ロリな勇者と全身凶器 (喜多見 健)
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最初の仲間は全身凶器

 灰色のレンガが道に敷き詰められている教会前広場に、大勢の人間が集合していた。その人ごみの中心には、「服に着られている」小柄な少女がいる。

 

 淡い緑色の冒険服に身を包んでいる少女の年はまだ幼い。10代の前半から、半ばといったところだろうか。左腰に真新しい鞘と剣を差し、背中には体に似合わない大きな革のリュックサックを背負っている。金色の髪が風になびき、黒の瞳が風の行方を見つめていた。

 

 ガヤガヤ賑わしい広場へ、一人の男性が歩み出る。白い僧服に身を包んだ初老の男だ。おそらく、神父であろう。

 

「『勇者』、シャーロット。君のような子供に……少女に、戦いを強いる我らを許してほしい」

 

「いえ、良いんです。これも神の御意志。であれば、私はこの骨の最後の一片までも戦います」

 

 その言葉に、広場からは嘆息とすすり泣きが聞こえる。

 

「光栄です。私、こうして世界の為に戦うことができるんですから」

 

 にっこりと少女は笑みを浮かべ、神父に向き直った。

 

「召喚契約を、お願いします」

 

 少女の表情に多少驚いたようだが、神父は努めて冷静に、両手を広げ、二言三言をつぶやくと、たちまち虚空に青白く光る門のようなものが出現し、それは少女の目の前へと降りてゆく。

 

「汝は何ぞや?」

 

 神父が汗を浮かべながら尋ねる。

 

「我は勇者なり」

 

 勇者も汗を浮かべ、応える。

 

「勇者、汝の役目はなんぞや?」

 

「我の役目は、我が主の御意志に背きしものを――」

 

 青白い門から一人の男が現れた。否、「吹き飛んできた」。

 

 あまりの唐突な光景に周りの者はおろか、神父でさえ大口を開けて男を見つめている。通常ならば勇者と神父の問答の後にしかるべき手順を踏んでから「旅の仲間」が召喚されるのだ。

 

 本来ならば、あってはならない。ましてや、「勇者の役目」を述べてもいないのに召喚されるということは、それすなわち「勇者の意思に従うならどんなことでも行う」という仲間なのだ。それがたとえ犯罪でも、味方を殺す事であっても、ためらい無く行うという人間なのだ。

 

 神父と群衆が汗を浮かべる中、現れた男はゆっくりと起き上がる。

 

 ところどころ赤黒く汚れた、しかし傷の無い胴着を纏った男、服の上からでも、その下に隠された肉体がわかる男。短い黒髪と黒い瞳が、周囲の状況と自らの状況を照らし合わせているようだ。周囲の物音も、風すらもやんでしばらく経った頃、男はゆっくりと息を吸い込んだ。

 

「……召喚された、か」

 

 心地よく鼓膜を震わせる穏やかなその声に、周囲の人間は呆けたように男を見つめる。てっきり、この世の最下層の毒沼が吹きあがったような声だろうと思っていたのだから。

 

「私を召喚したのは、誰かね?」

 

 男がゆっくりと周囲を見渡すと、一人の少女が男に近づく。

 

「わ、私です! この村の、勇者です!!」

 

 ふるふると足が小刻みに震えている少女は、懸命に男を――身長差が40センチはあろうかという男の顔を見上げる。

 

 ほう、と男が小さく息を吐いた。

 

「よし、良し。ならば良し」

 

 何か気に入る点でもあったのだろうか、満足げに男は首を縦に振る。しかし、神父は、はっとしたように言葉を紡いだ。

 

「ま、またれよ!! 汝の名はなんという!?」

 

「アルベルト・ウェンディ」

 

 男は短くそれだけをつぶやく。すると、群衆の中の一人が奇妙な一言を発した。

 

「アルベルト……あの『全身凶器』のアルベルト?」

 

 全身凶器、という言葉に、あるものは嘆息を漏らし、あるものは恐怖を浮かべる。だが、当のアルベルトは気にした様子はなく、さらりとその質問に答えた。

 

「そうだ」

 

 簡潔な、肯定の言葉であった。ざわざわと群衆がにぎやかになる中、青白く光る門を閉じた神父が口を開いた。

 

「静粛に! これより契約を行います!!」

 

 

 

――――

 

 

 

「問おう、汝はなんぞや?」

 

「我は武器。我は盾。我は我」

 

 神父の問いかけに、アルベルトはそのような言葉を紡ぐ。

 

「問おう、汝の目的は?」

 

「我が目的は……我が主マスターの敵を、一片の骨肉をも残さずに屠りさることなり」

 

 まるで凶暴な肉食獣の前にいるかのような威圧感が広場を包む。その源は、アルベルトその人であった。

 

「ならば最後に問おう、汝が道を外れたとき、その時はどうする?」

 

「我が道を外れし時は……その時は己の首を鉄縄に結び、自ら鉄縄を引こう」

 

 あまりにも真っ直ぐな答えに、神父の顔から汗が流れる。アルベルトの宣言は、神に対する誓い、それすなわち、破った時はそれをされても問題ない、ということなのだ。

 

 神父はふぅと息を吐き、シャーロットを見つめた。

 

「終わりましたよ、『勇者さま』」

 

 にっこりと神父がほほ笑むと、群衆の中で父母と語っていた少女は複雑な顔で神父に向き直る。

 

「ええ、ありがとうございます。神父様」

 

 そして少女は自らの親に向き直った。

 

「征いってきます。父さま、母さま」

 

「ええ。行ってらっしゃい。シャーロット」

 

「体に気をつけて、無理をせずに、な。アルベルトさま。なにとぞ、御無事で」

 

 その言葉に、アルベルトは薄く笑みを浮かべ、ただ一言だけをつぶやいた。

 

「勿論だとも」



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鎧袖一触

 草を踏みつける音が青空に溶けてゆく。地図を片手にちらちらとアルベルトを見る幼い勇者は、おどおどと言葉を切り出した。

 

「アルベルトさんは、その……戦闘をしたこと、ありますか?」

 

「……ああ」

 

 シャーロットの前を、大股で二歩程先立って歩いている胴着の男はぶっきらぼうにそう言った。

 

 まるで、話したくないというかのように、ひどくぶっきらぼうに。

 

「あ……そうですか……」

 

 沈黙が二人を包み、気まずさがシャーロットの周囲を漂う。

 

「……あの」

 

 ちらりとシャーロットが目の前のアルベルトを見つめると、アルベルトは立ち止り、シャーロットに向けて掌を向けていた。「動くな」の彼なりの合図であろうか。

 

「前に二匹『いる』」

 

 その言葉に、シャーロットは左の腰の鞘から剣を抜いた――否、抜こうとした瞬間、鋭い視線がシャーロットに突き刺さった。

 

「私がやる。君は手を出すな」

 

「で、でも――」

 

「女は戦うものじゃない」

 

 必死にシャーロットが抗議するが、その言葉は「女」という一言で一蹴される。ギリ、と悔しそうに歯をかみしめるシャーロットは、二つの影に突撃するアルベルトの背を見つめていた。

 

 

 

――――

 

 

 

 アルベルトと影との距離が縮まる。

 

 5メートル……3メートル……1メートル。

 

 めき、という骨の砕けるような音とともに、影が、いや、敵が宙を舞った。30センチほどの、大型のネズミのような「魔物」である。鋭い前歯にかみつかれれば、おそらくはその場所を根こそぎ持っていかれるだろう。それに対して、アルベルトは接近戦を挑んだのだ。

 

 完璧な不意打ちとはいえ、大ネズミはまるでゴムボールのように宙を舞い、柔らかな草が覆う地面を跳ねた。アルベルトはただ、右手でネズミの腹部にアッパーをたたきこんだに過ぎない。

 

 だがそれだけで、大ネズミの背中、殴った場所の対面からは背骨とさまざまな臓器が突出し、瀕死の状態であることを周囲に教えていた。

 

 仲間を倒されたもう一匹の大ネズミは、自慢の前歯をアルベルトに向け、飛びかかった。アッパーを打ち終わったアルベルトが体を戻しながら左拳を思いっきり振り下ろすと、何かが砕けるような音とともに、べしゃっ、という水を地面にぶちまけたような音が草原に響き渡った。

 

「終わったよ」

 

 両手を血で真っ赤にぬらしたアルベルトは、何でもないかのようにそうつぶやく。

 

 彼の背後には絶命したであろう一匹が、足元には頭部がぺしゃんこにつぶれ、前歯さえも粉砕した一匹が、地面に倒れていた。剣を構えながら恐る恐る近寄るシャーロットは、目の前の光景を震えながら見つめていた。

 

「この程度でどうする? もっと『人間みたいな姿のやつらがうじゃうじゃいる』んだぞ?」

 

 血で塗れた両手を握ったり開いたりしながら、アルベルトは言う。ぐぱぐぱという粘ついた音が空気を渡る。

 

「す……すいません、大丈夫です。行きましょう」

 

 顔色の悪いシャーロットは、地図を見ながら歩き出す。それを確認してから、アルベルトはため息を吐く。

 

「戦利品の回収も大事だ」

 

 シャーロットを呼びとめたアルベルトは、先ほどしとめた大ネズミのもとへと向かう。シャーロットが見たものは、大ネズミの体内を探るアルベルトであった。

 

「な、に……してるんですか?」

 

「こういう奴らは人間を丸ごと喰うからね、胃とか腸とかに消化されなかったお金とかアイテムとかがあるのが常なんだよ」

 

 やがてアルベルトは腕を引き抜き、モンスターの体液でぬれた指輪とわずかな硬貨をシャーロットに見せる。

 

「大当たり、だ。君もやってみると良い」

 

 その言葉に、ぶるぶると震えながらシャーロットは無残にも内臓の露出した大ネズミに剣先を向ける。あらわになった内臓の上から下までを剣で切り開くと、中には無数のペンダントと硬貨がおさまっていた。

 

「上出来だ。お嬢さん」

 

 さすがに少女に体内を探らせるようなことはせず、アルベルトは粘液に濡れたアイテムをつかむと少女のリュックサックの中におさめる。

 

「……アルベルトさん、冒険慣れしてますね」

 

「……小さい頃、やんちゃをしてたからね」

 

 足の震えているシャーロットは自らに活を入れると、剣をしまいこみ、力強く歩き出した。そんな小さな勇者の様子に、笑みを浮かべながらアルベルトは大股に歩きだす。少女に危険を与えないために、少女に地獄を見せないために。

 

 

 

――――

 

 

 

「つきました! エルオールです!」

 

 シャーロットは心底安心したようにそう言う。

 

「敵らしい敵もいなかったな。楽な道中でなによりだ」

 

 既に乾いた血を落としたアルベルトは、街中をきょろきょろと見渡す。

 

「どうかしましたか?」

 

「質屋か鑑定所でもあればと思ったんだがな。その荷物、重いだろう?」

 

 アルベルトの言葉に、シャーロットは必死に反論する。

 

「重くありません!! 第一、私戦闘でちっとも役に立たないですからこれくらいしないと何のために出てきたのかわからないじゃないですか!」

 

 気丈にそういう勇者の姿に、アルベルトは苦笑を浮かべる。そんな二人の下へ、一人の若者が近づいてきた。タバコから紫煙を立ち上らせる青年である。

 

「どうしたの、御二人さん?」

 

「ああ、商店の場所を教えてもらいたいんだ。装飾品の売れる場所を」

 

 アルベルトが尋ねると、青年はある建物を指さした。看板には、宿屋と書かれている。

 

「あの場所で全部そろう。そう言う場所だぜ、ここは」

 

「恩に着る」

 

 大股でアルベルトが歩きはじめ、思い出したようにちらりと後ろを向く。とことことシャーロットが追いかけているところであった。

 

 

 

――――

 

 

 

「そうですねぇ……こちらの指輪が120Erg(エルグ)、ペンダント類が合計で540Erg、合計660Ergでいかがでしょうか?」

 

「ああ、それで良い」

 

 二言三言の言葉だけを交わし、商談は成立した。

 

「ああ、そうだ。武器はどこで売ってる? 道具でも良い。拳の保護ができるやつがあれば教えてほしいんだが」

 

「それならあちらです。手前のカウンターが武器で、その奥が防具。一番奥が雑貨です」

 

「どうも」

 

 アルベルトが軽く礼を述べると、質屋の男は形式的な言葉を述べた。

 

「またのお越しをおまちしております」

 

 ふう、と小さく息を吐き、アルベルトは彼の主、シャーロットの下へと向かう。

 

「660Ergだったよ。なかなかの収穫だ」

 

 まるで皮膚が裂けたようにぱっくりと口が開き、アルベルトの顔に笑みが浮かぶ。

 

「けっこうなお金になりましたねー。ありがとうございます、アルベルトさん」

 

 無邪気に笑みを作り、シャーロットは言う。

 

「そこで、だ。君には防具を新調してもらう。何があるかわからないからね」

 

「む、子供扱いしないでください! これでも14の誕生日は終わってるんですから!」

 

 その言葉に、アルベルトの顔にありありと驚きが浮かんだ。

 

「本当にお嬢さんじゃないか。どうなっているんだ、こんな少女を勇者にするなんて」

 

「だーかーら! 子供扱いしないでください!!」

 

 ムキになって反論するシャーロットに対して、アルベルトは穏やかな笑みを浮かべる。

 

 だいぶ二人の心の距離は近づいているのだろうか。

 

「まあ、防具は否応なしに新調させてもらうよ。14の少女ならなおさらだ。傷なんてつけてしまったら私はご両親に殺されてしまう」

 

 小さく声をあげながら笑うと、シャーロットは反論をしようと口を開く。

 

 だが、アルベルトは反論を聞くよりも早く、防具売場へと足を進めていた。



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最悪の相性。もしくは、勇者の初戦果

 十数分後、所持金と今までの装備を合わせた代金で装備を新調した二人は、上機嫌で次の街への道を歩んでいた。

 

「この服本当にすごいですよ! こんなに軽くても耐久力が高いなんて!」

 

「だから言っただろう? 掘り出し物はあるものだ、と」

 

 買う時までさんざん「重いのと革臭いのはいや!」と駄々をこねていたシャーロットも、新しい衣服に満足したらしい。

 

 服の間に着こむもので、細い魔法鉄で編まれた服であるために対刃性能が高いのだ。もちろん、彼女に攻撃が来ないようにするのが仲間であるアルベルトの仕事であるのだが、どうしても後れを取ることがある、そのためのものだ。

 

「でも、良かったんですか? アルベルトさん、何も装備しないで――」

 

「武道家は速さが命だからね。下手に重いものを着ても動けなくなるだけさ」

 

 そういうと、アルベルトは真っ白なバンテージを巻いた腕を差し出す。

 

「でもでも! 武器くらいは買ってよかったんですよ? あの籠手とか、アルベルトさんにぴったりだと思ったんですけど……」

 

「籠手を着けていると、『組めない』からね。まあ、これはいずれ教えてあげようか」

 

 ぴく、とアルベルトの眉がつりあがった。そして、狼のような、獰猛な笑みを浮かべる。

 

「今、教えてあげよう」

 

 その雰囲気を敏感に察知したシャーロットは、アルベルトの後ろに就く。

 

 魔物の気配をとらえたのだ。

 

 

 

――――

 

 

 

 小柄な動物が――二足歩行をし、防具を着込み、武器を持った小柄な動物が5匹ほど、アルベルトたちの前に立ちはだかっていた。

 

 一般にゴブリンと呼ばれる、深い褐色の毛が全身を覆っている生物だ。鼻自体は低いが、鼻は根元から大きく前方に突き出した奇妙な外見をしている。

 

 アルベルトとシャーロットを見つけたゴブリン達は、甲高い声で一声鳴くと、武器を振りかざしながら二人の元へと襲いかかる。飛びかかったゴブリンにより、アルベルトの顔面に、錆びた斧が振り下ろされるが、アルベルトはそれを意に返さずに、斧を持つ手を殴り飛ばし、ゴブリンの衣服を万力のごとき力でつかんだ。

 

 その次の瞬間には、ゴブリンの頭部が地面に突き刺さっていた。胸倉をつかみ、そのまま回転させ、勢いそのままに地面にたたきつけたのだ。鈍い音とともにゴブリンは背中の方向へ体を折り曲げ、ピクリともせずにいる。

 

「しッ!」

 

 アルベルトは短く息を発すると、鋭い後ろ廻し蹴りを放つ。

 

 みちっ、という肉をたたく音とともに、背後で斧を振り上げていたゴブリンが横薙ぎに吹き飛んでいった。

 

「どうした? かかってこい」

 

 アルベルトは残りの3匹を見つめながら、凍てつくような調子でつぶやく。

 

 生き残りのゴブリン達は互いに顔を見合わせると、斧を放り投げて一目散に走って行った。

 

 逃げたのだ。

 

「……ふむ」

 

 驚いたように立ち尽くすアルベルトを傍目に、シャーロットは地面に突き刺さったゴブリンを観察している。

 

「うわ……あ……」

 

 ゴブリンの首は見事に地面に突き刺さり、すでにピクリとも動いてはいない。

 

 完全に、絶命していた。

 

