Anima-Ability 好きな人を幸せにする能力 (水銀@創作)
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アリアの『サンダーフォース』 その1

 ――どうも、皆さんこんにちは。○○です。
 これから、今作についての説明をさせていただきます。



 ・特殊な用語について

 ANIMA(アニマ)能力』とは、本作におけるキーワードです。

 これは、本体となる能力者の意思により、特有の像と能力を持って出現する固有能力です。
 本体の人格そのものが具現化した姿なので、本体の過去や願望、感情などがその姿や能力に影響を及ぼします。本体の精神で最も強い部分が基盤となり、またANIMA使いとなる多くの登場人物は戦いの中で能力を発現させるので、怒りや憎しみなどの負の感情の具現化となる例が多く見られます。

 しかし、この能力は『自分の道を貫きたい』という意志の産物で、ただ無秩序に激情をまき散らしているだけでは発現できません。なんらかの外的要因で発現した場合にも、本人がANIMAに応えるだけの精神力がなければ、コントロールを失って能力だけが暴走することとなると思われます。
 反対に、何かを成し遂げようとする使命感さえ十分ならば、どんな虚弱な者であろうと能力が発現する可能性があります。

 ――長々と説明しましたが、要するに『ジョジョ』のスタンドと同じものと考えていただければ問題ありません。
 ですが、数万人が参加する戦争を左右できる力のため、元ネタと比べると全体的に能力の規模が大きくなっています。元ネタでは能力のネーミングのモチーフが洋楽となっていましたが、今作では一部の例外を除いて「ゲームミュージック」または「ゲームの作品名」がモチーフになっています。(ディオルド様の能力名もそうです)


 ・注意

 本作は「好きな人を幸せにする能力」(ハーメルン版:https://syosetu.org/novel/192518/、なろう版:https://ncode.syosetu.com/n8038fo/)の二次創作です。
 単体でも内容が理解できるようにはなっていますが、基本的には原作既読推奨です。
 原作と比べると戦争・バトルの比重が大きく、そのためグロ描写が多くなっています。これは作者が自分の納得できる形で原作の世界観を考察し、それを物語に組み込もうとした結果です。(「四天王」など、語られなかった設定を回収しようと試みているようです)
 


 ・今作の前に投稿された「Ploto-Plot」、そして「CROWNED」等の各話の削除について

 世界観を練っていくにつれて齟齬が生じたエピソードを消去しているのですが、少々キリがなくなってきたのでまた別作品として投稿する可能性があります。(さすがに今後はこういうことはなくなると思います)
 現在「Anima-Ability」として投稿されている作品の中で、設定は完結しています。もし読み進めているときに違和感があれば、感想欄に書き込んでください。



 ・今作の構成について

 この物語は俺が転生してからではなく、ディオルド様が躍進し、人間の軍で中心の地位を占める以前から語られることになります。
 第一話は原作開始時点の数年前。原作第五話で語られた「ミグルド」「フリューゲル」「ユニカ」といった人物がまだ生きている時代が舞台です。視点転換がありますが、基本的にはミストかディオルド様の視点と考えて読んでいただければ大丈夫です。



 ――それでは、本編をご覧ください!
 
  


 ――ん、ミスト隊長? ……えー……本編の前にしゃべりすぎだって?
 ――でも俺、ここ逃したら出番がいつになるか見当もつかねぇんだもん。

 ――ち、ちょっと。聞こえてるわよ。普通じゃ見えないからって、そんな内情をぶっちゃけないの。
 ――えっと、こんな細かい仕掛けを見つけてくれてありがとうございます。他のところにも私と○○が行くことがあるので、ここに気づいた方は見つけてみてください。


 

 快晴の空から日光が降り注ぎ、広い雪原が白くきらめいていた。

 柔らかな寒さに澄んだ銀世界。けたたましい爆発の音が、空気を裂く。翼を持った馬の影が、次々にスコープの中を飛び交っていった。我ら帝国軍のペガサス部隊が、魔軍と帝国の国境線をなす塁壁を爆撃しているのだ。

 

「敵も空兵を出して来るかもしれない。警戒を怠るな」

 

 ユニカ=ユーラシア隊長が形式的に促す。

 仲間たちもまた形式的に銃をたずさえているが、目つきにいまいち力がない。空回りした雰囲気だった。

 

「どうも、私たちの出番はなさそうですね」

 

「……うん。緊張感は保たないといけないが、このまま終わる感じだ」

 

 待ちに待った攻めの戦だというのに、思いのほか高揚しない。

 わが軍は守備にまわった魔軍を相手に、一方的な蹂躙を続けている。壁の上に矢や魔法が飛び交うが、仲間たちの羽根にかすることすらなかった。

 

 自分が戦いに加わることはなく、味方も苦戦する様子がない。

 まるで映画を見ているのと同じだった。被害が出ないのはいいことなのだろうが、鍛えた技を試せないのだけが残念だ。

 

「――よう。ミストも暇してるみたいだね」

 

 腕を組んで前線を睨んでいた私の横から、思いもよらぬ声がかかる。

 いつの間にここまで近づいたのだろう。私の親友は騎馬したままで、雪の積もった坂道に立っていた。ちょっとした有名人の登場に、少しだけ周りがざわつく。

 

「アリア! また抜けてきちゃったの?」

 

「またってなんだよ。……おー、さむさむ。晴れてると冷えるなぁ」

 

 気安く私のすぐ隣まで来た彼女は、ごつい鎧の上から肩を抱いて震えている。

 兜の隙間から漏れた白い息が、金属の表面に露をつくっていた。

 

「ユニカさん、あたしにも野菜スティックちょっとくれない? あ、ニンジン以外のやつね」

 

「あとにしなさい」

 

「こんな時に、わざわざおやつをねだりにきたの? 勝手に持ち場を離れたらミグルドさんにどやされるわよ」

 

「大丈夫。予想してたよりずっと抵抗が弱いから、もうカタをつけるんだってさ。前線でウロチョロしてると危ないから、避難してろって言われた」 

 

 近年魔軍領と人間領の国境線付近では、膠着状態が続いていた。

 「限りない戦力増強競争を打開するため、わが軍は二年の沈黙を破っての侵攻を決意するのだ」、と、上層部からのありがたいお達しがあった。先方(まぐん)はこの時期に開戦するとは考えていなかったようで、先制攻撃が見事に決まった形になる。

 

「よし――来たぜ、ミスト。フリューゲルさんの露払いが済んだ」

 

 爆音が止み、上空を見ると、既に空兵たちは消えていた。

 静まり返った青空の中でただひとり、右腕を掲げて浮いている人がいる。

 

 帝国軍の双剣の一振りと謳われる実力者――フリューゲル=フォン=タウンゼント。

 

「この場にいるすべての者に告げます。まだ間に合うのなら、去りなさい」

 

 叫んだわけではないが、彼女の声は不思議と戦場全体に響いた。

 一瞬の静寂ののち、魔物たちが一斉に魔法をフリューゲルさんへと集中させる。数十もの魔力の光条が走っていく光景は、夏の虫が炎に惹かれるのに似ていた。

 

「『ソーラーアサルト』」

 

 フリューゲルさんが右腕を掲げたまま、左腕を胸の前でさっと振る。

 業火が竜巻となって彼女の周りを撫で、魔物たちが放った魔法をかき消した。太陽に向かって右手が開かれ、巨大な火の球がその上に現れる。顕現した第二の太陽は大きな翼を空に広げ、巨鳥の姿となって地上へ襲い掛かった。

 

 緒戦の勝敗は決し、帝国軍は魔軍領に侵入した。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 軍を進めるごとに風と雪はひどくなるばかり。

 松明もろくに火がつかず、夜は魔法で照明をまかなわなければならなかった。

 

 目的地の魔軍要塞は険しい山岳地帯にあり、重い装備を持っての行軍は困難だ。最も安全と思われる遠回りをしても、坂道ひとつごとに事故は絶えなかった。私たちもまた、銃のメンテナンスに気を配らねばならない。

 

「これが、雪の結界……」

 

 今回の侵攻は綿密に計画されている。わざわざ天候が荒れる時期を選んで遠征を決定したわけではなかった。

 この大雪は、魔軍の術者の手によるもの。要塞の敵将が一帯に張り巡らせているという雪の結界だった。術の根源である要塞に近づけば近づくほど風雪は強くなり、それが否応なしに軍のスピードを低下させ、体力と士気を削っていく。

 

 既に先頭集団は、敵の索敵圏内までたどり着いている頃だった。

 いつ戦いが始まってもおかしくない。みんなが銃の状態をチェックする頻度は、緊張が高じるのに合わせて高まっていった。

 

「――! ユニカさん、何か聞こえます!」

 

「ええ。みんな、止まりなさい! 前方から何か来るわ!」

 

 視界がホワイトアウトする。

 これまでとは比較にならないほど猛烈な吹雪が、気団となって真正面からぶつかってきたのだ。

 

 いま、「雪の結界が強さを増した。」

 それは、敵が我々を完全に射程にとらえたことを意味している。

 

「この天候では銃なんか使えない! ――総員着剣! 後方からの奇襲に備える!」

 

「了解!」

 

 この局面においては、狙撃部隊である我々は被害を避けてじっと耐えなければならない。

 不本意だがやむを得なかった。私たちの活躍の機会は、この雪が止んだ時に生じるのだ。

 

 

 

――『やはり最大の関門は、この大雪だ。前回の戦いの記録によると、この雪の中では火を使う魔法がひどく弱体化する。つまり、ワシらの主砲(フリューゲル)が鼻詰まりを起こすということだ。強風が吹いとるからペガサスも飛ばず、アリアドネの狙撃も期待できん。雪の中では魔法球も使いものにならんから、相互の連絡すらままならん。要するにこの結界をどうにかしないことには、ワシらはロクな攻め手がないのだ』

 

 

 

 ひと月前の作戦会議の際、ミグルドさんは壁にかかった地図の前で言った。

 部隊長と副隊長しか出席を許されない重要な会議だ。アリアドネ隊には副長格の指揮官はいない。狙撃部隊であるという特殊性のためだ。この時はユニカさんが気まぐれで私を同行させたが、発言などできるわけもなく、ただただ縮こまっていた。

 

『ただひとつの方法は、要塞の東にあるこの塔にたどりつき、中で術を維持している魔物を倒すことだ。結界は複数の術者ではなく、ただ一体の魔物によって張られている。定石通り本軍から別動隊を用意し、林を通ってこっそり送り込もう。しかるのち、アリアドネ隊やフリューゲル、遠距離魔法の総攻撃で一気に畳みかける』

 

『……もし失敗した場合は?』 

 

『そんときゃあシッポ巻いて逃げるなあ』

 

 易々と即答したミグルドさんに、先日別の地から異動したばかりだという隊長は、目をぱちくりさせて挙げた手を硬直させた。

 ほとんどの兵士は、戦いの最中に見せる粗野で頑固なミグルドさんの姿しか知らない。帝国軍には精神論ばかりの将校も多く、『戦う前から負ける事を考えるな!』などと怒鳴られるのは日常茶飯事だという。彼もミグルドさんがそういったタイプの軍人だと思っていたのかもしれなかったが、血が熱いだけの人が、この熾烈な最前線で部下を守れるはずがないのだ。

 

『ワシも負けるのはゴメンだぞ。だが勝つためには、結界の解除は絶対条件みたいなもんだ。これをしくじったら、あとは逃げの一手で被害を防ぐしかない。問題は、この重要な別動隊を誰に……』

 

 ミグルドさんは言い終わる前に、円卓から挙がった手に気づいた。

 騎兵部隊の隊長であるアンリエッタが、真剣というより険しい顔でミグルドさんを見据えていた。 

 

『それならば、ぜひとも私にお任せください』

 

『お前か。具体的な理由は?』

 

『はい。結界を維持しているという魔物は、術の性質上氷か雪の能力を使う可能性が高いと思われます。()()()ならば、相性良く戦いを進められます。我が隊の騎馬は雪中戦を想定して訓練を叩き込んでありますから、気取られる確率も下がります』

 

 直立不動ではきはきと言い切ったアンリエッタは、顔を動かさずに視線を移した。

 不快さを隠そうともしていない。机の向かいにいるアリアが、唇をとんがらせて、天井の一点を見つめながら腕を組んでいたからだ。

 

『……なにか、異議がありますか? ディオルド隊長』

 

『え? まぁ、異議ってほどじゃないけど……』

 

 アリアは、アンリエッタの一言で自分に視線が集まっていたことに気づかなかった。

 煮え切らない答えをしたせいで、既に発言せずにはいられない空気になっている。何を思ってか、私に困ったような目を向けた。そんな目で見られても、満足な発言権もないのに助け船など出せない。アリアもそれを察して、目を泳がせながら立ち上がった。

 

『そうだなぁ。アンリエッタの能力は、どちらかってと防戦むきだろ? ろくに目が見えない、どこから敵が来るか分からないって時に抜けたら、単純に守りがツラくなるんじゃないかな。少なくとも結界が解けるまでは、持久戦をやるしかないわけだし』

 

 たどたどしい声が、徐々に一方向へ向かう。

 

『それに、有名すぎるのもやっかいだと思うんだ』

 

『有名すぎる……?』

 

『別動隊がバレちゃまずいんだ。雪原での合戦なんて、アンリエッタの独壇場みたいなもんだ。向こうからしたら、アンリエッタが怖くて仕方ない。いくら魔物だって、いなかったら気づくと思うんだよ。その点、まだあたしが行った方がやりやすいかもしれないな』

 

 説得力のある言葉ではあったが、しゃべりながら自分の考えを追っていたからか、アリアは余計なことまで口走ってしまった。

 またしてもうっかりである。だが、アンリエッタは、アリアが口を滑らせただけとは思っていなかっただろう。彼女とアリアは二人とも新鋭の隊長で、武功を競うライバル同士だったのだ。

 

『他に意見はありますか? なければ、ディオルド隊長の提案を採用しようと思いますが』

 

『フリューゲル隊長、そんな……!?』

 

『反論があるのですか?』

 

 アンリエッタのフルネームは、アンリエッタ=フォン=タウンゼント。

 フリューゲルさんとは親子の関係だが、仕事でもプライベートでも互いに『隊長』とつけて呼び合っていた。たまにする会話の内容も、事務連絡や作戦の話ばかりだ。

 

『……不満があるのは知っています。しかし、ディオルド隊長はあなたの特性まで考えに含みこんで、筋の通った反論をしているのです。覆したければ、具体的な対案を示さねばなりません。作戦は国のものであり、軍のものであるのだから』

 

『……わかりました』

 

 母親に叱られた娘は、押し殺した無表情な声とともに頭を下げた。

 アンリエッタは、その後の会議では一切口を開かなかった。

 

《聞こえ……者! 悪いが……てくれ! ……が突出し……》

 

 無心で銃剣を振るっていた私は、現実に引き戻される。

 十五分ぶりに入ってきた、とぎれとぎれの通信。何言かしゃべっただけでノイズしか聞こえなくなかったが、危機を伝えていることは、声色だけではっきりわかる。

 

「他の部隊に動きは!?」

 

「ほとんど見えません! 急ぐ足音が聞こえませんから、恐らく通信は我々のところにしか……!」

 

「チッ! しょうがない、前線に急行するわ!」

 

 ユニカさんは鋭く言って、野菜スティックを一気に三本かじった。

 私たちも敵と噛み合っている最中だが、この気配からして他の味方は身動きすらままならない状況だろう。なんとか脱して、慣れない最前線に向かわねばならない。

 

「誰が世話を焼くと思ってるの! アンリエッタ……!?」

 

 『突出している』のが誰なのかは、私もユニカさんもわかっていた。

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 

 

「気味が悪いくらい静かだね。雪もさっきよりおとなしくなったみたいだ」

 

 

 あたしは、魔物が用意したらしい林の中の道を騎馬で走っていた。

 スピードと隠密性を高めるため、伴走しているのは兄弟子のインディゴ=ポーフィリーと、三十名の部下だけだ。ただでさえ狭い道で明かりは使えず、吹雪もまともにぶつかってくる。魔物と出くわすより、道を間違えて事故る方がよっぽど怖い状況だった。

 

「結界が主戦場に収束されているんだ。その分、向こうはより厳しい状況になってるだろう」

 

「うん。早く終わらせないとね――って、あれ。インディゴ兄……武器はどこ?」

 

「持ってきてないぞ」

 

 突然の爆弾発言。

 自分でもびっくりするが、今の今まであたしは、インディゴ兄が獲物を持ってきてないことに気づかなかったのだ。いつもは背丈ほどもあるどでかいハルバードを持っていて、旗持ちみたいに目立っていた。

 

「おいおい、今更気づいたのか? かたくなりすぎだぞ」

 

「何ひとごとみたいに言ってんの!? ヤバいって、もう取りに戻ったりできないよ!」

 

「安心しろ。見てりゃあわかる。――おっと!」

 

 ゆるいカーブを曲がった瞬間、眼前に魔物の一団が現れる。

 あたしたちを見つけた瞬間、リーダーらしき首の周りに棘をつけたヤツがわめいた。歩兵だが、馬に乗ったあたしたちと目線が等しく、分厚い鎧兜からところどころ黒い毛皮がのぞいている。顔は見えないが、クマの獣人だった。

 

「おいでなすったな! みんな、止まるなよ!」

 

 武器を持たないインディゴ兄が、右手を宙に伸ばす。

 青色をした左の瞳が、夕空のような淡い光を放った。

 

 人間のANIMA能力者は、その力を解放する時に左目を光らせる。

 

「インディゴ兄、まさか……!?」

 

「――『シャッタードスカイ』!」

 

 空間から青い蒸気が滲み出し、インディゴ兄の右手に集まった。

 水色の燐光を放つハルバードが、像を結ぶ。

 

「俺の力を初めて見るのが、こんなザコどもになるとはな」

 

 目に見えて浮足立つ敵たち。

 インディゴ兄は一直線に走り寄りながら『シャッタードスカイ』を掲げ、間合いから遠く離れた地点で振り抜く。当然、刃は空を切るだけだった。

 

「試し切りにもならん」

 

 一拍おいてから、爪痕のような破壊が、四体もの魔物の身体をまたいで生じた。

 直撃を喰らった真ん中の魔物は縦に六つのパーツに分かれ、端っこのほうにいた魔物も致命傷は避けられない。魔物たちの肉体が爆裂し、白い(ソルト)となって散った。

 

 「遠間から斧を振ると、見えない爪痕状の衝撃波を飛ばせる」。

 一目でわかった。それが『シャッタードスカイ』だと。

 

「今回の作戦が始まるギリギリで発現したんだ。敵に情報を渡したくなかったから、念のためにお前にもオヤジにも黙ってた」

 

「わかるけど、戦いの最中に言わないでよ! あんなに苦労してたんだから、使えるようになったらみんなでお祝いしようと思ってたのに……」

 

「お祝いなら、いつでもやれるさ。例えば、戦勝パーティーのついでにでもな」

 

 眼前に迫ってきた結界の根源である塔を見上げながら、ガラにもなくキザったらしい台詞を吐くインディゴ兄。

 塔の入口を守る魔物たちの群は、視界にも入ってないようだった。塔のてっぺんから空に向かっていく白い光、あれが結界を発生させているに違いない。

 

「みんなはここに残って脱出経路の確保だ! 塔の中のやつはあたしたちがやる! 雪が止まるまでは持ちこたえろ、できるな!?」

 

「待つまでもないぜアリア、一掃してやるよ!」

 

「応!」

 

 塔の前に積み上げられた分厚い土嚢の壁に、『シャッタードスカイ』の爪痕が刻まれる。

 あたしはその傷口に向かって、気合と共にウォーハンマーをぶっつけた。景気よく四角い袋と中身の土砂が舞い、突破口が開かれる。その先に見えた塔の扉は意外なぐらいに大きく、馬に乗ったままで強行突破もできそうだった。

 

「――うおっ!?」

 

 扉にハンマーを叩きつけて壊すと、中から強烈な冷風が噴き出した。

 馬が少しひるんだが、立ち止まるわけにはいかない。陣地に穴をあけられたばかりの敵が、素早く対応して追いかけてきているのがわかる。

 

「頼むぜ! すぐに戻って来るからな!」

 

 振り向かずに言って、突入した。

 外から見た印象より広い、円形のホールのような空間だ。窓もなければ照明もない、それなのに部屋全体が不思議に明るかった。高い天井にはあちこちにツララが下がり、部屋の隅にはホコリのように雪が溜まっている。馬はほったらかしにしておくしかなさそうだった。

 

「アリア、兜をはずせ。息がこもると中が凍っちまう」

 

 入ってから十秒ほどで、あたしの荒い息がまつげに霜をつくった。

 立っているだけでも体力がゴリゴリ削られていくのがわかる。いよいよ、早く決着をつけないとまずかった。

 

「くそ、肝心の敵はどこなんだ!?」

 

「術者が結界を展開するには、屋上が一番やりやすいはずだ。そこへ行くための手段が絶対にある。俺が探ってみるから、警戒を解くな」

 

 インディゴ兄が部屋の中心に座って、床に手を当てる。

 あたしは獲物を構えて、特に上からの襲撃に備えた。暑いはずはないのに、柄を持つ手が汗で滑る。外から聞こえてくる戦いの音が、迫って来るような気がした。

 

 戦場全体を包むほどの結界を張れる魔物が、あたしのいる建物のどこかにいる。

 そのことを実感するごとに、圧迫感と責任感がのしかかってきた。みんなのために、ここにいる魔物を倒して見せる。自分が言いだしたことで、失敗するわけにはいかないのだ。

 

「ッ、まずい!」

 

 ぱっと視線を移すと、さっきまで影も形もなかった魔法陣がインディゴ兄の足元に現れている。

 緑色の光を発して、起動しかけていた。探知を試みていたら、魔力が流れてしまったらしい。

 

「アリア、飛び込め!!」

 

 兜をかぶり直す時間もない。

 愛用のフルフェイスを放り出して、インディゴ兄にタックルをかましながら狭いスペースに滑り込んだ。その瞬間光が爆発し、眼が眩む。衝撃で床に投げ出され、思い切り頭を打ち付けた。

 

「――隠密行動のくせに……やかましい侵入者だな」

 

 火花を散らせる頭の中に、聞いた事の無い声が響いた。

 慌てて目を開けると、すでにそこはさっきまでいた部屋ではない。上下が逆転した甲冑の男が、重々しく椅子に座っていた。ひじかけに両腕を任せていて、兜をかぶった顔はうつむいて見えた。視界の底には真っ黒な空が満ちている。どうやら、屋上に飛ばされたらしい。

 

「……長年、帝国軍と戦ってきたつもりだが……教育方針だけは、いまだに理解できん……暗殺対象の部屋には、ギャアギャアとわめきながら入れと……教えているのか……?」

 

「な、なんだぁ? お前……」

 

 緩慢で、下手をすれば寝ぼけたような声だった。

 荘重に侵入者を迎えている、というような風情でもない。堂々とした態度と言えなくもないが、どちらかというと安楽椅子でまどろむジジイというのが近い。

 

「そっから立たねえつもりなら、こっちから行くぞ!」

 

「待って! まだダメだ!!」

 

 『シャッタードスカイ』を携えて跳躍するインディゴ兄。

 いまいち緊張感のない敵の態度に、業を煮やしたのだろう。だがあたしには、インディゴ兄が向こうのペースに乗せられているようにしか思えなかった。

 

「……まだ青い。能力も……経験も……」

 

「――ぐっ!?」

 

 一陣、風が吹く音がした。

 インディゴ兄がとっさに顔をそらすと、見えない何かによって頬に赤い線が走る。甲冑の魔物がうつむいたまま、両手をひじかけから上げて、床に向けて広げた。両手のひらの先から細かい雪の粒子が舞い、ぼんやりと二匹の狼の輪郭が浮かびあがった。左の狼の牙だけが、血で染まってよく見える。どうやらあれが、インディゴ兄を襲った攻撃だった。

 

「俺と同じ、ANIMA能力者か!?」

 

「……俺はダスティ・ノーマン……敵の死体で、雪だるまを作ることが趣味の男だ。……そこの女。……お前も将なら、名乗るがいい……」

 

「あ、あたしか? アリア=ディオルドだけど……」

 

「アリア=ディオルドよ。……貴様の判断は、多くの場合正しい。まだ俺の手の内が分かっていない段階では……攻撃を急ぐべきではないのだ。……お前たちにとっては、早く俺を倒さなければ……味方がなぶり殺されてしまうという状況だ。……だが、それでも初撃で返り討ちにされてしまっては……元も子もない……貴様はそう考えたな……」

 

 あたしもインディゴ兄も見ずに、ダスティという男はくたびれた口調で話し続ける。

 答えることはしなかった。こいつは、何が目的でこんな話をしている? 悩めば悩むほど、肺の奥が凍てついていくのが感じられた。五分もいれば、呼吸困難に陥ってしまうだろう寒さだ。

 

「だが……常に最善の道を行くことが、最善の選択であるとは限らぬ……。そう……今だけは、急いでもよいのだ……貴様らは……」

 

「耳を貸すなアリア! こんなのに付き合う必要はねえ!」

 

 要領を得ないダスティに向けて、インディゴ兄は全力で爪痕の衝撃波を放った。

 途端にダスティの身体は、一面真っ白に変色し、雪となって空気に溶け、その存在を気体のように拡散させる。攻撃が捉えたのは、その後ろにあった椅子だけだった。

 

「時間稼ぎだと思うのは、当然だ……。だが、だからといって思考放棄する理由にはならぬ……なぜ俺が、わざわざこんな話をするのか……それを理解できんようではな……」

 

「お前を殺せば、疑問の意味もなくなるさ!」

 

 部屋の中の空気そのものから発される声が途切れると、大きな気配が背後に現れる。

 あたしは逆手でナイフを突き込むが、姿はそこにない。実体化するところをとらえられなかった。 

 

「それが貴様らの戦い方というわけか……。……だが、勢いで雪はつかめない」

 

「アリア、伏せろ! 『シャッタードスカイ』は、こういう使い方もできる!」

 

 あたしが伏せた瞬間、インディゴ兄はやたらめったらに水色のハルバードをぶん回した。

 四方八方に衝撃波が飛び、空気にかかった白い雪の靄に次々爪痕を刻んでいく。

  

(そうか、空気の中に溶け込んだなら、部屋全体にばらまいてやれば……!)

 

 インディゴ兄の考えた事がわかり、あたしは一瞬安心しかけた。

 しかしダスティは逆に、雪の中からいきなり実体化する。そして、うつむいたままで右手を勢いよく掲げた。

 

「――はっ!」

 

 床に積もっていた雪が持ち上がり、波のようにダスティの前を覆う。

 爪痕は分厚い雪の壁をえぐったが、風穴を開ける事はできなかった。

 

「ッ!? う、げほっ、ごほっ……!?」

 

 驚愕に目を見開いたインディゴ兄は、大きくせき込み始める。

 能力を使い過ぎたのか!? 雪の波を乗り越えてきたダスティは、憐れむように見下ろした。

 

「やはり、青い……自分の限界も、見極めていないとはな……」

 

「なぜだ……!? 俺の、能力が……たかが、雪に……!」

 

「……貴様が、自身のANIMAの特性を……理解していないからだ……」

 

「!」

 

 怒るというより唖然として、インディゴ兄は見返した。

 ANIMA能力は、自分自身の精神の像だ。自分に分からないことが、他人に分かるはずがない。

 

「お前がこの戦いで力を使ったのは、これで五度……複数の魔物、土嚢、そこの椅子、この部屋の空気……そして、今はこの雪の塊に向けた……気づかなかったのか? 破壊の形、その程度が……対象に関わらず、全く同じであるという事に……?」

 

 あたしは起き上がれずに、椅子を見て、立てられたままの雪の塊を見る。

 爪痕の形が同じなのは、傍から見ていてもわかっていた。だがこうして比べると、固さが違う二つの物体に刻まれた傷の深さにも違いが見当たらない。

 

「……『シャッタードスカイ』……と言ったな。見た所お前の能力の威力は……全長約5メートル、深さは最大地点でおよそ90センチだ。……つまりは、どんな物質であれ……これを包み込むだけの体積さえあれば……お前の能力では、貫くことができないというわけだ……」

 

「……」

 

「もっとも……言い換えれば、金剛石でも水でも等しく効果を発揮する……どのような物質も、問答無用でそれだけの体積を持っていくことができる能力だ……。たしかに、恐ろしい力だ――使い手に恵まれていたならば」

「てめえ!!」

 

 避けられるとわかっていても、殴り掛からずにはいられなかった。

 インディゴ兄が、一年以上も前から能力を身に着けられないと悩み抜いていたことをあたしは知っている。その努力ごと侮辱されるのは、自分のことのようにつらかった。

 

「帝国軍はいつもこうだな……血気盛んなばかりで、わきまえぬ……自尊心を満たしたいガキどものために、なぜ俺の部下が死なねばならんのだ……? 民族の独立のために戦う我らを……戦う意味すら知らぬ者が……」

 

 激情のまま襲い掛かったあたしに向けて、ダスティは初めて感情のこもった言葉を投げる。

 感情のこもった「言葉」、「声」ではなかった。

 

「……これ以上俺たちを踏みにじらせはしない……。貴様らの仲間も……残らずこの地で凍えさせよう。……我々の先祖が押し込められた、無縁墓のようなこの地でな……。まずここで貴様らを雪だるまに変え、地獄の水先案内をさせてやろう……」

 

 空気が一段と重苦しくなった。

 容赦のない寒さで、肺がまともに動かなくなってくる。

 

 聞き捨てならない言葉が少なからず聞こえたが、あたしにはそれよりも気になることがあった。

 はっきり言って、意味はほとんど分からなかったが、相当に根深そうな恨み辛みを吐き出していることだけは感じ取れる。それにしては口調や息遣いが、明らかに平たすぎた。癖や性格では説明がつかないほどに。

 

「ついでに言っておくが……まだ結界は途切れていないぞ……。魔力の供給は止まっているが……俺の術は、分厚い雪雲のように上空に定着している……この雪は、俺を殺さねば止まぬ雪だ」

 

 ダスティが両手を大きく広げ、頭の高さまで持ち上げる。まるで、吊り上げられたマリオネットを思わせるポーズだった。

 手の軌跡に沿うように、透明な雪の狼が六体出現する。左下には、最初にインディゴ兄を襲ったあの血のついた狼がいた。

 

「……防げるか? その状態で……」

 

 輪郭だけが見える六体の狼が、一斉にあたしめがけて飛び掛かってきた。

 一体でも逃せば、後ろのインディゴ兄がやられる。なんとしてでも迎撃しなければ――!

