不毀の魔剣士 (研輔)
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プロローグ 嚆矢濫觴

 会議室に、十人前後の男女が円卓に居座り、ざわざわとお互いに意見を出し合っていた。

 二名を除き、全員が五十代以上の年老いた重鎮達だ。

 彼等の共通の話題は、此度、冒険者となった少年の件である。

 

「例の灰色の魔剣士が冒険者になったそうだ」

「『死神』と呼ばれている少年か。根拠はこれと言ってないのだがな」

「事実、そう呼ばれても可笑しくはない経歴だ。この少年の良し悪しはともかく、その『異常性』は認めねばならぬ」

 

 老人たちの会話のキャッチボールを聞き流し、唯一その場で椅子に座っておらず、端の方で直立している男がいた。

 男は、奇妙な姿をしていた。より正確には、奇妙な仮面で顔を覆っていた。どちらかというと、この男の方が死神の名に相応しかった。

 男が、少年の資料を見やる。

 白黒の写真に、件の少年がやや俯きがちに写っている。十五歳、一般人ならば恋の一つでもしている年齢だろう。冒険者に青春等ない。

『冒険者』という奴は、熟、因果なもののだ、と心の中で独り言ちる。

 

「こんな物騒な小僧、今すぐ極刑にすべきだ! 灰色の魔剣士なんて、何を起こすかわかったものではない!!」

 

 一人、過激な意見を口にする者がいた。

 自然に流れるように、それに何人かが口を揃えて賛同した。

 

「そうだ。まだうら若いからこそ、危険思想に取り憑かれやすい。事を起こす前に 処理する」

「第二の『ヒデオン』になるかもしれない。あんな地獄はもう懲り懲りだ。ならば、早急に手を打たねば!」

 

 ――何が地獄だ、お前等何もやってねーだろ。

 段々とヒートアップしていく部屋の隅、仮面の奥で、男は誰にも聞こえぬよう静かに舌打ちした。

 

「今すぐにでも異端審問を開いて――」

 

 

「――お待ち下さい。皆々様」

 

 

 満場一致の流れで、少年の処分が決まりかけた、その時。

 今まで沈黙を保っていた一人の女性が席を立ち、纏まりかけた意見を、凛と張った声で制止させた。

 男の前に座っていたその女性は、あまりにも美しかった。

 

 女性の金髪は自ら輝き出しているかのように美しく、ブルーサファイアの双眸は、万物全てを魅了してしまうような妖艶さがある。ふっくらとした赤い唇、白魚のような肌、硝子細工を思わせる繊細な顔立ち。

 彼女だけが美の女神に特別に愛されたと言っても過言ではない美貌だ。

 180センチを超える高身長の彼女は、議会に参加している者を見渡す。

 暫く重鎮たちは惚けていたが、やがて、やや厳しい声で女性に向かって言った。

 

「貴様は黙っていろアリス。それとも、冒険者だったらこの少年はもう既に自分のものだとでも言うつもりか?」

「いいえ」

 

 銀鈴の声。

 アリスと呼ばれた女性は、柔らかに、しかし頑固として否定する。重鎮の糾弾も、少年の処遇も。

 

「しかし、まだ十五歳の少年をすぐさま処分とは穏やかではありません。年齢で判断している訳ではありませんが、まだ幼い命を『異端』だからといって殺してしまうのは冷静な決断とは言えないでしょう」

「だったらどうする? 貴様なら解決出来るとでも?」

「解決が出来るかどうかは分かりません。それはこの子次第」

「では……」

「ええ」

 

 こくりと頷き、アリスは赤い唇で言葉を紡ぐ。

 

「グレイロード・ラメンテは、我々が預かりましょう」

 

 

 

 ――――――――――――

 

 

 

 戦場の軽風が静かに凪いでいた。

 血肉と、黒々とした灰で満たされた戦場だ。

 その場には、先程まで人間だった肉塊が至る所に転がっていた。四肢が千切れ、内臓が飛び出し、有り得ない方向に身体が曲げられ、脳漿が零れ落ちる。本人の証明が出来ない悲惨な状態だった。共通点は、殉死した戦士達は、誰一人として憐れまれる事など望んではいない事だろう。

 相手のモンスターは人間を凌辱した罰か、死体さえも残らず、黒色の灰へと還っていった。

 その決戦は、とても勝負とは言えない程に暴力的で、一方的なものだった。 

 常人ならば失神し兼ねないような光景の中、季節外れのマフラーを巻いた一人の少年が立っていた。

 少年が呟く。

 

「――ドルファ……、アレン……、砂遊里……」

 

 返事はない。

 血赤の水溜まりに立ち、死の気配で満ち溢れた戦場で、唯一生き残った少年は、誰かの声を求める。誰か、私はここにいると。そう言ってくれ。

 灰色の髪と白いマフラーは他人の血で半分以上で赤く染まっており、悲哀と銷魂で塗り固められた表情は、先程まで仲間と笑い合っていた年相応の少年とは乖離していた。

 

「誰か、お願い。返事を……」

 

 返事はない。

 鈍い暗雲に向けて涙を流す様は、宛ら現世《うつしよ》の死を憂う――『死神』。



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第一話 東へ

 ごとごと、と規則的に機関車が揺れる。

 機関車の最後尾。八両目。十数人は乗れるであろうその車両の客席には、一人の少年しか座っていなかった。

 正確には他にも数名程の人間はいたが、その者たちは乗客ではなく仕事中の従業員である。

 しかし従業員は、自分よりも遥かに年下であろう少年に、怯えたような眼差しを注いでおり、近付こうともしなかった。何時起きるか分からない昼寝中の獅子を前にするように、明らかに少年を遠ざけていた。

 だが、少年はそのことに特に異論を口にするつもりはなかった。いや、その方がいくらか気が楽だったというべきか。

 

 季節外れの白いマフラーを巻いた少年は肩を窓際に預け、硝子の向こう側の巻かれていく景色をぼんやりと見つめ、誰に向ける訳でもない溜め息を吐いた。

 

「――あ、あの、グレイロード様ッ……!」

 

 ちらと声のした方を見ると、二十代かその辺の女性が、年下の少年の名前を様付けで呼んでいた。服装から見るに、こちらを窺っていたスタッフの一人か。

 如何やら少年の溜め息を、従業員たちは自分に向けられたのだと勘違いしたようだ。

 自分より圧倒的な存在が退屈そうにしている。何か持て成さなくては。と考えたようである。

 要するに御機嫌取りだ。

 

「……別に取って食ったりしませんよ」

 

 わかり易く少年の存在を恐ろしく思ってる女性を落ち着かせるため、そう言って微笑んだ。しかし、残念ながら逆効果だったらしい。彼女には朗らかな笑顔の裏に悪魔でも潜んでいるように見えたか、半歩下がって声すら出さなくなった。

 

 ちら、と視線を車内の奥へと移動させると、女性の先輩らしき従業員が事の顛末を窺っていた。

 ――僕が何も頼まなかったら、この人責められるだろうな……。

 

「水を、頼めますか」

 

 そう言葉少なに注文すると、女性は慌てて、「す、すぐにっ!」と、どこか安心したように小走りに消えていった。

 

 はあ、と心の中の憂鬱を吐き出そうとした。しかし、そうしたら他の人間を怯えさせてしまうという悲しい事実がついさっき発覚したので、ここは堪える。

 

 ――早く、着かないかな……。

 

 無論、従業員の対応が不快な訳ではない。ただ、腫れ物に触れるような態度を取られては、こちらとしても反応に困る。

 

「グレイロード様、お水をお持ちしまし――たあぁっ!?」

 

 先程の女性が、お盆に水の入ったコップを持って少年の元へ駆け寄り、その時、がたんっ! と機関車が強く揺れ、コップが空中でダンスを舞い、少年の灰色の頭の上でラストを飾った。カーテンコールは上半身にかかった天然水だ。

 つまりは、ずぶ濡れである。

 

 少年は衝撃と驚愕に顔を彩らせ、従業員たちは世界の終わりかのような表情で顔面を病気のように青白くさせている。特に、少年に雨を降らせた女性は。

 

「…………」

「はっ……、あ、あの、グレイロード様! 申し訳ございません! 直ぐに手拭いをお持ちします!」

「何故、このタイミングで……」

「え?」

 

 女性の耳に聞こえたのは、水をかけられた事に対する叱咤ではなく、『イレギュラー』に対する僅かな怒りである。

 

 超人的な身体能力で席から飛び出し、茫然とする女性を通り越し、外へと繋がる窓をこじ開ける。

 

 ビュウ、と強い風が少年にぶつけられる。近くにいた人々がそれに倣って外を見つめる。そして、先程の少年への恐怖も忘れて叫んだ。

 

「なっ……モンスター!?」

 

 複数の明かに人外の形をした、竜が空を走って機関車に向かっていた。

 やや青めの鱗や集団でいることから察するに、恐らくは中級の飛竜(ワイバーン)だろう。

 

「貴女」

「は、はいっ!?」

「名前は?」

「あ、えっと、アデライド・バーレクです!」

「アデライドさん。今すぐに護衛の魔術師がいる場所に向かい、事態を知らせて下さい。そして機関車に乗っている人々を一ヶ所に集めて下さい。僕はあれの相手をします」

「は、はい! しかし、グレイロード様、あれだけの数の飛竜をお一人で……?」

「速く向かって下さい」

「はいっ!」

 