 アルベルトはつきささったゴブリンの足をつかみ、ひょいっと引き上げると、頭部が壊れ、脳が垂れ下がったゴブリンが姿を現す。

 

 たまらず、シャーロットは口を押さえ、数歩ほど後ろに下がった。

 

 それを気にする様子はなく、アルベルトはゴブリンの体をあさってゆく。

 

「うえ……こ、こんどもまた体の中を……?」

 

「いや、こいつらはある程度知恵があるからね。装飾品とか光るものはだいたい身につけているのさ。巣を見つけられれば一番いいんだがね」

 

 思ったような収穫はなかったらしく、アルベルトはゴブリンを放り出すとため息を吐いてもう一匹の下へと歩みを進める。

 

 その時、一枚の紙切れが落ちたのをシャーロットは見逃さなかったが、アルベルトは次の獲物を求めるための思考に切り替えているようだ。

 

 シャーロットは落ちた紙切れを拾い上げ、目を這わせる。見たところ、周囲の地図のようだが、いたるところに黒の線で何かが書き示してあった。

 

「……お墓のマーク?」

 

 シャーロットがそうつぶやいて視線を上げる。

 

 彼女の目の前に、1匹のモンスターが整然と存在している時であった。緑色の、ゼリーのようなものだ。ただの液体のようにも見えたが、内部では小さな物体が2つ、ふよふよと漂い、流動していた。良く良く見ればそれは、人間の目玉であった。

 

 シャーロットが小さく悲鳴を上げると、モンスターはシャーロットの体を薙ぐように体をふるう。遠心力に導かれてゼリーの体が細長く伸び、シャーロットを吹き飛ばした。

 

「きゃあっ!!」

 

「!?」

 

 アイテム回収に思考が行っていたアルベルトは悲鳴に振りかえる。

 

 そして、強く自らの唇をかみ、ゼリーへと走り寄った。

 

「(油断していたッッ!! もうしないと誓ったのに!! 私は……私はどこまで鈍ったのだ!!)」

 

「うおぉぉぉぉッッ!!」

 

 力強い、いや、触れるあらゆるものを砕いてしまいそうな重い前蹴りがゼリーに突き刺さった。だが、ゼリーは衝撃に体を歪めるだけで、すぐに目標を切り替えたようだった。

 

 ゼリーの体が一瞬で巨大化し、アルベルトを包み、消化しようと襲いかかる。ゼリーの中に浮いている、溶けかけた人間の目玉と視線を交えたアルベルトは、その左目に向けて渾身の右ストレートを放った。

 

 水風船を叩くような音がしたが、その音にうめき声が混ざる。見れば、アルベルトの右手の指の背は酸でも浴びたかのように焼けただれていた。

 

「良し、わかった。わかった」

 

 アルベルトは焼けた右手をいたわるそぶりは見せずに、小さくうなづいた。

 

「お前は『敵』だ。この冒険始まって、最初の敵だ」

 

 無造作に、アルベルトは足を踏みだす。まるで散歩にでも行くかのように、無造作に、だ。

 

 ゼリーがアルベルトを再び包み込もうと体を広げた。水風船を殴り飛ばすような音が何度も響いた。

 

「はッ!」

 

 アルベルトは包み込もうとするゼリーの中に突っ込みながら、殴り飛ばしているのだ。

 

 しかし、拳足は徐々に酸に侵され、血が流れている。

 

 ちらりと、アルベルトが反対側で行動を考えているシャーロットの腰にささっている剣を見つめた。

 

 その意味を理解したシャーロットは、剣を引き抜くと雄たけびを上げながらゼリーに駆け寄った。

 

「はあぁぁぁぁっ!!」

 

 水風船を切り開くような音とともに白刃が緑色の液体に剣を突き刺さると、その内部からは大量の緑色の液体が流れ出た。液体が二人の足元をぬらすが、これは酸ではないようだ。

 

 ふう、とアルベルトはぬれた地面に倒れこみ、天を見上げた。真っ白な太陽が、アルベルトを見下ろしている。

 

 その横で、シャーロットも倒れこんだ。顔には笑みを浮かべてはいるが、震えていた。

 

「は、は、初めて……私が……」

 

「ああ、君のおかげで、助かったよ」

 

 むくりとアルベルトは上半身を起こし、まだ地面に倒れているシャーロットに深く頭を下げた。

 

「ありがとう、勇者。言葉を撤回するようで悪いんだが、これから、一緒に戦ってくれないか?」

 

 その言葉に、シャーロットはさらに笑みを浮かべ、頷く。

 

 彼女の震えはすでに、おさまっていた。



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空白地帯

「いったいあなたは何をしたんですか!?」

 

 若い男の怒鳴り声が治療院の待合室に響き渡る。

 

「見ればわかるだろう? グリーンゼリーをサンドバッグにしていたんだ」

 

 しれっ、といった様子でアルベルトが答えると、若い男はわなわなと肩を震わせた。

 

「あ……あなた……! 下手をすれば四肢切断でもおかしくないんですよ!!?」

 

「だが私は『ついている』。この通り両手両足は動くし、ツキにも見放されてはいない」

 

 緑色のゼリー(後の情報によってグリーンゼリーという名前だということが分かった)を討伐した二人は、一旦エルオールまで戻り、治療を受けることにしたのだ。

 

 幸いシャーロットは軽い打撲程度であるため、特に治療は必要なかったのだが、アルベルトはそうはいかなかったらしい。何せ、怪我を見なれているはずの受け付けの男性が大声でうろたえているからだ。

 

「と、とにかくこっちに来てください!! ドクター! 治療室に!」

 

「大げさすぎるんじゃないか?」

 

 やれやれ、といった様子でアルベルトがうなづくと、受け付けの奥から一人の看護婦が出で、アルベルトの体を手早く拘束すると担架にくくりつける。

 

 アルベルトは力強い眼差しのまま、看護婦の後へ運ばれていった。シャーロットもまた、アルベルトの後ろに続いた。

 

 

 

――――

 

 

 

 アルベルトは手術台の上に寝かされ、周囲を多数の医師に囲まれていた。何とも仰々しい様相である。

 

「これより治療を開始します。外傷は四肢の糜爛、潰瘍のみ。レベル3」

 

 早口で一人がそれだけを説明すると、医師団は両手を傷のある箇所に向け、なにやらボソボソとつぶやく。

 

 向けられたアルベルトの四肢が光り輝き、肉の焼けるような音が響く。だが、アルベルトは顔色一つ変えずに、目を閉じて終わるのを待っていた。

 

「……集中治療第一段階終了。現時点で潰瘍治癒完了。第二段階開始まで30秒」

 

 無数の吐息と汗をふく音が部屋に溶けていく。そしてきっかり30秒後、また同じようなやり取りが行われた。

 

「……第二段階終了。糜爛の治癒を確認。外傷治癒完了」 

 

 その声に、またもや息が漏れた。医師団の中には床に倒れこむものさえもいる。アルベルトは目を開けると、起き上がる。そして自らの手で治療室の扉を押しあけると、自らを待っているであろう少女をきょろきょろと探した。

 

 少女と瞳のあったアルベルトはぱっくりと割れたような笑みを浮かべる。シャーロットがほっと胸をなでおろしているところであった。

 

 

 

――――

 

 

 

 夕暮れが二人を照らしている。

 

「良かったです。無事で」

 

「おおげさすぎるんだ、治療院は。自分の体は自分が一番わかっているのだからね」

 

 細長く伸びた影を見つめながらシャーロットがいうと、何でもない、というようにアルベルトが応える。

 

「さて、宿を取るか……100Ergもあれば十分だろう」

 

 話題を変えながら、アルベルトはつぶやく。

 

「……ごめんなさい。私、もっと早く動けていれば――」

 

 申し訳なさそうに言葉を切り出すシャーロットの頭に、力強い掌が優しく載せられた。

 

 アルベルトの掌であった。

 

「人生とはこういうものだ。1度は必ず間違える。2度目からは間違えないようにすれば良い」

 

 シャーロットが驚いたように顔を見上げるが、逆光になっているために表情まではうかがえない。

 

 ただ、アルベルトの放つオーラは、穏やかなものであった。

 

「あ……! ありがとうございます!!」

 

 勢いよく頭を下げたシャーロットに対して、アルベルトの影はポリポリと頬を掻いた。

 

「……急がなくては、野宿かもしれないぞ?」

 

 ふい、と背を向け、アルベルトは足早に宿へと向かう。ふっと笑みを浮かべ、シャーロットは後に続いた。

 

 

 

――――

 

 

 

 夜の8時。

 

 結局空きが一部屋しかなかったため、二人は一緒の部屋である。

 

 とはいえ、現在アルベルトは「修行」のため、部屋にはいない。

 

 部屋の中では、ベッドに寝転んでノートに日記をつけているシャーロットがいるだけである。

 

 丸みを帯びた、いかにも女性らしい整った字をノートに並べながら、シャーロットは今日の出来事を思い起こす。

 

 初めて、魔物とであった日。初めて、戦利品を得た日。初めて、初めて。ぺろっと唇を舐め、シャーロットは日記のタイトルを記入する。「初めて、の日」と銘打たれたその日の日記には、ありのまま、シャーロットが感じたことが記されているのだ。

 

 第一印象でとっつきづらいと感じたアルベルトが、意外と話しやすいこと。アルベルトの強さと比べた、自らの弱さ。そして、今後。

 

 彼女の目標は魔王の討伐――とまではいかなくても、魔物の鎮静化である。ふうと息を吐いて自らに活を入れると、シャーロットは自らの剣を見つめる。1メートル程の刃がついたその剣は、勇者となった時に両親から贈られたものである。魔力灯の光を浴びて淡く銀色に輝くその刃は、ただ傷つけるだけの武器ではない。守り、育て、切り開くものだ。

 

 シャーロットの腕が震えてきたところで、剣は鞘にしまわれる。少女の筋肉では、それほどの長時間の戦闘はできないだろう。

 

「……もっと、強くならなきゃ」

 

 アルベルトが帰ってくる前に睡魔に負けてしまいそうな彼女は、光を消すと一人布団を被り、意識を夢へと預けた。真っ暗な闇が、彼女の脳を溶かしていった。

 

 

 

――――

 

 

 

 翌日、午前10時。

 

「さて! 今日は新しい街に行けるといいですね!」

 

「ああ、そのように頑張ろうか」

 

 二人はもろもろの身支度を整え、計画を立てていた。アルベルトは床に胡坐をかき、シャーロットはベッドに腰かけている。さすがに、二人仲良く一緒のベッドで、とはいかなかったようだ。

 

「ええっと……地図、地図――」

 

 ひらり、と、シャーロットの服のポケットから一枚の紙切れが床に落ちる。アルベルトが拾い上げたそれは、周辺の地図のようだった。

 

「あ、そうだ、すっかり忘れてた。昨日、あのゴブリンから落ちたんです。その黒い線、お墓みたいですけど、どういうことですかね?」

 

 シャーロットがそれだけを説明すると、アルベルトは笑みを浮かべる。

 

「今日は新しい街にはいけないかもしれないよ」

 

 紙切れ、地図をシャーロットに渡し、アルベルトは言う。

 

「へ? どういうことですか?」

 

「この地図は、先駆者が残したものだ。この記号の場所を探せば、何かがある」

 

 その言葉に、シャーロットは嘆息を漏らす。

 

「まあ、それがどのようなものかはわからないけれどね」

 

 アルベルトはリュックサックを持ち上げ、立ち上がった。

 

「どうするのかは君に任せるよ。無視をしてもいいし、ここを探っても良い。どうする?」

 

 その問いに、ぎしっとベッドをきしませながらシャーロットは立ち上がる。

 

「気になりますから、行きましょう」

 

「わかった。征くとしよう」

 

 にぃ、と口元を釣り上げ、アルベルトは笑う。

 

 彼は敏感に、戦いの気配を察知しているのだ。アルベルトが歩くと、まるで長年の習わしであるかのように、数歩ほどの距離を開けてシャーロットが続いた。 

 

 

 

――――

 

 

 

「地図だとここらへんなんですけど……」

 

 シャーロットは荒野を指さし、そう言う。

 

 地面が露出した、文字通りの荒野である。だが、草原との境界は極めて不自然であった。まるで人為的にそっくり草が刈り取られたように、ぶっつりと境目が出来上がっていた。アルベルトは足元を軽くつま先で叩くと、口元を釣り上げた。

 

「下に、空洞がある」

 

 シャーロットがその意味を理解しないうちに、アルベルトは地面をみおろしながら歩き始めた。まるで何かを探すかのように、例えるならば、落とし物を探すのに近いだろう。

 

 やがてアルベルトは目当てのものが見つかったのか、ぱっくりと笑みを浮かべた。アルベルトが地面にある何かをつかみ、持ち上げると、地面が隆起した。いや、地面ではなく、板であった。

 

「入口だ。地下道への、な」

 

「すごい……こんな場所にこんなものがあるなんて」

 

 シャーロットの嘆息を余所に、アルベルトは自らの腕に巻いてあるバンテージをほどき、一本の紐に直すと、片方の端をシャーロットに渡した。

 

「私が先に降りる。安全を確認したら紐を二度引っ張るから、降りてきてくれ」

 

「はい! お気をつけて!」

 

 アルベルトも片端をもつと、穴へ向かって体を滑り込ませた。大人が一人入れるかどうかというほどの狭さの穴に、アルベルトは器用にももぐりこんでいく。

 

 数秒後、紐が二度、軽く引っ張られた。それを合図にシャーロットが体を滑り込ませ、地下へと降りる。

 

「うわぁー!」

 

「ふむ……」

 

 二人を出迎えたのは、奇妙な光景だった。

 

 地下には身長180はあろうというアルベルトが背を伸ばしても頭をぶつけないほどの高さの地下道が掘られており、その両脇にはろうそくが等間隔で並んでいる。

 

 どのろうそくにも融けた痕跡はなく、何らかのマジックアイテムであることを暗に知らせていた。

 

「すごい場所……こんな場所があるなんて……おとぎ話の世界みたい」

 

 シャーロットが嘆息を漏らす間、アルベルトは腕にバンテージを巻き、周囲を見渡していた。何かが、彼の頭の中で引っ掛かっているのだ。

 

「アルベルトさん! すごいですよ! この場所!! もっと見てみませんか!?」

 

 きらきらと瞳を輝かせ、シャーロットはアルベルトの顔を見上げる。

 

 それと同時に、シャーロットの背後側の通路から、何か金属の触れ合うガチャガチャという音が響いてきた。

 

 アルベルトは眉間にしわを寄せ、構えを取っている。その表情に気付いたシャーロットは、背後を振りむく。ろうそくの淡い光に照らされて、一つの人影が二人に歩み寄っていたのだ。

 

 誰かの首を自らの左手で持ち上げ、さびた甲冑に身を包んだ、首の無い騎士の姿の人影が。



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首無しの騎士

 シャーロットは戦慄を覚える。ここはおとぎ話の世界などではない。

 

 ここは紛れもなく、地下の国。それだけ地獄に近い場所なのだ。

 

「ひっ!!」

 

 シャーロットは短く悲鳴を上げる。無理もない。何せ人間と寸分たがわぬ形の存在なのだ。だが、それはあまりにも人間とは違っていた。

 

 首を失ってもなお歩き続けるなど、あり得ないことなのだから。

 

「こっちだ!」

 

 アルベルトは恐慌状態のシャーロットの腕を引き、首なしの騎士の反対側に駆けだした。幸い、首なしの騎士は走ることはなく、人形のように一定のリズムで歩を進めているだけであった。

 

「あ、あ、あ、アルベルトさん!? あれは一体――」

 

「わからん。だが言っただろう『人間みたいなやつがいる』と」

 

 その言葉に、シャーロットの心の中で何かが芽生えた。

 

 それは憶測の話なのだが、それはひどく恐ろしかった。

 

 それを認めてしまうと、世界が壊れてしまう気がした。

 

 シャーロットは考えを振り払うように首を横に思いっきり振ると、青白い顔で背後を振りかえった。ガチャガチャという鎧のこすれる音だけが響いている。

 

 やがてアルベルトは足を止める。ひたすらに長い地下道を走り、行きついた先は、ドーム状の空間であった。各所に溶けないろうそくが据え付けられ、天井は岩でおおわれている。

 

「……これが、地下の国の真相か」

 

 シャーロットに目の前の様子を見せぬように、アルベルトは仁王立ちをする。アルベルトが見たものは、部屋の棚に所狭しと積まれた人間の首であった。それらの首はきれいに整頓され、また、防腐処理も施されているらしく、表情は最期のまま、固定され続けていた。どの首も、恐怖と苦痛をありありと浮かべ、最期がいかに唐突なものであったかを物語っている。

 

「ぐ……うえっ……!」

 

 シャーロットは視界の端に移る苦悶の表情を浮かべた首を見ると、口元に手を当てて膝をついた。十四の少女に、この状況は受け入れられるものではない。

 

 だが、現実はかくも残酷であった。がちゃっ、と鎧の音がひときわ高く鳴ると、アルベルトはシャーロットの手を引いて首の広間の真ん中へと逃げ込む。

 

