メギド72オリスト「茨を駆ける十二宮」 (水郷アコホ)
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プロローグ

 いつかのメギドラル某所。王族の私邸の如き館。

 広い広い部屋に人影が1つ。身長の何倍も高くそびえる豪奢な窓から景色を眺めている。

 

 

気品漂うメギド

「……」

 

 

 艶めく黒髪を後ろに撫で付けたヴィータ体。国事に出席しているかのような格調高い衣服を着こなしている。

 窓から伸びるバルコニーのその向こう。雲ひとつ無い空で雷が光った。

 轟音と共に、光源と真っ黒な影の強烈なコントラストに部屋が染まり、光が去った頃に扉が閉じる音がした。

 落雷と同時に誰か入室していたようだ。

 

 

従者のメギド

「失礼します」

 

気品漂うメギド

「ああ。待っていたよ」

 

 

 窓を眺めるメギドが振り向く事無く答える。

 この対応がいつもの事らしく、入室したメギドは窓へと歩み寄り、2人並んで窓の向こうを見た。

 新たに現れた方のメギドも、貴族のパーティーに立ち会う近衛兵のような整った出で立ちだった。

 

 

従者のメギド

「区画『ミラビリス』に侵入者です」

「伝令のメギドの速度と距離から計算して、既に1時間ほど経過しているかと」

 

気品漂うメギド

「ああ。そこまでは、ここからでも『視え』ていたよ」

「既に攻撃を仕掛けた者もいるようだ」

 

従者のメギド

「でしょうね。報告では、侵入者は『鋼蹄の雄牛』との事ですので」

 

気品漂うメギド

「勇敢な部下を持てた事は、幸運だったよ」

 

従者のメギド

「『だった』……ですか。彼らも本望だった事でしょう」

「『鋼蹄』を発見した場合に限り、独断の撤退を認め、これを『功』と見なす」

「また当事者単騎に限り独断の戦闘行為も認め、これもまた『功』と見なす」

「ただし、独断の戦闘行為にかかる損失について、長は責任を負わない……」

 

気品漂うメギド

「取り決めて以来、『独断の群れ』となっても、『鋼蹄』に勝利した者は居ない……」

「……私以外は、ね」

 

 

 雷が光った。光が失せると、窓が開かれていた。

 

 

気品のあるメギド

「生憎の天気だが、『鋼蹄』は変わらず盛んなようだ」

「行ってくるよ」

 

従者のメギド

「詳細な座標はよろしいので?」

 

気品のあるメギド

「ありがとう。だが、すぐに『視え』てくる」

「それに、ミラビリスに『鋼蹄』の目当ては1つしかない」

 

従者のメギド

「仰る通りです。では、行ってらっしゃいませ」

 

 

 雷が光った。光が褪せると、主人らしきメギドの姿が消えていた。

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 メギドラル某所。「ミラビリス」と名付けられた、とあるメギドの領地。

 死に絶え乾き切った土が砂漠同然に広がっている。誰が確かめるまでもなく棄戦圏だった。

 稲光も無いのに、どおん、どおんと、落雷のような音が繰り返し鳴り渡る。

 光がミラビリスに轟き、遅れて本物の落雷が音を弾けさせ、大地を駆け巡った。

 光が萎えると、死の地平に立っていた影の一つが、メキメキと倒れた。

 ヒビ割れを通り越した大地に、茎とも幹ともつかない緑色の植物の塊が点在していた。

 低いものでも2メートルほどの高さに育っている、そのブヨブヨした植物の塊が一本、根本から折られ、積み重なった埃のように砂漠土を舞い上げた。

 植物をへし折った元凶が、横たわった植物に歩み寄り、ガブリと食らいついた。

 暫し植物を貪っていた元凶が、何かに気づいた様子ですかさず頭を上げ、遠くを見据えた。同時にまた一声、雷が辺りを白黒の世界に染め上げた。

 

 

???

「待たせたかな、『プレアデス』軍団長──『鋼蹄の雄牛』殿」

 

 

 元凶が見据えていた先、いつホロホロと崩れ去ってもおかしくない小高い丘の上に、例の気品漂うメギドが立っていた。

 植物伐採の元凶こと、『鋼蹄の雄牛』と呼ばれた四足獣型のメギドが雄叫びで出迎えた。

 

 

鋼蹄の雄牛

「前置きはいらん! さあ、オレと戦えっ!!」

 

気品漂うメギド

「急ぐ事はない。むしろ済まなかった。食事中と気付くのが少し遅すぎた」

「せっかく私の領地に出向いてくれたのだ。何もない所だが、ゆっくりしていってほしい」

 

鋼蹄の雄牛

「こんなものはついでだ。お前と戦うまでのツナギだ。お前の部下共と同じにな!」

 

気品漂うメギド

「そうかい? 存外に気に入ってくれたと思っていたよ」

「それに、君も知っての通り、その植物は地中のフォトンを徹底的に吸い上げる」

「しかもその植物たちは弱った土地を好んで根を伸ばし、土地にトドメを刺す」

「その植物達の数が減るなら、この地も棄戦圏返上が望めると、そう考えていてね」

 

鋼蹄の雄牛

「お前の都合など知った事か!」

 

気品漂うメギド

「君が望むなら、その暁にはミラビリスを君に割譲しても良い。君が活かしたも同ぜ──」

 

鋼蹄の雄牛

「要るものか! オレは戦いに来たのだ! 領土など今どうでもいい!」

 

気品漂うメギド

「即答か。だが分かる気がする」

「私も、君になら領土の一つくらい、惜しくはないのだから」

 

鋼蹄の雄牛

「いつまでも日和っているつもりなら、こっちから行くぞ!」

 

 

 馬のように上半身を跳ね上げ、二つ名通りの金属質の蹄で地面を踏みしめる『鋼蹄』。

 それだけで、地平線の向こうまで長大なヒビが新たに走った。蹄の真下にはクレーターが刻まれ、凹んだ分を形成していた砂漠土は砂煙になって『鋼蹄』の周囲を曇らせた。

『鋼蹄』が足元を引っ掻くたびに、ますます砂煙が濃くなる。しかし、眼光だけは少しも霞む事無く、丘の上のメギドを見据えている。

 

 

気品漂うメギド

「そちらから来なかった日は、一度として無かった気がするがね」

「所で、フォトンは足りているかな? 携帯フォトンなら持ち合わせがあるが」

 

鋼蹄の雄牛

「余計なお世話だ! 丁度こっちは戦争の帰りだ!」

「近くを通りかかったから、部下の携帯フォトンの残りをまとめて喰らって来た!」

 

気品漂うメギド

「そして部下達は本拠へ帰し、君一人が棄戦圏ミラビリスへ……か」

「こうして今日も戦う、それだけのために……」

「君のそういう所に、私は敬意と愛おしさを覚えずに居られない」

 

鋼蹄の雄牛

「弄ぶなぁっ!!」

 

 

 雷が光った。光が絶えると、既に『鋼蹄』がスタートを切っていた。

 脚の一つ一つが一歩ごとに、地面に蹄の跡と、そこから迸る大小のヒビを形成していく。

 軌道は清々しいまでの一直線。丘に立つヴィータ体のメギドへ、この棄戦圏に居ながら全力のメギド体を叩きつけようとしていた。

 今の『鋼蹄』に真正面から対峙するなら、ヴァイガルドの幼子でも容易に確信できるだろう。

 そのスピードと重量感の前で、足元の丘などおがくずのように飛び散り、ヴィータ体は骨一片でも残れば驚嘆に値する。

 そんな『鋼蹄』を、相対するメギドは涼しい笑顔で見届けていた。

 

 

気品漂うメギド

「……」

「君を見ていると、つくづく思う。明日にでも、嘘なるものに見放されても本望だと」

「心から応えよう……『ザガン』」

 

 

 雷が光った──。

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

ザガン

「う~ん……」

「はっ……?」

 

 

 いつものアジト。ザガンの個室。

 目を覚ますと、外はすっかり朝だった。

 ベッドから降り、2,3歩部屋の中央へ移動しながら、ゆっくりと伸びをするザガン。

 

 

ザガン

「ん~~……よく寝た」

「……それにしても、懐かしい夢みたなぁ。まだ『オレ』なんて言ってた頃だし」

「最近はソロモンもメギドラルで派手にやってるし、元気してたらまた会えるかな?」

「……お?」

 

 

 部屋のどこかで甲高い音がした。

 辺りをキョロキョロしてみると、ベッドの枕元で何かが動いた。

 曖昧な輪郭と動作の影だけで、それがヴィータ的に気味の悪い類の物でないと瞬時に把握できた。

 

 

ザガン

「見ーつ・け・た♪」

「昨夜はちょっと暑かったからなぁ。ほーら、こっちおいで」

 

 

 顔を綻ばせたザガンが、ゆっくりと枕元に近づく。

 窓から差し込む朝日から丁度陰になる所にそっと手を差し出すと、侵入者は呑気に指へ飛びついてきた。

 

 

ザガン

「ふふっ、期待してたよりもずっと人懐っこいね、キミ」

「小鳥なんて、こんな山の中でも居るものなんだねぇ」

「もしかして、ヴィータなんて知らないだけだったりして?」

 

 

 返事など来ないと分かっていながら語りかけてみるザガン。

 小鳥はお誂え向きにザガンを見上げ、首を傾げたりなどしている。

 部屋のドアが軽く叩かれた。

 

 

ソロモン

「ザガン、起きてるか?」

 

ザガン

「おおっと」

「うん、おはようソロモン。準備するからちょっと待ってて」

 

ソロモン

「ああ、急がなくても大丈夫だよ」

「依頼でさ、今、他の仲間にも声かけてる途中なんだ」

「済んだら広間で朝食でも摂って待っててくれ」

 

ザガン

「はいはーい、超特急で終わらせるから」

 

ソロモン

「はは、ゆっくりで良いってば」

 

 

 扉の向こうで足音が遠ざかって行く。

 

 

ザガン

「ふふっ、すっかりキミに夢中になってた」

 

 

 手の上の小鳥の頬を、もう一方の指でチョンと突くザガン。

 そのまま軽く撫で回してみたりもするが、小鳥は余裕の表情だ。

 

 

ザガン

「ほら、私はこれからお仕事だから。キミももうお行き」

 

 

 窓の外へ手を差し出し、軽く振って小鳥を羽ばたかせた。

 

 

ザガン

「……鳥って、怖くないのかな。地に足ついてないのに」

「こんな所、ヴィータだったらちょっと登り下りするだけでも命がけだし」

「私のメギド体なら……いや、それでも滑って落ちたらマズイなあ」

「そんな所を、フワフワ飛んで行っちゃうんだもんなあ」

「何かにぶつかったり、急にめまい起こしたり、歩くより危なそうだけど……」

「ま、鳥がそんな事気にするわけないか。それで生きられるのが鳥なんだから」

 

 

 小鳥を見送って、いそいそと着替え始めるザガン。

 

 

 

 

<GO TO NEXT>




※ここからあとがき

 ザガンさんは寝る時は下着派な気がします。
 全くどうでもいい話ですが、しかし大切な事な気もしたので。

 作品情報にも注意書きしましたが、今回は一部キャラの過去を勝手に空想して話を進めています。
 その点を強調する一環として、執筆時点まで考えて無かったメギド時代の軍団名なども急遽考えてみました。どんな感じに捏造が挟まるのか初っ端から示した方が、オリ設定回れ右派な方に余計なお時間取らせずに済みますし……。
 オリ設定は今回の話のテーマに沿うように考えてはいますが、あくまでも、該当キャラのキャラストーリーや設定を優先して筆者なりに真剣に練っています。関連オリキャラがストーリーの主軸に関わると言っても、主役は必ず原作キャラとなるよう、注意しています。言ってどうなる事でも無いかもしれませんが、念の為。

 メギド時代のザガンさんの一人称を変えたのは、現在のザガンさんとは多少違うというのを強調するためのものなので、筆者のように「ザガンさんに『オレ』はちょっと引っかかるな」という方は、お手数ですが脳内でお好みの一人称に置き換えて下さい。

 パラレルワールドのメギド72とでも思って大目に見ていただけると助かります。



 筆者のイメージでは、「山間の要塞」のようなアジトは、岩肌があちこちむき出した険しい場所に建っていると考えています。
 落ち着いて鍛錬が出来る広い中庭があるのを考えると土壌もそこそこありそうですが、余り自然が多いとフォトンが多いという事でもあるはずなので、幻獣が住み着く一因になってしまうのではと。
 ガブリエル辺りは「フォトンが少ない土地なら、万一ソロモン一派がハルマに蜂起を企てても、充分なフォトンを確保させずに鎮圧できる」とか考えそうですし。




 それと少し真面目な話ですが、ハーメルンの必須タグの基準は毎度悩みます。
 流血程度でもあれば「残酷な表現」を付けたほうが良い気もしますし、今どきは往年の少年誌サービスシーンみたいな描写があるならR15が必要かもとも思います。
 しかし例えばメギド72はIphone版でも推奨年齢12+ですが、バトル物かつハードな世界観だけにしょっちゅう人が死にますし、幼女が執拗な暴行の末に生死の境を彷徨いますし、おじさんが肋骨の裏側をペロペロされます。
 エイルが子作りを迫って来ましたし、最近ではカマセイン達がいやらしい事しか思いつかなくて悩んでいました。
 そしてどれも、ほぼ文章上の表現においてです。
 メギド72原作での描写を決して逸脱していないと考えてメギド二次創作を書いた場合、これらの必須タグは必要になるのか否か、非常に難しく感じられます。

 問題が起きてからでは遅いのだからサクサク追加してしまえば良いと思う反面、こういったタグは目につくと「ハッ」とせざるを得ない所があるように思えて、余計な警戒を与えやしないか、もしも原作より遥かに生ぬるいものだった場合、それはそれで読者を不当に焚きつけるものになってしまってはいないか、つい考えてしまいます。

 要するに、メギド原作程度の事は、必須タグ無くても普通に起きるので、予めご了承下さい。


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1-1前半「連名依頼」

 王城の応接室に座って待機しているソロモン達。

 ここまで彼らを案内した騎士が、ドアに手をかけながらソロモンに伝える。

 

 

騎士

「では、もう少々でガブリエル様がいらっしゃいますので、今しばらく」

「到着後、ガブリエル様から直々に、追って説明なされるとの事です」

 

ソロモン

「わかった。ありがとう」

 

 

 ドアが閉じられ、騎士の足音が去っていく。

 

 

ソロモン

「さて──」

 

 

 顔ぶれを再確認するソロモン。

 今、室内に居るのはソロモンと、ソロモンがアジトで同行を打診し、承諾した面々。

 バルバトス、ザガン、ハルファス、ハーゲンティ、エリゴスの5人。

 ハーゲンティが、騎士がもてなしに置いていった茶会セット一式に目を輝かせている。

 

 

ハーゲンティ

「おお~……王都御用達っ、高級っ、お茶菓子!!」

「さっきの騎士のアンチャンが置いてったって事は、食べて良いって事だよね!?」

 

ハルファス

「そうなのかな? 雰囲気出すためだけかも知れないし」

「でも、一緒に出してくれたお茶は、置いといたら冷めちゃうかな?」

 

ハーゲンティ

「ならもう『じゃんじゃん飲んじゃって』って事でしょコレ絶対!」

「ほらほら、ハルちゃんも飲んで! 食べて!」

 

ハルファス

「お茶菓子も? 良いのかな……」

 

ハーゲンティ

「大丈夫! お茶飲んでお茶菓子無いとか、お賃金の無いお仕事と一緒だもの!」

 

エリゴス

「まあ出しといて手ぇ付けるなって事は無いと思うし、良いんじゃねえの?」

「けどハーゲンティ、持ち帰って売るとかはナシにしとけよ」

 

ハーゲンティ

「やりません! お金よりごはん!!」

 

バルバトス

「いやはや、華やかかつバイタリティに溢れるメンバーだねえ。気合いが入るよ」

 

ソロモン

「気合い入れてもらっても、今日はひとまず話を聞くだけだけどな」

 

ザガン

「え、そうなの? 一ヶ月くらい出張れるかって聞かれたからてっきり……」

 

ソロモン

「ああ。王都側から、そう要請されたんだ」

「詳細を話す前に、依頼に連れて行くメギドを決めておくようにって」

「それも少なくとも半月……できれば一ヶ月。アジトから離れて逗留し続けられる人員で」

 

ザガン

「そうだったんだ。じゃあ、受けるか受けないかも決まってないのかぁ」

 

エリゴス

「つっても一ヶ月だろ? 今日一日で決めてその日の内にってアリなのか?」

「よく知らねえけど、そういうのって何日もかけて予定合わせるもんなんじゃねえの?」

 

バルバトス

「スケジュールの問題を人数でカバーできるのがウチの強みだからね」

「それに、依頼の内容が分かってないなら、これくらいで良いんだよ」

「そんな長期任務を任せようって言うなら、こっちばかり労力が嵩むのは不公平だ」

 

エリゴス

「メンツってやつか。まあ、ハルマ連中にナメられてもたまらないしな」

「贅沢に選り好みさえようってんなら、こっちもスパッと決めて焦らせてやろうってわけだ」

「へへっ、ソロモンも肝が座ってきたじゃねえか」

 

ソロモン

「いや、そこまでは考えてないけど……でも、一度に『全員』を確保するのは難しいしさ」

「長期任務となると、その間、幻獣と戦い通しって事もあり得るだろ?」

 

エリゴス

「あー、確かに。怪我に疲労にで交代要員も必要になるな」

 

バルバトス

「俺やザガンみたいな役回りは数も限られるからね」

「補充まで見越しての人選は不可能と言って良い。となると……」

 

ソロモン

「ああ。依頼側にガブリエルも絡んでるなら、そこを考えてなかったとは思えない」

「最初から、最低限の準備だけでこっちが来るって読んでると思う」

 

バルバトス

「つまり、依頼内容も最初から、このくらいの人員で回せる仕事って事か」

「人が悪いなあ、全く」

 

ザガン

「でもさあ、最初からそう言えば良いんじゃないの?」

「何人くらい欲しいって注文も無いんじゃ、多すぎたり少なすぎても困るのに」

 

エリゴス

「同感。ソロモンが少ししか人を集めないって分かってて依頼したって事だろ?」

「あたしだったら、『こっちの気にいるように見繕っとけ』としか思えねえな」

「それはそれでナメられてるも一緒じゃねえか?」

 

バルバトス

「可能な限り、絞りたかったとか……かな」

 

エリゴス

「え?」

 

ソロモン

「俺も同じことを考えた」

「多分……戦闘が絡む任務じゃないんだ。メギドが最低限居れば良いような」

「そして、俺にとって必要と思える人数ギリギリで来る事を『期待』されてる」

 

バルバトス

「ガブリエルは王都側だ。俺達の最新の情勢を把握できる立場じゃない」

「メンバーに変に注文付けて、俺達の実力を縛ってしまう事を避けたのかもしれない」

 

ザガン

「いつもみたいな戦闘じゃなくって、でもメギドの力が必要で、少ないほど良い仕事……?」

 

エリゴス

「まさか……暗殺、とか?」

 

ザガン

「えぇ~……私、そういう格好良さはちょっとなぁ……」

 

エリゴス

「あたしも、世間様に胸張れた身とは言えねえつっても、気は進まないな……」

 

ソロモン

「……」

 

 

 空気が落ち込む応接室。

 ハルファスは蚊帳の外で、お茶を啜りながら一行を見守っている。

 ハーゲンティは目を閉じ耳を塞ぎ、顎だけを動かしている。お茶菓子の味を一生の想い出に刻むため、全神経を味覚と嗅覚に集中させていた。

 

 

バルバトス

「有り得ないとは言い切れないけど、多分その手の仕事は求めてないよ」

「シバの意向、俺達との信頼関係……そういったものを考えると、『まだ早い』」

 

ソロモン

「『まだ』……か」

 

バルバトス

「脅威に立ち向かうなら、脅威に精通するしかないからね。いつかは、覚悟すべきだよ」

「でも今じゃない。仕事優先で平気で関係を壊せる程、ガブリエルも馬鹿じゃない」

「何より王都としての依頼なんだ。フラム王の承認無しに実行されなきゃ大問題さ」

「だったら、あの人が俺達の手を直に汚させるような依頼を認めるはずがない」

 

ソロモン

「そうだな……王さまが関わってるなら、信用できる」

「でもやっぱり、『知られる人間を少なくしたい仕事』には間違いなさそうだな……」

 

エリゴス

「人づてに知られるとマズい事情があるって事か」

「だから『連れを決めてから話す』なんて回りくどい真似してんのか」

「うっかり関係ないやつにまで知られないために」

 

ザガン

「でも……疑うつもりは無いんだけど……」

「その……ヴィータに危害を加えるだけじゃないよね? 『イヤな仕事』って」

 

バルバトス

「騙し誤魔化しの汚れ仕事なら、メギドは元より外部に委託するわけがないよ」

「それも他人に集めさせた、専門家でもない集まりだ。やらせた所で期待もできない」

「精々、反社会的な組織の武力鎮圧じゃないかな。フルカネリ商会みたいな」

 

エリゴス

「ああ、ハルマの兵器掘り出して売りさばいてるっていう?」

 

バルバトス

「そう。構成員の殆どはヴィータで、しかし手加減は難しい武力を持っている」

「つまり、戦わねばならないと同時に、ヴィータを手にかけるリスクがある」

「その必要に駆られた時に、俺達が決断できるか……」

「今後の試金石として、一度俺達に打診してくるくらいなら有り得るかもね」

「まあ、フルカネリはまだ足取りも掴めてないらしいから、線は薄いだろうけど」

 

ザガン

「うーん……」

 

バルバトス

「大丈夫さ。あくまで、本当に『イヤな仕事』だった時の話だよ」

「可能性も極めて低い。こんな騙し討ち的に要求される事はまず有り得ないからね」

 

ソロモン

「この話題は、ここまでにしよう。暗くなるばっかりだ……」

「それより、バルバトスとエリゴスに、良いかな。意見を聞きたいんだ」

「ザガンも良ければ聞いてくれ。気分転換にもなるし」

 

ザガン

「う、うん。ありがと」

 

エリゴス

「あたしが、バルバトスと一緒に? いやー、参考になるかなぁ……」

 

ソロモン

「戦うことになったらって時の話だよ」

「メギドの協力が必要って事は、少しは戦闘の可能性もあるって事だと思うんだ」

 

エリゴス

「ああ、それで喧嘩慣れしてるあたしもってわけか。なら良いぜ」

 

ソロモン

「ありがとう。それで──」

「率直に言って、5人ってのはちょっと少ない気もするんだ」

 

バルバトス

「ふむ……」

 

ザガン

「そう言えば、先に決めてから来いって言ってたんだよね?」

 

エリゴス

「となると、出来れば追加召喚は無しの方が良いのか」

「ぶっ通しで戦う心配無くなったとしても、確かになあ……」

 

ザガン

「連絡とか交代で、一人くらいは欲しくなっちゃうね」

「私、こないだバティンに『盾役なのに怪我しやすい』って注意されちゃったし……」

 

エリゴス

「あれ、防いでるっつーか避けてるもんな、全部。最初見た時は度肝抜かれたぜ」

「あたしも武器で捌きはするけど、注目惹きつけて片っ端からは流石に無理だなぁ」

 

ザガン

「まだまだ攻撃が重すぎると、体ごと持ってかれちゃうけどね」

「でも、ありがと。この『技』、私の自慢なんだ」

 

ソロモン

「(ザガン、ちょっと元気出てきたな。これなら大丈夫そうだ)」

「もう何人か誘えないか声かけてみたんだけど、この結果でさ」

 

エリゴス

「早く済んでも半月だもんなぁ。簡単には縦に首振れねえよな」

「あたしは機会があったから良かったけど、普通の生活じゃ半月も休めねえしな」

 

ソロモン

「そういえばあっさりと受け入れてもらったけど、何でそんなに時間が空いてたんだ?」

 

エリゴス

「ちょっとね。『たまには人に任せて羽根を伸ばして来てくれ』って言われててさ」

 

ソロモン

「じゃあ、休暇か何かって事にして、こっちの仕事を……?」

 

エリゴス

「気にすんなって。だらだらしてんのは性に合わないしさ」

「むしろずっと前から同じ小言でせっつかれてたんだ。助かるくらいだよ」

 

ソロモン

「まあ、エリゴスがそれで良いなら……」

 

ザガン

「いつも一緒のバルバトスに、元々ソロモンに会うために旅してた私に──」

「ハルファスも大体はアジトに居るし……あれ? ハーゲンティって、仕事してなかった?」

 

 

 ハーゲンティはお茶で口を膨らませている。

 どこで学んだのか、茶を口内で霧状にして香りを高めようとしているようだが、完全にブクブクと口を濯いでいるだけだった。

 

 

ソロモン

「最近、幾つかまとめてクビになって、生活がピンチらしくて……」

 

ザガン

「あー……」

 

エリゴス

「依頼を片付けると、あたしらにも王都から謝礼出るしなあ」

 

ソロモン

「前から、謝礼目当てで同行をせがんで来る事もあったし」

 

 

 ハーゲンティに視線が集中している事に気づいたハルファスが、とりあえず皆に合わせてハーゲンティを眺めている。

 

 

ソロモン

「ま、まあ、そんなわけで、エリゴスが言った通りに中々人が集まらなくてさ」

 

エリゴス

「ハルファスみたいに若い連中なら大した仕事もなくて何とかなりそうなのになぁ」

「後は、バルバトスみたいな旅が仕事の連中とかも」

「あ、いや、無理して出てこいとか言うつもりじゃねえけどよ。一応」

 

ソロモン

「個人個人の生活があるから、そう都合良くも行かないよ」

「ウァサゴとかも、丁度アジトに居たから声をかけてみたけど断られた」

 

エリゴス

「そういやウァサゴも確か、ザガンみたいに旅してた側だったっけか」

「まあ元が貴族なのに何でとか、詮索する気はねえけど」

 

ソロモン

「うん。どうしても外したくない用事があるからって」

「前から、実家の古い付き合いだとかでよく出かけてたから、それだと思う」

 

エリゴス

「へー。やっぱ貴族は貴族で大変なんだなあ」

 

バルバトス

「……ちょっと良いかな。考えがまとまった」

「多分、『この場では』この5人で大丈夫だと思う」

 

ソロモン

「あ、バルバトス。ずっと静かだったのはそれでか」

 

ザガン

「『この場では』って、どういう意味?」

 

バルバトス

「結論から言えば、ここに集まった者だけに、何か特別な仕事を任されるのかも」

「後からの増員は認めるけど、増員分は特別な仕事から外される」

「本質的な依頼の解決を担うのは、それを通達された俺達だけって所かな」

 

エリゴス

「幻獣退治に例えるなら増員分は、ザコ散らしや一般人の救助ってとこか」

 

ザガン

「それで、私達だけで黒幕を探してやっつけるって事?」

 

バルバトス

「あくまで戦闘のみで例えるならだけどね」

「曖昧な注文するリスクを許容してるって事は、そう考えるのが妥当だと思うよ」

 

ソロモン

「最悪の場合、一人連れてくるのがやっとだったりしたかも知れないしな」

 

バルバトス

「だろうね。ガブリエルも織り込み済みのはずだ」

「本当に少なすぎた時は説明だけして、後は俺らに託す予定じゃないかな」

「『本命をこなすのに適任なメギドにだけ後から説明しても良い』とか」

 

ザガン

「それで、仕事ってのは結局、どんななの?」

「メギドが必要で、少人数で、今いる私達だけに任せて……条件多すぎない?」

 

 

バルバトス

「それなんだよな……流石に情報が少なすぎる」

「一つだけ『候補』が有るけど、これはこれでメギドがやる必要がなぁ……」

 

ソロモン

「『候補』って、どんな?」

 

バルバトス

「増員と俺達の仕事が分かれるって事になるだろ? つまり──」

 

 

 応接室のドアがノックされた。

 返事を待たずに開かれ、見慣れた顔が2つ入室した。

 シバとガブリエルだ。

 

 

ガブリエル

「お待たせしました」

 

シバ

「……」

 

ソロモン

「いや、問題ないよ。こっちも少し話を──」

「ん? シバ、何かだいぶ疲れてないか?」

 

 

 シバの顔色が優れない。表情も、酷い眼精疲労に耐えているかのようだった。

 ガブリエルがいつも通りなだけに、なおさら際立って見える。

 

 

ザガン

「あ、ほんとだ。ちょっぴりクマできてるよ、本当に大丈夫……?」

 

シバ

「まあ、色々あってな……気遣いは無用じゃ」

「休息ならこの後すぐに取る。ガブリエルの話が済んだらな」

 

バルバトス

「ガブリエルが……じゃあ、シバは?」

 

シバ

「手伝い……だ、そうじゃ。本題はほぼほぼガブリエルが伝える」

「依頼のあらましについても、つい先日書簡で知ったばかりでの」

 

ソロモン

「そんなオマケみたいに……」

 

シバ

「ハァ……オマケみたいなものじゃ」

 

バルバトス

「(シバが人前で愚痴を溢すほどか……何があったんだ、本当に)」

 

ガブリエル

「シバの健康維持のためにも、早速説明を始めます」

「まずは……」

 

 

 ソロモン一行の顔ぶれを確認するガブリエル。

 シバはその間に、手近な席に着席し、不機嫌そうに頬杖を突きはじめた。

 ガブリエルの視線が、彼らの入室前から全く空気の変わっていない一角で止まる。

 

 

ガブリエル

「ふむ……」

 

ハルファス

「(さくさく……)」

 

ハーゲンティ

「(ごぶごぶごぶ……ごっきゅん)」

「ん~~、お金のかほり……♪」

 

ソロモン

「(あまりおいしくなさそうな表現だな……)」

 

ガブリエル

「なるほど、ハーゲンティ……」

 

ハーゲンティ

「ん? 誰か呼んだ?」

 

シバ

「おい、ガブリエル」

 

 

 シバが気まずそうな声を差し込んだ。

 

 

ガブリエル

「好都合なのは事実です」

 

バルバトス

「(シバが咎めたのなら、良い意味じゃなさそうだな……)」

「取り敢えず、ハーゲンティ。ハルファスも、ガブリエルの話を聞くように」

 

ハーゲンティ&ハルファス

「はーい」

 

ガブリエル

「メギドは計5人……バフォメットは、来ていないようですね」

 

ソロモン

「え? まあ、今朝は会わなかったし」

「それに会えても、バフォメットは仕事が忙しいだろうから連れてくるのは……」

 

ガブリエル

「いえ、聞いてみただけです。元より指名もしていないので」

 

バルバトス

「……それ、さっきから何かの『振り』かい?」

「君にしては『訝しんでください』と言わんばかりだけど」

 

 

 尋ねるバルバトスの目は笑っていない。

 ガブリエルの様子がどこかおかしいと感じ取り、頭脳の回転率を上げている顔だった。

 

 

ガブリエル

「言いがかりですね。勘ぐりたいなら、お好きにどうぞ」

「改めて……まずまずの人数ですね」

「事前の要望にも適っている。何よりです」

 

エリゴス

「事前の要望? 前もって仲間を準備してきた事……って言い方じゃねえよな」

 

ザガン

「長く任務に出れるって事なら、見ただけで分かるわけないし……」

 

ソロモン

「あ、いや……ごめん。実はもう一つだけ、人選の条件があったんだ」

「『メンバーの過半数は女性メギドになるように選べ』って」

 

バルバトス

「ほう、なるほど……!」

 

エリゴス

「何がなるほどなんだよ」

 

ザガン

「な、何それ……」

「……っていうか、何でソロモンも黙ってたのさ?」

 

ソロモン

「ごめん。そこを伝えて依頼に誘うのは、何か気が引けちゃって……」

 

ザガン

「何で?」

 

バルバトス

「やれやれ、パイモンに笑われてしまうぞ?」

 

エリゴス

「あんたが言うかよ」

 

シバ

「バルバトスやパイモンが決めた条件ではないから、余計な心配はいらんぞ」

 

ザガン

「なら良っか」

 

バルバトス

「(え……何の心配されてたんだ……?)」

 

ガブリエル

「条件の理由については後ほど説明します」

「まずは依頼の本題──『アブラクサス』について」

 

ハーゲンティ

「アブラ……クサス?」

 

エリゴス

「何かギトギトしてそうな名前だな……」

 

バルバトス

「いやいやいや、むしろ真逆の代物だよ……」

「アブラクサスと言えば、花の品種じゃあ無かったかい?」

 

ザガン

「あ、知ってる。すっごく高いバラだよね?」

 

ソロモン

「バラ……あの、赤とか白とかあって、トゲがあったりする?」

 

バルバトス

「そのバラだよ。一言でアブラクサスと言っても種類は細かく分かれててね」

「トゲの無い花、青い花、土無しで育つ花……色々あるけど、どれも途轍もなく値が張る」

「しかも理由が、美しすぎて貴族が金に糸目をつけないからときた」

 

ザガン

「最近、一輪100万ゴルドもするアブラクサスが作れたって聞いたよ」

 

ソロモン

「100ま……100万!? 花一輪で!?」

 

ハーゲンティ

「100まん……100まん?」

 

バルバトス

「(桁が高すぎてハーゲンティに言葉が通じてない……)」

 

エリゴス

「はえー。金持ちってな花ひとつでよくもまあ……」

「ハルファスはどうだ。そんな高い花があるなんて知ってたか?」

 

ハルファス

「ううん。花の方は知らなかった」

 

エリゴス

「だよなー……って、花の方?」

 

ハルファス

「うん。お花が名産だったって事なら聞いた事あったけど」

 

エリゴス

「は……? えっと、何の話だ?」

 

ガブリエル

「ほう……」

 

シバ

「意外な所から来たのう」

 

ソロモン

「な、何だ? 花の話じゃなかったのか?」

 

ガブリエル

「『アブラクサス』と私が口にしてから、あなた達が勝手に話を広げただけです」

「ハルファス。もしや、出生地はアブラクサスの周辺領ですか?」

 

ハルファス

「私? うん。えっと……『イーバーレーベン』……だったかな?」

 

ガブリエル

「イーバーレーベンですね」

「参考までに、そこに誰か、身寄りはありますか?」

 

ハルファス

「うーん……今は、多分居ない……かな?」

 

ソロモン

「ちょ、ちょっと待った、先に話を進めないでくれ!」

 

バルバトス

「アブラクサスにイーバーレーベン……あ~そうか、そっちかぁ」

「やれやれ、今じゃすっかり花としてしか認知されてないからな……」

 

ガブリエル

「では、一旦話を戻しましょう」

「我々が口にしたアブラクサスとは、地名です」

「つまり、あなた達に出向してもらう目的地の名でもあります」

 

ザガン

「花と土地が同じ名前……原産地とか?」

 

バルバトス

「あたり。今は多種多様なアブラクサスだけど、ルーツは一株のバラからだ」

「それが株分けされて、様々な改良を加えられて、今に至るって次第さ」

「ただ……現在、土地としての『アブラクサス』はもう存在しないけどね」

 

エリゴス

「え?」

 

バルバトス

「もう百年も前に廃れたんだよ。フォトンの枯渇でね」

「まあトドメを刺したのはフォトンと言っても、それ以前から『アブラクサス』が──」

 

ガブリエル

「とにかく、アブラクサスについての情報はひとまずそれで充分です」

「市場に出回るバラの『アブラクサス』の原産地であり、かつて栄えた都市」

「そしてアブラクサスは約100年前に住民が出払い、今は廃墟が残るのみ」

 

バルバトス

「(おや……?)」

「随分突き放すじゃないか。ハルマにも関わりがあるんじゃなかったかい?」

 

ガブリエル

「昔の事ですので」

 

バルバトス

「(今のは……間違いない。ガブリエルが俺の話を遮ってきた)」

 

エリゴス

「とにかく、その『今はもう無い街』へ行けって依頼は、つまり……?」

 

バルバトス

「廃墟となったアブラクサスに行って、何か調査しろって事だろうね」

「ただ、幾つか周辺の領地に行った事はあるけど……腑に落ちないな」

「あの辺りで王都が出張る程の騒ぎなんて聞いた事もない」

「『百数十年前』以降はね」

 

ガブリエル

「そこからについては、もう一人が到着してから──」

 

 

 応接室のドアがノックされた。

 

 

???

「私だ」

 

ガブリエル

「丁度、到着したようですね」

「どうぞ」

 

ソロモン

「(あれ……今の声……?)」

 

 

 ドアが開いた。ガブリエル達とは別の方向性……ソロモン達と同じ方向を向いた馴染みのある人物が現れた。

 

 

グレモリー

「遅れて済まない。少々手間取ってな」

 

ガブリエル

「問題ありません。承知済みです」

 

ソロモン

「グ、グレモリー!?」

 

バルバトス

「よ、呼んでたのか、ソロモン?」

 

ソロモン

「まさか……会ってすらいないよ」

 

 

 驚く仲間たちを置いて、まっすぐガブリエルに歩み寄るグレモリー。

 

 

グレモリー

「どこまで話してある?」

 

ガブリエル

「アブラクサスという、かつて栄えた街が目的地という事まで」

 

グレモリー

「予定通りだな。心得た」

 

 

 訳知り顔でガブリエルのすぐ近くの席に腰を下ろすグレモリー。

 

 

ソロモン

「あの……グレモリー?」

 

グレモリー

「フッ、そう捨て犬のような顔をするな」

「私も、この仕事に一枚噛んでいるというだけだ」

 

バルバトス

「(シバが驚いてる様子はない。極秘に通じていたわけでは無いという事は……)」

「もしかして今回の依頼、王都だけじゃなく……?」

 

グレモリー

「流石は、察しが良いな」

「ガブリエル。続きは私から話そう」

 

ガブリエル

「しかし……」

 

 

 手でかざしてガブリエルの言葉を遮るグレモリー。

 

 

グレモリー

「私なりに、領分は違えない……貴様も了承済みのはずだぞ?」

 

ガブリエル

「……致し方ありませんね」

 

シバ

「……」

 

バルバトス

「(ソロモン、分かるかい? シバが急に、より一層機嫌を損ねた)」

 

ソロモン

「(ああ。今の会話、シバの『頭越し』に交わされたって事だよな?)」

「(つまり、余り考えたくはないけど……)」

 

バルバトス

「(グレモリーとガブリエル。何か隠してるな。シバにも俺達にも)」

「(シバが参ってる一番の原因はこれだろうね。肉体的疲労もあるだろうけど)」

 

ソロモン

「(頼りになる仲間が、露骨に隠し事して、取り付く島も無いんじゃな……)」

 

グレモリー

「さて、内緒話はそろそろ切り上げてもらうぞ」

 

ソロモン&バルバトス

「うっ……」

 

エリゴス

「いや、普通に話進めようとしてんじゃねえって!」

「結局、何でグレモリーが依頼の説明始めようとしてんだ?」

 

ザガン

「いかにも『ハルマ側』って感じの空気出してるし……」

 

バルバトス

「『ハルマ側』じゃなく『王都側』って事だよ」

「依頼者は王都と、『領主グレモリー』だったのさ」

「後、他にも領主や貴族が何人か参加してるんだろうけど」

 

グレモリー

「そういう事だ」

「強いて改める所があるなら、何人どころか10を超え、今も数を増している」

 

ソロモン

「連名……!?」

 

ザガン

「しかも偉い人ばっかり……それって、かなり大変な仕事なんじゃあ……」

 

ガブリエル

「ご心配なく。あなた達が気負うような内容ではありません」

「そんな仕事、どう注文した所であなた達にこなせるなどと期待していませんので」

 

ザガン

「悪かったね!」

 

グレモリー

「手短に言うぞ。我々の任務は『潜入』だ」

「現在、アブラクサスには不法滞在者が共同体を作っている」

「我々の内から数人、アブラクサス内部に潜入し、共同体の長について調査する」

「大まかな流れは以上だ。順次、質問を受け付けよう」

 

バルバトス

「我々って事は……?」

 

グレモリー

「もちろん、私も頭数の一人だ」

「ソロモンがすぐにツテを用意できなければ、私がメギド代表となる手筈だった」

 

ソロモン

「やっぱり、想定の内だったのか……」

 

エリゴス

「不法滞在者ってのは、要するに流れのならず者とかって事か?」

 

グレモリー

「公的にはな。詳細に身元まで調べたわけではない」

「安住の地も無く、誰にも身元を探されていない者達。それは確かだ」

 

エリゴス

「つまり、場合によっちゃそいつらを『助ける』事も考えるべきって事か」

 

バルバトス

「ちょっと待て……? そういった人々の中に『潜入』するのが任務って……」

 

ソロモン

「ガブリエル、最初にハーゲンティに何か興味示してたのって……?」

 

ガブリエル

「これ以上の適役も居ないでしょう。純粋に、価値を認めただけの事です」

 

バルバトス

「(悪びれの欠片もない。本音で言ってる……)」

 

ハーゲンティ

「何かよくわかんないけど、あたい褒められてる!」

 

ソロモン

「いや、あの……」

 

ハーゲンティ

「まっかせてちょーだい!」

「『これ以上ない』なんて言われちゃあ頑張らないわけにはイカンでしょ!」

 

エリゴス

「文句言うに言えねえ……」

 

バルバトス

「ハーゲンティがハーゲンティだったから良かったものを……」

 

シバ

「全く……」

 

ザガン

「えっと……私も質問、良いかな?」

「そもそもなんだけど、それって私達がやる必要あるの?」

「その長って人を調べるだけなら、お城の諜報の人とかの方が良いんじゃない?」

「ヴィータが住んでるなら、幻獣に襲われて困ってるって事も無さそうだし」

 

グレモリー

「いや、必要ある。大きな理由は2つだ」

「1つは、アブラクサス周辺で幻獣が忽然と姿を消した事」

 

ザガン

「へ? 幻獣が居なくなったなら良い事なんじゃないの?」

 

バルバトス

「いや待て。それは確かに妙だ」

「アブラクサスには人が住んでいる。幻獣の足取りが追えなくなったとすれば……」

 

ソロモン

「ヴィータを嗅ぎつけて、アブラクサスに入り込んだ……!?」

 

ザガン

「あっ……!」

 

バルバトス

「だが、それなら『アブラクサスが幻獣に襲われた』と言えば良い」

「つまり、本当に『消えた』んだ」

「周囲では発見されず、しかしアブラクサスにも周辺領にも『被害がない』」

 

グレモリー

「そうだ。ではソロモン、思い当たる可能性は?」

 

ソロモン

「俺? うーん……まずはゲートだけど、微妙だな」

「言い方からして、消えた後、出てきてないって事だと思う」

「基本、ゲートはメギドラルが管理してる。『しまう』ばかりとは考えにくい」

 

バルバトス

「それにゲートがあれば、騎士団もそんな情報は持ち帰れない」

「幾らでも幻獣を送り込めるんだ。生きて帰れるような数じゃ済まない」

 

ソロモン

「『ただ消えた』のなら、戦闘の痕跡も無いって事だよな」

「誰かが退治した線も薄い。なら……『操った』くらいしか無いな」

 

グレモリー

「同感だ。王都側も同様の結論を出した」

 

エリゴス

「つまり、『親玉』が居て、どっかに潜伏させてるって事だよな?」

「もし『親玉』が『野良よりマシ』程度だったとしても……」

 

ザガン

「新しく『親玉』が現れたって事は『送り込まれた』って事だから……」

 

ソロモン

「メギドラルか……!」

 

グレモリー

「それだけじゃない。もう一歩考えてみろ」

「幾らヴィータが居ようと、アブラクサスそのもののフォトンは今も枯渇したままだ」

 

ガブリエル

「グレモリー」

 

グレモリー

「んん? どうした?」

 

ガブリエル

「……いいえ、忘れて下さい」

 

バルバトス

「(余り知られたくない事を、グレモリーから仄めかしてくれている……)」

「(当てられるか? 情報は足りないが……いや、違うなら後で考え直せばいい)」

「……共同体の長というのが……幻獣かメギドの可能性がある?」

 

ソロモン達

「!?」

 

バルバトス

「(ガブリエルの反応は……)」

 

ガブリエル

「……」

 

バルバトス

「(反応なし。まあ、ボロを出すタイプでもないか)」

「まず、幾ら統率した所で、低級な幻獣はフォトンの誘惑に抗えない」

 

エリゴス

「言われた通り隠れてても、何匹か我慢できなくなるはずって事か」

「それなら今頃は、アブラクサスが襲われて逃げてきた連中が幾つも見つかってる」

「生きてるか死んでるかは別にして……だけどな」

 

ソロモン

「それにフォトンが枯渇すると、そこを中心に周辺のフォトンも減る」

「フォトンが足りない方に流れていく。それで本来なら多少、自然も保たれるんだ」

「だから、通常の土地なら一時的にフォトンが失われても、すぐに影響が出る事は少ない」

 

ザガン

「じゃあ枯渇しちゃった土地ってのは、回復しないの?」

 

ソロモン

「ああ。多分、直接湧いてくる分が無いと、元が取れないんだと思う」

「だから、枯渇している所に近づくほど、環境も寂れていく」

「『境目』の土地はすぐ隣が枯渇地帯な分、補填される総量も減るからな」

 

バルバトス

「穴の空いたバケツを繋ぎ合わせたみたいに……ってね」

「つまり、幻獣がアブラクサス周辺に潜伏し続けるのは難しい」

「毎日がフォトン不足だ。尚更、幻獣にはアブラクサスの住民が魅力的に見える」

 

ハーゲンティ

「うんうん、ダメって分かってても、手を出さずには居られなくなっちゃうよね」

「あたいもよーく分かる! 一度は犬の餌を半分くらいはって考えた事だって……」

 

ソロモン

「そ、そんなに困ってたのか……?」

 

ハーゲンティ

「今は大丈夫! ボスのお陰で、たまに拾い食いすれば足りるから!」

 

ザガン

「それも充分ダメだって!」

 

バルバトス

「えー……とにかくだ。ここまではまだ『前置き』だ」

「本題は……そもそも、そんな土地まで幻獣が寄り付くはずがない」

「周辺にはフォトンも健康なヴィータも抱えた領地が幾つもあるんだから」

 

エリゴス

「つまり……?」

 

ソロモン

「『幻獣が消えた』って事件が起きる事自体がおかしいんだ」

「消えるも何も、幻獣はアブラクサスに『現れない』」

「周辺領まで住処を移して襲えば良いのに、アブラクサスに留まる理由なんて無いんだ」

 

エリゴス

「あ、そっか。じゃあ……」

「まさか、アブラクサスに幻獣が『居る』って時点で?」

 

バルバトス

「もう『操られてる』。恐らく、周辺領から逆に引き寄せられたんだ」

「そしてさっきの『前置き』だ。いつまでも幻獣を周囲に隠してはおけない」

 

ザガン

「でも、実際に幻獣が現れて、消えたんでしょ?」

「消えたんなら隠れてるはずで、他に……あっ!」

 

エリゴス

「潜伏先は……アブラクサスの中……!?」

 

 

バルバトス

「そういう事になる。そして恐らく、幻獣の餌はヴィータじゃない」

「人里の脇で、飢えた幻獣を何匹も隠すなんて並大抵じゃできない」

「密かに生贄にしてたって、王都並の人口でもなきゃ隠すのは無理だ」

 

エリゴス

「すぐに『急に居なくなった知り合い』が出てきて怪しまれちまうな」

 

ソロモン

「でも幻獣を大人しくさせるには、フォトンを生み、与える必要がある」

「それもヴィータを襲う気を無くさせるくらい、タップリと」

「そんな力を持って、しかもアブラクサスに居て、お互いが安泰で過ごせる立場……」

 

エリゴス

「トップを狙うしかねえな。それで、協力者を用意する」

「上から物言って、幻獣の棲家とヴィータの住処をザックリ切り分けさせるんだ」

 

バルバトス

「可能性の面で幻獣も候補に挙げたけど、殆ど答えは決まってる」

「秘密結社でも無しに、姿を見せずにトップが力を振るう事はできない」

「例えプーパだって、ヴィータに化けるのは限界があるだろうしね」

 

グレゴリー

「そう。それが2つ目の必要だ」

「王都は、『シュラー』と呼ばれている長がメギドであると睨んでいる」

 

ソロモン

「『シュラー』……」

 

グレゴリー

「アブラクサスに住む者達が、長をそう呼んで崇めているらしい」

「そろそろ次の話に移りたい。他に質問が無ければ打ち切るぞ」

 

ハーゲンティ

「はい! お仕事中のご飯は出ますか!?」

「あと……お金は!? お金は! どれくらい! もらえますか!!」

 

バルバトス

「(目が本気過ぎる……!)」

 

グレモリー

「ああ。『どちら』だろうと、少なくとも一日3食は保証される」

「謝礼も、かつてない数の依頼者が各々で準備済みだ。存分に期待するといい」

「もし出し渋られたなら言え。働きに応じて私が出そう。金ならあるぞ」

 

ハーゲンティ

「いぃやったぁぁぁぁぁぁーーーーーーーいっ!!!!」

「一生ついていきます! グレモリーの姐御! いえ、マム!!」

 

ソロモン

「(お、俺と同格……!?)」

 

バルバトス

「(『どちら』だろうと……か)」

「(これは、ガブリエル達が来る前に考えてた『候補』……当たりかもしれない)」

 

グレモリー

「質問はもう充分だな?」

 

バルバトス

「連名でまで依頼する理由は、粗方分かったつもりだよ」

 

エリゴス

「廃墟で幻獣匿ってヴィータも支配して……疑うなって方が無理だな」

 

ガブリエル

「では次の問題、私から説明します」

「アブラクサスの現状は、王都にもメギド72にも『都合が悪い』」

 

ザガン

「迷惑……って事?」

 

エリゴス

「そりゃあソロモンの召喚受けてないメギドが野放しじゃ都合悪いだろうよ」

 

バルバトス

「いや、それだけじゃないな。さっきまでの話で大体察しがついた」

「情報収集のみに留まってるって事は、王都はアブラクサスとパイプを持てていない」

「つまり、仮に『シュラー』がメギドで無くても、『穴』が出来てる事になる」

 

ソロモン

「『穴』……?」

 

グレモリー

「アブラクサスの中では、王都の取締の目をくぐって『何でも』出来てしまう」

「ヴィータの犯罪は元より、メギドラルの暗躍もだ」

 

ソロモン

「あっ……!」

 

ザガン

「でも、そんな所、他の廃墟とか洞窟でも同じじゃないか」

「だったらいつもみたいに攻め込んで私達が懲らしめれば……」

 

エリゴス

「いや待て。アブラクサスは行き場の無いヴィータの拠り所なんだろ?」

「場合によっちゃ、あたしらで『カチ込め』なんて言われても……」

 

ザガン

「あ……うん。メギド退治の間に『うっかり』なんて、そんなの絶対イヤだし……」

「それにその人達も、『シュラー』のお陰で生活できてるのかも知れないのか……」

 

バルバトス

「ハルマが攻め込もうにも、向こうにメギドがいる公算が高い」

「かと言って、アブラクサスが何か悪魔的な危険を及ぼすという確証も立ってない」

「確実視できないなら、エンカウンターを易易と使うわけにいかないだろうね」

 

ガブリエル

「心情としては、歯痒いものもありますがね」

 

バルバトス

「(最悪、ハルマが攻め込む事さえ敵の計画と言う事も有り得るから……か)」

 

グレモリー

「しかもアブラクサスが共同体として目立ち始めてから随分立つ」

「王都が調べた限り、現在のアブラクサスが立ち上がったのが2年前だ」

 

ソロモン

「2年!? もう、中でメギドラルの計画が動いててもおかしくない……!」

 

エリゴス

「何でそんなに放っといたんだよ!」

 

バルバトス

「二年前のある日突然、ポンと出てきたわけじゃないだろうからね」

「アブラクサス自体が何か『活動』を行ってるって事だね?」

「ジワジワと成長を続け、ここしばらくになって、無視できない規模にまで膨らんできた」

 

ガブリエル

「その通りです。二年前というのは、調査によって判明した過去でしかありません」

「我々が注視するほどに勢力をつけ出したのはもっと後になってからです」

「それに……あなた達が現れるまでは、打つ手にも非常に乏しかった」

 

ソロモン

「そうか……相手はメギドかも知れないんだもんな」

「ヴィータには危険過ぎるし、ハルマが行けばハルマゲドンが……」

 

エリゴス

「それで、バルバトスの言う『活動』ってのは何だ?」

 

ガブリエル

「一部周辺領との、商取引です」

 

ザガン

「商取引って……商売してんの!?」

 

ガブリエル

「驚いた事に」

「フォトン枯渇地帯ならではの植物、作物の輸出が主だそうです。表向きは」

 

エリゴス

「うへぇ、表向きと来たか」

 

ガブリエル

「遺憾ながら、証拠はまだ掴めていません」

「しかし、表向きの輸出入の目録のみでは考えられない結果が出ています」

 

ソロモン

「えっと……?」

 

グレモリー

「どう見ても、アブラクサスが富んでいる」

「無フォトン作物など精々が研究資料。だがそんな需要で成り立つには不可能なほどにだ」

 

ガブリエル

「具体的には、アブラクサスは取引実績のある領地から大量の輸入を行っています」

「食料、衣類、日用品、工具……更には化粧品、嗜好品、貴金属まで」

 

ザガン

「ア、アクセサリーまで買う余裕あるの!?」

 

バルバトス

「宝石類や純金なんか買っていたら、エルプシャフトの物価変動に備えて蓄財もできるな……」

 

エリゴス

「それもう殆ど国じゃねえかよ!」

 

ハーゲンティ

「う……羨ましいっ!!!」

 

ソロモン

「廃墟に集まっただけの人達が、一国同然の生活して、他の国相手に貿易してる……」

「確かに、なんとなくマズいのは分かる。それもフォトンの無い土地で……」

「あ……バフォメットが居ないかってガブリエルが聞いたのは、この事で意見を聞くためか」

 

バルバトス

「(それもわざわざ口に出す程の事じゃないのに、だ。『隠し事があります』と言わんばかりに)」

「まあ表向きの取引だけでも、充分に問題だけどね」

「エルプシャフト領内で、王都を無視して金をやり取りしてるんだから」

「関税なんて払ってるはずもない。幻獣退治といったエルプシャフト領内の福祉を受けていながらに」

 

エリゴス

「何となく分かるな。他人のシマで勝手に店開いて巻き上げてる族が居るみたいなもんか……」

「ってオイ、シャレになんねえじゃねえか!!?」

 

ザガン

「そ、そんなにマズイの……?」

 

エリゴス

「ウチの地元じゃあ、どっちかが潰れるまで戦争待ったなしだ」

 

ザガン

「地元って……ヴァイガルドの方の事だよね……えぇぇ……」

 

バルバトス

「しかもその輸入の財源が不透明か……ヴィータ的にも看過できないな」

「そうなると、周辺領も怪しくなってくるな」

「複数の領地が共謀しての不正の疑いもある……連名での依頼も納得か」

「こんな事を下手に放置してたら、王都の信頼にまで関わるぞ?」

 

シバ

「そう。まさにそれじゃ」

 

ソロモン

「シバ?」

 

シバ

「ここしばらく、東奔西走しておってな。王都の護りたるはずの、このわらわがじゃ」

「ともかく、お陰で見聞というものが広がっての」

「いつぞやの『ソロモン王黒幕』の噂……所によってはまだ生きておる」

 

ソロモン

「まさか、葬送騎士団の……!?」

 

エリゴス

「ソロモンが居ねえ隙にアジトに殴り込まれた頃、広められてたっていうアレか」

「『ソロモンが幻獣をけしかけてる本星だ』とかふざけやがって……」

「クソッ、片付いたんじゃねえのかよ胸糞ワリイ!」

 

バルバトス

「噂と物語の境界は曖昧だ。語り、受け継がれ、時に姿を変える」

「現地に証拠が届かなければ、異郷で起きた事実の一つとして価値を持ってしまう」

「人の口から出たものは必ず残る。だから……消えないと思った方が良いよ」

 

シバ

「同時期に流された、『王都・魔王ソロモン癒着』の噂もじゃ」

「そして近頃のフルカネリ商会……何が言いたいか分かるな?」

 

ソロモン

「アブラクサスを皮切りに、独立運動の気運が高まるかも知れない……って事だろ?」

 

シバ

「うむ……」

 

バルバトス

「アブラクサスひとつで、随分と畳み掛けられてしまうものだな……」

 

ガブリエル

「メギドラルの爪痕は、否応なく残り続ける。重々承知はしていましたが……」

「こんな形で突きつけられるとは、見通しが甘かったと言わざるを得ません」

 

ザガン

「あ、あの、何か申し訳ないんだけど……」

 

エリゴス

「安心しなザガン。あたしも何が何だかさっぱりだ」

 

ハーゲンティ

「もちろんあたいも! ね、ハルちゃん?」

 

ザガン

「(ハルファス、当然のように黙りっぱなしだったな……)」

 

ハルファス

「え?」

 

ハーゲンティ

「え?」

 

ハルファス

「えっと、色んな国で反乱が起きて、ヴァイガルドがダメになって……」

「って事じゃ、無いっぽい……のかな?」

 

ソロモン

「ハルファス、もうちょっと言葉を選んでもらえると……」

 

エリゴス&ザガン&ハーゲンティ

「分かったの!?」

 

ソロモン

「(答えが出せないだけで、意外と見聞きしてるんだよなあ)」

 

グレモリー

「ハルファスの言う通りだ。順番に『要素』を並べ直してやろう」

「その1、『ソロモンが全ての元凶、更に王都と手を組んでいる』という噂がある」

「その2、フルカネリの兵器で武装し、独力で幻獣に対抗したがる街が増えている」

「その3、アブラクサスという、王都抜きでやっていける共同体が実在する」

 

バルバトス

「ついでにその4──」

「未然に防がれたけど、王都から独立しようした国家には、もう前例がある」

 

エリゴス

「ちょ、あ、あたしらで考えろってのかよ! え~っと……」

「まず、そんな噂があったら、まあ聞いたやつは気が気じゃねえよな?」

 

ザガン

「多分、今出てきた『要素』が全部繋がってるって事だから……」

「フルカネリの兵器で武装する理由が、『ソロモンの噂で怖くなって』……って感じ?」

 

ハーゲンティ

「全然わかんないけど、取り敢えず、アブラクサス羨ましい!」

「貧乏生活から、他の国のモノお取り寄せできるくらいの金持ちに……!」

「そんなにうまく行くなら、あたいだって国を作りたい!」

 

エリゴス&ザガン

「あ……」

 

ハーゲンティ

「え?」

 

ザガン

「それ……それだよハーゲンティ!」

「アブラクサスに出来るなら、自分の国でも出来るかもって思っちゃうよきっと!」

 

ハーゲンティ

「できるって……他の街は最初からお金持ちじゃない?」

 

エリゴス

「そっちじゃねえ。王都が悪魔の手先とヨロシクやってるなんて噂があるんだ」

「王都が信用できなくなったら、王都と縁を切りたくもなるだろ」

「しかも王都に税金とか納めてる横で、王都無視して荒稼ぎしてる国があるんだぞ?」

 

ハーゲンティ

「……あ!」

「だったら、あたいもアブラクサスみたいに王都とエンをキル!」

 

ソロモン

「い、言い方……!」

 

バルバトス

「だが、悪の手先の王都が、金づるの自分たちを逃がすはずがない」

「でも、収めた税金は世界を滅ぼすために使われてるかもしれない」

「けれどもだけど、命もお金も安心も全部欲しい……ならどうする?」

 

ハーゲンティ

「欲しいモン全部、王都から『ちょうだい』する! フォトンみたいに!」

 

シバ

「ここにカマエルがおらんで本当に良かった……」

 

バルバトス

「いやあ、メギドとしては百点満点の答えだね」

「そうとも。そのための力を、今ならフルカネリ商会から買えてしまうんだよ」

「実行しようとさえ思えばいつでも出来てしまう状況は、王都にとって非常にやばい」

 

ハーゲンティ

「じゃあ、ボスの事勘違いして、フルカネリから武器買って──」

「王さま達が悪者だと思って喧嘩売る人が増えるってこと!?」

 

バルバトス

「そういうこと」

 

ハーゲンティ

「やった! あたいバカじゃなかった! 無いのはお金だけ!」

 

エリゴス

「つまり、最悪のパターン踏んじまうと……」

 

ガブリエル

「アブラクサス一帯が犯罪天国化。ヴァイガルド侵略の橋頭堡に」

「続いて王都並びに親王派諸侯の信用が失墜、かつての葬送騎士団の再来」

「フルカネリの横行、相次ぐクーデター、そしてハルマへの反攻……」

「その頃には、とっくにハルマゲドンが勃発しているでしょうがね」

 

一同

「……」

 

グレゴリー

「依頼の重要性は、十二分に周知されたな」

「最後になったが、任務の具体的内容に入る」

 

ソロモン

「手始めにシュラー……アブラクサスの長を調査するんだな」

「シュラーの正体と目論見によっては、最悪の事態は成立しなくなる」

 

ザガン

「そ、そうだよね、まだ『もしかしたら』の話をしただけだもんね」

「たまたま怪しかっただけで、メギドラルとは何の関係も無いかもしれないし」

 

グレゴリー

「そう上手く事が運べばの話だがな」

「数日の準備期間を設けた後、私達はアブラクサスへ向かう」

 

ガブリエル

「移動に関しては、まずポータルで周辺領へ転移、以降は陸路です」

「アブラクサスは海岸に面した地形ですが、わざわざ船を使う理由もありません」

 

ソロモン

「周辺の領地のポータルって、登録してたかな……」

 

バルバトス

「それもあるけど……大丈夫なのかい?」

「領地によってはアブラクサスの鼻薬を嗅いでるかもしれないんだろ?」

 

ガブリエル

「問題ありません。周辺領の取引の記録は全て調査済みです」

「その上で、取引無しかつ王都と繋がりの深い領地のポータルを用います」

「候補となる各領地のポータルも登録済みのはずです」

「以前の連絡網敷設の際、要登録先として指示を送っていますので」

 

ソロモン

「そうだったのか……!?」

 

バルバトス

「メギド総出で登録に走り回ったからねぇ」

「恥ずかしながら、俺も行き先全部は把握してない」

 

ガブリエル

「一度破壊されていますが、当該キーの復旧は済ませています」

「現在は、既にそちらのアジトに配備されているはずです」

 

バルバトス

「(連絡網の計画が出た頃から、この依頼は予定されてたって事か)」

「(となると、今まで地道に情報収集してたとしても、何故このタイミングを選んだ……?)」

 

ザガン

「ねえ、ずっと気になってたんだけどさ……」

「それで、何でメンバーの半分以上が女の子じゃないとダメなの?」

 

ガブリエル

「それをこれから説明する所です」

 

ザガン

「あ、そうだったんだ。ごめん……」

 

グレモリー

「理由は簡単だ。アブラクサスは今から一年と数ヶ月ほど前に──」

「構成員の男性を一人残らず追放し、以来『男子禁制』を敷いている」

 

バルバトス

「男子禁制……つまり、女性の園!?」

 

エリゴス

「なに食いついてんだよ」

 

グレモリー

「作戦のあらましは、こうだ」

「まず、アブラクサス周辺で監視を続けている騎士団と合流」

「ここで女性メギドは身分を偽装、逃げ延びてきた流民に扮する」

「そしてアブラクサスに潜入、各々でアブラクサスとシュラーの実態を調査だ」

 

ソロモン

「男の俺とバルバトスはどうすれば?」

 

グレモリー

「駐屯騎士団と共に監視組として、動きがあるまで待機だ」

「周辺一帯でも出所不明の幻獣が報告されている。こちらの調査も併せて頼む」

 

バルバトス

「その『動き』があった時に監視組は、どうやって確認するんだい?」

 

エリゴス

「(『男子禁制』に盛り上がってた時の顔は、どうやって引っ込めたんだよ)」

 

グレモリー

「既にアブラクサス内部に王都の騎士を1名送り込んでいる」

「潜入組はその者と連携し、各自で得た情報を監視組に伝達する」

「詳細は追って説明するが、アブラクサス内外での連絡手段も幾らか確保済みだ」

 

バルバトス

「了解。じゃあ……半月から一ヶ月の間、どうするつもりなんだい?」

「俺達じゃなく、君ら依頼者側としてだ。どういう運びを期待してる?」

 

ガブリエル

「……」

 

グレモリー

「まず、アブラクサスの門を叩いた者は原則、脱退を認められる事はない」

「必然、最後はアブラクサスという構造を破壊して出ていく事になる」

「その間、諸侯の間で協議を進める。主に救助者の受け入れ先について」

 

ソロモン

「救助者……アブラクサスの住民の事か」

「どう転んでもアブラクサスを、その……住めなくするって事だよな?」

「もし、シュラーやアブラクサスに大きな問題が無くても……」

 

バルバトス

「彼女達なりの生活があるとはいえ、政治的に立場が悪すぎるからね……」

「依頼者側は俺達の任務中に議論を詰める……引き伸ばしてくれた方が望ましいかな?」

 

ガブリエル

「お構いなく。調査の成り行きによっては、初日にシュラーを始末しても結構です」

「メギド72は、政治家の都合などに振り回されるべきでない。王の意向です」

 

バルバトス

「不都合が生じたなら、王さまが責任を持つって事か」

「まあ、王とは浅からぬ仲だ。可能な限り善処してみよう」

 

ザガン

「(政治家みたいな事言ってる……)」

「でも、私達はソロモンと別行動になるって事だよね?」

「シュラーが本当にメギドだった時とか、まともに戦えないと思うんだけど……」

 

ガブリエル

「すぐに戦闘を行う事は避けてください。任務はあくまで『潜入』です」

「シュラーがメギドであるという確証が得られたなら、まず連絡を」

「連絡を受けた後、監視組が突入、戦闘はそれからです」

 

ザガン

「うーん、地味だなあ……」

「でも……そっか。やっと分かってきた。だからメギドで潜入なんだね。ちょっと安心した」

「ヴィータには荷が重いし、ハルマは簡単に出てこれない」

「万一の時には戦ったりして、情報も持ち帰るならメギドしか居ないんだ」

 

ソロモン

「潜入した仲間が先手を打たれて襲われたなら、俺が召喚すれば良いんだな」

「前に、アムドゥスキアスから俺に召喚を呼びかけてくれた例もあるし」

 

バルバトス

「それに周辺の経済や難民問題が絡むなら、お忍びでの仕事もやむなしか」

「そして今回は『最初から』メギドが関わっていると、ほぼ決まっているわけだ」

「『後からメギドの関与が分かった』なんて事件に慣れてて、すっかり見落としてたな」

 

ガブリエル

「入室前にどんな話をしていたのか、目に浮かぶようですね」

 

シバ

「安心せい。おぬしらに妙な仕事をさせようなど、このわらわが許さん」

「例え誰であろうと、隠し立てしようとも、じゃ……良いな?」

 

ガブリエル

「……」

 

バルバトス

「(あからさまに疑われてる。やっぱり妙だな)」

「(隠し事があるなら、一番身近な人間を怪しませない事が不可欠だろうに)」

「(何より一番妙なのは……『むしろ怪しませようとしてる』って事だけどね)」

 

グレモリー

「出発予定日は明日中に通知する」

「予定日までの間に、こちらは偽装身分の筋書きや各所との連携を済ませる」

「ソロモン、貴様は念の為、監視組の増員でも考えておけ」

 

ソロモン

「わかった。けど、増員組には事情は伏せた方が良いか?」

 

ガブリエル

「できれば誤魔化して欲しい所ですが、そこまでの機転は期待していません」

「必要に応じて必要な程度……判断は任せます」

 

グレモリー

「何事もさじ加減はあるがな。我々にも我々の判断があるように」

 

ガブリエル

「……」

 

バルバトス

「(やっぱり露骨に匂わせてくる……)」

 

グレモリー

「他に質問が無ければ今日は解散だ。何かあるか?」

 

ハーゲンティ

「はい! アブラクサスの中でもごはんはもらえますか!」

 

ソロモン

「それさっきも聞いたやつ……」

 

 

 

<GO TO NEXT>




※ここからあとがき

 初っ端から長文で失礼します。
 原作イベントクエストのように、五部構成かつ、前半と後半の間で戦闘が発生している、という条件で今回は書いて見ようと思っているのですが、早速ご覧の有様です。
 原作がいかにプロの構成力に支えられているかを思い知らされたような気分です。
 ガブリエルが訪れるまでの会話を、何らかの理由で馬車で移動している間の出来事にして、道中で幻獣退治してから後半で残りの部分を……とも考えましたが、ハーゲンティとハルファスにお茶菓子を与えたかったので続行しました。
 ざっと検索してみると、一話文字数平均10000文字以上で検索してみて、結果は5600件超。これが多いか少ないのかは分かりません。
 とにかく、前作よりも一話あたりの字数が増えると思われますが、どうかお付き合い頂ければと思います。


 エリゴスがまだ弊アジトに来ていないのもあり、エリゴスのヴィータとしての生活がアジトで知られているか否かが分からなかったので、説明をボカしてみました。

 調べた限りでは、ハーゲンティは人を呼ぶ時、主に役職や人称代名詞を用いて、相手によっては頭にその人の名前が来るといった印象なのですが、同年代を何と読んでいるかがちょっと見つからなかったので、自分で考えてみました。
 口調が独特な子なので、普通に名前呼び捨てとかではちょっと違うかなと思い、ハルファスを「ハルちゃん」とあだ名呼びさせてみました。


 最後になりますが、ザガンに続いてオリ設定を追加したハルファスについて。
 7章で活躍するとは聞いていますが、まだ実際に確認できていません。
 なので、7章で判明する設定その他と些か異なる可能性があります。
 7章がメギドラルでの出来事と聞いているので、メギドラルでのやり取りが出自に影響するかは微妙ですが、精神性はズレて見えるかもしれません。平にご容赦願います。


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1-1後半「仔牛たちの馬車道」

 ヴァイガルド某所。馬車で移動中のソロモン一行。

 キャラバンが品を収めるような大型の幌馬車に偽装してあるが、中は広く、座席や窓まで設えてある。多少間取りは異なるが、大まかには列車の客席を思わせる造りだった。

 途中、通りすがりの幻獣など退治して、一息ついている。

 

 

ソロモン

「──光の通り道?」

 

バルバトス

「ああ。栄えていた頃の『アブラクサス』は、吟遊詩人の間でそう歌われていた」

「今となっては語りの場での出番も無くなり、むしろ歴史の分野になりつつあるけどね」

 

ザガン

「ちょっとロマンチックそうな名前だけど──」

「光なら、今ここにも通ってるし、特別って感じはあんまりしないなあ」

 

 

 時刻は正午少し前。天気も良好である。

 

 

バルバトス

「かつては、ヴァイガルドに光は存在しなかったと言われてるんだ」

「アブラクサス一帯の地方の言い伝えではね」

 

ソロモン

「光が……? どういう事だ?」

 

バルバトス

「この辺りにはエルプシャフト以前から伝わる民間伝承があるんだ」

「言い伝えではかつて、世界には暗闇と混沌しかなかった」

「しかしある時、何か力のある存在が世界に降り立った」

「その存在は、ある場所で光を掘り当て、それでまず、最初に光に照らされ空が生まれた」

「続いて大地が生まれ、海が生まれ、命が生まれ……そして今のヴァイガルドが出来た」

「歴史の古い土地にはよくある、創世神話ってやつさ」

 

ソロモン

「この世界が最初にどうやって生まれたか……っていう類か」

 

バルバトス

「更に言えば、この創世神話、幾つかの伝承がモデルになってる」

「アブラクサス周辺でも文化は色々でね」

「神話と違う伝承を持つ村々が幾つかあって、後から神話にあやかったんだ」

「最も古くスケールの大きい神話に、ウチの言い伝えも関係ある事にしようってね」

 

ハーゲンティ

「あっ、あたい似てる話知ってる!」

「『ウチの婆ちゃんは王さまの爺ちゃんの隠し子だから財産ちょっとくれ』ってやつだよね!」

 

エリゴス

「そりゃただの詐称だ……」

 

バルバトス

「ま、実態は似たりよったりだけどね。お話に実在の法律は関係ないってやつで」

「例えば今の周辺領の一つに、古代戦争後に生まれた、こんな言い伝えがある」

「その地に生まれたとあるヴィータは、誰より強く逞しく、そして美しく成長した」

「そのヴィータは人智を超えた力を振るい、土地と民を守るため、昼夜を問わず戦い続けた」

 

ソロモン

「古代戦争以降って事は、追放メギドの可能性もありそうだな」

 

ザガン

「クロケルとかシトリーとか、思いっきり語り継がれてるしね」

 

バルバトス

「俺もそう思う。とにかく時代が下るに従って、この守り主は創世神話と結びついた」

「光を掘り当てた存在……世界の造り主は、この守り主と同一人物という事になったんだ」

 

ハルファス

「でも、守り主はヴィータから生まれたんでしょ?」

「光を掘り当てたのは世界が生まれる前だから……どっちが正しい事になるの?」

 

バルバトス

「どっちも正しい。言ってしまえば、辻褄合わせってのは後でどうにでもなるのさ」

「追放メギドのように、光を掘り当てた造り主と、地元の守り主は同じ魂の持ち主って事さ」

 

エリゴス

「同じつったってなあ……ヴァイガルドの魂は地に還るもんだろうよ」

「それともアレか、世界の造り主サマの方は、あたしらと同じメギドだったとか?」

 

バルバトス

「魂が大地に還るって信仰自体がエルプシャフト以降だからね。まあ事実でもあるけど」

「当時この辺りでは、魂は幾度となく生まれ変わると信じられてたんだ」

「時にヴィータに、時に犬や虫、花に。命を終える度に終わり無く……ね」

 

ソロモン

「魂がフォトンになって自然を循環するのとは、似てるようでちょっと違うんだな」

 

バルバトス

「そう。似てるから、今の考え方が入ってからも軌道修正は難しくなかったんだろうね」

「今では、造り主の魂は余りに強大だから、大地に還っても形を保つのだと言われてる」

 

エリゴス

「つまり、魂を維持したまま自然の中を循環してんのか?」

 

ハーゲンティ

「どっかで詰まっちゃったりしないのかな……」

 

バルバトス

「はっはっは、詰まるってのは斬新だな。そのアイディア、後で買おう」

 

ハーゲンティ

「マジで!? あざぁっすっ!!」

 

バルバトス

「まあ詰まりはしないらしくて、造り主の魂は延々とこの世界を循環する」

「そしてその魂と精神は、いつかの時代、どこかの命に宿って姿を現すのさ」

 

ザガン

「昔と今の考え方、両方を上手く取り入れたってわけだね」

 

バルバトス

「そして、さっき話した守り主の方の名が──『シュラー』だ」

「今では光を掘り当てた存在の名も『シュラー』って事になってる」

「造り主は名を持たない存在として伝えられてたから都合も良かったんだな」

 

ソロモン

「アブラクサスの長の名前……! そうか、そこから来てるのか」

 

エリゴス

「さっきの話で考えると、アブラクサスの長はシュラーの生まれ変わりって具合か」

 

ソロモン

「世界の創造主で、人々を守るために戦うヴィータの名で崇められる……」

「それくらい、長は住民たちにとって大きな支えって事か」

 

ザガン

「うーん……依頼の後の事を考えると、ますますやりづらくなるなぁ……」

 

バルバトス

「こればかりは割り切るしか無いよ。あるいは考え方を変えるかだ」

「シュラーを頼りに生きてるって事は、その庇護を抜けられないって事でもある」

「彼女たちを廃墟から出し、依存を断ち切り新たな生活を与える──」

「そのためには、一度革命を起こし、シュラーを否定しなくちゃならない。そうだろ?」

 

ソロモン

「それも、そうかもしれないけど……」

 

ハルファス

「あの……まだ分からない事があるんだけど、良いかな?」

「光を掘り当てた場所って、アブラクサスで合ってるの?」

「さっきのお話だと、どこで光を掘り当てたかって言ってなかったと思うけど」

 

バルバトス

「お、ナイスタイミング。一旦、話を戻そう」

「こういった事は、悩んでも一朝一夕で答えは出せないものだからね」

 

ソロモン

「わかった。俺も、一旦切り替えるよ」

 

バルバトス

「それが良いとも。さて、ハルファスの質問だが……答えはその通り」

「ただし、後付でそうなっただけってオチがつくけどね」

 

ザガン

「後付? 『アブラクサスから光が出た事にしよう』って誰かが決めたって事?」

 

バルバトス

「そういう事。アブラクサスはバラを機に発展して、浜辺の漁村から大都市になった」

「以降のアブラクサスは主に学問と芸術を重んじ、街の美観をどんどん高めたんだ」

「その大躍進と全盛期の美しさを讃えて、この地こそ『光の通り道』に相応しい……とね」

 

エリゴス

「丁度、空も地面も海もあってお誂え向きってか。まあ良いんじゃねえの?」

「しかも、大昔からバラ1つに10万も100万も出す物好きな奴らがいて──」

「その結末が廃墟ってのも皮肉が効いてるしな」

 

バルバトス

「ちなみに、当時の正式な二つ名は『巨都アブラクサス』」

「名前通り、そこらの領地の倍は軽く超える面積だった事から来てる」

「その発展ぶりから王都との交流も深く、ハルマを誘致した記録もあるほどだ」

 

ソロモン

「ハルマも一時期は暮らしてたって事か。殆ど辺境ってくらい離れてるのに」

「経緯はだいぶ違うにしても、エンゲルシュロスと似た所があるんだな」

 

バルバトス

「後から住んでもらったって形だから、親密さでは流石に差があるけどね」

「ただ、似通っている所があるのも確かだよ。例えば……」

「ハルマが何か独自の設備を作ったという噂はあるけど、証拠が出てない所とかね」

 

ソロモン

「そ、そこ持ち出してくるのは、ちょっとどうなんだ……」

 

ハーゲンティ

「ちょっとそこ詳しく! もしかして、お宝の隠し場所とか!?」

 

ソロモン

「いや、そう言うんじゃないんだ。余り面白い話じゃないけど……」

「エンゲルシュロスの地下には、ハルマの実験場があったんだ」

「その……ヴィータが何人も犠牲になるような、人体実験のための」

 

ハーゲンティ

「お、おおふ……」

 

エリゴス

「なんでえ、ハルマ様でも案外やる事やってんだなあ」

 

バルバトス

「折しもメギドと戦争中に考案されたものだからね」

「相手は手段を選ばず有利になる一方だ。選り好みして滅ぶわけにもいかない」

 

ソロモン

「でも、今回はそういう事は無いはずだよな」

「後で調べてみたけど、アブラクサスが出来たのは古代戦争の後だし」

 

バルバトス

「……本当に何も無ければ、と思いたいけどね」

 

ソロモン

「同じハルマ絡みだからって、そんな疑ってかからなくても……」

 

バルバトス

「単なる印象被りなら、俺だってさっき沈んだばかりの空気にこんな話題投げないよ」

「ただね。エンゲルシュロスの一件以来、ずっと気になってるんだ」

 

ソロモン

「エンゲルシュロスの頃って……もうだいぶ前じゃないか」

「それからずっと、バルバトスでも未だに答えが出せてないって事か? 一体何が……」

 

バルバトス

「古代戦争時代、メギドに対抗するために作り出してしまった『負の遺産』──」

「護界憲章以降、それらはどこに行ったんだろうってね」

 

エリゴス

「普通に壊すなり、ハルマニアに持ち帰るなりしたんじゃねえの?」

 

バルバトス

「だったら、エンゲルシュロスの実験場だって現代に残ったはずがない」

「実際、実験場の機能は停止していたけど、破壊はされてなかったんだ」

 

ザガン

「確か、エンゲルシュロスって昔はハルマの砦だったんだよね?」

「だったらハルマが堂々と出入り出来る街だから──」

「何か見つかっちゃマズい物があるなら、いつでも簡単に壊せたはずか……」

 

エリゴス

「言われてみりゃ確かに……なら何でわざわざ残しといたんだ?」

「後でハルマのイメージ悪くする事くらい、戦争で頭に血ぃ昇ってたって分かるだろうに」

 

ハーゲンティ

「わかった! 勿体ないから!」

 

エリゴス

「いやいや、勿体ないで取っとくには流石に──」

 

バルバトス

「大雑把に言えば、俺の考えも大体同じだ」

 

エリゴス

「マ、マジかよ……」

 

バルバトス

「だってそうだろう? 護界憲章は殆ど、ハルマとヴィータのために作ったものだ」

「だったら、フォトン不足で喘ぐメギドラルが協定一つを馬鹿正直に守るはずがない」

 

ソロモン

「そうか。不測の事態の備えか」

「護界憲章を作った頃、もうハルマはある程度、予測していたんだな」

「メギドラルが憲章の網を潜って、フォトンを掠め取ろうとする事を」

 

バルバトス

「恐らくね。よもやこんな形でやってくるとまでは思わなかっただろうけども」

 

エリゴス

「ならまあ、『勿体ない』ってのも分からないとは言えねえか……」

「いつか仕掛けて来るなら、折角用意した『力』だ。捨てるに捨てきれねえ」

 

バルバトス

「だがその『力』も、護界憲章の直後では流石に無用の長物」

「憲章を2,3日で踏み倒す事までは流石に無い。当分の置き場が欲しくなるはずだ」

 

エリゴス

「で、結局使わず終いってか」

 

バルバトス

「まあ、戦争の道具なんて、そうであるに越した事は無いけどね」

「時間が経てば、流石に経年劣化で実用に耐えない物が出てくるはず」

「そうなると、今度は残した記録がハルマのイメージを汚しかねない」

「だから実物は腐るに任せ、歴史だけ隠蔽したんじゃないかな」

 

ソロモン

「ハルマは種族として老化して、外の事に興味を失ってるってどこかで聞いたな……」

「それで……アブラクサスを隠れ蓑にして、そのまま遺物の管理を放り出した?」

 

バルバトス

「あくまで可能性の話だけども、ただ──」

「何しろ今回、どうも『きな臭い』からねえ」

 

 

 バルバトスが視線を向けると、一行も、言わんとする所を察して注目する。

 会話に参加しているメンバーの座席から少し離れた所で、グレモリーが一人、武器の手入れをしていた。

 

 

グレモリー

「私に気を遣う事は無いぞ。構わず続けるといい」

 

 

 一行の方に見向きもせず、優雅に答えるグレモリー。

 少し声を潜めて会話を再開する一行。

 

 

バルバトス

「何も言う事は無い……ってわけか」

 

ザガン

「イーバーレーベンで領主様に挨拶済ませてから、ずっとあの調子だもんね……」

 

ソロモン

「それに……説明を受けた時に『我々も』同行するとは言ってたけど……」

 

 

 今度は窓の外を見る一行。

 ソロモン達が乗る馬車とは別に、人間が乗るに丁度良いサイズの馬車が並行していた。

 並行する馬車には、一般の馬車にも時折見かけられる簡素な窓が付いている。

 窓から見える馬車内の人物が、一行の視線に気付いて、目だけ一行に向けた。

 

 

ガブリエル

「む?」

「……ふっ」

 

 

 何がおかしいのか軽く笑んで、すぐに視線を自身の足元辺りに戻した。恐らく読書中か、公文書の類を査読しているのだろう。

 

 

エリゴス

「普段からあたしらに頼みっ放しのハルマが、わざわざ付いてくるたぁな……」

 

ザガン

「バルバトスの予感、本当に当たってたりして……」

 

ソロモン

「エンゲルシュロスの時も、密偵を送って遺跡を密かに破壊しようとしてたし……」

 

バルバトス

「自分で疑っといてなんだけど、そうなると今度はグレモリーが妙だけどね」

「王都にそんな企みがあるなら、あのグレモリーが簡単に足並み揃えるとは思えない」

 

ソロモン

「多分、シバがガブリエル達の不審な動きに悩んでるのを、グレモリーも承知してる」

「シバがどう思うか分かってて、シバの断り無く、ガブリエルと何か繋がりを持った事になる」

 

バルバトス

「尚更、そんな不誠実をグレモリーが認めた理由ってのが分からなくなるね……」

 

ザガン

「そういえば、お姫様は何であんなにしんどそうだったんだろ?」

 

ソロモン

「説明を受けた後、シバに聞いたんだけど……」

「何でも、ここの所、ずっとあちこちを走り回らされてるとかって」

 

エリゴス

「あちこちって、具体的には?」

 

ソロモン

「言葉通りだよ。エルプシャフトの、実際に行った事無い場所を片っ端から」

「東西南北……まるで世界地図を1から作らされてるみたいだって言ってたよ」

 

バルバトス

「何のためにそんな虱潰しみたいな……」

 

ソロモン

「それが……『何か危険な兆候が無いか探すため』としか聞かされてないらしくて」

 

ザガン

「『危険な兆候』って?」

 

ソロモン

「肝心のそこが全く。シバが説明を求めても同じ返事が返るばかり……」

「シバも『どこで何を調べれば良いのか分からない』って困惑してたよ」

「それも、何故かガブリエルは同行しないで、カマエルとだけ」

「カマエルも何も聞かされてないから、今にも噴火しそうになってるって」

 

ハーゲンティ

「うへえ、暑苦しいのにゾッとくる……」

 

バルバトス

「ガブリエルが別行動ってのがますます怪しいね。シバも気に病むわけだ」

「しかもアンチャーター探しみたいな、大まかな目標すら無いと来た」

「ちょっと、信じられないレベルだな。『重い盾』の王都なはずなのに……」

 

ソロモン

「『軽い剣』の俺だって、こんな仕事やらされたらって考えるだけでうんざりしてくる……」

 

ハーゲンティ

「お宝の地図も無しにお宝探すようなものだよね。わかる、あたいわかっちゃう……」

「そもそも都合の良いお宝なんて無いかもしれない。そんな事は分かってる──」

「でもそうでもしなきゃ、お宝でも見つけなきゃやってられない生活が待ってるから!」

「しかもお宝探しで無駄にした時間とセットで! 苦行ってレベルじゃないよ!」

 

バルバトス

「それは現実から目を逸らしてるだけじゃないかな……」

 

ザガン

「そこは流石に、地道にコツコツ働こうよ……」

 

エリゴス

「そもそもそんなしょうもない仕事、何だってシバの女王がやらなきゃならないんだ?」

「いつもみたいに騎士団パシらせりゃあ良い話だろうに」

 

バルバトス

「本来ならそうするのが当然だけど、騎士には任せられないのかも……」

「余程の機密に関わるか、その『兆候』の正体がハルマを必要とする程の『危険』か……」

 

ソロモン

「でも、それもそれで怪しすぎる」

「『兆候』の正体をシバに説明できてないって事は……」

 

バルバトス

「うん。危険と分かっていながら正体が掴めてないか、シバにも言えない何かって事だ」

「捜索を命じたであろう、王さまやガブリエルすらも、ね……」

 

ザガン

「でも、グレモリーは何か知ってるかもしれないって事だよね……?」

「ガブリエルと協力してるし、今回の依頼も王さまと一緒に出してるし……」

 

 

 再びグレモリーを見る一行。

 武器の手入れを終えたグレモリーはリラックスした様子で、依頼に関する書類の束を読み直している。

 

 

エリゴス

「やっぱり、一度ビシッと言ってやった方が良いんじゃねえか、ソロモン?」

「『あからさまに腹に一物抱えといて本当に協力する気あんのかー』とかよ」

「それにほら……あの……」

「ここしばらくさ、仲間内でギクシャクする事もあったし……」

 

ソロモン

「俺もだいぶ考えたけど……多分、それは『やるべきじゃない』んだと思う」

 

バルバトス

「俺も同感。『やるだけ無駄』というのもあるけど、別の意図がある気がするね」

 

ザガン

「別の意図?」

 

バルバトス

「依頼の説明に入った時点から、怪しさが露骨すぎるんだよ」

「つまり、俺達が怪しんで、『考える』。そうなるよう仕向けたいんだ」

 

エリゴス

「ちょっかい出されたくらいで音を上げてちゃナメられるってわけか。ふざけてくれるぜ」

 

ソロモン

「不安はあるけど、俺達は仲間としてグレモリーを信じてる。それはグレモリーも同じはずだ」

「その信頼の上で、こういう形を取る理由があるんだと思う」

 

ザガン

「理由って……?」

 

ソロモン

「まだ分からないけど……多分、『試してる』」

「きっと、俺達がグレモリー達の思惑を見抜けるかどうかは、大した問題じゃないんだ」

「正解とか確かな基準は無くて、この状況で俺達のとる行動から、『何か』を見定めたいんだ」

 

バルバトス

「筋書きが読めない事に変わりはないけどね」

「シバの冷遇に、王さまに不信が飛び火する恐れもあるあの態度だ……」

「ハルマが『試験』を提案して、グレモリーが思う所あって監修……か?」

 

エリゴス

「グレモリーがかぁ……?」

 

ザガン

「でも、ちょっと有り得そうな気がしてきたかも……」

「グレモリー、自分にも他人にも厳しいし、いざとなったら苦しい決断とかもできそうだし」

 

一行

「……」

 

 

 一行の間で、「グレモリー達についてこれ以上考えても、今は良くないことにしかならなそうだ」という空気が充満する。

 

 

エリゴス

「……あっ」

「だったらさ、ポータルで飛んだ街の領主、あのおっさんとか手がかりにならねえかな?」

「あたしは外回りに出てたから良く知らねえんだけど」

 

バルバトス

「ああ、イーバーレーベン領主の……確かマンショって名前だったな」

「彼は、どうだろうな……人畜無害が服着たような御仁だったからねえ」

 

ソロモン

「挨拶した時も、特に不信な点は感じなかったな」

「協力してるって事は、連名依頼者の一人って可能性はあるけど──」

「ハルマ主導の考えを、一介の領主や貴族にどこまで共有されてるかも微妙な気がする」

 

エリゴス

「そっかあ……まあ、期待はしてなかったけど」

 

ザガン

「イーバーレーベンで貴族って言えばさ、ウァサゴには声かけなくて良かったの?」

 

ソロモン

「うん。会えたら挨拶くらいはとも思ったけど……」

 

エリゴス

「ウァサゴ?」

 

ザガン

「イーバーレーベンから馬車で移動するからって、ポータルで来たでしょ?」

「その時さ、フォカロルの帳簿にウァサゴがポータル使った記録があったんだよ」

 

ソロモン

「行き先も同じイーバーレーベン。それも、依頼の説明があったあの日に行ったきりだった」

 

エリゴス

「あっ、じゃあソロモンの誘い断った理由がイーバーレーベンって事か」

 

ソロモン

「うん。それから今日まで滞在してる。何が用事があるんだと思う」

「一声くらいかけて行こうかとも思ったけど、帳簿を見たら、気が引けちゃって……」

 

ザガン

「帳簿? 何かあったっけ?」

 

ソロモン

「何気なく、過去のポータルの使用履歴を見たんだ。そしたら──」

「不定期に、ウァサゴがポータルを使った記録が幾つも有ったんだ」

「全部イーバーレーベン行き。数日から一週間くらい滞在してる」

 

エリゴス

「あー……通い詰めてるな」

 

ソロモン

「人に会うにしては、ちょっと頻繁な感じっていうか……」

「多分、何か時間のかかる用があって、ずっと取り組んでるんだと思う」

 

バルバトス

「それに、ウァサゴは決して横着するようなタイプじゃないからね」

「なのに一つ所へ行くのにポータルを使うのは、移動の時間も惜しいって事かもしれない」

 

エリゴス

「一人で来てるって事は、アジトとは切り分けたいってのもありそうだしな……」

 

ソロモン

「うん。だから、そんなウァサゴに気安く会いに行っちゃうのは……」

「何ていうか、ウァサゴの集中を乱しちゃうんじゃないかって」

 

ザガン

「それ、ちょっと分かるかも」

「ショーが始まる直前とか、急に友達に会っちゃったりすると緊張が解けちゃうし」

 

バルバトス

「まあ、会いに行こうと思った所で、イーバーレーベンの領内には居なかったろうしね」

 

ソロモン

「え?」

 

バルバトス

「エリゴス。ポータルで移動してすぐ君に頼んだ事、覚えてるかい?」

 

エリゴス

「もちろん。『庭の偵察』だろ?」

「アブラクサスとの取引記録が無いつっても絶対じゃねえから、調べられるもん調べとこうって」

 

ソロモン

「バルバトス、そこまで考えてたのか……」

 

バルバトス

「ふっふーん。抜け目ないのが俺の良い所さ」

「ま、エリゴスの調査も、俺の館内調査も大した手がかりは無かったわけだけど……」

「今、つながったよ。エリゴスの調べでは、俺達が発つ前から馬車が一台消えていた」

 

エリゴス

「気のいい使用人ばかりでよ、馬小屋に馬車の車庫も色々見せてもらったんだ」

「で、馬と馬車が一組分、きれいさっぱりだ」

「聞いてみたら、『とびっきりの物を馴染みの知人に貸し出してる』だと」

 

ザガン

「それが、何でウァサゴと繋がるの?」

 

バルバトス

「ポータルの設置場所、領主の敷地の中だろ?」

「なのにアポ無しで庭先に現れたウァサゴが驚かれてない」

「つまり、立場的に考えても、領主とウァサゴは結構な顔見知りだ」

「なら、用向きのあるウァサゴに手助けしないってのは、付き合い上よろしくない」

 

エリゴス

「お、何だかあたしもちょっと分かってきたぞ? も1つ頼まれてたアレ──」

「『それとなく領主の最近の交友関係や人の出入り調べとけ』ってやつだろ?」

 

バルバトス

「その通り。いやー、お株を奪われかねないというのに、不思議と嬉しさしか無い」

 

エリゴス

「へへっ、うるせーよったく」

 

ソロモン

「人の出入り……確かに、怪しい取引が無いか確かめるなら、必要な情報だな」

 

バルバトス

「ところが空振り。逆に領主はここ最近、奥さんのご懐妊を機に人付き合いを控えてる」

 

エリゴス

「つまり、アブラクサスとの繋がりがまずシロって事だな」

「で、わざわざ上等の馬車貸すような客も殆ど無い……だろ?」

 

バルバトス

「んー、素晴らしい。俺の自慢の知性さえ霞んでしまいそうだ」

 

ハーゲンティ

「あーなるほどー、そーいうことねー、うんうん……」

 

ザガン

「ハーゲンティ、無理しなくて良いよ……?」

 

ソロモン

「(依頼の説明で集まった時に、自分で答え出せたプライドが、まだ残ってるんだな)」

「そ、そうか。ハ、ハーゲンティに少し遅れを取ったけど──」

「領主には今、ウァサゴ以外に馬車を貸し出すような相手がそもそも居ないって事だな」

「なら、ウァサゴとは馬車を使うほど離れてて、ちょっと探したくらいじゃ出会えない」

 

ハーゲンティ

「そーそー! いっやー流石ボス、あたいの言いたかった事そのまんまだよー!」

 

ザガン

「ハーゲンティ……」

 

ソロモン

「(まあ、すぐに忘れて、いつも通りに戻るだろうし……)」

 

バルバトス

「しかし改めて考えると、イーバーレーベンも随分と『落ち着いて』きたな」

「ちょっと前まで、治安の悪化でピリピリしてたくらい……いや、もう数年前の話か」

 

ザガン

「ど、どういう事? イーバーレーベンって危ない所だったの?」

 

バルバトス

「アブラクサス絡みで色々と面倒があってね。まあ噂に聞いた程度だけど──」

「当時のイーバーレーベンでは、馬車は地下室に隠すものだったらしいよ」

「地上に置いとくと、領主の邸宅と言えど盗まれるから……ってね」

 

ソロモン

「盗む? 馬車を!?」

 

バルバトス

「深夜に数人がかりで押すなり引くなりしてね」

「馬車ってのは服や装飾品に次いで、家柄の看板だからね。結構、高く売れるんだよ」

 

エリゴス

「確かに、この馬車にしても、かなり気合入ってるしなあ」

「つか、荷馬車に偽装して人が乗れる作りになってるのって、その名残か……?」

 

バルバトス

「多分ね。そんなイーバーレーベンが、一見した限りでは街を出るまで清浄そのもの……」

「幾らか前に大きな事件があって、改革があったって事までは聞いた事があるけど──」

「精々数年そこら、それだけの間に何をどうしたらここまで……」

「そうだ、ハルファスはイーバーレーベンが地元だったね? 何か知ってるかい?」

 

 

 ずっと静かだったハルファスが話題を向けられ、一秒ほど遅れて考え込む。

 

 

ハルファス

「うーん……」

「ごめんなさい、ずっと旅に出てたから、最近の事は全然分からないの」

 

バルバトス

「そうか……そういえば、ハルファスもソロモンに会うまで旅をしてたんだったな」

「ありがとう、気にしないでくれハルファス」

 

ザガン

「そっか、ハルファスも私と同じで旅してたのかぁ……ん?」

「……その、失礼かも知れないんだけど……ハルファス、旅先とか大丈夫だった?」

 

ハルファス

「大丈夫って?」

 

ザガン

「いや、その、何ていうかさ……」

 

エリゴス

「その筋金入りの優柔不断で、悪どい連中につけ込まれたりしなかったかって事だよ」

 

ハーゲンティ

「そうそう。置き引きとかピンハネとかボッタクリとか、世の中落とし穴が沢山あるし!」

 

エリゴス

「ハルファスの性格考えると、ずっとキャラバンとかにくっついてたんだろうけど」

 

ハルファス

「ううん。ずっと一人で旅してたけど、悪い人や悪そうな事とかは、全然無かったと思う」

 

ソロモン

「ハルファスが、一人旅……?」

 

ハルファス

「でも、たまに助けてもらった事ならあったよ」

「『小さいのに大変だね』って食べ物くれたり、野宿の方法を教わったり──」

「大道芸人の一座で斧とか樽とか持ち上げたり……あ、悪い人に会ったりもしたかも」

 

ソロモン

「え!?」

 

バルバトス

「ハルファス……もし、ちょっとでも『言いにくいな』と感じたら、一旦話すのを止めるように」

 

エリゴス

「お、おいよせって、身構えちまうだろ、あたしらが……」

 

ハルファス

「うーん……そんな感じはしないから、話しても良いんだよね?」

「キャラバンの人に頼まれて何日か護衛してた時、強盗が来たから投げたりしたんだけど」

 

バルバトス

「あ、ああ、うん。それなら大丈夫」

 

エリゴス

「な、投げる……」

 

ソロモン

「……その時は、強盗を撃退しても良いって、『決められた』のか?」

 

ハルファス

「ううん。キャラバンの人が『そいつらを遠くにやってくれ』って言ってたから」

 

ソロモン

「そっか。そこはやっぱり変わらないか……」

 

バルバトス

「ともあれ奇跡的に、つけ込まれるような事には出くわさなかったと見て……良いのかな」

 

エリゴス

「とは言っても、何か随分と濃そうだけどな」

「一人旅って事なら、会って分かれての繰り返しだろうし」

 

ザガン

「旅を始めてから野宿の仕方を覚えたってのも……」

「私が旅してた時よりも、その日暮らし感がすごいって言うか……」

 

バルバトス

「待てよ? 旅に出てたからイーバーレーベンの変化をよく知らないって事は──」

「ハルファスが旅に出たのは、数年前のイーバーレーベン改革以前……?」

 

ハーゲンティ

「数年……あれ?」

「ハルちゃん、あたいと同い年で、15歳じゃなかった……?」

 

ハルファス

「うん。数え間違えたりとかは、してないと思うけど」

 

一同

「……んん?」

 

ハルファス

「あの……皆、どうしたの?」

 

ソロモン

「ハルファス……ちょっと聞きたい事がある」

 

ハルファス

「うん。何でも言って」

 

ソロモン

「ハルファスが旅を始めてから、今日まででどのくらい経ったか……覚えてるか?」

 

ハルファス

「えっと……」

「3年くらいかな?」

 

一同

「さ……3年!?」

 

ザガン

「じゃ、じゃあ……12歳の女の子が、たった一人で、3年間ずっと……?」

 

エリゴス

「しかも……このハルファスが……?」

 

ハルファス

「……?」

「あの、ソロモンさん。私、ちゃんと応えられてたかな?」

 

ソロモン

「えっ、あ、ああ、うん……大丈夫だ。ありがとう、ハルファス……」

 

ハルファス

「うん。それなら良かった」

 

 

 

 

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1-2前半「数え錯綜年月日」

 アブラクサスへの道中。馬車内の言葉が暫し失われる。

 

 

バルバトス

「と……取り敢えず、一息入れよう」

 

 

 小さく咳払いしながらバルバトスが、人数分のカップにお茶を注ぎ始めた。

 カップと言っても、形状はボウルに近い簡素な器。お茶も予め水出しでストックした、行きで飲みきる事前提の品。

 イーバーレーベン領主の好意で用意されたものだけあって、野趣な運用をされながらも上質な香りが生きている。

 

 

ハーゲンティ

「あ、あーそうだ! 領主さまがお菓子も積んでくれたって言ってたよね!」

 

バルバトス

「そ、そうそう、よく思い出してくれたなハーゲンティ」

「確かこの辺りに……」

 

 

 近くの物陰に手を伸ばしたバルバトスが、小さな麻袋を幾つかひとまとめにした束を取った。

 袋の1つを解いて口を開け、中身を手の上に転がり出させると、天日で乾かしたネクタルの実だった。糖分が結晶化して粉を吹いたようになっている。

 

 

バルバトス

「出先でしばらく駐屯するとあって、日持ちの良い物を選んでくれたようだね」

「ひとまず、1つ目の袋はハルファスとハーゲンティに。どうぞ」

 

ハルファス

「袋ごと? 良いの?」

 

バルバトス

「もちろん。残りの袋も、手応えからして殆どネクタルだろうしね」

「仲良く分け合うと良い。ハーゲンティが満足するくらい存分に」

 

ハーゲンティ

「ぜひっ!」

 

バルバトス

「というわけで……はい、ハルファス」

 

ハルファス

「あ、うん。ありがとう」

 

ハーゲンティ

「ハルちゃんハルちゃん、まずは一個ずつ、一個ずつ一緒に食べよう! ねっ!?」

 

 尻尾が生えて振り回しそうなほど興奮するハーゲンティにハルファスを巻き込ませ、その隙に袋をもう一つ解きながら小声で残りのメンバーに呼びかけるバルバトス。

 

 

バルバトス

「で……皆、どう思う?」

 

ザガン

「どうって……ハルファスの『旅』の事だよね?」

 

エリゴス

「特に面倒事が無かったのなら別に……と、思いてえが」

「そもそも、旅のイロハも知らねえ身で何で旅なんかしてたんだっつー疑問が……」

 

バルバトス

「恐らくハルファスが旅に出た頃は、イーバーレーベンの治安も悪かったはずで……」

 

ソロモン

「そういえば、ガブリエルから依頼の説明受けてた時──」

「ハルファスがイーバーレーベン出身って聞いてガブリエルが確認取ってたけど──」

「その時ハルファス、さり気なく『身寄りは居ない』みたいな事を……」

 

ザガン

「ま……まあ、今が元気ならそれで何も問題ないよ、きっと。うん!」

 

ソロモン

「そ、そうだよな! 元々、お互いの私生活は詮索しない方針だし……!」

 

バルバトス

「やれやれ、何だか持ち出す話題が片っ端から重苦しくなるな……」

 

エリゴス

「その話題の1つを振ったの、あんただけどな」

 

 

 微妙な空気の輪に足音が近づき、バルバトスの手の中で解かれる袋を覗き込んだ。

 足音の主を見上げる一行。

 

 

グレモリー

「ほう、ネクタルか。私にも貰えるか?」

 

バルバトス

「あ、ああ、グレモリー。もちろんだとも。お茶もどうだい?」

 

グレモリー

「頂こう。ネクタルは2,3粒ほどでいい」

 

 

 グレモリーへの一抹の疑念は変わらないが、それでも他愛ない応対に少し場が和む。

 

 

ソロモン

「何か、グレモリーにお菓子って、少し珍しい組み合わせな気がするな」

「贈り物で気に入ってもらえるのも、大体は武器とかインテリア的な物だし……」

 

バルバトス

「こらこらソロモン。冷やかしてるみたいな言い方になってるぞ?」

 

ソロモン

「あっ、ごめん。特に他意は無いんだ……」

「(軽い話題を膨らませようと思って、少し軽々しくなっちゃったかな……)」

 

グレモリー

「構わん。自分が人にどう見られているかくらい、認識しているつもりだ」

「別に菓子類を嫌っている訳では無い。ただ──」

「食いたくなる時が稀でな。食うとしても、こういった物がもっぱらだ」

 

ソロモン

「こういった……ドライフルーツってやつか?」

 

グレモリー

「うむ。世間一般に言う菓子といえば、持って2、3日が精々だからな」

「屋敷に置いた所で、痛む前に秘書や使用人に与える事になるのは目に見えている」

「かと言って、いちいち取り寄せたり作らせたりでは手間の無駄遣いだ」

 

ザガン

「領主様なんだし、そのくらい人にやらせてもバチ当たらないと思うけどなあ」

 

グレモリー

「そもそもが大した欲求ではない。私にとっては、充足感と労力が釣り合わん」

 

エリゴス

「その点、乾きモンなら期限も気にせず、食いたい時にサッと食えるってわけか」

 

グレモリー

「それだけでは無いぞ。水気を抜いた果実は滋養にも優れている」

「特にネクタルは疲労回復の効能も知られている。仕事の合間に喫するにはうってつけだ」

 

バルバトス

「薄々予想はついてたけど……見事に兵士の糧食みたいな着眼点だ」

 

グレモリー

「実際に兵糧としての実用化を試みている領地もあるぞ」

「味や香りも極端に落ちはしないから、兵の精神的充足も得られる。実によくできているよ」

 

バルバトス

「(全肯定で返されるとは……)」

 

ソロモン

「グレモリーって、生活の全部を、こう……『活かしてやるぞ』って感じがあるよな」

「正直、尊敬してるよ。真似するのは……ちょっと難しいけど」

 

グレモリー

「ああ。私の生きる価値は私自身で照明せねば気が済まんからな」

「まだまだ寿命だって半分もある。この程度で驚いてくれるなよ?」

 

ソロモン

「ああ。頼りにしてる」

「(そういえば、いつだったか聞いた気がする……)」

「(グレモリーは、転生してから考え方が変わって、今みたいになったって)」

「(今の生き方がグレモリーの『個』……? 昔と違うのに?)」

「(『個』が不変って確証も無いけど……あるいは『ヴィータとしての』?)」

 

グレモリー

「それに、要は慣れだ。あやかりたいなら、いつでも指導してやるぞ?」

 

ソロモン

「……えっ!? あ、いや、それは、その……!」

 

グレモリー

「ふっ、冗談だ」

「貴様のためになるとは言え、軍団長を何ヶ月も私物化するわけにもいかん」

 

ソロモン

「月単位!?」

 

グレモリー

「当然だ。一朝一夕で真似できるほど易い生き方をしてきたと思うか?」

 

ソロモン

「い、いや、そういうつもりは無いけど……」

 

グレモリー

「メギドラルと決着が着いても、貴様には役目に相応しい立場が残る」

「そして立場には相応しい品格というものがある。楽しみにしておけ?」

 

 

 グレモリーが、着席しているソロモンの頭上にずずいと詰め寄る。

 

 

グレモリー

「その暁には、私が直々に貴様を磨きあげてやるからな」

 

バルバトス

「(磨くっていうか、しごかれるな。間違いなく……)」

 

ザガン

「(これ、絶対『そうだったっけ』で済ませてくれないやつだ……)」

 

ソロモン

「う……うん……お、お手柔に頼むよ」

「(何で……何で今日は話題が出てくるたびにこんな事に……!)」

 

 

グレモリー

「まあそう身構えるな。意気込むのは良いが、その日はまだ当分先だ」

「今は目の前の問題を、1つずつ片付ける時だ。さて──」

 

 

 バルバトスから茶とネクタルを受け取ったグレモリー。自分の席に戻らず、隣の座席を覗き込む。

 

 

グレモリー

「貴様も、いつまでも我関せずを決め込んでないで、1つどうだ?」

 

 

 ソロモン達と距離を置いて座る「仲間」へ、手の中のネクタルを差し出すグレモリー。

 横目でネクタルを一瞥した「仲間」は、すぐさま視線を戻して淡々と答えた。

 

 

サルガタナス

「お構いなく。そんなシワクチャなカタマリ、見てるだけで気分が悪い」

「読書中なの。そこの連中にもっと静かにするよう言い聞かせて頂戴」

「でなけりゃ邪魔にしかならないから、とっとと席に帰るか死んで」

 

グレモリー

「相変わらずのようだな」

「確かに、今回は少し余計な世話だったかもしれん。済まなかった」

 

 

 余裕の笑みで陳謝し、自分の席へ踵を返すグレモリー。

 歩きながら、ソロモン達の席へ振り向く。

 

 

グレモリー

「聞こえたな。貴様達も、余り自分本位が過ぎぬようにな」

 

ソロモン

「あ、う、うん」

 

 

 去っていくグレモリー。

 先程より音量を絞り、しかし見目よろしくないヒソヒソ話にならぬよう、恐る恐る口を開く一行。

 

 

エリゴス

「サルガタナスが居るって事すっかり忘れてた……」

 

ザガン

「例の『監視組の増員』として、だよね?」

 

バルバトス

「こういっちゃ何だが……よく了承してくれたな、サルガタナス」

 

ソロモン

「うん。普段からメギドラルと直接関わる仕事以外は乗り気じゃないし……」

「俺もダメ元のつもりで声かけたんだけど、依頼内容話す前からオーケーくれて」

 

エリゴス

「心境の変化……って様子じゃねえよな。完璧に平常運行だし」

 

ソロモン

「後から分かったんだけど……」

「声かけた日、たまたまコラフ・ラメルが休みでさ」

 

バルバトス

「あー。行きつけの店が休みで、だからアジトに居たわけか」

 

ソロモン

「で、ウェパルもほら、今、里帰り中だろ?」

 

ザガン

「つまり、すごくヒマだったんだね……」

 

ソロモン

「ちゃんと長期の仕事なの説明したら、露骨に嫌そうな顔されたよ」

 

バルバトス

「でも、結局ついてきた……と?」

 

ソロモン

「俺が対メギドラルで動かない内は、サルガタナスもやる事が無いから仕方なく……って」

「それに、その場の勢いとはいえ『約束』したからには……って言ってた」

 

バルバトス

「『約束』ね……それなら、こちらも誠意を持って尊重するべきか」

 

ザガン

「ど、どういうこと?」

 

バルバトス

「彼女の言う『約束』は、俺達が用いるソレよりとても重いものなんだよ」

 

エリゴス

「へえ~。案外、義理堅い所もあるんだな」

 

ザガン

「私、メギドも真っ青なドライなやつかと思っちゃってた」

 

バルバトス

「(どちらも間違いでは無いんだけどねぇ……)」

 

 

 ソロモン達とは離れた座席から、一行を呼ぶ声がした。

 

 

グレモリー

「ソロモン、外を見ろっ!」

 

ソロモン

「外? グレモリーのあの声の感じ……もしかして!」

 

 

 一部、仲間たちも粗方見当がついたようで、表情を引き締めて窓の外を見渡す。

 空気の変化に気付いて、干し菓子を摘みあっていたハルファス達も顔を上げた。

 

 

ハルファス

「あれ? 皆、どうしたの?」

 

ハーゲンティ

「この雰囲気、すごく良く見る気が……ハッ!」

 

エリゴス

「ご明察のようだぜハーゲンティ」

「ソロモン、あっちだ。だいぶ遠いが見落とすほどじゃねえ!」

 

 

 エリゴスが進路側斜めの方角を指差した。

 ハーゲンティがハルファスを連れて窓を覗き込むと、なだらかな平地の彼方に不自然な影が群れを作っていた。

 

 

ソロモン

「やっぱり、幻獣か!」

 

ザガン

「もしかして、アブラクサスで出たり消えたりしてるっていう?」

 

グレモリー

「可能性は低いな。現地とはまだ距離がある」

 

バルバトス

「それに周囲の自然も豊かだ。元からこの辺りを徘徊してる野生って所だろう」

 

ソロモン

「それでも見逃すわけにはいかない。皆、戦闘準備だ!」

 

 

 

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1-2後半「マグナ進行形タウルス・カリュビス」

 アブラクサス道中。

 幻獣を退治した一行が馬車に乗り直し、つい先程発車しなおしたばかり。

 

 

ハーゲンティ

「ふいー、思ってたより結構たくさん居たねー」

 

バルバトス

「もしかしたら、元々はアブラクサスへ消えた幻獣達の縄張りだったのかもね」

「生活に適した土地が手放されたから、残った群れが居座って繁殖してるのかも」

 

ソロモン

「アブラクサスのせいで幻獣が増えてるって事か?」

 

バルバトス

「いや、逆に減ってるはずだ。こう考えてみてくれ」

「25匹の群れが4組あって、その内2組がアブラクサスに消えた」

「残る2組は競争相手が消え良好な縄張りも獲得。それぞれ20匹増えたら合わせて何匹だい?」

 

ハーゲンティ

「はい! 90匹! 前より10匹減ってる!」

 

バルバトス

「正解。流石に勘定には抜かりないねえハーゲンティ」

「基本的には、生き物ってのは別々の場所に別の共同体が居たほうが効率よく増えるものだ」

 

ソロモン

「確かに、ヴィータにしたって幾つも村を作って繁栄してるしな」

「実際に数えたわけじゃないけど、王都一つで全ヴィータの半分……みたいな事はないだろうし」

 

バルバトス

「つまり、幻獣達もその辺の事情は変わらない」

「『餌取り係』の頭数が増えたから、出会ってみると大量に見えるだけって話さ」

 

ハルファス

「じゃあ、他の領地も幻獣の被害が減って、むしろ助かってるのかな?」

 

ソロモン

「え、そ、そう……なのか?」

 

バルバトス

「恐らくね。人里まで行動半径を伸ばしてる群れが減った可能性はある」

「あくまで元の縄張りを中心に生活してるはずだから、余り遠出はできない」

「それにヴィータを襲わなくても、縄張りの拡大で食料も安泰だろうしね」

 

ソロモン

「なるほど。そういえば確か──」

「一部の領地はアブラクサスと怪しい取引してるって話だったな」

「じゃあ、もしその幻獣被害の抑制も、シュラーの計画の内だったら……」

 

バルバトス

「ますます、周辺領はアブラクサスを甘やかさずにはいられないだろうね」

「つまり、普通にメスを入れようとしても周辺領が結託、口裏合わせる恐れが強い」

「遠い元締めの王都が、第三者の俺達を遣わしたくなるのも無理ないな……」

 

ハーゲンティ

「ほへー……」

 

エリゴス

「おいおい、2人きりで小難しい話で盛り上がんな。見ろよこのハーゲンティを」

「あたしらも口の挟み時が見当たらねえったら。それよりさっきの喧嘩の話に戻そうぜ」

 

ザガン

「そうそう。あの数を誰が華麗に捌いてあげたと思ってるのさ?」

 

ソロモン

「ご、ごめん、お礼も無しに……本当に、いつも助かってるよ」

 

バルバトス

「数で押してくる相手には本当に強いよな、ザガン。集中力も並大抵じゃない」

 

ザガン

「よしよし、許してあげよう……なんてね♪」

 

エリゴス

「全く、リジェネのあたしで呼んでもらうよう頼んどいて正解だったぜ」

「ザガンと一緒だと、いつもの『技』じゃ立場を食われちまうからな」

 

ザガン

「ふふん、エリゴスには悪いけど、これだけは譲れないからねぇ」

 

エリゴス

「分かってるよ。プロにやっかみ入れるほど、あたしも野暮じゃねえ」

 

バルバトス

「プロか……改めて考えてみると、ザガンの戦い方は、ある意味『異色』でもあるね」

「闘牛って、確かに強力な獣と戦いはするけど、どちらかと言えば『芸能』の領域だし」

 

ザガン

「むぅ?」

 

バルバトス

「あーいやいや! あくまで一般論としての話だよ、悪意は無い」

「一つの真剣勝負である事は俺も論を俟たないよ、気に障ったなら本当に済まない……」

 

ザガン

「まあ、良いけど。私も、傭兵とか剣闘士とかってお仕事とは、ちょっと違うとは思うよ」

「お客さんも、血や殺し合いが見たくて来てるわけじゃないって、私はそう信じてるし」

 

ソロモン

「自分の仕事を戦闘に活かしてるって事なら、珍しくも無いんじゃないか?」

「バルバトスだって、吟遊詩人として音楽で戦ったりもするし」

 

バルバトス

「あれはあくまで、フォトンの力を得ての事だろう?」

「エリゴスやイポスみたいな指輪の支援無しで戦うって意味合いで考えると……だ」

「闘牛はどうしても、ショーとしての側面がある」

 

ソロモン

「それが、何か問題なのか?」

 

バルバトス

「ショーとしての戦い方を身につける以上、その部分は、その……『実戦向き』じゃないだろ?」

「闘牛の戦い方を実践にそのまま活かして見せるっていうのは、何て言えば良いかな……」

 

エリゴス

「あー……何となく、分かる気がする」

「鍛錬のための素振りやヴィータ同士の喧嘩殺法は『それ用』って所あるしな」

「どんなに慣れてたって、『そのまま』で幻獣とゴロ巻くのには使わねえな」

 

ソロモン

「ケンカサッポー……ゴロマく……?」

 

バルバトス

「例えばソロモン、君が王都騎士団仕込みの投げや蹴りの動作を学んだとする」

「そしてある時、街中で不意に暴漢がナイフを抜き襲ってきたとしよう」

「その時、教わった通りの動作で対処できるかい?」

 

ソロモン

「それは……かなり難しいな。絶対、焦っちゃうだろうし」

 

ハルファス

「多分、キックを当てるだけでも難しいんじゃないかな?」

「練習の時は、ナイフ持った人を蹴ったりは、あんまりしないと思う」

 

バルバトス

「そう。それらは言ってしまえば、訓練用の『型』にはめた技だ」

「闘牛もまた、牛と派手に戦うための『型』が、より複雑に定まっている」

 

エリゴス

「台本無しの勝負には違いなくても、ルールとか『運び』とかもあるだろうしなぁ」

 

バルバトス

「『実戦』と『対戦』は別物だからね。敢えて暴論を言ってしまえば──」

「戦場に立つなら、布を振り回して翻弄するより、盾や鎧を纏う方が効果的だ」

「さっきの例えで言えば、型通りの攻撃で暴漢を撃退してしまえるなら、それはもう、たつ──」

 

ハーゲンティ

「それ言ったら、あたいはどーなんですか!? これ、拾い物ですけど!?」

 

 

 唯一の実戦装備、ピッチフォークをズイとバルバトスに突き出すハーゲンティ。

 

 

バルバトス

「いや、君は元々、戦いの中に生きてるタイプじゃないだろ……」

 

ハルファス

「でも……この話、続けちゃって大丈夫なのかな?」

 

一同

「あ……」

 

ザガン

「……」

 

 

 一斉にザガンを見る。

 ザガンは軽く俯き、ハットの鍔に指をかけて目深に被り直しており、目元が伺えない。

 

 

ザガン

「……」

 

バルバトス

「(し、しまった……勢いに乗って、つい……!)」

 

エリゴス

「(実践向けじゃないだの布振り回すだの……あたしもちょっと話にノッちゃったし……)」

 

ハーゲンティ

「(これ……あ、あたいの出番? な、何かウマいボケとか考えないと的な……!?)」

 

ソロモン

「あ、あの、ザガ……ん?」

「……ザガン、見間違いだったら本当に済まないけど──」

「何か、ニヤニヤしてないか?」

 

 

 ポーズはそのままに、ザガンの口元が不敵に微笑んでいる。

 こうなると、夕日でも浴びれば鯔背な風情が出てくる。

 

 

ザガン

「ふっ ふっ ふ~……」

「気になる……? 私が闘牛で戦うって決めたワケ!」

 

 

 ハットをテンガロンのように指先で僅かに持ち上げ、隙間から一同を上目遣いで射抜くザガン。その瞳が一等星のように熱く瞬いた。

 

 

バルバトス

「え~っと……少しホッとしたのも事実だけど……」

「これから何を始めてくれるにせよ、俺の矜持として言っておくよ」

「君への配慮を欠いた事は事実だ。改めて謝罪させてくれ」

 

ザガン

「いいっていいって、むしろ嬉しくてムズムズしちゃうくらいだったし!」

「それに、盾役としての私がそれだけ目立ってるって事でもあるじゃない?」

 

 

 言葉通りの喜色満面で応えるザガン。照れくさそうですらある。

 

 

エリゴス

「(『実戦向き』じゃないとか、とっくに分かってて……多分、何か言われもしたんだろうな)」

「(きっと、それでもそれを覆して、逆に『自信』にできるくらい努力したんだ)」

「(まあ、あたしらが本物のザガンの技量を知ってるからってのもあるんだろうけど)」

 

 

 ソロモンの隣の空席に人影が近づき、存在を誇示するように遠慮なく腰を下ろした。

 

 

グレモリー

「邪魔するぞ」

 

ソロモン

「おわっ!? グ、グレモリーいつの間に?」

 

エリゴス

「(絶対、ザガンが気にしてないの分かるまで様子見してたな……)」

 

グレモリー

「興味深い話が聞こえてな。私も、つとに気になっていた所だ」

「ザガンの出身が興行を催せる規模の街だったなら、普通はあるはずだ」

「駐屯騎士団、領主の私兵、その養成所……『対幻獣』を学ぶに相応しい設備が」

 

ソロモン

「言われてみれば、ザガンはソロモン王……俺と戦うって、かなり前から決めてたって聞いた」

「それなら、闘牛の合間に剣術を学んだりとかも出来たかもしれないよな……」

 

グレモリー

「にも関わらず、ザガンの『技』は闘牛一筋で磨き抜かれている。しかも『対幻獣』のためにだ」

「この機会に是非聞いてみたい。ザガン、貴様は何故、他の選択を蹴って闘牛を選んだ?」

 

ザガン

「おお、良いね良いねー。注目集まっちゃってるねー♪」

「私が強くなるために闘牛を選んだのは、それはね……」

 

ソロモン

「それは……?」

 

ザガン

「……ま、殆どたまたま選んだってだけなんだけどね」

 

一同

「……」

 

 

 脱力に包まれる一行。

 

 

バルバトス

「うーん……そういうオチなら、もう一手ほど引っ張った方が落差でウケを取れただろうに」

 

ソロモン

「いや、ツッコミたいのはそこじゃなくて……」

 

ザガン

「ゴメンゴメン、バルバトスみたいにお話が上手いほうじゃ無いからさ」

「ちゃんとマジメに話すから。たまたまってのも嘘じゃないけど……まず、歳の問題かな」

 

ソロモン

「歳……?」

 

グレモリー

「ああ、体験指導の制限か」

「騎士団や由緒ある領地の私兵の間では、指導を受けるにも身長や年齢で制限が課されている」

 

ザガン

「そう、それ。私がメギドの記憶を取り戻したの、本当に小さい頃だったからね」

「いつかソロモンと一緒に戦うんだって思っても、戦い方を教えてくれる所が無かったんだよ」

 

ソロモン

「制限なんてあったのか……」

「まあジズとか、もっと小さい子に剣の振り方教えるってのもナンだしな」

 

バルバトス

「幼い内に過激な運動させると、後遺症が残ったり、成長を妨げちゃったりするからね」

「更に言えば、基本的にその制限は、女性に対してより厳しいものになる」

「例えばセーレなら問題なし、コランもいけるかもしれない。けど、ジズはまず無理だろうね」

 

ハーゲンティ

「えー、何それフコーヘー……」

 

ソロモン

「今どき、騎士団どころか野盗でも女性が戦ってるのは珍しく無いのにな……」

 

グレモリー

「追放メギドなら鍛えれば幾らか強靭になれるが、ただのヴィータはそうもいかん」

「特に女はどうしても筋骨に劣るし、比例して体も脆くなる」

「本人にどれほど熱意があろうと、杖を突かせるようにしては本末転倒だ」

 

ソロモン

「そうか、もし指導中に大怪我させて、生活に支障が出たりしたらって考えると──」

「教える側としても、責任を負いきれないか……」

 

バルバトス

「今は『対幻獣』の戦力も重視されるからね。相手は人類の限界の遥か上だ」

「必然、装備も訓練も、限界に挑むような負荷の高いものになっていく」

 

ハルファス

「女の人が男の人と全く同じ武器や鎧着けたら、歩くのも大変そうだもんね」

 

ハーゲンティ

「ハルちゃんがそれ言っちゃうと、何だか……」

 

グレモリー

「(事実、ハルファスの斧一つで、馬車の足取りが如実に落ちているな……)」

 

バルバトス

「ついでに言うと、鉄火場に女性が当たり前と認識され始めたの、意外なほどごく最近の事だよ」

「貴族のご婦人の伝統的なドレスとか、飛んだり跳ねたり出来るように作られてないだろ?」

「一昔前までは、世間一般の女性へのイメージは──」

 

エリゴス

「まあ、そのくらいにしようぜ。その手の話、続けるとロクな事にならねえし」

 

バルバトス

「ああ、うん。もっともだね……この話は流そう」

 

エリゴス

「とにかく、まともな所じゃ幼すぎて相手してもらえなかったと……で、ザガン、続きは?」

 

ザガン

「ナイスパス、エリゴス♪」

「それで……闘牛なら自分の足で立てれば真似事くらいは教えてもらえたからね」

「後から考えると、お陰で親も道具代とか気前よく出してくれたし」

 

ソロモン

「道具代……ああ、立派な衣装だし、借りるってわけにもいかないもんな」

 

バルバトス

「街の花形イベントの衣装だからね。さぞウケも良かったろうさ」

「しかも可愛い娘が進んで着飾ってくれるなら、もうメロメロだねえ」

「無骨な騎士の鎧なんかと違って、ご両親もむしろ進んで財布を開きたくなるってものだ」

 

ハーゲンティ

「って事は、闘牛で戦う事にしたのは、お金の事情……?」

 

ソロモン

「いやいや、ちゃんと一人前の闘牛士としての稼ぎもあるだろうし……」

「でも、ザガンの話し方だと、『実戦向き』な戦いはその後も学んでないっぽい?」

 

ザガン

「うん。齧ってみた事もあるけど、すぐやめちゃった。闘牛より熱くなれないし」

 

ソロモン

「熱くなれない……って、そりゃあ地道な訓練とかは、そういうものだと思うけど」

 

グレモリー

「さては、魅入られたな? 舞台の熱に」

 

ザガン

「えへへ……旅に出るちょっと前まで、少しだけ目的すり替わっちゃってた」

 

バルバトス

「戦うために始めたはずの闘牛が、すっかり生き甲斐になっていた、と」

「だから、地道な訓練に見向きも出来ないほど、闘牛に邁進していったわけか」

「良いじゃないか。ヴィータとして生まれたなら、それもまた理想の生き方の一つだと思うよ」

 

ザガン

「よ、よしてよ、変にフォローされても却って恥ずかしいって……」

「それにさ……後から調べても、闘牛の他に無かったしね。私の『憧れ』に近い戦い方」

 

ソロモン

「『憧れ』?」

 

ザガン

「そう。力強い相手をいなして、翻弄して、トドメの一撃! ずっとやってみたかったんだよね」

 

ソロモン

「ああ、それでか。説明したそうにノリノリだったのは」

「さっきから本当にザガンが話したかったのは、その『憧れ』についてだったんだな」

 

エリゴス

「ん……あれ?」

 

バルバトス

「幼い頃に記憶が戻って、闘牛に出会って、『憧れ』の戦い方に近かった……という事は?」

 

ザガン

「うん。メギドだった頃から、そういう戦い方してみたかったんだ」

「戦い方を教われないって知った時は、最初はとにかく木に体当たりとかしてたけどね」

「『だったら戦える歳まで、体だけでも自力で鍛え抜いてやる』って。でも──」

「闘牛を見てビビっと来てさ。鍛えるだけなら他にもあったけど、もう『これしか無い!』って」

 

ハーゲンティ

「木に、体当たり……?」

 

バルバトス

「メギド体になった時の戦い方そのままか……」

 

ソロモン

「闘牛みたいな姿だから、確かに闘牛士みたいな戦い方は難しいよな……」

 

バルバトス

「ソ、ソロモン、だからメギド体についてそういう話は……!」

 

ソロモン

「あっ……!」

「(メギド体は『個』の象徴みたいなものだから、軽々しい事言うと怒られるんだった……!)」

 

ザガン

「そう! 闘牛士としても闘牛としても戦えるなんて、もう格好良さ独り占めって感じだよね!」

 

ソロモン

「え……あ、はは、そ、そうだな。闘牛には詳しくないけど、何だか羨ましくなって来ちゃうなー」

「(セーフだった……いつかの時みたいに怒られずに済んだ……)」

 

バルバトス

「(すごいポジティブだなあ、ザガン……)」

 

エリゴス

「(……まあ、何が『バカにされてる』と感じるかは人それぞれだしなあ)」

「(あたしも総長やる以前は『メスゴリラ』なんて呼ばれてたけど褒め言葉だと思ってたし)」

「(後から悪口だったって知ったけど、今も全然気にならねえし……ゴリラの何が悪かったんだろ?)」

 

グレモリー

「では、語りたかった本命とやらを聞こうか。闘牛に見出したという『憧れ』の正体を」

 

ザガン

「オッケー。私も、ようやく自分の言いたかった事が分かってきた気がするよ」

 

バルバトス

「(ここまで勢い任せで話してたのか。まあ、らしいっちゃらしいけど……)」

「(会話でもある意味、見事な一直線だな、ザガン。小まめに軌道修正してかないとかも)」

 

ザガン

「メギドだった頃、何度も何度も戦った相手が居てね。戦い方が少し似てたんだよ」

 

ソロモン

「闘牛と、そのメギドがか? 闘牛士みたいなメギド……?」

 

ザガン

「いやー、流石に丸ごとそっくりってわけじゃないよ。でも本当に凄くってさ」

「私がメギド体で突っ込んでも、ヴィータ体のそいつに傷一つ付けられないの」

 

バルバトス

「メギド体相手に、ヴィータ体で……!?」

 

ザガン

「うん、もう何度挑んでもブン投げられて、まるで闘牛士なんだよ、それが」

 

ソロモン

「メギド体のザガンをブン投げた!?」

 

ハーゲンティ

「ていうか、闘牛士って牛を投げる仕事だったっけ……?」

 

エリゴス

「どんだけ怪力だよ……」

 

ザガン

「いや、力は弱いらしいよ。あいつが自分から言ってたし」

「本当は下級メギドよりも弱くて、単純な力比べじゃ部下の誰にも適わないって」

 

バルバトス

「ますますわけが分からない……」

 

グレモリー

「ザガン、流石に私も要領を得ない。少し落ち着いて、順を追って話してみろ」

「まずは……メギドラル時代、貴様の戦法の手本になったメギドが居た事は分かった」

「そのメギドとの関係を語る上で、かつての貴様の事から聞かせてくれ」

 

ザガン

「あ、ごめんごめん、ちょっと興奮して突き進みすぎちゃった……」

 

バルバトス

「ま。そのまっすぐな魅力も、たまには空回りする事だってあるさ」

「(やっぱり誘導する必要がありそうだけどね)」

 

ザガン

「フォローありがと。じゃあえっと、まず私の事からね──」

「メギドラルの頃の私は……取り敢えずまず、軍団長だった」

「真正面から皆でメギド体で突っ込んで速攻でなぎ倒してくの、爽快だったなあ」

 

エリゴス

「フォトン不足のメギドラルで、随分豪快にやったもんだなあ」

 

ザガン

「だって、その方が派手だし格好いいじゃない? 罠も陣形も踏み越えれば良いんだし」

「そのためにも携帯フォトンは欠かせないし、携帯フォトン作るには領地も必要だし──」

「そのためには戦争しなきゃだし、だったら派手にやらなきゃだから──」

 

ソロモン

「派手な戦争の準備のために、戦争してた……?」

 

エリゴス

「ははっ、良いねえ。フォトンは『ついで』たあ、実に健全メギドじゃねえか」

「こりゃあ今も昔も余り変わってなさそうだな」

 

グレモリー

「そのザガンが軍団長として挑み続けて来たのなら、『憧れ』のメギドとやらもまた軍団長か」

 

バルバトス

「とすると……ちょっと妙だな」

 

ソロモン

「ああ。ザガンの軍団は、メギド体での正面突破が定石だった──」

「でもさっきの話だと、ザガンは軍団長同士で対峙して、しかも何度も投げ飛ばされたって……」

 

エリゴス

「軍団総出でカチ込んどいて、いつの間にか頭同士でタイマン張ってる事になっちまうな」

 

バルバトス

「一斉突撃しておいてそんな状況になる場合って言うと、その……」

 

ハルファス

「ザガン、追い詰められちゃったの?」

 

ザガン

「違う違う、あいつとは殆ど一騎打ちばかりだったよ」

「私が負け続きなのに部下達じゃ相手にならないってのもあったけど──」

「あいつの領地、殆ど棄戦圏ばっかりだったから、戦争自体がやりにくくってさ」

 

バルバトス

「あー、なるほどなるほど。戦争というより決闘や私闘に近かったわけだね」

 

ソロモン

「えっと……?」

 

バルバトス

「棄戦圏じゃ、まともなフォトンは手に入らないのは知ってるだろう?」

「つまり携帯フォトン頼りでも無ければ、メギドらしい戦争は望めない」

 

グレモリー

「水も食料も無しに遠征に出るようなものだな」

「肉体となけなしの武器頼みで、ヴィータのようにヨタヨタと争うのがやっとだ」

 

エリゴス

「ヴィータになった今じゃあ話は別だが、メギドとしちゃたまったもんじゃねえ」

「やって苦しい、勝って虚しい、名誉も侘しく成果も無し。いっそ首括る方がマシなくらいだ」

 

ソロモン

「確かにそんな戦い、ヴィータだってやりたくない……」

 

バルバトス

「だから多分、ザガン一人で攻め入って、それに向こうも応じたって具合さ」

 

ソロモン

「じゃあ、ザガンは棄戦圏での決闘を、それも何度も?」

 

ザガン

「うん。最初の頃は、『あんなヤツに負けたなんて何かの間違いだ』って思ってね」

「でも、その内に何だか、あいつと戦うのが……うーん」

「楽しいともちょっと違うし……とにかく夢中になっちゃった」

「適当に理由付けちゃあ携帯フォトン持てるだけ持って、あいつの領地に通いまくってたよ」

 

バルバトス

「それはそれで何というか……」

 

エリゴス

「向こうさんにゃあ良い迷惑だなあ。その度に迎え撃ちに駆り出されて──」

「しかも領地は殆ど棄戦圏だろ? 応戦の度に貴重な携帯フォトン使わなきゃならねえし……」

 

ザガン

「ふっふっふ……そこなんだなぁ、私が『ヴィータの』闘牛とあいつを重ねた所」

 

エリゴス

「へ?」

 

バルバトス

「『ヴィータの』って……まさか、ヴィータみたいにフォトンを使わず……とかじゃ無いだろうし──」

 

ザガン

「あったりー♪」

 

バルバトス

「え……?」

 

ソロモン

「ん……?」

 

エリゴス

「な……?」

 

グレモリー

「む……?」

 

ハーゲンティ

「ほ……?」

 

ハルファス

「フォトンを使わないで、メギド体のザガンを投げたりしてたって事で、合ってるかな?」

「だとしたら、すごいね」

 

ザガン

「でっしょー?」

「闘牛を見て、ヴァイガルドにもあいつみたいな戦い方する文化あるんだって知ってからもう──」

 

バルバトス

「い……いやいやいやいやいやっ! すごいねって次元じゃないからっ!?」

 

ソロモン

「あ……ほ、ほら、ヴィータ体でもメギドは力も強いし、『技』とか使えるし……」

 

エリゴス

「ありゃフォトンがあるから出来る事だ!」

 

バルバトス

「そもそも、俺達だってメギド体を切り札にしてるし、侵略に来るメギドも幻獣体を使う──」

「ヴィータ体との落差はそれだけ『桁違い』なんだ。フォトン使ったってメギド体とじゃとても……」

 

グレモリー

「……ザガン、確認するぞ。そのメギドはまず、メギド体の貴様と幾度も戦っている」

「終始ヴィータ体で応じ、フォトンをほぼ使わず、無傷で貴様を返り討ちにし続けた……」

 

ザガン

「合ってるよ。あいつが私と戦うのにフォトン使った所、見た覚え無いし」

 

グレモリー

「……」

 

 

 グレモリーが片手で自分の両こめかみを押さえ、頭痛を耐えるように黙り込んでしまった。

 

 

ハーゲンティ

「すごいっていうか……なにそれコワイ」

 

バルバトス

「ザガン、君を疑うわけじゃないけど──」

「それは何か手品的なものに騙されたとか、だいぶ話を盛ったりしてるとかじゃなく……?」

 

ザガン

「うんうん。私が納得いかなくて何度も挑戦した理由、ちょっとは分かってもらえたかな?」

 

ソロモン

「ほ、本気で言ってる……」

 

エリゴス

「そりゃあまあ……そんな負け方したら、昔のあたしでも屈辱どころじゃねえかも知れねえけど」

 

ハーゲンティ

「あたい達がフォトン使えないヴィータってだけで、攻めてくるメギドにナメられる事あるしね……」

 

バルバトス

「……ダメだ、闘牛と重ねて考えてみても、ザガンが負ける理屈が全然思いつかない」

「精々、君の突進を横へ飛び退いて逃げ続けるのがやっとのはずだ」

「ザガン、君はメギドラル時代、一体何を見たって言うんだ?」

 

ザガン

「うーん……馬車の中だけど、ちょっとくらい大丈夫かな?」

「バルバトス、答え教えてあげるから、ちょっと立って」

 

バルバトス

「え? あ、ああ」

 

 

 バルバトスが席から立つとザガンも立ち上がり、向かい合って設えられた座席の外へと出て、通路部分で振り返る。

 

 

ザガン

「口で言うより、実感してみた方が早いと思うんだよね」

「バルバトス、ちょっと私に殴りかかってみてもらえる?」

 

バルバトス

「な!? い、いやそれはできない!」

「君の方が力で勝るだろう事は確かだが、女性に手を挙げるのは俺のプライドが許さない」

 

ザガン

「あ、そっか。ごめんごめん」

「じゃあさ、ハイタッチはどう? ちょっと狭いけど、できるだけ走って、すれ違いざまに」

 

 

 ザガンが片手を、頭よりやや高い位置に掲げた。

 

 

バルバトス

「……それなら、まあ」

 

ソロモン

「実感って……何をする気なんだ?」

 

グレモリー

「まさか……な」

 

 

 着席組が足を引いてバルバトスのためにスペースを作った。

 ザガンに至るまでの3歩ばかりの道のりを小走りで進むバルバトス。ザガンがすれ違いやすいように、片手だけ残して少し横に移動した。

 2人の手の平が打ち合わされる瞬間──。

 

 

ザガン

「せいっ」

 

バルバトス

「え、はっ──!?」

 

 

 バルバトスの両足が宙に浮いた。

 

 

エリゴス

「(ハイタッチしようとした手を、直前でかわして、蛇みたいにバルバトスの腕に絡めた……!?)」

 

ソロモン

「(バルバトスの腕を引っぱり下ろしたと思ったら、腕を軸にバルバトスが宙返りした……!)」

 

 

 ザガンは深く腰を落としながら、空いたもう一方の手も添えてバルバトスの腕をしっかり捕えている。

 そのザガンの頭上を、天地逆転して飛び越えていくバルバトス。足先が弧を描いて──。

 

 

バルバトス

「ぐはぁっ!!?」

 

ザガン

「わっ!?」

 

 

 ザガンの背後へ落下しかけたバルバトスが、前後真逆の軌道で、しかも更に勢いを乗せてソロモン側の座席の方へ帰ってきた。

 ザガンにも予想外だったようで呆気に取られている中、馬車の床板に膝から激突しかけたバルバトスをグレモリーが片腕で受け止めた。

 

 

グレモリー

「おっと」

 

 

 バルバトスはグレモリーに支えられながら靴で着地できたが、それどころでない様子だった。震える手を背中に添えて、顔面から脂汗を滲ませ、表情には恥も外聞も捨てた深いシワが刻まれている。

 

 

バルバトス

「ぐっ……お、が……うぅ、ぬ……っ!!」

 

ハーゲンティ

「な、なな何が起きたんです!?」

「バルバトスのダンナ、タンスの角に小指ぶつけたみたいな切ない顔に……」

 

ハルファス

「ぎっくり腰になったおじいさんみたい……」

 

グレモリー

「腰椎に入ったな。骨に異状はなさそうだが、後で『技』で治療しておけ」

 

ザガン

「あわわ、ご、ごめんバルバトス! サ、サルガタナスも!!」

 

 

 ザガンが慌てて前後に慌ただしく謝罪している。行動の後に何が起こるかの想定がすっぽ抜けていたらしい。

 サルガタナスが座席に座り書物に目を落としたまま、片腕を鉤型に曲げて高々と掲げている。

 あのままサルガタナスの眼前か頭上に落下しかけていただろうバルバトスを、サルガタナスのアッパーが打ち返した構図だった。

 

 

サルガタナス

「次やったら、あんたら全員二度と自分の足で歩けなくしてやるわ」

 

ザガン

「ほ、本当にごめん、はしゃぎすぎちゃった……」

 

 

 改めてサルガタナスに頭を下げつつ、遠慮がちに自分の席へ帰るザガン。

 着席後、バルバトスが同じく着席したまま、前かがみになって背中を擦っている様子にオタオタするザガン。

 

 

ザガン

「え、えっと……バルバトス、お詫びにマッサージとか……どう?」

 

バルバトス

「う、ぐ……とても心躍る提案だけど……遠慮するよ」

「今やってもらったら……実年齢相応の気持ちになっちゃいそうだ……」

 

ソロモン

「バルバトス、長命者だもんな……取り敢えず、フォトン送るよ」

 

バルバトス

「うん……ザガンも、怒ってはいないから楽にしててくれ」

 

ハーゲンティ

「そ、それより、今、何やったんスか!?」

 

ハルファス

「ハイタッチしに行ったバルバトスが、フワって……何が起きたか、全然分からなかった」

 

ザガン

「あ、うん……ハイタッチしてくる勢いを利用して、腕を引いてバランス崩して、転ばせたの」

「同時にちょっと押して、私の肩に引っ掛けて、向こう側へ転がるようにしたんだ」

「要は、走ってくる人に足払いかけるのと似たようなものだよ」

 

エリゴス

「勢いを利用……じゃあもし、バルバトスが全力で殴りに行ってたら?」

 

ザガン

「腕の軌道を下にズラして引っ張って……うまく行けばそれだけで一回転させられたと思うよ」

「無理そうならさっきみたいに、私の方から動いたり背負って投げたりして後押しかな」

 

グレモリー

「その時は、バルバトスの腰もタダでは済まなかっただろうな」

「つまり相手の力、スピード、重量──」

「あらゆる破壊力を、丸ごと相手に『返す』……それが今の『技』なのだろう」

 

バルバトス

「ふふ……やはり、人徳は己をも助ける……と、いう事さ……」

 

ハルファス

「燃え尽きたみたいになってるね」

 

ザガン

「本当にごめんなさい。私ってば……」

 

グレモリー

「気に病むな。若い内の失敗は宝だ、次に活かせば良い」

「お陰で、貴様が何故、フォトンを使いもしない相手に負かされたかも大体分かったしな」

 

ソロモン

「そうだった、そういう話だった……」

「えっと、つまり……今みたいな『技』を、ザガンと戦ったメギドが使ってた?」

 

ザガン

「うん。私が出来るのは、頑張って修行して、やっと今のやつだけなんだけどさ」

「あいつは、今のを牛の角でやるくらいは朝飯前だったよ」

 

グレモリー

「なるほど、一つ合点がいった。本来なら闘牛は、牛がムレータを狙って飛び込んでくる」

「だから基本的に闘牛士はムレータを自身の脇に構える。だが、幻獣相手でそうはいかない」

 

ハルファス

「赤い布に興味持たなかったら、普通にザガンを襲って来ちゃうね」

 

グレモリー

「ああ。その問題を、ザガンは今の動きを応用して対処しているのだろう」

「投げ返すまでは行かずとも、武器で敵の攻撃の軌道を逸らす……ヴィータの剣術にもある技術だ」

 

エリゴス

「だが、例のメギドは避けるだけじゃなく相手の力を利用して、そのまま返して倒しちまうわけか」

「速攻でキメる昔のザガンとじゃあ、相性最悪だなあ。勝てねえわけだ」

 

ソロモン

「しかも戦場は棄戦圏……フォトンを必要としない『技』にとっては独壇場だな」

 

ザガン

「私もずーっと、おんなじ戦い方ばっかり仕掛けてたから連戦連敗だったよ」

 

バルバトス

「しかし今の技、確かにフォトンを使わなくても出来るのは分かったけど──」

「つまり、肝心なのは呼吸とかタイミングだろ? それも相手が強力であるほどシビアになる」

「メギド体が相手となると、今度はフォトンも無しに成功させる『集中力』が計り知れないな」

 

ハーゲンティ

「でも、フォトンを使わない『技』だから普通のヴィータにも出来るって事だよね?」

「アジトの皆で練習すれば、あたい達、もしもの時にも最強じゃないッスかね!」

 

ソロモン

「できるとしても、俺はハックやアマゼロトの鍛錬だけで、もう……」

 

ザガン

「流石に幻獣相手とかは無理だと思うよ? 多分、あいつが特別だったんだよ」

「あいつは、フォトンや力の流れが『視える』って言ってたし」

 

ソロモン

「フォトンと……力の流れ?」

 

ザガン

「体のどこに力を入れてるかを『視る』だけで、相手が何をしようとしてるか分かるんだって」

「どこにどう力を加えるとどうなるかも分かるから、ちょっとの力で転ばせたりできるみたい」

 

グレモリー

「『特性』か。なるほど。それなら本当はフォトンが必要だとしても、体内の僅かな量で賄えるな」

「それにしても、その『特性』は戦士としては垂涎モノだな。敵を先読みし放題だ」

 

ザガン

「私以外にも勝負仕掛けたヤツを何度か見たけど、どれも凄かったよ」

「一斉に取り囲んで組み伏せようとしたら、逆に全員地面に押さえつけられて起きれなくなったり」

「山くらいある岩の塊みたいなメギドが転がって突撃したら、空高く放り投げられたり」

 

バルバトス

「山くらいある岩みたいなメギド体……? どこかで会ったか聞いた気がするな」

「確か、将来の議席持ち最有力候補って話だったとおもうけど……?」

 

ザガン

「もしかして、私よりも勢い任せで、いかにもガンコオヤジって感じ?」

「あいつと戦ってるの見た時には現役の議席持ちだったよ。その時の戦いで死んじゃったけど」

 

バルバトス

「あー、多分、同一人物だ」

「すると……とんでもないな。フォトン無しでメギド体の議席持ちを……」

 

エリゴス

「しかもヴィータ体だろ? 本当にとんでもねえとしか言えねえな」

「あたしらなんか、良くてちょっと大きめの幻獣と渡り合える程度なのに……」

「けど、そんなに力があって、領地が殆ど棄戦圏ってのは……よっぽど権力に興味無かったのか?」

 

バルバトス

「攻め込む敵を疲弊させる天然の要塞……と言う使い方してそうな話にも聞こえなかったしな」

 

ザガン

「そもそもだけどさ、強いって事になるかな? 議席があるってだけで」

「私も議席持ってたけど、戦ってりゃ勝手に押し付けられるってイメージしかないよ?」

「地味でつまんない話するばっかりで、あんなの何が良いんだか……」

 

ソロモン

「まあ、ザガンの性格的には合わないだろうけど、議席って戦争でちゃんと……え?」

「ザガン、議席持ちだったのか!?」

 

ザガン

「あれ? 言ってなかったっけ?」

 

 

 全員の顔に「初耳だ」と書いてあるのを確認するザガン。

 

 

ザガン

「あっ……言ってなかったみたいだね。いやー、とっくに説明した気になってた」

「まあ、面倒な仕事は全部部下に任せてたし、有っても無くても一緒だよ」

 

ソロモン

「議席の扱いが軽すぎる……」

 

バルバトス

「今では現役や元・議席持ちの仲間も結構居るけど……」

「不死者でも純正メギドでもない議席持ちは、そういえば余り例が無かったね」

 

ハーゲンティ

「ダンタリオ嬢様と……後、誰いたっけ?」

 

エリゴス

「議席持ちのヤツに聞いても、ザガンの議席を知ってるかどうか微妙かもな」

「さっきの口ぶりからして、議会にも殆ど顔出さずに戦争ばっかしてただろうし」

 

バルバトス

「しかし、ますます底知れなくなるな……並の戦績じゃないぞ、そのメギド」

「議席持ちメギド2軍を敵に回して、片方の軍団長を自ら討ち取って……」

 

グレモリー

「うむ……かつての私は、戦場から離れていた分、情報網もそれなりにあったが──」

「そんなメギド、噂ですら覚えがない。議席持ちを討てば中央からも睨まれたはずだろうに」

 

ハーゲンティ

「負けたのが悔しすぎて、みんな秘密にしてたとか?」

 

エリゴス

「あー、それ有り得るな。あたしのヴィータの地元でも似たような話あったし」

「特別喧嘩の強えヤツが居ると、適わなかった連中が組んでコスいマネ始めやがんだ」

 

ソロモン

「具体的には?」

 

エリゴス

「そいつの家族や友人が一人でいる所狙ってイビったり、家の壁やら屋根やら落書きしていく」

「バレないようにコソコソやって、疑われたら知らぬ存ぜぬで逃げ通しやがんだ」

「それで逃げ切れりゃ『あいつは俺にビビッて手出しできないんだ』と笑い飛ばす」

「ぶん殴られりゃ『身内も護れない自分が撒いた種のくせに』と笑い飛ばす」

 

ソロモン

「うわあ、悲しいくらいみっともない……」

 

グレモリー

「見下げ果てた品性だが、それがメギドに有り得ないとも言い切れんしな」

 

ザガン

「そういう事かも……実際、変わった戦い方するから散々言われてたし」

「『卑劣な術を使ったんだ』とか、『あいつをメギドと呼んじゃいけない』みたいな」

 

バルバトス

「悪評が有ったなら、本来なら尚更、人口に膾炙しそうなものだけど……」

「試しに、そのメギドの名前、聞いても良いかい?」

 

ザガン

「結構、勝負しに来るメギドも居たと思ったんだけどなあ……」

「『セルケト』っていうメギドなんだけど、皆も知らない?」

 

ハルファス&ハーゲンティ

「え……?」

 

バルバトス

「セルケトか……ダメだ、記憶にない。俺が居た頃は随分前だしね」

 

グレモリー

「生憎と、私もだ。そんなにも『個』の際立ったメギドを見落とすとは……」

 

エリゴス

「知ってたらあたしも一度は吹っかけてただろうなあ、もったいねえ」

 

ハルファス&ハーゲンティ

「……」

 

ソロモン

「ハルファス、ハーゲンティ、どうした?」

「急に顔を見合わせたりして……何か心当たりあるのか?」

 

ハルファス

「あ、うん……」

 

ハーゲンティ

「ど……」

「どうしよう……話しちゃって良いのか、分からない……」

 

ソロモン

「それハルファスのセリフじゃ……?」

 

バルバトス

「言いにくい形で見聞きした事があるって事かな?」

 

ザガン

「何か知ってるなら聞かせてよ、色々誤解されてる事くらいは私も分かってるから」

 

ハーゲンティ

「いやあ、そのお……」

 

ソロモン

「……ハルファス」

「何か面倒が起きたら俺が何とかする。だから、教えてくれないか?」

 

ハルファス

「ソロモンさんがそう言うなら、そうする」

「でも……もしかしたら、人違いかもしれない」

 

ハーゲンティ

「あたいもそう思う……」

 

バルバトス

「勘違いだったとしても、情報は情報だよ」

「俺からも頼む。セルケトというメギドの知名度のギャップは気になる所だからね」

 

ハルファス

「わかった」

 

ハーゲンティ

「じゃあ、あたいも言っちゃうけど……」

 

ハルファス

「セルケトってメギドは聞いた事あるけど……『卑怯なメギド』って言われてた」

 

エリゴス

「まあ、さっきの話の通りだな」

 

ハーゲンティ

「それに、『強い』って話も『誰かに勝った』って話も、全然聞いたことなかったよ?」

 

ザガン

「そんなバカな、セルケトは私の他にも、沢山のメギドと戦ってたはずだよ?」

「メギド体の軍勢を一人で積み上げて山にしたの、私も見てたし」

 

バルバトス

「(むしろ信憑性が落ちそうな偉業だけどね……)」

 

ハルファス

「でも、私もザガンの言ってるような話、聞いたことない」

「セルケトは、口先だけでメギドを騙して従えてた……って」

 

ハーゲンティ

「よそのフォトンの無い土地ばっかり、勝ち取ったって嘘ついて領地が広いアピールして……」

 

ハルファス

「うん、本当の持ち主が怒ると、ちょっぴり持ってる棄戦圏まですぐに逃げて……」

 

ザガン

「は? ええ……」

 

ハーゲンティ

「悪口とかで誘い込んで、罠しかけたり石投げてばかりで直接戦おうとしないで……」

 

ハルファス

「付き合ってられなくて帰ったら、『尻尾巻いて逃げた』って言い触らして……」

 

ソロモン

「さ、さっきのエリゴスの話に出てきた連中そのまんまみたいなヤツだな……」

 

ハーゲンティ

「でしょ? 部下や領地持ってたのも、たまたま強いメギドの弱み握ったからとかで最後は──」

 

ザガン

「な……」

「なんだよソレっ!!!」

 

 

 座席から立ち上がり、怒鳴るザガン。

 

 

ハーゲンティ

「おひゃあぁっ!?」

 

ザガン

「全然話が違う! 確かにあいつは、棄戦圏ばっかり集める変なヤツだったさ!」

「でも、領地はちゃんと戦争で勝ち取ってきた! 敵が攻めてきた時だってそうだ!」

「敵も棄戦圏で戦うのを見越して色んな手を打ってきたよ、それでもあいつは正々堂々──!」

 

ソロモン

「お、落ち着けザガン! どんなに酷くたって所詮は噂だ!」

 

グレモリー

「そうだ。座れ、ザガン。ハーゲンティ達に当たった所で何の意味もない」

 

ザガン

「っ……ごめん……」

 

 

 我に返って、ゆっくり腰を下ろすザガン。

 

 

ハーゲンティ

「はえぇ……頭突き殺されるかと思った……」

 

ハルファス

「あの……これ、私も謝った方が良いのかな?」

 

ザガン

「ううん、ハルファス達は悪くないよ。カッとなっちゃった私が悪い」

「でも……私、本当に見たんだ。セルケトが沢山のメギドに勝ち続けた所を」

「例え全部が見間違えでも、私が……私が戦った。それだけは間違いないのに……!」

 

エリゴス

「誰もザガンを疑いやしねえよ、強えヤツがやっかみ受けりゃ、どこでもそんなもんだ」

 

ソロモン

「でも、ますます不自然な気がする」

「メギドの寿命で考えたら、ここ百年くらいの時間は、大した差じゃ無いと思うんだ」

「なのに、バルバトス達は全く知らなくて、ハルファス達には酷い噂ばかり事細かに……」

 

バルバトス

「……何か有ったんだな。両者の『空白』の間に」

 

ソロモン

「『空白』?」

 

バルバトス

「ザガン、無礼は承知だけど、君の年齢を確認しても良いかい?」

 

ザガン

「……17だよ。っていうか、まだそういうの気にする歳じゃないと思うけど?」

 

バルバトス

「ありがとう。まあ、人それぞれというものだからね」

「さっき2人が言ってた通り、ハルファスとハーゲンティは15歳なら……2年の『空白』だ」

 

グレモリー

「なるほど。確かに、メギドが追放されてからヴィータの子として生まれるまでの期間は短い」

「記憶のあるメギドの身の上を聞いた限りでは、その期間は長くとも1年以内だったな」

 

ソロモン

「そういえば、追放から転生まで、1日と経ってないんじゃないかみたいな出来事が何度か……」

「つまり、ザガンが追放されてから、ハーゲンティ達が追放されるまでの2年──」

「この間のメギドラルの出来事を、ザガンが知る術は無いって事か」

 

ザガン

「そっか、その間に、急にセルケトの『功』まで無かった事にされて……」

 

エリゴス

「問題は、その2年間に何が起きたかじゃねえか?」

 

グレモリー

「大体察しは付くが……」

「丁度、そういった事に詳しい顔が居るじゃないか。なあ、サ──」

 

サルガタナス

「知らない」

 

グレモリー

「やれやれ、また即答か」

 

 

 余裕そうに肩をすくめるグレモリー。通路向こうの座席のサルガタナスは読書の姿勢を崩さない。

 

 

グレモリー

「だが、仮にも中央所属だろう。中央がメギドラルの情勢を見逃すはずがない」

「それに研究畑とはいえ、情報が全く入ってない事はあるまい。余程、軽んじられて無ければな」

 

サルガタナス

「安い皮肉しか言えないなんて、頭まで筋力頼みのヴィータはいっそ哀れね」

「知らないものは知らない。知ってた所で下等生物どものために脳を無駄遣いしたくないの」

 

ソロモン

「機嫌悪いなあ……」

 

エリゴス

「本当なら今頃、酒場で一杯やってたんだろうしなあ」

 

ハーゲンティ

「そ、そこを何とか、おねげえしますだ~!」

「ザガン姉さん怒らせたままなんて、あたいこのままじゃいたた、た……たまれないんです~!」

 

ハルファス

「(噛んだ?)」

 

バルバトス

「(『た』の回数が分からなくなったな)」

 

ザガン

「い、良いよハーゲンティ、私ももう頭冷えたし……」

 

サルガタナス

「知ったこっちゃないものはないわ」

「その三流道化芝居みたいなクサイ台詞聞いてると、必要な記憶まで遠のきそう」

 

ハーゲンティ

「そんな~、これもあたいの『個』ってやつですよ~……」

 

ソロモン

「ま、まあ、いいんじゃないかな。無理にサルガタナスから聞き出すのも悪いし」

「それに、セルケトに良くない事が起きたんだろうって事は、もう察しがつくし……」

 

ハルファス

「でも……ちょっと残念だね」

「中央の頭の良いメギドでも、私達と同じくらいしか知らない事もあるんだね」

 

 

 ……。

 

 

一同

「……」

 

サルガタナス

「………………………………」

 

 

 馬車内の空気が変わった。今、ここが戦場だったなら、戦列の中心に立っているのは間違いなくサルガタナスだった。

 穏やかな陽気が馬車に射し込んでいた。

 サルガタナスの無表情な眼鏡が光を全反射している。

 

 

ハーゲンティ

「ハ……ハ、ハハ、ハル……ハル、ちゃ……さん……?」

 

ハルファス

「……あれ?」

「えっと……私、何か変なこと言っちゃったみたい?」

 

ソロモン

「い、いや……そんな事は、無い……よ、多分」

「ハルファスは、セルケトの事を詳しく知れなくて残念って言っただけだもんな……」

「気にするような、事は……何、もない……かも、しれない……か、な?」

 

エリゴス

「(ソロモンまで優柔不断に……)」

 

 

 頼りないフォローを入れながら、横目にチラチラとサルガタナスの反応を伺うソロモン。

 

 

ソロモン

「(サルガタナスのページ持つ手が震えて、ページにどんどんシワが……!)」

 

ザガン

「(バ……バルバトス、空気、空気!!)」

 

バルバトス

「(無茶言うな! 幾ら女性の頼みでもこの世にはどうしようも無い事だってある!)」

 

エリゴス

「(でもどうすんだよ!? まだアブラクサスの影も見えてねえんだぞ!)」

 

バルバトス

「(最悪の場合でも、今は任務中だ。グレモリー辺りが強引に諌めてくれれば──)」

 

グレモリー

「フッ……ククク……っ!」

 

一同

「(グレモリーが吹いた!?)」

 

グレモリー

「どうした、サルガタナス。言われっ放しで終わるつもりか?」

 

一同

「(煽った!?)」

 

エリゴス

「(何考えてんだよ! 何でこんな時に限って火に油注いでんだ!?)」

 

ザガン

「(サルガタナスを笑った事、隠そうともしてない……2人って、仲悪かったっけ?)」

 

バルバトス

「(いや、逆かもしれない。サルガタナスを高く評価してるからこその態度だ)」

「(こんな状況で決定的に場を壊すまで、身勝手なやつではないと思ってるんだよ)」

「(多分、冗談で怒りの矛先を自分に向けつつ、笑い話で流させようって魂胆さ)」

「(その冗談が、絶望的に分かりにくいってだけで……)」

 

