それが、あなたのご注文なんだね (ファットマン)
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もしそうなら、それは偶然を通り越して運命なのかもしれないね

出シリアス


空が青いというのは、とても重要なことだ、と思う。

 

だって、いずれ向かうだろう場所が、あの果てしない青の中だと言うのならば、それもいい、と思えるから。

 

身体は重い鎖のように、白いだけの部屋は牢獄のように、僕の自由をただ閉ざすだけ。

あるいは、この閉塞した環境から脱せるのならば何でもよかったのだろう。

 

向かうのは今か明日か、それとも一週間か、もしかしたら一年も先かもしれない。

わかるのは、いつ行ってもおかしくない、ということ。

 

身体を苛む痛みは耐え難かった、うまく動かずすぐに悲鳴をあげる身体は億劫(おっくう)だった。

この身体は人と違う、それは元気で溌剌な妹を見れば理解できた。

 

ーー自分は必要な存在ではない。

絶望、諦念、悲観、そういったものではない。

ただ漠然と、そう思った。

 

2つ年下の妹と話す両親はいつも笑顔だったけど、僕の前では悲しむか、それを隠して笑うかのどちらかだった。

両親はいつも忙しなかった、それが僕の為の行動であることは、幼いながらに理解していた。

僕がここにいることで、幸せになる人はいなかった。

 

死ぬのもいいかもしれない、窓の外の切り取られた空を見上げそう思った。

泣くことはなかった、悲しくなかったから。

 

でも、唐突に思った。

 

ーー外に出たい。

 

何か、些細なものでもいい、思い出が欲しい。

ほんのわずかな語らいでも、僕の知らないものならば、何でも。

 

それがあれば、きっと僕はそれを抱いて死んでいける。

 

僕は病院から飛び出した。

 

……しかし身体はついていかずに、すぐに僕は力尽きて、地面に倒れこんだ。

 

無数のうさぎが寄ってくる、最早僕には、それを追い払うことも、逆に愛でる体力すらもなかった。

 

……あぁ、やっぱりこんなものか。

 

諦めは、あまりにもあっさりやってきた。

自分の身体に対する苛立ちも、悔しさもなにもない。

最早涙は枯れ果て、打ちのめされる心すらもありはしない。

それを感じるには、いろいろなものを諦め過ぎていた、できないことを知ることが、僕の日常だった。

 

でも、なら。

 

せめて僕は、空を見たいと上空を見上げた。

 

ーーでも、そんな小さな望みすら、僕には叶えることができなかった。

空は、僕の視界に入ってきた侵入者によって、遮られたのだ。

 

そう、あの日、あの時、ちょうどこんな風にーー

 

 

ーー

 

 

「ひっ……人がうさぎに殺されてる!」

 

 

倒れた僕を覗き込んだ少女が叫ぶ。

彼女は携帯電話を取り出して、震える手で操作する。

 

「け、警察? 救急車? 救急車って110だっけ!?」

「お、落ち着いてココアちゃん、救急車は……確か118?」

 

もう一人の少女が嗜めるように言う。

しかしその少女も同様に、わたわたと所在なく手足を動かし、混乱している様子だった。

とりあえず、僕はこう言った。

 

「……近くに海無いんだけど」

 

118は、海上保安本部だ。

 

ーー

 

 

「怪我とかなくてよかったー! うさぎにのし掛かられて道端で倒れてるからびっくりしたよ!」

「ごめんなさい、うちのあんこが……よくカラスにさらわれるのよ、この子」

「僕よりむしろその子が生きてることが疑問だね……」

 

騒動も収まり、僕たち3人は公園のベンチで話をしていた。

 

僕が倒れていた理由……先ほどの少女が言ったとおり、道端を歩いていたら上空より落ちてきたうさぎが着弾し、失神していたのだ。

 

聞いたことがある、カラスは胡桃の殻が自分の力では割れないと知るや、空から落っことして割る程度の頭脳を持っていると。

どうやらこのうさぎは同じようにされたらしい。

よく死ななかったな、多分僕より耐久力あるぞ、この子。

 

「私は千夜、宇治松千夜(うじまつちや)よ、この子はあんこって言うの」

 

和装の少女が言う。

和服の上にフリルのついたエプロンをつけた、何処かモダンな服装の少女。

 

艶やかな長い黒髪に、おでこで切り揃えられた前髪、白い肌は日本人形染みた可愛らしさがあり、大和撫子と言えばこうであろう、といった少女であった。

 

彼女の膝の上には、頭に王冠を乗せた黒いうさぎが、まるで彫像か何かのように微動だにせず鎮座している。

 

「私の名前はココア、保登心愛(ほとここあ)っていうんだよ」

 

もう一人の少女が名乗る。

ストロベリーブロンドの髪に、くりくりとした目の中に光るアメジストの瞳は、少女に花のような可愛らしい雰囲気を持たせている。

 

そこにいるだけで、周囲の色調が一段階明るくなるような、そんな少女だった。

 

「君は……」

 

記憶が過る。

さっき失神していたときに見た、昔の夢。

そこに登場した名前も知らぬ少女と、目の前のココアさんの顔が被る。

 

「? どうかした? まさか、わたしの顔に何かついてる?」

「……いや、なんでもない、甘くて暖かそうな名前だね」

「さっき千夜ちゃんにも言われたよ~、それで、あなたの名前は?」

 

ココアさんは僕の顔を覗き込んで聞いてくる。

8年も前の記憶を掘り起こすのを一旦止め、僕は答えた。

 

成生(なるみ)、条河成生だよ、そういえば保登さんの服装……」

「ココアでいいよ! もしくはお姉ちゃんって呼んでくれてもいいんだよ!」

「えぇ……えっと……」

 

保登さん……もといココアお姉ちゃん(自称)は、ぐいぐいとこちらに近づいて名前呼びかお姉ちゃん呼びを強要してくる。

 

「保登さ……」

「お姉ちゃん」

「ほ……」

「お姉ちゃんって呼んで!」

「こ……ココアお姉ちゃん……」

「何かな、なるちゃん?」

 

僕は圧しに負けた、ぐいぐいと近づいてくる同年代の女の子という存在にに、慣れていなかったのだ。

同年代の子と話す機会すら、今まで殆どなかったから。

 

「こ……ココアさんのその服装、同じ高校のだね」

「あっ……なるちゃんも同じ高校だったんだ! 入学式前に二人も友達ができるなんて、幸先がいいよぉ!」

 

ココアさんは、ぴょんぴょんと跳ね回って喜びを表現している。

天真爛漫とは、こういう人のことを言うんだな、と思った。

 

「というか、宇治松さんも同じ高校だったんだね」

「……えぇ、そうよ」

「……なんか露骨に落ち込んでる?」

「ココアちゃんは名前呼びなのに……私は名字なの? 酷いわ……」

「……わかったよ、千夜さん、これからよろしく」

「よろしくね、うふふ、学校が楽しくなりそ……」

 

瞬間、『ヴェアアァァァァ!!』という奇声が聞こえた。

 

「そ、そうだ入学式に向かってたんだった、千夜ちゃんもなるちゃんも急がないと!」

「えっ……でも今日はまだ」

「こっ、ココアちゃん、待って!」

 

僕たちの静止を振り切って、ココアさんは僕たちの手を引いて走り出そうとする。

僕はその手を強く引いてその行動を止めた。

 

「千夜ちゃん、なるちゃん、早く行かないと入学式遅刻しちゃうよぉ」

「ココアさん……よく聞いてくれ……」

「ココアちゃん、入学式はね……」

 

「明日なの」

 

瞬間、世界が静止した。

 

「……へ? 今なんて」

「だから入学式は、明日だよ」

「アシタナノ? あしたなの……あしたなの……」

 

その意味を反芻するように、彼女はぶつぶつと呟く。

やかて、その表情がぼっ、と真っ赤に染まった。

 

「ヴェェェェ~! 恥ずかしい~!」

「僕と千夜さんが制服着てないってとこに気づいてなかったのか……」

「うふふ、面白い子~」

 

彼女は顔を伏せてそっぽを向いた。

よっぽど恥ずかしいのだろう、僕なら死にたくなる。

 

……というか。

 

「ココアさん、あの……」

「な、なに?」

「なんで『ちゃん』なの? 子供っぽく見えるにしても、ココアさんより身長あると思うんだけど……流石にこっぱずかしいよ」

「え……でも私、女の子はみんなそう呼んで……えっ、なんでうずくまるの? 持病?」

 

ココアさんの言葉は僕の胸に突き刺さった。

持病はなくもないが、これは全く関係ない。

男だとすら思われていなかったことへの痛みだ。

 

「……僕、男だよ?」

「えっ」

「完全に証明するには犯罪をしなきゃならないから無理なんだけど……男だよ?」

「えっ……えっ?」

 

数秒後、本日二度目の『ヴェアアァァァァ!!』が早朝の町中に響いた。

 

ーー

 

「そうだ! ココアちゃんが新しい高校に迷わないように、私が案内をしてあげるわ」

 

騒動、詮索等が落ち着いた後、千夜さんは僕たちにそう提案した。

 

話によるとココアさんは昨日この街にきたばかりで、右も左もわからないという状態らしく、僕たちと出会う前にも高校を求めてこの街を彷徨っていたらしい。

 

「女神さま……あのままだったら、この街の暗部に飲まれて消えるところだったよ……」

「そんなものは無いよ、この街は犯罪も少ないし」

 

特に組織的犯罪やテロなどに巻き込まれることもなく、千夜さんの先導で、僕たちは入学する高校へと歩いた。

 

しかし……

 

(こんな道通ったっけ……)

 

僕は生まれたときからこの街に住んではいるが、外出することが少なく、そんなに地理に明るい訳ではない、

 

が、高校への道は流石に覚えている、脳内のマップからすると、今進んでいるのは明後日の方向だ。

 

まあ、近道でもあるのだろう……。

 

「あそこに見えるのがそうよ」

「わぁ……ここが私の新しい学舎かぁ、見てるだけでわくわくしてきたよ」

「ふふ、私もココアちゃんたちと通えると思うと、わくわくして……きて……」

「……」

 

千夜さんの言葉尻が萎む。

 

立派な校門には『中学校』の文字。

 

「……千夜さん?」

「卒業したの忘れて、間違っちゃったわ」

 

てへっ☆と頭を拳で叩く千夜さん。

天然か? 受け狙いなのか? 恐らくは両方だ。

 

僕は限りなく心配になった、ココアさんだけでなく、この人も。

高校の制服のまま中学の入学式に出席しないだろうか……

 

「どんな楽しいことが待ってるんだろう……笑って、泣いて、きらきらした学校生活を送りたいなぁ」

 

ココアさんは気づかず、来る高校生活に思いを馳せている。

 

とりあえず明日は、公園で待ち合わせることにした。

 

 

ーー

 

 

「ま、まさか中学に連れていかれるなんて……私は高校には行けない運命なんじゃ……」

「ということが無いように、明日は僕が案内するよ……千夜さんも一緒に」

 

あの後千夜さんとは別れ、僕たちは帰途についていた。

ココアさんとは方角が同じようで、途中までは一緒だ。

 

「なるくんの家はこっちなの?」

「いや、僕は今からバイトがあるから」

「へぇ! 若いのに偉いねぇ、お姉ちゃんがもふもふしてあげる!」

「その誉められ方は男子として抵抗ある……! ちょっと待って抱きつくな!」

 

ココアさんは満面の笑みを浮かべて『もふもふ』しようとしてくる。

そもそも異性として認識されてないらしい……どぎまぎしながらも、自身の身体を呪った。

 

近くにあった店のショーウインドウに映る、自分の姿を見る。

 

男子にしては小さい、160代半ば程度の身長。

骨格からして細い、全体的に肉が薄くて軽い身体。

体重は50を大きく下回り、献血すらできないレベルだ。

特徴のないショートの黒髪に、アンバーの瞳はうっすら悪い、病的に白い肌は幸薄そうだ。

そして極めつけに、中性的な童顔。

僕には2つ下の妹がいるが、顔つきも非常に似ており一緒にいると姉妹と言われる始末。

 

おおよそ『男らしさ』というものが、僕からは欠如しているのだ。

 

「はぁ……」

「どうしたの? そんなため息ついて」

「いや……なんでもない」

 

同世代の女子に抱きつかれるというのは憧れのシチュエーションだが、全くもって嬉しいとは思えなかった。

 

「なるくんは、何のお仕事してるの?」

「喫茶店で厨房を担当してるよ、まだ日が浅いけど」

「奇遇だね、実は私も昨日から喫茶店で働きはじめてるんだよ!」

「へぇ……そっか、ココアさんは外部からの編入だから、この街の奉仕制度を使ってるんだ?」

 

この街には、外部から来ている生徒が町の店に下宿させてもらう代わりに、その店で働いて社会勉強をする、という制度が存在する。

この街は観光地であることもあり、地価もバカにならない、そのための、商店街とも連携した生徒呼び込みの策なのだろう。

 

「よくわかったね! 泊まり込みでバリバリ働くよ! なるくんもよかったら来てみてね!」

「うん、そうする、ココアさんの制服姿も見てみたいしね……ココアさんもよかったら僕の方の店に来なよ、甘いものくらいだったら奢るから」

「わかった! 楽しみにしてるね!」

 

そうこうしながら歩いていると、ココアさんは何かを見つけたように笑顔を見せた。

 

「あっ! チーノちゃーん! お帰りー!」

「ココアさん、となるさん?」

 

ぶんぶんと手を振る先には、一人の少女。

彼女は青みがかったアッシュブロンドのロングヘアをふわりと揺らして、こちらを振り向いた。

 

少女の名前は香風智乃(かふうちの)、僕が働く喫茶店『ラビットハウス』マスターの一人娘だ。

14歳という幼さでありながら店の手伝いをしており、そのためか歳に不相応な落ち着きを持っている。

 

容姿の端麗さも相まって、どこか人形じみた可愛らしさを持つ少女だ。

 

「まさか一緒だったとは、そういえばお二人とも同じ学校でしたね」

「あれ? チノちゃん、なるくんと知り合いなの?」

 

ココアさんは、驚いたように目を丸く開く。

言うとおり、僕はチノちゃんと面識がある……というか、もう大体想像がついている。

 

少し前に、新しい人を入れると言っていた。

そして、僕は昨日は休みだった。

つまりーー

 

「昨日、お休みのバイトの人がいると言ったと思うんですが……なるさんがそうです」

「えっ……えええぇぇぇぇっ!」

「あはは……」

 

ココアさんは満面の笑みを浮かべて、僕の手をがっしりと掴んで、鼻息荒く顔を寄せてきた。

 

「これはもう偶然を通り越して運命だよ! この街に越して来てから運命感じまくりだよ!」

「そうだね、流石に僕も驚いた、新しい人がどんな人かと思ってたけど……ココアさんで安心したよ」

「うんうん、お姉ちゃんに任せて!」

「……」

 

おだてられてサムズアップするココアさんを、チノちゃんは半目で見つめていた。

 

「そういえばココアさん、学校はどうでした?」

「うん、この街の建物って私の暮らしてた所と違って、迷っちゃってね」

「そうですか、学校どうでした?」

「まるで童話の世界みたいだよねぇ、前からここに暮らしてみたいなって思ってたんだ~、実はちっちゃいとき一回だけここに来たことがあってね、その時……」

「高校は……」

「聞かないで……!」

 

チノちゃんの質問責めにココアさんは顔を赤らめて背けた。

よっぽど恥ずかしかったのだろう、まぁそもそもたどり着けすらしなかったのだが……。

 

……ココアさんは捨てられた子犬のような表情でこちらを見つめている。

 

「うん、まぁいいところだったよ、校舎も綺麗で広かったし、それと文化祭は地域と共同でやる規模の大きいものでね……あと学食のコロッケパンが美味しくてさ、あれを広い中庭で食べると良さそうだな、って」

「そうですか」

 

僕はパンフレットと一度行ってみたときの知識を総動員して、助け船を出した。

これでココアさんの面子は保たれた、と信じたい。

 

ーー

 

「わぁ、なるくんの服装、大人っぽいねぇ」

 

『ラビットハウス』に向かった僕らは、着替えを済ませ、仕事場に入っていた。

担当は僕が厨房、ココアさんはホール、チノちゃんはホール兼ドリンク担当だ。

 

「正直、服に着られてる感が凄いんだよね、これ……」

 

そう言う僕が着ているのは、この店のバータイムの正装。

ピチッとアイロンのかけられたシャツにベスト、蝶ネクタイといったシックな装いだ。

料理をするため、その上にエプロンとコック帽を被っている。

流石に袖余りしたりはしないが、どうしても背伸びしてる感が出てしまう。

 

「ココアさんのはピンクバージョンか、似合ってると思うよ」

「えへへ、そうかな」

 

ココアさんはその場でくるりと回って、その衣装を披露した。

シャツにリボン、ピンクのベストにロングスカートという装い。

ホールの人たちの共通衣装で、ベストの色は彼女のものを含め三種あるらしい。

ピンクという色合いは似合う人が限られるが、彼女はそれをなんの違和感もなく着こなしていた。

 

「二人とも、駄弁ってないで仕事するぞ」

 

喋っていると、ホールの方から一人の少女が声をかけてくる。

 

「あっ、リゼちゃん!」

「昨日に引き続き、私がお前の教官を勤める、お前が完璧な兵士(ウェイトレス)になるまで、嫌というほどしごいてやるから覚悟しろ」

「さー、いえすさー!」

 

少女ーーリゼさんが言うと同じに、ココアさんは可愛らしく敬礼のようなポーズをした、緊張感の欠片もない。

 

彼女は、艶やかな黒髪をツインテールにした、活発そうな雰囲気の少女だ。

凛とした身のこなしは、彼女が何かしらの武術の経験者であることを言葉無く物語っている。

ハキハキとした声と内から垣間見える自信は、彼女に競走馬のごとき力強い迫力を持たせていた、近くにいるだけで身が引き締まるような、エネルギッシュな少女だ。

 

彼女の親は軍人で、『訓練』をされているらしく彼女のノリは基本、こんな感じだ。

流石にウジ虫だがじ○いのフ○ックだか言ったりはしないし、普通にやさしく教えてくれる、頼りになる先輩なのだが。

 

「それで教官! 今日は何をすればよろしいでしょうか!」

「よろしい、ではチノの方から仕事を振ってもらう」

「えっ」

 

カウンターでコーヒーの準備をしていたチノちゃんが、困惑した表情で振り替える。

 

「えっと……それなら、荷物を運ぶのをお願いします」

 

 

ーー

 

「よし、それじゃあそこのコーヒー豆の入った袋をキッチンまで運ぶぞ」

 

リゼさんに連れられ、僕とココアさんはラビットハウスの倉庫に来ていた。

 

周囲には営業に使用する様々な物品が並んでいた、砂糖、小麦粉、野菜等に諸々雑貨とーーコーヒー豆。

 

一際目を引く大きな袋、外国から取り寄せているのであろう、麻袋に入ったそれは、見るからに重たそうだ。

 

リゼさんはそれに近づき、流石に重そうに、でも苦戦することなく肩に担いだ。

 

相変わらずだが、よくこんなものを持てるものだと思う。

以前調べてみたが、この袋は海外からの並行輸入品で、その重量なんと……60kg、僕の体重より遥かに重い。

 

「お、重い……これは『普通の女子高生』にはキツいよ……」

「二人で持っていこうか、ココアさん片側持てる?」

「やってみる……うぅ、ふたりがかりでも重いよぉ……」

「もうちょっと僕に力があったらよかったんだけど……情けない」

 

ココアさんと二人がかりでどうにか袋を持ち上げ、キッチンに向かう。

 

「……リゼさん?」

 

ちらと横を見ると、大きな袋を下ろし、小さな袋をわざわざ4つも持ち上げるリゼさんの姿が。

 

「わ、私も『普通の女子高生』だからな、大きな袋を一人で持っていくのは……む、無理だ」

「はぁ」

 

どうやら『普通の女子高生』という言葉に過敏に反応したらしい、彼女自信は普通という言葉とは全くの無縁だが……

僕が男子基準で最底辺に非力なのは間違いないが、ココアさんは非力ではない、リゼさんが怪力なのだ。

 

「わ、リゼちゃん、ちっちゃい袋4つも持てるんだ、私なんかじゃ多分、一つくらいしか持てないよ……力持ちなんだね……」

「えぇっ……!?」

 

ひいひいしながらココアさんが言うと、リゼさんは袋を取り落とした。

 

「あ……あぁ、流石に重いな! 私も一つしか無理だ!

普通の女子高生だからな!」

「だよねぇ、重いよねぇ……」

「……」

 

リゼさんは一瞬だけ、ものすごく申し訳なさそうな表情を僕にくれ、その手にもて余すように、小さな袋を一つだけ持っていった。

 

 

ーー

 

その後、数人の客を捌き、夕暮れ頃には客足は途絶えてきた。

 

……正直なところ、4人で仕事をするには明らかに手が余り、手持ちぶさたになることが多く、ただ駄弁っているだけの時間も多かった。

僕は微かにこの店の未来を案じた。

 

「……まぁ来るときはそれなりに来てたし、大丈夫でしょ、多分」

 

そうこうしていると、カウンターにノートを広げてペンを弄ぶチノちゃんの姿が目に入った。 

 

「チノちゃん、何してるの?」

 

こちらも絶賛暇をもて余し中のココアさんが、チノちゃんに声をかける。

 

「宿題です、空いた時間に片付けてるんですが……」

「へぇ~……」

「チノちゃんは熱心だね、仕事中にやるのはあまり感心しないけど……」

 

ココアさんと共に、ノートを覗きこむ。

やっているのは、数学の宿題らしい。

 

「あっ、チノちゃん、ここ間違ってるよ、下から3番目のやつ、128だね」

「上から二番目のも計算が間違ってるね、そこは367だよ」

「むっ?」

「ん?」

 

僕とココアさんは顔を突き合わせた。

ココアさんは少し怪訝な表情をして、再びノートへと視線を戻した。 

 

「チノちゃん、そこは216だね、次は……」

「352だね、それはちょっと難しいから、答えから計算をしてみるといいよ」

「……むぅ」

「……なぁ、二人とも」

 

二人の様子を見て、リゼさんが話しかけてくる。

 

「……430円のブレンドコーヒーを29杯頼んだら、幾らになる?」

「12470円だよ」

「12470円だね」

 

ほぼ即答、さらにハモった。

その事実に、ココアさんはぷくぅ、と膨れて不機嫌になる。

 

「……納得行かない」

 

小さく呟く。

 

「チノちゃんのお姉ちゃんは私なんだから!」

「突然なんですか!?」

「勝負だよなるくん、お姉ちゃんの座を賭けて!」

「私に姉妹はいません」

「それなら僕はお兄ちゃんじゃない?」

「そう言う問題じゃない……!」

 

チノちゃんを抱きしめ、人差し指をピンと伸ばしてこちらに向けてくる。

チノちゃんは『いや、止めてくださいよ』みたいな目をこちらに向けてくるが、1お兄ちゃんとしてこの戦いを拒否はできない……チノちゃんの、ではないが。

それに暗算は得意分野、わざわざ逃げる必要もない。

 

「来な、正面から叩き潰してあげるよ」

「その余裕……すぐに後悔することになるよ!」

 

お互いの視線が交錯し、火花が散る。

今ここに、戦いの火蓋が切られるーー!

 

「いや、仕事しろよ」

 

リゼさんは小さくぼやいた。

 

ーー

 

 

結果として。

 

僕は地面に這いつくばっていた。

そんな僕を、ココアさんは不敵に笑い見下す。

 

「馬鹿な……!」

「これがお姉ちゃんの力だよ」

 

実力差は歴然だった、僕も暗算は得意ではあるが、一般人の域を越えることはない。

だが彼女は違う。

どのような数式であろうと、まるで神託を受けているかのように即座に解答を導きだす、人間電算機、とでも言えばいいだろうか。

 

「こいつ、以外な特技を……」

「て、天才……?」

 

僕とリゼさんは口々に言う。

あまりにも意外過ぎる、ほわほわとしたイメージからは想像もできない。

しかし、ほにゃららと天才は紙一重、とも言う。

 

「ふふ、もっと誉めてくれていいんだよ……!」

「素直に尊敬するよ、ココアさん、こんなに頭が良かったなんて、高校でもお世話になるかもしれないね」

「お姉ちゃんに任せなさい、でもねなるくん、それ以外にも勝ち負けを決めた要因があるよ、なんだかわかるかな?」

「要因?」

 

顎に手をあてて、少し考えてみる。

 

「……ごめん、全くわからない」

「なるくんの誕生日は?」

「3月3日だけど」

 

そう、ひな祭りだ、女の子のお祝いの祭りだ。

1日ずらして生んでくれれば、と何度か思った。

 

「私は4月10日……もうすぐ誕生日も迎える、つまり、私がお姉ちゃんだからだよ!」

「うん?」

「どこのだれが言ったか知らないけどこう言う言葉がある『姉に勝る妹などいない』!」

「それ負けフラグじゃない?」

「これからなるくんも、私のことはお姉ちゃんって呼んでくれていいからね!」

「キッツいかなぁ」

 

その様子を無視して仕事に取りかかっていたチノちゃんとリゼさんの二人は、やっと終わった戦いを見て、あきれたようにため息をついた。

 

「チノちゃん、私勝ったよ!」

「はいはい、えらいですよ、仕事してください」

「やっと終わったか、店閉めるから手伝えよ、新人」

「あれぇ……!?」

 

チノちゃんは、まとわりついてくるココアさんを若干うざったそうにいなす。

チノちゃんの宿題は既に片付けられており、店じまいの準備が始められていた。

 

「さて、仕事仕事……っと」

「え、私のお姉ちゃんの威厳を示す機会は?」

「また今度にしようね」

「そんなぁ……」

 

ココアさんが力尽きたように床に項垂れる。

 

ーーこうして、僕たちの最初の仕事は、つつがなく終了したのだった。

 



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思いつきだけで料理をしちゃダメだと思う

『……やれやれ、大変なことになりそうじゃ』

 

何処からともなく、老人のしゃがれた声がする。

 

ラビットハウスの夜に開店するバー、そこには、香風タカヒロと、うさぎのティッピーだけがカウンターにいた。

 

しかしそこには、二人の話し声が響いていた。

 

「あの二人……ココア君とチノが仲良くやれるといいな」

『ココアと言ったか……あの娘、あっという間に店に馴染みおったわ、チノには、ああいうタイプのほうが接しやすいかもしれんの』

「リゼ君もナルミ君も、ああいう積極的で明るいタイプではないからね、まぁあれはあれで、いい影響を与えているとも思うが」

『ナルミか……あやつがここに来たときのことを思い出すわい』

「そういや、生前の昔馴染みだったか」

『8年も前に少し会っただけだがの』

 

ティッピーは丸い体をころころと転がして言う。

声は老人のそれだが、その所作に威厳は欠片もなく、とても愛らしい。

 

『あの死にかけの子供が、よくよくあぁも元気になったと思ったよ、それで、わしに会うために来たというのだから、驚いたわい』

「そうだな……親父が亡くなったと聞いて、泣きそうな顔になっていたから……」

「……恥ずかしい話をしないでくださいよ、タカヒロさん」

 

横合いから声、そこには会話の当人たる条河成生がいた。

服装は私服に着替えており、恐らくは帰る直前だろう。

 

『おぉ、ナルミ、仕事は終わったかの?』

「はい、おじいさん」

 

ナルミはそのまま、ティッピーの前の席に腰掛けた。

 

「僕も驚きましたよ、まさかあの時のおじいさんが亡くなってて……落ち込んで帰ろうとしたらおじいさんの声がして……振り向いたら、可愛らしいうさぎがいましたから」

 

ナルミは穏やかに笑った。

 

目の前のアンゴラうさぎ……『おじいさん』という言葉は文字通りだ。

この子の中には、タカヒロさんの父、チノちゃんの祖父にして『ラビットハウス』の前マスター、香風老人の魂が入っているのだ。

 

