羽沢珈琲店の客寄せパンダは今日も女の子とお喋りします。 (ARuFa)
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美竹蘭 Ⅰ


地の文少なめとか言ったんですけどね。思ってたより多くなりましたね泣


 

 

「ひたきってさー……」

「んー?」

「なんでいつも()()なの?」

「そうってなんだー?」

 

 

 きゅっきゅっきゅっ、と。

 手元に溜まっている皿を1枚1枚磨きながら、目の前に座る少女の声に応える。

 

 

「蘭っていつも言葉足らずなとこあるよな」

「なんであんたはホール番と……そこのカウンター席前担当ばっかなの?」

「いやぁ父さんはここでコーヒー入れたり皿磨いたり、あと注文取ってきてくれればいいからって」

 

 

 大厨房は担当させてくれないんだよ。妹もホールと交代で入ってるのに、よくわかんないよね。

 もしかして料理ベタだと思われているのだろうか。まあ任せられた仕事だからやるけれども。

 

 

「ふふ。ほんと、なんでなんだろうね?」

 

 

 羽沢珈琲店には厨房がふたつある。

 ケーキや凝った飲料物をつくる奥の大きな厨房。

 そしてホール内にある、コーヒーやカフェオレなどの簡単な飲料をつくる小さな厨房。

 ふたつのいちばんの違いは規模の大小だけで無くその場所で、大きな厨房はファミレス等の食事処にもよくある裏方みたいな感じ。小さな厨房はカウンター席の真正面にある、イメージするならショットバーのカウンター席前という感じだ。

 

 羽沢珈琲店の羽沢家の長男であるところの、ボクこと、“羽沢 ひたき”はここの小厨房の番人を任せられている。

 

 自分の都合のよい時……手伝える時は家の仕事であるこの喫茶店を手伝っているが、店主の父はいつもぼくをここを担当させる。

 父曰く『ここはおまえにしか出来ないんだ』とのこと。はぁ。

 

 

「なんかよくわかんないけど、ボクがここやってるとなにかと都合がいいんだって」

「…………」

 

 

 だから自分はホール番と小厨房。それしかやらない。

 注文を取って、それを大厨房に伝え、簡単なメニューならここでつくる。

 そして空いた時間はカウンター席でお客さんと他愛のない談笑に花を咲かせる。必然的にこちらの方が手持ち無沙汰になるので、そうする機会はかなり多い。

 これも接客業のひとつなので、できるだけ対応している。それに苦ではないし。

 

 

「父さん口下手だから。それにボクは喋るの好きだし、だからなのかもね」

「…………」

「蘭? どうかした?」

「つぐみが言ってたの、本当だったんだ」

「?」

 

 

 事情を粗方説明すると、蘭は怪訝な顔で眉を寄せた。なんだろう。

 

 

「! はーい、今いきまーす」

「あっ」

「ごめんね蘭。注文来ちゃったから、ちょっと行ってくるね」

 

 

 ぼそぼそとなにかを呟く蘭をじっと見ていると、遠くから声がかかる。そこに視線を移すと8番テーブルの常連になりつつある花咲川生たちだった。

 蘭の様子を気になったけど、今の自分は羽沢珈琲店の店員。しかもよく来てくれている子達。注文は取りに行く方が先決だ。

 蘭と磨いている皿を一旦置いて、8番テーブル席へと駆け寄った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……まったく」

 

 

 頬杖をついて、だらけたような姿勢で注文したオレンジジュースを飲みきる。ストローからずずず……と行儀の悪い音がなった。

 今のあたしは、いったいどんな顔をしているんだろう。多分、あまり愉快な表情はしていない。

 さっきコールした連中、たしか花咲川の生徒。と、いうことはあたしと同年代……。

 

 仕事だから仕方ないけど、さっきまであたしと話してたのに……なんなの?

 

 それにおもしろくない理由はまだある。今日はやけに女性客が多い。

 もちろん今は休日の昼間である。客か多いのは当然といえば当然だし、つぐの家の喫茶店はどちらかと言うと女性客の方が多い。

 

 けどいくらなんでもこれは多くないだろうか。

 

 総勢で約8割くらい。しかも、皆若い。あたしと同い年くらいとか、ちょっと上の大学生っぽい人とか。そんな感じ。

 

 

「これみんなあいつ目的なの?」

 

 

 つぐみから聞いていたけれど、まさかここまでなんて……しかも、こんなに……?

 よく見れば大半の若い女性客はあいつに視線を送っている。思わずおののいた。さっきひたきとは対面方向でまったく気づかなかったけど、あたしと話してるときもそうだったの?

 これならつぐみのお父さんがひたきをホール番にしか回さなかったりカウンター席前に居座らせるのかが露骨にわかる。

 

 つぐみ曰く『お兄ちゃんは羽沢珈琲店のマスコット』なのだと。

 

 ひとつ上のつぐみの兄。名前はさっきから言ってる通り“羽沢 ひたき”。

 看板娘ならつぐみなんじゃ? と思ってたんだけど、やっぱりここは元から女性客の方が多かったみたいで。

 この羽沢珈琲店では、どうやらひたきの方が人気があるらしい。

 

 

「いやぁ注文がケーキとかジュースとか蜂蜜入りコーヒーでさ、皆甘いものが好きなんだねぇ」

 

 

 そんなことを考えていると、注文を聞き終わったのかひたきが大厨房の奥へと引っ込み、また小厨房のあたしの前に戻ってきた。

 やけににこにこしている。そして胸元には両手いっぱいに何かを抱えていた。

 

 

「……それ、なに?」

「これ? お菓子だよ」

「……なんで?」

「いやさっきのお客さんに貰ったんだよ。あげる〜って」

「…………」

「蘭?」

 

 

 ふーん。あっそ。あたしとの会話を中断してまで言ったのに、やけに楽しそうじゃない?

 なんだろう。やっぱりおもしろくない。

 形容しがたい悶々とした気持ちを抑えつつ、その例のブツを見る。

 それらは塩辛いスナック系ではなく、彼の好きそうな甘いチョコレート菓子やキャンディなどが多かった。……明らかにこいつにプレゼントするために用意されたものだった。

 

 

「あんたさぁ、お客さんからお菓子貰うのってどうなの?」

「ダメかな?」

「なんか入ってたらどうすんの」

「え? 既製品だよこれ」

「知らない人からもの貰っちゃいけないって習わなかったの?」

「……あのねぇ蘭。キミはボクをなんだと思ってるんだい?」

 

 

 子供扱いなんて心外だ。ひとつだけだけど、ボクはキミより歳上なんだよ? とでも言いたげに、ひたきは眼で訴えかけてくる。

 じゃあもう少し周りの目に気づきなよとあたしは言いたい。

 

 

「……子リスかな」

「子リス……?」

「あとはなんだろ、クラゲっぽい?」

「く、クラゲ? なんだろう思ってた答えと全然違うんだけど……」

 

 

 なんだと思っているのかと問われたので、正直な彼のイメージを答えるとひたきはええっ!? と驚いた。思わず拭いていた皿を落としかける。

 ひたきはつぐのお兄ちゃんだけあって、女顔でリスっぽい。それにぽわぽわしてるのでクラゲって印象も間違ってない。まったく毒はなさそうだけど。無毒無害だ。

 

 

「あんた無防備なんだから。気をつけなよ」

「?」

 

 

 ほらこんな顔してるし。無害どころか身を守る術すら持ってなさそうだった。ひとりで放していると、誰かに食べられてしまいそうなほどに。

 

 

「……首輪でもつけた方がいいんじゃないの」

「……蘭、何言ってんの……?」

 

 

 あっと。口が滑った。すぐに手で覆う。

 まずい。人に首輪つけた方がいいなんて、まるで倒錯した趣味を持ってるやつみたいじゃん。

 ひたきのあまりにもの無防備さに、思わずぽろっと出てしまった。け、決してちょっと小動物みたいなこいつへの庇護欲だとか意外と可愛い顔をしているのを歪めたいだとかの嗜虐心諸々が発動したわけではない。いや、ないって。ほんと、なくて、その……えと……。

 必死に言い訳を考えているが、うまく纏まらない。

 そんな口をぱくぱくしながらふためくあたしより先に、ひたきが先に言葉を発した。

 

 

「──リスに首輪つけれるわけないじゃん」

「……へ?」

 

 

 やばい、さすがに引かれる──と覚悟していたが……。

 あたしに浴びせられたのは嫌味でも罵倒でもなく、ただのダメだしだった。

 え……えぇ? あの、どゆこと?

 

 

「リスに例えた後に首輪って。そんな小さい首輪があるわけないじゃないか」

「…………」

「蘭って結構抜けてるよねぇ」

「…………」

 

 

 ひたきにだけは言われたくないんだけど……。

 安堵と気苦労からなるため息をつく。こいつ、本当にひとつ上なんだろうか。少し不安になってくる。

 しかしこの天然さも常連の女子たちから人気の原因のひとつなのだろうが。他にも色々な要素でひたきはこの羽沢珈琲店を繁盛させている。

 

 

「やっぱ首輪、何かしら考えとこうかな」

「ん? 何か言った?」

「あんたを欲しがる人が増えても困るし……」

「干し柿? ははは、いくら甘い物が女子ウケするからって、さすがにそんなの置いてるわけないじゃん」

「……はぁ」

 

 

 女子ウケしてるのはあんたなんだけどね。

 そのことに、どうやらこいつは気づいてない。どうしようもない鈍感天然小動物野郎だった。

 

 

「なんであんたっていつも()()なんだろうね」

「だから()()ってなんだよ」

 

 

 だめだこりゃ。これはまたつぐみと一緒に作戦会議だね……。

 

 再びため息をつきながら。

 

 あたしは口直しに苦いブラックコーヒーを注文した。

 

 

 





読了感謝です。


↓みんなが気になってる質問に、店主(羽沢パパ)が答えてくれます。





Q.羽沢さんも可愛いので、一緒にカウンター席の小厨房を担当させてもいいんじゃないですか?

A.ひたきくんの隣につぐみちゃんがいるとね、いっぱい来てくれる常連の女子高生と女子大生が不機嫌になるんだよ。


Q.ではなんですか、羽沢さんには出来ないと言うんですか?

A.カフェや喫茶店というのはね、男子より女子の方がいっぱい来るんだよ。だから、そっち優先なんだよ紗夜ちゃん。





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白鷺千聖 Ⅰ


このきゃらすき。


 

 

「アイドルって、とても疲れるお仕事なのよ」

「そうみたいですね」

 

 

 今日も今日とて皿を拭きながらお客さんの相手をする。

 本日ボクの前に座っているのは女優兼アイドルの芸能人、白鷺千聖さんだった。

 彼女は疲労の溜まった様子でため息をつくと、ボクが今入れたばかりの砂糖多めのコーヒーを口に含む。

 

 

「……熱いわね」

「今入れたばかりですから」

 

 

 そう言うと白鷺さんはちょびちょびとカップを啄んでいく。案外猫舌なのだろうか。可愛らしい。

 

 

「あなた今、少し失礼なことを考えなかった?」

「気の所為ですな」

「あらそう」

 

 

 つい微笑ましくてにこにこしていると、白鷺さんからジトリ目を飛ばされる。

 まずい、そんなに露骨だったろうか。自分としては普段の営業スマイルと変わらないと思っていたのに。

 

 

「やっぱり女優さんとなると人の表情とかわかるんですかね」

「まあね。……ていうか敬語はやめてっていつも言っているでしょ?」

「あ、ごめんごめん」

「同い年よ?」

「白鷺さんやっぱり芸能人だから。なんか緊張しちゃうんだよね」

「まあそう思ってくれてるのが嬉しくないわけじゃないんだけど……」

 

 

 くるりくるり。長くてサラサラとした薄めのブロンド弄りながら、少し視線を逸らして唇を尖らす。

 

 

「けど今は芸能人の白鷺千聖じゃなくて、ひとりの女の子として会いに来てるのだから……そういうのは寂しいわね」

「そっか。ごめんね」

「謝ってばかりのひたきもいやだわ」

「あー、ごめ……ありゃりゃ」

「謝るの、クセになってるんじゃないの?」

 

 

 そうかもしれない。

 むすぅ……と、どこか幼さが残る表情浮かべて、千聖さんはボクのことをそう分析した。

 確かに、改めてそう言われると、やけに納得してしまう。間違っていないのかもしれない。

 

 

「そんなふうに、どんな女の子にも下手(したて)に出てるとダメよ」

「そんなつもりはないんだけど」

「つまらないわね」

「え?」

「あなた私が芸能人だからとか言ってたけど、女の子に対して皆そうなんじゃない?」

「そんなことは」

 

 

 ない……と、言おうとしたが。

 どうだろう、心当たりがなくもない。これもあながち間違いじゃないのかな?