ソロモン

「(グレモリーとサルガタナスって、戦闘でも余り組ませないしな)」

「(相性が悪いって事はないけど、お互いもっと良い組み合わせもあるし)」

 

エリゴス

「(『能力』と『性格』は知ってても『人となり』までは……ってか)」

 

バルバトス

「(実力と下調べに裏打ちされた自信がある分、踏み抜く足場も大きいな……)」

 

ザガン

「(っていうか、サルガタナスからグレモリーにメッチャ殺気飛んでるよ!?)」

「(眼鏡の下で絶対に全力で睨んでるよアレ!)」

 

ハーゲンティ

「(死にかけで幻獣に追われた時を思い出すぅ……マム、肝座りすぎぃ……)」

 

エリゴス

「(このままじゃ爆発しちまうかもな……バルバトス、骨は拾ってやるから……)」

 

バルバトス

「(お、俺は……俺は無力だから……)」

 

 

 タン、と軽い音がして、それひとつだけで一同が肩を強張らせる。

 恐る恐る、音のした方──サルガタナスを見ると、顔の前で本を閉じた音だと分かった。

 

 

サルガタナス

「スゥーー…………ハァ…………。『セルケト』──」

「公式には中央に属さず、けどまつろわぬ諸王と違って中央にフォトンも納めてた奇妙な距離感」

「棄戦圏を好んでかき集めていたから、中央からも目的が分からず気味悪がられていた」

 

ソロモン

「あ、あの……サルガタナス?」

 

サルガタナス

「セルケトが中央に認知された頃から幻獣管理の厳格化が促進。原因は蛹体」

「非力なままに戦功を上げるセルケトの噂に幻獣が感化され増長しだしたから」

「その点ではウチの部署も少なからずセルケトの迷惑を被ったと言えるわね」

 

エリゴス

「ヤケクソだな、ありゃあ……」

 

サルガタナス

「部下の反乱で中央に突き出されデッチ上げ丸出しの醜聞と共に中央に処分を一任された」

「軍団は間もなく内部分裂で消滅し遺された領地を回収したメギドにマラコーダの名があった事だけ覚えてる」

「後の事は本当に知ったこっちゃ無いどうせ即刻処刑でしょうねえっ!」

「マ・ン・ゾ・ク!?」

 

ハーゲンティ

「あ、ありがと、ござます……」

 

ソロモン

「なんか、ほんとごめん……」

 

サルガタナス

「フンッ!」

 

 

 本を乱暴に座席に叩きつけ、サルガタナスは窓の外の景色へと顔を背けた。

 

 

ザガン

「な……何だかんだ、教えてくれたね?」

 

バルバトス

「あのままキレてたら、グレモリーの掌で踊るようなものだと踏み止まってくれたんだろうね……」

 

グレモリー

「ふふっ……仲間内はどいつもこいつも、素直でないやつばかりで困るな」

 

一同

「(絶対そういうことじゃない……)」

 

バルバトス

「と、とにかく、粗方は予想してた通りと言えるかな」

「ザガンが追放された後、何か大きな事件で、セルケトの軍団で蜂起があったようだ」

「その結果、不幸にもセルケトは遅れを取り、中央へ『戦果』として差し出された」

 

ザガン

「あいつが負けたなんて考えられないけど……それしか無いよね、やっぱり」

 

ソロモン

「身内が相手だった分、不意を突かれたのかも知れないな……」

 

エリゴス

「負けたメギドの扱いなんて決まりきってる……その後は処刑か、でなきゃ追放か」

 

バルバトス

「何気に、ベヒモスみたいにプーパの上昇志向にも火を点けちゃったみたいだしね」

「中央どころか、幻獣を擁する全ての軍団にとって迷惑極まりない……詰みだね」

「それにそうなると……ハルファス達が脚色されたセルケト像だけ知ってた理由も説明がつく」

 

ハーゲンティ

「え、そうなんすか?」

 

エリゴス

「中央に突き出す時に部下が有る事無い事ほざいたって言ってたし、それが広まったとか?」

 

バルバトス

「いや違う……ザガン、セルケトはもしかして、戦争には消極的な方じゃ無かったかい?」

 

ザガン

「あ、うん。他のメギドが興味なくした棄戦圏を、形の上だけ略奪してるって印象だった」

「私を殺さなかったのも、戦争しないために利用してる……みたいに言ってた気がする」

 

ソロモン

「気がする?」

 

ザガン

「いやあ、あの頃は、難しい話とかちゃんと聞いて無くって、記憶も曖昧でさ……」

 

ハーゲンティ

「うんうん、分かる分かる」

 

ハルファス

「うん」

 

バルバトス

「まあ、細かい理由はさておき……それなら間違いなさそうだ」

「つまり、セルケトに挑んだメギドの大半は、領土以外の目的で攻め込んだという事になる」

 

エリゴス

「ザガンがまさしくそうだったしな」

 

ソロモン

「領土と関係なく戦争するって事は……『功』が必要か、単に腕自慢なメギドって事か」

 

バルバトス

「そう。そしてそんなメギド達にとって、フォトン無しの相手に負けたなんて醜態も良いとこだ」

「しかも、『セルケトと戦って生きて帰ったメギド』達の間には暗黙の了解ができる」

「本物のセルケトを知っているという事は、セルケトに負けたという事……ってね」

 

グレモリー

「なるほど。セルケトを知る者同士、下手な口を利けば互いの恥を晒す事になる」

「単なる陰口以外の情報が交わされず、知らぬ者には全く知られなかった理由がそれか」

 

ソロモン

「セルケトに負けた事を指摘すれば、相手にも言い返されて、どっちもセルケトに負けた事がバレる」

「別のメギドにセルケトの事を知られたら、実態を調べられて、やっぱり負けがバレるかもしれない」

 

エリゴス

「だから負け犬同士で声高にこき下ろし漫才ってか。メギドの誇りの欠片もねえな」

 

バルバトス

「その誇りを、セルケトに打ち砕かれた後だからねえ……」

「プライドを守るために、あらゆる手段で箝口令を『強いて』た可能性もある」

「もしセルケトに陰口を知られて攻め込まれたら、今度こそ敗北を証明されかねないからね」

 

ザガン

「あいつは、そんな事しないと思うけどなあ」

 

エリゴス

「本物がやらなくたって、そいつの中で『それが当たり前』なら、そう決めつけちまうもんさ」

 

バルバトス

「真相がどうあれ、ザガンの追放後、何か大きな変化があった事は間違いないね」

「セルケトを臆面なく貶める事が出来て、それを正す事も封じる事も無くなるような、ね」

 

ザガン

「うーん……残念だけど、仕方ないかあ。なんたってメギドラルだし」

「あーあ、元気だったら、ソロモンにも一度会わせてみたかったのになあ」

 

ソロモン

「ザガンがそんなに気に入ってるくらいなら、俺とも話の合うメギドだったんだろうな」

 

ザガン

「うん、それはきっと間違いないよ。戦争しか頭になかった私にも、いつも礼儀正しいやつだったし」

「私がヴィータの生活を楽しめてるのも、あいつのお陰って言っても良いくらい」

 

バルバトス

「そう言えば、いつだったかアジトの女子会で似たような事言ってたね」

「ザガン、君は記憶を取り戻した時も特に悩む事もなく、むしろ喜んでさえいたとか」

 

ザガン

「あ、聞いてたの? やーらしー」

 

バルバトス

「流石に悪びれてはやれないねえ、広間に居合わせた連中、全員に聞こえてたはずだよ?」

 

ハルファス

「私も居たけど、最後はブネに怒られちゃった」

 

ザガン

「あはは、分かってるってば」

 

ソロモン

「あの……悩むって、どういう事だ?」

 

エリゴス

「メギドの記憶ってのは大体はそれなりに自我ってもんが固まってからやってくるからな」

「自分がメギドで、今は弱っちいヴィータなんだと理解すると、落差にガクッと来んのさ」

 

グレモリー

「大概のメギドからすれば、ヴィータは所詮フォトン袋だからな」

「幼い内に目覚めたなら、弱く愚かに生きてきたヴィータの過去と今を恥とさえ思うかもしれん」

 

ハーゲンティ

「あたいはあんまりそういう事無かったけど、やっぱ貧乏がキツかったなあ」

「メギドの頃には思いも寄らなかった、お金とご飯の日々……今はもうすっかり慣れたけどね!」

 

バルバトス

「5歳児並の知能で生き続けたある男性が、40歳で急に年相応の知性に目覚めた感じかな」

「39の中年男が、『一人でお使いできて偉い』みたいな生活して、それが自分だと気付き……」

 

ソロモン

「ふ、不憫過ぎる……」

 

ザガン

「そ、そこまで言う事ないと思うよ……?」

 

バルバトス

「失礼、ちょっと極端だったかもしれない。だが、要点は外れてないはずだよ」

「それが元で、ヴィータとしての自我と折り合いを付けるのに苦労したメギドも居るはずだしね」

 

ソロモン

「ザガンにはそういう事が殆ど無くて、それが珍しい事だった……?」

 

バルバトス

「途端に『え~~っ!?』って声が響き渡って、昼食中のフォラスが釘刺したくらいにはね」

 

グレモリー

「女3人とガチョウ1羽で市が立つ……か。私も昔はそうだった」

 

一同

「(そうだったのか……!?)」

 

グレモリー

「ザガンに悔いる所が無かった理由もまたセルケトか。不躾だが、そこも気になる所だな」

 

ザガン

「気になっちゃう? 良いよー、せっかくだしジャンジャン──」

 

 

 外から大声で呼びかけられた。

 ソロモン達の馬車と並んで進む、ガブリエルの馬車からだ。

 

 

騎士ヒラリマン

「ソロモン王とメギドの皆様ー! そろそろアブラクサスが見えてきますので準備をー!」

 

 

 窓を見ると、ガブリエルの馬車から童顔の騎士が呼びかけていた。

 

 

バルバトス

「おっと、どうにか場を繋げられたようだね」

 

グレモリー

「うむ。ザガン、興味は尽きないが続きは一旦お預けだ」

 

ソロモン

「森に幻獣が出るなら、周囲も充分危険なはずだ。皆いつでも戦闘に出られるよう頼む!」

 

ザガン

「はいはーい、それじゃあ、お楽しみはまたの機会に♪」

 

 

<GO TO NEXT>

 

 

 




※ここからあとがき

 期日ギリギリでバラキエルイベを読んできました。

 イベントの内容とは関係ありませんが、 
 適当に1-2前半、馬車内でバナルマを説明するときのやり取りをタップ数で数えた結果、数え間違いを考慮すると約103~105回。
 セリフ欄は約45文字なので、仮に全セリフギリギリまで使ったとすれば4500文字ちょっと。
 同じく1-2後半は68~70回なので3150文字弱。
 1-3前半は約85回で3825文字前後。
 1-3後半は約87回で3915文字前後。
 会話文のみでの文字数がこの範囲で、1チャプターの目安といった所でしょうか。
 折角なら原作に合わせて行きたいので、長くても総文字数6000~7000文字あたりで収まるよう心がけていければと思います。
 早速オーバーしてますが、描写を省いて分かりにくくなってはお粗末すぎるので、あくまで努力目標という事で……。


 フルカネリ、潰れてしまうん……?
 二次創作的にも便利で楽しい組織なので、存続して欲しいものですが……。


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1-3前半「戦略的追放」

 時間と場所を変わり、イーバーレーベン。ソロモン達が馬車で街を出て少し後。

 イーバーレーベンの屋敷、領主の執務室の扉がノックされる。

 

 

使用人

「旦那様、エリザ様がお越しに」

 

領主マンショ

「ああ、ご苦労。通しなさい」

 

 

 扉が開かれ、ウァサゴが入室する。応接用の長椅子で茶を嗜んでいた貴族の男……イーバーレーベン領主・マンショは、ウァサゴの顔を見て優しく微笑んだ。

 マンショがウァサゴに一礼しようと、非常にゆったりとした動作で椅子から立とうとする。

 

 

使用人

「だ、旦那様……!」

 

ウァサゴ

「マンショ様、ご無理はなさらなずに……!」

 

 

 マンショの外見は、まだまだ働き盛りといった様子だが、膝を震わせて立ち上がる様は老境を思わせるほど頼りない。

 ウァサゴと案内の使用人が駆け寄り、マンショの腕にそっと触れて、座り直すよう促した。

 

 

領主マンショ

「ははは……すっかり、運動不足が祟ってしまって」

 

ウァサゴ

「どうか、ご自愛なさってくださいな」

「ご存知の通り、私はもう貴族では無いのです。敬礼に値など致しませんわ」

 

領主マンショ

「いいえ、とんでもない。貴女は……貴女に礼を尽くさずして、私達の立場など……」

 

ウァサゴ

「そんな事……」

「マンショ様……今日は一段と、お加減が優れないようですわね……」

 

使用人

「……」

 

 

 慣れた様子で、マンショの着席を補助するウァサゴと使用人。

 終始、何気ない笑顔で語るマンショの姿に、痛ましさを表情に滲ませるウァサゴ。

 使用人の顔も同様に晴れないが、領主を長椅子に座らせた後、熟練の手付きで来客のための茶を準備し始めた。

 マンショが一息ついたのを確認して、ウァサゴも向かいの長椅子に腰を下ろした。

 

 

使用人

「それでは、ごゆっくりどうぞ」

「……どうか、よろしくお願い致します」

 

 

 準備を終えて使用人が退室した。

 言葉を暫し飲み込み、まずはもてなしに応えるため、淹れたての茶を味わうウァサゴ。

 

 

領主マンショ

「……エリザ嬢こそ、お疲れではありませんか?」

「いらっしゃるたび、手伝いの者もつけずに『別荘』を手入れなされて」

 

ウァサゴ

「勿体ないお言葉ですわ。でも、ご心配なく。これも楽しみの一つですから」

「それに……要は慣れです。今では『別荘』を整えるたび、気力が充実していくのを感じますの」

 

 

 慈母のように笑んで応えるウァサゴ。

 

 

領主マンショ

「そうですか……」

「時折訪れては、私は貴女に『別荘』を開放し、時に貴女はこうして話し相手に……」

「……いつもならもう、手入れも滞りなく終えられた頃でしょうか」

 

ウァサゴ

「ええ。ですが今日はこの後、久々に物置小屋にも光を通して差し上げようかと」

 

領主マンショ

「そんな所まで……ははは、ここ暫くの間に、ますます活力に満ちておられますな」

 

ウァサゴ

「ふふ……はしたないとは思いながら、今から楽しみで仕方ありませんわ」

 

領主マンショ

「いやいや、とんでもない」

 

 

 そよ風のように笑い合うウァサゴとマンショ。

 互いに、言葉を探すように茶を含み、数秒。

 

 

領主マンショ

「……今回は、2ヶ月振りほどでしょうか」

 

ウァサゴ

「ええ。いつもお忙しい中、何と感謝したら良いか……」

 

領主マンショ

「いいえ……それを言うなら、私達こそ……」

「……貴女の瞳を見るたび、分からされます。貴女はまだ、心から『信じている』」

 

ウァサゴ

「……マンショ様も、自身でお気づきになられていないだけですわ。奥様だって」

 

領主マンショ

「昔は……そうだったかもしれません」

 

ウァサゴ

「そ……」

 

 

 マンショの顔に笑みが消えたのを見て、返しかけた言葉を呑み込むウァサゴ。

 

 

ウァサゴ

「……たった2年の事です。何かが変わるほど、長い時間ではありませんわ」

 

領主マンショ

「変わりましたよ。恐れながら」

「『変わり』も『変え』もしました。この街のように」

「『アリアン』だって、事件からあの日まで……たった2年の事でしたから」

 

ウァサゴ

「……申し訳ございません、思い出させてしまって」

 

領主マンショ

「……いいえ。どの道、私の方から切り出すつもりでした」

「今回どうしても、あの頃の事をお話しなくてはならないと思っていましたので」

 

ウァサゴ

「……誠心誠意、お受け致します」

「今は生家と断絶した身ですが、かつては一家共々、懇意にしていただいた間柄──」

「しかと聞き届けます。『アリアン』……拐かされ、行方を消した、お二方の一人娘について」

 

領主マンショ

「……ありがとうございます」

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 ウァサゴの回想。「アリアン」に関わる事件を思い返す。

 

 

 ──私のヴィータの家とイーバーレーベンとは、距離は遠いながらも親しい間柄でした。

 貴族という立場も利害も超えた、そんな関係だったと、私は認識しています。

 

 イーバーレーベン領主ご夫婦の間に産まれた娘の名が「アリアン」。

 私も、メギドとしての記憶を取り戻す以前から知り合い、妹のように可愛がっていました。

 

 しかし……4年前、事件は起きました。

 イーバーレーベンの「移民街」に住む者達が領主邸宅を襲撃し、略奪を働いたのです。

 アブラクサス周辺領には、領地出身でない者が住まう「移民街」が珍しくありませんでした。

 廃れたアブラクサスを出奔した者、アブラクサスに憧れる内に居着いた者。そんな者達の子孫。

 アブラクサスの威光に酔った彼らの素行はお世辞にも良いとは言えず、彼らとの溝は長年の問題でした。

 

 その日、彼ら「移民街」の住民は、手当たり次第に奪って行きました。

 使用人、金品、通りすがりの子供、そして彼らの本当の狙いであるアリアン……。

 白昼の、それも無計画にして衝動的な犯行である事は明らかでした。

 しかし彼らの狼藉の熱は次々に移民街の者へ波及し、数十人規模にまで……。

 捕えて、仲間に襲われ、取り逃し、また捕えてのいたちごっこ……結果は惨憺たるものでした。

 領主マンショ様は、娘を奪われ、民を奪われ、家を荒らされ……。

 

 追手を逃れた下手人達は脅迫文を送りつけ、アリアン返還の身代金を要求しました。

 しかし、マンショ様は断腸の思いでこれを退け、下手人の一斉検挙を宣誓しました。

 そして……。

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 場面戻って、向かい合うウァサゴとマンショ。

 

 

ウァサゴ

「4年前の事件……2年の歳月をかけ、マンショ様は見事に戦い抜かれました」

「そしてイーバーレーベンを、周辺領で随一の治安と清浄を誇る地へと……」

 

領主マンショ

「厄介の種だからと、迫害される民を無情に切り捨てた……それは変わりません」

「それに……『大切なもの』が失われました。釣り合いも取れないほどに」

 

ウァサゴ

「生きています。アリアンは必ず」

 

領主マンショ

「……違うんですよ」

「恐ろしいことです……『大切なもの』は、アリアンではなかった……」

 

ウァサゴ

「マンショ様……?」

 

領主マンショ

「2年前、犯人一派の最後の残党を追い詰めた時……私達もその場に居たのです」

 

ウァサゴ

「ええ、聞き及んでおります。下手人らが最後までアリアンを連れ回したために……」

 

領主マンショ

「はい。残党も残るは2人となり、妻も私も同行を認められ、あの渓谷へ」

「今でも鮮明に覚えています。崖際に追いやられた哀れなアリアンと、あの2人組……」

 

ウァサゴ

「確か、片方が男性、そして……片や、幼い少女であったと」

「あのような行いに子供が関わっていたとは、にわかには信じられませんが……」

 

領主マンショ

「私もです。しかし、事実です。最後まで抵抗を続けたのも、その少女でした」

「男を捕えるや否や、少女はアリアンに刃物を突きつけ、逃亡のための人質に……」

 

ウァサゴ

「そして……崖に……」

 

領主マンショ

「はい……少女は、アリアン諸共、崖下の急流へ身を投げました」

 

ウァサゴ

「……」

 

領主マンショ

「確かに、死体をこの目で見たわけではありません。見つかってすらいないのですから」

「急流の果てに2人は流れ着かず……途中、アブラクサスへ続く支流もありましたが──」

「支流には水量制御のために古代の水門が幾重も連なって沈んでいます」

「自ら激流を泳ぎでもしなければ、とてもアブラクサスへは……」

 

ウァサゴ

「……その時の『真実』を、お話頂けるのですね?」

 

領主マンショ

「……はい」

 

 

 冷めきった茶を一口啜るマンショ。

 語る事さえ憚られる事情があると察したウァサゴは、せめてこちらが聞き出した形へと流れを変えるべく、敢えて無粋を演じ、進んで言葉を投げかけていく。

 

 

ウァサゴ

「あらましを聞くだけでは、どうにも腑に落ちない事が、かねてから1つ」

「逃亡を企てたはずの少女の無理心中……それが何故起きたのか」

「当時その場に居合わせた方々に聞いても、口ごもるばかりでしたわ」

 

領主マンショ

「はい……私が、口外を禁じました」

「私が……私達夫婦が、アリアンを突き落としたも同然なのです」

 

ウァサゴ

「何故……!?」

 

領主マンショ

「私が命じたのです。『娘に構うな、まずは捕まえるんだ』と」

 

ウァサゴ

「それは、一人の親としてより、領主としての立場を重んじて……!」

 

領主マンショ

「そんな誤魔化しは通じません。他ならぬ、私自身の事なのですから」

「私達の『本性』が、曝け出されたがための蛮行なのですから」

 

ウァサゴ

「『本性』……?」

 

領主マンショ

「……少女が、アリアンを人質に取った時、騎士の一人が毅然と進み出ました」

「誰も疑いもしなかった。少女は、攫われた頃のアリアンよりも幼なかった」

「そんな子が、本当に人を傷つけられるものかと。ですが──」

「少女は躊躇いなくアリアンに刃を刻みました。肩から胸元へ、まざまざと……」

 

ウァサゴ

「! ……可哀想に」

 

領主マンショ

「……本当に……本当に『それだけ』でしょうか」

 

ウァサゴ

「え……?」

 

領主マンショ

「撒かれるアリアンの血を見た瞬間……私も妻も、『本性』に気付いてしまったのです」

「いえ、アリアンに再開した瞬間から既に、『本性』が私達を動かしていた……」

「たった今まで聞こえぬ振りをしてきた『本性』の声を、聞き届けてしまったのです」

「私達の『大切なもの』は、もうここには無いと……私達が見限ったのだと」

 

ウァサゴ

「『大切なもの』……?」

 

領主マンショ

「アリアンは、確かに掛け替えのない『娘』です。そして……」

「そして……『貴族の女』です」

 

ウァサゴ

「……ッ!?」

 

 

 マンショの意味する「大切なもの」を理解し、眉を顰めるウァサゴ。

 胃を抉り取られるような不快感と共に、震える手で自らのドレスに皺を作っていた。

 

 

領主マンショ

「『可愛い娘だ』と、『何としても救わねば』と……その心に嘘は無かったと、今でも断言できます」

「しかし……薄汚れた2年前の端切れを纏う娘を見た時、私達の『本性』は答えを決めていました」

「……どこの家が娶りましょうか。2年も賊の手に落ちた女を。痛ましい傷を残す女を」

「むごい思いをした娘に縁談など、傷に塩を塗るばかりではないですか」

「どれだけかければ、立ち直らせられるのか。その後に、どれだけの将来を遺してやれるのか……」

 

ウァサゴ

「っ……!」

「(否定したい……けど、出来ない! そんな傲慢な事……!)」

「(刃にかかったアリアンを哀れんだ時、私が同じ懸念を抱いていなかったなどと言い切れない……)」

 

領主マンショ

「あの時、何を思って『捕らえろ』と命じたか……今でも、理路整然とした答えは出せません」

「ただ、確かな事は……あの時、私達は娘を愛する以上に、娘を『捨てたかった』……自分を守るために」

 

ウァサゴ

「……事件以来──」

「事件以来、お二方はすっかりお痩せになられましたわ。身も心も」

「マンショ様は今では足まで悪くされ、奥様もあれ以来、お姿を見せなくなり……」

 

領主マンショ

「妻は、私以上に思う所が有ったのでしょう。酷い有様でした」

「『本性』は、私達に見いだされてなお、己を醜いものではないと言い張るのです」

「『もう我が家には要らなかった』『選ばなくて良かった』『失敗したのは娘の方だ』」

 

ウァサゴ

「おやめください! それは貴方がたの心が紡いだ言葉ではありません!」

 

領主マンショ

「いいえ……私が抗い、思い知らされ、踊らされたあの言葉達は、確かに私達の内に湧いたモノです」

「私達が愛したのは、『娘』では無かった。『跡取りの女』に見栄を担保させていただけだった」

 

ウァサゴ

「違うッ! 事実ではありませんわ! 後悔が己を不当に卑しめさせているだけです!」

 

領主マンショ

「いいえ! 私達は現に、娘を失った悲しみより、自分達の『本性』と向き合い続けていました」

「時を経て、娘が過去へ去っていく程に、これこそ私達の唾棄すべき、そして求めていたものだと!」

「娘の本当の不幸は、『こんな』人間の下に産まれ──」

 

 

 ガン、と、茶器が跳ねた。

 テーブルを殴ったウァサゴの頬を、はらはらと涙が伝っている。食いしばる歯がどうにか開かれた。

 

 

ウァサゴ

「……お二人が……例えどんなに……どんなに過ちに満ちていたとしても──」

「アリアンは……貴方達の愛する娘は、誰より貴方達を愛し、誇りに思っていました」

「認めない事が不実でも……卑劣でも、大罪でも、どうか……どうか、その先だけは……!」

 

領主マンショ

「……私としたことが、いい歳をして、とんだ失態を……」

 

 

 冷静に立ち返ったマンショが俯き、しばし沈黙が流れる。

 お互いに、荒れた脳を鎮め終えた頃、再びマンショが口を開いた。

 

 

領主マンショ

「……『必要でなくてはならない』……近頃は、そう思うのです」

 

ウァサゴ

「……?」

 

領主マンショ

「生まれた事、生きている事……それが『求められている事』だという、証明が──」

「人は誰しも、富むも貧しきも、『必要であれ』と求められますから」

「しかし、世はままならぬものです。『必要だから』やる事は、『当たり前だ』と見向きもされません」

 

ウァサゴ

「……」

 

領主マンショ

「人は皆、求められたように生きた所で、誰にも認められはしないのです」

「可憐な貴女には、理解及ばぬ卑しい話かもしれません、しかし──」

「証明を求めた末の答え……その1つが、『親である事』なのではと、考えるのです」

「命を生み出す事……自分無くして生きられぬ存在を手に入れる事……」

 

ウァサゴ

「マンショ様──」

 

領主マンショ

「どうか、言い捨てさせて下さい。貴女の涙に報いるには……抱えてきた物が、多すぎるのです」

 

ウァサゴ

「……」

 

領主マンショ

「親とは、2つの証明のいずれかに、己の在り方を委ねんとする存在だと思うのです」

「『子を育む者としての自分』、そして『親という実績を満たしたい自分』──」

「後者は簡単な事です。子に求め、合わせてもらい、時に作り変えてしまえば良いのですから」

「ですが前者は……前者は『本性』……いえ、誇りという『本能』との戦いです」

 

ウァサゴ

「(『本能』……高い誇りを保つ事が、『本能』……)」

 

領主マンショ

「底知れぬ個人に有限の時間と手段を費やし、拒絶されようとも尽くし、証明を乞うのです」

「しかもこの証明だけは、媚びては決して施されず、積み上げた全てを捧げて、ようやく満たされる」

 

ウァサゴ

「マンショ様は……ヴィータが証明に飢えるがために、気高く在り、他者を救わんとすると……?」

 

領主マンショ

「見返りを欲する善行は偽善……誰が言い出したか、世はそのように人を裁きますから」

「だから清廉を装い通せぬ者に、一人として生きる事を『求めてあげる』事はありません」

「そして、貴族ならば当たり前、平民ならば、家族ならば……だから『私を証明してみせろ』と」

 

ウァサゴ

「……」

 

領主マンショ

「……」

「もう少しだけ、お待ち願います。もうすぐ来る頃ですから」

 

ウァサゴ

「どなたか、いらっしゃいますの?」

 

領主マンショ

「『理由』です。今更こんな話を打ち明けようと決心した、その『理由』が……」

 

 

 お誂え向きに、執務室の扉が叩かれた。

 

 

領主マンショ

「入りなさい」

 

 

 誰何の言葉も無く、マンショが応じた。

 扉が開かれると、先程の使用人と、老婦人が一人入室した。

 

 

婦人

「まあ、『ウァサゴ』様、ごきげんよう。やっとお会いできましたわ」

 

ウァサゴ

「そ……その声、奥様……!?」

「(幼い頃、確かにマンショ様達の前でメギドの名を語った事もありましたけれど……)」

 

 

 慌てて椅子を立ち、恭しく礼を返すウァサゴ。

 

 

婦人

「そう堅苦しくなさらないで、折角久しぶりの再会ですもの」

 

ウァサゴ

「こ、こちらこそ、奥様がお元気そうで、本当に……」

「(奥様、マンショ様より随分お若い方のはずでしたのに、あんなにやつれて……)」

「……あら? 奥様、その腕に抱かれているのは……?」

 

婦人

「ええ。私達にも、『ようやく』女の子が産まれましたの」

 

ウァサゴ

「え……?」

「(『ようやく』……?)」

 

 

 婦人が「おくるみ」に包まれた赤子を顔の横に掲げ、穏やかに笑った。

 

 

領主マンショ

「妻は体が弱くて、難しいお産になるだろうと」

「なので可能な限り刺激を避け、最近まで周囲にも、この事を伏せるよう伝えていました」

「出産に立ち会った者以外は、まだ妻が臨月だと思っている事でしょう」

 

ウァサゴ

「そ、そ、それは……お、おめでとうございますわ」

 

婦人

「貴女がいらしていると聞いて、是非ご挨拶をと思っていましたの」

「ようやく今日、ベッドから出る許可をいただけましたわ」

 

ウァサゴ

「ま、まあ、私のためにそんな……」

 

使用人

「奥様、そろそろ診察のお時間が」

 

婦人

「あら、ようやく会えたと思ったのに……」

 

領主マンショ

「今日は、挨拶までになさい。彼女も、まだしばらく滞在する予定のようだから」

 

婦人

「残念だけど、仕方ないわね……でも、1つだけ良いかしら?」

 

 

 夫より10以上も老いて見える婦人がウァサゴに歩み寄り、手の中の赤子を差し出した。

 

 

婦人

「ウァサゴ様も、どうか一度、この子を抱いて差し上げて」

 

ウァサゴ

「え、あ……その……よろしいので?」

 

婦人

「もちろんですわ、貴女と私達の仲ですもの」

 

ウァサゴ

「で、では……」

 

 

 赤子を受け取り、顔を覗き込むウァサゴ。

 静かに眠っている赤子に微笑みかけてみたつもりだが、ウァサゴ自身にも、自分がどんな顔をしているか分からなかった。

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 夫婦の「第一子」との触れ合いを終えたウァサゴ。

 憂いを帯びた微笑みで、退室する婦人を見送っている。

 

 

婦人

「またいらしてちょうだいね、ウァサゴ様」

 

ウァサゴ

「え、ええ……遅くとも、帰りの前日には必ず」

 

 

 閉じられた扉の前で立ち尽くすウァサゴ。

 その背中に語りかけるマンショ。

 

 

領主マンショ

「……アリアンを『貴族の女』と最初に呼んだのは、他ならぬ妻です」

「アリアンが谷底に消えて間もない頃、半狂乱で口走りました」

「主治医が言うには、アリアンが『貴族の女』なら、妻もまた『貴族の女』──」

「アリアンのために自らを呪えば、呪いの言葉は全てアリアンにも降りかかってしまう」

「それは即ち、自身も、家族も、アリアンも、今までの全てを悪と断ずるに等しい」

「しかし、愛する娘だけを切り離そうとする自分を、受け入れる事も出来ず……」

 

ウァサゴ

「そして……あのように?」

 

 

 マンショに背を向けたまま、応えるウァサゴ。

 

 

領主マンショ

「妻は、アリアンにまつわる今までの記憶を全て、改ざんしてしまったようです」

「どうにか平静を保てるように、都合よく……そうして、ようやくあそこまで」

 

ウァサゴ

「……気の毒に」

 

領主マンショ

「アリアンと仲良くしてくださった貴女についても、ご覧の通りです」

「かねてから家族のように受け入れて来たのは、『メギドの大貴族ウァサゴ様』なのだと」

「決して、『娘が姉のように慕っていたエリザ嬢』ではなく……」

「幼い貴女から聞いた『世界』に……己の『本性』の救いを、求めたのかも知れません」

 

ウァサゴ

「メギドは……メギドは、ヴィータの願うような『悪魔』ではありませんわ」

 

領主マンショ

「ええ。私も妻も、かつての貴女から、そう聞き及んでいます」

「それでも、そう思わなければ、もう……耐えきれないのでしょう」

「妻が今、どんな歴史を歩んだ『世界』に居るのか、主治医にも、判断が着きかねるそうです」

 

ウァサゴ

「……『二人目の』娘も……そのために?」

 

領主マンショ

「はい。妻は、彼女に『アリアン』と名付けると。そして、私もそれを認めました」

「言い訳はしません……『次こそ、私達のための娘に育つように』と」

 

ウァサゴ

「………………残念です」

 

領主マンショ

「どれほど厚かましくとも、覚悟の上です。しかし……これ以上、生きられそうに無いのです」

「アリアンを想うほどに私達は、人の在るべき姿と、忌まわしき自分との間で苛まれ続ける」

「貴女がアリアンを探す事に、協力は惜しみません。ですがもう、あの子の人生を『背負う』事は……」

 

ウァサゴ

「(『背負う』……私には、責められませんわね)」

「……心得ました」

「アリアンも、そろそろ独り立ちの年頃ですもの」

 

領主マンショ

「本当に、申し訳ありません」

 

ウァサゴ

「代わって、そうお伝えしますわ。いつか必ず、アリアンに……」

 

領主マンショ

「……」

「貴女は何故……アリアンのために、そうまで尽くせるのですか……?」

 

ウァサゴ

「それは……」

「お答えする前に、確かめねばならない事がございます」

「マンショ様は、ソロモン王と悪魔の軍勢の噂について、ご存知でしょうか?」

 

領主マンショ

「は? はあ、つい最近そのような噂が流れ着いた事なら」

「余り、市井で信じられては居ないようです。微塵も知らぬ者とて、少なくないかと」

 

ウァサゴ

「それは幸運な事ですわ。であれば、前もって申し上げます」

「マンショ様にとってどのような理解であれ、私はメギドです」

「そしてメギドの住まう世界というものも、確かに実在するのです」

 

領主マンショ

「ふむ……承知しました。決して、疑いはしません」

「かつて貴女が語った、貴女の生まれた『世界』……半ばながらも、信じるに足るものでしたから」

 

ウァサゴ

「感謝致します」

「かつて私が居丈高にも布告した通り、私はメギドとしても、遥かに高貴な身分でした」

「そして、メギド全てにとってヴィータとは、有り体に言って存在自体が下賤……」

「ヴィータに生まれ変わるという事を、何と喩えれば実を伴ってお伝えできるか……」

「ともすれば……人が人の心のまま、蝿として生きるかのような」

 

領主マンショ

「それは、エリザ嬢……いえ、『貴女』もまた?」

 

ウァサゴ

「少なくとも、記憶を取り戻したばかりの頃は」

「そう……アリアンに出会うまでは」

 

領主マンショ

「あの子が……? 勿体ない程のよく出来た娘だったとは思います。しかし──」

「親の私から言うのもなんですが、貴女の言葉に報いるほどまでとは……」

 

ウァサゴ

「精神は肉体に影響される……私が幼い身の上だった事も幸いしたのかもしれません」

「あの頃の私にとって、彼女は誰より気高く、貞淑で、それでいて年相応に快活で愛らしく……」

「メギドの社交界に引き入れても決して劣らない……そう思えるだけの素養を感じていました」

 

領主マンショ

「そうですか……あの子も、光栄に思う事でしょう」

 

ウァサゴ

「貴族としてヴィータを尊重し、守って見せる。そんな今の私の生き様──」

「その切っ掛けが彼女と言っても、過言ではありませんわ」

「彼女が全てだったと言えるほどには……私も、もう幼くはなれませんが」

 

領主マンショ

「充分です……理解しました」

「貴女にとってアリアンは、それ程までに──」

 

ウァサゴ

「ですから……アリアンの友として、貴方達を許す事はできません」

 

領主マンショ

「…………はい」

 

ウァサゴ

「どんなに苦しみ抜いた末でも、アリアンを切り捨て、それを受け入れた事は事実です」

「貴方達を否定する資格も、罰する権利もありません。ただ……許せないと、そう思うだけです」

 

領主マンショ

「……」

 

ウァサゴ

「何より、私も……少しだけ、求めてしまいました」

「両親も……家柄の道具としての私を選んだ両親も今頃、少しでも、お二人と同じ心持ちであったらと」

 

領主マンショ

「え……?」

 

 

 決して振り返らず、一呼吸挟むウァサゴ。

 

 

ウァサゴ

「お二方の『本性』が如何なる姿でも、それは決して、お二方だけに科された『業』ではございません」

 

領主マンショ

「……ありがとうございます。肝に、銘じますとも」

 

ウァサゴ

「また、折を見て伺います。本日はこれにて」

 

領主マンショ

「はい。是非、見送りの者を付けさせて下さい」

 

 

 マンショが呼び出し用のベルを手に取った。

 

 

<GO TO NEXT>

 

 




※ここからあとがき

 オリキャラをヨイショする的な表現はストレート過ぎても鼻につくかなと不安になり、少し持って回った感が。
 しかしどの道、原作キャラとの関係性のためにヨイショする事に変わりないわけで、もっと開き直れるようになりたいものです。


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1-3後半「プアシェアロンダー星群連邦評議体」

 ソロモン一行を乗せた馬車。周囲は些か水気の乏しい土壌。

 例によって発見し、退治した幻獣について語らっている。

 

 

ザガン

「さっき倒した幻獣、何かやる気ない感じだったねえ」

 

ハルファス

「皆が攻撃するまで、襲って来ようとしなかったね」

 

ハーゲンティ

「お腹が空いて力が出なかったのかな?」

 

バルバトス

「いや、飢えた獣はむしろ凶暴になるものだ。つまりその逆……」

 

ソロモン

「安定した餌やフォトンを得られてる……もしくは、与えられてる」

 

グレモリー

「うむ、森に駐屯している騎士団からの報告と、外見も合致していた」

 

ソロモン

「あれが報告のあった、出処不明の幻獣……」

「しかも、アブラクサスに消えた幻獣たちとも関係があるかもしれない」

 

ザガン

「こんな所で餌に困らないってなったら、シュラーが餌付けか何かしてるしか有り得ないしね」

 

エリゴス

「あたしらが見つけた時にゃ、幻獣はこの先の森に向かってたし、今度は間違いねえな」

 

ソロモン

「そういえば、フォトンの枯れた土地に森ってのが、ずっと引っ掛かってたけど……」

「こう言う事か。森というか……林?」

 

ハーゲンティ

「何か、あちこちポツンポツーンと……お財布みたいに寂しい」

 

ソロモン

「(『お財布』イコール『寂しい』ってのも、凄く寂しいな……)」

 

エリゴス

「地元にこんな感じの頭のオッサンが居たなあ」

 

バルバトス

「(それは寂しいというより、不憫だな……)」

「面積に比べてまばらでも、エルプシャフト文化圏の法律では、林は植林した樹木群と定義されてる」

「だから、自然に残っているアレは森ってわけさ。お役所仕事だねえ」

 

ザガン

「そもそもさ、木が残ってるってだけでも珍しくない?」

「棄戦圏とまでいかなくても、フォトンが枯渇した土地って、もっとこう……」

 

ハルファス

「ヒビが入って、地面が石を敷き詰めたみたいになってるよね?」

 

グレモリー

「『元来の環境』の問題だ」

「そういった土地は既に、あるいは最初から、フォトンありきの土地だっただけだ」

 

ザガン

「フォトンありきの土地?」

 

ソロモン

「フォトンのお陰で、維持されてるように見えていたって事か?」

 

グレモリー

「そうだ。最近では学者の間でも問題視されている」

 

バルバトス

「分野じゃないけど、聞いた事はあるよ」

「ある豊かな土地を調査した所、そこは死んでいるはずの土地だった……とか」

 

ハーゲンティ

「何それコワイ……」

 

バルバトス

「まあ、ある意味では怖い話だけどね」

「原因はなんと、そこで行われていた大規模な農業だった」

 

ソロモン

「農業? 植物を育ててるなら、むしろ肥沃な土地になりそうだけど?」

 

バルバトス

「所がどっこい。例えば俺達もパンだけで生きてるわけじゃないだろう?」

「植物も同じさ。品種によって、土から回収している栄養分が違うんだ」

 

ザガン

「牛は草だけ食べるけど、私達は草以外も食べないと保たないみたいな?」

 

バルバトス

「そういう事。例えば、そうだな──」

「アクィエルはまだまだ、血以外の食物を受け付けられないよね?」

 

ソロモン

「ああ。本人も頑張ってはくれてるけど……今の所、噛み菓子がやっとだったな」

 

エリゴス

「あ、そうか。アクィエルがメギドラル遠征行くようなものって事か」

 

ハーゲンティ

「へ?」

 

エリゴス

「アクィエルが他のメシも食えるように頑張ってんのもそのためだろ?」

「向こうじゃ、いつ生き血なんてものが採れるか分かりゃしねえ」

「同じ作物ばっか育ててると、生き血の在庫切らした時と同じ事が起こる」

 

ザガン

「私も分かった! 土の中の作物の栄養が無くなっちゃうんだ」

「メギドラルで私達の糧食は残ってても、アクィエルの分が底をついちゃうって事でしょ?」

「雑草が食べれる栄養は残ってるかもだけど、作物の栄養が殆ど無くなってる! どう?」

 

バルバトス

「正解。本来なら餓死寸前の作物のはずが、フォトンの加護でそれなりに育って見えるんだ」

「だから、フォトンが枯渇するとまず作物が育たなくなる」

 

グレモリー

「ごく最近まで、フォトン便りの農法で食いつないできた村々も多いからな」

「だが、影響はそれだけに留まらない」

 

ソロモン

「まあ、畑がダメになったからすぐに砂漠化……って事は無いだろうしなあ」

 

バルバトス

「これはちょっと難しいから、早速答えを出してしまおう」

「ズバリ、生態系の崩壊だ」

 

ハーゲンティ

「す……饐えた池に放火……!?」

 

エリゴス

「燃える泥水が湧く土地って噂は聞いた事あるが……」

 

バルバトス

「どれだけムリヤリ聞き間違えてるんだ!?」

「要するに、巡り巡ってその土地の生き物全てがまともに生活できなくなるんだ」

 

ザガン

「作物ひとつのせいで?」

 

エリゴス

「ちょっとピンと来ねえな……」

 

バルバトス

「作物が吸い上げてた養分と、同じ養分を必要とする雑草だってあるはずだろ?」

「まず、作物と一緒にそれらの草花が枯れる。そして、草花を餌にする生物は数多い」

 

ハルファス

「じゃあ、一緒に枯れちゃった花に停まってた蝶とか、いなくなっちゃうね」

 

ソロモン

「あ……少し、分かってきた気がする」

「特定の草花を食べてた虫や獣が消えて、それらを食べてた鳥なんかも消える」

 

エリゴス

「じゃあ、鳥とか小動物を獲ってた獣も飢えるなり出てくなりしちまって……」

 

バルバトス

「土の養分を供給する方法は2つ。1つは生物の死体が大地に還る事」

「もう一つは洪水や嵐で他所から土ごと運ばれてくる事」

 

ザガン

「動物が出ていっちゃうんだから、養分は戻ってこなくて……」

 

ハーゲンティ

「洪水とかそんなの、何度も起きるものじゃないし……」

 

バルバトス

「頼みの綱は残った雑草達だが──」

「土の性質っていうのは、その土の原料と養分のバランスで決まるものらしい」

 

エリゴス

「するってーと……?」

 

ソロモン

「フォトンで保たれてたバランスが崩れて、土が変質する?」

 

エリゴス

「おおっ、なるほど! フォトンが失せた途端に今までの土地じゃ無くなっちまうわけか」

 

グレモリー

「土壌が変われば、土を肥やしてきたミミズやモグラも脅かされる」

「無論、雑草共も、よほど強靭な種類以外は枯れ果てる」

 

バルバトス

「そしてトドメを刺すのが……井戸だ」

 

ソロモン

「い、井戸ぉ?」

 

バルバトス

「フォトンスポットは大体、水源と共にある」

「そしてヴィータは井戸を掘る。水がより多く湧く場所から重点的にね」

「ここでまず、地下水の一部が井戸へと流れ込みやすい仕組みが出来る」

 

ザガン

「水の在り処が偏るって事……? だからって酷い事にはならなそうだけどなあ」

「そんなに井戸が重要なら、掘った時点で周りの自然が変わっちゃったりしない?」

 

バルバトス

「ん~、残念だけど、それではまだハズレだ」

「草花を育んだ土がフォトンのお陰で現状を保てていたのなら、水だって同じはずさ」

「フォトンが枯渇した水には、かつて程、命を支える力は無い」

 

ソロモン

「水もフォトンが無い分、今まで使ってきた量じゃ足りなくなるって事か……ん?」

「まさか、植物や俺達が、普段飲んでる量の水で生きていけるのって……」

 

エリゴス

「え、おい……まさかあたしら、フォトンのお陰で飲んだ分よりも何つーか……潤ってる?」

 

グレモリー

「あくまで、まだ仮設の段階だがな」

「実験しようにも、フォトンの枯渇した水というものが、そう易易と手に入るものではない」

 

バルバトス

「フォトンスポットと水源の繋がりは、奥が深いようだからね」

 

ハーゲンティ

「じゃあ、トーターバウムとかが街の周りまでガサガサだったのって……」

 

グレモリー

「最初に言った通りだ」

「既に、『単純な自然界』の中では循環しきれる資源量でなかったのだろう」

「本来なら、石畳や家屋を被せられた土壌は徐々に痩せていくそうだからな」

 

ソロモン

「大きな街へ開発していくほど、街になった土地は弱っていくのか……」

 

ハルファス

「森の木を切りすぎて砂漠にしちゃったって話なら聞いた事あったけど、色々難しいんだね」

 

バルバトス

「しかも先に話した通り、大体のフォトンスポットは井戸を建設している」

「貴重な水の更に幾らかが、石造りの筒の中で無為に蒸発を待ち続ける」

「フォトン欠乏と共に住民が激減し、井戸を使う者が途絶えた後もずっと……ね」

 

ハーゲンティ

「ほ、本当に別の意味でコワイ話だった……」

 

ザガン

「人の手が入って、フォトンに頼りきって無茶な事してたせい……?」

 

バルバトス

「あくまで、結果だけ見た内の半分くらいは……って感じだけどね」

「結局は、人も土も遥か昔からフォトンに支えられてきたのがヴァイガルドという世界なんだ」

「フォトンが枯渇すれば、そこが野山だって海だって、少なからず同じ結末を迎える」

 

ソロモン

「メギドラルみたいに、か……」

「もしかして、ヴァイガルドもフォトンの助けが無かったら、棄戦圏みたいな環境ばかりだったり……?」

 

グレモリー

「何とも言えんな。そもそも『ヴィータが生きるために造られた世界』などという保証も無いのだ」

「ソロモンが懸念している通りの仮設を唱える声もあるし、その逆を訴える者もいる」

 

ザガン

「逆って?」

 

グレモリー

「逆に、フォトンに首まで使ったヴィータを置き去りに、『真の生存競争』が始まる」

「環境によって滅びるのが動植物なら、再生させるのも動植物だ」

「獣、虫、植物、菌類……衰退したヴィータの代わりに、彼らがヴァイガルド全土を覆い尽くす」

 

バルバトス

「フォトンが無くても最低限の環境で図太く生きられる種族だけの、密林世界になるわけだね」

 

ザガン

「オ、オセくらい逞しくないと、ちょっと厳しいね……」

 

ハーゲンティ

「どう足掻いてもヴィータ絶望じゃないっすか……」

 

エリゴス

「まあ、起きるかも分からねえ辛気くせえ話はそのくらいにしてよお、つまり──」

「アブラクサスの場合は、元々『このくらいで済む』土地だったって事か」

 

バルバトス

「それもあるけど、どうにかトドメを回避できてるのかもしれないね」

 

ソロモン

「トドメ……水か?」

 

バルバトス

「まあ説明は、まず実物を拝んでからにしようか」

 

 

 バルバトスが窓に身を乗り出し、一方を指差した。

 連れ立って指し示した先を確かめる一行。

 

 

(※下記リンクからアブラクサスのイメージ図)

 

【挿絵表示】

 

 

 

 海に面した崖沿いに、高々と聳える人工物の群れが見える。

 

 

バルバトス

「あれが、目的のアブラクサスだ」

「近辺の森に向かうから、この後、一旦遠ざかる事になるだろうけどね」

 

エリゴス

「今の内に、よく確かめとけって事か」

 

ハーゲンティ

「たっけーーー……何あの塔、あんなに原型残ってて、ほんとに廃墟なの?」

 

ハルファス

「小さい頃たまに、イーバーレーベンからもボンヤリ見える事があったよ」

「その頃からずっとあんな感じだから、多分、そう……なのかな?」

 

ソロモン

「アブラクサスの周りだけ、随分と木が生い茂ってるな」

 

バルバトス

「恐らく元々、ここの環境に古くから適応してる、丈夫な種類の木なんだろうね」

「アブラクサスの周囲だけは真水も豊富だから、そのお陰で生育できてるんだろう」

 

エリゴス

「海沿いで真水? 漁村とかだと井戸掘っても海水混じるから大変って聞くけど?」

 

バルバトス

「全盛期アブラクサスの、資本と技術力の賜物だよ」

「向かって右端、アブラクサスの外から伸びてるアーチ状の構造物……あれが水路橋だ」

 

ソロモン

「水路……なるほど、別の場所から水を引けば……って……んん?」

 

ザガン

「その水路、何か、地平線の向こうまで続いてるように見えるんだけど……」

 

バルバトス

「地平線のそのまた向こう、最寄りの山に流れる渓流まで繋がってるよ」

 

ソロモン

「や、山ぁ!? あ~、確かに真っ青に見えるくらい遠くに山が見えるけど……」

 

ザガン

「そこからわざわざ、ここまで……!?」

 

バルバトス

「そう、わざわざここまで。氾濫しないよう、常に幾つもの水門で調節されながらね」

 

グレモリー

「流れの早い川の水は腐りにくく、虫や病が混じる事も極めて稀だ」

「山間を日々大量に流れているのだから、そうそう涸れる事も無い。理想的と言えば理想的だ」

 

バルバトス

「井戸で土地の水脈を乱す事も無いしね」

「供給した水は後で敷地の周囲にも撒かれてるから、最低限、植物の育つ水分が確保されてるのさ」

「そして、今度は向かって左……崖っぷちを見てくれ。滝みたいになってるだろ?」

「あれが下水道だ。水路橋を通った水は給水棟を経由して街全体に行き渡り、下水道から捨てられる」

 

エリゴス

「ん? 引いてきた水が、あの塀の足元辺りから全部出てってる……?」

「汲んで使った分の水はどこに捨ててんだ? 同じ所に捨てちゃ崖側の住民が困るだろ」

 

ザガン

「だよねえ。水が豊富な街だと、街全体に川を巡らせてるって聞いた事あるけど──」

「そこの人達も、使う水は川から桶とかで汲んで、使った後は庭とかに捨てるらしいし」

 

バルバトス

「技術と常識のレベルが、現代の俺達とはだいぶ違くってねえ」

「何でも、上水道と下水道を分けて造られているらしい」

 

ソロモン

「上水道?」

 

バルバトス

「使う方の水と、使った後の水、それぞれ別の水路に流すんだ」

「具体的にどうなるかと言うと──各家庭にパイプとネジを組み合わせたような設備があったらしい」

「ネジには取っ手が付いてて、そいつを回してネジを緩めるだけで、水がジャバジャバ出てくる」

 

ソロモン

「家の中に居たまま、水が幾らでも手に入るって事か……!?」

 

ハーゲンティ

「スゲエ……わざわざ井戸から汲んで水瓶に取っといたりしなくて済む!」

 

ザガン

「水が要らなくなったら……そのネジを締め直せば良いだけ?」

 

バルバトス

「そうだったらしいよ。で、水が出てくる場所には、下水道へ繋がる穴も作る」

「使った分も使わずに溢れた分も、下水道にまとめられて海へポイさ」

「もちろん、誰にも使われずに流れきった上水道の水も、最後に下水道と合流する仕組みだ」

 

ソロモン

「ら、楽だ……とんでもなく便利だ……!」

 

バルバトス

「まあ、流石に今でも現役で残ってるのは、あの大本の上下水道だけだろうけどね」

「個人的に最も惜しいのは、『水浴び装置』的なものが有ったらしい事だね」

「雨くらいの適度な勢いで、思う存分に体を清められたっていう技術らしい」

 

ザガン

「あー、欲しいなあそういうの。髪洗う時とか絶対便利だよ」

 

グレモリー

「技術が残っていた所で、結局は大量の水が無ければ賄えんがな」

「サルガタナス、貴様も見ておけ。仮にも敵の本拠地だ」

 

サルガタナス

「言われなくてももう来てるの。偉そうにしてないで、そのムダだらけの体積をとっととドカしたら?」

 

 

 反対側の座席に居たであろうサルガタナスを呼んだグレモリーのすぐ背後で、サルガタナスが眉間にシワを寄せていた。

 

 

グレモリー

「おっと。はっはっは、確かに、今のは私の手落ちだったな」

 

 

 バツが悪そうに、しかし随分と様になる爽やかさで苦笑しながらグレモリーが窓際から身を引いた。

 他の仲間達も、言葉のトゲが飛んでこない内にワサワサとサルガタナスにスペースを譲り始める。

 

 

ソロモン

「今の、笑って済ませられるのか……グレモリーって、思ってたより大らかなんだな」

 

ザガン

「え? いつもあんな感じじゃない? 厳しい所もあるけど、普段から気さくなほうだよ」

「領主のイゾルデさんって、グレモリーの事でしょ? 凄い良い人だって人気らしいし」

 

バルバトス

「今は公的にも『グレモリー』で通してるから多少は古い情報だけど、今も変わりないだろうね」

「俺もちょっぴりナンパが過ぎて窘められたりもするけど、結構、話を合わせてくれるよ」

 

エリゴス

「グレモリーにまで声かけてたのかお前……」

「あたしはそこまで関わりねえけど、出自や身なりを全く気にしないし、それだけで好感もてるな」

 

ソロモン

「そ、そうなのか……? 俺てっきり、フォカロル達とは別方向に厳格なタイプかと……」

 

バルバトス

「君はホラ、さっきも言われてたけど、立場ってものがあるからね」

「彼女にも仕事があるから、余り多くの顔を見せられない。それで君の印象も偏っちゃうんだと思う」

 

ザガン

「世のお父さんって感じだね、性別は逆だけど」

 

ソロモン

「なるほど……同じ引き締め役でも、ブネみたいに日頃から接する機会、余り無いもんな」

「そう考えると、むしろ俺の方からの歩み寄りが足りなかっただけかもしれない」

「グレモリーだって、キューティーバイオレンスナンバー5の皆とは仲良いみたいだしな」

 

一同

「(キュ……何?)」

 

サルガタナス

「クソね」

 

ソロモン

「え、そうかな? 俺は結構好きだけど……」

 

サルガタナス

「見下げ果てたわね。ヴィータの悪趣味と狂気を煮詰めた最低最悪のセンスだわ」

 

ソロモン

「そ、そこまで言うことないだろ……」

 

バルバトス

「いやいやいや、ソロモン、何の話と繋いでるつもりなんだ……?」

「サルガタナスが見てるのはアブラクサスの方だぞ?」

 

ソロモン

「え? あ、ああ、アブラクサスの事を言ってたのか」

「でも確かに建物とか独特な形してるけど、そこまで悪い印象は……」

 

 

 サルガタナスを邪魔しないよう、遠慮がちに窓からアブラクサスを観察しなおすソロモン。

 

 

ソロモン

「海が見える高台って、見た目にも結構いい感じだと思うけどな」

「絵とか余り見ない俺でも、題材によく使われるってイメージあるくらいだし」

 

サルガタナス

「上っ面しか考えないからどこまでも下等生物なのよ」

「その勝手なイメージを『造る』ために、どれだけの価値を破壊したのか気付きもしない」

「濾過と消毒を繰り返した透明なだけの水を『大自然の恵み』とありがたがるような胸糞悪さ……」

「ある意味では芸術品かもね。馬鹿と傲慢の金賞作だわ」

 

ソロモン

「???」

 

バルバトス

「『造る』に『水』ね……ソロモン、サルガタナスは『海』の話をしてるんだよ」

「あの崖と高台、砂浜を埋め立てて造成したものなんだ。サルガタナスはそれを見抜いたのさ」

 

ソロモン

「埋め……砂浜を、埋めた……?」

 

バルバトス

「言ったろう? かつてアブラクサスは漁村で、バラ特需を使って『街の美観を高めた』」

「他所から土と石を取り寄せ積みあげ、金属の杭や植物の根で補強しながら地道にね」

 

エリゴス

「見てくれのために、砂浜を崖にしたってか……?」

 

ハーゲンティ

「そこまで贅沢されると、流石のあたいもそれはちょっと……」

 

バルバトス

「崖っぷちのリスクは当然承知済みだ。だから当時の最新技術をつぎ込んで、耐久保証は数百年」

「建造物は風化してるけど、あの崖はアブラクサスが廃墟になって以降、すり減りもしてない」

「代々イーバーレーベンに住んでる使用人さんから聞いた話だ。信憑性は低くないと思う」

 

ザガン

「うわー、ウァプラが聞いたら引っくり返りそう」

 

バルバトス

「まあそれらが無くても、汚れた水を海に捨ててる時点で我慢ならないのだろうけど……」

 

サルガタナス

「もう半分慣れたわ。つくづくヴィータってのは、薄汚い事ばかり有難がるものよね」

 

エリゴス

「(ドン引きさせられる現物が目の前にあるんじゃ、流石に反論する気にもなれねえや……)」

 

ハーゲンティ

「そこまでお金があっても、最後はこんな事になっちゃうんだねえ。ああ無情……」

 

バルバトス

「使い所の正しさに悩む表現だね、詩人的に……」

「しかし……うん、今の内に話せるだけ話しておくかな」

 

ソロモン

「他にも話題があるのか?」

 

エリゴス

「今度もアブラクサスがスゲエって話ならパスで頼むぜ……」

 

バルバトス

「うーん……当たらずとも遠からず。任務に関する意味が大きいね」

 

ハーゲンティ

「じゃあ、あたいがパス……?」

 

バルバトス

「いやいや、分からなくても聞くだけ聞いといてくれ……」

「実は、王都で説明を受けた時に、途中でガブリエルに遮られた話があってね」

 

ソロモン

「えっと……ごめん、そんな場面あったっけ?」

 

バルバトス

「ガブリエルにしてはセンスの良いタイミングだったからね、気付いてなくても仕方ない」

「邪魔された話題は、アブラクサスが衰退した原因……実は、フォトン枯渇だけじゃないんだ」

 

ソロモン

「ガブリエルが喋らせなかったフォトン枯渇以外の原因……それも任務に関係がある?」

 

バルバトス

「そう。ハーゲンティが言った『沢山のお金』が見る見る溶けていくくらいの『事件』がね」

 

ハーゲンティ

「お、お金が溶ける……? や、焼いたり、そういう薬とか!?」

 

バルバトス

「いや、溶けるって言うのは比喩だよ……大金を支払うハメになったって意味」

「原因は、富をもたらした例のバラだ。便宜的に『原種』とでも呼ぶとしよう」

「この原種、現在の市場では全く流通していない。根絶されたからね」

 

ザガン

「根絶って……誰かが残らず処分しちゃったって事?」

 

バルバトス

「それも、根絶を指示したのは当時の王都……国を上げて原種を抹殺したんだ」

 

ハーゲンティ

「そんな勿体ない! どんなモノでも『元祖』ってのはそれだけで値打ちモンですぜ!?」

 

バルバトス

「しょうがないのさ。『猛毒』があると分かったんだから」

「それも、当時の技術ではハルマの力を借りてようやく見つけられたような特殊な毒がね」

 

エリゴス

「毒入りかあ……」

 

ザガン

「やっぱり、トゲから毒が入っちゃったり?」

 

バルバトス

「トゲどころか、花もツルも根も、隅から隅までだよ」

「幼い子供なんかだと、極稀ではあったそうだけど、慎ましい芳香と引き換えに鼻を失ったとか」

 

グレモリー

「加えるなら、根絶された現在でも大半の領地で、『原種』の所持・流通に厳罰を課している」

 

ソロモン

「そんなに強いのか!?」

 

ハーゲンティ

「花で鼻を……あ、いや、シャレになってないね、うん」

 

バルバトス

「検出が難しいだけじゃなく、毒の効能も厄介でね。一種の麻酔みたいなものだったんだ」

 

エリゴス

「麻酔って言えば、医者が患者の腹ぁ切る時とかに使うやつか?」

 

バルバトス

「まあそういう事なんだけど、それもまた随分な例えな気がするなあ……」

「とにかく、体の感覚を失わせるんだ。だから、例えばトゲが刺さっても気付きにくい」

「そして、それだけでは直接の危険は無い。だから『副作用』も見逃され、毒の発見が遅れた」

 

ソロモン

「その『副作用』が問題だったんだな?」

 

バルバトス

「『副作用』は2つ……抵抗力を失わせる事と、動きを鈍らせる事」

「まず1つ目。毒が効いている箇所はその間、病や他の毒を退けられなくなる」

 

ソロモン

「抵抗力……ああ、体に悪いものが入っても、ある程度なら体が退治してくれてるって事か」

「体を清潔にするのも、目に見えないほど小さな生き物が俺達の害になるからとか」

 

ハルファス

「じゃあ、ほんのちょっとの病の元でも、体がやっつけられなくなるって事?」

 

バルバトス

「その通り。本当にちょっと指先切ったくらいなら、治りが遅いくらいの影響しか無いけどね」

「でも、さっきの例なら、子供は力が弱いし、大人でも鼻の中はデリケートな器官だ」

「香りを嗅いで僅かに麻痺した鼻で空気を吸い、病の元が鼻に棲み着いたら……」

 

ザガン

「それで悪化して、鼻が取れちゃうほどまで……!?」

 

バルバトス

「あくまでも、極稀な例だけどね。何よりの問題は、危険な応用が出来てしまう事だ」

「副作用2つ目が実際に使われてね。とある領主のもとに原種を漬け込んだアロマが送られた」

 

ザガン

「バラの香りのアロマって聞くと、ちょっと興味出ちゃうけど……ヤバいって事だよね?」

 

バルバトス

「原種の毒で感覚を失うと、その部分は殆ど動かせなくなる」

「何も知らない領主はこれを寝床で焚いて、そのまま眠りについた」

「寝息に混じった原種の毒で、呼吸器が痺れて動かなくなり──」

「翌朝には、原因不明の永遠の眠りについた領主が見つかるって寸法さ」

 

ソロモン

「あ、暗殺……!」

 

グレモリー

「原種の毒は、死体の中だろうと徐々に変質して、たちまち正体をくらますそうだ」

「治療薬や消毒剤に混ぜれば、病や怪我の悪化に見せかけての殺害も容易い」

 

バルバトス

「創作か事実か分からないけど、毒が発覚した当時に流行った逸話がある」

「思春期の少女が、ある男性に恋をした。『この人を独り占めしたい』と──」

「しかし男性はある時、謎の病を患い寝起きもままならない体に」

「家族にも疎まれ孤立する男性を甲斐甲斐しく世話する少女、だが彼女の料理は何故か時々味が──」

 

ザガン

「わ、分かった! もうオチ分かっちゃったから!」

 

エリゴス

「男が孤立しちまったのも根回しされてるパターンだ……」

 

ソロモン

「(何でだろう……ちょっと、他人事な気がしない……)」

 

グレモリー

「つまり原種を用いれば、庶民から貴族まで誰でも完全犯罪を成し遂げられる」

「そうなれば贈り物ひとつさえ疑心暗鬼の嵐を呼ぶ。規制もやむなしという事だ」

「無論、現在流通している改良品は、無毒化されている事が絶対条件だ」

 

バルバトス

「原種を所有する金が無くたって、貴族の妻に恋した庭師が……いや、もう充分か」

「とにかくそんなわけで、直ちに原種の回収及び処分が命じられたのが百数十年前だけど──」

「この原種アブラクサスが今、再び出回ってるかも知れないと俺は考えてる」

 

ハーゲンティ

「ヤバいけど勿体ないバラが!? 無くなったと思ったバラが百年振りに復活!?」

 

バルバトス

「それ、どういった意味合いで尋ねてるんだい……?」

 

グレモリー

「ふむ……」

「興味深いな、バルバトス。聞かせてみろ」

 

バルバトス

「(グレモリーが食いついた……なら、王都も『原種』流通を把握してると見るべきかな)」

「(グレモリーは嘘や誤魔化しが苦手なタイプだ。未知の情報なら黙って聞いたはずだからね)」

「結論から言って、周辺領で交わされる不審な取引……その見返りが原種なんじゃないかな」

 

エリゴス

「大量のメシやら服やら指輪やら、その代金代わりが原種か……バラ自体が値千金だもんなあ」

 

ソロモン

「じゃあもし、買った原種を、金目当てで更に周辺領の外にまで売り捌いてたら……」

 

ザガン

「見て楽しむだけ……って事は絶対無いよね……」

 

バルバトス

「そこからうっかり他所で栽培でもされたら一大事だが……まだそこまではいかないと思うな」

 

エリゴス

「そうかあ? 珍しいとか猛毒とかより、人間まずは金に目が眩むと思うけどなあ」

 

バルバトス

「そんなアコギな奴ほど、司法の目を常に警戒するものさ」

「説明を受けた時に『証拠はまだ掴めてない』と言ってた。つまり『調査』はしたんだ」

「さて、グレモリー。俺はお上の仕事には詳しくなくってね」

「王都から金遣いについて疑われた時、領主はどうすべきなんだろう?」

 

グレモリー

「ふっ、私に聞くとは……だが嫌いじゃない」

「場合にもよるが最低限、領主は当月までの財務諸表とその写しを用意し、写しを王都に提出する」

 

話を聞いてる側一同

「???」

 

バルバトス

「簡単に言えば、現在の全財産と最近の売買の記録だよ」

「一輪100万なんて飛び出すような破格の取引をしてたら、その時点で即刻バレるって事」

 

グレモリー

「虚偽の書類を出しても無駄だ。写しを受け取った後、王都は税務査察官、通称マルサを派遣する」

「マルサは領主立ち会いの下で写しと財務諸表を照らし合わせ、更に実際の資産状況も確認する」

 

バルバトス

「書類に嘘がない事を現地で確かめ、更に宝石1つまで嘘偽りが無いか調べ上げられる……大丈夫かい?」

 

ソロモン

「う、うん、何とか分かる」

「スケールは違うけど、フォカロル達がアジトの支出を記録してくれてるのと似たようなものだよな?」

 

バルバトス

「概ねそれで問題ない。俺達も疑われたら、それを証拠として提出するわけさ」

「だが、王都もそのくらいの事は調べたはずだろうけど、現状では尻尾を掴めていない」

「少なくとも、まだ原種を金に換えるような取引は発生していないと考えられる」

 

グレモリー

「隠す物が大きいほど、痕跡は消しきれなくなる。王都も充分に探りを入れての結論だろう」

「そしてアブラクサス以外で、金以外の取引に応じる者も居まい。価値が不確か過ぎるからな」

 

バルバトス

「ふうん、やっぱりグレモリーもそう思うわけか」

 

グレモリー

「ん? 妥当な『推理』だと考えるが、何か妙だったか?」

 

バルバトス

「いやいや、何でも?」

「(ま、このくらいの『はぐらかし』は当然だね)」

 

ソロモン

「な、何の話?」

 

バルバトス

「取引の正体の話、さ」

「話した通り、周辺領の外に不審な金の流れは見つかってない」

「そして、『不審な取引自体』の証拠も出ていない。つまり──」

「原種の取引には、お金が絡んでいない」

「(という事を、グレモリーと王都も感づいているんだろうね)」

 

ザガン

「ええ? 買いも売りもしてないって事??」

「でも、アブラクサスは実際に色んな品物を手に入れてるんでしょ?」

 

ハーゲンティ

「じゃあ、原種と食べ物を物々交換!?」

 

ソロモン

「いや、だからそんな人によって価値の変わる物で取引はできな──」

「あれ? さっきグレモリー、『アブラクサス以外では居ない』って……」

「あっ! アブラクサスなら原種の『代金』が何でも問題ないんだ!」

 

バルバトス

「はい、ハーゲンティとソロモン正解」

「念の為に確認しよう、グレモリー。物々交換に関する法整備は?」

 

グレモリー

「健全な施政を志す者としては、まだ充分とは言えんな」

 

エリゴス

「待て待て、だから置いてけぼりにすんなって!」

「何だよ、物々交換だと王都の取り調べすり抜けられんのか?」

 

バルバトス

「限りなく黒に近いグレーだけど、直ちにしょっ引くことはできないって感じじゃないかな」

 

グレモリー

「私の見立てでは、規模とやりようによっては完全に騙しおおせてしまえるだろうな」

「貨幣のように平等の価値を持たん以上、法整備以前に水準を定めるのも難しいからな」

 

ザガン

「あの……もうちょっと具体的な話を……」

 

ソロモン

「えっと……こういう事かな」

「さっきの……マルサだったか? その人達が領主の宝石の数を確かめたとする」

「実は宝石の中に1つだけ、盗んで手に入れたか、別の宝石と交換した物があった」

「もしくは逆に、何かの借りを返すとかで幾つかの宝石を誰かに明け渡してた」

「当然、帳簿と宝石の内訳が違うと指摘されるけど、その時──」

「『うっかり間違えた』『紛失してしまった』って言い張ったら……」

 

グレモリー

「うむ。マルサには、その場では言い分を聞き入れて引き下がる他にない」

「事前にその情報を得ず、裏取りも対策も用意しなかったマルサの手落ちだ」

 

エリゴス

「そ、そんな簡単に言い逃れできちまうのかよ……」

 

グレモリー

「肝心の『数字』に重大な違反を見出だせない以上、疑わしきだけでは罰せない」

「複数の人間が橋渡しで記録を付けているのだから、どうしてもどこかにミスも出るからな」

 

バルバトス

「例え宝石でも失くす時は失くす。それで逮捕されたんじゃ、誰も領主なんてやりたがらない」

「もしも、盗まれたから帳簿が合わなくて、そのせいで罰せられたりしたら盗んだやつの一人勝ちさ」

 

ハルファス

「罰を与えた王都の人達も、後で文句言われちゃうよね」

 

グレモリー

「活版印刷のように専門の仕事をする機械でもあれば話は別だが、そんな代物も生まれていない」

「万全とは言い難いが、これ以上の締め付けも現実的ではない。まったく難儀だよ」

 

バルバトス

「多分、本当にアブラクサスが交換してるのは『契約』だろうね」

「ソロモンの例えで言うなら、宝石を他人に明け渡したケースだ」

「例えば、最初に原種を与えて、今後とも『仲良く』するなら定期的に渡すよと持ちかける」

「相手領主が承諾すれば、アブラクサスは約束通り原種を状況に合わせた方法で送る」

「領主はアブラクサスの要求する物を、取引の振りして譲渡する」

 

エリゴス

「ん? 要は、アブラクサス渡して、色々な品大量に寄越してるんだよな?」

「やっぱりバレねえか? アブラクサスもちゃんと金出さないと帳簿が狂うだろうし」

 

バルバトス

「マルサが来た時は、譲渡しに行った時に互いがサインした、偽の領収書を見せるんだ」

「無フォトン作物を買ったり資源を売った記録をね。もちろん本当は買い物なんてしていない」

「元が趣味の人が買う程度の規模だ。領地の財務やりくりの中では取るに足らない」

 

グレモリー

「決算によっては、時に百万ゴルドを一桁で表し、未満は小数点で軽んじられる事もあるからな」

 

ハーゲンティ

「…………!?!!??」

 

バルバトス

「(ハーゲンティ、脳みそが空の向こう側まで飛んでったような顔してるな……)」

「つまり、領収書と帳簿の額がズレはするけど、余裕でトボケ倒せるわけさ」

「『どこかの店から大口で買った時、手数料を負けてもらったのを書き忘れたかも』とかね」

 

ソロモン

「アブラクサスとの取引が、領地レベルでは小さすぎる買い物だったと偽装するんだな」

「領主側は先に受け取った原種の見返りに金品や日用品を渡して、嘘の領収書を交わす……」

 

バルバトス

「ついでに、無フォトン作物の売買程度の少額のゴルドを形だけやり取りしてるだろうね」

「そして王都の法を踏み倒してるアブラクサスは、資産開示なんて真面目に応じる必要がない」

 

エリゴス

「アブラクサス側の取引記録がどんだけメチャクチャでも構うこた無えってわけか」

 

ソロモン

「記録を付ける必要も無いのかもな。原種の価値の方が上だし、取引がバレて困るのは領主の方だ」

「過去の取引で言った言わないが起きたら、それらを盾にして黙らせれば良いんだから」

 

ザガン

「でも、実際にはアブラクサスにどっさり品物送ってるんだよね?」

「そのマルサって人が蔵の中調べて、食料とかがポッカリ消えてたら流石に怪しまれない?」

 

バルバトス

「うん、それは流石に『一人』では隠すのは難しい」

 

ソロモン

「『一人』……あっ、そうか。アブラクサスと取引してる領主は大勢居るから……」

 

ザガン

「じゃあ、本当に結託して、口裏合わせて……?」

 

バルバトス

「周辺領は原種の近所なだけあって、バラの品種改良や、領同士のバラの交換、売買が盛んらしい」

「この縁で、どこも日頃から盛んに交易してる。そしていつ何が必要になるかは領主の裁量だ」

「それらしい理由を付けてチマチマと取引を繰り返せば、資産の動きを煙に巻く事ができる」

「『何となく備蓄が不安だから、余裕のある幾つかの領地から保存用の食料を買い取った』とかね」

 

エリゴス

「原種もその売り買いの流れにこっそり乗せちまえば良いわけか」

 

グレモリー

「マルサが最大限に警戒している違法な資産運用の1つだ」

「これを何重にも利用すれば、アブラクサスに足のつかない金銭を与える事さえできる」

「その金でアブラクサスが何を買おうと、証拠がなければ簡単に文句も言えなくなる」

 

ハルファス

「じゃあ、そういう領主さん同士の取引も、マルサの人が追いかけてるんじゃないかな?」

「アブラクサスに送った分はどこの領地にも残ってないんだから、足りない分がすぐバレちゃいそう」

 

ザガン

「全部の領地で不自然に消えた食料計算したら領地1つ分でした……なんて分かったら大問題だよね?」

 

バルバトス

「その時は、最強最後の言い訳があるだろ?」

「ヴァイガルドの資源は、フォトンを含めて常に目減りしてるんだから」

 

ソロモン

「ま、まさか幻獣に責任をなすり付けるのか!?」

 

グレモリー

「何も不自然な事はない。ヴァイガルド中で日々、犯罪や幻獣被害で失せ物が発生している」

「キャラバンの商品や、王都へ納付する税金、旅行に出る貴族のお付きの一団……」

「領地複数分の、こういった諸々の損害額をまとめて計上すれば、時に領地1つ分も珍しくはない」

 

ザガン

「幻獣被害って、数字にするとそんなになっちゃうんだ……」

 

バルバトス

「食料はもちろん、光り物を好む幻獣も居れば、無駄に戦利品を持ち帰りたがる幻獣も居る」

「つまりゴルドも金塊も簡単に消えるし、布や契約書の類なんて原型留めてる方が稀だ」

「本気で言い訳にするつもりなら、日頃からそれらしい根回しも済ませてるはずだから──」

「最悪、足がつきそうな人間も『幻獣の被害に遭った』事にできてしまうだろうね……」

 

グレモリー

「仮に野生の幻獣に非常事態が起き、アブラクサス一帯から立ち退く事があったとしても……」

 

エリゴス

「アブラクサスに囲った幻獣使えば、幾らでも言い訳の原因を捏造できる……汚すぎて言葉も出ねえ」

 

バルバトス

「1から10まで本当だった場合っていう、あくまで想像でしかないけどね」

「でもドンピシャだったら……主導してるシュラーは予想以上の巨悪かもしれないね」

 

ザガン

「で、でもさ、そもそもさっきの話だと、原種は全部処分されたんじゃなかったの?」

「アブラクサスが本当に原種を持ってなきゃ、ここまでの考えも成り立たなくない?」

 

グレモリー

「その通りだ。原種の有無も含めて、調査せねばならんという事になるな」

「だが、備えるに越したことは無い。原種は存在するという前提で動くべきだろう」

 

バルバトス

「(王都とグレモリーの間で、既に原種の取引の可能性が共有されてるようだしね)」

「(しかも今しがた話したような具体的な手法まで……ほぼ黒という根拠が有るって事だ)」

 

ソロモン

「元からアブラクサスに生えてたのなら、まだどこかに咲いてる可能性もあるしな……」

 

バルバトス

「それに、未練がましく住民がわざと残していった可能性も、結構ありそうなんだよね」

「原種の毒が発覚、王都が処分を要請した時、アブラクサスは何て言ったと思う?」

「真っ向から拒否したんだ。『アブラクサスの富を妬んだ王都の陰謀だ』ってね」

 

エリゴス

「は?」

 

ハルファス

「どうしよう……ちょっと何を言ってるのか、よく分からない」

 

ザガン

「うん、大丈夫……多分ここにいる皆がそう思ってるから」

 

バルバトス

「当時の技術は、今と比べて天地ほどの差があった。もちろん悪い意味でね」

「昔は自白と証人が信用されたんだ。証拠なんて置物同然、難癖つけ放題さ」

「それに原種はアブラクサス繁栄の要。処分なんて認めちゃあ、やっていけないしね」

 

ソロモン

「『毒を見つけた事自体が何かの間違い、あるいは捏造』──』

「そんな事を堂々と言い返せるのが普通な時代だったって事か」

 

ザガン

「だからって何様のつもりさ、陰謀だとか何とか!?」

 

エリゴス

「実際に被害者も悪用する奴も出てるだろうに、世界中を見下したみてえな言い分だな」

 

バルバトス

「実際、そういう部分が有ったみたいでね……」

「アブラクサスは美しさを磨き続け、一庶民の家でも水がいつでも手に入るほど豊か──」

「すると、どうしても『思い違い』が生まれる。ここに住んでいる自分もまた素晴らしい存在だと」

 

ハーゲンティ

「う……いつかのお仕事先の人に、ちょっぴり心当たりが……」

 

ソロモン

「つまり、自分達のバラを悪く言う王都は、妬みで濡れ衣を被せてきてるって……?」

 

ザガン

「最悪……」

 

バルバトス

「お陰で世界中から大バッシングさ。すぐさま王都に本気で凄まれ、従わざるを得なくなった」

「フォトン枯渇の前兆として環境の衰退も始まってたそうだけど、些細な問題だったろうね」

「彼らには多分、自分達の『清らかさ』を傷付けられた事の方が重大だったろうと思うよ」

 

ソロモン

「結局の所、舞い上がって王都まで下に見てたわけか……」

「渋々従いつつ、原種を諦めたくなくてどこかに隠してもおかしくないかも……」

 

エリゴス

「しっかし珍しくサゲ続けるなあ。アブラクサスの性根が腐ってたって根拠もあるってか?」

 

バルバトス

「まあね。原種の廃棄でアブラクサスは経済に大打撃を受け、街を維持できなくなってきた」

「住民もアブラクサス自体に『汚点』が出来たから、早く汚い場所から出て行きたかったとか」

 

グレゴリー

「今のは、当時のアブラクサス住民が著した手記の一文を引用しているな」

「相当のスキャンダルだからな、関連する記録は現在も多く残っている」

 

ソロモン

「元住民が『汚い』なんて言ったのか……自分の故郷に……」

 

バルバトス

「いつまでも美しさを求める側にいちゃ、良い事も無いって事かな、いっそ哀れだよ」

「とにかく彼らは新たな住処を探してアブラクサスを出た……さて、どこに行くと思う?」

 

ハーゲンティ

「そりゃあ……あたいだったら、噂とか届かないくらいウンと遠くに……」

 

ザガン

「もうアブラクサスの人間ってだけで、関係なくても酷い事言われそうだもんね……」

 

ハルファス

「イーバーレーベンだったって聞いた事あるよ。後、周りの他の領地も」

 

ハーゲンティ

「まさかのご近所!?」

 

バルバトス

「そのまさかだよ……彼ら、殆ど押し入るように周辺領に移り住んだんだ」

「元から所有してた別荘なら良い方で、金に物を言わせたり、空き家を不法占拠したり……」

「眉唾だけど、『アブラクサスの方から来てやったんだからもてなせ』なんて言い切ったとか」

 

エリゴス

「そいつらが汚点そのものじゃねえかよ!」

 

ソロモン

「周辺領に了解も無く……って事だよな? 相当ゴタついただろうなあ」

「あっ……イーバーレーベンが昔、治安が悪かったのって……」

 

バルバトス

「一因ではあるけど、それはアブラクサスだけが原因でもないよ」

「アブラクサスの見てくれに憧れた旅行者が、以前からご近所に勝手に住み着いてたらしい」

「憧れの街となるたけ近くに住む事で、自分も憧れの一部になりたかったとか……」

 

エリゴス

「アブラクサス以外でも、どいつもこいつも……腹立って来やがった」

 

バルバトス

「まあ、アブラクサスの一件で『移民問題』に特大の火が点いたのは確かだろうけどね」

「元・旅行者もアブラクサス移住者も、最初に持ち込んだ金だけが頼りだからすぐ困窮する」

「地元住民からのイメージも最悪……必然、治安は悪化し、彼らは一箇所に追いやられる」

「そうして彼らの住む区画に付いた渾名が『移民街』。同じ『住民』だとは認めたくなかったんだろうね」

 

ハルファス

「でも大人の人の中には、約束通りだったって言ってる人も居たよ」

「『周辺領は昔から、困った時は何でも頼ってくれと言ってた』って」

 

ザガン

「いやいや、だからってムリヤリ押しかけて家とか土地とか勝手に使っちゃダメでしょ!」

 

エリゴス

「あくまでアブラクサスに対する『信頼』が成り立ってた頃の話だろうしな」

 

ハルファス

「うん、私も、良くない事だと思う」

「でも、昔の約束に頼って無理するしか無い人も、居たんじゃないかな」

「アブラクサスの中で、本当に皆がお金持ちだったとは限らないし」

「街もちゃんと住めなくなって、外に出るしかなくて、でも遠くまで行けない人も居たと思うし」

 

ソロモン

「それは……あるかもしれないけど……」

 

ハーゲンティ

「あ、あたいさ……昔、雇ってもらったダンナさんが捕まっちゃった事あって……」

「あたいら使用人も、まとめてお暇出されちゃったんだけど……」

「皆、街の人達に顔と名前知られちゃってたから……」

「も、もちろん、だからって悪いことはしなかったけど! でも……あれはキツかったなあ」

 

ザガン

「あ、いや、その……」

 

 

 ハーゲンティが珍しく言葉を選んでいた。

 誰ともなく、王都の住民が自分達を悪魔の手先と信じかけた時の事を思い出す。

 

 

バルバトス

「あの、ハルファス、さっきからもしかして……君が住んでた所って?」

 

ハルファス

「『移民街』で、武器屋のお父さんと、服屋からお嫁に来たお母さんと、妹と暮らしてた」

「お父さん達は、『移民街』が良くならないのは、街が悪者扱いし続けてるせいだって言ってたけど」

 

バルバトス

「す……済まない」

 

ハルファス

「え? ……あ、『移民街』の人が良くない人達って話だったから?」

「ううん、私は大丈夫。私の事を言ってたんじゃないって分かるし」

「お父さんもお母さんも、悪い奴が沢山いるから気をつけろって言ってたから、間違いじゃないと思う」

 

エリゴス

「ま、まあホラ、昔の事は昔の事だもんな……ハハ」

 

一同

「……」

 

 

 隣の馬車から声がかかる。

 

 

騎士ヒラリマン

「皆様、間もなく森へと入ります!」

「万一、アブラクサスに見つからないとも限りませんので、窓を閉じて下さい!」

 

エリゴス

「お、おおっと、ようやく本格的になってきたじゃねえか!」

「と、とりあえず話は一旦終わりだ、な!?」

 

バルバトス

「やれやれ、今日はとことん裏目だ……」

 

グレモリー

「了解した、心遣い感謝する!」

「──というわけだ。サルガタナスも充分だな、閉めるぞ」

 

 

 騎士へ返事を投げて、窓に手をかけるグレモリー。

 仲間たちも誤魔化すように準備にとりかかる。

 

 

サルガタナス

「ええ。むしろあんなもの、一刻も早く消え去って欲しいくらいよ」

 

 

 フイと窓を離れ、自分の席へ戻っていくサルガタナス。ソロモン達の先程までの会話はロクに聞いていない様子だった。

 

 

ザガン

「そういう割には、ずっと見てたよね?」

 

バルバトス

「健全では無いけど、不快や怒りも1つの娯楽なんだよ」

「醜いものを見つけ出して、1つ1つに『ほらやっぱり醜い』と腹を立て、否定するんだ」

「排除すべき悪と、悪が変わらず悪である事と、悪を許さぬ自分の『美しさ』が再確認できるからね」

 

ザガン

「格好悪い……」

 

ハルファス

「何だか、すごく虚しくて、哀しいね」

 

バルバトス

「言わないであげてくれ。当人らだって、望んでそんな事をしてるとは限らないんだ」

「もしかしたら俺達だって、そうと気付かず日頃からやってるかもしれないよ」

「命が幸福を求める限り、どんなに陳腐な『安心』でも、のめり込んでしまう……否応なくね」

 

 

 

<GO TO NEXT>




※ここからあとがき

 アブラクサスの説明は文章だけでは少々ややこしくなりそうなので、拙いながらも挿絵を描いてみました。
 もっと広~い印象を持たせたかったのですが、画力の限界です。
「海に面した高台に立地、樹木と石壁に囲まれ、石壁には下水道を内蔵、向かって左の崖際に天文観測塔、他には中央奥に学舎、向かって右は水路の水を貯蔵する給水棟など」
 後は話の必要に応じて適宜、設定を継ぎ接ぎしていく予定です。


「会話文で設定を説明していく作品は良くない」とどこかで読んだ覚えがあったりしますが、裏に埋もれそうな部分は二次創作では二度と日の目など見ないでしょうし、書けるだけ書く方向で行こうと思います

 フォトン枯渇関連はオリジナル解釈です。
 シャックスがキャラストで説明した「フォトンが無くても自然界は以下略」と、実際にフォトンが枯渇した環境の描写とのギャップを自分なりに辻褄合わせてみたものです。
 リアル世界と違って、フォトンという万能エネルギーが当たり前に存在して、しかも基本的に人間に得なような作用を及ぼすとなると、「フォトンで何とかなってた分」を見落としがちなんじゃないかなと。

 麻酔の有無は、死体とは言え腹や頭を開く描写があったので、手術自体は普及していると考え、麻酔も存在する事にしています。
 現代の麻酔が普及する以前は患部をキンキンに冷やすか規制モノのお薬を使うのが主だったそうですが、ヴァイガルドにも華岡青洲が居たという事で。


 不正取引の内容は、こういうのもそれっぽく考えておかないとダメかなと思い、素人が無理くり考えたものですので、整合性とかは一旦置いといていただけると助かります。



 前作に引き続き、ヴァイガルド水回り事情も勢い任せで色々考えてみました。
 かつての質問箱の回答から考えると、1700~1800年代ヨーロッパ辺りの入浴事情に近いのかなと。
 1800年代が欧米のシャワー黎明期だったりしたらしく、上水道の誕生も1700年代後半から1800年代前半との事で、どっちかが既に普及しているという事も余りないかと。


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2-1前半「わたし仮初一ツ星」

 アブラクサス近郊の森深く。

 潜伏する騎士団と合流した一行。即席の駐屯所が築かれており、テントと呼ぶにはしっかりした作りの居住施設が幾つか造成されている。その1つの前で一息ついているソロモン、バルバトス、エリゴス。

 男女一組の騎士が3人の元にやってきた。

 

 

騎士ヒラリマン

「お待たせしました、皆さん。改めてご挨拶を」

 

騎士ジョーシヤナ

「皆さんの補佐を任されました、ジョーシヤナです。お会いできて光栄です、ソロモン王」

「で、ガブリエル様を護送したこっちが、部下のヒラリマン。どうぞお見知りおきを」

 

ソロモン

「ああ、よろしく頼むよ」

 

バルバトス

「もっと気楽にしてくれて構わないよ。うちのリーダーは格式張った事が苦手なんでね」

 

エリゴス

「それに、野営にしちゃべらぼうに快適だしな。むしろコッチがかしこまるべきじゃねえかってくれえだ」

 

ソロモン

「着いた時には俺達の寝床を男女別で用意済みで、昼食まであんなに沢山……」

「すっかり自分達で野宿とかに慣れてたから、ちょっとムズムズしちゃうな。ハハハ」

 

騎士ヒラリマン

「何せ森の中なんで、楽しんでいただける物なんて食事くらいしか無いって事情もありますけどね」

 

エリゴス

「ただ、文句言うわけじゃねえが……いかにもな連中が挨拶無しなのは片手落ちだけどな」

 

 

 諦め半分なような皮肉を交えたような、「やれやれ」といった様子の苦笑で森の一角を見るエリゴス。

 視線の先では、明らかにジョーシヤナより階級の高い騎士数名が真剣な面持ちで、ガブリエルと何やら報告を交わしている。

 

 

騎士ジョーシヤナ

「すみません、彼らも後から挨拶に伺いますので」

「任務の都合上、話せないこ……ああっと、いや、まあ、ととにかくまあ、後ほど……!」

 

エリゴス

「冗談だよ、そこまで露骨に慌てなさんなって。こっちだってそう鈍かねえ」

 

バルバトス

「ヴァイガルドの威信をかけて働いてくれてる君達なんだ。守秘義務の1つも無くっちゃね」

 

ソロモン

「うん。そこは気にしてないよ。お互い余計な詮索はしない方が『対等』って気がするし」

「さっきバルバトスが言った通り、余り気を遣ってくれない方が、俺達も気が楽だからさ」

「(幾ら何でも王都の『隠し事』を、現場の騎士に問い質そうなんて思わないしな)」

 

騎士ジョーシヤナ

「ありがとうございます……」

 

騎士ヒラリマン

「ご覧の通り良くも悪くも歯に衣着せない人なんで、部下としてもよろしくお願いします」

 

騎士ジョーシヤナ

「ってコラ、恥ずかしい事バラすんじゃないの!」

 

バルバトス

「ハッハッハ、そのくらいが、俺達も接しやすくて助かるよ」

「それより……サルガタナスの方は、何か面倒起こしたりしてないかい?」

「彼女は気難しくって、不覚にも来るまでにちょっとご機嫌を損ねてしまってね……」

 

エリゴス

「虫やら土やら嫌うわ、あたしらとツルむのは面倒だとかで早速テントに籠もっちまったし」

「……テント、だよな?」

 

騎士ヒラリマン

「専らテントって呼んでますけど、正式には『ゲル』と呼ぶそうです」

「東の方の、遊牧しながら生涯を送る民族の技術を参考にしたとかで」

 

騎士ジョーシヤナ

「薀蓄はさておき、サルガタナス様なら変わったご様子はありませんでしたよ」

「先程も様子を伺いましたが、物資からお出しした白チョコレートを摘んでゆったりされてました」

 

騎士ヒラリマン

「皆さんの護送と一緒に、久々に嗜好品の補給があったもので、部隊一同大助かりでした」

 

エリゴス

「まあ、そりゃ良かったけど……白チョコレート?」

「チョコなら前にアジトでも流行ったけど……黒とか茶色系じゃなかったか?」

 

騎士ジョーシヤナ

「人気なだけに新商品の開発も進んでるんですよ」

「確か……カカオを絞ると白い油が出て、その油だけを牛乳とかと固めて甘くしたんだとか」

 

バルバトス

「ほほう、早速、アジトの女性たちに土産話ができたよ」

 

ソロモン

「チョコか……」

 

騎士ジョーシヤナ

「あら? ソロモン王は、チョコお嫌いでした?」

 

ソロモン

「ああいや! チョコは好きだよ、何でも無いんだ……」

「それより、サルガタナスなんだけど……価値観がかなりメギド側なやつでさ」

「かなりキツい事を言うかも知れないけど、出来れば……大目に見て欲しいっていうか……」

 

騎士ジョーシヤナ

「ああ、そういう事なら心配いりません、うちにはこのヒラリマンが居ますから」

「ゲルの中以外の事は全部こいつに任せとけば大丈夫です」

「そういった手合いの女にコキ使われるのが生き甲斐みたいな男ですからバッチリですよ」

 

騎士ヒラリマン

「ちょっ、よしてくださいよ人前で!」

 

ソロモン

「(否定はしないんだな……)」

 

バルバトス

「それはまた中々素晴らしい趣味をお持ちで」

 

エリゴス

「まあ、サルガタナスにブツけるにはお似合いかもな……」

 

 

 ソロモン達の隣に建つ『ゲル』の出入り口が、内側から軽く叩かれた。中からソロモン達へ声が届く。

 

 

グレモリー

「私だ。全員、準備は終わったぞ」

 

ソロモン

「おっと、終わったか。こっちも特に問題ない、いつでも大丈夫だ」

 

エリゴス

「挨拶の騎士さん達も来てるし、むしろタイミングばっちりだぜ」

 

 

 ソロモンらの返事と共に、ゲルからグレモリー、ザガン、ハルファス、ハーゲンティが出てきた。

 全員、普段の装いより幾分質素な格好をしている。

 

 

ザガン

「はいはーい、皆お待たせ。どうかな?」

 

バルバトス

「うーん。こうして久々に見てみると、何だか新鮮にさえ思えるねえ」

 

ザガン

「気付いたら滅多に着なくなっちゃってたしねえ」

 

ソロモン

「最初に召喚した頃は、皆そんな感じの服だったよな」

 

ザガン

「私のこれは、闘牛士としても駆け出しだった頃の思い出の一着ね」

「旅に出る時に『心機一転、初心から』って事で、ソロモンに会うまでなるべくこれ着てたんだ」

 

グレモリー

「そういう話題なら、生憎と私の場合は召喚に応じた時、偶然この衣装だっただけだな」

「鍛錬が誰かに見られているでも無い限りは、装飾を廃したこれに着替えて打ち込んでいてな」

「ハルファスはどうだ?」

 

ハルファス

「私? 私は、お母さんが同じ服、いっぱい作ってくれてたから……かな」

「とりあえず、一番動きやすそうで、洗濯も簡単そうなのから着てた」

「服を選ぶのが苦手だから、違う服とかもらっても、あんまり着ないし」

 

ハーゲンティ

「そして……もちろん、あたいは、一・張・羅っ!」

 

ソロモン

「うん、知ってた……。にしても流石に今と比べると──」

「変わっ……た?」

 

ハーゲンティ

「変わったって! ボスのお陰で服とかバッグとか、ウンと良いヤツになったし!」

 

バルバトス

「服……そんなにジロジロ見たりはしないから、はっきりとした記憶は無いんだけど……」

「今のハルファスの普段着も、余す所なくボロボロじゃなかったっけ?」

 

ソロモン

「何でか、わざとボロボロにしたやつの方が気に入ってもらえて……」

 

ハーゲンティ

「ダメージ加工ってヤツですよ、野性的なカッコ良さがイマドキの女子にバカウケらしいよ?」

 

バルバトス

「ちょっとダメージ深すぎないかい……?」

 

エリゴス

「野生っつーか、野人っつーか……」

 

ソロモン

「そ、それは流石に酷くないか?」

 

グレモリー

「まあ、雑談はここらで切り上げるとしよう」

「待たせたな、ジョーシヤナ。問題があれば指摘を頼む」

 

騎士ジョーシヤナ

「いえいえ、お気になさらず、そのままで結構です。ちょうど『確認』していた所ですし」

 

 

 ジョーシヤナがどこからか取り出した書類と、着替えて出た4人とを交互に眺めている。

 

 

騎士ジョーシヤナ

「……はい、問題ありません。『筋書き』ともピッタリです」

 

ザガン

「ふふっ、何だか女優になったみたいでワクワクしちゃうな♪」

 

ソロモン

「えっと……ジョーシヤナ、良いかな?」

「一応、グレモリー達に別の身分を用意して、それから潜入させるとは聞いてるけど……」

 

バルバトス

「念の為、その『筋書き』を俺達とも共有してもらえるかな」

「グレモリーなんかは十中八九、名前も変わるだろ? 後々、連絡に支障を来しかねないからね」

 

エリゴス

「増員のサルガタナスはともかく、王都で説明聞いたあたしが潜入組から外されてるしな」

 

騎士ジョーシヤナ

「あ、はい。すみません、説明する予定だったのが、だいぶ後回しになっちゃって……」

「念の為、前置きから失礼します。まずアブラクサスには『入国審査』があります」

 

騎士ヒラリマン

「もちろん国なんかじゃ無いわけですが、あくまで便宜上として、そう呼んでます」

 

ソロモン

「『入国審査』……アブラクサスの仲間に入れても良いか、取り調べがあるって事か」

 

バルバトス

「ま、立場を弁えてるなら、間者の1つや2つ警戒しないはずが無いしね」

 

騎士ジョーシヤナ

「ちなみに一年ほど前に信じて送り出した、私の部下からの確かな情報です」

「審査と言っても、調べる側も素人なので、基本的には出自の確認と持ち物検査程度ですが」

 

ソロモン

「その部下の騎士と落ち合って、協力して調査するわけだな」

 

エリゴス

「んで、その前に審査で出自を誤魔化すために、それっぽい『筋書き』を用意した、と」

 

騎士ジョーシヤナ

「はい。それなりに大きな任務なので、筋書きを決めた後から背後関係も手配してます」

 

バルバトス

「架空の身の上を証明する架空の人物や証拠も……ってわけか」

「なるほど、そりゃあ準備に日を要するわけだ」

 

騎士ヒラリマン

「しかもその筋書きのあらすじを書き起こしたのが、我らが分隊長なんですよ」

 

騎士ジョーシヤナ

「こら、今それ関係ないでしょ!」

 

グレモリー

「ほう、それは私達も初耳だったな」

 

ザガン

「四人分でしょ? 結構大変だったんじゃない?」

 

騎士ジョーシヤナ

「あ、あはは……オッホン。まあ、密かな趣味と言いますか何と言いますか……」

「かのメアリー・チェリーに感銘を受けて以来、日頃からこういうのを良く考えてまして」

 

ソロモン

「(メアリー・チェリーって、どっかで……)」

「(あ、フルーレティの小説家としての名前か)」

 

バルバトス

「文化の力がこんな形で……いやあ、ヴァイガルドに芸術があって本当に良かった」

 

騎士ジョーシヤナ

「まあ私の事は置いといてですね。改めて、潜入組の皆さんの『筋書き』について説明します」

「まず皆さんに共通しているのが『アブラクサスに落ち延びるだけの事情がある』事──」

「それと、『偶然に出会って助け合い、アブラクサスの噂を頼って旅してきた』。この2つです」

 

バルバトス

「元よりそう言った事情で訪れる女性ばかりだろうからね」

「そして4人が道中でも協力してたとあれば、アブラクサス内部で日頃寄り集まってても誤魔化せる」

 

騎士ジョーシヤナ

「そんな所です。お一人ずつ『筋書き』を紹介しますと──」

「まずグレモリー様は『元・貴族の近衛兵ギーメイ』と名乗っていただきます」

 

エリゴス

「へえ、領主様から私兵に降格か」

 

グレモリー

「元が領主では箔が付きすぎるとの事でな。中で要らん期待や妬みを買わんとも限らん」

「ギーメイは、都市『ペープカンプ』の領主、『ハリー・ボーテン』の下で働いていたそうだ」

「無論、領地も領主も実在せんがな。『筋書き』の内容は、行きでしっかり頭に入れておいた」

 

エリゴス

「(馬車で読んでたの、もしかして全部『ギーメイの筋書き』だったのか……?)」

 

バルバトス

「さっきの話からすると、もしアブラクサスがグレ……ギーメイの出自を怪しんだとして──」

「普通の手段でペープカンプと連絡を試みれば、通じてしまうよう準備してるわけだね」

 

ソロモン

「実在しないのに?」

 

バルバトス

「王都が政務の脇にそれらしく仕込めば充分だし、領主の手紙やらは誰かが代筆すれば良い」

 

ソロモン

「な、なるほど……実際に探して確かめるのも現実的じゃないもんな」

 

騎士ジョーシヤナ

「グレモリー様は、こういった偽装の類が苦手との事でしたので、そこも盛り込んであります」

「叩き上げで地位を築き、貴族の隣に立つに相応しい作法を領主から教わっていた……と」

 

グレモリー

「そして、ギーメイ自身も戦士として品格を得た己を誇りとしているとの事だ」

「お陰で、名前や経歴と言った『情報』以外は、堂々と普段の私として振る舞える」

 

ソロモン

「あ、ああ、うん。それは何よりだな……」

「(グレモリーと王都の『隠し事』が分からないでいる今、ちょっと複雑な気分……)」

 

騎士ジョーシヤナ

「4人が遠くアブラクサスを訪ねた理由も、ギーメイと領主の確執が原因という事にしました」

 

エリゴス

「さしずめ追手を寄越されて、他の3人と協力しながら逃げてきたってか」

「良いねえ、仲間意識まる出しでも、あたしにゃ疑えそうにねえや」

 

騎士ジョーシヤナ

「次にザガン様は、経歴通り『闘牛士カリナ』として」

 

ザガン

「はーい、『カリナ』だよ、よろしくね♪」

 

ソロモン

「ははっ、ザガンも素のままで大丈夫そうだな」

 

バルバトス

「見た目から職種が1つしか出てこないもんねえ」

「人前で戦う時に支障が出ても困るし、基本は本人をベースにした『筋書き』なんじゃないかな」

 

ザガン

「結局は私達、お芝居は素人だもんね」

 

騎士ジョーシヤナ

「実はカリナの経歴はザガン様からもアイディアを頂きまして──」

「アブラクサスで戦う事になっても心配無いよう、類まれな闘牛の才能を持っている事にしました」

 

エリゴス

「まあ実際そうだし……ああでもそうか、『才能あれば食いっぱぐれないだろ』ってなるな」

 

ソロモン

「他の皆にも言えるけど、そこそこ戦えるってだけで、流れの傭兵くらいには入れる世の中だしな」

 

騎士ジョーシヤナ

「はい。ですので事情も用意しました」

「カリナは領主に八百長を強要され、やむにやまれず応じてしまった……と」

「しかし! それが発覚してしまい、領主に全ての責任をなすりつけられたカリナ……!」

「哀れカリナは、逃げるように放浪の旅へと出たのです……!」

 

ソロモン

「け、結構重い……!」

「つまり、八百長を持ちかけたのはカリナの方……みたいなデマを流されたんだな」

「不正をする闘牛士って誤解されたら、確かにどこも雇ってくれないだろうな……」

 

バルバトス

「ギーメイもカリナも、権力者の根回しで醜聞と共に顔も世間に知られてしまったのだろうね」

「まともな仕事に就こうにも、噂を聞いた連中からの通報や嫌がらせは世の常」

「才能を持て余しながら、行き場に困るのもやむなし……筋も通るな」

 

エリゴス

「つか、騎士のねーちゃんノリノリだな」

 

ザガン

「ちなみに八百長やれって言われたのはホントだけど、私はちゃんと華麗に突き返してやったからね」

 

ソロモン

「そこから監修!? ……っていうか、ええっ!?」

 

ザガン

「私は今『カリナ』だから、『ザガン』の話はまた今度ねー♪」

 

バルバトス

「これはこれは、どうやら『カリナ』は魅惑の駆け引きも得意なようだねえ」

 

騎士ジョーシヤナ

「次は、ハルファス様。これと言った経歴が少なかったので、『剣闘士のチータ』という事に」

 

エリゴス

「まあこんな武器担いでりゃ無難なとこか」

 

ソロモン

「(『経歴も何も』だったみたいだしなあ……)」

 

騎士ジョーシヤナ

「ただ、こんなにお若くて荒事の最前線で働く人なんて、今日び滅多にある事じゃないので──」

「物心付いた頃から闘技場で働かされていた孤児……と、私的にも少々ヘヴィな『筋書き』に……」

 

バルバトス

「まあ、身の上の辻褄合わせるためにも、それでいいんじゃないかな」

「有り得そうな範囲で重苦しいなら詮索もしにくくなるだろうし、ハルファスも気にしてなさそうだし」

 

ハルファス

「うん。とっても考えられてて、すごいなって思う」

 

騎士ジョーシヤナ

「おぉ……あ、ありがとうございます……! は、話を戻しまして──」

「ただ、剣闘士とするにはハルファス様は何というか、キレイな肌をされていますので……」

 

エリゴス

「そうそう、特にヴィータ相手にしてたんなら、傷痕の1つや2つ無いと不自然だもんな」

 

ソロモン

「今の皆は、基本的に治療の『技』とかでそういう事も滅多に無いけどな」

「そもそも、幻獣相手だともっと酷い事になりそうだけど、傷痕ってヴィータ相手限定なのか?」

 

グレモリー

「幻獣退治が専門なら、傷が目立たぬくらい珍しくない」

 

エリゴス

「爪だの牙だの一発でももらえば、生き延びられても普通は傷が膿んだりでオダブツだしな」

 

ソロモン

「ああ、そういう……」

 

騎士ジョーシヤナ

「そんなわけなので、剣闘士チータは真剣勝負を組まれる事は余り無かった事にしました」

「生まれ持った力強さで、専ら怪力ショーや、見た目に屈強そうな男との出来レース等など」

 

バルバトス

「広告塔かあ、ハルファスなら華もあるからねえ」

 

エリゴス

「そこ、ちょっと興味持ってんじゃねえよ」

 

バルバトス

「ご、誤解だ! 俺はあくまで筋書きの妥当性について……!」

 

ソロモン

「あー……バルバトスはひとまず置いといて、続きを頼むよ」

 

騎士ジョーシヤナ

「あ、はい」

 

バルバトス

「(とうとうソロモンにまでこの扱いか……!?)」

 

騎士ジョーシヤナ

「そして、ここからが重要なのですが……」

「ハルファス様は、ともすれば『演技』を忘れてしまう恐れがありそうなので、その対応を少々」

 

ザガン

「私も自分がウッカリしちゃわないかちょっと心配だけど、ハルファスは……うん」

 

ソロモン

「そ、そうか? ハルファスって、見た目に感じるより、ずっとしっかりしてるぞ?」

 

バルバトス

「例えば……4人の素性を怪しんで、ハルファスから聞き出そうとする女性が居たとしよう」

「その女性が、まずハルファスと信頼関係を築く所から始めて、終始、味方として振る舞ったら?」

 

ソロモン

「ハルファスの信頼を得てから、聞き出す……あっ」

「もしハルファスが、その人をどこまで信じて良いか『よく分からない』ってなったら……」

 

ハルファス

「私も、言っちゃダメなことは言わないって自信、無いかも?」

「もしかしたら、全部教えちゃっても、私達に協力する方を選んでくれるかもしれないし」

 

ハーゲンティ

「ダ、ダメ! ハルちゃん、メッ!」

 

ソロモン

「この任務にしたって、本来なら俺達は知るはずも無かった部外者って言えるしなあ……」

「どんな時にどこまでが言っちゃダメか……流石に指示しきれない」

 

騎士ジョーシヤナ

「はい……そんな訳で、ここは敢えて『筋書き』を『入れ子』にしてみました」

 

ソロモン

「入れ子?」

 

騎士ジョーシヤナ

「つまり……ちょっと無体な『筋書き』なんですが……」

「まず、剣闘士チータは生まれてから、闘技場以外の世界を知らずに育ってきました」

「言われるままに舞台に立ち、従う事だけを要求される生活……」

「そんな環境で育ったチータの中では、自分で物を決められない人格が形成されていったのです」

 

バルバトス

「極度の優柔不断の理由付けってわけだね」

「無学という『筋書き』なら、マズイ質問には『よく分からない』で押し切らせる事ができるな」

 

エリゴス

「うちの『わからん』担当達はホイホイ喋りそうだけど、性格もだいぶ違うしな」

 

騎士ジョーシヤナ

「しかし……チータの若い心は、密かに日々鬱屈を重ね続けていたのです!」

「自由が欲しい……私だって自分で決めたい……でも出来ない……!」

「『こんな……こんな私は、本当の自分じゃない』!!」

 

騎士ヒラリマン

「ぶ、分隊長?」

 

エリゴス

「無体な『筋書き』とか言っときながら、何かどんどんヒートアップしてんぞ……?」

 

ソロモン

「身振りまで交えだした……」

 

バルバトス

「世のそういった伝承を残した人達も、こんな感じだったのかな……」

 

騎士ジョーシヤナ

「そしていつしか、チータは願望と現実を混同するようになってしまったのです!」

「『大人たちのお人形チータ』は仮の姿……その正体は、『宿命の戦士ハルファス』ッ!」

「世界を救うためにヴァイガルドに生まれ落ち、真実の仲間と旅立つ未来があるのだとッ!!」

 

ハルファス&ハーゲンティ

「おおー(ぱちぱち)」

 

エリゴス

「とうとう雰囲気に流されて拍手始めちゃってんぞオイ……」

 

バルバトス

「えーっと……つまり、ハルファスの正体を一部脚色しつつ『筋書き』に落とし込んだわけだね」

「うっかり素性を明かしてしまっても、思春期の夢見がちな一人語りと思わせようってわけだ」

「……で、良いんだよね……?」

 

騎士ジョーシヤナ

「……ハッ!?」

「ぁ……ゥオッホン、オホン!! し、失礼しました……そういう事です」

 

グレモリー

「ちなみに、以上のチータの身の上を、私の方から説明する段取りになっている」

「全文は書類11枚半に渡る大作だ。一見して筋も通っていた。しっかりこなして来よう」

 

エリゴス

「当の作者が今、めちゃくちゃ『しまった』って顔してるけど、大丈夫なのか……?」

 

バルバトス

「大丈夫……考えてた時の自分がテンション高すぎて、今になって恥ずかしくなってるだけだよ」

 

ソロモン

「でも、ハルファスを潜入させるための辻褄合わせとは言え、何だか──」

「剣闘士が良くない仕事みたいというか……ガープに聞かれたら怒られたりしないかな」

「ガープも昔の事、余り教えてくれないから、どんな仕事なのかとか詳しくないけど」

 

バルバトス

「ま、そこはしょうがないさ。良くない所に居なけりゃ、こんな所に来ようなんて思うはずもない」

「(ガープも結構な所で働かせられてた雰囲気だけどね……)」

 

エリゴス

「まあとにかく、最後はハーゲンティだな」

「こっちもパッと見で身の上決まるナリでもねえし、ハルファスほど力自慢でもねえし……」

 

騎士ジョーシヤナ

「ハーゲンティ様の場合は……えー……」

「負けました……!」

 

ハーゲンティ

「フッ……」

 

ソロモン

「はい?」

 

エリゴス

「そんな今にも崩れ落ちそうなツラで……」

 

バルバトス

「ハーゲンティも何を勝ち誇ってるんだ……?」

 

騎士ジョーシヤナ

「まず、ハーゲンティ様は『サシヨン』と名乗っていただきます……」

「とても多くの場所で働いてらしたので、名を知るアブラクサス住民が居るかもしれませんし」

 

バルバトス

「まあ、それは妥当な判断だけれど……」

 

グレモリー

「ちなみに、ハーゲンティについても『入れ子』の措置がなされている」

「とある職場で『ハーゲンティ』という別名を与えられたという『筋書き』でな」

 

ソロモン

「どういう筋書き……?」

 

グレモリー

「拉致同然に労動所で生活し、別の名前を名乗るよう強いられたと言うものだ」

「本名と身元を封殺されたまま何年も働かされ、二つの名前が『染み付いた』」

「どちらも自分の名として、自分自身でさえ区別できなくなっているのだとな」

 

バルバトス

「そりゃあ、呼ばれても名乗る時もヘマしたって誤魔化せそうだけど……」

 

ソロモン

「また重い話を……」

 

騎士ジョーシヤナ

「ついでに、そこでは『ハーゲンティ』の名が複数人に宛てられた事にしています」

 

バルバトス

「もし本物の『ハーゲンティ』を知る住人が居ても、誤魔化せるようにだね」

「その人が知る『ハーゲンティ』は目の前にいる『サシヨン』の事じゃない」

「かつてその労働所で働かされていた何人もの『ハーゲンティ』に過ぎないと」

 

エリゴス

「メギド的につらすぎんだろ……流石にやりすぎじゃねえか?」

 

騎士ジョーシヤナ

「こんなの、まだまだ甘かったんですよ……」

 

ソロモン

「へ……?」

 

騎士ジョーシヤナ

「まず、『どんな旅をしてきたか』とか、4人全体の『筋書き』を覚えていただいて──」

「後は、ハーゲンティ様には……後は……!」

「後はもう全部、聞かれた事にハーゲンティ様の経験そのままにお答えいただく形に……!」

 

エリゴス

「悔しそうな顔して言う事か、それ……?」

 

ソロモン

「そのままって……身分がバレないための『筋書き』なのに、正直に答えちゃダメなんじゃ?」

 

騎士ジョーシヤナ

「ただでさえ職種が多いし、『追跡調査』が難しい案件ばっかりなんですよ!」

「王都の諜報力でだって一筋縄じゃいきませんし、ましてやその王都の使いだなんて誰も思いません!」

 

ソロモン

「『追跡調査』……?」

 

バルバトス

「実際に職場に行って『こんな奴が働いてたか』って確かめたりする事だよ」

「その調査が難しいのは日雇いの仕事とか、気軽に参加できるけど福祉も悪いって仕事が大体だね」

 

エリゴス

「ああ、港の荷降ろしの手伝いとかか」

 

バルバトス

「無難な仕事も多いけど、最近は不当な賃金で働かせてる職場の事例が増えてるらしいよ」

「誰を働かせてるか、ワザと記録も記憶もさせないよう、働く人員や場所を工夫するんだ」

「後から『職員を毎日20時間働かせたろ』と問われても『そんなヤツ誰も知らない』ってね」

 

エリゴス

「あー、ハーゲンティ気にしなさそうだしなあ……」

「そっか、さっきの別の名前付けてくる職場ってのも、そういう隠れ蓑のためにやるわけか」

 

ソロモン

「追跡調査もトーターバウムの仕事とか、雇い主どころか土地まで残ってないしな……」

 

バルバトス

「本来なら経歴不詳って事でもある。王都発の任務になんて普通は選ばれない」

 

騎士ジョーシヤナ

「何より……何より、私の『筋書き』より、ずっと苦労なされてるんです! もう完敗です!!」

「過酷な労働環境の『筋書き』を提案するたびに、あっけらかんと『あったあった』って……!」

「しかも斜め上行くような現場の生の声までセットで紹介される始末なんですよ!!」

 

ハーゲンティ

「そして、あたいは勝った! ぶいっ!」

 

エリゴス

「いやいやいや、逆境苦労人自慢やってるわけじゃねえんだから!」

 

ソロモン

「何ひとつ勝ち誇れる状況じゃないから!」

 

バルバトス

「ちょっと待て? じゃあ、さっきの拉致同然の労働所ってのも……」

 

ハーゲンティ

「流石に何年もじゃないけど有ったよ、そん時ゃ確か『48号』って呼ばれてた」

 

一同

「(ハーゲンティ、一体どんな人生送って来たんだろう……)」

 

バルバトス

「ま、まあ何にせよ、王都がそのプランを認めたって事は、『それほど』なのは分かったよ……」

「つまり、逆に王都がハーゲンティみたいな間者を送り込まれても、すぐには身元が割れない」

 

ソロモン

「ハーゲンティをスパイか何かと疑った上で取り調べて来ない限り、何も取り繕わなくて良いのか……」

「ある意味、無敵だな……」

 

エリゴス

「で、結局何であたしだけハブられたんだ?」

「不満って事はねーけど、こう色々『筋書き』考えてもらうの見てるとさ──」

「あたしだったら何者になってたのか興味湧いてきて、ちょっと残念つーか、あはは……」

 

 

 ちょっと照れくさそうなエリゴス。

 

 

ザガン

「案外、可愛い役もらえたりしちゃって?」

 

エリゴス

「バ、バッカ、茶化すなって!」

 

ソロモン

「ははは。でも俺も同じ事、ちょっと思ったな」

「俺は男だし指輪持ちだから、『筋書き』を考えてもらえる側じゃないけど──」

「俺がモデルの『もしも』の誰かって、考えてみるとちょっとワクワクしてくるし」

 

バルバトス

「とはいえ作者ご本人は、いささかハードな『筋書き』を好むみたいだけどね」

 

騎士ジョーシヤナ

「さ、さっきのお見苦しい部分は、どうか忘れてください……」

「実は私も色々考えては居たのですが、諸々の事情でポシャってしまいまして」

 

バルバトス

「言い方からすると、『筋書き』……もとい、作者とは関係ない所でボツになった感じかな?」

 

騎士ジョーシヤナ

「はい。2,3の理由から、『潜入組は4人で行こう』と上からのお達しが」

 

騎士ヒラリマン

「一番の理由は、ソロモン王を守備する『監視組』を考慮しての事と聞いています」

 

ソロモン

「ああ、そういえば。『監視組』に決まってるメギドは2人しか居ないからな」

 

バルバトス

「それも俺とサルガタナス。どちらも後衛タイプで、火力を振るう役でも無いな」

「王都と対等な別組織って建前と、ヴィータを守る本分を考えれば、騎士団を盾にもしたくない」

 

エリゴス

「なるほど、それで前衛5人から一人ぐらい『監視組』に回そうってなったわけか」

 

バルバトス

「こっちの都合にハッキリ口出せるとなると、決定したのはガブリエル辺りかな」

 

ソロモン

「こればかりは、気を利かせてくれた事に素直に感謝かな」

「分かれての潜入作戦なんて慣れない依頼で、俺自身、考えが『浮ついてる』自覚はあったし」

 

騎士ヒラリマン

「まあ、作戦の責任者が誰かとかまでは私達からは何とも」

 

騎士ジョーシヤナ

「でも、何かあれば遠慮なく頼ってくださいね。協力関係にある事は事実なんですから」

 

グレモリー

「機会があれば、指導の方もミッチリと頼む」

「メギド72の仕事は、幻獣やメギドの征伐が主だからな。異なる仕事の『空気』を学ぶに丁度いい」

 

バルバトス

「ふむ。その点で考えると、ソロモンはどうしても『指揮者』として振る舞ってばかりだ」

「今回の任務の主導は王都なのだし、『管理職』として間を取り持つ経験も積めるかもね」

 

ソロモン

「そ、そういうのは、できればお手柔らかに……」

 

エリゴス

「しかし、するってえとあたしが『監視組』に回った理由も、バランスの問題か?」

「私ならリジェネ使い分けりゃ前衛で攻撃も防御もいけるし」

 

ザガン

「でも、張り合うわけじゃないけど、それって私でも出来なくは無いよね?」

 

エリゴス

「そう、あたしも同じ事思った」

「あたしの方が小回り効くけど、奥義使う事まで考えたらザガンの方が良い場合もありそうだしよ」

 

ソロモン

「リジェネレイトしたエリゴスなら敵をまとめて倒す事もできるけど、それならハルファスが居る」

「バルバトスの治療とサルガタナスの補助があれば並の幻獣は誰でも何とでもなるだろうし……」

 

バルバトス

「つまり、そこがエリゴスを『監視組』にした『一番以外の理由』って事かな?」

 

騎士ヒラリマン

「っぽいですね。私もそこまでは聞いてないのですが、分隊長なら何か──」

 

騎士ジョーシヤナ

「一言で言うと……迫力ぅ……ですかね」

 

ソロモン

「迫力……?」

 

エリゴス

「まあお世辞にも温和ってナリじゃねえけど、グレモリーほどじゃ……あ、いやワリイ」

 

グレモリー

「問題ない、私には褒め言葉だ」

 

騎士ジョーシヤナ

「まず、部下との連携や、作戦全体を把握している人員として、グレモリー様が欠かせません」

「弱者として打ちひしがれた女性達の前に、グレモリー様とエリゴス様が並び立たれると……」

 

ソロモン

「2人を知らない人間の前に、2人揃って現れると、問題が……?」

 

バルバトス

「そういった女性は、何かと傷を抱えて、些細な事にも過敏になっている事が多い……」

「そして初対面なら、2人の態度も否応なく、俺たちほど打ち解けたものじゃなくなる」

 

ハルファス

「近づきにくそうって思われちゃうかもしれないって事……?」

 

ザガン

「2人とも、女子トークとか余り好きなタイプじゃないし……」

 

一同

「……」

 

 

・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 誰かの脳内。

 アジトの広間のような、学校の教室のような謎の空間。

 見覚えのありそうな女性たちと、どこにでも居そうな女性たちが思い思いにざわついている。

 どこかの世界では7歳から聞き慣れていそうな鐘の音が鳴る。

 女性たちが軍隊のように整然と並んで座席に着き、静まり返った。

 音声通信の電源を入れた時のブツッと言う音を挟んで、どこからともなく声がする。

 

 

???その1

「あ~、テス、テス、テス……」

「はあいどーも、始まりました『DE・る~女ンちゃんねる』~、担当はアテクシこと──」

「え、何……世界観? あ~……もう、しょうがないにゃぁ」

 

???その2

「初っ端こんなにハッチャケといて今更ですけどね~」

「皆さんオハヨーゴザーマース。皆さんが静かになるまでに……え、3秒かかってない?」

「ちぇー、一度言ってみたかったのにな~……じゃあとっとと始めちゃいましょね~」

 

???その1

「ハイそれじゃあネ、今回は皆さんに新しいお友達がネ、やって来たわけなんですけどもネ」

 

???その2

「まあ取り敢えず見てもらった方が早いわよね。そんじゃ見てもらいましょっかドゾー」

 

 

 バン、と勢いよく何か開く音がして、女性たちの首がグリッと音源の方角へ回った。

 両外開きアーチ型の窓の向こうで、青々とした空にアクセント程度の雲が点々と。

 景色を遮るように窓枠に人影。縦の辺を背もたれに、やや膝を曲げながら足を組んで投げ出し、対辺の窓枠に足裏を預けている。

 人影の正体が、無限に続くそよ風に、前髪と、大ボリュームのハイポニーと、上着の裾をいつまでも靡かせながら、腕のバンデージを口で咥えて巻き直している。

 

 

リジェネなお友達

「……あたしは、エリゴスってんだ。ま、よろしく頼むよ」

 

 

 野性的な視線と、ぶっきらぼうな挨拶だった。

 バラエティ番組でよく聞くような三者三様の感情を混ぜたどよめきが、どこからともなく湧き立った。

 

 

???その1

「みんなの感想聞く前にねー、実は……もう一人お友達が来ちゃってたりしちゃいまーっす」

 

???その2

「はいバンバンいきましょ~、どうぞ~」

 

 

 空間の照明が落ち、女性たちの座席から見て正面にバンッと、スポットライトが照らされる。

 ライトの下にはガラスの靴でも落ちていそうな大階段が広がり、コツコツとライトに近づく足音。

 照らし出された人物が伏せた顔を上げると同時、纏っていたマントが風も無いのにはためき、どこからともなく黒い花びらが舞い上がった。

 

 

ゴージャスなお友達

「私はグレモリーだ。諸君らと迎える新たな日々……楽しみにしているぞ?」

 

 

 語尾の方に吐息が大目に混じっている。

 誰かの脳内なので、実在のグレモリーよりも雰囲気どころかデザインまで微妙に異なっている。例としてはまつ毛が長いというか、濃い。唇の紅も普段より深く印象強い。

 これまたわざとらしい声の波が押し寄せる。女性たちは整然と着席したまま。

 

 

???その1

「気になったコは早速チャンネル登録と……あ、はい世界観。ハイ……」

 

???その2

「期限は3年間なんつって。そんじゃみんな仲良くしたげてね~」

 

 

 どよめきが延々とリピート再生されている。

 スポットライトの下で、いつの間にか合流したエリゴスとグレモリーが、スタイリッシュな立ち姿で女性たちに射抜くような視線を送っている。

 舞台装置のように着席したままの女性たち。2人を目の当たりにして、その胸中に去来する言葉は……。

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

ハーゲンティ

「こ……こいつらタダモンじゃねえッ!」

 

バルバトス

「こらこらこら……」

 

 

 現実に戻る。

 バルバトスが苦言を呈するが、肝心のフォローが出てこない。

 仲間たちも大体似たような表情をしている。

 

 

ソロモン

「その……二人とも、見るからに強そうだもんな……」

 

騎士ヒラリマン

「大変な思いしてきたに違いないとしても、レベルが格段に上がりそうな……」

 

ザガン

「追いやられたっていうより、渡り合ってそう……」

 

エリゴス

「自分の事とはいえ、あたしもちょっと分かった気がする……」

 

騎士ジョーシヤナ

「王都が懸念したのがまず、『厄介の種を持ち込まれる』と思われかねないという事で」

 

ザガン

「そっか、ギーメイの追手から逃げて……って『筋書き』だったもんね」

 

ソロモン

「充分戦えそうな2人に差し向けられる程の刺客って、相当な腕だと考えちゃうな」

「それがギーメイを狙ってアブラクサスに入り込まれるリスクを考えると……」

 

バルバトス

「シュラー始め、アブラクサス幹部の心象は良くないだろうね」

「『入国審査』をパスできたとしても、特例で行動を制限されるなんて事も……」

 

騎士ジョーシヤナ

「それと、『注目』を集めすぎる、と」

「最悪、アブラクサスのヒエラルキーを揺るがし、余計な騒動を起こしかねないそうです」

 

ソロモン

「ヒエラルキー……シュラーを頂点としたアブラクサスの体制を変えちゃうかもって事か?」

「確かに、二人とも頼り甲斐のある人柄だけど、そこまではちょっと大げさな気が……」

 

バルバトス

「いや、有り得るよ。老若男女、居場所を失えば新たな拠り所を常に求めるようになる」

「アブラクサスの住人は、自分を『安心』させてくれる存在に飢えていると考えていい」

「だがシュラーは1人だ。『シュラーが私を守っている』と実感させられる人数には限界がある」

 

騎士ジョーシヤナ

「ご婦人向けのお話でも定番の展開ですね!」

「領主の側室になれた女が、しかし一番になれない不安を抱え続けるよりはと身近な男に……」

 

エリゴス

「ドロドロした話をイキイキと語りなさんなって……」

 

グレモリー

「ふむ。つまり、シュラーに縋る住人どもとの精神的落差が問題になるのだな」

「現行の4人なら、私が司令塔だという『役割』が存在感を多少紛らせるかもしれんが──」

「エリゴスが付くと、互いの存在感に『余裕』が生まれ、求心力として周囲に波及する」

 

ザガン

「『シュラーに愛想尽かされてるかも』って不安になった人が、勝手に頼ってきちゃうわけだね」

 

ハーゲンティ

「あたいがアブラクサスの住人だったら、迷わずマム達の舎弟になってる所だもんね……」

 

バルバトス

「図らずもアブラクサスのパワーバランスを乱し、グループ抗争まで起こしかねない、か」

「二人共、組織を率いている実績と、それに足るカリスマもあるからねぇ」

 

ソロモン

「任務の都合上、グレモリーは潜入組から外せない。だからエリゴスを……」

 

エリゴス

「まあ、そういう事なら仕方ねえやな」

「あたしも、そういう湿っぽい頼られ方は好かねえ性分だし、むしろ都合が良いくらいだ」

 

グレモリー

「私も『戦士』としてそういった信頼は好まないが、それ以前に『領主』だからな」

「民の在りように私情を持ち込みはしない。擦り寄るなら許容し、活用する」

 

エリゴス

「適材適所ってな。よろしくお願いしますよ、領主サマ」

 

グレモリー

「うむ。任せろ」

 

 

 足音が近寄ってくる。ガブリエルだった。

 

 

ガブリエル

「話は終わりましたか」

 

騎士ジョーシヤナ

「これはガブリエル様……ひとまず、一通りの事はお伝えできたかと」

 

ソロモン

「潜入組の4人の筋書きと、エリゴスが『監視組』に入るって事は確認したよ」

 

バルバトス

「4人は潜入後、先に内部で待ってる仲間と協力して調査を始めるって事もね」

 

ガブリエル

「ならば充分です。早速、4人にはアブラクサスへ向かってもらいます。行動は早いに限りますので」

 

エリゴス

「なんでえ、結局『潜入組』にはお偉いの挨拶は無しってかい?」

 

ガブリエル

「生憎と『監視組』も多忙なもので」

「代わりと言っては何ですが、『潜入組』は本作戦のNo.2の者とアブラクサスへ向かいます」

 

ソロモン

「No.2? 2番めに偉い人も『潜入組』に?」

 

ガブリエル

「いえ。彼はキャラバン隊の長を偽装して、度々アブラクサスと取引に出向いています」

 

バルバトス

「つまり、キャラバンに扮する騎士部隊と隊長殿に、アブラクサスの門前まで案内してもらうわけか」

「(この様子だと、騎士団との取引でも、怪しい動きは掴めていないようだな)」

「(本当に『原種』を取引しているなら、有力者だけを狙って卸すだろうから無理もないか)」

 

騎士ジョーシヤナ

「すみません、説明が漏れていました……」

 

ザガン

「そのキャラバンに頼んで、ここまで乗せてもらったって事にするんだね?」

 

ガブリエル

「ええ。『筋書き』の関係上、降ろした後は早々に退散する段取りですので悪しからず」

「後の行動は、内部の騎士が補助するだろうとは言え、『潜入組』の努力にかかっています」

 

グレモリー

「多少のミスは私が埋め合わせる。任せておけ」

 

エリゴス

「まあそれなら、移動の途中で顔合わせの体裁くらいは立つか……」

「でも、お偉いが直々にか?」

 

ガブリエル

「任務の性質上、人員が限られますので。仕事は極力、回せる者で回しています」

 

騎士ジョーシヤナ

「では改めて、『潜入組』の皆さんは付いてきてください」

「キャラバンの方の隊長、結構なお人好しなんで、楽にしていただいて大丈夫ですよ」

 

騎士ヒラリマン

「『監視組』の皆さんは早速ですみませんが、幻獣の捜索にご協力願います」

「向こうから襲っては来ませんが、放っといて良い事もありませんしね」

 

ソロモン

「ああ、そういう仕事なら任せてくれ!」

「『潜入組』の皆も、頑張ってくれ!」

 

 

 二手に分かれるソロモン一行。

 

 

<GO TO NEXT>

 




※ここからあとがき

 すっかり書くのを忘れていましたが、エリゴスのキャラストーリーはお迎えできてないために未確認です。
 ただ、地元の暴走族的な自警団の総長をやっているという情報とギギガガス&リャナンシィイベでの活躍だけ確認済みですので、そこから勝手なイメージで補完しています。
 原作でそこまで族のヘッドやってる感じで無かったら申し訳ありません。

 各々の「筋書き」は筆者のオリジナルなので、キャラに褒めさせたりなんかすれば手前味噌もいいとこなのですが、ハルファスなら素直に感心してくれたり、したら良いな……と。

 ストーリーでは星3あたりがメイン衣装なのに、召喚時点では星1な格好な理由をオリジナルで考えてみました。
「召喚に応じた時点でその服だったけどデフォではない」と無難な方向にしてみましたが、そうなると今度は、イポスやバフォメットのようにどのような経緯で召喚されたかがある程度判明していると、そのメギド達の場合は「召喚時では星3だけど召喚後しばらくは星1の格好をしていた」となってしまい、これはこれで難しいものがありますね。
「召喚後は、戦闘で破れても良いような服を着ていたけど、ソロモンの贈り物で予備が出来たので気に入ってる服でも働けるようになった」みたいにしても、メギドの性格によりけりでしょうし。ハーゲンティとか、贈り物を大切に保管して星1で通す所ありそうなイメージですし。
 ガチャやパイモンのように唐突に呼ばれるケースならともかく、ソロモンの性格を考えると仲間一人ひとりに某お空のように出会いのエピソードがありそうで、この辺がいずれ公式で補完されたらどうなるか楽しみです。あるいは覚えていたら次回の質問箱に送ってみようと思います。

 そしてその質問箱の回答でさり気なくハルファス……セーフっ!!
 ネタバレじみてしまいますが、ハルファスの過去を考えて少々ストーリーに絡ませているので、あまりにも食い違ったら危ない所でしたが、ほぼほぼ路線変更の必要が無い内容でした。解釈一致の節まであり、非常にホッとしました。
 更なる情報が明かされないうちに、二次創作をいい事に早く書き上げてしまいたい所です。
 そして代わりにフルフルのヴィータ時代&ラッシュリジェネを妄想したオリスト構想が潰れました。これが二次創作の楽しみってやつですね。
 推しの一人だけに名残惜しいので、機会があったらプロットだけアップしてみたいかもです。
 次はベレトイベントの確認だ……。


 最後に、デカラビア前編を今回も期日ギリギリでストーリーだけ消化してきました。
 これもネタバレじみた話になりますが、前編だけでこの話の要点の半分くらいを持っていかれた気分です。
 ソロモンの心情の推移などを考えると、今回の二次創作が「最後の計画」を踏まえた上で本編のどの時期に起きたかを考えるのも難しい形になりそうな。

 こうして二次設定が公式に答え合わせされていくのは、妙な興奮と嬉しさがあります。我ながら些か倒錯的ですが。
 多分、筆者が見つけた掘り下げの余地を、公式も興味を持ってくれていたからかも知れません。
 何にせよ、本作の今後の展開については、真剣に考えたものでもあるので変更はありません。デカラビアイベント読破組には些か薄味になるかもしれませんが、お付き合いいただければ幸いです。
 


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2-1後半「虚都アブラクサス」

 アブラクサス内部。正門を通され、門前広場で入国審査を受ける「潜入組」の4人。

 老朽化した正門は、しかしまだ現役で機能を果たしている。

 潜入組の4人は入国審査担当と思われる数十人規模の女性たちに囲まれ、好奇心や警戒の眼差しを向けられている。

 

 

ザガン

「(正門も中もだいぶ寂れてるけど、思ったほど酷い状態じゃないね。遺跡みたいな感じ)」

 

グレモリー

「(長年、幻獣の被害も無かったからな)」

「(真に出入りの少ない場所には埃もさして積もらん。ましてここは潮風を始め万全の対策がある)」

 

ザガン

「(手入れがされてないってだけなら、結構キレイに残るってわけだね)」

 

 

 小声で語らう2人に、いかにも人の落ち度を好んでいそうな声が飛ぶ。

 

 

アマーチ

「こらソコっ、私語は謹んで! もうすぐ責任者が来るのよ!」

 

 

 声の主もまた、底意地の悪さが滲み出たような雰囲気の女だった。

 

 

ザガン

「うわっ、聞かれてた……」

 

???

「あらあら、随分はしたない『亡命』希望者が来たみたいね」

 

 

 アマーチの背後から数人の女性たちがやって来た。

 その中から、今しがた嫌味を投げてきた声の正体を見つけ、4人は大体が同じ感想を胸中で呻いた。

 

 

ザガン

「(うっわ……こんな所だってのに、服もアクセもケバいしメイクも盛りまくり……!)」

 

 

 身寄りのない者達の一員にはとても見えない、マフィアの愛人そのもののような女だった。

 

 

ハーゲンティ

「(想像以上に金持ちそうな人が来た……)」

 

グレモリー

「(見るからに、アレが幹部の1人だな)」

「(だが、まず『シュラー』ではない。こっちの女は敵を作って潰す方が得意な手合だ)」

 

ザガン

「(ケバい女と、取り巻きっぽいのが2人、割と普通な人が1人、あと……ちっちゃいお婆ちゃん?)」

「(合わせて5人か。どれもシュラーっぽく無さそうだなぁ。まあ初日から会えるはずもないか)」

 

小柄な老婆

「…………」

 

 

 新たに現れた5人組の中で、樹皮と腐葉土を捏ねて作ったガマガエルのような酷い容貌の老婆が先んじて前に出て、潜入組を品定めするように何度も何度も睨めつけて来る。

 だが、先程4人を咎めた女・アマーチは、老婆を露骨に無視して、ザガン評するところのケバい女に向かっていく。

 

 

アマーチ

「ご足労すみませんサイティ様、『亡命』希望者は4人、名前と身分は先ほど確認済みです」

 

サイティ(ケバい女)

「ご苦労さんね、アマーチ。で、今回はどんな感じ?」

 

取り巻きアマーチ

「はい。距離の近い者から順に──」

「元・ペープカンプ領の私兵『ギーメイ』」

「闘牛士『カリナ』」

「剣闘士『チータ』」

「そして──住所不定無職です」

 

サイティ

「あらまたなの? 面白い顔ぶれだと思ったのに、毎回1人は住所不定無職が──」

「って、ちょっとマジ? 住所不定無職すぎない!?」

 

取り巻きバーズレー

「あそこまで住所不定無職なやつ、初めて見た……!」

 

取り巻きレディス

「住所不定無職みが後光になって見えるくらいだわ……」

 

アマーチ

「あれだけの住所不定無職のためには、きっと眠れない夜もあったんでしょうね……」

 

 

 潜入組の内の1人を憚りもせずジロジロ見ながら、何のためにやって来たのかも分からなくなるほど雑談に興じ始めるサイティと取り巻き達。

 

 

ハーゲンティ

「これってもしかして……」

「あたい、何だか好印象? 一発目からハート鷲掴みっすか!?」

 

ザガン

「違うの……すっごく、バカにされてる……」

 

 

 当事者でないザガンの方が情けなくて泣きたくなっている。

 

 

小柄な老婆

「…………」

 

 

 サイティ達がケラケラ笑っている間に、老婆が順繰りに4人を間近で観察している。そして最後の1人を真正面から見上げた。

 

 

ハルファス

「……?」

 

小柄な老婆

「…………フン」

 

 

 鼻息1つ鳴らして、老婆がプイと背を向けて離れていった。

 

 

ハルファス

「(あ、行っちゃった……私たち、何か怒らせちゃったのかな?)」

 

グレモリー

「(あの老婆、見かけに反して相当身軽だな)」

「(顔貌から察せられる歳の割に、身のこなしが若々しすぎる。警戒しておくべきか……?)」

 

 

 仲間内で比べるならダンタリオンほどの背丈しかない老婆の足取りが、飛び跳ねる事すら容易いだろうほどに軽い事をグレモリーは見逃さなかった。

 背は曲がって足取りもゆったりとして見えるが、そうと気付けば明らかに、脱力して姿勢が悪い程度のそれだった。

 老婆はサイティ達の元へ引き返し、5人組の最後の1人──彼女らの中にあってはむしろ異質なほどにごく自然体な女性に何か指示した。

 指示された女は、直前までグレモリー達を取り囲んでいた多数の女性たちから報告を受けていたが、老婆の指示を受けるなりグレモリー達の元へ駆けてきた。

 

 

ライア

「始めましてぇ皆さん、ライアと申しまぁす!」

「先程ぉ、『秘書』さまからOKいただけましたのでぇ、これで皆さん、入国が認められましたぁ!」

 

 

ザガン

「え……も、もう?」

 

 

 元気ハツラツとして、しかし少し間延びした声の女・ライアが、先ほど周囲の女性の1人から受け取った書類を読み直しながら続ける。

 見てるだけでこっちまで頬が緩みそうな、太陽のようなニッコニコ顔が印象的だった。

 

 

ライア

「いっえ~すざっつら~い! 今週の入国審査担当はぁ、私と秘書さまとサイティさまなのでぇ」

 

ザガン

「ざっつらい……?」

 

グレモリー

「三者で『決』をとる方式か。先程の老婆……『秘書』と、貴様が入国を認めた、と」

「あの『サイティ』なる人物が反対したとて、これで2対1だからな」

 

ライア

「そうなんですよぉ!」

「先にアマーチさん達が取って下さった調書にも変わった所は無さそうでしたしぃ──」

「それに基本、ウチは訳アリが大体ですからぁ、来るモノまずは拒まずですのでぇ!」

 

ハーゲンティ

「いや~良いトコだねぇー、身分怪しくても住まわせてくれる職場なんてそうそう無いよ?」

 

ザガン

「いやぁ……『良いトコ』、かなぁ……」

 

 

 口をへの字にしながら、ザガンがサイティ達を見やる。

 運悪く、サイティ達の目線とザガンの横目がバチリとぶつかった。

 それに気づいたサイティと取り巻きが目元を醜く笑ませて、顔を寄せ合い声のトーンを高めた。

 

 

バーズレー

「クスッ、見てよあの『汚い別物』見るみたいな目」

 

アマーチ

「居るんですよねえ、落ちぶれてここに来たクセに、昔の立場を振りかざして自覚も無い女……」

 

レディス

「しまいにゃ『自分以外の女はクズしか居ない』とか偉そうに喚いて自爆するタイプね」

 

ザガン

「(なっ……何こいつら、勝手に人の事知ったみたいに……)」

 

サイティ(ツッコミ待ちのように)

「やーねー、ちょっと派手なもの着てるってだけでお高く止まっちゃって」

 

ザガン

「(あんただって人の事言えないだろッ!)」

 

バーズレー(一回り大きめの声で)

「よしましょうよサイティ様、ああいうタイプに限って根は陰湿なんですよ?」

 

アマーチ(聞こえよがしのヒソヒソ声)

「しかもあの女、仕事にイカサマ仕込んだのバレて故郷追われたんですってよ?」

 

ザガン

「……」

 

レディス(ニヤつく口を覆いながら)

「やだ、怖ぁい……後で何されるか分かったもんじゃないわ……」

 

ザガン

「……ちょっと訂正させてくる」

 

 

 ザガンの声から熱が失せた。幻獣相手でも見せないような目つきをハットに伏せて、脚に余計な力を込めながら歩き出した。

 

 

ライア

「ちょちょちょ、ま、マズイです、相手が悪すぎます……!」

 

ハーゲンティ

「初日でケンカは針のムシロコースだよぉ、抑えて、抑えて……!」

 

グレモリー

「ふむ……」

 

 

 ザガンの地面にヒビを入れんばかりの重々しい前進を、グレモリーが眼前に腕を差し込んで制した。

 

 

ザガン

「邪魔しないでよ! あんなにムチャクチャ言われて黙ってろっての?」

 

グレモリー

「容易く乗せられるんじゃない。どの道、恫喝如きで改まる品性ではあるまいよ」

「『目的』を忘れるな、『カリナ』。今すべきは突撃ではない、受け流し、利用する事だ」

「華麗に……貴様のようにな」

 

ザガン

「え? あ、ちょ……」

 

 

 ザガンをその場に留まらせて、優雅にサイティ達へ歩み寄るグレモリー。

 昂ぶる仲間を抑えつけて、冷静なリーダー役がやって来る絵面にほくそ笑むサイティ。

 

 

サイティ

「(手下に代わって頭でも下げて見逃してもらおうって魂胆ねぇ、賢いじゃない?)」

「(これであいつらのウチでの立場も決まりね。新入りには誰が上か、ちゃ~んと躾けないと)」

 

グレモリー

「……」

 

 

 グレモリーの日頃から鋭い目つきが、サイティ達の動向を監視するかのように真っ直ぐ向いていた。

 それでいて、隣に友人を並べて語らうかのようなリラックスした歩みでグレモリーは……剣を抜いた。

 しかもほんの一瞬だが、素人の肌も痺れさせるほどの殺気を叩きつけながら。

 

 

取り巻き3人

「ひっ!?」

 

 

 涼しく上品な音で抜かれた刀身の煌めきに灼かれるかのように、身を寄せ合い露骨に後ずさる取り巻き達。

 

 

グレモリー

「……ふっ」

 

 

 抜剣の動作のまま、弧を描いて掲げられた剣先の軌道が、宙で弧から円となり、次の瞬間にはグレモリーの足元に埋まっていた。

 突きを想定した細身の剣ではあるが、踏み固められた地面に対し、剣はたった一撃でキレイに聳え立った。

 捨てるように剣を傍らに置き、腕組みしながらサイティ達の方へ向き直るグレモリー。

 綺羅びやかな微笑みにどこからともなく風が訪れ、髪や衣服の裾をなびかせまくり、既に勝利したかのような風格を惜しみなく撒き散らしている。

 

 

グレモリー

「驚かせて済まんな。だが見ての通り、こちらに争うつもりは無い」

「どうも我々に『怯えていた』様子だったのでな。ひとまず武器を手放してやったまでだ」

 

 

 まだまだ風を受け続けているグレモリー。取り巻き達が感じ取った殺気は失せていた。

 その場を一歩も動かないグレモリーを見て、本当に襲いかかる気が無いと認識し始めた取り巻き3人が、自分たちの醜態に気づき、ワナワナ震えだした。

 

 

バーズレー

「な……な、な、な~~~にが『驚かせて済まんな』ぁよ! ムキになっちゃってバッカみたい!!」

 

レディス

「しし、新入りのクセによお、アテェらに武器抜くって事がどういう事か分かってんのかオォン!?」

 

アマーチ

「アンタの連れのイカサマ女が勝手にキレたのが悪いんでしょ!?」

「さっさと2人揃って頭下げなさいよ! それがスジってもんでしょうが!」

 

サイティ

「(ッ、このバカ共が……!)」

 

 

 口から出るままに三人がかりでグレモリーを罵る取り巻き達。グレモリーは涼しい視線で、好きに言わせている。

 リーダー格のサイティだけは先程の殺気にも動じる事なく、一瞬だけ取り巻きに非難の視線を向けかけたが、すぐさま冷静にグレモリーを睨み返した。

 

 

サイティ

「(そこは虚勢でも『カッコ付けて勘違いかましたイタいオバン』を笑い飛ばすとこでしょうが!)」

「(『私は話も聞かずに片っ端から言い返すだけの三下です』って言ってるようなもんじゃないの……!)」

 

ザガン

「うわあ……何か急にメチャクチャ言いまくってる……」

 

ハルファス

「剣を抜く前、グレモリーが凄く怖い感じがした気がするんだけど、そのせいかな?」

 

ザガン

「多分ね。あんな殺気、普通のヴィータじゃ死ぬまで縁が無いだろうし」

 

 

 取り巻き達の狼狽えように、ザガンの頭もすっかり冷えてしまった。

 

 

サイティ

「(クソッ……バカ共が返事したお陰でもうペースも掴まれた)」

「(これじゃ迂闊に言い返した所で、私まで『怯えて喚いたバカ女』の仲間入りだわ)」

 

アマーチ

「大体ねぇ! ヘタこいて居場所も無いようなヤツが何様のつもりなのよ!?」

「サイティ様はここの財務を一手に担うお方なのよ! 相応の態度ってモンがあるんじゃないの!?」

 

サイティ

「(ほーらバカ。私を自分の盾にする事しか考えられなくなったバカ)」

「(私はお前の安心のために生きてるわけじゃないっての。コイツもそろそろ切り時かしらね)」

 

 

 表情を崩さず目もくれず、胸中で取り巻きに見切りを付け始めるサイティ。

 グレモリーは、まだサイティと取り巻き達の様子を伺っている。

 

 

グレモリー

「(ほう。サイティという女だけ、我関せずとばかりに取り巻きの値踏みを始めているな)」

「(私は『驚かせただけ』……浮足立った者が勝手に墓穴を掘っている。それを理解している)」

「(無法の地で人の上に立つ程度には『もの』が違うという事か)」

「(しかし、かえって好都合だ……『噛み合っていない』のだからな)」

 

レディス

「おい聞いてんのかババア!!」

 

グレモリー

「ククッ……ああ、失礼した。話が終わったようなら、ちゃんと返事をしてやろう」

 

 

 苦笑を堪えて、敢えて褒めてやるかのようなニュアンスで返答するグレモリー。

 ようやく、グレモリーをはためかせていた謎の風も収まっていた。

 

 

グレモリー

「そうだな……確かに、私達は『かつての居場所を追放された』者達だ。それは認めよう」

「だが相応の態度というなら、先程から見せているのだがな」

「この通り、武器は捨てた。まだ『怖い』なら、後ろ手でも組んで歩み寄ろうか?」

 

バーズレー

「ふざけないで! そんなに『ふんぞり返った』どこが相応の態度よ!」

「それが人を敬う態度だとでも言いたいの!?」

 

グレモリー

「当然だ。『良き関係』を築くなら、上辺の『へつらい』など捨てて、腹を割って語らうべきだろう」

 

バーズレー

「良き……はぁ?」

 

 

 グレモリーが取り巻き達に一歩、歩み寄った。

 ただし、先程グレモリー自身で言ったような、手を頭の後ろで組むような事はしていない。至ってリラックスした姿勢だった。

 

 

グレモリー

「何がおかしい? これからの新生活を共にする上で、まとめ役と顔を合わせる機会を得たのだ」

「生憎と、これが着飾らないありのままの私だ。故に、偽りも打算も無い」

「それとも『卿ら』の文化では、これ以上に誠意ある姿勢があるとでも?」

 

バーズレー

「そ……──!」

 

サイティ

「へぇ……。あなた、私と『お友達』になりたいって事?」

 

グレモリー

「流石に、話が早くて助かる」

 

 

 穏やかな声で応えるサイティの目は露骨なほどに、笑っていない。

 グレモリーもまた、剣を構えている時と全く同じ顔で唇だけを笑ませている。

 

 

サイティ

「でも私達、会って間もないのよ? そんなにあなたに気に入られる事したかしら?」

 

アマーチ

「サイティ様! こんなやつの口車に乗っちゃ──!」

 

 

 割り込んできたアマーチに、サイティがニッコリと微笑み、小声で囁いた。

 

 

サイティ

「(テ・メ・エ・ガ・ダ・マ・レ・ヨ)」

 

アマーチ

「ひっ……!? す、すみ……すみ、ません……」

 

 

 一言で青ざめるアマーチ。見る間に震え、呼吸も荒れ始めた。

 空気を察して残る取り巻き2人がアマーチを連れて一歩下がった。

 

 

グレモリー

「(あの怯えよう、何か『裏』があるな……まあ、今は確かめる時ではない)」

「話は済んだか?」

 

サイティ

「ええ。『お陰様で』手早くね」

 

グレモリー

「『心当たりは無い』が、素直に感謝として受け取ろう」

「先程の続きだが、私もこう見えて目がないタチでな……『噂話』というものに」

 

サイティ

「あぁら、可愛らしいこと」

 

グレモリー

「恥ずかしながら、幾つになってもやめられんというものだ」

「その点、『卿』となら話題に事欠かなそうだからな。だから『剣を向ける事は無い』と示した」

「流石に仲間の風聞をとやかくされる事には思う所あるが、何事も棲み分けというものがある」

 

サイティ

「なぁるほど、『兵士流』の礼儀だったって事ね」

「ごめんなさい私ったら、思わず足が竦んじゃってたわぁ。すこぉしばかり粗野だったものだから」

 

グレモリー

「それは失礼した。少々『貴族流』の剣技に浸かりすぎて、視野を狭めていたかもしれんな」

 

サイティ

「まぁ、お盛んな事」

「あなた『気に入っちゃった』わぁ。あなたの『ご趣味』は?」

 

グレモリー

「興味をそそれば選り好みはしない。聞き手になるなら尚の事、つまらなかった話題など1つもない」

「そう、例え……人目憚る『醜聞』だろうと、忌避する事は無いと誓おう」

「無論、この場に居る者らへの『愚痴』でも良いぞ」

 

 

 サイティの前でグレモリーが、周囲の人だかりに紛れた秘書とライアへと視線を逸らした。

 ほんの一瞬、横目で同じ方向を確認するサイティ。

 すぐさま視線の移動など無かったかのように笑うサイティ。

 

 

サイティ

「やぁだ、遠慮のない『兵士様』だこと」

 

グレモリー

「躊躇うことはしない。私の全てを曝け出す。それが私の『誠意』だ」

「それに、『社交界』で随分と慣らされたものでな」

 

サイティ

「クスッ……」

 

グレモリー

「フッ……」

 

 

 2人が笑みを漏らしたのを最後に、一帯を静寂が包んだ。

 

 

ハルファス

「……あれ? グレモリーが、あの人の仲間になっちゃうって事?」

 

ハーゲンティ

「ハ、ハルちゃん……今ね、多分……何も喋らない方が……イイトオモウノ……」

 

ザガン

「な、何だろ……初めて感じる空気だけど……胃袋の辺りが、寒い……?」

 

 

 暫しの沈黙の後、口を開いたのはサイティだった。

 

 

サイティ

「フフッ、『良い』わねえ。『対等の』お友達って♪」

「あなたになら何でも話せちゃいそう。でも……秘密のお話は言いふらしちゃイヤよ?」

 

グレモリー

「無論だ。謀りは苦手な性分だが、口の堅さについては実績だってある」

 

サイティ

「良いわ、『信じて』あげる」

「また『今度』、一緒にお話しましょうね……ようこそアブラクサスへ。歓迎するわ」

 

グレモリー

「こちらこそ、楽しみにしている」

 

サイティ

「それじゃ……」

 

バーズレー

「あ、サ、サイティ様……!」

 

 

 互いに気安い手振りを交わして、背を向けて歩き出すサイティとグレモリー。

 グレモリーは仲間たちの元へ。サイティは取り巻きを引き連れてアブラクサスの奥地へ。

 

 

ザガン

「……あ、あの……グレモリー?」

 

グレモリー

「フフ……」

 

 

 引きつった顔の仲間たちを前に、グレモリーの顔には「してやったり」と言いたげな笑みが浮かんでいた。

 

 

レディス

「サイティ様、どうされたのです? 何であんな女とにこやかに──」

「ヒィィッ!?」

 

サイティ

「……ッ……~~~~~ッッッ……!!!」

 

 

 親分の行動に納得が行かず心配する取り巻きに脇目も振らず、サイティの顔は死者の国の悪魔もかくやという形相に歪んでいた。

 

 

ハーゲンティ

「マ……マム、い、今のって……?」

 

グレモリー

「ああ、説明はしておいた方が良いだろうな。特に今回の仲間は純情な者が多い」

「先に言っておくが、私が言葉通りに、あの女と手を組む事は『ありえない』」

 

ザガン

「いやまあ、それはいつものグレモリー見てたら分かるけど……」

「でも、グレモリーがあんな、心にもない事をペラペラと……」

 

グレモリー

「いや、嘘偽りは全く無いぞ。多少、言葉遣いが『訛り』はしたがな」

「だがサイティには良く伝わっていた。お陰で『話』も面白いように進んだよ」

 

ザガン&ハーゲンティ

「???」

 

 

 一方、取り巻きがオロオロしているのも無視して、鼻息荒く速歩きでアブラクサスを往くサイティ。

 寂れた町並みの中、進む道に雑草があれば踏み潰し、小石があれば蹴り飛ばし、アリンコの列があれば列攻撃で薙ぎ払っていく。

 

 

サイティ

「(……クソッ! やられたッ……!!!)」

「(バカ共を一発で手の付けようも無いほどパニクらせて、恥かかせて高みの見物だあ!?)」

「(何が『良き関係』よ! 手打ちにさせるにゃ話に乗ってやるしか無い状況作っといて!)」

「(あのオバン……最初っから『コレ』が狙いだったのね……まんまと『吐かされた』!)」

 

バーズレー

「サ、サイティ様、足元、足元!」

 

サイティ

「あぁん!?」

 

 

 サイティが地団駄まじりに踏み下ろしかけた足元に、通りすがりのガマガエルが居た。

 ちょうど日が差し込む時間帯で、日向ぼっこの最中のようだ。

 

 

サイティ

「ガマ……ふふ、ふふふ……」

「こんな……ものぉっ!!」

 

 

 素手で鷲掴みにして、ガマガエルを空の彼方に投げ飛ばすサイティ。

 

 

レディス

「ああ、いけませんサイティ様、ヌルヌルで汚いです!」

 

バーズレー

「ガマガエルは毒があるんです! 帰ったら手を洗ってください! 死んでしまいます!」

 

アマーチ

「……」

 

 

 終始無言のアマーチは、まだサイティの不興を買ったショックから立ち直れていないようだ。

 てんやわんやのサイティ達はさておき、正門前。

 サイティとグレモリーのやり取りが終わってから、未だに周囲の女性達のざわめきが収まらない中で、悠々と仲間たちに説明を始めるグレモリー。

 

 

グレモリー

「上流階級の界隈には、一種の『訛り』がある。気に入らん事だがな」

「その『訛り』に従って、言いたい事を表現するにも単語と文法を置き換えねばならん」

 

ハーゲンティ

「いやあの~……何の事だかサッパリ……」

 

ザガン

「『訛り』って言うと、カスピエルの喋り方とかの事だよね?」

「語尾がちょっと変わったり、たまーに物の名前変わったりする事もあるけど、それのこと?」

 

グレモリー

「有り体に言えばそういう事だ」

 

ハーゲンティ

「もしかして、パンの『耳』を別の地方だと『かかと』って呼んだりするのも?」

 

ザガン

「え、なにそれ? 普通に『コストラ』って言わない?」

 

ハーゲンティ

「こ、こす……はい?」

 

ハルファス

「イーバーレーベンでは『クラスト』って言ってた気がするけど……違ったかも?」

 

グレモリー

「フフ……まあ、そういう事だ」

「同じ意味を表現するにも、言葉が違えば、意味が通じる者にしか通じない」

「今、私とサイティが交わしてきたモノが、その『訛り』を用いたものだ」

 

ザガン

「じゃあ、サイティってヤツも、結構いいトコの人間ってことか……」

 

ハーゲンティ

「如何にもっちゃ如何にもだけどねぇ」

 

ハルファス

「私達が知ってる『言葉』通りのお話じゃなかったって事で合ってるかな?」

「だとしたら、本当はどんな話してたんだろう……」

 

グレモリー

「まず、『怯えた』取り巻き共が騒ぎ出し、収拾が付かなくなっていたな」

「そこで私が、『強引にでもこの場を切り上げてやるから要求に応じろ』と持ちかけた」

 

ザガン

「え? でも、『仲良くしたいだけで争う気は無い』とか言ってなかった?」

 

グレモリー

「単語の上ではな。だが、あの状況で、『訛り』の通じる者同士ならそういう意味になる」

「潜入中はサイティも情報を得るための『調査対象』だ。いずれ『交流を持つ』だろう事に嘘はない」

 

ハルファス

「『あなたの望みを叶えてあげるから、仲良くお話しましょうね』……って感じ?」

 

グレモリー

「うむ。中々呑み込みが早いじゃないか、『チータ』」

 

ハーゲンティ

「おっへえ……何か急に胸焼けが……」

 

ザガン

「朗らかな会話に見せかけた、結構な『駆け引き』だよね……しかも悪い意味で大人な世界の」

 

グレモリー

「あくまでも『訛り』だ。私の『受け入れ方』としてはな」

 

ザガン

「あっ……はい」

 

グレモリー

「だが、『訛り』が『上流階級』の玩具なのも事実だ。綺麗事だけで済むものではない」

「迂闊な言葉1つが言質になる業界。しかも市井より遥かに下世話な噂好きが力まで持っている」

 

ザガン

「上辺を取り繕った話し方が進化していったんだね……言いたい事、分かった気がする」

 

ハーゲンティ

「何だっけ……玉ねぎ色?」

 

ハルファス

「あ、焼くと飴色になるから……!」

 

ザガン

「違う違う……玉虫色、ね」

 

グレモリー

「先程のような会話も、暇を持て余した連中の集まりであるほど日常茶飯事だ」

「自分で言うのもなんだが、私も婚期を過ぎた独り身……冷やかしが来ないわけがない」

「『意味』に『偽り』さえ含めなければ、私とてあの程度の口八丁は嫌でも身に付くという事だ」

 

ザガン

「えっと……何か、ごめんね。私がカッとなった後始末であんな事……」

 

グレモリー

「貴様が謝る謂れは無い。遅かれ早かれやる必要のあった事だ」

「むしろ奴らが早々にこちら接近したのは好機だった。流されたとはいえ、良い働きだったぞ」

 

ザガン

「え……?」

 

グレモリー

「お陰で先んじて聞き出す事が出来た」

「おぼろげにだが、サイティを基準としたアブラクサスの力関係を」

 

ザガン

「力関係って……い、今の会話で?」

 

ハーゲンティ

「でも、『また今度お話しましょうねー』みたいな流れでお開きになってやせんでした?」

 

グレモリー

「それが既に答えだ。私が提示した条件を奴が理解したからこそ、あの形に話が進んだ」

 

ザガン

「条件……? あの話のどこにそんな……」

「『噂話』……の事とか?」

 

グレモリー

「そうだ。正確に言い換えれば、『情報』だな」

「私はあの場を収めてやる事を条件に、サイティに『情報』を払い出すよう求めた」

「サイティが、カリナの『情報』を取り巻きから回収したのと逆に、な」

 

ザガン

「カリナ……私の情報……あー、そうか。私が怒ったのもそれが原因だったね」

「私の八百長の話、ちゃんと聞いてたクセにあの取り巻き、わざと悪く言って……」

 

グレモリー

「そうやって日々、住民達の『醜聞』……『弱み』を探っているだろう事は想像に難くない」

「『醜聞』が事実かなど問題にならないからな。社会の庇護の無いここでは体裁が全てだ」

 

ザガン

「うわ、最低……それ、気に入らないやつを追い込み放題って事じゃんか……」

 

グレモリー

「うむ。故に、私はその聞きたくもない『醜聞』から一部を開示するよう仕向けた」

「ターゲットは、『ライア』と『秘書』だ」

「『秘書』は取り巻きに邪険にされていたし、ライアもサイティ側と一定の距離を置いているように見えた」

「サイティの性格上、この2人の『醜聞』を得ようとしていないとは考えにくい」

「だから2人の『醜聞』を知っているなら、ここで吐けと求めたのだ」

 

ハーゲンティ

「え、えげつねぇ~……」

 

ザガン

「こんな大勢の前で悪口暴露なんかしちゃったら、サイティの方が立場無くなっちゃうんじゃ……」

 

グレモリー

「向こうも愚かではない。応じていたなら、『訛り』に包んでそれとなく吐いていたろうな」

「だが、奴は『黙り込んだ』。これが奴と他者の相対的な力関係の答えだ」

 

ハーゲンティ

「ああ、急に静かになっちゃった時間があったような……」

 

ザガン

「『社交界』がどうとか言ってたやつ?」

 

グレモリー

「そこはただの『決まり文句』だ。まず一方が相手の立ち居振る舞いを卑しく醜いと皮肉り──」

「言われた側は『中途半端な貴様には高貴すぎて理解できないだけだ』と遠回しに皮肉を返す」

「それ自体に何の価値も無い、やんごとなき者共の陰湿なゲームだ」

 

ザガン

「貴族の人たちって、あんなの当たり前に言い合うの? 何かこわい……」

 

グレモリー

「あくまで『一部』だがな。貴様たちが実際に見てきたろう、真っ当な貴族の方が大半だ」

 

ザガン

「だ、だよね……イーバーレーベンの領主様とか、とてもそんな人に見えなかったし」

 

ハルファス

「じゃあ、『醜聞』とか『愚痴』が好きって言葉で、サイティさんは黙っちゃった?」

 

ハーゲンティ

「そもそもマムって、そういうの悪口とか、好きでしたっけ……?」

 

グレモリー

「まさか。『訛り』に沿えばそう呼ぶというだけだ」

「『噂』は『情報』、『醜聞』や『愚痴』なら、その中でも『危険』や『不審』と言える類だ」

「例えば、『どこそこの森は肥えたネズミで溢れかえって薄汚い』という『噂』なら──」

「『森に野党が跋扈し、あまつさえ環境を破壊している』と言った具合だ」

 

ザガン

「あー、そういう『情報』ならグレモリーが聞きたがってもおかしくないか」

「さっきの話もそんな感じに置き換えると──」

「『私は怪しい情報が無いか探しに来たから、手始めにあの2人のそういう情報を出せ』?」

 

グレモリー

「そうだ。そして口を噤んだという事は、『情報はあるが出せない』と態度に現してしまった事を意味する」

 

ハルファス

「『情報が全く無い』って事もあるんじゃないかな?」

 

グレモリー

「それならば、あの空気の中だ。サイティが返す反応は決まってい

る」

「『下調べも無く勝手な期待で探りを空振りした女』を、遠回しな『訛り』で嘲って終わりだ」

「穏当なものなら……『私は他人を大切にしているから、そんな話題は好まない』と言った具合か」

 

ザガン

「結局、遠回しに人を悪者扱いしてくるのは変わらないんだね……」

 

グレモリー

「それをしなかったという事は、やつは『迷った』のだ」

「衆人環視の場で私に『情報』を明け渡すか、交渉を蹴って取り巻きの暴走を再燃させるか」

「どちらが少しでも損が少ないかをな」

「最後に己の沈黙が十分な『情報』になってしまった事を悟り、選択の余地が無くなった」

「そして余裕を装って立ち去る他なかったという次第だ」

 

ハーゲンティ

「だ、黙ってたのに、話しちゃった事になるんです?」

 

グレモリー

「それとなく『ライア』と『秘書』を指名したのがポイントだ」

「恐らく、サイティにとって価値のない『ただの女』を指名していたら、こうはならなかったろう」

 

ザガン

「あ、分かった。その2人の両方かどっちかが、サイティと同じくらい力があるって事じゃない?」

 

グレモリー

「うむ。ついでに言えば十中八九『両方が』だ。片方がハズレなら、そちらだけさっさと吐けばいい」

「あの場で不特定多数に2人の『醜聞』が聞かれる事で無用な面倒を起こしかねない──」

「もしくは私達が『弱み』を得ていると知られたら、己の立場が危うくなる」

「それだけの実力か、あるいはバックボーンが2人にはあるという事だ」

 

ザガン

「シュラーだね……?」

 

グレモリー

「もしくはサイティと同等に、アブラクサスの根幹に携わる『専門家』か……」

「ともかく、サイティはアブラクサスで大いに幅を利かせているが、牛耳るに至っていない」

「恐らくサイティとシュラーとの間で、アブラクサスの頂点を巡って暗闘が渦巻いている」

「そしてライアと秘書はいずれもサイティの側でなく、易々と揉み消される立場でもない」

 

ザガン

「仲間にするなら、この2人のどっちかって事だね」

 

グレモリー

「当座はな。だが、最終的にサイティ側に付く事も考えたほうが良い」

 

ハーゲンティ

「え~……あたい、ああいうタイプはちょっと……」

 

ザガン

「ああいうの好きになる人の方が珍しいんじゃないかな……」

 

グレモリー

「全く同感だが、我々には果たさねばならない目的がある」

「少なくとも、『シュラー体制』を打ち破る気があるのはサイティ側の方だ」

 

ザガン

「あ……最後にはここの人たち、外に出さなきゃいけないんだったね……」

 

グレモリー

「『いつも通り』とはいかん可能性を、何度でも覚悟しておけ」

「王都の威信と、ヴァイガルドの治安がかかっているのだからな」

 

ハルファス

「でも……それじゃあ、さっきの話をしたのって、危なくないかな?」

 

ハーゲンティ

「だよねぇ……初日からキツそうな上司に目ぇ付けられちゃって……」

 

ハルファス

「それもあるかもだけど、情報を聞く代わりに、私の目的バレちゃったりしてないかな?」

 

ザガン

「あっ……!」

「そうだよ、サイティに情報出せって言っちゃったって事は──」

「私達がアブラクサスの情報探ってるって明かしちゃったようなものじゃん!」

 

グレモリー

「安心しろ。サイティがどう足掻こうと『そういう事』にはならん」

 

ザガン

「でも、あの会話はそういう意味だってグレ……『ギーメイ』が!」

 

グレモリー

「あくまでそれは『本質』の話だ。人と人との間には『上っ面』しか残らん」

「私とサイティは、互いに『噂話が好き』という話を交わしたに過ぎない」

「同じ言葉を同じ意味あいで理解しあって、たまたま向こうが勝手に敗北感を味わった──」

 

ザガン

「そ、そんなの屁理屈だよ!」

「実際には、サイティは『ギーメイが情報を欲しがった』って理解しちゃってるんでしょ?」

 

グレモリー

「だが今後、そのつもりでサイティが私に何か『ちょっかい』を仕掛けた所で──」

「『何か探っている』という確かな証拠が出てこない限り、それは『妄想』でしかない」

「私にしたって『とぼける』のは苦手だが、『自白』も『漏洩』も断じてしない」

「『事実』は明け透けにならない限り、『疑惑』の粋を出ないのだ」

「偉ぶった連中ほど『訛り』を好む理由の1つがこれだ」

「清廉潔白を装ったままで、選ばれた者にだけ牙を剥けるのだからな」

 

ザガン

「グ、グレモリーって、意外と……」

 

 

 無意識に上半身だけ、僅かにグレモリーから距離を置くザガン。

 

 

グレモリー

「『やった』からには、軽蔑の眼差しも甘んじて受けよう」

 

ザガン

「ち、違うよ! ちょっとだけ驚いちゃっただけで、そんなつもりは本当に……!」

 

グレモリー

「いずれにせよ、だ。私自身、気に入らん『手』を使った」

「だが、『女々しい』ようだが言っておくぞ」

「個人的には唾棄すべき物事でも、好悪で『手』を拱くほど私も『淑女』ではない」

 

ザガン

「(グレモリー……ガブリエルと何か隠し事してるって、少し身構えちゃってたけど……)」

「(この任務自体は、いつも通り、本当の本気で、全力で向き合うつもりなんだ)」

「(私達がそういう事に未熟な分、嫌われるような役まで進んでやるつもりなのかも……)」

「あ、あのさ、グレモリー……何ていうか……私達も、ちゃんと頑張るからね」

 

グレモリー

「フッ……なら名前を間違えるな。私は『ギーメ……」

 

???