「ワシも、どうしてこうなったのかはよくわからんがの」

「正直、僕にとっては些末事(さまつごと)ですよ、おじいさんはおじいさんですから」

「そう言ってくれると有難いわい……あの小娘に抱きすくめられた時には、人としての尊厳を幾許(いくばく)か捨て去る覚悟をしたわ……」

「ココアさん、もふもふしたもの全般が好きみたいですからね、おじいさんはその究極ですし、あきらめたほうが賢明かと」

「……生前からこいつにだけはなりたくないと思っておったが、今またそう思ったわ」

 

ティッピーは威厳のある老人の声で言う。

 

「でも、いい人ですね彼女は、リゼさんも面倒を見てくれてますし、お陰さまでうまくやっていけそうです」

「そうじゃの、この店もにぎやかになる……あやつがいなくなってから、この店は少し暗かったからの、まぁそれも、落ち着いた雰囲気でいいかと思ったが」

「いいじゃねえか、昔みたいに、パーティみたいにパーッとやるのもいいかもしれんぞ?」

「あやつのアレはやりすぎじゃ……もはやジャズかどうかも怪しかったじゃろ」

「ハハハ……かもしれんな」

 

笑いながら、でもどこかさみしそうに、タカヒロとおじいさんは言った。

 

「そういえば、明日は高校の入学式じゃったか?」

「はい、僕も晴れて高校生です、ココアさんと、千夜さん……今日知り合った人なんですけど、もう二人も友達ができて、いまから楽しみです」

 

嬉しそうにするナルミを見て、ティッピーは思う。

あの時の虚ろな瞳とは正反対だ、と。

8年前に会った時の彼は、文字通りの死に体だった、心も身体も。

 

『なんで助けたんですか』

 

『あのまま死なせてくれたなら、みんな幸せになれたのに』

 

そんなことを言っていた少年が、いまこの場所で幸せそうにしている。

それだけでも、こんな体になった価値は十二分にあった、と断言できる。

 

「バータイムのお邪魔してすいません、今日は帰りますね」

『おお、気を付けての』

「はい、では、また明日」

 

言って彼は荷物をまとめ、ラビットハウスから出ていった。

 

「……全く、俺への対応とは大分違うな、親父?」

「お前と違って可愛げがあるからのぉ、それにあぁも懐かれては、年長としては無下にできんだろう」

 

ドアが閉まるのを見届け、タカヒロは小さくごちた。

 

「ふん、こんなナリで年長気取りとはな」

「あやつがわしをそう扱うのならばそうするさ、うさぎ扱いするのならば、そうなるしかないが」

「そう言いながら、ココア君に抱きしめられたときは地声で呻いていたじゃないか」

「限度がある、わしも今はこんなじゃけど一応アレじゃし……」

 

もじもじとするティッピー。

その姿は愛らしかったが、自分の親父の姿とそれを重ねて、タカヒロは笑った。

 

「ハハハ! 何だ、楽しくなりそうじゃないか、親父」

「馬鹿もん! 老人をからかいおって……お前もこうなれば、わしの気持ちの一つも解ろうよ!」

 

それを聞いて、タカヒロは更に笑った。

 

 

ーー

 

 

翌日。

 

僕はココアさんと千夜さんを連れて高校に向かったが、流石に特に問題なく入学式は終わった。

 

「二人と同じクラスで良かったわ」

「私もみんな同じクラスで嬉しいよ! この町に来てから運命感じまくりで、これからが楽しみだなぁ」

「僕も少し不安だったけど、二人がいてくれて安心したよ……ココアさんが学校でも迷子になってたのは、少し驚いたけど」

 

今日は簡単なHRだけで帰宅となり、僕たちは帰路に着いていた。

 

今日はこのままラビットハウスに向かい、昨日と同じくアルバイトの予定だが……。

ふと、ココアさんが足を止める。

 

「いい匂い……パンの匂いだ」

「パン屋さんよ、近くにあるの」

 

千夜さんがパン屋を指差す。

ココアさんは目を輝かせてその場に向かうと、窓辺に張り付くようにパンを見た。

 

「……かわいい」

「パンが?」

「そんな食い入るくらいパンが好きなの?」

「実家がパン屋なんだよ! これを見てると、私の中のパン魂が(たかぶ)るんだよ!」

「どうどう、落ち着こう」

 

興奮して鼻息荒く語るココアさん。

しかし、そこに共鳴する人がいた。

 

「わかるわ! 私も和菓子を見てるとアイデアが溢れてくるの」

「千夜ちゃんの家は和風の喫茶店で、和菓子作るの好きだったよね? この前も『センヤツキ』? だっけ? そんな名前の栗羊羹(くりようかん)を貰ったし」

「そう、それよ! 出来た和菓子に名前をつけるのが一番の楽しみなの!」

「インパクトある名前だよね! 意味わかんないけどなんかかっこいいし!」

 

手と顔を突き合わせ、姦しく話す二人。

その熱量に、僕は入っていく隙すらなかった。

 

しかし、『センヤツキ』……『千夜月』か?

『夜』が羊羹、『月』を栗に見立て、更に自分の名前のダブルミーニングを入れているのか、もしかしたら彼女にとっても思い出深いものなのかもしれない。

そのまま聞けば必殺技の名前だが、まぁまだわからないでもない。

 

「名前? 他にはどんなのつけてるの?」

「『煌めく三宝珠』『雪原の赤宝石』『海に映る月と星々』『フローズン・エバーグリーン』」

「三色団子、苺大福、白玉栗ぜんざい、宇治金時かき氷?」

「わかるの!? うちでは新規のお客様には『指南書』を配布してるのに!」

「まぁ、連想ゲームと思えば……ってかそれ店としてどうなの?」

「なるくんには才能があるわ! うちで働いてみない?」

「千夜さんの喫茶店で?」

「部屋を開けておくから荷物をまとめてきてね?」

「えっ住み込み?」

 

ものすごい勢いで話が進んでいく、千夜さんは僕の手をがっしり掴んで離さない。

存外力が強く、僕の非力では引き剥がせそうにもないほどだ。

 

「なるくん取っちゃだめぇ!」

 

しかしその手は、間に割って入ってきたココアさんによってほどかれた。

 

「なるくんはラビットハウスの従業員さんだから、いくら千夜ちゃんでもあげられないよ!」

「僕の権利は?」

「そ、そんな……既に手を回していたなんて、同い年の子と一緒に働けると思ったのに……」

 

……同い年の子と一緒に、か。

その想いは、なんとなく僕にもわかった。

 

「……時々ならいいよ?」

 

僕がそう言うと、千夜さんはパッと笑顔になった。

 

「本当!? 嬉しいわ! その時はココアちゃんも連れてきてね?」

「私も!? でも、私にはラビットハウスという住み込みの職場が……」

「部屋を開けておくから荷物をまとめてきてね?」

「話がトントン拍子で進んでいくよぉ!」

 

千夜さんは僕とココアさんの腕をがっしり掴む、被害者が増えた。

でも、千夜さんの顔が本当に嬉しそうだったから、僕もココアさんもそれをほどくことをしなかった。

 

 

ーー

 

 

ーー数日後。

 

『オーブンならありますよ、おじいちゃんが調子に乗って買ったやつが』

 

チノちゃんのその言葉によって、ココアさんのパン魂が再び昂った。

 

「じゃあ、今日はみんなで看板メニューの開発をするよ!」

 

そして話は進み、ココアさん主催の料理会が開催と相成ったのだ。

 

「こちらは千夜ちゃん! 私となるくんのクラスメイトで、和菓子屋の看板娘だよ」

「呼んでくれてありがとう、今日はよろしくね?」

「ここのバイトのリゼだ、よろしくな」

「チノです、よろしくお願いします」

 

挨拶を交わして頭を下げるチノちゃん、その頭上にちょこんと乗っているティッピーがずり落ちそうになる。

 

ギリギリでチノちゃんが受け止めるが、『ぬおっ!』というしゃがれた声が聞こえた。

隠す気があるのだろうか。

 

僕は昔のおじいさんと知り合いだったのもあり、その正体を知っているが、もし世間にバレたりすればどうなるかわかったものではないのだが……。

 

「あら、そのワンちゃん……」

 

千夜さんがティッピーを見て言う。

確かにうさぎには見えないが。

 

「ワンちゃんじゃなくティッピーです」

「この子はただの毛玉じゃないんだよ~」

「あら、毛玉ちゃん?」

「もふもふ具合が格別なの! ラビットハウスのマスコットだよ!」

「癒しのアイドルもふもふちゃんね」

「ティッピーです」

「話終わりそうにないから言うね? アンゴラうさぎって品種だよ」

 

放置すれば話が異次元に飛ぶ予感がしたので僕は口を出した。

ただの毛玉でないのは全くもって間違いないのだが。

 

「それにしても、ココアがパンを焼けるなんて意外だな」

「えへへ、そうかな」

 

リゼさんが話を仕切り直す。

 

「みんな、パン作りを嘗めちゃいけないよ! 少しのミスが完成度を左右する……そう、これは戦いなんだよ!」

「戦い……!? そしてココアのこのオーラ、まるで……」

 

リゼさんが昂るココアさんを見てはっ、と息を飲む。

嫌な予感がする。

 

「今日はお前に教官を任せた! よろしく頼むぞ!」

「任された!」

「リゼさん……」

 

彼女は幾つかの琴線に触れるワードーー主に軍事関係ーーを聞くと、すぐに調子に乗ってボケに回る癖がある。

 

 

「……暑苦しいです」

 

チノちゃんは小さく呟いた。

彼女は僕が来る前からこのノリを味わっていたので、既に若干辟易しているらしい。

曰く、『疲れる』とのこと。

 

「よし、それじゃあ各自、パンに入れたい具材を提出~!」

 

ココアさんが仕切り、改めて料理会が始まる。

彼女が言って取り出したのは……

 

「私は新規開拓に焼きそばパンならぬ焼きうどんパンを作るよ!」

「私は自家製あずきと、梅と海苔をもってきたわ」

「冷蔵庫にいくらと鮭と納豆とごま昆布がありました」

「和風縛りでもあったっけ?」

 

見事に和風の食材しかない、そしてあんこ以外は総じてキワモノ揃いだ。

初心者が奇をてらって常軌を逸したモノを作り上げるのは古来からの伝統芸能だが、大丈夫だろうか。

そもそも料理人が変わり種なのだし、普通にするくらいがちょうどいい気がするが。

 

「……私はイチゴジャムとマーマレードだ」

「あぁ普通だ、良かったです」

 

ものすごく釈然としない表情で、リゼさんはジャムの瓶を取り出した。

 

「ナルミ、確認なんだが、これはパン作りだったよな?」

「そのはずですよ」

「だよな、ナルミは何を持ってきたんだ?」

「僕はケチャップ、ウインナー、玉ねぎとピーマンとマッシュルームです」

「何を作るんだ?」

「ナポリタンです」

「パン作りだよな? あれ? もしかして私がおかしいのか?」

 

リゼさんは頭を抱えた。

 

「あ、いえ、焼きそばパンがあるのでナポリタンパンがあってもいいかなと思って」

「そ、そうか……まぁ焼きうどんパンよりはマシか……?」

「千夜さんのあんことそれ以外は全部おにぎりの具材ですからね」

「不安だ……」

 

 

ーー

 

 

その後僕たちは、パンの生地作りを初めていた。

 

「ふぅ、ふぅ……」

 

小麦粉の塊を、ひたすらこねる、こねる、こねる……。

 

「こ……これ……思った以上に……重労働、だね……」

 

既に貧弱な僕の体力は尽きかけていた。

周囲にいる女性たちと大差ない太さの腕はぷるぷると震え、乳酸を退かせと叫んでいる。

 

「思ったより、時間のかかる作業なんですね……」

「腕が、もう動かない……」

 

他にも、体力に自信のない人たちがきつそうしているが、諦めずに続けていた。

 

「リゼさんは余裕ですよね?」

「何故決めつけた?」

「ココアさんは……」

 

そしてもう一人、何かのオーラを放出しながらひたすらにパンをこねる……いや、愛でる人が。

 

「このパンがもちもちしてて、凄く可愛いんだよ!」

「凄い愛だ!」

 

流石はパン屋の娘といったところか、その作業は手慣れたもので、そして一つ一つの作業に工夫と愛が込められているのがわかる。

 

「くっ……ふぅ」

 

対して僕は疲れはて作業スピードが落ちてきていた。

正直に言えば休みたい、だが……。

 

「大丈夫千夜ちゃん、手伝おうか?」

「いいえ、大丈夫よ」

「なるくんも辛そうだけど……」

「これくらいなんともないよ、大丈夫」

 

最も辛そうにしている千夜さんが健気に続けている以上、男の僕が先に折れるわけにはいかない。

その想いで、僕はパンをこねた。

 

「二人とも頑張るねぇ、健気ってやつかな」

「あぁ、流石にナルミは体力無さすぎな気がするが……」

「逆にリゼさんは体力お化けですよね、普段の仕事でも力仕事はリゼさんがやることが多いですし」

「……なんか釈然としない、いやまぁそれ以外の仕事が完璧だから、困ってはいないんだがな」

 

何か三人がひそひそ話をしている。

 

まさか、体力ないとか男として情けないとか言われてるんじゃ……。

なら、意地でもついていけるってところを見せつけなくちゃ……。

 

へろへろになった腕に力を込めようとすると、千夜さんと目が合う。

 

「なるくん、大丈夫……?」

「だい……だい……だい……丈夫、男なんだ、これくらいこなさなきゃ……」

「なるくん……そうね、ここで折れるは武士の名折れぜよ、息絶えるわけにはいかんきん!」

「何故に土佐弁……?」

 

千夜さんは腕捲りをして、まるで立ち合いの如く気合で小麦粉に向かっていった。

 

僕も負けていられない……!

腕捲りをして、目の前の小麦粉を叩き伏せんと挑みかかった。

 

「……健気?」

 

チノちゃんの呟きは、熱気にのまれて消えた。

 

 

 

ーー

 

こね終えた、ココアさん曰く『凄く可愛い』パン生地を一時間ほど寝かせるため、一同は暫しの休憩をとっていた。

 

「改めて、ココアさんは料理もできるんだね、パン作りの手際を見て驚いたよ」

「えへへー、もっと誉めてくれていいんだよ?」

「僕、ここのメニューは粗方作れるけど、パンは作ったことないし、また機会があったら教えてくれる? もしメニューにするんなら、作れる人多いほうがいいし」

「もっちろん! お姉ちゃんにまかせなさーい!」

 

ココアさんはサムズアップして言った。

 

「ココアさんはパン以外作れないんですが……」

 

チノちゃんはその姿をジトついた目で見ていたが、目の前のココアさんがとても嬉しそうだったので、気にはしなかった。

 

「しかし毎度思うが、ナルミは体力がないな」

「あはは……昔は身体が強くなくて、今は大丈夫なんですが、体力は底辺ですね」

「私が訓練をしてやろうか? 1ヶ月で、一人前の戦士にしてやるぞ」

「あはは、戦士にはなりたくないですね……あっ、タイマー鳴りましたよ、パン作りの続きやりましょう?」

「あっおい逃げるな! ……全く」

 

リゼさんからのお誘いを回避し、僕は自分の分のパン生地へ向かった。

彼女の作ったメニューをやろうものなら、間違いなく僕は天に召されることだろう。

悲しいことに人には向き不向きがあるのだ。

 

「さて! 次はパンの形を整えていくよ! みんな自由に作ってね?」

 

ココアさんの一声で、全員が思い思いの形にパンを整形していく。

 

リゼさんはうさぎの形。

千夜さんは団子のように小さく丸めたものを複数。

僕は普通のコッペパンのような形。

 

チノちゃんは……

 

「それは……アンパ○マン?」

「違います、おじいちゃんです」

「おじいさん……?」

 

ちらり、と上を見る。

チノちゃんの頭の上には、少し恥ずかしそうに身を縮こまらせるティッピーの姿が。

まんまるふわふわのその姿と、若干リアルなアン○ンマンのようなパンは似ても似つかない。

 

「そっちじゃないです」

「あ、そう……デフォルメし過ぎてわかんなかったよ」

「白いお髭が特徴的で……コーヒーを煎れる姿は尊敬していました……」

「白いお髭が特徴だったのでは……?」

「表現上の都合で省略しました、表現しないことも、芸術の一つの形なのです」

「後で生クリーム持ってきてあげるね」

「……ありがとうございます」

 

チノちゃんは恥ずかしそうに目を反らした。

上のティッピーも尊敬していると言われて面映ゆいのか、もじもじとしている。

……こういうところが、家族なんだなぁと思った。

 

「よーし、じゃあみんな、オーブンにパンを入れていくよー!」

 

ココアさんの声。

 

「それじゃ持っていこうか、焼いてる間、僕はナポリタンでも作ってようかな……」

「そうですね、では……」

 

チノちゃんはパンを持って、オーブンへ向かう。

そしてそのパンーー複数のおじいさんを、オーブンの中へ。

 

「これからおじいちゃんを焼きます」

 

言葉尻だけ聞けば恐ろしく猟奇的だった。

 

 

ーー

 

 

「じゃーん! 焼けたよー! 早速食べて見よー」

 

パンの焼ける香ばしい匂いと共に、ココアさんが焼きたてのパンを持ってくる。

見るとパンはどれも美味しそうに焼き上がっており、匂いと合わせて食欲をそそってくる。

 

まず、それぞれ作ったパンを一口齧る。

 

「おいしい!」

「いけますね」

「これなら、看板メニューにできるよ!」

 

千夜さん、チノちゃん、ココアさんが口々に言う。

 

「この焼きうどんパン!」

「梅干しパン!」

「いくらパン」

「どれも食欲そそらないぞ……?」

 

大量の珍パンにリゼさんが思わず突っ込む。

つられて僕もナポリタンパンを食べてみる。

 

「野菜の火が少し通りすぎてる……麺の食感も少し……これならアル・デンテで上げない方がいいかな……最後にバターでも入れて、食感をしっとりさせて……」

「なるくんは、あんまり美味しくなかった?」

「え?」

 

見ると、ココアさんが少し不安そうにこちらを見ていた。

 

「い、いやいやいや、そんな事……パンはとても美味しいよ、ただ、それに合わせるナポリタンの方がもうちょっと改善できるかな、って」

「そうなの? 一口もらっていい?」

「いいよ、ナポリタン余ってるから今から……」

「なるくんの持ってるやつでいいよ」

 

言って、ココアさんは僕の持っていたナポリタンパンに齧りついた。

僕が食べた断面部分から。

 

「おいしい! なるくん、お料理とっても上手いんだね!」

「あ……ありがとう」

「お返しに、私の焼きうどんパンもどうぞ!」

 

少し目を反らしながら答えると、返礼とばかりに焼きうどんパンが差し出されてくる。

差し出された方向は……断面部分じゃない。

よく見るとココアさんの顔は少し赤かった。

 

あぁ、この人も恥ずかしがるのだな……などと少し失礼なことを考えると、頭が冷静さを取り戻す。

そのまま、差し出された焼きうどんパンを一口。

 

「ど、どうかな?」

「おいしいよ、だけど少し味が薄めかな、後、パンとうどんで食感がもたつくから、野菜はあまり火にかけずシャキシャキ感をを出すようにしたほうがいいと思う」

「まともな食レポだ!」

 

焼きうどんパンは思ったより美味しかった、パンに挟まずそのまま食べた方が多分美味しいが……やはりココアさんは料理も結構出来るようだ。

 

「それなら私の梅干しパンも、あーん」

 

千夜さんもつられてパンを差し出してくる。

海苔の巻かれたパンで、中に梅干しが入っているらしい。

 

「おいしいね、なんかご飯が欲しくなる味」

「なるさん、私のいくらパンもどうぞ」

「チノちゃんはなんでわざわざそれをチョイスしたの?」

 

彼女の持っていた食材は特にキワモノ揃いだったが、何故更に選りすぐりのキワモノを選んだのか。

とりあえず食べてみる。

 

「……」

 

パンの中に、火の通ったいくらのぐにぐにした食感が……。

 

「どうですか?」

「……………………えっと」

 

返答に非常に困っていると、にわかにコーヒーの香りが立ち込める。

見ると、ココアさんがコーヒーを煎れて持ってきてくれたみたいだ。

 

「じゃーん! おもてなしのラテアートだよ!」

「ありがとう、ココアさん」

 

僕は二重の意味でココアさんに感謝した。

ココアさんから配られたコーヒーには、花のラテアートがあしらわれていた。

まだ少し歪だが、始めたばかりと考えれば十分と言える出来だろう。

 

「はい、千夜ちゃんには最高傑作だよ!」

「まぁ、すてき! 味わっていただくわね」

 

千夜さんがコーヒーに口をつける。

 

「あ……けっさくが……」

 

ココアさんがにわかに落ち込んだ表情をする。

千夜さんはゆっくりとコーヒーを戻した。

ココアさんは笑顔に戻る。

 

……数秒後、再びコーヒーを手に取る。

ココアさんの表情が曇る。

 

「……その前に写真撮っとけば? 傑作なんでしょ?」

「そ、そうだね! あっでももう……」

「大丈夫よココアちゃん! まだコーヒーには口をつけてないわ!」

 

ココアさんは写真を取り、千夜さんはゆっくりとコーヒーを飲むことが出来ました。



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「パン作りに招待になったお礼に、家の喫茶店にご招待するわ」

 

 

千夜さんにそう言われたのが昨日の話。

彼女の家は、風変わりな茶屋を営んでいるという話は以前に聞いている。

 

お店が休みの日だったので、ココアさん、チノちゃん、リゼさんと僕の4人で、そこに向かっていた。

 

「どんなとこか楽しみだね」

「なんだろう、どんなところか全く想像がつかないんだけど」

 

以前言っていた限りだと、店のメニューは全て強烈な必殺技名の乱舞であると言う。

なんとなく雰囲気からどんな食べ物かはわかるが、そこからどんな強烈な店構えが出てくるのかわからなかった。

 

「なんて名前なんですか?」

「『甘兎(あまうさ)』って聞いてるけど」

「『甘兎』とな!?」

 

チノちゃんの頭より老人の叫び声。

 

本当にこの人隠す気あんのかな……?

 

「……明らかにチノの声じゃなかったような」

 

案の定、リゼさんがものすごく訝しげな目でチノちゃんを見ている。

 

「チノちゃん、知ってるの?」

「おじいちゃんの時代に張り合っていたと聞きます」

「へぇ、それじゃ結構老舗の店なんだ、なら構える必要も無さそうだね……あ、あれじゃない?」

 

視界の端にそれっぽい建物を見つけた僕は、全力で話を反らしにかかった。

その建物、木製の風情ある看板に『庵兎甘』の文字。

 

「おれ……うさぎ……あまい?」

「甘兎庵な、俺じゃなくて(いおり)だ」

 

ココアさんを諭すリゼさんを尻目に、僕はチノちゃん、その頭の上にいるおじいさんへ話しかける。

 

「……リゼさんとココアさんには話してないんですよね?」

「そうだが……ちと昔の因縁がの、苛立ちが身体の端から滲み出てしまったわ」

「前に一体何があったんですか……」

「大丈夫です、私の腹話術ということで、今までずっとやり過ごしてきました」

「まさかのゴリ押し……!」

 

そんな杜撰(ずさん)極まる対策で今までやり過ごしてきたと言うのか。

いや、本人が喋る以上、対策も糞もないのだが。

 

「いいんですか? 世間にバレようものならホルマリン漬け一直線ですよ?」

「フィクションの見すぎじゃよ小僧、イルカは会話をするし、チンパンジーは人の真似事をできる、ちょっと喋る兎がいたところで、テレビを一瞬湧かせることしかできんじゃろうて」

「そのフィクションの化身みたいな貴方がそれを言うんですか?」

「自分のことを棚上げせんと説法なんざできんわい」

「……兎には声帯が無いはずなんですが」

「突然変異じゃよ、アルビノみたいなもんじゃろ」

輪廻転生(オカルト)とメラニンの欠乏を同列に語るのはどうかと……」

「だとして、そのオカルトを信じる者が何処におる?」

「……まぁ、それはそうですが」

「それにあの子らにバレたところで、どうもなりはせんと思うがの」

「それは……確かに」

 

二人とも驚きこそすれ、翌朝には特に何事もなく馴染んでいるような気さえする。

ココアさんはその中身が壮年の男性とわかってもモフることをやめないだろうし、リゼさんも態度は変えるだろうが、悪意をもって接することはあり得ない。

地を出すにしても人は選んでいる、ということなのだろうか。

 

「チノちゃーん、なるくーん、早くおいでよー!」

「お呼びじゃぞ、レディを待たせるもんじゃない」

「わかりましたよ……ココアさん、今行く!」

 

ココアさんに呼ばれて、僕たちは話を打ち切って店へ向かった。

その途中、チノちゃんがぼそりと呟く。

 

「……あんまり気にしてくれなくていいですよ、おじいちゃんのこと」

「チノちゃん……」

「いざとなったらわたしの腹話術でどうにかしますので」

「空気読んでくれる人が多くてよかったね?」

 

チノちゃんと連れだって、店の中へ入る。

 

「こんにちはー!」

「あら! みんな、いらっしゃい!」

 

ココアさんが元気よく言うと、給仕をしていた千夜さんが嬉しそうに歓迎をしてくれた。

その服装は、初めて会った時と同じ和装だ。

 

店内は明治や大正時代の雰囲気を感じさせる、どこかモダンな喫茶店だった。

 

「あっ! 初めて会った時もその服だったね、制服だったんだ」

「あのときはお仕事だったの、羊羮を届けた帰りで……」

「あ、あの『センヤツキ』って羊羮? あれ美味しくて3本いけちゃったよー」

 

和気あいあいと話す二人。

どうやら僕と会う直前のことを話しているらしい。

 

ココアさんが店内を見渡すと、中央に鎮座しているうさぎに目が止まる。

 

「あっ! あんこだ!」

「看板うさぎなのよ、よっぽどのことがないと動かないんだけど……」

「生きてるのか、置物かと思ったぞ……あ、動いた」

 

それまで微動だにしなかったあんこが、視線を動かした。

その先には……チノちゃん、の上にいるティッピーが。

 

ーーそこからの動きは俊敏だった。

 

チノちゃんが全く反応できない速度で飛び込んできたあんこが、その頭の上にいるティッピーを弾き飛ばしたのだ。

 

「ティッピー! チノちゃん大丈夫?」

「びっくりしました……私は大丈夫です」

 

ココアさんの差し出した手をとり、立ち上がるチノちゃん。

ーーしかし、以前見たときも微動だにしなかったあんこが、何故いきなりあんな動きを……?

 

「ティッピーが外敵に見えたのかな」

「縄張り意識が働いたってことか」

「いえ……あれは」

 

僕とリゼさんの考察を否定し、千夜さんは顔を赤らめる。

一体どういう……。

 

「……一目惚れね」

「え?」

「シャイな子だったのに、あれは多分本気よ」

「あれ? ティッピーってオスだと思ってたけど」

「僕も……」

 

あんな声とあんな人格を見せられて、メスと思うわけは無い。

いや、アンゴラうさぎのオスメスなんて一見してわかるもんじゃないが……。

 

「ティッピーはメスですよ」

「マジ?」

「マジです……中身は、あれですが」

「マジかー……」

 

メスケモ転生とか……どれだけの業を背負って生きてきたのだ、おじいさんは……。

確かに嘆く気持ちもわかる、単なるTSならまだしも……いやそれも十分イヤだが……そこにうさぎという要素が加われば即座にそれを提案した奴を助走つけてぶん殴る自信がある、それぐらい需要がない。

 

「アアァァァァァァーーーー!!!」

 

ーー特に、オスのうさぎに発情されるなど、自殺ものの恥辱だろう。

 

おじいさんの無様な悲鳴が遠くに消えていく。

彼……彼女の冥福を祈り、僕は心の中で十字を切った。

 

 

ーー

 

 

何処へか消えたティッピーを他所に、僕たちは当初の目的通り席についていた。

 

「はい、お品書きよ」

 

千夜さんからお品書きを渡される。

 

……その下にもう一つの冊子。

表紙には『指南書』とある。

 

「……これは?」

「『指南書』よ、お品書きで困ったら読んでね」

「……?」

 

チノちゃんは首をかしげて、そのままお品書きを開く。

そのままの体制で彼女は固まった。

 

「チノ、どうし……」

 

それを見かねたリゼさんがお品書きを見て、彼女も固まる。

この店のことについては、幾つか千夜さんから聞いている、メニュー名が彼女の独創的なセンスによって名付けられたものだと言うことを。

 

「……本当に言ってた通りの形態なんだ」

「なるくんには指南書は必要無さそうだから、普通にお品書きから頼んでね?」

「……まぁ、なるたけやってみる」

 

お品書きを開く。

 

『煌めく三宝珠』『夏の思い出ミルキーウェイ』『泡沫のオフィーリア』『漆黒のクヴェリ』『黄金の鯱スペシャル』

 

「あっダメかもこれ」

 

想像してたよりレベルが高かった。

不味い、幾つか全くわからない。

オフィーリアって『ハムレット』の登場人物だよな……。

クヴェリって一体何……?

