今日も左手で飯を食う (ツム太郎)
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岡山 太一

彼はそこに居た。


岡山 太一

 

チャイムが鳴った。

 

時計を見ると五時を回り、学生たちが一斉に寮へと戻る時間だ。

その後は友達と集まって遊んだり、夕飯を食べに行ったり、課題をしたり、各々青春を謳歌するのだろう。

ここIS学園でもそのことは全く変わらず、授業が終わった今は廊下が生徒で一杯になっている。

 

そんな学園のあるところに、一人の男がいた。

特に整えているわけでもないために枝毛が多い、傷んだ黒色の短髪。

筋肉も少なく、代わりに腹にたまった贅肉が目立つ。

容姿は良くなく、むしろ悪い部類だろう。

長身でもなければ、小柄でもない。

よれよれの青ジャージのみを着て、特に装飾品を身に着けてはいない。

 

特にこれといった特徴は無く、そこら辺に居るような青年である。

そんな彼が、「男子禁制」であるはずの「女生徒学園」であるIS学園の廊下を歩いている。

 

ただ、普通に歩いているワケではなかった。

彼は左腕に松葉杖を抱え、右足を引き摺るようにしてゆっくりと歩いている。

その眼に光は無く、そのまま静止していると不細工なマネキンのようにさえ見えてしまう。

 

よく見ると、右手の方に何かを紐で巻きつけていた。

松葉杖が目立ちすぎるせいで見落としがちだが、ソレは小さな箒であった。

なぜ右手で持つのではなく右手に括り付けていたのか、彼は右足だけでなく右腕も動かなかったのだ。

 

かつて、彼はとある人物に耐えがたい「拷問」を繰り返され、そのせいで右腕と右足が二度と動かないようになってしまったのである。

 

そんな彼が、どういう因果かこのIS学園で清掃員として働いていた。

 

「………」

 

何も言わず、ひっそりと、ただズルズルと生にしがみつき、働いていたのである。

 

そこに、廊下の向こう側から女生徒が数名こちら側にやってきた。

青年は縮こまるようにその場にとどまり、気配を押し殺してその生徒たちが通り過ぎるのを待った。

生徒たちはそんな彼に目もくれず彼の前を通り過ぎ…。

 

 

 

 

 

…ようとしたその瞬間、彼が体を預けていた松葉杖を思いっきり蹴り飛ばした。

 

 

 

 

 

「あぐッ!? ぎ…う…」

 

突然のこと、しかし「ある程度は予想していた」ことに青年は対処しきれず、そのまま勢いよく倒れてしまった。

彼は急いで杖を取ろうとしたが、女生徒の一人が杖を蹴り飛ばして遠くへと飛ばしてしまった。

 

「あ…うぅ…」

 

「あはは、ダッサーイ。 吐き気するー」

 

「オッサン大丈夫? 手ぇ貸してあげようか? あははっ」

 

「ちょっと、アンタがコイツの杖蹴り飛ばしたんでしょー。 クスクス」

 

必死に杖と取ろうと這いずって動く彼を見て、生徒たちは笑ってバカにしていた。

目の前の男が無様で、滑稽で、愚かにしか見えない彼女たちは嫌悪しか向けていない。

彼はそれを知っているからこそ、一言も文句を言わず、睨みもせずに杖に向かう。

 

「…おい、何無視してんだ! なんとか言ってみなよ、おいクズ!」

 

そんな彼が面白くなかったのか、生徒の一人が前までやってくると今度は彼の背中を踏みつけた。

ギリギリと背中を踏みにじり、強烈な痛みを与える。

 

「ぎ、が…あぐ…」

 

「ははっ、何その声! キモッ!」

 

「ねぇオッサン辛いでしょ? 早くここから消えてよウザいから」

 

「そーそー、なんでいつまでもここに居るの? 皆オッサンのこと嫌ってるのにさぁ」

 

最初は一人だったが、他の生徒も加わり彼に蹴りを入れる。

右手足が動かない彼は抵抗も出来ず、早く彼女たちが飽きてこの場を去ることを祈っているだけだ。

 

口の中が切れて血がにじんでも。

服が埃だらけになっても。

関節から嫌な音がして軋んでも。

青痣ができても。

彼は何もせず、ただ時間が流れるのを待った。

 

 

 

 

 

そんな時に、彼を救うものがいた。

 

「…ッ!? 貴様ら、一体何をしている!!」

 

廊下の数m先から声が聞こえた。

凛として透き通った、強い意志を感じる声。

女生徒たちはその声を聞くと舌打ちをし、彼を睨み付けると「さっさといなくなれ、クズ」と言い捨てて走り去っていった。

 

傍から見れば、偶然居合わせた誰かが彼を救ってくれた。

そう思うだろう、だがしかし。

彼から見れば、逆にこうなることだけは避けたいことだった。

 

声の主はすぐさま彼のもとにやってくると、服に着いた汚れやホコリをはたいて落とし、彼に肩を貸そうとした。

 

「岡山、大丈夫か!? しっかりしろ、今すぐ保健室に連れて行くからな!」

 

心底心配そうに、声の主 織斑千冬はそう言った。

だが、救われたはずの男 岡山太一はその手を払い、彼女を見もせずに杖のもとへ行こうとした。

 

「岡山…つ、杖だな。 分かったから、そこで待っていてくれ」

 

織斑千冬は一瞬傷ついた様な顔をしたがすぐに表情を戻し、彼の杖を掴むと彼に渡そうとする。

しかし、岡山は彼女に感謝の言葉も言わず、憎々しげに彼女を睨むとその杖を奪い取ってボロボロの体を杖で支えて立ち上がるとまた歩き出した。

 

「待て岡山、何処に行くんだ。 そっちは保健室じゃない、早く傷の手当てを…」

 

「…結構です、手当てぐらい自分でできます…。 …自室に帰ります」

 

そう言うだけで、岡山は彼女と目を合わせずに通り過ぎる。

そんな扱いを受けても、織斑千冬は彼の隣まで寄って肩を貸そうとする。

 

「無理をするな、大人しく体を預けてくれ」

 

「っ、離し…てください…!」

 

だがそれも拒否し、岡山は彼女の手を払う。

その力は弱弱しく、彼女ならば無理矢理でも連れて行くことが出来ただろう。

しかし彼女はそれをせず、ただ悲しげに彼を見るだけで何もしない。

 

「岡山…前から言っているが、せめて杖ではなく車椅子を使わないか? お前さえ必要だと言ってくれれば、いつでも用意する」

 

そんな彼女の言葉を聞きもせず、反応すらせず歩き続ける。

全身に力を入れ、倒れないよう必死に進む。

 