 少年は、未だ事態が上手く呑み込めていない女性を指差し、手早く指示を出す。

 話を聞いていたその他従業員も慌てて前の車両へと駆け出す。

 全員の避難を気配で確認し、少年は窓の縁を掴んで、そこを起点に回転して屋根へと飛び乗る。マフラーが風に遊ばれて生き物のように蠢いた。

 

「……誰か一人でも死なせたら、僕の敗けだな」

 

 疾駆する怪物の軍勢を少年は無感動に見つめた。

 そして、呼ぶ。

 己が魔剣の真名を。

 

「――来て。灰行灯《かいあんどん》」

 

 その名を呟いた瞬間、光輝を纏った霞が少年の手元に生み出され、それが確かな質量となって、鞘に包まれた剣として現界した。あまり飾り気のない灰色の剣は、見る者が見れば驚愕した事だろう。

 

 魔力を解放し、敵はこっちだと威嚇すると、強い自我がある訳じゃない怪物共は、わかり易く誘いに乗ってくれた。

 

「ゴアアアアアアアアアアア!!」

 

 上空から、一匹の飛竜が喰い千切らんと少年へと襲い掛かる。

 灰色の刃が鞘から抜き放たれ、紫電一閃、飛竜が文字通りの真っ二つにされた。

「まず一つ」と呟く。

 

「この先には人の住む街がある。悪いが、殲滅する」



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第二話 僑軍孤進

 ズ、と魔力を剣に纏い、凄まじい轟音を立てて屋根から跳躍する。多少凹んでしまったが、この際仕方ない。

 空を跳びながら、飛竜の頸を刈り取る。

 

「――二」

「ギギャア!?」

 

 モンスターは生命活動を停止すると、灰となって自然に消えていく。だが灰になる前に、肉塊を蹴り飛ばし、次へと標的を変えた。

 ――拡張斬撃――

 魔剣を持って身体を回転させて飛竜の群れへと突っ込む。灰色の暴嵐と化した少年は、竜の翼を、血を、肉を、頭を、ミキサーのように次々と斬り飛ばしていく。

 

「…………六。あと五」

 

 すたっ、と新緑色に塗られた草原に鮮やかに着地し、残党を確認する。先程まで怪物だった灰が、少年の頭上に雪のように降っている。しんしんと、なんて言葉が似合う程美しくもないが。

 

 飛竜が低空飛行で少年を狩ろうと迫ってきた。

 

「ゴアアアアァァァァアアッ!!」

 

 衝突する寸前、少年はその場で軽くジャンプし、空振りした飛竜の上で回転し、魔剣の刺突し、草原に竜の身体を縫った。

 

「七」

 

 魔剣が百舌の早贄のように飛竜に突き刺さっている。魔剣を抜く前に、少年の両隣から、鈍色の怪物が襲い掛かってきた。 

 

「まずそっちから」

「ガッ」

 

 右側の飛竜の、ゴツゴツとした顔面――というか口先だが――を握り、左側の飛竜へ向かって振り回した。

「――――ッ!!」と無言の悲鳴を叫び、しかししぶとく二頭共に生き残っていた。

 少年は追い打ちをかけるように一発、二発、三発と突技を繰り出し、止めに足刀蹴りを放って怪物を薙ぎ飛ばした。

 

「八、九」

 

 頑丈な鱗を砕き、ズダズダになった肉体は既に放置、絨毯にしていた飛竜から魔剣を抜き去り、それが合図だったように怪物の身体はさらさらと黒々とした灰になって消えた。

 ふと、違和感を覚え、辺りを見回す。

 

「……!」

 

 ――残り二体は何処に……?

 剣を鞘に収め、左腰に構える。

 少年が足元に視線を向け、同時、野生の勘と呼ばれるものか、すぐさま中空へと跳躍した。

 

「ゴアアアアアアアアアアアッッ!!」

 

 土と草原を突き破り、他よりも一回り程もある巨大な飛竜が大口を開けてこちらに飛び出してきた。

 更に、視覚にこそ入ってないが、気配で上空からもう一体の別の飛竜が挟み撃ちにするように突っ込んでくるのがわかった。

 ――こいつら、知能が高い個体か……。

 モンスターはダンジョンから産まれ出る。基本的にモンスターの強さは産まれた時から変わるものではない。個体差も例外も無論あるが。

 飛竜はモンスター全体からすると一体の強さは精々三級程度。群れで行動する事が多いので、尚の事強さは大きく変動しない。

 偶然だろうか――いや今は考えるべき事ではない。

 今はこいつらを殲滅するのが最優先だ。

 

「――ふっ……!」

 

 ぐるんっと空中で身を捻り、大顎を開いて暴食の一撃を避ける。

 魔剣を閃かせ、まず上空の飛竜を始末する。

 

「グオオァァ!!」

「なっっ――」

 

 しかし、振るった灰色の凶刃は、大きく開いた口の獰猛な歯に挟まれて静止した。こんな釣果は望んじゃいない。

 もう一体、先程空振った飛竜が旋回し、もう一度少年に喰らいつこうと突撃した。

 ちっと内心舌打ちしつつ、左手を剣から離し、魔力の質を最大限まで濃くし、魔力を込めた掌底を叩き込んだ。

 

「――はっ!!」

「ごぁッ……」

 

 発勁の要領で突き出された掌底に、飛竜の身体が激しく震える。魔力が内蔵を千切る勢いで貫き、岩の硬皮を突き破った。

 魔力武術《マジックマーシャルアーツ》――《破極》だ。

 

 餌を掴んだ鰐のように、魔剣を噛んで離さない飛竜。

 ふっと魔剣を雲散霞消させる。突然釣り針が消えて驚く竜の顔に、両手の指を交互に組んで鉄槌を振り下ろす。直撃。流石に少々痛い。

 バギッ、と嫌な音を立て、空を駆ける竜は地へと叩き落されていく。そこで、灰色の魔剣を再び顕現させる。

 急降下、未だ混乱から覚醒していない竜の頸を、容赦なく斬り飛ばした。

 

「――十一。終わりか」

 

 飛竜の群れを掃討した少年は、首を軽く傾けて音を鳴らした。

 戦闘終了。

 モンスターたちは剣の錆、というか灰になって新緑と蒼穹へと溶け出している。もしかしたら討ち漏らした敵が何匹かいるかもしれないが、機関車の方へ行ったのならば、護衛の魔術師が何とか出来る。

 

 ふと、機関車が走っていった先を見る。

 

「…………」

 

 当たり前だが、もう既に視界の中に煙を吐く黒色の無機物など存在しなかった。

 戦闘時間は五分も経ってない筈だが、モンスターが来たから超特急で進んだのだろう。日の光を浴びて鈍く光る路線が少年の側で寂しく佇んでいる。

 

「…………歩いて、何分かかるかなぁ」

 

 誰もいない草原にてそう独り言ち、とぼとぼバジノヴァー区へ歩き始めた。

 あと、三十分は歩く必要がありそうだ。



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第三話 冒険者登録

「……着いた……」

 

 歩いて約三十分。少年は目的地であるギルドの前まで来ていた。

 冒険者試験《テスト》で合格した者は晴れてアレグリア大国の冒険者となる。認識票《タグ》を貰い、アレグリア各地に設立されてあるギルド支部へ向かい、確認が取れたら、そこで活動を開始する。

 

 通常、冒険者試験(テスト)は一年に一回。アレグリアで幾つかの地区で同時に行われる。毎年千人前後の受験者がおり、その内死亡するのは二割だ。

 そして、冒険者となり、一ヶ月以内にダンジョン、或いは任務で殉死するのは五割。これでも随分死者は少なくなったものだ。その為、冒険者は十代から三十代の者が最も多く、その中から『()()()()()()()()()()()()のだ。

 何処のギルドで活動を行うのは基本的には本人の自由だ。支部も沢山ある訳ではない。数十人と纏まるのが普通だ。

 

 ――しかし、今回、バジノヴァー・ギルドで冒険者登録を行うのは、グレイロード・ラメンテ、ただ一人であった。

 

 

 ギルドの中は昼間という事もあって、武装した冒険者やギルド職員が十数人いた。屈強な男から若そうに見えるエルフまで、人の森となっている。

 玄関で立ち尽くす少年はその光景を見て、少し悲しそうな表情になって、一度足を止めた。

 暫く立ち尽くしていると、ギルドの受付嬢らしき女性が話しかけてきた。

 

「あ、もしかして今年の試験《テスト》の合格者の方ですか?」

「! はい。グレイロード・ラメンテです」

「ラメンテさん、ですね。ではこちらへ」

 

 制服を着こなし、ふわりと華やかに愛想の良い笑顔が咲かせる受付嬢。

 肩まで伸ばした淡黄《クリーム》色の髪に、厚かましさを感じない程度の化粧、女性らしく小柄な身体。何だか、こう、とても『女性らしい』女性だ。

 ギルド職員である事を示す紋章《ワッペン》を見せ、思い出したように受付嬢は言った。

 

「申し遅れました。私はヴェロニーカ・チェルノヴァというものです。冒険者担当の受付嬢をさせてもらっています。此度の試験、合格おめでとうございます」

「ありがとうございます。ヴェロニーカさん」

 

 軽く挨拶を交わし、受付の裏側へと回ったヴェロニーカと冒険者登録を開始する。

 

