もしもベル・クラネルがフレイヤ・ファミリアに入ったら (人工衛星)
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prologue 裏

 迷宮都市都市オラリオ。

 『ダンジョン』と称される広大な地下迷宮の上に築き上げられた巨大都市。

 都市の周囲は高く、堅牢な壁で囲われ、都市の形を完璧な円に形作っている。

 そしてその円の中央には、天を衝くようにして伸びる、白亜の摩天楼。

 それを取り囲むように並び立つ大小の建物よりも高く、それらを外から覆い隠すほどに巨大な、オラリオを囲う市壁よりも更に高く、まさに天を削り取るかのように(そび)え立つ塔。

 ダンジョンにて生み出されるモンスターが地上に上がってこないように、ダンジョンの『蓋』として機能するこの摩天楼施設、通称『バベル』と、その下に広がるダンジョンを文字通り中心として、このオラリオは栄えている。

 

 そのバベルの最上階。

 塔の中でも最上の品質を誇る一室に、一柱の『神』が居た。

 

 透き通る様に白く、きめ細やかな白皙(はくせき)の肌。

 小ぶりで柔い臀部とそれに乗ったくびれた腰。

 覆い隠す生地を押し出さんばかりに豊かな乳房。

 黄金律という概念から抽出されたような、完璧なプロポーション。

 その肢体に見合う――否。それ以上に目を引くのは、その(かお)である。

 睫毛は儚くも長く。銀の瞳は切れ目で涼しく、その相貌は凛々しくありながら、どこか少女のようなあどけなさを残していた。

 腰まで届こうかという銀の長髪は、細かく砕いた水晶を散りばめたかのように輝き、揺れる度に情欲を煽る芳香を室内に振り撒いている。

 それら全てが見る者に圧倒的なまでの『美』を抱かせる。

 超越した『美』の化身。

 それが『神フレイヤ』である。

 

 フレイヤはオラリオで最も高い位置にある己の一室、その壁一面を占領する透明で巨大な硝子が嵌め込まれた窓へと歩み寄った。

 中天を目指す太陽の光が窓から室内に入り、窓際に立つフレイヤの美しい躰をスポットライトの如く鮮明に照らす。

 時間は早朝。遥か下へと視線を落とせば、これから働きに出ようとする人々の活気溢れる様子が目に映る。

 一日の始まりに、慌ただしくも力をみなぎらせている者達の姿。それを見降ろすフレイヤの顔は、それらとは逆に、薄く影が落とされていた。

 沈鬱するフレイヤの表情にかかる影は、彼女の美しさを損なうものでなく、むしろ普段とは異なった魅力を見る者に与えるだろう。

 そんなフレイヤの桃色の唇がかすかに動きだし、本人しか聞き取れない程度のささやきを漏らした。

 

 

 ――私の『伴侶(オーズ)』はどこにいるのかしら?

 

 

 フレイヤはたまに『発作』を起こす。

 自身の『伴侶(オーズ)』――言葉の通り己の隣に立つ者を探し求めて、一人でふらりと旅に出る事が度々あるのだ。

 少し前にも発作を起こし、都市内の神とその眷属を――僅かな例外を除いて――オラリオから外へ流出することを断固禁止しているギルドの手をすり抜けて、オラリオの南東――地平線まで広がる砂の海『カイオス砂漠』へと足を向けた。

 そこで出会ったのはとある国の王子にして姫君。

 滅びに瀕した己の国を憂う一人の少女だった。

 彼女に目を止めたフレイヤは彼女に近づき、己を追ってきた眷属を彼女に貸して、彼女の国を危機から救った。

 

 ――全てはその『魂の輝き』を引き出すために。

 事実、彼女は素晴らしかった。

 未熟で小さな光がフレイヤの――全知の『神』の予想を飛び越え、まばゆく輝く紫水晶(アメジスト)へと変わっていく様は、フレイヤをして期待させる程であった。

 

 ――しかし、フレイヤの望みは叶わなかった。

 

 少女の輝きは『王』であるからこその輝きであり、フレイヤが求める(モノ)ではなかった。

 フレイヤは『王』である少女と別れ、オラリオに戻ってきた。

 

 それからのフレイヤは暇をもて余していた。

 それまでと変わらない漫然とした日々が続き、かつていた天界を思い出させるような『退屈』という名の毒を杯一杯(さかずきいっぱい)に飲み干す毎日。

 かといって発作が起こるほどでもなく、暇つぶしに旅に出るほどフレイヤは旅が好きでもなかった。(というか眷属たちに外に出してもらえなかった)

 故にフレイヤは、自身を慰める様に、今を精一杯生きている人々をバベルの上から見下ろしながら、流れる時間に身を任せていた。

 ……やはり下界でも私の『伴侶(オーズ)』とは出会えないのか――そう諦めかけていた時だった。

 

 その『少年』を見つけ出したのは。

 

 ――フレイヤには『洞察眼』と言うべきか、下界の者達の『魂』の本質(いろ)を見抜く瞳がある。

 彼女の眷属たちはみな、この()にかなった者達で構成されており、故にこそこの迷宮都市の中でも隔絶した実力を有しているのだ。

 そんなフレイヤだからこそ、下界の者達――中でも抜きんでた、もしくはその素質のある者――が持つ魂の色は、どれも見慣れたものだった。

 

 しかしその少年は違った。

 その輝きは小さく、鈍い。それこそ彼女の眷属とは比べるまでもない程に。

 

 だがそれがどうしたというのだ。

 

 輝きが小さいのならば、自身が大きくしてやればいいだけの事。

 フレイヤの目を引いたのは、少年の魂の色だ。

 白? 純白? いいや、透明の色だ。

 透き通った綺麗なその光に、フレイヤは一目見た瞬間から釘付けにされた。

 

 ――欲しい。

 

 少女との出会いから久しく感じていなかったあの感覚。全身がぞくぞくと打ち震え、下腹部は疼き、恍惚の吐息が喉の淵から溢れだしてくる。

 アレを自分のモノにしたい。そんな純粋な願望が体の奥底から溢れだして止まらない。

 

 フレイヤをそうさせるのは、少年の現状にあった。

 まだ“どの神の眷属にもなっていない”、手つかずの状態でフレイヤの目に留まってしまったからだ。

 神の眷属になった者は、五つのアビリティによって身体能力を向上させるほか、自己を実現させる形で魔法を発現させたり、その者の秘められた本質、素質、願望をスキルとして引きずり出され、背中のステイタスに刻まれる。

 フレイヤからしてみれば、神の眷属となった者は、そうでない者と比べて魂の輝きが鋭くなって見えるのだ。

 そして、今もフレイヤが見つめ続ける少年の魂の輝きは後者。

 これがもし、既に誰かのモノであったならば、その時はしばらく様子を見ようとしたのかもしれない。

 しかし、今の少年の、その髪の色と同じく、誰にも踏み荒らされていない処女雪のような魂に、己を刻みつけたいと思うのはごく自然なことであった。

 そしてそんな思いを抱いた時には、既に体が動き出していた。

 

「オッタル」

「はっ」

 

 フレイヤが名を呼ぶと、厳めしい声がそれに応える。

 最初から室内に身を置いていたのか、己の主から名を呼ばれるまで物音一つ立てずに、入り口近くに佇立(ちょりつ)していた二Mの体躯を持つ猪の獣人が、彫像のように身動きすることなく次の言葉を待つ。

 

「外に出るわ」

「供をいたします」

 

 フレイヤの決定に反論をせず、しかし断固としてフレイヤ一人にはしないという意思を感じた。

 フレイヤは従者の言葉を受け入れる。内心むしろ都合がいいとも思った為、従者からローブを受け取り身に纏うと、そのまま従者を引き連れて部屋を出た。

 

 その足取りは軽く、期待に胸が高鳴っていることをフレイヤは自覚する。

 艶やかな唇が自然と弧を描き、頬を上気させた表情は、まるで恋をする乙女のよう。

 その胸に抱く想いはただ一つ。

 

 

 

 ――どうか貴方が私の『伴侶(オーズ)』でありますように。

 

 

 



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prologue

 ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか?

 数多の階層に分かれる無限の迷宮。凶悪なモンスターの坩堝(るつぼ)

 富と名声を求め自分も命知らずの冒険者達に仲間入り。ギルドに名前を登録していざ出陣。

 手に持つ剣一本でのし上がり、末に到達するのはモンスターに襲われる美少女との出会い。

 響き渡る悲鳴、怪物の汚い咆哮、間一髪で飛び込み(ひるがえ)る鋭い剣の音。

 怪物は倒れ、残るは地面に座り込む可愛い女の子と、クールにたたずむ格好の良い自分。

 ほんのりと染まる頬、自分の姿を映す潤んだ綺麗な瞳、芽吹く淡い恋心。

 

 子供からちょっと成長して、英雄の冒険譚に憧れる男が考えそうな事。

 可愛い女の子と仲良くしたい。綺麗な異種族の女性と交流したい。可能ならば一人でも多く。

 そんな、少し(よこしま)でいかにも青臭い考えを抱くのは、やっぱり若い雄なりの性なんじゃないだろうか。

 ダンジョンに出会いを、訂正、ハーレムを求めるのは間違っているだろうか?

 

 

 

 結論。

 僕が間違っていた。

 

「ヴヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ‼」

「ほぁあああああああああああああああああああっ⁉」

 

 少し(よこしま)でいかにも青臭い考えを抱いて冒険者になった結果、僕は今、死にかけている。

 具体的には牛頭人体のモンスター、『ミノタウロス』に追いかけられている。

 駆け出しの僕では決して敵わない化け物に、喰い殺されようとしている。

 詰んだ。間違いなく、詰んだ。

 浅はかで卑猥な妄想に憑りつかれた僕の末路。牛の餌。僕の愚物。

 運命の出会いに期待した僕が馬鹿だった。

 なまじダンジョンに潜る前に、人生百回やり直しても二度あるかも分からない、素晴らしい出会いがあったものだから、勘違いをしていた。

 きっと僕の運はあの時全て使い果たしていたのだ。

 一獲千金ならぬ、一獲美女なんて夢のまた夢だった。

 日々数えきれない死者を出すダンジョンにそれを求めていた時点で、僕は終わっていたんだ。

 あぁ戻りたい。いい歳して瞳をキラキラさせながら、ギルドの冒険者登録書にサインした僕自身を殴り飛ばすために、あの時に戻りたい。

 そんな馬鹿な後悔をしていると、すぐ目の前には岩の壁が立ち塞がっていた。

 

「行き止まりっ……⁉」

「ヴゥムゥンッ‼」

「でぇっ⁉」

 

 ミノタウロスの蹄。

 予想外の事態に、体が一瞬硬直した隙を狙われた。

 背後からの一撃は体を捉える事こそしなかったものの、岩の地面を砕き、ちょうど僕の足場も巻き込んだ。

 両脚が地面から離れる。とっさに崩れた体勢を空中で整えは出来たものの、綺麗な着地とはいかなかった。

 無様に両手と両膝を地面についた、平伏の姿勢(ポーズ)。拝む相手は岩の壁。

 

「ブフゥー、フゥーッ!」

 

 何十もの通路を抜けて、辿り着いた広いフロア。正方形の空間の隅に僕は追い込まれた。

 ミノタウロスの荒く臭い鼻息が僕の肌を殴る。

 振り返れば、自分よりも一回りも二回りも大きい筋骨隆々の体が僕を見下ろしている。

 逃れようのない『死』が、すぐそこまで迫ってきていた。

 

 ――いやだ。

 

 僕の内から湧き上がる衝動。

 こんなところで死ぬのが嫌だった。

 情けなく逃げ回ったあげく、ダンジョンの隅で惨めに骸を晒すのが嫌だった。

 醜い牛頭が、追いつめた獲物を前に嘲笑するように口端を吊り上げるのが嫌だった。

 なにより、“あの人”みたいな格好いい英雄になる前に死んでしまう事が、どうしようもなく、嫌で仕方なかった。

 

「――ぅあぁああああああああああっ‼」

 

 だから僕は、目前まで迫った運命(おわり)に抗った。自棄になったともいっていい。

 ここまで手放さなかった抜身の長剣、その切っ先を、立ち上がる勢いを乗せて油断しているミノタウロスに突き出した。

 生死の別れるこの局面。正真正銘、僕の全身全霊が掛けられた必殺の刺突。

 

 狙うは相手の胸部、その一点。

 モンスターがモンスターたる所以。

 モンスターであるが故に抱え持つ、唯一無二にして『最大の弱点』。

 

 ――『魔石』。モンスターを倒す上での絶対の有効打。

 

 こちらをコケにして嗤っていた牛の表情が戸惑いと焦りに変わるのが分かった。

 追いつめた獲物の反撃が、自身の急所へと吸い込まれるのをただ眺め――皮一枚を貫いて、突き出された剣は止まる。

 

(――そんなっ⁉)

 

 まるで岩のようなミノタウロスの胸筋に、僕の渾身(こんしん)の一撃が阻まれた。

 剣を握る手に強烈な痺れが伝わるのを、どこか遠い出来事の様に感じる。

 剣を突き出したままの体勢で見上げるミノタウロスは、よくもビビらせやがったな、と言う様に怒りの咆哮を上げ、腕を振り上げた。

 

(あぁ、死んでしまった……)

 

 ごめんなさい、女神様。せっかく拾っていただけたのに。

 恩を返せず死ぬ僕を、どうかお許しください。

 そして生まれ変わることができたなら、その時はハーレムなんか目指さず貞淑に生きる事を誓います。

 

 恩人への謝罪と、なにより自分を死に追いやった考えをこれ以上ないほどに後悔しながら、僕の目は上腕を振り下ろそうとするモンスターの姿を映す。

 次の瞬間、その怪物の胴体に一線が走った。

 

「え?」

「ヴォ?」

 

 僕とミノタウロスの間抜けな声。

 走り抜けた線は胴だけにとどまらず、振り上げられた腕、太腿、肩――そして首と連続して刻み込まれる。

 ミノタウロスの首をすり抜けた銀の光が最後だけ見えた。

 やがて、僕では薄皮一枚しか傷をつけられなかった恐ろしいモンスターが、ただの肉塊になり下がる。

 

「グブゥ⁉ ヴゥ、ヴゥモォオオオオオオオオォォォォォッ――⁉」

 

 断末摩が響き渡り、刻まれた線に沿ってミノタウロスの体のパーツがずれ落ちていき、血飛沫。

 赤黒い液体を噴出して、モンスターの体が一気に崩れ落ちた。

 ソレの、大量の血のシャワーを全身に浴びた僕は、呆然と時を止める。

 

「……大丈夫ですか?」

 

 牛の怪物に代わって現れたのは、金色の美少女だった。

 青色の軽装に包まれた細身の体。

 鎧から伸びるしなやかな肢体は、思わず目が惹かれるほど美しい。

 繊細な体のパーツの中で自己主張する胸を抑え込む、銀の胸当てと、同じ色の手甲、サーベル。地に向けられた剣先からは血が滴り落ちている。

 女性からしても華奢な体の上には、女神さまにも劣らないほど整った、幼さの残る顔。

 腰まで真っすぐ伸びる髪と、こちらを見つめる瞳は、いかなる黄金財宝にも負けない程の、輝かしい金の色。

 

 ――青い装備に身を包んだ、金髪金眼の女剣士。

 Lv1で駆け出しの冒険者である僕でも、目の前の人物が誰だか分かってしまった。

 都市最強の一角と名高き、【ロキ・ファミリア】に所属する第一級冒険者。

 オラリオの女性の中でも最強と謳われる、英雄の領域に手をかけたLv5。

 【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン。

 

「あの……大丈夫、ですか?」

「…………はい。助けて下さって……ありがとうございます」

 

 ――違う。

 

 大丈夫じゃない。

 全然大丈夫なんかじゃない。

 響き渡る声、怪物の恐ろしい咆哮、間一髪で飛び込み冴え渡る剣の技。

 怪物は倒れ、残るのは間抜けに立ち尽くす僕と、麗しき女剣士。

 まるで物語の英雄が目の前に現れたようなこの状況に、僕の全身がカッと燃える様に熱くなる。

 

 今にも剣をこの胸に突き立ててしまいたい衝動に駆られるほどの激情が、大丈夫なわけがない。

 この感情の名前は、きっと『羞恥』。

 こんな綺麗で、格好の良い人に、僕は命を救われたのか。

 そんな人に、僕は死にかけている所を見られてしまったのか。

 

 死にたくなるほどの恥ずかしさに、僕は音がなるほど歯を食いしばり、拳を握る。

 

「――おい」

 

 突然聞こえてきたのは、目の前の女性とは違う、低い男の人の声。

 音の方向に顔を向ければ、獣人の青年が僕を睨んでいた。

 美形っぽい顔立ちでありながら、しっかりと男らしくて、同性の僕から見てもすごく格好良い。

 

 そんな青年が、返り血に塗れた僕の胸倉を掴み上げた。

 

「雑魚が調子に乗ってるんじゃねえぞ」

 

 その言葉が、僕の心臓を跳ねさせた。

 

「追いつめられねぇと牙を剥けねぇなら、最初から戦うんじゃねえ」

 

「鳴いて逃げるしかできねぇなら、最初からダンジョンに潜るんじゃねえ」

 

「俺達は冒険者だ。クソモンスター共をぶっ殺すのが俺達だ」

 

「尻尾巻いて逃げていいのは、目の前のクソを殺す方法を考える時だけだ」

 

「そんなことも分からねえなら、冒険者なんてやめちまえ!」

 

 

 僕はその言葉に、何も言い返すことが出来なかった。

 その通りだと、思ってしまった。

 アイズさんの隣に立つこの人も、きっとLv5の冒険者。

 位階を昇華させた上級冒険者の中でも一握りの、更に上に位置する選ばれた人達、その一人にこの人も入っているのだろう。

 そんな『選ばれた者』の言葉が、僕の胸の奥底に深々と突き刺さる。

 

「……ベートさん、そんな言い方」

「――チッ! アイズ、行くぞ!」

「あ……その、ごめんなさい」

 

 アイズさんの言葉に舌打ちをして、青年は僕を掴んでいた手を離した。

 突然解放された僕は、地面に尻餅をついてしまう。

 無様に臀部を床に落とした僕を見向きもせずに、青年は背中を向けて去って行く。

 アイズさんは僕と青年を交互に見た後、申し訳なさそうに謝り、青年の後を追っていった。

 

 

 残されたのはバラバラになったモンスターと、その血だまりに座り込む僕。

 死にたくなるくらい恥ずかしくて、泣きたくなるくらい悔しくて、そんな行き場のない感情に、堪らず僕は岩の地面を殴りつけた。

 岩に(ヒビ)一つ入れられない貧弱な拳が、扱いに抗議するように痛みを訴える。

 

 ――僕は、弱い。

 

 

「ちくしょう……」

 

 

 不意に漏れた小さなつぶやきが、鉄臭いダンジョンの空気に溶けて消えた。

 

 



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第一章 愛より与えられし剣
白兎は『おう』を仰ぐ 1


 あの日、僕は『運命の出会い』をした。

 

 

 冒険者になる為に、期待に胸を膨らませてオラリオに来た僕は、田舎者丸出しの雰囲気と弱そうな見た目も相まって、いくつものファミリアの入団を断られ続けた。

 とうとう家から持ってきたお金が底を尽き、宿に泊まることもできなくなった僕は、賑やかな通りに居る事が辛くなり、逃げる様に裏通りに足を向けた。

 オラリオに来る前していた予定では、とっくに僕は冒険者になって、モンスターをバッサバッサと切り伏せていたのに、現実ではこの様だ。

 この活気に満ちた大きな都市の中で、自分が矮小で惨めな存在だと感じてしまった僕は、細い道の隅で独り。冷たい地面にお尻を着け、立てた膝の間に顔を伏せてふさぎ込んでいた。

 

 そんな無様な僕に声がかけられた。

 

「おいカヌゥ、こんなところにガキがいやがるぜ」

「お? どうした、迷子か?」

 

 その声に顔を上げれば、数人の男の人が僕を見下ろしていた。

 腰に武器を吊り下げている所を見ると、この人たちは冒険者なのだろう。

 男の一人の、獣人の中年が僕に向けてきた質問に、僕は頭を横に振った。

 僕はその人達に、オラリオに来てからの事情を話した。

 あわよくば、この人達の同情を買ってファミリアに入れて貰えないかという打算も少しあった。

 でもそれ以上に、ファミリアの入団を断られ続け疲弊した僕の心には、こうして誰かに声を掛けて貰えたという事が、春の陽光の様に温かく染み入り、気が緩んでしまったのだ。

 

「そうか、それは大変だったなぁ。可哀そうに」

「田舎から出てきたばかりで、知り合いもいないのかぁ」

「まだ年も若くて、よく見れば中々の面してるじゃないか」

 

 僕の話を聞き終えた男の人達は、そう言って僕を慰めてくれた。

 話している時も、時折頷いてくれたり、信じられないとばかりに顔を突き合わせていた彼らの対応が、僕にはどうしようもなく嬉しくて、途中から目が潤んでしまい、彼らの姿がにじんで良く見えなくなっていた。

 ――だから、僕を見る彼らが浮かべる表情に、気付けなかった。

 

「安心しろ。これから俺達がお前をいい所に連れて行ってやるよ」

「え……?」

「なーに心配するな。そこに居れば寝ているだけで毎日飯が貰えるし、お前ならすぐに人気者になれる場所さ」

「そ、そんな場所が?」

 

 信じられないほど都合のいい話に、僕は呆然としてしまった。

 僕が住んでいた村では、大人も子供も、年中働かなくてはご飯を食べることが出来なかった。

 それなのに、彼らの言う場所は働かなくともご飯が食べられるという。

 『捨てる神あれば、拾う神あり』とは、極東のことわざだったか。

 この時の僕には、彼らが神様にも思えていた。

 

 

 それがとんだ勘違いである事に気付かされたのは、カヌゥと呼ばれた獣人の言葉だった。

 

 

「ああ、そこは『歓楽街』って場所さ。田舎者のお前でも意味くらいは知っているよな?」

「へ? 歓楽街って……え、それはどういう意味ですか?」

 

 流石の僕でも、『歓楽街』という単語がどういう場所を指すのかくらい知っている。

 分からなかったのは、分かりたくなかったのは、目の前の人達がこれから僕をそこに連れて行くという事。

 嫌な予感が一気に膨れ上がり、さっきまで僕の話を親身になって聞いてくれていた彼らが、突然凶悪なモンスターに豹変したかのような錯覚に、僕は襲い掛かられた。

 水気が一気に引っ込んだ瞳を彼らに向ければ、下卑た笑みで僕を見下している男たちの顔が、やけに鮮明になって見えた。

 

 ――逃げなきゃ。

 男達の顔をみて反射的にそう思った僕は、とっさに走り出そうとして――その前に押さえつけられた。

 

「おっと、逃がさねえよ。お前にとっても悪い話じゃないだろう?」

「こんな路地裏と違って屋根もあるし、なにより女を抱けるんだぜ? 役得じゃねーか」

「俺達はお前を売った金を貰えて幸せ。お前は女を抱けて幸せ。ほら、だーれも損をしない、素晴らしい案だと思わないか?」

「まあ相手は選べねえがな。最初の客はカエルみたいな面した大女かもな。ギャハハハッ」

「おいそのたとえはマジでやめろ」

「あっ、その…………すまん」

「……いや、いい。勘違いされただけで最後までいかなかったからな。……美形に生まれなくて良かったと思ったのは、あの時が初めてだったぜ」

「お、おう」

 

 男の人達が話している間も、身をよじってもがいていたけれど、信じられないくらいの力で押さえつけられていて、逃れることが出来なかった。

 本で読んだ、神の恩恵。背中に刻まれるそれは、与えられた瞬間から人並み外れた身体能力を持つことが出来るという。そして、それをもってモンスターと闘う者達を『冒険者』と呼ぶのだ。

 そんな冒険者の腕力に、ただの村人の僕が敵うはずもなく、あっという間に男の一人が懐から出した包帯で両手足を拘束されてしまった。

 諦め悪くもがく僕を嗤う男たちの声が頭の奥に響く。

 

 

 物語に出てくる悪役で、世の中には悪い人たちもいるのだと、知ってはいた。

 しかし実際に自分がその被害に遭うことなど、考えたこともなかった。

 物語では悪役は、主人公である英雄を引き立てるための登場人物で、最後には決まって正義に討たれて倒される。

 しかし、現実ではどうだ。

 狭く暗い路地裏。助けを呼ぶ声は壁に反響して遠くまで届かず、前後を挟まれ逃げ道は塞がれ、既に手足の自由は奪われた。

 後に待つのは、輝かしい希望を砕いて呑み込む、終わりのない絶望へと続く道。

 物語の様に、困っている人を英雄が助けてくれる、そんな都合のいい展開は現実では起こらない。

 

 そんな当然の事も知らなかった僕は、冷たい現実に打ちのめされて目の前が真っ暗になった。

 今にも涙腺が決壊してしまいそうな僕を見て、哄笑を上げる男達に、その一声は投げられた。

 

 

「そこまでにしておけ」

 

 

 なんてことのない、そのただの一言に、もがいていた僕も、大声で嗤う男達も動きを止めていた。

 狭く暗い路地裏。先程まで影も形もなかった場所で、彼は一人、立っていた。

 薄手の服の上からでも分かる、筋肉の鎧に覆われた巨躯。二M(メドル)を超える身の丈。

 背には巨大な鉄塊と見紛う大剣を背負い、しかし重さなど感じていないかのような悠々とした立ち姿。

 錆色の短髪から生える獣の耳は獣人、獰猛(どうもう)と知られる猪人(ボアズ)の証であった。

 

「あ、ああんっ!? 何の用だテメェッ、邪魔すんじゃねえよ!」

「おい止めろよカヌゥ、マジでヤバいって!」

「コイツもしかしてオッタルなんじゃねえの!?」

 

 気圧(けお)された自分を隠すように大声を散らすカヌゥを、周りの男達が慌てて押さえつける。

 男の一人が発した『オッタル』という単語を耳にした途端、畏怖と不審をない混ぜにした表情を浮かべたカヌゥは、口角泡を飛ばしながらその言葉を否定した。

 

「何を言っていやがるっ、こんな所にそんな奴が来るわけがねぇだろうがっ!」

「で、でもよぉ――」

 

「――俺が誰であろうとも、貴様らには関わりのないことだ」

 

 男の発言を遮り発された声は、低く、重く――腹の底に響くような厳めしい音をしていた。

 その場に居る者全てを黙らせる覇気が、ただの声にすらにじみ出ているかのよう。

 

「貴様らが何をしようと本来俺の知ったことではない。しかし、貴様らが不義を成そうとしているソレは、我が神が所望せしもの。貴様らが触れて良いものではない」

 

 そう言ってその人は、腕を横に伸ばし、路地の壁に手をついた。

 

「今この場を離れるのならそれで良し。そうでないのなら――」

 

 瞬間、触れた手を起点として、巨大な蜘蛛の巣状に広がる罅が、壁に刻まれた。

 

 

「「「ヒッ、ヒィィィー―――――ッ!!」」」

 

 次にこうなるのはお前達だ。というかのような眼差しに、一瞬で顔を青ざめた男たちは、悲鳴を上げて走り去って行った。

 手足を縛られたまま置き去りにされた僕は地面に転がったまま、その人を仰ぎ見る。

 

 鋼鉄で編み込まれた様な盛り上がった硬い筋肉。背中に鉄芯が埋め込まれているのではと思わせる直立不動の自信に満ちた立ち姿。厳格そうに引き締められた表情。

 その全てが『武人』という言葉を僕に想起させる。

 男達の去った方向をしばらく見つめていた彼は、その鋭い目線を僕に向けた。

 

大事(だいじ)はないか、小僧」

 

 大事はないか、だって?

 そんなはずがない。

 

 今にもこの僕の心臓が、爆発して砕け散ってしまいそうな状況が、大事がない訳がない。

『困っている人を英雄が助けてくれる、そんな都合のいい展開は現実では起こらない?』

 馬鹿を言うな。この現状が英雄の登場でなくて何と言うのだ。

 物語の英雄は、現実に存在していた。

 

 ――目の前の彼こそが、僕の英雄。

 

 

 誰よりも、何よりも輝かしい、僕の憧憬(しょうけい)だ。

 

 

 



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白兎は『おう』を仰ぐ 2

タグにある『オタ×ベル』は作者が自分で使っている当作品の略称です。期待させてしまったのなら、申し訳ありません。そのような展開は予定していません。
これからも『オタ×ベル』をどうかよろしくお願いします。

o^)┐


 あれから僕は、オッタルさんと共に大通りにある喫茶店。その二階に身を移していた。

 

 僕を縛っていた何重にも巻かれた包帯を、オッタルさんはなんてことないように素手で引きちぎり、「ついて来い」とだけ言うと、その後は一言も喋らずに僕をこの喫茶店まで先導した。

 店内は木目調で温かい雰囲気を感じさせる内装で、しかしそれなりに高級指向なのか、所々に上品な飾りや、綺麗な絵が掛けられている。

 そんな店に用意された席の一つ。階下の通りを一望できる窓際に置かれたテーブルの椅子に、彼女は座っていた。

 その顔を、いやその白皙の肌を極力人目に曝さないよう、長い紺色のローブを羽織っている。

 が、そんな布一枚では彼女の『美』を抑え込むのは到底出来やしないだろう。

 証拠に、フードを深く被り顔を隠しているにも係わらず、店内の視線という視線が彼女の下に集まっていた。

 僕も類に漏れず、二階に上がった時からその視線を注いでいる内の一人に入っていた。

 

「お待たせしてしまい、申し訳ありません。フレイヤ様」

 

 そんな僕を置いて、オッタルさんは迷うことなくその視線の下へ歩み寄り、(ひざまず)く。

 店の外の通りに視線を落としていた女性が、その声に顔を上げ――こちらに振り向いた。

 

 瞬間、店中の息を呑む音が重なった。

 フードで覆われた横顔ですらその場にいる者を魅了していた彼女が、その貌を正面に向けた為だ。

 銀色の双眸。雪を想わせるきめ細やかな白い肌。スラリととおった鼻筋に、ふっくらとした桃色の唇。

 思わずゾッとするくらい美しい、その美貌を向けられた僕は心臓が痛くなる程鼓動を打つのが分かった。

 

 ――このヒトは、きっと神様だ。

 フレイヤ様――そう呼ばれた彼女の持つ、人を超越した美しさに僕は、誰に聞かずとも理解した。

 そんな『神』が僕を“視て”、艶然とした笑みを浮かべると、その口を開いた。

 

 

「貴方の名を教えてくれないかしら?」

 

 

 紡がれた高く澄み渡るその声に、僕の鼓動が際限なしに速まっていく。

 

「……あ、ああのえっと、――ぼっぼくのなま、えは……その……」

 

 過去最高の緊張で、急激に乾いた口が(もつ)れて上手く話せない。

 自分が何を喋っているかも分からなくて、もう頭が真っ白になってしまっていた。

 混乱して右往左往する兎のような僕の様子に、『神』はクスリと笑みをこぼす。

 

「そんなに緊張しなくてもいいのよ? 落ち着いて、まずは深呼吸をしてみたらどうかしら」

 

 いっぱいいっぱいになっていた僕は、その言葉に飛びついた。

 スーハー、スーハーと息をして、ぐちゃぐちゃになっていた思考が少しだけ平常を取り戻す。

 

「ぼ、僕の名前はベル・クラネルです。女神様」

「そう、ベル。……貴方、私の眷属(ファミリア)にならない?」

「えっ」

 

 礼を欠かない様――既に盛大な醜態を晒したけど――目の前の女性をまっすぐに見て、名を名乗る。

 僕の名乗りに頷きを返した彼女は次いで、僕にそう言った。

 見ているだけで全身が震えそうになる美しさに耐えていた僕は、その言葉に目を丸くする。

 

 このヒトは今なんて言った?

 眷属にならないかと言ったのか、……この僕に?

 

 目の前にいる存在は『神』。地上から遥か高き天界から降臨せし超越存在(デウスデア)

 

 

 ――遠い昔。『神様達』は僕たちの暮らすこの地、下界に降り立った。

 その際、神様達は自身が持つ多くの権能、『神の力(アルカナム)』を使用しないという制限を自らに掛け、完璧であるその身を、不完全な僕たちと変わらない状態に限りなく近づけたそうだ。

 しかしいくら神様といえど、僕たちと同じように生きていくには衣食住は勿論、お金が必要になってくる。

 そこで、神様は僕たち下界の者の力を借りることにしたのだ。

 『神の眷属(ファミリア)』に加わることで、下界の者は『恩恵(ファルナ)』を得る。

 『恩恵』を得た者は、どんな人でも下等なモンスターなら撃退することが可能になり、与えられた力を磨いていけば、常人では想像もつかない様な力を持つことすら出来る。

 つまり、神様は僕たちに『恩恵』を。そして僕たちは、それを授けて下さった神様に、下界で暮らしていく糧を献上することで、双方に利がある関係を築き上げていったのだ。

 

 

 そして今、僕はそんな神様の一人に「眷属にならないか」と誘われている。

 その上誘っているのは、あのすごく強いオッタルさんが跪くほどのお方だ。

 きっと僕なんかよりも、もっと優れた人たちが既に眷属に居るだろうに、それでもお声を掛けてくれているのだ。

 嬉しかった。

 この上ないほどに栄誉あるお言葉だ。

 これまで幾度となく、他のファミリアに断られ続けた僕にとっては、遮二無二に飛びつきたいほど美味しい話に他ならない。

 

 けれども、僕は直ぐに首を縦に振らなかった。

 一つだけ、そう一つだけ。どうしても聞いておきたい事があったからだ。

 

「あ、あの……その前に、ですけれど……そこにいる人は、その」

「オッタルの事? 私の眷属の一人よ。ファミリアの団長をしてもらっているわ――」

「入ります」

「――……え?」

「僕を貴女のファミリアに入れて下さい女神様っ!!」

 

 その言葉を聞いた瞬間、僕は腰を直角すら通り越すほどに曲げて彼女に頭を下げ、心の底からファミリアの加入を()うた。

 

「え……ええ、よ、よろしく、ね……?」

 

 なんだか戸惑っている雰囲気が頭の裏から感じるけど、そんな事気にもならなかった。

 

(――オッタルさんと同じファミリアに入れるっっ……!!)

 

 この時の僕の頭には、それだけしか浮かんでいなかった。

 

 

 

 こうして(ベル・クラネル)は、女神(フレイヤ)様の眷属(ファミリア)になった。

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 見上げれば、吸い込まれそうなほどの青空。

 活気に満ちたオラリオの、南方に位置する繁華街の一角に、ソレはあった。

 

 広大な敷地の四方の全てが壁で覆われた、【フレイヤ・ファミリア】の本拠(ホーム)である。

 

「お、大きい……」

 

 見上げなくては天辺が見えないほど高い壁。

 蒼穹に境界を引くような壁が視界一面を支配するその光景に、僕はただただ飲み込まれていた。

 そんな巨大な壁にふさわしい、これまた大きな門をくぐると、そこには白や黄色の小さな花が揺れる、美しい原野が広がっていた。

 外界を壁で仕切られた原野の中央はなだらかな丘になっていて、その上には『神殿』、あるいは『宮殿』と呼ぶべき巨大な屋敷が立っている。

 門から眺める光景は、都市の中にあって周囲と切り離された空間という事もあり、まるで一枚の絵画の様でさえある。

 

 そんな場所で、ヒューマン、エルフ、獣人と言った多種多様の人種が入れ混じり、雄叫びと鮮血を飛ばしながら激しい剣戟を繰り広げていた。

 斬られ、斬りつけ、血を吐きながら闘争を続ける彼らは、まるで互いに殺し合っているのではと思わせられる。

 僕はこの時点でちょっと、いや大分腰が引けてしまっていた。

 しかしそんな過激すぎる訓練(?)が続いたのは、彼女が門をくぐる前までであった。

 

 フレイヤ様がその美しい原野に一歩、足を踏み入れた瞬間。それまで怒号を上げて武器を振るっていた彼らは、一糸乱れぬ動作でその場に膝をついた。

 

『『お帰りなさいませ、フレイヤ様っ!!!』』

「ええ。みんな、頑張っていて偉いわね」

『『勿体無きお言葉にございますっ!!!』』

 

 先程まで相手を殺さんとばかりに争い合っていた人たちが、異口同音に声を(そろ)える状況に、僕は目を白黒とさせる。

 

「そうそう、今日から貴方達と同じ、私の眷属になる子を紹介するわ。――ベル」

「……へっ? あっ、ハイッ! ベル・クラネルですっ、冒険者になりたくて村から来ましたっ、よ、よろしくお願いします!」

 

『『――……チィ――ッ!!!』』

 

 話を振られ、慌てて挨拶をした直後。

 なんだか揃って盛大に舌打ちする音が、聞こえた気がシタ。

 

 移動を再開したフレイヤ様達の後を追って、丘の上の屋敷に向かうと、両開きの扉が閉まる寸前に、それまで以上の怒号が僕の耳に届いた。

 扉が閉まり、外の音が遮断された後も、僕は扉に顔を向けていると、後ろから声を掛けられた。

 

「こちらにいらっしゃい。ベル」

 

 その声に振り返り、謝罪の意味を込めて頭を下げた後、僕はフレイヤ様の後ろを追う。

 しばらく屋敷の中を進み、扉の前で足を止めたオッタルさんをその場に置いて、一室に入るフレイヤ様の背に続く。

 その部屋では、最低限の調度品――それでもその一つ一つに見たことないくらい豪華な装飾がされている――が部屋の隅に追いやられ、その代わりに天幕に覆われた巨大な寝台(ベッド)が一室を丸々埋めていた。

 

「なっ――えっ……えええっ!?」

 

 綺麗なお姉さんと二人きり。それも寝台のある部屋で。

 

 年頃のたくましい妄想力が、僕の顔を急速に紅潮させる。

 そんな僕を視て女神様はクスクスと笑い声を上げて、寝台に上がっていった。

 

「ほら、もっと近くに来て?」

「は、はいぃっ」

 

 これはなにかの間違いか、もしやこれまでの全てが夢だったんじゃないのか。そう不安になりながらも天幕をくぐると――服を着たままの女神様が寝台の中央で、シミ一つ見えない綺麗な足を崩して座っていた。

 

「さあ……服を脱いで、ベル」

「……っ!」

 

 嗚呼、天界のおじいちゃん。僕は今日、大人の階段を昇ります……っ!!

 腰帯(ベルト)に手を掛けかけたその時――続いた言葉に動きを止めた。

 

「私達の『恩恵(ファルナ)』は背中に刻むものだから、上着を着られたままだと与えることが出来ないの」

 

 

 …………………………あ、やっぱりそうだよね。

 

 うん、知ってた。期待なんかしてなかった。

 もしかしたら『そういう事』になるんじゃないかな。なんて――

 コレッポッチモオモッテナカッタ。

 

「…………」

「ふふっ、どうしたの? 耳が真っ赤よ」

 

 静かに上着を脱いで、畳み終えた後。女神様に言われるままに寝台に乗ってうつ伏せになる。

 体が沈み込むほど柔らかい敷布団を小さく弾ませながら、近寄ってきた女神様は僕の背中に指を触れさせた。

 

「それじゃあ、貴方を私の眷属(モノ)にするわ」

 

 そして僕は数分の後、正式にフレイヤ・ファミリアの構成員(メンバー)の一人になった。

 

 

 

 * * * *

 

 

「ありがとうございました! 失礼します!」

 

 そう言って新たな眷属は部屋の外へと姿を消した。

 まだ誰の手も付けられていない、純白の無垢な魂。

 それを手に入れ――自身を刻み込めたのはただただ喜ばしいことだ。

 【ステータス】を刻む前に少しからかってみれば、その魂同様、おかしくなってしまうほど初心(うぶ)な反応も見せてくれた。

 あの様子を見るに、『あちらの方』もまだ経験がないのだろう。フレイヤは(たの)しみがまた一つ増えた気分になった。

 

「ふふ……本当に綺麗だった」

 

 その透き通った透明な色は、間近で見ても――いや、近くで見れば見るほど美しく、どこまでも純粋であった。

 あれほど素晴らしい魂は、永遠不滅のフレイヤをして、見たことがない。

 

「それよりも……」

 

 そう、今はなによりも、彼の【スキル】。

 

 その者の積み重ねた【経験値(エクセリア)】によって、【スキル】――一定条件下の特殊効果や作用をもたらす能力――が発現する事自体はそう珍しいものではない。しかし、『恩恵』の授与と同時に発現することは滅多にない。それが、ベルの背に刻まれたのだ。

 

 

憧憬一途(リアリス・フレーゼ)

・早熟する。

憧憬(おもい)が続く限り効果継続。

憧憬(おもい)の丈により効果向上。

 

 

 すでにベルの魂に深く刻み込まれていた【経験値(エクセリア)】を取り出し、刻んだその【スキル】は、前代未聞の『成長補正』。

 (まが)うことなく『超希少能力(スーパーレア)』だ。

 フレイヤは己の洞察眼()が間違っていなかったことを再確認しながら、自らの美しい銀の髪を、くるくると指で巻き始めた。

 この希少な【スキル】がなぜ発現したかを、フレイヤは考えるまでもなく察した為である。

 

「…………むぅ」

 

 

 

 そして、今日から三日間。オッタルはフレイヤの側付きから外されることになった。

 

 



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白兎は『おう』を仰ぐ 3

 女神様に【ステイタス】を刻んでもらったその足で、僕は巨大な迷宮都市を管理する機関、『ギルド』の本部へと向かった。

 そこの受付に座る、綺麗な女性の前へと身を乗り出し、冒険者に希望する旨を伝えると、女性は僕に登録用紙を差し出した。

 必要事項を記入し終えて提出すると、事務手続きの為、また明日来て欲しいと言われた。

 すぐに了承した僕は、大きな声で感謝を述べた後、取って返すようにファミリアの本拠に引き返す。

 

 

「とっ、登録してきましたっ! オッタルさん!」

「……そうか」

 

 ファミリアに入ったばかりの新人は、ある程度の技量が身に付くまで、先達に教えを受けるらしい。

 幸運なことに、僕は今日から三日間、この人に冒険のいろはを教えて貰えることになった。

 

「今からお前の獲物を選ぶ……ついてこい」

 

 そういって移動を始めたオッタルさんの背を追えば、武器がそこかしこに転がる倉庫のような部屋に着いた。

 

「使いたい武器の要望はあるか」

「え、えっと……た、大剣がいいです」

 

 理由は勿論、オッタルさんが背負っていたから。それに、物語の英雄の多くも、大剣でもって恐ろしいモンスターと対峙していたから、前から憧れていたのだ。

 しかし、オッタルさんはそう言った僕の体を一瞥し――希望した大剣の代わりに一本の直剣を差し出した。

 

「お前の体では大剣は扱いきれまい。体が出来上がるまではこれで剣の味を覚えると良いだろう。粗い作りだが、バランスの取れたいいモノだ」

 

 渡された剣を受け取ると、ずっしりとした重さが持った手に伝わってくる。

 60C(セルチ)程の刃渡りのソレは、細かい傷はいくつかあるものの、へこみや刃毀(はこぼ)れのない、無骨な鉄の剣だ。

 僕の武器が決まり、武器庫から出ていくオッタルさんに慌ててついていくと、来た時と変わらず闘争を繰り広げられている原野――の端っこに移動した後、オッタルさんが僕に言う。

 

「振ってみろ」

「え」

 

 その一言を言ったきり、何も喋らなくなってしまったオッタルさんに、僕はうろたえる。

 しかし、どれだけ時間が過ぎても、オッタルさんは無言を貫き、やがて居た堪れなくなった僕は、手にした剣を振り上げ、上段から振り下ろした。

 

「やあっ」

「…………」

「え、えっと……え、えいっ! はぁっ! とぁーっ!」

 

 言われた通り剣を振った後も、何も言わないオッタルさんの前で、僕は戸惑いながらも続けて下段切り、横薙ぎ、突きを繰りだした。

 先日まで暮らしていた村で畑仕事の傍らに、鍬を剣に見立てて振るい続けて五年以上経つ僕の剣筋は――自分で言うのも何だが――結構錬磨されているのではなかろうか。

 

 そんな僕の剣舞が一通り終わった後、オッタルさんは僕の剣をいきなり奪い取った。

 

 

「……見ていろ」

 

 それから始まったのは、本物の『剣の舞』。

 先程までの僕のお遊びのそれとは比べ物にならない程、磨き上げられた剣の技術。

 極限まで無駄を削ぎ落し、『斬り』、『貫く』事だけを追求した動作は、見惚れてしまうくらい美しい。

 その場で一歩も動くことはなく、言ってしまえばただの素振り。それが今まで見てきた何よりも、僕の心を鷲掴みにした。

 時間にしてみれば、三分もなかっただろう。

 鋭く、しかしゆっくりとした剣を振る動作()が終わり、オッタルさんは動きを止めた。

 

「剣を振るう時は、今の動きを元にするといいだろう。次だ、ついてこい」

 

 オッタルさんは呆然としている僕に剣を返すと、直ぐにどこかへ向かおうとする。

 離れていくオッタルさんの背中に、ハッと意識を取り戻すと、慌ててその背を追った。

 場所は再び屋敷に戻り辿り着いたのは、屋敷の規模からしたら小さな、しかし僕にとっては広すぎる一室。

 

「ここがお前の部屋だ。自由に使え」

「……へ? ぼ、僕の部屋、ですか?」

「そうだ。フレイヤ様は団員一人一人に自室をお与えになられる」

 

 ……僕の部屋。僕の自由にしていい、僕だけの部屋。

 村でおじいちゃんと暮らしていた家にも、自分の部屋はあった。

 しかし、壁は薄く音は筒抜けで、最低限の家具を置くのが精いっぱいな大きさしかなかった。

 今僕が居るこの部屋は、隣接する部屋同士の壁が分厚く、何よりも広い。

 下手をすれば、昨日まで泊まっていた宿の部屋――寝具くらいしかない、小さな部屋。それでも僕には十分だった――の倍以上あるんじゃなかろうか。

 感動に身を震わせている僕に声が掛けられる。

 

「明日はダンジョンに潜り、一通りの戦闘をこなしてもらう。それまでは好きに過ごせ」

「はいっ、ありがとうございました!」

 

 オッタルさんが部屋から出ていき、僕はその背中に向けて頭を下げた。

 部屋の中で一人になった僕は、これから待つ日々に思いを()せた。

 

「……あ、そういえば、この剣の鞘貰ってないや。どうしよう……」

 

 こうして、僕が女神様の眷属になった最初の日が終わった。

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 ――ベタッベタッと音を鳴らしながら、醜悪なモンスターが近づいてくる。

 緑色の体。突き出した腹回りに対して、不自然なほど細い手足。

 黄ばんだ乱杭歯の並ぶ口からは、粘り気を帯びた涎を垂れ流し、周囲に獣臭さをまき散らしている。

 指の先から伸びる、長く鋭い爪を振りかざして、僕に襲いかかってくるそのモンスターの名は、『ゴブリン』。

 子供の頃、僕を多数で囲んでボコボコにした奴らと同じ、恐ろしい奴だ。

 

 

 ここはダンジョン一階層。

 朝が明けて、倉庫から引っ張り出だしてきた鞘と剣帯に直剣を収め、ギルドへ直行。

 気のせいか表情を強張らせた受付の女性から渡される、新人冒険者に支給される初期装備を身に付ければ、さあ出陣。

 ホームからずっと、後ろを少し離れた距離を維持しているオッタルさんと共に、僕はついにダンジョンに足を踏み入れた。

 そして初ダンジョンでの高揚感に身を震わせるド新人を洗礼するように、五百M(メドル)も進んでいないところで、僕の初陣が始まろうとしていた。

 ダンジョンに潜る前にオッタルさんから出された指示は、ただ『戦え』の一言だけ。

 

 通路の先から聞こえるその音に、慌てて鞘から剣を抜こうとするも、手がもたついてすぐに抜くことが出来ず、やっと剣身が全て露わになった頃には、モンスターの全身が確認できる距離まで近づかれてしまっていた。

 

「ゴブルァアアアアッ!」

 

 恩恵を与えられたことで、薄暗いダンジョンでも強化された視力が鮮明に映し出すそいつは、ゴブリンと呼ばれる雑魚モンスターの代表格。

 古代と呼ばれる遥か昔、地上に進出してきたコイツ等は、このオラリオから遠く離れた世界各地に散見されている。

 農作物を荒らし、家畜を襲う厄介なモンスターで、繁殖力が強く、とにかく数が多いのが特徴だが、その分個体の力は弱い。

 弱いと言ってもモンスターと呼ばれるだけあって、時には訓練を積んだ兵士ですら、ゴブリンに殺されることもある。

 毎年少なくない数の人命が、このモンスターによって失われている。

 

 そんなゴブリンが、僕を殺そうと鋭利な爪の先端を向けている。

 突然の遭遇に身を固くする僕は、手に持った直剣の柄を強く握り締め――「アレ?」と首を傾げる。

 

 

 遅いのだ。

 

 これでもかと言うくらい、ゴブリンの移動する速度が遅すぎる。

 彼我の距離が十Mを切った目の前のゴブリンは、その速さも、大きさも、首を傾げるほど記憶の中のゴブリンに劣っていた。

 違和感と緊張感に見舞われながらも、僕は直剣を振り上げ――目蓋に焼き付いたオッタルさんの動きをなぞりながら――踏み込みと共に振り下ろす。

 

「ふっ!」

「ゴブァッ!」

 

 上から落とされた鉄の塊に頭蓋をカチ割られ、ゴブリンは倒れた。

 数度痙攣したゴブリンは動きを止め、ひしゃげた頭部から脳漿と血を溢し、周囲に鉄の臭いが漂よった。

 

 ……やった、のか?

 振り下ろした態勢のまま固まる事しばし。

 ゴブリンが動き出さないことを確認した僕は、やがて湧き上がる喜びと共に顔を緩めた。

 

「……や、やったぁーっ! オッタルさん、見ましたか!? 僕、ゴブリンを倒しました! 初めてモンスターを倒しましたよ!」

 

 拳を握り、その場で振り上げる。

 初めてモンスターを倒した達成感と、因縁の相手に打ち勝てた喜びがあふれて止まらない僕は、盛り上がる感情のままにその成果をオッタルさんに報告する。

 

「そうか。ではその胸から魔石を取りだせ」

 

 それに対してオッタルさんの反応がそれだった。

 

 その言葉で、湯だった頭に冷水をかけられたような気分になった僕は、直剣とは別にギルドで貰ったナイフを手に取り、倒れているゴブリンの胸に突き刺した。

 ぐりぐりとナイフでかき回し、小指の爪程の紫紺の欠片をほじくり出した。

 それから直ぐにゴブリンの体はその輪郭を失い、灰となって崩れ落ちる。

 これがモンスターの最期。僕たちとは在り方が根本から違う証明だ。

 

 ダンジョンに潜る前にギルドで受けた講習で聞いた、モンスターからとれる資源、それが『魔石』。

 冒険者は、これを売ることで利益を得る。そうして稼いだお金で装備を整え、ダンジョンの奥に潜り、さらに多くの魔石を採取していくのだ。

 

「と、取りました」

「ああ、それでは次だ。先に進むぞ」

「え……」

 

 オッタルさんはその言葉に意外そうにしている僕に目を向ける。

 

「お前がオラリオに来る前に何を経験したかは知らん。興味もない。しかし、今のお前はフレイヤ様の眷属となった身。ならばフレイヤ様の名を汚すような振る舞いは止めろ。ゴブリンを倒した程度で喜ぶな」

「は、はい……」

 

 お、怒られてしまった。

 確かに、客観的に見たさっきの僕は少しはしゃぎ過ぎていたかもしれない。

 反省と恥ずかしさに肩を縮めていると、先程と同じような足音が曲がり角の向こうから響いてきた。

 

「先程大声を上げていたからだろう。追加が来たようだ」

 

 オッタルさんの言葉で、ダンジョンではそういう事にも気を付けないといけないのかと知る。

 近づいてくる音に気を引き締め直し、採取した魔石とナイフをしまい、直剣を構えた。

 

 先程恥ずかしい位に舞い上がった自分を張り倒すくらいの気持ちで、曲がり角から姿を見せた緑色をしたモンスターに向かって、僕は駆け出した。

 

 



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白兎は『おう』を仰ぐ 4

 あれから数度の戦闘を経て、ゴブリンの他にもコボルトと呼ばれる二足獣のモンスターを倒し、今はその魔石を取っている所だ。

 今も後ろに立っているオッタルさんは、最初の戦闘後からは一切口を開かずただモンスターを倒す僕を見ているだけだった。

 

「……ここらが潮時か」

 

 魔石を採取し、腰に吊った袋に入れ終えたところで、オッタルさんはそう呟いたのを聞く。

 

「え? まだいけそうなんですけど……」

 

 これまでの戦闘が全て一体ずつだったのに加え、『恩恵』のおかげか、基礎体力も強化されているようで、多少の疲労はあれどまだ余裕があった。

 だからか、その探索の切り上げを意味する言葉に、首を傾げながら反対の意を示すと、そんな僕をオッタルさんは睨んだ。

 

「ダンジョンでは常に余裕を持った行動を心掛けろ。死にたくないのならな」

「は、はい、すみません……」

「今の状態を覚えておけ。今後の目安になる」

 

 そう言って、オッタルさんは踵を返す。

 僕は先達の判断に従い、その背を追っておとなしく来た道を戻って行く。

 

 

 しばらくして、そろそろ地上に上がる階段に近づいた所で、オッタルさんは再び口を開いた。

 

「……お前は、なぜ冒険者を志(こころざ)した」

「え、えっと……」

 

 唐突に聞かれた質問の内容に、僕は口をもごつかせる。

 焦る心情を表してか、頭頂部から背中にかけて、冷汗が流れるのが分かった。

 

 ……どうしよう、バカ正直に『美少女との出会いを求めて!』とか、『ハーレムを作りたくて!』なんて、この人の前で言えるわけがないし……

英雄(あなたのよう)になりたいから』なんて言うのは、もっと言えない……っ!

 

「どうした、言えない様な理由か」

「い、いえ、そういうわけじゃないんですけど……」

 

 迷った挙句、僕は村を出る時からずっと、胸の内に沈めていた想い(モノ)をさらけ出した。

 

「…………『家族』が、欲しかったんです」

 

 その一言を口に出せば、後は勝手に口が動き出した。

 

「僕を育ててくれたおじいちゃんが、モンスターに襲われて……一人になってしまって、悲しくて。……そんな時、おじいちゃんがよく言っていた言葉を思い出したんです」

 

「『オラリオには何でもある。行きたきゃ行け』って……」

 

「神様の眷属に――【ファミリア】に入れば、そこではみんな家族みたいなものだって。絆が生まれるんだって、そう話に聞いたことがあったから、だから、僕は……」

 

 最後の方になるにつれ、オッタルさんに向かって言うのが気恥ずかしくなって、顔を俯けてしまった。

 目線を下に向けながら進んでいると、僕の言葉を聞いたオッタルさんが足を止めたのが分かった。

 つられて歩みを止めた僕に、オッタルさんの言葉が投げられる。

 

 

「……他はどうか知らんが、俺達のファミリアは、お前の想像しているようなものではない」

「え? それは、どういう……」

「俺達は皆、フレイヤ様の寵愛を争い合う(かたき)同士である、と言う事だ」

 

 それからオッタルさんが語りだした【フレイヤ・ファミリア】の内情に、僕はただ立ち尽くした。

 語られる言葉から思い出すのは、ホームの原野で絶えず行われる団員同士の闘争。

 訓練だと思っていたモノは、高位の回復薬や腕のいい治療士(ヒーラー)を備えてはいるものの、その実ほぼ『殺し合い』のそれだと言う。

 ダンジョンに潜る際は、実力の近い者同士で協力するらしいけど、一旦地上に出ればそれまで生死を共にした者でも本気で剣を向ける。

 

 

 それもこれも、全てフレイヤ様の為。

 

 ――僕の様に、行き場のない時に拾われた人。

 ――孤独の中で、手を差し伸べられた人。

 ――自分ではどうしようもない状況から、救ってもらった人。

 

 ――――『貴方が必要だ』と、言って貰えた人。

 

 そんな人達がフレイヤ様に恩を返す為に、フレイヤ様に相応しい自分になる為に、強さを求め続けるのだと言う。

 フレイヤ様の眷属としてダンジョンに潜り、このオラリオで名を上げれば、その主神であるフレイヤ様の名声も上がり、モンスターを倒すほど、金銭という形でも恩を返せる。

 そうして強くなればなる程、フレイヤ様からも自身を必要としてもらえるらしい。

 

 そして、フレイヤ・ファミリア最強の者はフレイヤ様により多くの寵愛が与えられ、敬愛する女神の隣に立つことを許される。

 団員の誰もがその隣を欲して己を鍛え、他に渡すまいとしのぎを削り合う。

 切磋琢磨という言葉では収まらない、酷烈なまでの【ファミリア】内競争。

 それが【フレイヤ・ファミリア】での構成員の関係性。

 僕が期待していた『家族(ファミリア)』とは、全く異なる派閥の形。

 

「俺達の間には、団員同士の絆など存在しない。在るとするならば、それはフレイヤ様の寵愛。そしてあの方に与えられる愛に応えるという唯一の目的が、俺達を繋いでいる」

 

 オッタルさんの言葉以外の音が遠ざかり、耳の奥でキーンと音が鳴り始める。

 そして、決定的な一言を告げられた。

 

 

「……(ゆえ)に、お前が【ファミリア】に求める物は手に入ることは無いだろう」

 

 

 その言葉に、胸がきしむような音がして。僕は顔を上げないまま、思わず胸を強く掴んだ。

 村に居た頃の、小さな家でおじいちゃんと共に過ごした温かい思い出。

 (うしな)ってしまったその温かさがもう手に入らないのだと、そう言われた気がした。

 しかし、続くオッタルさんの「だが」という言葉にそれは否定されることになる。

 

「フレイヤ様ならば、お前の求める形の『愛』も与えて下さるだろう」

 

 その一言に、僕は顔を上げる。

 いつのまにかこちらに振り返っていたオッタルさんの視線が、真っ直ぐに僕を貫いていた。

 

「強くなれ。フレイヤ様の期待に応えろ。それがあの方に『愛』されたお前の義務だ」

「……はい」

 

 オッタルさんの目を見上げながら頷きを返す僕に、オッタルさんは再び口を閉じて体を回すと、歩みを再開した。

 

 それからはオッタルさんが喋ることも、モンスターと遭遇することもなく、無事ダンジョンから出た後は、オッタルさんと別れ、ギルドで受付嬢に魔石の換金を教えて貰った。

 初めてになる自分の稼ぎで、露天のジャガ丸くんを小さな女神様から購入する。

 受け取る時に少し世間話をしたところ、その女神様はファミリアを立ち上げるために眷属を勧誘しているらしく、僕にもどうかと聞いてきた。

 既に恩恵(ファルナ)を刻んで貰っていることを告げると、残念そうに項垂れてしまい、その幼げな容姿も相まって罪悪感を覚えてしまった。

 女神様から手渡される温かいジャガ丸くんに応援の声を返し、ホームに戻る。

 顔ぶれを変えながらも、血と雄叫びが飛び続ける原野を遠回りに抜けつつ、自室に入るや否や、戦闘で被った血や埃に汚れた身を清めるのもおざなりに、寝台の上に倒れ込んだ。

 自分で思っていたよりも疲労が溜まっていたのか、直ぐに意識が睡魔に捕らわれ、深い底に引きずり込まれてしまった。

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 ……――朝日と共に意識が浮上する直前、僕は夢を見た。

 

 

 目が覚めれば、掌に掬い上げた水の様に、記憶から零れ落ちる泡沫(うたかた)のひと時。

 

 

 

 一面が穏やかな白に包まれた場所に、僕は立っている。

 目の前には、白に浮かぶようにして、そこだけ切り取られたように風景が広がり、その中で二つの人影が寄り添っていた。

 

 

 少年がいた。

 感情豊かな少年だ。

 笑い、驚き、悲しみ、喜ぶ。

 ころころと表情を変えては、頬を染め、無邪気に破顔する。

 胸の中でもたれる少年が顔を上げれば、それを膝にのせて本を広げる老翁がいて、目を輝かせる少年に笑みを浮かべながら英雄譚を読み聞かせていた。

 

 幼い僕と、今はもういないおじいちゃんとの、なんでもない日常。

 もう二度と味わう事の出来ない、温かな一時。

 目の前の光景に、どうしようもなく心が安らいで、どうしようもなく胸が詰まった。

 

『……ベル。お前は――……』

 

 おじいちゃんの言葉が終わる前に、その光景が遠ざかっていく。

 やがて視界がぼやけ、全てが白に染まる。

 

 意識が、浮上していく。

 

 

 

 

 

 目を覚ました僕は、何故か瞼に溜まっていた水の理由に首を傾げながら、指で拭った。

 窓から差し込む日の光に体を起こし、背を伸ばす。

 身支度を整え、直剣を腰に吊り下げ、扉を開ける。

 

 

 僕が冒険者になってから、三回目の朝が始まった。

 

 

 

 







































おまけ

 ~あったかもしれない、ギルド受付嬢たちの裏話~

狼人(ウェアウルフ)の受付嬢:ローズ「ありゃ早死にするね。間違いないよ」
ハーフエルフの受付嬢:エイナ「ロ、ローズさんっ」
ローズ「見込みがないってアンタもわかるでしょ、チュール? もう何年ここで働いているのよ」
エイナ「……」
ローズ「アドバイザーの要望は?」
エイナ「女性で、エルフです」
ローズ「ご希望はエルフだってさぁ! ソフィやる?」
エルフの受付嬢:ソフィ「結構です。労力の無駄は嫌なので」
エイナ「ローズさん、ソフィさんっ! そうやって決めつけるのは、どうかと思いますっ」
ローズ「ふーん、それなら賭ける? あの坊やがどれくらいもつか」
ソフィ「私は半年で」
他受付嬢「ならあたしは二か月」「半月かなー」「いや、流石に四か月はいくんじゃない?」
ローズ「参加するんなら、私のところに金貨もってきなさいよ!」
エイナ「み、みなさんっ!? 不謹慎です!!」
ローズ「とか言ってチュールもあの坊やが冒険者として食っていけるなんて思ってないんでしょう?」
エイナ「……いいですっ! それなら私が。彼の担当アドバイザーになります!」
ローズ「ちょ、ちょっと、チュール?」
ソフィ「貴方、上層部から他の案件押し付けられて、担当冒険者を持つ余裕なんてないでしょう?」
エイナ「一人くらいなら面倒を見られます! それに、ハーフといっても私もエルフですから!」

   「――私が勝ったら金輪際、こういった賭け事は止めてもらいますからね!」


ローズ「……はぁ、ったく、後悔するんじゃないよ」
エイナ「しません。そんな事にはさせません!」
ヒューマンの受付嬢:ミィシャ「ねえエイナ。ちょっと気になったんだけど、その冒険者さんはどのファミリアに入っているの?」
エイナ「え? ああ、そういえばそこは目を通してなかったかな、ええと……フ、フレイヤ……ファミリ、ア?」

全員「「「……えっ?」」」

ローズ「じょ、冗談だろ?」
エイナ「い、いえ、本当です」
ソフィ「真偽のほどは後で彼のファミリアに確認を取ればいいとして……そういえばローズ、貴方【剣姫】の際も同じ事言っていませんでしたか?」
ローズ「……言ったけど、何だよ」
ソフィ「いえ、特には。……ああ、賭け事でしたか、私は止めておきます。エルフの血に恥ずべき行いはしない主義ですので」
 「あたしも……」「うんうん、不謹慎だしねー」「ホントホント」
ローズ「き、きたねえぞお前等……くそっ、もう後に引けるかっ半年だ、半年っ! それ以内だったらお前等全員から給金一割貰うからな!」
ソフィ「でしたら、半年を越えたらローズが私達全員に奢るということで」
 
 「「「異議なし」」」

エイナ「いや、ですから賭け事は止めて下さいっ!」
ミィシャ「あわわわ……」




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白兎は高く跳ぶ 1

 サァァァ…………という音と共に据え付けられた蓮口(シャワーヘッド)からぬるい水が降り注ぐ。

 頭から被る水は全身を伝って足先まで流れ落ち、ドス黒い血に塗れた体が、元の色を取り戻していく。

 僕の全身を染めていた、モンスターの生臭い血をふんだんに含んだ水は、足元の排水溝に向かって流れ落ちていった。

 

 

 ここはダンジョン……の上にある摩天楼施設(バベル)。その一角に設けられた冒険者用のシャワールームだ。

 オラリオの街中に出る前に、ダンジョン探索での汚れを落とすために、冒険者に無料で貸し出されている公共施設の一つを、現在僕は使用していた。

 魔石用品によって生み出された水を、同じく魔石用品で温められた適温のお湯は、浴びているだけで汚れだけでなく、疲れまで流れ落ちていくほどに快適だ。

 普段なら爽快な気分になれる場所なのに、今はちっともそんな気が湧かなかった。

 

 ――フレイヤ様に拾われて、ファミリアに入団してから半月が過ぎた今日。

 オッタルさんとダンジョンに潜ったのは初めの三日間だけだったけど、その三日間が僕に冒険者としての色々な事を与えてくれた。

 三日間の全てを合わせても、オッタルさんが口を開いた回数は多くない。でもその中で探索中の助言(アドバイス)や、直すべき癖なんかを簡潔に、馬鹿な僕でも分かり易く教えてくれた。

 四日目以降からは一人で探索することになったけど、ギルドで新人冒険者に付けられるアドバイザーの助言に沿っていけば、順調にダンジョンを攻略していく事が出来ていた。

 僕には冒険者としての適性があったのか、モンスターとの戦闘を重ねるごとに体が軽くなり、それに連れて調子も右肩上がりを続けていく。

 初日からずっと、無傷でモンスターを退け続け、定石(セオリー)通りにダンジョン攻略を進め、一週間前には三階層までを探索範囲に入れるまでになっていた。

 しかし、そんな順調すぎる進み方に、それまで押さえつけていた好奇心と少し(よこしま)な期待への我慢が限界を迎えた今日、僕は四階層を飛び越えて一気に五階層までその足を伸ばした。

 

 ……その結果、五階層に居るはずのない脅威(ミノタウロス)と遭遇し、死にかけたわけだ。

 

 

 俯いた視界の先で、赤黒い水が渦を巻いて取り込まれていくのを眺め続ける。

 あれから絶えず脳裏で繰り返されるのは、金髪の剣士の姿と、獣人の男性の言葉。

 

「……っ」

 

 ギリ、と唇を噛み締める。

 

 胸中に満ちるのは悔しさと怒り。

 獣人の男性に言われた通りの自分の弱さが悔しくて、アイズ・ヴァレンシュタインに助けられた自分の弱さが、この上なく腹立たしかった。

 

 ――アイズ・ヴァレンシュタイン。【剣姫】の二つ名を持つ第一級冒険者にして【ロキ・ファミリア】幹部。

 

 絶体絶命の危機(ピンチ)颯爽(さっそう)と現れ、瞬く間に僕の命を救っていった彼女は、息を飲むほどに美しく、格好良かった。

 彼女の凛とした立ち姿と、磨き上げられた剣技は、まるで英雄譚の中から出てきたのでは、と思ってしまったくらいだ。

 もしもオッタルさんと出会ってなかったら、もしも先に彼女に出会っていたら、きっと僕は彼女に憧れを抱いただろうと確信してしまえるくらい、ミノタウロスの残骸に立つ彼女(アレ)は鮮烈な光景だった。

 

 ……だからだろうか。

 既に憧憬を抱いていたオッタルさんと同じ、英雄を体現したような人に。

 どうしようもないほどに憧れてやまない英雄(ヒト)に、死にかけていた情けない姿を見られたのが滅茶苦茶恥ずかしくて、そんな姿を見せてしまった自分が許せなかった。

 

 

 降り続けるぬるま湯に打たれる事しばらく。いい加減に蛇口を捻り、水を止めた。

 白に戻った髪から滴る水が(まぶた)を伝い、頬を通って半開きの口に流れ込んだ。

 血も埃も全部流し終えた、ただの水に塩気を感じたのは、きっと気のせいだ。

 

 

 

 * * * *

 

 

 

「エイナさん……」

「ん?」

 

 多くの冒険者がダンジョンに潜る昼下がり、受付役として暇を持て余していたエイナは、自分の名を呼ぶ声の主をすぐに察する。

 

(今日も無事だったんだ……)

 

 年間、多くの死傷者、行方不明者を出すダンジョン。

 そこに足を踏み入れ、二度と帰ってこなかった者達を知るエイナにとって、知人が無事に戻ってきてくれることが、何よりも嬉しい。

 それまで目を落としていた書類から顔を上げると、自分がダンジョン探索のアドバイザーとして監督をすることになった少年の姿を視界に入れた。

 そしてすぐに、少年の様子がおかしいことに気付いた。

 

「どうしたのベル君、いつもより早いね?」

「……それが」

「あ、待って。話するなら場所を変えよう? すぐに手続きするから待ってて」

「いえ、そんな。迷惑になりませんか?」

「全然、むしろ暇してたところだから、気にしなくていいよ」

 

 既に半月前になるのか。目の前の少年が初めてエイナと出会ったのも、丁度今くらいの時間だった。

 瞳を盛大に輝かせながら、エイナが座っていた受付で冒険者登録の手続きを申請する少年に、エイナは内心でいい感情を持てなかった。

 登録申請書のベル・クラネルの名と共に書き込まれた14という年齢が、それを強調する。

 種族はもとより老若男女も関係なくなれるのが冒険者であるが、その職業柄、犠牲者は絶えない。

 自分が担当しているだけあって、その身を案じているエイナは少年――ベルの安否を確認出来て頬を緩めると共に、その沈鬱とした表情に心配をした。

 

 

 

 * * * *

 

 

 

「――ごっ、五階層に下りてミノタウロスに遭遇したぁ~っ!?」

「はい、そうなんです……」

「なんでキミは私の言いつけを守らないの! ただでさえソロでダンジョンにもぐってるんだから、冒険なんかしちゃいけないっていつも口を酸っぱくして言ってるでしょう!?」

「……ごめんなさい」

 

 ギルドの中にある面談用のボックスの一つで、僕と担当アドバイザーの女性と互いに椅子に座り、テーブルを挟んで向かい合っている。

 ダンジョンを運営管理するギルドでは、経験の浅い新人冒険者のサポートを目的としたダンジョンアドバイザーを提供している。そして、僕を担当してもらっているのが、目の前に座るエイナ・チュールというハーフエルフの女性だ。

 光沢を(たた)えたセミロングのブラウンの髪。そこから覗くほっそりと尖った耳に緑玉(エメラルド)色の瞳。

 細身の体はギルドの黒い制服を綺麗に着こなし、エルフとしての美しさもあって、仕事人然とした印象を見る者に与えていながらも、どこか柔和で角のとれた風貌が親しみやすさを感じさせる。

 実際、そんな彼女を狙っている冒険者も多いとの噂を聞くし、僕もエイナさんに担当してもらってすっかり浮かれていた口だ。

 

 ――『冒険者は冒険してはいけない』――

 

 そんなエイナさんの口癖がソレだ。

 意味としては『準備を怠らずに、安全を第一に』という事らしく、特に今の僕みたいに、冒険者になりたての時期が一番命を落とすケースが多いそうで、肝に銘じておくべきなんだとか。

 

 五階層で『ミノタウロス』に遭遇するなんて、誰にも予想つかない。

 あのモンスターは本来十五階層以下に出現するというのが一般見解だが、今回の遭遇はエイナさんがよく言っている『ダンジョンでは何が起こるか分からない』って事なんだろう。

 

 

「……本当に、今回は運が良かったよ。アイズ・ヴァレンシュタイン氏がその場に居なかったら、キミはここに居なかったかもしれない。……ううん、確実に命を落としていただろうから」

「……はい」

 

 エイナさんの言う通りだ。

 あの人が居なかったら今頃ミノタウロスの腹の中だっただろう。思い出すだけで背筋が震え、遅まきながら恐怖が湧き上がってくる。

 同時に、煮え立つような羞恥と悔しさも胸を満たそうとする。

 (うつむ)き拳を強く握り締める僕に、エイナさんはふう、と息を吐き、吊り上げていた(まなじり)を下ろした。

 

「しっかり反省しているみたいだから、お説教はここら辺で終わりにするけど、ダンジョンでは油断と増長は命とりなんだからね。そこは絶対忘れないように」

「分かりました、エイナさん。……すみません」

「ううん。いいよ。キミが無事に戻ってくれるだけで私は嬉しいから」

 

 ――ああ。僕はなんて馬鹿だったんだろう。

 こんなに僕の事を心配してくれている人がいるのに、軽率な行動を取ってしまった自分の愚かさが許せない。

 

 頭の中で自分をボコボコに殴っていると、話は終わりと言ってエイナさんは立ち上がり、項垂れる僕の背を押しながら部屋を退出する。

 背中に触れられた手の温かさに、自分が生きていることを改めて感じながら、ギルド本部のロビー前に二人して出る。

 白大理石で造られた立派なホールは少し閑散としていて、壁際に設置された神様と英雄達の像が存在感を放っていた。

 

「ほら、シャンと立って。今日は換金はしていくの?」

「……そうです、ね。一応、ミノタウロスに出くわすまでモンスターは倒していたんで」

「じゃあ、換金所まで行こう。私もついていくから」

「え、えっと――はい。ありがとうございます」

 

 気を使わせてしまっているのが心苦しかった。ただでさえ、まだ右も左も分からない僕に良くしてもらっているというのに、これじゃあいつまでたってもエイナさんには頭が上がりそうにない。

 それから僕たちはギルド本部内にある換金所に向かい、モンスターから取り出した『魔石の欠片』をお金に換える。

 本日の収穫は千八百ヴァリスほど。いつもより少ないけど、これはアイズ・ヴァレンシュタインさんに助けてもらった後――先行した彼女がモンスターを排除していたのか――戦闘することもなくすぐにダンジョンから出たため、いつもより探索時間が短くなったからだ。

 

「……ベル君」

「あっ、はい。何ですか?」

 

 帰り際、出口まで見送りに来たエイナさんに引き留められる。

 彼女は逡巡(しゅんじゅん)する素振りを見せながら、思い切ったように口を開いた。

 

「あのね、本当はこういうこと言うの駄目なんだけど……キミには冒険者としての才能が、あるんだと思う」

「へ……?」

「駆け出しの人が、たった半月で三階層までソロ踏破なんて、本来なら無理なんだよ。でもキミは無傷のままそこで留まって探索を続けていられる」

「……」

「それに、何て言ってもキミはあの【フレイヤ・ファミリア】に、主神直々に勧誘(スカウト)されたそうだし……その、ね?」

 

 動きを止めて、エイナさんの言葉をよく咀嚼(そしゃく)して、上目がちに(うかが)ってくる彼女を見つめて。

 

「――君は、焦らずに頑張って行けば、きっとすごい冒険者になれるって、私は思うよ。だから無茶をしないで。……死なないで」

 

 目の前の女性が、ギルド職員ではなく、一人の知人として励ましてくれていることに、僕の身を案じてくれていることに気付いた僕は、胸を温かくする感覚に、みるみる内に表情を明るくさせた。

 勢いよくその場から駆け出した後、すぐに振り返り、エイナさんに向かって叫ぶ。

 

「エイナさん、大好きー!!」

「……ぇうっ!?」

「ありがとぉーっ!」

 

 顔を真っ赤にさせたエイナさんを確認して、すっかり気分が上を向いた僕は、笑いながら町の雑踏に走って行った。

 

 

 



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白兎は高く跳ぶ 2

 ギルドを飛び出した後、そのままホームへ戻ってきた僕は、装備を外しに自室に向かうところで呼び止められた。

 

「あ、クラネル君、丁度良かった。さっきフレイヤ様から君が帰ったら部屋に来るように伝えてって言われたんだけど」

「あ、エイルさん。分かりました。着替えたらすぐに向かいます」

「……今日も怪我はないみたいだね?」

「あはは……まあ、運良く無事に帰れました」

「無傷なのは良い事だよ。……本当に、良い事だよ……」

 

 声を掛けてきたのは、フレイヤ様お付きの女性団員の一人であるエイルさん。

 戦いが得意でない反面、治療士(ヒーラー)としての才能があり、今も原野で繰り広げられる闘争で、傷を負った団員達を癒している所をよく見かける。

 ただ、その頻度が多すぎるせいなのか、ホームで顔を合わせると高確率で目が死んでいる。

 僕の無事を喜ぶ言葉も、「これ以上仕事を増やすな」と、言外に伝えてくるような圧力を持っているように感じた。

 

 伝言を伝えた後、そのままフラフラしながら屋敷の外へ向かっていくエイルさんの姿から、治療しに行くんだと察して、僕はその背中を気の毒に思いながら見送った。

 

 

 部屋に戻り、装備から普段着に着替えると、すぐにホームの中の主神の『神室(しんしつ)』に向かう。

 両開きの大きな扉の前で、服の皺や襟袖を伸ばして様装を整えた後、扉を叩く。

 

「ベル・クラネルです。お呼びと聞いて参りました」

『入っていいわよ』

「失礼します」

 

 扉の先から返ってきた許可の後、部屋に入る。

 ホームの中といえど、礼節に(のっと)ったこのやり取りに、少し苦手意識を持ってしまう。

 でも、これを守らないと後でひどい目にあわされるそうなので――エイルさんに教えて貰った――忘れない様にしている。

 

「お帰りなさい、ベル。今日は早かったのね?」

「はい……ただいま戻りました、女神様」

「あら、もっと砕けた口調で、名前も呼んでいいとこの前言わなかったかしら?」

「いや、でも女神様に対してそんな失礼なことは……」

「……呼んでくれないの?」

「うっ」

 

 神室に入ると、上品で、それでいて豪華な椅子に座った女神様が本を片手に、入ってきた僕に笑みを向けた。

 女神様から帰還を迎える言葉をかけられ、それに嬉しさと少しの気恥ずかしさを感じながら返事をすると、その表情を不満気に変えた。

 その仕草は拗ねた少女のような印象を、いつもは怜悧(れいり)な雰囲気の女性に持たせ、普段との格差(ギャップ)に悶えそうになってしまった。

 

「…………フレイヤ様……その、ただいま」

「フフッ、お帰りなさい。ベル」

 

 その何気ないやり取りが、どうにも照れ臭くて、つい上がりそうになる口端を隠すように、頬を指で掻いてしまう。

 

「それで、今日はどうしたの? てっきりもっと後に帰って来るかと思っていたのだけれど」

「ちょっとダンジョンで死にかけちゃって……」

「あら、大丈夫だったの? 貴方に死なれたら私はとても悲しいわ。後を追って天に還ってしまうかも」

「駄目ですよ。フレイヤ様が天界に戻ってしまったら、僕が皆さんに恨まれてしまいます。……でも、ありがとうございます。その言葉だけでも嬉しいです」

 

 女神様の手招きに従い近寄ると、その両手が怪我がないかを確かめる様に僕の体に触れてくる。

 その気遣いが嬉しくて、今度は隠しきれずに頬を染めて笑顔を浮かべてしまった。

 『僕が死んだら自分もついていく』なんて、女神様にしては質の悪い冗談を(たしな)めながらも、頬を緩める僕はそれに「だけど」と言葉を続けた。

 

「大丈夫です。フレイヤ様を天界に還すような事はしませんから」

「あら、それじゃあ大船に乗ったつもりでいるから、覚悟しなさい?」

「な、なんか変な言い方ですね……」

 

 二人して笑みを漏らし、部屋の一角に進んでいく。

 初日に背中に『恩恵(ファルナ)』を刻んで貰った部屋の、室内を丸々占有する巨大な寝台とは違った、しかしそれに劣らず大きく豪奢な装飾をあしらえた寝台に向かう。

 そこで服を脱いで、上半身を包む物がなくなったところで、僕は寝台に横たわった。

 全身が沈み込むほど柔らかいマットにうつ伏せになりながら、後から続く女神様を待つ。

 やがて隣に腰を下ろした女神様が、覆いかぶさるような体勢で僕の背中に指を触れさせた。

 

「それで、死にかけたというのは、一体何があったのかしら?」

「ちょっと長くなるんですけど……」

 

 口を動かしている間、女神様は僕の背中を撫でた。一回、二回と、何度も同じ個所を往復して僕の肌を労わる様に。

 その白魚のような細い指先が背筋を通る度、まるで魂に直接触れられているかのように、ぞくり、とする。

 やがてチャリ、という音が鳴った。女神様が小さな針を取り出したのだ。

 首を僅かに捻って見上げると、女神様は自身の指に針を刺し、滲み出るその血を、そっと僕の背へと滴り落とす。

 皮膚に落下した赤い滴は比喩抜きで波紋を広げ、僕の背中へと染み込んでいく。

 

「……それで、危ない所を【剣姫】さんに助けて頂いたんです」

「そうだったの。それじゃあ今度ロキに感謝を伝えておかないとね」

「あ……」

 

 ロキ。オラリオの内外でその名を轟かすファミリアの主神。

 

 女神様に眷属にしてもらってから知ったのだが、僕が入れてもらったこの【フレイヤ・ファミリア】は、このオラリオに数多ある探索系ファミリアの中でも『迷宮都市の双頭』とも比喩される、最高峰の派閥として名を掲げた、滅茶苦茶すごいファミリアだったのだ。

 そして『双頭』とあるように、【フレイヤ・ファミリア】と対する派閥が、今日出会った【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインも所属している、神ロキの派閥である【ロキ・ファミリア】だ。

 二つの派閥は内在的な敵対関係にあり、『オラリオ最強派閥』の座を虎視眈々と狙い合っている。

 そんなライバル的存在のファミリアに、感謝をするということ。

 それはつまり、僕のせいで貸しを作ってしまった事と同義だ。

 自分の愚かな行いが、恩人である女神様の手を煩わせ、あまつさえファミリア全体に迷惑を被せてしまった。その事が本当に申し訳なくて、僕は肩を縮めてしまう。

 

「ごめんなさいフレイヤ様。僕のせいで」

「いいのよ。貴方が無事で帰って来てくれただけで、私は嬉しいもの」

 

 自分の不甲斐なさに見せる顔がなくて、マットに顔を沈めた僕の頭が、女神様にそっと撫でられた。

 髪の毛を(くしけず)るような優しい指使いが、少しくすぐったい。

 小さな子供みたいな扱いをされるのが恥ずかしくて、照れ臭くて。でもそれ以上に安心してしまう。

 顔も知らない、会ったこともない誰か(おかあさん)を思い浮かべてしまう、頭を往復する手の感触が、心地よくて拒絶できそうになかった。

 

「【ステイタス】の更新、終わったわよ」

「……ぁ」

 

 女神様の優しい手つきにまどろみ始めた頃に、そんな声が聞こえると共に背中と頭から手が離された。遠のくぬくもりが名残惜しく感じてしまう。

 微かに漏れた声は、寂しさから縋り付こうとする幼子のよう。

 熱が離れて行くにしたがって、ぼやけていた意識が鮮明になっていく。

 

 

 そして、襲い掛かる壮絶な羞恥心。

 

 

「~~~っっ!!」

 

 

 は、はずかしいぃっ! 十四歳にもなって、頭撫でられて喜ぶとかどんだけなんだ僕ってヤツは!

 

 ――穴があったら入りたい。

 ――顔から火が出る。

 その言葉の意味を身をもって思い知った僕は、マットに沈めていた顔をめり込ませる気持ちで下に押し付ける。

 きっと僕の顔は完熟トマトの様に赤くなっていることだろう。弾力に富んだマットでは隠しきれない耳まで赤く染まっているに違いない。

 

「クスッ、『写し』も書き終わっちゃったわよ。いつまでそうしているの?」

「……うぅ、意地悪ですよ、フレイヤさまぁ」

 

 絶対僕がこうなっている理由をわかっているくせに。

 クスクスと笑う女神様を恨めしく思いつつも、観念して体を起こす。

 手早く畳んでおいた服を着終えると、差し出された用紙を手に取った。

 

 僕たち下界の者に神様が刻み込む『恩恵』は、神様達が扱う『神聖文字(ヒエログリフ)』を、『神血(イコル)』を媒介にして、対象者の【経験値(エクセリア)】を成長の糧としてその者の能力を引き上げる。

 僕は『神聖文字』なんて読めないから、こうやって共通語(コイネー)に書き換えられた【ステイタス】の写しを貰っているのだ。

 

 

ベル・クラネル

LV:1

力:H172→G225 耐久:I15→I76 器用:H169→G212

敏捷:G263→F333 魔力:I0

《魔法》

【 】

《スキル》

【 】

 

 

 

 これが僕の背中に記されている【ステイタス】の概要だ。

 身体能力値を示す五つの基本アビリティの文字と数字は熟練度を表し、この段階が高く、大きいほど僕たちの能力は強化される。

 熟練度は各項目に関連する経験を積むことによって100ごとに段階が上がり、初期値であるⅠ0から始まり、H、G、F、E、D、C、B、A899と上がっていき、最終的には上限値のS999まで上げることが出来る。

 まあ、大体の人はそこまで行く前に頭打ちになるらしいけれど。

 この【ステイタス】で一番重要なのはアビリティではなくLV。これが1上がるだけで基本アビリティでの補正以上に能力が強化される。

 その差は大きく、現に今日、LV.1の僕がLV.2にカテゴライズされるミノタウロスに、大敗を喫したように。

 劇的な強さをもたらすレベルアップは『器の昇華(ランクアップ)』とも呼ばれ、その変容は心身の進化といっても過言ではないのだそうだ。

 

 今回の更新で上がったのは、以前と同じく魔力以外の四項目。

 でも、その上がり方が異常だった。

 オッタルさんとの三日間を経て、初めて【ステイタス】の更新をした時は――

 

力:I0 耐久:Ⅰ0 器用:I0 敏捷:I0 魔力:Ⅰ0

           ↓

力:H106 耐久:Ⅰ12 器用:I97 敏捷:H177 魔力:Ⅰ0

 

 ――と、すごい上がり方をして、自分は特別な存在じゃないのかと期待したものだ。

 でもその後すぐに、女神様から最初は上がりやすいものだと現実を教えられ、その言葉の通り、以降の更新では各20程度しか上がらなかった。耐久に関していえば、敵の攻撃を受けなかったこともあって一桁ずつでしか数字が変わらないほどだ。

 

 だが今回は、その三日目を彷彿とさせるような数字の増加を見せ、それにせまる熟練度上昇総合(トータル)260オーバーだ。

 耐久は50以上上がっているし、敏捷に至っては100近い。

 

 ……やっぱり、ミノタウロスに追いかけられたのが大きいのかな。

 自分で言っても違和感が残るけど、敵いっこない脅威と遭遇して生き延びたのが、【経験値】にも反映されるという事なんだろう。

 まあ、今は不幸中の幸いだと思って、置いておこう。

 それよりも、だ。

 

「……フレイヤ様。僕、いつになったら《魔法》と《スキル》が発現するんですか?」

「それは私にも分からないわ。《魔法》に関しては知識に関わる【経験値】が反映されるのだけれど……貴方、本とか読まないでしょ?」

「はい……」

 

 《魔法》と《スキル》。

 神様から【ステイタス】を刻まれる中で誰もが関心を寄せるのが、その二つだろう。

 これの有無で、モンスターとの戦闘でも、それ以外でも。行動の幅が変わってくるという。

 

 《魔法》には本、かぁ。英雄譚なら喜んで読むのだけれど――恥ずかしいから言わない――専門用語がたくさん記された難しそうなものは、ちょっと。

 

「《スキル》は……そのうち生えてくると思うわ。多分ね」

 

 女神様の言葉に、僕は肩を落とした。

 そんなぁ……すぐにでも欲しいのに。《スキル》だけでいいから早くでないかな。

 しょげる僕の頭を女神様は再び撫で、寝台から降りる。

 

「落ち込まなくても、貴方なら大丈夫よ。この後はどうするの?」

「……そうですね。ホームに戻ってから直ぐにこっちに来たので、自室で装備の点検でもしようかと思います」

「そう、じゃあまた今度ね」

「はい。それじゃあ失礼します」

 

 寝台から降りて次の予定を伝えた後、女神様と別れ、『神室』を後にする。

 

 

 

 “――心配しなくとも、私が貴方を強くしてあげるわ”

 

 部屋を出るまで、そして出た後も。銀の瞳が僕の背中を見つめていることには、最後まで気付く事はなかった。

 

 

 




新キャラ:エイル
ファミリアクロニクルepisodeフレイヤで出てきた名無しのモブ。オリキャラに非ず。
元ネタは北欧神話に出てくるワルキューレの一人。治療に精通し、死者を蘇らせることも出来たという。
神話でのフレイヤはその権能から、ワルキューレのまとめ役として考えられているため、フレイヤのファミリアにいてもええやろと作者が勝手に命名した。


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白兎は高く跳ぶ 3

 女神様の神室を出ると、扉の脇にオッタルさんが立っていた。

 おそらくオッタルさんも女神様に用があって、僕が出るまで待っていたのだろう。

 

「終わったか」

「あ、はい。【ステイタス】の更新はもう終わりました」

「そうか」

「はい……」

「……」

 

 …………き、気まずい。

 どうしたんだろう。もう扉の前からは退けているのに、オッタルさんは一向に中に入ろうとしない。女神様に用があるのではないのだろうか。

 

「……今回は、どれほど【ステイタス】が上がった」

「は、はいっ! ……えと、今日は大体260くらいです!」

「……ぬ」

「あ、でも今回のは多分五階層でミノタウロスに襲われたのが大きくて、次はここまで伸びないと思いますっ」

「……ほう。五階層にミノタウロスとは、珍しいな。よく無事だったものだ」

「……いえ、その……恥ずかしい話なんですけど、危ない所で【剣姫】さんに救ってもらって」

「ふむ」

 

 何とも言えない間をおいて、オッタルさんから突然話しかけられて慌ててしまった。

 前の更新の時も熟練度の数字を聞かれたことがあったけど、オッタルさんほどの人が気に掛ける程のものなのだろうか。勿論嘘は言わないけど、なんだか自分の成長記録を見せるみたいで恥ずかしい。

 黙り込むオッタルさんに数字の伸びた理由を説明し、自身の至らなさを目の前の人に晒す。

 

「あの……オッタルさん。僕はどうしたら今よりももっと、強くなれますか?」

 

 そして、気が付いたらそんなことを、僕はオッタルさんに聞いていた。

 オラリオ最強と謳われる目の前のこの人に、聞きたかった。

 

 好奇心と少しの期待から、ダンジョンで冒険なんかして。

 五階層でミノタウロスに追いかけられて、死にかけて。

 敵対派閥の幹部に命を救われた時から、僕は強さが欲しくて堪らなかった。

 

 エイナさんが言っていた通り、地道に努力を重ねていけば、死なずにダンジョンに潜り続けていれば、強くはなれるのだろう。

 でもそれじゃあ遅すぎるんだ。

 僕は今すぐにでも強くなりたいのだ。

 そのためには、《魔法》と《スキル》を手に入れるのが一番手っ取り早かった。

 でも、大量の【経験値】が獲得できた今回の更新でも、《魔法》も、《スキル》も発現しなかった。

 それもそのはず。《魔法》や《スキル》はその人が積み重ねてきた努力の結晶なんだ。そんな都合よくポンポン発現するなら、誰も苦労なんかしない。

 

 

 そんな事くらい、僕も分かっている。分かっているんだ。でも――

 

 

「僕は、どんな相手にも立ち向かえるくらい、強くなりたいんです……!」

 

 誰もを救う、英雄譚の主人公の様に。

 あの日、何の力も持たなかった僕を、颯爽と現れて救けてくれたオッタルさん(あなた)の様に。

 僕は今すぐにでもなりたいと願ってしまう。

 

 あの時と同じように、事が過ぎ去るまで、何もできずに立ち尽くしているだけなのは、嫌なんだっ!