「オマエら、いつまでペチャクチャやってんだい」

 

潜入組

「!?」

 

 

 明らかに自分たちに向けて声が飛んできた。

 振り向くが誰も居ない……かと思ったが、少し視線を落とすと四人の間近に、例の小柄な『秘書』が立っていた。

 

 

秘書

「フンッ、いい年のモンがどいつもこいつも……」

 

 

 4人と目が合ったのを確認してから、秘書は去っていき、また別の女性の集まりへ向かっていく。

 

 

秘書

「オマエらも、とっとと仕事に戻りな」

 

住民の女

「は、はい、ただいま!」

 

ライア

「す、すみませぇん! わ、私が審査の確認取り直してたものでぇ~!」

 

秘書

「だったら言い訳の前にやる事あんだろよ」

 

ライア

「は、はぁいッ! 『案内』の準備してきまぁす!」

 

秘書

「フンッ」

 

 

 注意されたライア含む女性達が不格好な「気をつけ」の姿勢で応答し、散り散りになっていく。

 女性達を見送った『秘書』は、また鼻を鳴らして、別の女性の群れの方へと歩いていった。

 

 

ハーゲンティ

「い、いつまでもお喋り終わんないからお叱りに来たのね……」

 

グレモリー

「ライアと『秘書』では、『秘書』の方が立場は上か」

「(なるほど。近付くには『やはり』ライアからだな)」

 

ザガン

「い、意外と、かわいい系の声だったね、お婆ちゃん」

「何か、演劇で若い人がお婆ちゃん役やってるみたいな……アハハ」

 

ハルファス

「……」

「(どうしよう……言った方が良いのかな……?)」

「(あの『秘書』さん、『訛り』の話始めた頃から、ずっと私達のこと見てたけど……)」

「(それに、『秘書』さんのあの声も、どこかで……?)」

 

グレモリー

「しかし『入国』を済ませたばかりで、我々にはまだ『持ち場』がない」

「忠告を受けたは良いが、何から行動すべきか……」

「いや、考えるまでもないか。『案内』と言っていたからな」

 

ライア

「みなっさぁ~~~ん! ぷっり~ずひあみ~うぃっめ~ん!」

 

 

 よく通る声と共に、ライアが手を振って駆け寄ってくる。

 手振り&全力疾走のまま、一行と足指一本分の距離まで迫ってから急停止し息を整えるライア。

 

 

ライア

「はっふぅ……いや~すいませぇん!」

「『秘書』さま気難しい方なのでぇ、私の不手際でとんだとばっちりを~……」

 

ザガン

「あはっ、良い走りっぷりだったねえ」

 

ハーゲンティ

「ぷりずひあ……何かの呪文?」

 

グレモリー

「見ての通り、誰も気にしてはいない」

「さっき言っていた『案内』だろう? よろしく頼むぞ。話の続きは歩きながらにしよう」

 

ライア

「あ、聞こえてましたぁ?」

 

ザガン

「君ってば、声も一際大きいからねえ」

 

ライア

「話が早くて助かりますぅ! それじゃ、まずは向こうに見える『学舎』まで、移動願いまぁす!」

 

 

 ライアがやや遠方の、大時計の嵌め込まれた廃墟を指差し、4人を連れ立って歩き出した。

 

 

 

 

 

・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 

 

 

 一方、アブラクサスのとある場所。

 

 

???

「……」

 

 

 どこか高所の屋内から、窓の景色を見下ろす人影。

 眼下には、ある種の芸術を匂わせる建物群が居並ぶ。

 人影の背後に女が1人立っている。

 女は布で包んだハンドバッグ程の大きさの何かを両腕で抱き抱え、瞳に磨りガラスを貼り付けたような、清楚で輝きの無い目をしている。美しく穏やかな面持ちだが、風が吹けば無色の砂となって消えそうな雰囲気を纏っていた。

 

 

儚げな女

「どなたか、おいでになりましたか?」

 

???

「ああ……偶然では無さそうだ」

 

儚げな女

「待ち焦がれていらした方ですか?」

 

???

「少し違う……いや、『真逆』と言っても良いかも知れない」

「だが、間違いない……近い内に『本命』も来るだろう」

 

儚げな女

「それは良うございました」

「ご用意するのは、先日の物でよろしいでしょうか」

 

???

「やはり『お見通し』か……済まないな。折角の物を」

 

儚げな女

「勿体ないお言葉です。私どもは、既に有り余る程に頂いております」

「では、しばし用立てて参ります。『シュラー』様」

「間もなく訪れる『その日』に、心からの祝福を……」

 

シュラー

「ありがとう。『その日』までには、埋め合わせをさせてほしい」

 

 

 儚げな女が離れていく。

 2本の足で、ごく健康的な足取りで歩いているだけなのに、幽霊のような、魅力とも不気味ともつかない雰囲気を漂わせていた。

 人影の正体ことシュラーは、一度も振り向く事なく窓の外を見下ろしていた。

 アブラクサスの出口を遮るかのように入り乱れる建物群が無ければ、正門広場が見えていただろう地点をジッと見つめている。

 

 

シュラー

「この巡り合わせが必然ならば、私は誰に感謝すべきだろう」

「事ここに及んで……か」

 

 

 

<GO TO NEXT>

 

 

 




※ここからあとがき

・本編について

 どうにもグレモリーの「貴様」呼びは下に見ているニュアンスが筆者の中で抜けきらないので、角を立てない時だけ使っているという事にして、原作で使ってない二人称「卿」を使わせました。ご了承ください。

 幸か不幸か、「あの手の会話」はフィクション以外で出くわした事すら無いもので、ちゃんと雰囲気が出せているかどうか今ひとつ自信がありませんが、大目に見ていただけると幸いです。
 リアル会話能力がトーポで無かったら、一度くらいは戦場の風を感じた事もあったのかも知れませんが……。



・ベレトイベントの感想

 メギドだけを殺す毒かよぉっ!(言ってみたかっただけ)
 私事ですが、ストーリーも固まってない思いつきメギドの中に「アハズ」が居るので、今後書く機会があったら名前を変えないとですね。
 現在のメギド72にはまだ居ないはずの薬師メギドとして考えてました。


・質問箱の感想

 フォラス、そんなに視力悪くなかったんですね。
 まあ前作でクラゲに手こずったのは視力だけの問題でもありませんし辻褄は大丈夫かと。

 ハルファス、育ちが良い枠か……うーん……。
 余りよろしい育ちで無い事にしたのは既に描写済みですが、路線変更なしでこじつけられる範疇に解釈できそうなので、まあ……。

 しかしこのハルファスの仄めかしっぷり、ハルファスのリジェネや過去編が近かったりするんですかね。楽しみやら恐ろしいやら。



・他
 デカラビアと騎士イベとヴェルドレが、今回の話の大体を持っていってくれてる感が……何だこの間の悪さは……。
 何にせよ、しっかり完結まで書いていきたいと思います。
 ウァサゴがメギドラルでも名実共に貴族だったのが一致してたのは幸いでした。


 書きながらも本編を消化していたら、ザガンさんがメギド体を牛扱いされて抗議してましたね……。
 言葉の綾とか文脈という事で何とか……。
 一方、本編のシャックスも地層に知識があって助かりました。
 今、本編はチンタラ進めて例のラスカル達と決着した辺りです。
 ザガンさんの出番もありますし、この先でハルファスの活躍もあると聞いてるので、ちゃんと読み進めないとですね。
 その前にバレンタインイベントも来ちゃいましたが……アラストールさんも推しの1人ですし……。


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2-2前半「ダレカ劇場~深紺型豊導体シーウィード~」

 ライアに案内された『学舎』の一角。ライアと共に階段を登って移動している一行。

 内部は所々、窓が割れたり木の葉が落ちていたりしているが、元の整った内装と相まって、遺跡ともやや異なる幻想的な雰囲気を醸し出している。

 

 

ハーゲンティ

「ふぃ~……階段登るのはメギ……ゲフンゲフンッ!」

「お、同じような階段何度も登るのは慣れてるけど、やっぱ息が上がるぅ……」

 

ライア

「建物がでっかい分、階段の段数も実際多めなんですよねぇ~」

「でも大丈夫です、1週間もすれば慣れますし、連絡橋もアチコチあるんでぇ!」

 

ハーゲンティ

「(うし! 『メギドの塔』って言いかけたの誤魔化せた……あたい、やれば出来る子!)」

 

ハルファス

「連絡橋?」

 

ライア

「建物と建物の間にぃ、橋とか渡してるんですよぉ!」

「その橋にもぉ、ちょっと急ですけど、もっと早く上り下りできる階段とかもあるんでぇ!」

 

ザガン

「そういえば、遠くから見た時にも建物から何か伸びてるの見えてたね」

「あっちに行ったらこっちに出て……何だか冒険しがいがありそうだね。アジ……」

「じ、『地元』にそういうの好きな奴とか結構居たな~、アハハハ……」

「(私、身分隠す方が疲れるかも……)」

 

ハーゲンティ

「でもそもそも、あたい達、どこに向かってんの?」

 

ザガン

「玄関入ってすぐの所で待たされて、ライアが一旦離れて──」

「戻ってきたら早速移動……そういえば目的地とか聞いてないぞ?」

 

ライア

「え……? あ……い、言ってませんでしたそういえばぁ!」

 

ザガン

「あははっ、もう、気をつけてよ。あまり人のこと言えないけど……」

 

グレモリー

「無理も無い。詳細な目的地を話してしまえば、こうして『遠回り』も出来ないのだからな」

 

ハーゲンティ

「へぇ~そんな工夫が……あれ? 遠回り?」

 

ライア

「お……?」

 

グレモリー

「アブラクサスの地形、事前にある程度は覚えて来ている。『学舎』は『寮』を併設していたな」

 

ハーゲンティ

「りょお?」

 

グレモリー

「兵の宿舎のようなものだ。かつて、アブラクサスに留学に来た者たちが寝泊まりに使った」

「『入国』を済ませたなら、まずは居住地の確保。あてがうなら『寮』が妥当だろう」

「一旦、我々を屋内に移動させ、担当の者と我々の部屋の割当を協議。決定次第、案内という所か」

 

ハルファス

「私達の住む所が決まるまで、玄関の広間が待合室代わりになってたんだね」

 

グレモリー

「だが、内装の雰囲気からするに、我々はまだ『学舎』をうろついている」

「最初から『寮』に向かうと言っていたら、とっくに『いつになれば着くんだ』と声が出ていたろうな」

 

ザガン

「えっと……な、何言ってるの?」

「ライアが私達を『寮』に着かせないように、わざと遠回りさせてるって事?」

 

ライア

「いやぁ……お恥ずかしいんですが、実はもう、何度か普通に道を間違えてまして──」

 

グレモリー

「ライア……ジョーシヤナから、会えたらよろしく伝えるよう言付かっている」

 

ライア

「……」

 

 

 先頭に進みながら、申し訳なさそうに頭を掻いていたライアがピタリと止まった。

 

 

ハーゲンティ

「え……え?」

 

ザガン

「あれ……もしかして、まさか?」

 

ライア

「……ジョー……ジョーシヤ~……あ、思い出した!」

 

 

 真剣に考え始めた様子のライアが、振り向いてビシリとグレモリーを指差した。

 

 

ライア

「確か、私が子供の頃に川で溺れた時、助けてもらった人の名前ですよねぇ!?」

 

グレモリー

「来週にでも婚約するそうだ」

 

ザガン

「え、そ、そうだったの!? ていうか何で急にそんな話?」

 

ライア

「……」

「……いやぁ~、どうも『案内』する前からバレちゃってたっぽいですねぇ」

 

 

 バツが悪そうにしながら、ライアは階段の適当な場所に腰を降ろした。

 

 

ハーゲンティ

「ちょ、ちょっとちょっと!? 何が起きてはるんです!?」

 

グレモリー

「みな聞け。慣れない『隠蔽』は、この者の前では無用だ」

「このライアが、私達が潜入後、連携を取る段取りとなっている例の騎士だ」

「既にライアも我々の素性にアタリを付けていた……そうだな?」

 

ハーゲンティ

「おえぇ!?」

 

ライア

「いやはやぁ、おみそれしましたぁ」

「あ、この辺まで『遠回り』すれば、他に聞いてる人も居ないんで安心してくださぁい!」

 

ザガン

「ああ、私達が潜入組ぽかったから、さり気なく人気のない所まで……」

「でも、さっきの婚約とかってのは何?」

 

グレモリー

「『合言葉』だ。よろしく伝えるよう云々から、婚約のくだりまで全てな」

 

ライア

「本当に私と先輩が出会ったのはぁ、騎士団に入隊してからですしぃ」

「で……実際のとこ、どうなんです? ジョーシヤナ先輩」

 

グレモリー

「浮いた話にありつけんことを私にまで愚痴っていた」

 

ライア

「いやー良かった良かったぁ! おかわり無さそうでぇ!」

 

ザガン

「何もそんな身を挺した『合言葉』にしなくても……」

 

ハーゲンティ

「ていうかそもそも、味方の騎士が誰なのか教えてもらえてたら、こんな手間いらなかったんじゃないの……?」

「マムにまで『合言葉』で探させて情報ナシって、何か冷たくない……?」

 

グレモリー

「先入観を避けるためだ」

「予めライアが味方だと知ってしまったら、無意識にライアの前でだけ警戒を解きかねない」

 

ザガン

「それは、ありそうだね……私達、ライアとは赤の他人って筋書きで潜入してるわけだし」

「あのサイティとか、私達がライアと慣れなれしくしてたら怪しんでたかもしれない……」

 

ライア

「私も実はぁ、『合言葉』を言われるまでおくびにも出すなって言われてましたぁ!」

「そもそもどなたが味方に来るのか伝えようにもぉ、外との連絡手段は限られてますしぃ」

 

グレモリー

「たまたま全ての連絡手段が当日に潰れたりすれば計画が破綻する」

「だから誰が来ようと確認が取れるよう、先んじて『合言葉』だけ、確実に用意したという事だ」

 

ザガン

「でも『合言葉』だけじゃ、誰にそれを言えば良いのか分からなくならない?」

「普通は、言う相手の大体の外見とか、少しは伝えそうなものだけど」

 

グレモリー

「『合言葉』の用意だけでも十分という事は、『騎士』の方から帳尻を合わせられるということだ」

「向こうから新入りに接触し、しかもそれが怪しまれない立場にある」

 

ライア

「手始めに、私が入国審査担当の週に潜入してもらえるよう、調整したってわけですよぉ!」

 

グレモリー

「後は好意的に接してくる者に、『知人の知人かもしれない』というていで『合言葉』を言えばいい」

 

ザガン

「それでもリスクありそうだけど……隠し通す方が大事ってこと?」

 

グレモリー

「もう少し素人向けの合流手順も用意できたのかもしれないが……原因はサイティだな」

「シュラーの影響力を考えれば、サイティがシュラーの椅子を狙って一方的に喧嘩を売っている構図だろう」

「私たちの潜入以前からライアは、サイティが潜入の妨げになると王都に警告していたはずだ」

 

ハーゲンティ

「それで、何であたい達の潜入が難しくなるんです?」

 

グレモリー

「一方的な敵視を続けていると、精神が『ささくれる』」

「些細な事まで敵への憎悪に繋げようと考えたがり、誰彼構わず牙を剥くようになるものだ」

 

ザガン

「シュラーとの椅子取り合戦でピリピリしてるから、何でも疑ってかかっちゃうって感じ?」

 

グレモリー

「うむ。単に我々とライアが早くに打ち解けたというだけでも、奴らを刺激しかねない」

「ライアがサイティ派で無い以上、『まとめて敵につく』という懸念も湧くだろうからな」

 

ライア

「私って立場的にぃ、ややシュラー寄りって事になっちゃうのでぇ……」

 

ザガン

「あー……それは、気をつけて正解だったかもね」

 

ライア

「でもぉ……何で私、ソッコーで正体がバレちゃったんですかねぇ?」

「これでも一年以上も素性隠し通せてるのに、まさかこんなアッサリと……」

 

グレモリー

「1年経っても、騎士の心得を忘れていないのは良い事だ」

「行住坐臥、所作の1つ1つに、鎧と武器を常備する者特有のクセがある」

 

ライア

「えぇぇ!? マ、マジですかぁ……気をつけてたのにぃ」

 

ザガン

「よ、よく分かったね……」

 

グレモリー

「日頃から私兵どもと稽古を交わしていたからな。視点の違いだ」

「後は……個人的な勘か」

「私の経験上、『力』の無い者が、こういった場でライアのように振る舞うのは難しい」

 

ハーゲンティ

「こういったって……どういった?」

 

グレモリー

「老若男女で普遍に起こる事だが、悪目立ちする例は、女ばかり取り沙汰される印象がある」

「変化に乏しい日常、降りかかる不文律……要するに閉鎖的な環境においては──」

「ライアのような快活に振る舞う者ほど『浮く』んだ。とかくウケが悪い」

「影に日向に嫌がらせが降りかかり、露骨な集団暴力に発展する事も珍しくない」

 

ザガン

「そんなまさか……パッと見た感じ、ライアって人好きするタイプじゃない?」

「むしろそんな事する人の方が珍しいくらいじゃ──」

 

ライア

「……」

 

ザガン

「ラ、ライア……? な、何でそんなに目泳がせまくって……」

 

ライア

「は……あはは……な、なんでも無いんですよ……なんでも……」

 

ザガン

「(ほ、本当に何かあったっぽい……)」

 

ハーゲンティ

「はは……」

 

ザガン

「(ハーゲンティも!?)」

 

グレモリー

「特にここは、『悪化』しやすい環境が整っている」

「住民はシュラーに善悪を依存する事で、己の悪意を省みる判断力を衰えさせているし──」

「サイティが率先して出る杭を打ち、生き馬の目を抜いて空気を殺伐とさせてゆく」

「思い通りの立場を得る『力』が無ければ、ライアのようには生きてゆけん」

「あからさまな地位もなく『そうできる』という事は、溶け込むための『技術』を持つと考えたのだ」

 

ザガン

「敵地の潜入に選ばれた騎士だから、ギスギスした場所もやってこれたって事か……」

「一応、分かった。ちょっと、私には信じられない話だけど……」

 

グレモリー

「縁が無い話だったなら何よりだ。だが……少し話を逸らすぞ」

「例えばこんな時、何と答える?」

「ヴァイガルドとメギドラルの対立を知った、とある無関係のヴィータが居たとする」

「そのヴィータが、『残酷な殺し合いなど絶対にダメだ』と我々に抗議してきたら?」

 

ザガン

「それは……言いたい事には同感だけど、そうも言ってられない状況なわけで……」

 

グレモリー

「生きとし生ける物、誰も皆、手を取り合い語らえば笑顔で共存できる未来が必ず来ると言われたら?」

 

ザガン

「へ……い、いやいやいや」

「いくら何でも、それは流石に『無い』よ……誰だって『無理』なモノの1つや2つあるもんだし」

「本気で言ってるんだとしたら……も、物語とかお芝居の見すぎじゃないかなって思う」

 

グレモリー

「だがその物語や芝居……本来、ヴィータや世界の『あるべき』姿を伝える物が一般的だな」

「少なくとも、観賞者に夢見がちな嘘を吹き込み、他者の嘲笑を浴びるよう仕向けるためではない」

 

ザガン

「それは……そうだろうけど……け、結局、何が言いたいのさ!?」

 

グレモリー

「『如何ともし難い』と言いたい」

「貴様が信じ難いと評する者たちは、他者が『自分のように』薄汚れていない事が不愉快でならない」

「だから『純粋』を『愚か』としたがる。世界の真実を知らぬ、夢と現実も分からぬ幼稚な存在だとな」

「薄汚れた自分達こそ『正しく』、御伽噺の正義や幸福など欺瞞であって『くれねば』ならない」

「メギドラルの惨さも知らずに争いだけを糾弾するヴィータに貴様が思ったソレ……その先にある感情だ」

 

ザガン

「……」

「分かった……私にとって、どんなに信じられない事でも──」

「『私とは関係ない』って事は絶対ない……って言いたいんだよね?」

 

グレモリー

「よろしい。念頭に置く程の必要は無い。貴様の『猛進』は美点であり、『勝算』だからな」

「だが頭の隅には置いておけ。無用に『衝突』する前に、なすべき事を考える助けにはなるはずだ」

「ともすれば、アブラクサスの火の粉が図らずも私を飛び越え、いつ貴様らに降りかかるとも限らん……」

「貴様はこの中で、私に次いで年長者だ。その時は貴様が守れ……良いな?」

 

ザガン

「う、うん……」

「(グレモリー、怖がってる……? ううん、そんなのありえない)」

「(『何か』知ってるんだ。ここには『とんでもないもの』があるって)」

「(取り巻きの挑発なんて比じゃない、絶対に冷静でいられなくて、格好悪い選択しちゃうような──)」

「(それか、私達が巻き込まれたら、何か取り返しのつかなくなる罠とか……)」

「(多分、ガブリエル達が怪しい事とも関係ある)」

「(でなきゃ、流石にちょっと『変』だよ。ソロモンが居ないからって、こんなに私達を『心配』するなんて)」

 

グレモリー

「さて……ライア、話はひとまず切り上げだ」

「まずは最短経路で部屋まで案内しろ。その後、改めて任務について打ち合わせる」

 

ライア

「あ……は、はぁい!」

「いやぁ~気まずかったぁ……」

 

ハーゲンティ

「いやぁ~ほんとほんと……でも、あたい達もマムに負けないくらいちゃんと頑張んないとね!」

 

ザガン

「(立ち直り早いな2人とも! さっきまで古傷抉られたみたいになってたのに……)」

 

ハルファス

「ハーゲンティのああいう所が、ソロモンさんのよく言う『勝算』なのかな?」

 

ザガン

「ふふっ、そうかもね……」

「って、あれ、私、口に出しちゃってた!?」

 

ハルファス

「? なにを?」

 

ザガン

「あ……ああいや、何でもないよ。たまたま似たようなこと考えてたからつい……」

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 少しして、アブラクサス学生寮。

 個室が居並ぶ廊下は、突き当りにしか窓が無く薄暗い。

 一つ一つの個室の扉に、油性の塗料で通し番号が描かれている。

 

 

ライア

「ではぁ、ここからスタートしてぇ、1、2、3、4つ!」

「ギーメイさん、カリナさん、チータさん、サシヨンさんの順で、お使いくださぁい!」

「あ、基本的にお掃除とかはしてないんで、その辺は、せるふさ~びすでぇす!」

 

ザガン

「まあ、それは仕方ないか。廃墟をそのまま間借りしてるわけだし」

 

ハーゲンティ

「うーん、鍵は壊れちゃってるかぁ……まあ盗まれるような物なんて1つもないけどね!」

 

ライア

「鍵は敢えて付けて無いそうなので、そっちも、せるふせきゅりてぃ~でぇす!」

「鍵なんて残ってないってのもありますけど、古い場所なんで、もしもの大事故が1番怖いって事でぇ」

 

グレモリー

「だろうな。この環境では、搬送の必要な急病人が出る恐れも少なくあるまい」

「何より、粗末な鍵で密室が作られては、却って危険な場合もある」

 

ザガン

「(押し入ってきた強盗に中から鍵かけられたら逃げられないとか、かな……ゾッとするなあ)」

 

グレモリー

「住民の住居は、この『寮』に集約される形か?」

 

ライア

「いえぇ、他にも昔の宿屋とか、色んな施設の詰め所や宿直室とかぁ──」

「そういった住めそうな場所をリストにまとめて、その時々で割り当ててる感じですねぇ」

 

グレモリー

「わかった。では次、貴様に緊急の用件がある時はどうすれば良い?」

 

ライア

「私の個室はこの真上の階の廊下一番奥なのでぇ、直接で大丈夫でぇす!」

「しばらくは私が皆さんの生活補助を担当するので、その間は気軽に来てもらってお~け~でぇす!」

 

グレモリー

「(真っ直ぐにライアに会いに行っても、『相談』という体裁なら怪しまれないというわけか)」

 

ライア

「ただぁ、個室に居ない時は、別の方を見つけて取り次ぎお願いしまぁす」

「インフラ整備の手伝いで『給水棟』の方に籠もりっきりの時がありますのでぇ」

 

ハーゲンティ

「きゅーすいとー……」

 

グレモリー

「例の水路の流れ着く先だ。かつて水の分配を管理し、有事に備えて貯水槽も設けていた施設らしい」

 

ハーゲンティ

「なるほど! お水の確保は大事だもんね!」

 

ザガン

「じゃあ、その貯水槽の修理とかかな。騎……『仕事柄』、肉体労働は得意そうだもんね!」

「(あっぶな! ライアの素性言いかけちゃった……誰も聞いてない時でも気をつけないと)」

 

ライア

「いっえ~す! トンテンカントンの毎日でしてぇ」

 

ハルファス

「……?」

 

ハーゲンティ

「む! ハルちゃん、何か『意見』があると見た!」

「大丈夫、言っちゃって言っちゃって!」

 

ハルファス

「あ、うん。じゃあ、言うね」

「ライア……何だかソワソワしてる気がする」

 

ザガン

「ソワソワ?」

 

ライア

「あ……またまたバレちゃいましたねぇ」

 

グレモリー

「今度は私が見抜けなかったか。見る限り、ライアは普段から身振りが多いようだったからな」

 

ザガン

「なになに? 用事とか?」

 

ライア

「実は、この後ぉ、皆さんの生活を手解きする準備とかをまとめなくちゃでしてぇ……」

 

ザガン

「お、お仕事他にもあるなら早く行きなって! 気にしなくて大丈夫だから!」

 

ライア

「時間はまだあるんですけどぉ……『秘書』さまやサイティさまに報告とか必要で……」

 

ハーゲンティ

「あ~~……さっきのアレの後じゃ気まずい」

 

ライア

「それに『秘書』さまが、誰にでも手厳しい人で……お仕事届けるのが毎度、憂鬱なんですよぉ」

 

グレモリー

「『秘書』は上司として幼稚な部類のようだな。萎縮させるばかりでは人は育たんというのに」

 

ライア

「幼稚も何も……あいえ、愚痴なんて、らしくないですよねぇ!」

「それじゃあ、お言葉に甘えて行ってきまぁす! 他に質問とか無ければぁ!」

 

ザガン

「それでも、ちょっとでも先延ばしにしたいんだね……」

 

グレモリー

「では、最後に1つだけ、手短に聞いてやろう」

「ごくごく大まかで良い……貴様から見たアブラクサスの情勢、要点があれば話せ」

 

ライア

「う、う~~ん……要点、と言われましてもぉ……」

 

グレモリー

「膨大な情報を引き出す苦労は私にも分かるが──」

「サイティが踊ってくれたとはいえ、絞り込むには我々も知らぬ事が多すぎる」

「例えば……ここで『活動』するにあたって、最低限の注意事項などあれば頼む」

 

ライア

「では、そうですねぇ……」

 

 

 口の横に手を立てて、ヒソヒソ話の声になるライア。しかし音量は十分大きい。

 

 

ライア

「住民の方と『お付き合い』するためにも、『派閥』の事だけぇ」

 

ザガン

「『派閥』……サイティ派とシュラー派に別れてるっぽい話?」

 

ライア

「はい。それともう一つ、『中立派』……もっと言っちゃえば『事なかれ派』がいるんですよぉ」

 

ハーゲンティ

「事なかれ……平和っぽい感じ?」

 

グレモリー

「恐らく、平和というより『逃避』だな」

「両派閥の動向を見守るでもなく、折衷案を模索するでもなく、ただ興味がない……そんな所か」

 

ライア

「はいぃ。強いて『どっちか』と言えばシュラー派なんですけどねぇ」

「シュラー派が『シュラー様さえ居れば何でも大丈夫!』って人たちなんですがぁ──」

「『事なかれ』は、『亭主元気で留守が良い』と言うかぁ、そもそも指導者に興味無いと言うかぁ」

 

ザガン

「ん~……ダメとまでは言わないけど、感じ悪いなあ……」

「まあ、こんな所に落ち延びた人たちだから、生活で手一杯なのも無理ないけど」

 

ハーゲンティ

「え、か、感じ悪いっすか……?」

「あたい、お金とご飯が貰えれば、偉い人が誰かとかあんまり気にならないけど……」

 

ザガン

「だって今聞いた感じだと、ハルマゲドン目前でヴィータ皆で乗り越えなきゃってなった時──」

「『ハルマゲドンも嫌だけど、世界を守るのもそっちで上手くやっといて』って感じじゃない?」

 

ライア

「あ~それです、それ!」

 

グレモリー

「安定は欲しいが、有事に抗う気力は無し。そもそも『有事』そのものが疎ましい──」

「ザガンの肩を持ちたい所だが、『事なかれ』の思想こそが世間では『普通』だな」

「だが『安心感』を提供できればシュラーからも容易く引き離せる。味方にするならうってつけだ」

 

ライア

「はいぃ、そんなわけで一長一短って感じですねぇ」

「中には『サイティ派みたいな後ろ暗い事したくない』って人もいますしぃ」

 

グレモリー

「(……ん?)」

 

ライア

「それにシュラー派の中には、もっと消極的な人も居ますからねぇ」

「シュラーに頼りすぎておんぶに抱っこで、考える事もやめて完全に自立する気が無いって意味でぇ……」

 

ハーゲンティ

「うぅ……心当たりがある……」

「あたいも、お金持ちの家で食っちゃ寝するだけでお金がもらえる仕事が欲しい……!」

「でもそれだけは……それだけはダメなのよハーゲンティ!」

「終わっちゃう! ヴィータとしても、メギドとしても!!」

 

グレモリー

「最近、聞いたな……。どこぞの領主の息子が、親の脛を齧り続けて今年で3──」

 

ザガン

「と、とにかく、アブラクサスで合う人達は、その3種類のどれかって考えとけば良いんだね!?」

 

ライア

「はいぃ。それも、厄介事を避けて本心隠してる人も少なくないのでぇ──」

「『聞きたい事』がある時はぁ、デリケートな話題は気をつけるのが1番ですよぉ」

 

グレモリー

「実際にアブラクサスの内情を探るなら、まず信頼関係から築かねばならんという事だな」

「身分を偽り、咄嗟の演技も苦手なメンツで、ハナから期待などしていなかったが──」

「聞き込みでの調査は原則、下策か。皆も心しておけ」

 

ハーゲンティ

「イエッサー! 向こうから聞かれるまでシュラーの事とか考えずに居れば大丈夫ッす!」

 

ハルファス

「多分、大丈夫……かな? 何を話せば良いか、よく分からないし」

 

ザガン

「消極的だぁ……」

 

グレモリー

「さて……ひとまず十分だ。今度こそ、遅れる前に行ってこい」

 

ライア

「あうぅ……はいぃ、お達者でぇ~……」

 

 

 ふわふわした走り方で消極的に去っていくライア。

 

 

ザガン

「お仕事、大変そうだねえ……」

「お偉方も、サイティみたいな生活できてるんだろうし、もうちょっと丸くなったげても良いのにね」

 

グレモリー

「衣食を着飾っても、資源と『法益』の欠如は補いきれんものだ」

「どう足掻いても、ここの生活水準は寒村にさえ劣ってしまう。誰も皆、気が立っているのだろう」

「これが健全な共同体だったなら、シュラーを支えとした忍耐の時代だったろうがな」

 

ザガン

「シュラーじゃなくてバフォメットが来てたら幸せだったかな?」

 

グレモリー

「何とも言えんな。条件が違いすぎる」

「それに、ある意味バフォメットにも並ぶ才能が長に君臨しては居る……手段を選ばん長だがな」

 

ザガン

「それだけで何もかも台無しだねえ……」

 

ハーゲンティ

「うおっほーーーうっ!!!」

 

ザガン

「な、何だ何だ!?」

 

 

 ゴウケツのような雄叫びに振り向くと、辛抱たまらなくなったハーゲンティが、割り当てられた己の個室の扉を開け、室内に向かってガニ股で両腕を掲げていた。

 

 

ハーゲンティ

「アジトの個室よりベッド3つ分くらい広い! これがタダ!?」

 

ザガン

「いやいや、アジトの個室もタダだって」

 

グレモリー

「それにタダではない。恐らく明日明後日にでも、労務でもってアブラクサスに還元する事になる」

 

ザガン

「(領主様だけに指摘が細かい……!)」

 

グレモリー

「まあ、今はハーゲンティに倣い、目の前の事を片付けるのが先決か」

「まずは各々の部屋を確認しよう。最低限の点検はしてあるだろうが、万一という事もある」

「部屋の老朽化の程度、武器等の貴重品の保管場所、そして念の為、罠の類が無いか確かめておけ」

「ハルファスは、『わからない』事があればひとまず室内で待機だ」

 

ザガン

「じゃ、こっちの部屋の片付け終わったら、一緒に使い方考えてあげるからね、ハルファス」

 

ハルファス

「うん、分かった。待ってるね」

 

ザガン

「さーて、私の部屋は……」

「お、ハーゲンティの言う通り、広さだけならお高い宿屋にも負けてないんじゃない?」

 

 

 それぞれが個室に入り、扉越しに思い思いに反応する音を聞き届けるグレモリー。

 直ちに事件が起きることは無さそうだと確認し、扉の取っ手を握りながら、逡巡する。

 

 

グレモリー

「(考えすぎ……か?)」

「(ライアは『事なかれ』について、サイティ派のような後ろ暗い事は『したくない』と評した)」

「(正門広場で恫喝された取り巻きの怯えようからして、明らかにサイティは『している』──)」

「(『殺し』か、それに準ずる所業を容易く。逃げ場の無いこの地では、邪魔者は消すしか無いからな)」

「(だがあの時、『事なかれ』を説明するライアに気にかかる点は無かった)」

「(そう、『誇張』や『思い込み』も無い。自信をもって『したくない』の評価を下した)」

「(しかも、ライアの『している』という確信を『事なかれ』も理解しているニュアンスを感じた)」

「(……サイティが殺しを働いたと信じるに足る根拠があり、それを『事なかれ』も認知している?)」

 

 

 先のライアの言葉通りなら、事なかれ主義の中には、「サイティのような事はしたくない」という理由で、やや反サイティ側の人間も一定数居る事になる。

 そして、事なかれの一部が持つ「サイティのような事」……即ちサイティ派が殺人に類する犯罪に手を染めているという「情報」を、ライアはデマや思い込みではなく、事実だと結論している事になる。それは同時に、その確かな根拠、あるいは証拠をライアが握っている事をも意味する。

 

 

グレモリー

「(しかしそれなら本来、ライアはその事をさっきの時点で打ち明けていなければならない)」

「(いや、それどころか、この1年の手紙で報告しているはずだ。そうあるべきだ)」

「(王都の代表たる我らが、如何なる理由でも手を取り合ってはならぬ存在……犯罪者なのだから)」

「(しかし実際は、ライアからこれまで、サイティの犯行を断定する情報は出てきていない)」

「(思い過ごしでないとしたら……事が発覚し、サイティに抹殺される事をライアが恐れている……)」

「(あるいは……ライアに思惑があり、私達を『泳がせ』ようとしている……?)」

 

 

 目を閉じ、軽く深呼吸するグレモリー。改めて取っ手を握り直す。

 

 

グレモリー

「(無駄だな。勘が冴えた所で、私に頭脳派メギドらのような真似はできん)」

「(ソロモンの支援も無い……ならば取るべき選択は1つ)」

「(4人の力で、守り、突き進むだ、け……!?)」

 

 

 扉を引き開けようとして、固まるグレモリー。

 入り口が「ガタッ」と鳴って、何かに引っかかるように揺れただけだった。

 

 

グレモリー

「(開かない……? 鍵は無いと聞いたはずだが……)」

 

 

 もう一度、ザガン達がそうしたのと同じように、扉を引いた。逆に押してみた。結果は同じだった。

 

 

グレモリー

「(……いや待て、この手応えはもしや……!)」

 

 

 扉を手前では無く、横に引くグレモリー。

 ゴロゴロと音を立て、扉が壁の間に設けられた穴に収まっていく。

 

 

グレモリー

「フッ……やはり引き戸か」

 

 

 扉の装飾は他と変わりないのに、この部屋だけ勝手が違うようだ。

 お茶目な個室のベールを取り払い、グレモリーは何だか勝ち誇った顔になっていた。

 キリリと個室の内装を見渡し……グレモリーの表情が固まった。

 

 

グレモリー

「……しまった」

「扉の説明が無かった……つまり把握していなかったなら、当然の結果か……」

 

 

 部屋の窓は、真っ黒に劣化した板で目張りされていた。

 扉を開いた勢いで舞い上がった埃が、板の隙間から溢れる光でチラチラと輝いていた。

 部屋の隅に、殆ど棒だけになったモップと、まだ使えなくも無さそうな木のバケツが、忘れ去られたように立て掛けてあった。

 

 

グレモリー

「扉の違いから考えて、ここはかつての備品室……というより、用具入れだな」

 

 

 奇跡的にベッドが置いてあるのは、たまたま余った物が運び込まれたためと思われる。骨組みはともかく、マットもシーツも実用に耐えそうにない。

 

 

グレモリー

「明らかに、居住可能か確かめていないな。手違いか、サイティの根回しか……?」

「まあ、そんな事は取るに足らんが、しかし……」

 

 

 柄にもなく、尖らすように口を結んで、小さくため息をついた。

 室内は若干、カビ臭い。

 

 

グレモリー

「弱った……ここまでの大掃除は、アジトでも学んで来なかったな」

 

 

 

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 

 

 

 同日の昼下がり。一般の生活なら、茶でも飲みながら、もう幾らかで夕方と呼べそうかという頃合い。アブラクサス敷地内の一角。

 

 

ザガン

「そういえばさー」

「新入りが『入国』したら、初日は外出さえしてれば後は自由行動……ってのは分かるよ?」

「アブラクサスの雰囲気に慣れたり、こうやって歩けば土地勘付けたりもできるし」

 

 

 テレツク歩くザガン。

 高層建築の居並ぶアブラクサスにしては、だいぶ開けたのどかな光景。

 道の脇には開墾された畑が並んでいる。

 所々に木々を伐採した痕跡や、雑草混じりの土が見て取れる。本格的な農場ではなく、後から急造したもののようだ。

 

 

没個性な女

「そうよ。行きたい場所や道のりが気になったら、遠慮なく近くの人に聞いてね」

「こんな時間にブラついてる人なんて、ここじゃ病人と新入りしか……、あ、その次を右ね」

 

呑気な女

「ま、明日から早速お仕事探してもらう事になるんだけどね~」

 

生真面目な女

「でも、さっきも言いましたけど、入っちゃいけない所もありますからね。気をつけてください」

 

ザガン

「うん、ちゃんと聞いてたから大丈夫」

「でも……素直にありがたいとは思うんだけど、さ……」

 

 

 か細い用水路の支流と、その上を通る無意味そうな程に短い橋をヒョイと一足で跨ぐザガン。

 老農夫が引くラバのような足取りを止め、畑の間に植えられた低木から威嚇してくるカマキリと笑顔でにらめっこしていたザガンが、遠慮がちに振り向いた。

 

 

ザガン

「最初に見どころ情報教えてもらってから君たち……いつまでついてくる気?」

 

没個性な女

「あ、ごめんなさい。静かな方が良かった?」

 

呑気な女

「わかる~。散歩も昼寝も一人のほうが良いよねぇ」

 

生真面目な女

「そんな寂しい事してちゃいけません! 人は一人じゃ生きていけないんですよ?」

「やっぱり初対面で、この距離は馴れ馴れしかったんですよ。まずはちょっと離れて見守って──」

 

ザガン

「いや、迷惑じゃあないけどさ……何か、気まずいっていうか……」

「っていうか、質問に答えてよ。私についてきてるの? それとも道が同じなだけ?」

 

生真面目な女

「それも途中で説明したはず──」

「まさか……ちょっと、ふたりとも~~?」

 

没個性な女

「あ、ごめん。私たちのどっちかが説明する段取りだったっけ?」

 

呑気な女

「命令した方だって気付いてなかったんだしノーカンノーカン、はっはっは」

 

生真面目な女

「ああんもう! ちゃんと言われた通りに動いてよぉ! それに命令じゃない!」

「はぁ……ごめんなさい、私から説明します」

「私達、一言で言えば……カリナさんの『お目付け役』です」

 

ザガン(カリナ)

「お目付け役……?」

 

 

 疑問符を付けながらも、単語から3人娘の目的を何となく察するザガン。

 カマキリに手を差し出して十数秒後、カマキリがユラユラ擬態しながらザガンの掌に乗っかった。

 

 

生真面目な女

「こうして一緒に歩く事で、カリナさんと絆を深めるのが私達のお仕事なんです!」

 

呑気な女

「そんなん業務内容に書かれてないよ~?」

 

没個性な女

「新入りさんの道案内と、やっちゃマズイこと止めるのと、あと適当な話し相手でしょ?」

 

生真面目な女

「いいえ! そんなのは上辺です! 心細い新入りさんの救いの手となる尊いお仕事なんです!」

「辛い思いをしてきた女性同士、励まし合い、パートナーとなり、やがて世界に愛の輪を──!」

 

没個性な女

「ま、まあ、そういうわけだから。変な事しようってんじゃないから安心して?」

 

呑気な女

「鬱陶しかったら無視して大丈夫だよ~。道案内だってそのへんの人に適当に……ってさっき話したか」

 

生真面目な女

「こら! 今マジメな話してるんですよ!?」

 

没個性な女

「はいはい、私が聞いてあげるから……」

 

ザガン

「あ~……うん、だいたい分かったよ。ありがと」

「じゃあ、たまたま私が人に聞こうとしたタイミングで、君たちが合流した感じ?」

 

呑気な女

「うん。私は前にも新入りさんの『お目付け役』やった事あるけどね~」

「初日から女三人で近づいて来るのに、全然気にしなかったの、あなたが初めてだね~」

 

ザガン

「あ……あはは、いつだって真っ向勝負が私の取り柄だからね」

「(そういえば、アブラクサスに来る人って、大体は『ワケあり』なんだった)」

「(考えもしなかったけど、大勢でやってくるってだけで、怖くなっちゃう人も居るよね……)」

 

 

 そんな事を考えていたら、肩口が少しむず痒くなるザガン。

 カマキリが腕を登っているのをすっかり忘れていた。

 背中に回られると、見失った拍子にカマキリを危険に晒しかねないので、カマキリを胸元の方に誘導するザガン。何故だかレラジェとピーターを思い出した。

 

 

ザガン

「そういう事なら、遠慮なくこっちも頼らせてもらうよ」

「で……まあ、『見晴らしの良い所』って事で、『農場』に案内してもらったわけだけど」

 

呑気な女

「元は『自然公園』だったから、本場の農家みたいな立派なもんじゃないけどね~」

 

没個性な女

「そうでなくても、大地の恵みが無いから、こう……」

「パッと見ても『実りの感動』みたいなのも薄いのよねえ」

 

生真面目な女

「ですが、この私を始めとした女性達が慈母のように愛情込めて育ててますから大丈夫です」

 

ザガン

「今は、人っ子ひとり居ないみたいだけど?」

 

生真面目な女

「農作業班はこの時間、おやつ休憩中なんですよ」

 

没個性な女

「大地の恵みが無い食べ物じゃ、特に肉体労働は身が入りきらないからね。回数で補ってるの」

「ここは広いから、仕事場ごとに幾つか食堂作って、殆どの住民はそこで食事してるわ」

 

生真面目な女

「後で、最寄りの食堂にも案内しますから楽しみにしててください」

「甘い物もあるんですよ。『外』に比べれば、まだまだささやかなモノですけれど」

 

ザガン

「そうだった、ご飯は大事だね。ハー……『サシヨン』が特に気にしてたし」

「(う~……改めて他人相手にメギド仲間を偽名で呼ぶと、罪悪感が……)」

「(ハーゲンティは本名で呼んでも大丈夫な『筋書き』だけど、油断しちゃいけないし)」

「(こういうの、私に向いてないよな……いやいや、もう始まってるんだから、止まるな私!)」

 

呑気な女

「ふっふっふ……新入り恒例の『一口目の顔』が楽しみだよ~……」

 

ザガン

「一口目の顔……あー、食べ物も基本的にココで作ってるはずだもんねえ」

「おわっぷ……ははっ、このコってば中々恐れ知らずだなあ」

 

 

 カマキリがザガンの顔面を横断しながら山なりに反対側の肩へ移動していった。

 会話の合間に、ザガンは移動中のカマキリに指でちょっかいをかけていた。

 しかしカマキリは威嚇もせず、普通に指を避けて移動し続け、その末の経路だった。

 体に登った時点で敵でなく障害物として認識されているのがちょっと残念そうなザガン。

 

 

呑気な女

「何ていうかね~、『うっすい』んだよね~。味でも香りでも無く……『満足感』?」

 

生真面目な女

「心配ありませんよ。なんたって、ヴィータには『心』がありますから」

「『心』を込めれば何でもできるんです。いずれ野菜も私達に応えて自ら美味しくなります」

 

ザガン

「す、すごい熱意だね……」

「(ヴィータじゃなくても『心』くらいあると思うけど……言うだけ野暮だよね)」

 

没個性な女

「輸入品とかで、ちゃんとした食べ物も手に入ったりはするけど──」

「そういった『ごちそう』を私達が食べれるのは、今夜の『パーティー』とかくらいね」

 

ザガン

「パーティー?」

 

没個性な女

「シュラー様と私たちとの交流を深めるための『定例パーティ』よ」

「参加も途中退場も自由、そしてナマのシュラー様とお話したりダンスしたり……♪」

「もちろん、新入りのあなた達も即日参加オッケーよ!」

 

ザガン

「お、おお……(すごいウットリしてるな……)」

「(とにかく……早速シュラーに会うチャンス来た?)」

 

 

 カマキリを肩から外し、両手の甲を端から端へ継ぎ足して延々歩かせていたザガンが、手を止めて、ちょっと反応に困りながら笑顔で応えた。

 

 

ザガン

「で、でも良いのかな……パーティーって聞くと緊張しちゃうって言うか……」

「(グレモリーに警告されたばかりだし、慎重に考えた方が良いかもだしなあ)」

「(説明してくれてる時、顔がフルーレティの新作読んだアンドロマリウスみたいだったし)」

「(『シュラー様、万歳!』みたいなパーティーだったら、変に浮いたりして後が怖そう……)」

 

生真面目な女

「大丈夫ですよ、身構えなくても。別に何か決まりがあるとかじゃありませんから」

「誰だって、ろくに知りもしない方を崇めろなんて無理な話ですからね」

「『普段』よりは美味しいものを食べられるとかのつもりで、気軽に参加してください」

 

呑気な女

「うんうん、私も8割くらいご飯目当てだからね~」

 

生真面目な女

「あなたはもうちょっとシュラー様の愛に目覚めて」

 

没個性な女

「とにかく、そんな感じで特別な日にはマトモな食材にありつけるけど──」

「普段の私達は、野菜を育てる所から調理するまで、『こんな感じ』って事──」

 

 

 言いながら、没個性な女が歩き出す。

 向かったのは、道の端に立っている飼い葉桶に似た奇妙な石造りのオブジェ。簡素な木製の「ひさし」が設けられている。

 オブジェに被せられた木の蓋を取り、脇に積まれた同じく木製の椀を取り、オブジェの中に突っ込むと「ざぶり」と音を立てた。

 引き上げられた椀の中は、なみなみと水で満たされている。

 神社の手水場に近い構造の物体だが、ザガンの知る限り、ヴァイガルドで類似した物に覚えがない。

 椀を持って没個性な女が戻ってきて、ザガンに椀をずいと突き出した。

 ザガンは、カマキリが手の甲から進路を変えて腕に登り始めたのを再び手の甲に戻そうとして、しかしカマキリが己の足元に差し出される手の甲を避けまくるので悪戦苦闘していた所だった。

 

 

没個性な女

「飲んでみて。お近づきの印に『予習』させてあげる」

 

ザガン

「えっ!? の、飲めって……」

「これ、作物に撒くための水じゃ……大丈夫なの?」

 

没個性な女

「と、思うでしょ? さっき水を汲んだアレは、昔からある公共の水飲み場なの」

「まあ残骸同然だったから、後から蓋とか『ひさし』とか作ったけど、水質だけは心配無用よ」

 

呑気な女

「アブラクサスはデッカい『水路』のお陰で、飲み水だけは困らないんだよね~」

 

ザガン

「そ、そう? じゃあ、まあ……」

 

 

 恐る恐る両手で椀を受け取るザガン。

 一杯に注がれた水が受け渡しの振動で溢れ、ザガンの手を濡らした。

 いざ飲もうとした所で、カマキリが腕を登っているのを思い出し、指でそっと捕獲してから椀の水を飲んだ。

 2,3口、喉を鳴らしたあたりで、萎れるように静かに椀から口を離した。

 

 

ザガン

「ふぅ……冷たくて気持ちいいけど……なんだこれ?」

「すごく……すごく、『物足りない』……」

「(夢の中で水のんだみたいな気分……)」

「(口も喉も潤ったはずなのに、むしろ渇きを実感させられてるみたいな……変な感じ)」

 

没個性な女

「ふふっ、でしょ? 水にも殆ど大地の恵みが溶け込んでないらしいの」

「でもすぐ慣れるわ。キレイな水には変わりないんだから」

 

呑気な女

「うんうん、これ味わって初めて私らの仲間ってとこまであるからね~」

 

ザガン

「あはは……確かに、そのくらいの驚きはあったかも……」

 

 

 手に移したカマキリは今度はじっとしている。

 ザガンの手に付いた水滴を飲んでいるようだ。

 衣装の手袋のお陰で、肉まで噛まれる心配は無さそうだ。

 

 

ザガン

「(ソロモンが、フォトンは足りない土地を補うように流れてくみたいな話してたっけ)」

「(って事は、フォトンの無い水が体に入って、体内のフォトンが水の方に『流れた』?)」

「(だから、水で潤っても、フォトン的には『渇いてる』感じがするのかも──)」

「(……あれ? でも待ってよ、そもそも──)」

 

 

 遠くの景色を見回すザガン。

 建物の空気の層の隙間から、潜入前にも見た例の水路を見つける。

 

 

ザガン

「ねえ、この水って、あの長~い『水路』から引いてるんだよね?」

 

没個性な女

「ええそうよ。その水を給水棟で受け取って、貯水槽に常に新しい水を貯めて──」

「貯水槽が一杯になってから、溢れる分をアブラクサスの上水道に供給してる感じ」

 

生真面目な女

「最初は上水道の清掃と修理からコツコツ初めて、今ではこれだけ住みよい場所になったんですよ」

「この偉業こそ、まさに人類愛! シュラー様の御心と私たちの善性を証明するものなのです……!」

 

ザガン

「へ……へえー、大地の恵みが無くても、何だかんだですごいスケールなんだね」

「(ダメだ……この人達には当たり前になりすぎてて、多分『気付けない』)」

 

 

 アブラクサスへ向かう道中を思い返すザガン。

 水を飲み終えたカマキリが、ザガンの手からワキワキと脱出している事にも気付いていない。

 

 

ザガン

「(水路の水は、うんと遠くの渓流から引いてるって聞いてる)」

「(私にだって分かるよ……それならフォトンは『含まれてる』はずじゃないか)」

「(私たちが馬車で移動する間でも、戦える程度にはフォトンが確保できてたんだから)」

「(もっと遠くの渓流にはアブラクサスの枯渇の影響なんてあるわけない)」

「(ちゃんと水も届いてるなら、地平線の向こうの水源に大きな変化は無いって事だ)」

「(つまり……どこかでフォトンだけ『抜き取られてる』? 後でグレモリーにも伝えないと)」

 

呑気な女

「? どしたの~、考え込んじゃ……プククッ!」

 

 

 怪訝そうな顔をしていた呑気な女が吹き出した。

 

 

没個性な女

「あ……ふふっ、カリナさん、頭、頭」

 

生真面目な女

「あらあら、格好いい事になってますね」

 

ザガン

「んぇ? 頭……?」

 

 

 我に返ったザガン。

 ザガンはまだ気付いていないが、慣れない思考を巡らせている内に、カマキリがザガンの肩へ、後頭部へと登りつめ、ハットの頂上に到達していた。

 何に対してなのか、両腕を掲げて威嚇しているカマキリ。

 反射的に頭の上を手で探ろうとした所でザガンもようやく事を察し、ハットを脱いでカマキリを確認した。

 

 

ザガン

「ありゃりゃ、こりゃあ一本取られちゃったねえ」

 

没個性な女

「うふふ……もう、いつの間に勝負なんかしてたのよ?」

 

生真面目な女

「そろそろ、食堂の方にも行ってみませんか?

「農作業班の皆さんも食事を終えて、食堂も落ち着いてる頃でしょうし」

 

ザガン

「うん、そうだね。長居してお仕事の邪魔しちゃ悪いし」

「君も、付き合ってくれてありがとね♪」

 

 

 カマキリを元いた低木に帰してやるザガン。

 ハットを被り直して移動を再開する。

 何気なくカマキリの方を振り向こうとした最中、ふと、風景に紛れた1枚の畑に目が留まるザガン。

 石畳に咲いた1輪の花のように、鮮やかな緑が際立っている。

 

 

ザガン

「あの、遠くの畑さ……他の畑より随分と育ちが良さそうな感じだけど、何を植えてるの?」

 

生真面目な女

「むむ! よくぞ気付いてくれました……!」

 

呑気な女

「あ~、避けてたのにスイッチ入っちゃった……」

 

ザガン

「え……?」

 

生真面目な女

「あの畑こそ、シュラー様の『奇跡』の象徴なのです!」

「行きましょう! さあさ行きましょう!!」

 

没個性な女

「こらこらこらこら、私たちはお目付け役でしょ、連れ回すんじゃないの!」

 

ザガン

「(あ……話させたら長くなるやつだこれ)」

「えっと、ちょ、ちょっと小腹も空いてきたしさ──」

「手短に……手短にだけ聞いて、続きはおやつの後にしたいかなーって……」

 

生真面目な女

「い~いですとも! 本番は英気を養ってからにしましょう!」

 

ザガン

「(英気が要るレベル……!?)」

 

呑気な女

「あそこね~、あそこだけ作物が『人並みに』育つんだよ~」

 

ザガン

「『人並みに』……大地の恵みがある場所くらいにって事?」

 

没個性な女

「そうそう。味も、食べた後の元気の入り具合も、王都の市場でも負けないんじゃないかってくらい」

 

生真面目な女

「この大地の恵みが失われた土地でですよ!?」

「それも作物の天敵たる潮風が吹き込む土壌で……これぞ『奇跡』!」

「ですからあの畑から採れる作物は日頃、我らがシュラー様にお召し頂いているのです」

 

ザガン

「へえ、やっぱ偉い人なら良いもの食べられるってわけだねえ」

 

生真面目な女

「そうではありません、私たち自ら、シュラー様たちに召し上がっていただくよう願ったのです」

 

ザガン

「えっとつまり、シュラー……さまは、最初はあの作物を食べようとしなかった?」

 

没個性な女

「そうなの。一口召し上がって気に入って下さったけど、すぐに春風のような笑顔で──」

「『皆さんの努力の賜物ですから、これは皆さんが分かち合うのに相応しい』……はぁ、素敵♪」

 

呑気な女

「とは言ってたんだけど、結局、畑一枚の作物を住民全員に分けるのも無理あるからね~」

「せっかく『奇跡』起こしてくれたんなら、隅から隅まで起こしてくれれば良いのにね~」

 

生真面目な女

「こら! そういった堕落した欲をもたらさないためにもシュラー様は──!」

 

呑気な女

「は~いはい、ちゃんと悔い改めま~す」

「まあそんなわけで、結果としちゃあ、さっきカリナさんが言った通り『偉い人へ』なんだけどね」

「住民の感謝の印って事で、シュラー様と、そのお側役とか……」

「あとまあ……アブラクサスがやってく上で欠かせない人とか、ね」

 

ザガン

「ああ、つまりサイティみたいな?」

 

女3人

「……」

 

 

 うまく誤魔化そうとしたいが何も手段が無い時の気まずさが漂う。

 

 

ザガン

「あ……ごめん。私もまあ、『審査』の時に色々言われたよ……」

 

呑気な女

「あ、ああうん、もうすっかり有名だよ~、お仲間のギーメイさんが大活躍だったって~」

 

生真面目な女

「力を盾にアブラクサスに根を張って……今にシュラー様が摘み取ってしまわれるわ……!」

 

没個性な女

「知恵も機転もきく人なんだけどねえ……出身のせいか、あればっかりはどうにも……」

 

 

ザガン

「(あ、閃いたかも……?)」

「(グレモリーにばっかり、感じ悪い仕事させたくないし……ここは当たってぶち抜く!)」

「ね、ねえ……嫌でなければなんだけど……サイティって、どんな人なのか聞いても……大丈夫?」

 

没個性な女

「ん……ん~~……」

 

呑気な女

「まあ大丈夫でしょ~、今は人も居ないし~」

「初日から『濃い』のにぶつかっちゃ、カリナさんも気になるだろうし~」

 

ザガン

「も、もちろん、絶対に秘密は守るから!(仲間には喋っちゃうつもりだけど……)」

 

生真面目な女

「……あれは金貸しの娘なんです」

 

 

 さっきまで純粋真っ直ぐに輝いていた生真面目な女の瞳が、今は打って変わって冷たく影を孕み、適当な地面へ投げかけられている。

 

 

ザガン

「金貸し……まあ、借金取りとか、あまり良いイメージは無いかも……」

 

呑気な女

「親御さんの経営自体は良心的だったよ~、利息も他所よりウンと優しいくらい」

「しかも貴族に負けない財産持てるくらいに大成功してて……一流商社って感じかな~」

「けど、この辺って昔から、銀行とか金融とか、直接お金が絡む仕事はイメージ悪くてさ~」

 

没個性な女

「お年寄りとかは、実績も人柄も良くても『金貸しだから裏があるに決まってる』なんて言って……」

「そういった環境のせいかしら、『まずは何でも下に敷く』みたいな性格に……」

 

呑気な女

「いやあ、元からの『才能』じゃないかな~」

「サイティ以外の兄弟姉妹は、かなりマトモな人たちだって聞いたし」

 

ザガン

「(そんな人がなんで今はアブラクサスなんかに住んでるのか、気になるけど……)」

「(『ヤなヤツが落ちぶれた話』なんて、絶対、みんな口が悪くなってくに決まってるし……)」

「(聞きたくない……ううっ、やっぱり私がこういう話についてくには、未熟だったかも……)」

 

没個性な女

「何にしても、あの性格だけが勿体ないわよねえ」

「結局、あの人のお陰でここまでやってこれたのも事実だし……」

 

ザガン

「お……お金貸しの娘さんが、アブラクサスにそんなに貢献できるのかな?」

「まずは掃除とか修理とか、力仕事が必要になりそうに思うけど」

「(情報になりそうな話が来た! すぐに悪口にもならなさそうな!)」

「(サイティがお金の事に詳しいって事は、何かあるのかも……)」

「(アブラクサスと周辺領の怪しい取引、サイティが上手くやったお陰だったとか……!)」

 

没個性な女

「あの人、とっても多芸で博識なのよ。料理に裁縫に園芸に、学者みたいな知識も沢山……」

 

呑気な女

「しかもちゃ~んと『正しい』からね~。アブラクサス一帯の情勢も詳しいし弁も立つし──」

「溝も沢山作ってるけど、今みたいな制度や仕事分担で回せるように皆をまとめ上げたのも確かでね~」

 

ザガン

「あ~、そっちかあ……」

 

呑気な女

「そっち?」

 

ザガン

「ああ、な、なんでもない、こっちの話……」

「(アブラクサスの復興ちゃんと頑張ってたのか……ちょっと意外)」

「(『功罪』って言うんだっけ? 実力もあったから、今あんなに偉そうにできてるって事かな……)」

「でも、なんでサイティってそんなに色々な事に詳しかったりしたんだろ?」

 

没個性な女

「そりゃあもう、『良いトコの娘』ですものねえ」

 

ザガン

「ん……?」

 

呑気な女

「『花嫁修行』だよ」

「立派な家ほど注目集めちゃうから~、『行き遅れ』になるとすぐに噂になって笑われちゃうし~」

 

没個性な女

「だから少しでも『付加価値』のある女の方が、『優秀な』お金持ちの方々も興味持つってわけ」

「家も任せられて、仕事が忙しければ手伝って、パーティーのマナーも心得てる──」

「もちろん顔も良くて誰もが羨む『完璧』な……ってね」

 

ザガン

「あれもこれも出来るのに……それが全部、お嫁さんになるためだけにって事!?」

 

没個性な女

「まあ、価値観は人それぞれだからねえ」

「でも、私もここに流れ着く前は、貰い手探して随分あせってたなあ……」

「サイティみたいに頭よく無いから、お化粧とか話し方とかで色々努力して……」

 

呑気な女

「まあ結局は私ら3人、生まれてこのかた彼氏の1人も無かったわけだけどね~、わっはっは」

「でも貴族とかお金持ちは、普通の人と違って頭数も限られてて、妥協しようも無いからさ~」

「お話なんかでも良くある『椅子取りゲーム』になっちゃうんだろうね~」

 

ザガン

「(……ゼパルとかなら、こういう話も納得できるのかな……)」

「(でも、私は、こんなのどうしても……それじゃあまるで──)」

「(勉強も、服もメイクも話し方も、生きてきた事も──)」

「(身につけたモノ全部、お嫁さんの『値段』に替える『ついで』にされてるみたいだ……)」

 

生真面目な女

「……ぶつぶつ……ぶつぶつ…………」

 

ザガン

「(って……な、なんか物凄い顔で俯いて……爪噛んでる?)」

 

 

 ザガンの面食らった視線に気付いたお目付け役の残り2人が、ハッとなった顔をした後、殊更に「楽しそう」な声を上げた。

 

 

没個性な女

「あ、い、いっけない忘れてたー!」

「これから食堂に行くんだったわね! 私ももうお腹ペコペコだったわ!」

「さ、さあ行きましょ皆、ねっ!?」

 

呑気な女

「い、いや~ほんとほんと~、1日5食は平らげるために生きてるようなもんだよね~」

 

ザガン

「え、あ、ああうん。ごめんね、私のせいで話し込んじゃって」

 

没個性な女

「良いの良いの! もう、あんな女の事なんて話したって誰も得しないってものよねえ!」

 

生真面目な女

「ぶつぶつぶつぶつ……」

 

呑気な女

「(ごめんね~カリナさん。あの子、色々あって、その……心が弱っててさ)」

「(あの子にとって、世界が全部『シュラー様』でないと、気が気で無いんだよ……怖くて)」

 

ザガン

「(ううん、私もごめん。ここに住んでるって事は、皆が事情あるって、分かってたのに……)」

「(でも……『怖い』って?)」

 

呑気な女

「(嫌な事が続いて、『実は世界がみんな自分の敵に回ってるんじゃないか』みたいに考えた事ない?)」

「(『世界は初めから私をいじめるように出来てるんだ』みたいな)」

 

ザガン

「(う~ん……子供の頃、親に勘違いで怒られた時、それっぽいこと考えた気がするかも?)」

 

呑気な女

「(あの子、本当に怖い目にあってね、今もその気持ちから抜け出せないんだよ)」

「(今のあの子は、自分が好きなモノが、100%『正しい』モノでないと、もう何も信じられないんだ)」

「(だから逆に、嫌いなモノは100%『悪い』モノで、『功』なんてあっちゃいけないんだよ)」

 

ザガン

「(じゃあ、今の『サイティに助けられた所もある』みたいな話は……)」

 

呑気な女

「(うん……昔、あの子、どれだけあの子にとって『おかしい』事か、こう言ってたよ)」

「(『家族を笑って殺した下手人に、跪いて感謝しろとでも言うの?』って……)」

 

ザガン

「(ぜ、全然話が違ってる……違ってるけど……つまり、それくらいに……)」

 

呑気な女

「(うん。あの子の中では『全く同じ事』なんだよ。多分、今も)」

「(それでも昔よりだいぶ元気になったし、途中までは話にも参加してたから、私たちも油断してた)」

 

ザガン

「(……ほんと、ごめん……)」

 

呑気な女

「(大丈夫。言っちゃなんだけど、『たまに』ああなる人が珍しくない所だから)」

「(ご飯食べて、適当にシュラー様を称える話に相槌打っときゃ、すぐ元通りだからさ)」

 

ザガン

「(わ、わかった……)」

 

 

 顔を上げると、没個性な女と生真面目な女が先を歩いている。

 没個性な女が精一杯の笑顔と冗談で生真面目な女の気を引いている。

 生真面目な女は、後ろからでも何をしているか丸わかりな程に背を丸めたままだ。

 

 

ザガン

「(多分、いま励ましてる人も、色々抱えてるんだろうな……)」

「(……本当に……本当に、いいのかな……)」

「(居場所がココじゃなかったら、1日だって安心できなさそうな人が、目の前に居るのに──)」

「(ココを壊して、住民を領主の人たちに預けて……それで本当に、『明日』を用意してあげられるの?)」

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 少し時間を戻し、アブラクサスの別の地点。

 

 

ハーゲンティ

「ほへ~……本当に広いなぁ~」

 

 

 アブラクサスの外周を囲う外壁伝いに、飛んだり走ったり歩いたり、冒険少年のように気ままにアブラクサスを見て回るハーゲンティ。

 自由行動と聞いて、グレモリーの解散の号令と同時に真っ先に飛び出していた。

 

 

ハーゲンティ

「『見せ場ならここしかない!』って、ノリで走り出しちゃったけどさ……」

「やっぱ、あそこでハルちゃん連れて歩くのが、あたいの役目ってトコあったよねえ」

「こんな広いんじゃハルちゃんで無くても『どこに行けばいいか分からない』ってなっちゃうって」

「でも、気付いて振り向いたら誰も居なかったし、どこをどう歩いたかも覚えてなかったし……」

「マム、ザガン姉さん……後は頼んます!」

 

 

 青空にグレモリーとザガンを思い描きながら、一抹の罪悪感も抜けるような空へぶん投げたハーゲンティ。

 

 

ハーゲンティ

「今のあたいの役目はただ1つ……そう!」

「探検じゃあ~~~! コンキスタドールじゃあ~~~~!」

 

 

 もう何度目かのダッシュを決めるハーゲンティ。

 ハーゲンティが沿って移動しながら、拾った木の枝でたまに引っ掻いてる外壁が「城」の一部であったなら、「城塞都市」と呼ぶに相応しい威容だが、アブラクサスに城郭は無い。

 入り組んだアブラクサスだけあって、外壁沿いにも高層建築がそびえ立ち、時に民家や店舗の面影を残す廃墟が立ち並び、時に建物と建物の間の薄暗闇で、忘れ去られた枯れ葉が積み重なっている。

 

 

ハーゲンティ

「ふぅっ、はぁっ……! はぁ~~~ちょっと休憩~!」

 

 

 幾らか走った所で速度を落とし、ゆったり歩くハーゲンティ。

 もうこんな事を、思い出せないほど繰り返し、すっかり汗だくになっている。

 

 

ハーゲンティ

「ふい~、今度は何か開けた感じのところに出たねー」

「低くて、木とかレンガで作った建物も多いし……あっ!」

 

 

 見たことのない動物を見つけた子供のように指差して、まだ少し荒い呼吸もむしろ楽しむかのように、小走りで一点へ向かうハーゲンティ。

 平屋建ての木造で、かなりの面積を有する分、扁平にも見える建物があった。

 その出入り口であろう場所でブレーキをかけるハーゲンティ。

 

 

ハーゲンティ

「ここあたい知ってる! えっとあの~~アレ……『厩舎』!」

「牛とか馬とか入れとく場所! うん、見た目もそれっぽいし干し草っぽいの落ちてるし間違いない!」

「いやー、あたいもよく、優しい農家の人に屋根と藁のお布団借りたな~」

 

 

 しみじみと、ハーゲンティ的に心温まる思い出を振り返る。

 ハーゲンティが浸っていると、眼前の扉が、風に吹かれたかのように力なくキイと開いた。

 建て付けが悪かったのでは無いようで、続けて女が1人、中から出てきた。

 平凡な品質だったろう婦人服を纏っているが、10年は毎日着回したかのように擦り切れて、酷く汚くみすぼらしい。少なくとも20過ぎだろうが、痩せて肌も髪も傷んで、30代にも40代にも見え、もっと老いていてもおかしくないと思わせる様相だった。

 女は、ハーゲンティの姿を見つけると、墓場を彷徨っている方が似合う足取りでハーゲンティに近付く。どうやら、先程のハーゲンティの実況が厩舎の中まで届いていたらしい。

 

 

みすぼらしい女

「……どなた?」

 

ハーゲンティ

「あ、こんちは! あたい、今日からアブラクサスに住む事になったハーゲンティです!」

 

 

 ビシっと片手を挙げ、行儀よく答えるハーゲンティ。

 

 

ハーゲンティ

「……あっ! ち、違った、えっと確か……サ、『サシヨン』です!」

「ああ! でも別にハーゲンティって呼んでも大丈夫なんだけど、お気持ち的なアレがアレで──!」

 

 名前を間違え、間違ってないけど筋書き的には間違いで、そういえば筋書き的に間違っていない事もなく、ハーゲンティはしどろもどろだ。

 ハーゲンティには、女の身なりに何か思う様子は全く無い。ハーゲンティの知る世界では、目の前の女くらいのヴィータは「一般人」の枠に優に収まる。

 ハチャメチャな身振りで残像を量産するハーゲンティに対し、女はぼんやりした目で見ているのかいないのか、ピクリともしない。

 少し間を置いてから、女が声を発した。

 

 

みすぼらしい女

「……はなれて」

 

ハーゲンティ

「いや~実は、あたい的にはどっちかと言えばハー……ほえ?」

 

みすぼらしい女

「ここ……よくないの……あぶない……きちゃ……だめよ……」

 

ハーゲンティ

「……(思考中)」

「あっ、なるほど! 素人が入っちゃマズイ的な!」

「ラッジャー! 入らず、騒がず、動かさず! あたい、色んな職場で沢山言われてるから大丈夫!」

 

 

 その場でランニングの姿勢で足踏みを始めるハーゲンティ。まだまだ体力は有り余っている。

 

 

ハーゲンティ

「そうだ、こういう時は先に言う事があるんだった!」

「危ないのに勝手に近づいちゃって失礼しました! そんじゃ、お仕事頑張ってね~!」

 

 

 手を振って走り去るハーゲンティ。

 立ち枯れた細木のような佇まいで、遠くなるハーゲンティを眺める女。

 

 

みすぼらしい女

「…………ふふ」

 

 

 微かに笑って、女は厩舎の中へ引き返した。

 

 

ハーゲンティ

「いやー失敗失敗……でも、あたいはメゲない! それがあたいの『勝算』だから!」

 

 

「反省」の遥か以前に「立ち直り」を差し込みながら走るハーゲンティ。

 厩舎が数多の建築物の陰に消えた頃、道行く先に人影が飛び出した。

 人影は、若い女性の声で絶叫した。

 

 

人影

「止まってーーーーーーっ!!」

 

ハーゲンティ

「お、おおおおほええええ!!??」

 

 

 制止を呼びかけるには両者の距離が近すぎた。しかも人影の背後には下り坂が続いている。

 ついでにブレーキをかけようとしたハーゲンティの足がもつれ、全速力の七転八倒のフォームで人影に激突した。

 

 

ハーゲンティ

「おああああああああーーーー!?」

 

人影

「あばばばばばおぼべっぽえべべべべれべれれれれ!?」

 

 

 坂道を転げ落ちていく女の塊。

 人影がハーゲンティを包む形となり、ただただ目を回すだけで済んでいるハーゲンティと比べて、聞いてるだけなら愉快な悲鳴をあげる人影。

 状況が飲み込めないハーゲンティの脳裏で、妙に丸っこいヒヨコ的な物体が群れをなしてピヨピヨ飛び交っている。

 団子同然となったハーゲンティ達が、道の出っ張りか何かに乗り上げてまとめて跳ね上がり、そのまま突き当りの柵を飛び越え、アブラクサス市街地を流れる広い用水路に水柱を立てて沈んだ。

 そして、その数分後……。

 

 

ハーゲンティ

「……っぶへぇ~~~ひどい目にあった……」

「あぁだだだ……どっか、多分どっかぶつけた……だ、だいじょぶ?」

 

人影

「え、ええなんとか……」

 

人影2

「用水路が深めに造られてたお陰で、水に勢いが吸われて助かったわ……」

 

人影3

「今が冬だったら不幸のどん底だったけどね……」

 

 

 どうにか用水路から上陸したハーゲンティ達。

 ここでようやく、自分を止めに入った人影が3人分だった事に気づくハーゲンティ。

 

 

ハーゲンティ

「えーっと……お姉さんたち、あたいに何か用だった?」

 

人影

「何かもなにも……」

 

人影2

「見つけたと思ったら走り出してるんだもの……」

 

人影3

「まあ、愚痴は一旦、置いといて……あなた、サシヨンちゃんで間違いないわよね?」

「アタシたち、あなたの『お目付け役』を任されたの」

「本当なら、『学舎』であなた達が解散する前に声かけて、一緒にお散歩してたって事」

 

ハーゲンティ

「なるほどー……」

「あれ? じゃあ何でお姉さんたち、こんな所に?」

 

人影トリオ

「「「あなたが声かける前に全力スタート決めちゃったから!」」」

 

ハーゲンティ

「あへへ、や、やっぱり……?」

「いやー、ゴメンゴメン。時は金なりって昔どっかで教わったもんで、ついつい」

 

人影

「しかもメチャクチャ速いし、スタミナも底知らずだし……まあ、追いつけたからもういいけど」

「ちょっと順番ずれたけど、自己紹介させてもらうわね。私の名前はフォロア」

 

人影2

「ワタシはワレミアよ」

「まあサシヨンちゃんだけのせいじゃないわ。事前に説明してないんだから無理もないもの」

 

人影3

「それで、アタシがミーナ」

「お目付け役の慣例なのよ。『ちゃんと助けてくれる人が居るのよ』って意味のサプライズで」

「『必要なら頼ってね』だと、声かけるの怖がって抱え込んじゃう子も多いから」

 

ハーゲンティ

「あたいソレ知ってる、『新入りへの洗礼』ってやつだね!」

 

ミーナ

「それ、ちょっと物騒な響きな気が……」

 

ついてきたフォロア

「まあ何にしても、こうして合流したからには、出来ればもうちょっと安全運転でお願いね」

 

ハーゲンティ

「イエッサー! 気をつけます!」

「そうだよねえ、さっきみたいに入っちゃダメな所に行かないように先輩方が居たほうが良いもんね」

 

お目付け役トリオ

「「「そう、ソレ!」」」

 

ハーゲンティ

「イキピッタリ!?」

 

フォロア

「いい? 今後のためにも、コレだけは守った方が良いわ」

「担当の人以外は絶対に『厩舎』には近づいちゃダメ。色々な意味で危ない所なんだから」

 

ミーナ

「ほんとビックリしたわよ……アタシたちも近づかないよう、『先回り』に作戦変更したくらいなの」

 

ワレミア

「ワタシなんか、まだ足腰が震えて……」

 

ハーゲンティ

「んんん……?」

「『厩舎』って、そんな怖い? 飼ってる動物とか入れとく場所じゃなかった?」

 

ミーナ

「怖いなんてもんじゃ──」

「でもそういうアタシもよく知らないや……何でだっけ?」

 

ワレミア

「それは原則、言っちゃいけない決まりなの」

 

フォロア

「仕事絡みってのもあるし……とにかく、あそこに出入りしてるってだけで変な噂されちゃうレベルよ」

 

ハーゲンティ

「(むむ……!?)」

「(これはもしや……怪しいポイント? 帰って皆に話せば、お役に立てる?)」

「(そしたら……謝礼が! 増える!?)」

「そ、その話もうちょっとくわ──!」

「くわ……し……くわっくしょいっ!!」

 

 

 盛大なクシャミを放つハーゲンティ。

 

 

ミーナ

「だ、大丈夫、サシヨンちゃん!?」

 

フォロア

「そういえば私たち、水浸しだったわね……」

「どこか、適当な所で火を借りましょう。風邪なんてひかせちゃお目付け役失格だわ」

 

ワレミア

「ワタシも……これ足腰だけじゃなくて体中が震えてたわ……」

 

ハーゲンティ

「それはマズイっすよ! 早く温かい所さがそう!」

 

ミーナ

「いやいやいや、サシヨンちゃんもだってば!」

 

フォロア

「『私たち全員』でしょ!」

 

 

 心配される自分よりも、お目付け役を心配するハーゲンティ。

 クシャミと同時に何を考えていたかも吹き飛ばしてしまったハーゲンティは、厩舎に話を戻す気が全く無い。

 

 

ハーゲンティ

「あたいはダイジョーブ! ちっとも寒くないし、鍛えてますから!」

「それに、さっきのクシャミは鼻に水が入っ……はひっくしっ!」

「ゔ~……ま゛だの゛ごっでる゛」

 

 

 顔を覆い、素手で鼻をかもうとするハーゲンティ。

 

 

フォロア

「あっ、こら、おてて鼻水まみれにしたらバッチイでしょ!」

 

ミーナ

「アタシ、ハンカチ持ってるから使って! いま絞るから!」

 

ワレミア

「わ、わだ、ワダジも持っで……は、はんげぢ……」

 

フォロア

「あんたは私が運ぶ! ミーナ、サシヨンちゃんお願い!」

 

 

 ドタバタと濡れ鼠の後始末を始める4人。

 

 ……十数分後、一同は居住施設の一室で暖炉に当たっていた。

 部屋の隅でゴソゴソしていたフォロアが暖炉の方に戻ってくる。

 

 

フォロア

「ワレミア、タオルってこれでいいの?」

 

ワレミア

「うん、それそれ……お陰で助かったわー」

 

ハーゲンティ

「ワレミア姉さんの住んでる所が近くにあって、ラッキーだったねー」

 

ミーナ

「サシヨンちゃんにとっても、よ……うん、そろそろ良いわね」

「はい、皆も飲んで。ただのお湯だけど、体あっためるにはこれが1番だから」

 

 

 ミーナが暖炉で沸かした白湯を煽る4人。

 

 

ハーゲンティ

「うおっ……何か、すごく『物足りない』!」

 

フォロア

「ぷっ……気持ちいいくらい正直に来たわね」

 

ワレミア

「ここの水は、これが普通なの。3日もすれば『馴染む』から」

 

ミーナ

「ああ、思い出すわぁ……アブラクサスに来た時も、こんな風にズブ濡れだったなあ」

「男に騙され、借金を押し付けられ、家も家財も差し押さえられて、着の身着のまま雨に降られて……」

「もう『死ぬしか無い』ないなんてアテも無く歩いてたのに、気付いたらココに来てて──」

「入国審査中に、こうしてもらった白湯が……ふふっ、も~『うっすい』の何のって」

 

ワレミア

「今となっちゃお互い、『最初に』ココ来た経緯なんて、些細な思い出話よねぇ……」

 

フォロア

「……」

「……っと、浸ってる場合じゃなかったわ」

「サシヨンちゃん、本当に大丈夫? 無理してない? そんな『薄着』でびしょ濡れで……」

 

ミーナ

「(おお……言い淀みもせず『薄着』って言った……)」

「(フォロア、お目付け役のベテランだから、『如何にも』な格好の人にも慣れてるなぁ)」

 

ハーゲンティ

「ホントに大丈夫! ありがとね」

「あたいがずぶ濡れで『ヤバい』ってなったのは、丸一日、井戸で素潜りした時くらいだから」

 

フォロア

「い……井戸で素潜り?」

 

ハーゲンティ

「昔ねー、デッカイデッカイお屋敷に雑用で働かせてもらった事あるんだよね」

「それはもうデッケーの何のって、井戸までデッカイし、その井戸で見物料取ってたくらいに」

 

ミーナ

「井戸で見物料……また突拍子もない組み合わせが来たわね」

 

ハーゲンティ

「端から端まで泳ぐのに30秒はかかるって言われてるくらい広かったからねー」

「梁も何本も通して釣瓶も沢山! 使用人さんが一斉に洗い物できるし、見てて羨ましかったー」

 

ワレミア

「それは……確かに、ちょっと見てみたいかも」

 

フォロア

「(羨ましいのは、見物料で稼ぐのが? それともそんな井戸を持ててるのが?)」

 

ハーゲンティ

「そんで深さも、もンの凄いの!」

「そこの土地って、深い所から湧いた水の方がキレイって言うからメッチャ深く掘ってね──」

「石ころ落として音が返ってくるまで3秒くらいかかるんだよ、お日さま出ても底なんて見えないし」

 

ミーナ

「あの……楽しそうに語ってるけど……そこで、素潜りしたの?」

 

ハーゲンティ

「うん、そう! いやーヤバかったよホント、流石にちょっと凹んだよネ!」

 

ミーナ

「『ネ』って……『ちょっと』って……」

 

フォロア

「雇い主の自慢の井戸なのに、なんでそんな事に?」

 

ハーゲンティ

「んっとねー、そのお屋敷で、あたいが何度失敗しても面倒見てくれた優しい先輩が居たんだけど──」

 

 

 ハーゲンティの回想。

 

 

 かつて働いたデッケエお屋敷の、ある日のこと。

 

 

ハーゲンティ

「ええぇーーーー!? せ、先輩が井戸に身投げをぉ!?」

 

使用人の女

「そうなの……今、屋敷の医務室に運ばれて、住み込みのお医者様が診ているそうよ」

 

ハーゲンティ

「お屋敷用のお医者さんに、お医者さん用の部屋も!? そんなのあったんスか!?」

 

使用人の女

「知らなかったの……? まあ、あなた風邪とかとも無縁そうだしね」

 

ハーゲンティ

「ほんとですよー、元気な体に生んでくれた両親に感謝ってもんですよ」

「……って、そうじゃなかった! 先輩のお見舞いに行かないと!」

 

使用人の女

「また近道だからって突っ切って物壊したりしちゃ──」

「……って、もう居ないじゃない!?」

「ああ……嫌な予感しかしない……」

 

 

 ハーゲンティは走った。ドジばかりの自分を暖かく指導してくれた先輩が心配でならなかった。

 玄関掃除中だったハーゲンティはお屋敷特注の箒を投げ捨てた。直後にドガシャーン的な音がした。それでも走った。

 お屋敷の前庭を一直線に駆け、お屋敷用に植樹した異界の香木を踏み倒し、お屋敷用に集めた紅水晶の原石を散りばめた特注花壇に泥だらけの足を載せ、花を踏まぬよう飛び越えて普通に失敗し、お屋敷用鎮魂の白百合をスライディングと尻もちの下に沈めても、ハーゲンティは止まらなかった。

 ハーゲンティは走った。お屋敷用黄金豆の畑を踏み固め、お屋敷用賢者のリンゴの木に激突して、幹にくっついていたお屋敷虫の抜け殻を粉砕し、お屋敷の主人が密かに蒐集するお屋敷獣の化石にドロップキックを炸裂させ、ゴールドお屋敷オイルの樽をひっくり返しても、ハーゲンティは先輩のため、必死に走った。

 

 一方、住み込みの私兵のためのお屋敷修練場にて。

 

 

住み込みの料理人

「おおーーーい、兵隊さんたちーーー、逃げろーーーっ!」

 

住み込みのベテラン兵士

「なにぃっ!?」

 

住み込みのマッチョな兵士

「我ら兵士に逃げろだとぉ!?」

 

住み込みの只者じゃなさそうな兵士

「我らこの場に10人、折しも新陣形、『ボウ&リング』の完成を見た所……」

 

住み込みの客員剣士

「面白い……何者だろうと、この無敗の剣士が剣の錆としてくれる!」

 

住み込みの料理人

「使用人の女の子が、軸回転しながら突っ込んでくるぞーーー!」

 

住み込みの兵士たち

「……は?」

 

軸回転するハーゲンティ

「せんぱぁーーーい!」

 

 

 ゴールドお屋敷オイル塗れのハーゲンティが、転んだか何かした姿勢のまま腹ばいで独楽のように回転し、怪獣映画さながらの有様で滑っていた。

 私兵が気付いた時には全てが遅かった。兵士がハーゲンティの声に振り向いた時、声の主は視線の先には居らず、唯一、無敗の客員剣士だけが、自分たちの足元でグルングルンしながら迫りくる少女の姿を見た。

 所で、お屋敷用の私兵制式甲冑は、伝説に語られる雷の騎士になぞらえて、白く流線型である。そして、首の赤いチョーカーと胸元の家紋がトレードマークだった。

 

 

ハーゲンティ

「せんぱぁーーーーい!!」

 

住み込みの兵士たち

「ぎああああぁぁぁ!?」

 

 

 黄金色の回転体に滑らかに弾かれ、陣形を整えた10人全員がカコーンと爽快に跳ねられた。

 ぶつかった衝撃のお陰か、バランスを取り直せたハーゲンティは再び立ち上がり、一直線に走り去っていく。

 

 

ハーゲンティ

「負けるもんかぁぁーーー! メギドの腕だって駆け上ったらぁぁーーー!」

 

 

 ハーゲンティは止まらない、振り向かない。胸には激情の炎が燃えていた。失うものなど、いつかの未来に還ってくれば良い。

 犬越え屋根越え、ハーゲンティは優しい先輩のため、走り続けた。

 明らかにハーゲンティは迷っていた。

 よく考えてみなくても、ハーゲンティは医務室の場所など聞いていない。

 

 

ハーゲンティ

「そうだ! まずはイムシツを探さないとだ!」

 

 

 ハーゲンティは、「馬鹿なことをしている暇は無い」と、急旋回で来た道を戻った。

 旋回地点の真横に設けられていた扉の上には、「医務室」の表札がかかっていた。

 1秒でも惜しいハーゲンティは、気がかりな部屋を見つけるたびに扉を開けっ広げては駆け抜けていった。

 

 

ハーゲンティ

「ここがイムシツ!?」

 

住み込みの着替え中の使用人

「ちょっと何すんの!? ここアンタも使ってる更衣室でしょ!」

 

 

 次の部屋に飛び込むハーゲンティ。

 

 

ハーゲンティ

「ここがイムシツ!?」

 

住み込みのナイスミドルな画家

「なな、何だお前!? こ、ここは宿舎の、しかも個室だろうが!」

 

住み込みの好青年な絵画モデル

「そ、そ、そそ、そうだそうだ!!」

 

 

 次の部屋に飛び込むハーゲンティ。

 

 

ハーゲンティ

「イムシツはどこ!?」

 

住み込みの庭師のじっちゃん

「いやああああああああああんっ!! ここは更衣室(男子)よおおおっ!!」

 

 

 一方その頃、医務室では、すすり泣く先輩と、カルテをしたためる医者。

 

 

住み込みの医者

「もう泣くのはおよしなさい。思い詰める前に、今はできる事を考えるべきです」

「まだまだこれからですよ。幸い、発見が早くて大した症状も無かった」

「雇用主とは、私も長い付き合いです。出来る限りの説得はしますから」

 

住み込みの先輩

「うっ……ぐす……でも……」

 

???

「……――んぱぁーーーい……!」

 

住み込みの医者

「ん……またあの声か……何なんだあれは?」

 

住み込みの先輩

「あの声、やっぱり……」

 

 

 たちまち足音が近づいて来て、医務室全体を揺らさんばかりに扉が開かれた。

 

 

ハーゲンティ

「今度こそイムシツ!?」

 

住み込みの医者

「おわっ!? な、何だ君は急患か?」

「いったい何をどうしたらそこまでズタボロになれるのだね……」

 

ハーゲンティ

「居た! 先輩……せんぱぁーーーい!」

 

住み込みの医者

「あ、ちょっと、私の話を……!」

 

 

 医者を完全に無視して、先輩の懐に飛び込むハーゲンティ。

 

 

住み込みの先輩

「あなた……どうしてここに?」

 

ハーゲンティ

「だって、だって! 『井戸が先輩に』身投げしたって聞いて──!」

「あたい、居ても立ってもいれなくて!」

 

住み込みの先輩

「そう。私のために……ありがとう……逆だけど」

「でも……でも、私……もう、ダメなのよ……」

 

 

 嗚咽と共に顔を覆う先輩。

 

 

ハーゲンティ

「何でっすか!? ダメな事なんて死ぬまであるわけ無いよ! 絶対!」

 

住み込みの先輩

「だって……だって、『お皿』が……!」

 

ハーゲンティ

「お皿……?」

 

住み込みの先輩

「ご主人さまが何より大切にされてる10枚のお皿が……何度数えても1枚足りないのよぉ!」

「私が管理を任されてたのに、全然心当たりも無くって……」

 

ハーゲンティ

「じゃあ、井戸に飛び込んだ理由って……」

 

住み込みの先輩

「ご主人さま、カンカンに起こって……酷い言葉もたくさん……きっと許して下さらないわ」

「お年を召され、独り過ごされるご主人さまに、静かにお仕えする事だけが私の幸せだったのに……」

「ご主人さまを悲しませてしまったら、もう私……生きていけないわぁ~~……!」

 

 

 真っ赤な目から再び涙を絞り、声を上げて泣く先輩。

 一方、ハーゲンティは何か考え込んでいる。

 

 

ハーゲンティ

「お皿……10枚のお皿……あれ?」

「そのお皿って、真っ白いお皿で、10枚とも青い色でお屋敷の絵が描いてあるやつ?」

 

住み込みの先輩

「ひっく……そうよ……東の果ての職人に依頼した特注品……同じ物は他に無いのに……」

 

ハーゲンティ

「……もしかして、無くなったのって、昨日?」

 

住み込みの先輩

「そ、そうだけど……何であなたがそれを?」

 

 

 先輩の手を取って笑顔で励ますハーゲンティ。

 

 

ハーゲンティ

「なら大丈夫だよ先輩! 割れた音はしてないから何とかなるよ!」

 

住み込みの先輩

「えっと……割れた音って?」

 

ハーゲンティ

「昨日あたい、お仕事でドジして食器洗い全部ひとりでする事になったじゃない?」

 

住み込みの先輩

「え、ええそうね。手伝おうとしたけど、あなたが『1人で大丈夫』って……」

 

ハーゲンティ

「そんであたいね、この失敗を埋め合わせるには、言われた事だけやるんじゃダメだと思ったの」

「言うじゃないっすか、言われた以上の成果を出してこそ『一流』だって!」

 

住み込みの先輩

「まあ、聞いた事はあるけれど、それって時と場合も──」

 

ハーゲンティ

「だからあたい、お屋敷中から見つけられるだけ食器集めて、全部ピカピカに洗って戻したんだよ!」

 

住み込みの先輩

「え……」

 

ハーゲンティ

「いやー、あたいの人生でも2つとない会心の出来だったよ」

「一個も割らず、一個も欠けさせず、先輩方みたいにキレイに、返す場所も間違えず!」

「でも、先輩の話聞いて思い出したんだよ。洗ってる最中に、1枚だけ井戸をお皿に落とした事」

 

住み込みの先輩

「ちょ……」

 

住み込みの医者

「あっ……」

 

ハーゲンティ

「『お屋敷っぽい絵のお皿だなー』って思ってたら落っことして、そのままジャポンって」

「『こんなに沢山あるんだし一枚くらい大丈夫』って気にしてなかったけど──」

「キレイに水に落ちてったし、水音も絶妙だったから、勢いで底にぶつかったりしてないはずだよ!」

「ちょっと暗いけど、皆で探せばすぐ見つかるよ、ネッ!」

 

住み込みの先輩

「……そっ」

 

 

 ハーゲンティは天使のような笑顔だった。

 先輩が俯き肩を震わせ、ハーゲンティの両肩に、そっと手を置いた。

 ヒューマンドラマのラストシーンのような顔で、ハーゲンティも先輩を抱き返す。

 

 

ハーゲンティ

「だから先輩……思い詰めちゃダメだよ、ヴィータは生きてこそなんだから」

 

住み込みの先輩

「そっ………………」

 

 

 先輩が、ハーゲンティの肩を持つ手に力を込めた。

 万力のように。

 

 

住み込みの先輩

「そっだらテメエが身ぃ投げて来いやぁーーーーーーッ!!!」

 

ハーゲンティ

「のえええええええええぇぇぇ!?」

 

 

 先輩が、ハーゲンティを投げた。

 咄嗟に止めに入るためにハーゲンティを掴んだ医者ごと、窓と言わず壁と言わず何もかもブチ抜いて飛んで行った。

 

 

 回想終わり。

 

 

ハーゲンティ

「んで、お屋敷のご主人さまにも大目玉食らって、『見つかるまで上がってくるなー』って」

 

お目付け役トリオ

「いやいやいやいやいやいやいや……」

 

ハーゲンティ

「あっ、もちろんちゃんと命綱も付けてもらったよ」

「『皆が使う井戸なのにダシが出ちゃ困る』って、反応なかったら引き上げる準備もしてくれてたし」

「あたいも、いよいよとなったら気絶したフリでもして一旦出してもらうつもりだったしね」

 

フォロア

「ソレ以前の問題だから!」

 

ワレミア

「泳ぎ切るのに30秒の大井戸でしょ……不慮の事故が起きたら絶望的じゃない」

「本気で井戸に投げ込んで、丸一日ほっとく雇い主って、どうかしてるんじゃあ……」

 

ミーナ

「雇い主の男、絶対に女性を馬鹿にしてるわ!」

 

ハーゲンティ

「え? お屋敷のご主人さまは女の人だったよ?」

 

ミーナ

「え、だって、今の話じゃあなたの先輩、明らかに……」

「……あ、ああ~、そうねそういう……って、男とか女とかはこの際どうでもいいの!」

 

フォロア

「(自分から棚にあげたぁ……)」

 

ワレミア

「で、でもサシヨンちゃんは、こうして元気って事は……ど、どうやって出してもらえたの?」

 

ハーゲンティ

「そりゃあ……ひたすら潜ってぇ、泳いでぇ、手探りでお皿を見つけてぇ、んで釣瓶に入れて……」

 

お目付け役トリオ

「正攻法!?」

 

ハーゲンティ

「そりゃ当然っすよ、あたいのミスで先輩もご主人さまも悲しい思いさせちゃったんだから!」

「どんなに貧乏で苦しくても、通さなきゃならないスジってモンが、あると思うんです!」

 

ワレミア

「も、文句のつけようもないけれど……」

 

ハーゲンティ

「まあ結局、あたいはクビになって文無しで叩き出されちゃったけど──」

「出ていく時は先輩も元気そうだったから結果オーライ!」

 

ミーナ

「ちょ、ちょっと待って、普通は何かやらかしても、お給料とか退職金とか出るはずだけど……?」

 

ハーゲンティ

「何か、先輩探してる間にあたいが色々壊しちゃったらしくて、弁償で全部飛んじゃった」

「とても払える額じゃないと思ったんだけど、井戸で他に色々拾ったから、その分でソーサイするって」

 

ワレミア

「お屋敷の物壊して、使用人の給料足しただけで相殺できるほどの拾い物……どんなの?」

 

ハーゲンティ

「使用人さんとかご主人さまとか、そのご先祖様が失くしたと思ってた思い出の物とか──」

「お屋敷が傾くくらいの強盗に遭った時に、返ってこなかった家宝とか──」

「後、石ころとか虫とかも間違って拾ったんだけど、それが歴史を覆す大発見……とかなんとか?」

 

お目付け役トリオ

「(それもしかして……物凄い『お釣り』来てない?)」

 

ハーゲンティ

「難しい事は覚えてないけど、お屋敷は前より繁盛してるって聞いた事あるから、あたいも一安心だよ」

 

ワレミア

「そ、それで良いの!? 日も差さない井戸の底で丸一日なんて、普通は死んでるわよ!?」

「長く水に浸かってると皮膚がふやけて剥がれて、そこから病の元が入るとも聞いた事あるのよ?」

 

ハーゲンティ

「う~ん……確かに、もしかして丸一日はちょっと大げさだったかも……」

「夜に井戸入って、『お昼ごはん食べたいなー』って思って、お皿見つけたら夜だったってだけで……」

 

ワレミア

「誤差ぁぁ!」

 

フォロア

「そういう問題じゃあ……サシヨンちゃん、本当は嫌だったり、逃げたかったんじゃないの?」

「世の中、『正しく』生きる事も大切だけど……辛い事は、少しくらい口に出しても良いのよ?」

 

ハーゲンティ

「……??」

 

ミーナ

「つ、通じてない……?」

 

ハーゲンティ

「だって、最初にあたい……『流石にヤバい』と思ったって、ちゃんと言ったような?」

 

フォロア

「そ……それで、辛いのは、全部なの……?」

 

ワレミア

「でも、寒くって、ご飯もなくて、真っ暗な中で足も付かない場所でアテも無くて……!」

 

ハーゲンティ

「うんうん、流石に探してる時は鼻水止まらないし、ちょっぴり泣いたし──」

「出てきたら、包帯だらけのお医者さんや兵士の人も『よくコレで生きてたな』って言ってたけど──」

「でも『その時』は『その時』だし、『今』は『今』じゃない?」

 

お目付け役トリオ

「!?」

 

ハーゲンティ

「そりゃあ、あたいだって『せんちめーとる』とか『死にたくない』って思う時もあるけどさ──」

 

フォロア

「(『センチメンタル』……?)」

 

ハーゲンティ

「あたいが今日も元気なら、昔の失敗より明日のお金!」

「あたいの先輩もそうだったけど、辛いなら、何か『辛くない』事しなくちゃ始まらないじゃない?」

 

ワレミア

「そ、そ……そう、なん、だけど……」

 

ミーナ

「すごい……」

 

フォロア

「でも、サシヨンちゃんには、まだまだ未来があるはずなのよ?」

「たった1つの命なんだから、無理するにも限度ってものが……」

 

ハーゲンティ

「命も大事だけど、世の中まずはお金が無くちゃ、やってけませんから!」

「人生コレお仕事! あたいにすりゃ、お金のために体張らなくて、いつ張るのってなモンだよ」

「お金と仕事と、一攫千金の夢のため、頑張れるあたいは今日もエライ!」

 

お目付け役トリオ

「(ま……まぶしい!)」

 

 

 ハーゲンティから金銀財宝にも勝る輝きが放たれた錯覚を覚えるお目付け役たち。

 

 

ハーゲンティ

「(この空気、なんだか……あたい今、良い事言ってる気がする……!?)」

 

 

 お目付け役たちが無意識に手やら肩やら目頭を震わせている。

 

 

憐れむワレミア

「(こんな……こんなに健気で立派な子が、こんな所に来るほど報われないだなんて……!)」

 

涙ぐむミーナ

「(アタシ、ちょっと路頭に迷ったぐらいで自棄になってた自分が恥ずかしくなってきた……)」

 

ついていく事を決意するフォロア

「(この子は……この子は私が幸せにしてあげないと! せめて、アブラクサスでくらいは!)」

 

ハーゲンティ

「(あいや、でもなんか空気が重いような……どっかでスベった? ニバせなかった?)」

 

 

 お目付役たちが、ほぼ3人同時に、ハーゲンティの手を強く包み込んだ。

 

 

お目付役トリオ

「「「サシヨンちゃん!」」」

 

ハーゲンティ

「お、おハイ?」

 

フォロア

「色々言いたいことはあるけど……!」

「ひとまず……お茶にしない?」

 

ワレミア

「ちょっと歩いた所に食堂があるのよ」

 

ミーナ

「大したものじゃないけど、おやつも出るわ。もちろんタダ」

 

ハーゲンティ

「タダ!? 無料!? 行きます!!」

 

 

 服もだいぶ渇いたので、再び外に出る4人。

 ハーゲンティを中心にして歩くお目付け役たちは終始、やたらめったら慈しみに満ちた笑顔だった。

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 再び時間を遡り場所を移し、アブラクサスの一角。

 学舎にも引けを取らない巨大な施設……だったろう廃墟の前。

 アブラクサスの建築センスはエルプシャフト的にかなり独特であり、しかも半壊した姿からでは、これが何のために存在したかは判断しかねる。

 グレモリーは少しの間、施設を見上げると、河原のように不揃いの瓦礫が敷かれた道を進み、施設へ入っていく。

 

 

グレモリー

「土木工事は、流石に女手だけでは困難と見えるな」

 

 

 独り言のように口にすると、食い気味に返事が帰る。

 

 

バーズレー

「そーなのよねー、ここは繊細でお淑やかな女ばっかりだから、暴力しか能のない女は珍しいのよ」

 

レディス

「すっ転んだ拍子にケツで地震とか起こさないでよ? あくまで『未開拓地区』なんだから」

 

アマーチ

「クスッ……」

 

 

 サイティの取り巻きたちが、グレモリーの背後3方向に立って、追い込み漁のようにして後に続いている。

 

 

グレモリー

「ああ、気を付けよう。貴様らも、私に『叩き潰され』ないよう、気を配っておけ」

 

レディス

「ブフッ……アハッハッハッハ、あんたサイコーだわ! アァーハハヒヒヒヒ、ゲッホゲホ!」

 

 

 グレモリーを指差し、手を叩いて爆笑し、笑いすぎて咳き込むレディス。

 

 

バーズレー

「プッ……笑いすぎよバーカ♪」

 

アマーチ

「この調子じゃ、今に大地震起こすわね」

 

グレモリー

「(まともに言い返すだけ無駄だろうからな。まあこの程度は仕事柄、慣れたものだ)」

「(アマーチは……まだ覇気に欠けるが、立ち直りつつあるな。黙りこくるよりは扱いやすい)」

「(そして、他の2人が囃し立てているのは、罵倒と嘲笑以外の『戦い』を知らぬから……)」

「(少なくともアマーチを励ます気は毛頭なく、眼中にすら無い)」

「(サイティの不興を買えば明日さえ知れず、『落ちる』者には目もくれない……稚拙な『軍団』だな)」

「……む?」

 

 

 ふと、廃墟の一角に目を向けるグレモリー。

 かつて敷地の庭でもあったのか、雑草と低木が鬱蒼と足場を覆い隠している。

 

 

バーズレー

「なによオバサン、急に突っ立って……ボケた?」

 

 

 グレモリーは足元の小石サイズの瓦礫を拾うと、茂みに向かって鋭く石を投げつけた。

 草木をかき分ける音の後、コンと軽い音が返った。

 少し間を置いて、手前の低木と奥の低木との間に立て掛けてられていたのか、何かが倒れて姿を現した。

 

 

グレモリー

「人……ではないな。何だアレは……?」

 

バーズレー

「うっわ、またあのキモいガラクタ出てきた」

 

グレモリー

「木彫りの民芸品のようにも見えるが……馴染みの物か?」

 

 

 現れたのは、グレモリーが表現した通り、魚の姿を象った木製の像だった。

 長く、丸みが少なく、長方形を思わせるフォルムの大型の魚で、頭周りだけ兜で覆ったか、それとも骨がむき出しになったかのように、硬質な質感に彫り込まれている。

 要するにシーラカンスだった。

 

 

バーズレー

「なーんか掘り返すとたまに出てくるのよ。アブラクサスっぽくも無い、ああいうダサいの」

「たまにアレの絵が描かれたブリキの塊とかも出てくるし」

 

レディス

「何か中に入ってそうなんだけど、開ける所も見当たらないのよね」

 

バーズレー

「つかオバサン何したかったの? バカなの?」

 

グレモリー

「茂みの陰に不自然な何かが潜んでいる気配があったのでな。まあ、取り越し苦労だったようだ」

 

バーズレー

「うわダッセエの、格好つけてるけど魚にビビっただけじゃん」

 

レディス

「プハッ、ダッセ」

 

 

 我先に押しかけるようにこぞってグレモリーを嘲る取り巻き。

 

 

グレモリー

「ああ、そうだな。全く『無様』なものだ」

「(何にせよ、こいつらの目を私一人に向けている間は心配あるまい)」

「(気がかりがあるとすれば……ハルファスが面倒に巻き込まれていないかどうか、か)」

 

 

 回想するグレモリー。

 アブラクサス学舎前。自由行動を言い渡されたすぐ後。

 学舎前に佇むグレモリーとハルファス。

 

 

ハルファス

「……ハーゲンティもザガンも、もう見えなくなっちゃったね」

 

グレモリー

「ハーゲンティは大方、任務の成果欲しさに先走ったのだろうな」

 

ハルファス

「私はどうしたらいいかな、グレモリー?」

 

グレモリー

「うむ。ライアが居れば案内を頼めたが、まだまだ仕事に追われているようだしな」

「この広さだ。大方、貴様にはどこに行けば良いかも『わからない』だろう」

「ならば、ここは私と組んで散策といこう。目の付け所は多いに越したことはない」

 

ハルファス

「なら、ザガンも一緒の方が良かったんじゃないかな?」

 

グレモリー

「ザガンは少し性質が違うからな。ハーゲンティにも同じ事が言えるが──」

「やつらは自分のペースで動いてこそ、最も良い結果を出せるタイプだ。今は単独行動が適当だろう」

 

ハルファス

「そっか。じゃあ、私はグレモリーと一緒に、何を探したら良い?」

 

グレモリー

「そうだな、ひとまずは……む?」

 

 

 グレモリーは視界の端に、それも遠方に動く人影を見出し、横目で確認した。

 すっかり記憶に焼き付いている、サイティの取り巻き3人に違いなかった。

 

 

グレモリー

「……」

 

 

 限られた視界で確認する限り、取り巻きたちは雑談を交わしながら、この地に敵などいないとばかりにダラダラと、こちらに歩いて来ている。

 グレモリーは暫し考えてから、取り巻きに気付いていないような素振りでハルファスに振り向き、耳打ちした。

 

 

グレモリー

「ハルファス……いや、『チータ』。作戦変更だ」

「大まかな方針を伝える。貴様はそれに基づいて単独行動だ」

 

ハルファス

「え?」

 

バーズレー

「おっばちゃーーーーん!!」

 

レディス

「ブッハ! やめえや、どうせ自覚なんてネんだから」

 

 

 取り巻きたちは、グレモリーの存在を意識するなり足取りを早めた。

 それを気配で感じ取るグレモリー。

 

 

グレモリー

「(まともに歩き出した……通りすがりではなく、私に用があってココまで来たという事だ)」

「ハルファス。『高い建物』、『装飾が明らかに凝っていると感じる建物』。この2つを探せ」

「シュラーは崇拝されている。ならば相応に『格』のある建物を住居にしているはずだからな」

 

ハルファス

「『高い』か、『凝ってる』建物はシュラーに関係あるかもしれないって事?」

「でも私、どっちに歩き出したら良いかも分からない……」

 

グレモリー

「ならば、まずはここから見える中で1番『高い』建物を目指して歩け」

「道中で条件に合う建物があってもひとまず無視だ。1番最初に見つけた目標にまっすぐ向かえ」

「着いたら、辺りに貴様を止める者が居なければ中を見て回れ。歩ける所を一周するだけで良い」

 

ハルファス

「近くに1番『高い』建物へ行って、中を一周すれば良いの? じゃあ、その後は?」

 

グレモリー

「同じように建物を探せ。まず一際目立つ『凝った』建物が無いか」

「無ければもう一度、見える範囲で調査済みでない『高い』建物だ」

 

ハルファス

「わかった。やってみるけど、私にちゃんと出来るかな……あ」

 

 

 言いかけて、ハルファスが一瞬、グレモリーの横に視線を向けた。

 

 

バーズレー

「ギーメイさーん? 話があるんだけどー?」

 

 

 取り巻きたちが、既にグレモリーのすぐ隣まで来ていた。

 

 

レディス

「呼んでんだからコッチ見てくんない? それとも耳まで遠くなるお年頃ぉ?」

 

グレモリー

「『チータ』。『分からない』時は、ひとまずここまで戻ってこい、良いな?」

 

ハルファス

「あ、うん」

 

グレモリー

「空が夕方になるか、『決められない』と感じたら、学舎の玄関広間で待機だ」

「『近く』まで行ってすぐ帰るだけでもいい。後は広間で休憩し、皆の帰りを待て」

 

ハルファス

「分かった。どうしたら良いか分からなかったら、ここで待てば良いのね」

 

レディス

「ちょっと? オバさん聞こえてる? マジで」

 

グレモリー

「よし。では行ってこい『チータ』。まずは向こうの辺りが『手頃』だろう」

 

 

 取り巻きを完全に無視して、遠方を指差すグレモリー。

 グレモリーが示した先には、アブラクサスのどこからでも見えそうな程に一際高い塔が聳えている。

 

 

ハルファス

「うん。じゃあ、後でね、グレ──」

 

グレモリー

「『チータ』。道中、気をつけるんだぞ」

 

ハルファス

「あ……う、うん」

 

 

 本名で呼びかけたハルファスの言葉を遮るグレモリー。

 即座にミスに気付き、ちょっと自信なさげにそそくさと去っていくハルファス。

 見送るグレモリーの背後で、取り巻きの1人がラウムのような顔で舌打ちし、地面に唾を吐いた。

 

 

レディス

「ッオイてめ、ナメてんのかオオンッ!?」

 

 

 レディスがグレモリーを強引に振り向かせようと、殴る勢いでグレモリーの髪に掴みかかる。

 が、髪に触れる直前でグレモリーがスルリと振り向き、その手が大きく空振りした。

 

 

レディス

「とわっ、た、わ、ひっ!?」

 

 

 バランスを崩して転びかけたレディスを、グレモリーが片手で受け止めて立たせ直した。

 

 

グレモリー

「どうした、そんなに『取り乱して』。私に構ってもらえんのがそんなに心細かったか?」

「まさか、まとめ役として仲間に気を配っている最中と分からんほど、目が霞む歳でもあるまい?」

 

バーズレー

「(こいつ、最初から聞こえてて……!)」

 

アマーチ

「チッ……ムカつく」

 

 

 グレモリーは、立たせたレディスの服の埃を払い、タイが曲がってる程度のちょっとした乱れを直してやっている。

 

 

レディス

「テ……ン、メェ……!」

 

グレモリー

「言ったろう、『怖がる』事は無いと。サイティ共々、『仲良く』しようじゃないか」

 

 

 レディスの身だしなみを整え、顔を合わせて不敵に微笑むグレモリー。

 

 

アマーチ

「(何が『仲良く』よ、ふざけやがって! サイティ様の『下』で媚びる気が無いなら──)」

「(サイティ様の『上』に立って踏み躙るつもり以外にありえないじゃないの!)」

 

レディス

「いっぺん……アテのツバでも飲ましたろかワレァァァッ!!」

 

 

 訛りのかかった怒声と共にレディスがグレモリーの肩を掴み、拳を無駄に大きく引き絞って、一直線に顔面へ突き込んだ。さながら往年のプロレスラーを思わせるほどに、見栄えだけは上等だった。

 しかし、グレモリーがレディスの手からまたもスルリと抜け出た。

 

 

グレモリー

「さて、それはそれとしてだ」

 

レディス

「ほはっ!?」

 

 

 グレモリーがそのままレディスの脇を抜けて、レディスがただ突っ立っていただけかのように、後ろの2人へと歩み出た。

 予備動作の多すぎるパンチに全重心を預けていたレディスは、先程よりも更に大きく前のめり、やはり再び、グレモリーが伸ばした手に支えられて転倒から助けられた。

 

 

グレモリー

「入国審査から、そう経っても居ないのに早速の挨拶とは恐れ入る」

「何か用があるなら、喜んで聞くぞ」

 

レディス

「ぐ……ち、ぎ、しょぉ~~~……」

 

アマーチ

「レディス、抑えて。お互い、これ以上サイティ様の顔に泥を塗るのはイヤでしょ?」

 

レディス

「う……」

 

アマーチ

「で……私たちは『お目付け役』よ、ギーメイさん」

 

バーズレー

「新入りは好きに出歩いて良いって言ったって、最低限のルールってものがあるのよ」

「それに『自分だけ正しくて他は全部バカ』とか言いそうな勘違い女が勝手な所に入らないようにね」

 

グレモリー

「なるほど、案内役という事か。気遣いに感謝しよう」

「なら早速、先導してもらおうか。ひと気のない……もとい、復興途上の場所があれば見てみたい」

 

レディス

「あぁ~~~ん? 聞っこえないわねぇ~~?」

 

 

 さっきまでの訛りを引っ込めたレディスが、一転して一際甲高い声で、耳の遠い老人のような身振りで挑発してきた。

 それを見てバーズレーが小さく吹き出した。

 

 

バーズレー

「教えてあげても良いけど、人にモノ聞くなら相応の態度ってのが有るんじゃないの?」

 

グレモリー

「礼は十分に尽くしたつもりだ。場所に心当たりが無いなら、好きに探すまでだ」

 

 

 取り巻きたちが来た方角へ歩き出すグレモリー。

 

 

バーズレー

「ちょっと待ちなさいよ! 勝手に歩くなって言ってんでしょ!?」

 

グレモリー

「それは妙だな。新入りの初日は自由行動が慣例だと聞いている。勝手で然るべきだろう」

 

レディス

「そういう意味じゃ……オイちょっと止まれっての!」

 

 

 取り巻きに目もくれず、気ままに歩き続けるグレモリー。ついてくる者にだけ返事をしてやると言わんばかりだった。

 

 

グレモリー

「大方、私には肉体労働を充てがわれるだろうからな。ある程度の下見はしておきたい」

「具体的な復興の業前を見ておけば、今後の見通しも立てやすい……まあ独り言だがな」

 

レディス

「この……止っまれ!!」

 

 

 レディスが背後からグレモリーの腰に組み付いた。

 グレモリーは直立歩行のまま、レディスをズリズリ引きずって歩き続ける。

 レディスは縋り付くようにグレモリーに両腕を回し、腰を突き出して地面に踵を立てて踏ん張るも、気休めにもなっていない。

 

 

レディス

「ぐおおおおぉぉぉ何だこの馬鹿力ぁ!?」

 

バーズレー

「くっ……」

「(こうなったら、本当に好き勝手される前に、こいつの希望に合わせてやるしかない……!)」

「(ま……まあ良いわ。『ひと気のない』、『復興途上』の場所……)」

「(最初から、『案内』してやるつもりで来たんだから……!)」

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 回想終わり。

 廃墟の奥、陽の光が所々で遮られた薄暗い通路を進むグレモリーと取り巻きたち。

 

 

グレモリー

「(こいつらの話では、『未開拓地区』は復興を予定……あるいは無期限に保留している区画)」

「(……この施設は保留対象だな。歩くだけで床材が細かく砕けて削れていく)」

「(到底、再利用には値せず、しかし取り壊すには道具も人員も瓦礫の捨て場も無い)」

 

バーズレー

「もうちょっと遠慮して歩いたら? 筋肉モリモリなら大砲みたいな体重してんでしょうから」

 

レディス

「そうよそうよ、踏み抜いて大穴空けて私らまで落っことさないでよ?」

「この辺は立ち入り禁止の場所もあって本当に危ないんだから」

 

アマーチ

「この施設、地下階もあるから、落ちたら深いわよ?」

「真っ暗闇の中で、無様にのたうち回って死んじゃうかもね、ククク……」

 

グレモリー

「(先程、瓦礫に紛れて真新しい『標識』の類いが取り壊され、打ち捨てられていた)」

「(恐らく『標識』の正体は……崩落等の危険から、土木担当以外の侵入者を遠ざけるためのもの)」

「(つまり、既に立ち入り禁止の中に入っている……全員が、な)」

「フッ……」

 

バーズレー

「な~にが『フッ』よ。とりあえずカッコ付けてりゃ良いとか思ってんの? ウケる」

 

 

 隙あらば蔑みにかかる取り巻きたちを歯牙にもかけず進むグレモリー。

 進むほどに通路は暗くなり、かつて扉が嵌っていただろう横穴の先は、3歩先の床が視認できれば良い方だった。

 それでもグレモリーは、涼しい顔で奥へ奥へと進んでいく。

 背後の取り巻き達が、後退を許さないとばかりに陣形を組んで後に続いている事を気配で察しながら。

 

 

レディス

「(……よし! 『例の部屋』を通り過ぎた!)」

 

バーズレー

「(フフッ、オバサン何も気付いてないわ。やるわよ、アマーチ)」

 

アマーチ

「(ええ……!)」

 

 

 取り巻きがグレモリーとの間の距離を詰めた。

 アマーチが陣形から外れ、今しがたグレモリーが通り過ぎた、他と変哲のない暗黒の部屋を覗き込む。

 

 

アマーチ

「(スゥーーー……)」

「っっあーーーーーっ!! 何よこれはぁ!?」

 

 

 腹の底一杯から、憤慨したような声を上げるアマーチ。

 きびきびと他の取り巻き2人もアマーチに駆け寄り、何もない部屋を覗き込んでは大仰に顔をしかめる。

 

 

バーズレー

「なになに、どうしたの……ちょっと何これ、ひどい!」

 

レディス

「おい逃げんなよオバサン! ちょっと通り過ぎただけの振りして、何しでかしたのよアンタ!?」

 

グレモリー

「む?」

 

 

 止まって振り向くグレモリー。

 取り巻きは寄り集まって、部屋の中を指差して口々に非難してくる。

 

 

グレモリー

「見ていた通り、通り過ぎただけだが。どうかしたのか」

 

バーズレー

「デタラメ言わないでよ、ならこの部屋のコレは誰がやったっていうのよ!?」

 

レディス

「滅多に人が通る場所じゃないのよ? たった今、ここを通ったアンタ以外に出来るわけないでしょうが!」

 

グレモリー

「何を言っているのか全く要領を得ないな。その原型も分からんほど廃れた部屋がどうした?」

 

バーズレー

「しらばっくれないで! 突っ立ってないで見てみなさいよ、言い逃れ出来ると思ってんの!?」

 

 

 取り巻き2人は部屋の前から一歩も動かず怒鳴り散らし、最初に声を上げたアマーチがズンズンと歩み出て、グレモリーの腕を取った。

 

 

アマーチ

「とにかく、揉め事には話つけなきゃいけないのよ。言い訳は見てからにして」

 

グレモリー

「やれやれ。まあ良いだろう」

 

 

 アマーチに引っ張られて、くだんの部屋を覗き込むグレモリー。

 石造りの床が一歩分。そこから先は、粗末な木板が打ち込まれている。

 木板は前方に伸びて、中程で暗闇に飲まれて先が見えない。

 それ以外は目に留まるものすら無い、廃墟らしいただの部屋だった。

 

 

グレモリー

「で、どれがおかしいと言うのだ? まさかこの部屋が崩れているのが私のせいとは言うまい」

 

レディス

「下よ下ぁ! 歳で見えないならもっと近づいてみなさいよ!」

 

グレモリー

「ほう」

 

 

 取り巻きの怒声はグレモリーの真後ろから飛び、不自然に数歩分の距離がある。

 それを分かった上で、言われた通りに僅かにしゃがむ動作を見せるグレモリー。

 

 

取り巻きトリオ

「(せー……っの!)」

 

 

 そのグレモリーの背中に、取り巻き3人が一斉に体当たりをかました。

 成人女性3人分の体重と加速を一身に受けて、グレモリーの体は部屋の中へと投げ出され……なかった。

 

 

レディス

「ぐ……おぉ!?」

 

アマーチ

「う、動かな……!」

 

バーズレー

「お・も・いぃぃ……!」

 

 

 必死に踏ん張ってグレモリーに押し出しを試みる3人だが、グレモリーは、直立から上体をやや屈ませた、ぶつかられる直前の姿勢から微動だにしていない。

 ようやく少し冷静になったアマーチがグレモリーの姿を確認する。

 グレモリーは、片手を上に上げ、かつて扉が嵌っていた、その上枠部分に指を置いている。

 女三人の突撃を、片腕と両の足だけで完全に押し返していた。

 追放メギド特有の高い上限を持つ肉体を、鎧を着込んだ私兵の男ども相手に鍛え続けているからこその離れ業だった。

 

 

アマーチ

「こ、こいつ天井に手ぇ引っ掛けてる!」

 

グレモリー

「やれやれ……あからさますぎて、合わせてやる自分が情けなくなるほどだったというのに──」

「結局これが『とっておき』なのだろう? つくづく人を落胆させるのが上手い連中だ」

 

 

 姿勢を崩さず、リラックスした声で挑発するグレモリー。

 つまり、腹筋に力を入れる事すらせず、まさしく足裏の摩擦と腕力だけで留まっていた。

 実力差は歴然だったが、取り巻き達はグレモリーが抵抗していると分かるや、ほくそ笑んだ。

 

 

バーズレー

「こんなになっても『カッコ付けて』んじゃ──」

 

レディス

「いい歳こいて『無様に足掻いて』んじゃ──」

 

バーズレー&レディス

「無いわ……よぉっ!!」

 

 

 取り巻き3人同時に、殴るようにグレモリーの背をひと押しすると同時に反動で一歩離れ、レディスとバーズレーが正確に、グレモリーの膝裏に蹴りを入れた。

 膝カックンの要領で支えを失わせ、追撃で突き飛ばす算段なのは明白だった。

 が、2人の蹴りが伸び切った時には、狙った場所にグレモリーの足など影も形も無かった。

 

 

バーズレー&レディス

「はあっ!?」

 

 

 グレモリーは上枠を手で挟み込み、片手懸垂で体を持ち上げて蹴りを回避していた。

 更に宙に持ち上げた足を後方へ振って、バーズレーとレディスの背後に着地。

 2人の背中をトンと突き飛ばした。

 

 

バーズレー

「あ……」

 

レディス

「ひあっ……」

 

 

 押されるままに室内に踏み込んだ2人は、床に打ち付けられた木板の上に乗り、その瞬間、木板が音を立てて石の床から剥がれた。

 そして2人は、木板と共に「下」へと消えてゆく。

 が、すんでの所でグレモリーが2人の服を掴んで持ち上げ、落下から助けた。

 

 

バーズレー&レディス

「うひっ……ひぃぃぃぃ!」

 

グレモリー

「ふむ……木板は形だけ床と貼り合わせて、足場が続いているように見せかけていたわけだな」

「のこのこ踏み入れば、到底ヴィータなど支えられん木板ごと、崩落で出来た穴の底へと転落……」

「ところで貴様ら、私の利き腕がどっちだったか、覚えているか?」

 

バーズレー

「み、みミギィ! 右利ヒりゃったぁ!」

 

レディス

「う、ううそつけぇ! ひだ、左で剣持ってたぁ!」

 

グレモリー

「ハァ……そのくらい覚えられる程度にも他者を顧みないから、こうなるのだ。それと──」

「無駄だぞ、アマーチ」

 

 

 振り向かずに背後のアマーチに語りかけるグレモリー。

 蹴りに参加せず難を逃れたアマーチは、ナイフを抜いてグレモリーを睨みつけていた。

 

 

アマーチ

「強がってんじゃないわよ……!」

 

グレモリー

「何故、道中で私が茂みに石など投げたと思う?」

「あの時点からもう臭って仕方なかったからだ。死臭がな。何を『仕掛けて』くるかと思ったが──」

「死臭はこの下から漂っている。これ『だけ』が貴様らの『武力』だったと言う事だ」

「直視せずとも丸わかりだ。料理にさえ刃物を扱ったためしもない素人の『構え』だ。策は尽きている」

 

アマーチ

「だから何よ! 『お荷物』2つもぶら下げといて!」

 

グレモリー

「私を無力化するなら、その短刀を深く、命に届くほど突き立てるしかないぞ」

「だが、そうすれば死体は『3つ』出る事になる」

「サイティの『持ち物』を勝手に減らして、果たして私1人の命で帳消しに出来ると思うか?」

 

バーズレー

「や、や、やめなさいアマーチ……い、い、今このオバサン、さ、刺したら……」

 

レディス

「お、落ちる! アテエらまとめて……!」

 

アマーチ

「……!」

 

 

 数秒、鼻息荒く考えたアマーチは、引きつった笑みを浮かべた。

 

 

アマーチ

「駆け引きしてくるって事は……本気でやられちゃ、どうしようも無いって事よねえ……?」

 

グレモリー

「ほう……中々の意気だ」

 

バーズレー&レディス

「ア……アマーチ!?!?!?」

 

アマーチ

「下っ端はねえ! いつだって、ヤらなきゃ後が無いのよおおおお!!」

 

 

 ナイフを握った手首を、祈るように反対の手で握りしめ、真っ直ぐに駆け込むアマーチ。

 グレモリーは、取り巻き2人をぶら下げたままゆっくりと振り向き、投げ渡すように2人を前方に突き出した。

 

 

アマーチ

「んなっ……!?」

 

バーズレー&サイティ

「ひいいっ!?」

 

 

 全て計算づくだったかのように、投げ込まれた2人は、アマーチの素人丸出しに怒らせた両肩に激突し、アマーチは空気以外に切る物無く、衝撃でナイフを取り落した。

 

 

アマーチ

「うあっ!?」

 

バーズレー

「いぢっ!?」

 

レディス

「オぬぅぅぅ!!」

 

 

 アマーチは2人に激突された衝撃に負け、押し倒されるようにその場にしゃがみこんだ。

 バーズレーは何歩目かで着地に失敗し、足首を少々極端な方向に曲げながら地面に倒れた。

 レディスはよろめきながらもバランスを取り直して、グレモリーに振り向こうとしたが、踏みとどまり切れずに、尖った瓦礫の上に全体重で尻もちを突いた。

 

 

バーズレー

「い……いだぁい~~! 足挫いたぁも~ヤダ~~!」

 

レディス

「シ……シリガ……アテノシリガァー……」

 

アマーチ

「……」

 

グレモリー

「言っただろう? 『叩き潰され』ないよう気を配れと」

「敵を罠に陥れるなら、その過程こそが『戦い』だ。貴様らは自分の策を隠そうともしなかった」

「しかも学舎前からここまで、わざわざ幾度も力量の差を見せてやったというのに──」

 

 

 グレモリーがゆっくりとアマーチに歩み寄る。

 未だに大きなダメージの無いアマーチだけは、強くグレモリーを睨み返している。

 

 

グレモリー

「貴様らは、なおも私を面白おかしく扱き下ろす事しか考えなかった。呆れを通り越して哀れだな」

「反撃も考えず、兵も控えさせず、のこのこ自分たちから孤立しに行くとは──」

「『尻に敷かれる』ために挑みかかったも同然だ。『弱さ』という力に酔うからそうなる」

 

 

 アマーチが飛びかかるようにして、地面に転がったナイフを拾い上げようとしたが、先んじてグレモリーに取り上げられた。

 まるでグレモリーの足元に跪くかのような位置関係になっても、アマーチは唸り声が聞こえそうな顔でグレモリーを見上げている。

 

 

グレモリー

「しかも貴様らのために『穏便』に持ちかけてみれば、『弱み』と勘違いして食らいつく」

「私が相手で実に幸運だったな。貴様らのような手合は、幾らでも社会の『食い物』になるだろうよ」

 

アマーチ

「偉そうに……『持ってる』ヤツの理屈で説教垂れてんじゃ無いわよ!」

「何もかも平気で片付けて歩く反則の塊のクセに、『ザコ』に通じる言葉なんて1つもありゃしない!」

 

バーズレー

「わ……私たちにこんな怪我させて、タダで済むと思わない事ね!」

「アンタはサイティ様の腹心の私たちに傷を付けたんだから!」

 

レディス

「シリガ……」

 

グレモリー

「良いとも。その『転んで』出来た傷を、足と尻ごとサイティの前に突き出して遠慮なく言え」

「『お陰で三人まとめて無様に逃げ帰ってきました』とな」

 

バーズレー

「ぐっ……うぅ~~……何なのよ! アンタが! アンタが悪いクセにぃ!!」

 

グレモリー

「話にならんな。さて……後は貴様だけだ」

 

アマーチ

「く……むぐっ!?」

 

 

 グレモリーがアマーチの顔下半分を掴み、そのまま腕力だけで立ち上がらせる。

 更にそのまま持って歩いて壁に押し付けた。

 

 

グレモリー

「『お近づきの印』として、教えてやろう」

「短刀は……こうやって『刺す』ものだ」

 

アマーチ

「ぷはっ! へっ……?」

 

 

 拘束を解かれたアマーチだが、逃げることも防ぐことも出来なかった。

 本物の「圧」に射抜かれたアマーチは、全てが終わるまで、「身動き」という発想すら浮かばないほどに思考が停止していた。

 素人目にも確かに堂に入った「構え」のグレモリーが、自分めがけて刃先を突き出すまでの僅かな時間を、アマーチの体感は100年に引き伸ばし、その脳は100分の1秒に押し縮めた。

 その場に悲鳴の1つも上がらなかった。傍で見ているだけのバーズレーとレディスも同じような状態だった。

 

 

アマーチ

「……あ……え……?」

 

 

 ズルズルと崩れ落ちてからアマーチは我に返り、ようやく自分が無傷な事に気付いた。

 自分の顔が存在した位置のすぐ隣で、ナイフが石の壁に根本まで完全に埋まっていた。

 例えば、破損から風化が急速に進んだ内壁が蝋石のように脆くなっていたのかもとか、そういった可能性を考慮する余裕は、今の取り巻き達には無かった。

 

 

バーズレー

「ほ、本物の……『化け物』……!」

 

グレモリー

「『ヴィータ』さ。時に情けなくなるほどにな」

 

 

 ゆっくりバーズレーに振り向くグレモリー。

 

 

グレモリー

「『ギーメイ』は、開けた場所や人目の多い場所ばかりを希望していた」

「『未開拓地区』など行きたがらず、誘導しようにも取り付く島も無く、手出しできなかった……」

「貴様らは、ただ『仲良く』、私と散歩を共にした」

「…… そ う だ な ?」

 

バーズレー

「ひっ……は、はいっ、はいぃ!」

 

グレモリー

「よろしい。そして……」

 

 

 足元にへたり込んだままのアマーチの顎をクイと持ち上げるグレモリー。

 屈んでアマーチの瞳を覗き込む。

 

 

アマーチ

「!?」

 

グレモリー

「恐らく、貴様の言う通りだろう。真に持たざる者の世界を、私に見通す事はできない」

「例えどんなに希求してもだ。故に、貴様の言葉の真偽すら私に判定する資格はない」

「よくぞ吠えてくれた……心から感謝する。肝に銘じよう」

 

アマーチ

「……へ?」

 

グレモリー

「また『交流を深め』に来い。いつでも歓迎する準備は出来ている」

「貴様が私を飽きさせる事が無ければ……だがな」

 

アマーチ

「……」

 

 

 アマーチを解放し、悠々と来た道を戻って、未開拓地区の外へと去っていくグレモリー。

 置き去りにされた取り巻きの内、バーズレーがいち早く我に返り、挫いた足を庇いながら仲間たちの元へヒョコヒョコと駆け寄る。

 

 

バーズレー

「あ……あンのババア、絶対、本気で私たちを穴に落とす気だった……!」

「アマーチが刺しに来て、ビビって私たちを投げ捨てなきゃ皆殺しだった……そうに決まってる!」

「ねえそうでしょ!? 何が元・私兵よ、血も涙もないド外道女よ! 社会のゴミでしかないわ!」

 

アマーチ

「……」

 

レディス

「……シリィ……」

 

 

 バーズレーが2人に駆け寄ったのは心配とかではなく、愚痴に同意する相手を求めての事だった。

 が、アマーチはグレモリーが去っていった方を呆然と眺めるだけで返事がない。

 レディスは瓦礫が相当絶妙に点穴を穿ったらしく、まだ情けなく蹲って震えている。

 

 

バーズレー

「聞きなさいよ私の話ィっ!!」

 

レディス

「イヤ・ダッテ・シリガ……」

 

アマーチ

「あ……」

 

バーズレー

「アマーチも、いつまで腑抜けてるのよ、オバサン見失ったらそれこそサイティ様に何言われるか──」

 

アマーチ

「……アネさぁん……」

 

バーズレー&レディス

「……は?」

 

 

 もう見えなくなったグレモリーを遠い目で見つめながら、湿った吐息と共にアマーチがぼんやりと呟いた。

 薄暗闇の中で気づくものは居なかったが、手は胸元でキュッと組み合わせられ、アマーチの細められた瞳は潤み、顔は仄かに朱に染まっていた。

 

 

グレモリー

「ふぅ……もう昼下がりか。適当に人だかりを歩いて体裁を整えたら、学舎に戻るとしよう」

 

 

 一方、手早く廃墟の外まで出たグレモリー。暗闇に慣れた目に飛び込む陽光に軽く眉を寄せた。

 お目付け役を完全に引き離してしまわないよう、速度を調整しながら歩き出すと共に、グレモリーは今後の取り巻きたちへの対策について考えた。

 

 

グレモリー

「(アマーチだけは、私という驚異に『抗う』事を決めた……悪くは無いが、注意せねばな)」

「(私の見立てが正解なら、アマーチは他の2人が折れても、単独で私の失墜を狙うだろう)」

「(戦士としては、そのような者こそ好ましいが、下手を打てば矛先は仲間にまで向く……)」

「(アマーチは特に、私に執心させるよう、うまく誘い込まねばならんな)」

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 三度、巻き戻して場所を変え、最後にハルファス。

 グレモリーが指し示した通りの場所に到着し、アブラクサスでも一際高い建造物を見上げている。

 

 

ハルファス

「着いた……私1人で来れちゃった。自分でも、ちょっとびっくりかも」

「えっと、私を止める人が居なければ、中に入って一周してくる……だったよね」

 

 

 小動物のような仕草で周囲を確認するハルファス。

 

 

ハルファス

「……誰も居ない」

「なら、入って良いのかな? ……どうしよう、本当に入っても良いのかな?」

「でも、グレモリーに頼まれてるし……大きな建物だけど……空き家かな?」

 

女A?

「ブッブーーー! 実はちゃーんとお客さんが済んでたりするんですよねー」

 

女B?

「昔は『天文観測塔』って名前でねー、何でもお空に光る星の正体を調べようとしてたんだってさ」

「てなわけで、景品の『さっきそこで拾った紫色の抜け殻』は……没・収・です!」

 

女A?

「そんな! あんまりだあ! あたしのアルバはどうなるの!?」

 

ハルファス

「そうなんだ。そういえば星って、空で光ってるって事以外、よく知らない」

 

女A?

「ま、んなこた良いから入った入った!」

「見張りも立て看板も無いんだから、ちょっとくらい大丈夫よん♪」

「それにぃ、それで怒られたら『監督不行き届き』って魔法の言葉があるんですぜ?」

「オトナの世界は先に責任おっかぶせたモンが勝つのよゲブェッフェッフェ~……」

 

女B?

「まいどーごめーわくおかけっしゃーす、あんぜっだいーちでー、入り口までウカイしてくっさーい」

 

女A?

「ンガガガッ、ピー、ピー、バックシマス!」

 

ハルファス

「よくわからないけど、あっちの大きい門から入ればいいの?」

 

女B?

「アイそっすー、見た目ごっついっすけどー、普通に押すだけで開くんでー、よろっしゃーす」

 

女A?

「ピー、ピー、バックシマス!」

 

 

 塔の正面に回り、純白の大理石で象られた門を開くハルファス。

 中に入り、グレモリーの依頼を遂行すべく、ひとまず内装を見渡す。

 

 

ハルファス

「広くて……真ん中に柱と、壁に長い階段?」

 

女A?

「そうそう、壁伝いに螺旋階段になってて、昔の人は頂上の部屋でお空を眺めたりしたのよ」

 

女B?

「そうそう、たっかい所で空を見るって実は結構、肉体労働なのよー」

「うっかり後始末とか忘れると、夏の太陽がもンの凄くてマジで蒸し焼きになるレベル」

 

ハルファス

「ふーん。取り敢えず、まずは1階を見て回らないと」

「……あれ? あっちの床、周りとちょっと作りが違う?」

 

女A?

「チッチッチィ! 建もの探訪の極意ってモンがなっちゃねえぜベイビー」

「どんなにちっぽけでも絶対いつも見えてないとダメってくらい甘ちゃんですわよ!」

 

女B?

「先に下で体力使っちゃったら、階段昇るのがますますしんどくなっちゃうのよ、コラえてコラえて」

 

女A?

「しかも今なら、途中に障害物も無いから、階段から見下ろしながら1階を見ておけるチャンス!」

「しかも天井に着くまで何度でも眺め直し可能! こりゃ回さ……らなきゃ損ですぜダンナ!」

 

ハルファス

「分かった。先に上から一周すれば良いのね?」

 

 

 見上げるだけでうんざりするような螺旋階段を、気にすること無くテクテク昇り始めるハルファス。

 2~3分ほど、ハルファスの足音だけが塔に反響する。

 

 

女B?

「ずんちゃっちゃ~ずんちゃっちゃ~ずんちゃっちゃ~ずんちゃっちゃ~♪」

 

女A?

「海~苔が~採れ~まくるし景~色も良い~♪」

 

女B?

「ほっほーほ♪」

 

女A?

「ア~ブラ~クサ~ス♪」

 

女B?

「ほっほーほ♪」

 

女A?

「え~えト~コぞ~~♪」

 

女B?

「ほっほーほウホホイウホホホーン!」

 

女A?

「だぁぁもーあだすやってらんねぇべさぁ!」

「来る日も来る日も磯くっせ海苔ばっか潜って毟って潜って毟って、も~~ヤんだ!」

「こんなビンボっくせ漁村ば産まれたんが、あだすの最大の不幸だべな!」

 

女B?

「はぁん! いっちょめえに色気付いてんでねぇど!」

「『あぶらぐさす』ばオメ、オラん爺っちゃ婆っちゃの頃からず~~っと海苔さ採って暮らスで来たんだ」

「そんにホリェ、海苔ばっかでねぇど、こっただ魚も穫れんべよぉ?」

 

女A?

「こっただめんこぐもネ、味さ『うっすい』だげの魚が何だってんだぁ!」

「後生大事に油っ漬けにしてブリキの器さ詰めて封して、そんクセ何年も食わねで!」

「あ~~くっせくっせ、あだす漁なんかもうヤんだ! あだすはオカで花さ愛でて暮らすんだ!」

 

女B?

「こンのバチ当たりが! 花なんざハァ腹の足しにもならんべさ!」

「スかも花いうたらオメ、あの棘だらけの忌々しい花しかここらに無かんべよ?」

「やめとげやめとげ、あんなもんヴィータの土地さブン捕るだけで迷惑にしかならん!」

「肥やしになるだけまぁだババクソん方がよっぽどマシだぁ」

 

女A?

「きったね言葉さ使うでね! おっ父もおっ母もでえっキレエだぁ!」

「ウホ~ン、ウホホォォ~~ン……!(号泣)」

 

女B?

「なーんて事があったか無かった知んないけど、それはそれは辺鄙な村だったアブラクサス──」

「それなのにまあ、金持ちって人たちゃ物好きなもんで、ある時、な~んも無いこの村に来たわけよ」

 

女A?

「ま~ぁ奥様みてみて、貧乏人よ、貧乏人が蠢いてますわ♪」

 

女B?

「あぁらヤダか~わ~い~い~♪」

 

女A?

「んま~ぁ奥様ったら見た目以上に業が深いご趣味ですこと♪」

 

女B?

「なぁ~に仰ってますの奥様、こんなに見事な薔薇ですのよ?」

 

女A?

「は? え? ……あ、あ~らホント!」

「こんな磯くっさい所になんてキレイな薔薇が咲いてるのかしら、不思議ね~!」

 

女B?

「ところで今、『見た目以上』って言った?」

 

女A?

「……」

「な、なんて事があったか知らんけど!」

 

女B?

「ねえ、今──」

 

女A?

「たまたまアブラクサスに生えてた薔薇が大ヒットッ!!!」

「こぞって金持ちが薔薇を欲しがったけど、好き放題摘み取って絶滅させちゃあ本末転倒──」

「金持ち同士でバチバチ睨み合って、採って良い数とか色々協定作ったワケなのよ」

 

女B?

「でもでもー? 噂を聞いて欲しがるお金持ちは増えるばっかり……」

「確実に薔薇を手に入れたきゃ……お金しか無いわよね~?」

「てなわけで花一輪のために金で金をジャブジャブ洗う見栄っ張り競争が始まり始まりー」

「もちろん、1番得したのはアブラクサス。村中一生かけても拝めないようなお金がジャブジャブと……」

 

女A?

「ウッホホンウホホォォ~~ンヌ……!(快哉)」

「やっぱりあだすは花さ愛でるために生まれためんごい乙女だったんだべよお!」

「こんだけジェニさあれば服だって指輪だって『いげめん』だって買えるっぺや!」

 

女B?

「んだっからオメは世間っちゅうモンが狭ぇんだべや」

「この銭でオラが地元を、世界中が羨むような『とれんでい』な都会さすっぺよ」

「そスたら服でも指輪でもハァ向こうから嫌ンなるほどやってくるだ」

「こン花ぁ貧しく生ぎてきたオラへの、光の造り主様からの贈り物に違ぇねえだよ」

「オラぁ最初っからぜぇ~んぶ分がってただ、ンだから花ン事ぁオラが決めるっぺ」

 

女A?

「ほざけぇ! 花なんざクソの役にも立たねえ言うてたでねえか!」

 

女B?

「うっせうっせ! 子ぉが見つけたモンは親ぁのモンだぁ!」

「どーせ金目なモンの置き場さえ無え村だで、土地さ広げなきゃ話になんねえべよ!」

 

女A?

「なーんて事があったか知んないけ・ど・も」

 

女B?

「えーオッホン、何と今日はー、アブラクサスの皆さんにー、偉い人達からお便りが届いてまーす」

 

女A&B?

「あっざーす」

 

女B?

「ペンネーム、『学者一同With自然を愛する領主サマーズ』からのお便り」

「アブラクサスの都市開発は、自然の形が変わって、動物にも植物にも大変良くないです」

「特に工事で出たゴミを海に捨てるから、海の生き物がどんどん死んじゃってクソウゼェです」

「自分たちの事ばかり考えず、同じ生き物同士、仲良くすることも考えましょうネ(はあと)」

 

女A?

「はぁ~~ん!? 何知った風な口聞いてンだ、これだから金持ちは人情ちゅうモンが分かんねえだ!」

 

女B?

「んだんだもっと言ったれい! オラ達ゃこンきったねえ村でず~~っと我慢サしてたんだ!」

「くっせえ海苔もうっすい魚も好き放題生きてきたでねえが! 苦しんでたのはオラ達だけだ!」

「こン金も花もオラ達のモンだ! オラ達の幸せサ使うためにあるんだ! ガタガタ抜かすでねえ!」

「ほ~りぇ埋めろ埋めろ、海苔も魚も大地に還って、オラ達を見上げて悔しがってりゃええだ!」

「ウッホホォ~ンウホホホォ~~ン!(勝鬨)」

 

女A?

「そんなこんなで反対する学者のお口にゴルドとか詰めて、アブラクサスは美しい国になったので~した」

 

女B?

「そしてある日……あ~~エッヘンオッホン!」

「ひょうっ、しょうっ、じょうっ♪ アブラクサス……殿!」

「あなたはとっても頑張って、くっさい村から楽園のような街に様変わりしました」

「まるで、くっさい角出す芋虫が蝶になったように! そんなあなたを讃えて──」

「あなたに、『国家変態賞』を……以下同文! ご苦労!」

 

女A?

「はい! あたくし、もっともっと、頑張ります!」

「あぁ、こんなに光栄な事は……ズビビッ、チ~~ン!(擤鼻)」

「あたくし、ノロマな芋虫や、目も耳も無い蛹なんかじゃ終わりません!」

「もっともっと、変態します! ド変態してみせます!」

 

女B?

「なんて事があったか知んないけど、多分そんな感じで出来上がったのが今のアブラクサス」

「だもんでこの塔にしたって、ルックス重視で本当は不便でしょうがないのよねー」

「今やこの長~い階段を地道にエッサホイサしなきゃテッペンに行けないってんだからもう」

 

女A?

「フッ……なんたって、『国家変態賞』なのよン?」

「私なんて毎日だって駆け上がりたかったけど、いい加減ぎっくり腰が怖いのよぼよぼ」

 

女B?

「実はねー、あの真ん中に生えてる柱、あの中に機械の箱が入ってるのよ」

「昔はあの箱で下からテッペンまで一直線だったんだけど、流石にガタが来ちゃってねえ」

「もちろん非常階段とかそんなダッサイ物も付いてないし」

 

女A?

「なぜなら……」

 

女B?

「そう……」

 

女A&B?

「『国家変態賞』だからね……!」

 

ハルファス

「……」

「あ、もう返事しても大丈夫そう?」

「とりあえず、とっても詳しいんだね」

 

女A?

「お~っほっほっほ、生き字引きとお呼びなさ~い♪」

 

女B?

「詳しいと言えば、ほら、窓の外の『アレ』、見てみて?」

 

ハルファス

「『アレ』?」

 

 

 ガラスも雨戸の類もない、穴だけの窓が進路上の壁に設けられていた。

 窓から身を乗り出して、眼下に広がるアブラクサスを眺めるハルファス。

 

 

ハルファス

「わあ。結構、高い所まで昇ってたんだね」

「皆と最初に入った正門は……建物の陰で見えないね」

 

女A?

「惜っしい! 見て欲しいのは『学舎』の方なのよ」

 

女B?

「学舎の前、人が居るでしょ?」

 

ハルファス

「学舎の前……あ、本当だ」

「凄くちっちゃいけど、3人くらい……かな?」

 

女A?

「そうそう、3人共、今はあなたを探してワタワタしてるのよ」

 

ハルファス

「そんな事まで分かるんだ、本当に何でも知ってるのね」

「でも、何で私を探してるの?」

 

女B?

「あなたに会いに行くつもりだったのに、そこに誰も居ませんでしたからねー」

 

ダレカA

「ダレカそこに居れば良かったんですけどねー」

 

ダレカB

「本当なら、あなたの道案内やお話相手になるダレカは、あの人達だったんですよねー」

 

ハルファス

「えっ?」

「じゃあ、あなた達は……ダレ?」

 

 

 窓から振り向くハルファス。

 広く高い天文観測塔に、ハルファスの声の残響だけが、小さくハルファス自身の耳へと帰った。

 上下左右をゆったり確認するハルファス。気にかかるモノは何もない。

 

 

ハルファス

「……誰も居ない?」

「……どうしよう。学舎の前に居る人たちに会いに戻った方が良いかな?」

「もしかしたら、ここは本当は入っちゃダメな場所だったかもしれないし……」

「でも、グレモリーが言ってたから、ちゃんと一回りした方が良いのかもしれない……」

 

 

 動けなくなったハルファス。

 数秒ほど固まっていると、上の方から、階段を移動する足音が反響しながら届いた。

 見上げるハルファス。足音は段々と遠くなっていく。

 

 

ハルファス

「あっ、誰か居るみたい」

「……うん。上にいる人に、どうしたら良いか決めてもらおう」

「一回りしながら、入って良い場所なのか確かめられるし、その後の事も選んでもらえる」

「よかった。全部できるなら……私でも選べる」

 

 

 何か重要な部分がすっぽ抜けている節がある「選択」ながらも、それに気付かず、「自分が選ぶことが出来た」とホッとするハルファス。

 階段を昇るハルファスだが、少しして首をかしげる。

 足音に代わって、穏やかな曲が聞こえてくる。

 

 

ハルファス

「……ピアノの音?」

「でも、足音は私が気付いた少し後から、ずっと止まってる……」

「足音が階段を昇るのを止めてから、ピアノを鳴らすまで何の音もしてないから……」

「頂上の部屋の出入り口にピアノが置いてある……のかな?」

「それとも、部屋一面に絨毯が敷いてあって、足音が聞こえなかった……やっぱり分からないや」

 

 

 最上段まで到着するハルファス。

 周辺は最低限の空間しか無く、石壁が通路となって細く続く。

 長さもごく僅かな通路の先に両開きの扉があり、これが頂上である観測室への出入り口だと分かる。

 

 

 

ハルファス

「着いた……でも、やっぱりおかしいかも」

「扉……ちょっと隙間が空いてるけど、人が通るには狭い気がする。封筒1枚くらい?」

「でも、扉を開く音とかしなかったから、さっきの足音の人は……」

「足音の人も消えちゃったのかな?」

「それとも、聞こえてたのは、さっきの2人のどっちかの足音だったのかな?」

「……」

「ピアノが扉の向こうから聞こえるから、人が居るって事だよね。中の人に聞いてみよう」

 

 

 そっと扉を開くハルファス。

 質素な見た目に反して、王城の一室のように上品な摩擦音と共に蝶番が回った。

 観測室に一歩、足を踏み入れたハルファス。

 

 内装をひと目見て、いつかメフィストがアジトに持ち込んだルーレット盤がハルファスの脳裏をよぎった。

 ハルファスが出てきた位置が、円形に造られた観測室の外縁部。

 長さ約3m、幅数十cmほどの石造りの通路がハルファスの足元から外縁部に沿って伸びており、通路から内側に広がる観測室の床は段差1つぶん低い。

 床は中心の、例の1階から伸びる柱を基点にして放射状に、仕切りのような線が広がって床を幾つかの区画に等分している。

 区画1つ1つに、点を線で繋いだような模様が描かれているようだった。ハルファスの最も近くにある模様は、大小の点の集まりから、少し離れた位置に並ぶ2つの点に、カタツムリのように2本の線が伸びているのが印象的だった。

 よく見ると、模様のすぐ近くに文字のような物も擦り切れ気味に描かれている。「カタツムリの模様」が無ければ、それを文字の類とは思わず、ハルファス的には「大きなリボンを付けたヴィータの頭」とでも思ったかもしれない。

 

 

(※文章で分かりにくい時は以下に大体のイメージ)

 

【挿絵表示】

 

 

 

ハルファス

「(ピアノの音は……柱の向こうかな)」

 

 

 扉を開けてから、ピアノの音色は明らかに同じ部屋の中で聞こえていると確信できるほど、ハッキリしたものとなった。

 室内に反響する音色を耳で辿ると、それはハルファスの居る位置から、ほぼ対角線上の先から奏でられていると考えられた。柱の死角以外に楽器も人影も見当たらない事から、ほぼ間違いない。

 ドーム状の天井は骨組みと窓のみで構成され、窓一枚一枚にどのような機構かシャッターが設けられ、今は数枚の窓が開かれて、木漏れ日のように観測室に日光を注いでいる。

 通路から観測室の床に降り立つハルファス。カツーンと、靴音が官能的なまでに反響した。

 

 

ハルファス

「(あ、……足音、ピアノの邪魔になってないかな?)」

 

 

 同時に、足元の感触は石に近い事や、その割に経年劣化や人足によるすり減りがほとんど無い事、これも当時のアブラクサスが実現した技術の結晶なのかと大小の感想が湧いてくるが……ハルファスが何より意識したのは、自身が演奏者の迷惑になっていないかという事だった。

 思わず立ち尽くして、柱の向こうを気にするハルファス。

 ピアノの演奏には些かの乱れも無い。

 

 

ハルファス

「(……大丈夫、なのかな。でも、この靴だと、歩く度に足音しちゃいそうだし……)」

「(でも……何でだろう)」

「(音楽、余り聞いたりしないのに……この曲、ちょっと『気になる』)」

 

 

 無意識に、柱の向こう側へと歩き出している自分に気付いていないハルファス。

 

 

ハルファス

「(何だか、よくわからない気持ちになる)」

「(何となく、安心する曲なのに、安心するものが欲しくなるみたいな)」

「(なのに、やっぱり安心するものは要らないみたいな……何か、自分でも何を言ってるのか分からない)」

「(それに……アジトで仲間が音楽を演奏してる時より、『物足りない』?)」

 

 

 柱を回り込んで、目に飛び込んできた景色に、ようやく我に返るハルファス。

 

 

ハルファス

「あっ……薔薇が、たくさん……」

「……あれ? 私、いつの間に……」

 

???