「では、まず認識票《タグ》をお見せ下さい」

「はい」

 

 マフラーをどかしながら、首元にかけた銀色のネックレスのようなそれを差し出した。

 ヴェロニーカが認識票を受け取り、レンズを通して見つめたり、軽い力で弾いたりして偽造品であるどうか確かめる。希に偽証して冒険者になろうとする輩がいるらしい。

 まぁ、認識票に使われている素材はダンジョンでしか採取出来ない金属で、その上魔術師が魔術加工を加えているので、これを偽造出来る奴はもう普通に冒険者になった方がいいのだが。

 

 数十秒程で確認は終わった。すると、ヴェロニーカは認識票を持ったまま席を立ち、近くの棚から資料を取り出した。本部から送られる試験合格者が記された名簿だろう。少年の名前が存在しているか、確かめているらしい。

 暫くして、問題はなかったのか、認識票を返却される。

 

「はい、間違いありませんね。ありがとうございました。では、ここにお名前と職能《クラス》、年齢等をお書きください。尚、当たり前ですが、等級は最下位の第四級からですので、あしからず」

「はい」

 

 差し出された羊皮紙と羽ペンを受け取り、言われた通りに書き込んでいく。『グレイロード・ラメンテ』、『魔剣士』、『十五歳』……。

 すらすらと特に悩む事もなく書いていく。

 少年はふと、自分に視線が集まっている事がわかった。職員、冒険者問わずに先程のようにこちらをちらちらと窺っては、ひそひそと内緒話だ。

 

 ――そのことに何の感慨もなくなってしまった僕は、矢張り『死神』なのだろうか。

 

 だが責める気もない。そんなことをすれば噂を助長させてしまうのは自明の理だ。人は『不確かなもの』を恐れる。それは当たり前の事で、事実少年は噂を完全否定する事が出来ない。

 

「――これでいいですか?」

「――――…………。はい、記入漏れはないですね」

 

 少年の噂など聞いたこともないとばかりに、ヴェロニーカの少年に対する態度は一貫している。

 

「それでは改めまして、グレイロード・ラメンテさん、冒険者試験(テスト)合格おめでとうございます。職員一同、活躍をご期待しています」

「あ、え、えと、あ、ありがとうございます」

 

 立ち上がって佇まいを直したヴェロニーカが礼儀正しく頭を下げる。

 少年が戸惑ったの理由は二つ。一つ目は、年上の女性にここまで仰々しい姿勢を取られたことがなかった事。

 

「ちっ……」

「何で『死神』がうちに来たんだよ……。勘弁してくれ」

「おい、もう行こうぜ。関わるだけ無駄だ。近くにいるだけで呪われそうだ」

「あんなのが通っちゃうなんて、冒険者試験(テスト)も緩くなったものね……」

「いや、他の受験者を罠に嵌めたに違いないわ。それぐらい平然とやるに決まってる。また同じような事するわよ」

 

 二つ目は、周りのギルド職員と冒険者たちが全く歓迎ムードではない事だ。最終確認が終わったとわかると、明確な拒絶の雰囲気を張ってきた。殺意……というか嫉妬じみたものを感じるのは何故だろうか。

 

 ――は、速く外に出よう……。

 

 何だかとてもいたたまれなくなり、不機嫌そうに眉を寄せる受付嬢に礼を言い、さっさとその場を去ろうとすると――。

 

「あ、いたいた!」

 

 唐突に、頭上から、陰鬱とした暗がりを吹き飛ばすような溌剌とした声が聞こえた。

 驚いてそちらへ顔を向けると、二階の縁から危なくも身体を乗り出してこちらに視線を向ける白い髪の女性がいた。

 

「え……。僕、ですか?」

「うん、貴方! 灰色の髪に、翡翠(エメラルド)の瞳! 間違いないわね!」

「まず名前を確認するべきでは……? 僕はグレイロード・ラメンテですが」

「グレイロード、ええ、ヒエンさんから聞いてた情報と一緒ね!」

 

 ヒエン、とその名を女性が口にした途端、ざわっとその場にいた少年と女性以外の全員がざわめきだした。

 少年もまた、驚愕こそしなかったが、この女性は一体何なのだろう、と疑問は一層深まった。

 

「あの、貴女は……? というか、そろそろ降りてきてくれません?」

「あら、ごめんなさい。私ったら挨拶もしてなかった!」

 

 そう言うや否や、白い髪の女性はふわっと体重を感じさせない動きで二階の廊下から飛び出し、すたんっと少年の前で鮮やかに直地した。

 

「私はアザレア・ギルニュート。よろしくお願いするわね! グレイ!」



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第四話 死神と

アザレアと、そう名乗った女性は、向日葵のように咲き誇る笑顔と共に、いきなり愛称で呼び始めた。

 そして、最初に驚いたのはその身長であった。

 恐らくは170センチはあるだろう。女性としてはかなり高い。身長165センチの低身長男子としては正直羨ましさもある。

 また、非常に見た目も整っていた。絹のような胡粉色の髪、彼女の爛漫な性格を結晶化させたかのような紅蓮の双眸。

 何処か間抜けで馬鹿っぽい雰囲気だが……、重心や構え、そして何より気配から、彼女も自分と同じ魔剣士だと推測した。

 いや、それだけではない。

 

「貴方は、もしかして一級冒険者……?」

 

 そう質問すると、「ええ、そうよ!」とあっさりと答えが返ってきた。

 これには少年改め、グレイも多少驚かざるを得ない。冒険者の等級は最下位の四級から、三級、二級、準一級、一級と上がっていく。()()()()()()()()()()、彼女はこの国においての最高位の冒険者なのだ。アザレアという女性はどう見ても二十代にしか見えない。いつ冒険者になったのかは定かではないが、相当な才媛である事は間違いない。言動に似合わず。言動に似合わず。

 

「ええと、よろしくお願いいたします?」

「はい、挨拶は済んだわね。じゃあこの街と、冒険者の本拠を案内するわ!」

「本拠?」

「ええ、ここには本拠が三つあるのだけど、その内の一つへ案内するわね」

「それってギルド職員の仕事では……」

「ええー? いいじゃない、別に。ねぇヴェロニーカ? どうせこの子、私とギアと同じ場所になるんでしょ? あとラズナ」

「…………?」

 

 やや含みのあるアザレアの言い方にグレイは首を傾げる。ギアとラズナという知らない名前も登場した。

 一方ヴェロニーカは、不味い事を聞かれたとばかりに慌ててグレイに、何もやってないのに弁明するように声を張り上げる。

 

「アザレアさん! ラメンテ四級冒険者には私が案内しますので……!」

「じゃあ最初にハッキリさせましょ」

「え?」

「ねぇグレイ」

 

 さっきから喧しかったアザレアが、今度はやけに静かに、グレイの方へ向き直ってこう問いた。

 

 

「貴方は『死神』なの?」

 

 

「――――――――」

 

 一刀両断するように、アザレアは呆気なく周りが避けていたその『禁句』を本人の前で口にした。

『死神』という宛ら悪魔のような蔑称を。 

 目を見開くグレイとヴェロニーカに構わずアザレアは続ける。

 

「さっき私が言ったギアとラズナってね、私の友達なんだけど、ギアは私と同じ一級の魔剣士、ラズナは一級でも魔剣士でもないんだけど、ちょっと特殊な魔術を使える子なのよね。まあ、端的に言うと、貴方を抑える為の武力装置、臭い物の『蓋』なの。あ、言うまでもないけど『臭い物』ってグレイの事だからね」

「アザレアさん!!」

  

 先程まで落ち着いて聞いていたヴェロニーカがとうとう声を荒げた。中立のギルド職員としては看過できない発言だったのだろう。しかし、内容自体は否定しない事から、事実だと伺える。

 グレイもまた、特に困惑する事はなかった。というより、()()至候聖《し こうせい》の所属するギルドに行けと言われた時点でなんとなく察していた。だからこそ、妙にすとんと腑に落ちた。

 アザレアはつらつらと言葉を並べた。

 

「グレイの経歴をヒエンさんから聞いたわ。グレイが受験した場所での合格者は一割にも満たない。つまり不合格者《死者》は九割以上。百人ぐらいが受験したらしいから九十人は死んでるわね。その後、幾つか任務や依頼をこなしたみたいだけど、グレイに同行した冒険者が一人残らず死んでる。えーっと、二十人程度だったわね。しかも、グレイと同じ場所で合格した一割の冒険者も、その後ダンジョンで殉死しているか自殺している。で……、調べてみたら貴方は『花隠れの森』の出身って事がわかり、そして『灰の魔剣士』だと発覚した」

「――『灰色は呪われている』」

「あ、やっぱり知ってた? そう、そんな伝承があって、実際に歴代の灰色の魔剣士はロクな目に遭ってない。長く話したけど、纏めて端的に言うと……、まぁ怖いのよね。貴方の事が。ギルド上層部も下級冒険者たちも。だから、今ここでハッキリしましょう」

 

 アザレアはそこまで捲し立て、一旦言葉を切り、グレイへと真っ直ぐ向き直った。今までのグレイへの暴言とも取れる発言は、あるいは彼女の真摯な性格故なのかもしれない。

 ギルドの中心で、誰もが聞いてる中で、アザレアは矢張り正面堂々と、グレイの翡翠の目を見つめた。

 

 

「貴方は死神なの?」

 

 