 

「……一朝一夕に得る強さに、意味はない。何もかもを積み重ね、己の血肉となったもの。……お前の欲する『強さ』とは、そういうものだ」

「……ッ」

 

 オッタルさんが言外に言う『近道(ズル)は出来ない』との言葉に、僕は俯き歯を噛み締める。

 

「だが、高みに至らんとするその姿勢は、好感が持てる」

 

 続いた言葉に顔を上げると、オッタルさんは微かに、本当に少しだけ、口端を上げていた。

 

「お前は細すぎる。もっと飯を食え」

「え?」

 

 瞬きする間にいつもの表情に戻ったオッタルさんが、脈絡なくお母さんみたいなことを言い出した事で、思わず面喰ってしまった。

 

「メインストリートにある『豊穣の女主人』という酒場に行け。そこのミアという女将に言えば、美味い飯を食わして貰えるだろう」

「そ、そこでご飯を食べると、強くなれますか?」

「知らん」

「えっ」

「はっきりしていることは……飯を食わんヤツは強くなることも、成長することもない」

 

 そう言い残して、オッタルさんは女神様の神室に入って行ってしまった。

 扉が閉じられ、館の廊下には僕と静寂だけが残される。

 

 

「……ご飯を食べないと強くなることも、成長することも出来ない」

 

 独りになった僕はしばらく立ち尽くした後、オッタルさんの言葉を反芻しながら、自室に足を向けた。

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 翌朝。オッタルさんが言っていた酒場の前に、僕は立っていた。

 

 生まれ故郷の田舎での、朝早くから畑仕事をする習慣がすっかり染みついた僕は、調整された体内時計によって早朝五時ぴったしに目を覚ました。

 昨日、自室への道すがら何度も繰り返したお店の名前はすっかり頭に刻み込まれていて、どんな所か気になって仕方がなくなった僕は身支度を終えた後、早朝という事もあって閑散とした原野を突っ切ってホームを飛び出した。

 

 少し肌寒い朝の空気を感じながら、メインストリートを歩く。

 東の空は明るく、立ち並ぶ建物のガラスが日の光に照らされている。

 通りには早朝といえど人影がまばらにあり、その中に露天の準備をしているパルゥムもいれば、僕と同じように武器を携えたドワーフ達が徒党を組んで何かを話し合っている。きっとこれからダンジョンに向かうんだろう。

 

 ――と、そんな風に彼らを見ていたら、くるくるとお腹から音が鳴る。

 

「あ~、そういえば朝ご飯食べるの忘れてたや……」

 

 オッタルさんから教えて貰った店がどんなところなのかばかり気になって、装備を身に付けてすぐにホームを出たものだから、お腹の中は空っぽのままだった。ひもじい。

 背中を丸めてお腹をさすりながら歩いていくと、並ぶ建物の中から、それを見つけた。

 

 他の商店と同じ石造り。二階建てでやけに奥行きのある建物は、周りにある酒場の中でも一番大きいかもしれない。

 その建物に近づき、先程目にした『豊穣の女主人』と書かれた看板から目を移し、『closed』と札が掛かっているドアの隙間からそっと店内を覗こうとしてみる。

 

「うわっ」

「キャッ」

 

 すると、急にドアがカランカランと鐘を鳴らしながら開き、店内から出てきた人と、ぶつかりそうになってしまった。

 

「あっ、その、すみませんっ」

「こちらこそ失礼いたしました。……お客様ですか? 申し訳ありませんが当店はまだ準備中でして」

 

 咄嗟に後ろに飛びのいた後、半ば反射的に頭を下げる僕に、声を掛けてきたのはヒューマンの少女だった。

 手に持っている箒から、店前の掃除をしようとして、外に出てきたのだろう。

 

 チラリと上目に覗いて見れば、少女は白いエプロンと若葉色の給仕服を身に纏い、光沢に乏しい薄鈍色の髪を後頭部でお団子にまとめ、そこからぴょんと一本の尻尾を垂らしている。

 髪と同色の瞳と、乳白色の滑らかな柔肌の顔は、大げさに慌てる僕に苦笑しているようだった。

 

「えっと、お客ってわけでもなくて……昨日、知り合いの方からこのお店を教えて貰いまして。それでどんな所なのかなって、気になってしまって」

「ああ、そうでしたか」

 

 店員さんに言い訳というか、店を覗き込もうとしていた理由を話す。

 僕の言葉に納得してくれたのか、店員さんは微笑み、頷きを返してくれた。

 

「見たところ冒険者さんのようですが、こんな朝早くからダンジョンに行かれるんですか?」

「あはは……まあ、そんなところです」

 

 店員さんは間を繋ぐように話題を振ってくれた。

 正直な話、この場をどうまとめようか迷っていたので助かった。まあ、本当の事は言えず濁した返事しかできなかったけど。

 あと一言二言交わしてからダンジョンに行くって言って別れよう。

 ……なんて、思っていた矢先、グゥ~という情けない音が僕の腹から響いた。

 

「……」

「……」

 

 きょとんと目を丸くする店員さんと、顔を赤くする僕。

 

「プフッ」

「……ッ!」

 

 小さく噴き出す音に、僕の精神は甚大な被害(ダメージ)を受けた。

 

「うふふっ、お腹、空いてらっしゃるんですか?」

「……はいぃ」

 

 恥ずかしさに顔を俯け、正面に立つ彼女に顔を合わせられない。

 店員さんの問いに頷けば、「あっそうだ」と突然何かを思いついたかのように店員さんは手を打って、そのまま店の奥に消えて行ってしまった。

 

 何が何やらと首を傾げていると、店員さんがパタパタと足音を立てて再び姿を現した。その手に先程までなかった荷物を抱えながら。

 

「よかったらこちら、いかがですか」

「い、いやそんな。受け取れませんよ。それにこれ、あなたの朝ごはんなんじゃ……」

 

 戻ってきた店員さんは、僕へと抱えていた小さなバスケットを差し出した。

 差し出されるバスケットから香ばしい匂いが漂い、バスケットの中には、小振りのパンとチーズが入っているのが見えた。

 

 今の空腹の僕には、それらが生唾が溢れそうになるほど美味しそうに映るのだけど、流石にさっき会ったばかりの人相手にたかるなんて事、出来るわけがない。

 

「冒険者さん、これは利害の一致です。冒険者さんはここで腹ごしらえができる代わりに、今日の晩ご飯はここで召し上がって頂きます」

「え、それって……」

「私も今ちょっと損をする代わりに、今晩のお給金が高くなること間違いなし、です」

 

 にこっと笑う店員さんに、僕もまた破顔してしまった。

 可愛らしさと強かさが同居する彼女の言動に、僕は初対面の人に対する壁みたいなものを、完全に取り払われてしまった。

 様子見に来てたのだから、僕がお客さんとしてまた来るだろうと分かっているのに、そんな事言われたら拒めないじゃないか。

 

「もう……ずるいですよ」

「うふふ、そうですか?」

「それじゃあ、今晩はたくさんお金を持っていかないと、ですね」

「はい、期待して御待ちしています」

 

 二人して店の前で笑い合う。

 予想外に出費が大きくなりそうなのに、強かな彼女とのやり取りは心地良く感じてしまった。

 

「私はシル・フローヴァです。冒険者さんの名前は?」

「ベル・クラネルです。シルさん」

 

 

 笑みと名前を交わし合い、僕たちは別れた。

 バスケットを片手に、ストリートを進む。

 澄み渡った朝の空に、白亜の巨塔がよく映えている。

 パンとチーズをかじりながら、都市の中央へと向かう。

 遠目には、さっき見たドワーフ達が僕の前を同じように進んでいるのが見えた。

 

 

 目指すのは都市の中心、天を衝く摩天楼。

 その下にダンジョンはあって、今も恐ろしいモンスターと尽きる事のない財宝が僕を待っている。

 

 僕たちは冒険者。

 命を懸けてダンジョンに潜り、富と栄誉を手にして凱旋する。

 時に大怪我を負い、運が悪ければ命を落とす。

 それでも懲りずにまた潜る、命知らずのならず者(アウトロー)

 

 

 

 誰かが言った。

「冒険者は野蛮で愚かな連中だ」と。

 

 

 誰かがいった。

「冒険者はこの時代の主人公だ」と。

 

 

 そして、おじいちゃんは言っていた。

「冒険者はみな英雄の資格を持っている奴らだ」と。

 

 

 摩天楼の下に開いた穴へと足を踏み入れ、今日も僕はダンジョンに潜る。

 抱き続ける『夢』の為に。出会ってしまった『憧れ』に近づくために。

 

 自分には分不相応な『英雄』をそれでも目指して、僕は強さを求め続けるのだ。

 

 

 

 

 

 

 ……まあ英雄になる前に、今晩の為にお金を稼がないといけないからね。

 そう呟きながら、空っぽのバスケットと隙間風で寒い懐に、僕は苦笑いを浮かべて腰の剣に手をかけた。

 

 

 



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白兎は高く跳ぶ 4

 昼食をはさみ、二度目のダンジョン探索を終えた僕は、ギルドの換金所で魔石とモンスターがたまに残す『ドロップアイテム』をお金に換えていた。

 本日の収入は、過去最高の七千二百ヴァリス。運が良いのか悪いのか、モンスターとの遭遇数が普段よりも多かったためだ。

 通常魔石を失うことで灰になるモンスターだが、時折体の一部を残すことがある。『ドロップアイテム』と呼ばれるその現象は、原理はともかく魔石と同じくお金になるものが増える事と同義だ。

 物によってはソレ一つで魔石数個分の換金率を誇る素材もあって、今日採取した中にもそれがいくつかあったようだった。

 普段以上の魔石に加え『ドロップアイテム』も詰め込んだせいで、肩に食い込むバックパックの紐の痛みを、我慢しながら階段を上がった甲斐があったというものだ。

 

「これならシルさんの所で食事しても大丈夫だよね……多分」

 

 過去最重量を記録した財布の重さを手に感じながら、このうちのどれほどがシルさんのお給金に換わってしまうのかと考えてみれば、不安が胸によぎる。

 優しくも強かな彼女の事だ。知らぬ間に僕が大食漢になっていてもおかしくない気がする。

 

「ご飯を食べないと、強くなることも、成長することもない、かぁ……」

 

 昨日、本拠でオッタルさんに言われた言葉を思い出す。

 あの人の鋼のような肉体は、やっぱりたくさんご飯を食べた事で手に入れたのだろうか。

 ふと、自分の体を見下ろせば、長年農具を握っていたことで出来た手のタコと、ひょろっとした細い腕が目に映る。

 

「僕もあんな風になれるのかな……」

 

 太い手首。広く張った肩幅。隆々と盛り上がった胸筋と、男なら誰もが憧れる、鍛え抜かれた肉体美。僕みたいな貧弱そうな見た目ならなおさらに。

 今日は、ううん、今日からたくさんご飯を食べよう。そして僕もオッタルさんみたいなムキムキになるんだ。

 僕を待ち受ける『豊穣の女主人』の料理がどれほどの量と値段を誇るのかは知らないけれど、その全てを受け入れよう。

 ジャラリと音を鳴らす財布を握り締め、僕は覚悟を決める。

 ともすれば、ダンジョンに行くのと同じか、それ以上の気迫を伴って、僕はギルドを後にした。

 

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 夕餉には微妙な時間だったこともあり、ホームに戻った僕は、装備の汚れを落とすなどして時間を潰す。

 油に浸した布で所々へこんだ鎧や剣を拭き、モンスターの血や砂ぼこりを落とすと共に、錆ないよう満遍なく油を塗りたくる。

 これを怠ると、あっという間に劣化が進み、ダンジョンでの活動に支障が来たす。そしてそれは自身の命に直結する。手を抜くことなど出来るはずもない。

 丁寧を心掛けて作業していた為か、終わる頃には窓から差す光が陰り、空は真っ赤になっていた。もう直に夜の(とばり)が落ちるだろう。

 壁に立てかけた剣と鎧に塗り込まれた油が、赤い光を艶めかしく反射するのに目を細め、ウンと固まっていた背筋を伸ばした。

 

 ――この後はご飯を食べに行くだけだし、護身用に剣だけ持っていけばいいよね。

 外出するために身支度を整えた後、鎧はそのままに腰帯に財布と剣だけを括り付けて部屋を出る。

 

 長い廊下を誰ともすれ違うことなく通り、館の玄関の扉を開く。

 同時に聞こえてくるのは、絶えることのない怒号と剣戟の音。

 目の前の原野で広がるのは、【フレイヤ・ファミリア】構成員同士での闘争。

 流石に半月も見ていれば驚く事はなくなったものの、同じ『家族(ファミリア)』同士で傷つけあうこの光景には、未だ慣れることが出来ずにいる。

 

「俺の糧になれぇっ!」

「女神に我が武勇を捧げるために!」

「御身の愛に報いるために!!」

「ゥオォオオオォオー――ッ!!」

 

 強くなる為なら、ダンジョンに潜るだけで充分じゃないのだろうか。実際、僕は半月前とは比べ物にならないくらい強くなれている。

 だからこそ、肩を並べ、生死を共にする仲間同士で血を流しあう必要があるのか、理解が出来ない。

 本拠を囲う壁の向こう側に沈みかけている紅い日の光が原野を照らし出し、まるで戦いの気炎が燃え広がった野火にも、傷口から滴る血で満ちた海原にも見える。

 胸が締め付けられるような感覚に、その光景から目を逸らせば、何時もの様に隅っこに寄って『戦いの野(フォールクヴァング)』から通り過ぎた。

 

 やけに遠く感じる道のりを越え、絶えず上がり続ける雄たけびを背にして、僅かに開けた門の隙間から素早く体をねじ込むと同時に、息を漏らす。

 いつまでたっても、銀閃と鮮血に色づく原野を通るのに緊張が抜けない。

 

 ……オラリオにいる冒険者の中でも、本拠から出る度に疲れているのは、僕くらいじゃないのかな。

 

「ご飯食べて、英気を養おう……」

 

 帰りに再び原野を通りぬけなくてはいけないことから目を逸らしつつ、僕は朝と同じように酒場への道に足を向けた。

 

 

 

 * * * *

 

 

 

「……これは、僕には難易度高過ぎない……?」

 

 

 酒場に到着した僕を待っていたのは、男の人の笑い声が交じった明るい喧騒。――と、美人な女性のウエイトレス達。

 

 いや、別に艶めかしいだとか、そんな雰囲気では全くないのだけれど。

 アレだ。こういう女の子の店って言葉だけでも赤面してしまう僕には敷居が高いのだ。

 

「ベルさんっ」

 

 今日の所は撤退しようかな。なんて考えが頭をよぎったのと同時に、聞き覚えのある声が僕の名前を呼んだ。

 

「あ、シルさん……」

「来てくれたんですね、ありがとうございます!」

「あ、あはは」

 

 いつの間に現れたのか、隣に立っていたシルさんが僕の手を取って笑顔を向ける。

 退路を塞がれた僕は、ひき吊りそうになる口を無理矢理抑え込み、へたくそな笑みを彼女に返した。

 

「約束通り、ご飯を食べに来ました」

「はい、いらっしゃいませ」

 

 シルさんは僕の手を掴んだまま酒場の中に引き込むと、澄んだ声を張り上げた。

 

「お客様一名入りまーす!」

 

 ――酒場ってこんなこといちいち言うの? 初めてなんだから、目立つような行動は止めて欲しい。本当に。

 シルさんに引っ張られたまま店内を進む中、僕は必死になって体を縮こませる。

 女の子に手を引かれながら歩く姿を、店中の人達に見られていると思うと今すぐ店内から引き返したくなる。いやまあ、手を繋がれてるから無理なんだけど。

 

「では、こちらにどうぞ」

「は、はい……」

 

 異常に長く感じた移動時間が終わり、案内されたのは酒場の隅のカウンター席。

 L字になっているカウンターの角の場所で、隣に椅子がなく誰かと並ぶことはない。これなら萎縮することなく自分のペースで食事ができるかもしれない。

 シルさん、入店初めての僕に気を使ってくれたのかな。

 

「アンタがシルのお客さんかい? ははっ、冒険者のくせに可愛い顔してるねぇ!」

 

 ほっとけよ。自覚あるんだから。

 カウンター席である為、必然的に内側に居る女将さんと向き合う事になる。

 そこらの冒険者より恰幅の良いドワーフの女将さんが、席に座った僕に掛けた言葉に、暗い感情が湧き上がった。

 

「何でも、アタシたちに悲鳴上げさせるほどの大食漢なんだそうじゃないか! じゃんじゃん料理を出すから、じゃんじゃん金を使っておくれよぉ!」

「!?」

 

 告げられた言葉に、目を剥いてシルさんを見た。

 まだ側に控えていたシルさんは、向けられた視線から逃げる様にサッと目を逸らす。

 予想はしてたけど、本当に大食漢にされているなんて!

 

「……エヘヘ」

「エヘヘ、じゃねー!」

 

 強かなのは知っていたけど、とんだ悪女だ、この人っ。

 

「その、ミアお母さんに知り合った方をお呼びしたいから、たっくさん振舞ってあげて、と伝えたら……尾ひれがついてこんな事に」

「絶対に故意じゃないですか!? ……って、ミアお母さん?」

「ええ、そうですよ。この人が『豊穣の女主人』の女将のミアさんです。私達はおミア母さんって呼んでます」

「なんだい坊主。アタシの事が気になるのかい?」

「……そんな、ベルさん熟女専なんですか!?」

 

 シルさんが驚愕の表情を浮かべながら僕から一歩下がった。

 カウンターの向こう側から「オイコラ」とドスの利いた声が放たれたのにも気づかずに、慌てて彼女の言葉を否定する。僕は普通に可愛くて綺麗な(若い)女の人が大好きです。

 

「いやいや、違いますよ!? 僕のファミリアの団長がミアさんの料理が美味しいって教えてくれたので、どんな人なのか気になってただけですって!」

「おっ、アタシの料理が美味いって? ソイツはよくわかってるねぇ。誰だい? 次来た時にはサービスしてやんないといけないから教えておくれよ」

「あ、えっと……オッタルさんです」

 

 危うく僕の名誉が棄損されるところを回避すると、女将のミアさんは馬鹿正直に僕の出した名前に、一瞬ポカンとした表情を浮かべた後、声を上げて笑い出した。

 

「アッハハハッ! アタシの料理が美味かったって、アイツはそう言ってたのかい?」

「は、はい」

「そうかい、そうかい。いや、久々にこんなに笑ったよ。お礼にとびっきり美味いのを出してやるから待ってな!」

 

 そう言ってミアさんは厨房の奥に向かっていった。

 突然の事に呆然としていると、隣から肩を叩かれる。

 

「ベルさん、【フレイヤ・ファミリア】の団員さんだったんですね」

 

 

 ……あっ、バレちゃった。

 

 

 

 

 

 



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白兎は高く跳ぶ 5

 頭に浮かぶのは、ハーフエルフの女性の真剣そうな表情。

 

「いい、ベル君? ベル君の所属する【フレイヤ・ファミリア】は、オラリオに数あるファミリアの中でも、最上位に位置するすっごい所なの。……あまりこういう事は言いたくないんだけど、光あれば影、って言葉にもあるように、それを妬む人たちも存在するんだよ。実際に有名派閥の未熟な構成員が闇討ちされるとか、過去に何度かあったみたいなの。だから、ある程度強くなれるまで【フレイヤ・ファミリア】の構成員である事は、隠しておいた方がいいと思うんだ」

 

 

 冒険者になってすぐの頃、担当アドバイザーであるエイナさんから受けた忠告。

 この半月、誰かと長く話す事があまりなかったから、すっかり忘れてしまっていた。

 

 そうだよね。団長がオッタルさんなら、僕が【フレイヤ・ファミリア】の構成員って事は誰にでも分かるってもんだ。うかつだった。

 

「……あの、シルさん。どうかこのことは内密に」

「あっ、なるほど。すみません。どうやら不躾だったみたいで」

「い、いえ、僕が不注意だったのが悪いんです」

 

 どうやら僕の考えをすぐに察してくれたようだった。

 やはり彼女は頭がいいんだろう。世渡りの要領がいいっていうか、そんな感じ。

 

 その後すぐにシルさんは給仕の仕事に戻り、一人になった僕はメニューを手に取った。

 普段は日持ちする硬くて黒いパンや、ジャガ丸くんでお腹を満たしているため、一度にかかる食費は五〇ヴァリス程だけど、メニューに書かれた料理はどれもその倍以上の値段が付いている。一番安い飲み物でそれなのだ。

 食べ物に至っては、ただのパスタが三〇〇ヴァリスだ。おいおい。

 女将のミアさんが意気込んで作りに行った料理は、一体おいくらヴァリスなのだろうか。ダンジョンで稼いでおいて本当に良かった。

 安堵と落胆の混じった息をついて、メニューを元の場所に戻す。これ以上読んでいたら、店を出た後の財布の末路に気持ちが沈みそうになるし、何よりお腹が空いてしまう。

 料理は注文するまでもなく、ミアさんが今作りに行ってしまったし、手持無沙汰になった僕はボウッとお店の様子を眺めていた。

 

 テーブルでは厳つい顔の冒険者達が、その相好(そうごう)を崩して肩を組み合い、酒を呑んで料理をかき込む。

 そんな客達の合間を縫う様に、給仕服を着こんだウエイトレス達が店の中を慌ただしく行き来する。

 

 ウエイトレスはみんな綺麗な容姿の女の子ばかりで、ヒューマンや猫耳を生やしたキャットピープルがはきはきとした声でお客さん達に対応している。

 意外な事に、プライドが高くて他種族と接することが少ないと有名なエルフまで、ウエイトレスの中に紛れているのが見えた。

 

 そんな見目の良い店員さんに、鼻の下を伸ばす男達も一杯いる。というかほとんどだ。彼女たちの働く姿を肴にお酒を呑む人もいるみたい。

 ……あっ、お尻に触ろうとした男の人が、ヒューマンの店員に殴られてる。

 綺麗な花にはトゲがあるって、本当だったんだ。コワイ。

 

「御待ちどうっ!」

 

 明るくて楽し気な店の雰囲気を味わっていると、女将のミアさんが両手に一つずつ大きな皿を乗せてドンッと、僕の目の前に持ってきた。

 

「冒険者ってのは、体が商売道具だからね。腹一杯食って力をつけなっ!」

「デ、デカ……」

 

 運ばれてきたのは僕の顔ほどある分厚いステーキ肉と、魚介と野菜がゴロゴロ入ったスープ。

 すごく美味しそうなんだけど、明らかに量がおかしかった。

 

 これ、パーティー用のメニューなのでは??

 

「い、いただきます……」

 

 凶悪な圧力をもった大皿に気圧されながらも、料理に手を伸ばせば、その味に目を見開いた。

 

(う、うまっ!? 飲み込んだらすぐに次が欲しくなる! 絶対無理だと思ったけど、全部イケちゃうかもっ)

 

 柔らかいステーキ肉は噛み締めるごとに肉汁が口の中で溢れ、揉み込まれた香辛料が肉の味を引き締める。

 スープは魚介と野菜の出汁が溶け込んでて、一口(すす)ればしっかりとした旨味が味わえると共に、口の中の油が綺麗に流れ落ちていく。そしてまたステーキに手を伸ばす。

 夢中になって料理を掻き込んでいると、突如、予約を入れていたであろう十数人規模の団体が入店して、空いていたテーブル席の一角に案内されていた。

 

 ガヤガヤからザワザワへ、その一団が入ってきた途端、周囲の客が上げる喧騒がその色を変える。

 

『おい、アレ……』

『おっ、えらい別嬪ぞろいだな。目の保養が増えるぜ』

『馬鹿、違う。あのエンブレムを見ろ』

『げっ【ロキ・ファミリア】かよ……』

 

 それまで大きな笑い声を上げていた客たちが、顔を寄せ合って密談するようにひそひそ声を交わす中、聞き漏れてきた内容から拾い上げたその単語に、ザワリと感情をくすぐられた。

 それまで料理に注いでいた視線を、その一団の方へ向ければ、それはすぐに目についた。

 金糸の如き輝きを帯びた長い髪と、どこか憂いを感じさせる金色の瞳。

 精霊や妖精を思わせる美しい顔に、静かな表情で落ち着き払った美少女。

 

 アイズ・ヴァレンシュタインが、そこに居た。

 

「驚きました? 【ロキ・ファミリア】さんはうちのお得意さんなんですよ。彼らの主神であるロキ様が、ミアお母さんの料理をいたく気に居られてしまって」

「シルさん。ええ、すごくびっくりしました」

 

 僕がヴァレンシュタインさんを見て固まっている所に、再びシルさんが近づき話しかけてきた。

 悪戯が成功したような表情を浮かべるシルさんに、咄嗟に取り繕った笑みを返すのが精々だった。

 まあ、察しの良い彼女には、すぐに僕の内心を見透かされてしまったけど。

 

「あっ、そうですよね。そちらのファミリアの冒険者さんにしてみたら、あまり面白くないですよね」

「いえ、そういうわけではないんですが……ちょっと、個人的な事情がありまして」

 

 眉をひそめて申し訳なさそうな表情を浮かべるシルさんに弁解して、視線を料理に戻す。

 【ロキ・ファミリア】のいるテーブル席と、僕のいるカウンター席は、丁度対角線上だ。

 余程のことがないと気付かれる事は無いだろう。

 今はこの美味しい料理に舌鼓を打つことだけに集中していればいい。

 

「うわあ、凄い量ですね。ミアお母さん随分張り切ったみたい」

「いやそんな他人事な。こうなった原因の一つには、シルさんも入っているんですからね?」

「それはもう。頑張って根回しした甲斐がありました」

「おい」

 

 少しは悪びれろよ。

 

 ……なんて、話しかけてきた彼女の物言いに半目を向けてしまうけど、それが彼女の気遣いからでた言葉だと分かるから、それ以上何も言えない。

 事実、沈み込みかけた気分は先程のやり取りで、大分持ち直したのだから。

 

 それから彼女はおもむろにエプロンを外し、壁に寄せてあった丸椅子の一つを持って来ると、僕の隣に陣取った。

 

「あれ、お仕事はいいんですか?」

「ちょっと休憩です。自分が紹介したご新規さんと触れ合う時間を取っても、不思議ではないですし」

「いやでも、さっき団体さんが入ってきたんだから、忙しくなるんじゃ」

「たまたまです。ちょっと休憩に入ったのと、お客さんが来たのが重なっただけなんです」

「偶然ですか?」

「ええ、偶然です」

 

 本当に強かだな。この人。

 しばらくそうやって料理と彼女との会話に興じていると、聞き覚えのある男の人の声が耳に届いた。

 

「そうだ、アイズ! お前、あの話を聞かせてやれよ!」

「あの話……?」

「あれだって、帰る途中で何匹か逃がしたミノタウロス! 最後の一匹、お前が五階層で始末しただろ!? そんで、ほれ、あんときいたトマト野郎の!」

 

 その言葉を聞いて、僕の心臓がドクンと、大きく脈打った。

 冷水を被ったように、一瞬で頭から血の気が下がり、周りの音が遠退いた。

 

「ミノタウロスって、十七階層で襲い掛かってきて返り討ちにしたら、すぐに集団で逃げ出していった?」

「それそれ! 奇跡みてぇにどんどん上層に上がっていきやがってよ、俺達が泡食って追いかけていったやつ! こっちは帰りの途中で疲れていたってのによ~」

 

 男の人が話す度に、ズクンズクンと鼓動が鳴り響く。

 料理を口に運ぶ手は完全に止まり、僕の様子に気付いて声を掛けてくれるシルさんにも、何の反応も返せないまま。僕はただ固まって、彼らの会話を聞くことしかできなくなっていた。

 

「それでよ、いたんだよ。いかにも駆け出しって言う様なひょろくせえ冒険者(ガキ)が!」

 

 ――その冒険者が……僕、だ。

 

「抱腹もんだったぜ、なっさけねえ悲鳴上げながら、兎みたいに壁際に追い込まれちまってよぉ! そこでようやく剣を持ってることを思い出したみたいだったが、駆け出しが持ってる武器がミノに刺さるわけねぇっての!」

 

 全身が発火したかのようだった。

 熱くない箇所が見つけられないくらい、体の奥底から燃え盛る。

 

「ふむぅ? それで、その冒険者はどうしたん? 助かったん?」

「アイズが間一髪ってところでミノを細切れにしてやったんだよ、なっ?」

「……」

 

 全身の震えが止められない。歯を噛み締めながら(うつむ)いて、拳を力一杯に握り締める。

 男の人の言葉はまだ続いている。

 

「それでそいつ、あのくっせー牛の血を全身に浴びて……真っ赤なトマトになっちまったんだよ! くくくっ、ひーっ、腹痛えぇ……!」

「うわぁ……」

「アイズ、あれ狙ったんだよな? そうだよな? 頼むからそう言ってくれ……っ!」

「……そんなこと、ないです」

 

 獣人の青年は目元に涙を溜めながら笑いをこらえ、他のメンバーは失笑し、周りで話を聞いている部外者たちも、釣られて出る笑みを必死にかみ殺している。

 

 この場に居る人達皆が、僕の事を嗤っている。

 

「しかしまぁ、久々にあんな情けねぇヤツを目にしちまって、胸糞悪くなったな。野郎のくせに、泣くわ泣くわ」

「……あらぁ~」

「ほんとざまあねぇよな。ったく、泣き喚くくらいだったら最初から冒険者になんかなるんじゃねぇっての。なあ、アイズ?」

「……」

 

 頭の片隅で、何かがヒビ割れていく音がする。

 

「ダンジョンに何を夢見てんのかは知らねぇけどよ、ああいう奴が居るから冒険者の品位ってやつ? それが下がっちまうんだよな。勘弁してほしいぜ」

 

 ああ、止めて。もうこれ以上聞かせないで。

 息が苦しい。

 眩暈(めまい)が収まらない。

 心臓の音がこんなにもうるさいのに、彼の声はやけに鮮明になって聞こえてしまう。

 ピシリ、ピシリと、音が鳴り続ける。

 

「アイズはどう思うよ? お前が助けなきゃ、今頃牛のクソになってたトマト野郎の事。自分の目の前でアホ面浮かべて突っ立ってただけの、情けねえ野郎をよ」

「……あの状況じゃあ、しょうがなかったと思います」

「何だよ、いい子ちゃんぶっちまって。正直になれよ。なんなら俺が代弁してやろうか?」

 

 ピシリ、ピシリという音は収まることなく、それどころか間隔を短くしていく。 

 

 

 

「――雑魚が調子に乗ってんじゃねぇよ」

 

 

 

 どこかから、何かが割れる乾いた音が聞こえたのと同時。僕は椅子を飛ばして、立ち上がった。

 わずかに残った理性で、財布ごと料理の代金をカウンターに置いて、そのまま僕は外へ駆け出した。

 

「ベルさんっ!?」

 

 殺到する視線も、呼び止める声も置き去りにして、逃げる様に店を出る。

 

 

 

 僕は、夜の街を駆け抜いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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白兎は高く跳ぶ 6

「――ってな。ギャハハハッ!」

 

 ベルが店から出た後も、ベートはエールを片手に語り続ける。

 その内容に眉をしかめていたハイエルフが、耐えきれなくなったのか口を開いた。

 

「いい加減そのうるさい口を閉じろ、ベート。ミノタウロスを逃がしたのは我々の不手際だ。巻き込んでしまったその少年に謝罪することはあれ、侮蔑するなど(もっ)ての外だ。恥を知れ」

「ぶべつだぁ? 馬鹿言ってんじゃねえ。俺は本当の事を言ってるだけだぜ」

「これ、やめえ。ベートもリヴェリアも。酒が不味くなるわ」

「雑魚に雑魚と言って何が悪い? 雑魚の上に立つ俺達がこき下ろさなくて、誰がそいつをこき下ろす」

「お前の価値観を他人に押し付けるな。そも、話を聞くにその少年は駆け出し。レベル2相当のミノタウロスに敵うはずもないだろう。お前の言は道理に合わない」

 

 リヴェリアの非難の言葉を、ハッと鼻で笑ったベートは、エールで喉を潤した後、赤ら顔の口端を吊り上げた。

 

「アイツは吠えたぞ」

 

 ()したジョッキをテーブルに叩き付ける。

 

「流石はエルフ様。プライドの高いこって。侮蔑してるのはどっちの方だ?」

「何?」

「話を聞いてなかったのかぁ? あのガキは、追い詰められた状態から、ミノに向かって吠えたんだぜ?」

 

 ベートの笑みが嘲笑(ちょうしょう)のそれに変わる。

 脳裏に浮かぶ、返り血で真っ赤に染まった少年の、恥辱に満ちた表情へ向けて。

 雌に助けられた、情けない一匹の雄を嘲笑(あざわら)う。

 

「あそこで吠えれるような奴が、赤の他人から何言われたって、どうもしねぇよ。屈辱に(まみ)れようが、絶望に叩き落とされようが、そういう奴はそのうち這い上がって来るもんだ」

 

 むしろこき下ろされた方が奮い立つんじゃねえの? そう言ってまだ手つかずだったエールのジョッキに手を伸ばす。

 それまで己に絡んでくる褐色肌の少女の猛攻を受け流しながら、酒場の喧騒を楽しんでいた金髪の小人族(パルゥム)が、彼にそこまで言わせた件の少年に感心したように、そこまで言ったベートに驚嘆するように、口を開く。

 

「君がそこまで言うなんてね、ベート。大分酔ってるんじゃないのかい?」

「あぁ? 俺ぁ酔ってなんかいねーよ」

「そうかい? 随分気分が高揚しているみたいだけど、そこらへんで飲むのは抑えた方がいいと思うよ」

「何を言ってやがる。高揚してるだぁ? むしろあのガキの情けねえ姿を思い出して、胸糞悪りぃくらいだぜ。……ああ、そう言えばうちにもいたなぁ。情けねぇヤツが。……テメェの事だラウルゥッ!」

 

 それまで大して目立つこともなく、黙々と料理を口に運ぶだけだった地味目な青年が、突然向けられた話の矛先に慌てふためく。

 

「えぇぇええっ!? じ、自分っすかっ? さっきまでの話に何も関係なかったと思いますけど!?」

「うるせぇっ! 少し異常事態(イレギュラー)が起きたくらいでギャーギャー喚きやがって、てめぇもレベル4ならそれらしくしやがれっ!」

「えぇ……」

 

 予想外にとばっちりを受けて、困惑するラウル。

 そんなラウルの隣に座っていた猫人の美女が、彼を慰めるように戸惑う同僚の肩に手を置いた。

 

「まぁまぁ、ラウルが情けないのは今に始まったことじゃないでしょ?」

「今ぐらいは優しく慰めて欲しかったっすよ、アキ……」

 

 ニヤニヤとしながらラウルをからかうアキと、肩を落とすラウルのいつものやり取りに、周囲が笑いだす。

 駆け出しの少年の話題はそれで流れた切り、再び持ち上げられる事は無く、【ロキ・ファミリア】の宴は続いていく。

 

 

 しかし、一人だけ。

 そんな騒がしくも楽し気な空間から席を外していた少女がいた。

 

(ベル……)

 

 店の外で夜風に吹かれながら、飛び出していった少年の背を眺め続けていたアイズは、彼の知り合いであろう少女が叫んだ名前を、薄桃色の小振りな唇に乗せる。

 

(あの時の……店にいたんだ)

 

 突然音をたてながら店を飛び出して行った客が、昨日助けた少年だと気付いたアイズは、半ば反射的にその背を追い、夜の町に消えていくのを見送った。

 走り去って行く、自分達が傷つけてしまったのだろう少年の紅い目には光るものが見え、湧き上がる罪悪感に、整った眉を悲し気に歪める。

 その後、自分を連れ戻しに来た主神をあしらいながら、どんちゃん騒ぎを続ける一団の中に、アイズは再び戻って行く。

 

 既に見えなくなってしまった白い兎に、今度会えた時には誠意をもって謝罪しようと胸に決めながら。

 

 

 

 * * * *

 

 

 

(畜生っ、畜生っ、畜生っ!)

 

 道行く人々を追い抜いて、周囲の風景を置き去りにして、走る、走る、走る。

 歪められた(まなじり)から水滴が浮かんでは、背後へと流れていく。

 頭の中に過ぎるのは先程の出来事。

 惨めな自分が恥ずかしくて、笑い種に使われ失笑され、挙句の果てに庇われるこんな自分を、初めて消し去ってしまいたいと思った。

 

(馬鹿かよ、僕は、馬鹿かよっ!)

 

 青年の放った全ての言葉が胸に突き刺さる。

 情けない。胸糞悪い。無様。現実が見えていない――ただの雑魚。

 その通りだと、青年の言葉を肯定してしまう自分が許せない。

 何も言い返すことのできない自分が許せない。

 英雄を夢に見ているだけの、ただの凡人でしかない自分が許せない。

 

 強くなりたいなんて、口だけで何の行動にも移してこなかった自分が、どうしようにもないほど、許せない。

 

(何が魔法やスキルが欲しい、だっ!?)

 

 そのための努力なんて、してこなかったくせに。

 無償で何かを期待していた、愚かな自分に対して殺意すら覚える。

 

 憧憬(ユメ)に近づく資格を、欠片も所持していない自分が、堪らなく悔しくて仕方がなかった。

 

「……ッッ!」

 

 辿り着いたその場所を前に、少年は足を止めた。

 紅玉(ルベライト)双眸(そうぼう)が、町を切り取る様に高く築かれた壁を睨む。

 そこに空けられた巨大な門を、体当たり同然に押し開き、口を開けた門は、猛る少年を内に飲み込んだ。

 

 目指すは戦いの原野。目指すは高み。

 

 

 今ならば理解できる。絶えず争い、同胞同士で血を流し合う彼らの想いが。

 狂わんばかりに力を求め、頂に手を伸ばす彼らの焦燥が。

 安穏(あんのん)など不要だと、強さだけを必要とする彼らが、自身と同じ想いを持つ者を気遣うことなど、ありえないのだと。

 

「お願いしますっ! 僕と闘ってくださいっ!!」

 

 原野にいくつか立てられたかがり火の下で、腰を下ろしている青年の下に駆け寄り、頭を下げて()う。

 

「何だ、お前。……ああ、この前入ってきた新人か」

 

 逆立った茶髪の上に、同じ毛色の耳を生やした犬人(シアンスロープ)の若い男性が、胡乱気(うろんげ)に僕を見やり、鼻で笑った。

 

「戦えだと? 俺はレベル2だぞ。なんでその俺が、お前なんかの相手をしてやらねーといけないんだ?」

「強くなりたいんです! お願いしますっ!」

 

 身を焦がすような焦燥感に煽られるままに、頭を下げ続ける。

 

「……ふん。駆け出し風情が調子に乗りやがって」

 

 そう言って、青年は腰を上げる。

 そのまま立ち去られてしまうのか。その予想は裏切られ、青年は近くに突き立てられていた武器を手に取った。

 

「来いよ。お前の事は前から気に入らなかったんだ。精々這いつくばらせてやる」

 

 穂先が幅広の剣のようになった短槍の先端を下に向け、腰だめに構える青年へ。感謝の念を抱きながら腰の剣を鞘から引き抜き、こちらも構える。

 同じ『仲間(ファミリア)』を相手に、刃を潰してもいない鉄剣を向けるのは、正直まだ気が引ける。

 それでも、馬鹿みたいに熱を灯す胸の奥が、そんな意識すらも焼き尽くしていくように、剣を引くことをさせなかった。

 何より、対峙することで僅かにでも理解した彼我の力量(レベル)差が、その懸念は不要だと悟らせる。

 

 ――レベル2。僕が惨敗したミノタウロスと、同等以上の強さの持ち主。

 知らずの内に、喉を鳴らす。

 構えているだけの相手に対して、僕は気圧(けお)されていた。

 

「どうした、来ねぇのか。威勢がいいのは口先だけか?」

 

 その言葉に、胸を焦がす熱が頭まで駆け昇った。

 

 ――『口先だけ』。

 今、一番言われたくない言葉。今、一番認めたくない言葉。

 それを、告げられてしまった。

 

 かぁっ、と全身が熱く燃える。羞恥か、痛憤(つうふん)か。多分、後者。

 

「ぅああぁああああああああっ!」

「ハッ、馬鹿が」

 

 地面を蹴りながら直剣を振り上げ、雄叫びと共に――思い切り振り下ろす。

 

 相手が生身の人間だなんて考えも浮かべず、常人を離れ始めた身体能力を躊躇なく振るう。

 そして僕は――吹っ飛んだ。

 

「が、あっ……!?」

 

 何が起きたのかも理解する間もなく、腹部へ叩き込まれた衝撃が体を後ろへ運んでいく。

 僅かな浮遊感が全身を包み――墜落(ついらく)

 強かに背中を打ち付けた事で、肺の中の空気が全て口から吐き出ていった。

 

 

 仰向けに倒れた僕の、視界一杯に広がる満天の星空が、とても綺麗で――視界がぼやけてしまった。

 

 

 

「ち、くしょう……」

 

 

 

 ――僕は、どうしようもなく、弱い。

 

 

 

 

 





低くしゃがんで、力を溜める。
その眼差しが見つめる先は――どこまでも高く、高く。



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閑話・冴え渡るセンス

……ネーミングの(ボソッ)


読まなくても話の流れに関係ないよ!
でも読んでくれると作者が喜ぶよ!


 ――熱く、熱く。

 

 (はらわた)が煮え立つ様な、胸が焦がれる様な。

 自分では御しきれぬ熱が、身の内で暴れまわる。

 

 獲物を握る手に、万力のように力が籠もる。

 風を斬りながら突き進む俺の眼前には、夜天を貫く様に伸びた白亜の塔と、その下で大口を開ける、迷宮へ続く穴が、静かに広がっていた。

 

 

 

 薄らと記憶に残るのは、視界一面に雪景色が広がる、故郷の光景。

 俺は地元でもそこそこ有名な豪農の家の長男として生まれ、エッゾと名付けられた。

 家はそれなりに裕福で、ガキの頃の俺は、近所の年の近い奴等と遊びまわるのが仕事だった。外で動いて腹が減ったら、お袋が作った美味い飯を腹いっぱい食って、夜になれば温かい布団にくるまって寝て、次の日を向かえる。

 ありふれた幸せの日常。それがずっと続くもんだと疑わなかった。

 

 そんな俺の考えとは裏腹に、日常が終わりを迎えたのは、突然だった。

 

 始まりは、親父の死。

 ある日の晩、フラフラになりながら(とこ)に着いた親父は、それから二度と目を開けなかった。

 まだ幼かった俺は、それが何を意味するのかを理解できず、もっと幼かった双子の妹達が泣きわめくのを、ただ茫然(ぼうぜん)と聞き続けていた。

 

 それからは、ただ転がり落ちていった。

 

 どこかから集まってきた大人たちが、抵抗するお袋を気にも留めず、ウチの畑を、家畜を、家すらも争いあう様に奪い取っていった。

 気付けば、俺達は貧民街の片隅で、その日食べるにも困る生活を送っていた。

 仕事をしようにも、俺はまだ子供で、ロクな(ツテ)もなく。唯一働けるお袋だって、貧民街暮らしの中年女がありつける仕事など、どこにもなかった。

 金はなくても腹は減る。ひもじいと涙を流す妹達のため、お袋は身売りをして小銭を稼ぎ、その金で俺達に少ない食料を与えた。お袋はどんどん痩せ細っていった。

 

 だから、そんな生活が二年を越えた頃には親父と同じ様に、眠ったきり。二度と目を覚ますことはなかった。

 残ったのは、五歳になる妹と、ガキの俺。

 

 俺は生きるため、盗みを覚えた。

 獣人の身体能力に加え、貧民暮らし以前の生活のおかげで体格良く育った俺は、幾度となく盗みに成功し、時には同じ貧民街の奴等からも食料を奪い取る事もあった。

 そんな事を続けて恨みを溜めていたからか、ある日つまらないヘマをして、十数人から囲まれてリンチされた。

 

 ロクな抵抗もできずにボロボロになった俺は、そのままゴミ捨て場に放置された。

 骨を何本も折られ、怪我のない場所を探す方が難しい。そんな体で盗みが出来るはずもなく、これで終わりかと諦めかけたとき、あのお方が俺の前に現れた。

 

 

『あなた、ウチの子にならない?』

 

 そして、あのお方に拾われ、妹達と共にオラリオに来た俺は、冒険者になった。

 冒険者は俺の天職だった。ダンジョンに潜り、モンスターをブッ殺し続けて、俺はすぐに頭角を現した。

 その稼ぎで、早い段階から妹達を学区へ送ることもできた。

 

 冒険者になって三年も経つ頃にはレベルが上がり、これで更にあのお方へ恩を返せると、勢い込んでいた。

 

 

 そんな時だ。

 

 

「お願いしますっ! 僕と闘ってくださいっ!」

 

 俺が同期の奴との戦闘を切り上げ、一息ついていた時の事だった。たまたま俺と目が合ったソイツが、イノシシみてぇにまっすぐにこっちへ駆け寄ってきたと思ったら、頭を下げてそう叫んだ。

 俺は正直に『何だ、コイツ』って思った。だってそうだろう?

 大して面識も無いやつが、急に近づいてきて戦えって言ってきたら、誰だって面喰うわ。

 

「何だ、お前。……ああ、この前入ってきた新人か」

 

 口を開いた後、目の前に突き出された老人みたいな白髪に、半月前にファミリアに入団した新入りだと思い出した。

 コイツが来た当初は、あのお方の隣にこ汚いガキが立ってんじゃねーよと思ったもんだ。

 まあ、あとはあのお方の寵愛を争うヤツが増えた。ってのも浮かんだが、見るからにひょろっちそうな体に、そんな考えはすぐに消えた。

 

 ――放っておけばそのうち死ぬだろ。

 

 そう思った奴は、俺以外にもいただろうし、実際、似たような雰囲気を纏ってた奴らが、知らない内にダンジョンでくたばってたのは、少なくない。

 だからこいつも、そのうちの一人になると思ってた。

 

 

 だが、どうにもコイツへの待遇が、俺達の時とは違い過ぎた。

 

 まず、オッタルのクソ野郎に直接指導されていた。

 通常、新入りはそこそこ経験を積んだ先達(せんだつ)荷物持ち(サポーター)として、経験者たちの罵倒と挑発を浴びせられながらダンジョンでの立ち回りや、武器の扱い方、採取素材の売り付け交渉を見て盗んでいく。

 俺もそのうちの一人だ。

 駆け出しの時は、雑用よろしくこき使ってきたカス共の寝首をいつ掻こうかと、何度も考えたもんだった。

 まあ、その時の奴等のほとんどが、俺が独り立ちした後、ダンジョンでつまらねぇミスしてくたばったらしいが。

 

 そんなワケで、団長自ら新入りの面倒を見るなんて事、まずありえない。

 オッタルのヤツだって、率先して後進を育てるなんてしないだろうし、そんなアイツを動かせることが出来るのは、ただ一人。あのお方を置いて他に居ない。

 その推測が、俺の胸をザワつかせる。

 

 極めつけは、まさにあのお方だ。

 それまでは、ホームに来られることが珍しく、運よく拝謁(はいえつ)の栄誉を授かった奴に、それ以外の奴らが寄って集って幸せをお裾分けして貰いに行くのが恒例だった。

 しかし、最近は、というか明らかにあのガキが入って来てから、あのお方がホームに訪れる頻度が多い。

 少なくとも、三日に一度は新入りの様子を見に来るためだけに、足を運ばれている。

 当の本人は、自分がどれだけ恵まれた立場にいるかもわかっていないようで、いつもいつもビクビクと情けない姿を俺達の前にさらしている。

 

 そんな奴にいい感情を持つ者は、このファミリアには存在しない。

 

 

 そいつが今、俺に対して戦えなどと催促してくる。

 俺のレベルは2。ダンジョンと『戦いの野』での戦闘で、何度も死にかけながら偉業を重ね、器を昇華させた上級冒険者。

 駆け出し程度が相手になるはずもなく、相手をしてやっても、こっちが得るものなど何もない。

 だから、頭を下げ続ける新入りに向かって、言ってやった。

 

「強くなりたいんです! お願いしますっ!」

 

 それに対する返事が、それだった。

 

 血を吐く様にも聞こえたその叫びに、改めてそいつの様子を観察してみれば、見るからに余裕などなく、握り続ける拳は、力を込め過ぎたのか血がにじんでいた。

 

 ――強くなりたい。

 

 体裁も、何もかも放り捨て、ただそれだけを求めて我武者羅(ガムシャラ)になっているその姿には、身に覚えがありすぎた。

 

 だから、気が迷ってしまったのだろう。

 気が付けば、俺はそいつに自身の獲物を向けていた。

 

「来いよ。お前の事は前から気に入らなかったんだ。精々這いつくばらせてやる」

 

 そう言うと、新入りもまた獲物を抜き、構える。

 格上らしく、向こうの出方を待ってやる。が、しかし。一向に踏み込んでくる様子はない。

 見れば、完全に怖気づいていた。

 少し拍子抜けになる。そちらから言い出して来たんだろうと。力の差が歴然な事くらい、分かっていただろうと。

 

 それを指摘してやれば、新入りは顔を赤らめて、怒りの声を上げながら斬りかかってきた。

 搦手(フェイント)も何もない、怒りに任せたただの突撃。

 

 まあ、こんなもんか。

 そう思いながら、振り下ろされる剣の横腹を叩いて逸らし、がら空きになった腹を蹴り飛ばした。

 あっけなく吹っ飛んだそいつを見て、僅かに落胆した。

 

 

 ……落胆した? 冒険者になって半月もしていないガキに、俺は少しでも期待していたって言うのか?

 

 自分の思考を疑う。

 あいつを見ろ。無様に仰向けになったまま、起き上がってこない程度の奴だぞ。

 まあ、駆け出しにしては、妙に動きが早く感じたが、それでも。あのお方がそこまで目を掛ける価値を、コイツが持っているとは思えない。

 

 ――そう、見切りをつけようとした、その時だ。

 

 

「……もう、一回……お願い、します」

 

 

 ソイツが立ち上がって、そう言ったのは。

 

 腹のモノを戻すまいと、口に手を当ててえずきながら、新入りは剣を構えた。

 時間の無駄だ。その言葉を口に出そうとして、ソイツの紅い目と目が合った。

 

 燃える様な、憤激に満ちた瞳に、口が動くよりも先に槍を構えてしまっていた。

 

「は、ぁ……っつあぁああああっー!」

 

 地面を蹴りつけ距離を詰めてきた新入りは、今度は下から切り上げてくる。

 俺は先程と同じように、それを横から叩いて軌道を変えて、体勢を崩してから、先程よりも強めに蹴り飛ばした。

 

(……軽い)

 

 強めに蹴り飛ばした、はずだった。それなのに、足から伝わる衝撃が先程よりも軽く感じた。

 新入りは時間を巻き戻したように、吹っ飛んでいく。

 先程と、全く同じように。

 

(――当たる直前に、自分から後ろに飛んだのか)

 

 今度は、直ぐに起き上がってくる。

 

「も、もう一回、おねが、ゲホッ……します」

「……テメェ」

 

 

 その後も、どれだけ蹴り飛ばしても、殴り飛ばしても。何度も何度も立ち上がり、何度も何度も剣を振るいに来るそいつに、俺は毛並みを逆撫でにされたような感覚を覚えた。

 こいつのこの強さへの直向(ひたむ)きさが、なぜか無性に感情を荒立たせる。

 

 最後の方では、思わず短槍で斬りつけてしまった。

 しかし、新入りはそれまでのやり取りの中で、俺から攻撃の軌道を逸らす技術を盗んだのか、それを俺で実践し、あまつさえ成功させやがった。

 

 いやまあ、成功してなかったら殺すとこだったんだが。

 流石に限界を迎えたのか、新入りはそこで気を失い、地面にブッ倒れた。

 俺は崩れ落ちた新入りを前に、しばらくその場から動けなかった。

 俺自身に、問う。

 

 ――俺が、コイツの様に格上に突っ掛かった事、最近あっただろうか、と。

 

 俺は、いつからか実力の離れた相手と闘う事を、避けるようになっていた。

 確かに、格上に挑んだってすぐに気絶させられて、その後しばらく動けなくなる。

 それなら実力の近い相手と、得物をぶつけ合って、互いに高め合う方が効率がいい。

 ダンジョンでだって、勝ち筋があるならともかく、敵わねえと分かり切った敵にわざわざ自分から近づく事は無い。そんなもの、ただの自殺に他ならないからだ。

 

 しかし、目の前で倒れ伏しているコイツの様に、格上だろうが、何だろうが。死に物狂いで食らいついてやるなんて気概は、今の俺にはなかった。

 

「……ッチ」

 

 汗まみれで息を荒げている新入りに、手持ちのハイポーションをぶっ掛けた後、ささくれた感情を持て余しながら、俺は自室へ向かった。

 

 

 道すがら、自問する。

 俺は、知らずの内に満足してしまっていたのだろうか。

 冒険者になって成果を上げ続けてから、寒さに凍えることも、飢えて苦しむこともなくなった。

 冒険者として力を着けた頃から、誰かから何かを奪われることなどなく、常に此方が奪う側だった。

 もう数年会ってもいない妹達の将来の事だって、例え俺が死んだとしても、学区で身に付けた教養があればどこでだって生きていける。

 

 それで、俺は満ち足りてしまったのだろうか。

 ここが、俺の到達点(ゴール)なのか。

 

 

 ――違う。

 

 こんなものじゃない。あのお方に拾って頂いた恩義は。

 そんなものじゃない。あのお方の愛に(むく)いたいという忠義は。

 

 それだけは、あのガキにも負けていない。その自負がある。

 

 

 自室に戻り、手早く装備を整えてダンジョンに向かう。

 雑魚を片手間に潰しながら進み、手頃なモンスターがいる階層に着くと、苛立ちをぶつけるようにモンスター共を殺し続けた。

 傷を負おうが、血を吐こうが、モンスターを追い求め続けた。

 そのまま俺は、夜通しダンジョンに潜った。

 

 

 ――それからおよそ一月後。新入りがレベル2に上がったとギルドで耳にした俺は、同僚たちを扇動(せんどう)し、半ば殺し合いになりかけながらもダンジョンに攻め込んだ。

 

 

 

 

 

 エッゾ・ファーム。十九歳。

 ベルがレベル2となった同時期に到達階層を大幅に更新。

 その偉業がひと押しとなって、レベルアップ。

 最近は、『戦いの野』で格上相手にも果敢に挑み続ける姿が見られている。

 

 愛用する武器は、特注品(オーダーメイド)であるスコップを模した短槍。

 

 

 与えられた二つ名は――【銀の匙】。

 

 

 




小樽が居るなら蝦夷も居てもいいやろ。そんなノリ。

オリキャラ君の容姿は駒場とふくぶちょーを足して二で割ったイメージ。


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白兎は走り出す 1

 ――微睡(まどろ)みに抱かれていた。

 

 甘い芳香が鼻孔をくすぐり、温かな湯水に浸かるような心地よさに包まれる。

 肌を通じて感じる全ての気配が穏やかだった。

 

 ……気持ちのいい眠気に、全身が支配されている。

 叶うならずっと、このままでいたい。

 

(……?)

 

 そっと、髪を撫でられた。額に触れる指の感触がくすぐったい。

 優しい指使いだった。安心する。

 どこかで似たような経験をした覚えに、閉じていた(まぶた)をゆっくりと持ち上げた。

 

「……、フ、レイヤ……様?」

 

 霞む視界に入った銀色の光に、女神様の名前を呟いた。

 

「あら、起きたの? 残念。もう少し堪能していたかったのだけれど」

「どう、して?」

 

 次第にはっきりしていく輪郭の線。

 最初に像を結んだのは日の光に(きら)めく銀の髪で、次は整った美しい顔立ち。

 最後は髪の色と同じ、銀の瞳。

 

 依然、ぼやけたままの思考に、僕は、僕を見下ろしているこの(ヒト)の美しい顔に、ただ魅入っていた。

 頭の後ろが、柔らかくて、温かい。

 何をされているのかは、すぐに見当が付いた。多分、きっと、膝枕。

 

 女神様の、フレイヤ様の指が、また僕の髪を()いた。

 

「どうしてとは、何に対しての事かしら? 膝枕(コレ)の事を言っているのなら、頑張っている自分の眷属に、優しくするのはおかしなことではないでしょう?」

 

 慈しむような、優しい指使いが、体が溶かされそうになるくらい心地いい。

 ともすれば、このまま芯まで溶け切ってしまいたいほどに。

 でも、その衝動に身を任せることは、他ならぬ僕自身が許さなかった。

 

「……僕は、頑張ってなんかいません。これっぽっちも、頑張ってなかったんです」

「……」

 

 のろのろと、上半身を起こす。

 頭の後ろから遠退くぬくもりに、文字通り後ろ髪を引かれそうになったけど、起きる。

 視界から女神様が消え、代わりに昇り始めた朝日に朝露が反射した、美しい原野が目に入る。

 お金持ちの人が飾るような絵画の一枚と比べても、なんら遜色のない光景から視線を切り、それよりももっと美しい女神様に振り返る。

 

「……フレイヤ様」

「ええ、聞いているわ」

 

 目を細めながら僕を見つめている女神様に、僕もまた、見つめ返す。

 

「……僕、強くなりたいです」

「……フフッ」

 

 僕の願いを、僕の宣誓を、真正面から受け止めてくれた女神様は、綻ぶように笑った。

 

 子の成長を喜ぶ母の様に。優美な令嬢の様に。無邪気な少女の様に。

 そして――背筋が震えるほどに、どこまでも(あで)やかな、笑みを浮かべた。

 

 

「いいわ、ベル。強くなりなさい……あなたのその願い、私が全て肯定してあげる」

「……はい。ありがとうございます、フレイヤ様」

 

 

 女神様は、最後に僕の頬をスルリと一撫ですると、折りたたんでいた膝を伸ばして立ち上がった。……ってぇ――

 

「フ、フレイヤ様っ!? その、膝……濡れ、っていうか泥でグチャグチャ……ッ!?」

 

 立ち上がった女神様の膝から下は、水気を帯びた泥で茶色く汚れ切っていた。

 

 ……そうだよねぇっ!? だってここ外だもんっ! そんなところで膝枕なんかしてたらそうなるよねっ!?

 って言うかそもそも、女神様はいつから僕に膝枕を……?

 

 見るからに高級そうな純白のドレスが台無しだ。汚れを落とそうにも、完全に染みついてるようで、全て落としきるのは不可能だろう。

 弁償しようにも、あれ一着を僕の稼ぎでまかなうには、一体何十年分必要になるのだろうか。

 

 頭の中が申し訳なさでいっぱいになって、それまで考えてた事が全部押し出されて行ってしまった。

 

「すみませんすみませんっ、ほんっとーに、すみませんんんーっ!?」

「ふふふっ、別に、気にしなくていいのに」

「気にしますよっ!? 僕なんかのせいで、貴方のお召し物を汚してしまうなんてっ!」

 

 それからしばらく、ワタワタと慌てる僕を、女神様は面白そうに眺め続けていた。

 

 結局、女神様のお付きの方達が館の方から迎えに来て、女神様の姿を見るや、慌てて館へ連れて行ったのだけれど。

 お付きの方の一人の、灰色の髪で顔半分を隠した女の人の僕を見る形相(ぎょうそう)が、滅茶苦茶恐ろしくて泣きそうになった。

 

 しばらく肩身の狭い思いをすることが、決定した瞬間だった。

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 

 あれから一旦自室に戻り、汗や泥に汚れた体を清めた後。僕は装備を整えダンジョンへ向かった。

 昨日の先輩との闘い――と呼べるものではなかったけれど――で負った傷は、既に治療されていて、なんら支障もなく体は動く。

 己を高め合う先輩たちの合間を縫う様に、『戦いの野(フォールクヴァング)』を駆け抜いて、ホームを飛び出す。

 さして疲れることもなく門を通り、白亜の塔に向かってストリートを駆ける。

 

 もう、距離を取ってコソコソする様な考えは、僕の中から無くなっていた。

 

 

 朝の空気を、目一杯に肺に取り込んで、全身に新鮮な空気を送る。

 迷宮の上に築かれた摩天楼が、地下に口を開けて僕を待っている。

 

 胸の奥に灯った強さへの渇望は、消えることなく僕の体を熱くし続けていた。

 

 

 

 

 

 

「――ギギャァッ!」

「シッ」

 

 振り下ろされる爪を、サイドステップで横に躱し、コンパクトに振るった剣で、ゴブリンの胴を薙ぐ。

 深手を負った腹から臓物を(こぼ)して、倒れ伏せるゴブリンから視線を切り、次の標的に狙いを定める。

 

「ゲロォッ!」

 

 バシュッと、空気を擦るような音と同時に射出されるソレを、背中を後ろに反らして回避。

 顔面スレスレを通り過ぎた一条の赤い矢が、巻き戻る様にして元の場所に引き戻されていく。

 体勢を戻し、こちらに照準を向ける巨大な単眼と、大きな砲口を注視する。

 下口にある袋が大きく膨らみ始め、閉じていた口が開かれた瞬間、斜め前方へと飛び込んだ。

 

「ゲコッ!?」

 

 射出された長い舌が、何もない空間を貫く。

 慌てて伸ばした舌を戻そうとするモンスターだが、振り抜かれた僕の直剣が、その体を食い破る方が早かった。

 

 残心。

 後方を振り返れば、『フロッグ・シューター』と呼ばれる巨大化した蛙のモンスターが、切り裂かれた部位から赤黒い体液をぶちまけて事切れていた。

 その更に後ろでは、点々と倒れ伏すモンスターの骸が転がっている。

 

「…………ふぅ」

 

 剣を一振りして、滴り落ちるモンスターの残滓(ざんし)を振るい落とし、一息。

 肺に空気を取り込めば、血の鉄臭さと、(はらわた)の生臭さが鼻につく。もうすっかり嗅ぎ慣れてしまった、戦場のにおい。

 

 ここは六階層。

 

 

 ダンジョンに飛び込んだ僕は、ひたすらモンスターを追い求め続け、奥へ奥へと迷宮を突き進んでいった。

 手ごわく感じ始めるまで進んでみようと決めて、いつの間にか到達階層を増やすことになっていた。

 

 ――まだ、いける。その余裕がある。

 

 手傷はほぼなく、接近を許してしまったモンスターの攻撃も、身に付けていた装備が肉まで届くのを遮っていた。

 倒したモンスターから魔石を採取し終え、先を進む。

 

 歩みを重ねてしばらく。僕は部屋状の広い空間に辿り着いた。

 ルームと呼ばれる広間は正方形を形作っており、視界を隔てるものは何もない。

 視線を広間の奥へと投げれば、更に先へと続く通路が見える。

 

 モンスターの気配のない広間の中を進み、中央付近に差し掛かったところでそれは起きた。

 

 

 ――ビキリ。

 

 

 静まり返っていた広間に、何かが割れる様な音が鳴り響いた。

 音は続き、次第に大きくなっていく。

 

 周りを見渡しても、広間のどこにも異常はない。

 しかし音は大きさを増し、鳴りやむことがない。

 

 

 ……エイナさんから受けた講習の内容を思い出す。

 

『いい、ベル君。迷宮の外のモンスターは通常、生殖によってその数を増やし、世代を重ねていくんだけど、迷宮内のモンスターは違うの。ダンジョンのモンスターはね――』

 

 ――ダンジョンの中で、産まれる。 

 

 その言葉が浮かんだ瞬間、音の異常は取り返しのつかない所まで行き着いた。

 

 ダンジョンの壁が、破れる。

 丁度僕の正面。僕が二人分、縦に並んだ辺りの位置に亀裂が走る。

 今まさに、僕の眼前で行われている通り、ダンジョンのモンスターは迷宮壁を内側から破り、一個の生命として誕生するのだ。

 成長の過程を飛ばし、すぐさま戦闘に臨める強靭な成熟体として。

 この巨大なダンジョンは、人類を脅かすモンスターの母胎に他ならない。

 

 壁の亀裂が広がり、中から怪物が姿を現す。

 最後に一際大きな破裂音を鳴らし、モンスターは地面に足を着いた。

 落下の衝撃を和らげるように体を丸めていたソイツが、ゆらりと立ち上がる。

 一目見て、抱いた印象は『影』、だった。

 

 身の丈一六〇C(セルチ)程の、二腕二足のヒト形モンスター。 

 しかしその表面には毛や体皮らしいものは一切なく、全身が黒いペンキで塗り固められたようだった。

 影がそのまま浮かび上がったような異形の怪物。

 唯一、頭部に位置する大きな鏡面が、首から伸びる十字の爪に嵌め込まれる様にして僕に向けられている。

 六階層出現モンスター『ウォーシャドウ』。

 

 それが、二体。

 壁を破り、地面に落ちてきた落下音は一つだけでなく、二つだった。

 顔を少し動かし、後方に目を向ければ、そこにはもう一体のウォーシャドウが立っていた。

 

「……っ!」

 

 ――二対一。挟み撃ちによる形勢不利。

 

 頭の奥から、青年の声が響く。

 

『――逃げていいのは、目の前のクソを殺す方法を考える時だけだ』

 

 瞬間、地面を蹴り抜く。

 前方でも、後方でもなく、真横に向かって。

 広いと言っても、四方を壁に囲われた空間。すぐに壁に突き当たる。

 発声器官を持たぬウォーシャドウは、打ち合わせたかのように揃って僕の背を追ってくる。追いつめられるのも、時間の問題だろう。

 

 だが、それでいい。

 

「はぁっ!」

 

 解体用の小刀を振りかぶり、一方のウォーシャドウに投げつける。

 技術のない、刃に当たるかも怪しい投擲。小刀は回転しながらウォーシャドウを目指す。

 当然、小刀はウォーシャドウの腕の一振りで容易く弾かれた。

 それでも、並走するもう一方のウォーシャドウに一歩、出遅れた。

 

「――っ」

 

 駆ける。直剣を両手で握り締め、突出した一体に迫る。

 

『……』

「セァッ」

 

 鋭く振った斬り下ろしが、ウォーシャドウの三本の『指』に阻まれる。

 異様に長い腕の先から伸びる、鋭利なナイフのような長い指。

 硬く鋭い鉄の刃が、モンスターの生身に弾かれた。

 これまで僕が遭遇したモンスターの中でも、ミノタウロスを除けば随一の戦闘能力を有するモンスター。それがこのウォーシャドウだ。

 

 攻撃が防がれたことは気にも留めず、モンスターから距離を取る。

 追いすがるモンスターを認めて、反転。攻撃を繰り出し、また距離を取る。

 二体が並ばないように、位置関係を調整しながら一撃離脱(ヒットアンドアウェイ)を繰り返す。

 

 

 脳裏に過ぎる、先程とは別の男の人の声。

 

『多対一を行う時は、相手の位置や攻勢の瞬間を乱す事を意識しろ。多対一ではなく、一対一を繰り返せ』

『相手を誘い、拍子を外せ。――戦闘の流れを、己のモノにしろ』

 

 最初の三日間に、オッタルさんから教えられた事の一つ。

 あの時は、よく分かっていなかった。でも、今なら理解(わか)る。

 

 足を止めることなく動き続け、攻める時は常に自分から。

 敵に攻撃させる隙は見せず、時には後方の敵にも斬りかかる。

 

 相手を追わせ(さそい)、意識の隙をつく。

 

 

 戦闘を、支配する。

 

 

『――……ッ!』

 

 攻撃が当たるどころか、(やいば)を振らせても貰えない事態に焦れたのか、ウォーシャドウの一体が腕を大きく振りかぶった。

 鉤爪状に折り曲げられた三枚の黒刃(ゆび)が、振り下ろされる。

 その先端が、僕の肉を食い破ろうと迫るのを、横から剣で腕を殴りつけることで、拒絶する。

 

「シッ!」

 

 刃の軌道がズレ、僕の横を通過していく。

 渾身の一撃が外されたウォーシャドウの体勢は、崩れ切っていた。

 その隙を、見逃してやる道理はなく。素早く引き戻した直剣がウォーシャドウの胴体を斬り裂く。

 崩れ落ちる音を後方に置き去りにしながら、前へ。

 

 倒れ伏せる同胞に、僕に詰め寄ろうとしていたもう一体の方が、戸惑う様に一瞬硬直した。

 鏡状の顔面に表情はないはずなのに、その様子に狼狽するのが分かって、一寸(ちょっと)面白い。

 硬直から動作が遅くなったウォーシャドウの鏡面に、その懐に飛び込むと同時に直剣を突き入れた。

 

 貫かれたモンスターの頭部が、割れながら破片を飛ばす。

 ウォーシャドウは短く痙攣し、全身から力を消失させてがくりと膝を屈する。

 剣戟の音が鳴り響いていた空間に、静寂が戻る。

 広間(ルーム)で動いているのは、僕だけになった。

 

 

「……か、勝てた……」

 

 『上層』と定められた一から十二階層の内、新米の冒険者では敵わないモンスターの筆頭。それがウォーシャドウ。

 それを相手に、それも二体同時をして、全く危なげなく勝利を収めることが出来た。

 

 僕は、強くなれている。

 【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインや、それこそオッタルさんからして見れば、なんてことのない変化だろう。

 それでも確実に、着実に。

 その背に近づけている、確かな実感を感じることが出来た。

 

 僕はもっと、強くなれる。

 

「……っ!」

 

 握り締めた拳を見下ろしながら、感慨(かんがい)を噛み締める。

 

 

――ビキリ、ビキリ。

 

 突如、そんな僕にまだ終わってないぞとでも言うように、何かが割れる音が鳴り響いた。

 それも、四方全てから。

 

 あっという間に、壁を破って産まれ落ちるウォーシャドウ。都合、四体。先程を倍する数の『影』の怪物が、ゆっくりとこちらに迫ってくる。

 僕は声を失い呆然としていたが、更にそこへ、追い打ちをかける様に通路に繋がる二つの出入り口から、一匹、また一匹と、モンスターが広間に足を踏み入れてきた。

 静寂は去り、モンスターの唸り声が耳朶(じだ)を叩く。

 

 僕は、完全に取り囲まれてしまっていた。

 

 

(――……あぁ)

 

 

 剣を握る手が、(ふる)えるのが分かった。

 胸に灯る想い(ほのお)は依然燃え上がったまま、僕を熱くする。

 肺を目一杯膨らませるように息を吸い、それを胸の奥へと送り込む。

 

 

 戦いの幕は、獣の咆哮と共に切って落とされた。

 

 

 

 



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白兎は走り出す 2

 カンカンと照り付ける太陽の光が、瞼の裏にまで刺し込む様で目に染みた。

 時間は正午を少し過ぎた位。

 雲一つない、清々しいほどに青い空に、僕のお腹の音が盛大に響き渡った。

 

「……………お腹空いた」

 

 内臓が締め付けられるような感覚に、お腹に手を当てながらそう呟けば、ますます空腹感が大きくなっていくようで、またお腹が大きく鳴ってしまった。

 

 僕がこんなにも苦しんでいる理由は一つ。お金がないから。

 昨晩、オッタルさんから教えて貰った『豊穣の女主人』から飛び出した際、料理の代金に財布ごと置いてきてしまったからだ。

 あんなに重く膨らんでいた懐はいまや見る影もなく、僕は文字通り、一文無しになってしまっていた。

 かと言って、引き留める声に耳を貸さずに店から出ていった手前、再び店に顔を出す度胸は僕にはなかった。

 仕方なしに、朝食抜きでダンジョンに稼ぎに潜ったのだけど、何を考えていたのか、今朝の僕が『行けるとこまで行ってみよう』なんて馬鹿な事をしたせいで、僕は現在、壮絶な空腹感に苦しめられていた。

 

 

 六階層でウォーシャドウ二体に勝利を収めた後、追加で現れたモンスターの集団も相手取り、なんとか切り抜けることが出来た僕は、直ぐにダンジョンから退却した。

 ロクな準備もせず、更には空腹でダンジョンに潜り、挙句の果てに到達階層を一つ増やして危ない目に遭っただなんて、エイナさんに知られたらそれこそ大目玉だ。

 先日のお説教が可愛く思えるほどの雷が、降り荒れる事になるだろう。想像しただけで背筋が凍りそうになる。

 

 それでも、僕はこれからも同じ事を繰り返す。

 エイナさんは、無理せず、焦らずに進んでいけばいいと言ってくれた。

 でも、それじゃあダメなんだと、悟ってしまった。

 僕が目指している場所は、そんな調子じゃ絶対に辿り着けない。

 僕がなりたいモノは、その程度なんかじゃ絶対になれない。

 

 『何もかもを、死に物狂いでしなければ』、自分は憧憬に手を伸ばすことすら許されない。

 金色の剣の姫に、命を救われた時。

 涙を流しながら夜の街を駆け抜いた時。

 女の人に助けられて、それを大勢に笑われながら、自身の弱さを晒されたあの夜の苦い思いが、それを僕に告げていた。

 

 

 だから僕は、走り出す。

 脚を緩めるなんてことはしない。まだ遥か遠く、見果てぬ程の高みに立つ英雄(オッタルさん)に並び立てるまで、僕は駆け上がる。

 そう、決めた。

 

 

「でも、流石に空きっ腹でダンジョンに潜るのは、もう止めよう」

 

 そう思ってしまうくらいに、空腹感が辛すぎる。

 幸い、先程ギルドで換金を済ませたため、お金はある。

 この苦しみから解放されるためにも、何かすぐにお腹に入れれるようなものを見つけないと――

 

「いらっしゃーい! ジャガ丸君あげたてだよーっ! そこのエルフ君、おひとつどうだい? なんとっ今なら一個お買い上げごとに、ボクのファミリアになれる特典もついてくるぜぃ! ……え、いらない? 間に合ってるって?」

 

 きょろきょろと辺りを見回していると、聞き覚えのある声が耳に入った。

 その声の方に目を向ければ、ツインテール頭の幼い少女が、小さなジャガ丸くんを模した飾りを付けて、屋台の売り子をやっていた。

 丁度いいとばかりに、その屋台に近づいて売り子の少女に声を掛ける。

 

「すいません。ジャガ丸くん二個、いや三個下さい」

「まいどありっ おや、キミはいつぞやの冒険者君じゃないか」

「あれ、僕の事覚えててくれたんですか?」

「まあね! ウチで商品を買ってくれたお客様の事は忘れないよっ……なんてね。あの時の君は、なんだか迷子の子供みたいな雰囲気をしていたから、ちょっと気になっていたんだ」

「え、えっと……あはは」

「その様子だと、何らかの形で心の整理がつけられたみたいだね。ボクも一安心だ。良かった良かった」

 

 そう言って、売り子の少女は、柔らかな笑みを僕に向けた。

 その言葉と表情を向けられた事が、少し気恥ずかしくて。僕は視線を彷徨わせながら首の後ろを撫でさすった。

 

「そ、そんなことも分かるなんて、流石ですね。ヘスティア様」

「えへへー、まあ、それほどでもあるかな! なにせボクも神の一柱(ひとり)だからねっ」

 

 僕が褒めると、その少女――ヘスティア様は腰に手を当てて、幼げな顔に見合わぬ、豊かな胸を張り出した。……その光景は僕にしたら少し目に毒だ。

 目の前の少女は、正真正銘『超越存在(デウスデア)』。僕の主神であるフレイヤ様と同じ、神様の一柱(ひとり)だ。

 そんなすごい存在である目の前の方が、路上で軽食売りの屋台で働いているなんて所を初めて見た時は、思わず声に出して驚いてしまったくらいだ。

 

 ……いやまあ、ご本(にん)が楽しそうに売り子をしているなら、いいんだろうけども。周りの人達からも親しまれているみたいだし……マスコット的な意味合いだけど。

 

「それで、ジャガ丸くん三個だったね。味の方はどうする? 新作の小豆苺クリーム味がオススメだよ」

「いや、僕は甘いのは苦手で……普通にプレーンでお願いします。それが一番好きですし」

「おぉっ、奇遇だねぇ! ボクもプレーンが一番好きなんだ。もう好きすぎてジャガ丸くんはプレーンしか食べないくらいにねっ」

「へぇ」

「本当に好きだからね。もう毎日ジャガ丸くんを食べてるくらいさっ……昨日だって朝昼晩ジャガ丸くんだったし、一昨日もジャガ丸くん。その前の日もジャガ丸くん……さらに前の日も…………」

 

 はつらつとした表情だったヘスティア様の目から、どんどん光が消えていく。

 ……それ、好きというより、ただの在庫処分なんじゃ……

 

「あ、あの、ヘスティア様……?」

「――ハッ! いけない、いけないっ。……はい、おまたせ。ジャガ丸君プレーン味三個ね」

「あ、ありがとうございます……あの、つかぬ事をお聞きしますが、ジャガ丸君以外に何か食べたりとかは、されないんですか?」

 

 我に返り、紙に包んだジャガ丸くんを手渡してくれたヘスティア様にそう言うと、ヘスティア様は再び沈み込む様に表情を暗くされてしまった。

 

「……仕方ないんだよ。ボクは眷属のいない神だから、自分で生活費を稼がないといけないんだけど、この屋台の給料じゃ日用品を揃えるのが精一杯でね……そうなると、食費を切り詰めるしかないんだ」

「そ、そうだったんですね」

 

 神様も苦労するんだなぁ。うちの女神様にも、そんな時期があったんだろうか。……何だか想像つかないな。

 

「ま、こんな苦労も今だけさ。そのうちボクの眷属になってくれる子が見つかれば、この生活も大分ましになるはずさ」

「そ、そうですよ! 頑張ってください、ヘスティア様!」

「うん、ありがとう! なに、キミも手伝ってくれてもいいんだぜ?」

「えっ……いや、でも。僕はもう他の神様の眷属ですし。別の神にあまり手を貸すのは……」

「あぁ、違う違う。何も一緒に探せなんて言わないさ。ただ君が有名になった時に、この屋台のジャガ丸くんで強くなれましたーとか、ここの屋台を宣伝してくれるだけでいいんだ。そうすれば、ここの屋台はたちまち人気になって、お客さんが入れ食い状態になる事間違いなしだ。その中に、ボクの眷属になってくれる子がいるかもしれないっ!」

「なるほど! そういうことなら任せて下さいっ! 直ぐに名を上げて、ヘスティア様の手助けになれるよう頑張ります!」

「た、頼もしいなぁ、キミは……うぅ、どうしてキミがボクの眷属じゃないんだろう。ホント、この下界は理不尽に溢れているよ」

「え、えっと……スミマセン?」

 

 何故だろう。ヘスティア様の容姿が幼い少女のものであるせいなのか、この神様(ヒト)が落ち込む姿を見ていると良心が呵責されてしまう。

 

 なんとかヘスティア様を励ました後、追加で購入したジャガ丸くんと共に手を振り合って別れ、僕はジャガ丸くんをかじりながらストリートを歩く。

 揚げたてでホクホクのジャガ丸くんは、空腹がスパイスとなって最高に美味しかった。

 

 ……美味しかったけれど、どこか物足りない気分がするのは何でだろう?

 何が足りないのかも分からず。それでもお腹は満たせたので、首を傾げつつも気にしないことにする。

 

 今はただ、強くなりたいというこの想いのままに。

 本拠(ホーム)に戻って少し体を休めたら、また先輩達に手合わせを願おうと予定を組み立てながら、油でまみれた指をなめた。

 

 



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白兎は走り出す 3

天然ジゴロ共め……神(作者)の鉄槌を食らうがいい(暗黒微笑)




 西へと傾いた太陽が完全に沈み込んだ夜。

 闇の(とばり)がオラリオを覆い、蒼穹は暗幕に代わる。

 暗幕に開いた穴の様に星々が瞬いて夜空を彩り、真円を描く月が地上を淡く照らしている。

 日が落ち陰るストリートに沿う様に、白光を放つ魔石灯が立ち並び、石畳を明るく照らす中。一両の馬車がとある建造物を目指して進んでいた。

 

 

 それは三〇Mにも届くかという巨大な建造物。その外観は胡坐(あぐら)をかいて座る、頭部が象の巨人像だ。

 【ガネーシャ・ファミリア】の本拠(ホーム)、『アイアム・ガネーシャ』である。

 今は無数の魔石灯によって照らされ、下からライトアップされた姿は、見る者に妙な圧迫感を抱かせる。

 何を思ったのか【ガネーシャ・ファミリア】の主神ガネーシャが、それまでの南国の宮殿の如き立派な館を取り壊し、ファミリアの貯蓄から大枚をはたいて建設した巨大施設。威風堂々と胸を張る姿は、『己こそがガネーシャである』と言わんばかり。

 少しは(つつし)みというものを知らないのだろうか。

 

 そんな奇怪極まる建造物の前で馬車は停まる。

 見れば、同じように停められた馬車が何両も並べられていた。

 

「到着いたしました」

「ええ、ありがとう」

 

 御者が流麗な動きで扉を開ければ、中から美しい女性が姿を現した。

 風になびく銀の髪は、芳しい香りを辺りに振り撒き、金の刺繍が(ほどこ)されたドレスに閉じ込められた細く豊かな肢体は、見る者の理性を刺激する。

 超越した美貌の主。神フレイヤである。

 

 馬車から降りたフレイヤは、流れる銀髪を手で軽く押さえながら、楚々とした動作で目の前に屹立(きつりつ)する巨人像を見上げた。

 

「何考えているのかしら」

 

 

 普段は柔和な笑みを浮かべるフレイヤも、今ばかりは真顔で。

 顔見知りと全く同じ外見の建物にある唯一の出入り口は、胡坐をかいた股間の中心だった。

 

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 

「あれ、アンタも来てたんだ。珍しいわね」

「ええ、久しぶりね。ヘファイストス」

 

 御者が頭を下げて見送る中、建物の中に入ったフレイヤは、外側とは異なり落ち着いた内装の大広間に足を踏み入れた。

 丁度同じくらいに会場入りしたのか、かつていた天界でご近所だった知人と顔を合わせた。

 声を掛けてきたのは、燃える様な紅い髪と深紅のドレスを着こんだ麗人。

 線が細くも、鋭い顔立ちには意志の強さが見られ、その髪色と相まって、炎のような美しさを見る者に与える女性は、しかしてその美貌の右半分を黒い布で覆い隠している。

 彼女の名はヘファイストス。オラリオの『鍛冶師』業界の大手【ヘファイストス・ファミリア】の主神。

 そんな大派閥を束ねる彼女の隠されていない左目が、普段よりもわずかに大きく開かれ、彼女の驚きを表していた。

 

「少し思うところがあってね。そうだヘファイストス、後で時間を頂けないかしら」

「アタシの? 別に構わないけど。ますますもって珍しいわね」

「ふふ、ありがとう。でも今は、この宴を楽しみましょう?」

 

 そうして二人の女神は大広間の奥へと足を進める。

 広間を見渡せるように設けられたステージでは、浅黒い肌の美丈夫が、外の建物と同じように真っ赤な象の仮面を被って、宴の挨拶を行っている最中だった。

 

『――本日は良く集まってくれた皆の衆っ! 俺がっ! 俺こそがっ! ――ガネーシャだぁぁああああっっっ!!』

「はいはいガネーシャガネーシャ」

「あ、ちょっとそこの肉取ってくんね」

「はいよー」

『今回もこれほどの者達が息災な姿を見せてくれて、ガネーシャ、超・感・激ッ!! この喜びを、どうかお前達にも伝えたいっ! 今一度言おうっ! 俺g――』

「給仕さーんっワインおかわりーっ!」

「タケミカヅチくぅーん、なぁにタッパーに食べ物詰め込んでるのぉ? ホント貧乏臭いねぇ。ちょっと貸しておくれよぉ」

「や、やめろぉーっ!? それは俺の子たちに持っていく大事なごちそうなんだっ! あっ、汁物と一緒にするんじゃないっせめて仕切りを、この、やめっ……まぜまぜするなぁああああっ!?」

 

 立食パーティーの形式が取られている大広間には、貴族然とした美男美女がガネーシャのスピーチを聞き流しながら、好き勝手に飲み食いや談笑を楽しんでいる。

 この場に集まる来賓すべてが、迷宮都市内に居を構える『神』であり、下界に降り立った神々が顔を合わせるために集まるこの宴は、いつからか『神の宴』と呼ばれ、娯楽に飢える彼らを楽しませる一つとして続けられていた。

 宴の主催に決まりはなく、その時に宴がしたい神が行うもので、今回はガネーシャが主催で宴が開かれていた。

 

 久しぶりに顔を会わせる者も、そうでない者も、みながみな楽しそうに、宴の雰囲気を明るいものにしている。

 そんな楽しさの提供元(ギセイ)となってくれた者達の周りに、また一人と神々が集まっていき、場の盛り上がりは加速していく。

 

「……いや、カオスすぎるでしょ」

「あら、いいじゃない。皆楽しそうで」

「中には楽しめてない奴もいるみたいだけどね……」

 

 神々の哄笑と悲鳴が上がる大広間で、フレイヤとヘファイストスは穏やかに軽食と会話を楽しみ、各所で広げられる騒ぎを眺めていた。

 そんな二人の元へ大きく手を振りながら歩み寄ってくる女神がいた。

 

「おーい! ファーイたーん、フレイヤー、元気しとったかぁーっ?」

 

 朱色の髪と朱色の瞳。いつもは紐で結び簡単にまとめている髪型は、額の中心で分けて固められ、細かい装飾があしらわれた髪留めで、後頭部に集めて垂らしている。

 黒を基調とした礼服を着こなし男装する女神は、その体型(絶壁)からしても、よく似合っていた。

 

「ブッ殺」

「ロキ、いきなりどうしたの?」

「いや、なんか変な電波受信したみたいでなぁ……この感じだとドチビあたりか?」

「相変わらずね、アナタ。……でも、本当に久しぶりね。フレイヤにも会うし、今日は珍しいこと続きだわ」

「なんやぁ、ウチは宴やるっちゅー聞いたらどこにでも飛んで行っとるで? タダ酒呑めるしなぁ……珍しい言うたら、フレイヤ。自分、こぉゆう場に滅多に顔出さんくせに、どういう風の吹き回しや?」

「別に、大したことじゃないわ。ヘファイストスにも言ったけど、少し気が向いただけよ」

「ほーん。ま、ええわ。自分、後でツラ貸してくれへんか? 話あんねん」

「いいけど、私もヘファイストスに用があるからその後にね」

「おう、じゃあ後で連絡入れるわ」

「わかったわ」

 

 糸目がちな瞳を薄く開いてフレイヤを見るロキは、フレイヤの言葉にそう言うと、用は済んだとばかりに二人の下から去って行った。

 

「……それで、アタシに何の用があるのよ?」

 

 宴も半ばを過ぎ、頃合いと見たのか、ヘファイストスが話を切り出した。

 尋ねられたフレイヤが、薄い唇で上品に弧を描く。

 

 

「――私の【ファミリア】の子に、武器を作って欲しいのよ」

 

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 

「エッゾさんっ! また手合わせお願いできませんかっ?」

「は? この前俺にボロクソにやられてただろうが。マゾかお前は」

「……? あの、マゾって……何ですか?」

「…………、……剣構えろよ。やるぞ」

「っはい! ありがとうございますっ!」

 

 ヘスティア様と話した日から二日たった翌朝。

 僕は原野でエッゾさんと手合わせをしてもらい、自分が強くなっていることを再確認することが出来た。

 付き合ってもらっているエッゾさんには、感謝しかない。……また何度も地面を転がされたけど。

 

「イテテ……」

「クラネル君また怪我したの? 見せて、治すから」

「あ、エイルさん。ありがとうございます」

 

 僕が原野の隅で休んでいると、エッゾさんに打ち据えられた箇所が青く腫れているのを見て、エイルさんが近づいてきた。

 エイルさんは僕の傷の程度を診て、魔法は必要ないと判断したのか、シップと包帯を取り出すと、慣れた手つきで治療をしてくれる。

 

「…………君だけは」

「はい?」

「君だけは、まともな人だと思っていたのに……っ」

「え、その……い、痛っ! エイルさんっ包帯を巻くのが強すぎますっ!?」

「これ以上仕事が増えないと思っていたのにっ! なんで三日も連続で怪我してるのぉ!? それもダンジョンじゃなくてホームでっ!!」

「すみませんすみませんっ! だからもう少し緩めて下さいっ!」

「毎日毎日治療治療治療っっっ!! もうイヤァァー――――――――ッ!!!」

「痛い痛い痛いっ! ごっ、ごめんなさぁぁぁいっ!?」

 

 まあその際ちょっとしたアクシデントはあったものの、数多の経験を重ねた彼女の腕は確かで、恩恵のおかげも合わさってすぐに腫れは引いた。

 その後、ダンジョンの五階層に潜った際。うっかりヘマをしてしまって怪我を負った僕は、帰ってすぐ出くわしたエイルさんから、力一杯ポーションを投げつけられた。

 その時の彼女が浮かべていた『いい加減にしろよ。お前』と言わんばかりの“無”の表情が、喉が引き攣りそうになるくらい怖かったのは、僕の内心に秘めたままにしておこう。

 

 

 そしてまた、一日が終わる。

 今日も自分が強くなれたと実感しながら床に就き、襲ってくる睡魔に身を任せる。

 しっかりと体を休め、日の出と共に目を覚まし、軽く運動して体をほぐした後。

 今日は一日ダンジョンに潜ろうと予定して、ホームを出る。

 

 そんな僕を、門の前で待ち続けていた女性が居た。

 

「あ、ベルさん……」

「シ、シルさん……?」

 

 その人はあの日、僕を酒場に誘ってくれた、店を飛び出す僕を呼び止めようとしてくれた――シルさんだった。

 

 



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白兎は走り出す 4

「ゴブゥァッ!」

「ほっと」

 

 振り下ろされるゴブリンの鋭利な爪を、横に大きく跳んで避ける。

 殺意の()められた攻撃は、風切り音を立てて何もない空間を通り過ぎた。

 

「ギィイ……――シャァッ」

 

 続けて距離を開けた僕に飛び掛かり、二回、三回と腕を振り回すゴブリンを足さばきだけで()なしていく。

 薄暗いダンジョンの中で、後ろや横にステップを踏む僕は、ゴブリンと踊る様にして立ち位置を変えていた。

 一向に当たらない攻撃に業を煮やしたゴブリンは、単調な動きを怒りで更に単純化させ、それに比例して攻撃が避けやすくなっていく。

 

 ……ここらへんかな。

 

 周囲の状況を(かんが)みて、ここが潮時だと決めた僕は、手に持つだけだった抜身の直剣を振るった。

 

「グギャアァァッ!?」

 

 こちらに突き出されたゴブリンの腕が、振るわれた剣に断ち切られたことで、回転しながらどこかに飛んでいくのを視界の端で見送った。

 直ぐに視界の外に出ていった腕の行く先は気に留めず、斬り飛ばされた腕を抑えてのけ反るゴブリンのガラ空きになった胴体を、剣先でひっかく様に斬り裂く。

 あまり力の乗せてない攻撃だったけど、細身の体躯であるゴブリンには十分な致命傷を与えられたようだった。

 しかし、重傷を負ったとは言えまだ息のあるゴブリンは、憎悪の籠もった眼を僕に向けている。

 健在である片方の腕が、僕を傷つけようと振りかぶられ――ゴブリンは上から降ってきた物体に圧し潰された。

 

 

 ゴブリンに剣を振るった後、即座に後ろへ飛び退いていた僕には、とっくに落ちてきた物の範囲から出ていたため何の影響もないが、ソレの真下に居たゴブリンはひとたまりもなかったようだ。

 

「グギゲゲゲ……」

 

 上からの奇襲を完全に躱されたソレは、悔しそうに喉を震わせた。

 『ダンジョン・リザード』。それが目の前にいるモンスターの名前。

 ヤモリを巨大化させたようなモンスターで、吸盤状になった手足で壁や天井を這いずり回るのが特徴だ。

 

 ダンジョンの二階層から四階層までを出現域とする低級モンスターだが、二Mに届くほどの体の大きさと、それに見合った重量が頭上から降ってくるのはかなりの脅威だ。

 目の前のゴブリンやコボルトに意識を集中していて、天井から落ちてくる『ダンジョン・リザード』に気付かずに潰される冒険者も多いのだとか。教えてくれたエイナさんには感謝しかない。

 

 『ダンジョン・リザード』の厄介なところは、文字通り縦横無尽の行動範囲だ。天井などを移動されたら、刃渡りが六〇Cしかない僕の直剣では手が出せない。

 だから、先程の様に他のモンスターとの戦闘を行いながら、地面に降り立つのを誘ってやらなくてはいけない。そう言った点でも厄介なモンスターだ。

 

「やぁあああっ!」

「グゲェッ!」

 

 壁からそれなりの距離を離したとはいえ、再び壁や天井に登られる前に、素早くダンジョン・リザードへと飛び込み剣を振り下ろす。

 鈍色の半月がモンスターの体を通過する。両断とまではいかなかったけど、深い傷を負ったダンジョン・リザードは、短く痙攣した後に動かなくなった。

 

 

 沈黙したモンスターに用心しつつ周囲を見回し、しばらく。

 危険がないか確認を終えると、戦闘で張りつめていた緊張の糸を少し緩めた。

 

「ふぅ……よしっ」

 

 勝利の余韻に浸りすぎることもなく、魔石を回収した後その場を離れる。今回は『ドロップ・アイテム』は出なかった。

 

 

 

 

 朝からダンジョンに潜り続けた僕は、ここらで探索を切り上げる事にした。腹の空き具合から、今は正午に近い時間だろうか。それまでモンスターとの戦闘を重ねたことで、背中のバックパックが魔石やモンスターの素材で膨らみ、重くなっていた。

 正規の道順(ルート)を通り、最短距離で階段を昇っていく。

 ダンジョンと外を繋ぐ唯一の出入り口へと続く『始まりの道』とも呼ばれる、幅の広い大通路を進んでいくと、大きな空間に出る。

 天を仰ぐように顔を上げれば、今自分がいる場所が地上に開いた大きな穴の底だというのが分かる。

 穴の深さはおよそ十M程か。円筒状の大穴に沿う様に、緩やかな螺旋を描く階段が穴の淵まで続いている。

 丁度今からダンジョンに潜るのだろう、冒険者達の邪魔にならない様、隅に寄りながら階段を上がっていくと、普段とは様子が違っていることに気が付いた。

 

 

『――上げるぞー、気を付けろよーっ』

『そのまま、そのまま……おいっ端に寄せ過ぎだ!』

『す、すみませんっ』

 

 上の方からそんな会話が聞こえた事で、おもむろに顔を上げた先。

 大穴の外から突き出された柱から、太い鋼線が穴の底から巨大な箱を吊り上げていくという光景が見えた。

 大規模な【ファミリア】が遠征する際に用いるという、カーゴと呼ばれる物資運搬用の収納ケース。クレーンという専用の装置で地上に運ばれて行く様子は、規模の大きさから言って圧巻の一言だ。

 

 ゆっくりと大きなカーゴが持ち上がっていく光景を、口を半開きにして見続けていると、突然カーゴが激しく揺れた。

 

「!?」

 

 上でクレーンを操作する人たちが何かをしたわけでなく、独りでに動くカーゴに、僕はその中身が何なのかを察した。

 その予想を裏付ける様に、カーゴの内側から唸り声まで聞こえてきたことで、途端にカーゴが『檻』に見え始める。

 

『あー、そういえばそんな時期か……』

『またやるのか、アレ』

怪物祭(モンスターフィリア)、ねぇ‥…』

 

 階段の途中で立ち止まる僕の横を通り過ぎる冒険者たちが、揺れるカーゴを見て話し合うのを耳が拾う。

 

 

「……怪物祭(モンスターフィリア)

 

 

 その単語に、僕は今朝の出来事を思い返した。

 

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 それはまだ早朝の事。

 

 ダンジョンに向かうべくホームを出た僕が、見知った少女から声を掛けられたのが始まりだった。

 

 

「……」

「……」

 

 鈍色の髪に、動きやすそうなワンピースが良く似合っている女の子。

 【豊穣の女主人】で給仕をしていた、シルさんだ。

 

 目の前にシルさんがいるというこの状況に、僕は軽い混乱状態に陥ってしまっていた。

 なぜ彼女がここに居るのか。いつからここに居たのか。僕の前に現れた理由はやはり、先日の店を飛び出した件か。いやいや、もしや料理の代金が置いてきた金額じゃ足りなかったんじゃないのか。それともまた別の件か。

 いろんな考えが浮かんでは消え、また浮かぶ。

 

 僕は動揺を隠せず、視線をあちこちに泳がせながら硬直して、動けなかった。

 

「……あの、これ」

「!」

 

 そうして固まる中。声を掛けられ、彼女から差し出されたものを咄嗟(とっさ)に受け取った。

 

 彼女が差し出したのは、見覚えのある布袋。

 記憶よりも大分その膨らみを小さくさせた、僕の財布だった。

 

 ……これを渡すために、わざわざ?