「……ご機嫌よう、可憐な人」

 

ハルファス

「!?」

 

 

 最初に見えてきたのは、1区画の壁を埋め尽くす程の、麗しい蔓バラの茂み。

 次に、無意識に移動していた自分。

 そして、それらに当惑している間に声をかけられた事で、蔓バラの手前に佇むグランドピアノと、ピアノ前の座席に座る一人の人影に気付く。

 

 

ハルファス

「あ、私、えっと……」

 

???

「ようこそ。遠慮はいりません。心から歓迎しますよ」

 

 

 人影は見た所、ハルファスと歳の近い少女だった。

 その紳士を思わせる中性的な装いを考えれば、ハルファスより若く声の高い少年と見れなくもないが、男子禁制のアブラクサスでは考えにくい。

 清水を浴びた羽のような、麗らかな笑顔と共に、少女がハルファスに向けて右手を差し出した。

 

 

中性的な少女

「差し支えなければ、どうぞこちらへ。少しだけ、手伝って欲しい事があるんです」

 

ハルファス

「あ、うん。私に出来る事なら──」

 

 

 向こうから自身の行動を提案され、普段どおりに従うハルファス。

 伸ばされた少女の手に、ハルファスも何気なく右手を差し出すと、少女はふわりと手を取って席から立ち上がった。

 少女が座っていた椅子は横に長く、ハルファスを隣に座らせると、少女も再び座り直した。

 

 

中性的な少女

「そちらの低音の鍵盤を、少しの間、奏でてもらいたいんです」

 

ハルファス

「でも私、ピアノを弾いた事ないけど……」

 

中性的な少女

「難しい運指では無いので、安心して下さい。少し、お手を失礼」

 

 

 少女はハルファスの片手を取り、指紋1つ付ける事さえ惜しむような繊細な手付きで、ハルファスに叩くべき鍵盤の位置を教える。

 

 

中性的な少女

「まず、ココを。次に少し離れて……ココです。位置さえ合っていれば、指は楽な形で大丈夫」

 

ハルファス

「ココと……ココを、こう?」

 

中性的な少女

「ええ。とても良いですよ。では次は、私が鍵盤を叩くタイミングに合わせてみてください」

 

 

 少女が適当な鍵盤を等間隔で叩く。言われるまま、指示された音を交互に奏でるハルファス。

 

 

中性的な少女

「そうです。そのまま……とても無垢な音色だ」

 

ハルファス

「あ、ありがとう?」

「でも……本当に、これだけで良いの? これなら一人でも両手で出来そうだけど」

 

中性的な少女

「ええ。普通ならば、一人でも演奏できる簡単な曲です。しかし──」

「少し前に、左手を痛めてしまいまして。何でも、『関節が増えている』とかで」

 

 

 左手にだけ着けた白手袋を外す少女。

 手の甲から手首にかけてアザが残り、伸ばした指の薬指だけが歪んで長さも若干足りない。

 

 

ハルファス

「あ……ご、ごめんなさい?」

 

中性的な少女

「いいえ、初対面の方にお見苦しいものを……私も不注意でした」

「お詫び……にはなりませんが……テンポを崩さないで」

 

 

 ハルファスの機械的な演奏に合わせて、少女の右手が主旋律を奏でていく。

 

 

ハルファス

「わあ……」

「(これ、さっきの曲だ)」

「(今度は『物足りない』感じが無い。さっきのは、低い音が無かったからかな)」

「(でも……よく分からない気持ちは、もっと強くなった気がする?)」

 

中性的な少女

「少し、お話しても?」

 

ハルファス

「あ、うん。多分、大丈夫……かも?」

 

中性的な少女

「ありがとう。難しく感じたら、気にせず手を止めてください」

「さて……今日、新たに訪れた方々について、少ないながらも伺っています」

「貴女は恐らく、その中の『チータ』さん……あるいはハルファスさんで、合ってましたか?」

 

ハルファス

「うん。今日はお仕事が無いから、アブラクサスを見て回れって……」

「(私の本名でも大丈夫って『筋書き』だから、『うん』って答えて大丈夫……だよね?)」

 

中性的な少女

「ああ、やっぱり。こうしてお会いできて、とても嬉しく思います」

「すっかり遅くなってしまいましたが……初めまして。これからも宜しくお願いします」

 

ハルファス

「えっと、こちらこそ?」

「そう言えば、ピアノはお仕事じゃなさそうだから……あなたは偉い人?」

 

中性的な少女

「ええ、まあ。微力ながら、アブラクサスをもり立てるお手伝いを」

「ですが、身分のようなものは気になさらないで下さい。私に関しては殆ど形ばかりのものです」

「それに、ここで暮らす人たちは皆、対等に協力しあう仲間ですから」

 

ハルファス

「それで大丈夫なら、言われた通りに、気にしないようにしてみる」

「私、マナーとかよく分からなくて、自信ないし」

 

中性的な少女

「ここでは珍しくありません。貴女も気兼ねなく──」

 

???

「ナニをよろしくやってんだい、オマエは」

 

 

 小枝に並んだ小鳥のような語らいに、つい数時間前に聞いた覚えのある濁声が割り込んだ。

 演奏を中断して振り向くハルファスと少女。

 2人のほぼ真後ろの壁に、ハルファスが入ってきた出入り口と同様、石の段差と扉があった。ただし、こちらの扉は両開きではなく、ごく一般的なサイズの木戸。

 開かれたその扉の前に、入国審査の時に出会った「秘書」が立っていた。

 2人が気付いたのを確認すると、「秘書」は後ろ手に扉を閉め、ツカツカと2人に歩み寄った。

 

 

秘書

「フンッ、断りもなくこんな所まで入ってくるなんてね」

「すっとぼけた顔ブラ下げといて、随分と厚かましい女じゃないか」

 

ハルファス

「ご、ごめんなさい……私、えっと──」

 

中性的な少女

「しかし、天文観測塔は初日の自由行動でも、立ち入り禁止では無かったはずでは?」

 

秘書

「ぬ、ぅ……」

「お、オマエがねぇ、お目付け役も連れないでノコノコやって来たのがどうかしてるって言ってんだよ」

 

 

 一瞬、少女の方に目をやってたじろいだ秘書だが、すぐさまハルファスを睨み直す「秘書」。

 そのまま、2人のどちらが口を開くよりも早く詰め寄り、ハルファスの手を乱暴に掴む「秘書」。

 一連の動作の間に、如何にも機嫌悪そうに、何度も鼻を鳴らしている。

 

 

秘書

「ほらっ、ダラダラしてないで、他の所もその目で見て回りな」

「オマエらにアブラクサスの土地勘を養わせるための自由行動なんだ、楽してんじゃないよ」

 

ハルファス

「でも私、どこへ行ったら良いか……あああ」

 

 

 寄り道しようとした犬を飼い主が引き戻すように、階段側出入り口へと断続的に引っ張られていくハルファス。

 

 

中性的な少女

「……『ハルファス』さん」

 

ハルファス

「あ、な、なに?」

 

中性的な少女

「すみません。彼女はアブラクサスの風紀に携わる方なので……厳しくなくてはならないんです」

「また、近々お会いしましょう。今度は、ご一緒にお茶でも」

 

ハルファス

「う、うん、わかっ──」

 

秘書

「遊びの話なんざいつでも出来んだろうが」

 

ハルファス

「わわっ」

 

秘書

「フンッ……フンッ」

 

 

 背後の少女に応えながら、予告なしに前方の「秘書」に引っ張られ、転びそうになるハルファス。

 その後も、「秘書」は鼻を鳴らす度にハルファスの手を乱暴に引っ張り直し続けた。

 

 そして観測室を出て、長い長い階段を降りていく「秘書」とハルファス。

 

 

秘書

「フンッ、全く……これが十も半ば過ぎた女のやる事かと思うと、うんざりしてくるね」

 

ハルファス

「ごめんなさい……」

 

秘書

「大体、何が『剣闘士のチータ』だ。ふざけたご身分のたまいやがって」

 

ハルファス

「えっ? そ、それは、えっと……」

「(これって、『筋書き』の事、疑われちゃってる?)」

「(どうしよう、どこで怪しまれちゃったのか、全然分からない……)」

 

秘書

「どうせ本当は、イーバーレーベンか何処か近所の領にでも住んでたんだろう」

「それもクソみたいな家族の下でチンタラ生きてたロクデナシなんだろう、ええ?」

 

ハルファス

「え……ううん、違う」

「お父さんもお母さんも、『イラーネ』も皆、私の大切な家族だよ」

 

秘書

「『イラーネ』ぇ?」

 

ハルファス

「あ、うん、妹の名前なの」

 

秘書

「フンッ、闘技場で生まれた天涯孤独の剣闘士じゃなかったのかい?」

 

ハルファス

「あっ……!」

 

秘書

「フンッ、まあ今更、出自を隠して入国するヤツなんざ、増えすぎてどうでもよくなっちまったがね」

 

ハルファス

「(ば……バレちゃった)」

「(これ、『カマをかけられた』って言うんだっけ?)」

「(……取り敢えず、今日はもう、学舎で皆の帰りを待った方が良いかも)」

「(怒られちゃったし……これ以上、私じゃどうしたら良いか決められない)」

 

 

 そのまま会話が途切れ、気まずい沈黙と共に階段を下るハルファスと「秘書」。

 そして2人が観測室から十分に離れた頃、観測室へ通じる扉の前に人影が現れた。

 

 

ライア

「……ふう」

 

 

 観測室への扉前には、蝶番や扉の縁をメンテナンスするために左右にそれなりの空間が設けられていた。

 それでいながら構造的に日光が届かないという、見た目重視による片手落ちの暗闇から、潜んでいたライアがそろりと出てきた。階下の2人がライアに気付く様子が無いのを確認した上で、観測室の扉を開いた。

 

 

ライア

「失礼しまぁす」

 

 

 潜入組の前では発した事のない、人並の声量で入室の挨拶をするライア。

 慣れた様子でスタスタと柱を回り込む。

 ライアの目に少女が見えてきた辺りで、少女は再び片手でピアノを奏で始めた。

 

 

ライア

「復興計画の報告、お届けに参りましたぁ」

 

中性的な少女

「期待には、沿えたかい?」

 

ライア

「はいぃ?」

 

 

 ピアノの傍らには、ハルファスが来た時には居なかった人影が立っていた。

 腕に何かを抱いた、幽霊のように朧で儚げな雰囲気の女だった。

 ライアも少女も、儚げな女などそこに居ないかのように語らう。

 

 

中性的な少女

「君が最初にココに入ろうとした時、丁度、階下に来客があった」

「君は来客の正体を確認すると、すぐさま身を隠した」

「そして来客が不意に階段の途中で立ち止まると、君はわざと音を立てて来客を誘い込んだ」

 

ライア

「い、いやはや……まあ、ほら、一応はお上に届ける情報持ち歩いてたわけですしぃ?」

 

中性的な少女

「君の期待通り、私は彼女と会ってみた」

「彼女は『チータ』と言う名への意識が非常に軽く、『ハルファス』と言う名への反応が大きかった」

「恐らく、『チータ』の名は実感も持てないほど、ごく最近になって得た物」

「彼女の古くからの名前は、自らの妄想から生まれたとされる『ハルファス』の方……」

「そういった事を知る事が出来たが、これは君にとって十分なものだったろうか」

 

ライア

「……ちょっとくらい建前に話合わせてくれても良いじゃないですかぁ」

 

中性的な少女

「君がそれを望んでいないようだからね」

「そして結果は、『期待通りに不満』……合ってるかな?」

 

ライア

「むぅ……兎に角、報告だけ済ませますよぉ?」

「ここ、観測塔の地下にある避難シェルターですけどぉ、居住区にしようって動きがあるみたいでぇす」

 

中性的な少女

「ああ、それなら、もう『彼女』から聞いてるよ」

 

ライア

「あらら……相変わらず『お見通し』でぇ」

 

儚げな女

「……」

 

 

 そこでようやくライアは、『彼女』こと儚げな女の方を見て、少し砕けたニヘっとした笑みで会釈した。

 儚げな女は、風に散らされる砂の城のような笑みを僅かに浮かべ、深々と頭を下げて返礼した。

 

 

ライア

「今日も元気に物静かでいらっしゃって何より──」

「って、それは今は置いといて、もう聞いてるなら話が早いですよぉ」

「前々から言ってますけどぉ、私としては早々に取り壊すか埋め立てるかするべきだと思いまぁす」

 

中性的な少女

「老朽化が酷く、いずれ1階の床を巻き込んで崩落しかねない……だったね」

 

ライア

「でぇす。しかも今回、居住区の案を出したのがサイティ傘下って裏も取れてまぁす」

「いつペッシャンコになるかも分からないタコ部屋として使うのは目に見えてるんでぇ」

「蹴落とされた人のために死者の国を再現しようなんて計画に何の得も無いですしぃ」

 

中性的な少女

「そうだね……」

 

ライア

「『そうだね……』じゃ無くってですねぇ……」

 

中性的な少女

「建築と牧畜の人材不足がアブラクサスのネックだからね。立場上、安全への配慮だよ」

「現状でもシェルター内は立ち入り禁止、それに天文観測塔に人が大挙する可能性も当分は無い」

 

ライア

「女の子達が見合って見合ってパチパチ言わすほどすぱ~きんぐしてるお陰ですけどねぇ」

「ひとまず、素人の集まりでも被害を最小限にする解体計画を模索する……って事でよろしいですかぁ?」

 

中性的な少女

「今の所はね。刺激的に立ち回るには、アブラクサスも少し大人になりすぎた」

 

ライア

「そればっかりは、まぁ同感ですねぇ」

「でも本当に急いで下さいよぉ? 実務の実権はサイティ派の方が上なんですから」

 

中性的な少女

「そして何より……『来たる日』の、君自身のためにも?」

 

ライア

「そんな先の事はノーコメントでぇす、あいあむびずぃねすう~まんなのでぇ」

「それでは、失礼しましたぁ」

 

 

 ペコリと適当なお辞儀をして、踵を返すライア。

 一度、振り返ってヒラヒラと手をふるライアと、それに応えて恭しくお辞儀する儚げな女。

 少女は最初から最後まで、涼しい顔でピアノを奏で続けていた。

 観測室を出たライアは、遥か下方のもう誰も居ない1階地面を覗き込むように見下ろして、次に真っ暗な石の天井を見上げて、小さくため息をついた。

 

 

ライア

「(はぁ……やっぱり『そういう事』なのかしら……)」

「(掌の上で踊らされてるみたいでシャクだけど……急がなくっちゃマズイかな)」

「(それにしても……『チータ』ちゃんの『あの言葉』、どういう事かしら)」

「(足音の人『も』消えちゃったって……あの子、『最初から一人で昇ってた』わよね?)」

「(他に侵入者が隠れて……いや、だったらそもそもバレないはずが無いし……)」

「(なんたって、『彼女』が最上階にずっと居たんだから)」

 

 

 何事か考え込みながら、ライアはとぼとぼと階段を下っていった。

 

 

<GO TO NEXT>

 




※ここからあとがき

・今回の尺について

 イベントクエストでは、全5部(5章?)大体3チャプターずつで、次の部に移る度にステージが変わったり明確に時間が経過したりしています。

 そこを踏まえて話のペース配分を数え直した所、薄々分かっていた事とはいえ、やはり尺が足りません。

 とはいえ、この形で発車して、書き換えるというのもなんなので、強引にでもこのままで進めようと思います
 そんなわけで、前2作の書き方なら何話かに分けているだろう文量を1話に詰め込んでいます。
 この後の話も所々、1チャプターあたりにかなり詰め込む事になりそうです。

 原作がいかにプロの(以下略)
 まあ、1番の原因は構想当初、5部編成までは考えていたのに、3チャプター枠の事をすっかり忘れていたせいかもしれません。

 二次創作だし原作と違って映像的な表現も見込めないしで「細かい事は良いんだよ」といきたい所ですが、書くからには構成力とかそういったものも養っていきたいので。
 多少の不格好は教訓ということで、枠組みに収める努力を続けながら、以降の作品に生かしていきたいと思います。
「描写」のために字数を詰め込むならともかく、尺に見合わない「イベント」を好きに詰め込んでの長文は、中だるみを招いたりで余りよろしくない事でしょうし。



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2-2後半「腐惑の森」

 潜入組がアブラクサスに入国し、自由行動のために散開した、同日。

 アブラクサス近郊の森。時刻は先程、夕方から夜に移り終えた頃。

 

 たった今、何度目か見つけた幻獣を仕留めた直後のソロモン。

 バルバトスとエリゴスを入れて3人で行動している。

 

 

ソロモン

「ふう。日頃の幻獣退治に比べれば遥かに楽だけど、流石に日も暮れて来たしな」

「初日はこのくらいにして、一旦、ゲルに戻ろう」

 

エリゴス

「おーっし、やっと一息つけるな」

「何だかいつもの幻獣退治よりドッと疲れた気がするぜ」

「楽は楽だけど、やる気のねえネズミ幻獣しか出てこないんじゃな……」

 

ソロモン

「俺も正直、途中から延々と同じ作業やらされてる気分になってきてたよ」

「何だか、有るか無いか分からない物を拾うまでグルグル周回させられてるみたいな……」

「ネズミが出るのは降魔祭もそうだし、あっちよりも対処しやすいけど……」

「モチベーション的に少し辛いものがあるのは確かだな」

 

バルバトス

「ただ、それくらい、幻獣を頻繁に見つけたって事でもあるけどね」

「騎士団から聞いた、一日に見つかる幻獣の数より、不自然なほど多く……」

 

エリゴス

「そういや、あたしらが来る前は騎士だけで何とかなる程度の数しか居なかったはずだから……」

 

ソロモン

「今日になって、森に入り込む幻獣が増えた……?」

「まさか、俺達の存在が敵にバレてる……!?」

 

エリゴス

「な、何だよ、黒幕があたしらに幻獣けしかけてるってか!?」

 

バルバトス

「まだ可能性の段階だけどね。何しろ断定するには不自然な点も多い」

「第一に、『今日、敵に情報が漏れたんだ』と懸念する要素が殆ど無い」

「あるとしたら、初日から潜入組の正体が露見したとか、余程の手落ちの可能性くらいだ」

 

ソロモン

「確かに……グレモリーが居て、そこまでのミスを招くとも思えないな」

「騎士団側の活動も、潜入組を届けた事以外は、いつもと変わりないらしいし」

 

エリゴス

「ガブリエル……は、流石にありえねえな」

「つーか本当にそんなヘマしてたら、騎士団もアブラクサスもとっくに大騒ぎだろうしな」

 

バルバトス

「第二に、けしかけるには手駒が弱すぎる」

「統率させてる様子も無いし、見つかるのは十分に満たされて戦う気さえ無い幻獣ばかりだ」

「もし敵の武力が幻獣だけだったとしても、エサを抜いて苛立たせておくくらいは出来るはずだ」

「これじゃ『ただ多く送り込んだだけ』にしかなってない。余りにお粗末だ」

 

ソロモン

「まともに戦おうとしない幻獣じゃあ、俺達の力量を試すのにも使えないのは明らかだし……」

「確かに、こんな手を選ぶ理由が思いつかない」

 

エリゴス

「マジで、たまたま団体さんでやってきただけって線も出てきちまいそうなレベルだな」

 

バルバトス

「そうであったら、取り越し苦労で終わって万々歳だけどね。だが見方を変えれば──」

「もしこの幻獣たちに意味があるなら、今も俺達は敵の術中にあるって事だ」

「わけが分からないからって、油断だけはしないように」

 

エリゴス

「ハイよ、分かってるさ」

「『幻獣が居りゃ、あたしらが戦う』って、それ自体を利用されてる可能性も無くは無いだろうしな」

 

ソロモン

「赤い月みたいに、幻獣の犠牲で大きな仕掛けを動かす前例も何度かあったしな……」

「とにかく、まずは遊撃に出てもらったサルガタナスを召喚するよ」

 

エリゴス

「腑抜けた幻獣相手なら純正メギド単独でも余裕ってアイディア、間違ってなかったな」

「この数なら、バラけた方が効率よかっただろうし」

 

バルバトス

「お陰で、どうにかソロモンも俺ら2人が戦う分のフォトンを捻出できたしね」

「ついでに、乗り気でないサルガタナスに自分のペースで行動させてあげられた」

 

エリゴス

「本人いつも言ってるもんなあ、『やる気までは期待しないで』って」

「もしかしたら、もう一人で先にゲルまで帰ってたりして……ハハッ、なんつって──」

 

サルガタナス

「任された仕事くらいやるわよ」

 

エリゴス

「おわっ!?」

 

 

 近くの木の陰から、サルガタナスが現れた。

 

 

サルガタナス

「せっかくこっちから合流してやってみれば、人の居ない所で好きに言ってくれるじゃないの?」

 

エリゴス

「じょ、冗談だって、そこまで言うこた……いや、悪かったよ……」

 

バルバトス

「お、同じく……」

 

ソロモン

「ま、まあまあ」

「サルガタナスも、ご苦労さま、助かったよ。今日はここまでにして、ジョーシヤナ達の所に──」

 

サルガタナス

「……?」

 

 

 サルガタナスが露骨に眉間にシワを寄せて、ソロモンたちから一歩遠ざかった。

 

 

ソロモン

「……? サルガタナス、どうかしたのか?」

 

 

 サルガタナスの後退に対し、距離を埋め直すように一歩進み出ようとするソロモン。

 しかし先んじてサルガタナスの声が前進を制した。

 

 

サルガタナス

「近づかないで」

 

ソロモン

「えっ? な、何だよ急に……」

 

サルガタナス

「……」

 

 

 訝しむような目つきで3人を交互に観察するサルガタナス。

 3人の接近を警戒するように身構えながら、もう一歩距離を取り、サルガタナスは口を開いた。

 

 

サルガタナス

「……アンタたちクサイ」

 

アンタたち

「「「…………?」」」

 

 

 強烈なヤツが来たらしく、えづく2歩手前みたいな顔を見せた直後、顔の下半分を手で覆うサルガタナス。

 

 

アンタたち

「「「……」」」

「「「!?!?!?!?」」」

 

 

 2テンポほど遅れて脳髄に電流が走るアンタたち。

 

 

アンタたちA

「な、何を言うんだよ突然っ!?」

「(わ、腋とか? くんくん……いや、大丈夫だ!)」

「ちゃ、ちゃんと体も毎日洗ってるんだぞ!」

 

アンタたちB

「お、お……俺、が……」

「俺が……俺が、お、おオ、ぉ!?」

 

アンタたちC

「お、落ち着けよバルバトス、気をしっかり持てって!」

「幾らメギドとはいえ女に言われたからってそこまで……」

「つか、あたしもって事は……3人揃って幻獣の『落とし物』でも踏んだか──ん?」

「くんくん……うわ何だこれっ!? あたしの手と武器からヒデエ匂いが!」

 

アンタたちA

「え、原因は……エリゴス?」

 

アンタたちC

「あたしだけのせいにされてたまるかよ! 多分ソロモン達の髪とか服にも染み付いてるって!」

「とにかく、ちょっと確かめてみてくれよ。何か心当たりないか? 特に先端がヤバイ」

 

アンタたちA

「あ、うんゴメンつい……じゃあ、ちょっと失礼して……」

 

 

 差し出されたエリゴスのトンファーに顔を近づけるソロモン。

 直後、バネ仕掛けのように反り返ってトンファーから離れるソロモン。

 

 

アンタたちA

「うごっぷ……! げほっ、直に嗅いじゃダメなやつだった……」

「何か、状態の悪い牧場の匂いを、煮詰めて腐らせたみたいな……」

 

アンタたちC

「だろ? 別に変なもの触った覚えもないのに……くんくん」

「ヴゥっ、やっぱクセぇ! 腐らせたっつうか、ハナから腐ってるみてえな匂いだ」

「あたしの地元、治安が酷かったから、よく道端の犬猫がこんな匂い出してハエの山になってたよ」

 

アンタたちA

「げぇ……」

「あ、でも……念の為、もう一回だけ良いかな?」

 

アンタたちC

「おう、何にしても、どこでこんな匂い付いたか確かめないとだしな」

 

アンタたちA

「ありがとう。今度は慎重に……」

 

アンタたちC

「(ニヤリ……)」

「……ほれ!」

 

 

 匂いを嗅ごうと近づいたソロモンに、不意にトンファーをグッと近づけるエリゴス。

 子犬が飼い主のクシャミを間近で聞いた時のような動作で過剰なリアクションで避けるソロモン。

 

 

アンタたちA

「おわっ!? や、やめろよエリゴス! くっついたら匂い移っちゃうだろ!?」

 

アンタたちC

「へへへっ、何か面白くなってきた。ほーれ、うりうり~」

 

アンタたちA

「わっ、ちょ……やーめーろーよー!」

 

アンタたちB

「いたずら小僧か君たちはっ!!」

 

アンタたちC

「あっ、バルバトス復活した」

 

サルガタナス

「底なしのバカじゃないの?」

 

 

 ソロモンとエリゴスの無邪気な追いかけっこになりかけた所で話が引き戻された。

 

 

バルバトス

「ハァ……サルガタナス、君の言う『匂い』は、今の2人の表現に近いものかい?」

 

サルガタナス

「そいつらのセンスまで腐ってなければ、多分間違いないわね」

「メギドラルでも、『牧場』で似たような臭気が蔓延してた記憶があるわ」

 

ソロモン

「(『牧場』……何となく、深く聞くのは止めておいた方が良い気がするな)」

 

バルバトス

「ソロモンとエリゴスの話からしても、動物から発生する『匂い』なのは明白」

「そして、俺達はさっきまで、『やけに多い』幻獣を退治してまわってた……」

 

エリゴス

「ってーこたあ、これ、幻獣の匂いか?」

「それなら確かに、あたしが前衛で殴りまくってたから、1番キツくなってるかも知れねえけど……」

 

バルバトス

「くそっ……何て卑劣な『手』を……!」

「こんな忌々しい幻獣を……絶対に、絶対に許さないからなシュラー!!!」

 

エリゴス

「おいおい……」

 

ソロモン

「でもさ……だとしたら、幻獣なら騎士団も日頃から戦ってるはずだろ?」

「それなのに、俺達が初日にキャンプに入った時、別に匂いが気になったりはしなかった」

「俺達だけに匂いが染み付いてるって事にならないか?」

 

エリゴス

「それに、サルガタナスも幻獣ノしてくれたはずだから多少は匂いが……」

 

サルガタナス

「喧嘩売ってんの?」

 

エリゴス

「何でそうなんだよ!?」

 

バルバトス

「恐らく匂いは幻獣の体表よりも、内側から湧いているんだ」

「だから、少ない幻獣を手短に仕留めたり追い返したりする程度では、気になるほど匂いが付かない」

「そして、死体の匂いは一般的な腐敗臭に紛れたり、土や虫によって分解されるのかも」

 

エリゴス

「ぶん殴って飛び散った幻獣の血とか汗とかが匂いの元って事か」

 

バルバトス

「それを言えば、俺も銃弾で幻獣に風穴空けてるからね」

「自ら幻獣の匂いをそこら中に撒いたも同然だ……自業自得を誘うなんてますます憎たらしい!」

 

ソロモン

「もうすっかり慣れちゃったけど、戦うからには俺達、結構ひどい事してるよな……」

 

エリゴス

「……待てよ? そういや、騎士団の武器も大抵は剣とか槍だよな?」

「血が臭えんだったら、騎士団も装備の手入れで少しは気付くものじゃねえか?」

「切った刺したで武器に血が付くし、反撃受ければ鎧に幻獣の汗も付くだろ」

 

サルガタナス

「『空気』ね」

 

ソロモン

「空気?」

 

サルガタナス

「この『匂い』が私の知ってるものと同じなら、空気の循環が悪い場所で匂いを強めていくわ」

「逆に言えば、この『匂い』の元は、十分な空気に触れると分解されて無臭になる」

「目に見えないほど細かな『匂い』の元を、空気中の目に見えない矮小な生物が食べるのよ」

「だから 私は クサくない」

「クサイのは分解も間に合わないほど匂いを浴びまくったアンタたちだけ……良いわね?」

 

エリゴス

「お、おう……」

 

ソロモン

「(そ、そんなに気にするほどなのか……?)」

 

バルバトス

「あー……良いかい、サルガタナス?」

「もしかすると、それはこの幻獣たちの元々の棲み家を探る手がかりにもなると思うんだが……」

 

サルガタナス

「いちいち人の知恵借りなきゃ考える事も出来ないなら、世の中のためにもさっさと死んで」

 

バルバトス

「失礼……ただ、『否定しない』って情報を頂けただけでも、心から感謝するよ」

 

ソロモン

「えっと……?」

 

サルガタナス

「話の続きはアンタらで勝手にやってて。私はゲルに戻るから」

「お喋りでもしてたっぷり時間を置いて帰って。そして匂いが落ちるまで私に近寄らないで」

 

エリゴス

「まあ、騎士団やガブリエルにも迷惑だろうし、気をつけるけど……」

 

ソロモン

「幻獣退治で、獣の匂いとか付くのは珍しくないし、そこまで汚いモノ扱いしなくても……」

 

サルガタナス

「鼻が慣れて麻痺してんでしょうけど、アンタたち、シャレになってないからね」

 

アンタたち

「う……」

 

バルバトス

「帰ったら、すぐにでも体も服も清めよう……」

「他に、使える物が有れば何でも使おう。任務に支障を来さない内に、一刻も早く」

 

エリゴス

「まあ、そこは同感だけど……」

 

 

 森の奥へ、「ああ臭かった」と言わんばかりにそそくさと去っていくサルガタナス。

 足音も聞こえないほどサルガタナスが遠ざかったのを確認してから、会話を再開するソロモン達。

 

 

ソロモン

「で……バルバトス、さっきの話だけど」

 

バルバトス

「ああ。もちろん、ちゃんと説明するとも」

「幻獣の匂いは『空気を嫌う』環境で増大するというのは、さっきサルガタナスが教えてくれた」

「幻獣自身がそんな匂いを纏っているという事は?」

 

エリゴス

「そうか、匂いが充満したまま換気されない、空気の淀んだ場所がヤツらの棲み家って事か」

 

ソロモン

「それに、空気そのものが殆ど入らない細かな『隙間』の多い環境かな」

「となると、洞窟とか土の下……湿気も幾らかありそうだな」

「普段はそういった場所で生活してて、たまにこうして、森の方まで出てくるんだな」

 

エリゴス

「いっそベヒモスでも呼んでみるか?」

「あいつなら匂い辿って幻獣の根城も暴けるかもしれねえし」

 

ソロモン

「うーん……多分、やめた方が良いかも」

「俺たち監視組も身を隠してる立場だから、ベヒモスは、その……『向いてない』と思う」

 

エリゴス

「あ、そっか。召喚したらこっちに置いとかなきゃならねえもんな」

「動きたがりな方だし、ベヒモスの分の物資も騎士団に余計に出させる事になっちまう」

 

バルバトス

「『潜伏』って立場上、例え一人分でも物資の消費量は大きな問題だろうしね」

「ついでに、もしサルガタナスの言葉通りだったら──」

「匂いの染み付いた俺たちのせいで、ベヒモスを苦しめかねない」

 

エリゴス

「いや、嗅ぎ分けが得意なのと匂いに敏感なのは別じゃね……?」

 

ソロモン

「何にしても、ベヒモスを凄く不愉快にさせる可能性は高いかも……」

 

バルバトス

「ともかく、追加の召喚は見送るとして……だ。『可能性』はもう一つあるんだ」

「幻獣に染み付いた匂いの仮説その2 ──」

「散々、例えに出た通りだ。『牧場』でも、似たような匂いはする」

 

ソロモン

「『牧場』……えっ、ま、まさか!?」

 

バルバトス

「王都で話しただろう?」

「幻獣が不自然にアブラクサスに現れ、そして消えている」

「しかも、幻獣の居場所はアブラクサスの中という線が濃厚……」

 

エリゴス

「アブラクサスの奴ら……幻獣を『牧場』で飼育してるってのか!?」

 

バルバトス

「正確には、あの手の匂いは『厩舎』から湧きやすい」

「空気が滞るだけじゃなく、飼料や排泄物が一つ所に溜まりやすいのが一因だ」

「流石に『放牧』もしていないだろう。となると、ますます匂いも堆積していく」

「質の悪い飼料も似たような匂いがすると聞いた事がある。幻獣の内側から匂いが湧く説明も付く」

 

ソロモン

「でも、日頃から専用の建物に住まわせて、フォトンやエサを与えてるとしたら……」

「ただ潜ませるよりも、住民に隠し通すのが遥かに難しくなる、それならいっそ……」

「いや……『いっそ』なんてものじゃなく、かなり有り得そうだな……」

 

エリゴス

「おい、あたしも分かっちまったぞ……」

 

バルバトス

「あくまで、この推測が正しければ……だけどね」

「アブラクサスの住民の、全部では無いだろうけど……少なくとも数割が『受け入れてる』」

「大っぴらに幻獣を囲って、自分たちで世話をするという状況を」

「幻獣なんて飼育する理由……すぐに思いつくのは『軍事力』くらいだけどね」

 

ソロモン

「行きの馬車でも、不正な取引を誤魔化すためにアブラクサスが幻獣を使うかもって話はしたけど……」

 

エリゴス

「もし本当に『軍事力』だったら、完全に『難民の集まり』なんて言えなくなるぞ……」

「王都からは『楯突くつもり』としか受け取られねえ。しかも幻獣を使いやがるなんざ……!」

 

バルバトス

「……どうする? この推理、ガブリエル達にも共有するべきだろうか?」

 

ソロモン

「そ、それは……」

 

 

 ソロモンが考え込んで数秒後、森の奥から何かが近付いて来た。

 

 

ガブリエル

「おや、ここに居ましたか。幻獣退治、ご苦労様です」

 

ソロモン

「ガ、ガブリエル……!?」

 

ガブリエル

「サルガタナスから報告を受けましてね。幻獣の出所に関する『大きな』発見があったと──」

「むっ……?」

 

 

 ソロモン達に歩み寄りかけたガブリエルが、眉を顰めて一歩退いた。

 

 

ガブリエル

「なるほど……サルガタナスの報告通りですね」

 

バルバトス

「戦いは、キレイ事ばかりとはいかないからね……」

 

エリゴス

「んな哀しい目で言う程の事かよ」

 

ソロモン

「ま、まあ、この手際なら、サルガタナスが匂いを落とす準備の手配もしてくれてそうだし……」

「って……今、サルガタナスから『大きな』発見について聞かされたって……?」

 

ガブリエル

「その様子なら、恐らく互いの見解は一致しているでしょう」

「王都側は事前に、潜入した騎士の報告を通して把握しています」

「アブラクサスが擁する武力としての幻獣……言わば『幻獣牧場』の存在を」

 

一同

「!?」

 

ガブリエル

「報告によれば、アブラクサスが保有する幻獣は大まかに2種……」

「現在、森に出現しているネズミ型の幻獣の特徴は、その内の1種に合致しています」

「流石はメギド72、自分たちの力で、そこまで敵状を読み取るとは──」

 

ソロモン

「と……とぼけるな! 何でそれを前もって教えてくれなかったんだ!」

 

ガブリエル

「聞かれなかったからです」

「聞いた所で仕事内容に変化のない情報をいちいち説明したのでは機動力を欠きます」

「むしろ、知り過ぎれば潜入組の現地での演技に支障を来たす恐れも──」

 

ソロモン

「そういう問題じゃないだろ!」

「アブラクサスが住人ぐるみで幻獣を保有してるなら──」

 

 

 ソロモンが、まくし立てていた言葉を引き攣るようにして飲み込んだ。

 

 

ソロモン

「うわっ!?」

 

エリゴス

「なっ!?」

 

ガブリエル

「!?」

 

 その場に居た全員が身を強張らせ、忙しく周囲を見回した。

 

 

バルバトス

「な、何だ……この『音』!?」

 

ガブリエル

「(『もしや』……!?)」

 

 

 地面の土と草葉を巻き上げる音、木の幹に硬く軽い物を打ち付ける音、木の枝が何かにぶつかりざわめき、時にへし折れる音……。

 様々な音が、4人の360度全方位を包み込んで、100分の1秒の間断も無く何重にも鳴り響き続けている。

 

 

バルバトス

「何かが動いて……いや、這い回ってる? 新手の幻獣か?」

「……くそっ、こんな大合奏は今まで聞いた事も無い! 全く想像が付かないぞ!」

 

エリゴス

「ソロモン、せめてあたしの陰で屈んどけ! 何が来るか分からねえ!」

 

ソロモン

「あ、ああ、頼む!」

 

バルバトス

「ガブリエル、これが君の言っていた『2種』の、もう片方──?」

「……ガブリエル?」

 

ガブリエル

「……」

 

 

 ガブリエルは珍しく、険しい顔つきで目を見開き、無言で棒立ちになったまま動かない。

 表情は警戒とも怒りとも、ただならぬ焦りとも取れる複雑なものだった。

 

 

ソロモン

「お、おいガブリエル、どうしたんだ……!?」

 

ガブリエル

「お静かに……」

「……2種の幻獣の情報とは噛み合わない現象……それだけは確かです」

 

エリゴス

「つまりハルマさまでも『分かんねえ』って事だな!」

「バルバトス、回復も補助も後だ、いつでも撃てるようにしとけ!」

 

バルバトス

「言われなくても!」

「この状況……仕掛けてくるとしか思えない!」

 

 

 愛用のラッパ銃を、精密と安定を重視して両手で構えるバルバトス。

 射撃の姿勢を完成させる事に向けていた意識を、銃口の向こう──丁度向かい合っていたガブリエルの更に後方へと集中させ直した……その瞬間だった。

 時間にして十分の一秒弱。もっと短いかも知れない。

 バルバトスは、事態を脳が処理するより早く、条件反射的に指と表情の筋肉を拘縮させた。

 

 

バルバトス

「っ!?」

 

 

 一発の銃声。

 例の「音」が一瞬の間、一際に騒がしく木々を掻き鳴らした後、森に再び静寂が戻った。

 

 

エリゴス

「……お……『音』が……」

 

ソロモン

「止まった……?」

 

 

 バルバトスが構えたラッパ銃から、薄く硝煙が昇っている。

 ガブリエルはいつの間にか、両の掌を肩越しに背後へ向けるような姿勢を取っていたが、落ち着いた所作で腕を下ろした。しかし、その顔には冷や汗が一筋つたっていた。

 一方、震える手をゆっくりと下ろしたバルバトスは、発砲後から今までの僅かな間に、顔中からワッと冷や汗を噴き出していた。

 

 

バルバトス

「……済まない、ガブリエル……俺は、とんでもない事を……」

 

ガブリエル

「いいえ。今回ばかりは、あなた達ばかりに責任を求めるつもりはありません」

「この状況を踏まえなかった、こちらの落ち度の方が重いと言えます」

 

ソロモン

「ど、どうしたんだ、2人とも……?」

 

エリゴス

「何だ? そんな大した事してねえだろ?」

「あの『音』が鳴ってた時に、バルバトスが多分、敵に向けて撃ったってだけで……」

「……あれ? つまり今、ガブリエルの方を向いてぶっ放したって事に……?」

 

ソロモン

「!?」

「じゃ、じゃあ……バルバトスの……メギドの攻撃が、ガブリエルに!?」

 

ガブリエル

「落ち着いて下さい。バルバトスの狙いは『正確』でした」

「弾は弾頭どころか衝撃波さえ、私に掠めてもいません。護界憲章は健在のはずです」

 

ソロモン

「よ、良かった……!」

 

エリゴス

「良くねえよ!」

「狙いが正確だったか何だか知らねえけど、どんだけテンパったらそんな危機一髪やらかすんだよ!?」

 

ソロモン

「『音』が止んだって事は、狙いの先に敵が居て、たった今、命中して無力化した……?」

 

エリゴス

「んな事あたしでも想像がつく!」

「なんでそれをわざわざギリギリの狙いで迎撃しなきゃならなかったんだって話だ!」

 

ガブリエル

「私は瀬戸際で『感じ取った』に過ぎません……」

「バルバトス……貴方には、何が『見え』ましたか?」

 

バルバトス

「……」

「……俺が銃を向けた瞬間、『影』が見えた」

 

ソロモン

「影……?」

 

バルバトス

「詳しく姿を読み取っている暇は無かった」

「ガブリエルの向こうの木々から、何かが飛び出してきているように見えたんだ」

「そして、そう思った次の瞬間には……『影』がガブリエルのすぐ背後に居た」

 

エリゴス

「飛び込んで来るように見えたと思った時には、ガブリエルの後ろに……」

「ヴィータが物を考える以上の速さで襲いかかってきた……?」

 

バルバトス

「多分、そういう事だ」

「『影』はガブリエルの頭くらいの高さから、腕か、尾か……細長いものを振りかぶってた気がする」

「行動を選ぶ余裕なんて無かった……あの一瞬で、よく俺が攻撃なんて出来たと思うくらいだよ」

 

ソロモン

「次の瞬間には、ガブリエルが攻撃を受けてたかも知れないのか……」

 

エリゴス

「でもよ……それくらいなら別に問題なくねえか?」

「ガブリエルなんてどうでも良いってわけじゃねえけど、ハルマはあたしらよか強いはずだろ」

「ハルマが遅れ取るほど素早いとしても、一発もらったくらいで一大事とまでは──」

 

バルバトス

「なったかもしれない。それを誰より、ガブリエル本人が警戒していた……」

「少なくとも、そんな風に見えたからね。あの『音』が喧しかった時のガブリエルは」

 

ガブリエル

「……」

 

ソロモン

「ガブリエルが警戒……幻獣の攻撃を本気で恐れてたって事か?」

 

バルバトス

「俺は、一言も言ってないよ」

「ガブリエルを襲撃した『影』が、幻獣だったなんて」

 

ソロモン&エリゴス

「!?」

 

ガブリエル

「……王都で説明した通りです」

「シュラーの正体がメギドである可能性は極めて高い」

 

ソロモン

「シュラーが直接、俺たちを襲ってきた……!?」

 

バルバトス

「『音』がした直後のガブリエルを見て無ければ、撃ちまではしなかったかもね」

「エリゴスの言う通り、普段の彼なら、幻獣くらいで『取り乱し』たりはしない」

 

ソロモン

「襲ってきた相手が、幻獣より遥かに危険な存在だと察してたから……って事か」

 

エリゴス

「確かに、マジで相手がメギドだったら、ハルマが一発でも貰えば即・ハルマゲドンだしな」

「しかも、敵の間合いに入ってるのに姿も見えやしないと来た……」

 

バルバトス

「ただ、メギドの襲撃が『何故このタイミングなのか』って疑問は残るけどね」

「このタイミングで襲撃を直感できた、ガブリエル……君についても」

 

ガブリエル

「報告されていた幻獣のいずれとも異なり、限定的ながらハルマを出し抜く能力……」

「懸念するには十分な状況です。仮に万一だとしても、起きてからでは遅いのですから」

 

バルバトス

「(嘘では無いだろうけれど、本音でも無いと言ったところかな……)」

「まあ良いさ。今はそれより……」

 

 

 バルバトスが踵を返し、ソロモン達の背後の森へと向かっていく。

 

 

ソロモン

「バルバトス、どこへ?」

 

バルバトス

「君たちも付いてきてくれ」

「俺が『影』を撃った直後か、ほぼ同時……俺のすぐ横を『風』が通り抜けた」

「そして……アスラフィルたちほど大した耳は持ってないが、俺の聴覚が確かなら──」

 

 

 森の木々を観察し始めるバルバトス。そして、一本の木の幹を見て止まった。

 

バルバトス

「あった……見てくれ、『影』の正体、その手がかりだ」

 

ソロモン

「手がかり? ……あっ」

 

 

 バルバトスが指し示す木の幹を覗き込み、一目で手がかりが何かを理解するソロモン。

 続くエリゴスとガブリエルも理解した。

 

エリゴス

「木の幹に……足跡?」

 

ガブリエル

「土踏まずの辺りで直角を描いて途切れている……見るからに靴を履いたヴィータのそれですね」

「しかも泥などの付着ではなく、めり込むようにして、うっすらと刻印されている」

 

バルバトス

「最後の騒音は俺の背後から聞こえ、そして一瞬で『遠ざかった』」

「血痕や遺留品が見当たらないから、恐らく俺の銃弾はかわされてる」

「敵は飛び出してきた方とは反対側へ駆け抜け、そして撤退していったんだろう」

「つまり、さっきの『音』の正体は、この足跡の持ち主ただ一人って事でもある」

 

ソロモン

「あの取り囲まれたような『音』を、一人だけで……!?」

 

ガブリエル

「ふむ……退路と思われる方角の木が、不自然に枝や葉を落としていますね」

「我々に目撃されないため、高速を維持したまま、枝葉を巻き込んで去っていったのでしょう」

「撤退の痕跡がこれ1つのみだとすれば、バルバトスの『1人説』が妥当ですね」

「複数の幻獣の犯行と考えるとしても、靴を装着した小型幻獣の群れという事に……」

 

エリゴス

「よっぽど愉快な幻獣でも無きゃ、確かにピンと来ねえな」

 

バルバトス

「探せば同じ足跡がそこら中に見つかるだろうね。『音』の一部は、木を足場にしたためのものだ」

「硬い靴底と木の幹が打ち合わされ、靴跡が残る程の力を受けて枝が揺さぶられたんだ」

「多分、最初に俺が『影』を見た地点にも、同じような足跡があるはずさ」

「ガブリエルに飛びかかるための大ジャンプ……相当の踏み込みが必要だったろうからね」

 

エリゴス

「つまり……ナニか?」

「襲ってきたのは多分メギドで、力の弱いヴィータ体のままで勝負挑んできて──」

「木に足跡叩き込むくらいの脚力で駆けずり回って、あたし達を脅かすだけ脅かして帰ってったって?」

 

バルバトス

「状況から見れば……ね」

「正体がシュラーでありメギドだとすれば、敵は一撃必殺に特化した『能力』なのかもね」

 

ガブリエル

「偶然にせよ何にせよ、バルバトスの迎撃が間に合ったために好機を逸失──」

「やむなく撤退し、次の機会を待つ……といった形ですか」

 

ソロモン

「あるいは、最初から挑発が目的だったのかも……」

「何の目的かまでは分からないけど、この場でハルマを攻撃するつもりは無かったんだ」

 

バルバトス

「ありえるね。『影』は眼前に迫っていたし、完全に銃の射線上だった。そうそう外す状況じゃない」

「ガブリエルもあの時、襲撃に気付いて迎撃する様子があった。敵にとってはそれで十分だったのかも」

「襲撃に気づかせて、後は戦線離脱。だから俺の迎撃を事前に察知して、弾くか避けるか出来た……」

 

ガブリエル

「いずれにせよ、この場の全員、敵に完全に手玉に取られたという事実が全てでしょうがね」

「敵は恐らく一人。何も対処出来ず、正体も掴みきれず……」

「そして私もまた、事態を軽視し、エンカウンターの準備を怠りました」

 

バルバトス

「エンカウンター、持ってきてはいる……という事だね?」

 

ガブリエル

「無論です」

 

ソロモン

「それは当然の事じゃないか、バルバトス?」

「本当にシュラーがメギドだったら、場合によっては戦う可能性も十分あるんだし」

 

バルバトス

「それもそう……なんだけどね」

 

 

 木々が再びざわめいた。今度は至って常識的な音だった。

 ガブリエルがやってきたのと同じ方角から、複数の人影が現れた。

 

 

騎士ヒラリマン

「ソロモン王! ガブリエル様! 今の騒ぎは一体!?」

 

 

 数人編成の騎士団の部隊だった。

 

 

ソロモン

「騎士団の人たち!?」

 

エリゴス

「こんな夜中にガサガサカタカタ鳴らし立ててりゃ、そりゃゲルまで聞こえてるわなあ」

 

ガブリエル

「ご苦労。結果的にですが、こちらは問題ありません」

「あなた達は付近の敵の警戒にあたってください。ひとまず慎重に帰投し、道中で説明を──」

 

サルガタナス

「まだよ」

 

 

 騎士団の陰から、サルガタナスが現れて待ったをかけた。

 

 

ソロモン

「サルガタナス? 何で戻ってきて──」

「あー……」

 

エリゴス

「大掃除の準備みてえに布切れで口と鼻覆ってやがる……遠慮のカケラもねえや」

 

サルガタナス

「拠点でまで悪臭に見舞われるなんてゴメンだから、確実にケリを付けに来てあげたの」

「ほらヴィータども、言った通りにさっさと片付けてちょうだい」

 

騎士ヒラリマン

「了解です! サルガタナス様!」

 

騎士ジョーシヤナ

「事情はちゃんと聞いてます。ソロモン王達はひとまず、その場でお待ち下さい」

「こう見えて私、王都に出るまでは家業の出張掃除人の手伝いしてましたから、お任せ下さい!」

「さあ、荷物おろして頂戴。久々に腕が鳴るわ!」

 

荷物運びの騎士

「はっ!」

 

 

 騎士たちが開封した荷物から、水やら薬剤やら布巾やらが次々に並べられていく。

 

 

ソロモン

「あっ……サルガタナス、ちゃんと騎士団に俺たちの事、相談してくれたのか……!」

「ありがとう……で、良いんだよな?」

 

バルバトス

「俺のプライド的には複雑だけど、ここは素直に『助かった』と思うとするよ……」

 

エリゴス

「けど、あたしら完全に汚れもん扱いなんだが……」

 

ガブリエル

「気持ちは分からなくもありませんが……」

「各員。念の為、私の洗浄も頼みます。彼らと同等に容赦なく……私が認めます」

 

バルバトス

「それほどまでに……か」

 

ソロモン

「エリゴスの武器嗅いだ後だと、正直、無理もないと思えてくる……」

 

エリゴス

「うへえ、もしかすりゃ任務中、ずっとこれが続くわけか……?」

「バルバトスほどじゃないにしろ、こりゃ思った以上にコタえそうだな……」

 

 

<GO TO NEXT>

 

 




※ここからあとがき

 実際には、牧場などで問題になる悪臭成分は一度付着したら簡単には落ちない物のようで、そもそも匂いの元を蔓延らせない方向で酪農家の方々も苦心されているそうです。
 一応、嫌気性微生物由来の匂いなので酸素の多量な空間では拡散したり分解されたりで匂いが薄れては行くそうです。
 後は、服に付いた場合ならオイルクリーニングが有効であるとか。
 サルガタナスが無臭を主張できたのは、幻獣に出会っても直接殴り合ったり体組織を飛び散らすような戦いをしなかったためであり、微生物の迅速な仕事はサルガタナスの仮説に過ぎないと、そんな感じで補完してください。
 騎士団の装備についても、血や脂を効果的に落とす整備手順と、換気や乾燥の条件が良かったために、気になる前に悪臭を除去できていたとかでよろしくお願いします。



 話は変わりますが、ザガンさんがヴィータ体になった事に思う所が無いというオリ設定について。
 驚かれる話のように書きましたが、恐らくブエルとかも公式で、ヴィータになった事を殆ど気にしてないと思われるので、少数派ではあっても他に例を見ないほど珍しい事ではないという感じでよろしくおねがいします。念の為。


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2-3前半「踊る面影 我が影知るや」

 時刻は夕方。完全に夜と呼ぶには微妙な、いわゆる黄昏時。

 アブラクサス学舎、潜入組の個室が居並ぶ廊下にて。

 潜入組の内、ザガンを除く3人とライアが語らっている。

 

 

ライア

「それではぁ! 『定例パーティー』の説明は以上でお~るおっけ~でしょうかぁ!」

 

グレモリー

「ああ。私は問題ない。既に『お目付け役』から話を聞いているザガンも良しとして……」

「ハーゲンティ、ハルファス、質問はあるか?」

 

ハーゲンティ

「ダイジョーブ! 大切な事はしっかり頭に焼き付けたから!」

「ドレスコードなし! ご飯食べ放題! 会費無料!」

 

ハルファス

「私は、説明は覚えられたかもしれないけど、どうだろう……」

「分からなかったら、グレモリーに聞いても良い?」

 

グレモリー

「ああ、それでいい。手が空いている限りは存分に頼れ」

 

ハーゲンティ

「でもラッキーだったよね、潜入初日からシュラーに会えるかもなんて」

「お仕事が捗れば、偉い人も期待してくれる……つまり、報酬もガッポリ期待できる!」

 

グレモリー

「そこまで上手く事が進むかは、実際に参加してみなければ分からんがな」

「しかし、日取りについては確かに好都合だった。これもライア、貴様の手配か?」

 

ライア

「いやぁ~流石にそこまではぁ。たまたま潜入決行の日と被ったってだけですよぉ」

「『私が入国審査担当の週にパーティー開く日入ってるじゃん』って気付いてはいましたけどぉ」

 

 

 話していると、ザガンの個室の扉が開いた。

 出てきたザガンは、シンプルだが高級感のあるドレスに身を包んでいた。

 

 

ザガン

「ゴメンお待たせ、慣れない事して手間取っちゃった」

 

ハーゲンティ

「おぉっ!? ザガン姉さん、どしたのその格好!」

 

ハルファス

「わあ。多分、とっても似合ってると思う」

 

ザガン

「ふふっ、ありがと」

「肩出しとか他にも色々普段と違ってて落ち着かないけど、折角だしね」

 

グレモリー

「ほう、貴様の部屋にも届いていたか……」

 

ザガン

「えっ、じゃあ、グレモリーの所にも?」

 

グレモリー

「うむ。『入国審査での活躍に感動した』との匿名の手紙を添えて、部屋にドレスが置かれていた」

 

ハーゲンティ

「マジっすか!? あたいの部屋には何にも無かったのに!」

 

ハルファス

「私も、それっぽい物は無かったと思う」

 

ザガン

「え、そうだったの? てっきり皆の所に届いてるとばっかり……」

「私の手紙には『古着だけど、お近づきの印に』って感じで、パーティーにもぜひ出席してねって」

 

ライア

「うぅ~むぅ……新入りさんに歓迎の品が届けられる事って、ここではよくありますけどぉ……」

「ドレスなんて大層な物は余り前例が……」

 

グレモリー

「やはり妙だな。私だけならともかく、あの場で目立っていたわけでないザガンにまで……」

「元から礼を欠かぬ服を着ているからと、袖を通さなかったのは正解だったかもしれん」

 

ザガン

「ちょ、ちょっとちょっと、よしてよ……私もう着ちゃってるし」

「あ、ほら、私とグレモリーだけなのは、ハーゲンティ達にはちょっと早いなって思われたとか……」

 

ハーゲンティ

「うーん、ちょっと引っかかるけど、そうかもなあ……」

「あたいやハルちゃんくらいの歳って、まだまだ世の中的にお子様だし……」

 

ザガン

「あ、いやゴメン、別にハーゲンティ達が子供っぽいって言ってるつもりじゃなくて……」

 

ハルファス

「よく分からないけど、小さい頃に見た事あるドレスと雰囲気が違うから……そうなのかも?」

 

ザガン

「えっと……? た、多分そういう事だよ、うん!」

「ドレスでも何でも贈れる品物の中に、たまたま2人が喜びそうなのが見つからなかったとかさ」

 

ライア

「あのぉ、実はですねぇ……」

「ここの習わしで、新入りさんの個室の両隣は『お目付け役』が一時的に引っ越してるんですよぉ」

「新入りさんが早く暮らしに馴染めるための一環って形でぇ」

 

グレモリー

「今回で言えば、私と『サシヨン』の隣室に、4人のお目付け役から2人選ばれていると?」

「(生活補助の他に、我々のように『企み』で入国した者を牽制する意味もありそうだな)」

 

ライア

「はいぃ。今は2人とも出払ってるみたいですけどぉ──」

「お目付け役の誰が隣室担当なのかまでは私も知らなくってぇ……そのぉ……」

「サイティ派の方が隣室担当なら、何か『仕掛ける』のは簡単なわけでしてぇ」

 

ハルファス

「そういえば、個室には鍵が付いてないんだったっけ」

 

グレモリー

「少なくとも、私のお目付け役は例の取り巻き3人……4分の1の確率は保証されているな」

 

ザガン

「だ、だからさあ! そんなの……もしもの話だろ!?」

 

ライア

「言っちゃ悪いかもなんですけどぉ……カリナさん、ちょっとムキになってません?」

 

ザガン

「そりゃ……まあ、ね」

「……だってさ、『お目付け役』の人たちに会って、ちょっと思う所があるって言うか……」

「サイティ達みたいな初対面から嫌がらせしてくるようなのなんて、全体のごく『一部』でしょ?」

「そんな奴らのせいで何でも疑ってかかるなんて……何か、格好悪いよ。私はそんな事したくない」

「好意で贈るって言われたなら、まずはちゃんと信じてみたいよ。着ている時にも変な感じはしなかったし」

 

グレモリー

「やれやれ……」

「(ドレスの送り主が、その『一部』でないという保証も無いのだがな)」

「良いだろう、貴様はそうでなくてはな。何か起こるなら、私が存分に付き合おう」

 

ザガン

「ありがと。でも、グレモリーの言い分が間違いだなんてつもりも無いからね」

「私なりに、自分の事はちゃんと気をつけるから」

 

グレモリー

「当然だ。さて──」

「ライア、これで全員揃った。解散する前に、『連絡』についての説明を頼む」

 

ライア

「了解でぇす!」

 

ザガン

「『連絡』……?」

「っていうか、解散って事は、ライアと一緒にパーティー出席するんじゃない感じ?」

 

グレモリー

「待機組に潜入活動の経過を報告するための『連絡』……その手段についてだ」

 

ライア

「ちなみにぃ、私は今夜もお仕事が入ってるのでぇ、今回のパーティーは欠席でぇす!」

 

ハーゲンティ

「わあ、ちょっぴりヤケクソ気味だあ……」

 

グレモリー

「さておき……主な連絡手段は『郵送』だと聞いているが?」

 

ライア

「はぁい! アブラクサスは周辺領に協力頂いて、配達員さんに立ち寄ってもらってるのでぇ!」

「そこでお手紙や小包を預けて、アブラクサスの外ともやり取りができるんですねぇ!」

 

ザガン

「郵便屋さんにアブラクサスへ立ち寄ってもらって、私たちの手紙も預かってもらうって事?」

 

ライア

「いっえ〜すざっつら〜い! おっほん……」

「しかも王都は郵便屋さんに根回し済みなのでぇ──」

「目印付けた荷物だけこっそり騎士団に受け渡すって段取りもバッチリでぇす」

 

 

 周囲に人が居ない事を確認済みだが、任務に関する事柄だけは音量を下げて伝えるライア。

 ただしそれでも声は十分大きい。

 

 

グレモリー

「エルプシャフトの公共福祉を臆面もなく間借りするとは、つくづく肝の太い事だ」

「アブラクサス独自の手段を用いていないお陰で、介入も容易かったとも言えるが」

 

ライア

「一部の領地はぁ、苦労して支え合っている住民に感動したとかで人道援助を施しているのでぇ!」

「『表向きは』でしょうけどねぇ……」

 

グレモリー

「(原種の薔薇に魅せられた者共が、操られるまま道徳を盾に便宜を図っているわけか)」

 

ザガン

「何にしても、待機組とは手紙でやり取りするって事か……ん?」

「でも、もうすぐ日も暮れる頃だよ? 配達の人、こんな遅くにアブラクサスまで来てくれるの?」

 

グレモリー

「確かに、真っ当な領地なら郵便物の受付時刻はとうに過ぎているが……」

 

ライア

「それが……来るんですねぇ!」

「あくまでアブラクサスには、お手紙を遠方に届けるついでに立ち寄ってもらうって形なのでぇ!」

 

グレモリー

「ふむ。夜間に配達を行うための職員がアブラクサスを通り掛かる時間帯──」

「そこがアブラクサスでの『受付時間』という事か」

 

ハーゲンティ

「はえー……郵便屋さんって夜中も働いてるんだぁ」

 

グレモリー

「最近までは、朝から夕方までの定刻に全ての業務を並行して行っていたのだがな」

「幻獣被害や諸々で、専門の仕事ができる人員がどこも不足している」

「一方で、決められた場所に物を届ける程度の労働ならできるという失業者は増える一方だ」

 

ザガン

「じゃあ、責任とか技術が要る仕事は、昼間に限られた人たちで専念して──」

「仕事探してる人の働き口のためにも、夜の間に手紙とか届けちゃうんだね」

 

グレモリー

「あくまでも夜間の配達は特例だがな。配達それ自体は昼間も誠実に執り行われているが──」

「現状、配達だけでも夜間に伸ばして、どうにか『遅れ』を出さんのが精一杯らしい」

 

ハルファス

「どこも大変だと、仕送りとかで物を届けて欲しいって人も増えちゃいそうだもんね」

 

ザガン

「そっか、人手が少ないのに捌く量ばっかり増えて、届ける仕事まで時間内に手が回らないのか……」

「普通に暮らしてるように見える人たちも、こうしてる間も色々工夫して頑張ってるんだなあ」

 

グレモリー

「話を戻すぞ。それでライア、配達人がアブラクサスに立ち寄る時間帯は?」

 

ライア

「深夜の日付が変わる頃と、翌朝の朝ごはんと食後の一服終わるくらいの時間の2回でぇす!」

「なのでぇ、今日の分の手紙はぁ、パーティー終わってから寝る前くらいにお願いしまぁす!」

「私に預けてくださればぁ、後はスッキリバッチリ届けておきますんでぇ!」

 

ハーゲンティ

「了解! アジトで暮らすようになってから読み書きも出来るようになったし、お安い御用だよ!」

 

ザガン

「でも、手紙かあ……改めて考えると、何を書いたら良いのかな……」

 

ハルファス

「うん」

 

グレモリー

「身構える必要は無い、まだ初日だ」

「寝支度までの些事も含めれば、執筆に取れる時間も多くはあるまい」

「余程の事柄で無い限りは、肩慣らし程度で十分。待機組もそのつもりだろうからな」

 

ザガン

「そう言ってくれると少しは緊張もほぐれるけど……手紙なんて余り書かないからなあ」

 

ハルファス

「うん」

 

グレモリー

「……ハルファスについては、後で大まかな手解きくらいはしてやろう」

「今から頭を悩ませても仕方あるまい。とにかく、パーティー会場へ向かうぞ」

「まずはシュラーの調査だ。ライア、連絡手段について他に付け加える事は無いな?」

 

ライア

「はぁい! お疲れさまでしたぁ!」

「会場への道順はぁ、途中まで私も一緒に案内しますのでぇ!」

 

 

 若干の手紙への苦手意識が拭えないザガンや、培った技術を活かせる機会に目をキラキラさせるハーゲンティを引っ張るようにして、パーティー会場へ移動する潜入組。

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 パーティー会場へ向かう潜入組。

 時刻は夕方から夜に移り終えた頃。

 どこかの階段を昇り終え、喧騒が漏れてくる扉の前に立つ4人。

 

 

ザガン

「思ったより簡単に着けちゃったね」

 

グレモリー

「窓の景色からして……場所は学舎と給水棟との中間あたりと言った所か」

 

ハーゲンティ

「学舎と会場が地下通路で繋がってるって、なんかゴージャスだね!」

 

ハルファス

「そうなのかな? よく分からないけど」

 

グレモリー

「宴席だけでなく、入学卒業の歓送迎会、諸々の講義や説明会にも用いられたらしい」

「多目的ホールとでも言った所か。故に、学生や職員の移動の便を図っての地下通路なのだろう」

 

ザガン

「回り道しなくても真っ直ぐ一直線で移動できるようにだね」

 

ハーゲンティ

「でも、連絡橋ってのじゃないのがちょっと惜しかったなー。興味あったのに……」

 

グレモリー

「それは単純に、ホールが設けられているのが1階だからだろう」

「出入りの必要の多い設備が2階以上にあるなら連絡橋、そうでなければ地下通路だ」

 

ハルファス

「どこに行くにも空に連絡橋を伸ばしちゃったら、日陰だらけになっちゃうもんね」

 

グレモリー

「この辺りで話は切り上げるぞ。いつまでも突っ立っている理由もない」

「これらの情報にしても、会場の住民に聞くほうが遥かに確実だろうしな」

 

ハーゲンティ

「イエス、マム! ドアはあたいが開けてみたいんだけど、良いっすよね?」

「こういうでっかいドアをガバーってやるの、一度やってみたかったし!」

 

グレモリー

「ああ、好きにしろ」

 

 

 パーティー会場へ入場した潜入組。

 暫し、入り口前で会場を見渡す。

 

 

ザガン

「おお~……廃墟とは思えないくらい豪勢だね」

 

グレモリー

「元より保存状態も悪くなかったのだろうが、清掃も装飾もよく行き届いている」

「内装だけなら貴族の寄り合いにも引けは取らんな」

 

ザガン

「サイティとか、元はお嬢様だった住民も居るみたいだから、そのお陰かもね」

 

ハーゲンティ

「マム、マム! パーティって、入ったらすぐご飯食べても大丈夫!?」

 

グレモリー

「まあ待て。任務と『状況』を忘れるな」

「サイティ傘下のような連中が『格付け』をするには、ここは格好の『狩場』だからな」

 

ザガン

「『狩場』って……」

 

グレモリー

「無様な他者を見下すのではなく、見下すために他者が無様である理屈を探す……そういうものだ」

「特に私は、やむを得んとは言え少々派手にやり過ぎた。いつ因縁を付けられるとも分からん」

 

ハーゲンティ

「う、うっす……」

 

グレモリー

「『本場』にしても、がっつくような振る舞いは良くは思われんしな」

「まずは無難そうな参加者を見繕って、パーティーの勝手について情報を得るべきだ」

 

???

「そういう事なら、私に任せてもらえないかしら?」

 

グレモリー

「む?」

 

 

 声のした方を見ると、女が1人立っている。

 如何にも女給の格好をして、手に持った盆には、水差しと幾つかのコップが載っていた。

 ハーゲンティが、女の顔を見てパッと笑顔になった。

 

 

ハーゲンティ

「あ、ミーナ姉さん!」

 

ミーナ

「ようこそ、サシヨンちゃん」

 

ザガン

「ハー……サ、サシヨン、知り合いなの?」

 

ミーナ

「お仲間の皆さんも初めまして。サシヨンちゃんのお目付け役の1人、ミーナよ」

「後、名前が『2つ』あるって事情もサシヨンちゃんから聞いてるから、普通に喋ってくれて大丈夫」

 

ザガン

「ああ……そ、そりゃどうも」

「(ハーゲンティ、話したのは、ちゃんと『筋書き』通りの事だけだよね?)」

 

ハーゲンティ

「(もっちろん! あたいだって、やれる時はちゃんとやれるのさ!)」

 

グレモリー

「ふむ……」

「(ハーゲンティは、これで中々他人の本性を『映し出す』事には素質がある──)」

「(今のやり取りからして、ライア級の『プロ』でも無い限り、腹に一物ある可能性は低そうだな)」

 

ミーナ

「取り敢えず、話してると喉も渇くだろうし、駆け付け一杯ってね」

 

 

 ミーナが盆からコップを取って4人に配り、水差しから水を注いでいく。

 

 

ザガン

「これも……もしかして、アブラクサスの?」

 

ミーナ

「あら、もう知ってた? お察しの通り、アブラクサスの『うっすい』水よ」

「流石にこれだけ水があるのに、飲み水だけ他所から買うのもアレだからねえ」

 

ハーゲンティ

「使わないでガマンできそうなお金は使わないのが1番だよね」

「あたいなんかもうゴクゴクいけちゃうし、慣れればザガン姉さんたちも大丈夫だよ!」

 

ザガン

「まあ、私もイヤってわけじゃないけど……」

 

グレモリー

「失礼。挨拶が遅れたな、ミーナ。もう知っているかもしれんが、私はギーメイだ」

「『ハーゲンティ』の面倒を見てくれた件、私からも感謝する」

 

ミーナ

「いえいえとんでもない、別に大それた事もしてないし」

「それに、むしろ私たちの方こそ……まあ、ともかく──」

「サシヨンちゃんのお友達なら私たち協力は惜しまないから、遠慮なく頼ってね!」

 

グレモリー

「う、うむ……?」

「(いやにハーゲンティに好感を持っているように見えるな……)」

「(ハーゲンティからは、お目付け役と衝突事故を起こし、その後に打ち解けたとしか聞いていない)」

「(何が有ったかしらんが……まあ良いだろう)」

 

ハーゲンティ

「『私たち』って言えば、他の2人はどうしてんの? それにミーナ姉さんはバイト中?」

 

ミーナ

「ハズレ。バイトじゃないのよ、これも参加の仕方の1つって事」

「毎回、定例パーティーの運営は当番が決まってて、そこに自主的な手伝いが加わって開催されるの」

「私は今回、当番組ね。ここに来る前は使用人とか接客業よくやってたから、給仕担当ってわけ」

 

グレモリー

「ふむ。だいたい見えてきた」

「パーティーそのものが、住民の好意でシュラーをもてなす意味もあるのだな」

「パーティーを『客』として楽しむのも『運営』として楽しむのも、本質的には同じという事か」

 

ミーナ

「まあ、そんなとこ。サシヨンちゃんのお目付け役はもう2人居るんだけど──」

「今はえーっと……あ、ホラ、あそこよ」

 

 

 ミーナが指差した先、会場の壁際の目立つ所に、複数の女性達が居並んでいた。

 それぞれが楽器を持って、比較的簡単な曲でもって会場のBGMを担当し、時に中断して、連携や楽器の調整などを話し合っている。

 

 

ミーナ

「金管楽器もってるのと、指揮者がその2人よ。名前はそれぞれ、ワレミアとフォロア」

 

ハーゲンティ

「へ~、あの2人、音楽も出来たんだねえ」

 

ミーナ

「特にフォロアがね、大きなコンテストにも出たことある本格派だったりするのよ」

 

ザガン

「あの人達も、『当番』?」

 

ミーナ

「いいえ、2人はさっき言った、自主的な『手伝い』組。私が当番の時はよく付き合ってくれるの」

 

ハルファス

「仲良しさんなんだね」

 

ミーナ

「ふふっ、まあね」

「それに、音楽担当は毎回、半分は『手伝い』で、もう半分は『飛び入り参加』なのよ」

「だからああやって、シュラー様が到着するまで、簡単な合奏から入って打ち合わせしてるの」

 

ザガン

「飛び入り参加って事は、準備もせずに、今日になっていきなり?」

「つまり……演奏する人の中に『当番』は居なくて、行きあたりばったりでやってる?」

 

ミーナ

「そういう事。『当番』は最低限の人数しか居ないからね」

「音楽とか、最悪ナシでも何とかなりそうな所は、毎回そんな感じよ」

 

ザガン

「それ……あの、グダグダになっちゃったりしない? 人が全然集まらないとか……」

 

ミーナ

「私が知ってる限りは一度も無いわね。なんたって、シュラー様はカリスマあるから」

「何かやってる方が、『シュラー様が目にかけてくれてる』って思えるんでしょうね」

「手伝い含めた『運営』の定員は決まってるから、たまに椅子の取り合いまで起きるくらいよ」

 

グレモリー

「打算と言えばそれまでだが、自ずと奉仕したくなる魅力か何かがあるという事か」

「(今の口ぶりからすると、少なくともミーナは『シュラー派』ではない……か)」

 

ザガン

「(『シュラー様の愛』とか、私のお目付け役の人も言ってたな……)」

「(自分から、その人の為になりたい気持ちって事かな……分かるような、分からないような……)」

 

ミーナ

「そういう人達の気持ち、私も今日になって初めて……っと、私の話は置いといてと」

「4人とも、普通に参加って事で良いのよね。私が簡単に案内してあげるわ」

「と言っても、知り合い同士の親睦会みたいなもんだから、マナーとか有って無いようなものだけど」

 

 

 会場の奥へと4人を誘導するミーナ。

 数分後、ごく簡単に全ての説明が済んだ潜入組は、パーティーに馴染み始めていた。

 

 

ハーゲンティ

「んもっ……んもっ……」

 

ミーナ

「ふふっ、もうサシヨンちゃん、ハムスターみたいになっちゃってるわよ」

 

ザガン

「『大食い職人』って感じの真剣な顔だねえ……でも、ハーゲンティらしいかも」

「そういえば、私のお目付け役が言ってた通りだね。パーティーの料理、本当に何ていうか……」

 

ミーナ

「『満足感』みたいなのあるわよね」

「カリナちゃんのお皿の野菜とか、アブラクサスで唯一の『恵み』の作物なのよ」

 

ザガン

「えっ……あ、『コレ』がか! 本当に区別つかないくらい『しっかり』してるなあ」

 

ミーナ

「あら、それも知ってた? お目付け役の中に農業担当の子が居たみたいね」

「最初は色々戸惑うけど、みんな結構、この食生活を気に入り始めるのよね」

「『外』では大地の恵みが当たり前な生活してたから、何だか『教えられた』みたいな」

 

ザガン

「ありがたみってやつか……ちょっと分かっちゃうかも」

「(シュラーの人気が物凄いのも、こういう『特別な体験』が後押ししてるのかな)」

 

ミーナ

「さて……定例パーティーが見た目より気楽な集まりだって、分かってもらえたかしら?」

 

ザガン

「あ、そっか……ミーナはパーティーの『運営』しないとだもんね」

「うん、お陰で凄く助かったよ、ありがと」

 

ハルファス

「これからどうしたら良いかは分からないけど、いつも通りにしてても大丈夫なのは分かったと思う」

 

ミーナ

「それでオッケーよ、チータちゃん。立派なお姉さん達と一緒に楽しんでいってね」

「それじゃ、私はそろそろ給仕に戻るから、ゆっくりしていってちょうだいね」

 

グレモリー

「世話をかけたな。構わず、パーティーの盛りたてに戻ってくれ」

「ハーゲンティはこちらで面倒を見るから心配ない」

 

ミーナ

「良いのよ、これも役目の一部だもの。じゃあ」

 

グレモリー

「うむ」

「(ミーナの案内で一回りしている間、不審な視線を何度か感じた……)」

「(サイティ派も少なからず参加している。なるべく4人で固まってパーティーを過ごすべきか)」

 

 

 手に持った水を一口呷るグレモリー。

 

 

グレモリー

「ふむ……この水にも、なるべく早く慣れておかんとな」

「(ザガンが言っていた通り、山から引いた水にフォトンが含まれていない原因も気になる)」

「(数を飲んだ所で解決には繋がらんだろうが、身近に置くに越したこともあるまい)」

 

ザガン

「でも、普通にジュースとかもあるんだねえ。それもちゃんとフォトン入りの」

 

 

 ザガンはコップを近くのテーブルに置き、瓶詰めの炭酸レモネードを飲んでいた。

 炭酸抜け防止の栓に使われたビー玉が瓶内に残るため、これと格闘して余り飲み進められていない。

 ドレス姿もお構いなしの、花より団子な風情だった。

 

 

グレモリー

「潜入捜査である以上、資金源の怪しいフォトン食材とて目くじら立てる気は無いが──」

「酒類まであるとはな。流石にこれは嗜めん。間違いなく酒税も何もあったものでは無かろう」

 

ザガン

「潜入組にグレモリーが居て正解だったかもね」

「ブネみたいな酒飲み組だったら、気にせずグビグビ飲んでそうだし」

 

ハルファス

「でも、ここは男の人は入れないから……ブネは女の子の格好しなくちゃいけないのかな?」

 

ザガン

「ぶふっ!? ゲホッゲホッ……!」

 

ハルファス

「ザ、ザガン? 大丈夫?」

 

ザガン

「けふっ……だ、大丈夫」

「(一瞬だけ想像しちゃった……)」

 

 

 不意打ちをくらって派手に噴き出したザガンの陰で、グレモリーが口元を押さえて小さく咳払いした。少しプルプルしてるかもしれない。

 

 

ザガン

「う~、喉の変な所入っちゃった……ちょっと、水おかわりしてくるね」

 

グレモリー

「……わかった。余り離れすぎるなよ」

 

 

 さり気なく呼吸を整えながらザガンを送り出すグレモリー。

 

 

ハーゲンティ

「ごっきゅん……あたいも、他にもお料理探してくる!」

 

グレモリー

「ハーゲンティは待て。動くのはザガンが戻ってからだ」

 

ハーゲンティ

「はうあっ! な、何故っすかマム!?」

 

グレモリー

「貴様は1人で行かせると、どこまでも遠くへ行きかねん」

「さっきも言った通り、こういう場ほど、いつ狙われないとも限らん」

「少なくともシュラーが会場に到着するまでは、互いに互いを見守れる状態を維持しろ」

 

ハーゲンティ

「りょ、了解……」

「でも、何でシュラーが来るまで?」

 

グレモリー

「シュラーが現れれば、サイティ派も軽率な真似はできなくなるからだ」

「シュラーが居る場でサイティ派が騒ぎを起こせば、水を差したも同然だ」

「それも騒ぎの原因が『嫌がらせ』なら、サイティに迎合できる雰囲気には、まずならない」

 

ハーゲンティ

「なるほどー、もっと偉い人のカゲに隠れるんだね」

 

グレモリー

「有り体に言えばそういう事だ。私としては気に食わん『手』だが、状況が状況だからな」

 

ハルファス

「もぐもぐ……ごくん」

「でも、私たちが『悪者になる』ように何かされたら、まずいんじゃないかな?」

 

 

 ハーゲンティがよそって来てあげた料理を淡々と食べていたハルファスが意見した。

 

 

グレモリー

「シュラーまで我々を断罪すべしと誤解した場合か」

「あり得ない話では無いが、その可能性は懸念に値するほど大きくない」

「サイティが対立している以上、シュラーとサイティの方針は相容れないもののはずだ」

「必然、『やり口』についても同様だ。トップを維持しているからにはシュラーも暗愚ではない」

 

ハルファス

「えっと……サイティの仲間に嫌がらせ受けてるって、シュラーもすぐに分かるって事?」

 

グレモリー

「そうだ。そして少なくとも名目上、シュラーは住人全員の『シンボル』だ」

「『故あれば見捨てる』……そんな指導者では、こんな環境でこれほどの求心力は保てん」

 

 

 会場の住人を見渡すグレモリー。住人たちがシュラーのため、自主的にパーティー運営に従事しているというミーナの話を思い返す。

 

 

ハーゲンティ

「それ、あたい知ってる! 『大人の対応』ってやつだね」

 

グレモリー

「まあな。つまり住人達が見ている前では、シュラーは指導者に相応しい態度を取らざるを得ない」

「即ち、仮にも住人である我々の窮地に対して、『味方にならない』という選択肢はあり得ん」

 

ハルファス

「うん。多分、分かったと思う」

「シュラーが来るまで、何も起きなければ、ひとまず安全って事だよね?」

 

ハーゲンティ

「なら、早くシュラー来~いシュラー来~い……それかザガン姉さん戻って来~い」

 

グレモリー

「期待の主賓は後から壇上に上がるのが『お約束』だからな。こればかりは──」

 

ザガンの声

「うわっ!? だ、誰だよ今の!」

 

グレモリー

「っ!?」

 

 

 仲間の大声に会場が静まり返った。真っ先にグレモリーが戦場の顔で反応した。

 ザガンは少し離れた所で、髪を肌にペタリと貼り付けて、あちこちから水滴を滴らせていた。ドレスも生地の半分以上が濡れて色を濃くしている。

 ザガンが睨む先には、例のサイティの取り巻き3人組。

 

 

バーズレー

「あーらどうしたの、その格好? 水差しからガブ飲みでもした?」

 

レディス

「あり得ないでしょー♪ 『外』の贅沢な暮らしに慣れた新入りが『うっすい』水なんて」

 

アマーチ

「……」

 

 

 バーズレーは、違法なカジノで紙幣をそこら中に挟んで練り歩いていそうな大胆な服で、盆を片手にふんぞり返っている。恐らくミーナと同じく給仕当番なのだろう。両の足でしっかりと直立している。グレモリーとの一件で負った足首の怪我も、本当は騒ぐに値しない軽傷だったようだ。

 レディスは、間近のテーブルにビールやらツマミやら水差しやらを大量に並べて、如何にも酒盛りの真っ最中な様子でニヤニヤしている。テーブルに手を置くなどして体重を足腰にかけないよう姿勢を頻繁に変えており、こちらはまだダメージを引きずっているようだ。

 アマーチは、レディスの隣で腕組みしてテーブルに腰掛けるようにして立っている。姿勢は威圧的だが表情は煮え切らない様子で、ザガンから目を逸らしてジッとしている。

 

 ザガンの周囲に取り巻き以外の人影は無く、騒ぎに気付いた女達は誰も、ザガン達から距離がある。

 

 

ザガン

「水かけたろ! たった今、後ろから!」

 

バーズレー

「フフッ……やだ怖ーい、すぐ人のせいにして……どこに証拠が有るってのよ」

 

レディス

「カラの水差しくらいなら、ここにあるわよ? さっき私らで飲み干しただけだけど」

 

バーズレー

「ちょっと止めてよー、こういうタイプの女って、すぐそういうので勝った気になるんだからー」

 

バーズレー&レディス

「キャハハハハっ!」

 

アマーチ

「ふ、ふふ……」

 

ザガン

「こ、の……!」

 

 

 アマーチがチラリとザガンの方を見て、ザガンの肩越しにグレモリーの姿を見つけた途端、引きつった笑みを漏らしながら目を逸らし、自身を抱きしめるように腕組みを強めた。

 一方、成り行きを静観するグレモリー。ザガンとの距離は、他の女達と大差ない程度に開いている。

 

 

 

グレモリー

「(いっそ感心するほどに小賢しいな……調子にさえ乗ればハッタリまで使いこなすとは)」

「(自ら『手がかり』を掲げて煽る事で、『手がかり』を元にした追求を封じ込めたか)」

「そういえば、最初に連中に絡まれていたのはザガンだったな……」

「最初から目を付けられていたか……『踊らせやすい』性格だと」

 

ハーゲンティ

「マ、マ、マム……い、言ってる場合じゃないと思うんスけど……!?」

 

グレモリー

「今すぐにでも割って入りたい所だが……悩ましいな」

「軽率に助けに入れば、ザガンは『餌食』にうってつけだと奴らに『売り込む』も同然だ」

 

ハルファス

「私がザガンの立場だったら、自分でも思っちゃうかも……」

「『1人じゃ狙われた時にどうにも出来ない』って」

 

グレモリー

「現に今、ザガンは近くに私たちが居るのも忘れて1人で戦おうとしてしまっている」

「水差しのハッタリに動揺して、怒りの置き場を見失ったな」

「宥めに入れば、周囲にさえ醜態を晒しかねん……『ザガンは感情を処理できん人間だ』と」

 

ハーゲンティ

「だ、だからって……!」

 

グレモリー

「だからこそだ。アブラクサスに入り込んだ以上、任務完了以外に『逃げ場』はない」

「この場での評価が今後、住人たちのザガンへの『扱い』に直結すると言っていい」

 

ハルファス

「そっか、一度アブラクサスに入国したら出してもらえないから──」

「これからもずっと『そういう人』って思われながら暮らす事になっちゃう……」

 

グレモリー

「アブラクサスでのザガンの立場を守るためには、せめてあと一歩、ザガン自身で動かねばならん」

「頭を冷やして『後に退く』……ザガンには特に難しい選択だろうが……」

「……ハーゲンティ、指示を出す」

 

ハーゲンティ

「おぇ!? ほ、ほいっ!」

 

グレモリー

「今の内に、興味のある料理がどこにあるか、目星を付けておけ」

 

ハーゲンティ

「イエッサ……え? な、何で?」

 

グレモリー

「『念の為』だ……良いからやっておけ」

 

 

 一方、ザガンと取り巻き3人。

 レディスが突如、会場中に伝えんばかりに声を大にしてザガンを嘲笑した。

 

 

レディス

「大体さー! そんな『けったい』な服着といて! 説得力のカケラも無いんですけどー!?」

 

ザガン

「なっ、『けったい』って何だよ! この服は──」

「って、な……何だコレ……!?」

 

 

 ドレスを見下ろしたザガンが、ハッと顔をしかめてドレスの前を腕で覆った。

 ザガンが取り巻きから隠すように身を捩った拍子に、グレモリー達の目にも、ザガンに何が起きたかが伺えた。

 

 

ハルファス

「あれ? ドレスが何か……さっきまで、あんな感じじゃ無かったよね?」

 

ハーゲンティ

「スカートとか萎んだみたいに……っていうか、パツパツ?」

 

グレモリー

「あの特徴は心当たりがある。貴族愛用の上等な生地には違いないが……『雑用』の品だ」

「絹のような肌触りだが、極めて水を吸いやすく、含んだ水はごく軽い力で殆ど絞り出せる」

「故に食卓のナプキン、ハンカチや傷当てとして重宝されている」

 

ハルファス

「じゃあ、ドレスが水を全部吸って……貼り付いちゃったの?」

 

グレモリー

「だろうな。しかも生地は空気を多量に含む。つまり水を吸うと見た目に生地が『薄く』なる」

「辱める魂胆か……周囲が女ばかりなどと、気休めにもならん。下衆共が……」

「(輪をかけてマズい。若さを加味しても、ザガンは下劣な事物に疎い部類だ。特段に『効く』……)」

 

 

 衆人環視の中で不自然に体型を曝け出され、水掛け論どころで無くなったザガンを、取り巻きがここぞとばかり冷やかす。

 

 

バーズレー

「クスッ……やだ、何ソレ痴女?」

「シュラー様に色目使うにしたってハリキリ過ぎじゃない?」

 

レディス

「ヒュー♪ 良いケツしてんじゃないのー!」

 

 

 示し合わせたように、騒ぎに注目していた女達の何人かがざわめきだす。

 

 

野次馬の女

「うっわ、あんなの『仕込んで』来るとか……流石にちょっとねえ?」

 

取り囲む女

「見た目はサッパリしてそうなのに、ちょっと幻滅……」

 

蚊帳の外な女

「あれじゃみっともないだけよねえ……クスクス」

 

ザガン

「!!?」

 

 

 完全に困惑に乗っ取られた顔で、周囲に目を向けるザガン。

 すぐ近くに居るはずのグレモリー達はもはや眼中に無く、遠巻きの非難に意識を奪われている。

 野次馬の中で、率先して口を開く者が皆、下品に寄り集まっているか、でなければその周囲の女達が距離を置きたそうにしている者ばかりな事にも気付け無い。

 

 

迷惑そうな女

「たまに居るのよね、初日から『お姫様』気取りっていうか、夢見がちな子……」

 

呆れ顔の女

「きっと恋物語とか真に受けちゃってるのよ、かわいそうに」

 

ザガン

「ち……ちが……違、う……っ」

 

 

 見も知らぬ女たちを見回していたザガンが、野次馬の中に顔見知りを見つけた。

 グレモリー達ではない。ザガンのお目付け役だった3人だった。

 

 適度に着飾った没個性な女は、ザガンと目が合った事に気付くと慌てて目を逸らした。

 生真面目な女は最初から明後日の方を向いて、何も映ってないような目を虚空に泳がせて、騒ぎなど起きてないかのように皿の上の野菜を機械的に口に運んで咀嚼し続けている。

 呑気な女は別人かと見まごうほど、何気に会場でも一際気合の入った出で立ちだった。肩を張り詰め胸元で両手を握りしめてザガンをジッと見つめ返していたが、涙を滲ませた目を伏せ、かぶりを振った。

 

 

グレモリー

「(分かってから見れば、あのドレスは下着を纏うと『合わない』誂え……元より、このための品か)」

「(白だとか『露骨』な色で無いのは、半端に隠す余地を与える事で『逃げる』事を忘れさせるため)」

「(ハルファスとハーゲンティが狙われなかったのは、この手口を活かすには若すぎたからか)」

「(社会的な『庇護対象』では効果が落ちる。憤慨して助けに入る者が現れたのでは失敗だからな)」

「(『いい歳なのだから、騙される事も含めて自己責任』……そう社会が裁くに足る女が標的に相応しい)」

「(観衆は『自業自得だ』と良心を痛ませず、孤立した者の側へ立つリスクを冒さぬ言い訳を持てる)」

「(そうして第三者を『晒し者の加害者』へと引き込む……十中八九、サイティの描いた絵図だな)」

 

ハルファス

「グレモリー……」

 

グレモリー

「ああ、貴様たちでも『分かる』だろうな。ザガンは完全に『呑まれ』ている。絶望的だ」

 

ハーゲンティ

「な、なら黙ってみてる場合じゃないよ、こんなの『やりすぎ』だって!」

 

グレモリー

「いや、何も『やりすぎ』ていない。不甲斐ないが、入国審査の時の意趣返しを食らった」

 

ハーゲンティ

「え……?」

 

グレモリー

「事の発端である『水』が、取り巻き共の仕業という決定的な証拠が無いのだ」

「そしてあのドレスも出所は知れないし、ザガンが自らの判断で纏った──」

「ならば『上っ面』だけだ。『疑惑』は『事実』では無いのだからな」

「やつらはただ、奇行を晒す女に言いがかりを受け、『カッとなって』反論したに過ぎん」

 

ハルファス

「ここで止めに入っても、ややこしくなっちゃうだけって事……?」

「ザガンの近くには3人しか居ないけど、『誰が水をかけたか』は誰も見てないっぽいし」

 

ハーゲンティ

「そんなの絶対、見た人が居てもあの3人が怖くて言い出せないだけで──!」

「あ……だから証拠が出てこないって話に戻っちゃうのか……」

 

グレモリー

「更に言えば、3人が共犯という証拠が無ければ、犯人をあの中の1人に絞り込まねばならない」

「証人にしても、恥を晒す赤の他人に、わざわざ味方して同じ視線を浴びようとする者も少なかろう」

「そしてザガンを通して我々が介入し、水掛け論に熱が入れば──」

「いずれ出るだろう。我々にせよ、加勢する住人にせよ、『力』に打って出る者が……」

 

ハーゲンティ

「そりゃあ、『先に手を出した方が悪い』とか言うけど……」

「っていうか、もう秒読みなんじゃあ……ザガン姉さん、絶対すごく怒ってるし」

 

グレモリー

「恐らく、そうして宴席で乱闘を招く事こそが奴らの思惑……割り込めば思うツボだが……」

「……ハーゲンティ、料理の目星は付けたか?」

 

ハーゲンティ

「い、いやいやいや、こんな状況で出来るわけないっしょ!」

 

グレモリー

「なら、手近な料理だけかき集めておけ」

「そして、ハルファスを連れて会場の外まで離れていろ」

 

ハーゲンティ

「え……ちょ、まさか、マム?」

 

 

 両の手を組んでボキボキと鳴らすグレモリー。仮にも宴会とあって、武器は持ち込んでいなかった。幸か不幸か。

 

 

グレモリー

「例え罠だろうが、これ以上は限界だろうよ。私がな……!」

「ケダモノにヴィータの流儀は通じん。ケダモノの流儀で『分からせる』しか無かろう」

「それに元を正せば、奴らの品性を『買い被った』私の落ち度だ」

「『何か起こるなら、存分に付き合う』……嘘にはさせん」

 

ハーゲンティ

「そ……」

「そういう事なら、あたいだって逃げたりなんかしたくないよ! 当たって砕ける!」

 

グレモリー

「ダメだ。リスクの分散はアブラクサスでは命取りだ」

 

ハーゲンティ

「リ、リス……?」

 

ハルファス

「やっぱり、皆でザガンの味方したら、怖がられたりしちゃいそう?」

 

グレモリー

「そういう事だ。これから始まるのは、あくまでも口論からの乱闘騒ぎだ」

「後に残るのは『言い掛かりを徒党を組んで殴り伏せた連中』の肩書のみ……」

「ましてやパーティーに参加していない者には下世話な噂しか届くまい」

「それも、より声の大きいだろうサイティ派の情報ほど広く伝わっていく」

 

ハーゲンティ

「そ、そうなったら、あたい達、任務が終わるまでアブラクサスで暮らさなきゃならないから……」

 

グレモリー

「シュラーを迎える場での狼藉、そしてザガンの醜聞が我々の『全て』にされる」

「そして我々4人の『横暴』を許さぬためには、より多くの『暴力装置』が用意される事だろう」

「最悪、人並に過ごせるかも分からんな。法が無いなら、全住人が自由に悪を裁ける」

 

ハーゲンティ

「お……おはようからおやすみまでイジメコース……!」

 

グレモリー

「理解したなら、貴様ら2人は早々にこの場から逃れろ」

「そして、これから起きる事について追求があれば、知らぬ存ぜぬを通せ」

「仲間を守りたいと思うなら、自分の身とやるべき事を守る……これはそういう状況だ」

 

ハーゲンティ

「う、うぅ~~……」

「ハ、ハルちゃん……行こう!」

 

 

 ハルファスの手を取るハーゲンティ。

 軽く引くが、ハルファスは歩き出そうとしない。

 

 

ハルファス

「でも私、本当にグレモリー達を『切り捨てる』みたいな事して良いのか、分からない……」

 

ハーゲンティ

「あたいだって本気でヤだよ! でも……」

 

 

 頃合いを見計らって取り巻きが、十分に視線に漬け込んだザガンへ煽り文句を再開した。

 

 

レディス

「その『足元』、ちゃんと後で掃除しなさいよねー?」

 

ザガン

「(足元……?)」

 

 

 吸った水を良く落とす生地は、保持しきれない水を重力に従って下へと流し、ザガンの足首を伝って足元にシミを広げていた。

 

 

レディス

「『自分から水かぶった』んだから、そのくらい責任取りなさいよー?」

 

バーズレー

「っていうか、水だけじゃ無かったりして……?」

 

レディス

「ブッヒャヒャヒャヒャ! やめえってメシ食ってんだからさあ」

 

 

 これ見よがしに、レディスが鼻をつまみながら高笑いした。

 ザガンを取り囲む笑い声の中に、無理に作った笑い声が混じり始めた。

 形だけでもサイティ派に合わせない事が、後にどのようなリスクを招くかが今、目の前にあった。

 

 

ザガン

「……」

 

 

 ザガンの頭がブツリと小さく揺れ、身を丸めるのを止めた。震える手が、今にも血が滲みそうなほど握りしめられている。

 既にグレモリーが、狼藉者に気取られぬよう殺気をしまい込みながら歩みだしていた。

 

 

グレモリー

「(あの3人だけは……確実に『へし折る』……!)」

 

ザガン

「お……ま……え……らぁぁぁっ!!」

 

 

 同時、遠方から悲鳴と、バシャリと大きな水音があがった。

 

 

???

「キャアアッ!?」

 

 

 各々の逆立った神経が思わず反応して、悲鳴のした方へ振り向く。

 ただ音がしただけなら、乱闘の気配に驚いた女が飲み物を取り落としただけかも知れなかった。

 だが、悲鳴のした方向から、次々と女達の黄色いどよめきが広がり、会場全体へ波及した。

 

 

遠くの女の声

「ちょ、ちょっとあれ……!」

 

隅の方の女の声

「き、来た……じゃなくて、い、いらっしゃったわ!」

 

近くの女の声

「で、でも今……何であんな事!?」

 

潜入組4人

「……?」

 

 

 ザガン達も流石に我に返り、訝しんで騒ぎの原因を探した。

 

 グレモリー達が通ってきた地下通路とは、ほぼ反対方向。パーティー会場正門側の出入り口近く。

 会場の彩りとして掛けられた上等なカーテンに光を遮られ薄暗くなっている空間で、先程の悲鳴の主・ミーナが、カーテンの陰を凝視しながら酷く狼狽していた。

 グレモリー達の位置からは死角になって、カーテンの向こうの存在が伺えない。参加者達も、見えた見えないで口々にざわつき合っている。

 

 カーテンの向こう側から細腕が1つ伸びて、ミーナの持つ盆の上に、とても軽そうな挙動で手に持った水差しを置いた。

 

 

ミーナ

「シ……『シュラー様』!?」

 

潜入組4人

「!!」

 

 

 慌てた様子のミーナが半ば無意識に後ずさると、カーテンに隠れていた人影が、ピタリとミーナに歩幅を合わせながら躍り出た。

 

 

シュラー

「すみません。お見苦しい所を見せてしまって」

「何しろ急な通り雨で……慌てて走ってきたら喉が渇いてしまって」

 

ミーナ

「えっ!? で、で、でも、い、今……!?」

 

 

 シュラーと呼ばれた人影は、ミーナの瞳をジッと見つめて、アジサイのような慎ましい笑顔で言葉を交わしている。

 

 

バーズレー

「チッ……」

 

レディス

「帰んべケエんべ、『マワされ』ちゃたまんねえ」

 

アマーチ

「……ふぅ」

 

 

 その人物がシュラー本人であろう事は、参加者達のリアクションと、取り巻き3人の辟易した態度を見れば間違いなかった。

 

 

ハーゲンティ

「あ、あの人が……シュラー?」

 

グレモリー

「若いな……」

「(先入観を持ち込まぬため、シュラーの情報は得ないでいたが……それにしても予想外な程だ)」

 

ハルファス

「あれ? あの人……」

 

ザガン

「……っ!!」

 

 

 身長も年の頃もハーゲンティ達とさして変わらない。

 ミーナより明らかに低く、並んでいると年の離れた兄弟姉妹ほども開きがある。

 しかし佇まいは落ち着き払っており、ピッと背筋を伸ばしてミーナを見上げているシュラー単体の姿だけなら、少女と女ではなく、一人前の紳士が巨漢と向き合っているようですらあった。

 

 

ミーナ

「い、い、今、シュラー様……お、お水、じ、じ……っ!」

「(いつの間にか隣に居たと思ったら、自分で水差しの中身を頭から被った……何で!?)」

「(水被る前は濡れてなかったの見てたし、雨音なんて全然してないし……何のための嘘!?)」

 

シュラー

「思いの外、驚かせてしまったようですね……申し訳ありません」

 

 

 シュラーは、テンパっているミーナの懐に歩み入り、片手をミーナの頬に添えた。

 反り返らんばかりに背筋やら肩やらガチゴチに強張らせたミーナに、シュラーは背伸びしながら、グッと顔を近づけた。

 互いの瞳しか視界に映らないほどに顔を寄せ、シュラーが唇の前に人差し指を立てた。

 

 

シュラー

「どうか、いま見た事は秘密にしてください。2人だけの……」

 

ミーナ

「は……は、ハイ……」

「(毎回毎回、距離が近いなぁこの人……!)」

 

 

 夕顔の花のようにしっとりと笑ってシュラーが離れた。

 会場へ歩み寄りながらシュラーは、オールバックの髪を更に後ろへ滑らかに掻き上げた。

 撫でられた濡羽色の髪から水滴が飛び、黒を貴重にした礼服は足元までびしょ濡れだった。

 直毛の髪はそれなりの長さがあるようだが、上着の襟内を通して衣服の間に挟み込む形になっているため、詳細には伺えない。

 

 

ザガン

「……あれが……シュラーだって?」

 

 

 心ここにあらずといった様子で、困惑の面持ちでザガンはシュラーをぼんやりと見つめていた。

 シュラーの声色は見た目通りに澄んだ少女のそれで、男装の舞台女優のような繕った低さや太さは無い。しかし抑揚と滑舌はそれだけで、紳士の色気を思い起こすほど落ち着きに満ちていた。

 体格はビオラのように小柄で、中性的な衣装を着こなしてなお輪郭が細い。しかし仕草は精悍な美丈夫の姿が重なるような錯覚さえ覚えるほど、艶かしく堂に入っていた。

 

 

ハルファス

「(あの人、天文観測塔でピアノ弾いてた人……だよね?)」

「(話してた時は『形だけの立場』って言ってたけど……1番偉い人だったんだ)」

 

 

 シュラーは淀みない足取りで真っ直ぐ歩み寄ってくる。

 装飾1つ無い裸のアルカイックスマイルをたたえた視線は、一点に固定されたまま微動だにしない。

 

 

シュラー

「ホールの中心にただ1人……君が、今夜の主役だね?」

 

ザガン

「…………え? わ、私?」

 

 

 やや遅れて、自分に声がかかっているらしいと気付くザガン。勘違いを懸念して近くに人が居ないか探すが誰も居ない。

 取り巻き達がシュラーを忌避してとっくにザガンから離れ、どこかへ姿を消している事に初めて気づいた。

 

 

ザガン

「い、いや、えっと、私は、あの……」

 

 

 今さっきまで取り巻き達に沸騰させられていた頭では事態の処理が追いつかない。

 うろたえるザガンに構う様子も無く、シュラーはスタスタとザガンの眼前まで到達した。

 左手で弧を描き、胸の前に置いて礼を示すシュラー。丁度、その対象であるザガンが戦闘に勝利した時のものに近い。

 ずぶ濡れの2人にますます注目が集まり、思わずザガンが後ずさると、ほぼ同時にシュラーが距離を詰め、するりとザガンの左手を取った。

 

 

シュラー

「格好が付かないが……雨に打たれて、体が冷えてしまった」

「だから、怖がらせてしまったら済まない……少し、激しいよ」

 

ザガン

「へ……おわっ!?」

 

 

 急に体を引っ張られる感覚にザガンが声を上げ終えた時には、ザガンがシュラーの腕に大きく背を委ねた、社交ダンスで言うオーバースウェイの姿勢が完成していた。

 2人に纏わり付く水が、虹を描きそうなほど流麗に振りまかれた。花園のように2人を囲むパーティー参加者達から歓声が沸く。

 一拍遅れて、合奏担当による精妙な曲が会場を包んだ。

 

 

ザガン

「ちょっ、待って、私は……!」

 

 

 どうにか中座を求めようとするザガンだが、とぎれとぎれの抗議の最中にも、向かい合った2人が滑るように絨毯の上を移動し、離れたと思ったら手を繋いだまま帯を解かれるようにクルクルと回り、繋いだ手が伸び切ると共に回転しながらシュラーの懐へ引き寄せられ、指を絡めた2人の腕が鶴の首のようにしなやかな姿勢を描いた。

 

 

ザガン

「(な……何だこれ……何だこれぇ!?)」

 

ハーゲンティ

「……何が起きてんのコレ?」

 

ハルファス

「シュラーがザガンとダンスしてるんだと思う……けど、何でこうなってるのか分からない」

「ザガンって、ダンスも得意だったのかな?」

 

ハーゲンティ

「でも、あんな事あったばかりだし、ザガン姉さんそんなに乗り気じゃないと思うけど……」

 

グレモリー

「そもそも、そんな素養があった等という話に覚えがない。全くの未経験のはずだが……」

 

ミーナ

「あ、あの人、いつもこんな感じなの……ハァ、ハァ……」

 

グレモリー

「む? ミーナ、走ってきたのか?」

 

 

 いつの間にか、出入り口近くに居たはずのミーナが、グレモリー達の近くで肩で息をしていた。

 

 

ミーナ

「ふぅ……皆、驚いてると思って……」

「その前に──ごめんなさい……私たちには、見てる事しか出来なくって」

 

グレモリー

「構わん。元より、ああなった時は私たちだけで片を付ける覚悟だった」

「それより、説明のためにわざわざ来てくれたのなら、ぜひ頼む」

 

ミーナ

「ありがとう……」

「それで……まあ、見ての通り、シュラー様はダンスが何よりお好きなの」

「パーティーの時は必ずこうして、住人にダンスの相手をさせるの。殆ど無作為に」

 

グレモリー

「そのための合奏担当たちでもあるわけか」

「そしてそこへ丁度、良からぬ形ではあるが目立っていた『カリナ』が選ばれた、と」

 

ミーナ

「シュラー様と踊ると何故か、見惚れるくらい綺麗に踊れちゃうの。私みたいな運動音痴でも」

 

グレモリー

「熟練の踊り手は、素人と組んでも匠みに『踊らせる』と……半ば与太話で聞いた事はあるが……」

 

ミーナ

「それにしたって見ての通り、『出来すぎ』だけどね」

「でも、あの『出来すぎ』もシュラー様が人気な理由の1つなのよ」

「皆が見てる前で、アブラクサスのトップと二人っきりで、一流のダンス……」

「いい気になるなって方が難しいものね」

 

グレモリー

「しかも何の研鑽も要らず、ただシュラーに身を任せるだけで良い……か」

 

 

 ふと、曲がぶつ切りに一瞬止まり、すぐさま別の曲調がスタートした。

 

 

合奏中のワレミア

「(あ、また変わった!)」

「(シュラー様のダンス、上手すぎて何の曲で踊ってるか何となく伝わってきちゃうのよね)」

「(ああ、もうみんな『シュラー様の曲』の演奏に移っちゃってるし……ゴメン、フォロア)」

 

ついていくのがやっとなフォロア

「(ううっ、新しい曲もどんどんテンポが上がってく……)

「(シュラー様、曲がかかってる最中でも気分に合った別の曲でダンス始めちゃうのよねえ……)」

「(ホント、指揮者がかたなしだわ……まあ良いけどね、毎回ってわけでもないし)」

 

 

 シュラーとザガンでは、ザガンの方が頭半分以上も背が高いが、身長差が覆って見えるほど、シュラーは流れるようにザガンを導いていく。

 

 

ザガン

「(抵抗しようとしても、気付いたらダンスにされてる……私の体が、私じゃないみたいだ……)」

「(これって、『やっぱり』……)」

「ね、ねえ……君って、もしかしてさ──わわ!?」

 

 

 喋りかけたザガンの上体が横倒しになった。

 片足と、シュラーの腕だけを支えにして、もう一方の足を高く掲げた姿勢を取らされるザガン。

 

 

ザガン

「っ!」

「(やばっ、上げた方の足、スカートの裾がちょっとズリ下がった……!)」

「(やっぱりスカートとか苦手だよ……っていうか、そうだよ今の私の格好──)」

「おおっと!?」

 

 

 不名誉な自分の出で立ちを思い出した瞬間に体を引き起こされるザガン。

 揺らめくような回転を繰り返しながら、2人が曲に乗って絨毯を揺蕩う。

 

 

ザガン

「あ……あのさ、そろそろ、はなしてもらえないかな?」

「私、今こんな格好だし、恥ずかしいっていうか……」

 

シュラー

「私も、似たようなモノだよ」

「それとも君は……目立つのは嫌いだったのかな?」

 

ザガン

「き、嫌いじゃないけどさ、でも、こういうのじゃなくて……!」

「こんな変な服で、あちこち見られて……格好悪いよ……」

 

シュラー

「そうかな?」

 

ザガン

「そうに決まっ──おお?」

 

 

 体を引き寄せられ、気付くとザガンが、シュラーを、正面から抱き寄せたようなポーズが出来上がっていた。

 シュラーの腕が、ザガンの首に引っ掛けるように絡み、そっと引き寄せられた互いの頬が今にも触れそうな距離で並ぶ。

 官能的な構図に、主にシュラーへ、観衆から黄色い悲鳴が上がった。

 観衆の声に紛らせながら、シュラーがザガンの耳元で、雪割草のように鮮やかに囁いた。

 

 

シュラー

「──君は美しい」

 

ザガン

「へ……?」

「そういう問題じゃなくてワアッ!?」

 

 

 抗議を遮ってダンスが続く。

 

 

ハーゲンティ

「あのお……マム。これ……取り敢えず、一件落着?」

 

グレモリー

「……とは言い難いが、ひとまず有耶無耶にはなっただろうな」

 

ミーナ

「多分しばらくは、全く関係ない住人から何か言われたりは、心配しなくて済むと思うわ」

「シュラー様のお相手に選ばれるだけで何ていうか……『ハク』が付く所あるから」

 

グレモリー

「水浸しのカリナを、ずぶ濡れで現れたシュラーが見出したのでは軽々に嫌味も言えまい」

 

ミーナ

「(もしかしてシュラー様、カリナさんのために……?)」

 

ハルファス

「2人とも……きれいだね」

 

グレモリー

「……やれやれ」

「(気がかりな点ばかりだが……この状況、完全に『置いてけぼり』だ。水を差せそうにもない)」

 

 

 色々と諦めて、事態が収まるのを静観する事にしたグレモリー。小さくため息をついた。

 

 

 

<GO TO NEXT>

 




※ここからあとがき

 何といいますか、「いかにも」な描写を描くのって、思ったより勇気が要りますね……。
 この後、もっと特大のブツを投下する予定がありますが、その時には注意書きを前書きにでも添えとくつもりだと、今の内に申し上げておきます。

 ヴァイガルドの郵政関係は、もちろんオリジナルの解釈です。
 王都を中心として、おおよそは統治下にある土地ですから、所々に郵便局的な物を置いて王都主導で管理しているんじゃないかと考えました。
 大体メギドラルのせいにすれば何とでもなると思ってるところは否めません。

 瓶詰めラムネードについては、どうやら実際に150年ほど前から普及していた歴史があるそうで、ヴァイガルドで流通している可能性もあるかなと描写してみました。
 炭酸水自体、紀元前から天然の鉱泉の物を壺に詰めるなどして運んでいたらしく、さらに炭酸水を科学的に作る技術の確立が1772年、炭酸飲料の流通が1776年。
 ジュースとしての炭酸飲料が販売されたのが1808年アメリカ。
 前回のシャワー考察と照らし合わせると……まあ、大きなズレでは無いと良いなと。
 微妙な部分はハルマのお陰でどうにかなったという事で。

 シュラーの服装は脳内イメージが抽象的な上に、無理に書くと長くなりそうなので若干省きましたが、社交ダンスの男性役のコスチュームをベースにして、さり気なく女性的な意匠(具体例は特になし)が垣間見えるかなって感じをぼんやり思い描いてます。
 とにかく、黒地に白か金が入ってると思われます
 筆者の性癖として、恐らく長ランレベルで裾の長い上着を着ている可能性が高いです。
「シャツと上着の間に髪の毛を挟んでるので長さが分からない」と描写したので、上着の裾が長い事はほぼ確定ですが、ワイシャツ+シュラグくらいの裾丈の長袖黒ジャケットに聖職者のストラみたいな巻かないストールを長く垂らしたりしても好きかもとか妄想しています。

 全く余談ですが、女装は中年以降の方が違和感ないものに仕上がるそうです。
 男性ホルモンの低下と体格の緩みによって、性差の少ない体つきになっているからだそうで。
 なのでむしろ若い男性がいわゆる男の娘になる方が難度が高く、発達した筋肉や顔つきの精悍さで違和感が出やすいのだとか。
 多少ながら、スコルベノトの苦労と懊悩が偲ばれます。



 共襲イベント、久しぶりに挑んでみました。
 コミュ障なのでレイドボス系イベントに苦手意識があったり、本編と違ってどこか忙しなく、手間暇前提なのもあって、長いこと不参加で見送っていました。
 実装当初は数も力も不足していたために、ろくに得点もあげられませんでしたし。

 今回は軍団も育ってきたし、敵のテーマも分かりやすそうだったので物は試しにとやってみました。
 戦力が揃ってきたのを差し引いても、随分とやりやすくなった気がします。
 特に飢王ジェストルはCインキュバスをお迎えできていたお陰で、おかしなダメージを叩き出せるわ、スターも鰻登りだわで、初期の頃の苦労は何だったのかと。
 今後の超幻獣も、上手く噛み合う相手が来ますように。


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2-3後半「Summon! 春夏秋冬夢現光年紀」

 時間を遡る。

 潜入組が自由行動の時間を与えられ、各々に別れてアブラクサスを散策していた頃。

 

 アブラクサス周辺。フォトン欠乏の影響が届かない程度にはアブラクサスから離れている地点。

 海岸沿いの某所にポツンと佇む一件の民家。エルプシャフトでは余り見慣れない幾つかの木や花に彩られている。

 青空に朧に溶け込んだアブラクサスが幻想的な、景勝地にして穏やかで目立たない、理想的な立地。

 居住スペースは標準的な民家に比べると若干手狭なくらいだが、馬車小屋を始めとした上等な設備がコンパクトに一通り揃っている。

 窓越しに、霞んだアブラクサスの外観を眺める人物が1人。

 

 

ウァサゴ

「……ふぅ」

 

 

 肩の力を落とすようにため息を1つ付いて、視線を窓から外し、椅子から立ち上がるウァサゴ。

 柄にもなく、つま先まで立てた大きな伸びをした後、テーブルの上に視線を落とす。

 

 

ウァサゴ

「……物置小屋を開けてみて、正解だったようですわね」

 

 

 テーブルの上に並べられた幾つかの品々に、慈しむように指を這わす。

 

 

ウァサゴ

「(アリアンを思い起こさせる物は全て、物置に押し込めていたんですのね)」

「(私とアリアンと、最低限の使用人のみで暮らす……そのためだけに建てられた、玩具代わりの別荘)」

 

 

 若干の埃臭さを漂わす品々の中から2つ、手元に寄せるウァサゴ。

 一つは布に包まれた板状の物体。一辺が50cm強、もう一辺が45cmほどの長方形。

 もう一つは、革靴のような質感の、流線型の細長い小箱。

 

 

ウァサゴ

「……」

 

 

「板」と「小箱」の内、「板」を手にとって日陰に立て掛け、丁寧に布を取り去る。

 現れた中身に向けて、ウァサゴは痺れを堪えるような複雑な笑顔を浮かべる。

 

 

ウァサゴ

「貴女のお顔を見るのは、本当に久しぶりですわ……アリアン」

 

 

 布を取り去った下には、一枚のキャンバスが収まっていた。

 貴族の家が所蔵するには明らかに不釣り合いな、悪い意味も含めてどこにでもある、ごく普通の油絵用の品。

 幼い少女が2人並び、こちらに微笑みかけている絵だった。

 年下と思しき少女は、顔から飛び出さんばかりの大きな眼鏡をかけている。

 

 

ウァサゴ

「まだ無名で駆け出しの……それも風景画を志す女流画家でしたのに、貴女ったら……くすっ」

「僅かに世に出された絵を、ひと目で気に入ったからと聞かなくて、マンショ様に招聘させて──」

「そして、私と貴女の肖像画を……子供心に、少しだけ気の毒でしたのよ」

「日雇いで日銭を繋いでらした新人画家が、いきなり貴族の家に招かれて愛娘の絵を描けなんて」

「覚えてまして? 貴女のお陰で彼女、画家なのに彫像のように固くなり通しで……ふふふ」

 

 

 ひとしきり絵と語らい話題が一段落してくると、今までそうする事を先延ばしにしていたかのように、遠慮がちに「小箱」を手に取った。表面に金のレリーフで水仙が象られている。

 箱を開くと、眼鏡が一つ入っていた。レンズが非常に分厚い。

 

 

ウァサゴ

「……痛ましい皮肉ですわね」

「ひと目見ただけなら、瓜二つなんですもの……貴女への『最愛』と……」

「……『手切れ』が」

 

 

 開いたままの小箱を傍らに置いて、懐を探るウァサゴ。

 取り出したのは、いかにも頑丈そうな薄い直方体の小箱。表面に金の待雪草のレリーフが施されている。

 流線型の小箱の隣に置いて開くと、こちらも中身は眼鏡だった。

 フレームもレンズも、色から形まで良く似た2つの眼鏡が並ぶ構図となった。

 

 

ウァサゴ

「……ごめんなさい、アリアン」

「あの時、本当は私……どう接する事が貴女のためになれたか、分かりませんでしたわ」

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 ウァサゴの回想。

 イーバーレーベン領主マンショとの話を終えて退室し、別荘への帰りの馬車に乗り込んだ直後。

 見送りの使用人が、ウァサゴに小箱を手渡した。

 

 

ウァサゴ

「これは……?」

 

使用人

「マンショ様から、アリアンお嬢様への贈り物です……『最後』の」

 

ウァサゴ

「……開けても?」

 

使用人

「ぜひ」

 

 

 小箱を開いたウァサゴ。

 

 

ウァサゴ

「眼鏡……」

 

使用人

「アリアンお嬢様は生まれつき、目を悪くされておりましたから」

 

ウァサゴ

「存じております。それはもう……」

「日を経る度に、視力の衰えは留まる事を知らず、その度に新調せねば日常生活も心許なかった」

 

使用人

「はい。無論、あの日も……賊に踏み入られた日も、お嬢様は身につけておられました」

「貴族の娘に相応しいようにと、特注した物を」

 

ウァサゴ

「ええ。私も、事件の少し前に見た覚えがあります」

「あの頃には、視力の低下も落ち着いて、細工に拘る余裕も出来て──」

「『つる』に微かに星屑が煌めいて、細やかな飾りやチェーンを提げた、マンショ様の自慢の一品……」

 

使用人

「2年前……再開したアリアンお嬢様は、眼鏡を身につけておられなかったと、マンショ様から」

 

ウァサゴ

「……でしょうね。愛する娘のため、贅を凝らした逸品……賊が奪わずには居られないはずですもの」

 

 

 小箱を閉じるウァサゴ。手が微かに震えている。

 

 

ウァサゴ

「だから……私を介して、アリアンに施せと……これを『最後』に?」

「心から愛していると……それでも、もうこれ以上は愛せないと……だから、これで『手打ち』に?」

 

使用人

「……私の役目は、主人の言いつけと言伝を、可能な限りありのまま、形にするまでです」

「『例え今日を限りに、エリザ嬢と物別れに終わるとしても、これだけは託すように』……と」

 

ウァサゴ

「……」

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 回想終わり。

 2つの眼鏡と、肖像画のアリアンとの間で無意識に視線を行き来させるウァサゴ。

 

 

ウァサゴ

「(私が今日受け取ったのは、賊の目利きに捕えられぬよう、素材の質だけを拘り抜いたもの……)」

「(そして別荘に残されていたのは、アリアンの視力に合わせた『最終版』のレンズを嵌めたもの……)」

「(この『度』で問題ない事を確かめるための……アリアンに見合う眼鏡を作る前の、いわば試作品)」

 

 

 流線型の小箱の中の、古い方の眼鏡を取り出し、手慰むように様々な角度から見つめ直すウァサゴ。

 

 

ウァサゴ

「(現代のヴァイガルドで流通するレンズは全て、職人が手作業で緻密に加工する物)」

「(大量生産品でも、決して気安く生み出される事は無く、ましてやアリアンのような場合は──)」

「(『常識』の視力を大きく下回る者のためのレンズは、工期も価格も比べ物にならない)」

「(ようやく、アリアンに合うレンズを作れる職人に出会えはしましたが、『子供用』とまでは……)」

 

 

 眼鏡を持った手を膝元に降ろし、肖像画を見つめるウァサゴ。

 絵の中のアリアンが身に着けている眼鏡は、淑女が装うには、垢抜けないと呼べればまだ良い方だった。

 無骨な上に今にもずり落ちそうな大仰なフレームは、それはそれで愛らしさもあるがどうしても、芋っぽいとか間抜けとかを意味する類語が脳裏を過る。

 

 

ウァサゴ

「(ひとまず姿形は妥協して、アリアンに『人並の』世界を見せる事を、ご両親は選ばれた……)」

「(眼鏡の『度』が合わなくなるたび……私がアリアンの元へ赴くたび、眼鏡は買い換えられていた)」

「(アリアンの視力が安定してきたと分かったのは、アリアンが拐かされる数年前)」

「(その頃にこの眼鏡を注文され……やがて新たに『子供用』の眼鏡が作られ……)」

「(それ以降は予備として、ずっとここに……)」

 

 

 眼鏡を身に着けてみるウァサゴ。

 ごく自然に「つる」がウァサゴの耳にかかり、フレームの野暮ったさを除けば何ら問題なく収まった。

 ピントのズレきった視界に、反射的に眼球の奥から、締め上げられるような微かな痛みを覚える。

 

 

ウァサゴ

「ふふっ……あの頃、興味本位で借りてみたら、今にもズリ落ちそうになっていたのに」

「(特別なレンズを支える特別な眼鏡……『子供用』のそれを扱う職人は前例がなかった)」

「(だから、大人用の眼鏡を着けて過ごして……そんな不恰好もどこか愛くるしくて……)」

「(根強く交渉していた子供用の眼鏡の製作が決まって……晴れやかな装丁を依頼して……)」

「(ようやく届いた眼鏡に、貴女も飛び跳ねて喜んで……)」

「(そして……)」

「そして……身も心も、奪われて……」

 

 

 しばらく、ぼやけた視界を宙に泳がせてから、眼鏡を外し、小箱にしまう。

 

 

ウァサゴ

「……いけませんわね、私ったら」

「貴女との事なら、もっと楽しい思い出が幾らもあるのに……そう、例えば──」

「貴女の視力の安定が分かり、『最終版』の眼鏡の製作が決まった日……忘れたとは言わせなくてよ?」

「丁度、私ども一家もイーバーレーベンを訪れていて、朗報を知った私がお祝いにと──」

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 ウァサゴの回想。いつかの別荘。

 別荘の寝室。幼い頃のウァサゴとアリアン。どちらも寝間着姿。

 ベッドに撃沈しているウァサゴと、シャンと立ってウァサゴを揺り起こすアリアン。

 

 

アリアン

「『ウァサゴ』お姉さま! もう一曲、もう一曲だけですから! ね?」

 

ウァサゴ

「モ~~ゥ勘弁なさって! さっきから同じ事を言って何度付き合わされている事か……」

「それに窓の外をご覧なさい、一体何時だと思ってますの?」

 

アリアン

「だってたまの夜ふかしですのよ、まだまだ夜はこれから──」

「あら、空が素敵なスミレ色に……?」

 

 

 一方、窓の外には野生のポピーが慎ましやかに咲いていた。

 今日のポピーは薄明に浮かび、普段の見慣れた姿とは違った一面を感じさせ、ミステリアスな魅力があった。

 

 

ウァサゴ

「モ~太陽が昇ろうとしている頃でしてよ。こんな時間に起きてるなんて生まれて初めてですわ……」

「確かに『お祝いに1日何でも付き合ってあげる』と言いましたけれど──」

「本当に夜通し踊り明かす人がありますか! 全く、貴女はダンスの事になると……」

 

アリアン

「ではお姉さま、最後は寝際に丁度いい、ゆったりとした──」

 

ウァサゴ

「あ~モゥ……!」

 

 

 ズルリと起き上がるウァサゴ。

 ベッドの上で膝立ちになり、アリアンの肩を掴むと、一息に引き寄せて、アリアンをベッドに押し倒した。

 

 

アリアン

「きゃっ……」

 

 

 アリアンの、まだ大人用のフレームのために緩い眼鏡を易々と取り上げて枕元に起き、抱きしめて動きを制するウァサゴ。

 

 

ウァサゴ

「そもそもメギドは本来、ダンスなんて嗜みませんの。私のステップは『礼儀』に過ぎなくてよ」

「付き合ってあげただけでも感謝して、今日はいい加減にお眠りなさい」

 

アリアン

「もう、ウァサゴお姉さまったら……」

 

ウァサゴ

「徹頭徹尾、一片の余地なくこっちの台詞ですわ」

 

アリアン

「だって、もう私、抱かれて眠るほど小さくありませんわ」

 

ウァサゴ

「そ、そっち? まあ、ちゃんとダンスを切り上げてくれるなら結構ですけれど……」

「今さら大人ぶっても遅くてよ。文句は、私がこうしてあげないと眠れないと言ったご自分に仰って」

「昔から毎晩でも貴女の方からしがみついて来てたのに、説得力の欠片もございませんわ」

 

アリアン

「では、いつごろ申し上げればよろしかったのですか?」

 

ウァサゴ

「う……ご、ご自分で考えなさい、そのくらい」

「それに今日ばかりは、こうでもしないと貴女、眠りながらシャッセの1つでも舞いかねませんもの」

 

アリアン

「まあ、それでは手を繋いで休みましょう、お姉さま!」

「夢の中でもワルツを踊れるかもしれませんわ」

 

ウァサゴ

「だから勘弁なさって! ほら──」

 

 

 フラットシーツとブランケットを一掴みに、殆ど頭まで被るウァサゴ。

 布団に埋もれたアリアンを、赤子を宥めるように等間隔で撫で続ける。

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 回想中断。

 落ち込みかけた気分を少し持ち直しながら、現実に帰るウァサゴ。

 

 

ウァサゴ

「……私も、やっぱりヴィータですのね」

「あの頃は、本当は私の方が……」

「なのに幼い心でムキになって、無理やり誤魔化して貴女のせいにして……」

「ふふっ、今は反省してましてよ」

「一緒に見つけましたの。コレを使ってた頃から私ずっと、貴女の『おねむ』を手伝っていて──」

 

 

 肖像画のアリアンに語りかけながら、テーブルに置いた品々からトイピアノを手元に寄せるウァサゴ。

 鍵盤の1つを叩いてみるが音は鳴らず、手応えもスカスカだった。

 

 

ウァサゴ

「……流石に、このままではもう、使えそうにありませんわね」

「貴女は、覚えてないかも知れませんわね。これで貴女に音楽を教えてあげましたのよ」

「講師に習ったばかりの拙い曲を、ご自分の指をしゃぶってばかりの貴女に、それはもう得意げに……」

 

 

 トイピアノをアリアンの代わりのようにそっと撫でて、テーブルに戻す。

 

 

ウァサゴ

「……何だかんだで、貴女も良く付き合ってくれていましたのね」

「そんなに小さい頃から見知った私が、急に『ウァサゴと呼べ』なんてふんぞり返って……」

「なのに貴女ったら驚くどころか、間を置く事さえ無く『はい』だなんて、いつも通りの笑顔で」

 

 

 トイピアノを置いた手で、続いて色あせた宝石箱らしきものを取るウァサゴ。

 開くと甲高い音が次々に奏でられた。

 

 

ウァサゴ

「……!」

「オルゴール、まだ動く……!」

 

 

 数秒ほど、音楽の宝石箱に目を奪われた後、砂の像を運ぶように慎重に、開いたオルゴールをテーブルに置くウァサゴ。

 また数秒、オルゴールを見つめる。巻かれたネジがまだ当分残っていそうだと把握したウァサゴは、スッと椅子から立ち上がった。

 

 

ウァサゴ

「……」

 

 

 腕を空中に伸ばし、手のひらを見えない何者かと繋ぐように柔らかく閉じるウァサゴ。

 そのまま3歩ほど滑るように進みながら、ナチュラルターンを舞う。

 ごくごく初歩的なステップで構成されたダンスを1人で踊るウァサゴ。

 

 

ウァサゴ

「(まだ、体が覚えていますわね……)」

「(私とアリアンとで作った、思い返せば恥ずかしいほど稚拙な曲──)」

「(それを私達の両親が、娘かわいさにオルゴールに仕立て──)」

「(感激に舞い上がって、稚拙な知識で考えた、稚拙なダンス……)」

「(それでも私たちが舞う時には、いつもこの曲から始めて、内訳も少しずつ変化を加えて……)」

「(いつまでも、いつまでも単調な曲のまま、複雑なフィガー、高等なルーティンに……)」

 

 

 曲に乗せて踊りつつ、流れるように自分が座っていた椅子を机の下に押しこみ、空間を確保するウァサゴ。

 元からそれがステップの一部だったかのように、無駄のない動きでダンスを再開する。

 

 

ウァサゴ

「(やんちゃ盛りのアリアンには、体を動かす楽しみといえば、ダンスしか無かった)」

「(心配するご両親が、屋敷の庭を歩く時さえ使用人に付きっきりにさせていたから)」

「(事実、あの子は眼鏡の『度』が合わなくなるたび、どこかしらにぶつかってばかりで──)」

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 回想再開。

 別荘の庭先。ウァサゴとアリアンと、使用人が1人。

 現実においてはウァサゴへ厳かに眼鏡を託していた例の使用人が、回想のこの場ではしめやかにオロオロしている。

 アリアンはシュンとしながらクルクルしている。

 

 

アリアン

「はぁ~……折角ウァサゴお姉さまがいらして下さったのに、私ったら何て間が悪いのかしら」

「お姉さまと舞える事が一番の楽しみなのに、足を傷めてしまうだなんて……」

 

ウァサゴ

「本当にそう思っているんでしたらおとなしくなさい」

「新調した眼鏡が届くというその日に、見えもしないまま踊りだすに飽き足らず──」

「タンスに足の小指ならぬ親指ぶつけて爪を縦に真っ二つなんて、貴族のやらかす事ですか……」

 

使用人

「アリアンお嬢様、『エリザ』様の仰るとおりです。どうかご安静に──」

 

ウァサゴ

「『ウァサゴ』です! メギドの大貴族ですのよ、礼をわきまえて下さいますこと?」

 

使用人

「は、はい、そうでした。失礼しましたウァサゴ様……と、とにかくアリアンお嬢様──」

「傷が塞がるまでは歩くにも難儀なはずです、今回ばかりはダンスはお控えに……」

 

アリアン

「ですけどホラ、怪我をしたのは片足だけですのよ?」

 

 

 爪を割った方の足を上げ、バレエのアラベスクの姿勢で回りながら、きょとんとした顔で応えるアリアン。

 ちなみに当時、アリアンにバレエの知識は全く無かった。勘とセンスと必要の賜物だった。

 

 

ウァサゴ

「片足でも鼻先でも、傷めた時くらいはレディらしくなさって!」

「せっかく今回は貴女のお見舞いに、こうして珍しい東国の花を──」

 

 

 庭先に降ろした荷物の中に幾つかそびえる、朝顔の鉢植えを指差すウァサゴ。

 これを植え替えるために庭先に出ていた。

 

 

アリアン

「見て見て、お姉さま、最近はこんな事も出来るようになりましたのよ」

 

 

 軽々とビールマンスピンして見せるアリアン。もちろんアイススケートリンクなどではない土の上だった。しかもいかにもお嬢様らしいドレス姿である。片足に引かれて頭より高くなったスカートの裾がはためいている。

 

 

ウァサゴ

「踊らないっ! 話を聞いてっ! はしたないっ!」

「モウッ……普段は淑やかな子なのに、どうしてこう……」

 

使用人

「ウァサゴ様を別荘にお迎えするたび、ついつい『はしゃいで』しまうのでしょう」

「親元の目を離れ、ご友人とのびのび過ごせる場所……『秘密基地』とでも申しましょうか」

「ウァサゴ様も、そういった気持ちが全く無いとまでは仰れないと思われますが?」

 

ウァサゴ

「そ、それは……ま、まあ……」

 

使用人

「ここで過ごす間は、家柄も立場も忘れ、『ただの2人』として……それでよろしいのでは無いかと」

「私にしても、お嬢様方の暮らしをお手伝いするだけで、何を見聞きするという事もありません」

 

ウァサゴ

「わ、私は……使用人と言えど、あなたもこの別荘の立派な一員として……」

 

使用人

「加えて私、お嬢様から繰り返し頼まれていますので」

「ここでの事を『色々と』、マンショ様には内緒にするようにと」

 

ウァサゴ

「なっ……ちょっと、まさかそれは私の与り知らぬ所でもアリアンが何か仕出かしていると!?」

「あなた、使用人としてちょっと甘すぎや……って、だからアリアンも足を降ろしなさいっ!!」

 

アリアン

「あぁ、でもこの足を地に着けると痛みが……」

 

ウァサゴ

「いい加減、怒りますわよ!?」

 

使用人

「まあまあ……アリアンお嬢様も、杖をご用意致しておりますので、ここはひとまず──」

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 回想中断。

 未だオルゴールに合わせて、繰り返し繰り返し踊り続けるウァサゴ。

 

 

ウァサゴ

「うふふ……」

「(別荘の思い出だけだと、とてもメギドラルの貴族にお目通りとはいきませんわね)」

「(不便を抱えたアリアンには旅行もままならず、歳の近い知り合いも私くらいしか……)」

「(外の世界を知れなかったせいで、少しズレた所もあって──)」

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 回想再開。またある時の別荘。

 別荘の屋外。丁度、現実のウァサゴが居る部屋の窓の前。

 窓の脇にぶら下げられた物体を見上げる幼い日のウァサゴ。

 アリアンと使用人も一緒だが、ウァサゴは眼前のソレに釘付けになっている。

 

 

ウァサゴ

「こ……これは……!」

 

使用人

「仮にも貴族の住まいにこのような……驚かれたかも知れません」

「しかし、アリアンお嬢様が是非にと、大層目を輝かせて仰るもので……」

 

 

 幾分の冷たさを帯び始めた風に悠然と晒されていたのは、ワタを抜かれて下処理済みの魚類だった。

 同じく窓際に幅を利かせ始めているイタドリなど気にするどころでない様子で、ウァサゴはハングドなフィッシュだけを見つめている。

 ウァサゴの視界の隅で、アリアンが何やらしきりに上下左右に動き回っているが、全く気づいていない。

 

 

アリアン

「ほっ……やっ……!」

「この時期になると、遠い海から一斉に川を遡るという不思議なお魚だそうですのよ……せいっ」

「無敗の旅剣士という方が偶然、我が家に滞在なされて、記念にと一匹とらまえて下さいましたの」

「……うーん、ここはもっと……むん!」

 

ウァサゴ

「……」

 

アリアン

「お姉さま?」

 

ウァサゴ

「ハッ……! そ、そうでしたの」

「き、急にこんな所にナマモノが添えられていたものですから、理由に思いを馳せてしまいましたわ」

「(何故かしら……見るからにただの魚なのに、魂を蠱惑的にくすぐられるような……)」

 

使用人

「漁獲なされた剣士様に曰く、故郷ではこの魚を、このように塩に漬け外気で乾燥なされるとかで」

「保存食でありながら、現地では一等の祝いに供される高級品なのだそうです」

「特にこうして丸干しした物を指して現地では、『アマラッキ』とか『ビキーショ』と呼ぶそうです」

「余談ですが、こちらとは別の魚類を同様に加工した場合は『グホーティ』と呼ばれるとか」

 

ウァサゴ

「な、なるほど。それで実際に作ってみようと──」

「で……それよりアリアン」

 

アリアン

「こうして……はいっ、はいっ、はいっ!」

「……あ、ハイお姉さま。素敵なお魚ですよね、勇敢さと逞しさが伝わって来るようで」

「剣士様から郷土のレシピも教えていただけましたのよ、『チャンチャン』という──」

 

ウァサゴ

「魚どころじゃございませんわよ。さっきから何をなさってますの?」

「落ち着きが無い上に、そんなみっともない身振りばっかり……」

 

 

 アリアンは、ウァサゴらと共にこの場に立ってからずっと、上品とは程遠い掛け声をあげながら全身を躍動させ続けていた。

 重い踏み込みに、かと思えば軽やかかつケレン味を醸す小刻みな横っ飛び、しゃがみ込みつつ大綱を引くような所作……エルプシャフトでは余り例を見ない躍動の数々だった。

 

 

アリアン

「そうなんですお姉さま、このお魚を見た時、ダンスの新境地が開けた気がしましたの!」

「閃きが止まらないと言うか、体が勝手に動くと言うか、踊らなくてはいけない気持ちになって!」

「こうして勇ましいお魚を見ていると、ウァサゴお姉さまも、こう……『感じ』ませんか!?」

 

ウァサゴ

「何一つ! 少なくとも貴女の言わんとする事だけは!」

「動きが小うるさくて下品です。足踏みも粗野で大げさすぎて土が跳ねてるじゃございませんの!」」

「何より大股開いて腰を落とすなんて、断じて淑女がなさって良い事ではありません!」

 

 

 抗議されている真っ最中にも、アリアンは肩幅大に開いた足の間から、アミかロープの類を両手で巻き上げつつ持ち上げるような動作でキレよく踊り続けている。

 

 

アリアン

「ですがお姉さま、これは、この熱い気持ちはもう、お魚への敬愛と言っても過言ではありませんの」

「無敗の剣士様が一目一息に狂いなくお魚を捕え、しかし尚も生きんと藻掻くお魚の命の熱情!」

「私、名前も考えたんです。剣士様が仕留めなされた時の凛々しい掛け声に因んで『必中ソウラ節』と──」

 

ウァサゴ

「後生ですから封印なさって! ダンスはダンスでもレディにあるまじきものです!!」

 

使用人

「ま、まあまあ……」

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 回想頓挫。

 眉をしかめて、ダンスの途中の姿勢のまま硬直しているウァサゴ。

 丁度、オルゴールのネジも止まっていた。

 

 

ウァサゴ

「(……今にして思えば、少しどころじゃ無くズレた子だったかも知れませんわね……)」

「(ああもう、いけませんわ! これではアリアンがダンスおバカの愉快な娘みたいじゃありませんの)」

「(もっと……もっとこう、きれいなアリアンを──)」

「ハッ……!」

 

 

 何気なく肖像画を見るなり、慌てて駆け寄るウァサゴ。

 

 

ウァサゴ

「いけない、日光が……!」

 

 

 いそいそと肖像画を布で包み、ひとまずテーブルの陰に立てかける。

 

 

ウァサゴ

「ダンスに夢中で、日の傾きを忘れていましたわ……」

「絵に直射日光は大敵……名残惜しいですけれど、他の物と一緒に戻しておきましょう」

 

 

 物置小屋へ運び直すため、テーブルの上の品々をまとめ直すウァサゴ。

 もう間もなく、太陽が黄色とも赤ともつかなくなる頃だった。

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 ウァサゴの回想。

 夜の別荘の一室。幼い日のウァサゴとアリアン。

 傍らに侍る使用人が淹れたハーブティーが、2人が寝室へ去るまでの合間を繋いでいる。

 テーブルに添えられた、黄色い花の植木鉢を見つめるウァサゴ。

 

 

ウァサゴ

「素敵な花ですわね。きらびやかで、それでいて慎ましくて……」

 

使用人

「はい。この時期に咲く東の花で、『ツイタチ』などと呼ばれるそうです」

「現地では丁度、今日のような雪に粧われて咲く姿が見られるのだとか」

 

 

 窓を見るウァサゴと使用人。

 海岸に面した夜景に、今夜の内にも積もりそうな大粒の雪が降り注いでいた。

 窓の端で、頭から下がキレイに骨だけとなった塩漬け魚類が微かな風に揺られ、チラチラ映り込んでいる。

 

 

ウァサゴ

「あら、でしたら家に持ち込んだのは、少し失敗でしたかしら?」

「雪に花……思い浮かべるだけでも溜息が出てしまいそう」

 

使用人

「でしたら時期を見て、私どもで植え替えておきましょう」

「丁度、しばらくは別荘やお屋敷の庭整備が盛んになるでしょうから」

 

ウァサゴ

「先だっての『誕生祝い』ですわね」

「アリアンのためにと、東の草花を『わんさ』と仕入れたと聞いておりますわ」

「まあ? メギドには誕生日も暦も有ってないような物ですから、毎度理解に苦しみますけれど!」

 

使用人

「ふふ、何しろメギドの大貴族であらせられますからね」

「マンショ様は先祖代々から、東の商人達と懇意になされておられますが──」

「以前、ウァサゴ様からお見舞いの花をいただいてから、アリアンお嬢様が特に興味を示されまして」

「新たに植物専門の商人をお探しになられ、『ツイタチ』もそうして、ここにある次第です」

 

ウァサゴ

「あ、あぁ……な、なるほど。悪い気は、しませんわね」

「思えば、ここを建てて間もなく、庭先に撒いたという木の種……あれも東国の品でしたわね」

「確か、『サーサンクア』に『ロクアット』……今ではすっかり根付いてますわね」

「あれらもこの時期に花開くのでしたかしら?」

 

使用人

「ええ。もうじきかと」

 

ウァサゴ

「ここはいつでも草木に恵まれて……というか、『植え過ぎ』じゃございませんこと?」

「ここに来る度に新しい花が増えている気がしましてよ。花壇も随分前から一杯ですし」

「こないだなんて、木陰にまで種を撒いてたではありませんの。少しはスペースも考えませんと」

 

使用人

「ああ、あの種なら心配ありません。元より日陰を好む品種との事で、敢えてあそこに植えました」

「そういえば、あの種もひと月と少し前に開花しまして。黄色の花に広く艷やかな青葉が壮観でした」

「良ければ、明日にでもご覧になりますか?」

 

ウァサゴ

「興味はありますけれど……それはそれです。僭越ですが、くれぐれも限度にはお気をつけなさいな」

「アリアンの『勢い』に流されていたら、別荘が密林になりかねませんから」

 

使用人

「ええ、痛み入ります。マンショ様にも、私からお伝えしておきましょう」

 

ウァサゴ

「アリアンもですわよ……って、さっきから珍しく静かですわね」

 

 

 見るとアリアンは、ウァサゴ達のやり取りに目もくれず、窓の外をジッと眺め続けている。

 特に驚く様子もなく、ウァサゴが再び呼びかける。

 

 

ウァサゴ

「ア・リ・ア・ン! 聞いてますの?」

 

アリアン

「はっ……あら、すみませんお姉さま。つい、景色に見とれていて」

 

ウァサゴ

「全くこの子は……貴女のために用意された花より、見慣れた窓の外の方が良いなんて」

 

使用人

「アリアンお嬢様は花そのものよりも、草木の世話をなさる事を楽しまれておられるようです」

「花壇の手入れの時などは、いつも生き生きとお手伝いを申し出て下さいますから」

「いつぞやも、お屋敷にて庭師顔負けな程、終日パンジーやビオラなど掘っては植え、掘っては植え──」

 

ウァサゴ

「貴族の娘が土いじりが好きだなんて、美しくありませんわ……」

 

使用人

「まあまあ。アリアンお嬢様の年頃なら、むしろ似つかわしい事ですから」

 

ウァサゴ

「そうは言っても、アリアンだっていい加減レディの自覚を──」

「ほら、アリアン! また窓ばかり見て!」

 

アリアン

「だって、こんなに綺麗で……」

 

 

 窓に目を向けたままため息まじりに呟くアリアン。

 さっきも「ツイタチ」を添えて眺めていた風景を、改めて鑑賞してみるウァサゴと使用人。

 

 

ウァサゴ

「……」

「雪が降っている以外は、いつも貴女と見ている景色と何ら変わらなくてよ?」

 

使用人

「それに、別荘から見る雪景色も、今では珍しく無くなりましたが……」

 

アリアン

「だってほら……今宵の海は、光が天へと昇っていくのがよく見えますわ」

 

ウァサゴ

「光が、昇って……?」

「言われてみれば確かに、今夜は雪だと言うのに空にチラホラ星が覗いていますけれど……」

 

使用人

「ふむ……雪が海へと舞い散る姿が、逆に海から星へと昇っていくよう……という事ですかな」

 

ウァサゴ

「そんな……アリアンったら、いつの間にそんな詩的な感性を……!?」

 

アリアン

「お、お姉さま、そんな言い方はあんまりです!」

 

ウァサゴ

「冗談ですわよ。不服に思うのなら、別荘に居る時も少しは淑女らしさを心がけなさい」

 

アリアン

「む~~……」

 

 

 ぷっくり膨れてみせるアリアン。

 

 

ウァサゴ

「でも……何だか、貴女はここに来る度に、別荘の新しい魅力を見つけている気がしますわね」

「私と違って、年中でもここに通える身なのに……まるで生き物の日々の変化を見守るかのように」

 

使用人

「近頃のお嬢様は、星にも大層、興味を示されておいでですから、尚の事でしょう」

「眼鏡が『合う』ようになり始めたのもあって、この間も見事な『走り込み』でしたし」

 

ウァサゴ

「は、『走り込み』……?」

 

使用人

「はい。瞬く星を見上げながら、『追いかければきっと捕まえられるかも』と、それはもう」

 

アリアン

「もうちょっとで『いける』気がしましたのに、お父様たちに止められてしまいまして……」

 

ウァサゴ

「『いける』わけ無いでしょう、空の上ですのよ……?」

 

アリアン

「いいえ、『何人も願えば必ず届く』と、いつか読んだ本にも書かれていましたもの!」

「そうですわ、もっと沢山の雪が降るくらいウンと冷えた日なら、凍った海の上を駆けて──」

 

ウァサゴ

「届きません! そんな蛮行を『いける』とは言いません!」

「そもそも海が凍るわけが無いでしょうが」

「幾ら外に出る事に不便があるからって、貴女は少し世間知らず過ぎます」

 

アリアン

「そうなんですの? 川や滝が凍るお話は聞くのに、なぜ海は凍らないのですか?」

 

ウァサゴ

「えっ……そ、それは……ねえ?」

 

 

 助けを乞うような目で使用人を見るウァサゴ。

 

 

使用人

「これは一本取られてしまったかと……私も理由は存じ上げません」

 

ウァサゴ

「で、ですが、海が凍る事など『常識』ではあり得ない事です! そうでしょう?」

 

使用人

「確かに、池や湖が凍るという話はよく聞きますが、海までは……」

「しかしながら、『凍らない』という確かな理由を見聞きした事も無く、それが絶対とも……」

「例えば、余りに広大で、しかも常に波打っている分、冷えてしまいにくいのかもしれません」

 

アリアン

「まあ、そういう事でしたのね! とっても納得です!」

「こんな季節なのに、海はあんなに暖かに輝いていますもの」

 

ウァサゴ

「冬の水面の煌めきを『暖かい』……やっぱり変わった感性ですわね。嫌いではありませんけど」

 

使用人

「ですが、もし凍りついてしまったら、アリアンお嬢様はますます気が気でないでしょうね」

「昔、旅先で凍った湖を踊るように滑り、楽しむ人々を見た事がありますから」

 

ウァサゴ

「あら、ではきっとそれが海が凍らない原因ですわね」

「アリアンが海の上で舞い続けて、水平線の果てまで迷子になってしまわないために」

 

アリアン

「わ、私でもそこまで『やんちゃ』は致しません!」

 

ウァサゴ

「うふふ……本当にぃ?」

 

アリアン

「むむ~~……ウァサゴお姉さま、時々いじわるです」

 

ウァサゴ

「あら、ありがとう。私、『悪魔でメギド』ですもの」

 

アリアン

「……いいえ。いじわるですけど、悪魔じゃありません」

 

ウァサゴ

「え?」

 

 

 アリアンは、むくれて目を背けて口を尖らせ、他愛ない口喧嘩の延長のままぶつくさと続ける。

 

 

アリアン

「たまにいじわるでも、メギドでも、お姉さまは『天使』のようなお方です」

「だから……お姉さまは、お姉さまを『悪魔』とか言っちゃダメです!」

 

ウァサゴ

「……くすっ。それ、もしかして仕返しなさってるおつもり?」

「お気持ちだけありがたく受け取っておきますわ。でも『天使』はいただけません」

「私は誇り高きメギドであり、ヴィータの語る所の『悪魔』です」

「ならば誇り高き『悪魔』であってこそスジというもの。『天使』とはハルマであり、メギドとハルマは──」

 

アリアン

「でも、『悪魔』は『悪魔』です!」

「『悪魔はメギド』だなんて言い伝えは聞いた事がありません!」

 

ウァサゴ

「何を仰いますの、確かにこの地域では独自の神話もありますが……」

「貴女もお勉強なさってるでしょう? 他の伝承には、しかとメギドの名が──」

 

アリアン

「そうじゃありません! ウァサゴお姉さまの仰る『メギド』の事です!」

 

ウァサゴ

「は、はい……?」

 

アリアン

「お姉さまが『メギド』でも、ヴィータの『悪魔』なんかじゃ無いんです」

「お姉さまはお姉さまで、私の『天使』です。お姉さまが『悪魔』だなんて絶対にイヤです!」

 

ウァサゴ

「あの、アリアン? 仰ってる事がよく……」

 

 

 ウァサゴが説明を求めようにも、アリアンは顔をそっぽに向けてしまってプンプンするばかりだった。

 

 

使用人

「差し出がましいようですが、よろしいでしょうか」

「アリアンお嬢様……こう仰りたいのではないでしょうか?」

「『悪魔』とはヴィータにとって『悪いもの』に使う言葉で、人を良くするものではない……と」

「なので、どのような意味合いでも、ウァサゴ様に己を貶めるような物言いはしてほしくない」

 

アリアン

「そうです!」

 

 

 むくれたまま即答するアリアン。

 

 

ウァサゴ

「ああ……もう、ですからそうではなくて……!」

「私は、かつてヴィータに悪魔と恐れられたメギドであり、己の種族と出自に誇りを──」

 

使用人

「ウァサゴ様……ここは、どうかお聞き入れ下さい」

「アリアンお嬢様のお言葉は恐らく、メギドという『命』を尊重なさるが故のものです」

 

ウァサゴ

「な……そ、尊重?」

 

使用人

「我々ヴィータは詰まる所、『実在するメギド』を身近に知悉しているわけではありません」

「漠然と思い描く『悪なる魔の者』……ヴィータはソレに『メギド』の名を託けたに過ぎません」

 

ウァサゴ

「あ……確かにそれは、私も常々思っていましたわ」

「歴史を紐解けば、やれ悪魔が村中の子供を攫っただの、取り憑いて蛮行を働かせただの──」

「今のメギドには、そんな力をヴァイガルドで振るう事は不可能ですもの」

「確かにヴァイガルドを狙ってはいますが、アレもコレも『メギドのせい』など、不愉快です」

 

 

 この頃のウァサゴに、後に似たような力がヴァイガルドで振るわれる事など知る由もない。

 

 

使用人

「全くです。即ちヴィータが『メギド』と呼ぶものは所詮、ヴィータが仮想した『敵』です」

「ヴィータの呼ぶ『メギド』と、ウァサゴ様の誇る『メギド』との間には大きな断絶があります」

「事実、例えば死者の国……ウァサゴ様の語られる『メギドラル』の伝承などはごく僅かです」

「世界の姿形ならまだしも、『貴族』や『議会』……即ち『社会』の有り様などは全くもって」

 

ウァサゴ

「あ……」

「ヴァイガルドで、メギドの何たるかを知る者は無く……」

「つまりヴィータの言葉で、『メギド』とは『悪魔』の類語でしかなく、本質は別物……?」

 

使用人

「『悪魔の所業』などとも言います通り……『悪魔』は人が在って初めて成り立つ『言葉』です」

「恐らく、アリアンお嬢様は幼くして……『見抜いて』おられるのでしょう」

「『悪魔』とは、人の悪性を『押し付けた』言葉に過ぎないと」

「同時に、ウァサゴ様の語る『メギド』が、ただ同じ名を持つだけの、誉れある『命』なのだと」

 

ウァサゴ

「……!」

「(この子は、神話や常識も関係なく、私をメギドという『個』として……!?)」

「では……ハルマなど関係なく、ヴィータが『天使』という言葉に託したモノ……」

「それが、アリアンにとっての、私……」

 

使用人

「さて……かような次第ですから、ウァサゴ様」

「分別ある年長者としても、ここはウァサゴ様から仲直りされるべきかと。天使の如く寛容に」

 

ウァサゴ

「……ハァ」

「し……仕方ありませんわね」

「ア、アリアン……貴女の仰りたい事はよく分かりました。今回はわたく──」

「ぅ……」

 

 

 言いかけて、苦い顔で固まるウァサゴ。

 向き合ったアリアンは、さっきまでの膨れっ面はどこへやら、目を輝かせてニコニコとウァサゴを見つめ、続く言葉を待っていた。

 

 

アリアン

「さ、ウァサゴお姉さま……さあさあ!」

 

ウァサゴ

「……」

 

使用人

「ま、まあまあ。日頃、お嬢様は『教えられる』側ですから、多少舞い上がってしまっても……」

 

ウァサゴ

「……はぁ~」

「貴女だって大概でしてよ、アリアン……」

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 回想終了。

 夜の別荘。回想と同じ部屋から窓越しに、月を見上げるウァサゴ。

 物置小屋から出した品々を片付け終わった頃には、すっかり日が暮れていた。

 

 

ウァサゴ

「(メギドは……ヴィータが願うような『悪魔』ではない)」

「(ヴィータが『メギド』という言葉に込める思いと、私が『メギド』に込める思いは違う)」

「(私は、『メギド』であり、『悪魔』でなく、『ハルマ』でもなく……貴女の『天使』……)」

 

 

 唯一、かつてのアリアンの眼鏡とケースだけは戻さなかった。

 今も手に抱いたそれを撫でるウァサゴ。

 

 

ウァサゴ

「(暗闇が啓けた心地でしたわ……)」

「(そうですとも。私は、ヴィータが憎み、蔑むような『悪魔』とは違う)」

「(遥かに強く、気高く、美しい『メギド』です。言葉だけの『悪魔』になど己を託さない)」

「(真に高貴なる者が、高貴の『証明』に飢えたりなど、するものですか)」

 

 

 眼鏡を手にしたまま、ウァサゴは寝支度を始めた。

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 同じ頃、アブラクサス学舎。グレモリーの個室。

 ライアの協力で最低限の掃除と備品の搬入は済ませたが、急拵えの机は木目に沿って幾つもヒビが入り、体重をかける度にガタガタと揺れる。

 それでも待機組への手紙を問題なくしたため終え、一息ついて窓から月を見上げるグレモリー。

 

 個室の扉が叩かれた。

 

 

グレモリー

「誰だ?」

 

ザガン

「ザガ……じゃない、『カリナ』だけど」

 

グレモリー

「入れ」

 

ザガン

「ありがと」

 

 

 個室の扉がガタンと鳴った。

 

 

ザガン

「ん? あ、あれ……?」

 

 

 困惑するザガンの声と共に、扉が幾度も揺れる。

 

 

グレモリー

「(む……そうだった。この部屋だけ引き戸なのを失念していた)」

 

 

 席から立ち、扉へ向かいながら呼びかけるグレモリー。

 

 

グレモリー

「少し待て、カリナ。その扉は──」

 

ザガン

「せえっ……のぉっおおわっ!!?」

 

グレモリー

「!?」

 

 

 グレモリーが言い終わる前に、ザガンの正面突破が引き戸に勝利した。

 レールを外れた扉が室内へと倒れ込み、代わりに扉を開けてやろうとていたグレモリーの額に直撃した。

 

 

ザガン

「や、やば……壊しちゃった!?」

 

 

 何かに引っかかった扉を慌てて引き剥がし、その下からドアノブに手をかけようとしたポーズのままのグレモリーが現れ、思わず手にした扉をブン投げそうになるザガン。

 

 

ザガン

「グ、グレモリー!? ゴメン、大丈夫?」

 

グレモリー

「やれやれ……気にするな、大事ない。それと『ギーメイ』だ」

「この扉も、横に滑らせて開くように出来ている。はめ直してやれば問題なかろう」

 

ザガン

「そ、そう……次は気をつけるね、『ギーメイ』」

 

グレモリー

「それより、用があるのだろう? 手短に扉を戻すぞ」

「腐っても一等建築か。戸締まりさえしておけば、隣室の生活音など全く聞こえん」

「本名で会話したとて、外には漏れんだろう」

 

ザガン

「あ、うん。任せて」

 

 

 引き戸を直し、2人はこれでもかと軋みを上げるパイプ製のベッドに隣り合って腰掛けた。

 

 

グレモリー

「パーティーの件は、少しは落ち着いたか?」

 

ザガン

「あ、うん。それはもう大丈夫。ありがと」

「まあ、気にしてないっていうより、色々と雰囲気に持ってかれた感じだけど……」

 

グレモリー

「それは私もだ。あのシュラーという少女、大物なのか、ただの変人なのか……」

 

ザガン

「はは……本当にね」

 

グレモリー

「……」

 

ザガン

「……」

 

 

 グレモリーが敢えて黙って様子を伺う。

 ザガンも黙りこくっている。喉元で出かけた話題を何度も引っ込めているような様子で、落ち着きがない。

 

 

グレモリー

「……用件は、待機組への手紙の内容か?」

 

ザガン

「うーん……半分くらい?」

 

グレモリー

「私に疑問符を投げてどうする」

「私が全員の手紙を回収し、日付変更までに提出。まだ時間はあるが──」

「私と同じタイミングで執筆に入ったはずの貴様が手ぶらで訪れた……他に理由があるのか?」

 

ザガン

「それはまあ、そうなんだけど……」

「……あ、ハルファスとハーゲンティは?」

 

グレモリー

「ハルファスは先程、何とか手ほどきが済んで、自室で手紙を書き始めた所だ」

「ハーゲンティは未だパーティー会場で、後片付けの手伝いをしている」

 

ザガン

「そ、そういえばそうだったね! それでハーゲンティと一旦別れたんだもんね」

「後片付けする人は、料理の残りを部屋に持って帰れるからって物凄い張り切って──」

 

グレモリー

「ザガン」

 

 

 少し低く、ゆっくりと呼ぶグレモリー。

 

 

ザガン

「な……なに?」

 

グレモリー

「『回り道』とは、らしくないな」

 

ザガン

「……」

 

 

 玩具を買い与えてもらえなかった子供のように俯いて、組んだ足の一方をぶらぶらさせるザガン。そのたびにベッドが頼りなく揺れ、高い音を立てる。

 

 

ザガン

「……私の中でさ」

「私同士が喧嘩してるみたいな感じで……自分でも、よく分かんないんだ」

「『絶対こうだ』って言う自分と、『そんな事ない』って言ってる自分っていうか……」

「メギドの私と、そうじゃない私……? あーもう、自分で言っててこんがらがってくる!」

「だから、その……モヤモヤして、誰かに聞いてもらいたくて……」

「なのに、口に出しちゃったら、自分で自分の言葉を信じ込んじゃいそうで……えっと……」

 

グレモリー

「……くっ」

 

ザガン

「へ?」

 

グレモリー

「ふっふふ、はははは……!」

 

 

 おざなりに口を隠しながら、静かに笑みを溢すグレモリー。

 

 

ザガン

「な……何で笑うのさ!?」

 

グレモリー

「ふふ……いや済まん。悪気は無かった」

「だが、そうだったな……確か貴様は17だったか」

 

ザガン

「歳……? それが何なの?」

 

グレモリー

「相応に、微笑ましい所もあるじゃないか……とな」

 

ザガン

「……何さそれ、やっぱりちょっとバカにしてない?」

 

 

 頬を膨らませたそうな顔のザガン。

 

 

グレモリー

「客観的に考えれば……そう思われても文句は言えん」

 

ザガン

「ちょっとぉ!?」

 

グレモリー

「だがな……今の貴様は、私には輝いてすら見える……とだけ言っておこう」

 

 

 柔らかな笑顔を向けるグレモリー。

 一瞬、その表情に瞳を奪われるザガン。

 

 

ザガン

「グレモリーって……そんな顔もするんだ」

 

グレモリー

「んん? それこそどういう意味だ?」

 

 

 冗談交じりに詰め寄るグレモリー。

 

 

ザガン

「あ、や、いや違う、悪い意味とかじゃなくて……!」

 

グレモリー

「ふっ……私が貴様を笑ったのも、今の貴様と似たような理由だ」

 

ザガン

「……何となく分かった気がしそうで、やっぱり全然分かんない」

 

グレモリー

「それで良い。むしろそうであるべきだ」

「さておき……そうだな、少し、私の話をしてやろう」

 

ザガン

「え?」

 

グレモリー

「相談に来ておきながら、切り出す決心がつかんのだろう?」

「全てに答えは出せんとしても、物の足しくらいにはなるかもしれんぞ」

 

ザガン

「あ、うん……」

 

グレモリー

「まず、そうだな……」

「私は転生してこの方、『弱い自分』を疎んじ続けている」

 

ザガン

「弱い、グレモリー……? グレモリーに弱点なんてあるかなあ?」

 

グレモリー

「あるとも。弱点だらけだ」

「ヴィータとしても、メギドとしても、それ以外のあらゆる意味でもだ」

「特に、ヴィータとしての弱さが最も厄介だ。何故だか分かるか?」

 

ザガン

「うーん……メギドと比べて体は脆いし、技術とか足りないし、パニックにもなりやすい?」

 

グレモリー

「そんなものは問題にならない」

「正解は……私には『弱いヴィータ』しか『残らない』からだ」

 

ザガン

「残らない……?」

 

グレモリー

「私は『メギド』であり、『戦士』であり、『領主』でもある」

「メギド72の『軍団員』とも言えるが……こんなものは全て『飾り』だ」

「如何に燦然と私が『何者』なのかを掲げた所で、全て故あれば剥がれ落ちていく」

 

ザガン

「まあ、仕事は失くす事もあるし、戦えなくなる事が万一にも──」

「って、いや待ってよ! 『メギド』は『飾り』じゃないだろ!?」

 

グレモリー

「『飾り』だ。違うというなら問おう」

「貴様は、この場で自分がメギドだと証明できるか?」

 

ザガン

「そんなのかんた──!」

「……そ、そんなの……えっと……」

 

グレモリー

「理解したな……私達は追放メギドだ。不死者のような『例外』でもない」

「転生した時点で、我々の『本質』はヴィータの側にある」

「私達がメギドで『あった』事など、ヴィータ『ごとき』の私達には『証明』できない」

「フォトンを施されねば、メギドの名残すら示す事はできんのだからな」

「貴様も一度くらい無いか? ヴィータとしての力しか扱えぬ己を思い知った事が」

 

ザガン

「……ある」

 

グレモリー

「自分1人で『証明』できないものは全て『飾り』でしかない」

「現に今、私はヴィータのギーメイ……『メギド』でなく、『領主』でもない」

「強さは老いや病で……知性は疲労や焦りで……度胸は一時の感情で──」

「全て剥がれ落ちて最後に、私一人で『証明』出来る『自分』は1人だけだ」

 

ザガン

「……『弱さ』しかない、ただの1人ぼっちのヴィータ……」

 

グレモリー

「そういう事だ」

「ヴィータの私には『弱さ』しか残らず、そして『弱さ』だけ必ず残り続ける」

「それに比べれば、『強み』ごと消え去る他の『弱さ』など他愛もない」

「だが……この最も疎ましい『弱さ』を、私は決して捨てたいとは思わない」

 

ザガン

「そりゃあ、捨てられないよね。もし本当の本当にそれしか残らないとしたら……」

 

グレモリー

「そうじゃない」

「例えどれだけ都合よく生まれ変われる日が来ようとも、これだけは変えぬだろう」

「『弱いヴィータのまま』を恥じながら、私は『弱いヴィータのまま』であり続ける」

 

ザガン

「な、何で? 『弱さ』はイヤなんでしょ?」

「その『弱い自分』を変えたいから、グレモリーもそんなに強くなったんじゃないの?」

 

グレモリー

「一側面としてはな。だが真に強き者が、強さに飢えたりなどしない」

「寝返り程度の労力で全てに勝利できる者が、更なる強さに励む事も無い」

「とんだ皮肉、逆説だがな……『弱く』なければ、私もまた『強く』在れないのだ」

 

ザガン

「そ……!」

「それ、分かる! うまく言えないけど、すごく分かる!」

 

グレモリー

「(この反応……言い出せない『相談』の琴線に触れたか)」

「ところで、少し話を戻すぞ。さっき貴様は言ったな」

「メギドの自分と、そうでない自分とが、胸中で争っていると」

 

ザガン

「う、うん……今まで、こんな変な気分、全然無かったのに……」

 

グレモリー

「そこに関わる話だ」

「私が『弱い私』を捨てない理由……もう一つある」

「それは……例えば今、私は貴様を見て話をしている。だがもしかしたら──」

「『弱い私』は今、貴様に適当な妬みを見出して、足元に唾でも吐いてるのかもしれん」

 

ザガン

「えぇ……グ、グレモリーがぁ?」

 

グレモリー

「ふふっ、その顔を見られただけでも、日々の研鑽が報われるというものだ」

「だが、真剣に考えろ。遠慮は無用だ……『有り得ない』などと誰に言い切れる?」

「『力』も『知性』も『品性』も『自信』も欠落した私が、『そんな事』はせんなどと」

 

ザガン

「それは……待って。それ、何か……『違う』と思う」

「そんなに何もかも無くなって『変わり果てた』グレモリーって、想像つかないよ」

「それはもう、グレモリーと似た形した、『別の何か』みたいって言うか……」

 

グレモリー

「いいや。そうなった時にどれほど浅ましく成り果てようと、それは紛れもなく『私』だ」

「仮に私が全てを失ったら、貴様は『こいつはもうグレモリーじゃない』と幻滅するか?」

 

ザガン

「なっ……!?」

「わ、分かったよ……そんなズルい訊き方しなくてもいいじゃんか……」

 

グレモリー

「よろしい。だが、『別の何か』ではないにしても、『違う』所は確かにある」

「その『弱い』私は、今こうしている私とは常に違うものを見ている」

「私が貴様の目を見ている今、『弱い私』は足元に何か見つけているかもしれん」

「私が持論を語る間、『弱い私』は私の傲慢さに付き合う貴様を哀れむかもしれん」

 

ザガン

「ご、傲慢とかそんな事、これっぽっちも思ってない! そんな事思われる方が不愉快だ!」

 

グレモリー

「貴様ならそうだろうな。まあ、あくまでものの例えだ」

「どうあれ『弱い私』は、強くあらんとする私には決して得られないモノを得ているのだ」

「どんなに見たくても見えず、分かりたくても分かれないものをな」

「私の中の『私でない私』は、貴様が知るグレモリーには得難いモノを得ている」

「裏を返せば『弱い私』は……私の最後の『希望』だ」

 

ザガン

「……」

「『希望』……グレモリーならそういうの、『多様な視点』とか言いそうなのに──」

「そうじゃなく、グレモリーにとっての『希望』……?」

 

グレモリー

「今はまだ分からなくて良い……」

「……さて、以上の私事を踏まえてだ」

「もう一度聞くぞ。『メギド』の自分と、『そうでない』自分と言ったな?」

 

ザガン

「え、あ、うん。そうだけど……そこ、そんなに大事?」

 

グレモリー

「もちろんだ。『ヴィータ』の貴様はどこへ行った?」

「貴様にとって『ヴィータ』である事は、『そうでない』自分もろとも、十把一絡げか?」

 

ザガン

「そ、そんな乱暴に考えてるつもりは無いよ、私だって追放メギドだし……」

 

グレモリー

「『それ」だ」

「追放『メギド』じゃない。私は『ヴィータ』の話をしているのだぞ?」

 

ザガン

「?……???」

「いや……あの、言いたい事は、何となく分かるよ?」

「私だって一応、ヴィータの一員って自覚あるし、ヴィータらしく生きてるつもりだし──」

「さっきグレモリーも『追放メギドの本質はヴィータ側』って言ってたし──」

「純正メギドと違って本物の肉体だし、魂が肉体に影響されちゃうのも見たことある」

「私の魂だって、今はヴィータの魂と1つになってるみたいに聞いてるけど……」

「けど……それでも、私もグレモリーも『メギド』でしょ?」

「『自分』ってのは『メギド』で、ヴィータの体は、要は『脱げない服』みたいな──」

 

グレモリー

「それだけ知識を得ているなら、全て理解できるはずだ」

「もし貴様の魂が憑依しなければ、その『脱げない服』はどうなっていた?」

 

ザガン

「……!?」

 

グレモリー

「『力』がなくとも、メギドのような精神性、行動力はヴィータから見れば『稀』だ」

「シトリーが最たる例だ。メギドがヴィータのために働けば、英雄足り得ぬ方が難しい」

「そしてそのシトリー自身から聞いた事がある」

「記憶が戻って以降は時折、『人間性』が喪われている自分を自覚する時があるとな」

 

ザガン

「うしな……」

「ね、ねえ……それって、もしかして……」

 

グレモリー

「当然と言えば当然だな」

「何故ならヴィータは本来、兎や虫のように数で種を保つ脆弱な生物だ」

「群れて、逃げて、恐れて、迎合する……それが元来のヴィータの生存戦略」

「有り体に言って私も貴様も、『個性』で済む範疇に収まっているに過ぎない」

「『メギド』らしい部分……即ち到底『普通のヴィータ』とは言えん部分がな」

 

ザガン

「や、やめてよ、それじゃまるで……!」

「じょ、冗談だよね!? 私がバカだから話に流されてるだけだよね!?」

「今の話のどっかに、嘘とか例えとかがあって、無理やり膨らませて──!」

 

グレモリー

「生憎と冗談でも例え話でもない」

「『誰』かは伏すが、我々の軍団にも『実例』が居るらしい」

「その問題を軸に、追放メギドとは何かを哲学しているメギドも複数名な」

「貴様も同じ『戦場』に立つ時だ。貴様が『ザガン』だと言うなら、先陣を切ってみせろ」

 

 

 血の気が引き始めたザガンに、呼吸を1つ挟んで問いかけるグレモリー。

 

 

グレモリー

「……貴様が憑依せずに生まれた『少女』は……『ザガン』になれたと思うか?」

 

ザガン

「…………」

「そんなの……それじゃ……」

「私、自分が転生するために……生まれてもいない子を、わた……私……」

 

グレモリー

「ザガン……」

 

 

 俯いたザガンの肩に手を添えるグレモリー。

 今一度、ゆっくりと息を吸い込むグレモリー。

 

 

グレモリー

「馬鹿を言え! 大間違いだ!」

「貴様が『メギド』なら、『そんな事』にそうやって動揺などするものか!」

 

ザガン

「!!?」

 

 

 やれやれと言った風に小さく溜息を挟むグレモリー。

 

 

グレモリー

「そもそも、『ヴィータ』の貴様の所在を問うているのだぞ?」

「『そんな事』になる話だったら、こんなタイミングで語るものか」

 

ザガン

「そ……そう、だよね……そりゃそうだよね……はは」

 

 

 引きつった笑みを浮かべるザガン。

 2人同時にゆっくりと息を吐く。

 

 

グレモリー

「だが……シトリーの例えの通り、『喪う』モノがあるのも、ほぼ間違いない」

「私が貴様を笑った理由をごく一部だけ教えてやる……心から『安堵』したからだ」

「若い貴様には、目を背けられるという『力』がある。だから自分で気付けぬのだろう」

「この部屋を訪れた時から今まで、貴様は『ヴィータ』だった」

「私は出会えたのだ……『メギド』でも『闘牛士』でも無い、『ヴィータ』の貴様に」

 

ザガン

「『メギド』でも、『闘牛士』でも無い、『ヴィータ』の私……?」

「……やっぱり全然分かんないよ、私はちゃんとメギドだし、闘牛士だ」

 

グレモリー

「それは『飾り』だ。生まれ落ちてから後付けで貼り付けた『自分』に過ぎん」

「この部屋を訪ねてからの自分を思い返してみろ」

「無様な『回り道』、堂々巡りの自分語り、そのクセ自分を笑う私への文句は欠かさない──」

「どれが『メギド』で、どれが『闘牛士』だ?」

 

ザガン

「いや……それは……だって……」

「どっちでも無いなんて……それじゃ、そんなの……」

 

 

 足の上に置いた拳を震わすザガン。

 

 

ザガン

「そんなの、ただ生きてきた『だけ』みたいじゃないか!」

「力も無い、戦いもしない、目指すものも、やるべき事もない!」

「『格好悪い』どころじゃない、そんな私なんて、みっともなさすぎて──」

「あっ……」

 

グレモリー

「そうとも。『格好悪い』どころではない。『弱さ』しかないのだからな」

「だが『ヴィータ』の一生に思いを馳せてみればどうだ?」

「『全』に馴染み、誰かと同じように、同じ事を繰り返すだけの『平和』が尊ばれる」

「仕事をこなす程度の体力、誰とも争わず、酒や友人で日々の余暇を紛らす生涯──」

「自宅と畑と家族、後はたまの行商人だけが世界の全てなヴィータなど珍しくもない」

「無知で無力で無欲、世界の毒にも薬にもならず、生きている『だけ』……」

「『格好悪い』か……『みっともない』か?」

 

ザガン

「……そんな事ない。そういうのも、良い事だと思う」

「『私』には……もしかしたら『格好悪い』と感じちゃうかも知れないけど──」

「でも、ダメだなんて事は絶対ない……それは分かる」

 

グレモリー

「……私が今夜出会ったのが、そんな『ヴィータ』だ」

「貴様が『メギド』として誇る全てと比べて、愕然とするほど程遠い存在──」

「およそ『メギド』としての『ザガン』に何一つ結びつかない貴様だ」

「『弱い私』と同じ……貴様のセリフを借りるなら『格好悪い』だけの『ザガン』だ」

 

ザガン

「グレモリーにとっての、『弱いままのヴィータ』……って事は……」

 

グレモリー

「今も目の前に居るぞ?」

「貴様が『ザガン』として生まれ、動かなければ、今日を生きていたはずの『少女』──」

「『個』の名前すら与えられず、何者にもなれない『ヴィータ』の貴様だ」

 

ザガン

「私の中に、『今の私』になれない、『弱いヴィータ』の私が居て……」

「それが、『飾り』を全部外した、最後に残る『私』?」

「メギドの記憶が戻って、メギドとしての私を生きてきて──」

「そんな『飾り』の下の、メギドの魂と混ざった『残り』みたいな『弱さ』……?」

「私は……私が、今までの『メギドの自分』を演じてたって事?」

 

グレモリー

「間違いだらけだ青二才め」

 

 

 言葉の厳しさとは裏腹に穏やかに語るグレモリー。

 

 

グレモリー

「『生きている』のだ。我々追放メギドの中に『ただのヴィータ』が」

「ヴィータの『普通』が分からなくなろうと、メギドとして生きるために何を失おうと──」

「メギドとならず生まれるはずだったヴィータは、一側面として『生きている』」

「それも、そうやってメギドの精神性の足を引っ張るほど『弱く』、泥臭く、懸命にな」

 

ザガン

「??」

 

グレモリー

「『メギドだ』という『美意識』を後生大事に抱え過ぎるから分からんのだ」

「追放メギドの私達は、どこかで『ヴィータだ』という事実から距離を置こうとする」

「2つの魂を共有し、混ざり合い、少なからず『ヴィータ』に染まって、それでもだ」

 

ザガン

「それは……例えば、ブネとか?」

「大酒飲みだし、結婚してるって噂も聞いたけど、メギドとしての意識は強い方だし」

 

グレモリー

「そんなところだ」

「そして『ヴィータの魂』も同じようにして生きている……単純な話だ」

「『メギドなど関係ない』と、ヴィータらしい自分へと変化し、貫こうとしている」

「メギドの魂に思考を、行動を、感情を侵され、幾ばくかの人間性を喪おうともな」

 

ザガン

「そういえば……メギドの魂がヴィータの魂を取り込んだら『不死者』なんだっけ?」

「じゃあ、私達の魂って、言ってみりゃ2つあって──」

「ぶつかったみたいにお互いが『欠けて』て、それを補い合うみたいに生きてる……?」

「メギドの私が考えたり戦ったりしてる陰で、ヴィータの私もおんなじように……」

「それで今、メギドの私の考えと、ヴィータの私の考えが噛み合ってないのかも……?」

 

グレモリー

「私には貴様が、転生した自分を受け入れ『過ぎて』いるように思える」

「時折、貴様がヴィータという『縛り』を面白がっている節さえ感じる程だ」

「恐らく、『転生しても自分は完全にメギドだ』と確信……いや、思い込んでいたのだ」

「それが却って、『ヴィータでもある』という事実を見落とさせていた……」

「更に言えば、思い込みが『メギドらしくない』部分を疎ませていたのかもしれん」

 

ザガン

「自分で気付かない内に私が、『格好悪い』私を『居ない』事にしようとしてた……?」

「でも本当は、『メギド』としての私にとって『格好悪い』ように見えてただけで──」

「別々の考え方してるどっちも私で、2つで1つ……?」

「(そう考えると、追放メギドってシャミハザみたいな状態なのかな……?)」

 

グレモリー

「『弱い私』の正体は……『ありのままの私』だ」

「何一つ高く見せない、必要最低限の等身大……本当なら、弱くも醜くも無い」

「人並に弱く、人並に闘争を恐れる『ザガン』が居たとて、断じて悪でも恥でも無い」

「仲間内で例えるなら、ブエルやアンドロマリウスを誰も責めなどしないのと同じだ」

「だが、生存競争では『必要』は『当然』であり、『最低限』は『最低』となる」

「力で測れば『等身大』は『弱さ』であり、理想で測れば『ありのまま』は『格好悪い』」

「全くもって『弱さは罪』だな……否応なく『罰』を浴びせかけられるのだから」

 

ザガン

「(そっか……グレモリーの言う『弱さ』って、そういう……)」

 

 

 座り直して姿勢を変えるグレモリー。

 

 

グレモリー

「……話はここまでだ。『相談』に話を戻す。いいな?」

 

ザガン

「あ……うん。だいぶ落ち着いたし、今度はちゃんと話せそう」

「『どっち』の私も、心からの私の考えだって、そう思える気がする」

「もし真逆のこと考えてても、『どっち』もまとめて信じられると思う」

「私も、『格好悪い』私はイヤだけど、『格好悪い』私を無視したりしない」

 

グレモリー

「ふっ、言うじゃないか……」

「よし……だが『片方ずつ』説明しろ。こんがらがっては話にならんからな」

 

ザガン

「ん~……なるべく頑張る!」

 

グレモリー

「当然だ。それで……メギドの貴様は、いったい何を思った?」

「そしてヴィータの貴様はどんな異議を抱えて、私に助けを求めてきた?」

 

ザガン

「じゃあ、『メギドの私』の方から──」

「話したかったのは……シュラーの事」

 

グレモリー

「シュラーが本題か……だが、手紙に纏わる事かという質問も、否定しなかったな?」

 

ザガン

「うん……さっきも言ったけど、私の中で『考え』が食い違っちゃってさ」

「それじゃあ、『どっち』の私が言う事に合わせて書けば良いのかってなっちゃって……」

「どっちかが『間違い』だったら、手紙読んだソロモン達を変に混乱させちゃいそうで……」

 

グレモリー

「ふむ……ぜひ聞かせろ」

「内容によっては、『相談』も何もなく私に『報告』すべき事柄かもしれん」

 

ザガン

「言葉にしちゃうと、そんな複雑な事でも無いんだけど──」

「シュラーってさ……絶対、『セルケト』だと思うんだ」

 

グレモリー

「セルケト……貴様が馬車で語っていた、例のメギドか?」

 

ザガン

「うん。私が知ってた頃のセルケトとはだいぶ『違う』けど」

 

グレモリー

「『違う』というのは、もしや?」

 

ザガン

「『ヴィータ体』が、全然違う」

「昔のセルケトは、ヴィータなら20歳か、もっと上くらいで、背もウンと高くて──」

「それに昔のセルケトは……『男』だった」

 

グレモリー

「ふむ……」

「ヴィータ体の年齢はともかく、性別を意図的に変える話は殆ど聞かん」

「仮に本当にシュラーがセルケトなら、可能性は2つ……実質1つだが──」

「何らかの目的でヴィータ体を作り変え、メギドラルからアブラクサスに……」

 

ザガン

「まず、無いよね。サルガタナスの話じゃ、『中央』に捕まってるし……」

 

グレモリー

「万一、サルガタナスの情報に齟齬があり、難を逃れていたとしても──」

「尚更、顔見知りが居ない『はず』のヴァイガルドで2年も姿を変え続ける必要がない」

 

ザガン

「やっぱり……『転生』しか無いよね?」

 

グレモリー

「うむ。転生で性別が変わるなら、既にダンタリオンの例がある」

「それに背格好からして、年齢と追放された時期の辻褄も合う」

「だが……これはあくまでも、本当にセルケトだった場合の話だ」

「貴様がシュラーをセルケトだと思った根拠は?」

 

ザガン

「まずは……もう、ひと目見た時から『セルケトじゃんか!』ってなった」

 

グレモリー

「一手目から勘を持ち出してくるか……」

 

ザガン

「でもセルケトを知ってる私からしたら、これが最強の理由だよ」

「ほら、『ヴィータは第一印象が九割』って言うし、闘牛でも大事な事だし」

「シュラーは女の子だから顔立ちも少し違うけど、セルケトの面影はハッキリ残ってた」

「それにあの『喋り方』。それに『仕草』だって、歩き方ひとつ変わってない」

「あいつのヴィータ体の何もかも、記憶にバッチリ刻み込まれてて間違えようがないよ」

 

グレモリー

「そこまで熱弁されると、少し信じてみたくもなるな」

 

ザガン

「昔の私がイヤんなるほど味わわされたからね」

「私が知らないあいつなんて、余裕なくしてる時くらいじゃないかな」

 

 

 喜色を滲ませて語るザガン。

 

 

グレモリー

「だが、それだけで本気で信じてやるわけにもいかん」

「シュラーの方は、貴様に対して『らしい』反応を見せていないしな」

「『個』だけが滲み出て、『記憶』までは戻っていない可能性もある」

 

ザガン

「分かってる。シュラーが私を見て普通にしてたのは……正直、そこは私も分かんない」

「記憶が無いなら仕方ないけど……少なくとも『気付かなかった』ってのはないと思う」

「昔の私のヴィータ体は、今の私と、見た目も年頃も殆ど同じなんだもん」

「シュラーとしての立場があったから知らないフリしたとか……って、私は思いたい」

 

グレモリー

「建前上、シュラーは全住民を愛する指導者だからな。確かに堂々と『贔屓』はできまい」

「だが、この辺りは現状、考えても無駄そうだな……他に『セルケト説』の根拠は?」

 

ザガン

「今夜のパーティーの、あの『ダンス』」

 

グレモリー

「貴様が『踊らされた』アレか? ハルファス達も随分と見入っていた」

 

ザガン

「うぅ……まだちょっと恥ずかしいけど……」

「とにかく、その『踊らされた』事だよ。グレモリーもおかしいと思わなかった?」

 

グレモリー

「確かに、『出来すぎている』とは思っていたが……」

「む? そういえば確か、馬車で語っていた話では、セルケトは──?」

 

ザガン

「うん。力の流れを『視る』事ができる」

「その『流れ』に、ほんのちょっとの力を加えるだけで好きに操る事も」

「言わなくても分かるだろうけど、私、ダンスの時『それどころ』じゃなくてさ──」

「流石に『セルケトに会えたかも』なんて後にして、ずっと突き放そうとしてた」

 

グレモリー

「だが、社交界の娯楽を見慣れた私が見ても、あのダンスは『一流』だった……」

「ペアで舞うには本来、両者の協調と信頼が不可欠……であるにもかかわらずだ」

 

ザガン

「『動くもんか』って踏ん張ってみたり、ちょっと本気で抵抗もしてたはずなんだけど……」

 

グレモリー

「……恐れ入ったな。頭からつま先まで、私にはこれっぽっちも『そう』は見えなかった」

 

ザガン

「やっぱりかぁ……」

「全部、ダンスの一部に『利用』されちゃうんだよ。最初から予定されてたみたいに」

 

グレモリー

「そう考えると、確かに『普通』に考えればヴィータの芸当ではない」

 

ザガン

「私さ……あいつとヴィータ体同士で取っ組み合った事もあるんだ」

「その時は投げられるか、関節キメられといて無傷で解放されるかばかりだったけど」

 

グレモリー

「『一本取り』で済ませていたのか? メギドとは思えん紳士ぶりだな」

 

ザガン

「だからもう、疲れ果てて動けなくなるまで何度でもやりあえたよ」

「お陰で『体』が……『魂』が? とにかく覚えてる」

「もう、ちょっとシュラーに引っ張られただけで記憶がガンガン湧き上がって来たから」

 

グレモリー

「その『技』をダンスでも流用している……そう考えれば説明も付くな」

「未経験の上に運動自体が苦手な住民も、優雅に『踊らされた』らしいからな」

「念の為に聞くが……セルケトは『新世代』か?」

 

ザガン

「ううん。そもそも私、あの頃は『新世代』なんて言葉も知らなかったし」

「『右腕』が『拒絶区画』出身とは聞いてたけどね」

 

グレモリー

「『右腕』? ああ、副官か」

「『個』を重んずるメギドでは余り好まれない表現のはず……」

「少なくとも『ヴァイガルドかぶれ』には違いないようだな」

 

ザガン

「うん、物資として流れてきたヴィータの服とか集めてた」

「『右腕』を通してヴァイガルドの事も知りたがってる風だったし」

「でも私もそこそこ古い方のメギドだったけど、多分、私と同じくらいの『世代』だよ」

「『昔話』が通じてたし、自分の領地が100年で棄戦圏になるまでの事とか話してた」

 

グレモリー

「ふむ……『拒絶区画』自体との交流は?」

 

ザガン

「『それが無いのが悩み』みたいに言ってたのは、何となく覚えてる」

「あいつ、『あんな』だから他のメギドと外交もロクにさせてもらえなかったらしいし」

 

グレモリー

「『あんな』と言われても実物を知らんのだが……まあ想像はつく」

「他には?」

 

ザガン

「無い。この2つだけ」

 

グレモリー

「つまり、根拠は全て『主観』か……」

 

ザガン

「そうだけど……でも充分じゃない?