 首なしの騎士が、二人に追いついたのだ。首なし騎士は左手に持つ首を丁寧に丁寧に棚へとおろし、右手に持つさびた剣を両手で握った。それと同時に、アルベルトが構える。

 

 部屋の隅で小さくなり、えづいているシャーロットをちらりと見たアルベルトは、大きく息を吸い込んで目の前の騎士を見つめた。

 

 シャーロットが立ち上がろうと棚をつかんだ物音がきっかけとなり、地下の国でのパーティーは開始された。

 

 

 

――――

 

 

 

「おぉぉぉぉッ!!」

 

 最初に動いたのは、アルベルトであった。

 

 アルベルトは体制を低くして騎士へと突っ込み、バンテージを撒いた腕の掌底で騎士の胴体へ突きを放つ。さびた鎧は無残にもひしゃげ、騎士の体を締め付けているだろうか。表情をうかがい知ることのできない騎士には、効いているのかすらわからない。

 

 ひしゃげた鎧に再び攻撃を入れようとした刹那、騎士の剣が凄まじい速度で横薙ぎに振られた。

 

「!」

 

 なんとかアルベルトはスウェーバックでかわしたため、腕を少し切っただけですんでいる。だが、その剣は一発食らえば何もかもが終わりだということをアルベルトに刻みこんだのだ。

 

「(間合いが取れない!!)」

 

 アルベルトは汗を流す。必ず攻撃を入れるためには、剣の間合いを突破しなくてはいけない。だが、それはアルベルトでも防ぎきれる自信のない、分の悪い賭けであった。

 

「(だめ! あんな攻撃、いくらアルベルトさんでも……!)」

 

 ふと、何処からか視線を感じたシャーロットが背後を振りかえると、無数の首がシャーロットを見つめた。

 

「(首……)」

 

 シャーロットの頭の中で、閃光がさく裂した。

 

「アルベルトさん! もしかしたらあの騎士の首! この中にあるかもしれません!!」

 

 シャーロットが叫ぶと、アルベルトはちらりと背後を向いた。

 

「どうやって探す!? それに、どんな意味が――」

 

「不死者であれば未練を断てば倒せるかもしれません!!」

 

 その言葉に、アルベルトは全てを賭けた。

 

「……男の首だ! 首の切断面は荒い! 切れない斧で何回も切られたみたいに荒い!!」

 

 わかる限りの情報をシャーロットに差し出すと、アルベルトはシャーロットの反対側に移動する。自ら、囮となったのだ。

 

 シャーロットはアルベルトの情報をまとめ、手早く行動を開始した。シャーロットは女性の首と、首が棚にしっかりと載っているものを除外し、ある1つを選びだす。

 

「(男の人の首で切断面の荒い首……この1つだけ!!)」

 

 その首は、1つだけ瞳の閉じられている首であった。苦痛の表情を小さく浮かべてはいるが、他の首に比べれば、よっぽど安らかな表情である。

 

 薄い銀色で短髪の、若い男性の首であった。シャーロットはその首を両手で抱え、細心の注意を払いながら今は背を向けている首なし騎士へと近づく。剣を自らの頭上に掲げているところであった。目の前には、地面に尻もちをついたアルベルトがいる。

 

「お願い!! 止まって!!」

 

 シャーロットは声色とは裏腹に、優しく、愛情すら感じる手で、首を首なし騎士のあるべき場所へと置いた。

 

 淡い光が、部屋を包む。

 

「……?」

 

 アルベルトが攻撃に備えていた両手をゆっくりと下ろすと、首なし騎士は首のある騎士になっていた。閉ざされた瞼の奥では、緑の瞳が隠れていた。

 

「……僕の、首」

 

 光の中心で、若い男がつぶやく。切断された傷跡は生々しいが、間違いなく、今、男は生きていた。

 

「君が、見つけてくれたんだね?」

 

 男は背後を振りむくと、シャーロットに尋ねる。シャーロットがうなづくと、男は涙を流した。

 

「ありがとう」

 

 感謝の言葉だった。

 

「ありがとう。ありがとう。ありがとう、お嬢さん」

 

 涙を滴らせながら、男は何度も感謝を口にした。そして、男はアルベルトにも向き直って、言った。

 

「ごめんなさい」

 

 アルベルトは首を横に振る。

 

「気にしてはいない」

 

 その言葉に、青年は笑みを浮かべた。徐々に、光が弱くなっている。

 

「もしも、僕が消えた後になにか残るならば……それは、自由にしてください」

 

 青白い光は空気中に溶けてゆく。

 

「わ……私! シャーロットといいます! こちらは! アルベルトさんです!! あなたのお名前は!?」

 

 シャーロットがなきだしそうなかおで言うと、男はふっと笑みを浮かべて、言葉を紡いだ。

 

「トバルカイン。トバルカイン・ギンシュ」

 

 笑みを浮かべたまま、男を包む光は消え去った。瞬きをするほんの一瞬の間に、男の体は骸骨となった。棚に並べられている首も皆骸骨となり、部屋には二人の生者だけが残った。

 

「……トバルカインさん」

 

 シャーロットはぽたぽたと涙を流す。

 

 アルベルトは迷ったようだが、シャーロットには触れず、トバルカインの死体を動かした。首の広間の中央へと。

 

 そして、トバルカインの持っていた剣を拾い上げ、切断された頭の横に突き刺した。さながら、墓標のようである。アルベルトは眼を閉じ、祈りをささげた。

 

 首を失い、首を狩り続けた哀れな男の為に。

 

 

 

――――

 

 

 

 シャーロットのすすり泣きもすっかいとやんだ頃、アルベルトも祈りをやめる。そこでアルベルトは、トバルカインの鎧からはみ出すあるものに気がついた。

 

「……ペンダント?」

 

 アルベルトが慎重に拾い上げ、中身をのぞく。ペンダントの中には、若い女性と二人で写るトバルカインの姿があった。

 

「……『永遠の愛と忠誠を誓って。女王陛下、僕の妻、リリとともに』か」

 

 アルベルトはそのペンダントをシャーロットに差し出す。

 

「君が持つと良い。私には価値がわからないものだ」

 

 目が赤いままのシャーロットは、小さくうなずく。そして、そのペンダントを自らの首から下げた。

 

 そして、力強い瞳で、アルベルトを見上げた。

 

「征きましょう。次へ。先へ。もっと奥へ」



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白銀の女騎士

「ともかく、地上に出ようか。そうしなければ始まらないからね」

 

 粗末ながらもトバルカインの墓を作った後、尋ねるでもなくアルベルトが言う。

 

「……ええ、そうですね」

 

 泣きはらしたのだろう。赤い目をごしごしとこすりながら、シャーロットは震える声で言う。

 

 まだ14歳の少女に、死というものはあまりにも重すぎるのだ。そのことを考慮してか、アルベルトはむやみに口は開かずに、ただ前に進む。

 

 首の広間を抜け、彼らが下りてきた平原を見上げると、アルベルトはため息を吐いた。

 

「……簡単には登れそうもないね。ほかに道がないか探そう」

 

 返事を待たずにアルベルトはもう一方の通路――最初にトバルカインが歩み寄ってきた通路へと向かう。

 

 シャーロットはうつむいたまま、ただ静かにアルベルトの後ろについていた。蝋燭の明かりを頼りに、アルベルトはひたすらに通路を進んでゆく。

 

 やがて、アルベルトは足を止める。シャーロットがアルベルトの脇からその先を眺める。

 

「……地下墓地(カタコンベ)か」

 

 アルベルトの視線の先、土壁を削って作られた広間には、多くの石棺が並んでいた。部屋は溶けない蝋燭で照らされ、棺の中を――首の無い白骨死体を映していた。

 

「アルベルトさん……ここって……」

 

「カタコンベだよ。詳しくは知らないけどね。だが、この死体の首はあの騎士が狩ったんだろう」

 

 アルベルトは広間にはいりながら推察を述べる。壁もくり抜かれ、多くの石棺が据えられていた。

 

「おそらく相当の年月が経っているはずさ。ここに埋葬された人たちがどの年代かはわからないけどね」

 

 アルベルトが述べることに、シャーロットはあわててメモを取った。

 

 「カタコンベと地図。情報収集」とだけ走り書きしたそれを、シャーロットは服のポケットに折りたたんで入れる。

 

「墓荒らしをするほど度胸があるわけではない。なんとか出口がないか探してみよう」

 

 きょろきょろとアルベルトとシャーロットは周囲を見渡す。どこも土が露出しており、とても隠し通路の類があるようには思えない。

 

 きっと、できた時はきちんとした出入り口があったはずなのだろうが、長い年月の末にそれは消え去ってしまったようだ。

 

「しょうがない。多少手間がかかるがあの入り口から――」

 

 アルベルトがシャーロットの方を向いたとき、アルベルトは大きく目を見開いた。シャーロットの後ろから、一人の女性が現れたからだ。

 

 右の手に長いハルバードを軽々と持った、栗色のウェーブのかかったセミロングの髪の女性だ。栗色の瞳と目が合ったシャーロットもまた大きく目を見開き、アルベルトの下へと駆け寄り、剣を抜いた。

 

「へ? いや、え? ちょっと待ってくれない?」

 

 美しく輝く白銀の鎧で全身を覆ったその小柄な女性は、二人の対応にあわてながら弁解をする。少々パニックになっているようで、両手を前に突き出しておろおろとうろたえている。

 

「ええと、とりあえず私はあなたたちに敵意なんてないわ。私はただ地面に穴があいてたから興味本位で降りてみたのよ」

 

 しどろもどろで女性が言うと、シャーロットは小さく口を開けて剣を収めた。

 

「ご、ごめんなさい! てっきりあの、その……て、敵かと……」

 

 心底申し訳なさそうにシャーロットが言うと、女性は笑みを浮かべる。

 

「良いって良いって。こんな時代だしね。あ、私はエスト。エスト・アイギス。帝国の『騎士隊』。っていっても、もう昔の話で、今はフリーの旅人だけどねー」

 

 けらけらと、エストは笑う。

 

 ハルバードを軽々と振り回して右の肩に乗せた彼女は、見た目の華奢さとはかけ離れたギャップがある。だが、そんなことよりも、アルベルトはあることが気になっていた。

 

「騎士隊? たしか広範囲制圧の為のエリート近接部隊だったか?」

 

「おお、良くご存じで。いかにも! 私が所属していたのは帝国随一のエリート部隊! っていっても、私は魔法支援専門だったんだけどねー」

 

 はあ、と息を吐きだし、女性は言う。

 

「エストさん、魔法使いなんですか!?」

 

「ん? うん。そうだよお嬢ちゃん。ええっと……」

 

 さらっと、エストはそう回答し、少女の名前を尋ねる。

 

「あ、申しおくれました! 私、ダコード村の『勇者』、シャーロット・シュナウファーです! こちらは――」

 

「アルベルト・ウェンディだ」

 

 その名前に驚愕したように、ぴくっとエストの眉がつりあがった。

 

「『全身凶器』のアルベルトさんか。こりゃあずいぶんと有名な人に御目にかかったもんだねー」

 

 ニヤニヤといたずら気に笑みを浮かべ、女性は歩み寄る。

 

「御二人さんは今何してんの? って、勇者なんだから当然進撃だよねー」

 

 少し考えるそぶりをして、エストは次の言葉を紡ぐ。

 

「よかったらさ、私も一緒に行かせてくれない?」

 

 エストのその言葉に、シャーロットはアルベルトを見上げた。

 

「悪くない話だ。戦力が増える」

 

 ひどく単純な答えだが、シャーロットは納得したようだ。

 

「こちらこそ、お願いします! エストさん!」

 

 ぺこっと頭を下げ、シャーロットはいう。

 

 そんな様子にクスクスと笑みを浮かべ、エストは言った。 

 

「よろしくね、小さな勇者さま」



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素手の戦い

「エストさんは、どんな魔法を使えるんですか?」

 

 そんな素朴な疑問は、やっとのことで地下墓地から抜け出した一行が宿についてから投げかけられた。

 

 既に食事も摂り終えた三人は、宿屋のロビーにて各々の時間を過ごしている。もちろん、部屋は二つとってある。

 

「んー、炎の魔法なら一通り使えるかなー。治癒魔法は苦手だけど、ちょーっとだけ操れるよ」

 

 備え付けの堅いソファに腰かけたエストは、隣に座るシャーロットの問いに答える。テーブルをはさんで向かいに座るアルベルトは、興味深そうにその話を聞いていた。

 

 魔法。それは神の御業と呼ばれる技法。あらゆる物理法則をねじ曲げ、新たな法則の下に構築される「新世界」だ。その魔法を使えるものは、世界でも決して多くはない。現にアルベルトは一切使用できないし、シャーロットも知る限りでは、彼女の村の神父しかないのだ。

 

「機会があれば見せてあげられるけど、あんまりバンバン撃つと倒れちゃうんだよねー」

 

 エストはけらけらと快活に笑う。アルベルトは鋭いまなざしで彼女を見つめる。

 

 彼がまず感じたことは、「慣れている」ということである。快活な雰囲気とは裏腹に、彼女の体からは触れたものを全て切り裂きそうな危険な香りがにじみ出している。

 

 常人であれば気付かないだろうが、アルベルトはそうではない。敏感にその雰囲気を感じ取り、エストに自らの雰囲気をぶつけているのだ。

 

 しかし、エストは気にした様子はなく、いまだにシャーロットと談笑をしている。

 

 話が魔法の話から何やらわけのわからない菓子の話になった時、アルベルトはするりと部屋から抜け出した。

 

 

 

――――

 

 

 

 鋭すぎるミドルキックが炸裂し、ゴブリンの首が骨を巻き込んで後ろにのけぞる。

 

 アルベルトは先日グリーンスライムと戦闘した草原で、「狩り」を行っているのだ。自らの修練のために、もう二度と、少女に剣を抜かせないために、少女に「もの」を殺させないために。

 

「かかってこい。まだ一匹が死んだだけだ」

 

 びくびくと震える死骸に少し目をやり、アルベルトはそう言った。言葉が通じているのかすらわからないが、アルベルトは、そう言った。

 

 仲間を殺されたゴブリン達は激高し、手に持った武器を振り上げながら襲い掛かる。だが、アルベルトは意に介した様子はない。飛びかかってきたゴブリンの胴体を正拳でブチ抜いて貫通させ、ゴブリンがぶら下がる右腕を引き戻しながら左腕のアッパーでもう一匹を空高くへ弾き飛ばす。

 

 仲間が立て続けに虐殺される様子を見た最後の1匹は、武器を放り出して逃げ出す。アルベルトは、それを追いかけた。

 

 わずかに3メートルほどの距離をほんの数瞬で詰めると、ゴブリンの頭を潰すように、全体重をかけた掌底を打ちこんだ。

 

 アルベルトの両腕、白かったバンテージは真っ赤な血に濡れ、そのところどころには臓物や脳が付着していた。心底汚らしげに両腕を振ると、アルベルトはその場に胡坐をかいた。

 

 まるで岩のような表情で、アルベルトは空を見上げる。何処までも蒼く、透き通った空だ。

 

「これ、あんたがやったの?」

 

 いつまでそうしていただろうか。唐突に背後から声をかけられ、アルベルトは驚愕を込めて振り向いた。エスト・アイギスが、二メートルほど離れた場所からハルバードに手をかけたままアルベルトを見つめていた。

 

「そうだ。何か用事か?」

 

「勇者ちゃんが心配してるわよ」

 

 呆れたようにエストが言うと、アルベルトは立ち上がった。胴着も返り血にまみれている。

 

「よくもまああれだけ悲惨な殺し方ができるものね」

 

「この戦い方しか知らないからな」

 

 街に向けてアルベルトは歩きだすが、ふと思い出したように立ち止まると、背後に向けて歩きだした。

 

「え? ちょっと、どうしたの?」

 

「戦利品の回収だ。すっかりと忘れていた」

 

 どこか抜けているその答えに、エストは大きくため息を吐き、言った。

 

「……手伝うわよ。二人の方が早いでしょ?」

 

 その言葉に、アルベルトは軽く口角を釣り上げる。

 

「女性には少しキツいと思うが?」

 

「冒険者なら経験済みよ」

 

 くつくつと、エストは笑い声をあげる。

 

 数時間後、心配そうな顔で部屋をぐるぐると回るシャーロットに、戦利品を売却した金の一部で買った甘い菓子類が届けられたのはまた別の話。



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進撃の勇者一行

「さあ! 今日も元気に行きましょう!」

 

 まばゆい日の光が3人を照らす。はたから見れば、これはひどく珍妙な集団であった。

 

 少女に、小柄な女性に、岩のような男という3人は、美女と野獣を通り越した、「美女たちと狂犬」である。

 

 長い金色の髪を持ち、茶の混じった黒い瞳の少女の名は、シャーロット・シュナウファー。彼女はダコード村で正式に任命された「勇者」なのだ。まだ幼いが、性根は一本の鉄の棒のようにまっすぐで、堅い。

 

 その前を歩くのは、岩のような男である。短い黒髪に、炭のように黒い瞳の男の名は、アルベルト・ウェンディ。彼が身にまとう胴着はところどころ血にまみれ、その胴着の上からでもわかるほどに鍛えられた肉体が見て取れる。近接格闘に関しては、おそらくエキスパートである。