 

 

「ごめんなさい」

「……ぇ?」

「私があの日、お店に誘ってしまったせいで、ベルさんを傷つけてしまって」

 

 シルさんに謝られるという状況に、しばし呆然とした後。

 目を伏せがちにして頭を下げ続ける彼女の姿に、事態を認識して急激に顔を熱くさせると同時。それまでの状態をかなぐり捨てて声を張った。

 

「ち、違います! 悪いのは店を飛び出した僕でっ、シルさんは、貴方は全然悪くなくて!? そもそも店に行こうとしたのはシルさんに会う前からだったし、というか、謝らないといけないのは、シルさんの呼び止める声にも耳を貸さずに出ていった僕の方で、財布だってこうしてわざわざ返しに来て貰って……ご、ごめんなさいっっ!」

 

 動揺に動転を重ね、とにかく言わなくてはいけないことを片っ端から口にする。

 自分の身勝手な行いのせいで、この人に謝らせてしまった事を死にたいくらいに恥じた。

 

「その、えっと、だから……」

 

 真っ白になった頭で、本当に伝えなきゃいけないその言葉を必死に手繰り寄せ、何度かどもった末、ようやくそれを口に出すことが出来た。

 

 

「――お店に誘ってくれて、財布を返しに来てくれて……ありがとうございました!」

 

 

 勢いよく頭を下げて、腰を折る。

 そのまま、地面を見つめて十数秒。

 

「……頭を上げて下さい、ベルさん」

 

 頭の裏に掛けられた声に、体勢をもとに戻すと、シルさんは先程までの沈痛そうな表情を和らげ、代わりに困ったような、安心したような微笑みを浮かべていた。

 

「……実は、ベルさんが店を飛び出してしまった後。私、ベルさんを探しに行ったんですよ?」

「えっ」

「でも、店を出た時にはもう見失ってしまってて、お財布も置いたまま音沙汰もなく……すごく、心配しました」

「うっ」

「正直、最後のベルさんの表情から、あの後ダンジョンに向かったんじゃないかって……それで、悪い想像ばかりしてしまって」

「ご、ごめんなさい……」

 

 ………………いや、もう。本当にスミマセンでした。

 

 顔を愁眉(しゅうび)に歪めるシルさんに、僕は申し訳ないやら、情けないやらでいっぱいになった。

 なんだか、最近色んな人に心配を掛けてばかりな気がする。

 

「今日ここに来たのも、メインストリートの屋台でベルさんを見たって噂を聞いたからなんです。ミアお母さんからは放って置けって言われましたけど、気になってしまって……顔を見れて良かったです」

「うぅ……」

 

 心底安堵したという彼女の様子に、僕の良心が猛烈な痛みを訴えている。

 そんな、背を丸める僕の額を、面倒見の良いお姉さんが落ち込む年下の子供を励ます様に、シルさんが指で軽く弾いた。

 

「そんなに気負いしないで下さい。私が勝手に心配しただけなんですから」

「いや、でも」

「……そうですね。もしもベルさんが、お詫びをしたいって言うなら――今度私のお買い物に付き合って貰えませんか?」

「お買い物、ですか?」

 

 オウム返しにシルさんの言葉を繰り返す僕に、彼女は微笑みを浮かべる。

 

「はい。近々お祭りが開催されるんですが、その日にお休みを貰っているんです。でも、私以外の同僚は店の営業で出れないので、彼女たちにもお祭りの雰囲気を味わってもらえるように、お土産を持って行こうって思っていて。言い方は悪いですが、その時の荷物運びとして、ベルさんに力を貸していただけないかなって」

「それくらいでしたら、よろこんで協力しますよ」

「ありがとうございます、ベルさん」

「いえそんな、お礼なんて……元をたどれば僕が悪いんですから、遠慮なく使ってください」

「ふふっ、それじゃあ、頼りにしてますね?」

 

 僕の言葉に彼女は笑い、すぐに悪戯気なそれに変えた。

 

「楽しみにしています、ベルさんとのデート♪」

「……へ? え、えぇっ!?」

 

 満面の笑みで告げられた、思いも寄らないその単語に、数舜の間を置いてその意味を理解した僕は、茹で上がった様に顔が熱くなった。

 その様子を見たシルさんは、悪戯が成功したことを喜ぶように、本当に楽しそうに笑うのだった。

 

 



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閑話・槌と道化と、美の女神

読まなくても問題ないよ!
てか原作とほぼ一緒だし!

でも読んでくれると嬉しいよ!




「はい、これ」

「ありがとう」

 

 作業衣姿のヘファイストスから渡された白い包みを、紺色のローブに覆われたフレイヤがお礼と共に受け取った。

 

「ご要望には応えられたかしら?」

「ええ、十分にね」

 

 包みを近くのテーブルに乗せ、巻きつけられた白い布をほどいていくと、中身が顔を出した。

 

 白樺の鞘に納められた、薄鈍色の柄を持つ直剣。

 申し訳程度の装飾が(こしら)えた鍔と鞘、膨らみを持たせただけの柄頭(ポメル)と、一見簡素な作りのこの武器は、その実、鍛冶を司るヘファイストスが直々に打ち、鍛えた至極の一品だ。

 神域の職人が数日の時間をかけて作り上げた新しい武器に、フレイヤの表情も自然と緩む。

 

「突飛な事を言い出したアンタの要求を、可能な限り叶えたつもりだけれど……もう作らせないでよね、こんな武器」

「ありがとう、ヘファイストス。感謝しているわ」

「はあ……前にも伝えた通り、《それ》はアンタのとこの子と共に成長する武器よ。担い手と共に育ち、共に『最強』に上り詰める。勝手に至高に辿り着く武器なんて、鍛冶師からしてみれば邪道もいいとこよ」

 

 『神の宴』にて、フレイヤが依頼したのは、“駆け出し冒険者に持たせる、一級品の武器”だった。

 はっきり言って、無理難題である。

 性能の良い武器ならば、それこそいくらでもある。しかし実力の(ともな)わない武器など、使い手にとって害悪でしかない。

 普通ならそのような依頼は突っぱねて終わりにするものだが、依頼の相手はあの【フレイヤ・ファミリア】。それも主神直々のものだ。

 ファミリアとしての面子(メンツ)もあって、断る事もできず、ヘファイストス自身が武器を作ることにしたのだった。

 

 難しい仕事をさせられたヘファイストスの苦言混じりの言葉を聞きながら、フレイヤは鞘から剣を僅かに引き抜く。『精製金属(ミスリル)』を用いて作られた刀身は、一切の輝きを持たないくすんだ鉄のような色をしていた。研ぎ上げられた刃はしかし、今のままでは何も切れない(なまくら)にしか見えない。

 しかし、フレイヤは鍛冶師の腕を疑う事は一切せずに、満足げに一つ頷くと鞘に納めた。

 

「貴方に頼んで良かったわ。請求は後日送ってもらうとして……ひとまずこの剣の名前を付けましょうか。……そうね、私とあの子の愛の結晶なのだから――《ラブ・ソード》なんて、どうかしら?」

 

 再び剣を白い布で包み直したフレイヤが、顎に指を添えながら呟いた内容に、ヘファイストスの眼帯に覆われていない目が見開かれた。

 あんまりな命名に声も出せずにいるが、言葉に表すのならば、『マジかよ、コイツ』と言わんばかりの表情だ。

 自身の入魂の一作に、眷属の一人を彷彿とさせるような名づけをされるのは、ヘファイストス的にはかなり嫌だった。

 

「冗談よ?」

「…………なら、いいケド。それより、聞いていいかしら?」

「あら、何?」

 

 フレイヤのからかう様な一言に、不安そうな目を向けたヘファイストスは、しばし逡巡したあと、目の前で笑みを浮かべる女神に尋ねた。

 

「なぜ、私にその武器を作らせたの? アンタの【ファミリア(トコ)】は、どっちかって言うとゴブニュと懇意(こんい)にしていたと思うんだけど」

「だって、彼に同じ事を言っても聞いてくれなさそうだし。彼ったら、私の『お願い』が効かないんですもの」

「…………………………やっぱアタシ、アンタの事キライだわ」

「そう? 私は貴方の事好きよ」

「はいはい。この後ロキと顔合わせるんでしょ? ほら、行った行った」

「ふふっ、それじゃあお(いとま)するわ。またね、ヘファイストス」

 

 包みを持って部屋を後にするフレイヤを追い払うように、ヘファイストスは手を振りながら、空いた手でカリカリと右目の眼帯を細い指でかいた。

 

 

 パタリと音を立て扉が閉まった後。ヘファイストスは天井を仰ぎながら、ポソリと呟く。

 

「久しぶりにヘスティアを呑みに誘おうかしら。あの子の事だから、ロクな食生活を送ってないだろうし」

 

 天真爛漫で自堕落を極める神友(しんゆう)を思い浮かべながら、偶には美味しい物を奢ってやろうとヘファイストスは考える。代わりにここしばらくの愚痴を聞いてもらおうとも。

 

 一仕事を終えた後の充足感と、食えない女神との会話の徒労感に、は、と短く息を吐いていると、窓の向こうから普段とは色の違う喧騒が聞こえてきた。

 ヘファイストスの耳にそれが届くと、ふと頭によぎるものが一つ。

 

「そう言えば、今日は祭りか……」

 

 

 オラリオの街は、角度を上げる太陽と共に、少しずつ熱を帯びていく。

 『怪物祭(モンスターフィリア)』の開催は、目前にまで迫っていた。

 

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 【ヘファイストス・ファミリア】のホームを出たフレイヤが次に向かったのは、いつぞやの喫茶店だった。

 祭りも近づき、通りを埋めるほどの人が見渡せる窓枠近くの席には、既に腰を下ろすモノが居た。

 

「待たせてしまったかしら?」

「いーや、丁度さっき来たばかりや」

「なら、良かったわ」

 

 こちらの姿を認めると同時、気軽に手を上げた神物(じんぶつ)に尋ねれば、問題ないとばかりに手を振られた。

 向かい合うよう座ろうと椅子に寄れば、座る神を護衛するように、背後に立っていた金色の少女が動き、フレイヤが座りやすいように椅子を引いた。

 

「ありがとう」

 

 少女に笑みを向けながら礼を言うが、当の少女はフレイヤから視線を逸らし、返事はなく。それまでと同じように先客の背後に立つ。

 

「アイズたーん。なんか言ってやらんと、そこのおっぱいが可哀そうやろ? こんな奴でも神やから、挨拶くらいしときぃ」

「……初めまして。……すみません」

「気にしてないわ……この子が【剣姫】ね、可愛い子じゃない。貴方が入れ込む理由が分かったわ」

 

 フレイヤの銀の瞳と、少女の金の瞳が絡み合う。

 アイズと呼ばれた少女は、感情の見えない表情のままペコリとお辞儀した後、着席を促す声に従い、フレイヤの斜め向かいに座った。

 

 それからしばらくして、軽い世間話を挟み、フレイヤが店員に注文した紅茶が運ばれてくる。

 湯気を立てる紅茶を一口含み、その香りを楽しんだフレイヤは、音を立てずにカップを皿に置いた。

 

「……それじゃあ、ロキ。ここに呼び出した理由を教えてくれない?」

「んぅ。ちょい久しぶりに駄弁(だべ)ろうか思うてなぁ」

「嘘ばっかり」

 

 深く被ったフードの奥で薄く笑うフレイヤに、ロキと呼ばれた神もニィと口端を吊り上げた。

 それまでの雰囲気が一変し、二柱(ふたり)の間の空気がひりつく。

 

 

「――率直に聞く。今度は何を企んどる」

「何を言っているのかしら?」

「とぼけんな、アホゥ」

 

 普段は細められているロキの目が、猛禽類の様に鋭く開かれ、フレイヤを射抜く。

 それに対してフレイヤは、悠然と微笑みを返すばかりで、答える様子もない。

 

「最近動き過ぎやろう、自分。これまではお高いとこから下々を見下しておったくせに、ここしばらくやけにホームに行き来しおって。この前も興味ないとか言うとった『宴』に急に顔出すわ……ちょいと怪しすぎんねや」

「そんな、人聞きの悪い……自分のファミリアに顔を出すのが、そこまでおかしい事かしら?」

「じゃかあしい」

 

 『お前が妙な動きをすると、ロクなことが起きない』――ロキの言葉の端々からそれが伝わってくる。こちらに面倒が及ぶなら叩き潰すぞ、とも。

 蛇を射殺しそうな眼差しがフレイヤに注がれ続ける。

 そんな視線に晒されるフレイヤは、自分にやましいところなど、何一つとしてないという様に微笑んだまま、ロキの眼差しを真っ向から受け止める。

 

「男か」

 

 アイズが見守る中、永劫続くかと思われた緊迫の空間は、ロキが一言告げると共に霧散した。

 ロキの問いにフレイヤは何も応えず。しかしそれが答えだと理解したロキは、長いため息を吐いた。

 

「はぁ……まぁたどこぞで新しい子引っかけて、お熱を上げとるっちゅーワケか? アホ臭っ」

 

 けぇーっ、とロキは喉を鳴らす。

 向かいのフレイヤへと乗り出していた体を逸らし、椅子の背もたれに体重をかける。作りの良い椅子がぎしっと音を鳴らしてロキの背中を受け止めた。

 フレイヤもまた、ふ、と笑みを溢し、冷めたカップに口を付けた。

 

「で?」

「……?」

「どんなヤツや、今度自分の目に留まった子供ってのは。いつ見つけた?」

 

 余計な気を回させた詫びだと、野次馬根性を丸出しにするロキに、少しの間を置いて、フレイヤは口を開いた。

 

「……強くは、ないわ。貴方の自慢の子たちに比べても、今はまだ」

 

 開かれた窓から、眼下の通りを過ぎていく者達に目を向けながら、しかしそれを見ていないように遠い目をするフレイヤ。その様子は、あたかも過ぎ去った思い出を回想するようで。

 

「――でも……綺麗だった」

 

 だから目を奪われた。見惚れてしまった、と。

 

 旧知の仲であるロキでも、うすらと感じ取れるか否か程のかすかな熱が、ソプラノの声に乗せられる。

 

「見つけたのは本当に偶然。あの時もこんな風に……」

 

 日の光に照らされる、西のメインストリート。

 通りの向こうから、あの少年はこちらへとやって来て。

 

 そう、丁度。こうやって上から見下ろす中を、混じりけのない白い色が銀の瞳に入り込む。 

 

「――――」

 

 フレイヤの動きが止まる。

 

 その銀の瞳が、処女雪を想わせる白い髪の少年に釘付けになる。

 純白の色は、ひしめく人の群れに埋もれては浮かび、また埋まる。

 

 それを見つめるフレイヤの笑みが僅かに角度を上げた。

 

「ごめんなさい、この後用事があるの」

「はぁ?」

「また今度会いましょう」

 

 唐突な別れの言葉に、ポカンとするロキを置き去りにして、フレイヤは店を後にする。

 残されたロキは、しばらく呆然とした後、不可解な知り合いの行動に首を傾げた。

 

「なんや、アイツ……ハッ! あの腐れおっぱいっ、自分の分までウチに会計押し付けよったな!?」

 

 憤慨(ふんがい)するロキを傍らに、静かに座り続けるアイズは窓を――そこから見える闘技場の方向をじっと見つめていた。

 

「アイズ、どないしたん?」

「……いえ、何も」

 

 主神の問いにそう答えた彼女は、その後も窓の外を眺め続けた。

 ()しくも、アイズの金の瞳は、フレイヤの見た白い色と同じものを追っていた。

 

 

 



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白兎は走り出す 5

 早朝。

 

 太陽が地平の彼方から顔を出し、紺色の空を青く塗り替えていく。

 ゆっくりと上に昇っていく金の光はオラリオを囲う壁を越え、僕の部屋の窓から入り込んで宵の暗闇を払い除けた。

 開け放たれた窓の外からは、早起きな小鳥たちのさえずりが聞こえてくる。

 

 爽やかな、朝。

 固いベットから体を起こし、日光の差す窓辺に寄れば、そよぐ風が僕の髪を揺らす。

 気持ちのいい、朝。――――普段ならば。

 

 

「……ね、寝られなかった…………」

 

 念のためにと、早めに(とこ)に就いたのに。

 

 先日ホームの前で、シルさんから告げられたデートのお誘いが、どうにも頭から離れず一晩中悶々としてしまった。

 ダンジョン探索で体はクタクタに疲れているのに、心臓がドキドキして、頭は休むことなくシルさんの言葉と笑顔を再生し続ける。

 

 不安と、緊張と、盛大な期待がないまぜになって――眼が冴えて仕方がなかった。

 眠れ眠れと、自分に言い聞かせながら目を瞑っても、一向に眠気がくる気配はなく。結局、寝台の上でゴロゴロしているうちに夜が明けてしまった。

 幸い、ステイタスで強化された体は、一日寝なくとも大きな支障は出ない。……はずだ。

 色々と諦めて、窓の外を充血した目で睨むと、深く呼吸をして、朝の空気を体に取り込んだ。

 

(――覚悟を決めろ、ベル・クラネル。おじいちゃんも言っていたじゃないか。女の子と一緒に祭りに行くのは、男の本懐なんだって)

 

 眩しい太陽に目を(すが)めて、そう自分に言い聞かせれば、驚くほど心が落ち着いた。

 突如、そんな僕の頭の奥に、直接響くようにして声が聞こえた。

 

 

『――祭りの熱に浮き立つ空気』

『日常から切り離された解放感に、女子(おなご)たちの火照る頬と潤んだ眼』

『心するのだ。ベルよ』

 

『……これもうワンチャン――イクしかないじゃろぉ!』

 

 

 涼やかな風に撫でられ、澄み切った頭の奥から響く、懐かしい祖父の声。

 

 徹夜明けの幻聴かな?

 

 

 

 『わんちゃん』って……どういう意味なの、おじいちゃん。

 

 

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 

「お待たせしました、ベルさん」

「い、いえっ! 僕も今来たとこですっ!」

 

 待ち合わせ場所に決めていたのは、南西のメインストリートから少しはずれた広場。

 浮ついた雰囲気を纏う男女が仲睦まじく寄り添う中、待ち合わせの目印である女神像の前で、落ち着きなく立っていた僕に声が掛けられる。

 慌てて返事をして、声がした方に目を向ければ、柔らかな笑みを浮かべたシルさんが立っていた。

 

 白を基調とした、清楚なワンピース。

 まだ少し肌寒いからか、薄紫色のケープも合わせられ、良家のお嬢様が町に抜け出してきた様な装いだ。

 僕の視線に気付いたのだろう、シルさんはほんのりと頬を赤らめ、ワンピースの裾を少し引っ張った。

 

「……どう、ですか?」

「えっ? あ、その、お、お似合いですっ! すごく!」

「ふふっ。ありがとうございます」

 

 突然尋ねられた服の感想に、狼狽(うろた)えてしまう僕。

 シルさん以上に頬を赤くした僕に、恥ずかしそうな、それでいて嬉しそうな笑顔を浮かべた彼女は、自然な動作で僕の手を取った。

 一気に近づく彼女の体温と柔らかさに、心臓が跳ねる。

 

(――花の、香り……?)

 

 フワリと、嗅ぎ慣れない甘い香りが鼻孔をくすぐり、一拍遅れて、熱かった顔が更に熱を増した。

 

「シッ、シルさんっ!? なにを――」

「行きましょうっ、ベルさん。お祭りの時間は短いんですからっ!」

 

 シルさんはそう言って駆け出し、人が混雑する大通りへと僕を連れ込んだ。

 それが照れ隠しからの行動と思い至る頃には、僕たちは通りを歩く人の群れの中で、ぶつからないように人と人の合間を縫う事で忙しくなっていた。

 

 

 シルさんと繋がれたままの手が、確かな熱を僕に伝えてくる。

 

 人々がごった返す通りの先で。

 巨大な闘技場から上がった空砲の音が、オラリオの空に響き渡った。

 

 

 

 ――『怪物祭(モンスターフィリア)』、開催。

 

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 闘技場に近づくにつれ、人の塊がバラける。

 

 そのまま闘技場の中へ進む人。

 通りに並ぶ屋台や露天商の呼び声に引き寄せられる人。

 

 そんな人達の波に流されない様にしながら、忙しなく顔を動かせば、様々なものが目に入ってくる。

 

 露天商の座る敷物の上に広げられているのは、ここぞとばかりに置かれた怪物祭にちなんだ小物やアクセサリー。勿論他にも色んな商品が並べられているけれど、それが多くの面積を占めていた。

 それ以外にも、流石は迷宮都市と言うべきか。本物の武器が並べられた屋台には、思わず目を見張ってしまった。

 

 そんな、お店で売り出される品の中で圧倒的に多いのは、串焼きなどの手軽に食べられる食べ物系の屋台。

 朝ごはんは済ませてあるものの、辺りに漂う美味しそうな臭いに食欲をそそられる。

 

「それではベルさん、これからどうしますか?」

「どう、とは?」

「このまま闘技場に行くのか、しばらく散策するのか、ですよ」

「え、えっと……おまかせ、します」

 

 

 『怪物祭』の中心である闘技場で行われているのは、祭りを主催する【ガネーシャ・ファミリア】による、モンスターの調教(テイム)だ。

 特殊な技術をもってモンスターと闘い、モンスターに自分の事を格上だと認識させ、従順にさせることが出来るらしい。

 もちろん、大きな危険を伴う行いだけど、【ガネーシャ・ファミリア】はそれを見世物(ショー)にしているのだ。

 そんな『怪物祭』は、普段迷宮に潜らない一般市民にとって、生きているモンスターを安全に見ることが出来る機会という事もあり、都市内外から祭りを見に来る人も多い。

 

 ……ということを、シルさんからお誘いを受けた後に町の人から聞き出したけれど、何分、迷宮都市にきて日も浅いし、こんな大きな祭りは初めてで、目に映るもの全てが新鮮だ。

 自分でも情けないと思うけれど、興味を惹かれるものが多すぎて、自分で判断がつけられなかった。

 

 

「それじゃあ、しばらくお店を見て回りましょうか。昼頃になれば闘技場も少し空くでしょうし」

「よ、よろしくお願いします」

「ふふっ、頼まれました。それじゃあまずは、あのクレープ屋さんに寄りましょう!」

 

 手を繋いだまま、シルさんにクレープを焼いている屋台へと引っ張られる。

 屋台のおじさんにクレープを二つ頼めば、熱い鉄板に生地が引かれ、あっという間に紙に包まれて渡される。

 お金を渡す際、シルさんが財布を忘れてきたことが発覚してしまい、慌てる彼女に苦笑を浮かべながら、僕は使い慣れた布の袋を懐から取り出した。

 

 

「……ごめんなさい、ベルさん」

「あはは、気にしないで下さい。……でも、意外でした。シルさんがそんなミスをするなんて」

「それって、どーゆう意味ですかぁ?」

 

 お店で働いている時のシルさんから、要領のいいしっかり者ってイメージを勝手に持っていたから、財布を忘れるというおっちょこちょいをするのは、予想できなかったのだ。

 

 頬を膨らませるシルさんに謝り、手に持ったクレープを齧る。

 おじさんから渡されたのは、薄い生地に肉を巻いたもので、肉に絡んだタレと溢れる肉汁が口に中で弾けて凄く美味しい。彩りを添える葉野菜も、しっかりとした水気を含んでいて、いい歯ごたえを与えている。

 そんな僕の様子を見ていたシルさんが、何度も頼んでも離してくれなかった手を、クイクイと引いた。

 

「ベルさん、ベルさん」

「あ、はい。何ですか?」

「あーん」

「……へあっ!?」

 

 顔を向けるとシルさんが満面の笑みを浮かべながら、小さな口を開いていて。僕は変な声と共に目を大きく開いてしまう。

 

「シ、シルさん、一体何をっ!?」

「何って、ベルさんのクレープが美味しそうだったので、私も食べてみたいなって」

「自分のがあるじゃないですか!?」

「だって、私のは中身がクリームですし、お肉のも食べてみたいんですよ」

 

 シルさんの言う通り、彼女の手にあるのは僕のと違い、白いクリームが巻かれたものだ。

 固まる僕に、シルさんは一旦口を閉じ、代わりに自分のクレープを差し出した。

 

「考えてみれば、私ばかり貰うのは公平じゃないですね。という事でベルさん、はい、あーん」

「……っ!?」

 

 その行動に、全身が動揺に支配された。

 シルさんに言いたいことが浮かんでは消えて、結局言葉にならない。

 口をパクパクとさせる僕に、シルさんは小さく頬を膨らませた。

 

「……むぅ。ベルさん、私の食べかけたものは口にはできませんか?」

「い、いえっ! そう言う事じゃなくてっ、そのっ……」

 

 しどろもどろになりつつ、降参した僕は素直にクレープを差し出した。

 

「……甘いのは得意じゃないので、これで勘弁してくださいっ」

「あっ、逃げましたね?」

 

 真っ赤になった顔を背けながら、ささっと差し出した僕のクレープに、シルさんは不満げにする。

 しかしすぐに笑顔に戻ったと思えば、目を閉じて唇を開いた。

 

「それじゃあ、お言葉に甘えまして――あーんっ」

「……あ、あーん」

 

 さっきの行動を繰り返すように、口を開いて待つシルさんに一瞬固まった後、促されるままゆっくりとクレープを近づけていく。

 

「……ふふ、美味しいです。ありがとうございます、ベルさん」

「ど、どういたしまして……」

 

 パクリと、僕のクレープを口付けするように小さく食べたシルさんは、本当に嬉しそうな笑みを浮かべた。

 その表情は普段よりも幼く、そんな顔を向けられた僕の心臓は一層大きく跳ねた。

 思わず彼女から逸らしてしまった僕の顔は、今どんな表情をしているんだろう。

 

 

 その後、片付けるように素早くお腹に入れたクレープは、全然味が分からなかった。

 

 

 

 

 

「それじゃあ、次はあっちのお店にいってみましょうか!」

「ま、まだ行くんですかっ!?」

「当然ですっ! 今日はとことんまで楽しむんですから。心配されなくても、借りたお金はちゃんと返しますよ?」

「そういう事じゃなくて……あ、ちょっと!」

 

 色んな意味でお腹がいっぱいになってしまった僕を、シルさんは振り回すようにして通りに並ぶお店へと引っ張っていく。

 シルさんの進む先を見れば、黒い髪の女の子が呼子をする、ジャガ丸くんの屋台。

 

 

 活気に満ちるオラリオの空に、僕の悲鳴が響き上がった。

 

 

 

 



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白兎は走り出す 6

 石に囲まれた湿った薄暗い空間に、カツ、カツと硬質な音が反響する。

 

「……ぅ、ぐぁ……」

 

 天井には空間の広さに見合わない、小さな魔石灯が吊り下げられ、仄かな光が床で倒れ伏せた、幾つかの人影を照らしている。

 

 それらを意にも介さず、ローブでその姿を覆い隠す何者かが、靴音を鳴らして闊歩する。

 その音をかき消すように、四方から獣が唸るような声が上がる。

 本来広いはずの空間は、今はいくつもの鉄の檻によって、狭められていた。

 檻の中には、鎖に繋がれたモンスターが、自身に近づいてくる何者かに歯を剥きだして威嚇する。

 その様子は警告するようにも、虚勢を張っているようにも見えた。

 モンスターを閉じ込める檻の前で脚が止められ、ローブの人物が何かを呟くと、ローブの中から現れた腕が等間隔に並ぶ鉄格子の間に入れられる。

 

 カチリ、と金属が擦れる小さな音と、ギィと軋む音の後。

 

 

 『闘技場』の『地下』に、怪物の咆哮が(とどろ)いた。

 

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 

「ふぅーっ、お祭り、楽しいですね。ベルさんっ」

「……それは、良かったですね」

 

 満面の笑みを浮かべるシルさんに対して、隣にいる僕は苦笑いが絶えなかった。

 あれから、いくつものお店で食べ物を購入したり、珍しい品を並べる露天を冷かしたりと、大いにはしゃぐシルさんに振り回されっぱなしだった僕は、今や下手くそな笑みを張り付けるだけで精いっぱいだ。

 弾むような足取りでストリートを進むシルさんには悪いけど、正直もうヘトヘトだ。

 

「私、こんなに楽しいお祭り初めてかもしれません」

 

 だけど、今もこうして隣で笑う彼女の手前、そんな事を言い出せそうにもなく、繋がれたままの手を引っ張られる様にして、彼女の後を着いていく。

 

「そろそろいい時間でしょうし、闘技場の方に行ってみますか?」

「いいですね。そうしましょう」

 

 『神の恩恵』のおかげで、体力は一般人のシルさんよりあるはずなのに。まだまだ元気そうな彼女と変わって、一旦腰を落ち着けたい思いでいっぱいだった僕は、その提案に飛びついた。

 屋台から屋台へ、吸い寄せられるように移動していた僕たちの現在地は、闘技場を中心として西側に伸びるストリート。

 少し離れたここからでも、闘技場で行われているだろう『見世物(ショー)』の歓声と熱気が伝わってきている。

 脚を進めるごとにそれらは大きくなっていき――僕は、その場で立ち止まった。

 

「ベルさん?」

 

 シルさんへの返答も忘れ、僕は周囲を見回す。

 ……今、確かに。

 明るく賑やかな祭りのざわめきとは違う、背筋を冷たくするような――悲鳴が、聞こえた。

 次の瞬間、切迫した誰かの叫びが響き渡る。

 

 

「モ、モンスターだぁぁあああああっ!?」

 

 

 凍り付いた様に、楽し気な喧騒に満ちていた大通りから、音が消えた。

 

 そして、僕は見た。

 僕等が進む先、闘技場方面の通りの奥から、一匹のモンスターがこちらに向かってきているのを。

 

 

 

 * * * *

 

 

 

「な、なんで街中にモンスターが!?」

 

 その姿が目に入った瞬間から、静まり返っていた大通りは一転、騒然となった。

 周囲からは悲鳴混じりの叫びがいくつも上がり、多くの人が慌てふためきながら逃げ出す。

 残されたのは、突然の事態に動けず棒立ちになる、僕のような人たち。逃げ出さない僕の隣に立つシルさんも、顔を真っ青にしている。

 

『ルググゥ……!』

 

 地面を揺らしながら猛進してきたモンスターは、僕たちのすぐ近くで足を止めると、その場で鼻を動かす仕草を繰り返す。

 天高くに昇った日の光が、モンスターの毛並みに反射して、白く大きな獣を白日の下に照らし出した。

 

 シルバーバック。

 

 エイナさんから教えて貰ったモンスターの知識の中から、目の前のモンスターの特徴と、それが一致する。

 尻尾と見間違うほど長い銀色の髪を持つ、大猿のモンスター。

 ダンジョンの十一階層を生息域とする、今の僕の到達階層である六階層よりも、遥か下層の住人。

 そいつの圧倒的な存在感は、あの日の脅威(ミノタウロス)には劣るとはいえ、確かな恐怖と、それに付随した苦い記憶を想起させるには、十分すぎるものだった。

 そんなモンスターの首には金属製の首輪(サークル)が嵌められ、両手首には鉄枷と、半ばで引きちぎられた跡のある鉄の鎖が繋がっていた。

 おそらく『怪物祭(モンスターフィリア)』の為に、地上に連れてこられたモンスターの内の一匹だろう。

 何かを探すように、しきりに臭いを嗅いでいたシルバーバックは、理性の欠片もない瞳をぎょろりと、僕たちの方へと向けた。

 そして、ニィイと口端を吊り上げたのが、見えた。

 

 冷たい汗が背中に浮かび、背筋を伝って流れ落ちていく。

 繋がったままのシルさんの手を、強く握り締めた。

 

「シルさん、こっちに!」

「ベ、ベルさんっ? ――キャァッ!?」

 

 頭の裏側で打ち鳴らされる警鐘に従い、(すく)んでいた足を叱咤して駆け出せば、それまで僕たちが居た場所に向かって、モンスターが飛びかかってきたのは同時だった。

 無理矢理に手を引いたシルさんが、襲い掛かってきたモンスターに悲鳴を上げ、一拍遅れて石畳が砕ける音が大通りに響いた。

 

『ゥウッ……!』

 

 突撃を躱されたシルバーバックはこちらに向き直り、再度、僕たちに襲い掛かる。

 

(何でこっちに!?)

 

 ぎらついた眼光を向けながら、迷いなくこちらに直進してくるモンスターの姿に瞠目しながら、僕は手を引くシルさんを、振り回すように右手の方向へ追いやった。

 敵の進行ルートから外れる位置に、彼女を移動させると同時。腰に帯びていた直剣を鞘から引き抜いた。

 来るなら来いと、迎え撃つ構えをとろうとする僕には目もくれず、シルバーバックは進行方向を変えた。

 

「え……?」

 

 転身したシルバーバックに驚倒する。

 

(こいつ、僕を見ていない。狙いは――シルさんっ!?)

 

 脚が勝手に動いた。敵の走行を遮る為に。

 進路に割入り、正面に立ち塞がる僕に、シルバーバックは一瞥もせずに、その太い右腕を薙いだ。

 何かが軋み、割れる音。――次いで、途方もない衝撃が僕を襲った。

 

「ぐうぅぅっ!?」

 

 無造作に振るわれた丸太のような腕。

 ギリギリ目で追える速度で迫りくる、横薙ぎにされる拳が通るであろうルートに、手に持った直剣を添える様に差し入れた。

 目論見では、それで敵の攻撃の軌道を逸らせる、はずだったのに。僕は吹き飛ばされ、石畳の上を転がっていた。

 

 とっさに体勢を直し、勢いを殺した僕が目にしたのは、半ばから折れた――直剣の成れの果てだった。

 

 全身を襲う鈍い痛みも忘れ去り、僕は呼吸を止めた。

 

 

 半月。言葉にすればひどく短い時間。

 しかし、ダンジョンで生死を賭けた戦いを過ごす中、確かな信頼を寄せるには十分すぎる時間だ。

 尊敬する人に選んでもらって、整備にも手をかけてきたこともあって、愛着を抱くようになっていた。

 そんな、苦楽を共にした僕の相棒が、見るも無残な姿になってしまっていた。

 

 

『ブフゥー……ッ!』

 

 呆然としかける僕の耳が、モンスターの唸り声を拾い上げる。

 顔を向ければ、迫るシルバーバックを前にして、立ちすくむ彼女の姿が見えた。

 

「――ぐっ、あぁぁああああっ!!」

 

 一瞬で赤熱した意識が体を動かした。

 

 石畳を殴って体を起こし、足で蹴りつけて駆け出す。

 モンスターの手枷に繋がった鎖に飛びかかる様に掴んで、力一杯引っ張った。

 

『ガッ!』

 

 ビィン、と鎖が伸び切って、モンスターの歩みが止まる。

 自身の邪魔をする僕に、シルバーバックは煩わしいとばかりに腕を引く。

 凄まじい膂力に、体が持っていかれそうになるのを必死にこらえ、全力で鎖を引き続ける僕は――前触れなく、鎖から手を離した。

 

『ギアッ!?』

 

 僕の抵抗に痺れを切らし、思い切り引こうとしたのだろう。そのタイミングが丁度合わさり、片方の力が無くなった反動で、シルバーバックの体は大きく傾き、反り返る。

 その隙にモンスターの脇を一気に駆け抜け、シルさんの手を取った。

 

「こっちに!」

 

 僕はシルさんの手を引きながら、路地裏へと続く道に駆け出した。

 

 

 

 






使える小道具があったら、使ってみたくなる不思議。必要もないのにね。
邪魔だよという意見があれば修正します。

なければ今後もぼちぼち使うかも。


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白兎は走り出す 7

「どうしてっ、シルさんが狙われてるんですか!?」

「し、知りませんよっ! あんなモンスターとは初対面ですっ」

「僕の時みたいに、酒場でお金を巻き上げたんじゃないんですかっ?」

「するわけないじゃないですか、そんな事っ! 私、ちゃんと相手は選んでいますっ!」

「それもどうかと思うんですけどぉ!?」

 

 昼間でも薄暗い、狭い路地裏をシルさんと共に走る。

 シルさんの細い手を握り締めながら、悲鳴じみた声で尋ねた。

 こっちが聞きたいという様に返す彼女も、不安を押し殺すように僕の手を握り返す。

 背後から迫る、獰猛な気配は一向に消えない。

 

 いきなり僕たちに襲い掛かってきたモンスター『シルバーバック』は僕たちを、いやシルさんを追いかけてきている。

 手当たり次第に人を襲うモンスターらしからぬ、異常な行動。

 まるで誰かに命令され、操られているかのような。明確な意思を持って行動しているのが見て取れた。

 

(冒険者に調教されたモンスター? いやでも、こんなことをしてなんの意味が……)

 

 色んなものが綯交(ないま)ぜになった疑問が頭に浮かぶも、答えは出ない。

 入り組んだ路地裏を闇雲に走り回る中、僕は後ろを振り向く。

 息を切らして苦しそうなシルさんを視線が横切り、通り過ぎた細い路に目を向ければ、暗い影が落ちている。モンスターの姿は見えない。

 ……だけど。

 あいつはしっかりとついて来ていると、直感はそう訴えてくる。

 

 荒く息を吐くシルさんを連れて走り続け、しばらくした後。

 それまで走ってきた細い路は突然終わりを迎え、代わりに混迷した空間が現れた。

 

「『ダイダロス通り』……っ!?」

 

 『ダイダロス通り』。

 それはオラリオに存在するもう一つの迷宮。

 度重なる区画整理で、猥雑に入り混じった通路、階段、住宅街が、眼前に立ち塞がる。

 都市の貧民層が住まう、複雑怪奇なこの領域は、一度迷い込めば最後。二度と出てこられないと言う。その点ではある意味、ダンジョンよりもダンジョンらしい。

 

 ――無茶だ。こんなところでモンスターと追いかけっこなんて。

 いつ袋小路に出くわし、追い詰められるか分かったものじゃない。

 

「行きま、しょうっ、ベルさんっ」

「シ、シルさん!?」

 

 眼下に広がる光景に棒立ちになる僕を、シルさんが引っ張った。

 引きずり込まれる様に『ダイダロス通り』に足を踏み入れた僕は、そのまま階段を、通路を駆けていく。

 

「何しているんですか!? もしも行き止まりになったら――」

「この、ままじゃ……どっちみち見つかります!」

 

『……――ァアアアアァァッ!』

 

 後方から響く雄叫びに、肩が跳ねる。

 

 反響して分かりにくいが、距離が近い。

 渋面を浮かべる僕に、シルさんは苦しそうにしながらも、何時もの悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 

「大丈夫ですよ、私……ここら辺の事は、少し詳しいのでっ」

 

 シルさんの表情と言葉を信じた僕は、先導する彼女に従っていくつもの階段と通路を駆け抜け――立ち塞がる大きな壁に行き着いた。

 

 目を見開く僕をそのままに、シルさんは足を緩めることなく壁に突撃する。

 

「シ、シルさんっ!?」

 

 このままじゃ、ぶつかってしまう――っ!?

 

 そんな僕の心配をよそに、シルさんはまっすぐ壁に突っ込み、通り抜けた。

 引っ張られるままだった僕も、そのまま壁に――正しくは壁の一部だと思っていた隠し穴から壁の向こう側に入った。

 僕が通った後、シルさんはすぐに押し開かれた板を戻し、穴を塞いだ。

 

『グゥゥ……グルォオオオオオオォォォォ……ッ!!』

 

 その後すぐに、壁の向こう側でモンスターの唸り声が上がり、やがて離れていった。

 

 

 

 モンスターの気配を間近に感じている間。二人して同じように両手で口を塞いでいた僕たちは、同じように口から手を離すと同時に、深く息を吐いた。

 

「……撒けましたかね?」

「はぁ、はぁっ……どう、でしょうか……でも、時間稼ぎくらいは、出来るはずです」

 

 身体能力が強化されている僕とは違って、一般人と変わらないシルさんの体力は限界のようだった。

 顔色は悪く、呼吸は安定せず、汗と砂埃で体が汚れてしまっている。

 いつの間にか、肩に掛けられていたケープはなくなっていた。

 

 苦し気に肩を上下させるシルさんの姿に、どうしようもなく悔しさがこみあげてくる。

 先程まで彼女とつないでいた方の手とは別。もう片方の手で握り締めているのは、半ばから折れた、剣だった物。その残骸。

 

 思い返してみれば、心当たりはいくつもある。

 

 ミノタウロスへの刺突から始まり、ファミリアの先達との訓練での酷使。ダンジョンでのモンスターと戦闘の際にも、無茶な使い方をしたのは数えきれない程。

 それでも、その分手入れは怠らなかったし、整備には細心の注意を払った。

 しかし、それが気休めにもならない程、負担が積み重なっていたのだろう。

 

 だからシルバーバックの一撃が止めとなって、破断してしまったのだ。

 しかし、何よりも。担い手である僕が未熟だったのが一番の原因であることは、僕が一番理解している。

 

 

 この半月の間、僕を支えてくれた愛剣は、僕が弱いせいで壊れて(死んで)しまった。

 

 

 そして、武器がない僕では、あのモンスターと闘う事が出来ない。

 いくら勇気を振り絞ったって、今の僕じゃモンスターを倒せない。

 弱い僕じゃあ、隣で苦しんでいる彼女を守れない。

 同じだ。あの時と。

 

 力のない自分が恨めしい。

 逃げる事しかできない自分が恥ずかしい。

 立ち向かう事すら叶わない弱さが、泣きたくなる程悔しくて仕方がない。

 

『ウオオオォォォォォー――ッッ!!』

「っ!」

 

 獣の遠吠え。

 怒りに燃えたモンスターの大声が、ダイダロス通りに響き渡る。

 遠からず、ここも場所がばれるだろう。

 

(どうする、どうすればいい――っ!?)

 

 先程までと同じく、矢鱈目鱈に走り回るわけにはいかないだろう。依然呼吸が収まらないシルさんに、そんな余裕はない。

 

 僕をお店に誘ってくれて。

 勝手に飛び出した僕を追いかけてくれて。

 置き去りだった財布を返しに来てくれた、優しい女の子。

 彼女を守るには、助けるには、一体どうすればいいんだ。何か手は――

 

「……ぁ」

「ベルさん、どうされましたか……?」

 

 瞬間、僕の脳髄に雷霆の如く閃きが転がり落ちた。

 単純な事だ。

 彼女を助ける為に、彼女を守る必要は一切ないのだ。

 

 

 

「シルさん、聞きたいことがあります」

 

 

 僕は、躊躇(ちゅうちょ)することなく、この現状を打開するための策を、実行に移した。

 

 

 



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白兎は走り出す 8

「ここで、良かったですか?」

「はい、ありがとうございます。シルさん」

 

 シルさんに教えてもらったのは、ここを離れるための抜け道。

 彼女の案内に従って、緩やかな下り坂を下りた先には、狭く暗い地下道が伸びていた。

 真っ暗な道の先には白い光が見える。あそこを出れば一つ隣の区画に出れるらしい。

 

 入り口の前でシルさんと繋いでいた手をほどき、彼女の背を押して地下道に続くトンネルに進ませる。

 

「ベルさん?」

 

 彼女の足がトンネルに入り切った直後、僕は入り口の横に備え付けられていた、封鎖用の鉄格子を横に滑らした。

 錆の浮いた鉄の柵が、重く軋む音を上げながら、間を開けずトンネルの入り口を閉め切った。

 

 シルさんと、僕の間を、遮る様に。

 

「ベルさんっ何を!?」

「シルさんは、このまま先に進んでください。僕は――ここで時間を稼ぎます」

 

 

 そう。

 単純な事だ。

 彼女を助ける為に、彼女を守る必要は一切ない。

 

 シルさんが助かってくれれば、それでいい。

 弱い僕が、この人を助けることのできる確かな方法。

 『(おとり)』。

 

 僕の真意が正しく伝わったのだろう。シルさんは愕然としてその場に立ち尽くした。

 

「そんなこと――そんな事できませんっ! ベルさんを置いて、私だけ逃げるなんて」

「違います、シルさん。シルさんにはここを出た後、すぐに助けを呼んで欲しいんです」

「それは……でも」

「……大丈夫です。僕、これでも結構強いんですから」

 

 そう言って、作った笑みを顔に張り付ける。

 引き攣っていない事を内心で祈りながら、彼女を少しでも安心させるように。自分の恐怖を誤魔化すために。

 

 それでも、シルさんは頷いてくれなかった。

 その細い腕ではどうあがいても、こじ開けられっこない鉄格子にしがみつき、薄鈍色の髪を振り回すように頭を横に振り続ける。

 その姿に、こちらの身を案じてくれている想いが感じ取れて、嬉しくて――悲しかった。

 こんな手段しかとれない、こんな手段しかとらせられない自身の非力さに、胸が苦しかった。

 

「駄目です、ベルさん……ダメ……」

 

 

『――ガルルァァアアアアアァァッッ!!』

 

 

 再度響き渡るシルバーバックの咆声。

 何度も聞いた事で、その声の主との距離が大体予測することが出来る様になっていた。

 

 脳内で導き出した彼我の距離――もう、すぐそこまで迫って来ている。

 

「行ってください。貴方が助けを呼んできてくれないと、共倒れになってしまいます」

「でも、でも……」

 

「――行けっっっ!!!」

 

 尚も動こうとしない彼女に、僕は怒鳴った。

 苦悶の表情を浮かべるシルさんは、ほとんど懇願じみた僕の叫びにようやくこちらに背を向け、奥の光に向かって駆けて行った。

 

 やがて足音は遠ざかり、代わりに獣の遠吠えがゆっくりと近づいてくる。

 独り、封鎖された地下道の前に残った僕は、その事に安堵して、恐怖した。

 

 怖かった。

 一人になることがこんなにも心細いなんて。

 折れた剣を握る手が、震えるのが分かった。

 武者震いとは違う、本能的な震えが止まらなかった。

 

「……ごめんなさい、シルさん」

 

 鉄格子を握り締めながら、僕は顔を(うつむ)ける。

 半ばでへし折れた剣と、僕の技量では、あのモンスターに勝つことはおろか、戦いにすらならない。

 シルさんには、助けを呼ぶようにと言ったけれど。そんなものは、彼女をここから逃がすための名目でしかない。

 今の僕では、あのモンスターを相手をしたとて、助けが来るまで持つ自信はなかった。

 

 

 きっと。

 僕は、アイツにやられる。

 

 目の前が真っ暗になりそうな絶望的状況。

 一度目はオッタルさんに。

 二度目はアイズ・ヴァレンシュタインさんに、助けてもらえたけれど。

 三度目の今は、助けがくることなんてないだろう。

 

 死にたくない。英雄にもなれずに、こんなところで終わりたくなんてない。

 でも、頭のどこかで諦めてしまっている。

 

「……ごめんなさい、女神様……ッ」

 

 涙腺が緩みそうになる目を強く閉じ、血を吐く様な声音でここにはいない女神様に謝った。

 どこのファミリアからも門前払いされた、こんな僕を拾い上げてくれた女神様に。

 帰る家も、迎えてくれる家族ももういない、ひとりぼっちの僕を迎えてくれた女神様に。

 綺麗で、優しくて、おかあさんみたいな温もりをくれた女神様に、何一つ恩を返せず死んでしまう事が心苦しくて――申し訳なかった。

 最期を目前として項垂れる僕の頭に、優しく撫でてくれた女神様の手の感触が蘇る。

 

 

「何を謝っているの? ベル」

 

 

 瞬間、時が止まった。

 重苦しい絶望の中、耳に飛び込んできたその声が、僕の心臓を鷲掴みにする。

 顔を振り上げ、後ろを向けば。

 

 視界に映るそのヒトの姿に、息が詰まった。

 

「……な、何でっ、どうしてここにいるんですか――フレイヤ様っ!?」

「貴方がここにいるから、かしら」

 

 僕の後ろに立っていたのは、紺色のローブに身を包んだ、女神様だった。

 ついさっき、思い浮かべていた記憶のままに、柔らかな微笑みを向けるフレイヤ様に、僕は動揺を抑えきれなかった。

 

「ここにはもうすぐモンスターがやってきますっ! すぐに避難してください!」

「どうして?」

「どうしてって……貴方の身にもし万が一が起きたら、どうするんですかっ!?」

「だって、アナタがいるでしょう?」

 

 僕の言葉に、心底わからないという様な素振りをする女神様に、危惧している内容を叫べば、その言葉が返ってくる。

 それは、僕が自分を守ってくれるという、一切疑う色のない、純粋なまでの信頼が込められた言葉。

 

 それが嬉しくて、本当に嬉しくて――泣きたいくらい悲しかった。

 

「……無理です。僕の攻撃は、あいつに届きません。僕じゃ……あいつを、倒せません」

 

 折れた剣の柄を、握り潰すくらいに力を込める。

 震えた声でそう言う自分が、情けなかった。

 ダンジョンの中と酒場で、獣人の青年から受けた痛罵の数々。

 あの日、散乱するミノタウロスだった物に塗れる自分。

 それらの記憶が鮮明に蘇り、身の程というものを思い知らせる。

 

 僕じゃあ、あのシルバーバックは倒せない。

 僕は、僕が信じられない。

 手の中にある愛剣が折れた時と同じくして、僕の心も折られてしまっていた。

 

 

「攻撃が、届くようになれば?」

「――え?」

「ダメージを与えることが出来れば、貴方はあのモンスターを倒せるかしら?」

 

 女神様はそう言って、それまで背負っていた白い包みを僕に差し出した。

 包みの中にあったものは、鞘に収まった薄鈍色の直剣。

 呆然とする僕は、ゆっくりとその剣を受け取り、鞘から引き抜いた。

 露わになったそれを日の光にかざせば、全貌が視界に映る。

 

 総金属製の、機能性を極限まで追求した真っ直ぐな両刃の(つるぎ)

 刃の中央には、鍔から剣先まで伸びる様に精微な刻印が施されている。

 

 次第に、あたかも僕の鼓動に呼応するように、その《女神様の剣》は淡い光を帯び始め、薄鈍の色は彩度を増し、その体を銀へと染め上げる。

 

「これ、は……」

「最近、貴方が頑張っているのを見てきたわ。だから、応援してあげたくなったの。その武器、貰ってくれるわね?」

「でも……こんな凄いもの」

 

 神様達の使う『神聖文字(ヒエログリフ)』のような刻印が、仄かな青白い光を放ち、夜空を照らす月の光にも似た蒼銀の輝きが剣に宿る。

 武器としての造形美はさることながら、神が作り上げた様な神秘的な光景に、息を呑んだ。

 芸術品の如きその剣に、果たして自分が受け取っていいものなのかと、狼狽える。

 そんな僕の頭を、フレイヤ様の指が優しく撫でた。

 

「貴方が自分を信じられなくても、私は貴方を信じているわ」

「――……っ!!」

 

 目頭が、熱い。

 でも、それ以上に。胸の奥が燃える様な熱を、灯し始めていた。

 

「その剣で、私を守ってね。ベル」

 

 笑いかける女神様に、僕は目元を腕で拭って、「はいっ!」と涙声混じりに頷いた。

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 太陽が中天へと差し掛かる。

 あれから、周りが開けた場所に移動した僕たちは、近づく雄叫びと獰猛な気配に備えていた。

 

 やがて、曲がり角の向こうから姿を現したシルバーバックに、鼓動が跳ねる。

 だけど、恐怖で動揺することはなかった。

 

 僕の背後に立つ女神様に、僕を信じてくれる大切な人に、格好の悪い姿は見せられないから。

 この人を、守りたい。その一心が、僕に力をくれていた。

 

『グゥウ? ――ガァアアァアアアアアアッ!!』

 

 こちらに目を向けたシルバーバックが、僕を――その後ろに立つ女神様の姿を見て、喜色の籠もった雄叫びを上げる。

 そして、僕たちへと突っ込んでくる速度を一層速め、地面を揺らしながら近づいてくる。

 

 巨猿のモンスター『シルバーバック』。今の僕の【ステイタス】では、まともに攻撃を食らえば終わってしまうほどの怪物。

 勝機は程遠い。本当に自分があのモンスターを打倒できるのか、自分自身、半信半疑だ。

 だが、みじめで情けない自分は信じられなくても。

 女神様の言葉を裏切ることは、僕には出来なかった。したくなかった。

 

「――ッッ!」

 

 胸を燃やす炎を動力に、脚を振り下ろして全身を前へと撃ち出す。

 ぐんぐんと迫るシルバーバックとの距離に比例して、鼓動が強く、速くなっていく。

 

『ガァッ!』

 

 駆け寄ってくる僕を見ていないように、視線を女神様に固定しているシルバーバックが、邪魔だと言わんばかりに腕を振るう。

 無造作に振るわれた丸太のような腕。

 ギリギリ目で追える速度で迫りくる、横薙ぎにされる拳が通るであろうルートに、手に持った蒼銀の直剣を、添える様に差し入れた。

 

 接触した岩のような拳は、剣の側面を滑る様に通過して、僕の頭上を通り過ぎていく。

 振り抜かれ、がら空きになった脇。

 そこに、剣の切っ先を突き立てた。

 

『――グォオオオッ!?』

 

 痛撃に驚く怪物の叫び。

 ダメージを与えた事で、初めて僕を直視したシルバーバックは、もう片方の腕で、僕を掴もうと掌を突き出した。

 

「シッ!」

 

 それを後ろに飛びながら躱して、行きがけの駄賃代わりに掌を斬りつけた。

 傷口から赤い飛沫を上げながら、痛みに硬直するモンスター。その間に十分な距離を離して、短く息を吐いた。

 

 

 ――戦えている。

 

 僕は【ステイタス】で敵わない相手を前にして、対等以上に戦う事が、出来ていた。

 こいつは、確かに僕よりも速いし、力も強い。

 でも、ファミリアの先輩達ほどじゃない。

 模擬戦で散々地面を転がされ続けた僕には、目で追える程度のコイツの攻撃を(さば)くことは、そう難しいものではなかった。

 

 何より。

 そう、何よりも、今の僕にはこの剣がある。

 柄を強く握り締めれば、吸い付く様な感触が返ってくる。

 手の中にある蒼銀の剣が、高鳴る鼓動と連動しているように、月光の如き輝きを強くする。

 もう既に、これまで共に戦ってきた愛剣と同じくらい、蒼銀の剣は僕の手に馴染み始めていた。

 

『グルァアアアアアアアアアアアッ!』

「はぁああああああああああああっ!」

 

 

 振り下ろされる拳。

 横から叩いて軌道をずらす。

 

 横薙ぎにされる腕。

 体勢を低くしてやり過ごし、懐へ飛び込み傷を刻む。

 

 頭上からの踏み付け。

 弾き飛ぶ()()()を背中に受けながら、通りぬけ様に足を斬りつけた。

 

 

 【力】はあちらの方が上。

 【耐久】は比べるのもおこがましい。

 でも、【敏捷】は。

 【敏捷(はやさ)】だけなら、僕だって負けていない。

 一撃離脱(ヒットアンドアウェイ)を繰り返し、図体のデカい相手を小回りな動きで翻弄していく。

 結果として。僕は無傷のまま、対するシルバーバックは傷を重ねていった。

 

『ギャゥウウウッ!』

 

 振るう度、剣から漏れ出した蒼銀の燐光が、宙に軌跡を描き出す。

 シルバーバックの躰を三日月の剣閃が通り抜け、一拍遅れて鮮血が舞う。

 白い剛毛に覆われていたシルバーバックは、時間を追う度にその毛皮を赤く染めていく。

 戦闘が始まってからずっと、代わることなく僕が優勢なまま事が進んでいる。

 戦いの緊張に高揚する意識の中で、僕はその事実に戦慄を覚えていた。

 

 ――強すぎる。

 僕の手の中で、猛威を振るい続けるこの剣が。

 いくらなんでも、この怪物を相手に好調が過ぎている。

 

 

「その剣は、貴方と共に成長する武器」

 

 背筋に冷えたものを感じていた僕に、女神様の声が掛けられる。

 

 

「貴方が強くなるほど、その剣も強くなる」

 

「貴方が高みに至るほど、その剣もまた、高みへ至る」

 

「その剣の力は、貴方の力」

 

「受け入れなさい、貴方の剣を」

 

「受け入れなさい、貴方の力を」

 

 

「――自信を持ちなさい。貴方は私の眷属(モノ)なのだから」

 

 

 その声に、その言葉に背中を押される様にして、僕はモンスターに向かって、走り出す。

 シルバーバックの主力武器である両腕は、幾度も斬りつけられたことで真っ赤に染まっていた。

 最早ロクに腕を上げられないだろうシルバーバックの懐を目掛けて、突撃する。

 極限まで緩やかになった世界の中、胸を打つ鼓動が、燃えるような背中の熱が、そして何よりも、何処までも猛る想いが、僕の背を押す。

 

 地面を蹴り抜く。

 全身が一本の槍となって、シルバーバックへと突き進む。

 それまでの行動から一転して、乾坤一擲(けんこんいってき)の突貫をする敵に意表を突かれたのか、モンスターはただ硬直して、飛び込んでくる僕を待つ。

 周囲から音は消え、凝縮された時間の中。腕を僅かに痙攣させたモンスターの表情が、焦燥と恐怖に染まるのが、分かった。

 

 

「――ぁああああああああああああああああああッッ!!

 

 

 

 渾身の『突撃槍(ペネトレイション)』。

 突き出した剣の切っ先が、モンスターの硬い肉を貫いた。

 蒼銀の剣が首輪を砕きながら、その奥の喉笛を食い破る。驚愕に限界まで両目を剥いたシルバーバックを、衝突した勢いそのまま地面へと押し倒す。

 

 地鳴りを伴って仰向けになったモンスターは、胸の上に僕をのせたまま、幾度かの痙攣をした後――大量の血を吐いたのを最期に息絶えた。

 

 

 

 ――……勝てた。

 

 

 僕は、僕よりも大きくて強い怪物に、勝利をおさめることが、出来た。

 逃げるだけじゃなく、立ち向かい、打倒することが出来たんだ。

 

 その事実に胸を熱くしながら、ゆっくりと立ち上がり、モンスターの首に突き刺さったままの剣を引き抜いて――天を衝かんばかりに突き上げる。

 

 掲げられた蒼銀の剣が、お互いの勝利を讃えるように、月光に似た光を一際強く瞬かせた。

 

 

 

 

『『――――――ッッッ!!!』』

 

 

 

 そして僕達は、歓喜の声に包まれた。

 

 

 

 



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白兎は走り出す 9

活動報告上げましたので、そちらも確認お願いします。





 コトリ、とテーブルにコップが置かれる。

 素朴な木製品の周りには水滴が浮かび上がり、中に注がれた水の冷たさを物語っている。

 掴んだコップに口を付けて、中身の水を一息に飲み干せば、全身が喜ぶように震え、隣からクスリと笑う声が漏れ聞こえた。

 

「お疲れ様です。ベルさん」

「──プハッ。シルさんも、無事でよかったです」

 

 時刻は夕暮れ時。

 僕は今『豊穣の女主人』に居た。

 あの後、シルバーバックとの闘いの行方を隠れて見守っていた、ダイダロス通りの住民たちが、僕の勝利と同時に興奮を爆発させる中。僕は地下道から逃がしたシルさんを探しに、その場からすぐに身をひるがえした。

 

 幸い――かは分からないけれど、そう離れていない場所で彼女と再び合流を果たすことができた。

 シルさんの無事が確認できた安心からか、戦闘後も張りつめていた緊張の糸が切れ、急に押し寄せてきた疲労感に、その場で腰を下ろしてしまった僕の様子に、シルさんは自身が務める酒場の離れの二階で体を休めてはどうかと提案してきた。

 その申し出を有難く受け入れた僕は、彼女と共にダイダロス通りを抜け――移動する際、やけに身を寄せてくるシルさんには面喰ってしまったけれど――こうして体を休めることが出来ていた。

 

 

「今日はすいませんでした。私がお祭りに誘ったせいで、災難に巻き込まれてしまって……」

「い、いえっ、そんなっシルさんのせいじゃないですよ!」

 

 あれから二度お水をお替りして、一息ついた僕に、シルさんが目を伏せながらそう言った。

 落ち込むシルさんに慌てて声を掛ける。

 モンスターが脱走したのは、シルさんに何の関係もない。それに、僕が居ない状況であのモンスターと出くわしたらと想像すれば、むしろ巻き込まれて良かったとも思う。

 まあ、結果論でしかないのだけれど。

 

「でも、酒場の時だって。私の行いで、ベルさんには迷惑をおかけしてばかりで」

「止めて下さい、シルさん。僕はあの時誘ってくれたシルさんに感謝しているんですから。今日だって、一緒にお祭りを見て回るの、その……楽しかったですし……」

 

 自身を卑下する彼女の言葉を、僕は強く否定する。事実として、彼女と一緒に祭りを見て回るのは楽しかった。……まあ、最後の辺りでは、照れが出てしまって尻すぼみになっちゃったけど。

 そんな僕の言葉の後も、しばらく申し訳なさそうにしていたシルさんだったけど、頑として譲らない僕の様子に観念したのか、やがて頬を緩め口元を和らげた。

 

「……私も、楽しかったです。それに、今日の騒ぎで街の皆さんが口々に言われてました。あの冒険者は、ベルさんは勇敢だったって」

「え……」

「私もそう思います。私を守ってくれたベルさんは、とても格好良かったです」

「そ、そんな。僕なんて、ただ逃げ回っていただけです。それに、貴方を逃がすのが精一杯で。守る事なんて、全然できていなかった」

「それでも、です……あのトンネルの前で、貴方を置いて行くのがとても苦しかった。でも、そのおかげで私は、こうして怪我を負うこともなく、ここにいることが出来ています」

 

 シルさんがおもむろに僕の手を取り、僕のそれよりも小さな両手で包み込んだ。

 長年農具を握り、最近は剣を振り続けていることで硬くなった掌に、彼女の柔らかな手の感触が伝わり、頬が熱くなる。

 窓から入る西日が、こちらを見つめる彼女の顔を朱色に染め、僕を映す瞳を熱っぽく見せる。 

 シルさんが、僕を真っ直ぐに見て、言った。

 

 

「守ってくれて、ありがとうございます」

 

 

 その言葉に、胸が詰まった。

 声を出すことが出来ず、何と返せばいいかも分からなくて、しばらくの間を空けて小さく頷くことで、返事をする。

 シルさんはこう言うけれど、僕自身、彼女を守れたと胸を張って言い切ることは出来ない。

 それでも、その言葉でどこか救われた気がして。確かに嬉しくて。

 僕は、僅かにでも彼女を守れたのだと、実感する事が出来た。

 

 

 涙がこぼれない様、目を固く閉じる僕に、シルさんはふと尋ねた。

 

「そう言えば、ベルさんの腰に付けている剣は、一体どうしたんですか?」

「これは――」

 

 彼女の言葉に、腰に帯びた白鞘に納められた剣に触れる。自然と緩む口角に、僕はあの後の光景を思い浮かべた。

 

 

 

 * * * *

 

 

 

「フレイヤ様、ありがとうございます。この剣のおかげで、モンスターに勝つことが出来ました」

「おめでとう、ベル。さっきも言ったけれど、その剣の力は貴方の力。もっと自信を持ちなさい? それにしても……ふふっ、格好良かったわよ?」

「あ、ありがとう、ございます……でも、本当にいいんでしょうか。僕なんかが、こんな立派な物を頂いてしまっても。良く見れば【ヘファイストス】の文字が刻まれてますし、ものすごく高い物なんじゃ……」

 

 ヘファイストスの刻印。それは【ヘファイストス・ファミリア】の鍛冶師が打ったという証明。

 オラリオに存在する武器の中でも最高品質を誇る、ブランドの中のブランドだ。

 駆け出しの僕が持つには、あまりにも畏れ多い。

 

「強くなりたいのでしょう?」

「!」

「言ったじゃない。応援したくなったと。このくらいのお節介は許して頂戴?」

 

 微笑みと共に向けられたその思いやりに喉が引き攣り、視界がにじんだ。口元の震えが、抑えられない。

 

「受け取って、くれるかしら?」

 

 女神様の言葉に、コクリと一つ、頭を下げる。

 釣られて、ぼろろ、とこらえきれずに(まなじり)から涙滴が零れ落ちた。

 

「その剣の()は――《愛の剣(マリア厶ドシーズ)》。大事にしてね?」

 

 僕は再度、頭を振る。

 腕に抱えた剣に滴が降り落ちて、刃を伝い、蒼銀の色をまといながら流れていった。

 

 

 しばらくして、高ぶった感情が収まった後。目元を腕で拭った先に、女神様の姿はなくなっていた。

 どこに行かれたのか――銀の色を探す僕の脳裏に、薄鈍色の髪の女の子の姿がよぎり、僕は鳴り止まぬ歓声を後にした。

 

 

 

 * * * *

 

 

 

「僕の主神であるフレイヤ様が、僕に下賜してくださったんです。僕の力になる様に、と」

「……そう、だったんですね」

「はい。フレイヤ様には感謝してもしきれません」

 

 これのおかげであのモンスターにも勝てたんです。そういって笑みを浮かべた僕は、剣の柄頭を手で撫でた。

 正直なところ、僕の実力ではこの剣の力に釣り合っていないと思う。

 だけど、いやだからこそ。今は分不相応な剣の持ち主として、恥ずかしくないように強くなろうという思いが溢れて止まらない。

 僕はまだ、強くなれる。

 一度は敵わないと思った、自分よりも強く、大きな怪物にだって勝つことができたように。

 

 今の僕は、弱い。

 脳裏に過ぎるのは、女神様のファミリアとなった初日の原野での光景。

 僕がそれまで過ごしてきた中で経験してきた何よりも鮮烈な剣の(わざ)

 原野での模擬戦を経るごとに、初日に見せて貰ったオッタルさんの動きが、その精度が、僕の実力を強く知らしめる。

 遠い。遠すぎる。

 僕とオッタルさんとの距離は、一体どこまで離れているんだろう。

 あの人は、どれほどの高みに立っているんだろう。

 

 圧倒的なまでの現実が、僕の心に重くのしかかる。

 

 

『――貴方が自分を信じられなくても、私は貴方を信じているわ』

 

 

 だけど、こんな弱い僕を、女神様は信じてくれた。

 今の僕はまだ、走り始めたばかり。これからどれほどの時間が掛かろうが、きっと。

 僕の憧憬に。見果てぬ高みに――絶対に至って見せる。

 それが、僕に出来る女神様への最大の恩返し。

 

 

 決意をみなぎらせると同時に強さへの渇望が、憧憬への羨望が燃え上がっていくのを感じる。

 それと合わせて、女神様への敬意が(つの)っていくのも。

 

「あの、ベルさん?」

 

 一人でいきなりニヤニヤしていたからだろうか、シルさんが遠慮がちに声を掛けてきたことによって、僕は我に返った。

 

「あっ、す、すみませんシルさんっ! ちょっとボーッとしちゃってて」

「いえ、いいんです。ですが、やはりお疲れのようですね。今日はもう休まれますか?」

「そう、ですね。そうします。お水、ありがとうございました」

「いいえ、お礼を言うのはこちらの方です。今日は、本当にありがとうございました」

 

 裏口まで見送ってくれたシルさんに手を振って別れ、僕は夕日で赤く染まるストリートを走り出す。

 さっきまでは疲労や心労が重なってヘトヘトだったのに、今は体が熱くて仕方がなかった。

 一連の騒動もあってか、祭りの熱気もすっかりと引き、下がり始めた気温が火照った体に心地良い。

 腰に吊られた女神様の剣――《愛の剣(マリアムドシーズ)》の重みも、自然と頬が緩んでしまうのを助長する。

 

 怪物祭によっていつもより人通りの多いストリートを、僕は笑みを浮かべながら走って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 走り去る、白髪の少年の背中が遠ざかっていくのを、『銀の瞳』が追い続ける。

 

 やがて小さくなり、通りの向こうに姿が消えてしまった後も、(なお)

 

 頬は紅潮し、堪えきれず恍惚の吐息が喉奥から漏れ出した。

 

 全身が(ふる)え、下腹部の疼きが収まらない。

 

 少年を見つけたあの日から、ずっと。

 

 否。日を重ねるごとにそれは募っていく。

 

 彼の魂を見る度に、透明な光がその輝きを増すごとに。

 

 嗚呼。と彼女は(ひと)()ちる。その様子はまるで陶酔したようで。

 

 

「よろしかったのですか」

 

 そんな彼女に掛けられる、従者の声。主語のないそれに、彼女は目を逸らさないまま応える。

 

「いいのよ。今回あの子が魅せてくれたあの光景を思えば、魔道具の一つや二つ」

 

 従者が手に持つのは、血の様に紅い鞭。

 迷宮都市の『暗黒期』から少しの時を置いて、いくつかの偶然を経て【フレイヤ・ファミリア】の下に転がり込んできた希少な魔道具、その片割れであった。

 従者が持つ物はそれだけでなく、もう片方の手の中には、小さな小瓶。

 手渡されたそれを弄びながら、彼女はここから遠く離れた砂漠で出会った少女を思い浮かべる。

 今や一国を治める王となった者が、大恩ある彼女に献上した嗜好品の一つ。

 砂漠に生息する数少ない植物――その中でも更に希少な花から精製された香油が、その小瓶に入っていた。

 

 その価値は計り知れず、金額にすれば、人が一生かけても買えるかどうか。

 それらを使い、一つは失ってしまったとしても、惜しく思う事は一切なかった。

 彼女にとって、それ以上に価値があるものをこの目で見ることが出来たのだから。

 

「……貴方ならば、きっと――」

 

 

 銀の瞳は尚も見つめ続ける。

 既に通りの奥へと消えてしまった少年の姿を。その魂を。

 あの日、自らの手で証を刻み込んだ白い少年の背中を、いつまでも、何処までも、見つめ続けていた。

 

 

 

 

そこに刻まれるのは、物語。

子供たちが織り成し、神々が書き記す冒険譚。

過去、幾度(いくたび)も重ね、(つづ)られてきた英雄神話。

 

 

 

これは、一人の少年が、一柱の女神の英雄へと駆け上がる

 

眷属(ファミリア)()物語(ミィス)

 

 

 

 

 



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第二章 泡沫の舞踏会
灰を被った栗鼠 1


17巻発売記念に投稿再開です。
本屋言ったら今日が発売日なのに置いてありましたよ。やったぜ。

投稿待っててくれてた人が居たらうれしいなぁ。


 

 キチキチと、油を切らした金属が擦れ合う様な音が岩の壁に反響する。

 天井から落ちる燐光が辺りを薄い緑に照らす中、ソイツは真っ赤な双眼で僕を睨みつけている。

 僅かに引いた足がじり、と地面を擦るおとを鳴らす。

 

 ……狙うは、一撃必殺。

 コイツを相手に手数を重ねるのは愚行でしかない。

 

 赤い眼を光らせる敵は、地を這う様にしていた頭を僕の腰程まで持ち上げると、カチカチと顎を打ち鳴らした。

 威嚇の音だ。機は近い――……今。

 

「――ふっ!」

『ギィッ』

 

 敵が僕へと飛び掛かる、その一瞬前に、僕の方から飛び掛かる。

 拍子を外したように動きを鈍らせた敵へと、紫紺の光に包まれた刃を振り下ろす。

 薄緑の明りを鈍く照らし返す外殻は、金属を想わせる硬い質感を持っている。

 並の武器では、その硬い殻を断つことはおろか、傷一つつけることなく弾かれてしまうだろう。

 しかし、僕が持つのは並の武器ではない。

 

 刃から漏れ出た蒼銀の燐光が、宙に線を残す。

 弦を描く月光の軌跡は、吸い込まれる様に敵の硬殻へ届き、そのまま通り抜けていった。

 

 サンッ、と小気味よい音の後。一拍を置いて敵の体がズレ落ちる。

 

 

 ……うん。いい。

 

 硬いモノを断ったとは思えない程に軽い感触とは裏腹に、確かな手ごたえを感じた僕は、無意識の内に笑みを浮かべてしまう。

 倒した敵から魔石を取りだした後、足取りも軽やかに迷宮の奥へと僕は進んでいく。

 

 

 ここは、ダンジョンの七階層。

 僕は、到達階層を順調に増やしていた。

 

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 

「なぁなかぁいそぉ~?」

「は、はひぃっ!?」

 

 エイナは激怒した。

 必ず、かの暴虎馮河(ぼうこひょうが)の少年を諭さねばならぬと決意した。

 エイナには『冒険』が分からぬ。なれどエイナは、冒険者のアドバイザーである。

 彼が為を思い、迷宮の脅威を知らしめ、跋扈(ばっこ)する怪物達の恐ろしさを教授してきた。

 エイナは少年に言いつける。『冒険』は死と隣り合わせである。汝、『冒険』に手を出すなかれと。

 しかしエイナの思いもむなしく、今ほど到達階層を大幅に更新したと、喜色満面、意気揚々と少年はエイナに報告をしてきたのだ。

 

 エイナは激怒した。それこそ、『(オーガ)』も()くやあらんとばかりに。

 

 

「キィミィはぁっ! 私の言った事ぜんっぜん分かってないじゃないっ!! 五階層を越えた上にあまつさえ七階層!? 迂闊にも程があるよっ!?」

「すすすすすすみませぇんっっ!?」

 

 ダンッ! とエイナが机に両手を叩きつける音に少年――ベルの肩が跳ね上がり、顔色を一瞬で青くさせた。

 エイナが怒っているのは言葉の通り、ベルが身の程もわきまえずに到達階層をホイホイと増やしたことにある。

 

「一週間とちょっと前、ミノタウロスに殺されかけたのは、一体誰だったかな!?」

「ぼ、僕ですっ!」

「じゃあ何でキミは下層に降りるているの! キミには危機感が足りない! 全然足りてないっ!!」

 

 エイナの言葉は正しい。

 ダンジョンは決まった階層を境にして地形も形質もがらりと変わる。

 1~4階層は薄青色のつるりとした壁で構築されており、出現するモンスターもゴブリンなどの低級モンスターばかり。種類もそう多くはない。

 しかし、5階層からは状況が一変する。

 外観が薄緑色の岩壁に変わるだけでなく、迷路自体の構造も複雑になり、出現するモンスターも多様さを増す。そして、その凶悪さも。

 

 ベルが今回遭遇し、討伐を果たしたモンスター『キラーアント』。

 7階層から出現する大蟻のモンスターであり、六階層の『ウォーシャドウ』と並んで『新米殺し』の通り名を持つ。

 『キラー』の名のつく通り、このモンスターはその身に纏う頑丈な硬殻に加え、ゴブリンなどとは比較にならない攻撃力を持つ。

 強靭な顎と、発達した四本の鉤爪は、下手な防具を紙きれ同然に引き裂き、5階層までの敵に慣れ切った冒険者の攻撃を弾き致命傷を与える。

 しかし、『キラーアント』の本当に恐ろしい所は、その特性にある。

 このモンスターは、危機に瀕すると特殊なフェロモンを周囲に発散し、同族を呼び寄せるのだ。

 袋小路で襲われ、下手に傷をつけようものなら、その瞬間ベルの命は潰えたも同然。

 獅子を前にした兎の如く震えるベルだが、エイナにしてみれば彼を思っての叱りつけだ。その一心が彼女に獅子の幻影を背負わせるほどに、目の前の(ベル)には死んでほしくなかった。

 

「で、でもっ、僕っ、あれから結構成長したんですよエイナさぁんっ!」

「たった1週間で成長だなんて言うのはどこの口かな……!」

「し、信じてくださいよ!? 僕の【ステイタス】、アビリティがいくつかDまで上がったんです!」

「……D?」

 

 ぴたりと動きを止めたエイナは、胡乱気な表情を浮かべた。

 聞き返されたベルはぶんぶんと勢いよく何度も頷くも、エイナにはとても信じられない。

 がしかし、目の前で涙を浮かべながらも、信じてくれと言わんばかりにこちらを見詰めてくる少年の様子は、どうにも嘘をついているようには見えない。

 エイナがベルの担当アドバイザーとなってまだ日は浅いが、この分かり易すぎる少年の嘘を見抜ける程度には、付き合いを深めていた。

 

 故に、エイナは混乱した。

 ベルが冒険者となってから今日まで半月と少し。エイナがこれまで培ってきた知識と経験上では、その者が特別優秀であったとしても、そんな短い期間ではステータスを一つか二つをGに上げるのが精々なところ。

 それがD? ありえない。

 

 ――普通ならば。

 

 しかし、まことに遺憾ながら、この少年を『普通』と評するには特例(イレギュラー)が過ぎた。

 都市最高峰の主神にスカウトされ、その上、三日間だけだったとはいえ【フレイヤ・ファミリア】の団長である【猛者】直々からダンジョンで指導を受けている。

 冒険者登録の翌日、ギルドが新人に支給(格安、ローン払い)をしている初心者用防具をベルに渡す際、彼の数十M後ろに巨躯の猪人が立っているのを視界に入れてしまった時は、自分の顔が引きつってはいないか不安を覚えたのは記憶に新しい。

 

 そして、この半月間。報告を聞く限りでは、ダンジョン探索でモンスター相手に傷を負う事は無く、駆け出しとは思えない程の成果を上げ続けている。

 これらの事実をして、『普通』であるなどと、どの口がいえようか。

 

「……本当に、D?」

「は、はいっ」

 

 彼の主神が誤った情報を彼に与えている?

 否、流石にそれはないだろう。

 ならば、情報伝達の間で何らかの齟齬(そご)があったのだろうか。

 

 そう疑ってしまうほど、Dというアビリティ評価は非常識なものであった。

 

 ――彼の【ステイタス】を見せて貰おうか。

 ついそんな考えが頭によぎるが、すぐに首を横に振って頭から追い出した。

 彼が零細のファミリアで、かつ他の派閥とのしがらみがなければ、限りなく黒に近い灰色の判定として、エイナも口に出すくらいはしただろう。

 しかし、彼は迷宮都市でも名高き【フレイヤ・ファミリア】の一員。当然その敵対派閥は多く、末端の構成員だとしても、その個人情報の漏洩(ろうえい)に繋がる行いには手を出せない。

 しかし、半月で【ステイタス】をDに上げたなどという、荒唐無稽(こうとうむけい)な言葉を信じるわけにもいかず、故に七階層での探索を許可するわけにもいかず。

 

 

「…………私が何を言おうと、キミは『冒険』しちゃうんだろうなぁ」

 

 だからエイナは迷った。迷った末に、自分が何と言ってもこの目の前の少年は止まらないだろうと、ならば別の方向から彼を守ろうと思い至った。

 彼が少しでも危険から身を防げるように。

 

 彼が命を落とさぬように。

 

 

「え、ええとエイナさん? 何か言いましたか?」

「ううん。気にしないで。……ねぇベル君、明日の予定空いてるかな?」

 

 ……まったく。世話の焼ける冒険者なんだから。

 首を傾げるベルを見つめたまま、エイナはクスリと笑みを溢した。

 

 



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灰を被った栗鼠 2

 夜が明けて、しばらく。

 太陽の光が燦燦(さんさん)とオラリオの街に降りしきり、時計の針は朝の十時を少し過ぎたころ。

 青空は眩しい位に澄み渡り、心地よい風が僕等を包む。

 

 ――そう。僕、ではなく、僕等を、だ。

 

「ほらほら、ベル君。腰が引けちゃってるよ」

「いやいやいや、待ってくださいっ! 心の準備がまだ――」

「男の子なんだからぐずぐず言わないの! それっ突撃ぃーっ!」

「せ、せめて手を離して、あっ、ひ、引っ張らないで下さいっエイナさぁん!?」

 

 僕等は今、ダンジョンの目の前にいた。

 正確には、その上に築かれた摩天楼施設(バベル)の前に、だけど。

 

「ギルドが所有する『バベル』の中には、ベル君が良く使うシャワールーム以外にも、換金所や簡易食堂といった、冒険者のための施設もあるって知ってた? 今から行くのはそのうちの一つ。大手鍛冶派閥の【ヘファイストス・ファミリア】が営業するテナントだよ」

「そんなっエイナさん、僕【ヘファイストス・ファミリア】で買い物できるようなお金持ってきてませんよ!?」

 

 昨日、ギルドの面談ボックスで勝手に七階層に進出したことでお説教を受けた後、僕は今も繋いだ手を引っ張ってくるエイナさんから、デートのお誘いを受けた。

 

 ……実際の所は、僕の使っている防具がいまだ初心者用の物である事を気にした彼女が、今のダンジョンの攻略状況に合わせたものに更新しようという提案の内なんだけど。

 今のこの状況を客観的に見ると、内心穏やかではいられない、んだけど……エイナさんからしてみれば、これも担当アドバイザーとしての『お節介』の一つにすぎないんだろうなぁ。

 

 男として見られていない事に消沈しつつも、エイナさんと繋いでいることに、思わず胸がドキドキしてしまう。

 ここまで来る道すがら、彼女と手を繋ぐ僕へ注がれた、冒険者の男の人達の『コロスゾ』という視線も、違う意味でドキドキさせられたけど。

 でも確かに、男性陣からそんな嫉妬を向けられるほどに、私服姿のエイナさんは綺麗で、その……可愛かった。

 レースがあしらわれた白いブラウスに、丈の短いスカート。いつもギルドで目にする制服姿の少し固い印象とは異なり、お洒落で軽い、垢抜けた印象が今の彼女にはあって。

 神様達の言葉で『ギャップ萌え』とか言うソレに、僕は見事に()まってしまっていた。

 そんなこんなで、 握られた手から伝わる彼女の体温と柔らかい感触に、頭が沸騰しそうになっているうちに、いつの間にか『バベル』の四階にある【ヘファイストス・ファミリア】のテナントまで来てしまった。

 

「こ、こんなところが……」

「ふふっ、凄いでしょう? お目当てのお店はまだ上の階なんだけど、せっかくだから寄って行こうか」

 

 そう言って『ヘファイストス』のロゴが刻まれた看板をくぐり、武器と防具がそこかしこを埋め尽くす空間へと足を踏み入れる。

 湧き上がる興奮と興味心のままに、きょろきょろと辺りを見まわせば、ふいに視界に入った値札の数字に目を剥いた。

 

(……さ、三千万ヴァリス!?)

 

 トンでもない価格に、眩暈を覚える。

 額に手をあててよろめく僕に、エイナさんが苦笑しているのが分かる。

 僕が今も腰に帯びている鈍色(にびいろ)の剣。鞘に『ヘファイストス』のロゴの入ったそれを、女神様は世界に一つだけだと言っていたけれど……一体いくらくらいかかったんだろう?

 

「いらっしゃいませー! 今日は何の御用でしょうか、お客様!」

 

 今まで意識して考えないようにしてきたその疑問に、顔を青ざめさせていると、近寄ってきた店員さんに明るく声を掛けられた。

 その店員さんに目を向ければ、幼さげな可愛らしさと、凛とした美しさを見せるとても容姿が整った美しい顔に、完璧な接客スマイルを張り付けた小さな女の子だった。

 紅色のエプロンタイプの制服に身を包み、綺麗な黒髪のツインテールを揺らしてこちらに駆け寄ってくる。

 彼女が小走りする度に、その小柄な体に不釣り合いな豊かさを持った胸が振動で弾み――って、どこを見ているんだ、僕は。

 

 ……というかこの店員さん、なんだか妙に聞き覚えのある声をしているような?

 

「もしかして、ヘスティア様ですか? なんでここに……?」

「へ? 確かにボクはヘスティアだけど……って、冒険者君!?」

 

 僕の問いかけに、ヘスティア様の接客スマイルにヒビが入ったように引き攣った。

 

「な、な、なんで君がここにいるんだい!? ここはまだ君みたいな駆け出しが来るには早いだろう!?」

「いや、ちょっと寄っただけでして……じゃなくて、ジャガ丸くんのバイトはどうしたんですか?」

「あ、ああ、あそこも続けているよ。掛け持ちしているんだ。この前の『怪物祭』の後、ヘファイストスの誘いで飲みに行ったんだけど、そこでヘファイストスの奴に僕の食生活に口を出されてしまってね……」

 

 いやまあ、それはそうでしょうよ。

 流石に三食ジャガ丸くん(廃棄品)では、神様相手には気が引けて出来なかったけど、僕でも口を出したくなる。

 

「あれよあれよという間に言質を取られてしまったボクは、こうして身を粉にして働かされているんだっ! お給金は凄くいいケドッ!」

「いや、滅茶苦茶いいヒトじゃないですか」

「うるさーいっ! 大体キミ、こんなところで油を売ってていいのかい!? 隣にそんな美人を侍らせちゃってさっ! ダンジョンで名を上げて、ボクを手助けしてくれるって言葉は出まかせだったのかい!?」

「いや、そんな――「おいっ! 新入りぃ、こんなところとはどういう意味だ、コラァッ! 遊んでねーで仕事しろやぁっ!!」

「ひぃぃっ、すみませーんっ!」

「あっ、ヘスティア様ーっ!?」

 

 店の奥から聞こえてきた怒鳴り声に、ヘスティア様が顔を真っ青にすると、すぐにぴゅーん! と音をたてて店の奥へと消えていってしまった……。

 

「……」

「……」

「……上にいこうか」

「そうですね……」

 

 何とも言えない空気の中、エイナさんの言葉に頷いて、僕たちは店を後にした。

 

 

 

 

「はい、到着」

「しちゃいましたね……」

 

 バベルの八階まで移動した僕たちを、先程の四回と同じように武器と防具が所狭しと並べられた光景が出迎える。

 

「あれ……?」

 

 先程のお店とは違うのは、お客さん、つまりは冒険者の数がこちらの方が多いことと、陳列する品に付けられた値札に書かれた桁の数だった。

 

「おっ、ベル君も気付いたみたいだね?」

「はい、さっきのお店と違って、ここにあるものはどれも値段が低いですね。これなら僕にも買えそうです……でも、どうして?」

「こんなに安いのかって? それはね、ここにある作品は、【ヘファイストス・ファミリア】でも末端の――言ってみれば、駆け出しの鍛冶師の手によって作られたものだからなんだよ」

「えっ、それって、大丈夫なんですか?」

「勿論、熟練の鍛冶師の作品とくらべると、どうしてもグレードが下がってしまうけど、その分安く手に入れることが出来る。それに、ここにあるものは全て経営陣がしっかりと検品して、商品として問題ないと判断した物しか置かれてないから、品質はどれも安心していいよ」

「なるほど……」

「まぁとにかく、ここならベル君でも買える【ヘファイストス・ファミリア】の商品があるってこと。駆け出しとは言ったけれど、中には掘り出し物なんかもあったりするんだよ。さっ、行こう、行こう!」

 

 張り切っているエイナさんに先導されて店の中に入った僕たちは、二人で広く探した方がいい物が見つかるというエイナさんの言葉に従って、手分けして僕に見合った防具を探すことにした。

 

 それから、いくつかの鎧なんかを手にとっては見るものの、何か違う様な気がして元の場所に戻すのを繰り返し、奥へ奥へと進むうちに、いくつものボックスが乱雑に並ぶ区画まで来てしまった。

 木製のボックスの中身は、パーツが部位ごとに分解されたアーマーが入れられている。その一つ一つに値札が付けられているのを見るに、これらも売り物なんだろう。

 それまでの等身大の人形(トルソー)に纏わせて展示してあった物たちに比べて、壁際に追いやられて、ガラクタ同然の扱いをされている作品たちが、妙に気になった。

 

 

 ……思い出す。期待に裏切られた田舎者が独り、路地裏で膝を抱える光景を。

 華々しい表通りから、逃げる様に足を運んだ日陰の冷たさを。

 

 棚に飾られ、見通りのよい場所に並べられた防具たちとは違い、目立たない店の片隅に、押しやられたソレ等が、オッタルさんに助けてもらう前の自分と重なった。

 

 目線を下に向けたまま、ボックスの列に沿う様に足を進める内に、僕の視界にある防具が現れる。

 それに視線を向けた瞬間、まるで鷲掴みされたように目が離せなくなった。

 引き寄せられるように近づき、僕はボックスの中身を手に取った。

 

 ボックスの中から持ち上げたのは、白いライトアーマー。手に持って初めに思ったのは、予想以上に軽いという事。それでいて、防御力が損なわれている感じはなく、しっかりと保証されている、そんな気がした。

 ボックスの中を隅々まで見渡せば、手に持った胸部を保護するブレストプレートに、肘、膝、小手、腰部と、部位ごとに分かれた軽装。サイズもおそらくピッタリ。

 

 強く、惹かれた。

 何より、彩色の施されていない、素材そのままの無骨な姿が、先日まで僕を支えてくれた直剣を思い浮かばせる。

 

 ……『これ』にしよう。――いいや、『これ』がいい。

 

 

 そうして僕は、新しい防具を手に入れた。

 

 

 




17巻読んだ!

すごかった!
もうホントッッすごかった!!(著しい語彙力の減少)







治癒師の子の名前どうしよ……
もうオリキャラにしていいかな…?


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灰を被った栗鼠 3

「代金は99000ヴァリスね」

「じゃあ、丁度で」

 

 カウンターで支払いを終わらせた僕は、受け取ったライトアーマーをバックパックに詰め込んだ。

 店員さんの前に商品を出したら、「本当にそれでいいのか」と尋ねられたけど、僕は構わず首肯すると共に代金を受け皿に落とした。

 取引の後に何故そんなことを聞くのかと尋ねれば、この防具に刻まれた銘があまりにも奇抜すぎるせいで、購入した者が漏れなく、身に着ける前に返品してきたからだと返された。

 ちなみに、この防具の銘は『兎鎧(ピョンキチ)Mk(マーク)(ツー)』と言うらしい。

 

 ……………まあ、うん。名前によって品質が変わることはないし。

 これが気に入ったのは本当だし、その………キニシナイデオコウ。

 

 ともかく、購入を終えた僕は、バックパックを背負うと辺りを見回した。

 

「エイナさん、何処にいったのかな……?」

 

 乱雑に積み上げられたボックスの一つ入れられた『兎鎧Mk‐Ⅱ』――いや、『白いライトアーマー』を見出した僕が意識を惹き込まれていると、僕に合った装備を選りすぐっていてくれたらしいエイナさんが声を掛けてきた。

 申し訳なく思いながら、僕が既に装備を決めた旨を伝えると、残念そうにしながらも僕の想いに賛同してくれた。

 それから、僕がちゃんと購入できるよう、後ろの方で見守っていてくれてたはずだったのだけど。

 

「あ、ベル君こっちこっち」

 

 きょろきょろと顔を振る僕に、声がかかる。

 そちらに目を向ければ、手招きをするエイナさんの姿。

 

「はい、これ」

「……へ?」

 

 足早に彼女の下へと向かえば、エイナさんは後ろに回していた腕を、僕へと差し出した。

 とっさに受け取ったソレは、直径三十C(セルチ)ほどの小盾(バックラー)

 

 総金属製とは思えない程に軽く、丸みを帯びた鉄色の円形の中央には、エイナさんの瞳と同じ、緑玉(エメラルド)色の膨らみ(ボス)が設けられている。

 手に取っただけでも、いい品であることが分かる。それだけにこれに付与された価値が相応の値がすることは予想に易かった。

 

「私からのプレゼント。ちゃんと使ってあげてね?」

「え、いやそんな。わ、悪いですよっ! 僕なんかに、こんな……」

 

 頬を僅かに赤らめながら渡されたソレを、慌てて突き返そうとする。

 こんな、女性に貢がれるような真似なんて自分には畏れ多く。何よりも情けなくて……申し訳なかった。

 うつむきがちになる僕に、エイナさんは女性からのプレゼントは素直に受け取るべきだと言って、ふっと微笑んだ。

 

「……本当にさ、冒険者はいつ死んじゃうかわからないんだ。どんなに強いと思っていた人でも、ある日突然いなくなっちゃう」

「……」

「これまで、たくさんの冒険者がダンジョンに行って、戻ってこなかったのを見てきたから」

 

 だから、と彼女は僕を上目がちに窺って、言った。

 

「キミが、私の所にまた戻ってこられるように、コレを受け取ってほしいな」

「………………はぃ。ありがとう、ございます………」

 

 僕は、床を見た。

 熱くなった目頭を前髪で隠し、突き出していた小盾を胸に抱え込んだ。

 

 

 胸の中の防具は硬く冷たい金属製なのに、緑玉(エメラルド)の色を持ったソレが、なんだか温もりに満ちているような気がした。

 

 

 

 * * * *

 

 

 

「ちょっと遅くなっちゃったな……」

 

 買い物を終えた後、僕はエイナさんを彼女の住居まで送ってから帰路についていた。

 時刻は夕方を回り、空はすっかり赤くなっている。

 

 背中のバックパックを背負いなおし、足取りも軽く路地を進む。

 バックパックの肩ひもを引っ張った拍子に、中からカチンッと音が鳴る。その音が、これまでの人生の中でした一番大きな買い物である白いライトアーマーと、エイナさんから贈られた小盾が、確かに詰め込まれているという事を実感させてくれた。

 ……あ、だめだ。顔がニヤケちゃいそう。

 

 女の人が、僕の事を思って渡してくれた贈り物(プレゼント)

 これが嬉しく思わないなんて嘘だ。

 

「……足音?」

 

 緩みそうになる表情筋を我慢して引き締めていると、路地裏の奥から一人、いや二人分か。こちらに近づいてくる大小の異なった音が聞こえてきた。

 好奇心がそそられた僕は、音が聞こえてくる狭い通りを覗き込もうとする。

 

「あうっ!」

「えっ?」

 

 路地裏を覗き込んだ、その出し抜けに小さな影が目の前を勢いよく転がった。

 どうやら身を乗り出した僕の足が、曲がり角の先から飛び出してきた小さな影に丁度引っかかってしまったみたい。

 

「あっ、す、すみませんっ! 大丈夫ですか?」

「ぅ……っ」

 

 地面に倒れた小さな影に慌てて近寄れば、その特徴的な外見に、()()の種族がパルゥムであることを察した。

 ヒューマンの子供によく似た、しかしヒューマンよりも体のパーツの一つ一つがとても小さな亜人(デミ・ヒューマン)

 目の前のその子も、それに違わず僕の腰程しかないであろう低い身長に、触れれば折れてしまいそうな細い手足をしている。肩まで伸びた栗色の髪に、同じ色をした大きくてつぶらな瞳を見て、幼い女の子という印象を僕に与える。

 

「――追いついたぞ、この糞パルゥムがっ!!」

 

 僕が彼女に手を差し出したその時、彼女が出てきた曲がり角から、新たに一つの影が姿を見せた。

 

「もう逃がさねぇからな……っ!!」

 

 怒声と共に現れたのは、僕と同じヒューマンの男性だった。年は二十くらいで、背中に大振りの剣を差していることから、冒険者である事がわかる。

 しかし、何よりも目を引くのは、悪鬼のようなその形相。

 血走った眼をギラつかせ、歯を剥き出しにして憤激するヒューマンの男性の怒り様は、横から見てるだけの僕まで思わずのけ反ってしまうほど激しい。

 ならばと、直接その表情と怒声を向けられたパルゥムの少女はと目を向ければ、その子は可哀想になるくらい怯えていた。

 

「待ってください」

 

 次の瞬間には、勝手に体が動いていた。

 少女の体を隠すようにして、男の前に立ち塞がる。

 冒険者の男はそこで初めて僕の存在に気が付いたのだろう。怒りに染まった顔に、僅かに怪訝そうな色が浮かんだ。

 

「……あぁ? 邪魔だ、そこを退けガキ」

「嫌です。この子に何をする気ですか?」

「うるせぇぞガキッ! 今すぐ消え失せねえと後ろのソイツごと叩き切るぞっ!」

 

 その言葉に、僕の意志が固まった。

 事情は知らないけど、この人は間違いなく後ろの女の子に酷い事をする。

 背負っていたバックパックを下ろして路地の隅に寄せる。その行動に、それが意味する事に目の前の男はもちろん、後ろの少女も驚きを露わにする。

 

「ガキィ……! マジで殺されてえのか……!?」

「……」

 

 男の言葉に、僕は何も返さない。したことと言えば、すぐに動き出せるように体勢を少し低くするだけ。

 

「何なんだテメェはっ!? そのチビの仲間なのかっ!?」

「……彼女とは初対面です」

「じゃあ何でソイツ庇ってんだ!?」

 

 確かに、このヒトの言葉はもっともだ。……あれ、ホントに何でだろう?