 

「ッ!?」

 

 四体目まで迎撃し、あたしの目の前に飛び込んできた五体目の狼が、ウォーハンマーに潰される寸前で爆発した。

 直前まで狼の形だった細かい雪の粒子が、あたしの口の中へ、気道へと飛び込んでいく。

 

「――!!」

 

 その途端、肺の奥に経験したことのない激痛が炸裂した。

 凄まじい勢いで咳が駆け上がって来る。まさかこれも、術のうちなのか。

 

「……そろそろ終わるようだな……」

 

 ウォーハンマーを床についたあたしに向かって、最後の六体目の狼が飛びつく。

 視界が涙でろくに見えないが、血のような赤が光って見えた。勘だけで顔を傾けると、右目のすぐ下を熱さが横切る。

 

 他の狼は実体のない雪の蜃気楼だが、この牙に血のついた狼だけが「物理攻撃」をしてきた。

 ぼやけてきたあたしの頭の中で、一つの確信が像を結ぶ。

 

「イン、ディゴ、にい……! まりょく、のこってるか……!」

 

「お前のおかげで、なんとか二発分ぐらいは回復できた……でも、こいつには……!!」

 

「ちがう……のうりょく、じゃねえ……ほのお、は、出せるか……!?」

 

「火炎系魔法……? ま、まぁ、使えなくもないが……」

 

「いいからやれ……! この部屋、全部に、薄く、広く、火を……!」

 

 今のあたしは、声を出すだけでやっとだ。

 だが、腕の力は有り余っていた。魔力も、少なくともインディゴ兄よりはある。

 悪あがきには、十分だった。

 

「にわか仕込みの炎魔法ごときで……この俺の術を破るというのか……? ……いいだろう……させてやる」

 

「そうかい……ありがとよ……!」

 

 あたしたちの頭上で、薄い炎が渦を巻く。

 フリューゲルさんやアンリエッタの炎とは比べようもない。作りかけのわたあめみたいな頼りない炎だ。

 あたしの好きなバンドの歌詞にあった。「希望の光は、か細ければか細いほど燃える」。

 

「頼んだぜ……ハンマ君!」

 

 炎が消えると細かい雪が解けて、床に薄い水の膜が張っている。

 あたしは柄を握る手から雷を走らせ、そのまま紫電をまとったウォーハンマーを、甲冑の脳天に振り下ろした。

 

『何のつもりだ……? 炎が消えてからでは、避けられるだけではないのか?』

 

 あたしの攻撃を避けていたら、ダスティはこう言っていただろう。

 しかし、あたしはもともと甲冑を狙っていたわけではなかった。だから、ダスティに命中させることができた。

 

「――があああ、っ!?」 

 

 甲冑の左下、牙に血のついた狼が、床から反射した電撃を横腹に受けて叫ぶ。

 同時に甲冑が解けて水に変わり、中から人間の身体が現れた。

 

「勝ち誇った瞬間が一番危ないってね。ミグルドのおっちゃんが言ってたな。余裕綽々であたしの攻撃を流したから、本体が危ないってことに気づけなかった……」

 

「本体、だと? じゃあ、その鎧の中にいたヤツはなんなんだ!?」

 

「雪だるまとはよく言ったもんだね、インディゴ兄。雪で蜃気楼の狼を作ってたように、人間の死体の表面に雪で幻の鎧を映しだして、本体のように見せかけていたんだ。本当のダスティは、この一匹だけインディゴ兄とあたしに触れられた狼。攻められた時の鋭い反応のわりに、甲冑が動きもしゃべりもにぶかったのは、こういうことさ」

 

 くっきりと見えるようになったダスティの本体は、小さな身体を床に投げ出している。

 青白い色をした身体からは、ところどころ長さの違う毛の束がトゲのように逆立っていた。犬に似ているが、尻尾は無い。見た目だけなら、その辺にいる知能の無い魔獣と大差なかった。魔物は常識の通用しない奴らだが、山をいくつもまたいで降りしきっていたあの雪の結界と、どうにもイメージが結びつかない。

 

「――フン。仲間にもバレなかったのに、こんな小娘に見破られるとはな」

 

 ダスティが身をよじった瞬間、あたしは後ろに下がってインディゴ兄と一緒に構えた。

 反撃してくるかと思ったが、拗ねた様子で寝転がったまま、前足で器用に焦げ目を撫でている。声は同じだが、甲冑を操っていた時とは似ても似つかない流暢な口調だった。

 

「お前、まだ死んでなかったのか!?」

 

「当然だ。曲がりなりにも、魔軍の前線基地の大将だぞ。まぐれ当たりのチンケな雷で、くたばるようじゃ世話ねえや」

 

 柄を握る手に緊張感が加わる。

 舌を出して荒くせきこんだダスティは、牙の間から赤い血を流した。床に張った雪解け水にその色が混ざる。部屋の寒さが少しずつ和らいでいくのを、あたしは肌で感じていた。

 

「と、言いたいところだが。残念な事に俺はただのひ弱な術者だ。情けないが、さっきのが致命傷だよ。負けた最後の意地でしゃべってるが……じきに死ぬだろうな。信じられないってんなら、お前の『シャッタードスカイ』とやらで俺を六つに分解してみな。お前みたいなヤクザなANIMA使いでも、死にかけの子犬ぐらいはなんとか殺せるだろ?」

 

「う……ぎ……」

 

 口の端から血を流したままダスティは立ち上がり、傷ついた椅子へよろよろと歩いていく。

 血のからまった声だが、毒舌はまだまだ切れ味があった。小さな後ろ姿を見ながら、インディゴ兄は斧を振りおろそうかためらっている。

 

「時間稼ぎはできた。お前らに手柄をくれてやるのは悔やまれるが、まぁいい。戦自体が負け戦になっちまえばご破算、論功行賞もねぇからな……。人間ども。あと何時間かしたら、また地獄で会おうか」

 

 椅子の上に寝転がり、動かなくなったダスティの身体は、ゆっくりと白い粒子に変わっていった。

 また雪に変わったわけじゃない。魔物が死ぬ時に残す「(ソルト)」という物質だ。椅子の上で山になった粉を、あたしは容器に詰めて懐にしまった。辺りはすっかり水浸しだが、床に彫り込まれた魔法陣の光は消えずに残っている。チョークで直に描く簡易的な魔法陣だったら、ここに閉じ込められていたところだ。

 

「時間稼ぎだと……? アリア、周辺にコイツ以上の魔物はいないはずだな」

 

「たぶん。作戦会議の時には、そういう話はなかったよね。アイツを倒したら、あとは普通に戦うだけだと思うけど」

 

「俺もそう思うが……くそ、最後の最後まで口の減らねぇやつだったぜ。せっかくANIMAに目覚めても、結局アリアにまかせっきりだったし。言ってる意味もなんにも分からなかったぜ。癪だけど、俺の能力の欠点がわかったのは収穫か」

 

 一階に降りると、既にみんなが中で待っていた。

 そこら中に雪を払ったあとがある。剣を抜いて血糊を拭いているのもいた。

 

「……あれ? みんなどしたの? ずいぶんくつろいじゃって……」

 

「おう、そっちも終わったか。あの後ちょっと斬り合っただけで、魔物どもがいきなり逃げ出したんだ。こっちには死者はいないぜ。ついさっき雪がやんだのも確認した」

 

「そっか。――よかったぁ。誰も死ななかったんだね。相手も強くて長引いたから、正直覚悟してたんだ」

 

「おっさんから連絡は?」

 

「いや、入ってないな。向こうとここだと、雪が止まるまでに時差があるのかもしれない。ま、アリアもインディゴも帰ってきたし、さっさと戻っておっさんを安心させてやろうや」

 

 長いことここで待っていたあたしの馬にまたがると、不機嫌そうに息を吐いた。

 いつものことだが、軍馬のくせにわがままな奴だ。あたし以外のヤツを乗せるなり、牛みたいに暴れ狂っていたころと比べると、ずいぶんおとなしくなったものだが。

 

「ところで……アリア。いつ俺がお前の電撃対策で、鎧に絶縁加工したって気づいたんだ?」

 

「ん? なにが?」

 

「え……なにが、って……さっき、俺が濡れた床に転がってる状態で電気を流したろ。そのことを知ってないとあんなに躊躇なくできないはずだ」

 

「……う、うん。知ってたよ。あたしはインディゴ兄のことならなんでも知ってるよ」

 

「じゃあ俺の八人目の女の名前を言ってみろ」

 

「………………………………レイモンド??」

 

「それは五人目な……勘弁してくれよ、もう。偉そうなことは言えないが、ヘタすりゃ黒焦げになるところだったんだぞ?」

 

「う、うん。でも、問題も悪いよ。十四人もいるインディゴ兄の元カノでクイズを出されても分かるわけないじゃん」

 

「十五人だ。先々週に別れて、今は十六人目と付き合ってるところだ」

 

「……『インディゴ兄がおっちゃんにいつゲンコツを落とされるかクイズ』とかなら、ドンピシャ当てられる気がするよ」

 

 雪がやみ、晴れた空に満月が光っている。

 道は相変わらずのオフロードだが、明るくなったせいでさっきより断然走りやすく、インディゴ兄とバカ話するぐらいには余裕もあった。

 

 よく星が見える夜だ。帰ったら、ミストに星座の話でも振ってみようか。

 

「おーい、そこのヤツ! 民間人なら早く逃げろ! 避けなきゃこのまま轢いちまうぞ!」

 

 インディゴ兄が隣で叫んで、びっくりさせられた。

 はるか前方の上り坂のてっぺんに、のっぽの男がひとりで立っている。闇にまぎれる真っ黒いマントを羽織り、頭もフードで隠していて、月明かりがあっても目を凝らさないとわからなかった。

 

「おい! 何してる!? さっさとどけって言ってんだぜ!?」

 

 部下たちがくちぐちに怒鳴りつけるが、不審な男は虚ろな様子のままで、身じろぎもする気配がない。

 全身が真っ黒で体勢がよく見えないが、どうやら空を見上げているようだった。背を向けているとはいえ、三十プラス二騎もの馬が足を緩めずに迫ってくる音や振動の圧力を、感じていないとは思えない。

 

「――くっ……!」

 

 直前五メートルまで接近したところで、ついにあたしたちは根負けして馬を止める。

 みんなの息遣いが聞こえてきた。静かだ。誰も声をあげなくなった。

 

 あたしたちを迎えに来た味方ではないだろう。かといって、敵が一人でこんなところにいるというのも不自然だ。

 こいつが何者か、確かめなければならないのに。考えが回れば回るほど、身体はまったく動いてくれなかった。

 

 この男に対して行動をとることを、身体が拒否しているようだ。

 

「雪がやんだな」

 

 誰も身動きがとれなくなり、あたしたち全員の意識が男に釘付けになった瞬間。

 まるでその時を待っていたように、男がはじめて声を出して、あたしたちに振り向く。顔のつくりだけから判断すれば、二十代後半の青年に見えた。声は思ったより甲高く、離れた場所でもよく通る。

 死体のように青白い顔が、月光と雪明かりでますます白く照らされていていた。真っ赤な両目が、坂の上からまっすぐ見下ろしている。表情の読み取れない視線だった。

 

 だが、あたしがこの男を不気味だと思うのは、外見のせいではない。

 

 ダスティの塔に走っている時、あたしは強風をさかのぼっていた。あの風と同じぐらいに強い風が、この男からごうごうと吹き付けてくるのを感じる。

 冷たい風ではない。背中から汗が噴き出るような熱風だ。あたしには、それがとても恐ろしいことのように思えた。

 

(みんなは、感じてないのかな……?)

 

 だが、『熱風』を感じているのは、どうやらあたしだけだ。

 隣のインディゴ兄は、涼しい顔をしている。

 

「ダスティは間に合わなかった。この戦は、帝国と痛み分けするほかないようだ」

 

「――お前。まさか、あいつが呼んだ魔軍の援軍か?」

 

「まぁ、そんなところだ」

 

「あいにくだけど、無駄足だったね。既にこの戦はあたしたちのもんだ。あたしとインディゴ兄が敵の大将をとって、本隊がもうすぐ城も落とす」

 

 正体が知れた以上、するべきことは決まっている。

 もう震えは止まった。今は男が頭上にいるが、同じ場所まで近づけば、騎馬の三十人と徒歩の一人だ。

 

 早くおっちゃんに作戦の成功を伝えなければならない。

 

「――この戦いに勝者はいないのだ。帝国軍も、魔軍も、敗北の半分を受け持つことになる」

 

 男の右肩のあたりで、マントが揺らいだ。

 攻撃だ。反射的に頭を屈めたあたしの上で、空気がゆがんだ。重いものが雪に落ちる鈍い音が、後ろから数十重なって聞こえる。

 

『……ハンマーを持ってるほうは、振り向かないほうがいいぜ。女には、少しばかり刺激が強い』

 

 あたしも、インディゴ兄も、攻撃をかわした体勢のままで冷や汗が止まらない。

 いきなり聞こえた男とは違う声にも、意識が回らなかった。

 

 

 

 ――わかりたくなくても空気でわかる。

 今の一撃で、みんなが一人残らず殺されたのだと。

 

 

 

「――みんな」

 

 故障したおもちゃの動きで後ろを見て、乾ききった唇でうめいたインディゴ兄。

 あたしは、その瞳の中にあったものを見てしまう。上半身を斜めに斬られたみんなが、馬に乗ったまま切り株のようにきれいに並んでいる光景を。

 

「魔軍はダスティ・ノーマンが戦死。そして帝国軍は、ミグルド以下主力将兵が全滅。それがこの戦いの結末だ。これ以上、パイは渡せない」

 

 男が独り言ちる声が遠い。

 三十人の友達が消えた。声もなく、その瞬間をあたしに見せることもなく。その現実が理解できない。頭が詰まるような感じがしたが、不思議に考えは真っ白だった。

 

「――アルカード、参る」

 

 世界がゆっくりと見える中で、目の前の男は残酷に武器を抜く。

 あの熱風が、またあたしを襲った。

 




 白銀塩(シルバー・ソルト)「ダスティ・ノーマン」
 
 『雪の楼閣』と謳われた難攻不落の要塞の主。
 圧倒的な範囲を誇る雪の結界で、幾度となく寒さに弱い人類の軍を退けた。

 彼は、根城である要塞からほど近い、極寒の地に暮らす種族の出身である。
 同族たちは厳しい環境に耐えるために進化した大きな身体を持ち、その中で小さく病弱なダスティは厄介者であったが、ある時に秘めた術の才を魔軍の剛戦士ベオ・ウルフに見出された。
 
 白銀塩(シルバー・ソルト)は、上級魔族の中でも強者だけが落とす。
 ティースプーン一杯分に最高級の魔術師を全回復するほどの魔力が詰まっており、闇市場では天文学的な値で取り引きされている。


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アリアの『サンダーフォース』 その2

 前線では、やはり予想していた通りの人物が暴れていたようだ。
 アンリエッタの騎兵隊が、ブリザードを押し返す勢いで、敵の大群の中を荒れ狂っている。明らかに劣勢の他の味方に比べて、彼らだけが光を放っていた。二メートルを超す巨躯の魔物たちを次々と葬っていくが、私の目から見ても孤立無援の状況で飛ばし過ぎている。
 あんな無茶がいつまでも続くはずがない。膨らみ過ぎた風船が破けるより先に、アンリエッタを探して止めなければ。

「あなたたちの隊長は! あの子はどこにいるの!?」

「後方です。技の準備ができるまで、ここを維持せよと」

「なんてこと……!?」

 ほとんどの兵が思い切り深くまで侵入しているが、近くで傷の手当てをしていた隊員を運よく捕まえることができた。
 てっきり自身も乱戦に参加しているのかと思ったが、どうやらフリューゲルさん同様に、自分の能力で戦況をひっくり返す腹積もりらしい。だが、アンリエッタの能力は、まだ結界が解除できていない時に使えば威力が半減する上に、使える回数が限られていた。もしあの子が気を急いたせいで、貴重な大玉をここで消費してしまえば、彼女の部下の犠牲が無駄になってしまうのだ。

「アンリエッタ!」

「……ミスト隊長ですか」

 アンリエッタはすぐに見つかった。
 護衛もつけずに、ひとりで戦場を俯瞰している。ギリギリまで戦力を割いている証拠だった。

「今からでも遅くないわ。ここは私たちとミグルドさんに任せて引きなさい! 今見てきたけど、もうあなたの部下は限界に近いわ!」

「……私は、いつも……あなたの親友に、手柄をさらわれてばかりです」

「ッ、だからって……!」

 焦る私は、アンリエッタが意固地になっていると思い込んで彼女の馬を揺さぶった。
 そこで初めて、彼女は馬上から私の顔を見る。迷いのない、静かな自信に満ちた表情だった。考えなしで部下を使い捨てている人に、こんな顔ができるとは思えない。

「ミスト隊長。あなたは彼女の親友ですが、私は彼女のライバルです。あなたではなく、私だからこそ、彼女について分かることがあるのです。まことに、憎らしいことですが」

「……アンリエッタ?」

「――離れていても、私には見える。今まさに、この雪を降らせている敵将の首をとって勝ち誇っているアリア=ディオルドの顔が」

 その時、一陣の追い風が音を立てて吹き荒れた。
 アンリエッタの紅色の髪が巻き上がり、降りしきる雪が払われる。私たちの目の前を閉ざしていた雪の結界が消え、要塞を守る魔物たちの軍の全貌がはっきりと見えた。

 呆然とアンリエッタを見上げる私に、彼女は「やれやれ」と両手を広げてみせる。
 そうして馬の手綱に手をやると、混じりもののない空気を吸い込んだ。

「ずいぶんと待たされたが、ようやく機が訪れた! 総員、『沙羅曼蛇(サラマンダー)』の射程から逃れろ!!」

 これあるを見越していた騎兵たちは、結界が途絶えて混乱する魔物たちから速やかに離脱する。
 髪と同じ紅色をしたアンリエッタの左目から、オレンジの炎が滲んだ。彼女の背後に、ANIMA『沙羅曼蛇(サラマンダー)』が顕現する。人型をした姿は、騎馬した本体よりもさらに二回りほど大きく、岩のような体からはところどころ炎の光が漏れている。

 たたずまいは静かだが、膨大なエネルギーを秘めていることが一目でわかる。活火山を擬人化したような能力だった。

「限界まで力を溜めましたからね……今日のこいつは、上機嫌です!」

 左目から出る炎は横に流れて火の粉を散らし、風の中へ溶けていく。
 アンリエッタが右腕を前に向かって長く伸ばし、左手でそれを支えた。本体にならって同じポーズをとった『沙羅曼蛇(サラマンダー)』の身体が、ひときわ熱を帯びる。

「『沙羅曼蛇(サラマンダー)』……『バーン・ウィンド』!」

 『沙羅曼蛇(サラマンダー)』の掌の中で、冷たい空気が白く爆ぜる。
 射線上の空間そのものから数百の細かな爆発が発生し、それらが連なってできた破壊の柱が、魔物の大群へ突っ込んだ。
 アンリエッタの右手が生み出した火砕流が、一瞬にして前方にいたすべての敵を飲み込んだのだ。焦げて抉れた地面の破壊痕は、狭い平地に詰めていた魔物の軍を貫通し、向こう側の要塞まで続いている。

「……ッ……やりすぎたかな」

「え……あんた、その手……!」

「大丈夫ですよ。なんとか武器は握れます」

 技を放った手のひらは、赤黒く焦げていた。
 馬の足が、反動で後ろに下がった痕跡がある。アンリエッタは恥ずかしそうに手袋をはめて火傷を隠し、その手で力強く剣を抜いた。

「自分の判断でやったこととはいえ、今回はあまりに多くの仲間が失われました。隊長がこのぐらいで音をあげてはいられません」

「!」

 彼女の真意が分からない状態では、さっきの戦い方は無謀な突撃にしか見えなかった。
 あの時点で、私がアンリエッタを止めようとしたことは間違っていなかったと思う。アリアが敵将に勝ち、雪の結界が開けるという保証はどこにもなかったのだから。
 しかし、アンリエッタはアリアが敵将を仕留めると信じた。彼女がアリアを信じなければ『沙羅曼蛇(サラマンダー)』は最大の効果をあげられず、今こうして私たちが逆転することもなかっただろう。

 アンリエッタは私以上に私の親友を知っていたが、私はアンリエッタもアリアも知らなかった。
 浅はかさに、恥ずかしくなる。

「アンリエッタ!」

 駆け出した彼女の背中に追いつくよう、私は叫んだ。
 足を止めることはないが、肩越しに私を見たのがわかる。

「存分に暴れてやりなさい! アリアドネ隊が、全力であなたを支援するわ! ――いっしょにアリアの鼻を明かしてやりましょう!」

 それだけ言って、私はアンリエッタに背を向けて持ち場へ走る。
 振り返ると、彼女はこちらに顔を隠して、剣を高く掲げていた。



 

「アリア! お前だ――ッ!!」

 

「ッ……!!」

 

 アルカードと名乗った男は坂の上から歩みよってくるが、それでも10メートル以上は離れていた。

 それでも奴はゆっくりと振りかぶり、赤い眼光をひらめかせる。あたしは考えるより先に、ハンマーを頭上に構えていた。

 

 何度も感じた「死」の気配が、迫って来るのを感じるから。

 

「――しっ!」

 

 アルカードの声が聞こえた瞬間、あたしは直感的に上から右方向へと防御を移す。

 直前までは頭に向けられていた圧力が、突然胴体へとその向きを変えたからだ。

 

 瞬間、両手で持つハンマーの柄に、とんでもなく重い一撃がぶつかる。

 表面で攻撃が弾かれて、びりびりと衝撃が手に残った。

 

『へえ、やるな。この攻撃を止めるか』

 

 また、どこかから知らない声が聞こえた。

 さっきまで剣のような武器を上段に構えていたアルカードは、いつのまにか恐ろしいほど長い鞭を手にしている。刃先はあたしの足元まで伸びていて、すぐ横の木は全てなぎ倒されていた。

 

「……それが……お前の武器か?」

 

「それ、ではない。『魔鞭(まべん)』ダアトだ。私の武器であり、戦友でもある男だ」

 

「戦友……?」

 

『そんな大層なもんじゃない。ただの腐れ縁だよ』

 

 声の正体がようやくわかった。

 しゃべっていたのは、ダアトと呼ばれた武器だったのだ。アルカードが見えるようにした根本の部分に、黄色い一つ眼がぎょろぎょろと動いている。

 

 意思のある武器(インテリジェンスウェポン)というものを、どこかで聞いたことがある。

 だが、実物を見たのは初めてだった。

 

「ただしゃべれるだけか? お前の戦友とやらの力は」

 

「斬られてみればわかる」

 

 既に能力(シャッタードスカイ)を顕現させていたインディゴ兄へ、一歩踏み出したかと思うと、アルカードが音もなく消えた。

 驚く間も与えられず、インディゴ兄は鼻先まで迫られている。

 

(速ッ……)

 

 ダスティのように何か特別な術で消えているわけではない。

 純粋に異常なスピードで移動しているだけだった。ギリギリでインディゴ兄は斬撃を止めたが、衝突した『シャッタードスカイ』の刃からは青く光る気体が散る。 

 

「喰らえ、化け物!!」

 

 ダアトはまたしても形を変え、刀剣状になっている。

 インディゴ兄は渾身の力で跳ねのけた。がらあきになったアルカードの胴体に向け、返す刀で至近距離から衝撃波を繰り出す。

 

「ッ!」

 

 ぐらついた姿勢を力任せにひねり、それを回避したアルカード。

 五つの爪痕が、後ろにあった木々を破壊する。バサバサという音を立てて、切断された木が倒れていった。

 

「――!?」

 

 それまで無表情だったアルカードが、驚愕の色を満面に浮かべる。

 しかし、その驚きが、強力な能力者に対する恐怖に変わることはなかった。

 

「……おまえか?」

 

 アルカードは、背後で起きた破壊に対し、一瞥をくれただけで興味を失う。インディゴ兄に向ける赤い眼光は、一秒ごとに鋭さを加えていった。

 

「おまえが、あの能力者だったとはな……いずれ帝国軍は皆殺しにするし、探す必要もないと思っていたが……――まさか……こんなに早く会えるとは……!」

 

 さっきまでの冷静さは面影もない。

 血をかみしめるような声だった。両目がこぼれおちそうなほど見開かれ、口の中の牙がむきだしになっている。

 

「お前を初撃で斬ってしまわなくて、本当によかったよ。……あやうく、楽に殺してしまうところだったからな」

 

「な……何をするつもりだ……!?」

 

「――インディゴ兄! なんかまずいよ、逃げて……」

 

 

 

 

 

「『クラウンドウィング』……!」

 

 

 

 

 

「――えっ!?」

 

 静寂が広がる。

 アルカードが赤い右目を激しく光らせたと思うと、あたしだけを残して二人が消えてしまった。敵の能力なのかもしれないが、すぐ近くにいたあたしは何もされていないように感じる。少なくとも、物理的な異常は何もなかった。

 

 あのワープじみた超高速移動で、インディゴ兄だけがどこかに連れ去られたのか。

 アルカードが標的をインディゴ兄に絞ったのだけは間違いなかった。今は自分の身を守るより、一秒でも早くアルカードを見つけることを考えなければならない。

 

 そう決めた時、あたしの体に影がおりた。

 真上で、何かが月の光を遮っている。

 

「次はお前だ」

 

 見えない足場があるようにそこに浮いていたアルカードは、月を背にして冷然と言い放った。

 逆光でよく見えないが、大きなぼろ布のような物体を左手でつかんでいる。厚みがあり、でろんと垂れ下がって風になびかなかった。

 

「インディゴ兄はどこだよ……? おまえ、何をしたッ!?」

 

「ここにいる。身体だけでいいなら、返してやろう」

 

 ぐしゃっという音がして、液体がアルカードの左手からしたたる。

 つぶれた部分を無造作にひきちぎって、アルカードはそこから下の部分をあたしの前へ投げ捨てた。

 

 首から上をつぶされた、だれかの身体を。

 

「――ぁ」

 

 その身体がまとった甲冑に、あたしは見覚えがある。

 あたしの魔法が危ないからと、絶縁加工をしたと言っていた。昇格してこの鎧をおろした時、まっさきに自慢しにきたのはあたしだった。この甲冑を相手に何度手合わせをしたか、数えきれない。

 

 自失したあたしは、頭上でアルカードが重々しく振りかぶるのをただ見ていた。

 

 

 

「オオォォオオォォオォ――ッ!!!!」

 

 

 

 地面を揺らす咆哮が轟き、黒い塊がアルカードに突っ込む。

 横合いからの突撃だった。体勢をぐらつかせたアルカードは、突進してきたものが引きつれた、何十個もの黄白色の光の球に気づく。

 

「来たか……!」

 

 視界が眩む。少し間があって、爆音がつんざいた。

 ようやく目を開けると、見覚えのある二人の姿がある。ライオンのようなたてがみを生やした巨漢と、紅色の髪をした女の人だ。

 

「ミグルドのおっちゃん! フリューゲルさんも……!」

 

「悪いな……ちょっと、遅れちまったぜ」 

 

「よく耐え忍びました。あとは、私どもに任せて逃げなさい」

 

 最も頼もしい二人が、駆けつけてくれた。

 フリューゲルさんの仏頂面は、普段どおりの安心感がある。しかし、おっちゃんのふてぶてしい笑みには、胸を締め付けられるような申し訳なさを感じた。

 

「ッ、おっちゃん、ごめん……! インディゴ兄と、みんなが……!」

 

「……わかってる。だが、自分のせいだなんて言うな。ヤツを相手に、生き残ってくれたことが奇跡だ」

 

「ディオルド隊長。こんな時にすみませんが、彼の名を聞きましたか?」

 

「……アルカードって、言ってた。苗字とかは、知らないけど……」

 

「そうですか。……やはり、あの男でしたね」

 

「あぁ。アルカード・ジ・ヴァンピールだ」

 

 戦慄が体中を駆けるが、それは納得の戦慄だった。

 ヴァンピール。それは、二百年以上も前から生きているといわれる、人類の天敵の名前だ。発足当時は少数部族の寄り合い所帯に過ぎなかった魔軍を、現在の大国に発展させた立役者で、その時から一貫して最強の座にありつづける戦士でもあった。

 吸血鬼としての特性を持ち、日光で焼くか、銀製の武器で心臓を突かない限りは絶対に殺すことはできない。また、たとえそれらの方法で殺せたとしても、数年も経てばまた新たな肉体で復活する事ができるらしく、これまでに三回の復活が確認されていた。フリューゲルさんのタウンゼント家は、『最初の』ヴァンピール卿を討伐した武功によって成りあがった家で、その当主は太陽光に似た性質を持つANIMA能力を代々所有し、帝国軍で重要な地位を占めている。

 

「で、でも! ヴァンピールは、十年以上も前から前線に出てこなくなったって……!」

 

「内政の時期が終わったんだろう。そしてワシらの大規模作戦を聞きつけて、満を持して復帰して来たってわけだ。進撃の機会を待っていたのは、帝国だけじゃなかったようだな……!」

 

「アリア。ここは、私たちが食い止めます。あなたはすぐに本軍へ戻り、状況をみんなに知らせなさい。現在仲間たちは、先ほど出現した謎の敵援軍によって窮地にあります。敵の正体がヴァンピール卿であるという情報が、いまの彼らには必要なのです」

 

 

 

「……そうはいかない」

 

 

 

 フリューゲルさんの攻撃で墜落したはずのアルカードは、あたしたちの真正面に無傷で立っていた。

 肉体のケガどころか、服まできれいな状態に治っている。白い髪にわずかな焦げ痕が残っているが、そこも毛が急激に伸びてもとに戻りかけていた。

 

「ミグルド、フリューゲル……帝国軍の最高戦力はもちろんのことだが。そこのアリアもまた、ダスティを討伐するほどの戦士。やはり、魔軍の脅威と認識されるべき存在だ。その三人が部下を伴わず、私の目の前に集まっている……。この好機を、逃すことはできないな」

 

 好機。

 単騎でこの二人を相手にしようという時に、アルカードは確かにそう言った。あたしは笑い飛ばそうとおっちゃんの顔を見る。

 傷だらけのでかい顔が、小さく冷や汗をかいていた。

 

「……行くぞ!」

 

 アルカードが右目を光らせ、片手に闇を集めた。

 現れるのは、人の腕ほどもあるコウモリのビジョンだ。顔らしき部分には耳も口もなく、顔面全体に巨大な赤い一つ目がはめこまれていた。ねじくれた金色の角がいくつも頭に生えていて、まるで王冠をかぶっているようだ。

 

「――ッ、ま、また消えた!?」

 

 またしても、アルカードは忽然と姿を消した。

 肩透かしをくらった気分だ。仲間を殺された怒りと、最も頼もしい二人がいる昂揚感が、あたしに叫ばせた。

 

「芸がないな! 消えて、死角から攻撃するってのはダスティで練習済みだ!

