銀の帰還 (籠谷 蒼)
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LEVEL.1 懐古

 空を見上げる。

 

 南国の海にも似た透明な青。デュフォーは、今までの戦いを思い返していた。奇跡的な出会いから始まり、怒涛のように過ぎていった日々。ひたすらに全てを憎み、全てを力で圧倒しようとしていたのも遠い昔のように感じる。

 

 ゼオン、お前と共に過ごした日々は、刺激的だったよ。本当なら終わっていた人生を変えてくれた。絶望に打ちひしがれた俺を救ってくれた。ありがとう。

 

 途方もなく広がる平野をゆっくりと歩く。不意に頬を撫でた冷たい風に、少し身を震わせた。先の戦いで王が決まったと知るや否や、俺は旅に出ることにした。これから沢山の感情を学ぶのも、遅くはないだろう。彼に教えてもらった大切な道標だ。

 

 そうして記憶に浸っていると、ふと頭上で何かが光った。一筋の銀の光が落ちてきて、眼前で止まる。これは、封筒か。手に取り開けてみると、記憶の中の彼が綴った手紙と、写真が一枚入っていた。魔界の言葉で書かれているが、不思議とすらすら読める。

 

 文章からは、ガッシュを支えるべく奮闘している姿が伝わってくる。弟と再会でき、わだかまりもすっかりなくなったらしい。あぁゼオン、お前は幸せになれたんだな。憎しみに駆られていた頃とは違う、平和な世界を得られたんだな。

 

 遠く離れた地で生きる家族を想うと、自然と口元が緩んでしまう。今はもう帰ってしまった彼を想い、これからもずっと幸せであることを願う。願わくば、いつの日か再会できることを信じて。

 

 手紙を読み終えると、封筒が本の形に変わり、上空へ飛び去ってゆく。初めて見た時から、この魔本がどうなっているのか仕組みが理解できない。手紙と写真を大切にたたみ、大きなリュックサックの中にしまう。そして旅を再開する。彼との、生きろという約束のため。

 

 ……。

 

 長く続く平野を歩いている最中だった。しばらく進むと、ふと見覚えのある建物を見つけた。無骨で堅牢そうな作りに見える。まさか、あれは。意図せずに言葉をこぼしてしまう。

 

「あの時の研究施設、なぜここに。爆破して無くなったはず…」

 

 幻のように現れたそれ。アンサートーカーを使うが答えは出ない。問いを浮かべると瞬時に答えが弾き出される能力。デュフォーはこの異質な力を持っていたため、科学者に売られ利用されていた過去を持つ。

 

 近くで見ようと動きだしたその時、強い頭痛に襲われる。そして、辺り一面が眩い輝きに包まれてゆく…。

 

「何だ、何が起こっている…」

 

 周囲の明るさが元に戻る。そこにデュフォーはいない。



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LEVEL.2 始動

辺りがはっきりと見えない。

先程の光は何だったのか。

さすがのデュフォーも、いきなりの出来事に頭が混乱している。とにかく情報を得ることが第一だと思い直す。

 

閃光は収まったが、まだ瞼が重い。だが、必死に目を凝らし周囲を観察する。目の前の分厚い自動扉や、天井に這う無数のダクト。近代的な施設という印象だ。この景色には見覚えがある。すると、アンサートーカーが答えを弾き出す。

 

「あの時の施設か…なぜ?」

 

その問いには答えが出ない。イレギュラーが多すぎる、とため息をつこうとしたその時、頭上から聞き覚えのある声が聞こえてきた。顔を向けると、

 

「さあ、D、お前の持つ才能も円熟期を迎えた。これより君をこの施設から出すことにする。」

 

映像装置に白衣の男の映像が見える。老いた見た目に小さな眼鏡。あいつがなぜ映っている?まさか、あの時の夢を見ている?いや、眠ってはいないはずだ。だが、考えたくもないが、もしそうだとすると…。

 

「外に出るまでの扉は七つ。それぞれの扉を開けるには、扉のコンピュータに出された問題を解くこと。」

 

声は続ける。問題を解く、ありもしない可能性を考えた時、これが何を意味するかが分かる。人殺しの道具を作るための研究、それの手段、答え。そうだ、あの時もそうだった。

 

「解答の成否は、こちらでモニターしている数十名の学者で判断する。世界最大の難問と呼ばれるものばかりだが、君なら解けるだろう。」

 

世界最大の難問?ふざけるな。今となっては、あの時は冷静でなかったと分かる。自分の無力さに、怒りが湧く。奴らにこの力を悪用されてたまるか。俺は知っているんだぞ。強い憤りを覚え、画面を睨み返す。

 

「どうした、D、早く答えないと、出られないぞ。私を殺したくないのか?なにより、母親に会いたくないのか?」

 

そう、こいつはいつもそうだった。この能力を十分に発揮させるため、怒り、憎しみの感情を煽ってくる。それが一番効果的らしいのだ。研究施設に軟禁されていた時も、様々な形で嫌がらせを受けていた。俺は、噛み締めるように言葉を吐き出す。

 

「俺は、問題を、解かない。」

 

瞬間、モニターの彼は表情を激変させた。ふざけるな。何のために研究を重ねたと思っているんだ。罵詈雑言の嵐が起こる。それでも反逆者の意思が固いことを知ると、遂に決断を下す。

 

「分かった。もう、いいだろう。君の才能は学問に限らない。危険回避、難病の治療、憎い人間の殺し方、全てに答えを出すことができる。まさにスーパーマンだ!君を敵に回したら、これほど怖い存在はないだろう。」

 

博士の舌が滑らかに動く。そして、かつて俺を絶望に追い込んだ言葉を明瞭に発する。

 

「そこで我々は…。君をこの研究施設ごと、北極の地にて破棄することに決めた。君の頭なら、もう答えは出ている筈だ。じきに爆発を起こす施設、大自然の前での無力さ。君がここで生き残れる可能性はゼロだよ。」

 

以前はもう終わりだと思っていた。生きる希望も無くし、逃れる方法も見つからなかった。非情な言葉はまだ続く。

 

「問題には答えてくれなかったが、特別に教えてあげよう。君のお母さんだがね、彼女はお金欲しさに君を我々に売ったんだよ。1万ドルという端金でね。」

 

分かってはいたが、この言葉は二度目でも苦しい。もう母に未練はないが、愛情を与えられなかった苦しみは未だに心を蝕み続ける。これからもずっと向き合っていくのだろう。そして最後に。

 

「死ぬ前に君の最大の謎が解けたね。おめでとう…。D…。」

 

刹那、爆音が起こる。凄まじい熱風と広がる光線。これでは人は助からないだろう。本当に最低な科学者達だったよ。呑気に目を瞑る。不思議と心は落ち着いている。アンサートーカーを使わずとも分かることはある。アイツは来る。必ず。



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LEVEL.3 邂逅

すぐ近くで風を切る音が聞こえた。瞼を持ち上げると、忘れもしない、あの白いマントが体を包み込んでいた。懐かしい気配に大きく安堵する。体を低く落とし、正面を見つめる。胸の中に暖かさが込み上げる。

 

「お前…。その本を読んでみろ。」

 

吹き荒ぶ風と雪の中、眼前の彼は腕を組み堂々と告げる。白銀の髪と紫電の眼光を持つ、小さな子ども。目の下には二本の線が走り、ロボットのようにも見える。言葉がデュフォーの口から、滑り落ちる。

 

「ゼオン…。会いたかった。」

 

つい零れた呟きに、白銀の子どもは心底驚く。なぜ名前を知っているのかと問う。突然呼んだらそうなるだろうな、と心の内で苦笑し、どうしたものかと思案する。アンサートーカーを使うと、最良の方法が弾き出された。

 

「実は、お前に会うのは二度目なんだ。」

 

彼は眉を大袈裟に寄せる。俺でもそうなるだろう。しかし、導かれた解答はまだ終わっていない。足元に落ちている銀の本を拾いながら、諭すように続けて声を掛ける。

 

「ゼオン。お前、他人の記憶が覗けるだろう。俺の頭の中を見るのが一番早いぞ。」

 

そこまで知っているのか、とさらに驚かれるが、こんなところでまごついている場合ではない。取り乱していた彼も察したのか、俺の頭の上に手のひらを向ける。ゼオンは、他人の記憶に干渉できる能力を持つ。意識を集中させるため、互いに目を閉じた。

 

…。

 

彼は今、記憶の激流を泳いでいるのだろう。俺の生い立ちから始まり、ふたりの戦い、ガッシュとの激闘、そして明かされる真実。最後には、必ず果たすと誓った約束。自然と雫が頬を伝う。それに気付き、ふと目を開ける。彼の機械にも見える二本線も、一本多く見えた。

 

「まさか、そんな…。信じ難いが、魔界の記憶まで…。」

 

狼狽える少年に、戻った理由は分からないと答える。小さな手が頭上を離れると、ふと睡魔が襲ってきた。先ほどから身体も言うことを聞かない。異能があること以外は、俺もただの人間だ。

 

「ゼオン、このままだと凍え死ぬ。先ずは何処かに移動だ。そこで話をしよう。」

 

魔物と人はやはり違うのだな、と思いつつ銀髪の彼に提案する。俺は約束を守るためにも、ここで死ぬわけにはいかない。小さな魔物は外套を広げながら返答する。

 

「あぁ、そうだな。俺もこの記憶を整理したい。マントに乗れ、目的地は何処がいい。」

 

青年と子どもは、吹雪の中で邂逅した。そして、絶望の大自然から抜け出した。

 

ーーーーーーーーーーー



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LEVEL.4 寝床

優しい風が抜けてゆく。辺りは覆い被さる闇、その中心に光源がひとつ。木材が規則正しく積まれており、その中心では炎が踊っている。灯りに圧され、後ろに伸びる影がふたつ。

 

「この雷帝が初日から野宿するとはな…。」

 

彼は鋭利な歯を覗かせ、溜め息と共に皮肉を漏らす。広い野原に丸太を組み、紫電の雷で火をつける。簡素な照明の完成だ。ゼオンの言いたいことも分かるが、俺の言い分もある。今まで施設に閉じ込められていた訳だ。そんな奴が金を持っている筈が無い。給料など与えられなかった。疲弊した頭に思考が浮かんでは消える。

 

「軽い冗談だ、気にしてなどいない。さて、頭の中を整理するか。」

 

大きな紫の瞳を閉じ、思考の海に沈んでゆく。少し手持ち無沙汰になる。初めは、清麿の家でも訪ねようかと考えた。しかしガッシュは現在、イギリスの森の中にいるのだ。事情も知らない奴の家に上がり込むと、不必要に警戒される。余計な混乱は避けた方が無難だろう。更に、今は彼にだけ伝えたいこともある。

 

「ゼオン、俺たちは以前、憎しみの力で戦ってきた。その答えも見つかった。」

 

音を立てるように彼の目が開いた。突然のことに驚いたのだろうか。返事はないが、気に留めず続ける。

 

「この機会だ。ガッシュ達の力を、俺たちも試してみないか。」

 