 

「……ぉ、女の子、だから?」

「何言ってんだよテメェはっ!?」

 

 彼の言う通り、僕は何を言っているんだろう。

 でもしょうがないと思う。実際、それだけが理由なんだから。

 だって、男なら普通そうするでしょ? 女の子が危ない目に遭ってたら、普通助けるでしょ?

 常識(こんなこと)に理由を探せって方が、無理ってもんだよ!

 

「……もういい。そんなに死にてえって言うんなら、まずはテメェからぶっ殺すっ……!」

 

 男はその言葉と共に背中の剣を引き抜いた。

 自身に向けられた混じり気のない殺気に、反射的に僕も腰の剣を抜く。

 背後から、はっと息を呑む音。ちらりと様子を窺えば、後ろの少女が僕を――いや、僕の握る蒼銀の剣を、《愛の剣(マリアムドシーズ)》を注視している?

 

 僕が即座に武器を抜いたことに、男は一瞬怯んだようにも見えたが、舌打ちすると共にボクを射殺さんとばかりに睨んできた。

 一触即発の雰囲気。少女から視線を切り、僕は冒険者の男だけに意識を向ける。

 ダンジョンの中ではなく、街中で。モンスターではなくヒトに向けて、お互いに武器を構え合って、対峙する。

 

 

 男は一歩間合いを詰める。

 僕は動かない。

 

 男が剣を高く掲げる。

 僕は動かない。

 

 男が動かない僕に何かを思ったのか、獰猛(どうもう)な笑みを浮かべた。

 僕はまだ、動かない。

 

 男が前傾し、直後に地面を蹴って飛び掛かってくる。

 そこで、僕は腕を動かそうとして――

 

 

「止めなさい」

 

 

 ――場に割って入ってきた鋭い声に、僕と男は動きを止めた。

 

 はっと振り向いた僕たちの目に、大きな紙袋を抱えたエルフの少女の姿が映った。

 若葉色の髪から突き出した長い耳と、整い過ぎた目鼻立ちが特徴の亜人。その空色の瞳から向けられる視線が、剣を振り上げた男を真っすぐに貫いていた。

 

「次から次へと……っ! 今度は何だぁっ!!」

「貴方が剣を向けているその人……彼は、私のかけがえのない同僚の伴侶となる方です。手を出すのは許しません」

 

 ……今何か、彼女が変な事を言った気がしたんだけど。

 

「どいつもこいつも、訳の分からねえことばっか言いやがって……っ! ぶっ殺されてえのか、あぁんっ!?」

「吠えるな」

 

 空気が凍る、とはこのことを言うのだろう。

 大声を散らしていた男は言葉を呑み込み、僕もまた息を呑んだ。

 エルフの少女から放たれる途轍もない威圧感に、僕と男は圧倒されていた。

 

「手荒なことはしたくありません。私はいつもやり過ぎてしまう」

「……っ、……!?」

 

 怒りで顔を赤くしていた男が、今度はみるみると顔色を青く染めていく。

 言葉を出さないまま、口をぱくぱくとさせる男に、エルフの少女は最終勧告を告げる様に、紙袋から離したその手に持つ小太刀を見せる。

 一体、いつの間に。

 彼女から目を離してなかったのに、その僅かな動作の中でいつ武器を出したのか、まったく見えなかった。

 

「――く、くそがぁっ!?」

 

 僕と同じ様に見えなかったのだろう。それがダメ押しとなって、冒険者の男は退散していった。

 走り去る音が遠ざかり、後に僕とエルフの少女が路地裏に残される。

 

 戦わずして冒険者の男を追い払ってしまった目の前の女の子に、僕は少しの畏怖を覚えてしまった。

 

 




次の投稿は5月7日。そこからは週一更新の予定。
ストックが尽きるか二章が終わるまで連載します。


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灰を被った栗鼠 4

 

 ――ギシギシ、ギィイ……。

 腐りかけの床板と、立て付けの悪い薄い扉が軋みを上げる。

 僅かに開けた隙間から素早く入り、音を抑えながら扉を閉めて、そこでようやく息を吐いた。

 

「……は、ははは――今回もやってやりました。ざまあみろ、冒険者」

 

 そこは薄暗く、狭い小部屋。

 埃臭い部屋の中にあるのは、木の板に毛布を敷いただけの簡素な寝具のみ。

 懐から今日の『戦利品』を取り出し、真っ先に所定の場所に隠した後、それまで纏っていたローブを脱ぎ捨てた。

 床に薄く積もった埃がローブを落とした風圧で宙に舞い、ダンジョンで被っていたのだろうモンスターの残滓――塵灰と混じり合い、壁の穴から差し込む光に当たってキラキラと照らされる。

 それを気に留めることもなくフラフラと部屋の中を進む。そのまま胸に湧き上がる仄暗い喜びと重い疲労感に身を任せ、清潔とは言い難い敷物(シーツ)に倒れ込んだ。

 

「今回は、詰めが甘かったですね……反省、しないと……」

 

 標的の冒険者に『変装』がばれて、それからは必至の逃亡劇を繰り広げた。

 なんとかドサクサにまぎれて逃げることができたが、隠れ家(アジト)に辿り着いた事で緊張の糸が切れたのだろう。疲労が一気に襲ってきた。瞼が落ちるのを止められない。

 

 ――(おぼろ)げになる意識の片隅で、唐突にある童話を思い出す。

 

 家族に虐げられてきた、みすぼらしい少女のお話。

 ある日悪戯好きの精霊に魔法をかけられ、絶世の美女に変身した少女は淡い夢を見る為に王宮に向かい、王子に見初められてしまう。

 精霊の魔法が解けて逃げ出した少女を、王子が方々に手を伸ばして見つけ出す。

 魔法が解けた少女を王子が迎えに行き、彼女は幸せになるのだ。

 

 ……どこで読んだのだっただろうか。内容もロクに覚えていない、ありふれたハッピーエンドの創作物(ツクリモノ)

 それを不意に思い出したのは、怒り狂った冒険者から逃げ出す直前の出来事がきっかけか。

 こんな見ず知らずの、薄汚い小人族(パルゥム)を庇った、いかにも駆け出しなヒューマンの少年。

 彼のこちらに向けた背中が、言葉が、倒れる自分に差し出された彼の手が、妙に頭について離れない。

 

 

 自分がこれまで行ってきたことを知った時、彼は同じように手を差し伸べてくれるのだろうか?

 

「……馬鹿馬鹿しい」

 

 自分の思考を鼻で嗤い、一蹴する。

 

 冒険者になった人間なんて、一皮剥けばみんな屑に決まっている。

 一人しかいない部屋の中、乾く心を冒険者への憎しみで上書きしながら、埃っぽいシーツを頭から被る。

 

 ――次の獲物はもう決めた。今は体を休めて、それから『仕事』に取り掛かろう。

 

 叶いもしない夢を見るのは、疲れているせいに違いないのだから。

 今はただ、一時の微睡(まどろみ)に身を任せよう。

 いつか、この手に希望を掴む日を来ると信じて。

 いつか、『終わり()』が来る事を祈りながら、どんどん重くなっていく瞼を落とした。

 

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 冒険者の青年が走り去って行った路地の裏で、僕はこめかみから顎に伝う汗を拭った。

 

「大丈夫でしたか?」

 

 紙袋を抱えたままのエルフの少女は、そう言ってゆっくりと歩み寄ってくる。

 手にしていたはずの小太刀は既になく、見間違いだったのかと思ってしまう。

 その動き一つで彼女が実力者である事が分かる。僕なんかじゃ相手にもならない程の。

 

「あっ、はい……え、えっと、『豊穣の女主人』の店員さん、ですよね?」

 

 エルフの少女が着ている、若草色の給仕服を見てそう尋ねれば、彼女は首肯を返した。

 

「ああ、これは失礼を。私の名はリューといいます」

「リューさんですね。僕はベル・クラネルです」

「存じています、クラネルさん。貴方の事はシルからよく聞いていますので」

 

 ……シルさん、一体僕の何を話しているんだろう。変な事じゃ無きゃいいけど。

 

「と、とにかく……ありがとうございました。助けて頂いて」

「いえ、こちらこそ差し出がましい真似を。貴方ならあの程度、差して労することもなく退けられたでしょう」

「いや、まあ……あはは」

 

 彼女の歯に衣着せぬ物言いに苦笑いが浮かぶ。

 だけど、確かに彼女の言う通りだった。

 

 先程の青年と対峙する光景を思い返す。

 隙だらけの構え。不用心な上段構えでガラ空きになった脇。

 どこからどう打ち込んでも、攻撃が通るイメージしか湧かなかった。

 『戦いの原野(フォールクヴァング)』でのファミリアの先輩達と比べれば、あの冒険者の青年は、その挙動の全てがお粗末に過ぎた。

 

 と言っても、流石にそれを正直に口に出すことは出来なくて。僕は頬を掻いて視線を横に逸らす。

 

「……その、リューさんはどうしてここに?」

「夜の営業に向けて買い出しをしていました。昼間とは異なり冒険者が店に押し寄せますから、準備をしておかないと大変な事になるので。その途中で貴方を見かけてしまい、つい」

 

 なるほどと納得する。あれから何回かお店にお邪魔した時――毎回シルさんが注文を取りに来てくれた――いつも盛況だったことを思えば、生半可な準備だと食料もお酒もすぐに底をついてしまうのだろう。

 それにしても、つい、か。僕とはあまり面識は無い筈なのに……正義感が強い人なのかな。

 

「貴方はここで何を?」

「あっ、そうだ。あの子……あれ?」

 

 周囲を見渡して背後に居たパルゥムの女の子の姿を探せば、先程までいた筈だったのに、彼女は忽然(こつぜん)と姿を消していた。

 

「誰かいたのですか?」

「その筈なんですけど……」

「……察するに、貴方はその人物を助けるために、あの冒険者の男と対峙していたようですね」

「え、ええ、まあ」

「なるほど。クラネルさん、やはり貴方は善良で、信頼のおけるヒューマンのようだ」

 

 そして、リューさんは突然僕に頭を下げた。それはもう、深々と。

 

「遅まきながら、貴方に感謝を。私のかけがえのない同僚を、シルを守って頂けたこと、真に有難く思います」

「ふぁっ!? いやいや、止めて下さいリューさんっ! 守っただなんて、そんな……あの時は逃げるのに精いっぱいで、最後の方ではシルさんを突き離す形になっちゃったし……貴女にお礼を言われるような事、僕はしてません。……出来てません」

 

 いきなりの事で慌てた僕は、頭に浮かんだ言葉そのままに口を動かした。

 自身の至らなさばかりが浮き彫りになった、あの日の出来事にお礼を言われるのが、どうにも申し訳なくて。弁明する途中で目を下に向けてしまった僕を、いつの間にか頭を上げていたリューさんが静かに見つめる。

 

「クラネルさん……謙虚なのは美徳ではありますが、時には侮辱になりえる事もあると、覚えておいて下さい。少なくとも、あの時あの場に居合わすこともできなかった私よりも、貴方の方が優れている」

「そ、そんなつもりじゃ……」

「ならば、胸を張りなさい。貴方のおかげでシルが無事だったのは揺るがない事実だ」

 

 リューさんは空色をしたアーモンド形の瞳で、まっすぐに僕を見つめて叱り、そして励ましてくれた。

 その後すぐに、彼女は端正な顔を僅かに歪めると、申し訳なさそうに頭を低くする。

 

「……すみません、自身の不甲斐なさから、貴方を叱責する様な真似をしてしまった」

「い、いえ、その……ありがとうございます」

 

 今の今まで残っていた()()()が取れたような思いだった。

 きっと、この人にとってシルさんは大切な人なんだろう。

 あの日、シルさんに大きな怪我を負わせずに済ませた事は、この人にとっても大きな事で。それに貢献できた僕がいつまでも悔やんでいることは、リューさんに対しても失礼だ。

 もう僕はあの日の事で自分を卑下にしない。

 あの日の苦い思いを糧にして、同じ事を繰り返さないように強くなる。

 

 ……また一つ、強くなりたい理由が増えた。

 

 

「それでは、私はこれで」

「はい。本当に、ありがとうございました。助けてくれたことも、それ以外でも……また今度、近いうちにお店に行きますね」

「……ええ、シルにも伝えておきます。きっと喜ぶでしょう」

 

 

 やがて僕とリューさんはお互いにお辞儀を交わし合い、その場で別れた。

 

 

 



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灰を被った栗鼠 5

 

「よし……」

 

 朝日と共に目を覚まし、今日もダンジョンに潜る為に準備を整える。

 装備の点検は万全。消耗品の補充も抜かりなし。

 新しい装備に身を包んだ僕は、倉庫から引っ張り出してきた姿見の前に立つ。

 昨日購入した白いライトアーマーは、下に着こんだ黒地のインナーと相まってよく映えていた。

 体を捻ったり屈んだりして鎧に不備がないか確認した後、左手にエイナさんから貰った小盾(バックラー)を固定させ、丁度いいように調整する。小盾に付けられた皮のベルトは長さを調整することで、握りこむと拳の前に、手を開くと手の甲に小盾がくる様に出来ていた。

 拳を握ったり緩めたりを繰り返し、調整と確認を終えた僕は、中央に嵌め込まれた緑玉(エメラルド)色のボスを微笑みながらそっと撫でる。

 

 おもむろに、自分の全身が写る姿見を見ながら鞘から抜いた《愛の剣(マリアムドシーズ)》と《緑玉の小盾(エメラルド・バックラー)》を構える。

 駆け出しの装備から新規一転した新装備。やっと冒険者らしくなってきたと、僕は内心得意気になる。

 

 にやけそうな頬を引き締めて前を向けば、そこに居たのは精悍な顔つきで剣を構える白髪の少年の姿。ウン。格好いい。

 何度か構え(ポーズ)を変えて満足した僕は、新しい玩具を貰った子供のような笑みを浮かべて部屋を出た。

 

 

 

 

 早速戦い合ってる先輩達の怒声を背中に本拠(ホーム)の門をくぐり、見上げれば雲一つない快晴の空。

 気持ちのいい天気に、今日はいいことがあるんじゃないかなんて考えが浮かぶ。

 メインストリートを進み、次第に数を多くしていく冒険者達の波に乗って中央広場(セントラルパーク)に差し掛かる。

 ダンジョンはもうすぐ近く。

 今はとにかく、この新しい装備の具合を確かめたくて仕方がなかった。

 

 そんな、はた目からも分かるくらい浮かれきった僕に、掛けられる声が一つ。

 

「お兄さん、お兄さん。白い髪のお兄さん」

「えっ?」

 

 足を止めて声のした方向を振り返るも、僕を通り過ぎていく冒険者たちが視界を遮るだけで声の人物らしき姿は見られない。

 

「お兄さん、下、下ですよ」

 

 あどけない少女のような声に従って顎を引くと――いた。

 身長およそ一〇〇C(セルチ)。クリーム色のローブを身に付け、深く被ったフードから栗色の髪がはみ出ている。背負っている本人よりも二回り以上大きなバックパックを担いでいるのが目を引いた。

 

「君は……」

 

 僕の腰程しかない低い身長と、フードの(すそ)から僅かに見えた栗色の髪に強い既視感を覚え、昨日の路地裏での記憶が刺激された。

 

()()()()()、お兄さん。突然ですが、サポーターなんかを探していませんか?」

 

 記憶を掘り起こそうとする前に、少女は僕の背後を指さしてそう言った。

 少女が差す指の先にあるのは、僕の背負うバックパック。

 ソロで探索する冒険者がバックパックを装備する光景を見れば、誰であってもその心中を察する事ができる。

 それはズバリ、『サポーターがいてくれたらなぁ』だ。

 

 故に、彼女は僕に尋ねたのだと言う。「サポーターはいりませんか」と。

 

「ぇ、ええっ?」

「混乱しているんですか? でも今の状況は簡単ですよ? 冒険者さんのおこぼれにあずかりたい貧乏なサポーターが、自分を売り込みに来ているんです」

 

 眉をうねらせて困惑する僕とは逆に、少女はおひさまの様に笑って見せた。

 

「そ、そうじゃなくて……君、昨日の……?」

「……? お兄さん、リリとどこかでお会いしたことがありました?」

「え? だ、だって……あれぇ?」

 

 可愛らしく首を傾げる少女の様子に、僕も首を傾げてしまう。

 ……僕の気のせい、なのかなぁ?

 

「それでお兄さん、どうですか、サポーターはいりませんか?」

「え、えぇと……で、できるなら、欲しいかな……」

「本当ですかっ! なら、リリを連れて行ってくれませんか、お兄さん!」

「う、うん。それはいいけど、うーん……?」

「あっ、名前ですか? 失礼しました! リリは自己紹介もしていませんでした」

 

 少女は一歩下がり、ほがらかな笑顔を浮かべる。

 

「リリの名前はリリルカ・アーデです。お兄さんのお名前は何と言うのですか?」

「えっと、僕はベル・クラネルです。よろしくお願いします、リリルカさん」

 

 澄み渡る青空の下で、僕は初めてのパーティーをリリルカさんと組むことになった。

 

 

 

 * * * *

 

 

 

「それじゃあ君は【ソーマ・ファミリア】の構成員だけど、【ファミリア】から仲間外れにされているってこと?」

「えへへ、リリはこんなに小さいですし、腕っぷしもからっきしなので。何やっても鈍くさいリリは、皆さん邪魔者にしか思えないのでしょう」

 

 バベルの二階、簡易食堂。大半の冒険者達がダンジョンに潜る正午前で人影のほとんどない中、僕は小さな少女とテーブルを挟んで座っていた。

 

 僕と共にダンジョンへ潜りたいと告げた彼女と落ち着ける場所に移動した後、面接とまでいかないけど簡単な質疑応答を交わしていた。

 話を聞くに、今まで行動を共にしていた冒険者と契約を解消され、困り果てた末にボクを見つけ出したらしい。

 何故同じ【ファミリア】の冒険者と潜らないのかと尋ねれば、彼女は「頼んでも仲間に入れてもらえない」と、そう返した。

 なんてことないように告げる彼女に、僕は思わず面喰ってしまう。

 

「――そんなわけで、役立たずの身としては肩身の狭い思いでして、今は居心地の悪い【ファミリア】を離れ、割安の宿屋を巡っては寝泊まりを繰り返しています」

 

 彼女の浮かべる表情と語る内容に、お腹の奥が鉛を飲み込んだみたいにズンと重くなる。

 こんなこと考えるのは、彼女に対して失礼かもしれないし、一緒にしたら駄目だって分かってる。――それでも、彼女の置かれた境遇が、今の自分の状況と少し似ていると、そう思ってしまった。

 

「しかし、今の宿に泊まりこむにも、手持ちが心もとなくなってきまして。ぜひっぜひぜひっ! リリはお兄さんとダンジョンに潜りたいんですっ!」

「うん、いいよ」

「【ファミリア】関連の心配なら御無用ですっ! リリの主神のソーマ神は一つの事柄を除いて全てに無関心ですのでっ、ですから――……へ?」

「だから、いいよ。一緒にダンジョンに潜ろっか」

「ええと……予想以上にあっさり過ぎてびっくりしちゃいました。ほ、本当にいいんですか?」

「うん。……あ、でも一つだけ。もしよかったらでいいんだけど、そのフードを取ってくれないかな?」

 

 同情だとか、間違った親近感と言う事は理解している。それでも、いや、だからこそ――贖罪の意味もあって――僕は二つ返事で彼女の提案に了承を伝える。

 そうと決めたら早いもので、僕の意識は当初の目的に移ってしまっていた。

 

 昨日、路地裏で出会った小人族(パルゥム)の少女は、リリルカさんではないのか。

 僕が気になっているのはこれだ。あの時、顔や声をしっかりと確認したわけじゃないけど、パッと見た時の印象があの子とそっくりな様に思えてならなかった。

 僕の要求に目に見えて動揺したリリルカさんは、戸惑う様に体を揺らした後小さな両手をフードにかけた。

 

「こ、これでいいですか?」

「……あれっ?」

 

 フードを外して出てきたのは、ぴょんぴょんと跳ねた栗色の髪に、同じ毛色の獣の耳だった。

 ピコピコと落ち着きなく動く様子に、彼女の耳が作り物ではないことが分かる。

 

「じゅ、獣人……?」

「は、はい、リリは犬人(シリアンスロープ)で――ふひゃぁっ!?」

 

 予想が大外れになって放心した僕は、無意識の内にテーブルに身を乗り出し、彼女の両耳に手を伸ばしていた。

 

「んんっ……!」

「……本物だ」

 

 フサフサの毛とその下の肉付きの柔らかさ、ほんのり感じる体温が一体となって、僕に彼女の耳が本物であることを確証づけた。

 昨日の少女は小人族。獣人である彼女とは別人だ。

 種族が異なる。これ以上の判断材料はない。

 僕の疑念はとんだ見当違いだったというわけだ。

 

「あ、あのぅ……お兄さぁん……」

 

 驚きから覚めぬまま彼女の耳を撫でまわしていると、おずおずと聞こえそうなくらいに小さく、そして震えた声が耳に届く。

 その声に、それまでの自分の行いを客観視した僕は飛び退くように彼女から離れた。

 

「ごっ、ごめんっ! こんな事するつもりじゃ……っ!?」

「……男性の方に、リリの大切なモノをあんなにされてしまうなんて……これは責任を取って貰わないといけませんね?」

「うっ……」

 

 彼女の言葉に赤面した僕は、それからしばらく謝り続けた。

 

「本当にごめんなさい……僕に出来る事ならなんでもしますから、衛兵を呼ぶのだけは勘弁してください……」

「今なんでもって……ゴホンッ。気にしないで下さい、リリは大丈夫ですからっ」

 

 サポーターとしてリリを雇ってくださるだけで、こちらとしては十分です。

 そう言ってリリルカさんは立ち上がり、うなだれる僕に笑みを向けてくれた。

 申しわけなさと有難さを胸にする僕もまた、へにゃりとした情けない笑みを返して椅子から立ち上がる。

 

「えっと、こういう時って、契約金とか必要になるんですか?」

「今日の所はお試しと言う事で、探索の収入を分ける形で大丈夫です。リリの働きを見て、正式な契約を結ぶかどうかを判断していただければ、それで」

「分かりました。それじゃあ、まずは行ってみましょうか」

「はいっ! よろしくお願いしますね、お兄さんっ!」

 

 

 

 



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灰を被った栗鼠 6

 

 つい昨日、僕がエイナさんに叱られた要因であるダンジョンの四階層進出。

 

 ダンジョンは四階層までとそれ以降からは、明確な違いがある。

 迷宮の構造とその範囲、出現モンスターの種類は勿論だけど、中でも特筆するべきはモンスターの出現する頻度だ。

 五階層からのダンジョンは、モンスターが生れ落ちる間隔(インターバル)が四階層とは比べ物にならない程短い。

 袋小路に入った瞬間、壁から這い出てきた数匹のモンスターに囲まれた、なんていう事例も多くあるとか。

 また、七階層からその姿が見られる『キラーアント』といった、()()()()()モンスターも多く出現するようになってくる。

 

 だから、通常は四階層までの階層で冒険者としての下地を作り、地道に、ゆっくり、焦らずに力を蓄えることが重要なのだと、エイナさんは僕に教えてくれた。

 

 

 でも、僕にはそんな悠長にしていられるほどの余裕はない。

 辿り着きたい場所に手をかけるには、いち冒険者の範疇(はんちゅう)に収まってちゃ、絶対に不可能だ。

 ……幸い、今の僕の【ステイタス】の伸びは普通の人よりもちょっとだけいいらしい――女神様は成長期だと言っていた――。だから少し無茶な背伸びをしても、無理にならない程度に収まっていた。

 

 

 現在位置は七階層。

 薄緑色の岩壁に囲まれた、迷宮の薄暗い一角で、僕は押し寄せてくるモンスターの群れの中に自ら飛び込んで行った。

 

 一体、また一体と、襲い掛かるモンスターを切り伏せる僕の頭上。有毒な鱗粉を持つ巨大な蛾のモンスター『パープル・モス』が、大量の鱗粉を振りまきながら降下してくる。

 

『ジギギギギギギッ――ギィッ!?』

 

 『パープル・モス』が《愛の剣(マリアムドシーズ)》の圏内に入ると同時、毒々しい紫色の翅ごと柔らかい腹を両断。そのまま走り抜ける。

 

 向かう先は、硬い殻で全身を覆った巨大蟻のモンスター『キラーアント』。それも二体。

 駆け寄る敵に威嚇するモンスターに対して、僕は前触れなくギアを上げ、一気に加速する。

 

『ギギギギギ……グギュィッ!?』

『ギッ!? ギシャァッ!』

 

 急激な速度の変化に対応が遅れるモンスター。二体の内、右側に位置したモンスターの細い胴体を繰り出した大薙ぎの一撃が真っ二つにする。

 同胞を殺されたモンスターが一瞬の動揺の後、仇である僕に向けて腕の先から伸びる鋭利な鉤爪を振るった。

 剣を振った直後で体勢が悪い僕は、もう一方のキラーアントに攻撃が出来ない――が、焦ることはなく。僕は剣を持った手とは別の、小盾を装備した左腕を突き出すことでモンスターの攻撃に対処する。

 

『ギッ!?』

「っつぁああああっ!」

 

 緑玉(エメラルド)色の半球が設けられた小盾の強打(バッシュ)が『キラーアント』の鉤爪を弾き、そのまま顔面に強烈な一撃を食らわせる。

 キラーアントの攻撃と、硬殻をもってしてもキズ一つつかない防具は、モンスターを大きくのけ反らせた。

 突き出した左腕を引き戻し、その反動を十全に利用して右腕を振り抜く。

 

『――ギ』

 

 断末魔をロクに上げることもなくモンスターの首が飛ぶ。そしてそれを見届ける事もない。既に僕は次の標的に向かって走っている。

 

『キュッ!? キューン、キューンッ!』

 

 数多のモンスターを斬り伏せた僕に向けて、鳴き声を上げる、赤い瞳を潤ませ僕を見つめる一匹の白兎。

 柔らかそうな白い毛と、コロコロと丸みを帯びた見た目が愛嬌を感じさせる。

 しかし、その額から長く鋭い角が伸びている事が、その兎がただの兎ではなく、立派なモンスターである事を証明していた。

 必死に何かを訴えかけている様子の兎のモンスター『ニードルラビット』を、僕は容赦なく剣の餌食にする。

 白い毛皮を赤く染め終えた僕の後方から、幼さを感じさせる高い声が上がった。

 

「わああっ!? ベ、ベル様ーっ! また産まれましたぁー!」

 

 その声にダンジョンの壁に目を向ければ、もう何度目かも分からないモンスターの産声が上がる。

 壁から這い出てこようともがくキラーアントに、疾走する。

 

「せぇー、のぉっ!」

『グビュッ!?』

 

 助走をつけて、思いっきり地面を踏み切って、まだ壁から完全に出ていないキラーアントに飛び蹴りをかます。

 ズンッと重い音の後、キラーアントは首を折り曲げ、力なく壁面に垂れ下がった。

 

 

「――……ふぅっ」

「す、すごいですベル様! あれだけの数のモンスターをソロで、それもこんな短時間で倒されてしまうなんて!」

 

 モンスター襲撃の波が途切れ、静寂が訪れたダンジョンの中で、一息ついた僕に声が掛けられた。

 剣から滴るモンスターの体液を振るい落として、鞘に納めた後。僕は彼女に振り返る。

 顔を向けた先には、満面の笑みをこちらに向ける小さな犬人の少女。そして笑顔のまま一箇所に集めたモンスターの死骸の上に新しい死骸を放り込み、小山を更に高くする光景が映った。

 

「あはは、ありがとうございますリリルカさん。でも、まだまだですよ、僕なんか」

「いえいえ、ご謙遜なさらずともっ! あと、リリの事はリリと呼んでください。他の呼び方でも構いませんが、さんづけはお止めください」

「……それを言うなら、リリルカさんの方こそ様付けは止めて欲しいんですけど」

「すみませんが、それは出来ない相談です。仮契約とは言え、上下の立場は明確にしなくてはいけません。ですので、今後はリリに敬語を使うのも止めて下さい」

「いや、でも……」

 

 なおも渋る僕に、モンスターを集め終えたリリルカさんは「いいですか、ベル様」と前置きした後に、語った。

 荷物持ち(サポーター)が冒険者にとっていかに『お荷物』であり、そのくせ分け前だけは立派に欲しがる寄生虫のような存在なのだと。

 そんなサポーターに敬称を使っていることが他の冒険者に知り渡ったら、彼女の今後の活動に支障がきたすと言う。

 冒険者とサポーターを、同列に扱ってはいけない。サポーターは冒険者にへりくだるべき存在。それが彼女の持論だった。

 

 僕はそうは思わない。ダンジョンに一緒に潜っている時点で、彼女にも命の危険があるのは同じだし、戦闘中、地面に転がるモンスターの死骸を彼女が一箇所にまとめてくれていた事で、普段とは段違いに動きやすかった。

 今回、ここまで速く戦闘を終えることが出来たのは、彼女の働きも確かな要因の一つ。

 それに、モンスターとの戦闘後は、毎回彼女が魔石の回収作業を行ってくれている為――最初の戦闘を終えた後、手伝おうとしたらリリルカさんにやんわりと、しかし断固として拒絶されてしまった――、その間は周囲を警戒しつつも、体を休めることが出来る。

 今も僕一人でやっていた時とは比較にならない速さで魔石を回収していくリリルカさんのおかげで、僕の負担はかなり軽くなっていた。

 そんな彼女が、彼女自身が言う様な『お荷物』な存在だとは、僕にはとても思えない。

 それでも、僕を上目に見つめてくるリリルカさんに、自嘲に歪む彼女の口元に、僕は何も言えなくなってしまう。

 

「……分かったよ、リリ。今度から気を付ける」 

「はい。ありがとうございます、ベル様」

 

 僕との会話の合間にも、彼女の――リリの手元はよどみなく動き続け、モンスターの死骸から魔石を取り出し灰に変えていく。

 十数あったモンスターの死骸は、既に大半が灰の山へと姿を変え、残すはあと僅か。

 その洗練された動きに、僕は感嘆の声を漏らした。

 

上手(じょうず)だね、僕だったらこんなに早く魔石を取り出せないや」

「リリの唯一と言える取り柄ですから! ……っと、これで残りは一つだけですね」

「え? ここにあったモンスターの死骸はそれで最後じゃ……」

「ここにあるのは、ですね。先程ベル様が壁から抜けきる前に倒されたのがまだ残っています」

「あっそうだった」

 

 動きを止めた彼女の手元から、ダンジョンの壁へと視線を移せば、壁にはまって抜け出せなくなったような、間抜けな様子のキラーアントの死骸が垂れ下がっていた。

 

「あれからも魔石を取り出してしまいましょう。魔石のある胸の部分は外に出てますし、お手数ですがベル様に細い胴体を切断してもらえれば、後はリリがやります」

「うん、分かったよ」

「それではこのナイフを――って、ベル様?」

 

 リリからの提案に頷きを返した僕は、壁から生えるキラーアントの横に立つ。

 

 機会があれば試してみたい事があった。

 そして、今がその絶好のチャンス。

 

 

 垂れ下がるキラーアントの胴体は、丁度僕の目線の辺り。

 何度か深呼吸をして、精神を落ち付けてから、ゆっくりと剣を振り上げる。

 

 ――思い描くのは憧憬。

 美しい原野でこの目に焼き付いた、何処までも研ぎ澄まされた剣の『(わざ)』。

 

 脳裏に思い浮かべたオッタルさんの動きを、自分自身に模倣(トレース)

 イメージに沿う様に、踏み出した足に全体重を乗せて、脚から腕の先まで力を伝播させる。

 背筋、腹筋、胸筋と、使う筋肉全てに意識を巡らせ――最大威力の唐竹割りを繰り出した。

 

 

「――――ふッッ!!」

 

 

 落雷の如き鋭い一閃。蒼銀の軌跡を残す剣は音もなくモンスターの鋼殻を断ち切り――死骸は爆散。灰塵に消える

 剣を止めた僕が結果を理解するよりも速く、背後から非難の声が上がった。

 

 

「あ~っ! 何してるんですかベル様っ勿体無いっ!」

「ごっ、ごめぇんっ!?」

 

 どうやら振り下ろす直前で体に無駄な力が入っちゃったせいで、垂直に下ろすはずの剣の軌道が斜めになったみたい。その結果、軌道上にあった魔石も一緒に斬ってしまった。

 

 得られるはずだった儲けがパーになり、荒ぶるリリに即座に謝る僕。

 冒険者にへりくだるサポーターなんて、この場には居なかった。

 

 

 ……まだまだ、オッタルさんみたいに剣を振る事は出来ないなぁ。

 僕は自分の未熟さを再確認すると共に、頬を膨らませるリリの姿に首をすぼめた。

 

 

 



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灰を被った栗鼠 7

「ごめんねリリ、最近調子が良かったから、ちょっと自惚れちゃってたみたい」

「いいえベル様、謝らないでください。リリの方こそサポーターにあるまじき態度をとってしまいました。お気を悪くしてしまい大変申し訳ないです」

 

 ダンジョンの通路を進みながら、僕とリリはお互いに頭を下げ合った。

 今回はリリのサポーターとしてのお試しとあって、ここらでダンジョン探索を切り上げる事になった。

 リリの先導に従い、他の冒険者達の横をすり抜けながら、安全に階層を上がっていく。

 その手際は慣れ過ぎているというくらい、洗練されていた。

 

 周囲への警戒は怠っていないものの、彼女が導き出したルートではモンスターとの遭遇がほとんどない。たまに遭遇してしまっても、それは群れからはぐれたか生まれたばかりで一匹か二匹と少数のみ。その程度の相手ならすぐに討伐することができ、僕は普段とは比べ物にならないくらい速く階層を上がってこれた。

 戦闘も少なく、あってもすぐに終わる。そんなほとんど移動だけの時間が続けば自然と口数も増える。

 

 命の危険もあるダンジョンで、僕たちは談笑するくらい余裕があった。

 

「――しかし、ベル様の強さには驚きです。本当に冒険者になってから半月しか経っていないのですか?」

「僕なんてまだまだだよ。さっきだって失敗しちゃったばかりだし」

「そんなご謙遜を……まあ、ベル様のお強さは【ステイタス】以外にも、武器によるところも確かにあるのでしょうが。『キラーアント』を一刀両断にしたのにはリリもびっくりです」

「やっぱりそうだよね。僕もこの剣には頼りっぱなしで……ちょっと自分には釣り合ってないんじゃないかなんて、少し思ってるんだ」

「……いえいえ、武器は持ち主に頼られてこそ本懐です。要は武器の力に翻弄されず、御する事が出来ればそれでいいのだとリリは思います」

「そう言うものなのかなぁ。まあでも、そう言ってくれて嬉しいよ。ありがとうリリ」

 

 僕は微笑みを浮かべながら腰の剣に手を伸ばす。

 柄頭から剣をなぞっていき、鞘に刻まれた刻印に指がかかる。

 

 リリの言葉に気をよくした僕は、彼女の瞳が(らん)と輝き、視線を刻印に定めたのに気付かなかった。

 

「……武器に疎いリリでもベル様のその剣は立派なものだと分かるのですが、一体どうやって手に入れたのですか?」

「これは女神様に――僕の【ファミリア】の主神様に戴いたんだ。僕の力になる様にって。僕の一番の宝物だよ」

「……それは、良い神様ですね」

「うん……僕の大切なヒトなんだ」

 

  自然と会話が途切れ、同時に大穴に繋がる広間に辿り着く。

 地上へと続く階段を昇り、ダンジョンから帰還を果たした後。ギルドの換金所で魔石の換金を済ませると、後ろの方で待っててくれたリリに今回の報酬を渡した。勿論、二人とも平等になる様に金額は山分けにしてある。

 

「お待たせ。換金してきたよ」

「お疲れ様です、ベル様」

「これがリリの分ね。それでさ……」

 

 今回リリと迷宮探索を共にして、彼女のサポーターとしての腕の良さは十分に知ることが出来た。

 会話を通して知ったリリの明るい人柄もあって、人間関係も問題なさそうだとその場で彼女と期限なしの契約を結ぶことを決め、報酬を手渡すと同時に僕の方から申し出た。

 喜びを露わに、無邪気に飛び跳ねる彼女に笑みを漏らしながら、早速明日から探索に行く事を告げて、大きく手を振り続ける彼女に背を向けた。

 

 その後は受付に居たアドバイザーのエイナさんに声を掛け、リリをサポーターとして雇った事を報告し、少しの世間話の後僕はホームに帰還した。

 

 

 

 ――そして、翌日。

 

 本日の探索を終え、ギルドで本日の戦利品を換金した僕たちはパンパンに膨らんだ袋の中身を、おでこがくっつきそうになるくらい身を乗り出して一緒にのぞき込んでいた。

 

「「三七五〇〇ヴァリス……」」

 

 二人同時に袋から顔を上げて、お互い真ん丸にした目を合わせて。

 そろって顔を緩めると、僕たちは一緒に飛び上がって喜び叫んだ。

 

「すごいっ! すごいですよベル様っ! たったお一人でこれほど稼いでしまわれるなんてっ!」

「これもリリのおかげだよ! 一日でこんなにお金が手に入るなんて……ああっサポーター万歳っ!」

 

 すっかり日が落ちて魔石灯が灯されたバベルの簡易食堂で、他に使っている人がいないことをいいことに、僕たちは抑えきれない興奮のままギャーギャー騒いで笑い合う。

 一通りはしゃぎ終えてハイタッチを交わした後、お待ちかねの報酬の分配に移る。

 

「はいっ! これがリリの分け前ねっ!」

「わぁー……い? ……あの、ええと、ベル様? 計算を間違えていませんか? これどう見ても半分はある様に見えるのですが……」

「? そんなの当たり前じゃん、リリがいたからこんなに稼げたんだから。僕一人じゃこの半分もいかなかったよ!」

「……ひ、独り占めしようとか、思わないんですか?」

「なんで? そんな事するわけないよ。あ、そうだ! せっかくだしリリ、よかったらこれから一緒にご飯食べにいかない? 僕、美味しいお店を知っているんだ!」

 

 笑顔でリリに手を差し出せば、彼女はなぜかぼうっと僕を見上げ、やがておずおずと手を伸ばす。

 伸ばされた彼女の小さな手をこちらから掴んで、笑顔を向ける。

 

「これからもよろしくね、リリ。今日はありがとう」

 

 リリと出会えて本当によかったよ、と上機嫌で告げる僕は彼女が小さく呟いた言葉を見事に聞き逃した。

 

「………………へんなの」

 

 

 

 * * * *

 

 

 

「あっ、ベルさん。今日も来てくださったんですねっ!」

「はい、今晩もご相伴(しょうばん)(あずか)りに来ました」

 

 リリの手を引いてやって来たのは、もうすっかり常連となった『豊穣の女主人』。

 お店に入ってきた僕たちを、若草色の給仕服に身を包んだシルさんが笑顔と共に迎え入れてくれた。

 

「さあさ、入ってください。席はいつもの……場所とは別にしますか?」

「ええ。今日はカウンターじゃなくて、テーブルでお願いします」

(うけたわま)りました。今ご案内しますね」

 

 シルさんに案内されたテーブル席に腰を下ろし、注文した料理が来るのを待つ。

 その間、リリと他愛もない世間話をしたり、ダンジョンでの話題で盛り上がった。

 やっぱり、ダンジョンでは彼女に一日の長がある。これまでリリがしてきた経験の多さからもたらされる体験談に僕は感心しきりだった。

 やがて、運ばれてきた美味しい料理に僕たちは舌鼓を打つ。

 

「……リリはここに初めて来ましたが、本当に美味しいですねぇ」

「でしょでしょ? 僕も団長から教えて貰って知ったんだけど、それ以来常連なんだ」

「ふふっありがとうございます、ベルさん。そう言って頂けるとミアお母さんも喜びます」

「あれ、シルさんお仕事の方はいいんですか?」

「はい。ちょうどお客さんのピークも過ぎましたし、少しくらいでしたら」

 

 料理を前に笑い合う僕たちのテーブルにシルさんが顔を出し、一休みと言う様に空いていた僕の隣に腰を下ろす。

 

「そちらの方は初めてですね。お仲間さんですか?」

「はい。新しくサポーターとして雇ったんです。……リリ、こちらはこの店の店員さんで、シルさんって言うんだ」

「リリはリリルカ・アーデです」

「はい、初めまして。私はシル・フローヴァと言います。……今後も当店を御贔屓くださいね、アーデさん」

「え、ええ。機会があれば、ぜひ」

「それにしても、ご新規さんを連れて来て頂けるなんて……常連のベルさんにはお礼を言わないといけませんね?」

「いえいえ、お礼なんて。ただ単にここのご飯が美味しいからですよ」

「そうですか? それなら私がこのお店に誘った甲斐がありましたね」

「あはは……?」

「アーデさんはどうでしょう、料理やお酒は楽しめていますか?」

「勿論ですよ。こんなに美味しい料理を食べたのはリリは初めてです」

「それは良かったです。ウチのシェフは皆腕利きで――」

 

 ……なんだろう、この空気。

 会話の内容はどこもおかしなところはない。なのにシルさんの周りだけ温度が低くなっている気がする。

 リリの事を、あれだ、言い方は悪いけど観察しているみたいな感じがする。

 心なしかリリもシルさんに少し警戒しているような……いや、僕の気のせいだ。そうに違いない。

 

「あ、そうだベルさん。この前リューから聞きましたよ? なんでも、冒険者の方とあわや一触即発の空気だったとか」

「……!」

「ええ、まあ。リューさんには危ない所を助けて頂いて……」

「ふふふっ、ご謙遜を。刃物を向ける冒険者相手に、一歩も引かずに迎え撃とうとしてたって聞いてますよ? だよね、リュー?」

 

 声を張り上げたシルさんが顔を向けた先には、給仕服のエルフの少女の姿。

 こちらの会話が聞こえていたのか、彼女は足を止めるとこちらに顔を向け、小さく会釈をしてくる。

 僕も会釈を返すと、彼女は止めていた足を動かし給仕の仕事を再開した。

 

「しかし、サポーターですか。ベルさんの【ファミリア】って、駆け出し相手のサポーターっているんですか?」

「いえ、リリは別の【ファミリア】所属で、名前は確か――」

「リリの所属は【ソーマ・ファミリア】ですよ」

「……ソーマ、ソーマ――ああ、あそこですか。確かお酒の販売もしているところですね? 何度かうちで取り扱ってた覚えがあります」

 

 とある女神様がそれを呑んで、あまりの美味しさに大騒ぎしてミアお母さんにお店から叩き出されちゃってました、と笑うシルさん。

 エイナさんも【ソーマ・ファミリア】の扱うお酒は絶品だって言っていたけど、神様相手にも通用する味だなんて、一体どれくらい美味しいんだろう

 

「でも、ベルさんもこれでソロから卒業ですね。サポーターといえど、パーティーを組むのとソロとでは負う危険も段違いだそうですし」

「ええ、リリと組むことが出来て本当に良かったと思っています。ダンジョン内での手際もいいし、知識は足元にも及ばないほどで」

「ベル様は謙虚が過ぎますよ。今日だってLv1の五人パーティーが一日かけてやっと稼げる金額を、たった一人で優に超える働きをしたばかりじゃないですか」

「だからそれはリリが居てくれたおかげであって、僕だけの成果じゃないって」

「そもそも、ベル様の実力あっての結果なんですから、もっと自信を持ってもいいとリリは思います」

「いやいや、それを言うならリリこそ――」

 

 ベル様が、ベル様が。リリが、リリがと二人して言い合っていると、コロコロと笑う声が上がる。

 

「お二人とも、仲がよろしいんですね」

 

 シルさんに僕たちのやり取りを笑われてしまい、なんだか恥ずかしくなった僕とリリは共に口を噤んだ。

 

「……でも、意外でした。ベルさんの所属する【フレイヤ・ファミリア】では、他所(よそ)の【ファミリア】の方だと気後れしてしまって、あまり組みたがる人がいないってよく聞いてましたから」

「……………えっ?」

「シ、シルさんっ!」

「……あれ、もしかして私、またやっちゃいました?」

 

 シルさんが不意に溢した言葉に、ポカンと口を半開きにするリリと慌てだす僕。

 僕たちの様子にシルさんも自分の不手際を悟ったのか、首を僅かに傾げて苦く笑った。

 

「コラァッそこの馬鹿娘っ! いつまでサボってるんだい、さっさと仕事にもどりなッ!!」

「あっ……と、というわけで、私はこれで失礼しますねっ。それじゃあごゆっくり~」

 

 女将のミアさんの怒鳴り声に、シルさんはさささっと足早に給仕の仕事に戻って行ってしまった。残された僕たちの間に流れる空気は、何ともいえないモノになっているのに。

 

「……」

「……」

「あ、あの、ごめんね? 下手に僕の所属する【ファミリア】の名前が広まると、危ない目に合うかも知れなくって……決してリリを騙してたわけじゃないんだ。そこだけは信じて?」

「……で、では、ベル様の【ファミリア】は……本当に?」

「う、うん。僕の主神はフレイヤ様なんだ。やっぱり、驚くよね?」

「ソ、ソウナンデスカー。ビックリデスー」

 

 やっぱり、【フレイヤ・ファミリア】の名前が持つ力は大きいんだなぁ……。

 動揺を隠せずにいるリリの様子に、僕は改めて自分が所属している派閥の影響力を知る。

 

「(…………やばいですヤバイですヤヴァイですとんでもないのに手を出してしまいましたというかあの時手を出せなくて正解でしたリリはよくやりました褒めてやりたいですなんでこのウサギに目を付けたんですかリリのおろかものこれゼッタイ少しでも疑われたらそこで終わりですよねああぁぁやばいヤバイこれからリリはどうすれば――)」

 

「――あの、リリ?」

「ひゃいっ!? な、何ですか、ベル様?」

「その、隠していた僕が悪かったけれど……これからも僕と一緒にダンジョンに潜ってくれないかな?」

 

 ……我ながら、都合のいいことを言っていると自覚している。

 それでも、僕はまだ彼女と一緒にダンジョンで冒険していたかった。

 彼女を()()()に、したくなかった。

 

「……と、当然じゃないですかー。やだなーベル様ってばー」

「そ、そっか! 良かったぁ、ありがとうリリ!」

「お礼を言うのはこっちの方ですよーベル様ぁ。アハ、アハハッ、アハハハハ…………

 

 秘密が暴露した後も、変わらず関係が続くことに安心した僕は、リリと一緒に笑い合って、食事を再開した。

 二人で食べる酒場の料理は、いつもよりも美味しく、何よりも楽しく感じることが出来た。

 

「美味しいね、リリ」

「ソーデスネーベルサマー」

 

 

 ソロではなく、パーティーとして。これからのダンジョン探索が楽しみになる夕食だった。

 

 

 

 




 
リリ「もう料理の味なんかわからねぇよ」
 
 


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白兎に雷鳴響く 1

 

 リリとサポーター契約を交わした日から、僕とリリのダンジョン探索はすごく順調だった。

 リリの要望、そして僕の目標をふまえ二人で話し合った結果、僕達は階層を踏破するよりも金策を優先することにした。

 サポーターとして経験を積み重ねたリリの助力の下、僕たちは七階層周辺で稼ぎに稼いだ。

 モンスターを狩る効率は格段に上がり、時にはリリがギルドの掲示板から持ってきた手ごろな冒険者依頼(クエスト)をこなしたりする内に、僕の懐はソロの時とは比べ物にならないくらいどんどん膨らんでいった。

 金銭面だけでなく、モンスターとの戦闘でも彼女に助けられた事は多い。

 多くの冒険者を見てきた彼女だから出来る助言や、エイナさんから教えて貰わなかったダンジョンでの細かな定石(セオリー)は、どれも非常に役に立った。

 リリとパーティーを組めて本当によかったと思う。

 

 ダンジョン探索は順調だ。

 モンスターを倒して魔石を換金し、帰りは稼ぎの一部を使って酒場で美味しいご飯を一緒に食べる。

 笑顔で手を振って別れてホームに帰還し、今日も充実した一日だったと心地良い疲労感を感じながらぐっすり眠って清々しい朝を迎える。

 たまに、というか結構な頻度で早朝から原野でボロボロになったりもするけど、それも話題の一つとしてリリと一緒に笑い合う。

 彼女とパーティーを組んでから、毎日が充実していた。

 

 

 だからだろうか、僕は少し贅沢になっていたのかもしれない。

 

 その日の探索を終えて、いつも通り報酬を山分けした後の事。

 申し訳なさそうな表情を浮かべたリリが、突然僕に頭を下げた。 

 

「すみませんベル様。リリは大事な用があってダンジョンに潜ることが出来なくなってしまいました。こちらの都合で申し訳ないのですが、しばらくお休みを頂いてもよろしいですか?」

「えっ? あ、ああ、うん。いいよいいよ、こっちは全然大丈夫だから。むしろ休息を入れるのを忘れていた僕が悪いんだし。次からはもっと気軽に言ってくれていいから」

「ありがとうございます、ベル様」

 

 突然の事で少し驚いたけど、そういえばとエイナさんから『休息を入れるのも冒険者の仕事』なのだと教わったことを思い出す。

 連日突き合わせっぱなしだった事を反省しつつ、リリに謝罪と了承を返した僕は、その後も何度も頭を下げる彼女と別れ、その日はまっすぐにホームに帰った。

 

 

 

 

 それが、一昨日の話。

 

「なんか、気が向かないなぁ……」

 

 僕は寝台で仰向けになって、天井を見つめ続けていた。

 リリと別れてから早二日、僕は一回もダンジョンに行っていなかった。

 かと言って原野で鍛錬することもなく、ひたすら寝台の上でボーとする時間がただただ過ぎていく。

 

 自分でも原因が分からないけど、どうにも何かしようと言う気力が湧いてこない。

 ここのところダンジョン探索するか、鍛錬するぐらいしかしてこなかったからいい休息、なんて自分に言い聞かせているけど……なんだかなぁ。

 

 これじゃあダメだと、頭ではわかっているけれど、どうにもやる気が起きない。

 

 

「……相談、してみようかなぁ」

 

 

 

 * * * *

 

 

 

「それで私の所に来たの?」

「はい……すみません、こんな事で」

「あら、全然かまわないわよ。むしろ私を頼ってくれて嬉しいわ」

 

 そう言って、瀟洒(しょうしゃ)な椅子に座る女神様は、小さな子供に向ける様な微笑みを、目を伏せる僕に向けた。

 

 ここは女神様の神室(しんしつ)

 無気力な現状を打開するために悩みに悩んだ末、僕は女神様に相談することにした。

 こんな些事に女神様のお手を煩わせてしまう事に、罪悪感を覚えてしまう。

 その思いから女神様に謝るも、項垂れた僕の頭を女神様は気にするなと言う様に優しく撫でた。

 まるきり子供にするような扱いだけど、僕はどうにも女神様に頭を撫でられるのに弱いらしい。気恥ずかしさ以上に安心感を覚えてしまう。

 

 

「それじゃあ、今は静養しているの?」

「そんな響きのいいものじゃないんですけど……」

 

 そんな照れくささを隠すように、僕はリリに関することは伏せ、今は何だか気が抜けてしまっている事を打ち明けた。

 僕の主神であるフレイヤ様なら、なにかいい感じのアドバイスでも授けてもらえないかな。なんて、ずうずうしい希望がなかったとは言いきれない。

 

 話し終えた僕を女神様はじっと見つめた後、やがて微笑んだ。

 

「なら、読書なんてどうかしら?」

「読書、ですか?」

「ええ、あなた最近動きっぱなしだったでしょう? それで心身が疲れちゃったのよ。今はゆっくり体を休めて、本でも読んでリフレッシュすればいいと思うわ」

 

 読書……考えてもみなかった。でも確かに、今の僕にはいい薬になるかも。

 幼い頃英雄譚を読んだ後いつも感じていた、居ても立っても居られなくなるあの感覚をまた感じられたなら。

 昔みたいに本を読めば、今の無気力な状態からも抜け出せるかもしれない。

 

「読書、いいかもしれません。ありがとうございますフレイヤ様。僕、本を読んでみる事にします」

「そう。役に立ったなら私も嬉しいわ」

「あっ……でも僕、すぐ読める様な本持ってません」

 

 自分の部屋にあるのは、元からあった備え付きの家具以外にはダンジョン用の装備くらい。

 あとはちょっとした日用品がいくつかある程度で、本の類は持っていない。

 おじいちゃんから貰った英雄譚は前の家に置いてきてしまったし……このあと書店にでも行ってみようかな?

 

「それなら、私の本を貸してあげる」

「へ? フレイヤ様のですか?」

「ええ。ここにある物ならどれでもいいわよ」

 

 そう言って女神様が目を向ける先には、小さな棚に収められた数冊の本があった。

 どれも分厚くて読むのに苦労しそうだ。何より、女神様の私物に手垢をつけるのは気が引ける。

 

「そう言って貰えて嬉しいですけど……僕が持ち出してフレイヤ様の物を汚しちゃったら」

「気にしなくてもいいのに。……ならそうね。私は少し用があってしばらく外すから、その間ここで読んでいけばいいわ」

「えっ、そんな。いいんですか?」

「ええ、構わないわよ。じゃあ、少ししたら戻るわね」

 

 そう言って女神様は神室から出て行ってしまった。

 一人残された僕は、本当にいいのかなと不安を覚えつつも、女神様の好意に甘えることにした。

 せっかく女神様から提案していただいたのに、それに従わないのも不敬だろうと思いなおして。

 

 僕は本棚に近づくと、どれにしようか目で物色する。

 と言っても、分かるのはほんの背表紙の色と、その分厚さくらいなものだけど。

 どの本の背表紙にも、題名らしきものは記されていなかった。かと言って、手当たり次第に触るのも抵抗感がある。女神様はああ言ってくれていたけど、無造作にベタベタと触って手の脂を付けるのは、やっぱり駄目だと思うから。

 

 ……女神様が読むくらいだし、どの本もムズカシそうだなぁ。

 迷う僕の視界の端で、赤、青、黒と、色とりどりに並んだ本の中で、真っ白なその色が目を引いた。

 

 気が付けば、僕はその本を手に取っていた。

 白い本の分厚さは相当なものだ。本を持つ手に感じるズシリとした重量は、ちょっとした武器代わりにもなりそうな程。

 

 あまり難しい内容の本だと読むのがキツそうだけど、もう手に取っちゃったしなぁ……。

 代りの本に手を付ける気も起きず、僕はそのまま白い本を読むことにする。

 

 

 

 そして僕は、題名も、装飾もないただただ白い本を開き、ページをめくり始めた。

 

 

 

 

 




本の中身はほぼ一緒。


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白兎に雷鳴響く 2

 

 

 

 気が付けば、僕は『僕』と対峙していた。

 

 違う。正しくは『僕』じゃない。これは【僕の絵】だ。

 

 無数の文字から構成された、額から上が存在しない、僕そっくりの顔面体。

 

 違う。()()()()なんて言葉じゃ足りない。そこに在るのは、いっそ醜悪なまでに写し出された、偽ることのできないもう一人の『本心(ぼく)』。

 

 

 【僕の絵】は独りでに動き出す。閉じられていた瞼が上がり、僕の全て見透かすように文字で綴られた紅い瞳が僕を射抜く。

 そして、小さな口は開かれ――僕の声が頭の中で響いた。

 

 

 

『それじゃあ、始めよう』

 

 

 

 その言葉を契機に、僕の中の『僕』を暴き出す尋問が始まった。

 

 

『魔法とは何か』

『魔法とはどんなものか』

『魔法に何を求め』

『魔法に何を望むのか』

 

 

 それらの問いに一切の虚偽は許されず、僕は己の全てを、僕の知らなかった――知りたくなくて目を逸らしていた願望を、渇望を、包み隠すことなく白日の下へと抉り出す。

 

 全ての問いが終わり、意識が暗転する間際。

 暗くなっていく視界の先で、もう一人の『僕』が微笑んだのを見た。

 

 

 

 

 * * * *

 

 

 

「……ん、あれ?」

 

 

 目を開けるとシミ一つない綺麗な天井が視界に映る。

 少しぼやける目をパチパチと何度か瞬きして、ふと、頭の裏が温かくて、柔らかいことに気付いた。

 

「あら、起きたの? おはよう、ベル」

「へっ? フレイヤ様? なんで?」

 

 突如頭の上から降ってきた女神様の声に、僅かに頭を動かせば、白い本を手にした女神様が僕を見下ろしていた。

 動かした頭の裏から、柔らかい感触が伝わってくる。

 

 ……もしかして、また、膝枕してもらっちゃってる?

 

 

「す、すすすみませんっ!? 僕、いつの間にか寝ちゃってたみたいでっ、そのっ!?」

「ふふふ、みたいね。慣れないことをして疲れちゃったのかしら?」

 

 慌てて上体を起こした僕に女神様は笑いながら、その手にある白い本を掲げた。

 まさか、本を呼んでいる最中に眠ってしまったのだろうか。

 悪戯っぽく笑う女神様の様子を見るに、どうやらその予想があたってるみたいだ。

 ……は、恥ずかしい。

 

 お尻の下が柔らかい。本を読んでいる時は椅子に座っていたはずなのに、いつの間にか寝台の上に移動していたみたいだ。

 女神様が運んでくれたのかな。ますます申し訳なくなる気持ちでいっぱいだ。

 

「その様子だと、本はあまり読めてないのかしら?」

「え、いえ、ちゃんと全部読んだ……はず、で……あれ?」

 

 女神様の問いに半ば反射的に返すも、確信できない自分に戸惑った。

 そもそも、僕はいつ眠ってしまったんだろう。

 

 白い本の中身は魔法の入門書だったようで、魔法に興味があった僕はすぐにのめり込んだ。

 入門書なだけあって内容が理解しやすかったから、どんどん読み進めていって、それで――

 

 ――それで……僕は、誰かと話していた?

 何かを尋ねられていた?

 何を尋ねられていた? 話し相手は、一体……?

 

「……ぅぐっ」

 

 思い出そうとすればするほど、頭の中がかき回されたみたいにぐちゃぐちゃになっていく。

 あれは、夢だったんだろうか……?

 

 

「……」

「……ふふっ、まだ少し寝ぼけてるみたいね。【ステイタス】更新も済ましておこうかと思ってたけれど、今日は止めておく?」

「い、いえ。大丈夫です。お願いします」

 

 女神様が針を取り出して神血を指ににじませる中、僕は上着を脱いで女神様の寝台に寝そべる。

 ……毎度の事ながら、女神様の寝台はすごくいい匂いがする。

 なんだか変態っぽいから、あまり嗅いだりはしないけど。毎回ドキドキしてしまって落ち着かない気分になってしまう。

 つつ、と背中に触れる女神様の細い指が、肌をなぞる度にそれは増長していく。

 

 は、はやく終わらないかな……なんだかヘンな感じになってしまいそう。

 

「はい、終わったわよ」

 

 慣れない感覚に内心悶えている内に、【ステイタス】の更新が終わったことを告げられた。

 ほっとしながら体を起こし、赤くなった顔を見られない内に上着を着直していく。

 その間に女神様が共通語に直した【ステイタス】を紙に写してくれるので、それまでには顔の赤みが引いてる様にと、必死になって精神を落ち着ける。

 

 そのかいあってか、【ステイタス】の写しが渡される頃には顔の火照りはすっかりなくなっていて、今回もドキドキしていたのを女神様に気付かれずに済んだ。はず。

 

「ふふっ、はい。これが今回の【ステイタス】ね」

「あ、ありがとうございます」

 

 いや、やっぱり済んでないかもしれない。

 笑顔で僕を見る女神様に、僕は自分の顔が再びじわじわと熱くなるのを感じながらお礼を言って紙を受け取る。そんな僕を見て再び小さく笑みを溢した女神様は、僕に向かって一言、「おめでとう」と言う。

 

「はい?」

 

「魔法、発現したわよ?」

 

 

 

 数秒ほど、その言葉の意味が理解できなかった。

 そして、理解した瞬間。バッと音がなるくらいの勢いで紙に目を向ければ――――あった。

 

 いつも空白だった【魔法】の欄に、それが。

 

 

 

 

ベル・クラネル

LV:1

力:B782 耐久:A881 器用:B738 敏捷:A803 魔力:Ⅰ0

《魔法》

【サンダーボルト】

・速攻魔法

 

《スキル》

【 】

 

 

 

 

「――~~~~~~~~~~っっ……!!」

 

 その単語を目にした歓喜に叫び声を上げそうになるのを抑えるのには、本当に苦労した。

 【ステイタス】の写しを持つ手が震える。自分の顔が紅潮し口元がニヤけているのが鏡を見ずとも分かる。

 

「フ、フレイヤ様ッ! 僕っ、魔法! 魔法が使える様になりましたっ!」

「ふふっ、そうね。おめでとう、ベル」

 

 

 うれしい。嬉しい。嬉しいっ! 本当に嬉しくてたまらない!

 あれだけ望んで止まなかった魔法が使える様になったのだ。

 そう、魔法だ。物語の英雄たちがここぞとばかりに使っていた、切り札の代名詞でもある、あの魔法!

 

 僕は、ベル・クラネルは、念願だった《魔法》を使えるようになった!

 

 

「喜んでくれている時に水を差す様で悪いのだけど、貴方の魔法について気になるところがあってね。少し考察してもいいかしら」

「は、はいっ!」

 

 喜びを噛み締めていると、女神様から声を掛けられた。

 その言葉に我に返ると同時に、年甲斐にもなく、はしゃいでいた自分が恥ずかしくなる。

 でも嬉しいのは本当なんだから、仕方がなかったとも思う。

 

「まず掻い摘んで話すのだけど、魔法って言うのはどれも『詠唱』が必要なものなの」

 

 女神様の説明を要約すると、こうだ。

 

 魔法には専用の『詠唱』があらかじめ設定されており、それを全て経る事で初めて魔法は行使できるようになる。

 『詠唱』の長さはすなわち魔法の威力であり、長ければ長いほど発動した際の効果は大きく、そして発動までにかかる時間が長くなる。そして、魔法を使う場面のほとんどは戦闘中であり、その最中に長々と『詠唱』することは困難極まる。逆に『詠唱』が短ければ魔法の効果は小さいものとなり、その分発動するまでの時間が速くなる。

 魔法の『詠唱』とは、まさに一長一短なのだ。

 

 しかし僕の魔法にはその『詠唱』がない。

 おそらく、僕が自身の魔法名――【サンダーボルト】と口に出すだけで魔法が発動する可能性があるとのこと。

 これは特異的であり、これまで多くの眷属の魔法を発現させてきた女神様も初めて見る魔法らしい。

 

 

「……まあ、詳しい事は実際に使ってみれば分かるわよ。明日にでもダンジョンで使ってみたらどうかしら」

「えっ……明日、ですか?」

「あら、もしかして今からダンジョンに行くつもりだったの? 眠っちゃってたから気が付いてなかったのだろうけど、もうとっくに日が沈んでるわよ」

「え、あ、そうですか……そうですね。明日、ダンジョンで使ってみようと思います」

 

 苦笑を向けてくる女神様に、僕はぎこちなく笑みを返すと、少しだけ会話をしてから女神様の神室を後にする。

 

 

 

 

 

 

 十数分後、僕はダンジョンの中で初めての魔法に大興奮していた。

 

 

 

 

 

 



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白兎に雷鳴響く 3

 

 

 薄暗い迷宮の一角。薄青色の燐光を染め上げる強烈な閃光が瞼の上から網膜を焼き付ける。それと同時に全身を震わせる程の轟音が鳴り響く。

 真っ白な闇とひどい耳鳴りが五感の内の二つを奪われる。ほとんどの人にとっては不快な感覚。だけど僕はそんな感覚に強い既視感を覚えている。

 

 どこか身に覚えのある音と光は、遠くに過ぎ去ってしまった過去の記憶を呼び起こす。

 そう、あれは確か、まだ僕が幼い頃。

 

 記憶にある中でも一段と強い嵐が通り過ぎたその翌日。

 青空の下、祖父に連れられ村近くの森へと足を踏み入れた時の事。

 

 真っ白になった視界に、いつかの光景が浮かび上がっていく――

 

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 

 小さな背丈で見上げる視界に入るのは、青々と茂る木々と、幼い僕の手を引く外衣(トーガ)の纏った大きな背中。

 今はもういない、たった一人の僕の家族。大好きだったおじいちゃんの背中だ。

 

 おじいちゃんに連れられて森の中を進んでいくと、やがてぽっかりと開けた空間に辿り着く。

 その中心に、大の大人が二、三人並ぶほどの太さを持った大きな(かし)の樹が(そび)え立っているのを、僕は見た。

 古代から存在していたのだろう、一目で分かるほどに永い歴史を積み重ねてきた威容(いよう)さを誇るはずの大樹はしかし、今や真っ二つに引き裂かれ、ほぼすべての部分が炭化して黒ずんでしまっていた。

 原型を保っているのが精一杯という姿に、一体この大樹に何があったのだと、幼い僕は驚きと困惑で呆けるばかり。

 そんな僕の頭に手を置きながら、やっぱりここに落ちたかとおじいちゃんは呟いた。

 

 先日村を襲った大雨。その時落ちた雷のせいだとおじいちゃんは語った。

 おじいちゃんは山火事を心配した村人に請われ、村近くの森で一番の高さを誇るこの樫の樹の様子を見に来たのだ。

 

 ――やっぱ雷はすげえよなぁ。

 ――こんなデカい樹もブチ割っちまうんだぜぇ。

 ――ゴロゴロバリバリうるせぇし、怖いよなぁ。

 

 古来より、人は雷を畏れてきた。重く分厚い黒雲を引き裂き、轟音を伴って地に落ちる光は、天界に座す神々の怒りなのだと言い伝えられてきた。

 幼い僕もまた、窓板を叩き付ける雨音をかき消す轟音と、夜闇を白く染める閃光に畏れを抱き、大雨の日の晩は一人で眠れずおじいちゃんの寝床に潜り込んでいた。

 おじいちゃんはそんな僕を見て笑っていたけど、その時の僕はそれを気にする余裕もなく、背中を撫でる大きな手に縋る様に布団の中で身を丸めるばかりだった。

 眠れない時間を過ごす中、ある時突然大きな、まるで辺り一帯が爆発したかのような音が鳴り響き、地面が揺れるのを感じた。

 次の朝、僕はおじいちゃんの布団の上に大きな地図を描く事になった。

 

 きっとあの音の原因が、目の前にあるこの大樹を引き裂いたのだろう。

 恐ろしい爆音を思い出し、その威力に(おのの)き青褪める。

 そんな僕の頭の上に手を置いたまま、おじいちゃんは「でもな」と言って、自分を見上げる幼い孫の髪を雑に、そして優しく撫でつけた。

 そして言う。

 

 雷の後は、決まって晴天がやってくる。

 何よりも疾く、何よりも強大で恐ろしい雷。

 だからこそ、天を覆う雨雲を消し飛ばし、お天道様を呼んできてくれる。

 

 明けない夜がないように。

 止まない雨がないように。

 天を引き裂く雷の矢は、いつだって明るい希望(そら)を連れてくるんだ、と。

 

 

 その言葉に、僕はまるで祖父のようだと思った。

 祖父は格好良かった。

 僕がゴブリンに殺されかけたとき、誰よりも速く、放たれた矢の様に一直線に駆けつけて来て、手に持った(くわ)雷霆(らいてい)の如くモンスターへ叩き込み、僕をモンスターの凶手から救い出してくれた。

 

 痛くて、苦しくて、怖くて堪らなかった時、辺り一帯を震わせるほどの怒声と共にモンスターを吹き飛ばした祖父の姿は鮮烈で。

 全身を土と血で汚す僕を、(いと)うことなく大事に抱え込む丸太の様に太い腕は、他の何よりも頼もしく。

 喉を震わせ、ボロボロと大粒の涙を流す僕の頭を撫でる、大きな大きな手は優しくて、力強くて。その手に僕は心の底から安堵(あんど)した。。

 

 痛みと恐怖に満ちた絶望を吹き飛ばした祖父は、彼自身が言うところの(いかづち)そのものだった。

 だから僕は、憧れた。

 

 苦しむ誰かを、颯爽と駆けつけ救い出す英雄に。

 それが僕の原点。

 

 

 何よりも迅く、誰よりも強くて格好の良い、そんな雷霆(えいゆう)の背中を、僕は決して忘れない。

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 

「それじゃあ失礼します、女神様」

「ええ、おやすみなさい」

 

 ステイタスの更新を終え、女神様の下を後にした僕は、すぐに部屋に戻ると寝台の上に寝転がって、おとなしく明日が来るのを待つことにする。

 

 ……なんて、出来るはずがなくて。

 

 

 この二日間、手入れする時間以外バックパックに収められたままだった防具を取り出して手早く身に付け始めた。

 

 防具を装備し終わったら、武器も持たずにそのままダンジョンへと直行。

 澄み切った夜の空気の中を走り抜ける僕の、火照った頬が月明かりに照らされる。

 

 

 ……女神様の言った通り、読書をして正解だった。

 

 だって今、僕はこんなにも気力に()(あふ)れている。

 部屋で何をするでもなくゴロゴロしていた時が嘘の様に、僕は飛び跳ねる様にメインストリートを駆けて白亜の塔へ、その下にあるダンジョンへ向かっていた。

 

 勿論、今の僕の状態は普通に本を読んだせいだとは言い難い。

 でも、あの魔法の入門書を読んだことが魔法を発現する呼び水になったのなら。この胸が躍り出す感覚は、やっぱり読書のおかげなんだろう。

 あの時読書を勧めてくれた女神様に、ますますの感謝と敬意を抱く。

 

 

 そして、なによりも。

 

「魔法をっ使ってみたい! 今すぐ!」

 

 今僕の頭を占めている考えは全て、これに尽きた。

 

 

 落ちる様にバベル下に伸びる螺旋階段を駆け下り、途中でこらえきれずにフチから穴へと飛び込んだ。

 ダンッ! と音を立てて着地。僅かに痺れる足を無視して通路の奥へと駆け出して行く。

 

「……」

 

 通路を走り始めてから少しして。ざり、と止めた足が地面を擦る。

 わずかに弾む息を(ひそ)めれば、聞こえてくるかすかな足音に胸が高鳴る。

 

 

 ――幅の広い一本道。薄暗い視界の先でうすらと見える、緑色の小さな影。

 

 早速現れた好機。

 的の大きさといい、間合いといい、申し分ない。

 

 ゴクリと、喉を大きく嚥下する。

 緊張に全身が震え、手のひらに汗がにじむ。

 

 小さな影――ゴブリンがこちらに気付いた。唸り声を上げるとドタドタと音を立てながら走ってくる。

 そして僕は何度か手の開閉を繰り返して、右腕を真っすぐゴブリンへ突き出した。

 

 

 一拍を置き、声高らかに咆哮する。

 

 

「【サンダーボルト】!」

 

 

 次の瞬間、雷鳴がダンジョンに(とどろ)き響いた。

 

 駆け抜けたのは紫電の一矢。

 鋭角的かつ不規則な線条を描く青紫色の(いかづち)が、一瞬でゴブリンの胴体を貫いた。

 僕の目が追えたのはそこまで。

 雷の矢がゴブリンに着弾した瞬間、()()()()(まばゆ)い閃光が炸裂する。

 

『……ギ、ァ』

 

 黒焦げた胴体に大穴を空け、もうもうと煙を上げるゴブリンは断末魔代わりに口から白煙を吐き出して、そのまま床に倒れた。

 

「――――――」

 

 

 出た。

 僕の掌から、本当に。

 

 呆然と立ち尽くしていた僕は、伸ばしていた腕を戻して自分の手の平を見下ろした。

 線の細い、マメだらけの白い手。

 何も変わらない、見慣れた僕の手だ。

 

 でも、出たんだ。

 この手から、僕の魔法が。

 

「……は、ははっ」

 

 笑いが、こぼれた。

 次第に全身が発熱し、開いていた手を握り締め、拳を作る。

 堰き止められていた感情は、すぐに決壊した。

 

「あは、あはは、あははははははっ! ――やったぁぁああああああああああっ!!

 

 初めてダンジョンに潜った時にオッタルさんから注意されていた事も忘れ、ダンジョンの中で一人。僕は拳を突き上げ歓喜の叫びを上げて狂喜乱舞した。

 ダンジョンの中に、僕の笑い声が反響して広がっていく。

 でも笑う事を止められなかった。やめられなかった。

 

 馬鹿みたいにはしゃいで、馬鹿みたいに目を輝かした。

 僕はそのまま、満面の笑みを浮かべながら次の獲物を求めて、その場から駆け出した。

 

 

 ……何が言いたいのかといえば、そう。

 結果として、魔法によって興奮が最高潮に達した僕は、また調子に乗ってしまったのだ。

 無謀にも三階層から五階層に踏み入り、ミノタウロスに遭遇したあの日の様に。

 

 ダンジョンの恐ろしさを理解していなかった、あの時の僕の様に。

 

 

 

「サンダーボルトっ!」

『グァッ』

 

 モンスターに会っては魔法を撃ち、

 

「サンダーボルトォっ!」

『ギャンッ!?』

 

 モンスターを見ては魔法を撃ち、

 

「サンダーボルトォォっ!」

『キュッ!? ピギュィッ!』

 

 モンスターの居そうな所へ魔法を撃ちこんだ。

 見敵即射。

 

 

「サンダーボルト!」「サンダーボルト!」「サンダーボルト!」「サンダーボルト!」「サンダーボルト!!」「サンダーボルト!」「サンダーボルト!」「サンダーボルト!」「サンダーボルト?」「サンダーボルト!」「サンダーボルト!」「サンダーボルト!」「サンダーボルト!!」「サンダーボルト!」「サンダーボルト!」「サンダーボルト!」「サンダーボルト!」「サンダーボルト!」「サンダーボルトォォッ!!!」

 

 

 その後も何度も何度も狂ったように、時には何もない所に向けてまで魔法を撃ちまくり、気付けばいつの間にか、周りの壁が薄い緑色の燐光を発していた。

 

 

「ありゃ、五階層まへ来ひゃっ……ふぇ……?」

 

 

 夢中になって魔法を乱発していた僕は、いつのまにか薄青色から薄緑色に変わっていた壁面の燐光を見て引き返そうとして、突然近づいてきた地面を最後に意識を失った。

 

 

 

 

 * * * *

 

 

 

「止まれ、アイズ」

「……?」

 

 二人の冒険者が五階層に足を踏み入れていた。

 一方は流れる様な新緑の髪から長い耳を覗かせたエルフ――リヴェリア・リヨス・アールヴ。

 もう一方は煌めく金の髪を持った剣士――アイズ・ヴァレンシュタイン。

 深層域に潜っていた二人の第一級冒険者は、しっかりとした足取りで地上への帰路を辿っていた。

 地下深くの深層から三十数階を上に登り、ダンジョンからの帰還を目前にする彼女達であったが、ここにきて後衛のリヴェリアが前衛のアイズを止めた事で二人の動きが止まった。

 

「……何やら聞き慣れない音がする」

「……ほんとだ」

 

 エルフ、正確にはハイエルフのリヴェリアは、長い耳を特徴に持つだけに聴力が高い。

 その為前衛として警戒をするアイズよりも先に、その()()に気付くことが出来た。

 

 その異常とは何かを引きずるような、ズル、ズルと言った地面を擦る妙な音だ。

 一拍遅れてアイズもその音を察知する。

 音の発生先は曲がり角の奥、リヴェリアの記憶ではこの先にあるのは大きめのルームとなっている。

 

 

 ……モンスターか? いやしかし、この階層にはこのような音を立てるモノはいないはずだ。

 まさか、『ワーム・ウェール』?

 

 『ワーム・ウェール』。本来なら深層域に出現するモンスター。

 『大蛇(ワーム)()井戸(ウェール)』の名を与えられた蛇型のモンスターには、階層間に穴を掘り生息域よりも上層に進出する《習性》を持つ。

 その《習性》から、探索域を深層まで進めた冒険者達から付けられた二つ名が【ラムトン】。

 稀に下層に現れては冒険者達に全滅必至の結末を言い渡す、【凶兆(ラムトン)】である。

 

 深層のモンスターがこんな上層に現れたとあっては、先のミノタウロス以上の災厄を引き起こしかねない。まさに特級の『異常事態(イレギュラー)』だ。

 リヴェリア、そして彼女と同じ思考に至っていたアイズは、レベルの低い冒険者達の犠牲が出る前に、ここで必ず討伐すると意思を固めた。

 

 

 第一級冒険者である二人をして、尋常でない気配を感じさせる異常な音の主は、ズリズリと地を這いながらゆっくりと近づいてくる。

 そして、曲がり角からその姿を現した時。二人はそろって驚愕の表情を浮かべる事になる。

 

 

 

 




ストックはあるけど推敲できなくなってきたので、しばらく更新止めます。
次回は未定。


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栗鼠に鐘鳴り響く 1

二章の終わりまで書けたので投稿再開



 

 曲がり角の奥から聞こえる音に身構えた二人の前に、『異常事態(イレギュラー)』が正体を現した。

 

「……ム。【剣姫】、それに【九魔姫(ナイン・ヘル)】か」

「お、【猛者(おうじゃ)】か? 何故こんなところに……」

 

 リヴェリアとアイズの前に姿を見せたのは、『ラムトン』ではなく【猛者】オッタルだった。

 予想外の人物の登場に、リヴェリアとアイズはそろって口を半開きにして、ポカンとした表情を浮かべた。

 二人を前にするオッタルもまた意外だったようで、厳めしい顔の筋肉を僅かに歪め、眉を吊り上げた。

 

「貴殿とこのような浅い階層で顔を合わせるとは、珍しいことも、あった――」

 

 『仮想』敵対派閥の長とはいえ、まだ戦端を切っていない現状。加えて相手も意外そうな様子を見せた事から戦闘態勢を解き、挨拶程度に話しかけたリヴェリアだったが、彼が手に持つモノを目にすると同時に声を潜めた。

 

「……貴様、その後ろ手に持った少年を一体どうした。見るからに駆け出しの冒険者の様だが、事の次第によっては見逃せぬぞ」

「……っ」

 

 オッタルが手にしているモノ。

 それはキズの少ない新しい防具に身を包んだ、まだ若い少年だった。

 リヴェリアはオッタルを非難するように睨み、アイズはその冒険者の後頭部、白髪を見つめると表情を引き締め、再び構えをとる。

 

「……お前たちは誤解しているようだが、俺はコレに手を出してはいない」

「ならば、なぜその少年は意識を失った状態で、お前に引きずられていたのだ」

 

 オッタルが掴むその手の先には、少年が身に纏う服の襟首。

 力なく投げ出されている少年の下半身が、オッタルに引きずられながら運ばれる際に地面に擦られた事で、先程までの異音がなっていたのだろう。

 何故少年の意識がないのか、何故その少年が【猛者】とも呼ばれる都市最高峰のファミリアの長に引きずられているのか。

 それらの疑問を前にして誇り高きエルフ、その王族の末裔たるリヴェリアは【猛者】の行いを見過ごすことは出来なかった。

 

 

「コレは後先考えずに魔法を使い続け、精神疲弊(マインドダウン)を起こしただけだ」

「……なに?」

 

 気になるならば好きに()ろ。

 そう言ってオッタルは少年から手を離した。

 ベシャッ、ゴンッ! と少年は持ち上げられていた上半身を倒し、後頭部を強かに地面に打ち付けた。

 しかし精神(マインド)を使い果たした少年の意識は深く沈んでいて、その衝撃を受けても目を覚ますことはない。

 

「……外傷は無し、治療および解毒の必要性も皆無。精神疲弊(マインドダウン)というのは本当のようだな。……疑ってすまなかった【猛者】。謝罪しよう」

「フン……」

 

 目礼を向けるリヴェリアに腕を組むオッタルは鼻を鳴らす。

 リヴェリアが少年を診察している間、じっと少年を見続けていたアイズは首を傾げた。

 

「どうして、この子を連れていたんですか?」

 

 見覚えのある少年と【猛者】の関連性が分からず尋ねるアイズに、オッタルは目を向けずに答える。

 

「ソレは【フレイヤ・ファミリア(ウチ)】の新入りだ。こうなることを予期した我が主神にソレを見張る命を受けたのだ」

「……そう、ですか」

 

 オッタルの答えを聞いたアイズは、僅かに目を伏せた。

 【ロキ・ファミリア】のメンバーが【フレイヤ・ファミリア】のメンバーと接する機会などほぼなく、また、その機会があったとて零細ファミリアの者とする以上に仲間達から強く忠言されるだろう。

 いつかの日、優しい夢を見せてくれた白い兎と言葉を交わし合う事は難しいのだと、アイズは知ってしまった。

 

 

「もういいだろう。俺は先に行く」

 

 少年の瞳孔反応などを見る為、頭部横に膝を着いていたリヴェリアにオッタルはそう告げると、リヴェリアの横を通り過ぎ少年の足首を掴んだ。そしてそのまま引きずっていく。

 

 ……ズリズリ、ゴンッガンッ。

 

 引きずられると同時に頭を打ち続ける少年の哀れな姿に、リヴェリアは流石に、とオッタルの背に声を掛けた。

 

「……せめて背負ってやったらどうだ。それではあんまりすぎるぞ【猛者】」

「…………ヌゥ」

 

 

 

 

 

 それから、アイズとリヴェリアはその場に留まったまま、【猛者】と少年の二人が視界から消えるのを見送った。

 

「やれやれ。【猛者】のヤツは相変わらずのようだな。さて、私達も帰路に就くとしよう。……アイズ?」

 

 リヴェリアが【猛者】と話している間、ずっと静かだったアイズの様子を窺えば、親しい者には分かる程度にしょんぼりとした表情をしていた。

 そこからの道中、リヴェリアは気落ちするアイズに理由も分からないまま慰めの言葉をかけ続ける事になった。

 

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 

「いらっしゃい……おや、お前さんかい」

 

 迷宮都市の片隅に(たたず)む小さな骨董品店『ノームの万屋(よろずや)』に、今日も一人の客が訪れた。

 

「お願いします」

「はいよ」

 

 客は言葉数も少なく、バックパックから袋を取り出すとカウンターに置いた。

 カウンターに乗せられた際、袋からジャラリと金属同士が擦れる小さな音が、狭い店内の壁に響く。

 赤い帽子と白い髭が特徴の土精霊(ノーム)の店主は、袋の中から一枚づつ硬貨を取り出し数えていく。

 背丈の小さな老人の、細い枯れ枝のような指は淀みなく動かされ、程無くして袋の中の硬貨は全て無くなった。

 

(しめ)て二十一万七千ヴァリスじゃな。またいつものかい?」

「ええ。全て『ノームの宝石』に換えて下さい」

「ほいほい」

 

 二人にとっては幾度も重ねてきた事なのか、淡々とやり取りが進んでいく。

 

「しかし、お前さんは随分顔色が良くなったのう。前までロクに食べておらんかったのか、あおーい顔しておったのに、今では見違えるほどじゃ」

「……」

「前まで装備の換金がほとんどじゃったのに、最近は現金との交換ばかりじゃし」

「……この店では客の詮索は無しだと記憶していたのですけどね」

「いやまあ、そうなんじゃけど……常連を気に掛けるくらい良いじゃろ? 正直な、ジジイちょっと嬉しい」

「は?」

「最近は聞かんくなったが、ちょいと前まで手癖の悪いパルゥムの娘に金品を掠め取られたなんて噂があってな、被害にあったって聞いた品物ほとんどジジイが目利きしたもんとおんなじじゃったから……のう?」

「さっきから、何が言いたいんですか?」

 

 長い眉とたっぷりに蓄えられた髭に覆われていない目尻を下げ、ニコニコと笑みを向ける老人に、パルゥムの()(いぶか)しげに表情を歪める。

 

「悪いお友達から離れる事が出来たんじゃなぁ。今のお友達とは離れたらだめじゃよ? 無駄に長生きしとるジジイからのお節介」

「……余計なお世話です」

 

 老人からの言葉に表情を苦い物に変えたパルゥムの男は、渡された宝石を懐に入れると骨董屋を後にした。

 

 

「………………本当に、余計なお世話ですよ」

 

 

 小さく呟かれた少女の言葉は、誰の耳にも入ることなく、薄暗い路地へと落ちて消えていった。

 

 



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栗鼠に鐘鳴り響く 2

 晴れ渡る空の下。

 今日も今日とてダンジョン探索に赴くべく、装備を整えた僕はホームを出てバベルへ向かう。

 

 

 昨日、女神様の忠告も聞かずにダンジョンへ降りた僕は、魔法を使い続けるうちに意識を失ってしまった。

 そして目を覚ましたのは、何故かバベルの治療室。その寝台の上。

 丁度近くを通りすがった治癒師の人に聞いたところ、どうやら大穴付近で倒れていた僕を、他の冒険者の人達がここまで運んできてくれたらしい。

 推測するに、あの後不明瞭な意識のまま階層を上がり、ダンジョンを出たところで限界がきたんだろう。……全く記憶にないけど。

 

 それはともかく、また、危ない真似をしてしまった。

 これがエイナさんに知られたらただじゃすまないだろうなぁ。

 ……よし、黙っていよう。

 

 

 ここまで運んできてくれた冒険者の方にお礼が言いたくて、どんな人だったか治癒師の人に尋ねたけれど、答えて貰えなかった。

 その人が言うには、その冒険者達は「礼は必要ない。ダンジョンでは助け合うのが冒険者だ」と告げて去ってしまったらしい。

 それを聞かされた僕は口をポカンと開けて愕然としてしまった。

 

 なんだよそれ……滅茶苦茶格好いいジャン!