「岡山、頼む。 無理強いじゃない、ただ…お前が心配なだけなんだ。 言うことを聞いてくれ」

 

どれだけ言おうと、もう彼は何も答えない。

心配そうに見つめる彼女を置いて、彼はそのまま自室へと戻っていった。

 

 

 

数度転び、立ち上がり、なんとか着いた時にはもう日が暮れていた。

両足が自由な人間なら数十分もかからないその道を、彼は数時間もかけて到達する。

 

彼の部屋は寮棟にはなく、物置倉庫の空き部屋を利用している。

別にその部屋に押し込まれたワケではない、自分からそこに住みたいと申し出たのだ。

あの「素晴らしい者たち」との接触を、少しでも避けたかった。

 

彼は部屋にたどり着くと、入口のすぐそばに置いてある新品の車椅子を横にずらして部屋に入った。

掃除されてもなく、ホコリやゴミで一杯なその部屋はお世辞でも綺麗とは言えない。

しかも布団はギタギタに切り刻まれ、蛍光灯は割れ、私物も機材も全て壊されている。

 

(…また荒らされた、か…クソ…)

 

悪態をつき、彼はボロボロの布団まで進むと、力なく倒れて眠りにつく。

特に何かをすることもなく、泥のように眠る。

 

 

 

これが、転生者であり主人公である岡山 太一の一日である。

 

 

 

 




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失意

彼は怯え続けた。


失意

 

岡山は転生者である。

前の世界での死因はもう思い出せない。

車にひかれたか、鉄柱が落ちてきたのか、殺されたのか、病気だったか、老衰だったか。

死んだ時の年齢すらも覚えていない。

 

ただ、「過去の自分」というものは確かに存在する、という確信はあった。

何故か、彼は二度目の人生を送る「この世界」のことを知っていたからだ。

 

気付いたら子供に戻り、幼稚園に入るころいきなり頭に知識が駆け巡ったのである。

同じ組に織斑千冬と篠ノ之束、二つの名前が在ったことを知ったその時から。

誓って言うが、岡山にこれといった力はない。

今までも、これからもタダの普通の人間なのだ。

 

しかし、欲だけはあった。

 

(アニメの人か…どんな人なのかな…?)

 

ただその姿、人柄を見てみたい。

そんな気持ちで彼は物語の中心達に会いに行った。

 

 

 

 

 

会いに行った時彼女たちは二人でしかおらず、他の子供たちとは全く遊んではいなかった。

篠ノ之束は自宅から持ってきたであろうパソコンをいじり、織斑千冬はつまらなそうに玩具の剣を振り回していた。

 

(あれが、アニメの…)

 

一見した時、彼女たちは他の子供たちとはまるで違いがなく、ただ他の子達と馴染めない普通の子に見えた。

しかし、良く見ると何かが違う。

説明はできないが、他の者たちとは違う決定的なナニカが感じられたのだ。

 

これがオーラと言うものなのだろうか、変に緊張して声をかけることすら難しい。

しかし岡山は勇気を振り絞り、二人に話しかけた。

 

「あ、あの…」

 

「…なんだ?」

 

「………」

 

岡山が掛けた声に対し、織斑千冬はそっけない返事をし、篠ノ之束は返事すらしなかった。

そんな彼女たちを見て軽くショックを受けたが、岡山はそのまま話を続けた。

 

「え、えっと…なんで、皆と遊ばないの…かなぁ…って」

 

「…お前には関係ないだろう、さっさと戻れ」

 

必死に喉の奥からひり出した言葉を一蹴され、岡山は今度こそ完全に折れてしまった。

しかし困ったことがあった。

彼もまた、友達と言える者がおらず戻る場所すらなかったのだ。

 

「………」

 

何も言わず、とりあえずは彼女たちがいた場所の反対側の壁に背中を預け、傍にあったクマのぬいぐるみを抱きしめて横になった。

もとより彼はコミュニケーション能力に欠ける。

普通の子供相手ですらどうやって話し始めたらいいか分かっていないのだ、友人などできる筈もない。

 

(気持ちいいなぁ…寝ちゃお)

 

こういう所は子供なのか、抱いているぬいぐるみに心地よさを感じながら彼はそのまま眠りに着こうとした。

 

 

 

が。

 

 

 

「おい、貴様起きろ」

 

「ッ!? ガフ…ゲホッ…」

 

突然腹部に鋭い痛みを感じ、彼は強引にたたき起こされた。

ソレを良しとしないものがいたのだ。

眠気と痛みで霞む目を開いて見ると、そこには先ほど冷たくあしらわれたはずの織斑千冬がいた。

その手には先ほど持っていた玩具の剣がある。

 

「な…なに…?」

 

「…お前はなんで一人なんだ、答えろ」

 

先ほど自分がした問いを、今度は彼女が投げかけてきた。

しかも武器を持って。

恐らく、先ほどの彼女のような返答をすればまた攻撃されるだろう。

先ほどまで岡山の中は緊張で一杯だったが、今は恐怖しかない。

 

「う、と…友達…いないから…」

 

だから正直に答えた、答えざるを得なかった。

織斑千冬はそんな彼を見て目を細めると…。

 

「そうか…。 ならコッチに来い、遊んでやる」

 

強引に彼を立たせ、先ほど彼女たちがいた場所まで連行していった。

突然の事で碌に抵抗も出来ず、彼は彼女のなされるままであった。

 

 

 

 

 

思えば、その時から彼の「地獄」は始まっていたのだろう。

それ以降、彼は織斑千冬と篠ノ之束の二人と行動を共にするようになった。

しかし、彼は元来普通の人間であり、特別な彼女たちに追いつけるはずがない。

彼女たちが言う「遊び」とはどういうものだったのか…。

 

 

 

 

 

その日以降、毎朝彼の家にあの二人が来るようになった。

それだけで彼は憂鬱になる。

家を出ると織斑千冬の強すぎる力で手を掴まれ、引きずられるように幼稚園へと向かう。

 

幼稚園に着くと、彼は織斑千冬の「遊び」であるチャンバラごっこに付き合う。

幼少期から彼女の剣道は並外れたものがあった。

普通の大人なら一撃で倒してしまうような、強烈すぎる剣劇。

ソレを毎日岡山は受け続けたのだ。

小手に受ければその日ずっと手が痺れ続ける。

胴に受ければ呼吸すらままならなくなり。

面に受ければ気絶し、半日以上起きることがない日もあった。

そんなことが、毎日行われていた。

 

拒否した日もあった。

剣を構える前に、今日は調子が悪いと言ってやめようとした。

しかし、織斑千冬はそれを良しとしない。

 

「何を軟弱なことを言っている。 そんなだからお前は何時までも弱いままなんだ」

 