白銀の髪が揺れる。それとは対照的に、表情は全く動かない。ふと、静寂が訪れる。酸素が弾け、空気が流れ、木々が揺れる。しばらくして、彼の時が始まる。口がゆっくり開き、少し口角が上がる。

 

「デュフォー、記憶の中よりも随分と愉快なことを言うな。仲間の力って奴か、面白いじゃないか。」

 

お前にも愛を教えてやりたいんだ、とは口に出さない。ゼオンは幼少期から苦境の日々を送っていたらしい。少しでも痛みが和らぐなら、俺はなんだって協力するさ。家族だからな。掌を前に向け、暖をとる。心まで温まってゆく気がする。ふと隣を覗くと、小さな雷帝が真似をしている。

 

「ゼオン、お前には感謝しているんだ。生きる目的を貰い、愛をもらった。」

 

出会ったばかりなのに、分からないよな。だが、確かに俺の中に、彼の優しさが存在している。これは、偽りではない。間違いでも無いんだ。あの旅の答えは、ここに居る。気付かれぬように息を吸う。

 

「俺たちは旅をしよう。争いは沢山してきた。怒りや憎しみよりも、復讐よりも大切なことがある。ゆっくりと、歩こう。」

 

顎が引かれる。あの記憶を見たゼオンは、もう分かっているのだろう。恨みは何も生まない。縛られては先へ進めない。素晴らしい輝きに気付けない。だからこそ、ここで決別しよう。

 

「そうだな。あの記憶の力が間違っていたならば、正そうじゃないか。なあ、デュフォー。」

 

良かった、これでゼオンも前に進めるだろう。ああ、目まぐるしい一日だった。急に眠気が現れ、頭に靄が懸かる。横たわると、近くで呆れたような声が聞こえる。

 

「おい、この草の上で寝ろと言うのか。寝袋も何も無いぞ。風邪を引いても知らないからな。」

 

少し冷たい風が吹く。これでは体調を崩すだろうと思ったが、純白の布が靡いて、暖かさに包まれた。



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LEVEL.5 疲弊

「そろそろ疲労が取れなくなってきた。せめて拠点でも決めないか。」

 

ゼオンの言葉は、広い大地に消えてゆく。いくら厳しい修行を積んでいたとはいえ、劣悪な睡眠を取り続ければ誰でもそうなるだろう。重い足取りでふたり、大自然を横断する。

 

「そうだな。他の魔物に襲われたら、戦いどころじゃないな。」

 

白く逆立つ頭髪をひと撫でしながら、俺は間延びした返事を返す。ここ数日、旅をするという大雑把な計画のもと、俺たちは動き回っていた。もちろん、野営の日々で柔らかい布団など無い。それが堪えて現状この有り様だ。自分の失敗を省み、今後のことを相談しながらしばらく進むと、

 

「ここは動物が多いな、確かオーストラリア辺りだったか。すごいな、こんなに沢山は見たことがないぞ。」

 

暗く沈んでいた彼の目に、だんだんと陽が昇る。尖った爪で木にしがみついている者達や、腹部にポケットを持つ親子など、多種多様な生態系が散見される。気力を取り戻した小さな雷帝に、生物達の名前を教えてやろうと思い立つ。膝を折り目線を合わせ、人差し指を前に向ける。持ち前の能力が発揮され、答えが瞬時に用意される。いくつか紹介していたその時、

 

「お前たち、何をしている。」

 

背後から声を掛けられた。咄嗟に、大きく飛び退く。俺は銀の本を左手に構え、彼は右手を前に突き出し、並ぶ。まさか、本当に現れるとは。このタイミングは、不味いな。焦りを抑えつつ、目の前の敵を見据える。と、

 

「お前は、チェリッシュか。そうか…。」

 

近くで絞り出すように転がった声。あぁ、なるほど。隣の彼が、ばつが悪そうな表情を見せているのに納得する。事情を察する俺とは反対に、向かい合う女性達の目に、不審さが見え隠れしているのを認める。初対面で名を呼ばれ、吃驚したゼオンのように。

 

「坊や、私のことを知っているのね。」

 

彼女たちは、ニコルとチェリッシュだ。後者はここに来る前の世界で、脅迫し苦しめた魔物だ。バルギルド・ザケルガ。地獄の雷を与える、言わば拷問用の術を俺たちは持っている。今の俺たちなら使わないだろうが、当時は世界を破壊しようとさえ思っていた為、使用してしまった過去がある。動揺を隠しながら、揺れる感情を即座に抑える。出来るなら戦いたくは無いな、などと思っていると、

 

「お前たちに言っても分からないだろうが、本当に済まなかった。」

 

声の主に視線が集まり、ひと瞬きの間、周囲の時間が奪われる。一拍置いて、説明を求める声が眼前からふたつ重なって聞こえた。どう説明したら理解させられるだろうか。能力を使おうとしたその時、魔物の子は虚言とも取られるような言の葉を紡ぎだした。



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LEVEL.6 容赦

長い口上が終わり、改めて二人と向き直る。正直に言うと、これほど突飛な物語を、信じろと言う方が無理があるだろう。重い空気が全身に纏わりつく。暫く続いた沈黙を切り裂いたのは、探検隊のような装いをした彼女だった。

 

「私はただ、動物を刺激しないように注意しようとしただけだったが、まさかタイムトラベラーだったとはな。」

 

きれいなブロンドの髪にサファリハットを乗せ、中性的な顔立ちを覗かせる彼女は、微笑を携えながら軽口を飛ばす。反対に魔物の少女は、俯いて眉を寄せ、地面を見つめている。少しして固く結ばれた唇を、丁寧に解いてゆく。

 

「あまり信じられないけれど、そこの坊やが別世界の私に酷い仕打ちをしたっていうのね。」

 

肯定するゼオンの拳には力が入り、少し肩が震えていた。以前のゼオンには見られなかった反応に、俺は狐につままれたような気持ちになる。しかし、確かに彼の成長を感じる。続ける言葉を失った男の子に向かって、柔らかい音色が響く。

 

「その様子だと、嘘はついていないようね。もし本当だとしても、それは私ではない私の出来事。そんなことを気にするほど、私は弱くないわ。」

 

そう言うと、ふたり同時に金色の髪を靡かせ、お互いに目配せし、口の端を持ち上げる。その一連の動作が、宝石のように輝いて見えた。あどけない表情をした彼女は、正面に向き直り、諭すように続ける。

 

「ゼオンの坊や、顔をあげなさい。そうして謝ることができるってことは、あなたの中で何かが変わったんじゃないのかしら。その気持ちを、大事にしなさい。」

 

自信と慈愛に満ちた心を見せられて、彼は静かに涙する。あぁ、こういうことか。ゼオンに必要なものがたった今、分かった。それは、愛されることだ。恋や恋愛などと言う類のものではない。他者を思いやり尊重する心、それを肌で感じることだ。さて、俺も一緒に罪を背負わなければいけないな。

 

「俺も、許してもらおうとは思っていないが、本当に済まなかった。」

 

目を瞑り、頭を深く下げる。すると、あたりの空気が軽くなった気がした。顔を上げると、ふたりが優しい笑みを浮かべている。そして、

 

「君たちは、お互いを信頼し合っているんだな。素敵なパートナーだ。」

 

中性的な彼女が堅い口調で柔らかく語る。当たり前だ、俺達は家族だからな。そうして隣に目を向けると、大きな紫電の眼光がこちらを覗く。小さく笑ってみせると、彼も真似をする。続けて声が聞こえる。

 

「では、この話はもう終わりにしようか。そうだ、私はここらの鳥獣保護区の保安官をしている。初めは君たちを怪しんでいたが、そんなこともなかったようだな。だが、何をしていたんだろうか。」

 

なるほどな。初めに声をかけられたのは、俺たちが自然を荒らす危険がないかを確かめるためだったのか。こんな場所に二人でいたら、確かに怪しまれるな。誤解を解くために俺は、事情を簡潔に説明してゆく。すると、

 

「ずっと野宿をしていたって言うの、信じられないわ。よく見たら、隈ができているわね。あまり眠れていないんじゃ無いかしら。」

 

魔物の少女から憐れむような視線を向けられる。そして俺たちを置いて隣同士、話が弾んでゆく。その様子を呆けて見ていると、漸くまとまったのか此方を見る。まさか、

 

「そうだ、そろそろ仕事も終わりだ。うちに泊まりに来るといい。」

 

なんて結論が出ているとは想像出来なかった。横目で雷帝を確認する。彼も同じように目線を寄越す。こうして意思の疎通が出来るのは、心が通じ合っている証拠かもしれない。いいだろう、ならば好意に甘えるとしよう。白銀の彼が口を開く。

 

「それは助かるな。ぜひ好意に甘えさせてもらうとしよう。ありがとう。」

 

ありがとう、かつて自尊心の塊だった彼が飛ばした感謝の言葉。まさか、お前がそんな言葉を口にするとは。心底驚いていると、気づくと陽が沈みかけていた。見回り中であったらしい彼女が言う。

 

「よし、今日はここらで終わりだな。向こうに馬が停めてある。君たちは歩いてきたのかな。」

 

小さく首肯し、詳しい場所を尋ねる。いざとなれば瞬間移動が出来ることを彼女らに告げる。このくらいではもう驚かないようだ。時間を跳べるなら空間を跳べるのもおかしくはないだろう、と。行こうか、と声を掛けられ、二人の後ろ姿についていく。夕暮れの赤に照らされて、金と銀がふたつずつ光る。それはまるで、宝石のような輝きに見えた。



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LEVEL.7 夕餉

 来賓用のベッドに案内され、挨拶もそこそこに泥のように眠る。疲労が滲む脳裏には、先刻の夕食での出来事が去来する。

 

……。

 

 長方形の台の上には、所狭しと皿に盛られた食事が並んでいる。椅子が長辺に二つずつ並び、それぞれ隣り合って座っている。木目調の机を挟んで、先程まで仕事着を着ていた彼女がこちらを伺う。

 

「どうだ。少し多めに作ってしまったが、口に合っているかな」

 

 初めて目にする食材も多いが、ここ数日は木の実や野生動物ばかり食していた為、躊躇なく口に運んでゆく。味は然る事ながら彩りも豊かで、料理上手という印象を受ける。頭に浮かんだ感想を素直に伝えると、

 

「そうなの。ニコルは料理がとても上手なのよ」

 

 斜向かいに座る少女は嬉しそうに微笑みながら、咀嚼をしている彼女の代わりに返事をする。言葉に続けて肉をフォークで拾い、口に運んでゆく。すぐ左隣でゼオンも頷きながら、黙々と皿に手を伸ばす。不意に、彼がこちらに顔を向け尋ねてくる。

 

「おいデュフォー 、この漬物はお前の目の模様にそっくりだな。面白いこともあるものだ」

 

 彼の持っている根菜には、木の年輪のように濃い桃色の円が連なっている。これはビートルートだな。品種改良で渦巻き状の模様のものが出来たらしい。持ち前の能力が出した答えを伝えてやる。小さな雷帝は、略称でビーツとも呼ばれるこの野菜を気に入ったらしく、何度も口に運ぶ。その様子を向かい合うふたりが、微笑を湛えながら見つめていた。好物が増えてよかったな、と内心で語りかける。少しして、向かって左手側の少女が唐突に口を開く。