 

 

「でも店員って立場だし」

「あなたのそれがプライベートでは違うのなら、みんな苦労してないと思うわ」

「みんな?」

「いえなんでもないわ。忘れてちょうだい」

 

 

 唐突に出てきた思慮外の単語に首を捻る。はて、みんなとは。

 それについて聞くと、彼女はコーヒーを飲んではぐらかした。

 今度はくぴりくぴりとテンポよく飲んでいる。喋っている間に、ちょうどいい温度になったのだろうか。

 

 

「…………」

 

 

 それにしても、ボクはそんなに普段の行いからから改善したらいい点があるのか。

 確かに昔から喧嘩とか好きじゃなくて。なにか諍いが起こった時には絶対此方から先に謝ってたし、欲しいものが割れたら必ずと言っていいほど譲っていた。

 蘭や巴にはそれが男らしくないと言われることも多々あった気がする。邪険にされてるようなものじゃなくて、からかわれてるだけだとは思うけど。

 

 

「ううん、ちょっと意識してみようかな……」

 

 

 けれど、やはり普段の態度やセリフは、少し考え改めなければならないものもあるのかもしれなかった。

 

 

「でもそれは白鷺さんもじゃない?」

「え?」

「さっきのセリフ」

「? 私おかしなこと言ったかしら?」

 

 

 まさか自分の方へと返ってくるとは思わなかったのか。

 彼女は目を丸くしている。

 

 

「『ひとりの女の子として会いに来てるのだから』……なんて、白鷺さんが言っちゃダメなんじゃないの」

「…………」

「今日はたまたま誰もいないけど、他のお客さんがいたら誤解されちゃうんじゃない?」

 

 

 ぱちぱちと。白鷺さんは数度まばたきを繰り返す。

 するとしばらくして、くすりと、可笑しそう吹き出した。

 

 

「そうね。たしかに、そうだわ」

「ふふ、でしょ?」

「芸能人として、確かにそれは頂けなかったわね」

「うんうん」

「けど個人としては、別にいいけどね」

「そうだよな──……え?」

「誤解されても」

 

 

 つるり。がちゃん。

 磨いていた、手に持っていた皿が白のまちまちの破片へと変わった。

 

 

「え……えと……」

 

 

 粉々になった皿の破片が飛び散り、床が白く覆われる。

 それとは対照的に身体の温度が高くなり、自分の顔が赤くなっていくのが見えていなくてもわかった。

 

 

「……冗談よ」

 

 

 ぎぎぎぎ……壊れたブリキのようにおもしろいくらいに狼狽えていると……数十秒後、それをたっぷりと観察し終えた白鷺さんが意地悪そうに微笑んだ。

 

 

「何赤くなってるのよ。可愛いわね」

「う……からかわないでくださいよ」

「毎度毎度同じ手にかかるあなたが悪いのよ」

「ぐぐぐ」

「あと敬語」

「ひぇぇ」

 

 

 な、なんて手厳しい人なんだ……。

 いや、だって仕方ないでは無いか。白鷺さんに『誤解されてもいい』なんて……。

 そんなこと言われようもんならこの世の男子は100人中1000人の割合で勘違いするに決まってる。

 

 

「私に説教するなんて3年は早いわよ」

「うう、善処します」

「敬語」

「ぐふ」

「まああと3年……成人するまでには、私にも説教出来るイイ男になりなさいな」

「なれるかな」

「なりなさい? それまでは、私もずっと待っててあげるから」

「も、もうからかうのはやめてください……」

「ふふふ。ええ、そうね」

 

 

 別に今のはからかってないわよ?

 

 

 最後に白鷺さんはそう言って。

 とても楽しそうに、莞爾と笑った。

 

 

 





読了感謝です。バンドリのキャラクターをよく知らんのですが、違和感ないですかね。


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今井リサ Ⅰ


おねえちゃん系すき。


 

 

「男の人ってさ、自分のこと“俺”って言うじゃん?」

「言うね」

「でもひたきは違うよね」

「そうだね」

「なんでひたきは“俺”じゃなくて“ボク”なの?」

「……はい?」

 

 

 そのあまりに唐突な問いに、思わず素っ頓狂な声が出る。

 思わず磨いてる皿を滑り落としそうになった。危ない。昨日の今日で、また割る訳にはいかない。

 

 

「ねぇ、なんで?」

「なんでと言われても」

 

 

 別にこれといった理由なんてないんだけど。なんとなくじゃだめなのかな。

 しかし対面の彼女はそれで許してくれそうになかった。

 カウンター席に座り両手で頬杖をついた“今井リサ”は、そのくりっとした丸い目を煌めかせながら聞いてくる。

 

 

「あまりこれといった理由はないんだけど」

「でも男の子って“俺”の方が多くない? 気のせい?」

「いや、多いと思うけど」

「だよねー」

「でもボクは“ボク”だから」

「マスターはなんて言ってるの?」

「父さん? あの人は“俺”だよ」

「へぇ〜お父さんゆずりってわけじゃないんだ?」

「父ゆずりなのは技術だけかな」

 

 

 言ってもまだまだ稚拙だけど。

 

 

「けど確かにマスターって“俺”が似合うよね。寡黙な男、って感じで」

「そう? まあ寡黙は間違ってないけど」

「あはは、硬派っぽいよね」

「困るんだけどね。極度に人見知りだから。せっかく喫茶店を開いたのに接客が出来ないなんて……」

「そ、それ結構大変なんじゃない?」

「割と。だから接客は妹や母さんが頑張ってくれてるよ。この時間とかは、出来る時はボクも手伝ってるし」

 

 

 バイト代も出るからね。

 お年頃の男の子は欲しいものがいっぱいなのだ。

 

 

「ねぇ」

「なに?」

「ちょっと、“俺”って言ってみてよ」

「えぇ……」

 

 

 やっと最後の皿まで到達すると、リサはまた突然に意味不明なことをいいだした。

 

 

「なんなのまた」

「ちょっと新鮮なひたきも見たいなーって」

「…………」

 

 

 本当だろうか。いつもの悪ふざけやおもしろがっているだけではないのだろうか。

 正直やりたくはない。絶対不自然になるから。

 ただ母さんがお客さんが過ごしやすい環境を整えたり要望を聞くのも大切だよと言っていた気がする。

 

 …………。

 

 しばしの間逡巡して、皿を置いて、リサの方へ向き直る。

 

 

「……なにか要望は?」

「ふふ、やったぁ♡」

 

 

 仕方ない。一応客の要望だ。背に腹はかえられまい。

 もしかするとこれがきっかけでもっとうちに来てくれるかもしれない。

 

 

「それじゃあねー、『俺のオンナになれよ、リサ』とか☆」

「休憩入りまーす」

「ああっ待って待って!」

 

 

 ちっ、しょうもねぇな。帰ろ帰ろ。

 いやもう自宅だが。……冗談ではない。そんな歯が浮きそうなセリフ、同年代の女子に言えるものか。

 

 

「ふざけてるだけならそれ食べて帰りなよ」

「ふざけてないふざけてないよっ! 真剣!」

「ふざけてないなら頭おかしいから帰りなよ」

「あれ? もしかして選択肢ない?」

 

 

 あるよ。ひとつだけだけど。

 

 

「それ選択肢って言わないじゃん」

「…………」

「アタシは真剣に言ってるんだって」

「何が」

「ひたきは顔がいいよねっ」

「な、なに急に」

「けどちょっと男気がないと思うんだよね〜」

「なっ……!」

「つぐみにも頭が上がってないみたいだし?」

「ぐ……」

「美少年のひたきに男気が出たら、ここの集客力もアップするのにな〜?」

「…………」

 

 

 本当だろうか……。イマイチ信じたくない。

 しかしつぐみや蘭たちに頭が上がらないのは事実である。

 

 

「…………」

 

 

 昨日の白鷺さんのこともそうだが。

 自分の何事にも押す力が弱いのも、自覚はあった。

 

 

「……ぉ」

「……! お!?」

 

 

 集客力アップに繋がるかは正直眉唾物だが……。

 だけど、自分を変化させる良い足がかりにはなるかもしれない。

 

 

「……ぉ、おれの──」

 

 

 とても正面の彼女は見れない。いったいどんな顔をしてこの言葉を待っているのだろうか。

 恥ずかしい。他の人に聞かれたら、多分死ぬ。

 それでも意を決して、1文字1文字、言葉を紡いだ。

 

 

「……お、俺のオンナになれよ……り、リサ」

「REC.ON『正常に録音されました』」

「ぶち殺されたいらしいな」

 

 

 ピピっという機械音。刹那の時間。それが聞こえた瞬間に、俺は目の前の外道女にバターナイフを突きつけていた。

 

 くそが、嵌められた。

 

 恥ずかしくてこいつの方を見なかった弊害が、今ここに。

 当の彼女は嬉しそうな顔でいそいそとイヤフォンを取りだし、つい先程まで録音を実行していたスマホに差し込んだ。

 

 

「キミよく性格悪いって言われるだろ」

「ちょっと静かにして。今ひたきのイケメンゼリフ聞いてるから」

「こいつ……」

 

 

 バターナイフを突きつけても、リサは何処吹く風。キラキラした目でイヤフォンを耳に当て、はふぉー! っとよく分からない奇声を発していた。

 いや……もういいわ。諦めた。こいつはこういうやつだったわ。期待したこっちが馬鹿だった……。

 

 

「なんか、ちょっとゾクゾクするね」

「変態」

「ちょっと無理してる感じがかわいい」

「さいですか」

「餌付けしたくなってきたなぁ……ケーキ食べる?」

「もうそれは立場が逆転してるだろ」

「ええ〜食べさせてあげるのにな〜」

 

 

 あーんと、フォークに差したケーキをひと欠片此方に向けてくる。

 いやそのケーキはキミが頼んだやつだろうに。何故にわざわざ頼んでボクに食わすのか。確かに集客力アップというか、売上は上がりそうだけども。それじゃあまるでホストなんだよなぁ。

 

 

「まあ、いただきますけど」

「ふふふ、またやってね?」

 

 

 誰がやるか。絶対。もう二度とやらないからな。

 

 

 

 

 





読了感謝です。主人公の簡単なプロフィールを一応書いときますね(今更感)



羽沢 ひたき

都内普通科高校2年生。
羽沢つぐみの兄。誕生日は12月17日。身長167cm。血液型B型。好きな食べ物お寿司。嫌いな食べ物トマト。

蘭曰く子リス&クラゲ。ぽわぽわポケモン。寝顔がもう女子やんでお馴染みの羽沢珈琲店のマスコット。彼目当てで来店するお客も多いが、当人にその自覚はない。
ド天然で諍いは苦手。敗北許容型平和主義者。しかし身長が巴に1cm負けていることを非常に気にしている。
男らしくなるために最近筋トレを始めたが、つぐみとひまりに全力で止められたため断念した。



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奥沢美咲 Ⅰ


始まり方がどうしても単調になってしまいますね。


(2021年3/18 改)


 

「ひたきさんってさ、彼女いないの?」

「んー?」

 

 

 ごりごりごり。

 

 特有の音を立てて、コーヒーミルで豆を処理する。一定の早さで、熱が発生しないようにゆっくり回すことを意識する。

 こうしないと粒度が均一になりづらい。地味ながら、大切なことだ。

 

 

「急になんだー、美咲ー?」

「いや純粋に気になってさ。どうなの?」

 

 

 ペーパーフィルターをドリッパーにセットして、湯でドリッパー全体を温めた後、引いた豆を敷いて抽出していく。

 蒸らしを含めて3段階に分けて湯を注ぐ。そして抽出を待つ。ドリッパーからコーヒーが落ちきるまでの数分間、美咲との間に穏やかな沈黙が流れた。

 

 

「はいコーヒー」

「ありがと」

 

 

 コーヒーが入れ終わり、それを美咲に渡す。普段より幾分手間を掛けたので、是非とも味わって頂きたい。

 モーニングが人気の早朝と必然的に人が多くなるお昼との間の時刻。この時間帯はいつも閑古鳥が鳴いている。

 故に今は手動のコーヒーミルなんか使って、少し凝ったものを作ることが出来るのだ。

 

 

「…………」

 

 

 それにしても……ふむ。

 

 

「で? えっとなんだっけか。彼女か」

「うん」

「いないな」

「だよね」

「え?」

 

 

 思わず素っ頓狂な声が出てしまった。言った美咲はさらりとした顔でコーヒーを飲む。

 え? なに? 聞いておいてその反応はなんなの? 