そう言って、その日は無抵抗な岡山を延々と攻撃し続けた。

いつの間にか「遊び」は「トレーニング」という名目になっていたが、何も変わっていなかった。

それに、そんな彼女を止める者はいなかった。

もとから扱いに困る子供たちだったのだ、そんな子たちが集まる中に入ろうという者などいる筈がない。

 

 

 

 

 

ただ、それでもまだ楽だったのだろう。

彼の最大の不運、それは…。

 

 

 

「…ねぇ、ちーちゃん」

 

「なんだ束」

 

「あの男の子、誰かな?」

 

「…はぁ、お前はまた覚えてすらいなかったのか。 あれは同じ組にいる岡山太一だ、もう覚えたか?」

 

「…そっかー、ふぅん…」

 

「なかなか見どころのある奴だ。 …この私に話しかけてくれた唯一の男だしな。 今は軟弱だが、あの傷の数だけ強くなってくれると信じて…おい、聞いているのか?」

 

篠ノ之束に興味を持たれたことであった。

 

ある日から地獄の始まりに篠ノ之束が加わるようになった。

幼稚園へと引きずられる岡山を見ながら、彼女は一歩後ろから笑いながらついてくる。

彼が織斑千冬に「拷問」を受けているときは、「パソコンを触るのを止めて」彼らを見続けている。

 

そして、昼過ぎの一時。

彼が織斑千冬から解放される唯一の時に、彼女は動く。

 

「ねぇ、君」

 

「ひっ!? な、何…篠ノ之さん」

 

「これ、飲んでみてくれるかな?」

 

そう言って、彼女は時々妙な薬を渡してくる。

嫌がると体を組み伏され、殴られたのちに飲まされる。

抵抗することすらできないのであった。

今日もこうして、彼女は異臭のする怪しげな薬を彼に渡す。

 

「ほら、早く飲んでよ。 グズグズするな」

 

「わ、分かったよ…ん…ゴク」

 

飲んだ瞬間、必ず体のどこかに異変が生じる。

痛み、痒み、痺れ、それ以外の得体のしれない違和感。

ソレが全身にわたり、数時間は続く。

 

そしてその状態で、午後も織斑千冬の相手をする。

彼の体は既にボロボロだった。

精神ももう崩壊寸前、だが誰も助けない。

親に相談しなかったのか?

しなかったのではない、できなかったのだ。

もし親に相談したことがバレたら、次はどんなひどい仕打ちをうけるのか。

そう思うだけで震えが止まらなかったのだ。

 

 

 

ただ、そんな彼にも趣味というものがあった、日記である。

その日、あの二人に何をされ、どんな苦痛を与えられたのか。

それにどんなことを思ったのか、こと細やかに毎日書いた。

誰にも相談できない分、筆は止まらなかった。

それだけが、彼の唯一の楽しみだったのである。

 

(今日も拷問された。 朝から昼までは織斑さんに右手に78発、右と左の横腹にそれぞれ53発…あと頭にも60発殴られた。 昼過ぎには篠ノ之さんに劇薬を飲まされ、そのあとまた織斑さんに痛めつけられた。 今日の薬は両手足が痙攣して止まらなくなり、心臓あたりが夕方までとても痛かった。 病院で診察を受けた結果、もう右手の痺れは取れないらしい。 骨も折れてしまっているそうだ、もう治らないらしい。 なんであの子たちは僕にこんな酷いことをするのか、嫌われるようなことしたのかな。 …あの時、織斑さんに声を掛けさえしなければ、こんなことにはならなかったのかな…)

 

その日から彼はペンも箸も、何もかも持てなくなり、利き手でない左手で物事を行うようになった。

慣れない左手で書いた字はぐちゃぐちゃで、碌に読めもしない。

箸を持っても何度も落とし、ポロポロとご飯粒を落とす。

 

そんな彼を見ても、彼女たちは止まらなかった。

 

「何を遊んでいるんだ! なぜ右手を使わない、二刀流でも目指しているのか? なら、今以上のトレーニングをしてやろう」

 

「…ふーん、右手ダメになっちゃったんだ…クスクス。 ホント、惨めな顔だよね…まぁいいや。 次はこれ飲んでよ」

 

織斑千冬には恐怖のせいで本当の事が言えず、篠ノ之束は知っているにも関わらず同じことをしてくる。

ただ痛めつけられ、苦しみ続けたのだ。

 

 

 

 

 

そんなことが延々と続き、いつしか彼らは中学校の終わりまで上っていた。

どれだけ経っても扱いはまるで変わらず、今も拷問を受け続けている。

小学校に上がるころ、彼女たちの弟や妹に会う機会があったが、特に何かが変わったわけではなかった。

二人とも気味悪がったのである。

 

それもそうだ。

小学校に上がったころになると、彼の体は傷だらけになり服で隠せないところにまで痛々しい暴行の跡があったのだ。

おまけに右手は痙攣を通り越して麻痺してしまっており、ダラリと下がっている。

そんな彼を見て、小学生にもなっていない子供たちは何を思うか、語るに足らない。

 

 

 

そんな中学生活で、遂に決定的な事件があった。

彼の右足が動かなくなったのである。

 

(…あれ?)

 

急なことであった。

いつものように道場で織斑千冬から攻撃を受け、篠ノ之束から薬を飲まされ、また織斑千冬から攻撃を受けていたその時、彼の右足がガクッと落ちたのだ。

 

「何をしている! 休む暇があったら剣をふるうんだ太一!」

 

何の気もなく、織斑千冬は彼がサボっていると勘違いして彼に詰め寄る。

だが、今回の彼はいつもと違った。

 

「………」

 

「何を黙っている、いつものように返事をしないか! 立てッ!」

 

(なんで、足が…そうか、遂に足もダメになったのか…。 ハハ、ずっとずっと我慢して…その結果がこれか…何してたんだ、僕)

 

そんなことを思っていた時、ふと織斑千冬を見る。

彼女は未だに勘違いをしており、倒れている自分の右足を竹刀で叩いている。

 

(…何やってるんだろう、もう麻痺して動かないのに…)

 

しばらくぼーっと彼女を見ていたが、突然何かの感情が生まれた。

燃え盛る業火のような、激しく荒々しい感情。

それは一度彼の中に生まれると、今まで彼を征服していた恐怖の感情を焼き尽くした。

 

「いい加減に立て! お前はそんなだからいつまでも弱いままなんだ、この愚か者ッ!」

 

(…何言ってんだ、この女…誰の…せいで…こんなことにぃ…!)