 

「そういえば、私はさっきの保護区域からスタートしたけれど、ゼオンの坊やは何処に飛ばされたのかしら」

 

 少し頭を働かせる。魔界では千年に一度、王を決めるための戦いが行われるらしい。魔物には本が一冊与えられ、人間界に送られる。そして戦い、本を燃やされると魔界へ強制送還される、と言った形だ。先程の言葉は、推察するに彼らが初めに送り込まれた場所ということだろう。俺は勿論知っているが、坊やと呼ばれた少年の話を楽しみに待つ。

 

「俺のスタートは北極だ。全く、俺じゃなかったら即リタイアだ。なんせ、パートナーの居る極寒の研究所がいきなり大爆発したからな」

 

 その発言に衝撃を受ける二人、その記憶にため息をつく一人、そしてその様子を涼しげに眺める俺。三者三様の反応を見せるが、中でも料理上手と讃えられた彼女は、突飛で大仰な話を丁寧に切り分けていく。

 

「それは驚いたな。そうか、瞬間移動ができるからこそ助けられたんだな。しかし、爆風からは如何にして守り切ったのだろうか」

 

 僅かな情報をも見逃さない洞察力に感心をしていると、特別に見せてやろう、とゼオンは白いマントの胸元あたりに手をかける。口笛のような短い音が鳴り、布地が勢いよく伸びてゆく。そして、机ごと彼女達を影へと閉じ込める。反射的に出た短い悲鳴も少しして感嘆に変わる。各々が零した音は、綺麗な純白に吸い込まれる。

 

「このマント、こんなに硬いのね。自由に操れるのも、すごいわ」

 

 少女から透かさず賛辞がおくられる。マントの持ち主はそれに満足したのか、己の手足のように形を戻してゆく。3歳から王宮で厳しい稽古を積んでいたらしい、と俺が補足してやる。先程から忙しなく表情を変化させる彼女らを遮り、雷帝が話を切り出す。

 

「それよりチェリッシュ、お前はテッドに会いたくはないか。なんなら連れてきてやってもいい」

 

 唐突な彼の提案に、俺は目を丸くする。向こうににも似たような顔つきを二つ認めた。お前、そんな気も遣えるようになったのか。いや、元々こいつは優しいやつなのかも知れない。なんせ、あのガッシュの兄だからな。内心を見透かされたのか、何かおかしいか、と紫電の目が睨んできた。

 

「テッドのことまで知っているのね。それもそうよね。でも、大丈夫よ。私はテッドに頼るほど落ちてはいないわ」

 

 少し頬を染める彼女は、自信に満ちた挑戦的な笑顔を見せる。本当にチェリッシュは強い心を持っているな。俺は心から尊敬の念を抱く。彼女は前の世界で、追い詰められながらもこの俺たちに痛手を負わせた相手でもある。あの土壇場での狙撃の腕も、この精神力が成せた技だったのだろう。

 

「それに、旅をしていればいつかは会えるわ。そんな出会いこそ、素敵じゃないかしら。」

 

 白銀の彼の口角があがり、吐息が漏れる。それもそうだな、と会話を締め、食事に戻る。俺も視線を戻すと、一つの食材と目が合う。俺も試してみるかと、親近感の湧く模様の漬物に手を伸ばす。口に運ぶと、程よい酸味が口一杯に広がった。



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LEVEL.8 来襲

 外から爆音が聞こえた。心臓の鼓動が速くなる。目が勢いよく開き、飛ぶように上体を起こす。まさか、敵襲か。纏まらない頭の中、ベッドの脇に置いてある靴に足を入れ、玄関へと走り出す。異変にゼオンは気づいているのか、間に合ってくれ。音が再び聞こえる。扉を勢いよく開けると、

 

「もう諦めなさい、貴方達はこれで終わりよ」

 

 視界に入ったのは白のドレスを着こなす女。黄金色の髪は左右で縦に伸び、筒状に綺麗に巻かれている。その隣では、黒く逆立つ毛髪に、漆黒のコートを羽織る青年が右手を突き出している。コートに袖はなく、毛皮は棘のように突き出している。

 煌びやかな格好の女は、一通り捲し立てた後、レイスと叫ぶ。すると、まるで悪魔のような青年の掌から、空気の球のようなものが現れ、前方へ飛んでゆく。逆側に目を向けると、昨夜、夕食を振る舞ってくれた彼女達が満身創痍で立っていた。

 

「テッドにも会っていないのに、まだ終われる訳がないわ。ニコル、お願い」

 

 パートナーの持つ黄色い本が、背の高い少女の声に呼応して光る。頷いた中性的な彼女は、ゴウ、コファルと唱える。背の高い少女は合わせた手をまっすぐ敵に向けると、指先から宝石の塊を飛ばす。

 空気球と宝石がぶつかり、互いに消滅する。大きな眼球の中心に小さな黒目を見せる青年は、小さく舌打ちする。精一杯戦う彼女達とは対照的に、敵は全く疲れている様子がない。これでは戦力差がありすぎる。

 右手の黒い本が輝き出し、先程とは違う声を張り上げる彼女と、今度はかかる重力を強めたような、不可視の力で押し潰し始める漆黒の男。まずいな、あれに耐えきる体力はもう無いだろう。飛び出して庇おうとしたその時、

 

「俺が寝ている間に好き勝手しやがって。お前ら、覚悟はできているんだろうな」

 

 突如そこに現れた子どもは、純白の外套を旗めかせ、重力から二人を解放する。ゼオン、遅かったじゃないか。白銀の髪と紫電の眼光を見せる彼は、その言葉に鼻を鳴らして答える。安堵の雰囲気に包まれる二人の女性に対して、驚愕を顔に浮かべる襲撃者たち。今まで黙していた悪魔的な彼は、意外にも口を開く。

 

「雷帝ゼオンか、まさかこんなところで大物が釣れるとはな……。シェリー、気張れよ。ここからが本番だ」

 

 言葉を終えると同時に、ふたりの全身から闘気が噴き出した。奴は、これまで全く本気を出していなかったようだ。雷帝の背後の二人は、怯えたのか体を小さく震わせている。だが、このレベルなら俺が出るまでもないだろう。俺は白い少年と黒い青年の戦いを見守ることに決めた。軽めの術だけでいいだろうと本を構えようとして、気付く。

 

「ゼオン、本を部屋に忘れてきた。少し待っていてくれ」

 

 言い終えると、なぜか呆気に取られたような空気が広がる。雷帝はため息を漏らすと、それを了承し、敵へと向きなおる。感情に疎いらしい俺にはため息の理由が分からなかったが、ゆっくりと廊下を歩き、銀の本を目指す。開いた玄関の扉から、打撃音がいくつも聞こえてくる。これは、全てゼオンの攻撃だろうな。勝手な想像をしながら部屋に入る。本を手に取り、戦いの場に戻り様子を伺うと、やはり力の差は歴然だった。貴族のような女の顔には、絶望が見え隠れしている。

 

「今までは圧倒的だったブラゴが、赤子のようにあしらわれている……。この魔物、強すぎる……」

 

 当たり前だ。こいつはガッシュ以外には、複数だろうと負けたことがないんだ。俺の予想だと、バオウに拘らなければガッシュにも勝っていただろう。見下すように笑う雷帝は、これでもかと相手を挑発する。彼には珍しく、本気を出さずに遊んでいるようだ。

 

「虫ケラを見るような目で見やがって。お前みたいなクソガキに、オレが舐められてたまるか」

 

 痺れを切らした魔物の男は、激昂し、叫ぶ。すると、パートナーの漆黒の本が強く輝きだす。二人は決意を一つにすると、力強い眼でこちらを睨んだ。まさか、新しい術が現れたのか。隣の彼に警戒するように伝える。

 ギガノレイスと白い衣装の女が吠えると、先ほどよりも数段大きなエネルギー球が魔物の右手から飛び出す。

 

「デュフォー 、分かっているな。この程度ならあれでいい」

 

 涼しげな態度を見せる白銀の彼に俺は従い、ザケル、と初めに覚えた初級術を呟く。雷帝は右の掌を正面に翳すと、辺りに紫電の雷が光る。そして、目の前の大きな砲丸とぶつかると、覆った電気がそれを破壊し尽くす。そして、そのまま敵に向かって電撃が伸びる。

 シェリー、と名を呼ぶ声が聞こえた。火花が散ったような音が響き、周囲が煙に包まれる。隣で何かが動く気配がした。少しして煙が晴れると、少し遠くに、倒れた女を庇う黒い青年と、その目の前に右手を向ける白い少年が見えた。そのまま純白は語り出す。

 

「お前、弱すぎるな。そんな実力で王を目指しているのか、笑わせる。今回は見逃してやるから、もっと強くなれ」

 

 肩を震わせるふたりを一瞥すると、雷帝は踵を返し、こちらに戻ってくる。気が緩んだ彼女達は、それぞれ感謝の意を述べる。帰ってきたゼオンは、一宿一飯の恩を返すのは当たり前のことだろう、と断る。俺はゼオンなりの謝辞を嬉しく思い、顔が緩んだのかも知れない。

 

「デュフォー 、昨日といい今日といい、言いたいことがあるならはっきり言ったらどうだ」

 

 小さな雷帝に見抜かれ、なんでもないと返す。少し不満気にするゼオンだったが、それよりも本当にテッドの件はいいのか、とチェリッシュに向けて声をかけた。すると彼女は顔を赤くする。

 

「あんな馬鹿なカッコツケ、別に居なくても変わらないわよ。私はもっと修行して、強くなるわ。勿論、ニコルと一緒にね」

 

 照れ隠しなのか、ウインクをひとつすると、少し悲しそうな表情を覗かせる。まるで欠けてしまい、光らなくなった宝石のように。俺はそれを敢えて気に留めず、彼女達に別れを告げることにした。今まで傍観していた保安官が寂しげに返事する。

 

「そうか、君たちは旅の途中と言っていたな。少し寂しくなるが、会いたくなったらいつでも寄ってくれ。その時は歓迎するよ」

 

 私もよ、と少女が続ける。ふと遠くを確認すると、黒い魔物とシェリーと呼ばれた女は、いつの間にか姿を消していた。別れの挨拶を済ませ、お互いに旅の無事を祈る。

 

「デュフォー 、そろそろあいつが拾われる頃だろう。次の目的地は決まりだな」

 

 最後まで強い心を持っていたふたりに見送られながら、ゼオンは外套を広げてゆく。俺が飛び乗ったのを視認すると、布地は辺りを勢いよく包み込んでゆく。豪州の風に吹かれて純白は、風景に溶けるように消えていった。



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LEVEL.9 選択

 時刻は、昼間。欧州のひとつ、ガッシュの恩人の勤める研究所がある国、住宅地の外れにある森の中に俺達は跳んだ。大木の頂点から飛び降りると、街に向かって歩き始める。そういえばチェリッシュとブラゴ、まだ二体の魔物にしか会っていないな。少し気になってゼオンに尋ねてみる。