 

 シャーロットと並んで歩く、ハルバードをかついだ小柄な女性は、人懐っこそうな印象を与える女性である。栗色のウェーブのかかったセミロングの髪を揺らす栗色の瞳の女性の名は、エスト・アイギス。大陸中部、ヴァルコラキ帝国のエリート部隊、鉄后騎士隊に所属していた魔法戦士である。

 

 この三人の目的は、魔物の鎮圧並びに魔王の討伐である。数十年前に突如としてこの世界に君臨した魔王は、ほんの数年でこの世界を統治した。魔王の拠点に近い水場はあらゆるものを溶かす酸の海となり、森は致死性の黴をばら撒く死の森となっている。魔王の目的は誰もわからないが、すくなくとも、人間と協調するつもりはないらしい。

 

 この魔王を討伐するために選出されるのが、勇者なのだ。

 

 シャーロットとエストはガールズトークに興じているが、アルベルトは周囲に警戒を張り巡らしながら先に進んでいる。アルベルトは根っからの武人であり、女性に戦闘をさせるべきではないと考えていたのだが、先日のグリーンゼリーとの戦闘で考えを改めたようだ。

 

 だが、彼は彼女らの話を中断させたりはしない。いつ死ぬかもわからない行軍では、何よりも隊列の協調が重要であるのだ。そして、アルベルトはシャーロットとエストの二人を信頼していた。

 

 シャーロットは普段の態度や言動から臆病にも見えるが、やる時はやる人間である。それはグリーンゼリーに切っ先を向けて突撃したように、少々向こうみずな様子もあるが、アルベルトはその行動を高く評価していた。

 

 そして、エストは言うまでもなく、戦士である。ヴァルコラキ帝国という大陸の対魔王との要のエリート部隊で戦い抜いた屈強な戦士である。それをアルベルトは雰囲気から感じ取り、それだけで全幅の信頼を置いているのだ。

 

 この「小隊」は、3人が3人とも、背中を預けられる関係なのだ。

 

 ぴくり、と、アルベルトの眉が跳ねる。それと同時に、エストも背中に背負った巨大なハルバードに手をかけた。その二人の様子を察知し、シャーロットも腰の剣を抜いた。

 

 アルベルトとエストが、ほぼ同時に敵に向かって突っ込んでいくところだった。

 

 

 

――――

 

 

 

 小隊の前にいたのは、5匹の狼であった。ただ、その大きさは並ではない。体長は2メートルはあるだろうか。ヤスリのような牙が唾液に濡れ、咆哮が大気を震わせる。その狼の体は銀の体毛に覆われ、きらきらと陽光を反射していた。

 

 まるで針金のような体毛を持つひときわ大きな一匹の狼は、向かってくる三人に気付くと遠吠えをした。それを合図に、残りの四匹が一斉に三人へと襲いかかった。

 

 二匹の狼は口を大きく開け、アルベルトの頭部を噛み砕かんと跳ぶ。だが、アルベルトは微塵も臆さず、それどころか更に踏み込み、狼の眉間に拳をブチ当てた。眉間に拳の形を刻まれた狼は数メートルほど吹き飛び、痙攣をおこす。

 

 そして、もう一匹の噛みつきに対して、アルベルトは地面に這うように伏せたのだ。虚を突かれた狼は、一瞬アルベルトを見失う。次の瞬間、狼の下顎を砕かんばかりの、強烈なつま先での蹴りが狼をとらえた。

 

 咆哮をあげて、狼は地面を転げ回った。アルベルトはその狼たちに向けて、追撃を開始した。

 

 

 

――――

 

 

 

 二匹の狼が、エストを襲う。

 

 だがエストは飄々とした様子で、ハルバードをバットのように握った。そして、惨劇の幕が開かれた。

 

「ちぇりゃあーっっ!!」

 

 なんともかわいらしい掛け声とともに狼の口に振られたハルバードは、あろうことか狼の上顎と下顎を切り分け、余力で空を切った。

 

 当然絶命した一匹は地面に転がり、仲間の惨殺死体を目にした一匹は一瞬硬直する。

 

 その瞬間、再び力を加えて加速したハルバードの斬激に、その狼は首をはねられて絶命した。

 

「う……あ……ひ……!」

 

 剣を抜いて構えていたシャーロットは、小さく悲鳴を漏らし、地面にへたり込む。

 

 アルベルトで慣れていると思っていたが、何もかもが違っていた。普段から危険をにじませるアルベルトと、普段は温和な彼女とでは、直面した時の衝撃は全く違う。

 

 だがエストはそんな彼女に向かって笑みを浮かべ、言った。

 

「ごめんごめん。ちょっとはりきりすぎちゃった」

 

 

 

――――

 

 

 

 アルベルトは、苦戦していた。

 

 既に二匹を拳と脚で絶命させ、残りの一匹に攻撃を仕掛けていたのだは、なるほどさすがは狼の指揮官、戦闘経験も並ではないのであろう、攻撃が巧妙である。深追いはせず、自らの優位な点を使って確実に攻撃をしている。

 

 牙、爪、尾、そして、体躯。全てを用いて、最大限効果的な攻撃をアルベルトに向けていた。

 

 さらに、全身を覆う体毛は見かけと同じく針金のような強度を持ち、攻撃を与えたアルベルトの拳に今も深く突き刺さっている。

 

「まるでこれは岩打ちではないか」

 

 アルベルトが言う。

 

 彼が普段行っている狂気の修練の一つ、岩打ち。

 

 それは文字の通り、ただただ岩を殴り続けることである。そうして手足の皮膚を殺し続け、より強力な、まるで踵のように角質化した皮膚を手に入れるのが、その修練の目的であった。

 

 アルベルトは考える。明らかに、これは分が悪い相手であった。

 

「伏せて!」 

 

 エストの声がアルベルトの耳に届き、考える間もなくアルベルトは地面に伏せる。肉を焼く臭いと咆哮が響いた。顔を上げると、狼は火だるまとなっていた。必死にもがき、炎を消そうとする狼だが、体毛に燃え移っているためになかなか消火できないでいる。

 

 一旦アルベルトは距離を開け、隊列を組み直した。

 

「君の魔法か?」

 

「そうそう。基本的な炎の魔法だけど、こういう手合いには良く効くのよ」

 

 二人は狼から視線をそらさずに、簡単な問答を行う。シャーロットは鼻をふさぎ、細かく震えている。

 

「……残念ながら、私の拳はあいつを殺せそうにない」

 

 アルベルトは心底悔しそうに、言う。

 

「それじゃあ、私『たち』がやるしかない、かぁ」

 

 ちらりと視線を向けると、シャーロットが小刻みに震えながら剣を構えた。

 

 その様子に、エストは小さく嘆息を漏らした。

 

「行けます……! 征きます……! 征きます!!」

 

 徐々に震えは収まり、シャーロットの瞳が目の前の狼をとらえる。狼の体毛はほとんどが燃え落ちたが、まだ狼は鋭い眼光で「敵」を見つめている。

 

「ん、じゃあ、征こうか」

 

 ハルバードを振り上げ、エストは突進する。その後ろから、シャーロットは剣先を向けて狼に向かった。

 

 狼が前足を振り上げた瞬間、肉を切り裂く音とともにその前足が空へと放たれた。

 

「一ぉつ!」

 

 切断面から赤黒い血がほとばしる。そして、返す刃でエストは再び攻撃を見舞った。

 

「もうひとぉつ!!」

 

 不安定な前足を斬り払うと、エストは真横に跳んだ。

 

「やっちゃえ! 勇者ちゃん!」

 

 ウインクをするエストの背後から現れたシャーロットに、狼は驚愕を覚えたのだろう。

 

 狼がちいさく口を開けた瞬間、狼の眉間に向けて剣が突き立てられた。

 

 咆哮が周囲を震わせる。

 

 やがて――静寂が三人を包んだ。

 

 シャーロットは深く深く突き刺した剣を抜こうとするが、肉が絡んでいるためになかなか抜けない。

 

 それを見かねてか、歩み寄ったアルベルトが其れを引き抜いた。

 

「見事な働きだ、勇者」

 

「すっごいわね。さすがは勇者さま」

 

 荒い息で、シャーロットは地面にへたりこむ。

 

 わずかに笑みを浮かべ、シャーロットは震えていた。

 

「さて、こいつらの戦利品はどうやって回収するか」

 

 あまりにも場違いな発言に、二人は苦笑いを浮かべて顔を見合わせた。

 

 



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野営準備

サクサクという草を踏み分ける音が青空に溶けてゆく。狼の群れを退けた一行は、結構な戦利品を手に入れたため、上機嫌で進軍を開始していた。

 

 エルオールを出発してから寄り道や怪我の治療をしていたため、当初の予定よりも進軍は遅れているのだが、彼女たちはそれを気にする様子はないようだ。もとより、最近は魔物の活動も数年前、魔王が出現したときよりは穏やかになっている。いや、もはやこちらから手を出さない限りはほとんど害はないといっても良いだろう。極端な話、行軍の時間は有り余っているのだ。

 

「勇者ちゃんはどういうルートで魔王退治しようと考えてるの?」

 

 体に似合わない鉄製のハルバードを肩に担いだ小柄な女性は、横を歩く少女に尋ねる。その少女はわずかに言葉を詰まらせた後、言葉をつなぐ。

 

「この先の『ヒューゲント』の町を経由した後に『ヴァルコラキ帝国』の領内に入る予定です。その後のことはまだ――」

 

 少女は申し訳なさそうに言う。年齢はまだ十四、五歳といったところで、年齢特有の幼さは見え隠れしている。腰に差した剣はまだ真新しく、彼女の戦闘経験のなさをあらわしているようだった。

 

「そこまで分かっているならば十分だ。しかし、今日中にヒューゲントに行くには少々距離があるな」

 

 二人の女性の少し前を歩く男は、穏やかな声で言葉を投げた。両の拳にバンテージを巻いた男は、まるでゴツゴツとした岩のような雰囲気を前方に投げ続けている。だが、その声は優しさを含むような、安心をさせるような声色であった。

 

「そんならまあ、最悪野宿だよねー」

 

 あーあ、やだやだ。と言葉をつなぎ、女性はわずかに笑みを浮かべる。この三人、なんとも異様な組み合わせであるが、戦力的に言えば、きわめて強靭な部類であろう。

 

「野営できるような場所があれば良いのだかな。さすがに寝ずにヒューゲントまでは移動したくない」

 

「ん、それは同感。だから今日は野営地点を見つけてあとは腰をすえるかな」

 

 ハルバードの女性、エストと岩のような男、アルベルトは、歴戦の戦士のような口ぶりで言葉を交わす。一人会話から取り残された少女、シャーロットは、手持ち無沙汰そうに指をいじっていた。

 

「そうと決まれば早めに場所を見つけるとしよう。できるだけ開けた場所が良い。川が近くにあればなお良いが、贅沢は言えまい」

 

 変わらぬ歩調で、アルベルトは歩き続ける。エストはその思考と言動にわずかにあきれを帯びた笑みを浮かべ、シャーロットは地図を見つめて場所を探していた。

 

 

 

――――

 

 

 

 日の暮れかけた夕方、林を抜けた一行はそろって息を吐いた。林を抜けた一行が眼にしたのは、自然を豊かにたたえた湖であった。湖はかろうじて端が見える程度であり、池の周囲には草花や木々が生い茂っていた。

 

「……すごい、こんなところがあったなんて」

 

「ここだけは昔から、平和なままなのかもね」

 

 二人の女性は思い思いの感想を口にする。だがアルベルトは何かが引っかかっていた。これはあまりにも、きれい過ぎる。

 

「さて、それじゃあさっさと準備しようか。テントキットは私が持ってるから安心してね」

 

 エストは自らのリュックの中から鉄製の棒を取り出すと、それらを伸ばし始める。どうやら、野営慣れしているらしい。

 

「……私は食料をとってくる。勇者、君はエストの手伝いをしてくれ」

 

「へ? は、はい! お気をつけて!」

 

 シャーロットは弾けるように返事をすると、鉄の棒を地面に刺し終えたエストに指示を仰ぐ。アルベルトは一人、林の中へと体を進めた。

 

 一歩林の中に踏み出すだけで、日光が届かなくなるのか、暗さがアルベルトを包む。あまり遠くへはいけないな、と一人考えながら、アルベルトはがさがさと音を立てながら、林を進む。その音につられたのか、一体の魔物がアルベルトの前に躍り出た。

 

 一見、猪にも見えるその魔物は、体長が1メートルほどであろうか、普通の猪に比べれば大して大きさは変わらないが、口元から突き出た真っ白な二本の牙が、その凶暴性を物語っている。それはまるで研ぎ澄まされた刃のようであり、触れるだけで切れてしまいそうな暴力性を秘めていた。

 

 猪はアルベルトを見ると、牙を突き出して突進を繰り出す。いくつかの細い枝が猪とアルベルトをさえぎっていたが、猪はそれを気にする様子はなく、枝を折りながらまっすぐにアルベルトへと向かう。

 

 対するアルベルトは、猪の突進を見るなり、腰を低く落とす。そして、肉をたたく音が林に響く。

 

 普通ならば、対峙した人間は吹き飛ばされてもおかしくはないのだが、アルベルトは立っていた。その眼前には、眉間に拳の形の跡が残された猪が、痙攣をしながら地面に横たわっていた。

 

「まだ息があるが、仕方ないか」

 

 それだけを小さくつぶやくと、アルベルトは軽々と猪を担ぎ上げ、二人の女性の元へと向かった。

 

 



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本当の夜を見つけて

ぱちぱちと炎が爆ぜる。時刻は既に20時をまわっているだろうか、夜空には満天の星が輝き、呼吸をするたびにほんの少し冷たい外気が鼻腔を刺激する。その空気に乗って、肉の焼ける匂いが嗅覚を撫でる。三人は焚き火を囲みながら、夕食を摂っていた。アルベルトが大猪を仕留めたのは夕方だったのだが、さすがに女性に獣の処理をさせるということを考え直したようである。彼が懐に持っている短刀にて肉を切り分け、血まみれの様相で肉を抱えてキャンプに戻る、という光景は、シャーロットはおろかエストでさえ絶句をし、まるで悪鬼羅刹が現れたような顔つきでアルベルトに指を差したのだ。

 

 アルベルトはそんなことを気にした様子はなく、血の滴る肉をエストに預けると上の胴着を脱ぎ捨て、湖を少し歩いて血を洗い始めたのである。近い場所で洗わなかったのは、飲料水を汚染する危険を避けてのことなのだろうが、女性だけの空間で半裸になることは、アルベルトにとっては常識の範疇だったようだ。ちなみに、洗った胴着は焚き火の近くで乾燥させている。

 

「しっかし、良い体してるよねー、アンタ」

 

 小枝の先をアルベルトに向けながら、茶化すようにエストは言う。その枝の先には、一部の隙もなく鍛えられた肉体が存在しているのだ。全身を覆う筋肉は盛り上がる岩、というよりは幾層にも重ねられた紙のような印象を与えており、薄い薄い、それでも高密度の筋が何層も何層も重ねられて立体を作っているようだった。余興で行われるボディビルのようなものではなく、もっと実践的なものであった。たとえるならば、装飾のない直刀が「殺すデザイン」であるように、アルベルトの筋肉は、「殺すデザイン」であった。

 

 また、その体には全体に、傷痕が分布している。切り傷、刺し傷、擦り傷。ありとあらゆる傷が、その体に刻まれているようだった。

 

「一体その体維持するために何をしてたんだか。どっちにしろ、楽なもんじゃないわよね」

 

 焚き火の上に乗せた金属の網の上では、肉が音と匂いを発しながらその存在を主張している。

 

「……それは君も同じことだろう」

 

 アルベルトが何気なくそういうと、エストはぽかんとしたように口を開け、やがてくつくつとのどを鳴らした。

 

「あっははは。私は全然。ハルバード振るってるのは魔力で体力を強化したりしてるから全然平気なの。それにこれ、力じゃなくて技術で振るものだからなれれば誰でも扱えるわよ」

 

 焼けた肉を小枝で突き刺して口に運びながら、エストは朗らかに笑う。会話から放り出されていたシャーロットは、その言葉に視線を自らの剣に向ける。まだ新品同様のその剣を振り回すだけでも、シャーロットは疲労を覚えてしまうのだ。無論、毎日の素振りは欠かさないが、いかんせん、戦闘経験が圧倒的に足りないのだ。

 

「どうすれば、強くなれるでしょうか」

 

 ぽつりとシャーロットがつぶやくと、アルベルトとエストは難しい表情を作る。

 

「……君は強くなりたいのか?」

 

 アルベルトが静かにたずねると、シャーロットは首を縦に振る。

 

「私は『勇者』です。この身は神に、この心は民にささげたつもりです。だからこそ、私が強くなければいけないのです」

 

 その言葉に、アルベルトはくつくつと笑う。まるで岩がかすかに形を変えたように、まるで口がぱっくりと割れたように。

 

「君はすばらしい。気骨がある。うらやましい限りだよ」

 

 アルベルトは笑みを浮かべながらそう言う。すると、エストがあきれたように口を挟んだ。

 

「どうでもいいけど、肉、こげちゃうわよ?」

 

