 

 工事現場で見るようなガードフェンスが道にせり出す様に配置され、どこから拾ってきたのか、鉄骨で来たバリケードには有刺鉄線がこれでもかと巻かれている。

 

 だがそれ以上に物々しさを現しているのは、正門前で警備を担当しているであろう信徒が持っている物だ。

 

 彼らの手にあったのは、アサルトライフルと称される銃だ。銃には疎い凍であるが、あれがそういった名称の銃だということはわかる。

 

 そして彼らから視線を外し、施設の屋上を見やると、屋上には四方を警戒するように立つ四人の信徒達が見えた。彼らの手にもまた光を鈍く反射させている銃、スナイパーライフルがあった。

 

 敷地内に視線を戻してもそれは同様で、アサルトライフルからショットガン、スナイパーライフルなど一通りの武装が揃っている。

 

「どうして、ただの宗教団体があんなモノを……」

 

 口元を押さえた火垂が僅かに後ずさる。確かに彼女の反応も無理はない。連中が持つ武器は、明らかに民間の宗教団体が持っていい戦力を超えてしまっている。

 

「どっかで拾ってきたってことはあらへんよなぁ」

 

「仮にそうだったとしても装備が整いすぎている。というかアサルトライフルにスナイパーライフル、ショットガンなど道端に転がっているものでもあるまい。大阪エリアじゃあるまいし」

 

「そらそうやな。けどそうすると、連中が持っとる銃はどっから仕入れたんやろな」

 

「考えられるとすれば闇ルートだな。連中の中には元警察関係者、民警崩れもいると聞く。正規ルート以外を知っていてもおかしくはない。もしくは関東会戦の終了の折、戦場転がっていた武器を拾ってきたか……」

 

 一応選択肢を出してみるものの、後者は限り無く低いだろう。零子や凛に聞いた話では、関東会戦直後の戦場跡はすぐさま封鎖され、モノリス建造のための作業員しか立ち入ることができなかったらしい。

 

 それに、関東会戦で武器が転がっていたとしても、殆どは壊れているはずだ。双眼鏡で見た限り、彼らが持っている武器は新品とは行かないまでもそれなりの新しさは保っているものだった。

 

 これらのことから彼らが持っている銃は闇ルートから仕入れた可能性が濃厚だ。

 

「しっかし結構厳重に警備されとるなぁ。ガストレアがおるかおらへんかを確認してから突入する言うてたけど、これやと難儀しそうなんやけど」

 

「まぁな。潜入して調査できなくはないが、面倒であることに変わりはない。人が多いのはそれだけで姿を見られる可能性が高くなるからな」

 

「そんなら警備ぶっ飛ばしてから潜入するとか?」

 

「馬鹿を言え。連絡が取れなくなった仲間が見に来て気絶してる連中を見たら警戒レベルが跳ね上がるだろうが。やるなら誰にも存在を感知されず、速やかにやるべきだ」

 

 潜入を楽観的に考えている樹に、凍はギロリと鋭い眼光を向ける。睨まれた樹は若干表情を引き攣らせ、冷や汗をかく。

 

 そんな相棒の若干不甲斐無い様子に静かに聴いていた火垂が「馬鹿……」と呆れたように被りを振る。

 

「ではどうしますか、凍様?」

 

「とにかく今日は連中の警備シフトを監視しよう。闇ルートの洗い出しは後日だ。いいな?」

 

 凍の指示に、三人はそれぞれ了承する。

 

 そしてやや遅めの昼食を片付けた後、凍と桜は引き続き屋上での監視。夕暮れ時に樹と火垂は総本山周辺を周り、警備が手薄な箇所の洗い出しに向かった。

 

 

 

 

 

「で、なにこれ」

 

 非常に不機嫌かつ不満げな色を孕んだ声を上げたのは、苛立たしげな表情というよりも、もはや無表情一歩手前の表情をしている火垂だ。

 

 彼女の隣には「なんのこっちゃ」と言いたげな樹が首をかしげてなにやら準備をしていた。

 

「ちょっと、聞いてんの?」

 

「聞いとるわ。なんか不満そうやけどなんやねん」

 

「これよ!!」

 

 額とこめかみ近くに青筋を立てるほどの声を上げた火垂を見ると、彼女の背中には赤いランドセルがあった。年齢的に見ても実にマッチしている。

 