――さっさと能力を使ってみたらどうだ? それとも、あたしたちに使うのは怖いか!? インディゴ兄にはできて、おっちゃんやフリューゲルさんにはできねぇのかよッ!」

 

「……」

 

 挑発には乗ってこない。

 アルカードは何をするでもなくただ浮いているだけで、黙って上を指差した。ふつうの何倍にも肥大化した赤い月が爛々と冴え、血の色に染まった夜空が広がっている。

 

「私の『クラウンドウィング』の本質は、攻撃ではない。この赤い月夜の空間に、標的を閉じ込める点にあるのだ。……それをお前たちは教えなかったのか? 彼女に」

 

「貴様のこと、子供たちに教えて……それが役に立つことが怖かった。貴様を子供たちに会わせるようなことは、絶対に避けなければならなかったのに」

 

 悔やみきれないといった表情で、フリューゲルさんが言った。

 

「外界から隔絶されたこの異空間ならば、雑魚に邪魔だてされることもない。お前たちは、この空間の本体である私を殺さない限りはここから出る事はできない。

――さぁ、どうするのだ? 生き延びるには、私を殺すほかないが」

 

 

 

「言われなくてもッ――!!」

 

 

 

「『ソーラーアサルト』……!」

 

 

 

「『ライデン』ッ!」

 

 

 

 二人が一斉にANIMAを展開し、あたしも武器を握る手に力をこめる。

 フリューゲルさんの火の鳥が異空間に積もった雪を溶かし、おっちゃんの愛馬にして能力『ライデン』号が、主の後ろでたくましい身体を持ち上げた。

 

「ダアト、飛ばすぞ!」

 

『わかった……まずは、あっちだな』

 

 アルカードの鋭い声に、ダアトの無気力な声が答える。

 一か所に固まったあたしたちに向けて、巨大な鞭が唸った。大振りだが必殺の一撃が、空気を横にないで突っ込んでくる。

 

「ぐ、う……ッ!?」

 

 おっちゃんが、愛用の槍で苦も無く防いだかのように見えたが、鞭の刃ははじかれることがなかった。

 武器と衝突し、すでに遠心力を失っているはずの鞭が止まらない。だが、アルカードといえど、おっちゃんとパワーで押し合うのは相当な負担のはず。あたしはその足元へ駆け込み、飛び上がって背中から打撃を叩き込もうとした。

 

「ミグルドとお前は、似ているな」

 

 ゆっくりと手をかかげたアルカードは、あたしの全力の攻撃を片手の掌で受け止めた。

 吸血鬼の白い手首に太い血管が走り、みしりという音とともに五指の爪がウォーハンマーに食い込む。

 

「ッ……うわぁッ!?」

 

「その大雑把な力を寸止めできるか? タウンゼント」

 

 柄を離さなかったことが災いし、あたしはウォーハンマーごとアルカードの正面へぶんまわされた。

 制御を失った自分の身体の背後から、『ソーラーアサルト』の光球が襲い掛かって来る。

 

 ――死。

 

「く――ッ!!!!」

 

 あたしの背中に熱気が届いた瞬間、寸前で光球は爆発した。

 それを見るが早いか、アルカードはあたしを空き缶のように投げ捨てて大きなコウモリの翼を生やし、『ソーラーアサルト』が意図せず発生させてしまった煙幕の中を突っ切って、隙だらけのフリューゲルさんへ一直線に飛んでいく。

 

(つるぎ)を!」

 

 既におっちゃんから離したダアトの刃を集め、空中で剣をかたちづくった。

 『魔鞭』ダアトは、鞭であって鞭ではない。蛇腹剣とでもいうべき武器だった。

 

「フリューゲルさん! ANIMAを引っ込めろーッ!!」

 

 真っ逆さまに落ちながら叫ぶが、遅すぎる。

 とっさに炎で自分の身体を取り巻いたフリューゲルさんが、本体よりもでかい的である『ソーラーアサルト』の胸に斬撃をもらうのが見えた。瞬時にダメージがフリューゲルさんに還元され、血が噴き出す。

 

「――ッ! 浅かったか……!?」

 

 一撃離脱で上空へ飛んだアルカードは、最低限の動作で旋回するが、どれだけうまく飛んだとしても反転する一瞬は背中をさらすことになる。

 そこを狙ってフリューゲルさんは反撃し、光のビームを叩き込んだ。苦し紛れだったせいか狙いがはずれ、脇腹を浅くえぐっただけにとどまる。それでも日光の性質を持つ一撃は痛かったのか、アルカードが低くうめく声が聞こえた。

 

「フリューゲル!」

 

 あたしをキャッチしたおっちゃんは、すぐさま『ライデン』で負傷したフリューゲルさんへ駆ける。

 致命傷ではないが、上半身を縦に切った傷は決して軽くない。フリューゲルさんはナイフを熱し、はんだづけでもするように傷口を焼いて血を止めた。

 

「……まずいですね。少しみくびっていたようです。このままでは、本当に三人もろともここで討たれるということになりかねません」

 

「――アリア。すまんが、フリューゲルの護衛役を頼めないか。あいつは、ワシが引き付ける。その間に、後方から『ソーラーアサルト』を撃ちまくるんだ」

 

「……おい。おっちゃんひとりで、あいつを相手どろうってのか?」

 

「そうだ。ワシらは全員お守り兼身分証の銀のナイフを持ってるが、あんなバッタみたいなヤツの心臓をピンポイントで抜くなんてことは到底不可能だ。事実上、アルカードを殺す方法は、『ソーラーアサルト』で細胞の一片も残さずに焼き尽くす以外ない。まごまごしてフリューゲルが撃ち損じれば、最終的には全員ここでヤツの養分にされるしかないんだ。わかるな?」

 

「――絶対、死ぬなよ」

 

「……! ……ふん、生意気な口をききやがる。この中で一番よわっちぃガキのくせになぁ」

 

「関係ないだろ!?」

 

 最強の敵が目の前にいるにもかかわらず、あたしとおっちゃんはいつもと変わらないバカ話を交わす。

 アルカードは特に気に留めた様子もなく、スキットルを取り出して中身をあおった。横目であたしたちを睨んでいるせいで手元がおろそかになり、口の端から中身がこぼれる。真っ赤な液体だった。白いのどが蠕動をやめると、アルカードは手でこぼれた"飲み物"をぬぐって、頬に赤い尾を引いた痕を残す。

 

「フリューゲル……そしてミグルド。お前たち二人は能力で飛べるが、そこの娘はそうではないようだな。魔軍の大将が帝国軍の大将を見定めてやろう。土壇場で仲間を切り捨てる決断をできるのかを」

 

 吸血鬼の右目が赤く光る。

 ただ灯るだけではなかった。何かを警告するかのように、激しく点滅を繰り返している。

 

 突然アルカードが手を右に振り抜いた瞬間、異変は起こった。

 

「ッ、地震か!?」

「……いえ、違う……!! アリア、何かにつかまりなさい!」

 

 赤色の異空間が震え、立っていられないほどの振動が襲う。

 重力ががくりと弱くなる感じがした。前の方にあった小石や枝が、緩やかに突っ込んでくる。

 

 反射的につぶてを弾こうとした時、あたしの身体は()()()()()()()()()()()()

 

「うおおおおおおッ!?」

 

 「重力が、南へ向かって働いていた。」

 

 地面と垂直に、あたしは転落していく。

 わけもわからずハンマーを木の幹に引っかけた。軽い雪が石とまざって滑り落ち、顔に容赦なく当たる。雪に隠れていたでかいのが鼻の骨にクリーンヒットし、頭の中で火花が散った。

 

「ここは私の血が作った世界……ここでどのように踊ろうと、掌の上の出来事だ」

 

 おっちゃんが血相を変えてあたしを拾う。

 森の上へ離脱するが、まったく体に負担がかからなかった。地面から飛び立つことは、この世界の重力下では水平飛行と変わらない。さっきまで立っていた場所は、どこまでも高い壁となってあたしの前にそびえたっていた。

 

「大丈夫か! 血は出てねぇが、ちょっと鼻が低くなっちまってるぞ!」

 

「なってねぇわい。……あぁクソ、地味にすっげぇ痛いよ……」

 

「予想以上にメチャクチャしやがる……バカバカしいが、厄介な技だ。これじゃ、お前をフリューゲルの護衛につけられんぞ」

 

「!」

 

 そのことで悩んだことはなかったが、あたしは飛べなかった。

 フリューゲルさんも、飛ぶこと自体はできても高速で動くことはできない。唯一アルカードをひきつける機動力があるのがおっちゃんの『ライデン』なのだが、あたしを後ろに乗っけている限り、永続的に足枷を付けられることになるというわけだった。

 

 「仲間を見捨てる覚悟があるか」。アルカードはそう言った。

 あたしを見捨てない限り、おっちゃんはまともに戦えないのだ。

 

「疾く死ね! ヴァンピール!!」

 

 傷を負わされて森の中から脱出したフリューゲルさんは、怒りのままに能力を全開にした。

 数十の巨大な火球が一帯を薙ぎ払い、見える限りの地表が灰になる。

 

「いつもいつも、感情むきだしで動くな! お前たちタウンゼントは!?」

 

 フリューゲルさんは焦っている。

 一定の距離をとって撃ちまくるはずが、地上から大して距離をとらないまま全力攻撃を行ってしまっていた。焦土から飛び出してきたアルカードは、鞭形態のダアトを最大まで伸ばして空を薙ぎ払う。当たらないとわかると、すぐにそれを切り上げて飛び上がった。鞭の慣性がまだ生きているし、伸びきった腕には相当な負担がかかっているはずだが、それすらもむりやり腕力で御してダアトを手元に戻す。

 

「! やはり娘をとったか! ミグルド!」

 

 横合いから殴り込もうとしたおっちゃんとあたしを察知し、アルカードは上昇をやめて身構える。

 柄に収納されていたダアトの刃を剣に変え、おっちゃんの大槍を両腕で受け止めた。

 

「どちらかの軍が滅びる瀬戸際に、ひとりの命を捨てられないか!? それで一大将を名乗れると思うのか!」

 

「捨てねぇな! 捨てずにいたから、ワシはガラにもなく大将なんぞになれちまったんだ!」

 

 魔軍と帝国軍、双方の最強同士の戦い。

 おっちゃんの後ろに座っているしかないあたしは、どこまでも足手まといでしかなかった。

 

 

 

 § § §

 

 

 

「むやみに撃ってはいけない! むざむざこっちの位置を教えてやるだけよ!」

 

 要塞の前に陣取っていた敵軍を片付け、勝利は目前という時だった。

 前触れもなく魔軍の増援が出現して、戦況はひっくり返された。この敵は、さっきまで戦っていた相手とは装備も動きもまったく違う。体つきはここの兵士よりいくぶん小ぶりだが、とげとげしい鎧と乗っている六つ目の黒馬が威圧感を与えていた。ピンからキリまで個体差の大きい魔物たちの中でも、最精鋭の兵士たちと思われる。

 

「なんなんだよ……間違いなく当たってるんだぞ、なんでひるまない!?」

「眉間か胸を射抜きなさい。急所を捉えないと、弾と時間を浪費するわ」

 

 ユニカさんはいっさい手を止めることなく狙撃を続けている。

 たった今も、新開発の弾道操作技術を駆使して、一発の弾丸で二体の魔物を仕留めた。しかし、さっきまでは一撃で五体は同時に倒せていたのだ。私に至っては、さっきまで三体だったのが、今は一体倒せるかどうかというレベルになっている。

 

《アリアドネ隊……こちらに来てください! そちらが苦しいのは承知ですが、崩れたら戦線がもちません……!!》

 

 息もたえだえのアンリエッタの悲鳴が飛び込んできた。

 現在、最激戦地で防戦の要を担っているはずだ。澄み渡った空気の向こうで、火が飛び散っているのがこちらからも見える。

 

「オーライよ。多少の無理は通してあげる」

「……もう……こんな大事な時に、ミグルドさんもフリューゲルさんもどこへ行ったのよ……!?」 

 

 魔軍は、ワイバーンからスライムまで雑多な種族を取り込むことで、非常に多彩な攻め手を繰り出してくる。空は飛ぶわ、火は吹くわ、果ては人間に擬態するわでほとんどなんでもありだ。

 それに対抗するために、帝国軍は隊長個人個人のANIMA能力を頼る。兵が時間を稼ぎ、前線を維持し、その間に部隊長たちが能力というカードを切って、戦いを勝利に導く……これが我々の基本戦術だ。

 伍長、軍曹といった中間の役職までは、普通の兵でもある程度戦果を残せばたどり着くことができるが、隊長は別格だった。隊長への昇格を判断する際は、ほぼ能力の有無が判断基準の全てと言ってもよく、ゆっぽど光るものを見出されない限り無能力者がなれる地位ではない。天性のリーダーシップとたぐいまれな成長速度を誇るアリアや、激しい向上心と部下に親身に接する人柄を併せ持つユニカさんのような人でもなければ。

 また、現場レベルでは下士官が兵を指揮するが、戦術戦略を決める権限は隊長しか持たない。副長を置く隊も帝国軍にはいくつかあるが、これも指揮や事務処理を円滑にするための便宜上の役職にすぎず、具体的な規定もないため、最終的な決定権はやはり隊長にゆだねられる。

 つまり帝国軍は、極端に実力主義の集団なのだった。この点軍としては魔軍のほうがしっかりしているとよく言われている。個人の才能に依存する部分が大きすぎるからだ。

 

 帝国軍のもうひとつの特色は、具体的な最高司令官が存在しないという点だった。

 隊長が出席する会議が『円卓』で行われるように、最高階級たる隊長の間には上下関係が存在しない。現在はミグルドさんとフリューゲルさんが首席のような立場だが、これも取り決めがあったわけではなく、最も実績がある戦士として他の隊長から尊敬されているためにすぎない。戦略は私たちが駐屯する都市の知事が決定するが、その指示が届かない現場において、公然と隊長たちに指図できるのはこの二人だけだ。

 

 その二人がどこかへ姿を消してしまった今、軍のいびつな組織体系の弊害はもろに出てしまっていた。

 通信回路を通じて飛び込んでくる情報だけを頼りに、誰がどこで戦っているかもわからないで、目の前の敵をがむしゃらに倒しまくるという状態である。一番重要な場所にいるアンリエッタがとりあえず主導権を握ってはいるが、混乱は収まらなかった。恐ろしく機敏に動く敵の増援を相手に、私たちはひたすら後手を踏みまくっている。

 

「12時方向より襲撃です!」

 

 索敵にあたっていた仲間が叫ぶ。

 遠い丘の向こうから、魔物の一団がぬっと姿を現していた。スコープで見てみると、いかにも鈍重そうだが筋骨隆々のトロルが、まるで私が見えているかのように、まっすぐ上目で睨みつけている。身体の節々を棘のついたプロテクターで覆い、各々人体とほぼ同じ大きさの棍棒を持っていた。轡のような装甲で口元を覆い、隙間から白い気体が噴き出している。

 

 私たちをつぶすために送り込まれてきた魔物だと一目でわかった。

 プロテクター以上に、全身についた肉には銃撃が通りにくい。巨大な棍棒を盾にされれば、急所への狙撃も防がれてしまうだろう。

 

「……回り道はさせてくれなさそうね。どうやら、血を流して突破するほかないわよ、みんな」

「アンリエッタ……少し到着が遅れるわよ!」

 

 地響きを鳴らしながらゆっくり迫ってくるトロルの群。

 血を流してでも私たちを足止めする気だ。私たちは弾道操作を諦め、単発の炸裂弾を込め直して突進した。

 

 

 

 § § §

 

 

 

「フーッ、フーッ……」

 

 アルカードと帝国軍の双剣は、十五分にわたって二対一の空中戦を繰り広げた。

 吸血鬼の青白い顔にも、さすがに小さく汗が浮いている。だが、それを相手どる二人はそれどころではなかった。

 

「ゼェ……ハァ……」

 

 おっちゃんの目は据わり、武器を握る手は小さく震えている。

 フリューゲルさんも、火を召喚するというより無理にひねり出しているという風情だった。少しずつ、能力を使う頻度自体も低くなっている。

 

「……さすがに、傷が治りにくくなってきたな。本来ならこんな傷、一息に直せるのだが」

 

 おっちゃんがつけたアルカードの胸の刀創が、深く息を吐くごとに埋まっていく。

 内臓に達する寸前の深手だ。さっきから何度も攻撃はかするのだが、有効打を与えたという手ごたえがない。避けられる攻撃をあえてほどほどに受けて、こちらの体力の消耗を誘っているのかもしれなかった。体力競争では、人間に勝ち目はないのだ。

 

「振り落とされるなよ、アリア。そろそろ、決めにいくからな」

 

「えぇ……そうするほかなさそうです」

 

 このままではずるずると体力を削りきられてしまう。

 まだ戦えるうちに、全霊を注いで最後の勝負に打って出るほか道はなかった。だが、おそらくその展開はアルカードの思うつぼ。この一撃でしとめられなければ、対抗するすべはもうない。

 

 だが、あたしには何も言う資格はなかった。

 体力勝負となれば、人間はアルカードには勝てない。おっちゃんもフリューゲルさんもそんなことはわかっていたはずだ。最初ふたりは、アルカードに対して最も勝率の高い戦法の短期決戦を狙っていたに違いない。特にフリューゲルさんは、長年ヴァンピールを相手取ってきた一族の出身だ。出会った時にどんな対策をすればいいかなんて知り尽くしているはずだった。

 

 でも二人は、その短期決戦に持ち込むことはできなかった。

 理由は単純、あたしがいたからだ。フリューゲルさんの広範囲の能力を、あたしが近くにいる時に全開で使ったりできないし、ミグルドのおっちゃんも、いつもあたしを守ることを最優先にしてくれる人だ。アルカードの思い通りになるとわかっていても、あたしがいる以上は全力を出すわけにいかなかった。

 

 助けに来てくれた時、フリューゲルさんは逃げろと言った。

 もしあの時、あたしがその通りに逃げだしていたらこんなことにはならなかった。いや、たとえ逃げ切ることができずに、背中から斬られて殺されていたとしても、おっちゃんとフリューゲルさんの足をひっぱらずには済んだはずだ。

 

 敵将を倒して慢心していたのかもしれない。インディゴ兄を殺されて我を忘れていたのかもしれない。

 あたしが私情を優先させなければ、こんなことにはならなかった。

 

「ソーラァァッ、アサルトォォォッ!!」

 

「ひっ飛べ……ライデンッッッ!!」

 

 フリューゲルさんが炎気を全身にまとわせ、紅の髪を逆立てた。

 『ライデン』号も、主の雄たけびに会わせて荒く鼻息を噴く。

 

「気張るぞ、ダアト!」

 

『わかってる』

 

 まず、おっちゃんが馬ごとアルカードの脇腹に特攻した。

 アルカードはあえてダアトで受けず、血反吐を歯の間から吹きながらも、めりこんだおっちゃんの背中とあたしに剣をふりかざす。

 

「うぐッ……!」

 

 あたしがギリギリで上からの一撃を受けた。

 恐ろしく、重い。両手で支えなければ、ハンマーすら粉々になってしまいそうだった。

 

「ッ……離れないか!?」

 

 至近の間合いで大槍は使えない。

 離脱しないまま、おっちゃんはアルカードの右腕の肘をねじりあげた。渾身の力で関節を逆の方向へ曲げる。みしりと音が鳴った時、アルカードは空いている手の鉤爪でおっちゃんを狙った。腕を折られかけているのに、まだものすごい力がダアトを通じてかかってきて、受けているあたしは手を出せない。

 

「ハァァァァァアアアァァッ!!」

 

「――!」

 

 アルカードが爪をおっちゃんの顔に突き込もうとした瞬間、フリューゲルさんが光をまとって突撃した。

 武器を持った腕を掴まれ、もう一方の腕も伸びきっているアルカードは、隙だらけの体勢だ。おっちゃんが、決死の覚悟で狙ったのは、この瞬間だったわけだ。

 

「甘い――ッ!」

 

 拘束されたアルカードの右腕の下に、手刀の形に固まった左手がある。

 それを思い切り振り上げて、アルカードは肘から下の右腕を切り離し、それごと拘束を振りきった。

 

 

 

「ガァァァァァアアアアアアアアァァァァアアアアアッ!!!!」

 

 

 

「オオオオオオォォォオオオォォォォォオオオオオオッ!!!!」

 

 

 

 人間性を捨てた魔物の絶叫と、太陽そのものとなったフリューゲルさんの咆哮が激突する。

 凄まじい閃光が破裂し、風圧によって『ライデン』は振り落とされて吹き飛んだ。

 

「――うぁっ!?」

 

 地面に叩きつけられた衝撃。その瞬間、あたしは違和感に気づく。

 アルカードが歪めた世界の重力は、南方向へ向かって働いていた。それに従って落ちれば、どこまでも何もない空間へ落下するだけだ。

 

 だが、今は地面を感じる。

 咄嗟に思った。まさか、やったのか?

 

「――違う、殺ってねぇ!! 逃げろアリア――ッ!!」

 

 ぱっと目を開くと、向こうで片膝をついたアルカードと、うつぶせに倒れたフリューゲルさんが見えた。

 森ではない。平地だ。月の色がもとに戻っている。入った場所からは違う場所に排出されたようだった。

 ――逃げようとするが、足に力が入らない。打ち所が悪かったのか。

 

「……見事だ、タウンゼント。一度血界(けっかい)に入った者を生きて帰すとは……」

 

 荒い息を吐きながら言うアルカードだが、フリューゲルさんは動かない。

 意識を失っていた。息はしているから致命傷だけは免れたらしいが、いつ止めを刺されてもおかしくない。

 

「そして……私も、これが最後の体力だ。これ以上の傷は、治癒できん……」

 

 立ち上がったアルカードは、右腕の肘から下を斬られ、左腕を根元から焼かれ、右目を失った無惨な姿だった。

 だらりと下げた右腕は傷口から肉が生えてもとに戻るが、焼き尽くされた左腕と右目は治らなかった。また赤い月の世界に引っ張られる様子もなかった。右目を失うとあの能力は使えなくなるらしい。

 

「だが……私の勝ちだな。もはや、私に致命傷を与えられる者はいない」

 

「――おい! あれってまさか、フリューゲル隊長とミグルド隊長じゃ……!?」

 

 戦場の音が、さっきよりもずっと近い。

 斥候か何かに来たのだろうか。何十人かの味方の歩兵が、あたしたちを見つけて口々に叫んでいた。

 

「……! いつの間に、こんなに近づいてしまったのだ……?」

 

 アルカードが、彼らのほうへ顔を向ける。そうすると、あたしからは目のなくなった横顔しか見えなくなった。

 

 ――ダメだ、来るな!

 そんなあたしの悲鳴は、喉の血に邪魔されて外に出なかった。

 

「おい! そこのお前!? うちらの大将に何して――」

 

 アルカードが棒立ちのまま、右腕を軽く振った。

 影のように腕全体が黒く変色したかと思うと、そこから噴き出した肉の奔流が、鉄砲水のように味方へ向かって襲い掛かった。そこにいたみんなは断末魔すら挙げずに、走ってきた肉の塊に取りこまれて、アルカードが右腕を引っ込めるといなくなっている。

 

「……マラソンの給水所で水を飲むようなものだな。疲れ切った兵士を喰っても、気休めにしかならん」

 

 右手を閉じたり開いたりしているアルカードをよそに、おっちゃんが魔道具で光を空に撃った。

 一本の光がまっすぐ空へ伸びて、味方に位置を知らせてくれる。

 

「チビガキ、お前だけでも生き延びろ! なんとかワシが食い止めてみる!」

 

 上空からペガサスの一群が降りてきた。非常時の救援部隊だ。

 行方不明になった二人を探していたのか、すぐ近くにいた。

 

「……オオッ!!」

「ッ、はぁっ!」

 

 おっちゃんがアルカードに斬りかかり、その背後にいたフリューゲルさんのかたわらにペガサスが降りる。アルカードは気づいているはずだが、振り返ったりはしない。ここは逃がしてくれるのか。

 

「よくやった、あとはアリア一人を逃がせばいい! 残りはワシと時間を稼げ!!」

 

 剣戟を繰り広げながら指示を飛ばす。

 なんとか立とうとしたあたしのもとに、今にも泣きそうな顔の女の子が来た。早く逃げたくてしょうがないという風情だ。他は、槍を構えてホバーし、一斉にアルカードを強襲する態勢を整えていた。

 

「そうだ、その位置だ。そこに滞空するのを待っていた」

 

 チャンバラの最中に空を見上げ、アルカードは不敵に笑う。

 手を止めないまま牙の生えた口を大きく開け、肺を限界まで膨らませた。

 

 

 

《KAAAAAAAAAAAAAA――――――――――――!》

 

 

 

 アルカードの口から撃ち出された超高音の衝撃波が、辺りの地形とみんなの鼓膜を揺らした。

 射線上にいたペガサスたちは、怪音波をもろに喰らって正気を失う。空中でめちゃくちゃにのたうって、羽根のかけらを落とし、ついには騎手を振り落として自分も地面に墜落していった。みんなが落ちてダアトの射程内に入るタイミングで、アルカードは鞭で空を薙ぎ払う。だがおっちゃんの抵抗で、なんとか数人が軽い切り傷を負っただけで済んだ。

 

「うっ!? お、おい、言う事を……!?」

 

 フリューゲルさんを乗せたペガサスは最も遠い位置にいたが、墜落せずとも動きは止まってしまう。

 あのままフリューゲルさんを乗せていても、安全圏まで避難させることはできない。代わりに運んでくれるのは、この場には一匹しかいなかった。

 

 あたしは、傍に降りてきた騎手の女の子の手を、迷わず払う。

 

「まだ間に合う、急げ! フリューゲルさんを回収して逃げろ!」

「え!? で、でも!?」

「どう考えたってそっちが優先だ! あたしのことは置いていけ! 心配するな、あんな大技そうそう連発なんかできない! 早く行くんだ!!」

 

 あたしの剣幕に圧倒された女の子は、涙目で飛び立って上空のペガサスからフリューゲルさんをひったくり、あっという間に見えなくなった。

 

「みんなも逃げろ! なんとかあたしたちの代わりに情報を伝えるんだ! 今戦っている敵の正体は、ヴァンピールだと!」

「――お前、なにを……!?」

 

 両足を(ふる)わせ、ヒビの入ったハンマーを杖にして立ちあがる。

 逃げないあたしを見ておっちゃんが目を見開くが、長くはしゃべらせてもらえなかった。片腕片目のアルカードが、五体満足のおっちゃんを相手に全く見劣りしない攻めを続けている。互角の勝負とは言えなかった。少ない髪をべっとりと顔に貼りつけたおっちゃんと比べて、青白いアルカードの顔は綺麗すぎる。

 

「信じられん……まだ死なないのか!? 敵ながら、よくぞこれほど鍛え上げたものだ!」

「ありがたいお言葉だな……! だったら、褒美に命をくれたりするのか……!?」

 

 長すぎるおっちゃんの槍の弱点を突き、アルカードは通常の刀ぐらいまでダアトを縮めてインファイトを仕掛けている。

 槍を片腕で振り回し、蹴りや拳を織り交ぜて応戦してはいるが、戦いにくい苛立ちが顔に出てしまっていた。あたしは力を振り絞って走り込み、アルカードの背中にハンマーをぶちこむ。

 

「なんで逃げやがらねえんだ!? このままじゃ諸共お陀仏だぞ!」

「おっちゃんもそろそろ限界だろ! でも、まだライデンで離脱するぐらいの余力はあるはずだ! あたしが支援してやるから、みんなに指示を出しに行って!」

「なんだと……!?」

「口論してるヒマはないぜ! もう救援隊は帰らせちまったからな、生きて帰れるのはどっちか一人だけだ! ――どっちを生かすか選ぶなら、答えは一択しかねえ!」

 

 再び、二対一。

 アルカードは、受けの姿勢に入った。間合いに入ればすかされてカウンターを喰らい、離れて様子を伺えば鞭の薙ぎ払いが来るだろう。あたしとおっちゃんはつかず離れずのギリギリの距離を保ち、膠着状態を作った。

 

「あたし、今まで迷惑かけっぱなしだったからさ。最後ぐらいは役に立ちたいって思うんだ」

 

「さっきから何を言ってやがる! ガキの分際で、バカなことすんじゃねえッ!」

 

「へっ、あいかわらずのガンコ親父だぜ!」

 

 よろけそうになりながら無理に叫ぶおっちゃんを、片手で押しのけた。アルカードから遠ざかる方へ。

 岩のように動かないと思っていたおっちゃんの身体は、意外に軽かった。そのままその手をハンマーの柄に沿えて、走り出す。その間、目の前の敵だけを見据えていた。振り向いておっちゃんの顔を見たら、気持ちが揺らぎそうになるからだ。

 

「おおおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

 おっちゃんがガンコ親父なら、あたしはガンコ娘だ。

 バカなことすんじゃねえ、か。それがおっちゃんの娘になれた証なら、あたしはむしろ……。

 

「オラァ! オラァ!」

 

 まだ、腕が上がる。

 一撃を振るうたびにハンマーは罅の音を立てるが、まだ折れない。アルカードが空気を切り裂いて放ってくる斬撃も、追えた。

 

「ミグルドの孝行娘よ、よくここまで持ちこたえた!」

 

「ッ――!!」

 

 アルカードの渾身の斬り上げをいなし、カウンターを放とうとした瞬間、腕ががくりと脱力する。

 ついに限界を迎えた。水平に掲げられた隙だらけのハンマーを、アルカードは鞭で絡めとり、あたしの手から引き抜いて、ダアトごと手首のスナップで放り捨てる。あたしは無様に地面に転がり、左手をゆっくりと上げていくアルカードを見上げた。

 

「さらばだ、アリア=ディオルド」

 

 手刀を月へ向かって掲げ、今まさに振り下ろそうとするアルカードの姿。

 これが最後の光景になるだろうと、あたしは目をつぶった。薄く血の味がする。怖くて下唇を噛んでしまったらしい。

 

 

 

 

 

 

 

「……?」

 

 

 

 

 

 

 だが、いつまでたってもその手刀はあたしの身体を斬らなかった。

 静かだ。痛みを感じる暇すらなく死んだのかと疑ったが、まだ血の味が口の中に残っていた。恐る恐る目を上げ、また見上げる。

 

「え」

 

 仁王立ちしたおっちゃんが、右の肩口から腹までを手刀で斬られていた。

 アルカードの首も落ちている。おっちゃんが取り落とした大槍には、血がべっとりとついていた。頭をなくしたアルカードの身体は、不気味にまったく体勢を崩さないでたたずんでいる。

 

「……こふっ」

 

「――なに、して……!」

 

 血を吐いて倒れ伏したおっちゃんを抱き起こした。

 右上半身を断った巨大な傷口から、温かい液体が溢れてあたしの腕を伝う。

 

「すま、ねえ、チビガキ……」

 

「なんで、なんで……! 意味わかんないよ! どうしてあたしなんかかばって、おっちゃんがこんな……!?」

 

「ああ、そうだなぁ……大将としては、冷たい判断も、しなきゃ、いけなかった。より多くの、仲間を、助けるためならと……人様の、息子やら娘やらを、散々見殺しにしてきた……ホントなら、今回もそうしなくちゃいけなかったんだろう、なぁ……」

 

 きしむ身体を無視して、おっちゃんを抱えて歩く。

 味方のいる方向へ、戦いの音が聞こえる方向へと。

 

「でもなぁ……ワシは、もともと……大将ってガラじゃないんだ。かれこれ、軍に入って数十年にはなる……軍人は、充分やったつもりだ。最後ぐらい……親をやらせて欲しいと思った。ワシは……ちっこいガキひとりのために、大将を犠牲にしちまう勝手な軍人だが……娘をかばって死ねる父親にはなれたと思う。……まぁ……満足だ。生きてる間にお前が死ぬのは……見たくないからな……そのせいで、帝国軍が全滅するとしても……」

 

「バカ……! 本当、バカだよ、おっちゃんは……!」

 

「……確かに、な……でも、お前の親父だからなぁ……」

 

 弱弱しい声を残して、流れていた血の勢いが止まった。

 騒がしいだけのガンコ親父だった。こんなに静かになってしまった。

 

 まだかすかに温かい身体にすがって、あたしはいつのまにか、首もとまで血でべっとりになっている。

 もう動けなかった。濡れたせいで、風がすごく寒い。このまま雪に吹き付けられて埋もれてしまうのだろうかと、そんなことをぼんやりと思った。

 

「――殺せよ……もう、何もできないよ……」

 

 呟いたが、誰に言っているのか自分でもわからない。

 向こうの暗がりの中から首無しのアルカードが姿を現したが、あたしはすぐにうつむいた。おっちゃんはもういない。武器もなく、戦おうという意志すらも跡形もなく吹き消されてしまっていた。

 