 

 

――――

 

 

 

 野営において夜という時間は恐怖を生み出す。かつて偉人が述べたように、確かに街灯というものは、民間伝承における「ゴースト」を駆逐し、もう二度と立ち上がれないほどに完膚無きほどに打ち倒したのだ。だが、その街灯の誕生は、かえって現実に存在する物事をありありと照らす道具となり、より鮮明な「恐怖」を人間に教えたのだ。たとえそれが魔物による征服であれ、同じ人間による制圧や抑圧であれ、恐怖と言う物事はこの世から完全に消えうせることはないのだ。

 

 そう、人間である限りは。

 

 最初に異変に気づいたのは、夜の番をしていたアルベルトであった。この湖に到達した頃から違和感を覚えていた彼は、獣のごとき嗅覚で異変の主を探り、薪の明かりを用いてなんとか異変の主の姿を捉えたのだ。

 

 それは、異形であった。ぶよぶよとしたゴムを思わせる皮膚には分厚く草やコケが生い茂り、まるで断層のようにぱっくりと開いた口からはただただ、ごうごうという風が流れるだけであった。二つの眼は黄色く淀み、鼻はただぽっかりと、小さな穴が二つ開いているだけであった。大きさはアルベルトと同じ程度であるが、質量は彼とは比べ物にはならないだろう。だがそれは、地響きを鳴らしながら二足で、アルベルトの元へと歩み寄っていた。

 

「スキンダウナー、か」

 

 アルベルトは冷や汗を浮かべながら構えを作る。そして同時に、威嚇と戦意高揚、そして戦闘準備の意味を兼ねての雄たけびを発する。

 

「ふぇ!? 何!? 何ですか!?」

 

「まだ夜じゃない……って、この臭いはやばいわ。勇者ちゃん、戦闘準備! 早く!」

 

 テントの中からきゃあきゃあと黄色い声が――やれそれは私の服だだの、私の下着がないだのという言葉が聞こえるが、アルベルトはそんな言葉に反応してやれるはずはないのだ。アルベルトは、目の前の怪物をどうやって打ち倒すのか、ただそのことだけを考えているのだから。そして、その考えは目の前の化物――スキンダウナーも同じのようだ。まるで暴風が吹くような音で一声その化物が叫んだとたん、アルベルトは体を低くして真正面に突っ込んだ。そして地面に薪を突き刺し、腹部に向けて強烈な後ろ回し蹴りを叩きこんだのだ。スキンダウナーの腹の皮が波打ち、衝撃を体中に分散させている。

 

「ッッしィィィィ!!」

 

 後ろ回し蹴りの体制からすばやく正面を向き直ったアルベルトは、右足で円を描くような軌道で、スキンダウナーの首と思しき場所に足を突っ込む。ガコン、という鈍い音が響くが、アルベルトはそんなもので満足はしない。続いて、その右足に体重をかけ、スキンダウナーのわずかに飛び出た顎に向けて左膝蹴りを突き刺したのだ。どう考えても完璧な攻撃であったが、アルベルトは追撃をやめない。今度は右の肘で目元を殴打し、続いて左肘で目元を殴打する。たまらず、スキンダウナーは苦悶の声を上げ、短い手でアルベルトの左足をつかみ――無造作に投げ飛ばした。まるで肩にかけられたタオルを放り投げるように、アルベルトは地面へと向かい、衝突した。

 

「ぐ……お……!!」

 

 数十センチは地面から飛び上がったアルベルトは、自らを見下ろす巨体を見つめ、視線を交えた。確かに、目元からは出血しているし、腹もかばっている。攻撃は、利いているようだ。

 

「エンチャント! パイロキネート!」

 

 エストの声がスキンダウナーの背後から響き、同時にその地点で炎が上がる。スキンダウナーが虚を疲れたように振り返ったその瞬間、衝突音と肉を焼くにおいが立ちこめ、悲鳴が響く。

 

「何寝てんのさ、全身凶器!」

 

 エストは声を震わせながら、精一杯の虚勢を張る。ハルバードは炎が燃え盛っており、スキンダウナーの頭部には煙の立ち上る傷跡があった。

 

「大丈夫ですか?! アルベルトさん!!」

 

 エストの横で剣を構えながら、シャーロットは言う。二人の姿に笑みを浮かべながら、アルベルトはよろよろと立ち上がった。

 

「なんとかな……さて、それでは、やろうか」

 

 再び戦闘態勢に入った三人と一匹は、わずかな明かりの中で向かい合う。わずかに湖の生き物が動いたのか、水音が響いた瞬間、それぞれが「敵」に向かって突っ込んだ



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マーレボルジェ

 最も早く敵に到達したのはアルベルトであった。彼は持ち前の素早さを生かしてスキンダウナーの懐へ入り込むと、振り下ろす腕も気にせずに鋭いローキックを浴びせる。まるで鞭が当たったような炸裂音とともに、スキンダウナーは蹴られた左足を震わせて膝をつく。どうやら、効果はあるらしい。だが、振り下ろされた腕はアルベルトが防御のために差し出した腕を弾き飛ばし、内出血を起こさせたようだ。炎の明かりの中で、腕ごともって行かれた体を地面に倒したアルベルトの左腕が青くなっている。だが、エストはそんな様子に薄く笑みを浮かべて、ハルバードを振りかぶりながら突っ込んだ。

 

「ナイスアシスト!」

 

 体制の崩れたスキンダウナーに向けて、エストは突っ込む。燃え盛るハルバードをその頭につきたてようとした瞬間、エストは宙を舞う。強靭な肺に圧縮された空気の弾が、エストの体を軽々と吹き飛ばしたのだ。地面との衝突音が響くと、エストはピクリとも動かない。どうやら、気絶をしてしまったらしい。

 

「エストさん!?」

 

 その光景に一瞬立ち止まったシャーロットは、スキンダウナーの接近を許してしまった。スキンダウナーはぽっかりと明いた口をシャーロットへと向けると、捕食のためにそのままシャーロットへと接近する。

 

「ひっ……!」

 

 剣を口内に向け、シャーロットは渾身の力で切先を口内につきたてる。肉を切る音と同時に、絶叫がとどろく。スキンダウナーは重力と自重により、自ら剣先へと突き刺さっていくような格好になっている。

 

その重さを支えているのは、たった一人の少女と一振りの剣であった。

 

 シャーロットの腕が震える。それはそうだ。「100キロを優に超える巨体が剣を通して右手と左手に集中している」のだから。

 

「もう……だめ……!!」

 

 シャーロットが体力の限界を感じ、震える剣を取り落とそうとした刹那、ふわりと、まるで一切合財の重力から開放されたように重みが消え去り、あろうことかスキンダウナーの巨体を押し返したのだ。そしてその瞬間、シャーロットは怪訝そうな顔をして自らの右後ろ、虚空を見つめた。

 

「え……?」

 

「しィィィィィィ!!」

 

 弾き飛ばされ、地面に倒れていたアルベルトが動く。口内に深々と剣を突きたてられたスキンダウナーは、シャーロット以外の存在をすっかりと忘れていたらしい。アルベルトが声を漏らした方向へ向き直ろうとするが、その行動はアルベルトの右拳にさえぎられる。ぐちっ、という音が暗闇に響く。

 

 アルベルトは攻撃の手を止めない。彼はわずかに飛び上がると、スキンダウナーの右膝の関節に向けて、全体重をかけた関節蹴りを行った。めき、という関節の折れる音とともに、スキンダウナーは苦悶の声を上げながら、左足一本だけで体を支えている。ピタリと、アルベルトの左拳がスキンダウナーの口の中の剣に添えられる。

 

「ハッ!」

 

 スキンダウナーの体が、ボールのように跳ねた。完璧な正拳の構えから、口内の剣に、完璧なタイミングで、アルベルトは打撃を放ったのだ。

 

 脳幹を損傷したスキンダウナーは、一つだけ鳴き声を落とすと絶命した。

 

 アルベルトは魔物の口内から剣を引き抜くと、それを地面に置き、未だ意識を取り戻さないエストの元へと歩み寄る。そして、上半身を引き起こすと、背中を軽く小突いた。

 

「っ……ゲホッ! けほっ!!」

 

 衝突によって呼吸さえもままならなかったのだろうか、エストは必死に酸素を取り込もうと荒い呼吸と咳を繰り返している。

 

 どうやら戦闘結果は皆五体満足で生き残れたらしい。

 

 だが、シャーロットは周囲を落ち着き無くきょろきょろと見渡している。

 

「どしたの? 周りにもう敵はいないみたいだけど?」

 

 エストがまるでダメージを受けていないように言うと、エストは胸に突っかかる疑問の原因を吐き出した。

 

「……声が、聞こえたんです。あの魔物を押し返したときに『見事』って」

 

 その言葉に、二人は一様に怪訝そうな表情を浮かべる。無理も無い、今ここにいるのは、この三人だけなのだから。

 

「お見事、お見事、いやはや、やはり強いのう」

 

 暗闇に女の声が響く。声は20を少し過ぎたばかりのような若い声だが、言葉遣いはずいぶんと老いた印象を与える。

 

「……何物だ? どこにいる?」

 

「お主の目の前じゃよ」

 

 声はアルベルトに自らを導く。アルベルトの前にいるのは、シャーロットだけだ。

 

「はい、もうちょい下」

 

 言われるがままに、アルベルトは視線を下げる。喉仏、鎖骨、わずかに膨らんだ胸、腹、腰……。

 

「んで、左」

 

 アルベルトは視線をわずかに左に移す。下腹部だ。

 

 そしてアルベルトは珍妙な勘違いを起こす。どうやら、彼女の体に新しい命が宿っているとでも思ったのだろうか。ちなみに、アルベルトに心当たりは無い。

 

「うっわー、エッチー。どこみてんのよヘンタイー」

 

 おちゃらけたようなその言葉に、一瞬にしてアルベルトの周囲の空間が歪む。それこそ、空気すらも圧縮するように。

 

「ごめん、ちょっとふざけた。だからその殺意の波動しまって。さすがの儂でもトラウマになるくらい怖い」

 

 声は心底許して欲しそうにそういう。寸劇を繰り広げるアルベルトと声にかまう事は無く、エストはシャーロットを上から下まで見つめ、そしてシャーロットが腰に差す鞘に触れた。

 

「いやん、貴女テクニシャン」

 

 エストはいつもの穏やかな表情で、虚空に炎を生んだ。

 

「ごめん、本当ごめん。でもやめられないの、辛いところだわね」

 

「え? つ、つまりどういうことなんですか?」

 

 訳が分からない、と言った様子のシャーロットに、エストは簡潔な説明を行う。

 

「んーっと、つまり、勇者ちゃんの鞘は、とんでもない曲者ってわけよ」

 

「おー、正解。ご褒美に2ポイントあげちゃう」

 

 エストはその言葉を聞いた瞬間、にっこりと笑みを浮かべてシャーロットの腰からゆっくりと鞘を抜き、虚空に炎を浮かべた。

 

 マーレボルジェの悲鳴が一つ、大気を揺らした。

 

 

 

――――

 

 

 

 簡易テントの中では、鞘を取り囲んでの質問攻めが行われている。誰も彼も、目の前の光景が信じられないらしい。

 

「つまりあなたは、生きている鞘ってことですか?」

 

「その通り、儂は生と死の狭間でワルツを刻むモノ、永遠と刹那の隙間に墨を垂らすモノよ」

 

 なんとも分かりにくい説明を取り入れて、鞘は空気を揺らす。

 

「……なぜ今まで喋らなかった?」

 

「いや、色男のハーレムを邪魔しちゃいけないとおもったから」

 

 けろりとそう応える鞘を、アルベルトはゆっくりと掴む。そして一気に力を込めた。

 

「あだだだだだ!! 折れる! 折れる! っていうか曲がる! アンタ何?! ゴーレム!?」

 

 ミシミシと悲鳴を上げる鞘から手を離すと、鞘は荒い息遣いでアルベルトに非難の声を投げる。そして、落ち着いたのか回答を導いた。

 

「まあ、要はあなた方の力量の見極めさね。最初から喋る鞘と旅してたんじゃ、それは『普通じゃない』からさ」

 

 淡々とそう喋る鞘に、アルベルトは一つ頷いた。確かに、喋る剣ならまだしも、喋る鞘なぞ聞いたことも無いのだから。

 

「しっかしアレよ、ただでさえその怪力男が一騎当千の有様だってのにお嬢ちゃんがパーティに加わったでしょ? どう見ても過剰戦力よこれ、どっちが魔王だかわかったもんじゃない」

 

 鞘の言葉に、アルベルトは一つ息を漏らす。そして、続いてエストが言葉を紡いだ。

 

「っていうか、あなた一体いくつなのよ?」

 

「さてのう、少なくとも嬢ちゃんよりは長生きしとる。五十か、百か、はたまたそれ以上か」

 

 からからと、笑い声のような音を出しながら鞘は応える。そして、最後にもう一度、シャーロットが質問を行った。

 

「あなたの、お名前は?」

 

「ふむ? 武器に名をつけたがるとは不可思議な娘っ子よ。儂はただの道具、それ以上でもそれ以下でも無く、それ以上もそれ以下も望まぬ。好きなように呼べばよろし」

 

 その言葉に、エストの瞳が輝いた。まるで、悪戯を思いついた子供のような瞳である。

 

「そんじゃあ今日から君の名前は『マーレボルジェ』ね。決定!」

 

 エストの言葉に、初めて鞘――マーレボルジェは異議を唱える。

 

「呼びにくいし覚えづらい。そもそも、マーレボルジェは『悪の嚢』という意味じゃったと記憶しているが」

 

「あなたに御似合いの名前だわ。口を開けば災いばかり、これを悪の嚢と呼ばずに何と言うのかしら?」

 

「『ぷりちー』な天使とでもよんでくりゃれ」

 

 マーレボルジェのその言葉に、たまらずエストはため息を漏らす。そして、シャーロットを見つめた。

 

「まあ、悪い奴じゃなさそうだわ」

 

 皮肉な笑みを浮かべて、エストはそう言った。

 

 

 

 



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対狙撃

 薄い日の光が周囲を照らす中、ぱしゃぱしゃという水音が静まり返った空間に溶けて行く。水音の主はエストであった。彼女はアルベルトとの夜間警戒の交代を行い、朝の日差しが訪れようとする時間に衣服を脱ぎ払って水浴びを行っているのだ。夜はスキンダウナーとの戦闘もあり、それで無くても風呂やシャワーを浴びれなかったのは、彼女にとっては耐えがたい事だったようだ。

 

 エストがその小柄な体を湖の水で清めている間にも、休む事無く太陽は上昇を続けている。

 

「ふぅ……」

 

 エストはそれでもまだ薄暗い空中に向けて、一つ息を吐く。彼女の胸の中には、いくつかの心配事がしこりのように存在しているのだ。先ず一つは、これからの中継地のこと。

 

 先日シャーロットが述べたように、ヴァルコラキ帝国を経由するのは、彼女としては歓迎できる事ではない。短い兵役が終了し、自由を手に入れた彼女であったが、通例、彼女達「鉄后騎士隊」はそのまま兵役を続けるのが慣習となっている。そんな事を気にせず、気ままに吹きすさぶ風のように行動していた彼女にとっては、旧友達との気まずい空気は望みたくないものなのだ。

 

 そしてもう一つは、「全身凶器」アルベルトの存在である。ほんの少しでも武術や戦闘術に心得がある人間ならば確実に知っているであろうその名前は、並みの人間からしたら恐怖の象徴以外の何物でもないのだから。

 

 今は亡き国を魔物から防ぐために修羅道に身を落として鬼神の如く戦い、そして亡国を枕に最後まで戦い、散った……はずだった。そんな男が実際に彼女の前に存在し、そして、あろうことか一人の少女と穏やかに言葉を交わす様は、とても彼女には信じられない事だった。

 

「アルベルト・ウィンディ……」

 

 彼は一体何物なのだろうか、そんな疑問がエストの頭に、まるで泡沫のように浮かんでは消えて行く。だが、エストは大きく首を横に振ると、自らの頬を両手で軽く叩いた。

 

「まあ、考えたってどうしようもないわよね」

 

 鋭い眼差しを浮かべ、エストは調整した火の魔法で髪を撫で、濡れた髪から水気を取る。そしてぱしゃぱしゃと音を立てながら。服を脱いだ場所へ向けて歩き出す。水面が揺れ、鋭く光を返した。

 

 

 

――――

 

 

 

 すっかりと朝日は昇りきり、パーティの全員がすっかりと準備を終えた頃、エストがシャーロットに尋ねる。

 

「今日はヒューゲントまでが目標だっけ?」

 

「はい、ここから東に行けば、お昼までには着けるはずです」

 

 地図に目を落としながら応える様子に、思わずエストは微笑む。外見だけでは臆病そうな少女だが、その実、芯は強く、そして何よりも、同年代よりも聡明で勇敢である。一体自らはこれくらいの年頃は何をしていただろうか、とエストは回想し、そして乾いた笑いを一つ落とした。

 

 どう考えても、目の前の少女よりも優れてなどいなかったのだから。

 