 見返りを求めない善行。人知れず誰かを救い、颯爽と背をひるがえす様はまるで物語の登場人物の様で、僕は感謝と尊敬を抱かざるを得ない。

 いつかもっと立派な冒険者になった時、機会があれば先人と同じ様にしようと僕は心に誓ったのだった。

 

 とりあえず目が覚めたのはまだ日が昇り始めた位の時間だったので、僕は治癒師の人にお礼を伝えて一旦ホームに戻ることにした。

 

 

 

 これは余談だけど、治療してくれた治癒師の人に、後頭部に大きなタンコブが出来ていましたよと結構笑われた。

 勿論手当のおかげで腫れは引いているけど、話に聞いてしまったせいか、その後しばらく後頭部の鈍痛に悩まされた。

 

 ……一体どこでぶつけたんだろう。

 

 

 

 ともあれ、僕はホームに帰って朝ごはんを食べた後、中央広場へ向かった。

 広場には僕と同じように装備を整えた冒険者達が立ち並んでいる。

 ここはバベルに近い事から冒険者達の待ち合わせ場所によく使われていて、僕達もその例に漏れずいつもここを使っていた。しかし、辺りを見渡すもパーティーメンバーである獣人の少女の姿は見えなかった。

 今日からまた、リリと探索を再開する約束を交わしていて、あらかじめ今日の時間と場所を決めておいたのだけど――僕がホームで二度寝してしまったせいもあるけど――広場の時計を見ても既に時間は過ぎている。

 

 いつもの集合場所である中央広場に来れば、必ず僕よりも早くそこに居るのに。

 この前言っていた【ソーマ・ファミリア】の会合で何かあったのでは、と不安が鎌首をもたげる。

 その時だった。

 

 

『――から……こせっ……!』

『も……いですっ! 本当に……っ』

 

 木漏れ日の差す広葉樹の葉を風が揺らし、その風に乗って声が聞こえた。

 聞き覚えのある声に顔を向ければ、中央広場の一角。人影の少ない木陰でリリと、リリを取り囲むように立つ見慣れぬ男達の姿があった。

 彼女たちを取り巻く空気は、どうにもいいモノには見えない。

 

「おい、待てよ」

 

 言い争う様に声を荒げる彼女たちの下へ向かおうとする直前。そんな僕を阻む様に肩に手が置かれた。

 

「やっぱりあの時のガキだったか。……まあいい。一つ聞きてぇんだけどよ、お前、あのサポーター雇ってんのか?」

「……そうだったら、貴方に何か関係あるんですか?」

 

 突然体に触れられた事に驚き振り返れば、大剣を背負った冒険者の男性が僕を見下ろしていた。

 いつかの路地裏で出会った、黒髪の青年。

 あの時は怒りを露わに恐ろしい顔をしていたけれど、今の彼は警戒する僕にニヤニヤとした、嫌らしい笑みを向けていた。

 

「ハッ、関係だぁ? 大有りだっつうの。だがまあ、今はいいんだそんな事……それよりもお前、俺に協力しろ。一緒にあのチビから金を巻き上げようぜ」

「なっ!?」

「ここだけの話、あのチビ結構ため込んでるらしくてな。お前の仕事は簡単だ。ダンジョンでアイツを孤立させるだけでいい。後は俺と俺のツレで全部やる。簡単だろ? ああ、安心しな。ちゃんと分け前はくれてやるからよ」

 

 目の前の男から突然持ち掛けられた話に、僕は唖然とするばかりで何も返すことが出来ない。

 まるでソレが当然の事と言わんばかりに笑う彼の事が、理解できなかった。いや、頭が理解することを拒んでいる、と言うのが正しい。

 

「お前だって足手まとい(サポーター)の一人や二人居なくなったところで、痛くも痒くもねぇだろ? むしろそれだけで金が手に入るんだ。誰も損をしない、素晴らしい話じゃねえか」

 

 その発言を、頭が認識するのに瞬き一回分の時間を置いて。

 理解した瞬間、感情の針が限界を振り切った。

 目の前が真っ赤になって、腹の底から燃え滾る熱が一気に頭のてっぺんまで噴き上げた。

 

「……とわる」

「ぁあ?」

「絶対に、断るっ……!」

「……、……この、クソガキがぁっっ」

 

 目じりを吊り上げ、男を睨みつければ、まさか断られるとは思っていなかったのか、男は自分を見上げる僕に不快感を露わにして睨み返してきた。

 しばらく睨み合いを交わした後、やがて男は舌打ちをして立ち去っていった。

 一触即発の空気は霧散し、沸騰しかけていた頭が冷えていく。それでも燻り続ける怒りのまま、僕は小さくなる男の背中を睨み続ける。

 

「ベル様……?」

「っ!」

 

 そこで、不意に背中に掛けられた声に振り返れば、呆然と僕を見上げるリリが居た。

 

「リリっ! さっき男の人達に絡まれてたみたいだけど、大丈夫だったの!?」

「え? ああ、見ていらしたのですね。大丈夫ですよ、ちょっといちゃもんを付けられただけですから。なんとか説明してわかってもらいましたよ。……それより、ベル様はあの冒険者様と何を話されていたのですか?」

「え? えーと、僕もいちゃもんをつけられて……」

 

 言い切る前に、僕は言葉を切った。

 まさか目の前のリリを陥れる話を持ち掛けられたなんて、本人には言い出しづらく、出まかせでお茶を濁そうとした。のだけれど、すぐにそれでいいのかと疑問が脳裏に過ぎたからだ。

 言いようのない不安が、僕の胸によぎる。

 

「……ねえリリ、今日はダンジョンに行くの止めにしない?」

「何を言い出すんですかベル様、さっきの方達なら大丈夫ですよ。本当にいちゃもんを付けられただけですから。リリは探索を二日も休んでしまったので、今日の稼ぎがないと少し困ったことになってしまいそうなんです」

 

 さあ、行きましょうと目尻を緩めるリリがバベルに足を向けて歩き出そうとするのを、僕は彼女の小さな手を掴んで引き留めた。

突然の事で驚いたのだろう。身を固めるリリに構わず僕は思いついたことを口に出した。

 

「リリは、宿を転々としてるって前に言っていたよね。ならさ、僕のホームの近くに来れないかな」

「……無理ですよ。ベル様の【ファミリア】がある一帯は一等地です。あそこにある宿は大商人か貴族が止まるような場所ばかりで、リリのような貧乏人が泊まれるところなんてありませんよ」

「じ、じゃあ、僕のホームに」

「それこそ無理な話です。他所の派閥(ファミリア)の人間を本拠地に寝泊まりさせるなんて許されませんよ。……というか、どうしたんですかベル様。さっきから変ですよ?」

 

 ああ、やっぱり駄目だ。僕の頭じゃ彼女を納得させられる理由が思いつかない。

 

 もう、正直に話すしか、ない。

 

「……さっき、あの男の人からリリにひどい事をしようって、持ち掛けられた」

「――ぇ」

「お願いだから聞いて、リリ。このままダンジョンに行くと危ない目にあうかもしれない。しばらくダンジョンに行くのは止めよう」

 

 

 僕は片膝をつき、リリの両肩に手を置いて目線を合わせる。

 僕の語った内容に驚愕し、目を見開く彼女は、やがて僕から視線を切る様に俯いて、何事か呟いた。

 

 

「――……やっぱり、こうなるんだ」

 

「え? 何、リリ?」

「ベル様、真に勝手ながら、本日をもって契約を終了させて頂きます。これまでのご愛顧、本当にありがとうございましたっ! ――……さよなら」

「どこに行くのリリ! リリー――っっ!?」

 

 勢い良く顔を上げた彼女は、まくし立てるように言って背中を向ける。

 降ってわいた様な契約終了に、数瞬固まっている内に、走り出したリリと距離を大分開けられてしまう。

 泊まっていた意識を再起動させて、泡を食って追いかけるも、通りから道を逸れた彼女の横顔を最後に、姿を見失なってしまった。

 

「どこ行っちゃったんだよ、リリ……」

 

 

その後、日が暮れるまで街中を走り回っても、終ぞリリを見つけることは出来なかった。

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 失意に肩を落としながらホームに帰還した僕は、思い切って女神様にリリの事を話した。

 青年に追われていたリリ()()()パルゥムの事。その翌日の唐突な出会いからこれまで。サポーターとしての優秀さ。ダンジョンから帰還したあといつも一緒にご飯を食べた事。会話の端から見えたリリのファミリアでの扱い、そして今日の事。

 全部話した上で僕は、しばらく、せめて身の危険がないと判断できるまで彼女をホームに(かくま)えないかと女神様に相談する。

 

「そうねえ……貴方のお願いを聞いてあげたいのだけど、ごめんなさい。少しムズカシいと思うわ」

「やっぱり、他所の【ファミリア】の人はホームに入れたらダメなんですか?」

「それもあるけど、貴方の話を聞く限り、そのサポーターにはどうにも不可解な点が多いわ」

「で、でもっ」

「貴方の言う冒険者の男に狙われる何かを……いいえ、後ろめたい何かを、彼女は隠しているんじゃないのかしら?」

 

 女神様の言葉に、僕は返す言葉が見つからなかった。

 僕自身、うすうす分かっていた。いや、見ないフリをしていただけかもしれない。

 口を閉じる僕の脳裏に、リリの顔が浮かぶ。

 いつも浮かべて居た、張り付けたような笑顔が。不意に見せる暗い瞳が、浮かんでは消えを繰り返す。

 

「その上で、貴方はどうしたいの、ベル?」

 

 女神様にまっすぐに見つめられる僕は、それまでリリが見せてきた顔を、これまで自分の目で見て聞きた彼女の姿を、全部思い返していく。

 その上で、僕は。

 それでも、僕は。

 

 

「フレイヤ様、僕は――……」

 

 

 

 



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栗鼠に鐘鳴り響く 3

 

「それでは、今日もよろしくお願いします冒険者様っ!」

「おう、足引っ張んじゃねえぞチビ」

 

 オラリオの昼下がり。

 中央広場でヒューマンの青年と猫人(キャットピープル)の少女が声を交わし合う。

 にこにこと朗らかな笑みを浮かべる少女に対し、青年はぞんざいな態度で応える。

 

 とあるファミリアに所属する青年は、つい先日冒険者として二年目を迎えたソロ冒険者であり、近ごろダンジョンでの探索にも慣れ始め、余裕が見える様になっていた。

 そしてソロ冒険者なら誰もが通る道と同じく、戦闘の度に重さを増すバックパックと、身軽さ優先のバックパックの容量の少なさに嫌気が差し始める時期が来た。

 日に何度も地上へ換金しに行っていてはロクな稼ぎが生まれず、かといって大きなバックパックでは戦闘の邪魔になってしまう。

 過度な重荷を背負っていて、いざという時とっさに動けなくなるのは危険すぎるのだ。ソロ探索では戦闘・採取・運搬・警戒の全てを自分一人で行わなければならないのに、自分からリスクを増やしていくのは馬鹿でしかない。

 あっちを立てればこっちが立たずと、青年は頭をかかえていた。

 そんな時、猫人の少女から声を掛けられたのだ。

 

 「サポーターはいりませんか?」と。

 

 青年はこれ幸いと少女の提案に飛びついた。すぐに少女と契約を交わし、サポーターとして彼女を雇って数日が過ぎた。

 初日はバックパックを手放して身軽になったことを喜んだ。戦闘時間も増え、それに比例して稼ぎも大きく増加する。

 しかし、その喜びはすぐに陰りを見せる。それと同じくして、青年の少女への対応も悪化の一途を辿った。

 

「おいっ何トロトロしてんだ! おせぇぞ、ノロマが!」

「す、すみません!」

 

 大柄な青年に対し、幼女と表現するのが正しい背丈の少女では、そもそもの一歩の歩幅に大きな差が生まれる。加えて少女は魔石や各種の道具で膨らんだバックパックを背負っているのだ。一度の戦闘を越す度に少女の歩みは青年にどんどん遅れがちになっていく。

 大股で先を進む青年は、足の遅い少女に対して罵声を飛ばす。

 青年は足手まとい(サポーター)に侮蔑を隠すことなく舌打ちをして、振り返ることなく広間(ルーム)へとつながる通路を進んでいく。

 だからか、振り返る事無く前を行く青年は、クリーム色のフードを目深に被った少女の、口元に浮かぶ暗い微笑に気付くことができなかった。

 

 

「グギャァッ!」

「おらぁっ!」

 

 ルーム内を徘徊していた数体のモンスターの内、一番手前に位置していた個体に青年は駆け寄り武器を振るう。

 油断していたモンスターにファーストアタックを成功させ、深手を負わせる。

 しかし、その攻撃は致命傷を与えるには程遠く、同胞の悲鳴を聞いた他のモンスターが青年に襲い掛かる。

 そこでようやく青年に追いついた少女がルームに足を踏み入ると同時に、青年に迫る危機に声を張り上げた。

 

「冒険者様! 頭上にモンスター一体! ダンジョンリザードです!」

「あぁっ!? 今手が付けられねぇ! お前が相手しとけっ、囮ぐらい出来るだろっ!」

「っっ!」

 

 飛び掛かってくる複数のモンスターに防戦一方の青年は頭上に移動してくるダンジョンリザードに気付かず、それを指摘した少女に『囮』を指示した。

 その言葉に少女は息を呑んで、安心したように口端を歪めた。

 

 ……ああ、それでこそ『冒険者様』だ。

 そうでいてくれなくては、こちらの方が困るというもの。

 

 猫人の少女――に変装したリリが右手の外套(ローブ)の裾をまくり上げ、腕を伸ばすと拳の先を天井に張り付くダンジョンリザードに向ける。

 その腕に取り付けられた小型のハンドボウガンから細い金属矢が放たれる。それはダンジョンリザードには当たらず、その歩みを妨害するべく進行方向へと突き刺さった。

 不意に向けられた攻撃に、ダンジョンリザードの意識が青年だけでなくリリにも向けられる事になる。

 

「こっちですよ!」

 

 自身に視線を向けられた瞬間、機を逃さずリリが声を上げた事が決め手となり、ダンジョンリザードのヘイトが完全にリリに切り替わる。

 釣れた。そう察したリリは青年と対角になる様にルームを走る。

 リリの小さな歩幅では、複数のモンスターと戦闘を続ける青年の邪魔にならない位置まで移動する頃には、ダンジョンリザードがリリの真上まで迫って来ていた。

 天井からモンスターがリリに向かって急降下してくる。

 

「くっ」

 

 事前に身構えていたおかげでその落下攻撃を避ける事は出来た物の、戦闘職でないリリには、ここからの対応する策はほとんどなかった。

 出来ることと言えば大荷物を背負ったまま――魔石などの詰まったバックパックを放棄することは契約に反する、そもそも冒険者達が許してくれない――襲い掛かるダンジョンリザードから逃げ回るだけだ。

 

 苦し紛れにハンドボウガンで放った矢もほとんどはダンジョンリザード皮膚に弾かれる。最後の一本がまぐれで眼球に突き刺さってくれたが、かえって激怒させるに終わった。

 

「はあ、はあっ――ぁうっ!」

 

 どれほど走り続けたのか、疲弊した足が地面の凹凸に引っ掛かり、体勢を崩してしまう。

 転びながらも懐に手を差し入れたリリに、占めたとばかりに大口を開けるモンスターは、振り下ろされた刃で地面に縫い留められたことで動きを止めた。

 

「マジで鈍くさい奴だな。囮も満足にこなせねぇのか? 本当に役立たず以外の何でもないな」

「……すみません」

 

 隙を見せた獲物に意識を集中していたダンジョンリザードは、それまで相手していたモンスターを全て倒した青年にバックアタックを決められ、それが致命傷となった。

 複数のモンスターを一度に相手取り、今のも含めた全てに勝利を収めた自分に対して、たった一体を引き付けておくだけで疲弊し、死にかけている目の前のサポーターに青年は心底からの侮蔑を向ける。

 

「おら、休んでねーで仕事しろ、このグズ!」

「……はい」

「それが終わったら、前にも言った通り今日は五階層まで降りるからな」

 

 よろめきながら起き上がったリリは、重い体を引きずりながらモンスターの死骸に近づいた。

 モンスターにナイフを突き立てていくリリの脳裏をよぎるのは、最近までパーティーを組んでいた一人の冒険者(しょうねん)の顔。

 冒険者になってからまだ一か月とは思えない戦果を上げ続け、今もこちらに罵声を浴びせる青年と違って戦闘中すらリリの身を気遣い、守ってもくれた前途有望な駆け出しの少年。

 これまでリリが見てきたどの冒険者の中でも、一番の変わり者だった存在。

 それもそのはず。その少年はかの【フレイヤ・ファミリア】に所属する一人で、リリやこの青年のような凡百の者達とは一線を画する存在なのだ。

 

 今の、この状況が『普通』。

 彼が『特別』だったに過ぎない。

 

 

 そのはずだ。

 そうでなくては、いけない。

 じゃないと、リリは、リリは――

 

 

「……終わりました」

「やっとか。さっさと行くぞ」

 

 リリがモンスターの死骸から魔石を回収し終えると、青年の言葉通りダンジョンの階層を下りていく。

 その後も幾度かの戦闘を経て、五階層に数ある広間の内の一つに入ると、リリは足を止めた。

 ルームに入ってすぐの所に散乱する、血生臭さを放つモンスターの死骸と、そのすぐそばに立つ見覚えのある先客が居たからだ。 

 大剣を背負った黒髪の男。

 いつかの路地裏でリリを追いかけた冒険者の男が、リリの目の前に立っていた。

 

「待ってたぜぇ、コソ泥の糞パルゥム!」

「っ!」

「おっと」

 

 ハメられた! そう認識すると同時に踵を返そうとするのを、ここまで同行してきた青年が阻む。

 バックパックを掴んだ青年に顔を向けた直後、横向きになった頬に衝撃が襲った。

 

「あぎぃっ!」

「ひゃははははっ! まんまと騙されやがって、ザマァねぇ……なぁっ!」

 

 熱に酷似した痛みで視界が明滅する。

 痛みに呻く間もなく、哄笑をあげる冒険者の男に横腹を蹴り飛ばされた。

 

 バックパックを掴んでいた青年の手はいつの間にか離されていて、自由を取り戻した体は吹き飛び地面を転がっていく。

 背負っていたバックパックは転がる途中に背中から離れ、勢いが止まる頃に再び蹴りを入れられる。

 

 ――……痛い、痛い痛い痛いっ! 息が、できなっ――ッ!

 

「――……ぁっ、づっ、うぐ、ぅあぁぁっ………!?」

「はっははははははっ! イテェかよ、オイッ!? 俺から剣を盗るからそうなるんだよ!!」

「な、なぁアンタ、言われた通りしただろ? 約束の報酬をくれよっ」

「ああ? チッ……おらよ。持ってけ」

 

 腹部から脳髄までに突き抜ける程の痛みにもがき苦しむリリを見て、男はその様を嘲け笑う。それを尻目にこの場までリリを連れてきた青年が男にそう切り出した。

 気分に水を差されたとばかりに舌打ちした後、男は拳ほどの小さな革袋を懐から取り出し、青年よりも後ろへ向けて放り投げた。

 

「おいっ! ちゃんと渡、せ…………は?」

 

 報酬の詰まった革袋を追いかけに後ろを向いた青年だったが、突然天地が逆になった視界に呆然とした後、熟れた果実が潰れる様な音を最期に、糸が切れた様に膝を折る。

 

「はっ、バーカ。手前ぇなんぞにやる金なんざビタ一文ねぇよ」

「な、なにを……」

 

 先程までリリに罵声と侮蔑を向けていた青年が、首を斬り飛ばされたのを見て、リリは目を剥いた。

 ゆっくりと倒れていく青年から噴き出た血を浴びながら、それに酔いしれる様に狂相を浮かべる男に、地面に血だまりを作る一瞬前まで青年だった肉塊に、背筋が凍りついた。

 

「安心しな。すぐにお前もコイツと同じにしてやるからよ。まあその前に、しっかりと落とし前は付けてもらうがな」

「ひっ……!」

 

 手に携えた大剣から血を滴らし、顔にまで飛んだ返り血を気にもせずに近寄る男に、否応なく死を想わせられ、リリは喉を引き攣らせた。

 恐怖に青ざめ体を震わせるリリの様子に、男は嗜虐欲を露わに引き攣った笑みを浮かべる。

 

「だ、だれか……助け――」

 

 二転三転と変わり続ける展開。見せつけられた自身の末路。明確な死の恐怖に原初の欲求が刺激させられる。

 だから、リリはその言葉をこぼした。こぼしてしまった。

 無意識の内に漏れたそれが耳に届くと同時――リリは己に失望した。

 

 

 …………ワタシハ、イマナニヲイッタ?

 

 助けて欲しいと、そう言ったのか?

 

 

 今まであれ程『終わり』を望んできたクセに。

 いざその時になれば物語(つくりばなし)の姫の様に、誰かに救ってほしいと願うなんて。

 ようやく『終われ(死ね)る』と喜ぶどころか、拒んで救いを(のぞ)んでしまうなんて………………無様にも程がある。

 

 口元が歪む。考え直せ。むしろ丁度いいじゃないか。

 薄汚れてなお分を(わきま)えない、浅ましい自分にはお似合いの最期だろう?

 目の前の男に嬲り殺されて、それでもうリセットだ。

 リリの顔に浮かぶ、今際に求めた希望も、それまで願って来た潔い終わりも、全て投げ捨てた諦念(ていねん)の笑み。

 

 ふと、幻聴だろうか。誰かが自分を呼ぶ声が聴こえた気がした。

 

「……、……ぁ」

 

 だから、思ってしまった。

 この後におよんでそれでもと、願ってしまった。

 

 

 ――嗚呼、もし叶うなら。最期にあと一度だけ――。

 

 

 こんな落ちこぼれのサポーター(リリ)にも侮蔑を向けず、裏のない笑みを向ける一人の少年と。

 

 危険だらけのダンジョンで、彼が戦って、リリ(わたし)が手助けをして。

 

 一緒に冒険して、一緒に笑って。

 

 地上に帰った後は、もう常連になってしまった酒場で、杯片手にお互いを称え合って。

 

 

 あの、底抜けにお人好しな少年とまた……一緒にご飯を食べたかったなぁ。

 

 

 

 

「ベル……さま……」

 

 

 

 

 

 

『サンダーボルトォォォォォォォォォォォォッ!!』

 

 

 響く雷鳴。

 紫電の雷光が、ルームに駆け抜けた。

 

 

 

 

 

 

「……ぇ?」

 

 

 

 

 

 



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栗鼠に鐘鳴り響く 4

 リリが姿を消してから、数日が経った。

 あれから、いろんな人に道すがら聞いてみたけれど、リリと思われそうな()()()()()の情報は一つとして入ってこなかった。

 彼女を探しながら、彼女の身を案じる僕の頭の中には、ずっと彼女を陥れると告げたあの男の言葉が残り続けていて。

 そして、僕から離れる直前。リリが浮かべていたあの何もかもを諦めたような表情が、嫌になるくらい瞼の裏に鮮明に焼き付いて消えなかった。

 

 

 ――さよなら。

 そう言って消えてしまった小さな女の子は、今どこで何をしているのか。

 危険な目に合っていないだろうか、合わされていないだろうか。

 ただ焦燥感だけが(くすぶ)り続けるばかりで、何もできない現状に歯噛みする。

 あてもなく都市中を探し回っている内に、いつの間にかリリと別れた中央広場(セントラルパーク)に足を運んでいた。

 一縷(いちる)の希望に縋って辺りを見回してみるも、大きなバックパックを背負った犬人の少女の姿はどこにもない。

 落胆に肩を落としかけたその時。広場に生えた広葉樹の一本。昨日リリがいちゃもんを付けられていたその場所で、話し合う声が耳に届いた。

 

『――獲物が罠に掛かったってのは、本当か?』

『嘘は言いませんぜ、旦那。手筈通りに行きましょうや』

「――――ッ」

 

 男達の声に息を呑み、とっさに近場の物陰に身を隠す。

 

 この数日間、少しでもリリの情報がつかめないかと、周囲の話し声に意識を向けていたからか、二人の男性が話し合う声がどちらも聞いた覚えのある声だとすぐに気づくことが出来た。

 それも片方はつい最近聞いたばかりのモノ。

 僕にリリを差し出せと持ち掛けてきた、黒髪の男が発したそれだった。

 

 物陰からそっと顔を出して様子を(うかが)う僕に気付くことなく、ニヤついた嫌らしい笑みを浮かべた男達は一塊になって移動していく。

 その先にあるのは、白亜の摩天楼。

 

 

 恐ろしい魔物達が蔓延(はびこ)るダンジョンだった。

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 男達の後を気づかれないように慎重に追跡して、辿り着いたのは五階層。

 途中で更に二人の男が合流し、薄緑色の燐光が四人分の陰を落とす中、男達は何事か話し合うと再び二つのグループに分かれた。

 黒髪の男一人と狸人を中心とした三人パーティーが、それぞれ別の道へ足を進めていく。

 

 

 ――しまった! このまま全員で移動していくものだと思い込んでた!

 どうする、どっちを追うべきだ……?

 

「……よし。ゲドの奴は疑うことなくアーデの所に向かった。こっちも計画通りいくぞ」

「おう」

「……まあ、いいけどよー。今回の俺の役目キツ過ぎねえ?」

「それはこの前全員で話し合って決めただろ。ゲドの野郎を口封じするにしても、アイツの方が俺達全員より強いかもしれねぇって。かわりに配分4:3:3で4の方がそっちっつーことでお前も納得してたじゃねーか。つか、失敗すれば俺達だって危ないんだから、大差ねえよ」

「だからいーけどって言っただろ! ……モンスターを引き付けて『怪物進呈(パス・パレード)』するための餌役なんてやるんだ。そんくらいの役得がねぇとやってらんねーぜ」

 

 既に通路の奥に姿を消した男をよそに、話し始めた狸人達の声に頭が真っ白になった。

 『口封じ』。『配分』。『報酬』。それに――『怪物進呈(パス・パレード)』?

 聞こえてくる単語だけでも彼らの会話から不穏さがにじみ出てくる。

 ゲドって人の事は分からないけれど、たしかアーデはリリの姓だったはず。つまり彼らはリリの居る場所にモンスターを連れてこようとしてるってこと?

 

「アーデが貯め込んでる金は相当な(モン)だ。危ない橋を渡る価値は十分にある。ほら、分かったらさっさと行けって。ゲドを始末するのに十分な数集めろよ」

「簡単に言うんじゃねーよ、カヌゥ! つかこんな事しなくても俺達だけで全部やればいいんじゃねえか!?」

「あのなぁ……前にも言っただろうが。俺達はアーデが他派閥の冒険者に襲われてた所をたまたま通りがかって助けるんだよ。そんでアーデは自分を助けてくれた俺達に感激して金を差し出した後、不幸にもモンスターの群れに襲われた俺達を庇って命を落とす。そ-いう筋書き(シナリオ)だ」

「……でもよう、それならあの男に全部協力してもらえば――」

「バカ野郎っ! せっかく手に入る俺達の金を、あんな奴に渡すってのか!? 利用してポイが一番だろうが! ……つっても俺達でゲドとやり合うのはちょいと分が悪い。だからお前が引っ張ってくるモンスターが要るんだよ。何より、モンスター共にはアーデを始末してもらわなきゃいけねぇ。万が一、俺達が直接手を下してあの『ひきこもり』にばれても見ろ。()()()()でも一応神だ。嘘は通じねぇ。ファミリア(アーデ)を殺したせいで神酒(さけ)を取り上げられるのだけは絶対にごめんだ」

 

 

 …………彼らは、一体何を言っているんだろう。

 

 リリを始末する? それは、リリの事を殺すって意味なの?

 どうして?

 何のために、いや、なんでそんなことをするのか、全く理解ができない。

 じわじわと、頭が熱くなってくる。それと同じくらい、芯の方が冷えていく感じがする。 

 

「……そろそろアーデを引き連れた冒険者が所定のルームに来る頃合いだ。もうあんま時間ねぇぞ」

「待てっっっ!!」

 

 気が付けば、僕は彼らの前に姿を晒していた。

 全身が震えている。噛み締めた歯はギリリと擦れ、目がチカチカする。

 握り締めた拳は力を入れすぎたせいで痛い。もしかしたら血も出てるかもしれない。

 そのくらい、あふれ出る感情が全身から発露していた。

 そのくらい、僕は激怒していた。

 

「なんで……なんでそんなことするんだっ! なんでっそんなことが出来るんだっ! 貴方達はリリと同じ仲間(ファミリア)なんでしょうっっ!?」

「あぁっ!? なんだお前!」

 

 カヌゥとその仲間達の防具に刻まれているのは『三日月を背景に置いた杯』のエンブレム。

 リリから聞いた【ソーマ・ファミリア】のシンボル通りのそれが、彼等がリリと同じファミリアであることを証明していた。

 怒りに震える僕をカヌゥ達は胡乱気(うろんげ)に見ると何かに気付いたのか、あ、と声を漏らした。

 

「もしかしてゲドが言ってた白髪のガキってお前か? ――はっ、てっきりアーデの奴からアイテムを巻き上げられたと思ってたんだが、気付いてないだけか?」

「僕はリリから何も盗られちゃいない!」

「ふん。おめでたい奴だ……お前、アーデが今まで何してきたか知ってんのか――って、なんだよ?」

「なぁおいカヌゥ。こいつどっかで見たことないか?」

「は? こんなガキ知らねぇ……と言いたいが、確かに、どっかで……」

「あっ! おいあいつだよ! あの裏路地の、オッタルに横取りされた田舎者のガキ!」

「はぁ? あいつはオッタルに殺されたはずだろ!?」

「僕は死んでないし、オッタルさんはそんなことをしない! あのヒトを馬鹿にするな!」

 

 カヌゥの仲間の一人が言った通り、彼等は僕が女神様の眷属になる前、僕を歓楽街に売ろうとしてきた冒険者の一団だった。

 彼らの行いがあったから僕はオッタルさんに救われ、彼と言う憧憬に出会うことが出来た。それについては彼らのおかげと言えるかもしれないけど、今回の事もあって感謝する気持ちは一抹(いちまつ)も湧いてこない。

 その憧憬に言われもない濡れ衣を被せようとする目の前の男たちに、僕の怒りは更に目盛り(ボルテージ)を上げる。

 

「……まあいい。どの道計画を聞かれたからにはただじゃ置けねぇんだ。口封じついでに今度こそ色街に売り飛ばしてやるよ! おめぇら!」

「おうっ速攻で終わらせてやる!」

「田舎から出たばかりの駆け出しが、調子に乗るんじゃねえっての!」

「――っ!」

 

 三人が各々の武器を抜き、襲い掛かってきた。

 僕もまた《愛の剣》を抜き構えると、彼等を迎え撃った。

 

 

 

 

「つ、つえぇ……」

「イテェ、痛えよ~」

「……グフッ」

 

 勝った。

 

 初めて交わした自派閥の人以外との戦闘は、特に描写することなく一瞬で終わった。

 なんというか、原野で手合わせする人たちに比べて彼らの戦い方は雑と言うか……力に振り回されている印象を受けた。

 

 ……ああ、そっか。立ち回りとか、心理的なやり取り。言うなれば『技』と『駆け引き』がこの人たちは(つたな)いんだ。

 『戦いの野(フォールクヴァング)』で、先輩達と半ば殺し合いに近い闘争を繰り広げていれば嫌でも身に付くそれらが、目の前で倒れたまま動けずにいる男達には圧倒的に足りていなかった。

 

「テ、テメェこのガキ……こんなことしてただで済むと」

「リリはどこにいるんだ! 教えろっ!」

「ヒィッ、あ、あっちの通路を進んで二つ目のルームっ、そこでゲドがアーデを襲う算段になってる!」

「おいっ! テメェ!」

 

 何かを言いかけた男に一人に剣先を突き付けながら問うと、すぐに答えてくれた。

 すぐに走り出した僕は男達の何事かわめく声を背中に受けながら、リリの下へ向かう。

 一つ目のルームを駆け抜け二つ目に差し掛かる頃――見えた。

 

 クリーム色の外套をまとった小さな女の子と、それに近寄る血に濡れた大剣を手にした冒険者の男性の姿。

 

「リリッ……!」

 

 見覚えのある外套、それを纏う小さな体。間違いない、リリだ。

 しかし安堵は出来ない。姿が見えたとはいえ、ルームまでまだ距離がある。

 剥き出しの剣を手にした男が今もリリの下へと歩み寄っていく。男がリリの下まで行ったとして、その後何をするのか。

 嫌な想像ばかりが頭によぎる。

 

 

 間に合わない。

 すぐ近くに見えているのに、今の僕には遠すぎる。

 圧倒的に敏捷(はやさ)が足りない。

 このままじゃリリはっ、リリがっ!

 

 焦燥感に全身を支配される中、リリと出会ってからの記憶がすごい速さで脳裏を駆け巡る。

 

 リリとダンジョンに潜ったこと。

 稼いだお金の額にリリと手を取り合って喜びあったこと。

 一緒にご飯を食べて、一緒に笑い合ったこと。

 それまでソロで潜り続けていたのに、リリが横にいないダンジョン探索に気力が湧かなかったこと。

 そんな思い出の数々の中で、いつだったか誰かに『何か』を尋ねられた事をうっすらと思い出した。

 『何』を想って、

 『何』が欲しくて、

 『何』を求めて、

 『何』になりたいのか。

 

 虫食いだらけの穴だらけで、ほとんど残っていない泡沫(ほうまつ)の出来事。

 それらの問いに、僕がなんて答えたのか全然覚えていない。

 でも、ひとつだけ。これだけは分かる。

 

 ゴブリンから助けてくれた祖父の様に。

 ミノタウロスから守ってくれたアイズ・ヴァレンシュタインさんの様に。

 そして、絶望の中から救い出してくれたオッタルさんの様に。

 少しでも速く、あの人達の様に。

 何よりも速く、憧憬の様に。

 

 そして、目の前の困っている誰かの下へと颯爽と駆け付け救うような――

 そんな存在(えいゆう)に、僕はなりたいって想った事を。

 

 

 

「リリィィィィィィィィー――――ッッ!」

 

 

 まだまだ弱くて未熟な僕には分不相応な、想い。

 ちょっと前までは夢物語だった、願い。

 それでも、今なら。

 目の前で危ない目に遭っている女の子(リリ)を助けられる力が――今の僕の手にはある!

 

 全力で足を動かしながら、僕は左手を限界まで前へと伸ばす。

 大きく息を吸って、眦を吊り上げた。

 

 

 

 砲声(ほうせい)する。

 

 

「サンダーボルトォォォォォォォォォォォォッ!!」

 

 

 閃光と轟音。放たれた雷矢。

 

 発動と同時に光の速度で、リリと男のちょうど中間に突き刺さった速攻魔法が男の歩みを止めた。

 

 そして生まれる僅かな猶予。

 僕がリリの下まで辿り着くには、それで十分だった。

 

 

 

 



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栗鼠に鐘鳴り響く 5

 

「……ベル、さま?」

「そうだよリリッ! 遅くなってごめんねっ!? それよりも酷い怪我だ、早くこれ飲んで!」

 

 倒れるリリの下へ駆け寄り、その小さな体を抱き起こす。

 リリはそんな僕を焦点の合ってない目で見上げてくる。

 彼女の全身は土埃に(まみ)れ、口元からは僅かに血を垂らしていた。

 肌のいたるところに青紫色のアザがあり、中でも剥き出しの腹部が一段とヒドい。

 

 慌てて腰のポーチからポーションを取り出しリリの口元に寄せれば、リリはぼんやりとしたままゆっくりと口を開き、青い薬液を飲んでくれた。

 次第に全身の痣が薄くなっていき、腕の中から感じる気配に活力が戻っていくのを見て、僕は安堵の息を漏らす。

 ポーションを飲み干し、けほっけほっと軽いせき込みをした後。痛みはないかと聞く僕に首を横に振ったリリは、腕を動かしたと思ったら何故か僕の顔に向かって指を差す。

 

「……幻覚?」

 

 ポカンとした表情のまま、こちらに指を向けてくる少女に僕は目を剥いた。

 まさか――

 

「リリ大丈夫っ!? 頭打ったりとかしてないよねっ? この指何本に見える!?」

「し、失礼な幻覚ですねっ! リリは正常ですよ!? 二本です!」

「あ、よかった………じゃなくて、失礼なのはリリの方だよね!? 僕はちゃんとここにいるから!」

「幻覚じゃない……? じゃあこれは死後の夢ですか? お前は既に死んでいるなんですかー――っ!?」

「な、何言って「何言ってんだテメエ等は!?」

 

 錯乱している様子のリリとそれに困惑する僕に、それまで静かだった男が急に大声を上げた。

 さっきまでは突然現れた僕に驚いていたんだろうけど、時間が経つにつれソレが収まったらしい。

 リリに向けていた眼を男へ向ければ、やっぱりと言うか、見覚えのある顔だった。

 

 ――カヌゥ達からゲドと呼ばれていた冒険者。

 路地裏でパルゥムの少女を追い詰め、中央広場で僕に共謀を持ち掛けてきた男だ。

 見覚えのある、と言っても以前の時とは印象がまるで違った。

 何の返り血なのか、顔から全身に掛けて赤黒い液体に彩られた彼は、薄暗い迷宮の中でもハッキリとわかる狂相を浮かべていた。

 そして気付く。

 彼の後方、倒れ伏せるもう一人の青年。その首から先にあるべきはずのモノが無い事を。そしてそれを成したのが目の前のこの男だという事も。

 

 背筋が凍る。もう少し遅かったらリリも……と嫌な光景が鮮明に浮かんでしまった。ザッと幻聴が鳴るほどに血の気が降りていくのが分かる。

 無意識の内にリリを抱える腕に力が込もる。

 

「その白髪……俺の提案を蹴ったガキか!? ハッ、わざわざこんな所まで来やがって、そんなにそのパルゥムが大事かよ?」

「貴方は……こんな小さな女の子に何をしようしていたんだっ!? いや、それどころかそっちの人の事だって……許されないぞこんな事っっ!?」

「あぁ? ……いきなりシャシャり出て来て何言ってんだ馬鹿が。俺がそのチビに何しようとソレは正当な権利だっつうの。あそこに転がってる奴は……まああれだ。ちょっとした事故みたいなもんだな」

 

 不快気に顔を歪める男――ゲドは、吐き捨てる様にそう言うと口端を吊り上げた。

 目に見える傷はかなり癒えたものの、未だ動けそうにないリリと、それを抱える僕に向かって、ゲドは血に濡れた大剣を振り上げる。

 

「……そんで、今からテメエを殺すのも正当な行為(ぼうえい)だ。お前から先に攻撃したんだ。やり返されるのは当然だよなぁっ!?」

「……リリ、いつもみたいに待ってて」

 

 絶対に、これ以上傷つけさせないから。

 その言葉と共にリリから手を離した僕が立ち上がるのと、ゲドが駆け出すのは同時だった。

 

「魔法だか魔剣だか知らねえが、俺の動きに反応できないテメェに使える暇があると思うなよっ!」

 

 嗜虐欲に塗れた狂笑を顔に張り付け、ゲドが飛び掛かってくる。

 男を前にして少女(リリ)を背に庇う。

 振り上げられた剣も、ゲドが浮かべる獰猛な笑みも、飛び掛かるその挙動の一つさえ、まるで初めてこの男と対峙したあの時の路地裏をやり直すかのようだった。

 違うのは、その一声にて男を止めたリューさんが現れる事がないことだけ。

 

 

 つまり、この場において僕を制止するものは何もない。

 

 

「フッッ!」

 

 容赦なく振り下ろされる大剣。その軌道上に挿し込む様に僕は《愛の剣(マリアム・ドーズ)》を薙いだ。

 鋼と鋼がぶつかり合う音。蒼銀の燐光の中にオレンジ色の火花が一瞬混じり、横腹を叩かれた大剣はカン高い断末魔を上げた。

 

「は?」

 

 振り下ろしきった後。ゲドはなぜか己の握る手から感じる重さが半減しているソレに目を向けた。

 そこには半ばから先が消えた、さっきまで大剣だったもの。呆然、唖然。そんな表情を浮かべたまま、ゲドは吹き飛んだ。

 

 『戦いの野』で培った相手の攻撃を逸らす技と、一連の動作を繋げる連撃(コンボ)

 派閥の先達たちから盗んだ『技』と『駆け引き』。その本元の相手には僕程度の稚拙な立ち回りは、そのほとんどが通用しなかった。

 しかし、ついさっき撃退したカヌゥたちや、たった今がら空きの横腹を蹴り飛ばしたゲドの様に、ただ力任せに突っ込んでくるだけの相手には、やったこっちがビックリするくらい綺麗に決まる。

 

「おっごぉぉ……な、にがぁぁっ……!?」

「……」

「ゲホ、ゴホッ……ま、待てっ! いいかっ、俺には協力者がいる! それも複数だ!」

 

 攻撃が一度決まったところで油断などしない。

 追撃するために一歩踏み出したところで、腹を抑えたゲドが僕にそう告げてきた。

 

「この後すぐにそいつ等がここにやってくる算段がついてる! 命が惜しけりゃすぐに――」

「協力者と言うのがカヌゥと呼ばれる獣人なら、ここに来る前に倒しました。この場所も彼らから教えて貰いましたから」

「失せ……はぁっ!? っざけんな、クソが! 使えねぇっ!!」

 

 もしもゲドが言ったように彼等がここに来て、ゲドを含む全員でかかってきたとしても問題にならないと思う。

 対複数の戦闘程度、『戦いの野』で何度も経験してきている。

 それこそ、今の僕では手も足も出ない様な強者を相手にして。

 

「まてまてまてっ! 話を聞いてくれ! そのチビ! ソイツはお前が思っているような奴じゃねえんだ!」

「……ッ」

「いいか、俺だって何も理由なくそいつに手を出したわけじゃねぇ! そいつはな、俺から剣を盗んだんだ! ただ盗んだワケじゃねぇぞっダンジョンの中で、モンスターに襲われている最中に俺から武器を奪っていったんだ! そのせいで俺は危うく死にかけた!」

 

 ゲドが口に出す内容に、背後でリリが息を呑むのが分かった。

 その後も語られる言葉に、僕は足を止めてしまう。

 

「それに、ソイツの姿! あんたも変だと思わないか!? 今は獣人の見た目をしているがそいつの正体はパルゥムだっ、そのチビは魔法で姿を変えられるんだよ! それを使ってこれまで何人もの冒険者を騙して物を盗み続けてきたんだ! 中には死んだ奴もたくさんいるだろうぜ! なぁ、悪いのはそのチビだ、俺は悪くないだろっ!?」

「……」

 

 僕は、何も言わなかった。

 そして、そんな僕を――いや、僕越しに何かを見たゲドがニヤリと笑みを浮かべ――第三者の声が(とう)じられた。

 

「……あーあ、やっぱやられてやがんぜ、ゲドの野郎」

「……は、はっははぁ! 遅えぞ、カヌゥ!」

 

 ゲドが名を呼んだ通り、声の方向に目を向けるとルームの通行口に狸人の中年が立っていた。その横には仲間の男が一人。

 

「今までどこをほっつき歩いてたんだ!? まあいい、手ぇ貸せ。そこのガキをぶっ殺すぞ!」

 

 腹部を抑えながら立ち上がったゲドが、よろめきながらもカヌゥの下へ移動するのを僕はただ見送った。

 カヌゥ達を含めても、僕の有利は変わらない。でもそれは僕が本当に一人だった場合だ。

 あのうちの誰かが飛び道具を所持していたとして、それがリリに向けられたなら。

 消耗(ダメージ)の大きい今のリリに、攻撃を回避することは難しいだろう。

 だから、彼女の近くから安易に離れるわけにはいかなかった。

 

 

 ――だから、僕はそれをただ見ているだけしかできなかった。

 

 

「…………は?」

「旦那ァ、悪いがあんたはもう用済みだ」

 

 こちらに向けられたゲドの背中。そこから鈍色の刃が突然生え、次には引き抜かれた。

 崩れ落ちたゲドの周囲に血だまりが広がっていく。

 

 突然の凶行にもカヌゥ達は平然とした様子で、まるでモンスターの死骸同然にゲドから身ぐるみを剥ぎ始めた。

 

 

 

 

 



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栗鼠に鐘鳴り響く 6

剣の名前間違えてた……後で直しとこ




「……、カヒュー、コヒュー……」

 

 突然の裏切りにゲドは崩れ落ちた。

 かすかに漏れ聞こえる音から息はあるようだが、それもいつまでもつか。明らかに致命傷だ。

 倒れ伏せたゲドの周囲に血だまりが広がっていく。

 カヌゥはそんなゲドの傍らにしゃがみ込み、手や服が汚れる事を気にも留めず、血に塗れた装備や財布などを無造作にむしり取っていく。

 

「チッ、こんだけしか持ってないのかよ。シケてんな」

「……な、なにをして、いるんですか……?」

「あん? 見てわかるだろぉ、坊主。有効活用してやってんだよ。こいつにはもういらないだろうからな」

 

 当然のように言ってのけるカヌゥに、僕も、そしてリリも戦慄する。

 視線をずらせば、もう一人の方もゲドにやられた冒険者の懐を漁っていた。

 

 

 …………吐き気がする。

 本来ならば、冒険者はたとえ派閥が違ったとしても助け合う。そして屍を晒す同業者があればそれを背負い、地上へと連れて行くのが冒険者としての暗黙の規則(ルール)

 それを、自分から刃を向け、あまつさえその装備を『奪う』なんて。

 

 リリとゲドを始末すると算段を付けていた事と言い、彼等の行動原理が僕の中の価値観と遠く離れすぎている。

 目を背けたくなるほどに醜悪。非道すぎる蛮行だ。

 僕にはまるで彼らがヒトであるにも関わらず、まるでモンスターのようにも見えてしまった。

 

 

「ワケが分からねぇって顔してるな? まあいい。ちょいと俺の話を聞いてくれや」

 

 青ざめる僕たちにカヌゥは語り始めた。その顔には再び姿を見せた時からずっと、何の感情の色も浮かんでいない。僕たちへの怒りも、ゲドへの暗い愉悦も、何も窺い知ることが出来ない。

 そしてカヌゥは語りだした。

 僕に出来たのは、警戒を絶やさずそれをただ聞くだけ。

 

 

「……俺らはよう、今の生活には結構満足してんだわ。適当にモンスターをぶっ殺したり弱ぇ冒険者を鴨にしてりゃ、そこそこ金が手に入るしそいつで美味い酒が呑める。派閥の上役共がデケェ面してんのは気に食わねえが、まぁ、不満らしい不満ってのはそんくらいだ」

 

「だがな、最初からそうだったわけじゃねえんだ。これでも若ぇ頃はギラついててな。今みたいに酒だけじゃなく金も、女も、名誉も全部求めてダンジョンに潜ってた時期もあったんだぜ?」

 

「だが、それは長く続かなかった。俺達は諦めて、妥協したのさ……何でか分かるか?」

 

 

 ――自分の限界ってものを知ったからだ、と。

 

 カヌゥはそう言って、わらった。

 無から一転。つまらないものを見て浮かべる失笑のような、諦念混じりの失望から浮かべる、そんな自分への嘲笑をその顔に浮かべた。

 

「俺達より後に冒険者になった奴らがどんどん先に行くのを見送っていく気分が、お前に想像できるか? いいや、出来ないね。何故ならお前も俺達を置いて先に行く側だからだ。つい最近までただの田舎者だったガキに惨敗した時は、自分の考えが正しかったって事を反吐が出るほど痛感したぜ」

 

 そこで一人語りを切り上げ、ゲドの傍らから立ち上がったカヌゥと、同じく金品を漁り終わったのかカヌゥの側へ移動する男に警戒を続ける僕の耳に、()()が聞こえたのは同時だった。

 背に庇うリリも同じ物が聞こえていたのか、身動ぎするのを気配で感じた。

 

「この音……まさか……」

「リリ?」

「逃げて下さい、ベル様! これは――」

 

 突然取り乱し始めたリリの声が気になって横目で彼女の様子を窺えば、先程のカヌゥの凶行を目にした時以上に青褪め、焦燥に駆られていた。

 その表情を見て、だんだんと大きくなっていく、いや、近づいてくる()()を耳にして、僕の脳裏に一つの単語が頭に浮かぶ。

 その予想を確信づける様に、リリがその言葉を口にした。

 

 

「『怪物進呈(パス・パレード)』です!!」 

 

 

 何重にもなった怪物達の咆哮が、僕の鼓膜を震わせた。

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 ――しまった、なんで気付かなかったんだ!

 

 

 リリの叫びを聞くと同時に、僕は自分の愚かさをこれでもかと言うくらい攻めた。

 カヌゥ達が言っていたのを僕は聞いていたじゃないか、二人しかここに姿を見せていなかった時点で察するべきだったのに!

 

「正気ですか、カヌゥさん!?」

「ハッ! 正気か、だと? んなワケねえだろアーデ! こんな一銭にもならない真似、俺がしない事くらいお前も知ってんだろ?」

「では何故!?」

「……俺達にもプライドってモンがあるんだよ。駆け出しにボコされて黙ってられるほど腑抜けちゃいねぇ!」

 

 声を荒げるリリを軽くあしらうカヌゥは、下卑た笑みを僕に向ける。

 

「なぁに、そう大したモンじゃねぇよ。先輩達からのちょっとした洗礼(プレゼント)だ。……まあ、ゲドでも相手にならなかった手前ェじゃ、この程度()でもねえだろうがな」

「カヌゥ! 来たぞ!」

「おう! ……そこのアーデと居続ける限り、今日と同じ事をいつまでも繰り返してやる。それが嫌なら早めにそいつと手を切るんだな」

 

 カヌゥの仲間の内、姿が見えなかった一人が通路から飛び出したと思えば、仲間に一言かけるとそのまま別の通路からルームを出て行った。男の一人もそれに続き、残っていたカヌゥも僕にそう言い残して足早にルームから姿を消す。

 残るのはまだ走れそうにないリリとその傍らに立つ僕。そして身動ぎ一つしなくなったゲドと名も知らぬ冒険者の亡骸だけだ。

 

 近付く音は騒々しさを増し、やがてモンスターの群れが通路の奥からルームに姿を現した。

 一瞥しただけでも確認できるモンスターの数は多く、その種類もゴブリンやコボルト、フロッグシューターにダンジョンリザードなど、この階層で出現するモンスターの見本市のような有様だ。

 対するは僕一人。

 多勢に無勢。これ以上ないほどの孤立無援。

 背後のリリから歯を食いしばる音が聞こえた。

 

「……ベル様、今からでも遅くないです。逃げてくださ「リリ」」

 

 口を開くリリの言葉を途中で遮り、僕は通路に向けて手を突き出した。

 

「さっきも言ったでしょ? もう君を傷つけさせないって」

 

 以前のウォーシャドウと闘った時よりも数の多い怪物達を前にしても、僕は少しも焦りや恐怖を感じていなかった。

 ルームの中にモンスターが押し寄せても、通路の幅のせいで同時に入ってくるのはせいぜい二、三体程度。そして通路は一直線。

 この状況は、今の僕にとって都合が良かった。

 

 

 モンスターの咆哮の中に、僕の砲声が混じる。

 

 

「サンダーボルトッッ!!」

 

 

 紫電の稲光がモンスターで埋め尽くされた通路を駆け抜ける。

 撃ち放たれた雷の矢が先頭を走るモンスターの一体に命中し、そのままその背後に連なるモンスター達を貫いていく。

 モンスターの肉体を通過するごとに威力を減衰させる魔法の雷は、最後に着撃したモンスターの動きを止め、後から迫るモンスター達に踏み潰されながらその進行を阻害する。

 

 貫通と麻痺。それがこの魔法の隠された特性。

 

 精神疲弊(マインドダウン)を起こすまで魔法を使い続けたおかげで、僕は自分の魔法の性能を十分に把握することができていた。

 《魔法》の欄に記された速攻魔法の文字の通り、速射砲の如く連発される雷の矢。蛇行しながら周囲に漏れ散る電光がモンスターの体を舐め、その自由を奪い取る。

 

 

 十数発を撃ったところで、魔法の使用を止める。

 かなりの数を減らしたとはいえ、まだまだモンスターの数は多く残っている。精神(マインド)を使い過ぎて動けなくなるわけにはいかない。

 蒼銀の輝きを纏う《愛の剣(マリアムドシーズ)》を握り締め、《緑玉の小盾(エメラルド・バックラー)》を前に突き出して走り出す。

 

「あぁああああああああぁぁっ!!」

 

 既に(たお)れた仲間達を踏み越え、ルームに侵入し続けるモンスターの集団とぶつかる様に接敵。

 

 蹂躙が始まった。

 

 

 魔法の余波を浴びて感電したせいか、それとも同胞の骸でできた壁を乗り越え続けた疲労からか、動きが鈍くなっているモンスター達を次々と切り伏せていく。

 繰り出される攻撃も、(ことごと)くを躱し、小盾で受け流し、横から叩いて逸らしていく。周囲を囲まれて尚、僕の体に届いたものは一つとしてない。

 

 モンスター達の間をすり抜け、上を飛び越え、《愛の剣》を振るう度、モンスターの体を両断していく。

 駆け抜ける背後に引き連れた月光の軌跡が、斬り飛ばされたモンスターの肉塊が、(ほとばし)る体液が、迷宮の薄青い宙を(いろど)る。

 

 

 しばらくして、ルームに立っているのは僕一人だけになっていた。

 目の前には死屍累々の光景が広がり、血に染まった剣を握る僕の背中から後ろには、モンスターの死骸は一体たりとも存在することを許さなかった。

 

 

 

 



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栗鼠に鐘鳴り響く 7

 

「お待たせ。リリ、立てる?」

 

 動き出すモンスターが居ないことを確認して剣を収めると、僕はリリの下へ近づき手を差し出した。

 

「……どうして」

「え? 何、リリ?」

「どうして、リリを助けたんですか?」

 

 合流した直後は取り乱していたリリだけど、今は時間も空いた事で落ち着いたみたいだ。

 だけど、リリは僕の手を見つめるだけで掴もうとしてくれなかった。

 

「どうしてって……」

「何でこんな所までリリを探しに来てるんですか? どうしてベル様はリリを見捨てなかったんですかっ?」

「……ええぇ?」

 

 リリの言葉に困惑してしまう。きっと今の僕は間抜けな顔を浮かべているんだろう。

 言葉の意味がよく理解できずにいると、僕の浮かべた表情を見たリリが(せき)を切ったように声を荒げた。

 リリの言葉は激流となって僕へと放たれる。

 

「ベル様も聞いたでしょうっあの冒険者の言葉を! あれは全部真実です! リリはこれまで冒険者達から何度も盗みを働いてきましたしベル様に近づいたのもその剣が目的でした!」

「え、えと……」

「これまでリリが大人しくしていたのはベル様が都市最上級の派閥(フレイヤ・ファミリア)に所属していたからです! じゃなきゃベル様みたいな人を疑う事を知らないお人好し、とっくに目ぼしい装備を巻き上げて姿を消していました!」

「ま、ちょっと待って、リリ」

「待ちませんっ、ええそうです! リリがベル様に手を出さなかったのはフレイヤ・ファミリアの構成員だったからであって、ベル様と一緒に居るのが心地よかったからではありません! これっぽっちもないです! というか毎日毎日朝からズタボロで来ないで貰えませんか!? 先輩と訓練してたんだアハハーじゃないですよ毎回訓練の内容聞かされるこっちはドン引きなんですよ!!」

「えっ」

「そもそもリリとベル様とのサポーター契約なんかもうとっくに切ってます! ベル様にリリを助ける義務はないんですよ! それなのにこんな所までリリを追ってきて、ベル様はリリのストーカーなんですか!?」 

「ち、ちがっ」

 

 先程のモンスターの群勢を遥かに勝る勢いの強さに、僕は押し流されそうになってしまう。

 というか次々と暴露されるリリの内心が、鋭利な刃となって僕の胸にブスブス突き刺さる。

 胸が痛い。思わず目に涙を浮かべてしまいそうだ。

 

「ここまで言われてもベル様はまだリリを助けるなんて寝言を口にするんですか!? もしそうならベル様はとんだ能天気(アホ)な頭の持ち主ですよ! 分かり易く言って差し上げますっリリは悪い奴です! 恩知らずの盗人(ぬすっと)です! ベル様を騙し続けていた最低なパルゥムです!!」

「リリ……」

「だからっ、だからもう……ベル様はリリの側にいるべきじゃ……ないんですよ」

 

 肩を何度も上下に動かして息を荒げながら、歯を食いしばるような表情でリリは僕の顔を見つめる。

 リリの視線から目を逸らさずに、僕ははっきりと告げる。

 

 

「でも……それでも僕は、何度だってリリを助けるよ」

「――っ! どうしてっ!?」

 

 

 ………………えっ?

 

 どうして? リリを助けるのに理由が必要なの?

 リリの剣幕と想像していなかった追及に、軽く動転してしまった僕は反射的にその言葉を口にした。してしまった。

 

 

「お、女の子だから?」

 

 

 言葉を口にして、僕はすぐに「あ、失敗した」と悟った。

 僕の言葉を聞いたリリが顔を真っ赤にして、眉を怒りの角度に持ち上げるのを見たからだ。

 そして次の瞬間、僕の魔法なんか目じゃないくらいの言葉の速射砲が火蓋を切られた。

 

「ばかぁっ! ベル様の馬鹿ぁっっ! ()()そんなことを言って、あの時と同じじゃないですか! ベル様は女性の方だったら誰でも助けるんですか!? 信じられませんっ、最低です! ベル様のすけこましっ、女ったらしっ、スケベっ、女の敵ぃぃぃぃッッ!!」

 

 暴風雨(ストーム)の様に打ち付けられる批難の数々が僕の全身を殴打していく。

 明らかな過剰攻撃(オーバーキル)。僕の体力(ヒットポイント)はもうゼロだ。

 たじたじになりながらリリの言葉を受け止め続けていると、やがて息も絶え絶えになったリリがその大きな瞳で僕を睨んでくる。

 

 そんな、こちらを見上げるその眼に、どうしようもなく既視感を覚えてしまって。

 気が付けば、僕はリリの頭を撫でていた。

 

 

「じゃあ、リリだからだよ」

 

 

 思い返せば、たった一か月前。

 たった一人の家族だったお祖父ちゃんがいなくなって、一人になってしまって。

 家族(ファミリア)という、『絆』を求めて迷宮都市に足を踏み入れて。

 いくつものファミリアから加入を断られて、現実に打ちのめされて。

 運よく入れて貰えた派閥には、求めていた絆の形は存在しなくて。

 入団してしばらく。周りにいる人達からは疎まれて。

 僕はずっと針の(むしろ)に座らされている気分だった。

 覚悟が決まった後はそれもいくらかはマシになったけれど、それでも僕はさみしかったんだ。

 

 

 そんなある日、君と出会って。

 一緒にダンジョンに潜る様になってから、僕はすごく楽しかった。

 一緒に生死を共にして、一緒にご飯を食べて、一緒に笑い合って。

 まるで妹が出来たみたいに、新しい家族が出来たみたいで嬉しくて。

 

 そんな僕だから、気付くことが出来たのかもしれない。

 君が、すごく寂しそうにしているのを。

 

 

 自分じゃ気付いてなかったみたいだったけど、君がふとした瞬間に泣きそうな表情を浮かべるのを、僕は何度も目にしてた。

 ころころ笑っている最中に、急に口元を引き締めてたり、眩しそうに目を(すが)めたり。

 

 今だって、こっちを睨んでいるはずなのに、まるで迷子になった子供みたい。

 その表情(かお)が、オラリオをたった一人で彷徨っていた、不安と孤独に押し潰されそうになっていた自分とそっくりだったから。

 

 だから、僕は

 

 

「リリだから、助けたかったんだ。リリだからいなくなってほしくないんだ」

「ふ、えっ……!」

「それ以外に、理由なんて見つけられないよ。僕、もっとリリと一緒に居たいよ。だから、急にいなくなったりしないでよ」

 

 リリの大きな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちていく。

 喉をしゃくりながら僕の腰に抱き着いたリリは、やがて声を上げて泣き始めてしまった。

 

「僕って馬鹿だからさ、言ってくれなきゃ分からないんだ。だからさ、リリ。困ってるんなら僕を頼ってよ」

 

 ごめんなさい、ごめんなさいと謝り続ける少女の頭と背中を、あやすように撫でながら僕は優しく告げた。

 

「ちゃんと、助けるから」

 

 

 泣き続ける彼女の耳にもその言葉は届いたのか、より一層涙声は大きく、背中に回された腕はより一層強くなる。

 ポツポツと、ダンジョンの地面に雫が落ちていく中、僕は頑張り続けた少女を労わる様に、彼女を優しく抱きしめた。

 

 

 温かい雨が降り止むその時まで、淡い燐光が一つになった影を落とし続けていた。

 

 

 

 



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閑話・それは庭かけ回る様に

 オラリオの南東部。

 その第三区画の一角に、石塊を積み上げて造られた大きな館が建っている。

 時刻は夜。空に浮かぶ三日月から降り落ちる淡い光が、見下ろされる全てに薄い影を落とす。

 箱型の館の中央からは半球状の屋根が頭一つ飛び出しており、その頂上には一本の旗が立てられ、風に煽られながら三日月の光が影を落としていた。

 日の下で、もしくは満月の光に照らされれば、その旗に描かれたものも確認できたのだろう。だがこの欠けた弦月の光では、それらに到底およばず。

 見上げる瞳に、旗の紋章は映ることなく。分かるのは建物と旗の輪郭、その陰影のみだった。

 

 

 

 開けられた窓から吹き込んできた涼やかな夜風が前髪を揺らし、己を見下ろす三日月に男性は薄い笑みを浮かべながら乾杯する。

 傾けた杯から喉を通る液体、僅かに喉を焼く感覚と、舌を悦ばせる味に陶酔したように目を細める男の名はザニス。

 リリルカ・アーデの所属する【ソーマ・ファミリア】の団長である。

 

 杯を空にしたザニスはその余韻を楽しんだ後、空いた杯に陶器の瓶を傾ける。瓶の口からそこらの水よりも透き通ったソレが、差し込まれた月光を飲み込みながら杯に注がれていく。

 ザニスは開けた窓から覗く淡い月明かりと、それに照らされる自分自身を肴に注いだソレを、再び喉に流し込んだ。

 何時もの様に、主神の許可なく盗み出してきた『神酒』がもたらす極上の味にザニスは笑みを漏らしていた。

 

 

 ――カンカンカンッ、カンカンカンッ!

 

 

 突如、それまでの静けさを破る様に打ち鳴らされた鐘の音に、そして同時に、それが襲撃を意味する合図であることを悟って眉をしかめた。

 

「何事だッ!」

「ザ、ザニス様っ、敵襲です! 数はまだ未明っおそらく少数かと!」

「チッ! せっかくの気分が台無しだ! おい、私は主神様の護衛に回る。お前たちはチャンドラと共に侵入者の撃退に当たれ!」

 

 自室から出て、丁度近くにいたファミリアの一人から事態を把握するや、手早く命令を出したザニスはすぐさま主神の神室へと向かう。

 カツカツと間の短い靴音を響かせるザニスは、本拠の最奥へ辿り着くと同時に両開きの大扉を押し開いた。

 

「失礼します、ソーマ様。今お時間はよろしいでしょうか」

「何の用だザニス。雑事は全てお前に任せたはずだぞ」

 

 ノックもなしに慇懃な言葉と共に室内に入った眷属に、主神であるソーマは咎めることをしない。そして視線を向ける事もしなかった。

 蝋燭の明りに照らされた作業机の前に座るソーマは、手に持った乳鉢から視線を動かさないまま、ただ不愉快そうに声をあげた。

 

 『造酒を除く全てに興味はない。お前の好きにさせてやる。だから自分を煩わせるな』

 

 彼の主神の背中は、言葉なくそう語っていた。

 

 普段と何の変りもない主神の様子に、ザニスは侮蔑の感情を漏らさぬよう、何時もの様に薄い笑みを顔に張り付ける。

 

「申し訳ありません。どうやらこの本拠(ホーム)に愚か者が侵入したようです。排除が完了するまでの間、僭越(せんえつ)ながら私が護衛をいたします。どうかそれまでご辛抱を」

「……フン」

 

 眷属の言葉に鼻を鳴らしたソーマは、それきりザニスの存在を言葉通り無視して手の中の乳鉢と、その中身を磨り潰す事に没頭する。

 そんな主神の背中を見下(みくだ)しながら、嘲笑を浮かべたザニスは、やがて首を傾げた。

 階下から届く破砕音。狼藉者(ろうぜきもの)と今も戦闘を続けているのだろうが、何か違和感がある。

 

 

 何故音が止まない? ここは我らがホームだぞ?

 相手が何人いようが数の理はこちらにあるはずだ。それなのに音が、だんだんと近づいて――?

 

 【ソーマ・ファミリア】の構成員は同規模の派閥と比べても――その質はともかくとして――数が多い。

 『神が造った極上の酒』という噂に釣られた者達が門戸を叩き、趣味の為に多くの資金を必要とする神が、それらの人品を問わず全てを眷属に招き入れるからであった。

 数の多さとはすなわち力の強さ。

 

 だというのに、まだ騒ぎの音は止まず、それどころか大きくなっているようにも聞こえる。

 疑問を抱き始めたザニスの胸に不安が過る。そして、神室の唯一の出入り口である大扉が、轟音を立てて突き破られた。

 

 

 砕かれた大扉から、何かが室内に転がり込んでくる。

 

「なっ、チ、チャンドラ!?」

 

 ザニスが驚愕と共に叫んだのは、神室に飛び込んできたドワーフの男の名だった。

 チャンドラと呼ばれた大柄のドワーフは、ザニスと同じ【ソーマ・ファミリア】でも数少ない上級冒険者(レベル2)の一人。そのはずだ。

 なのにその彼は全身のいたるところに傷を負い、完全に気を失っている。

 

 コツリ、と靴音が動転するザニスの耳に届く。

 

 

「こんばんわ、ソーマ。いい夜ね」

 

 

 開かれた入り口から姿を現したのは、絶世の美女。

 濃紺のローブから覗く銀糸の髪。冷徹な月を思わせる瞳をこちらへ向けた女神が、涼やかに響く声を己と同じ神であるソーマに掛けた。

 しかし、ソーマはフレイヤを一瞥(いちべつ)もしない。

 男なら誰もが浮足立たずにいられない程の美神(びじん)から声を掛けられたというのに――許可なく神室(ししつ)に足を踏み入られているのに、当の本神(ほんにん)は未だ無関心を貫いたままである。

 

「か、神フレイヤ……」

 

 突然の、そして何よりも予想だにしなかった襲撃者の正体に、ザニスは声を震わせた。

 思わず漏らした声に、名を呼ばれたフレイヤはザニスに横目を流す。

 自分に向けられた美神の視線に、ザニスは自身の中にある男の情欲が刺激されると同時に、その超越した『美』に畏怖すら感じてしまう。

 困惑と恐れの感情を急いで張り付けた笑みの裏にひた隠し、気丈に振舞うザニスはフレイヤを問いただす。

 

「とっ、都市最大派閥の主神殿が、こんな矮小なファミリアの本拠に何の御用ですか?」

「貴方は?」

「これは失礼いたしました。私はこのファミリアの団長を務めておりますザニス、と申します」

「そう。それで、用だったかしら?」

「ええ、よろしければお聞かせ願いたい」

 

 オラリオでも一、二を争う派閥の旗頭を相手に、ザニスは泰然(たいぜん)とした態度でもって、これに向き合った。

 怖れも、焦りも見せぬように、必死になって慇懃なそぶりでフレイヤと対話する。

 薄い笑みを張り付けた男に、体を大きく見せようとする小動物の姿が重なった。全てを見透かす瞳に映ったそれに、フレイヤは小さく笑った。

 

「ここの構成員に、私の眷属()が襲われたらしくてね。故意に『怪物進呈(パス・パレード)』までされたみたいなの。これはそのお返し」

「はぁっ!? そんな事で!?」

 

 ザニスは目を剥いて驚いた。

 問いに対して答えを求めてはいた。しかしそんな()()()()()事でこんな事をするのかと、都市最大派閥の主神の言葉が信じられなかった。

 確かに、故意に『怪物進呈(パス・パレード)』を行うことはギルドが固く禁じている。

 しかし、それが故意かそうでないかの判断は簡単にはつけられないし、証拠も当人の言葉しかない。そもそもダンジョンに潜っている時点で命がけなのは当然だ。

 自分達が生き残る為ならば、見ず知らずの他人を犠牲にしたところで()()と言う事はあるのか。

 取り決め上禁止しているギルドですら、そんな話を持ち掛けたところでまともに取り合おうとしないだろう。

 

 ある程度ダンジョンで活動していれば分かることを、それを目の前の神物が、それも都市最大の主神が持ち出した事実が信じられなかった。

 ザニスも思わず言動を取り繕うことも忘れ、地の言葉が口から転がり出てしまう。

 

 

「フフッ、冗談よ。流石にその程度の事でここまでしないわ。これは建前」

「……ンンッ、では、本題は?」

 

 慌てふためく自分をクスクスと笑うフレイヤに、ザニスの頭に昇った血が更に上がりかけ、僅かに残った理性がそれを止めた。

 一度咳払いをして、調子を整えたザニスが再度問う。

 しかし一度醜態を晒してしまった事実は、どう取り繕ったところで露出してしまった小物感と共に拭え切れるものでなく。

 クスリ、と止めたはずの笑みがフレイヤの口から小さく漏れた。

 

「ここに来た本当の理由は、【ソーマ・ファミリア(そちら)】の眷属を一人、こちらに貰いたくて。それを伝えにね」

「……それならばその者は差し上げましょう。ですので――」

「でも建前も本当。後から口を出されても面倒だもの。動く口は少ない方がいいわよね?」

 

 だから潰す。そんな副音声が聞こえそうな物言いに、ザニスははっきりと顔を青ざめた。

 相手はオラリオの、いや世界の頂点に位置する派閥。

 規模も、影響力も、戦力全てにおいて【ソーマ・ファミリア】では比較するのもおこがましい存在。

 そんな相手に敵対宣言されたという事は、終わりを意味するに等しい。

 

 

「――ま、まてっ! いや、お待ちいただきたい! それは早計ではないでしょうか!? 我がファミリアには利用価値があります! 例えば、例えば……そうっ! 『神酒』です! このファミリアの主神であるソーマ様は造酒を司る神の一柱であり、その手で作り出された酒の味はまさに絶品!! 一度お試しいただいてからっ――げへぇぇっっ!?」

 

 泡を食ったように、という表現が相応しい慌てぶりを見せるザニスは、フレイヤの考えを押しとどめる為の材料を探して――室内中に巡らせた視線を壁際に置かれた棚に止めると、一目散にそれに駆け寄って酒の瓶をつかみ取った。

 

 その勢いのまま、詰め寄る様にしてフレイヤへと近づいたザニスは、体を()の字に折り曲げ吹き飛ばされた。

 

「控えろ、三下」

「エッゾ」

「……差し出がましい真似、伏してお詫び申し上げます我が主よ。あの者の御身への態度に(こら)え切れず」

「別にいいわ。用があるのはソレじゃないもの」

 

 フレイヤからザニスを遠ざけたのは、柴色(ふしいろ)の髪を逆立てた犬人の青年。第三級冒険者であるエッゾだった。

 扉の影に身を潜めていた彼は、フレイヤの前に姿を晒してしまった後、即座に跪いて頭を垂れた。

 そんな、自身への無礼を平伏する眷属をフレイヤは許した。いい加減あの小物の相手をするのが面倒になっていたのだ。

 

「初めましてね、ソーマ」

「……フレイヤ、か」

 

 フレイヤから声を掛けられたソーマは、代わりに対応させる相手(ザニス)が居なくなったことで、ようやく作業机からフレイヤへと目を移した。

 といっても向けたのは目だけであり、体はいつでも作業に戻れるよう先程までと同じ姿勢のまま、動く事はない。

 

「聞いていたと思うのだけど、ここ潰すわね? 場合によっては貴方も天界に還ってもらうかも」

「……そうか」

「私の言葉に対して、何もないの? 自分でも勝手な事を言ってる自覚はあるし、文句の一つくらいはあると思っていたのだけれど」

「……文句は、ある。酒造りが出来なくなるのは、困る」

「眷属を勝手にされることに対しては、何もないの?」

 

 その問いに、長い髪に覆われた奥から覗き見える、真っ黒な瞳が濁ったのを、フレイヤの紫の瞳は見た。

 

 

「……下界の子供達は、脆い」

 

 

 ソーマのその一言は、瞳は、自分は下界の者らに一切の期待もしていないのだと、フレイヤに告げるようだった。

 

 

 

 

 何もソーマは初めから()()だったわけではない。

 『頑張った者には、俺の酒を与えよう』

 切っ掛けは、ただそれだけ。

 自分の趣味に協力してくれる子供達への、ちょっとしたご褒美くらいの気持ちだった。

 悪意など無かった。害そうと言う気は微塵たりとも存在していなかった。

 趣味(しゅぞう)しか能のない自分に支払える唯一が、自製の美味い酒だった。ただそれだけなのだ。

 

 しかし眷属たちはそんなソーマが与えた酒の味に酔い痴れた。

 『神酒(ソーマ)』の魔力(みりょく)に憑りつかれた眷属は、一度神酒を口にしただけで我を忘れ醜態を晒し続けた。

 もう一度、もう一度と憐れむほどに愚かしく、酒に飢える餓鬼となってしまった己の眷属を見続けたソーマには、最早関心も、執着も持つことが出来なくなってしまった。

 酒が欲しいのならばくれてやる。だからもう、俺の視界の中に入ってくるな。

 

 

 眷属たちに見切りをつけたソーマは、代替行為とばかりに趣味に没頭した。

 

 世界は己と己の趣味のみ。

 それ以外に向ける関心は、ソーマの中にはほとんど残っていなかった。

 

 

 

 

「煩わしいのは、嫌いだ。俺は、酒が造れさえすれば……それでいい」

「それについては申し訳ないのだけれど、私がここに来たせいでしばらく騒がしくなるかもしれないわね。貴方の趣味にも障りが出てしまうかも」

「……」

 

 その言葉にソーマは固まった。

 それは困る。眷属(こども)の事を気にしてしまう。

 己が招いてしまった()()()を、目にしてしまう。

 趣味(とうひ)が、出来なくなる。

 無言のままに、しかし目に見えて不快気になるソーマに、フレイヤが提案をする。

 

「そんなに嫌なら、いっそ天界に還ったらどうかしら? そんなに下界にこだわる必要があるの?」

「……」

 

 その提案に、ソーマは微動だにせず無言を続けたまま、蝋燭の灯が揺れるのに合わせて二柱(ふたり)の影が揺れ動く。

 

「……そう、か…………そうだな」

 

 しばらくの間を置いて、ソーマはそう小さく呟いた。

 意を決めたソーマはその後すぐに腰を上げ、神室から出て行ってしまった。

 主が消えた部屋には、フレイヤとエッゾ。気絶したザニスとチャンドラが取り残される。

 部外者を置いたままどこかへ行ってしまったソーマに、自分の予想していた神物像(じんぶつぞう)よりも斜め上だったとフレイヤは呆れ、肩をすくめる。

 

 あの様子なら、今晩にでも天界へ還るだろう。

 溜息をついたフレイヤは、すでに消えた男の背中に目を細める。

 

 

「馬鹿な男。最初から強い子供なんているわけがないのに」

 

「育てることも、導くこともせずに見限って、放り出して」

 

「自分から最初に手を離したくせに、子供に失望したとか言って。最後は逃げ出すなんて、勝手すぎるんじゃない?」

 

 

 下界(こども)可能性(せいちょう)を目にすることなく天界に還るだろう神を嘲る様に、憐れむ様にフレイヤは微笑を浮かべる。

 

 まぁ最期に後押ししたのは私だけど。と笑みに自嘲を混じらせたフレイヤの視界にふと、ソレが目に留まった。

 散乱する扉の残骸を避けながら近付き、拾い上げたソレを跪いたままのエッゾに差し出した。

 

「『これ』が例のお酒らしいのだけれど、アナタ呑んでみる?」

「……では、失礼します」

 

 主神から賜った神酒を両手で受け取ったエッゾは立ち上がり、陶器の瓶に鼻を寄せた。

 瓶に口を付け、一気に傾ける。

 

「――――」

 

 瓶の中身が勢いよく喉の奥に注ぎ込まれ、酒精が喉を熱くする。

 芳醇な香りが鼻孔の中に広がり、心地よい眩暈が脳を浸していく。

 これまで飲んできた酒のどれもが、泥水に思えてしまうほどの、美酒。

 

 

「……どう?」

 

 薄い笑みを崩さないまま、フレイヤは眷属に尋ねる。

 酒を呑んだ感想を聞いたのか、それとも酒に呑まれてしまったかを聞いたのか。

 主神に問いかけられた眷属は、しかし平然とした様子で返答した。

 

「確かに、言うだけのことはあって美味いですね。ただ、ウチのモンでコイツに痴れる奴はいないでしょう」

「あら、そうなの?」

 

 これまで多くの者を惑わし、()り殺してきた神の酒の魔力を、簡単に跳ね除けた青年に僅かにつまらなそうにするフレイヤは、続いた言葉に笑みを漏らした。

 

 

 

「俺達は皆、こんな酒などよりも御身の『愛』に溺れ切っていますから」

「――……ふふっ、あはははははっ」

 

 

 

「ねぇエッゾ、今晩私の(ねや)に来ない?」

「……この上ない喜びにございます」

「ふふっ」

「……何か、ございましたか?」

 

 

 愛する眷属(おとこ)の言葉に、自分の為に強くあろうとする姿に、フレイヤはそれまで以上の愛おしさと――情欲を抱く。

 傍らに立つ偉丈夫の頬に指を滑らせ誘いの言葉を向ければ、青年は頬を赤く染めて綻ぶように顔を緩めた。

 

 『それ』がどうしようもなく可愛らしくて、愛らしくて。フレイヤは思わず吹き出してしまった。

 

 

 

「尻尾、凄い事になってるわよ?」

「んぐっ……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、今宵未明。

 

 

 

 

 ――ドンッッ!!! と、

 

 オラリオの夜天に、光の柱が突き立った。

 

 

 

 



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栗鼠に鐘鳴り響く 8

後で修整するかも




 ……どうしてこうなった。

 

 メインストリートに面する小洒落(こしゃれ)た喫茶店。

 入り口で迎えられた店員に案内されるまま店の二階に上がり、大通りを一望できるテーブルの一席にリリルカ・アーデは腰を下ろした。

 

 そして、腰を下ろしてからずっと、顔を上げることが出来ずにいる。

 見晴らしのいい大通りに目を向けるでなく、既に向かい側の席に座っていた先客と顔を合わせるでもなく。

 ただ己の膝、その一点だけを見つめ続けていた。

 

 現在の心境を例えるならば、判決を待ち続ける囚人のそれだ。

 向かいの客が立てる物音一つに肩を震わせ、無言の時間に恐怖を募らせる。

 

 来なきゃよかった。そんな感情が過去の自分が下した選択を責め立てるが、後の祭りとはこのことだ。

 

 リリルカ・アーデ――リリが現在、盛大に後悔している事には、立派な理由がある。

 

 案内されたテーブルに、先客がいたからだ。

 そしてその先客が、とんでもない大物だったから。

 それが誰なのかを事前に知っておきながら、ロクに心構えするでもなく、のこのことその前に姿を出したせいだった。

 

 背中を冷たい汗が流れ落ちる。

 対面に座る相手が口を開く気配に、思わず肩が跳ねた。

 

 

「初めましてね」

 

 ……それはそうだろう。

 貴方のような人物が自分を知っている方がおかしい。

 ここで「久しぶり」などと言われた日には、自分は驚きのあまり心臓が止まってしまうに違いない。

 

「改めて紹介する必要は無いだろうけど」

 

 まったくもってその通りだ。

 同じ言葉をそこらの人間が吐いたなら、そいつはとんだ自意識過剰の馬鹿だが、目の前の相手が言うならば、それは正確な自己認識に他ならない。

 このオラリオで、いや、この世界で貴方の名前を知らない奴は余程の田舎者か、俗世に興味のない偏屈者ぐらいだ。

 

「私の名は、フレイヤよ」

 

 ――ああ、ほんとうに。

 

「よろしくね、サポーターさん?」

 

 

 

 どうして、こうなった……!

 

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 

「え……なんで……?」

 

 朝起きて直ぐに、リリは愕然とした。

 目覚めたばかりの意識がはっきりするよりも先に、その事実に気が付いたからだ。

 そして同時に、全身を震わす恐怖に襲われる。

 

 先日の冒険者の男に襲われた時とも違う、理解不能の――無意識が理解を拒む程の恐怖。

 

 頭の中が真っ白になって、血の気が引いていく。

 この世の全てが突然自分に牙を剝いたかのように思えてしまう。昨日の晩、床に就いた前と後では、何もかもが変わり果てていた。

 ……いや、変わったのは世界じゃない。

 

 

 変わったのは、自分の方だ。

 

 

 朝起きてみれば、自分の体が酷く脆弱なものになっていたのだ。

 いや、この場合『なった』のではなく『戻った』と言うのが正しいのか。

 

 【ステイタス】の、消失。

 

 サポーター(落ちこぼれ)だったとはいえ、強靭な冒険者(リリ)から、ただの常人(リリ)へとなり下がってしまった肉体。

 幼い頃。襤褸(ボロ)同然の衣服で真冬の外に放り出された時のように、カタカタと震えながら己の肩を量の手でかき抱き、丸められた小さな背中。

 そこにあった『恩恵』が、確かに背負っていた【ソーマ】との神縁(しんえん)が、今や完全に断たれてしまっていた。

 

 

 コンコン、と。

 不意に扉を叩かれる音に、リリの肩が盛大に跳ねた。

 

「リリ、いるー?」

「……ベ、ベル……様?」

 

 扉越しに、リリの耳に届いた声は、いかにも純朴そうな少年のものだった。

 リリが名前を呼んだのを許可と受け取ったのか、開かれた扉の奥から少年が姿を現した。

 

「リリ、体の調子は――って、どうしたの、リリ!?」

「べ、ベルさまぁ……」

 

 少年が室内に入ってくると同時、リリの体が震えるのを止めた。

 冷たい氷の塊が全身を覆っているようだったのに、少年を目にした瞬間に、凍える様な恐怖が、震えがほどける様に消えていったのだ。

 

 

 なんだか最近、泣いてばかりだな。と頭の片隅で考えつつも、駆け寄ってきた少年の温かさにリリは心の底から安堵した。

 

 

 

 

 時間をさかのぼり――二日前。

 

 数人の冒険者達に謀られ危機に陥ったリリを、ベルが助け出した後の事。

 無数のモンスターの骸がリリの手によって灰の山に姿を変えられる中、二人の冒険者のなれの果てだけがそのままになっていた。

 その冒険者の片割れは敵であったし、怒りを持って攻撃もしたが、何も死ぬことは望んでいなかったと、ベルは冒険者の亡骸を痛まし気に見つめた。

 せめても、と地上に連れていこうとするのを、リリは首を横に振って止めた。

 

 亡骸に刻まれた傷がモンスターのそれではなく、人の手によるものだと明白だったからだ。

 いつモンスターに襲われるか分からないダンジョンの中を、文字通り大人二人分の重荷を担いで地上に戻っても、待っているのは遺体に刻まれた傷の追求と、殺人の疑惑だけだ。少年に何の得はない。

 ――この心優しい恩人に、いらぬ疑いを向けられたくない。

 

 亡骸はリリ達が手を加えずとも、ダンジョンを徘徊するモンスター達が片付けてくれるだろう。

 今は、時間が経つにつれ濃くなっていく血の臭いで、モンスターが集まる前にと、リリは渋るベルをなんとか説得して、モンスターの魔石と素材だけをもってその場を後にした。

 

 

 

 そして現在。

 リリ達がいるのは【フレイヤ・ファミリア】のホームにほど近い場所にある高級宿。

 普段ならば絶対に利用しないどころか、近付きもしない、リリには縁遠い存在だ。

 しかし、いつまたカヌゥ達が手を出してくるか分からないから、と心配したベルが強引にこの宿にリリを押し込んだのだ。

 いかにも上等そうな調度品に気後れしていたリリも、疲弊していたのだろう。

 治療したとはいえ負傷した際の疲労は残ったままであり、流石高級な宿だけあって、沈み込むほど柔らかい寝台に寝転んだ瞬間、意識が遠退き深く眠り込んでしまった。

 

 

 そして、目を覚ますと共に、ソーマから授かった『恩恵』が消えていることに気付いたのだ。

 

 

「……じゃあ、今のリリには、その……本当に?」

「はい。現在、リリには何の力もありません。《スキル》も……【ステイタス】も封印されているようです。今のリリは……ただのパルゥムでしか、ありません」

 

 沈み込むリリに少年――ベルが少し悩む素振りの後「実は」と口を開く。

 

「あのね、リリ。ここに来る途中色々な人が騒いでいたのを耳にしたんだけどさ……昨日の晩、光の柱が商業区の方で上がったらしいんだ」

「それって、もしかして……」

「うん。ソーマ様、だと思う」

 

 光の柱。それは下界に降りた神が元いた天界へと還った証。

 もし、件の光柱の主がソーマだったならば、この下界には既に、ソーマはいない事になる。

 

「そうですか。ソーマ様は、やはり……」

 

 ……十数年間。何もしてくれなかった。

 苦しい時、辛い時。助けてくれる事も、声を掛けられたことも……名前を呼ばれたことすら、なかった。

 

「ソーマ、さま……」

 

 名前を呼んでもその神物(じんぶつ)はもう、この世界のどこにもいない。

 自分の趣味ばかりで、眷属を気に掛ける素振りもない。そんな相手だから、こっちだって特別向ける様な情も持ち合わせていない。

 そう、思っていたのに。

 

 ……今、(リリ)が感じている『喪失感(きもち)』は何なのだろう。

 そこにあるのが当たり前すぎて、気付く事すらなかった眷属としての『繋がり』は、主神の存在と共に背中から消失してしまった。

 その気持ちの原因が、『恩恵』を失った事実だけではなく、それ以外の理由も大いに含まれているのが、嫌になるほどわかってしまう。

 

 好きか嫌いかで言えば、確実に嫌いに分類できる相手だろう。

 見て見ぬフリどころか、見る事もされなかったのだから。

 そんなヒトに、どうして好感情を持てると言うのか。

 

 

 それでも。

 それでもあのヒトは(リリ)が仰いでいた主神(しゅじん)で、(おや)だった。

 いい記憶なんて、一つもないのに。

 

 幼い頃、ダンジョンで野垂れ死んだ産みの親に加え、もう一つの親子の縁も、失ってしまった。

 その事実がどうしようもなく、納得いかない程に――『悲しくて』仕方がない。

 

 

「……」

「リリ、その……大丈夫?」

 

 うつむいたリリにベルは声を掛けるが、今のリリにはそれに応えられる余裕がなかった。

 しばらく沈黙が続いた後、不意にベルが何か思いついた表情をして、消沈するリリに再び声を掛ける。

 

「あのさ、リリ……リリがよければ、なんだけど。リリも僕のファミリアに入らない?」

「は?」

 

 突然の、突拍子もない提案。

 それを投げつけられたリリは、それまで纏っていた空気を吹き飛ばされた。

 

「いやいや、いやいやいや。それは無理な話ですよベル様。ベル様が所属しているのは、()()【フレイヤ・ファミリア】ですよ? リリごときが入団できるわけがないでしょう」

「大丈夫っ! 今日は丁度女神様が本拠(ホーム)に居るみたいだし、僕から伝えてみるよ。女神様はすっごく優しい方なんだ。話をすれば、きっとリリにも力を貸してくれるはず!」

「えっ、ちょ、待っ」

 

 そうと決まれば、と早速ベルは行動を起こした。

 

 「昨日の騒動で外は混乱しているし、リリはここに居て」と言い残して宿を出て行ってしまった。さっき言った通り、本当に自身の主神であるフレイヤに頼みに行くらしい。

 慌てて引き留めようにも、元から突き離されていたベルとの敏捷の差は『恩恵』を失った事で更に隔絶したものとなってしまい、リリは中途半端に手を伸ばした態勢で固まったまま、部屋に残される。

 遠ざかる足音に、リリは諦めて脱力し、上げていた手を下ろした。半端に開いた口からは盛大な溜息が洩れていく。

 ベルの心遣いは嬉しい。有難くて涙が出るほどだ。

 

 だが正直な話、勘弁してほしかった。

 

 勿論、ベルの申し出は渡りに船だ。

 カヌゥ達に目を付けられている為、元いた【ファミリア】に帰れなかったが――と言っても、ここ数か月以上【ソーマ・ファミリア】のホームに戻ってない――そもそも主神を(うしな)った【ファミリア】が今後も存続することなどありえない。

 つまりはリリは現状、何の後ろ盾もない状態だ。

 他の神の眷属になるというのは、この迷宮都市で生活する上での後ろ盾を得る手段としては大いにありだ。

 その際、眷属(ファミリア)となる上で最も重要なのは派閥の主神選びである。

 下界の者を慈しむ神格者(じんかくしゃ)がいれば、悪戯(いたずら)に眷属を弄び、その様を指を差して笑う愉快犯な者もいるのが超越存在(デウスデア)というものだ。というか後者の方が圧倒的に多い。

 

 生みの親が既に【ファミリア】に所属していた事で、寄る辺の選択肢がなかった幼い頃と違って、今はリリにも主神を選べる自由がある。

 あるのだが、その自由は今、他でもないベルの手によって断たれようとしている事実に涙目になりそうだ。

 

 

「い、いや、落ち着きましょう。そうですよ。いくらなんでもリリが【フレイヤ・ファミリア】に所属出来る事なんてありえません。言い方は悪いですがベル様は入団したばかりの新入り。ファミリア内での影響力もたかが知れますし、リリのような落ちこぼれ(サポーター)を紹介したところで、仮にも都市最強の一角が受け入れるはずがないでしょう」

 

 それが現実的だ。

 嫌に妙な予感がするが、それは気のせいだろう。気のせいに違いない。

 そもそもの話、自分に冒険者という職は向いていないのだ。

 少年の優しさは嬉しいが、別に自分はどうしても冒険者でいたいわけではない。

 

 いい機会だ。もうこの際、これまで手を染めてきた盗賊まがいの行いと一緒に、冒険者家業からも足を洗ってしまおう。

 定職を見つけるまでは……そうだ。あのノームの老人が営んでいる店にでも転がり込もう。

 幸い、店主には正体を晒していないし、優しさにつけ込む様で悪いが、宿なしで困っているパルゥムを装えば引き入れてくれるだろう。宿が無いのは本当だから尚の事。

 

 今度ここに来る時のベルは、きっと肩を落としているだろうから、これまでの感謝と共に、もう自分に構う事はしなくていいと伝えよう。

 サポーターとして、ベルとダンジョンに潜れないのは残念だが、彼にリリは釣り合わない。

 

 

 初めてリリに優しくしてくれた冒険者。

 お金や損得関係なく、リリだけを見てくれた男の子。

 そんなベルと離れるのは寂しい。心は「嫌だ」と泣き叫んでいる。

 それでも、彼は彼に相応しい相手とパーティーを組むべきだ。

 

 きっとベルは、そう遠くない内に一流の冒険者として名を馳せるだろう。そんな彼を、リリなんかに繋ぎ止めては駄目だ。

 

 

 ……というか自分が【フレイヤ・ファミリア】でやっていける自信が微塵もないし。

 想像出来ない。絶対にムリダ。

 

 

 自分の気持ちと向き合って、折り合い付けて。ようやく整理することができたその時。

 部屋の扉が音を立てて開けられた。

 

 

「リリ、リリっ! 女神様が明日リリと会って話しがしたいって! 問題が無ければリリも僕と同じファミリアになれるよ!」

 

 



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栗鼠に鐘鳴り響く 9

二章はこれで終わり。
三章の投稿は……ナオキです。

感想、評価が作者のモチベーションに繋がります




 太陽が山の峰から顔を出し、更に上へと昇る。

 迷宮都市を囲う市壁をも越え、静まり返っていた街は徐々ににぎやかさを増していく。

 

 太陽が中天に差し掛かる頃、人通りの多いメインストリートを進みながら、リリは隣ゆくベルに気づかれないようにため息を漏らした。

 

 

 どうして、こうなったのだろう。

 いや、理由は分かっている。

 

 ――昨日、いやもう一昨日になるのか。

 リリの主神であったソーマ神が、突然天界に送還されたことで失ってしまったリリの寄る辺。そして、ダンジョンで活動するために必要不可欠な『恩恵(ファルナ)』。

 それらを再び取得するためには、どこかのファミリアに所属し、再び『恩恵』を刻んで貰わなければならない。

 しかし、素直に言って……リリには何の才能も、取り柄もなかった。

 

 冒険者としては三流もいい所で、落ちこぼれの代名詞でもある専門職サポーターにならざるを得ず。周囲からの侮蔑や嘲笑に耐えながら糊口(ここう)をしのぐ日々を過ごしてきた。

 与えられる『恩恵』は、どの神から刻まれたとしても全く同じものであり、崇める神が変わったところで強さが変わる事は無い。

 つまり、再び『恩恵』を得ても以前と同じく、ただの足手まとい(サポーター)に戻るだけ。

 

 更に付け加えるなら、ダンジョンで日々モンスターとの命がけの戦闘を行う探索系ファミリアに、わざわざ足手まといを雇い入れる余裕は何処にもなく。

 まして医療や製作系といった専門的な知識も持ち合わせていない。

 何の役にも立たない人間を受け入れてくれるファミリアなど、存在するはずがなかった。

 

 神の眷属としてのリリの将来は――お先真っ暗()()()

 そう、だっただ。今はもう過去形である。

 

 

 所属を失い、宙ぶらりんになったリリの立場に気を病んだベルが、自身の主神に掛け合いリリが派閥に入れるようお願いしたのだ。

 そして主神はそれを快諾。実際にリリと会って話をして、問題が無いと判断すれば眷属に加える事を約束してくれた。らしい。

 

 有難い事だ。ベルの気遣いは本当に嬉しい。

 

 

 でも、正直、勘弁してほしかった。

 

 

 これでベルの所属している派閥が大して知名度もない零細ファミリアであれば、リリも多少の申し訳無さを感じながらも、それに甘える事が出来ただろう。

 

 だがしかし。ベルの所属している派閥は【フレイヤ・ファミリア】だ。

 『オラリオの双頭』、『都市最強』と謳われる世界最上位のファミリアなのだ。

 

 肩身が狭いどころではない。

 自分の様な木っ端が入ったところで、あまりの場違いさに針の筵になるだけだ。

 

 お願いですから辞退させて下さいと、土下座してでも断りたい思いで一杯だった。

 ――しかし。

 

 

「嬉しいなぁ。明日からリリと一緒のファミリアになれるんだね!」

「あはは、気が早すぎますよベル様。まだリリが入れると決まったわけではありません」

「大丈夫だよ! 女神様はすごく優しいお方なんだ。何の心配もいらないよ!」

 

 これである。

 こうまで喜ぶ様子のベルに水を差す事が出来ず。そもそもリリにとって大恩あるベルから持ってきてくれた話を蹴る事は、人情的にも非常に難しかった。

 

「着いたよリリ。ここで女神様と待ち合わせしているんだ」

 

 泊まっていた宿から向かったのはメインストリートの一角に構える一見の喫茶店。

 扉を開けると同時にドアベルがカラコロと澄んだ音を鳴らし、店員の少女が可愛らしい声と共に迎え入れた。

 入り口から見回した喫茶店の内装は、木目調の落ち着いたそれで、調和するように置かれたインテリアが温かみのある雰囲気だ。いつもベルと食事している酒場などとは違って品の良さが感じられる。

 

 リリが店内を見回している間にベルが店員に待ち合わせしていると伝えると、僅かに表情を硬くした店員がリリ達を二階に案内した。

 先を進むベルの背中を見ながら、僅かに軋む階段を踏みしめ上に上がっていく。

 

 

 ……いよいよだ。

 とうとうここまで来てしまった。

 

 冷汗が背中ににじみ出すのを感じながら、リリは長くない階段を一段一段上がる。

 今の気分はまるで、処刑台に登る罪人のそれだ。

 

 ベルに一歩遅れて二階に足を踏み入れる。

 待ち合わせの相手は既に席についているそうだが――どうやら待たせてしまったようだ。この時点でお腹が痛い――店員が席に導く前にどの席なのか理解する。

 

 

 窓際に座る一人の姿。

 紺色のローブを身に纏い、極限まで露出を抑えてなお周囲を魅了する圧倒的な美しさ。

 

 彼女が『美』と『愛』の女神。【フレイヤ・ファミリア】の主神フレイヤ。

 

 

「ごめんなさいフレイヤ様。待たせてしまいましたか?」

「大丈夫よベル。私もついさっき着いたところだから」

 

 ベルの言葉に返る鈴のなるような澄んだ声。薄布ごしからでも分かる完成されたプロポーション。フードの裾から覗く銀糸の髪。

 それら全てが見る者の思考を『美』に染め上げていく。

 

「その子が、ベルが話していた入団希望者かしら?」

 

 親し気に会話を続ける二人を、いや、ベルに微笑むフレイヤの顔をボゥと眺めていたリリだったが、紫水晶の様な瞳と話を向けられた事でハッと我に返る。

 

「あ、ああのえっと、そのっ、リ、リリはリリルカ・アーデという者でっ! ほ、本日はよよよろしくおねがいしますっっ!」

 

 目を向けられた事で思い出した緊張と、返事をしなくてはならないという焦りから、口が上手く回らなかった。ドッと冷汗が溢れる。

 そんなリリの様子にも笑みを浮かべたままのフレイヤは、ついとベルに横目を流し、声を掛けた。

 

「ごめんなさい、ベル。少し席を外して貰えないかしら? これも一応ファミリアの運営に関わってくる話だから、今のベルを一緒にすることが出来ないのよ。申し訳ないのだけれど……」

「気にしないで下さい、フレイヤ様。 そういう事ならしょうがないですよ。僕まだまだ新入りですし! それじゃあリリ、頑張ってね!」

 