 それは信じられないぐらい直球で、わかり易い質問だった。だが、似たような糾弾は過去に幾つもあった。

 

 ――思い出される。

 

『この悪魔が! お前は人間じゃない!!』

 

 ――思い出される。

 

『貴方がいるから、妹は死んだのよ! 貴方の所為で!! 何で貴方はまだ生きてるのよ!』

 

 ――思い出される。

 

『お兄ちゃんを返してよ! ――この、化け物!!』

 

 

 ズキ、と罅割れるような頭痛がした。思い出したくもない、だが決して忘れてはいけない言葉。

 死神だと、そう言ってしまったらどうなるのだろう。自分は目の前の女性に斬殺されてしまうのだろうか。真っ向から直接戦えば、きっと勝てない。それはそれで、悪くない気がした。

 だが、それは決して取ってはいけない手だった。少年に死などという怠惰は許されない。自分を信じて、笑って命を賭してくれた人々に報いなければならない。

 考える。

 自分は何者か。

 

『―――――――兄さん』

 

 考える。

 自分は何を求められたか。

 

『前を向いて、兄さん』

 

 その声に、振り返った。誰もいない。幻聴か。

 グレイとよく似た顔立ちの少年が、真後ろに立っていた――気がした。

 

「…………イヴ」

「?」

 

 グレイがふと呟いた一言に、アザレアが不思議そうに小首を傾げた。事の顛末を見守っていたヴェロニーカもきょとんとしている。当然と言えば当然だ。尋問相手がいきなり後ろを振り向いてこの場にいない者の名を呟き出したら、誰だってその反応になる。 

 さわ、と白いマフラーに手を添える。ああ――そうだ。兄さん、大事な事を忘れそうだったよ。 

 

「――いいえ」

 

 グレイは、断固として言葉を突き付けた。

 

 

「僕は、死神ではありません」

 

 

 アザレアと、周囲の全ての人々に。

 やや呆けたような空気を感じる。そんな中、グレイ以上に奇妙な奴がいた。アザレアとか名乗った一級馬鹿である。

 アザレアは喜色満面、勝手に一人で喋り始めた。

 

「ええ、そうよね! うん、そんな噂有り得ないもの! 術化体質《マナ・ドール》でもそんなの聞いたことないし、やっぱデマね! うん、ヒエンさんもそう仰っていたわ!」

「は、はぁ……」

 

 さっきまでのシリアスオーラは何だったのか。アザレアは納得した様子で腕組みしてうんうんと頷いている。

 信じてもらったようだが、グレイも少々異議とも言えないような言葉を口にした。

 

「そんな簡単に信じちゃっていいんですか……?」

 

 一級冒険者は、今度こそ心底から困惑したようにさらっと言ってのけた。

 

「だって違うんでしょ?」

「…………!」

 

 思わずグレイは戸惑ってしまう。一級冒険者である以上、冒険者の汚い闇社会や黒い話もたくさん聞いている筈だし、実体験もしているだろう。そんな彼女が少し話をした程度の相手を信用していいものなのか。

 どうすればいいのか、と少々狼狽えているヴェロニーカを完全に無視し、アザレアは続けた。

 

「それに、ヒエンさんは、グレイの近くにいた人間が死んでいった理由は察しがついてるって仰っていたし……」

「え?」

「じゃあ今度こそ本拠に案内ね! あ、いや先にヒエンさんの所へ行かないと! 執務室へ向かいましょう」

「はい、わかり――」

「その必要はない」

 

 グレイが返事を言い終わる前に、聞いたことのある男の声がした。

 

「ヒエンさん……!」

「久しぶりだなグレイ」

 

 ヒエンだ。

《至候聖》第八位――黄粱《こうりょう》ヒエン。アレグリアの本当の『最強』の一人。

 そして、グレイを冒険者の道に引き込んだ人物だ。

 



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第五話 安常処順

 ヒエンはいつの間にかグレイの隣に立っていた。190センチ程の高身長の彼は、相変わらず奇妙な狐のお面を顔に装着していた。二年前から、まるで時が止まったように何も変わってない。

 至候聖が現れた途端、周りの殆どの冒険者は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。ギルド職員も目を付けられないようにと、さっさと仕事に戻った。彼は紛れもなく世界最強の一角なのだが、グレイが来た時以上に酷い対応である。一体どんな悪評が囁かれているのか……。

 

「あら? グレイ、ヒエンさんと交流があったの? 知った風な感じだけど」

「寧ろ俺がこいつを冒険者の道に引き入れたんだ。愛植《あいうえ》妃那(ヒナ)の魔剣を継いだ奴が現れたって聞いてな、花隠れの森に行ったらこいつがいた。で、冒険者になりたいとか抜かしやがったから教師を紹介して、色々あって今ここにいる」

 

 ヒエンが適当に所々端折ってアザレアに解説した。大体合ってるので口は挟まない。

 

「その様子だと、もう登録は済んだようだな」

「はい。ヒエンさんのお陰でここまで来れました。本当にありがとうございます」

「あー、やめろやめろ。野郎に言われても嬉しかねーし、お前に教え込んだのはクロムさんとクリスティアナさんだろ」

 

 クロムとクリスティアナというのは、グレイの剣技と魔術の師である。とは言っても、魔術の才能はグレイには皆無だったが。

 

「でも……、あの日僕を助けて下さったのは、ヒエンさんですから……」

「気紛れだ」

 

 にべもない。感謝を伝えているというのに、ヒエンは煩わしい煙を払うような態度を取っている。

 

「所でヒエンさん。何かグレイに用ですか? 私はこれからグレイに街と本拠を案内しようと思ってる所なんですけど」

「ああ、そのようだな。聞いてたよ」

 

 ――何処から?

 グレイはそう思っていたのだが、ふと視線を感じて目線を上窓へと上げると、窓の向こう側、数百メートル程離れた場所に一つの建造物がある事がわかった。そこに開け放たれた窓があり、風に揺さぶられている白いカーテンが、そこからヒエンが盗み聞きし、ここまで瞬間移動した事を物語っていた。

 いや……どんな耳してるんですか。

 向かうの窓の奥には至候聖の侍従らしき成人の男女が二人揃って嫌そうな顔でこちらを見ていた。多分グレイに、ではなく、ヒエンに対してだろう。面倒な上司に振り回されているようだ。

 

 取り敢えず手を振ると、気の良さそうな男性が振り返そうとし、その前に落ち着いた感じの女性が窓を閉めた。残念。

 

「あの、ヒエンさん……」

「ん? 何だ」

「ヒエンさんの従者って……」

「ああ、ドットとナージャの事か? 今は俺の始末書を片付けさせている。あと、今度の長期遠征の申請書。俺の分だけど」

「「…………」」

 

 グレイは沈黙した。アザレアに視線を向けると、天真爛漫な彼女が珍しく気まずそうに苦笑した。その反応を見るに、如何やら日常茶飯事のようである。未熟な少年は此処で彼等を憐れむ事しか出来ない。

 

「じゃあアザレア。後は頼む」

「あれ、もう行くんですか。てか何しに来たんですか?」

「顔を見に来ただけ。どうせいつか挨拶しに来るからな。それに、用事はグレイだけじゃない。どっちかというと、こいつに会いに来たのはついでだ。じゃーなグレイ」

「あ、はい。また今度」

 

 そう返すと、ヒエンはふっと風のように消えた。何処に行ったのか定かではないが、多分執務室には戻ってないんだと思う。

 

「じゃっ、今度こそ行きましょう」

「はい。アザレアさん」

 

 

 

 ――――――――――

 

 

 

 アザレアと二人っきりで街を練り歩く。グレイの噂は冒険者の間にしか広まってないのか、一般市民の反応は特に何も感じられなかった。もしかしたら、ヒエンが情報規制している可能性もある。

 

「バジノヴァーの冒険者含めた人口は五万人程度かしら? まぁそんな大きくはないわね。ただ此処は至候聖が管理している。何故かわかるかしらグレイ?」

「…………。何ででしょう」

「ヒエンさんが問題児だからよ!」

「大声で言う事じゃないですよね。それに、何でヒエンさんの非行がバジノヴァーの管理に繋がるんですか?」

「ヒエンさん……というか至候聖がギルド上層部とバチバチやってるのは知ってるわね。上層部は基本的に王都から動かない。で、ここって結構王都から離れてるでしょう? つまり上層部は、性格悪くて人外的に強いヒエンさんが怖いから此処に送ったのよ」

「ええ……」

「表向きは悪魔が出現率が多いからって理由よ。実際多いしね。あははっ、至候聖から物理的に距離取った所で何の対策にもならないんだけどねー! 対戦争魔術楽式でも持ってこいって話よ」

「それで平等になるんでしょうか?」

「ならないわね! 掠り傷ぐらい付けられたら御の字かしら?」

 

 悪魔というのは、言ってしまえば『理性のあるモンスター』だ。

 ダンジョンから産まれるモンスターと違って、悪魔は個体差はあるが意思が強く、悪意を持って人類に敵対している。扱いとしてはモンスターと同じだが、《悪魔王公》と呼ばれる悪魔は別次元の存在であり、出現した際は、集団で準一級と一級冒険者で討伐するようにとギルドから推奨されている(至候聖が単独で祓う場合もある)。

 至候聖という称号は、実は冒険者の最高位という訳ではない。正確にはアレグリア最強の実力者を《至候聖》という枠組みで区別しているのだ。冒険者に限らず、宮廷魔術師や軍人など、言ってしまえば実力があれば誰でもなれる。