 

「ヘイシリ、『クヴェリ 意味』で検索」

 

僕はまず言葉の意味を調べにかかった。

僕の中二レベルではこれは強すぎる、ネットの情報に頼らなければ解けないだろう。

 

「嬉しい! なるくんやる気ね?」

「なんか悔しいしね、ていうか本当に全部中二……独創的な名前になってるんだね」

「一生懸命考えたの、良い名前でしょう?」

「わざわざ全メニュー分考えなくても……」

 

『クヴェリ』はドイツ語で泉を意味する『Quelle』だろうか? つまり漆黒の泉……。

 

「わー、抹茶パフェもいいしクリームあんみつ白玉ぜんざいも捨てがたいなぁ」

「え? ココアさん……わかるの?」

「なんとなく?」

「そっか、ココアさんはすごいね」

「えへへ……なんでなるくん遠い目をしてるの?」

 

小首を傾げてココアさんは言った。

悩んでいたものをあっさり解かれ、僕は釈然としない気持ちになった。

 

 

 

ーー

 

 

千夜さんにメニューを告げーーリゼさんとチノちゃんはそれがなんなのかわからないままーー僕らは忙しなく働く千夜さんの姿を眺めていた。

 

「千夜さんは本当に和服が似合うね、千夜さん目当てで来てる客もいるんじゃないかな」

 

和服にエプロンを着けてお盆をもったその姿は、ただそこにいるだけでも絵になると思えるほど。

この必殺技染みたお品書きも、その可愛らしさの前では単なる愛嬌に思えてくる。

いや、事実そうなのだろう、周囲を見るに『指南書』を使用している客は少ない、それだけリピーターが多いということだ。

 

「千夜ちゃんかわいいもんねー、お淑やかな感じで、大和撫子って言うか」

「……」

 

横のリゼさんを見ると、彼女は無言で千夜さんを見つめていた。

なんとなく、羨ましそうな視線を送っているように感じる。

 

「着てみたいんですか?」

 

恐らくは同じ雰囲気を感じ取ったのか、チノちゃんが声をかける。

 

「い、いや、そういう訳じゃ……私にはあんまり似合わないだろうし」

「えぇ? リゼちゃんなら絶対似合うよ」

「そ、そうかな?」

「なんかこう、思いっきり着崩して、胸にさらし巻いて『さぁさぁ半か丁か乗るか反るか!』みたいなこと言ってそう、カッコいい!」

「そっちかよ! 千夜と正反対!」

 

思いっきりツッこんで、リゼさんは机に突っ伏した。

彼女的には千夜さんと同じようなイメージで着てみたかったらしい。

 

「いいよ、どうせ私にはああいう可愛らしいのは似合わないし……」

「リゼさんは、普通に着ても似合うと思いますよ?」

「ナルミ……嬉しいが、下手なお世辞は今はいい……」

「いえそんなのでなく、寧ろリゼさんに似合わない服の方が少ないと思いますが」

「え? そ、そんなことは……」

 

言われたリゼさんは少し顔を赤らめて、目を反らした。

そんなリゼさんを僕はまじまじと見つめる。

単に美人なのは言うまでもなく、モデル体型とまではいかないものの足は長くスタイルもいい、全身に程よくついた筋肉は、とても健康的な美を醸し出している、大抵の服なら着こなせるだろう。

 

それに比べて自分は……身長は低いし、やせっぽちだし、どこもかしこも細過ぎて白過ぎて肌も出すのも恥ずかしい。

実の妹からは『やーいもやしー! ホワイトアスパラー!かいわれダイコーン!』などと言われる有り様。

その日のおかずはかいわれダイコンのおひたし、もやしのナムル、茹でたアスパラにしてやった。

 

……さておき、彼女くらい健康的になれればどれ程よかったことか。

 

「僕もあと身長が30cm、体重が2.5倍あれば……」

「あ、あんまりジロジロ見るな、恥ずかしい……」

「! ご、ごめんなさい……」

 

言われて、数秒間じっと彼女を見つめていたことに気づき、あわてて目を反らす。

 

「そ、それじゃ今度ここで働くってのはどうでしょう? 多分千夜さんは喜ぶし、リゼさんも和服を着れる、一石二鳥です」

 

実際には彼女の和服姿を見れるので一石三鳥なのだが、そこは黙った。

 

「な、なるほど……でもやっぱり私には」

「リゼさん、似合う似合わないでなく、着たいか着たくないか、ですよ、所詮服装なんて自己満足なんですから、やりたいことをやればいいんです」

「そ、そうか、そうだな……」

 

リゼさんの思考が傾き始める、あと一押しだ。

そこに、注文の品を乗せたお盆を持って、千夜さんがやってくる。

 

「あら、何か面白そうなことになってるわね? まさかリゼちゃんもここで働いてくれるの?」

「い、いやまだ決まった訳じゃ」

「嬉しい! 従業員が一気に三人も増えたわ!」

「三人?」

 

リゼさんが聞くと、千夜さんはきょとんとする。

 

「え? リゼちゃんと、なるくんと、ココアちゃん! 三人でしょ?」

「わたしも含まれてるの!?」

「え? 違うの……? そんな……私となるくんとココアちゃんの三人で、桃園で語り合い誓ったあの時も、全部嘘だったと言うの……?」

「この近くに桃園なんてないよぉ!」

「甘兎ホールディングスを創設して木組みの町を制圧、ゆくゆくは世界を裏から支配する軍産複合体を結成するというあの誓いも、全て嘘だったと……!?」

「規模が大きい!」

 

ーー瞬間、リゼさんが立ち上がり、懐に忍ばせた拳銃を抜き放った。

 

「軍産複合体だと!? ココア、ナルミ……貴様ら甘兎からのスパイか!」

「おおぉ落ちついてリゼちゃん! わたしはラビットハウス一筋だよぉ!」

「この私を懐柔して引き込み、ラビットハウスを吸収しようとしたわけか……その手には乗らんぞ!」

「ち、違います、僕はリゼさんが和服を着たそうだったから、そう仕向けただけで……」

 

言っていると、袖が捕まれる。

その先には、おいおいと泣き真似をする千夜さんの姿。

 

「なるくんは来てくれるわよね? だって言ってたもの、うちで働いてくれるって」

「『時々ならいいよ』って言った気が……ひぃ!?」

 

リゼさんの拳銃が額に押し付けられる。

モデルガンだろうが、撃たれれば相当に痛いことに変わりはないだろう。

……モデルガンだよね?

 

「貴様が首魁(しゅかい)か!」

「ちょ、落ち着いてくださいリゼさ……ん……?」

 

そして、更に逆の袖が捕まれる。

その先には、チノちゃんの蒼白の顔。

 

「な、なるさん、お店辞めちゃうんですか……?」

 

チノちゃんは目に涙を貯めて、しおらしく言った。

 

「い、いや、時々働くかもってだけで……ああクソ、チノちゃんのそんな顔見たくなかったなぁ!」

 

どうしてこんなことに……。

ちらと千夜さんを見る。

彼女は笑顔だった。

 

「千夜さん、なんてタイミングの悪い……」

「ごめんなさい、面白そうだったから、つい」

「天使のような顔をして悪魔のようなことをする……!」

 

理解した、彼女は話をややこしくする天才だ。

それを……天然もあるが、一部故意にやるから余計に性質(たち)が悪い。

 

「なるさん、うちのお店、気に入りませんでしたか……? コーヒーより抹茶のほうがいいんですか……?」

「どちらかと言うとコーラのほうが好きかな……いやごめん失言だった、あぁぁ泣かないで」

「ナルミよ」

 

そこに、(おごそ)かな声が響いた。

見ると、店の入り口にボロボロになったティッピーの姿が。

そのかわいらしい外見と裏腹に、毛は逆立ち、その背後には竜虎すら裸足で逃げたすだろう凄まじい怨念が渦巻いているようにすら見える。

顔面から血の気が引くのがわかった。

 

「御主がなにをしようと、ワシはなにも口出しはせん、だがな」

 

迫力が増す、紫色の炎が立ち上るのを僕は幻視した。

 

「チノを一瞬でも痛め泣かせるようなことがあれば……我が魂魄(こんぱく)百万回生まれ変わってでも、必ず貴様を地獄へ叩き落とす』

「は……はい、わかりました……」

 

僕はこの時理解した、おじいさんのチノちゃんへの愛情は尋常なものではないこと。

そして、それを裏切るようなことをすれば、恐らくは死ぬということを、理解した。

 

ーー騒動は、チノちゃんが腹話術で壮絶な凄みを見せ、周囲を黙らせたことで終結をみた……ことになった。

 

また、『夏の思い出ミルキーウェイ(宇治ミルク金時かき氷)』と『漆黒のクヴェリ(コーラ)』は、とても美味しかった。

 

 

 

 



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結局買ったのはペアカップと……なんでどんぶりを買ったの?

「このお店のカップって無地だよね」

「シンプル・イズ・ベストです」

「でも、もっといろんなのがあったらみんな楽しいと思わない? この前面白いカップを見つけてね、今度買いに行かない?」

「へぇ、どんな?」

蝋燭(ろうそく)の炎が揺れてきれいだったなぁ、それにいい匂いもして……」

「それは多分アロマキャンドルスタンドだ」

 

ーーそんな会話をしたのが少し前、僕たちは甘兎からの帰りに店で使うコーヒーカップを見に来ていた。

 

この街はこの北欧風の雰囲気に合わせてか、お洒落な磁気などを取り扱う店に事欠くことがない。

商店街の一角をリゼさんが指差し、僕たちは入店した。

 

「わぁ! かわいいカップがいっぱい!」

「あんまりはしゃぐなよー」

 

店に入るなり、色とりどりのカップに目を奪われる。

ココアさんが求めていたのは、まさしくこういう光景だったのだろう。

店に入るなり、リゼさんの制止も聞かず店内を物色し始める。

 

「あっ」

 

ーーその1秒後、『ゴッ』という鈍い音。

見ると、足を滑らせ棚の角に額をぶつけるココアさん。

そして、棚の上に置かれたお高そうな陶磁器が2つ、ふらりふらりと揺れる。

 

連携は速かった。

リゼさんが素早くココアさんを抱き止め、チノちゃんが落ちてくるお高そうな磁器のひとつをキャッチ。

 

ーーしかし、更にもう一個、妙に大きなコーヒーカップがココアさんの頭をかち割らんと落下してくる。

 

「ココアさん!」

 

素早く滑り込み、ギリギリでキャッチする。

ずっしりとした重み、これが人の頭の上に落ちたら……一瞬想像して、僕は身震いした。

 

「よ、予想を裏切らない……」

「危うく流血沙汰ですよ……ココアさん、大丈夫?」

「だ、大丈夫……えぇへへ、ごめんね」

 

頭を回すココアさんをひとまず立たせ、僕はコーヒーカップーーというより、最早取っ手のついたどんぶりーーを棚の上に戻す。

 

「……届かない」

 

そして重い、持ち上げるだけで腕がぷるぷるしてくる。

しかし、この場で最も身長があるのはーーリゼさんとは僅差(きんさ)だがーー僕だ、他の人には任せられない。

 

「ふっ……ふんぬ! とぅ! へぁー!」

「ちょっ……ナルミ、無理するな! 今度はお前の頭に落ちそうだぞ!?」

「いやでも、ほったらかしにはできないですし……!」

「でも腕が生まれたての小鹿みたいにぷるぷるしてるぞ……? 危なっかしくて見てられない」

「……すいません」

 

リゼさんに諭され、渋々僕はティーカップを置いた。

やっぱり身長が欲しいなぁ……あと30cmくらい。

 

少し落ち込んだ気分でいると、ココアさんがティーカップを見て、なにかを思い付いたように携帯を取り出し、操作を始める。

 

「そういえばこの前ね、カップの中にうさぎが入ってる写真見たんだ」

 

ココアさんが見せた携帯の画像は、小さなうさぎがカップの中にちょこんと座っていたり、中で丸まり収まっていたりする画像だ。

その光景にはまさしく『もっちり』とか『もふもふ』とかいう擬音が似合う、愛らしさ抜群だ。

 

「なにそれ、めちゃくちゃ可愛い」

「ぬいぐるみみたいです……!」

「でしょー! もふもふ天国だよ! ティッピーもこうすれば注目度アップ間違いなしだね!」

「ティッピーが入るほど大きなカップがあるわけ……」

 

そこまで言ってリゼさんは言葉を濁す。

あったからだ、目の前に、取っ手のついたどんぶり……もとい、大きなティーカップが。

 

「……あったな」

「……ありましたね」

「この中に入ってる写真取ってみようよ、絶対可愛いよ!」

 

店員さんに許可をとり、早速チノちゃんが頭のティッピーを手に取る。

 

「ではおじいちゃん、お願いします」

「カッコよく撮ってくれ」

 

ぼそぼそと呟き、ついにティッピーが投入される。

 

……しかし。

 

「……なんか想像してたのと違う」

「……特盛のご飯にしか見えません」

 

ココアさんとチノちゃんの心無い批評に、ティッピーが愕然とした表情をする。

アンゴラうさぎの表情なんてわかりはしないが、多分そうだ。

 

「……僕はこれも普通に可愛いと思うけどなぁ」

 

思ったが、そもそも『可愛い』はおじいさんにとって褒め言葉ではないので、やめた。

 

 

ーー

 

 

気を取り直し、再びカップの物色を始める。

 

「あっ、これなんていいかも……」

 

そんな中、ココアさんがひとつのカップに手を伸ばす。

白地に、ワンポイントにうさぎのデフォルメが描かれた可愛らしいカップだ。

 

しかしその手は、横合いから伸びてきたもう一本の手によって阻まれる。

 

「あっ……」

 

手の主は、(きら)びやかなプラチナブロンドの巻き毛を肩ほどで切り揃えた、小柄な少女だ。

服装はリゼさんと同じ、近くのお嬢様学校の制服。

 

しかしリゼさんとは違い、その姿にはどこかしらの気品が感じられ、金があることが日常になっている、所謂貴族的(ノーブル)な雰囲気を感じさせる。

なんというか、『それらしい』少女だ。

 

ココアさんと少女はぶつかった手を戻し、お互いを見つめあっている。

 

「こんなシチュエーション、漫画で見たことあります」

「よく恋愛に発展するよな」

「二人とも女性なんですが」

「百合ってやつだな、うちの学校では結構あるぞ」

「あるんですか……」

 

知らない世界を覗き見た気分でいると、おもむろにココアさんがもじもじし始める。

 

「なんか意識されてる……!?」

「あれ? よく見たら……シャロじゃないか」

「り、リゼ先輩!!? どどどどどどうしてここに!?」

 

かたや金髪の少女ーー『シャロ』さんは、リゼさんと知り合いらしい、姿を見た瞬間顔を赤くして慌て始める。

 

「あぁなるほど」

「何に納得したんですか」

「お嬢様学校には百合の花が咲いているんだな、と」

「何を言ってるんですか……? リゼさん、あの方とは知り合いですか?」

 

チノちゃんが問うと、リゼさんは彼女を紹介する。

 

「この子は『桐間(きりま) 沙路(しゃろ)』、私の学校の後輩で、ココアたちと同い年だよ」

「え? リゼちゃんて年上だったの?」

「そっち!? ていうか今更か!」

 

ココアさんはあっけらかんと言う。

……まぁ、ココアさんもリゼさんも先輩後輩といったことを気にしない性格なので、単にどうでもよかっただけなのだろうが。

 

「あ、なるほど、だからなるくんはリゼちゃんに対して敬語なんだね」

「私は気にしないんだがな」

「リゼさんって体育会系の癖に、上下関係とかはゆるゆるですよね」

「む……いけないのか?」

「いいえ、気楽に話せるのに締めるとこは締めるので、そういうメリハリのあるとこは好きですよ」

「そ……そうか」

「……まぁ時々図に乗りすぎるのがアレですけど」

 

リゼさんは少し顔を赤くして、僕から目を反らした。

最後の言葉は聞かれていなかったらしい。

 

「そ、それで、リゼ先輩はどうしてここに?」

「あ、あぁ、喫茶店で使うカップを見に来たんだよ……シャロは何か買ったのか?」

「いえっ、私は見てるだけで十分なので……ほら見てください、この白く滑らかなフォラマゥ……ほわああぁ……」

 

シャロさんはカップを手に取り、恍惚とした表情をしている。

……なんとなく、おじいさんをモフってる時やパンを()ねている時のココアさんに似てるなぁ、と思った。

 

「それは変わったご趣味ですなー」

「お前が言うのか?」

「似た者同士だと思うけどね」

「えぇ?」

 

リゼさんと僕は同時に突っ込む、どうやら同じ感想に至ったらしい。

 

「そういえば、お二人は学年が違うのにどうやって知り合ったんですか?」

「それは……私が襲われそうになったところを助けてもらって」

「へぇー、かっこいいね、リゼちゃんのことだからきっと……」

 

ココアさんがそれを聞いてなにかを考え始める。

 

「おい待て、何を考えてる?」

「え? リゼちゃんのことだからきっとこう……シャロちゃんの前に立ち塞がって『失せろ、下衆共! この私が断罪してくれる!』とか言って、ピストルでこう、バンバン! って」

「そんな事言ってないしやってない!! 実際はーー」

「あぁ、言っちゃダメですー!」

 

 

シャロさんが止めるのを気にも止めず、リゼさんは話す。

 

「野生のうさぎが道路の真ん中に陣取ってて、シャロが立ち止まってたから、そいつに退いてもらっただけだよ」

「シャロさんはうさぎが苦手なんですか?」

「そ、そうよ、わっ悪い!?」

 

シャロさんは顔を赤くして思いっきり目を反らす。

 

「いいえ、なんか安心しました」

「な、なによ、笑いたければ笑えばいいわ」

「僕も昔、うさぎに噛まれたことがあって、しばらくうさぎが苦手だったんですよ、威嚇されると怖くて……なので、ちょっと親近感が沸いたんです」

「そ、そうなの?」

「はい、なんというか……お嬢様学校の生徒ってお高くとまってそうなイメージでしたけど、思ったより普通で安心したと言うか」

「え? あぁ……そう、そう言うことね……そうね、私はお高くはないわね……」

 

シャロさんは少しげんなりした顔になって答えた。

何故そんな表情になったのかはわからないが、あんな高校にいれば心労もあるのだろう、と勝手に理解した。

 

「それ何歳の頃の話?」

「5,6歳くらいですかね?」

「子供と同列に語られる私……!」

 

ーー

 

「ほら、このティーカップは香りが広がるようになっているの、こっちのは持ち手の感触が工夫されてて……」

「詳しいんだな」

「上品な紅茶を飲むにはティーカップにも拘らなきゃですからね!」

 

嬉しそうにカップの説明をするシャロさん。

僕たちはカップに詳しい彼女にものを見繕ってもらっていた。

笑顔で雄弁に語るその姿からは、余程紅茶、あるいはティータイムが好きなのだろう、ということが伝わってくる。

 

「でも、うちはコーヒーが主なんだが、紅茶と同じカップでも大丈夫なのか? 結構違うカップを使ってるイメージだけど」

「えっ、そうなんですか!? ……確かに、コーヒーと紅茶では抽出温度が違うので、カップの構造から違ってきますね……」

 

リゼさんの言葉から、一転してシャロさんは笑顔を消し、肩を思い切り落とす。

 

「……リゼ先輩のバイト先、行ってみたかったのになぁ……」

「シャロちゃん、もしかしてコーヒー苦手なの? 苦いのがダメなら、砂糖とミルクいっぱい入れれば美味しいよ、チノちゃんもそうしないと飲めなくて……わぷっ」

「コ、ココアさん、私の話はいいじゃないですか」

 

ココアさんの口をチノちゃんが塞ぐ。

 

「で、でもコーヒーもブラックだけと言うわけではありませんし、是非一度来てみてください、うちではラテアートのサービスもやっていて、見た目にも楽しいですし」

「い、いえ、別に苦いのが嫌いって訳じゃなくて……」

「?」

 

シャロさんの言葉は意外だった。

コーヒーを苦手とする最大の理由はその苦味にあると思うが、それ以外にラビットハウスに行けない理由があるのか……?

 

思いながら、シャロさんの話を聞くが、その理由は予測不能なものだった。

 

「酔うの」

「え?」

「カフェインを摂りすぎると酔っちゃうみたいなの、それが、ちょっと恥ずかしくて」

「カフェイン酔いってやつですか、実際には初めて聞きましたけど……」

「そうそれ」

 

僕が言うと、シャロさんは少し恥ずかしそうに肯定した。

曰く、カフェインもアルコールと同様刺激物、人によっては体制がなく、酔う人もいるのだとか……。

 

「紅茶は大丈夫なんですか? 一応カフェイン入ってますけど」

「紅茶は大丈夫、少し頭が冴える程度なんだけど……コーヒーだと酷くて……」

「人によっては下痢や嘔吐とかも起こるらしいですし、大変ですね」

 

確かに、そういう事情があるのならば無理には勧められない、アルハラならぬカフェハラとでもいうべきものだ。

本格派のコーヒーと言うのは、カフェインの含有率も多い、それで気分を悪くされるのは接客業としてあり得ないのだから。

 

「そ、そんな体質の人がいるなんて……シャロさん、無理に勧めてしまってすいません」

 

チノちゃんはシャロさんへと深く頭を下げた。

 

「そ、そんな……頭を上げてチノちゃん、元々、リゼ先輩の店に行きたかったな、って言ったのは私なんだし……それに、気分が悪くなるわけじゃないの」

「そうなんですか?」

「その……テンションがおかしくなるらしいの、ついでに記憶がなくなって……自分じゃよくわからないんだけど」

「酔うってそっち?」

 

カフェインでそういう酔い方をするのは聞いたことないが……まぁ、そういう体質の人もいるのだろう。

というか正直、このおしとやかな彼女がハイテンションになる光景は見てみたい。

 

「そ、それなら一度うちに来てみてください、コーヒー以外にも色々ありますので」

「チノちゃんみたいな可愛い子にここまで誘われたら、行かないわけにもいかないわね、わかったわ」

 

静かに微笑んでシャロさんは快諾した。

『可愛い』と言われて、チノちゃんは少し恥ずかしそうに、でも嬉しそうにしていた。

 

ーー

 

「チノちゃん、お揃いのマグカップ買ってみない?」

「ココアさん、今日は私物を買いに来たんじゃ……」

「固いこと言わずに、せっかく一緒に住むんだし、お近づきの印に、ね?」

 

ココアさんは笑顔でチノちゃんに話しかける、チノちゃんは表面上は鬱陶しそうだが、特に止める様子も無さそうだ。

その姿は、気心知れた姉妹、といわれても違和感はない、ひとえにココアさんの人徳あってのものだろう。

 

その姿を、リゼさんは羨ましそうに見つめていた。

多分、一緒に働いているのに自分が仲間外れになったようなのが少し釈然としないのだろう。

 

僕もお揃いのマグを買うように提案するか? いや、男女でそれをするのは何か違う意味になりそうだ……。

 

少し考えていると、シャロさんがリゼさんに近づこうとするのが見えた。

手には恋人用のペアカップ。

 

「……あぁ、やっぱりシャロさんてそっちか」

 

小さくぼやくと、シャロさんと目が合った。

目には動揺。

話しかける直前で日和ってしまったらしい。

 

「……!」

 

僕はにっこり笑ってサムズアップ、続いてジェスチャーで『行け』と支持をした。

 

「~~!」

 

シャロさんは顔を赤くして一瞬考えると、腹を決めたのかリゼさんへと話しかけた。

 

「り、リゼ先輩、このカップ色違いで可愛くないですか? 2つセットですし片方要りませんか?」

「あ、これ可愛い……くれるのか?」

「あ、はい、この前助けてもらったお礼も兼ねて……」

「ありがとう! 大切に使うよ」

 

リゼ先輩は、とても嬉しそうに笑って言った。

うん、これで円満、みんな幸せだ。

 

シャロさんは改めてカップを見て、何故か愕然とした表情をしていたが、無事カップは渡せたのだから問題は無いだろう。

 

「シャロちゃんって、気品があってお高いカップにも詳しくて、凄い『お嬢様』って感じだよねぇ」

 

そんなシャロさんへ、チノちゃんとのペアカップを買い終えたココアさんが話しかける。

 

「その制服の学校は『才女』や『富豪の礼譲』が多くいると聞きます、シャロさんはきっと、どっちもですね」

「おまけに美人さんだし完璧だよねぇ」

「えっ、えぇ? お嬢様って……」

 

褒め称えられるシャロさんは、チラリ、とリゼさんのほうを見た。

 

「なんというか、常に余裕があるというか、驕りとか嫌みを感じさせない謙虚さがありますよね」

「そうだな、私も見習うべきところは多い、シャロにとってはこの店にあるカップも小物同然だろうな」

 

リゼさんが店内を見回し言う。

その中には、一脚数万円という目を疑いたくなるような物も混じっている。

 

正直羨ましい、と僕は思った。

金銭などのことではない。

きっと、僕にない多くのものを、彼女は持っているのだろう、と思った。

 

 

「こ、小物だなんてそんな……末代まで家宝にしますけど!?」

「お嬢様ポーズだぁ!」

「ツッコむとこそこ?」

 

シャロさんのゆったりとした気品のある動きを見て、ココアさんが歓声をあげる。

 

「カップを持つ仕草に気品があるよね」

「髪もふわふわしてて……風格があります」

「普通にしてるだけなのに……髪は癖毛なんだけど」

「やっぱりキャビアとかトリュフとか食べるんですか?」

「そ、それはリゼ先輩に聞いたほうがいいんじゃないかしら……」

 

リゼ先輩に話が振られる。

なるほど彼女も同じ学校の生徒、趣味は近しいのかも……。

 

「んー? 私がよく食べるのは……ジャンクフードとか軍用レーションとか……即席で食べられるものだな」

 

という考えは秒で消え去った。

 

「わかります! 卵かけご飯とかおいしいですよね」

「朝遅れたときのお供だなぁ」

 

微妙に会話が噛み合っているのかいないのかわからないが、まぁ当人たちは楽しそうに話していた。

 

「きっと卵ってキャビアのことだよ」

「いくら丼みたいなものですかね」

「多分そうだよ」

 

こっちはこっちで話が変な方向に膨らんでいるような気がする。

確かに、キャビアはチョウザメの卵だが……。

 

「いやキャビアはご飯に乗せないだろ……乗せないよね?」

 

乗せないと信じたい、というかキャビアをたっぷりのっけた丼をシャロさんが掻き込む姿がまず想像できない。

なんのギャグだそれは。

 

でも、結局その場で実態がわかることは、なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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始めて潜入したのは木組みの町で僕が15歳の時だよ

十分に熱したフライパンにバターを落とし、全体に馴染ませる。

 

溶いた卵を少量フライパンにつけ、温度を確認。

 

「……よし、OK」

 

フライパンに卵を流し込み、素早く揺すりながらかき混ぜる。

少し固まってきたら端に寄せる。

ここからが本番だ。

 

「……よっと」

 