「っていうか、ヒューゲントからヴァルコラキに行くには海路を使わないと駄目よ? 船に乗るだけでも数日かかるだろうし、船の上でも数日かかるから、準備をしておかないとね」

 

 エストの言葉に、先ほどまで沈黙を貫いていたアルベルトが言葉を挟む。

 

「戦利品は随分手に入ったから、金銭面での心配は当面無いだろう。物資の問題は何とかなるが、それ以上に問題なのは精神面での問題だ」

 

「うん、それは当然。船酔いは辛いし、何より陸に足をつけられないのが一番辛いかな」

 

 二人の言葉に、とたんにシャーロットは顔を青くする。どうやら、心配なようだ。そんな様子を察したのか、エストはにっこりと、朗らかに笑みを浮かべると、シャーロットの髪をくしゃくしゃと撫でた。

 

「大丈夫大丈夫、海が荒れなきゃほとんど揺れないし、ゆっくり休んでられる時間だと思えば辛くないから」

 

 その言葉に、少しは不安を払拭できたのか、シャーロットは頷く。つくづく、浮き沈みは激しい。

 

「……とはいえ、いつまでもここで休んでいるわけにもいくまい。また魔物が出るとも限らない以上、一つの場所に留まるのは危険だ」

 

「それはいかにもだわ。っていうか、マールが黙りっぱなしなのが余計に不安なんだけど」

 

 エストはシャーロットの腰の鞘に視線をやりながら、悪戯っぽく言う。すると、その鞘、マーレボルジェは不満そうに言葉を紡ぐ。

 

「失敬な、儂とて喋るのは疲れるのじゃ。というか、マールと言うのは儂の銘かえ?」

 

「そ、マーレボルジェだから、マール。良い愛称でしょ」

 

 エストの言葉に、マーレボルジェはからからと笑うが鞘は微塵も震えない。まるで傍に見えない人間がいるようだ。

 

「んむ、悪くない、じゃがそれなら初めから儂の銘はマールで良いのではないか?」

 

 マーレボルジェの言葉に、エストは大げさに、呆れたようなジェスチャーを浮かべる。

 

「あなたはどう転んでも『悪の嚢』なのよ。第一印象が重要だって言うのが嫌って言うほどわかったわ」

 

「あらやだ、言葉責めってやつ? おねーさん新しい刺激に興奮気味」

 

 あまりにも場違いなその言葉に、にっこりとエストは笑みを浮かべる。虚空に炎が咲く。

 

「それ以上言ったら鋳溶かして海に沈めてあげるわよ?」

 

「ごめん、本当にごめん。さすがの儂もその刺激はレベル高い」

 

 エストとマーレボルジェが寸劇を繰り広げ、シャーロットがおろおろと慌てている間にも、アルベルトはテントを畳んで背負っていた。

 

「っと、こんな事してる場合じゃないわよね。さて勇者ちゃん、出発の号令をかけてくれるかな? こういうのはやっぱり勇者ちゃんじゃないとしっくり来ないわ」

 

 空中で燃える炎を消すと、エストはハルバードを右手に持ち、言う。シャーロットは軽く頷くと、息を吸い込んだ。

 

「それでは、ヒューゲントへ向けて、出発しましょう!」

 

 シャーロットが高らかに宣言すると、おー、女性の声が青空に溶ける。アルベルトはそんな様子を一瞥するだけで、特段の反応は示さない。

 

「おい色男、主も鬨の声を上げんか。はーい色男だけやりなおしー」

 

 マーレボルジェが不服そうな声色で言うと、呆れたようにアルベルトは息を吸い込み、そして一つ、声を落とした。

 

「応」

 

 

 

――――

 

 

 

「……ということは、魔法とは強固な想像力と精霊の力を利用して発現するわけですか?」

 

「おお、完璧! そういう事、だからすべての属性を学ぶよりは一つか二つの属性に手を出して、それからキャパシティを広げていくって感じかな。っていっても、私は凡才だから3属性がやっとだけどねー」

 

 さくさくと草を踏み分けながら、一行は東、ヒューゲントへと向かう。行軍を開始してはや一時間が経過しようとしているが、幸いにもまだ魔物には遭遇していない。さすがに精神を張り詰めるのも疲れたのか、エストはシャーロットに魔法についての講義を行っている。

 

「勇者ちゃんは魔法を使いたいのかな?」

 

「はい。その……アルベルトさんの怪我が心配なので、回復系の魔法だけでも」

 

 エストの問いに、一段声量を落としてシャーロットが答える。その回答に、エストは目を丸くして前方を歩くアルベルトを見つめる。そしてくすくすと笑うと、シャーロットの頭をわしわしと撫でる。

 

「やっぱり勇者ちゃんは勇者ちゃんだねぇ。よし、私が持ってる魔法知識は全部あげるから、一人前の回復術師を目指してみようか?」

 

 エストのその言葉に、シャーロットの瞳が輝く。そして、力強く、何度も首を縦に振った。

 

「ほう、主は回復魔法にも通じておるのかえ?」

 

 マーレボルジェはそう呟くと、エストはふふん、と鼻を鳴らし、自慢げに目を閉じた。

 

「それは当然! なんと言っても私はエリート部隊の後方支援の要の一人! 敵の前線へ飛ぶ火球や氷の飛礫の破壊力たるやそれはまさしく――」

 

 言葉を紡いでいる最中だが、ぴくりと体を震わせると、エストは目を開けて前方のアルベルトを見つめる。それと同時に、アルベルトは軽く体を開き、戦闘体制を作る。エストも背負っていたハルバードを手に持つと、アルベルトの横へと駆けだす。

 

「魔法の破壊力、とくと見せてもらおうか」

 

「あちゃあ、聞こえてた?」

 

 くすくすと喉を鳴らし、エストはおどけたように言う。アルベルトもわずかに笑みを浮かべると、前方に鋭い視線を向けた。

 

 前方にいたのは、なんと言う事は無い、ただの八体のゴブリンだ。しかし、問題はその武装であった。どこから調達したのか、傷ついた鎧甲冑に鉄の弓を引っさげ、草の中から鏃やじりと少しだけの体を出して、一行を狙撃する腹積もりのようだ。

 

 エストとアルベルトの額に汗が伝う。

 

「参ったなぁ……遠距離の狙撃は苦手なんだよなぁ……」

 

「近づければ確実に討てるが、近づくまでが鬼門か」

 

 二人は身動きする事は無く、策をめぐらす。ゴブリンもそれを理解しているのか、やすやすと弓を引いたりしない。そうしてしまえば、確実に戦闘が始まり、攻撃されるのだから。

 

 一種の膠着状態に陥るかと思われた瞬間、マーレボルジェは朗らかな声を発する。

 

「やあやあ、お困りか、ならば年の功をお見せしよう。おい娘っ子、剣には触れんでくれや?」

 

 あまりにも場違いな声色に、アルベルトとエストは軽く苛立ちを覚える。しかし、続いて彼らに起こった変化は、驚愕するに十分な事であった。

 

 柔らかな風が一陣吹きぬけると、エストとアルベルトは驚愕の表情を浮かべてマーレボルジェを見る。その視線に気付いたのか、マーレボルジェはからからと笑いながら言葉を紡いだ。

 

「骨董品のような魔法じゃよ、体を羽の軽さにする魔法じゃ」

 

 マーレボルジェが解説を行っている間に、既にアルベルトは笑みを浮かべて敵陣に矢のように突っ込んでいた。

 

 突然の行動に対処できなかったゴブリンが慌てて矢を放つが、矢は空中で破壊音を立てて地面に落ちる。アルベルトは黒い影と化して、ゴブリンの群れに突き刺さった。

 

 肉を打つ音と悲鳴が空気を震わせ、そして静寂が訪れる。八体ものゴブリンは、ほんの一瞬で死肉の塊へと変貌していた。身につけていた鎧は無残にもひしゃげ、弓もいくつかはへし折れてさえいる。

 

「……儂の魔法は速度強化だけじゃったはずじゃが」

 

 あまりの惨状に、マーレボルジェは不思議そうに言葉を紡ぐ。すっかりと出番を無くしたエストは、軽く息を吐くとハルバードを背負う。アルベルトは、戦利品の回収に忙しいらしい。

 

「あの人を常識に捕らえないほうがいいわ。全然底が見えないもの」

 

 エストはちらりとシャーロットの方を振り向き、軽く息を吐く。

 

「なんだかんだで、このパーティも結構バランス良いんじゃない? 近接火力特化に遠距離魔法展開、そんで補助魔法使い。勇者ちゃんが回復術師になってくれれば、もう怖い物は何も無いわね」

 

 ふっと穏やかな笑みを浮かべ、エストは言う。柔らかな風が、一陣駆け抜ける。

 

「……それにしても、彼は本当に規格外だわ。鎧ごと体を砕くなんて、帝国の座学なら零点の回答よ?」

 

 エストの呟きが聞こえたのか、アルベルトは両手を血でぬらしたまま、くるりと振り返り、言葉を紡いだ。

 

「小細工は必要ない。ただ己の拳足を以って障害を貫くだけだ」

 

 その言葉に、むっとしたようにエストは質問を続ける。

 

「そのご自慢の手足で倒せない敵が現れたらどうするつもりなのかしら?」

 

 その質問に、アルベルトは至極当然、と言った様子で言葉を返す。

 

「何、ゴーレム程度の硬さなら削り取れる。それに、生物であるならば急所が存在するはずだ。そこを打ち抜く」

 

 なんとも出鱈目な回答に、エストは思わず、深くため息を吐いた。

 

「あなたみたいな人が帝国の武術教官じゃなくて良かったとつくづく思うわ」

 

「武術は人を選ぶものだ。私はこの戦い方がしっくり来るからこの戦い方をしているだけさ」

 

 その言葉に、思わずエストは言葉を詰まらせる。そしてアルベルトも、物色を再開した。二人の空気を険悪なものと受け取ったのか、シャーロットはおろおろと二人を交互に見ているが、それに気付いたエストは微笑むと、シャーロットの頭を撫でる。

 

「まったく、つくづく規格外ね、あの人は」

 

 呆れたような顔で、エストはアルベルトを見つめる。ハルバードが鈍く陽光を返し、潮のにおいを乗せた風が、徐々ににおいを強めていた。



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港町ヒューゲント

 海風が潮の匂いを運ぶ。真っ白な石灰岩作りの建物が陽光を浴びて輝く。海鳥が鳴き、喧騒が街を飛び交う。

 

「着きました! ヒューゲントです!」

 

 瞳を輝かせたシャーロットが高らかに宣言する。どうやら、彼女は今好奇心でいっぱいらしい。

 

「勇者ちゃんは確かダコードの生まれだったわよね? それじゃあ、海を見るのも初めて?」

 

「はい! 近くに川はあったんですけれど、それよりもずっとずっと大きいですね! 昨日の湖よりもずっと大きい……!」

 

 いつもは冷静なシャーロットも、今ばかりは年相応の無邪気さを露にしている。元々明るい性格なのだろう。そして、そんなシャーロットの様子を見て気をきかせたのか、アルベルトは言葉を発する。

 

「君達はしばらく自由に動くと良い、私は宿の手配と情報収集をするつもりだ。荒っぽい事になるかもしれないから、別行動のほうがやりやすい」

 

「ん、わかった。じゃああの宿屋の部屋の確保をお願いね。あ、分かってると思うけど二部屋だからね?」

 

 エストはアルベルトの意思を汲んだのか、風見鶏が揺れる宿屋を指差して言う。しっかりと、釘は差したままだ。

 

「心得た」 

 

 アルベルトは小さく頷き、無表情に短く呟く。そしてその様子を茶化すように、マーレボルジェは空気を揺らす。

 

「おうおう、ウブな娘じゃのう」

 

「勘違いするんじゃないの、あなたが一人部屋よ」

 

「おぉう!?」

 

 あまりにも意表を突いた回答に、マーレボルジェは素っ頓狂な声を漏らす。無理も無い、てっきりアルベルトが一人部屋だと思っていたのだから。

 

「まあ、冗談だけどね」

 

「お、おう、素直にびっくりした。年寄りの冷や水と良く言うが氷飛礫をぶつけられたようじゃ」

 

 珍しくうろたえるマーレボルジェに悪戯っぽい笑みを浮かべ、口角を吊り上げる。どうやら、弱点発見、と言ったところだろうか。

 

 そんな様子を傍目に、アルベルトは宿へと大股に歩き出す。

 

「あ、あの! お気をつけて!」

 

 シャーロットが大きな声でそう声をかけると、アルベルトは振り向き、わずかに表情を崩した。

 

「ああ、君達もな」

 

 そしてアルベルトは雑踏に消えていく。

 

「まったく、無愛想だねぇ本当に。さて、それじゃあ私達は観光としゃれ込みますか。あぁそうそう、マール、今度喋ったらあなた外で一晩過ごさせるからね」

 

「おう、善処しようか」

 

 そんなやり取りを交わし、シャーロットとエストは歩き出す。傍から見れば、仲良し姉妹にも見えそうであるが、それにはいかんせん外見が似ていない。

 

 他愛も無い話で笑いあいながら、二人もまた、雑踏に消えた。

 

 

 

――――

 

 

 

 アルベルトは酒場の扉を開ける。宿の手配は終わり、背負ったテントキットを部屋に置いた彼は、本格的に情報収集へと乗り出すつもりなのだ。そのため、彼は人が集まる場所へと移動している。

 

 とはいえ、彼は武道家たる身、酒気は筋肉を硬直させる上に筋肉の形成を阻害するため、彼は忌避しているのだ。そのため、異様な筋肉とその雰囲気を醸す彼がカウンター席に掛けて酒場の店主に下した注文は、とても酒場には似つかわしくないものであった。

 

「グリーンティとミートパイを」

 

 酒場の主は意表を突かれたのか、おぼろげな返事をすると料理を作り始める。その合間に、アルベルトは周囲を見渡す。

 

 海の男達の街と言う事もあり、たくましい外見の男達が多い。それでも旅の格好をした者は数人いる。そこでアルベルトは、違和感を覚える。船が定期的に出るとはいえ、旅人の顔には疲労と不安の表情が色濃く出ているのだから。

 

「どうぞ、グリーンティです」

 

「ああ、ありがとう。ところで、ヴァルコラキ帝国行きの定期船はいつ出るか分かるか?」

 

 軽い言葉だけを交わしたアルベルトは、疑問を率直に店主にぶつける。店主の反応は、彼にとって喜ばしくないものであった。

 

「……当分船は出せないみたいです。何でも、厄介な魔物が入り江にいるらしくて。おかげで商品やら材料やらが届かなくて参ってるんですよ」

 

 心底辛そうに、店主は言う。港街で海路が使えないという事は死活問題だろう。

 

「討伐隊は組織されていないのか?」

 

「こんな街に対魔物のために組織された軍隊なんてありません。ヴァルコラキが援軍をよこしてくれたという情報もありますが、一体いつになる事やら……」

 

 その言葉にアルベルトは少々考えをめぐらせる。何分まだ魔物の正体も何も不透明であるため、軽々しく「討伐する」とは言えないのだ。

 

「ふむ、ありがとう。ああ、もう一つだけ」

 

 すっと人差し指を立て、アルベルトは言葉を付け加える。

 

「魔物の正体はどんなものか、分からないか?」

 

 その言葉に店主の瞳は一筋の希望を浮かべ、言葉を紡ぐ。

 

「なんでも、奇妙な魔物だそうです。砲撃も網も効かないと」

 

 アルベルトは首を縦に振り、静かに椅子から立ち上がる。そして食事の代金を払い、店主に感謝の言葉を述べて酒場を後にした。

 

 

 

――――

 

 

 

 エストは嬉々として前を歩むシャーロットを見つめる。ほんの短い間ではあるが、エストから見たシャーロットはどこか背伸びをし続けているように思えてならなかったのだ。しかし今のシャーロットは年相応の無邪気さで新鮮な体験を存分に満喫している。

 

「(考えて見れば、勇者だもんねぇ)」

 

 エストは目の前の小さな背中を見つめる。ある日突然勇者に任命され、その肩に大きすぎる使命を背負わされたのだろう。おそらく真面目な彼女は「勇者である事」を演じて演じて、今まで生きてきたのだろう。それがどれほどのものなのか、エストは理解する事さえ出来ない。

 

「(敵わないなぁ、勇者ちゃんには)」

 

 穏やかな笑みを浮かべ、エストは息を吐く。潮風が肌を撫で、波の音が鼓膜を揺らす。ここだけを見れば、今が魔王の侵略に怯える時代だとは到底考えられない。

 

「ねえ勇者ちゃん、勇者ちゃんは、何でそんなに頑張れるの?」

 

 エストはシャーロットの横に並び、他愛も無い、他意の無い疑問を投げる。シャーロットは質問の意図を理解出来なかったのか、足を止めるとエストの瞳を見つめた。

 

「その、さ、勇者なんて大きな仕事を任されて、後悔して無い?」

 

 エストはなぜか罪悪感すら浮かべて、再び疑問を投げる。だが、シャーロットはまるで太陽のように朗らかに、暖かく微笑むと、回答を導いた。

 

「後悔なんて無いですよ。私は勇者で、勇者にしかできない事があるんです。だから私は、私にできる事をするんです」

 