 

 

「やっぱり彼女いないように見える?」

「見えるというか、いたらびっくりするなって」

「それはそう言ってるようなもんでしょ」

「あーそうじゃなくてさ」

 

 

 むしろ逆だよ、と。

 美咲はあははと笑いながらそんなことを言う。

 

 

「ひたきさんモテそうだから。そういう人って逆につくろうとしないじゃん?」

「別にモテはしないけど。でもなるほど? 確かに本当にモテる人はそんな印象あるかも」

「謙虚だね」

「だっていつも蘭に男らしくないとか言われるし、実際そんなことないと思うよ」

 

 

 実はあれ、結構気にしてる。

 

 

「でもほんと、なんでなんだろうな。モテるんなら相手なんて選び放題なもんだと思うけど」

「……モテモテの自分に満足してるとか」

「? というと?」

「相手が出来たらもうモテモテじゃなくなるからじゃない? 恋人持ちになると異性からのアタックも減るでしょ?」

「はぁなるほどな。でもそれって多数の女の子をいい感じにキープするためってことなんじゃ」

「ひたきさん最低」

「いやだからなんでボクなの。なんでモテる前提なの。ないから」

 

 

 もしそうだとしても、しないから。

 そんなことをしてるとつぐみに怒られてしまう。

 

 

「……ひたきさん、謙虚すぎるのも嫌味だよ?」

「だからないんだって。さっきも言ったけど男らしくないって再三言われるし」

「女の子慣れしてそう」

「ない。だって知らないもん」

「そうなの?」

「例えばデートとか何処がいいのかとか知らないし」

「ふむふむ」

「プレゼントも何喜ばれるのかもわかんないし」

「ほうほう」

「普段友達とは家で遊ぶことの方が多いから。自分の行きつけのお店くらいしか知らないんだよねぇ」

「なるほど。……なるほどね?」

 

 

 ボクが言い訳? をすると、美咲はひとつひとつ噛み締めるように相槌を打つ。

 

 

「……なら、あたしが付き合ってあげよっか?」

「うん?」

 

 

 そして少し目を逸らしながら。

 ほのかに頬を朱に染めて、ぼそりと呟いた。

 

 

「なに? 今のは。告白?」

「ち、違う違う」

 

 

 顔に紅葉を落としてそんなことを言いやがる。

 無粋にも確認してしまうと彼女はさらに赤くなって首をぶんぶん横に振った。

 

 

「ほら、最近の女子が行きそうなところとか知らないって言うから」

「ああなるほど。そっちか」

「あたしはあたしで普通の女子って自負してるから。力になれると思うし」

「そっか。……」

「ん? なにどしたの」

「いや、やっぱりいざ考えると恋愛って色んなことを考えなきゃなって思って」

「あはは、ちょっとめんどくさいよね」

「正直言えばそうだ」

 

 

 これはまだボクが恋愛をした事がないから言えるのだろうか。

 実際に好きな人が出来れば、その人の為だと言って行動出来るようになるかもしれない。

 

 

「けどひたきさん、こんな甘酸っぱい気持ちでいられるのも今のうちかもしれないよ」

「え、なに急に。変だよ?」

「恋をして人は変わるって言うしね」

「それはあれ? 恋をしている女の子は綺麗になるっていう……迷信?」

「迷信とか言うな」

 

 

 むむっと睨まれた。いやでも。ねぇ?

 美咲がいきなり自身のキャラとは違うメルヘンチックなことを言うので、正直とってもびっくりした。

 

 

「さては恋の効能を疑ってるでしょ」

「いやまず耳を疑ってるんだけど?」

 

 

 なんなんだよほんとに。恋の効能って、おま。何キャラだよ。

 

 

「恋をすることでオキシトシンやドーパミンといったホルモンが分泌」

「や、でもそういう話は聞きたくないなぁ」

 

 

 やめて美咲。いや確かにそれが本来のキミのキャラかもしれないけども。

 けどそういうのに理屈みたいなのは、正直やめて欲しい。さっきのキャラと違う発言は謝るから。

 

 

「そ、そうだよな、キミもメルヘンチックなこと考えるときもあるよな。うん」

「へ? 何言ってんの?」

「いやなんでもない。忘れて」

「なんなのさ……ま、まあとにかくあたしが言いたいのは今のうちに知っておかないと損することもありますよってことです」

「はぁ」

「例えば、あ、いやあくまで例えばですよ? ひたきさんに普通に普通の彼女が出来て何処かにデートに行くよってなった時にそういうこと何も知らないで彼女をエスコートすることが出来ないってなっちゃったらその女の子が冷めちゃうかもしれないじゃないですか。ああいや、決して全員が全員って訳でもないですけどねはい。例えばあたしとか。元々冷めてる方だからそんなの関係ないし。まあだから今のひたきさんでも何にも心配いらないんですけどね。でも個人的にはやっぱりあたしもそういう場面は男らしくエスコート出来ればいいなとも思います。うん。ええ。はい。というわけで時間のあるうちに最近の流行りとか知っておいた方がいいし、出来れば女ごころとかも把握しといた方が今後いろいろと都合が良くなるんで今度デートに行きましょうよひたきさんっ」

「ごめん。なんだって?」

「あたしと一緒に出かけることでひたきさんの成長に繋がるということです」

「なんかえらい説明口調だな」

「それは説明してるから……ね!」

「そ、そうですか」

「ね!?」

「…………」

 

 

 なんだろう。圧が強い。

 

 

「いやけど、一理あるのかな?」

「! ……だったら?」

「うん、そうだね。今度お願いしようかな」

「……!」

 

 

 きゃるーん。

 そんな擬音が聞こえそうなほど、美咲の表情が明るくなった。

 

 

「し、しょうがないなぁひたきさんは。仕方ないので付き合ってあげますよ。ええ」

「頼もしいな」

「じゃあ次の日曜とか……どうで、しょう?」

「なぜいきなり敬語? 次の日曜なら空いてるぞ」

「じゃあ決まりですねっ」

 

 

 そのテンションのまま。ルンルンっと上機嫌に。

 普段クールな印象の彼女だが、実はこういう顔も出来るらしい。

 

 なんか新鮮だな。こういうの。

 

 違う一面を見ているとなんだか少し微笑ましい気分になってしまう。

 まだお客さんはこないし……もう少しだけ、いいだろうか。

 

 

「どんな服来ていけばいいんだろうな」

「ちゃんとオシャレしてよ? できる?」

「できらぁ」

 

 

 木漏れ日のような静かで柔らかい空間の中で。

 ボクはしばらく、彼女との談笑を楽しんだ。

 

 

 

 

 

 

 





読了感謝でぇす。


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上原ひまり Ⅰ


結構数字が出てびっくりしてます。
評価や感想、お気に入り登録、そしてなにより見ていただいて感謝の限りでございます。ありがとうございます。
あと賛否はいろいろあるかもですが、このおはなしは地の文等を抑え目にしてサクサク読めるようなものを目指しています。ですので文字数はいつもこれくらいです。
それと各話メインにするキャラクターは完全に自分の趣味です。どうかご了承を。。。


 

 

「腹が減っては戦は出来ぬ……けど……うう……」

「…………」

 

 

 なんなんだろうか一体。これまた唐突な……。

 まあそれがこの子らしいといえば勿論そうであるのであるけれど。

 カウンター席越しにぴこぴこ動く、元気印のピンク髪。

 しかし今の彼女は元気とはほど遠いもので。

 先の方を結んだふたつのおさげを揺らしながら、妹の友人である“上原 ひまり”は憂鬱そうな面持ちで口を開いた。

 

 

「どうしたのひまり、また似合わないこといって」

「え? 似合わないかな」

「ことわざなんてひまりらしくないよ」

「……それちょっとバカにしてない?」

 

 

 してないしてない。

 気の所為、もしくは被害妄想である。

 いくらひまりが補習の常連だと聞かされているとはいえ、そんなことは思ってはいない。

 

 

「その度にボクが教師代わりになって勉強の世話を見させられてることが面倒だな〜なんて、そんなこと思ってないからね」

「ひたき、私のこと面倒だとか思ってたの?」

「いやいや、だから思ってないってば」

「…………」

「いやほんとに。ほんとよ?」

 

 

 もしかして信用されてない? ほんとにちょっとした冗談なのに。

 むしろ、頼られるのは少々嬉しかったりする。

 

 

「ふーんだ。いいもん別に。ひたきの意地悪っ」

「果たして悪いのはボクの意地だろうか」

「ほ、ほんとに意地悪っ! 悪いのは私の頭だって言いたいんでしょ!」

「いやぁそこまでは思ってないけど」

「うう〜っ」

 

 

 ごめんちょっとは思った。

 ひまりからむむぅ〜っと不機嫌なポメラニアンのようなジト目を向けられるので、あははと気まずくと笑いながら目を逸らす。

 

 

「もういい。そんなひたきには……おしおき」

「おしおき?」

「うん。おしおきです」

「具体的には?」

「……これからも私の勉強の面倒をですね……」

「いやいや」

 

 

 それはおしおきとは言わなくないかしら。上目遣いで言ってもダメだよ。

 いくらなんでも全部ボクまかせなのは良くないんじゃないの?

 

 

「ひ、ひたきが面倒だなとか思ってもこれからも勉強教えて貰うもんっ」

「それはいいんだけど。だけど自分でもちゃんとテスト範囲とか絞って対策とかしていかないといつまで経っても補習だよ?」

「ううっ」

 

 

 今度はひまりが目を逸らす番だった。耳が痛そうだ。

 まあその場しのぎみたいな教え方したボクにも問題はあるかもしれないけどなぁ。

 

 

「1度がっつり勉強の仕方とかを教えといた方がいいかもね」

「うぐぐぐぐぐぐ」

「観念しなよ。そもそも勉強を教えて欲しいって言ったのはキミなんだから」

「むぅぅ……。……はい」

 

 

 カウンター席で姿勢を崩して突っ伏し、項垂れるひまり。

 

 

「よしよし。いい子だな」

「うぎゅぎゅ」

 

 

 そんな彼女の頭を撫でると、よく分からない言語で唸った。

 

 

「で? 腹が減っては戦ができぬ、だったっけ? いったいなんの話だったりするんだそれは」

「そう! それ! 今日はその話をしに来たんだよっ!」

 

 

 先程のテンションは何処へやら。

 話題を最初にひまりが言っていたことわざ云々に戻すと、ガバッと顔を上げて声を荒らげるひまり。

 

 

「……なるほど?」

 

 

 ことわざの意味と普段のひまりを考えると、何となく言いたいことが分かった気がする。

 

 

「また防御力が上がったのか」

「ひたき、あえて直接的な意味合いを避けてるみたいだけど、それあんま意味ないからね」

「そうか……すまないね」

「今はテスト期間で部活もなくてさ」

「なるほどな」

 

 

 ようは摂取したカロリーを消費する暇がないと言うことだ。

 それはまあ勉強に手がつけられなくなるのも頷ける。

 

 

「ひたきは細くていいよね〜」

「ボクは体質というか、いくら食べても太らな──」

「ひたき、それ以上はダメ」

「え?」

「それ以上はダメ。禁句。いじめだから」

「そ、そうなの?」

 

 

 いじめなのか。これは。確か以前モカも言っていた気がするが。なんかさっきから謝ってばかりだな。

 

 

「いや別に見た感じじゃあ太ったなんて思わないけどな」

「それは服の上だからだよ。数値はね、確実に変化してるんだよ……!」

「さ、さいで」

 

 