 

「さあな。俺の力が強すぎて、誰も彼も躊躇っているのだろう。俺様に挑みにくるなど、自殺行為と大して変わらないからな」

 

 なるほど。魔物には力を感じ取るセンサーのようなものが備わっているのか。彼の解答が終わると、風が静寂を運んでくる。

 手持ち無沙汰になり、さきほどの戦いを回顧する。名はブラゴ、黒い本の魔物で、重力を操る術を得意とする。彼の名誉のために言っておくが、彼は魔物の中でもかなり強い部類に入る。魔界でも、その圧倒的な力により大多数から恐れられていると聞く。前の世界では、ガッシュと王位を賭けて最後まで争った経緯がある。

 

「おい、デュフォー 。聞いているのか」

 

 いきなり声がかけられて、思考が中断される。少し熱中しすぎたな、と謝罪を述べ、再度聞くことにする。今度こそ理解した話をまとめると、金銭面の改善と、ガッシュの記憶についてだった。前者はある程度の対策を練っていたが、後者は未だに迷っていた。考えをそのまま告げる。

 

「前の俺は記憶を消したのだろう。ならば、今回も消した方が都合がよさそうだと思うが」

 

 彼の意見はもっともだが、いくつか深掘りして考えてみる。記憶を奪った場合と、そうでない場合。ガッシュと清麿は、似た境遇に心を通わせて成長していった。他には、魔界では仲のよかったティオやウマゴンのことを忘れていた。これらに思い出が加わると、出会いにどんな影響を与えるか計り知れない。俺のパートナーへの気遣いのために変化を与えるのは、やはり不味いか。出来れば、今のゼオンに罪を背負って欲しくはないんだがな。雷帝はこちらを一瞥すると、

 

「俺のことを気遣っているのか。だとしても、それには及ばない。一度は経験しているんだ、今更それが何だと言うんだ」

 

 と、強く言い切る。気付かれてしまったか。俺も以前より感情が出やすくなったのかもな。それも目の前の彼と、これから会う魔物の影響かも知れない。それなら、魔界での記憶は取り上げる方向に決めよう。そう告げると、少年の表情が曇った気がしたが、仕方がないことだ。代わりに、たった今思い付いた案を押し付ける。

 

「ゼオン、これからガッシュと一緒に遊んでやったらどうだ。記憶は寝た後に消せばいい」

 

 俺の言葉にふと明るい顔を覗かせるが、すぐに眉を寄せこちらを睨め付ける。喜びを隠し切れていないが、こいつは素直じゃないからな。強引に決めてしまうのがいい時もある。俺は別件があるから、と彼の背中を押してやる。照れくさいのか彼は、舌を一度打ち、勝手にしろと吐き捨てる。しばらく背中を眺めてやると、緑の中へ消えていった。

 やっと行ったか、あいつは面白い程に素直じゃないな。さて、俺も与えられた課題をこなすとしよう。

 

……。

 

「ミスターシルバー。お待ちしておりました。どうぞ、こちらへお掛けください」

 

 迎えの車に揺られること数十分、イギリスの郊外に構える小さなビルの、とある一室に呼ばれていた。用意されていた二人掛けの長椅子に腰かけると、正面では綺麗に仕立てられた黒い背広を着た中年と目が合う。彼はグレーのネクタイを触る仕草を見せながら、話を切り出した。

 

「早速ですが、あなたが当社の経営を立て直せるとは本当ですか。ぜひ、お力添えをお願い致したく存じます」

 

 そう、俺のやるべき事とは、旅費を稼ぐために奔走することだった。現在訪れている場所は、ここ数年赤字から戻らなくなってしまった零細企業の応接室だ。もちろん俺には、株価も財政も上向かせた経験はない。だが、アンサートーカーという持ち前の能力を使うと、答えが見えてしまう。もちろん、経営を立て直せる答えも。

 

「ああ、任せておけ。まずは財務諸表を見せてもらおうか」

 

 茶色い髪を後ろに流した彼に、自信を持って指示を出す。実際にこういう仕事をするのには、信頼と実績が不可欠だ。出自すら怪しい青年など、本来なら詐欺だと一蹴されるだろう。だが、この経営者には余裕が全くない。加えて、俺が提示した報酬は相場よりも安いときた。藁にもすがる思いとは、正にこのことだろう。一通り書類を見終わり、原因もほぼ理解したが、まだ足りないな。

 

「そうだな、社員の働きぶりも実際に見たい。今すぐに見学できるか」

 

……。

 

 こうして、約束の夜まで時間が過ぎていった。この会社は、もう大丈夫だろう。言われたことを確実に実行すればな。通称、妖精の森とも呼ばれる場所の手前の街、そこに車を止めてもらう。謝礼を渡され、何度も頭を下げられる。この企業が無事に成功すれば、同じような境遇の人々から、依頼が殺到するだろうな。

 

「俺としても最初の実績が欲しかったからな。こちらこそありがとう、結果は保証する」

 

 自ら送迎までしてくれた経営者と両手で握手を交わし、発つ車両を見送る。姿が小さくなると、森に向かって歩き出す。あいつは仲良く走り回っているのだろうか。全く想像できないな。ふと細かく息が吐き出され、俺は笑っていることに気付く。今までになかった自分の感情に戸惑ったが、前向きな変化だと喜んで迎えることにする。

 さて、ゼオンが待っているだろうな。木々を観察しながら暫く進むと、よく似た小さな双子を目にした。大きめの声で呼んでやると、頭上に昇る月光にも似た金髪のこどもが駆け寄ってきた。

 

「ウヌウ、お主がデュフォー だな。私はガッシュ・ベル、よろしくなのだ」

 

 妙な言葉遣いで喋る魔物は、金色の頭髪を持ち、目の下にはロボットのような線が一本引かれている。ゼオンと似たようなマントを羽織っているが、色は緑と少し違う。彼こそが王になった魔物、ゼオンの弟、ガッシュ・ベルだ。人当たりのよい笑顔を向けられ、こいつはいつでも変わらないな、と安心する。自己紹介を返すと、小さな王は元気よく頷く。

 

「デュフォー 、遅かったな」

 

 そう言って弟の隣に並ぶ雷帝は、普段より幼く感じた。楽しかったかと尋ねると、まあな、と素っ気ない返事が聞こえた。ガッシュにも同じようにすると、機関銃のように言葉が飛んできた。彼は今までこの森で孤独に過ごしていたらしい。誰かに会えたことがよほど嬉しかったんだろうな。俺は散弾を躱しつつ、兄に会えた感想を求める。すると、その兄が慌てふためく。

 

「おい、やめろ、デュフォー 。余計なことを話すな」

 

 なんだ、まだ伝えていなかったのか。だが、もう遅い。隣の弟が口を大きく開けて放心しているのを認めると、俺は詳細を語り始める。雷帝は頭を抱え、深いため息をついているが、それを無視して言葉を終える。金髪の子が震える声を零す。

 

「ゼオンが、今まで、知らなかった、お兄ちゃん……。やっと、やっと会えた……。ゼオン、本当にお主は私の兄なのか……」

 

 観念したように首を縦に振る兄、それを確かに見た弟は、滝のような涙を流し、お兄ちゃん、と何度も確かめるように叫ぶ。そのまま勢いよくゼオンに向かって飛びついた。なぜか、俺の瞳からも雫が溢れた。滲んだ視界で二人を見つめると、俺の見間違いでなければ、白銀の子も目の下に水簾を作っていた。

 

「ガッシュ、今まで済まなかったな。お前は俺の誇りだ。ありがとう……」

 

 腕を背に回し泣き叫ぶ弟と、頭を撫でてあやす兄。背景の自然も相まって、この世のものとは思えないほど綺麗な絵画のように見えた。ああ、なんて素晴らしいんだ。これこそが、穢れなき愛の結晶か……。俺は心を揺らす幻想にしばらく浸っていた。

 ふと意識を取り戻すと、可愛らしい兄弟は仲良く眠りに落ちていた。ガッシュを起こさぬように苦楽を共にした彼を軽く揺する。気がついた雷帝に、これからのことを伝える。

 

「そうか、分かった」

 

 兄は短く告げると、弟の頭上に右の掌を翳す。内心かなり辛いだろうが、これが最善だから仕方がない。純白の彼は静かに目を閉じる。これほど奪うことに心を痛めたことはあっただろうか。そっと腰を落とし、ゼオンの左肩に右の手を乗せてやる。閉じられた眼光から落ちた水滴は、無情にも生い茂る草木に奪われていった。



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LEVEL.10 憤怒

 部屋の中に、落ち着いた女性の声が淡々と響く。彼女の話では、とある零細企業の株価は日を追うごとに上がっているらしい。他には、某国でクレーターのような穴がいくつも発見されたことや、監視カメラに一瞬映った白と黒の謎の生命体のことなどが語られている。コーヒーの香りに包まれながら、液晶から漏れ出る光を見つめる。

 

「十八世紀の巨匠、幻の最高傑作と謳われるシェミラ像は、当国の美術館では本日にて公開終了となります。その価値は数億ポンドとも言われていて、世界中の注目が集まっています」

 

 紺のスーツを着こなす彼女が表情を綻ばせると、不意に画面が白く発光し、色彩は途切れてしまった。隣に視線を送ると、白髪の子どもが機械のボタンを押していた。黙り込んでしまった硝子を見つめる彼は、芸術には興味がないのだろうか。そろそろ行くぞ、と声を掛けられたが、応える代わりに先ほどの疑問を飛ばす。ゼオンには予想外の返しだったらしく、幾度か瞬きを見せる。

 

「いや、興味がないといえば嘘になる。なあデュフォー 、もしかしてシェミラ像を見たいのか」

 

 彼らしからぬ表情に少し面食らったが、それを押し留める。ああ、そうだな。あれほど高価な彫刻は、きっと素晴らしい芸術に違いないだろう。そう答えると雷帝は目を細め、小さな息を漏らした。俺はティーカップの底を確認すると、静かに立ち上がる。

 

「お前と出会ってからは忙しない日々の連続だったからな。今日くらいは息抜きをしてもいいだろう。デュフォー 、シェミラ像を観に行くぞ」

 

 僅かに残る液体を水場で流しながら、肯定の意思を彼に伝える。少ししてからドアノブを回し廊下に出ると、色や形の同じ扉がいくつも並ぶ。それらは歩く速度に合わせ、ゆっくりと視界を流れてゆく。そのうち賃貸でも探そうか、これから収入も安定してくるだろうしな。入り口付近のカウンターに佇む男に鍵を渡すと、両開きの黒い扉に見送られる。施設を出るとすぐに、眩い日に照らされた。

 

「なあ、デュフォー 。今頃ガッシュは拾われているだろうか」

 

 そう小さく零す彼は、寂しげな表情を覗かせる。もしかすると、ここ数日ずっと気にしていたのかも知れない。弟の記憶を奪ってしまった後悔、その感情は、世界中を以ってしても彼にしか分からないことだろう。しかし、寄り添うことなら誰にでも可能だ。俺のただ一人の家族に向かって説明してやる。