「……なんだよ……殺さねえのか? マジで性格悪いんだな、お前……どうせ死ぬなら、早く死んだ方が追いつけるのに」

 

 いつぞやのようにとどめを刺しにこないアルカード。

 怪訝に思って顔を上げた。それを待っていたかのように首の筋肉が盛り上がり、顔の下半分だけが再生する。

 

「今は殺さない」

 

「え……?」

 

「さっきまでのお前ならいざ知らず、戦意を失ったお前は、脆弱なただの人間の娘に過ぎん。お前のような弱者の血を吸わせるほど、ダアトの刃は卑しくない」

 

「……そんな嫌味を言いに、わざわざ来たのかよ?」

 

「……あぁ。自分ではそのつもりだ」

 

 歯切れが悪いように聞こえた。

 目も鼻もないので表情は分からないが、なにやら、しゃべるかしゃべらないかを迷っているように見える。

 

「……ぼくにも娘がいるんだよ。お前より、少し下ぐらいの年頃のな……。彼女のことがよぎると、どうもお前を殺す気が沸いてこないのだ。《》あの子もきっと、親の死に目にぐらい立ち合いたかっただろうから》》。自分では認めがたいことだが、私は彼女の姿をお前に重ねているようだ」

 

 ためらいがちな口調で、アルカードは脈絡もなくそんなことを言った。

 考えがまとまらない。どんな反応をしていいのか分からなかった。たぶん、アルカードも反応を期待してはいない。整理できない感情を吐き出して、心を落ち着けているだけのようだった。アルカードは感傷を振り切るようにあたしに背中を向けて、戦場へ一歩踏み出す。

 

「アリア=ディオルド。お前がこの先も、そうしてミグルドの亡骸を抱えてめそめそしているようなら、私はお前のことなどもう気に留めん。――しかし、もしお前が父の志を継ぎ、再びこの私に向かってくるというのなら……人間の娘ではなく一人の戦士として、私はお前を討つだろう」

 

「……!」

 

「私は行く。そしてお前たち帝国軍を、敗北の泥にまみれさせる。立ち直るなら、早くすることだ。ぐずる子供が泣き止むまで待ってはやれぬ」

 

 吐き捨ててアルカードは消え去り、あたしはひとり残された。

 涙を拭おうにも、腕は血まみれだ。勢いよく頭を振って、それに替えた。

 

 泣いている暇があるなら、前に進んだほうがいい。

 いつも通りのおっちゃんの声がそう言った。戦はまだ終わっていない。

 

 あたしにはまだ、再戦の機会が残されている。

 

 アルカードは、指揮官を欠いた帝国軍をせん滅する腹積もりだ。

 こんな場所でいじけ続けるには、使える時間はあまりにも少なかった。

 

「――アリアさーん! 無事ですか!?」

 

 頭上からあたしを呼ぶ声が響く。

 さっきフリューゲルさんと一緒に逃がした女の子だった。ペガサスの大群を連れてきている。 

 

「……ああ。あたしはな」

 

 あたしが抱いているのが誰かに気づいて、そこかしこから悲鳴が上がる。

 黙っておっちゃんを差し出すが、受け取ってくれる奴はいなかった。

 

「持って帰るのですか?」

 

「当たり前だ。他になにがある?」

 

「し、しかし……今の戦況は、もはや一兵の猶予もならない状況で……!」

 

 食い下がる相手を、ひと睨みで黙らせた。

 おっちゃんに軽量化の魔法をかけるそいつを見て、あたしは心の痛みを覚える。それは本来、急ぎで物資を運ぶ時に使う魔法で、物体にしか効果は発揮されなかった。

 

「この中で一番軽いやつは誰だ?」

 

「は、はい。私ですけど……」

 

「あたしにしばらくペガサスと剣を貸してくれ。悪いが、帰りは他の奴と二人乗りして欲しいんだ」

 

「構いませんが……私たちと一緒に帰らないなら、どこへ?」

 

「アンリエッタん()に行くんだよ」

 

「は……!?」

 

 白い脇腹を蹴り、あたしは空へ躍り出る。

 花火大会のような最激戦地が、そこからはよく見えた。

 



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アリアの『サンダーフォース』 その3

 タウンゼント家は、女系の武家だった。
 始祖リュミエール以来、当主は長女が継ぐことになっている。当主は代々帝国軍の陣頭に立ち、悪の魔軍を滅して世界に正義を示し続けてきた。

 ――タウンゼント家長女であった姉を、私、アンリエッタは幼少期に亡くしている。
 その時から、運命の歯車が狂い始めた。

『いやだ……! お姉ちゃん……!』

 当時、私は九歳。ハリエット姉さんは十歳。
 おてんばだった私に比べ、母に似ておしとやかな姉さんは身体が弱かった。夏風邪をこじらせて肺炎を発症し、四日もたたないうちに亡くなってしまった。タウンゼント家は代々日光の性質を持つ能力を持ち、あるいはあの症状は、未発現のそれが姉に悪影響を及ぼした結果なのかもしれない。豊富な可能性を抱えたまま、姉は天国へ行ってしまったのだ。

『どうして……どうして来てくれなかったんですか? お母様!?』

 顔に白い布を被せ、手を胸の前で組んだ我が子の身体の前で、母、フリューゲルが立ち尽くしていた。
 姉が死んだ直後のことだ。相当錯乱していたはずなのに、その姿を今でもよく覚えている。だが記憶にあるのは後ろ姿だけで、どんな顔をしていたかまでは分からない。

 母は当時から帝国軍の重鎮であり、それも最前線で勤務していたため、内地の家にはろくに帰って来ることがなかった。
 姉は病床で、うわごとで母の名前を息も絶え絶えに呼んでいた。もし会えていたら、死の境界を踏み越えることはなかったかもしれない。だから私は、間に合わなかった母を責めた。

 だが、今では反省している。私も子供だったのだ。
 激務の日々で突然娘が危篤状態だという連絡が入り、大急ぎで帰ってみれば、既に家の前には葬儀屋の車が止まっていた。その時の母の気持ちは、察するにあまりある。



 数日たって、現実を見る余裕ができた。
 長女が死に、次期当主の座が空いてしまった。次女の私以外に女児はいない。私が当主を継ぎ、帝国軍を先導するだけの力を身に着けなければならない。私は発起して勉学に励み、自発的に魔法の修行を行うようになった。

『あなたを軍に入れるつもりはありません』

 意気込む私に対し、母の返答はそっけなかった。

『……わたしが、長女ではないから、ですか?』

『とにかくダメです』

 一年ぶりに母が返って来る。その日のために用意した、とっておきの言葉のつもりだった。
 さぞ喜んでくれるだろうと期待していただけに、私の落胆は大きかった。

『軍人になりたいのかい? アンリエッタは』

 そんな折、父は母にはくれぐれも内緒だと言って、訓練メニューを伝授してくれた。
 文官出身の、頭が柔らかくて口がうまい父だ。だがそのメニューは、そんな父が考えたとは思えないほど苛烈なものだった。軍の正規の調練に匹敵する強度で、十一歳の子供にはあまりに厳しく、何度も心が折れかけたが、無我夢中で取り組んでいくうちに強靭な肉体を手に入れた。
 しかしそれでも、母は私を軍人にすることについて、首を縦に振ることはなかった。

『……ご、合格……だ。アンリエッタ=フォン=タウンゼント新兵』

 それならばと、私は母に黙って入軍試験場に行った。
 明らかに当時の自分より格下の試験官の前で軽々と最高成績を出して、望み通り母のいる最前線へ配属されることになった。

『よし! 今日の訓練、ここまで!』

 母の職場に行ってみて、初めてその多忙さが理解できた。
 朝は陽が昇らないうちに起きてデスクワークを行い、昼は訓練で部下ひとりひとりを注意深く指導し、夜は自分の剣術の鍛錬の合間に、他の部隊長と会議を行う。眠る時間すら満足に取れない生活で、定期的に家に帰っていたのはともかく、突然姉が亡くなった時にどうやって時間を捻出したのか今でも不思議だ。

 だが、確執を消す機会は訪れなかった。
 多忙さゆえ、母に話しかけづらかったこと。兵卒と最高級の部隊長という立場の違い。そして、昔からの遺恨。その他、理由はいくらでも挙げられる。

 しかし、最大の原因は、アリア=ディオルドが台頭してきたことだろう。

『おっちゃん! また勝ったぜ!』

『おう、よくやった! でも、これだけで自分に才能があるなんて思うのは軽率だからなぁ?』

『なにおう!? 五連勝してもまだ偶然って言い張る気かよッ!?』

 彼女は私より五年早く入軍してきた割に(実際のところ、最初の一、二年のうちはミグルド隊長の養子的な立ち位置にすぎなかったらしいが)強さは伸び悩んでいたが、私が軍に入った途端、嫌がらせのように突然急成長し、その半年後には私と肩を並べるほどになっていた。

 追い抜かれるかもしれない――その不安さに追い打ちをかけるように、私にはANIMA能力が発現した。
 タウンゼント家の者にとって、それは必ずしも喜ばしいことではない。能力はあって当然、問題はその内容が何かということだ。

 『沙羅曼蛇(サラマンダー)』と名付けた私の能力には、日光の性質が備わっていなかった。
 タウンゼント家の栄光は初代当主、始祖リュミエールがヴァンピール卿を初めて討伐したことによる。200年前、日光の能力で不滅の吸血鬼を焼いた始祖。その血を引く者は、みな魔物が支配する夜に陽をもたらすことができた。タウンゼント家当主とは、いわば帝国軍の象徴だ。日の恵みのもとで暮らす、人間の象徴なのだ。

『昇格させるのは、アリア=ディオルド。アンリエッタ=フォン=タウンゼントは、現階級にとどめます』

 私の焦燥は、まもなく起こったある事件で頂点に達した。
 頭角を現してきた二人の兵士、アリア=ディオルドとアンリエッタ。どちらか一方だけが、隊長へ昇格できるという状況である。
 実はこれは、一度に二つも部隊を新設するのは軍の編成に混乱が大きいための暫定的な処置でしかなく、選ばれなかった方も間もなく隊長となる予定だった……のだが、隊長たちがどちらを先に昇格させるかというのはまた別の問題だ。隊長たちがどちらをより高く評価しているかが、如実に露わになる。

 隊長たちの会議の末、最終決定権を持つ母がアリアを優先する判断を下した際、私は呆然とした。
 これあるを見越して努力し、つい先日の戦いで多大な戦果をあげていた私に対し、この時期のアリア=ディオルドは停滞していたのだ。実力が互角なら、最近あげた実績が判断材料となると確信していた。加えて私には、アリアにはないANIMA能力もあるのだから。

『ふたりの実力は互角。さきの戦の戦果と、能力の有無を加味すれば、個人の実力ではむしろアンリエッタが勝っています。しかし、隊長とは人の上に立ち、部下と民の命を預かる存在。単純な戦闘力とは異なる資質が求められるのです。――アリア=ディオルド。この会議があるとわかっていながら、あなたはどうして慌てて戦果を求めなかったのですか?』

『は? えっと……あたしの強さからしたら、いつかは隊長にはなれると思ったので、急がなくてもいいか、と気楽にしてました。あと、あたしと一緒に戦ってるみんなは、のちのちあたしの部下になるのに、自分の都合だけで先走って、スタンドプレーで振り回したりしたらダメだって思いました。隊長になれても、隊員が自分からついてきてくれないんじゃどうにもならないんで』

『……隊長になる事と、隊長をやる事。この違いが分からないうちに、人の命を預かるのは危険だと判断した結果です』

 理解するのは簡単だ。納得するのは難しい。
 他の者に言われたなら、きっと納得もできただろう。しかし、母から突き付けられた宣告は、私にとってあまりに衝撃が大きすぎた。

「おまえは軍人にはふさわしくない」
「日光の能力がない者は、タウンゼントの長女ではない」

 考えすぎでもなんでもいい。
 その時の私にとって、そう言われたようなものだったのだ。

『新たに、隊長を務めさせていただきます。どうかよろしくお願いします、()()()()()()()()

 隊長になった時でさえ、その遺恨は消えていなかった。
 母に対する期待と、アリアへのコンプレックスと、様々なものが混ざり合った結果、子供じみた意地だけが残った。母をそう呼んだ私の心理は、嫌いな相手を苗字で呼ぶ幼児のいじめと大差ない。

 だが、その呼び方に母がショックを受けてくれればまだよかったのだ。
 まだ期待することができた。母の返答は、次のようなものだった。

『……ええ。期待しています。()()()()()()()()

 結局私は、アリア隊長への嫉妬も、母への確執も腹の底に抱え込んだまま、この戦を迎えることになってしまった。
 そして今回も、最大の手柄と信頼は、アリア隊長のものだった。




「何がなんでも防げ!! 絶対に奥へ行かせるな――ッ!!」

 

 怒鳴りながら、眼前の魔物の首を突いた。

 最小限の動きで、急所を断つ。ひとりひとりの防御の堅牢さと、体力の消耗度が、それ以外の戦術を選ぶことを許さなかった。

 

 ヴァンピール卿と、奴が連れてきた恐ろしく強力な敵軍。

 既に母は倒され、現況不明ながらミグルド隊長も危ういという。

 

「全員に緊急伝達! 『パワー・オブ・アンガー』を使う!」

 

「了解! お前たち、離れろーッ!!」

 

 ギリギリまで前へ走り込み、『沙羅曼蛇(サラマンダー)』の両の拳を、地面に向かって打ち付けた。

 岩石のゴーレムのような姿をした我が能力、その全身に走った罅に、溶岩のような光がある。拳が大地に刻み込んだ破壊痕にも、その黄白色の光が流れ込んだ。噴火のような爆発がほとばしり、熱を持った溶岩石が激しい地鳴りを起こしながら地中から次々に盛り上がって、私を中心にいびつな壁を作る。

 

 細かい穴の開いた巨石が連なってできた壁は、両側面へ伸びており、通常なら全長は1kmほどになる。

 だが、この手ごたえからすると800mがせいぜいだろう。既にこの技を三度使っており、力の消耗が隠せなくなっていた。

 

「……クッ、あまりしとめられなかったか! だが、時間は稼げるはず……!」

 

 純粋な攻撃技である『バーン・ウィンド』ほどではないが、壁の形成の際にはそれなりの破壊力があるため、射線上にいる敵ぐらいなら倒すことができた。

 だが、その攻撃力はあくまで副産物でしかない。それに期待しなければならないほど、今の事態はひっ迫していた。既に全軍の三割が戦闘不能か死亡しており、もはや当初の目的である侵略は不可能だ。残存する味方を一刻も早く撤退させるために、我々がしんがりを受け持っているのだが、それは敵から見れば精鋭であるこの部隊を集中攻撃できる絶好のチャンスだった。魔導士部隊やアリアドネ隊の支援でなんとかもっているが、もともと少数精鋭主義だった我々の隊は横に薄く引き伸ばされ、いつ崩されてもおかしくない際どい状態だ。

 

「――第四波来るぞ!!」

 

「なっ……!?」

 

 その声は、魔物たちの中から飛んできた。

 同時に、電撃を帯びた白い光の弾が地上から撃ち出され、矢のように放物線を描いて空から迫って来る。まるで滝、あるいは壁のようだった。隙間がない。奥側にいた魔物は整然とした動きで退避するが、乱戦の中にいる魔物は矛を収めずに、動揺する人間の兵の隙をついて刈り取った。眼前の敵を始末した魔物は盾を構え、あるいは防御の魔法を使って身を守る。

 

「ダメだ! 間に合わないッ!」

 

 目視してからなら、防ぐだけの時間はあった。

 しかし、魔物と交戦していた多くの味方は、無防備な姿を射撃の雨の前にさらしている。着弾直前まで粘ってから防御するという魔物の戦術は、頑強な肉体頼りの捨て身だが、おそらく事前に準備されたものだろう。相手の行動を自分より一手でも遅らせることができれば、相手はそのまま魔法をくらうしかない。

 

「伏せろ――ッ!!」

 

 天に向かって両手を開き、手のひらの中心に気合いを集めた。

 すぐ真上の空気が白く爆ぜ、光が一瞬、天井のように空を隠す。

 

 『バーン・ウィンド』を拡散させて、光弾を相殺した。

 その衝撃波が周囲を撫でると同時に、何百にも重なった着弾の音が地を揺らす。

 

 ――ぴしっ……

 

 そして、轟音とはまた別に、私の頭の中に直接響いた音があった。

 

「う……!?」

 

 自分の意思とは無関係に、両手がだらりと情けなく下がる。

 骨の中からひび割れるような、熱い痛みが両腕を襲っていた。急に能力を解放した無理が祟って、反動がもろに来たようだ。

 

「隊長! ご無事ですか!?」

 

 周辺にいた兵は助けられたし、自分もダメージは腕だけだ。

 まともに魔法を喰らっていればこんなものでは済まなかった。

 

 しかし、『バーン・ウィンド』の範囲外にいた兵はほぼ全滅。

 私一人ががんばったところで、どっちみち隊の崩壊は避けられなかったわけだ。悪あがきでもいい。我々は生きている限りは生きなければならないし、力が残っている限りは使わねばならない。

 

 死ぬなら、なにもかも使い切って死ぬべきだ。

 だが、私はもはや戦闘不能だった。周辺から集まってきたらしい敵軍は、雲霞のごとく眼前に広がっている。

 

「タウンゼントの娘よ。その首を頂戴する」

 

 短い斧を持ち、岩肌のように無骨なプレートアーマーを着た二人の巨漢の魔物が、目の前に進み出た。

 左右からこちらを見ている二人は、鏡映しのように同じ構え、同じ背丈をしている。将を狩るための精鋭とみていいだろう。

 

 獲物である斧は見るからに肉厚で、鈍器に近かった。

 ……あれで首など斬られたら、さぞ痛かろう。

 

「いいでしょう。殺しなさい」

 

「そんな……!?」

 

「総員に命じます。私はここで断たれますが、意気消沈する事は許しません。私は、あなたがたを発奮させるために死ぬのです。一人でも多く生きて帰ることを、我が部下たる者すべてに義務づけます」

 

「いーや、そりゃダメだね。アンリエッタ」

 

 上から割り込んできた、それは声。

 声を追うように、黒い影が右の魔物の真上に落ちてきた。

 

「ほい、一人」

 

 魔物の後ろに落ちた影は、その勢いで魔物の体勢を崩して拘束し、剣で喉を横に掻っ切る。

 血の噴き出す身体を突き飛ばして野良猫のように素早く跳び、動転する相棒の魔物の懐へ詰め寄った。いつのまにか奪っていた斧を、脳天めがけて振り下ろす。鎧ごと頭蓋がへしゃげ、反撃しかけた魔物の手が脱力した。

 

 アリア=ディオルドだ。

 手綱を握ったまま呆然とただ見ていた私の前に、汗だくで駆け寄ってきた。

 

「見せ場はあとにしな、アンリエッタ。カッコよく死ぬのは、おっちゃんとインディゴ兄だけで十分だ」

 

「――死んだ……!? あの人が!?」

 

「……おっちゃんは、あたしをかばって死んじまった。フリューゲルさんが重傷を負ったのも、その流れだ。……すまねえ、アンリエッタ。間一髪で助けたみたいになってるが、今の苦しい状況は、もとはといえばあたしのせいなんだ」

 

「かばって……? まさかあなた、ヴァンピール卿と交戦を!?」

 

「詳しい話はあとだ。お前は休んで、指揮だけ飛ばしてろ。荒っぽい仕事はあたしが引き受ける」

 

 鎧は傷だらけで、普段彼女が振るっているハンマーも見当たらない。

 強がってはいるが、赤っぽい褐色の瞳が据わってしまっていた。立ち姿の重心も安定しなくなってきている。

 

 どう見ても、倒れる寸前だった。気力だけでなんとか意識を保っている。

 それでも、剣を握って離さない。

 

「頼む、行ってくれッ! こっちもアルカードと戦った後だ、長くもつとは限らねえぞ!」

 

「わかりました。ですがひとつ、条件を」

 

「なんだよッ!? 時間ねえんだぞ!」

 

「絶対に生還してください。離脱は、危なくなったと気づいてからでは遅い。頃合いと見たら、迷わず逃げて構いません。……無理だけはせぬよう。あなたまで失うわけにはいかないのです」

 

「――あぁ。わかったぜ、アンリエッタ!」

 

 近くにいた百の兵を彼女に預け、味方のもとへ走った。

 肺の空気を振り絞って号令し、散らばった味方を集めて後方へ急ぐ。

 

「がああああああああああ――ッ!!」

 

 撤退指示を出す間、横目で暴風のように荒れ狂うアリアを見ていた。

 ただ力任せに剣を叩きつけるだけ。剣の扱いに慣れていないとはいえ、あまりに野蛮な戦い方だった。筋肉の使い方に無駄が多すぎる。研鑽を重ね、洗練させた自分の剣術とはくらべものにならなかった。

 

 だが、私は孤立無援のしんがりにあって、根性だけで彼女のように戦い抜くことができるだろうか?

 まだ守るべき味方が残っているというのに、敵前で膝をついてしまった自分に、あれができるか……?

 

「敵わないな」

 

 かつての母が、なぜ自分よりアリア=ディオルドを選んだか、今なら理解できる気がした。

 それが決して、不快ではないのだ。

 

「……!? 敵が退きます!」

 

「なに……?」

 

 アリアが屈むようにして肺が裂けんばかりの息を整えたあと、剣を両手で構えた時、にわかに魔物たちが秩序正しく遠ざかりはじめた。

 別の場所にも味方の軍はある。彼らが抵抗したか、あるいは撤退が完了して軍が一か所に固まり、これ以上の攻撃は危ういと敵が判断したのだろう。

 

「生き残ったのか……俺たち……」

 

 合理的に考えれば、敵の行動の意味は推定できる。

 だが、ここにいるほとんどの者は、今の状況に違う解釈を巡らせているだろう。

 

 奮戦するアリア=ディオルドの魂が、圧倒的な大軍を祓ったのだと。

 どういうわけか、冷静であるはずの自分さえ、そんな気がしてしまうのだ。

 

 

 

 § § §

 

 

 

「……被害は全体の約四割。事実上の全滅です」

 

 月が空のてっぺんに登っている。

 空気の澄んだ高地は、星がとても綺麗だった。少し目線を下げてみれば、恐ろしい現実が広がっている。アリアドネ隊の損害は騎兵や歩兵に比べればかなり軽いが、穏やかな表情をしている者はいなかった。開戦からたった数時間のうちにミグルドさんを討たれ、あまりに多くの友を失った。我々は傷だらけの心を、薄汚れた包帯にくるんで休ませている。

 

 このしばしの休息すら、敵の胸三寸で簡単に破られてしまうのだった。

 辛くも生還したというアリアやアンリエッタに、会いにいく暇もない。傷病兵の救護や部隊再編成でてんやわんやの我々とは違い、魔軍にはアルカードが健在で、彼が連れてきた援軍もまだ余力があるはずだった。そもそも援軍に襲われるまで我々が戦っていたのは、ここにいる軍の半分にすぎない。前線を守る敵軍を撃破したのち、要塞に攻め入って中の軍をかたす手はずだったからだ。手つかずの要塞の中には、おびただしい数の魔術師や弓使いが無傷で残っている。

 

「戦場が雪山の山奥で、よかったのやら悪かったのやら。もし平地戦なら、すでに何百人と脱走者が出てるわよ。……でも、脱走という最終手段がない分、兵の心にははけ口がない。不安は収拾がつかなくなってきているわ」

 

「これから、どうなるんでしょうか……?」

 

「……どうなるかって? あなたなら、わかっているでしょう?」

 

 我々は、指導者を失った。

 誰も道を示してくれるわけではない。それでも何をしなければいけないかは、誰もが知っていた。

 

 だが、撤退するにしても、敵がそれを許してくれるかどうか。

 雪の結界もなくなった現在、魔軍は下山する我々の背中を高所から撃ち放題。事実上どころではなく、文字通りの『全滅』が現実味を帯びていた。

 

「弾道操作技術のお披露目の舞台が、とんだ負け戦になっちゃったわね」

 

「……ユニカさん。みんなに聞こえます」

 

「過程はどうあれ、トップを殺されたら戦争は負けなのよ。……はぁ、やれやれね。ミグルドも他の隊長連中も、ANIMAがあるってだけで散々えばってたいけすかない奴らだったのに。私みたいな凡人より先に死んじゃうんじゃ、世話がないじゃない……」

 

 ユニカ隊長は無能力者だった。

 アンリエッタやミグルドさんといった我の強さがない人で、淡々とした性格のために激しい感情を原動力とするANIMA能力が発現しないのだと言われている。

 

「――隊長!」

 

「ッ! 来たの!?」

 

「いえ、逆です! ――魔軍が、要塞から撤退を始めています!」

 

「なんですって……?」

 

 

 

 § § §

 

 

 

「……ひどい有様ですね……」

 

 多すぎる重傷者は、テントの中に収まりきっていなかった。

 小指と薬指が切り離された手を胸の上に置いてうなされている者、失った片目を包帯で隠してうつむいている者などが、寒い外気に身をさらしている。しかし、テントの中に優先して運び込まれるのは、五体満足でなくなった者ばかりであり、彼らに比べれば確かに軽傷ではあった。

 

「おい、アンリエッタか?」

 

「……っ、ラークさん……!?」

 

 薄布一枚を挟んで地べたに寝ている負傷兵たちの一人が、こちらに手を伸ばしていた。

 知っている顔だ。入軍時に、同じ部隊にいた五十一歳の古株の兵で、知識ばかりで経験の浅かった折に助言をもらいに行った仲だった。それから間もなくペガサスの救護部隊に転じ、今では階級もずいぶん差が空いてしまったが、こんな形で再会するとは。

 

「慎重さだけが取り柄のはずが、ヘタを打ってしまったよ」

 

「誰にやられたのです?」

 

「ヴァンピール卿だ。高い位置から様子を伺っていたが、奴が持っていた恐ろしく長い鞭にかすってしまった」

 

「……助かるのですか?」

 

「傷そのものは浅い。だがプリーストの話じゃ、あいつの武器がつけた傷は、呪いがかけられているらしい。いつまで経っても血が止まらないんだ。一緒にいた仲間が、何人も失血死している。相当高度な解呪をしないとダメらしいが、そんなものが下っ端の治療にまで回ってくるかどうか……」

 

 そこまで言った所で、衛生兵が来た。

 長々と話しこむと邪魔になる。

 

「行きな。暇じゃないんだろう?」

 

 後ろ髪を引かれる思いだったが、いつまで敵が黙っていてくれるかわからない。

 私には重要な用事があった。軽く敬礼をして、走り出す。

 

「フリューゲル隊長にお会いしたい。通してください」

 

「アンリエッタさん。今、面会は……」

 

「いいから」

 

 母が寝ている大きなテントの周りを、数十の兵士が守っていた。

 渋る護衛に、私は詰め寄る。私の睨みを受けて、彼は小さく汗をかくが、やはり素直に通してはくれなかった。

 

「――構い、ません……通して、ください」

 

「……フリューゲル様!?」

 

 屋内からの声に、護衛が動揺する。

 その隙に、なし崩し的に中へ分け入った。母は、大きなベッドに身を横たえている。熱っぽい目で天井を見ていたが、緩慢に顔を倒してこちらを向いた。

 

「お休みの所失礼します」

 

「タウンゼント、隊長……? 何用でしょうか?」

 

「単刀直入に申し上げます。あなたの隊員の指揮権を、私に譲っていただきたい」

 

 椅子はない。あったとしても、腰を落ち着けるつもりなどなかった。

 いまさら親子水入らずなど考えていない。欲しいのはイエスだけだった。

 

「そして――あなたが持っている(つるぎ)もです」

 

「……『炎剣』のことですか?」

 

「はい」

 

 太陽の性質を持つANIMAは、タウンゼントの血に宿っている。

 我が家系に受け継がれた武器は、もうひとつあった。炎の刃で万象を切り裂き、吸血鬼の肉体を陽光のように灼く『炎剣』だ。

 ANIMAの圧倒的な力でヴァンピール卿をねじふせたという始祖リュミエールに対し、その子である二代目様は風属性の術と知力に秀でていたが、ANIMAの強さにおいては始祖に及ばなかった。二代目様が母と同等の力を身に着けるべく、ヴァンピールとの戦いに備えて造り上げた武器が炎剣である。

 だが、曲がりなりにもタウンゼントである私も、実際にそれがどのような武器であるのかは知らなかった。強力すぎ、また使用者の消耗が激しいために、用いられた記録は数えるほどしかない。恐るべき強者と鎬を削る時のみ、先祖は炎剣を抜いた。ひとたび戦いが始まると、もう誰もその動きを目で追う事はできず、勝利しても先祖は軽々しく武器の詳細を語ることはない。情報が洩れることを恐れたからだった。

 

「私の兵を貸すことについては、許します。というより、もう少ししたらその件であなたを呼ぶつもりでした。彼らも、あなたの下につくなら納得するでしょう」

 

「……」

 

「後者については……正直に言うと、あなたに炎剣はできれば継がせたくないと以前から思っていました」

 

 予想通りの返答だ。

 炎剣は、タウンゼント家の名誉の証。次女の私には継承させられないというわけだった。

 

「民は人類の力の象徴だなんだと祭り上げてくれますが、炎剣を持つことも、太陽の能力を使えることも、要するにヴァンピールとの過酷な戦いを運命づけられてしまう有様にすぎません。そんな重荷をあなたに背負わせることは、望ましくありませんでした」

 

「は……?」

 

「どのような美名で糊塗しようと……娘に人類すべての命運を押し付けて未来を縛るなど、親として褒められたことではない。タウンゼントの宿命は、私の代で終わりにしなければならない。……私は常々、そう願っていました。だから今日、アルカードがこの戦場に現れたことは、転機と思ったのです。今こそ、我々の運命を変える時ではないのかと……。ヴァンピールは殺されても復活するとはいえ、今度こそは倒しきれるのではないかという期待が、心のどこかにありました。ミグルドと共に全力で戦い、チリ一つ残さずに消し飛ばしたなら、何かが変わるのではないか。そんなことを、根拠もなく期待していたのです」

 

 母は上体を起こし、寝具を手で弱弱しく握りしめている。

 これほど饒舌な母を、作戦会議以外で見たことがなかった。不器用で要領を得ない口調。娘である私でさえ、母については公人としての姿しか知らないのだ。そもそも誰かに心情を語る事自体、一度もなかったのではないかと思える。

 

「その結果が、このざまです。あなたをヴァンピールと戦わずにすむようにするどころか、ミグルドや大勢の部下を失い、本来自分のものである責任まであなたに押し付けることになってしまいました」

 

「……気に病む必要はありません。フリューゲル隊長に不可能だったのなら、他の何者にとっても不可能なのですから。隊長に生き延びていただけただけで、私には充分です」

 

 そんな言葉が勝手に口から出ていた。

 母の身体が小さく震える。微細な動きだったが、あたりの空気ごと揺らいだようだった。私の方を向いた時には既に、よく見る峻厳な顔に戻っていた。

 

「タウンゼント隊長。ミグルドを失い、私も動けない現在、この軍は壊滅の危機に瀕しています。わが軍は帝国の要、我々が潰えるということは、人類の未来が喪失されるのと同義。今からの数時間で我々がどう動くかが、人類存亡の分水嶺です」

 

 歴史的な事件というものは、当事者にとってはあっけないほど淡々と起こる。

 自分が置かれている立場を認識し、私は身震いを抑えられなかった。かつて先祖が経験したであろう重圧が、今私の肩の上にのしかかっている。

 