「私達が何か見つけて『昔の仲間かも』ってなったら、大体は記憶頼りだし」

「それに、あの『ダンス』が『普通』じゃないのは、どっちかって言えば客観てき──」

「……グレモリー?」

 

グレモリー

「……」

 

 

 ロダンの彫刻さながらの姿勢で黙り込むグレモリー。眉間に深い皺を作っている。

 

 

グレモリー

「……いや、確かに貴様の言う通りだな」

「これは『好都合』な情報かもしれん。続けよう」

 

ザガン

「全然『好都合』って顔に見えないよ?」

「凄く怖い顔になってる。いつも以上に」

 

グレモリー

「一言余計だ……いや、私に『余裕』が足りてないだけか」

「とにかく、まだ『ヴィータのザガン』の話が終わってない。今はまず話せ」

 

ザガン

「……いいけどさ」

「(私が話した事が、例の『隠し事』に関係あるって事なのかな……)」

「(でも、今は『隠し事』の事に突っ込むのはよそう)」

「(私から『相談』に来たのに、偉そうに聞き出そうとするのは『格好悪い』し──」

「(『隠し事』の中身が良くない事なら、嘘が嫌いなグレモリーが無理に黙り通すはずない)」

 

 

 天井を見上げて軽く深呼吸を挟むザガン。

 

 

ザガン

「……『私』の中では、『シュラーはセルケトに間違いない』って思ってるんだ」

「口に出しちゃったから、ますますそれしかないと思ってる。でも──」

「それでもまだ、『あれがセルケトならおかしい』って言ってる『私』がいる」

「多分、その『私』が『ヴィータの私』って事なのかな。だから、もし──」

「『ヴィータの私』に手紙を書かせるなら、セルケトの事は伏せて書くと思う」

 

グレモリー

「個人の感想でも、情報は情報だ。伏せる必要までは無かろう」

「自前で反論が立っていようと、『セルケト説』を報告する意義は充分にあると思うが?」

 

ザガン

「そんなわけ無いでしょ? 『あれがセルケトならおかしい』んだから」

「セルケトと全く関係ないのに、『セルケトかも』なんて人に言うのは変だ。そうだろ?」

 

グレモリー

「む……?」

「いや……そうか、理解した」

「つまり、『ヴィータのザガン』が訴えている事は言い換えるなら──」

「リンゴの実を見たのに、『薔薇の花を見た』と吹聴するようなものという事か」

 

ザガン

「だから、そう言ってるじゃんか?」

 

グレモリー

「あ、ああ……そうだったな」

「(馬車でもそうだったが、会話が純真なまでに一直線すぎるきらいがあるな)」

「(『さばさば』と表現するのだったか……裏表が無い事は長所だが──)」

「(同時に、独自の『解釈』が先んじて、誤解や失言も招きやすいタイプだ)」

「(大抵の人間が、ザガンよりも『ひねくれ』がちなせいで……な)」

 

 

 小さく溜息をつくグレモリー。

 

 

グレモリー

「間違いなくリンゴだと知っているのに、同時にリンゴで無いと確信している矛盾……」

「言いたい事は理解した。なるほど、堪りかねて私を頼りにも来るわけだ」

 

ザガン

「でしょ? 『やった方が良い』と『絶対やっちゃいけない』がセットになったみたいな……」

「セルケト以外を『セルケトだ』って思わせたら、セルケトにもソロモン達にも『迷惑』だ」

「あいつだったら、絶対に『言わない』んだ……だから、絶対違う」

 

グレモリー

「『言わない』……何をだ?」

 

ザガン

「パーティーの時、私の方に歩いてきながら言ったんだ」

 

 

 回想。

 

 

シュラー

「格好が付かないが……雨に打たれて、体が冷えてしまった」

 

 

 回想終わり。

 ハテナマークが溢れた顔を浮かべるグレモリー。

 

 

グレモリー

「……それが、どうかしたのか?」

 

ザガン

「あいつは、一度だって『言った』事ない、気にした事さえなかった」

「『格好』がどうとか……自分がどう見られてるか気にするような言葉は、ただの一度も」

 

グレモリー

「……?」

「確かに、格好云々の『くだり』は私も聞こえていたが──」

「シュラーはあの時、ザガンがどういう立場にあるかを察していたはずだ」

「半ば強引にダンスの相手に選ぶ事で、立場の回復に助力したものと私は理解している」

「ならばあれはただの『前置き』……言葉のアヤだろう。本質的な美醜とは──」

 

ザガン

「それでも『言わない』んだよ!」

「セルケトならああいう時、そんな『建前』すら使わないんだ!」

「あいつなら、もっとこう……!」

 

 

 ベッドから立ち上がって力説するザガン。

 

 

グレモリー

「……落ち着け。私の認識が甘かった落ち度は認める」

「だが、感情を『直』で投げ込むだけでは、伝わらんものもある」

「理解の差は、可能な限り私の方で埋め合わせていく……だが、それが精一杯だ」

「どうしても、私はセルケトという『変わり者』を知らな過ぎる……」

 

ザガン

「……ごめん」

 

 

 座り直すザガン。

 

 

グレモリー

「貴様の知るセルケトなら……どうしていたんだ?」

 

ザガン

「もっとこう……自分の事より、相手を立てるっていうか……」

「だから、えっと……」

「……だ、だから、そう、とにかく『そんな感じ』!」

 

グレモリー

「『そんな感じ』では分からん。もう少し具体的に頼む」

「今しがたのやり取りを繰り返すような事はこちらも避けたいからな」

 

ザガン

「うぅ……」

 

グレモリー

「……?」

 

ザガン

「わ、私は、あいつと全然違うから、本当に、無理やり例えればだけど……」

「た、例えば……わ……」

「私に君を見つけさせてくれたその悲しみを、私にも……い、抱かせて欲しい……とか?」

 

グレモリー

「────」

 

 

 目の前を黒猫が安来節踊りながら錐揉み回転で横切っていったような顔で、ザガンを見るグレモリー。

 ザガンはグレモリーから視線と顔を気持ち逸らしてプルプルしている。

 

 

ザガン

「……な、何か言ってよ!」

「ほ、本当に『例えば』だからね! 中途半端はヤだから、結構無理してるんだからね!」

 

グレモリー

「ああ……それは、見れば分かる」

「だが──」

 

 

 真剣な顔で、数秒ほど考え込むグレモリー。

 そして真剣に疑問を口にするグレモリー。

 

 

グレモリー

「メギドが……『殺し文句』か?」

 

ザガン

「だから、言ってるだろ!? シュラーとセルケトの喋り方、全く一緒なんだよ」

「ヴィータになってから思い返すとこっちが恥ずかしくなるセリフ、あいつ素で言うんだよ!」

「もう日常会話どころか独り言感覚でサラッと!!」

「『行動』もだ。1人でベッドでゴロゴロするみたいな気楽さで何もかも『完璧』に……!」

 

グレモリー

「分かった分かった……この話が終わったら、今の『殺し文句』は忘れてやる」

 

ザガン

「絶対だからね……!」

「あと……もしあいつが私と踊った事に思惑とかあったら、絶対に全部教えてくれてる」

「相手がどんなやつでも、それが自分にどんなに不利でも、当たり前みたいにそうする」

「『正直』とか『フェア』とか、そんなのより、こう……うまくいえないけどさ」

 

グレモリー

「メギドにあるまじき、分け隔てなき『敬意』と『美学』……」

「あるいは『高貴』……いずれにせよ、それがセルケトの『個』というわけか」

 

ザガン

「うん。あれは『個』だったよ……それは間違いない」

「『おかしい』って思ったのは、それ1つきりだった。だけど──」

 

グレモリー

「分かっている。『メギド』として、『個』を出されては無下にはできん」

「僅かだが、確実にセルケトの『個』に反する行動があった……か」

「……良いだろう。私は信じる。隙を見てハーゲンティ達とも共有しておく」

 

ザガン

「グレモリー……!」

 

グレモリー

「だが、セルケトとシュラーを結びつけ過ぎないようには気をつけろ」

「『ヴィータのザガン』の意見を決して忘れぬよう心がけるんだ」

「『普段』を生きている貴様には知り得ぬ事を、ヴィータの貴様は知る事ができる」

「『ヴィータ』として見たセルケトとシュラー……」

「そこに『何か』を見出したからこそ、『メギド』を押し退けてまで訴え出たのだろうからな」

 

ザガン

「うん。結局、まだセルケトがどうとかは私の中だけの話だしね」

「でも……それでもやっぱり、本当にセルケトだったら良いなあ」

「昔の顔なじみに会えたのなら、単純に嬉しいしさ」

「きっと、話せばすぐ分かってくれて、私達にも良い事だらけなはずだよ」

 

グレモリー

「そういえば馬車でも、ソロモンと話が合いそうだと言っていたな」

 

ザガン

「あいつは昔から、メギドらしくないくらい『いいやつ』だったからねえ」

「ヴィータ風に言ったら……おとぎ話の理想の『王子さま』みたいな?」

 

グレモリー

「ふっ……この組み合わせで語らうには、似合わん言葉が飛び出したな」

 

ザガン

「えっ!? 私が『王子さま』とか言うの似合わない? どういう意味!?」

 

グレモリー

「ふふふ……済まん言い過ぎた、単なる悪ふざけだ」

「さて……話は充分だな。戻って手紙を書け。『両方』をだ」

「とにかく、片っ端にだ。シュラーとセルケトの事、自ら疑問を持った事

──」

「ついでに昔のセルケトの事でも、伝えるに値すると思えば思いつく限り書き出せ」

 

ザガン

「り、両方とも? でも、さっきも言ったけど……」

 

グレモリー

「『セルケト説』は検討に値する。少なくとも私はそう判断した」

「ならば貴様の『悩み』は、任務に携わる全員で分かち合うべきだ」

「私の手紙に、『ザガンから重要な報告がある』とだけ書き添えておく」

「後はソロモンやバルバトスが、貴様が懊悩している『矛盾』を汲み取ってくれるはずだ」

 

ザガン

「……そうだね。もうグレモリーに『相談』してるんだしね」

「じゃあ、全速力で書き上げてくる!」

 

 

 ベッドから腰を前にスライドさせるように、関取のスタートダッシュのように、立ち上がる時間さえ惜しいとばかりに個室の扉へ小走りに移動するザガン。

 

 

グレモリー

「今度は『外す』なよ。それと最低限、他人が読める字で書け」

 

ザガン

「分かってるってー♪」

 

 

 今度はちゃんと引き戸を開けて退室するザガン。

 ザガンを見送った後、1つ溜息をついて、机上の手紙に視線を泳がすグレモリー。

 

 

グレモリー

「手紙の内容以外は何も片付いてないも同然なのに、雰囲気だけで肩の荷が降りた……か」

「眩しいな……皮肉でなく、心から」

 

 

 窓の外に視線を移すグレモリー。

 アブラクサス外壁周辺に、転々と黒い影がノミのように蠢いている。

 考えるまでもなく幻獣だが、退治しに出ていくわけにもいかない。

 そして夜闇の遥か彼方に、待機組が潜む森が一際に黒い塊となって浮かんでいた。

 グレモリーの面持ちは極めて険しい。

 

 

グレモリー

「ザガンは……自力で気付けるだろうか」

「シュラーがセルケトであった時、それが何を意味するかを……」

「よしんば気付いたとして、向き合えるのか……」

「『似たような事ならあった』と、『きっと何とかなるはず』と……『逃げる』事なく……」

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 同じ頃、アブラクサス近辺の森での待機組。

 

 

バルバトス

「……」

 

 

 ゲルから少し離れた木に背を預けて、指先につまんでいる何かを月にかざすバルバトス。

 ゲルの方から足音が近づく。

 気付いたバルバトスが振り向くと、今や家族同然に見慣れた青年が姿を表した。

 

 

ソロモン

「あ、いたいた。こんな所に居たのかバルバトス」

「一応、任務中だからさ。少しでも離れる時は伝えておいてくれよ?」

 

バルバトス

「おっと、そう言えば忘れてた……俺としたことが、つまらないミスしちゃったな」

 

ソロモン

「どうしたんだ? 今日はもう休むって時に皆と離れて……」

「もしかして、まだ幻獣の『匂い』が残ってないか気にしてる……?」

 

バルバトス

「いや、そうじゃないって……もう匂いは感じないし、ジョーシヤナのアドバイスも信頼してるよ」

「ちょっと、月明かりと『相談』してただけさ」

 

ソロモン

「??」

 

バルバトス

「ゲルは遠目にバレないよう、立地も薄暗いし灯りも最小限しか使わないだろ?」

「『気になる物』を見つけたんだけど、騎士団の資源を借りる程か……少し確証に乏しくてね」

 

ソロモン

「ああ、だからその『気になる物』を月光で照らして確かめてた……って意味か」

 

バルバトス

「ふっふっふ、職業病でね」

「で……来てくれたのなら丁度良い。君も見てくれ」

 

 

 改めて、バルバトスが「気になる物」を月に掲げる。

 頬を並べるようにしてソロモンも、バルバトスの指の間にあるソレを慎重に観察する。

 

 

ソロモン

「これは……葉っぱ、だよな?」

 

バルバトス

「そう。言ってしまえばただの木の葉さ」

「さっき騎士団から確かめた。この森を構成している樹木の大半は、賢者のリンゴの木だ」

「この葉っぱも、『リンゴ』の葉さ」

 

ソロモン

「へえ、そうだったん……ん?」

「俺、植物に詳しくなんて無いけどさ、それでもリンゴの葉って、もっと……」

 

バルバトス

「そう。『リンゴ』の葉は、馴染みすぎて特徴の挙げようも無いほど標準的な形だ……本来はね」

「俺が持ってるコレみたいに、色も厚みも薄っぺらで、干したように小さくクシャクシャじゃない」

「騎士たち曰く、ここのリンゴの木は皆、こんな頼りない葉っぱを茂らせてるみたいだよ」

 

ソロモン

「そ、そうだったのか? どこもかしこも葉っぱだらけで全然気づかなかった……」

「あっ、俺たちが今居るこの木も、よく見たら同じ葉っぱが……!」

 

バルバトス

「見ての通りってわけさ」

「原因は恐らく、この辺りがアブラクサスのフォトン欠乏の影響を受けているからかな」

「さっきまでの幻獣退治も、フォトンは2人分でようやく普段通りって具合だったし」

 

ソロモン

「そうか……それで『普通』に育つ事が出来なくて、こんな歪んだ葉っぱが……」

 

バルバトス

「あるいは、100年のフォトン欠乏に『順応』したのか……まあそこは今、問題じゃない」

「今、俺が持っているこの葉っぱなんだが……実は、俺の髪に絡まってたんだ」

 

ソロモン

「まあ、バルバトスの髪は長い方だから、あり得るかもな」

「葉っぱが生えてるのは俺達の背よりかなり上だけど、何かの拍子に落ちてくるくらい──」

 

バルバトス

「と……ただ見つけただけなら、俺も同じ事を思って捨てるだけだった」

「だが、葉っぱが絡んでるのに気付いたのは、水浴びを終えた直後だった」

 

ソロモン

「水浴び……あー、匂いを落とすために色々やった後、最後に全身丸洗いしたな……」

 

バルバトス

「そう。この俺が全身全霊、くまなく洗い終え、新品の服に着替えたその直後だ」

「何気なく髪を掻き上げたら、この1枚が指に引っかかった」

「もちろん、髪を洗い忘れたなんてオチじゃあないよ」

 

ソロモン

「つまり、何ていうか……『奥』に引っかかってたって事か?」

「念入りに洗ったつもりでも、たまたま手櫛に引っかからないと気づかないくらい、髪と髪の間に……」

 

バルバトス

「そんな所だろうね。髪を丸ごと何度も水に晒したりしたはずなんだが──」

「自慢のボリュームと滑らかさが、今回ばかりはアダになってしまったかな」

「ま、冗談はさておきだ」

 

 

 バルバトスは月にかざしていた手を降ろし、もう一方の手で自身の髪を手繰り寄せた。

 ソロモンと向き合い、木の葉と、己の金の髪束とを隣り合わせて見せる。

 

 

バルバトス

「考えてみてくれ、ソロモン」

「この指先大あるか無いかの小さな葉……どんな状況なら、俺の髪の奥深くに入り込めると思う?」

 

ソロモン

「え……そりゃあ、普通に葉っぱが落ちた拍子に髪に刺さったりして……」

 

バルバトス

「『こんなの』がかい?」

 

 

 リンゴの葉をソロモンに手渡すバルバトス。

 触れるなり、怪訝な顔をするソロモン。

 

 

ソロモン

「うわ……これ、本当にあの賢者のリンゴの……?」

「フニャフニャじゃないか……花びらみたいだ」

「これじゃ、頭に乗っても──」

 

 

 自分の髪で実験してみるソロモン。

 むしろ髪に絡ませるように押し込んでみたつもりでも、手を離して少し体を揺するとハラリと落ちてしまう。

 砂を詰めた箱にピンポン玉を沈めて箱を揺らせばピンポン玉が自然と浮いてくるように、比重差がありすぎて生半可な「仕込み」ではすぐに髪の表面まで滑り出てしまう。

 

 

ソロモン

「ダメだ……降ってきただけじゃ髪の中まで入りようが無い」

 

バルバトス

「しかもだ。さっき、適当なリンゴの葉を毟ってみたんだ」

「見た目通りに頼りなく毟れたけど、少なくとも風が吹いた程度なら耐えられる丈夫さはある」

「というかそこまでひ弱だったら、こうしてる間も『葉吹雪』に見舞われてるはずだしね」

「そして髪に絡まってたのは、充分に若い部類の葉だった」

 

ソロモン

「じゃあそもそも、枯れたとかで自然に落ちたわけでもない……」

 

バルバトス

「落葉の時期だったなら、森の景色もこんな青々とはしてないはずだしね」

「幻獣との戦闘のドサクサという線も薄い。幻獣は地を這うネズミばかりで枝に触れようが無い」

「おまけに幻獣達が『ものぐさ』なお陰で、木を揺らすような大立ち回りも全く無かった」

 

ソロモン

「じゃあ、葉っぱがバルバトスの髪の深くに絡む方法なんて……」

 

バルバトス

「あったじゃないか、1度だけ……」

 

ソロモン

「え……?」

 

バルバトス

「髪が風とかになびいている最中なら、葉が初手から『奥』に触れる事も可能だ」

「そして触れた直後、俺の髪が葉を『閉じ込める』ような動きをしたなら、絡まる可能性もある」

「つまりだ。俺の髪が舞い上がり、そこに葉っぱか、葉っぱを纏った物体が『飛び込んだ』んだ」

「そして舞い上がった髪がまとまって、葉を内に『閉じ込めた』……」

 

ソロモン

「それなら、あり得るかもしれないけど……」

「でも、今日は大して風も無いし、バルバトスに『飛び込んだ』何かなんて……」

「……あっ!」

「『影』か!? 俺達を取り囲んだ『音』の正体!」

 

バルバトス

「そう。俺の記憶にある限り、髪に葉が絡まる機会はあの一件しかない」

「脈絡もバッチリだ。『影』は四方八方を踏み鳴らして俺達の警戒を煽っていた」

「夜空の広がる真上以外、『全方向』だ。葉っぱどころか枝が折れる音も聞こえた覚えがある」

 

ソロモン

「目にも留まらない速さで飛び回ってたなら、葉っぱなんて幾らでも飛び散るだろうから……」

 

バルバトス

「ガブリエルの背後から飛び出して、俺のすぐ脇を通り抜けるまで、ほんの一瞬だ」

「その一瞬の間だけなら、俺に『かする』まで葉を纏っていた可能性は充分にあり得る」

「脇や指の間に挟まるとか、前進する勢いで体の前面に貼り付いてたとかね」

「あるいは、幻獣なら体毛、メギドなら服の繊維に絡む事も考えられる」

「『影』が通り抜け、風に髪が舞って、そこに葉が入り、風が収まると共に『閉じ込められる』」

 

ソロモン

「じゃあ……待てよ? 『影』はそのまま誰も見えないような速さで撤退したから……!」

 

バルバトス

「何気なく歩いていた地面だが、青い葉は全くと言っていいほど落ちてない」

「そしてこの森はリンゴ以外の低木も多い」

「『影』は間違いなく猛スピードで枝葉を掻き分けて去っていったはず。それなら……」

 

ソロモン

「『影』の足取りを詳しく辿れるかも知れない!」

「完璧には難しいだろうけど、最悪でも森を出た方角くらいなら掴めるはずだ!」

 

バルバトス

「君も同じ結論に達したか……なら、俺の取り越し苦労って事もなさそうだ」

「すぐにゲルに戻ろう。手がかりが手がかりだ。風で散ったりしない内に確かめないと」

 

ソロモン

「ああ!」

 

 

 全速力で拠点へ駆け戻っていくソロモンとバルバトス。

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 ほぼ同時刻、アブラクサス定例パーティー会場。

 すっかり人が失せた会場を、掃除道具片手に駆け回るハーゲンティ。

 遠くからミーナの声。

 

 

ミーナ

「サシヨンちゃーん、もう皆も上がったし、部屋に戻って大丈夫よー」

 

ハーゲンティ

「あんがとー! でも、あたい手伝うからには最後までやっときたいからー!」

 

 

 パーティー会場正門の方へ走っていくハーゲンティ。

 それを見送るお目付け役3人。こちらも掃除道具を持っている。

 

 

フォロア

「料理の残り、私たちで詰め替えておいてあげたからねー」

 

ワレミア

「後片付け担当の人は毎回こんなだから、気にしないで仲間の人たちと食べてねー」

 

ハーゲンティ

「いやっほぅ、約得ぅー!」

 

 

 お目付け役たちの隣のテーブルに、簡素な箱や革袋などの容器が幾つか並んでいる。

 

 

フォロア

「一時はどうなる事かと思ったけど──」

「シュラー様が今日もシュラー様だったお陰で、何とか無事にお開きにできたわね」

 

ミーナ

「シュラー様、どんな修羅場の真っ只中でもにこやかよねえ……」

「まだ若いのに、ほんと大した肝っ玉だわ」

 

ワレミア

「料理の余りの『持ち帰り』も、思ったより多く確保できて良かったわね」

 

フォロア

「面子潰されたサイティ派の担当がサッサと返ってくれたお陰で取り分増えたものね」

 

ミーナ

「後片付けまでほっぽり出してくれたお陰で、だいぶ時間食っちゃったけどね……」

「でも……これでサシヨンちゃんに、少しでも多く美味しいもの食べさせてあげられるわね!」

 

フォロア&ワレミア

「それね……!」

 

ミーナ

「よっし! サシヨンちゃんに早く休んでもらうためにも、もう一息、パパッと済ますわよ!」

 

フォロア&ワレミア

「おー!」

 

 

 散開するお目付け役たち。

 一方、会場正門前のハーゲンティ。

 彩りのカーテンの陰にしゃがみ込んで、何かを拾い上げた。

 

 

ハーゲンティ

「あれ……?」

「確か、ここでシュラーが自分で水差し被ったって、ミーナ姉さんが……」

「『これ』、水滴付いてるから……シュラーが身に着けてたのが、水かぶった時に落ちちゃった?」

「いやいや、でも流石に『これ』あたいが見ても明らかゴミだし……でも、万一って事も……?」

「うーん……よし、決めた!」

「おーーーい、ミーナ姉さーーーん!」

 

 

 カーテンから出て、手を降ってミーナを呼ぶハーゲンティ。

 だいぶ遠くに散り散りになっていたお目付け役全員が一斉に振り向いた。

 そしてミーナがハーゲンティの元へ駆け寄る。

 

 

ミーナ

「はーい、なーにー?」

 

ハーゲンティ

「この『葉っぱだか花びらみたいなクシャクシャの』、何だか分かるー!?」

 

 

 

<GO TO NEXT>

 




※ここからあとがき

 当初の構想では、マンショの家が仕入れている植物の買い入れ先には1人、東国の植物を専門に栽培して卸している業者が居て、ツイタチを始めとした幾つかの野草品種は、『山で狩人をしている巨人』が保存食や薬の材料として持っていた故郷の実や種を、弓矢や罠の材料と引き換えに譲り受けた物……という設定も考えていたのですが、必要な描写では無いですし、差し込み所も上手く用意できなかったのでカットしました。

 些細な問題ですが、使用人の性別は筆者の中で定まっていません。
 どちらかと言えば老執事のイメージが大きいのですが、ウァサゴとアリアンのやり取りに立ち会うのが男性でも女性でも、別々の良さがあるように思えたので。
 当初は執事と女中で分けて登場させようかと思いましたが、出番のバランスとか面倒なのでボツにしました。
 よって、使用人の台詞は中途半端に男女どちらとも取れそうに口調を変えたりしてるので、少し不自然に見えるかもしれません。
 読まれた方の好みに合わせて脳内補完していただけると幸いです。

 現実には、海も普通に凍るようです。(現象を結氷、結氷した海を氷海と呼ぶそうです)
 ただ、オホーツク海とかカスピ海とか南極とか、本当に容赦ない環境で起きる現象のようですので、エルプシャフトの住みよい地域では、冬場でも見る事は無いかなと。
 一方で完全な結氷ではなく、流氷が浮かぶ程度なら、いわゆる北国イメージが無くとも珍しくないようです。
 ヒートアイランドが云々される東京にある払沢の滝や、東京より南に位置する岡山あたりでも結氷が観測されるとか。

 悪魔=メギドであるかについては、実の所、余り調べ直さずに書いています。
 メインクエスト初期に「伝承に伝わる悪魔がメギドの正体」みたいな話をしていたような記憶があるのですが、どの辺りを読み直せば良いかの範囲がちょっと広すぎて……なので読み返さずに記憶だけを頼りに書いています。
 ただ、コラフ・ラメルのマスターがメギドを自称していた事を考えると、ある程度は悪魔とメギドが紐付けされて認知されているのだとは思います。
「ヴァイガルドで『メギド』とは悪魔の総称」なのか、「文化によって悪魔を『メギド』と呼称する言い伝えがある」のか、違いはあるかもしれませんが。
 なのでひとまず、その辺の擦り合せは騙し騙しで描写しています。

 個人的に2-3後半で最も重要なザガンとグレモリーのやり取りを、投稿予約してから書き忘れているのに気付いて突貫工事で書き足しました。少し読みづらい&分かりにくい所もあるかも知れません。
 プロットではセルケト関連の話だけする予定だったのですが、話の運び方に悪戦苦闘する内に何だかおかしな展開に。
 下地にしている某作品群の関係もあって、ハッキリ言えば今回、ザガンさんを少しだけ「愚か」になるよう意識して動かしています。
「派手で格好良く」を好むザガンさんですが、ソロモンと同じ17歳で精神的に若い部類ですから、思春期の潔癖さとか自尊心とかから、見落としが多くなっても仕方ないって事で。
 本来ならより自意識が強く、稚拙でもある、ハルファスやハーゲンティくらいの迸る熱いパトスな年頃が適任かもですが、2人ともそういうキャラになりにくいですし、今回はザガンさん主役なので。
 まあ、主役が本編を経て人間的に成長するのがお約束ですし……映画でハッピーエンドした主役が、作劇上の都合から2で落ちぶれた所から再スタートしてリベンジしたりしますし……。
 あと、「姿が似ているヴィータに憑依する」のか、「個性まで似ているヴィータに憑依する」のかが自分の中で結論出なかったのでボカしてます。
 記憶が目覚めると同時に人当たりや性格が変わる例があったはずなので、外見だけが基準になってるとは思うのですが……。

 余談ですが、毎回ミーナをよく「ミーア」と書き間違えて、気付いては直してを繰り返しています。
 お気づきの際は語字報告いただけると助かります。




 ウコバクイベを読みました。
 悲劇イベで創作意欲的な意味でも結構な打撃だった分、今回はだいぶ和やかに読みすすめる事ができました。
 処刑イベから続いて、メギドなりの愛と恋を描いている所に、どことなく趣を感じました。その辺りをメインストーリーで絡める予定があったりするのでしょうか。

 今回イベのBGMは、ステージ選択も攻略中も、初代プレステ時代のファンタジーゲーム辺りを彷彿とさせる私好みなものでした。詳しくないですが、アイリッシュってやつですかね。

 通常のヴィータでも高密度のフォトンは光として知覚できる可能性がある点は、大変ありがてえ情報でした。

 ただフォラスの件は若干「答え合わせ」を食らった感じです。
 前作でのフォラスの振る舞いをイベ中のフォラスと照らし合わせると、何となく怪しい所もありそうな……家族愛に一直線になれるようになるのは灯火イベの後とも読み取れそうですし……。
 今作でも、「メギドの記憶を取り戻した時、ヴィータ体に不満やショックを持つ者が多い」、「幼いメギドなら自身の弱さや愚かさに落差を受ける」と描写し、そんな会話で大騒ぎしてた女子をフォラスが嗜めてますが、そのフォラスこそ出生後間もなくに記憶を取り戻している事になるので、ちょっと難しい感じに……まあ、女子トークを余りちゃんと聞いてなかっただけとか、そんな具合で誤魔化しておきたいところです。

 何にせよ、こういう答え合わせもまた楽しみの1つです。


 共襲、前回よりはやりにくいながらも、似た超幻獣も居るので結構やれてます。
 有り難い事に6ターン終える前に決着してばかりなので、編成やフォトン配分が未熟でも何とかなってるってのもあるのでしょうが。


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EX「捏造キャラストーリー:ザガン編 第1話」

 いつかのメギドラル。

 メギド・セルケトの領地、ミラビリス。

 

 

ザガン

「う……ん……」

「……ハッ!?」

 

 

 薄っすらと目を開いたザガンの視界一杯に、セルケトの柔らかい微笑みが映り込んでいた。

 瞼を見開き硬直するザガン。

 

 

セルケト

「やあ。目が覚めたようだね」

「雷も去ったようだ。今なら帰投するのも難しくないだろう……ん?」

「どうかしたかい。ヴィータ体に異常は無さそうだが……酷く動揺しているように『視え』る」

 

ザガン

「ど……どうしたも、こうしたも……」

「何だ、この状況……!」

「何でオレはミラビリスに居て、お前の足なんて枕にしてるんだ!?」

 

 

 セルケトが砂漠に足を投げ出し、ザガンがセルケトの腿のあたりに頭を預けている構図だった。

 

 

セルケト

「それは、君がここに攻め入り、私と戦っていたからだ」

「今は、少し恐怖しているように『視え』る。不意打ちの心配ならいらない。2人きりだ」

 

ザガン

「恐怖なんてしてない! 少し混乱しただけだ!」

「今、言われてようやく思い出した……クソッ!!」

 

 

 跳ね起きるザガン。

 立ち上がろうとはせず、二日酔い明けのように片手で頭を抱える。

 

 

ザガン

「そうだ……私はお前にブン投げられて、地面が近づいてくると思ったら……」

「思ったら……その後の記憶がない! 思って、目が覚めたら、お前に見下されてた……!」

「何だこれは! これもお前の『技』か!?」

 

セルケト

「私に記憶を操るような『技』は無いよ」

「もしかすると……君は、気絶を経験するのは初めてだったかな?」

 

ザガン

「気絶……? あの、死んでる訳でも無いのに大人しくなるヤツか?」

 

セルケト

「そう。ヴィータ体で気絶すると、そのように一時的に記憶が混濁するものらしい」

「自分が何故、今こうしているのか……倒れる前の記憶との連続が断たれるそうだ」

「私もまだ経験が無いが……負傷した部下が、ある時そう教えてくれたよ」

 

ザガン

「気絶……これが、気絶か……」

 

セルケト

「倒れた君のメギド体が崩れ、そして今の君が現れた──」

「初めて、ヴィータ体のザガンに出会えた。私は、今日という日を永遠に忘れないだろう」

 

ザガン

「クッ……また弄んだ口をききやがって……!」

 

 

 気味悪そうにキッと眉をしかめてセルケトに振り向くザガン。

 

 

ザガン

「ああそうだな! いつもは気絶なんてする前に、オレの四肢が砕けているものな!」

「そのたびに再構成用の携帯フォトンを投げて寄越して勝手に逃げて……本当にムカつくヤツだ!」

 

セルケト

「君にとってやるせない事だと、今ではよく分かっているよ」

「けれど、勝負は着いた。なら攻撃を加える理由がない。捨て置く気にもなれない」

「君のためにも、対等でない戦いはしたくないんだ。済まないね」

 

ザガン

「勝ったヤツが敵に謝るな!!」

「クソッ……心まで生殺与奪を握られたって事なのか、オレは……!」

 

セルケト

「私は『利用』したに過ぎない。君を気絶に導いたのは君自身の『力』だ」

「初めて出会った頃の君には、そこまでの『力』は無かった……傷つく程に君は強くなっている」

 

ザガン

「嫌味ったらしい情けをかけるな! お前がいつでもオレを殺せた事に変わりは無い!」

「あるのは、お前の手で『生かされた』という無様な結果だけだ……!」

 

セルケト

「誓って、私は君を殺すつもりはない。少なくとも今は……ね」

「それに、もしそのつもりがあっても……今日の君にだけは、絶対に適わなかっただろう」

 

ザガン

「……?」

 

セルケト

「ところで、『鋼蹄の雄牛』と言う二つ名……改めるべきかな?」

 

ザガン

「は? 何で急に二つ名の話に……」

 

セルケト

「ヴィータには獣と同様に雌雄があると聞いている」

「『雄牛』とはオスの獣を指す言葉らしい。だが──」

「ヴィータ体の君の特徴は、ヴィータのメスが持つそれとよく似ている」

 

ザガン

「?? それがどうした?」

 

セルケト

「メギド体に雌雄は無い」

「なら雌雄を示す名称は、ヴィータ体に沿って使うべきかと……そう思ったんだ──」

 

 

 セルケトが言い終わるか終わらないかの内にザガンが飛びかかり、セルケトの胸ぐらを掴んだ。

 微笑んだまま眉ひとつ変えず、無抵抗で引っ張られるセルケト。

 

 

ザガン

「ふざけるなっ!!」

「お前は、ヴィータ体がメギドの本当の姿だとでも思ってるのか!」

「メギド体に与えられた二つ名を、ヴィータ体を理由に変えるだと!?」

「それもヴィータの雌雄が理由だと!? 最大級の侮辱だ、そんなもの!」

「ヴィータの『値付け』なんかに振り回されてたまるか! 一度でもそんな事やってみろ……!」

「今度こそ正真正銘、何としてもお前をブチのめして、殺すより恐ろしい目にあわせてやる!!」

 

 

セルケト

「……」

 

 

 全く笑みを崩さないまま、間を置いてからセルケトが口を開いた。

 

 

セルケト

「……分かった」

「済まなかった。この『眼』でも、心まで『視る』事はできない」

「君にとって、そんなに許せない事だとは思っていなかった」

 

ザガン

「『それ』が許されるなんて思ってるのは、メギドラル中さがしてもお前だけだ!」

 

セルケト

「間を取って、部下たちには『ザガン』とだけ呼ばせるのは、どうだろう」

「無意味な名乗りを挙げない戦場で、互いの名を知らぬまま呼び合う。それが本来の二つ名だ」

「もう互いの本名を知っている今、『ザガン』と呼ぶ方が、むしろ適切じゃないかな」

 

ザガン

「ハァ……勝手にしろ」

「……帰る」

 

 

 ウンザリした様子で立ち上がり、荒野を歩き去っていくザガン。

 

 

セルケト

「退くのなら……今日は、ちゃんと聞こうか。携帯フォトン、使うかい?」

 

ザガン

「要るか! 断りなんか入れるならますますゴメンだ!」

「普段だって、お前の施しで生きて帰ったと思うだけで惨めで仕方ないんだぞ!」

 

セルケト

「分かった。それが君の誇りなら、止めはしない」

「ただ、この一帯はヴィータ体には過酷だ。服くらいは構成した方が良いと思うよ」

 

ザガン

「服ぅ?」

 

 

 よほど意外な言葉だったのか、数メートルほど歩いた先で足を止め、胡乱な顔で振り向くザガン。

 メギドだからこそ自然に会話しているが、ザガンのヴィータ体は気絶中からずっと、一糸まとわぬ姿だった。

 

 

ザガン

「本物の軟弱ヴィータじゃないんだぞ。布切れなんか無くても同じだ」

 

セルケト

「ふむ……」

「気絶の弊害として、衣服を構築できなかったと思っていたが、『視た』ところ……」

 

ザガン

「ああ、そうとも。オレは普段から、服なんて余計な物で『個』を隠したりなんざしない」

「そんな物を構成する習慣が無いんだ。気絶して出来たヴィータ体に付いてくるわけない」

「軍団で突撃する時くらいだな。部下の士気が上がるから仕方なく着飾ってやってる」

 

セルケト

「なるほど。言われてみれば、魂の『個』を象っているのはヴィータ体『のみ』のはずだ」

「着け外し出来る『服』という物は、少なくともヴィータ体ほど重要たり得ない」

 

ザガン

「『たり得ない』どころか全く無意味だ。そうだろう?」

「ウチの副長もしつこく文句を言って来るが、どうかしてるのは他の連中の方だ」

「『裸のヴィータはヴァイガルドでも嘲笑と軽蔑の的』だとか何とか、全く……」

「ヴァイガルドが何だ、オレ達はメギドだぞ? そもそも服は鎧と違って戦争にも全く関係無い」

 

セルケト

「そうか……確かに、一理ある」

「ありがとう。君にはいつも学ばされてばかりだ」

 

ザガン

「敵に礼なんて言うな! そもそもお前に何か教えた覚えなんて一度も無い!」

 

セルケト

「そんな事は無いさ。君を『視せ』てくれる……それだけで、星の数ほども」

「今だって、初めて気付かされた」

「メギドラルは、無意味としたはずの一部文化に既に順応している……考えもしなかった」

 

ザガン

「お前まで『そっち側』だったのか!? 勝ち誇る所なのか、嘆く所なのか……」

「『学んだ』って言ったなら分かるな? メギドラルじゃあ服が『当たり前』になってる」

 

セルケト

「メギドラルの、特に『中央』勢力下では、戦闘にも生存にも繋がらない行為を禁じている……」

「いわゆる『芸術』。あるいは論証無視や詭弁で成り立つオカルト、『予言』の類」

「これらを嗜む者には最悪、処刑も辞さないと聞いている」

「だが服飾は『中央』に関係なく、メギドラル全体で受け入れられている……合ってるかな?」

 

ザガン

「分かったのなら、お前も少しは、その『格好』がおかしいって思えて来たんじゃないか?」

 

セルケト

「生憎と、そこまでは」

 

ザガン

「あぁ~もう、どいつもこいつも……!」

「『中央』はなあ、罰則こそ設けてないが、服装にも注意喚起を出してるんだぞ!」

「最低限の防御効果を認めるから大目に見ているが、いつ『芸術』判定されても恨むなとな!」

「なのにメギドは皆、ヴィータ体に思い思いの服を着せたがる!」

「防具の役割も果たせない裸同然の格好のヤツが居ても、誰も文句を言わない!」

「アッチはダメでコッチは良いなんて言い訳すらせず、誰もおかしいとさえ思ってない!」

「こんな訳の分からない話があって良いはずがないんだ!」

 

セルケト

「制度への疑問は同感だ。だが、それでも今はまだ、着衣に疑問は覚えないな」

「例え気付いたからと言って、私がどうするかは私次第。そうだろう?」

 

ザガン

「『それでも』だ! 『おかしい』なら『おかしい』を失くそうとするのが『当然』だ!」

「戦うと決めたら戦う! 勝つと決めたら勝つ! 良いものは良い! 悪いものは悪い!」

「こんな簡単な事なのに……何で揃いも揃って『遠回り』したがるんだ!」

 

セルケト

「この世界で、まだ君の『個』にしか『視え』ていない道なのだろう」

 

ザガン

「あ?」

 

セルケト

「私に『視え』なかった答えを、君は考えるまでも無く見出していた」

「この広大なメギドラルで君だけが、世界をあるべき形に変える力を持つのかもしれない」

 

ザガン

「……それさあ、一言でまとめられるんじゃないのか?」

「『お前が勝手にそう決めつけてるだけだ』……って」

 

セルケト

「未だ世界に君だけが……という点では同じかもしれない」

「しかし、君が間違っているとは、私にはとても思えな──」

 

ザガン

「っだ~~もう! そういう『回り道』が嫌いだってオレは言ってるんだ!」

 

セルケト

「私は君を軽んじる事も、孤立させるような物言いもしたくないんだ」

 

ザガン

「『する』ような言い方なんて全然無かっただろうが!」

「メギドは『個』だ。『個』が感じ取るモノが世界の全てだ! なら『それ』で充分だろ!」

 

セルケト

「……?」

 

 

 笑顔のまま小首を傾げるセルケト。

 頭の角度以外、余りにも困惑の類が伺えない落ち着き払った佇まいは、見ようによっては小馬鹿にしているようですらある。

 

 

ザガン

「あ゛~ったく……オレの部下もお前も、何で大事な話ばっかり中途半端に通じない……」

「いいか? オレが『正しい』、周りが『おかしい』……当たり前だろ、『個』なんだから」

「オレ達は、自分の『正しい』で『おかしい』を消して、自分の世界を生きたくて戦うんだろう」

「『あるべき』とか『決めつけ』とか、そんな『飾り』が欲しくて戦ってるんじゃない」

「生きたいように生きたいから今、生きてるんだ。お前だってそうだろ!」

 

セルケト

「……!」

 

 

 セルケトの微笑が薄れた。

 

 

ザガン

「それに『孤立』なんてのは、ヴィータみたいな『群れ根性』が使う言葉だ」

「社会とか権威とか、形の無い『全』の力に『あてられた』奴らの戯言だ」

「言いたい事があるなら、言いたい事だけ言えばいい。そうやって言葉を選ぶのは気に入らない!」

 

セルケト

「……そうか。始めから、問題では無かったのか」

「自分が世界にとって『正しい』かも、誰かに理解される事も……」

「君はただ純粋に、看過できない事に物申し、それでよしとしていた」

「お互いがメギドで、決して2つとない『個』であるが故に」

 

ザガン

「だから最初からそう言ってるだろ……何の話だと思ってたんだ?」

 

 

 心底から怪訝そうな顔でぼやくザガン。

 セルケトが少しの間ザガンを見つめて、それから再び顔を綻ばせた。

 

 

セルケト

「ふ……ふふふ……全く、君の言う通りだ。本当に、何を考えていたんだか……」

「負けたよ。やはり、君には教えられてばかりだ」

 

ザガン

「勝手に勝負を決めるな。『口喧嘩』なんかしてないだろ」

「とにかく言いたい事は言ったからな。私は服など着ないで帰る」

 

セルケト

「分かった。もう文句も無い。では──」

「ザガン、投げるよ?」

 

ザガン

「は? 何を──おおっと!」

 

 

 セルケトが軽く放り投げたソレを反射的にキャッチしたザガン。

 

 

ザガン

「これは……携帯フォトン?」

 

セルケト

「私は、ここを去るのに多くのフォトンは必要ない。使わないとしても、持っていってくれ」

「君がメギド体を維持して長距離を移動できるだけの量……『戦利品』としても充分だろう」

 

ザガン

「な……何が『戦利品』だ! 決闘に負けたのはオレの方だぞ、ふざけるな!」

「それに差し出されて手にするなんて、『贈り物』と一緒じゃないか!」

「オレはお前の部下になった覚えは無いし、フォトンなんて今、ちっとも欲しくない!」

 

セルケト

「『贈り物』……それも良い。だが、それは『戦利品』だ。今日の私は、君に適わない」

 

ザガン

「……???」

 

セルケト

「それに先程の口ぶりから『視て』……まだ『副長』には話していないのだろう?」

「君が日頃、私の携帯フォトンで帰還している事を」

 

ザガン

「うっ、そんな事まで分かるのか……!」

「……じゃない! お前には関係ない!」

 

セルケト

「もっともだ。だから、これは勝手な推測だが──」

「君の『副長』は、その携帯フォトンを『戦利品』として大いに気に入ってくれる」

「帰還用のフォトンを受け取っていた事も、複雑に思いつつも、好機と解釈してくれる」

 

ザガン

「知ったような口を利くな! 副長は……あいつはオレに『期待』してるんだぞ!」

「負けた挙げ句に敵の施しを受けて逃げ帰ってたなんて知って、あいつが喜ぶものか!」

 

セルケト

「『副長』は、君の一直線な方針の調整役を担っている」

「『副長』は、君にとって『期待』に応えなければと思うほど、深い関係を持つ存在だ」

「『副長』は、君に代わって知識や軍略を学び、軍団内の政治を司っている」

 

ザガン

「ッ……!?」

「い……いつ、会ったんだ……!?」

 

セルケト

「顔も名前も知らないよ。君を通して『視え』た、大体の『メギド像』に過ぎない」

「更に言えば、『副長』のヴィータ体も恐らく、メスの特徴を有している」

「君がヴィータ体の雌雄に、際立って無頓着に『視え』たからという、あくまで推理だが」

「身近なメギドのヴィータ体だけ見慣れ、ヴィータ自体にも無学なら珍しくない」

 

ザガン

「……!」

 

 

 一歩、後ずさるザガン。

 

 

セルケト

「驚かせて済まない。ヴィータ体相手の方が特徴が似通う分、よく『視え』るんだ」

「特に君は、感情が『力』に出やすい。私でなくとも察しのつく者は少なくないだろう」

 

ザガン

「お、おいそれ今、オレをバカにしたろ!? 『遠回し』に!」

 

セルケト

「言いたい事は分かる。だが、君のそれは覇王にのみ許される気質だ。純粋に讃えているよ」

 

ザガン

「敵を讃えるな!」

「クソッ……だが、悔しいが副長の事は全部当たりだ……」

「お前は……どういうつもりで、携帯フォトンを副長に見せろって言ってるんだ?」

 

セルケト

「『副長』は、君の連敗の事実を余り気にしていない。君がそう『安心』できる程度には」

「そして軍団の『舵取り』を担う『副長』は、軍団としての戦略的思考を持っている」

「私から君に、積極的に生存と再戦の機会を与えている事を『副長』は、恐らくこう考える」

「セルケトはザガンに多大な好意を持っている……チャンスだ、と」

「少なくとも殺すつもりはない。ならば、異彩を放つ戦歴のセルケトと、ツテを築ける」

 

ザガン

「(『まつりごと』か……私が一番、興味のない戦いだ)」

「(けど……あいつなら、考えかねない……)」

 

セルケト

「否定できないように『視え』る。『副長』とは気が合いそうだ。一度会ってみたいな」

 

ザガン

「誰が会わせるか! やっぱり『視え』てるんじゃないのか、心!?」

「それに、そうやって偉そうに言ってるけどなあ──」

「オレがお前の言葉に『ハイそうですか』なんて従うとでも思ってるのか?」

「仮に従ったとして、お前の思惑通りに事が運ぶ保障なんて無いだろう?」

 

セルケト

「もちろん。だからこそ、これは『戦利品』だ。どうするかは始めから君の自由だ」

 

ザガン

「……フン」

 

 

 手に提げた携帯フォトンの束を暫し見つめて、三度目の正直とばかり背を向けるザガン。

 

 

セルケト

「『副長』によろしく」

 

ザガン

「伝えるもんか。こんな物、帰りに使い切ってその辺に捨ててやる」

 

 

 首だけ振り向いて応じるザガン。

 

 

セルケト

「『副長』の『期待』に応えられないのが、『格好悪い』からかな?」

 

ザガン

「違う!! 『格好』がどうだとか、『全』側の『値付け』ありきの理由とは絶対違う!」

 

セルケト

「『副長』が君に見出しているのは、『格好良いザガン』なんじゃないかい?」

 

ザガン

「あいつまで弄ぶなら本気で怒るぞ」

「この携帯フォトンでメギド体に戻って、今すぐお前に突っ込んでやっても良いんだからな?」

 

セルケト

「決して、からかうつもりはないよ」

「しかし……今から戦うのは、君にとって得策なのかもしれない」

「容易く勝てるだろう。今日は、君とこれ以上は戦えそうにない」

 

ザガン

「またソレだ……」

「何なんだ、さっきから勝手に『適わない』だの『戦えない』だの」

「私を気絶に追い込んだクセに、何で急にそんな弱腰になってるんだ?」

 

セルケト

「『傷付けたくない』んだ。今、こうしている間も冷めやらない」

「ヴィータ体に転じた君を見た時、思考を置き去りに君を抱きとめ、言葉を探していた」

「ようやくそれらしい言葉を見つけたと思った瞬間、呟いていたんだ──」

「『素敵だ』……と」

 

ザガン

「……」

「……す・て・き……」

 

セルケト

「……」

 

 

 ザガンが振り向けていた首を戻し、セルケトの言葉を繰り返した瞬間、その背を見つめるセルケトの顔から笑みが消えた。

 喜色だけでなく、先程までの柔和さが失せていた。

 セルケトの面立ちに残ったのは、透き通るような、それでいて妖艶な、真剣そのものの表情だった。

 

 

ザガン

「……それは、ヴィータの言葉か?」

 

セルケト

「ああ。一単語で表す中でも、最大級の称賛だと理解している」

「ヴィータは、己よりいと高き事物に魂を揺さぶられる時、その情動を『素敵』と──」

「……ザガン?」

 

ザガン

「……」

 

 

 ザガンの手から携帯フォトンが滑り落ちた。

 携帯フォトンを捨て置いて、ザガンは無言で歩き去っていく。

 

 

セルケト

「……ザガン、聞いてくれ」

 

ザガン

「……」

 

 

 止まらない。ここに始めから何もなかったかのようにザガンは全てを無視している。

 

 

セルケト

「ザガン……」

 

ザガン

「……」

 

セルケト

「そこ、崩れるよ」

 

ザガン

「……」

「え……?」

 

 

 ザガンがセルケトの声に反応したのと、そのザガンの足が何の変哲も無い砂漠土に着地したのは同時だった。

 まるで木の葉に隠された穴や沼を踏み抜いたように、ザガンの足が落っこちていく。

 ザガン周辺の地面が轟音を立てて陥没していく。

 

 

ザガン

「(なっ、地面が……凹んで……!?)」

「(脱出……無理だ! メ、メギド体で!? ダメだ! 足場が緩すぎて支えきれない!)」

「わ、わ……わああああああっ!?」

 

 

 大量の砂煙を巻き上げながら、直径深さ共にメートル単位のクレーターが形成された。

 クレーターの底ではザガンと……セルケトが横たわっている。

 ザガンがヨロヨロと起き上がった。

 

 

ザガン

「ゲッホ、ゲホッ! ぶへえっ!」

「な、何で……」

 

セルケト

「がふっ……ミラビリスは、地下深くまで風化している……げほっ、ぐっ……」

「一見して特徴は無いが、僅かな衝撃で崩落する『点』が数限りなくあるんだ」

「ピンポイントで踏み抜くルートを進むとは、流石に歩き出すまでは『視え』な──」

 

ザガン

「『そっち』じゃないっ!!」

「何で私の下敷きになりに来たんだ! 『視え』てたクセに!」

「しかもヴィータ体ひとつ受け止めたくらいで何だそのザマ!? 弱すぎるだろ!」

 

 

 ザガンがセルケトの腹辺りを尻に敷いて、セルケトは未だ横たわっている。喉まで砂を被った口を押さえる余裕も無さそうだ。

 咳き込む理由の大半は砂煙よりも、ザガンと地面との間に挟まれて衝撃を一身に受けたためだった。

 ザガンが退くと、セルケトがようやく起き上がる。落下のダメージが抜けきらず、腕が頼りないほど震えている。

 生粋のヴィータなら身動きどころでない重傷必至な状況だった事を考えれば、ヴィータ基準では充分に頑丈と言えた。

 しかし、力を有する純正メギドが姿を変えたヴィータ体としては、ヴィータ1人分の荷重と共に数メートル落下した程度でヨロめくようでは、下級メギドも良い所だった。

 

 

セルケト

「力が『視え』た所で……私の力そのものは、脆弱だからね」

「それより……」

 

 

 片膝「突いて」姿勢を整えたセルケトが、片膝「立てて」座るザガンの顔に手を添え、砂まみれの指で、砂まみれの頬と髪を優しく拭った。

 

 

セルケト

「怪我は、無いようだね。良かった……君を傷付けたくなかったんだ」

 

ザガン

「……」

 

 

 セルケトの言葉を聞いた途端、ザガンが冷ややかな顔でセルケトを睨んだ。

 

 

セルケト

「やはり、『視』間違いではなかった。未だ君から『視た』事のない表情、身振り、瞳──」

「『軽蔑』だね。かつて私が知ってきた同じソレよりも、深く、もっと深く……」

 

ザガン

「……」

 

 

 ザガンは面持ちを変えないまま、手を置いた地面の砂漠土ごと拳を握り込み、セルケトの頬からこめかみ辺りめがけて打ち込んだ。

 ……が、拳は直撃したが、振り抜かれる事はなく、そのまま静止した。

 セルケトの頭は微動だにしない。その代わりとばかり、ブワッと周囲の砂が舞い上がった。

 二人の居るクレーター、更にその外側まで、同心円を描くように波紋の如く。

 怪現象に気を取られ、流石に動揺が顔に出るザガン。

 

 

ザガン

「……!?」

「(攻撃の力を……地面に逃したのか? ヴィータ体はピクリともしてないのに……!)」

 

セルケト

「……」

 

 

 度肝を抜かれている間にセルケトの手が、そっとザガンの拳を包んだ。

 反射的に拳を引き戻そうとするザガンだが……。

 

 

ザガン

「(う、動かない……!? オレの手が……!)」

「(何だこれ、引き抜こうとしてるのに、くっついたみたいにビクとも……しかも──)」

「(抵抗するほどオレは、自分で自分の身体を地面に押し付けてる!? 何が起きてるんだ!)」

 

 

 もがくザガンと対象的に、セルケトは彫像のように、あるいはザガンの抵抗の力など微塵も受けていないように、静かに座ったままだった。

 セルケトは水晶の原石のような視線で真っ直ぐとザガンを見つめている。

 

 

セルケト

「ザガン。君を知りたい。君の声を聞きたい。その『軽蔑』の裏にあるものさえも」

 

ザガン

「(拒否権は無い……って事か……!)」

「クッ……オレの……オレのヴィータ体が、その『すてき』で構成されてるとでも言いたいのか」

 

セルケト

「構成要素、外見、あるいは別の何か……私にも故は知れない」

「だが、私の魂が……『個』が、君に熱く震えた。それだけは確かだ」

 

ザガン

「……オレも……」

「オレも、こんな時、どんな言葉を使うのか見つけた……」

「お前は……『おぞましい』……!」

「『おかしい』やつだとは思ってたが……ここまでイカれてるとは思わなかった!」

 

セルケト

「気に入らなかったかな?」

 

ザガン

「当たり前だ! 怒りを通り越して吐き気がする!」

「こんなヤツに執着してたのかと思うと、今日までの自分を踏み潰してやりたいくらいだ!」

「何が『すてき』だ! ヴィータ体だぞ!? フォトン不足でやむなく真似た下等生物だぞ!」

 

セルケト

「だが、君のヴィータ体は君の魂から形作られる、唯一無二のものだ」

 

ザガン

「だから何だ! 魂が反映されていれば聳える糞山になって鼻を摘まれても喜べってのか!」

「オレはメギドだぞ! 『ヴィータ』に染められていく全てが我慢ならない!」

「メギドの戦争まで『ヴィータ』になっていってるのに、誰が『ヴィータ』を喜べる!?」

 

セルケト

「戦争が『ヴィータ』に……とは?」

 

ザガン

「とぼけるな! お前だって分かってるクセに!」

「やれ陣形だの罠だの地の利だの、伏兵、兵站、外交……!」

「『個』の力をぶつけあうのがメギドだ! 獣同然の『群れ戦術』なんて『個』の否定だ!」

「『ヴィータ』は、戦争というメギドの存在意義さえ侵しているんだ!」

「そこに来て、『ヴィータ体がすてき』だと? 『すてき過ぎて怪我させられない』だと?」

「『眼』だけで運良く成り上がっただけの弱小メギドが何様のつもりだ!」

「どんなに『眼』が優れてようと、その狂った『頭』だけでもう、お前の全てが汚らわしい!」

 

セルケト

「二つ名の時もそうだった。君にとって、『ヴィータ』である事は汚らわしいか?」

 

ザガン

「二つ名の時もそう言った! 『許される』と思ってるのはお前だけだ!」

「こ、の……いい加減、離せ!」

 

 

 全身を反らせて脱出を試みるザガン。

 もしここに第三者が居れば、ザガンが自ら力ずくで地面にめり込もうとしているようにしか見えない有様だった。

 

ザガン

「チッ……これだけは私がどうとか関係ない、紛う事ない『常識』だ!」

「それともお前は嬉しいのか!?」

「『下等生物そっくりですてきですね』なんて言われて──!」

「毒虫みたいな弱者に『すてきで怪我させたくないから守ってあげます』なんて言われて!!」

 

セルケト

「それが私を純粋に称賛しているように『視え』れば、心から『嬉しい』と思う」

「そして、それが私を挑発するために口にしたように『視え』れば……」

「やはり、とても『嬉しい』と思う」

 

ザガン

「……」

 

 

 怯えるような、不潔な物を見せつけられたような顔になるザガン。

 ヴァイガルド風に置き換えるなら、心から尊敬する恩人がある日、奇声を張り上げて全裸で往来を駆けずり回り、所構わず排泄物を垂れ流しているのを目の当たりにしたような顔だった。

 力なく項垂れ、ポツリと呟くザガン。

 

 

ザガン

「……離せよ……」

 

セルケト

「君の気持ちは、しかと『視』届けた」

「……だが、私がどうするかは、私次第だ」

 

ザガン

「何でだよ……」

「もう、言いたい事は言った。何も聞く事なんて無い」

「これっきりだ……もう会う事も無いだろうさ」

 

セルケト

「3つ、問いたい」

「その3つ全て、君に確かな答えがあるなら、君を解放しよう」

「望み通り、私が君を見送る事もない」

 

ザガン

「……さっさと済ませろ」

 

セルケト

「1つ。メギドの本質はメギド体にあり、ヴィータ体には皆無か」

 

ザガン

「そうだ。魂の反映だとかはただの結果だ。むしろ魂を侵す、下等で汚れた器だ」

 

セルケト

「2つ。メギドをヴィータ体に基づいて評価する事は、決して行ってはならないか」

 

ザガン

「当たり前だ。型にはめたみたいに似たものだらけのヴィータ体は、『個』の体現じゃない」

 

セルケト

「それが揺るぎない君の『個』であるなら、聞き入れよう」

「最後に3つ目だ」

「いつ、私のメギド体に『頭』があると知った?」

 

ザガン

「そん──」

「……は?」

 

 

 思わず調子外れの表情でセルケトを見上げ直すザガン。

 

 

セルケト

「聞こえなかったか? いつ、知ったかと聞いたんだ」

「私は君に出会うより数十年は前からヴィータ体で過ごし続けている」

「ごく時折、勘を忘れないため、領地にてメギド体で食事をする程度だ」

「『頭』がある事を、どうやって知った?」

 

ザガン

「『頭』……『頭』なんて、そんなもの……そもそもそんな話、一言も──」

「あっ……!」

 

 

 つい先程の回想

 

 

ザガン

「その狂った『頭』だけでもう、お前の全てが汚らわしい!」

 

 

 中略。

 

 

セルケト

「2つ。メギドを、ヴィータ体に基づいて評価する事は、決して行ってはならないか」

 

ザガン

「当たり前だ。型にはめたみたいに似たものだらけのヴィータ体は、『個』の体現じゃない」

 

 

 回想終わり。

 

 

ザガン

「ち、ちが……! あ、あれは、あの……言葉のナントカいうヤツで……!」

 

セルケト

「『言葉の綾』なら、それもヴァイガルドの言葉だ」

「綾とは『色彩』を意味する。即ち『芸術』に根ざす言葉だ」

「メギドに由来するメギドラル独自の単語も慣用句も、幾らでもあるはずだろう?」

 

ザガン

「そ、そうだったのか……」

 

セルケト

「君の『個』は、言葉を『ヴィータ』にする事だけは許すのか?」

 

ザガン

「そ……そんなんじゃない! オ、オオオレは、ただ、知らなかった……だけ、で──」

 

セルケト

「今、知っただろう。だが君は改めていない」

 

ザガン

「なっ……」

「何なんだよ急にぃっ!! オレがお前を『軽蔑』したのが『頭に来てる』のか!?」

「あっいや……と、とにかく言いたい事があるならハッキリ言えよ!!」

 

セルケト

「別に怒ってはいないよ。君の『軽蔑』に応えているだけだ」

「ヴィータの君が私に敵意を届けてくれた。だから君の礼儀に沿って出迎えている」

「『敵に謝るな』、『礼を言うな』、『讃えるな』……ならば君のために、君の要求は呑まない」

「この『口喧嘩』……決闘として、敬意と感謝をもって君を打ち倒す」

 

ザガン

「やっぱり絶対怒ってるだろ……」

 

セルケト

「怒ってはいないよ。だが、そう思うなら、その『怒り』の話をしよう」

「以前、『命を持った憤怒』と呼ばれるメギドが居ると、聞いた事がある」

 

ザガン

「(……携帯フォトンも捨てた。半端に抵抗するだけ無駄、か……)」

「ハァ……ああ、オレも聞いた事がある。とんでもない大軍団の『王』らしいな」

 

セルケト

「『命を持った憤怒』は、かのメギドへの畏怖と敬意から付けられた二つ名らしい」

 

ザガン

「だろうな。『名前』は『個』を示すものだ。下衆や雑魚に『与えて』いい安物じゃない」

 

セルケト

「君が同意する事は『おかしい』」

 

ザガン

「はぁ?」

 

セルケト

「『ヴィータ』は侮辱で、『怒り』は敬意になると?」

 

ザガン

「な……お前、『ヴィータ』と『怒り』を一緒くたに扱うつもりか!?」

 

セルケト

「どこが『おかしい』? 『怒り』は、『ヴィータ』にも獣にも普遍的に存在する」

「その点で『怒り』とは、『ヴィータ』以上に『全』の概念と言える」

「メギドが絶対の『個』なら、果たして相応しい二つ名だろうか。君の言葉を借りるなら──」

「『どこにでもあるソレそのもので素晴らしい』と……それはメギドとして名誉な事か?」

 

ザガン

「い、いや、言い方ってものが──」

 

セルケト

「『回り道』は嫌いなのだろう?」

 

ザガン

「ぐぐっ……!」

「う、うるっさいなあ!! さっきからオレの揚げ足ばかり取って偉そうに!!」

 

セルケト

「『力』を利用するのは得意でね」

 

ザガン

「何の自慢にもなるもんか! 嫌味ったらしいだけだ、そんなのは!」

 

セルケト

「私の言葉が君にとってただの嫌味止まりなら、答えられるはずだ」

「先程の君の『軽蔑』は、『何』のために生み出されたのか」

 

ザガン

「だから……!」

「……だか、ら……」

 

 

 無意識に目を泳がせるザガン。

 するとセルケトが、視線に軌道をピッタリ合わせて顔をヌルヌル移動させ、ザガンの瞳を見つめ続ける。

 

 

ザガン

「ッッ!!?」

 

 

 驚いて視線を真逆の方向へ逸らしても、全く同じ速度でセルケトの上半身が追いかけてくる。諦めて元から向けていた方向へ戻しても結果は同じだった。

 セルケトはあくまでも真剣そのものだった。

 

 

ザガン

「(何か気持ち悪……っ!!)」

 

セルケト

「答えられないなら、私が攻める」

「私が君を『素敵だ』と言った時……私には、君が君自身を否定したように『視え』た」

「それが分からない。『個』を具現化させた姿を、何故メギド自身が否定するのか」

 

ザガン

「オレが、オレを……否定?」

 

セルケト

「君のメギド体が『敵意』よりも『愛着』を向けられたら、メギドである己を呪ったか?」

「逆に君のメギド体が『下等生物』の似姿だったなら、君を慕う部下を『軽蔑』したか?」

「なぜ君にとって、己の『個』以外の評価が、心を揺るがすほど重大なものとなる?」

「ただの『言葉』は、君の『個』を脅かしなどしないのに」

 

ザガン

「オレ、が……オレは…………?」

「ぅ……ぅぅ……」

「……らぁぁぁああああああっ!!!」

 

 

 拳を引き抜くのを止め、逆に地面を押し出してセルケトに頭突きを打ち込むザガン。

 セルケトとザガンの額が接触した直後、セルケトの足元から深いヒビが駆け巡り、クレーターの縁が波立つように砕けて砂嵐となり、その半径を倍近く広げた。

 そのまま額をねじ込むようにしながら、ゼロ距離でセルケトをギリギリと睨み付けるザガン。

 セルケトの額から、血が一筋流れた。

 

 

ザガン

「はぁーっ、はぁーっ……! オレは……!」

「オレはザガンだ! だからお前の『回りくどい』話なんざ全然分からん! けどなあ!」

「『無し』だ! ここまでグチグチ言い合ってたの、一旦ぜ~んぶ、『無し』だ!」

「お前に何を言われようが、オレは最初っから『知ったこっちゃ無かった』!」

「何故なら……オレ『が』ザガンだからだ!!」

 

セルケト

「……」

「事実が無かったのなら……済まない事をした」

 

 

 少し前までと全く同じ微笑みを浮かべるセルケト。

 セルケトがザガンの拳からスッと手を離した。

 頭突きと共に突き破らんばかりにセルケトの背後へ押し込んでいた拳がブレーキを失い、持ち主の全身を引っ張っていく。

 

 

ザガン

「ぬっ、おっ!?」

 

 

 バランスを崩した拍子、何をどうしたのかセルケトが流れるようにザガンを操り、次の瞬間には、セルケトがザガンの膝裏と背中に腕を通して抱え上げる形になっていた。

 

 

セルケト

「君に無意味な時間を過ごさせてしまった。後日、お詫びをしよう」

 

ザガン

「詫びるな! オレはお前の敵だ! 今にお前を踏み越えていくメギドだ!!」

「と言うか何だこの体勢! 完全にお前の手の内じゃないか! 何だか無性に不愉快だし!」

「降ろせ、この……ユラユラさせるな! バランス崩れて起き上がれないだろ!」

 

セルケト

「お気に召さないのは残念だが、少しの間、我慢していてくれ」

「足元の地盤が、もう限界でね。空でも飛べなければ、100年かけても這い上がれないだろう」

 

 

 セルケトが片足の先で地面の一点をトンと突いた。

 セルケトの背後から向こう、クレーターの底を構成していた地面の殆どが、メギドラルのものとすら思えない音を立てて更に沈下していった。

 後には無尽蔵の暗闇だけが広がっていた。深すぎて砂煙さえロクに昇って来れない。

 

 

ザガン

「(うわ)」

 

セルケト

「私の『眼』にはまだ、安全に脱出できる道筋が『視え』ている」

 

ザガン

「……わ、分かった」

「どうせ、お前に『生かされた』のもこれが初めてじゃないしな……」

 

セルケト

「『生かされた』んじゃない。最初から私に殺すつもりが無いだけだよ」

 

ザガン

「それを『生かされた』って言うんだ。少なくともオレにとっては」

 

セルケト

「言葉を選んだ結果でしか無いと思っているなら……嬉しいよ。きっと、君にとっても」

 

ザガン

「何でそうなる……」

 

 

 上等な靴を履いたまま、セルケトがザガンを抱えて、滑らかな靴底でクレーターの斜面を捉えて登り始める。

 念入りに崩され解された蟻地獄も同然の斜面だが、傍目にはちょっとした砂丘をエッチラオッチラ踏破している程度にしか見えない。

 

 

セルケト

「初めて君と出会った時……ひたすら猛進を繰り返す君から、朧げに『視え』たんだ」

「いつか本当に私の『眼』を超える『高み』……言葉で説明し難い、一種の可能性を」

「それまで私の『視る』世界に、不確かなものは1つとして無かった」

「私は『高み』の正体を確かめたい。願わくば、『高み』へ至った君と、全力で戦いたい」

 

ザガン

「高く買われているのはまあ、嬉しいと言うか、誇らしいが……それがどう関係ある?」

 

セルケト

「『鋼蹄の雄牛』は、私の軍団でいつの間にか普及していた二つ名だ」

「そして君は、『鋼蹄の雄牛』という名に不満を持たず、『認め』てくれていた」

「なら、私と君とは『認め合える』関係にある。私はそう確信している」

 

ザガン

「話が飛び跳ねすぎだ! 別に文句を付けるような二つ名じゃ無かったってだけだぞ」

 

セルケト

「『だから』さ、ザガン。私の元にはこれまで、実に多くのメギドが勝負を挑んできた」

「君のように、携帯フォトンを使ってメギド体を『視せ』てくれた者も多い」

「四足歩行のメギド体も、金属質のメギド体も、両方を併せ持ったメギド体も幾らでも」

「『鋼蹄の雄牛』は、君だけに相応しい二つ名ではない。理屈では君も分かっていたはずだ」

 

ザガン

「他の誰にでも付けられそうな二つ名と分かってて、それでもオレは『認め』たとでも?」

「そりゃそうかも知れないがなあ……本当に『理屈では』の話だぞ、それ」

 

セルケト

「ふふっ……」

 

ザガン

「今度は何だよ?」

 

セルケト

「1つ、伝え忘れていた事があったのを、思い出してね」

「ザガン──」

 

 

 丁度、クレーターの縁を超え、脱出成功の第一歩を踏みしめたセルケト。

 2,3歩進んで安全を確保した上で、セルケトが腕の中のザガンを覗き込むように見つめた。

 

 

セルケト

「君のヴィータ体を一目見た時から……ずっと思っていた」

「……『素敵だ』と」

 

 

 歯が浮いたような「うへー」といった顔になるザガン。

 

 

ザガン

「ボケてんのかお前……それついさっき──」

 

セルケト

「一度聞いたと思うのは気のせいだよ。そんな事実は『無い』のだから」

 

ザガン

「ぬ゛……」

 

セルケト

「ザガン……『鋼蹄の雄牛』の名は、それでも君にしか受けられない」

「互いに挑み、求め合い、生き続けなければ、この名が生まれる事は無かった」

「ザガン。君は素敵だ。今まで他の誰にも、こんな気持ちになる事は無かったんだ」

「今でも君に見惚れている。この心が落ち着くまで、私は君と戦えない」

 

ザガン

「(何でオレは、こんなにもコイツをちょくちょく『気色悪い』と思うんだろうか……)」

「ハァ……これ言うのは絶対『二度目』だけどな──」

「本当にもう勝手にしろ。牛でもオスでも『すてき』でも、それがザガンの『証明』だ」

 

セルケト

「気に入ってくれて何よりだ」

 

ザガン

「んな事は一言も言ってない! それでも『すてき』だけは絶対に『おかしい』からな!」

 

セルケト

「だが、怒っているようには『視え』ないよ」

 

ザガン

「覆るくらいに呆れてるだけだ!」

「やっぱり、お前のその『眼』は気に入らない! いや、『耳』も『口』も全部だ!」

 

セルケト

「私のメギド体に『耳』は無いよ」

 

ザガン

「あ゛~~も゛うっ!!!! 『無し』なんだろソレはよおっ!!!!!」

 

 

 セルケトの頬をグニッと押しのけながら腕から逃れ、大地に降り立つザガン。

 ズカズカと砂を踏み鳴らしながら、先程捨てた携帯フォトンを拾い上げ、振り向いてセルケトをビシリと指差した。

 

 

ザガン

「覚えてろよ! 明日にでもお前の領地のド真ん中、全力でお礼参り叩き込んでやるからな!!」

 

 

 肩を荒々しく揺すりつつ、「ったく」とか「クソッ」とか溢しながら、適当な方角へと歩いていくザガン。

 小さくなる背中を笑顔で見送るセルケトが独り言ちた。

 

 

セルケト

「ふむ……」

「帰ったら、『右腕』に用意させるべきかな」

「もし本当に辿り着けたなら、盛大に歓待しなくては……今から楽しみでならない」

 

 

 

 

<GO TO NEXT>




※ここからあとがき

 少し本編から寄り道しまして、本編中では尺的にもタイミング的にも挟み所の無いザガンさんのオリジナル過去話を番外編的に書いていきます。
 原作イベントクエストだったら、キャラストの一部が本編のどこかしらで回想されてる感じのアレです。

 4話構成の予定なので、敢えて有耶無耶にしてる部分がありますが、後ほど回収しますので暫しお待ちを。
(それでも回収されない部分は単純に筆者の見落としですので、容赦なくご一報いただけると幸いです)

 段々、ザガンさんが「自分の意見に説明が足りない」とかキャラを原作から付け足され気味というか乖離し始めてますが、二次創作としてはまだ許容範囲であると願いたいです……。
 メギド時代のザガンさんの描写は、自分の価値観第一な所とか、それを他者に理解「してもらう」つもりがない所とかは、(最低な例えですが)コシチェイ並に己の道を生きてる感じを意識してます。
 コシチェイも立派になってきたもので、今後の活躍が楽しみです。

 セルケトの人物像もといメギド像は、いわゆるスパダリを意識しているのですが、筆者には余り造詣が深くないジャンルなので、ただのクサいキャラに思えるかも知れません。どうか大目に見ていただきたく……。
 後、わりとどうでもいいですが、セルケトの外見設定は余り固めていませんが、髪型だけは「ロードス島戦記(OVA版)」のアシュラムくらいボリューミーなやつをイメージしてます。もしくは幽遊白書の黄泉(あっちは盲目ですが)。



 アガシオン、強化解除無効か……。
 Bプルソンは強化効果の差額で威力が上昇……。
 構想していたオリメギドの中に、性能まで考えた一部メギドに似た能力があり、これは烏滸がましくも先を越された感があり、同時に公式で採用されうるアイディアだったのだなとツケ上がりたくなる気持ちもあり。(基本的に驕り高ぶる)
 まあ、構想していたのは「○ターン強化解除無効」とか「強化効果及び特殊効果の数で技のレベルが上昇」で微妙に構想の方が贅沢な仕様なので、結局ゲーム面の考え方はてんで甘ちゃんですが。

 いつもの悪い癖でネタバレ情報をごくごく一部読みました。
 書きたい欲が先立つのに、読む事が……読む事が多い……!
 キャラストーリーまで含めるととんでもない文章量が目の前に横たわっている事を言い訳にさせてください。
 先駆者の感想を読んだだけなので、かなり断片的な理解ですが、なるほど、7章開始前にイベント時系列が集中してるのって、そういう……。



 今更ながら、ライトノベル一冊当たりの文字数を調べてみたら、10万~12万文字強ほどが大体だとか。
 つまり、実際のイベントとまでいかずとも、1作10万文字ほどで片付けるのが1つの目安と考えても良さそうな。
 規格は大事ですし、尺にも1つの指針があった方がプロット練るにも良いでしょうし。
 まあ、本当に今更ですので開き直って、少なくとも今作までは書きたいだけ描写を書きまくるくらいのつもりで行ってしまおうと思ってます。



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EX「捏造キャラストーリー:ザガン編 第2話」

 いつかのメギドラル。

 セルケトが支配する棄戦圏。ミラビリスとは異なる場所。

 地平線の彼方まで、ネトネトした黒い泥水に地表が覆われている。

 見渡す限りの泥濘に、ヴィータ体のザガンとセルケト、2人だけが立っている。

 薄汚く黒々と染まった大地とは裏腹に、空には満天の星がかかり、泥よりも高い彩度で美しい夜空の黒を移していた。

 

 

ザガン

「やああーーーーっ!!」

 

 

 ヴィータ体でセルケトへ突撃するザガン。泥に足を取られてスピードが乗っていないが、気にする様子は全く無い。

 いかにも取り敢えずな塩梅で鉤爪のように曲げた指を、真正面からセルケトめがけて振り下ろす。

 まだ武器という発想を持っていないザガンは丸腰で戦っている。

 

 

セルケト

「良いね」

 

 

 余裕の声と共に、動いたかも怪しいほど最小限の動作で回避するセルケト。

 同時にザガンの肩を指先でチョンと突いた。

 

 

ザガン

「おおっ!?」

 

 

 それだけで、泥で滑って跳ね上がるザガンの足に、今しがた振り下ろした腕力が上乗せされ、月面宙返りのような姿勢でセルケトの脇を通り過ぎていくザガン。

 

 

ザガン

「ぬわぷっ!」

 

 

 そのまま泥に顔から滑り込んだ。数十cmほど顔面ドリフトして停止したザガンがすぐさま起き上がる。

 肩で息をしながら、口に入った泥を吐き捨てるザガン。

 周囲の気温は低く、ザガンの吐息が白い。

 

 

ザガン

「ぺっ、ぺっ……げほっ、ハァ、ハァ……」

「何が『良いね』だ! 勝負にすらなってないだろうが!! ハァ、ハァ……」

 

セルケト

「そうでもない。確実に君の動きは良くなっている」

「それに、君には黒もよく──」

 

ザガン

「『似合う』はもう沢山だ!」

 

セルケト

「『お詫びの品』、気に入ってくれて何よりだよ」

 

ザガン

「オレじゃない! 副長が『着ろ』『着ろ』って何度もしつこいから仕方なくだ!」

 

 

 今のザガンは上等なドレスに身を包んでいる。

 ただし、既に粘度の高い泥に全身まみれて、影絵のような有様になっている。

 一方、セルケトは足元の靴と裾の際、そしてザガンに直接触れる指先以外、飛沫の一滴すら浴びていない。

 

 

ザガン

「クソッ……ヒラヒラするし、泥がしみて無駄に重いし、やっぱり服なんて無駄なだけだ!」

「挙げ句に薄汚れたザマをお前に冷やかされる始末……!」

 

セルケト

「悪く言うつもりは全く無いよ。しかし……それでも脱ぐ気は無いように『視え』るね」

 

ザガン

「こんなだだっ広い所に捨てたら、絶対あとで見つからなくなるからな」

「何でか知らんが副長がこの服に執着してるんだ。これを失くしたらあいつ、絶対キレる」

「(『着て見せろ』って目ぇ血走らせて詰め寄ってきたからな……)」

「(オレがハッキリと誰かを『怖い』と思ったのは初めてだ……)」

 

セルケト

「『副長』には、さしもの君も我を通しきれないのかな」

 

ザガン

「長い付き合いだから……なぁっ!!」

 

 

 息を整え、「ガオー」とでも吠えそうに両腕を掲げた姿勢で再び突撃するザガン。

 ザガンが攻撃に移る直前にセルケトが懐に滑り込み、ザガンの片側の腋窩に指先、肘に手刀を軽く打ち込む。

 すると、ザガンの腕が自ら軋まんばかりにピンと反り返った。

 

 

ザガン

「おわっ、あ、わ、わ、ああっ!?」

 

 

 自分の突撃を自分の片腕に引き止められるような錯覚を覚えるザガン。

 踏み止まろうとするが片腕だけ重心制御に協力せず、泥で滑ってバランスを崩し、倒れ込む上半身を無事な方の腕で支えようとすると、その腕も泥で滑り、散々に弧を描きながら最終的に大の字で泥に飛び込む。

 回るザガンがこれでもかと撒き散らした泥の飛沫を、踊るように残らず避けるセルケト。

 ザガンが顔を手で押さえながらヨロヨロと立ち上がった。

 

 

ザガン

「くっ、ぐぅ~~~……この泥、目に沁みる……!」

 

 

 ザガンが無意識に顔を覆っている腕は、先程セルケトに突かれた方の腕。不随意の反射を利用した一時的な拘縮に過ぎず、ダメージは皆無だった。

 

 

セルケト

「その泥はヴィータへの毒性があるらしい。メギドと言えど無害とはいかないだろう」

「小休止しよう。その場を動かないで」

 

ザガン

「休みなんか要らん! どっからでもかかって来い!!」

 

セルケト

「では……私はこれから君の真正面に歩み寄る」

 

 

 呼びかけと同時に、足音が泥を小さく鳴らしながら近づいてくる。

 ザガンが泥まみれの顔を泥まみれの腕でひと拭いして、すかさず目を閉じたまま身構える。

 

 

ザガン

「(正面……こいつの事だからバカ正直に言った通りにするはずだ)」

「(目が見えなくても、耳がある。音を拾え! 音から大体の距離を掴んで──)」

 

 

 考えている間に、ザガンの顔にフワリとした物が触れた。

 

 

ザガン

「(全然拾えてないじゃないかっ!!)」

 

 

 反射的に飛び退こうとしたザガンの背中に腕が回され、抱き寄せられた。

 

 

ザガン

「(捕まった! 今度は何を仕掛けて──)」

「(ん? 顔のこれ……布?)」

 

セルケト

「じっとして。目に入った分は涙で流すしか無いが、少しはマシになるはずだ」

 

 

 セルケトに顔と、ついでに掌を拭われるザガン。

 開放されたザガンは、拭われた指で瞼を押さえながら瞬きを繰り返し、間もなくセルケトを睨み返した。

 泥で白黒模様になったハンカチをしまうセルケトの服は、躊躇いなくザガンを抱き寄せた事で同じくベッタリと泥が付着している。

 

 

セルケト

「大事ないようで良かった」

 

ザガン

「跳ねた雫が、ちょっとかかっただけだからな……いや、それより!」

「休みは要らんと言っただろうが!」

「それに、敵に情けなんかかけるな! お前からすればチャンスだったはずだ!」

 

セルケト

「君を討ち取るだけなら、チャンスはいつでもあるよ」

 

ザガン

「ならとっとと討ち取れば良いだろう! お前はいつもいつもオレを弄びやがって!」

 

セルケト

「君こそ、今日は何故、わざわざ慣れないヴィータ体で決闘を?」

 

ザガン

「そ、それは……お前が言ったんだろ、オレの力を利用してオレを倒してると」

「だったら、力が強すぎてメギド体が砕かれるなら、逆に力を落とせば、と……」

「お前自身はみっともないくらい脆いようだからな。倒すだけならヴィータ体でもきっと……!」

 

セルケト

「工夫を試みても、勝負はあくまで正面突破、か……やはり君は素敵だ」

 

ザガン

「くっ……またそういう……!」

「そう思うなら、一発くらいまともに食らって……見ろっ!」

 

 

 至近距離に立つセルケトに予備動作たっぷりのハイキックを振り上げるザガン。悠々とかわされた。

 

 

セルケト

「……」

 

ザガン

「まだまだぁっ!!」

 

セルケト

「……確かに」

 

ザガン

「!?」

 

 

 空振りのハイキックから、すかさずタックルを仕掛けたザガン。

 セルケトは一声つぶやくと、棒立ちのまま直撃をもらい、押し倒された。

 気付くと、ザガンがマウントポジションを取り、泥に横たわるセルケトは漆黒の長髪をほぼ同色の泥に揺蕩わせていた。

 不利な体勢に陥っても笑顔を崩さないセルケトを、ザガンは呆然と見下ろしている。

 

 

ザガン

「……お前……『眼』、閉じて……」

「『眼』に、泥が……?」

 

セルケト

「つい、初撃は避けてしまったが──」

「君との本当の力量差を知らないままというのも、お互いに良くないのではと思ってね」

「おめでとう。君の勝ちだ」

 

 

 安らかに笑むセルケトの顔面には、夥しい量の泥が跳ねた跡があり、両目は閉じられていた。

 ザガンの油膜でツヤのかかった顔に、冷や汗が一筋伝った。

 

 

ザガン

「お……おい、答えろ! 『眼』に泥が入ったんだな!?」

「オレが蹴った時に服から泥が跳ねて、お前、それを避けないで……!」

 

セルケト

「ああ。確かにこれは、想像以上に沁みるね。とても目を開けていられそうにない」

「『眼』が使えなければ、力を『視る』事もできない。君の工夫が、ついに私に勝利した」

 

ザガン

「……!」

 

 

 目が痛むと語る割には相変わらず穏やかな笑顔のセルケト。

 何やら一気に血の気の失せた顔になるザガン。

 

 

ザガン

「ふ……ふっざけるなこのぉ!!」

 

 

 ザガンがセルケトの襟元を掴み、そのまま衣服の前をこじ開けた。

 ボタンが跳ね跳び、セルケトの胸板を顕にさせて尚も引き裂かんばかりに生地を握りしめ、シャツの裏地を殴るようにセルケトの顔に押し付けた。

 

 

セルケト

「ム……? 顔を拭ってくれるのは、さっきのお返──」

 

ザガン

「拭いてる時に喋るな! 鬱陶しい!」

「お前にどう『視え』たか知らんけどなあ! 今のはただの『事故』だ!」

「こんなのは勝ちじゃない、ちっともオレの『功』になんざならない!」

 

セルケト

「だが、先程の君の動きは、泥が跳ねる事も織り込み済みの──」

 

ザガン

「だから! 黙れって!!」

「どうせ避けると思って気にも留めなかっただけだ!」

 

セルケト

「ふム……」

 

ザガン

「お前も、いつまで寝そべってるつもりだ、この……っ!」

 

 

 セルケトの前髪を掴んで乱暴に引き起こすザガン。

 両手でセルケトの顔をガッシリと掴んで、閉じられた瞼の隙間を探して覗き込もうとするザガン。

 星空に照らされた二人の顔に、気温に冷やされた互いの吐息が靄になってかかっている。

 

 

ザガン

「ほら、『眼』を開けろ……ちゃんと『視え』るか?」

 

セルケト

「直ちに視力を損なうほど強力な毒では無いらしいが……」

「っ……!」

 

 

 薄っすらと目を開けたセルケトが、眉を僅かに顰めて再び瞑目した。

 その一瞬でザガンには、セルケトの白目に広がる薄黒い油膜が見て取れた。それだけでなく、目尻からも黒い涙が溢れていた。

 

 

ザガン

「お前、そんなモロに浴びて……!」

「どこまで『おかしい』んだよお前は! 目の周りも真っ赤になってるぞ!」

 

セルケト

「それは、今しがた君に拭われたからだよ」

 

ザガン

「え、あぁ……そ、そんな脆いのかお前……」

 

セルケト

「ヴィータが弱いんだよ。特に眼球やその周辺はデリケートでね」

「ヴィータ体と言えど、メギドの力で押さえつけられては、容易く傷になってしまう」

 

ザガン

「な、なら弱いヴィータが悪いだけだな。オレがヴィータ体の力加減に慣れてないのは関係──」

「って……そうじゃなくて……!」

 

 

 苛立ちと溜息を含みながら、ガクリと顔を落としてプルプルするザガン。

 一呼吸ほどタメを挟んでから、風を切りそうなほど勢いよく顔を上げて怒鳴るザガン。

 泥の油分で照り焼きの如くテカる2人の顔は、ザガンの唾が十中八九かかるだろうほど近い。

 

 

 

ザガン

「ただの『お決まり』の挑発を真に受けてんじゃない!!」

「しかも何で簡単に『諦める』んだ! お前、今日だって携帯フォトン持ってきてるんだろ!」

「そうでなくとも敵も同じヴィータ体なんだぞ! 少しはメギド『らしく』抵抗しろよ!」

 

セルケト

「どんなつもりの言葉だったとしても、私自身が『その通りだ』と思ったからそうしたまでだ」

「それに、『眼』を塞がれた瞬間、私は己の『恐怖』を自覚した」

「正直、君の体当たりを受けた理由の大半は、『恐怖』に竦んで、避ける余裕も無かったからだ」

「私は心までも君に『屈服』した。抵抗は無意味だよ」

 

ザガン

「オレのせいにするな! お前が『屈服』したのは、お前自身の勝手な『恐怖』にだろうが!」

 

セルケト

「……!」

 

ザガン

「オレはなあ! お前が何を考えてようが、全力のお前を踏み越えなきゃ気が済まないんだ!」

「オレに勝ちを譲るなんて偉そうな口利きたけりゃ、お前からオレに立ち向かってからにしろ!」

「『眼』が潰れても、手足をもがれても、泥臭くオレを殺しにかかって、それからだ!!」

 

セルケト

「……」

 

ザガン

「……おい、聞いてるのか……?」

「そもそもなあ、こんな中途半端で『降参』なんて、一周回り込んでバカにしてるも同然だぞ?」

「そんな選択、オレには今の今までこの世に実在するとすら思って──」

 

セルケト

「……」

 

ザガン

「ん……? 何だよ、オレの手なんか撫でて。邪魔なら口で言えって」

 

セルケト

「いや……そうじゃない」

「手は、ここ……手首、前腕……」

 

 

 目を閉じたままのセルケトが、手探りで伝うようにザガンの腕の根本へ指を這わせていく。

 泥で覆われた互いの肌に摩擦は殆ど無く、スルスルとセルケトの指が肩へ到達する。

 

 

セルケト

「肩がここ……鎖骨、首……」

 

ザガン

「何やってんだ……? 『眼』が利かないなら、『技』ってわけでも無いんだろ?」

「あっ、それとも戦う気になったか!? ヴィータは首を絞り上げると簡単に死ぬんだってな?」

 

 

 嬉しそうにやる気を表情に出すザガン。

 

 

セルケト

「それも違う」

「……そうか。これが、君の顔……」

 

 

 即答されて「なーんだ」と言った顔になるザガン。

 セルケトが、自分がされているのとは比べ物にならないほど優しくザガンの顔を両手で取り、頬を絹のように撫でる。

 少し前に拭ったばかりの顔に、再び泥が塗りたくられていく。

 

 

セルケト

「……今頃、私の手が、君の顔を泥で汚してしまっているのだろうね」

 

ザガン

「?? だから……何だよ?」

 

セルケト

「ふふっ、何でもない。いや……私にも、よく分からない」

 

ザガン

「はぁぁ???」

「お前……泥の毒が『眼』から頭まで回ったんじゃないのか?」

 

セルケト

「大丈夫。純然たる私の意思だ。それは間違いない」

 

ザガン

「それはそれで、ますますヤバいだろお前……」

「それに、そんなベタベタやってるより……も、もう一度、開けてみろって、『眼』!」

「痛みはしても……み、『視え』るんだろ? ちゃんと……!」

 

 

 何やらヘドモドしだすザガン。

 

 

セルケト

「泥はだいぶ流れたはずだが、痛みが引く様子が無い。まだ暫くかかりそうだ」

「だが、さっき開いた一瞬、『視え』た視界に大差は無かったよ」

 

ザガン

「そ、そうか! ハァ……良かった」

「…………」

「…………『良かった』……?」

 

セルケト

「?」

 

 

 いつの間にか綻んでいた口元の残滓を引きずりながら、呆然とするザガン。目を見開くというより、閉じる力を失ったような表情になっている。

 不意にセルケトの顔から手を離し、セルケトの上から退いて立ち上がるザガン。

 手放した勢いが無駄に強すぎて突き飛ばし同然になり、セルケトの上半身がバシャーンと盛大に飛沫を叩き散らした事にも気付いていない。

 

 

セルケト

「……ザガン?」

 

 

 自分の扱いの雑さをまるで気にする事も無く、セルケトが再び上体を起こし、手探りでザガンを探す。

 ベチャベチャと粘性の泥をかき回すこと数回、ザガンが纏うドレスのスカートにセルケトの手が触れた。

 スカートの裾を軽く引いて呼びかけるセルケト。

 

 

セルケト

「どうかしたかい?」

 

ザガン

「……オレは……オレは……?」

 

 

 セルケトからは、ザガンが何やらブツブツ漏らす声しか感じ取れない。

 ザガンが背を向けて両手で頭を抱えている有様も、泥で塞がれた「眼」には映らない。

 そのまま暫く何事か呟いていたザガンが、不意に震え気味の深呼吸を一回挟んだ。

 

 

ザガン

「……手、どけろ。座るから邪魔だ」

 

セルケト

「分かった」

 

 

 セルケトが手を離すのと同時か、それより少し早く、ザガンが重力に任せて腰を落とし、同時に膝を畳む。

 身軽な子供が原っぱやボールプールでやるように盛大に尻で着地して、畳んでおいた足もバシャリと放り出して座った。

 そのまま暫し、俯いて黙るザガン。着水音の余韻が完全に消え去った頃、口を開いた。

 

 

ザガン

「……オレは今、何て言った?」

 

セルケト

「手をどけろと」

 

ザガン

「その前だ。お前の『眼』が『視え』てるって聞いた時……」

 

セルケト

「『良かった』……と」

 

ザガン

「……怒らないのか?」

 

セルケト

「……? 君に怒りを覚えた事など一度も無いよ」

 

ザガン

「嘘つけ……まあ、そんなの今、どうでもいい」

「さっき、オレの口から言ったばかりじゃないか……『敵に情けなんかかけるな』って」

 

セルケト

「言ったね」

 

ザガン

「『言ったね』じゃないだろ! 『おかしい』どころか矛盾してる!」

「オレと戦ったお前に、『残った』ものがあって、『良かった』だぁ!?」

 

 

 牙を剥くように振り向いて、自問まじりで怒鳴るザガン。

 

 

セルケト

「事故だったのなら、自然な事だろう」

「望まない方法で負わせた傷で、私の力を恒久的に殺す事を、君の誇りが──」

 

ザガン

「オレはっ!! オレは……ザガンは! 敵の得になる事なんか喜びやしない!!」

「知略も暴威も、敵の全力を正面から蹂躙して全てを奪う! いつだってそうしてきた!」

「生き延びたメギドが居れば、従属を望もうが何を貢ごうが、オレは残らず踏み殺した!」

「倒すと決めたのに倒していない事が、何より許せない……それがザガンなんだ!」

「奪うはずの領地も戦利品も踏み壊してパアにしたって、オレは後悔なんてした事無かった!」

 

セルケト

「……」

 

ザガン

「こんなの……こんなのは、オレ『らしく』ないんだ!」

 

 

 振り向けていた顔を戻して、片手で八つ当たり気味に自身の前髪を握りしめるザガン。

 

 

セルケト

「ザガン?」

 

ザガン

「オレは……オレは、『どうなってる』んだ……ちっとも、『思わない』んだ」

「オレが、オレじゃ有り得ない事して、それに気付いてもまだ……」

「お前に『良かった』って感じた事を……オレは全然不愉快に思ってない……思えない……」

 

セルケト

「ザガン……」

 

ザガン

「周りが『おかしい』なら『当たり前』だ。けど、オレがオレにとって『おかしい』って……」

「何だよこれ……何なんだ……」

 

セルケト

「……」

「君は……ザガンでは無いという事かな?」

 

ザガン

「オレはザガンだ! 絶対にザガンだ!」

 

セルケト

「だが君は、君の感情を、君の行いを、『ザガンではない』と言う。なら……君は誰なんだ?」

 

ザガン

「……ハンッ、お前、意外とそういう皮肉も言えるんだな」

 

 

 自嘲気味に鼻で笑うザガン。

 

 

セルケト

「皮肉……? 言葉通りの意味で言ったつもりだよ」

「君は、ザガンの行いを『自分ではない』と否定している」

「ならば君は別の『何者か』だ。さもなければ、『何者か』になろうとしている」

 

ザガン

「オレは他の何者でもない。なりたくもない」

「なのに……なのに、体も心も、勝手に……!」

 

 

 語らう間、セルケトが再び手探りでザガンを探す。今度は割と早くにザガンの手に触れた。

 手を伝ってザガンの肩と背中に触れると、セルケトが立ち上がった。

 

 

セルケト

「……これで、同じ方向を向けているかな?」

 

 

 軽く方向転換して、ザガンの隣に再び腰を下ろすセルケト。同時に、泥に置かれたザガンの手に、自らの手を重ねた。体重は一切かけず、あくまで添えるように。

 

 

ザガン

「……ああ。だからどうした」

 

セルケト

「私にも分からない。ただ、こうした方が良いと思った」

 

ザガン

「何だそれ……」

 

 

 ザガンは、いい加減セルケトの奇行に文句を言うのも億劫だと言った様子だった。

 

 

セルケト

「ザガン。君の言う『ザガン』とは、何者なんだい?」

 

ザガン

「……どういう意味だ?」

 

セルケト

「先日、君は言った。君『が』ザガンだと」

 

ザガン

「……ああ、あれか。あの……クソっ、思い出す度に無性にイライラする」

「その次の日にお前の領地ど真ん中に突撃して、いつも通りに追い返された、あの日だろ」

 

セルケト

「そうだ。あの時の君の言葉に偽りが無ければ──」

「君が思い、君が行う全てこそが『ザガン』なはずだ」

「ここに居る君とは異なる、『良かった』と思うはずが無い『ザガン』とは、誰なんだ?」

 

ザガン

「『逆』だって言ってんだ! そっちの『ザガン』がオレなんだ!」

「『良かった』なんて言ったオレだけが『おかしい』! だからそこだけがオレじゃない!」

「こんなのは、オレの魂に小さく浮いた錆みたいなものなんだ!」

 

セルケト

「その錆は、抗えないほど君の心と行動を覆っている。錆の無い『残り』はどこにある?」

 

ザガン

「そ…………」

「~~~~っ!!」

 

 

 セルケトの掌に覆われた自分の手を引き抜き、セルケトの背中を殴るザガン。

 

 

セルケト

「ごふっ!?」

 

 

 殴られた衝撃で前方へ吹っ飛びかけるセルケトを、ザガンが襟を掴んで引き止める。

 

 

ザガン

「弄ぶなって言ってんだろ!」

「オレの考えに口出ししたいなら、言いたい事から先に言え!」

 

 

セルケト

「ごほっ……えふっ……」

「……『視え』ない今、結論から告げても、君に届くか自信が無いんだ」

 

ザガン

「やってる事が結局いつもと全然変わってない!」

 

セルケト

「確かに、そうかもしれない。君が望むなら言おう」

「……君が『ザガン』だと呼ぶソレは、形の無い『誰かの理想のザガン』でしかない」

 

ザガン

「理想……は、違うとは言えない。だが、『誰かの』ってどういう事だ?」

「そもそも、理想だったとして何が悪い? 今のオレも理想のオレも『ザガン』に変わりはない」

 

セルケト

「君『が』ザガンだ。唯一無二の『個』だ。今ここに居る君以外は、全て『ザガン』ではない」

「例えそれが、理想の姿だとしてもだ。君の言葉を借りるなら──」

「『全』に植え付けられた知識から、君が勝手に見出した影、虚像……偽物の『ザガン』だ」

 

ザガン

「そんなわけあるか。誰にだって理想くらいある」

「己の『個』を、『個』が望むままに示せる世界、そして自分……お前にだってあるだろ」

 

セルケト

「そっくり返そう。そんなわけがあるものか」

「今この時を生きる君自身でない、理想という幻影に、君の『個』を委ねるのは何故だ?」

 

ザガン

「委ねる……? オ、オレが……理想に『振り回されてる』って言いたいのか!?」

 

セルケト

「答えてくれ、ザガン」

「君は何故、今の君に無い……君の外にある何かを己の『個』と呼ぶ?」

「『ザガン』が片時でも敵が益する事を望まないと、誰が決めた?」

「『ザガン』とは『そういうものだ』と、誰が君に教え、君は何故、そうだと信じた?」

 

ザガン

「……」

「っ……!」

 

 しばらく、セルケトの言葉に不服を顕にしていたザガンだったが、段々と表情に困惑が優っていき、とうとう頭を覆った。

 

セルケト

「君に心当たりがある……だが、口にしたくない。そんな所かな」

 

ザガン

「うるさい……」

 

セルケト

「私にも心当たりがある」

「君が何かを選ぶ時、君が心に立ち会わせる、深い存在。時に君を変えさせるだけの──」

 

ザガン

「うるさい!」

 

セルケト

「分かった」

 

ザガン

「……え……ほ、本当に黙るなよっ! 散々ベラベラ捲し立てといて!」

 

セルケト

「?」

 

ザガン

「こっの……! ああそうだよ! 副長だ! 心当たり!」

 

セルケト

「だが恐らく、『副長』が君の方針を変えさせた前例は、そのドレス程度……かな?」

 

ザガン

「……そうだ。副長が何か言ったわけじゃない……オレが勝手に理想を作った」

「副長が気に入りそうなオレを勝手に考えて、居もしないオレの後ろについて回ってた……」

「良かったなぁ! 全部お前の言った通りだ!」

 

セルケト

「ああ。本当に良かった」

 

ザガン

「んだとっ──! ……ハァ~…………」

 

 

 意気消沈したザガンが、倒れ込むようにザブリと横になった。

 

 

セルケト

「ザガン?」

 

 

 不意な音に反応して、セルケトがもう何度目か、泥をかき混ぜながらザガンを探す。

 ザガンは横目でセルケトを見やると、小さくため息をついて、セルケトの手を取った。

 

 

ザガン

「やってらんな過ぎて、座ってるのもダルくなっただけだ」

「……で、何が『良かった』ってんだ?」

 

セルケト

「『視え』なくとも、君の声は明らかに苦悩していた」

「己を罰するための理想なら、それは『隷属』しているのと変わらない」

 

ザガン

「オレが『隷属』から解き放たれて、『わー良かったねー』か」

 

セルケト

「少し違う。選ぶのは君なのだから」

「理想の所在を知って、それでも君が理想の『ザガン』を目指したいなら、そうするべきだ」

「悩みぬいてでも、誰かのための『ザガン』でありたいなら、それが君の『個』だ」

 

ザガン

「……まーた長ったらしく弄びやがった」

「一言で良かっただろ。『生きたいように生きるのが一番だ』って」

 

セルケト

「言葉だけでは、簡単に伝わらないものもある……君に出会ってから、そう思うようになった」

 

ザガン

「何でこのオレに会って『回り道』したくなるってんだよ、ったく……」

 

セルケト

「それがどうしても、言葉にならないんだ」

 

 

 そう答えるセルケトは、何の根拠があってか、誇らしげに微笑んでいた。

 ぼやくザガンの眉は顰められ、歯は噛み合わされ、しかし口は不敵に笑んでいた。

 粘性の泥に沈みながら、暫し沈黙が流れる。

 

 

ザガン

「……空に星があるなんて意識したの、何十年ぶりだろうな……」

 

セルケト

「そう言えば、私の『右腕』に曰く、『拒絶区画』では星の解析が試みられているらしい」

 

ザガン

「そんな無駄な事して、よく中央に文句言われないな」

 

セルケト

「星が、空の遥か彼方で燃える物体だと、古代の記録から判明したそうだ」

「ならば星からフォトンを回収する方法も模索できるのでは、と考えたらしい」

 

ザガン

「で、どうなったんだ?」

 

セルケト

「音沙汰なし。理術研究院に回収されたか、あるいは立ち消えたか……」

 

ザガン

「じゃあダメだろうな」

「そもそも火の点いた土地はフォトンまで燃え尽きる。回収以前の問題だ」

「火傷した土地の方も循環する力が失われる。向こう数十年は棄戦圏も同然らしいぞ」

「どっかの領地が急に一面焼き払われる事件が続発してるって聞いて、最近知った事だけどな」

 

セルケト

「らしいね。私もそう聞いている」

「だが、空に見える星の多くは、少なくとも数百年前から光り続けている」

「数百年分を賄っている燃料の正体がフォトンなら──」

 

ザガン

「この臭くてベタベタの泥のド真ん中で言われたって説得力ゼロだな」

 

 

 セルケトと繋いだ手を、ビチャビチャと泥から離して落としてを繰り返すザガン。

 

 

ザガン

「燃えるんだろ、この泥。しかもえらいこと長く。オレでもそのくらい知ってるぞ」

 

セルケト

「ふっ……確かに、返す言葉もないな」

「燃料の正体が泥だったなら……メギドラルからは、土ほどの価値も見出されない」

 

ザガン

「こんなの『道具』にするより、火なんざ『技』で起こせば良いしな」

「んで、お前はそんな役立たずの泥が湧く、しかも棄戦圏をわざわざ略奪したヘンタイだ」

 

セルケト

「『ヘンタイ』?」

 

ザガン

「意味は分からんが、副長がお前をそう呼んでた。お前みたいなのを言うらしいぞ」

「このドレスがお前の使者から届いて真っ先に、『あのフラチなド『ヘンタイ』め』ってよ」

 

セルケト

「語彙に堪能なんだね。ますます会ってみたくなった」

 

ザガン

「会わせないからな。それに絶対、褒め言葉じゃないと思うぞ」

 

セルケト

「どんな意味だろうと、私は嬉しいよ」

 

ザガン

「お前、やっぱ何か気持ち悪いな……」

 

セルケト

「ありがとう。もちろん、君の言葉も嬉しい」

 

ザガン

「うぅ~……ヴィータ体だと何か背中にゾワッと来る……!」

 

セルケト

「ここは冷えるからね。携帯フォトン、使うかい?」

 

ザガン

「要・ら・ん。それに、これも絶対に気温のせいじゃない」

「しかし……あんなに怒ってた副長が結局、お前の言う通りになったってのが分からない」

「本当にお前との外交を考え始めるし、文句言ってたくせにドレス着せてくるし……」

 

セルケト

「日々回収されるヴァイガルドの品を時折、『右腕』に頼んで集めてもらっていてね」

「そのドレスも、その中の1つだ。ヴァイガルドでも上等な品らしい」

「しかし私の軍団に、寸法の合う者が居なくてね。『副長』が気に入ってくれて良かった」

 

ザガン

「副長までヴィータの『値付け』に感化されたのか……」

 

セルケト

「ドレスは『飾り』だよ。君の美しさに感化されたんだ」

 

ザガン

「チッ……ヴィータ体の『個』の話は、今は呑み込んでやる……」

 

セルケト

「『副長』が外交を視野に入れてくれた理由は恐らく、先日話した通りだよ」

「彼女は軍団を運営する立場として、私への好悪と利害とを切り離して考えてくれたのだろう」

 

ザガン

「そんな話はもう忘れた。『まつりごと』は嫌いなんだ」

「……そもそもお前、何がしたいんだ?」

「棄戦圏ばかり集めるわ、決闘でメギド殺しも普通にするのに、オレだけは殺さないわ……」

「そうだ……うん、そうだ。副長以前に、ウチを『まつりごと』の狙いにした理由は何だ?」

 

セルケト

「そうだね……まず棄戦圏は、単なる私の作戦……いや、趣味だ」

「『眼』だけが取り柄の弱い私は、か弱い土地に自分を重ねているのかもしれない」

 

ザガン

「そんな事を考えるのはお前だけだ。普通は諦めて捨てたくなる」

「メギドに見向きされなくなった途端、野良の幻獣が害虫みたいに『たかる』しな」

 

セルケト

「だがミラビリスのように、棄戦圏となった原因が『視え』ている土地もある」

「それらは原因の排除さえ目処が立てば、フォトンの再循環も期待できる」

「幻獣の隠れ家になるなら、幻獣を回収すれば、土地に頼らず軍団のフォトンや食料を賄える」

「できれば幻獣も『生かして』活用したいが、こればかりは生態系と割り切るしかない」

 

ザガン

「みすぼらしい『やりくり』だな。考えるだけで惨めな気分だ」

 

セルケト

「私の軍団は本来、『まつろわぬ者』の集まりだからね。これでも存外に回せているよ」

「この泥も、有効活用している。言わば棄戦圏の資源は、中央による庇護の代替だ」

「君を殺さない理由の1つも、似たようなものだよ」

 

ザガン

「オレの軍団が幻獣か棄戦圏だとでも?」

 

セルケト

「いや。一言で言えば、『橋頭堡』として」

 

ザガン

「チッ……結局『まつりごと』か」

 

セルケト

「議席持ちの軍団長自ら、中央勢力外への幾度もの決闘……」

「本来なら採算の取れない戦争だ。中央からも良い顔はされていないんじゃないか?」

 

ザガン

「あーあー、オレの知ったこっちゃない。『個』の戦いを止めたきゃ殺しに来ればいいんだ」

 

セルケト

「だが君を支える『副長』は、そうは考えなかった。事実、私との外交を考え始めた」

 

ザガン

「……」

 

セルケト

「『副長』に負担をかけている事なら、気にする事は無いと思うよ」

 

ザガン

「お、お前、本当にまだ『眼』閉じてんのか!? 薄目あけてんじゃないだろうな!?」

 

セルケト

「ふふっ……私でなくても『視え』るよ」

「君の様子からして、『副長』は今まで一言も、君の戦いに物申していない」

「君にドレスを着るよう迫れる立場にありながら……だ」

「君を支え抜く覚悟が無ければ、簡単に出来る事じゃない」

 

ザガン

「(……本っ当に、副長と会った事ないのか、こいつ……? こんなサラッと言い切っといて)」

 

セルケト

「だが『副長』も、妥当な『落とし所』を求めているはずだ。」

「恐らく彼女と私の展望は一致する。同盟の形で私の軍団を監視下に置く……あくまで表向きに」

「中央の自由ならぬメギドに鎖を繋いだ事にすれば、体裁はひとまず埋め合わせられる」

 

ザガン

「『トリック頼りのエセメギド』と組んで、ウチに何の得があるんだか、オレにはさっぱり」

 

セルケト

「ふっ、噂はこちらにも届いているよ。尚更、君にも『副長』にも好都合だろう」

「同盟を理由に君の軍団を中傷する者があれば、それを大義に戦争が出来る」

「時には同盟軍に加勢を要請して、ね」

 

ザガン

「お前を倒すならともかく、お前とツルんで戦争なんてオレはゴメンだけどな」

 

セルケト

「私は楽しみだよ」

「そして、私の軍団も君達を経て、道筋が拓ける」

「『拒絶区画』との交流。そして、ゲートの確保」

 

ザガン

「ウチを踏み台にしてまで欲しいのが、『拒絶区画』とゲートだぁ?」

 

セルケト

「興味があってね。だが、君を殺さないのは何より……君の『高み』が見たい」

 

ザガン

「たかみ……?」

「あ……ああ、ミラビリスで戦った時に言ってたやつか」

 

セルケト

「さっき言った通り、君の動きは確実に良くなっている……出会った頃から今まで、着実に」

 

ザガン

「『当然』だろ。お前に投げられるだけの毎日じゃないんだ。他の戦争だってこなしてる」

 

セルケト

「そうじゃない。純粋な強さだけでなく君は、私の『眼』に少しずつ……追いついている」

 

ザガン

「『眼』に、追いつく……?」

 

セルケト

「『力』なのか『技』なのか、私にもそこまでは『視え』ないが──」

「君の攻撃を『視』て、操るまでの……言わば『手間』が増し続けている」

「君自身では気付かないだろうほど僅かずつだが、一度も停滞すること無く……だ」

 

ザガン

「それは、つまり……」

 

セルケト

「明日かも知れないし、100年を優に超えるかもしれない。だが──」

「いつか、私は君の猛進に手出しできず、直撃に覚悟せざるを得なくなる」

「君が『高み』に至る日……必ず来ると、私は信じている」

 

ザガン

「……」

 

 

 呆気にとられた顔になるザガン。繋いだ手を見て、セルケトの顔を見上げなおす。

 ゆっくり体を起こすザガン。長く浸かっていたせいか、泥が糸やら膜やらのようになってザガンの背面に纏わりつき、一拍おいてドロリと地面に溶けていく。

 

 

ザガン

「お前さ……」

 

 

 繋いでいた手を解いて、スッと、セルケトの顔に伸ばすザガン。

 ゆっくりとセルケトの髪を……鷲掴みに引き寄せ、カツアゲかメンチ切るような構図で顔を突き合わせるザガン。その表情は猜疑と警戒に満ちていた。

 セルケトは、そっと抱き寄せられたかのように余裕の表情のままだった。

 

 

ザガン

「副長と会った事……ないんだよなあ?」

 

セルケト

「そうだが?」

 

ザガン

「本っ…………当~~~にだな?」

 

セルケト

「ああ。何か、気にかかる事でも?」

 

ザガン

「……ハァ。勝ち誇る所なのか、嘆く所なのか……」

 

 

 セルケトを開放して、再び泥に寝そべるザガン。

 今度は肘枕を立てて、片足を大きく開いて三角形を作った、カウチポテトでテレビを眺めるような粗野な姿勢になっている。

 

 

ザガン

「……副長が昔、似たような事を言ってたんだよ」

 

セルケト

「へえ……なるほど。つまり私に『視え』た『高み』は、もしかすれば君の『個』が──」

 

ザガン

「副長は、オレに軍団長を明け渡した時に、その言葉を言ったんだ」

「その言葉を軽々しく真似されたと思うと、副長を『汚された』みたいで気分が悪い」

 

セルケト

「ん? 君は、元は軍団長では無かったのかい?」

 

ザガン

「『渡り』だった副長が、発生してすぐのオレを拾ったんだよ」

「オレさえいれば無敵だって言って、副長はすぐさま2体だけの軍団を立ち上げた」

「軍団が大きくなって、ノウハウが身に付いたら、副長は誇らしそうにオレに座を譲ったんだ」

 

セルケト

「道理で、彼女の理想に応えたくなるわけだ」

 

ザガン

「そんな話は全くしてない!」

 

セルケト

「そうかもしれない」

「では……『副長』は、かつて君に何と?」

 

ザガン

「……『ひとたび走れば、技も仕込みも意味をなさない』」

「『敵は逃げる事も許されず、丸裸の命で向き合うのみ』……」

 

セルケト

「……よく似ている」

 

ザガン

「会わせないからなっ! 絶対にっ! お前は今、オレの触れちゃならないモノに触れた!」

「もう完璧キレたからな! 副長が同盟組んだって、お前とは絶対、顔も見させない!」

 

 

 ザガンは寝っ転がりながら、セルケトを指差したり、泥を何度も殴り散らしたりして怒りを表明している。

 

 

セルケト

「ん……? 『副長』ではなく、私の話をしていたのでは無かったのかい?」

 

ザガン

「お前が話を逸らしたんだろうが! また『お前と副長が似てる』って話に!」

 

セルケト

「ああ……失礼、似ていると言ったのは、君と私だよ」

 

ザガン

「あン?」

 

セルケト

「私も、『右腕』に拾われて今の立場がある。私の場合、最初から軍団長だったが」

 

ザガン

「お……おう。ま、まあ確かに、お前みたいなのが子育て旅団から出てくるとは思えないしな」

 

セルケト

「他に異なると言えば、私の場合、『右腕』の方が遥かに若い」

 

ザガン

「へぇ……ん? 拾ったメギドの方が、お前より若い……?」

 

セルケト

「『右腕』はバナルマが明けたその日に、少し『やんちゃ』を働いたらしい」

「メギド体を剥奪され、『拒絶区画』を追放された彼は、私と巡り合った」

「その日までの私は……『右腕』が発生するずっと以前から、ただ生き続けていた」

 

ザガン

「お……お前、まさか……『野良』だったのか!?」

「子育て旅団にも、別の軍団にも見つからないで、何も知らずにずっと……!?」

 

セルケト

「ああ。ヴィータ体という発想すら無く、ずっと」

「そういったメギドの殆どが処刑か私刑で死ぬと知ったのも、『右腕』に教わってからだ」

 

ザガン

「大抵はメギド体ってだけで土地のフォトン浪費するし、軍団や領地も潰すからな……」

「よく生きてたな、お前……学ばない『野良』は長生きしても2,3年とか言われてんだぞ?」

 

セルケト

「私のメギド体は、余りにも弱かったからね。出来る事はヴィータ体と大差ない」

「メギドの『常識』で考えるような『大活躍』は出来ず、捕捉に足る痕跡さえ残せなかった」

「弱い故に、必要とするフォトンも少なく済んだのだろう。土地への影響も気付かれない程に」

 

ザガン

「情けなさ過ぎる……」

 

セルケト

「それに私のメギド体の特徴は、自然界で言う『分解者』に似通っていた」

 

ザガン

「何だその……分解者って?」

 

セルケト

「幻獣……は、少し幅が広すぎるな」

「ヴァイガルドの生物で挙げるなら、ハエ、ミミズ、キノコなどの役目だ」

 

ザガン

「キノコ」

 

セルケト

「つまり屍肉を啜り、枯れた土地や淀んだ環境で生きる生物の特徴を備えていた」

 

ザガン

「メギドラルのルール知らなくても、陰でコソコソやってけるメギド体だったって事か……」

「何か……お前を見る目がだいぶ変わったぞ……」

 

セルケト

「それは光栄だよ」

 

ザガン

「いや、褒めてない。本当に、全くもって、良い意味じゃない……」

 

セルケト

「尚のこと嬉しいよ。等身大の私を、君が見つけてくれたんだ」

 

ザガン

「いやいやいやいや……」

「そういえば……お前のソレも、本当に何なんだ?」

 

セルケト

「?」

 

ザガン

「その何を言われても『嬉しい』だの『光栄』だの言ってくるソレだ」

「決闘中もそうだ。負けそうって時点で、悔しそうにもせずに降参して『おめでとう』だ」

「その話し方、何かの『回り道』か? なんのつもりがあるのか全然分からん」

 

セルケト

「言葉通りの意味だよ。称賛を受けるなら『嬉しい』と思い──」

 

ザガン

「皮肉で『下等生物』って言われたら、それでも『嬉しい』……だったか?」

「どういう理屈なのか、何度考えても分からなくてムシャクシャする」

「オレでなくたって、誰でも悪口を言われれば『腹』が立つ。だから『悪口』って名前なんだろ」

 

セルケト

「ふむ……一理ある」

 

ザガン

「一理どころか摂理だ、このヘンタイが!」

 

セルケト

「悩ませてしまっていたなら……改めて説明しよう」

「想像してほしい。君が、一生分のメギド体を保証するフォトンを手にしたとする」

 

ザガン

「ん……まあ、そういう想像なら難しくないが?」

 

セルケト

「君は『一般的』なメギドにとって、『個』を示すに最高だろう状態にある」

「……それは、幸福かい?」

 

ザガン

「そりゃあまあ、そうだろうな」

 

セルケト

「では、君は同時に、たった1体で、無限に続く穴へと落ち続けている」

「……君は、幸福かい?」

 

ザガン

「き、急に難易度あがったな……」

「……取り敢えず、余り面白そうには思えないな」

 

セルケト

「君の『個』を約束するフォトンがあるのに?」

 

ザガン

「他に相手が居ないんじゃ、『個』の示しようがないだろうが」

 

セルケト

「私も同感だ。ならば私の言葉は、きっと君と分かち合える」

 

ザガン

「……?」

 

セルケト

「私が、君の勝利を認めた経緯から説明しよう」

「君に押し倒された時……確かに、君に遅れを取った事実を信じられない自分も居た」

「『眼』を失った恐怖で竦んでいながら、直撃を受ける自分をそれでも信じきれなかった」

 

ザガン

「それが『普通』だ。ついでに『何かの間違いだ』って抵抗するもんだと思うが?」

 

セルケト

「ああ。だが、そうはしなかった。単純に、そうしたくなかったからだ」

 

ザガン

「だから、そこが何でだって聞いてんだよ!」

 

セルケト

「遅れを取った事実より、あの時点で君が勝利していないという解釈こそ『おかしい』と感じた」

「あるいは驚きよりも遥かに、君の健闘を讃えたいという、喜びの方が優っていた」

 

ザガン

「お前……決闘の意味、分かってるか?」

 

 

 軽く侮辱されたような不愉快さを表情に滲ませるザガン。

 

 

セルケト

「君の勝利が、私の死に繋がりかねない事なら理解している。それでもなお……だ」

「私は君への感動に包まれ……君に命を捧げる事に、一片も惜しいとは思わなかった」

 

ザガン

「……どうかしてる……」

 

 

 下水管から這い出た物体を見るような顔をしたザガンは、諦めの溜息をついて、頭を掻いて苛立ちを散らした。頭も手も泥まみれでヌルヌルで、全く意味のない身振りだった。

 

 

ザガン

「そんなのはただの弱腰だ。諦めが早すぎるだけだ」

「例えそれがお前の『個』だったとしても、いつか絶対、そいつで自分の身を滅ぼすぞ?」

 

セルケト

「その時は、その者に心からの経緯と感謝を送りたい」

「私を倒すべき敵と認め、私を打ち破る術を用意してくれた、その者の『誠意』へ」

 

ザガン

「ッハァ~~~~~~…………ん?」

 

 

 特大のうんざりを込めた長く大きい溜息の後、何かに気付くザガン。

 

 

ザガン

「お前を敵と認めて……お前を……んんん?」

「お前の正体は、『眼』が無けりゃ下級メギドよりも……下手すりゃ幻獣よりもザコで……」

 

セルケト

「そう。その私に、メギドとして全力を注いでくれる。私を見つけ、評価してくれる」

「私を称賛して『下等生物』と呼ぶなら、それは私が言葉の主と明確に異なる『個』という事だ」

「私を挑発するなら、私が『闘志』を投げかけるに値する『個』と認めているという事だ」

「ごく率直に私の『個』を否定する言葉だろうと、私が私の『個』を知っている」

「だから私は、その否定を『嬉しい』と思う」

「それは『宣戦布告』という、私が己の『個』を確かめられる、またとない栄誉なのだから」

 

ザガン

「……そんな受け取り方、考えた事もない……」

「っていうか、最後のは普通に『怒った』って事で良いんじゃないか?」

 

セルケト

「そうだろうか……私は嬉しいよ?」

 

ザガン

「あぁそうかよ……」

「とりあえず、弱っちいお前を『対等』の敵だと思ってくれて嬉しいなー……って事か?」

 

セルケト

「敵に限らなくとも、私を見て、私を口にしてくれる事は、私の『個』を証明する」

「私が『セルケトだから』向けてくれる全てが、私には『嬉しい』んだ」

 

ザガン

「言いたい事は少し分かったけど、お前のセンスは更に分からなくなってきた……」

 

セルケト

「ふむ……」

「ではザガン。先程の、穴に落ちる例え話を一度、思い返して欲しい」

 

ザガン

「あ? そのくらいはちゃんと覚えてるが……今度は何だ?」

 

セルケト

「思い出してくれたなら、少し話は変わるが──」

「ヴィータは『全』を尊ぶ一方で、『個』である事も求めるらしい」

 

ザガン

「ヴィータが、『個』ねぇ……って、ヴィータが『個』ぉ?」

「あの幻獣未満で『群れ根性』のフォトン袋がか?」

「オスだのメスだのくらいならヴィータ以外にも幾らでもあるし……」

「何の冗談だ。どのへんが『個』だって言うんだ?」

 

セルケト

「『普通』のメギドからは『視え』ないだろう……と、これは『右腕』の受け売りだ」

「何故なら……ヴィータは私達より『全』の側であり、だからこそ『個』を確立している」

 

ザガン

「おい言ってること矛盾してるぞ」

 

セルケト

「していない。さっきの想像を思い出して欲しい」

「『個』だけが存在する落とし穴は、落ちる『個』だけが世界の『全て』だ」

「究極の『個』である事は、『個』を証明できないに等しい」

 

ザガン

「……!?」

 

セルケト

「つまり私達は……」

 

ザガン

「……おい、まさか……!」

 

 

 セルケトを睨みつけ、襲撃に備えるかのようにジワジワと体を起こし、中腰から、いつでも飛びかかれるような姿勢になるザガン。

 

 

セルケト

「そのまさかだ。断言しよう」

「『個』の証明は、『全』の内に無ければ決して果たせない」

「『個』を示す事を求める限り、私達は本質的に『全』を尊び、支配されている」

 

 

 ザガンの目がカッと見開かれ……俯いて数秒後、ザブンと腰を落としてあぐらをかくザガン。

 

 

ザガン

「……ムカついて『頭』が吹き飛びそうだが……どうしてやれば良いか分からない……!」

 

セルケト

「それは『軽蔑』かい?」

 

ザガン

「オレにも分からんからムカつくんだ!」

「……もういい続けろ。殴りたくなってきたら殴る」

 

セルケト

「分かった」

「ヴィータの件の結論は、彼らが『全』を受け入れている事に尽きると、私は考えている」

「『個』を共に証明し合える他者を得るために、積極的に『全』を形成しているからだ」

 

ザガン

「群れの内でじゃれ合って、粗末な『個』を褒めて満たされた気になってるだけだ」

「で? すっかり『当たり前』になったヴィータは、必要も無い『個』を示したがるんだと?」

 

セルケト

「ああ。ヴィータは我々よりも『個』が脆弱な故に、『個』の条件に拘る事がない」

「背が高い、足が速い、頭脳に長ける、他者を手伝える……そこに『味方』が付くだけで良い」

「ヴィータは、メギドのように『個』に飢える事が無い。悩む事も無い。充分に『個』だからだ」

 

ザガン

「……は、はっはっははは……大真面目に認めやがって……」

「中央で抜かしてたら、とっくに処刑されてるぞ、お前……!」

「メギドが目指してる場所を、とっくにヴィータが通り過ぎてるとでも言いたいのか!?」

 

セルケト

「そうとも。だが……これはまだ仮説だ」

 

ザガン

「仮説?」

 

セルケト

「全ては、メギドラルに流れ着いた『断片』から類推したに過ぎない」

「『右腕』が所属していた頃の『拒絶区画』や、中立である夢見の者から得た所詮は情報」

「だが、私が知る限りの『ヴィータ』は、メギドが求める答えの大半を宿している」

「私は仮説を確かめるために、より深く、『偉大なる』ヴィータを知りたい」

 

ザガン

「……『拒絶区画』やゲートが欲しいって、そういう……」

「ヴィータなんざ……ただのフォトン袋じゃないのかよ?」

 

セルケト

「君の言葉を借りるなら、それは『全』側の『値付け』だ」

「私のヴィータは私が『視』定める」

 

ザガン

「……!」

「は……はは……」

「今の一言だけ、妙に納得しちまった……クソッ」

 

セルケト

「私の感性は、発生した時から大きな変化は無い」

「多少は自覚があるつもりだが、生憎と、結局は『これ』が私にとっての自然体だ」

 

ザガン

「それはもう何となく分かってる……」

 

セルケト

「それは良かった」

「『右腕』が私を理解してくれた。そして、私に代わって言葉にしてくれた」

「曰く……私達は『全』だ。私達は『全』に見出されて、初めて『個』で在れる」

 

ザガン

「……な、何の話だ?」

 

セルケト

「1つとして同じ星は無いとても、幾億と散れば『個』は星空の一部でしかない」

「混沌たる『個』の海の中、互いが互いを見出さねば、我らは『個』にはなれない」

 

ザガン

「おい、返事……」

 

セルケト

「私に『視え』る世界、私にとっての『全』と『個』……君の言う、私の『センス』だ」

 

ザガン

「……」

「いっぺん死んでみなきゃ分からんレベルで分からんって事は、分かった」

 

セルケト

「分かり合う必要は無いだろう? 唯一無二の『個』なのだから」

 

ザガン

「む……」

 

セルケト

「私の話はここまでだ……そろそろ君は、選べそうかい?」

 

ザガン

「選ぶ? 何を?」

 

セルケト

「『副長』に応えたい君を、君は見つけた。これから君の『個』は、どう生きる?」

 

ザガン

「あ……ああ。急に話が戻ったな」

 

セルケト

「そうだったかな? 星の件からずっと、同じ話題だと思っていたよ」

 

ザガン

「いや、オレが寝っ転がった所で、もう話は切り上げたも同然だったろ」

 

セルケト

「生憎と、『視』ていなかった」

 

ザガン

「お前なあ……」

「まあ良い。そうだな……結局、お前に呆れて考えるの『後回し』にしてたし……」

 

 

 あぐらに頬杖ついたまま、視線を暫し泳がせるザガン。

 

 

ザガン

「……ダメだ、分からん」

「お前の『眼』が無事で『良かった』と思ったオレを、やっぱりオレはまだ認めたくない」

「だからって、『副長のために』で勝手に決めたオレなんてのも、何だか気に入らない」

「……いや、待てよ?」

 

 

 頬杖がズルズルと顔を登り、頭を支える姿勢になるザガン。

 

 

ザガン

「そもそも、オレは……今までのオレは、本当に『ザガン』だったのか……?」

「今までのオレが、心のどこかで副長を『背負って』たんだとしたら、それは……」

「オレの『個』の生き方って……ああクソッ! 考えるほどわけが分からなくなる!」

 

セルケト

「今……たった今、君はどうしたい?」

 

ザガン

「好きにやりたい! 何も考えずに、当たり前に『ザガン』として生きたい!」

「……いっそ、今日の事なんて全部忘れた方が……だが、それじゃ意味が無い……!」

 

セルケト

「なら、選んだ通りで良いんじゃないか?」

 

ザガン

「は……? 選ぶアテが全く無いって言ってんだぞ?」

 

セルケト

「一言で済むと、言っていたじゃないか。『生きたいように生きるのが一番だ』」

「無いなら選ばなければ良い。考えたくないなら、考えなければ良い」

「『副長』と重ねた君でも、己の在り方に揺れる君でも、その時々を望むままに生きれば良い」

 

ザガン

「獣みたいに後先考えずに生きろとでも? そりゃオレは権謀術数だとか向いてないが……」

 

セルケト

「昨日『醜い』と感じたモノを、今日に『美しい』と感じる事もある。逆もまた然りだ」

「今から悩むしかない先行きなら、行き着くまで駆け抜ける方が、君には向いていると思う」

「君が、言葉で表せる『何か』でなくてはならないなどと、誰が決めたわけでも無いはずだ」

 

ザガン

「……『獣みたいに後先考えず』は否定しないのかよ?」

 

セルケト

「何か不服な所でも?」

 

ザガン

「『当たり前』だ──いや、何でも無い」

「(メチャクチャ不服だが……何が『おかしい』と思ってたか、よく分からなくなってきた)」

 

セルケト

「望む事を、望むままに成そうとする限り……どんな姿でも、それが『個』だと私は思う」

「私達が世界という『全」の一部である限り、『個』に終点など無いのだから」

 

ザガン

「……」

 

 

 ザガンが黙ったまま、鬱陶しそうに頭を掻く動作をした。

 そしてゆっくりと立ち上がり、両腕を真上に高く掲げて『伸び』をした。

 

 

ザガン

「んっ~~ん……ハァ」

 

 

 幼児の如く無防備に座るセルケトに歩み寄り、上半身を屈めて足を肩幅大に開き、片手を腰にあて、もう片方の手をセルケトの顎に添えて軽く持ち上げた。

 

 

ザガン

「ヴィータみたいに、『全』の中でユルく生きてるだけで『個』だってか?」

「オレが……メギドが、『所詮は全だ』なんて考えを受け入れられると、本気で思ってるのか?」

 

セルケト

「もちろん」

「所詮は仮説だ。だからこそ、ヴィータに出来る事が、メギドに出来ないという証拠も無い」

「届くと『思えた』なら、空の星を追って泥沼を駆ける。それが『知性』だ」

 

ザガン

「『思えた』……なら……」

「フ、フンっ……本当に『知性』なら、羽の作り方でも考えると思うけどな」

 

 

 セルケトの顎からフイと手を放して、中腰から直立に戻るザガン。

 

 

ザガン

「だが、それなら、まあ……やりたい事が1つ見つかった」

 

セルケト

「是非、聞きたい」

 

ザガン

「……『お前』だ」

 

セルケト

「?」

 

ザガン

「お前の言ってる事は、やっぱりよく分からないし、文句言ってやりたくて仕方ない」

「だが、お前と話してると、何が『良い』で何が『悪い』だったかさえ分からなくなる」

「だから、当分はお前を『追う』。もちろん隙があれば踏み越える」

 

セルケト

「これまで通りに?」

 

ザガン

「全然違う。少なくともオレの中では、今日までのオレなら絶対しなかった事だ」

「お前の口から出てきたんじゃあ、『生きたいように生きる』も胡散臭いままだ」

「お前の口車を勝手に『オレの言葉』にして、後から馬鹿を見る事だけはゴメンだからな」

 

セルケト

「つまり……一言で言えば、『セルケトを理解してみたい』?」

 

ザガン

「違うっ! うまく言葉が出てこないだけだ! それは絶対に違うっ! 絶対にだ!」

 

セルケト

「分かった。動機など何でも良いさ。君が君を認めてやれるならば」

 

 

 泥に腰を下ろしたままのセルケトが、斜め上に手を差し出した。

 その手を何気なくザガンが取ると、繋いだ手を頼りにセルケトが立ち上がった。

 ザガンは半目で小さく溜息を吐き、握られた手を振り払った。

 

 

ザガン

「立つくらい自分で出来るだろうが……」

「『自分で』……そう言えば、お前さあ」

 

セルケト

「うん?」

 

ザガン

「『眼』の泥……携帯フォトンでメギド体になれば落とせるんじゃないか?」

「メギド体からヴィータ体を再構成すれば、泥が付く前の状態に戻るだろ」

 

セルケト

「……………………」

「なるほど」

 

 

 長考の末、掌を拳の小指側で軽く叩き、よくある「よし、分かった」の前半動作を示すセルケト。

 

 

ザガン

「な、何だ、その無意味にしか見えない体の動きは……?」

 

セルケト

「意味は無いよ。うちは公的には『中央』の外だから、言行に大した制限が無い」

 

ザガン

「ああ……まあ今更、驚きもしないな……」

「……で、変身しないのか?」

 

セルケト

「ああ。実の所、もう『眼』を開けるだろう程度には痛みも引いている」

 

ザガン

「じゃあいま何やってんだよ、お前……」

 

 

 アホを見る目を向けるザガン。

 

 

セルケト

「『視え』るものを失ったのに……今、とても心が安らいでいるんだ」

 

ザガン

「やすらぐ?」

 

 

 セルケトが、だいぶ慣れてきた手探りで、向かい合ったザガンの背に腕を回し、向かって反対側の肩に手を置いた。

 更にそのまま抱き寄せ、ザガンの頬にもう一方の手を添えて上を向かせ、ほぼ真上と真下を向いて見つめ合う形になる。ただしセルケトの双眸は未だ閉じ合わされている。

 

 

セルケト

「『眼』から隔てられた世界……余りに頼りなく、闇と静寂に染められた空間……」

「なのにこうして、君が何より近くに居てくれる事を実感できる」

「今、何より、生まれてきて良かったと思えている……この気分を、もう少し味わっていたい」

 

 

ザガン

「……」

 

 

 数秒、セルケトの瞼を見つめるザガン。不意に何かを確かめるように目を細め、視線を横へ下へと泳がせ、もう一度セルケトと向かい合い……。

 セルケトの横っ面に強烈なフックをお見舞いした。

 大旗を振るように腰の入った、爽快なフォームだった。

 

 

セルケト

「ぶぐぉっ!?」

 

 

 セルケトはハグを慣性に引っぺがされて吹っ飛び、錐揉み状に泥を二度三度跳ねて転がっていく。

 いつの間に覚えたのかヴィータ体がそうさせるのか、脇を大きく開いて肩を怒らせ、指を盛大にバキボキ鳴らすザガン。首をやや傾げている。

 

 

ザガン

「よおしっ! 治ってんなら丁度良いな、もう一勝負だ」

 

セルケト

「ぐ、がふっ……ふふっ、これが君の『力』か。味わえて良かった」

 

ザガン

「バカ言え、不意打ちは嫌いだ。それなりに手加減はして──」

「おい、お前……膝に来てないか?」

 

 

 問いかけるまでもなく、起き上がろうとするセルケトの両足は無様にガクガクと揺れている。表情と口調だけなら相変わらずの落ち着き様だが、モーションだけなら棺桶に片足突っ込んだおじいちゃんだった。

 

 

セルケト

「尚更、幸運だったよ。万一この先、私が驕り、君を侮るような日を迎えないためにも」

 

ザガン

「本当に弱すぎるんだな、お前……」

「ハァ……オラとっとと『眼』ぇ開けろっ! でないと全身2倍に膨れるまでブン殴る!」

 

セルケト

「ああ、もちろん……手加減でさえ、二度は受け止められそうにない」

 

ザガン

「でぇやあぁぁああーーーーーーっ!」

 

 

 セルケトの容態に構わず、ザガンが腕を大きく振りかぶりながら駆け出した。

 

 

 

 

<GO TO NEXT>

 

 




※ここからあとがき

 前回に引き続き今更な話ですが、特に今回はメギドラル関連の考察とか、「せっかく思いついたなら」と書いてみたい事ばかり書きすぎて、我ながらゴチャゴチャしすぎた感が少々。
 まあ、例によって今後の課題という事で。

「野良」のメギドはオリジナル解釈です。
 ネタバレ情報を確認した限り、セルケトと似たような出自のメギドは、「まつろわぬ者」か野垂れ死にかが殆どのようで。
「野良」は現状のメギドラルに対して、ヴィータ体を構成するなどの最低限の学習・適応の機会なく生きているので、「野垂れ死に」組に入る感じです。
 必ず居ると思うんですよね。回収される前にやらかして何も分からないまま処刑されたメギドや、たまたま誰にも拾われなくてもメギドラルに適応して結果的に負けもせず戦いもせず単独で活動し続けたメギドが。
 通り魔的に戦場に乱入して「ワタシキレイ?」とか言いながら幻獣一匹生かして帰さないメギドが後にマグナ・レギオに拾われたりとか。
(この冗談書くためにネタバレでしか知らなかったキャラスト確認したら、今回の話で書きたかった事の半分近くを簡潔にまとめられてて崩れ落ちました。しかし、メギドラルにもノック≒配慮の文化があるとか三人称を『あの人』と呼んだり等、とても興味深いですね)

 現実には土地が燃えると、焼き畑の例があるように灰などが肥料となって鎮火後の植物の育ちが良くなり、山火事を前提として繁殖する植物も居るくらいで、恐らくフォトンも循環してると捉えられるかと。
(などと書いた後から、モフイベでヴァイガルドに焼き畑の概念がある事を確認しました)
 擦り合せとしては、ザガンさんやメギド達の理解に若干の齟齬があり、実際は燃焼した土地のフォトンは、自力で循環できない「不活性化したフォトン」とでも言うようなものに置き換わるという感じで。
 後から植物などが根付いて地中の不活性フォトンを吸い上げれば再びフォトンが活性化しますが、環境が天外魔境なメギドラルでは、基本的に自力で移動する(根を下ろさない)幻獣ばかりが環境の覇権を握るし、フォトン不足で長期的な計画も立てられないので植樹や自然保護も行われず、フォトンのリサイクルがなされず、幻獣の死体などから地道にフォトンが充填されなおすのを待つ以外の対処法が発見されてないのが現状とか、そんな具合です。
 ウァプラが追放されていなければ、焼き畑された土地の活用法も少しくらい見つかったかも知れません。



 モフイベを読みました。嬉し悔しの答え合わせが今回も。
 ウァサゴの母親は亡くなられていましたし、父親が重く後悔していますし、それをちゃんとウァサゴが確認しましたし、貴族に返り咲く意思を固めていますし、本作の時系列がますます怪しく……。まあ二次創作ですが。
 あと、アジト近辺にちゃんと森があるようですね。
 ついでにヴァイガルドで共存の可能性のある幻獣についても妄想していたので、モフらが先達となったと言うか、先を越されたと言うか。

 そしてウァサゴリジェネが来ましたか。
 サバトの結果はCインキュバスとスコルベノトが奥義Lv5になり、怪馬ヴァルが来ました。キャラストはお預けとなりました。
 カウンターウァサゴを妄想していたりしましたが、フルフル同様に答え合わせと共にウソロモン化の足音が。
 このダメージと、ヨッシャア的な公式供給カタルシスがたまりません。
 ただ「辺境の花」とかがカウンターウァサゴの構想と重なる部分もあるので、もし書ける余地があったら書いてみたいと思います。
 あくまで自分ルールに基づいて、本編中はリジェネの片鱗程度で済ます形で。

 メギド質問箱に、去年から書き溜めた質問をまとめて送ってみました。1つくらいは採用されますようにと願うばかりです。
 特に、「ウァサゴが髪を解くとどのくらいの長さになるのか図解付きで見たい」が採用されますように。
 余談ですが、今回の話と、いずれ書いておきたい話に関して、根幹に纏わる質問を用意しているのですが、万が一の採用&答え合わせがちょっと怖いので今年は先送りに。


 日々のつぶやき級のしょうもない話ですが、5月23日、テレビ中継に「ユーバーレーベン」というお馬さんが映っておりました。ググってみれば、なるほどやはりこのお名前……。
 ついでにお父上が、お馬さん素人の私も聞き及んでいる例の有名なお馬さんとの事で。
 1着以外は立場が厳しいと小耳に挟んだお馬さん業界で未だ大きな活躍も無く……これが多分、地下アイドル等を推したくなる気持ちなのでしょうか。
 最近、お馬さんも流行ってますね。時間が最低もう9時間欲しい毎日なので触っていませんが。

 ↑と、書いたのが当日昼頃。そして同日に優勝の速報が。おー。
  縁もゆかりも無い場ですが、おめでとうございます。



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EX「捏造キャラストーリー:ザガン編 第3話」

 いつかのメギドラル。

 休戦季のマグナ・レギオ中央議会。

 議場の片隅にて、議席持ちのメギドが大あくびしている。

 

 

退屈なメギド

「ふあ~ぁ……ったく、いつまで引っ張るんでぃ、この議題?」

 

おざなりなメギド

「ま、これも今後に必要な事さ。俺らの軍団にゃちっとも関係ないがな」

 

退屈なメギド

「興味無ぇ話の間くらい、ダラダラ横にならせてくれねえもんかねぇ」

 

おざなりなメギド

「同感。今朝まで『中央』の報告だの書類まとめだので、かれこれ2週間は寝ずの働き詰めだ」

 

退屈なメギド

「オリなんぞ1ヶ月よ。へなちょこのヴィータ体でこいつぁ堪ったもんじゃねぇ」

「あーあ、オリもハックみてぇにフケりゃ良かったかね?」

 

おざなりなメギド

「サボりゃ良かったのは全くだが、ハックはちょっと事情が違うだろ」

「部下の幾らかが休戦季のどさくさに紛れて奇襲かけようとしてたって聞いてるぞ?」

 

退屈なメギド

「あ~なるほどな。大メギド様らしいスットコドッコイなこって」

 

おざなりなメギド

「そりゃ休戦季にカチ込もうなんざ一大事だが、そこまで貶すほどか?」

「計画してた部下には、ちゃんと軍団総出で『鍛え直し』入れてる最中らしいぞ」

 

退屈なメギド

「で、議会は後回しか。どの道、『処刑』で無く『仕置』の時点で、おめでてぇバカ大将さ」

「そういう所があの古株の欠点よ。今にあのバカ、部下絡みで自滅するぜ」

 

おざなりなメギド

「へへっ、そこまで言うかぁ?」

 

退屈なメギド

「アホってのはな、本当に『思いも寄らねぇアホ』だからアホだってんだい」

「ハックの部下ども、どうせ『思いも寄らねぇ奇策』とでも思ってやがったのさ」

「そういう本物のアホがシバかれて学ぶのは1つ……虫の良すぎる反省だけだ」

「『バレないようにすりゃ、軍団長だって出し抜ける』ってな。これっぽっちよ」

 

おざなりなメギド

「あー、居る居る。そういう『何で誰もやらないのか』に気付かないバカ」

 

退屈なメギド

「おうよ。ハックはテメェが出来すぎてるから、クズのアホっぷりなんぞ分かりゃせんのだろ」

 

おざなりなメギド

「ふへっへへへ……それ言ったら『分かる』お前は何だってんだよ」

 

退屈なメギド

「へっへっへ。しがないアホとクソどもの王様でござーい♪」

「何を隠そう、アホの下っ端の不手際でアホの軍団長を引責処分『させた』のは、この──」

 

???