 

「清麿の受け売りだが、魔物とパートナーは引き合ってしまうらしい。必ずいつかは出会うだろう」

 

 お前も知っているだろうがな、と結ぶ。実際にゼオンは北極、ガッシュも清麿の父が勤めるイギリスから始まった。となると、どうあってもパートナーと巡り会うことは避けられないのだろう。もちろん、出会う前に負けるようなことが無ければ。

 

「それもそうだな、あんな森の中に他の魔物が迷い込むとも考えにくい。もし出会えなかったとしても、暫くは安全だろう」

 

 少し明るさを取り戻した紫電の子は、幻の傑作に焦点を合わせたようだ。美術館の情報を確認すると、こちらを一瞥し、合図を出す。旗めく純白に飛び乗ると、俺達はゆっくりと背景に溶けていった。

 

……。

 

「本日のチケットは売り切れです」

 

 ふと隣を覗くと、雷帝が怒気を滲ませている。そう、元々こいつは怒りに支配されやすい性格なんだ。復讐を取り上げたところで、そこまで変わってしまうわけではない。さて、どうしたものか。憤るゼオンに声を掛け、受付から離れる。

 

「今日が最終日だぞ。今を逃したら機会があるか分からない。……こうなったら、瞬間移動で忍び込むか」

 

 ありがたいことに、彼の上がった熱も数秒たつと収まったようだ。確かに方法はそれしかないだろう。入り口でチケットを渡す人々が見えるが、彼らに襲い掛からないことに安堵した。近くの茂みに身を隠し、木陰で作戦を練っている最中だった。背後から、魔物の気配が近づいてくる。

 

「お前ら、まさかシェミラ像を盗む計画じゃないだろうな。こっちに来い」

 

 目の前には、天に向かって鋭く伸びる銀髪をさわる青年が見えた。釣り上がった目の下には、ガッシュと似て機械じみた線が一本伸びる。面倒だな、と雷帝は虚空を見つめ、大きく息を吐いた。いや、このタイミングで話しかけてきたということは、もしかすると美術館の関係者かもしれない。彼にそう耳打ちすると、渋々といった態度で返答した。

 

「仕方ないな。もし関係者だとしたら、こいつを脅そう。ここまで来たら何がなんでも観るぞ」

 

 その情熱はどこから来るのだろうか。以前の旅にて、何者にも屈服するのはプライドが許さない、などと嘯いていた雷帝を思い出す。そういった彼の信条は、今も存在しているらしい。像の守り人らしき魔物に着いて歩きながら、まるで旧友と久方ぶりに再会したような、不思議な心地をひとり静かに噛み締める。少しすると、人気のない裏路地に辿り着く。

 

「俺もシェミラ像を盗られるわけにはいかねえからな。覚悟しやがれ」

 

 頭に針鼠を被ったような青年はそう勢い付けると、高く跳躍し拳を振り下ろす。それをいなすように、白のマントが踊る。芸術の街の片隅にて、両者の意地が滾り始めた。銀の針鼠は、ひとたびゼオンに肉薄すると、両の拳を乱舞させる。相対する銀の雷帝は、神業のように最小限の動きで躱してゆく。紫電の子を刈り取るように鋭く伸びた一撃は、春風を撫でるように空を切った。

 

「お前の本気はこんなものか。もっと楽しませてくれたらどうだ」

 

 そうして背後に現れたゼオンのことは、目で追えなかったようだ。あいつ、頭が悪いな。今のは右足さえ見ていれば分かる動きだ。それにすら気付けないとはな。雷帝が右手での一撃を顔面に入れると、錆れた歩道を魔物が転がってゆく。感情のない面を見せる子どもを、起き上がった男は激しい剣幕で追走する。

 

「てめえ、チビのくせにやるじゃねえか。丁度いい、俺もイライラしてたんだ。とことんやってやろうじゃねえか」

 

 まずいな、ゼオンは弱者に舐められるのを嫌う傾向にある。チビのくせに、などと言われた暁には、そいつをただでは帰さないだろう。彼を宥める答えを探していると、ふと違和感に気付く。あの魔物、パートナーがいないのにも関わらず、なぜ強気に出られるのだろうか。先程から、溢れんばかりの力が眠っているのは確かに感じるがな。

 

「この俺をただのチビだと舐めているのか。デュフォー 、遊びは終わりだ。一瞬で消し炭にしてやる」

 

 そう宣言する雷帝からは憤怒が迸っている。彼は右の掌を突き出し、敵へと照準を定める。シェミラ像への手掛かりが欲しかったところだが、こうなっては仕方がないだろう。俺がザケルと発声すると、白銀の子から紫の雷が射出され、砂埃が巻き上がる。個人的には避けていることを望むが、あれ程の近距離で食らったら、立ち上がるのも難しいだろう。純白が嘆息を漏らす。

 

「呆気ないな。弱い犬ほどよく吠える、とはうまく例えたものだ。」

 

 ゼオン、右だ。俺の出した指示は、砂塵の中の雄叫びに掻き消される。舞い続ける煙を縫って、針のように鋭利な一撃が雷帝の頬に炸裂した。仰反る強者は驚愕を顔に貼り付ける。視界が晴れると、銀の針鼠は何事もなかったように、不敵な笑みを浮かべていた。



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LEVEL.11 芸術

 思わぬ奇襲を受けたゼオンは、少し動きを鈍らせる。透かさず青年は大きな右足を薙ぐと、雷帝の腹部に破裂音を響かせた。しかし、何故か糸を張られたように互いの動きが止まる。

 

「驚いたな。確かに直撃したように見えたが、どんな手品を使ったんだ」

 

 そう問いかける紫電は、繰り出された脚部を左の腕で鷲掴みにしていた。さあな、と煽る像の守り人を、左一本で宙に持ち上げ投げ飛ばす。ふと雷帝の姿が消失すると、描かれた放物線の終点に現れた。落下する勢いのままに針鼠は拳を振り下ろすが、視界で縦横無尽に跳ね回る紫電を捉えきれない。

 

「くそ、まったく目で追いきれねえ。この野郎、速すぎるんだよ」

 

 目つきの悪い魔物はそう吠えると、大きく後ろに飛び退く。今のは悪くない動きだが、正解はもっと後ろだ。更に背後に出現する雷帝は、洗練された動きで右足を振り抜く。廃屋の壁に大穴が開き、中に仰向けで倒れる青年は、何度か咳き込んだ。あいつ、ゼオンの攻撃をここまで受け切るとは、かなり頑丈だな。

 

「俺の動きにまったく付いてこられていないぞ。ここらで降参でもしたらどうだ」

 

 嘲笑を浮かべる紫電の子は、起き上がる敵手を待ち構えるように、堂々と佇む。対して銀の針山は虚勢か否か、太々しい笑みを覗かせる。すると雄叫び一閃、雷帝に向かって走り出した。そして、それでもなお動じない純白に、重みの乗った突きが繰り出される。

 

「単調な攻撃だな。お前、もっと頭を使ってみろ。そうだ、見本を見せてやろう」

 

 雷帝は続く拳に両手を添えると、それを抱え込むように回転する。背に沿わせるよう密着すると、上半身を素早く折って腰を浮かせた。水のように流れる動作にて、青年の脚をふわりと持ち上げる。あいつ、柔術を見せつける気だな。そのまま腕を釣り込むと、針鼠をぐるんと縦に一回転させた。視界が踊り混乱する彼を見下ろすと、怒号を放った。

 

「おい、そろそろ出てきたらどうだ。それとも、この魔物が消し飛ぶのをこのまま見届けるか」

 

 少しして、沈黙の支配する戦場に一人の小さな老人が現れた。流石にゼオンも気付いていたか。それは右手で杖をつきながら、物陰からゆっくりと顔を出し、二人の前で立ち止まった。渋い表情で青年を見つめると、ダニーボーイ、と弱々しく呟いた。名を呼ばれた彼は悔しさを顔に滲ませている。

 

「言っておくが、俺は像を奪いにきたわけではない。ただコイツに見せてやりたかっただけだ」

 

 そう静かに言葉を紡ぐ少年は、顎で俺のことを指し示す。その横顔が赤に染まったのは、夕日に照らされた所為だろうか。しばらくの間は、瞬きも忘れてきょとんとするダニーボーイだったが、大の字のまま空を見上げると、満面の笑みを弾けさせた。

 

「なんだ、俺の勘違いだったのか。てっきりお前らは悪い奴なんだと思ってたぜ」

 

 いきなり襲ってすまねえ、と身体を起こす青年は雷帝と向き合うと、握手を求め右手を差し出した。鼻を鳴らしつつ手を取る少年は、揺すられる腕に身を任せる。和解の様子を眺める眼鏡の老人は、まだまだボーイだな、と独り零した。

 

「なら気になるんだが、どうして物陰で内緒話をしてたんだ。あれは疑われてもおかしくねえぞ」

 

 そうして疑問をぶつけるボーイに、俺は大まかに説明してやる。チケットが売り切れていたこと、瞬間移動で入ろうとしたこと、そして彼を利用しようとしたこと。二人は最初こそ頷いていたが、徐々に間の抜けた表情に移っていった。やっと言葉を締めると、杖を握り直したパートナーが口を開く。

 

「事情は大体わかった。無銭での鑑賞とは褒められた行為ではないが、そこまでの熱意を見せられて悪い気はせん。着いてこい、お主らには特別に見せてやるわい」

 

 やはり関係者だったか、これでやっとシェミラ像を拝めるな。俺は感謝の言葉を述べると、小さな老体を追って静かに進む。合間に語る青年によると、彼の持つ術は己の傷を治す類のものらしい。実はゼオンの雷撃を受けてはいたが、回復術で治癒させてこちらを欺いたようだった。

 

「だけどよ、俺は術が一つしか覚えられないみたいなんだ。前に戦った奴は幾つか持っていたんだけどな」

 

 言葉とは裏腹に、銀の針鼠は朗らかに笑う。それとは反対に、発言を訝しんだゼオンと目が合った。俺はその意図を察して、頷いて先を促す。すると彼は、まるで教壇に立つ師のように、弁舌を振るい始めた。

 

「術というものは、己の才能が形となって現れた力だ。新しい術を覚える、とは眠れる力を呼び覚ますとも言い換えられる。だが、実は努力次第で作り出すこともできるんだ」

 

 こんな風にな、と歩みを止める彼に、ふと声を掛けられた。合図を出され、ソルド、ザケルガと呟く。すると彼が近づけた両手には、刃の位置に雷を纏う剣が現れた。間近で見た青年は、気分を高揚させ賛嘆する。実践を終えた雷帝は手を離すと、術はすぐに消滅した。

 

「必要なのは想像力と強い気持ちだ。例えば俺の術は中距離の射程のものが多いが、俺は割と近接格闘が好きなんだ。それに何らかの大きな感情が加わって、このソルド・ザケルガが誕生した、という風にな」

 