 

彼女からしてみれば当たり前の事だったのだろう。

恐らく彼女はこれ以上のトレーニングを積んだのかもしれない。

ただ、あくまでもそれは「物語の中」での話。

「物語の外」から来た岡山に、その常識は通用しない。

幼少期から行われていたそれは正しく拷問であり、むしろよく今まで耐えてきたと褒められても可笑しくないほどだ。

 

故に、織斑千冬は岡山太一の異常に気付かなかった。

故に、岡山太一は織斑千冬に恐怖していた。

 

そうして、今まで均衡は保たれていた。

しかし、ソレが今、岡山に「やっと」芽生えた感情によって壊れていった。

 

「…う…るさ…い」

 

「…なに?」

 

「………なんだ?」

 

小さく聞こえた声に、織斑千冬は眉をひそめた。

傍にいた篠ノ之束も、かれの予想外の言動に疑問を抱いている。

しかし、織斑千冬はすぐに元に戻ると、無表情のまま彼の元まで歩み寄る。

 

「ほう、太一…私に逆らうとはいい度胸だ。 もう立たなくていい、私に逆らうことがどれだけ愚かなことかじっくりと教え「五月蠅い! 黙れ!」なっ!?」

 

その時、今まで聞いたことがない彼の大声を聞き、織斑千冬はその歩みを止めた。

彼が自分に向かって大声を上げるなど、今までなかったのだ。

しかも、ただの大声ではない。

 

「黙れッ! 黙れッ! 黙れッ! 黙れッ! 黙れッ! 黙れッ! くそっ、くそぉっ!!」

 

「ど、どうしたんだ太一? しっかりしろ、どうしたというんだ?」

 

「ッ!? や゛めろ、コッチに来るな!! 消え゛ろッ、離れろ゛! ウああアァァアあ゛あ゛ア゛あ゛ッッ!!!」

 

「太一…? 一体どうしたんだ、なんで私を避けるんだ?」

 

「ぎぃぃッ! ギャアアアァァ!! アアああアァァア゛ア゛ア゛ア゛!!!」

 

憎々しげに織斑千冬を睨み付け、金切声をあげて彼女を遠ざけようとする。

ジリジリと芋虫のように動き、少しでも離れようとする。

そんな彼を見て織斑千冬は何もできず、ただ疑問を投げかける。

未だに彼に何が起きていたのか理解できていなかったのだ。

 

そんな時、騒ぎを聞きつけた隣人が救急車を呼び、彼は病院に運ばれた。

精神が不安定で暴れており、数人で押さえつけないと運ぶことすらできない状況であった。

織斑千冬は、ただ目の前の彼が信じられず呆然とことを眺めていることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから数日後、彼は病院で目を覚ました。

面会謝絶の真っ白な部屋の中、彼は医師から右足がもう動かない事だけ聞き、狂ったようにケタケタと笑い出した。

また暴れ出すのかと医師は警戒したが、どうもその様子はない。

彼は目から涙を流し、人形のように表情を変えず、ただ笑い続けた。

その時の彼の感情は、想像するに難すぎる。

 

退院したのち、彼は両親の面会のみ許していた。

何度かあの二人がやってきたそうだが、名前を聞くだけで体中が痛みだし震えが止まらないために会いたくなかった。

気持ち的にも、もう会いたくない。

彼は両親に今までのことをすべて伝えた。

両親は「なぜ早く言ってくれなかったんだ」、「どうしてこんなことに」と嘆き、最後に「気付けなくてすまなかった」と涙を流して謝っていた。

 

 

 

しかし、実際彼にはもうそんな言葉も届いていなかった。

彼はただ一つ、この街から消えることだけを考えていた。

 

(もうアイツらと会いたくない…父さんたちには悪いけど…もうここにはいられない…いたくない)

 

この街を離れ、もう二度と物語に関わらない。

そうすることで、この世界の異常に殺されないことを望んだ。

朦朧とした意識の中、彼が考えたのは完全な拒絶だったのである。

行き先がバレることを恐れ、両親にさえ言わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数日後、彼は病院から消えた。

一本の松葉杖のみを持って、どこかに消えて行ってしまったのだ。

家族や周りの人間は必死に彼を捜索したが、もう彼はどこにもいなかった。

 

彼は無事に町から消え、どこか遠くの地方に渡ったのである。

もうこの時点で、彼は新しい人生を進む決意をしていた。

重大なハンディキャップを抱えてしまったが、彼女たちから離れられるだけでもう十分だった。

彼の心は、この世界にてやっと小さな小さな幸福で満たされたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ、彼はたった一つ失敗を犯した。

それは日記の処分である。

彼は捨てるべきだったのだ、あの自分の今までの思いを書き記した日記を。

燃やすなりなんなりして、誰の目にも入らないよう無くすべきだった。

 

しかし、しなかった。

そのせいで、その日記は織斑千冬の目に入った。

そして織斑千冬は彼が違う世界から来た人間で、今まで自分がどういうことをしてきたのかやっと理解した。

理解してしまった。

 

そのせいで、また彼の人生は狂うだろう。

そもそも、放り込まれた時点で諦めるべきだったのだ。

 

彼は、この世界から逃げられない。

 




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絶望

彼は、何処にも行けなくなった。


絶望

 

岡山は失踪したのち、沖縄のとあるホテルに住み込みで働いていた。

少ない財産で遠い遠い土地まで来たのは良いものの、その後のことを全く考えておらず途方に暮れていた。

 

「う、あ…」

 

数日は問題無かった。

腹が減ろうと我慢して歩くことが出来た。

だがそれが一週間も続けば体にも限界が訪れる。

しかも、彼の体は常人よりも劣っており、体力の減りも早かった。

 

そして八日目の夜。

海岸沿いの道路をトボトボと歩いていた時に限界が訪れ、その場に倒れこんでしまった。

体が一切動かず、うまく呼吸も出来ない。

 

(…僕、死ぬのかな。 …僕ってなんだったんだろうなぁ…。 二度目の人生貰っただけでも良かったのかな…でも、こんなのってないよ…ちくしょう…)

 

今までの報われなかった人生を思い出し、彼は涙を流し続けた。

子供の頃から休みなく暴力を振るわれ続け、四肢のうち二つが動けなくなり、故郷を捨てざるを得なくなった。

そんな最悪の人生、楽しいことなど一つもなかった。

そう思うと、悔しさと怒りでまた涙が出てくる。

水分も取っておらず、喉がカラカラに乾いているのにも関わらず涙は一向に枯れない。

 

 

 

次第に意識が薄れていく。

もう、本当に限界のようだ。

岡山は眠るように瞼をゆっくりと閉じ、その人生を終えようとした。

 

 

 

 

 

「ん? なんだアレ…人…か…? オイ、しっかりするさ! おい!」

 

 

 