「いまやあなたは、この軍の最高戦力の一角。絶対に死なせるわけにはまいりません。私が無様に敗退した現在、あなたの頼みを断る理由もないでしょう。……そこにある抽斗(ひきだし)の一番下を開けてみなさい」

 

 医薬品が並べられた棚の端を、母は指差した。

 ごく普通の市販品の抽斗だ。私は歩み寄って一番下の三段目を開けてみた。

 

「……えっ? ここは空のようですが……?」

 

「あぁ、言い忘れました。大した意味はありませんが、一応二重底にしてあります」

 

 小指の先ほどしかない鍵を渡された。

 取っ手に開いている小さな穴に差し込んでみると、底板がスライドする。

 

「……筒?」

 

 中には、小さな白い筒が入っていた。手に取ってみると、意外なほどに重い。先端に穴があり、中は空洞になっているようだった。金属的な光沢のある奇妙な鉱物でできていて、中央のあたりには滑り止めと思しき溝がいくつも刻まれている。

 

「……? 何かの魔道具のようですが」

 

「あなたの探し物、炎剣です。正しくは『炎剣グラディウス』ですが」

 

「――えっ!?」

 

「ふふっ、やはり驚きましたね。……あぁ、違いますよ、冗談でも何でもありません。びっくりしたのは昔の私も同じですから。持ち手の上にダイヤルがついているので、穴を自分に向けないように回してみなさい」

 

 柄を握ると、ちょうど親指が届く場所にそれらしきパーツがあった。

 恐る恐る動かしてみる。筒の先端から黄白色の光が噴き出し、収束して固まった。本体とほぼ同じ太さの光の刃が、低い音を立ててそこにある。剣というより、棒術使いが持つ棍のような形だった。

 

「……本当に、よろしいのですか? 使っても……」

 

「もちろんです。その武器を使うにはそれなりの試練を経る必要があるのですが、あなたはもうそれを済ましていますから」

 

「試練?」

 

「アルカードの持っていた魔鞭(ダアト)ほどではありませんが、炎剣(グラディウス)にもそれなりの知性があります。その剣には、持ち主を選ぶ意志があるのです」

 

 刃を展開している間、軽い柄から微かな熱が伝わる。

 時折光が噴き出す勢いが微妙に変わり、その小さな反動が感じられた。それはまさしく体温と鼓動だ。この剣が生きているという実感が、自然と自分の中に入ってくる。

 

「心配せずとも、あなたは剣に認められていますよ。さっきあなたは当然のように剣を手に取りましたが、適性のない者には触れることすらできませんから。剣に嫌われた者が剣に触れると、腕全体に熱が襲うようですが……そんな感触がありましたか?」

 

「……いえ」

 

「ならば、存分に振るいなさい。アルカードとの戦いでは、使う機会がありませんでしたが……グラディウスは、使えば使うほど身体になじむ不思議な剣ですが、使いすぎには注意なさい。振るうこと自体が楽しくなってしまいますので」

 

 さすがに、今度こそ冗談だと思った。

 だがその割にはにこりともしないので、判別がつきにくい。半分ぐらいは本気なのかもしれなかった。

 

「――急報! 敵軍が、要塞より撤退を始めています!」

 

「撤退……だと? 間違いないのか!?」

 

 断りもなく伝令が飛び込んでくる。私は炎剣の刃を収めた。

 無礼を咎めるはずもないが、情報の誤りは疑わざるを得ない。我が軍は編成も戦略もガタガタ、魔軍が本気で再攻撃に出ればそれを止める余力など残っていなかった。翻って、我々が現在持っている情報だけで考えるなら、魔軍が我々の殲滅を躊躇する理由はない。

 

「くっ……とにかく、作戦を立てなければ! フリューゲル隊長、すみませんがここに部隊長を集めます。会議を先導してください!」

 

「……いえ。その必要はありません。私はもともと作戦は苦手で、戦略はミグルドにまかせっきりでしたから、大した力にはなれないでしょう。既にあなたは戦略面では私を越えているのです。アリアと二人で、みんなを最良の道へ導いてください」

 

「……わかりました!」

 

「それと、一つ。――こんな時になんですが、少しだけ顔を見せてくれませんか?」

 

 怪訝に思いながら顔を近づけると、母の温かい手が左右の頬を包んだ。

 紅の目に、ただただ戸惑う自分の表情が映っている。だがこれは、母が今見ている光景ではないのだろうと思った。

 

「……うん。いい目をするようになりました」

 

 言葉の意味を、深く考えようとはしなかった。

 後でいくらでもできることだ。加えて、その意味を理解してしまったら、私の中に戦いに持ち込むべきではない感情が生まれてしまう気がした。

 

「あなたは私の代役ではありません。私がどのようにしていたかなど、意識する必要はありません。自信をもって、思い通りにやりなさい。そうすればきっと、いい結果になりますよ」

 

「――はい!」

 

 激励を背中に受けて走り出す。

 炎剣よりも強さを与える贈り物だった。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 「魔軍、西方へ撤退開始。」

 その報が飛び込んできてからというもの、兵士たちの間でも議論が沸騰していた。

 

「あいつらの傷だって浅くない。ヴァンピールは慎重な性格だ、勝ち逃げを狙うつもりかもしれない。今のうちに、俺たちも逃げる算段をしないとまずい」

 

「ちょっとやそっとの被害があっても、魔軍は俺たちに比べれば圧倒的多数なんだ! それに、全軍で撤退をしている確証がどこにある!? 今逃げているのは、撤退のポーズを見せるためのオトリだ。敵に合わせて逃げたりしたら、たんまりある機動戦力で背中を叩いてくるのがオチだぞ!」

 

 論点は要するに「魔軍の撤退は本気なのか、それとも罠なのか」だけだ。

 程度の差こそあれ、聞き流していると意見にはその二種類しかなかった。一致しているのは、「なんとかして逃げなければ」という危機感だ。

 

「……アリア」

 

「ミスト……とりあえず、お互い生きてたみたいだね」

 

 辟易した顔のミストが、焚火の色に染まっている。

 あたしにどう声をかけていいか困っていた。いつもは生真面目に相手の目を見て話すのに、居心地悪そうに視線が泳いでいることからそれがわかる。

 

「おっちゃんのことは、うちに帰ってからめいっぱい悲しもうぜ。今は、現実にある問題をなんとかしなきゃならねえ」

 

 隣に座り込んだミストに、(ソルト)の瓶を渡した。

 この奇妙な物質には、魔物の生命力が宿っている。魔力の消耗を癒すのには、これが一番早い。二人で炎を見ながら、なめらかな粉を喉に流し込んだ。

 

「ミスト。みんなはなんとかして逃げる方向に傾いてるが、あたしはあえて、アルカードを追撃するべきだと思う」

 

 その瞬間、あたりが静まり返った。

 ミストだけが押し黙ったわけではない。さっきまで散々騒いで、物に当たり散らしていたみんなまで、信じられないといった顔であたしを見ていた。

 

「……正気か?」

 

 近くにいた部隊長のティエリアが、その場の全員を代弁するように言う。

 

「お前が、ミグルドを慕っていたのは知っている……だからといって、兵たちともども個人的な復讐につき合わせるつもりか? もしお前がその考えを実行するつもりなら、我々は賛同しない」

 

「あのな。もしあたしたちがこの死地から逃げおおせたとしてだ、その先何が起こるか考えてもみろ」

 

 反論は予想していた。

 その時には、もう少しやわらかい口調で返すつもりだった。だが、口をついて出てしまった言葉はもう止まらない。

 

「アルカードは、前線に出てくる決断をしたんだ。ただでさえ、魔軍の強さが一律に上がってキツかったって時に、あんなのが出しゃばってくるんだぞ。あたしはすぐそばで見てたが、あいつはミグルドのおっちゃんとフリューゲルさんが命がけで戦って、やっと追い詰められる強さだ。もうおっちゃんはいないし、フリューゲルさんは重傷だ。次にあいつと戦うことになったら、あたしたちどうなると思う?」

 

 危機感と計算で頭が詰まるような感覚がする。

 

「魔軍の撤退はフリじゃねえだろう。まぁ、あたしたちに隙があったら、反撃を受けない程度にちょっかいを出してくるかもしれないが、多分きびすを返してまで攻撃しようなんて考えてない。あいつらは、ここでムリしてあたしたちを壊滅させる必要なんてないからだ。一年でも二年でもこまめに侵攻しまくって、そのたびにアルカードが一人か二人ずつ強い将校を殺していくだけでいい。それだけであたしたちは戦えなくなる」

 

 あたしは誰を説得するわけでもなく、夢中で言葉を吐き出している。

 

「おっちゃんとフリューゲルさんは敗れたが、アルカードに当分身体を治せなくなるダメージを与えてくれた。アルカードを倒すのは、今しかない。――分かってくれよ! ここで立ち上がらないと、あたしたちには一人ずつじわじわ死んでいく未来しかないんだよ!」

 

 また、静かになる。

 焚き火が、じりじりと燃えていた。

 

「……理屈では、わからないではない。だが、そんな決死作戦の指揮を誰がとる? 全滅寸前の惨状からせっかく生き残ったというのに、なお戦いにつきあおうとする兵士がどこにいるというんだ?」

 

「ここにいます。私は、彼女に賛成です」

 

 テントの合間から、意外な人物が歩いてきた。

 アンリエッタだ。あたしの方に歩を進めると、自然と兵が道をあけた。

 

「たった今、フリューゲル隊長から指揮権を預かってきました。暫定的には、この軍の最高指揮官は私ということになります」

 

 個性豊かな武器を装備した面々が、後ろからぞろぞろと続いてきた。

 この軍の主な将たちだ。アンリエッタが今言ったことは、もう他のところには浸透しているらしい。

 

「ティエリアの言うことは理解できます。それが兵の本音でしょう。――ですが我々は、ミグルド隊長がいなければとっくに死んでいた者ばかりです。その彼を殺され、仲間も散々にやられた。こんな時に相手が怖いからと引き下がるほど、我々は優等生だったでしょうか? この際、理屈はいらないでしょう。今立ち上がらなければ、我々は軍人としてだけではなく、人間としても魔軍に敗北することになるのです」

 

「……あたしは、おっちゃんに拾われて育てられた。おっちゃんがいなければ、今のあたしもいない。たとえアルカードが無傷でも、あたしは行かなきゃならねえ」

 

 焚き火の炎はまだ消えない。

 強くなることもない。弱くなることもない。淡々と、そして力強く燃えていた。

 

「……全くだわ。気持ちでは負けられないわね。ミグルドさんに育てられたのは、私も同じだもの……!」

 

 隣のミストが、強気な目をしてあたしに笑う。

 組んでいたあたしの両手を叩くように、手を重ねてきた。活気のある音がすると、その場にいる隊長たちの目に、焚き火の火ではない火が灯る。

 

「――ミグルドのジイさんの弔い合戦だ。一発かましてやるか!」

 

「あぁ! 俺も、部下に発破をかけてくる!」

 

 方針が決まり、散っていく部隊長たち。

 何割の兵がついてきてくれるかは分からない。だが最初に反撃を決意した者として、ついてきてくれた兵たちの命にあたしは責任があった。何がなんでも、アルカード討伐を成功させなければならない。

 

「またね、アリア。勝った後で会いましょう」

 

「うん。死ぬなよ、ミスト」

 

 ミストが、珍しく自分から抱き着いてきた。

 背中に回された腕に、思い切り力がこもっている。一歳年上のミストの顔は、あたしの肩に埋まる高さだった。それでも、言葉にならないほど頼もしい。

 

「……なんとか、まとまりましたね」

 

 名残惜しそうに去っていったミストを見送り、ついに焚き火の傍にいるのはアンリエッタとあたしだけになった。

 アンリエッタが懐を少しまさぐると、その手もとから黄白色の光が伸びる。低い音をたてて光を振り回しながら、アンリエッタは声を低めた。

 

「隊長たちを鼓舞するのには成功しましたが……この先をどうするつもりです? アリア=ディオルド。手負いとはいえ、無策で勝てるほどヴァンピール卿は甘くないのでしょう? 私は新たな力を授かりましたが、あなたはこの提案を思いついた時、どのように勝利を組み立てるつもりだったのですか?」

 

 あたしは目を閉じ、意識を集中させた。

 アンリエッタの問いに答えるために、口を動かす必要はない。

 

「アリア=ディオルド……?」

 

 どの瞬間で気づいたかはわからない。いつのまにか、そいつはあたしの中にいた。こいつの存在を自分の中に実感した時、自分に何ができるようになったかを理解した。

 腹の奥からこみあげてくる昂揚感を、全身の表面から蒸発させて形にしていく。髪の毛が逆立ち、熱が神経を流れていって、紫電のかけらが肌から散り消えていった。

 

「……そうですか。ついに、身に着けたのですね」

 

 あたしの心が静かになった時、アンリエッタは見上げながら言う。

 発現したばかりのあたしのANIMAは、四足の獣のようなビジョンを浮かび上がらせていた。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 雪が降り始めた。

 魔物の術ではない、本物の雪。アリアが斃したダスティ・ノーマンの術よりは優しいが、十m先の視界を奪う程度には激しい吹雪が吹き荒れていた。

 

「……あなた、本当にとことん命を捨てたいのですねッ!?」

 

「アルカードを釣り上げるにはこれが最善なんだって言ったろ! 付き合ってる時点でお前だって同類だろうが!?」

 

 私はアリアと二人だけで、軍の先頭を駆けていた。

 味方と距離を離し、最高戦力たる私たちが単独で行動する。アルカードにしてみれば、自分をおびき出したい意図が見え見えだが、我々が睨みをきかせている以上無視して後方の軍を叩くこともできない。かといって雑兵を数だけ集めても、なぎ倒されるだけのことだった。

 

『必ずあたしたちの挑戦に乗ってくるはずだ。あいつは、自分の力に自信を持ってるし、強い相手を自ら叩きのめすのが好きなヤツだ』

 

 つまり、全軍を私とアリアの決戦のお膳立てのためだけに動かす。

 まさに乾坤一擲、策とも呼べないような策だが、アルカードを殺すという一点ではこれ以上の方法はなかった。

 

「――! いるぜ!」

 

「はっ!? どこにです!?」

 

「雪で見えないが、間違いない! ヤツの気配を肌で感じるんだ! 構えろアンリエッタ、アイツから来るなら一瞬だ!」

 

 アリアが下馬し、替えのハンマーを両手で握った。

 私もまた、気休め程度の手慣らしをしておいた炎剣(グラディウス)の刃を展開する。地面や空中の雪は解けないが、刀身に触れた雪の粒が音を立てて蒸発した。

 

「来るぞ――ッ!!」

 

 脊髄反射で、炎剣を喉の前に横たえた。

 まさにその時、正面から突っ込んでくる影。目にも止まらぬ速さで吹雪を突破し、黒い光がひらめいた。受け止めてから、それが黒色をした金属の刃であることがわかる。炎剣の切り結んだ一点から黄白色の光が漏れ、黒い刃の表面をうごめく、禍々しい赤のオーラが照らされた。

 

「『サンダーフォース』ッ!」

 

 アリアの左目の中に、蒼い稲妻が発生した。

 彼女のハンマーに同じ色の電撃が伝う。地面をすくうように、アリアはそれを振り上げた。電気のエネルギーが、大きさの不揃いな牙の形に固まって、アリアの動きに呼応して地面から飛び出す。

 

「!」

 

 私に突然斬りかかった黒い影が、青い牙の攻撃の余波で吹き飛んだ。

 だが空中で身体をスピンさせ、足を下にして着地する。

 

「それが、お前のANIMAか。アリア=ディオルド」

 

「……そうだ。だけど、今の攻撃はあたしのじゃねぇ。これは、インディゴ兄の怒りだ」

 

「お前のは、爪ではなく牙だがな。私の肉体を傷つけたというだけでも、お前は兄弟子に勝っているぞ」

 

 現れた銀髪の若い男は、まとう存在感だけで、自らがアルカード・ジ・ヴァンピールであることを私に理解させた。

 アリアの話の通り、右腕はないが、頭は再生している。残された左腕は二の腕から下の袖が破れ、白すぎる肌に小さな傷がついていた。母が破壊したという右目には、眼帯代わりに黒い包帯を巻きつけている。

 

「この短時間でよくぞ成長したものだ、ミグルドの娘よ。タウンゼントの幼い娘も、ついに炎剣を手にしたか」

 

「あぁ。お前の言う通り立ち直って、さらに強くなってやったぜ。これからあたしたちが、魔物にはない人間の強さってもんをお前に教えてやるよ」

 

「教えてやる、か。あいにくぼくはそれを、もう十分に知っているよ。二百年生きたせいで知識もそれなりに増えたが、人間は絶えずぼくを驚かせてくれるからな。――そして、誰よりも人間の強さを知る者として忠告する。お前たちはやはり、まだ未熟だ。ANIMAを発現し、新たな武器を身に着けようと、私にはまだ及ばない」

 

「やってみなきゃあわからねえさ! あたし自身、サンダーフォースの限界は見えてないからな!」

 

 特に高圧的な態度でもないのに、凄まじい威圧感に膝をつきそうになる。

 まるで、アルカードの身体から熱風が吹き付けてくるようだった。

 

「行くぜ、アンリエッタ!!」

 

「ええ……!」

 

 あれだけ憎らしかった声が、頼もしい。

 炎剣を握る腕が上がった。彼女と共にあれば、この闇を斬り払えるという奇妙な確信を感じる。

 

「やはり貴様を始末せねば、勝利とはならぬらしいな。我が魔軍の脅威、ここで余さず除く!」

 

 隻腕隻眼の吸血鬼は、吹雪の中で赤い瞳を光らせた。

 



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アリアの『サンダーフォース』 その4

 昔の私は勉強が苦手だった。
 嫌いだったのではない。むしろ好きな方だったし、同年代の他の子たちより覚えもよかったはずである。それでも苦手という印象があるのは、ただの一度も勉強で姉に勝てたことがなかったからだ。

 幼くして亡くなった一歳年上の姉――ハリエット=フォン=タウンゼントに。

『でも、私はアンリエッタみたいに力が強くないから、体力がある人がうらやましいなぁ』

 姉は家庭教師が驚くほど利発な人で、特に魔導科学の才能が抜きんでていた。
 学者として成長すれば帝都の兵器開発部門で一線に立てる人材になれただろうし、戦場に出ても、母のように広域魔法を自由自在に操って、魔軍を震撼させる魔導士になれたはずだ。

『剣は二十回も振れないし、走るのもあんまり得意じゃない。もし魔物が襲ってきたら、アンリエッタにおんぶして運んでもらわなくちゃいけないよ』
 
 母の次に眩しい存在であった姉は、弱音をもらした私にそう言った。
 嫌味ではなかった。本心からそう言っているのがわかった。そして、凡人を理解できない天才の言葉でもないことが、次の瞬間にわかる。

『お母さんは力も強いし頭もいい。でも私もアンリエッタも、自分ひとりだけじゃお母さんみたいにはなれない。だから私たちは二人いるんだよ。アンリエッタ。勉強ができる私と、力が強いアンリエッタ。私たちが二人で協力すれば、なんでもできる。いつかきっと、お母さんだって追い越せるよ』

 病弱で、いつも穏やかだった姉の目が、この時だけはキラキラと光り輝いていた。
 橋の上から、小さな川を二人で見下ろしていた。あの水の音、あの風、匂いがしてくるような鮮明な記憶だ。

『ねぇ、いつか大人になったら一緒に戦おうね。私は、多分グラディウスを使えないけど……アンリエッタならきっとできるよ。私たちは、二人でタウンゼント家の跡継ぎになるんだ』

 姉と自分を比較して悩んでいた私にとって、その言葉は救いだった。
 私は自分にできることをやればいい。私にも姉にもある欠点を、二人で補いあえばいい。そうして二人で母をも超える戦士になり、宿敵ヴァンピールを討って跡取りに認めてもらうんだ。

 それが自分の未来だと私は信じた。ほどなく姉は他界し、その道は途絶えた。
 ひとりで戦わなければならなくなった私は、前より長所を伸ばしつつ、短所とのギャップを小さくすることができるようになった。新兵にして最前線の戦場に配され、異例の若さで昇進した。だが独りではアリアを超えることはできず、母に認めてもらえることもなかった。

 今にして思う。なぜ私は孤高であることにこだわったのだろうか?
 誰かと補い合う。互いを高める。それが私の出発点だったのに。

 そうだ。私が最強になれる立ち位置とは、最も信頼できる仲間(あね)の隣だったのだ。
 図らずも、私はかつて思い描いたあの場所へ向かおうとしている。私は隊長で、補い合える相棒がいて、打ち倒すべき(ヴァンピール)がいる戦場へ。かつてのライバルは最大の味方となって、あの日見た夢の続きへ私を導こうとしていた。

 見守っていてください、お姉様。
 私とあなたが見た夢には、敗北の二文字はないのですから。


 作戦開始までの少ない時間を使い、使い物にならなくなった武具の残骸をかき集めて、炎剣の試し切りを行った。

 鉄であろうと青銅であろうと、光の刃は豆腐のように溶断する。断面から音と火花が散るが、鉄を斬っても手ごたえは一切なかった。物体の方から刃をよけていくような感覚だ。

 

 しかし、それほどに強力な剣も、当たらなければ意味はなかった。

 

「やはり、にわか仕込みか。お前たち二人とも、扱いに慣れていないのが顔に出ている」

 

 炎剣は、私が普段使う剣よりいくぶん短い。

 間合いのとりにくさに加え、軽すぎる重量が失調感を与えてきた。通常の感覚で扱うと、つい振りすぎてしまうのだ。

 

「お前の沙羅曼蛇(サラマンダー)は防御用にとっておいてくれよ! 攻撃はあたしの担当だ!」

 

「承知しております!」

 

 アルカードが20m後ろへ跳ぶ。魔鞭(ダアト)が最大の遠心力をまとえる距離だった。

 アリアの『サンダーフォース』は、四本のたくましい足を地面に踏ん張る。古代文明の像のような翡翠の仮面に覆われた口が開き、雷をまとった光の球体を顔の前に生み出した。鋭い牙でそれをかみつぶし、前方に拡散する電気の衝撃波を撃つ。

 

「!」

 

 間髪入れずに、黒いマントが再び跳躍した。

 衝撃波は横に広く縦に狭い。力技で危険高度を振り切り、ジャンプの最高点に達する直前に、アルカードがダアトを振り抜いた。

 

(――速い!!)

 

 振りの途上で、ダアトが剣の状態から鞭の長さへと伸びていく。

 切っ先がまっすぐこちらへ向いているので、小さな点にしか見えない上に距離感も掴みにくい。

 

 なんとしてでも見切る。

 見切れなければ、アリアがANIMAごと両断される。

 

「今!」

 

 飛び上がり、目の前を横切りかけたダアトの刀身を、炎剣で上に切り払った。

 アルカードは、武器に自分の血の力を流し込むことができる。ダアトが物理攻撃で実体の無いANIMAを斬り、万物を粒子に還す炎剣を受け止め、敵の肉体に治らない傷をつけられるのはそのためだった。

 アルカードの片手の振りは、私の両腕の全力で、やっと上にそれる威力だ。こいつと鍔迫り合いなど、考えたくもなかった。

 

「――気を抜いたな」

 

 顔を上げると、アルカードの顔が睫毛の見える距離にあった。

 背骨が冷や汗を流す。ダアトの刃を収納しながら接近してきたのだ。攻撃を防ぐ両手は、頭上まで上がりきってしまっている。

 

「はぁッ!」

 

 柄から左手を離したアルカードが、そのまま拳を私の腹に見舞った。

 みしりという衝撃に遅れて、視界が赤く染まる。眼の血管が破れたのか。

 

「ぐ……うッ」

 

「アンリエッタ!」

 

 崩れ落ちながら、アルカードの拳が、焼けただれているのを見る。

 とっさに沙羅曼蛇(サラマンダー)の力で、腹の筋肉を硬質・高温化させた。最大の防御を行ったが、それでもダメージが内臓に達している。直撃していれば、胴に風穴が空いていた。

 

「私に構うな!」

 

 乱暴な口調を制御する暇もなく、叫ぶ。

 自分にも、アリアにも、互いを心配する暇などない。攻撃だけを考えていかねば、戦いにすらならないのだから。

 

「相変わらず、甘い」

 

 ハンマーを厚い装甲として、防御姿勢をとるアリア。

 だが飛んできたダアトの刃先が微妙にうねり、手にかすり傷を受けてしまった。

 

「ああっ……!?」

 

『俺が、ただしゃべれるだけの武器だと思ったか? こいつにとっては小技に過ぎないが、こうやって刃の軌道を微妙に変えることぐらいはできる』

 

「ダアトの刃を、(じか)に喰らったか。お前が生き延びる可能性は、もはや消えた!」

 

 アルカードが、さらにダアトを振るう。

 刃は、これまでにないほど歪な軌道を描いた。速度はそれほどでもないが、二度、三度と折れ曲がり、アリアの防御を攪乱する。遅い稲妻を表したようなその軌道は、彼女を挑発するようだった。兜のないアリアの頬に、赤い線がひとつ走る。

 

「あとはタウンゼントの娘に浅くでも傷をつけて、つかずはなれず見張ってさえいれば、それだけでぼくの勝ちだが……お前たちの命をかけた挑戦に、そのような無粋で返すわけにはいかないだろうな。最後まで、血と汗を流すがいい。それがお前たちの権利であり、戦士の義務だ」

 

「……」

 

「――ん?」

 

 アリアの目から、意志の光が消えない。

 傷ついた身体が、帯電する。いくつもの蒼い電光が全身を撫で、手と顔の傷口を焼いた。

 

「自分でも驚きだよ……能力を身に着けたのが、お前の攻撃を見た後だからかなぁ」

  

「……そんな。ダアトの傷口を、焼いて止血したのか?」

 

 アルカードの驚愕は、演技ではないように見えた。

 ダアトの傷を焼いた患者は、私も見ている。彼の場合、黒く焦がした肌が一秒もせずに開いて血を流していたが、アリアは何秒たっても患部が開く様子がなかった。

 

「雷は、神の聖なる怒りだぜ。悪い吸血鬼の呪いを、吹き飛ばしてくれるんだ」

 

「……面白い。まさに、ぼくを殺すための能力というわけだ。ANIMAは魂の産物とはいえ、発現するか否かは単純にエネルギーの多寡にすぎん。よほど目的意識が強くなければ、望み通りの能力など得られないのだが……素晴らしいな。お前は意志力において、かつてのリュミエールに並ぶのかもしれぬ」

 

 自分の重要な攻め手を破られても、アルカードは動揺しない。

 赤い左目を、興味の光で爛々とさせていた。姿勢を緊張させてダアトを構えなおす。陽性の緊張だ。武者震いこそすれ、委縮を一切していなかった。

 

「タウンゼントの娘も、一秒ごとに炎剣の扱いが様になってきているな……気は進まないが、あの手を使わざるをえないらしい」

 

 アルカードの腿が、まるでそこに肺があるように膨らむ。

 反動で地を破壊し、これまでとは比較にならない高さまで跳躍した。大きな月を背にしたアルカードが、ゆっくりと手を持ち上げる。

 

「何をする気だ……!?」

 

「迎撃用意を! 私が守ります!」

 

 緊迫が神経に充満する。

 だが、次の瞬間、私たちは予想外の光景を見た。

 

「「!?」」

 

 左手の手刀はアルカード自身の首を切断し、銀色の頭が月光の中に投げ込まれた。

 呆然とするアリアは、さらに目を見開く。アルカードの頭部の髪色が、銀から青に変わり始めたのだ。首の断面からは脊椎が生えて神経系を形成し、さらに胴体からも背骨が伸びる。二つに分かれた身体の部位が足りない部位を補い、見る見るうちに二つの完全な人体の形を成していった。

 

「――イン、ディゴ、兄!?」

 

 アリアが、聞き覚えのある名前を口にした。

 それを聞きつけたように、頭部が変化した人体がこちらを向く。アルカードと同じ赤い目をしているが、その顔と体格に見間違う余地はなかった。

 

 アリアの兄弟子であったインディゴ=ポーフィリーが甦ったのだ。

 魔物としての魂を与えられて。

 

「……アリアよ……お前は、この男の怒りを以て私を討つと言った。ならばお前はこの敵に対して、どう処するのかな?」

 

 地表に降り立ったアルカードの声もまた、先ほどまでのそれとは異なっていた。

 二十代後半の長髪の青年のように見えたアルカードは、今は短髪で声変わりをしていない、十代前半の少年のようになっている。禍々しい赤い目と黒い眼帯、鋭い目つき、白い肌などの特徴は共通していた。

 

 あるいは、もともと回復もままならないほど乏しい体力を分けたことで、アルカードは弱体化しているのかもしれない。

 しかしこれで二対一の優位が消えた。アリアが、兄弟子の姿をした存在に対して、満足に力を振るえるとも思えない……。

 

「これだけやっても……まだ、人の命をバカにしたいのかよ――ッ!!」

 

「……違うな。私も彼も、軍人の命は等価に無価値なのだ。お前も、そして私も例外ではない。ここにいる者は皆、自ら人権を捨てる道を選んでいるはずだからだ。軍人になった時点でな。戦争で手段を選ぶことなど許されない。それは要するに、民の命で自己満足を買うことに他ならないからだ」

 

 『サンダーフォース』が唸りを上げ、アリアの身体を蒼い電光で覆う。

 噴き出す怒気に呼応するように、アリアは恐るべき加速で幼いアルカードに殴り掛かった。まさしく稲妻を彷彿とさせるその勢いを止めた時、アルカードの体幹がごくわずかに揺らぐ。

 

(やはり、弱体化している!? いや――!)

 

 潜在能力を引き出したアリアが、アルカードの予想を上回ったのだ。

 一筋の光明が見えた時、凄まじい圧力が意識の外から襲ってきた。

 

「くぅ……ッ!?」

 

 インディゴ=ポーフィリー。

 生前に使っていた大きなハルバードを、うごめく肉と血管で造られたいびつな大斧に置き換えている。アリアを妨害しようとした彼を炎剣で防いだが、この恐ろしい力は生前のままとは思われない。炎剣と切り結んでいるこの肉の斧にも、ダアトと同じくヴァンピールの血の力が付与されているようだった。

 

「オオォオオォォォォオオオォ!!」

 

「――!」

 

 力づくで、炎剣を上に弾いてきた。

 インディゴが渾身の力で下段に構えるのを見て、すかさず身を左にかわす。放たれた一撃は風圧で雪と湿った泥を舞い上げ、大きな溝を地に掘った。

 

「躊躇する必要はありません! 姿はあなたの兄弟子でも――力は魔物のそれにほかならない!」

 

「わかってる……!!」

 

 際どい攻防のさなか、そう答えるアリアの声には、やはり何かをかみ殺すような気配がある。

 どのみち、今からあの中に入る事は難しい。ならば、いっそのこと……!