ヘラとフライパンをうまく動かし、天地を返す。

当然ながら難易度は高い、中だけを半熟にするため、オムレツは非常に柔く破れやすい、その上、手間取って焼きすぎると卵焼きになってしまい、ふわとろの食感は失われる。

 

返したあとは素早く形を整え、用意していたチキンライスの上へ。

 

上にケチャップ、生クリーム、パセリで彩り、完成。

 

「……うむ、完璧」

 

我ながら良い出来、既に100回以上は焼いているが、最近はどうにかうまく出来るようになった。

喫茶店の為、軽食がメインだがそれ故、特段に料理人の差が出る。

おじいさんのレシピを熟読し、3桁以上の回数をこなした今でも、昔一度だけ食べたおじいさんの料理には遠く遠く及ばない。

 

ラビットハウスの名前を落とさないためにも、精進あるのみだ。

 

「オムライスとホットサンド、あがったよー」

「はーい!」

 

ココアさんが元気よく返事し、料理を運んでいく。

お客さんは若い女性の二人組。

 

厨房の陰から、料理が口に運ばれるのを見守る。

 

「あ……」

 

お客さんは笑顔だった。

ここからでは会話の内容まではわからないが、少なくとも不味いと思われてはなさそうだ。

 

ほっと胸を撫で下ろしていると、その女性客と目が合う。

 

「っ!」

 

僕は厨房の陰に隠れた。

反応が見たかったとは言え、覗き見なんて、変な風に思われてはいないだろうか……。

 

少し恥ずかしい気持ちになりながらも、頬を一張り。

気を取り直して作業を再開する。

ラストオーダーまではもう一頑張りだ。

 

 

ーー

 

 

「ありがとうございましたー」

 

最後のお客さんが帰り、チノちゃんが店先のドアプレートを『open』から『closed』へと変える。

 

「ふへぇ……今日は疲れたよぉ」

 

ココアさんは終わるなり机に溶けるように突っ伏してしまった。

確かに、今日は少しお客さんが多かったかもしれない。

 

「お疲れ様、ココアさん」

「なるくんもお疲れ様、お客さん、美味しいって言ってくれてたよ」

「本当? それはよかった」

 

自然と口許が緩む。

今までは家族にしか料理を作っていなかったから、人様に出せる料理を作れるのか不安だったが、正直に嬉しい言葉だった。

 

「あと、なるくんのことも言ってたよ」

「僕のこと? 殆ど厨房から出てないはずだけど」

「料理を出したらいつも厨房から様子を伺ってるじゃん」

「……見つかってたの?」

「常連さんには結構見つかってるかなぁ」

「マジか……」

 

顔がかっと熱くなる。

まさか見られていたとは……これからは自重しよう……。

 

「……それで、何て言ってたの?」

 

しかしそれはそれとして、自分がどう言われているのかは気になった。

 

「えっと……『厨房の子、いつもコッソリ見てるのに目を合わすとピューッて奥に引っ込んじゃってカワイイ』って」

「……そう」

 

カワイイ。

カワイイかぁ……。

 

全く嬉しくない言葉だった、いや、悪評じゃないだけマシだが……。

少し落ち込んでいると、ドアベルの音が店内に響いた。

 

「あ、今日はもう終わりで……」

「みんなー! シャロちゃんが大変なの!」

「何事!?」

 

お客さんは入ってくるなり、慌てた声で言った。

聞きなれた声に、聞いたことのある名前。

 

「千夜さん?」

 

入ってきたのは、クラスメイトの千夜さんだった。

手には、バニーのシルエットが描かれた、どことなく如何わしい広告。

 

「あ、なるくん! シャロちゃんが……シャロちゃんが!」

「どうどう、落ち着こう、全く状況が把握できない」

 

とりあえず席につかせ、話を聞く。

 

「へぇ、千夜ちゃんとシャロちゃんって幼なじみだったんだ」

 

千夜さんの口からシャロさんの名前が出たのはそういうことらしい。

まさか、最近全く別の場所で知り合った二人が幼なじみだったとは、世間は狭いとあらためて思う。

 

「そうなの、昨日話してたらこんなチラシを持ってきて、『ここで働く』って……」

「へぇ……自分でお金を稼いでるんだ、やっぱりシャロさんは偉いね……でも、これは」

「そう、とっても良い子なの、でも、お店が……」

 

目の前の如何わしいチラシを見る。

『フルール・ド・ラパン』という名前らしいその店、キャッチコピーは『~心も体も癒します~』とのこと。

 

どう見ても風俗とか、そういうインモラルな店に見える。

 

「きっと如何わしいお店で働くのよ! 怖くて本人に聞けない!」

「なんと!?」

「あのシャロさんがなんでこんな……?」

 

ココアさんとチノちゃんが愕然とした表情で言う。

かくいう僕も、多分同じような表情をしているだろう。

 

お金持ちのシャロさんがこんなお店で働く理由……。

 

ーー親が事業で失敗、多額の借金を抱え、少しでも家計の足しに……。

ーー悪い男に騙され、あれよあれよと言う間に風俗に落とされて……。

ーー上流階級故の抑圧されたストレスから、アブナイ火遊びに……。

 

……ダメだ、どう考えてもネガティブな理由しか出てこない。

 

「……フルールって広告で釣ってるけど普通の喫茶店だったような……?」

 

リゼさんだけは何か引っかかるような表情をしていた。

 

「どうやってシャロちゃんを止めたらいいの……?」

「それじゃあ、この後そのお店に行ってみない?」

「潜入ですね」

「潜入!?」

 

が、すぐにいつものノリになったので、おそらく気のせいだろう、と思う。

 

「お前ら! ゴーストになる覚悟はあるのか!?」

「ちょっとあるよー」

「シャロさんの為になるなら」

「潜入を甘く見るなぁ!」

 

リゼさんの叫びと共にココアさんと千夜さんが立ち上がり、『さー、いえす、さー!』と可愛らしく敬礼をする。

いつも通り、緊張感の欠片もない。

 

いまから向かうのはインモラルな、R-18なお店かもしれないのだ。

事の真偽と動機などをよく調べた上で、シャロさんを説得しなければならない。

偽善、大きなお世話かもしれないが、それでも見て見ぬふりはできない、僕は小さくこぶしを握った。

 

「よし、まずはコールサインを決める!」

「コールサイン?」

「軍で味方を識別するのに使う暗号だよ」

「なるほど、なるくん詳しいんだね」

 

順に指差し、それぞれの名前の頭文字をNATOフォネティックコードへ当てはめていく。

 

「私がリゼ(ロメオ)、なるがナルミ(ノヴェンバー)……」

 

……あれ、そうなると残りの三人は。

 

「……残りの三人はココア(チャーリー1)千夜(チャーリー2)チノ(チャーリー3)だ!」

「なんで私たちだけ一纏めなの!?」

「全員頭がCだからだよ!」

「そこまで考えてなかったんですね……?」

「う、うるさいぞナル……ノヴェンバー! コホン、では各員、私に着いて来い!」

「アイ、アイ、マム」

 

次いで『いえっさー!』と元気のよい掛け声が響き、ロメオ小隊はフルールへと出撃した。

 

 

 

 

――

 

 

 

 

 

「目的の場所はここみたいですね」

 

チラシに記載されていた住所の場所に着くと、そこには周囲の街並みと溶け込む、お洒落な雰囲気の店があった。

正直、想像したような店構えとは違う。

というかよくよく考えてみれば、そういう店って昼はやってないような……?。

 

「いいか? 各員、慎重に覗くんだぞ?」

 

店の周りにある植え込みに身を隠し、慎重に中を覗きこむ。

 

そこには……。

 

「いらっしゃいませー♪」

 

ロップイヤーにミニスカメイドレスを身に纏い、満面の笑みで来客対応をするシャロさんの姿が……。

コスプレめいた格好だが、本人の容姿の良さもあり、どこかの童話から飛び出してきたような現実離れした可愛らしさを醸している。

 

「……な、なんでいるのよー!」

 

悪目立ちしていた一行は、内部への潜入すらかなわずあっさりと発見された。

 

 

 

 

――

 

 

 

「……ここはハーブティがメインの喫茶店よ、体にいい色んな効能があるの」

「あぁ、『心も体も癒す』ってそういう……普通の喫茶店なんですね」

「そうよ、チラシは……店長の趣味ね、客引きのためとはいえ紛らわしいったらありゃしないわ」

 

シャロさんに案内され店の中に通された僕たちは、彼女から誤解の説明をされていた。

彼女の弁の通り、店内には様々なハーブの香りが色濃く漂っており、それだけでリラックスできるような空間となっている。

 

「そもそもこんなありきたりな勘違いをしたのは誰?」

「私たちシャロちゃんに会いに来ただけだよ?」

「いかがわしいってどんな意味です?」

「こんなことだろうと思った」

 

三人があからさまにシラを切る。

シャロさんの目が千夜さんに向く。

 

「……その制服すてきね!」

「コイツか!」

 

ぶっちゃければ全員がグルだが、黙った。

ツッコミ不在って怖い。

 

「ごめん、シャロさん、お仕事中に邪魔してしまって」

「いいのよ、どうせそこの勘違い和菓子に乗せられただけだろうし……」

「でも、シャロさんがこんなところで働いてるなんて思わなかったよ、制服もすごく似合ってるし、意外な一面だね」

「せ、制服も店長の趣味よ、はずかしいからあんまりじろじろ見ないで」

 

全員から好機のまなざしを向けられ、シャロさんは顔を赤くしてそっぽを向いてしまう。

 

「隠さなくてもいいのに、シャロちゃんのうさみみ似合ってて凄い可愛いよ、リゼちゃんもそう思うよね」

「あぁ、そうだな」

 

リゼさんはココアさんへ相槌を返しながらも、真剣な表情でシャロさんを見つめていた。

その視線に、シャロさんは余計に縮こまってしまっている。

 

……まぁ、シャロさんにとってリゼさんが単なる先輩以上の存在であることは周知だ、見られたくないのもわかる。

 

ただ、リゼさんはリゼさんで、単に『可愛い』『着てみたい』ぐらいにしか思ってなさそうなのだが……。

 

「そうだ、せっかく来て冷やかすだけなのもあれだし、このままお茶してってもいいかな?」

「……しょうがないわね」

 

しぶしぶとシャロさんよりメニュー表が渡される。

当然だが、某和菓子店のように必殺技の羅列ではなかった。

 

「やっぱり『ダンディライオン』だよね!」

「飲んだことあるんですか?」

「無いよ! でもきっとライオンみたいに強くなれるよ!」

「タンポポって意味わかってないな? ……でも、名前だけじゃハーブティの種類、よくわからないな」

「それなら、それぞれに合ったハーブティを私が選びましょうか?」

 

シャロさんはそう言って、すらすらとハーブティの説明を始めた。

 

「まずココアは『リンデンフラワー』ね、リラックス効果があるわ」

「そうなんだ」

 

少し落ち着けということだろうか。

 

「千夜は『ローズマリー』ね……新陳代謝を促して、肩こりに効くわよ」

「助かるわ、最近またひどくなって……」

 

シャロさんのまなざしが一瞬冷たくなるのを、僕は見逃さなかった。

千夜さんは……どうやら立派なものを持っているらしい。

 

「チノちゃんは甘い香りで飲みやすい『カモミール』はどうかしら?」

「……子供じゃないです、けど、いただきます」

 

以前、コーヒーに砂糖を入れると聞いてのチョイスだろう。

 

「リゼ先輩は最近よく眠れないって言ってたので『ラベンダー』がおすすめです!」

「確かにそうだな、ありがとう」

 

彼女の時だけテンションが高い。

コロッと表情が変わるので、見ていて面白い。

 

「ナルミは……そうね、真っ白で不健康そうだから、滋養強壮にいい『ネトル』はどうかしら?」

「そんなに不健康そうに見える?」

「健康そうには見えないわね」

 

シャロさんはあっけらかんとして言った。

とりあえず筋肉をつけようと思った。

 

「あ、ティッピーには難聴と老眼防止の効果があるものをお願いします」

「え? そ、そうね……『ハイビスカス』が目にいいから、どうかしら?」

「えっティッピーってそんな老けてんの?」

「わたしが子供の頃からいますので、結構な年ですよ……中身も含めて」

「そうなのか……チノにとってティッピーは家族みたいなものなんだな」

「……そうですね」

 

チノちゃんはティッピーを膝の上に置いて撫でながら言う。

その手付きは普段より優しく感じられた。

 

「……恥ずかしい」

 

と、おじいさんは思ってそうだな、と思った。

 

 

 

ーー

 

 

「いい香りのお茶です」

「ちょっとスーってするね」

 

ほどなく注文のハーブティーが配膳され、僕らはまったりアフタヌーンティーと洒落混んでいた。

 

なるほど、ハーブティーは心を落ち着かせてくれる。

僕の飲んでいる『ネトル』が、何処か日本茶を感じさせる味なのもあるだろう。

天井にはシャンデリアすらあるお洒落空間なのに、まるで縁側で日向ぼっこでもしているような感覚になってしまう。

 

「ハーブを使ったクッキーはいかがです? 私が焼いたんですが」

「シャロが作ったのか? それじゃあ、頂くよ」

 

リゼさんが形の整ったクッキーを一口。

 

「おいしい! やっぱりシャロは多才だな、こんなのも作れるなんて」

「そんな大層なものでは……でも、よかったです」

 

言われてシャロさんは顔を赤くして笑った。

リゼさんと話すときだけ表情がコロコロ変わるので、見てて面白い……。

 

「じゃあ私も一口もらうねー」

「いただくわ」

 

それをよそに、ココアさんと千夜さんがクッキーを食べる。

 

しかし、ココアさんはものすごく微妙な表情をした。

 

「……このクッキー、甘くない……」

「そんなことないわよ、おいしいけど」

「じゃあ僕も」

 

クッキーを食べてみる。

普通のクッキーだ、ハーブが効いていて甘さが引き立っている。

おいしい。

 

「甘くて美味しいね、流石シャロさん」

「なるくんも!? えぇ……どうしよう、私の味覚がおかしいの!?」

「その通りよ!」

「ヴェッ!?」

 

シャロさんは口元に不敵な笑みを浮かべて言った。

 

「……シャロさん?」

「ふっふっふ……『ギムネマ・シルベスタ』を飲んだわね?」

「あのちょっと苦いやつ? 名前がかっこよかったから……」

「『ギムネマ』……糖を壊すもの、の意をもつハーブよ、それを飲むとしばらくの間、甘味を感じなくなるのよ!」

「そ、そんな効能が……!」

 

ココアさんが愕然とした表情をする。

 

「『ギムネマ・シルベスタ』には糖分の吸収を抑える働きがあって、ダイエットにいいのよ」

「そうなんだ! 千夜ちゃん詳しいんだね」

「えぇ、シャロちゃんがよくダイエットに使ってたから、覚えてるの」

「言うなバカー!」

 

 

 

ーー

 

 

 

そのまま僕たちはハーブティーに舌鼓をうち、ゆったりと時間が流れていく。

ハーブティーがなくなる頃には、夜もふける時間帯となっていた。

 

「いっぱい飲んじゃったねぇ」

「お腹の中に花が咲きそうです……」

 

リラックスした気持ちで回りを見てみる。

少し、お客さんの入りが多くなっているようだ。

恐らく仕事帰りなどの人達が入ってきたのだろう。

手が回らないというほどではないが、複数のウェイトレスさんが忙しなく店内を駆けていた。

 

そんな中、シャロさんは僕たちが飲み終わったのを認め、テーブルの上を片付けにやってきた。

 

「シャロさん、大変みたいですし、私たちにできることがあれば言ってください」

「ありがとう、チノちゃん年下なのにしっかりしてるのね」

 

シャロさんは穏やかに笑って、チノちゃんの頭を撫でた。

優しい手付きに、チノちゃんも特に嫌がった様子もなくそれを受け入れる。

 

「『妹』に欲しいくらいだわ」

 

ーーその発言は、自称姉にとっては看過できないものだった。

 

「チノちゃんは私の妹だよ!」

「何言ってるの?」

「いくらシャロちゃんと言えどチノちゃんは渡せないよ!」

「妹じゃないです」

 

いいながらチノちゃんに抱きつこうとするココアさんの顔を、チノちゃんは手で押さえつける。

扱いの差が凄まじい……。

 

「ココアお姉ちゃん、どうどう、落ち着いて」

「うぅ……私の味方はなるくんだけだよ……」

「あぁ抱きつくのは止めてね? 恥ずかしいから」

「……もふもふ成分が足りないよぉ」

「無くても死なないから大丈夫だよ、ほら、このリンデンフラワーを飲んで? 心が落ち着くハーブティーだよ」

 

僕は残っていたハーブティーをそっと差し出した。

ココアさんはそれを飲むと、何処か安らいだ表情になった。

それを見て、リゼさんが僕に耳打ちをしてくる。

 

「……おまえココアの扱いに慣れてきてないか? 初めは『お姉ちゃん』呼びなんて恥ずかしくてやってなかったろ……?」

「そんなつもりは無いですよ、ただ、こう言えばココアさんはチョロ……よく話を聞いてくれるので」

「何を言いかけた?」

 

僕は思いっきり目を反らし明後日の方向を見つめた。

都合が言いとか思っては……いない、と思う、ただ。

 

「……まぁ、言ってあげる度に顔がころころ変わるので、ちょっと意識して言ってるところはあるかもしれませんが」

「そ、そうか……」

 

リゼさんはチノちゃんを横目で見る。

彼女はココアさんの扱いが若干ぞんざいだ。

シャイな彼女なりの信頼の表れともとれるが、そんなことを知らずにココアさんは毎度チノちゃんへアプローチをかけ、悉く玉砕している。

 

「以外にバランスはいいのかもしれない……」

 

リゼさんは一人つぶやいた。

 

「皆さんはリラックス出来ましたか?」

 

話がひと段落したところで、シャロさんが声をかけてくる。

 

「そういえば肩が軽くなった気がするわ」

「少し元気になった気がします」

「体がポカポカしていい感じだよ」

「確かにリラックスできたけど、流石にプラシーボ効果だろ」

 

すっきりとした表情を浮かべる一同。

しかし、ココアさんだけが元気がない……というか。

 

「ココアさん、眠そうだね?」

「うん……」

「え、ハーブティー効きすぎだろ……」

 

ココアさんはこくりこくりと船をこぎ始めており、今にも寝落ちしてしまいそうだ。

リンデンフラワーの鎮静効果が出てきたのだろうか……。

 

「寝てても大丈夫だよ……僕が……背負って帰る、から」

「ありがとう……おやすみ」

 

ココアさんはそのまま机に突っ伏し、穏やかな寝息を立て始める。

リゼさんは心配そうに僕を見た。

 

「……意気込みはいいが、大丈夫か?」

「大丈夫ですよ、多分……僕も男です、女の子一人くらい」

 

腕まくりをして見せると、細くて白い、周囲の女の子たちと大差ない腕が露出した。

 

 

――5分後。

 

「大丈夫か?」

「だい……だい……だい……」

「だい?」

「ダメ……」

「大ダメか……」

 

結局、ココアさんはリゼさんに手伝ってもらい、ラビットハウスまで運んだ。

まずは筋肉をつけよう、と思った。

 

 



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うちに泊まるからには掟に……えっ帰るの? そう……

「二人とも、こんな天気なのに遊びに来てくれてありがとね」

「別に……バイトの予定がなくて暇だっただけだし」

「私は万が一のための付き添いよ」

 

今日はちょうど時間が空いたらしく、シャロさんと千夜さんがラビットハウスに客として来ていた。

外はバケツをひっくり返したような大雨、彼女らがラビットハウスに来た直後に降ってきたそれは、予報によれば夜中まで降り続くのだとか。

 

「付き添いってなによ?」

「だってシャロちゃん、覚えてる?」

「なにをよ?」

「初めて酔った時のこと、家の中でキャンプファイヤーしようとしたわよね?」

「しっ……ししししてないわよそんなこと! こんなところで言うなバカー!」

 

千夜さんのおちょくりに対してシャロさんが突っ込む。

もはや見慣れた光景だ。

僕にはそう言った人は家族以外にいないので、素直にうらやましい、と思った。

 

「それにしても、外の雨、止む気配ないわねえ」

「私たちが来たときは晴れてたのに」

「きっと誰かさんの日ごろの行いのせいよ」

 

シャロさんはジトっとした目で千夜さんを見て言った。

千夜さんは小首を傾げた。

 

「シャロちゃんが来るなんて珍しいことがあったからかなぁ」

「私のせい!? 今度行くって言ったじゃないの!?」

「えへへ、冗談だよぉ」

 

シャロさんが叫ぶ。

ココアさん、千夜さんの天然ボケにシャロさんが全力で突っ込むので、店内にはほかの客がいないにもかかわらず、非常に姦しくにぎやかな雰囲気になっていた。

 

そんなシャロさんの目の前に、一杯のコーヒーが置かれる。

 

「シャロ、コーヒー苦手なんだろ? 本当に大丈夫か?」

「ありがとうございます、少しなら多分大丈夫です……せっかく先輩が入れてくれたコーヒーですし」

 

コーヒーを持ってきたリゼさんが心配そうに言う。

カフェインで体調を崩すわけではないらしいが……先ほどの千夜さんの発言が少しひっかかる。

 

「……千夜さん千夜さん」

「なあに? なるくん」

「家の中でキャンプファイヤーって何? シャロさんってそんなパーリーピーポーな人種なの?」

「パーリーピーポーが何か知らないけど、言葉通りよ?」

「それだとラビットハウス自体がキャンプファイヤーになるよ……シャロさんの家ならできるんだろうけど」

「シャロちゃんの家ならできると思ってるの?」

「できないの?」

「……いえ、なんでもないわ、まぁ見てて」

 

千夜さんはにっこりと笑った。

あぁ、これは、なにか面白いものを見る目だ。

シャロさんの実家では家屋内で火を囲みオクラホマミキサーができることには一辺の疑いもないが、不安だ。

 

……思っていると、シャロさんがコーヒーを口元へ持っていく。

 

――1分後。

 

シャロさんの頬に赤みがさしていく。

しかし、特別何か変化があるわけではない。

 

ーー2分後。

 

目がとろんと座り、瞳が潤んでいく、呼吸も心なしか深く熱い。

 

彼女はさっきまでしきりに喋っていたのが嘘のように、静かにリゼ先輩のコーヒーを味わっていた。

 

ーー3分後。

 

頭が左右にふらふらと揺れ初める。

そして、シャロさんは唐突に、弾けるような無邪気な笑みを浮かべて、言った。

 

「みんなー! 今日は私と遊んでくれてありがとー!」

「!?」

 

彼女は立ち上がり、その場でくるくる回って手を掲げる。

まるでステージに立つアイドルが如く振る舞いだった。

 

「私もシャロちゃんと遊べて嬉しいよー、また時間が空いたらいつでも来てくれていいからね?」

「いいのー!? 行く行くー!」

 

次の瞬間、きらきら輝く瞳がチノちゃんに向けられた。

 

「チノちゃーん! もふもふ~!」

「しゃ、シャロさん!? 」

 

文字通り飛び掛かったシャロさんは、チノちゃんを激しくもふもふする。

ココアさんを更に3割増しで強化したような激しいモフりっぷりだった。

 

「……リゼさん、シャロさんが飲んだのは普通のコーヒーですよね?」

「……その筈だ」

「アッパー系のドラッグとか入ってないですよね」

「入れるか! というか流石にシャロに失礼だろ……! 気持ちはわかるけど」

「……すいません、いつものお嬢様系とキャラが違いすぎるので……まるでココアさんが二人になったみたいだ」

 

ひとしきりモフり終わったシャロさんの瞳が、今度はこちらへ向く。

 

 

「リゼせんぱ~い! ナルミ~! 何話してるんですかぁ? 私も混ぜてくださ~い!」

「シャロのことを話してたんだよ、その……無邪気なところもあるんだなって」

「え~そうですかぁ? ありがとございまーす! えへへへへ、リゼ先輩に誉められたぁ」

「あはは……」

 

シャロさんは弾けるような笑みを浮かべる。

その圧の前にはあのリゼさんですら苦笑を浮かべていた。

 

 

 

 

ーー

 

「雨が強くなってきたね」

「風もです、もっと酷くなりそうですね」

 

ココアさんとチノちゃんが窓の外を見つめながら言う。

降り注ぐ雨は激しさを増し続け、弾ける飛沫の音が屋内に響く。

窓の外は数メートル先すら、飛沫と雨垂れとで見渡すことができない。

 

「早めに帰らないと、帰れなくなりそうだね」

 

バイトの時間もまもなく終わる。

雨がこれ以上酷くならないうちに帰ろう。

夕食が遅れると、我が愚妹がごねるのだ。

 

先ほどまでハイテンションで暴れていたシャロさんは、電源が切れたように机に突っ伏し眠っている。

幸せな夢でも見ているのだろうか、彼女はとても気持ちよさそうに寝息を立てていた。

 

「シャロさん寝ちゃったね、さっきのあれといい、疲れてたのかな」

「そうかもしれないな……迎えを呼ぶから、家まで送って行ってやるか」

「……! それは……」

 

千夜さんが慌てたようにシャロさんに立ちふさがる。

 

「私が連れ帰るわ」

「えっおい……」

「じゃあまたね」

 

話を聞くつもりはないらしく、千夜さんはシャロちゃんを背負い、逃げるようにラビットハウスを後にした。

 

……千夜さんの足は、生まれたての小鹿のように震えていた。

 

「……この光景、なんだろう、デジャブを感じるぞ」

「やめてくださいリゼさん、こっち見ないでください」

「?」

 

リゼさんが僕を見て言う。

その脇で、ココアさんは可愛らしく小首を傾げていた。

 

「というか千夜のやつ、あれじゃ傘もさせないじゃないか」

「ちょっと心配だし、わたしが見てくるね」

 

ココアさんは傘を持って、店のドアを開ける。

 

その先には――

 

「ち……千夜ちゃああぁぁぁぁぁぁぁん!!」

 

店から10メートルほどの距離で力尽き崩れ落ちた千夜さんの姿が……

 

 

――

 

 

「今日は泊まっていってください、父も許可をくれました」

「ありがとう、チノちゃん、お言葉に甘えさせてもらうわね」

「……コーヒーを飲んだ後からの記憶がない……なんでびしょ濡れに……?」

 

あの後すぐに、僕らは千夜さんとシャロさんを家の中へ運び込んだ。

その間にさらに雨は激しくなり、どうせならみんなでお泊りをしよう、という話になっていた。

 

「お二人ともびしょ濡れですし、お先にお風呂どうぞ」

「何から何まで、ありがとう」

 

二人をバスルームへ案内し終え、リビングに戻る。

連れ立って歩くチノちゃん、ココアさん、リゼさんは、お泊りに少しわくわくしている様子で、どこか浮足立った雰囲気だ。

 

そんな中、僕は言った。

 

「それじゃ、僕は帰るね」

「え? 帰っちゃうの……? 一緒にお泊りしてこうよぉ」

「うちの晩御飯、基本僕が担当だからさ、いきなり『カップ麺でも食ってろ』なんて言ったら、マヤちゃん絶対ごねるし……」

 

うん、その姿がありありと想像できる。

『あたしたち家族を捨てて、女に走るのかよ! バカ! アホ! スケベ! 薄情者~!』

とか言われるんだろうな……。

 

……などと考えていると、真顔でココアさんがこっちを見ていた。

 

「え、マヤちゃんてもしかして」

「言ってなかったっけ、二つ下の妹だよ」

「えぇーっ!! なるくん妹居るの!? リアルお兄ちゃん!?」

「そこまで驚く?」

 

ココアさんは頭を抱えて目を見開き、まるで『あなたは本当は私の子じゃないの……』とか言われたとき並みにすさまじくオーバーに驚いていた。

兄妹の存在くらい、そんなに驚くことか……いや、『お姉ちゃん』に異様な執着を示すココアさんなら、そうなのか。

 

「へえ、ナルミの落ち着きっぷりは、お兄ちゃんだったから培われたものなのかもしれないな」

「そういうわけでは……ない、と思うんですが」

「まさかリアルお兄ちゃんだったなんて……これじゃあ私の、チノちゃんの姉としての存在意義が、うぐぐぐぐ……」

「ココアさん帰ってきてください、というか私はココアさんの妹じゃないです」

 