「別に変なことないで。ちゅうかお前も普通なら小学生なんやからランドセルくらいしばぁッ!!??」

 

 言いかけたところで件のランドセルが樹の顔面、細かく言うならば左頬とこばなの辺りを襲った。

 

 余りの速度でぶつけられたそれは、中になにも入っていないとはいえ、一種の質量兵器と化し、樹は空中に投げ出された後二回ほど回転してアスファルトに落下した。

 

 が、瞬時に彼は立ち上がり、鼻血を垂らしたまま火垂に詰め寄る。

 

「にゃにしゅんねん!?」

 

「アンタが私の話を聞いてないからでしょうが!! 私はなんで警備状況を確認するのにランドセルが必要なのかって聞いてんのよ!」

 

「ド阿呆!! これはワイの考えた立派なカモフラージュでなぁ! 少し歳の離れた兄妹作戦じゃ!!」

 

「アホはアンタでしょうが! 大体平日のこんな時間にランドセル背負ってこんなところ歩く小学生なんて怪しさ半端ないでしょうが。あと、私とアンタが兄妹って無理があるわ!」

 

「いわれてみれば確かに……!」

 

 興奮して一気に捲くし立てられ、樹は驚愕する。それを見た火垂は、体の奥底から出るような大きな溜息を漏らした。

 

「部屋探しの時から感じてたけど、樹。アンタってホント馬鹿よね……」

 

「じ、じゃかあしい!!」

 

 悔しさ交じりとも恥ずかしさ交じりとも取れる声を上げた樹は、何度か肩で息をした後、頭をガリガリと掻いてから「ホレ!」と乱雑に何かを放った。

 

「なにこれ、眼鏡?」

 

 火垂の手におさまったのは黒縁のどこにでもありそうな眼鏡だった。

 

「ただの眼鏡やない。所謂小型カメラ搭載の眼鏡や。ここんところ見てみぃ」

 

 トントンと同じような眼鏡をかけた彼がヒンジのあたりを叩くので、火垂もそこを凝視する。確かに、なにか小さな穴のようなものがありその奥にはレンズのようなものが見えなくもない。

 

「録画の開始はつるの部分にボタンがあるから、それを長押しすれば録画が開始されるようになっとる。静止画は軽く押せばええ。夜に録画した映像と撮影した画像を見ながら姐さんと打ち合わせすることになっとるから失敗せぇへんようにな」

 

「こんなのあるんだったら最初から渡してよ。それでさっきの作戦はナシにしてどうするの?」

 

 眼鏡をかけつつ聞くと、樹は周囲を見回した後頷く。

 

「さっきお前に言われたとおり、この辺は廃墟が多くてワイらが二人仲良く並んで歩いとったらそれだけで不信や。せやから二手に別れて行動や」

 

 スマホのマップ画面を火垂にも見えるようにしゃがんだ樹は、マップを指差しながらそれぞれが調査するルートを示す。

 

「ワイが行くのは総本山に近いこっちのルートや。火垂は少し離れたこっちのルートを頼む」

 

「わかったわ。けど、なんで両側から攻めないの? 遠くを偵察するよりも内側を二人で回った方が早いんじゃない?」

 

 火垂のいうことは最もだ。どうせやるならば二人で同時に偵察をした方が、より早く終わる。早く終わった分別のこと、例えば連中が持っていた武器の闇ルートを探すなどの時間に割けそうなものだが。

 

「確かにそれは最もや。けどな、向こうはガストレアを信仰するようなイカレた連中や。お前が呪われた子供ってわかったらどんな行動を起すかわかったもんやない。それにさっきも言うてたやろ。こんな時間に子供が出歩いてるなんておかしいて。連中にそ見られたそれだけで警戒される危険性もある。せやからワイが内側、お前が外側や。ワイなら声をかけられても入信希望者装ったり、裏社会の人間のフリもできるからの」

 

 ニヤリと笑った樹の顔は確かに「ヤ」の付く職業の人のように見えなくもない。まぁどちらかと言うと若頭ポジションではなく、冒頭で殺されそうな鉄砲玉のような雰囲気ではあるが。

 

「とりあえずはこんなもんや。んで、偵察が終わったら、一度ここで合流して姐さんたと桜のいるビルの屋上に戻る。ええな?」

 

「了解。……なによ、普通にそういう考えもできるんじゃない……」

 