 裏の無い笑みでシャーロットは言う。エストは言葉を詰まらせると、彼女に負けないくらいの笑みを浮かべた。

 

「あっははは! すごいなぁ勇者ちゃんは。昔の私に爪の垢を煎じて飲ませたいわ」

 

「へ? そ、そんな事無いですよ! エストさんは強いし、かっこいいし、なんだか頼れるお姉ちゃんみたいで……」

 

 顔を赤らめたシャーロットが必死に言葉を紡ぐが、エストは軽く髪を揺らすと、片目を閉じる。

 

「ん、ありがとね、勇者ちゃん」

 

 周囲の人波は、ほほえましく二人を見つめていた。



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作戦会議

 すっかりと日は落ち、海鳥の声も止んだが波の音は静まる気配を見せない。今日一日ずっと新鮮な体験だったのだろうか、シャーロットは疲れたようにベッドに腰掛けている。ちなみに彼女と合室はエストだけで、マーレボルジェはアルベルトと合室である。

 

「いやー、久しぶりにリフレッシュできたわね」

 

 シャワーを浴びて寝巻きに着替えたエストは、ハルバードを壁に立てかけると何とはなしに言葉を紡ぐ。シャーロットは曖昧に返事を返すだけだ。もう眠いのだろう。

 

 だが、シャーロットははっとした様にリュックサックから日記帳を取り出し、ページを開く。旅の記録として何らかの役に立てばと思い立ったものだが、朦朧とする意識の中ではうまい事は書けそうにない。

 

 エストは興味本位から日記帳を覗きこむ。もちろん文字をすべて読んだりはしないが、驚いたように声を漏らした。

 

「へぇ、昨日テントで何か書いてると思ったら旅の日記だったのね」

 

 シャーロットは不意に掛けられた言葉に、耳まで真っ赤にして日記帳を胸に抱える。そして口をパクパクと動かし、なにやら言葉を紡ごうとしているが言葉は出ない。眠気は完全に吹きとんだようだ。

 

「ごめんごめん、そんなに驚くとは思わなかったから。私も日記を書いた事はあるんだけど、二日で書かなくなったのよね」

 

 けらけらと笑いながら、エストは背を伸ばす。シャーロットはようやく頭が働くようになったのか、言葉を吐き出した。

 

「み、み、み、見ないでくださいよ!!」

 

「本当ごめんって、もう見たりしないわよ」

 

 肩で息をしながらシャーロットは憤慨したような表情を浮かべ、そして日記帳に文字を並べ始める。エストはほほえましげにそんな様子を見つめ、そしてベッドに大の字になって軽く目を閉じた。

 

 

 

――――

 

 一振りの剣が鞘ごとベッドに放り投げられていた。アルベルトはそれを気にする様子はなく、どっかりと床に胡坐をかくと目を瞑って瞑想の体制をつくる。

 

「おーい、そろそろツッコミのタイミングじゃぞ?」

 

「なぜ私の部屋になったのだ?」

 

「うん、ちょっとはしゃいだらこうなった。不束者ですがどうかよろしくお願いします」

 

 アルベルトは大きく息を吐いてマーレボルジェに視線を向ける。情報収集を終えて宿に帰ったらマーレボルジェがベッドの上に放り投げられていたのだが、彼は特段突っ込みを入れる事無かったために自分から喋りだしたマーレボルジェは先ほどから強く出られないでいる。

 

「まあ気楽にしてくれや、儂はもはやおなごでは無いしのう」

 

 マーレボルジェの言葉に反応は示さず、アルベルトはマーレボルジェをチェストの上に乗せると、ベッドにもぐりこんだ。

 

「おうおう、まだ眠るのには早いぞ、あの娘っ子がおらぬうちに聞きたい事がごまんとある」

 

 声色を低くしたマーレボルジェがアルベルトに言葉を投げる。アルベルトは目を瞑ったままだ。

 

「主は何者じゃ? 人間でありながらあの凶暴性、それにあの武術は『知って』おる。確かオルヴィスティの近接格闘法であったか」

 

 マーレボルジェは悪戯っぽい声色でそのように言葉を呟くと、アルベルトはベッドに寝転んだまま回答を導いた。

 

「いかにも、わが故国オルヴィスティの格闘術だ。魔物と戦うために必死で身に付けた技法だ」

 

 くだらないとでも言うように、アルベルトは言葉を切る。

 

「それにしては珍妙ぞ、オルヴィスティが陥落してから十数年、主はいつから修羅道に身を落とした?」

 

 いつもの冗談の混じった声ではなく、至極真面目な声色でマーレボルジェは言葉を紡ぐ。

 

「……私の過去など、特に面白い事は無い」

 

 アルベルトは明かりを消すと、それっきり、マーレボルジェに背を向けた。おそらく本格的に眠るのだろう。

 

「なぜかのう、主を見ておると興味がわいてしょうがないのじゃ」

 

 マーレボルジェの呟きに返事をかえさないまま、アルベルトは規則正しい寝息を立て始めた。マーレボルジェはやれやれ、と呟いたきり、言葉を紡ぐ事は無かった。

 

 

 

――――

 

 

 

 翌日、三人と一本は宿のロビーで作戦会議を行っていた。周囲には観光客や冒険者と思わしき人間の姿も確認でき、誰も彼も船が出ない事に困っているようだ。

 

「とりあえず、情報の整理をしよう。シュナウファー、書記を頼む」

 

 アルベルトの言葉に、シャーロットは待ってましたとばかりに紙とペンを取り出し、アルベルトの言葉に耳を傾けている。そんな様子にエストは苦笑するが、アルベルトはそれを意に介さずに言葉を切り出した。

 

「メモはまだ取らなくて良いぞ。まずは、酒場で聞いた情報からだ。この宿にも冒険者らしい人物が結構な数滞在しているのには気付いたか?」

 

 その言葉にシャーロットは首を傾けるが、エストは首を縦に振る。どうやら、彼女は気付いていたようだ。

 

「ん、廊下ですれ違った人が何人か冒険者の格好をしてたわ。それも、皆して焦った様子だったわね」

 

 その言葉に、アルベルトは大きく首を立てに振り、言葉を紡いだ。

 

「酒場の店主に尋ねたのだが、どうやら魔物のせいで船が出せないらしい」

 

 その言葉にエストは合点がいったように息を吐き、シャーロットは何かをメモした。

 

「そして不幸な事に、この街には治安維持の兵隊はいるが魔物討伐専用に組織された部隊は存在しない。加えて魔物の正体は不明だそうだ」

 

 シャーロットが要点をメモにまとめる間に、エストは眉間を指で押さえながら考えをめぐらせる。シャーロットが顔を上げたのを見計らって、エストは言葉を切り出した。

 

「ヴァルコラキに連絡が行っているのなら、たぶん数日で到着すると思うわ。でも、それもいつになるか分からないから不安になるのも当然、か」

 

「そうだ、だからこの街の領主邸で詳しい事を聞こうと思ったのだが、私一人で入って話が聞けるような場所ではない。他にもいろいろと聞き込みをしたのだが、めぼしい情報らしい情報と言えば、剣も魔法も網も砲撃も効かず、魔物が出現する直前には深い霧が立ち込めるという事だけだ」

 

 エストは複雑な表情で天井を見上げる剣も魔法も効かないのであれば、魔物を討伐して進むと言う事ができない。なんらかの手順を踏んで魔物を退けるか、はたまた一度自らの身でその魔物と戦闘してその本質を確かめるしかない。

 

「つまり、今日は領主に詳しい話を聞いて、それからアクションを起こすって事で良いのね?」

 

「ああ、そのつもりだ」

 

 シャーロットはメモに細かい注釈をつけながら紙を整え、そしてペンを置く。今まで沈黙を貫いていたマーレボルジェは、ここになって初めて言葉を発した。

 

「ふむ、奇妙じゃのう。生のあるものならば必ず死は訪れるはずであるが」

 

 その言葉に、エストが苦笑いを浮かべながら反論を行う。

 

「あなたがそれを言うの?」

 

 無理も無い、マーレボルジェ自身が「何年生きているか分からない」と答えたのだから。だが、マーレボルジェはからからと笑いながらその言葉にも反論をした。

 

「儂はただ生命力が強いだけじゃ。しかるべき手順を踏めば儂は造作も無く死んでしまうじゃろうよ」

 

 この答えはエストも予想外だったのか、驚愕の表情を浮かべている。

 

「ともかく、行動の目標は決まりましたから、その通りに行動しましょう。領主邸でお話を聞いて、一刻も早く魔物を退治しないと」

 

 勇者としての使命感からか、シャーロットはそう呟くと勢い良く立ち上がった。それに釣られるようにエストとアルベルトも立ち上がり、顔を見合わせて軽く頷く。太陽が高く上ろうとしている時間ではあるが、三人と一本は宿屋を発ち、領主邸へと歩き出していた。

 

 



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ここまでの登場人物紹介

 靴音が領主邸のホールに溶け込んで行く。シャーロットとエストが衛兵に事情を話したところ、あっさりと謁見許可をもらえた事もありエストとシャーロットは緊張をわずかに感じさせる程度の面持ちで衛兵に付き従っているのだ。

 

「この分じゃよっぽど苦労してるみたいだね、領主さんもここの衛兵さんも」

 

 エストはハルバードを肩に担いだままぐるりと周囲を見渡す。衛兵は注意深く三人の様子を監視しているが、兵士達の顔にはありありと疲れが見える。おそらくこれでは、本来の戦力を発揮する事などとても出来ないだろう。

 

「この部屋の奥に、領主様がいらっしゃいます。くれぐれも、失礼の無いように」

 

 目の下に深々とクマを作った青年兵士が吐く息に乗せてそれだけを呟き、ゆっくりと扉を開くと、内部からは話し声が聞こえてきた。青年兵士はしまった、と言う風に口を小さく開けると、深く頭を下げる。

 

「申し訳ございません。お話中でしたか」

 

「いや、かまわないさ。旅のお方かな?」

 

 執務用の机に腰掛けているのは、白髪の混じった髪を後ろで束ねている初老の男性である。顔にはありありと疲れが見え、顔だけ見れば50代にも見えるだろうか。しかしはきはきとした声やまだ肉のある指を見る限り、そこまで老いてはいないようだ。部屋にはあと二人の男女がいるが、どうやら彼らも旅人らしい。

 

「はい。ダコード村で勇者に任命された、シャーロット・シュナウファーです。魔王討伐の旅の最中にこちらに立ち寄らせていただいた次第です。港街であるこの街で船が出港できないというお話を聞いたので、その根源を解決するために微力を尽くしに参りました」

 

 シャーロットは背筋を伸ばし、はきはきとそう答える。シャーロットの後ろで背筋を伸ばしている二人はその言葉に舌を巻いたが、領主はにっこりと笑みを浮かべると言葉を紡ぐ。

 

「ああ、ご丁寧な紹介をありがとう。楽にしてくれてかまわない」

 

 「勇者」という肩書きに二人の旅人は驚いたようだが、そのうちの一人、金髪の少女は値踏みするようにシャーロットを見つめる。年齢はおそらくシャーロットと同じくらいだろうか。

 

「へえ、あなたが勇者? ド田舎のダコードで任命されたとは聞いていたけれど、本当に子供じゃないの」

 

 その言葉にシャーロットはむっとしたような表情を浮かべるが、エストはやさしくシャーロットの肩を抱く。

 

「ははぁ、まだ親離れが出来ていないのかしら?」

 

 金髪の少女が嘲笑を含ませながらそう呟いた途端、少女の横に立つ大男の瞳がぎょろりと少女を捕らえた。全身に鋼鉄と思われる金属の防具を纏い、唯一露出した顔でさえ無表情である。大男が左手に持つのは二メートルを優に超える四角い金属の盾で、右手は空いたままだ。これが魔法による筋力強化なのか、それともこの男の筋力なのかは分からないが、少なくともこれは普通ではない。

 

 大男は息を吸い込むと、排水溝から水が噴出すように低い声で少女に制止の言葉をかける。

 

「エレノア、やめるんだ」

 

 その声にエレノアと呼ばれた少女はふんと鼻を鳴らし、反り返るようにして大男を見上げた。

 

「分かってるわよ、ゴリアテ」

 

 緊張の糸が未だはりつめる中、領主は手を叩くと言葉を切り出した。

 

「まあ、戦力が多いに越した事はあるまい。それでは状況の説明をさせてもらおうか」

 

 その言葉にシャーロットとエレノアは顔を見合わせ、そして同時にそっぽを向いた。

 

 

 

――――

 

 

 

「――では、討伐はあさっての正午に?」

 

「ああ、そういうことだ。もちろんバックアップはきちんとさせてもらうつもりだから、安心して欲しい。君達があの魔物にたどり着くまでの露払いは私たちが引き受けるさ。時間を取らせてしまって申し訳なかったね、二日後までは自由にしてくれてかまわないよ」

 

 おおよそアルベルトの手に入れた情報と同じような事を領主から説明された後で作戦開始の日程を説明された五人は、質疑応答の後に最後の確認を行い、そして解散となった。五人は一礼をして領主邸を後にするまでは一言も言葉を発さなかったが、領主邸の鉄の門が閉められた途端にシャーロットは珍しく眉を吊り上げてエレノアを見つめている。

 

「なんであなたのような田舎者と一緒に船に乗らねばならないのかしら」

 

「こっちが聞きたいですよ。なんであなたみたいな人と魔物を討伐しないといけないのかしら」

 

 ぴりぴりと二人が火花を散らす中、エストが二人の間に割って入り、朗らかな空気を漂わせて言葉を紡ぐ。

 

「はいはい、そこまで。こんなところで争っても何にもならないわよ?」

 

「ああ、その女性の言う通りだ。酒場とまでは行かなくても、腰を下ろして言葉を交わしたほうが良い」

 

 エストに追随するようにゴリアテも言葉を紡ぐと、さすがの二人も争いをやめざるを得ないようだ。

 

「それでは、どこか適当な店で互いの事を話そう。少なくとも我々は敵ではないからな」

 

 アルベルトがそう締めくくると、ゴリアテとエストは深く頷いた。

 

 

 

――――

 

 

 

「それでは私から紹介させてもらおうか」

 

「お待ちなさい、私からですわ」

 

 カフェの一角で、テーブルを囲みながら五人は言葉を交わす。アルベルトの言葉を切って落としたエレノアは小ぶりな胸を張ると威風堂々と自己紹介を行う。

 

「私はエレノア・アーデルハイド。南方のサヴィジガーデン共和国の貴族の娘ですわ」

 

「へぇ。貴族の娘さんがどうしてこんな旅を?」

 

 エストがさりげなく質問を投げかけると、まるで自分に酔っているような尊大な声色でエレノアは答える。

 

「それはまさしく『貴族の義務』だからですわ。高貴な立場には高貴な義務を、これが私の信条ですの」

 

 そんな態度にため息を吐きゴリアテは自己紹介を行う。

 

「ゴリアテ・ヴォルグ。同じくサヴィジガーデン出身の重騎士だ。特にこちらから話すような事は無いさ」

 

 ゴリアテはそういうが、シャーロットは興味深そうに質問を投げる。

 

「お二人はどういう関係なんですか?」

 

「ん? ああ、なんていうかな……まあ、年の離れた幼馴染って感じかな」

 

 ゴリアテは複雑そうな表情でそう答える。シャーロットも何かタブーに踏み込んだ感じがしたのか、それ以上追求する事は無かった。

 

「……アルベルト。故国オルヴィスティが墜ちてから放浪の生活だ」

 

「ああ! やっぱり全身凶器のアルベルトさんか! その雰囲気からしてそうじゃないかと思ってたんだ!」

 

 ゴリアテはアルベルトの名前を聞いた途端テンションを上げ、言葉を挟む。どうやら、よほどうれしいらしい。アルベルトが珍しく困惑している間に、エストは一つ咳払いを落として自己紹介を始める。

 

「んっと、私はエスト・アイギス。出身はヴァルコラキ帝国だけど、私も冒険者だったから結構冒険慣れはしてると思うわよ」

 

 ゴリアテはヴァルコラキという単語に息を漏らすが、エレノアは怪訝そうにエストを見つめている。

 

「あなた、強いの?」

 

「ええ。なんと言っても私は帝国騎士隊の魔法戦士だもの。機会があったら稽古をつけて上げても良いわよ?」

 

「まさか、結構だわ」

 

 ふん、とそっぽを向いたエレノアに苦笑いを浮かべ、エストはシャーロットに視線を送る。シャーロットはその視線に気付いたのか、背筋を伸ばすと言葉を切り出した。

 

「シャーロット・シュナウファーです。生まれはダコード村で、そこで勇者に任命されました。まだ旅を始めて間もないので、分からない事だらけですけどよろしくお願いします」

 

「あら、足を引っ張らないようにしてくださいな?」

 

 エレノアは再び憎まれ口を叩くが、シャーロットが買い言葉を返す前にゴリアテが言葉を紡ぐ。

 

「気を悪くしないでよ、シャーロットちゃん。エレノアだってまだ冒険に出て何週間もたってないんだから」

 

「んなっ! それは余計でしょうゴリアテ!!」

 

 二人のやり取りに、思わずシャーロットの頬は緩む。

 