落ち着いているといわれることは結構あるが、これはたぶん違うことが原因だと思う。

なんというか、昔にいろいろあったからか、大抵のことでは驚かなくなってるだけだ。

 

「さておき、そういうことなので、僕は帰りますね、お泊り会、楽しんでください」

「そうか、気をつけてな、傘はあるか?」

「はい、もちろん」

 

バッグから折り畳み傘を取り出し、玄関へと向かう。

 

ドアを開けると、外はひどい雨と風だった。

 

「それじゃ、お疲れ様で――」

 

瞬間、強風が吹きつける。

 

傘は一瞬にして反対側に折れ曲がり、雨が無慈悲に降り注いだ。

 

「……おはようございます」

「お、おう……」

 

僕は退店から3秒で出勤した。

 

――

 

「ありゃ、傘壊れちゃったんだ」

「うん、おかげでこのありさまだよ……」

 

バケツをひっくり返したような大雨は、僕の体を一瞬で濡れ鼠(ぬれねずみ)にした。

お風呂は使用中なので、とりあえずタオルを貸してもらい、体を拭いていく。

 

「でも、それならしょうがないよね! なるくんも泊ってこうよ! 雨で帰れないんだからしょうがないよ! ね!?」

「圧が強い……! いやでも、傘だけ貸してくれれば……」

「この雨だと、傘だけだと濡れちゃうよ、風邪ひいちゃったら大変だし」

 

ココアさんは目をキラキラさせて言ってくる。

 

「でも、マヤちゃんが……」

「それなら、妹ちゃんにここに来てもらえばいいんだよ!」

「それはいろいろ本末転倒じゃない?」

 

そこまで話したとき、店先からドアベルの音が鳴った。

 

「あ、すいません、今準備中で……」

 

チノちゃんが対応し、声が途切れる。

 

お客さんは、小柄な体をレインポンチョに包んだ少女だ。

この雨のなか、一人でここに何をしに来たのか……。

 

「……マヤさん?」

「よーっすチノ! 遊びに来たよー!」

「本当に来た!?」

 

少女--マヤはフードを取り去り、はじけるような笑顔を浮かべた。

僕より若干長めのショートの黒髪に、アンバーの瞳が快活に輝く。

しかし僕と違って肌は血色がよく、フードをかぶっていたのにも関わらずぴょこぴょこと存在を主張するアホ毛や、笑うたびにちらちらと見え隠れする八重歯などから醸し出される元気いっぱいの姿は、まさしく僕と正反対だ。

マヤは好奇心旺盛な気質を隠そうともせず、しきりに店内を見渡す。

そして、僕と目が合うや否や、こちらを指さして言った。

 

「あーっ! いやがったな兄貴!」

「マヤちゃん、こんな雨のなか一体どうしたんだ?」

「どうしたもこうしたも、これを届けに来たんだよ、はい」

 

マヤはビニール製の袋を僕に手渡す。

彼女が着ているのと同じ、レインポンチョだ。

 

「わざわざ届けてくれなくてもよかったのに」

「んなこと言って、途中で傘ぶっ壊れて、雨ざらしで帰ってくるんだろ? 兄貴は体壊すと酷くなりやすいんだから」

「う……何も言えない……」

「だから妹様がわざわざそれを届けにやってきたんだよ!」

「はいはい、ありがとうね」

「お礼が雑!」

 

マヤは叫んだ。

 

「せっかく可愛い妹がこんな雨の中カッパを届けに来てやったんだぞ!? もっと感謝し(うやま)(あが)(たてまつ)れよ!」

「注文多いなこの妹……」

「おい本心漏れてっぞこの野郎」

 

マヤは言って、ぶすっとした顔になる。

そんな彼女の頭を、僕はそっと撫でた。

 

「冗談だよ、ありがとうね、マヤちゃん」

「兄貴……えへへ」

 

そうしてやると、彼女はすぐに不満そうな表情を消し、嬉しそうにした。

我ながら、よくできた妹だと思う。

お転婆なところは多分にあるが、頭も良ければ要領もいい、おまけに人の気持ちを考えて気を使える優しい子だ。

もう思春期にも入り、いつ反抗期に入るかビクビクしているが、未だにこうして僕を気遣う優しさを持っている。

まぁ、それだけではないのだが。

 

「お……お兄ちゃんだ……! なるくんがお兄ちゃんやってる……」

「はいお兄ちゃんです」

「ココアさんの(いつわ)りの姉力とは次元が違います……これが真の兄の力」

「真の兄ってなに?」

「偽りの姉!? でも姉ってところは否定されてない!」

「そのポジティブシンキングにはいつも驚かされます」

 

僕たち兄妹の姿を見て、ココアさんとチノちゃんが目を輝かせてワイワイと話す。

そんなに珍しいものだろうか。

……そもそもこの妹は、これだけでは終わらない。

 

「……で? 本当の目的はなんだ?」

「カッパでも届けてやれば、兄貴のことだからウマいもんでも食わせてくれるかな、って」

「意外と現金……!」

 

……こういうところも多分にある。

 

 

ーー

 

 

雨の中ラビットハウスまでやってきたマヤは、ココア、チノと話し込んでいた。

 

兄貴は体を拭くために退席中だ。

 

「まさか、チノのやってる喫茶店で、兄貴がバイトしてるとはなぁ」

「わたしも驚きました、考えてみれば名字は同じだし、外見もかなり似てます」

「そう? あのもやしとあたしってそんな似てる?」

「もやしって……」

 

わたしの言葉に、チノは苦笑いする。

一瞬考えて、彼女は答えた。

 

「似てるけど、どこか正反対ですね」

「なにそれ~あたしあんな雑魚くないよ」

「酷い」

「お姉ちゃんは、二人とも素敵な弟と妹だとおもうけどなぁ」

 

ココアが、わたしを抱き締めて言う。

人懐っこい人だな、と思った、そして女の子らしい、とも。

 

「わっ、どしたのココア」

「私のことは、お姉ちゃんって呼んでね」

「マヤさん、気にしなくていいので、ココアさんは年下なら誰でもいいんです」

「わぁ、嫉妬してるのチノちゃん! お姉ちゃんが一緒にもふもふしてあげる~!」

「してません! もふもふもしなくていいですから!」

「あはは、おもしれーな……ていうか弟? 兄貴が?」

 

わたしが言うと、ココアは瞳を輝かせる。

 

「厳正な勝負で、雌雄を決したんだよ! 年も私のが一個上だし!」

「二人で数学勝負して、ココアさんが勝ったんです、それからそうなってるらしいです」

「うぇ!? 兄貴に勝ったの? 中学からテストで一桁以外の順位を取ったことがない兄貴に? ココアって見かけによらず滅茶苦茶頭いい?」

「ふふーん、もっと誉めてくれていいんだよ……えっ、なるくんてそんな頭いいの?」

 

兄貴の頭はいい、わたしも教えてもらっているくらいだ。

そう、頭『は』いいのだ。

 

「兄貴は頭はいいよ、でも身体能力がねぇ……」

「確かにあんまり『男の子』って感じじゃないよね、でもそんなに?」

「具体的に言うと、秋のセミくらい?」

「し、死んでる……」

 

兄貴の身体能力は非常に低い、身長差が25cmあるにも関わらず、わたしとの喧嘩が成立するレベルだ。

有り体に言うと弱い、ひ弱だ、私の同級生の男子ーーつまり2つ年下ーーと比べても明らかに線が細いし、体も白くて女みたいだ。

その上家事や裁縫とか細々したことが得意で、女子力ってのが異様に高い。

 

「買い物するにも、一回休憩してから帰ってくるし、体育の授業も休みがちだったし……ちょっと前にリングフィット買ってきてやってたんだけど、5分で天に召されてたし……」

「へ、へぇ~」

「この前中華なべ買ってきてたんだけどさ、重くて使えてねえの、何の為に買ってきたんだって」

「ま、マヤさん、その辺で」

「なんというかね、運動神経に到底無視できない大変な課題を抱えてるというか」

「マヤちゃん」

 

その時、わたしの肩にポン、と手が置かれた。

振り向く。

 

そこには、ニコニコの笑みを顔に張り付けた兄貴の姿。

あぁ、これは怒ってるな、とわたしは思った。

 

「……いつからそこに?」

「『具体的に言うと、秋のセミくらい』?」

「あっ結構聞いてる」

「マヤちゃん、一度しか言わないからよーく聞いてね」

 

そして兄貴は笑みを消した、変わりにゴミを見るような表情になった。

金色の瞳で刺し殺すようにこちらを睨み付ける兄貴は、そっとわたしの耳元に口を寄せ、小さく、しかしドスの聞いた声で呟いた。

 

「それ以上余計な事を言うと口を縫い合わすぞ」

「ごめんなさいでした」

「よろしい、はいこれ」

 

謝罪すると、兄貴はころりと表情をもとに戻す。

その手には、二皿のパンケーキがあった、フルーツやアイスクリームなどがところ狭しと乗っている豪華仕様だ。

 

「兄貴、これ……」

「召し上がれ、今日はありがとうね」

「さっすが兄貴! いただきまーす!」

「あ、チノちゃん、お代はレジに入れといたから、後で確認お願い」

「わかりました」

 

フォークとナイフを手に取り、早速目の前に置かれたパンケーキをぱくり。

ふわふわな食感のパンケーキは甘さ控えめで、添えられたアイスクリームとフルーツの味が引き立つ。

ここでの料理は全て兄貴が担当していると聞いたが、家でいつも食っているものと同様、変な蘊蓄(うんちく)は不要だ。

とりあえずーー

 

「ーーうまい!」

「それは良かった、だけど、それ食べて夕飯入らない、何て事にはならないようにね?」

「知らないのか? 乙女はデザート別腹なんだぜ、よゆーよゆー」

「乙女……? まぁいいや」

「ちなみに夕飯食えなかったらどうなんの?」

「明日の夜、一汁三菜が一菜になる」

「心していただきます」

 

とりあえず、目の前のパンケーキを片付ける。

結構量があるが、まぁ成長期だし余裕だろう、きっと食った分だけ身長と……たぶん胸にいく、筈だ。

 

そうしていると、もうひとつのパンケーキに目が行った。

 

「それ、兄貴の? 少食な癖に、そっちこそ食えるのかよ」

「いや、これはココアさんの」

「えっ私?」

 

仲睦まじい姿をニコニコしながら見ていたココアだったけど、唐突に話題にあがって少し驚いた様子だった。

 

「えっ、私何かしたっけ?」

「ほら、初めて会った時、いつか店のものを奢るって言ったじゃん、唐突に思い出してさ」

「あぁ……そんなこともあったね、でも結局同じお店だったわけだし」

「それじゃ、少し遅い誕生日のお祝い……ってのはダメかな」

 

言われた瞬間、ココアは表情を消して固まった。

 

「……私誕生日言ったっけ?」

「自分で言ってたよ、4月10日、少し過ぎてるけど、おめでとう」

「…………ぐすっ」

「泣いた!?」

 

ココアは唐突に涙を流し始める。

兄貴はそれを見て、珍しくわたわたと慌てていた。

 

「えっ……ココアさん、ごめん、何か……っ!?」

「ありがど~! 私は出来た弟を持てて幸せだよぉ……!」

 

ココアは感極まって兄貴に抱きついた。

兄貴も隅に置けないな……なんて思いながらも、わたしは見逃さなかった。

『弟』その単語を聞いた瞬間、兄貴の眉間に皺が寄るのを。

 

「……そうだね、今日はそれでいいよ、もう」

「まさかこんなサプライズをしてくれるなんて……今年は流石にこう言うの無いと思ってたから、凄い不意打ちだったよ……」

「あはは……サプライズっていうか、今思い付いたんだけどね、ほらハンカチ、ココアさんは笑ってるほうがいいよ」

「あ、ありがと……」

 

兄貴はココアにハンカチを手渡し、ココアが涙でくしゃくしゃになった顔を拭う。

少し落ち着いて、恥ずかしくなったか、ココアの顔は赤かった。

 

「うう、なるくん、誕生日は覚悟しといてよね……」

「楽しみにしてるよ」

「絶対びっくりさせてやるんだから! 首を洗って待ってるといいよ!」

「まだ一年近く先なんだけど……それより、パンケーキ食べてみてよ、感想聞かせて」

「あ、そうだね」

 

ココアはパンケーキを切り分けて、一口ぱくり。

感想は読めている、ひとつしかあり得ない。

 

「ー! おいしーい! パン作りの時も思ったけど、なるくんは料理上手いんだね!」

「だろー!? わたしの兄貴だからな!」

「なんでマヤちゃんが自慢気なの……?」

「兄貴の料理を食い続けてはや5年、兄貴の料理はわたしが育てたと言っても過言じゃない!」

 

言って兄貴を見ると、少し顔を赤くして頬を掻いていた。

 

「……否定はしないよ」

「兄貴のそういうとこ、わたし好きだわ」

「うるさいよ馬鹿」

 

一同笑いあって、わたしもパンケーキを食べる。

目の前のココアも、笑顔で幸せそうにそれを食べていた。

わたしもきっと笑顔で、そこには笑顔があふれていた。

 

……多分それは。

 

それを見守る兄貴の顔が、一番幸せそうだったから、だろう。

 

でもそれを見ると、なぜか少しだけ胸がちりちりする。

それを無視して、わたしはパンケーキを食べるのに集中した。

 

 

ーー

 

「本当に帰るの? せっかく来たんだし、泊まってけばいいのに」

「いや、夜には親も帰ってくるし、夕飯の準備はしなきゃだから」

「じゃーなー! チノ! ココア!」

「また明日です、マヤさん、なるさん」

 

言って、僕とマヤはラビットハウスを後にした。

ちょうど、少しだけ雨足が途絶えてきている。

このまま止むことはないだろうが、今なら安全に帰れるだろう。

 

マヤが持ってきてくれたレインポンチョで体を覆い、雨の降りしきる町を歩く。

やはりこの天気、町を歩く人の姿はとても少ない。

 

「……ねぇ兄貴」

「なんだい、マヤちゃん」

「本当に、泊まらなくてよかったの?」

 

マヤは唐突に聞いてきた。

 

「女子会の中に一人だけ男が飛び込むってのは、正直かなり勇気がいるな、って」

「なんだ、日寄ったのかよ」

「言い方……!」

 

僕は視線を反らした、図星だったからだ。

あの中にいるのは明らかに異質だ、と感じたのもあるし、単に女子とのお泊まり、というのをやれるほどの度胸がなかったのもある。

 

「……まぁ兄貴にしては上出来なのかな、頑張ってんだなぁ」

「……マヤちゃんは僕の母親か何か?」

「でも、コミュ力そのものは結構高いんだよな……ならもしかして」

 

マヤはいたずらっぽい笑みを浮かべて、こう聞いてきた。

 

「兄貴はあの中の誰が好きなの?」

「ぶっ!」

 

思わず吹き出す。

マヤがその姿を指差して爆笑する。

 

「な、なんだよいきなり」

「いやだってさ、実の兄の嫁さんになるかも知れない奴だぞ? 気にならないってほうが嘘だろ」

「よ、嫁って……まだ知り合って何日って程度だぞ?」

「一緒にいる時間より中身の濃さって誰かが言ってたぞ、それに、あそこにいた人たちみんな美人だったし」

「それは……そうだな」

「誰? 誰だ?」

「そ、それは……」

 

一番気になる人……。

一番に思い付いたのは……。

 

「お、想像したな? 兄貴顔真っ赤だぜ?」

「~っ! からかうなよ!」

「ひゅ~っ! 兄貴も色を知る年齢(とし)か!」

「なんだァ? てめェ……!」

「あはは! 兄貴を弄くるネタは少ないからな、墓前まで言い続けてやるぞ!」

 

はしゃぐマヤに翻弄されながらも、僕の頭には一人の女性の姿がちらついて離れなかった。

こんな雨の中なのに顔が熱い、ふわふわする、こんな感覚は初めてだ。

 

「そーいや兄貴、今日のメシなにー?」

 

マヤちゃんは先ほどの話題に飽きたのか、ころっと話題が変わる。

今は少し助かった、これ以上考えると、変な方に考えが進みそうだったから。

 

「何がいい?」

「ふふん、兄貴なら、わたしが今何が食べたいか当てられるだろ?」

「……青椒肉絲? あとゴーヤチャンプルとか?」

「悪意を感じるチョイスだな?」

「冗談、ゴーヤなんてないし……簡単にナポリタン辺りでいい?」

「兄貴の作るものならなんでもいいぞ!」

 

言ってマヤは、雨の中を元気に駆けていった。

僕の心を常に占める存在。

そんな人がいるならば、そのうち一人は間違いなくマヤでは、あった。

 

でも最近はもう一人、気になる人ができたのもまた、事実だった。

 

 

 

 



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ココアさんと千夜さんを足して0.8をかけたくらいが僕の実力です

「うーん、ヘンテコなミスしてるなぁ……」

 

僕は目の前の、返却されてきた答案用紙を見て呟く。

 

今日は初めての中間テスト、その終了日だ。

返ってきた答案は歴史。

それなりに勉強はしていたので、それなりの点数はとれているが……勉強をしていたはずなのに些細なミスで点を落としている箇所が多い。

 

「……ココアさんに聞いてみよう、覚え方とか」

 

ココアさんは、以前暗算の勝負をした際、圧倒的な差をつけて僕に勝った経歴がある。

頭がいいことに間違いはないはず。

 

僕は近くの席で千夜さんと話していたココアさんへと話しかけた。

 

「ココアさん、テストどうだった?」

「……」

 

ココアさんは、非常に珍しく無表情、無反応で答案用紙を見つめていた。

 

「僕は明治維新のとこで点落としちゃってさ」

「明治維新って何? 相対性理論なら説明できるよ」

「……ココアさん?」

 

それは同列のレベルで語ってはいけない学問のような気がするが……。

以前相対性理論の説明を見たことがあるが、それを理解するのに更に複数の専門用語、理論を知る必要があり、とてもじゃないが全く意味がわからなかった。

 

どうやらココアさんはただならぬ様子、横の千夜さんに話を聞いてみる。

 

「千夜さん、ココアさんどうしたの?」

「ココアちゃんね、数学は98点だったの」

「それは凄いね、流石ココアさん」

「でも、歴史は23点だったの」

「まさかの赤点!?」

 

千夜さんは窓の外を見つめながら答えた。

一体何があったというのか……。

 

「どうしたのココアさん! 回答書くところずれてたの?」

 

ココアさんは震える手で、残り2枚の解答用紙を見せてきた。

内容は、国語と英語。

 

「おうふ……」

 

そこには、絶望的な光景が広がっていた。

点数は歴史のそれより更に下、当然赤点だ。

つまりココアさんには、これから3科目の追試が待ち受けている、ということ。

 

「ま、まさかココアさん……文系、絶望的?」

 

彼女はコクコクと首肯した。

壊れた人形のようなぎこちない動きだった。

 

「ココアちゃんと私を足せば、私達最強になれるのにね」

「街の国際バリスタ弁護士も夢じゃないよ」

 

千夜さんは相変わらず窓の外を見つめていた。

そういえばこっちも様子がおかしい。

 

ココアさんと千夜さんを足せば最強……?

 

「……千夜さんはどうだったの?」

 

千夜さんも全科目の答案を広げる。

そこにも同様、絶望的な光景が広がっていた。

 

「こっちは理系が絶望的……!」

 

そしてココアさんは理系、千夜さんは文系はほぼ満点なのに、全科目平均すると普通の点数になる……。

二人を足せば最強とはそういうことか。

……そこから2で割った場合当然、全教科平均点になるのだが。

 

「ままならない……」

「そんななるくんはどうだったの?」

 

僕は答案を見せる。

二人の表情が変わった。

 

「全教科90点以上……!? 私こんな光景始めて見たよ?」

「大丈夫よココアちゃん! 私達、得意教科では全て勝ってるわ!」

「そ……そうだよ! 私達が目指すべきは、オールラウンダーじゃなくスペシャリストなんだよ!」

「ココアちゃん……!」

「千夜ちゃーん!」

 

意味深に見つめあってサムズアップする二人。

本当に波長が合うんだな、この二人……。

 

ーーしかし、いくら未来へ目を向けようが……いや、反らそうが、過ぎ去った過去は消えない。

現実は変わらず無情である。

 

「二人は追試、大丈夫?」

 

返答は聞かずとも、二人の態度だけでわかった。

文字通り、彼女らは頭を抱えたからだ。

 

 

 

ーー

 

そういうことなので、僕たちは放課後図書館に来ていた。

ちょうどお店も休みだったので、追試対策の勉強会を開くことになったのだ。

 

「この街の図書館行くの始めてだけど、凄く大きいねぇ」

「結構有名なんだよ、観光の雑誌にも乗るくらいなんだって、まぁ、僕も来るのは始めてなんだけど」

 

この街の図書館は西洋の有名な図書館を模して作られており、その建造物の内装の芸術性から、観光名所の一つとして有名だ。

蔵書の量もすさまじく、圧倒するように視界を埋める本棚に少し薄暗い内装は、まるで魔法の国にでも迷い混んだかのような不思議な雰囲気を醸し出す。

 

「わたしの探してる本はあるでしょうか……」

「ここまで大きな図書館なら、何処かにあるんじゃない? 探すのも大変だろうけど……」

 

一緒についてきていたチノちゃんが言う。

曰く、昔に読んだタイトルの思い出せない本をもう一度読みたいのだとか。

正義のヒーローに憧れるうさぎの物語らしいが、寓話のようなものだろうか。

 

「まぁ、チノちゃんの気持ちもわかるよ、気に入った物語って、内容知ってても何度でも読み返したくなるよね」

「なるさんにもそういう本があるんですか?」

「うん、先祖帰りで悪魔の力を得てしまった主人公が、悪魔狩りの女の子と力を合わせて、自分の住む街を守るために奮闘する物語なんだけど」

「ちょっと興味ありますね」

「そっか、なら今度貸してあげるね」

 

図書館なので、声のトーンを少し落として話していると、前方に見知った金髪が。

「あっ、シャロちゃんだ、奇遇だねぇ」

 

一足先に気づいたココアさんが金髪の少女ーーシャロさんに話しかける。

 

「あら、あなたたち、最近よく会うわね」

「シャロちゃんは何しに来たの?」

「本を返しに来ただけよ、あなたたちは……」

「勉強しに来たんだよ、シャロちゃんも一緒にどうかな?」

「えー……」

 

ココアさんが言うと、シャロさんは僅かに眉を潜める。

 

「シャロさんなら頭もいいだろうし、どうかな? 千夜さんとココアさん、苦手教科が真逆だから同時に教えられないんだよね……」

「よーするに人手不足ね……うーん」

 

シャロさんは一頻り考え込む。

 

……何故かその間、表情がコロコロと変わっていく。

何を考えているのか知らないが、やはり見ていて面白い。

 

「ま、まぁそこまで言うなら教えてあげてもいいわね~」

「普通に誘っただけだよー?」

 

シャロさんの承諾を得て、僕らは改めて勉強の為、窓際のテーブルの一つに座った。

 

「それじゃあなるくん、今日はよろしくね」

「あぁ、私も千夜ちゃんに教えたかったなぁ……」

「千夜にココアが? できるの?」

「私、数学と物理が得意なんだー」

「えっ嘘でしょ!? 顔に似合わない!」

 

シャロさんが大仰に驚く。

まぁ、気持ちはわかる、彼女は所謂『なんたらと天才は紙一重』といった類いの人種だからだ。

 

「でも逆に文系科目は壊滅的だからね、シャロさんにはそっちをお願いしたいんだけど」

「こんな感じ、本はいっぱい読むんだけど……」

 

ココアさんが全教科の答案を広げる。

理系はほぼ満点だが……。

 

「……文系が絶望的! 千夜と真逆ね……」

 

シャロさんは露骨に顔を青くして引いた。

 

「でも、シャロちゃんに教わればココアちゃんも大丈夫よ、あのお嬢様学校の特待生で、学費免除されてるくらいだから」

「えっ! すごーい! 美人で頭までいいなんて……」

「非のうちどころがないです……」

「そんなこと……」

 

ココアさんとチノちゃんの賛辞に、シャロさんは顔を赤くして髪をくるくると弄る。

 

「おまけにお嬢様だしね、天は二物を与えずって言うけど……例外もあるもんだね」

「そうねーなんて完璧なのー、まぶしくて直視できないわー」

「千夜……!」

 

千夜さんの声がえらくわざとらしい気がするが、多分気のせいだろう。

 

 

「そういえば、なるくんは成績いいのに、なんでシャロちゃんの学校行かなかったの?」

「……ココアさん」

 

僕はゆっくりとココアさんの肩に手を置いた。

 

「それはつまり、僕に女装してあそこへ通えと?」

「あっごめん……でもなるくんなら頑張れば行けそうじゃない?」

「戸籍上男だから即ポリスメン案件だよ」

 

この歳でそんな狂ったことでお縄になりたくない。

一生変態の業を背負って生きることになる……。

 

だが、それは今の学校に決めた理由の一つ、もう一つが、体調の関係で遠くの高校で独り暮らし、というのをさせてもらえなかったというのもある。

 

『百の橋と輝きの都』のほうの、特待生制度がある高校に行って親に楽をさせることも考えたが、その親に行くなと懇願されたのだ。

 

まぁ、僕もまだ家族と離れるのは嫌だったから、それでよかったんだけど。

 

「そういえば、チノちゃんもテスト近いって言ってなかったっけ?」

「はい、シャロさんなるさん、良ければ一緒に教えてください」

 

チノちゃんは自分の教材を取り出して言う。

 

「もちろんいいよ、マヤちゃんにもよく教えてるんだ」

「でも、中二の範囲でしょ? ココアが教えてあげればよかったんじゃ……」

 

シャロさんが言う。

確かに、理系科目は言うまでもなく、文系でもそのレベルならココアさんにも教えられると思うが……。

 

「ココアさんは教え方がアレ過ぎるので頼りになりません」

「アレってなに!?」

 

チノちゃんの言葉に、ココアさんが半泣きになってわめく。

それに対して、千夜さんは懐疑的な表情を浮かべた。

「そうなの? わかりやすいのに」

「千夜さんはきっと、ココアさんと波長が合うんです」

「あぁなるほど」

「なんでなるくんが納得するの?」

 

千夜さんは疑問符を浮かべるが、この二人の学校での姿を見ていれば、それも頷けるというものだ。

会ってまだ1ヶ月と経っていないだろうに、まるで幼なじみであるかのような仲のよさだ。

テンションも合えばノリも合う、話も合うしよくそのまま異次元へとぶっ飛ぶ。

ちょいちょい突っ込んで軌道修正しなければ話が進まないレベルだ。

 

「仲良しだもんねー♪」

「ねー♪」

 

正直羨ましい。

そう思うくらいに、仲睦まじいのだ、彼女らは。

 

ーーしかし同時に、彼女らは変なところで勘が鋭い。

ココアさんは何かに気づいたようにこちらに振り向く。

 

「はっ! なるくんが寂しそうな目でこちらを見ている……!」

「えっ? そんなことは……!?」

「お姉ちゃんの目は誤魔化せないよ!」

「そうよ、クラスの子からも言われたわ、『お前らは三人じゃないとダメだ』って」

「それ別の理由のような気がする……!」

 

多分それは二人のストッパー役としてだ……。

 

しかしココアさんはそんなことは知らず、満面の笑みを浮かべ、机から身を乗り出して話す。

 

「私達3人、ずっと仲良しだよ!」

「そうよなるくん、私達、ずっと友達だから」

「……二人とも、図書館では静かにしないと」

「あ……そうだったね」

 

ココアさん、千夜さんの出鼻を挫くように僕は言った。

彼女らははっとして、少し残念そうに席につく。

 

その彼女らに、僕はそっぽを向いて、小さく呟いた。

 

「……でも、ありがと」

「……!」

 

ココアさんと千夜さんが表情だけで驚きを浮かべ、次いで軽くハイタッチをする。

 