 圧力が凄いな。

 先日の美咲といい、もしかして最近の1年生の必修科目とかだったりするのか。

 

 

「ふぅん?」

 

 

 しかしひまりはそう言うが、ボクには全然太ったなんて思えないんだけど。

 頬や二の腕も女子高生として平均的だと思うし、お腹まわりも変わっている印象なんてない。

 

 

「…………」

 

 

 それでも数値が増えているのなら、もっと別のところが増量しているのでは無いだろうか。

 

 

「…………。……おっと」

「? ひたき?」

 

 

 いや、危ない危ない。

 再度また此方が目を逸らす。ひまり、恐ろしい子だ。

 現在カウンター席に突っ伏している彼女は……その自身が持つ、巨大な質量を誇る豊かな膨らみをひしゃげさせている。

 ナニとは言わないが、男として精神衛生上非常によろしくない。

 

 

「んにゃ。なんでもないよ」

 

 

 しかし紳士なボクは必要以上に女性の胸部を凝視したりしないのだ。

 ただ悲しいかな。それは男のサガというか。

 かの著名なニュートン先生も質量が大きい物体ほどそこに働く万有引力は大きくなって、周囲の物はその中心に引き寄せられると提唱したのであって。

 だから質量が大きなものになると、引っ張られるのは仕方ないというか。

 たとえそれが視線だろうと。いやぁなるほどなるほど。乳トン先生は偉大だったと。なるほどな。

 

 

「いやなるほどじゃないな。やめよう。これ以上はほんとに怒られそうだし」

「? ほんとにどうしたの?」

「ううん。なんでもないよ。あと出来ればその姿勢はやめた方がいいんじゃないかな」

「?」

 

 

 ほら起きて起きて。ひまりの肘あたりをトントンと叩き、上体をあげさせようと促す。

 またその際にたぽんっと。例のブツが重量感を秘めて柔らかそうに弾むもんだから、ため息混じりにまた顔を逸らしてしまう。

 

 

「やっぱり、勉強見る話は見送ってもいいか?」

「えぇー!? なんで!?」

 

 

 本当、この子には気を使ってしまう。彼女としてはそんな気はさらさらないのだろうが。

 

 

「キミはちょっと無防備過ぎるからな。そういうの、気をつけた方がいいぞ」

 

 

 持つべきもの特有の悩みなのだろうか。自分も周りも、気にすることがあるというのは面倒なものだ。

 しかしその点、あの子は絶壁なので安心だ。

 うん、やっぱつぐみだな。妹最高。

 

 

「ひ、ひたきに言われるなんて! それ人のこと言えないからねっ」

「む。そんなことは無いぞ」

「あるよ」

「ないし。なんなら、試してみるか?」

「え?」

「ボクは普段の生活から気を配ってるからね。突然襲われても余裕で回避できる自信があるわけよ」

「…………」

「だから、どこからでもかかってくるがよいわ」

「…………」

「? ひまり?」

 

 

 胸を張ってそう言うと、ひまりは急に固まった。

 

 

「……言ったね? 言質、取ったからね?」

「え。なにそれ。ちょっと怖いんだけど」

 

 

 しかしそれも少しの間だけで。

 しばらくすると小悪魔チックににやりと笑い、恐ろしいことを言ってくる。

 その様子を見て……ひまりの眼を見て、背中に冷や汗が流れた。もしかするととんでもない秘策でもあるのだろうか。

 

 

「ふふふ。自分の存在がどれだけ罪で、隙だらけなのか教えてあげる」

「なんかよくわからんけど。お手柔らかに?」

「ふっふーんそれはどうかな〜?」

 

 

 ひまりは朗らかに、そして怪しく笑う。

 最初の元気も覇気もなかった彼女はもういない。

 

 腹が減っては戦ができぬ……。

 

 その空腹で何を食べるのかは知らないが。

 

 

「ひたきぃ、覚悟しててよね?」

「おや、やっぱり見送った方がいいのでは?」

 

 

 しかし確実に言えるのは、今の彼女のそれは紛うことなき捕食者の眼だということだ。やん怖い。

 

 おい、ダイエットしろよ。

 

 

 





読了感謝です。
前書きで選出は完全趣味とか言ったんですけど、何かリクエスト等があればメッセ、感想等で言ってくれれば検討します。

検討は、します。(絶対書くとは言ってない)


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松原花音Ⅰ


日間ランキング8位ですってよ奥さん。うへぇ。
これも読んでくれている皆さんのおかげです。ありがとうございます。
こらからもマイペースにちょくちょく頑張っていくので、よろしくお願い致します。

……で、そんなこと言ってるところ申し訳ないのですが、今回少し雑かもしれません。




 

 

「く、クラゲを見に来ましたっ!」

「水族館へ行ってください」

 

 

 ここは喫茶店ですよ、松原さん。

 

 確かに飲食店によっては水槽などを展示していて、さらにコアなところにはクラゲ水槽なんかも置いている可能性はありそうだけれども。

 でもクラゲ水槽のある店なんて、個人的には暗い雰囲気の怪しいショットバーとかのイメージしかない。ドラマの見すぎだろうか。

 なんにせよ羽沢珈琲店は商店街にある普通の喫茶店である。残念ながらクラゲは扱ってはいないのだ。

 

 

「当店ではクラゲは扱ってませんのですが」

「わ、わかってるよぉそんなこと」

 

 

 意図が汲み取れないので少し茶化して言うと、“松原花音”さんは心外だとばかりに抗議してきた。ちなみに、初対面だ

 照れているのか頬を朱に染めてぷくぅと頬をふくらませている。なんだかお餅みたいだね。

 

 

「松原さんはクラゲが好きなんですね」

「うん。あのふわふわしてる感じが可愛いよね」

「はぁ」

「ね?」

「いや、ね? と言われても」

 

 

 同意を求められても。可愛いだろうか、あれ。

 無機物っぽいし、なにより毒があって恐ろしいイメージしかない。

 

 

「まあ解釈によっては可愛いのかな? で、どうしてクラゲ?」

「ら、蘭ちゃんがね? つぐみちゃんのお兄ちゃんはぽわぽわはしててクラゲっぽいよねって」

「だ、誰の入れ知恵かと思えば」

 

 

 あいつかよ。もうなにをやっているんだ。

 そういえばリスだとかクラゲみたいだとか、そんなことを言っていた気がする。あまり吹聴しないで欲しいんだけども。

 

 

「それでクラゲっぽいという噂のボクを見に来たってことですか」

「うん。でも1度来たかったの。千聖ちゃんからもひたきくんのおはなしをよく聞くから」

「あの人から? ……どういうふうに?」

 

 

 思わず眉根を寄せる。確かにあの人にはどう思われているのか非常に気になるところであるが。

 若干の嫌な予感を察知しつつ、怖いもの見たさでその詳細を尋ねてみた。

 

 

「すっごく可愛い男の子だよ、って」

「いや、それ男子には褒め言葉じゃないからね?」

 

 

 して予感は当たると。

 いやまぁすごく言いそうだ。

 

 

「あとちょっといじめるとすぐ赤くなるからおもしろいって」

「それは万人にとって褒め言葉じゃないよね?」

「私が持ってるワンピースがすごい似合いそうだって」

「もう絶対バカにしてるだろ」

「メイクアップさせて辱めたいって」

「それはマジで意味がわからん」

 

 

 変態ではないか。しかも極度の。

 今度あの人に会ったらタダではすまないかもしれない。

 

 

「しかもクラゲにも似てるらしいから、もうこれは行くしかないと思って」

「なんでだよ。なんでそれで来ちゃうんですか」

 

 

 その説明受けて行くしかないって。

 あなたもそう思ってるってことですかね。

 

 

「まあどうせあの人が言ってることは冗談なので。しかしそんなに似てますかね、クラゲ」

「うん、うんっ。イメージ通りだよっ」

「さいですか」

「可愛いよ?」

「それはもういいから」

 

 

 彼女は褒めてくれているのだろうが、微妙に嬉しくない。

 

 

「…………」

「? どうしました?」

「あの、いやならいいんだけどね」

「はぁ」

「頭、さわっていい?」

「……はぁ?」

 

 

 頭? 何故?

 突然のお願いに困惑する。面食らった。

 どうして頭部なのだろうか。確かにクラゲの毒は触手にあるので、頭っぽい外皮にはさわることが出来るらしいが。

 

 

「別に減るもんじゃないから、いいけど」

「えへへ、ごめんね?」

 

 

 強いて嫌だというわけではないので、肘をつき前かがみになって、頭を低い位置へ持ってくる。

 そうすると松原さんは形だけの謝罪をして立ち上がり、手を頭に添えた。

 

 

「なんかくすぐったいですね」

「が、がまんがまんだよっ?」

 

 

 さわさわさわ。

 

 

「どうです? クラゲっぽいですか?」

「うーん……わかんないや」

 

 

 なんだそれは。

 まあクラゲの人間の髪なんてつくりからそもそもの違いそうだから、当たり前ではあるが。

 松原さんは手ぐしの要領で髪を撫で透かす。すりすりさわさわ、えらく手柄がいい。

 苦笑いしながら言ってはいるが、やめる気配はないらしい。

 

 

「ちょっと髪、傷んでるね」

「まじですか。ちょっと疲労が溜まってるのかもしれません」

「そっか。…………」

「? 松原さん?」

「ねぇ」

「はい?」

「また、ここに来てもいい?」

「……?」

 

 

 どういうことだろうか。

 脳内にはてなマークを充満させていると松原さんは手を止めて、今度は両手でボクの頭を抱え込むようにして撫でてきた。

 

 

「それはもちろん、というか喫茶店ですし。営業時間内ならいつでも」

「そっか」

「どうしたんですか急に」

「千聖ちゃんがね。言ってたの」

「ま、またか……今度はなんと?」

「ひたきくんはいつも女の子をおはなしを聞いて、相談に乗ってあげてるんだよって」

「はいぃ?」

「私も感謝してるって」

「なん、だと……?」

 

 

 白鷺さんが。そんなことを。

 驚いた。おののいた。いやもはや戦慄した言っても過言ではない。

 ていうか人に感謝するとか、労うとか出来たのかあの人。ボクはてっきり既に人の心を失ってしまったとばかり。

 

 

「えらいね。ひたきくんは」

「そ、そうですかね」

「うん。えらいえらい」

「…………」

「でも、やっぱり疲れちゃうのかな?」

「えっと……」

 

 

 なんだろう、すごい恥ずかしくなってきた。

 別に頭や髪さわられることに抵抗なんてなかったけど。しかし時が経つにすれ、彼女の言葉を受けるにつれ、どんどん形容しがたい感情が込み上げてくる。

 

 

「千聖ちゃんがいつもお世話になってるらしいし、私に出来ることならやってあげたいの」

 

 

 無限の包容力というか。

 これがバブみというやつなのか。

 

 

「さっきも言ったけど、また来るから」

「…………」

「私でよければ、いつでも相談に乗るから。ね?」

「…………」

 

 

 母性がすごいんだが?