 

「来いッ! インディゴ=ポーフィリー!」

 

 魔物と化したインディゴの叫び声には、知性を感じなかった。

 傀儡とされ、単純な思考しかできなくなっているように思える。使い魔は主から引き離せば弱まると決まっていた。私が彼を遠くまでひきつければ、彼の標的を私に絞れるだけでなく、弱体化を図れるかもしれない。

 

「アンリエッタ!?」

 

「悔しいことに、あなたは私よりも強い……ですが私はこの敵に対してなら、あなたよりためらいなく刃を振り下ろせます! すぐに彼を、あるべき場所に還して合流します――それまで、どうか辛抱を!」

 

「クソ……今日これ言うの、何度目か分かんねぇけど……死ぬなよ! ――インディゴ兄を、人殺しにしないでやってくれ……!!」

 

 アリアはそう言い残し、アルカードと競り合いながら遠ざかっていった。

 ふりしきる雪が、檻となって空間を閉ざす。私とインディゴ=ポーフィリーだけの戦いが始まろうとしていた。

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

「アリアの戦いを支援する!?」

 

「そうよ。あの子はアンリエッタと一緒なら、ヴァンピールを相手にしてもあと一歩のところまでは行けるわ。……でも、とどめを刺すことはできない。自分でもなぜか分からないけど……そんな気がするのよ」

 

 小高い丘の上で、仲間たちがフル回転で前線を支援している。

 私はひとり、震える手で弾薬を荷物に詰めて、持ち場を抜けようとしていた。そこを敵前逃亡の準備と勘違いされて、呼び止められたところである。

 

「今からだと間に合わないかもしれないけど……私、ヴァンピールが見える位置まで走るわ。ほんの少しでもあいつの注意を引くことができたら、アリアが最後の一押しをやってくれる!」

 

「……やれやれね。手の付けられないじゃじゃ馬娘は、アリアとアンリエッタだけで十分だと思ったのだけど」

 

「――隊長!?」

 

 たどたどしく荷物をまとめていた手が止まる。

 ユニカさんが呆れた顔で立っていた。興奮して声を高くしすぎたせいで、一番見つかりたくない人に見つかった。

 

「……お願いです、止めないでください!」

 

「止めないわよ。どうせ、止めたって行くに決まってるから」

 

「……お、お見通しでしたか」

 

「いいわ。()()()()()()()()()。こんな時にあなたとおしゃべりするために、わざわざ仕事を中断するわけないでしょ?」

 

 衝撃的な申し出もそこそこに、ユニカさんは私の前に大きなかばんを置く。

 どさりという重い音。かばんの表面は骨ばったようにごつごつと出っ張っていて、なにかの機械が入っているらしい。

 

「これは……?」

 

「知り合いに頼んで作ってもらった、秘密兵器の試作品。完成する前に戦いが始まっちゃったから、ムリを言って持ってきたの」

 

「え!? そんな物があるんですか? だったらどうしてもっと早くに……」

 

「使い勝手が悪すぎるのよ。おまけに製作者曰く、まだ未完成だから何回も撃ったら壊れるらしいの。……持ってきた時は、無用の長物にするつもりだったんだけどね」

 

 実にこの人らしいぼやきを口にしながら、ユニカさんは指示を飛ばす。

 「ひたすら見える敵を撃て。頭か銃のどちらかが焼け付くまで撃て。撃てば当たる」。

 

「だ、大丈夫なんですか?」

 

「この物量じゃ、どうせろくな作戦はとれない。私がいようがいまいが、たいして変わらないわよ。だったら、私たちの原点に帰るまでのことだわ」

 

「原点……?」

 

「『嫌がらせ』よ」

 

 仲間たちに背を向けて走りだす。

 猛火の戦場を遠回りし、私とユニカさんは吹雪の中を急いだ。アリアたちのいる場所へ。

 

 

 

 § § §

 

 

 

「ハァァァアアアアアァァァァッ!!」

 

 気合いを入れれば入れるほど、身体が強く光を帯びる。

 気合いを放てば放つほど、絶え間なく電撃を撃ち出すことができる。

 

「これもはじけるか、アルカード!?」

 

 もともと雷魔法は得意だったが、『サンダーフォース』の出力は段違いだった。

 戦いが始まってからほとんど全開にしっぱなしだが、魔力の消費は感じない。無尽蔵なのではないかと思えるほどだ。

 

「く――ッ!!」

 

「なにっ……!?」

 

 それでも、純粋な実力差だけはどうにもしようがない。

 数十の雷を偏差をかけてアルカードに放ったが、奴はすべてを片腕で切り払う。軌道をそらしきれなかったいくつかの雷が肉体に突き刺さるが、器用な身のこなしで急所に当たらない。

 

「しッ!」

 

 距離を詰めて斬りかかってきた。

 電気をハンマーに流し込んで威力と速度を上げ、それを受け止めた。一秒に五回の連撃。接近したアルカードの顔に汗の粒が浮かんで、激しい動きと共に散っていく。

 

 戦ってみるとわかるが、アルカードは単純に剣の技量が高いのだ。

 焦らず正確に防御し、隙をついて一手ずつ詰めてくる。ひたすら力押しばかりの魔物とは全く勝手が違う。こいつにとどめを刺すため、左腰に二本の銀のナイフをぶらさげているが、それに手をかける暇すら与えてはくれなかった。

 

「オオオオッ――!」

 

 雷のエネルギーを集め、爆裂させる。

 子供になって軽くなったアルカードの身体を吹き飛ばした。すかさず黒い翼を広げて空中に留まろうとする奴に向け、あたしは両手を突き出してかざす。

 

「そこだ!」

 

 あたしが狙うのは、アルカードではなく、その周りの空間全体だ。

 サンダーフォースが姿を現すと同時に、立ち姿になりかけたアルカードが浮力を失って墜落する。勢いよく背中から落ちて地面をヒビ割った。

 

「なんだ……これは……!? 電磁力で、重力場を形成している……!?」

 

 通常の何倍もの重力が、アルカードの身体にのしかかっていた。

 起き上がろうとしたアルカードが再度姿勢を崩す。ゆっくりと膝立ちになり、足を踏ん張って、カメのように歩き出す。

 

 ――通用する。これなら、アルカードの動きを封じることができる。

 全力で押さえつけているせいであたしも動けないが、アンリエッタが駆けつけてくれるまでこのまま維持すれば……

 

「う……!?」

 

 貧血のように意識が遠のき、頭がぐらつく。

 しまった、集中し過ぎた。奴が来るのが薄目で見える。

 

 ――防がなきゃいけないのに……腕が上がらない……!!

 

「!」

 

 こちらに向かって飛んできたアルカードの眼が、ぎょろりと右に動く。

 咄嗟に手首をひるがえし、ダアトをその方向へ構える。吹雪の中から赤紫の光が飛び出て、カクカクとした軌道を描いて刀身に突っ込んだ。

 

「この軌道……まさか!?」

 

 その時ばかりは、あたしはアルカードと同じ驚きを禁じ得なかった。

 だがアルカードが気をとられたのは一瞬、構わずあたしにとどめを刺そうとふりかぶる。

 

『いや……まだ来るぞ』

 

「何……!?」

 

 ダアトが低くつぶやくと、また赤紫色の光が空中を跳ねまわってくる。

 今度は、三つ同時だ。そして光そのものも二回り大きかった。

 

『リロードが早すぎる……二人以上の狙撃手が交互に撃っているようだ』

 

「くそっ……! だが魔力の軌跡から位置を特定した! インディゴ=ポーフィリーと合流して始末するぞ!」

 

 アルカードはギリギリで間に合ったハンマーのガードに、ダアトを思い切り叩きつけた。

 その反発で高く跳び、そのまま翼を広げて飛行に移る。あのまま狙撃手を――いや、ミストとユニカさんを始末しにいくつもりだろう。

 

 そう思った時、あたしの心には力がみなぎった。

 

「そうはいかないよな、サンダーフォース!」

 

 あたしの身体を走る電撃が、ひときわ激しく光った。

 大きく踏ん張って下半身に力をため、空へジャンプする。上への力を失って落ちはじめるぐらいの時に、あたしはハンマーでふさがっていない左手を動かして磁力を制御し、重力を打ち消して自分の身体を浮遊させた。

 

「どこへ行くんだ、アルカード? お前の相手はあたしだろうが!」

 

「……お前は、本当に何なのだ……!?」

 

 磁力を爆発させ、あたしは一直線にアルカードへ飛んでいってハンマーの間合いに入った。

 あたしの能力(サンダーフォース)の新たな使い方だ。そのまま磁力を微調整し、ハンマーを加速させてアルカードの腹に叩き込む。吸血鬼は血を噴いて吹き飛び、放物線を描いた後で、あたしを睨むように空中に踏みとどまった。

 

「ははっ! こんな時になんだがよ……自由に空が飛べるってのはいいもんだな! お前にできることは、全部できる気がしてきたぜ!」

 

「ならば次は、血を吸ってみるか?」

 

 口の端からこぼれた自分の血を、吸血鬼は赤い舌でこれみよがしに舐める。

 

「それだけは死んでも嫌だね!」

 

 牙を白く光らせて、アルカードは小さく笑った。

 自分自身を稲妻に変えて、懐に飛び込んで殴り掛かる。そしてまた、いつ終わるともしれない武器と武器の競り合いの音が響き渡りはじめた。

 

 

 

 § § §

 

 

 

「さっきから何やってんのよ、もっと距離とって戦いなさいよ……!?」

 

 ユニカさんが持ってきた兵器は、銃というよりも砲台のように大がかりだった。

 巨大な金属の筒を腕に取り付け、それを銃架に乗せて支える。通常のライフル弾より二回りほど大きい特殊弾丸を、八つまで同時に発射する機構が搭載されている。重量のために銃身を動かす事は出来ず、弾道操作技術がなければまともに狙う事すら不可能だった。ユニカさんでなければ、到底扱えない代物だ。

 

「ミスト! そっちは大丈夫!?」

 

「はい! 今のところは特に何も……!」

 

 私は周囲をくまなく見渡して、敵の接近に警戒していた。

 砲台を腕に取り付けているユニカさんはほとんど動けない。片目に直接スコープを取り付けて、遠くにいるアリアを追っているので、視界すらおぼつかない状態だ。無防備のユニカさんを守り、援護の邪魔をさせないことが、今の私の役目だった。

 

「――お二人とも逃げてください! 狙われています!」

 

「! アンリエッタ!?」

 

 吹雪で姿はまだ見えないが、アンリエッタの声がそう叫んだ。

 私は迷わずその方向へ銃を構える。逃げようにも逃げられない。迎撃するしか道はない。

 

「すまねぇな……ミスト!」

 

 体中に焼き切られた傷をつけた姿で飛びこんできたのは、死んだはずのインディゴさん。

 だが狙撃手の視力は、その目の中にある赤い光をすぐに見つけた。既に、魔物になっている。

 

 ――まずい! 早すぎる!

 

「しま……っ!?」

 

 撃った銃弾は正確に彼の眉間を抜く。

 が、一歩遅かった。いや、効かなかったのかもしれない。身体はそのままユニカさんの方へ向かい、斧の形をした肉の塊が振り下ろされる。鈍い音とともに砲台がへしゃげ、衝撃でユニカさんも吹き飛ばされた。

 

「貴様ァッ!!」

 

 追いついたアンリエッタが、間髪入れずに光の剣を振り上げる。

 起き上がろうとしたインディゴさんの首を両断し、彼の身体は白い粉になって吹雪に混じった。だが、首から上だけはまだ現世にとどまっている。

 

「まだ死なないか……魔物! よくも、ユニカ隊長を……!」

 

「いや……生きているわ。私は、ね」

 

「えっ……!?」

 

 頭から肩にかけて負った傷から血を流しながら、ユニカさんは砲台によりかかって立った。

 大きく損傷し、ところどころから火花が散っている砲台に。

 

「やれやれ。最悪の事態だけは防げたか」

 

「……まさか、ずっと意識があったのですか?」

 

「ああ。アルカードの命令の範囲内だが、なんとか力を抑えようとがんばってみた。殺されてやったりはできなかったが、最後の最後でなんとか的を外せたよ」

 

「ギリギリ外れてないけどね」

 

 顔に垂れた血を手で拭いながら、ユニカさんは恨み節を言った。

 その間にも、インディゴさんは頭の上からソルトに変わっていく。今はもう、口しか残っていない。

 

「で、次はどうする気? その感じじゃ、また仲間になってくれたりはできなさそうだけど」

 

「ああ、残念だがもう時間だ。……人殺しにはならずに済んだと、アリアに伝えておいてくれ。それと、負けるなよ」

 

「はい。ユニカ隊長に思い切り迷惑をかけたとも伝えておきます」

 

 聞こえたかどうか分からない。

 アンリエッタが言い終わるより早く、インディゴさんの頭は跡形もなく消え去った。笑ったような気配がしたのは、気のせいではないと思いたい。

 

「「……」」

 

「……しっかし、やばいわね。この出血じゃ、満足に魔力制御もできたもんじゃないわよ。さすがに死にゃしないけど」

 

 しんみりしている場合ではない。

 あえて軽い口調で、ユニカさんは黙り込みかけた私とアンリエッタの意識を戻した。

 

「秘密兵器とやらも、壊れちゃいましたしね……」

 

「いや、こっちはそうでもなさそうよ」

 

 よりかかりながらだと、中の構造が見える。

 ユニカさんはへしゃげた砲台をねめまわして、さらりとこう言った。

 

 

 

「もう壊れかけだけど、()()()が作っただけのことはあるわ。――もう一回ぐらいなら撃てそうよ」

 

 

 

 一筋の希望が見える発言だった。

 アンリエッタは少し腕を組んでから、ユニカさんと私をまっすぐ見据える。

 

「今から私はアリア=ディオルドと合流します。お二人には、ここで待機をお願いします。……この吹雪の中でも奴を狙える瞬間を、私が作り出してごらんにいれますゆえ」

 

「わかったわ。私もこのケガで撃てるかわからないけど、あんただけに無理を通させるわけにいかないものね」

 

 戦いは、最終局面に突入しようとしていた。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 もう何も見えない。

 目の前にいるこの男の動き以外は。

 

 こいつ(アルカード)を、倒す事以外は。

 

「――ッ!!!!」

 

 夢中で迫り合っていた。数十、数百回と武器を打ち合わせてきた。

 これで何度目か分からない攻撃を、突然受け流される。今までなかった動きに、私の心臓は飛び跳ねた。

 

「うおおおおおッ!!?」

 

 雷の力を解放し、ハンマーを無理やり引き戻す。

 もう完全な防御は無理だ。それでも、急所だけは守らなければならない。

 

「甘い」

 

 しかし、ダアトが狙っていたのはあたし自身ではない。

 空を切り、放たれた刃は向かっていく。あたしの腰につけられた、あるものへ。

 

「ッ! しまった……!!」

 

 銀のナイフが入ったホルスターを、切り取られる。

 避けたが、もともと腰の肉ごとえぐるつもりだったらしい太刀筋は、目標をとらえた。吸血鬼を倒せる唯一の武器は雪の中に落ち、苛烈な接近戦にそれを拾う隙は無い。

 

「今度こそ終わりだ、アリア=ディオルド。よくここまで持ちこたえた!」

 

「!」

 

 理屈で考えれば、そうだ。アンリエッタがいつ来るか分からない今、もはやあたしに勝ちの目は消えたと言って過言ではなかった。

 それでも、腕は勝手に上がる。くたびれきったはずの心は、それでも死を拒んでいた。

 

「――まだだ。まだ……まだ終わりじゃない……ッ!!」

 

 あたしの身体を突き動かすのは、義務感でも意地でも、諦めでもない。

 胸の中で熱くたぎる、ただひとつの思いだけだ。

 

 ――あたしは、こいつに、負けたくない。

 ――たとえ、この身体を消し炭にしてでも。

 

「サンダーフォース――『戦雷卿(ブロークン・サンダー)』ッ!!」

 

 頭の中に浮かんだその名前を叫んだ時、あたしの身体は前へ動いていた。

 さっきまで立っていた場所に、小さな雷の光だけを残す。あたしは透明なチューブの中を飛ぶように、ものすごいスピードでアルカードを後ろへと押し込んでいた。こいつが翼で飛んでいるのではない。あたしの磁力が、アルカードをぶっ飛ばしていたのだ。

 

「ガアアアアアアァァアアアアアァァァァァァァアアアアアアアァァァアアアアアァァァァァァァアアアアアアァァァアアアアアァァァァアアアアアアアアアアアアアアアァァァァアアアアアアアアアアァァァァァァアアアアアアアアッッッ!!!!!!!!」

 

 喉が、勝手に咆哮していた。

 左側の視界を、蒼い光が埋め尽くす。だがアルカードの存在は、いつにもましてクリアに感じられた。

 

「はぁ――ッ!!」

 

 アルカードが磁力によるとんでもない圧力も意に介さず、全力の連撃を放ってくる。

 しかし、あたしのハンマーはその動きに負けない。全てを弾き、さらにアルカードの胸に電気をまとった一撃を加えた。

 

「ぐは……ッ!? 馬鹿な……人の身でこのような速度、物理的に――なっ!?」

 

 なぜか目を見開くが、構わず追って電撃を繰り出す。

 ダアトで軌道を偏向させ、圧力を防いだ。視線の先は、あたしの目ではなくあたしの顔だ。

 

「やはり、体表が焦げて……こいつ、自分自身の神経系に直接電圧をかけている! ――何をしているのかわかっているのか!? こんなことをすれば、たとえ生き残ったとしても……まともな生活を送れなくなるぞ!!」

 

「え……?」

 

 無我夢中でやったから分からないが、どうやらあたしはよっぽど危険な事をしているらしい。

 直前まであたしを殺そうとしていた奴にそんなことを言われるのも妙だが――だとしても。

 

「関係ない、ね!」

 

「そうか……それほどまでに、義父と兄の無念を晴らしたいのか! ならば……!」

 

「うるっせぇ!!!!!!」

 

 正確さとかをほとんど考えず、勢いだけでぶん殴った。

 もろに脳天に入り、アルカードは地面に叩き落とされる。若干呆然としたように見上げる赤い目に、あたしは知らず指を指して啖呵を切っていた。

 

「おっちゃんもインディゴ兄も今は考えてない! 人間も魔物ももう知らない!

――ここにいるあたしが、お前に勝ちたいって言ってんだ!」

 

 左の視界を覆っていた青色の光が、言い終わった時に消える。

 口をついて出た言葉に、あたしは自分で驚いていた。「家族のことも、戦争のことも、今はどうでもいい。」 あたしは今、そう言ったようだ。アルカードもしばらく沈黙したが、やがてわずかに笑みを浮かべてから、鋭い目に戻って構えた。

 

「来い、アリア=ディオルド!」

 

 あたしは再び全身に闘志をみなぎらせ、蒼い光を左目に戻した。

 ひたすら雷を撃ちまくりながら、勢いを乗せてハンマーを振り下ろす。

 

「オオオオオオオオオオオオオッ!!」

 

「ハァァァァァァァァァァァッ!!」

 

 地面に踏みとどまって勢いを受け止める。そう予測していた。

 しかしアルカードは逆にあたしに合わせて飛び上がり、片腕で斬り上げる。雷の魔力と血の力が反発し、青と赤の光が飛び散った。互いに武器を引き、また同じタイミングで打ち込む。顔の高さで交わった攻撃は、鍔迫り合いの形になった。

 

「ぐぅォォォォォォォォ……ッ!!」

 

「かァァァァァァァアアアァァァァァッ!!」

 

 あたしは、あのアルカードと力を拮抗させていた。

 ダアトと切り結ぶウォーハンマーを押し込むほど、熱い痛みが体中を蝕んでいく。限界以上の力を引き出す『戦雷卿(ブロークン・サンダー)』の副作用だった。魔力が干渉しあって光が破裂するごとに、意識がチカチカと飛びそうになる。

 

 吼え続けろ、アリア。

 吼えることをやめたら、きっとそこで終わってしまう。

 

 

 

「――どけぇ――――ッ!! アリア―――――ッ!!!!!」

 

 

 

「……ッ!?」

 

 考えるより先に磁力の向きを変え、あたしは後ろへ『跳んで』いた。

 遠くから聞こえてきたのはアンリエッタの叫びだ。なりふり構わない声が、危機を知らせていた。軽くなった両手を見ると、ハンマーを手放してしまっている。掌には、稲妻のような黒い火傷がまんべんなく刻まれていた。

 

 

 

「バァァアアァァンッッ、ウィンドォオォォォッ!!!!」

 

 

 

 アルカードの幼い顔が、あたしを見たまま凍り付く。

 必死でアンリエッタの声の方を向き、ダアトを握った片腕で胸をかばった。その瞬間に、あたしの前を白い光の柱が横切って、アルカードを飲み込む。アンリエッタが起こした爆発が連なってできた、破壊のエネルギーの塊だった。

 

 まだだ。これで死ぬようなアルカードではない。

 だが――殺せるとしたら、今しかない。 

 

「う、ぁ、アアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」

 

 ハンマーも拾わずに、無我夢中で光の中に飛び込む。

 光が和らぎ、黒い影がかすかに見えた。爆風に吹き飛ばされ、背中を下にして落下を始めている。

 

「ッ……!!」

 

 残光を突っ切ってアルカードに突っ込んだ。

 懐に入りかけたところで、奴はようやくあたしに気づく。体中が炭化し、赤い目は周りの細胞ごと焼け付いていた。

 

 そして、左手にはダアトがない。

 これなら、五分だ。

 

「オラァァァァァッ!!」

 

 磁力を乗せた拳を、連続で胸に叩き込んだ。

 二発、三発とぶちこむごとに、焦げた肌が電撃でさらに焼けていった。五発目を振りかぶったとき、だらりと下がっていたアルカードの腕が蛇のように伸びる。

 

「うっ……!」

 

 白い指があたしの手首を凄まじい力でねじりあげた。

 拘束されたのは右腕だけだ。だが、ボロボロになったアルカードの気迫に押されて動けない。アルカードは左目だけを再生し、間近であたしを睨んだ。

 

 ボキリと嫌な音がする。

 アルカードが、あたしの手首を握りつぶしたのだ。痛みにもだえたあたしの後頭部に手をまわし、身体ごとふところに引き寄せる。

 

「今度こそ終わりだ……アリア=ディオルド――ッ!!」

 

 鉤爪の手が、あたしの顔めがけて迫ってきていた。 

 

 

 

 § § §

 

 

 

「まずい……もうアンリエッタが決めに入るわ……!!」

 

 よく聞こえないが、遠くでアリアがなにか怒鳴りつけている。

 決着が近い雰囲気に、ユニカさんは焦っていた。

 

「魔力はまだ練れないんですか!?」

 

「やってるけど……! こんなケガじゃ力を集中したそばから流れていくのよ!」

 

 兵器はインディゴさんの攻撃で機構が故障し、弾の小出しができないようになってしまった。

 引き金を引くと、必ず全八発が同時発射されてしまう状態だ。それだけの数の弾丸を一度に操作するとなれば、ユニカさんでも極限の集中を必要とする。

 

 アンリエッタの策は、「バーン・ウィンドでアルカードを不意打ちし、それと同時に吹雪を吹き飛ばして視界をよくし、ユニカさんの援護射撃で畳みかける」というものだ。

 アルカードがバーン・ウィンドで怯むのも、吹雪がなくなるのもほんの一瞬。もたついていれば機を逸し、アンリエッタとアリアの努力も水の泡だ。

 

 ――ここには、ユニカさんのほかにもう一人狙撃手がいる。躊躇しているヒマはない。

 

「ユニカさん、代わってください!」

 

「は……!?」

 

「私が撃ちます。ユニカさんは、私に魔力を渡してください。私がそれを体内で制御し、発射を担当します!」

 

「そんな……! 危険すぎるわよ! 無理に撃ったらアリアに当たりかねないし、あんたの身がもたないでしょう!? 最悪、発狂して死ぬわよ!?」

 

「ここでうだうだやっててもアリアは倒されます! そうしたら私たちもおしまいです! どっちみち死ぬなら、可能性に賭けるべきです!」

 

「でも……!」

 

「でもじゃありません、早く!!」

 

「……ああ、もう! 本当にじゃじゃ馬だらけね、うちの軍は!?」

 

 頭をかきむしって、ユニカさんは腕を兵器から引き抜いた。

 ポケットから出した替えのスコープを私の目に取り付ける。半分だけになった視界に割り込むように、ユニカさんの顔が近づいた。

 

「無理した結果、アリアに当てないこと! いいわね!?」

 

「はい!」

 

「あなたの身体を介して、魔力を兵器に流し込むわ! 入りきらなくなったらすぐ言うのよ!」

 

 右腕を兵器に差し込んだ私のうなじに、ユニカさんの手が当たる。

 熱いものが、首から指先へ、神経の中をどろどろと伝わっていく感触がした。

 

「あ……ッ!」

 

「ミスト!」

 

「平気です……構わないでください! 弾丸の充電が終わったようです……!」

 

「わかったわ。あとは撃つだけよ。しっかり狙いなさい!」

 

 崩れ落ちかけた私に、ユニカさんは肩を貸してくれた。

 恐ろしいほどの疲労が全身にのしかかる。まるで、腕から自分の魂を吸われていくようだった。

 

「アルカードとアリアを見なさい。あの二人だけに集中なさい。今だけは疲れを忘れて」

 

「はい……見えます!」

 

「もう時間がないけど、弾道操作技術の極意を教えるわ。よく聞いて、ミスト」

 

「……はい!」

 

「いい? 重要な一発は、普通に狙撃する感じで狙っちゃいけないわ。弾丸に意識を乗せて、自分ごと狙った場所にぶつかるような感覚でいくのよ。スコープ越しに見える景色が、自分の全てと思いなさい」

 

 漂白されかける思考に、教えが自然と染み渡っていく。

 猛烈な爆音と共に横切った光の柱にも、私は驚かなかった。

 

 やがて現れた小さな黒い影に、私の全てが集約される。

 腕を差し込んだ筒の中、引き金に触れた感触が、体内を音のように響き渡った。

 

「いくわよ、アリア。――絶対、勝ってね」

 

 人類が魔物に負けることはない。

 私が親友(アリア)を殺させることもない。

 

 ヤドリギの力を見せてやれ。

 

 

 

 § § §

 

 

 

「今度こそ終わりだ……アリア=ディオルド――ッ!」

 

 鉤爪の手があたしの顔めがけて伸びる。

 その時、アルカードの左腕の付け根に、八本の赤紫色の光が突き刺さった。

 

 連鎖して起こった小さな爆発が連なり、腕をもぎ取って投げ落とす。

 アルカードのすべての攻撃手段が、これで消えた。

 

 ――「両腕を失った?」

 

 ――「今の攻撃はどこから」

 

 ――「アンリエッタが来る」

 

 ――「もはや勝つことは不可能」

 

 ――「だがアリアも自分を殺せない」

 

 ――「不本意だが撤退するべきだ」

 

 目と鼻の先で変わる表情から、アルカードの考えている事が手に取るように分かる。

 あたしはほとんど無意識に襟に手を入れ、懐をまさぐっていた。

 

『チビガキ……まだ軍人になりたいのかぁ?』

 

『そうか。そんなにワシらの仲間になりたいのか……まぁ、本当になったら三日ももたずに音を上げるんだろうが』

 

『イテテ、悪い悪い。わかったわかった。お前ががんばって体を鍛えてるのは知ってるからよ。まぁ……そうだな。おおっぴらに応援したりはしないが……代わりに、こいつをお守り代わりにやろう』

 

『はは、きれいか? きれいだろ。でも、きれいなだけじゃないぞ。怖い目にあった時は、きっとお前を守ってくれる』

 

『――なんといってもこいつは、()()()()()()()()()()()()()()()からなぁ』

 

 幼いころのおっちゃんとの思い出がよみがえる。

 あたしは、首元から冷たいものを引き出した。すっかりサイズが合わなくなってしまった、十字架のペンダントだ。

 

 そしてその()()()()()は、夜の闇の中でも鮮やかだった。

 

「逃がすかッ!!」

 

 ハンマーを手放したおかげで、ペンダントを握っていても片手が使える。

 あたしは立場を逆転させてアルカードの後頭部に手を回し、拘束した。

 

「うあァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!!」

 

 小さすぎるそのペンダントを、雷をまとった拳の中に握った。

 焼けただれたアルカードの左胸(しんぞう)に、それを無理やり捻り込む。

 

 

 

 ――心臓がペンダントに触れた瞬間、放たれた閃光がなにもかも白く染めた。

 

 

 



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アリアの『サンダーフォース』 その5

 射撃がアルカードに命中したのを見届けると、ミストは糸が切れた人形のように倒れた。
 戦いの結末もこの時は気にならず、私は必死で彼女の脈をとった。顔は青く、薄く目が開いていて、まさしく死ぬ瀬戸際の状態だったのを鮮明に覚えている。

 だが、なんとか生き延びてくれた。
 それを確認すると同時に、ちょうどアリアが戦っていたあたりの、地上から十メートルほど離れた空間が閃光を放った。

 ――見上げると、空には巨大な十字架の形をした、巨大な光があった。
 ほとんど固体に近いほど凝縮されたその光は、直視できないほどまぶしく、超新星爆発を思わせるエネルギー量を宿していた。音も衝撃もない、光だけの爆発は、異様な存在感と妖しい美しさを私たちに投げかけていた。

 あの戦場にいた何名かは、私と同じ印象を抱いたかもしれない。
 あの十字架は、王墓だと。アリアはまさにあの時アルカードを破ったのだと、私は確信している。

 ――それにしてもと思う。
 ミストには、とにかくアリアを誤射しないことだけを優先させた。アルカードには三発も当たれば御の字だと思っていた。にもかかわらず彼女は、みごとに全弾命中させてみせた。私はミストが撃った八発の弾の軌道を自分のスコープで見ていたが、左腕の付け根にピンポイントで的を集中させてすらいた。

 複数の弾を同時に撃った経験など、ミストはおろか私にもない。
 アリアがこの戦いでANIMAを発現させたように、彼女もまた、裡に眠る可能性の一端を垣間見せたのではないだろうか?