僕はそこに混じりはしなかったが、特に必要だとは思わなかった。

 

「さ、勉強の続きをしよっか」

 

ココアさんと千夜さんの表情が露骨に沈む。

まだまだ勉強は始まったばかりだ。

 

ーー

 

 

「ここはこの公式を使って……」

「あとは、さっきの答えを当てはめるとわかりやすいかな」

「あ……できました!」

 

ココアさんと千夜さんが問題集を解くのに集中している間、僕とシャロさんはチノちゃんの勉強を見ていた。

 

チノちゃんは問題に引っかかることこそ多いが、本人の大人びた雰囲気の通り地頭はよく、少し教えてあげればすらすらと問題を解いていった。

 

 

「シャロさんもなるさんも、凄く教え方がわかりやすいです!」

「チノちゃん物覚えがいいから、こちらとしては教えがいがないくらいだよ」

 

……特にマヤちゃんと比べて。

アレは集中力が散漫過ぎる、一旦スイッチが切り替わればかなり出来るのだが。

 

「チノちゃんみたいな妹だったら毎日だって教えてあげるのに」

「私もシャロさんやなるさんみたいな兄妹が欲しかったです」

「あはは、そんなのじゃなくても、言ってくれればいつでも力を貸すよ」

 

ーーそうやって僕とシャロさんとチノちゃんで和やかに話していると、対面のココアさんが力尽きたように机に突っ伏した。

 

「わ……」

「わ? ココアさん、どこか詰まったところでも……」

「私いらないお姉ちゃんだぁぁ!!」

「あぁそっちか……」

 

ココアさんはそのまま泣きわめき始める。

一番欲しかった言葉を他の人が貰っているのを見て、心が折れたか……。

僕はココアさんにそっと声をかけた。

 

「ココアお姉ちゃん」

「うぅ、なるくん……」

「図書館では静かにね?」

「ぐは……っ」

「トドメを刺した!?」

 

僕が言うと、ココアさんは一瞬ビクッと痙攣したあと、動かなくなった。

 

「そういえばチノちゃんは将来、私達の学校とシャロちゃんのお嬢様学校、どっちに行きたい?」

 

しかし、千夜さんがそう言った直後、ものすごい勢いで復活した、相変わらず忙しい人だと思う。

そのままココアさんは、瞳をきらきらさせて言う。

 

「私は絶対セーラー服が似合うと思うよ!!」

「ブレザーのほうが絶対可愛いわよ」

「学校の話じゃないんですか?」

「私は袴姿がいいと思うわ」

「いつの時代の話です?」

 

三人は何がチノちゃんに似合うかを真剣に話し始める。

まぁ女の子だ、見た目の可愛らしさを選択肢に入れるのもまぁ、わからないでもない。

 

しかしそれでは話が進まないので、僕は声をかけた。

 

「まぁ、制服はあとでお二人から貸してもらうとして、チノちゃんはどっちに行きたい、というのはあるの? 今見た学力的には、このまま順調なら両方いけると思うけど」

「そろそろ決めなきゃいけないですよね、悩みます……」

「チノちゃんが自分で決めるなら、どこでもいいと思うよ、それこそココアさんみたいに、故郷(ふるさと)を離れるのもいいかもしれない」

「街の外ですか……殆ど出たことがありませんから、想像出来ないです」

 

チノちゃんは額に手をあてて、うんうんと唸り始める。

それを見て、ココアさんが悲しそうな表情をする。

 

「えぇ……チノちゃんが街の外に行っちゃうなんて寂しいよぉ……」

「まだ進路なんて全然決まってませんよ……ココアさんは、故郷を離れて寂しくないんですか?」

「そうだね、お姉ちゃんとお母さんに会いたいって思うことはあるけど、みんながいてくれて賑やかだから、寂しいって思うことはないかな……チノちゃんをもふもふすれば、もっと寂しくなくなるよ!」

「やめてください……でも、ココアさんは凄いですね、私だったら多分……」

 

チノちゃんはココアさんのもふもふをいなしながらも、どこか羨ましそうにココアさんを見ていた。

 

「将来かぁ、私はパン屋さんか弁護士になりたいなぁ」

「私は自分の力で、甘兎をもっと繁盛させるの」

「私も家の仕事を継いで立派なバリスタになりたいです」

 

ココアさん、千夜さん、チノちゃんが言う。

 

「ココアさんはともかくとして……みんな夢を持ってるんだね」

「私は明確には……ないけど、今のことで精一杯だわ」

 

シャロさんは少し遠い目で言った。

 

「あはは……実は僕もなんだ、あんまりそう言うの考えたことなくて」

「ナルミも? 意外ね、将来とか堅実に考えてるタイプかと思ったわ」

「シャロさんこそ意外だね、やっぱりあの高校って結構大変なの?」

「ま、まぁね……」

 

シャロさんは歯切れ悪く答えた。

彼女の今までの姿からしても、大変なのは明らかだ。

そんな中なのに勉強を見てくれているのは、シャロさんの人柄あってだろう。

 

「でも、シャロさんみたいな人と共通点があって、少し嬉しいかも」

「そ、そう?」

「うん、夢のないコンビ」

「もうちょっと他の言い方ないかしら」

 

シャロさんは流石に心外そうに言うが、そう言っても事実だから仕方がない……。

夢、といきなり言われても、殆ど考えたことがなかったから、思い付きもしない。

ずっと想っていたことが、立て続けに実現したからだ。

 

「……正直、今も夢の中にいる気持ちだし」

「ナルミ?」

「あぁシャロさん、ごめん……なら『さとりコンビ』とかどう? 」

「この歳で何を悟るってのよ……! はぁ……」

 

シャロさんは嘆息して、目の前の夢のあるトリオを見た。

 

「ココアと千夜は置いといて……チノちゃんならきっと出来ると思うわ、バリスタ」

「シャロさん……ありがとうございます」

「バリスタもかっこいいなぁ……決めた!」

 

シャロさんの言葉にチノちゃんが照れ臭そうに返すと、ココアさんが拳を握って強く言う。

 

「街の国際バリスタ弁護士になるよ!」

「一つに絞りなさい」

 

ココアさんの夢はとてつもなく遠そうだ、と思った。

 

ーー

 

 

数時間ほど経過し、外に夜の帳が降りてくるころ。

勉強も一段落し、僕とココアさんは、チノちゃんの読みたがっていた本を探していた。

 

「本が多くて探すのが大変そうですね」

「チノちゃんが言ってた内容……主人公が悪いうさぎを凝らしめたけど、一緒に関係ないうさぎまで巻き込んでしまうんだよね」

「はい、主人公は、これからたくさん善いことをするから、ひとつの悪いことはそれで償われるって言うんですが、その事でずっと苦悩し続けるんです」

「もしかして、貧しい家族の為に尽くすうさぎが出たりしない?」

「あ、出てきます、そのうさぎの姿を見て、主人公は心変わりして……」

「本のタイトルわかったかも!」

「本当ですか!?」

 

ココアさんはパッと顔を輝かせ、早足でその本のある場所へ向かっていく。

 

……どこかで聞いたようなストーリーのような気がする。

それも非常に難解な小説の。

 

考えていると、ココアさんは目星の小説を見つけたのか、一冊の本をチノちゃんに手渡した。

 

「えへへ、ちょっとは頼りになるお姉ちゃんになれたかな?」

「……ココアさん」

 

チノちゃんの持つ本を覗き込む。

なるほど、想像した小説と同じ。

 

それは分厚い洋書……そこにはドストエフスキー著『罪と罰』の文字が。

 

「これじゃない」

 

チノちゃんはとてつもなく落胆した声で言った。

 

「えっ! でもストーリーはこんな感じだったような……」

「ココアさん、たしかこれうさぎ出てこないよ」

「……ハッ! 確かに!」

 

今更気づいたのか……。

だが、おそらく方向性は合っている、と僕は踏んだ。

 

「チノちゃん、少し待ってて」

「なるさん? 何かわかったんですか?」

「少し手がかりをね」

 

チノちゃんが目を輝かせる。

こういう時はちゃんと年相応な反応をするんだな、と思いながらも足早に図書館内を駆ける。

予測が正しければ、だいぶ絞れるはず。

 

 

 

ーー

 

 

ーー数分後。

 

「チノちゃん、もしかしてこれかな?」

 

僕は一冊の本をチノちゃんに手渡す。

デフォルメされたうさぎが描かれた、お伽噺のような古めかしい雰囲気の文庫本。

 

「あ……これです! 昔読んだのと同じ、懐かしいです……!」

「そっか、合っててよかったよ、これが違ったら手詰まりだったし」

「なるさん、ありがとうございます」

「どういたしまして、役に立ててよかったよ」

 

チノちゃんはなかなか見せることのない笑顔で僕に言った。

 

そしてその横で、崩れ落ちうなだれるココアさんの姿が……。

 

「うぅ……負けた……私がお姉ちゃんなのに……」

「ココアさんは私のお姉ちゃんじゃないです」

「うぅ……認めるよ、なるくんもチノちゃんのお兄ちゃんだって……」

「あはは……でもね、ココアさん」

 

僕はうなだれるココアさんの前にしゃがみこむ。

ココアさんが顔を上げる。

 

「ココアさんがいなきゃ見つからなかったから、おあいこだよ」

「え……?」

「多分あれ、さっきの『罪と罰』を元にしたお話だったんだよ、ストーリーが似てるから、思い付いてさ」

 

言うと、二人はキョトンとした表情をした。

 

「そうだよね! 主人公は悪い人を殺して、その人のお金を使って世の中を良くしようとするんだけど、、その過程でその妹さんまで殺しちゃうところとか似てるよね?」

「そうなんですか? そもそもその本の内容知らないんですか……」

「ココアさんの発想力の勝利だね、僕は絶対に思い付かなかったと思う」

「ココアさんの奇天烈な発想がこんなところで生かされるなんて……」

 

チノちゃんは口に手を当てて本気で驚いている様子。

チノちゃんはココアさんをどういう風に思っているのだろうか……。

 

「……え? つまり私もお姉ちゃんとして役に経てたってこと?」

「そういうこと、正直、普通は思い至らないと思うよ」

「そ、そっか! やったぁ、えへへ……これで今度こそ、少しは頼りになるお姉ちゃんになれたかな」

 

笑顔が戻ったココアさんが、チノちゃんへと尋ねる。

 

「……そうですね、少しは見直したかもしれません」

「やったぁ! チノちゃんに誉められた! これで姉力アップだよ!」

 

全身ではしゃいで喜びを表現するココアさん。

図書館なので声は少し小さめだったが、抑えきれない喜びが全身から溢れていた。

 

「……全く、しかたのないお姉ちゃんです」

「えっチノちゃん今なんて!?」

「なんでもありません、ほらココアさん、そろそろ勉強に戻らないと、また赤点取りますよ」

「うっ……」

 

チノちゃんの言葉にココアさんは再び笑みをかき消し、とぼとぼとともといた席へと戻っていく。

 

ーーさて、時間もそうない。

ラストスパートだ、僕は意気込んで彼女らの勉強をみることに専念した。

 

 

 



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リゼ教官のよちよちラビットレシーブ

かなり遅くなってしまって申し訳ありません……。
少し書き方を変えてみました。


夜もふけた木組みの町は、普段の賑わいとうってかわってとても閑静(かんせい)な雰囲気を醸す。

観光街であることもあり、チェーンのスーパー、コンビニなどが少なく、そのお陰か夜にやっている店が少ないためだ。

 

そんな静かな町を、リゼは足早に駆けていた。

日課というほどではないが、気が向いたときや、体重が気になったときに行っているランニング。

 

春とは言っても夜風はまだすこし肌寒い、が、運動をするのにはうってつけの環境だ、とリゼは思った。

 

「はっ、はっ、はっ……あそこの公園で少し休憩にするか」

 

少し進んだ所には、自然と野良うさぎに溢れる広い公園がある。

街のイベントや、古物市(プロカント)なども開かれる場所で、普段は家族連れや子供の憩いの場となっている。

そこで水分を補給したあとに帰ろう、リゼはそう思っていた。

 

ーーしかし。

 

「……なんだ、アレは」

 

公園に到着し、見下ろすと一人の先客がいた。

服装はジャージで、目的は自分と同じだろうか、まぁ珍しくもない。

 

なのにも関わらず、『アレ』呼ばわりしたのには二つの理由があった。

 

一つーー先客が、自分に最近できた始めての男の後輩、条河成生(じょうがなるみ)だったこと。

 

二つーーそのナルミが、なにやら珍妙な動きをしていたからだ。

 

ボールを上に放り投げては、なにやらわちゃわちゃする。

三回に一回はボールが顔面に直撃する。

時々ボールに手が当たるが、その度に手を抑えて(うずくま)る。

 

ボールがあるということは球技なのだろうが、何をしているのかはわからなかった。

 

「おーい! ナルミ! 何をやってるんだ?」

 

リゼは大声で呼び掛ける。

 

「え……なんで」

 

振り向いた彼の顔に張り付いていたのは、驚愕と……恐怖?

とりあえず下に降り、彼に話しかける。

 

「ナルミ? こんなところで会うなんて奇遇だな、何をしてたんだ?」

「見ました?」

「え? さっきの珍妙な踊りのことか?」

 

答えはなかった。

変わりに彼はスマートフォンを取り出し、こう吹き込んだ。

 

「ヘイシリ、『記憶を消す方法』で検索」

「本当に何をやっていた!?」

 

 

 

ーー

 

 

 

「あぁもう死にたいよ……桜の木の下に埋めてくれ……」

 

ナルミは顔を真っ赤にして、桜の木の下で体育座りをしていた。

先程の光景を見られたのがそれほど恥ずかしいらしい、いつも落ち着き払い大人びた雰囲気の彼とはうって変わって、今の彼は年相応かそれ以下に見えた。

 

「お、おいナルミ……元気出せよ、お前が運動苦手なことは知ってるし、私はそれで馬鹿にしたりしないぞ、むしろ上手くなろうとしてるのを見て、少し感心したくらいだ」

「……口だけならなんとでも言えます、どうせみんな僕のことなんか……だから人に見られたくなかったんだ……」

「そ、それにあの……アレも思ったより悪くなかったぞ、あの……その……前衛的というか」

「リゼさんてフォロー下っ手糞ですよね?」

「うぐ……」

 

ナルミは顔を上げることすらなく言った。

その周辺からは陰気と言うべき暗いオーラが漂っていた。

 

……正直に言えば、こういう時言えばいいのかわからない。

何を話しかけても彼を傷つけそうな気がする……。

 

「……いや、違うだろ」

 

彼はそもそも、自分を変えようと独力で頑張っていたのだ。

ならば私がやるべきは、その手助けと後押し、それ意外に何があろうか。

 

リゼはナルミの腕を掴んだ。

 

「ならば、私がお前を一人前の兵士にしてやる!」

「え……?」

「お前が自分に自信を持てないなら、持てるようになるしかない、それまで、私がみっちり鍛えてやる!」

「リゼさん……!」

 

リゼの言葉に、ナルミは(ようや)く顔を上げ、立ち上がる。

どうやらやる気を出してくれたらしい。

 

「よろしく……お願いします!」

「よし! いい返事だ!」

「あ……でも僕も人間なので、死なない程度にソフトな感じでお願いします……」

「お前は私をなんだと思ってるんだ」

 

若干ビクビクしながらナルミは言う、やる気があるのかないのかわからない……。

 

が、とりあえずは訓練開始だ……と思ったところで、リゼは重要な疑問に行き当たった。

 

「そういえば、そもそもナルミは何をしていたんだ? 正直見ていて全くわからなかった」

「……そうですか、そうですよね、そうだと確信してました、死んだアルパカみたいな動きでしたもんね」

「そこまで言ってないぞ!?」

 

ナルミはげんなりしながら言う。

こいつはこんなネガティブなキャラだっただろうか……。

 

「……バレーボールですよ」

「は?」

「だからバレーボールです、ほらこのボールもバレー用でしょう」

「本当だ……」

 

ナルミが落ちていたボールを掲げる。

確かにそれはバレー用のボールだった、わざわざ買ったのか、彼の真剣さが伺える。

 

「今度学校で球技大会があって……練習してるんです」

「一人でやってるのか? ココアたちでも誘えば……」

「この生き恥を人前に、それも女の子に(さら)せと? 冗談でしょう、お坊さんがお(はら)いに来ますよ」

「言いすぎだ……というか私も女なんだが」

「知ってますよ、そもそもリゼさんに見られた時点で、『どうこの事実を無かったことにするか』を考えてましたから」

「そういえば私の記憶を消そうとしてたな……」

「それは無理ですね、失敗して豚箱です、リゼさんを殺して僕も死……のうとするのも多分普通に負けて豚箱なので、最早自害しかありませんね、荒縄ありません?」

「早まるな!?」

 

へらへら笑いながらも目は虚ろで全く笑っていない。

そのままこの男は『呼吸たのしーい』などと呟きながら中空へ視線を彷徨(さまよ)わせている、怖い……。

 

こほん、と一つ咳払いをし、話を本題に戻す。

 

「しかし、今の練習を一人で、例え1000時間続けたところで、全くもって何の意味もないぞ」

「やっぱりそうですか……」

「ただひたすらに時間の無駄だ、ついでに不審者の噂が町内に広まる」

「最早存在が事案……」

 

ナルミはその場にくずおれる、手を離れたバレーボールがてんてんとむなしく地面に転がった。

 

「やっぱり当日、学校休みま……」

「ーーだが」

 

ナルミの言葉を遮り、語気強く言う。

彼は漸く、顔を上げてこっちを見た。

 

「……だが、そんな自分を変えようと努力する姿勢は評価に値する……もし私の訓練を終えたならば、お前は立派な戦士になっていることだろう、着いてこれるか?」

「そ、それは……」

「始める前から諦めるな! 諦めた瞬間がお前の終わりだ! お前は自分を変えようと努力した! その意志がある限りお前は強くなれる、私が保証する!」

「リゼさん……!」

「やるのか、やらないのか!? やるのならば言葉の前と後にサーをつけろ!」

「イエス、サー!」

 

ナルミは立ち上がり、ビシッと敬礼をした。

 

「よろしい! ならばランニングからだ!」

「アイアイサー!」

 

元気良く掛け声をあげて、リゼとナルミは夜の街を駆け始めた。

 

 

ーー

 

「へー……ひー……ヴぁー……」

 

走り始めて3分。

ナルミは既に死にかけの表情をしていた。

 

「ナルミ、大丈夫か? まだ走り始めたばかりだが」

「だ、大丈夫……はぁ……れす……ひぃ……」

 

息も切れ切れに彼は答える、全く説得力がない。

 

「こ、これどれくらい走るんですか……」

「ウォームアップだから、とりあえず2キロくらいだな、そのあとに本格的に練習するぞ」

「に、2キロ……」

 

ナルミは絶望的な表情になったが、特に文句などは言わなかった。

まぁ、流石にこの時点でへばられたら本当に話にならないのだが……。

 

「り……リゼさん、思ったんですけど」

「何だ?」

 

疲れから気を反らすためか、ナルミは話しかけてきた。

 

「なんで、リゼさんは女性なのに『サー』って呼ばせてるんですか……?」

「……き、気づいてたのか」

「はぁ、そう言う映画とか漫画とか、ひぃ、よく見るので……」

 

ナルミの疑問はごもっともだ。

本来、女性の敬称は『サー』でなく『マム』である。

軍隊で誤用すればひっぱたかれるだろう。

 

……しかし。

 

「まぁ、軍隊ってわけじゃないからな……それに、ナルミの見ている映画や漫画とかで、『マム』って言うか?」

「……あんまり、そもそも女性の上官ってのがほぼいないです」

「つまりそう言うことだよ、それに『サー』のほうが言いやすいし雰囲気出るだろ?」

「なる、ほど……」

 

ナルミは理解したようだった。

 

「そういえば、ナルミは返事するとき、わざわざ『マム』にしてたな」

「リゼさんは、女性です、から……ひぃ……」

「あはは……まぁ、あんまり女の子っぽくはないかもしれないがな……」

「そんなことは、ないと……ひぃ、思うんですが」

 

ナルミは即座に否定するが、きっとお世辞なのだろう、と思う。

学校でも、軍服とかかっこいい服が似合うとよく言われるし……趣味も女の子らしくない、きっとそういうのは、私には似合わないだろう。

『サー』と呼ばせるのは、もしかしたらそんな意識もあったからなのかもしれない……と思う。

 

「僕も……ふひぃ……男らしくないって、よく言われます、似た者同士ですね」

「……そうでもないだろ、確かに体力はないし体も細いけど……」

 

ナルミを見る。

確かに体は細いし体力もないが、常に落ち着いていて、仕事での判断も的確だし、後輩ながら頼りになる存在だ。

精神的には十分に男らしい、とリゼは思った。

 

「ありがとう……ございます」

「あぁ……よし、もうすぐ1キロくらいだな、あと半分だ!」

「ま、まだ半分……? 」

 

 

 

ーー

 

 

数分後。

 

「ナルミ、大丈夫か?」

「だいっ、だいっ、だい……」

 

走り終わるなり地面に大の字に倒れ付したナルミは、打ち上げられた魚のように必死に喘いでいた。

 

「だい……ダメ……です」

「そうか……」

 

どうやらダメらしい。

ウォームアップだけで力尽きるとは……。

技術以前に彼にはまず体力が足りなすぎるのだ。

 

「……今日は時間も遅いし、終わりにするか」

「……え?」

 

この状態でやったところで身にはつかないだろう……。

まず練習のメニューから考える必要がある。

 

しかしそう言うと、ナルミは表情を歪ませた。

……少し、泣きそうな表情。

 

「また明日、ここに集合だ」

「あ……」

 

言うと、彼は一瞬驚いたような表情をする。

 

直後、彼は嬉しそうに微笑んだ。

 

「ありがとうございます、また明日もよろしくお願いしますね」

「勿論だ、明日からは本格的な練習に入る、球技大会までに完璧に仕上げるぞ」

「はい!」

 

彼は満面の笑みを浮かべた。

何気に、今日始めて見る笑顔だった。

 

多分これが、素のこいつなのだろう。

そうリゼは思った。

 

ーー

 

そこからは苦難の日々だった。

 

「走れ走れ! またウォームアップでへばるつもりか!?」

「いいえ!」

 

毎日夜に集まり、特訓をする毎日。

 

「なんだそのへっぴり腰は! シャキッとしろ!」

「はい!」

 

重いコンダラを引いたりはしないが、まるで馬車馬の如く尻をひっぱたく勢いで徹底的に体を鍛える。

 

「誰が寝ていいと言った! もう終わりか! お前の意思はその程度か!」

「い、いいえ……!」

 

そしてただひたすらにボールを打ち合う。

自らの体の一部とするが如く、体力の限界まで。

 

「この程度も打ち返せんようでは、他のクラスの連中には勝てんぞ!」

「はい……!」

 

……そしてそれが7日目に達した頃、リゼは気づいた。

 

「……こいつ、運動神経そのものは案外悪くないな」

 

地面に倒れ付しピクリとも動かなくなったナルミを見て言う。

そう、ナルミは致命的に体力がないだけで、瞬発力もあるし反応も速い、スポーツが出来ないわけではないのだ。

 

しかしナルミには……一にも二にも、『経験』が足りなすぎる。

 

そもそも運動の習熟というのは、何より反復練習が大事だ、特定の動きを体に覚え込ませるのだ。

 

そして覚えた動きは応用が効く、運動が出来る人と言うのは、少ない回数で正しい動きを見いだすことができ、更にその経験を他の動きにも応用することができる。

 

ナルミは……その運動の経験値が圧倒的に足りない。

 

他の人が日常生活で身につけ、15歳までに運動というカテゴリのレベルが20になっているとしたら、ナルミは未だにレベル5しかないというべきか。

 

「ふむ……」

 

これは長丁場になりそうだな、とリゼは思った。

バレーの試合の日程までそう時間はない。

それまでに彼を一端の兵士にできるのか……。

 

 

ーー

 

 

「……」

 

長考に沈んだリゼを見て、ナルミの心は半ば諦念が占め出していた。

 

「……まぁ、そうだよな」

 

呟く。

既にリゼのコーチを受けて一週間近い時間が経っているが、未だまともにバレーが出来るようにはなっていない。

それどころか、早々にくたばって土を()めている様だ。

 

思えばいつもそうだった、誰かに教えてもらっても、どうしようも出来なくて『ナルミくんは病弱』の一言で終わらされる。

そのときの落胆した目が、申し訳さそうな目が、嫌で嫌でたまらない。

そして、どうやってもできない自分が、誰かの期待に応えられない自分が、どんどん嫌いになっていく。

いっそ死んじまえ、と思うほどに。

 

ーーリゼは顔を上げ、こちらへ近づいてくる。

 

「メニューを絞る、全部やるには時間が足りない」

 

リゼはそう言ってナルミの手を取った。

力強く引っ張られ、立たされる。

 

彼女の目には諦めなど一辺たりともありはしなかった。

 

「まだやれるな?」

 

彼女はまだ僕に期待してくれているというのか。

こんな僕でも、まだ諦めずに手を貸してくれるのか。

 

ーーならばやることは一つ。

 

「はい!」

 

期待に応えるよう、努力するだけだ。

ミジンコみたいに惨めでも、カメのようにのろまな足取りでも。

彼女が僕の手を引っ張る限りは。

 

そうすれば、やっと僕は僕を嫌いにならずに済むのだから。

 

 

ーー

 

 

ナルミとの練習が続き、バレーの試合が近づいて来たころ。

 

リゼはチノに頼まれ、公園にバトミントンの練習をしに来ていた。

ココアも千夜とのバレーの練習のため不在だが、ナルミが後を快く引き受けてくれたため日も落ちないうちに仕事を上がることができた。

 

その際チノにも「私も人間なので殺さない程度に……」と言われた。

 

「……私はそんなに恐ろしい人間に思われてるのかな」

 

動きやすい服装に着替え、チノと連れだって歩いていたリゼは小さくぼやいた。

 

「リゼさん?」

「いや……仕事やってくれてるタカヒロさんとナルミの為にも上達しなきゃな、って」

「学校ではティッピーを頭に乗せられないので、力が半減するんです」

「逆に弱くなりそうだが……」

「うそじゃないです」

「はいはい……この公園でやろうか」

 

来たのは、夜にナルミと特訓をしている公園だ。

平日の夕方の為、人はまばらだ。

バトミントンをするにはちょうどいいだろう。

 

ーーしかし。

 

「ん? アレは……」

 

見下ろすと、二人の先客がいた。

傍らにはバレーボール、目的は自分等と同じだろう。

 

なのにも関わらず『アレ』呼ばわりしたのは、二つの理由があった。

 

一つーー先客が、バレーの練習をすると言ってバイトを休んでいたココアと、相方の千夜だったこと。

 

二つーー二人が気絶していたこと。

 

「何があった!?」

 

すっとんきょうな声を出して、慌てて二人に駆け寄る。

軽く診てみると、千夜には外傷は無いようだ。

 

「ココアさんの顔が少し腫れてます……リゼさん、この状況、どう見ますか」

「現場に残されたのは一つのボール……ココアにのみ外傷あり……球技大会の練習というのは建前で、お互い叩きのめし合いココアが敗北した……?」

「どうしたらそう見えるの!?」

「生きてたか」

 

ココアががばりと起き上がり言う。

 

「バレーボールのレシーブとトスの練習をしてて……」

 

続いて千夜が起き上がる。

 

「それがどうしてこんなことに?」

「ボールのコントロールがうまく行かなくて……」

「体力の切れた千夜ちゃんが火事場の馬鹿力を発揮して、放ったきれいなスパイクがわたしの顔に……」

「私トスって知らなくて……その後は体力の限界で力尽きたわ」

「それで二人とも倒れてたのか……」

 

千夜の運動神経が高いとは全く思っていなかったが、想像以上らしい。

……でも火事場の馬鹿力がある分、ナルミよりは上なのかもしれない、ドングリの背比べだが。

 