 これが花音ママですか。

 

 

「あと、私のことは花音でいいから」

「よ、よろしくお願いします」

「ふふ。敬語もいらないよ?」

「そっか……」

 

 

 もう仕事しないでいいかな。

 永遠この腕の中で暮らしたくなってきた。

 

 

「でも千聖ちゃんが言ってたの、ちょっとわかるなぁ」

「それは是非わかるな。やめろ」

「ワンピースだっけ」

「おい、やめろやめろ」

 

 

 瞬間……。彼女の抱え撫でる力が強くなり、陶酔したような声に変わる。

 同時に自分の危機回避警報がけたたましいサイレン音をあげた。

 いや、やっぱだめだわ。一瞬なにか危険な香りがした気がする。

 

 

「さすがというか、伊達に白鷺さんのお友達ではないということか……」

 

 

 無機物そうでも、見た目が可愛くても。

 見えないところに、毒を持っているのは何もクラゲだけではないらしい。

 

 

 

 





読了感謝です。やっぱり少し雑ですかね。申し訳ない。


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湊友希那 Ⅰ


日間5位までいってましたね。びっくりです。ありがとうございます。

あとこんかいのおはなしはゆるしてくださいいろいろと。


 

「さあ、説明してもらうわよ」

「それはボクの方が言いたい」

 

 

 なんなんだよ、もう。毎度毎度出オチみたいな始まり方しやがって。

 ボクはため息混じりに言い放った。

 今自分がいるの自宅こと羽沢珈琲店ではない。妹たちがよく行く都内のライブハウス、名前はサークルとか言っただろうか。そこである。

 本日は土曜日で、練習に励む妹のためにお弁当を持ってきただけの筈だったんだけど。

 

 

「いきなり人を簀巻き状態にしておいて、何がしたいんだよ」

 

 

 そう、妹が弁当を忘れていたから、届けに来ただけの筈なのに。

 しかしどういう訳かボクは見知らぬ女子に毛布ごと縛られ、床に転がされている。なんでや。

 こうなった経緯はなんだっただろうか。朧気にしか思い出せないが、確か、店内の廊下でふたりの女の子に名前を聞かれてからだった気がする。

 

 天真爛漫な子と、おどおどした子。

 そんな対象的なふたりに名前を聞かれて、答えると、突如後頭部に衝撃を受けた。

 

 背後からのあまりに速い手刀(多分)を見逃し、膝から前に崩れ落ち、おどおどした子に受け止められた……くらいまでしか覚えていない。

 

 

「後頭部殴打で気絶させるなんて、半分くらい犯罪なんだけど?」

 

 

 で、目を覚ますと、掃除の行き届いたぴかぴかの床に転がされていたと。いやわけわからん。

 

 

「それにこの毛布は?」

「直接縛ると痛いと思って配慮してあげたのよ」

「優しいじゃん」

 

 

 配慮するんなら縛らないという選択肢はなかったんですか? よくよく考えたら全然優しくなかったね。

 

 

「うちのギタリストは器用なの。後遺症なしで気絶させるなんて、わけないわ」

「後遺症がなかったら何やってもいいと思ってるなら大間違いだと思うよ」

「うるさいわね。自分の状況が分かってないのかしら」

「こわっ」

 

 

 なんだこいつ。いやこいつら。

 ここにいるからつぐみ達みたいなもんだって思ってたけど、さっきから聞いていればバンドとかじゃなくて殺し屋じゃないか。

 

 

「……で、本題に戻るわよ。改めて説明してもらおうかしら」

「その前にひとつだけいい?」

「あら、命乞いかしら」

「パンツ見えてるよ」

「死になさい」

「おっと」

 

 

 あっぶな。

 スカートの裾を抑えた彼女の脚が飛んでくる。

 勢いをつくって転がり、なんとか躱した。

 

 

「……本当にいやらしい男ね」

「これはそっちにも落ち度があると思う」

「……女顔のくせに」

「ちょっと。それ気にしてるんだけど」

 

 

 やめてよ関係ないこと言わないでよ。

 あといやらしくもないから。

 

 

「で、何を説明すればいいんだっけ」

「……あなたね? 最近リサにちょっかいをかけているっていう男は」

「異議ありだが?」

 

 

 あまりにも酷い内容に思わず即答してしまった。何かと思えば、ぬかしおるわこいつ。

 どんどん自分の目が腐っていくのがわかる。自分、再審申し立ていいすか?

 

 

「……なんでボクがリサにちょっかい出さなきゃいけないんだよ。逆だよ逆」

「逆?」

「出されてるの。ボクが、リサに」

「嘘よ」

「嘘じゃないよ」

 

 

 3話見ろ。

 

 

「だいたい何を根拠に言ってるのかな」

「あなた、リサを口説いてたでしょ」

「記憶にございませんが?」

「……リサがね、聞いてるのよ」

「何を?」

「“羽沢 ひたき“っていう名前の音声ファイルをよ」

「は?」

 

 

 なんだそれは。

 ボクの名前の音声ファイル?

 

 

「……なに? それ」

「私もスマホの画面をチラッと見ただけだからよくわかんないんだけど……けど何回も何回もリピートしてるのよ。にやにやしながら」

「? ワケわかんないだけど」

「不審に思って、リサが席を立ったときに聞いてみたのよ」

「そしたら?」

「あなたがリサを口説いていたときの音声データだったわ」

「いやわからんわからん」

 

 

 だから全く身に覚えがございませんが?

 

 

「『俺のオンナになれよ、リサ』だなんて……いやらしい……」

「それは分かる」

 

 

 分かる、分かるぞぉ。

 ほんとやらしいよな。やり口が。

 

 

「…………」

 

 

 身に覚え、あったわ。

 いや、けどそれでボクが責められるのはやっぱり異議ありなんだけど?

 

 

「……なるほどね。そういうことか」

「思い出したかしら。どうやら事実のようね」

「事実ではあるんだけど、ただ真実ではないんだよな」

「哲学かしら」

 

 

 違うよ。

 

 

「それは本気で言ったんじゃなくて。言うなれば遊びみたいなモンなの」

「遊び? あなたリサが遊びだとでも言うの。どうやら本気で折檻されたいらしいわね」

「そういうことじゃなくて。その、なんて言うの? 他愛ない会話から始まった軽いジョークみたいな」

「怪しいわね……」

 

 

 発想がすごいな。余程おかんむりだったと見える。

 やっと事情が見えてきたのであの日の事を粗方の説明すると、目の前、いや上か。視界の上の方で此方を見下ろしている彼女は疑わしそうな視線を向けてくる。

 

 

「怪しいも何も。なら当人に確認したらいいんじゃない?」

「それもそうね。ならリサを呼んでこようかしら」

「その前にこの拘束を解いて欲しいんだけどな」

「ダメよ。まだあなたの疑いが晴れたわけじゃないもの」

「さいで」

 

 

 流麗な銀髪の揺らしながらそう答える。なんとも用心深いことだ。

 

 

「それにしても……暑くないのかしら」

「怒るよ? そっちがやったんじゃん」

「だってもし凶暴な男だったら暴れられると困るもの」

 

 

 そして今更ながら不思議そうな表情で此方に近寄り、腰を落とす。つんつんと毛布をつついてくる。

 

 

「楽しそうだね」

「ええ、悪くないわ」

「そういえばさ、ボクの荷物はちゃんとあるんだろうね」

「それなら心配しなくていいわよ。ちゃんと燐子が持っている筈だから」

「燐子って子は知らないけど、それならよかった」

「珍しい風呂敷だったわね。何が入ってるの?」

「お弁当だよ。出来れば昼までにつぐみに届けないと──」

「呼んだ? お兄ちゃん」

 

 

 いけない……そう、言おうとして。

 ルームの扉の方から聞きなれた声音が耳朶をうった。

 

 

「つぐみ……と、ああ皆もいるのか」

「ひ、ひたき? おまえ、何やってるんだ?」

「まあその反応だよねぇ」

 

 

 妹と4人の友人たち。中でも1番長身の宇田川 巴が素っ頓狂な声を出した。

 それにしてもどう説明しようかこの状況。

 この人の友人に手を出した疑いで縛られているんだよなんて、多分言ってもにわかには信じないだろう。

 

 

「……お兄ちゃん」

「……なんだよ」

 

 

 5人の前で1番に立っているつぐみ。心做しか眼が据わっている気がしないでもない。

 つぐみは深呼吸のような深いため息をついて1歩ずつ近づいてきた。

 

 

「そういう趣味なら言ってくれればいいのに……」

「バカっ。違うでしょ。この状況でボクを疑うな」

 

 

 そして彼女からの予想外の角度からの指摘に冷や汗が出るのを感じながらつっこむ。

 言ってくれればって、言ったら何する気なんだよ。怖いよ。

 1年前までは。ボクがうちの店でバイトを始める前まではもっと純粋な妹だったと思うんだけど。今も『ええ!? お兄ちゃん、何やってるの!?』みたいなリアクションをする妹だったはずなんだけど。

 

 

「大丈夫。別にいいんだよ? 私、お兄ちゃんが“よろこぶ”ことやってあげたいもんっ」

 

 

 だけど気がつけばこんなになってしまって。いったい何が原因なんだろうか。何だか“よろこぶ”のニュアンスが危ないぞつぐみ。

 バンドメンバーに手を出した疑惑があるだけ容疑者を昏倒させるような人達がいるライブハウスに通っているせいだろうか。

 ちょっとこのままだとまずいのかもしれない

 

 

「湊さんどういうことですか。ひたきに、何やってるんですか」

「強いて言うなら……事情聴取、かしら」

 

 

 まあそれよりも今は、こっちの方がまずいかもしれないけれど。

 蘭とこの銀髪女子。まさに一触即発。両者にぴりぴりとした空気が流れる。もしかして仲悪いの?

 

 

「モカ、とりあえずこれ解いてくれないか?」

「え〜個人的には面白そうだからもう少しこのままにしたいんだけどな〜」

「後でパンいっぱい買ってあげるから」

「でも今なら何やっても抵抗出来ないっぽいし……ねぇ?」

「こらこら。やめろやめろ」

 

 

 面白がってボクをごろごろと転がすモカをやんわりと諌めながら。ここに来たことを少しばかり後悔する。

 休日の真昼に妹の忘れ物を届けに来て、なぜ縛られて、さらにこんな修羅場に立ち会わなくてはならんのか。

 

 ただ、弁当を届けに来ただけなのに。

 

 こりゃ映像化しゃちゃうかもしれんな。いやねぇか。

 

 

 

 





読了感謝です。続きます。


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羽沢つぐみ Ⅰ


少し日が空いてしまいました。お久しぶりです。そのせいで少し書き方を忘れてしまいましたね()
今回は羽沢つぐみちゃんなのですが。ぷりぷり怒らせたかったので、ちょっとキャラ崩壊してるかもです。普段怒らないキャラを怒らせるのは難しいですね。


 

 

「お兄ちゃん、どういうことか説明して」

「2回目。それ2回目だから」

 

 

 いやそれさっきやったよ。天丼は勘弁して欲しい。

 

 数十分ぶりに、ボクは拘束から解放された。

 あの中で1番常識人であろう巴に頼み縛りを解いてもらい、取り敢えず床にあぐらを組んで凝り固まった身体を伸ばした。

 いろいろな視線の中に晒されている中で現実逃避気味にのんきにストレッチをしていると、急に手を引かれルームの外に連れ出された。

 

 

「……同じギャグを2度以上繰り返すことを天丼というのは、天丼にはえび天が2本入っているからなんだって」

「何の話してるの」

 

 

 え、天丼の説明じゃないんですか? 説明してって言うから説明したのに。

 どうやらその正体は妹のつぐみのようで。人気のない廊下の1番奥までボクの手を引いてずんずん歩く。

 

 

「…………」

「だ、黙ってないで。説明してよっ」

「いや……」

 

 

 そして壁際に立たせたかと思うとその手を自分の首両側付近に伸ばし、壁につける。

 まさかの壁ドンである。しかも両手。

 結構勢い凄かった。ドンとかじゃないよ。ばこんっていったもん。壁バコン。もしかして凹んじゃったんじゃない?