 尚、今現在、至候聖は八人だけだ。

 

 アザレアが話しながら、自然に金貨を露天商に投げ、二人分のラップサンドを注文する。

 

「おっ、アザレアちゃん! 今日も綺麗だねぇ! その灰色の髪の子は新入りかい?」

 

 露天商の恰幅のいいおばちゃんが笑顔で二人に話しかける。

 

「ええ、そうよ! グレイっていうの! ほら挨拶して?」

「グレイロード・ラメンテです。今日冒険者になりました。これからよろしくお願いします」

「ははっ、随分と可愛い子が来たもんだねぇ! どれ、少しおまけしておくよ!」

「ありがとう、おばちゃん!」「あ、ありがとうございます」

 

 ラップサンドをアザレアから受け取る。アザレアにも礼を言った。

 気前のいいおばちゃんに手を振って別れる。

 普段の量をグレイは知らないが、一つ110イリスでこの量なら相当安いな、と思った。

 姉弟のように並んでラップサンドをもしゃもしゃと食べる。シャキシャキとした瑞々しい野菜とまだ温もりのある肉が絡みあって非常に美味い。

 

「美味しいでしょう!」

「はい、とても。故郷を思い出します」

「故郷? 花隠れの森だったわよね」

「はい。双子の弟と二人暮らしだったので、料理は得意でした。近所のお姉さんに教えてもらって勉強しました。とは言っても、基本的には野生や果物、魚ばかりでしたが……。お肉や卵は、森では貴重品なんです」

「へー、そうなの! 私は料理は多分練習すれば出来ると思うけど、作るより食べる方が好きだし、皆に任せっきりなのよね。朝弱いし~」

「はは……」

 

 他愛のない会話。戦と死を知らずに朗らかに笑う人々。

 その『当たり前』が何より尊い事を、既にグレイは知っていた。知ってしまった。

 何気なく、自分の今持っているラップサンドを、宝石か何かのように丁重に扱わなきゃいけない気がした。 



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第六話 慮外千万

 ラップサンドを完食し、良くも悪くも人目を惹くアザレアから街案内を受けている。彼女は常に会話していないと呼吸が出来ないらしい。

 

「あれはこの街の象徴でもある時計塔。確か三百年ぐらいの歴史があるオンボロ時計よ。十二時になったゴンゴン喧しく鳴るわ!」

「街の象徴にオンボロとか喧しいとか言わないでください」

「バジノヴァーには大きく分けて年に三回お祭りがあるわ! 豊穣祭と恋歌祭、あと聖夜祭! 恋人がいない人には堪らないわね!」

「悪い意味ですけどね」

「あそこのチョココロネは絶品よ! この街の数少ない特色の一つなんだから! ただ店主のセクハラ発言には気を付けなさい。男女問わない変態よ」

「パン……」 

 

 余計な言葉を付け足しながらも、真面目に案内をするアザレア。何だかんだ言いつつも、この街の事は好きらしい。

 

 その時だ。アザレアが「あっ!」とはぐれた親を見つけた子供のように声を上げたのは。

 アザレアが指差した先、どうやら鍛冶師の館らしい。そこに、一人の冒険者が老人に何やら注文していた。

 

 その冒険者は、全身を光を反射しない白い甲冑で包んでおり、如何にも冒険者風の風貌をしていた。ただ、重戦士(タンク)のようなゴツゴツとした見た目ではなく、すらりとした体型(スタイル)に沿った鎧だ。顔も兜で隠しており、辛うじて口が見える程度だった。

 老人と話し終えると、男がこちらに気付いた。

 

「アザレア」男が話しかける。

「ギア!」

「……そっちが、件の少年か……」

 

 この人がギア――。成程、一目で一級冒険者だとわかった。となると、この男もグレイの事は知っているのだろう。

 

「ハイギア・テミスと名乗っている。ギアと呼ばれているが、好きに呼べ」

「ではギアさんと――」

「固いわグレイ! ギアは十八歳なんだから、呼び捨てしちゃいなさい」

「え、十八?」

「ああ。何か不自然か」

「いや、そうではなく……。あ、そう言えば、アザレアさんっておいくつですか?」

「私? 二十一」

「…………」

 

 若い。いや分かってはいたが。

 ギアは何と呼ばれようが気に留めない性格のようだ。冷静沈着、アザレアとは対照的な程落ち着いていて、口数も少ない。

 

「じゃあ、ギアで……」

「ああ」

 

 関心の薄そうにギアは言った。何で顔を隠してるんだろう、とか、その全身甲冑(フルアーマー)は何のために? とか、色々聞きたい事はあったが、ここは一先ず無視した。

 

「ギアは何をしてたの? 鎧の新調?」

「少し違う。予備の準備だ。この鎧は、魔術加工が施されているから、上級悪魔やモンスターでもそう簡単には壊されないが……、悪魔王公には、そんな常識も通じん。戦が連続して続くかもしれん、素材と資金に余裕がある分は、なるべくストックを多く頼んでいる」

「へぇ……。ちょっと触ってもいい?」

 

 グレイは魔剣士で冒険者だったが、それ以前に一介の十五歳の少年だった。当然、未知のものには子供らしい無邪気な知的好奇心もある。魔術加工が全身に施されている鎧など、初めて見た。

 ギアは――恐らく――無表情で「構わない」と了承した。

 

「じゃあ、ちょっと……――――ッ!?」

 

 腕に装着されている篭手に、グレイの手が触れた途端――バチィッ! と。

 静電気というには穏やか過ぎる電撃が右手を弾いた。正確には、鎧に触れる寸前で、グレイがその謎のバチバチに気付き、手を引いて、バチバチが磁石のようにグレイの手を攻撃した、だが。

 

「…………?」

「グレイ!」

 

 グレイはアザレアの声も意に介さず、若干黒く焦げた右手を見つめる。こんな事は初めてだ。

 先程まで無感動だったギアも、多少驚いているようだ。「無事か」と声をかけてくる。大丈夫と返した。グレイの中では痛みよりも理由が最優先だった。

 ――何だこれ? 初めての感覚だ。

 

「グレイ、大丈夫? 今治療魔術を掛けてあげるわ」

「ありがとうございます」

 

 アザレアが自分の片手を負傷した右手にかざすと、そこから光粒が溢れ、瞬く間に傷が癒えていった。魔術にも精通しているらしい。

 

「後で治療院に行きましょう。あそこの治療術師なら何か知ってるかもしれないわ」

「――すまない。俺の不注意だった」

「いやギアが謝る事じゃないよ。寧ろ僕が不用意に触りたいとか言ったから……。でも、何だろうこれ」

 

 今は怪我の片鱗も見せない右手を太陽にかざしたり、ひらひら振ってみるが、当たり前のように何も起きない。

 

「今思ったんだけど、治療術師に見せるなら傷は治さない方が良かったんじゃない?」今更気付いたグレイ。

「あっ!」今更気付いたアザレア。

「…………だが、放置して良い事もないだろう。悪いが、俺にはわからない」

 

 ギアにもさっぱりなようだ。魔術加工にも色々な種類があるが、大抵は魔術や物理的な耐久度を強化するか、ぐらいしか知らない。特殊な術式が封じられている場合もあるが、そんな遺物レベルのものは量産出来ない筈だ。

 

「ん~、考えてもわからないものは考えてもわからないわ! この事は一旦忘れましょう! 考えるのはまた今度ねっ!」

 

 わからないものはわからない、とあっさり割り切ったアザレア。大雑把な言い方だが、確かに一つの真理ではある。

 それもそうだ、とグレイとギアも納得し、この件は一度頭の隅っこに押しやる事にした。

 

「ねえ、ギアも今から一緒に――」

 

 その時だった。

 ゴッ!! と轟音が大気を震わせたのは。

 

「「「!!」」」

 

 冒険者三人、刹那の内に異変を察知、周囲に警戒を張り巡らせる。

 すると、幾つかの黒煙がモクモクと上空へと舞い上がっているのが見えた。火事? いや、違う。この気配は――

 

「モンスターだぁぁぁぁぁぁ!!」

 

「!」

 

 住民の声が、冒険者たちにモンスターの襲撃を知らせる。可笑しい。街にはギルド総帥の施した結界術が存在する。抑々護衛の冒険者もいるのだ。その全てを突破したとなると、これは大変な異常事態。

 ――或いは、手引きした者がいるか。

 

「モンスター……!? 何で総帥(アリス)様の結界を越えられたの……!?」

「今は考えるべきじゃない。俺達に求められるのは出現したモンスターの一掃だ」

「――そうね。ああ、もうっ、後で考える事が沢山だわ!」

 

 アザレアは動揺しつつもすぐに落ち着きを取り戻し、ギアは沈着冷静に事態を受け止めて平静を保った対応だ。

 ――これが一級冒険者か。

 心を取り乱すことなく、何時でも自分に求められた事を完璧に成し遂げる。グレイの負傷など、街にモンスターが出現したイレギュラーに比べれば大した事はない。彼等が冷静だからか、グレイも落ち着けた。

 

「皆さん落ち着いてください! 我々冒険者に従って避難を!」

「怪我人や病人はいらっしゃいますか!? 声を上げて下さい!! 直ぐに向かいます!!」

「おい、モンスターは南西と北西、南東と東に出現した模様! 一人でも死なせたら我々の敗北だと思え!! 行くぞ!!」

「「「はっ!!」」」

 