ーー気を取り直して、お互いの練習に戻る。

元々チノの練習に付き合うために来たのだ、二人の漫才を見に来たわけではない。

 

「いくぞチノー」

 

掛け声をあげて軽く羽根を打つ。

 

「ふん!」

 

チノは勢いをつけて思い切りラケットを振るうが、空振り羽根は地面に転がった。

チノの顔が真っ赤になった。

 

「す、すいません……」

「いいよ、落ち着いて力を抜いてな」

「は、はい……いきます!」

 

今度はチノがサーブを返してくる。

ぎこちない動きながらも、羽根はしっかりリゼの元に来た。

軽く打ち返す。

 

「えい!」

 

かわいらしい掛け声と共に振られたラケットは、私へと再び羽根を返してくる。

 

「おぉ、いいぞチノ、ラリーが繋がった」

「や、やりました!」

「この調子でいくぞー」

 

ほのぼのとした調子で練習をしていると、ココアが真顔でこちらを見つめていることに気づく。

 

「リゼちゃん」

「……なんだ?」

「わたしそっち行きたい!」

「ダメだ」

 

即答で返す。

お前がやってるのはバレーだろう。

 

「千夜ちゃん、今度はレシーブで返してね」

「チノ、もう一度行くぞ」

 

しかしココアはどこ吹く風、そのまま練習を続ける。

なので、こちらも気にせず練習を……。

 

「あ」

 

振り抜いた拍子にラケットが手からすっぽぬける。

そしてそれは、ココアの打ったボールと同時に千夜のほうへ。

 

「危ない!」

「あ、靴ひもが……」

 

直撃コースだったラケットとボールは、たまたま屈んだ千夜の頭上を通り抜けていった。

 

「……自分の危険は回避できるんですね」

 

チノが小さく呟く。

千夜の意外な特技が明かされた瞬間だった。

 

 

 

ーー

 

 

 

 

そんなこんなで練習を始めて一時間後。

日も暮れ出して辺りが暗くなり、街頭の明かりが周囲を照らす。

 

「千夜ー! おばあさんが帰りが遅いって心配してたわよ!」

 

公園の上より聞きなれた声。

見ると、同じ高校の一年後輩の女の子、シャロの姿が。

そういえば千夜とシャロは幼なじみの関係だったか、とリゼは思い出した。

 

「お! シャロじゃん、ちょっとやってくか?」

「え! リゼ先輩!?」

 

リゼは思わずバレーに誘うが、シャロは少し考え始める。

ちょっと突然過ぎただろうか……。

お嬢様なシャロの事、服装はラフなパーカー姿だが、土で体を汚すのは嫌うかもしれない。

リゼは無理なら気にするなと言おうとするが、しかしすかさずココアが口を挟む。

 

「その格好なら動きやすし大丈夫だよ! 被害しy……人数は多いほうが楽しいし」

「ん? 被害者……? まぁ、先輩のお誘いなら」

「そっか、ありがとうな」

 

言ってシャロは首を傾げながらも、公園へと降りてくる。

シャロを誘ったココアの表情を横目に見る。

それは単純に誘ったと言うよりは、どこか必要に刈られて、といった雰囲気を感じた。

 

 

 

ーー

 

 

「それではバレー勝負を始めます」

 

真ん中に審判として立ったチノが言う。

眼下では、シャロを含めた5人の少女が姦しくバレーの試合を始めようとしている。

 

バイトが終わったナルミは、いつもの練習のため着替えてこの公園に来た。

……のだが、彼女らが練習をしているのを見て咄嗟に身を隠したのだ。

 

「見つかれば、さっきのシャロさんと同じく試合に誘われる……無惨な姿を(おおやけ)(さら)してしまう……」

 

そうなればどうなるか……。

 

『えっあの死んだアルパカみたいのってなる君?』

『こんなに下手な人初めて見たわ』

『無様ですね……』

『情っさけないわねぇ……全く、それでも男なの?』

 

さまざまな侮蔑(ぶべつ)嘲笑(ちょうしょう)が頭の中を駆け巡る。

ナルミは頭を抱えた。

 

「だめだ……死ぬ……そんなことになったらもう死ぬしかない……みんなさよならいままでありがとう」

 

いままでそれなりにうまくやれてて、友達もそれなりにできてきて幸先のいいスタートだと思ったのに、こんなことで不意にはできないのだ。

 

眼下では、チノを審判として千夜とリゼvsココアとシャロの戦いが繰り広げられていた。

 

「イェーイ! バァリーヴォールだいしゅきー! えへへへへへ」

 

ココアによってカフェインドーピングをおこなわれたシャロの動きはよく、リゼのパワーのあるサーブを軽やかに返していく。

 

「チノちゃんにかっこいいところ見せなきゃ!」

 

ココアも同様、シャロがあげたボールを受け取り、きれいなスパイクを相手コートに打ち込んでいく。

 

「よっ、ほっ……二人とも、結構上手いな!」

 

しかし、リゼはそれを汗ひとつかかず返していく、彼女の活躍はまさしく八面六臂(はちめんろっぷ)だった。

 

「ふれー、ふれー、リ・ゼ・ちゃん」

「あれ!?」

 

千夜はいつのまにかコートの端で応援に徹していた。

相方の彼女が機能していないので、リゼは実質一人、バレーがチーム競技であることを考えると、そのハンデは凄まじいものだ、何せまずスパイクがほぼ封じられるのだから。

 

それでも、リゼは優勢だった。

鉄壁の防御によって、彼女のコートにボールが落ちることはない、二人分の働きをしていると言うのに、その動きには全く衰えが見られない。

試合が続くにつれ、むしろココアとシャロの体力が切れ始める。

 

「すごいな、リゼさんは……」

「楽しそうですねぇ~」

「!?」

 

横からの声に振り向くとそこには、肩ほどまで伸びたベージュの髪にカールをかけた女性がいた。

間近で見られると思わずたじろいでしまうほどの美人だ。

ココアたちより大人な雰囲気で、服装やしぐさもどことなく色気がある。

 

そしてなにより、ここまで近づかれるまで全く気付かなかった、眼下の試合に目を向けていたとは言え、こんなことは初めてだった。

 

「驚かせてしまってすいません、彼女たちを見て隠れてしまうものですから、つい気になって」

「そこまで見られてたんですか……あはは、お恥ずかしい」

 

バクバク鳴る心臓を押しとどめ、平静を装い顔に微笑みを張り付ける。

目の前の女性は柔らかに笑うだけ、どこか蠱惑的(こわくてき)で、考えの読めない人だ、と思った。

 

「あの子たちに混ざらないのですか?」

「あまり運動が得意でなくて、女の子にかっこ悪いところ、見せたくないじゃないですか」

「男の子の意地、ですか……うふふ、これは書けそうな予感がします」

「書く?」

 

女性は僕と眼下の少女らを交互に見て、子供のような笑みを浮かべた。

 

「あぁごめんなさい、私小説家をやっておりまして……今もこうして、ネタを求めて彷徨(さまよ)っている最中だったんです~」

「小説家さん、ですか……PN(ペンネーム)は何て言うんですか?」

「青山ブルーマウンテン……と言います」

「青山……青山(ブルーマウンテン)? コーヒーがお好きなんですか?」

「えぇ、そうなんです……昔、行きつけの喫茶店がありまして、そこのマスターのコーヒーは絶品でした……」

 

名前の由来をあてられたのがうれしかったのか、女性……『青山ブルーマウンテン』さんは顔を綻ばせ、何かに浸るように思い出を話してくれた。

 

「その喫茶店をモチーフにして書いた小説が人気になりまして……最近、映画化したりもしました」

「えっ! お若いのに凄いですね」

「そんな……褒められると照れてしまいます……」

「ちなみに今度はどんなのを書くつもりなんですか?」

「あぁ……自分の考えたプロットを話すというのは、少し恥ずかしいですね」

 

青山さんは、そう言って赤らめた頬を隠すように視線を反らした。

 

「あ、ごめんなさい、踏み込みすぎましたね……」

「いいえ、ひらめきをくれた方ですから……バレーボールとバトミントン、二つの勢力の激しい争いを題材にしようと思っています、題名は……『撲殺(ぼくさつ)ラビットレシーブ』」

「ストーリーが全く想像できなくて困惑してます」

 

話を聞いただけではどういう物語になるのか全く想像がつかない……『撲殺』となんともまあインパクトしかないタイトルがそれを助長させる。

適当にあしらわれているのかとも思ったが、彼女の恥ずかしがりようから見て、おそらくは本気なのだろう。

映画化までこぎつけた作者さんなのだから意味不明なものにはならないだろうが、彼女の頭の中がどうなっているのか少し知りたくなった。

 

「出版したら、是非読んでください……」

「すごく気になります、絶対に読みますね」

「はい……あら、お連れさんが来たようですね」

「え?」

 

青山さんの視線を追うと、リゼがこちらに手を振っていた。

ほかの4人はいない、どうやら帰るのを見計らって僕を呼んだらしい。

初めから見つかっていた、ということだろう。

 

「それではまた、彷徨ってきます……」

「はい、執筆頑張ってください」

 

青山さんは微笑みを浮かべたまま、手を振り去っていく。

 

――あぁ、ひとつ言い忘れたことがあった。

ナルミは去っていく彼女を呼び止める。

 

「青山さん!」

「? どうしました?」

「僕、コーヒーの美味しい喫茶店で働いてるんです、良ければいらっしゃってください」

「へぇ……是非伺わせてもらいます、名前は?」

「『ラビットハウス』です!」

 

その名前を言った瞬間、初めて彼女の微笑みが崩れた。

 

「……そろそろ、踏ん切りをつけるべきなのかもしれませんね」

 

でもそれは一瞬で、すぐにもとの思考の読めない微笑みが戻ってくる。

 

「……えぇ、是非」

「まぁ、僕は厨房なのでお会いはできないかもしれないんですが……引き留めてしまってすいません」

「気にしてませんよ、寧ろ少し感謝しているくらいです」

「え?」

「お礼ついでに……あなたの努力はきっと実を結びますよ」

 

彼女は、遠くから走ってくるリゼを見て言った。

 

「あなたにも親身になってくれる人がいるみたいですから」

「……そうですね」

「すいません、差し出がましいことを……」

「いいえ、ありがとうございます」

「それでは、私はこれで……」

 

彼女は言って、今度こそ去っていった。

それと同時にリゼが声をかけてくる。

 

「知り合いか?」

「いいえ、今日初めて会った人です、それよりも練習始めましょう?」

「おぉ? なんだ? 今日はえらくやる気だな!」

「はい、球技大会も近いですし、ココアさんや千夜さんに見せられるくらいにはならないといけませんから!」

 

日も落ち、夜の帳が下りてくる。

遠くの稜線に残っていた夕焼けが地面に飲まれ、冷たい暗がりを街灯の明かりが僅かに照らす。

そんな中でも、二人の声は遅くまで止むことはなかった。

 

そして、毎夜それは続いた。

 

 

 

――

 

数日後。

 

「球技大会勝ったよー!」

 

ココアはラビットハウスに入ってくるなりそう言った。

 

「千夜は大丈夫だったのか? 」

 

リゼは聞いた。

あのあとも何度か練習をしたが、千夜の能力が一般人レベルになることはなかったからだ。

彼女のスパイクは執拗にココアの顔面を狙い続けた、最早、変質的な愛だと思えるほどに。

 

対するココアの回答は、非常に簡単だった。

 

「種目をドッジボールに交代してもらったんだよ」

「何故最初からそうしなかった?」

「すごいよね、避けるのがうまくてボールが全然当たらないの」

「私が教えた意味は……」

 

言いかけたが、まぁ勝ったなら結果オーライだ、そこはいい。

重要なのはもう一つのほうだ。

 

「……まぁいいや、それで……男子のほうはどうだったんだ?」

「男子? それは……」

 

ココアが言いかけたとき、ラビットハウスのドアが開く。

入ってきたのは、話の当人たるナルミだった。

彼はリゼを見つけるなり駆け寄ってくる。

 

「どうだった?」

 

聞くと彼は今まで見たことのないような満面の笑みを浮かべる。

そして、こう言った。

 

「勝ちました!」

 



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ラッキーアイテムになりたくて その1

引き続き遅れました……。


「お客様の明日の恋愛運は……上々です、水玉模様をつけた年下の方に誘惑されるでしょう」

「え~! そうなんだ! どんな人なんだろう、楽しみ~」

 

昼下がりのラビットハウス。

お客の入りはそれなり、その中の一組の女性客にチノが何やら面白そうなことをやっている。

 

ナルミは出した料理の感触を見るため、厨房の陰からそれを見ていた。

 

「いつもありがとね、店員さん」

「どういたしまして、またいらしてください」

 

女性は意気揚々と帰っていく。

どうやらこの店のリピーターらしい、先ほどのチノのサービスを求めてやってきていたようだが……?

 

「リゼさん、あれは?」

 

ナルミは、そばで皿の片づけをしていたリゼに聞く。

 

「ん? ナルミは見るの初めてか?」

「はい、この店でやってるサービスか何かですか?」

「コーヒー占いだよ、カプチーノ限定でやってるんだ」

「占いですか……あんまりよく知らないんですが、なぜカプチーノ限定?」

「カプチーノ以外だとわからないからです」

 

片づけた食器等を持ってきたチノが、横合いから言ってくる。

 

「あれは『カフェ・ド・マンシー』と言って……飲み終わった後、カップの底に残った模様で占うんです」

「チノの占いは結構当たるんだぞ、さっきの人みたいに占い目当ての人もいるくらいだ」

「ほほう! 下駄占いがよく当たる私と張り合うつもりかな?」

「なんで勝負になってるんだ? というか雨か晴れの二択しかないだろ、それ……」

「そんな事ないよ! 横なら曇りだし!」

「どちらにせよ三択……」

 

話しているとココアが話に乗ってくる。

『あ~したて~んきになぁ~れ!』と言って靴を飛ばす彼女の姿は容易に想像できた。

きっと子供のころから明るくてやんちゃな子だったのだろう。

 

「リゼちゃんもその……『カフェ・ド・マンシー』できるの?」

「私は無理だが……これはやったことあるぞ」

 

言ってリゼは指で銃を作り、自分のこめかみに押し当てた。

ロシアンルーレットだろうか……どういう状況でやったのか。

 

「なんか危険な匂いがする!」

「それは占いじゃなく賭けかなにかだと思うんですが……」

「実包でやったときはさすがに緊張したなあ」

「命は投げ捨てるものではないですよ」

「自動拳銃を渡されたときは肝が冷えたよ」

「もしかしてダーウィン賞狙ってます?」

 

ナルミはリゼの将来が心配になった。

ある国では、ロシアンルーレットによって年間10人程度の死者が出ているのだとか……。

なお、自動式拳銃でやった場合はほぼ100パーセントの確率で死ぬ。

 

「私も占いやってみたい! みんな飲んでみて!」

 

ココアは4人分のコーヒーを持ってきて言う。

とりあえず飲んでみて、それぞれココアにカップを渡す。

 

「……うさぎってコーヒー飲んで大丈夫なの?」

「少量なら大丈夫みたいですね」

 

なぜかティッピーにも渡されていた。

特になんの疑問もなく、ティッピーは器用にコーヒーを飲んでいた。

 

「まずチノちゃんは……空からウサギが降ってくる模様が浮かんできたよ」

「そうは見えませんが……本当だったら素敵ですね」

 

空からウサギが降ってくる……?

 

「なんかデジャブを感じるような……?」

 

なぜか某和菓子店のうさぎが思い出された。

 

「リゼちゃんは……コインがたくさん飛んでくるのが見えるよ! 金運がアップするのかな」

「欲しかったものが買えそうだな」

 

『拾う』でなく『飛んでくる』?

なんか痛そうだ。

 

「ティッピーはセクシーな格好でみんなの視線を釘づけだよ!」

 

ティッピーは顔を赤らめる。

いやそもそも貴方は常時全裸だろう……。

 

「毛刈りでもされるのかな……」

「縁起でもないことを言うでないわ」

 

身震いしながらティッピーが言う。

まあ所詮は占い、気軽に聞いていいだろう、とナルミは思った。

 

しかしココアはナルミのカップを見て眉を潜めた。

 

「ココアさん?」

「なるくんは……なんだろう、倒れてる人と、寄り添ってる人が見えるよ、誰かを助けてるのかな」

「助ける? 僕が役に立てるのなら、嬉しいな」

 

言っていると、横合いからカップが差し出される。

手の主はチノちゃん……そして、頭の上にいるおじいさん。

 

「全くなっとらん、ワシが占ってやろう」

「ティッピーも占いたいの? どっちが当たるか勝負だね!」

「私もやるのか……」

 

ココアとリゼはコーヒーを受け取り言う。

カップを渡したチノはものすごく微妙な表情をしていた。

 

「相変わらずチノの腹話術は凄いな」

「はい、実はティッピーの力を借りれば、ほかのコーヒーでも出来るんです」

「へぇ……」

「おじいさん……」

 

ナルミは小さくため息をついた。

普通に喋りだしたぞこのウサギ……。

 

……まぁ腹話術で済むならそれでいい。

 

ココアは受け取ったコーヒーを飲み干し、チノに渡す。

チノはそのコーヒーカップを特に見ることもなくティッピーに見せる。

もはや隠す気もない。

 

「ココアの明日の運勢は、雨模様、いや水玉模様じゃな、外出しないのが賢明じゃ」

「……だって、リゼちゃん」

「いやお前の運勢だよ」

 

ティッピーは次にリゼのカップを覗き込む。

 

「次はリゼのじゃが……リゼは将来器量のよい嫁になるじゃろう」

「私が? そんなまさか……」

「リゼさんらしい結果ですね」

「ナルミまで……そんな、私なんて」

 

リゼは否定するが、頬の緩みは隠せていない。

 

「昨日は夕食のティラミスがひとつじゃ足りずキッチンに侵入した」

「! なぜそれを!?」

「しかしカロリーが気になって、その後ランニングに走ったの」

「えっ」

「誉めるとすぐ調子にのる」

「待っ」

「実は甘えたがり」

「……」

「適当にかわすのが無難……ギャーッ!!」

 

そこまで言ったところで、リゼのチョップがティッピーを襲った。

彼女の顔は耳の先まで真っ赤だった、つまり全て事実なのだろう。

 

「この毛玉め! こんなのただの性格診断じゃないか!」

「あはは……」

 

一応、言ってるのはチノーーということになっているーーが、ナルミは黙った。

これで少しは隠してくれるようになってくれればいいのだが……。

 

なおティッピーが粛正されたので、ナルミが占われることは、なかった。

 

ーー

 

翌日、学校にて。

 

「コーヒーで占いができるの? 面白そう!」

「『カフェ・ド・マンシー』って呼ばれてるんだって」

「『カフェドマンサー』? ネクロマンサー的な?」

「『マン』しか合ってないよ……千夜さんってそういうオカルト系? の知識が豊富だよね」

 

休憩中、千夜とココアとナルミは席を囲んで昨日の占いの話をしていた。

 

「占いと言えば私、手相を見られるのよ」

「面白そう、なるくん、一緒に見てもらおうよ」

「そうだね、千夜さんお願いできる?」

「どれどれ……」

 

差し出したナルミとココアの手のひらを、千夜が手にとって観察していく。

すべらかな感触に、ナルミは一瞬どきっとした。

 

「なるくんには……気配りやさんの線と二重感情線があるわね」

「気配りやさんはわかるけど……二重感情線?」

「ふだんは落ち着いてるんだけど、好きな人の前では緊張してガチガチになってしまう人の線よ」

「嬉しくない……」

 

それはつまり、恋愛がうまくいかないということなのだろうか。

しかし、そうなってしまう自分を、ナルミは容易に想像することができた。

 

「ココアちゃんは……あら、魔性を秘めた線があるわね」

「魔性!?」

「実は私にもあるの」

「おそろいだね~」

 

言って二人は、お互いの『魔性を秘めた線』とやらを重ね合わせた。

 

「……魔性?」

 

二人してえへへと笑い合う姿は、まるで背景に花が咲いているよう。

その緩い雰囲気に、『魔性』という言葉は究極に似合わないとナルミは思った。

 

多分クラス中がそう思っているだろう、とも。

 

 

ーー

 

お昼休み。

季節は春を迎えて久しい、晴天の空より降り注ぐ日差しはポカポカ暖かく、ぼぅっとしていればそのまま寝入ってしまいそうだ、とココアは思った。

 

そんな心地よい天気だったものだから、ココアと千夜は弁当を片手に校舎すみのベンチでランチタイムと洒落混んでいた。

 

ナルミは別の男の友人と席を囲んでいるため不在。

少し前の球技大会から、ナルミの回りには人が増えたような気がする。

 

 

「そのお弁当美味しそうね」

「ほんとー!?」

 

千夜がココアの弁当を見て言う。

彼女の弁当は、卵焼きやウインナーなど定番のものを詰め込んだ彩りのよい献立だ。

 

ふだんはチノの父、タカヒロがまとめて作っているが、今日は自作、なかなかうまくできたとココアは自負していた。

 

「今日は自信作なんだ、特にこの卵焼きの焼き加減が……」

 

そこまで言ったとき、ぴりりり、と電子音が鳴る。

音源は千夜の電話からだった。

 

「あら、電話……なるくんからだわ」

「なるくん? どうしたんだろ」

 

少し首を傾げながらも、千夜は電話に出る。

 

「もしもし? なるくん? ……え? あんこがカラスに(さら)われてる?」

「え!? あんこが!?」

 

あんこは、甘兎で飼われている看板兎のことだ。

真っ黒な体躯と人形のような動じなさが特徴で、何故かよくカラスに拐われるのだ。

 

「何処で見たかわかる? ……え、こっちに飛んで行った?」

 

ココアと千夜は同時に上を見た。

 

ーー瞬間、ココアの顔を影が覆う。

 

「え」

 

膝元に広げていた弁当に、べしゃり、と何かが着弾する。

見ると、件の黒うさぎが普段と寸分変わらぬポーズのまま、ココアの膝に鎮座していた。

 

「あらあら、またカラスに拐われるなんて……」

「私の自信作……」

 

当然だが、弁当は半分が地面にぶちまけられ、半分はぐちゃぐちゃになった。

地面にぶちまけられた半分の中には、卵焼きもあった。

 

『……マジかよ』

 

千夜の携帯から、ナルミが小さくぼやいた。

 

 

ーー

 

 

ココアの弁当にあんこが落着してきて数分後。

二人は食べ物がこぼれ汚れた制服を洗い、購買にて代わりの昼食を買おうとしていた。

 

あんこは先生に許可をとり、一時的に預かってもらっている。

 

「そういえば、この学校のコロッケパン食べてみたかったんだ、前になるくんがおいしいって言っててね」

「ココアちゃんはいつもお弁当だものね」

「うん、千夜ちゃんのおかげだよ、ありがとー」

 

普段はお弁当だし、たまにはこういうのもいいかもしれない、ココアは持ち前のポジティブ思考で気持ちを切り替えた。

 

「少し遅い時間だけど、まだ売ってるかな……」

 

通常、購買には終業直後に生徒が雪崩れ込む、少し遅い時間なのもあって生徒の数はまばらだった。

 

幸い、コロッケパンはまだ残っていた。

おいしいと評判の一品だが、パン屋の娘としては厳しい目で見ざるを得ない。

 

「コロッケパンひとつくださいな」

 

購買のおばちゃんが素早く袋詰めをして、こちらに渡してくる。

値段は百円、やはり高校の購買とあって安い。

これで美味しいのならば完璧なのだが……。

 

「触れた感じのもちもち感は……及第点かな」

「……あら?」

 

そこで、千夜が何かに気づく。

ココアもつられて見回すと、すぐにそれに気づいた。

 

注目されているのだ。

購買周辺の少なくない人たちに。

 

「ココアちゃん……なにか私達、見られてるような」

「そうだね……ふふふ、私達の魔性にみんなが気づいたのかもしれないね」

「そうなのかしら……」

 

魔性を秘めた二人が揃ってれば魔性は二倍、人を引き付けるぐらいはできるのだろう……たぶん。

 

ーーそこまでココアが思ったところで、ぴりりり、という音が再度鳴る。

また千夜の携帯電話のようだった。

 

「あら……またなるくんだわ」

「珍しいね、あんこは先生に預かってもらってるけど」

「出てみるわ、もしもし? なるくん? ……どうしたの?」

 

千夜の表情が変わる。

会話の内容は聞き取れないが、何処か深刻な様子でナルミが話していることだけは、ココアにもわかった。

 

「え……? ココアちゃんの背中? 少し待って……」

 

千夜がココアの後ろに回る。

 

「ーーつっっっ!!!? ココアちゃん!」

「ひゃっ!? っと!」

 

言葉にならない悲鳴とともに、ココアのお尻が思いっきり押される。

その拍子に、手からコロッケパンがこぼれ落ちる。

 

が、ギリギリでキャッチ。

折角の昼食だ、これまでなくなったら夜までご飯抜きで過ごすことになってしまう。

一息ついて千夜のほうへ向くと、千夜は顔を真っ赤にしていた。

 

 

「こ、ココアちゃん……パ……パ……パン……」

「パンなら無事キャッチできたよ!」

「違うの! さっきトイレに行ったときから……スカートがめくれあがって、その、ココアちゃんの水玉が……っ!」

「あ"……」

 

気づけばパンは地面に落ちていた。

 

 

『……セクシーな格好でみんなの視線を釘付け』

 

千夜の携帯電話から、ナルミの声が小さく響く。

誰にも聞かれることはなかったが。

 

 

ーー

 

「なんだか今日はついてない気がする……」

「ま……まぁこんな日もあるわよ」

 

放課後。

ココア・千夜・ナルミの三人は、連れだって帰りの道を歩いていた。

パンツ露出事件の後、ココアと千夜はそそくさとその場を退散した、購買に近寄ることはできなかったため、昼食は抜きだ。

 

「……そういえばなるくん?」

「何?」

「見た?」

「……遠くから、少しだけ」

 

ナルミはそっぽを向いて言った、彼の耳は赤かった。

ココアは少し泣きそうになった。

 

「もうお嫁にいけない……」

 

ココアは小さく呟く。

ーー幸い、トイレから購買の距離は近い、曝したのはあのときに購買にいた人くらいだろう。

それでも、教室に戻った際に奇異(きい)の視線を感じた。

明日学校に行くのが……少し気が重い、こんなのは始めてだ、とココアは思った。

 

「うぅ……」

 

何より、この目の前で顔を赤くしている少年に見られた、と言う事実が何よりきつかった。

 

「なにか美味しいものでも食べて気分を変えようか、今日は奢るよ、千夜さんも」

 

ナルミは振り向いて、いつもの笑顔で言う。

先ほどの表情は欠片も残っていなかった。

 

「なるくん……ありがとう」

「私もいいの?」

「僕も男だし、甲斐性ってやつを見せなきゃだからね……っ!?」

 

ナルミが血相を変える。

 

ーー次の瞬間には、ナルミはココアに飛び付いていた。

 

「えっ……!?」

 

突然の出来事に混乱していると、大量の水がナルミに振りかかる。

最後にじょうろが、おまけとばかりにナルミの頭を叩いて地面に落ちた。

 

「ご、ごめんなさい! 手が滑ってじょうろが!」

 

上からの声に視線を向けると、窓から身を乗り出し、慌てふためく女性の姿が。

恐らくは窓枠にかけたプランターに水をやっているところを、手を滑らせて落としたのだろう。

 

「ココアさん、大丈夫?」

 

ナルミがココアを抱き止めたまま言う。

水を被ったのもあるが、ひんやりとした体温。

どこか病院を彷彿(ほうふつ)とさせる匂い。

体つきは細いけれど、思ったより硬い、男の子だとわかる感触。

 

守ってくれたーーその事実を理解した瞬間、ココアの心臓が少しだけ跳ねた。

 

そして、今日のことを思い出す。

 

悪いことがたくさん起こったけれど、どの時も彼は私を助けようとしてくれていた。

そう考えると、今までの陰鬱な気持ちが晴れて、ココアはとても嬉しくなった。

 

「あ……ごめんココアさん、急に飛び付いたりして……っ!?」

 