 

 

「やりづらいよ。これ」

「こうでもしないとお兄ちゃん逃げるでしょ」

 

 

 ボクは身長があまり高い方でないのでこういう体勢だとつぐみとの顔が近くなる。

 あまりにも圧がすごいので彼女から目を逸らしてはいるが、どんな顔をしているかは何となく分かる。ジト目かつ口を引き結んで、むむむむむ……! と困ったような怒ってるような顔で睨んでるのだろう。

 

 

「逃げないよ」

「うそ」

「うそじゃないよ」

「うそだもん」

 

 

 取り敢えず興奮気味の妹を宥めようとするけれど、残念ながらあまり意味は無い。

 心做しかどんどん腕の間隔が狭くなって来る気がする。せっかくさっき縛り状態から解放されたのに。これではあまり解放感がない。

 

 

「なんでお兄ちゃんっていつもそうなの? どうしていつも女の子と何かしらのトラブルになるの? ねぇなんで?」

「つぐみ。そんなこと言い方するといかにもボクの女運が悪いみたいじゃない?」

「……怒るよ?」

「はぇー」

 

 

 じろり。と、なんかすげー睨まれた。どうやらお気に召さなかったらしい。

 いや、そんなにトラブってるだろうか。

 

 

「お兄ちゃんはね。うちの学校でも話題になってるんだよ」

「何それ初耳なんだけども。なんか怖いね」

 

 

 どうしたらボクが女子校で話題になるのだろうか。

 

 

「つぐみちゃんのお兄さん優しいよねーって。みんなに言われるの」

「へぇ? 確かに最近羽丘の人が多いような」

「そ。いつも来てくれてるんだって」

「そうなの? なんだ、固定客が増えるのはいい事じゃないか」

 

 

 なるほど。話題になっているとは、そういうことか。

 これは普段の自分の紳士的な接客態度のなせる技といえるのではなかろうか。

 

 

「女子高生に人気の店ってことで。いい宣伝になるね」

「ほんと、お店としてはいい事だよねっ。……どこかの誰かさんがデレデレしなきゃね……!」

「ぐへっ」

 

 

 ようやく成果が出てきたなぁと。えへへと照れ臭く笑っていると、襟元をぐいっと握られた。そしてぐわんぐわんと揺らされる。

 

 

「やめてやめて。締まってる締まってる」

「なーんで喫茶店の接客でお客さんの手を握る必要があるのかなぁ!?」

「あれはボクから握ってる訳じゃなくて」

「お兄ちゃんが無防備なのが悪いのーっ!」

 

 

 そんなこと言われても……。

 だって今から接客するお客さんを警戒するのってどうなのよ。

 

 

「ベタベタベタベタ触らせて! そういうお店じゃないんだから! 喫茶店なのに!」

「いや確かに酩酊してるんじゃないかってくらいに絡んでくるお客さんいるけども」

「私のお兄ちゃんなのに!」

「それはあまり関係ないような……」

「わ、私の……お兄ちゃんなのにぃ……!」

「いや悪かったって。泣かないでよ」

「泣いてないよぉ! 泣いてないもんっ!」

 

 

 いや思いっきり涙目ですが。

 いかんつぐみが激高しておる。珍しい。

 普段はすごく大人しいんだけど。今はなんだか溜め込んだものを一気に吐き出してるような、そんな雰囲気だ。

 

 

「リサさんのことだって。何があったか知らないけどそんなホイホイ言うこと聞いちゃダメなんだよっ」

「そうなのか」

「なのに私の言うことは全然聞いてくれないし!」

「えっと? それはごめん?」

「お兄ちゃん気づいたら女の子の尻に敷かれてるからいじめられる方が好きなのかなーって思ってちょっと無理してたのに!」

「つぐみそんなことしてたの?」

 

 

 びっくりだ。思わず真顔で聞き返す。

 どうりでここ最近様子がおかしいと思ってたけど、それ? それなの? だとしたら見当違いも甚だしいよ?

 あと気づいたら女の子の尻に敷かれてるって。なにそのパワーワード。敷かれてねぇわよ。

 

 

「まずどうしてそういう経緯になったのか説明してくれる?」

「ほら、ちょっと前に皆でドッジボールしたことあったでしょ?」

「ドッジボール?」

 

 

 それは覚えてるけど。

 しかしそれとこれになんの関係が……。

 

 

「お兄ちゃんずっと避けてたから」

「そりゃドッジボールは避けるでしょ」

「全然反撃しないし」

「だって男が投げるとバランス悪いじゃない?」

「まあ……あまりにも避け続けるからさ」

「うん?」

「女の子に一方的に責められるのが好きなのかなーと……」

「ちょっ、誤解が酷過ぎる」

「正直Mなのかなーって」

「いやもうそれは状況が悪いじゃん」

 

 

 ドッジボールなんだから避けるのは当然なんだよ。自分が投げなかったのも外野に回した方が皆楽しめると思ってたからなのに……。

 それがまさか被虐趣味体質を持っていると勘違いされようとは。こんなやるせないことがあるか。

 

 

「どうりでここ1年様子がおかしいと思ったら」

「うう……」

「って、ちょっと待って。もしかしてあの子ら4人とも皆そう思ってるってことじゃないよね」

「…………」

「つぐみちゃん?」

 

 

 今度は妹の方が目を逸らす結果となった。

 いやなにそのガチ反応。それ絶対蘭たちにも誤解されたままじゃん。マジかよ。

 

 

「まあいいや後で訂正しとけば。それよりつぐみ、もうあんなよく分かんないキャラ付けはやめるように。いいね?」

「…………」

「つぐみちゃん?」

「ぜ、善処する! 善処!」

「善処? まあいっか。よし、えらいえらい」

「でもそのかわり、お兄ちゃんも約束」

「んー? 約束?」

「……もう、女の子のお客さんにデレデレしちゃイヤだよ?」

 

 

 むーっと。頬を膨らませてそんなことをいう妹。さらにずいっと身を近づけてきた。

 いやデレてないってば。営業スマイルはしてるけども。

 

 

「うーん……まぁ、分かった。気をつける」

 

 

 正直あまり自覚はないが。しかしボクは大きく頷いた。

 羽沢珈琲店のホール番は、妹といえども女の子に恥をかかせる男ではないのだ。

 

 

「…………」

「ん。どうしたの?」

「いや全然分かってない気がするなーって」

「そんなことないぞ」

「…………」

「ないぞ」

 

 

 だけど、それでもまだ悩ましげに唸るつぐみ。

 え。もしかして信用ないのかしら。

 

 

「お兄ちゃんは私のお兄ちゃんなんだよ? いい?」

「勿論だとも。まかせろ」

「ならいいけど。でもあんまり聞き分けがないようなら、分かるよね?」

「…………」

 

 

 あの、つぐみちゃん? もうそのキャラ付けはいいんだって言ったよね? ほんとに分かってるんだよね? 善処してくれるんだよね?

 彼女はにこっと微笑むが、しかし謎のドス黒いオーラが彼女の背後に見える。これ逆らったらあかんヤツなのでは。

 

 

「じゃあ今日は、久しぶりに私がお背中流してあげるっ」

「え゛?」

「あははっ、覚悟しててね」

「……なーぜ背中を流されるのに覚悟が必要なのか」

 

 

 もしかして紙やすりとか使おうとしてる? やめて角質とか死んじゃうわよ。

 それにここまで成長しきった兄妹が背中流すて。仲睦まじいのは良い事かもしれないが、逆にお父さんとお母さんにある種の心配をかけてしまうのではなかろうか。

 だけど今の彼女にはうんうんと頷くしかなくて。そろそろ兄離れをしてもらいたいはずの年齢の妹に、また強く言うことが出来なかった。

 

 確かにこれだと尻に敷かれてると言っても過言ではない気がする。

 

 眩しい笑顔を見せる自分の妹から目逸らしながら。ちょっと知りたくなかった現実からも目を背けた。

 

 

「そういえば結局リサのこと説明してないけど……まあもういいか」

 

 

 少し、自分の性格を見つめ直そうと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そういえばつぐみ、お弁当は?」

「お弁当? 知らないけど?」

「……なぬ?」

 





読了感謝です。前も言いましたがこの子書いて欲しい〜とかあれば、メッセでも感想でも何処かで言ってくれれば検討します。
なので今は前にリクエストを頂いたモルフォニカ達を勉強中です。




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白金燐子Ⅰ


めちゃくちゃお気に入り等が増えてびっくりしてます。感謝感激です。

ただ今回はちょっとつまんないかもしれません。個人的にはあまり納得がいってないのです。地の文を少なくしてさくっと読めるものを目指しているんですが、如何せん多くなっちゃいました。


 

 

「弁当ほんとどこいったんだよ」

 

 

 別にこれといって何かをしたというわけではないというのに。しかし異様に疲れた自身の身体を引き釣りつつ、ボクはライブハウスの廊下をとぼとぼ歩く。

 廊下の両側で規則的に並ぶルームの扉を何気なく眺めながら。宛のない探し物を漠然と捜索する。

 

 弁当が、ない。つぐみのために作ってきた弁当が何処にもないのだ。

 

 そりゃあ来るなり早々気絶させられたのだから無理もないんだけど。だからって私物を本人が認知していない場所に移動させるのはどうなの? 

 そう思ってつぐみからの説教が終わってから、あの銀髪少女の元まで戻ったんだけど……。

 

 

『だいたい湊さんはちょっと常識がないと思います。どうして話も聞かないでひたきを縛るんですか』

『だってよく考えて異常じゃない。男の名前の音声ファイルを友人が聞いているのよ? 絶対悪い男に騙されてるって思うじゃないの』

『えぇ……』

 

 

 まだやってた。まだ、蘭と銀髪少女が喧嘩をしていた。

 ええ、長くない? ボクがつぐみと部屋を出てからもう30分くらい経ってると思うんだけど。その間ずっと喧嘩してたの? 他人のことで?

 

 

『あの、そろそろ喧嘩はやめた方が──』

 

 

 話を聞く限りどうやら蘭が銀髪少女がボクにした行為にキレているらしかった。

 であるので、その発端である自分が仲裁に入ったんだけど。

 

 

『『当人は黙ってて』』

 

 

 なんでだよ。

 

 そのセリフおかしいじゃん。ボクがもういいって言ってるんだからもうよいではないか。なんで当人ほっぽり出してヒートアップしてるんだよ。

 もしかしてこの子たち、ただ単に喧嘩したいだけじゃないだろうか。その証拠にモカや巴、ひまりの様子を見てみると『またか』みたいな感じ微笑ましく眺めている。

 

 

「あのふたりって仲良いのか悪いのかわかんないんだけど」

 

 

 なので埒が明かないので、ひとりで探すために廊下を歩いている。寂しい。その上若干迷いがちなのも笑えない。

 それにしても、さすがライブハウスといったところだろうか。周りのルームからは色んな音が漏れていた。

 鋭い電子音から打楽器特有の破裂音。さらにはなめらかな管楽器のような音色まで。多種多様な音が聞こえてくる。

 

 

「……ん?」

 

 

 聞きなれないものばかりの音の世界の中で。ふとひとつだけやけに耳に馴染む音が聞こえた気がした。

 その部屋の前で歩を止め、立ち止まる。

 

 

「ピアノか。懐かしいな」

 

 

 キーボードではなく、ピアノ。

 打鍵楽器の柔らかい音色。そのひとつひとつが連なって構成される節、曲。

 思わず懐旧的な気分になって、扉に細長く設けられたガラス越しの窓からちらりと部屋の中を見た。

 

 

「女の子だ。しかも結構かわい……あれ?」

 

 

 部屋の中には黒い長髪こひとりの女の子がグランドピアノを弾いていた。

 その姿に一瞬見蕩れつつも、しかしすぐに別のモノに視線が吸い込まれた。

 

 

「弁当あるじゃん」

 

 

 閉じられたグランドピアノの屋根の上。青い手持ちカバンが置いていた。中からぴょこりと黄色い風呂敷の結び目が覗いている。

 間違いなくボクが持ってきたお弁当だった。

 

 

「……! は、はい?」

 

 

 とりあえずノックを3回して部屋の中に入れてもらう。

 

 

「!? ひ、ひた……っ!」

「……?」

 

 すると演奏していた少女はビクッと身体を震わせて勢いよく此方を見た。

 

 

「あはは、ごめんね。えっと……」

「あれ? ひたきじゃん」

「……あ?」

 

 

 唐突に扉を叩いたため、驚かせてしまっただろうか。だとすると申し訳ない。

 少々申し訳なく思っていると、しかし扉を開けたのは例の黒髪ロングの少女ではなかった。

 

 

「……なにやってるのリサ」

「それこっちのセリフなんだけど。ライブハウスにいるなんて珍しいね」

 

 

 今井リサだった。いや、なんでおるん。

 

 

「つぐみのためにお弁当を持ってきたんだけどさ。そしたら謎の銀髪少女に簀巻きされたんだよ」

「はぇ? なんでそんなことなって──いひゃいいひゃいいひゃい!」

「いやキミのせいなんだけど。キミがめんどうな事したせいで、こちとらさっきまで冷たい床に転がされてたんだけど?」

「ふ、ふへぇ!?」

 

 

 のんきに理由を聞いてきやがるので、彼女の頬をびよーんと引っ張る。

 なんだそのふへぇって。なめてんのか。

 

 

「キミが紛らわしい名前の音声ファイルをずっと聞いてるから謂れもない誤解を受けたんだよねぇ?」

「あ、あれ? あれは、そのぉー」

「その?」

「自分用というか、ヒーリングミュージックというか……」

「…………」

「あ、あの声聞いてると、何かぞくぞくするって言うかぁ……」

「この変態が」

「あーごめんごめんごめんごめん!!!」

 

 

 ぐにぐにぐにぐにと。めいいっぱい伸ばす。

 柔らかい彼女の頬はお餅みたいだった。

 

 

「ふんっ」

「うう、いたたぁ……」

「もうリサの言うことは聞いてあげない」

「ええ!? そんなぁ!」

「つぐみにも、ほいほいキミの言うことは聞くなって言われたから」

「ああん、もぉひたきぃ〜怒んないでよ〜」

 

 

 知らん知らん。もう知らないからねキミは。

 

 

「まあいいや。それよりもいい加減弁当をだね」

「あ、あのっ」

「ん?」

「さっきは、ごめんなさい……」

「……え?」

 

 

 リサをいじめた後で弁当を回収していると、ピアノを引いていた女の子がおずおずと話しかけてきた。

 

 

「あっ、もしかして」

「は、はいっ」

「ボクを気絶させた人?」

「じゃ、じゃなくて……その……」

「じゃなくて? ああ受け止めてくれた人かな」

「は、はい……そうです……」

 

 

 見た感じ、大人しそうな子だ。

 もじもじと恥ずかしそうに俯いている。

 

 

「お礼を言うのもなんか違う気がするけど。ありがとね」

「い、いえ」

「おかげでケガしなくて済んだよ。ありがとう」

「うう……」

「?」

「こらひたき。それセクハラだよ」

「え。なんで?」

 

 

 それはワケがわかんないんだけど?