「あん? なんか言うたか」

 

「別に、何も言ってないわよ。ホラ行くならさっさと行って終わらせましょう。まだまだやることはたくさんあるんだし」

 

 薄く笑みを浮かべた火垂は、やや小走りに先を行き始めた。

 

「なんや急にやる気出して……。わからんやっちゃな」

 

 樹は先ほどまで不満げだった様子とは打って変ってやる気を見せた彼女の様子に、一度肩を竦めて疑問を浮かべながらも後を追う。

 

 二人は先ほど示したルートに沿って総本山周辺の偵察を開始した。

 

 

 

 

 黒神の寵愛の総本山にある窓のない部屋。外界からの光は一切差し込まない室内には、円形に配置された蝋燭につけられた小さな火が唯一の光となっている。

 

 その中心で一人座禅を組み、胸の前で手をあわせている人物がいる。蝋燭の火が弱弱しいためか、表情まではわからないが、辛うじて見える口元は真一文字に閉ざされている。

 

 纏っている衣服は、黒を基調としたもので、祭服と呼ばれるもののようだ。一見すると神道の祭服にも似ているようだが、肩からはカトリックのストラを思わせる赤い帯が伸びている。二つの祭服を融合したような祭服はどこか異様であった。

 

 すると、部屋の扉が開かれ、室内に白い光が差し込む。

 

「大導師」

 

 低い、男の声であった。声の主の顔は逆光になってわからないが、大導師と呼ばれた人物は優しげな声音で答える。

 

「なんでしょう。なにか問題でもおこりましたか?」

 

 人の心を見透かすような澄んだ声は男性のものであり、ここでやっと大導師と呼ばれるこの人物が男であることがわかった。

 

「いえ、問題ではなく報告がありまして。申し訳ありません、祈りの時間を邪魔してしまって」

 

「気にすることはありませんよ。それで報告とは」

 

「はい。お喜びください。今日、我等が教えに賛同する新たな教徒達が更に増えました。また、大学所属の優秀な若者たちの信者数も着々と増えています」

 

 低い声音が嬉しげな色を孕み始め、彼がこころから歓喜しているのがわかった。すると、大導師もまた口元を僅かに緩ませる。

 

「素晴しい。この調子で活動をさらに大きくしていきましょう。警察や政府も我々のことを懸念しているようですが、心配することはありません。我々には黒神様たちがいるのですから」

 

「はい! それで、大導師。私たちの『()()()()』はいつに……!」

 

 そこまで言ったところで男は口をつぐむ。恐らく先ほどの言葉を出すことが大導師への無礼に当たると判断したのだろう。叱責されると感じたのか、男は僅かに顔を伏せる。

 

 けれども、大導師は気にしていないというように柔和な声で答える。

 

「恥じることはありませんよ。人間である以上誰しも早く救いを求めるもの、今の言葉も無礼ではありません。ですが、儀式はもう少し先になります。前回の儀式以後、黒神様からはまだ行うべきではないと言伝られています」

 

「それは我等の信仰心が足りないと黒神様が判断され、お怒りになっているということなのでしょうか!?」

 

「そんなことはありません。黒神様は我等の信仰心を受け取られています。黒神様が仰られるには、今は新世界へのゲートが弱まっており、今転生の儀を行うと、ゲートから零れ落ちた魂が新世界へ昇華できず、虚無世界へと堕ちてしまうとのことなのです」

 

「おお……! つまり、神は我等の魂を案じられているというこですか!」

 

「ええ。今一度私からも呼びかけておきます。儀式が行えるとわかった際は、貴方を一番にしていただけるように進言しますよ」

 

 大導師の言葉に、男は歓喜に打ち震えた表情を浮かべると、目尻に大粒の涙を溜めながら頭を下げる。

 

「ありがとうございます! この私、よりいっそうの信仰を捧げさせていただきます!!」

 

 彼は最後に「失礼しました」とだけ告げると、部屋の扉を静かに閉めた。再び室内は蝋燭の光のみが照らすだけとなった。

 

 大導師は座禅の姿勢を崩すことなく、瞳を開けると、目の前にある壁を見やる。

 

 壁には黒い異形の神が描かれていた。この世のものとは思えない異形のそれは、世間一般的には人類の敵とされる怪物。

 

 けれど、黒神の寵愛内においては、人類を救済する絶対にして完璧なる神。

 