離れようとする彼をぎゅうっと抱き締める。

 

「ありがとーなるくん!! なるくんはわたしのラッキーアイテムだよぉ!!」

「こ、ココアさん、引っ付くと濡れちゃう」

「できた弟を持ててわたしは幸せだよぉ」

「弟じゃないよ……まぁいいか」

 

ナルミはほっとしたように息をついた。

自分はずぶ濡れなのに、まるで自分が助かったかのように、安心したような表情だった。

 

それはどこか、自分の姉が見せる表情に似ているとも、ココアは思った。

 

「あらあら……なるくんびしょびしょね」

「ありがとう、千夜さん」

 

千夜がハンカチを取り出してナルミの髪を拭う。

 

「水も滴るいい男になったわね」

「いつかそうなれたらいいなぁ……へっくち!」

「あら、大丈夫?」

 

ナルミが勢いよくくしゃみをする。

 

「別にこのくらい平気だよ、天気もいいし、服もいずれ乾くだろうし……」

「ダメだよなるくん! お姉ちゃんがもふもふして暖めてあげる!」

「ちょっ……平気だから! ほら、フルールが近いし、そこに行こう? ごちそうするよ」

 

ナルミはココアの手を避け、普段と同じ笑顔で言った。

彼はそのまま、フルールの方向に向かって駆けていく。

 

「あ、そうだ」

 

……が、急に止まって、振り向き彼はこう言った。

 

「ココアさん、今後は絶ーっ対に、占いやっちゃダメだからね!」

「なんで!?」

「いずれ身を滅ぼすよ!」

「そこまで!?」

 

 

ーー

 

「なっ……なんてもの連れてきてんのよ! ひいっ!?? やめて! こっち来ないで!!」

 

ココア、千夜、ナルミが『フルール・ド・ラパン』に入ると、制服を着たシャロが完璧な営業スマイルを見せてくれる……ことはなく、彼女はまるで殺されかけているかのように全力で逃げ出した。

 

「がーん……わたし、そんなに不幸オーラが出てるの?」

「だったら誰も近寄らないよ、千夜さん、あれは?」

「シャロちゃんは昔あんこにかじられて以来、うさぎ恐怖症なの」

「よりにもよってこの街でそんな難儀な……」

 

どうやら不幸オーラが出ているわけではないらしい……ココアはほっと胸を撫で下ろした。

そういえば、シャロがリゼと会ったきっかけはうさぎに襲われたことが原因だと以前言っていた。

 

「こんなに可愛いのに……もったいない」

 

腕の中にいるあんこをそっと撫でる。

普段微動だにしないあんこだが、何故かこの店に入った瞬間から、シャロを常に視線に捉えていることにココアは気づいた。

懐いているのだろう、本人の好感度は低いようだが。

 

ーーびくびくしながらもシャロは席へと案内してくれた。

客入りが少ないのもあってか、注文するとほどなくお茶とお菓子が運ばれてきた。

 

リンデンフラワーのハーブティに、フルールのシンボルマークがあしらわれたロールケーキだ。

 

「んー♪ おいしい!」

「ココアさんの機嫌が治ってよかったよ」

「むしろ有頂天(うちょうてん)だよぉ、ありがとうね、なるくん」

「私にもご馳走してくれてありがとう、なるくん」

「どういたしまして」

 

笑顔で言いながらも、どこかナルミは忙しなく周囲に気を配っているようだった。

その中でも特に、出口前のお会計に目を向けているようだ。

 

「……『コインがたくさん飛んで来る』なら、やっぱり会計の時が危ないか……? まぁ僕が払えば後ろのココアさんに当たることは……」

 

ぼそりと呟くナルミを尻目に、さらにココアは視線を巡らせる。

若干離れた所では、シャロが警戒心を最大にしてココア……の上に乗っているあんこを見つめていた。

 

「こ、こいつが来るなんて……今日はついてない……!」

「シャロちゃん! 今のココアちゃんの前で『ついてない』なんて言っちゃ駄目!」

「えぇ!? なんかわかんないけど面倒くさい……!」

 

千夜が言う。

やはり気を使わせてしまっているらしい……。

元気にやって、もう大丈夫だと伝えなければ。

 

「大丈夫だよ千夜ちゃん、なるくん、二人のおかげでむしろ良い日になった気がする」

「そう? ならいいんだけど」

「気を付けてねココアさん、何が起こるかわからないし」

「もぅ、なるくんは心配性だなぁ」

 

ナルミはあははと笑って、ハーブティに口をつける。

 

その後は、何が起こることもなく和やかなアフタヌーンティーを楽しむことができた。

 

 

ーー

 

少し日が傾いて来た頃。

ココアたちは会計をして店を後にしようとしていた。

 

「……はい、お会計ちょうどですね、ありがとうございました」

 

シャロはナルミからお金を受け取り、いつも通りの営業スマイルを見せてくれた。

 

「ごちそうさま、また来るね」

「またのご来店をお待ちしてます、でもそのうさぎはやめて欲しいわ」

「あはは……まぁ、今日は事情があって」

 

ナルミは入り口を開ける。

外は既に夕焼けに染まっており、少し肌寒い風が吹いていた。

 

「……あっ!」

 

そして、同時にそれは起こった。

 

まず、ココアの腕にいたあんこが勢いよく飛び出した。

 

そして、シャロの顔面に張り付いた。

 

「ふぎゃ!? いやああああぁぁぁぁぁぁぁぁーーーっ!!!!」

 

シャロは混乱し、断末魔の如く悲鳴をあげて手を足をじたばたと振り乱す。

 

ーーそして、お会計を持っていた腕が、勢いよく振り抜かれる。

大量のコインが、飛んで来た。

 

「ココアさ……」

 

ナルミの反応も虚しく、薙ぎ払われるように放たれたコインはーー

 

ーー咄嗟にくしゃみをした千夜を除く二人を直撃した。

 

 

 

ーー

 

 

翌日。

 

「ねぇねぇ二人とも、昨日はわたしの占い当たった?」

 

ラビットハウスのバイト着に着替えたココアは、既に店内にいたチノとリゼに聞いた。

 

「特に何もありませんでしたね、うさぎも降ってきませんでした」

「私も特になにもなかったぞ、お金を拾ったりとかもしなかったし」

「そっか……占い勝負はティッピーの勝ちだね」

 

昨日の運勢は決して良くはなかった、どうやらティッピーの力を借りたチノの方が、いわゆる占力(せんりょく)が大きいのだろう、とココアは思った。

 

「わたし、あんこが落ちてきたりスカートが(めく)れたりシャロちゃんにお金投げられたり大変だったよー」

「ココアさんは人の不幸の身代わりになる才能でもあるんですか?」

「えへへ、でもなるくんにお茶ごちそうになったり、良いこともあったんだよ」

「へぇ……それはよかったな」

 

そこで、ココアは気づいた。

 

「……あれ? なるくんは?」

 

ココアが言うと、チノは少しだけ目を伏せて、こう言った。

 

「さっきマヤさんから連絡がありました、なるさんは……熱を出して寝込んでしまったらしいです」

 

 

 

 



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ラッキーアイテムになりたくて その2

ちょっとシリアス入ります。


「えぇっ!? なるくん今日はお休みなの!?」

 

朝のラビットハウスで、ココアが驚愕の声をあげる。

 

「はい、先程連絡があって……昨日の夜くらいからひどい熱がでてしまって、今日はお休みをいただきたいと」

「そんな……」

 

思い当たる節はあった、ナルミは昨日ココアを守って水を被り、そのままお茶をしていた。

そのせいで、身体を冷やしてしまったのだ。

 

「わたしのせいだ……」

 

ナルミに気遣われてばかりで、彼の体調不良に気づくことすらできなかった。

元々我慢するタイプだということも、感情を表に出さないタイプだということもわかっていた筈なのに。

こんな……こんなことでは。

 

「お姉ちゃん失格だ……」

「ココア、もしかして昨日なにかあったのか?」

「わたしを庇って水を被っちゃって……きっとそのせいで体調を崩しちゃったんだ」

「そんなことが……ナルミらしいな」

 

リゼが目を伏せて心配そうに言う。

 

「仕事が終わったらお見舞いに行ってやるか」

「そうだね、ここで行かないと本当にお姉ちゃん失格になっちゃう」

「そもそもナルミはお前の弟じゃないぞ」

「むしろ兄のほうがしっくりくる気がします」

「うぐっ……」

 

確かに会ってから、姉らしいことはあまりできていない気がする……。

 

「よーし、ここで姉力を発揮して、尊厳を取り戻すよ!」

「私も行くぞ……その、心配だからな」

 

リゼも少し恥ずかしそうに言う。

最近の彼女は、少しナルミと仲良くなったような気がする、とココアは思った。

 

「あ、待ってください、マヤさんから見舞いには大人数で来ないでくれと言われてます」

「あ……そうだな、あんまり押し掛けて気を遣わせるのも悪いか……ん?」

 

ココアは二人を真剣な瞳で見つめた。

今回はわたしが行かなきゃならない、だから行かせてくれ、と言葉を込めた瞳で見つめた。

 

「……わかった、今回はお前に譲る! しっかりとナルミの看病をしてこい! 店は私達に任せろ!」

「サー、イエスサー!」

 

びしりと敬礼をし、ココアは着替えに奥へ向かった。

 

「暑苦しいです……」

 

チノは小さく呟いたが、特に誰かに聞かれることもなかった。

 

 

 

 

ーー

 

「おー! ココア! 久しぶり~!」

「マヤちゃん、あの雨のとき以来だね」

 

ココアは即座にマヤに連絡を取り、お見舞いに行きたい旨を伝えた。

彼女は快諾(かいだく)し、家に案内するために公園で待ち合わせていたのだ。

 

「わざわざ兄貴のお見舞いなんてしてくれて、ありがとな」

「なるくんには兄力で押されがちだからね、ここで巻き返さないと」

「あはは、相変わらず意味わかんねーな」

 

マヤはけらけらと笑いながら言った。

 

「いつもはあたしが看病してやってんだけどさ、兄貴もココアみたいのが来てくれたほうがいいだろ」

「なるくんってあんまり身体強くないの?」

「最近は全然だったんだよ? だけど、なんか最近夜遅くまで外でなんかやってたっぽいからさ」

「そうなんだ」

「うん、バイトから帰って来て、飯作ったらジャージ姿で速攻で出てくの、聞いても教えてくんないからよくわかんないけど」

 

ジャージ姿で夜遅くまでなにかをしている……。

内容はわからないが、元々疲れていた、ということらしい。

それに気づけなかったことに、ココアはお姉ちゃんとして自分を恥じた。

 

「兄貴ってそういうことするとすぐ睡眠時間削るからさ、変に生真面目だから、普段やってる勉強とか減らしたりしないし」

「へぇ……なるくんらしいね」

「それでぶっ倒れてりゃ世話ねーって、全く……」

 

マヤはやれやれと両手をひらひらさせる。

しかし言葉とは裏腹に、迷惑そうには見えなかった。

 

「お、着いたぞ……」

 

ほどなくして到着した家は、この木組みの町では珍しくない、西洋風の一軒家だった。

 

「あ……ココア、ちょっと待ってて」

 

マヤは何かに気づいたようにはっとした表情で、家に飛び込んでいく。

家からわずかに声が聞こえる。

 

「なんで家が隅々まで掃除されてんだよ! 寝てろよあのバカ兄貴……!」

 

だの。

 

「何故か自分の部屋は片付けられてない……! 力尽きたなコイツ!」

 

だの。

 

「やっぱり手錠放り出してやがる! 変態だと思われるぞ!?」

 

だのと聞こえた。

 

「……手錠?」

 

聞き捨てならない言葉だったが、多分聞き間違いだろう、とココアは思い直した。

 

 

 

ーー

 

 

 

「う……うぅ」

 

気持ちが悪い。

目を閉じると、まぶたの裏に気味の悪い何かがぐるぐるして、視界の全てがぐにゃぐにゃとよじれる。

寝ている筈なのに、三半規管がおかしくなったのか体すらぐるぐると回されているような気がする。

 

とにかく気持ちが悪い。

強烈な悪寒が全身を包み、体の震えが全く止まらない。

呼吸が勝手に荒くなる、気持ち悪さと頭の痛みが止まらない、つらい。

 

最近はかなり調子がよかったのだが……ナルミは思うが、自分の体はやはりこんなものなのだろうか。

 

「ひどい熱……今タオル変えてあげるからね」

 

そんな時、額のぬるくなったタオルが取られ、数秒後にひんやりとなって帰ってくる。

 

「あ……気持ちいい」

 

じんわりとした冷たさは、少しだけ頭の痛みを取ってくれた。

片方の手が、暖かい両手で包まれる。

それだけで、不安な気持ちが少しは失せる。

 

「マヤちゃん……いつも……ありがとう」

 

小さく呟く。

ナルミが倒れたとき、多忙な両親に代わりいつも献身的に介護してくれたのは彼女だった。

明るいマヤのこと、そのせいで遊べなくなったり、友達の約束を断ったりしたこともあったろう、ナルミは常に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 

だからこそ、兄貴であろうと思ったのだ。

マヤが誇れるような、立派な兄であろうと。

誰にも迷惑をかけず、むしろ誰かを背負って歩いていけるような、頼りがいのある男であろうと。

 

できることはなるだけやった、家事はほぼ全部引き受けたし、勉学も死にもの狂いでやった、家族から自立するためにバイトも始めた。

 

でもまだ、こうして世話を焼かれてしまっている。

そして、それに甘んじてしまっている自分もいた。

こんなことでは駄目なのに、所詮自分ではこの程度のことしかできないのか。

情けない男にしか、なることはできないのだろうか……。

 

あぁ、畜生ネガティブになってきた。

どうやら今の自分は相当に参っているらしい。

 

「マヤちゃん、風邪……移るから、もう……」

 

思い目を開き言う。

 

視界に飛び込んできたのは、花を思わせるストロベリーブロンドの髪と、アメジストの瞳。

パンのような、微かに甘い小麦粉の香り。

 

いる筈のないココアが、そこにいた。

どうやら本当に自分は参っているようだ。

 

合いたい、でも会いたくない、そんな人。

もし目の前にいたならば後で首を括りたくなるだろう、しかし、いたならばどれほど幸せだろう、とナルミは思う。

 

これは、夢だ。

手を包む温もり、微かに聞こえる息づかい、甘い小麦粉の香り、全てが非常にリアルだったが夢だ。

 

安心して、ナルミは眠りに落ちてーー

 

 

 

 

 

「ーーって、んな訳があるかっ!!」

 

ナルミは自信の思考にセルフツッコミを仕掛けた。

がばりと飛び起きる。

 

「わっ!? びっくりしたよぉ」

「こっ……こ、こここここ」

「コケコッコー? おはようなるくん」

「こっ、ココアさんが何故ここに……っ! げほっ、ごほっ……!」

「わわ、無理しちゃダメだよ」

 

思わず苦しげに咳き込んだナルミを、ココアが寝かせる。

 

「最近はなるくんに兄姉戦争で押され気味だったからね、ここでしっかり姉ポイントを貯めないと」

「いつからそんな戦争が……でも、ありがと」

「えへへ、どういたしまして」

 

ココアは表情をふやけさせてによによと笑う。

あぁ、いつものココアさんだ。

やっぱり夢じゃないな、ナルミはそう思った。

 

「でも、もう大丈夫だよ、うつしたら悪いし、今日はもう帰って……」

 

ナルミは言った。

同時に高速で瞳を巡らせ部屋を見回す。

この部屋には、幾つか他人に見られるとヤベーもんがあったからだ。

 

しかしそれは杞憂(きゆう)で、その全ては視界内になかった。

マヤがやってくれたのだろう、お返しがどうなるかは今は考えないことにした。

 

でもそんな心持ちを知ってか知らずか、ココアは瞳を輝かせ、ずい、と顔を寄せてくる。

 

「むしろうつしてくれていいんだよ! うつしたら治るって言うし!」

「いや、悪いって……こういうの、慣れてるからさ」

「それに看病して病気がうつるのって凄い姉弟っぽくない!? ちょっと憧れてたんだ~」

「それじゃミイラ取りがミイラだよ……」

「その時はなるくんが看病してね?」

「はいはい……」

 

ナルミは小さく嘆息した。

弱った彼女の看病をすると言うのはとんでもなくドキドキのシチュエーションだが、普通に考えてチノちゃん辺りにやってもらうべきだろう。

 

「……それに、私のせいでもあるんだし」

「え?」

 

ココアは先程とうってかわって殊勝な態度で言った。

 

「なるくん、私を庇って水を被っちゃったでしょ? そのせいで風邪ひいちゃったんだから……」

「それは……」

 

ない、と言うことはできなかった。

リゼと夜遅くまでバレーボール練習をして、疲れが貯まっていたのが最大の原因だろうが、それをココアに言うなど、出来るわけがないから。

 

「だから今日は、優しいなるくんにいっばい優しくしてあげるの、全部お姉ちゃんに任せなさーい!」

 

そしてココアは、みるからにふにふにの二の腕を見せつけるポーズを取った。

いわく、『お姉ちゃんのポーズ』なのだとか。

 

「そういえばりんご持ってきたんだ、食べられる?」

「……少しなら」

 

言うとココアは、恐らくはマヤから借りたのだろう家にあったペティナイフでりんごの皮を剥いていく。

 

「リゼちゃんみたいにうまくできないかもだけど……」

「あの人は()りすぎるから……食べられればいいよ」

 

リゼの刃物捌きは一流だ、本人いわく『慣れてるから』らしいが、一体何で慣れたと言うのか。

……とはいえ凝り性の彼女のこと、りんごで彫刻でも掘り出すのではなかろうか。

普通に食べたいとナルミは思った。

 

「はい、出来たよ」

 

そうこうしていると、うさぎの飾り切りを施された8等分のりんごが出来ていた。

ココアは爪楊枝でその一つを持ち上げ、ナルミの口元に差し出してくる。

 

「はい、あ~ん」

「ココアさん、それは……」

「あ~ん」

「……はい」

 

観念し差し出されたりんごを食べる。

 

ものすごく恥ずかしい、元々熱い顔が更に熱くなる。

この、エサをあげられる雛鳥の感覚は死ぬほど恥ずかしいとナルミは思った。

 

「おいしい?」

「おいしいれす」

 

更にその親鳥がココアなのだから、リンゴの味などナルミには分かろう筈もなかった。

無心に差し出されるリンゴをかじり続ける。

 

「あ……ココアさん、もう、食べれないかも」

 

半量のリンゴを食べたところで、ナルミの腹には限界が来た。

 

「えぇ? そう……」

 

ココアは少し残念そうにリンゴの皿を下げる。

リンゴをナルミにあげているときの彼女は終始笑顔で、よほど楽しかったのだろう、とわかった。

 

しかし、手持ち無沙汰になってココアは周囲を見渡し始める。

 

「それにしても、なるくんの部屋ってシンプルだよね」

 

ココアが言う。

同年代の男子の部屋などナルミには知ったこっちゃなかったが、確かに物は少ないとは思った。

 

目に見える所にあるものは、ベッドに、物の殆ど置かれていない平机と、本棚が幾つか、マンガなどは少なく、殆ど参考書か教科書、それと大量のメモ用ノート。

趣味らしい物もない、目立つものと言えばーー

 

「ーーアルバム発見!」

 

ぐらいのもの、ココアは目敏(めざと)くそれを見つけて素早く食いついた。

よくある装丁(そうてい)のスクラップ帳、彼女はそれを手に取り、胸元に掲げてみせる。

 

「ちいさいころのなるくんってどんなのだったのかな? わくわ……」

「駄目」

 

遮るようにナルミは言った。

アルバムを掴む。

 

「それは見ちゃ駄目!」

「えっちょ……病人とは思えない力!?」

 

ナルミはココアの持っていたアルバムを全力で引っ張る。

しかしそれでも彼女からアルバムを奪い取ることはできない、自分の力の無さを呪いたくなった。

 

これは、この部屋にある物品の中でも最も見られたくないものだった。

 

「ふぐぐぐぐぐ……!!」

「なるくん! 離す! 離すから! 無理しないでってば!」

 

ココアがアルバムを離す。

そして反動でナルミは後方に仰け反り、アルバムが手からすっぽぬけて宙を舞う。

 

ーーそして、落下した拍子にページが開いた。

 

「これ……」

 

貼られていたのは、昔の写真。

病院のベッドの上だけが生活圏だったころの。

いつ死んでもおかしくなかったころの、写真。

 

それは、誕生日だろうか。

いまからおよそ8年ほど前の。

家族はみな、今年も生き残れたことを祝って、笑っていた。

笑っていなかったのは、ナルミだけだ。

 

ココアがページをめくる。

 

その次も、そのまた次も、同じような写真。

家族が無理して笑うなかで、ナルミだけが無表情だった。

 

それは、今生きているだけで、近いうちに死ぬという確信があったから。

さっさと死にたい、と思っていたから。

何もできずひたすら浪費し命を永らえるだけの自分に、存在価値を見いだせなかったから。

 

そんな頃の、写真だ。

 

ーーそれを思い出しながらも、ナルミの思考は既に別の方向へシフトしていた。

 

「……ご、ごめんね、見られたくないものだったのに」

「……酩酊(めいてい)させれば記憶を消せるか? ココアさんの身長と体格から推測した体重から計算すると純アルコール100~110mlで酩酊状態にできる……でも100mlもどうやって摂取させれば……手っ取り早いのは96%のスピリタスか、ラビットハウスにあるかな……」

「なるくん?」

「いや普通に犯罪……変態ゲス野郎待ったなし……豚箱に臭い飯……人生終了樹海で首(くく)りルートか……」

「なるくんは何を言ってるの!?」

 

ココアの声でナルミは現実に帰った。

恐る恐る、彼女の顔を見る。

 

とても、心配そうな表情。

人生で何度も見た光景だった。

 

「……何も変わらないな、お前は……畜生」

 

ぼそりと呟く。

自分自身に向けた言葉。

ココアの来訪で忘れていた身体の不調が、思い出したように襲ってくる、視界がぐらりと歪む。

 

ナルミは、ぼふ、とベットに倒れこんだ。

 

「ごめんね、なるくん、無理させちゃって」

「気にしなくていいよ……別に、ココアさんのせいじゃないから」

「えへへ、ありがと……でもね、不謹慎かも知れないけど、ちょっと嬉しかったんだ」

「嬉しい?」

 

ココアは控えめに笑って言った。

 

姉弟(きょうだい)の喧嘩みたいなのできたから、あぁいうのちょっと憧れてたんだ~」

「喧嘩とは少し違うと思うけど……」

「それに、なるくんにも弱いところがあるんだなって」

「……僕にはそんなところしかない、必死に(つくろ)ってるだけだ」

「そんなことない、私の知ってるなるくんはいつも落ち着いてて、頼りがいがあって……」

 

 

落ち着いてて、頼りがいがある……当然だ、そう思われるように努力した、誰かの役に立ちたかった、お荷物にはなりたくなかったから。

しかし分厚い仮面(ペルソナ)の下は、虚仮威(こけおど)しのクソ雑魚ナメクジに過ぎない。

だからこそ、彼女にはこんな姿は見られたくなかったのに……。

 

「まるでお姉ちゃんみたい、今のなるくんを見て改めてそう思ったよ」

「お姉ちゃん……? お兄ちゃんじゃなくて?」

 

それは女々しいということだろうか……ナルミは思った。

 

「いやいや、私のお姉ちゃんだよ! 凄くしっかりしてて優しくて……私の憧れなんだ」

「もしかして、ココアさんがお姉さんになりたがるのって」

「そう、お姉ちゃんみたいな立派な人になりたいなって……」

「でもきっと、ココアさんのお姉さんはこんな姿を見せないでしょ?」

「見せないよ、でも知ってるんだ」

 

ココアは、なにか思いにふけるように目を閉じて、言った。

 

「絶対に見せない、でも影ですっごく努力してるんだ、沢山失敗しても、それを元にして成長して……そんなところに凄く憧れてるんだよ」

「立派なお姉さんだね、お姉さんも、ココアさんみたいな妹を持てて幸せだと思う」

「えへへ……」

「でも、僕には似ても似つかないよ」

「そんなことないよ、だって、なるくんも凄く努力したんでしょ?」

 

ココアは、ナルミの目を真っ直ぐ見て言う。

 

「なるくんがどんな病気だったのかとか、どれくらい辛かったのかとか、それはわからない、だけど……それを努力ではね除けて、私の知ってる立派ななるくんになったんでしょ? 」

「ココアさん……」

「なるくんは凄い人だよ、今までも凄いと思ってたけど、今はもっと凄いと思ってる、そして、そんななるくんを知れたのが、凄く嬉しいんだ」

 

ココアは少し恥ずかしそうに言った。

 

そんなことを言われたのはナルミは始めてだった。

胸のうちが熱くなって、思わず目頭に涙が貯まってくる。

 

ナルミは布団をひっ被り、それを隠した。

 

「……ありがとう」

「えへへ、私もお姉ちゃんとして負けてられないね、だから看病は甘んじて受けてもらうよ! 」

 

ココアは堂々として言う。

ナルミは気が気ではなかった、心臓は破裂しそうなほど拍動し、目も涙が流れそうになる。

 

「……ココアさんのほうが、よっぽど凄いよ」

 

そして、先程まであった陰鬱とした気持ちは、綺麗さっぱり消え去っていた。

この人は、人を笑顔にする天才だ、とナルミは思った。

 

「え、今なんて?」

「なんでもない」

 

でも、言わないことにした。

困ったことに、このお姉ちゃんは調子に乗ると暴走して手がつけられなくなるからだ。

 

それにこれ以上いろいろされると、心臓が爆発して死ぬ、とも思ったから。

 

 

ーー

 

数日後。

 

「ご迷惑をおかけしました」

 

ナルミはようやく全快し、ラビットハウスへ出勤してきていた。

キッチンでは既にリゼが開店の準備を進めていた。

 

「お、もう大丈夫なのか?」

「お陰さまで、本当は昨日はもう元気だったんですが、休めと言われて……余計に寝たのでもう大丈夫です」

 

最近はかなり身体の調子がよく、昨日も暇だったので家事や勉強をしようとしていたのだが、マヤから『寝ろ!』の一言をいただいてしまったのだ。

昔は些細なことで病気が悪化することもあったので、彼女も少し神経質になっているのだろう。

 

よくできた妹だと思う反面、迷惑をかけてしまっているな、とも思う。

 

「その……あんまり無理はするなよ、病み上がりなんだから」

「リゼさんまで……大丈夫ですって、今なら大きいほうのコーヒー豆も持てる気がしますよ」

「絶対にやめろ」

 

リゼは半目になって言った。

 

「あっ! なるくんお帰りー!」

 

奥から仕事着に着替えたココアが入ってきて、ナルミを見るなり目を輝かせる。

 

「ココアさん、この前はありがとうね、お陰で凄く楽になったよ」

「えへへ、それならよかった」

「それでなんだけど……」

 

ナルミは声を潜めて言う。

 

「家でのあのアルバムの事は、あまり他言しないで欲しいんだけど……」

「二人だけの秘密ってやつだね……いろんななるくんを知れて、これでまたお姉ちゃんに一歩近づいたよ! 」

「僕的にはあんま知られたくなかったんだけどね……でも」

 

あれはナルミにとって一番見られたくないものの一部だった。

リゼに情けない姿を見られた時と同様『どうこの事実をなかったことにするか』を考える程度には。

 

……だけども今となっては、違った。

 

「知られたのがココアさんで、よかった」

 

そう思えるくらい、ココアの言葉は嬉しかったのだ。

 

ーーそれを聞いたココアは満面の笑みを浮かべて、ふにふにの二の腕を見せつける、所謂『お姉ちゃんのポーズ』をとって、言った。

 

「えへへ、これからもどんどん頼ってくれていいんだよ! お姉ちゃんに任せなさい!」

「うんまぁ……ほどほどに頼るよ」

 

けれど『お姉ちゃん』としての彼女に頼ることへの抵抗はむしろ大幅に増した。

それは、男としての問題だった。

 

 



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