 グレイの近くでも冒険者たちが装備を整え、統率されて即座に怪物の排除へと向かった。迅速な対応だ、一級でなくても、誰もが市民の為に戦わんと奮い立っている。

 グレイは、魔剣を呼び出し、柄を握った。

 

「僕たちも行こう」

「ああ。グレイ、お前は一番近くの敵から屠れ。此処から遠い所には俺とアザレアが行こう」

「了解。ギア、アザレアさん、頑張って!」

「ああ」

「ええっ! 行っくわよ――っ!!」

 

 アザレアが叫び、二人の一級冒険者がぐっと身を沈め――次の瞬間、ドッ!! と。

 

「わっ!」

 

 ギアとアザレアが雄風となり、別々の方向へと跳び出していった。地面が多少抉れてしまう程の跳躍。竜巻じみた風と、それに飛ばされた小石がグレイにぶつかる。

 

「す、すごい……」

 

 既に視界に白と青の魔剣士は存在しなかった。きっとモンスターを討伐しながら疾風を纏っているのだろう。というか、アザレアは軽装だったが、ギアはあの装備でどうやってあんな跳躍を可能としたのだろうか……。

 

「――僕も……冒険者だ。行こう」



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第七話 魔剣士

魔剣とは、古代の聖遺物である。

 そして魔剣は『受け継がれていく』ものだ。人間が得物を選ぶのではなく、剣が所有者を選ぶ()()()()()()だ。

 魔剣士が死去する、又は()()()()()()()()()()()事で新たな主へ継がれる。希にだが、魔剣士が死亡すると、その魔剣も消滅するケースもある。

 魔剣士の『色』も重要だ。一説によると、魂や心の色がそのまま魔剣の色に繋がるらしい。グレイは灰、アザレアは白、ギアは青、といった具合に。

 今でも魔剣と魔剣士の詳細は明確に分かっていない。

 ――特に、魔剣士の『三段階の権能』に関しては未知な点が多い。

 

 

 

 ――――――――

 

 

 

「権能第一階域――『呪紋』」

 

 少年がぽつりと呟いた途端。

 ギュルギュル、ギュルギュルと。

 まるで呪詛のように魔剣から黒い蛇のような模様が走り、グレイの右腕を不可解な紋様で包み、それは顔の右半分まで覆い、グレイの翡翠の右眼を黒く染めた。

 権能第一階域『呪紋』。魔剣で自分を呪い、能力を強化するシンプルな権能。第一階域に関してはどの魔剣士も同じで、身体能力、感覚の強化といった処だ。

 

 グレイは早期決着を心掛け、魔剣を両手で握って跳び出した。呪紋により強化は、個人差はあるが、数字に表すなら通常能力の二乗といった程度だ。呪紋自体は大抵強化できず、変動する事はない。

 

「――ふッ」

 

 飛来した岩竜(ガーゴイル)のちょっとした小屋ぐらいの巨体を――大上段に構えた剣が、文字通り真っ二つにした。

 しかし、岩竜(ガーゴイル)はそれだけでは死ななかった。左の身体は死んだ。右の方はまだ生きている。右腕の爪が、少年を攻撃する――前に、灰色の斬撃が瞬きの内にしぶとい肉体を三つに切り刻んだ。

 

 いつものグレイならば有り得ない超人的な剣技。魔剣士の限界を超えた力。リミッターを外すことが出来るのが『呪紋』という権能であった。

 

 まず一体。周囲に市民がいないか、怪我はしてないか、瞬時に視線を走らせる。確認、殆ど人の気配を感じない。避難誘導班は優秀のようだ。

 ならば、躊躇も遠慮も不要である。

 

「「「ゴオオオオオオッ!!」」」

「――シッ」

 

 複数のモンスターが醜い波濤となって押し潰そうと迫る。一陣の風と化したグレイは、モンスター一体に一秒もかけずに早急に始末し、疾風の剣舞で次々と怪物共を屠っていく。

 岩竜(ガーゴイル)の翼を圧し折り、黒猟犬(ブラックドッグ)の四本足を切断、首を斬り落とした。助走をつけて斜め上に向かって跳び、飛来してきた鶏蛇(コカトリス)の体躯を擦れ違い様に一閃。鱗女(ラミア)の両手の爪撃を、鶏蛇(コカトリス)の身体を踏み台にして、器用に上下逆さまの状態になって躱し、咽喉を裂いた。

 異形の怪物であれば、何であれ関係なしに冒険者の名の下に鏖殺していく。

 決して灰色の進撃が止まる事はなく、為す術なくモンスターは只々殲滅の一途を辿るのみ

 

 ――しかし、呪紋によって鬼がかかった身体能力になっていても、無限に体力が続く訳ではない。

 また、ただ蹴散らす怪物だけでなく、灰色の天狗風を引き留める者も、確かに存在した。

 

 突然、真横から強烈な殺気を感じ、咄嗟にグレイが魔剣を盾にする。

 

「――――ッ!!」

 

 ドゴッ!! と。

 何かがグレイに凄まじい速度で激突した。列車がぶつかってきたかのような衝撃、それを完全に受け止める事が出来ず、ズガガガガガッと建造物を砕きながら数十メートル先まで軽く吹き飛んだ。

 大きな広場に飛び出た。宙に抛られた身を捻って地上に着地した。衝撃を殺しながら体勢を整える。

 

「…………けほっ。一体何だ……?」

 

 グレイの問いが契機だったように、ずしんと地面を揺らして、冒険者の前に『それ』は現れた。

 はっとグレイは息を呑む。緊張と悪寒に身体が骨の髄まで凍り付いた。冷や汗がぽたりと感想したタイルを雨模様に濡らした。

 青々とした鱗で包まれた民家を大きく超える巨体、蛇のように細長い頭と、ドラゴンのような爪、そして何より特徴的なのは尻尾の先に生えているもう一つの同じ顔。

 二つの蛇の顔と竜の身体。それは正しく――

 

 

双頭の蛇竜(アンフィスバエナ)!!」

 

 

 ――悪魔王公の、第十五位!!

 

 何故、こんな処に――いや。

 こいつが結界に風穴を開けたのか!?

 悪魔王公が結界を割って侵入し、それに便乗する形で他の雑魚モンスターが襲撃したのだとしたら――やや強引だが辻褄は合う。

 しかしそれなら腑に落ちない点がある。

 ――この巨体が何故今まで他の冒険者に確認されなかったのか? 

 アザレアとギアは一級冒険者だ(ヒエンは十中八九捕捉しているだろうが、無視する可能性があるので、この際考えない)。当然、有象無象のモンスター共ならば兎も角、異質な悪魔の気配には――王公となれば尚更――逸早く気付く筈なのである。一級ともなれば、討伐していても可笑しくはない。

 

 ――そういえば、こいつ。

 ――狙ったように僕に真っ直ぐ突進してきたな……?

 

 その思慮が解になる前に――、双頭の蛇竜(アンフィスバエナ)は蟻のように小さい少年を見下ろし、無言で首のついた尻尾を振り落としてきた。

 遊んでいるのか、幸いにも大した速度ではなかったので、即座に野兎が如く身を低くして躱した。空振りした尻尾の頭(?)はこちらを睨みつけていた。普通に怖い。

 巨大な足裏が少年を押し潰さんと迫る。身体を屈めて回避。くるりと回転し、勢いをつけて足の――人間でいうところの――アキレス腱を浅く斬り裂く。

 ――硬い!

 思いの外頑丈だ。鉄を斬る練習は何度もしていたが、竜を斬った事は少ない。(クロム)の下で片手半剣(バスタードソード)を何度も駄目にした記憶が蘇る。その度にグレイは、駄目にしてしまった剣のようにボロボロにされた。

 円舞(ワルツ)のように、勢いを殺すことなく、もう片方の前脚のアキレス腱も斬る。アンフィスバエナはグレイの記憶が正しければ再生能力はそう高くなかった。動きを阻害する障害ぐらいにはなるだろう。

 

 竜の口腔が膨らんだかと思ったら、ゴッと無色の息吹が吐き出された。匂いから察して恐らくは毒だ。分かり易く紫や緑色には映らない。厄介だと思いつつ、拡張斬撃の回転の風圧で、常人ならば一息でも吸えば死に至るであろう劇毒を吹き飛ばす。

 グレイロード・ラメンテは魔術を使えない。

 故に、武具に魔力を纏って斬撃範囲を拡張させる『拡張斬撃』を極めた。

 竜巻のような剣風を巻き起こし、近所迷惑な痾の吐息を完全に吹き飛ばした。冒険者はまだ近くに残っているかもしれないが、冒険者ならば毒の耐性はある筈だ。気に留める必要はない。

 

「ふう――って、わああッ!?」

「キシャアアァァ!!」

 

 尻尾の竜頭からは毒、長い首の先にある竜頭からは強靭な牙が飛んでくる。鞭のようにしなる首が飛び出し、紙一重で牙を躱すと、竜の牙が地面を抉ってガラガラと口から石やら瓦礫やらが溢れ出す。

 

「…………お腹壊すよ」

 

 グレイの善意の忠告も無視し、身体を捻って勢いをつけた状態で尻尾を振り回してくる。幸いにも毒はない。

 水面で跳ねる魚のように跳び上がって避ける。中空に浮いた瞬間、ガシッと両手で濃い青色の尻尾を掴む。風圧で吹き飛ばされそうになりながら、力尽くでしがみつく。

 