 想像力か、とぽつりと落とし腕を組む弟子は、深い思考に飛び込んだようだ。意識していないのか、口から小さな音が漏れ出ている。後ほど彼の脳に刺激を与えてやろう。俺の能力が答えるには、想像力と思考力を伸ばしてやるのがいいらしい。結論の後にふと見上げた一面の画用紙には、夕の朱と夜の黒が混在していた。

 

……。

 

「ミスターゴルドーですね、どうぞお通りください」

 

 ふと隣を覗くと、雷帝が喜気を滲ませている。ここまで苦労したからな。期待を膨らませる彼に、胸中で労いの言葉を掛ける。いまさらだが、老人はゴルドーで魔物はダニーボーイと言うらしい。小さな紫電は像への入り口をくぐりながら、ようやく知る二人の名を呼ぶと、交互に見つめながら礼を告げる。すると、青年が突然食ってかかる。

 

「俺の名前はダニーだ。このじじいが、俺はまだ子供だからってボーイをつけやがるんだ」

 

 じじいとは何だ、と老人は杖で床を叩き、ボーイを睨め付けた。何だ、ダニーボーイは愛称だったのか。しかし後に破顔一笑すると、ゼオンの礼儀に対し頭を撫でて褒めてやった。純白は照れ臭いのか、そっぽを向いて短い息を吐いた。

 

「彼はお前よりよほどしっかりしとるのう。少しはこの子から学んだらどうだ」

 

 ゴルドーはそうして軽口を叩いているが、その顔つきには穏やかさが見え隠れしている。ふと保護区で出会った女性の、素敵なパートナーという言葉が頭をよぎる。ああ、今なら俺にも分かる。眼前のやり取りから互いの信頼を切に感じる。もしかすると、それはどんな美術品よりも美しいものなのかも知れない。

 気がつくと雷帝がこちらに目を向け微笑んでいる。そのまま返してやると、胸に温かさが込み上げた。さて、念願のシェミラ像はどこにあるのだろうか。奥へと進む三人を、あたりを見渡しながらゆっくりと追う。



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LEVEL.12 甘味

 昇る太陽に目を背けつつ、俺たちは街中を歩く。途中に軽食屋のワゴンが見え、軽く会釈をして通り過ぎようとする。すると、雷帝は紫のジャンパーの裾を何度か引いてきた。なんだ、腹が減ったのか。こいつは本当にホットドッグが好きだな。彼は誤魔化すように澄ました表情を選ぶ。

 

「少し早いが、そろそろ昼食の時間だろう。お前の仕事の客だし、たまには良くしてやったらどうだ」

 

 そう。この屋台には、以前アドバイザーとして手助けをしたことがある。この店には甘味が足りなかったので、開発してはどうだと助言した覚えがある。

 それにしてもゼオン、好物だから食べたい、とはっきり言えばいいじゃないか。まあ、こいつの意地っ張りにも慣れてはいるがな。

 

「久しぶりだな。先日はいきなり見学させて貰って悪かった。あれから売れ行きはどうだ」

 

 引き返し、カウンターの前で手を挙げて挨拶する。返ってきた言葉の明るさから察するに、かなり好調なのだろう。確か、名前はスイートドッグだったか。斬新ゆえにライバル店がいないので、現在は市場を独占しているとのことだ。

 

「ホットドッグとスイーツを融合……。伝統と革命のハイブリッド……だと。おいデュフォー 、これを買ってくれ。もちろんいつもの奴も頼む」

 

 子どもは声を弾ませ、今にも跳ね出しそうに小さく揺れている。魔物から恐れられる天下の雷帝も、好物の前では全くの無防備だな。彼の弱点を発見した俺は、口元を緩ませて吐息を小さく漏らす。

 店員に注文を告げると、付近のベンチに腰を下ろした。なあ、ゼオン。お前はずっと見ていたいのか。調理場が見える位置に貼り付いている少年は、真剣に様子を見学していた。

 

 ……。

 

「素晴らしかった。あの食べ物は、魔界に帰った後もシェフに作らせよう。いや、俺が作れば好きな時に食えるな……。そうだ、後ほど教えてもらいに行くか……」

 

 一人の世界に迷い込んでしまった彼を眺め、確かな幸福を感じる。お前が帰ってしまうことを思うと、少し寂しくなるな。願わくば……いや、これは考えても仕方ないな。雷帝を横目に、立ち上がって身体を伸ばす。

 

「デュフォー 、お前はかなり人間らしくなったな。それが良いことかは分からんが、今のお前も嫌いじゃないぞ」

 

 不意の発言に思考が止まる。ゼオンにはそう見えているのか。自分でも不思議に思うことはあったが、まさかお前に言われるとはな。

 彼の言葉を受けて、清麿とガッシュに影響されたのだろうな、と答える。すると、純白は瞳を閉じて上空に顔を向ける。少しして、鮫のように尖った歯を覗かせると、そうだな、と確かに答えた。

 

 激しい争いの合間に、のどかに流れる時間を噛み締める。すると視界の端に、長い黒髪と白い目を持つ男と、桃色の髪を高い位置で二つ結いにし、できた尻尾を斜め上に固く伸ばしている少女が映った。頭にはクリーム色のフードを乗せている男は、オレンジの本を右手に抱えている。

 

「あら、ここから甘い匂いがするわね。ウルル、私お腹が空いたわ。よし、全部いただきましょう」

 

 奇抜な髪型の女の子が揺らす頭には、小さな王冠が載っている。視線を落とすと、濃いピンクの大きなハートが、衣装の胸元に縫い付けられているのが見えた。白眼の彼がやれやれと溜め息を吐くと、濃い橙の本は輝き出す。

 

「ゼオン、お気に入りの店がピンチだぞ。奴ら、盗んでいくつもりだ」

 

 もちろん彼も気付いているようで、ベンチから立ち上がり、闘志を滾らせている。アクル、と叫ぶフードの男を尻目に、俺は椅子にゆっくりと座り直す。

 販売車に向けられた少女の左腕は、紫電の右手に捕まった。彼は腕を素早く振り上げると、奇抜な彼女の左の掌から、水柱が昇った。

 

「な、何よ。え、だ、誰なの。離しなさい」

 

 ひどく混乱する彼らの頭上には雨が降る。ゼオンは自分より屋台を優先し、マントで包んだようだった。

 こうした咄嗟の判断ができるのも、やはり戦闘経験を積んでいるからなのだろう。ゼオン、もし水以外の術だったらどうするつもりだったんだ。何にせよ、店は全力で守るのだろうが。

 

「お前ら、こっちに着いてこい。俺の気が変わらぬうちにな……」

 

 静かだが、強烈な怒気を滲ませる発言に、盗賊たちはすっかり怯えてしまったようだ。すかさず感謝を伝える店員に雷帝は、とてもうまかった、と一言伝える。

 二人を連れて俺の元に戻ってくると、外套を広げてゆく。ゆっくりと体が薄くなると、四人は広い草原に移動していた……。

 

「……お前たち、よく聞いておけ。今度あの店を狙ったら、この俺様が地獄の苦しみを与えてやるからな」

 

 見知らぬ場所に連れ去られた直後で、赤べこのように何度も頷く二人を哀れに思う。彼女らは状況を全く理解できていないだろう。

 さらには、雷帝ゼオンと恐れられている彼に、目をつけられてしまった。しばらく続く彼の説教に、すっかり肩を落としてうなだれている。

 

「俺は優しいからな、特別に許してやろう。おい、そこの男。お前は、魔物を使って悪事を企むクチか」

 

 白眼の男は、名を呼ばれると肩を跳ねさせた。少しすると、ことの顛末を語り始めた……。

 

「という訳で、俺たちはガッシュくんを探して旅をしているんです」

 

 そうして物腰丁寧に語った彼は、うなだれる少女に視線を送った。なるほどな、魔界時代のガッシュに惚れていたのか。となると、今のガッシュに記憶がないことを伝えたほうがいいだろうか。

 関係があまりに複雑だと、能力も答えを出さない或いは曖昧なものになってしまうことがある。アンサートーカーは、全知全能というわけではない。

 

「そういえば、あなたってガッシュちゃんに似てるわね。もしかして兄弟だったり、なーんてね」

 

 俺が悩んでいると、ハートマークの女の子は鋭く切り込んできた。突拍子もない発言に、隣で雷帝の体が揺れた。流石、ガッシュを想い続けているだけはあるな。ガッシュの記憶、兄弟、さてどうしたものか。

 

「俺はガッシュの居場所を知っている。だが、お前のように我儘な小娘には教えたくはないな」

 

 おいゼオン、なぜお前はいつも相手を煽るんだ。少女の感情が昂るのを感じると、俺の額に冷や汗が流れる。嫌な予感がするな、なくてもいい争いが生まれてしまう、そんな予感が……。

 

「怨怒霊ええええええ、私とガッシュちゃんの恋路を邪魔するなんて、許さないいいいいい」

 

 彼女の愛らしい表情は、一瞬にして悪魔のように豹変した。ゼオン、一体お前はどうするつもりなんだ。怨念を撒き散らす少女を一瞥したパートナーの男は、やれやれ、と静かに首を横に振った。



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LEVEL.13 異色

「オルダ、アクロン」

 

 白眼の男は叫ぶ。すると並ぶ少女の周囲から、水柱が幾本も立ち並ぶ。それらは意思を持ったように撓り、蛇のように襲い掛かってくる。先程から既の所で躱しているが、なかなか自在に操っているな。見たところ、彼女の手の動きと連動しているらしい。それにしても、この雷帝は何を考えているのだろうか。

 

「お前、大したことないな。口ぶりからもっとできるものかと思っていたが、期待外れだ。」

 

 ゼオンは、これでもかとパティを挑発する。最大術でも打ってみたらどうだ、とまで唆す。なるほど、この勝負を楽しんでいるのか。前に戦ったダニーという魔物もそうだったが、相手の力を限界まで引き出した上で勝ちたいのだろう。つくづく思うが、こいつのプライドは筋金入りだな。

 

「確かに、このままじゃ埒があかないわね。あなたに従うようで癪だけれど、決めさせてもらうわ」

 

 二つ結びの魔物は、両の掌を天に向けるように腕を伸ばす。帽子の男が本を構えると、彼の目に光が宿った気がした。さあ来るぞ、お前の期待に応えてくれるといいな。

 

「行きますよ、パティ。スオウ、ギアクル」

 

 持ち主の声に呼応して、橙の本が強い光を放つ。すると、まるで巨大な噴水のように、大地から青い竜が飛び出した。スオウ、ギアクルという、水竜を呼び出す術か。ガッシュの最大術に少し似ているな。以前の戦いでは、ゼオンはバオウに敗れ魔界に帰ったのだ。これは、少し感慨深いものがあるな。

 

「バオウに似た術か、面白い。やっと人間界に帰ってきた実感が出たぞ。この昂りをずっと求めていた」

 

 紫電は鋭い笑みを浮かべ、巨大な宿敵を見上げる。彼から迸る闘気を全身で感じ、それを解放してやりたいと思う。そうだ、少し強めの術を使ってやろう。偶には本気を出さないと、士気も上がらないだろうしな。向かい来る水竜に全力を叩き込むには、あの術がいいか。いくぞ、ゼオン。

 