 お礼を言うと、何故かリサにセクハラ判定をされてしまった。

 

 

「何がセクハラなの」

「それは秘密だけど」

「はぁ?」

「ヒントを上げるのなら紗夜が受け止めてたらケガしちゃったかもね」

「また知らない人が出てきた……」

「その紗夜がひたきを気絶させた張本人だよ」

「怖い人じゃん」

 

 

 一体どんな手段で気絶させたのか聞いといた方がいいかな。でも、聞きたくないな……。

 あの銀髪少女は後遺症は残らないとは言ってたけど、不安だ。

 

 

「あの……ひたきくん」

「はいはい。……ん?」

「あれれ? 燐子?」

 

 

 名前を呼ばれて返事をし、ふと違和感を覚えた。

 ボクの名前を呼んだのは、黒髪ロングの子だった。

 

 

「あれ? えっと?」

 

 

 何故名前を。いやさっきからリサが言っていたなそういえば。

 そこで知ったんだろうか。

 

 

「あの……覚えてませんか? 私のこと……」

「はぇ?」

 

 

 そして、思いもよらぬ一言に面食らった。

 

 

「なに? なになに。ひたきと燐子って顔見知りだったの?」

「ん。いや?」

「…………!」

 

 

 燐子なる少女と、リサにはそう言われるが。しかし残念ながら心当たりがない。

 ボクがううん……と唸りながらそう言うと、燐子さんはビシッと固まった。

 

 

「む……!」

 

 

 しかしすぐに顔をぶんぶんと振って、此方の方へ駆け寄る。

 

 

「…………!」

「?」

「り、燐子!?」

「こ、これでどうですか……っ!?」

 

 

 彼女は近づいて来たと思うと、ボクの右手を取って、ぎゅっと握った。

 にぎにぎにぎにぎ、と。揉むように両手で此方の手を包み込む。

 いや……どうですか……とは?

 

 

「???」

「冷え性……治った、の?」

「なんでボクが冷え性だって知ってるの?」

「むむ……!」

 

 

 真意が分からないので首をコテンと傾けると、再び彼女は固まった。

 そしてこれまた再び難しそうな顔で唸り、今度はすたすたとピアノの方へと歩いていった。

 燐子さんはピアノの上の、弁当が入った手持ちカバンを手に取った。

 

 

「ああ。ありが」

「…………」

「と……う?」

 

 

 ボクはてっきりとってくれたのだと思い。その彼女の手から手持ちカバンを受け取ろうとして……。

 だけど、そのの手は空を切った。

 燐子さんは手持ちカバンを持つ自分の手を、自身の胸の前で止めたのだ。

 

 

「あ、あれ?」

 

 

 再び面食らった。素っ頓狂な声が出る。

 てっきり返してくれると思ったんだけど……。

 

 

「……返してくれないの?」

「燐子?」

「あ、あの……」

 

 

 リサもきょとんとしている。

 おかしいなと思って彼女を見ると、ぷるぷると震えていて。

 

 

「これを返して欲しかったら……わっ、私と勝負してください……!」

「……なんと?」

「……勝負?」

 

 

 そして、意を決したようにばっと顔を上げたかと思うと、いきなり宣戦布告を行った。

 

 

「ボクに言ってるんだよねそれ」

「はい」

「なにで勝負するの?」

「も、勿論ピアノ……です」

「それは勿論なのか」

「いいです……よね!?」

 

 

 ずずいっ。胸元でぎゅっと手を握りながら詰め寄られた。う、思ったより強引だ。

 しかし何をそんなに熱くなっているんだろうか……。

 

 

「ひたきってピアノ弾けるの?」

「……つぐみは誰を見てピアノを始めたと思う?」

「へぇ〜? 知らなかったなぁ」

 

 

 いやまあそんな偉そうなことは言ってるけれど。

 実を言うと、ここ数年は弾いてはいない。

 

 

「そうしないと返してくれないの?」

「は、はい……返してあげませんっ」

「燐子? どうしちゃったの?」

 

 

 燐子さんの決意は硬そうだった。彼女の黒い瞳の中に静かな闘志が燃えていた。

 その姿はちょっと意外というか。ボクは知らないけれど普段の彼女とも違うのか、リサも大いに困惑している。

 

 

「まあ、そこまで言うんなら」

「…………!」

「いいよ。やってあげる」

 

 

 ただ、そうしないと返してくれないのなら。

 彼女の真意がどうであろうと、選択肢はひとつしかない。やるしかないのだ。

 

 

「お弁当は冷えても美味しいけど、出来るだけ早く食べてもらいたいからね」

「あっ、そういう理由なんだ」

「え? 逆にそれ以外に理由ある?」

「ないけど……目の付け所が完全に女子だよね」

 

 

 知らない知らない。知らないもん。あと、それ気にしてるからやめてね。

 リサの最後の言葉を無視してパーカーを脱ぎ、彼女に投げ渡す。

 グランドピアノに触れると懐かしい気持ちが感覚が上ってきた。久しぶりに触る木の感覚。黒鍵まで木製の、そこそこいいグランドピアノだった。

 

 ほんと久しぶりだけど。まぁなんとかなるでしょ。

 

 一抹の不安と、形容しがたい高揚感がかげるのを感じながら。

 ボクは燐子さんからの勝負を受けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、結果だが。

 

 

「……ボロ負けしたね」

 

 

 ぼこぼこにされた。完膚なきまでに。いや、あの子めっちゃ上手いじゃん。

 手も足も出なかった。お弁当はしっかり返してもらったけれど。ならば彼女が果たして何がしたかったのだろうかというと、分からない。演奏のあと顔を真っ赤にして部屋から出ていったので勝負の真意も聞けなかった。

 

 

「分からんなぁ」

 

 

 自分で言うのもなんだけれど。

 こんなに女っぽい顔をしてるのに、ボクは女心はミリ単位すらも分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんで覚えてくれてないのかなぁ……」

 

 

 廊下を歩きながらため息と共に、ぽそりと呟いた。

 ひとりしかいないけれど、ずーんと重々しい空気が流れている。

 

 

「でも……まさかほんとに再会出来るなんて……」

 

 

 最初友希那さんからその名前を聞いた際はびっくりした。口から心臓が飛び出そうだった。

 何年ぶりだろうか。小学生以来だから、約5年振りくらいだろうか。

 

 私はその5年間、ずっと彼を心の中で慕っていた。

 

 だから今井さんを口説いたという話を聞いた時、ちょっと良くない感情がふつふつと湧いてきた。

 だから……あんなことを……。ひたきくん相手にピアノ勝負なんて、なんて大胆なことをしたのだろう。思い出すだけで顔が熱くなる。

 

 

「でも……勝っちゃったな……ふふふ」

 

 

 ピアノに具体的な得点というのは無いし、本来勝ち負けもないんだけど……でも、今日は私が勝ったようにか思う。

 小さいころは、全く勝てなかったけど。

 彼と同じコンクールに出ても、金賞を取れた回数は少なかった。

 それは別に私が下手だったというわけじゃなくて、単純に彼が同年代の中で明らかに頭ひとつ抜けていた。あまりにも金賞ばかりを取り続けるのでレッスンの先生も悔しがっていたのも覚えている。

 

 

「ブランクかな……まあ、それは仕方ないよね」

 

 

 でも今日のひたきくんはちょっとだめだめだった。時々音を外していたし、なにより熱意が見えなかった。

 だけど、それでも彼の柔らかな指使い。天性の才能とも呼べるそれは、まだその面影を残していた。

 私の好きな彼のピアノの残滓が垣間見えた。それはすごく嬉しかった。

 

 

「…………」

 

 

 だけどだけど、やっぱり私のことを覚えてないのはショックだった。

 頬が膨らんでいく。先程とは別の意味で顔が熱くなるのが分かった。

 コンクール前、あんなに喋ってたのに。一緒に遊んだりもしたのに。連弾まで……したのに。

 だけどひたきくんは私のことを全く覚えてなかった。思い出すのを期待して昔やってたことを試してみたけど、それも空振りに終わった。

 

 

「しかも……い、妹さんのお弁当を作って持って来るなんて……」

 

 

 今更ながら、ふと考えると。

 妹に。しかも自らの手でお弁当を持ってくるなんて。そんなこと……最近の高校生がするのだろうか。

 

 

「もしかして……シスコンさん……になっちゃった……?」

 

 

 ひたきくんの妹は確か、羽沢つぐみさんだ。

 女性目線から見ても可愛らしい女の子。彼女が妹なのならば……可能性は無きにしも非ず、かもしれない。

 ひたきくんは子供の頃からあまり変わってないように思えたけれど。だけどそこはどうか分からない。

 もしも私のことを思い出してくれても、これではやっぱり意味が無い。

 

 

「……羽沢珈琲店」

 

 

 もし彼がシスコンさんになってしまったのなら。他の女の子に興味が無くなったのだとしたら、それは私的に非常によろしくない。

 

 

「羽沢……珈琲店!」

 

 

 よろしく……ないのだ……!