「『反対』とはどういう事だ!!!」

 

暇なメギド2体

「おうっ?」

 

 

 怒号が轟き、ざわめく議会。

 声の主が席を立ち上がり、ほぼ対岸に座るメギドを指差していた。

 張り上げた怒声の割に、伸ばした指から背筋まで冷静にピッと伸び、線の細い顔立ちは冷静そのものだった。

 指差した先の反対者を悪目立ちさせ、孤立させるために、如何にも確固たる信念と理論があるかのように振る舞っているのだろう事は明白だった。

 

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「開口一番に否定から入るとは、よほど自信があるようじゃあ無いか?」

「今すぐオレに説明してみろ! この計画のどこが……」

「『傀儡のソロモン計画』のどこに落ち度があるのかをなあ!!」

 

議長メギド

「待たんか、若いの。議会の進行は儂が担っておるのじゃぞ」

「おぬしの異議を認める。発言が終わったなら、ひとまず座れ」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「ふん……」

 

 

 突きつけた指を引っ込め、わざとらしく不服そうに座り直すメギド。素人目に見ても、口ぶりに反して態度は落ち着き払っている。

 

 

退屈なメギド

「何を騒いでんでぃ、あいつら?」

 

おざなりなメギド

「俺も全然聞いてなかった……ただまぁ、見りゃ何となく分かるな」

 

退屈なメギド

「だな。文句言ってた方の、あの自信満々っぷり……」

「『反対』出したやつがよっぽどトンチンカン抜かしやがったんだろうさ」

 

おざなりなメギド

「こりゃ続き聞く必要も無さそうだなぁ」

 

 

 暇そうなメギド達が再び背景に溶け込んでいく。

「文句言ってた方」の思惑通り、議題に持論を持たない議席持ち達の心象が一気に偏り始めた。

 

 

議長メギド

「では、反対派の答弁を……む?」

「見ない顔じゃな。議会に参加するのは初めてかの?」

 

ザガン

「まあね。ちょっとした気まぐれのつもりだったけど、来て正解だったかも」

 

 

 指差されていた反対派こと、ザガンがスックと席から立ち上がった。

 以前までとは口調から面持ちまで違う、ソロモン達のよく知るザガンの姿だった。

 副長が丹念に泥を落とした、若干明度の落ちたドレスを纏っている。

 

 

議長メギド

「ふむ、大した度胸じゃが……くれぐれも、乱闘沙汰はご法度じゃからな」

 

ザガン

「分かってるって。まずは真正面からぶつかってみるから、ちゃあんと見ててよ?」

 

 

 卓の上に片手を突いて、軽く身を乗り出すザガン。

 その目は先の抗議者でもなく、議長でもなく、見渡せる限りの議席持ち全員を見ていた。

 

 

ザガン

「(私を叩きのめしたいヤツ、真面目に聞こうとしてるヤツ、とにかく嘲笑いたいヤツ……)」

「(どんな感情でも、皆が……ここに居る皆が、私に『期待』してる……!)」

「(ほんの少し、分かってきたよ、セルケト。ここからが大活躍の大舞台……)」

「(オレは……私は、今、この場で、どうしようも無く『個』なんだ!)」

 

 

 軽く深呼吸を一回挟んで、凛々しく抗議者を見つめ直すザガン。

 

 

ザガン

「まずは、お互いのために確認しよっか? 君らが掲げてる計画について──」

「ヴァイガルドには『ソロモンの指輪』のレプリカが現存してる可能性がある」

「万が一、何かの偶然でこれを扱えるヴィータが現れた時、こっちが何かと面倒な事になる」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「ふんっ、新参の小物にしては、少しは聞く耳があるようで何よりだ」

「ヴィータが取るに足らないフォトン袋でも、指輪は侮れん。そのくらいオマエも分かるだろう」

 

ザガン

「私達メギドを無理やり服従させる事も出来る、だっけ?」

「だから君らは、先にメギドラル側でヴィータを用意して、ソロモン王に据えようとしている」

「メギドラルには本物の指輪があるから……合ってる?」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「そこまで理解できてて、どこに反対する謂れがある」

「オマエはヴィータに跪いて靴を舐め回してみたいとでも?」

 

 

 そこかしこで小さく笑い声が湧く議場。

 ザガンは不敵な笑みを浮かべ、背をピッと伸ばして手を突き出し、指を振って見せた。

 

 

ザガン

「チッチッチ……君の方は、ちゃんと聞いてくれなかったみたいだねぇ」

「私はちゃんと『反対だ』って言ったよ? 『傀儡の』、ソロモン王計画に」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「言葉尻いじくって言い訳か。とんだ小物だな」

「オマエは『計画』に反対したんだ。この場の全員がそう聞いているぞ」

 

ザガン

「良いね良いね、そうやって『話』を有利な方に引っ張ってくの。嫌いじゃないよ?」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「……ちっ」

「(何なんだこいつ……見透かした気になって、のらりくらりと!)」

 

ザガン

「でも私だって、無理やり誰かの思い通りにされるなんて、まだ楽しめる気にはなれないよ」

「そもそもメギド的にさ、『指輪の強制力対策』自体に反対なんてしなくない?」

「『全部反対と言った』って思うメギド、少ないと思うよ。それで『誘う』のは無茶──」

「……あ、それとも、実は君がちょっぴり『舐めたがってた』とか?」

「だったら……何か、ゴメンね……」

 

 

 普通に気まずそうに、頭をポリポリ掻いて謝って見せるザガン。

 

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「なっ……侮辱したなオマエ! オレを誰だと思ってる!?」

 

ザガン

「そんな、してないしてない! 趣味も『個』もメギドそれぞれだよ」

「それに君の事も全然知らないって。今度、戦場で会ったら、改めてよろしくね」

 

 

 そこかしこで露骨に噴き出す声が相次ぐ議場。

 人懐っこそうな笑顔でヒラヒラ手を振って、本当に「ただの挨拶」を送るザガン。

 すまし顔だった抗議者の鼻筋に深いシワが刻まれていく。

 

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「こっの……!」

 

 

 席を蹴飛ばさんばかりに立ち上がる抗議者。

 

 

議長メギド

「よさぬか! ここをどこじゃと思うとる! 『上役』の顔に泥を塗る気か?」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「ぐっ……ふんっ!」

 

 

 喉から鼻へ唸りを絞り、極めて不服そうに座り直す抗議者。素人目に見ても余裕の欠片もなかった。

 

 

議長メギド

「やれやれ……」

 

ザガン

「話、続けちゃって良いよね?」

「さっきから言ってるけど、『傀儡の』って所が気に入らない。だから反対なんだ」

「要するに、指輪を使えそうなヴィータを洗脳して手駒にしようってんだろ?」

「そんなのより私は、事情をまっすぐ話して、ソロモン王の合意を得る方がお互いに得だと思う」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「ハァンッ!! 問題外だなあ!」

 

 

 議場の四方八方でドッと笑いの渦が巻き起こった。

 

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「オマエは道端の虫けらや汚物に、メギドラルの未来を託して『お伺い』立てるのか?」

「相手はヴィータだぞ? 我々の想定を果てしなく下回る愚鈍で脆弱な種族だ」

「説明した所で我々の次元など理解できず、指輪の権限以外に何一つ渡り合えるものも無い」

「分かるか? 『対等』という概念の持ち込みようが無いんだ。獣に言葉が通じないようにな」

 

ザガン

「ヴィータには言葉は通じるよ。その例え、『偏ってる』と思う」

「理解が難しいのは、種族の生き方──価値観が違うんだから仕方ないんじゃないかな?」

「私達だって、個々で『無理』な事くらい幾らでもある」

「それをどうにか『気にしない』ようにして今のメギドラルがあるんだ。やる事は変わらない」

 

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「都合の良い部分だけ答えて誤魔化そうとするなよ。ヴィータの『無力』が残っているぞ」

「奴らは弱い故に、卑しい習性として一個軍団相当の群れを形成しようとする」

「それでも奴らは、たった一匹の幻獣に攻められれば大した反撃も出来ず逃げ惑うばかり」

「ただただ滅ぼされるだけの『どうしようも無い』存在だ。この落差をどう埋めるつもりだ?」

「奴らの弱さは『正常な』判断さえ不可能にする。もはや罪と言っていい」

「生き永らえるので精一杯の弱小メギドに、上級メギドの『戦略』が理解できないのと同じだ」

 

ザガン

「けど、さっきまでの眠たい話の途中で、半分寝てたけど確かに聞こえたよ」

「『幻獣の存在に気付いて、武器を取って自衛を考えるヴィータも珍しく無くなってきた』って」

「ヴィータが戦おうとして、今も諦めてないなら、少しくらい『成果』があるって事だよね?」

「送り込んだ幻獣の幾らか……本当はヴィータに倒されてるんじゃないの?」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「!?」

 

 

 ざわつく議場。

 

 

ザガン

「『弱い』とか『バカだ』とか『傷一つ受けなかった』とか、そういうので慢心してない?」

「ヴィータだって生き残りたい。生き残りたいなら戦う。ヴィータにも力や意地はある」

「君らは少しずつ強くなっていくヴィータに、『例外』とか言い訳して目を背けてるだけだ」

「それって、つまりさ……ヴィータが『対等』って事を、『怖がってる』って事じゃない?」

 

 

 一斉にザガンに罵声が浴びせられる。一つ一つの言葉が聞き取れないほど矢継ぎ早に。

 

 

議長メギド

「静粛に! 静粛に! ええい、おぬしら議席持ちなら少しは弁えんか!」

 

 

 議長と議席持ち達の喧騒を縫って、講義者がザガンに激昂する。

 

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「ほざけ小物! その話は全部、『ヴィータが自力で幻獣を倒した』という妄想が前提だ」

「幻獣の損害など、精々がハルマによって鎮圧された程度! 残るはただの誤差──」

 

???

「そういう事なら、『こっち』でも記録があるねぇ」

 

 

 仮面を着けたふてぶてしい雰囲気のメギドが割り込んだ。

 第三者の介入に、喧騒を忘れる議席持ち達。

 

 

殺しても死ななそうなメギド

「『ウチ』じゃあ、貸与した幻獣の足取りも、ちゃあんと追ってるんだがね」

「主に全長がヴィータ未満──小型の幻獣を勝手にロストしやがる軍団が多い」

「まあ低能どもに寄越す幻獣なんざ元から消耗品だ。そこは期待しちゃいないが……」

「確かに損害報告にあるよ。武装したヴィータの群れに撃破されたって事例が」

「中には『巣』が潰されてたとか、大型幻獣が『武器で狩られた』死体で見つかったとかもね」

 

 

 騒然となる議場。

 

 

退屈なメギド

「おい待てよ、オリの幻獣はヨソん軍団の幻獣にヴァイガルドで食われちまっただけだぞ!」

 

おざなりなメギド

「いや、誰も今そんな話してねえって」

「しかしマジか……? フォトンも使えねえゴミ生物が幻獣を倒しちまったってのか?」

「追放メギドにしたってアレだろ? 奴らはヴィータと同じ力しか無いって聞くのに……」

 

優美なメギド

「(ふふっ……)」

 

 

 議場の目立つ所で、金髪の女性メギドが何やら密かにほくそ笑んでいたが、誰も気付いていない。

 ドガンッと、仮面のメギドが卓に拳を振り下ろし、更にその場の誰よりもけたたましい声で吠えた。

 

 

殺しても死ななそうなメギド

「あ゛ぁーーーっウルセエんだよ無能ども!! ハエみてえにブンブンブンブンよお!!」

 

野次馬メギド達

「!?!?」

 

 

 思わず静まり返る議場。

 

 

殺しても死ななそうなメギド 

「ふぅ……話の見えんバカどもは黙っててくれ。バカの寄り合いが長引くだけなんでね」

 

議長メギド

「む、むぅ……? おぬしは、以前に会ったような会わなんだような……」

 

殺しても死ななそうなメギド

「クソ無能上司の代理だよ。たま~にね、別件で遅れる時のツナギで出席させられるのさ」

「つまり、そこの『舐めたがり』の同類って事だねぇ」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「っ! おい取り消せ! 『院』もろとも潰されたいか!?」

 

殺しても死ななそうなメギド

「おぉおぉ怖い怖い。取り消して差し上げましょうとも」

「あだ名1つでウダウダ抜かしやがって、可哀想な坊やだねぇ」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「オマエぇっ!!」

 

殺しても死ななそうなメギド

「取り消しましたよ? 『言われた通り』に。何か不服でも。偉大なお代理様?」

「それともお宅様の大軍団、言って無い事まで『やらかして』当然の『お察し』軍団か何かで?」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「ぐ、ぎ……!」

「今、議会名簿を照会した……オマエの顔と名前、覚えたからな……!」

 

殺しても死ななそうなメギド

「そいつは光栄ですな。じゃ、私は『議会』に戻るんで」

 

 

 冷笑と溜息を添えながら、つまらなそうに視線をザガンに戻す仮面のメギド。

 

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「オレが議会を私物化してるとでも言いたいのか! ……おい答えろ!」

 

 

 喚く抗議者をよそに、ザガンが仮面のメギドに笑顔を投げ、仮面のメギドは臭い物に直面したような身振りで応じた。

 

 

ザガン

「フォローサンキュー♪」

 

殺しても死ななそうなメギド

「こっちもこっちで奇跡みたいなアホタレだねぇ。毒にも薬にもなっちゃないんだが?」

 

 

 思い出したように、再び私語が飛び交い始める議場。

 嘲笑と罵声とその他諸々の向く先が、ザガンと抗議者おおよそ半々になっているのを空気で読み取るメギド達。

 抗議者が仮面のメギドへの追求を諦めてザガンに向き直った。

 

 

ザガン

「だーいじょーぶ、『効き目』は私が決める事だからさ」

「さてと……確かにさ、ヴィータが弱いって事は私も同感だよ」

「多分、どんなに手加減して、撫でただけのつもりでも死んじゃうかもしれないくらい」

「けど、その優劣の差を付けてるのは……敢えて言うけど、『所詮』フォトンだけだ」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「決定的な差を『所詮』と来たか。どうやらそのフォトンが、頭に足りてないようだな」

 

ザガン

「足りてても足りなくても、私は構わないよ。どっちでも変わりゃしないし」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「は……?」

 

ザガン

「君はどうか知らないけど、私にはフォトン使って頭よくするみたいな『技』は無いもの」

「そんでもって私達、ヴィータの構造を真似してるじゃない?」

「だったら、フォトン抜きなら体の強さも脳みその回転もお互い、『同レベル』って事だよ」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「い……言うに事欠いて、『同レベル』だと!?」

「フォトンを欠いたという、それだけで、ヴィータ如きと!?」

 

ザガン

「え〜? 『決定的な差』なのか『それだけ』なのかハッキリしてくれない?」

「フォトンがヴィータとメギドの違いってんなら、無くしたらそういう事になると思うけど?」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「ぬぅっ……!!」

 

ザガン

「返事が無いなら私、ガンガン出しゃばっちゃうよ?」

「さっきも言ったけど、まず、今は弱いからって目もくれないのは『逃げ』だと思う」

「一度は見下した相手が『まとも』だったなんて思いたくない。そんな意固地と臆病風だ」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「ふざ──!」

 

殺しても死ななそうなメギド

「異議あり。……ああいや、私達がヴィータを過度にナメてるって可能性は一理あるけどね」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「掠め取るな! 今はオレが話しているんだ!」

 

議長メギド

「おぬしは少し頭を冷やせ……異議を認める。続けよ」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「くっ……どいつもこいつも……!」

 

殺しても死ななそうなメギド

「全く、無能が全体の質を落とすって典型だねぇ……」

「改めて……『ナメてる』のはともかく、それを『臆病』だので括られるのは気に食わない」

「報告では、ヴィータが幻獣を撃破した例の大半は、ヴィータの生息地周辺だ」

「奴らの幻獣殺しは漏れなく『専守防衛』の結果だ。『狩り』はしてないんだよ」

 

ザガン

「えっと、つまり……ヴィータが倒せてる幻獣は、巣から侵略に来た一部だけで──」

「ヴィータは、『反撃しかできない』……それが今の限界?」

 

殺しても死ななそうなメギド

「よく分かったねー。偉い偉い」

 

 

 適当に拍手を贈る仮面のメギド。周囲の議席持ちもその場の雰囲気で嘲笑を浴びせる。

 

 

ザガン

「えへへヤッタ。何か手間取らせちゃって悪いね」

 

 

 投げかけられる声が聞こえているのかいないのか、素直に照れ笑いするザガン。

 

 

殺しても死ななそうなメギド

「(何か気色悪ぃなこいつ)」

「ついでに、さっきの巣や大型幻獣が潰された報告は、あくまで『例外』とされてる」

「『純粋なヴィータの武力で戦った』という証拠が全く出てないのでね」

「第三の『何か』の可能性は有っても、結論、『ヴィータの力』は関係ない」

 

優美なメギド

「(……)」

 

ザガン

「そっか。じゃあ、ヴィータの殆どは、無理して何匹かの幻獣倒すのがやっとなのか……」

 

 

 顎に指を当てて考えるような仕草をするザガン。

 

 

退屈なメギド

「なぁんでぇ、結局、ヴィータは幻獣相手に渡り合えないも同然でねぇかよ」

 

おざなりなメギド

「身の丈で勝てる相手にどうにか……じゃあ、倒せてるったって話にならねえなあ」

 

 

 議場のあちらこちらで、呆れ、冷笑、安堵に似た声が上がる。

 

 

殺しても死ななそうなメギド

「余りにも涙ぐましい努力だよ。『実力が迫ってる』なんて『ヨイショ』しちゃあ心が痛む」

「『ナメる』にもそれ相応の理由と実態がある。『ナメた決め付け』は勘弁願いたいね」

 

ザガン

「……うん。ヴィータの弱さは、私も実物を知らない。だから多分、そっちが正しい」

「君達にとって『認めようが無い』のは少し分かった。決め付けた事は謝るよ」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「(オレが同じこと言っても聞く耳持たなかったクセに、何をしたり顔で……!!)」

 

 

「謝る」の単語に飛びつき、無関係の議席持ち達まで思いつくままにザガンを罵る。

 

 

議長メギド

「(この新顔……本当にメギドか?)」

「(無闇に我を通そうとせず、しかも己の不利と分かっておろうに非を易々と認めよる……)」

 

ザガン

「それなら、今度はこっちの番だね」

 

殺しても死ななそうなメギド

「はいぃ?」

 

ザガン

「君らを『臆病風』なんて決め付けちゃったお詫びも兼ねて……って感じかな」

「『弱さ』を詳しく教えてもらえた。けど、それでもヴィータは『強い』って話だよ」

 

殺しても死ななそうなメギド

「くくっ……ヴィータに『強い』って矛盾しちゃいないかね?」

 

ザガン

「ヴィータ同士の間でも力の優劣は有るし、『強いヴィータ』は矛盾してないと思うよ?」

 

殺しても死ななそうなメギド

「……ハァ。皮肉にバカ正直に返す薄らボケが、私は一番ムカつくんだよ」

 

ザガン

「あ、冗談だった? ゴメンゴメン、皆ヴィータの弱さをそれくらい強く信じてそうだったし」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「いつまでもトボケ倒してるんじゃない!」

「そもそも話が脱線してるだろう! 『傀儡のソロモン計画』に反対する理由はどうした!」

 

ザガン

「少しもズレてないよ。君らに届けるには、思ったより『道のり』が遠いみたいだけど」

「君らは、『対等』に向き合うにはヴィータが弱く愚かすぎるからって言ってたろ?」

「なら、こっちから『対等』に考えたくなる『強さ』があれば話は変わるはずだ」

「『強さ』はメギドにおいても絶対に価値観だ。何より──」

「私達には暴力以外を『個』と尊重する『理念』だってある。ヴィータに教わった……ね」

 

 

 一瞬どよめき、ヒソヒソと私語が交わされる。

 

 

退屈なメギド

「ヴィータに……?」

 

おざなりなメギド

「教わった……?」

 

議長メギド

「(ふむ……)」

 

 

 ザガンと渡り合う構図になっている、抗議者と仮面のメギドは失笑している。

 

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「ハンッ、本当にどうかしているみたいだな。これが議席持ちだとは」

 

殺しても死ななそうなメギド

「くっ、ははははは……声を上げて笑ったのなんて、いつぶりだろうね」

 

ザガン

「ふっふっふ……♪」

 

 

 何故かザガン本人まで不敵に笑んでいる。

 

 

ザガン

「また私が『決め付け』ちゃってないか、順番に確かめてみようか」

「100年くらい前から広まったよね。熱した油や溶けた鉄を敵に投げ込む『戦術』が」

「『道具』を使ってるのに、今でも採用する軍団も居るのは、何でかなあ?」

 

 

 議場の片隅で無意味なやり取りが交わされた。

 

 

退屈なメギド

「あっ、オリの軍団も使ってるヤツだ。確かナントカ言う『渡り』が広めたような──」

「『ナンプラー』? いや、『オタンコナス』とか言ったっけ?」

 

おざなりなメギド

「何にしても、銃じゃあるまいし、それの何が問題なんだかなあ」

 

 

 戻って、ザガンと抗議者たち。

 

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「些末だな。広域戦術はメギドの信条に抵触しない。必要とされる『視野』から違う」

「『個』だけで領地を取得できるメギドは限られる。中央が確認している礼を挙げれば──」

「ヴィネ、サブナック、そして追放された雷将バエル……空間を占拠するメギド体が不可欠だ」

「前2者にしても、フォトン不足の今もヴィータ体を拒否してる不届き者だからやれる事だ」

「つまり、『個』と『領地』には別々の『戦争』がある。ヴィータ体の武装と次元は同じだ」

 

ザガン

「オッケー。まあ『普通』は、メギド1体で領地の管理なんて簡単じゃ無いもんね」

「次は、その『武装』はどうなのかな。取っ組み合って殺すだけなら素手でも出来るよね?」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「肉弾戦に特化したヴィータ体が得られるとは限らないなら、当然の需要だろう」

 

ザガン

「その時点でもう『おかしい』と思うんだよね」

「ヴィータと違って、オス・メスで力に大差も無い。体格くらい戦争の時だけ変えればいい」

「武器を『個』の象徴にしたがるヤツもいるけど、やる事は結局、斬る・殴る・突くだろ?」

「『ヴィータみたいに』、戦うために武器や防具で『差』を均して、『個』を埋めてるだけだ」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「なっ……!?」

 

ザガン

「『銃はダメ』とか拘ってみたって、むしろ逆効果なんじゃない?」

「間接攻撃が得意だったメギドには、メギド体を『なぞる』事すら許されなくなる」

 

優美なメギド

「(ふふっ、ちょっぴり同感♪)」

 

 

 一層ザワつく議場。

 

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「くっ……オレを弁舌で謀ろうなんて1000年早い!」

「ヴィータ体を余儀なくされた今、この無様な体でも『個』を模索するために『武装』がある!」

「中央が公式に、武装へ制限を課した前例も無い。『銃』云々とてあくまで時代の──!」

 

殺しても死ななそうなメギド

「いやあ、私としちゃ何とも言えないけどねぇ」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「!?」

 

殺しても死ななそうなメギド

「だってそうだろう? 面白いペン持ってる君も、この私も、武装には縁遠い方だ」

「別に前線でドンパチやらなくても『個』は示せる。なら武装は何かと言われれば……」

「オツムの足りない低能どもが、なけなしの『功』にありつくための『お情け』でしかない」

「ここのお歴々には関係なかろうが、『無能』という『個』は埋めなきゃ生きられんだろうね」

「共通点に乏しい、繁栄すべき種族でもないメギドは、自分で自分を救うしか無いんだから」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「オマエっ……オマエはどっちの味方だ!」

 

殺しても死ななそうなメギド

「議論に敵も味方も有るものかね?」

「私はただ、話の輪の外から暇潰しでケチつけて回ってるだけさ」

「所詮、議決に大した影響も無い『代理』なんだから、ねえ?」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「オレはオマエのような『使いっ走り』じゃない!!」

 

殺しても死ななそうなメギド

「はいはい、すごいすごい」

「で、だ。確かに『ある』かも知れないがね。『戦術』も『武装』も──」

「メギドの戦争文化に今、『ヴァイガルド』がすっかり根付いてる……って事も」

 

 

 一気に罵詈雑言が吹き荒れる議場。

 

 

退屈なメギド

「んだとぉコノ! オリの戦争がヴィータの真似したヘッポコだとでも言いてえのかあ!」

 

おざなりなメギド

「お前、自分の悪口だけは呑み込み早いのな……」

 

議長メギド

「静粛に! 静粛に!」

 

 

 懸命に呼びかける議長が、視界の隅で『発言要求』の身振りをする者があるのを見つけた。

 

 

議長メギド

「そ、そこの! 誰でも良い! 意見があるなら認める!」

 

???

「誰でも良いとは、ご挨拶だが……」

 

 

 指し示されたメギドは、身に付けた色眼鏡ごしに、議場の喧騒に挟まる僅かな「息継ぎ」を読み取り、音量の下がったその一瞬に一言、ねじ込んだ。

 

 

???

「俺が、『広めた』」

 

 

 響き渡った意味ありげな言葉に、暫し静まり返る議場。

 スーツを着こなした色眼鏡のメギドは、窮屈そうに上着を一枚脱いで肩にかけ、立ち上がった。

 

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「っ……オ、オマエは……!」

 

えげつなさそうなメギド

「よし、黙ったな。『大した事じゃない』が聞いときな」

「煮えた油を使った『戦術』……発案者のガンコナーに吹き込んだのは、俺の軍団だ」

 

ザガン

「それってさ、『仕入れ元』があったりする?」

 

えげつなさそうなメギド

「まあな。夢見の者から偶然にだ」

「それで、少し『思う所』が有ってな。ガンコナーにも教えるよう依頼したのさ」

「『渡り』の大物のアイツがヴィータの戦術を漁ってたのは当時、有名だったしな」

「まあまさか、本当に実践して『功』まで立てるとは思わなかったが」

 

 

 再び議場が荒れるより早く、抗議者がスーツのメギドを指差し、叩き割らんばかりに卓を叩いて外野を黙らせた。

 

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「何故! 何故オマエがアイツの意見に乗っかる!」

「オマエがやけにヴァイガルドに詳しいのもどういう事だ! オレは聞いてないぞ!」

 

えげつなさそうなメギド

「事実は事実だ。『派閥』の威信を捨ててでも、デタラメのゴリ押しで黙らせたいか?」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「ぐっ……!」

 

えげつなさそうなメギド

「詳しいのも当たり前だろ。『ヴィータの煽動』が軸の侵攻作戦を任されてんだよ」

「それをテメェにいちいち『お伺い』立てなきゃならん義理なんざウチには無ぇ」

「それとも何だ? 『俺ら』がどうやってヴァイガルドを探ってるかも知らねえってか?」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「オレが……オレが、どなたの『席』を預かってると……!」

 

えげつなさそうなメギド

「だから、ウチには、関係無え。テメェ自身は何者だってんだ」

「もう後は好きにほざいてろ。議会で内輪の話なんざやってられるか」

「さて……」

 

 

 ザガンに向き直るスーツのメギド。

 スーツのメギドに窘められた抗議者は、怒りに身を震わせているが、何も言えないでいる。

 

 

えげつなさそうなメギド

「聞いての通りだ。ウチは性質上、ヴィータの『習性』には詳しいもんでな」

「前の2人よか、テメェを『有効活用』してやれるだろうさ」

 

ザガン

「聞いてくれるのなら、誰だって嬉しいよ」

 

殺しても死ななそうなメギド

「(『習性』……『文化』ってやつかな。あのボケの言い分に『価値』が見えたか?)」

「(まあ、私も『生態』ばかりで疎かだった。反省、反省)」

「(いつか隙があったら、あの色眼鏡の抱えてる情報……『味見』させてもらわなくちゃね)」

 

 

 胸中で舌なめずりする仮面のメギドに気付く者は無く、スーツのメギドとザガンの議論が始まる。

 

 

えげつなさそうなメギド

「つけ上がるなよ、先に言っとくぜ。俺はテメェに『反対』だ」

「さっきの『インテリ気取り』が言ってた通り、『武装問題』はあくまで下っ端どもの話だ」

「智と力で『他』を従わせ、凡百に貶める事で己の『個』を際立たせる。それが『今』だ」

 

ザガン

「弱いメギドにだけ、ヴィータのやり方を押し付けて、フォトンを節約させてるって事?」

 

えげつなさそうなメギド

「まあ、それでいい」

「『個』が寄り集まれば、嫌でも『上手くやり合う』しかねぇ。社会は『作らざるを得ない』」

「『他』を取り込めねえ弱者に、『個』の権利は無え。社会がヴィータと似通うのは結果論だ」

 

ザガン

「君らが得意な『アレ』も、そうやって仕方なく生まれたって事?」

「戦争する前から勝ち負けが決まる『まつりごと』とか」

 

えげつなさそうなメギド

「そんなところだな。そして『それがどうした』って話だ」

「お互い無傷で済まねえ『邪魔』同士が、互いを利用して決着の場を『整備』してるだけさ」

 

殺しても死ななそうなメギド

「元を正せば、古代大戦以前にはヴィータと交流が有ったわけだからねえ」

「1000年を経て、多少は『名残』が残ったって仕方ないだろう」

「当時ならまだ、誰でもメギド体で活動できたろう……文化の『モデル』が無かったんだ」

 

えげつなさそうなメギド

「先に言っとくが、別にヴァイガルドでも珍しい事じゃねえぞ」

「ハルマから先進技術を手にした王都エルプシャフトが今、ヴァイガルドを実質統治してる」

「『進んだ』文明を取り入れて、僻地の文化が形骸化する事はよくあるようだ」

「メギドラルが文化を『利用』したからって、ヴィータの『強さ』って理屈にはならんからな」

 

ザガン

「『尊重』には値しないって事? メギドにも『育ての恩』くらいあるよね?」

「『個』が練り歩くメギドラルに『社会』を作った中央こそ、気にするべき所じゃないの?」

「自分の利益に取り込むための、最低限の礼儀ってやつ。上辺だけでもさあ」

 

殺しても死ななそうなメギド

「主語がデカすぎるよ。そのクソみたいな『慣例』はメギドの総意じゃない」

「むしろ軍団長を倒して成り上がるなんて話は日常茶飯事だろうよ」

「そういうのは、目上の『しつけ』に屈した、魂から『下の下』な個体だけだ」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「……っ!!!」

 

えげつなさそうなメギド

「ま、『今回に限り』同感だな。何しろ、恩義を覚えろって相手がヴィータじゃあなぁ」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「っっっ!!?」

「(今のは……『助け』を差し込まれたのか? ……このオレが!?)」

 

えげつなさそうなメギド

「(あの『インテリ気取り』……人望も無えし求めても居ないタイプか)」

「(俺みたいに部下の利点を見抜くって能が無いなら、『長生き』は出来ねえだろうなあ)」

 

 

 勝手にショックを受けている抗議者に目もくれず、ザガンに対峙する2人の攻勢が続く。

 

 

えげつなさそうなメギド

「『恩義』ってものが皆無とは言わんさ。だが、それは過去のヴィータに対してだ」

「今のヴィータは武装も戦術も衰え尽くした、汚物とフォトンだけ詰まったゴミ袋だ」

「昔より数が増えて、ヴァイガルドのフォトンはヴィータの内で停滞して目減りするばかり」

「テメェで分け与える術も無く、殺して恨まれなきゃ俺らにゃ取り出しようが無え……」

「『迷惑』の塊って事さ。代替わりした事ある軍団なら誰でも納得するだろうさ」

「初代が有能だったから、今の軍団長が無能でも『尊重』する……そんなヤツぁ居ねえ」

 

殺しても死ななそうなメギド

「ちょっと良いかい? 『武装も戦術も衰え尽くした』って所、詳しく聞きたいね」

「そこのボケみたいに『ナメた決め付け』じゃないだろうね?」

 

えげつなさそうなメギド

「仕事柄、ヴァイガルドからの回収物はしっかり調査済みだ」

「王都の品でも、メギドラルの量産品と比べて『質』が悪すぎる。一点物なら分からんがな」

「ついでにメギドラルで嫌われ者の『火器』に至っちゃ消滅寸前だ」

「それも『ヴィータがつけ上がらんように』と、ハルマが生産を管理してるからと来た」

 

殺しても死ななそうなメギド

「ハッハッハ、皮肉だねえ。守ってあげてるハルマ様も『ナメ』ざるを得ないわけだ」

「鉄砲1つで『何でも出来る』と思い上がってハルマに反旗を翻しかねんほど、低能だと」

 

 

 仮面のメギドが「さあ皆さん」とばかり声高に嘲笑うと、議場も遠慮なく爆笑で応えた。

 ヴィータもハルマもまとめてコケに出来るとあって、歴史の浅いメギドほど盛大に笑った。

 

 

議長メギド

「(完全に『呑まれ』てしもうたな……)」

「(あのメギド、ただの素人では無さそうじゃが……経験の差は如何ともし難いか)」

 

ザガン

「……」

「(この2人……どっちも『手慣れてる』な。片方は代理で来てるらしいのに……)」

「(どっちも『すごい』なあ……やっぱり『受け手』で勝つのは、まだ難しかったかな)」

 

 

 ザガンは沈黙している。

 しかし、生気に満ちた笑顔は未だ、些かも曇っていない。

 

 

殺しても死ななそうなメギド

「あ、そうだ。ビルドバロックって知ってるかな? ヴィータの悪しき文化の集大成さ」

「当時、こいつをメギドラルから払拭するのに、それは大変な苦労をしたそうだ」

「それがマグナ・レギオ発足前後の頃だ……分かるかね? それからどれだけ経った?」

 

えげつなさそうなメギド

「それは素直に同感だな。護界憲章から1000年……向こうじゃ今、メギドなんざ『迷信』だ」

「こんだけ話し合えば少しは身に沁みてるだろ。かつて交流が有っても、今はもう断絶だ」

「互いの価値観は1000年かけて、全く独立した『別種』に成り果てた。つま──」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「つまり、常識が違う!」

「オレは言ったぞ! ヴィータは道端の虫けら! 汚物だと!」

 

 

 当初の抗議者が上ずる寸前の声で割り込んだ。

 

 

殺しても死ななそうなメギド

「(あーあ、『お預け』くらったケダモノみたいに飛びついちゃって)」

 

えげつなさそうなメギド

「(まあ、代理はともかく『向こう側』には、最低限の顔くらい立たせてやるべきか)」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「ビルドバロック以降、メギドラルにはヴィータの悪しき風習だけが跋扈した!」

「だから中央が……8魔星が『ふるい分けて』やったんだ! 利点を! 『正しい』ものを!」

「ヴィータの薄汚い見識に『合わせてやる』事は、破滅にしか繋がらない!」

「指輪という力に酔った行動力と、勝手な勘違いが、『尊重』を理由に降り掛かってくる!」

「オマエにはあるのか! ヴィータの『卑しさ』に命も世界も捧げる覚悟が!」

 

ザガン

「……」

「真面目に考えるなら……」

「……ちょっと、自信ないかも?」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「……」

 

殺しても死ななそうなメギド

「……」

 

えげつなさそうなメギド

「……」

 

議長メギド

「……」

 

議席持ち達

「……………………」

 

 

 そして本日、最大音量が議会を揺るがした。

 悪罵と嘲笑と、それを諌める声、騒音への罵倒とそれに応じる喧嘩腰の怒鳴り声……。

 

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「な──こ──ふざ──オマエは──っ!!」

「(クソッ、黙れ小物ども……っ!)」

 

 

 抗議者は、ザガンや議場に怒鳴り散らしてはかき消されてを繰り返している。

 仮面のメギドは、完全に機嫌を損ねた様子で席に着き、ウンザリした顔で、もう力ずくでは収まりそうにない嵐が過ぎるのを待っている。

 スーツのメギドは、静かに議場の荒れ模様を見渡すと、何かに感心したようにニヤリと笑んだ。

 

 

ザガン

「テヘヘヘ……」

 

 

 投げつけられる諸々の感情に、ザガンはちょっと恥ずかしい程度の苦笑で、呑気に頭を掻いたりしながら受け流している。

 

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「(何なんだアイツ……自分の立場が分かってないのか!?)」

 

 

 ザガンは軽く一息入れて、ストレッチのような動作を挟み、リラックスしきっている。

 充分に自分のペースでヴィータ体の調子を入れ直すと、ザガンは席を立った。

 

 

議長メギド

「お、おい、どうした? 離席する時は用件を告げてからにせい」

 

 

 議長とザガンの動きに観衆達も徐々に気付き、音量が落ちていく。

 

 

殺しても死ななそうなメギド

「ほっぽり出して帰るつもりかな?」

「ま、私は利口な判断だと思うよ、心から。他でもない私がそうしたいところだ」

 

ザガン

「なーに言ってんのさ。私はまだ何にも始められてない」

 

 

 余裕綽々のザガンの足取りは、誰の目にも届く場所──議会の中心へと向かっている。

 

 

殺しても死ななそうなメギド

「これだけ引っ掻き回しておいて?」

 

ザガン

「私は静かに話をしようとしてただけだよ。喋ってたの、ずーっと君達ばかりだったじゃん」

 

殺しても死ななそうなメギド

「議論に『建設的』なんてイメージあるなら、それはヴィータの妄想ってやつだよ」

「会話とは戦争。『口数』と『音量』と『大義』で攻めなきゃ負ける。これは真理だよ」

「私もヴァイガルドの『社会性』には少し詳しくてね。この真理に気づいてる個体もあるらしい」

「特にヴィータのメスに顕著でね。群れという軍団から1人でも多く蹴落とすため──」

 

ザガン

「ほーらまた~」

 

 

 少し道を逸れて、仮面のメギドの眼前に寄り道するザガン。

 

 

ザガン

「私にケリ付けさせないと、『バカの寄り合い』が長引いちゃうんじゃない?」

 

殺しても死ななそうなメギド

「中途半端に聞いてやがる……生きたままブチ殺してやりてえドクズだな」

 

ザガン

「私も一発、頭突き倒してやりたいよ。いつか戦争しようね♪」

 

殺しても死ななそうなメギド

「……虫酸が走るたぁ、この事だ」

 

 

 笑顔で手を振りつつ踵を返し、改めて議会中央に立つザガン。

 視線を一身に浴びて、動じる気配は全く無い。

 

 

ザガン

「『会話とは戦争』か……良いこと聞いちゃったねえ」

「さて……誰でも良いからさ、ちょっと確認させてくれないかな?」

「ビルドバロックの事は、昔にそういう建物を潰して回ってたとは聞いた事あるよ」

「それを踏まえて聞きたいんだけど……中央は『無駄』な事を禁止してるよね? 芸術とかさ」

 

 

 抗議者が卓を殴って応えた。もう議席持ち達も、この音に慣れてきていた。

 

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「茶番も大概にしろ。もうここにオマエの味方は居ない」

「話を逸らして誤魔化そうったって、そうは──」

 

ザガン

「議会はどうなんだろうねえ!!」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「!?」

 

 

 ザガンは抗議者に目もくれず、議会の天井近くを見上げ、この場の全員に大声で問うた。

 

 

ザガン

「マトモに答えてくれるヤツも居ないなら……そろそろ反撃と行こうかな」

「ビルドバロック以降って事だよね? 生存にも戦争にも関係ないこと禁止し始めたの」

「だったらこの議会はどういう事かな? マグナ・レギオ直轄の都市もそうだ」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「な、何を……?」

 

ザガン

「寄り集まって話するだけなら、洞窟か平地でも用意すれば良いだろう?」

「ヴィータ体が環境に弱いにしたって、議会に住む訳じゃない。一時の場所であれば充分」

「なのにわざわざ、議会も街もヴィータの『巣』を真似してる」

「入り組んでて警備も手間、外で騒ぎが起きても音が届かない。『無駄』でしかない」

「こんな『飾り』だらけを、メギドの代表ぶってる中央議会の連中が雁首揃えて──」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「だ……黙れっ!!」

「オマエは……オマエは! 今! マグナ・レギオを侮辱した!」

 

ザガン

「侮辱? 私、議会は面倒くさいけど、マグナ・レギオを嫌ってるつもりなんかないよ」

 

 

 曇り無い瞳でまっすぐ、抗議者を見つめるザガン。

 

 

ザガン

「『やるべき事はやる』、『変えるべき事は変える』……議会らしい事してるつもりだよ」

「私の言葉が『どう』侮辱した事になるのか……ちゃんと説明してもらえるかな?」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「そ……!」

 

 

 議会が、ほんの一瞬だけザワつき、互いが互いを諌めるようにして静まり返った。

 

 

殺しても死ななそうなメギド

「(墓穴掘ったねえ。『侮辱』って言いたいのは全くよく分かるんだがね……)」

「(『マグナ・レギオを』って口にした以上、坊やの『立場』がアダになる)」

「(迂闊な野次も媚びも『マグナ・レギオへの』言葉になる。下手打てば『侮辱仲間』だ)」

「(勇み足踏んだ坊やの『逃げ道』が読めない今、的外れな加勢して機嫌損ねりゃアウト)」

 

えげつなさそうなメギド

「(議席持ちが監視する場で、『侮辱した』とスジが通せる言い分は2つ……)」

「(1つは、議会も街も、ヴィータと無関係に、完璧な機能性に基づいてると証明する事)」

「(もう1つは指摘通り、中央が自ら議会という『無駄』をおっ建ててたと認める事)」

 

殺しても死ななそうなメギド

「(『証明』は、まず無理。坊や自ら、口八丁も『私的』反論も殺しちまったからねえ)」

「(『中央』を持ち出した以上、回答は『公式見解』しか許されない)」

「(この案件、答弁するなら議会と都市計画の資料を持ち込みが必須。用意してるわけがない)」

「(第一、『無駄』が有るから、フライナイツだのが『無駄』な仕事させられてるわけで)」

 

えげつなさそうなメギド

「(『認める』なんざ言うまでもねえ。自分の首まで揃って飛ばす事になる)」

「(軍団の顔に『中央』の名誉まで背負って糾弾したなら引っ込みも付かねえ……詰みだ)」

 

殺しても死ななそうなメギド

「(嫌だねえ。『個』が潰される『ヴィータ的』実例を目の当たりにさせられちゃったよ)」

「(ま、そこまで読み取れるほど頭の回る連中も少なかろうよ。坊やの不幸中の幸いかな)」

 

えげつなさそうなメギド

「(ここまでの行き当たりばったり考えれば、狙ってやったわけじゃねえだろうが……)」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「う……あ、う……!」

 

ザガン

「悩むような事かなあ……? まあいっか」

「言っとくけど、別に本気で議会や街に文句があるわけじゃないよ。でも、分かるかな?」

「『当たり前』だから、損はしてないからって見向きもしてない矛盾がそこら中にあるんだ」

「説明するには結局、1つしかないと思うんだよ。そこには私達を変える『強さ』が働いてる」

「ビルドバロックで『淘汰』されてもまだ、疑問も持たせず『ヴィータ』を溶け込ませてる」

「何て言うのが一番かな……ヴィータが作り出した、『可能性』みたいな?」

「それが私の知ってる、ヴィータの『技』。ヴィータの『強さ』だよ」

 

 

 議会全体を見渡すようにしながら、意気揚々と主張するザガン。

 

 

議席持ち達

「……ッ!」

 

殺しても死ななそうなメギド

「(やれやれ。呆れた与太話だってのに、坊やのお陰で誰もあのドクズを止められない)」

「(坊やが動かなきゃ否定も肯定も出来ないのに、当の坊やが自分で首締めてりゃあね)」

 

えげつなさそうなメギド

「(独壇場だな。どうやら、一蓮托生で助け舟出すようなタマも居ねえらしい)」

「(上役だけ崇拝して、他所は一括りで見下すタイプかねえ。とんだ『舐めたがり』だぜ)」

「(やっぱ表舞台に出張った所でロクな事にならねえな。議会でも戦場でも)」

 

 

 スポットライトを浴びているかのようにザガンはますます気勢を増し、いつもの戦場のように、一方的に捲し立てていく。

 

 

ザガン

「さっきも言ったけど、ヴィータと『ヴィータ体』の優劣を付けてるのは殆どフォトンだ」

「なら、こうも考えられるんじゃないかな。『フォトン以外の技』があれば並び立てるって」

「互いが与える影響は違っても、見過ごせないモノなら、それを『弱い』とは言えないよね?」

「私達がヴィータの命を操れるように、ヴィータも私達の『在り方』を操れる」

「いや……『それ』より早く、私達の『強さ』がヴィータと『並ぶ』日も来るかもしれない」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「……っ……っっっ!」

 

殺しても死ななそうなメギド

「(全力で肩ぁ震わせちゃってるねえ、見てる分には痛快だ)」

「(まあ、あの感じなら……『そうする』気かな。一番無難だし、私だってそうするだろう)」

 

ザガン

「これは絶対、飛躍した話なんかじゃない。現にフォトンを使った戦争は縮小し続けてる」

「殆どの戦場で、メギドはヴィータ体のまま、フォトンをケチりながら『技』を使ってる」

「代わりに、武器、油、鉄、それに罠や地形や陣形。どこも『ヴィータの技』頼みだ」

「私達とヴィータを決定的に隔ててるっていう『力』は失われて続けてるんだよ」

「今より本当に『どうしようも無く』なったら、メギドの戦争はどうなると思う?」

「フォトンを全く使えない、『ヴィータ戦争』の時代が来る。それくらい私でも分かる」

「このままなら私達は、肉体を変えたり長生きできるだけの『ヴィータ』に成り果てるんだ」

「そこまで行かなくても、近い内に、いつか必ず来ると私は思ってる」

「フォトンの優位が曖昧になって、『メギド体がヴィータ体に倒される日』が」

 

退屈なメギド

「ん、んなモンあるわけ──!」

 

おざなりなメギド

「(バ、バカ座れ!)」

「(お前の野次1つで、あの『イカレメギド』黙らす反論が潰れるとも限らねえんだぞ!)」

「(そうなったらお前、軍団もろとも懲罰局の『腹いせ』食らわされるぞ……!)」

 

退屈なメギド

「(う……)」

 

ザガン

「『傀儡計画』はフォトン対策の一環……フォトン不足『だから』やる作戦なんだろ?」

「『傀儡計画』を実行する必要がある限り、『フォトン優位の崩壊』もついて回る」

「なら、『どっちが早いか』の違いでしか無いんだよ」

「私達がヴィータ並に『落ちる』か、ヴィータがメギド並まで『這い上がる』か……!」

「『ヴィータだから』でソロモン王を道具にすれば、その『報い』は近く、私達に返ってくる!」

 

えげつなさそうなメギド

「(結果として、『受け手』に回った相手に調子こいたせいで反撃もらったわけだ)」

「(後はもう、力も知恵も出せねえこの場で、丸裸で妄言聞かされるしか無え)」

「(……『もうしばらくは』、な)」

 

 

 色眼鏡の下で、議長に目をやるスーツのメギド。

 議長は腕組みしてザガンの言葉を聞いているようでありながら、自身の卓上に視線を落とし、何かを凝視している。

 

 

ザガン

「私も、ヴィータが本当に『どうしようも無い』生物だったら、どう思うかは分からないさ」

「けど、だからってヴィータの考えにメギドが合わせるのが『おかしい』とは思わない」

「それが問題になるなら、『逆』だってロクな事にならないはずだ」

「メギドの考えをヴィータに押し付けて、こっちの思惑通りに転ぶ保証なんて無いだろ?」

「『支配』するだけなら、互いの利害を確認しあって、それからでも問題無いはずだ」

 

議長メギド

「…………」

 

ザガン

「ヴィータが『弱い』から『対等』は無理だって言うなら、試しに考えてみなよ」

「万一、ヴィータ相手にメギドが下手に出なきゃならない場面が一度でも有ったらどうする?」

「逆に、メギドをヴィータ並に容易く屠れる異種族の世界とゲートが繋がったらどうする?」

「ヴィータを『尊重』するくらいなら、世界と一緒に自決する方が素晴らしいと思えるか?」

「メギドを『フォトン袋』扱いされて、ヴィータみたいに使役されても受け入れられるか?」

 

議長メギド

「……」

 

ザガン

「ここに居る全員がそうとは思わないよ。けど、君らの中に確実に居るヤツらに言っとく」

「君らは『弱いから認めない』んじゃない。『強くなくなる自分が怖い』だけだ」

「弱い、汚い、悪いモノに、少しでも憧れる所があるなんて、考えるのも怖くて吠えてるだけだ」

「本当に『強い』なら、そんな『意固地』を一度は捨ててみせなよ」

「君らは『対等以上』へ這い寄る存在が怖くて、何としても認めない理由を欲してるんだ」

「君らの中にも、『心当たり』あるんじゃないの?」

「私も『思い知った』側だから、敢えてナニとは言わな──」

 

議長メギド

「……そこまでい!」

 

ザガン

「おっ……とっ、とぉ?」

 

 

 議長が一喝した。

 考えていなかった方向からの横槍に、思わず立ち止まるザガン。

 議長は、自身の卓に置いていた懐中時計を手に取った。

 

 

議長メギド

「時間一杯……議論は終わりじゃ。議席持ち全員、これ以上の議題への言及は認められん」

 

ザガン

「えー、せっかく勢いノってきた所だったのに……ちょっとくらい伸ばせない?」

 

議長メギド

「出来ぬ。おぬしが『反対』を表明した時には、既に延長を挟んだ後だったのじゃぞ」

 

ザガン

「ありゃ……眠たくても、頑張って最初から話聞いときゃ良かったな……」

 

議長メギド

「ほれ、お主も早う自分の席に戻れ」

 

ザガン

「はーい……」

 

 

 ふてくされながら従うザガン。

 イタズラがバレてお仕置きくらった後のインプのように無邪気だった。

 

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「……ふぅ……」

 

殺しても死ななそうなメギド

「(やっぱり『そうする』よねぇ。詰んでるなら盤面ごと放り出すしかない)」

「(冴えない選択だが……その冴えない選択を選べる程度にはオツムが残ってたようだ)」

 

えげつなさそうなメギド

「(議会は流れ作業……『時間切れ』を狙うのが最もダメージが少ない)」

「(水入りにできなきゃ、議会は今頃、メンツに狂ったメギドに叩き壊されてたろうよ)」

 

殺しても死ななそうなメギド

「(結果としちゃ、この『醜態』は表沙汰にならんだろうから、ギリギリ坊やの勝ちかな)」

「(坊やがポッと出のクズに翻弄されたなんて漏らせば、坊やの『背後』に睨まれる)」

「(自分達も、坊やに顔色伺って何も出来なかったなんて知られれば体裁が木っ端微塵だ)」

「(まあ、『ただの代理』の私には体裁なんて関係ないのだが、それでもねえ……ククッ)」

 

えげつなさそうなメギド

「(頭の回る連中なら、参加者を数人ほど適当に憶えておけば、後々『弱み』に使える)」

「(結果、アホも黙る、知恵者も黙る、議会が主戦場の大物どもは言うに及ばずってな)」

 

 

 ザガンがしっくり来ない面持ちで着席したのを見届けてから、議長が口を開いた。

 

 

議長メギド

「これより議決に移る。初参加の者もおるので、形式として手短に説明するぞ」

「議長こと儂が『賛成・反対・保留』を順に問う。選択に沿う者は起立で応じよ」

「中立の儂を除く起立者を数え、最多の選択を『中央』の方針と定義する。では──」

「本議題、『傀儡のソロモン計画』……『始動の是非』を決する!」

 

ザガン

「え? 『始動の是非』……?」

 

退屈なメギド

「(あれ? 何か、足されてね?)」

 

おざなりなメギド

「(長えから縮めて呼んでただけだっての)」

「(計画1つにも軍団やらフォトンやら費やすから、準備にもいちいち承認が要るんだよ)」

 

議長メギド

「まず……『賛成』の者、起立!」

 

 

 議長の指示に続いて、『賛成』派が続々と席から立ち上がる。

 ザガンのすぐ隣の席からも議席持ちが起立する。

 無論、ザガンは着席を保っている。足を組みながら、リラックスして成り行きを眺めていた。

 

 

ザガン

「(流石に、1戦交えただけで議席持ち全員に勝てるなんて期待しちゃいない)」

「(でも、これだけ言えば通じてるはずだ。『力』だけが『強さ』じゃない事……)」

「(ヴィータとも『強さ』を見つけ合えれば、『個』の在り方も豊かになっていくんだ)」

「(『戦争』が出来ないなら、命を賭けたくなる『場』を探せば良い。こいつらも少しは──)」

「(少、し、は……あれ?)」

 

 

 見る見る表情を歪ませ、思わず身を乗り出すザガン。

 

 

ザガン

「あれ、あれ……あれぇ?」

 

 

 前を見て、横を見て、躊躇いなく背後も振り返った。

 全てのメギドが、ザガンを見下ろしていた。

 

 

ザガン

「わ……私以外、みんな……!?」

 

議長メギド

「そこまで。『賛成』過半数を確認……本議題を『可決』とする」

「時間を延長しておる故、規定に基づき、『反対』と『保留』の計上は省略じゃ」

 

ザガン

「そ……」

「そんなバカなっ!?」

 

 

 席を蹴飛ばさんばかりに、床を踏み抜かんばかりに立ち上がって叫ぶザガン。

 

 

殺しても死ななそうなメギド

「おいおい、今から起立したって、『賛成』票には入らないよ?」

 

ザガン

「そんなの分かってる! 『賛成』する気なんか無いっ!」

「皆、ちゃんと聞いてくれたじゃないか、私の話!!」

 

殺しても死ななそうなメギド

「ハッ、こりゃあ普通にガッカリだ。まさか本当にバカ丸出しだけでやってたとは」

「たっぷり聞いたとも、『嫌になるほど』。誰がお前に『くみする』もんかってくらいに」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「オレは確かに言ったぞ? ここに、オマエの味方は、居ないと」

「まさか本気で思ってたのか? オマエの言葉1つで、メギドラルが、議会が革命できるとでも」

 

ザガン

「け、けど、ヴィータの『可能性』は確かに──」

 

えげつなさそうなメギド

「認めた所で結果は同じだ」

「『良い所』なんざ、見つけようと思えばどうとでも『繕える』もんさ」

「だが、奴らは弱く、愚かで、知性も品性も下等な、ただの喋るフォトン袋だ」

「どんなにご立派か謳った所で、見下げ果てたものが1つあれば全部台無し──」

「『当たり前』の話だ。メギドでもヴィータでもな。勝手な夢ぇ見すぎなんだよ、テメェは」

 

ザガン

「ぅ、ぁ……」

 

 

 よろめくように席に腰を落とすザガン。

 同時に、議会の四方八方から、怒りでも嘲りでもなく、ため息が相次いだ。

 心の底から、「面倒なもの」に突き合わされた疲労と嫌気を拭い去らんとするように。

 

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「(フン、自分の中だけで完結して、『個』と『他』を取り違える……)」

「(メギドなんて、大概がそんな小物ばかりだ)」

 

優美なメギド

「(よしんば心打たれたコが居ても……議題はサタン派の一大プロジェクトだものねぇ)」

「(この大観衆の前で8魔星に背くなんて……議席持ちなら『普通』は出来ないもの)」

「(精々、『何もしないけど心の中で応援してます』ってトコかしら……フフッ♪)」

 

議長メギド

「作戦の詳細は、後日の議会で話し合うものとする。皆の衆、心しておくように」

「以上。次の議題まで、30分の『休憩』とする。解散!」

 

 

 議席持ち達がゾロゾロと席を離れ、議場を去っていく。

 

 

殺しても死ななそうなメギド

「ハァ~ア、やっと終わった……30分もあれば、流石にノロマの上司もご到着するだろう」

「椅子を温めるだけの仕事なんて死にたくなるね。『力』が欲しいもんだ……」

 

考えるだけなら得意そうなメギド

「今に見てろよ……」

「(だがアイツを潰すために、今日の事を隠蔽したまま、どこまで『動かせる』か……)」

 

 

 抗議者も仮面のメギドも、思い思いに議場を出ていく。

 またたく間に顔ぶれがまばらになっていった。

 うなだれるザガンの元に、影が1つ歩み寄る。

 

 

えげつなさそうなメギド

「よお」

 

ザガン

「……やあ」

 

 

 少し間を置いて応じるザガン。

 ゆっくりと上げた顔は、まだ現実を受け入れきれていない様子だったが、口元だけは笑みを保っていた。

 

 

えげつなさそうなメギド

「この『休憩』はな、本質は議会の計らい……『根回し』のチャンスなんだ」

「軍団員以外のメギドと殺し合い以外で顔合わせなんざ、そうは起きねえからな」

 

ザガン

「へえ……」

 

えげつなさそうなメギド

「たった30分だ。その間に、大物どもは『反対』の議席持ちを『賛成』にひっくり返す」

「時には、数十年も癒着して意地張り続けてたメギド連中すらも、だ」

「ここは、そういう『戦場』だ」

 

ザガン

「そっか……ハハ、真正面からブチ抜くなら得意だったんだけどな」

 

えげつなさそうなメギド

「ああ、無様だ。見てるだけでムカついて嬲り殺したくなる」

「準備もなしで突っ込んだクセに、『当然』の始末に打ちひしがれる自惚れっぷりは特にだ」

「……『普通』なら、な」

 

ザガン

「……?」

 

えげつなさそうなメギド

「藪から棒だが……『衆愚』って言葉、知ってるか?」

 

ザガン

「聞いた覚えは、無いかな」

 

えげつなさそうなメギド

「平たく言えば、『群れたバカども』って意味だ。ヴァイガルドから『輸入』された言葉だ」

「何が言いたいか、分かるか?」

 

ザガン

「今は、ちょっと……考えるの、得意じゃないんだ」

 

えげつなさそうなメギド

「結構。俺は『舐めたがり』や『インテリ気取り』よりは『お優しい』からな」

「ヴィータは、自分らでも分かっちまうくらい『どうしようも無い』のさ」

「その愚かさで見落とす事も許されないほどに、愚か過ぎる。獣の体臭みてえにな」

「だから作った。『衆愚』って言葉を。作った自分が、少しでも衆愚じゃ無えと思えるように」

 

ザガン

「君が反対した理由が……ヴィータが『衆愚』だから?」

 

えげつなさそうなメギド

「まあ、それもあるがな。俺は、議会という『戦場』で勝ちを取りに行っただけだ」

「だが……んなこたどうでも良い」

 

 

 親指でクイと背後を指差すスーツのメギド。

 

 

えげつなさそうなメギド

「てめえは、『よくやった』よ。皮肉抜きにだ」

 

ザガン

「……!?」

 

えげつなさそうなメギド

「ところで……ヴィータには『習性』があってな」

「群れれば群れるほど、破滅的で誰も得しねえ愚策ばかり、名案と思い込んで有難がる」

「俺が発見したと思ったら、どうやらヴィータの学者も『習性』をとっくに見つけてたらしい」

 

ザガン

「そういう事も分かっちゃうくらい『衆愚』だったからって、君は言いたいの?」

 

えげつなさそうなメギド

「まあな。そこまでどうしようも無きゃ、『尊重』したくたって出来やしねえだろ」

「で、だ……議決にもつれこむまでの『奴ら』が、まさしくその『衆愚』だったのさ」

「テメェは、議会のメギド達を、ヴィータの『衆愚』にまで蹴落としたんだ。たった1人でな」

 

ザガン

「……私は、議会の皆をバカにしたかったわけじゃないよ」

 

えげつなさそうなメギド

「テメェの思惑なんざどうでもいい。メギドが他所の『功』をタダで讃えるもんかよ」

「面白ぇモン見せてもらった。後はテメェがどこでくたばろうが知ったこっちゃねえ」

「だが、ヴィータの体を持てば、メギドも『習性』に振り回される。俺には大助かりだ」

「ヴィータの『習性』を利用して蹂躙するのが、俺の軍団の仕事だからな」

 

ザガン

「じゃあ、メギドも……?」

 

えげつなさそうなメギド

「そうさ。ガンコナーで『試した』時とは比べ物にならん大収穫だ」

「上手くいけばウチの技術は、ヴィータ体のメギドにも応用できる」

「テメェが赤っ恥晒してくれたお陰で、俺は間違いなく大出世できる。『ありがとよ』」

 

ザガン

「どういたしまして。……でも、そうじゃないんだ」

 

えげつなさそうなメギド

「?」

 

ザガン

「メギドも……ヴィータと同じ心を分かち合える……って事にも、ならないかな?」

 

えげつなさそうなメギド

「……」

「くっ……くはっはっはっは……ひゃははははははっ!!」

 

 

 ひとしきり爆笑した後、スーツのメギドがザガンの元を離れていった。

 

 

えげつなさそうなメギド

「いっぺん死んどいた方が良いぜ。マジで」

「そこまでトチ狂ってちゃ、もう腹立てる気にもならねえや」

 

 

 スーツのメギドが退室すると、議場に残ったのは3人だけだった。

 ザガンと、議長と、金髪の女メギド。

 議長がザガンに呼びかけた。

 

 

議長メギド

「何と言ったものか……」

「少し、この年寄りの話も聞いてみてくれぬかの?」

 

ザガン

「良いよ。別に、やる事も無いし」

 

議長メギド

「かたじけない」

「儂は立場上、中立でなくてはならんのじゃが──」

「おぬしのようなメギドが居った事を、嬉しく思うとる」

「先ほどおぬしを笑い飛ばした若造のような意味でなく、純粋にの」

 

ザガン

「ありがと」

 

議長メギド

「じゃから、これは儂の個人的な『お節介』じゃ」

「おぬしの今後のために、『忠告』を2つ。聞く聞かぬはお主の自由──」

 

ザガン

「も~、『遠回し』な建前はいいから、遠慮しないでジャンジャン来ちゃってよ」

 

議長メギド

「うむ……では、まず1つ」

「先の若造も言っとったが……議席持ちは、単なる『力自慢』の集まりではない」

「あやつら口で言うほど、ヴィータの『可能性』に気づいとらんわけでも無いのじゃよ」

 

ザガン

「その割には、皆して『どうしようも無い』ばかりだったけど?」

 

議長メギド

「『風潮』というものがあるからの」

「ヴィータやハルマを認める事には、多大な覚悟が要求される……そういう時代なのじゃ」

 

ザガン

「周りの悪口なんて、気にしたってしょうがないのになあ」

 

議長メギド

「悪口とて、幾千幾万と集えば、嵐となってメギドも殺せる……派閥も軍団も超えてのう」

「本当は、あやつらも分かっとる。最悪の事態、万一の『可能性』……」

「あらゆる『視点』から備えられねば、今頃とっくに議席も命も失くしておる」

「ヴィータの倫理を心得とる者も少なくないぞ。『尊重』する利点ものう。それでも──」

「おぬしが説いた『可能性』も全て踏まえて、その上で、あやつらは『傀儡計画』を選んだ」

 

ザガン

「……わっかんないなあ」

「『生きてる』って思えるために、メギドは命を賭けるんだ」

「操るだけの戦いも、操られる戦いも、なんか『違う』。それが『個』じゃないかな……」

 

議長メギド

「言わんとする事は、なんとなく分かる……」

「じゃがの……忠告その2じゃ」

「メギドは……メギドラルはな、『貧しい』んじゃ」

 

ザガン

「……フォトンが?」

 

議長メギド

「うむ。メギドの資源はフォトンのみ。ヴィータのような『金銭』すら価値を見出さなんだ」

「そんなフォトンが足りぬなら、それは生きるための、ありとあらゆる全てが足りぬも同然じゃ」

「ヴィータの言葉に、『貧すれば鈍す』とある。貧しい者は、脱却する術も無いという意味じゃ」

「選ぶという行為さえも、否応なく狭められてしまうのじゃよ」

 

ザガン

「だったら、その『術』を広げられるように皆で考えて──」

 

議長メギド

「それでは、まだ甘い。『術』を広げる『術』が無いのじゃ」

「ヴィータ体でも戦い抜ける武器を持とうにも、武器を着ける手足が無いようなものじゃ」

 

ザガン

「そ……そんなに?」

 

議長メギド

「この例えですら、まだ甘いほどにな」

「互いのために、未来のために望ましい選択……それが有るとは分かっておっても──」

「地道で長大な計画には、時間もフォトンもかかる。失敗すれば全ては水の泡……」

「より多くのフォトンに挑むためのフォトンが無い。ならば……」

 

ザガン

「とにかく『やる』しかない……か。すぐにフォトンが得られそうな計画から、手当り次第」

 

議長メギド

「短絡的でも、横暴でも、無茶でも、もはや本末転倒でも、じゃ。他に手が無いからの……」

 

ザガン

「『傀儡計画』も……?」

 

議長メギド

「それは、儂の口からは何とも言えん」

 

ザガン

「……」

 

議長

「おぬし……次の議題にも出るのか?」

 

ザガン

「そうだねぇ……」

 

 

 ゆっくり立ち上がるザガン。そのまま『伸び』をした。

 

 

ザガン

「ん~~っん……ハァ」

「帰る。このままじゃ、『議会』を戦ってるメギドを困らせちゃうかもだし」

 

議長

「ほっほっ、もう充分、困らされとったと思うがの」

 

ザガン

「さっきのとは別だよ」

「私と同じ意見にだけはしたくないとかでさ、余計に考えさせちゃうかも知れないし」

「気持ちのまま突っ走るだけの私のせいで実力出せないとか、流石に悪いじゃん?」

 

議長

「ほう……」

「あれだけ『しっぺ返し』を食いながら、まだ議席持ちのやり方を『尊重』すると?」

 

ザガン

「私に向いてない戦場だからって、ケチつけちゃ『格好悪い』からね」

 

議長

「か、格好……? むぅ、本当に変わったやつじゃのう」

 

ザガン

「フフッ。その『服』、似合ってるよ」

 

議長

「お、おう?」

「……のう。お主、見た所、議会より戦場を好む手合じゃろう?」

「良ければ、正直に聞かせてくれんかの。本当は、今も腹に据えかねておるのでないか?」

 

ザガン

「……うん。出来るなら、今すぐ議会なんて更地にしてやりたいくらい」

 

 

 言葉とは裏腹に、口調も表情もスッキリと、笑顔で語るザガン。

 

 

ザガン

「でも、それは『したくない』」

 

議長

「したいのに、『したくない』とは……これ如何に?」

 

ザガン

「うーん……今、思いついたんだけどさ」

「議席持ちなら、『反対』したくて堪らなくても『したくない』時って、あるんじゃない?」

 

議長

「ほほう……」

「感情任せと思いきや……中々、『芯』のあるメギドであったか」

「また会える日を楽しみにしとるぞ。ここは余り『良い所』でも無いじゃろうがな」

 

ザガン

「頭冷やして、気が向いたらね♪」

 

 

 ザガンも、議場を去っていった。

 

 

優美なメギド

「(一直線なトコは可愛かったけど……)」

「(私も『今』はもう、『つまみ食い』は控えなきゃだしね……)」

 

 

 

 

 

 

<GO TO NEXT>

 

 




※ここからあとがき

 日頃から原作のように、会話で充分な描写がなされるよう「ト書き」を簡潔に済ます事を心がけているのですが、今回は舞台が終始議会でキャラの動きも少なく、いつものノリでは些か説明不足な気もしています。
 小説書くのは難しい……。

 書いてみたい事を書きまくって、不自然にザガンさんの知能指数が乱高下してしまったかも知れません。
 ヴィータの思春期によくある、夢見がちなのに理論武装したがる頃だったという事で。
 取捨選択の未熟さは、文字数の問題にも繋がるので、強く反省していきたい所存です。

 考えるだけなら得意そうなメギドの原作での活躍は、例の満を持してのイベント以外で未確認なため、原作より"かわいく"描写しすぎてるかもしれません。何卒、大目に見ていただければと。
 ついでに優美なメギドも同イベントの姿しか確認してないのでキャラが少し違うかもです。(シトリーさんを最初期からお迎えしてるのに、このていたらく……)
 派閥に関係なくザガンさんが猛反発されてるのは、議長の「忠告」にも一部ある通り、既に傀儡計画が充分な推敲の上で軌道に乗りつつあるからです。つまり、「全」の観点で言えば、急にやってきて中途半端な知識で水を差してきたザガンさんの方に非が大きいです。
 筆者の脳内では、ここでザガンさんが一石投じた結果、傀儡計画が原作の形に一部修正されたり、この作戦に対する議席持ち達の最終的な認識に繋がってたりして……なんて妄想してます。
 まあ、まだメギモンとかにも会って無いので、もしかしたらとんでもない食い違い描写になってるかもしれませんが……。
 この辺の説明を差し込む箇所を見繕えなかったので、言い訳半分にここで書いておきます。

 あと、リジェネおじいちゃん等をお迎え出来ていないので、当時の議長が誰かは筆者の中で定まっていません。適度に脳内補正していただけると幸いです。



 メギトレのようなストーリー無しにそこそこ期間のあるイベントは、正直ちょっと助かります。
「ストーリー読まなくちゃ」と身構えなくて済む分、メインクエストやキャラストを読む時間を作れる(かもしれない)ので。
 どうにか、おじさまも召喚できましたし。
 ここからメインクエでのザガンさんの活躍が増えると思うと、ワクワク半分、おっかな半分。

 点穴や連撃でターンかけがちだったので、筆者はラッシュ編成がちょっと苦手なようです。
 特に点穴は前々から何故か苦手意識が……。



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EX「捏造キャラストーリー:ザガン編 第4話」

 約17年前のメギドラル。マグナ・レギオ懲罰局にて。

 処分待ちのメギドを収監する房の一室。

 カツカツと足音が響き、ある地点で止まった。

 足音の主である女メギドが、獄に繋がれた元・上司に冷ややかな目を送った。

 

 

女メギド

「気分はどうだ? 元・軍団長サマよ」

 

???

「……」

「まずは……」

 

 

 ヴァイガルドの地下牢のような石造り。獣同然の檻から向こうに床は無い。

 収監者は手首に枷を強いられ、そう高くない天井と鎖で繋がれ宙吊りにされている。

 文字通りに立場を失った全裸の女メギドが、弱々しく、困ったように微笑んだ。

 

 

ザガン

「まずは……メッッッッチャ肩が痛い」

「明日あたり外れてるよコレ。追放される事より、先にこっちでメゲそう……」

 

女メギド

「……」

 

 

 苛立ちを隠さず、女メギドが足元の石畳をガツンと踏み鳴らした。

 檻の格子のすぐ下で、ヒュッと風切る音が走った。

 

 

ザガン

「ぐぅっ……!」

 

 

 どういう仕掛けか、檻の内側直下に設けられた射出口から鉄杭が飛び出し、ザガンの足を貫いた。

 既にザガンの足は、女メギドが訪れる以前に放たれたのだろう数多の鉄杭で剣の森のようになっていた。

 

 

女メギド

「効くだろう? この独房、元は『物好きな拷問担当』の『執務室』なんだとよ」

「その檻も『拷問担当』の置き土産だそうだ。杭も特別『痛む』ように削られてる」

「……だから真面目に答えろ。突っ走る地べたも、足も失くして、どんな気分だ! えぇ!?」

 

 

 全身から冷や汗が珠になって浮くザガン。

 震わせながら呼吸を数回挟み、体の所在を確かめるかのように、ゆっくりと口を開く。

 

 

ザガン

「……お陰で、君にここまで来てもらう事になっちゃって──」

 

 

 石畳が、砕けんばかりに二度、三度と踏み込まれた。

 足踏みの数だけ、互いに場所を奪い合うように、ザガンの足に鉄杭が分け入っていく。

 

 

ザガン

「ッッ……が、ぁ……!」

「……っくは、ぁ……っは、ぐ……ハッ……!!」

 

 

 激痛で呼吸もままならないザガン。痛みの余り冷や汗は一挙に噴き出し、髪、顎、鼻先を伝って垂れ落ちていく。

 ヴィータ体が反射的に目を見開かせる。腹筋を固めて痛みを紛らそうとするが、吊るされっ放しの腕はとうに痺れて感覚が無く、伴って背筋を引き上げられず、故に腹を収縮させる事もままならない。

 足を引き上げようとすれば、筋肉の収縮で埋まった鉄杭が削れ合う。

 心を保つ全てを妨げられ、ただただ無防備な激痛に神経を焦がすしか無かった。

 

 

女メギド

「いい加減にしろよ、お前……」

「自分が今どんなザマなのか、分かってんのかよ!?」

 

ザガン

「ぁぅ、あ……ふぅぐ…………ふ、ふふ、ふ……」

「君に蜂起されて、私は、追い落とされた……君の華麗な大勝利……有ってる?」

 

 

 ヴィータ体の防衛機構が、意思と無関係に顔中から体液を垂れ流している。

 ザガンは顔のあちこちに髪をへばり付け、それでも、みっともないくらいに笑んでみせた。

 

 

女メギド

「『ザガン』が笑って言う事かぁっ!」

 

 

 石畳が踏み鳴らされた。

 射出の度に角度を変えて飛び立つ鉄杭は、今まで取っておいていたかのように、ザガンの膝を真正面から抉り、皿を砕き、関節を押し外して貫いた。

 

 

ザガン

「ぎぃ!? ぃっぎぃ……ひ……!」

 

女メギド

「セルケト如きに執着しだしてから、お前は『おかしく』なるばかりだった……!」

「陳腐なセルケトの真似まで始めて、お陰で部下どもの支持は右肩下がり!」

「議会なんぞにまで首突っ込んで、大恥かいて逃げ帰って……これ以上付き合えるか!!」

「お前に責任取らせないで、これ以上軍団なんて続けられるかよっ!」

 

ザガン

「うぷっ……ぐっ……はっ……はっ……」

 

 

 苦痛の余りにこみ上げた物を胃袋に押し戻し、呼吸を整えるザガン。

 

 

ザガン

「……凄かったよ。副長の攻め……『電撃作戦』って言うんだっけ」

「メギド体にさせる暇も与えず、しかもとんでもない火力で……格好良かったなあ」

 

元・副長(女メギド)

「お・ま・え・はぁ……!」

「いつまで『繕う』気だザガン! 追放刑だぞ!? この期に及んでふざけるな!!」

「悔め! 嘆け! 恐れろ! 憎め!!」

「お前を堕落させたセルケトを! まんまと誑かされた自分自身を……!」

「お前を裏切り、こんな所に放り込んだ、この、オレをぉ!!」

 

ザガン

「……」

「……私さ……私、『決められた』んだよ」

 

元・副長

「……?」

 

ザガン

「セルケトの言葉に動かされて、今こうしてるのは間違いないと思うよ。けど……」

「今も『こんな私』を続けたいと思ってるのは、私が『そうしたい』って、選んだからだよ」

「喋り方とか、考え方とかさ。探せばどんなメギドでも、どこかしら似てる所はあるもんだろ?」

「『っぽい』とは自分でも思うけど、今の所は、『コレが気に入ってる』って、それだけ」

 

元・副長

「自分の『おかしさ』に気付かないヤツは、いつだってそう言って──」

 

ザガン

「……副長の前では、私が『見せたい私』で居たいしね」

 

元・副長(女メギド)

「!?」

 

ザガン

「……これは結局、最後まで変えれなかったなあ。私の『個』は、君なしじゃ語れないのかもね」

 

元・副長

「そんな……そんな『なよっちい』ザマが、オレに『見せたい姿』だと!?」

 

ザガン

「……君こそ、さ。それが、私に『見せたい姿』なの?」

「部下たちのために『繕った』、2代目軍団長としての君が」

 

元・副長

「……!」

 

ザガン

「君の『技』、隠れた敵とか罠を探すのが得意だったよね」

「このタイミングなら2人きりで話せるって分かって……だから来てくれたんじゃない?」

 

元・副長

「……つ……『繕った』お前なんかに、会うためじゃ……ない……!」

 

ザガン

「……」

 

 

 暫し沈黙したザガンは、一瞬、笑みを悲しそうに歪めた後、俯いて、また数秒。

 そして顔を上げた。

 かつて、戦争を前にするたびに見せていたような、勇ましく不敵な笑みだった。

 

 

ザガン

「……」

「……」

「……悪いな、スヴァル。オレはもう……『ザガンの真似っこ』は飽きちまったんだ」

 

元・副長スヴァル

「……!!」

 

 

 そして、またすぐにザガンの笑顔は、柔らかく弱々しい物に戻った。

 スヴァルはザガンの言葉を聞いた途端、上ずった声をあげ、よろめいた。

 そのまま膝から崩れ落ちかけ、途中でハッとなって、落下する自身の体を手で支えようとした。

 掌を石畳に突いて、肘を曲げ、終いには全身で石畳に寝転んで、少しでも着地の衝撃を和らげようとした。

 スヴァルが、不安に似た何とも言えない顔でザガンを見上げた。

 直後にヒュッと、例の風切り音が聞こえ、スヴァルは目を瞑り、顔を背けた。

 

 

ザガン

「ぐあっ、ぅ……ぐ、ぅぅう……!」

 

 

 ザガンの悲鳴が獄を彩る。スヴァルは、ザガンと苦悶を分かち合っているかのような面持ちで、耳まで塞いだ。

 たっぷり間を置いてから、スヴァルはヨロヨロと身を起こした。石畳に刺激を与えないよう、慎重に。

 そして、舞台の上で悲劇を嘆く女優のように座り込んだ。如何にも「女々しい」姿勢で。

 

 

スヴァル

「……分かる……分かって、しまう……」

「上辺だけ真似たって……もう、あの頃の『ザガン』と、決定的に違う……」

「何故……何故、そんな姿に……こんな事に……!」

「なって……しまったのですか……軍団長ぉ……」

 

 

 ザガンが痛みで堰き止められた呼吸を整え直し、スヴァルを見つめ直した。

 

 

ザガン

「……」

「軍団の皆の立場を悪くした事、君に辛い仕事をさせた事……本当に悪いと思ってる」

「けど……それでも私は自分を、自分の『個』らしくしたかった」

「皆を巻き込んででも、そうある事を選べちゃう……それが『私』だったんだ」

 

スヴァル

「違うっっっ!!!」

 

 

 怒声とも悲鳴ともつかない声で遮るスヴァル。

 

 

スヴァル

「そんなもの、絶対に違う! あなたの『個』だなんて、絶対に……!」

「あなたは……『ザガン』というメギドは、そんな曖昧な笑い方はしない!」

「笑う時は腹の底から! 怒る時は前置きも無く本気で!」

「そんな……そんな『真っ直ぐ』なメギドだった!」

 

ザガン

「今も、私は『そう』してる」

 

スヴァル

「してないっ!」

「どうか……もう、やめてください。そんな、無理矢理な、儚い『ザガン』は……!」

 

ザガン

「『ハカナイ』、か……転生したら、調べてみようかな。なんて──」

 

スヴァル

「そうやって!!」

 

 

 再び遮るスヴァル。

 

 

スヴァル

「そうやって、また誤魔化して……私にまでっ!」

「今の『ザガン』が、どれほど成れ果てても……あなたは『回り道』なんてしない!」

「あるはずでしょう。本音が……弱音が! 私を……私を憎いと言いなさいっ!」

「2人だけなんです……最後なんですよ!? 私にくらい……打ち明けてくださいよ!」

「私が見初めた頃の、『本物』のあなたを! 汚さも、不条理も、全てっ……!!」

 

 

 ザガンを睨み付けるスヴァルの目は、威圧するようにも、縋りつくようにも見えた。

 

 

ザガン

「……」

「私に思いつく『一直線』、これしか無かったんだけどな……」

「でも……うん、最後だもんね。1つだけ……」

 

 

 求めに応じるようなザガンの言葉に対し、スヴァルの表情は些かも和らぐ様子は無かった。

 何故なら、ザガンは未だ以て、脂汗でドロドロの、激痛のストレスで土気色に塗りたくられたその顔を、泣き出すのをこらえるかのように頼りなく、どうにか綻ばせていた。

 

 

ザガン

「君には……君にだけは、笑って送り出して欲しかった」

「それが叶わないなら……いっそ、心の底から、見捨てて欲しかった」

 

スヴァル

「何を……?」

 

ザガン

「『付き合いきれないバカなヤツ』って。それでも、『無様に生きてみな』ってさ」

「でなきゃ、『こんなのを信じた自分がバカだった』って……」

「君に、私への未練とか罪悪感とか……そういうのを抱えさせるのだけ……やっぱり辛くって」

 

スヴァル

「そ……それ、だけ……? たった今、私に『お道化て』見せた言い訳、だけ……?」

「もっと、もっとこう……あるでしょう!? メギドとしての意地とか、無念とか……!」

「私が……私が求めた言葉は、『そんなの』じゃあ──!」

 

ザガン

「『そんなの』しか、無いんだよ。スヴァル」

 

スヴァル

「……!?」

 

ザガン

「上手く言えないけど……君は、私よりも軍団の皆の事を大事に思ってくれた」

「私なんて、部下も大事って思ってたクセに、結局やりたい事だけ突っ走っちゃって……」

「だから君には、嬉しいって気持ちと……謝りたい気持ちで、それだけで一杯なんだ」

 

スヴァル

「……ぁ……」

 

ザガン

「ありがとう、スヴァル。私の敵になってくれて」

「私ってさ、どんな壁が立ってても、進みたい方へ突き進んじゃうから、だから……」

「互いに本当に大切に思えていたから……君は私を討ち取って……止めてくれたんだと思う」

「そして……私は追放刑に『なれた』」

 

スヴァル

「ぁぁ……ぁ……」

 

ザガン

「あ、ちょっと待って。別に、こうなる事を『狙ってた』とかじゃないからね。私、頭悪いし」

「『落ちぶれたかった』とか、『ヴィータになりたかった』とかじゃ無くて……」

「私が、私の望むままの事をして……その『向こう』が見たかった。そんな感じかな」

「スヴァルと私とで、2人で選んで行き着いたなら、これ以上の事は無いよ。本当に」

 

スヴァル

「(軍団長が……)」

 

 

 体を小刻みに震わせながら、スヴァルがゆっくり立ち上がった。

 

 

ザガン

「軍団は……『プレアデス』の事は、よろしくお願いね」

「私のやり方をいつも陰で支えてくれた君なら、『このまま』にも『新しく』もしていけるよ」

「私みたいに突き進む事も、『カーブ』を曲がる事も。だから、軍団もまたすぐに大──」

「……? スヴァル?」

 

 

 スヴァルが亡者のような足取りで檻に近づく。

 床を刺激しないよう、両足を引きずらせながら、ゆっくりと。

 

 

スヴァル

「(ザガンが……)」

「(……『壊れた』……)」

 

 

 こじ開けんばかりに檻を握りしめるスヴァル。

 俯いた表情は、奥歯が砕けんばかりに食いしばった口元だけが辛うじて伺える。

 

 

スヴァル

「……ヤツ、さえ……アいツさえ゛……!」

「セルケトさえ、居なければ……こんな……こんな……ッ!!」

 

ザガン

「……」

「ちょっと言いづらいけど……どっち道、時間の問題だったよ」

 

スヴァル

「(……違う……)」

 

ザガン

「セルケトと戦ってる内に『気づいた』のは、ただの切っ掛けだよ」

「『私が理想の私と違う』って……セルケトに会わなくても、いつかはきっと、破綻してた」

「私はどこかで、『副長のための私』を演じようとしてたんだよ」

「ソレを苦しいと思った事は無いけど……ソレは私の脚を縦に貫く『軸』なんだ」

「ただ走るだけなら私を支えてくれるけど、少しズレれば私を傷つけ、躓かせる」

 

スヴァル

「(違う……!)」

 

ザガン

「多分、切っ掛けがセルケトじゃなかったら、もっと悲しい事になってたと思う」

「『ひとまずの目標』へ進もうなんて思えなくて、ズレてく理想しか見えなくなって……」

「あ、でも、セルケトに会って『変わった』って事自体はその通りかも?」

「『ただ私だっただけ』の私から、ずっと『私だ』って思えるみたいな……」

「明日の私がもっと楽しみになるみたいな……『格好良い』ってやつかな?」

「ハハッ、その辺は確かに『変わった』かも。昔は『格好』なんて言葉──」

 

スヴァル

「チ ガ ウ ッ !」

 

 

 全身全霊のスヴァルの拳が檻を殴った。

 ヴィータ体の腕力如きでは、脱出を許さぬ設備が揺らぐはずもない。

 逆にスヴァルの拳が割れ、夥しい血が噴き出し、伝い落ちた。

 

 

スヴァル

「あなたは……狂わされたんだっ……セルケトに……絶対にっ!」

 

ザガン

「……うん。そうかもしれない。私は、『そういう事でも良い』と思ってる」

 

スヴァル

「認めるな!! 弄ぶな!! 私の……私の『ザガン』をぉ!!」

 

ザガン

「セルケトが許せないなら、遠慮なく攻めに行くと良いよ。あいつも君に会いたがってた」

 

スヴァル

「うるさいっ! うるさぁいっ!!」

 

 

 ザガンが口を動かすたび、駄々っ子のように、檻で自分の拳を叩き潰して妨げようとするスヴァル。

 ザガンはその行為に驚く様子も見せず、笑顔で言葉を続けた。

 軍団立ち上げから互いに隣に在り続けたザガンには、スヴァルが「こうさせて欲しい」のだと分かっていた。

「そうする」ためにザガンの言葉が建前に必要だから、ザガンはゆったりと、散歩するようなペースで、さして必要でもない言葉を紡ぐ。

 

 

ザガン

「セルケトとの外交でさ、君が文句言っても、あいつの領地に君だけは遣わさなかったろ?」

「私さ、絶対にセルケトとスヴァルは会わせないって、決めてたんだ。どんな無理やりでも」

「あいつが副長を気に入ってるって聞いた時、何か……ムッとなっちゃって」

「何でか、君をあいつに『とられてる』みたいな気がして……でもさ」

「君が自分からそうしたいなら文句はないよ。きっと、あいつも『喜んで』応戦してくれる」

「だから……」

「……」

「……ね、スヴァル。もう、やめよ?」

 

スヴァル

「……ぐ……ぅう、ぅぅ……!」

「ぬ゛ぅぅうぅぅぅうぅぅ……っ!」

 

 

 打ち付ける拳の音は、ザガンが語る間に、情けないほどか細くなっていた。

 武闘派で無いスヴァルには、ヴィータ体の脳が訴える生存本能を振り切って、身を砕き続ける意志は保てなかった。

 痛みに勢いを躊躇う拳が、無意識に痛みのより少ない部位で檻を形骸的に叩き、それでもとうとう耐え兼ねて随意を失い、グチャグチャの手がダラリと垂れた。

 無事なもう一方の手で、悪足掻きのように檻を掴んで、苦痛にへたろうとする足腰を留まらせるスヴァル。

 

 

ザガン

「……」

「……スヴァル。ザガンはオレなんだ。オレが『なる』ザガンだけが、ザガンなんだ」

「オレは、『ザガンになりに行く』。連れてってやれるのは、思い出だけだ……」

 

スヴァル

「……追放は……ヴァイガルドは……『行く』所じゃない……『果てる』所です……!」

 

ザガン

「そうかも知れない。けど、私は自分の意志で、『そこ』へ行けるんだ」

 

スヴァル

「……そんな……モノを……そんなモノをぉっ!」

 

 

 スヴァルが言葉を呑み込み、顔を背けて歩き去っていく。

 足音が遠ざかり、獄の扉が一往復響いて、静寂に包まれた。

 ザガンの目には、スヴァルが立ち去る瞬間、その頬から水滴が散っていくのが確かに見えていた。

 

 

ザガン

「……ハ~ァ……」

「……弱音は君だけ、ここ一番だけ……そうは決めてたけど──」

「私……自分で思うより、ヤな奴なのかもなあ」

 

 

 天を仰ぐザガン。

 見えるのは、手枷と鎖でザガンを支配する、真っ暗な石塊の集まりだけだった。

 

 

ザガン

「もう、これからの事が楽しみで、それしか頭になくなってる。……ごめんね、スヴァル」

「追放されたからって、必ず転生できるって決まってるわけでもないのに……」

「だって、できなきゃどうせ死んで消えるだけだろうし。今から考えたってしょうがないよ」

 

 

 自問自答するたび、ザガンの笑顔に僅かずつ生気が戻っていく。

 

 

ザガン

「本気で、こっちでソロモン王を作ろうとしてるって事は……何か『知ってる』んだ」

「メギドラルの『外』で、ソロモン王が生まれるかもっていう根拠……」

「メギドラルがソロモン王を道具にする気なら、ヴァイガルドのソロモン王とは必ず敵対する」

「絶対見つけ出さなくちゃね。『弱い』のにメギドが放っとけないっていう『ソロモン王』を」

「きっと狙われる。だから私が守ってみせる。そして……『今度は』私が見せつけるんだ」

「例えどんなに弱くても、愚かでも、『力』を1つ見つければ、必ず『勝算はある』って……!」

 

 

 一生と引き換えに見出した、「強さ」の形を思い描くザガン。

 

 

ザガン

「ヴィータの私って、どんなのかな……セルケトより弱かったりするのかな?」

「幻獣ともロクに戦えないって話は多分、間違いないんだろうから……」

「まずはセルケトみたいな『技』を探してみよう。同じ体だし、多分何とかなるでしょ」

「それで、セルケトの『技』を借りて、まずは幻獣を倒せるだけ倒そう」

「ソロモン王に『印』とか有るか分からないから、ヴィータは片っ端から守らないとね」

「あ、でもヴィータは獣みたいに繁殖して、幼体で発生するんだっけ。なら、その前に……」

「ふっふっふ……弱っちゃったなあ。ソロモン王よりも前に、やりたい事が多す──」

「あっ……ヤバい、この感じは……あ、あっ、あぁあイダダダダ……!」

 

 

 肩甲骨の裏に、決定的な鈍い痛みが広がるのを感じるザガン。

 呻く内に、淑女が人目憚るようにじっくりと、時間をかけて肩が脱臼した。

 

 

ザガン

「ぁが……うぅ……ホントに心にクるなコレ……お陰で、ちょっと頭冷えたかも」

「うん……一旦、全部白紙にしとこう。転生したら、後はその時の勢いで決めれば良いや」

「先の事を今から考えたって、それで世界が実現させてくれるわけでも無いし」

「それに、『私が勝手に決めた私』なんて目指したんじゃ、そんなの『私』じゃないよね」

「……追放されても、『メギド』を失っても、『ザガン』はまだまだ終わらない……」

「ううん、逆だよね……そうだろ?」

 

 

 心の中の誰かに、答えの決まりきった真偽を投げかけ、期待と決意を新たにする。

 

 

ザガン

「『力』さえ脱ぎ捨てた、私だけの『ザガン』のスタートだ……!」

 

 

 

<GO TO NEXT>

 

 




※ここからあとがき

 ザガンさん編はこれにて終了です。次話から本編に戻ります。
 大雑把にまとめると、ザガンさんはメギド時代、反抗期入り始めの男子みたいな魂してたという独自設定です。

 セルケトという”けったい”なサブカルに触れて、最初は「オレは自分を持ってるからこんなの何とも思わねえ」と突っ張ってましたが、軽く格の違い分からせようと思ってたら格好悪く負かされ、しかもフォローまで入れられる始末。
「嫌い」から入って、真面目にサブカルについて調べたり、図らずも助言を受けるなどしてる内にすっかりハマってた感じです。
 喧嘩無敗のつもりでいたゴツい兄ちゃんが、自分より体格で劣るボクサーやら柔道家やらにノされてライバル意識燃やすようなアレです。

 思春期に気に入ったジャンルや人物を盲信して、世界の真理みたいに誰彼構わずアピールして冷ややかな目を向けられるように、その勢いで議会にまで乗り込んでフルスイング三振見せつけた次第です。
 好きなアニメやマンガの話を、両親を始め、作品を全く知りもしない興味もない人にまで滔々と早口講釈するような塩梅で。

 昔から知る身内にとっては「ガテン系がすっかり板に付いた兄ちゃんが突然退職してバレエダンサーで食っていくと言い出した」みたいなもので、次々に愛想を尽かしてしまいました。
 副長は強火のザガンさんオタクとか、解釈違いの我が子を持ったオカンとかそんな立ち位置です。
 どんなザガンさんでも支えて、立派な軍団長にしてやるつもりでしたが、誰より強くギャップを感じていましたし、世間様の目まで痛々しく、とうとう限界が来た、と。

 ザガンさんは「自分で自分の人生を決める」という事に強い生き甲斐を感じつつ、ちょっと自分に酔っ払いながら、周囲を引っ掻き回した挙げ句に追放された形です。
 セルケトの影響で生き方がガラリと変わって、結果として積み上げてきたもの全部ダメにしたとザガンさんも自覚していて、反省すべき所もあると頭では分かっています。
 しかし引き換えに得た、身一つで真っ暗闇の荒野を走る快感と、その先への期待が遥かに優っていて、当分それどころではありません。誰のせいにして恨むとかなんて、発想すらありません。
 議席を持つ程度に長く生きて古い価値観持っていても、魂は若々しい全力少年だったという事で。



 一時期、主人公側のキャラが失敗とか苦悩とか修行とかするのはとても不評を受けると聞いた事がありまして、今でも風潮に変わりないとすれば、余り面白い話じゃなかったかも知れません。

 下地にしている作品群の関係で、「憧れ」が1つのテーマであるとだけ言い訳しておきます。



・ザガンさんの考察について
「スコルベノトのような新世代にギャップを感じている」
「ソロモン王と共に戦う運命を自覚している」
 といった描写が読み取れたので、その辺を織り込んだ結果、
「新世代以前から実績のあるメギド≒元・議席持ち」
「何らかの形でヴァイガルドでのソロモン王誕生と、ソロモン王がメギドラルに対立する可能性を感知していた」
 というイメージが出来上がりました。
 後は、「幻獣退治に夢中になってる」的な原作プロフ文の描写とか、キャラストーリーにて命を賭けた戦いの場でもセルケト絡みの話なんて出てこなかった事の辻褄合わせを、副長退席後に少々。
(二次創作なんですから後者は当然ですが、それはさておき)
 ザガンさんはいつでも今現在と真正面に向き合っているという事で。

 全く個人的な裏設定的なアレですが、転生後のザガンさんは幼少期は髪を伸ばしてたけど、闘牛に「コレだ」と思ってからは躊躇いなくバッサリ切って今の髪型にしてるとかだったら、何となく良いなと個人的に思ってます。



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3-1前半「ミタマ ナカニ カラ ダダケ」

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 過去の、いつかのヴァイガルド。

 イーバーレーベン領主が愛娘のために建てた「別荘」の寝室。

 2つのベッドを横に並べ、名実共にダブルベッドにして、並んで身を預けるウァサゴとアリアン。

 

 

ウァサゴ

「……それで、アリアン。急に甘えん坊になって、何がお望みですの?」

「ようやく個別のベッドも『当たり前』になったと言うのに、わざわざくっつけたがるなんて」

 

アリアン

「突然ごめんなさい、ウァサゴお姉さま。わがままを聞いて頂いて」

「お姉さまが、明日にはご実家にお帰りになると思うと、今宵は何だか、うら淋しくて……」

「でも、お姉さまもお嫌で無いみたいで、安心しました」

 

ウァサゴ

「とんでもない。幼き日の貴女の無茶が脳裏にぶり返して、目が冴えてしまいましてよ」

 

アリアン

「でもお姉さま、今もこうして、昔みたいに私の髪を撫でて下さってます」

 

ウァサゴ

「ハッ……!? こ、これは違います!」

 

 

 言われて初めてウァサゴは、アリアンの毛先を弄んでいた自分の手に気づき、引っ込めた。

 ベッドに入った時からウァサゴは、ごくナチュラルに側臥位の体勢でアリアンと向き合い髪を撫でくり回していたが、一連の動作は当たり前になりすぎてウァサゴ本人、「たった今、自分からそうした」という記憶すらない。

 

 

ウァサゴ

「む、昔は『寝かしつけさせられる』日々でしたから、手癖というか、無意識というか……!」

 

 

 髪を撫でる事は止めても、互いに枕から身を外して自らベッドの境目に身を寄せ合っている状態には、疑問すら感じていない。

 

 

ウァサゴ

「まあ……たまに、こうしてあげるくらいなら、嫌とは言いませんが……」

「こ、今夜のような冷える晩なら、お互いに体を壊さないためにも良いかもしれませんし?」

 

 

 建前を急造しながら、気恥ずかしくなって寝返りを打ち、背を向けるウァサゴ。

 この日、一帯は雪が積もっていた。音が雪に吸われ、静かな夜だった。

 寝室の窓先に植えられたミスミソウが、雪の下から青葉を覗かせている。

 花開く時期は、まだ少し先の事だった。

 

 

アリアン

「私、お姉さまが私の髪に触れて下さる時間が大好きです。こうすると──」

 

 

 アリアンが断りも無くウァサゴの背からその手を取り、自身の長い髪に触れさせた。

 ウァサゴは驚きもせず、慣れた様子で手を好きにさせている。

 

 

アリアン

「髪を通して、お姉さまの指の滑らかさ、暖かさが、伝わって来るんです」

 

ウァサゴ

「(髪に感覚なんて……いえ、野暮ですわね)」

「だからって、昔みたいに『朝には枕にされてた』なんて、ご勘弁願いますわよ」

「頭を預かって差し上げるにはいい加減、貴女も小さくないのですから」

 

アリアン

「うふふ、大丈夫です。私だって、いつまでも子供じゃありませんから」

 

 

 2人の背丈は、ウァサゴが回想した日々より、随分と伸びている。

 ウァサゴに至っては、顔立ちに僅かなあどけなさを残す以外、現在とほぼ変わらない雰囲気を纏っていた。

 

 

アリアン

「……子供じゃ、ありませんから……」

 

ウァサゴ

「……?」

「(何だか、アリアンにしては急に声がしおらしく……?)」

 

 

 思わず怪訝な顔を浮かべるウァサゴ。

 自分のそんな表情をアリアンに見られるのが何となく格好悪いように思えて、振り向く事はしなかった。

 逆に、顔を隠すようにほんの僅か、姿勢をうつ伏せ気味に丸めた。

 

 

アリアン

「新しく1つずつ誂えて頂いたベッドも、短い間に、少し手狭になってしまって……」

「……お姉さま。少し、私事をお聞き頂いても、よろしいでしょうか」

 

ウァサゴ

「今さら改まるまでも無いでしょう。寝付くまでは、聞くだけ聞いていて差し上げますわ」

 

アリアン

「ふふ、それもそうでしたね。では、その……」

「……私、お父様とお母様から、『お祝い』を頂きました。お姉さまがいらっしゃる少し前に」

 

ウァサゴ

「でしょうね。今年も、盛大な『誕生祝い』だったと聞き及んでいますわ」

「来年辺りには、我が家も久々に貴女の誕生日に合わせて──」

 

アリアン

「違うんです。誕生日より、もう少し後に『お祝い』を」

 

ウァサゴ

「誕生日よりも後……誕生日から私が来るまでの間? えっと……」

「……ごめんなさい。何か、ありましたかしら?」

 

 

 2つ並んだベッドの上で、ウァサゴは小さな意地を張って、自分の腕を枕にしてアリアンに背を向け続けている。

 アリアンは仰向けに天井を眺めていた。

 2人の間は、指先と毛先とで繋がっていた。ウァサゴは全く無自覚に、アリアンの髪をいじくる作業を再開していた。

 

 

アリアン

「お父様もお母様も、家の皆さんも、大変に喜んでおられました」

「……子を成す準備が出来た、と」

 

ウァサゴ

「……」

 

 

 数秒ほど、沈黙が流れた。ウァサゴの指も止まっていた。

 

 

ウァサゴ

「……そう。おめでとう」

「貴女もようやく、一人前のレディの仲間入りですわね」

 

 

 顔を見せず後ろ向きのまま、月なみの祝福を唱えるウァサゴ。

 

 

アリアン

「……やっぱり、『はしたない』お話だったでしょうか?」

 

ウァサゴ

「まさか。大切な事ですわ。私で良ければ遠慮なく相談なさい」

「よしんば『はしたない』としたって、それこそ今更でしてよ」

 

アリアン

「小さい頃は、お姉さまに良く叱られましたね」

 

ウァサゴ

「今年の年明けに来た時にも言ったばかりですわ」

 

アリアン

「ふふっ……そうでしたかしら?」

 

ウァサゴ

「くすっ……貴女ったら、もう」

 

 

 どこか台本を読み上げるかのように、笑い合うウァサゴとアリアン。

 

 

アリアン

「……私に、子育てなんて出来るのでしょうか。お父様やお母様みたいに」

 

ウァサゴ

「今から考える事ではございませんわ。お互いに、まだまだ早過ぎる話です」

 

アリアン

「……不思議ですね。準備だけなら、早過ぎる頃から始まってしまうなんて」

 

ウァサゴ

「……」

 

アリアン

「この『続き』は……今度は、いつの間に始まって、過ぎてゆくのでしょうね?」

 

ウァサゴ

「……さあ」

 

アリアン

「いつの間にか、恋を知って、まだ見ぬ殿方を愛し、夫婦となって、家を継いで──」

「子供を産んで、旦那様と子供を愛せるように……なるのでしょうか。『いつの間にか』」

 

ウァサゴ

「そ……」

「……かも、知れませんわね」

 

 

 言いかけた、「それだけが人生ではない」という旨の言葉を呑み込むウァサゴ。

 

 

ウァサゴ

「(私達は、貴族の跡取りとして家を継ぐ身……遠からず、それぞれの人生を歩む定め)」

「(望みもせず、知る由も無かった『サロン』へ放たれ、順応し……いずれ、忘れてゆく)」

「(今日、馳せた思い……描いた未来……大人という現実の前に消え去ると、知っている)」

「(私達の両親が、幼い私達が己の運命を悟っているなどと、思いも寄らないように……)」

「(ヴィータは大人になり、人となり、幼き日には考えようも無かった私達へと高められる)」

「(そして……童の事を捨ててしまうのですから)」

 

アリアン

「……お姉さま」

 

ウァサゴ

「何かしら?」

 

アリアン

「……『エリザ』お姉さま」

 

ウァサゴ

「……何かしら?」

 

 

 少しだけ柔らかい声で答え直すウァサゴ。

 

 

アリアン

「お姉さまは、いつまで、『エリザお姉さま』で居て下さいますか?」

 

ウァサゴ

「……」

「私は私ですわ。いつ、どこへ行こうとも」

 

 

 予め用意していたかのように応えるウァサゴ。

 

 

アリアン

「……そうじゃ、無いんです」

 

ウァサゴ

「……」

「(……ええ。分かっていますとも。そんな事)」

 

アリアン

「お姉さま……」

 

ウァサゴ

「(この子は、どこまでお見通しなのでしょうね……いいえ。きっと全て……)」

「(私が、いずれ真に『メギドの大貴族ウァサゴ』としての生を選ぶつもりだと──)」

「(そしてそれが私にとって、時に己の命にも代えがたい『個』であるのだと……)」

「(いつか童を捨てて、誇りのために断頭台へも凛として歩む、『貴族』へ昇りつめる日)」

「(それは私が『ウァサゴ』として大人になる日……『エリザ』と決別する日)」

「(『ウァサゴ』が、『エリザ』を殺す日……アリアンの愛したヴィータを……)」

 

 

 ウァサゴの手が動いた。

 アリアンの髪を纏ったまま硬直していた手が、髪を伝うようにしてアリアンの手を探し当てた。

 そっとアリアンの手を取って、ウァサゴが寝返りを打った。

 

 

アリアン

「わぷっ?」

 

 

 流れるようにアリアンを胸に抱いた。己の顔を見せる間も与えずに。

 慣れた手付きで、ゆったりしたリズムでアリアンの髪を撫でる。

 

 

ウァサゴ

「覚えていまして? アリアン」

「貴女のダンスに、私が夜通し付き合わされた日を」

 

アリアン

「……はい。覚えています」

「あの日もお姉さま、こうして私を寝かしつけて下さいました」

 

ウァサゴ

「じゃあ、私が話した事も、覚えているかしら?」

「『文句は、私がこうしてあげないと眠れないと言ったご自分に仰って』──と」

 

アリアン

「はい。それで私は、『では、いつごろ申し上げればよろしかったのですか』と」

 

ウァサゴ

「……今夜だけ、少しだけ『認めて』差し上げますわ」

 

アリアン

「?」

 

ウァサゴ

「この『別荘』では、いつも貴女の面倒を見てばかりでしたから──」

「貴女をこうしてあげている時が、一番安らぐ体になってしまいましたわ」

 

アリアン

「……くすっ」

 

ウァサゴ

「こぉら。笑うとは何事ですか。貴族が『譲って』差し上げたんですのよ?」

 

アリアン

「だって……ふふふ」

 

 

 安らかに抗議するウァサゴと、ウァサゴの腕の中で慎ましく笑うアリアン。

 一息、間が置かれる。

 

 

アリアン

「……やっぱり、イヤです」

 

ウァサゴ

「……」

 

 

 低く、か弱く呟くアリアン。

 ウァサゴはただ髪を撫で続ける。

 

 

アリアン

「嘘じゃなくても、誤魔化すお姉さまなんて、やっぱりイヤです……」

 

ウァサゴ

「いいえ。私には、とても大切な話ですわ」

 

アリアン

「でも──んムっ!?」

 

 

 強く抱きしめ、アリアンを胸に押し付けて言葉を遮るウァサゴ。

 腕の中の頭を、寝かしつけるような手付きで二度ほど軽く叩いてから解放した。

 

 

ウァサゴ

「……お聞きなさい」

 

 

 ウァサゴはアリアンの顎に指を添えて、可能な限り互いの顔を近づけた。

 月と雪だけが照らす中、アリアンの視力でも、輪郭だけでも捉えられるようにと。

 

 

ウァサゴ

「どうか、今この時のわたくしを……忘れないで」

「そして、2人で約束しましょう。貴女が、今日のわたくしと同じ年を迎えた頃──」

「いいえ、10年後も、20年後も……今までのように、貴女の望むステップを共に奏でると」

「この『わたくし』にかけて誓います。『ウァサゴ』でも、『エリザ』でも──」

「あるいはどちらでもなく……今、貴女の愛してくれる『わたくし』に誓って」

「……ね? アリアン」

 

アリアン

「……はい」

「でも……見えないんです。こんなに近くても、ぼやけてしまって」

 

ウァサゴ

「良いの。それで良いんですのよ。貴女の瞳に映すものは、姿形が全てではありません」

 

アリアン

「イヤです……!」

「お姉さまが『どこにいる』のか見えても、『どうされている』かが見えても──」

「『エリザお姉さまが見えない』のは……そんな私は、イヤなんです……!」

 

ウァサゴ

「……良いの。良いのよ。貴女も、私も、それで……だから、もう眠りましょう」

 

 

 再びアリアンを胸に抱くウァサゴ。

 いつかそうしたように、もうそんな歳でも無い少女を、稚児のように慈しむ。

 そこからは、アリアンが何を言っても、もう答えなかった。

 アリアンが眠りに落ちるまで、いつまでも指先でアリアンを慰めていた。

 微かに香るのは、テーブルに飾られた蝋梅と紅い寒椿の切り枝か。東国の香を焚きしめる事を覚えたアリアンの髪か。

 

 

ウァサゴ

「(私は今、どんな顔をしているのかしら……)」

「(貴女と見つめ合う事を躊躇う私が居たなんて……今日まで、思いもしませんでしたわ)」

 

 

・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 現在の時系列、「別荘」にて。

 寝室で目を覚ます19歳のウァサゴ。

 しずしずと上半身を起こし、足元を見る。

 

 

ウァサゴ

「ここで眠ると、いつもあの日の夢……」

「(今日も、フットボードにつま先が届いている……)」

 

 

 ベッドから出て、寝室のカーテンを開けると、蒼いアブラクサスが朝霧に隔てられ、普段より一層霞んで見える。

 アブラクサスから海を辿れば、別荘のすぐ近く、いつかアリアンが星を追って駆け抜けたという浜辺に至る。

 

 

ウァサゴ

「(今では、寝室のベッドも1つきり……)」

「(あの夜の私もまた、幼く……今では、私の背丈には小さくなってしまって……)」

 

 

 もう、かつてどちらが使っていたのかも分からない、取り残されたベッドに振り返るウァサゴ。

 

 

ウァサゴ

「おはよう、アリアン……」

「(……『違う』。あの日の夜は、まだ明けてない。あの日の私は、まだ朝を認めていない)」

 

 

 心と体を裏腹に、寝具の手入れに取り掛かるアリアン。

 

 

ウァサゴ

「(あの日の翌朝、私は『はぐらかす』ように、いつも通りに両親と実家へ帰り……)」

「(そして程なく、アリアンが攫われたと、私どもの領地へも報せが……)」

「(マンショ様が事件の解決に勤しんだ2年間。幼かった私は、ただ無事を祈るばかり)」

「(アリアンが激流に消えた頃、ようやく身動きを得た私は、合間を縫っては『別荘』へ)」

「併せて4年、貴女を求めて……あの日の私より、貴女はもう、年上なのですわね……」

 

 

 洗濯のため、ブランケットやクッションを取り外すウァサゴ。

 

 

ウァサゴ

「(マンショ様の苦悩を聞けた今、アリアンの思い出をお二人だけに『背負わせ』はしません)」

「(ご両親に代わって、私がこの家を管理し、守ってみせます)」

「(成してみせますわ。生家を出てから、水仕事だってすっかり手慣れましたもの)」

「(そう。高貴を志す、この私が……ふふ)」

「(これも、大人になったと言う事なのかしら……ねえ、アリアン)」

 

 

 ふと手を止めて、シーツを撫でて物思いに耽るウァサゴ。

 雨上がりの雫の音のように。香炉のごとく鼻打つ華を愛でるように。なよぶ髪毛を支えるように、純白のシーツの感触を確かめる。

 

 

ウァサゴ

「(『私の時』は、貴女のように冷静では居られませんでしたわ)」

「(ヴィータである事を、半生で最も憎んだと言っても過言ではなかった)」

「(あれは、魂を基盤とするメギドの『さが』か、それとも思春期ゆえの気の迷い……?)」

「(魂に沿って姿形を移ろうメギドの心に反し、肉体は余りに無遠慮で、我夢者羅で──)」

「(ましてや、獣のように繁殖するためなどと。誇りも心も置き去りに、無理矢理に……)」

 

 

 ベッドの骨組み以外、全て新調されていると分かっていながら、シーツの手触りにアリアンの面影を探すウァサゴ。

 

 

ウァサゴ

「(貴女が『子を成せる』と口にした瞬間……最初に生まれた気持ちが、思い出せませんの)」

「(受け入れたように穏やかに語った貴女を、心から祝福できたのかしら。見直したのかしら)」

「(それとも、『所詮はヴィータ』と妬み、憤り、蔑みまでしたのやも……)」

 

 

 一呼吸入れて頭を切り替え、手入れを再開した。

 昨夜からあらかじめ、何も飾らないテーブルに籠を置いてあった。そこへ慣れた手付きでシーツを畳んで放り、メイキングシーツを剥がしにかかる。

 

 

ウァサゴ

「(あの夜の貴女への、率直な気持ち……その正体が良かれ悪しかれ──)」

「(向き合わない、向き合えない今の私が、情けなく……申し訳ないのです)」

「(私の『本性』が、若き日を『穢れ』と蔑み、覆い隠しているではないか、と……)」

「(これがさもしい自己嫌悪に過ぎぬとても……己の『弱さ』に、魂が濁る心地ですの)」

「(ここへ来るたび、同じ事を思い、我が身を裂いてでも魂の『穢れ』を見定めたくなる)」

 

 

 寝具をまとめ終えたウァサゴ。

 自らの思考を邪魔するように、独り言を挟む。

 

 

ウァサゴ

「……後は、朝食を済ませて、寝具を洗って──」

「(だから……だからこそ、私自身のためにも、貴女を見つけ出さねばならない)」

「(『傷』と『穢れ』に侵された貴女にとっても、私が変わらず『天使』であるために……)」

「(もし、『本性』が私にも有るのなら、私の『本性』は、私が打ち払ってみせる……!)」

 

 

 テーブルの籠を抱え上げ、窓の景色を見上げるウァサゴ。

 その瞳には、ヴィータの「弱さ」など己の内に欠片も残させはしないという、確信と決意の光を湛えていた。

 思いの是非を省みる事など無いだろうほど、真っ直ぐに。

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 僅かに時間を遡る。

 ウァサゴが起床した瞬間と、ほぼ同時刻。

 アブラクサス近郊の森。騎士団が設営したゲルの1つにて。

 簡易な寝床で、休息していたソロモンが目を覚ました。

 

 

ソロモン

「……む」

「ふあ~ぁ……何か、いつもの野営よりもよく眠れたような……」

 

ガブリエル

「でしょうね」

 

ソロモン

「おわっ!?」

 

 

 すぐ枕元で直立していたガブリエルに驚き飛び退くソロモン。

 

 

ソロモン

「な、何で俺たちのゲルにガブリエルが!? それに……バルバトスも居ない!?」

 

ガブリエル

「いい加減、起こすべきかと立ち寄った所です。バルバトスは先に起きています」

 

ソロモン

「ああ、そりゃありがとう……騎士団じゃなく、ガブリエルがわざわざ起こしに?」

 

ガブリエル

「ちょうど手が空いた所でしたし、通りがかりだったので」

「昨日も説明した通り、ここは最小限の人員で回していますから」

 

ソロモン

「そっか、雑用だろうと、立場に関係なくやれる人が取り掛かるのか……」

「何か、ちょっと俺たちのアジトみたいだな。ハハッ」

 

ガブリエル

「寝ぼけるのはそのくらいにしてください」

「自力で覚醒されたなら、体力も充分に回復されたでしょう。まずは外へ」

 

ソロモン

「あ、ああ……」

 

 

 ゲルから出たソロモンとガブリエル。

 薄暗い森の中、ちぎったような頼りない木漏れ日だけでは太陽の位置も判然としない。

 

 

ソロモン

「そういえばガブリエル、『いい加減起こすべき』って言ってたけど、いま何時くらいだ?」

 

ガブリエル

「時計が手元に無く、先程まで『作業中』だった身なので大まかになりますが──」

「もう3時間ほどで、騎士団が昼休憩を挟むはずです」

 

ソロモン

「あと3時間で昼食って事は……はぁっ!?」

 

???

「はあああーーーーっ!!??」

 

ソロモン

「!?」

 

 

 ソロモンが出てきたゲルに近い、別のゲルから、吹き飛ばさんばかりの大声が轟いた。

 

 

ソロモン

「い、今の声……エリゴス?」

 

ガブリエル

「丁度、ジョーシヤナがエリゴスを起こしに向かっていましたからね」

 

 

 間もなく、ゲルから転がり出るようにしてエリゴスが現れ、ソロモン達へ駆け寄った。あるいは詰め寄った。

 

 

エリゴス

「お、おいソロモン! 何で起こしてくんなかったんだよ!?」

 

ソロモン

「いや、俺も今起こされたばかりで……!」

 

エリゴス

「なら……聞いたか!? 今の時間!」

 

ソロモン

「あ、うん。俺たちが野営してたら、どんなに遅くても、もう2時間は早く──」

 

エリゴス

「だよなあ!? クソッ、野宿にしちゃ頭がスッキリしてると思ったら道理で……!」

 

ソロモン

「えっと……ガブリエル。寝てる間に被害が無かったなら、何よりではあるけど……」

「一応、俺達が寝坊しちゃった原因とか、説明してもらえると……」

 

ガブリエル

「寝坊でも遅刻でもありません。予定通りの、然るべき『充分な休息』です」

「メギド72には、夜間の見張りや食料調達などの雑事を任せないと昨夜、決定しましたね?」

 

ソロモン

「あ、ああ。俺たちが戦闘と体力の温存に専念できるようにって……」

 

エリゴス

「昨夜に襲ってきた『影』がメギドなら、あたしらでヤり合うのが無難って、あの話か?」

 

ガブリエル

「はい。そのため、敢えてあなた達の起床に余裕を持たせるよう取り計らいました」

「世間一般での休日程度の時間を設ければ、疲労を溜め込むリスクも抑えられるだろう、と」

 

エリゴス

「気持ちはありがてえけど、随分思い切ったなオイ」

「あたしらが寝てる内に『影』が来たら、あの素早さだろ? 起こす間も無く『一撃』だぜ」

 

ガブリエル

「『影』の特徴からして、昨夜の奇襲から休息に至るまで、再来の機会など幾らでもありました」

「それが無かったという事は……」

 

ソロモン

「あの奇襲、俺たちが『退けた』んじゃなく、『影』が目的を達して、『撤収』した……?」

 

エリゴス

「あたしらに『粉かける』のが本命だったって?」

 

ガブリエル

「我々と、ヴィータほど睡眠を必要としないサルガタナスを交えての結論では」

 

エリゴス

「ああ、ゲルにサルガタナスが居ないと思ったら」

 

ガブリエル

「昨夜、バルバトスが発見した『葉』について、夜の内に我々で調査しましたが──」

「あの『葉』も恐らく、『影』の戦術の一環だった公算が強いだろう、と」

 

ソロモン

「どういうことだ?」

 

ガブリエル

「『葉』と逃走の痕跡は、森を抜け、アブラクサスへの道中にまで発見されました」

「それこそ、足跡のように点々と」

 

エリゴス

「アブラクサスに住み着いてる『影』が『葉っぱ』落としながら帰ってったって寸法だな」

 

ガブリエル

「しかし『影』の襲撃時、『影』が消えたのはアブラクサスと真逆の方角だった」

 

エリゴス

「え……あれ?」

 

ソロモン

「影はバルバトスを通り過ぎて、背後の森の中へ消えた。けど──」

「そっちはアブラクサスと逆で、でも『葉』はアブラクサスへ……何かおかしいぞ?」

 

ガブリエル

「ええ。人為的に折られた木の枝、地面に刻まれた例の靴跡などから経路を図った結果──」

「『影』はわざわざ、森の中を反対の方角へ半周し、アブラクサスへ去っています」

 

エリゴス

「わざわざ障害物だらけの森の中を大回りして、痕跡残してったってか……」

 

ソロモン

「一度、森の外に出れば、ここらはキャラバンも通るから例の靴跡も目立たなくできたはず……」

「あくまで『方角を修正してアブラクサスに帰還する』事が目的だったなら──」

 

エリゴス

「あの速さだ。森を出てから回り込んでも大して面倒じゃねぇはずだ」

「それこそ騎士団が追っかけようもねぇほど、ウンと遠くからでもな」

 

ソロモン

「アブラクサス帰還直前まで、体に付いた葉を気にしないのも不自然すぎる」

「こうして『葉』を辿られるし、住民の目についたら間違いなく怪しまれる」

 

エリゴス

「って事は、相手が余程のドジでも無きゃあ……あたしら誘われてる?」

 

ガブリエル

「恐らくは」

「我々の『読み』が浅かろうと深すぎようと、一点だけ見落とさせないための『目印』として」

 

エリゴス

「『敵はアブラクサスにあり』か……」

 

ガブリエル

「あの奇襲はなにか、『懸念』を確かめるための威力偵察であったと推測しています」

「そしてその『懸念』が……恐らくは『取るに足らない』と判断したため、『撤収』した」

 

エリゴス

「ハルマゲドンの危機は『ついで』ってか。メギドラルらしい話だぜ……」

 

ソロモン

「じゃあ、向こうには何か『勝算』があると考えるべきか……」

 

ガブリエル

「あの奇襲の裏に隠された真意が完全には読めない以上、守りに入らざるを得ません」

「これはあくまで私見ですが……相当に『好戦的』な相手のようですから」

 

エリゴス

「好戦的? 直接戦わないで『仕込み』で敵をオタつかせてる相手がか?」

 

ソロモン

「いや、言われてみれば、そう考える事もできる」

「奇襲の時、多少のダメージを覚悟すれば、護界憲章を失効できたって事なんだ」

「それに、こんな土地で、アブラクサス以外に『影』の隠れ家があるとは思えない」

 

ガブリエル

「ええ。たった1つの拠点を晒し、後に攻め込まれるリスクも辞さない態度と受け取れます」

「それに、ヴァイガルドの防衛にハルマが介入している事実……知らずとも想定はできるはず」

 

エリゴス

「そうかエンカウンター!」

「ハルマ狙うって事は、エンカウンターで返り討ちもらうのも覚悟してるって事か」

「王都襲撃の時にもカマエルがメギドに使ったらしいし……」

 

ガブリエル

「一応、あの一件でエンカウンターの情報が漏れた可能性は極めて低いと考えられます」

「依然として、不意の侵略に対する『秘密兵器』としての立場を保っているはずですが……」

 

ソロモン

「万一って事もあるもんな。それにそもそも──」

「エンカウンター覚悟で襲撃したって点は、余り関係ないかもしれない」

 

エリゴス

「ってーと?」

 

ソロモン

「例えば、『影』は自分が襲った相手をハルマだと知らなかったとする」

「あるいは正体が幻獣だったりして、黒幕に送り込まれたにしても──」

「『影』……あるいはシュラーは、襲ってきた自分の居場所を明かしてるんだ」

「あの場で皆殺しにも出来たかも知れないのに、誰も傷つけず──」

「それでいて、アブラクサスに『いつでも攻め込んでこい』って」

 

エリゴス

「言われてみりゃあ、自分から煽って、こっちに準備する余裕まで与えてやがるわけか……」

「考え無しの戦争バカでも同じ事するだろうが、そんなオチ期待する方が筋金入りのバカだしな」

 

ガブリエル

「シュラーが十中八九メギドである以上、根城であるアブラクサスを囮にする理由も乏しい」

「我々が何者だろうと、一人残らず確実に迎え撃つ、確固たる根拠があると考えるべきでしょう」

「よって、あなた達には有事の備えと、森に出没する幻獣の調査に専念してもらう事としました」

 

エリゴス

「純正メギドのサルガタナスはともかく、あたしらは念入りにってわけか」

 

ガブリエル

「提案が出た頃には既にあなた達は休んでいましたので。事後承諾の非礼は謹んでお詫びします」

 

ソロモン

「いや、気遣ってくれたなら、こっちも気にしないよ」

「(ただ……)」

 

 

 無意識に腕組みして、少し考え始めるソロモン。

 

 

ソロモン

「(……王都の時からの『怪しさ』が、また出てきた気がするんだよな)」

「(俺たちに万全を期して欲しいのは分かるけど……少し慎重過ぎる)」

「(さっきの話、『影の正体はメギドだ』って分かってるような印象だった。それに──)」

「(理由があって休ませるなら昨夜、一度起こして報告してくれても問題なかったはずだ)」

「(まるで俺たちの行動を『狭めよう』としてるみたいな……今は考えても仕方ないか)」

 

エリゴス

「そう言えばよお、バルバトスは今、どうしてんだ?」

 

ガブリエル

「バルバトスには急遽『別件』が入ったため、お二人より早くに動いてもらいました」

 

ソロモン

「別件?」

 

ガブリエル

「ええ。内容としては……まず、場所が場所なので、『手紙』の受け取りは早朝に行われます」

 

ソロモン

「『手紙』? ……ああ、潜入組のグレモリー達からか?」

 

ガブリエル

「はい。潜入組を送り出してから説明した通りに、滞りなく」

 

エリゴス

「いや、何で説明の初手が『手紙』なんだよ。バルバトスと何か関係あるのか?」

 

ガブリエル

「先程まで、私が『編集』を担当していました。バルバトスは恐らく今も『解読』を……」

 

ソロモン

「『編集』に、『解読』……? 何の話だかさっぱり……」

 

エリゴス

「何か、急に疲れたみたいな顔になってるぜ、ガブリエル?」

 

ガブリエル

「実は──」

 

 

 言いかけた所で、騎士が1人、話の輪に飛び込んできた。

 

 

騎士ヒラリマン

「ソロモン王、ガブリエル様! 幻獣発見の報が!」

「サルガタナス様は既に準備を整えられていますので、お早く!」

 

ソロモン

「おっと……分かった、すぐ行く!」

 

エリゴス

「どこ行っても幻獣ってヤツは話の腰折るのがうめえなあ」

 

ガブリエル

「こちらの意思疎通など、幻獣の知った事ではありませんからね」

「このための休息でもあります。よろしく頼みましたよ」

「それと、バルバトスはまだ重大な仕事の最中ですので──」

 

ソロモン

「分かってる。行くぞエリゴス!」

 

エリゴス

「ああ、任せな。どうせ昨夜と同じネズミ幻獣だろ? 朝飯前で片付けてやるぜ!」

 

 

 

<GO TO NEXT>

 






















ダレカA
「ここからあとがき?」

ダレカB
「テケテッ、テーレッテ、テッテッテーン♪」

ダレカA
「あいきぇぁ~っち……」


 アブラクサス。定例パーティ後の深夜。某所にて。
 両手を繋いで向かい合う、シュラーと「秘書」。傍らで「儚げな女」がピアノを弾いている。
 儚げな女の牧歌的な旋律に合わせて、シュラーと秘書はオクラホマミキサー的な簡単なダンスを踊っている。
 シュラーの手足が、気遣うように優しく秘書を導いている。傍目には、秘書がシュラーにダンスの手解きを受けているような構図だった。


秘書
「あの者たちが、随分とお気に召されたようで?」

シュラー
「ふっ……やはり、君の目は誤魔化せないみたいだ」

秘書
「女の勘とは、恐ろしいものですから」

シュラー
「そのようだね」
「彼女たちは、どうやら特別な『力』と意思を持って、ここを訪れている」

秘書
「だから、どこの馬の骨とも知れない初日の女を受け入れ、戯れたと?」

シュラー
「私から拒む事は無いよ。これまでも、これからも」
「思惑も立場も超えて、私達はアブラクサスの一部なのだから」

秘書
「あなたは……あなたはお優しすぎます」
「女は弱く、故に醜く安寧を貪るのです」
「男という『脅威』を見せつけられ、共存を強いられる限り、決して逃れ得ぬ呪縛なのです」
「あの者たちが隠し持つモノは、必ずやあなたを苛みます」

シュラー
「アブラクサスの友となるか、敵となるかは、これから次第だよ」
「それとも……それも女の勘かな?」

秘書
「勘などと、とても……これは確信ですよ」
「入国審査から、ずっと『見極め』てきたのですから」
「あの中に、確実に1人……居るのです」
「あなたの毒になれど、決して薬にならない、一利も持たぬ女が……!」

シュラー
「……恐れる事はないよ」

秘書
「シュラー様の御元で、恐れるものなどありません」

シュラー
「それは違う。君は今、私を恐れている」

秘書
「何を……!? そんなはずは──」


 心外を表すようにビクリとダンスを止める秘書。
 ほぼ同時にシュラーがひざまずき、秘書に目線を合わせながら肩を抱く。
 ピアノと向き合っていた儚げな女が、背後の光景が見えているかのように演奏を止めた。


シュラー
「君への気持ちは、決して変わることは無い」

秘書
「シュラー様……!」


 シュラーを抱き返して応じる秘書。


シュラー
「……疲れたかい?」

秘書
「いいえ。ぜひ、ぜひもう一曲……!」


 すかさずピアノが再開される。
 立ち上がって再び秘書と緩やかに踊るシュラー。










ダレカA
「ズンチャッチャー、ズンチャッチャー、ズンチャッチャッチャー♪」

ダレカB
「むかーしぃむかーしぃー、ある所にー、お姫様が居ったそうなー」
「お姫様はー、身も心もー、世界の誰よりもー、美しかったそうなー」
「そーんなお姫様はー、それはそれは素敵な王子様と婚約していたそうなー」

ダレカA
「ある日の事、お姫様の元にその王子様が訪れたのでした……ンォッホン」
「おお~愛する姫君よ、今日は貴女に相応しい美しきバラを届けに参った!」

ダレカB
「まあ、私のフィアンセ! この嬉しさを、どうすれば言葉に例えられましょう!」
「なんて美しいバラなのかしら。トゲに触れただけで私の指など崩れ落ちてしまいそう!」

ダレカA
「フッ、とんでもない。貴女の前ではこのバラも、バター塗り忘れた食パンみたいなもの」

ダレカB
「ああ、私のフィアンセ。私をいと高く認めて下さる素敵な人……」
「私はそんなあなたを、世界の誰より愛していますわ」

ダレカA
「そーんなお姫様の国はー、お隣の国とピリピリした雰囲気だったそうなー」
「そしてある夜、お隣の国の王子が、お姫様の部屋の窓辺まで忍び込んできたそうなー」
「ンォッホン……ああ、かつて未来を誓いあった幼馴染よ! どうか無礼を許してくれ!」

ダレカB
「まあ、隣国の王子様! 今宵も私のために、危険を冒してこちらまで?」

ダレカA
「ああボクだ。かつて盃を交わしあった両国も、今や争い合う無常の世……だがしかし!」
「幼き頃、共に駆けた野原を、あの花冠の香りを、私は決して忘れはしない!」
「許されぬ愛となろうとも、世界を敵に回しても、ボクは身も心も君に捧げてみせる!」

ダレカB
「ああっ、何て強く一途なお人……!」
「『好き』を諦めないあなたを、私は世界の誰より愛していますわ」

ダレカA
「しかーし、その日の夜は、隣国の王子との逢瀬を聞いてしまった人が居たそうなー」
「その正体はお姫様に使える執事! ちなみにモチ、イケメン!」
「そんな執事がある日、お姫様の前で……ンォッホン」
「ああ、姫様……何て哀れな一輪の花……!」

ダレカB
「まあ、突然どうなされましたの? 哀しい事など1つもありませんわ」

ダレカA
「良いのです、無理にお隠しにならずとも!」
「世界で誰より愛されているのは、間を引き裂かれた隣国の幼馴染……」
「なのに姫様は、ご両親の決められた国の王子と、望まぬ契りを結ぶ運命なのですね!」
「そんな姫様のお立場を思うと、わたくしの心も哀しみで張り裂けそうで……うぅっ」
「姫様! せめてわたくし、より一層の忠誠を誓います!」
「例え身の程に余るお望みとても、身命を賭して叶えて見せましょう!」

ダレカB
「まあ……私の事を、そんなに思ってくださるなんて……!」
「ありがとう、どうか泣くのはおよしになって。私なら大丈夫」
「私のために涙まで流してくれるあなたを、私は世界の誰よりも愛していますから」

ダレカA
「ん、え……? えっと……ハイ」
「ンォッホン……だーがしかっしー? そんな現場にもう1人……」
「陰からこっそり見ちゃった人物が! 今度はメイドの女の子!」
「『ごく普通の』従者なのにまつ毛フワフワな主人公フェイス!」
「自称ブサイクでもソバカスくらいしか減点要素ないとかのあるあるタイプ!」
「おリボンとか花とか夢とか似合いそうなそんなメイドが立ち聞きしちゃってさあ大変!」

ダレカB
「あらあら、どうしたのかしらそこのあなた?」

ダレカA
「ンォッホン……姫様、あたくし感動しました!」
「姫様が本当に愛していたのは、あの執事だったのですね!」
「許されぬ身分差、それでも打ち明けられた告白、愛に応える姫様……フオまぶしっ」
「こんな卑しいメイドに過ぎない私ですが、何のお力にもなれないあたくしですが……」
「せめて、せめて心の底から、精一杯応援しています! どうか負けないで、姫様!」

ダレカB
「まあ、どうもありがとう、とっても嬉しいわ!」
「精一杯に思ってくれるその健気な心に、どうしたら答えてあげられるのかしら……」

ダレカA
「そんな! 畏れ多いことです姫様!」
「こうしてお仕えして、少しでも姫様の助けになれれば、私は幸せです!」

ダレカB
「ああ、本当に清らかな人……私、あなたを世界の誰よりも愛しています」

ダレカA
「ええっ!? あ、じ、実は私も……い、いいえ何でもありませーん!」
「ンォッホン……と、メイドが去ってった所で、最後の1人がのっそり登場!」
「最初っから最後までずぇんぶ見ていたネットリメタボなおっさんがエントリー!」
「ンォッホン……ぐぇ~っへっへっへぇ! 見ちまったぜ~姫様よぉ!」

ダレカB
「あら、あなたは、いつも庭を手入れしてくださる庭師さんですわね」
「この部屋から見える花園を毎日お世話してくださるお優しいお方」

ダレカA
「ぶひょっひょっひょ~! 誰が優しいもんかよぉ」
「俺様はお前を脅しに来たタダのロクデナシさ。お前と同じクズだでよぉ!」
「お前ほど言葉の薄っぺらい尻軽女は、こんな俺様ですら見た事ねぇ!」

ダレカB
「あらあら、わたくしったら、まだまだ言葉遣いが不躾でしたかしら……」

ダレカA
「未熟も何も、バカの一つ覚えみてぇに同じセリフの繰り返しじゃねえか!」
「どいつもこいつも片っ端から『世界の誰より愛してる』なんて誑かして!」
「さっきの奴らにバラしたら、あいつらがどんな顔するか見ものだぜ!」
「ぐぇっへっへ、バラされたくなけりゃおとなしく──」

ダレカB
「まあ、私の愛する人たちとお話に? ぜひ、歓迎致しますわ♪」

ダレカA
「へ?」

ダレカB
「今日はもう夜も遅いですから、明日にでも私から皆さんにご紹介します!」

ダレカA
「お、おいおい姫様、話きいてたのかよ!?」
「俺様がお前のセリフを言いふらしても良いってのか?」

ダレカB
「ええ。どんなお話でも、あなたの心のままに打ち明けるのが一番です」

ダレカA
「ひぇ~、どうかしてるぜこの姫様……」
「もしかしてお前、ただ見境ないだけじゃないのか?」
「脅しに来た俺にまで『愛してる』とか抜かすつもりじゃないだろうな?」

ダレカB
「当然ですわ。愛を込めて育てるからこそ、花は美しく育つと聞きます」
「日々か弱い花々を守り、私に見せてくれる景色こそがあなたの心……」
「あなたの美しく、そして健気な心を、私は世界の誰よりも愛しています」

ダレカA
「えぇい、ウソこくでねぇ! 誰にも同じこと言ってるクセに!」
「お前で無くたって、誰でも花くらい褒めそやすさ! けどなぁ!」
「その脇に俺様が立ってるだけで、途端に皆『くっさい』顔しやがるのさ!」
「親も俺様みたいな家族はイヤだって、金を払ってまで俺様を捨てやがった!」
「お前は花しか見てねえから、ンな『うっすい』事が言えるんだ!」
「良いトコ育ちの姫様の目には、身も心も醜い俺様なんか映らねぇんだよ!」

ダレカB
「そんな事はありません。わたくしには、愛するあなたが確かに見えています」

ダレカA
「『愛してる』なんて簡単に言うんでねぇ!」
「だったらお前、愛する俺様が『この場で裸になれ』って言ったら脱ぐか!?」

ダレカB
「はい。わたくしを恋のお相手に認めて下さるなんて、とても嬉しい事です」
「情熱的なお心には、同じく誠意ある情熱で……(あヌ~ギヌ~ギ)」

ダレカA
「うわっ、おい、やめろってバカ! 人に見られたら俺様の首が飛んじまう!」
「くそ、マジでイカレてるぜ、この女……おい、だったらよお!」
「『誰より』ってのはどういう事だよ? 誰にでも『誰より』とか言いやがって」
「誰でも『誰より』愛してるなら、その『誰より』ってダレカはどこに居んだ?」

ダレカB
「それはもちろん、この世界中のあらゆるダレカですわ」
「生きとし生ける全ては気高く美しく、私は全てを心から愛しているのです」

ダレカA
「おいおい、真顔で何言ってんだ、俺様もう笑えば良いのか怖がりゃ良いのか……」
「全部を誰より愛してるなんて、そいつぁもう、全部を──」






秘書
「ピーチクうっせんだよ磨り潰されてぇかぁッ!?」


 突如、秘書が部屋の物陰に向かって恫喝を投げた。
 その容姿に似合わず甲高く、しかしドスを効かせに効かせた、場末のチンピラさながらの声音だった。
 一緒に踊っていたシュラーも恫喝の先……取り立てて何もない空間に視線を向けた。


シュラー
「どうかしたかい?」

秘書
「い……いいえ、急に声が聞こえたものですから」

シュラー
「そうかい? 私には何も」

秘書
「シュラー様が仰るなら、きっとただの幻聴でございます」
「まだ……まだ私の心の傷は、癒えていないのでしょう」


 シュラーへ歩み寄り、しなだれかかる秘書。


秘書
「やはり、今宵の私は疲れているのかもしれません」
「ここ数日、あなた様と『離れて』ばかり……胸が痛むばかりです。どうか今日こそは……」

シュラー
「……分かった」


 シュラーが囁くように答えるのとほぼ同時、儚げな女がピアノから立ち上がり、歩き出す。
 円形の間取りの内周に、段差1つを隔てた扉……昼頃に秘書がハルファスを諌めた時に立っていた、例の扉へと向かう。


シュラー
「では、今日はもう休もう」


 秘書の手を雛鳥のように包み、エスコートするシュラー。
 儚げな女が2人の道筋を先導する。


シュラー
「けれど、くれぐれも忘れないで欲しい。『のめり込む』事は君のためにならない」
「かつて、私は君の心を繋ぎ止めるために『そうした』」
「だが、『これ』はきっと、本来なら君には──」

秘書
「どうか、仰らないで」


 秘書が、自らの手を引くシュラーの腕を抱きしめ、体重を預けた。
 上等なクラシックに浸るように目を閉じて、恍惚と語る。


秘書
「女は……女は弱く、醜く、恐れを消し去る事だけ求めて生きるのです」
「歳も、力も、同じ女だろうと関係ありません。あなた様のような方なくしては……」

シュラー
「……そうだね」
「無粋な心配だった。不安にさせて、済まなかった」

秘書
「とんでもない。私はただ、ただ一言だけ……」
「『いつも』のように、『あの言葉』を、聞かせて下さればそれで……」

シュラー
「もちろん」


 儚げな女が先に扉を開け、二人の入室を迎えた。
 扉の向こうでは、いっそ悪趣味なほどに「いかにも」なヴェールや装飾を施された上等なダブルベッドと、ベッドの向こうの壁にかかる肖像画が目を引く。
 二人が立ち入る事を「お見通し」だったかのように桃とも紫ともつかないアロマが焚かれ、燭台を色付きの薄絹で隔てるようにして、柔らかく妖艶な間接照明が部屋を照らしている。
 王宮に掲げるような巨大な肖像画には、人の心に染み込むような艶めく笑みを浮かべたシュラーが描かれていた。描き手の心血が滲むような、観る者に生々しく妖しいまでの迫力を覚えさせる怪作だった。
 そして何より、部屋一面、装飾と備品と足の踏み場以外、全てを耽美で覆い隠さんとばかりにバラが生い茂っていた。


 扉の敷居を、シュラーと秘書が二人並んで同時に跨いだ。
 それと同時、シュラーは腕の中の秘書を少し強く抱き寄せ、その耳元へ吐息をたっぷり含ませて、囁いた。


シュラー
「……『君は美しい』」


 二人の入室を見届けた儚げな女が、扉に慎ましく手をかけ直した。


儚げな女
「では、ごゆるりと」


 撫でるように静かに扉が閉じられ、夜の世界が隔てられた。






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3-1後半「伝聞形・伝心系・伝断絶刑」

 アブラクサス近隣の森。とある一際大きなゲルの前。

 ソロモン、エリゴス、サルガタナスが幻獣退治を終えて拠点に戻ってきた。

 戦闘前にあらかじめ合流地点として聞いていた場所がこのゲルだった。

 先に到着を待っていたガブリエルが一向に気付き、向き直る。

 

 

ガブリエル

「協力に感謝します」

「今、このゲルに朝食を運ばせている所です。バルバトスも、この中で作業を続けています」

 

ソロモン

「あ、うん……ありがとう」

 

ガブリエル

「……何か気にかかる事でも?」

 

ソロモン

「いや、何でも無いんだ……」

「(幻獣の規模が、昨夜から『減ってない』……)」

「(どっちにしろ数は少ないけど、昨夜も今日も、退治の効率が大して変わってない)」

「(『補充』されてるんだ。退治された分が補われる程度に、アブラクサスからここまで……)」

「(本当にアブラクサスは、幻獣を飼って……操ってる……!)」

 

ガブリエル

「……」

「まあ、いいでしょう。とにかく、まずは中へ──」

 

 

 ガブリエルに続こうとする流れに、興味の欠片もなさそうなサルガタナスの声が投げ込まれた。

 

 

サルガタナス

「ねえ。任務に直接関係ないなら、私はゲルで好きにしてて良いかしら?」

 

エリゴス

「おいおい……」

 

ガブリエル

「我々としては、特に問題ありません」

 

エリゴス

「良いのかよ!」

 

ガブリエル

「バルバトスに進展があれば、後でソロモン王からサルガタナスへ共有すれば良い話ですから」

「それにバルバトスの抱える案件は、傍目にも頭が痛む代物です。大勢で付き合う必要も無い」

 

ソロモン

「バルバトスに何が起きてるんだ……」

 

エリゴス

「例の『手紙』が届いたって話じゃなかったのか……?」

 

ガブリエル

「その『手紙』が少々……見れば分かります」

 

サルガタナス

「戻って構わないなら、私は遠慮なく戻らせてもらうわ」

 

ガブリエル

「どうぞ。丁度、兵たちも来たようですし」

 

 

 ガブリエルが見やる方向から、複数の兵が籠のような容器を持ってやってきた。

 森の空気に、食欲をそそる香りが混じる。

 

 

エリゴス

「お、うまそうな匂い。人数分の飯がご到着ってわけか」

 

ガブリエル

「誰か、食事と共にサルガタナスの護送を。彼女は戻って休むそうです」

 

騎士ヒラリマン

「は! よろこんで!」

 

 

 配食係の1人だったヒラリマンが歩み出た。

 やり取りに構わず踵を返すサルガタナスの後ろにヒラリマンが追従し、退場する2人。

 

 

エリゴス

「すかさず申し出たな……ある意味相性ピッタリだ」

 

ガブリエル

「ではソロモン王、エリゴス。改めて、こちらへ」

 

 

 ガブリエルに促されてゲルへと入るソロモンとエリゴス。

 果たしてガブリエルの言った通り、バルバトスは居た。広いゲルの中にたった1人で。

 その姿と滲み出す雰囲気に、ソロモン達は思わず、声をかけるのを躊躇った。

 

 

バルバトス

「……はぁ~~……くそっ、これじゃまた読み直しって事か……」

 

 

 バルバトスは椅子に腰掛け、卓上の書類と睨み合っていた。

 将校たちが地図を広げて軍議に用いるような広い卓だった。

 バルバトスは片手に手紙らしき書類、もう片方の手にペンを持っている。

 眼前に積んだ紙束にジリジリと何か書き込んでは線を引いて、また書き直す。

 卓いっぱいに、卓から溢れて床にも、書きかけとも書き損じとも知れない大量の書類が撒き散らされていた。

 

 

ソロモン

「あ、あの~……バルバトス……?」

 

エリゴス

「ありゃ大声かけねえと聞こえねえぞ。……よ、呼ぶか?」

 

ソロモン

「い、いや、やめてあげた方が良い気がする。一晩徹夜したみたいな顔になってるし……」

 

 

 バルバトスの目元にはうっすらとクマが浮かび、何度か掻きむしったと見える髪はセットが乱れ、数本の髪がバルバトスの視界を縦断していた。

 眉間のシワも、明らかに長いこと刻まれっぱなしのそれだった。

 

 

バルバトス

「だから……つまり、ここまでがさっきの『過去』の補足文だろ? それで、こっちが……」

 

ソロモン

「……あの、ガブリエル? バルバトスは一体、何をやらされて──」

 

ガブリエル

「少々お待ちを」

 

 

 ガブリエルが、バルバトスの席の隣へ歩み寄る。

 バルバトスの手元の作業をチラと見てから、ガブリエルは卓をダンと叩いた。

 

 

バルバトス

「!?」

 

 

 音よりも、卓の振動で手元が狂った事で初めて我に返った様子で、バルバトスがガブリエルを見上げた。

 

 

ガブリエル

「バルバトス。一旦、休憩を挟みます。いいですね?」

 

ソロモン

「あんなに鬼気迫ってる相手に、直球……」

 

エリゴス

「こういう時、容赦ないのも便利だよな……」

 

 

 やや呆けたような顔で周囲を見回すバルバトス。そこでようやくソロモン達に気付いた。

 

 

バルバトス

「あ……ああ、ソロモンか。そうか、もうそんな時間か」

 

ガブリエル

「あなたに『解読』を任せてから約3時間……進捗を見るに、想像以上だったようですね」

 

ソロモン

「さ、3時間……?」

 

バルバトス

「まあ、やり通してみせるさ、ガブリエル。作戦のためにも、俺のプライドのためにもね……」

 

エリゴス

「おいおい、こっち先に返事してくれよ! 一応だけどほら、女もココに1人居るからよ!」

 

バルバトス

「あはは、失礼エリゴス……確かに、一息入れた方が良さそうだ」

 

ガブリエル

「では、速やかに食事の準備を」

 

 

 ガブリエルの言葉で、外に待機していた兵がゲルに入ってくる。

 バルバトスとガブリエルが卓上と床の紙絨毯をかき集めてスペースを作り、兵達が食事を並べていく。

 そうして会食を初めて、十数分ほど後……。

 

 

ソロモン

「バルバトスが睨み合ってたのが……『ザガンの手紙』?」

 

 

 食事も半分以上が腹に収まって落ち着いてきた面々。

 改めてガブリエルから状況説明を受けていた。

 

 

バルバトス

「そうとも。俺の『個』に懸けても、女性からのメッセージを読み違えるわけにはいかない」

 

 

 今にも卓に肘を突きたいのを誤魔化すようにバルバトスが髪を掻き上げ、糧食を口に運んだ。

 糧食と言っても、ソロモン一行と共に補給が届いたばかりなのもあって、給食のようなある程度の味気と彩りを備えている。

 

 

エリゴス

「手紙1つに懸けるにゃモノがデカすぎだろ……」

「それに何だってザガンの手紙1つで『解読』なんて仰々しい話になってんだ?」

 

ソロモン

「そういえば、ガブリエルは『編集』をしてたとかって……?」

 

ガブリエル

「順を追って説明しましょう。バルバトスは話が終わるまで、食事と休息に専念してください」

 

バルバトス

「ああ。不甲斐ないけど、そうさせてもらうよ……」

 

ソロモン

「(そんなに……!?)」

 

ガブリエル

「まず……潜入組4人からの手紙が、早朝の日の出前に回収されました」

 

ソロモン

「うん。それは幻獣退治に出る前にも聞いたけど……」

 

ガブリエル

「メギド72には体力を温存していただくため、勝手ながら手紙はまず、我々で査読しました」

 

エリゴス

「まあ、手紙つっても実際は任務の報告書みたいなもんだし、そこは構いやしねえけど」

 

ガブリエル

「まずは……これが、グレモリーからの手紙です」

 

 

 いつの間に用意したのか、ガブリエルが手品のように書類の束を取り出してソロモン達に差し出した。

 

 

エリゴス

「グレモリーが最初だあ? ザガンの手紙の話は?」

 

ソロモン

「まあ、とにかく読んでみよう。どれどれ……」

 

 

 書類に目を通すエリゴスとソロモン。

 

 

ソロモン

「『第一次潜入報告書 一日目夜間より執筆』……ふむふむ」

 

エリゴス

「ん~……堅っ苦しくて目が滑るな……」

 

ソロモン

「え、そうかな? 何か俺、すごく読みやすいけど」

 

ガブリエル

「ソロモン王は立場上、公文書の類も多少は目を通すでしょうから」

「グレモリーの手紙は、王都と領地間などで交わされる書式にかなり寄せて書かれています」

 

エリゴス

「ああ、なるほど。そりゃあたしにゃご縁もねえわなアッハッハ」

 

ソロモン

「ま、まあまあ……」

「グレモリーは領主もやってるから、本人としてもそういう文章の方が書きやすいだろうし」

 

ガブリエル

「我々にとって最も詳細かつ明快な形式であり、その点は大いに助かりました」

「ただ……グレモリーの手紙はあくまでも、『自身が得た情報のみ』を詳述しています」

 

ソロモン

「そりゃあ、それが普通なんじゃないか?」

 

ガブリエル

「問題なのは、執筆前に他の潜入組と一度、情報を共有している点です」

「仲間から得た情報について、グレモリーは必要最低限しか言及していない」

「仲間たちの情報について概略を示しては居ますが、詳細は当人の手紙を参照するように、と」

 

ソロモン

「一番詳しく書けるグレモリーだけ頼らず、ちゃんと皆の手紙も見ろって事か」

 

エリゴス

「ハハッ、粋だねえ。いかにもグレモリーらしいや」

 

ガブリエル

「本来なら、同一の情報も様々な観点から持ち寄る事が望ましいのですが、確かに今回は……」

 

ソロモン

「?」

 

ガブリエル

「いえ、詳しくは後ほど。とにかく、グレモリーの示唆に従い、続く手紙も開封していきました」

「次に開封したのが、こちらのハーゲンティの手紙です」

 

 

 懐から、どこにでもあるような便箋用の封筒を取り出すガブリエル。

 

 

エリゴス

「何でお前の胸に後生大事に収まってんだよ」

 

ガブリエル

「食事と同時、グレモリーの手紙と共に兵たちに運ばせ、嵩張らないので携えておいただけです」

「卓上に置き場も無かったので。大した理由はありません」

 

 

 答えながら手ずから封筒を開け、数枚の手紙の束を取り出し、封筒を再び懐にしまい、手紙を開いてソロモン達に見せるガブリエル。

 

 

ソロモン

「どれどれ……ハーゲンティの手紙ならそんな難しくも無いだろうし……」

「『ボスへ アタイしょにちからだいこんぼしだったよ!』」

「……『初日から大金星』って書きたかったのか?」

 

エリゴス

「おお、こりゃあたしでも読みやすいや」

「つか何か……へへ。仕事の真っ只中だってのに、読んでて顔が緩んじまう書き方だな」

 

ガブリエル

「ハーゲンティは、召喚されてから読み書きを覚えたそうで。多少の誤字は問題ありません」

「そして自身の体験、感想について、より印象の強い事柄を優先して簡潔に記してあります」

「精密さは欠きますが要点は十分に捉えている。当人の学力を鑑みれば期待以上の出来です」

「余談ですが……ハルマとしては、こういった文章は素直に、趣深いと感じます」

 

エリゴス

「へ? 言っちゃナンだが、こんな『お子様の初めてのお手紙』みたいなのが?」

 

ガブリエル

「私事はさておき、重要なのはこの後の内容です」

 

 

 ハーゲンティの手紙の束を上から下へ一枚ずつ移し替え、何枚目かの手紙を見せるガブリエル。

 

 

ソロモン

「(さっきからハーゲンティの手紙、中身の割に扱いが優遇されてるような……)」

「って……ん? 『あとね、あたいきゅうしゃもみつけたよ』……あたい……厩舎!?」

 

エリゴス

「厩舎って言や……まさか、『牧場』!?」

 

 

 思わず身を乗り出す2人。

 

 

ソロモン

「……読み間違いじゃない。アブラクサスで厩舎を見つけて、門前払い受けたらしい……!」

 

エリゴス

「それにおい、こっちの行から書いてる部分って……」

「お目付け役って連中も、とにかく危険って聞いて怖がってるみたいな事、書いてないか?」

 

ガブリエル

「しかも、後のグレモリー達との情報共有を経て、厩舎の大まかな位置も割り出されています」

 

 

 言いながら、ハーゲンティの手紙をそっと元の順番に揃え直して封筒に収め、再び上着の内ポケットらしき辺りにしまうガブリエル。

 

 

ガブリエル

「各々の得た詳しい情報は後ほど改めて説明するとして……ハーゲンティの最大の成果は、この厩舎です」

「これひとつ取っても、我々にとってまさしく大金星と言って良いでしょう」

 

エリゴス

「ハルマがメギドを素直に褒めるたあ、珍しいもん見ちまったなあ」

 

ガブリエル

「それはそれ、これはこれです。種族がどうだろうと、有益な働きには相応に評価します」

 

エリゴス

「そいつぁどうも。乱暴者ばっかのメギドで悪かったねぇ」

 

 

 肩をすくめるような軽い調子で返すエリゴス。

 

 

エリゴス

「でもよ、敵の『武器庫』が見つかったようなもんなのは分かるけどよ……」

「あんたら、『幻獣牧場』は最初から知ってたんだろ? 今さら得になるのか?」

「それに厩舎も1つきりとは限らねえだろうに」

 

ガブリエル

「それが、そうでもなかったのです」

「まず、確かに『牧場』の存在自体はライアから知らされていましたが……」

「ライアが『牧場』を知った時には、彼女はアブラクサスで仕事を割り当てられていた」

 

ソロモン

「そうか、手紙にあった『初日の自由時間』ってのと違って、探し回る時間が取れないのか」

「普通の村よりフォトンも設備も不十分だから、一人ひとりの仕事も忙しいだろうし」

 

ガブリエル

「更に、ハーゲンティの手紙にある通り、厩舎は住民にとって一種のタブーです」

「アブラクサス住民に溶け込み、立場の安定を優先していたライアは迂闊な詮索も控えていた」

 

エリゴス

「潜入組くるまでは1人だけでやってきてたんだから、無理もねえか……」

 

ガブリエル

「まず、厩舎の実在と勤務する人員、更に住民の厩舎への印象、これらを得られた点が1つ」

「次に、『1つ確かめれば十分』という事」

 

ソロモン

「それって……もしかして、『アブラクサスが幻獣で武装してる』って証拠になるから?」

 

エリゴス

「(人のシマで勝手に稼いで、テメエらの拠点まで作ってるようなもんだからな)」

「(下剋上する気満々って事にしかならねえ。住民諸共ツブしにかかったっておかしくねえ)」

 

ガブリエル

「その点も無いとは言いません。ただ、ソロモン王が懸念しているよりは、建設的な理由です」

「例えば所在が割れれば、厩舎に求められる立地条件も見当がつきます」

「運用可能かつ、住民に適度に隠し通せる場所……絞り込みは難しくないでしょう」

「1つ見つければ、後は情報次第で他の厩舎も芋づる式に引き出せるのです」

「そしてグレモリーの手紙に、『まずはアブラクサス全体像の把握に努める』とありました」

 

エリゴス

「それ『偵察に本腰入れる』って事だろ。ますます不安的中してるようにしか聞こえねえぞ?」

 

ガブリエル

「ハーゲンティのお目付け役の中に、『厩舎が何故危険か知らない』者が居たそうです」

 

ソロモン

「ん? って事は……」

 

ガブリエル

「よしんば知っていても説明しないのが暗黙の了解らしい、とも」

「これも安定優先のライアには、簡単には引き出せなかったろう情報です」

「厩舎は複数あり、恐らく……その全厩舎、『存在そのものを知らない』住民が少なくない」

 