「(あ、そういえば)」

 

 マーレボルジェの紹介をしていないことを思い出したのだが、黙っていると言う事はおそらく必要ないとマーレボルジェ自身も思っているのだろう、と自らを納得させ、シャーロットは太陽のような笑みを浮かべた。

 



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海上の霧

「見えた! 見えた見えた見えた! あの濃霧だ! あの濃霧だ!!」

 

 魔物を討伐するため船に乗った兵士の一人が高らかに叫び、甲板の上の冒険者五人組を見遣る。その肝心の冒険者と言えば、シャーロットとエレノアは船酔いで甲板に倒れこんでいるという散々たる状況である。

 

「私達の仕事はここまでです! なにとぞ、討伐を!」

 

 兵士は背筋を伸ばして敬礼をすると、船の管理に専念するように号令を下す。どうやら。戦闘は五人に任せるつもりらしい。

 

「……シャーロット様とエレノア様は船室に運んだほうが宜しいでしょうか?」

 

「ん、そうしてもらえるとありがたいわ」

 

 号令を下した兵士の提案に、エストは朗らかに微笑む。兵士は再び敬礼を行うと、いわゆる「お姫様抱っこ」の状態でシャーロットを抱え上げ、その様子を遠目に見たもう一人の兵士もエレノアを抱え上げて船室へと向かった。

 

「うぅ……こうも足場が揺れてると……」

 

「ふ、ふん……情けないですわね……」

 

 エレノアとシャーロットが仲良く運ばれているうちにも、戦闘員の三人は凛とした眼差しで前方の霧を見つめていた。

 

「……どう思うね、アイギス」

 

「どうもこうもあったものじゃないわよ。本当に攻撃が効かないなんてことを確かめるまではどうしようもないわ」

 

「はは、これはなんとも頼もしいお二人だ」

 

 三人は思い思いの言葉を口にすると、それっきり無駄口を叩く事は無かった。既に船はすっかりと濃霧に覆われ、船上の視界すら満足に確保出来てはいない。

 

 まるで白の絵の具を滅茶苦茶に塗りたくったようなその光景の中で、突然アルベルトの体から血が噴出した。エストとゴリアテは驚愕の表情を浮かべ、急いでアルベルトに駆け寄る。アルベルトは右の脇腹と首筋にまるで抉られたような傷を負い、血を流している。幸い傷は深くないようだ。

 

「な、何が起こったの!?」

 

 アルベルトは冷や汗を流しながら、脇腹を押さえている。動脈までは切断していないのか、赤黒い血が流れるだけである。

 

「見えなかったが、感触はあった。何かに噛みつかれたか、切り裂かれたような……」

 

「俺には見えなかったぞ? これは本当にやばそうだな」

 

 ゴリアテは盾を体の前面に構えたまま、わずかに顔を出して前方を見つめる。そして何か気付いたのか、耳を澄ます。

 

「……何だこの音は? 羽音?」

 

 その言葉に、エストは何かを思いついたのだろうか、両手に炎の球を浮かべ、それをぶつけて一つの球にすると前方に射出しようとしている。

 

 突然おぞましいほどの羽音が響き渡り、エストは両腕から血を流した。苦痛に顔をゆがめるが、それでもエストは気丈に笑う。

 

「思った通り……! こいつらきっと『レギオン』だわ!」

 

 タネを看破したのか、エストは血の流れる腕の先の火球を前方に射出する。拳ほどの大きさだったそれはあっという間に膨張し、空気を焼き払った。キイキイという甲高い悲鳴が海に響き渡る。

 

「レ、レギオン?」

 

「その通り。蟲の群れよ。座学を真面目に受けておいて良かったわ」

 

 エストは両手から血を流したまま、次の魔法発動のための詠唱を行う。ゴリアテはそれとなく前に歩み出ると、エストを守護するための陣形を作った。

 

「あら、ありがとう」

 

「重騎士の本懐は守護にあり、というからな。それよりその傷は大丈夫か?」

 

 ゴリアテが前を見つめながらエストを気遣うが、エストは柔らかに一回だけ笑うと、「何も問題ないわ」、とだけ答えた。

 

 アルベルトは細かく状況を観察する。現在戦力は三人、そして魔物の正体は蟲の群れ。自らの攻撃ではとてもすべてを駆逐する事は出来ないだろう。そもそも、アルベルトの攻撃は精密精と破壊力はあるのだが、範囲となるとどうしても武器や魔法に劣ってしまう。となれば、どうするか? その答えは既に決まっていた。

 

 レギオンは初弾の炎から脱出し、全身が粟立つような羽音と共に黒い霧の様に三人を包み込む。白い霧と黒い影が混ざるが、決して灰色になる事は無い。

 

 ゴリアテが巨大な盾を軽々と振り回してエストや自らにレギオンを近づけまいとする時に、パンッ、と何かを叩くような音が響く。その「音」にゴリアテとエストは不思議そうな顔を作るが、アルベルトは狂気に満ちた笑みを浮かべながら、拳を高速でレギオンの群れに突きいれていた。その度に音が響き、レギオンが数十匹単位でばらばらになって行く。

 

「っっしゃぁぁぁぁぁ!!」

 

 無数に乱打を見舞った後に控えていた最後の一撃では、空気の塊が拳圧に押されてさながら空気砲のように前方に射出される。その射線上のレギオンは、須らく羽をちぎられて海中や船上にボロボロと墜ちる。

 

「噂以上の男だな、あの人は」

 

「もうあの人一人で良いんじゃないかしらね。っと、それじゃあ最後の一撃! しっかりと味わいなさい!!」

 

 その言葉にすばやくゴリアテは飛びのき、アルベルトの前で盾を構えて立つ。両手を広げて天を見つめたエストは巨大な火球を生んだ。

 

「秘術『必殺』! パイロキネート!」

 

 巨大な火球はゆっくりと船の先端、いや、海上へと向かい、そしてエストは再び魔力を集中させると最後の詠唱を呟いた。

 

「イグニッション!!」

 

 大気が燃え上がる。それは比喩でもなんでもなく、確かに船を避けるように、いや、「味方」を避けるように大気が炎に包まれたのだ。てっきり周囲が炎に包まれると思ったのか、盾を構えていたゴリアテは呆けたように盾を脇へと除け、背後のアルベルトを見つめた。

 

 周囲の霧は徐々に薄まり、そして霧の向こう側へと船が抜けた。炎の渦巻く船上の戦場をなんとか生き抜いた兵士達は顔を見合わせるとゆっくりと笑みを浮かべる。

 

「抜けた……! 抜けたぞ! 魔の霧を抜けた! これで交易が出来るはずだ!!」

 

 船の操縦を放り出して、兵士達は高々と手を掲げ、目に涙をにじませるものさえもいる。アルベルトとエスト、そしてゴリアテは互いに顔を見合わせると、息を吐きながら温和な笑みを浮かべた。

 

 

 

――――

 

 

 

「しかしまさかレギオンとはねぇ」

 

 領主邸の食堂にて、エストは一人呟く。なぜ彼女達がこんな場所にいるのかと言えば、魔物討伐の際の感謝の気持ちをありがたく受け取ったから、としか言いようが無い。魔物討伐の報告を行ったシャーロットとエレノア(こういう報告は自分達よりも手馴れているだろう、と半ば押し付けられた)に、領主は諸手を握って深く頭をたれ、報酬さえも用意していたのだ。それは現金ではなかったが、無期限、回数制限なしの乗船券という、冒険を行う上では大変便利な代物である。加えて領主は晩の寝床と、船が出るまでの食事さえも面倒を見てくれると言うのだから、シャーロット達はその提案に甘える事にしたのだ。

 

 シャーロットとエレノアは今までの冒険談を兵士達に聞かせ、互いに無邪気に笑いあっている。どうやら、船酔いで二人ともダウンしている間に何かあったようだ。エストはわざと人の群れから離れ、極力目立たないような場所で一人ワインを飲む。彼女には、何かが引っかかっているのだ。

 

「(レギオンが海上に現れるなんて聞いたこと無いわ。あいつらは本来森とかに生息しているはずなんだけど)」

 

 エストはアルコールが脳を侵す状況で、考えをめぐらせる。何回考えても、答えは一つしか出てこない。

 

「(魔王がまた動き出してるのかな)」

 

 視界がくらくらと揺れる中、エストはグラスに残るワインを飲み干すとふっと穏やかな笑みを浮かべ、大きく息を吸って人の群れの中に歩み寄る。どうやら、今晩は宴を楽しむようだ。

 

 そして、人の群れから離れていたのはエストだけではない。アルベルトとゴリアテも、その生来の性格からか人の群れから離れ、黙々と食事を愉しんでいた。

 

「……貴殿はこの後どうするつもりだ?」

 

 アルベルトはシャーロットとエレノア、そしてエストを遠目に見ながら尋ねる。ゴリアテも女性三人を見つめたまま、回答を導いた。

 

「さて、どうするかな。エレノアの気分次第、というところだ」

 

 グラスを傾け、ゆっくりとゴリアテはワインを呷る。互いに顔を見合わせる事は無い。

 

「ところで、貴方は先ほどからワインを飲んでいないように思えるが……もしや下戸か?」

 

「いや、筋肉と判断力が鈍るから好まないだけだ」

 

 その回答に、ゴリアテはワイングラスをテーブルに置くと、大きく息を吐いた。

 

「根っからの武人だな、貴方は」

 

「境遇が境遇故に、だ」

 

 ぶっきらぼうにアルベルトは呟き、料理を口に運ぶ。そんな様子を横目に見ながら、ゴリアテは再び、ゆっくりとワインを呷った。



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新しい仲間たち

船は航路を行く。ヒューゲントから帝国、ヴァルコラキまではあと1日、決して短くは無い。

 

 普段ならば旅行客などで満員となるその船も、今回の乗船者はレギオンを討伐した5人しかいない。航路の安全の最終確認ということもあるが、何よりも街を救った英雄への贈り物なのだろう。

 

 エストとエレノア、そしてシャーロットは船室でゆっくりと時間を過ごしていた。エレノアとシャーロットは酔い止め薬のおかげか、先日のようにダウンする事は無いが、それでも不安げな表情だ。

 

「そういえば、領主さんに報告した時にずいぶん仲良さそうにしてたけど、何かあったの?」

 

 エストは気を紛らわせるためか、二人に言葉を投げる。出合った当初は酷い舌戦を繰り広げた二人がいつの間にか無邪気に笑い合うようになったのだから、それは当然の疑問だろう。

 

「それは偏に儂のおかげじゃの」

 

 二人が答えるよりも早く、船室の壁に立てかけられたマーレボルジェが答える。マーレボルジェのその回答に、エストは思わず眉間に皺を寄せる。

 

「……あなた、余計な事して無いわよね?」

 

 今にも炎を生みそうなエストに、マーレボルジェは必死に反対する。それを見かねてか、エレノアが口を開いた。

 

「マールの言っていることは事実ですわ。私達が船室に運ばれてから、酔い止めの魔法をかけてくださいましたの」

 

「それでエリーが驚いたので、マールについて説明したらすっかり気に入っちゃって……」

 

「そうは言ってもシャル、喋る鞘ですわよ? それに古代魔法を使いこなすとは、魔法使いとしてはたまらないですわ」

 

 いつの間にか愛称で呼ぶ間柄になった二人に和やかな笑みを浮かべたエストは、そこである疑問を口にする。

 

「あれ? じゃあ二人は戦闘に参加できたんじゃ……」

 

 エストが言うと、二人は申し分けなさそうに苦い笑いを浮かべ、そしてマーレボルジェを見つめた。

 

「儂が止めたのじゃよ。正体の分からん相手に娘っ子が二人加わってもどうしようもない。せいぜいが囮であろう?」

 

 なんとも辛辣な言葉だが、エストはその行動の理由が間違いでは無い事を知っている。たしかに、あの戦場に無事な二人がいたとしても、レギオンに攻撃されるのがオチだっただろう。

 

「ふぅん。まぁ被害が少なかったから良いや。マール、ありがとね」

 

 エストの言葉に、マールはしばらく沈黙し、そしてやっと言葉を紡いだ。

 

「……主に感謝をされるとは思わなんだ」

 

「あなた私を火炎女だとしか思って無いのかしら?」

 

 にっこりと笑みを浮かべたまま、エストが言う。それに対して必死に否定を述べるマーレボルジェに笑みを漏らしながら、エレノアはエストに質問を行う。

 

「そういえば、あなたも魔法使いなのですわよね? 属性は幾つお持ちかしら?」

 

「ん? 私は3つ――炎と、氷と、それから治癒よ」

 

 エストの答えに、エレノアは小ぶりな胸を張って自慢げに自らの属性を話す。

 

「ほほほ! 私の勝ちですわね! 私の属性は5つ、雷と氷、土、風、そして治癒ですわ! 中でも雷と氷に関しては同年代で私にかなうものはおりませんでしたの!」

 

 その言葉に、エストは素直に驚愕を浮かべる。自らがそうであるように、常人が修められる属性は多くても3つ、それ以上の魔法を使用するのはある程度の才能を持つ者なのだから。錬度がどれほどなのかは気になるが、5つの属性を中級まで使いこなせれば立派に「魔法使い」を名乗れる。

 

「確かにこの小娘、並々ならぬ魔力を持っておる。それは儂が断言する。とはいえ、その魔力の量はその年にしては異常ぞ。なんらかの魔法具を使っておろう?」

 

 マーレボルジェの言葉に、エレノアは「ばれたか」とばかりに小さく舌を出してドレスの中から装飾されたネックレスを取り出す。金の鎖の先端に赤い小さな塊が据えられたそれは、光を浴びて複雑に輝いた。

 

「ほう、精霊結晶か。それならばその魔力量も納得よ」

 

 精霊結晶、それは平たく言ってしまえば魔力それ自体の結晶である。開放された魔力が精霊となってしかるべき場所に還るまでのサイクルの中間地点が、この状態なのだ。大容量の魔力タンクとしても作用し、知識を収納できるという、魔法使いにとっては喉から手が出るほど欲しい物である。

 

「あっ! ずるい! 精霊結晶持ってるなら私に勝ち目なんて無いじゃない!」

 

「ほほほ! これは旅立ちの祝いに父上から賜ったものですわ! 精霊結晶無しでも5属性は使えましたのよ!」

 

 エストとエレノアはきゃあきゃあと黄色い声で騒ぐ。シャーロットはそんなやり取りを見つめ、そして吹っ切れたようにエレノアに言葉を投げた。

 

「ねえ、エリー。あなたはこれからどうするの?」

 

 シャーロットの言葉に、エレノアはわずかに口をつぐんだが、答えを導く。

 

「ヴァルコラキから北へ行って、魔王を討伐しますわ。それが私の、私達の目的ですから」

 

「その旅に、私達も加えてくれないかしら?」

 

 シャーロットの言葉に、エレノアは呆れたように息を吐いた。

 

「いまさらですの? 私はてっきり、これからの道中を一緒に往くものだと思っていましたわ」

 

 エレノアの言葉に、シャーロットは瞳を輝かせる。

 

「じゃ、じゃあ……」

 

「ええ。これからよろしくお願いしますわ。『勇者』」

 

 エレノアはにっこりと笑みを浮かべ、そう言った。

 

 

 

――――

 

 

 

 アルベルトとゴリアテは甲板に胡坐を掻きながら、鋭い眼差しで前方を警戒している。出航から既に数日、前方の警戒が彼らの主な任務であった。

 

「……なあ」

 

 ゴリアテは兜と篭手、そして具足を脱ぎ捨てて盾を傍らに放る。

 

「……何だ?」

 

 アルベルトはいつもの調子で言葉を発する。

 

「アンタは暇じゃないのか?」

 

「暇だとも」

 

 そう、暇なのだ。ヒューゲントを出発してからというもの、魔物の気配すら無いのだから。レギオンが海路を妨害している間に海にも魔物がはびこっていると考えていたのだが、どうやらそれは誤りだったらしい。

 

「というか、俺達はここにいなくても良いのではないか?」

 

 ゴリアテが気付いたように言うと、少しの沈黙の後、アルベルトが答える。

 

「……あの空間は少々居難い」

 

 その言葉に、ゴリアテは再び気付いたように相槌を打つと、薄く笑みを浮かべた。女三人寄れば姦しいと言う通り、彼女達の居る空間はなんとなく居心地が悪い。

 

「確かにその通りだ」

 

 そして男二人は再び海を眺める。波の音だけが、その空間を埋めていた。

 

「……一つ、質問して良いかな?」

 

 ゴリアテが目線を海に固定したままアルベルトに尋ねると、アルベルトは肯定の返事を行う。

 

「全身凶器のあなたは……オルヴィスティを守るために最後まで戦って、死んだと言われている。あなたはあの国が陥ちてから、いったいどこでどうやって生きてきた?」

 

 ゴリアテの言葉に、アルベルトは薄く笑みを浮かべるだけで、答えを言おうとはしない。やがてゴリアテも根負けしたのか、大きく息を吐いた。

 

「まあ、話したくない過去くらいはあるか」

 

 そういうと、ゴリアテは甲板に横になった。エレノアとシャーロットが旅を共にするようになった事は、彼らはまだ知らない。



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