 

 

だが、「幸運なこと」に世界はそれを許さなかった。

彼が死ぬ直前、何者かが倒れている彼を見つけ、救いだしたのだ。

 

その人物は小さなホテルの支配人だった。

岡山は支配人に助けられ、自らが経営しているホテルの客室に運ばれて介抱された。

目が覚めると、食事を与えてもらいようやく平静を取り戻すことが出来た。

 

それから数時間後、岡山は支配人に転生に関する事以外全て話した。

震える声で涙を流しながら話していた彼に対し、支配人は「もういい、辛かったな」と優しく抱きしめて彼を慰めた。

その日岡山は夜通し泣き続け、支配人はただ慰め続けた。

 

 

 

 

 

「なぁ太一君、良ければここで働きはしないか?」

 

「…え?」

 

それから数日後、療養中に岡山は彼からホテルで働くことを勧められた。

右手足が動かない自分にできることは限られている。

気持ちは嬉しいが岡山はその誘いを断ろうとした。

しかし、支配人は譲らなかった。

 

「なんくるないさ! 書類整理とかの雑用なら、お前でも時間をかければ出来るだろ! その代わり、この部屋をこれから使うといいさ」

 

「え、え…? でも、そんな…」

 

「だから心配すんな!」 

 

そう言って、支配人は大きく笑いながら話を続けた。

 

「俺、沖縄語がおかしいとこあるだろ? 実は俺も単身でここまで来た男でな…お前みたいな奴見てると昔の俺を見ているようで助けたくなるのさ。 だから遠慮しないでくれよ」

 

まぶしい笑顔を見せ、彼はそう言った。

対する岡山は嬉しさ半分、疑心半分の状態であった。

この人が言ってくれることは本当にうれしい、だけど信じきることが出来ない。

こんなにいい話、早々にある筈もないのだ。

そんな気持ちが出てきて、彼は返答に渋ってしまう。

 

「ん? あーもしかして騙してるとか思ってんのか? まぁ、気持ちは分からなくもないけどさ…逆に聞くけどお前から取れるモノなんてあると思うか?」

 

「え…えっと…」

 

「あー…じゃあこう考えな。 お前は今まで本当に報われなかった、頑張り続けた。 これはそのご褒美だ、俺からお前のな」

 

岡山にその言葉にハッとなって支配人を見た。

まるで太陽のような、まぶしく綺麗な笑みがそこにあった。

そして、気付くとまた泣いてしまっていた。

 

「…泣くなよ、男だろー? …まぁ、これで決まりだな。 安心しろ、お前と似たような奴はここに一杯いるからな」

 

そう言って、彼は近くにいた一人の女性を呼びつけた。

清潔そうな服を着る彼女は明らかに外国人であった。

天然の金髪を腰まで伸ばし、ソレを一つにまとめてポニーテールにしている。

ニキビの一つもない、綺麗な白い肌の持ち主だった。

 

「例えばこの子、名前はエレーヌといってな。 お前と同じで帰るとこが無くてここまで来たんだ」

 

「…よ、よろしくお願いします」

 

彼女は控えめにそう言った。

どうやら、かなり大人しい性格であるようだった。

 

「は、はい…僕は岡山です。 よろしく、お願いします…」

 

岡山は似たような口調で挨拶を返した。

そんな二人を見て、支配人は豪快に笑う。

 

「ははは! なんか似たもの同士だな、お前等! じゃあ、此奴の当分の面倒はお前にまかせるぞエレーヌ。 此奴にはあんまり動かないで済む雑用を教えてやってくれ」

 

「わ、分かりました」

 

支配人はエレーヌの返事に満足すると、自分の仕事をしに行ってしまった。

二人だけの空間に、しばらく沈黙が流れる。

 

「………あの…岡山さん」

 

「は、はいっ!」

 

そんな中、話しかけてきたエレーヌに対し、岡山は驚いてしまい裏返った情けない声を出してしまった。

それを恥ずかしく思い、彼は顔を伏せて顔を赤くさせてしまう。

そんな彼を見て、エレーヌはクスリと笑った。

 

「フフ…そんなに緊張しないでください。 私も人に教えるのは初めてですが…頑張りますから。 敬語もなくて良いですよ、前に支配人さんに聞きましたけど…私たち同い年のようですし」

 

そう言って彼女は微笑んで手を差し出した。

岡山は微笑む彼女を見てドキリと胸を高鳴らせた。

 

「は、はい…。 よろしく…え…エレーヌ…」

 

そして岡山は彼女の手を取り、握手を交わすことが出来た。

 

(…優しい…アイツらとは違う…頼れる人…だ…)

 

 

 

これが、彼とエレーヌとの初めての出会いであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから数年間、彼はそのホテルで働き続けた。

最初は左手しか使えないために碌に動けず苦労していたが次第に慣れ始め、ゆっくりではあるが正確に仕事を出来るようになっていった。

 

岡山は自分が出来ることを一生懸命に行っていき、エレーヌはそんな彼に甲斐甲斐しく指導していった。

休みの時も一緒に行動することが増えていった。

近くの海まで遊びに行ったり、部屋で一日中話し合うこともあった。

 

「…やっぱり、部屋は見せてくれないの?」

 

「…ごめんなさい、今はまだちょっと…」

 

ただ、彼女は自分の部屋に彼を招くことは無かった。

岡山は何度か彼女の部屋に行こうとしたのだが、エレーヌは頑なにソレを拒否した。

理由を聞いてもこれといった返事はなく、支配人たちすら彼女の部屋には入ったことが無かったそうだ。

 

「いつか見せるから…その時まで待って」

 

彼女はそう言い、岡山は信じ切った。

きっと彼女にも見せたくない秘密があるのだろう、無理に見るのは良くない。

そう思い、彼女が自分から言ってくれる時を待ったのである。

 

 

 

さて、そんな不安が在ったりもしたが、彼女たちの中はさらにいいものになっていった。

一日で会う回数はドンドン増えていき、彼らの仲の良さは従業員のほとんどが知るようになっていった。

 

そんなある日。

 

「あ、あの…太一さん」

 

二人が惹かれるのは必然であったのだろう。

働き始めてから三年後、ある日エレーヌは岡山を海岸に呼んだ。

 

「な、なんでしょう…」

 

「あの、今までずっと考えてて…今やっと決意したんです。 私、貴方が好きです。 私と付き合ってください」

 

顔を真っ赤にさせ、それでもまっすぐ岡山を見てそう言った。

 

「…良いの? 知ってるだろうけど、僕は不自由な体だ。 絶対に鬱陶しいと思うときだってある。 …友達のままがいいと思うけど」

 