「ソルド、ザケルガ」

 

 俺は銀の本に強い闘志を伝える。叫びに応えるように輝く一冊とともに、並ぶ雷帝の両手には雷の剣が現れる。迫る竜の額に、彼は振りかぶった一撃を打ち込んだ。激しい閃光と立ち上る蒸気、一瞬にして視界が奪われる。追撃の気配を探ると、

 

「素晴らしいですね。ここまでの力を持っているとは」

 

 聞き覚えのない声が辺りに響く。やっと視界が晴れると、見覚えのない男女が近づいてくる様子が見えた。大きな体を持つ男と、その半分くらいの背丈の、白髪を横で三つ編みにしている少女だ。驚いたことに、隣の雷帝は未だかつてないほど吃驚した表情を浮かべていた。

 

「お前、見たことがない魔物だな。ここまで気配も感じなかった。何者だ」

 

 ゼオンが尋ねると、大男は軽薄な笑みを浮かべる。ご覧いただきますか、と零すと、体が盛り上がり変化してゆく。今まで戦っていた四者とも、息を呑んでそれを観察する。少しして現れたのは、白い龍だった。

 

「あのアシュロンでもエルザドルでもない、竜族だと……。おい、パティ。お前は聞いたことがあるか」

 

 そう取り乱す雷帝に向けて、横に首を振る彼女。確かに、以前の戦いを思い出しても見つからな

い。竜族が序盤で負けることがあるだろうか。アンサートーカーでも、はっきりと答えは出ない。もしかすると彼は、異分子といったところだろうか。

 

「ゼオン、俺は不思議な体験をしていると話したよな。もしかすると、それの影響なのかも知れない」

 

 そう雷帝に耳打ちする。そうだ、俺がタイムスリップか何かで戻ってきたと仮定する。それに、何らかの影響が無いとは言い切れない。この白龍は、元の世界からすると異質な存在で、この世界には何らかの欠陥があるのではないか。パラレルワールド、という考え方もある。だが今考えても仕方がない、結論もなにも見つからないのだからな。

 

「ラシロ、やっちゃおうよ。コイツら弱そうだよ」

 

 三つ編みの少女が、言葉とともに底抜けに明るい笑みを弾けさせる。しかし赤い瞳は凍てついており、目が合うと寒気がした。彼が、わかりました、と答えるや否や地面を蹴ると、するりとパティの眼前に現れた。まずい、彼女とは実力差がありすぎる。そして大きな右の拳が振り下ろされた。

 

「ゼオン」

 

 俺は急いで叫ぶ。すると、ラシロと呼ばれた男の右手は、純白の外套によって動きが止められた。恐怖で固まるハートの少女を目にも留めず、龍の顔面に向けて紫電の右足が振り抜かれる。しかし、それは後方に飛び退き往なされる。すかさず追う雷帝は、デュフォー 、と俺の名を叫び、右の掌を前方に広げる。

 

「テオザケル」

 

 咄嗟に術を唱えると、ゼオンの前方に紫の大きな雷が射出される。これには巨竜も驚き、体勢を整えるために白い少女の横へ戻った。こいつは、今までの魔物とは格が違う。しかたない、本気で行こうか。まずはパティとウルルと言ったか、彼女らを逃さなければな。

 

「パティ、ウルル。どこでもいいから逃げろ。お前達がいても足手纏いだ。早く行け」

 

 ゼオンが叫ぶ。二人の了承は得られたようで、即座に走って逃げてゆくのが横目に見えた。流石に二人を庇いながら戦うのは骨が折れる。これが今の最善の答えだろう。さあ、敵はどう動くのか。

 

「逃げるなんてださいよ。やっぱりあいつらを片付けちゃおう。ディゴウ、エムルク」

 

 白髪の少女は跳ねるように歌う。しかしながら彼女の冷たい赤眼は、背を向け遠ざかる二人を鋭く射抜く。左手に持つアイボリーの本は光を増し、術が唱えられた。俺たちは最大限の警戒を持って彼らを睨め付ける。ゼオン、急げ。お前の速さでも間に合わないかもしれない。眼前の白龍の体に熱気が立ち込める。すると、巨龍が消えた。俺は叫ぶ。

 

「パティ、ウルル、盾の術だ。一発でいい、何とか防げ」

 

 来るぞ、恐らく唱えた術は身体強化だ。こちらにもラウザルクという強化術はあるにはあるが、三十秒間は他の術が使えないデメリットがある。これはなるべく使いたくない。それに、彼の身体能力なら間に合うと答えが出た。頼むぞ、ゼオン。

 パティとウルルは頭髪を靡かせ振り返る。すると、純白の龍がそこに現れた。間を開けず白い巨躯を回転させると、大きな尾が二人を襲う。帽子の彼は、冷や汗を流しつつ口を開く。

 

「一発でいいんですね。パティ、行きますよ」

 

 アシルド、と叫ぶ彼の前に、大きな渦潮が現れる。水の円盤と太い竜尾が衝突すると、乾いた破裂音が辺りに響く。その近くで、純白の布が翻ったのが視界の端に映った。間に合ったか、流石だな。

 

「ゼオン、今のは身体強化だ。全身の熱を放出して体のリミッターを外したんだろう」

 

 出た答えを彼にそう伝えると、本当に心強いパートナーだな、と返事が聞こえた。問題は奴の術が持続するのか、一度きりなのかだ。大方、上昇した体温が治まるまでだろうが、そうだとすると少し厄介だな。さて、こちらの手札をどう切ろうか。己の能力と相談しつつ、俺は戦況を俯瞰する。



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LEVEL.14 力量

 竜族は魔界でも高位の身体能力を持つらしい。それに加えて鉄壁を誇る竜の鱗、追い討ちをかけるように唱えた強化術。幾ら幼少期から修練を積んでいるゼオンでも、正面から向かえば競り負ける可能性がある。加えて、俺のアンサートーカーは何故か安定しない。そうすると、ここは搦め手から入るのが定石だな。

 

「ジャウロ、ザケルガ」

 

 俺が左手に持つ銀の本が光ると、雷帝の頭上には巨大な雷の輪が緑の大地と垂直に現れる。その円の縁から伸びる幾本もの槍が、鎖の擦れたような音を立てながら白龍を追尾してゆく。ラシロと呼ばれている竜族は呟く。

 

「ちょこまかと面倒な術ですね。ブラン、頼みますよ。」

 

 名を呼ばれた赤眼の少女は満面の笑みを浮かべ、ガンズ、ゴウ、エムナグルと大声で新たな術を唱える。成る程、ゼオンのラウザルクとは違い強化術と効果が重複するのか。本当に厄介なものを持っているな。少女の持つ本が光るとともに、巨龍の両手が炎を纏う。

 

「ほう、炎の術の使い手か。俺を失望させてくれるなよ」

 

 強気に出る雷帝は、雷槍を両の腕で操作してゆく。手の動きに合わせて紫の太い糸たちが草原を滑るように進み、四方に散ってゆく。すると白い鱗を輝かせる龍の周囲をぐるりと囲むように、牢獄が作り出された。紫電の子に導かれる光線を眺め、数発なら被弾するだろうと思った。

 

「舐めてもらっては困りますよ、雷帝ゼオン。小手調べにしてもぬる過ぎますね」

 

 白い竜族は吠えるや否や、垂直に飛んだ。雷帝は追いかけるように槍を打ち上げるが、それらは一点に集中してしまったようだ。上空で大きな口元が歪んだと思えば、炎の拳が右左と高速で突き出される。そして燃える乱撃は紫の牢を一本ずつ確実に破壊していった。その視界の端に桃色の髪の魔物とそのパートナーが見えた。

 

「パティ、私たちも加勢しますよ。どんな強者でも一瞬なら隙が生まれるはずです」

 

 ウルルは覚悟を決めたようで、パートナーを奮い立たせる。当の彼女は、聞こえた言葉に目を大きく見張ったようだ。そのまま声のする方へ振り返ると、

 

「あなた、私の命令じゃなく、初めて自分から指示を……。」

 

 少女は呆けたような声音で呟く。今まであの二人組は、パティの翻弄とウルルの忍耐力で成立していたのであろう、と容易に想像できる。不意に吐露した彼女の心の内を、白眼の男は温かい表情で迎えた。

 

「パティの我儘だけじゃ倒せそうにないんでね。どれだけ役に立つか分かりませんが、頑張りましょう」

 

 心強い言葉を受け腹を括ったのだろうか、強く頷く。なんだ、いいパートナーじゃないか。感傷もそこそこに目線を戻すと、高熱の右手によって最後の一本が消滅したところだった。しかし術が破られるや否や、紫電は高く跳躍し炎の魔物に接近してゆく。俺は本に力を込める。

 

「ソルド、ザケルガ」

 

 ゼオンの両手に、水竜を討伐した大剣が現れる。加速する勢いそのままに薙ぐ雷帝だが、太刀筋は虚しく空を切る。やはり、ただでさえ速い竜族が強化術も使うと手がつけられないな。少しのあいだ頭を悩ませると、あることを思い出した。帽子の彼と二つ結いの彼女に近づき、耳打ちする。

 

「成る程ね。でも、この短時間でそこまでの方法を……。まあいいわ、それならなんとか出来そうね。しっかりタイミングを合わせなさいよ」

 

 そう偉そうに言い放つ魔物の少女は、表情に少しの希望を覗かせた。いいだろう、俺とゼオンで隙を作ってやる。隣に戻ってきた雷帝にも伝えると、不敵な笑みを浮かばせる。前方に視線を戻すと、白龍が発する蒸気は霧散していた。それを視認するや否や俺のパートナーは堂々とした口ぶりで敵に投げかける。

 

「お前の術はおおよそ、上がった熱が落ち着くまで効力が続く術だろう。そして体温が戻った今、効果は切れたはずだ。そのままでは俺に勝てないだろうから、さっさと掛け直したらどうだ。それとも、冷め切るまでの時間も必要だったりするのか」

 

 彼の挑発はかなり効いたようだ。白髪の少女は平静を装ってはいるが、白い眉がほんの少し寄ったのを俺は見逃さなかった。決まりだな、作戦決行だ。すかさず右手を挙げて仲間達に合図を送ると、それぞれが動きを始める。先陣を切るのは俺たちと決めていた。

 

「ガンレイズ、ザケル」

 

 俺は心の力を本に伝える。少年の背後に現れたのはいくつもの小さな和太鼓で、頭上で円を描くように等間隔に並んでいる。それらは衛星のように漂っており、ゼオンの動きに完璧に同調している。俺たちは白龍に向けて走り出す。同時に浮遊する太鼓たちは帯電し、雷の球を機関銃のように放出してゆく。

 

「こいつらむかつく。弱虫は大人しくやられてればいいのよ」

 

 パートナーに抱えられながら憤る少女に、龍は

耳元で何かを囁いた。すると怒りの表情から一転、穏やかな気分を演じ始める。目まぐるしく変化する彼女の面持ちから、意図が全く読めない。こいつら、本当に得体が知れないな。