 行かないで下さい! リリを一人にしないで! そう言えたならどれだけ良かっただろう。

 しかし、悲しいかな。大物を前にしている今、小物である自分が口を出せるはずがなかった。

 

 

 終わるまで下で待ちますね。とリリを置いて下へ姿を消した薄情者を恨みながら、フレイヤに勧められるまま対面に腰を下ろす。

 

 そしてしばらく。挨拶から始まり、一言二言会話を挟んだのち、本題に入る。

 

 

「貴方の事はベルからよく聞いているわ。いつも助けられてるってね?」

「いやそんな。助けられているのはこちらの方でして……」

 

 とんだ過大評価だ。

 確かに、冒険者として経験の少ない今のベルには足りない点が多く、まだリリでも手助けできることは多くある。

 しかし、それは今だけの話だ。

 信じがたいほどに成長の早いベルには、遠からずリリの手も必要なくなるだろう。

 否、ベルにとっては、ダンジョンでの知識が豊富な人物ならリリじゃなくてもよいのだ。

 そして、都市最高の派閥には、リリを超える経験の持ち主などザラに居るわけで。

 

「……本当に、リリはベル様に助けられてばかりで。今回、貴方様とお話する事となったのも、ベル様がリリの為に奔走してくれたからです」

 

 そこで言葉を切り、ぐっと唇を噛み締める。

 うつむきがちの背筋を伸ばし、リリはまっすぐにフレイヤの目を見つめた。

 

「しかし、リリの力量では、そちらのファミリアで貢献できる事はないでしょう。サポーターとしても、ベル様の足を引っ張るだけになりかねません」

 

 ()()を口に出したら、本当に最後だ。

 言葉にするのが辛い。悲しくて、悔しい。

 

 初めてリリに優しくしてくれた冒険者。

 何の力もないパルゥムを、お金とか、体のいい雑用係とかじゃなく、ただのリリを必要としてくれた人。

 そんなベルと離れたくない。ずっと一緒に居たい。

 

 でも、それは……彼の為にならないから。

 

 

「私は、【フレイヤ・ファミリア】には入れません。御足労をおかけしてしまい、申し訳ありません」

 

 

 言い切って、頭を下げた。

 張り裂けそうに胸が痛むが、それでもこの選択に悔いはない。

 こっちから断りを突き付けた事で「テメェごときが何様だコラ」と、フレイヤにブチ切れられたらどうしようとか懸念はあるが、今はそれも気にならないくらいに清々しい。これが神の言うところの『一周回ってハイ』ってやつだろうか。

 

 しばし、静寂が二人の間に流れる。

 

 

「正直のところ、私は貴方を眷属にしてもいいと考えていたわ」

 

 口を開いたフレイヤの放った言葉に、リリは目を丸くした。

 

「……は?」

「今回、ベルの周りで起きた事をあの子自身の口から聞いて、つくづくあの子が心配になってしまったわ。……いつか騙されるってね」

「ああ……」

 

 フレイヤの言う考えには、リリも得心がいった。

 というか、リリこそベルを騙そうとした張本人だ。

 あんなに純粋で、お人好しで、社会経験のない世間知らず。その手の者にとってはこれ以上ないカモだ。

 

 その上、所属しているのは社会的地位の高い超有名組織。

 狙われる際には、リストの最上位にベルの名前が来ることは想像に難くない。

 

「もしあなたが私のファミリアに入ったなら、その時はあの子の面倒を見て貰おうと思っていたの。少しアレな物言いだけど、お目付け役ね」

「……」

 

 やはり、とリリは思う。

 再度、リリは姿勢を伸ばし、真っすぐにフレイヤを見据えた。

 

「以前からベル様に話を聞いて思ったのですが、貴方はベル様をどうしようとお考えなのですか?」

「それは、どういう意味かしら?」

「ベル様が持っている剣。アレは貴方がベル様に下賜した品ですよね? ベル様はとても嬉しそうにリリにお話してくださいました。僕の一番の宝物なのだと」

「あら、ふふっ」

「情報を集める事に関しては、リリも少しだけ腕に覚えがあります。しかし振るう度燐光を漏らす剣などリリは聞いた事がありません。その上、鞘に刻まれた【ヘファイストス・ファミリア】の銘。その値はどれほどのモノになるのでしょうか。更に噂ではファミリアの団長である【猛者(おうじゃ)】から直々に教えを貰っただとか。とても新入りにするような対応に思えません」

 

 リリは、昨日の事を思いだしていた。

 ベルに明日自分が来るまで宿にいる事、という言いつけを破り、変装をした上でギルドに行った時の事を。

 

「……そして、一昨日の晩【ソーマ・ファミリア】の主神、ソーマ様が天界に送還された事件。あれの首謀者がファミリアの団長であるザニス様だという事」

 

 

 ギルドのロビーに設けられている掲示板。

 そこに張り出されていた昨日の騒動の調査結果を、リリは目にしていたのだ。

 そこに在ったのは、ザニスが自身の主神であるソーマを討ったという、とんでもない内容だった。

 ファミリアの構成員が団長であるザニスに隠れて行って来た様々な不祥事。そしてそれを黙認していたソーマ。それらを知ったザニスは立ち上がり、言葉を尽くすもソーマと決裂。義心によってザニスは神殺しの大罪を背負い、ソーマを討った後ギルドに証拠を提出したのち自害した。らしい。

 

 「いや、ありえねぇだろお前」と言うのがリリが最初に抱いた感想だ。

 何故ならザニスも、何度もリリから金を巻き上げ、虐げてきたうちの一人だったからだ。

 というか、ファミリアの行って来た悪事のほとんどを率先して行っていたのは、他でもなくザニス本人だ。

 

 

「そして、今のあなたの言葉から考えるに……【ソーマ・ファミリア】を潰したのは貴方なのではないですか? 神フレイヤ」

 

 

 速まる鼓動。乾く喉。

 途方もない緊張に声が震えそうになるのを、精神力でねじ伏せながら、一拍。

 

 

「ベル様を狙うと言い放った者達を無力化するために。そしてリリを手に入れる為に」

 

 

 全ては、ベルをヒトの悪意から護る為。

 たったそれだけの事で、フレイヤはファミリアを一つ滅ぼした。と言うのがリリの推測。

 

「ふふ、()()に答えたとして、貴方に何が出来るのかしら?」

「……っっ!」

 

 リリの問いかけにかすかな笑みを漏らすフレイヤが、否定をしないフレイヤが、とてつもなく恐ろしく見えて、リリは身を石の様に固くした。

 

 確かに、フレイヤの言う通り、自分には何も出来ないだろう。

 だがしかし。それでもリリの頭に何もしないという選択肢は存在しなかった。

 無駄だとしても、意味のない事だとしても。

 リリは膝の上に置いていた手を、強く、強く握り締めた。

 

 

 そして、思い出す。

 さっきまで、ベルから離れるのが彼の為になると、彼への思いと共に蓋をしてしまっていた『覚悟』。

 

 目の前の神が、戯れにベルを弄ぼうと画策しているのならば、全霊を以てリリはそれを阻止しよう。

 あの日、少年に救われた時。リリは彼に全てを捧げようと誓ったのだ。

 たとえ世界の全てが彼の敵になろうとも。

 側に立つ己にも、石が投げられようとも。

 リリだけは彼の味方でいようと。リリが彼を支えようと、そう決めた事を。

 

 

 リリは目の前に座る女神を見つめる。

 腹に力を入れ、目尻を鋭くするリリの視線を、女神は薄く笑みを浮かべて迎え撃つ。

 

「……そう。貴方、ベルの事を愛しているのね」

「――――ヒュグッ」

 

 突然の女神の言葉に変な声が漏れた。

 ポンッと破裂音を立てそうな程に急激に紅潮する顔が、それが図星であることを何よりも証明していて。

 

 ()()()()()()()()

 

 恩がある。感謝もしている。彼の役に立ちたい。自分も彼を助けてあげたい。

 そして何より――(リリ)(ベル)の事が好きだ。

 

 

 リリはベルを愛している。ベルの為なら命だって惜しくない。

 だからこそ、ベルの身に取り返しのつかない『何か』が起きる前に。

 

 今ここで、女神の真意を見極めなくてはな――

 

()()()()

 

 

 女神の纏う雰囲気が一変する。

 

 銀の髪はその輝きを増し、風に揺れた様にフワリと浮き上がる。

 店内には陶酔するような香りが立ち込め――リリの視界がグニャリと歪んだ。

 全てが混ざり、溶け落ちていく世界の中で。紫水晶(アメジスト)の瞳だけが、鮮やかに、リリを、見つめ、て、い、、る、、、。

 

「――ぁ、へぁ……?」

()()は駄目なの。貴方にベルはあげられないわ……ごめんなさいね?」

 

 廻る。廻る。世界がグルグル廻って巡る。

 中心にあるのは銀の女神。

 彼女を中心に全てが回転し、その渦の中に己も引きずり込まれていく。

 

 陽光に(きら)めく銀の光が、射抜かれるような紫の視線が、鼻孔を(くすぐ)る芳醇な香りが、全てが脳髄を侵して犯してトロかしていく。

 この世のものとは思えない美しさに、心身が溶けていく。

 いつの間にか、リリは崩れ落ちていた。

 そしてそれはリリだけではない。正気を失った今のリリに知る術はないが、その場にいた客や従業員の全てが糸の切れた人形の様に、全身の力を抜いて一切の動きが出来なくなっていた。

 

 『美』を目にし、『美』に見つめられる多幸感。

 色々な物が削がれては消えていき、それまで抱いていた使命も想いも、リリの中から忘れ去られていく。

 視界が、銀色に染め上げられていく。

 

 

 そして、全てが銀の光に塗りつぶされるその間際。

 リリは、何よりも大切だった、誰かの名前を呟いた。

 

 

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 

 全てが終わった後。店内は死屍累々の有様になっていた。

 フレイヤを除く全ての者が、皆同じように頬を上気させ、焦点の定まらない目で虚ろを見つめる。口端からは涎を流す様は白痴(はくち)のソレだ。

 

 

 

 

「申し訳ないとは思っているわ。その代り、あの子の一番近くに貴方を置いてあげる」

 

 

 

 その言葉を、リリは理解していない。

 ただ音として、福音のように綺麗な音色に恍惚とした笑みを浮かべたまま、女神の美しい顔を見上げいた。

 

 リリルカ・アーデの全ては、『美』に侵され埋め尽くされてしまった。

 

 

 

 

 穢され堕とされる少女の側に――救いの手を差し出す英雄はいなかった。

 

 

 

 

 




 高らかに鳴り響く、十二時(おわり)のお告げ

 舞踏会で出会えた王子様との逢瀬は、一夜の夢のように



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最終章・少年は階を上がる
贄の兎 1


 

 迷宮(ダンジョン)

 古代から存在する、凶悪な罠や多種多様な怪物たちの坩堝(るつぼ)

 その内部は複雑怪奇極まりなく、発見されてからも今なお全貌が明らかとされてない、世界唯一にして最大の魔境。

 

 そんな危険な場所に、未知を既知へと変える為、己の命も省みず足を踏み入れる者達を、人々は『冒険者』と呼んだ。

 僕もそんな冒険者の一人として、未知を求めて迷宮に潜っていた。

 

 

 そして今。

 襲い来る怪物たちを迎え撃ち、迷宮の奥深くへと足を踏み入れていた僕は、脇目も振らず逃走していた。

 足元を転がる石くれを蹴っ飛ばし、両腕を振って全力で走る。

 むき出しになった岩肌が、地面を蹴る靴の音をやけに反響させる。

 

 整地されていない凹凸だらけの地面が続く通路は、曲がることも分かれることもなく、ただひたすら延々と真っすぐに伸びている。

 普段なら不思議に思えるほどの一本道。でも、今の僕にはそれを気に掛けるほどの余裕なんて無かった。

 

 走って、走って、走って。

 一体どれくらいの時間走り続けたんだろう。

 息は上がり切って絶え絶えで、肺が破れそうな程痛くて。

 それでもと息を吸えば、粘ついた唾が喉奥に張り付いて盛大に咳き込んだ。

 酸素の供給が(とどこお)った頭は急速に思考を鈍らせる。ついでに目まで霞んでくる始末。

 酷使しすぎた足は既に感覚がない。惰性《だせい》で動かせてはいるけれど、限界はとうに超えてしまっている。

 なのに。それなのに。背後から迫って来る音は止むことも、遠ざかることもなく、頭の裏にへばりついているかのように聞こえてくる。

 

 そうしてとうとう。いや、ついに。

 背後を気に掛けていたせいで、足元の意識が疎かになってしまった。普段なら気にも留めない様な段差に(もつ)れた足先が(つまづ)いた。

 体勢が崩れる。

 

「う、わぁっ!?」

 

 不意の事故(アクシデント)に、疲弊しきった体では対応できなかった。

 膝が折れ、ロクに受け身を取れずに地面を転がる。

 そして、地面を這いつくばる僕の前に、僕が無様を晒すのを待っていたと言う様に、()()は現れた。

 

 僕よりも一回りも二回りも大きい筋骨隆々の肉体。

 見上げる程高い首の上、恐ろしい形相の頭部。両の()()()()から伸びる二本の太い角。

 牛頭人身の化け物――『ミノタウロス』が、地べたを這う僕を見下ろしている。

 

 

「ヴゥモォォォォォォォォォッッッ!!!」

 

 

 ミノタウロスの『咆哮(ハウル)』。

 僕の鼓膜に、全身に。空間全てを震わす雄叫びが叩きつけられる。

 ()がれる気勢(きぜい)(くじ)ける精神(ココロ)。疲労とは別の理由で動かせなくなる体。

 

 そんな、情けない僕を(あざけ)る様に(わら)ったミノタウロスは、ゆっくりと、腕を高く振り上げた。

 アレが振り下ろされた瞬間。全部が終わる。

 数秒後の自分の末路を想像して、僕は顔を青ざめながら歯をカチカチと打ち鳴らした。

 

 

 死ぬ。

 

 殺される。

 

 このまま、何も出来ずに。

 

 何にも成れずに、ここで終わって(シんで)しまう。

 

 

「……い、い、いやだぁぁあああああああっっ!!」

 

 

 気力を振り絞り、弱きも限界も殴り飛ばして立ち上がる。

 握り締める鋼の剣。立ち向かうは絶望の権化。

 スパークする思考回路。極限の集中が世界を白と黒に塗り潰す。

 地面から弾かれたように全身を撃ち出し、渾身(こんしん)の横薙ぎをミノタウロスへと叩き込む。

 

 死を目前とした生存本能が、実力以上の動きを可能にさせた。

 間違いなく人生最高の一撃。これ以上ない会心の一撃(クリティカル・ヒット)

 無骨な鋼の直剣が吸い込まれる様にミノタウロスの肉に食い込み、そしてガラス細工のように砕け散る。

 

 

 全てが緩慢(かんまん)になった灰色の世界で。

 何よりも頼りにしていた己の相棒が罅割(ヒビわ)れ、砕け、そして散っていく様を、嫌と言うほどゆっくりと見せつけられていく。

 剣の崩壊する勢いはやがて手に持つ()すらにも波及(はきゅう)して、全てが砂の様に崩れ去る。

 武器が、なくなった。

 もう、戦う術がない。

 

 心が音を立ててヘシ折れた。(しぼ)り尽くした体力も完全に底を尽き、伸ばした膝は再び地面に吸い込まれていく。

 

 体が、倒れる。

 

 もう、指一本動かせない。

 

 

 ミノタウロスの、振り上げられていた腕が、下ろされる。

 

 

 

「――――……ぁ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぐ ち ゃ り 。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、僕は寝台(ベッド)から跳ね起きた。

 

「ぅうわぁぁあああああああああっ!?」

 

 

 毛布を吹っ飛ばした勢いのまま、寝台の上に立ち上がる。

 夢うつつに朦朧(もうろう)とする意識の中、無事を確かめる様に全身をまさぐって。

 やがて意識がハッキリし始めると共に、自分が生きていることを確認する。

 

「…………………また、あの夢」

 

 焦燥感から荒ぶる息と心を、深く息を吐く事で落ち着かせる。

 顔を(うつむ)けた事で小刻みに震える手が目に入った。

 その様がどうにも情けなく思ってしまって、僕は拳を握り締めた。強く、強く。

 恐怖の感情を手の中で潰すように。不安で震える手を隠すように。

 

 

 寝汗で湿った服が背中に張り付いていた。嫌になるほど冷たいし気持ち悪い。

 

 顔を上げれば、透明なガラスがはめ込まれた窓の外から、朝日が部屋に光を差し込んでいた。

 

 

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 

 

 【フレイヤ・ファミリア】の本拠(ホーム)戦いの野(フォールクヴァング)』。

 オラリオ所属の数ある派閥の中でも最大と言っていい敷地を有する本拠(ホーム)の庭は、まさに原野と表現するに相応(ふさわ)しい。

 

 朝露に濡れた草原を朝焼けの光が照らし、本拠を囲う壁の上から吹き降ろす風が穏やかに揺らしている。波打つようにきらめく(さま)は、エメラルドグリーンの海を連想させた。

 もう何度も目にしているけれど。その度に美しいと思える、絶景。

 

 

 そんな場所で、僕は、いや僕たちは戦っている。

 

「はぁっ!」

「ぐぅぅっ!? くそぉッッ!!」

 

 今も一人。切り伏せて前に進む。

 

 視界の端に違和感。

 考えるよりも先に体が反射する。

 

「ハッ! やるな!」

 

 飛び出してきたパルゥムの男性の剣を『緑玉の小盾(エメラルド・バックラー)』で逸らして躱す。

 攻撃を躱された相手は、それを成した僕を(たた)えると口角を上げた。

 僕は何を言う事をせず、彼に意識を定める。

 

 遭遇(エンカウント)戦闘開始(バトル)。相手の不意打ち(ハイド・アタック)を回避。

 今度はこっちの攻撃(ターン)だ。

 

「……シッ!」

 

 浅く息を吐くと同時。今度はこっちから踏み込んで剣を振るう。

 上段から振り落とされる剣の一撃を、パルゥムの剣士は後ろに飛んで躱す。

 

 攻撃失敗(ミス)

 

 「……まだっ!」

 

 こっちの攻撃(ターン)は終わってない!

 振り下ろした剣を背筋を目一杯使って跳ね上げる。

 下段斬り。

 横薙ぎ、袈裟斬り。突き。

 連撃(コンボ)を繋げて相手を追い詰めていく。

 

 僕の攻撃を躱す為に背後に飛び続けるパルゥムの剣士は、何かに足を取られたのか、体勢を僅かに崩す。

 ここだ。

 

「はぁあああッッ!!」

 

 ここ一番の踏み込み。両腕で振り上げた剣を、表情を苦く歪めたパルゥムの剣士へと振り下ろす。

 

 必殺の一撃(クリティカル・ヒット)

 自身に迫りくる一閃に、剣士は口元を歪める。

 

「――(あめ)ぇよ」

 

 

 パルゥムと呼ばれる種族は、成人であったとしても、ヒューマンの子供と体格が変わらない。

 その見た目に(たが)わず力が弱く、体は脆い。身軽さから敏捷は高くとも脚幅(あしはば)の都合上、移動速度が遅い。

 冒険者としては不利。それがパルゥムに対する世間の常識。

 そして、それを肯定するようにパルゥムで上級冒険者になれた者は、他の種族と比べても数が少なく。名を上げた者もほんの(わず)か。

 

 しかし、僕が今立っているこの場は【フレイヤ・ファミリア】の本拠(ホーム)

 【ロキ・ファミリア】と並んで都市、いや世界最高と称賛される派閥に所属する戦闘員達は皆、例外なく優秀な戦士。 

 この『戦いの野(フォールクヴァング)』で日夜闘争を繰り広げ、研鑽(けんさん)し、(しのぎ)を削り合って高め合う。

 誰もが強さを求め、勝利と言う栄光に貪欲(どんよく)であり、最強を渇望する。

 なりふり構わぬ者ばかりのここでは常識なんてもの、紙きれ同然に捨て去られてしまう。

 

 今、僕の目の前に立つこのヒトだって、そうだ。

 種族特性と言う、(くつがえ)しようのない不利。

 ()()がどうしたと言わんばかりに、剣を振り下ろす僕の姿を目に映しながら彼は笑う。

 

 

 ――迎撃(カウンター)

 

 

 体重を乗せた渾身の一撃は、その重さの分だけ自分に反射する。

 自分の力だけで足りないのなら、相手の力を利用すればいい。

 小さく非力なパルゥムが戦うための、一つの答え。 

 

 

 先程の一文に、一言付け加えるならば。

 

 『パルゥムは大成しない――ただし、ごく一部の例外を除いて』

 

 そしてそのことを、僕はちゃんと知っている。

 

 

 上段から真っすぐに落とす斬撃が空ぶった。

 体勢が崩れる。

 

 それを狙いすました攻撃が迫る。

 

 振り下ろした直後の両腕。

 ビキリ。と腕の筋が嫌な音を立てたのにも気に留めず、柄を握る二つの手の内の一方を、引き剥がすように無理矢理に振り上げた。

 

掲げられる手に備えられた『緑玉の小盾(エメラルド・バックラー)』が、振り下ろされる剣と激突する。

 金属同士が(こす)()う、悲鳴にも似た高い音。散る火花。

 半球状の膨らみ(ボス)が、衝撃を散らし、丸みを帯びた(フチ)が必死の一撃を滑らせた。

 

「はぁあああああッッ!!」

 

 膝蹴り。

 上下に腕を伸ばした間抜けな体勢から、体ごと飛び込む様にパルゥムの剣士にぶつかりに行く。

 

「ごっはっ!?」

 

 余裕を残していた上段斬りとは打って変わって全体重を乗せただけの稚拙な一撃は、パルゥムの剣士の小柄な肉体を真正面から吹っ飛ばした。

 

 放物線を描いている最中の彼から視線を切る。追撃はしない。乱戦真っただ中の今、そんな暇はない。

 

 

 ――今回は、僕の勝ちっ!

 

 

 口には出さずに心の中でそう言って、再び駆け出した。

 『フレイヤ・ファミリア』の戦士達が互いに激突し合う闘争の坩堝(るつぼ)に、自ら進んで飛び込んで行く。

 雄叫びと血風入れ混じる大乱戦(バトル・ロイヤル)の空気に、僕はとうに馴染(なじ)み切っていた。

 戦士を打倒した勝利に、湧き上がる喜悦を噛み締め、余韻も程々に次の獲物へと飛び掛かる。

 

 時刻はまだ早朝。日は昇ったばかり。

 上へ上へと昇る朝の日差しが、今も戦い続ける勇士たちの姿を照らし、その熱を高めていく。

 

 強くなる。

 まだまだ僕は、強くなれる。

 勝って、勝って、勝ち続けて――

 

 ……いつか、憧れのあのヒトの隣に並び立てる様になる為にっ!

 

 

「僕は、戦い続けるッッ!!」

「ウルセぇっ! 調子乗んなボケがぁっ!」

「ぐはぁぁぁぁっ!?」

 

 丁度戦い終わった茶髪の犬人(シリアンスロープ)に斬りかかったら、一瞬で吹っ飛ばされてしまった。

 

 

 ……今日も、最後まで乗り越えられなかったぁ。

 遠くなる意識の中で、鳴り響く剣戟の音を最後に目を閉じた。

 

 

 




 
 
 
最期に投稿してから一年以上経ってるとかヤバくね?
完結まで書けたので投稿。
お気に入りのままにしてくれてた皆々様には心からの感謝を。


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閑話・主従は時として理不尽をもたらす

 

 【フレイヤ・ファミリア】の本拠(ホーム)

 四方を壁に囲われ外と隔絶(かくぜつ)された敷地内には草原が広がり、朝日の光を浴びて青々と輝いている。

 中央へと行くにつれて、なだらかな丘陵(きゅうりょう)が形を作り、その丘の上には宮殿と見紛うほどに大きく、荘厳(そうごん)な館が建てられていた。

 

 館の外壁から突き出したテラスの見晴らしは素晴らしいもので、丘の下の原野の様子を一望することが出来る。ここで自身の眷属たちがその輝きを高め合う様子を眺めるのが、最近のフレイヤの日課(おきにいり)だった。

 

 

「オッタル、あの子。また強くなったわ」

重畳(ちょうじょう)、ですか」

「ええ」

 

 白魚(しらうお)のような細く長い指が耳にかかる髪をかき上げると、朝日に照らされる長い銀糸の髪が、風になびいて柔らかく広がった。

 キラキラと光を反射する髪と、シミ一つない白皙(はくせき)の肌が目に(まぶ)しい。

 豪奢(ごうしゃ)な椅子に腰を下ろす、美しい女神の紫水晶(アメジスト)の瞳。

 その眼差しは、今も眼下で繰り広げられている上級、下級の垣根(かきね)なく入り乱れる大乱戦(バトルロイヤル)に身を投じる、一人の少年に注がれている。

 

「見違えたわ。【ステイタス】がどうこうじゃない。魔法と言うきっかけを一つ手に入れただけで、あの子の輝きが一層鮮やかになった」

 

 今もまた、襲い掛かる戦士たちに立ち向かい、そして打倒していく姿にフレイヤの目は引き付けられている。

 少年はフレイヤの眷属の中で最も新参だった。入りたての頃はそれこそ、それまで戦ったことも、武器を握ったこともないと丸わかりな様子で、体格も動き方も凡庸(ぼんよう)

 (ひい)でた所など見受けられない、本当にそこらの子供と変わりない有様(ありさま)

 

 それが今。たった半月足らずで少年の何十倍もの鍛錬と経験を積んできた歴戦の勇士達と対等に渡り合い、そして凌駕(りょうが)するほどの成長を果たしている。

 

「でも、一つだけ……一つだけ、輝きを邪魔する(よど)みがある。まるで(かせ)の様にあの子を縛っているわ」

 

 飛躍ともいえる程の、異常な成長速度。

 素晴らしい成果。高まる期待。

 それだけに、目につくものがある。

 フレイヤの瞳に映る純白の光を、押さえつける様にまとわりつくナニカ。

 ()()が無ければ、少年の魂は更に美しい輝きを見せてくれるだろうに。

 それを邪魔する存在が、どうにも(わずら)わしくて仕方がない。

 そう言わんばかりの表情で、フレイヤは親指の爪をカリ、と甘く噛む。

 

 後ろで待機していた侍女の一人が動き、白磁のカップに淹れた紅茶をテーブルに置いた。

 指示もなく目の前に置かれた紅茶に、自身のらしくない甘噛み(イラだち)に気付いたフレイヤは、その侍女の気遣いに恥ずかし気に苦笑した。

 はしたなかった行いを包み隠すように、普段よりもなお一層、優美な動きでティーカップを持ち上げ、紅茶を一口。

 ふぅ、と喉を通った熱と、僅かに色づいた頬の赤みを逃がすように息を吐く。

 

「……そうね。十分に足る器はある。けれど、芯が足りない。いえ芯そのものはある、でもそれが曇って見える」

 

 取り成すように続けられる言葉は、独り言のように侍従たちの耳に届けられていく。

 何かが欠けているのか、邪魔をしているのか

 ソレが何なのか、原因は、正体は。フレイヤには分からない。

 分からない故に手の出しようがなく、その事がどうにももどかしい。

 感情が動きにでてしまったのか、ソーサーに戻したティーカップが、チン、と思った以上に大きな音を立てた。

 

 フレイヤはそこで少年から視線を切り、振り返る。

 

「オッタルは何かわからない? 同じ男の子でしょう?」

 

 

 己の側で佇む従者に意見を求める。

 直立不動を維持している従者は、僅かに考え込む様子を見せた後、主人の問いに答えた。

 

因縁(いんねん)かと」

「因縁……?」

「はい。あれが入団してから間もなくの、ミノタウロスとの一件……払拭(ふっしょく)できない過去の汚点が、本人のあずかり知らぬ場所で棘となり、(さいな)んでいるのかもしれません」

「つまりは、トラウマ……本当に子供たちは繊細(せんさい)なのね」

 

 フレイヤ、オッタル両人共に、少年本人の口から聞いた、彼とミノタウロスの話。

 調子に乗った末の、惨敗という言葉すらも生温い、敗北の記録。

 なるほど。とフレイヤは納得してその細い(おとがい)に指を添えた。

 オッタルの答えはフレイヤの悩みを晴れさせた。それならば少年が抱える淀みにも説明がいく。

 

「それなら……あの子を縛る(くさり)を取り除くには、どうしたらいいのかしら?」

「因縁と決別するというのなら、己の手で断ち切る他に、方法はありますまい」

 

 主人の問いに、従者は自明の理であるときっぱり答えた。

 

「……さしもの貴方も、()()だったのかしら?」

「男はみな同じ(てつ)を踏むものだと、自分はそう愚考いたします」

 

 (いわお)の様に揺るがぬ従者の言葉に、主人はくすりと微笑んだ。

 フレイヤの(うれ)いは消えた。問題が解決されたわけではないが、その解決法が提示されたのだ。機嫌も良くなるというもの。

 

「男はみな同じ(てつ)を、ね……」

 

 しかしフレイヤは、ポソリと小さく呟いて、少しだけ、ホンの僅かに眉を寄せた。

 

 それまで抱えていた悩みが解消され、幾分かすっきりとした表情を見せたフレイヤは、まだ温かい紅茶に口付け――背を持たれた椅子の肘掛けに、指でトン、トンとゆっくりとしたリズムを取り始める。

 

「ねえ、オッタル」

「は」

「あの子ってね、私と居る時いつも貴方の事ばかり話すのよ?」

「……」

 

 従者は口を閉じた。

 姿勢は芯が通った直立不動のまま、獣人を証明する猪耳だけが緊張を表すようにピクリと震える。

 

「いつ、どこで貴方と顔を合わせて、どんなことを喋ったとか、何を教えて貰っただとか、そんな事ばかり」

 

 女神は微笑む。

 美しい笑みだ。

 曇り一つない、今の空のような透き通ったような笑顔。

 規則正しい間隔(かんかく)で刻まれる指の(リズム)が耳に心地よく、その美貌と合わせて天上の調べにも感じさせられる。

 

「貴方みたいになりたい、なりたいって。そういうところも可愛く思うのだけれど……いずれ、あの子も貴方みたいになっちゃうのかしら?」

「至らぬこの身がお気に障られたのなら、その償いは如何様にも――」

「別に気にしてないけど?」

「……」

「別に、全然、気にしてないけど?」

 

 

(((すごく気にされている)))

 

 

 オッタル他、その場に控えている数名の侍女全てが、繰り返された言葉に心の声を一つにしたが、それを口に漏らす者はいなかった。

 オッタルの武人然とした、引き締められた顔が、この時ばかりは僅かに――困り果てたように――揺れた。頭の上のケモ耳もへにゃりと力なく伏せられる。

 

 今も原野で続く大乱闘の音は不思議なほどに遠くなり、ひじ掛けを指が叩く音と、紅茶の入った茶器がたてる音だけが、静寂(せいじゃく)に満ちたテラスに響いている。

 

 

「オッタル」

「はい」

「ちょっと、考えたのだけれど」

「御身の願いならば、この身を賭して事に当たりましょう」

「内容は聞かなくてもいいの?」

「御身のお役に立てることが、何よりの喜びにございます」

「そう」

 

 真冬のような――寡黙(かもく)な武人さえも根を上げたくなる程の――沈黙の時間がカップ中の紅茶と共に尽きた後、フレイヤは再び口を開き、オッタルはそれに応える。

 

「じゃあオッタル、貴方があの子を鍛えてあげて」

「……自分が、ですか」

 

 常時(いか)めしい表情のオッタルも、この時ばかりは(いぶか)しげなものに変えた。

 これまでに数度あった、少年への手出しから(うかが)える主人の入れ込み様からして、それほどまでに意外な事だった。

 

「だって、私より貴方の方が今のあの子の事、分かっているんだもの」

 

 それは、全知の神(フレイヤ)すら見通すことの出来ない少年の『未知』を、オッタルが引き出せる事を示唆(しさ)する言葉。

 

 どこか投げやりになったフレイヤが、()ねた様に言葉を(こぼ)した後、床に下ろしていた足を椅子の上で抱え込み、立てた膝の上に顎を乗せる。

 主の威厳が、品格がといつも小ウルサイ侍女たちが困った顔を浮かべる中、フレイヤは半ばに開いた瞳で原野で戦う少年の姿を見つめる。

 

 足を抱え、背を丸め。朴訥(ぼくとつ)な村娘のように椅子の上で小さくなった女神は、戸惑いを見せる従者をよそに桜色の薄い唇を尖らせる。

 

 

「まるで通じ合ってるみたいで、嫉妬しちゃう」

 

 

 

 

 

 口の中で溶かすように、小さく呟かれた言葉と同時に、視線の先の少年は柴色(しばいろ)の犬人に吹き飛ばされていた。

 

 

 

 



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贄の兎 2

 

「ベールーさーまー、起きて下さいーベルさまー」

「ぅ、うん……?」

「あ、目が覚めましたか?」

 

 ゆさゆさ、ゆさゆさと体を優しく揺すられる感覚に、水底(みなぞこ)に沈んでいた意識が引き上げられるのを感じる。

 モヤがかった意識のまま目を開けると、大の字で倒れる僕の顔を、栗毛の少女が上から覗き込んでいた。

 少女越しに見える空は気持ちいいくらい青い色で。横たわる草花の青々とした匂いと、どこかから聞こえてくる小鳥の鳴き声に、いっそう清々(すがすが)しい気分になってくる。

 ぼんやりとしたままこちらを見下ろしている少女の顔を視界に入れながら、気を失う前の記憶が蘇ってきた。

 

「……あぁ、そっか。また負けちゃったんだね、僕」

「ええ。遠目から見ていましたけど、見事な負けっぷりでした」

「あ、あはは……」

「それにしてもボロボロですねぇ。まぁ、何時もの事ですけど……ハイポーションをお持ちしてますが、飲めますか?」

「うん、貰うよ。いつもありがとうね」

「いえいえ! これが今のリリの役目ですので!」

 

 気絶していた僕を起こしてくれたのは、少し前僕と出会い、そして仲間になってくれたリリだった。

 リリは数日前に【フレイヤ・ファミリア】に入団してから、ダンジョンの中と同じようにホームでも僕のお世話をよくしてくれている。

 こうして、原野での戦いで気絶した後なんかは、すごく助けられている。

 『戦いの野(フォールクヴァング)』で乱戦した後は強くなれてる実感はあるけれど、決まっていつもボコボコにされるので、体のあちこちが痛くて仕方ない。

 だから傷ついた体を介抱(かいほう)してくれているリリの存在は、本当にありがたいものだった。

 

 手渡されたハイポーションを喉に流し込むと、先程までの戦闘で負った傷や疲労が()えていくのを感じた。

 

 

「もうすぐに朝餉(あさげ)の時間になりますが、どうされますか?」

「いくよ。いっぱい動いたからお腹ペコペコになっちゃった」

「そうですか! 今日の献立(こんだて)のいくつかはリリが作ったものが出ているので、ベル様にも食べてもらいたいです!」

「そうなんだ。じゃあそれもリリに感謝しないと、だね」

 

 

 出会った頃と比べると、格段に明るい笑顔を浮かべる回数が増したリリを(ともな)って、丘の上の館へと足を向ける。

 楽し気に僕の腕を引っ張り先を急かす彼女の姿に、なんだかこっちまで嬉しさがこみあげて来て僕も笑みを返した。

 

 

 

 

 【フレイヤ・ファミリア】の本拠(ホーム)の中にある食堂は、時間もあってかそれなりに賑わっている。

 食堂の中は朝ごはんを食べに来た非戦闘員の人達—―本拠(ホーム)の維持や冒険者たちの補佐を担う役割の人達。適性の問題から『恩恵』を受けていない人がほとんどだけど、彼等も立派な【フレイヤ・ファミリア】の一員だ――が多いけど、中には僕みたいに戦いを切り上げた戦闘員の人の姿も見えた。

 

「リリがベル様の分も貰ってきますので、ベル様はいつもみたいに席取りお願いします!」

「ねえ、やっぱりリリに悪いよ。怪我の治療はともかく、自分の事は自分でやるからさ」

「気になさらなくていいんですよ、リリがやりたくてしていることですから!」

 

 そう言ってリリは小柄な体を上手に使って人の隙間を縫う様に厨房に向かっていく。

 治り切ってない傷の痛みと疲労で、彼女を引き留めることが出来なかった僕は置き去りにされてしまう。

 

 あの日、悪い冒険者の人達やモンスターからリリを守ってから、リリは僕に献身的(けんしんてき)だ。

 このやり取りは今日だけの事じゃない、食堂でご飯を食べる時はいつも、リリにご飯を持ってきて貰っている。

 傷つき疲労で辛い身としては有難い事だけれど……。

 

「このままじゃだめだよね、きっと」

 

 リリはファミリアに入ったばかりだったから、しばらくは顔見知りが近くにいた方が本人も安心だと言われて、ここのところずっと一緒に居たけれど、こういう関係は不健全なんじゃないかと、そう思う。

 物語に出てくる騎士の身の回りを世話する小姓(こしょう)、みたいな。

 言ってしまえば、主従関係のようなやりとり。

 本人がすごく楽しそうにするから言い出し辛くて出来なかったけど、そのうち互いに話し合うべきかもしれない。

 

 

 ……今はとりあえず、リリが戻って来る前に空いてる席を見つけないといけないけれど。

 

 

「おーいクラネルー! 席決まってないならこっちに来いよー!」

 

 

 不意に、自分の名前を呼ぶ人の声に顔を向けると、見知った顔がそこにあった。

 

「メオーさん、僕が一緒にいてもいいんですか?」

「遠慮すんなって! 他の奴は知らねーけど、俺は気にしないからよ。あと、俺の事はダリスでいいぜ。そっちの名で呼ばれるのは好きじゃねぇんだ」

「分かりました、ダリスさん。僕もベルでいいですよ」

 

 食堂の一席から手を振る人に招かれ、僕は向かいの席に腰を下ろした。

 僕を呼んだのはダリス・メオーさん。金髪翠眼(きんぱつすいがん)小人族(パルゥム)だ。早朝の戦闘で僕が倒した戦士の一人でもある。

 ダリスさんは僕が入団する数年前にファミリアに入ったらしい。レベルは僕と同じ1だけど、もうすぐ2に上がりそうなんだとか。

 アドバイザーとして冒険者の事情に詳しいエイナさんが言うには、これはパルゥムの中では異例の速度らしい。その時のエイナさんは、流石は【フレイヤ・ファミリア】だと(うな)り、「でもこれは相当無茶をした証拠でもあるんだからね? ベル君はマネしないように」と僕を(たしなめ)める形で話が終わった。

 

 そんなダリスさんは自分のご飯であろう、骨付き肉が山盛りになった皿を僕にも(すす)め、自分も皿の上から肉を一つ取るとプラプラと肉を(もてあそ)んだ。

 

「しっかしまー、俺もとうとうお前に負けちまったなぁ。ほんのちょっと前まで楽勝だったのに。マジでどうなってんだお前?」

「いやぁ……でも、今日勝つまで散々負け続けてますし。それに僕だってダリスさん対策とか、色々考えましたよ?」

「そういう事じゃなくってだな……」

 

 負けたのが悔しかったのか、渋そうな顔をするダリスさんは、気を取り直すためにか骨付き肉に(かじ)りつく。

 それを見ていた僕も、勧められるままに肉をほおばった。

 濃い味付けソースに肉の旨味と(あふ)れだした肉汁が口の中で混ざり合う。血を流した体が求めているのか、料理の味も相まってお肉が凄く美味しい。

 

 肉を中心に美味しい料理を堪能(たんのう)しながら、僕は目の前に座るダリスさんを見る。

 僕よりも身長の低い小人族の剣士。小柄で華奢(きゃしゃ)な彼は、その見た目に反してかなりの強さを持っていた。

 一見子供と見誤ってしまうその矮躯(わいく)から繰り出される一撃は、どうしても軽いものになってしまう。

 

 最初に『戦いの野』で対峙(たいじ)した時の僕は――後から思い返して気付いた事だけど――愚かにも彼を(あなど)った。

 結果は言うまでもなく惨敗。先制の初撃を繰り出した後の記憶がない。気が付けば大の字になって倒れていた。

 それまでも色んな人に挑んでは敗北を重ねていたけれど、一合(いちごう)と剣を(まじ)えなかったダリスさんとの一戦は一層鮮烈に僕の中に残った。

 

 知らずに増長していた自分の鼻を、綺麗にポッキリと折られた気分だった。

 自分よりも小さいから。弱そうだから。

 そんな理由で、僕は彼を無意識に下に置いてしまったんだ。僕の方こそヒューマンの中でも小柄で、なよっとしているクセに。

 彼との敗北を経て、僕は相手を見た目で判断する事の愚かさを思い知った。

 

 それから、『戦いの野』で何度かカチ合って、その度に敗北を重ねて。

 ダリスさんの戦法が後の先である『迎撃(カウンター)』だと気が付いた後も、対応が追い付かず、僕の考えた浅知恵はそのことごとくを迎え撃たれた。

 今朝の一戦でようやく初勝利を収めれたわけだけど、我ながら薄氷の上での勝利だったと思う。彼との勝率はもちろん一割を切っている。

 ダリス・メオーは【フレイヤ・ファミリア】に名を連ねる勇士に相応しい実力の持ち主だ。

 

 

「……ま、仕方ねぇか。そんでベル、お前はこれからどうすんだ?」

「えっと、どうとは?」

「今日のこの後だよ。『戦いの野』に戻るのか、ダンジョンに行くのか」

「あ、それならいつも通り、ダンジョンに向かうつもりです」

 

 

 【フレイヤ・ファミリア】は探索(ダンジョン)系の【ファミリア】だ。

 団員のほとんどが戦闘員で構成されていて、その為ギルドからもダンジョンの探索を義務付けられている。

 しかし、富と名声よりも強さを欲する【フレイヤ・ファミリア】の団員達は、ダンジョンに潜るよりも『戦いの野』で戦い続ける。ダンジョン探索は明確な目的がある時か、資金稼ぎの為の片手間でしか行わない。

 

 しかし、それはレベルを昇華させた上級冒険者の例であり、僕のようなレベルが上がっていない下級冒険者は逆に、ダンジョンの探索を推奨(すいしょう)されている。

 装備の維持や更新などの金銭的な理由もあるけれど、一番の理由は……弱いからだ。

 

 レベルが低い者達では、『戦いの野』での闘争に耐えられない。

 高レベルの強者が入り乱れる『戦いの野』は、レベル1の者達ではその戦闘中の余波だけで命を落としかねない。

 

 日夜行われる派閥内闘争。ステイタスの低い下級冒険者同士では、上級冒険者達の戦闘の激しさに弾かれて、いつも外壁間際へと押し除けられる。

 

 そんな限られた空間で僕たちはお互いを潰し合う様に戦うのだけれど、戦っている相手以上に周囲の警戒を(おこた)れない。

 気を抜いた者から原野中央付近で戦う高位冒険者から放たれる流れ弾――魔法やぶつかり合う攻撃の余波――に吹っ飛ばされる。

 むしろ、同格の人と戦って負けるよりも、そっちで気絶することが多いかもしれない。

 

 それを考えれば、階層ごとに強さの上限が決まっているダンジョンの方が、難易度はまだ(やさ)しい。

 回復薬も、治療師(ヒーラー)の魔力も有限なのだ。

 より強く、より優れたものが優先されるのは当然のこと。

 それに文句があるなら強くなればいい。それが『戦いの野』の……いや、【フレイヤ・ファミリア】の暗黙のルールだ。

 

 

「じゃあよ、今日から俺も――」

 

 ダリスさんがなにかを言いかけたその時。僕とダリスさんの背後から大きな影が差した。

 思わず二人して振り返ったそこには。

 

 

「オ、オッタルさん?」

 

 

 小柄な僕たちを見下ろすようにして、鋼のような偉丈夫(いじょうぶ)がそこに立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




アニメ見返して生えてきたモブ。裏設定。



・その小人は、とある小さな王国で生を受けた。
・小人は同法の中でも飛びぬけて気性が荒く、そしてその性格に見劣りしない戦いの才を持っていた。
・小さな体に収まりきらぬ激情は小人だからと、馬鹿にする者らに怒りのままに暴力を振るう。
・それを続けるうちにやがて彼は周囲に(うと)まれた。自身の肉親にすらも。
・彼を救ったのは、小人の幼馴染。
・銀の髪と紫の瞳が美しい、心優しい少女だった。
・彼女から差し伸べられた手は、怒れる小人の孤独を癒した。
・やがて小人はその溢れる激情の矛先を正し、少女の勧めもあって王国の騎士、その見習いにまでなった。
・荒くれ者から秩序の守り手に成る為、血の滲む日々を送る小人を少女は支えた。
・そんな少女に小人は感謝を伝えたかった。だから、王国近くの森に咲くという、稀少な花を取りに行った。
・昔、美しい花の噂を聞いた少女が一度見たいと言っていたから。
・神の恩恵を持たぬ者にとって、怪物の溢れる森の中は危険極まりなく。しかし小人は成し遂げた。
・一輪の花を手にして帰還した傷だらけの小人を待っていたのは、しかし、王国が大火に沈み行く光景だった。
・その上空から飛び去って行く、一頭の飛竜。
・小人は探した。
・崩れた瓦礫と黒炭になった生き物たちの残骸の中を、必死になって探した。
・そして、見つける。
・両親だったものを、師と仰いだ騎士だったものを、最愛の少女の、変わり果てた姿を。
・慟哭の果て、小人は復讐を誓う。
・小人は山を登る。その先にある飛竜の巣を目指して。故郷を、愛する者達を(しい)した怪物に一矢報いる為に。例えこの身が滅びる事になろうとも。
・頂上に辿り着いた小人を待っていたのは、仇の飛竜、その番と子。それらの骸。
・そして、世にも美しい一柱の女神。
・小人から激情の矛先を、最愛との再会を奪い取った女神は銀の髪と紫の瞳を持っていた。


「俺はお前を愛する事は無い。しかし、その髪と瞳が憎らしい程に愛おしい」


 怒れる亡国の騎士。ダリス・メオーは微笑む主神(しゅじん)にそう言った。


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贄の兎 3

 

 原野の草花を波立たせながら吹いた風が、青々しい爽やかな香りを乗せて僕の髪を揺らして、そのまま通り抜けていく。

 雲一つない青空と天頂に昇りつめる太陽の下、僕は剣の柄を握り締める。

 心臓は早鐘を打ち、一筋の汗がこめかみを伝う。

 

 『戦いの野(フォールクヴァング)』で今も繰り広げられる闘争の騒めきは耳に遠く、僕の意識の一切合切(いっさいがっさい)は目の前で立つ男性に注がれていた。

 身長2M(メドル)超え。筋骨隆々の体躯。

 170C(セルチ)にも満たぬ僕なんかよりも遥かに大きく、高く。

 その存在感と迫力は、ただ立っているだけでも気圧される。

 

 ……なんで、こうなったんだろう。

 ダリスさんとご飯を食べている最中に現れたオッタルさんは、言葉少なく「食べ終わったら原野に来い」とだけ告げた。

 それきり背を向けて去ってしまったオッタルさんに、僕は急いでご飯をお腹に詰め込んで向かったんだけれど。

 なぜか、原野の一角で待っていたオッタルさんと闘う事になってしまった。

 思い返してもこの現状が良く分からない。

 

「準備は、できたか」

「あ、は、はいっ!」

 

 耳の奥に響く低い声が、遠のきかけた意識を引き戻す。

 緊張感から散漫(さんまん)しかけた意識を頭を振るって切り替えて、再度、眼前に対峙(たいじ)するオッタルさんに集中する。

 

「では、始めろ」

「え、えっと、始めるって、僕は何を……」

「知れた事。お前の手にあるものは何のための物だ」

「何のって――」

 

 瞬間、空気が一転して変わった。

 

 オッタルさんはその場で直立したまま、身動き一つしていない。

 にも関わらず、僕の全身の肌は粟立(あわだ)ち、咄嗟(とっさ)に臨戦態勢をとってしまう。

 

「それでいい」

「……っ、ぅ!?」

「強さを、(ちから)を欲するのならば、それは()くなき闘争の果てでしか得ることはできん」

 

 今から行おうとしている『戦い』の中で、自ら学べと、そうオッタルさんは言っている気がした。

 お互いの動きを読み合って、武器と武器を打ち合い、肉を刻み、血を流し。それら全てを糧にしろと。

 ――()れがそうしたように。お前もそうしろ、と口よりも雄弁に目が語っている。

 

 そして僕は、僕は。

 

「ひっ……ぅ、うぁぁ――」

 

 顔を青くして、喉を引き攣らせた。

 

 怖い、怖い、目の前のこのヒトが怖くて堪らない。

 今すぐにでも手の中の剣を放り出して、背中を向けて逃げ出してしまいたい。

 

 オッタルさんはさっきから微塵も動いていない。不動のまま、ただ僕を見据えているだけ。

 なのに、僕はそんな立っているだけのオッタルさんが纏う気迫に、威風に呑まれてしまっていた。

 強すぎる威圧感に、僕はオッタルさんの背後に巨大な岩壁が(そび)()っているのを幻視してしまった。それほどの、存在感。

 じりり、と無意識に(かかと)が後ろへ下がる。

 

 

 勝てない。

 これは無理だ。

 僕なんかが敵うはずがない。

 逃げたい。一刻も早く、一寸でも遠くにこの場から逃げてしまいたい。

 

 ()()

 

 

「――、ぁ、ぁぁ、ぁぁあああああああああああああああッッ!」

 

 脳裏によぎった、いつかの記憶。

 涙を浮かべて逃走する自分。背後から迫る猛牛の遠吠え。遠ざかる金色の髪と、残される惨めな自分。

 自分よりも大きくて、恐ろしい相手を前に、手も足も出せなかったあの時のようにはもう、なりたくなかった。

 助けを待つばかりで、挑もうともしなかった弱い自分のままで、いたくなかった。

 

 《愛の剣(マリアムドシーズ)》の柄を握る拳に思いっきり力を込める。

 地面を踏みしめ、引き締めた全身を(つが)えたられた矢の様に撃ち出す。

 

 想起したあの時の悔しさと、恥ずかしさを全部剣に乗せて――臆病な自分ごと貫く様に――切っ先を突き出した。

 

 

 瞬間、視界一杯に広がる青い空と、(くら)みそうな程の太陽。

 

 

「最低限の基礎は、なったようだな」

 

 

 呟かれた言葉を認識すること間もなく、背中を(したた)かに打ちつけた。

 何度も地面を跳ねた後、ゴロゴロと転がって、ようやく勢いが止まる。

 

「かっ――ぁ、づぅうううっ……!?」

 

 困惑。詰まる息、こみ上げる吐き気。そして(おと)れる、尋常じゃないお腹の激痛。

 

(蹴られた? お腹を!?)

 

 一体何が起きたのか。

 オッタルさんへと剣を突き出した直後、あるいは同時に、無防備になった腹部を認識できない速さで蹴り飛ばされたんだ。

 

 

 強いのは知っていた。入団してからずっと、エイナさんや女神様、シルさん達にねだって逸話(いつわ)武勇伝(ぶゆうでん)なんかを聞かせて貰っていたから。

 彼女たちから伝え聞いた話や、実際に目にしていた本人の立ち振る舞いから、その強さはある程度(うかが)い知れていた。知って、いたけど――

 

(人から聞いた話と、実際に身をもって経験するのとでじゃ、全然違う……っ!?)

 

 

「立て」

「……っ!」

 

 頭上から降ってくる声に従って、地面に手をついて緩慢(かんまん)な動きで立ち上がる。

 再び、衝撃。

 吹き飛ばされて転がる体。飛びかける意識。

 

「遅い。即座に動けぬのならば、無様を晒すだけだ」

「ぐっ、ぅうううっ!?」

 

 投げかけられる叱責(しっせき)の声に、折れそうになる心を無理矢理(ふる)い立たせた。

 痛みに鈍る体に(むち)を入れ、勢いよく体を起こし、構えをとる。

 

 呼吸が乱れている。全身を襲う鈍痛と、()(ごて)を当てられたような熱い腹部に今にも膝が折れそうだ。泣きたい。

 

 湿り気を帯びた目を吊り上げ、目の前の()を強くにらむ。

 喉の奥からせり上がってきたものを勢いのまま吐き捨てると、原野が僅かに赤く染まる。内臓を痛めたのか、唾に血が混じっていた。

 

「そうだ、来い」

 

 重く、響くような静かな声に背を押され、地面を蹴り飛ばした。

 倒れ込む寸前の前傾姿勢で突っ込んで踏み込み、背後に回した剣に遠心力を乗せて振り抜く。

 勿論、こんな単純な攻撃が当たるはずはない。だから次を考えて動く。

 避けられたらそのまま体術を織り交ぜた連撃に繋げる。剣を弾かれたならその反動を使って敵の勢力圏から離脱する。

 数通りの動きを瞬時に想定(シュミレート)して、それをなぞる様に体を操作する。

 

 相手は完全な格上。だから考え続ける。相手の動きを予測して行動しろ!

 

 

 この『戦いの野(フォールクヴァング)』で、ファミリアの先達との闘争で盗み得てきたものを、これまで積み上げてきたもの全てを使うつもりで振るった初撃は、オッタルさんの指二本に止められた。

 

 両手で握った剣は、たった二本の指に対して、更に押し込むことも、引くことですら(かな)わない、僅かたりとも動かせなかった。

 

 

「……ふむ」

 

 確かに、さっきの一撃は全体重を掛けたものじゃなかった。次の動作に繋げる為に、ある程度は余力を残した攻撃だった。

 それでも、生半可な威力じゃ通用しないからと、全霊を賭けたものだった、なのに。

 回避でも防御でもない――振り抜く途中の剣の腹を、上下に指で挟んで掴まれた。

 

(そんな)

 

 強いと知っていた。(かな)わないと分かっていた。遠く離れていると、思っていた……けれど。

 

(ここまで、だなんて)

 

 攻撃が効かない、なんて次元の話じゃない。

 一線を(かく)したその実力差に強く知らしめられた、自身の矮小(よわ)さ。

 

 遠い。

 遠すぎる。

 僕とこの人との距離は、一体どこまで離れているんだろう。

 

 

 ……追いつけるのだろうか、憧憬(このヒト)に。

 

 

余所見(よそみ)をするな。気を抜けば、死ぬぞ」

 

 

 呆然としている僕に、投げられた声。

 掴まれていた剣先は、いつの間にか解放されていて。ゆっくりとオッタルさんの両手が上げられていく。

 はっ、と意識を引き戻した時には、オッタルさんは腕を振り下ろしていた。

 

 

 ゾッ、と全身の鳥肌が立った。濃密な死の感覚。

 

 

 オッタルさんの手には、いつの間に抜いていたのか直剣が握られていた。

 その鈍色(にびいろ)の刃が、僕へと落とされる。

 

「【サンダーボルト】!!」

 

 砲声。(とどろ)く雷鳴。

 

 突き出した手の平から残り火のような細い放電が散らされた後。サッと僕の顔から血の気が降りた。

 気付けば僕は、魔法をオッタルさんに放ってしまっていた。

 モンスターならばともかく、人間に、それも同じ派閥(ファミリア)相手に威嚇でも何でもない本気の『魔法』を直撃させるなんて。

 『戦いの野(フォールクヴァング)』で本気で戦い合っている中でも一度もなかったのに。

 

 雷の矢が炸裂し、電熱が生み出した煙が視界を遮る。

 

 魔法を放つと同時、余波に巻き込まれないようにと反射的に後ろに飛び退いていた僕は、そこでようやく自分のしでかしてしまった事を認識した。

 これまでモンスターを一撃で仕留めてきた僕の『魔法(きりふだ)』。それの超至近距離からの直撃だ。いくら上級冒険者でも、タダで済むはずがない。

 

 オッタルさんは大丈夫なんだろうか……なんて心配はとんだ杞憂(きゆう)だった。

 

「速い、な。いい魔法だ」

「……ぇ?」

「だが、()()

 

 原野を吹き抜ける風が、煙幕を(さら)ってかき消した。

 晴れた視界の先には、全くの無傷で立ち続ける偉丈夫の姿。

 

「その『魔法』は牽制(けんせい)の為の道具としては特上だ。どんどん使っていけ」

「……え、えぇっ?」

「続けるぞ」

 

 こちらの戸惑いなんて意に介しもせず、オッタルさんは一歩、踏み込んだ。

 

「――――ッ!?」

 

 一歩。たった一歩の踏み込み。それだけで僕たちの間に存在していた間合いが完全に潰された。

 

 とっさに下げていた剣を持ち上げて盾にする――が、遅かった。

 

 噴出する血潮。

 肩口から入り、腰までたすき掛けに通過していった刃は、僕の肉体に深い跡を刻み込む。

 

「ぇ?」

 

 ゆっくりと体が後ろに引かれていく。遠ざかっていくオッタルさんの姿が、そのまま憧憬との距離を示しているようで。 

 全身の感覚が遠ざかり、暗闇に沈んでいく意識の中で――僕は果てない頂きの高さを垣間(かいま)見た。

 

 

 

 




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贄の兎 4

 

「【戦乙女(いくさおとめ)連枝(れんし)、三位の名……美しきメングロズの慈悲】」

 

 何か、大切なものが零れ落ちていっている。

 

「【傷負う戦士に、薬手(やくしゅ)()やしを】」

 

 刻一刻と流れ落ちていくそれは僕から色を、音を、熱を奪い去って行く。

 

「【休める勇士に、蜜酒(みつしゅ)安寧(あんねい)を与えよう】」

 

 寒い。体が凍り付いたんじゃないかってくらい、冷たい。

 『命』が、僕の中から、零れ落ちていく。

 『僕』という存在が、(くら)く深い終焉(おわり)に向かって引きずり込まれて飲み込まれていく。

 

 

「【ロギア・スカンディナヴィア】」

 

 

 瞬間、凍える様な終焉()への闇を照らして駆逐(くちく)していく、温かな光が僕を包み込んだ。

 

 

 

 

「――――――――――――っか、はぁああッッ!?」

 

 

 息を、吹き返す。

 

 直前まで止まりかけていた心臓の鼓動が、今は反動の様にバクバクと早鐘を打ち鳴らしている。落ちかけていた思考が、再稼働するための空気を求めて呼吸が乱れ荒くなる。

 

 

 …………今の、本当に死にかけてたっ!? 

 

 

 今までも斬られたり殴られたりしたことは何度もあった。

 大きすぎる傷の負荷に耐えきれず、意識を飛ばすことは数えきれない程経験してきた。

 でも、こんな風に死に際スレスレまで追い込まれたことは、これが初めてだった。

 腹の奥底からこみ上げてくる感情に喉が引き攣りそうだ。

 死を間近にした恐怖なのか、生きていることの喜びなのか判別がつかないくらいグチャグチャになった衝動で勝手に目が潤んでしまう。

 

「ふぅっ、うぅぅっ、ぐぅっ……!」

「戻ったか」

 

 呼吸が定まらないまま体を震わせていると、上から声が落ちてきた。

 震えるばかりで動かない体に、目だけを声へと動かしてみれば、僕を切る前と後で変わらないまま、オッタルさんが原野の上に立っていた。

 

「立て。続きだ」

「!?」

 

 当然のことの様に言うオッタルさんに、思わず目を剥いた。

 さっきまで死にかけていた事など、全然関係ないと言わんばかりの言葉。

 当然のことながら、僕はまだ動けない。

 体に力は入らないし、呼吸は荒く乱れたまま全身の震えも(おさま)まっていない。

 例え立てたとしても、さっきまでの様に動けるはずもないし、まして戦う事なんて出来るわけがない。

 でも、オッタルさんはそんな僕の事を考慮してくれなかった。

 

 

「伏して無様な死を迎えるか、剣を持って(あらが)うか――選べ」

 

 

 体が動かせず、喉が()()ったままで声も出せないままでいると、オッタルさんは僕の下へ歩み寄って、逆手に持った剣を振り上げた。

 何を、と思うよりも早く。その剣を振り下ろされた。

 そして剣の切っ先が――突き立てられる。

 

「……それでいい」

 

 体に刃が食い込むよりも早く。僕の体は動いていた。

 反射的にその場を転がって剣を躱すと、それまで僕が横たわっていた地面にオッタルさんの剣が突き立った。

 そのまま何度か転がって距離をとった先で、地面を殴りつけた反動を利用して体を起こし、すぐさま構えをとる。

 臨死(りんし)動揺(どうよう)から戻り切れていないまま、再び迫った命の危機に呼吸は乱れ体が震える。咄嗟に構えはとったものの、向けた切っ先はカタカタとブレて安定しない。

 

 そんな僕を見据えながら、オッタルさんは()げた。

 

()くぞ」

「はぁっはぁっ……っああああああああー――っ!」

 

 オッタルさんの体がゆっくりと沈む。踏み込みの体勢。

 僕の敏捷(はやさ)じゃ、オッタルさんの速度についていけない。

 

 このままじゃ……また、斬られる。

 

 また、死――――

 

 

 

「サンダーボルトッ!!」

 

 

 発声、即座に発動してくれる魔法の頼もしさ。

 直撃した手ごたえ。

 それを無視して、衝動に突き動かされるまま連射する。

 

 撃つ、撃つ、撃つっ!

 撃って撃って撃ちまくれ。絶対に相手を近寄らせるな! 接近を許せば殺される!?

 

 

 攻撃する為の行動じゃない。湧き上がる恐怖に駆られた末の選択(やけっぱち)

 なりふり構わない、後の事なんて頭にない。何かに憑りつかれたように僕は魔法を撃ち続けた。

 詠唱のない『速射魔法』の、【魔法名(トリガー)】すらも省略した連続使用。

 魔法の無茶な使い方をしているせいか、頭の奥から背筋に掛けて冷水が流し込まれたみたいに冷たく、重くなってくる。

 そんなの知ったことかと、見ないフリをしたまま僕は魔法の雷を撃ち続けた。

 

 少なくとも、『魔法(コレ)』を使っている内は、近づいてこられないはずっ。

 

 

 

 なんてことは、無かった。

 

 

「ほう、唱えずとも撃てるのか……だが、単調(たんちょう)だ」

 

 

 音が鳴る。

 太鼓を叩きつけたような、重く、腹に響くような音。

 強い衝撃。

 体が浮いた。

 

 一拍遅れて、痛みが、痛みが痛みが痛みが痛み痛み痛み痛み痛み痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛――――――ッ。

 

 

「――――――――ガッッ!?!?」

 

 

 連打。連打。連打。連打。連打。

 

 連射した魔法をやり返される様に、オッタルさんに攻撃された。

 初撃で足が地面から離されると、続く攻撃が僕が地面に降りるのを許さなかった。

 腹。頬。肩。顎。横腹。脚。背中。頭――全身を(またた)()(むしば)んでいく痛みが脳を焼き焦がしていく。

 殴打(おうだ)斬切(ざんせつ)が入り混じる痛撃に意識が飛んで――次の瞬間痛みで意識が戻ってまた飛んでと、何度も何度も繰り返す。

 一撃、一撃が異なる技術から練り込まれたソレ等は、一つとして同じ威力、衝撃のものが無い。頭でなく、体にそれを理解させられた。

 

 無限にも思えるほどに(なが)く、しかし現実には数秒程度の(わず)かな時間。終わりの合図とばかりに一際大きい打撃音が全身に、脳に響く。

 糸もなく宙空(ちゅうくう)(はりつけ)られていた体は、合図の後に思い出したように重力に引かれて地に堕ちた。

 

 べしゃり、と体が地面に崩れ落ちる。

 全身に刻まれた傷から(こぼれ)れ落ちていく(イノチ)が、刻一刻と周囲に()()を広げていく。

 

 

 世界から、光が、消えていく。

 

 

「……ぁ、…………」

 

 

 僕に覆いかぶさるように闇が迫る。短かった別離(べつり)の時間。早過ぎる再会に終焉(おわり)が「あ、おかえりー」と手を上げた。

 

 

「【ロギア・スカンディナヴィア】」

 

 再び光が僕の体を包み込む。 

 

「――ぶはぁっっ!?」

 

 落ち続けていた意識が引き戻される。遠ざかる終焉が手を振りながら僕を見送った。「またねー」じゃない。もう二度と会いに行ってやるもんか。

 

 

「戻ったか。次だ」

 

 

 前言撤回。

 すぐにまた行く事になりそうだ。

 

 

 

 

 

「【ロギア・スカンディナヴィア】」

「どうした、さっさと立て」

「………………うっ、ううっ、うぇええ、うええええええぇんっ」

 

 二度目の臨死体験(さいかい)から時間が流れ、もう何度目も分からなくなった頃。

 僕はすっかり終焉(おわり)と顔見知りになってしまっていた。

 傷を癒された僕に告げられる慈悲(じひ)一欠片(ひとかけら)も感じさせないオッタルさんの言葉に、僕の中のどこからか、何かが折れる音がした。

 それまで止められていたものが決壊したように。(あふ)れだした感情のままに僕は泣いた。体裁(ていさい)も何もない、赤子の様な号泣。

 癒され、傷一つ残っていない体とは反面に、心の方の傷は癒えることなく負荷を重ね続けた結果、限界を超えてしまったんだと思う。

 

 

「団長さまー、初端(しょっぱな)から飛ばし過ぎじゃないですかー? このままじゃクラネル君壊れちゃいますよ?」

 

 

 そこで初めて、僕の耳に届いたオッタルさんとは別の声。

 その声は、その言葉はまるで暗雲に差した一筋の光だった。がけっぷちに立たされた今の僕には、それが何よりの救いに感じられた。

 ガバリと音が出る勢いで顔を向ければ、いつからいたのか、見覚えのある女性が僕のすぐ近くに立っていた。

 

「エ、エイルさぁん……っ!」

 

 馴染みのある治療師(ヒーラー)の顔を見て、僕は情けない程の涙声で彼女の名前を叫んだ。

 

 女神だ、女神がいる!

 【フレイヤ・ファミリア】には女神がふたりいた!?

 

 

「時間は有限だ。あの方の願いを叶える為には今のままでは全くもって()()()

「なら仕方ないですねぇ、ある程度までは私も付き合いますよぅ」

「エイルさぁん!?」

 

 一瞬前まで垂らされていた救いの糸が、プツリと切り落とされた。

 救いはないのですか!?

 

「続けるぞ」

「う、うぅぅっ…………」

 

 さっさと立て、と追い立てる様に剣を突き付けるオッタルさんに、笑みを浮かべたまま――実際には全てを諦めた遠い目で――動かないエイルさんに、僕はこの場に味方がいないことを悟った。

 

 だから僕は――――逃げ出した。

 

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁー――――ッッ!!」

「……フン」

 

 

 背後から聞こえたドン、と地面を蹴る音を最後に、僕は意識を失った。

 

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 

 地面に力なく横伏せる少年を治療しながら、白衣に身を包んだ少女がオッタルに問いかける。

 

「実際、やり過ぎだと思いますけど、これもご主神(しゅじん)様の望みなんですかー?」

「……」

 

 気絶する少年の呼吸は規則正しく、その生命活動に支障はないものの、血を流し過ぎたせいでその顔色は死人の様に白くなってしまっている。

 あのまま続けていれば、治癒魔法で傷を癒したとしても失血で死にかねなかっただろう。

 エイルのそんな診断をオッタルは黙ったまま聞き流す。

 

「もしかして、嫉妬(やきもち)……ですか? ご主神様のお気に入りのクラネル君に」

「……フッ」

 

 からかう様な、冗談交じりのエイルの言葉に、たまらずといった様子でオッタルは小さく噴き出した。

 

「嫉妬……か。そうかもしれん」

 

 (つぶや)かれた肯定と、彼が浮かべた表情にエイルは思わず目を見開いた。

 オッタルの、いつもは無骨な面持ちが今はほどけた様に小さく苦笑を表していたせいだ。

 知らず、力を入れてしまった事も否定できぬと、自嘲(じちょう)の笑みをオッタルは口から漏らす。

 

「だが、必要な事だ()()があの御方の寵愛(ちょうあい)を受けるというならば、この程度。越えてもらわねばあの御方の名を汚すことになる」

 

 だからこれは、『洗礼』だ。

 血を血で洗う闘争を。凄惨(せいさん)極まる殺し合いを。屈辱(くつじょく)に満ちた敗北を。

 幾度(いくたび)の死と、(よみがえ)りの果てに。

 

 すべては、脆弱(ぜいじゃく)なこの少年が『強靭な勇士(エインヘリヤル)』に生まれ変わる為。

 

 栄光ある【女神の眷属(フレイヤ・ファミリア)】の、真の一員になるために施される、先を()く者達からの『洗礼(しゅくふく)』だ。

 女神の膝下に、弱卒(じゃくそつ)の存在は許されない。

 

 

「超えてみせろ。あの御方の寵愛に……応えろ」

 

 

 それが少年に課された、女神の試練(アイ)だと、オッタルは眠り続けるベルへ激励(げきれい)を送った。

 

 

 

 

 小さく呟かれた、不器用すぎる男の言葉。

 それをただ一人横で聞いていたエイルは、また仕事が増えるなぁと死んだ目で天を(あお)いだ。

 

 

 




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贄の兎 5

 

 時刻は夜。

 燦燦(さんさん)と輝いていた太陽に代わり、月と星々が空を彩る頃。【フレイヤ・ファミリア】の本拠(ホーム)の『特大広間(セスルームニル)』は(うたげ)もかくやといった喧騒(けんそう)に満ちていた。

 暁の戦から始まる【フレイヤ・ファミリア】団員の一日は、盛大な晩餐(ばんさん)を持って終了する。

 原野の戦いに参加した者は、この『特大広間』で肉と酒を(むさぼ)り、疲弊した心身を回復させるのだ。

 その一方、厨房で忙しなく調理をするのは非戦闘員を始めとした裏方と、エイル達治療師(ヒーラー)薬師(ハーバリスト)だ。

 戦士たちの治療も含めた闘いの『後処理』は彼女たちの仕事だった。

 傷付いた戦士たちを魔法と薬で癒し、美味い料理と酒で彼らの心を潤す彼女たちは、神々から与えられる二つ名とは別に、『満たす煤者達(アンドフリームニル)』と呼ばれている。

 そして、【フレイヤ・ファミリア】に入団したリリはそんな『満たす煤者達(アンドフリームニル)』の一員として、不慣れながらも労働に(いそ)しんでいた。

 

「肉をくれ!」

「もっと酒もってこーいっ!」

「ソレは俺の皿だ、テメェのはそっちだろブッ殺すぞ!」

「うるせえ知るかボケ皿なんぞ多すぎて見分けつかねーよ死ね」

「喧嘩すんなよ。ここで暴れて料理を駄目にしたら俺がお前等を殺すからな」

 

 

「死ぬ、死んでしまいます……っ!!」

 

 晩餐の宴、その真最中。リリは疲労の極致にあった。

 絶えず課せられる試練(ちゅうもん)の数々に、栗色の瞳をグルグルと回しながら右へ左へ奔走(ほんそう)し続けている。 

 

 人員不足極まる『満たす煤者達(アンドフリームニル)』メンバーは、リリの参入に諸手を上げて歓迎した。

 おかげで人間関係は良好。個室も与えられ、美味しいご飯(まかない)を毎日食べる事が出来る。

 更には『満たす煤者達』とは別に、ベルの付き人という身分を主神より与えられ、ベルのお世話をすると言う名目で彼と一緒に居られるのだ。

 あの寒さと飢えに震え、泥を(すす)り手を汚してきた盗賊時代を考えれば、比べものにならない程の待遇だった。

 

 ……でも最近、あのまま盗賊続けてた方が良かったんじゃないかな、と目が千里先に向く事が多くなってきた気がする。

 それもこれも、理由はただ一つ。

 

 

「ニク、ニクゥー――ッ!」

「さ、さけはまだか、ぜんじぇんたりんじょぉ」

「おいなんで俺が手に持ってる皿から取っていやがるブチ殺すぞ」

「それが最後だったんだから仕方ないだろ死ね」

「お前等ホントは仲いいだろ。つか新しいの貰えばいいだけじゃねーの?」

 

「「「「そこのパルゥム、おかわり頼む!!」」」」

 

 

「労働に、殺されるっっ……!」

 

 忙しいのだ。

 ただただ、殺人的なまでの労働量にリリは文字通り忙殺(ぼうさつ)されそうになっていた。

 厨房で料理が盛られた皿を運んで、走って、空になった皿を下げて、走って、酒で満たされた杯を運んで、走って、山の様に積まれた皿を洗って、走って、ゴミを出して、走って――絶え間なく押し寄せる仕事の数に、リリの労働許容範囲(キャパシティ)はとうに振れ切っていた。

 リリ一人とは言え、人手が増えて()()なのだ。

 今もリリ以外の『満たす煤者達』他、非戦闘員を総動員してもまだ足りない人手に「どうして今まで切り盛り出来ていたんだ!」と宴に駆り出される度に叫びそうになる。

 

 注文された肉の山と酒を運び終えたリリが、目の端に涙を浮かべながらヒィヒィと喘いでいると、ポン、とリリの小さな肩に背後から手が乗せられた。

 振り向けば、自身の肩に手を伸ばす白衣を身に纏った治療師の女性。リリ達『満たす煤者達』のまとめ役が微笑みながらリリを見下ろしていた。

 

「慣れるよ」

 

 肩越しから見えた、微笑みを浮かべる彼女の表情は慈母の様にも、悟りを開いた修行者(しゃちく)の様にもリリの目に映った。

 そしてリリの目に映る彼女の顔の、半分降りた瞼の奥から覗いた、一切の光がない、死んだ魚のような瞳が自分の未来を暗示しているようで――。

 

 死刑宣告(あきらめろ)と言い渡されたリリは発狂した。

 

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 

 ……今話しかけるのは無理そうだなぁ。

 視線の先で、ウキャー! と悲鳴を上げているリリを見て僕はそう思った。

 

 

 原野でオッタルさんに呼び出された後何度もボコボコにされて、最後には逃げようとして気絶させられて。

 目が覚めたらすっかりと日が落ちていて、辺りは暗くなっていた。

 『戦いの野(フォールクヴァング)』を切り抜けられなかった者達と同じように、気絶した後に館の前まで移動させられていたようで、戦士たちを迎え入れる為に開かれた大扉からは遠くから響く喧騒の音と、お腹を刺激する匂いが漂って来ていた。

 

 血を失い過ぎたせいか、酷く重たい体を引きずる様にして『特大広間』にやって来た僕は、空いていた席に腰を下ろすと運ばれてくる料理を黙々と口に運び続けた。

 『満たす煤者達(アンドフリームニル)』の人達が調理した料理は栄養満点な上、凄く美味しい。はずなんだけど、極度の疲労のせいか今の僕には全然味が分からなかった。

 それでも、たくさん食べないと強くなれないと教えてもらったから、無理やりにでも口に詰め込んで、水で薄めた蜜酒(ミード)で流し込んでいく。

 

「…………」

 

 頭をからっぽにして、一心不乱に食事に専心していると、すぐに満腹になってしまった。

 食事の余韻に浸ることなく――味を感じれなかったから、残るモノもなかったのだけど――僕は席を立つ。

 そのまま、喧騒から逃げる様に背を向けて。

 僕は館の最上階へと足を向けた。

 

 

 

 

 

「あの、女神様の下に行きたいんですが……」

「あの方は今重要な用があるために本拠(ホーム)を空けておいでです」

「そう、ですか……あの、いつ頃お戻りになられるとかって……」

「あの方の動向を新入り風情が知る必要はありません」

「うっ」

 

 女神様の神室に向かう途中、ヒューマンの女性に行く手を阻まれた。

 本拠(ホーム)の最上階にある神室(しんしつ)。そこに続く階段の踊り場で、上階から降りてきた彼女に退去を告げられたのだ。

 顔の右半分を灰色の髪で覆い隠した、それでも損なわれることのない整った容貌(かお)の美少女。

 黒を基調としたドレス然の衣装は、どことなく魔女――幼さを残す容姿も合わさって――の『弟子』を思わせる。

 長い髪に覆われていない、(あら)わとなっている左眼は衣服と同じ黒い色で、踊り場の僕を段上から見下ろしていた。

 

「大体、何用であの方に拝謁(はいえつ)しようとするのです」

「いえ、あの、ただちょっとお話がしたくて……」

「お話? ちょっと? つまり貴方はなんの中身も、意義もない事の為に(とうと)くも(たっと)いあの方の、有意なお時間を浪費させようと言っているのですか?」

「いや、そんなつもりは」

「何が違うと? それとも、私に言えぬほどの重要な事でも?」

「あ、あうぅ……」

 

 こちらを見下ろしている彼女は一貫(いっかん)して無表情のまま、しかしその言葉は凍えるような冷たさを感じさせてくる。

 ファミリアの人達は、何故か僕に対して余所余所(よそよそ)しい。と言うか攻撃的な人がほとんどだ。中でも彼女は特に当たりが強いというか、キツイというか。

 正直、会うたびに痛烈な叱責をされるので彼女の事が苦手に思ってしまっている。

 今も、僕を見下ろす彼女の、まるで数年間洗っていない毛玉を見る様な目付きに、自分がとてつもなく悪い事をしているんじゃないかと勘違いしてしまう。

 

「……なんですか、その捨てられた兎みたいな目は。そんな風に見つめれば拾って貰えるとでも? 非常に不快です。即刻目を(えぐ)り抜きなさい」

「ええっ、そんな目してないですよ!? というか抉れって!?」

 

 ただでさえ極寒の眼差しに、強い拒絶が込められた舌打ちに心が打ちのめされる。

 酷すぎるダメ出しにたじろいでいると、これ以上僕を視界に映さない為にか、ふい、と目を逸らした彼女が長い衣装(ドレス)(すそ)(ひるがえ)した。

 

「我らが女神は貴方の研鑽(けんさん)をお望みになられました。今日の件はその一環(いっかん)です」

「――!」

 

 話は終わりだと、こちらに背中を向けた彼女がポツリとこぼした言葉に、僕は息を飲んだ。

 その言葉が本当なら、原野でのアレは。

 僕へ向けて振るわれたオッタルさんの刃の数々は全部、女神様の指示だった……?

 それはつまり、身体を刻まれ、癒されて繰り返された痛みが、恐怖が、苦しみが――あの優しかった女神様の意志だって事で。

 

 

「あの方の神意(しんい)は、全て貴方を想っての事です。しかし同時に、それであなたが潰れてしまわないかと、あの方は心の底から案じられておいでです」

 

 グルグルと思考が迷走しながら沈み込もうとする直前。続いた言葉に僕は(うつむ)きかけた顔を上げた。

 こちらに背を向けていた彼女は顔だけ横向けて、黒い眼に僕を映している。

 それまでは敵意にも似た冷たさを宿していた眼差しに、今は別の色が混じっているような気がした。

 

 

 

 見つめ合っていたのも僅かな間。

 すぐに顔を前に戻した彼女は、もう語ることはないと背中で語る様に、再び最上階へと姿を消してしまった。

 

 ……さっきのは、僕を(なぐさ)めてくれたのかな。

 

 上へと上がっていく彼女の背中を、『女神様の付き人』である侍従頭のヘルンさんの姿が消えるまで、僕は踊り場の上で見続けていた。

 

 

 

 

 

 踊り場での会話の後、女神様と話すことを諦めて自室に向かう途中、エイルさんから声を掛けられた。

 なんでも、伝言があるとかで『特大広間』から姿を消していた僕を探しに、仕事を抜け出してきたらしい。

 その伝言の内容は、明日も原野に来るようにと、オッタルさんから僕へ向けて告げられたものだった。

 また臨死と蘇生の繰り返しをしなくちゃいけないのかと顔を青くした僕は、ただ茫然としていて。

 やけに機嫌が良さそうなエイルさんが「じゃあ、確かに伝えたからねー」言った後すぐ、仕事場を放棄した脱走者(エイルさん)を追って来ていた『満たす煤者達』の顔役の女性に捕まった事も。

 今なお賑やかさを増す『特大広間』へ抵抗(むな)しく引きずり戻されていく彼女の助けを求める叫び声も、何も頭に入ってこないくらい、絶望に目の前が真っ暗になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ****以下、挿入どころを見失ったこぼれ話(胸糞注意)****

 

 

 

 

 

 それを見てまず浮かんだのは「ああまたか」という感情だった。

 朝食を乗せたトレーを手に、彼を探しても食堂にその姿はなく、同胞(パルゥム)の一人に原野に向かったと聞いて来てみれば、彼は派閥(ファミリア)の長と闘っていた。

 ……いや、それは『戦い』とは呼べないだろう。あれはただの蹂躙(じゅうりん)だ。

 原野の彼は一合(いちごう)と斬り結ぶ事なく、ただひたすら斬られ、殴られ続けている。

 その(さま)悲惨(ひさん)の一言に尽きる、が、それに関して抱く感情は特になかった。

 むしろ、敬愛する主神(しゅじん)相応(ふさわ)しい人品(じんぴん)足り得るにはそれぐらいして貰わなければ、とすら思う。

 

 

 

 ――――本当に?

 

 

「…………………ぁ」

 

 違う。

 

 違う、違う、違うちがうちがうチガウッ!?

 

 

 突如脳裏に響いた『ダレカ(ジブン)』の声。そしてパリン、と何かが破り割れた音が聞こえた気がした。

 そして、それまで塞き止められていたもの達が濁流の様に(あふ)れだす。

 上から蓋をするように、抑え込められていた大切な思い出が、彼へと抱くようになっていた想いを取り戻したと同時に、それまでの己が辿(たど)っていた思考を全否定する。

 

 なんで? いつから? いつから自分はこうなってしまっていた?

 あの、今の彼をこの目にしておいて、抱く感情は特にない? むしろ、それぐらいして貰わなければ?

 何を言っているんだ。あんなに辛そうにしているのに。あんなに苦しんでいるのにどうしてそんな考えになるんだ。

 

 

 ぽたり、ぽたりと雨粒が落ちる。

 両の瞳から降る雨が、原野を濡らしていく。

 

「……助けなきゃ、ベル様を……リリが、助けなきゃ」

 

 リリは足を踏み出した。

 頭に(モヤ)がかかったように思考がまとまらないまま、血を流す彼の下へ。

 今すぐに走り寄って、助け出そうと。先程から騒ぎ続けるこの胸が訴える『献身(かくご)』を、再び取り戻そうとして――――

 

 

「それはダメって、言ったでしょう?」

 

 

 一歩。

 原野に足を踏み出したリリの両の瞼に、背後から伸びてきた手がそっと当てられた。

 恐ろしく滑らかな肌触りのする細い手が、リリの栗色の瞳を(おお)(かく)す。

 次には、背中に触れた二つの(ぬく)もりに()()()、と痙攣(けいれん)するかのように体が打ち震えた。

 鼻腔(びくう)を舐める甘い香りが、密着してくる肉の柔らかさが、リリの感覚を麻痺させていく。

 既視感のある『(ナニカ)』に、リリが侵されていく。

 

「ぁ……(いや)…………ベル、さま」

 

 膝が震える。腰が砕ける。歯は噛み合わず、目の焦点が定まらない。

 思考は再び『美神の魅了』に呑まれ、胸に灯った『覚悟』の火は再び消火されてしまった。

 

 

 

 

「特別な力も持たない(あなた)(わたし)に抗う……嫉妬するわ。まるでベルと絆で結ばれているようで」

 

 崩れ落ちた眷属を前にして、フレイヤは誰に聞かせるでもない独白を落とした。

 今も、そして以前もリリに掛けたのは()()()『魅了』。

 しかしそれは神の――《美の化身》たるフレイヤの『魅了』だ。当然、下界の者に抗えるはずがない。

 しかし、リリはそれに抗った。己の意志だけで。愛する者を想う、ただその一心で。

 

 証拠に、フレイヤの持つ『魂を視る』瞳には、確かに輝くリリの魂が見えていた。まるで少年の透明な輝きに触発される様に。共鳴するように。

 まあそれも、たった今他ならぬフレイヤがそれを()み取ってしまったのだが。

 

「ベルの事は気にしなくていいわ。貴女(あなた)はいつも通りあの子を支えてあげて」

「…………はい、フレイヤさま……」

「朝ごはん、まだなんでしょう? 食べてきたらどう?」

 

 

 小さな眷属に声をかけ、ふらふらと遠ざかる背中を見送った後。

 フレイヤは(こら)え切れず、ため息を漏らしてしまった。頭が痛いとばかりに手を当てて横に振る。

 

「自分のことながら、嫌になって来るわ……こんなに必死になってしまうなんて。みっともない……」

 

 原野に目を向ければ、オッタルにしごかれるベルの姿がある。

 痛めつけられ、血を流し、痛苦にあえぐ様に胸が痛み――それでいてもなお、依然(いぜん)澄み切ったままの魂の色に胸が焦がれる。

 

「……そろそろ『あそこ』に顔を出そうかしら。随分(ずいぶん)日を空けてしまっているし、罰を受けてしまうかも」

 

 でも、今はそれが丁度いいかもしれない。

 そうと決まれば、とフレイヤは原野に背を向け歩き出した。

 

 

 




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贄の兎 6

 

 周囲の│喧騒《けんそう》がどこか遠くに聞こえていた。

 立ち尽くしている体はピクリとも動こうとせず、僕はギルドに張り出されていた一枚の紙に釘付けになっていた。

 

 

 既に昨日の事になる。オッタルさんに呼び出された原野で日が暮れてしまうまで、僕は何度も叩きのめされ――いや、殺され続けたのは。

 斬られては治療師(ヒーラー)のエイルさんに癒され、また斬られる。

 │隔絶《かくぜつ》した実力差に手も足も出ず、ただ只管(ひたすら)(なぶ)られ続ける内に、身も心も擦り切れてしまった。

 『どうしてこんなことを』。

 ただ、その理由を聞きたかった。

 憧れの人から何も語られぬまま、与えられる痛みが苦しくて、辛くて。

 理由を知ることは出来ずとも、せめて誰かに話すことで少しでも楽になりたかった。

 

 だから、相談するために女神様に会いに行こうとして……その前にヘイズさんに止められて。

 女神様がいないって教えられた後、仕方なく自分の部屋に向かう途中、原野で傷つけられた僕を癒し続けたエイルさんが僕に声を掛けた。

 

「団長さまからの伝言です。『明日も今日の続きするから原野に来い』だそうでーす」

 

 

 ソレを聞いて真っ先に浮かべたのは『明日もコレを繰り返すのか』という絶望だった。

 エイルさんから告げられた、オッタルさんの言葉に僕は目の前が真っ暗になった。

 

 

 

 

 そこからの記憶は、はっきりとしていない。

 確かなのは、僕が現在本拠(ホーム)から抜け出してしまっているという事実。

 意識がはっきりすると同時に、自分が着の身着のまま、まだ薄暗い街中に立っている事に気付いたのだ。

 そのまま僕はダンジョンに行くわけでもなく、ただ目的もなく町の中をフラフラと彷徨(さまよ)っている内にすっかりと日は昇り、人気の少なかった通りはだんだんと働き出す人達で賑やかさを増していく。

 そんな人々の活気すらも今の僕には苦しくて、逃げる様に歩く足を速めてしまう。

 

 そして気づけば、僕はギルド本部のロビーで立ち尽くしていた。

 辺りにはこれからダンジョンに向かうのか、ギルドの受付前で武装した冒険者達がアドバイザーの女性と相談している様子がいくつか。

 

 そんな受付の一つに、エイナさんがいた。

 エイナさんは他の受付の人と同じように冒険者の人と応対していて、ロビーにいる僕の存在にはまだ気づいてないみたいだった。

 

「……」

 

 僕は、ドワーフの青年と話し合っているエイナさんから視線を切って、そのままくるりと(きびす)を返した。

 

 

 ……僕は何がしたかったんだろう。

 鍛錬の厳しさから逃げだして、ホームに戻る事も出来ずにいる自分をエイナさんに慰めてでも欲しかったのか。

 きっと、原野でのオッタルさんとのことを話せば、優しいエイナさんなら怒ってくれるかもしれない。

 ギルドの職員として相談には親身に乗ってくれるだろう。

 一人の知人として情けない弱音も受け止めてくれるだろう。

 

 エイナさんに担当アドバイザーになって貰ってから、まだ一か月くらいだけど、彼女にはたくさん助けてもらって来た。

 冒険の相談に乗って貰ったり、装備を整えるのにも手を貸してくれたり、ダンジョンでの危険や、役に立つ知識を涙がでるくらい厳しく教えてくれたりもした。

 田舎から出てきたばかりの僕にとって、そんなエイナさんはすごく大人っぽくて、頭がよくて頼りになる――とてもやさしいヒト。

 

 

 だから、僕はエイナさんに気付かれる前に彼女に背を向けた。

 

 

 今、声を掛けられでもしたら、心が弱り切った僕は彼女に│縋《すが》りついて泣いてしまいそうだったから。

 今、縋り付いてしまったら。きっと僕はもう、僕ではいられなくなる。そんな予感があったから。

 だから後ろ髪が引かれそうになりながら、足早にギルドから出ようとして、途中で普段は気に留めもしないロビー前にある掲示板。

 何気なく目を向けた先に張り出されてあった一枚の紙に足が止まった。

 

 そして、そこから動けなくなってしまった。

 

「アイズ・ヴァレンシュタイン……レベル6に【ランクアップ】?」

 

 掲示板に張り付けられた紙に記されていたのはそんな内容。

 他には何の情報もない、無機質な【ランクアップ】の報を呆然と見上げてしまう。

 ただでさえ沈んでいた気持ちが、更に深い所まで落ち込んでいくのが止められそうになかった。

 

 

 

 脳裏に過ぎる苦い、敗北の記憶。

 今でも夢に見るダンジョンでの悪夢。恐怖との│遭遇《エンカウント》、からの逃亡――そして、鮮烈な救出劇(くつじょく)

 

 英雄譚の中から飛び出して来たような、目を見張るような│美貌《びぼう》と冴え渡る剣戟(けんげき)

 泣きわめきながら逃げるしかできなかった自分とはまるで違う、オッタルさんと同じ『英雄(とくべつ)』な存在――【剣姫(けんき)】アイズ・ヴァレンシュタイン。

 

 そんな彼女が『レベル6』に昇格するという、世界でも数えるほどしかいない大業を成した証明が目の前に、冒険者ギルドが正式に認めた情報しか張り出されない、ギルド掲示板の真ん中に張り出されていた。

 

 ただの紙に描かれた【剣姫】の、│何処《どこ》を見ているか定かでない似顔絵が、しかし確かに、呆けた表情で眺める僕を見下ろしていた。

 その時の僕には、そう感じてしまった。

 

 知らず握り締めていた拳に力が入る。

 指の骨がミシリ、と僅かに│軋《きし》みを上げた。

 

 

 迷宮の中で、まざまざと見せつけられた英雄譚の一幕と、逃げる事しかできなかった情けない自分。

 そして今、ギルドのロビーの中心に掲げられている輝かしい栄光と、それを端から眺めるだけの――みじめな自分。

 その対比に、胸が締め付けられるようだった。

 

 

 ……遠い。遠すぎる。

 

 きっと、オッタルさんも、アイズ・ヴァレンシュタインさんも、僕みたいに辛い事や苦しい事から逃げたりなんかしないだろう。

 その事実に、現実に圧し潰されそうで、僕はまた逃げ出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 ごつごつとした剥き出しの岩肌が、視界一杯に広がり、何処までも伸びている。

 凹凸の激しい岩壁で形成された通路は、天井が高いにも関わらず閉塞感と圧迫感を感じさせる。

 まるで岩盤の中にできた空洞。ダンジョンの17階層から受ける印象はそれであった。

 

「この階層にとどまるのは久しぶりだなぁ……」

 

 レベル2の冒険者の適正区域となるこの階層を、軽い足取りで探索するのは一人の闇妖精(ダークエルフ)

 壁面上部から落ちる淡い光がその痩躯(そうく)の青年の姿を照らし出す。

 上から下まで真っ黒な装束を纏い、腰に()いた漆黒の剣は切っ先に進むにつれ、(いかづち)の如き形状を取る。

 そんな、見る者が見れば(こう)ばしい様相の青年は、鼻歌でも歌いそうなほど気楽に怪物たちの巣の中を突き進んでいく。

 

「やっぱり、ダンジョンはいいなぁ。暗いし、何より独りで、静かで、自由で……なんというか、救われる気分になる」

 

 他人(ヒト)の視線というもの大の苦手である彼にとって、ソレがないダンジョンは居心地のいい場所の一つであった。

 そんなダンジョンから足が遠退いて久しく。彼が再びこの地に舞い戻ってきたのは、ひとえに主命があったから。

 

『あの子を輝かせるのに相応(ふさわ)しい『役者(どうぐ)』を、用意して頂戴』

 

 何よりも尊く愛おしい主神からの指名に応えるべく、お願いと共に授かった、とある少年の情報から彼は17階層に│赴《おもむ》いていた。

 

「多分、()()が一番いいだろうから……手抜きは出来ない」

 

 岩盤に空いた横穴に差し掛かった所で、彼の紫がかった銀髪から突き出した笹葉の様な耳が、岩壁に反響する小さな音を拾う。

 

『ブモォォ……』

 

 唸り声と共に横穴から身を出したのは、牛頭人体の怪物『ミノタウロス』。

 彼が探していた獲物が、姿を現した。

 

『ヴ、ヴヴォォォォォォォォォォォッ!!』

 

 現れたミノタウロスは自分よりも小さな闇妖精(ダークエルフ)を目にした直後、興奮を露わに手に持った石の斧を振りかぶった。

 

 迷宮が生み出した天然武器(ネイチャーウェポン)と呼ばれるソレは、石製であるため切れ味は乏しい。しかし大岩から切り出された外観相応の重量を誇り、モンスターの巨躯強力に耐えうる硬度は、レベルを上げ、器を昇華させた冒険者であっても大きな脅威になる。

 

 細身の青年の頭の上から振り下ろされた石斧は、そのまま頭蓋をカチ割り、そのまま股まで引き裂く、事は無く。

 

「うん……いいね。キミに決めたよ」

「ヴ、ヴゥオッ!?」

 

 凄まじい早業で鞘から引き抜かれた長剣(ロングソード)が、振り下ろされた石斧の刃を斬り飛ばし、伝播した威力がミノタウロスの拳の中に握られた柄までをも粉々に粉砕した。

 

「今からキミを、フレイヤ様に満足いただける贄に足るまで鍛え上げ――」

『ヴモォォォォォォォォォッ!?』

「――って、ええっ!?」

 

 

 『 ミノタウロス 』 は 逃げ出した  !