「ううん、面倒だなんて今まで一度も思ったことなんてない。 それにこれからも…私は貴方を愛し続けます」

 

そう言って彼女は彼を抱きしめた。

それだけで彼はもう幸せだった。

心が喜びで満ち溢れ、彼女を愛そうと決意した。

 

「…ありがとう、エレーヌ…。 僕も、あ、貴方が好きです」

 

「…嬉しい、ありがとう太一さん」

 

そうして、彼らは幸せの絶頂を感じたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それからというもの、岡山とエレーヌは笑顔が絶えなくなった。

何時でも相手を思い、仕事中でも会って話をすることが増えていった。

増えすぎて一度支配人に怒られたこともあったが、彼は本気で怒ってはいなかった。

むしろ二人を祝福するかのように、笑いながら茶化すほどであった。

 

 

 

 

 

そんな幸せが続く中、ある一人の客が訪れた。

 

「ようこそデュノア様。 こんな辺境のホテルにようこそいらっしゃいました」

 

「ふん…たまにはこういう所でゆっくりしたいのだ。 数か月は泊まる予定だからな」

 

「かしこまりました」

 

岡山はロビーの片隅からその様子を見ていた。

その男が着ている服や立ち振る舞いを見ると、かなりの人物なのだということが分かる。

いつもならフランクに客に話しかける支配人が、仰々しく敬語なんて使っているところからも伺える。

 

「それでは、客室の方にご案内いたします。 エレーヌ」

 

「はい」

 

支配人は近くで控えていたエレーヌを呼び、客を案内させる。

 

 

 

そんな時だ。

 

 

 

「………ほぉ、ここにいたかエレン」

 

その客、デュノアはエレーヌを見ると何かを呟いてニヤリと笑った。

岡山はそれが聞き取れず、ただデュノアが笑っているだけに見えた。

ただ笑っただけだ、それだけであったのに。

 

(…なんだろう…すごく…嫌な予感がする)

 

岡山は言い様のない不安を抱いた。

 

 

 

 

 

それから数日、何故かエレーヌと会う機会が少なくなった。

彼女はデュノアの専属使用人に任命され、常に彼と行動を共にしているのだから無理もないのだが、自由時間ですら彼女と会うことが出来なくなっていた。

 

(どうしたんだろう、今日はこの時間に待ち合わせる約束をしていたのに…なんだろう?)

 

 

 

そんな日が続き、ある日不安で胸を痛めながら階段を上っていると、不意にエレーヌが傍を通った。

 

「あっ、エレーヌ! 最近はどうしたの? 待ち合わせの時も来てくれないなんて…」

 

「ッ!? ご、ごめんなさい。 今からデュノア様の所に行かなくちゃいけないから…」

 

そう言って、彼女は彼の顔すら見ずに通り過ぎて行った。

そんなエレーヌを見て、彼はまた不安を募らせた。

 

(なんで…彼女は確かに仕事熱心だけど…偶然会ったときは軽い話くらいしてくれたのに…)

 

だがそんなことを考え続けても仕方ないと思い、彼は再び仕事を再開した。

 

 

 

 

 

それからまた数週間が経ち、彼は遂にエレーヌと全く会えなくなってしまった。

廊下ですれ違うこともなくなり、話をすることもない日々が続き、彼はいてもたってもいられなくなった。

 

その日も彼はロビーの隅で座り込み、ただ彼女を心配し続けていた。

 

(なんで、どうして…? 電話にも出ない、会いに行っても反応すらない。 支配人たちに聞いても答えてくれない…どうしてなんだ…?)

 

そんなことを思っていると、誰かが階段を下りてくる音がした。

お客だったら失礼だと思い、彼はとっさに立ち上がりソレが誰なのか確認した。

 

正体はやはり客人…しかも特別待遇であるデュノアであった。

立ち上がって正解だった、そう思うのも束の間、彼は信じられないものを見た。

 

「エ…レーヌ…?」

 

彼のすぐ後ろから、音信不通であったエレーヌが降りてきたのである。

しかし、様子がおかしい。

彼女はいつもの仕事着を着ておらず、前に遊んだ時に着ていた私服を着ていた。

前のような笑顔がなく、死人のような表情をしている。

支配人や他の従業員たちも何も言わず顔を伏せてしまっている。

 

彼女はデュノアと共に出口まで行くと、そのまま彼の自家用車だと思われる高級そうな車に乗ろうとした。

そんな様子を見て、遂に我慢しきれなくなり岡山は二人の前まで歩いて行った。

 

「エレーヌ!」

 

「ッ!? 太一…さん…」

 

「…誰だ、この小汚い小僧は」

 

エレーヌはいきなり現れた岡山に驚いて目を見開き、デュノアは汚物を見るかのような目で岡山を見た。

そんな岡山を支配人が止めようとするが、彼は全く止まらなかった。

 

「太一やめるんだ! 頼むから引いてくれ…!」

 

「ぼ、僕は彼女と付き合っている者です。 な、なんで彼女は貴方と一緒に居るんですか! 答えてください!!」

 

必死に訴える岡山を見て、デュノアは愉快そうに笑った。

 

「ほぉ…お前がエレンの言っていた…。 そうだな、こうして現れたワケだし、言っておくか」

 

「ッ!? デュノア様お止め下さい! 太一さんだけには言わない約束でしょう!?」

 

「…無駄口を叩くなエレン。 お前はもう私の愛人に戻ったであろう」

 

 

 

その時、岡山は耳を疑った。

この男は、今何と言った?

 

「あい…じん…?」

 

「デュノア様!」

 

「喚くな。 いいか小僧、この娘はかつて愛人として私のもとにいた娘なのだ。 年もお前の倍はある…。 私はこのホテルに訪れた時、一目で彼女がエレンであるとわかった。 だから今一度私のモノにしたのだ。 私のもとから逃げた…この娘をな…」

 

頭が真っ白になった。

まともな思考が出来ず、呼吸ができない。

フラフラと体を揺らし、その場に倒れてしまった。

 

「太一さん!?」

 

「どこへ行くんだエレン。 もうその男の傍に行く資格など、お前にはないだろう…?」

 

エレーヌは倒れてしまった岡山に近づこうとしたが、デュノアの一言に足が止まってしまった。

代わりに目から大粒の涙を流し、デュノアを睨み付ける。

しかし対するデュノアは全く気にせず、またにやりと笑った。

 

「なんだ、その顔は…? ならば、今夜も鳴かせてやろう…返事は?」

 

「っ…ありがとう…ございます…デュノア様…」

 

エレーヌは体をビクリと震わせ、デュノアにそう言った。

デュノアはそれに満足し、今度こそ車に乗ってホテルを出て行った。

岡山は起き上がる力すらなく、離れていくデュノアを見ながら意識を失っていった。

 