「こん、のおッ………!!」

 

 右手に魔剣を顕現、刺突。

 

「ギ!?」

 

 悲鳴を上げた尻尾の頭(何言ってんだろう)と首の頭。今度こそ明確な悪意を持ってグレイを放り投げた。弾丸のように民家に突っ込んだグレイ。地面に叩きつけられなかっただけ不幸中の幸いだ。

 

「ぐあ!」

 

 ドゴゴッ、ガッシャン! と音を立てて塀を粉砕して、窓ガラスがバラバラになる。咄嗟に受け身を取ったが、背中が激痛でズキズキと罅割れる。如何やら一撃で数十メートル先まで叩き飛ばされたようだ。

 ――これが悪魔王公か。

 魔術も無関係に素の力でこの能力値。『王』などと称されるだけはある。

 ぷっと血の混じった唾を吐き捨てる。マフラーの無事を確認する。よし、大丈夫っぽい。多少汚れているが、これぐらいは後でどうにでもなる。

 しかしこれだけ派手に暴れれば、他の冒険者も救援に来るのではないのだろうか? いや寧ろ何故来ない。

 不自然な思いは募るだかりだったが、ないものねだりしても無駄だ。今あるもので戦わなければならない。

 呪紋を少し制限する。身体を巡る呪いがあれば、毒はグレイの呪紋以上に強力でなければならない。長期戦も予想される。呪紋の無駄遣いは愚策だ。

 一歩、アンフィスバエナの下へ踏み出そうとした、その時――。

 

「…………ひっ……、う、ああ………」

 

「――――!」

 

 ばっと声のした方向を振り向く。

 そこには、まだ十歳にも満たないような幼い女の子がいた。

 

「まだ避難出来ていなかったのか……」

「お、おにいちゃんだれ……? 何で、私の家……どうして……?」

 

 家族が元々いなかったか。それとも見捨てられたか。後者ではあって欲しくないものだ。

 グレイは最優先事項を『双頭の蛇竜(アンフィスバエナ)討伐』から『少女の保護』へと切り替える。

 魔剣を消して少女に近づき、跪いて微笑んだ。

 

「大丈夫? 怪我は?」

「おにいちゃんは? だれ?」

「僕は冒険者。君の味方だよ。怪我は……ないみたい。良かった。ここは危険だよ。早く外に行こう」

 

 まだ混乱している少女を抱き上げ、外に出る。

 

「お名前は?」

「ペネロペ……」

「そっか、ペネロペ。ここはこわいモンスターがたくさんいるんだ。逃げなきゃいけない」

「お父さんは? どうしていないの?」

「? お母さんは?」

「むかし、お父さんとケンカしちゃってどこかにいっちゃった」

「あ、そう……。ところでお父さんは冒険者? 今は何処に?」

「ううん。ちがうよ? ちょっとまえにここからとび出していっちゃったの。わたしもついていきたかったけど、『お前は此処で待ってなさい』って言われて……」

「…………」

 

 彼女の言を信じるならば、何となく父親の行動が理解できた。予想はいくつか立てられるが………。

 ――子供を贄にして自分だけ助かる道を選んだ……って事はないよな。

 

「ねぇお父さんは?」

「…………。ここにはいないよ。僕といっしょに行こう。きっと会えるよ」

「うん」

 

 数瞬悩み、挙句そんな何の根拠もない事を語ってしまう。父親がもし生きてて、娘が生き残っている事に驚きでもしたら、ぶん殴ろう、とグレイは密かに決めた。

 

「目と口を閉じて。いま安全なところにつれていくから」

「うん」

 

 素直な子供だ。グレイはトンッと地面を蹴って、風さえも追いていくような凄まじい速度で駆け出し、安全な処を探す。今はアンフィスバエナから離れる事が最優先だ。幸いまだ見つかってないようだ。

 襲ってくるモンスターをガン無視し、元いた場所から数秒で数百メートル程まで一気に走り抜けた処で、後方を確認する。

 ――あれ? アンフィスバエナは……?

 急停止しようとして、今は自分だけじゃない事を思いだし、ゆっくり速度を緩めて止まった。

 

「ん?」

 

 ふと太陽の光が消え、自身と一帯に暗い影が差す。あれ、この影の形見覚えがあるぞ。

 上空にいる存在が理解した瞬間、直ぐにその場から逃げ出した。

 一瞬――ドオオオオン!! と。地震と勘違いするような轟音と衝撃が周囲一帯を襲った。悲鳴を上げる少女を抱えたまま、グレイは衝撃を予測して跳んでいた。

 

「キシャアアアアアアアァァァァァ!!」

「何故、僕ばかり……!?」

 

 目の前にいたのは、当然というかなんというか、猛毒を吐く蛇竜――アンフィスバエナだった。不幸中の幸いか、まだ怪我は完治していない。

 魔剣を片手に顕現させる。グレイは魔術を使えない。魔術という遠距離砲台が無い状態で、呪紋と拡張斬撃だけで、しかも少女を庇いながら戦えるか否かと問われたら、否と答えるしかない。

 マフラーを解き、ペネロペの口元に窒息しない程度で巻いた。

 

「わぷ」

「ごめんね。少しだけガマンしてて」

 

 やらないよりマシだろう。毒に対する防御策だ。

 アンフィスバエナのアイアンテールを上空に飛んで躱しつつ、逃げる打開策を思考に張り巡らせていた――その時。

 

 ずしん、ずしん、と。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「おにいちゃん、あれ……」

 

 冷や汗を垂らしながら、グレイはおずおずと少女に引っ張られ、足音の方向へ首を傾けた。

 

「……冗談でしょ」

 

 そこにいたのは――()()()()()双頭の蛇竜(アンフィスバエナ)

 ――前門の虎、後門の狼。

 ふと極東の友人から聞いた、そんな言葉が想起された。



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第八話 轍鮒之急

 

 ――だから、何で僕のとこばっか!

 

 悪魔王公が二体。何故山程いる冒険者の中でもグレイただ一人狙うのか。いや他の冒険者に死んでほしい訳ではないが、出来れば複数の準一級冒険者以上とお相手願いたい。

 いや、これは一級冒険者でも勝てる確証のない戦場だ。まだ四級で、魔剣士としてもまだ未熟であり、第二階域の権能を扱う事も出来ないグレイにこの戦場を生き延びる保証はない。

 故に、グレイの判断は――、

 

 逃げる。

 

 その一手だった。

 神速で飛び出し、民家の間を縫って二体のアンフィスバエナから逃走する。

 悪魔相手に恥じも外聞もない。格上と戦うにしても、これは相手が悪すぎる。その上、自分以外の誰かを守らなければいけない状況だ。なりふり構わない。

 アンフィスバエナを置いていき、駆け出していると……、二体のアンフィスバエナが追ってきてない事がわかった。

 

「? ――何で追いかけて……あだッ!?」

 

 ゴンッ!! と。

 グレイの頭が何かにぶつかって空中で静止し、地上へ無理矢理落とされた。

 

「ええ、なにこれ……」

 

 何もない場所に手を伸ばすと、何故か壁のような硬い感触が掌に返ってくる。不細工に目を凝らすが、向こう側の建物がいくつか透き通って見えるだけだ。

 ふとペネロペへと視線を向けると、彼女は不思議そうな顔で小首を傾げていた。

 そして、結構な衝撃だったけど、何でこの子無事なんだろう……と思い、はっと一つの光明が脳裏に閃いた。

 グレイは跪き、ペネロペを「あっちに行ける?」と歩かせた。するとペネロペは「うん」と返事をして、グレイがぶつかった無臭無色不可視の壁へとことこ歩いていく。すると、困惑した様子のペネロペはそのまま通り過ぎた。

 よし、と疑惑は確信へと変わる。グレイはペネロペにこう言い聞かせた。

 

「ねえ、ペネロペ。僕はここでおしごとがあるんだ。もうしわけないんだけど、先にいっててくれるかな? ひとりでも大丈夫ってところ見せてほしいな」

「うん。ペネロペ、できるよ」

「そっか。じゃあまたあとであおうね」

「うん」

 

 初めてのおつかい感覚でペネロペは返事をした。。笑顔でバイバイと手を振り、一旦彼女と別れた。此処は既に無法地帯だが、悪魔王公二体いる場所より遥かに安全だろう。グレイも全力で戦えない。

 

「これは結界、なのかな」

 

 グレイは両手で空気を押しのけるが、まぁ無駄だった。魔剣で斬れば何とかなるかもしれないが、少年は如何やら魔術に嫌われているようなので、ギアのように反動が来る可能性もある。

 同じ日に二度も魔術に拒絶されるとは、少々傷つくな、とふざけて思った。

 

「こんなにも魔術に好かれないなんて……。まぁ、魔力が全くないよりマシだけど」

 

 魔剣を顕現させ、腰に刷く。しゃっと灰色の刀身を鮮やかに抜刀した。

 二体の猛毒の蛇竜へと利剣と殺気を向けた。

 

「――さあ。再戦だ」

 

 その言葉が契機となったように。

 アンフィスバエナAがその巨大な体躯を唸らせて、グレイへ突撃する。跳躍してそれを躱すと、今度はもう一体のアンフィスバエナBの尻尾から猛毒のガスを吐き付けられる。息を止め、その尻尾へと敢えて突っ込む。