 

 

 その光景に闇妖精(ダークエルフ)の青年は驚愕した。

 武器を失ったミノタウロスがくるりと背を向けたと思ったら、そのまま一目散に逃げ出したのだ。

 ものすごい勢いで先程出てきた横穴へと戻った『ミノタウロス』の足音がどんどん遠ざかっていく。

 予想外過ぎる目標の逃走に、青年はしばらく固まったまま、動けなかった。

 

 

「ど、どうしよう……い、いや、また探せばいいだけだし。いっぱいいるんだからすぐ見つかる、よね?」

 

 

 誰に尋ねた訳でもない、独り言を溢した青年のこめかみに、一筋の冷たい汗が流れた。

 

 

 

 

 

 

※)ちなみにこのあとアマゾネスの集団に囲まれ嘲笑されたり、それに耐えきれず【魔法】を使ってアマゾネスを追い返す際に『ミノタウロス』を巻き込んだり、期日が迫って同僚の白妖精の青年に泣きついて、罵声を受けながら助けてもらう未来が待っていたりする。

 

 

 



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贄の兎 7

 

 

 ギルドを出た僕は、ダンジョンに向かう冒険者の波に押し流されて中央広場(セントラルパーク)に辿り着く。

 広場に出た事で波からはじき出された僕はそのまま、ぼうっとバベルを――その下にあるダンジョンへ向かう冒険者達の背中を眺め、しばらくしてから歩き出す。

 顔を(うつむ)けて、後ろに滑っていく石畳を見下ろしながら、流されるまま行く当てもなく彷徨(さまよ)った。

 周囲の弾んだ喧騒が耳に遠く感じる。空は快晴で、日の光を遮るモノなんて無い筈なのに、僕の周辺だけ陰っているような――僕一人が取り残されているような、そんな感覚。

 そんな曇りがかった心情を切り裂くように、鈴の音のような澄んだ声が耳に響いた。

 

「――ベルさん!」

「え?」

 

 突如飛んで来た呼び声に、石畳に向けていた顔を上げる。

 見ると、薄鈍色の髪を揺らしながらこちらに走り寄ってくるヒトの姿。

 

 いつのまにか『豊穣の女主人』のあたりまで来ちゃってたんだ……。

 見覚えのある通りと、何度も足を運んだ大きな酒場をボンヤリと見ていると、近づいてきた酒場の給仕服を着た少女に手を握られた。

 

「はっ?」

「あぁっベルさん、会いたかった……」

 

 僕の手を握る彼女の白魚の様に細く柔らかい指と、上気した頬と潤んだ眼に、先程までの沈んでいた気分はどこかへ飛んで行って、僕は顔を赤く染めながら喉を鳴らした。

 

 

 

 

 

 カチャカチャと、汚れが落ちた皿が重ねられて、音を立てていく。

 蛇口から流れ落ちていく水が、汚れと泡に塗れた皿をまた一枚綺麗にしていく。

 

「……」

 

 給仕服の少女とシェフ達が慌ただしく動き回る酒場の厨房で、僕は一人。無言でお皿洗いにいそしんでいた。

 

「ごめんなさーい、ベルさんっ! 私のお仕事をわざわざ手伝ってもらって!」

()()()()連れてこられたんですよ!? それも無理矢理!」

 

 厨房をパタパタと忙しなく走り回りながら、謝ってくるシルさんに唾を飛ばす勢いで叫ぶ。

 さっきまで通りを歩いていた僕は、酒場から走り寄ってきたシルさんに捕まり、何故か皿洗いをさせられていた。

 

「溜まっていたお仕事を無断でサボッ……休んでしまったら、ミアお母さんに怒られちゃって、罰として雑用をいっぱい押し付けられちゃったんです!」

「それと僕関係ないですよね!?」

 

 というか、今サボったって言いかけてなかったか、このヒト!?

 

「もう本当忙しくって、ベルさんが来てくれて助かりました! ありがとうございます、ベルさん!」

「ぅ、まあ、その……シルさんにはお世話になってますし、少しくらいならいいですけど……」

 

 店内と厨房を何度も忙しそうに往復するシルさんと話していると、僕の横にドンッと山積みになったお皿の塔が新たに立てられた。それも二つ。 

 

「おら、イチャついてないで手ぇ動かすニャ、白髪頭。追加の皿ニャ」

「シルの色目に惑わされたのが少年の運の切れ目ニャ、諦めて観念するニャ。おかわりニャ」

「えぇ……」

 

 キャットピープルの店員の二人、アーニャさんとクロエさんによって増やされた山二つ分の洗い物に、軽く絶望を覚えながらも僕は必死にお皿を洗っていく。

 

「……」

 

 いくら洗っても終わりの見えないこの単調な作業は、かえって何も考えずに打ち込めるから今の僕には丁度良かったかもしれない。

 何かに没頭していなければ、また気分が深い所まで落ち込んでいきそうだったから。

 僕はそれきり口を開かずに、黙々とお皿を洗っていった。

 

「大丈夫ですか、クラネルさん」

「へ……?」

「この量は凶悪だ。手伝いましょう」

 

 不意に一人の店員が、僕の隣に並んだ。

 若葉色の髪に、笹葉のような細く尖った耳。そして、横顔から覗く吸い込まれそうな空色の瞳に、過去の記憶が呼び起こされる。

 その店員はいつかの路地裏で、僕が冒険者の青年と争いになりかけた時に助けてくれたエルフ、リューさんだった。 

 

「す、すいません。手を貸して貰っちゃって」

「いえ、もとはと言えばシルが悪い。そしてシルの責任を補いきれない同僚(わたし)にも責がある。謝るのはこちらの方です。申し訳ありませんでした」

「いやいやっ、そんな!?」

 

 生真面目すぎるリューさんの言動に慌てふためきながら、僕達はお皿を洗っていく。

 なんとなく話題を見つけられず、二人とも無言で作業を続ける。カチャカチャとお皿が立てる音だけが僕達の間に響いていた。

 

「何かあったのですか」

「えっ?」

「差し出がましいかもしれませんが、気落ちしているように見えたので」

 

 不意に掛けられた声に、お皿を洗う手が止まる。

 エルフであるリューさんの、整った容貌を横から呆然と眺める。

 

「私でよければ、話を聞きますが」

「……」

「貴方にはここを任せてしまっている負い目がある。もし抵抗が無ければ、どうぞ気兼(きが)ねなく」

「ぼ、僕は――」

 

 リューさんの、その一歩引いた善意に僕は胸の中にあったもの全て吐き出してしまった。

 オッタルさん、であることは伏せ、先輩の冒険者から鍛錬の為に呼び出されたこと。

 そこで何度も叩きのめされ、死にかけては回復されを繰り返されたこと。

 相談できる人がいなかったこと。

 そして、今日も鍛錬が続くと聞いて逃げ出してきてしまった事。

 他にも色々と、小さな悩みとか自分の気持ちとか、一つ口を開いたら、もう止める事が出来なかった。

 全部吐き出す頃には、あれだけあった皿の山が随分と低くなっていた。

 後半ほとんど愚痴になっていた僕の話を聞き続けていたリューさんはしばらく僕を見た後、ゆっくりと口を開いた。

 

「――私の所見ではありますが、貴方は随分と期待を寄せられているようだ」

「期待、ですか?」

「貴方の所属している【ファミリア】の事は、シルから聞き及んでいます。その苛烈さも、噂程度ですが私も知っています」

「ですが、貴方の受けたソレは私が聞いた噂とはどうにも差異がある。そこまで過剰に追い込むことなど聞いた事がない。だから、貴方が期待されているのだと感じました」

「そう、なんですか? でも、それが期待って、どういう……」

「貴方がそれを乗り越えられる事を、そして貴方が強くなる事を」

 

 リューさんの言っていることがよく理解できずに、困惑していると、リューさんは次の言葉を告げた。

 

「尋常ではない過酷な鍛錬、痛苦に(あえ)ぎながらも、それに耐え抜いたなら……それは偉業と呼ばれるに値するものです」

「い、ぎょう……?」

「ただ貴方を痛めつけたいだけなら待つ事などしないでしょう。話し聞く程の力量差があるならひたすら(なぶ)ればいい。それをせず、わざわざ回復してから貴方に打ち込ませに来させたのは、貴方を鍛える為」

「でも、だからって。……あんなにする事ないじゃないですか」

「……ここからは老婆心(ろうばしん)になりますが、いいでしょうか?」

「?」

 

 つい弱音を吐いた僕を諭すように、リューさんは僕の目を見て言った。

 

 

「貴方は、『冒険者』だ」

 

「貴方が冒険を続ける限り、いつか必ず『試練』に直面することになる。」

 

「そして、それを乗り越える為には、どうしようもなく『強さ』が必要とされるでしょう」

 

「だから、『強さ』を得る機会があったのなら、それから目を逸らしてはいけない。逃してはいけない。そうしなければきっと……後悔することになる」

 

 

 そう言って、一瞬すごく悲しそうな表所を浮かべたリューさんに僕は目を見開いたけれど、瞬きをした後には普段の冷たい顔に戻っていた。

 

「これから貴方が迎える『試練』は一体どういうものになるかは分からない。ですが、それに備える事を、強さを求める事からは、目を逸らさないで下さい」

 

 リューさんの言葉から、その()()が伝わってくる。

 否定できない説得力が、僕に鉛を飲み込んだような腹の重さを感じさせていた。

 

「……………僕は」

 

 それきり、何も言えなくなってしまった僕を、リューさんは何も言わずただ隣に寄り添っていてくれた。

 しばらく二人で皿洗いを続け、積み上げられた皿を片付け終える。まだ仕事が残っているというリューさんに見送られて、僕は酒場の厨房を後にした。

 

 

 

 店内に出て、酒盛りで騒ぎ立てている客達をしばらく眺めた後、僕は明るい喧騒に背を向けた。

 

「――ベルさん」

「……シルさん」

 

 店の出入り口の扉に向かう途中、声を掛けられて振り向くと、シルさんがすぐそばに立っていた。

 

「今日は、ごめんなさい。本当にありがとうございました」

「いえ、まあ。最初はびっくりしましたけど、丁度良かったというか……とにかく、そこまで気にしなくてもいいですよ」

 

 振り返った僕に頭を下げるシルさんに苦笑してしまった。

 そんな僕を頭を上げたシルさんは見つめると、躊躇(ためら)いながらも口を開く。

 

「あの、なんでベルさんは冒険者になったんですか?」

「え?」

「気を悪くさせてしまったら申し訳ないんですが、冒険者って、その……危ないじゃないですか。ウチのお客さんにも、何人も帰ってこなかったヒトがいますし。ベルさんは、どうして冒険者を続けていらっしゃるんですか?」

「どうしてって……」

 

 ぽつりぽつりと落とされる言葉に、僕は戸惑った。

 彼女の言う通り、冒険者という職業は非常に危険なものだ。

 一般市民である彼女が当たり前に持っているものを、僕達冒険者はきっと麻痺させて、あるいは欠落させてしまっている。

 そうするだけの理由があるから、僕は冒険者を志して、そして続けていられる。

 その理由を、きっとシルさんは聞きたいのだろう。

 

「あっ、ごめんなさい。私何も知らないのに、変な事言ってしまって」

「い、いえ、大丈夫です」

「そう、ですか? ……でも、無理はなさらないでください。それだけは、伝えたくて」

「……」

「今更、怖気つくなんて……」

 

 最後に官女が呟いた言葉は声が小さくて聞き取れなかったけれど、それでもシルさんが僕を心配してくれていることは、強く伝わってきた。

 リューさんの言葉、シルさんの言葉を頭の中で反芻(はんすう)しながら、僕はその場で考え込む。

 

「僕が、冒険者を続ける理由……」

 

 その答えは、自分でも驚くくらい、簡単に胸の奥から浮かべることが出来た。

 

 

 ――英雄になりたい。

 

 

 子供みたいな、そんな陳腐(ちんぷ)な理由。

 故郷の村で、あの小さな家で。おじいちゃんが読み聞かせてくれた絵本の主人公みたいに。

 憧れているオッタルさん(あのヒト)のように、苦しんでいる誰かを救えるくらいに。

 

 どうしようもなく、願って止まない程に。

 

 僕は『強く(えいゆう)』になりたい。

 

 

「――ぷっ、あははははは!」

「?」

 

 言葉にしてしまえば、馬鹿みたいに単純な理由。

 それまですっかり忘れていたくせに、初心(ユメ)を思い出した途端くすんでいた景色が鮮やかさを取り戻す。

 

「すみません、ちょっとおかしくなっちゃって」

「は、はぁ……」

「それで、僕が冒険者をする理由でしたよね? 色々ありますけど――」

 

 突然笑い出した僕に目を白黒させるシルさんに微笑んで、「とりあえずは、美味しいご飯を食べる為です」とそう言って、僕は出口に向けていた足をくるりと返して、いつものカウンター席に足を向けた。

 

 急に元気になった様子を見せる僕に、きょとんとするシルさんにまた笑みを浮かべて、僕は今日のおすすめを注文した。

 

 

 だって、強くなる為には、まずたくさん食べなきゃだめだって教わったからね。

 

 

 

 




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贄の兎 8

 

 ここは――地獄だ。

 

 響き渡る断末摩(だんまつま)。しぶきを上げる血潮。(こぼ)れる血反吐とうめき声。

 少女が今、身を置いているこの場所は最早(もはや)戦場のよう、否、戦場そのものだった。

 目の前に広がる凄惨(せいさん)極まる光景を前に少女は絶望した。その目に光はなく、本来ならば透き通った宝玉を思わせるほどに美しい瞳は、今やくすんだガラス玉の様に暗く濁っている。

 

 治療の心得を持つ者として、少女は己の()(まっと)うするべく奮戦する。

 深く刻まれた裂傷を、砕かれた骨を、千切れかかった四肢を、今にも臓腑(ぞうふ)が零れ落ちそうな切創を魔法と技術を尽くして次々と治していく。

 そして今にも天へ昇りそうな患者を現世に繋ぎ止めるのだ。

 

 しかし、一向に終わりが見えなかった。

 戦いに挑む者が倒れる度に少女が癒すのだが、彼は立ち上がると再び戦いに挑み、そして倒れる。その繰り返し。

 酸鼻(さんび)に顔を歪めるような光景を見続けるしかできないこの現状で、希望を持つなどどうしてできようか。

 治しても治しても、目の前で戦い合う愚か者たち。そして出来上がる新鮮な患者。

 

 

 医療を手掛ける者として、手を抜く事などありえない。そもそも、そんなことをすれば、目の前の治癒を待つ者はあっさりと天に召されてしまうだろう。

 だから、毎回全力で治療を行う。

 必然、疲労は相当なものになる。

 

 治療を重ねるほどに頭の芯が痺れる様な感覚が強くなっていく。精神は擦り切れ、切れかかる集中力を必死になって繋ぎ留める。

 噴き出る汗を垂れ流しながら、健康に悪そうな液体を喉に流し込む。空になった瓶を放り投げれば、既に転がる空瓶のどれかに当たったのかガチャンと耳障りな音が鳴った。

 

 今も、(ほどこ)していた治療が終わった途端(とたん)に、間を置くことなく再開された戦いに少女は天を仰ぐ。

 

 

 ――おお、神よ。叶うのならば御身の託宣(たくせん)をもってこの地獄を今すぐ終わらせてください。

 

 

 少女は祈る。二心無き無垢なる願いを、己が信奉する神へと捧げた。

 しかしそれが聞き届けられるとはまったく思っていない。なぜならこの地獄を生み出した根源こそが、今少女が祈っている女神にあるが故に。

 それでも少女は祈りを捧げる事を止められない。

 

 今の少女にとっては、それが唯一の現実逃避(すくい)なのだから。

 

 

 ……ああ、今日も空が青いなぁ。

 腹立たしい程澄み渡る晴天に、胸いっぱいに空気を取り込めば、鉄臭い血の臭いが鼻についた。

 

 

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 

 

「ぎゃあ!?」

「【ロギア・スカンディナヴィア】」

「立て。続きだ」

 

 悲鳴と共に倒れる少年。

 回復。

 

「ぎゃあ!?」

「【ロギア・スカンディナヴィア】」

「立て。続きだ」

 

 吹き飛び、崩れ落ちる少年。

 また回復。

 

「ぎゃあ!?」

「……【ロギア・スカンディナヴィア】」

「立て。続きだ」

 

 再度、土ペロする少年。

 またまた回復。

 

「ぎゃあ!?」

「【ロギア・スカンディ、ナヴィア】――うぷ」

「立て。続きだ」

 

 あっけなく瞬殺される少年。

 間を空けず回復。

 

「ぎゃあ!?」

「はぁ、はぁ……【ロギア……スカンディナヴィっ、ア】……おえっ」

「立て。続きだ」

 

 

 幾度(いくど)も斬られ、殴られ、蹴られ……それでもまだ立ち上がる少年に武人は容赦なく「次」を突き付ける。

 

 昨晩、ホームに戻った少年はホーム内を駆けずり回って、オッタルの前へ出ると同時に酒場の店員――昔の知り合いに極東人がいたらしい――から教わった極東の最終奥義『ドゲザ』を繰り出した。

 逃げ出してスミマセン。もう一度だけ機会を下さいと必死になって叫んだ。大広間のど真ん中で。

 オッタルはそれに頷いた。若干迷惑そうに顔をしかめながら。

 

 そして翌日から、それ以前とは打って変わって少年はオッタルの厳しすぎる鍛錬に食らいつき続けていた。

 

「傷が癒えたのならば立て」

「お、おねがい、しますっっ!」

「……フ」

 

 治療を終えたばかりの少年にオッタルは告げる。

 少年はそれに応え、体を震わせながらも立ち上がり――立ち向かってくる。

 オッタルは堪らず、といったように小さく笑った。

 今日で鍛錬を始めてから四日が経過した。

 二日目以降、少年はオッタルに初日以上に痛めつけられていた。しかし少年は逃げ出すことなく、折れることなく直向(ひたむ)きに挑み続けている。

 オッタルはそんな少年の姿勢を歓迎(かんげい)するように迎え撃ち、そして叩きのめしていった。

 

 そして、そんな二人の姿を連日テラスから眺めていたフレイヤは、オッタルが自分の下に戻る度に「随分と楽しそうだったわね」と皮肉を漏らし、オッタルを困らせた。

 

 

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 

 

 何度目かの、鉄と鉄がぶつかり合う音。そうして全力で振り下ろした一撃は易々と防がれた。鍔迫(つばぜ)り合う剣の、押し出される力が大きくなる。手に握る剣にグンッと力が伝わってくる。

 それに逆らわずに地を蹴って、後ろに下がって距離を取る。仕切り直しだ。

 

 オッタルさんは動かない。(いわお)の様に(そび)え立ち、僕が攻めかかるのを待っている。

 しかし、僕の足は動かなかった。

 ソレは恐怖からでも、疲労からでもなく。 

 僕は、構えていたゆっけりと剣を下ろした。

 

「……」

「どうした、かかってこい」

「……あ、あの、僕、少しは上達しているんでしょうか?」

「む?」

「今日でもう四日目ですけど、いつもすぐに気を失ってばっかりで……」

 

 今も、全然歯が立たないし。と言葉を胸の奥に飲み込んだ。

 僕とオッタルさんの力量差は知っている。この四日間、文字通り体に刻み込まれたから。

 それでも、こうも進歩が見えてこないと不安を感じてしまう。

 自分は成長できているのだろうか。そんな戸惑(とまど)いが足と、剣を握る手を鈍らせた。

 

「下らん」

 

 たまらず(うつむ)いた僕に、オッタルさんの突き離すような言葉が投げられた。

 

「悩んだところで強くなるのか。そんな暇があるなら剣を振れ」

「でも……」

「……お前は強くなっている」

 

 不意に呟かれた言葉。グズる子供に言い聞かせる様な、そんな静かな声音に、え、と僕は声を漏らした。

 

「俺は加減が得意ではない……続けるぞ」

 

 それきり口を閉じたオッタルさんは、かかってこいと言う様に僕に向けた剣先を小さく揺らした。

 初めて聞いた、オッタルさんからの誉め言葉に、ほわり、と胸の奥が温かくなって、口角が緩むのがこらえきれなかった。

 

「~~っ、はいっ!!」

「いい加減にしろぉぉッッッ!!!!」

《/xbig》

 僕の声をかき消すように、青く晴れ渡った蒼穹を引き裂くような叫びが向かい合う僕とオッタルさんに叩きつけられた。

 

「毎日毎日っ飽きもせずに斬って斬られて繰り返してっ! 付き合わされるこっちの身にもなれぇ! なんなんですかアンタら二人!? さっきのやり取り! 団長、貴方は『加虐趣味(サディスト)』な上に『少年趣味(ショタコン)』なんですか!? クラネルッ、お前も『被虐趣味(マゾヒスト)』で『男色家(ホモ)』とか、救いようがないとしか言えないんだけど!!」

「……」

「ち、違いますよっエイルさん!?」

「もうさあっ限界なんだよ! 私の精神(マインド)は無限じゃないんだよ! 見てこれっこの空き瓶の数! 全部マナポーションの容器! 分かる? というか分かれ! もうお腹タポタポなのっ! 今にも戻しそうなの! もうずっとお花摘みに行きたいのっ! 乙女の尊厳の危機なのぉー――――!!」

 

 突然爆発するように僕たちにぶつけられるエイルさんの怒り。

 

「何度も何度も治してもまたすぐ倒されちゃってさぁっ! 休む暇これっぽっちもないしっ、代わってって言っても誰も代わってくれないしっ! 増えた分の仕事は減らないしっ! もう無理、限界っ! やってられっかこんなクソ作業! わたしいーちぬーけた! まだ続けたきゃポーションでも飲んでろっ! そんで私の気持ちを少しでも思い知れぇー――――ッッ!!!」

 

 動きを止めて立ち尽くすだけの僕達に()くし立てた後、エイルさんはその場から走り去った。

 残されるのは、突然の出来事に頭が追いつかない僕とオッタルさん二人。

 

「……えっと」

「……」

 

 おろおろと戸惑う事しかできずにいると、同じように無言で佇んでいたオッタルさんが、構えていた剣を下ろした。

 

「今日はここまでにする。続きは明日だ」

「え、あ、はい」

「……俺は『加虐趣味(サディスト)』でも、『少年趣味(ショタコン)』でも、ない」

 

 あ、さっきの言葉、結構傷ついたんだ。

 ぐぐ、と眉間のシワを深くするオッタルさん。あまり表情が変わらない人だけど、最近少し分かってきた。こういう時の彼は結構落ち込んでいる。

 

「あ、はい。僕も痛いの嫌ですし、普通に女の人が好きです」

「……そうか」

「……はい」

 

 そうしてオッタルさんも去って行った。

 心なしか肩を落した背中がやけに印象的だった。

 

 

 四日目の鍛錬は、こうして突然の終わりを迎えたのだった。

 

 

 

 

 





 ベルがオッタルに切られて血ィ流して!
 私がポーション飲んで回復…!
 永久機関が完成しちまったなァァ~!!(錯乱)


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贄の兎 9

 

 連日の様に好天気が続くオラリオは、今日も晴天で、通りを歩く人達の表情も、太陽に照らされる街並みと同じように明るいものになっている。

 お昼をちょっと過ぎた位のオラリオの町並みは活気に(あふ)れていて、賑わう人々の話す声や、遊んでいる子供の笑い声が聞こえてくる。

 

 

「そう言えば、オラリオに来てからまだ一か月くらいしか経ってないのかぁ」

 

 

 一か月前まで過ごしてきた村での静かな生活と比べて、このオラリオという大都市での生活はすごく騒がしくて、時間の流れも慌ただしいものに感じる。

 オッタルさんに助けられて、女神様の眷属にして貰って、ダンジョンで死にかけ

て、そしてたくさんの人と知り合う事が出来た。

 色んなことが短期間で立て続けだったせいか、実際には一か月くらいしか経ってないのに、もっと長い時間が過ぎてるんじゃないかと勘違いしてしまう。

 

 

 

 オッタルさんとの鍛錬五日目に、突然エイルさんが暴走(?)してしまったせいで、それから鍛錬を続ける事が難しくなってしまった。

 その後すぐにオッタルさんも何か用事があるとかで、今日の鍛錬はお休みとなったんだけど。 

 

 降って湧いたような突然のお休みに、僕は喜ぶどころか困惑してしまっていた。

 と言うのも、これまで死に物狂いで剣を振り続ける日々が続いていたせいで、自分の部屋でゆっくりして体と心を静養させようにも、逆に気が休まらなかったのだ。

 

 だからと言って、今から原野に戻って他の人と闘う気にもなれなかった。

 先程まで過酷(かこく)と言う言葉でも生温いような鍛錬の中で、瀕死(ひんし)臨死(りんし)を交互に体験し続けていたのだ。休める時に休まないと体よりも先に心がシヌ。

 そんな予感じみた危機感が僕を束の間の平和にしがみつかせていた。

 

 

 それで、じゃあどうしようかと考えた結果、町の中をゆっくり散歩して気分転換でもしようと思って、こうして出歩いているんだけれど。

 

 今僕がいるのは北のメインストリート。繁華街を中心に高級住宅が連なる南のメインストリートと違って、こちらは一般の人々が生活するための居住区になっている。【フレイヤ・ファミリア】のホームは都市南部――それも繁華街のほぼ中心――にあるので、つい最近まで田舎に住んでいた僕としては正直、(こちら)側の方が居心地がいい。

 

(『豊穣の女主人』があるのもこの通りだったよね。今晩行ってみようかな、最近行ってないし)

 

 道の向こうから大きな荷物を持ってどこかへ運んでいる人や、道端で話し合う人たちを眺めながら、酒場で食べた美味しい料理の事を思い出す。そのせいか、朝ごはんを消化しきったお腹の虫がぐぅ、と鳴き声を上げる。

 

 それきり、まるで僕を催促(さいそく)する様にぐぅぐぅ唸り始めたお腹を黙らせようと、なにか食べれるものは、と辺りを見回して、鼻孔を(くすぐ)る熱せられた脂と芋のいい匂いに気が付いた。匂いと一緒に聞き覚えのある声もこちらに届いてくる。

 僕はその匂いと声に、丁度いいやと足を向けることにした。

 

 

「いらっしゃませぇー! 美味しいジャガ丸君お一ついかがですかー? うちのジャガ丸くんを食べたおかげでステイタスはバカ上がり、おかげで綺麗で美人なカノジョも出来ましたって評判だよー! しかも、今ならボクのファミリアになれるおまけ付き! これはお得っ買うしかない! おっ、そこの獣人君お一つどうだい? ……え、いらない? 広告詐欺はやめろ?」

 

 聞こえてきた客寄せの声に、変わらないなぁと苦笑を浮かべながら、僕はメインストリートから少し外れた場所で開かれていた屋台の、呼び込みをしている少女に声を掛けた。

 

「変わらないですね、ヘスティア様」

「あっ、冒険者君、いいところに! ジャガ丸くんを買っていってくれないかい!? このままじゃノルマを達成できそうにないんだ! 頼むよぉ~!!」

 

 バイト着に身を包んだツインテールの少女が、元気いっぱいに手と、ウチの女神様にも負けない胸部装甲(ブレスト・アーマー)(比喩)を目一杯に揺さ振りながら僕に声を返す。

 

 涙目で懇願(こんがん)するヘスティア様の様子に苦笑を強めながら、僕はジャガ丸くんを注文する。

 大げさな感謝の言葉の後に、ほどなくして紙に包まれた揚げたてのジャガ丸くんが手渡された。美味しそうな匂いに食欲を刺激された僕は、手の中のソレに早速かぶりつく。美味しい。

 

 それから他にお客さんもいなかったことから、揚げたてのジャガ丸くんを片手に彼女と毒にも薬にもならない世間話に花を咲かせた。

 幼い少女のような無邪気さを持つヘスティア様との会話は、神としての独特な価値観に戸惑ってしまう事もあったけど、とても楽しかった。

 しばらくなかった穏やかな時間に、連日の戦いで知らずに荒んでいた僕の精神が安らいでいくのを感じて、僕は久しぶりに声を上げて笑った。

 そうしてヘスティア様とお喋り――と追加で購入した(させられた)ジャガ丸くんを食べていると、少女達がこちらに近づいてくるのに気が付いた。ジャガ丸くん目当てだろうかと、何気なく目を向けて――視線が絡み合う。

 こちらが気が付いたと同時に、あちらも僕の事を認識したようで、僕達は同時に目を見張った。

 

 

 

 

 

 

「あの、今は何処に向かっているんですか?」

「ここら辺にあるジャガ丸くんのお店。この前ティオナに教えて貰って……あ」

「どうしたんですかアイズさん? ……こちらのヒューマンの少年はアイズさんのお知り合いですか?」

 

 視線の先に居たのは、金髪金眼の美しい容貌(すがた)の少女。

 数週間前、ダンジョンの五階層でミノタウロスに襲われていた僕を助けてくれたアイズ・ヴァレンシュタインさんだった。

 

 

 【剣姫(けんき)】アイズ・ヴァレンシュタイン。つい最近『レベル6』にランクアップした第一級冒険者。オラリオで一、二を争う最大派閥として名高い【ロキ・ファミリア】に所属する最新の英雄候補。

 隣にいるのは桃色の戦闘衣(バトル・クロス)を着たエルフの少女。彼女もアイズ・ヴァレンシュタインさんと同じ【ロキ・ファミリア】の眷属(なかま)なんだろう。

 

 

 僕とヴァレンシュタインさんはジャガ丸くんの屋台の前で見つめ合ったまま、同じように固まっていた。

 ヴァレンシュタインさんの隣に立つエルフの少女が、困惑するように僕とヴァレンシュタインさんの顔を交互に見る。

 僕の横に立っているヘスティア様も、エルフの少女と同じような行動をしているのを気配で感じる。

 そんな奇妙な均衡(きんこう)を破ったのは、こちらからだった。

 僕はヴァレンシュタインさんから視線を切る様に、頭を深く下げた。

 

「え、えっと、この前は助けて頂いて、本当にありがとうございました」

「え……」

 

 突然頭を下げた僕に、こちらを見ていた彼女の金色の目が僅かに見開かれた。戸惑う様に漏れた呟きが僕の頭の裏に落されたる。

 僕とヴァレンシュタインさんと対面するのはミノタウロスとの一件以来になる。(『豊穣の女主人』でも顔を見たけれど、きっと向こうは僕の事に気付いてないと思う)

 再び会った命の恩人に、僕は頭を下げて感謝を伝えることにした。助けてもらった直後に一言だけお礼を言ったけど、やっぱりこういうのはちゃんとしておいた方がいいって、エイナさんにもこの前言われたし。

 

 感謝の言葉と共に頭を下げた後、僕は体を起こす。

 

「……」

「……えっと」

 

 反応が、ない。

 感謝を伝えられたのは良かったけれど、当のヴァレンシュタインさんは僕を前にしたまま固まってしまって、何か言おうとしたのか口を開けるも言葉が出てこないようだった。

 沈黙が、続く。

 

「……」

「……」

「……」

「んー、ま、まぁまぁ二人とも、状況はよく分からないけど一旦落ち着こうか。ほら、冒険者君がいきなり頭下げるもんだから、そっちの彼女が困っているじゃないか。男の子なんだから、女の子を困らせたりしちゃダメだろう?」

「そ、そうですね。すみませんヘスティア様、ヴァレンシュタインさんも、すみません」

「えっと、あの、えっと……」

「はいはい、君も言いたい事があるみたいだけど、話はあっちにあるベンチでするんだ。あっ、その前にジャガ丸くんを買っていってくれよ。お店の前で騒がれた迷惑料にね」

「……はい。あの、じゃあジャガ丸くんの小豆クリーム味、二つ下さい。……レフィーヤはどうする?」

「……へ? あっ、はい! じゃあアイズさんと一緒ので!」

「おっけー、小豆クリームみっつ入りましたー!」

 

 ヘスティア様が受けた注文を読み上げ、トングを手にした獣人の店員さんが「あいよー!」と声を上げた。

 手早く揚げられた三つのジャガ丸くんを、ヘスティア様が慣れた手つきで包装紙に包み、二人に手渡す。

 その後すぐに「しっ、しっ」と手を振られて、近くのベンチの方に追い払われてしまった。

 

 去り際に、ヘスティア様は僕を引き留めると耳元に顔を近づけて「ちゃんと仲直りするんだぞ?」と呟いて、押し出すように僕の背中をポンと叩いた。

 子供同士の喧嘩を(いさ)め、頭を撫でる親のような、(おとな)の対応に恥ずかしさと――嬉しさを感じながら二人を追ってベンチに向かう。

 

 僕たちはヘスティア様に言われた通り、そこで大人しく腰を下ろした。

 

「……」

「……」

 

 ヘスティア様にああ言われたけれど、腰を落ち着けた後、僕は何も言えなかった。ヴァレンシュタインさんもソレは同じようで、お互いに話しかけづらくて双方沈黙を続けてしまう。

 いや、完全に沈黙というワケではなくて、サク、サクと揚げたてのジャガ丸くんを(かじ)る音が定期的に聞こえてくるんだけど。

 僕も、ただ無言でいるのに耐えられず、食べかけだったジャガ丸くん(プレーン味)を口に運びはじめた。

 

「…………(サクサク)」

「…………(サクサク)」

 

 僕とヴァレンシュタインさんは正面を向いたまま、目を合わせることなく黙々とジャガ丸くんを咀嚼し続ける。対して、彼女の隣に座るエルフの少女は手に持った二つのジャガ丸くんを口に運ぶ事なく、食べ続ける僕たちを困惑しながらただ見ている。

 

 そして僕は食べかけだったジャガ丸くんを、ヴァレンシュタインさんは二個のジャガ丸くんをあっという間に食べ終えてしまった。

 

 

 文字通り手持ち無沙汰になって、再び沈黙が続くかと思った、その時。

 

「ごめんなさい」

「え……?」

「私が倒し損ねたミノタウロスのせいで、君に迷惑をかけて、いっぱい傷付けたから……ずっと謝りたかった。だから、ごめんなさい」

「そ、そんな、違います。悪いのは迂闊(うかつ)に下層に潜った僕の方で、貴方が謝る事なんて」

「その事だけじゃなくて、酒場の時も、私の仲間が君を……傷つけた、から」

 

 ドクン、と心臓が大きく跳ねた。

 酒場――ダンジョンでミノタウロスに襲われたあの日の晩。

 彼女を含めた【ロキ・ファミリア】の団体が遠征の打ち上げをしていたあの場に、僕がいた事を彼女は気付いていたと言う。

 揶揄(やゆ)され、(さげす)まれ、嗤われていたあの日の僕を。

 羞恥と、自身への怒りで酒場から飛び出していしまった僕を、ヴァレンシュタインさんは見ていたらしい。

 あの時の僕は狼人(ウェアウルフ)の青年の言葉があったからこそ奮起することが出来たのだけれど、今でも思い出すのは恥ずかしいし、やっぱり悔しくなってしまう。

 気づけばくしゃり、と手の中でジャガ丸くんを包んでいた紙が潰されていた。

 

 その音に反応してか、ヴァレンシュタインさんが顔を僕に向ける。

 僕もまた正面から彼女へ顔を向け、さっきよりも至近距離で見つめ合う。

 本当に申し訳なさそうに、愁眉(しゅうび)に歪める彼女は、決意したように(まなじり)を上げ、口を開いた。

 

「だから、私は君に……(つぐな)いをしたい」

「へ?」

「んなぁ!?」

「ヒドイことをしたから、そのお詫びに……私にできる事なら、何で――」

「待った待った、アイズさん、ちょっと待ってください!」

「レ、レフィーヤ?」

「二人の事情はいまいち良く分かりませんけど! アイズさん、自分がとんでもない事言おうとしてるの自覚してますか!?」

「で、でも私あの子に悪いことして……」

「限度ってものがあります! アイズさんみたいに美しくて可憐な人が、何でもだなんて……だっダメです! そんなの私が許しません!」

「え、えっと……」

「私の目の黒いうちは、アイズさんに不埒(ふらち)な真似はさせませんから! いいですね、そこのヒューマン!」

「ぼ、僕何も言ってませんけどぉ!?」

「黙りなさい! そんな事言って、アイズさんの負い目に付け込んで、あ、あんな事やそんな事を、う、うらやま……不潔です!」

「えぇぇ!?」

 

 ズビシ! と僕に向かって細い指先を突き付けるエルフの少女のとんでもない言いがかりに狼狽(うろた)えてしまう。

 

 

「決闘です! 私が勝ったらアイズさんには指一本触れさせませんから!」

「どうしてそうなるんですか!?」

「レフィーヤ、落ち着いて……?」

 

 顔を赤くしながら、急に怒り出したエルフの少女がベンチから勢いよく立ち上がり、僕の手首を掴んだと思うと、凄い力で引っ張られる。

 そのまま、移動を始めた彼女に引きずられる様にしてどこかに連れて行かれてしまう。

 どうやら街中では周囲に迷惑がかかるからと、周囲に被害が及びにくいダンジョンの中で決闘するらしい。その冷静さをもっと他の所で活かしてほしいと思ってしまったのは仕方ない事だろう。

 

 突然の事に戸惑いながらも、少女に抗議しても聞く耳を持ってもらえない。

 彼女の仲間で、唯一の頼みの綱であるヴァレンシュタインさんも、おろおろするばかりで仲間の少女を止めきれないみたいだし。

 

 僕よりもレベルが遥かに上なんだろう。こちらの抵抗を歯牙にもかけずに、強引に僕の手を引っ張りダンジョンに連れて行くエルフの少女。

 その僕の手首を掴む、細くて白い彼女の手の柔らかい感触に、僕は場違いにも顔を赤くしてしまった。

 

 

 




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贄の兎 10

 

 『――わ、私にっ訓練をつけて下さい! 二人きりで!!』

 

 ダンジョン深層への『遠征』を一週間後に控えたある日の早朝。

 本拠(ホーム)の中庭で日課の素振りを終えたアイズに、そう言って頭を下げてきたエルフの少女――レフィーヤの要求にアイズが頷いたのは数日前の事。

 後進の育成という初めての経験に戸惑いながらも、なんとか形ばかりの指導にも慣れが生まれてきた頃、訓練の息抜きがてら二人で町中を散策することになった。

 

 「アイズさんとデート、アイズさんとデートっ」と、しきりに小声で何か呟いているレフィーヤと連れ立って歩きながら、そう言えば前にアイズの好物(ジャガ丸くん)の屋台があると友人(ティオナ)に教えて貰ったなと思いだしたアイズは、新たな(ジャガ丸くんとの)出会いを求めて北のメインストリートへ足を向けると、以前ダンジョンで出会った白兎に似た少年、ベルとの三度目の――前に会った時は気を失っていたため、向こうにとっては二度目の――邂逅(かいこう)を果たしたのだった。

 

 

(……本当に、あの時の子……?)

 

 屋台で働く少女と話していたベルの立ち姿を見た時、アイズは目を見張るほどに驚いた。

 偶然会った事の驚きは勿論ある。しかしそれ以上に、一か月前とは比べ物にならない程にベルが『成長』していることに気が付いて、瞠目(どうもく)したのだ。

 

 アイズの目前にいる、今のベルは構えも何もとってはいない、ただ立っているだけだ。しかし、その体の中心に一本の芯が通った様にゆるぎなく、体幹の歪みもほぼない。重心の位置だってしっかり低くしている。もしも今ここで戦闘が起きたとしても――例えば、自分が斬りかかったとしても――即座に反応できる。そんな心構えがベルの中にはある事がアイズには(うかが)い見ることが出来た。

 獰猛(どうもう)かつ狡猾(こうかつ)なモンスター、悪辣(あくらつ)極まりない迷宮の罠。尽きる事を知らない脅威が常にこちらの命を狙い続けるダンジョンに身を投じる冒険者としては、その程度はできて当然の心構え。

 しかしそれは一朝一夕に出来るものではないことを、アイズは知っている。

 知っているから、気になった。

 

 一度目の邂逅(かいこう)――ミノタウロスに襲われていた時の、いかにも駆け出し冒険者だった少年と、今の目の前に立つベルはまるでかけ離れた存在であることを、第一級冒険者であるアイズの目は彼の姿勢を見ただけで察したのだ。

 

 

 ――知りたい。

 あの、アイズの目からも明らかに未熟で、見るからに平凡であった少年の。

 一か月と言う短すぎる期間で、それに見合わない成長を――否。

 『飛躍(ひやく)』を()げたベルの秘密……突き止めたい。見極めたい。

 そんな欲求がアイズの内から滾々(こんこん)と湧き上がってきた。

 

 

 どんどんと大きくなっていくベルへの興味。しかし、アイズの中にはそれと同じくらいベルに対する大きな負い目がある。

 それはベルと出会った切っ掛けでもある、アイズが倒したミノタウロス、その一体。

 あわや寸前、と言ったところでミノタウロスに襲われていたベルを助ける事が出来たが、そもそもベルを襲ったミノタウロスはアイズ達が逃がしてしまった個体だ。

 

 酒場での一件もそう。同僚であるベートがベルの事を酒の席で笑いものにした、その席に彼が居合わせていた事を、酒場から飛び出す彼の背中を見たアイズは知っていた。

 

 

 彼に謝らなくては。私は、私達は何も悪くない彼を傷付けてしまった。初めて会ったダンジョンで仲間の狼人(ベート)の背を追って彼の下から離れる時。背後からかすかに聞こえた嗚咽(おえつ)の声を、酒場で見た、目の端から涙をこぼしながら飛び出したベルの姿を、アイズは(しか)りと覚えていた。

 

 

 しかし、そう、しかしだ。

 それでも、彼の秘密を聞き出したい。暴き出したい。

 ともすれば、無理やりにでも。

 

 でも、私は強くなりたい。

 他でもない、自分自身の願いの為に。

 

 

 彼を傷つけた張本人であるアイズに頭を下げ、助けた事への感謝を告げる少年の、見るからに純朴(じゅんぼく)そうなベルと、欲に塗れた内心が対比して、自身の醜さが余計に強く浮き上がる。

 

 

 ――……それでも、知りたい。

 

 

(彼はこの前【フレイヤ・ファミリア】の団長である【猛者(おうじゃ)】と一緒に居た。つまり彼の所属派閥は【フレイヤ・ファミリア】で、私は【ロキ・ファミリア】……潜在的な敵対派閥同士)

(……無理矢理話を聞き出すのは、ダメ。フィン達に迷惑をかけてしまう)

(あの時の彼は気を失っていたから、私が自分の派閥を知っているとは知らないはず)

(機会は、今しかない。次に会える時は、本当に敵同士になってるかもしれない)

(……何とかして彼の秘密、その手掛かりだけでも聞かなくちゃ)

 

 

 アイズは考える。どうすれば少年から成長の秘訣(ひけつ)を聞き出せるのかを。

 思い浮かぶのは、先達であるフィンやリヴェリアや、同僚であるティオネ達が他派閥の者と交渉する姿。

 彼等がアイズに教えて(見せて)くれた交渉の基本。こちらの要求を叶えたいならば、向こうにもメリットを与えてやる、という事。

 

 自分が持つモノの中で少年に与えられるメリット。それは長年にわたって磨き上げてきた戦闘の技術。これしかない。

 

 

 曲がりなりにも、【剣姫】と呼ばれる自分の技術と交換、みたいな形で彼の秘密を教えて貰えないだろうか。

 【フレイヤ・ファミリア】っていつも戦ってるらしいし、きっと戦いが好きなんだろう。第一級冒険者である自分との模擬戦なら喜んでくれるんじゃないかな。とアイズは考えた。自分なら強い人との模擬戦は喜ぶ。我ながらいい考えだ。

 

 

 気分は巣穴の奥で身を潜める白兎(ウサギ)の前に人参(ニンジン)を突き出しながら、穴の外へ誘い出す感覚に近い。

 そうと決めれば即行動。冒険者の鉄則である。

 アイズは、己の(つたな)会話能(コミュ)力を総動員させて、話をベルとの模擬戦へとシフトさせようとした。

 

 しかし、アイズが話を持ち掛けようとする前に、それまで静かだったレフィーヤが突然怒りだしてしまった。

 挙句にそのままベルに決闘を持ち掛ける始末。

 アイズは困惑してしまった。

 何でそうなる。

 

 

「ここでヤると周囲の被害が大きくなってしまいます。ダンジョンに向かいましょう」

「いやいや、ちょっと待ってくださいよ!? というか被害が大きくって、僕に何をするつもりなんですか!?」

「問答無用!」

 

 そもそもの前提として、レベル3がレベル1に決闘を仕掛けると言うのがおかしいことだ。それは決闘ではなくただの私刑(リンチ)にしかならない。

 明らかにレフィーヤは冷静ではない。

 レフィーヤを止めようとして口を開こうとした、間際。落雷の如き(ひらめ)きがアイズを襲った。

 

 『あれ、これってむしろ都合がいいのでは?』と。

 

 一度、そう考え至ってしまっては、もうアイズの中にレフィーヤを止めるという選択肢はなくなった。

 だって、本当にいい考えだと思ってしまったのだから。

 その証拠に、(かたわ)らに立つ幼い自分が頭の上で魔石灯を発光させているのが幻視(みえ)る。

 今のレフィーヤは何故か錯乱しているようだが、それでも、ベルと決闘をするにしても、流石に魔法は使わないはず(と思いたい)。

 そうなれば多少話は違ってくる。レフィーヤは魔導士(後衛)で、ベルは剣士(前衛)

 魔法抜きの戦いなら、レベル差があっても力の差は大きく縮まる。

 少しでも拮抗(きっこう)すれば、少年の強さの秘密の一端に迫れるかもしれない。

  

 

 

「アイズさんへの不埒千万(ふらちせんばん)、覚悟してください!」

「だから何もしてませんって! た、助けてくださいぃっ!?」

 

 

 レフィーヤに引きずられながら、助けて欲しそうにこちらを見つめるベルの姿に、屠殺場(とさつば)に送られる兎が重なった。

 隣に立っている幼い自分も、それを見て流石に悪いと思ったのか、頭の上の魔石灯を手に取って頭から下ろし、それを背中に隠していた。

 しかし。それでもアイズはレフィーヤを止めることはしなかった。

 ただ、強くなりたいという自身の願いの為に。ベルの強さの秘密を知る為に。

 アイズは黙って二人の後をついていく。

 

 

「あ、あのっ! ヴァレンシュタインさんった、たすけ――」

「何アイズさんに言い寄ろうとしているんですか!」

「ヒィィーーーッッ!?」

 

 荒ぶる妖精の怒号。響き渡る少年の悲鳴。アイズはただ悲痛そうにそれらから目を逸らした。

 積み重なるアイズの悪行。増え続ける少年への罪悪感に、アイズの胸はキリキリと音を立てて(うず)きを上げていた。

 

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 

「ほんっっっとうに、すみませんでした……っ!」

「あ、あはは……」

 

 ジャガ丸くんの屋台があった場所での決闘発言から、僕はエルフの少女――レフィーヤさんに引きずられてダンジョン一階層、の中にある比較的大きめの広間(ルーム)にやって来た。

 そしてそこで、レフィーヤさんに頭を下げられていた。どうやら短くない距離を移動している内に頭が冷えたみたいで、ルームに辿り着いた時には、自分の行いを客観的に振り返った彼女は顔を真っ青に染めていた。

 

「私ったら、アイズさんの貞操を守らないとって、そればかり考えちゃって。貴方はそんな事をアイズさんにするなんて言ってないのに…………言いませんよね?」

「ヒィっ! い、言いませんよ! 助けてもらった人にそんな事しませんって!?」

「……ですよね! すみません、早とちりしちゃって。おまけにこんな所まで連れてきてしまうなんて」

「あ、あはは……」

 

 エルフの人特有の笹葉のような耳と、形のいい眉をハの字にして肩を落す彼女に、僕は苦笑しか返せない。

 途中で念押しの様に確認されたあの一瞬。オッタルさんから感じる以上の重圧(プレッシャー)を彼女が発した気がするのは、気のせいだと思いたい。

 

「貴方への誹謗(ひぼう)や暴行の数々は、誇り高き一族の一員としても、()えある【ロキ・ファミリア】のメンバーとしても、恥ずべき行いでした……どう謝罪をすればいいのか」

「え、えっと……?」

 

 本当に申し訳なさそうに落ち込むレフィーヤさんを前に、僕は何を言えばいいのか分からなかった。

 深く影を落とす彼女に困っていると、僕達の後ろに立っていたヴァレンシュタインさんが声を上げた。

 

「あ、あの……私とキミで闘うのは、どうかな」

「はい?」

「へ?」

「えっと、私も、レフィーヤも強いから……私達と闘って、君に強さを教える……その、(つぐな)いとして?」

 

 

 唐突過ぎる提案。そしてその内容に僕も、そしてレフィーヤさんも戸惑いを隠せなかった。

 

 

 

「え、どういうことですか? 強さを教えるって……僕、謝罪代わりにボコボコにされるんですか?」

「いや、そういう事ではないかと思います。多分、アイズさんは単純に貴方と模擬戦しようって言っているんじゃないでしょうか」

「あ、そういう……いやでも、戦う事になったら結局一緒じゃないですか? ヴァレンシュタインさんってこの前レベル6になったって……」

「まあ、その……アイズさんってちょっと天然さんが入っていますし。いや、そこも素敵な点ではあるんですが、これはちょっと……」

 

 

 アイズさんの言葉に顔を見合わせた僕とレフィーヤさんは、示し合わせた様に顔を寄せ合って密談(ハナ)し合う。結果、彼女の発言から抱いた懸念は解消されたとはいえ、不安は拭えなかった。

 というか、そっか。ヴァレンシュタインさんって、天然なんだ……。

 

「えっと、ヴァレンシュタインさんとの模擬戦がお()びって、どうなんでしょうか」

「……そうですね。結論としては、アリかもしれません」

「えっ」

「他派閥の団員に戦闘の手ほどき――つまりは無償の協力と同義です。しかもその相手は【ロキ・ファミリア】の幹部も務め、都市最強と名高い【剣姫(けんき)】――って、なんですか、その不満そうな顔は?」

「いえ、別に……」

「コホンっ、とにかく、そんなに強いアイズさんから教えを受けられるのは同じ派閥でも難しい事なんです。なので貴方にもいい経験になるはずですよ。お詫びとしては十分なものになるでしょう」

「なるほど……」

 

 

 レフィーヤさんからアイズさんの提案の真意を尋ねてみれば、帰ってきた答えはそれも確かにと納得のできるものだった。

 

 レフィーヤさんとの話し合いを切り上げ、こちらを見つめるヴァレンシュタインさんに振り返る。

 金髪近眼の剣士。【剣姫(けんき)】アイズ・ヴァレンシュタイン。

 ()()()()()冒険者であるオッタルさんには敵わなくても、彼女はオラリオでも数少ない『レベル6』。僕よりも(はる)かに格上の強者だ。

 レフィーヤさんが言っていたように、そんな彼女との模擬戦は僕にとっていい経験になる。

 

 彼女からの善意を利用するみたいで悪く思ってしまう。

 でも、僕は強くなりたい。

 他でもない、自分自身の憧れの為に。

 

 

「あの、ヴァレンシュタインさん……その、ご教授を、よろしくお願いします!」

「…………うん」

 

 

 




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贄の兎 11

 

 迷宮の広間の中で、アイズはベルと対峙していた。

 ベルの手には鞘から刃が抜けない様に細い紐で固定された直剣が、アイズの手には愛剣(デスペラード)(さや)が握られている。

 向かい合う両名はそろって真剣な表情を顔に張り付け、特にベルは緊張からか顔を強張らせていた。

 アイズがベルの立ち姿からその力量を見抜いたように、ベルもまたアイズの構えから、アイズと自身との隔絶(かくぜつ)した力の差を悟っていた。

 そんなベルを前にアイズは油断を見せることなく鞘を構え、その表情も僅かながらに眉をきりり、と吊り上げ真剣さを――(よそお)っていた。

 

 

(…………あ、危なかった)

 

 しかし実際の所、その内心は安堵(あんど)で一杯だった。

 

 先日からレフィーヤからお願いされて一緒に特訓をしていたアイズは、一旦休憩と腹ごなしも兼ねて、北のメインストリートにあるジャガ丸くんの屋台へと向かった。

 その先で偶然ベルと再会し、以前とは比較にもならない程に成長したベルを見て、その秘訣を知りたいと思ったアイズだったが、なぜかレフィーヤがベルに突然決闘を突き付けてしまう。

 後輩の暴挙に戸惑うアイズだったが、これはこれで都合がいいとレフィーヤの好きにさせる事にした――一応、ヤバイ事になる前に止めるつもりではいた――のだが、戦う前に冷静に戻ったレフィーヤはベルに頭を下げるばかりで、戦う雰囲気になりそうもない。

 このままではベルの秘密を暴くという己の目的が果たせないと焦ったアイズは、衝動的に「レフィーヤと闘わないんだったら自分と闘おう」と言ってしまった。

 よく考えずに口走った先の行動だったが、ベルは戸惑いつつもコレを承諾。

 

 

 そして迷宮の広間の一角で、二人が対峙する事になったのだった。

 レフィーヤの暴走に一時はどうなるかと思ったが、結果を見れば第三者が戦うのを見学する側から、自分が実際にベルと手を合わせられる事になって、幸運だったと言える。 

 

 

「……じゃあ、いくよ」

「はいっ」

 

 アイズが訓練の開始を伝え、ベルはそれに威勢よく返事をする。

 その構えからは確かな研鑽(けんさん)が見て取れる、堂に入ったものだ。

 

(……やっぱり成長してる。それもすごく)

 

 少年と初めて出会ったダンジョン五階層。アイズ達が取り逃がしたミノタウロスから逃げていたベルと。

 再び目にした酒場で、アイズ達が笑い者にして傷つけて、酒場から飛び出していったベルの――正に駆け出しといった様子とは、まるでかけ離れた力量差が、アイズに鞘に収まった剣の切っ先を向けるベルの構えから感じ取れた。

 

 ベルの変貌(へんぼう)を知れば知るほどに、アイズはベルに興味を持ってしまう。

 己の悲願に一歩でも近づくために――強くなるために、アイズは知りたい。

 細い鞘を握る手からギュゥッと軋む音が鳴るほどに力が籠もる。

 

(どうして、キミはそんなに強くなってるの?)

 

(どうしたら、そんなに早く強くなれるの?)

 

(私も、強くなりたい。だから――――――教えて)

 

 

 ダンッ! と、強く地面を蹴った。

 数M(メドル)あった彼我の距離は、アイズの一歩で瞬きの間に潰される。

 急速に迫るベルの姿、その表情が、顔色が変わるのをアイズは見た。

 目を剥かんばかりに大きく開き、引き締めていた口はパカリと開く。

 

「は、はや――」

 

 ブオン! とアイズは鞘を横薙ぎに振るう。

 幾度(いくたび)の冒険を経て昇華された(レベル)が、人知を超えたステイタスの暴力(スピード)を、手の中の鞘に乗せて、ベルの横腹へと叩き込む。

 

「げふぅっ!?」

 

 アイズ(レベル6)の一撃がベル(レベル1)に直撃し、ベルは奇声と共に吹っ飛んだ。

 『く』の字になって、滑る様に横に飛んでいくベルの姿を、アイズは鞘を振り抜いたまま見送った。

 

 

「……あれ?」

 

 

 

 

 

 ……弁解を、させて欲しい。

 ベルは確かに、アイズが以前見た時よりも成長している。戦いに身を置く冒険者としての姿勢も、そのステータスも。

 しかしレベルは1のままで、対するアイズは都市でも指折りのレベル6だ。その程度を見分けられぬアイズではない。ちゃんとわかってる。

 

 そもそもの話をすると、ここに至るまでの発端(ほったん)となったのはレフィーヤとの特訓だった。

 アイズは後輩のレフィーヤからの懸命な懇願(こんがん)の末、彼女を指導することになったが、そもそも剣士であるアイズに魔導士であるレフィーヤへ教えられることは少なく、悩んだアイズは模擬戦という形でレフィーヤに経験を積ませることにしたのだった。

 

 これまで経験のなかった初の後進への指導に戸惑いつつも、失敗――手加減の調整を間違えてズタボロにするなど――を重ねながら、アイズはレフィーヤの力量に合わせた手加減を覚える事で、なんとか指導の形に持っていく事に成功していた。

 これまで生かす必要のないモンスターか、己と同等かそれ以上の敵ばかりを相手取ってきたアイズにとって、自分よりも弱い者に手加減をするという行動はとても気を使うものであり、相手に合わせて手加減の程度を調整することはアイズにはまだ難しかった。

 

 その結果、ベル(レベル1)レフィーヤ(レベル3)用に調整された力で斬りかかられ、それに対応できずに吹っ飛ばされてしまったのだった。

 

 

 

「ア、アイズさんっ、何やってるんですか!? 今グシャァって、グシャァって音が!?」

「レ、レフィーヤとの訓練のつもりで、斬りかかっちゃった……」

「私とのって……あのヒトってレベル1ですよね? 私のレベルは3ですよ!? 反応できるわけがないじゃないですか!」

「……ご、ごめん」

「私に謝るよりもっまずあのヒトの容体を確かめないと!」

 

 アイズとレフィーヤは泡を食う様に吹き飛んでいったベルへと駆け出した。

 レベル3相当の力で殴られたベルは、10(メドル)近く宙を飛んだ。そして地面に落ちた後も勢いのままごろごろと転がり、止まった後はピクリとも動こうとしない。

 二人は最悪の結末を想像し顔を青ざめさせた。

 

「う、うぅ……」

「い、生きてます! 生きてますよアイズさん……ッ!」

「よ、良かった……」

「とりあえず回復魔法を掛けますね! 【――ウィーシェの名のもとに願う……」

 

 二人が駆け寄った先で横たわるベルが漏らしたうめき声にアイズ達は喝采(かっさい)を上げた。特にアイズはベルの息があったことに深い安堵の息を漏らす。

 

 良かった。都市最高峰派閥(【ロキ・ファミリア】)による敵対派閥(【フレイヤ・ファミリア】)の下位団員への殺害事件は無かったのだ。都市の終焉(ラグナロク)(まぬが)れた。

 ベルの所属派閥を知らぬレフィーヤが必死に回復魔法をかける様子を邪魔せぬよう、静かに見つめるアイズの内心は冷汗ビッショリであった。

 

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 

「……レ、レフィーヤ」

「何ですかアイズさん!? 今とっても忙しんですけど!」

「その、この子に膝枕とかした方がいいのかな……ダンジョンの地面固そうだし。えっと、その、お詫びとして」

「……………………迷惑をかけたのはこっちですし、私は魔法に集中しないといけないので、アイズさんがそうした方がいいと思うのであれば……イインジャナイデショウカ」

「ん……よいしょ」

「……アイズ、サン」

「な、なに?」

「ナンデ、ソノ子ノアタマヲ撫デテルンデスカ」

「……なんとなく?」

「……」

 

 

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 

 

「……」

 

 僕はゆっくりと目を開けた。

 気絶から復帰する間際の、この酷く気怠い感覚にはすっかり慣れ切ってしまった。

 しかし、辺りがやけに薄暗く感じる。もしかして、もう日が沈んでしまったのだろうか。

 はやく大広間に向かわないとご飯が無くなってしまう、なんて考えながら最後に途絶えた記憶を辿っていく。

 今日はオッタルさんとどんな訓練をしたんだっけ……?

 というか、なんか頭の裏が(ミョウ)に柔らかいような?

 

「大丈夫?」

「……ほあぁ!?」

 

 今度はどのくらい気絶していたんだろう、とぼんやり考えていると、不意に、ひょいと。

 仰向けになっている僕の顔を、金の瞳が覗き込んできた。

 慌ててがばりと起き上がり、その勢いのままごろんごろんと前転を繰り返して距離を取る。

 

「……あ」

「えっ、えっ……なんで膝枕!? ていうかここ原野じゃない! ダンジョン!?」

「その、ごめん。お腹痛くない? 大丈夫?」

「え? いや、痛くはないですけど…………えぇっ?」

 

 目覚めた先はいつもの原野ではなく、岩壁がむき出しになった洞窟(ダンジョン)の中で、気を失っていた僕をなぜか膝枕していたのはアイズ・ヴァレンシュタインさんだった。

 状況の把握が出来ずにいる僕に、ヴァレンシュタインさんが体の具合を聞いてきて……そうだ。僕は偶然街で会った彼女と訓練をする事になって、あまりの速度の差についていけず気絶して。それで――

 

「な、なんで膝枕なんかっ!?」

「えっと……ダンジョンの地面が固そうだったから……私が手加減を間違えて君に大怪我させちゃうところだったし、せめてもの償いとして……嫌、だった?」

「い、嫌じゃないですけど……むしろ役得「ハァ?」って嘘うそウソ嘘です今のは違うんです!? その、気の迷いと言うかなんというかっ……ゴメンなさいぃ!!」

 

 怖い。ヴァレンシュタインさんの後ろから、僕を見てくるレフィーヤさんのガン開きした目がすごく怖い!?

 

「君が謝る事はないよ。悪いのは全部私だから……君の怪我を治してくれたのもレフィーヤだし……レフィーヤもそう思うでしょ?」

「そうですね。私もアイズさんに謝るのは違うと思いますむしろお礼を言った方がいいんじゃないでしょうか――――言いなさい

「ヒッ、膝枕していただいてありがとうございましたぁ!」

「……? ど、どういたしまして?」

 

 (まばた)き一つせず見つめてくるレフィーヤさんの圧に押さえつけられるように、前転した体勢からそのまま、立膝を着いた状態でその場に手をついて頭を下げる。

 聞いた話では、極東でこの膝を曲げて地面に頭を伏せる姿勢を『ドゲザ』と呼ぶらしい。極東に代々伝わる、全ての事が許される最終奥義だとか、なんとか。

 間を空けて僅かに顔を上げ、ちらりと様子を窺えばレフィーヤさんは腕組しながら小さく頷いた。どうやら許して貰えたらしい。

 

 そんなこんなで間を置いて、治療を終えた体に支障がないことが確認出来てから、僕達は再び向かい合った。

 

 

「ホントに、いいの?」

「はい、もう大丈夫です。それに気絶するのには慣れてますから」

「……じゃあ、再開しようか。次は、君の方から来て」

「はいっ」

 

 駆け出す。

 腰だめに鞘に納められたままの直剣を構えて、正面から斬りかか――らない。

 

「ッ!」

「はあっ」

 

 フェイント。明らかに格上を相手に正面突破は(はか)らない。

 剣を握っている手とは逆の手に向かって飛んで、一撃。

 もちろん防がれる。当然だ。この人はオッタルさんと同じく、僕よりも遥かに強い。

 この程度の小手先で突ける様な隙なんて存在しない。

 すぐに後ろに飛んで距離を離そうとする。しかし、向こうはそれを許さない。

 後ろに下がる僕に追随(ついずい)するように前に出て、鞘が振り下ろされる。

 風を切る音と共に迫る鞘の速度は、勿論速い。 

 

(でも、遅い!)

 

 さっきみたいに一瞬で距離を潰されるのと同時に攻撃を食らった時とは違う。今回はちゃんと、僕相手(レベル1)でも対応できるくらいに手加減がされていた。

 あの時の一撃は、どうやらレベル3――の魔導士。前衛を務める冒険者を想定するよりも更に手加減している――相手を想定した攻撃だったらしく、今の僕では反応することが出来なかった。

 幸い連日オッタルさんにボコボコにされた経験が活きたのか、無意識の内に攻撃の方向と同じ方へ飛んで衝撃を軽減出来ていたけれど、それが無ければ死んでいたかもしれない。

 

「くっ」

 

 迫りくる鞘の一撃を直剣を盾にして防ぐ。

 鞘と鞘がぶつかると同時に再び地面を蹴って後ろに飛ぶ。着地と同時に駆け出す。

 そのままヴァレンシュタインさんを中心に円を描くように走り、攻撃。防がれては離脱して、また攻撃。

 一撃離脱(ヒットアンドアウェイ)を繰り返す。

 

「うん、いいね。それじゃあ、これならどう?」

 

 五度目の攻撃を(さば)き切ったヴァレンシュタインさんはそう言って動き出した。

 まるで、僕から逃げる様に。

 咄嗟(とっさ)に、それを追いかける。追いかけてしまった。

 

「誘いに乗っちゃ、ダメ」

「うぐっ!」

 

 こちらに背を向けたヴァレンシュタインさんが突如(とつじょ)反転して、斬りかかってくるのを何とか受け止める。

 

「足を止めたら、狙われちゃうよ」

 

 振り下ろされる一撃を踏ん張って耐えると、フッとその場から引いた彼女から、怒涛(どとう)連続攻撃(ヒットアンドアウェイ)が繰り出される。

 何発かは防ぐことが出来たけど、その倍以上の攻撃を食らってしまう。

 

「ぐぅぅっ!」

「平気?」

「……まだ、いけますっ!」

 

 打ち付けられた全身が鈍い痛みを訴える。

 でも、気を失ってはいなかった。

 まだ、動ける。

 まだまだ、戦える。

 

 再度、駆け出す。

 それからは、何度も斬りかかって、斬りかかられて、ダンジョンの中で踊る様に攻守を交代しながら彼女と訓練を続けていく。

 ガン、ガン、と鞘同士をぶつけ合い、肉を叩く音が迷宮の片隅で響き続ける。

 

 

 

「――……グゥッ!」

 

 もう何度目になるのか、地面に転がった僕は即座に起き上がる。荒くなった息のまま走り出した。

 

 汗と土埃で汚れ切った僕とは対照的に、今は足を止めているアイズさんの姿は綺麗なままだ。

 打たれ、殴られながらも動き続けたせいで、全身が痛みと疲労で重くなってきている。

 でも、それが何だ。

 このくらい、原野での派閥内闘争(バトルロワイアル)で慣れ切っている。

 

 息を吸い込み、一歩。

 踏み込み、気迫と共に斬りかかる。

 

 

 袈裟(けさ)斬り。防がれた。

 切り上げ。横から叩いて逸らされる。

 薙ぎ払い。躱された。

 鞘の刺突。迎撃される。

 回し蹴り。()なされて地面に叩き落される。

 

「じゃあ、いくよ」

 

 僕が攻撃を繰り出す度に、「違うよ、そうじゃないよ」と教師が教え子を(たしな)める様に『正しいやり方』を体と頭に叩き込まれていく。

 僕が彼女にそうしたように、彼女は僕と全く同じようで、しかし全く別物の様に洗練された動きを僕に見せてくれた。

 今まで、原野で戦って来た先輩の動きを、自分なりに真似するだけだったのが、こうして丁寧にお手本を見せてくれる彼女のおかげで、いかに自分の動きに無駄があったのかが分かった。

 だから僕も、教えてくれる彼女に(むく)いる為に叩き込まれた動き(てほん)を模倣する。

 

 

 袈裟(けさ)斬り。なんとか防ぐ。

 切り上げ。横から叩いてギリギリ逸らす。

 薙ぎ払い。躱せない。

 鞘の刺突。来るって知っている、けれど。

 回し蹴り。直撃した。

 

 

「ごっふぅぅぅッ!!」

「あ」

 

 

 無理だった。

 頭で考えている動きに体がついていってくれない。

 

 ダンジョンの床をごろごろと転がった僕は、蹴られた胴体を押さえながら苦悶の声を上げる。

 

「うぐぐ……」

「ご、ごめん……また力加減を間違えちゃって」

「い、いえ、いいんです。僕が弱いのが悪いんですから……」

「君は、悪くないよ。悪いのは私の方。……実は、少しずつ攻撃する速度と力を強くしていたの」

「な、なんでそんなことを!?」

「大丈夫かなと思って……」

 

 明かされる衝撃の真実に開いた口が塞がらない。

 道理で段々対応が追い付かなくなるわけだよ!?

 

 落ち込む様に肩を落すヴァレンシュタインさんの姿に、そう言えばとオッタルさんとの訓練の時を思いだした。

 こうして思い返してみれば、原野で僕の相手をするオッタルさんは最初から最後まで一定の力しか出していなかったんだな、と。

 勿論毎回気絶させられてるし、その一定の力も僕ではまるで歯が立たず、例えるなら、あの、()()()()()()()()()()()()()()()()を思わせる程の強さだったけれども。

 手加減の強さが変動するヴァレンシュタインさんよりも、一定の力で抑えたままのオッタルさんの方が教えるのが上手なんじゃないだろうか。

 

 

「……聞いても、いい?」

「えっ?」

 

 突然、申し訳なさそうな表情を真剣なものに変えた彼女が、僕を真っすぐに見つめてくる。

 

「どうして君は、そんなに早く、強くなっていけるの?」

「つよ、く……?」

 

 問われた内容に、目を白黒させてしまう。

 強い、という言葉が、自分に不釣り合いなものに聞こえてしょうがなかった。

 さっきまであんなに地面を転がされていた自分が強いだなんて、とても思えなかった。

 これまでの、そして先程の情けない失態の数々が頭に浮かんで、反射的に彼女の言葉を否定しそうになる。

 しかしこちらを見据えてくるヴァレンシュタインさんの、真剣な目を見てしまった僕は口を閉じ、こちらも真剣に考えてみることにした。

 

 僕が、強くなれたのは……いや、今だって強くなろうとしているのは。

 

 

「えっと、どうしても追いつきたい人がいて、その人に憧れて、その人を必死に追いかけていたらいつの間にかここまで来ていて、その……」

 

 考えが上手くまとまらず、言い表せない。

 というか言っている途中にこれまでの自分の醜態の数々を思い返してしまって、あまりの至らなさに()()ずかしさが溢れて(たま)らない。

 ふと、自分の手に視線が行く。

 小さな手だ。(なま)(ちろ)くて細い(てのひら)

 村にいた頃の畑仕事で出来たタコの上に、この一か月間、幾度も潰しては硬くなった剣のタコが手の中で形成され始めていた。

 その、これまで積み重ねてきた努力の結晶を握り締める。

 

 すっかりしどろもどろになってしまったけれど、僕は拳に目を落したまま、その言葉で締めくくった。

 

 

「……何が何でも、辿り着きたい場所があるから、だと思います」

 

 

 その、僕が出した答えに、彼女は僅かに目を見開いた。

 黙って僕の事を見つめた後、おもむろに頭上を仰ぐ。

 

「そっか……」

「すっっっごい分かります、その気持ちッッ!!」

「分かる……ふぇ?」

 

 

 がしぃ! と握り締めた僕の手を取ったのは、それまでずっと黙ったまま僕たちの訓練を眺めていたレフィーヤさんだった。

 

 

「私も、憧れてる人がいて! ずっと追いかけているんですけど、どうしようもなく遠くて! いっつも守られてばかりで、足枷にしかなれなくて。でも、近づきたいんです。追いつきたいんです。だから、分かります、貴方の事っ私も!」

「……そ、そう、ですか? ……いえ、そうですよね。(あきら)められないんですよね、憧れちゃうんですよね!」

「はいっそうなんですよ! もう、一度見た時からずっと、あんな(ふう)になりたいって思っちゃって! 綺麗で、格好良くて私もいつかって!」

「……ああ、ああっ! 本当にそれなんですよ! 僕もあんな風になりたいって、強くて、格好良くって、まるで英雄みたいだなって! 憧れがもう、止められなくって!」

「分かります! なんだ、すごくいい人なんですね! 私すっかり誤解しちゃってました! 私レフィーヤ・ウィリディスって言います。レフィーヤでいいですよ!」

「僕はベル・クラネルです! 僕の事もベルって呼んでくださいレフィーヤさん!」

 

 興奮する彼女の口から語りだされた内容に、僕は同感しかなかった。

 エルフは他者との接触を避ける習性があるという事も忘れ、彼女に握られていた手をもう片方の手で強く握り返した。

 それから二人して、早口に早口を重ね、お互いの憧れを満足するまで語り合う。

 

「それでですねっ、あの時――」

「こっちだって、この前は――」

 

 僕たちはすっかりとそれまでの(わだかま)りを失くし、手を取り合って同じであって違う話題で盛り上がった。

 同志(どうし)っていうんだろうか? 神々が時折口にする派閥とはまた別の仲間関係……僕とレフィーヤさんの間に築かれた関係に名前を付けるなら、それが最も合っているような気がした。

 ひとしきりお互いの憧れについて語り尽くした後は、戦闘方法について話し込んだりもした。

 レフィーヤさんは魔法職で僕とは戦闘時の役割は全く違ったけれど、その専門的な知識はすっごく為になった。

 中でも、レフィーヤさんの知り合いの魔法戦士の戦い方なんかは、今の僕でも参考になる点が多くあったり。

 逆に、僕が原野で(つちか)った多対一の対処の仕方なんかを何度も頷きながら聞いてくれたりもした。

 

「すごいですね、レフィーヤさん!」

「いえいえ私なんかまだまだですよ! ベルさんこそ駆け出しとは思えないくらいすごいじゃないですか!」

 

 

 レフィーヤさん、すっごいいい人だ! 最初の印象がスゴかったからちょっと引いちゃった所があったけど、そんな事なかった! 彼女も僕と一緒なんだって、憧れに対して一生懸命なんだって凄く伝わってくるし、こっちも伝わってるって分かる! ああ、分かってもらえるって、こんなに嬉しい事なんだなぁっ!

 

 

「すごく仲、よさそう……」

 

 

 レフィーヤさんと話し込んでいる間、ヴァレンシュタインさんはルームに湧いたモンスターを処理してくれていて、ダンジョンの中だというのに僕達は思う存分語り合う事が出来た。

 やがて、ルームにモンスターの山が積み上げられた頃、時間も遅くなった事で僕達はダンジョンから出る事になり、沈む夕日を目にする頃には僕とレフィーヤさんはすっかり仲良くなっていた。

 

 

 最後に皆でヘスティア様の務める屋台に顔を出して、仲直りしたことを伝えると、ヘスティア様は我が事の様に喜んでくれた。

 今日はファミリアの人達とは別の高レベルの冒険者と訓練出来たり、友達が一人できたりして、すっごく充実した一日だったなぁ。

 明日も、これから頑張っていけそうだと、僕は頬を緩めながら、彼女達と別れホームへ帰るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやー、いい子でしたねベルさん! それにレベル1とは思えないくらい強かったですし!」

「……レフィーヤ」

「はい! なんですか、アイズさん?」

「……私だけ、仲間外れにされた。レフィーヤの、いぢわる」

「!?」

 

 

 この後拗ねたアイズに特訓をボイコットされたレフィーヤは、黒髪の妖精と友誼(ゆうぎ)を結ぶ事になる。

 



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贄の兎 12

 

 ――ポタリ、と(あか)(しずく)が細い指先を伝って下に落とされる。

 新雪のような白い背中に落ちた雫は、肌を汚すことなく水面に波紋を広げる様に白い背を波打たせ、その中心に血を落した細い指が添えられるとカチリ、と閉められていた錠が開かれた感覚を背と指の両者に知らせる。

 

 指はそのまま白い背をスルスルとなぞる様に指先を走らせていき、たまにソレが(くすぐ)ったいのか身動(みじろ)ぎをする背の主を(たしな)める様にツンと優しく突いた。

 途中、流れる様に滑らかに動いていた指先が戸惑いを表すように止まり、再び動き出すのを幾度か繰り返した後、コトリ、と錠が締められる感覚と共に指の動きは完全に止められた。

 

 

「終ったわよ」

「ありがとうございます、フレイヤ様」

 

 

 指を動かしていた銀の髪が美しい女性が、彼女に背を曝け出していた少年に声を掛けると、少年も女性に感謝の声を返す。

 (コト)を終えたと少年がそれまで寝そべっていた寝台から身を起こそうとして、体から力を抜いた。

 少年の背を抑える様に、女性が手を置いていた為だ。

 女性は僅かとも手に力を入れてなどいなかったが、少年が自らに触れている手を払いのける様な形になるのを嫌ったからだった。

 少年が困惑を伝える様に(うつむ)けていた顔を横に倒して女性に目を向ければ、女性は優しく微笑みながら少年を抑えていた手をゆっくりと動かした。

 

「うひっ……フ、フレイヤ様?」

「フフッ」

 

 手の動きに敏感な反応を返す少年に女性は小さく笑みを漏らし、少年の背の隅々までを、確認するかのように撫で上げていく。

 

「随分と、(たくま)しくなったわね、ベル?」

「うぅっ、そう言ってもらえるのは、嬉しいですけどっ……ちょ、ちょっと、くすぐったいですっフレイヤ様ぁ!?」

 

 身もだえる少年――ベルの様子に、女性――フレイヤが楽しそうにクスクスと笑う。

 大きな寝台の上でのやり取りは、まるで男女の睦事(むつごと)の様。

 フレイヤが動かす手は、指先のみだった先程までと文字通り手数を増してベルを翻弄(ほんろう)していく。

 やがて手はベルの背中から逸れて、側面へと這い寄る。

 次の瞬間、締め切られた扉を越えて、廊下まで届くほどの悲鳴が響き上がった。

 

 しばらくして、寝台の上にはピクピクと痙攣をおこしたベルと、満足げに額を腕で(ぬぐ)うフレイヤの対称的な姿があった。

 

 

「う、うぅ……ひどいですよ」

「ごめんなさい、つい楽しくって。許してね?」

 

 痙攣が収まると同じくして、シクシクと泣きだしたベルをあやすように、フレイヤはベルに膝枕をしながら彼の純白の髪を優しく撫でる。

 

「ここ二週間、オッタルと一緒に鍛錬をしていたと聞いてるわ。あの子にいじめられてなかった? 『耐久』の熟練度の伸びがすごい事になってるわよ?」

「いじめなんて、そんな。オッタルさんは僕を強くしてくれたんです!」

「そうなの。ベルがそう言うなら心配はいらないわね。それで、今日はダンジョンに向かうのかしら?」

「はい。昨日オッタルさんから急に「成った」って言われて、鍛錬を切り上げられちゃって。最近忙しそうだったリリも丁度時間があるって言ってくれたので、久しぶりに二人で探索しようかなって思っています」

「そう、オッタルに鍛えて貰って強くなれたからって、油断しちゃだめよ? ダンジョンでは何があるか分からないんだから」

「はい、ありがとうございますフレイヤ様! ……って、うわっもうこんな時間!? リリと約束してたのに、ごめんなさいフレイヤ様、僕もう行きます!」

 

 膝枕されたままのベルが視界に入った時計の針が示す角度に血相を変えて跳ね起きると、慌ただしく衣服を着こんで扉へ直行する。

 

「あら、【ステイタス】はどうするの?」

「帰ってから教えてください! 行ってきまーす!」

 

 更新した【ステイタス】の内容を聞かないのかと尋ねるフレイヤに言葉少なく返すと、ベルは慌てた表情で部屋を後にした。

 残されたフレイヤは、遠ざかる足音に笑みを漏らすと、一転して表情を殺す。

 そうでもしなければ、どうにかなってしまいそうな程だった。フレイヤは寝台の横、小さな机から一枚の羊皮紙を指先で小さく摘まみ上げるとゆっくりと持ち上げる。劇物のような扱いをされるその正体は、ベルの【ステイタス】。その写し。

 それに記された内容は、フレイヤをして驚嘆させるに十分すぎるものだった。

 

 

ベル・クラネル

LV:1

力:S992 耐久:SS1081 器用:S984 敏捷:SS1005 魔力:A803

《魔法》

【サンダーボルト】

 ・速攻魔法

《スキル》

憧憬一途(リアリス・フレーゼ)

 ・早熟する。

 ・憧憬(おもい)が続く限り効果継続。

 ・憧憬(おもい)の丈により効果向上。

 

 

 能力値(アビリティ)評価オールS。それだけでも驚愕に値すると言うのに、まさかの評価SS――アビリティの限界突破という前代未聞の出来事を前に、フレイヤはブルリと体を震わせた。

 

 

 

 嗚呼、と声が漏れる。

 下腹部からの震えが全身に広がる。

 無を示していた表情筋が、どろりと溶け落ちる。

 

 それら全てが、フレイヤの感じる喜悦を(あら)わにする。

 

「フッ、フフフ、あはははははははっ!」

 

 

 ――嗚呼、ベル、ベル、私のベル! あの子はどれほど私を惹きつければ気が済むのか!

 

 フレイヤは狂乱する内心を留めきれなかった。

 

 (よそお)った無表情はとうに崩れ落ち、口端は弧を描いて吊り上がる。

 それも仕方のないことであろう。これまで数多の眷属を見てきた自身をして、否、他の神々、それこそ大神達(ヘラやゼウス)であっても目にしたことが無かっただろう『未知』。

 理論上の『全ステイタス最大値(カンスト)』。そしてそれすら超えた上限突破。

 それら二つを同時に自身に捧げてくれるなんて、(おや)冥利に尽きる事この上ない!

 

 

 まぁ、その結果をもたらした要因が自分ではない事は、少し、ホンの少しだけ気に食わないが些末な事だ。

 今やそれも気にならない。なぜなら今からもっと、今以上に面白いものが見られることが分かっているのだから。

 

 

「ああ、楽しみだわ。こんな気持ちは本当に久しぶり」

 

「さぁ、見せて頂戴。貴方の輝きを」

 

 

 

 フレイヤは呟きを漏らすと同時に虚空に手をかざした。

 

 

 

 

 

 * * * *

 

 

 

「……?」

「どうしたんですか、ベル様?」

「なんか、さっきからずっと誰かに見られているような気がして……」

「いやですね、ベル様。今ここにはリリとベル様しかいませんよ? 気の所為じゃないですか?」

「そう、だよね」

 

 リリと一緒にホームからダンジョンに向かった先で、僕は九階層に続く階段を下りている途中、ふと周囲を見回した。

 リリは気のせいだと言うし、実際近くには僕たち以外誰もいないのだけれど、何故か、誰かから見られ続けている気配が、漠然とした不安みたいなのが体全体にまとわりついているように感じて落ち着かない。

 

「もしかして、緊張されているのですか? まあ、それも仕方ないかもしれませんね。ベル様にとっては、これが初めての10階層なのですから」

「そう、なのかな? うん、そうかも……」

 

 リリが言った通り、僕達のこれからの予定は10階層への進出。お呼びその突破を目指して朝早くからホームを出発していた。

 

 ダンジョン10階層。Lv1の冒険者が探索を許されている『上層』の中でも最下層――その入り口。

 欲に目が眩んだ者達の目を覚まさせ、現実の厳しさを叩き込むダンジョン入門、1~5階層。

 『ウォーシャドウ』、『キラーアント』などの高い戦闘力や特性を持ったモンスターが現れ、それまでのモンスターに慣れ切った新米冒険者達の油断を一突きする6~9階層。

 そして、10階層。そこから先はモンスターだけでなく、ダンジョン自体の性質が変わってくる。

 深い霧や落とし穴。落石を始めとして地形条件が殊更(ことさら)悪辣(あくらつ)となって探索する冒険者に牙を剝く。

 実は、僕はもう9階層まで探索階層を広げているのだ。

 オッタルさんとの鍛錬に入るよりちょっと前にリリと一緒に探索を進め、その頃には既にAやBの段階まで突入させつつあった【ステイタス】能力値に加え、原野で培った『技と駆け引き』があれば、10階層までなら進めると僕も、リリも確信していた。

 

 それでも、僕がこれまで10階層に足を踏み入れようとしなかったのは。

 出るのだ、10階層には。

 『大型級』のモンスターが。あの、ミノタウロスのような大きな体格を持つ怪物が、10階層から遭遇する事になるから。

 

「大丈夫です、ベル様! ベル様の『実力』はとうに10階層を踏破して余りあるものをお持ちなのですから!」

「……うん、ありがとう、リリ」

 

 リリの言う通り、ギルドの示すダンジョン攻略の能力参考から言えば、これまでの僕の【ステイタス】は12階層までの規定をクリアしている事になっている。

 その上、ここしばらくオッタルさんから直々に手ほどきを受けてきたのだ。勿論油断や慢心は厳禁だけれど、これで『上層』全域を到達できなければ顔向けができない。

 

「ちょっと弱気になっちゃてたみたい。でももう大丈夫。行こう、10階層に」

「はいっ! ……あ、でもその前に。ベル様、リリの上げた『お守り』は持っていてくれていますか」

「……うん、勿論」

 

 リリから尋ねられた質問に、僕はレッグホルスターを軽く叩いて答えを返した。

 そこには先日リリから貰った『お守り』が収められている。

 

「でも、本当に良かったの? アレはリリの大事なものなんじゃ」

「いいんです。リリは戦闘ではベル様のお役に立てませんから。ベル様の冒険の一助になれればリリも嬉しいのです。貰ってあげてください」

「うん。分かったよ、ありがとうリリ。大切にするよ」

「はい!」

 

 笑顔のリリから向けられる温かい気持ちが嬉しくて、同時にちょっと気恥ずかしい。

 二人して笑いあって階段を下り終え、9階層に足を踏み入れる。

 目的の階層まであと一つ。僕は気を引き締めて先に進みだし、すぐに違和感に気が付いた。

 

 

「ちょっと、おかしくない……?」

「おかしい、ですか?」

「うん、モンスターの数が少なすぎる」

 

 今も感じるこの違和感を、先の視線の様に気のせいだと断じてしまうには、あまりにもダンジョンが()()()()()

 9階層に降り立ってから進み続け、モンスターとの戦闘が無いまま階層の深部まで到達してしまった。

 

 余りの異常(イレギュラー)に、胃が縮みあがって胃液が喉にせり上がる。

 心臓が、嫌に喚きたてている。

 背筋に、冷たい汗が伝う。

 

 ……この感覚を、僕は覚えている。

 忘れたくても忘れられない、あの記憶。

 

 

 そう。()()()も、ダンジョンはこんな風に静まり返っていて……

 

 

 

 

 

『――さぁ、見せてみなさい?』

 

 

 

 

 突然頭に直接響いてきた、聞き覚えのある蠱惑的な声に目を見張った。

 次の瞬間。

 

 

 

 

『――――ヴ――――ォ…………』

 

 

 階層を木霊する雄叫びの欠片が、僕の脳を揺さぶった。

 

 

 

 

 

 




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贄の兎 13

 

『ダンジョンは何があるか分からない』

 エイナさんから耳にタコが出来るくらい言われたその言葉を、僕は思い出していた。

 

 

 

 ――嘘だ。と否定したかった。

 そんなことあるはずない。と認めたくなかった。

 

 だって、()()は余りにも突拍子もなくて、現実感の欠片もない。

 

 でも、(まぎ)れもない現実。

 静まり返ったダンジョンも、微かに、でも確かにダンジョンの奥から響いてきた声も、あの時とまるで同じで。

 否定する事なんて出来ない。認めるしかない。

 だって、ほら。現にソイツは今、僕たちの居るルームに通路の奥から姿を現したのだから。

 

 

「……なんで」

 

 僕の口から漏れた(つぶや)きは、すぐにそいつの雄叫びによってかき消された。

 

 

『ヴモォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!』

 

 

 

 ――9階層に、ミノタウロスがいるんだ。

 

 そんな言葉を、口に出す前に飲み込んでしまうほど。

 僕の眼前に立つ絶望の化身に、視界が真っ暗に染まっていくのを感じていた。

 

 

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 

 

 

 

「……ル…まっ――――ベル様っ!!」

「ッ!?」

 

 体を揺さぶられる感覚に意識を取り戻して、顔はそのままに目だけを動かして。

 顔を真っ青にしたリリが僕の体に(すが)りついているのを見た。

 

「リ、リリ……」

「逃げましょう、ベル様! 今のリリ達では太刀打ちできません!」

「う、うん。そうだね。逃げる、逃げなきゃ……逃げよ――リリッ!?」

 

 凍り付いたみたいに固まっていた脳みそが、リリの声にゆっくり溶けだして、仮死状態の思考が息を吹き返すと、目の前の脅威から逃走するために回り始める。

 (さび)のついたブリキみたいに鈍い動きで今来た道を引き返そうとして、僕はリリを突き飛ばした。

 衝撃、世界がグルリと回転する。

 

 ミノタウロスの《ぶちかまし》。

 

 

「ベル様っ!?」

「がはっ!」

 

 (きびす)を返そうと体を動かした視界の端に、こちらに迫ってくる肉の壁を捉えた僕は咄嗟(とっさ)にリリを突き飛ばした。その直後に弾丸の様に突進(ショルダータックル)をしてきたミノタウロスに()ね飛ばされる。

 グルグルと回りながら宙を舞った僕は背中から地面に落ちた。

 肺の中の空気が口から一気に抜け出し、息が詰まる。

 落下の際、かろうじて受け身をとれたのはこれまでの鍛錬の成果か。無意

識の内に頭を(かば)っていたみたいで、意識を手放さなかったのは不幸中の幸いだった。

 これまでの経験から、半ば条件反射で倒れた後の自分の体の状態を把握する。

 ……体は動く。大きな怪我は無し。痛みはあるけどこれくらいならすぐに収まる。   

 

 結果、戦闘行動に支障なし。

 さあ、立ち上がって戦え。 

 

 

「あぁ、う……」

 

 立てない。落下した体勢のまま、僕は動けなかった。

 

 背中を打ち付けた事は別の理由で息が詰まり、体が震えていた。

 今のは運が良かった。だって、死んでいないから。

 さっきの一撃で致命傷はおろか、大した怪我も負っていないのが自分でも信じられない。奇跡みたいだ。

 でも、次は本当に死ぬかもしれない。

 ……いいや、かも、じゃない。殺される。

 僕も、リリも殺されてしまう。

 

 いやだ。しにたくない。

 怖い。

 怖い怖い怖い怖い怖い怖い。

 

 

 

「ベル、さま……」

 

 でも。

 

「にげて……」

 

 リリを(うしな)うのは、もっと怖い。

 

 

「サンダーボルトォォォオオオオオオオォォォォォッ!!」

 

 僕に突き飛ばされたせいだろう、尻餅をついたままの体勢のリリのすぐそばでミノタウロスが腕を振り上げていた。

 それを間近で目にするリリの感じる恐怖の程は、一体どれくらいのものになるのだろう。

 リリは顔を真っ青に染めて、喉を震わせていた。

 なのに、口から出た言葉は助けを求めるものでなく、僕に逃げろという言葉だった。

 自分を、囮にして。

 

 だから僕は、叩き付けられた地面から跳ね起きて、魔法を放つ。

 砲声。一動作(ワンアクション)で掌から撃ち出される雷の矢が、今にもリリに高く掲げた腕を振り下ろさんとするミノタウロスに直撃する。

 閃光と雷鳴がダンジョンに響き、それよりも速く僕は駆け出していた。

 魔法によって動きを止めたミノタウロスの下からリリを抱え上げて離脱する。

 

「逃げてっリリ! 僕が時間を稼ぐ!」

「え、で、でも……」

「っ、リリじゃ、足手まといになるだけだ!」

「ダメです、ベル様っ」

 

 ミノタウロスから数(メドル)離れた所で、抱えていたリリを投げ飛ばすように腕の中から解放する。

 リリを背に庇う形で再度魔法を発動、ミノタウロスをその場から動かさないために、今度は連射し続ける事でミノタウロスの動きを阻害する。

 そして、今度は僕がリリに僕を置いてこの場から離れろと言い放つ。

 先程とは真逆の配役。

 しかしリリは状況に理解が追いついてないのか、それとも自分だけ逃げるのが嫌なのか僕の言葉に困惑を返すばかりで動き出そうとしない。

 それはそうだ。こんな状況で逃げろと言われたって、素直に頷けるわけがない。

 だから僕ははっきりと足手まといだと言い放つ。

 逡巡(しゅんじゅん)するリリ。でも、今はそんな時間無いんだ。

 今すぐここから逃げるんだ。

 じゃないと君が危ないんだ。

 

 今の僕じゃ、君を守れないんだ。

 

 

「はやくっ行けぇえええええええええええっっ!!」

 

 

 怒鳴り声に突き飛ばされる様に、リリは立ち上がって駆け出した。

 同時に、それまでずっと撃ち続けていた魔法を止める。

 魔法を無理に連続行使したせいか、突き出した手と頭の奥に痺れにも似た倦怠感(けんたいかん)が襲ってくる。

 

 ……これでいい。

 さっきの突進で理解してしまった。

 コイツは速い。僕はともかくリリの敏捷(あし)じゃ逃げ切れない。

 なら僕がリリを背負って逃げる? それも駄目だ。すぐに追いつかれて両方一緒に潰される。

 だから、僕がコイツの足止めをして、リリが逃げ切れるまでの時間を稼ぐ。

 それまで耐えて、耐えて。

 それから逃げきれれば、僕の勝ちだ。

 

「だから、お願いします……女神様っ」

 

 だから、祈った。

 どうか魔法が効いていますようにと。 

 麻痺までしていなくとも、少なくない傷を負っていてくれますようにと。

 ほんの少し、(わず)かにでも、僕が優位に立てる一手になっていてくれと。

 僕をいつも見守ってくれた、あの優しくて綺麗なヒトに真摯(しんし)な気持ちと、(すが)るような想いを込めた願いを口に出す。

 喉を大きく鳴らして、土煙の奥。立ったままのミノタウロスの様子を注視する。 

 

『ヴムゥン……』

 

 祈りは(むな)しく、ミノタウロスの体表には魔法が当たった箇所に僅かに焦げた跡が見られるものの、大した傷にはなってなかった。

 

 証拠に、ほら。

 太い腕で土煙をかき分け、吹き飛ばしたミノタウロスに痺れた様子も痛がる素振りも一切なく、まるで痒いという様にぼりぼりと体毛の黒くなった部分を掻いている。

 装甲不貫通(ダメージゼロ)

 状態異常耐性(レジスト)

 

 

 悪夢のような結果が、僕の目の前に広がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 

「くそっ! ありえねぇよ、あんなの!?」

「黙って走れ! 追いつかれたら俺達終わりだぞ!」

「ねぇ、あの子助けなくてよかったの!?」

「しょうがねぇだろ! 俺達が居たって何が出来るって言うんだよ! 割り切れ!」

 

 ダンジョン七階層。

 四人組の冒険者が、慌ただしくも激しく足音を立ててダンジョン内を駆け抜けていた。

 統率役(リーダー)である剣士が泣き言を漏らすサポーターを一喝し、軽装の少女が顔を青くしながら溢した言葉に重鎧姿の男が怒鳴り声を上げる。

 その全員が(しき)りに背後を気にしながら、遭遇するモンスターも気に留めずにダンジョンの外を目指して走っている中、彼等を呼び止める声が響く。

 

「ねえっ、どうしたのー!」

「な、何だお前っ? って……げえっ!? ア、【大切断(アマゾン)】!?」

「ティオナ・ヒュリテぇっ!?」

「ていうか、【ロキ・ファミリア】!? え、遠征(えんせい)!?」

 

 十字路に差し掛かった所、突然左手の方から掛けられた声に剣士が反応し、思わず足を止めてしまう。

 それに続くように三人も走るのを止めると、呼び止めた声の主に、そしてその周囲の集団の正体に目を剥いた。

 彼らを呼び止めたのは、オラリオの双頭と名高い都市最高派閥、その一角である【ロキ・ファミリア】。 近々【ロキ・ファミリア】がダンジョン深層に遠征を行うとの噂を小耳にはさんでいたとはいえ、まさかこんなところで会うとは思ってもいなかった彼らは驚きを隠すこともできなかった。

 しかも、有名な【ロキ・ファミリア】の中でも『笑顔でモンスターを虐殺する狂戦士(ヤベーやつ)』と悪名高い【大切断(アマゾン)】が、彼等を呼び止めた張本人だったから尚の事。

 モンスターよりも恐ろしいモノと遭遇(エンカウント)してしまったと尻込みする四人に、集団の中から抜け出してきた狼人(ウェアウルフ)の青年が煽る様に声を投げかけた。

 

「お前等は何してんだ? キラーアントの群れにでも襲われて、仲間でも見捨ててきちまったか?」

「んだとっ……!?」

「おい、止せって」

 

 見捨てた。の言葉に重鎧の男が憤り狼人(ウェアウルフ)の青年に噛みつこうとするのを剣士が止める。

 

「……あれに比べたら、キラーアントの方が百倍マシだっ!」

 

 吐き捨てる様に落された、パーティの盾役を担う男の顔にははっきりと悔恨の情が浮かんでいた。

 狼人の青年の詳細を問う視線に、四人を代表して剣士が前に出る。

 そして、口に出すのも恐ろしいとばかりに、絞り出すような震える声で自分たちが目にした特大の異常事態(イレギュラー)を語りだした。

 

「……ミノタウロスが、いたんだ」

「あぁ?」

「だからっ、ミノタウロスだよ! あの牛の化け物が、この上層でうろついてやがったんだ!」

 

 そのまま剣士は【ロキ・ファミリア】から問われるままに自分たちが見てきた情報を洗いざらい語った。

 

 いつも通りダンジョンに潜っていたら、ルームへと繋がる遥か一本道の奥で、ミノタウロスと、白髪の少年の姿を一瞬(とら)えた事。

 その後すぐに響いてきたミノタウロスの遠吠えに当てられてこの階層まで逃げてきてしまった事。

 そしてそのミノタウロスは、冒険者の()()()()()()()()()()()

 

両刃斧(ラビュリス)だぁ~?」

「『迷宮の武器庫(ラウンドフォーム)』じゃなくて?」

「は、はい、間違いないです……」

 

 自分達よりも遥か上の上級冒険者(そんざい)達に囲まれ縮こまる四人組と、()()()()()()を感じ取った【ロキ・ファミリア】の面々が完全に動きを止める中、二人の少女が動き四人に詰め寄った。

 

「そのミノタウロスを見たのはどこ?」

「はっ?」

「白髪の少年が襲われてたって階層はどこなんですか!?」

「きゅ、九階層……動いてなければ……」

「アイズさん!」

「うん」

 

 剣士の言葉が終わるよりも先に、二人は走り出していた。

 四人の冒険者達がやって来た通路を、駆け出す。

 

「アイズ!? レフィーヤ!?」

「何やってんだお前等!」

「ちょっとあんた達、今は遠征中よ!?」

「……フィン」

「ああ、僕の勘が騒いでいる。見に行っておきたい」

「なら私も行かせてもらおうか……アイズだけでなく、レフィーヤまで飛び出してしまったからな」

 

 遠征中であることも忘れて飛び出していった二人を追いかける様に。

 呆然とする【ロキ・ファミリア】と四人の冒険者達を残して、第一級冒険者――うち一人は第二級冒険者――達は思い思いに九階層経向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、彼等が向かう九階層。

 

 

「…………ク、ククッ」

 

 

 

 僅かな燐光すらも拒む様に、まるで闇夜を切り取ったような漆黒の影が迷宮の壁に背を預けながら、(きた)る者達に向けて不気味な笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 




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贄の兎 14

 

 

 走る。

 走る走る走る。

 

 息は荒く、視界は霞んで前もロクに見えない。

 ボロボロと目の端から大粒の涙がこぼれていき、壁や天井から漏れ出す燐光を照り返しては落ちていく。

 そして、辿り着く。

 ()()()()()()()()()()()()()()へと。

 

 

「話が違うじゃありませんか!!」

 

 ダンジョンに存在するルームの一つに少女が踏み入れると同時に、悲鳴にも似た叫びがそこで待機していた者達へ叩き付けられた。

 

「ベル様の相手が、あんな化け物だなんて聞いていません! 今のベル様に()()()()モンスターだとおっしゃっていたではありませんか!! あれじゃあ、あんなのが相手じゃベル様はッッ!?」

 

 リリが転がり込む様に入ったルームに居たのは、獣人、妖精、小人族と種族も様々な男達。

 男達に向けられた非難の声に、妖精の青年が集団を代表して言葉を返す。

 

「言葉の通りだ。女神の供物に相応(ふさわ)しい(かて)を用意した。何も間違えてはいない」

「そんな――!? 勝てるわけがないでしょう、ミノタウロスに! ベル様はレベル1ですよ!?」

「黙れ」

 

 噛みつかんばかりのリリを断ち切る一言。妖精は怜悧(れいり)な目をリリに向ける。

 

「アレは不遜(ふそん)にも神愛(しんあい)なる女神に見初められた。ならば資格の提示は急務。我らが主神に相応の価値を証明して貰わなければならない。因縁の相手(ミノタウロス)はそれに丁度いい」

 

 そもそも。と続く言葉がリリを打ち据えた。

 

「アレを誘い込んだのはお前自身。女神の神意(しんい)があったとは言え、それに従ったのもお前自身だ」

「あ……」

 

 取り乱して泣き叫び、助けを乞うばかりの凡俗(ぼんぞく)唾棄(だき)するように。

 青年がリリに向けて放った言葉の(やじり)は、リリの最も柔らかい部分に突き立てられた。

 救ってくれたベルへの献身。自分の全てを捧げても彼を守り、助けようと決めたリリの(ちか)い。それが音を立てて罅割(ひびわ)れていく。

 そしてそこに絡みつく銀の(いまし)めごと、粉々に砕け散った。

 致命の一()を受けたリリは膝を落して崩れ落ちる。

 

「ヘディン」

「なんだ、アルフレッグ」

「兎をおびき出すことには成功したんだ。さっさと僕達も見に行こう。じゃないと終わってしまうかもしれないよ、色々と」

「……フン」

 

 四人の小人族の内の一人、アルフレッグが妖精の名を呼び、呼ばれた青年は鼻を鳴らすと、静かにリリが出てきた通路へ向かって動き出す。

 その場にいた男達もそれに続き、やがてルームにはリリとアルフレッグと呼ばれた小人族の男だけが残される。

 アルフレッグは地面に手をついて呆然自失するリリの下に近寄る。

 そんな、ちがう、リリは、リリはと呟き続けている彼女をアルフレッグは感情の色を映さぬ瞳で見下ろした。

 渦中の少年に巻き込まれただけの、何の力も持たない同胞を。

 傲慢な女神に目を付けられてしまった、弱く哀れな少女を。

 

「気にするな……とは言えないけど――――まあ、運が無かったね」

 

 哀れみか、慰めか。どちらとも分からぬ呟きを残して、アルフレッグも歩き出した。

 微かな嗚咽(おえつ)を漏らす、それしかできないか弱いパルゥムを置き去りにしたまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 

 大重量の金属の塊が、降り落ちてくるのを必死になって横に飛んで躱す。

 ドワーフでも両手持ちでなければ扱えないような巨大な両刃斧(ラビュリス)を片手で、小枝の様に軽々と振り回すミノタウロスの猛威から僕は逃げ回る事しかできない。

 

『フゥッ、フゥッ、ブヴォォオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』

 

 攻撃が当たらないことに腹が立ったのか、ミノタウロスが怒号を上げる。

 僕にはそれが、まるで『逃げるな』と言っているかのように聞こえてしまった。

 

 ……逃げて何が悪い。

 僕はお前が怖くて仕方がないんだ。

 今も、こうしてお前の攻撃を避けるので精一杯なんだ。

 前になんか出れない。自分から切り込むなんて出来っこない。

 逃げて、逃げて、無様にでも下がり続けて。

 

 今、この瞬間を切り抜けられるなら、それで十分じゃないか……っ!