ソロモン

「じゃあ……じゃあ、幻獣牧場を運用してるのは、一部の人間だけか!」

「アブラクサスぐるみじゃなく、何も知らずに住んでるだけの人も結構いるって事だよな!」

 

エリゴス

「ならそいつらは純粋な難民だ。問答無用で皆殺しってわけにもいかねえはず──」

「いやでもなあ、王都より護界憲章を優先してた時あったしなあ……」

 

ガブリエル

「ご安心を。あの時ほど切迫はしていません。我々は決して、王都の威信を軽んじはしません」

「ハルマとしては危険の芽は早々に摘み取りたい所ですが、ここはひとまず──」

「人道的解決が王都の長期的な安定に繋がると結論が出ました。今後の方針も大きく前進します」

 

ソロモン

「よ、良かった……!」

 

ガブリエル

「くれぐれも、『偏見』は改めて下さい。我々にとって闘争とは、目的のための手段でしかない」

「戦争や略奪という手段のために目的を問わない、メギドのそれとは違うのです」

 

ソロモン

「ご、ごめん……」

 

エリゴス

「そっちの『偏見』も大概って言いてえが……まあ今回は黙って聞いてやるよ」

「一応、今じゃヴィータの身でもあるしな。今さら種族を偉そうに語る気もねえ」

 

ガブリエル

「それと……最悪の事態には今後とも備えてください。少なくとも次回の手紙が届くまでは」

 

ソロモン

「え……?」

 

ガブリエル

「グレモリーの手紙による総括もあるので、信憑性をある程度は認めています」

「しかし現在、厩舎に実際に赴いたのはハーゲンティのみ……」

「もしハーゲンティの勘違い……例えばお目付け役が口裏を合わせ彼女を騙していた場合は……」

 

ソロモン

「ちょ、ちょっと待ってくれ! アブラクサスの人達をそこまで疑うことも無いだろ!?」

 

エリゴス

「さっきは大金星って認めといて急に落としてくれんなよ!」

 

ガブリエル

「言ったでしょう。それはそれ、これはこれです」

「一個人の感じ取ったままを、組織として鵜呑みにするわけにはいきません」

 

ソロモン

「だからって……」

 

ガブリエル

「とにかく、住民の保護を最優先としつつも、結論としては引き続き様子見です」

「今日明日中には潜入組にも仕事が割り当てられます。調査にかける時間も削れますが──」

「グレモリーの方針では、寸暇を利用して厩舎と住民との関係を突き詰めるとの事です」

「続報があるまでは、あらゆる可能性を疑って下さい」

 

ソロモン

「分かったよ……でも、なんかさ……」

 

ガブリエル

「何でしょう」

 

ソロモン

「王都で説明を聞いた時より……『切り捨てたがってる』印象だなって」

 

エリゴス

「そういや、領主や王都達でアブラクサス住民の受け入れ先を話し合ってるとか言ってはずだ」

「面倒見る気あるなら、多少のワルだろうと邪険にしてる場合じゃねえだろうに」

 

ソロモン

「相手にメギドがいるかもとか、政治の難しい事情があるとか、分かってるつもりだけど……」

「もしかして本当は、アブラクサスの人達を助けるの……嫌がってるのか? 領主の人達も」

 

ガブリエル

「あの場は結局、保護賛成派のグレモリーが取り仕切ったので、聞こえが良かっただけです」

 

エリゴス

「賛成派……って、じゃあ反対派も!? おい聞いてねえぞ!」

 

ガブリエル

「私から説明する理由も無かったので」

「恐らくグレモリーの中で保護は決定事項。余計な悩みのタネを吹き込むはずもない」

 

ソロモン

「じゃあ……あくまで、俺にとっての極端な言い方だけど……」

「領主や王都の中では、住民をアブラクサスごと、『消したい』って意見も?」

 

ガブリエル

「当然です」

 

バルバトス

「俺は……イーバーレーベンに着いた頃から気付いてたよ」

 

ソロモン

「バ、バルバトス!?」

 

 

 既に食後のお茶も半分ほど片付けていたバルバトスが割り込んだ。

 疲労だけでない眉根の形が、悩ましくもここまで口出しを我慢していた事を伺わせる。

 

 

ガブリエル

「バルバトス。伝えるべき要件は、私でも十分に伝わるはずですので」

 

バルバトス

「失礼。いつもだったら、この場では俺の役目だったろうってね」

「ごちそうさま。ちょっと、席を外すよ。食事がこなれるまで、隣のゲルとかで休ませてもらう」

「それに……説教じみるのは、俺も気が進まない」

 

ガブリエル

「前もって手配済みです。どうぞ、ごゆっくり」

 

 

 残りの茶を飲み干して、バルバトスが席を立ちゲルを出ていく。

 

 

ソロモン

「せ、説教……?」

 

ガブリエル

「ソロモン王。アブラクサスの住民……あなたも面倒を見たいと思いますか?」

「あの広いアブラクサスを活用してみせるだけの数を……例えば、グロル村にでも?」

 

ソロモン

「そ、そりゃあ出来るってんなら、そうしたいに決まってる!」

 

ガブリエル

「他の土地と分配しても、グロル村の人口が倍以上になりかねない数を、養ってみせると?」

 

ソロモン

「え、あ……」

 

エリゴス

「……『移民』かあ……」

 

ガブリエル

「かつてアブラクサスが衰退した折、周辺領に『移民』が雪崩れ込み大きな問題となりました」

「どこだって、現在の人口で、等しく、最大限、幸福に暮らせる事を想定し運用されています」

「頭数だけが増えるなら、それだけ一人ひとりが身代を差し出さねばならないのです」

「財産も故郷も無く、流浪に弱り労働力にも微妙、しかし衣食住を賄えなければ虐待の誹り……」

「モラルのために、あなたの新たな故郷はどれだけ身を削る覚悟がありますか。ソロモン王」

「あなたに、グロル村に、その決断と責任を『背負う』事は……出来ますか?」

 

ソロモン

「……………………」

 

 

 泣きそうな顔で視線だけ右往左往するソロモン。

 

 

エリゴス

「……もう、そのへんにしといてやってくれ」

「『無い領地は振れない』か……バカのあたしでもグウの音も出ねえ」

 

ガブリエル

「任務中に諸侯が協議を進める段取りだと説明した通り……ちなみに、王都は保護賛成派です」

「作戦の方針さえ今後次第という理由がお察しいただけたなら、ここまでとしましょう」

 

ソロモン

「……うん」

「(何か……『ごめん』とさえ言うのが自分で許せないみたいな、辛い気分になる……)」

 

ガブリエル

「では話を戻して、手紙の件の続き……なのですが……」

 

 

 フッと気怠げに軽く息をついてから、ガブリエルはティーポッドを取り、ソロモンとエリゴスに茶のお代わりを差し出した。

 

 

ガブリエル

「どうぞ」

 

ソロモン

「え、あ、うん。あり……がとう?」

 

エリゴス

「何だよ急に。空気重くしたからって気にするタマじゃねえだろあんた?」

 

ガブリエル

「空気ではなく、気が重いもので」

 

ソロモン

「ガ、ガブリエルが……?」

 

ガブリエル

「ハーゲンティの次は、ハルファス……先程まで私が『編集』していたそれが、順番として妥当かと」

 

エリゴス

「じゃあ、バルバトスのせいで気になって仕方ねえザガンの手紙は、トリか?」

 

ガブリエル

「バルバトスの神経が落ち着かない内に、会話が向こうへ届いて休息の妨げになりかねないので」

 

エリゴス

「ハルマがメギドを気遣ってやがる……!?」

 

ガブリエル

「後は……あなた方にも我々の苦労を、上辺だけでも分かち合うべき代物だろう、と」

 

ソロモン

「何やらかしたんだ、ザガンとハルファス……」

 

 

 ガブリエルは、自分の茶も注いで、一口味わってから席を立ち上がった。

 ゲルの隅に安置された複数の椅子と、その上に並べ積み上げられた、恐らく作戦関係だろう書類束へと歩いていく。

 

 

ガブリエル

「ハルファスの手紙は、あなた方に幻獣退治に出てもらっている間に運んでおきました」

 

ソロモン

「(ハルファスの手紙は他の書類と一緒くたで、ハーゲンティのは自分で持ち歩いてた……?)」

 

ガブリエル

「この場で説明する事になると見越していましたし……現物の置き場にも困っていましたし」

 

ソロモン

「置き場に、困る……?」

 

 

 1つの椅子の正面に立ったガブリエル。

 ガブリエルが上半身を屈ませ、その椅子の上に乗った書類を……まるごと抱え上げた。

 

 

ソロモン&エリゴス

「え……え?」

 

 

 潜入組の手紙に使われた紙はいずれも、決して良質な素材ではなく、一枚一枚が薄い。粗い紙肌はいかにも脆い印象を与えた。

 経済規模と共同体としての地盤が噛み合っていないアブラクサスの事情を現したような、安かろう悪かろうの粗製品である。

 そしてガブリエルが両腕で運んできた紙束は全て、先程のグレモリーやハーゲンティの手紙と見るからに同じ材質だった。

 しかし束の高さは、フォラスやアンドロマリウスが好むようなハードカバー装丁の、丈夫な紙を重ねた学術書一冊強にまで達した。

 ソロモン達の前に置かれた紙の山は、それでも材質の儚さもあってか、軽いですよと言いたげな慎ましい音を立てた。

 

 

ガブリエル

「……ハルファスの手紙は、これで全部です」

 

ソロモン&エリゴス

「…………??」

 

 

 紙の山をしばらく眺めていた2人が、無理もないような間抜け面でガブリエルを見上げた。

 

 

ガブリエル

「聞こえた通りです。この、優に書籍一冊を超える書類全て、ハルファス直筆の手紙です」

「受け渡し業者からも『うちは郵便屋だ、キャラバンじゃない』と強く苦情を呈されました」

「ひとまずは、業者へ労力以上の謝礼を上乗せすると約束してその場は収めましたが」

 

ソロモン&エリゴス

「…………」

 

 

 顔中の穴がだらしなく開いたまま塞がらない2人の前に、ガブリエルはハルファスの手紙だという紙束を丸ごと差し出した。

 

 

ガブリエル

「事のいきさつは、この1枚目……あるいは『1ページ目』を読めば分かります」

「残りに目を通すかは、ご自由に」

 

ソロモン&エリゴス

「……」

 

 

 恐る恐る受け取るソロモン。

 ひとまず半分に分け、ソロモンが上半分、エリゴスが下半分に目を通してみる。

 

 

ソロモン

「……『ソロモンさんへ』……」

「『グレモリーに書き方を教わったけど、やっぱり何を書いたら良いか決められない』」

「『だから、思い出せる事、全部書くね』」

「『馬車に乗った。馬車が動いた。木の陰にモーリュの花が咲いてた』……」

「『空が青い。霊魂ムースみたいな雲を見つけた。馬車が石を踏んで揺れた』……」

 

エリゴス

「『女の人が近づいてきた。声が大きい人だった』……」

「『女の人はライアって名乗った。声が大きくて、いっぱい笑顔で、ちょっと羨ましい』……」

「……なるほど、いつものハルファスだった」

 

ガブリエル

「補足すると、そこに登場するライアが、事前に説明した騎士・ライア本人です」

「入国審査にライアが立ち会い便宜を図れるよう、調整を行いました」

 

ソロモン

「ああ、聞いてる。『裏表のない本当に良い後輩だ』ってジョーシヤナが言ってたよ」

 

エリゴス

「部下や先輩どころか、あんたにも態度変わらないからヒヤヒヤするつってたけど、マジか?」

 

ガブリエル

「ええ。カマエルは時々怒鳴りつけていますが、私は最低限の礼儀を弁えていれば特に何も」

「まあ……あの語彙には引っかかるものがある、というくらいですかね」

 

エリゴス

「語彙?」

 

ガブリエル

「いえ、私事です。『原文』を預かりますので、こちらへ」

 

ソロモン

「あ、ああ」

 

 

 紙束を重ね直してガブリエルへ返すソロモンとエリゴス。

 ガブリエルは席を立ち、ハルファスの手紙を元あった場所へ戻しに行く。

 

 

ガブリエル

「ちなみにこれも余談ですが、ハルファスの手紙について」

「我々と別れてアブラクサスに着くまでの馬車からの描写……何の因果か72ページ」

 

ソロモン

「そんなに気付く物事たくさんあったのか……!?」

 

エリゴス

「しかも覚えてたのかよ! 詩人かよ!?」

「てか、あたしが読んだ下半分でもうアブラクサス入りしてたっぽいって事は、全部で……」

 

ガブリエル

「一般に流通している紙質で、ごく一般的な書物のページ数が、多くともおよそ300ページです」

 

エリゴス

「いやもう何ページだよ!?!? ハルファスもよく一晩で書けたな!?」

 

ソロモン

「『やる』って決まったら、精一杯がんばってくれる子なんだな……」

 

ガブリエル

「そして……こちらが、『編集』の成果です」

 

 

 ガブリエルがゲル壁際の椅子に手紙を戻し、隣席に積まれた常識的な厚みの紙束を取って見せた。

 戻ってきたガブリエルは、先程のハルファスの手紙原文と改めて比較するように、紙束を片手で肩の上辺りに小さく掲げた。

 

 

ガブリエル

「『編集』の意味は、これでご理解いただけたでしょうか」

 

ソロモン

「ハルファスの手紙から、任務に関係ありそうな情報だけ抜き出して、書き写して……」

「それも手紙受け取った早朝から、俺を起こしに来るまでの時間で……!」

 

エリゴス

「ガ、ガブリエル……あんた、すげえよ……ハルマとかメギドとか、もう関係なく」

 

ガブリエル

「お構いなく。ハルマにとって、こういう単純作業はそれほど難しい事ではありません」

「『単純な物量』には些か手こずりましたが……さておきハルファスの情報です」

 

 

 ガブリエルが、手の中のリストアップ情報の中から数枚の紙を取って差し出す。

 受け取って軽く目を通すソロモン。

 

 

ソロモン

「『ハルファスがシュラーとの接触に成功』……!?」

「しかも、4人で一番最初に1対1で会って、読んだ限りシュラーの態度も好意的……!?」

 

エリゴス

「おおっ! 早速お手柄か?」

 

ガブリエル

「生憎と、それ自体は重要ではありません。シュラーは日頃、住民との交流に積極的ですので」

 

ソロモン

「ま、まあ確かに、実際の人物像だけならライアがもう調査済みのはずか」

 

エリゴス

「じゃあ、シュラーに会った事の収穫って他にあるのか?」

 

ガブリエル

「『場所』です」

 

ソロモン

「『場所』? どこでシュラーと会ったかが重要なのか?」

 

ガブリエル

「ええ。シュラーと出会い、その場を離れるまでの一連の描写が緻密に綴られていました」

「しかもこの『場所』の情報、グレモリーの手紙には全く示唆されていなかった」

 

エリゴス

「ああ、まあそりゃ無理もねえって」

「あれだけの文章量、面と向かい合いながら口で全部説明するわけにもいかねえし」

 

ソロモン

「ただでさえハルファス、話すの得意な方じゃないしな」

「多分、潜入組で情報共有した時点では、『シュラーに会った』って事だけ注目されたんだ」

 

ガブリエル

「責めるつもりはありません。あくまでも事実と経緯を説明したまでです」

「むしろ、グレモリーの総括以外を軽んじていた我々の先入観を思い知らされた面もある……」

「話を戻して、その『場所』というのが天文観測塔……星を研究観察していた設備です」

 

ソロモン

「昨夜、地図で見せてもらった、アブラクサスの端っこの塔だな」

 

エリゴス

「あの海岸の……下水を捨ててる側の、ほとんど塀と合体してるような所か」

 

ガブリエル

「(ただ、ハルファスは『よく分からない人達に教えてもらった』と妙な事を……)」

「(今の住民に知る術の無いアブラクサス建国史を演劇調で教えてくれた、とも)」

「(しかも調査の結果、王都が把握する歴史と同等以上の精度で……)」

「(繁栄の経緯、強引な土地開発、国家変態賞……全てが史実に即していた)」

「(何より、ハルファスの本来のお目付け役でないと自ら明かし、消えた……)」

 

ソロモン

「ガブリエル? 何か考え込んじゃって、どうしたんだ?」

 

ガブリエル

「いえ……とにかく、ハルファスはこの天文観測塔の最上階でシュラーと出会い──」

「そこで、大量の『バラ』を見たと報告しています。2枚目をご覧ください」

 

ソロモン

「『バラ』……『原種』か!?」

 

エリゴス

「ど、どれだ!? どこだ!?」

 

 

 たった1枚紙をめくるだけの動作に食いつくようになりながら、該当する行を探す2人。

 

 

ソロモン

「……あ、あった!」

 

ガブリエル

「読みながらで構いません。続けます」

「ハルファスが詳述してくれたバラの特徴は、文献にある『原種』のそれとほぼ一致しています」

 

エリゴス

「ってこたあ、やっぱり!」

 

ソロモン

「いやでも……『原種』と良く似た別の品種って可能性は?」

 

ガブリエル

「ゼロとは言えないまでも、現状の調査では可能性は極めて低い」

「王都が確認済みの品種の中で、ここまで『原種』の原型を保っているバラは皆無です」

「これがハルファスの手紙から得られた中でも特筆すべき収穫であり……同時に、問題です」

 

エリゴス

「違えねえ。消えたはずの『原種』なんざ言い値で売りさばける……大問題の証拠だな」

 

ガブリエル

「いいえ。『それでは安直すぎる』事が問題なのです」

 

エリゴス

「は?」

 

ガブリエル

「見つからなかった……などという事が、あると思いますか?」

「鍵のかかっていない建物の、一部とはいえ壁を覆うまでに繁茂したバラが、今の今まで」

 

ソロモン

「じゃあ、バラはもっと前からライアが見つけてて……?」

 

ガブリエル

「逆です。何故か、『ハルファスが初めて見つけた』のです」

「これまでのライアの報告に、天文観測塔のバラなど一度も記された事は無かった」

「天文観測塔の内部を調査した報告資料なら、何度も送ってきていたにも関わらず」

 

ソロモン

「ん……え?」

 

ガブリエル

「文面の中だけで類推するなら、大きく分けて4つ……」

「1つ、ハルファスの見聞に大なり小なり『思い違い』が含まれていた」

 

ソロモン

「ハルファスが見たのは普通の花だったけど、つい『原種』と思い込んだ……とかか?」

「あり得ない……とは言い切れないけど、ハルファスがってのが……余り想像できない」

 

エリゴス

「ああ。ぽーっとしちゃ居るが、あいつは『見た通り』を色眼鏡抜きで受け取れるやつだ」

 

ガブリエル

「では2つ……ライアが今日に至るまで、バラの事実を隠蔽していた」

 

エリゴス

「それも、それで……よく知りもしない相手を疑うような真似もなあ」

 

ソロモン

「うん。それにそもそも、そんな事してもライアに何の得も無い」

「追加の潜入組が来れば必ずバレるような嘘を突き通したって、無駄に信用を失うだけだ」

 

エリゴス

「『仕事終わったら処罰してください』って、わざわざツバ吐いてるようなもんだよな」

「それにジョーシヤナがライアを随分気に入ってたのを思うと、疑うのは尚更……」

 

ガブリエル

「3つ。最後のライアによる調査から今までの間に、突如バラが発生した」

 

ソロモン

「最後に天文観測塔をライアが調べたのは?」

 

ガブリエル

「仕事の一環で点検に訪れた、つい先週」

 

エリゴス

「論外だな……持ち込めたにしたって日持ちしねえし意味もねえ」

 

ガブリエル

「では最後……自覚の有無を問わず、潜入組の誰かが、既に『籠絡』されている」

 

ソロモン

「なっ……!!」

 

ガブリエル

「潜入組の誰かが、アブラクサス側の意図通りの手紙を書いているために矛盾が生じた」

 

エリゴス

「おい! そりゃ幾らなんでも……!」

 

ガブリエル

「説明はつきます。それに──」

「(特にハルファスの手紙……『よく分からない人』が余りに怪しい)」

「(緻密な描写だけに、あの『くだり』が異彩を放つ。極論、何らかの幻覚を……)」

「(……いま検討しても無意味か)」

「それに、メギド達はともかく、ライアはアブラクサスに潜入して、もうかなり長い」

 

ソロモン

「……もしかして王都はもう、ライアを疑ってかかってるのか?」

 

ガブリエル

「『もう』ではありません。最初からです」

「諸事情で最初の潜入人員がライア1人に限られた時から、幹部級は全員、念頭に入れています」

「ライアは最悪、潜入初日からでも既に、アブラクサスに寝返っている」

 

エリゴス

「んだとぉ!? あんたらのために身一つで働いてるやつをテメエ!」

 

ガブリエル

「身一つだからこそです」

「追放メギドなら、環境の違いがどれほど己を変えるか、ご理解いただけるのでは?」

 

エリゴス

「……っ!」

 

ガブリエル

「男子禁制……言葉にすれば簡単ですが、行うとなれば、ただ国を閉鎖するのとは次元が違う」

「事実、王都の人間でアブラクサスの実態を目にしているのは、今までライア1人だけです」

「そして、王都とアブラクサスの橋渡しを可能とするのは現状、ライアのみ」

「危惧しながらも敢えて泳がせた事で、今回のメギド潜入に漕ぎ着けたと言っても過言ではない」

 

ソロモン

「『異物』を入れさせず、内から情報を漏らさせもしない『やり手』が居るのか……」

 

エリゴス

「一年も会ってない内に、何かの拍子でその『やり手』に抱き込まれて……ってか?」

 

ガブリエル

「かつて放逐された男性達が保護された事で、アブラクサスの一件が発覚したのですが……」

「そのアブラクサス出奔者の中で今現在、まともに口を利ける者は1人も居ません」

 

ソロモン

「ど、どういう意味……?」

 

ガブリエル

「幻獣や暴漢に襲われ、あるいは病にかかり……『証言』は様々でした」

「いずれにせよ、王都が調査に赴いた時点では、生き残りは会話すら困難な者ばかりでした」

「男性は元より、その恋人や家族など、連れ立ってアブラクサスを出た女性も同じく……」

「ライアの報告以外、アブラクサスの情報は断片的な証言の継ぎ接ぎが殆どです」

 

エリゴス

「この流れで話すって事は……それも『やり手』の仕業だって?」

 

ガブリエル

「……出奔者を保護した周辺領はいずれも、後にアブラクサスと不透明な貿易を行っています」

 

ソロモン

「ま、まさか……」

 

ガブリエル

「証言が可能な出奔者はいずれも、『会話が困難』という被害が共通しています」

「聴取した出奔者は皆ひどく錯乱していたため、領地の関係者が介添人として同席していました」

「聴取直前、あるいは聴取後に、出奔者の半数近くが原因不明の容態悪化で死亡しています」

「そして王都は、『出奔者が実際に領外で何かに襲われた』という痕跡を掴めていません」

 

エリゴス

「それ、『王都が調べに来る前に口封じされてた』って言ってるも同然じゃねえか……」

 

ソロモン

「そ、そんなのもう……その時から、周辺領でグルになってたとしか……」

 

ガブリエル

「当然、王都も全力で追求を試みましたが……結果は無念という他ありませんでした」

「『原種』の毒が知れてから今まで、周辺領には『反原種』とでも言うべき思想もあったので」

 

エリゴス

「『反原種』?」

 

ガブリエル

「ええ。『原種』の毒が恐ろしいものだと、過剰に感化された者たちです」

「『原種』を忌み嫌う余り、『原種』の文献が全て焼かれている領地さえあるほどに」

「例えるなら流行病の噂に怯え、根も葉もないデマで他者を排斥する現象とほぼ同義でしょう」

「流行病について書かれた医学書すらも、病を想起させて『汚らわしい』と焼き捨てるが如く」

 

エリゴス

「あー……」

 

ソロモン

「(メギドラルでのビルドバロックも、ある意味似たようなものかもな……)」

「って事は、『原種』が生まれたアブラクサスから来たとか、それだけの理由で……?」

 

ガブリエル

「ええ。それだけの理由で、です。なまじ根絶して歴史を経た事が裏目に出ました」

「口にするだけで『反原種』派に『成敗』されると口を噤む者もあり、捜査は難航しました」

「領地によっては、『原種』の毒は伝染するというデマまでまことしやかに浸透している例も」

 

エリゴス

「そんなデマのある土地で、アブラクサスからボロボロのヴィータが来ちまったら……」

 

ガブリエル

「病院でなく、領地の外塀の陰で聴取した記録も残っています。そういう事です」

「当時の王都の推測では、アブラクサスの根回しによる口封じが半分、残りは……」

 

エリゴス

「ああ、分かった……もういい」

「『やり手』にライアが操られてるかも知れねえし、本当の敵は『やり手』だけでもねえ──」

「よっぽど覚悟決めねえと、アブラクサス切り崩すのはハンパにゃいかねえんだな」

 

ソロモン

「(アブラクサスに関係なく、自分たちの信じたデマで、王都の調査まで拒んだのか……)」

「(アブラクサスを追放されて、そのアブラクサスのせいで迫害されて……)」

「(男ってだけで、そんな事に? あんまりだ……)」

 

 

 消沈する2人の手からガブリエルが書類を抜き取り、順番を揃えて紙束に戻した。

 無言で席を立ち、ハルファスの手紙同様に元あった場所に置き、席に戻って茶を一口含んだ。

 

 

ガブリエル

「いずれにせよ、この『バラ』の齟齬については、5人全員に問い合わせの返信を送る予定です」

「アリバイを偽装するため返信の殆どは明日以降になるでしょうが、何か動きは出るはずです」

 

エリゴス

「あ……『蟻這い』?」

 

ソロモン

「時間の辻褄合わせみたいな意味だよ」

「潜入組は、筋書き上の故郷とか遠くに送った事になってるから、返事も遅くしなきゃだろ?」

 

エリゴス

「あー、届いて返事書かれて、またアブラクサスまで届けられてってか」

「遠くの領地からの手紙が一日そこらで届いちゃ、そりゃ怪しまれるもんな」

「つーかそんな言葉、生まれて初めて聞いたぞ。ソロモンもよく知ってんなあ」

 

ソロモン

「俺も、前に推理小説っていう本で偶然知って、アンドロマリウスに教えてもらったんだ……」

 

エリゴス

「アハハハ、小難しいなあ世の中ってな」

 

ガブリエル

「一般的に珍しい単語ではありませんよ」

「エリゴスはともかく、ソロモン王はもう少し書を知るべきかと。さておき──」

「筋書き上の誤差も出ますが、最も早い返信先がグレモリーなので問題も少ないでしょう」

 

エリゴス

「あんたらが一番疑ってるライアに最初に届いて、握り潰されたりせずに済むわけだ……」

 

ソロモン

「グレモリーが手紙送る相手が、一番アブラクサスの近所って事になってるのか?」

 

ガブリエル

「そういう事です。ライアよりも早く返信が届く筋書きをと、ジョーシヤナに依頼しました」

 

ソロモン

「寝返ってる場合に備えて、か……」

 

ガブリエル

「ジョーシヤナの筋書きでは、アブラクサス周辺領に届く事になっています」

「業者の動き次第では、早ければ今夜中に届けても辻褄を合わせられます」

 

エリゴス

「でもグレモリー……じゃねえ、『ギーメイ』はもっとヨソの領地の私兵って筋書きだろ?」

「しかもギーメイは元居た国から追われてるから……手紙出せる相手なんて居るか?」

 

ガブリエル

「筋書きでは、ギーメイは周辺領のとある人物の手引でアブラクサス入りした事になっています」

「筋書きによると、そのとある人物は昔、川で溺れた少女を助けた──」

「そしてその少女が今、アブラクサスに居ると噂に聞いた」

「その真偽を確かめるため、安住の地を求めるギーメイ一行にアブラクサスを紹介した……と」

 

ソロモン

「ああ、じゃあその実在しない『周辺領のとある人物』に手紙を送ってる事にしてるんだな」

「『とある人物』が助けた女の子について、アブラクサスから情報を届けてるって形で」

 

エリゴス

「体張って助けた子供が吹き溜まりみたいな所に流れ着いてたら、まあ心配にもなるか」

「『ギーメイ』じゃなく『グレモリー』でも、そういう事情なら律儀に手紙もよこしそうだ」

 

ガブリエル

「他に潜入組の返事に加えたい事柄があれば、今の内に考えておいてください」

「さて、多少は気分も落ち着かれたなら……バルバトス曰くところの『至上の難題』に入ります」

 

 

 ガブリエルが瞳を卓へと移した。

 視線を追うと、バルバトスが座っていた席の前に広がる、書きかけの紙の海と、幾つかの書類の小山。

 

 

エリゴス

「そっか、そういやザガンが残ってたんだった……」

 

ソロモン

「『難題』って、バルバトス……」

 

ガブリエル

「あながち的外れとも言えません。最初は、何も知らずにジョーシヤナが査読を担当しました」

「ここに置かれているのが、ザガンから送られた手紙なのですが……」

 

 

 ガブリエルが書類の山の1つに手を伸ばし、上から数枚ほどを取って内容を確認する。

 

 

エリゴス

「ジョーシヤナが読んで……どうしたって?」

 

ガブリエル

「20分後、手紙と共に部下が差し入れていたスパゲッティに顔面を突っ込んで撃沈していました」

 

ソロモン

「なんで!???」

 

ガブリエル

「少々お待ちを。バルバトスの『解読』の妨げにならないよう、慎重に扱っ──」

 

 

 ガブリエルが発話を中断し、眉を顰め、顔を俯向けながら目頭のあたりを押さえた。

 

 

ソロモン

「ガ、ガブリエル!? どうした!?」

 

ガブリエル

「……いえ。少しめまいを受けただけです」

 

エリゴス

「(奥義かよ……)」

 

ガブリエル

「バルバトスに託す前、私も少し『解読』を試みたので、記憶がぶり返しました」

「……もう大丈夫です。こちらがザガンの手紙、最初の1枚からの数枚分です」

 

 

 ガブリエルの反応を目の当たりにした2人は、ゴクリと唾を飲み直してから手紙を受け取った。

 

 

ソロモン

「これがザガンのてが、み……ん?」

「…………なんだこれ?」

 

エリゴス

「……えらい『ガタガタ』だな。下半分から……斜めに読むのか? いや、波型に?」

 

ソロモン

「どうなってんだ? ザガンって、別に読み書きが苦手とかじゃ無かったはずだけど……」

 

ガブリエル

「最初の1行だけ……唯一まともに記されているそこだけ、読んでいただければ十分です」

 

ソロモン&エリゴス

「(唯一って……)」

 

ソロモン

「えっと、最初の……あ、これは真横に読めそうだ」

「『書きたい事ありすぎるから、思いつくまま全速前進で書く。読みにくいかもだけどゴメン』」

 

ソロモン&エリゴス

「……」

 

ガブリエル

「グレモリーの手紙のお陰で、ザガンが記したでだろう、おおよその主旨は分かっています」

「どうやらザガンは、シュラーの正体について重要な情報を握っているそうです」

 

エリゴス

「ザガンが!?」

 

ガブリエル

「何をどうしてかは、グレモリーからは何も……ただ、『相談』を受けたそうです」

「シュラーについての報告内容で、ザガンは何か悩む所があったとか」

「そこでグレモリーは、全てが価値になりうるから、考えている全てを書いて伝えろ……と」

 

エリゴス

「それで肩押されるまま、全力ぶつけたってか……手紙に」

 

ソロモン

「全速前進って書いていながら蛇行どころじゃないんだけど……」

 

エリゴス

「それはほら、いつだってザガンが向いてる方が『正面』ってこったろ?」

 

ソロモン

「……ちょっと分かりそうで全然分からない」

 

ガブリエル

「行が上下に傾いているくらいは、まだ序の口です」

「例えば2枚目の中盤、何の前触れも無く、内容がザガンのメギドラル時代に飛びます」

 

ソロモン

「え……あ、なんか、メギドラルがどうこうみたいな単語は拾える」

 

エリゴス

「なあ、2枚目の下の端っこから、真ん中あたりまで矢印ひかれてるのは何だ?」

 

ガブリエル

「4枚目後半から書かれる、矢印が指す行への補足文……だろうとの事です」

 

ソロモン

「確証には至ってないの……?」

 

ガブリエル

「何分、『解読』はまだ途中ですので」

「その矢印にしても、段落の頭だったり段落全体の中ほどを指していたりで読み取り困難です」

「他、説明不足の造語、表現を変えただけの同じ話題の繰り返し、過剰な主観的表現──」

「何行も取り消し線で埋めた話題を『5枚目くらいに後回し』としながら、語られたのは8枚目」

「それらが文脈も時系列も明示されないまま、四方八方へ飛んでは入れ替わり……」

 

ソロモン

「本当に『思いつくまま』書いたのか……」

 

ガブリエル

「担当撃沈につき、破壊力を知らぬまま私と騎士数名で『解読』を引き継ぎましたが……」

「朝食の片手間で臨んだ、私を除く騎士全員が、朝食のスパゲッティに顔面を墜落させました」

 

ソロモン

「だからなんで顔突っ込むの!?」

 

エリゴス

「何にしても、それで慌ててバルバトス起こして、バルバトスもあの有様になってる、と……」

 

バルバトス

「『解読』の傍ら、気を紛らわすように呟いていました」

「『時制表現の嵐に呑まれている』、『紙の上のハルマゲドン』などなど」

 

エリゴス

「……文字が読める幻獣とか出てきたら、もしかしてこれ見せたら……」

 

ソロモン

「いやいやいや、ザガンなりに真面目に書いた手紙だろ!?」

 

ガブリエル

「結局、ザガンの手紙の内容については、今はまだ解読待ちとなります」

「私はまだ仕事がありますので、これで。ついでですので、食器も私が預かります」

 

 

 空になったソロモンとエリゴスの食器を重ねていくガブリエル。

 

 

ソロモン

「えっ!? あ、あり、がとう……」

 

エリゴス

「ガブリエルがあたしらの飯の片付けって……夢でも見てんのかな」

 

ガブリエル

「通りがかりに騎士に渡せば効率的だというだけです。ソロモン王には後を頼みたいので」

 

ソロモン

「頼む?」

 

ガブリエル

「バルバトスが戻り次第、幻獣が現れない限りは『解読』を手伝ってください」

 

ソロモン

「お、俺が!?」

 

ガブリエル

「彼1人に任せっきりでは、『潰れ』てしまわないとも限らないので」

「少なくとも書類の整頓……後はフォトンを与えれば、活力の足しくらいにはなるでしょう」

 

ソロモン

「……ザガンの手紙を、一緒に『解読』……」

「(『見てる』だけならまだ良いけど、『読む』と思うだけで、頭が痛くなる……)」

 

エリゴス

「……さ、さーて、あたしは腹ごなしに巡回でもしてくるかなー」

 

ソロモン

「あ、ちょ、待っ……!」

 

 

 縋るように伸びるソロモンの手をかわして、エリゴスがゲルの外へ逃げ去っていった。

 

 

ソロモン

「そんな……」

 

ガブリエル

「エリゴスはフォトンが無くとも戦力として期待できます。適切な判断かと」

「……おっと。出る前に、ハーゲンティの手紙を置いていきます」

「同じ軍団の者が読む方が、気付く事も増えるかもしれませんから」

 

 

 懐にしまっていた封筒を取り出すガブリエル。

 手にした封筒を暫く見つめている。

 

 

ガブリエル

「……」

 

ソロモン

「な、何だよガブリエル。ハーゲンティの手紙、手放したくない理由でもあるのか?」

 

ガブリエル

「そうではなく……ケアレスミスです。私とした事が、1つ不手際がありました」

 

ソロモン

「不手際?」

 

ガブリエル

「ハーゲンティの手紙に、『これ』が同封されていたと説明するのを忘れていました」

「昨晩、シュラーが住民たちの前に現れた後、ハーゲンティが拾ったとかで」

「時間を整理すると、『影』の襲撃、シュラー出現、最後にこれを拾った形です」

 

 

 ガブリエルが封筒にそっと指を入れて、何かを取り出して見せた。

 

 

ソロモン

「緑色の花びら……じゃない! 葉っぱだ! しかもこれ、この森の……!」

 

 

 

 

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 

 

 

 

 やや時間を遡り、ソロモン一行がガブリエルとゲルの前で合流した頃。

 海岸沿いの「別荘」の庭先にて。

 穏やかな潮風を浴びながら、少し離れた木の根本を見下ろすウァサゴ。

 木陰のツワブキは、微かな木漏れ日を浴びながら青葉を広げていた。

 ウァサゴは両腕に籠を抱え、寝具を物干しにかけようとしていた所だった。

 

 

ウァサゴ

「……」

 

 

 視線を遠く、アブラクサスへと向けるウァサゴ。

 空気の層に霞む虚都の像は、雲上の城のようにも見えた。

 

 

ウァサゴ

「(アブラクサス……)」

「(貴女を求め、探し続けて……けれど彼の地だけは、ずっと避けるように……)」

「(……マンショ様。わたくしも、ずっと、気づかぬ内に目を背け続けていたのです)」

「(『アリアンはアブラクサスへ流されていない』……きっと、遠く別の地へ至ったのだと)」

「(どんなに美辞麗句を言い聞かせても……今朝の虚飾が、もう己に暴かれてしまう)」

「(マンショ様。お二方もこうして……身も心も打ちひしがれてしまったのですね)」

 

 

 ウァサゴの脳裏に、アリアン捜索の過程で焼き付いた一帯の地図が浮き上がる。

 転落したアリアンが流された先の水路の詳細な絵図。

 人工的にアブラクサスへと引かれた支流ではなく、元々の本流から枝分かれした川沿いの各地。

 周辺領も多々含まれ、郊外の村々まで1つ残らず頭に入っている。

 1つ残らず、実際の風景さえも……。

 

 

ウァサゴ

「(わたくしは恐れていました。アブラクサスか、本流か……大きな二者択一を潰すことを)」

「(『アブラクサスの支流に流されたなら、水門に遮られて見つかりはしない』……)」

「(『奇跡的に生きて流れ着いたなら廃墟を出て、キャラバンやわたくしが見つける』……)」

「(『今や公然の秘密たるアブラクサスの流民に保護されたなら、報せの手立てもある』……)」

「(だから、彼の地に『わたくしの求めるもの』など無いと……醜い言い訳を並べ立てて……)」

「(『見つかるかも』という希望を、少しでも多く残したかった……諦めるくらいなら……)」

「(諦めるくらいなら、永久に答えなど出なくて良いと……わたくしの『本性』は……!)」

 

 

 手にした籠が、軋んで震えた。

 

 

ウァサゴ

「(気付けば2年……もう、他に探せる土地は探し尽くしてしまった)」

「(こんなに近くにありながら、2年……貴女は、どうしていたかしら)」

「(貧しいアブラクサスで、今日まで泥と傷にまみれて……?)」

「(それとも、今も水門の底に骨を晒し、世界を循環して……?)」

「(それとも……それとも……)」

「(膨れ上がった水死体が、砕け流れて、貴女の欠片が今も彼の地のどこかで……)」

「(逃げ続けたわたくしへ、突きつけられるために──)」

 

 

 籠の中に顔を投げ込んで、思考の中断を試みるウァサゴ。

 それでも、いっそ籠の中身が角張った岩か、刃の山であれば良かったのにと脳裏によぎる。

 数秒後、観念したような表情を持ち上げた。

 

 

ウァサゴ

「(……王都がアブラクサスを注視している事は、既に周辺領の有力者たちも感づいている)」

「(彼の地の隆盛を鑑みれば不正は明白。ならばきっと……時間は残り少ない)」

「(確かめるなら今しかない。そこに絶望が待とうと、虚無が待とうと……)」

 

 

 アブラクサスを見つめ直すウァサゴ、意を決したような面持ちは、瞳は陰り、唇と目尻の震えを懸命にこらえている。

 

 

ウァサゴ

「(幻獣らしき噂が湧く今、破損のリスクを承知で馬車など借りる無礼は冒せない)」

「(けれど、足では丸一日を優に過ぎる。幻獣の戦力も知らず、フォトンの支援も無く……)」

 

 

 考えるように目を閉じ、少しして、また開いた。

 ウァサゴの顔から余計な力が失せ、口元は笑み、瞳に微かに光が灯り、そして涙が一筋流れた。

 

 

ウァサゴ

「……ごめんなさいね、アリアン」

「今日のわたくしは、もう貴女の『天使』たり得ないかも知れない」

「それでも……遠い情景にかけて──」

「どんなに醜くとも、『誇り』だけは……貫いて見せますから」

 

 

 ウァサゴは、日干しのために持ち出した寝具を抱えたまま、踵を返した。

 

 

ウァサゴ

「(貴女に見合う『誇り』を貫き、その末に貴女が叱ってくれるような……)」

「せめて、そんなわたくしでありたいのです……アリアン……」

 

 

 今日はもう、旅支度と、もしもの時の手紙をしたためるだけで良くなった。

 

 

 

 

 

<GO TO NEXT>

 




※ここからあとがき

 ご無沙汰しておりました。
 諸々の別件を優先していました。
 ジワジワと執筆を生活サイクルに仕込み直しながら、再開していければと思います。


 ヴァイガルドの一般に出回る書物の材質について、現実の歴史等から考えて羊皮紙基準でイメージする事にしました。
 羊皮紙というのは薄いほど上質らしいので、ヴァイガルドで書物として気軽に手に取られる物は一枚あたりそこそこの厚みがあると思われます。
 ついでに、恐らく分厚い方が丈夫でしょうし、学術書や歴史資料などは長持ちする紙の方が珍重されるかなと。
 そしてアブラクサスは牧畜に難があると設定したので、まず羊皮紙のような獣の皮は用いていないだろうなと。
 なのでアブラクサスで使われる紙のイメージは、羊皮紙以前に普及していた、麻の一種や古くなった布の繊維をほぐして手漉きして作る麻紙で考えたつもりです。
 更に、フォトン不足で物資の不安が拭えないアブラクサスなので、一枚あたりに費やす材料が少なく、薄くて頼りない、ともすれば所々透けてたりほぼ穴が空いてるような、そんな紙かもしれません。
 まともな羊皮紙の類は周辺領からの輸入頼みでしょうから、取引の証書とか、記録の必要がある場合にだけ使われるのでしょう。
 ハーゲンティの手紙だけ封筒に入っているのは、サシヨンのお目付け役達が手紙の話を聞いて、こっそり保管していた品を譲ってくれたとか考えましたが、描写の必要は無いかなとカットしました。

 外では当たり前の品も、アブラクサスの中では相対的にちょっとした贅沢品になります。
 王都が掴んでいるような豪勢な商取引で買い入れた品々は、大半はシュラーに貢がれるかサイティ一派がガメてるので、一般住人は時折手に入る服や化粧品や、封筒などの洒落た小道具を大切に手元に置きつつ”慎ましい”生活に甘んじています。




 以下は最後の更新から今日までのメギド周りの雑記ですので、読み飛ばして問題ありません。





 おかーさんをお迎えしました。ファロを狂炎でじっくりコトコトして依頼期間内に☆6達成。
 イヌーンもお迎えしましたが、ケチャ攻略が中々に手間なのでひとまず様子見。ニスロクやオリエっちやアザゼルがいるのでバレット編成を学ぶ準備は出来てはいますが……。

 フォラス、シバ相手には敬語だったのか……。そりゃそうか……。

 恐れながらウァサゴの一人称、「私」と書いて「わたくし」だと勘違いしたまま3-1まで進行していました。
 原作では文面でも平仮名で「わたくし」だったんですね。
 3-1前半では脳内で「アリアンとの最後の夜から意味合いが変わった」とか無理くり辻褄合わせながら書き分けましたが、今後は覚えていられる限りは、「わたくし」で統一するよう心がけようと思います。
 以降のウァサゴの一人称に「私」と「わたくし」が混在しても、ただの書き間違いで特に意味は無いのであらかじめご査収ください。

 結婚イベ、ハルファスとハーゲンティが隣り合いつつも、ハーゲンティが名前呼んでくれなかったのが口惜しい。
 ついに公式で立派な服を手に入れたおべベレトに感無量。

 アジトツアーの医務室に蛇口があるので、エルプシャフトに水道が普及してるという答え合わせが。
 辻褄合わせとかでなく純粋な考察としては、それでも地下敷設の水道管だと現在でも錆が混じって赤くなる問題が残っている点や、整備取替の手間を考えると、現代のような上水道ではなく貯水タンクか何かがあって、水を多用する医務室や台所にだけ直結してるといった具合でしょうか。
 すると今度は、一箇所に取り置き続ける水が腐らないようにどんな工夫がされるかも気になる所……来年の質問箱に送ってみたい所です
 質問箱に送ったウァサゴのヘアスタイルについては、いずれ一枚絵が来ると信じておこうと思います。

 ブリフォー、気さくで冷静で姉御肌であのガタイ、しかもヴィータを無闇にナメたりしない。
 頼りがいの塊みたいなのに本人は下支え専門。少しハッとさせられるキャラでした。

 SNSで、コロッセオがザガンさんと相性良さそうという話を見かけ、これは筆者的にもかなりアリそうな気がしてます。
 今回の話、もしリジェネしたらラッシュザガンさんだなと、性能まで妄想していたのもあり、できれば本当に公式からラッシュザガンさんがお出しされる前に書ききれたら良いなと思います。
 ラッシュフルフルを妄想していたらカウンターフルフルがお出しされ、カウンターウァサゴを妄想していたらバーストウァサゴがお出しされたので、もしかしたらバーストザガンさんだったりするかもしれませんが。

 仁義イベのマケルーみたいなキャラが好きなので、こう、エモい的なアレが……。
 トラウマのせいで社会の「余分」になって、熊と相対する恩人を前に都合の良いヒーローみたいに精神的転生する事もできず……とか、そんな所ばかり注目してしまいます。拙作の回想での扱いはアレですが。

 メインクエと併せて、ザガンさんが「牛くん」「熊くん」と呼ぶ所が地味にありがたい供給でした。



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3-2前半「ダレカ劇場~天上桟敷に不明の願い~」

 アブラクサス。グレモリーら潜入組がソロモン達へ手紙を送った、その翌日。

 

 昼にはまだ少し早い時間帯。

 旧市街地の、かつては市場でも開かれていたのかもしれない広場。

 広場には川が、もとい用水路が流れ、幾何学模様を描くように別れては合流してを繰り返している。

 幅は広く一定で、現実世界なら子供たちが戯れる噴水広場のような趣き。しかし深さは所によって、足裏程度から膝ほどまでまちまちだった。当時の建築家たちの美的センスの帰結と思われる。

 

 一帯を見渡すグレモリー。

 グレモリーが眺める先では、数十人ほどの女性たちが、用水路の比較的深い場所に寄り集まっている。

 用水路から大桶に水を汲み、傍らに積み上げた布を桶に放り込んで、取り出し、時折桶を持って立ち上がり、近くの格子状の蓋がなされた排水溝へと捨てて水を汲み直している。

 

 

グレモリー

「ふむ。用水路沿いの広場で、洗濯担当の者達が衣類を洗う……確かに聞いた通りのようだな」

 

バーズレー

「こんな事で嘘ついて何になるってのよ。バカじゃないの?」

 

 

 サイティの取り巻き3人が、グレモリーの背後を取り囲むようにして、お目付け役として随行している。

 

 

グレモリー

「ほう、それは良い事を聞いた」

「些末な事にまで『サプライズ』を用意してはいないようだな。思ったよりは信用できそうだ」

 

レディス

「はぃ~~? 意ぃ味分っかんぬぁぁいんですけっドゥぉー?」

 

グレモリー

「楽しい『見学会』になりそうだ、と言っただけだ。さあ、引き続き説明を頼むぞ」

 

 

 3人に悠々と背中を晒したまま、グレモリーはスルリと滑らかに歩き出した。

 用水路の流れと逆方向、上流へと向かうグレモリーと、その後を慌てて追いかける3人。

 

 

バーズレー

「あ、こら待ちなさいよ! お目付け役に『教えてもらう』側って事わきまえなさいよね!」

 

レディス

「あんのババア、イノシシが服着たみてえな分際で調子乗りくさっチからに……!」

 

アマーチ

「……」

「(楽しい……か)」

 

 

 追いかける3人の気配を読み取りながら、グレモリーは迷いなく用水路沿いに突き進む。

 

 

グレモリー

「(早朝から私の部屋の隣……サイティ側のお目付け役の部屋で張り込んで正解だったな)」

「(新入りは本日、午前中は仕事の『見学』、午後から『研修』との事だったが……)」

「(部屋から出てきた起き抜けのアマーチのあの慌てぶり……)」

「(他のお目付け役が到着する前に『いびる』算段だったのだろう)」

「(恐らくは、手玉に取れると暴かれたザガンや、純朴なハルファス辺りか……)」

「(ともあれ、ひとまず先手は潰せた。このまま引き付ければ仲間からも目を離せるだろう)」

「(後は、ついでにこうして、見学に用水路沿いの仕事を希望し、勝手に遊山していれば良い)」

 

 

 追放メギドのフィジカルで体幹を存分に駆使して前進するグレモリーに、お目付け役がどうにか距離を詰めた。

 

 

バーズレー

「ハァ、ハァ……追いついた……ちょ、ま、待ちなさいよオバハン!」

 

レディス

「ゼェ、ゼェ……30過ぎの歩く速さじゃないでしょ……いい歳こいて見栄張ってんじゃ……ゼェ」

 

アマーチ

「スッ、スゥ、ハッ、ハァ、スッ、スゥ、ハッ、ハァ……」

 

バーズレー

「アマーチ? あんたナニ変な呼吸してんの、流行ってんの?」

 

アマーチ

「長距離走る時は……スッ、スゥ、ハッ、ハァ……この呼吸法が長持ちするのよ」

 

レディス

「ババァの散歩にガチ走りで追っかけるヤツがあるかよっ!?」

 

グレモリー

「ほう、存外に詳しいじゃないか、アマーチ。どこで習った?」

 

アマーチ

「っ!?」

 

 

 友人相手のように気安く、余裕綽々に話題に加わるグレモリー。

 言葉を投げかけられたアマーチが一瞬、大きく呼吸を乱した。

 

 

アマーチ

「ケホッ、スッ、スゥ……こ、ここに住む前、家業で郵便配達を……スゥ、ハッ、ハァ……」

 

グレモリー

「道理で中々、姿勢が板についている。実に良い。その調子で、私を迷子にさせぬよう頼むぞ」

 

アマーチ

「……!?」

「(ほ、褒められた? こんな、『やって当たり前』の事で……生まれて初めて!?)」

「(この人、昨日も……殺そうとまでした私に『感謝する』って……)」

「(お礼なんて、ザコが媚びを売るためにやるものなのに……勝ったアネさんの方から……)」

 

レディス

「おいアマーチ! ババアに調子こかせてんじゃねぇぞテメコらゲホッ、おい、待っ……」

 

バーズレー

「ア、アマーチまで……速すぎ……!」

 

レディス

「アマー……ゼェ、ゼェ……しゃ、舎弟みだぐ引っ付いてんじゃね……とっ捕まえや!」

 

アマーチ

「(チッ……現実がウザい)」

「腕ずくじゃ適わないし、挑発もコケにしてかわす相手よ? 変な意地張るだけ損よ」

 

 

 競歩のグレモリーとジョギングのアマーチに、老人のように息も絶え絶えで追いすがるバーズレーとレディス。

 

 

グレモリー

「(今の所、結果はまずまずか)」

「(一等意固地に反発するだろうと睨んだアマーチの、この『柔軟さ』は予想外だが……)」

「(まあ良い。私に執心させておけば、こいつらは有象無象……本題は『用水路の先』だ)」

「(ハーゲンティは『厩舎』を発見した後、事故でお目付け役共々、用水路に落ちた──)」

「(ならば用水路下流から遡れば、どこかで厩舎へ続く道に通り掛かる)」

「(昨日の時点で、部屋からの景色で用水路の分布、厩舎の座標の目星も付けてある)」

 

 

 用水路に視線を落とすグレモリー。どこかから風に吹かれたのだろう、花びらとも青葉ともつかない物体が下流へ流されている。

 

 

グレモリー

「(アブラクサス用水路は、給水棟から国土の外周を経て中心へと流れていく構造のようだ)」

「(中央広場には噴水などの水を用いた娯楽設備の名残があった)」

「(誰にも使われず、塵や落ち葉の浮いた水の最後の使い道と言った所か……)」

「(そして恐らく、上流の『頭』からすぐに支流が引かれ、厩舎へと流れている)」

「(当時の……当時『から』、アブラクサスは農業、取り分け畜産を卑しく見なしていた)」

「(汗水垂らして土にまみれる姿を、美しいとは思わなかったのだろう)」

「(特に家畜は、汚物を垂れ流し匂いも移る。従事者を市街に近づける事さえ嫌ったと聞く)」

「(しかし自給自足には欠かせない資源と労働力……汚れた水を与えたのではすぐに果てる)」

「(ならば……『不潔』を『隔離』したはずだ。伝染病を抱えた病人の如くに)」

「(必要な水を与えておいて、恐らく生活用品も配給……人目に触れぬよう『押し込める』)」

「(賤業を存続し体裁も保つ……私ならそう計画する。実行など命と引き換えでも御免だがな)」

 

 

 淀みなく進んでいたグレモリーの足取りが穏やかになり、止まった。

 

 

グレモリー

「ふむ……三叉路か」

「(用水路も上流から分岐し、三叉路と立体的に錯綜する景観……良くも悪くも猪口才な)」

 

 

 少しばかり芸術的に思えた事に一抹の悔しさを感じつつ、逡巡するグレモリー。

 大まかな地形は把握しているが、詳細な道順や土地勘などは無い。それらを確認する意味でもこうして歩いているのだから当然だった。

 

 

グレモリー

「(どの道が厩舎に通ずるか……までは、学舎の景色だけでは確かめようも無かったからな)」

「(左……は、まず無いな。目星を付けた厩舎の座標とは反対の方角だ)」

「(残るは中央と右だが……仕方ない。1つ『カマ』でもかけるか)」

 

 

 振り向きつつ、背後の取り巻きへ呼びかけるグレモリー。

 

 

グレモリー

「貴様ら、3方それぞれどういった仕事があるか、1つずつ説明を……む?」

「……誰も居ないな」

 

 

 後ろに続いていた取り巻き全員が消えていた。

 見た目の割に年季の入った息切れを起こしていたバーズレーも、途中から尻を押さえながら追いすがっていたのを横目で確認したはずのレディスも、律儀に歩調を合わせて付いてきたアマーチも居ない。

 

 

グレモリー

「ふむ……」

「(役目上、私を見失う事は失態となるはず……何よりサイティの不興を買う)」

「(どこかで私の様子を伺いつつ……何か仕掛ける算段をしている、と言った所か)」

 

 

 果たして、グレモリーの予想は的中していた。

 グレモリーが立つ三叉路、その少し手前の路地裏で、バーズレーとレディスがアマーチを半ば取り押さえながら路地の奥へと引き込んでいた。

 

 

アマーチ

「むぐぐ……ぷはっ、何するのよ急に!」

 

バーズレー

「こっちが何してんのだわよ! ここが『仕掛け』のポイントでしょ! なに素通りしてんの!」

 

レディス

「道すがら嫌がらせ食らわせて、トドメに最寄りの『くっさい』厩舎押し込んでひと泡吹かせる!」

「忘れたわけじゃねェだろうなアマーチてめオラ!?」

 

アマーチ

「忘れちゃいないけど……とっくにボツだと思ってたわ」

 

バーズレー&レディス

「はぁ!?」

 

アマーチ

「だってそうでしょ? あのひと……アイツに『あんなの』無駄だと思うし」

「初日の自由行動、アイツを殺せるくらいの万全の準備したつもりだったのに、あのザマよ?」

「今日も、こっちが誘導しようとする前にアイツが自分から向かってる」

「読まれてるまではあり得ないだろうから、偶然でしょうけど……」

 

バーズレー

「だったら好都合じゃない。自分から罠にかかりに行ってるんだから」

 

レディス

「ンだべよ。あン時ゃあの『クソヂカラ』と『床の穴』がたまたまオバンに有利だっただけだろ」

 

アマーチ

「なら私には、『床の穴』が『用水路』や『厩舎の汚物』に変わるだけとしか思えないわ」

「アイツはどんな罠だろうと、真正面から受け止めて投げ返す……そんな気がするの」

 

レディス

「だから『仕掛け』なんざ諦めようってかぁ? ビビリかテメェよぉ?」

 

バーズレー

「あの筋肉バカに力で対抗しようとしたのが敗因なの。今度は違う……そうでしょ?」

 

アマーチ

「……ハァ。そうね。相変わらず気は進まないけど、私がどうかしてたわ」

「(この場で私だけ空気乱してたら、明日にも人間の暮らしなんて出来なくなるかもしれない)」

「(……人を蹴落とす事に、これほど気分が重くなるなんて……ごめんなさい、アネさん)」

 

バーズレー

「ほら、それじゃ気を取り直して、とっとと『仕掛け』取り出すわよ」

 

 

 バーズレーとレディスが、路地裏の更に片隅に寄って何かゴソゴソと探り始めた。

 廃墟の未撤去のガラクタの中から、偽装用のボロ布をどかして、三人それぞれが大小の箱状の物体を1つずつ手にした。

 

 

バーズレー

「クックック……皆、準備はちゃんと出来てるわね?」

「今度は間接攻撃よ。クソババアの『心』をいたぶってやるのよ……」

 

 

 バーズレーは布で包んだ1m弱のガラスの箱を抱えている。

 箱の口を僅かに開いた状態にして、その上から縄で固く縛り、それ以上少しも口がズレないように細工してある。

 顎下からライトを当てるのが似合いそうな悪どい笑顔を浮かべている。

 

 

レディス

「ふふっ……ええ、もちろん……!」

 

 

 訛りを引っ込め、悪女気分のレディスは頭一つ分ほどの大きさの壺を両手に取った。

 壺の口に布を張って、こちらも縄で布を固定し封をしている。持ち上げる時にチャポンと音がし、多少の液体が含まれているようだ。

 超えてはならない悪事の一線を超えた瞬間のような、冷や汗を浮かべた引きつった笑みを浮かべながら壺を見下ろしている。

 

 

アマーチ

「……」

 

 

 アマーチは片手に収まる程度の木の小箱を拾い上げた。

 表情は2人と対照的に曇っている。

 

 

バーズレー

「いい? 作戦確認するわよ?」

「まずババアが、この先の三叉路にぶち当たる。どうせババアは勝手に道選んで先に行くわ」

 

アマーチ

「確率、半々くらいな気がしてきたけどね……」

「アイツ、初日も私たちのお目付け役としての立場保てるように動いてたし」

 

レディス

「ンなのタマタマよ、タマタマ。むしろ邪魔な私らが消えてラッキーとか思ってるに違いないわ」

 

バーズレー

「どう思ってようが、私たちが居ないくらいでババアが無様に来た道帰るはずがないわよ」

「でも、3つの道をどう選んでも、有利なのはあたし達……!」

 

レディス

「左の道は突き当たって丁字路、片方はさっき来た道」

「いくらオバンの老眼でも遠目に洗濯女が見えるはずだわ」

 

バーズレー

「でも右の道は、この三叉路の真ん中の道と合流。無駄足確定ってね♪」

「そして真ん中の道も右の道も、この路地裏からなら先回りできる!」

 

レディス

「右の道の先、厩舎側にまず回り込んで、見当たらなけりゃ真ん中の道へ回りゃ良いだけってね」

 

バーズレー

「この裏道ならそれでも充分に先手が打てる。いつも生意気な新入りに使ってる手だもの♪」

「最後に油断しきったあのババアに、こいつを……クックック……」

 

 

 バーズレーが布を解くと、ガラスの箱の中には大層なサイズの蛇が収まっていた。

 

 

バーズレー

「このアオダイショウ投げつけてやるわ。このためだけに徹夜でとっ捕まえて来たんだから」

「見てよこのヘビ、ヘビが好きなやつがこの世にいるもんですか……!」

 

 

 確固たる確信の元に主語を誇張しながら、アオダイショウを見下してほくそ笑むバーズレー。アオダイショウは空気穴用にズラされた箱の口から希望の見えない脱出を試み続けている。

 

 

レディス

「私なんてねえ、昨夜の内に素潜りして生タコとらまえて来たのよ。ケケケ……!」

「ヌルヌルなクセに吸盤が貼り付いて全然取れないの……汚いから帰ったら肘まで洗わないと♪」

 

 

 壺の中のタコに軽蔑と優越感の眼差しを注ぎながら、壺の重量と感触を再確認するバーズレー。

 口に貼られた布に時折、脱出を試みるタコの足が薄っすらと浮かび上がる。

 

 

バーズレー

「で? アマーチはどんな最低な生き物用意してきたの?」

 

 

 ウキウキと視線を向けるバーズレーとレディス。

 小さく鼻からため息をつきながら、箱を空けて中を見せるアマーチ。

 箱の中には、巻き貝の殻、木の枝、時間経過で少し萎びた野菜の切れ端が収まっている。

 

 

アマーチ

「私は、ちょっと時間も無くて……たまたま見つけた『でんでんむし』」

 

レディス

「でん……え、な……『何むし』って?」

 

アマーチ

「だから、『でんでんむし』よ。からかってるの? そりゃ迫力は無いけど……」

 

バーズレー

「いや、単に聞いた事ないだけよ。これ……カタツムリと違うの?」

 

アマーチ

「同じよ。何なの? 普通カタツムリの事『でんでんむし』って言うでしょ?」

 

バーズレー&レディス

「いや全然……」

 

アマーチ

「は? ちょ、ちょっと何よその変なもの見る目!」

「アンタたちの方が絶対に少数派だからね!? 断言してもいいわよ!」

 

バーズレー&レディス

「えぇ~~……?」

 

バーズレー

「っていうか、幾ら時間無かったにしてもカタツムリ1匹だけって……」

 

レディス

「そりゃジメジメした所に湧いてきて不潔っぽいトコあるけどねえ」

 

アマーチ

「……でんでんむしって、寄生虫持ってるのよ。体に入ったら死ぬやつ」

 

バーズレー&レディス

「えっ……」

 

アマーチ

「後ね、殻の中に内臓入ってるから、キレイに殻だけ割れたりすると──」

 

レディス

「わわ、分かった、分かったもういい! そんなきったない話なんて良いから!」

 

グレモリー

「聞いた事がある。『カタツムリに食害された野菜は時に毒を持つ』と……そういう仕組みか」

 

バーズレー&レディス

「おげあぁ!?」

 

アマーチ

「ヒィ……!?」

 

 

 グレモリーが、涼しい顔で路地裏入ってすぐの壁に寄りかかっていた。

 品位の欠片も無い悲鳴と共に飛び上がるバーズレーとレディス。

 アマーチも青ざめた顔で、全身のバネを効かせて捩るように後ずさった。 

 

 

グレモリー

「全く、3人揃ってコソコソと……私を見失って不安に震えてでもいたのか?」

「それと、『でんでんむし』の名は私も聞いた事がある。旅の吟遊詩人が童謡で歌っていた」

 

レディス

「(ど、どっから聞いてやがった……!)」

 

アマーチ

「……!!」

「(また、私の味方に……内輪で孤立してるヤツなんて嬲る玩具にしかならないのに……!)」

「(何で? アネさん、あなた何考えて……いいえ、違う。そもそもいったい何者なの……)」

「(何故……アネさんに声をかけられる度に、世界が彩めいて見えてくるの……!?)」

 

バーズレー

「(クッ……こ、こうなったらレディス! ……あれ?)」

 

レディス

「(おうよ! もうこの場で真正面からヌルヌルのいかがわしい生タコを……あれ?)」

 

 

 2人は手元のナマモノ入り容器を掲げようとして……何も持っていない事に気付いた。

 

 

バーズレー&レディス

「あれ? あれ? あれーーー!?」

 

 

 懐や足元など無意味に探り回ってみるが、もちろん見つからない。

 

 

アマーチ

「(……あ、私のでんでんむしも無い。……まさか、またアネさんが何か……!?)」

 

 

 ひとしきり醜態を晒した取り巻きの背後で、ガチャンと盛大な粉砕音が響いた。

 グレモリー達が音の方を見やると、ガラスの欠片と、陶器の欠片と、転がった小箱。そしてアオダイショウと生タコとカタツムリが屯していた。

 

 

バーズレー

「(しまった……急に、ババアが、来たから……!)」

 

レディス

「(さっきオッタマゲた拍子に、ぶん投げちまった……!)」

 

アマーチ

「(何だ、ただ私達がバカやっただけか……何にしても、終わりだわ……)」

「(でんでんむしはともかく、町中に蛇やタコなんて居るわけない。それに派手な音まで……)」

 

 

 背後のグレモリーに振り向けない取り巻き達。

 口八丁手八丁のサイティのおこぼれに与るだけだった3人に、自覚したピンチに自力で機転を働かすような度量は無かった。

 

 

グレモリー

「(やれやれ。剽軽も過ぎると不憫だな……)」

「(仕方ない。ここまで3バカなら、逆に泳がせてやる方が得かも知れんな)」

 

 

 路地向こうでは、危険な破片地形を鱗や粘膜で無効化したアオダイショウと生タコが、どちらがカタツムリを食らうかで険しく睨み合っている。昨夜から今朝の間に運び込まれた両者は、ストレスと空腹で一触即発の様相を呈していた。

 グレモリーは一呼吸おいてから、朗々と声を上げた。

 

 

グレモリー

「ほーお。流石に廃墟である以上、野生動物の侵入もやむを得ないか」

 

取り巻き達

「へ……?」

 

グレモリー

「違うのか? 海に接し、森にも近い。大方、こうした生物の処分も仕事の1つなのだろう?」

 

バーズレー

「……! ち、ちちっち違わないわ!」

「そそ、そーおなのよ、きったない生き物ばっかりウジャウジャと!」

「(良かった……こいつバカだ!)」

 

レディス

「そそ、そーおそお!」

「ああして空き家の窓とか家具とか勝手に壊して迷惑してるのよ! ネー!」

「(オラッシャアェ! 所詮ジジババなんざこんなもんよォ!)」

「(世の中テメェん常識だけで回ってるとか決めつけてる薄らボケばっかなんだよォ!)」

 

アマーチ

「……」

「(どう見ても、無理に助け舟出された……私たちが真に受けるくらいバカなの見越して)」

「(自滅でサイティ様の顔に泥を塗ったとバレたら生きていけないところを……)」

「(こんな、道化になってまで庇うなんて……)」

「(何で……あなたの仲間にまで酷い事した私達に、何でそこまでしてくれるの……!?)」

 

グレモリー

「ともあれ……わざわざナマモノのいざこざに首を突っ込んでまで、路地を進む理由も無いな」

 

 

 視線の先では、アオダイショウが噛み付く素振りを見せては引っ込めてを繰り返し、生タコは不慣れな陸地にも動じず敵に絡みつく機会を伺っている。

 両者の鍔迫り合いを余所に、カタツムリはその場を逃れるためか、あるいは持ち主の当初の目的を果たそうと言うのか、ノタノタとグレモリー達の方へと懸命に這っている。

 

 

グレモリー

「貴様ら、今度は見失わずついてこい。この先の三叉路の案内を頼む」

「大方、土地勘には詳しかろう。ひとまず……左から順に、仕事や設備の有無を答えろ」

 

バーズレー

「頼むのか命令すんのかどっちかにしなさいよっての……!」

 

アマーチ

「左は丁字路よ。来た道に戻るか、真ん中の道に合流するだけ」

 

バーズレー

「あ、ちょっと、アマーチ!?」

 

アマーチ

「(私たちのプライドより、サイティ様のメンツが先でしょ?)」

 

 

 小声で仲間に応えるアマーチだが、グレモリーに隠す素振りはほぼ無い。

 どうせ隠そうとした所でグレモリーが見抜くに違いないと観念していたし、実際グレモリーも彼女らが小声で打ち合わせている事を分かっているが、そのまま好きに語らせている。

 そしてレディスもバーズレーも、そんな事に気付きもせずひそひそ話に参加した。

 

 

アマーチ

「(言いたくないけど、ここまでの私たちのセリフ、覚えがあるはずよ?)」

「(私達が新入りの『高慢ちき』達から散々聞いてきた『ほざき』とそっくり……)」

 

バーズレー

「(私達が『わからせて』きた女達と、立場が逆転してる……!?)」

 

アマーチ

「(変に意地張るほど、『高慢ちき』達と同じドツボにハマるわ。そうとしか思えない)」

 

レディス

「(認めたかねえが……クソッ、あのオバンぜってえイテコマす……!)」

 

グレモリー

「(内容までは聞き取れんが……一段落ついた気配だな)」

「左の道は無駄足になりそうだな。それで、何をコソコソやっている?」

 

バーズレー

「な、何でも良いでしょ! 耳遠いババアが若者気取りで首突っ込まないで!」

 

アマーチ

「真ん中の道は、『専門家』たちが水路の整備やってるわ」

 

グレモリー

「専門家……なるほど、中央の道は用水路の上流に繋がるのだな」

「治水の知識や技術を持つ者が入国すれば、優先的に各所の水路にあてがわれる、と」

 

バーズレー

「いちいちそこまで説明しないと分かんないの? ゴミ男並の鈍チンさね、全く」

 

レディス

「チッ……どうせ筋肉オバンには無縁だっての」

 

グレモリー

「生憎、『察する』などという直感未満の判断を信じ込む真似は好まんのでな。で、右は?」

 

バーズレー&レディス

「『なんにも無い』」

 

グレモリー

「ほう?」

 

バーズレー

「再利用できるほどの施設も無い、ただの『掃き溜め』よ」

 

アマーチ

「……」

「(逃げに入るしか、無いものね)」

「(アネさんが独走するってアテも外れて、ナマモノ作戦も自滅……もう『気分』じゃない)」

「(厩舎作戦なんて切り上げて次の作戦を……今度はサイティ様に練ってもらうのが無難だわ)」

「(……もっとも私には、何したってこの人がビビるなんて想像できないけど)」

 

グレモリー

「よし。では、『右』に行くぞ。ついてこい」

 

取り巻き3人

「んなっ!?」

 

 

 取り巻きが呆気に取られてる間にも既にグレモリーは路地裏から出てズンズン三叉路へ直進していく。

 

 

レディス

「ちょ、ま、お……ままま待てやオバタリアンがよお!」

 

グレモリー

「知らん言葉だな。バタリオンなら古い兵法で学んだが」

 

レディス

「テメエみてえな恥知らずで身勝手な中年を世間じゃ……おい待て速えっつってんだろがぁ!」

 

バーズレー

「何も無いって言ってるでしょ! 私たちに無駄な仕事させないで! 止まんなさい!」

 

 

 いつものクセで恫喝を最優先しているレディスとバーズレーは肉体と呼吸の連携が絶望的であり、既に大きく開けられた距離がこれ以上開かないよう、健気に駆けるので一杯一杯だった。

 アマーチは深呼吸を挟んでから、ひざまずく様な姿勢を取り、地に両手の指を立てた。

 要するに、クラウチングスタートのフォームである。

 

 

アマーチ

「(2人ともビビってる。作戦会議で私が『穴が厩舎の汚物に変わるだけ』って言ったから)」

「(このままだと厩舎に辿り着いて、悪あがきも失敗、本当に厩舎に投げ込まれるかも……)」

「(私だって、例えアネさんを陥れた罰でも、厩舎の匂いまみれなんて絶対イヤ……!)」

「(第一、あそこは……下手したら私たちの1人は……いえ、全員『殺される』……!)」

「スゥ……シッ!!」

 

 

 歯の隙間から強く息を吐き、力強いスタートダッシュを決めるアマーチ。

 不審な足音を察知したグレモリーが振り向き、対処するよりも早く、アマーチが短距離を一気に詰め、グレモリーにがっぷり四つに組みにかかった。

 しかし、土壇場でグレモリーの体捌きが優った。

 

 

グレモリー

「おっと」

 

アマーチ

「ぐはぅっ!?」

 

 

 胴体に組み付こうとしたアマーチだったが、小さく身をかわしたグレモリーの腕に受け止められた。

 アマーチはグレモリーの腕に衝突し、更にグレモリーの腕も体幹も大木の如く微動だにしなかったため、アマーチは自分の加速で自分の胸郭とみぞおちを強かに打った。

 

 

グレモリー

「その加速も、郵便配達の心得か?」

 

アマーチ

「げほっ、くっ……ぼ、防犯……走り仕事だと、泥棒の逮捕も、押し付けられる、から……」

 

グレモリー

「なるほど。十分な規模の自警団を『持てない』土地ならではの兼務、という事か」

 

レディス

「ぜぇ、ぜぇ……うぉしアマーチ、よぉやったぁ!」

 

バーズレー

「はひ、へひ……こ、のババア、どこまでも、つけあがって……!」

 

 

 グレモリーがアマーチと語らう内に、ヨタヨタと残り2人も追いついた。

 アマーチは苦々しい顔で2人の到着を確認すると、グレモリーに向き直り、精一杯に睨みつけた。

 

 

アマーチ

「くっ……」

「い……いい加減にしなさいよ。こっちだって、仕事でやってんの。立場、考えなさいよ……」

 

グレモリー

「ほう……」

「(脅かしてやった昨日の今日にしては、あの2人より随分と肝が座って見える)」

 

レディス

「ハァッ、ハァッ……うぅし、そんままだぁアマーチ、離すんじゃねぇぞ……!」

 

 

 アマーチの眼光を一瞥してからグレモリーは、残る2人を見やる。

 レディスもバーズレーも、サイティ配下の楽な暮らしで持久力が衰えたところへ不規則な徒競走を強いられグロッキーだった。

 そして2人とも、やや距離をおいてグレモリーに侮蔑と憎悪の眼差しをぶつけるばかりで、取り押さえるどころか近づく様子すら無い。

 

 

グレモリー

「(私に組み付く役目を完全にアマーチに押し付けて、自覚も無く『こき使っている』な)」

「(心身ともに怖気付く2人に比べ、アマーチにはある種の執念を感じる。油断ならんな)」

 

アマーチ

「いい加減……こっちの案内通りに歩く事くらい、覚えて頂戴。い……犬じゃないんだから」

 

グレモリー

「犬か……ククッ、なるほど。言われてみれば今の私は、散歩ではしゃぐ子犬にさも似たり、か」

「まあ良いだろう。右に何も無いというなら、先達の言葉を尊重しよう」

「……些か右の道から『クサイ風』が漂って、気が『ひかれて』いた所だからな」

 

取り巻き達

「っ!!」

 

アマーチ

「(右の道から行き着くのは厩舎だけ……厩舎の匂いが? 相当な距離あるわよ!?)」

 

バーズレー

「(このババア……耳遠いクセに鼻は効くわけ!? ほんとに犬畜生なんじゃないの!?)」

 

グレモリー

「(散々疲弊させてやっただけに、少しカマをかけただけで滑稽なほど反応を返してくれる)」

「(やはりこの先に厩舎がある。道筋も覚えた。なら、後で幾らでもチャンスは作れる)」

 

 

 片腕のアマーチを引きずったまま、先程までと全く同じ速度で前進を再開するグレモリー。

 

 

アマーチ

「くうっ!? 本当に、ムチャクチャな力……!」

 

グレモリー

「ほら、どうした。私を案内してくれるのだろう?」

「ここまで来たんだ。私と縁遠くとも、中央の道から水路の専門職を見学するのが筋と思うが?」

 

バーズレー

「い、言われなくても……って、だから少しくらいスピード落としなさいよ!」

 

レディス

「案内されたきゃぁちったあ足取り合わせろや! 業突く張りのオバンは社会のダニなんだよ!」

 

グレモリー

「全く、若い連中が情けない…」

 

 

 冗談とも本音ともつかない苦笑混じりのため息を吐いてから、グレモリーが歩調を落としてやった。

 

 

グレモリー

「このくらいで良いだろう。まだ足りんなら己を恨め」

 

 

 今度は女の早歩きくらいならどうにか追いつける速度だった。

 バーズレーとレディスが鼻息で呼吸を整えながらズカズカと詰め寄り、グレモリーの肩をアマーチ諸共わざと突き飛ばしながら追い抜き、立ち塞がるように前に立った。

 ぶつけられたグレモリーは涼しい顔で、ぶつけた2人は各々自分の肩をさすっている。

 苛立ちを隠しもせず形だけ先導するように歩きながら、首だけ振り向いて威嚇するバーズレーとレディス。

 

 

バーズレー

「アマーチ、ちゃんと捕まえておきなさいよ! 首輪もリードも無いんだから!」

 

アマーチ

「……分かってるわ」

 

レディス

「おいオバン、テメエにも言ってんだよ! マジいい加減にしろよ!?」

 

グレモリー

「分かった分かった。『仲良く』やろうというのに、失態ばかり演じさせるのも本意ではない」

 

レディス

「こンの……ペッ!!」

 

 

 レディスがグレモリーの顔面めがけて唾を発射した。

 グレモリーは最初から分かっていたかのように余裕でかわし、代わりに回避動作に引っ張られたアマーチの頭に直撃した。

 

 

アマーチ

「あぐっ!?」

「(ぐ……レディスはキレるといつもツバ引っ掛けて……しかも口クサイし。リャマかっての)」

 

 

 レディスは悪びれもせず、的を外した自覚すら無さそうに前方に向き直り、バーズレーと聞こえるか聞こえないかの愚痴を溢し始めた。

 

 

グレモリー

「私のハンカチで良ければ使え」

 

 

 グレモリーはいつもの鋭い微笑でアマーチにハンカチを差し出した。

 顔は前方を向けたまま、アマーチに向けているのは視線のみ。

 その視線が対象の反応を見通す鷹のそれであるとは、素人には気付く由もない。

 

 

アマーチ

「……いらない」

 

グレモリー

「……そうか」

 

 

 アマーチは自分を見下ろすグレモリーから目を背けながら、服の袖でレディスの唾棄を拭った。

 

 

グレモリー

「(施しは受けん、か。歩みを合わせる『柔軟さ』を保ちつつ、意地を通す所は通す……)」

「(戦士としてサマになってきたな。やはり、アマーチは特段の警戒が必要か)」

 

アマーチ

「(レディスのツバなんかで、アネさんの持ち物汚してたまるもんですか……)」

「(『汚す』……そうよ。だったら間違ってもアネさんが厩舎へ行くなんてのもゴメンだわ)」

「(アネさんがまた右の道に興味を持ったら、いつか自分で立ち寄ってしまうかも……)」

 

 

 前方のバーズレーとレディスを確認するアマーチ。

 2人とも、すっかりグレモリー中心の罵倒大喜利に夢中で、先程までの疲労もあって速度が落ちに落ちている。

 グレモリーがわざわざスピードを合わせ、時に立ち止まって、付かず離れずを保ってやっている事に気付く様子も無い。

 

 

アマーチ

「(い……今ならいける……)」

「(厩舎に押し込むのは、アブラクサスでは『極刑』。死よりも重い罰。その警告を……!)」

 

 

 上目遣いにグレモリーを確認するアマーチ。

 グレモリーの射抜くような目は前方に向いているが、何を注視しているかは伺い知れない。

 表情は先程見た通りの、自信と余裕を体現したような微笑を保っている。

 

 

アマーチ

「……お、大きな声出さないで、聞いて……」

 

グレモリー

「む?」

 

 

 一瞬だけ、グレモリーの表情が幻獣と相対するような警戒に満ちたものに変わり、すぐに元通りの微笑に戻ってアマーチを見た。

 

 

アマーチ

「歩きながら……前の2人に、絶対気付かれないように……」

 

グレモリー

「……良いだろう。心得た」

 

アマーチ

「こ……これから話す事、仲間内以外に話さないって約束するなら……情報を、出します」

 

グレモリー

「…………ほう?」

 

 

 瞬時に、脳内で今ある情報を再検証し直すグレモリー。

 

 

グレモリー

「(嫌がらせが失敗した直後で……安直に考えればこの言動、媚びを売っているとしか思えん)」

「(こちらが如何に軽蔑しているかも弁えず、おべっかで機嫌を取り誤魔化そう、とか……)」

「(だが先程の一連の醜態の中、アマーチだけは幾分か冷静だった。そこまで愚かでも無いはず)」

「(……読めんな。情けない話だが、この手の駆け引きは私の分野ではない)」

「(ならば……)」

 

 

 今一度、腕に絡みつくアマーチを観察するグレモリー。

 アマーチの表情は険しく、視線はグレモリーと合わず前方ばかり見据え、まるで仲間のはずの2人だけを警戒しているかのようだった。

 

 

グレモリー

「まあ良い。聞くだけ聞いてやろう」

 

アマーチ

「!!」

 

グレモリー

「(こいつらの策略の『底』は知れている。アマーチの態度が罠だろうと、問題になるまい)」

「(先のナマモノの程度の低さからして、今回はサイティの策略の懸念も無い)」

「(何が降りかかろうと、仲間と離れている今なら好きなだけ打ち破れる)」

「(ならば、情報とやらが例えデタラメでも、暇潰しくらいにはなるだろう)」

 

アマーチ

「その……右の道の、事で……」

「(う、受け入れてくれた……!! 汚い事ばかり仕掛けてきた私を、あっさりと……!)」

 

グレモリー

「やはり、何かある……とでも?」

「(腕から伝わる心拍が急に強まった。そして表情も視線も過剰に強張ったまま……)」

「(慣れない『博打』でも仕掛けに来たか……? 何の思惑か、可能な限り見定めねばな)」

 

アマーチ

「右の道の先……厩舎があるんです。家畜じゃない……化け物を飼うための」

 

グレモリー

「化け物、か……」

「(やはり実在したか。王都がライアを通して得た情報通り……幻獣を囲う厩舎が)」

 

アマーチ

「アブラクサスの財産や女目当ての『暴力』に対抗するための、『力』として……」

「幾つか有って、右の道の厩舎には、ヴィータを一方的に食い殺せるほどの大きなネズミが……」

 

グレモリー

「なるほど。そういった類の『化け物』なら、旅の最中に幾度も出くわした」

「だが私の知る限りでは、『化け物』がヴィータと共存している話は『実質』皆無だった」

 

アマーチ

「私たちも、理屈なんて知りません。最初は反対する女も多かった」

「けど……アブラクサスに近づく化け物を、何故かシュラーは、簡単に服従させたんです」

 

グレモリー

「ここでもシュラー、か」

「(やはり、幻獣を統率しているのはシュラーと見てほぼ間違いなさそうだ)」

「(方法はさておくとして、程度の低い幻獣ほどフォトンを与えるだけで格段に大人しくなる)」

 

アマーチ

「全く、シュラーが絡めば大体奇跡ばっかりよ。ちょっと手品を披露すりゃバカ女どもは……!」

「あ、いえ、話が逸れました。とにかく、それでも化け物の世話なんて誰もしたがらなくて……」

「危ないし、肉体労働の中でもキツいし、臭くて汚くて仕事中の話し相手も居ないし……」

 

グレモリー

「だがそれでも、世話をせずに放し飼いとはいくまい。となれば、その役回りは……」

 

アマーチ

「厩舎絡みの仕事は、ここでは『人間未満』の仕事です。そういう女に押し付けるんです」

 

グレモリー

「(確かハーゲンティの報告でも、『痩せたおばさん』が厩舎から出てきたとあったな)」

「(アブラクサスですら自然と爪弾きにされた、最底辺に充てがわれる仕事が幻獣の飼育係か)」

 

アマーチ

「特にあの厩舎は……あそこの女は、本当に人間じゃない。たまたま人型に生まれたゴキブリです」

 

グレモリー

「仮にもそれなりの領地で生きた身としては、人間に対して聞き捨てならん物言いだな」

「(仮にゴキブリだとして、それの何がいかん……とまで言った所で話が拗れるだけか)」

 

アマーチ

「見れば分かりますよ……でも、見てはダメです。絶対に会ってはいけません……!」

「あそこに行って、匂いが移ったってだけでもう『人間未満』です」

「私より古参の女達は、厩舎の匂いだけでパニック起こすんです」

「それくらい、厩舎はアブラクサスで忌み嫌われているんです」

 

グレモリー

「つまり、そこに気に食わない女を押し込んで、化け物のフンでもなすりつければ……」

 

アマーチ

「っ……!」

 

グレモリー

「(まあ、私を『そうする』予定だったのは火を見るより明らかだな。浅はかな)」

 

アマーチ

「と、とにかく……あそこの女だけは、そんなクソを這うような生活を、喜んでやってるんです」

 

グレモリー

「化け物が相手でも、やる事は実質、畜産業だろう。何か問題でも?」

 

アマーチ

「全然別物じゃないですか! 化け物なんですよ?」

「なのにあの女は化け物とよろしくやって……意味分かんない。信じらんない……!」

 

グレモリー

「(『対象』ではなく『行為』を問うていると言うに……)」

「(この手の応答には嫌というほど出くわすが、毎度解せんな。まあ、今は余計な事だ)」

「よろしくやる、とは?」

 

アマーチ

「汚臭の中で、自分の食料まで与えて、一日中厩舎ぐらしで、化け物に名前まで付けてるんです」

「しかも簡単に増えるネズミの厩舎なのに、あそこだけあの女独りで切り盛りしてるんですよ?」

「だからあの厩舎はどこよりも汚くて危険……厩舎を知ってる女なら誰もがそう聞いてます」

 

グレモリー

「……分からんな。獣に変わりなく、見境なく牙も剥かず……なら、慈しむ事に不思議はない」

 

アマーチ

「……あなたが、『持ってる』人間だから言えるんですよ」

「化け物は、臭くて、汚くて、恐ろしい。そんなのに近づかされるのは、いつも私たち……!」

 

グレモリー

「『持ってる』人間か。思考停止の文句にも聞こえるが、未開拓区の件もある。聞き入れよう」

「では話を変えて……『そう聞いている』という事は、実際に確かめたわけでは無いのだな?」

 

アマーチ

「た、確かめるわけ無いですよ! 一番管理が悪い厩舎なんて、死にに行くのと一緒です」

「もし無傷で帰れたって、匂いが付いて女達からクサがられて、たちまち厩舎に『追放』です」

 

グレモリー

「(ふぅ……ここまで行くと、差別だの賤業だのの『言葉』で反論しても通じんな)」

「(彼女らの中で『公共の限度』を超えているのだろう。この手の問題は和らぐだけで奇跡だ)」

 

アマーチ

「だから……絶対、近づいたらダメです。お仲間の皆さんも、絶対」

「その時点で、アブラクサスでは『人間』の『成り損ない』です。逃げ道はありません」

 

グレモリー

「……良いだろう。あくまで直感だが、嘘をついているようでは無いと見た」

「ここでの生活で、少なからず有益な情報と言える。心から感謝しよう、言葉通りの意味でだ」

 

アマーチ

「っ!!」

「(また、感謝、された……! 嫌味でも上っ面でもない、まっすぐ響いてくる言葉……!)」

「(まさかこの人……上も下も無い……対等に? 私をそんな、お伽噺みたいな関係として?)」

 

グレモリー

「(今、アマーチの心拍が一段と強まった。挙動にも不審な点が増え始めている)」

「(策を決行した、興奮と不安ふたつ共にあり、と言ったところか……?)」

「(情報は嘘ではない。経験上、この判断には自信がある。だが……真意が未だ掴めん)」

「(十中八九、サイティの台本ではない。『餌』にしては実がありすぎるし何の得もない)」

「(となれば、アマーチの独断。思い当たるのは……『汚名返上のための独走』か?)」

「(入国審査の際、アマーチは真っ先にサイティに見切りをつけられて見えた。つまり──)」

「(アマーチもそれを察し、抜け駆けで私から得ようとしている。サイティに捧げる情報を)」

「(故に私への敬意を演出し、敢えて真実の情報を流し懐に擦り寄り、潜り込もうとしている)」

「(私に思い当たる策は、そのくらいか……これもまた、功を焦る割には気長な策になるがな)」

 

 

 グレモリーはアマーチへの集中を一旦解除し、前方を確認し直した。

 バーズレーとレディスは最早、誰とも知れない女たちの悪口を片っ端から語り合って会話に薄汚れた花を咲かせている。最初から、職場案内などする気は無いのだろう。

 

 

グレモリー

「(バーズレーとレディスは論外……このまま昼まで適当に付き合ってやれば良さそうだ)」

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 一方、おおよそ同じ頃、アブラクサスのどこかに佇むハルファス。

 

 

ハルファス

「……」

 

 

 廃墟や空き家というより、形ばかりの柱と屋根しかないようなあばら家で、何のために作られたかも分からない石塀の残骸のようなものに腰掛けている。

 もう少し原型が残っていれば、例えば石塀は椅子ほどの高さでグルリと縁を描き、中心部に慎ましく草花など茂らせ、簡素な柱と屋根で日陰を作った長閑な休憩所だったりしたのかも……そういった想像を広げられなくもないが、今そこにあるのは、人1人座れる程度の石の塊が2つ3つ転がっているだけだった。

 しょぼくれた石に腰掛けるハルファスを指差して内緒話するように、遠くで小鳥の囀りが聞こえた。

 

 

女A

「ずんちゃっちゃ~ずんちゃっちゃ~ずんちゃっちゃ~ずんちゃっちゃ~♪」

 

女B

「むかーしむかし~……あ、別に最近でも良いけどね。とある村の出来事でございます~」

「時は夕方、父子2人暮らしの家に、村の大人が押しかけ何やらキャンキャンバウバウと……」

 

記者役の女A

「旦那さん! 旦那さん! 今朝方、お宅の昇降機を突如撤去された件ですが!」

 

記者役の女B

「板に乗るだけで、ロープと重りの力でお庭の大樹に誰でもスルスル登り降りな昇降機を!」

 

記者役の女A

「ナウいアイツもおキャンなアノコも誰でも簡単ライズアップ! な昇降機を、なぜ急に!」

 

記者役の女B

「村のお子さんお母さん方にも大人気な昇降機の無断撤去に批判の声も寄せられていますが!」

 

父親役に転じる女A

「エ~、その点につきましてはエ~、かねがね村の皆様にお知らせしてエ~、来ました通り……」

「エ~、昇降機も大樹も老朽化が進んでおりエ~、調査の結果、事態は深刻と判断しエ~……」

「昇降機も枝も、作動中に倒壊する恐れがあるとの事でエ~、皆様の安全を鑑みまして……」

 

婦人役に転じる女B

「イ・ヤ・ダ・ワ~、ちょっと人気者だからって、小難しい事言って偉そうにしちゃって!」

 

同じく婦人役に転じる女A

「元々息子さんが作ったクセにすっかり持ち主ヅラよ、最初は良い人だと思ったのにね~」

 

婦人役の女B

「ウチの子もお気に入りの昇降機なのに、全くいい迷惑ったら無いわよ」

 

婦人役の女AとB

「「やぁ~ねぇ~」」

 

記者役に戻る女A

「しかし旦那さん! それなら昇降機、チョチョイのチョイと修理すれば良いだけなのでは?」

 

父親役の女A

「それにつきましてはエ~、息子が改修を試みましたがエ~、再稼働は困難であるとの事でして」

「また、前々から昇降機の危険は周知しておりましたがエ~、利用を求める人は後を絶たずエ~」

「真夜中に忍び込んで昇降機を使おうとする子供達も目撃されており、安全第一としまして……」

 

婦人役の女B

「イ・ヤ・ダ・ワ~、そんな遅くまで起きてバカやる人いるわけないじゃないの」

 

婦人役の女A

「そうよそうよ、人様の子供何だと思ってるのかしら。きっと人のせいにして誤魔化す気よ」

 

婦人役の女B

「ウチの子なんて近頃、自分から寝室にそそくさ籠もるくらい良い子なのに、ありえないわ」

 

婦人役の女AとB

「「やぁ~ねぇ~」」

 

記者役の女B

「それで旦那さん! とにかく昇降機の再開の目処は付いているんですか!?」

 

父親役の女A

「その件につきましてはエ~、従来の昇降機の提供は難しいと判断致しました」

「しかしながらエ~、息子曰く、前々から新しい昇降機の導入にエ~着手していたとの事で……」

 

婦人役の女A

「イ・ヤ・ダ・ワ~、そこを何とかしてこれまで通りに直すのが責任ってもんじゃなーいの~?」

 

婦人役の女B

「ブチブチ言ってるけど、本当は旦那さんが余計な注文付けて壊したとかじゃありませんの~?」

 

婦人役の女A

「てゆーかー、所詮はお子様手作りで手抜きだらけだからバレないようにはぐらかしてるとか?」

 

婦人役の女AとB

「「やぁ~ねぇ~」」

 

女B

「なーんて大人達がキャンキャンやってると……おや〜? 遠くの方から声がするぞ~?」

 

遠くの息子の声役の女A

「おーい、お父さーん、みんなー」

 

婦人役の女B

「この声はっ! 昇降機を作った息子さんの声!」

 

婦人役の女A

「見て、屋根の上よ! キャ~、こっち見てー!」

 

婦人役の女B

「か~わ~い~い~! いよっ、天才少年!」

 

父親役の女A

「むむ、む、息子よー、危ないから降りなさーい! ナニユエそのように高く登るのかー!」

 

婦人役の女B

「まあ、旦那さんたらどのツラ提げて息子さんに命令なんてしてんのかしら」

 

婦人役の女A

「イ・ヤ・ダ・ワ~、誰のお陰で私たちに喜ばれてると思ってんのかしらね~」

 

婦人役の女A・B

「「やぁ~ねぇ~」」

 

記者役の女B

「息子さ~ん、昇降機について何か一言~! 手に持ってる長いロープは何ですか~!」

 

遠くの息子の声役の女A

「これから皆にねー、新しい昇降機をお披露目するんだよー」

 

記者役の女B

「新しい昇降機!?」

 

遠くの息子の声役の女A

「僕の持ってるロープねー、お空のお星さまに繋がってるんだよー」

「お星さまが流れ星になると、引っ張られて僕たちのお家も空を飛ぶんだよー」

 

婦人役の女B

「んまぁ~あロマンチック♪」

「夕方だから、もう空に星もポツポツと…どれ? どの星でお空に昇るの?」

 

父親役の女A

「む、息子よー! だからってそんな高い所に昇るのはやめなさーい!」

「庭の木よりウンと高いじゃないかー! 落っこちたらタダじゃすまないんだぞー!」

「それに……それに……本当に空を飛んだりしたら、家ごとこの村とお別れしちゃうだろー!」

 

婦人役の女B

「イ・ヤ・ダ・ワ~、子供の夢に本気で文句言うなんて、それでも立派な大人なのかしらね~」

 

婦人役の女A

「息子さんは本気で空を飛ぼうとしてるのに、しみったれた子持ちのオッサンはこれだから……」

 

婦人役の女AとB

「「やぁ~ねぇ~」」

 

遠くの息子の声役の女A

「大丈夫だよお父さーん。お空に行けば僕もお父さんも、やっと──」

 

父親役の女A

「いいから息子よー、今そっちに行くから、おとなしくそこで待ってなさーい! うおー!」

 

女B

「なーんて、旦那さんがダバダバお家の中に飛び込んだ、その瞬間の事でした~」

 

婦人役の女A

「あら、流れ星」

 

屋根だけ息子もろとも飛んでいく効果音役の女B

「スポーーーーーーーーン……」

 

婦人役の女A

「……」

 

婦人役の女B

「……」

 

婦人役の女AとB

「……やーねー」

 

ハルファス

「……」

「……あっ、終わり?」

 

 

 遠くの音に気付いたモモンガのようにピクッと揺れてから、ハルファスはぺちぺちと拍手を始めた。

 

 

ハルファス

「えっと……多分、面白かったと思う」

 

女A

「優しい感想マジあざーっす。沁みる……」

 

女B

「まーこんな風にね。チャチくても娯楽も作ろうって流れがあるわけッスよ、アブラクサスにも」

 

女A

「昔はねー、一般の人が手人形とか切り絵とかで即興の芸やって子供笑かしたりしてたのよ」

 

女B

「あと影絵とかねー」

 

ハルファス

「そうだったんだ。……想像したら、ちょっと楽しそう」

 

女A

「んでまー、午前中はお仕事見学して、午後からお試しで働いてもらう……」

「のが! 今のアブラクサスの決まりだけどもぉ?」

 

女B

「ぶっちゃけコレ、お仕事見学じゃないのよねぇ」

 

ハルファス

「え……あ、そっか。生きるために畑仕事とかが大事だから、芸はお仕事にできないね……」

 

女A

「そうでもナッシン! お客さん1人いれば収入ゼロでも立派な仕事なのよ」

「タテマエワネ……でもねー」

 

女B

「そもそも私ら、お仕事見学のお役目じゃないのよねー」

 

ハルファス

「役目じゃない……? あ」

「もしかして、お目付け役の人じゃ……」

 

ダレカA

「とあるダレカさんが、あなたの事探してる所だったりするのよねー」

 

ダレカB

「またまたとあるダレカさん達ったら、お役目のコ放ったらかしちゃってねー」

 

ダレカA・B

「「やぁ~ねぇ~」」

 

ハルファス

「じゃあ……あなた達はもしかして、昨日の……」

 

 

 寝起きのムササビのようにピクッと揺れてから、ハルファスはもそもそと辺りを見回した。

 正午までまだ少しある穏やかな陽光が、木漏れ日になって無表情なハルファスを彩っている。

 

 

ハルファス

「……また、誰も居ない……」

 

???

「おぉーーーい、ハルファ……じゃなかった、チーターー!」

 

ハルファス

「あ……今の声、ザガン?」

 

 

 声のした方角を見ると、ザガンが小走りでこっちに駆けてきている。

 すぐにハルファスの目の前までやってきたザガンは、少しも乱れてない息を整えながら、ついでに前髪も整えたりしている。

 

 

ザガン

「ふぅ。いやー良かった、たまたま見つかって」

 

ハルファス

「ザガ……カリ……何て呼べば良いんだったっけ」

 

ザガン

「カリナで合ってるよ、大丈夫。それよりどうしたのさ、こんな所で1人で。お目付け役は?」

 

ハルファス

「あ、えっと……よく、分からない」

 

ザガン

「なるほど……こりゃチータの方も『同じ』みたいだねえ」

 

ハルファス

「『同じ』って?」

 

ザガン

「私の方のお目付け役の皆、どんだけ待っても来なくってさ。急用でも入ったのかもと思って」

 

ハルファス

「急用……私のお目付け役も、そうなのかな?」

 

ザガン

「きっとそうだよ。普段のお仕事と掛け持ちでお目付け役やってくれてるみたいだし」

 

ハルファス

「そっか……そうなのかも」

 

ザガン

「そうそう。もう待ちくたびれちゃってさ。学舎を何周かしても影も形も見えないし」

「だからこうなったら、もう自力でどうにかするしか無いって思って飛び出してきちゃった」

「誰かのお目付け役探してついてこうと思ったけど、ひとまずチータに会えたから予定変更かな」

 

ハルファス

「?」

 

ザガン

「2人で適当にお仕事見て回ってちゃおうよ。後は時間に遅れなければ問題なーし♪」

「『研修』のために集まる場所とか時間とか、ライアからちゃんと聞いてるしさ」

 

ハルファス

「でも私、お仕事してる人達がどこにいるのか、分からない」

 

ザガン

「それは私も同じだよ。それでも前に進んだ方が、ここでジッとしてるより絶対マシだって」

 

ハルファス

「そう、なのかな……よく分からないけど、決められないから、カリナの言う通りにするね」

 

ザガン

「オッケー、それじゃあ早速、しゅっぱーつ!」

 

 

 意気揚々と歩き始めるザガン。その後ろをハルファスがテクテクついていく。

 

 

ハルファス

「……ねえ、ザ……カリナ」

 

ザガン

「ん? どうかした?」

 

ハルファス

「この近くに、私以外の人って、ダレカ居た?」

 

ザガン

「んー? ん~……チータ以外に人らしいものは見てないけど……どうかしたの?」

 

ハルファス

「えっと……私にも、よく分からないの」

 

ザガン

「あははは、チータは相変わらずだねえ」

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 少しして、真昼のアブラクサス某所。

 建物の間を行き交う連絡橋の1つ。

 いくつかの連絡橋が落ち合う、100人はゆうに収まりそうな広い円形の中継地点。

 数多の女性たちが木剣や刃引きした武器を持ち寄って屯している。

 そこに潜入組4人の姿もあった。

 

 

ハーゲンティ

「……お、来た来た! お~~い、マム~~、みんな~~!」

 

 

 中継広場の中央近くから、ハーゲンティが手を振って仲間たち3人を招く。

 連絡橋と広場のほぼ境を通りがかっている仲間たちも身振りでこれに応じる。

 

 

ザガン

「お、サシヨンが先に来てる。結構マメなんだねえ」

 

グレモリー

「今回に限ってはそうとも限らんかもな。サシヨンの隣を見てみろ」

 

ザガン

「え? あ、そう言えば見覚えある人」

 

ハルファス

「昨日のパーティで、指揮者やってた人……かも?」

 

グレモリー

「ああ。名前は確かフォロア。先日のミーナと同じ、サシヨンのお目付け役だ」

 

ザガン

「ああ、私も思い出した。ということは……」

 

グレモリー

「午前中までお目付け役と『真っ当に』見学を済ませ、適切な時間に案内されたという所だろう」

 

ザガン

「じゃあ、いい人たちみたいだね。サシヨンのお目付け役」

 

グレモリー

「ふっ。流石の私も、性根は善人だろうという気がしてきたよ」

「恐らくフォロアが、ここの仕事を担う1人……フォロアの隣の物体にも見覚えがあるしな」

 

 

 フォロアがザガン達を見て会釈した。自分の事を話していると気付いたようだ。

 4人が合流すると、フォロアは改めて一行に挨拶しながら、傍らに安置されていた車輪の付いた筒のような物体をゴロゴロと引き寄せた。

 

 

フォロア

「こんにちは。ギーメイさんに、カリナちゃんに、チータちゃんね。話はミーナから聞いてるわ」

 

ザガン

「よろしくね、フォロア。えっと……ソレは?」

 

フォロア

「見ての通り、『武器入れ』よ。この辺で手に入る種類の武器なら一通り用意してあるわ」

 

グレモリー

「自警団や兵士の武器を管理する用具の1つだ。領地ではこれに本物の武器を預け入れている」

「安価な武器を用意し、訓練時には各々手近な物を抜き取って使うという具合だ」

 

ザガン

「へえ。でも……それにしてもちょっと扱い雑じゃない?」

 

ハルファス

「剣と柄を留めてる部品、緩んだり寸法ズレてるかな。多分」

 

ザガン

「そうなの? 意外と詳しいんだね……」

 

グレモリー

「物資難のアブラクサスではこんなものだろう。個人の装備でなく、訓練用の消耗品だしな」

「ガタの入った武器を打ち直すにも、資材も設備も人材も酷く限られているだろうからな」

 

フォロア

「あはは……流石ね。私が説明する出番なかったわ」

 

ハーゲンティ

「ちなみに、あたいは先にフォロア姉さんからバッチリ教わったからね!」

 

フォロア

「ありがと~サシヨンちゃん。優しさがしみる……!」

 

 

 ハーゲンティを軽くハグして頭を撫でるフォロア。

 

 

ハーゲンティ

「えへへへ~♪」

 

ザガン

「(何かすごい気に入られてる……!?)」

 

グレモリー

「(私のお目付け役を思うと、和まざるを得ないな……)」

「ライアからは定時にここへ来いとだけ聞いていたが……全員同じ『研修』を受けるようだな」

 

フォロア

「あっと……そうみたいね。ここでは、いざって時のために『戦闘員』が訓練をしてるわ」

 

 

 ハーゲンティからちょっと名残惜しそうに離れて、仕事の顔に戻るフォロア。

 

 

ザガン

「へー。やっぱり、そういう事はシュラーに頼りっぱなしってわけにもいかないか」

 

グレモリー

「私達は先日まで、4人だけの旅を生き抜いてきた。相応の腕を期待されるのも必然か」

 

フォロア

「むしろ、『シュラー様を守れるように』って感じかしら」

「シュラー様に助けられてるからって、『汚れ仕事』まで押し付けたくはないものね……」

 

グレモリー

「(今の言葉、含みがある……暴力沙汰という意味だけではなさそうだ)」

「(そも、幻獣牧場があるなら、ヴィータの、それも素人の女ばかりで武術に励む必要はない)」

「(フォロアは恐らく、この『戦闘員』という欺瞞について何か知っている。覚えておくか)」

 

フォロア

「っと……もうすぐ訓練開始の時間ね。簡単に説明するわ」

「あなた達は『研修』だから、まずここでの訓練を通じて『戦闘員』の適正が審査されるわ」

「『研修』は大体3日くらい色んなお仕事を回ってもらって、それから働くお仕事が決まるの」

 

グレモリー

「仕事別に、素質や人員の多寡によって選ぶわけだな」

 

フォロア

「そう。ただし『失格』……合わないお仕事については『研修』中でも即日言い渡されるわ」

 

ハーゲンティ

「ま、あたいらなら化け物退治も日常だから一発オーケーだね!」

 

フォロア

「ううん。『戦闘員』は、ただ強けりゃ良いってわけじゃないの。そこも気をつけておいてね」

 

ハーゲンティ

「ぬぇ!?」

 

グレモリー

「ひとつの『軍団』だからな。協調性や判断力、武器や資材の管理能力も問われるのだろう」

 

フォロア

「そういう事。だから、『弱いから失格』とは限らないの。そこは余り気にしないで」

「誰か『失格』でも、私と同じ『備品管理』なら毎日のように仲間とも顔合わせられるしね」

 

ザガン

「『備品管理』……さっきのギーメイが言ってた、武器や資材の管理って方?」

 

フォロア

「ええ。『武器入れ』をここまで引っ張って来て、訓練終わったら片付けるのが私の仕事」

「とは言っても、途中までは『戦闘員』も武器の手入れや片付けするけどね」

「特に、自分用の武器持ってる人は、武器の管理は原則自己責任よ」

 

ザガン

「私達が持ち込んだ自分の武器も自己責任か……まあ、日頃からやってるから心配ないけど」

 

グレモリー

「『戦闘員』の手伝いだけが仕事でもなし、『武器入れ』の運搬、武器在庫の記録……」

「大勢居るなら、他の資源も手分けして取り扱える。故に総じて『備品管理』か」

 

フォロア

「備品担当はどこも人手不足だから、武器管理希望すればすぐ入れるわよ。ふふっ」

「それじゃ最後に、一番大事な事なんだけど……」

「ここの訓練、きっと想像以上にキツいと思うから気をつけて……色々な意味で」

 

ザガン

「い、色々な意味……?」

 

???

「あ~らぁ、流石は元私兵さま、『お上品』な訓練をなさるのねぇ」

 

ザガン

「(う……)」

 

ハーゲンティ

「(こ、この声は……!)」

 

 

 日を置いてもなお、嫌な形で耳に焼き付いている声色だった。

 渋々振り向くと、初日とはまた別のアプローチでギラギラとしたコーディネートのサイティがクスクス笑っている。

 傍らにはレディスも居た。取り巻きの内、彼女が「戦闘員」なのだろうと察する一行。

 

 

サイティ

「まるで年頃のお喋りに混ざりに行くかのような優雅さ……手ほどきいただきたいものだわぁ」

 

レディス

「ちょっと見ただけじゃ、とても剣を扱う人間の身のこなしには見えませんよね~え」

 

 

 レディスがサイティの嫌味に乗っかった直後、周囲でごく自然な賑わいを見せていた女達の様子も変わる。

 

 

付和雷同な女

「ふふっ、良いわねえ。金持ちのとこの兵隊さんって、訓練も楽しそうなのね」

 

空気を読もうとする女

「あ、う、うん、本当にね。う、羨ましいったら……は、ははは……」

 

 

 サイティの肩を持つ流れが、音のようにスムーズに広がっていく。

 

 

ザガン

「(げえ……サイティが何か言うだけで、一気にこんな……)」

 

ハーゲンティ

「(ザ、ザガン姉さん! 今度は、今度こそ冷静に……!)」

 

ザガン

「(流石にもうキレないって。むしろ何か……うんざりしすぎて気が塞ぎそう)」

 

グレモリー

「(しかし、なるほど。訓練が厳しい理由は、つまり教官が?)」

 

フォロア

「(うん。ウチで最も武術に長けてるのはサイティだから……睨まれたらタダじゃ済まないわ)」

 

ザガン

「(お金の管理に武術まで……本当に何でも出来る人ではあるんだね)」

 

グレモリー

「それほどの英才教育を受けていて、品性だけああも捻じくれた事が実に惜しいな)」

「(環境との折り合いか、生まれ持った資質か……考えてみても詮無いが」

 

フォロア

「(ついでにサイティ別にしても訓練の空気乱せば、ここに居るほぼ全員から厄介者扱いよ)」

 

ハーゲンティ

「(何で!?)」

 

グレモリー

「(サイティが教鞭を執る以上、揉め事は直ちに統率者であるサイティの不興を買う)」

「(サイティの機嫌と好き嫌いで制裁が飛び、全員がとばっちりを受けかねん)」

「(事の是非より、余計な真似で全員に迷惑を与えたという事の方が重大なのだろうよ)」

 

フォロア

「(ただでさえ仕事の付き合いなんて『うっすい』から、波風立てない方が大事なのよね……)」

 

サイティ

「丁度良かったわぁ。せっかく『仲良く』したいお人ですもの」

「レディス」

 

レディス

「はい、こちらに!」

 

 

 サイティは、レディスに持たせていた上等な細工の突剣を掴みスラリと引き抜き、数m先のグレモリーに突きつけた。

 

サイティ

「紳士的に、淑女的に……お手合わせ願えませんこと?」

 

ハーゲンティ

「(自分用のゴージャス武器!?)」

 

ザガン

「(うーん……何か悔しいけど、構えだけなら素人が見ても結構な腕だよ、アレ)」

 

ハルファス

「(刃引きしてるけど、切っ先丸めてないから刺さっちゃう……刃引きの意味、無いかも?)」

 

グレモリー

「(『安全に加工した訓練用の武器』という体裁だけ整え、自分から仕掛けるか……)」

「(よもや公衆の面前で刃傷沙汰は起こすまいが、『本気では』という威圧感は与えられる)」

「(そして我々は、仮にも手合わせとして『安全な』武器で応じざるを得ない……小賢しい)」

 

ザガン

「(勝ち負けよりも、格の違いを見せつけるのが目的って感じがする……)」

 

グレモリー

「(分かってきたじゃないか。私に適わなければ、『寛容に』降参して見せれば良いだけだ)」

 

ザガン

「(分かっても全然嬉しくないなあ……)」

 

サイティ

「そんなに怖がらなくても大丈夫よぉ。私は教える側……『勝たせてあげる』からぁ♪」

 

グレモリー

「(気は進まんが……昨夜のパーティのような、仲間を辱めるような真似だけはやらせん)」

「私が行こう。手合わせなら、『顔を立ててくれる』だろうからな」

 

ハーゲンティ&ザガン

「(瞬殺する気だ……!)」

 

 

 グレモリーがサイティに詰め寄り、道中で適当な訓練用の鉄剣を引き抜く。

 

 

サイティ

「レディス、開始の号令お願いねぇ」

 

レディス

「はい、サイティ様!」

 

グレモリー

「(剣の状態は……確かに、良いとは言えんな。仕掛けが有っても握っただけでは分からん)」

「(が……問題ない。剣を持てば剣を振るのは『お勉強』までだ。私の筋書きは私兵……)」

「(ならば『実戦』の作法だ。剣など打ち合わせるまでもなく、叩き落として組み伏せる)」

 

レディス

「行きますよ、レディィィィ~~~~……!」

 

 

 両者の間合いに手刀を差し込むようなポーズで、やたらと号令にタメを挟むレディス。

 

 

レディス

「ィィィ~~~~~……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遠くの女の悲鳴

「『ノンローソ』だーーーーーー!!」

 

レディス

「ィは?」

 

サイティ

「んなっ……?」

 

グレモリー

「む……殺気!」

 

 

 グレモリーが反射的に飛び退いた。

 直後、グレモリーの真横やや上空から影が飛び込む。

 同時、サイティとレディスが二目と見られなさそうな顔で互いの頭をぶつけ合った。

 

 

サイティ

「もはっ!?」

 

レディス

「めどっ!?」

 

 

 立ち会いに乱入した影が3つ。

 1つはグレモリーの横面を狙ったが、かわされた。

 2つはサイティとレディスの同じく横面に的確に拳を埋め込み、拳と互いの頭とで顔面両サイドを圧迫させ、赤子をあやすような変顔を強制的に披露させた。

 3つの影はいずれも、同じ姿をしていた。

 

 

グレモリー

「これは……幻獣!?」

 

備品管理担当の女

「また『ノンローソ』が逃げて、こっちに向かってるっでンぷし!?」

 

 

 第一声を訓練場に投げかけた女が、その背後から回り込んできた、やはり同様の幻獣にアッパーカットを食らって空中で後方一回転した。

 

 

グレモリー

「くっ……カリナ、サシヨン、チータ!」

 

ザガン

「分かってる! 皆、他の人達の避難最優先!」

 

ハーゲンティ

「了解! こんなトコで襲われたら落っこちちゃうかもだね! ハル……チーちゃん行こう!」

 

ハルファス

「うん」

 

フォロア

「わ、私も手伝うわ!」

「(サシヨンちゃんにだけ危ない事させるなんて出来ない……そんなのヴィータ失格よ!)」

 

 

 訓練場は、連絡橋の間に設けられた空中庭園。

 数十人の女達が集っても広さは十分にあるが、転落防止の柵は大半が風化して失われている。

 高さは低く見積もっても4階建て相当。落ちればほぼ助からない。

 

 

グレモリー

「『ノンローソ』……この幻獣の名か」

 

ノンローソ

「フッ、フッ……シュッシュ!」

 

 

 前半は鼻息、後半は素振った拳が風を切る音。

 ノンローソの外観は、面長で二足歩行の哺乳類。血管が浮き出るほど全身が厚い筋肉に覆われている。

 発達した後肢が、やや前傾した背骨を支え、前のめりの重心が拳撃の質量を跳ね上げる構造となっている事が用意に想像できる。

 手は圧縮ゴムのように硬く分厚く、それでいて弾力も感じさせる。

 

 要するに、グローブを付けたカンガルーだった。

 

 

 

 

 

<GO TO NEXT>

 




※ここからあとがき

 再びご無沙汰致しておりました。年末年始は別の執筆に挑んだり、あるいはだいぶ生活が破綻してたりしておりました。
 少しずつ進めていた前回と違い、今回は全く手を付けない期間も挟まってしまい、勝手を忘れている所もあるのではと不安も少々……できるだけ早く立て直していきたいです。

 今回のアマーチのくだり、メルコムイベより早くに書き上げたいところでした……もっと時間が欲しい。




・筋肉について
 ミカエル、やはり絵より彫刻が似合うハルマでしたか……そしてやっぱり砕かれたか。

・8章について
 ギーメイ……! まあ、シヌーンとか名前が被る事は時折ありますので。
 8章後半、読んでみたらこの「十二宮」で書きたいことの大半と重なる所があって、やっぱ原作はすごいですね……しかもあの尺の内で。
 あと、最終節の面々のVH攻略は、少々気が重いですね……。

・ベレトについて
 ベレト……!
 バーストベレト……!
 これで安心してカトルスに帰れます……。
 それはそれとしてラッシュベレトの構想もあるのでいつか書けたらと思います。

 前回のあとがきの直後に、編成だけ用意していたおかーさん&狂炎編成をケチャ・ラジャにぶつけた所、協奏で必死こいてたのが嘘みたいに5~8ターンほどの安定攻略が可能になりました。
 タイガンニールVHも焼き払いました。
 マモンNもどうにか燃やし尽くしました。
 ロクサーンも最後はおかーさん&狂炎でした。
 やはり狂炎……狂炎は全てを解決する。



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3-2後半「JUMP OVER THE BORDER」

 アブラクサス空中庭園。

 突如乱入した幻獣から住民を守るべく行動する潜入組。

 

ハーゲンティ

「どええぇぇぇーーーい!!」

 

ノンローソ

「……!」

 

 ハーゲンティがピッチフォークを振りかぶり、手近な幻獣に打ち下ろすが、幻獣は上半身を大きく後ろに反らせつつ、後肢の脚力で飛び退き易々とかわした。

 

ハーゲンティ

「ぐへぇ~……やっぱりボスのサポートが無いと全然だぁ」

 

ノンローソ

「シュッ!」

 

ハーゲンティ

「うひっ!?」

 

 

 回避から流れるように幻獣が反撃に転じる。

 ハーゲンティは攻撃の気配を悟り、咄嗟に盾のようにピッチフォークを構えた。

 殆ど偶然にノンローソの拳がピッチフォークと衝突して直撃を免れたが、しかし想像以上のパンチ力を受け止めきれず、ハーゲンティは数cmほど飛ばされて尻もちをついた。

 

 

フォロア

「サシヨンちゃん!?」

 

ハーゲンティ

「あてて……あたいは大丈夫。それより他の人を……」

 

フォロア

「わ、分かった! ほら、そこのあなた、広場の真ん中の方へ!」

 

逃げ惑う女

「嫌よ! ここに居たら殴られるのを待つだけじゃない。連絡橋を渡って逃げないと……!」

 

フォロア

「バカ、その連絡橋からノンローソが来たのよ! 殴り転がされながら渡りきれるの!?」

 

逃げ惑う女

「うう……」

 

 

 観念した女がフォロアの指示通りに広場中央へ、同じようにして寄り合った女の群れへと駆けていく。

 先程からハーゲンティ、ハルファス、フォロアの3人で、闇雲に逃げ惑う住民たちをこのように避難させていた。

 咄嗟の戦闘に比較的慣れているザガンは単身で別行動を取り、同じく避難誘導に奔走している。

 

 

ハルファス

「やっぱり……逃げる人や避難してる人には、あまり興味無さそうだね」

 

フォロア

「え……ノンローソが? そうだったの?」

 

ハルファス

「うん。……たぶん」

 

フォロア

「そういえば夢中で気付かなかったけど、避難させた皆、誰も途中で襲われてないわね……」

 

ハーゲンティ

「ハルちゃーん! それより、コレ、ちょっと手伝ってぇ!!」

 

 

 ハーゲンティを殴ったノンローソは、その後も座り込んだままのハーゲンティを睨みつけている。

 ハーゲンティも立ち上がって逃げたい所だがすっかり射竦められてしまい、立とうとしている間に追い打ちが来るのではと身構えて動けずにいる。

 今は偽名と本名の区別を気にしている余裕もないようだ。

 

 

ハルファス

「あ、うん。でも……良いのかな、倒しちゃって」

 

ハーゲンティ&フォロア

「何で!?」

 

ハルファス

「だって、最初に知らせに来た人、『またノンローソが逃げた』って……」

「もしかしてノンローソって、必要だからアブラクサスで面倒見てたりするのかも」

 

フォロア

「う……」

 

ハルファス

「強いからかな……兵隊さんの代わりかも? 怪我させたら、アブラクサスの迷惑に……」

 

ハーゲンティ

「ハルちゃん! そうかもだけど! 緊急事態だから! 後であたいも謝るから!!!」

 

ノンローソ

「フンッ!」

 

ハーゲンティ

「わひ……!?」

 

 

 ノンローソが振りかぶったのを見て、思わず目を瞑って身を縮めるハーゲンティ。

 だが、すぐに目を開いた。視界が途切れる直前、ノンローソのパンチが明後日の方向に振るわれたのと、翻る赤とが見えたのを覚えていた。それは心強い、仲間の振るう赤だった。

 

 

ザガン

「遅い遅い!」

 

ハーゲンティ

「ザ……ザガン姉さん!」

 

 

 割って入ったザガンが、ノンローソのパンチをいなした。

 続く攻撃にもムレータを荒ぶらせ、華麗にかわしながら会話するザガン。

 

 

ザガン

「ごめん、他の人たち避難させてたら遅くなっちゃった。ついでにオマケも……おっと!」

 

オマケのノンローソ達

「シュッ! シュッ!」

 

 

 引きつけながら移動してきたのか、更に3匹のノンローソが追加でザガンに殴りかかる。

 これもやはり次々とかわし、さながらザガンとノンローソ達のダンスステージだった。

 

 

フォロア

「すっご……」

 

ハーゲンティ

「うっひょ~かっけぇ~~!」

 

ザガン

「さあ、もっともっとおいでよ!」

 

ハーゲンティ

「オーレイ!!」

 

ザガン

「¡ Vamos, vamos, vamos !」

 

ノンローソ達

「……!」

 

 

 歓声を受けてザガンもノリノリである。

 計4匹となったノンローソは、攻撃の尽くをかわされているのを理解すると、ザガンの周囲を取り囲むように移動した。

 

 

ザガン

「死角から襲って来ようって魂胆かな? そのくらいで当たってあげるほど、私も甘くないよ」

 

ハルファス

「……あれ? これって……」

 

ノンローソの一匹

「……フッ!」

 

 

 ザガンの斜め後方に立つノンローソが、鼻息荒く飛び込んだ。

 

 

ザガン

「見えなくても分かるよ……そこだ!」

 

 

 余裕の笑みでムレータをかざすザガン。

 

 

ハルファス

「やっぱり……『陣形』?」

「あっ……ザガン危ない!」

 

 

ザガン

「えっ……?」

 

 

 ザガンがノンローソの一匹に対処しようとした時と、それに気付いた時はほぼ同時だった。

 ザガンの勘が告げていた死角からの攻撃……それと全く同じものが、速度、タイミング、威力、その他諸々そっくりそのままに、計4方向から迫っていた。

 ムレータを差し向けた死角の1匹と同じく、視界前方に居る2匹、そして恐らくは反対側の死角に居るもう1匹も、全く同時にザガンへと拳を突き出し、飛び込んでいた。

 

 

ザガン

「な、え、一緒に──?!」

 

 

 1匹の攻撃をいなす動作が終わらない内に、同時に迫ってくる残り3匹の拳がザガンの胴体に分け入った。

 追い込み漁のような攻撃が、回避するはずだった攻撃さえいなす余地を与えず、4発が全く同時にザガンに直撃した。

 

 

ザガン

「……がふっ」

 

 

 ノンローソが拳を引っ込めると、圧迫から開放された苦悶をようやく口にしながらザガンが倒れた。

 

 

ハーゲンティ

「なっ、そそ、そんな……!」

 

フォロア

「カリナちゃん!?」

 

ザガン

「ぐっ……げほっ……ご、め……ちょ……うごけ、な……」

 

 

 胴回りのどこを押さえたものかも分からず、ひたすら蹲るしかないザガン。

 それを見下ろしていた4匹のノンローソが、再びハーゲンティに狙いを定めた。

 

 

ノンローソ達

「……」

 

ハーゲンティ

「あ、あばばばばば……」

 

フォロア

「(う、動け……動くのよフォロア! ここでサシヨンちゃんを守れなくてどうするの!)」

「(何で……何で動けないのよ! 自分の安全なんて考えてる場合じゃないのに!)」

 

ハルファス

「えっと……どうしよう……」

 

ノンローソ達

「……フ~……」

 

ハーゲンティ

「へ?」

 

 

 聞くからに力の抜けたため息を鼻からゆっくり吐き出してから、ノンローソ達はそっぽを向いて去っていった。

 

 

ハーゲンティ

「え……あたい今、幻獣にガッカリされた? 何かショック……」

 

フォロワ

「サ、サシヨンちゃん! カリナちゃん! 大丈夫? 怪我はない?」

 

 

 ノンローソが背中を向けたと見るや、フォロアが飛び出してまずハーゲンティに抱きつき、ハーゲンティの無事を確かめ、ザガンを揺り起こしに向かった。

 去っていくノンローソは振り向きもせず、他のターゲットを探してうろついている。

 

 

ザガン

「えふっ、ぐ……だ、大丈夫……少し、休めば……」

 

ハーゲンティ

「あ、あたいも大丈夫だけど……今の、何だったんだろ?」

 

ハルファス

「……ザガンも、他の皆も、殴られて怪我はしても、殺されたりはしてない……」

「もしかして、本当は優しい子たちなのかな?」

 

フォロア

「ノンローソに限って、それは無いわね。習性……ああいう生き物なのよ」

 

ハーゲンティ

「習性……?」

 

フォロア

「ノンローソは、殺さずに『いたぶる』の。忘れた頃にやってきて、何度も何度も……」

「野蛮で傲慢……まるで、そう……『男』が力の差を分からせようとするみたいにね」

 

 

 一方、ハーゲンティ達と離れた地点に居るグレモリー。

 最初の3匹の乱入の後も、その内の1匹と一進一退の攻防を続けている。

 

 

グレモリー

「……やぁっ!」

 

ノンローソ

「……!」

 

 

 グレモリーが掛け声と共に斬りかかると、ノンローソは腰を落とし、脇を締めて身構えた。

 更にグレモリーの刃が体毛を撫でても、ノンローソは微動だにしない。

 グレモリーが斬るか斬らないかのギリギリで剣を翻し、鋭い突きを鼻先に繰り出しても、ノンローソに動きは見られなかった。

 グレモリーの突きは、ノンローソの鼻に突き刺さる直前で止まっている。

 

 

グレモリー

「(2連続のフェイントを見抜いた!? この幻獣、『駆け引き』ができるのか……?)」

 

ノンローソ

「シュッ!」

 

グレモリー

「チィっ!」

 

 

 ノンローソは俊敏なフックで鼻先の刃を払い、後肢のバネで一挙に距離を詰めた。

 剣を弾かれた勢いでグレモリーの姿勢が崩れると同時、肉薄したノンローソの拳がグレモリーの脇腹へ突き出される。

 グレモリーは咄嗟に体を回転させ、マントをはためかせて目くらましにした。

 標的の挙動をマントに隠されたノンローソの拳は、グレモリーの腹筋を僅かに掠って空を切った。

 

 

グレモリー

「(ギリギリだった……技量だけじゃない。攻撃に対し、本能を捨てて臨んだ先の胆力……)」

「(並大抵の幻獣ではない。思った以上にできる……!)」

 

 

 グレモリーはそのまま飛び退いて距離を取り、切っ先を向けて仕切り直した。

 向き直ったノンローソも、獣らしからぬ落ち着き払った仕草で再び構えた。

 絶えず小さく跳ねて、いつでも踏み出す準備が出来ている事を示す動作は、本能のままに襲いかかる多くの幻獣には見られないものだった。

 

 

グレモリー

「大型では無いからと侮っていたか……おいレディス、そろそろ動けるか!?」

 

レディス

「ひぇっぐ……無理だぁ……膝が笑ってるし、ツラもこんなだし……あとシリもイテエし」

 

グレモリー

「なら這いずってでも避難しろ! 仮にも主君の鞘を預かる者がメソメソするな!」

 

レディス

「ひぃぃぃん。なに言ってるか、ぜんぜんわがんねえよぉぉ……」

 

 

 レディスは最初に殴られた場所でへたり込んで、たこ焼きのように腫れ上がった顔をさすって啜り泣いている。

 顔さえ隠せば、そのポーズは愛に敗れた悲劇の淑女だった。

 

 

グレモリー

「(ちっ、普段は威勢が良いくせに、ここまで脆いとは……まるでウブな小娘だ)」

 

 

 なおサイティは、やや遠くで2匹のノンローソに追われて駆けずり回っている。

 最初に乱入した内、グレモリーが相対していない残りの2匹である。

 

 

サイティ

「ちょ、だ、だから、あっち! エサはあっちだってのぉ! あの腰抜け役立たずよぉ!」

 

 

 サイティはレディスを指差して脅威を子分に押し付けようとしているが、ノンローソ達は脇目も振らない。

 ノンローソの執拗な体当たりによろけたりはしているが、辛うじて武術の心得でバランスを取り直し、決定打はもらわずに済んでいる。

 ついでに武器はレディスに投げて寄越し、少しでも身軽になって逃げ出したので手ぶらだった。

 

 

グレモリー

「(真っ先にレディスを盾に逃げてあのザマ……まあ、アレは逃げる気力があるだけマシか)」

「(何かできる事は……気を紛らわせてやるくらいしか思いつかんか)」

「レディス、確かこいつらは『ノンローソ』と呼ばれていたな?」

 

レディス

「ふえ……そ、そだけど?」

 

グレモリー

「アブラクサスで『ノンローソ』……犯罪人相学か?」

 

レディス

「う、うん……サイティ様も、なんかそんな感じの言ってた……」

 

グレモリー

「(口調が幼児退行している……想像も見立ても超えて脆弱な性根なのかもしれん……)」

「アブラクサス周辺領の学者の名だ。『犯罪者は生まれ持った見た目に人格が出る』と主張した」

「曰く、『悪魔を宿す者ほど、他と似通わぬ固有の容貌を持つ』とな。結局デタラメだったが」

 

レディス

「あ、そ、そう……サイティ様も、そんなの言って名前付けてた!」

「『男みたいに野蛮で傲慢で、ノンローソが唱えた悪魔そのものなケダモノ』って!」

 

グレモリー

「(幻獣の名がヴィータに知られていると思ったら、なるほどあだ名か)」

「なるほどな。殴られ泣いて怯えるしかないのが貴様の『底』と言うわけだ!」

 

レディス

「……あ? てめ今なんつったオバン?」

 

グレモリー

「(よし、恐怖から意識を逸らし、火を点け直せたな)」

「違うなら行動で示せ。見返すためにも、生きて足掻くのがアブラクサスの女だろう?」

 

レディス

「んだコラ、命令してんじゃねぇぞ格好つけだけのオバンがよぉ!」

 

グレモリー

「(いかん、煽りすぎたか……逃げる前に私を見下すのが先になってしまっている)」

「なら貴様が倒すか? このノンローソ」

 

ノンローソ

「……?」

 

レディス

「ひっ!?」

 

 

 レディスの恫喝が耳に障ったのか、グレモリーと睨み合っていたノンローソがレディスの方を見た。

 

 

レディス

「だ、だ、誰がンな汚えケダモノとヤるかよ! て、てめえが相手しろ、良いな!?」

 

 

 レディスがサイティの突剣を杖代わりにヨタヨタ立ち上がり始めた。

 

 

グレモリー

「(ふぅ……後はレディスには、サイティが押し付けた武器がある)」

「(目をつけられても最低限の防衛くらいできるだろう……残るは目の前のコイツだ)」

 

 

 ノンローソから視線を外さず、グレモリーはジリジリとすり足で移動した。

 

 

グレモリー

「(ここだ。この位置……連絡橋を背後にすれば、後ずさる余地を確保できる)」

「(普段ならこんな臆病な仕込みは好まんが、今は私が皆の司令塔……油断は禁物だ)」

「(追放メギドとて、肉体は基本、幻獣に劣る。『駆け引き』を使う相手ともなれば……)」

 

 

 グレモリーの目に、ノンローソが僅かに巨大化して見えた。

 仕掛けたノンローソが距離を詰めたのを、脳が遠近感を処理する前に把握するグレモリー。

 

 

グレモリー

「(来た! だがこのまま押し合うのでは不利……)」

「(ならば、死中に活を求める。応えてみせろよ……私の『技』!)」

 

 

 真正面からぶつかりに行くように、同じくノンローソへ踏み出すグレモリー。

 刺突に向いた剣を、あからさまに袈裟斬りの軌道で構えた。

 

 

グレモリー

「(私の読みが当たるなら、ここでノンローソが守りに転じる事は無い)」

「(隙だらけの構えを見せれば、斬撃をかわし、カウンターで勝負を決めにかかるだろう)」

「(だが私の狙いは違う……並のヴィータばかりを相手にしてきた幻獣に読めるか!?)」

 

 

 グレモリーはノンローソがストレートを突き出そうとする、その出掛かりを見抜いた。

 更にグレモリーは、まだ若干遠いはずの間合いで構えた剣を振り下ろす。敵の視線を遮るような軌道で閃いた切っ先は、しかしノンローソの体毛一本触れていない。

 

 

グレモリー

「(空振りにノンローソは動じず……なら勝てる!)」

 

 

 斬撃の勢いそのままに、グレモリーは敵の眼前で体を一回転させた。

 先ほどの一撃をかわした時同様、マントがグレモリーを覆い隠す。

 

 

グレモリー

「(この幻獣は賢い。同じ手は通用せず、今度こそ私を射止めにかかるだろう……)」

「だが……そこだな!」

 

 

 グレモリーの読み通り、ノンローソはマントの向こうに隠れた敵の体躯を正確に予測し、胴体が収まっている位置に狙いを定めている。

 ノンローソがフィニッシュブローを打ち放った瞬間、グレモリーは回転の勢いを乗せた斬撃をその拳に叩き込んだ。

 

 

ノンローソ

「……!?」

 

グレモリー

「(硬い。拳に刃までは通らんか……だが十分)」

「(伸び切った腕、踏み込んだ足、確信と共に全体重を乗せた拳に横槍をねじ込めば!)」

 

 

 ストレートの軌道がガクリと落ち込み、重心を崩されたノンローソがよろめいた。

 

 

グレモリー

「(私の『技』は、戦争を怠けていたメギド・グレモリーとしてのものではない)」

「(磨き上げた技術で、敵の動作の『起こり』を見極め牽制し、不発に終わらせる)」

「(フォトンの破壊は、暴発に備えてメギドの力を応用した『ついで』でしかない)」

「(弱きヴィータに転生したからこその、追放メギド・グレモリーのオリジナル)」

「(まさしく、継続して積み重ねた力に優る技はないという事だ……そして!)」

 

 

 隙を見逃さず、更に剣を振り上げる。

 

 

グレモリー

「でぇい!」

 

ノンローソ

「……!」

 

 

 逆袈裟に迫る刃に、ノンローソは上体を逸らし、スウェーで回避を試みる。

 しかし、僅かに避けきれず、ノンローソの頬から血が跳ねた。

 

 

グレモリー

「それもフェイントだ!」

 

 

 スウェーの姿勢から戻りかけたノンローソの鼻先に、グレモリーの回し蹴りが打ち込まれた。

 剣の重みと振り抜いた勢いとに任せた、先ほどノンローソが不発に終わらされたストレート同様の、一撃必殺前提のフルスイングだった。

 

 

ノンローソ

「……!?!?!?」

 

 

 ノンローソは頭から地面に叩きつけられ、更に石の床で一回転して止まった。

 起き上がろうとするノンローソだが、少し体を持ち上げては崩れ落ちてを繰り返している。

 

 

グレモリー

「獣の弱点は鼻先と相場が決まっている。脳震盪でしばらくは動けまい」

 

レディス

「す……すす、すげえ……」

 

 

 まだほんの数歩ほどしか歩けていなかったレディスが、グレモリーを見てあんぐりと口を開けている。

 

 

レディス

「ノンローソに……勝ちやがった……しかも蹴り一発って……」

「や……ヤれんじゃねえか! ヴィータでもノンローソはブチ殺せる!」

 

グレモリー

「む?」

 

レディス

「おいテメエラ! 女ども! ノンローソなんて殺処分だぁ!」

「正体はヴィータにも負けるザコだったんだよ! シュラーのペットとかもう知るもんか!」

「殺せ殺せぇ! ついでにこんなブツの面倒見させたシュラーを引きずりぱっきゃお!?」

 

 

 鬼の首を取ったように叫び散らしていたレディスの顔面真正面に、めり込まんばかりに拳が叩き込まれた。

 

 

ノンローソA

「フ~……」

 

サイティ

「いやったぁ! まずは一匹ぃ~♪」

 

 

 サイティがこちらに戻ってきて、更にレディスの陰に隠れて身代わりにした結果だった。

 2匹の内の1匹がレディスを殴り倒し、もう1匹も力強く跳ねながらサイティに迫っている。

 

 

ノンローソB

「フンッ! フンッ!」

 

グレモリー

「(なるほど。レディスが何か喚いていたのはシュラー絡みか)

「(ネズミ幻獣がそうなら当然、ノンローソもシュラーが従えた幻獣)」

「(『また逃げた』とも言っていたな。不定期に住民に武力を誇示してくる兵器……)」

「(厄介に思う者が出るのも必然か。特に反シュラー派には、格好の批判材料になる)」

 

サイティ

「ほら、ほらぁ! 次はあっちよ、あっちぃ! あの元・私兵さまよぉ!」

 

 

 サイティは、レディスを殴り倒した方のノンローソのすぐ脇に立ってグレモリーを指差し、後続のノンローソに標的を指図している。

 

 

グレモリー

「『次』とはどういう事だ? 武器も無いなら、早く中央に非難するべきじゃないのか」

 

サイティ

「オホホホぉ~ぅ粗野な兵隊さんはやっぱり何も分かってないのねぇ~!」

「こいつら所詮は『男』と同じよぉ。それも女を道具としか思ってない最低野郎どもとねぇ」

「ノンローソが暴れるのは、弱い女を殴って良い気になりたいだけのゲスだからに決まってる!」

 

グレモリー

「ふむ……『決まってる』と表現するという事は、あくまで推測という事だな?」

 

サイティ

「それがなにぃ? どう見てもそうとしか思えないんだから決まってるでしょぉ?」

「女を殴らせりゃこいつらは大人しくなるのよぉ。いつもそうだったんだからぁ」

 

ノンローソA・B

「……」

 

 

 追いついたノンローソと、サイティを殴ったノンローソとが、まるでサイティの両脇に侍るかのように立った。

 

 

サイティ

「さぁ、ほらほら兵士さまぁ、挨拶なさいな、新しい訓練相手にえてす!?」

 

ノンローソA・B

「シュッ!」

 

 

 2匹の風切るアッパーが、サイティの細い顎を真下から正確に打ち抜き、宙に浮かせた。

 

 

グレモリー

「(だろうと思った……)」

「(直接戦った私には分かる。こいつらはそんな短絡的な理由で暴力を振るってはいない)」

「(獣ゆえに深謀遠慮とはいくまいが、彼らなりの道理……生き様のようなものがあるのだ)」

「(でなければこれほど……『武術』と呼べるまでに洗練された力を持てるわけがない)」

 

 

 サイティが完全に伸びたのを確認した2匹のノンローソは、すぐさまグレモリーの方を向いてファイティングポーズを取った。

 

 

グレモリー

「ふっ、次は2匹か……流石にソロモンが恋しくなってくるな」

 

 

 笑みを崩さないグレモリーの頬に冷や汗が伝う。

 

 

グレモリー

「(殺すにも気絶させるにも、こいつらの動きは本能任せの幻獣たちとわけが違う)」

「(そして、私にはザガンほどの柔軟な機動力も無い……凌げるか?)」

「ふぅ……チータ! そこの転がってる2人を中央に運べ! お前の怪力なら出来る!」

 

ハルファス

「……あ、私? 分かった」

 

 

 ノックアウトされたサイティとレディスの元へ駆け出すハルファス。

 しかし、2匹のノンローソの片方がハルファスに気付いて飛び跳ねた。

 

 

ノンローソA

「……!」

 

ハーゲンティ

「あ! あのノンローソ、ハルちゃん狙ってる!」

 

フォロア

「まずい……避難した人と私達以外、もう皆ノンローソに気絶させられてる……!」

 

ハーゲンティ

「あたいらデザート!? ハルちゃーん、逃げてー!」

 

ハルファス

「え……でも、あの人達を助けないと……あ」

 

 

 ハルファスが手を拱いている間にも、ノンローソがジグザグのステップを踏みながらハルファスへと近づいてくる。

 

 

ハルファス

「……」

「(……右、左……ゆっくり右……今度は小さく左……動きを読まれないようにしてるのかな)」

 

 

 迫りくるノンローソをしっかりと目で追いながら、ハルファスは棒立ちでそれを眺めているだけだった。

 見る間にハルファスは、ノンローソを至近距離まで招き入れてしまった。それでもハルファスは自然体で突っ立っている。斧は無造作に掴んだまま。適切な位置に握り直す事すらしないでいる。

 

 

ハルファス

「えっと……ちょっと、先に行かせてもらっても良いかな?」

「あ、プーパじゃないと言葉って分からないんだっけ──」

 

 

 呑気に幻獣に話しかけるハルファス。その目だけは、しっかりと捉えていた。

 ノンローソが腕から余分な力を抜き、それによって得た常人には反応すら難しい速度で、撫でるようにハルファスの顎を叩くまでを。

 やはり目にも留まらぬスピードでノンローソが拳を引っ込めるまで、ハルファスの体は微動だにしていない。

 

 

ハルファス

「ん……あれ? 痛いかな?」

「あ……地面、傾いて……?」

 

 

 ハルファスが、歩きもせずに転んだ。まるで見えない力に引っ張られるようによろめき、地面に吸い込まれるように。

 

 

ハルファス

「あれ……起き上がれない?」

 

フォロア

「な……何が起きたの!?」

 

グレモリー

「(今の一瞬の動き……アンドレアルフスとの戦闘で見た覚えがある)」

「(私がノンローソに仕掛けたのと同じ……脳を揺さぶられたか……!)」

「っ、大量の殺気……!?」

 

 

 ハッとなって周囲を見渡すグレモリー。

 空中庭園に躍り込んだ、のべ数十匹のノンローソの全てがグレモリーを見ていた。

 

 

グレモリー

「これは……どういう状況だ……?」

「(『弱い女を殴る』だと? バカを言え……)」

「(ハーゲンティとフォロアを差し置いて、私にばかり闘志を燃やしているじゃないか)」

「(流石に些か解せん。同胞を蹴り伏せた強敵から狙うなど、獣の道理に反するはず……)」

 

 

 足で背後の地形を確認するグレモリー。

 

 

グレモリー

「(いくら私とて、全員まとめて相手をするのは無茶が過ぎる。だが……)

「(連絡橋への退路は確保してある。いざとなれば狭い連絡橋に下がり一匹ずつ……!)」

 

???

「申し訳ありません……遅くなってしまって」

 

グレモリー

「!?」

 

 

 真後ろから声がした。

 グレモリーが振り向いた後ろには、空気に溶け込むように存在感の希薄な女が1人。

 グレモリーの視線に気付くと、女は胸元に抱いた布に包んだ物体を気遣いながら、深々とお辞儀した。

 

 

儚げな女

「……」

 

???