 そのまま宙を自在に飛び回る白龍は、紫の弾幕を軽々と縫ってゆく。ふと旋回したと思えば、速度を急速に上げながらこちらへ向かってきた。迎え撃つ雷球を紙一重で躱したのが見えると、目と鼻の先まで肉薄されていた。

 

「これでチェックね、あなた達の、ま、け。テイル、ディスグルグ」

 

 嬉々として声を張り上げる少女の言霊はパートナーへと届き、力を与えた。魔物の輝く竜尾がすぐ側まで伸びてくる。丸太のように太い尾がゆっくりと迫ったように見えて、視界が大きく揺れた。男の声が遠く聞こえる。

 

「さあ、吹き飛びなさい」

 

 白龍は大きく猛り第三の足を振り抜いた。周囲に土煙が巻き上がる。重い一撃に意識が飛びかけ、気がつくと少し離れた場所で雷帝に支えられて立っていた。彼に庇ってもらっていたらしく、小さな左腕を力なく垂らしているのを認めた。すまないゼオン、答えが出ないことがこんなに響くとはな。

 

「おいデュフォー 、俺がお前にただ頼るだけの器だと思うのか。それに先程の作戦はまだ終わっていない、早く顔を上げろ」

 

 紫電は敵から視線を外さずに返答してきた。傍で聞くとかなり冷淡に思えるだろうが、これは彼なりの激励なのだ。ゼオン、お前は捻くれてはいるが、優しい奴だよ。そうして感謝の意を伝えるが、当の本人はそっぽを向いてしまった。彼とのやり取りに心地よさが込み上げると、自然と口角が上がったのが自分でも分かった。

 

 あたりに充満していた煙もようやく影を潜めると、閉ざされていた視界が晴れる。すると対面する巨龍が感心の声を上げた。今までも肌で感じていた威圧感が一段と増す。さて、ここからが本番のようだな。雷帝に腕の状態を尋ねると、しばらくは動かないとのことだ。使える術もかなり制限されるが、まだ光は途絶えていない。行くぞ、ゼオン。

 

「ジャウロザケルガ」

 

 先程は拳に破壊されたが、再び紫電の輪の縁から槍を伸ばす。術を操る彼の右手は、先ほどとは比べ物にならない集中力をもって宙をなぞっている。白龍が翼を広げると、緑の大地は大きく波をうった。やがてあちこちで起こるうねりが、飛翔の力強さを物語っている。逃げる白を追う紫、双方が自由に飛び回っているように見えるが、気付かれぬよう雷帝の手によって巧みに路が封鎖されてゆく。

 

「その調子だ。ポイントまで追い込むぞ」

 

 俺は右の人差し指でパートナーを淡々と導く。紫電は左手を落としたまま、対の手のみで追い詰めてゆく。当たり前だがこの術は、障害物がない方が圧倒的に強い。意思を持って動き回る光線を、開けた戦場にて誰が避けられるだろうか。さあ、そろそろ目的の地点に辿り着く。しかし未だに勝負の答えは見えない。ならば信じるだけだ、仲間たちを。



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LEVEL.15 融合

 

 飛翔する白竜を幾本もの雷が追尾してゆく。もう少し、もう少しだ。紫電に追いつかれそうになったら、奴らは身体強化の術を使ってスピードを上げるだろう。それでもなお逃げられないようにする必要がある。白い巨体は追い立てられるように低く滑空した。

 

「しつこいですね。面倒な術は早く壊してしまえばよかったんですよ。ブラン、心の力はまだ大丈夫ですよね」

 

 巨竜が痺れを切らしたようにまくし立てる。その質問に、無表情であった彼女は満面の笑みを浮かべ頷いた。なんなんだこいつは。感情が全く読めない。情緒が壊れてしまっているのだろうかと俺は強い寒気を感じた。

 その間にもアイボリーの本は強く輝き続け、今か今かとなにかを待ち侘びているようだ。

 

「ゼオン、来るぞ。指示した通りに散らしていくんだ」

 

 雷帝が術を操る合間に位置についた俺たちは、意識をひとつに合わせてゆく。赤い瞳の女がディゴウ・エムルクと唱える。やはり来たな、ここが勝負だ。俺のアンサートーカーは相変わらず機能していないが、問題ない。ガッシュ達のように仲間の力を信じるだけだ。すると別の地点で待機していたウルルがパートナーの少女に発破をかける。

 

「パティ、行きますよ。チャンスは一度だけです」

 

 桃色の魔物は頷くと、右手を前に構える。それを見た白眼のパートナーは覚悟を決めると、アクルガと静かに唱える。瞬間、細く圧縮された水の槍が彼女の右掌から射出される。虚空に現れた青い線が綺麗な糸を引いてゆく。

 

「ゼオン、ここだ。取り囲め」

 

 俺の合図で、純白の魔物は突き出した両手をせわしなく振り回す。すると、紫電の槍たちがぐるりと半球状になって白竜を取り囲んだ。足がつきそうなほど低く滑空していた、いや気づかずにさせられていた彼は驚いた顔を見せるも不敵に笑う。

 

「なるほど、これで上にも逃げられないように追い込んだということですね。追い込んだつもりの間違いですが」

 

 ラシロの声を聞いたパートナーのブランは、ガンズ・ゴウ・エムナグルと唱える。先ほどと同じように雷槍を破壊していくつもりだろう。俺たちが視線誘導をしながら進ませたことで出来た、死角からのパティの一撃に気づかずに。

 

「これでチェックだな。お前たちの、負けだ」

 

 俺は相手の注意を引きつけるように、わざとらしく挑発をした。そのまま巨竜が右腕を振りかぶった瞬間、青の糸が紫の牢をすり抜け、白の竜に着弾した。急速に熱が奪われ蒸気が吹き出し、竜の絶叫が広い草原に響く。予想通り、炎の術に水の術を当てるのは相性がいい。ゼオンとパティが作ってくれた一瞬の隙を無駄にしないためにも、俺は精一杯叫ぶ。

 

「これで終わりだ。ジガディラス、ウル、ザケルガァァァ」

 

 銀の本が心の力に応え眩い輝きを放つと、雷帝の背後に巨大な雷神が現れる。雷神の腹部に付いた大きな砲台が白竜に狙いを定めた。巨大な穴を取り囲むように付いている、大きな五つの雷太鼓が一つずつ輝いてゆく。しかし、予想よりも雷の力が溜まっていない。

 

「まさか、俺は仲間の力を完全に信じきれていないのか。憎しみの力を糧にしないと勝てないのか……」

 

 このままでは勝てないが、これ以上は待てない。最悪だ。ゼオン、パティ、ウルルたちが作った好機を無駄にしてしまった。不意のアクシデントに思考がまとまらない。すると雷帝の怒号が聞こえた。

 

「なにを迷っている。チャンスはまた作ればいいだろう。この一撃を外したらそれこそお終いだ」

 

 チャンスはまた作ればいい、か。ゼオン、やっぱりお前は優しいな。彼なりの優しさを受け覚悟を決める。五つの太鼓を光らせた魔神は、砲台から紫電の雷撃を射出した。巨大な雷神は叫ぶ。俺にできることは心の力を込め続けるだけだ。行け、行け。

 

「くっ、よける暇はなさそうですね。ブラン、全力で迎え撃たないと負けます」

 

 パートナーの言葉を聞いたブランは、眉間に皺を寄せ俺たちを睨む。かつての俺たちもこうだったのだろう。激しい憎悪を込めた感情、その力が込められた術。少女の絶叫がこだまする。

 

「ラシロを傷つけるなんて許さない。ディオガ、アムエルクゥゥゥ」

 

 彼女が持つアイボリーの本が輝きを増すと、白竜の右腕から極大の炎が吹き出す。炎は拳のように形成されてゆき、そのまま雷砲に向かって振りかぶられた。なんだと、ディオガ級の術をまだ使えるのか。このままだと押し負けてしまう。くそ、こんなところで負けてたまるか。何か、何か……。

 

 ふと肩に手を置かれる。濃い橙の本が光るのが横目に見えた。

 

「私たちは」

 

「こんなところで」

 

「「負けられない」」

 

 ああ、これが仲間の力か。とても素晴らしいな、清麿……。

 

「行きますよ、パティ。スオウ、ギアクルゥゥゥ」

 

 隣に並ぶパティ、ウルル、そしてゼオン。仲間というのはこんなに心強いものなのだな。少女のかざした両手から噴き出す水の龍は、雷神の砲撃に向かってゆく。龍と紫電は融合し、雷の龍となり進む。無意識に雷帝は呟いた。まさか……。

 

「あれは……。バオウ、ザケルガ……」

 

 彼はバオウを引き継げず、その憎しみを力にしてきた。パティの術が電気を吸収する性質を持つことは知っていた。ただ、バオウ・ザケルガのようになるとは考えもしなかった。この術たちはバオウ・ザケルガに似ているが別物だ。しかし、ゼオンはバオウを使えたように錯覚したのだろう。それは彼にとって大きなことで、大切なことだ。バオウを憎み、父を憎み、ガッシュを憎んだ小さな雷帝には。

 

「「「「行けええええええええ」」」」

 

 雷龍は炎の拳を噛みちぎると、白竜に突撃した。叫び声が響き、爆発音が鳴り、土煙が舞った。仲間を信じることで得られる力。憎しみとは真逆の力。そうか、これがそうなのか。隣の雷帝に視線をやると、柔らかな表情が帰ってきた。似たようなことを思ったのだろうな、と想像すると心が温かくなる。旅をすると決めてよかったと強く思う。

 

 ……砂煙が明けると、白の少女と白の竜は消えていた。瞬間移動が使えるのだろうか。彼らに関してはアンサートーカーが全く機能しないので、真相はわからない。ただ分かることは、奴らは危険だということだ。これからもまた衝突することだろう。それまでに力をつけなければならない。そう色々と考えていると、

 

「私たち、勝てたのよね。やったわ、本当にやったわ」

 

 全身で喜びを表現する桃色の少女と、嬉しいですねと返すパートナーの男。彼女らが共闘してくれたおかげで活路が見出せた。二人には感謝してもしきれないな。ゼオンにそう伝えると、照れ隠しなのか顔を背けてしまった。そのまま雷帝は口を開く。

 

「お前たちもなかなかやるじゃないか。えーと、なんだ。その、助かった。ありがとう」

 

 言葉を受けた二人は驚いた顔を見せたが、すぐに破顔しこちらこそと言葉を返した。幸せな風景に俺も吐息が漏れる。それを見たゼオンも朗らかに笑う。以前の旅では考えられなかった笑顔だ。彼の幸せを心から願っているからこそ、こんなにも嬉しさを感じているのかもしれないな。

 

 これからも俺たちの旅は続いていくのだろう。王を決めるための旅ではなく、確かな幸せを探してゆく旅だ。様々な仲間に出会い、共闘し、絆を深める。どんな時でも仲間を信じる力こそが、本当の心の強さなのかもしれない。ガッシュ、清麿、お前たちにも再会できることを楽しみにしているよ。

 

「見ろデュフォー 。あの雲、ガッシュに似ているぞ」

 

 空を見上げる。

 

 

 銀の帰還 ー終ー



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