 ――エルム出版「ユニカ=ユーラシアの手記」より出典


()った……?」

 

 吹雪の空に出現した、赤く光る巨大な十字架を、私は立ち止まって見上げた。

 あれが恐るべき大量のエネルギーの放出であることが、ここからでもわかる。「ヴァンピール卿が死を迎えるときは、十字架状の爆発が起こる」などとは習っていないが、私の身体からは既に緊張が消えていた。戦いが今終わったのだと、本能が告げている。

 

「あ……!」

 

 十字架の中央から、黒い影が落ちていく。

 アリアだった。私は我に返ってまた走り出し、着地点に駆け込んで『沙羅曼蛇(サラマンダー)』の腕の中にアリアを受け止める。

 

「アリア=ディオルド! ご無事ですか!?」

 

「……」

 

「聞こえていますか!? アリア! アリア!!」

 

 刺青のように黒い稲妻状の火傷が、首の下からアリアの頬までにかけて、痛々しいリヒテンベルク図形を刻んでいる。

 意識はなかった。名前を呼んでもぴくりともしない。だが、生きていた。

 

「お父さま――!!」

 

「!?」

 

 突然、少女の声が聞こえた。

 沙羅曼蛇(サラマンダー)の大きな身体にアリアを守らせ、そちらを向く。銀髪のおかっぱ頭をした幼い少女が、うつ伏せに倒れた両腕のないアルカードを助け起こしていた。戦っている間絶えず感じていた威圧感と存在感がまったく消え失せていたため、そこにアルカードがいたことに気づかなかった。

 

「貴様……何者です!? しかも……今、お父さまと言いましたか!?」

 

「――ッ!!」

 

 さっきまで最強の敵に立ち向かっていたというのに、私はその少女の眼光にたじろいでしまった。

 少女がアルカードと全く同じ目――血のような赤色の目――をしていたからではなく、その目に込められた剥き出しの殺意と憎しみを直視してしまったからだ。限界まで瞳孔の開いた目から大粒の涙をぼろぼろとこぼすと、少女はそれをぬぐいながら言った。

 

「黙れ!! 邪魔するな!!」

 

「……黙れません! その男をどこへ連れていく気ですか!? ヴァンピールは殺しても殺しても甦ると聞きます……生きていようが死んでいようが、持ち帰らせるわけにはまいりません! もし、それでも抵抗するというのなら……!」

 

 言動から察するに、この少女はおそらくアルカードの娘。

 子供がいたとは初耳であり、当然その強さも未知数だが、現れた以上は斬らねばならない。私は炎剣(グラディウス)のダイヤルをひねり、刃を展開して構えた。

 

「……ぁ……ッ!?」

 

 少女は光の刃を見た瞬間、表情を一変させた。

 風船がしぼむように戦意を喪失し、涙を止めてただただ怯えはじめる。アルカードを抱える手つきが、守ると言うよりすがりつく手つきになっていた。死人のように真っ白だがかわいらしい顔が、さらに真っ青になりかけている。

 

(――演技か? いや、そんな事は関係ない)

 

 気の迷いを振り払い、私は一歩進み出た。

 アリアは失神し、彼女ほどではないが私も満身創痍だ。この少女を殺せるかどうかまではわからないが、一合でも打ち合ってみれば今後に役立つ情報が得られるかもしれない。

 

 魔物は敵であり、彼らを殲滅する事がタウンゼントの使命なのだ。

 

「そこにいる彼女なら騙されたかもしれませんが、あいにく私は甘くありません。ご覚悟を」

 

 そう宣言してから、走って斬りかかる。

 少女が唇を引き結んで恐怖に目をつぶる姿を、私は炎剣(グラディウス)を振り下ろす間、目を見開いて見続けた。

 

 

 

「――相変わらずですね、タウンゼント家。貴様らの血族は、代々頭が固くていけない」

 

 

 

 ゆえに私は見る事ができた。少女がなにか緑色をした物体によって引き寄せられ、間合いから消える瞬間を。

 振りの途上、まだ勢いが乗っていない剣を止めることで、私は生じかけた隙を殺しきる。後ろに跳んで距離をとり、敵の正体を確認した。

 

 真の脅威は少女なのか、それともいま彼女を救った何者かなのか?

 戦うべきか、逃げるべきか? アリアを危険にさらすことなく、情報を引き出せるか?

 

「……誰だ……? 貴様は?」

 

「わたくしを呼ぶならば、ランディアとお呼びください。カーミラ様。ここは、私にお任せを」

 

「……わかった。ありがとう」

 

「――! ま、待ちなさい……!」

 

 生死不明のアルカードを胸に抱き、『カーミラ』はそそくさと走り去った。残された『ランディア』が、両手を広げて私を遮り、挑発的な笑みを浮かべながら睨みつけてくる。

 『ランディア』は、二十代前半の妙齢の女性のように見えた。褪せた紅色の髪と目をしているが、唇に塗られたルージュはけばけばしいまでに鮮やかな赤色だ。緑と黒という毒々しい色合いで彩られたローブは、胴体や下半身の体形がなんとなく見える程度のサイズだが、なぜか両袖だけが異様に広くなっていた。

 

「あいにく、()()()彼女を殺させるわけにはいきません。表には出ておりませんが、彼女はアルカード様の実の娘――我が魔軍の姫君なれば」

 

「やはりそうでしたか! ……それで? その姫君とやらに顔も名前も覚えられていないあなたは、何ゆえここに参じたのです。彼女の護衛として来たのではないでしょう?」

 

「それは貴様らが一番知っているはずだろう。タウンゼント家」

 

 突如、口調が変わった。

 慇懃無礼を絵にかいたような態度が一変し、ランディアは貧民街の盗賊のようにぎらついた雰囲気を漂わせていた。

 

「いや……私の記録は、すでに家系図から抹消されているのだったかな? 貴様の世代なら、私を知らないのも無理もないか……」

 

「……家系図?」

 

「私の名はランディア=フォン=タウンゼント。始祖リュミエールの五人目の孫だ。つまり私は、貴様の先祖ということになる」

 

 戦慄が全身を突き抜けた。恐怖というにはあまりに深刻な衝撃が脳を揺さぶる。それは、自らの中に培ってきた世界観の砦が崩壊しかける震盪だった。

 

「そんな馬鹿なことがあるものですか……誇りあるタウンゼント家の者が、魔物に堕ちるなど!?」

 

「残念なことに、これは事実だ。そして世間知らずの娘のために、ひとつ付け加えておこう。私は魔物に堕ちたのではない――薄汚い血のしがらみから解放されるために、自らこの道を選んだのだ!」

 

 大きな袖がこちらを向いた。ランディアの右目が――ANIMA能力を使う時、人は左目、魔物は右目を、それぞれ光らせる――ほの暗い緑色の光をたたえる。袖の中の空洞を満たす濃い闇の中から、ぞわぞわと太い蔓が這い出た。ゆっくりと先端の向きをそろえ、槍のように襲い掛かって来る。

 

「く――! 炎剣(グラディウス)ッ!」

 

 早く、固く、鋭い。それでも蔓は蔓でしかない。光の刃はたやすくそれを切断した。斬られた蔓を袖の中に吸い込んで仕舞うと、ランディアは再び右目に緑の光を戻そうとする。

 

「それが、あなたの力ですか? 植物を操って我が炎剣(グラディウス)に抗おうなど、笑止千万です!」

 

「違うな……その目にやかましい棒きれこそ、私の力の絶好のエサなのだ!」

 

 ランディアが攻撃準備動作に入ったのを隙と見て、私は斬ろうと近づく。緑の光で右の瞳を満たすと、ランディアは袖に隠れた右手をさっと出した。

 

(――杖!?)

 

 その手が握っていたのは、白い木の枝でできた魔法の杖だった。

 少し小さめな点を除けば、見た目は養成学校で生徒が支給されるものと大差ない普通の杖だが、表面からは絶えず緑色の瘴気がにじみ出ている。尋常ならざる品であることは確かだった。

 

「『ライフフォース』よ、食事の時間だ!」

 

「――ううっ……!?」

 

 炎剣(グラディウス)の刃から、白色の光が浮き上がって杖に吸い込まれていく。

 それにつれて、私の魔力、体力がみるみる失せていった。剣を介して、抵抗ができないほど激烈なドレインを喰らっている。

 

「ぁ……ぁ……!?」

 

「ハハハッ! いい顔をするじゃないか! ……うら若い娘が乾涸びていく様は実にいい。魂が潤うようだ。さぁ、振り切ってみせよ。このままミイラになってしまえば、仲間にさえそれが貴様だと気づいてはもらえんぞ?」

 

「く……ぁ、やめろ……やめてくれ……」

 

 後ろで何か重いものが雪に落ちる音が聞こえた。

 沙羅曼蛇(サラマンダー)が形を維持できなくなり、アリアを地面に取り落としたのだ。

 

 ――このままでは意識不明の彼女も同じ目に……! それだけは……!

 

「まだ消えるな、沙羅曼蛇(サラマンダー)ッ……!」

 

「おっと!」

 

 なんとかもう一度ANIMAを出し、自前の手の代わりに能力の像についている手を使って、銀のナイフをランディアに投げつけた。

 ランディアは難なくかわすが、その動作をするために集中を切ったことで術が中断され、拘束が解ける。速やかに炎剣(グラディウス)の刃を消し、アリアのそばに立った。炎剣(グラディウス)さえ展開しなければ、少なくともまた魔力を吸収されることは無い。

 

 ――完全に実力を見誤った。当初の目標であったダスティを倒し、その後現れた最悪のイレギュラー(ヴァンピール)をも滅ぼしても、まだこれほどの強豪が出しゃばってくるのだ。それも、単一の戦場で……。どうやらこの世界は、本当にどうしようもないほどに狂っているらしいが……それを加味しても、自分自身の浅はさは糊塗しようがない。

 体内に残った力で、まだなんとか一撃技を出せる。それでランディアを怯ませ、全力でここを離脱する。せめてアリアだけでも生き残らせねばならない。これからの帝国軍には、彼女が必要不可欠だ。

 

「くぁぁぁぁぁぁっ! 喰らえ、バーン・ウィンドォッ!!」

 

 全身全霊を込めて空間に魔力を撃ち込み、炸裂させる。

 白い爆発が連なり、筒状のバーン・ウィンドとなるのを見届けると、肩ががくりと落ちた。私は自らの手でアリアを横抱きに抱えたが、地面に深々と刻まれた破壊痕の先のランディアは、まだ煙が漂っていて見えない。

 

「……!」

 

 煙が晴れると、そこにランディアの姿はなかった。

 うぞうぞと音を立てて禍々しくうごめく、植物がからまってできた巨大な塊があるだけだ。表面はわずかに焦げているが、中にまで火は通っていなかった。

 

 やがて植物が下りゆく幕のように枯れ落ちると、かくまわれていた人影が現れる。

 

「――肉癢(こそば)ゆい」

 

 緑と黒のローブには、かすり傷すらついていなかった。

 嘲弄するような棒立ちで、ランディアは目をつぶって不敵な笑みを浮かべている。

 

 それを見た私は、一秒の逡巡もなくアリアを地面に下ろしていた。

 

「――来い。ランディア=フォン=タウンゼント」

 

 慣れない手つきで、拳を振り上げた。

 

 勝つ確率は、万が一にもないだろう。

 ANIMAはもはや使えず、炎剣(グラディウス)はエサにされるのみだ。そもそもアルカード戦での消耗があまりに積もりすぎている。しかし、アリアを抱えて背中を見せて逃げても、彼女ごと殺されるだけだ。

 

 一秒でも多く時を稼ぐ。素手でも、応戦しないというわけにはいかないだろう。しばらくアリアに手を出せない状況は、作れるかもしれない。いや、作ってみせる。

 

 アリアが生き残る確率を少しでも上げる。死ぬまではあきらめない。

 ――否。死んでもあきらめない。

 

「……いいや。あいにく、貴様と戯れている暇はもうなさそうだ。――貴様以上の大魚が釣れた」

 

「誰が魚ですか、ランディア」

 

 吹雪は、いつのまにか止んでいた。

 いつのまにか、後ろから歩んできていた人がいる。紅色の髪に、紅色の目。全身のいたるところを包帯で包んだ痛々しい姿ながら、全く損なわれない覇気を放つ女性。

 

「――フリューゲル隊長!?」

 

「頑張りましたね、アンリエッタ。あとは私に任せてください」

 

「そんな……どうして!? 療養なさっていたのでは!?」

 

「先ほど、アルカードが斃されたのを感じましたが……戦場全体を覆っていた彼の気配が晴れたことで、それまで覆い隠されていた他の邪悪な力に気づきました。そしてその力は、我々の波長に非常に似通っていることも……。最悪の時に現れてくれたものですね、ランディア」

 

「……ランディア様と呼ぶがいい、小娘。私が誰か、知らないわけではないだろう?」

 

「ええ。目を曇らせて邪道に走った愚かな魔物、心より忌むべき一族の汚点と存じております」

 

「これは手厳しい。タウンゼント家ではじめて、伝統などという下らぬものから脱する意思を持つことのできた誇り高き存在に対して、ずいぶんな物言いだ」

 

「一文に修飾語が重なりすぎですね。誇りを持つより先に言語を勉強なさい」

 

 なんの変哲もない鉄の剣だった。それだけを帯びて母はランディアに立ち向かっている。

 口喧嘩をしているように見えて、さりげなく足の配りを変えて私とアリアをかばっていた。

 

「少し走った先に、私が乗ってきたペガサスがいます。アリアを連れてそれに乗り、ここから離れてください」

 

「……フリューゲル隊長は?」

 

「死ぬ……でしょうね。残念ながら、手負いで勝てる相手ではありません」

 

 淡々と告げる母に驚くが、当の私自身、さっきまで同じような態度で死に向かおうとしていたのだ。血は争えないという言葉の意味を初めて私は知った。

 だが、私が捨て身の策をとるのと母が命を擲つのとでは、意味合いが全く違う。母はアリア以上に帝国軍にとって欠かせない存在なのだから。

 

「ここに来たのならなぜ、アリアを連れて逃げないのですか!? 私がなんとか脱出まで食い止めますから、速やかに……!」

 

「最優先事項は、あなたが生き延びてくれることです。我が子を見捨てる親がいますか? 私の命であなたの生存が買えるなら、安いものですよ」

 

 穏やかに、だが有無を言わさぬ表情で母は言う。

 あっけにとられる私を置いて状況は流れ、ペガサスが翼の音とともに舞い降りてきた。母はANIMAですらない念力の魔術で、力を使い果たして弱体化した私を操る。自分の意思とは無関係に私の腕がアリアを抱え、足は甘んじて鞍にまたがった。

 

「……多分、ミグルドも似たようなことを言って死んでいったのでしょうね。アリアはまだ寝ていますから、確かめることもできませんが……」

 

 ランディアは大地を割って、植物を間欠泉のように噴き上げた。自ら緑色の濁流の中に飲み込まれると、植物を外骨格として全身によろい、巨人のような姿になって闇の中に仁王立ちする。

 母は緑の巨体を見上げながら、ゆっくりと手を上げた。そのまま私とアリアを、遠ざけるように掌を押し出していく。

 

 ペガサスの蹄が地を離れ、私は一気に母に手の届かない高さへと舞い上がった。

 

「行きなさい、アンリエッタ」

 

「ダメです、おか――」

 

「そろそろ寒い季節ですから、風邪に気をつけてくださいね」

 

 母のいた場所から金色の光がほとばしり、風と轟音が空を裂く。おそるべき衝撃波がペガサスの身体を打ち上げ、私とアリアは地上からさらに吹き飛ばされた。

 

 

 

「――()()()ッ!!」

 

 

 

 果たして、私の声は母に届いただろうか。今となっては知る由もない。

 ただ、私を「タウンゼント隊長」ではなく「アンリエッタ」と呼んでくれた母の想いに、応じる事ができなかった後悔があるだけだ。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 あの夜、我々は偉大な将をことごとく失った。そして代わりに、新たな若い英雄を迎えた。今回の戦争の勝者は、誰ということになるだろう?

 我々は最初、ダスティの要塞を占領するために侵攻し、その過程でミグルド・フリューゲル両隊長が犠牲になって、最終的に当初の目的を果たせなかった。戦いで勝つということが目的を達する事であるならば、帝国軍は勝ってはいないと言えるだろう。

 だが、魔軍が勝ったわけでもない。魔軍の目的は私にとって知る由もないが、奴らにとってアルカードの戦死より痛い損失はない。城の十や二十でも、アルカードひとりの首につりあわないのだ。

 目的を果たせなかった我々と、アルカードを失った魔軍。両者ともに敗北したと言うべきだが、アリア=ディオルドの覚醒はこの戦いの意義と呼べる。彼女が覚醒してくれなかったら、本当に虚しいだけの戦いになるところだった。

 

 戦後処理に半月が費やされた。件のアリアは極度の疲労で倒れ、14日も昏睡した後、ようやく昨日目を覚ました。

 彼女の生還の報を聞いた時、みんなはやっと戦いが終わったことを実感し、生き延びた喜びをかみしめることができた。あちらこちらで発生する宴会に私は参加しなかったが、自室に帰ってから、誰に見せるわけでもなく紅茶のカップを掲げたのは事実である。

 

「ふあ……」

 

 浮かんだあくびを手で覆う。だらしない顔を一般人に見せるわけにはいかない。

 安心して眠った翌朝は休日だった。私はひととき仕事を忘れ、早朝の大通りを散歩していた。いつもの癖で早く起きすぎてしまったので、久しぶりに街を歩いてみることにしたのだ。さっき私のファンを名乗る主婦に声をかけられると、「守るべき民の生活の様子を観察してみたかった」などとえらそうに答えてしまったが、要は単なる気晴らしだった。

 

「あっちで紙芝居やってるって!」

 

「本当!? 近いとこで見れるかな!?」

 

 通りを歩いていると、子供たちの笑い声とすれ違った。涼しい風が静かに通り過ぎて、私の肩に落ち葉を残していく。私はそれを払い落としながら、子供たちが自然公園に走っていくのをぼんやりと目で追っていた。

 

(……今の子供たちは、どんな遊びをしているんだろう?)

 

 私はなんとはなしに、子供たちを追って公園に入ってみた。

 太陽に照らされた黄緑の芝生の上で、エネルギーを持て余した子供たちが元気に走り回っている。

 朝早くにたたき起こされたらしい父親は、自分を呼んだにもかかわらず仲間どうしで遊びまわってばかりの子供たちを尻目に、地面に寝転がってこっそり眠りはじめた。……が、すぐにそれを見咎められて、強制的に鬼ごっこの鬼にされてしまう。

 寝ぼけ眼ながらもなんとか走るが、野ウサギのように飛び回る子供たちに翻弄されて疲れ果て、ついには膝に手をつく。

 うつむいて動かない彼を心配し、ひとりの男の子が寄ってきたが、その瞬間ばっと手がのびて捕まえられる。

 小ずるい策略に怒り心頭の新たな鬼は、自分をだました大人を追い立て、友達は既に眼中にない……。

 

 今回の戦いで多くの部下が死んだが、彼らは確かに守るべきものを守ったのだと実感できる光景だった。当たり前にあるべき日常が、今日もこの町には存在する。それは間違いなく死んだ者たちの功績なのだ。そしてそのことに関して、彼らが感謝されることは無い。

 

 そう、彼らは命をかけて守った民衆に感謝されない。それでこそ彼らは死んだ甲斐がある。私はそう考えていた。

 平和はあって当然の恩恵ではない。だが、()()()()()()()()()()()。少なくとも、平和の礎となった犠牲たちに対し、民衆に罪悪感を抱かせてはならないのだ。自分が知ったこの世の残酷さを、誰にも見せまいとして彼らは死んでいったのだから。

 ……まぁ、だからといって、軍の制度や軍政に対して異を唱える団体やジャーナリズムを無条件に許容できるはずはないのだが……。

 

「……ん?」

 

 湖のほとりまで歩いていくと、ベンチに座ったひとりの女性に、何人もの子供が群がっている光景が見えた。その女性はかなりの癖毛だが、その髪質によく似合うウルフに整えられた頭は、実に特徴的である。遠くからでも間違えようがない。

 

 彼女はかつての私のライバル。帝国軍の新鋭部隊長。そして、此度の戦における最大の功労者であった。

 

「よーし、今度はみんなでシャボン玉でも飛ばすか?」

 

「いいよ! じゃああたし、せっけんとストロー買ってくるね!」

 

「あたしがちゃんと人数分持ってきてる! 安心しろ!」

 

「えっと。何をなさってるんですか? アリア=ディオルド」

 

「――げっ、アンリエッタ!」

 

 背後から声をかけると、アリアはネコのように髪の毛を逆立てて、文字通り飛び上がる。

 高々と掲げていたシャボン液のコップが手から落ちるが、コップは重力にさからった不可思議な動きで元の位置に戻る。あたかも、何かの『磁力』に干渉されるように。

 

 ――ばつが悪そうに振り向いたアリアの左目には、青色の残光がまだきらめいていた。

 

(……あなた『使い』ましたね? (それ)がどれだけ重要な機密か分かっているのですか)

 

(……ごめん。気を付けるよ……)

 

 軽はずみなアリアを視線でとがめると、彼女は照れ臭そうに斜め下を見て頬を掻くだけである。子供たちが怪訝そうにアリアの裾を引っ張ったので追及はできなかった。

 自軍の強力なANIMA能力を宣伝することは戦意高揚に重要だが、だからといって民間人の前で軽々に濫用するのは考え物だ。それはANIMAが持つある種の神聖性を俗に引きずりおろし、民衆の軍への信仰を冷ますことになる。

 何よりも最悪なのは、「アリアは子供たちの前では気前よく能力を披露する」という情報が魔軍に漏れた場合だ。魔物のスパイは変身に長けており、人の子供に化けられて潜入でもされれば、アリアは自分の能力を無防備にさらすことになってしまう。

 ANIMAは勝利にとって不可欠の要素であり、秘密にしたところでいずれ開示するしかないのだが、伏せた手札を進んで開ける事もないだろう。

 

「アリアお姉ちゃん、来ないの?」

 

「うん。あたしはこの人と大事な話があるから」

 

「そっか。俺たちあっちで遊ぶから、用事が終わったら来てね」

 

 急に大人の表情になったアリアに、子供たちは面食らったようだが、シャボン玉遊びの道具を与えられると困惑を忘れて走り出す。十秒後には、シャボンを雪合戦のようにぶつけ合う大騒ぎになっていた。

 私はアリアの隣に座った。湖面には水鳥が浮かび、映しだされた雲が風で揺れている。

 

「ここには、よく来られるのですか?」

 

「ああ。仕事で疲れた時とかは、景色を見に来るよ。あのチビたちとも、そうやって知り合ったんだ」

 

「ずいぶんなつかれていましたね。大陸に名だたるあのアリア=ディオルドが、『アリアお姉ちゃん』ですか。……まさかとは思いますが、あの子たちにうっかり軍事機密を洩らしたりしていないでしょうね?」

 

「してねぇ! ……と思う。さすがに気をつけてるよ」

 

 アリア自身、説得力のないことは承知のようだ。こんな話をしに来たのではないので、私は二秒ほど沈黙し、声を低めた。

 

「ところで、火傷は治ったのですか?」

 

「火傷? 戦雷卿(ブロークン・サンダー)のか?」

 

「ええ。あの稲妻状の痕が消えているようなので……」

 

「あぁ。一生つきあうことになるかなぁとも思ったが、おかげさまで、顔とか手とか目立つところの痕は消えたよ。うちの軍のやつじゃないが、知り合いに腕のいい医者がいてね。あたしが眠ってる間、そいつが看てくれたらしい」

 

 ()()()()()()とわざわざ言うあたり、全身の痕が完全に消えたわけではないのだろう。私は気づいていないふりをした。彼女とて女の子だ、深く詮索してほしくはないだろう。

 

「……あたしがそうやってグースカ寝てる間に、フリューゲルさんまでいなくなっちまって、ミグルドのおっちゃんの葬式も終わってたよ。それに、また強い敵が現れたらしいし」

 

「はい。母を殺したランディア=フォン=タウンゼント。そして、アルカードの娘……。混乱が終わって、少しずつ兵士たちが未来に目を向けてきた分不安も高まっています。これからどうすればいいのか、と……」

 

「あぁ。あたしも正直、まだ現実を受け止めきれないよ。あの夜は、いろんなことが起こりすぎた……今は頭がこんがらがってて泣けもしないが、もう少し経ったら整理が付いちまうんだろうなぁ。あたしは、それが怖いよ。いったん繰り下げた恐怖が、いつか襲ってくる瞬間がさ……」

 

 私は恐怖を手の震えという形で外に出している。まだ実感ができていないアリアの方が、むしろ深刻かもしれなかった。私は曲がりなりにも自分で自分を叩き上げて昇り詰めたものだが、ミグルドの手によって拾われ、軍に入り、育てられ、口調まで彼そっくりに染まった彼女は、精神的に親への依存度がずっと高いはずだ。それが良いか悪いかなどを論じるつもりはないが、彼女の精神状態が今後の戦況に関わってくる以上憂慮せざるをえない。

 

 同格の存在として、なんとか彼女をバックアップしてやらねばならない。

 そんな心配は、次の瞬間吹き飛んだ。

 

「だから、まぁ……あたしはできるだけ長く、その怖さを忘れられるように努力するよ」

 

「え?」

 

「もちろん、おっちゃんのことを忘れるって意味じゃない。でも、子供でいられる時間はもう終わっちまった。だから、怖くてもあしたからがんばって仕事する。怖いのはあたしの部下だって一緒だろうから、せめてみんなの前でだけはカッコいいあたしでいたいんだ。そうすりゃ、いつの間にか本当に怖いのを忘れられるかもしれねぇしな」

 

「……そうですね。私も、この半月はお母様に見られているつもりで職務を行ってきました。それに新聞を見る限り、どうやら私たちはミグルド・フリューゲル両隊長の代わりとしての役目を期待されているようですから」

 

「へぇ、そうなのか? あたしはそういうの全然読んでないからな……」

 

 「読むのは音楽雑誌ぐらいだな」と小声でうそぶくのを私は聞き逃さない。

 

「あなたはそれでいいですよ。ジャーナリズムとやら、知りもしないで無茶なことを言ってくれますから」

 

「そうかい? あたしは、まんざら無理でもないと思うけどなぁ」

 

 重要なことを平然と口走るのが、どうもこの人の癖のようだった。

 私の視線がぎくりとアリアの顔を向くのを、飛び立った水鳥に気を取られた当人は気づかない。

 

「だって、おっちゃんとフリューゲルさんは二人だろ。で、あたしとアンリエッタも二人だ。そりゃ、ひとりひとりの強さじゃあの二人には敵わないけど……あたしらは協力すれば、あの二人が勝てなかったアルカードにだって勝てたんだぜ。

 ――今までいがみあってたけど、あたしとアンリエッタの能力は、ちょうどお互いの欠点を補いあうような造りだ。協力するにはあつらえ向きだって気がする。あたしらが二人でいっしょに戦えば、おっちゃんやフリューゲルさんだって超えられると思うんだ」

 

「――」

 

「へへっ。おっちゃんが聞いてたら怒るかな? 生意気言うなこのガキ! って」

 

 『私たちが二人で協力すれば、なんでもできる』

 『いつかきっと、お母さんだって追い越せるよ』

 

「――お姉、様……?」

 

「へ?」

 

 かつて瞳を輝かせ、川を眺めながら語った姉の横顔と、空を見上げて苦笑いするアリアの横顔が重なる。フラッシュバックした記憶を、私は口に出していた。私の言葉に意表を突かれたアリアが振り向く。それを見て、私は我に帰った。

 

「お姉様? って、あたしがか??」

 

「い、いえ違います! 今のは口が勝手に……」

 

「……ふふん。そうかそうか。なぁ妹よ、もっかい、もっかいだけ言ってみ?」

 

「い、嫌ですよ! そんなオモチャみたいな……」

 

「んぇへへへへへへへへ。いつも怖い顔してたけど、そうすりゃ可愛いじゃんお前」

 

 アリアは意地悪な笑みを浮かべ、腰だけを浮かしてずいずいと詰め寄って来る。頬を人差し指でつつかれ、両手でこねられる。

 

(あ、あなたもそういう顔はミグルド隊長そっくりですね……!?)

 

「あれ、アリアお姉ちゃんまだ友達と遊んでる!」

 

「はっ……!?」

 

「おっ」

 

 聞き捨てならないセリフを叫んで、待ちかねた顔の子供たちが駆けてくる。

 もみくちゃにされた顔でアリアの手を振り切り、若干乱れた髪型を慌てて修正する。

 

「ずるい! 私たちもお姉ちゃんと遊びたいの!」

 

「そんなことを言われても、まだ話は……」

 

 言いかけて、思いとどまった。なにも急ぎの話ではないし、これ以上踏み込んだ話題となると軍事機密に触れてしまう。あとは城に帰ってから話せばすむことだった。

 

「……はぁ。そうですね。独り占めはよしましょう。――ではアリア隊長、改めて後ほど……」

 

「え? 行っちゃうのか?」

 

「子どもの焼きもちは怖いですから。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、邪魔者はこのあたりで退散させていただきます」

 

 気の利いた大人の対応のつもりだったが、子供たちは喜ばなかった。いたいけな顔が並んで、怪訝そうに私を見上げている。なにかまずい事を言ったかとアリアの方を向いた。

 

「……むぅ」

 

「!?」

 

 頬を膨らまし、眉を吊り上げ、分かりやすくむくれた顔がそこにあった。

 よく見ると、赤っぽい褐色の瞳が若干涙目になっている。ANIMAを起動しているわけでもないのに、妙な圧力を発していた。

 

「……友達じゃないのか? あたしたち」

 

「……は?」

 

「お前今、別にあたしとは友人じゃないって……」

 

 ……「確かに言いましたが、それが何か?」と、いつもの私なら言うのだが、そんな返答は口が裂けても言えない空気である。どうも、うっかり変な琴線に触れてしまったらしい。

 だが、何か変わったことを言ったとは思えない。アリアと私は数か月もの間ライバルで、限られた戦果をめぐってしのぎを削り、自分たちの隊員を巻き込んで互いに対抗意識を燃やしてきた関係である。先の戦で共闘した事で険悪さはなくなり、今は単なる同僚同士。私たちはその程度の関係だ。その認識を、アリアも持っているものと思っていたが……。

 

(……! そういえば彼女は、戦果を競っていた頃もたびたび私を食事に誘っていた。『おうアンリエッタ、一緒にメシでも行かねーか?』というセリフを耳に胼胝ができるほど聞かされた。てっきり余裕を見せつけて嫌がらせしているものと思っていたが……)

 

 仕事中はひたむきに訓練し、たまの休日には公園に繰り出して子供と遊ぶ。それが実際に彼女がやっていたことだ。戦いに勝った時だって、真っ先にミグルド隊長に褒めてもらいに行っていた。私に戦果を見せびらかしに来たことはない。食事の席で一度だけからかわれたことがあるが、悪気の無い冗談以上のものではなかった気がする。

 あるいは、とんでもない被害妄想をしていたかもしれない。この子は私をずっと友人だと思っていて、私がその善意を悪い方にばかり受け取っていただけなのでは……? 

 

 思案を巡らせている間も、目の前のアリアの顔はどんどん落ち込んでいく。

 だが、そもそも友人関係というものは、互いが互いを友だと認識しなければ成立しない。これまでは、アリアが一方的に私を好いていただけだ。

 

 現在は私も彼女が好きなので、私は彼女と友人である。

 

「いえ。友人で間違いありませんよ」

 

 それだけの事実を自分に納得させるのに、長々と思考を巡らせなければならなかった。

 

「……! このやろ、脅かすなよなっ!」

 

 アリアは心底安心した笑顔で涙をおいやり、恨み節代わりに私の脇腹を肘でぐりぐりとやってくる。苦笑いしながらも、私はこの人の純粋さが羨ましい。自分の気性がほとほと嫌になってくる。

 

 どうせならもっと早く仲良くなりたかった。

 こんな天邪鬼でなかったら、彼女につれない態度をとらずに済んだのに。「別に友人ではない」か。父親と兄と戦友たちを失ったばかりの女の子に、ずいぶんひどい事を言ったものだ。

 

「……んっ」

 

「えっ? なんです?」

 

 それまでおとなしくしていた子供が、無言でシャボン液のコップを手渡してきた。

 少し考えて、その意図を理解する。「アリアお姉ちゃん」の友達は、自動的に自分たちとも友達であるという図式だ。つまりこのコップを、彼らは神聖な友情の盃だと思っている。

 

「はぁ。こんな所、部下には見せられませんね」

 

「うむ。これでわれわれはファミリーだ」

 

「どこで覚えたんですか?」

 

 非常にむずがゆいものを感じながらも、私はコップを手に取って、この小さなマフィアの傘下に入ることにした。定期的に遊んでやらねば、アリアにつっつかれることになるだろう。

 

「アンリエッタ」

 

 いたずらっぽく笑ったアリアが、同じくシャボン液のコップをこちらに向けていた。

 

「――友情に」

 

「――武運に」

 

 不揃いな合図に合わせ、静かにコップが触れ合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――あれ、珍しい組み合わせじゃない。こんな時間まで二人でなにしてたの?