「ここは、責任をもって私が収めます。しかし、もしもの事があれば……」

 

 

 横から声がした。

 グレモリーが振り向く間に、小柄な声の主はその隣を抜けていた。そして今は、グレモリーに代わってノンローソ達の視線に立ちはだかっている。

 

 

シュラー

「後の避難を、よろしく頼みます……ギーメイさん」

 

グレモリー

「シュラー……!」

「(この2人……ここまで近づかれるまで、気配すら無かった……!)」

 

 

 途端、グレモリーは自分に向けられていた殺気が失せていくのを感じた。

 空中庭園に居座るノンローソ全頭がシュラーを凝視している。

 

 

シュラー

「では、皆さん……1曲、踊ってもらえますか?」

 

 

 シュラーが片足を一歩引き、片手を慎ましく胸に当て、ボウアンドスクレープの仕草を見せた。

 それが何かの合図だったのか、ノンローソたちが一斉にシュラーへ飛びかかった。

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 アブラクサスにて、潜入組が幻獣ノンローソの襲撃に見舞われていた頃。

 

 待機組が駐屯する近郊の森。幻獣退治からゲルに引き上げるソロモン一行。

 

 

ソロモン

「ふぅ……良い気分転換になった……」

 

エリゴス

「おいおい」

 

サルガタナス

「幻獣殺しで気が休まるなんて、だいぶメギドに染まってきたみたいね」

 

エリゴス

「『ちょっとまとまった数見つけたから念の為』つったら、すかさずついてきたしな……」

 

ソロモン

「いや、そういうのじゃなくてさ。バルバトスの手伝いに付き添ってたから……」

 

エリゴス

「例の手紙か? つってもソロモンが手伝う事なんざ、紙束まとめるくらいじゃなかったか?」

 

ソロモン

「そうなんだけどさ。手紙の破壊力を知ってると、隣にいるだけで……『圧』がすごい」

 

エリゴス

「『圧』……」

 

ソロモン

「バルバトスが本当に鬼気迫ってるのもだけど……手紙から、何か……」

「気のせいとは思うんだけど、威圧感っていうか、危険な雰囲気っていうか……目が離せない」

 

エリゴス

「あー、意識しちまうとなあ。ジズ達のイタズラに巻き込まれて、似た経験ある」

「『この箱が爆発するぞ』とか言われて、ブラフだって分かってても少し身構えちまってよ」

 

ソロモン

「あ、多分そんな感じ……って、ジズがイタズラ?」

 

エリゴス

「おう。こっちが箱に執心させられてる間に、笛の音とそよ風で脅かしてくんだよ」

「あいつ、仲間になった頃よりだいぶやんちゃになってきてよ。今から将来が楽しみだぜ」

 

サルガタナス

「バカじゃないの? 事実だけ見ていれば、『圧』がどうだの出し抜かれるだのなんて無縁よ」

 

エリゴス

「ははは、ごもっとも。割り切れたら一番ラクなんだけどなあ──」

 

 

 語らっている内に、バルバトスが籠もっている大型ゲルの前までたどり着く一行。

 

 

ソロモン

「ん? ゲルの前に居るの……バルバトスとガブリエル?」

 

ガブリエル

「おや、戻りましたかソロモン王。ちょうどよかった」

 

 

 ゲルの前に即席の椅子と机が並べられ。バルバトスとガブリエルが並んで座り、書類の束を一緒に覗き込んでいた。

 一行に気付いたガブリエルが席を立って、机の周囲に配備された椅子を引いて周り、着席を促した。

 三日三晩孤軍奮闘したようになっているバルバトスも、一行に手振りで軽く挨拶する。

 誘導されるままに手近な椅子に腰を降ろすソロモンたち。

 

 

ソロモン

「どうしたんだ……って、その書類、俺が幻獣退治に行く前に何か書き込んでたやつ……?」

 

バルバトス

「そうとも。お待ちかね……手紙の解読、それと校正が終わったよ」

 

ソロモン

「お、終われたのか、ようやく……お疲れ、バルバトス。本当に」

 

サルガタナス

「どれだけなのよ。確かめたくもないけれど」

 

エリゴス

「で、肝心の成果はどうだったんだ?」

 

 

 三者三様の思いを胸に、バルバトスの解説を聞こうと身を乗り出すソロモンたちとガブリエル。

 

 

バルバトス

「要点を一言で言えば……ザガンは、シュラーの正体が『セルケト』だと考えている」

 

ガブリエル

「『セルケト』……?」

 

ソロモン

「確か、ザガンが言ってたメギドだよな?」

 

エリゴス

「あの、メギド時代のザガンが1度も勝てなかったって相手だろ?」

 

ガブリエル

「ほう……」

 

ソロモン

「そうか、行きの馬車での話だったから、ガブリエルには初耳か」

 

サルガタナス

「あの時の……ちっ、また不愉快になってきた」

 

エリゴス

「まあまあ、今は軍議が先だろ」

 

サルガタナス

「言われなくてもそのくらい弁えてるわよ」

 

ガブリエル

「私以外に共有されているなら、既知のセルケトの情報は省いて結構です」

「まずは手紙を優先……言葉にすれば単純な内容が、なぜこうも難解な長文に?」

 

バルバトス

「ざっくり言えば、ザガンの中でも相反する考えがあって、当惑していたからだ」

「ザガンの記憶と経験では『セルケト』に違いないが、同時に強い違和感もあるそうだよ」

 

サルガタナス

「ざっくりまとめても要領を得ないわね。低能」

 

エリゴス

「いや待て……これつまり、アレか? 例えば、あたしのメギド時代の仲間に会ってよ──」

「そいつがあたしのメギド体見りゃ、『こりゃ間違いなくエリゴスだ』と思うだろうけど──」

「でもヴィータの今のあたし見たら、『こんなんエリゴスじゃねえ』ってなる……みたいな?」

 

サルガタナス

「は?」

 

エリゴス

「『高潔なるエリゴス』って聞いた事ないか? 自分で名乗るのもくすぐったいけどさ」

 

サルガタナス

「ああ……落ちぶれすぎて見る影もないってわけね。納得」

 

バルバトス

「落ちぶれてるかは分からないが、大体似たような理由みたいだよ」

「ザガンのどこかで、『これはセルケトじゃない』って部分があって、無視できないそうだ」

 

ソロモン

「手紙の序盤から、いきなりメギドラルの話に飛んでたのは?」

 

バルバトス

「ザガンが知る限りの『セルケト』が、片っ端から書き出されてるんだよ」

「グレモリーの助言を受けて、俺らからも意見を募ろうと思ったんだろうね」

 

ソロモン

「でも、どっちにしても確証は無いんだろ?」

「ザガンには悪いけど、部外者の俺たちに説明されても何とも言えないんじゃ……?)」

 

ガブリエル

「いえ。余分過ぎる手間はありますが、対応自体は無駄とは言い切れないかと」

「シュラーは『セルケト』であると、そう信じられるような能力を持っているという事ですから」

「この手紙の本命は、長らく素性不明だったシュラーの情報に切り込む第一歩になりうる点……」

「つまり『セルケトか否か』でなく、『セルケトらしき者の正体』を考えれば良いのです」

「何より、シュラーを『無力化』する上でも、敵の能力を予測できる事は大きな利点です」

 

ソロモン

「(そういえば馬車でザガンは、俺と『セルケト』が気が合うかもって言ってた……)」

「(それに調査はまだ始まったばかりだ。皆の手紙から、シュラーが何者か見えてくるかも)」

「(本当に『セルケト』だったら、今回の問題を平和的に解決するチャンスにも……?)」

 

エリゴス

「まあ難しい話は何にせよ、せっかくのザガンの手紙なんだぜ」

「役に立つかは読んで考えりゃ良いだろ。それで、ザガンは『セルケト』について何て?」

 

バルバトス

「ガブリエルの厚意に甘えて、馬車の話と被る部分は一旦飛ばすとして、そうだな……」

「まずは、基本的な能力についてかな。ザガンが見聞きした範疇で、だけどね」

 

ソロモン

「あの、メギド体のザガンを無傷で投げ飛ばした能力か……」

 

エリゴス

「あの時の話だけじゃ、あたしらじゃ勝負になるかも分からねえくらいだったもんな」

「万一に備えて、情報はあるに越したこたねえ」

 

バルバトス

「読んだ限りは馬車でも聞いた通りだ。例の能力は『技』とは少し違うらしい」

「セルケトのフォトンを使う『技』は2つ。どちらもセルケト自身がザガンに語ったそうだ」

「『速く走る事』と、『視力を高める事』……『技』と呼べるのはこれだけってね」

 

ソロモン

「速く走る……そっちは馬車では聞いてなかったな」

 

エリゴス

「視力の方もだな。力の流れが見えるとか言う話はあったけど」

 

バルバトス

「まず『走る』方。ザガンの記憶によると……」

「スピード自慢の飛行メギドで1時間かかる距離を走破するのに、1分もかからないらしい」

 

エリゴス

「速っ!? しかも空飛ぶやつよりって……いや速!」

 

サルガタナス

「バカじゃないの? どうせ記憶の中で盛ってるだけよ」

 

バルバトス

「俺も、多少は『思い出補正』じゃないかと、思いたいんだけどねえ……」

「もし、シュラーがセルケトだったとしたら……昨夜の『影』に説明が付く」

 

ガブリエル

「! なるほど……襲撃から逃走まで、セルケトなら可能という事に」

 

サルガタナス

「何の話?」

 

バルバトス

「あの場に居なかったサルガタナスも、森が異様に騒がしかったのは覚えてるだろう?」

「あの時、俺達は周囲を謎の『足踏み』に取り囲まれて、身動きが取れずに居たんだ」

「しかも、その場に居た全員、襲撃者の影も形も捉えられず、あっという間に逃げられた」

 

サルガタナス

「まさか……確かに『足音』は聞こえていたし、『足跡』も後から確認したけど……」

 

ソロモン

「目にも止まらない速さで、1人で俺たちを取り囲み、そのまま逃げる……」

 

エリゴス

「しかも逃げる前に森全体をグルッと半周して、だ」

「メギド的に考えてもゴリ押しすぎるが、ザガンの言う通りだったら、やれるかもな……」

 

ガブリエル

「信ぴょう性がどうだったとしても、真実の『像』を絞り込む手がかりにはなるでしょう」

「シュラーがセルケトなら、可能性はある……今はそれで十分です」

「もう一方の、『視力』についての詳細は?」

 

バルバトス

「端的に言えば、ザガンを翻弄した戦法の精度を上げる……かな」

「これもセルケト自身が語ったらしいが、力の流れが見える事は、特別な事じゃないらしい」

 

エリゴス

「どこがだよ……」

 

バルバトス

「多分、『セルケトにしか出来ない事じゃない』って意味なんだろう」

「セルケト曰く、コツさえ掴めばヴィータだろうと虫だろうと、きっと出来るだろうってさ」

「恐らく、修行を積み重ねれば誰にでも体得の余地がある『技術』なんだ」

「セルケトがたまたまそれを、才能ひとつで手に入れてしまったというだけで」

 

ソロモン

「アスラフィルの楽器の才能みたいなものか? あっちは努力も合わせてのものだろうけど」

 

エリゴス

「そりゃ、相手の力を利用ってだけなら、出来ない事じゃないだろうけどよ……」

 

ガブリエル

「力を利用……騎士団や自警団に教導している、暴漢の制圧術にも同じ言葉を用いますね」

「ただ、完璧に成功させるのは、決まりきった動作への反撃でも至難の業だと聞きます」

 

サルガタナス

「そもそも自分の強みを『誰でも出来る』なんて言う時点で、メギドとしてイカれてるわ」

 

バルバトス

「そこは同感……だが、話を戻すとだ」

「つまり『視力』は言い換えると恐らく……力、そしてフォトンの流れを看破する精度だ」

 

ソロモン

「更によく見えるようになる……?」

 

バルバトス

「そんな所だね」

「ザガンが決闘を仕掛ける前に、セルケトが先客と戦っている事が何度かあったらしい」

「その時のザガンの記憶を読み取ると、セルケトの大体の戦い方が見えてくる」

 

エリゴス

「付け入る隙はありそうか?」

 

バルバトス

「そこはまだ何とも。ただ──」

「まず、『速く走る』。セルケトがザガンの前でこれを使って戦った例は無い」

「恐らく、専らザガンのような『挑戦者』の元に馳せ参じる時の移動手段でしかなかった」

 

サルガタナス

「馬車で『セルケトは力が弱い』とも言ってた記憶が正しければ当然ね」

「速く動けたって、自分から決定打を与えられないんじゃ宝の持ち腐れだわ」

「ヴィータが巌の周りを駆けずり回って蹴りを入れてるようなものだもの」

 

ソロモン

「虚しい……」

 

バルバトス

「それにセルケトには『技術』があるから、素早さを活かして回避……なんて必要もない」

「向こうの攻撃を徹底的に捌いて、ダメージをそっくり相手に返せばいい」

「しかし相手の防御力が、相手の攻撃力より高い場合……ここで『視力』を使うようだ」

 

エリゴス

「サブナックみてえなのと戦う場合か……けど、それで『視力』?」

 

ソロモン

「そういえばザガン、セルケトが岩の塊みたいな議席持ちを倒したって言ってたような……」

 

バルバトス

「まさしくそれだ。その時の事が手紙に書かれていた」

「岩のメギド体はどんなに投げられても、ヒビひとつ入らなかったらしい」

「だが、セルケトが『技』を使うと、武器の一撃がスルリと通ったそうだ」

「まるで砂山……ヴィータの知識で例えれば、砂どころかプリンやムースみたいにね」

 

エリゴス

「???」

 

ソロモン

「岩に、プリンみたいに……?」

 

ガブリエル

「メギド体がフォトンで構成されている以上、その強度はフォトンに左右される……」

「強度や質感を再現しきれていないフォトン同士の僅かな綻び……そこを見抜いた?」

 

一同

「!?」

 

バルバトス

「恐らくね。目撃したザガン自身は、何が何だか分からなかったようだけど」

「多分、そういった絶対の弱点を、絶対に防げない一瞬……それを『見出す技』なんだ」

「その後、続けて決闘を申し出たザガンに、セルケトが説明してくれたそうだ」

「自分の『技』で『眼』を高め、魂に到達する一点を『視抜いた』とね」

 

サルガタナス

「バカじゃないの? なに手の内明かしてるのよ」

 

バルバトス

「ザガン曰く、とにかく『そういうヤツ』らしいよ。呆気に取られるくらいのお人好し──」

「そういえば、メギドラルには『お人好し』にあたる言葉って無いな」

 

エリゴス

「言われてみりゃ確かにそうだが、そりゃ今どうでも良いだろ」

 

ソロモン

「うーん……」

「……なあ。セルケトと戦った相手って、『攻撃役』ばかりだったのか?」

「何ていうか、デカラビアやインキュバスみたいな『技』を使う相手は……?」

 

バルバトス

「居たみたいだよ。ザガンはセルケトがメギド体の群れを山にするのを見たそうだしね」

 

ガブリエル

「山に……相当な個体ですね」

 

エリゴス

「セルケト自身は弱いらしいけどな。もしかしたら攻撃力や体力的な意味かもしれねえけど」

「しかし『搦手』か。そういうの、かばうのも避けるのも楽じゃねえもんだけど……」

 

バルバトス

「避けたらしいよ。何か仕掛けるなら、仕草やフォトンから『予備動作』が見えるらしい」

 

サルガタナス

「もう『何でもあり』過ぎて白けてくるわね」

 

バルバトス

「それは多分、急場過ぎて、俺の語りの腕が訛ってるからだろうね」

「理不尽な敵なら何度も出会ったし、それを同じ理不尽でねじ伏せるのがメギド体の戦争だろ?」

 

エリゴス

「まあ『予備動作』ってのは、何となく分かるしな」

「ケンカで急に腰落とすヤツは大体蹴り狙ってくる……みたいな」

 

バルバトス

「セルケトは具体的に何を仕掛けるかまでは把握してなかったらしいが──」

「それでも、どこにどんな『当て方』を狙っているかは、大体読み取れたらしい」

「インキュバスの例なら、視線や言葉にフォトンが乗るとか、後は仕草──」

「安全を確保して命令するだけなら、インキュバスは『攻撃の仕草』を取らなくなる、とかね」

 

ソロモン

「そうか。『話そうとする』だけで他に何も仕掛けてくる様子が無いように見えたなら──」

「その時点で術中にはまってるって考えられる。耳を塞ぐとかで干渉を絶てば良いのか」

 

ガブリエル

「要点をまとめると、おおよその攻撃は防がれ、力を丸ごと返される」

「鉄壁で対処すれば回避困難な即死の一撃」

「ザガンとの戦争では不使用ながら、視認不可能なスピード」

「もしそれがシュラーであり、戦闘は避けられないとなった場合……」

 

一同

「……」

 

ソロモン

「それって……勝てるの?」

 

サルガタナス

「……まずは書き手か読み手の『勘違い』でも無いか探したら?」

 

 

 しばし、沈黙が流れた。

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 一方、アブラクサス空中庭園。

 ノンローソの1匹が、石造りの床に自らの顔面を叩きつけた。

 

 

ハーゲンティ

「えっ……え!? 今、何起きたの?」

 

フォロア

「あのノンローソがシュラー様の顔を殴って……何で殴った方が倒れてるの!?」

 

 

 一番槍を仕掛けたノンローソのダメージは深く、モゾモゾと手足を動かすばかりで満足に動けないでいる。

 

 

グレモリー

「(殴られたんじゃない……顔で受け流したんだ)」

「(あの俊足の拳が繰り出される前から、シュラーは僅かに姿勢を崩していた)」

「(恐らくダメージを殺し、更に全身を使って、拳の軌道を曲げるために)」

「(そしてノンローソは、拳の勢いそのままに、足元へ『飛び込まされた』……!)」

 

シュラー

「……うん。以前よりも磨きがかかっていますね」

 

 

 シュラーがノンローソを称賛しながら、拳を受けた左の頬を感慨深そうに左手で撫でている。頬には掠り傷1つ無い。

 そして頬に触れるために、シュラーは視線、手、首、重心を無防備に傾けている。

 サイティを撃沈させた2匹の内、もう1匹が健在であるにも関わらず。

 

 

2匹目のノンローソ

「……!」

 

 

 この隙を逃すほど、ノンローソは愚鈍な幻獣では無かった。

 すかさず跳ねるように移動し、完全にシュラーの視線の外まで回り込んでから大ジャンプ。接近の足音を聞かせずに、空中からの右フックを敢行した。

 

 

シュラー

「立ち回りにも、一段の工夫が感じられますね。実に良い」

 

 

 シュラーは姿勢を崩さないまま、一見無造作に右手を宙に差し出した。

 すると、まるでノンローソの方から合わせたかのように、右フックがシュラーの右手に収まった。

 シュラーの足元にビシリと一筋のヒビが走ったが、変化はそれっきりだった。

 ノンローソが空中からストンと素直に着地する。それに合わせてシュラーも右手を滑らかに下げる。

 この一場面だけ見れば、ただのヴィータと獣の心温まる握手である。

 

 

グレモリー

「(何だ今のは……拳の威力を、地面に逃したとでも言うのか……!?)」

「(それも、ノンローソは受け止められた位置から真下に着地している……)」

「(直前のジャンプの、放物線軌道まで殺されている……まるで玩具扱いじゃないか)」

 

2匹目のノンローソ

「……」

「……フゥッ!!!」

 

 

 しばらく呆気に取られたように静止していたノンローソが、我に返ったのか特大の鼻息と共に足腰にグッと力を込めた。

 次の瞬間、ノンローソはシュラーの頭上より遥か高くを、真っ逆さまの姿勢で上昇していた。

 

 

ハーゲンティ

「投げたー!? 何アレ、シュラーって力持ちなの!?」

 

フォロア

「わ、私もシュラー様の戦う所、直接見るのは初めてで、何が何だか……!」

「あっ! それよりサシヨンちゃん、仲間の人、助けましょ! ついでにサイティ達も……」

 

ハーゲンティ

「そうだった! 他のノンローソもシュラーばっか見てるし、今の内に……!」

 

 

 ハーゲンティとフォロアが、おっかなびっくり動き始めた。

 2人の会話の最中、投げられたノンローソは更に上昇し、ピークを迎えて落下。そして今はシュラーより頭一つ分ほど高い位置に居た。

 

 

シュラー

「失礼」

 

 

 シュラーが、逆さまに落下するノンローソの首に右手を添えた。

 そしてノンローソを手にしたまま、その場でクルリとターンを決める。

 タオルを振り回すようにシュラーは見た目に軽々と右手のノンローソを一回転させた後、本来頭から落下するはずだった地点に立たせ直した。

 1秒ほど置いて、ノンローソは力なく地面に昏倒した。呼吸はしているようだが、ピクリとも動かない。

 

 

グレモリー

「(まだ、ついていける……理屈だけなら、何が起きたか読み取れる)」

「(握手の姿勢からノンローソが踏み込んだ。シュラーはその力を利用して真上へ投げた)」

「(恐らく足腰だけでなく、踏み込みと共に繰り出すはずだった腕力……否)」

「(踏み込む瞬間の体中全ての力を、真上へ向くよう『操った』……!)」

「(そして落下の勢いを、受け止めた部分……首に集中させ、軌道を急激に曲げた)」

「(落下速度そのままに振り回されて脳が揺れ、頸動脈も塞がれ気絶……か)」

 

 

 残るノンローソ達が、ザガンにそうしたように広く展開し、シュラーを取り囲んだ。

 シュラーは悠々と歩き、むしろノンローソが位置取りしやすい場所へと移動していく。

 グレモリーとシュラーとの距離が開き、その間に数匹のノンローソが割り込んでシュラーの背後を狙う。

 

 

グレモリー

「(これは……どう動くべきだろうな。シュラーを援護すべきなのか……)」

「(だがシュラーは連絡橋からも私からも離れ、自ら不利に孤立するよう動いている……)」

 

 

 一方、ハーゲンティとフォロアは、まず手近に横たわるハルファスとザガンの救助を試みていた。

 

 

ハーゲンティ

「ハルちゃん、立てる? 肩貸すから、ひとまずこっちに……」

 

ハルファス

「うん……あ、でも、お母さんの斧、置いていっちゃう……」

 

ハーゲンティ

「今は武器よりハルちゃんだよ! 後で一緒に運んだげるから!」

 

フォロア

「カリナちゃん、動ける? 今、シュラー様が……」

 

ザガン

「けほっ……うん。さっきから見てた。私は大丈夫」

 

フォロア

「良かった……でも、今度はシュラー様がカリナちゃんみたいに囲まれて……」

 

ザガン

「ううん。あのくらい大丈夫……動けなくなるのはノンローソの方だよ。指一本いらない」

 

フォロア

「えっ……?」

 

 

 既に8匹ほどのノンローソ達によるシュラー包囲網が完成していた。

 その内の1匹が口火を切る。

 

 

突っかけるノンローソ

「……ッ!!」

 

 

 一瞬の遅れがあるか無いか、一気呵成に全てのノンローソがシュラーになだれ込む。

 

 

シュラー

「……」

 

グレモリー

「(腕を広げた!? 迎え入れる気か……自殺行為だ!)」

「バカなッ! 避けろ、シュラー!!」

 

 

 ハグの前動作のように、シュラーは伸び切った腕を肩の高さまで上げて、ノンローソの前に華奢な胴体を突き出した。

 前後左右、全方位から渾身の左ストレートが発射される。

 グレモリーの見立てでは、こうなっては飛ぶか伏せるか、残った方向に一縷の望みを託す他無い。しかしノンローソ達の打点は絶妙で、一様にシュラーの腰回りを狙っている。

 

 

グレモリー

「(いかん……アレでは上下に回避しても容易く拳が追尾してくる!)」

「(いっそ空でも飛べなければ、直撃は免れん……!)」

 

 

 シュラーは受け入れる姿勢のまま微動だにせず、果たしてノンローソ達の同時攻撃が何の予定変更も無く直撃した。

 シュラーの体が僅かに揺れる……が、シュラーの表情には一片の痛みも力みも無い。優雅そのものだった。

 そしてそのまま1秒、2秒……更に数秒が過ぎても、シュラーもノンローソも、インパクトの瞬間から時間が止まったかのように動かない。

 

 

グレモリー

「なんだ? 何が起きて……」

 

突っかけたノンローソ

「……!?」

 

追随したノンローソ達

「フッ……フッ……!!」

 

 

 ノンローソ全員、真っ直ぐ突き出した拳をシュラーに密着させたまま離さない。

 段々と、息を荒げ、体を細かく震わせる個体も出てくるが、1匹も姿勢を解こうとしない。

 

 

シュラー

「どなたか。庭園に迷い込んだノンローソは、これで全部ですか?」

 

 

 渦中のシュラーが、庭園中央に避難した女性達に呼びかけた。

 変に力を入れている所など微塵もない、長閑な声色だった。

 

 

避難済みの女

「は、はい! ずっと数えてました、間違いありません!」

 

シュラー

「ありがとう。では、今日はここまでにしましょう」

 

 

 シュラーが手近なノンローソの肩に手を置いた。

 そっと力を込めると、ノンローソ達がジワジワ体を低くし、全頭揃って自ら地べたに這いつくばってしまった。

 見れば、全てのノンローソが喘ぐように呼吸を繰り返し、体表から湯気を立ち上らせている。明らかに疲労困憊していた。

 

 

グレモリー

「!!??」

 

フォロア

「な、な、何あれ……何が、どうなってんの?」

 

ザガン

「私もさっぱり……でも、私は知ってる」

 

フォロア

「な、何を……?」

 

ザガン

「今、シュラーがノンローソ達にやった事……全く同じのを、見た事あるんだ」

「ずうっと昔に……」

 

 

 ザガンは、しみじみと微笑を浮かべてシュラーを見ていた。

 

 

・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 アブラクサス空中庭園。騒ぎは一段落している。

 

 

報告に来た女

「シュラー様。庭園のノンローソは全て、係の者が拘束と回収を終えました」

 

シュラー

「それは良かった。改めて、到着が遅れてしまった事を、何とお詫びしたらよいか……」

 

報告に来た女

「と、とんでもないです! どうか堂々となさっていてください!」

「むしろシュラー様の麗しいご活躍を見れて、ご褒美……いえ何でも!」

 

シュラー

「では間を取って、この埋め合わせは追って考えるという事に。それと……」

 

 

 シュラーが報告担当の女を抱き寄せた。

 

 

シュラー

「……あなたに傷が無くて、本当に良かった」

 

報告に来た女

「はうあぁ……!」

 

 

 シュラーが開放すると、報告担当の女が夢心地で去っていく。

 傍らで少し居辛そうにそれを見ていたグレモリーがシュラーに歩み寄った。

 周囲は訓練を中断し、後片付けや怪我人の治療でバタバタしている。

 この喧騒の中でも足音が聞こえたのか、シュラーが振り向いてグレモリーに笑顔で応じた。

 

 

グレモリー

「何もかも驚かされっぱなしだったが……まずは、助かった。素直に感謝する」

 

シュラー

「いいえ。ギーメイさん達のお陰ですよ」

 

グレモリー

「私達では、ノンローソの群れを鎮圧するのは不可能だったよ」

 

シュラー

「それだけが、なすべき事でも無いでしょう」

「不誠実かもしれませんが、連絡橋を渡る間、ある程度の状況も確認していました」

「皆さんが避難と陽動を請け負ったからこそ、被害を抑える事ができたと考えています」

 

グレモリー

「ふ……分かった。お互いに成すべき事を果たせた。それで良いな」

「それより、ノンローソの制圧は『ここ』だけで良かったのか?」

「『逃走した』という事は、他の場所にも逃げた個体が居るんじゃないのか」

 

シュラー

「他のノンローソ達なら今頃、自ら住処に戻っている頃でしょう」

 

グレモリー

「……分かるのか?」

「(シュラーが幻獣を操っているなら、戻るよう仕向けられるのが当然ではあるが……)」

 

シュラー

「いつも、私が彼らの相手をしていますから」

「彼らは逃げるために飛び出すのではない……それは自信を持って言えます」

 

グレモリー

「……分かった。長の言葉だ、まずは信じよう」

「(だが操っているなら、そもそも厩舎から逃がし、庭園に仕向ける意味もない……か)」

「では……もう一つ、頼みたい事がある」

 

シュラー

「何なりと」

 

 

 シュラーが答えるなり、グレモリーは近くに落ちていた突剣を拾った。

 サイティ御用達のなんちゃって刃引きの突剣だった。

 最後に持っていたレディスはノンローソに沈められた際に取り落し、そしてここにそのまま放置されていた。

 突剣を構えて、「頼みたい事」の内訳を示すグレモリー。

 

 

グレモリー

「訓練だ……シュラー直々の手合わせが見てみたい」

 

シュラー

「なるほど……」

 

 

 一層顔を綻ばせるシュラー。

 周囲の女達が、グレモリーとシュラーのやり取りに気づいて静まり返っていく。

 

 

フォロア

「あれ? ギーメイさん、何やって……」

 

ザガン

「あの顔……シュラーとやる気だね」

 

フォロア

「ええ!? ちょっと、前代未聞よ、そんなの! シュラー様にこっちから挑むなんて!」

 

ザガン

「それってつまり、手合わせ自体はしてくれるって事?」

 

フォロア

「そう聞いてるけど、あくまで色々な仕事を視察に来てくれる『ついで』であって……!」

 

 

 静寂がどよめきに変わってきたが、騒ぎを他所に見つめ合うグレモリーとシュラー。

 

 

シュラー

「本気の勝負がしたい、と……そう『見受け』られますが、さて……」

 

 

 シュラーが脇へ目配せする。

 視線の先には、相変わらず気配のない儚げな女。

 胸に抱いた塊と別に、奇妙な器具を手にしている。

 

 

儚げな女

「……どうぞ」

 

シュラー

「準備が良くて助かるよ。これすらも、『お見通し』だったのかな?」

 

儚げな女

「ご用意できるものは、あらかじめ……」

 

シュラー

「ありがとう。世話をかけるね」

 

 

 シュラーが儚げな女から器具を受け取る。

 器具には複数のベルトのような部品が付いており、シュラーはそれを自身の左手首に巻きつけていく。

 

 

グレモリー

「(このタイミングなら、多少は自然にシュラーを値踏みできるだろう)」

「(手合わせという建前上、おいそれと殺されはすまい)」

「(ザガンの話では、セルケトはもっぱらヴィータ体で戦争を行っていた)」

「(同一人物なら、今も変わらんはず。武器も、戦い方も……確かめて損はあるまい)」

 

シュラー

「奇怪に見えるでしょうが、侮辱する気はありません。これが、私の武器です」

「と言っても訓練用ですので、危険のない物に置き換えていますが」

 

グレモリー

「構わん。知人には、大真面目に食い物で戦う者も居る」

 

 

 シュラーが武器を装備し終えた。

 篭手のようなパーツと、そこから伸びる木の棒で構成されている。

 

 

ハルファス

「あれが……シュラーの武器?」

 

フォロア

「ええ。訓練に立ち会った子たちが言うには、相手を刺すための武器なんじゃないかって」

「あの棒の部分で、急所を突く戦い方をするのよ。それこそ蝶のように蜂のように……ね」

 

ザガン

「……」

 

ハーゲンティ

「ザガン姉さん? ど、どうなんですかい……?」

 

ザガン

「はは……ちょっとゾクゾクってしちゃった」

「そっくりだよ……アイツの武器と」

 

フォロア

「カリナちゃん、さっきも言ってたけど……シュラー様と似た人を知ってるの?」

「あっ……そ、それとも、昔のシュラー様と知り合いだったとか……!?」

 

ザガン

「あ……そ、それはどうだろう。ほ、本当にずーっと昔の事だからさ……はは」

 

フォロア

「……?」

 

 

 武器を装着したシュラーだが、先ほどまでと変わらないリラックスした姿勢のままで、「構え」らしい所が無い。このままフラリと、他の女達の手伝いにでも歩き始めそうなくらいだった。

 儚げな女が一礼してその場を離れる。

 

 

グレモリー

「受けてくれる……と理解して問題ないのだな?」

 

シュラー

「ええ。合図は結構でしょう。いつでもどうぞ」

 

グレモリー

「若い身空で、まるで達人の貫禄だな。だが……油断も容赦もせん!」

 

 

 グレモリーが突剣を閃かせ、同時に周囲からワッと声があがる。

 直立するシュラーの鼻先スレスレで突剣が止まっている。

 

 

グレモリー

「っ……!」

 

 

 強く大きく踏み込んで距離を詰め、突剣を斜めに切り下ろす。

 シュラーの衣服の襟を、刃引きした刀身が掠った。

 

 

グレモリー

「ギリギリの間合いでかわすとは、見せつけてくれる……まだまだ!」

 

 

 流れるようなグレモリーの猛攻が続く。

 作業に従事していた女達から、驚嘆とも歓喜とも取れそうな声が湧き上がる。

 観衆の中にはハーゲンティとハルファスの姿もある。ほぼ無傷のハーゲンティと一時的なめまいで済んだハルファスは、ノンローソ騒ぎの後始末を手伝っている所だった。

 

 

シュラー派の野次馬

「シュラー様、気を付けて! サイティの剣は危ないんです!」

 

サイティ派の野次馬

「すご……サイティ様が素人いびってる時でも、あそこまでは……!」

 

ハーゲンティ

「うっひょ~……マム、あんなに素早く戦えたんだ……」

 

ハルファス

「でも、全部避けられちゃってるね」

 

 

 グレモリーは剣をまるで自在に操り、シュラーの周囲を這わせるかのように絶え間なく攻撃を仕掛ける。

 しかしシュラーは、緩やかに踊るように後ずさりながら、攻撃を全て紙一重でかわしている。

 一方、ザガンとフォロアは特に何をするでも無く、観戦に専念している。

 臓腑を強かに殴られたザガンは、治療担当の者たちに様子見のために少しの間の安静を言い渡され、フォロアにも付き添われて若干渋々ながら従っていた。

 

 

ザガン

「2人とも、まだ全然本気じゃないな……」

 

フォロア

「そうなの!? 今の時点でもう、目で追うのがやっとなくらいだけど……」

 

ザガン

「少なくともグ……ギーメイの剣の腕は、まだまだあんなもんじゃないよ」

「多分、万一でも『事故』にならないように、様子見から入ってるんだと思う」

 

フォロア

「シュラー様に様子見って……しかも、あれで様子見……?」

 

 

 グレモリーが嵐なら、シュラーは嵐の中を傘もささず濡れもせずに踊っている。

 いっそ予定調和じみて見えるほどの攻防を続けながら、両者は段々と空中庭園を横断していく。

 

 

グレモリー

「(ザガンの推測通りシュラーがセルケトなら、ノンローソとの戦闘も幾分納得できる)」

「(馬車で聞いた通り、特性のみでメギドを下して来た傑物なら、幻獣如きも容易かろう)」

「(鍔迫りに持ち込めばノンローソの二の舞。剣先だけで技量を計るしか無いが……)」

「(そろそろ十分……!)」

 

 

 最初の一突きと同じように、グレモリーの剣がシュラーの鼻先で止まった。

 

 

グレモリー

「この剣は『刺さる』らしい。気を付けておけ」

 

シュラー

「『そろそろ』だろうと、思っていましたよ」

 

 

 シュラーがニコリと笑って言い終わる頃には、剣を引いて再び突くまでの動作が完了していた。

 胴体を狙った一撃は、またも衣服に触れるギリギリでかわされている。

 観戦している者たちは声を上げる暇もない。

 大半の女達が何が起きたか見えても居ない内に横薙ぎの二撃目が振るわれ、これも一歩後ずさりながらかわされた。

 

 

グレモリー

「(仲間内で、私の本気の連撃を前に、フォトン抜きで10以上かわしきった者はいない)」

「(皆、その前に直撃を受けるか、回避から防御に転じざるを得なかった)」

「(最高記録はアマゼロト、アリトン、アザゼルの8、次いでザガンとアモンの5……)」

「(貴様はどうだ……シュラー!)」

 

 

 3手目。再び斬撃に行くよう見せかけ、そして刹那の間にシュラーが更に後退したのを感知するグレモリー。

 常人には想像もつかない速度で間合いを読み直し、更に攻撃を突きに転じる。

 狙いは武器を装着した左腕。

 

 

グレモリー

「(ハルファスの話では、左手はシュラー自ら『関節が増えている』と語っている)」

「(十中八九、骨が折れたまま治癒してしまって生じる『偽関節』。慢性の痛みを伴うと聞く)」

「(傷を庇う故に攻撃を避けているのか……何にしろその武器の業前、見せてもらう!)」

 

 

 シュラーの回避まで想定の内に入れた、会心の一撃を放った。

 好ましくはないが、この場でシュラーの左腕を破壊する事も辞さないつもりで狙いも定めていた。

 そして、グレモリーの切っ先と、シュラーの武器から伸びる棒の先端とが触れ合っていた。

 

 

グレモリー

「なっ……!?」

「(打ち合わされた? いや、違う……手応えが無い。反発も、標的に触れた重みさえ)」

「(かわされている! 私の突きと全く等速になるよう、全身で後退しているのか……!)」

「(わざわざ武器の先端を触れさせながら……何という芸当!)」

 

シュラー派の野次馬

「シュラー様、後ろ!!」

 

グレモリー

「っ!?」

 

 

 投げ込まれた声に、グレモリーは初めて気付いた。

 踏み込み前進するグレモリーに対し、バックステップに上体を微妙に反らせ、腕の動きも添えて完璧に合わせてくるシュラーだったが、彼女の背後に足場がない。

 いつの間にか空中庭園の端まで移動していた。シュラーが飛び退いた先では、遥か下方の地面だけが待ち構えている。

 

 

シュラー

「ふっ……」

 

グレモリー

「しまっ……くぅぅっ!!」

 

野次馬たち

「きゃああああああっ!?」

 

 

 遅れて事態を把握した住民たちが我先にとばかり叫ぶ。

 一通りの悲鳴が通り過ぎた後、空中庭園直下の石畳に叩きつけられたのは、グレモリーが使っていた突剣のみだった。

 無我夢中でグレモリーがシュラーを引き寄せていた。崖っぷちで互いにダンスのフィナーレを飾るようなポーズになっている。

 シュラーが、グレモリーの腕に身を委ねたまま穏やかに笑った。

 

 

シュラー

「すみません。余りの腕前に、少し興奮してしまいました。自分の立場さえ忘れるほどに」

 

グレモリー

「いや……私の方こそ、とんだ失態だ」

 

シュラー派の野次馬

「素敵……翻弄されながらも最後は剣を捨て、シュラー様を救うなんて……絵になるぅ!」

 

中立派の野次馬

「シュラー様が余裕そうに見えたけど、本当の腕前は互角ってトコかしら……」

「最後の突きを防ぎきれずに、あわや転落……実質、引き分け?」

 

ハーゲンティ

「おおお? 何か、マムの人気が上昇中?」

 

ハルファス

「(こういうの、顔を立ててもらった……って、言うのかな?)」

 

フォロア

「ギーメイさん、ただ者じゃないのね。それに最後の咄嗟の判断……流石だわ」

 

ザガン

「(違う……落ちる直前、シュラーは笑ってた)」

「(用意したんだ。シュラーがグレモリーに助けられる状況を……!)」

 

 

 グレモリーはシュラーを庭園に立たせ、決まり悪くその場を去ろうとする。

 その背中にシュラーが呼びかける。

 

 

シュラー

「ギーメイさん」

 

グレモリー

「……何だ」

 

シュラー

「『見たかったもの』は、見せられたでしょうか」

 

グレモリー

「……ああ。まあな」

 

シュラー

「……ふふ」

 

 

 グレモリーは振り向かずに答えて、改めて去っていく。

 

 

グレモリー

「(最低限の手の内しか明かさず、唯一見せた武器の用途も『訓練用』ならではのもの……)」

「(どこまで『見透かした』のか底が知れんが……惨敗だな。完全に煙に巻かれた)」

 

 

 シュラーから離れてはみたが別にアテがあるわけでもなく、ひとまずグレモリーはザガン達の元へと向かった。

 

 

<GO TO NEXT>

 

 

 




※ここからあとがき

 ノンローソのゲーム的な性能は
「アタック・スキル時に、次の行動が同じフォトンである味方のフォトンを同時に消費して性能を1つにつき100%上昇」みたいな感じをイメージしてます。

ア       ア
ス   ス   ア
1・○・ 2・○・ 3の並びと行動順だとして
1の行動で1のスキルと2のスキルが同時に消費され、1のスキル性能が100%上昇。
その後、2は無行動。
3のアタックで1のアタックが同時に消費されダメージ2倍のアタック(もしくは3が普通にアタックし、2巡目の1のアタックが3のアタックを同時消費して2倍になる)。

 仲間の力を束ねて一発のダメージで勝負を決めるスタイルです。最大何百%とか上限が付くかもしれません。
 一撃が重いと防ぎきれないザガンさんと非常に相性が悪い相手として考えました。



 グレモリーのスキルが転生してからのオリジナルという部分は筆者のオリジナル解釈です。
 バフの覚醒スキルと奥義はともかく、フォトン破壊攻撃がメギドラル時代の持ち味というのは、戦争を他人任せにしていたというプロフ文と少し違和感があるかなと思ったのを切っ掛けに妄想してみました。
 まあ、地位を手に入れてからは全く使ってなかった技と考えても問題ない事ではありますが。


 いわゆる「オーレ」は観客からの賛辞として使われる言葉とどこかで見たことがありまして、何気ないオーレがダレカを傷つけたりしないよう、ハーゲンティに代わりに言わせてみました。
 この仮設に則るとしても、ザガンさんが使ってるのは、自分を褒めたり肯定する事で自信ややる気を引き出す一種の自己暗示という事で問題ないかと。


 バルバトスの手紙解読とシュラーVSノンローソの描写は、個人的に「並行して進んでる」感を出したくて悩みましたが、原作ゲーム風の進行を意識してこのような形に落ち着かせてみました。
 シュラーを「ぼくのかんがえたさいきょうのメギド」みたいに描いてますが、7~8割くらい意図的です。その点も演出の一部という事で何卒。



・他
 ついにハルファスのリジェネが……ほぼ間違いなく過去話出ますね。
 カイムが炎上リジェネしますしハルファスの実家焼かれますし。
 今作でハルファスの過去を捏造してストーリーに結びつける気だったので、真っ只中の答え合わせによりハルファス編はウソロモン進行となります。ひとえに筆者が遅筆なせいですが。
 ザガンさんだけは、リジェネが来る前に書き上げたい所です。


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3-3前半「難解なる森と疑念都市」

 空中庭園での「研修」と幻獣襲撃が一段落したその日の夕方。

 アブラクサスの片隅、未開拓地区の廃墟に集まった潜入組4人。

 何やらザガンとハーゲンティが、直立するハルファスを両サイドから押し込んでいる。

 さながらハルファスという巨大なゼンマイを二人がかりで回そうとしているかのような構図。

 

 

ハーゲンティ

「ふんぎぎぎぎぎぎぃ……あ、そういえばハルちゃん苦しかったり痛かったりしてない?」

 

ハルファス

「うん、大丈夫。えっと……柔らかい、かな?」

 

ザガン

「あははっ、まだまだ余裕そうだねえ」

「じゃあ、ハルファス。『回る』力、ちょっとだけ強くしてみて」

「そうだな……今のハーゲンティの力をギリギリ押し返せそうなくらいで」

 

ハルファス

「わかった。こう?」

 

ハーゲンティ

「はぶぶぶぶ……!」

 

 

 ハルファスが時計回りしようとして、ザガンとハーゲンティは反対方向からそれを押し返してハルファスの動きを止めている状況。

 ハーゲンティは顔面まで使って全身全霊でハルファスに押しくら饅頭しているというかされている。

 

 

ザガン

「そうそう。それで、私も『つい』もっと強い力で押し返そうとしちゃうとするでしょ?」

「ハルファスは何が起きても力緩めないでね。そうすれば、多分思った通りに……よっと」

 

 

 ザガンがより強く力を込めると、ハルファスの上半身が僅かに押し返されて反時計方向へ回る。

 すると、体を斜めにして全力で踏ん張っていたハーゲンティがカクンと前方にバランスを崩す。

 

 

ハーゲンティ

「おひょ? あれ? ちょ、ま、おぶふ……!」

 

 

 慌ててバランスを取ろうとすると、ハーゲンティの押し返しが緩んだ分、ハルファスが時計方向へ回転を持ち直して、ハーゲンティの顔とハルファスの体がぶつかり、先程以上に密着する。

 

 

ハルファス

「(何が起きても、力を緩めない……ザガンの言う通りに……)」

 

ハーゲンティ

「ま、待って、姿勢がまだあばばばば!」

 

 

 ギリギリの拮抗が崩れて立て直せず、ハルファスの回転にズルズルと押し退けられ、ハーゲンティは後方に尻もちついた。

 

 

ザガン

「オッケー。それじゃあ、私もハルファスを止めきれないって事で……ぐわー」

 

 

 ザガンも棒読みな断末魔と共に、まったりと弾き飛ばされるような仕草をしながらハルファスから数歩距離を取る。

 ハルファスは、幼児が踊るようなあどけなさで穏やかに回転し続けている。

 

 

ザガン

「オッケー、ハルファス。もう『回る』の止めていいよ」

 

ハルファス

「あ、うん」

 

ハーゲンティ

「ぐえ~、負けた~……」

 

ハルファス

「これって、勝負だったのかな……?」

 

ザガン

「ま、細かい事は問題なーし。グレモリーも、今ので大体分かってくれた?」

 

 

 ハルファスの回転も止まり、ハーゲンティが尻のホコリを落としながら立ち上がり、3人の視線が、傍らで見ていたグレモリーに向く。

 

 

グレモリー

「ふむ……おおよそは理解したつもりだ」

「メギドラルにかつて存在した浮遊島、『ヘルマン島』……話には聞いていた」

 

ザガン

「私も遠くから島を見た事あるだけだから、グレモリーと似たようなものだけどね」

 

ハーゲンティ

「その『ヘルマン島』ってーのが、さっきのハルちゃんみたいにクルクル回ってたんだよね?」

 

ハルファス

「島全体が軸回転、だっけ。危なそうだね」

 

ザガン

「坂を下る馬車の車輪みたいなスピードでね。回転速すぎて形とかよく分かんないくらい」

「しかもたまに地表スレスレまで沈んで、そうなると山もメギドも『すり潰された』らしいよ」

 

グレモリー

「そして原理究明のため、大型のメギド体複数で回転を止める試みがなされ……」

「先ほどの3人のような『事故』が相次いで、とうとう力ずくで粉砕されるに至ったと」

 

ハーゲンティ

「あたい、自分に何が起きたのかよく分かんなかったんだけど……」

「ハルちゃんの力が強くなったはずなのに、むしろハルちゃん急に押し返されて……」

 

ハルファス

「えっと、ハーゲンティの力に合わせてって言われて、でもザガンの力の方が強くて……」

「でも、それで何でハーゲンティがあんな風に?」

 

グレモリー

「最初、2人の力加減はハルファスの力を止めるのに丁度良く、拮抗していた」

「ハルファスの力が強まっても、ハーゲンティが更に力を込める事で拮抗は保たれていた」

「だが同時に、強まった力を受け、ザガンも力を強めてしまった」

 

ザガン

「今回は『わざと』だったけど、実際に同じ事になっても、やっぱり力強めちゃうだろうね」

 

グレモリー

「うむ。全員が『独自に』回転に抗った結果、ハルファスの回転力を凌駕してしまった」

「そして、全力を賭していて、加減の余裕がないハーゲンティは対処に間に合わず……だな」

 

ハルファス

「誰が最初に力入れるかとか、予定や合図を決めとけばよかったのかな」

 

グレモリー

「そうだな。強い力を止めるには数が要る。しかし頭数が増えるほど、連携の難度も上がる」

「誰かが浮足立てば、その力の変化は仲間全員に作用し、全員が慌てて対処を試みるからな」

「そして、それが昼間の、ノンローソとシュラーの決着の『タネ明かし』か」

 

ザガン

「うん。多分、微妙に体を捻るとかして、シュラーの方から『噛み合わせた』んだよ」

「シュラーの体を、全員のパンチで抑えて『止められちゃう』場所に」

 

グレモリー

「それも同時に、あれだけの拳を全て受け流しながら……か」

 

ハルファス

「えっと……もし、さっきの私みたいにシュラーが体を『回して』たとしたら……」

「ノンローソみんなが真っ直ぐのパンチでシュラーを止めて……」

 

ザガン

「殴った感触で『バランス崩れたら受け流されて隙だらけになる』って感じ取ったんだろうね」

「でも全員で押し込んで何とかバランス保ててるから、誰も力抜く事ができなかったんだ」

 

グレモリー

「力任せに押し込むのではムラができる。つまり、同じ力を保ち続ける技術を強いられる」

「ノンローソがたちまちに消耗していったのも、そのせいか」

 

ザガン

「こんな事、段取り決まってる大道芸でだってそうそう出来る事じゃないよ」

「だから、やっぱりさ……シュラーの正体は、セルケトだと思うんだ」

「セルケトの性格はよく分かってる。正面切って話せば、きっと応えてくれるはずだよ」

「それに理屈はまだ分からないけどさ、シュラーは幻獣の飼い方も知ってるっぽいじゃん?」

「幻獣を飼えないか私、興味あったんだ。仲間にすれば、セルケトならきっと教えてくれるよ」

 

ハルファス

「でも、シュラーはザガンを見ても何も言ってこないけど……」

 

ザガン

「それは……転生したからだよ、きっと。少しは『まとも』な性格になったんだよ」

「そもそもあいつが隠し事なんて時点でびっくりだし……でも、『根』は変わらないはずだ」

「転生して、肉体に引っ張られても、大事な所は持ち続けてる……皆だってそうだろ?」

 

グレモリー

「……」

 

 

 腕を組んで考え込むグレモリー。ザガンの主張に対して、余り前向きな態度には見えない。

 

 

グレモリー

「ノンローソが片付いて、研修を再開して……その間に、私もザガンと似た事は考えた」

 

ザガン

「……『それでも違う』って顔だね」

 

ハーゲンティ

「マム、あたいもザガン姉さんに賛成なんだけど……」

「あんなの、『メギドだから』とかで出来るもんじゃないと思うし」

 

グレモリー

「……私の考えを語る前に、少し別件を話したい」

 

ザガン

「別件?」

 

グレモリー

「『戦闘員』の研修を再開して……その後、それぞれ『研修先』が分かれたな?」

 

ザガン

「うん。私とグレモリーは『戦闘員』の研修を続けて、2人は別の研修に」

「だからこうして、全員の研修終わってから、人の居ないここに落ち合ったんだし」

 

グレモリー

「そうだな。ハルファスとハーゲンティは、『戦闘員』としては不採用だったという事でもある」

 

ハーゲンティ

「まあ『戦闘員』は強さだけじゃ決まらないって、フォロア姉さんもフォローしてくれてたし?」

 

ザガン

「ハーゲンティは元々、戦って生活してるタイプでも無いし……それがどうかしたの?」

 

グレモリー

「……重要なのは、ハルファスだ」

 

ハルファス

「私? えっと……なに?」

 

グレモリー

「貴様が不採用だった理由……私には手に取るように分かる」

 

ハーゲンティ

「え、あたいじゃなくて、ハルちゃんの? 不採用なら何百回も慣れてるあたいじゃなく?」

 

ザガン

「そういえば、普段は『決められない』けど、言われた事は真面目にやる方なのに……」

 

グレモリー

「ハルファス。ノンローソ騒ぎの時、貴様も顎を打たれて昏倒していたな」

 

ハルファス

「うん……」

 

グレモリー

「脇目にだが、あの時の一部始終は見ていた……何故、『防がなかった』?」

 

ハルファス

「え? えっと……」

 

グレモリー

「明らかに敵意をむき出した幻獣を前にだ。間合いに入られるまで、数秒でも時間はあった」

「何故、貴様は殴られるまで棒立ちでいた?」

 

ハーゲンティ

「あ……そういえばハルちゃん、倒れる前に幻獣に何か話しかけてたような……?」

 

グレモリー

「殴られてから倒れるまでの間に、遅れて防御しようとした素振りも無かった」

「ノンローソが、目を付けた相手をどうするかは事前に分かりきっていたはずなのに、だ」

「責めているわけじゃない……ただ、原因は確かめておきたいというだけだ」

「あの場で『選ぶ』事も、ハルファスには荷が重かったか?」

 

ハルファス

「えっと……うん。選べなかった」

 

ザガン

「そ、そんな事まで選べないものなの!? あ、いや、『そんな事』は失礼だけど……」

「でもさ、咄嗟に危険が迫ってるんだよ? 攻撃でも防御でも逃げるでも、体が勝手に……」

 

ハルファス

「そうじゃなくて……『きっと殴られるな』って分かってたから、選べなくて……」

 

ザガン&ハーゲンティ

「???」

 

グレモリー

「恐らく、不採用を決定した者達は、そういった所を見ていた」

「普段の幻獣との戦闘でも、ハルファスは危機への対処が余りに鈍い」

「結果、その大斧の反動を受け止められる頑丈な体を持ちながら、耐久力に難がある」

 

ザガン

「最低限の防御もしないで受けてて、他の皆より実質何倍かダメージ受けてるって事?」

 

グレモリー

「ああ。恵まれた筋力を活かしきれていない。少々極端に言えば──」

「肉体の育ちきらない幼年組や、骨肉を養える環境に無かったアモンと同等かもしれん」

「『選べない』から何もせず……もとい、判断が間に合わず直撃を受けている。どうだ?」

 

ハルファス

「うん。攻撃は、危ないけど……本当に避けたり防いだりとか、して良いのかなって」

 

ザガン&ハーゲンティ

「良いに決まってるじゃん!!」

 

ハルファス

「でも……痛い思いするけど、避けちゃいけない時もあるし……」

「良くない事しちゃって、お父さんやお母さんが怒って叩く時とか」

 

ザガン

「な……何言ってんのさ!!?」

「確かに私も昔、家中の家具や壁何度もブチ抜いたりで沢山ゲンコツもらったけど──」

「親のお仕置きと幻獣の攻撃じゃ、全く全然、別の話じゃないか!」

 

ハーゲンティ

「(い、家中の、壁を……!?)」

「……ぁ、そ、そうだよハルちゃん! 幻獣レベルで子供ぶっ飛ばす親なんて居るわけないよ!」

 

ハルファス

「うん。私も、そう思うかも。けど、えっと……」

「どんな理由で私の所にやって来るのか、それは、私からは分からなくて……」

「私がどう思うかだけで拒んだりして良いのか……やっぱり、選べない」

「『戦うみたいな事』でしか気持ちを伝えられないからって事も、あるかもしれないし」

 

ハーゲンティ

「考え過ぎだよハルちゃん! 絶対!」

 

ザガン

「あったとしても、とんでもなくレアな場合だって!」

「(フルカスとか、ちょっと分かんないけど……)」

 

グレモリー

「……2人とも。それ以上の物言いは無しだ」

 

ザガン

「で、でも……」

 

グレモリー

「それがハルファスの考え……『個』なら、とやかく言う権利は誰にもない」

「それに私は言った。『責めてるわけじゃない』と。詳しい原因を知りたかっただけだ」

「理由を聞けた今、それを『正そう』とする意見には、責任をもって私が対処する」

 

ハーゲンティ

「り……了解っす、マム……」

 

ザガン

「……ごめん、ハルファス」

 

ハルファス

「え? あ、ううん、いいの。自分でも、あまり『良い考え』じゃない気はしてるから」

 

グレモリー

「(この『視野』と『思慮』……時折ハルファスには、口惜しいものを感じる時がある)」

「(歳に似合わぬ知性……しかしそれを頭から外に出す過程に不自由がある印象を受ける)」

「(ハルファスは、幻獣の本能的な殺意にさえ、決して否定しないのだろう──)」

「(そこに『意味がある』という可能性を。害悪の面だけを見ようとしない)」

「(戦いの只中でさえ無ければ、批判されるべきは我々3人の側だったかもしれん……)」

 

ザガン

「あの……グレモリー? それで、ハルファスの話は、これで終わり?」

 

グレモリー

「大体は、な。段階を踏まえて本題に戻す」

「所々想定を超える発言もあったが、概ね、期待した結果は得られた」

「ハルファスは『避けられなかった』ではなく、『避けなかった』。己の理由に基づいてな」

「何より、時には『選べないという選択』もある……これを再確認したかった」

「ザガン、貴様の事を言っている」

 

ザガン

「え……?」

 

グレモリー

「貴様は、シュラーがセルケトであると信じようとしている。その気持ちは分からんでもない」

「だが……話はついたのか? 『ヴィータの貴様』と。『セルケトでは無い』のだろう?」

 

ザガン

「あっ!」

 

ハーゲンティ

「そういやマム言ってたね。ゆうべザガン姉さんがシュラーの正体で悩んでたって」

 

ザガン

「いや、えっとそれはその……ごめん、自分から言い出したのに忘れてた」

 

グレモリー

「ふっ、だと思ったよ。貴様はそれで良い。それでこそだ」

「だからこそ、そんな貴様を引き止めてみせた、もう一人のザガンに私は興味がある」

「もちろん感情論だけじゃない。セルケト説を否定する材料はまだ幾らも残っているのだからな」

「例えば……シュラーがセルケトなら、アブラクサスの現状に説明がつかない」

 

ハーゲンティ

「え、そうなんすか? シュラーがメギドってのは、王都も認めてるとかボスが……」

 

グレモリー

「問題になるのは、セルケトが生きているなら十中八九、追放メギドだという事だ」

「中央が公式に身柄を回収した敗者を、それも流民の受け皿として送り出すなどとは思えん」

 

ザガン

「確かに、何かの作戦にしては2年もかけて遠回りしてるし、意味がある行動にも見えない……」

 

グレモリー

「であれば、追放メギドとしてのセルケトの立場は、ここに居る私達4人と同じだ」

「つまりセルケトには、幻獣牧場を運用する力は無い」

「些か乱暴ではあるが、一見して似た『技』を使うだけなら、我々の間でも珍しくはないしな」

 

ハルファス

「シトリーとインプの雷とか、ちょっと似てる……かも?」

 

ザガン

「それは、分かる……分かるけど、何か特別な遺物を使ってるとかって可能性は……無い?」

 

グレモリー

「無くは無いだろうが現実的でもない」

「この広大な土地に点在し群れをなす幻獣らを、遺物1つで日々のフォトンまで養わねばならん」

 

ザガン

「そっか……そういえば、幻獣がヴィータ襲わないくらいのフォトンの出所も分かってなかった」

 

ハルファス

「(……あれ?)」

 

ハーゲンティ

「ハイ、マム! 大穴で、セルケトが純正メギドってどうっすか!?」

「どっかにゲートも隠してあって、そこからフォトンも何とかしてるっていう……!」

 

ザガン

「だから純正メギドのまま中央が利用するとは思えないって、たった今……」

 

グレモリー

「ゼロとは言わんが、やはり可能性は低い。メギドラルにそんな余裕があるとは思えん」

「2年も前から、幻獣を養うためにメギドラルのフォトンをヴァイガルドに捧げていた事になる」

 

ハーゲンティ

「おおう……」

 

ザガン

「ありえないね……中央じゃなくたって絶対やらない。目的があったって割に合わないし」

 

グレモリー

「少しまとめるぞ。セルケト説は、手合わせした私にとっても妥当な線だと思う」

「しかし、それでは辻褄が合わない事も多すぎる。最大の問題は幻獣を操っているフォトンだ」

「この謎が解けない限りは、あらゆる可能性を──む?」

 

 

 グレモリーがハーゲンティの方へ視線を投げる。

 

 

ハーゲンティ

「ほぇ? マム、どうかした?」

 

グレモリー

「……伏せろっ!」

 

ハーゲンティ

「へ……おげえ!?」

 

 

 グレモリーがハーゲンティに飛びかかり、頭を掴んで強引に引きずり倒した。

 先程までハーゲンティが立っていた場所を猪ほどの大きさの影が駆け抜け、少し通りすぎて停止した。

 瓦礫が夕焼けを遮る薄暗い一角だったが、一同のよく知るその姿を捉えるには充分だった。

 

 

ネズミ幻獣

「ギギッ……!」

 

ザガン

「幻獣……どこから!?」

 

グレモリー

「近くに牧場があったか……? だがノンローソ脱走の直後で、ただの不始末とも思えんな」

 

ザガン

「しかも殺気立ってる……こんな状態で大人しく牧場に入ってるわけない」

 

ハーゲンティ

「あででで……一体何が……」

 

グレモリー

「構えろ、ハーゲンティ!」

 

ハーゲンティ

「うぇ?」

 

 

 額を擦りながらのっそり立ち上がったハーゲンティに、幻獣が追撃を仕掛けた。

 グレモリーが間に割り込み、幻獣の鼻先に拳を叩き込み牽制する。

 

 

ネズミ幻獣

「ギッ!?」

 

ハーゲンティ

「のえぇ!? 幻獣? あ、あっちいけー!!」

 

 

 咄嗟にハーゲンティがグレモリーの脇を潜らすようにピッチフォークを振り抜き、怯んだ直後の幻獣の横っ面を叩いた。

 

 

ネズミ幻獣

「ギギェッ……!?」

 

 

 幻獣が勢いよく吹っ飛び、着地してなお地面を転げていく。

 

 

ザガン

「クリティカルヒット! ハーゲンティ、やるー♪」

 

グレモリー

「いや待て、指輪の支援抜きに、実戦向きでないハーゲンティが、あの威力……?」

 

ハーゲンティ

「マ、マム、ザガン姉さん……い、今の手応え、ボスと戦ってる時とおんなじ……」

 

ザガン&グレモリー

「!?」

 

増援のネズミ幻獣

「ギギギッ……!」

 

 

 驚いている間にも、更にどこからか幻獣達が躍り込んでくる。

 

 

グレモリー

「これは……ザガン、物は試しだ!」

 

ザガン

「オッケー! さあ、どこからでもかかってきなよ!」

 

 

 ザガンがムレータを構えた直後、最初の攻撃が空から来た。

 瓦礫を伝い登っていた幻獣が、半ば転落しながら襲いかかってきていた。

 結果として不意打ちであろう攻撃を、ザガンが難なくいなし、そこへグレモリーが剣を突き立てる。指輪の支援がある時と同じく、フォトンを殺気で変質させる感覚を意識しながら。

 

 

ネズミ幻獣

「ギギャァッ!」

 

 

 一撃で急所を貫かれた幻獣がそのまま無抵抗に地面に激突し、弱々しく痙攣する。

 

 

グレモリー

「間違いない。何故かは分からんが、私達は今、フォトンの恩恵を受けている……」

「(思えば、空中庭園でのザガンとノンローソの戦い。あの時も違和感があった)」

「(途中までノンローソの攻撃をかわしたザガンの技量……あれは『技』では無かったか?)」

「(指輪の支援に慣れて、無意識の内に『技』で戦うクセが付いては居まいか……)」

「(もしあの時もフォトンで戦えていたとしたら、条件は何だ……?)」

 

ザガン

「グレモリー、何ボーっとしてんのさ!」

 

グレモリー

「……済まない、現を抜かしていた」

「ともかくこれなら対処は容易だ。各自、不意打ちを避け、広い場所に移りながら撃破!」

 

ハーゲンティ

「おおっしゃー! 行こう、ハルちゃん。ハルちゃんの『技』なら一戦二議席だよ!」

 

ハルファス

「うん……一網打尽とかの方が有ってる気がするけど」

「(……このままだと、戦闘でうやむやになっちゃいそうかな……)」

「(でも、この状況で、どんな時に言えば良いか分からない)」

「(もしフォトンがあるなら、シュラーが追放メギドでも問題ないと思うけど……)」

 

 

 

 

 

<GO TO NEXT>

 




※ここからあとがき

 アジトTVからして、ザガンさんリジェネまでの完結も間に合わなそうですね……月を跨いでるとはいえ畳み掛けてくる。

 ザガンのセルケトに関する心理の掘り下げが、自分の中でかなり不十分だった事に、実際に書き出してから気付かされています。
 ザガンとグレモリーが夜に語らった部分もそうですが、だいぶ迷走しながら書いているので、冗長で分かりにくい所も多々あると思われます。

 Bハルファスの高防御・低HPの解釈を入れてみました。
 仮に絶対的な数値が2~3倍くらいあったとしても、「本当に対処して良いのか」を咄嗟に選べずダメージも2~3倍入るので、ステータス上の数値は下から数えた方が早い事になっていると、今回はそのように考えました。
 覚醒スキルの攻撃1回無効は、巨大化させた斧の重さやそれ自体が盾になっているからと解釈しています。
 HPが近いメギドにジズやベレト、Rアモンが居たので蛇足ながらグレモリーに例えさせてみました。
(他にフリアエやアマイモンも近いですが、瞬発力=ヴィータ体の強度ではないとか、そんな感じで)




 10連1回でRハルファス召喚できました。ザガンさん、シトリーに次いで3人目にお迎えし、初期の勝算を支えてくれただけに何だか嬉しいものがあります。キャラストーリーも解釈一致でありがたや。
 余談ですが、ハルファス関連については、開き直って当初の構想通りで進めていきます。家族構成に妹が居る事とか、既に食い違い設定お出ししちゃった後ですし。
 ざっと見比べた感じではそこまででは無いはずですが、もし罪人イベやRハルファスストーリーと被る描写が出ても「先に考えてたもん」的な主張だけ、みみっちいながらもこの場を借りて書き残しておきたく。


 デリケートな話題かもしれませんが、キャラを立たせるために、そのキャラと関係が深いor関係を持つ設定のオリキャラをあてがうのは、いわゆる夢女子概念に該当しているのではと、今更ながら思いました。
 ただ、仮に夢○系であるとして、その界隈をよく知らないままタグや注書きを書き足すのでは別の悶着を呼びかねない気がするので、この辺は当面考えないでおこうと思います。


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3-3後半「手役にジョーカー=アナタとワタシ」

 

 アブラクサスのどこか。

 外からの光を一切締め切られた屋内。

 総石造りの空間に水が張られ、暗さと相まって厳かなナイトプールとでもいった趣。

 

 

シュラー

「……今、最後の一匹が討たれたようだ」

 

ライア

「ですよねぇ。ぱ~ふぇくとげぃむだったんじゃありませんかぁ?」

 

シュラー

「ああ。だが、追放メギドは自力ではフォトンを扱えない……実際に確かめられて良かった」

 

 

 シュラーとライアの二人きり。円形に近い屋内の外周部分に足場があり、残る内側面積3分の2ほどは深い深い水が湛えられている。

 シュラーは髪や肌に水滴を付け、裸にシャツ一枚羽織ってビーチチェアに寝そべり、海のように蒼いトロピカルジュースをストロー越しに味わっている。

 ライアは何やら作業中。閉め切った空間に作業音が響く。

 パフパフ、ヌリヌリ……。

 

 

ライア

「戦う時は基本、り~だ~のソロモン王さんの指輪が頼りみたいですよぉ」

「そのソロモン王さんについてはぁ、ご存知の通りでぇす」

 

シュラー

「最近、直接会ったよ。少し戸惑わせてしまったが……」

「若く、真っ直ぐな印象を受けた。幾つかの『傷』も抱えながら……生まれ持って強い存在だ」

 

ライア

「悪どいメギドラルと、りぁるばぅとしてますからねぇ。生半可じゃ足元崩されますよぉ?」

 

シュラー

「良いさ。むしろそれが良い。『答え』はもう、用意してあるからね」

 

ライア

「……」

 

シュラー

「尋ねてくれても、構わないよ?」

 

 

 シュラーがトロピカルジュースを置いて寝返りを打つ。

 閉め切った空間に作業音が響く。

 コテコテ、ベトベト……。

 

 

ライア

「どういう『お答え』……いえ、やっぱ何でもないでぇす」

 

シュラー

「聞きたければ、答えるよ?」

 

ライア

「私が真に受けないタチだって、分かってるからですよねぇ~?」

 

シュラー

「それもある」

 

ライア

「はぁ~あ……自分の性分が嫌んなりますねぇ、ほ~んとぉ」

 

 

 ビーチチェアーの横に立てかけた釣り竿をつつくシュラー。

 釣り糸は水面に垂らしているが、針は付いていない。そもそもこの水の中に生物の気配は無い。

 閉め切った空間に作業音が響く。

 ぎゅるるるるる~、バキバキ、ゴリゴリ……!

 

 

ライア

「シュラー様が言ったんですよねぇ? 王都は最初から私を切り捨ててるって」

 

シュラー

「言ったよ。そして、それは君も薄々感づいていた」

 

ライア

「まあ、私から切り捨てるつもりだったんでぇ、かるみっくぺぃばっくですけどぉ」

「けど私にそう言っといて……どぉゆぅつもりなんですかねぇって、思いもするんですよぉ?」

 

シュラー

「?」

 

 

 にこやかに首を傾げてみせるシュラー。

 作業中のライアは見向きもしないが、シュラーのリアクションには察しがついている。

 閉め切った空間に作業音が響く。

 キュッキュッ、ザシッザシッ。

 

 

ライア

「追放メギドの皆さんは潜入に来てるってぇ、言いましたよねぇ?」

「ど~したって王都の味方だってぇ、あちらのぽりてぃかるな立場も説明しましたよねぇ?」

「の割に……睦まじ~くありませんかぁ? 秘書さんとかに何か言われてませぇん?」

 

シュラー

「言われてみれば、覚えがあるね」

 

ライア

「そういうトコですよぉ、ほんとぉ。上辺くらいは取り繕ってほしいでぇす」

 

 

 傍らにかけてある自分の普段着をまさぐるシュラー。

 服に付着した、花びらのような葉を取り、水に落とした。

 水面を漂う葉が、みるみる茶色く枯れ果てた。

 ライアは作業に集中していて、それを見ていない。

 閉め切った空間に作業音が響く。

 コンコンスココン、コンスコンコンコンコン。

 

 

ライア

「潜入組の正体知らない人が見たってぇ、軟派が過ぎてると思うんですよぉ」

「私も女の子の派閥争いに散々な思いしましたけどぉ、信頼関係とそれとは別ですからぁ」

 

シュラー

「ふふ……お説教までされては、言い訳できないね」

「だが、それでも……君の求めている『答え』なら、既に君の中にある」

 

ライア

「はいぃ?」

 

シュラー

「既に示しているよ。私から、君へ。君になら気付けるよう、丁寧に、何度も」

 

ライア

「まことですかぁ~~~??」

 

 

 心底信用してない声音のライア。

 閉め切った空間に作業音が響く。

 キュ~~~……ッポン!

 

 

シュラー

「ああ。それこそ、今こうしている時にも」

 

ライア

「お仕事中なんて気が散る時にズルくないですかぁ?」

 

シュラー

「計算済みだよ。それでも君は気付けるはずさ」

「君との付き合いも長いからね。それこそ……『視』なくたって分かる」

 

 

 閉め切った空間に作業音が響く。

 ピコーン、ピコーン、ピコーン。

 

 

ライア

「あわわわミスったぁ!」

 

シュラー

「多分……向かって右から3つ目」

 

ライア

「え、あ、これかぁ!」

 

 

 音が止んだ。

 

 

ライア

「ふい~、あと一歩でオジャンになるトコだったわ……」

 

シュラー

「それは良かった。我々の『要』だからね」

 

ライア

「そうよ、本当に……オ、オホン! こ、これでチャラとかは無しですからねぇ!」

 

シュラー

「分かってるよ。私なりに、今後の付き合いを見直そう」

 

ライア

「あなたはココの女性たち『皆』の味方って立場なんですからぁ、弁えてくださいねぇ」

 

シュラー

「ああ。今度、一緒に食事でもどうだい?」

 

ライア

「聞いてましたぁ? 人の話ぃ」

 

シュラー

「アブラクサスの皆と一層親密になれば、帳尻も合うだろう?」

 

ライア

「あぁ~……そっちいきますかぁ」

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 同日、夜。アブラクサス学舎、ザガンの個室のドアがノックされた。

 

 

ザガン

「ふあ~ぁ……ん?」

「何だろ、ちょうど寝ようかって時に……はーい、どうぞー」

 

 

 答えながらドアに歩み寄り、ノブに手をかけると、いやに軽い。

 どうやら、たまたま同時にノブを取り、同時に扉を開けようとしていたようだ。

 しばらく止まってみるが、向こうからドアが開く気配が無い。

 どうやら、これまた同時に相手も気を遣って待ってくれているようだ。

 埒が明かないので、ザガンから扉を引いて開けた。

 

 

ザガン

「どちらさ……おおぅ!?」

 

 

 ちょっとギョッとした。

 立っていた人影は、まるで幽霊のような女性だった。別におどろおどろしい身なりというわけでは無い。むしろ楚々とした美しさがあるが、生気の無さがフォトンのように滲み出して感じられる独特の雰囲気だった。

 柔らかに浮かべている笑顔ですらも、真夜中の雨に晒されるような冷たさを感じる。暗がりで突然出会うのは、中々心臓に悪い。

 

 

幽霊のような女

「夜分遅く、失礼します」

 

ザガン

「あ、う、ううん、気にしないで! えっと……私に何か、用かな?」

 

幽霊のような女

「カリナ様で、お間違いないでしょうか」

 

ザガン(カリナ)

「うん。私だけど……」

 

 

 女は荷物を片手に、もう片方の手でスカートの裾を軽く持ち上げ、カーテシーの所作で恭しく礼をしてみせた。

 荷物は、片手には布に包まった物体、肘には大きめの手提げの籠に布を被せて埃よけしたもの。

 

 

幽霊のような女

「わたくし、ナルセー・カヴァレッタと申します」

「僭越ながらも、シュラー様のお側仕えと医療班を兼任致しております」

 

ザガン

「シュラーの……!? よ、よろしく……」

「……あ、思い出した。今日の空中庭園の時、シュラーと一緒に居たのチラっと覚えてる」

 

ナルセー

「お見知り置きいただき、光栄に存じます。昼間のご活躍に改めて感謝を……」

「今宵は、シュラー様から貴女様へ、お詫びとお礼を兼ねてささやかな品を」

 

 

 籠に被せた布を取り払って、ザガンへ差し出すナルセー。

 

 

ザガン

「お詫びなんて別によかったんだけどなぁ。私、すぐにやられちゃったし……」

「まあ一応、中身くらいは……」

「これは……服?」

 

ナルセー

「シュラー様から、手製のドレスと靴を」

 

 

 籠の中身は、ムレータのように真紅が映えるドレスと、硬く艶やかな質感が良い音を出しそうな靴だった。

 

 

ザガン

「へー、ドレス。またドレ……え?」

「シュラーの、て、手製? 靴も???」

 

ナルセー

「はい。アブラクサスを導く過程で、シュラー様は身の回りの技術を一通り学んでおいでです」

「他でもなく、シュラー様ご自身の衣装も、シュラー様が住民の期待を取り入れ手ずからに」

 

ザガン

「ドレスや靴編み上げちゃうのは、一通りの範疇なのかな……?」

「でも……い、良いの? そんな大層なの」

「それに私、その……できれば、ドレスは当分……」

 

ナルセー

「お納めいただくだけでも結構と仰せつかっております。お礼と、お詫びの品ですので」

 

ザガン

「(あ……こないだのサイティ達にやられた件も合わせてって事か)」

「(じゃあつまり、『今度こそちゃんとしたドレスを』って、シュラーから直々に……)」

「ま、まあ、そういう事なら……所で、もしかしてグ……ギーメイとか他の皆にも?」

 

ナルセー

「直ちにご用意できる物がこちらしかなく、皆様へは追って何らかの形で返礼をしたい、と」

 

ザガン

「そっか。まあ、何だかんだやれてても、アブラクサスは物資不足らしいしね」

 

ナルセー

「誠に、申し訳ない限りです」

 

ザガン

「あ、違う違う! 責めてるつもりじゃないんだ、こっちこそごめん!」

 

 

 草花のように静かに頭を下げるナルセー。

 見かけ以上に物腰柔らかいナルセーに、出会い頭に驚いてしまった負い目もあって、ついおたおたするザガン。

 

 

ザガン

「じゃ、じゃあ折角だし、貰うだけ貰っとくよ、うん」

 

ナルセー

「恐れ入ります」

 

ザガン

「にしても……私が来てから一日そこらで、こんなの作れちゃうもんかなぁ」

 

ナルセー

「恐れながら、元々は別件で誂えていた物を、カリナ様に合わせて仕立て直した次第です」

 

ザガン

「あ、そういう事。それなら、納得……」

 

 

 何となく、ナルセーの装いに目を向ける。

 露出が少なくゆったりした印象があるのに、さり気なくボディラインを浮き上がらせた出で立ち。

 舞台衣装が専らの若いザガンには、普段着の装いとしてはとても不思議なコーディネイトに見える。

 立体物を把握しようとする動物的本能から、否応なく「出る所」に目が行く。

 

 

ザガン

「(もしかして元々は、この人のために作ったドレスだったり……?)」

「(見た感じ背丈や足のサイズ一緒っぽいし、胸とか絞れば、体格も私とほとんど──)」

「(って、こらこら! 何ジロジロ見てるんだ私!)」

 

ナルセー

「気がかりな点がございましたら、何なりと」

 

ザガン

「ち、ちが、何でもないの! あ、あははは……」

「とにかく、ありがとうね。そ、それじゃあ私、これから寝る所だったから……!」

 

ナルセー

「はい。お時間を賜り、ありがとうございました。どうぞ、ごゆるりと」

 

 

 再び恭しくお辞儀するナルセー。

 そのままナルセーが動かなくなり、扉を閉じるのを待っているのだと察したザガンが、「そこまで堅苦しくしてくれなくても」と少し申し訳なくなりながらノブを取った。

 

 

ザガン

「じゃ、じゃあ、おやすみ。えっと、セ……シュラーによろしく……ね?」

 

ナルセー

「かしこまりました。おやすみなさいませ」

 

 

 扉が締め切られるまで、ナルセーは微動だにしなかった。

 閉まってからも何だか気にかかり、ザガンが扉に耳を当てるが物音ひとつしない。

 無性に好奇心が収まらず、そのうちこっそり扉を開けてみたが、その時にはもうナルセーの影も形もなかった。

 一緒に持っていた布の包みの正体が知れずじまいだったが、他にも使いの用があるのだろうと、ザガンには大して気にならなかった。

 

 

ザガン

「……変わった雰囲気の人だったなあ」

「とりあえず、ドレスは一旦目立たない所にでも……」

「……」

 

 

 室内を見回して、こんな部屋にも淋しく設えられている姿見を確認する。

 表面が埃と同化しつつあり、2つ3つのヒビが見受けられるが、使うにはまだ問題ない。

 そしてカゴの埃よけをめくり、再びドレスと靴を眺める。

 

 

ザガン

「シュラー……セルケトが作ったかもしれないドレス……私に贈り物、か」

「ちょ……っと、だけ……ね。ちょっとだけ……」

 

 

 籠を手近な場所に置いて、万一にも傷付けたりしないよう慎重にドレスを取り出すザガン。

 襟から肩にかけてを両手で持って、姿見の前で広げてみる。

 

 

ザガン

「おお。ほんとに見た目サイズぴったりだ。採寸された覚えなんて無いのに……」

「やっぱりセルケトなんじゃないかな。あいつの『眼』なら多分『視る』だけで……」

「いやーでも、私に真っ赤って似合うかな~? それにスカートなんて私、時々しか……」

 

 

 真紅の光沢ある生地に、720度の豊かなスカート部分が血と炎を閉じ込めたように印象的。

 片腕にドレスの腰辺りをかけるように持ち替え、自由になった片手でスカートの裾をつまんで持ち上げてみる。

 頭の高さまで持ち上げてもまだまだたっぷり余裕があり、スカート全体のシルエットも揺らがない。

 

 

ザガン

「っひゃー、ゴージャス! そりゃ派手なの大好きだけどさー、流石に私にこんなさー」

「これ絶対グレモリー達向けだって。『セルケト』のやつ、何でわざわざ私に贈ったかなー」

「もう、本当にあいつは分かんない事ばっかで……」

「えへ、えへへへ……」

 

 

 くすぐったそうに笑みを漏らしながら、姿見の前でドレスを前にかざして自身の輪郭と重ねてみたり、袖口を指先と手のひらで挟んで袖を通した風にしてみたり、小躍り気味に左右に揺れてスカートの挙動を鑑賞してみたり。

 グレモリーの言う「ヴィータとしてのザガン」は敢えて一時忘れて、贈り主=セルケトの前提ではしゃいでいる。

 

 

ザガン

「これだけタップリなら、スカートをムレータ代わりにできちゃいそう……なーんて♪」

「そうだ、靴は……どうせすぐ眠るんだし、ちょっと履き替えるくらいなら……」

「……わ、ピッタリ! すご……普段のブーツよりもしっくり来る。もう足の一部みたいだ」

 

 

 靴は靴底が低く、硬い。絶妙な高さで、裸足よりも重心の安定を実感できる。靴音はタップダンスのように小気味好い音を立て、履き慣らした靴のような渋みも仄かに感じる。

 子供の頃に聞いた御伽噺、王子が靴を頼りに主人公を探し出すクライマックスシーンを思い出すザガン。

 一通り楽しんだ後、ドレスと靴を丁寧に籠に戻した。

 いい加減、夜も更けてきた。籠の収納場所は明日考えるとして、いそいそと寝床に入るザガン。

 

 

ザガン

「ふぁ~……あ」

「……本当に、シュラーがセルケトだったら良いなあ」

「同じ女の子に転生してたなら、何だか……すごく嬉しいって思える」

「……そりゃ、こんな所に居るんだから、シュラーには良い事ばかりじゃ無かったかもだけどさ」

「でも、こんなプレゼント交わせるのだって、女の子同士だからって部分あると思うんだ」

「こうしてアブラクサスで出会えたのも……友達になれるかも知れないのだって……」

「──……」

 

 

 真正面から、全速力で快眠に突入した。

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 同日、深夜。

 都市全体が寝静まったかのようなアブラクサス。

 星と月だけが頼りの荒れた石畳を躓きもせず、同時に足音も殺して進む人影がひとつ。

 

 

グレモリー

「……天文観測塔の最上階にだけ、微かに明かりが灯っているな」

「あそこはシュラーの居室。よもや見張りでは無かろうが……警戒はしておくか」

 

 

 天文観測塔から視線を外し、再び石畳を器用に歩いていくグレモリー。

 昔の街中を進み続けると、曲がり角でネズミ幻獣と出くわす。

 

 

幻獣

「ギ……」

 

グレモリー

「……」

 

 

 幻獣は珍しそうにグレモリーを注視している。

 グレモリーは幻獣を一瞥だけして、何も居なかったかのように足取りも緩めず通り過ぎていく。

 幻獣は暫くグレモリーの背中を見送ると、グレモリーが来た道の方へ曲がり、去っていった。

 

 

グレモリー

「(やはりな。最初は面食らったが、こいつらはただ放たれているだけだ。襲う気が無い)」

「(たまには仕掛けてくる幻獣もあるが、これも蹴飛ばすだけで犬猫のように逃げていく)」

「(騒ぎを避けられるなら好都合だ。私1人で幻獣駆除というのも現実的で無いしな)」

「(ただ、目的が見出だせん事だけは気にかかる。夜間警備と言えばもっともらしいが……)」

「(この地に限っては、侵入者への警戒の必要は薄い。ましてや戦意の無い幻獣では……)」

 

 

 振り返って、やや遠くの学舎を見るグレモリー。

 

 

グレモリー

「(分からんと言えば……)」

「(私が適当な理由を付けただけで、隣室のアマーチは進んで私を送り出した)」

「(嘘も隠し事も到底得意とは言えないこの私の言い分で……だ)」

「(夜のネズミに危険が無いと知っての事か。あるいは逆に私が食われるのを期待した?)」

「(厩舎への嫌悪ぶりから前者は考えにくいか。……もしくは……)」

「(私の実力ならネズミをものともしないと判断した……?)」

「(ふっ、それこそ大穴だ。サイティならともかく、取り巻きにそこまで見る目が──)」

 

遠くの幻獣の声

「ギィィィ……ッ!」

 

 

 進行方向のずっと先から、ネズミ幻獣の甲高い鳴き声。

 同時に、静まり返った夜闇の中で、確信と共に感じ取る。靴でも裸足でもない足音。こちらに近づいてくる。

 

 

グレモリー

「何か来る……!?」

「(音の間隔……歩幅……違うな、広すぎる。これは……跳ねている?)」

「この足音、覚えがある! もしや……!」

 

 

 段々、夜闇の向こうから予想した通りの影がピョンピョン接近しているのが見えてくる。

 そこへ、こちらに向かってくる影を遮るように、途中の路地から飛び出し気味に新たな影。

 新たな影は明らかにネズミ幻獣。

 最初の影がネズミに反応し、一瞬でネズミとの距離を詰めた。

 

 

飛び出し幻獣

「ギィィッ!?」

 

 

 先ほど聞いた甲高い悲鳴と同じ声。

 ネズミ幻獣の影が風を纏ってグレモリーへと飛んできて、無抵抗にグレモリーの脇の地面に叩きつけられ、数10cmほど石畳を滑って沈黙した。

 グレモリーは、自分の背後へ消えるネズミを視線でだけ見送り、剣を抜いた。

 念のため、背後のネズミが起き上がる場合にも備えて気配を探る。

 

 

グレモリー

「やはり……ノンローソか」

 

 

 剣を抜いた時には、件の影はグレモリーの間合いに入っていた。

 

 

ノンローソ

「シュッ、シュッ……!」

 

 

 飛び出したネズミ幻獣を強烈なフックで吹き飛ばしたその拳を、グレモリーの前で何度も素振りしてみせる。

 

 

グレモリー

「(……妙だな)」

「(私が武器を取る前に、飛び込んで先制の一撃を見舞うくらいの余裕はあったはずだ)」

「(それに、今も仕掛ける素振りが無い。様子見……? このノンローソ、何が目的だ)」

「……む?」

 

 

 剣を収めて、警戒しながらもノンローソに歩み寄るグレモリー。

 

 

グレモリー

「(備えておけば、一発くらいは凌げるだろう)」

 

ノンローソ

「シュッ、シュッ……シュッ、シュッ……!」

 

 

 互いの距離が縮まり、完全にノンローソの射程範囲に入っても、ノンローソは素振りを繰り返すばかり。むしろグレモリーに当たらないように姿勢や素振りの軌道を様々に調節しているようにすら見える。

 もはや取っ組み合えるほどの距離になると、ノンローソは真横を向いて素振りし始めた。

 念のためいつでも防御に移れるようにしながら、グレモリーがノンローソの顔を覗き込んだ。

 

 

グレモリー

「……やはりな。月明かりだけでは見えにくかったが──」

「この顔の傷……私が昼間に叩き伏せた個体か」

 

 

 昼の空中庭園での戦いを回想するグレモリー。

 

 

グレモリー

「でぇい!」

 

ノンローソ

「……!」

 

 

 逆袈裟に迫る刃に、ノンローソは上体を逸らし、スウェーで回避を試みる。

 しかし、僅かに避けきれず、ノンローソの頬から血が跳ねた。

 

 

グレモリー

「それもフェイントだ!」

 

 

 スウェーの姿勢から戻りかけたノンローソの鼻先に、グレモリーの回し蹴りが打ち込まれた。

 剣の重みと振り抜いた勢いとに任せた、先ほどノンローソが不発に終わらされたストレート同様の、一撃必殺前提のフルスイングだった。

 

 

 回想終わり。

 決着の回し蹴りの前、僅かに避け損なったノンローソの顔の傷が、まだ残っていた。

 

 

ノンローソ

「シュッ、シュッ! フッ!」

 

 

 グレモリーがノンローソの顔に手を添えて具合を確かめようとするが、ノンローソは盛んに素振りを見せつけ、全身を躍動させ続けている。

 

 

グレモリー

「む……おい動くな、よく見えん! 仮にもこの地の防衛力だ。傷が膿んでいたりなど──」

 

ノンローソ

「……」

 

グレモリー

「なっ……と、止まった?」

 

 

 ノンローソが素振りをピタリと止め、自然な立ち姿で呼吸を整え始めた。

 少し困惑したグレモリーは、傷が早くも治りかけているのを確かめた後も、暫くノンローソの毛並みを撫でてみたりした。

 ノンローソは静かに立ち尽くしている。

 

 

グレモリー

「言葉が分かる……? いや、咄嗟に動きを押さえつけようとした私の手付きで察したのか」

 

通りがかりの幻獣

「……ギ?」

 

 

 グレモリーとノンローソが、新たに路地から出てきたネズミ幻獣の鳴き声に振り向いたのは、ほぼ同時だった。

 

 

グレモリー

「む、新手……ノンローソに気を取られて接近に気づかなかったか。迂闊──」

 

ノンローソ

「……!」

 

 

 撫でくられていたノンローソが急に飛び跳ねた。

 

 

グレモリー

「あっ、おい!?」

 

ノンローソ

「シュッ!」

 

通りがかりの幻獣

「ギギィッ!?」

 

 

 瞬く間にネズミ幻獣の正面に飛び込んだノンローソが、そのまま爽快なまでのアッパーを繰り出し、ネズミ幻獣を空高く打ち上げた。

 ネズミ幻獣が、引っこ抜かれた作物のように宙を舞い、頭から地面に突っ込み、程なくして思い出したように痙攣するだけになった。

 それを確認したノンローソが、グレモリーに振り返る。

 

 

ノンローソ

「シュシュッ! シュッ!!! フフンッ!」

 

グレモリー

「これ、は……もしや?」

 

 

 ノンローソがステップを踏みつつ、グレモリーに素振りを見せつける。

 つい先程、両者が出会った直後と同じ構図になっている事に、グレモリーは何かを感じ取った。

 

 

グレモリー

「……」

 

 

 スラリと剣を抜いて構える。

 

 

ノンローソ

「フッ! フッ!」

 

 

 ノンローソのシャドーボクシングが一層激しくなる。

 

 

グレモリー

「……」

 

 

 剣を鞘に収めた。

 

 

ノンローソ

「シュシュッ! フッ!」

 

 

 ノンローソはグレモリーの方を向きながら跳ねて、先ほどアッパーでKOしたネズミを踏みつけ、もう一度素振りを始めた。

 その挙動は、剣を抜いた時よりは穏やかだった。

 

 

グレモリー

「…………まさかとは、思うがな」

 

 

 グレモリーは剣を収めたまま、無造作に歩み寄る。

 さっきの繰り返しだった。

 ノンローソはグレモリーを殴らないように素振りをし、至近距離まで近づけばそっぽを向いて素振りを継続。

 今度はすぐ近くの石壁を殴って凹ませ、更に数発叩き込んでぶち抜いた。

 

 

グレモリー

「こら。住民の居住区を無闇に壊すな」

 

ノンローソ

「フー……」

 

 

 先ほどと同じようにノンローソを手で制すと、今度もノンローソはすぐさま素振りを止めて呼吸を整え始める。

 顔は真横を向いているが十中八九、ノンローソのやや側頭部寄りに付いた目はグレモリーを視界に捉えている。

 

 

グレモリー

「……ついてこい」

 

ノンローソ

「……フッ!」

 

 

 身振りで促しながらグレモリーが踵を返すと、ノンローソはその後ろを付かず離れず追随した。

 

 

グレモリー

「(背後を晒しているのに殺気が無い。勝者に怖じけて強がっている線はこれで消えた)」

「(この幻獣、にわかには信じがたいが……『かしずいて』いる。服従でなく、己の意思で)」

「(犬のように上下関係を理解する獣自体は珍しくないが、これは……)」

 

 

 グレモリーの行く手に、今度は別個体のノンローソが飛び出した。

 

 

通りすがりのノンローソ

「……?」

 

ノンローソ

「フッ……!」

 

グレモリー

「あ、おい……?」

 

 

 気付いた直後、背後の傷ありノンローソが割り込んできて、声をかける間もなく不意打ち気味に胴体にストレートを打ち込み、通りすがりのノンローソを沈ませた。

 そしてまた、グレモリーの方を向いて素振りを始める。

 

 

ノンローソ

「シュシュッ! シュッ!」

 

グレモリー

「(同族だろうと容赦なしか……)」

「しかし、これはやはり……ふむ」

「……その程度では、戦ってやれんな」

 

 

 口にした言葉を態度で示すため、グレモリーは歩く速度を変えず、気にする様子もなくノンローソの脇を通り過ぎる。1回、撫でるようにノンローソの頭に手を置きながら。

 すると、ノンローソはすぐさま素振りを止めて、またグレモリーの後に付き従う。

 

 

グレモリー

「(恐らくノンローソは、勝者に対してある種の『敬意』を払うようになるのだろう)」

「(自分を負かした相手に、敗者の義務とばかり自ら従う。その一方で闘志も捨てていない)」

「(故に、隙あらば力を誇示する。『今度こそ貴様に勝てる力があるぞ』と)」

「(そうして、敗者たる己の都合でなく、勝者から再戦する気になるよう煽っている)」

「(少なくとも、私にはそのように見える。何の因果でそんな習性を得たかは知れんが──)」

「……着いたな」

 

 

 ノンローソへの考察を中断して、前方を見据えるグレモリー。

 

 

グレモリー

「ハーゲンティが見つけた厩舎……『幻獣牧場』。恐らくあそこで間違いない」

「(ここを探るために、こんな真夜中に抜け出してきたのだ。最低限の成果は得られた)」

 

ノンローソ

「フッ、フッ……」

 

グレモリー

「こいつが厩舎の幻獣を前に暴れ出さんか気がかりだが……」

「まあ、先程と同じように済むのなら、止めるのは難しくなかろう」

 

 

 星と月だけが頼りのアブラクサスの夜だが、厩舎にはまだ、奥で灯りが揺らめいているのが見える。

 

 

グレモリー

「(──通用口に鍵は無し。それどころか半開きのままか)」

「(居住区と違って、仮にも生産設備。最低限のセキュリティはあると思ったが──)」

「(万一にも幻獣に襲われた時の逃走経路、そして第三者が訪れるはずが無い故の不用心か)」

「(……コソコソしたやり方は好かんし、今は想定外の『連れ』も居る。それに──)」

「(見つかったとして、アマーチ曰く厩務員は被差別階級。抱き込む手立てもあるはずだ)」

 

 

 粗末な木戸を遠慮なく開いて正面から厩舎に侵入するグレモリー。

 片手でノンローソの耳を軽く握ってついて来させている。首輪も縄も無いので、暴れだした時のための緊急措置。

 開いた木戸が弱々しくキイと鳴き、グレモリーの視界に最初に入った、枯れ木のような人影がガタリと立ち上がった。

 

 

みすぼらしい人影

「!?」

 

グレモリー

「夜分遅く失礼する。先日、アブラクサスに『入国』した新参者だ。害をなす気は毛頭ない」

 

ノンローソ

「……」

 

みすぼらしい人影

「あ……う……うう……?」

 

 

 人影は、溺死したてで井戸から這い上がって来たかのような辛気臭さに満ち満ちた女だった。

 その目はグレモリーとノンローソの間を行ったり来たりしている。

 

 

グレモリー

「これは道中で偶然『拾った』。暴れるようなら責任をもって私が抑止す──いや、違うな」

「『ハーゲンティ』、または『サシヨン』……聞き覚え無いか。かけがえのない私の仲間だ」

 

みすぼらしい女

「うぁ……? あ……あのこ……の?」

 

グレモリー

「『すぐに立ち去った』とは聞いているが、迷惑があったなら私から言っておくぞ?」

 

みすぼらしい女

「あ……だ……だい……じょうぶ……」

 

グレモリー

「それは何よりだ」

 

みすぼらしい女

「そ……そのこ……」

 

グレモリー

「ん? ああ、この獣がどうかしたか」

 

みすぼらしい女

「……いいこ……かわい……そう……はなして……あ……あげて……」

 

グレモリー

「ふむ。実は……私も少し、ぞんざい過ぎたかと思っていた。ここは『プロ』を信じよう」

 

 

 微笑んでノンローソを解放するグレモリー。

 ノンローソは何事も無かったようにその場を動かず、たまに何もない所へ顔を向けたり、いかにも動物らしい挙動を見せながら落ち着いた様子を見せている。

 

 

グレモリー

「(情報収集の足がかりは、存外楽に得られたな。思ったより捗りそうだ)」

「ここに来た理由を話す前に、仕事が残っていれば手伝わせてくれまいか。興味がある」

 

みすぼらしい女

「き……きょうみ……こ……ここ……に……?」

 

グレモリー

「ああ。ここにも……貴様にも、な」

 

みすぼらしい女

「……!」

 

 

 グレモリーの目に、みすぼらしい女の瞳が少しだけ光を灯らせたように見えた。

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 同日深夜、グレモリーが夜の街を散策していた頃。

 アブラクサス某所。慎ましい灯りに照らされた空間。

 テーブルを囲むサイティ、秘書、ナルセー、そしてシュラー。

 

 

秘書

「では……4を2枚から」

 

サイティ

「ほら、9・9」

 

ナルセー

「パスします」

 

シュラー

「同じくパス」

 

秘書

「パス」

 

 

 夜も遅くにカードゲームに興じている。

 親番を勝ち取ったサイティが場に札を1枚出す。

 

 

サイティ

「いつものオゲハッチョとかいう領主、明日来るらしいから、あと頼むわよぉ」

 

ナルセー

「かしこまりました」

 

秘書

「いつもいつも、あのハゲの時だけ通達がギリギリじゃないか。何をサボってるんだか」

 

サイティ

「領主様が旅好きだから私悪くないわぁ。頭皮を太陽で焼きながら育毛剤探しですってよぉ」

「それに誰かさんも幸せでしょぉ? いつもいつも、あのハゲの相手、断った事ないものぉ」

 

 

 サイティがこれ見よがしに、ナルセーから顔も目も背けた嘲り顔で悪態をつく。

 次の親は秘書が取った。

 

 

秘書

「あんたが人事すっ飛ばしてナルセーに強いてるだけじゃないのかい」

 

サイティ

「言いがかりは止めてくださらなぁい?」

「現実と妄想の区別がつかないのはボケの印らしいわよぉ、『ガマチビ』おばあちゃま?」

 

秘書

「フンッ。ああそうだねえ。証拠も噂も“見当たらない”んじゃ仕方がない」

 

 

 鼻を鳴らして受け流す秘書。

 再びサイティが親番を取り返す。

 

 

サイティ

「噂ならあるわよぉ? どっかの誰かさんが、筋金入りの女嫌いの尻軽だってウ・ワ・サ」

「あ~ナルセーちゃんの事じゃないわよぉ? ナルセーちゃんのは誰でも知ってるものねぇ」

「オスどもを叩き出す前から、女性にだけ作り笑顔の鉄面皮って有名だったものねぇ~♪」

 

ナルセー

「過分のご評価、面映ゆく存じます」

 

サイティ

「あぁら簡単に認めちゃダメよぉ。噂なんかに負けちゃダァメ♪」

「そんな弱気じゃ『踏んだり蹴ったり』よぉ? ここに流れ着いた頃みたいに……」

 

 

 ニコニコとナルセーの表情を覗き込みながら目が笑っていないサイティと、死に顔のように安らかな笑顔を崩さないナルセー。

 親はナルセー……ではなく、シュラーが取っていた。

 

 

サイティ

「それともナルセーちゃんは本当に『そう』なのぉ? 男相手の方が楽しくて仕方ないのぉ?」

 

ナルセー

「最低限の身だしなみさえ整えれば、軽んじられすれど、邪険にされる事はございませんから」

 

サイティ

「……へ~ぇ」

 

 

 末期の病のような生気の無さを除けば、生きる歓びを語るかのように柔らかな微笑みで、サイティに答えるナルセー。

 口元は笑いつつも氷のような視線を返すサイティ。

 次の親も続けてシュラー。

 

 

シュラー

「では、8から……今日は、8切りは無しだったね」

 

 

 眼前のやり取りを、まるで一家団欒のように穏やかな顔で見守りながらシュラーが札を出した。

 

 

秘書

「9です」

「人に茶々入れる舌があるなら、『ミミズ』の駆除が滞ってる言い訳でも聞きたいもんだ」

 

サイティ

「そぉんなもの報告済みに決まってるじゃないのぉ」

「『ミミズ』自体の数が減ったから数が上がらないのよぉ。そうに決まってるわぁ」

 

秘書

「なるほど、カシラが調子乗ってる間に『ミミズ』が知恵つけたってわけだ」

 

サイティ

「やっだぁ、ばばちゃまそんなに『ミミズ』が好きなのぉ? ウケる」

「あり得ないわよぉ。どんな『モノ』なのか、よく知ってるでしょぉ?」

 

秘書

「知ってるとも。知ってるから、浅知恵の1つくらい付けると考えるもんだろうと思うがね」

 

サイティ

「弱くてちっちゃいオババだから、頭の中で敵作りすぎて被害妄想してるだけよぉ」

「『ミミズ』に本当に知恵があるなら、今頃『ネズミ』に損害出てなきゃおかしいものぉ」

 

秘書

「フンッ、いいとこ暮らししか知らない『捨てられ組』の頭がめでたいだけさ」

 

サイティ

「だーかーらぁ、私は何も悪くないのにって言ってんでしょぉ?」

 

 

 露骨に声色が低くなるサイティ。

 

 

サイティ

「私はねぇ、ここに落ちるべくして落ちたクズ女どもとは違うの」

「私を妬んだゴミどもに拉致されて、ここに放り込まれただけで、なーんも身に覚えが無いの」

「私は『繭』なの。この新世界で生まれ変わり、殻を破り、私を陥れた連中に裁きを下すのよ」

 

秘書

「フンッ……鏡見たことあんのかね、こいつは」

 

サイティ

「当たり前でしょぉ。『ガマチビ』と違ってお化粧も大変なんだからぁ」

 

秘書

「私は見てるよ、鏡」

「生きるために手段を選ばず、シュラー様の寛大さに臆面もなく寄りかかるクズがそこに居るよ」

「性根の滲み出た、醜い『ガマチビ』がそこに映ってるよ。あんたの鏡には何が見える?」

 

サイティ

「はーいかっくめーい♪」

 

 

 秘書の言葉に対してそうするように、サイティが猫撫で声で手札4枚を卓上に叩き捨てた。

 サイティの残り手札は1枚。

 

 

サイティ

「どーーうよ、私の珠玉のファビュラス革命ナイト、『K』4連!」

「まさに! これこそ! 私の答え! 全てなのよぉ!」

 

ナルセー

「ご無礼致します」

 

サイティ

「は……?」

 

ナルセー

「革命返しです」

 

サイティ

「……………………は?」

 

 

 ナルセーが素朴に手札4枚をそっと差し出した。

 ナルセーの手札も残り1枚。

 

 

サイティ

「は……はぁぁぁあああ~~~???」

「何コレ! 私のファビュラスに何クソザコハゲオヤジのケツみてえな『3』突き返してんの!」

「しかもこの局面でよ!? サマ積んだでしょアンタぁ!」

 

秘書

「カードの用意も配るルールも全部お前の希望通りで、何抜かしてんだい」

 

ナルセー

「シュラー様があがる『流れ』をご用意しようと思っていたのですが、いつの間にか」

 

サイティ

「クソがぁ!!」

 

 

 サイティが最後に残った手札「A」をテーブルに投げ捨て試合放棄。

 秘書もシュラーも手札の総数すら足りずパス。自動的にナルセーのいち抜けが決まった。

 

 

シュラー

「すると決まったなら恐れを持たない。それがナルセーの魅力だよ」

「『飛び立つ鳥は大地を見ない』……私の好きな言葉を、彼女は体現している」

 

秘書

「鳥……ですか?」

 

サイティ

「ハンっ、マキシマ・フォーリズム著、『誠のヴィータに翼あり』──」

「大昔に書かれたってだけでチヤホヤされる『うっすい』自己啓発本よ」

「意外ねぇ、天下のシュラー様が、そんな『くっさい』金言ご引用なさるなんてぇ」

 

 

 椅子の上で片足だけあぐらにしたような姿勢で不貞腐れながら、八つ当たり気味のサイティ。

 

 

シュラー

「出典までは知らなかったよ。ありがとう。流石の博識だ」

 

 

 バージンスノウと青空の入道雲を同時に思わせるような、屈託ない笑顔のシュラー。

 

 

サイティ

「(こいつ……本当に心から、嫌味の欠片もなく言ってる)」

「(それが分かるくらい鍛えた自分の観察眼にますます腹が立つ……ッ!)」

「(クソクソクソ! 明日にでも『気晴らし』に出てやる! でないと虫が収まらないわ!)」

 

 

 歯ぎしりでも始めそうな顔のサイティを他所に、シュラーが秘書に語って聞かせている。

 

 

シュラー

「『飛び立つ鳥は大地を見ない』……なぜなら鳥は、『落ちる』と恐れながら羽ばたきはしない」

「『出来る』と信じる者、知っている者、分かりきっている者──」

「彼らは皆、目指す大空から目を背ける理由など持たない。人はそこに気高さを覚える」

「ヴィータが希求し、要求される理想の1つ……私は、そう解釈している」

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 深夜、日付が変わる頃、厩舎のグレモリー。

 

 

グレモリー

「これで仕事は全部か」

 

みすぼらしい女

「そ……そう……あ……あり……が……とう」

 

 

 みすぼらしい女の仕事を一緒にこなし、だいぶ打ち解けてきていた。

「なぜグレモリーが厩舎に来たのか」を上手いこと有耶無耶にし通しながら。

 

 

グレモリー

「こちらこそ、中々に得難い良い経験だった」

「前々から身をもって実感したいと思っていたが、中々やらせてはくれなかったのでな」

 

みすぼらしい女

「みんな……いやがる……のに?」

 

グレモリー

「多くの命と、人々の財産を預かる尊い仕事だと、私は思っている」

 

みすぼらしい女

「ざい……とう……と?」

 

グレモリー

「(む……言葉を余り知らんのか?)」

「人が生きるために、無くてはならない大切な仕事の1つ……という事だ」

 

みすぼらしい女

「……これが……たいせつな……」

 

 

 立ち尽くして、ぼんやり繰り返すみすぼらしい女。

 

 

グレモリー

「(実感が持てないか。アブラクサスの扱いでは無理もない。しかし、それよりも……)」

「(紛らわしい外見だが、年の頃は私と変わらない。直感だが間違いないはずだ)」

「(『尊い』はともかく『財産』という単語に、この歳まで縁が無いものだろうか……)」

 

 

 立ったまま意識を失ったかのように言葉を反芻する女の姿は、過酷な生活によるものだろう衰えから、一見して年齢を断定するのは困難だった。

 しかし、グレモリーの目は無意識に、骨格や肌の弛みの有無、細かなシワの所在などを観察し、特徴を捉えていた。

 社交界で嫌でも聞かされる加齢に纏わる諸々の悲喜こもごもを脳が、語り手の年齢と外見の比較を戦士としての観察眼が、本人も気づかぬ間にデータを蓄積させ、その結果としての直感だった。

 

 

グレモリー

「(ともあれ、誇張でもお世辞でもなく、素直に感服せざるを得ないものだった)」

「(飼育していたのは、いずれもネズミ幻獣。ノンローソは別の厩舎住まいか)」

「(幻獣ども、余所者が来たというのに落ち着き払っていた。さながら文字通りの厩舎だ)」

「(何が『人間未満』だ。臭さも汚さも無縁……この女の仕事、並大抵の手腕ではない)

「(私の領地で数人がかりで運用する厩舎より遥かに手入れされている)」

「(匂いに至っては幻獣の獣臭さえ気にならん。飼い葉の匂いばかり胸に清々しいほどだ)」

 

 

ノンローソ

「……!」

 

 

 適当な床の上でうたた寝していたノンローソが急に立ち上がった。

 

 

グレモリー

「む? どうした」

 

ノンローソ

「フッ!」

 

グレモリー

「おい何処へ行く?」

「(厩舎の奥……あっちは先ほど、あの女が1人で掃除していた。何かあるのか?)」

 

みすぼらしい女

「あ……だめよ……だめ……!」

「おねがい……『けんか』は……!」

 

グレモリー

「!」

 

 

 みすぼらしい女の言葉を聞くなり、グレモリーは腰の剣を鞘ごと抜き取り、ノンローソ目掛けて投げた。

 

 

ノンローソ

「フッ……!?」

 

 

 風切り音が聞こえたのか、ノンローソが振り向き剣を叩き落とす。

 その間にグレモリーが見せつけるようにノンローソへ重々しく歩み寄り、ノンローソの口吻を包むようにガシッと掴み、目つきを一段と険しくして見下ろす。

 

 

グレモリー

「ここで許可なく戦う事は許さん……いいな?」

 

ノンローソ

「……フゥ」

 

 

 小さく鼻息を漏らしてノンローソが大人しくなった。

 間もなく、厩舎の奥から足音が近付いてくる。

 

 

幻獣

「……ギギ?」

 

みすぼらしい女

「あ……『チュチュ』……」

 

グレモリー

「ちゅ……『チュチュ』?」

 

 

 現れたのは、ここに来るまでにも何度も見かけたのと変わらない、一匹のネズミ幻獣。

 みすぼらしい女が、先ほどまでより若干活気のある声で、ネズミに向かって『チュチュ』と呼び、駆け寄った。

 

 

みすぼらしい女

「おかえりなさい、チュチュ……けがしてなあい?」

 

チュチュ(幻獣)

「ギギギ……」

 

グレモリー

「幻獣を……撫でくり回している……!」

 

 

 みすぼらしい女が幻獣の全身を慈しむように撫で、幻獣は撫でられるままになりながら、しきりに匂いを嗅ぐような動作をしている。

 みすぼらしい女が懐から若々しい色の茎野菜を取り出すと、チュチュと呼ばれた幻獣は野菜をモリモリと齧り始めた。

 毛並みの粗い巨大なネズミ相手でさえ無ければ、完全にペットと飼い主がじゃれ合っている構図だった。

 

 

グレモリー

「そ、その幻……いや化け……オホン!」

「……その動物は、何か特別なのか?」

 

みすぼらしい女

「そう……このこ、いちばん……いいこ」

「だから……なまえ……つけたの……チュチュ」

 

グレモリー

「そ……そうか」

 

ノンローソ

「……」

 

 

 ノンローソはグレモリーに制止を受けてからずっと、マズルを掴まれっぱなしで突っ立っている。

 その佇まいは何だか、グレモリーと一緒に呆気にとられているようにも見える。

 

 

グレモリー

「……おっと、握ったままだったな。大人しくしていろよ」

 

ノンローソ

「……フ」

 

 

 ノンローソの口吻から手を離し、ふと気付くグレモリー。

 

 

グレモリー

「そういえば、この動物についても貴様はさっき、『いいこ』と言っていたな」

「貴様のお気に入りに殴りかかろうとしていたようだが……それでも『いいこ』なのか?」

 

みすぼらしい女

「そのこたち……ノンローソ……いいこよ」

「ただ……つよくなりたい……だから……たまに……きもち……わすれるの」

 

グレモリー

「……ふむ」

「……この動物たちは、好きか?」

 

みすぼらしい女

「だいすき……にんげんとちがう……すきになっただけ……こたえてくれるの」

 

グレモリー

「……そうか。少し、分かった気がする。道理で快適な厩舎なわけだ」

 

 

 みすぼらしい女の声は、チュチュが訪れてから少し感情が乗って聞こえるようになっていた。

 辿々しくも、ノンローソ達への好意さえ感じ取れるような声色に、グレモリーは無意識に自分の思考回路を、彼女の言い分に歩み寄らせていた。

 

 

グレモリー

「(いつか、熊を愛玩動物に飼っていた貴族が居たのを思い出す)」

「(子熊の頃から面倒を見たという熊は、私が出会った頃、確かに飼い主によく懐いていた)」

「(しかし熊はある時、飼い主を食い殺してしまった。熊もまた飼い主を愛していたろうに)」

「(狩りも、外の世界も知らぬのに、それでも何か突き動かされるものがあったのだろう)」

「(一時の混乱にせよ、本能にせよ、獣や虫達の行為が己を守る結果に繋がるとは限らない)」

「(本能で生きる獣とて、時に合理的になれず、変える事のできない不条理を抱えるのだろう)」

「(この女は、そういった『ままならない』ものをも含めて、幻獣たちを愛しているのだな)」

「(……同じヴィータに、希望の欠片も見出だせずに生きてきたからこそ)」

 

 

 みすぼらしい女がチュチュにおやつを与え終え、房へと誘導している。

 不意の気まぐれでグレモリーは、子供が友達へ悪ふざけするように、ノンローソの眉間を軽くチョップしてみた。

 ノンローソはペチンと、同じく軽くグレモリーの手刀を払い落とした。

 別方向からチョップを試みると、これも怪我をしない程度の力で次々カットしていく。

 ノンローソに「戯れる」という知性がある事を理解する。

 

 

グレモリー

「……ふふっ、なるほど」

「(幻獣という色眼鏡を無理にでも外せば、こいつの習性も見え方が変わってくる)」

「(ある意味、サイティの言い分は当たっているのかもしれん)」

「(厩舎を飛び出し、空中庭園でシュラーに挑みかかった理由も、それなら分かる)」

「(危険な試みと分かっていながら、挑んでみたくて仕方ない──)」

「(生存のためでも略奪のためでも無く、『勝つ』ために戦い、生殺与奪にも無頓着──)」

「(世間の誰もが呆れかえる『バカな男』のような、そんな幻獣なのだろうな……)」

「(さて……)」

「(和むのは、このくらいにしておくべきか)」

 

 

 みすぼらしい女の方を見やる。

 チュチュが自らの入る房の、格子状の出入り口から顔を突き出している。

 女は、チュチュの口元に躊躇する事無く手をあてがい、何か作業している。

 

 

グレモリー

「何をしてやっている所だ?」

 

みすぼらしい女

「はを……みがいて……あげてるの」

 

 

 みすぼらしい女は、ブラシのような器具でチュチュの歯の裏側まで優しく磨き、食べ滓を指で取り除いてやっている。

 チュチュが女に噛みつく様子は無く、目を薄めて眠そうですらある。

 

 

グレモリー

「そうか。チュチュも心地よさそうな顔をしているな」

「……チュチュは、何を『喰って』きた?」

 

みすぼらしい女

「……」

 

 

 グレモリーは声を意図的に低くして問いかけた。

 伝わったかどうかは分からないが、これが何気ない雑談で無い事を暗に示した。

 

 

グレモリー

「チュチュが現れてからずっと、この厩舎に無縁だった臭気が私の鼻をついていた」

「獣の糞を晒し続けたような悪臭に紛れて、確かに覚えのある匂いを感じた」

「……ヴィータの血の匂いだ」

「チュチュを含め何匹か、口が血肉で汚れていたのも、仕事を手伝う傍らに見つけた」

 

みすぼらしい女

「……」

 

グレモリー

「貴様を責めはしない。決して他言もしない。何か知っているなら、教えてくれ」

「私は、その動物が『何をさせるために』育てられているのか、知っている側の人間だ」

「チュチュが来た事で流れてきた、厩舎奥からの空気も同じ匂いがした。奥に何がある?」

「街中で私を見ても意に介さないこいつらが、何故この奥では飼い葉でなく血肉を喰らう?」

 

みすぼらしい女

「……このこたち……いいこよ」

 

グレモリー

「ああ、分かるさ。貴様が心から愛し世話する彼らを否定などしない。だがそれでも──」

 

みすぼらしい女

「ひと……たべてない……このこたち……『ミミズ』……たべてくれるの」

 

グレモリー

「……言葉通りの『ミミズ』では無いだろう。何を『ミミズ』と呼んでいる」

 

みすぼらしい女

「『ミミズ』……こわいもの……とても……」

「むかしの……ここ……すんでた……たくさん……ひとを……」

「わた……しも…………」

 

 

 みすぼらしい女が、ガタガタと震えながらうずくまった。

 頭を抱え、よだれを垂らし、尋常な様子ではない。

 

 

グレモリー

「……分かった。辛いようなら、そこまでで良い」

 

みすぼらしい女

「うう……う……」

 

 

 取り乱した女に、グレモリーは彼女が落とした器具を拾って持たせてやる。

 荒く呼吸しながら、女は僅かに心を持ち直していく。

 

 

グレモリー

「ネズミ達は、アブラクサスが『ミミズ』と呼ぶ存在を食っている……それは分かった」

「『ミミズ』は、アブラクサスの住人が移り住む以前からここに生息していた」

「そいつらは恐ろしい存在であり、この厩舎の奥の何かと関係がある」

「『ミミズ』は今も生きていて、『ミミズ』を倒すためにネズミ達を送り込んでいる」

「街の外までネズミを放っているという事は、『ミミズ』は不意に街に入り込む恐れもある」

「……そんなところか?」

 

みすぼらしい女

「……そう」

 

グレモリー

「わかった……直接関係ないだろう事を、ひとつ聞きたい」

「どうやって、放ったネズミたちを元の厩舎まで呼び戻している?」

 

みすぼらしい女

「それは……」

「きっと……たいせつに……おせわ……してるから」

 

グレモリー

「なるほど」

「(幻獣の誘導は別の者が……ほぼシュラーが遠隔操作していると見るべきか)」

 

 

 女は少し落ち着いてきたようだが、細かな震えが収まっていない。

 こういった状況に慣れてないのか、見た目通り心身ともに弱いためか、短時間の間に女はすっかり衰弱しきっているように見えた。

 

 

グレモリー

「(これ以上、情報を聞き出すのは酷か)」

「苦しませて済まなかった。今日はこれで退散させてもらう」

「また何か聞かねばならん事ができるかもしれないが、次は詫びの品くらい用意してこよう」

 

みすぼらしい女

「……また……きてくれる……の?」

 

グレモリー

「貴様が嫌でなければな」

 

みすぼらしい女

「……うれしい……わたし……はなし……してくれるひと……いないの」

 

グレモリー

「(そうか。厩舎自体が恐れられて、誰も寄り付かんのだからな)」

「(近寄る者が居たとて、サイティらのような嫌がらせの道具目的、あるいは罵詈雑言か)」

「分かった。近い内にまた来よう」

「もう夜も遅い。貴様も歯磨きを済ませてやったら、早く休むといい」

 

みすぼらしい女

「お……おや……おやす……み……なさい」

「あ……きを……つけて……」

 

グレモリー

「何をだ?」

 

みすぼらしい女

「におい……」

「ここ……くさいって……いつも……いわれるの」

 

グレモリー

「……ははっ」

「バカを言え。今夜はここに泊まろうかと思ったくらいだ」

 

 

 半ば素で笑みを漏らしながら、ノンローソを連れて厩舎を出た。

 そして厩舎の木戸を出て、しかと閉め直してから一呼吸挟む。

 

 

グレモリー

「ふぅ……私は『巣穴』に戻る。貴様も今日は休んでおけ」

 

 

 語りかけながら、ノンローソの背中を軽く叩いてやると、それだけで言葉の細部まで理解したかのようにノンローソは夜闇の向こうへ跳ねていく。

 

 

グレモリー

「イルカは獲物を嬲って遊ぶ……だったか」

「あれだけ高い知能があれば、妙な生き方をするのも不思議ではないのかも……ん?」

 

 

 グレモリーが目を細め、ノンローソを目で追った。

 

 

グレモリー

「あいつ……どこへ向かっている」

「あっちはアブラクサス外壁の方角。厩舎どころか絶壁しか無いはずだ」

「間違いない、外壁が陰になってどんどん暗闇に……むっ!?」

 

 

 辛うじて目で追っていたノンローソの姿が、空へと上昇していく。

 

 

グレモリー

「見間違いでなければ……何かを登っている?」

「鹿の類は直角に近い岩壁も登るというが……いや違うな、何かあるのだ!」

 

 

 駆け出して、ノンローソを追うグレモリー。

 

 

グレモリー

「見えなくなったか。だが、おおよその位置は記憶している」

「距離もそう遠くない。確かこの辺りの……これか」

 

 

 すぐに辿り着いた目標地点、そこに聳える物体を見上げる。

 

 

グレモリー

「外壁と密着する形で建っているこれは……そうか、覚えがあるぞ」

「風化で建材が所々欠け落ちている。これを足がかりに登っていったのだな」

「すぐ隣が厩舎という事は、恐らく……!」

 

 

 外壁の陰になって見通しが悪いが、正面から見ると、レンガ造りの円筒形にサーカステントのような独特の形状の屋根が付いた、小さな塔。

 出入り口のようなものは見当たらず、縦に小さな窓が幾つか並んでいる。

 その窓の最上段。屋根部分に設けられた、人1人が優に入れそうな大きな窓を目指して、クライミングの要領で登っていく。

 そして易々と、既に開け放たれている大窓に到着し、中へ身を乗り出す。グレモリーは自分の予想が当たった事をその目で確かめた。

 

 

グレモリー

「やはりな……『サイロ』だ」

「飼い葉を中で熟成させ、家畜の飼料としてより上質な物へと作り変える設備……」

「いつかアジトでマルチネが、牧場が大成したら導入したいと言っていたのをよく覚えている」

「そして……おい、止まれ!」

 

 

 見据えた先に怒鳴る。

「そこ」に立っていたノンローソがグレモリーに振り向いた。

 どことなくヨーグルトを思わせる香りが残るサイロに、ノンローソのシルエットが逆光になって映っていた。

 閉鎖され暗闇であるはずのサイロ対岸の一箇所が崩れ、星明かりが注ぎ込まれていたためだ。

 

 

グレモリー

「よし……急用が出来た。こっちへ戻れ」

 

 

 グレモリーが手招きすると、すかさずノンローソがサイロの底へと降りていく。

 そしてサイロ内壁の「崩れ」を足がかりにグレモリーの元へと近付いてくる。

 

 

グレモリー

「手慣れてるな。さては何度もここに通っていたな。とんだイタズラ好きめ」

「(サイロ対岸の壁が崩れ、その向こうのアブラクサス外壁まで崩れている)」

「(ここまでは風化だろうが……外壁内部に『謎の通路』……水道管理用か?)」

「(通路を挟んだ向こうの壁は、明らかに殴り壊されている)」

「(つまり、ここから見えている景色は……アブラクサスの外に繋がっている)」

 

 

 大まかに位置関係を表すなら、

「外」

「アブラクサス外壁1」(恐らく風化+ノンローソが破った)

「謎の通路」(ここにノンローソが立ち、グレモリーが呼び止めた)

「アブラクサス外壁2」(風化で崩れ落ちた)

「サイロ壁」(風化で崩れ落ちた。外壁と一体化したように建てられている)

「サイロ内部」(飼料は撤去されて残り香だけ)

「サイロ窓」(グレモリーの現在地点)

 このようになる。

 

 壁の向こうの地平線を眺めている間に、グレモリーの頬にノンローソの鼻息がかかった。

 

 

ノンローソ

「フッ、フッ」

 

グレモリー

「よし、来たな。まずは降りて、そこで待っていろ」

 

 

 下を指差し、サイロ外の地面に降りるよう仕向けるグレモリー。ノンローソが期待通りに動くのを見届けてから、サイロから見える外の景色をもう一度確認する。

 

 

グレモリー

「アブラクサスの外、か……まるで随分と久しく見ていなかったような気分だ」

「ふっ……存外、私もアブラクサスの息苦しさに参っていたのかもな」

「あの通路がどこに繋がっているか、これをシュラー達が把握しているのかも気になるが……」

 

 

 サイロ内部から視線を外し、下方を振り返るグレモリー。

 指示した通り、ノンローソは直下の石畳に立ってグレモリーを見上げている。

 

 

グレモリー

「ともかくこれは……使えるぞ……!」

 

 

<GO TO NEXT>

 

 

 




※ここからあとがき

 ラッシュザガンさん、公式にご登場ですね。クラウチングスタートのフォームでしたね。
 予約投稿なので、この話がアップされてる頃にはイベントも始まっているはず。
 今作で、「リジェネはさせないけどリジェネ意識させるならラッシュかな」と性能まで考えて話を組んでたので、ある意味、発表の時点から既に答え合わせを食らっておりました。
 今のところ、コロッセオはRアガリアレプトで蹴り払う時の後押し程度の理解ですし、バフという概念もフォラスのアタック強化やネクロゴリ押し以外意識した事が余りありません。
 幼い頃からRPGは攻撃技ばかり選択し、格闘ゲームは必殺技ぶっぱだったツケが回ってきた節を感じます。これを機に勉強していけたらと思います。
 イベントタイトルが「優しさ」となると、ウシを屠る事に抵抗を感じて闘牛失敗してしまったとかなのでしょうか。筋肉イベでウァプラと問答した後でそれでは今更感があるので、これでは安直すぎますかね。

 期間限定依頼の報酬に尻を叩いてもらって9章2節までクリアしました。
 9章1節および2節……これは……これは……!
 押し寄せるものが多すぎると言いますか、何からどうコメントしたものか……そうかこれだったのか……!
 コメントの本題とは別の点で気になるのは、ヴァイガルドに送られる幻獣の「条件」ですかね。
 幻獣牧場の、特にみすぼらしい女の管理下の幻獣は、メギドラルでの仕込みさえ忘れさせるほど安定した環境で育てられているという事で。
 あと、ベイグラント攻略がつらいです。ある程度安定攻略できてますが、覚醒スキルされたら撤退ほぼ確定です。

 最後に次回予告。
 ザガンさん同様、ハルファスのオリジナル過去話に入ります。
 筆者が遅筆すぎるせいで既にハルファスがリジェネし原作過去話が出てきたので完全にウソロモンですが、何卒大目に見ていただければと。


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EX「捏造キャラストーリー:ハルファス編 第1話」

※ここから前書き

 罪人イベント前に考えた内容のため、原作とはハルファスの出自が大きく異なります。
 予めご了承下さい。

※ここまで前書き


 

 いつかのメギドラル。名も知れぬメギドの領地。

 辺り一面を、つい最近まで個々の姿形を持つ有機物だったろう煤が一様に黒く塗りつぶし、焦げ臭さと息苦しさだけが横たわっている。

 その片隅にメギドが3体。

 周囲にも何か、薄茶色の塊が点々と散らばっている。

 1体はメギド体の姿で地に這いつくばっている。

 もう1体はそのメギドを何度も踏みつけ、叫び、涙を撒き散らしている。

 最後の1体はその様子を険しい顔で見届けている。

 

 

ドーコック

「くそッ! くそォッ! うぅ……ちくしょう! お前のせいでよォッ! グス……っ!」

「何だよ! 何だその目はよォッ! いっちょ前に被害者ヅラできる身分かテメェは!」

「『当たり前』だろうがッ! テメェみたいなのがブチのめされなきゃならねえ事くらい!」

 

 

 叫びながら、延々と、実に延々と、執拗に、熱心に、繰り返し、最愛の人の不貞を知った人妻のように絶え間ない嘆きを足に乗せている。

 見届けていたメギドが静かに口を開く。

 

 

ゼタイ

「もうそのくらいにしておけ、ドーコック」

「コイツ自身を証拠として中央に処分させる方が絶対、多少の得になるはずだ」

「軍議でもあらかじめそう取り決めて──」

 

ドーコック

「分かってるよ、そのくれえ! でも、ヒック……我慢できるか、こんな……!」

「見ろよ、この一面の焼け野原! 草木一本残らずコンガリじゃねえか!」

「ここだけじゃねえ! もう何ヶ月も毎日のように! 全部コイツがやったんだ!」

「どこもフォトン不足で喘いでんのに、物理的に土地ぃ殺しやがってどうしてくれんだよ!」

「なあッ! どうしてッ! くれんだってッ! 言ってんだよォォッ!」

 

 

 渾身の踏みつけと同時に、どこかの骨をへし折る音がした。

 

 

ハルファス

「がっ……ぅ……」

 

ゼタイ

「そこまでだ、ドーコック。それ以上はソイツの命に関わるだけじゃない」

「私の『技』で治療するにも、間違いなく不要なフォトンを費やす事になる」

 

 

 ゼタイが両者の間に入って暴行を止めた。

 

 

ドーコック

「……くそ、分かったよ……うぅ」

「ヒッ、エグ……この土地を獲る戦争で、俺は今の地位を手に入れたのに……」

「『必ず一緒に勝つぞ』って約束した仲間が、ここで死んだのに……」

「これじゃ……これじゃもう、棄戦圏にしかならねえじゃねえか……ちくしょ……うぅぅ」

 

 

 相方が引き下がったのを確認してから、ゼタイがハルファスに振り返る。

 

 

ゼタイ

「貴様のやった事は、間違いなく許されざる行いだ。私だって正直、我慢の限界だ」

「だが、それでも私達は貴様とは違う。絶対にな。だから、無駄な事だが聞いてやる」

「『対話』だ……貴様は、何のために私達の領地を焼いた?」

 

ハルファス

「……かふっ……」

「わ……わた、し……み……きの、み……たべに、きた、だけ……」

 

ゼタイ

「きのみ……そこに転がっている、燃えて膨れ上がった茶色の汚らしい木の実か?」

「この土地では、この付近に数十本ほど生えてるだけの誤差のような木だぞ?」

「それが領土丸ごと消し炭にする理由になど、絶対にならない。バカバカしい嘘をつくな」

 

ハルファス

「で、も……きのみ……どこにあ、るか……わた……わか……らな……」

 

ゼタイ

「…………フゥ~~」

 

 

 長いため息の後、ゼタイがハルファスに爪先を突き刺した。ハルファスのメギド体の大きな瞳に狙いを定めて。

 

 

ハルファス

「い……ぎぃ……」

 

ゼタイ

「……間違いない。このザマでもヴィータ体にならないから、そんな気はしていたが……」

「……『野良』だ」

 

 

 ゼタイの隣で真っ赤な瞼を拭い鼻水だらけで泣き崩れていたドーコックが顔を上げた。

 

 

ドーコック

「の、『野良』ァ!? じゃ、じゃあ……」

 

ゼタイ

「ああ。今時、ヴィータ体の取り方くらい、まつろわぬ民でも例外なく知っている」

「だがコイツはメギドラルの情勢も、『攻め込む』時の不文律も、全く分かっていない」

「断言できる。こいつは発生から今日まで、拾われず、戦争もせず、ただ生きていただけだ」

 

ドーコック

「じゃあ……落とし前付けさせるための、このクズの軍団は……」

 

ゼタイ

「無い。100%」

 

ドーコック

「そん、な……そんな事が……あぁぁ……!」

 

 

 ドーコックが力なく真っ黒の大地に膝をついた。

 煤と、火力で水分の抜けきった土が、粉になって舞い上がった。

 

 

ドーコック

「何で……何でだよぉ……地道に、少しずつ……軍団長とここまで頑張ってきたのに……」

「何でこんな、イカれたクズ1体のせいで、こんな゛……グスッ……」

 

ゼタイ

「確かな事は……こんな所で泣き喚いた所で、時間さえも無駄に消えるという事だけだ」

 

ドーコック

「だっで……ヒッグ……こんな゛の゛……こ゛ん゛な゛の゛ぉ゛ぉ゛……!」

 

ゼタイ

「口より手と足を動かせ。コイツを運ぶぞ」

「中央にコレを叩きつけて、必ず陳情も入れてやろう」

「奴らの方針上、『野良』という存在は『見落とし』だ。つまり中央の完全な落ち度だ」

「拒絶区画を間に噛ませれば、『中央に文句つけたから殺す』なんて事にも絶対にならん」

 

ドーコック

「ズズッ……あっだりめえだ……」

「俺達メギドを『管理』しようなんてやつらなんだ……文句の1つも言わにゃやってらんねえ」

「こんな『社会のゴミ』を、1日たりとものさばらせるなって……」

「『誰も得しない存在』を、俺達の世界に住まわせんじゃねえってな……!」

 

ゼタイ

「世界全体の問題がある今、中央の多少の横暴は目を瞑るが、それとこれとは別だ」

「せめて私達が安心して戦争できるよう、『最低限』の仕事くらいはするべきなんだ……」

「こんな思い、絶対に誰にもさせちゃならない。例えどんなに憎い敵だろうとだ」

「こんな……こんな惨い事だけはな……」

 

 

 遠い目で、漆黒の地平を見渡すゼタイ。

 

 

ゼタイ

「(……何か、遠くで風に揺れている? 茶……黄色……金髪?)」

「(それに、その下に漆黒……獣に乗ったヴィータ体?)」

「(いや、あり得んな……きっと、そこの木の実が向こうまで飛ばされたんだ。違いない)」

 

ドーコック

「ゼタイ、クズを運ぶ準備は出来た。グス……いつでもいけるぜ」

 

ゼタイ

「ああ、分かった。すぐに出よう」

「憎らしいだろうが、丁重にな。私の『技』でギリギリの状態で延命させねば──」

 

???

「よお、ちょっと良いか、オマエたち」

 

ゼタイ&ドーコック

「!?」

 

 

 2人の視界の外から声がした。振り向くと、メギドが1体、立っていた。

 黒一色に身を包んだ男性ヴィータ体で、派手な雰囲気のメギドだった。

 少なくとも、前線働きのゼタイとドーコックには見覚えが無い。

 

 

ゼタイ

「(さっき遠くに見えたもの……見間違いでは無かった……?)」

「(いや、私が見た方とは別の方角から来たのだろう。私に間違いは無い。絶対に!)」

 

黒衣のメギド

「なに怖い顔で黙りこくってるんだ。そっちの得になる話かもしれないんだぜ?」

 

ドーコック

「な、何だよ急にテメエは?」

 

黒衣のメギド

「いや何、あちこちで土地が1日たらずで焼き払われるって事件を耳にしてな」

「俺も興味があって、俺なりのルートで調べてた所だったんだ。ソイツが原因か?」

 

ドーコック

「(……お、おいどうするゼタイ? 急に来て、怪しいぞコイツ。何か馴れ馴れしいし)」

 

ゼタイ

「(落ち着け。少なくとも、『野良』のコイツの仲間という事は絶対にあり得ない)」

「ああ、コイツだ。間違いない」

「土地が焼かれた後、土地から逃げ出る者は皆無だった。そして現場にはコイツだけ」

「さらに言えば、ついさっき、自分でやった事を認めた」

 

黒衣のメギド

「ほう。ちょうど居合わせられるとは、俺も運がいい」

 

ゼタイ

「興味が満たされたなら帰ってくれ。忙しいんだ」

 

ドーコック

「そうだ。早くコイツを中央に突きつけて、文句つけて、処刑させなきゃならねえ」

 

黒衣のメギド

「ほほう! ますます運がいい」

「俺とオマエ達の目的を一度に果たす良い方法がある。一戦二議席とはこの事だ」

 

ゼタイ&ドーコック

「……?」

 

黒衣のメギド

「このメギド……俺に譲ってみないか?」

 

ドーコック

「な、何だとぉ!?」

「ふざけてるのか! やっとの思いで捕まえたメギドを、何で見も知らねえ奴に──!」

 

黒衣のメギド

「まあ落ち着けって。ここらが領地って事は──」

「オマエら、ナモシレンの所の軍団だろ?」

 

ゼタイ

「な……何故、ナモシレン軍団長の名を!?」

 

ドーコック

「同盟相手にさえ己が存在すら悟らせない、隠密と秘密主義のお方なのに……!」

 

黒衣のメギド

「なあに、ただのちょっとした顔見知りだ。コネの広さには自信があるんだ」

「犯人の始末が着いたって話は俺の方から通しておく。むしろ好都合のはずだ」

「俺が認めれば、オマエらが適当な犯人をでっちあげて『功』を狙ってるだとか、ヤツも考えまい」

「なにせ疑り深いだろう? ナモシレンのやつ。俺の古い知り合いにも負けないくらいだ」

 

ドーコック

「(あ、当たってやがる……あのお方は、敵も味方も等しく信用なさらねえ!)」

 

ゼタイ

「(確かに、軍団長が私達を信じるに足る証拠だけが懸念材料だったが……)」

「(こいつ、本当に軍団長と交流があるのか……!)」

「(しかも、一言であの軍団長を信用させるほどの影響力を……!?)」

 

黒衣のメギド

「俺が信じられないなら、担保として俺の大切な部下を何体か、オマエらに預けても良い」

「俺が確かにオマエらから犯人を譲り受けたという証拠にもなるしな」

 

ゼタイ

「……そこまで言うなら、ひとまず話くらいは聞いてやろう」

「貴様に、この『野良』を預けると、私達に一体どんな得がある?」

 

黒衣のメギド

「ソイツのやった事は、どう転んでも重罪だ。極刑は免れないだろうが……」

「オマエら、『追放刑』って知ってるか?」

 

ドーコック

「追放……聞いた事くらいなら」

 

ゼタイ

「重罪を犯したメギドを、魂だけにしてヴァイガルドへ放り出すというやつだろう」

「実直に前線で殺し合う俺たち軍団員には、丸っきり縁のない話だがな」

 

黒衣のメギド

「そうとも限らんぜ。現に、こうして1つ縁が出来た」

「俺の方で手を回せば、その『野良』を追放刑にしてやれる。それがオマエらのメリットだ」

 

ドーコック&ゼタイ

「!!?」

 

黒衣のメギド

「まあ、ちょっと派閥が違うんでな。絶対とは保証できんが……」

「だが、追放された者はメギドらしく死ぬ事も許されず、下等生物達の世界で大地に消える」

「時にはヴィータの魂と融合して『転生』する事もあるそうだ」

「そうなりゃ、弱いヴィータの身でハルマゲドンの恐怖に怯えながら過ごす事になる」

「オマエらにとっちゃ、ただ殺すより魅力的……試す価値はあると思うが、どうだ?」

 

ゼタイ

「それは……確かに」

「私にも、この『野良』に焼き払われた土地の1つ1つに思い入れがある」

「それを思えば、ただ殺して楽にさせてしまったのでは、どう考えても飽き足らない……!」

 

ドーコック

「待てよ? 追放されたメギドは『大地に消える』って事は……」

「このゴミクズがヴァイガルドで死ねば、『彼の世界』に帰る事も無いって事か!?」

 

黒衣のメギド

「そういう事だ。それが追放刑の目的の1つでもある」

「こいつの処遇が決まったら、俺からナモシレンに伝えておくよ」

「いくら疑り深いアイツでも、部下の手柄のその後くらい教えてくれるだろ」

 

ドーコック

「そいつは……決まりだな、願ってもねえ!」

 

 

 パートナーの考えを聞く前から、ドーコックが確保したメギドをいそいそと黒衣のメギドに明け渡す。

 

 

ドーコック

「何としてでも追放刑にしてやってくれ! このメギドラル全てのためにもだ!」

「こんなメギドのクズ、ただブチ殺したんじゃ『彼の世界』が穢れちまうからな!」

 

黒衣のメギド

「……任せな。やれるだけの事はやってやる」

「──で、相方の方はどうだい? 乗ってみるか?」

 

ゼタイ

「……仮に、貴様の言葉が全てデマカセだったとしても、だ」

「破壊を撒き散らすしか能がない『野良』に、有益な使い道などあろうはずがない」

「せいぜいどこかの軍団へ向けて、生きた爆弾として投げ込むくらいだ」

「なら、結果は同じだ。私たちだけでは殺す他の処遇は思いつきもしなかっただろう」

「コレをメギドとして『終わり』にしてさえくれるなら、コレをどう使おうと妥協してやる」

 

黒衣のメギド

「交渉成立、だな」

 

ゼタイ

「願わくば、『転生』とやらを果たしてもらいたいものだ」

「それもとびっきり弱く、汚く、無様なヴィータ個体としてだ」

「メギドの最低限の気高さも失い、汚らしく足掻く、報われぬ生。そんなザマなら──」

「私達の魂に刻まれた傷も、少しは痛みを和らげてくれるだろう」

 

ハルファス

「……た……し……」

 

 

 拘束されたハルファスが小さくもがく。逃げるための挙動で無い事は、その場の誰にも見て取れた。

 

 

ハルファス

「わ……たし……だ、れか……きず……つけ、る……つもり、なんて……な、かっ……」

 

ドーコック

「あぁん……!?」

 

ゼタイ

「……」

 

 

 ドーコックとゼタイが、虫の息のハルファスに詰め寄る。

 

 

黒衣のメギド

「おっと、こらえてくれよ。追放前に殺したんじゃ元も子もない」

 

ゼタイ

「死なないようにすれば良いのだろう?」

 

 

 ゼタイが「技」を使い、ハルファスの傷の特に深い部分を僅かに治療し、延命した。

 ドーコックに折られた骨が歪に繋がり、ゼタイに蹴られた眼窩の真っ黒い内出血が失せていく。

 その上で、ドーコックがその骨を折り直し、ゼタイがその目に蹴りを突き入れた。

 今度は折れた骨が肉を突き破り、眼窩から夥しく溢れる黒ずんだ血で眼球がまたたく間に染まった。

 

 

ハルファス

「あ、ぐ……」

 

黒衣のメギド

「なるほど、差し引きがマイナスじゃないなら俺も文句はない」

「すぐ近くに部下を待機させてるんだ。より早く、安全にコイツを運べるような部下をな」

「急がせる必要があると思ったが、これなら余裕で何とかなりそうだ」

 

ゼタイ

「それなら私達にも好都合だ。道中、何度も延命し直す事を覚悟していたからな」

「さて……」

 

 

 ゼタイがハルファスの頭の毛を乱暴に掴んで顔をあげさせる。

 ドーコックも今にも唾を吐きそうな顔で、ハルファスのまだ白い方の目玉を見下ろす。

 

 

ゼタイ

「……良いかよく聞け、この『害悪』。どんな特別な『個』だろうとな──」

「『ソレ』が『世界』をダメにするようなものなら、存在してはならないんだ」

「分かるか? 貴様が『ソレ』なんだ」

「どうやって運ばれるにせよ、僅かな揺れがその骨と目玉に激痛を刻むだろう」

「そのたびに、思う存分、『後悔』するがいい」

「貴様が『何かした』、『考えた』、『求めた』事を。『そんな貴様』に生まれた事をだ」

 

ドーコック

「おうさ。テメェは必要でもないメギド体でわざわざ飯を食いたがった『侵略者』だ」

「テメェは『ただそれだけで』、何もかも奪って、傷付けて回る、それだけの存在ってこった」

 

ゼタイ

「貴様が考え、選び、行動するたびに、貴様は間違う。絶対にだ」

「何故なら、貴様という存在が世界を苦しめるように出来ているからだ」

「そして世界もまた、貴様のような存在に苦しめ苛まれるモノだけで出来ているのだ」

「貴様は世界の敵だ。この先、死のうが生きようが絶対に忘れるな。永久に魂に刻め」

「今この時も、貴様に息ひとつさせたばかりに、明日の希望さえ見えず惑う者が必ず居る」

「本気で、誠心誠意、誰かを傷付けたくないというなら……まず理解しろ」

「『貴様が貴様である』事が1番の原因……最大の『迷惑』だという事を」

 

ハルファス

「……」

 

ドーコック

「テメェはなぁ! 何も考えねえ、知識もねえ、欲求だけ底なしの、蛆虫以下のクズだ!」

「テメェに本当にメギドの誇りってもんがあるっていうなら、テメェ自身に言い聞かせろ!」

「今からテメェが死ぬまで、1億、1兆……もっとだ! 無限だ! 1秒だってサボるなよ?」

「テメェのやる事1つ1つが、何を『振り撒く』事になるかを、この世の誰より徹底的にだ!」

 

ゼタイ

「……ふぅ。済まない、時間を取らせた」

「やっと頭が冷えてきた。後は頼む」

 

黒衣のメギド

「構わんさ、任せな」

「オマエらも早く帰投すると良い。余計に時間が空くと、ナモシレンの疑りのタネになるぞ」

 

ゼタイ

「イヤというほど分かっている。行くぞ、ドーコック」

 

 

 ゼタイとドーコックが去っていくのを確認してから、黒衣のメギドが遠方に手で合図する。

 すると、黒い地平に擬態するようにして伏せていた黒い犬が一匹駆け寄る。

 命令通りいい子で待っていた黒い犬をひとしきり撫で回してから、黒衣のメギドはハルファスの拘束を解いて、そっと抱き上げた。

 

 

黒衣のメギド

「……よし。この調子なら、気絶くらいはしても簡単に死にはしないな」

「ク・ク・ク……しかし、『考え、選び、行動するたび』……だとよ」

「ムチャクチャ言ってくれるよなあ? オマエからすれば」

 

ハルファス

「……」

 

黒衣のメギド

「実はな。オマエの事は、ずっと前から捕捉して、足取りを追い続けてたんだ」

「ナモシレン達が本格的に捕獲に乗り出すよりも、ずっと前からな」

 

ハルファス

「……」

 

黒衣のメギド

「ちょっと、オマエに興味が湧いたんだよ」

「オマエは、生き方を学ぶチャンスさえあれば、その『火力』で大活躍できだだろうってな」

「それこそ、ナモシレンとの事なんぞチャラにさせて、逆に軍団ごと取り込めるほどにだ」

「だが……自力でそれを成し遂げる事はついぞ無かった」

「オマエを見てきてよく分かったよ。今日のそのザマを見て確信に変わった」

「……オマエ、あの2人と『戦わなかった』んだろう?」

 

ハルファス

「……」

 

黒衣のメギド

「オマエはいつも、そこに転がってるような木の実を食うためだけに『砲撃』していたな」

「木の実が生っていそうな土地に目星を付けて、絨毯を敷くように隙間なく、徹底的に」

「ならつまり、木の実を食いに空から降りてきたオマエは無傷だったはずだ」

「それなのに、オマエがそこまでボロボロになってるのに、抵抗の痕跡は全く無い」

「オマエの活躍を拝めないのと同じ理由だ。オマエ……『選べなかった』んだな?」

 

ハルファス

「……」

 

黒衣のメギド

「ああ、無理に答えなくて良い。違うならオマエの中で好きに毒づいてくれて構わん」

「だが俺の推測は結構、的を射ているはずだ。確かにオマエは『野良』で、学ぶ機械も乏しい」

「だが、それはゼロじゃなかった。だのにオマエは機会を前にしても『選べなかった』」

「今を生きられるように生きるだけで手一杯なんだ。その場の流れに頭の中が攫われちまう」

「戦争社会に転向する機会を見つけても、餌を取って今日を生きる事が優先順位で並び立つ」

「敵に見つかっても、食う・逃げる・戦う、全部一緒くたに頭になだれ込む……」

「まごついてる内に全ては過ぎ去って、後にはオマエに不利な事ばかり……そんな所か」

 

 

ハルファス

「……」

 

黒衣のメギド

「まるっきり小動物だな。知ってるか? あいつらは驚異に過敏な個体が生存に有利なんだ」

「すると、咄嗟の感情に流され逃げるようなヤツが生き残り、世代を重ね続けると──」

「逆に何も『選べない』個体が増えてくる。驚異と鉢合わせた途端に固まっちまうのさ」

「高ぶり過ぎて、些細な選択でパニクるらしい。頭が一瞬、感情に占拠されて停まるんだ」

「オマエじゃきっと、戦争社会に入る事を選べても、何者にもなれなかっただろうな」

「毎秒が椅子取りゲームの『新生活』なんて馴染めず、疎まれ蔑まれ、同じ結果を辿ってた」

 

ハルファス

「……」

 

黒衣のメギド

「正直、憐れなもんだよ。メギドらしくもないが皮肉じゃなく、本気でな」

「……ま、俺の私情はどうでも良いんだ。これから俺がオマエにする事とも、全く関係ない」

 

 

 ハルファスをおぶって、黒い犬の背に乗るサタン。

 黒い犬は誇らしげにビシッと4本足で立ち上がり、尻尾を振っている。並の大型犬よりも強く、ヴィータ数体分くらいの重量は余裕なようだ。

 

 

黒衣のメギド

「これからちょっと揺れるぞ。アイツらが言った通り傷が痛むだろうが、そこは我慢だ」

「まずはオマエを俺の領地に匿う。中央に送った後の最低限の礼儀をそこで覚えてもらう」

「その間に俺は根回しをして、オマエが追放刑になるよう取り計らう」

「運が良けりゃ、オマエはヴァイガルドでヴィータに転生し、第二の一生の幕開けだ」

 

ハルファス

「……」

 

黒衣のメギド

「そういやオマエ、多分ヴァイガルドも知らないだろ。とりあえず、こことは全く違う世界だ」

「オマエでも、少しくらい生きるアテのある世界……のはずだ。俺もそこまで詳しくはないが」

「もし転生して、生き抜いて、万一にもまた俺か、この黒い犬に出会ったら……」

「そしてヴァイガルドにも馴染めないようだったら、その時は俺がオマエを引き取ってやる」

「追放刑になったメギドは死者扱いだからな。目くじら立てる物好きも居ないはずだ」

「ヴィータの体でどこまで使い道があるか分からんが、悪いようにはさせんさ」

 

ハルファス

「……」

 

黒衣のメギド

「少なくとも、『ハルマゲドン』のちょっとした邪魔くらいには役立てるはずだ」

「そうか、『ハルマゲドン』も知らんかもな……おっと、まだだ。もうちょっと『待て』だ」

 

 

 跨った黒い犬が辛抱たまらなそうに走り出したがっていたので、黒衣のメギドがこれを制する。

 黒い犬は高くか細い声を小さく漏らしてから腰を落ち着け直し、しきりに黒衣のメギドをチラ見しながら次の命令を待っている。

 

 

黒衣のメギド

「揺れが傷に響いたら、声もまともに出せんかもしれないからな」

「まだ意識はあるな? 俺の領地に持ち帰ってからでも良い事なんだが……」

「喋れる余力があるなら、早い内に聞くに越したことはない」

 

ハルファス

「……?」

 

黒衣のメギド

「オマエの名前だ」

「それが『証明』になる。俺がオマエを、この世界に存在して良いと認めた『証明』──」

「オマエがダレカに『見つけてもらった』という、世界に刻むオマエの『証明』だ」

 

ハルファス

「……」

「……」

「…………ハ、ル……ハルファス……」

 

黒衣のメギド

「ハルファス……よし、覚えた」

「俺は、サタンだ」

「よく覚えておけよ、ハルファス。これからオマエが生き延びる保証は無いが……」

「まあ、『持ち合わせ』は多いに越した事はないだろうからな」

「よし、行け!」

 

 

 命令を受けて、黒い犬が一声吠えて軽やかに走る。

 

 

サタン

「ク・ク・ク……ハルファス、上手くいきゃ、オマエは俺に『恩』ができるわけだ」

「『恩』って知ってるか? まあ実の所、俺もよく分かってない」

「とにかく、オマエは何でも良いから、この先の事をどうするか考えろ。それがオマエの仕事だ」

「俺のトコで手当て受けて、ヴィータ体の作り方でも教わりながら、その片手間で良い」

「だが、転生が失敗するかもとかは捨て置けよ。死んだ後なんて考えるだけ無駄だからな」

 

ハルファス

「……」

 

 

 ハルファスからの返事は無いが、黒衣のメギドは、満足のいく返事を得たかのように前を見据えた。

 

 

ハルファス

「…………」

「(…………)」

「(私の、やる事……1つ1つが……何を『振り撒く』……なる、か)」

「(『私が私である』事……1番、『迷惑』……)」

「(メギドの誇り……は、よく分からないけど……サボっちゃダメって、言ってた……)」

「(私の、やる事、……1つ、1つ……)」

「…………」

 

ハルファス

「(私……私は、生きていくための方法、ご飯の取り方……これしか知らなかった)」

「(この生き方しかなくて、それで誰かの『迷惑』になって……)」

「(それで罰を受けるしかないなら…結局、何をしても『後悔』することになるのかな)」

「(……そうなのかもしれない。どうしたらいいのかな……どうすればよかったのかな……)」

「(私が何か『して』……何かが良い結果になる事、無いのかな、絶対に……)」

「(……無いのかも……無さそう、かな……)」

「(……あ、サボっちゃダメって、言われてたんだ)」

「(えっと……私……私、で……私、だから……『迷惑』……)」

「(私、メギド……で……だから、私……)」

「(私は……して……だから、ダレカの、『迷惑』……メギド、だから……『害悪』……)」

「(……………………)」

 

 

 揺れるたびに眼窩で膨れ脳を潰さんばかりの鈍痛も、風に晒される折れた骨髄の激痛も、それでも衰弱で暗転するハルファスの意識を繋ぎ止めるには、そろそろ限界だった。

 

 

 

<GO TO NEXT>

 




※ここからあとがき

 構想当初のハルファスは二人組のメギドに捕まってそのまま中央に直送される予定でしたが、後にサタンと面識があると知り、互いに顔と名前を覚える機会を描写した方が良いかなと、急遽サタンを登場させました。
 ハルファスの性格上、議会に出席するような大層なメギドとして活躍するのは難しい気もするので。

 現在まだ、9章2節クリアから先に進んでいないので、サタンの正確やヴァイガルド関連の知識について食い違いも多いと思いますがご容赦ください。
 プルソン達の素材も集めなければ……。



・優しさイベについて
 答え合わせにより、渡りのメギドとか昔から性格に変わりなく守りが得意だったとか所々覆りもしましたが、追放を気にしてない所とか微妙に重なる部分もあり、ほぼほぼ解釈一致でとても滋養になりました。
 ザガンさんのご家族の描写については、ろくに考えてなかった部分で気づきもありました。母親は筋肉イベで言及されてましたものね……。

 むしろ牛は殺さないなどの、ヴァイガルドにおける闘牛の位置づけに「そうきたか」となる所が多かった印象です。
 こちらの世界では昔は娯楽に乏しくバイオレンスなものが人気だった時代が多々ありますが、ヴァイガルドはもしかしたら、ハルマあたりが精神的な充足を重視し推進してたりするのかもしれません。
 メタ的な事を言ってしまえば、動物愛護とかの昨今の事情が絡むのでしょうけれど。


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EX「捏造キャラストーリー:ハルファス編 第2話」

※ここから前書き

 罪人イベント前に考えた内容のため、原作とはハルファスの出自が大きく異なります。
 予めご了承下さい。

※ここまで前書き


 

 いつかのヴァイガルド。朝早く。イーバーレーベンのとある武器屋。

 今日も、手慣れた平手打ちの音が爆竹のように軽快に響いた。

 

 

母親

「この悪ガキが! また買い出しの駄賃が合ってないじゃないか!」

「私が言った通りに買えば、お金が途中で足りなくなるはず無いんだよ!」

「今度こそ余計な物買ってきたんだろう意地汚い! とっととお出し!」

 

 

 頬を張られた幼いハルファスが、よたよたと姿勢を直しながら口を開く。

 

 

ハルファス

「ごめんなさい。言われた物しか買ってないけど、いつものお店で幾つか売り切れてて……」

 

母親

「フン! それで何でまともに買うより残りが少ないんだい! 誤魔化すにしたって少しは頭使いな!」

 

ハルファス

「ごめんなさい。前にも売り切れてた時、そのまま帰って、お母さんに叱られたから」

「『だったら他の店で買うくらいの事するもんだ』って。だから、別のお店を探して──」

 

母親

「だから『私悪くないもん』とでも言いたいのかい、フン、嫌味ったらしい!」

 

 

 また平手が飛んだ。

 母親はハルファスを詰る合間にしきりに鼻を鳴らしている。どうやらクセらしい。

 

 

母親

「無責任にも程があるよ、いい年こいて! 何だってそうオマエは自分で物を考えないんだい」

「それで倍近い値段ぼったくられたって? 値札くらい見えるだろうにわざとやってんのかい!?」

 

ハルファス

「ううん。他のお店も探したけど、そこしか売ってなかったから──」

 

 

 更に頬を打つ音。ハルファスが床に手をつき、いそいそ立ち上がる。説教されてる時は立って聞くのが暗黙の了解だった。

 ちなみにこの頃のハルファスは、年齢にして8つか9つくらい。

 

 

母親

「武器屋の娘のクセに相場も考えずホイホイ買ってくるなんてどうかしてるよ、本当に!」

「どんだけ親を悲しませりゃ気が済むんだろうねこの子は。あたしゃ情けなくて言葉もないよ!」

 

ハルファス

「ごめんなさい。『そうば』っていうの、教わった事無かったから──」

 

母親

「フン、またそうやって人のせいにする!」

「毎日汗水垂らして働く親と暮らしてて、どうしてそうボサ~っと生きてられるんだいオマエは!」

「そうアホみたいに毎日生きてるとね、オマエもお父さんみたいな男しか嫁の貰い手なくなっちまうよ」

「あんな甲斐性もロクデも無い男に仕方なく貰われるなんて、オマエも嫌だろう。ええ?」

 

ハルファス

「えっと……よく分からない」

 

母親

「良い事と悪い事の区別もつかないのかい!? 少しはマジメになれないのかいオマエは?」

「こんなに大切に育ててやってるのに、なに考えてりゃそこまで親不孝で平気な顔できるんだい!」

 

ハルファス

「えっと……ご、ごめんなさい……」

 

男の声

「おい、朝っぱらからうるせえぞ」

 

 

 廊下からノソノソと中年の男が現れた。

 

 

母親

「ああ、お父さん。見なよこれ、買ってきた品と、これが駄賃の残りだよ」

 

父親

「あ? ……あぁ~、こりゃあ」

 

 

 母親が指差したゴルドと買い出しの品を、父親が頭をポリポリ掻きながら見る。

 程なくして父親はのそりとハルファスに歩み寄り、その脳天にゲンコツを落とした。

 

 

ハルファス

「あぐっ……!」

 

父親

「程があるだろ、バカ! ウチは金ばら撒くような物好きじゃねえ、しがない武器屋なんだぞ!」

 

ハルファス

「ご……ごめん、なさい……」

 

 

 ハルファスは頭を押さえて、小動物のように震えて痛みをこらえながら返事した。

 

 

父親

「いちいち痛そうにしてんじゃねえ、シャンとしろ! 殴った俺や母さんの手だって痛えんだぞ」

「イーバーレーベンはクズばっかなんだ、絞れるやつはガキでも搾り取ろうってヤツしか居ねえ」

「一度でも金を渡しちまえば、オマエはもうカモだ。クズ共があの手この手ですり寄ってきやがる」

「その痛みがオマエのやった事の重さだ。オマエのためにやってる事なんだぞ、震えてんじゃねえ!」

 

ハルファス

「は、い……」

 

 

 父親がハルファスを罰する傍ら、母親の目がキッとハルファスの向こう、廊下の陰を見た。

 睨みつけた先で、パジャマ姿の幼女がビクリと身を強張らせた。

 

 

幼女

「(み、見つかった……)」

 

母親

「『イラーネ』! 起きたんならちゃんと家族に挨拶しな! オマエも嫁の貰い手なくなるよ!」

 

イラーネ

「ぅ……お、おはよう、お母さん、お父さん……」

 

 

 父親はハルファスがまだ痛そうにしているのを叱るのに夢中で、イラーネに見向きもしない。

 母親も挨拶を促しておきながら、眉1つ動かさず話を続けた。

 

 

母親

「返事したならチャッチャと動きな! 姉妹揃ってそんなんじゃ立派なレディになれないよ」

「とっとと顔洗って、着替えて、朝食済ませな。私もお父さんも暇じゃないんだから」

 

イラーネ

「え……?」

 

母親

「なに不思議そうな顔してんだい。買いそびれの分、オマエが代わりに買いに行くんだよ」

 

イラーネ

「は……はい」

 

 

 イラーネは横目にチラリと姉を見て、すぐさま虫の鳴くような声で答えた。

 その時もまだ父親は、湧き水のように溢れ出す言葉でツバを飛ばしてはハルファスを指で小突いたりしていた。

 

 

イラーネ

「(……『無駄』だ)」

「(正しいも、悪いも……強いも、弱いも……)」

「(ここには、『無駄』しかないんだ。言う事も、やる事も、全部『無駄』になるんだ)」

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 イーバーレーベンの街中。そこそこ人で賑わう通り。

 イラーネが体いっぱいで荷物を持ち上げて家路を急いでいる。

 

 

イラーネ

「フゥ……フゥ……」

「(息継ぎは、変えない。気にすると苦しくなるから)」

「(他の人を見ない。目を合わせると騙してくるって、お父さん達が言ってた)」

「(何も考えない。何も見ない。聞かない。悪者は気になる事して人を『釣る』って、お父──)」

 

急に響く大声

「そうとも!! これを聞き逃せば、希望も未来も全てが『無駄』になる!」

 

イラーネ

「!?」

 

 

 思わず振り向いてしまったイラーネ。声は、今しがた通り過ぎたすぐ斜め後ろからだった。

 意味ありげな薄汚れたローブを纏った男が、子供たちに囲まれている。 

 

芝居がかった男

「この世界にはまだ、君たちの親も、そのまた親も知らない本当の『昔話』がある」

「この話は、間違いなく今に繋がっている。そしてヴィータの未来をも指し示しているのだ」

「確かな未来を知らなければ、叶わぬ夢に努力し、最後に全ては無駄だったと絶望する事になる」

 

濁った瞳の少年

「ウっソくせー、吟遊詩人だって今時もうちょっとマシなフリ入れるぜ」

 

冷めきった笑顔の少女

「こいつペテンだよ、人さらいだ」

「おいコラ人さらい、突き出されたくなけりゃ出すモン出せよ」

 

芝居がかった男

「ああ良いとも、お菓子でも小遣いでも幾らでもくれてやるとも」

「私は商売などのためにこの地へ訪れたのではない。真に君たちへ伝えるためなのだから」

「これは『智の番人』より受け継いだ話……約束された、世界の最果てへの道……」

 

イラーネ

「……」

「約束、された……世界……」

 

 

 イラーネは、買い出しの荷物の重さも忘れて立ち尽くしていた。

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 その夜、イーバーレーベン、ハルファス達一家の武器屋。

 夫婦の寝室の扉がノックされる。

 

 

母親

「なんだい、ようやく寝付けそうって時に……?」

「お父さん……は違うようだね」

 

父親

「ごがー、んごご……ごごっ」

 

 

 父親は隣のベッドで大いびきで寝入っている。

 渋々とドアを開けると、そこにはイラーネが立っていた。

 

 

母親

「イラーネ? こんな時間に起こすんじゃないよ、また何かやらかしたのかい」

 

イラーネ

「……違うの」

 

母親

「じゃあ何だってんだい、人の迷惑考える心があるなら、とっととハッキリ言いな」

「歯磨き教えたのも、タダじゃないパジャマ与えてやったのも、マトモな男に嫁げるためなんだよ?」

「だのに夜更かしなんて覚えちゃ台無しじゃないか、どうしてこう子供ってのはいつもいつも──」

 

イラーネ

「……て、ほしいの」

 

母親

「なぁにぃ?」

 

イラーネ

「こ……今夜だけ……一緒に、寝させてほしい、の……」

 

母親

「はぁ? フン、あっきれたねぇ全く。あんた今年で幾つだい?」

「私はね、もうオマエ達の夜泣きの面倒2人も見てきた頃みたいに若くないんだよ」

「オマエね、親を都合の良い道具か何かだと思ってるなら大間違いだからね」

 

 

 寒い夜でもなしに、イラーネの体が震えている。

 それを確かめる明かりが点いていないのも確かだが、母親が震えに気づく様子は無い。

 

 

母親

「第一、いま何時だと思ってんだい? 何でそれっぽっちの事を寝る前に言わなかったんだい」

 

イラーネ

「…………」

「……もういい」

 

母親

「あ?」

 

 

 イラーネはそれ以上答えず、踵を返してトボトボと子供部屋へと戻っていった。

 

 

母親

「あ、ちょっと……フン、何なんだい本当に」

「あれが親に向ける態度かねえ。大人をナメる事ばっかり覚えるのが早いんだから」

「……フン、まあ良いさ」

 

 

 暗闇に消えてくイラーネの背中を見送りながら、母親は何やら満足げな笑みを浮かべる。

 

 

母親

「やっぱり子供なんて、いつまで経っても可愛い甘えた盛りって決まってるんだねえ」

「でも、あの子も自立した立派な女になって、良い男を捕まえてもらわにゃならないからね」

「今は心を鬼にして突き放しても、いずれあの子達も、私がどれほど愛情深い親か分かるはずさ」

「いつだって、お母さんの言う事は全部正しかったんだってね……フフ」

 

 

 人情味を満面に溢れさせたしたり顔で、母親は扉を閉じ、ベッドに戻っていった。

 

 一方、子供部屋でイラーネは1人、シーツで体を縛るように包んで震えていた。

 

 

イラーネ

「……『無駄』……全部、『無駄』なんだ……」

「あの変な人の話……ハルマゲドン……赤い月……世界は、もうすぐ全部、壊れて無くなる」

「世界なんて、きっと初めから……私を『無駄』にするために作られてたんだ……!」

「私を……私を『いらない子』にするように、世界はできてるんだ!」

 

 

 イラーネは、とある夜の事を思い出していた。

 その夜、些細な用でベッドを抜け出したイラーネは、まだ起きていた両親の夫婦喧嘩を立ち聞きした。

 その内容を聞いたイラーネは、初めからそこに自分が居なかったかのように、物音を立てずに子供部屋へと引き返した。

 

 

ある夜の父親

「オマエな! 勝手にヘンなモノ発注するなって言ってるだろ! ウチを潰したいのか!?」

 

ある夜の母親

「店のためを思ってやってあげてるって言ってんだろう、見る目ってモンが足りないんだから」

「今時は何の店だろうと、客の目を引いてこその時代なんだよ」

「この店は昔気質でダサすぎるっていつも言ってんだろ。いいかい、私はね──」

 

ある夜の父親

「『実家が服屋の私のセンスに狂いは無い』ってんだろう? もう聞き飽きた!」

「ならそのご自慢のセンスで説明してみろ、あの斧はどういう客がどう使うんだ!?」

「金メッキやら石飾りだのゴテゴテ付けた斧で木こりでもやりたい女が居るってか?」

「それもあのデカさで! 毎日品出しで甲冑運んでる俺でも持ち上がりやしねえ!」

「運搬道具代までかかる斧で一体誰が何を切るのか、言ってみやがれってんだよ!」

 

ある夜の母親

「あーあー何て女々しい男だろうね、アレもコレもアタシのせいにしようってか、フン!」

「いつも店主だ亭主だ威張りくさってるクセに、そのくらい自分で考えようって気は無いのかい?」

 

ある夜の父親

「オマエがどんな客を意識して店の金に手ぇ付けたかって聞いてんだろうが!!」

「それにオマエの実家が潰れたのも、俺のトコに転がり込んだのも、そこら中で噂じゃねえか」

「思いつきの服を勝手に作らせて売れもしねえ、男にもケチ付けるばっかで行き遅れたってよ!」

 

ある夜の母親

「妻の言葉より噂信じるってのかい!? あーそうかい、ならこっちも言わせてもらおうか!」

「この店潰すかどうかだったら、アンタの方こそ怪しいんじゃないのかい!」

「『作る気の無かった二人目』を立派に面倒見てやったのはどこの誰だと思ってんだ!?」

「それとも店の外から冷やかし浴びるのがお望みだったのかしら?」

「『おたくの店は、厄介な客も招くだけ招き入れて間引くんですか』ってさぁ!」

 

ある夜の父親

「オマっ……言って良い事と悪い事の区別もつかねえのか!?」

 

ある夜の母親

「フン、先に区別捨てた方が偉そうにするんじゃないよ! 女を何だと思ってんだい!」

 

 

 今でもイラーネは、その時の両親のやり取りを一字一句、漏らさず思い出せる。

 気分としては泣き出したいが、目は渇いて、冷や汗と不快な味の唾液ばかり増えて、心臓が煩わしいほど鳴り響いている。

 

 

イラーネ

「あの斧、今もずっと店に飾られっぱなし……売れないから、きっとお金も減ったまま」

「パジャマのお金、歯ブラシのお金、今朝の買い出し……」

「『無駄』になった分は、きっと一番いらない私の分から無くなってく」

「私は、もうすぐお腹が減るか、病気になって死ぬんだ」

「ここから逃げても、行く所なんてない。生き方なんて知らない」

「……ううん、いらない子なら、その前に追い出されて、道端で死ぬんだ」

「そして、それでも、私なんかに奇跡が起きても……ただ死ねなかっただけでも……」

「すぐに世界が終わる……何をしても、怖い世界が壊れる怖さの中で、いらない子のまま……!」

「うぷっ……ぐっ……!」

 

 

 胃の中の物が喉を焼くほどこみ上げたが、咄嗟に飲み込み直した。ベッドを汚せばまた叱られる。

 

 

イラーネ

「はぁ、はぁ……た……たすけて……」

「誰か、助けてよ……今だけ、そばに居てくれるなら、誰だって……誰か……」

「……お……おねえちゃん……」

 

 

 イラーネは殆ど這うようにベッドを抜け出し、寝室から廊下へと逃げた。

 

 一方その頃、武器屋の店舗部分の部屋で、ハルファスは1人、品物の掃除をしていた。

 

 

ハルファス

「……ふあ……」

「眠い……けど、ちゃんと掃除しないと。ちゃんと買い物できなかった罰だから」

「埃や曇りがあると、お母さんがすぐに見つけるから。また叱られちゃう……」

「ふぁ~あ……でも、あとはこれだけ」

「この斧、大きくて背も高いから大変だけど……」

「これを拭いて、他の武器も並べ直したら、全部おしまい」

 

 

 目立つ所に立てかけられた、巨大な斧を見上げるハルファス。

 斧以外にも、比較的派手な武器類を周囲に立てかけている。

 周囲の斧以外の武器は、普段は壁の高い所に掛けられている殆ど展示用で、幼いハルファスには上げ下ろしだけでも一苦労なので、先に手入れだけ済ませてある。

 斧の埃を落とそうとしたその時、店の奥、住居部分に繋がる扉がキイと鳴った。

 

 

ハルファス

「あれ? ……あ、イラーネ?」

 

イラーネ

「お、おね……おねえ、ちゃ……」

 

 

 イラーネは、扉を閉めるのも忘れてハルファスに歩み寄った。いつでもどの扉でも一度開けた瞬間から「ちゃんと閉めろ」と注意されていたが、それどころでなかった。

 掃除のために明かりを灯していたのもあって、イラーネが膝までガタガタと震わせているのがハルファスの目に見て取れた。

 

 

ハルファス

「ど、どうしたの? どこか、具合悪いの?」

 

イラーネ

「おねえ、ちゃん……私……私……」

「し……死にたぐないぃ……!」

 

 

 ようやく涙が堰を切り、ほぼほぼ倒れ込むようにハルファスに抱きつくイラーネ。

 

 

ハルファス

「え? わ、あ……!」

「えっと……イラーネ? 何かあったの? 私、よく分からなくて……」

 

イラーネ

「だって、だっで、ゔぇ、ぅ、ひぐ……」

「だって……『ハルマゲドン』がぁ……」

 

ハルファス

「……!」

「……『ハルマゲドン』……」

「(……あれ?)」

「(『ハルマゲドン』……聞いた事、ある気がする?)」

 

イラーネ

「おね゛が、おね゛、ぢゃ……たずげて……!」

「ねむれないの……怖いのやだよぉ……もうやだよぉお!」

 

ハルファス

「イ、イラーネ、落ち着いて」

「あの、えっと、今もしかしたら危な……あ!」

 

 

 前後を見失ったイラーネが力の限りハルファスに抱きつき、ハルファスは掃除の疲れも手伝って、押されるままによろめいた。

 立てかけていた幾つかの武器に腕がぶつかり、切っ先を地面に立てた武器類がバランスを失い、ドミノ倒しのように床に倒れた。

 背後の斧に背中が当たり、装飾で不安定な石突と、宙空に重心を置いて聳える刃とが、確かに揺らいだ。

 

 

イラーネ

「あ……」

 

ハルファス

「たおれ……イラーネ、危ない!」

「……!」

 

 

 斧の陰になって段々暗く染まっていくイラーネの表情が、ハルファスの目に焼き付いた。

 現在と未来の全てを否定する証拠を目にしたような面持ちだった。

 幼いハルファスが、妹の弛緩して斧だけを見つめる様を見て、咄嗟に思い浮かべた感想は一言。

「死んでる」。

 本物を見たことの無い歳でも確信した。それは死体の顔だった。

 頭の中で、ヴィータとして生まれて今日までの生活が早回しで駆け巡った。

 

 

ハルファス

「(……)」

「(……『ハルマゲドン』)」

「(……の……ちょっとした……)」

 

 

 頭の中で、確かな像と言葉が駆け抜けた。

 

 

黒衣のメギド

「少なくとも、『ハルマゲドン』のちょっとした邪魔くらいには役立てるはずだ」

 

黒衣のメギド

「オマエの名前だ」

「それが『証明』になる。俺がオマエを、この世界に存在して良いと認めた『証明』──」

「オマエがダレカに『見つけてもらった』という、世界に刻むオマエの『証明』だ」

 

サタン

「俺は、サタンだ」

 

 

 武器類が床に転がる音に紛れて、一際重くガツンと、床以外の物体に金属の激突する音がした。

 

 

イラーネ

「……え?」

「な、え、……おねえちゃん?」

「なに……何が、起きて……?」

 

ハルファス

「……えっと……」

「ごめんなさい。私にも、よく、分からないかも」

 

 

 ハルファスはイラーネの顔を覗き込むようにして、いつも通りの調子で答えた。

 状況だけ見れば推測は容易かったが、それでもハルファスには結論を選び出す事は出来なかった。

 ハルファスはイラーネを抱きしめて座り込んでいる。

 その後頭部に、斧の刃を支える中心部分が寄りかかっている。

 直前までの位置関係でなら、ハルファスの頭に乗るのは刃部分より手前の柄のはずだった。姉妹二人の顔を並べたより広い刃部分の面に潰されるのはイラーネのはずだった。

 

 

ハルファス

「とりあえず……これ、戻した方が良いよね? ちょっとだけ、待ってて」

 

 

 ハルファスは背後の斧に横目を向けてから、イラーネを放して、するりと立ち上がり、斧を元あった場所に立てかけ直した。

 

 

イラーネ

「え、ちょ、え、え……!?」

「お、おねえちゃん!? そ、それ、斧……お、お、重くないの!?」

 

ハルファス

「え? あ」

「えっと……一応、重い……かな?」

「でもこれ、お父さんでも持てない斧だったよね。私、何で持ち上げられたんだろ……」

 

イラーネ

「えぇ~~……」

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 その後、子供部屋。

 1つのベッドで横になるハルファスとイラーネ。

 ハルファスが「よく分からないけどとりあえず」と言った感じでぎこちなくイラーネを抱いている。

 

 

イラーネ

「あの……おねえちゃん?」

 

ハルファス

「ん。なに?」

 

イラーネ

「お店の品物……本当に、あのままにしちゃって良かったの?」

「お母さん達、起きてこなかったけど……散らかったお店見たら、おねえちゃん怒られちゃう」

「斧も場所は戻したけど、掃除し直さないと……私、落ち着いたから手伝えるよ?」

 

ハルファス

「うん。きっと、お父さんもお母さんも、物凄く起こる気がする」

「もう一回、戻った方が良いのかもしれないけど……よく分からない」

 

イラーネ

「『分からない』って……」

 

ハルファス

「分からないけど……何だか、離れられない」

「多分だけど、何が起きても……お母さん達に怒られても、イラーネから離れられないと思う」

 

イラーネ

「おねえちゃん……?」

 

ハルファス

「イラーネは今朝、『ハルマゲドン』のお話を聞いて、怖くなっちゃったんだよね?」

 

イラーネ

「え、う、うん」

「赤い月っていうのが、お空に昇って、そしたら、ハルマゲドンが起きて……起きて……」

「せ、世界が、全部……どこに、どこに、逃げても……うぅ……」

 

ハルファス

「あ……!」

 

 

 再び震えだすイラーネ。

 ハルファスが慌て気味に、より強くイラーネを抱きしめる。

 

 

イラーネ

「うっ……げふ、おねえちゃん、つ、つぶれる……!」

 

ハルファス

「あ、ご、ごめん」

 

 

 ちょっと緩めた。

 

 

イラーネ

「けほ……おねえちゃんって、こんなに力持ちだったの?」

 

ハルファス

「そう……『だった』のかも。私も、よく分からない」

 

イラーネ

「……」

「ふふっ、変なの」

 

ハルファス

「うん。イラーネが言うなら、変なのかも」

 

イラーネ

「もー、何それー。ふふふ……」

 

 

 震えもピタリと収まり、自然な笑顔を見せるイラーネ。

 ハルファスが普段と変わらない、キョトンとしたような顔のまま答えるので、それが一層イラーネには可笑しく思えたようだ。

 

 

ハルファス

「……ねえ、イラーネ」

 

イラーネ

「なに?」

 

ハルファス

「私、どうして良いか分からないし、何もできないかも知れないけど……」

「けど……私、イラーネを守りたいって思ってる。ハルマゲドンから」

「きっと……ううん。絶対に」

 

イラーネ

「おねえちゃん……」

 

ハルファス

「……多分」

 

イラーネ

「……そこはバシッと決めようよ」

 

ハルファス

「そう思ったけど、決められなくて……」

 

イラーネ

「私も……明日、おねえちゃん、きっと怒られちゃうだろうけどさ」

「お母さん達が怒ってる間、怖くて何もできないと思うけど……」

「片付け、私も手伝うね。もし手伝えなくても、おねえちゃんの代わりに沢山働くから」

 

ハルファス

「うん。ありがとう」

 

イラーネ

「おやすみ。おねえちゃん……」

 

 

 姉に埋もれるように目を閉じたイラーネを見つめながら、ハルファスはこの後どうしていいか分からないので、イラーネを優しく抱いた姿勢をジッと保ったまま、同じく瞼を伏せた。

 

 

ハルファス

「(……)」

「(私が何かすると……誰かの『迷惑』)」

「(後悔しかしなくて、良い結果にならない。振り撒く……『害悪』)」

「(そうなのかな。そうかもしれない。お使いも、お店の掃除もダメだった)」

「(でも……イラーネは、私を頼ってくれた。言う通りにできた。喜んでくれた)」

「(私が、こんな私のままで居るのに……私は、イラーネを安心させられた)」

「(これって、良い事……だよね?)」

「(今夜の、イラーネとの事だけは後悔しないって……そう思っても良い……よね?)」

 

 

<GO TO NEXT>

 




※ここからあとがき

 非常に間が開きましたが、完全に手を止めたわけでは無いので、完結まで頑張りたいと思います。
 ザガンさんもグレモリーもハルファスもすっかり公式で掘り下げられましたが、もうここまで来たら遠慮なく当初の予定のまま書き上げるのも怖くないかも知れません。


・東征編について
 ムチャリンダ絡みでもう暫くザガンさんの出番が続いてくれそうなのが有り難いです。

 随分前にメギドとして香香背男を妄想した事ありましたが、カクリヨの大物として名前が埋まりましたね。
 筆者の妄想の中では、メギド72の航空戦力が充分でない印象あったのを元に思いつき、高高度を浮遊する能力を持つメギドを思いつき、メギドラルのロストテクノロジーな武器を使う遅延行動メインとか性能まで考えてました。

 他にオリエンタルな名前で考えた事があるのは、
 シユウ(蚩尤)
 ギューキ(牛鬼)
 ラーヴァナ、
 ヴァジュラヤクシャ、
 サルメ(猿女君)およびウズメ(天鈿女命)
 カイジャク(海若、天邪鬼)
 クィティエン(斉天大聖)
 マドークシャ(火車)
 パピアス(マーラ・パーピーヤス)

 烏滸がましい話ですがこの先、埋まる名前があるかちょっと楽しみだったりします。




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