 開けられた泥や砂で汚くなった口腔で球体の形になるように乱回転して口の中をズダズダに斬り裂いた。

 尻尾の口が悲鳴を上げる前に舌を切断――至近距離で叫喚を聞いたら鼓膜が破れてしまう可能性があるからだ――、腰のポーチから火炎石を取り出し、魔力を込めてから咽喉の奥へと放り込んだ。

 火炎石は個体の可燃性物質だ。ダイヤのように頑丈で、僅かな魔力でも込めると起爆する。

 

「よっ」

 

 口から逃げ出し、頭を踏み付けて閉口させた。跳んでその場から逃げ出すと、一瞬の内に――ドゴッと。

 尻尾の中間辺りからくぐもった爆発音がした。

 

「ギシャアアァァァァァァ!?」

 

 耳を抑えた後、アンフィスバエナBの悲鳴が上げられる。

 怒り狂った悪魔の毒蛇は、身体に百足でも巻き付かれたようにドスンドスンとその巨体を、近所迷惑もなんのそので暴走状態《バーサク》になった。

 

「キシャアァァァァァァア!!」

「ギイイイアアアアアアア!!」

 

 アンフィスバエナBがアンフィスバエナAに噛みつき、それにキレたアンフィスバエナAが反撃し、同士討ちを始めた――悪魔王公に仲間という共生概念があるのかどうか知らないが――。

 魔剣士としてどうかと思う戦法だが、戦士としては正解の戦いだ。 周囲に人の気配はない。暫く潰し合ってお互いに体力を消耗してもらうおう。

 姑息な作戦を立てつつ、遠くへ跳び出す。魔剣を持ちつつも、グレイはもう仕事は終わりかもしれない――等と考えていた時。

 不意に、上空に閃光を感じ、視線を頭上へと持ち上げる。

『それ』を見て、グレイは顔を顰めた。

 

「あれは……」

 

 青い空。白い雲。そして巨大な鳥。

 白いキャンパスに黒い絵の具を一つ落としたように、妙な異物が空を飛んでいた。

 その鳥に数名の人間――人型の悪魔かもしれないが――が乗っているのがわかった。

 もしかして、彼等がアンフィスバエナを手引きしたのか……?

 グレイのその疑問は、直ぐに氷解する事となる。

 鳥に乗っていた人種不明の明らかに怪しい連中は、鳥の上からチカチカと紫色の光彩を放った。

 

「?」

 

 何だアレは――と。グレイが言葉を口にする前に。

 

 ――――――ゴッッ、と。

 

 鈍い音を立てて、グレイの男子としては小柄な体躯が、ドガガガガガッと住居を破壊しながら数十メートル吹っ飛び、録に受け身も取れずに地面に衝突し、ゴロゴロと転がりながら、小屋に背中がぶつかって止まった。

 

「かっ、は……!! ごほっ、かはっ!」

 

 血反吐を吐きながら体勢を立て直す。自分の今の状態を確認する前に、はっと黒い影が頭上に差し掛かった。

 ドンッとアンフィスバエナAの、鞭のようにしなる鋼鉄の大木がグレイが――先程までいた場所を砕く。

 

「……ッ!」

 

 ぐるっと身体を捻って辛うじて躱していたのだ。

 が――もう一体の悪魔王公、アンフィスバエナBが巨大な竜爪を横薙ぎに払った。

 

「~~~~~~ッ!! ぐあああああああああああああ!?」

 

 咄嗟に魔剣を下段から上段へと振るい、受け止める。ガリガリガリガリガリッと地面を削りながらグレイをボールか何かのように扱い、轟音と共に街の道路に縫い付けた。

 

「ごっ、ぐふっ、おぐっ…………」

 

 ――避けた場所にもう一体が攻撃……。何故急に喧嘩をやめたんだ?

 魔剣は押し倒される瞬間に消したが、流石に竜の力に抵抗できる程、グレイは怪力ではない。

 

「あの、鳥ッ……!」

 

 何かした、と考えるのが妥当だろう。巨大な怪鳥の乗客が、あの妙な紫色の怪光線を放ってから、悪魔たちは統率を取り始めた。恐らく、アンフィスバエナをここまで呼んだのも奴等だろう。

 グレイに何の影響もなかった処を考慮すると、悪魔やモンスター限定か。だが――悪魔王公としては――下位と言えど、悪魔王公を従えるなど、並み大抵の技術ではない。魔術か、人智を越えた権能か。

 

 しかし、同時に疑問。

 ――何故……それほどの力を持っていながら自分が直接手を振るわない?

 正体がバレては不味いのか、もしくは戦闘向けの能力ではないのか、ただの小手調べのつもりなのか……。可能性だけならば、押さえつけられている身体と反比例していくらでも浮上してくる。

 

「ぐっ……、う」

 

 ――あ、やば……。

 意識、飛ぶ…………。

 

 グレイが巨竜の重さに負け、意識と身体が潰れようとした――その時。

 

 パシャッ、と。

 

 カメラのシャッターの押した時のような、小さな音が鳴った。

 音が響いた瞬間、グレイを喰らおうとしていた二体の竜の動きが停止する。

 そして、グレイを押さえている竜の足元に、ふっと小柄な少女が転移したように現れ、手にしていた懐刀程度の大きさしかない、しかし不気味な魔力を漂わせる鉾で悪魔王公の足の皮膚を貫いた。次いで、ザクザクとぐるっと足首を一周して、赤黒い切痕を刻んだ。

 

「硬いな、こいつだけ回収するか」

 

 そう少女が呟くまで――およそ二秒。

 

「ギイイイアアアアアアアアアアアアァァァァァ!?」

 

 アンフィスバエナBが漸く動き出し、悲鳴を上げる。脚をグレイから離し、今度は少女がグレイの首元を掴んで先程と同様、瞬間移動じみた速度でその場から離脱。近くの屋根に着地した。

 

「おい」

「…………あ、う」

 

 少女が乱暴に倒れているグレイを立たせる。

 

「ちっ、脚と肋骨の骨が砕けてるな。もう戦えないか。ったく、ウチは治療術士(ヒーラー)じゃないぞ。後でクレラに診てもらうか。あんの至候聖、面倒な仕事押し付けやがって」

「貴女は……」

「は? 聞いてないのか? ……ちゃんと説明しとけよ、あいつ……。監視役だっつーのに」

 

 グレイより小さい身長の彼女は、強気な態度で男勝りな喋り方で簡潔に自己紹介した。

 

 

「ウチはラズナ。お前の監視役だ、グレイロード・ラメンテ」

 

「ラズナ……? もしかして、アザレアさんの言っていた?」

「ああ、アザレアからは聞いているのか。おしゃべりだからな、あいつは。ベラベラ他人のプライベート喋っちゃいないだろうな」

 

 ラズナ、と名乗った少女は、小柄な身体と可愛らしい顔の割に口が悪かった。

 

 ボブに切り揃えた楊梅色の髪、抱き締めたくなるような愛らしい顔立ちに、冒険者らしい健康的な肢体。グレイよりも小さい体躯はとても戦場に出向いているとは思えない。

 

 グレイが思わずジロジロと視ていると、ギロリと効果音が出そうな眼光がグレイを貫いた。

 

「……何見てんだ」

「あ、いや……。えーっと……、可愛いなって」

「は? 冒険者に可愛いなんて褒め言葉になると思ってんのか。弱く見られるって事だろ。なに、浮ついた言葉吐いてんだ。気持ち悪ぃ」

「すいません……」

 

 ちっと舌打ちをし、グレイから悪魔王公二体へと目を向ける。

 男勝りな子だ……と思いつつ、グレイもアンフィスバエナを警戒する。

 魔剣を構えようとし、失敗する。

 

「え――」

 

 がくっと。腰が砕けてその場にみっともなく四つん這いになった。ガクガクと腕が震えて上手く体勢を直せない。

 

「これは……」

「ビビってるわけじゃないな。ただ骨が複雑骨折しているだけか」

「何を悠長に……! その魔術は戦闘用には見えないけど」

「何だ、良い眼をしているな。お前の言う通り、『映写魔術』に物理的な強さは皆無だ。基本的にウチは魔術具(アーティファクト)で戦う。お前みたいな灰色ゴリラとは違って、お淑やかで硝子細工みたいな女なんだウチは」

「ご、ゴリラ……」

 

 グレイが思わぬ言葉に衝撃を受けていると、空気を読まないアンフィスバエナがこちらに攻撃してきた。

 噛みつき攻撃。グワッと咆哮を上げながら二人の冒険者を喰らいつかんと迫る。

 

「ラズナ! 危な――」

「動くな」

 

 その命令は、グレイとアンフィスバエナ、二人に向けられていた。

 ラズナは人差し指と親指でLの字を片手ずつ作り、両手で合わせて長方形にした。

 そして、それをアンフィスバエナに向けた。すると――

 

 カシャッ、と。

 

 ――まただ……!

 

 カメラのシャッター音が鳴った。すると、ラズナの長方形に切り取られた景色は、そのまま二秒間停止した。

 二体のアンフィスバエナは己の意思に反して身体の動きを否定され、竜の白刃のような歯に垂れる唾さえ重力に逆らってピタリと制止し、宙を舞っていた埃までもが、その場に保存された。宛ら時が止まったように。

 



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