 

 

「……よし、通おう」

 

 

 この際彼に忘れられたことはまあいい。結局は思い出して貰えればいいのだから。

 しかし思い出して貰う前に、少しばかりやることが増えた。

 

 

「待ってて、ね……」

 

 

 いつも何事も決めるのに時間がかかる私ではあるけれど。

 だけどこれは……これだけは、逡巡することなく、即決断出来た。

 

 

 




読了感謝です。
今ポピパとRASとモルフォニカの勉強中です。頑張ります。


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市ヶ谷 有咲 Ⅰ


お久しぶりです。2週間くらい空きましたね。色々忙しかったです。というかクリスマスや年末と私事で忙しいので、次も空くかもです泣。

今回は初めてポピパの子を書いてみたんですが。案の定バンドリがにわかなので、上手く再現出来てるか微妙なのです。もし違和感があるのなら指摘していただけると助かります。

それと、誤字報告ありがとうございます。とても助かりました。


 

 

 

「え、えいっ!」

「イッつぁいっ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

 

「こ、今度こそ上手くしてやるからな。じっとしてろよ」

「…………」

 

 

 君子危うきに近寄らず、という言葉がある。

 

 綺麗に掃除された床。今度はフローリングではなく畳に、またもや身を転がされながら、低い視点でそんなことを考えた。

 さらに以前と違う点といえば今度は柔らかい枕がわりがあるということだろうか。いや、今はどうでもいいか。

 曰く、その言葉の意味とは教養と徳のあるものは自分の行動を慎むものなので危険なところには近づくな、ということらしい。

 

 

「…………」

 

 

 別に自分を教養のあるものだとか徳を積んでいるとかを言うつもりはないけれど。しかし確かに見えてる地雷にわざわざ足を突っ込むようなマネはしたくない。そんなことをしていては命がいくつあっても足りないのだ。

 しかし……まあ悲しいかな。ボク自身は特に何かをしているというワケではないはずなのに。なのにも関わらず普段から厄介事に巻き込まれるのは一体どういう了見なのだろうか。

 どういう訳か普段生活をしていると、その危うきものの方から此方に勝手に近づいてくるという訳だ。意味がわからない。

 

 

「市ヶ谷ほんとに大丈夫? それさっきも聞いたんだけど?」

「しつけーぞひたき。いいから大人しくしてろ」

「ホントだろうね」

 

 

 何故か男なのに貞操の心配をする必要があったり。接客中になにやらねっとりとした視線を感じたり。数え上げたらキリがない。

 とまぁそんな感じで。今回も、そんなワケで。

 

 

「耳掃除くらい……出来るってば!」

「そう言ってキミはさっきボクの耳を破壊したんだけどなぁ」

 

 

 というわけで今日もボクの身体……今回は耳が、今破滅の危機に瀕していた。

 

 

「……そんなに心配?」

「キミは前科ありだろう」

「い、いいからっ! あ、あたしに委ねろよ」

「ふふ、委ねるのはムリかなぁ〜」

 

 

 現在市ヶ谷に膝枕をしてもらい、竹の耳かきで耳掃除をして貰っているワケだが。正直、震えが止まらない。

 先程ガシュッっといったのだ。ガシュッって。リアルに。余裕そうに振舞ってはいるが、あんな音が耳から聞こえてくるものなのかと驚いた。

 思わず耳を疑った。ダブルの意味で。どうなってんだボクの耳はと。

 

 

「膝枕だけでよかったかな」

「あたしの耳掃除は気に入らねーと」

「そうは言ってないじゃない?」

「気持ちよくねーと」

「膝枕は気持ちいいよ?」

「そ、そうか?」

「ちょっとつぐみより高いけどね」

「それはあたしの脚が太いって言いてーのかぁ……?」

「いだだだだだ」

 

 

 ちょっと。こらこら。

 やめろやめろ。ぐりぐりするな。

 

 

「もう。不器用以外で痛くするの、やめてよね」

「もうってなんだよ。もうって。可愛いなおまえ」

「別に市ヶ谷の脚が太いなんて言ってないでしょ」

「でもそういうことじゃねーか」

「違くて。つぐみが細いんだよ」

 

 

 ぽんぽんと耳を叩いて痛みを和らげる。

 

 

「知ってる? つぐみのこと」

「羽沢さんだろ? そりゃ知ってるけど」

「ちょっとさ……細いでしょあの子」

「ノーコメントだな」

「ホラ、寝る時低い枕だと違和感あるじゃない?」

「てかひたきおまえ、妹に膝枕させてんのかよ」

「だって勝手にしてくるし」

 

 

 ため息混じりに言う。気まずそうに。別に好きにさせているわけじゃない。

 すると市ヶ谷はぽかんと開口し手を止めたが、残念ながら事実なのでね。受け入れていただきたい。

 朝起きると、ふと髪に違和感を感じる時がある。

 その正体はつぐみがボクのベッドの上で正座をし、その太ももの上にボクの頭をのっけて髪を撫でているものだった。

 そんな甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる妹と目が合うと、彼女は優しく髪を撫で梳きながら慈愛に満ちた表情で此方を見下ろし、

 

 

『ふふ……お兄ちゃん、おはよ』

『お、おはよう?』

 

 

 と、何故か若干恍惚とした顔で挨拶をしてくれる。

 そこにはなにやら得体の知れない恐ろしい圧を感じるので、単純にやめろとも言えない。

 

 

「まァ、いろいろあるんだ。羽沢家には」

「いろいろって。大丈夫なのかそれ」

「さあ」

 

 

 確かにちょっと心配であるけれど。

 しかし将来成長して、彼氏になった男を支えられるいい女になると思えばいいんじゃないだろうか。知らんけど。

 

 

「立派に育ってくれて、お兄ちゃん嬉しいよ」

「お兄ちゃんねー……」

「ん?」

「んにゃ。羽沢さんはおまえのことお兄ちゃんって思ってんのかなーって」

「え。なにそれ。もしかして兄って思われてない? そんなに信用ないのかな」

 

 

 確かに怒られることも増えているけれど。

 

 

「いやそーじゃなくて……いやなんでもねぇ」

「んー?」

 

 

 ボソボソと口ごもる市ヶ谷。何となく要領を得ない。

 

 

「ま、今はこっちが先だな」

「げっ」

 

 

 しかしすぐにケロッと元に戻った。ちくしょう覚えてたか。このまま妹の話で他愛のない雰囲気を作って、いい感じに有耶無耶にしようと思ってたのに。

 

 

「おら、とっとと済ませんぞー」

「ええ。まだやんの?」

「んだよ。やっぱ不満なんじゃねーか」

「だって市ヶ谷、キミ不器用すぎるぞ」

「ひたきがごそごそ動くからだろー」

「えぇ……」

 

 

 なにやら苦言を呈された。

 そんなに動いてないよ。酷い言いがかりだ。

 動いてたとしてもそれは恐らく危機回避なのでボクは悪くないと思う。

 

 

「市ヶ谷がヘタクソなのがいけないんじゃ」

「な〜んか言ったか〜?」

「えだだだだだ」

 

 

 ぐりぐりぐりぐりぐり。

 いてぇいてぇいてぇいてぇ。

 

 

「……仕方ねぇ。ちょっと固定するか」

「固定?」

「ちょっと向き変えてさ」

「向き?」

 

 

 はて、向きとな? 

 まーた意味のわからんことを。いったいどういうことだろうか。

 現在ボクは市ヶ谷の太ももの長い向きに対して垂直になるように……言わばボクの後頭部が彼女の腹側に向くような格好になっている。

 

 

「? どういうこと?」

 

 

 何となく理解が及ばないので彼女に尋ねる

 他人から耳掃除をされる体勢といえば、これ以外にあるだろうか?

 

 

「いやだからさ、方向を90度変えてさ」

「うん……うん? 頭頂部が市ヶ谷のお腹の方に向くようにってこと?」

「そうそう。それで脚でおまえの頭を挟んで固定するんだ」

「うんうん……うん?」

「だからぁ、太ももの間におまえの頭を落として挟んで固定して……」

「いや分かるけど。なんで?」

「そしたら余計な動きも出来ねぇし。おまえも抵抗出来ねーだろ」

 

 

 …………。

 

 

「なんだよ。また不満そうな顔しやがって」

「不満だよ」

「贅沢なやつめ」

「いやいや」

 

 

 贅沢て。

 

 

「それボクが窒息するんだけど。顔の向き的に」

「……いやらしいやつめ」

「……なんでだよ」

「女子のふとももに挟まれて窒息したいだなんて」

「言ってないねぇ」

「いやらしいにも程があるぜ」

「だから言ってないねぇ!」

 

 

 キミだよいやらしいやつは。

 だってボクじゃないもんそれ言ったの。

 ボクじゃないとすれば、キミしかいないだろうに。

 

 

「キミが提案したんじゃないの?」

「けどそんな発想はなかったっつーか」

「その言い方やめようよ。それだとボクが常にそんな発想してる変態みたいじゃない?」

「…………」

「違うからね」

 

 

 もう一度ため息をついた。先程と性質がまるで違うけれど。

 いや、もうやめようこの話は。優位に進められる気がしない。

 

 

「だから、市ヶ谷がヘタなんじゃないの?」

 

 

 とかく、自分の耳を守らなくてはならない。

 とりあえず耳掃除を終わらせる方向に舵を切る。

 

 

「だ、だってよ、耳の穴がよく見えねーんだよ」

「はぁ? そんなバカな──」

 

 

 はんっ、やれやれ往生際の悪いやつめ。

 市ヶ谷が見苦しくも言い訳をしてきた。そんな彼女を言いくるめるために、表情を見ようと身体を捻り、ここで初めて顔を天井の方へ向けた。

 

 

「こ……と……」

 

 

 しかし市ヶ谷の表情は伺うことは出来ず。

 

 

「あー、なるほどぉ……」

「あ? どした? てか勝手に身体の向き変えんなよやりづらいだろ」

「あ、はい。すいません」

 

 

 思わず敬語で謝ってしまった。というのも、すごく申し訳ない気持ちになったというかなんというか。

 なるほど……なるほど? 見づらいというのは本当らしい。現にボクも今の角度から市ヶ谷の顔は半分程しか見えていない。

 

 

「そういやひまりもヘタクソだったね」

「ん? なんでそこで上原さんの話が出てくるんだ?」

「気にしないで」

「……まあつまり、おまえはいやらしいやつだったってことだな」

「さては気づいてるなキミ」

「へんたい」

「てめぇ」

 

 

 楽しそうだなぁオイ。

 景気よくにやにやしてんじゃねぇよ。いや顔見えないから推測だけども。

 

 

「ほんと、ひたきはやらしいやつだな」

「…………」

 

 

 いや、これはニヤついてんなぁ確実に。

 案の定調子に乗っている。にっこにこだ。

 うーん、ちょっと癪に障るわねぇ。

 

 

「……どうせしっかり見えてても、市ヶ谷は不器用だと思うよ」

「……は?」

「だってそういうキャラじゃない? ねぇ?」

「あーん?」

「不憫だけど、金髪ツインテはそういう宿命背負ってるよねぇ」

「はーん?」

「ドンマイ市ヶ谷。略してドヤ」

「そのドヤ顔ムカつくんだけど……!」

 

 

 せめてもの抵抗として巨峰から目を逸らしつつ、愚痴ってみる。

 

 

「ふんっ、いい度胸だな」

「おや」

 

 

 すると僅かに垣間見えた市ヶ谷の額に青筋が浮かんでるのが見えた。

 その後、直後にスっと後頭部に手が差し込まれ、頭が持ち上がる。そして市ヶ谷は立ち上がりながらボクの頭を優しく畳の上に置いた。

 

 

「? あの?」

「膝枕は終わりだ」

「え? なにさ急に……ちょっ、市ヶ谷ほんとなに──ぐふぅ」

 

 

 彼女が立ち上がった刹那。

 

 

「……ちょっとぉ?」

「はは、覚悟しろよ?」

 

 

 腹部に衝撃を受けた。

 

 

「さんざんあたしの膝枕を堪能したんだ。もういいよな?」

「堪能?」

 

 

 出来ただろうか……。個人的には耳をガシュッってされてそれどころではなかった気がするけれど。

 いやこの際そんなことはどうでもいい。ちらりと、天井……いや自分に対してマウントポジションを取っている市ヶ谷が見つめる。

 彼女はニヤリと笑いながら腕をこちらの頭の両隣に置いた。

 

 

「何したいのキミは」

「耳掃除に決まってんだろ」

「継続するんなら膝枕のままでも良くない?」

「だってよく見えねぇし」

「結局かよ」

「うるせーな。それとも今度はあたしの抱き枕にでもなってみるか?」

「市ヶ谷さん、あなた今うちに来るお客さんと同じ眼をしてますよ」

「……おまえんとこにくる客大丈夫か?」

「それ自虐って分かってる?」

「ふふっ、そうかもなー」

 

 

 ひとしきりニシシと笑った後、オラ横向け横! と乱暴にボクの顔を抱え、横に向かせる。市ヶ谷はそのまま上から密着し、耳掃除を始めた。

 まあ確かにこれならよく見えるだろうが。しかしこんなやり方聞いたことがないんだけど? それに色々とやらかしてるような。とても先程太ももに挟む云々で恥ずかしがっていたとは思えない。

 

 

「やべー……なんか興奮してきた」

「こら」

「ドキドキすんなぁ」

「……」

 

 

 なんなんだ、もう。キミの方がへんたいではないか。

 市ヶ谷はどうやら悪い方向に開き直ってしまったらしい。やはり軽率な行動は慎んで、余計な挑発はしてはいけないのだ。

 

 君子危うきに近寄らず……。

 

 どうやらこのことらしい。なるほどな。でないとこのように危険なことになってしまうと。はぁ。

 やっぱり偉人は偉大なんだなと噛み締めながら。

 結局は市ヶ谷が満足するまで、ボクはよく分からない体勢で耳掃除をされ続けることになった。

 

 

 

 





読了感謝です。

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