 黒き体躯と鮮血よりも赤い瞳のガストレアの壁画に、大導師は小さな笑みを浮かべる。

 

 

 

 

「だーッ!! なんじゃありゃ!!」

 

 開口一番、大きなため息と共に苛立たしげな声を上げたのは、総本山周辺の偵察を終えて戻ってきた樹だった。

 

 既に火垂は先に戻ってきており、今は桜と一緒に携帯ゲームで協力プレイをしているようで、時折、「桜、罠お願い」という声が聞こえたり、「火垂様、次は紅玉です」という声が聞こえる。

 

 周囲は既に日が暮れ始めており、群青色の空とオレンジの夕日が見事なコントラストを描いている。

 

 樹は双眼鏡をのぞいて監視を続けている凍の横に座ると、「ん」と乱暴に缶コーヒーを置いた。

 

「ああ、ありがとう。ところで随分と荒れているようだが、何かあったか?」

 

「あったもなにも、あそこまるで監獄やで。正面はこっからも見てわかるとおり門番がおる。けど、施設の四隅にも武装した信者。有刺鉄線にバリケード、見張り台まで増設してサーチライトまであったわ」

 

「監獄というよりも要塞だな。それだけ警備を厳重にするものがあるということか……。ご苦労だった、少し休んでいてくれ」

 

「言われずとも休むわ。姐さんの方はなんか進展あったんか?」

 

 缶コーヒーを一気に飲み干した樹が聞くと、凍はコーヒーをつまみあげると人差し指でプルタブを開けながら双眼鏡から眼を離した。

 

「シフトはそれぞれ四時間。その内三十分ほどの休憩あり。正面と屋上が常に四人の警備、銃は予備もあるようだ。それと、警備のうち最低一人は、警察官、ないし自衛隊員が配備されているようだ」

 

「なぜにそんな連中がおるとわかるんや……」

 

「体つき、体の動かし方、視線の動き、銃の構え方その他もろもろだ。完全な素人もいたようだが、どうやら教育もうまく行っているらしい」

 

「なる、ほど……。よくまぁ見ただけでわかるなぁ」

 

「そういう観察眼を持っていなければ忍は務まらん。とりあえずこのまま監視は続行だ。完全に夜になったら明りは使いすぎるな。後ろの夜景の光でごまかせているといえ、気付かれると厄介だ」

 

「あいさー。んじゃ、すこし向こうで休ませてもらうでー」

 

 樹は大きな欠伸をしながら屋上に張ってあるテントへ向かい、すぐに横になった。体力的には余裕はあるのかもしれないが、敵に悟られないように動いたため精神的に疲れが来たのだろう。

 

 そんな彼の様子に凍は小さく笑みを零すと、コーヒーを一口飲んでから再び双眼鏡をのぞく。

 

 視線の先にある総本山では、警備が夜の状態に移行したのかサーチライトがつけられていた。

 

「随分と厳重な警備だ。中に何があるのやら……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗く、ほんの一メートル先すらも見えない空間に、懐中電灯を持った祭服に身を包んだ男。黒神の寵愛の大導師がいた。すると、ゆっくりと歩みを進める大導師の靴音のみが響く空間に、別の音が響き始めた。

 

 ピチャリ、ピチャリというどこか粘着質な水音だ。それと同時にガリガリ、ゴリゴリというなにかを削るような耳障りな音。

 

 やがて大導師が足を止めると、暗闇の中で赤い光が灯る。それは静かに上下しており、まるで呼吸をしているようだった。

 

「もうすぐだ。もうすぐ、真の神が降臨する……!!」




お疲れ様です。

……誰だ! 定期的な更新を心がけるって言ったやつは!!

オレだ!!

はい、申し訳ありません。また遅れました。
うーむ、出来れば二週間更新を心がけたいんですがブランクもあって難しい。
しかし努力をせねば……!!

まぁ更新が遅れた理由としてはアニメやらにどっぷり嵌ってたんですが。
主にGGOだったり、ダリフラだったりその他もろもろだったり……。
ダリフラ、ゼロヒロ尊み……。


武装化してる時点で警察がさっさと踏み込めよとか言っちゃだめ。
ガストレアがいるかも知れない時点で警察は踏み込めないんでしょう(適当)
この調子だと戦闘はしばらく後になるかもですね。
凍姉さん実力が出せればよいと考えております。


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