その時、デュノアの車から一人の子供が顔をだし、倒れた岡山をジッと見続けていた。

 

 

 

 

 

数時間経ち、彼は目を覚ました。

近くに支配人がいて、彼が上体を起こすと暖かいココアを持ってきた。

 

「…これを飲め、少しは落ち着く」

 

だが岡山は受け取ったココアを全く飲まず、そのまま近くの机に置いて支配人に問いかけた。

 

「エレーヌは…どうしたんですか…? 愛人って…あの子に何があったんですか…!」

 

ソレを聞いた瞬間、支配人の顔が一気に曇った。

やはり、支配人は何かを知っているのだ。

 

「…それを聞いたところで、お前はもう何もできない…せめて綺麗な思い出のまま…」

 

「そんな気遣いは不要です! 教えてください、彼女のことを!」

 

数分岡山は必死に訴え、支配人は折れた。

その口から、とんでもないことが語られていった。

 

 

 

話しによると、まずエレーヌの本名はエレン。

年齢は岡山と同じと言っていたが、実はその倍以上の持ち主であったのだ。

彼女はもともとフランスの貧困層の生まれで、とても貧しい暮らしをしていたらしい。

そして少しでも家計を助けるために花を打っていた時にあのデュノアの目に留まり、愛人として召し抱えられたのだ。

 

最初、彼女は家族を貧乏から救えると喜んでいたが、代わりに正妻たちからの耐えがたい嫌がらせを受けるようになったそうだ。

初めはまだ我慢できたらしい、しかし「あること」が起きたせいで遂にエレンは我慢できなくなり、デュノアの家から逃げ出したそうだ。

 

その「あること」とは…。

 

 

 

「彼女に…子供が…?」

 

 

 

「あぁ、お前もあの子の部屋に入ったことがなかっただろう。 エレーヌ…エレンは自分の部屋の隅にその子供を隠していたんだ。 どうやったのかは分からないが、誰にも知られず…今までずっとな」

 

ソレを聞いて、また頭が真っ白になった。

彼女が自分を部屋に入れなかったのは、これが原因だったのだ。

 

「…たぶん、アイツはいつかお前にだけは本当のことを言うつもりだったんだ」

 

重々しい空気の中、支配人は口を開いた。

 

「アイツは…本当にお前のことを愛していた。 だが…だからこそ怖かったんだろうよ。 本当のことを言って、お前に突き放されるのが…」

 

「………」

 

「デュノアの野郎は…恐らくそれをネタにエレンを脅したんだ。 あの男がここに来る前に…気付くべきだったんだ…。 俺がエレンをデュノアの使用人に命じた時、あの子はとてつもなく嫌な顔をしていた。 だが、理由も言えずにあの子は俺の言ったことに応じた…そして、こうなったんだ…」

 

「………」

 

「殴ってくれて構わない。 殺されても文句は言えないさ…。 俺があの子をしっかり見ていなかった…俺の責任だ」

 

「…やめてください。 それなら僕にも責任が…あります…。 僕が…気付け…ば…」

 

「………太一?」

 

支配人は岡山の異変に気づき、伏せていた顔を上げて彼を見た。

彼は全身を震わせて白目をむき、ワケのわからないことをブツブツと呟いている。

そして次の瞬間。

 

「ぎ…いぃ…アアアアぁぁぁッぁああアァァぁあ゛あ゛ア゛!!!!」

 

また岡山は限界を迎えてしまった。

信じていた者に裏切られ、奪われた悲しみ。

誰も責めることが出来ない、やり場のない怒り。

そして何よりも、彼女の事を気付けなかった自分自身への憎しみが。

彼の中で渦を作り、暴れまわって彼を完全に壊した。

 

「ア゛ァッ! ヴア゛ア゛ァァぁああぁあ゛あ゛ア゛!! ギィィああァァア゛!ア゛!」

 

「太一、しっかりしろ! 頼む元に戻ってくれぇッ! クソッ、誰か、誰か来てくれ!!」

 

支配人は涙を流しながら、暴れる彼を必死に抑えなだめようとする。

彼の助けを聞いてやってきた者たちも、岡山とエレーヌの仲を知っていたために目の前の惨状に心を痛め、泣きながら彼を止めようとする。

 

「岡山さん、気を確かにしてください!」

 

「岡山しっかりしろ! 暴れたってあの子はもう戻らないんだ…正気に戻ってくれ!」

 

「太一君、クソッなんでこんなことに…太一君!!」

 

皆それぞれ彼に訴えかけて必死に止めようとしたが、結局は彼が力尽いて眠りこけるまで大人しくはならなかった。

支配人も含め、従業員たちはもうどうしたらいいか分からなくなった。

ただ涙を流し、仲間の悲恋に心を痛め、そして何もできない事実を前に呆然と立ち尽くした。

 

ただ刻々と時間だけが流れ、岡山は二度と治らない「傷」をまた負ってしまったのである。

 

 

 

 

 

その数日後、再び彼は姿を消した。

「今までありがとうございました」、という極めて短い置手紙を残し、何も残さず消えて行ってしまったのだ。

 

従業員たちは必死に探したが見つからず、支配人は彼を救うことが出来なかったことに激しい自責の念を抱き続けたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

故郷を失い、恋人を失い、もう彼には何もする気になれなかった。

沖縄を離れ、日本の何処かも分からない街で、ボロ屑のように生きていた。

 

路地裏の奥、ひっそりと動きもせず、何も考えず生ゴミのみを食べて。

 

「………」

 

その日は雨が降っていた。

湿気が増し、普段より不快さが増している。

 

強烈な異臭のするそこは不良ですらもうろつかない場所で、一切の関わりを断ちたかった彼からすれば「最高の城」であった。

 

もう過去を思い出す気もない。

未来などもってのほか。

このまま人形のように生き、勝手に死ぬ。

彼にはもう、そんな望みしか残っていなかった。

 

「………」

 

「…? 誰かいるのか?」

 

ピチャリと、水たまりの上を歩く音がした。

そんな彼のもとに、誰かが現れた。

声を聞く限りじゃ女の子供のようだが、フードを被っていて顔が見えない。

しかし、だからといって岡山は何も考えなかった。

 

「………」

 

「おい、聞いているのか? なんでここにいるんだ?」

 

ただ、なぜかその声はとても腹立たしかった。

殺したくなるくらいの憎悪が、その声を聞くとなぜかわいてくる。

だから、彼は久々に声を出した。

 

「…お前には…関係…ない…消えろ…」

 

「そんなことは知らない、私はお前に興味があるんだ、答えろ。 なんで貴様はここに居る?」

 