 

――えーっとだな、ミスト、ちょっと競技形式で肺活量のトレーニングを……。

 

――は、はい。そんな感じです。

 

――へぇ。面白そうね。今度私も混ぜてくれる?

 

――え゛っ。





 白銀塩(シルバー・ソルト)「アルカード・ジ・ヴァンピール」

 かつて『魔王』と共に魔軍を創立した『人類の天敵』。
 何度倒されても甦る吸血鬼の肉体と、二百年の経歴で蓄積した智慧を持ち、「魔鞭」ダアトと共に猛威を振るった。
 日光で焼き尽くすか、銀製の武器で心臓を貫く以外の手段では殺せない不死の肉体を持ち、人間を模した身体を鍛えて対人戦闘の粋を極めている。
 ANIMA『クラウンドウィング』は異空間を構築して敵を閉じ込めることで、孤立無援の状況に追い込む。この異空間の中では一切の物理法則がアルカードの意のままであり、ここに入った時点で腹の中に飲み込まれたも同然である。
 人類にとってこれ以上ないほど倒しにくい敵手と言えるが、彼の真の恐ろしさは戦いではなく、まつりごとの際に発揮される。
 かつて彼が、魔軍領域を広める為に行った独立戦争。ひたすらに武を世界全土に布いた末、一度目の死を迎えた彼は、二度目の生において内政に着手した。
 彼が剛腕を発揮するたびに魔物たちの生活は豊かになり、一時は帝国から人間の亡命者が出るほどだったという。

 通常、彼が斃された際は十日もすれば復活の報が間者から飛び込んでくるのだが、アリア=ディオルドとアンリエッタ=フォン=タウンゼントが彼を討伐して半月たった現時点では、彼の復活は確認されていない。


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カーミラの『メモリアルウィング』 その1

 早朝の五時、山の稜線の向こうから太陽が顔を出している。
 帝国内地、とある平和な農村で、村人たちが牛の声で少しずつ起き出しはじめていた。戦時とは思えないほどのどかな空気感以外には特に取り柄のない場所だが、強いて特徴を挙げるなら、ところどころで回っている製粉用の風車が目立っている。

 そしてその中には、ただひとつだけ扉の開いた風車があった。

「……1470。……1471。……1472」

 風車の内側、差し込む陽の光の中でほこりが舞っている。木の歯車が回転する音に混じって、苦し気な声が響いていた。一人の少年が、異様に高い位置についた手すりに足を固定し、逆さ吊りになって腹筋を行っているのだ。
 おそらくこの村で、この時間帯に覚醒しているのは彼だけではないだろうか。彼の癖っぽい金色の髪がしっとりと汗で濡れ、脳天から直に滴り落ちた水滴で、木目の床には既に水たまりができている。

「1480。……1481!」

 カウントを取る息も絶え絶えだが、決して一秒一回のペースが落ちることはない。背丈と顔つきからして、彼はまだ十代になったばかりだが、裸の上半身には一切の贅肉がなかった。鋼鉄のように密度の高い筋肉で出来た屈強な肉体は、壮年の熊のような威圧感を発している。

「――クリスト。もうすぐお父さんたちが来るよ」

「……あぁ、もうそんな時間かい? ありがとうミーナ、少し夢中になりすぎたらしい」

「はい、タオルとお水。いつも通り置いておくからね」

「あぁ。もうちょっとで1500回だから、それだけやったら出るよ」

 扉の外から涼しい風を呼び込みながら入ってきたミーナは、慣れた様子でクリストのそばに水筒とタオルを用意して出ていった。クリストは急ぎ足で1500回までの端数を終え、逆さ吊りのまま熱い息をつく。手を伸ばして足の拘束を解こうとした時、机の上に置かれた新聞が目に入った。

「……昨日のか……情勢はどうなったかな?」

 まだ仕事が始まる時間ではなく、ミーナとクリスト以外に今日この風車に入った者はいなかった。よって放置されているのは昨日の新聞というわけだが、そもそもこの田舎の村には新聞が一日遅れで届くため、実際の日付は二日前である。



「――『スムーズ・クリミナル』」



 熱帯の海のように透明度の高い、緑がかった碧い瞳。男らしからぬ長い睫毛。鋭く輝く鷹のような眼光。それらを兼ね備えるのがクリストの目だが、彼が短く息を吸うと同時に、()()()()()()()()()()。一瞬の輝きが消えると、既に新聞が逆さ吊りのクリストの手に収まっている。

「『アリア=ディオルド、昏睡状態から回復』か……。()()()()()()()()()()()()()

 ミグルドとフリューゲル亡き今、アリアの安否は帝国人にとって最重要の情報である。一面を丸々使った大きな見出しを見て、しかしクリストに驚きはない。新聞を無造作に床に放り投げ、その手で足の拘束をはずして地面に降り立った。
 全身の汗をふきとり、黒い染みに変わるまで床の水たまりをタオルに吸わせ、長袖の上着を羽織る。すると、その一枚の上着に彼の屈強な印象は覆い隠され、ほっそりとした頼りない少年が出現していた。
 着やせというにはあまりに劇的な変貌である。まるで、最初から隠すことを前提とした筋肉の鍛え方をしているようだった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「今はつらいだろうけど……がんばってくれよ、カーミラ。僕も、自分にできる範囲でなんとかやっているから」

 アリアたち以外は知らないはずの固有名詞を呼び、クリストは風車の外へ出た。
 爽やかな風に全身をゆだねて涼み、そのまま村の道を歩いていく。朝早く犬の散歩をする老人、川上から流れてくる笹船。彼は日常とすれ違い、日常は同じく日常とすれ違ったと思い込んだ。

 日常は彼と反対の方向へ進んでいく。
 金髪の未知が目指す先を知る者は、この村にはいなかった。


 子供にとって、親はただの親である。それが父親であれば、夜になったら家に帰ってきて、朝は自分より早く起きて仕事に行く姿しか子は知らない。母親であれば、三食を用意してくれて、自分が外で遊んでいる間に黙々と家事を済ませる姿しか子は知らない。

 つまり子供は、自分の世界の範囲内でしか他者を理解できないということだ。両親が仕事場の同僚や友人にとってどのような存在であるかなど、たいていの子供は考えもしない。親に『公人』という側面があることを知るのは、思春期以降のことだ。

 自分の仕事がどれだけ大変か、子供に分かってほしい親は多いと思う。だが、子供がまだ純粋なときから大人の世界を見せることを忌み、家の中では家庭人に徹する親も確かに存在するのだ。

 そして――私、カーミラ・ザ・ヴァンピールの父は後者であった。

 

「三度目の復活を遂げられたヴァンピール卿は、社会の近代化にとりかかった。これは、効率的な社会制度に裏打ちされた粘り強い国力と、質の高い教育によって育成された多数の優秀な人材を持つ敵国に対抗するための政策だ。これら数々の政策の中でももっとも重要なのが、十年前から始まった教育制度改革だが……」

 

「……おい、リュカ。気持ちはわかるが寝るな」

 

「んかっ!?」

 

 ここは、私が通う魔物たちの学校。教室内は明るいが、窓の外は月夜だ。

 魔軍の政治経済についての講義の時限である。隣に座っているリュカ・ライツは、退屈さに耐えかねて肘杖をついて目を閉じてしまっているが、若干瞼が開いて白目が見えていた。居眠りというより熟睡に入りかけている。あと十秒もすればいびきが部屋中に聞こえることだろう。

 親友に恥をかかせたくはない。私は机の端に鉛筆を配置し、さりげなく肘で転がして落として、それを拾おうとするふりをしながらリュカの耳もとで低くつぶやく。囁き声は案外聞こえてしまうものだ。ここは魔軍の中ではかなり格の高い学校で、居眠りは見逃してくれない。

 

「!? !?」

 

 『もうすぐ順番が当たる』という爆弾情報でも投下しなければ、熟睡した者はそう簡単に目を覚まさない。鼻提灯が割れてのっそりと現実に戻るようなのを予想していたが、リュカはなぜか肩を跳ねさせて瞬時に覚醒した。

 

(カ、カミィか? 今のは)

 

(あぁ、寝てるようだったからな。しかし、ノートの字もぐちゃぐちゃではないか。眠気と格闘した形跡がばっちり残っているぞ。あと、勝敗もだが)

 

 小声でも私語はばれるが、筆談は視線をちょっと動かすだけで足りる。リュカとこっそり話すのが私の楽しみでもあった。ちなみに『カミィ』というのは私である。ゆえあって本名は名乗れないので、家の外では『カミィ・ヴァンピィ』という偽名を使っているのだ。

 起きて以来、リュカはなぜかずっと顔を赤くしている。肌は浅く焼けているが、頬の紅潮を隠すには白すぎる色だった。鬼神(デーモン)族は生まれつき肌が白く、毎日のように太陽の光を浴びるリュカでもこの程度しか色がつかないのだ。

 

(貴様、どうしたのだ? からかってしまったが、具合でも悪いのか?)

 

 視界の端でリュカの手がためらった。

 

(お前の息がおれの耳にかかったからだよ。もうちょっとで叫ぶとこだったぞ)

 

(私の息? よくわからないが、病気でなければまぁいい)

 

(人間の言い回しを使えば、ある意味病気かもしれないけど)

 

 どうも煮え切らない。だが体調が悪いわけでないのなら深入りする必要もないだろうと、書きかけの授業のノートの行に私はペンを移動させる。すると、どこか不満げな気配をリュカが発した。

 不完全とはいえヴァンピールの体質を持つ私は、すぐ近くの者の感情を読み取ることができるが、その背景にある心理まではわからない。普通に会話していた相手が、ずれたタイミングで怒ったりすると誰でも戸惑うが、私の場合、なまじ表に出されなくても感情の動きが分かってしまうので常人よりそういう経験が多かった。リュカは特に私と話しているときだけ、唐突に拗ねることがけっこう多いが、すぐもとに戻るので気まずい空気にはあまりならない。話題をぐだぐだ引っ張らないのは、『怒ってるのか?』と聞いて原因究明できないということにもなるが……。

 

「まさに今この時、お前たちが受けている教育は、魔物・人間を含めた世界全体でも最高水準に近いものだ。魔軍への愛国思想を抱かせることで、我々の生存権を保証する国家への帰属を深める。これは従来通りの路線だが、過去の教育方針と比べて画期的な点が二つある。一つは、人間の学説を貪欲に取り入れた座学だ。広範な基礎能力を養い、万能な人材を育成するために、知識に優劣をつけず科学的な態度を身に着けさせるためのものだ」

 

 教師が言っていることは、大筋では間違っていない。だが、私にとっては無視できない誤りだった。

 『万能な人材を育成する』というのは、『戦略でも武術でもこなせる、文武両道の兵士を造る』というニュアンスだ。父が本当に求めているのは、民間レベルの識字率や技術力の向上、それによる国力の底上げである。魔軍は依然雑多な部族の寄り合い所帯であり、知識の地域差が激しい。田舎でも器具設備は手に入るのに、それを扱える者がいないので、まともな医療を受けられないという状況だ。また、未開の地の民族は自給自足の粗末な暮らししか知らないため、外から商品を買うということをしない。教育の質が上がれば、これら潜在的な需要を徐々に開発して、さらなる経済の発展を見込める。

 

 ……だが、そもそもの話、父が優秀な若者の将来を兵士に限ろうとするはずがない。もしそうなら、私は物心ついた時から、父に戦闘技術を叩き込まれていたはずである。なにせ私は、魔軍最強の戦士の直系だ。自分で言うのもなんだが、私以上に才能を見込める子供など存在しないだろう。

 だが、父が私の力を引き出そうとしたことは一度だってなかった。それどころか、私が一生力を振るわずにいることを望んでいた。『いつかお父さまと一緒に戦場に出たい』。私は何年もそう言い続けたが、決まってばつが悪そうに顔を背けるだけだった。私は純粋に父の役に立ちたいのに。

 

『親が軍人だったら、子供も軍人になるべきだなんて、ぼくは思わないよ。それに、自分の子供から職業選択の自由を奪うほど、ぼくの趣味は悪くない。今は、エリィと一緒に料理を作ってくれるだけでいいんだ。ぼくにはそれで充分すぎる。勉強すればいろんな道が見えるよ。決めるのは、この書庫の本を全部読んでからで遅くない』

 

 いつか聞いたこれが、父の本音だ。子供たちに広範な教養を学ばせることで、職業選択の幅を広げる。彼らのなりたいものが軍人であれ、医者であれ、画家であれ、それになるための道を開けてやる。ただそれだけなのだ。兵士の育成が最終目的であると解釈するのは、邪推ですらある。

 ……とはいえ、肝心の私に対してだけは、父は『職業選択の自由』とやらを認めてくれない。父が戦場に出るならそこについていく。母が厨房に立つなら料理を手伝う。私の自由意志で決めた進路は、『お父さまとお母さまの役に立つこと』なのに、それを受け入れてくれない。

 他の家の子供は好きにさせるのに、私だけ束縛するのだ。私はもう年頃の娘で、世間一般で言う反抗期である。お父さまは自分のことを私が見習うのを嫌がっているようなので、私はそれに反抗し、お父さまの考えを誰よりも鮮明に理解しようと努めている。

 魔軍の政治のことはそれなりに分かっているつもりだが、正直魔軍の将来などどうでもいい。お父さまの思考に近づこうとしていたら、いつのまにか理解していただけだ。

 

「もう一つは、人間へ敵意を抱くことを戒めたこと。人間は紛れもなく不倶戴天の敵だが、過剰な憎しみは判断を鈍らせる。魔軍の戦いは人間を倒して終わりではない。次世代を担う諸君には、魔軍の中核としての自覚を身に着け、実りある未来を築く役目がある。熱狂的に破壊するだけでなく、冷静に大局を見据えることを求める意思を、この方針から感じとることができる」

 

 これも違う。さっきのはある程度的を射ていたが、今回のは根本的に間違っている。

 人間を過剰に憎まないのは、魔軍設立当初からの父の基本姿勢だった。父が『魔王』と魔軍を樹立したそもそもの目的は、抑圧されていた魔物の権利を守ることだ。民の権利を守るために国が必要で、国をつくるためには独立戦争は避けられなかった。だがあくまでも独立のための戦いであって、最終目的は人間国家との対等な講和に過ぎない。

 魔物にとって、人間とは共存すべき他者でしかない。それが父の考えだった。だが、魔軍が何十度にわたって講和を申し出たというのに、帝国が交渉にすら応じなかったせいで戦争は慢性化。時が経つにつれてどんどん民衆の姿勢も過激になり、魔軍の本当の国是とはかけ離れた目的――『人間の絶滅』を目指して拳を振り上げる者が、愛国者としておおっぴらに称えられる状況である。

 帝国とは依然国力の差があったため、今までは父も戦意高揚のためにそういった風潮も黙認せざるを得なかった。だが、これ以上の過激化を許せばさらなる泥沼に陥りかねない。下手をすれば、魔軍が長年求めた帝国からの和平を、魔物自らが蹴ることすらあり得る。

 帝国は、トータルの国力で魔軍に勝る。民が熱狂的に帝国を憎むのは、つまるところ帝国の強さが怖いからだ。よって民衆の危機感が和らげば、その意識を人間との和平という本道へ回帰させることができる。そのために、ぜひとも魔軍を帝国以上の大国に育てなければならないというわけだった。

 

 教師の言う『大局』は、対帝国戦の大局でしかない。戦争が終わったらその先どうするかという発想はない。

 父は、人間と手を取り合って世界を再建する時がいつか必ず来ると言っていた。いかに早く、そして傷つかずにその時を迎え、建設の時代に移行するか。父にとってそれこそが、皆に考えて欲しいことなのだ。そんな父は一方で、私が政治について話すのを嫌がるのだが。

 

(なぁ……カミィ。お前、そんなにこの話が面白いの?)

 

(あぁ。興味深いよ)

 

 かじりついて講義を聞いていた私に対し、リュカは得体のしれないものを見る目つきだ。紙に書かれた文面も引き気味である。

 実際、つまらなくはない。考えることも突き詰めれば娯楽になるのだ。だが思考には触媒が要る。授業を聴くのはそのためだ。自分とは違う考え方を聞いたりすると、頭が勝手に反論を考えようと動いてくれるから。

 リュカは、授業そのものに大した内容を期待しているのだ。だから眠くなる。私は、つまらない授業にも自分で問題を見つけて頭の体操をやり、脳を柔らかくする者こそが優等生になると思っていた。私のように体操に熱中し過ぎて内容を聞いていない場合、それはそれである。

 

「そこの二人、何をやってる!」

 

「げっ」

 

 教師が目ざとく私たちの筆談を見つけた。露骨に私の手元を見ていたリュカのせいである。教壇からは最後列が一番目につきやすいことを計算に入れていない。

 なにも試験中ではないのだし、見つかったからといってどうということもない会話だが、絡まれても面倒だった。

 

「はい。あまりに興味深い内容だったので、つい話し込んでしまいました」

 

「……えっ!?」

 

 私の前の席にいるヒューゴ=シナプスが、突然はきはきと喋り出す。

 彼は私と同じく、飛び級で最上級生になってこのクラスに入ってきた成績優秀者だった。人間と精霊のハーフなので、この学校で唯一姓と名の間の記号を『=』と書くが、全学年で無遅刻無欠席の優等生であることから教師陣に好かれている。私にとっても、リュカと並ぶ親友である。学校で私の小難しい話についてこれるのは、こいつ以外いない。

 この三人で議論していたという設定の言い訳。ヒューゴと私はともかく、リュカは明らかにそういうタイプではない。だが先手をとられて追及の方法を失い、教師は口をとんがらせて引き下がるしかなかった。

 

「……そういうことならいいが、次からは見つからんようにやれよ。私も昔はよく手紙をまわしたりしたが、私語を見つけると立場上、何も言わないというわけにもいかんのだから」

 

「はい。気を付けます」

 

 笑いがそこら中で起こる。ヒューゴの機転に救われたリュカは胸をなでおろした。

 その後リュカはさすがに眠る気になれなかったようで、終わりまでまじめに授業を聞いていたが、休みを挟んだ次の時限ではいつもの調子に戻ってしまった。

 

 

 

 § § §

 

 

 

「あとは特に何も起こらず帰ってきました。リュカは下校までヒューゴに頭が上がらない様子でしたよ」

 

「そう。カミィもちゃんとお礼は言った?」

 

「えぇ、言いましたよ。彼からはお礼なんていらないと言われましたが」

 

 館に帰って手を洗うと、母エリザベートの寝室に直行した。今はベッドに横たわった母に人肌の白湯を飲ませ、今日あったことを聞かせている。こんな他愛もない話を聞いて何が良いのかは分からないが、母が聞きたいと言うなら聞かせる以外の選択肢はない。

 

「あぁ、そういえば、またリュカに遊びに行かないかと誘われましたよ」

 

「そうなの? いいじゃない。お友達と一緒にお出かけなんて」

 

「ダメですよ。リュカは昼間のアウトドアばかり誘ってくるんですから。お前もたまには太陽の光を浴びろー、とか言って……」

 

「そうね。でも、リュカ君も悪気はないのよ」

 

「わかってます。誘ってくれるのがうれしくないわけでもありません。ずっと断り続けるのも忍びないですが、さすがに命を賭けてまで遊びに行けませんよ。第一、こんな時期ではおちおち遊んでられませんから」

 

 言い切る前に後悔した。うっかり口を滑らせたせいで、母の表情が一気に曇る。疲労に青ざめた顔が熱っぽく、自分を責める目をして、ベッドデスクの上で握りしめた両手を見つめていた。

 母はこの半月、病に臥せっている。普通の病ではない。治る病気であれば父がたちどころに治している。直接力を分け与えてもいいし、負荷が大きいようなら、科学者としての顔も持つ父が薬を処方してもいい。それができないのは、母を蝕む症状の正体がANIMA能力であるからだ。

 もともと、母は人間である。詳しくは教えてもらえなかったが、なにかのきっかけで父と知り合い、魔物に生まれ変わって人類の天敵と結ばれた。本来ANIMAは精神の産物であり、発現させた時点で能力者は強い精神力を身に着けているものだ。精神力を持たない不適格者が力を持てば、それを制御できずに自らの魂を焼くことになる。父は、おそらく魔物となって大きすぎる力を手に入れたせいで、穏やかな精神に見合わない出力のANIMAを突然目覚めさせてしまったのではないかと考えている。

 

 母が精神を高ぶらせれば、その分病状は重くなる。ならば、母を安心させる以上の療法はない。本当なら学校だって休んで母の看病に専念したいところだが、それでは『自分のせいでカミィが学校に行けない』と心労を与えることになってしまう。私は普段通り学校に通い、そこであったことを聞かせてあげて欲しいと父から直々に頼まれていた。

 また、魔力の濃い土地にいることも、ANIMAを活性化させる原因となる。いまの母は、魔軍領奥深くにあるヴァンピールの城には居られない。現在私たちが仮住まいとしている館は、帝国との国境付近の山の中にあり、魔物の領土でこれ以上魔力の薄い場所はない。……しかし、どうやらこの場所でもまだ魔力が多すぎるらしく、母は日に日に弱っていく一方だった。

 

「……お母さま。お湯が冷めてしまいます」

 

「……うん。ありがとう」

 

 私が気を遣えば遣うほど母はストレスをためるだろう。そういう辛さを吐露せずに、自分ひとりで抱え込む人だ。

 辛さを分かってあげるべきなのか、それともこのまま隠させてあげた方がいいのか。世の中の子供は、親にどういう言葉をかけるのだろう。

 

「ん、カミィ? 帰ってたのか」

 

「お父さま」

 

 『カミィ』とはもともと、両親が私を呼ぶ愛称だった。それが転じて、学校での偽名にもなっている。なので『カーミラ』と私を本名で呼ぶのは、たまに父と話すために家までやってくるベオ・ウルフという魔軍の将と、使用人ぐらいしかいない。

 

「知り合いに連絡して受け入れ先が見つかった。引っ越したばっかりのところ悪いが、三日後に帝国へ行く。準備をするぞ」

 

「帝国へ……?」

 

 確かに、ここ以上に魔力の薄い場所といえばもはや国境を越えるしかない。だが、我々が国内に入るのを軍がおとなしく見逃してくれるだろうか? 母ほど強い魔物が、素性を隠せるとも思えない。

 

「古い顔見知りでね。現在は放浪しながら闇医者をやっていて、帝国軍とのコネがある。最前線の帝国軍には、エルフだの竜人だの、亜人の魔物も多い。そこの病床を空けてくれるらしいよ」

 

「木を隠すならなんとやら、ですか?」

 

「そういうことになるな。エリィやカミィのことは魔軍でも一部しか知らない。二人なら長く滞在しても気づかれないはずだ。一応、どちらにも人間の血が入っているし」

 

「なるほど。お父さまは?」

 

「二人を送り届けたらすぐ帰るよ。帝国軍に顔も割れているし、居座ったらさすがにバレる。そうなったら知り合いにも迷惑をかけることになってしまうからね」

 

 つまり、自分と母だけで敵国に滞在することになる。『知り合い』とやらが融通してくれるのだろうが、不安はぬぐえなかった。

 

「わかりました。……お母さま、大丈夫そうですか?」

 

「うん。もともとは私もあそこの国民だから。里帰りみたいなものよ」

 

 嘘だ。母に帝国への愛着などない。でなければ、こうして父といる辻褄が合わない。もちろん父を悪く言うわけではないが、同族に酷い仕打ちを受けでもしなければ、ただの人間が人類そのものの仇と子供まで作る訳がない。帝国、ひいては人間に対しては、母はきっと暗い気持ちしかないだろう。今日まで両親のなれそめを詳しく聞かなかったのは、それを思い出させないためでもある。

 しかし、母がこう言っている以上私は口出しできない。もしかすると、本当に自分のルーツを確かめることに興味を持っているのかもしれないから……。

 

「じゃあ、さっそくその知り合いに会って来る。二時間ほどで帰るよ。カミィも今から荷物をまとめておいてくれ。悪いが、しばらく学校には行けない。登下校の度に国境を越えてたらさすがに危険だ」

 

「えぇ。構いません」

 

 カーテンと蓋で厳重に遮光された窓を開けると、真夜中に雨が降っていた。横殴りの暴風雨が容赦なく部屋の中に入り込もうとするが、見えない膜に阻まれて部屋の中には入ってこない。それどころか、音すら完全に遮られていた。

 

「ちゃんと薬を飲むんだぞ。いいな?」

 

「分かった。いってらっしゃい」

 

 窓のへりで翼を広げ、父は雨の中へ飛び立った。厚い雲を一気に突き抜け、あっと言う間に見えなくなる。母が小さくせきこみ、私はあわてて窓を閉めた。

 

「私が薬を取ってまいります。少し待っていてください」

 

「いいわよ。メイドに頼むから」

 

「私がやりたいのです」

 

 空になったコップを下げて廊下に出た。この屋敷はどこかの貴族が避暑地にしていたらしいが、大きさはお父さまの城の五十分の一にも満たない。ろくに調べる時間もなく買い取ったにしては、なかなか悪くない住み心地だった。お母さまの病を治したら手放すのがもったいない。

 

「……ん? どうしたのだ、貴様ら」

 

 玄関の前で、使用人が三人固まって不審そうな顔を突き合わせていた。今この屋敷で彼らに命令を出せるのは私だけだ。放っておくわけにもいかず声をかけた。

 

「カーミラお嬢様。なにやら、雨宿りさせてほしいという者が門の前に……」

 

「……なんだと?」

 

 ここはろくに人も通らないような山奥である。だからこそ父はこの屋敷を選んだのだ。私たちの素性を嗅ぎつけたとも思えないが、少しきなくさい。なにしろ真夜中で、父が出かけた直後だ。

 

「……旅人がこんな時間に、しかもこんな場所にか? 怪しいな。庇くらいなら貸すが、建物の中には入れられないと伝えてくれ」

 

「はい」

 

 使用人が扉を開ける。次の瞬間、衝撃が使用人を巻き込んで扉を突き破った。分厚い金属製のドアが、ベニヤ板のようにへし折れて壁に激突する。

 

「――!?」

 

 押しつぶされた使用人が、背中側の扉に大きな血痕を残してずり落ちる。肉体が白く変色し、細かい粉末に変わっていった。

 がら空きになった玄関からぬっと現れたのは、蒼い髪をした人間の男だ。鎧を着ているが軽装で、冒険者の普段着の域は出ていない。青白く発光する斧を持っており、左目は同じ色に発光している。

 

 ――人間のANIMA能力者だ。

 

「お前は……カーミラ・ザ・ヴァンピール、でいいのか?」

 

「……ッ!? 誰だ、貴様は!?」

 

「否定しないか。なら、ここにいる奴らは皆殺しでいいってことだな」

 

 腰を抜かした使用人を一瞥し、手首の軽いスナップだけで斧を振るう。目の前で二人が両断され、同質量の(ソルト)に変わった。さっきまで生きていたのに、三人が三人とも命を奪われた。

 なぜここを、私の名前を知っている? 誰から情報を聞かされた? 疑問はいくらでも浮かんでくるが、こいつを放っておけば、恐らくお母さまが死ぬ。殺される。

 

 私がやるべきことは一つだ。

 

「かぁッ!」

 

「!!」

 

 結論は頭より先に身体が出していた。まっすぐに男の急所めがけて蹴っていた。

 いつかこういう時が来るのではないかと思った。今まで独学で鍛えたのはきっとこのためだ。

 

 私しか、母を守れない。

 

「へぇ。鋭いじゃないか。さすがにヴァンピールだな」

 

「……今すぐ帰れば見逃してやる! お母さまに手を出すな!」

 

「ハッ、既にお見通しかよ! だがお断りだね!」

 

 男は斧の刃で蹴りを受け止めて、体勢を崩した私の腹に、お返しとばかりに拳を入れる。筋力そのものは自信があるが、実戦など初めてだ。一瞬視界がぶれるのを無視し、一歩引いた。

 

「……う……」

 

 気分が落ち着くと、鈍い痛みがこみあげてくる。そして、恐怖だ。こいつは母とは違う、本物のANIMA能力者の戦士なのだ。

 長年空想してきた戦いは、空想の中とはまるで違っていた。殺すか殺されるかの戦いとは、ほんとうに、殺すか殺されるかの二択しかなかった。世界がこんなにも殺伐と、容赦なく牙を剥いてくるものだと知らなかった。

 

 ――殺せるのか? 私は、こんな奴に勝てるのか?

 

「シッポ巻いて逃げれば、見逃してやってもいいぜ。母親さえ殺しちまえば、どうせすぐだ」

 

「……お母さまは、殺させない……!!」

 

「殺すさ! ――お前らみたいな生き物に、二度と子供なんか作らせてたまるかよ!!」

 

 その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かが切れた。

 私はヴァンピール。ちょっとやそっとの傷では死なない。だがこいつはただの人間だ。怖気づきさえしなければ、生物としての差で押し切れる。

 

 獲物の長さを逆手にとり、懐に飛び込んだ。

 二本の爪を伸ばして尖らせ、迷いも振り切る速さで両目めがけて突進させる。

 

「く――!!」

 

 会心の攻撃だったが、顔をのけぞらされてしまい、瞼を浅く斬っただけだった。

 外れたことで私は焦った。それが間違いだった。攻撃は失敗して当たり前、次の手を前もって考えておかねばならないのだ。

 

「がッ!?」

 

 胸の骨を鈍い痛みが突き抜けた。男のANIMAは青く光る斧である。柄の部分だけを発現させ、逆手に持って殴りつけたのだ。

 今度は、しかし、私も立ち直るのが早かった。すぐにきっと顔を上げ、柄を持った腕をねじりあげ、思い切り膝を入れてやった。音が響いて、脂汗が間近の男の顔ににじむ。

 

 今だ。

 

「く……うおおおおおおおッ!!」

 

 ねじり上げたままの腕を、両手で持つ。あまりにつたない攻撃に自分が情けなくなるが、満身の力をこめて関節を逆に押しこんだ。思ったよりたやすく限界が訪れ、右腕をへし折ることに成功する。とどめに骨の外れた場所めがけて、ガンガンと何度も殴りつけてからまた蹴りを入れ、反動で遠ざかる。

 

「うっぐ……! この野郎……!」

 

 凄む男の表情は、まぎれもなく予想外の反撃に怯んでいた。

 これはいけるのではないか。そう確信した時、背後から鋭い声が飛んできた。

 

「カーミラ様! 逃げてください!!」

 

「ッ、バカ……!」

 

 バカ、逃げろ。咄嗟に振り向いてそう叫ぼうとしたが、視界の端で青く光る気体が男の左手に集まった。憤怒のままそれが振り下ろされる。

 だが間合いが遠い。当たらない。そう高を括った私の横から、何かが飛び跳ねて床に転がる。

 

「……え……?」

 

 いきなり、重心が変わった。自分の肉体から重量がごっそりと減った実感が襲う。床を見て、そこに落ちていたのは誰かの右腕。私の右肩から下は、消え失せていた。

 

 自分の腕がどこへ行ったのか、すぐには分からなかった。

 

「……う……あ」

 

 激甚の痛みが全身を震わせる。膝をつき、どさりとうつぶせに倒れてしまった。

 起きろ。起きろ。こんな痛みがなんだ。痛いのは今だけだ。このぐらい、すぐに治る。

 

「っ、こんな奴に『シャッタードスカイ』を使っちまったか。だがもういい、寝てろ」

 

 最後に残ったのは、男が後頭部を勢いよく踏みつける感触だった。

 震盪を感じる暇もなく、私の意識は暗い闇の中に落ちていった。

 

 



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