 

 

『ブフゥンッ!』

「うわぁっ!」

 

 もう何度目かもわからない、両刃斧の大上段からの振り下ろし。

 身を投げる様に飛んで躱した僕の背を、叩き割られた迷宮の地面の破片が散弾となって殴りつけてくる。

 小さな飛礫(つぶて)の一つが頬をかすめ、また一つ僕の体に小さな傷をつけていく。

 ミノタウロスは斧を振り下ろして屈んだ姿勢のまま僕を睨み――地面にめり込んでいた斧を、そのまま僕向けて振り抜いた。

 爆発したかのように吹き飛ばされる土砂。その全てが僕に襲い掛かってくる。

 予想外の攻撃に、僕は咄嗟(とっさ)に顔を(かば)う。

 小手や胸鎧にカンカンと大小入り混じった飛礫が当たる音を耳にしながらゾッと、怖気(おぞけ)が背筋を駆け抜ける。

 

『ヴルォォオオオオッ!』

「ま、ずっ!?」

 

 明らかな失策。ミノタウロスを前に目を覆ってしまうなんて。

 気付いた時にはすでに遅く。目前にまで迫った猛牛の、両手に持った大銀塊(だいぎんかい)が僕に襲い掛かっていた。

 

 

 

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 ミノタウロスに襲われる白髪の少年が、今にも両断されそうになっている。

 薄暗い一本道の奥に、その光景が見えた。

 

「――待って!」

「待つのは貴様だ、【剣姫《けんき》】」

 

 猛牛に殺されそうになっている少年を助ける為に、アイズはルームに飛び込んだ。

 そして、ルームの入り口の脇。

 そこから姿を現した妖精の青年が持つ長刀(ロンパイア)が突き出されたことでアイズは足を止めるほかなかった。

 

「……【白妖の(ヒルド)魔杖(スレイヴ)】」

 

 アイズの呟いた名に妖精(エルフ)の青年、【フレイヤ・ファミリア】の第一級冒険者【白妖の魔杖(ヒルドスレイヴ)】ヘディン・セルランドが珊瑚朱色(さんごしゅいろ)の瞳を細める。

 対するアイズも、その眼を吊り上げた。

 

「そこを、どいて」

「邪魔をするな【剣姫】。これは我が主の神意である」

「そこをどいて!」

 

 どうしてここに【フレイヤ・ファミリア】の、それも幹部級の者がいるのか、そしてここにいるなら何故同派閥(なかま)の少年を助けないのか、色々な感情が頭の中で錯綜(さくそう)するアイズは一切の余裕を失っていた。

 そして、アイズの前に立つヘディンの奥、ミノタウロスの攻撃を受けた少年が吹き飛んだのが見えた瞬間、アイズの視界は真っ赤に染まった。

 引き抜かれる細剣(デスペラード)渾身(こんしん)の踏み込みから繰り出される神速の袈裟斬りは、ヘディンの後退によって容易(たやす)く躱される。

 追撃の為に身を沈めたアイズは、狭窄(きょうさく)した視野の外から迫る四方からの襲撃に気付いた。

 しかし遅い。前身の為に踏み出した足に掛けられた重心がアイズの後退を阻む。

 剣が、槍が、槌が、斧が――まったく同時にアイズに振り下ろされる。

 

「どうなってんのコレ―!?」

余所見(よそみ)してんじゃねえぞ、アイズッ!」

「どうなってんのよ、コレっ!?」

 

 寸前。アイズの影から跳躍してきたティオナの大双牙(ウルガ)が、地を這うように駆けるベートの蹴りが、それらの一歩後ろを追うティオネが振り投げる高速回転する二本の湾短刀(ククリナイフ)が、アイズに襲い掛かる攻撃を全て防ぎ、退けた。

 

「【大切断(アマゾン)】」

「【凶狼(ヴァナルガンド)】」

「【怒蛇(ヨルムガンド)】」

「【ロキ・ファミリア】め、我等の邪魔建てをするか」

「【フレイヤ・ファミリア】の【炎金の四戦士(ブリンガル)】まで……」

 

 ティオナ達の加勢を前に、態勢を整える瓜()つの小人族に、アイズの混乱は更に大きいものになる。

 そしてそれは留まることを知らずに。

 

「……ここから先は通さぬ、【ロキ・ファミリア】」

 

 【白妖の魔杖(ヒルドスレイヴ)】、【炎金の四戦士(ブリンガル)】に続いて姿を現した鋼のような偉丈夫。

 都市(オラリオ)唯一のレベル7。【猛者(おうじゃ)】がアイズ達の前に立ち塞がった。

 

 

 

 ダンジョンの九階層という玄関口にも近い場所で。オラリオの双頭――その一角である【フレイヤ・ファミリア】の幹部がほぼそろい踏みという、ミノタウロス以上の異常事態(イレギュラー)

 流石にこれにはアイズだけでなくティオナ達も戸惑いを隠せていなかった。

 今も彼らの背の奥で白髪の少年がミノタウロスに襲われ続けている。

 少年に向けて振り抜かれた斧の一撃は、間一髪の所で小盾で防げていたのを目の端で捉えていた。

 今も、なんとかその魔の手から逃れ続けてはいられるものの、それもいつまで持つか。

 猶予(ゆうよ)は残されていない。逃げる少年が死の顎門(あぎと)に飲み込まれる前に、早く助けなくては。しかし、眼前に立つ彼らがそれを許してくれそうにない。

 歯噛みするアイズのこめかみに、冷たい汗が流れる。

 膠着(こうちゃく)する両名に、少年のような高く澄んだ声が掛けられた。

 

「やけに親指がうずうず言っていると思ったら……これも含まれていた、と言う事かな?」

 

 間もなく、アイズ達がきた道から黄金色の髪の小人族が、一触即発の雰囲気を断ち切りながら姿を現した。

 

「やぁ、オッタル」

「……フィンか」

 

 現れたのは【ロキ・ファミリア】の団長である【勇者(ブレイバー)】。その姿と、まるで友達を呼ぶような気安い彼の声に、オッタルは目を細める。

 

「私もいるぞ【猛者(おうじゃ)】。久しい……と言うには時間が短いか?」

「【九魔姫(ナインヘル)】。お前もか」

 

 今だ周囲で油断なく武器を構える若い第一級冒険者達、更にフィンの後に続いて現れたハイエルフの美女。

 

「ハァー、ハヒー、ハヒー……ゼェッ、ゲホッゲホッ! リ、リヴェリア様……ミ、ミノタウロスに襲われてる白髪の冒険者は、無事ですか……?」

「まだ生きてはいるようだな。しかし、中々に予想外な出来事が起こっているようだ」

「リヴェリア様でも予想外な事って一体……ってぇ、お、【猛者(おうじゃ)】!? それどころか【フレイヤ・ファミリア】そろい踏み!?」

 

 息も絶え絶えにリヴェリアの後から来た山吹色の髪のエルフ――レフィーヤは、アイズ達と対峙している者達の正体に目を剥いた。

 それも仕方のないことだろう。()しくも、ダンジョン九階層のルームの一角で、【ロキ・ファミリア】と【フレイヤ・ファミリア】の二大派閥、その中核をなす面々がそろい踏みという、普通ならありえない状況が起きているのだから。

 次々集まる都市(オラリオ)内でも上澄みの実力を持つ面々に、オッタルの顔に渋いものが浮かぶ。

 

「つか、根暗エルフはどうしてんだよ。邪魔者の足止めに置いといたはずだろ?」

「死んだか」

「こいつらに寄ってたかって殺されたんだな」

「ザマァwww」

 

 緊迫する雰囲気の中、【炎金の四戦士(ブリンガル)】の四人が漏らした言葉に、デスペラードを構えたままのアイズは困惑を表すように僅かに顔を傾けた。

 

「……ここに来るまで、誰もいなかった、ですけど」

「「「「は?」」」」

 

 アイズの言葉を聞いて、今度困惑したのは【炎金の四戦士(ブリンガル)】だった。

 そんなはずはない。だって、【ロキ・ファミリア】がきた方向にはあらかじめ根暗エルフ――【黒妖の魔剣(ダインスレイヴ)】ヘグニ・ラグナールが足止めとして配置されていたのだから。

 しかし、それについて心当たりがあるのか、ヘディンがため息交じりに自らの予想を吐き捨てる。

 

「大方、陰に潜んだまま身を縮こませていたのだろう……王族(ハイエルフ)であるリヴェリア様の存在に気付いて緊張しい(アガリ症)が出たか」

「はーつっかえ」

「やめたら? 冒険者」

(しょ)す? (しょ)す?」

「そだな。コイツらの代わりに後で俺等で殺しとくか」

「「「賛成」」」

 

 ヘディンの言葉に【炎金の四戦士(ブリンガル)】の殺意メーターがこれまでで最高を記録する。その矛先は敵対派閥の者でなく、同派閥メンバーであるが。

 

「ふむ。状況が把握できていないんだが……なぜこの場所で、この時に我々が矛を交えたのか。そしてあの、ミノタウロスに襲われている少年。理由を聞いてもいいかな、オッタル?」

「……全ては、我等が主の望むままに」

「……なるほどね。僕達はどうすればいいんだい?」

「何もするな。そうすれば俺達も手は出さん――今、この場では」

「オッタル」

「今は全ての意識を(ミノタウロス)に注いではいるが、これ以上場を荒立てれば流石にアレも気付くだろう。そうすればすべては無駄になる」

「そんなの――!」

「アイズ、止めるんだ」

「フィン!? でも、あの子が!」

「駄目だ。他派閥の冒険者の為に僕達がこれ以上戦うことは出来ない。ましてやそれが【フレイヤ・ファミリア】の内輪の事ならなおさらね」

 

 オッタルがヘディンを、フィンがアイズを諭し、再び場は膠着(こうちゃく)する。

 

「オッタル、僕達はもうこの件に手は出さない。でも、静観するのは見逃してはくれないかい?」

「何故だ」

「【フレイヤ・ファミリア幹部( キミたち )】が揃って成そうとするものに興味があるからさ」

「……邪魔は、するな」

勿論(もちろん)さ。大人しくするよ」

 

 【フレイヤ・ファミリア】、【ロキ・ファミリア】の冒険者達がそれぞれ団長の指示を受け――否応なしに――構えを解いた。

 その場に集う冒険者達は、口を閉じて少年とミノタウロスの戦いを眺め始める。

 

 

 

 

 やがて、雄叫びを上げるミノタウロスと、それに負けない咆哮を上げる少年が激突する。

 果たして、少年の行く末は――――。

 

 

 




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贄の兎 15

 

 ミノタウロス。

 その見た目を簡潔に表現するならば、2M(メドル)を超える巨大な牛面人躯(ぎゅうめんじんく)

 側頭部から伸びる二本の角は太く長く、金属質な光沢がその硬度を(しめ)している。先に伸びるほどに鋭利さを増し、先端に至っては下手な槍よりもよっぽど鋭い。

 醜悪な牛頭の眼光は血に飢えた様に紅く染まり、人の頭を丸呑みできそうな程大きな口から放たれる雄叫びは、物理的な圧を(ともな)って強制停止(リストレイト)をこちらに()いてくる。

 牛頭の下、嫌悪感を抱くほど人に酷似した筋骨隆々の肉体は見せかけではなく、僕の身の丈程ある大斧を片手で軽々と振り回すほどの怪力を備えている。

 正に全身凶器。

 その体から繰り出される攻撃を、一つでもまともに受ければただじゃすまない。

 絶え間なく襲い掛かってくる死の恐怖に精神が削られていく。

 折れそうになる心と膝を、生存本能だけを支えにこちらを捉えようと迫る死の魔手から逃げ続ける。

 

 今も、高々(たかだか)と掲げられる両刃斧《ラビュリス》に、反応しっぱなしの危機感知能力がことさら強く反応を示す。

 思考を挟む間もなく、脊髄反射だけで地を蹴り叩き、弾かれる様に横に飛ぶ。

 瞬間、落とされた断頭刃が横に飛んだ僕の頭部、真横スレスレを通り過ぎ、風圧で髪が数本千切れ飛ぶ。

 振り下ろされた斧が地面に叩きつけられ――ずに、鋭角に跳ね上がった鋼鉄の刃がまるで猟犬の如く逃げる僕を追いかける。

 地に足が着くと同時。思いっ切り体を横に倒す。躊躇(ちゅうちょ)なんて彼方に放り投げて地面に全身を叩きつけて、やっと猟犬の牙の追跡を()くに成功する。

 

 ――……息が、苦しいッ。

 

 (したた)かに打ち付けた体の痛みは無視して、急いで体を起こしたところで、迷宮の燐光が突然(かげ)った。顔を上げた先、僕の顔程ある(ひづめ)が視界を覆い尽くしていた。急速に面積を広げる影と蹄。咄嗟に地面を蹴って後ろに飛ぶ。

 ミノタウロスの踏み付け(ストンピング)がそのまま地面に叩き落される。轟音と共に砕かれ割られた地面が大きく揺れる。地面に足が付く瞬間、振動に襲われた僕は着地をしくじった。()()()を踏んで体勢が崩れる。

 

 

 ――……息が出来ないっ、()く暇がない!

 

 

 顔をこれ以上ないってくらい(にが)ませる僕を、ミノタウロスの眼光が貫く。

 ミノタウロスが踏みしめた足に全体重を乗せ、その体が傾いた。

 突進(ショルダータックル)が、来る!

 脳に浮かんだ予測を理解しきる前に、硬い地面に向かって(みずか)ら飛び込んで進行方向から逃れる。

 巨大な肉体列車がすぐ間近を通り過ぎる。直撃を(まぬが)れてもミノタウロスの巨体が生み出す風圧に宙に浮いた体が流された。支えのない中空で肉体の制御を奪われ体は横っ腹から落ちる。

 

「がはっ!」

 

 ――……無事な部分を探すのが難しいくらい、全身が痛くて仕方がない。

 

 身に纏っていた軽鎧(ライトアーマー)は、これまでに受けたミノタウロスの攻撃で壊れ、全て剥がれ落ちている。

 残っているのは女神様から(いただ)いた《愛の剣(マリアムドシーズ)》と、エイナさんから貰った『緑玉の盾(エメラルド・バックラー)』だけ。

 鎧下の黒いインナーはボロボロで、体は擦り傷だらけの打撲だらけ。

 絶え間ない致死の連続に心身ともに満身創痍。

 

 

 なのに、どうして。

 

 

『ヴォオオオオオォオオオオオオオオォォッッ!!』

 

 ミノタウロス雄叫びがダンジョンを()るがす。

 もう何回も聞いているはずなのに、薄れる事のない恐怖が僕の心臓を跳ねさせ、足を(すく)ませる。

 高まり続ける恐怖感は測り知れず、針はとうに振り切れた。

 

 だから、なのか。

 超過した恐怖に感情が麻痺したのか、それとも慣れが出てきたのか。

 僕の頭には久しく息絶えていた冷静さと思考力が、僅かばかり息を吹き返してきていた。

 真新(まっさら)だった思考が(にぶ)く動き出し、今の自分がおかれた状況を客観的に受け止める。

 それが僕に疑念を抱かせた。

 

 

 ……どうして、僕はまだ生きているんだ?

 

 

 僕の目はこちらに突っ込んできたミノタウロスを、その攻撃の威力を正確に認識できている。

 見れば見る程、その脅威が理解できる。

 寒気すら覚える風切り音をかき鳴らしながら振るわれる両刃斧、岩を砕く硬い拳、砲弾そのもの、いやそれ以上の威力の突進……どれも下級冒険者の身で食らえば一溜(ひとた)まりもない。それなのに。

 そんな凶悪な攻撃の数々が、次から次へと繰り出され、それどころか何度も食らっているのに。

 

 どうして未だに五体満足のままなのか。

 どうして僕は、曲がりなりにもこの化け物と渡り合えているのか。

 考えてみればおかしい話だ。ダンジョンに潜る様になって一月(ひとつき)ちょっとの冒険者が、ミノタウロスと遭遇(エンカウント)してからここまで、しぶとく生き繋げられる道理はない。

 なのに、どうして。

 

 

「――――ぁ」

 

 

 視界一杯に、両手に持った両刃斧を振り上げるミノタウロスの巨体が――不意に、錆色の武人の姿と重なった。

 振り下ろされる大鉄塊(斧/剣)

 直撃(イコール)即死。そんな攻撃を前にして。

 

 

 僕は初めて、()()()()()()()踏み出した。

 

 

 狙いは、持ち手に近い刃の側面。

 渾身の力で叩きつけられた《愛の剣(マリアムドシーズ)》が、両刃斧の軌道をずらし、刃が僕の体から(わず)かに()れていき、開けた隙間に体をねじ入れる。

 

(……ぁぁ)

 

 側面を叩かれて力の向き(ベクトル)をずらされた斧の刃は、そのまま地面へと吸い込まれていく。

 振り下ろされた腕、がら空きの胴体。隙だらけだ。

 僕はさらに一歩、二歩と踏み込んで、駆け抜けざまに剣を振る。

 硬い感触。剣先にかかる抵抗を、それでも振り抜いた。

 

「ブモォォッッ!?」

 

 剣から漏れた燐光が描く軌跡(きせき)と共に、パッと赤い飛沫が宙空を(いろど)った。

 

 薄皮一枚。

 たったそれだけだとしても、飛び散った赤が確かに僕の攻撃が通った事を証明していた。

 突然の痛みに慌てたミノタウロスが拳で振り払う。

 しかし、僕の姿は当にそこから距離を離していた。

 

『フゥーッ、フゥーッ……ヴゥヴォォォオオオオオオオオオオオオオオオォォォッ!!』

 

 もう、幾度目かも分からないミノタウロスの雄叫び。

 身を震わすその恐ろしさは変わらない。

 斧を高く振り上げたミノタウロスが突っ込んでくる。

 二M(メドル)半を超える巨体が迫る。モンスターの驚異的な身体能力の面目躍如(めんもくやくじょ)。速くて大きくて、何よりも恐ろしい。

 

 それでも。

 

 

「うわあぁぁああああああぁぁぁああああああああぁっっ!!!」

 

 ミノタウロスの雄叫びに被せる様に、自分を奮い立たせる為に叫びを上げる。

 いつのまにか、震えが止まっていた足を踏み締めて。

 迫りくるミノタウロス。それ目掛けて前へ出る。

 これまでの攻防で、僕の『敏捷』がこいつと競り合えているのに気付いていた。

 だから攻撃を(かわ)せていたし、ギリギリでも防ぐことに成功していた。

 力も、重さも今の僕じゃ全然敵わない。でも、速度なら。『敏捷(はやさ)』ならコイツと渡り合える――!

 

 

 駆け出す。

 急速に近づく相対距離。

 牛の表情なんて分からないけれど、ミノタウロスが突然自分に駆け寄ってきた僕に驚いたのが、不思議と分かった。

 慌てて振り下ろされる斧、地面を蹴り懐へと飛び込んだ僕の背後を通り過ぎていく。

 ミノタウロスの胴体目掛けて、ほとんどぶつかりに行くように振るう袈裟斬り。

 僕の『敏捷(はやさ)』と、ミノタウロスの速度を合わせた攻撃。その威力の()が導き出す答え。

 

 血飛沫(ちしぶき)

 

 

『ブォッ、ブモオォォオオオオッ!?』

 

 鋼を彷彿(ほうふつ)とさせる硬い肉体に、赤い斜線が一筋(ひとすじ)引かれる。

 『ミノタウロスの体皮』は、革鎧(レザーアーマー)の素材として重宝されるほど耐久力の高い天然の装甲。それを今、貫通した。

 皮一枚なんかじゃない。その下の肉をも断ち切る有効打。

 僕がミノタウロスに与えた確かな(ダメージ)だ。

 

 戦える。戦えている。僕が、ミノタウロスに。

 

 

(――……あぁ、嗚呼(ああ)ッ!)

 

 

 胸の内で叫ぶ。

 敵の攻撃を()らしながら攻め込む技も、自分に膂力で(まさ)る相手の力を利用する技も、『戦いの原野(フォールクヴァング)』で(つちか)ったエッゾさんやダリスさん、原野で戦ったファミリアの先達(せんだつ)との経験が全て。

 今、僕をコイツと闘える領域まで引っ張り上げてくれていた。

 そして、何よりも。

 

 

 巨体のミノタウロスが伸ばした右腕に持つ両刃斧が、遠心力を(まと)って横薙ぎにされる。

 

 鋼鉄の鎧すら紙同然に引き裂く威力の斧刃が、剥き出しの首目掛けて迫りくる。

 首と胴が泣き別れるよりも僅かに早く、大質量の斧が通る軌道上に、柄と剣先を支え持った蒼銀の直剣を、斜めに挿し入れるように()えた。

 

 剣と斧、鋼同士が触れ合う絶叫。散る火花。剣と接触した斧の刃は剣の刃を叩き割る事なく、金切り音を上げて剣の側面を滑っていく。

 斧の刃は首から僕の頭上へと刃先を外されて、そのまま通り過ぎて行く。

 振り抜かれ、無防備になった右の脇。

 そこに、剣の切っ先を突き立てた。

 

『――ブモォオオオッ!?』

 

 再度、痛撃に驚く怪物の叫び。

 腕の付け根、そこに在る神経に丁度剣先が(さわ)ったのか、ミノタウロスの手は握る力を失い、強制的に開かれた手の内から斧の柄が(こぼ)()ちた。

 地面に突き立てられる斧。間断なく半円を描きながらこちらに迫るもう一方の拳。

 一撃離脱(ヒットアンドアウェイ)。拳が体に触れるよりも早く、ミノタウロスの手が届く範囲から脱出する。

 

「ありがとうございます、女神様!」

 

 距離を取った僕は、ミノタウロスから目を離さないまま、剣の(つば)を額に押し当てた。

 僕にはこの剣がある。この剣があったんだ。

 女神様から(いただ)いた《愛の剣(マリアムドシーズ)》が。

 

 

 ミノタウロスが振るう巨大な斧の攻撃を(しの)ぎ、尋常の武器では文字通り刃が立たない、鋼鉄の肉を断つ――女神様の(つるぎ)

 

 『僕の力になるように』と、女神様の愛が込められた、僕だけの(たからもの)

 剣の柄を感謝を込めて握れば、鋼と神字(ヒエログリフ)(きらめ)きが合わさった蒼銀の燐光が、脈動を打つ様に一際大きく(またた)いた。

 まるでそれが「ようやく気付いたか」と言っているようで。

 僕の顔を照らす淡く優しい光に小さく笑みが(ほころ)ぶ。

 どうして忘れてしまっていたんだろう。これまでずっと、誰よりも近くで僕と共に戦ってくれていたのに。

 

 頼もしい相棒へ向けて、僕は口に出すことなく(つぶや)く。

 ……ごめん。ありがとう。もうちょっとだけ、一緒に戦ってくれる?

 コイツに、勝つまで。

 

 

 

 僕はずっと、負けていた。

 戦うより以前に、心がミノタウロスに屈服(くっぷく)していた。

 

 でも、ようやく思い出すことが出来た。

 ダンジョンで、原野で積み上げてきた経験を。

 女神様から受けた恩を、たくさんの愛情を。

 それらが僕の中で確かな血肉となって、今の僕を生かしてくれている。

 ミノタウロスに惨敗を(きっ)した『あの日』から、僕はちゃんと強くなれていた。

 そして、何よりも。

 僕は思い出していた。

 僕がこれまで師事を受けたのが誰なのか。

 ミノタウロスの見上げる程の巨躯も、そこから生み出される怪力も。

 

(コイツよりも強くて、どこまでも大きな相手と、何度も挑んできじゃないか!)

 

 目の前のミノタウロス程度。あのヒトに比べれば、ただ派手なだけの張りぼても同然。

 その程度では、僕の憧憬(オッタルさん)には遠く及ばない。

 

 

 

 ――――ここからだ。

 

 

 心を奮い立たせろ。

 足に力を入れて、敵を(にら)みつけろ。

 敵は強大。その脅威は依然、変わりない。

 気弱な自分を張り倒して、虚勢と共に胸を張れ。

 腹の底から雄叫びを上げろ。前に踏み出せ。

 力量(レベル)差は身に付けた『技と駆け引き』で埋め立てろ!

 暗く、狭い路地裏で出会ったあの時から、僕が目指した場所は、ここよりずっと遠く、険しい。

 脳裏に焼き付いた『憧憬(あこがれ)』の背中を追いかけて。

 遥か高みを目指して、僕は駆け上がらなきゃいけないんだ。

 辿り着かないと、いけないんだ。

 

 そのためには、()()は邪魔なんだ。

 僕の足を縛る恐怖も、背を沈めるような雪辱(せつじょく)も、今ここで。

 因縁(オマエ)ごと踏み越えて、僕はもっと先へ行く! 

 

 

「勝負だっ……!」

 

 

 ここからが、冒険者とモンスターの、命を懸けた戦い。

 僕とミノタウロスとの、勝負。

 僕の胸を焦がす『憧れ(おもい)』の為に。

 この、譲れない『願い(ユメ)』の為に。

 

 僕は『冒険(ぼうけん)』に、足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 

 

 …………体が軽い。さっきまで感じていた痛みや疲れが今は嘘みたいに消え去っていた。

 

 頭が冴える。思考が研ぎ澄まされていた。相手の動きが、筋肉の僅かな細動まで見えていた。

 

 背中が熱い。燃える様に、想いが熱となり推進力へと変わる。

 

 視界を絶え間なく過ぎ去っていく斧の刃をくぐり、前へ。

 

 浴びせられる雄叫びを自身の咆哮で相殺して、前へ。

 

 勝利をもぎ取ろうと全身を奮い立たせて、前へ。

 

 目の前の敵が、今の自分の全てだった。

 

 戦いだけが、世界の全てだった。

 

 

 初めて思った。

 情けない妄想でもない。

 格好悪い虚栄心でもない。

 ただ夢を見ているだけの、不相応な願いでもない。

 英雄になりたいって。

 コイツを倒せる英雄になりたいって。

 恐怖に怯える自分だって、(すく)い上げて奮い立たせて見せる、強い英雄みたいな男になりたいって、初めて心から思った。

 僕は。

 

 

 英雄に、なりたい。

 

 

 

 

「うぉおおおぉぉぉぉぉぉおおおおおおおぉぉっっっ!!!」

『ヴヴォォオオオオオオオオオオオォォォオオッッッ!!!』

 

 

 降り落ち引かれる銀線と駆け上がる蒼銀の軌跡が絡み合う。

 横薙ぎの(ひらめ)きを緑玉の(フチ)がカチ上げる。

 燐光の瞬きが猛牛に迫る。

 (ひづめ)が地を割り、蒼銀の刃は空を切る。

 頭蓋を砕く大手刀が雷の牽制(けんせい)に阻まれる。

 

 斧を、剣を、肉体を、魔法を。

 僅かでも、数瞬でも。互いが互いを上回ろうと自分の持つ手札を全て(さら)け出して、それを余すことなく駆使(くし)し合う。

 

『ヴォアアッ!』

「くぅっ!」

 

 ミノタウロスが繰り出す両刃斧はまともに受ければ即死。(かす)っただけでも致命傷は(まぬが)れない。

 そんな攻撃を地面に転がって躱す。

 すかさずミノタウロスが蹄で踏み潰そうとするのを跳ねあがって避けると同時、その巨体に剣を突きたてる。

 そうはさせじと(かざ)された両刃斧に剣を防がれる。

 振り払われる斧。弾かれる剣。

 一旦下がって体勢を立て直す。

 距離を取る僕をミノタウロスは追うことはせず、その場に留まっている。どうやら向こうも息を整えたいらしい。

 

(……やっぱり)

 

 おかしい。

 僕がミノタウロスへの過度な恐怖を振り払ったのと同じく、自身に傷をつけた僕を獲物から敵へと認識を変えたミノタウロス。

 それまでとは明らかに違う体の動きに僕は強い違和感を覚えた。

 

 対応が速すぎる。慣れ過ぎているのだ、僕の動きに。

 

 油断と慢心は欠片も残さず消え去り、自身を(おびや)かす《愛の剣(マリアムドシーズ)》への警戒は非常に強いものになっている。

 意図せず奇襲となった胴体と脇の時ほど、大きな(ダメージ)を与える隙が無い。

 こっちが必死に斧と拳を()(くぐ)って剣を振っても、体格に見合わぬ身軽さで躱されるか、こちらの剣筋をズラして見事に深手を避けてくる。

 ……動きに迷いが無さすぎる。まるでどう動けばいいのか既に知っているという様に。

 それは僕が自分よりも大きくて、ミノタウロス(こいつ)よりも強い、オッタルさん相手に鍛錬を重ねたように。

 ミノタウロスも、僕みたいに小さくて、僕よりも速い剣士と何度も闘っていたんじゃないのか。

 じゃないと説明がつかないくらい、剣士を相手する事に慣れている。

 僕を見据える瞳の奥から透ける理性の光が、そんな疑惑を抱かせた。

 

 

()()()()()()()

 

 

 今はそんなことどうでもいい。

 考えることはただ一つ。どうやってコイツに勝つか。それだけだ。

 躱されるなら、それよりも速く剣を振ればいい。

 防がれるなら、それよりも速く剣を振ればいい。

 恐ろしい怪物の攻撃が、こちらの命に手を掛けようと伸ばされるなら、それより速く駆け抜けて置き去りにすればいい。

 

 ベル・クラネルには、()()しかないんだから。

 ベル・クラネルが授かった唯一の、そして最大の武器(アドバンテージ)

 『速度(はやさ)』で、コイツを上回れ!

 

 

 

 肩を(せわ)しなく上下させ、荒くなった息を必死に整える。

 視界の先に立つミノタウロスも、同じように鼻息を荒くしている。

 状況は五分と五分。……いや、こっちの方がちょっと不利か。

 身に纏っていた防具は全て剥がれ落ち、インナーは所々破れ、剥き出しの肌は青く腫れ血を流している。

 しかしミノタウロスの方も、ここまでの攻防で全身に大小の傷が刻まれ、少なくない血でその体を濡らしていた。

 

 ダメージ量は向こうの方が上。しかし彼我の間に(そび)え立つ体格差がそれを(くつがえ)す。

 ギルドが定めるカテゴライズの中で、ミノタウロスはレベル2に位置している。対する僕はレベル1の新米冒険者。圧倒的な【ステイタス】の差が、両者の間には開いていた。

 

 そんなの、最初から分かり切っていた事だ。事実を真に受けて絶望している暇なんてどこにもない。

 働きっぱなしの肺と心臓に、目一杯空気を送り込んで更なる労働を命令する。

 眼前に立つミノタウロスは、十分に一息をつけれたのか、再び斧を構え直して体勢を低くしている。

 中断されていた戦闘の開幕はもう、すぐそこ。

 

 こっちも右の手に持つ剣の柄を握り締め、踏み込んだ足に力を入れて駆け出す、直前に左手を前へ突き出した。

 

「【サンダーボルト】!」

 

 真正面からの不意打ち(フェイント)に、今にも飛び出さんとしていたミノタウロスの両目が大きく見開かれた。

 砲声と共に放たれる雷の矢がミノタウロスに突き立つ。

 速攻魔法の特性。詠唱を抜いて撃ち出された魔法の一撃はミノタウロスに回避はおろか、防御する事すら許さない。

 全てを置き去りにする光速の速射砲はしかし、その長所(メリット)故に威力が低いという短所(デメリット)を持ち合わせている。そのせいで直撃してもミノタウロスの装甲を貫けなかった。

 電撃の属性から命中時に相手を痺れさせるという隠れた特性も、その体皮が備える耐性を超える事ができず、効果を見込めない……先程までは。

 今は違う。無傷だった初撃と違い、ミノタウロスは現在、全身から流血している。

 電気を通す “液体()” を、傷口から流しているのだ。

 

『ヴ、ヴモォォオオオオッ!?』

 

 突き立てられた雷の矢が、ミノタウロスの流す血の中から入り込み、傷口から全身を侵し尽くす。血管を駆け巡って筋肉を、そして神経にまで侵略を果たすと同時にその制御を奪い取った。

 

 『麻痺』の状態異常付与。ミノタウロスは動けない。

 

 踏み出した足を、蹴り抜いた。

 《愛の剣(マリアムドシーズ)》振り上げる。

 

 

「ああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」

 

 

 ――思い描く、憧憬の姿。

 

 【ファミリア】に入ったばかりの頃。『最初の三日間』でこの目に焼き付いて離れなくなった一撃を。

 何度もマメを潰して掌を血だらけにして、原野で何度も血反吐を垂らした鍛錬の中、文字通り体に刻みつけた、究極にまで研ぎ澄まされた剣の(わざ)

 

 脳裏に思い浮かべたオッタルさんの動きをなぞる様に。

 何度も何度も繰り返し、体に覚え込ませたその技を。

 地を蹴り、駆け出し、振り上げて、踏み込む足に全体重を乗せて、脚の先から腕の先まで、僅かなズレも許さず渾身(こんしん)の力を剣先へと伝播(でんぱ)させる。

 雷刀(らいとう)。天から落ちる光の柱の如く。全身全霊、最大威力の唐竹割りを案山子(かかし)同然のミノタウロス目掛けて繰り出した。

 

 一刀両断。

 

 

 噴出する(くれない)が、迷宮を(あか)く染め上げた。

 

 

 

 

 

『ブォオオオオオオオォォオオオオオーーーーッ!!』

 

 

 ――ごとり。ぼとり。

 斧を持ったミノタウロスの腕が地面に音を立てて落ちる。

 僕の上段斬りはミノタウロスの腕を斬り落としたのだ。

 ギリリッと噛み締めた歯が軋む音が耳の奥に響く。

 

(――防がれた!)

 

 会心の一撃だった。

 これ以上ない絶好の好機。そこに自身の持てる最大の威力を叩き込む事に成功した。

 凡百(ぼんびゃく)のモンスターが相手なら、間違いなく必殺。

 

 しかし、このミノタウロスは凡百なんかじゃ、決してない。

 

 何が起きたのか、僕はそれをはっきりと見ていた。ミノタウロスが麻痺に()らわれた体を強引に動かして、剣と体の間に腕を挟み込んだのだ。

 体皮の装甲を、強靭な筋肉の束を、硬質な骨までを貫き魔石(しんぞう)まで届くかという一撃は、たった一本の腕に阻まれた。

 しかし、まだ。

 

「これでぇ――――ッッ!!」

 

 手首から先を失い、血潮を吹く腕を(かば)い、抱える様に背を丸めるミノタウロス。

 (こうべ)を垂れて、剥き出しになった首筋へ目掛けて再度。

 全力の上段斬りを繰り出した。

 駄目押し、止めの一撃。この闘争の終止符を打つ最後の攻撃だ。

 

 

 ――ピリッ

 

 瞬間、首の裏に氷の針が突き刺される感触。

 そう言えば、と思う。

 オッタルさんにエッゾさん、ダリスさん、原野で戦った人達。

 一体誰から言われたんだったっけ。

 「止めの一撃は、油断に最も近い」って言葉。

 

 相手が見せた明らかな隙が、逃せない好機に僕の目には映って。

 それまでずっと堅く遵守(じゅんしゅ)していた一撃離脱(ヒットアンドアウェイ)を放り投げた僕を、ミノタウロスの理性の光が貫いた。

 

 下げられていた頭が上げられる。

 振り下ろしきる以前の、力を乗せきれていない剣が、側頭部から伸びた角と交差する。

 剣が、弾かれた。

 柄を握っていた両の腕が、()()がる。

 がら空きの胴体。隙だらけだ。

 

 ミノタウロスが、右腕を振りかぶる。

 脇に突き立てられた剣によって握力を失い、斧も持てず拳も握れなくなったミノタウロスの右手。

 それに、何の意味があるって言うんだ。

 モンスターの怪力を持って振るわれる攻撃力は、僕を殺すに余りある。

 硬い筋肉で覆われた、ミノタウロスの太い腕は棍棒も同然。

 鞭の如くしなりを持って、投げ縄で獲物を巻き上げるように、半円を描く鎌腕が僕の胴に迫りくる。

 

 防げない。

 

 死ぬ。

 

 

 

 死んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間が極限まで遅くなる。

 

 遅々として、しかし確実に近づいてくる死に、目の前が真っ白になって。

 僕は、気が付けば。

 

 白い空間の中に立っていた。

 周囲は濃霧に包まれたように真っ白で、なのに目の前の光景ははっきりと見えた。

 周りの白から浮かぶように、そこだけ切り取られたように素朴な家の中の風景があった。

 木の壁と床に囲まれた小さな部屋。

 煌々(こうこう)と燃える暖炉の前で寄り添う二つの人影。

 一方は小さく、もう一方はソレを包み込むように大きく。

 少年と、老人が……幼い僕と祖父の姿が僕の目の前に在った。

 幼い僕は目を輝かせて、おじいちゃんが読み聞かせる英雄譚に夢中になっている。

 そんな僕を見つめるおじいちゃんの目は何処(どこ)までも優しく、慈愛に溢れていた。

 もう二度と味わえる事のない、温かな一時。

 

 読み聞かせていた英雄譚が終わりを迎え、絵本を閉じたおじいちゃんが僕に語り掛ける。

 

「ベル。お前は英雄になりたいか?」

「うん!」

「そうか、そうか。なら、どうすれば英雄に成れると思う?」

「え? うーんと、すっごい頑張ったらなれる!」

「お、おう。そうじゃな……うむ、間違ってはないな。けどな、頑張るのも大切じゃが、もっと大事なことがある」

「大事な事って?」

「諦めないってことだ」

 

 おじいちゃんは、遠いどこかを見る目で、過去を追想するように細めた目を、誰もいない(僕のいる)場所へ向けていた。

 

「苦しいことがあっても諦めない」

「辛いことがあっても諦めない」

「もうダメだーって時でも、手当たり次第に動いて暴れて」

「それがたとえ馬鹿みたいでも、指差されてでも、絶対に諦めるな」

「お前が憧れてる英雄ってのは、そういう最高に諦めの悪い奴等だけが成れるもんだ」

「だから、ベル」

 

 

 諦めるな。

 

 

 

 その言葉を後に、白が晴れる。

 

 目の前には、ミノタウロスと、今にも迫る右腕。

 

 両腕は弾かれ降伏を示すような万歳(バンザイ)姿勢(ポーズ)

 

 ミノタウロスの攻撃を防げない。

 

 確実に、死ぬ。

 

 死んで――

「――(たま)るかぁぁあああああああっ!!」

 

 左腕を引きずり下ろす。

 無理矢理動かした腕からブチブチと何かが断裂していく音も、叫び声がかき消して、左手に装備した『緑玉の盾(エメラルド・バックラー)』を構え。突き出す。押し出せ。迫る腕を、弾いて、逸らして、死を、退けろッ!

 

 

 

「あ」

 

 

 バギリ、グシャリと割れる音、(ひしゃ)げる音。

 襲う、途方もない衝撃。

 体の中から、ポキポキと折れる音が幾重にも重なった。

 熱い、溶岩の塊が喉の奥からせり上がる。

 ごぽりと音を立てて、赤黒い塊が口から飛び出していく。

 

 宙に浮いた足。振り抜かれた腕。体が吹き飛ぶ。盾が壊れた。装備してた左手はどうなった。落ちる。まずい。着地……受け身を取らないと。

 

 墜落。

 水面を跳ねる平たい石の様に、何度も地面から跳ね上がって転がって、最後は沈んでいく。

 

 

「――――ぁっ、かっ、ごふっゲホッ!」

 

 息が詰まり咳き込む度に喉の奥から喀血(かっけつ)する。

 重すぎるダメージに、意識が遠退いていく。

 

 

 僕は、負けるのか。

 

 薄れる視界の中、僕の上に影が差した。

 歪む輪郭(りんかく)からでも、ミノタウロスが(かたわ)らに立つのが分かった。

 体は、動かない。

 (あふ)れる血に(なか)ば溺れた様に、喉の奥からは空気の漏れる音だけが聞こえる。文字通りに虫の息。

 

 今、何かされたら。今度こそ、死ぬ。 

 消えかけた蝋燭の火が、一瞬強く灯る様に、(かす)んでいた目の焦点が鮮やかに像を結ぶ。

 ミノタウロスは、倒れ伏せる僕を真っすぐに見つめていた。

 嘲笑(ちょうしょう)するでも、(あわ)れむでもなく。ただただ真っすぐに、見下ろしていた。

 まるで、強敵(とも)に向ける様に。(きた)る決別の時を(おごそ)かに迎えるように。

 ミノタウロスが、脚を振り上げた。

 僕の顔程ある大きさの蹄が向かう先は、僕の頭部。

 あれが下ろされれば、僕の頭は地面に落ちた柘榴(ザクロ)みたいになるだろう。

 

 僕は死ぬのか。こんな所で、夢に手を掛けることなく。

 何人もの冒険者と同じ様に、夢半(ゆめなか)ばで力尽きてしまう。

 嫌だ嫌だと拒んでも、時間は進む。

 不意に、これまで出会った人たちの顔が、走馬燈の様に脳裏をよぎっていく。

 育ててくれた祖父の顔。村の人達。オラリオに来てから出会ったエイナさんやシルさん。ヴァレンシュタインさんやレフィーヤさん。

 途方に暮れる僕に手を差し伸べてくれたフレイヤ様。原野で戦い合った【フレイヤ・ファミリア】の人達。僕を救ってくれた、その強さに憧れたオッタルさん。

 

『――ベル様』

 

 ……そして、いつもすぐ隣で支えてくれていた、リリの姿。

 ほんの、少し前の記憶が呼び起こされていく。

 

 

『ベル様には、これを持っていてほしんです』

『これって……悪いよ。こんなの受け取れない。それにこれはリリの大事なものなんじゃ?』

『ベル様がフレイヤ様から(たまわ)ったその剣は、それは素晴らしいものです。ですが、副装備(サブ・ウェポン)を持つことも冒険者にとっては大事な事なのです。万が一があってからでは遅いですから』

『だからって、いくら何でもコレは……』

『ベル様。リリは、ベル様を失いたくありません。使わないならそれでもいいんです。お守り替わりでもいいのでベル様に持っていて欲しいんです。死と隣り合わせのダンジョンで、ちょっとでもベル様の助けになれたのなら、それだけで……ベル様、どうかリリの我儘《わがまま》を聞いて下さいませんか?』

『……分かったよ、リリ。ありがとう』

 

 

 あぁ、本当に――ありがとう、リリッ!

 

 僕は、左脚のレッグホルダーに伸ばしていた手を引き抜いた。

 さっきの一撃で壊れた盾を固定していた紐が千切れたのか、いつのまにか剥き出しになっていた左腕は骨が砕けたせいでグシャグシャだ。でも、まだ動く。

 尽きかけの精神力で限界を超えた体を無理矢理動かして、手に持った小さな紅のナイフの先端を地面に叩き付ける。

 

 生みだされる、紅い光と爆ぜる熱。

 炸裂(さくれつ)する。

 

 リリがくれたお守りは、振るうだけで魔法と同じ効果を生み出す『魔剣』。

 火の力が込められた紅のナイフは、その真価を発揮した。

 ナイフから吐き出される小さな火球は地面に触れると同時に爆発する。

 爆風に圧された背が浮き上がる。勢いに乗せて足を前へ。

 虫の息の獲物を前にして、止めを刺そうと油断していたミノタウロスに向けて、最後まで離さなかった相棒を、《愛の剣(マリアムドシーズ)》を突き出した。

 生死の分かれるこの局面。正真正銘、僕の全身全霊が掛けられた最期の刺突。

 

 狙うは相手の胸部。その一点。

 モンスターがモンスターたる所以(ゆえん)

 モンスターであるが故に抱え持つ、唯一無二にして最大の『急所』。

 『魔石』に向けて、貫けとばかりに剣の切っ先を突き立てた。

 

 死に掛けの虫が突然動き出した時のように、ミノタウロスの表情が驚愕に染まるのが分かった。

 追い詰めたはずの獲物の反撃が、自分の急所へと吸い込まれて行くのをただ眺め――分厚い胸筋を貫いた所で突き出した剣の動きが止まる。

 

 

 鋼線(こうせん)を編み込んだようなミノタウロスの胸筋に全ての威力を殺された。【力】が足りてない。(つるぎ)は『魔石』に届かなかった。

 剣を突き出したままの体勢で見上げるミノタウロスは、それでこそと笑う様に雄叫びを、僕の鼓膜に叩き込みながら、左腕を振り上げた。

 

「まだだぁぁああああああー――――――っ!!」

 

 焼け爛れ、砕けた左の手。

 握り締めた拳を剣の柄頭(ポメル)に叩き付けた。

 剣先が、わずかに沈む。

 硬い何かに、触れた気が、した。

 

 ミノタウロスが諦め悪く足搔く僕へと、振り上げた巨腕を振り下ろす。

 数瞬後には僕を肉塊に変えてしまうだろう鉄槌が、落とされる。

 それよりも速く――ありったけの力を込めて砲声する。

 

 

「【サンダーボルトォオオオオオオオオオオオー――――――ッッッ!!!】」

 

 全身からかき集められた力が、左拳に集まる。

 装填(そうてん)された紫電の光は拳の先から放たれ、剣の中を伝導する。

 ミノタウロスに突き刺された剣の先。それに触れた魔石へ――(いかづち)(ほとばし)る。

 

 砕き、なおも突き進む。先へ、先へと。

 そして貫く。蒼銀の燐光を纏った紫電が、天を駆け昇る。

 雷鳴が、(とどろ)く。

 

 

『――――――――――――――――――――――ッッ!?』

 

 

 声にならない断末摩を上げながら、ミノタウロスがその輪郭を失っていく。

 色を失い、(かたち)を失い、灰となって崩れ落ちる刹那。

 ミノタウロスが、笑った。

 自らを打倒した強敵へと、まるで称賛を送るように笑みを浮かべたのを僕は見た。

 気のせいかもしれない。目の錯覚だったのかもしれない。でも僕にはそう見えた。

 

「貴方は、確かに強かった」

 

 だから、僕も。

 塵往(ちりゆ)強敵(ライバル)へ賛辞を贈った。

 

 やがて『魔石』を失ったモンスターの末期(さいご)と同じくして。

 ミノタウロスは灰になった。

 僕は高く掲げる様に左拳を突き出した体勢のまま、宙を舞う灰が迷宮の天井から落ちる燐光に照らされるのを見送った。

 突き立てられた蒼銀の剣が支えを失い、鐘の音に似た甲高い音と共に地面に落ちた。

 

 

 戦いの終わりを告げる音を、舞い散るミノタウロスの残滓と共に浴びながら、僕はもう一度、心の中で呟いた。

 

 貴方は、確かに強かった。

 でも、この勝負は僕が勝った。

 

 

 

 

「…………僕の、勝利だ」

 

 

 

 

 

 

 

 



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贄の兎 16

 

 

 がやがやと、朝のギルド本部は喧騒に包まれていた。

 朝から正午にかけてギルドのロビーは冒険者達の出入りが激しい。

 ギルドにはダンジョン内外の情報が集められている。商業、職人派閥からの冒険依頼(クエスト)情報から、他派閥の勢力状況や、ダンジョンで起きた大小問わずの変動や異常など、冒険者にとって値千金の、あるいは命運を左右する重要な情報だ。

 それらの情報収集に冒険者達は抜かりが無い。

 故に、朝のギルド内部は毎日の様に慌ただしい雰囲気に包まれる。

 しかし、その慌ただしさは今日に限って毛色を変えていた。

 

「うわー。冒険者の人達、今日は一段と押し寄せちゃってるね」

「こら。職務中。話しかけてこない」

 

 丁度受付前の冒険者達の列が途切れた頃、窓口に座っているエイナに同僚のミイシャが隣から話しかけて来た。

 

「原因はやっぱりアレだよね。9階層にミノタウロスが出たって話」

「……うん、そうみたい」

 

 三日前、Lv1の冒険者達の目の色を変えさせる情報が出回った。

 遠征中である【ロキ・ファミリア】が偶然遭遇したという異常(イレギュラー)、『ミノタウロスの上層進出』である。

 本来なら『中層』の15階層で出現するはずのミノタウロスが『上層』の9階層に現れたという報告に、オラリオの過半数に及ぶ下級冒険者達は震えあがった。

 モンスターが階層間を移動するのは、そこまで珍しくはない。しかし、ソレが6階層分もの大進出をした事実は異常さを際立たせる。

 特に、ミノタウロスの上層出現が今回が初めてではない、と言う事が大きい。

 既に件の怪物は討伐されているのだが、不安を拭いきれぬ者達の、ギルドに詳細を求める声が今日まで後を絶たない。

 二度に渡るモンスターの階層間の大移動。

 『怪物祭』のモンスター脱走を始めとする騒動。

 近くあった一柱の神の突然の送還。

 

 しばらく平穏だったオラリオの目を覚ますように、立て続けに起こる事件の数々にギルドは情報収集と事態の鎮静化に日夜追われていた。

 

「あっ、そうだ。ミノタウロスと言えばさ、例の。エイナのお気に入りの冒険者君とは最近どうなの?」

「お気に入りって、変な事言わないでよ。彼は私の担当冒険者で、私は彼の担当アドバイザー。それだけなんだから」

「えぇ~? でもでも、あの子って報告書によるともう七階層まで進出してるんでしょ? たった一か月半でそこまで探索を進められるって相当すごいよ。何より、所属してるファミリアが『アソコ』でしょ? 今から唾つけといて損はないと思うんだけどなぁ」

「唾って、あのねぇ……」

 

 ミイシャの冗談交じりのからかいを受けたエイナは頭が痛い、と言わんばかりにこめかみに手を当てる。

 

「これなら例の()()もこっちが勝てるかもねぇ~南区の高級レストラン、今から予約しておこうかな……っと、噂をすればってやつかな?」

「!」

 

 友人の不謹慎な発言に眉を潜めかけたエイナは続いた言葉にはっと顔を上げた。

 見れば、見慣れた白い髪の少年が冒険者の人垣を避けながら窓口であるこちらに向かって来ていた。

 

(良かった。無事だったんだ……)

 

 彼が最後にエイナの訪れてから一週間以上音沙汰が無かった事から、エイナはひそかに心配していたのだ。

 たった数日である事から杞憂に過ぎないと頭でわかっていても、実際にこの目で元気な姿を確認出来た事の安堵が、温かな熱と共にエイナの胸の内に湧き上がっていた。

 

「あれれ、今日はなんだか一段と機嫌良さそうだね、あの子?」

「みたいね……まったく、もう」

 

 こっちの気も知らないで。と飼い主を発見した兎の様にぴょこぴょこと飛び跳ねる様に嬉々とした様子で近づいてくる少年の姿に、エイナは困ったように、しかしそれよりも安心したように小さく笑みを浮かべてしまう。

 

「おはようございます、エイナさん!」

「おはよう、ベル君。久しぶりだね……今日は、何かいいことでもあったのかな?」

「わ、わかりますか?」

「そんな顔してちゃ、誰でも分かっちゃうよ?」

「え、えへへ、実はですね……」

 

 湧き上がる気持ちを隠せていない、緩みっぱなしの頬に手を当てるベルに、エイナは苦笑を浮かべる。

 褒めて褒めてと言わんばかりに紅玉(ルベライト)の瞳を輝かせるベルを、実の弟を見る様に穏やかな気持ちで「話してごらん?」と促してみれば、ベルは心底嬉しそうに笑顔を浮かべる。

 二人の様子を横で見ていたミイシャも浮かべそうになる笑みを噛み殺し、山積みになった書類を抱えてその場を離れようと立ち上がる。

 

「僕、とうとうLV2になったんです!」

 

 その、少年の言葉を聞いた直後。ミイシャは書類の山を腕から落し、エイナは固まった。

 やがて、錆びたブリキ細工のようにゆっくり首を(かし)げたエイナに、ベルへ質疑応答が交わされる。

 

「…………ベル君、冒険者になったのいつ?」

「一か月半前です!」

 

 書類を落した姿勢のまま固まるミイシャ。

 小首を(かたむ)けたまま固まるエイナ。

 褒めてもらえる事を今か今かと待ち受け、その場から動かないベル。

 三体の石像によって構成される光景は、周りの冒険者やギルド職員の視線を集めるに十分すぎる怪訝さを持っていた。

 やがて、エイナがギシリと音を立てて動き出し――椅子から腰を上げて、叫んだ。

 

 

「一か月半で、レベルツゥ~~~~~~~~~~~~っ!?」

 

 

 爆発したかのようなエイナの叫びはギルド内に響き渡り、その場にいた者全てを振り向かせ、目前にいたベルを仰け反らせた。

 

「レストラン、予約しておこうかな……」

 

 叫んだエイナとその原因のベルに周りから驚愕と奇異の視線が集中する中、ようやく硬直から解放されたミイシャがポツリと呟きを落した。

 

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 

 エイナさんから個人情報漏洩について謝られた後、相談を終えてギルドから出た僕は、返す足でホームに戻ってきていた。

 これから、女神様に【ランクアップ】して貰うのだ。

 

「あっ、おはようリリ!」

 

 神室へと向かう途中、栗色の髪の少女を目にした僕は声をかけた。

 声を掛けられた少女――リリは神と同じ栗色の瞳を大きく見開いた後、ゆっくりとこちらに背を向けた。

 

「あれ?」

 

 と、僕が声を漏らすと同時に、リリは脱兎の勢いで逃げ出した。

 ――なんでぇ!?

 突然逃げ出された衝撃(ショック)に硬直しかけるが、すぐに気を取り直して彼女の背を追った。

 幸い、ステータス差によってすぐに追いつくことが出来た僕は、咄嗟に彼女の手を掴んで止める。

 

「な、なんで逃げるのリリ!?」

「離してくださいベル様! リリにはベル様の近くにいる資格がないんです!」

「資格って……と、とにかく落ち着いて? 話をしよう、リリ」

 

 逃げ出そうと暴れるリリを宥めながら、丁度近くに差しがかっていたため自室にリリと共に入る。

 【力】の差から振りほどけないと諦めたのか、ベッドの上に腰を下ろして大人しくなったリリに話を聞くと、彼女は九階層で僕を置いて逃げた事を悔やんでいることを知る。

 

「それは、仕方ないよ。あの時の僕はリリを守りながら戦えるほどの余裕なんてなかったし。例え二人で逃げたとしても追いつかれてた。あの時はアレが一番いい手だと思ったんだ」

「それでも! それでも、リリがベル様を置いて逃げた事に変わりはありません。リリは恩を仇で返す、最低のパルゥムです……」

「そんな事言わないでよ。僕はいつもリリに助けてもらってるよ。恩とか、そんなの考えなくてもいいんだ。僕もリリも今、ちゃんと生きてるそれでいいじゃないか」

「違うんです、ベル様……リリにはもう、ベル様の近くにいる資格は無いのです。リリはベル様の側に居ちゃいけない……」

 

 ふるふると、下に向けた顔を横に振るリリの言葉に、僕は胸を締め付けられる感覚を覚えた。

 

「資格なんて、いらないよ。リリ、そんな悲しいこと言わないでよ」

「でも、でも……」

「……あのさ、実は僕リリのこと妹みたいだなって思ってるんだ」

「ベル、さま? なにを」

「僕、家族がおじいちゃんだけで兄弟とかいなかったから、リリのこと、妹が居たらこんな感じなのかなって」

「……」

「リリと一緒にいられて、ダンジョンに潜ってるときも、ホームでお喋りいている時も、僕楽しいんだ」

 

 一月前に出会ったばかりの女の子に向かって妹みたいに思ってるだなんて、我ながら変な事言ってる自覚はあるけれど、ダンジョンの中で、共に命を預け合った仲に時間なんて関係ないとも思ってる。

 何より、酒場の中で、ホームの中で、そしてダンジョンの中で笑い合えるこの関係に何の間違いもないって、僕は心から言い切ることが出来る。

 

「だから、リリと一緒にいたいんだ。僕とリリは同じ【家族(ファミリア)】でしょ?」

 

 見上げるリリの栗色の瞳が、僕が笑みと共に言った言葉に見開かれたのを見た。

 その眼が潤み、更に水気が貯まっていくところも。

 

「リリは……盗人で、薄汚い……最低のパルゥムです。ベル様から受けた恩を返すこともできず……酷いことをベル様にしました」

「リリ……」

「でも、リリは、リリは……ベル様と一緒にいたい、です」

「……うん」

「そんな図々しくて、恥知らずなリリです。でも、それでもリリはベル様とまだ一緒にいたいです」

「うん」

「リリはっ、ベル様と離れたくない! でもっ――」

「いいよ」

「っ!」

「僕も、リリとまだ一緒にいたい。リリがいないと寂しいよ」

 

 その一言が決め手になったのか、リリの目に溜まっていた涙が決壊した。

 ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ、隣に座る僕にリリの小さな両手がしがみつく様に僕の腰を掴んだ。

 

「ごめんなさい、ごめんなさいベル様!」

「いいよ、リリ。お互い生きてて良かったよ」

「違うんです、ベル様っ! リリは――」

「あっそうだ。言うの忘れてた。リリ、ありがとう」

「……は? 何を、ベル様」

「リリがくれたお守り――魔剣があったおかげで僕はミノタウロスに勝てたんだ。だから、ありがとう、リリ」

 

 縋り付くようなリリに、僕は小さな子にする様にその頭を撫でながら、窮地を救ってくれたリリの魔剣の事を話した。

 

「せっかく渡してくれたのに、無茶な使い方しちゃったせいで壊れたのには謝らないと――って、うわっ!?」

「うわぁぁあああああっ、ベルさまぁぁあああああっっ!」

 

 涙を流しながら謝り続けるリリに僕は、困ったなぁなんて苦笑を浮かべながら、彼女を優しく抱きながら頭を撫でる。

 彼女が泣き疲れて寝てしまうまで、僕はずっと彼女の頭を撫で続けていた。

 

 

 

 

 

  * * * *

 

 

 

 

「ただいま戻りました、フレイヤ様!」

 

 僕は泣き疲れて眠ってしまったリリを自室の寝台の上に寝かしたまま女神様のいる神室の扉の前で声を上げた。

 間を置かず入室の許可を貰って中に入ると、椅子に座りながら本を読んでいる女神様が顔を上げ、にこりと笑顔を浮かべる。

 

「お帰りなさい、ベル。今からお茶を用意するから、そこに座りなさい?」

「えっ、そんな、別にいいですよ」

「ふふ、だぁめ。まずは落ち着いて、私と少しお話しましょ?」

 

 部屋に入ると直ぐに、勧められるままに女神様と対面する椅子に腰を下ろす。

 それを見届けた女神様が神室に繋がる小部屋に向かわれてからしばらくして、両手で持ったお盆に二つのカップを乗せた女神様が戻って来る。

 

「おまたせ。これは最近手に入った珍しいお茶でね? とても美味しいから貴方にも飲んでもらいたかったの」

「あ、ありがとうございます。戴きます」

 

 女神様からお茶の入ったカップを受け取ると、ふわりと、花の様に甘い、初めて嗅ぐ匂いが鼻に届いた。。

 受け取ったカップの中には淡いピンクの花びらが浮かんだ紅いお茶が淹れられていて、口に含むと甘い香りが口と鼻の中いっぱいに広がり、喉を通った後に少しの渋みと仄かな甘みが余韻として後に残る。

 

「……美味しい、です。それに何か、体がポカポカしてきますね」

「そう? 喜んでもらえて良かったわ」

 

 僕の感想に嬉しそうに微笑む女神様も自分のお茶を飲むと「美味し」と小さく呟いた。

 そうして、二人共カップの中のお茶が無くなるまで、ほとんど喋ることなく、落ち着いた雰囲気の中、【ランクアップ】の報を聞いてから僕の中にくすぶり続けていた(はや)る気持ちが落ち着いていくのを感じていた。

 

 やがて、カップが乾ききった後、女神様が口を開く。

 

 

「それで、決まったの? あなたの選ぶアビリティは」

 

 アビリティ、正確には『発展アビリティ』とは恩恵(ファルナ)の付与時に発現する『力』『耐久』『器用』『敏捷』『魔力』からなる『基本アビリティ』とは異なり、【ランクアップ】時にのみ【ステイタス】に追加される()()()がある特殊な能力のことだ。

 この『発展アビリティ』の発現は【スキル】と少し似ていて、対象者の行動をもとにした【経験値《エクセリア》】に反映される。

 特筆すべき【経験値《エクセリア》】が無ければ、たとえ【ランクアップ】しても『発展アビリティ』は発現せず、逆に相応の【経験値《エクセリア》】があれば候補として複数の『発展アビリティ』が発現することもある。

 しかし、候補の『発展アビリティ』が複数発現したとしても、新たに【ステイタス】上に追加できるのは一つだけ。発現はあくまで任意なのだ。

 そして僕が【ランクアップ】時に選択できる『発展アビリティ』の数は三つ。

 

「はい。僕は『幸運』のアビリティにします」

「本当にいいの? 状態異常になりにくくなる『耐異常』は便利だし、戦った事のあるモンスターとの戦闘中、能力が強化される『狩人』なんかも人気が高くていいアビリティよ?」

「……確かに『狩人』とか恰好良くて迷いましたけど、でも決めました。僕は『幸運』がいいです。って言うか、フレイヤ様だって『幸運』がいいって僕に勧めてたじゃないですか」

「ふふっ、そうだったわね。それじゃあ、早速しましょうか。貴方の【ランクアップ】」

 

 すごくきれいな笑顔を見せる女神様に、僕は緊張した面持ちで頷きを返した。

 いつもの様に、上着を脱いで大きな寝台の上に上がり、うつ伏せになった僕の横に女神様が腰を下ろす。

 そして、【ステイタス】の更新が始まった。

 

 女神様の細い指先が僕の背中の上を滑っていく。

 いつもなら、半裸の状態で綺麗な女のヒトに肌を触られるって状況に胸がドキドキして落ち着かなかったけれど、今は違う意味でドキドキしてしまう。

 

 ……レベル2に、なるんだ。

 

 心臓の鼓動が、耳の奥に響く。

 先程までの小さなお茶会で落ち着いていた胸の奥が再び騒ぎ出していた。

 今にも走り出したくなるくらい、気持ちが高ぶって仕方がない。

 憧憬(あこがれ)のオッタルさんはまだまだずっと先にいて、これはまだ通過点でしかないのに、それでも目に見える前進(レベルアップ)に喜びを抑えられそうになかった。

 頭は真っ白で、胸には焦燥感に似た期待が溢れて止まらない。

 ドキドキ、ハラハラ、ウズウズと、言葉にし辛い感覚を押さえつけるのに必死になっていると、ようやくその瞬間は訪れた。

 

「終ったわよ」

「!」

 

 女神様の手が止まる。次いで頭の上から落ちて来た言葉に体を起こそうとして――女神様に止められた。

 

「……あの、フレイヤ様? なんで僕の頭を抑えてるんですか?」

「ふふ」

 

 ぽん、と僕の頭の上に軽く置かれた手。

 ただ置かれているだけで体重の一欠けらもかけられてなんかいないけれど、大恩ある女神様の手を振り払う事なんて出来ない為、体を動かすことが出来ない。

 

「これで貴方はLV2……このオラリオでも有数の上級冒険者の仲間入りね」

「は、はぁ……」

「普通なら、こういう時は色々と感慨深く思うのだろうけど、貴方の場合そんなの感じる暇もなかったわね。だって貴方、【ランクアップ】が早過ぎるもの」

「え、えっと……そうなんですか?」

「そうよ。でも、そうね……あの日、たまたま街で見かけた貴方を見初めてから、今日まで色んなことがあったから、ちょっとは浸れる想いをあるかも?」

 

 下に向けていた顔をずらして横に向けると、凄く優しそうな眼をした女神様が僕を見下ろしていた。

 そのまま、女神様は僕の髪を撫でる。

 

「よく頑張ったわね、ベル」

「っ!」

「辛い時も、怖い時も、寂しい時も、貴方が折れず、曲がらず、耐えてきたのを私はずっと見ていたわ。偉いわね、ベル。貴方が積み上げてきたことは、貴方が成したことは誰にでもできる事じゃない。自分を誇りなさい」

「フレイヤ、様……」

 

 鼻の奥がツンとする。瞼の裏が熱い。

 胸の奥が、とても、とても温かいモノでいっぱいになっていく。

 まるで子供にする様に、僕を撫でる女神様の手はどこまでも優しく、髪の一本一本まで(いつく)しんでいく。

 ギシリと、寝台が軋みを立てる。

 僕の腰近くに座っていた女神様が、僕に覆いかぶさる様に体を動かしたのだ。

 顔のすぐ横に置いていた手の上に、髪を撫でる手とは別の手が重ねられる。

 

「私も誇らしいわ。貴方はわたしの自慢の眷属()よ、ベル」

 

 ぽろり、ぽろりと涙が溢れだした。

 喉の奥が引き攣って、声が出せなかった。

 頭を撫でつける手が、指と指に絡められた手が、こんなにも優しさを感じさせてくれるのを僕は知らなかった。

 温かくて、優しくて、心地よくて、何故か涙が止められそうにない。

 村で暮らしている時におじいちゃんが撫でてくれた時とはまた別の感覚。

 会ったこともない誰か(おかあさん)の影を、今僕はフレイヤ様に重ねてしまっていた。

 

「ひっく、ひっく……ぐすっ」

「貴方の魂に淀みはもうない。掛けられていた枷を自ら外し、貴方は一段と強く輝いた」

 

 おじいちゃんとの突然の別れからずっと、欠けていた何かがようやく埋まったのを今僕は確かに感じた。

 ずっと、ずっと欲しかったものを、女神様から与えて貰えたんだ。

 

 きっと、ファミリアの人達は皆このヒトからこれを与えて貰ったんだろう。

 だからこの人の為に強くなろうとする。

 このヒトの役に立とうと努力を積み上げていくんだろう。

 今ならわかる。ようやく、僕にも分かった。

 このヒトから与えて貰った『愛』に応えたいって、もっと、このヒトの『愛』が欲しいって。

 自分が強くなりたいから。だけじゃなく。

 このヒトの為に、強くなりたい。

 

 

「フレイヤ様」

「なぁに?」

「僕、もっと強くなりたいです。……いや、強くなります」

 

 きっと、これが僕が本当にフレイヤ様の眷属になった瞬間。

 【フレイヤ・ファミリア】のベル・クラネルに、僕はなったんだ。

 

 憧憬は変わらず僕の背を熱く燃やし、前へ押し出そうとしている。

 そして、それと同じくらい、僕の胸に女神様の愛が温かく満たして。僕はもっと強くなりたいって、そう思わせてくれる。

 今よりももっと強く。今よりも一歩先へ。今よりも少しでも高みへ。

 

 僕は。

 

 強くなりたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「僕、今からダンジョンに行ってきます。………だからフレイヤ様、手を離して貰ってもいいですか?」

 

 熱を帯びる背と胸に、今にも飛び出しそうな衝動を抑えてそう言ったけれど、頭と手に触れる女神様の手は離れることは無かった。

 

「ねぇベル? 貴方はとても頑張ったわ。そして――頑張った子にはご褒美を上げないといけないわよね?」

 

 ギシリッ、と。再び、そして先程よりも大きく寝台が鳴った。

 

「えっ、えっ、あの、ちょっと!?」

 

 いつの間にか、そう、いつのまにか僕は仰向けになって女神様に見上げていた。

 

(さっきまでうつ伏せだったのに!? 何されたのか全く分からなかった!)

 

 恩恵によって強化された身体能力に伴って、常人を遥かに超える動体視力や反射神経でも感知できない早業。

 触れられたのも分からない優しい力で、けれどいとも容易(たやす)く。

 こちらを見下ろす女神様の長い銀の髪が、カーテンの様に僕と女神様の顔を閉じ込める。

 花畑の中だと錯覚するほどの甘い香りが鼻孔を支配して、頭がクラクラする。

 

「な、なにをっ!?」

「言ったでしょう? ご褒美だって」

 

 剥き出しなままの僕の胸からお腹までを、女神様の白い手が優しく撫で下ろしていく。

 ぞぞぞっと、悪寒にも似た、しかし嫌いになれそうにない痺れが背筋を走る。

 

「……いいえ、私がもう我慢できなくなっただけね」

「ま、待ってくださいフレイヤ様!?」

「いやよ」

「いやって……なんで、こんなことを!?」

「私が美と愛の女神(フレイヤ)だからよ」

「け、眷属の関係性は親と子のそれに似ているって僕、ギルドのアドバイザーの人から聞いてて、だから、これっておかしい事だと思うんですけど!?」

神々(わたしたち)の間じゃ近親相(ピー)は珍しいことじゃないわ」

「えっ、ちょっ、こんな急に……心の準備とかっ、体清めてないですしっ」

「フフ……」

 

 全身の肌を蹂躙していく女神様の手に頭が茹で上がる。

 いつの間にか、下に佩いていたズボンは取り払われ、

 両手に絡まる指は、どんな拘束具よりも腕を縛り、

 真っ白い肌と、紫の瞳が視界一杯に広がって、

 桃色の唇が、ゆっくりと振り落ちてくる。

 

 

「愛しているわ――私のベル」

 

 

 僕はこの後、巨大な《竜》に捕食される『夢』を見た。

 

 

 

「あぁー――――――――――――――――――――――――ッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 










「おい、今日で何日経った」
「三日目だな」
「チッ、長すぎるだろ。いい加減あの方を誰か止めて来いよ」
「黙れ、クソ猫」
「お前ごときが我らに指図するな」
「あのお方の楽しみを邪魔する事は許されない」
「男の嫉妬は醜いぞ」
「んだと!? 群れるしかできねぇ小人共が!」
「ク、クク……我らが(こしら)えし彼の兎はあの方に相応しい神饌へと昇華した。神聖なる晩餐の時は、何人たりとも妨げるは事許されぬ」
「黙れカス」
「喋るな役立たず」
「女神の面汚しめ」
「ちね」
「…………ぅう」
「とにかく、もう三日だぞ。ずっと部屋ン中にこもったままだ。流石に異常だろうが」
「あの方は一週間程前に運び屋(ヘルメス)から大量の精力剤を取り寄せている。そしてあの方は『愛の神』だ」
「…………いや、死ぬだろ」
「そう思うならお前が止めてこい。我等は手を出さぬ」
「つうか、邪魔したら代わりに俺らが喰われる」
「抜き取られる」
「搾り取られる」
「マジで死ぬ」
「クククッ、贄となったのだ。我が主神が秘めし欲望……その贄とな」
「「「「「だから黙れ、クソ根暗」」」」」
「み、みんなして言うことないじゃんかぁ……」




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epilogue

 

 ダンジョン『深層』――50階層。

 モンスターが産まれない安全階層(セーフポイント)の一角にある高台にて、【ロキ・ファミリア】は迷宮(ダンジョン)侵攻(アタック)へ備えた休息の準備に動いていた。

 灰色の大森林を一望できる巨大な岩の上で、野営地を形成するために団員の誰もが野営地内を駆け回り、天幕の設置や食事の準備に追われている。

 魔石灯に照らされた野営地は団員たちの作業音や指示する声などの喧騒が響く中、アイズは一人野営地から外れた大岩の(フチ)の上から大森林を眺めていた。

 階層全域に広がる灰色の大樹の連なりを見下ろすアイズは、ゆっくりと瞼を下ろす。その意識は九階層で目撃した、ある光景を想い浮かべていた。

 

 

 

 

 白髪の少年と、ミノタウロスの激闘。

 事の始まりは、【ロキ・ファミリア】が遠征に向かう途中出くわした、ある冒険者パーティの言葉。

 ダンジョン『上層』でのミノタウロス出現。そして、顔見知りの少年がそれに襲われているかもしれない事。

 それを聞いたアイズは堪らず飛び出し、それに追従するようにレフィーヤやティオネ達もミノタウロスが現れた場に急行した。

 そして、そこにいた【フレイヤ・ファミリア】幹部達との小競り合い。

 少年と同じ派閥(ファミリア)であるにも関わらず、少年を助けるどころか、それを妨害する彼らにアイズ達は戸惑った。

 少年を助けようとする他派閥(アイズたち)とそれを阻む同派閥(フレイヤ・ファミリア)。遅れてやって来たフィンも、アイズを加勢することなく、それどころかフレイヤ・ファミリアの方針に賛同を示した。

 団長の意思に団員(アイズ)が背くわけにもいかず、少年がミノタウロスに襲われているのを見ている事しかできなかった。

 片や、レベル1の冒険者。片や、レベル2相当の怪物。その結末は決まり切っていた。

 しかし。

 

 

 

 「うぉおおおぉぉぉぉぉぉおおおおおおおぉぉっっっ!!!」

 『ヴヴォォオオオオオオオオオオオォォォオオッッッ!!!』

 

 

 互角だった。

 互いの命を懸けた、一騎打ち。

 一時僅かながらではあるが模擬戦を交えた指導の真似事をしたアイズでさえ目を疑うほどの人と怪物との死闘。

 少年は己の全てを賭けて、目の前の敵を打倒しようとしていた。

 気が付けば、その場にいるもの全てがその戦いに意識を奪われていた。

 アイズも、ベートも、ティオネも、ティオナも、レフィーヤも、フィンもリヴェリアも、そしてフレイヤ・ファミリアの者達も。

 誰もが興奮と好奇を交えた双眸(そうぼう)を揺らし、その戦いを最も近い場所から見つめていた。

 

「『アルゴノゥト』……あたし、あの童話、好きだったなぁ」

「さっきまで引け腰だったのに、一歩踏み出てから人が変わったように動きが良くなったわね」

「……ハッ」

 

 懐かしむ様な笑みを浮かべるティオネと、少年の変わりように瞠目するティオナ。

 頬を吊り上げるベートの声がアイズの耳に届く。

 

「……なるほど。彼が一か月前にベートが絶賛していた少年か。まさか【フレイヤ・ファミリア】だったとはね」

「ああ。それにしても、彼の戦いぶりは驚愕に値する。特にあの、転倒から復帰までの時間が新人とは思えぬほどに短いな……一体どんな経験を詰め込めば、この短期間のうちにあそこまでの練度に至れるのか」

 

 フィンとリヴェリアの少年を観察するような言葉。独り言に近いそれに返ってくる声があった。

 

「あいつ、ここ最近ずっとそこの筋肉に可愛がられてたからな」

「朝から晩までくんずほぐれつしてるよな」

「おかげで筋肉と新人がデキてるってホーム中でウワサされてるぜ」

「ホモォ(笑)」

 

 口を開いたのはガリバー兄弟の小人達。長男であるアルフレッグから順にドヴァリン、ベーリング、グレールが言う。

 少年とミノタウロスの戦いに見入っていたティオナ達だったが、四兄弟の言葉にバッと、マジかよといった顔をオッタルへと向けてしまう。

 

「違う。己はただ我が主からアレを鍛えろとの命に従っただけだ。断じてそのような趣味などない……ベーリング、後でそのウワサについて詳しく教えろ」

 

 その場にいた【ロキ・ファミリア】の全員から視線を向けられたオッタルは非常に不愉快だという表情で四兄弟の言葉を否定する。

 特に冗談の通じないオッタルをして、聞き流せない内容を口にしたベーリングには強く追及する姿勢を見せていた。余程受け入れ難いウワサだったのだろう。

 

 そうこうしている内に、少年の戦いは佳境に迫っていた。

 

「【サンダーボルト】ッ!」

 

 激しい閃光と共に雷鳴が轟いた。

 少年の魔法がミノタウロスへと放たれる。

 この戦闘中何度も少年の雷をその身に受けているミノタウロスが体躯に見合わぬ身のこなしで直撃を避けるも、後退を余儀なくされている。

 少年がその間に体勢を整え、空けられた彼我の距離に、幾度目かになる仕切り直しがされる。

 

「……詠唱、してる? あの魔法?」

「いや、小声で口ずさんでいるようにも見えねぇ」

「む、無詠唱!? ずるいです!」

 

 ティオネとベートが少年の【魔法】の特異性に気付くと同時に、それを見ていた超長文詠唱(ロングスペルキャスター)魔導士(レフィーヤ)が驚愕の声を上げた。

 

「しかし、軽い」

 

 少年の出鱈目さを非難する弟子の声を聞きながら、同じく魔導士のリヴェリアは冷静なまま呟く。

 魔法の詠唱はそのまま威力に繋がる。詠唱が長ければ長い程魔法の威力は増していく。その逆もまたしかり。

 発動までの行使速度に特化した【サンダーボルト】の弊害。圧倒的な威力不足。

 二(メドル)を超えるミノタウロスの体を傷つけてはいる。雷の矢によって黒ずんだ体皮は、しかしそれだけだ。牽制にはなっても深手には程遠い。

 

「……手詰まりか」

「いや、決めつけるにはまだ早い」

 

 リヴェリアの推察を横で聞いていたフィンがそれを否定する言葉をアイズの耳は聞いていた。

 そしてそれを裏図けるように、少年が動く。

 

「【サンダーボルト】!」

 

 ミノタウロスへ駆けだす――と見せかけての魔法(フェイント)に、こちらも前に出ようと姿勢を傾けていたミノタウロスは躱せなかった。

 直撃した雷撃が流血するミノタウロスを包み込む。

 雷属性の特性。硬直(スタン)の付与。間発入れず飛び出す少年。

 

 

「ああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」

 

 大上段から振り下ろされた、渾身の一撃。

 何度も繰り返し反復して身に沁みつけたのが分かる、歴戦のアイズ達も感心する程美しい、お手本の様な一振りだった。

 

「入ったぁっ!?」

「いや、惜しい。防がれた」

 

 しかし、少年の剣は麻痺しているはずのミノタウロスが差し込んだ腕の一本によって致命に届かなかった。

 硬直を解いたミノタウロスの絶叫と、すかさず二撃目を振りかぶる少年。

 

「――若い」

「馬鹿がっ!」

「ベルさん、駄目ぇ!?」

 

 斬り落とされた腕を庇い、首を下げたミノタウロスに、少年の足が止まる。

 絶好の機会(チャンス)に、それまでの一撃離脱(ヒットアンドアウェイ)を放り投げた少年にリヴェリアは目を細め、ベートとレフィーヤが非難する。

 

 少年の振り下ろした剣が、ミノタウロスの角に弾かれる。

 跳ね上がる両腕、迫るミノタウロスの反撃。

 金属の割れ、(ひしゃ)げる音と、肉と骨が打ち付けられる音がその場にいた者達の耳に響いた。

 吹き飛ぶ、小さな体。水きりの様に何度も地面を跳ねた少年が力なく地に沈む。

 

「――――ッ!」

「アイズ」

「フィン!? どうして!?」

「終わってない」

 

 痛恨の一撃に倒れた少年に駆け寄ろうとするアイズをフィンが止める。

 その意図を問おうとしたアイズの視線はフィンの一言で再度、少年へと向かう。

 そして。

 

「まだだぁぁああああああー――――――っ!!」

 

 爆炎に背を押された少年が、突き立てられた剣が、撃ち出した拳が、勝利に手を掛けたミノタウロスに牙を剝く。

 月光の刃を持って、雷を招来し、少年は吠える。

 

 

「【サンダーボルトォオオオオオオオオオオオー――――――ッッッ!!!】」

 

 

 蒼銀の燐光を纏った紫電が、天を駆け上る。

 拳から剣を伝導する雷はミノタウロスの胴体を食い破り、背中から迷宮の天井に落ちた。

 

『――――――――――――――――――――――…………ッッ!?』

 

 声にならない断末摩を上げながら、胸に大穴を空けたミノタウロスがその輪郭(りんかく)を失っていく。

 猛牛の戦士は跡形もなく消え、そこには少年だけが残された。

 

「か、勝っちゃった……」

「うそ……」

 

 剣を高く突き出したまま動かない少年にティオナ達が呆然と呟く。

 

「……フン。これぐらいして貰わなくてはこちらが困る」

「まぁ、及第点かな」

「しょっぱなビビッてたので減点」

「途中で止めを(はや)ったので減点」

「だが、最後は勝ったから許してやらなくもない」

 

 驚愕、興味、好機を表情に浮かべる【ロキ・ファミリア】の面々を横に、【フレイヤ・ファミリア】のヘディンとガリバー兄弟が厳しい評価を少年に下す。

 しかし、彼等も少年の『試練』を乗り越えた背中に感じるものが確かにあるようで、表情に浮かぶ感情を殺しきれていなかった。

 

 アイズ達第一級冒険者の視線を一心に集める少年の体が、不意にぐらり、と揺れた。

 精根を使い果たした少年はしばらく前に気を失っていたようで、崩れ落ちる様に体を地面へ傾けていく。

 その場にいた者達があっと声を出す間もなく、少年は倒れ伏せる――よりもはやく、一人少年へと動いていたオッタルによって受け止められていた。

 

「名前は?」

 

 唯一ソレに気付いて動かなかったフィンが静かに問う声が響く。

 いくつもの瞳が見下ろす中、彼は手に持った槍の柄で自分の肩をぽんぽんと叩きながら、冷徹なまでに少年を観察する目で問うていた。

 

「彼の名前は、なんて言うんだい? オッタル」

「コレは……(いな)。この男の名は、ベル・クラネル」

 

 フィンが名を求める少年、それを腕に抱えたオッタルに尋ね、オッタルが答える。

 

「敬愛する我らが女神の眷属、『強靭な勇士(エインヘリヤル)』の新たな一員だ」

 

 オラリオ唯一のレベル7。【猛者(おうじゃ)】オッタルは、女神の試練を乗り越えた一人の男を認め、称賛していた。

 少年の名を答えたオッタルに、フィンは苦笑を返した。

 

「やれやれ、中々厄介な冒険者が敵対派閥(フレイヤ・ファミリア)に増えてしまったみたいだね」

「フッ、全くだ。我々もうかうかしてはいられないな」

 

 【ロキ・ファミリア】の首領と福首領が苦言を溢し、しかし楽し気に笑い合う。

 

 そしてアイズは。

 仲間たちの声を聞きながらずっと、少年の背中を見つめていた。

 

 

 

 

 アイズの目が開かれる。

 視線の先には、変わらず、灰色の大樹林が一面に広がっている。

 少年と怪物の激闘を目の当たりにしてからずっと、アイズの胸の内に湧き上がる感情に、かき回されるような情動が収まりそうになかった。

 胸に手を当てるアイズの背に、声が掛けられる。

 

「アイズさん」

「……レフィーヤ」

 

 野営地の設置が終わりに近づいていることを伝えに来たレフィーヤが、大岩の淵に立つアイズの横に並ぶ。

 アイズと同じように大樹林を見下ろすレフィーヤの目の中にも、アイズが抱えているソレに似た熱を燻《くすぶ》っているのが分かった。

 

「……ベルさん、すごかったですね」

「うん」

「自分よりも強いモンスターに挑んで、勝っちゃいました」

「うん」

「私、ベルさんに負けたくありません」

「うん」

「彼の戦いを見て、私……もっと強くなりたいって思いました」

「……うん」

「明日の迷宮(ダンジョン)侵攻(アタック)、頑張りましょうね」

「うん、一緒に頑張ろう。レフィーヤ」

 

 少年の雄姿に当てられた二人の少女達は、決意を胸に。

 大樹林のその奥の奥――怪物たちの待つ未到達領域を見据える。

 

 

「強くなる。もっと――あの子みたいに」

 

 

 【ロキ・ファミリア】が向かう先。深層59階層。

 この翌日、アイズ達はそこに待ち受ける『未知』と邂逅する事になる。

 

 新たな強敵。大きな脅威。

 かけ離れた力の差に膝を屈しそうになっても、再び立ち上がる。立ち向かう。

 まだ弱く拙い少年が魅せた戦いに。

 何よりも熱く、何よりも白く、何よりも尊い――英雄譚の一幕。

 それに(なら)えと、それに続けと、それを超えろばかりに奮起して。

 冒険者は『冒険』に挑む。

 

 

 

 

それは子供たちの織り成す物語。

過去、繰り返されてきた冒険譚。

神々がいつまでも見守ってきた、英雄神話。

 

これは、人が歩み、神が記す

 

 

 

眷属の物語(ファミリア・ミィス)

 

 

 



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