そんなことを一切の揺らぎもなくその子は言ってきた。

このまま無言を貫いても良いが、なぜか彼女はそれでは引かないと思った。

故に、答えてしまった。

 

「…もう、何もしたくないからだ…」

 

「何も…?」

 

「…僕はもう疲れたんだ…。 僕は僕が何のためにここに居るかすら分からなくなったんだ…。 死にたくても死ぬ勇気すらない…だからここに居るんだ…これで十分か?」

 

そう彼は言い、再び目を閉じた。

久々に言葉を発して疲れてしまったのだ。

もう必要なことは言った、今度こそ寝よう。

そう思ったのだ。

 

「…そうか、私もそうだ」

 

だが、次に彼女が言った言葉に反応し、再び目を開けてしまった。

 

「私も、自分がなんなのか分からない…。 何のためにここに居るのか…その理由が分からないのだ。 だから雨に打たれてこんな所をウロウロしている。 雨に打たれていると…自分がここに居ることを実感できるんだ」

 

彼女は空を見上げ、悲しげにそう言った。

だが、岡山はそんな彼女を見て、再び怒りを募らせた。

今度は声だけじゃない、彼女の言動にもだ。

 

「…ふざ、けんな…」

 

「…なに?」

 

「ふざけんなよ…お前は片手が動かないか? 足は? 信じていた者に裏切られたことは? 心の奥底から、本当に絶望を味わったことがあるのかよ…」

 

怒りで左手を握り、フルフルと震わせる。

そんな岡山に女の子は尋常でないナニカを感じたが、それに物怖じせずに反論する。

 

「…お前こそ、何が分かる!? 私には親もなく、自分の弱さを見せれる者もいない! 私は生まれた時から…ずっと一人だったん「だが、それでもお前は帰れるんだろう?」」

 

彼女の言葉を遮り、岡山は言葉を続ける。

 

「どんな所でも、お前は自分の足で帰れるんだろうが…それだけで幸福だって…さっさと気付けよ…バカが…」

 

「………」

 

何も言わない彼女に対して、岡山は近くにあった傘を投げ捨てた。

 

「………これは?」

 

「お前にやる、それをさして家まで帰れ…。 勝手に嘆いて…雨に打たれる資格なんてお前にはない…」

 

そう言い終え、今度こそ彼は瞳を閉じた。

もう、絶対に何も言わないのだろう。

 

だからこそ、女の子も勝手に喋る。

 

「…そう…か…。 そうだな…、ありがとう。 お前のおかげで自分を見つけることが出来た、感謝する」

 

「………」

 

「…なぜだろうな、お前の声はとても心地いい…聞いてて楽しいんだ。 ………いつか、お前にも…」

 

「………」

 

「…いや、これ以上はよそう。 またお前に会うのを楽しみにしているぞ。 じゃあな、岡山太一」

 

そう言って、彼女も姿を消した。

なぜ自分の名前を知っていたのか、一体何者なのか。

疑問は浮かんだが、直ぐに消えた。

それすらも億劫だったのである。

 

(もういいや、寝よう…)

 

そして、また彼は泥のように眠った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次に目が覚めた時、目の前に複数の男がいた。

皆綺麗なスーツを着込み、体格もガッシリしている。

 

「…貴方が岡山太一ですね?」

 

「………」

 

何かを聞かれたが特に気にせず、岡山はそのまま動かない。

 

「民間の方から、貴方がここにいるという報告を受けました。 特別捜索人物ナンバー2、岡山太一さん。 貴方を保護します」

 

そう言うと、彼らは岡山を担いで近くに置いてあった車に乗せた。

当の岡山は何が起きたのか全く理解していなかったが、もう抵抗する気すらなかった。

行き先が地獄だろうとあの世だろうと…もうどうでもいい、関係ない。

そう本気で思っていた。

 

 

 

 

 

しかし、彼が送られる場所は彼にとって地獄以上に行きたくない場所であった。

 

彼が送られた場所、それは世界の中心ともいえる場所。

大国からの干渉を一切受け付けない、唯一の場所。

そう、IS学園であった。

 

世界は、もう彼を放さない。

 




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悲哀

ゆっくりと、彼は追いつめられる


悲哀

 

車に乗せられた後、岡山はヘリに乗せられ学園へと向かった。

 

その際にヘリの中で身支度を整えるように言われ、仕方なく風呂に入り新しい服を着た。

席の近くには豪勢な食事が置いてあったが、空腹であるはずの彼は見向きもせず、ただボーっと何もせず丸まっていた。

 

数時間かけ移動したのち、彼はようやく学園の校門近くまでやってきた。

正直言うと、彼はここにだけは来たくなかった。

考えることすらやめた今でも、それだけは思っていたのだ。

彼は物語を知っている、故に分かるのだ。

 

此処には、「主人公達」がいる。

そう思うだけで身震いがした。

あの崇高すぎる特別な存在がすぐ傍にまでいるのだ。

今度は何をされるのか分かったものではない。

全てを諦めているとしても、ここに来ることは苦痛でしかなかったのだ。

 

 

 

そんなことを考えながらトボトボと歩いていると、校門の前に誰かがいることが分かった。

真っ黒なスーツを着込み、鮮やかな黒髪を持つその女性は、明らかに見え覚えがある人物であった。

 

「ッ!? 太一ッ!」

 

此方に気付くとその人物は大声を上げて此方まで駆け寄ってきた。

そのスピードは女性とは思えない程の速さで、その様子だけでかなり焦っていることが見て取れる。

 

「………織斑…千冬…」

 

駆け寄ってきた女性、織斑千冬を見て岡山は憎々しげに呟いた。

 

「…久しぶりだな、太一…。 あの時…お前が居なくなった時から…ずっと心配していた…」

 

悲しげに、しかし嬉しそうに、織斑千冬は彼との再会を心底喜んでいるようだった。

だが、そう言うだけで彼女はそれ以上何もせず、どうしたらいいのか分からずジッと彼を見つめるだけであった。

 

「………」

 

岡山は、そんな彼女を完全に無視し、その隣を通り過ぎて学園の中へと進んで行った。

そんな彼を見て織斑千冬は顔を曇らせるが、直ぐに元に戻して彼の隣に行く。

 

「太一…お前が私をどれだけ憎んでいるかは分かっているつもりだ。 だが、この学園の説明だけでも聞いてく「名前を呼ばないでください…」」

 

必死に彼に話しかけるが、それを当の本人に遮られた。

 

「…僕を呼ぶときは…名字でお願いします…」

 

「っ…そうか、分かった。 では岡山、ここでの説明をするぞ」

 

そうして、彼女は岡山に学園の説明をし始めた。

IS学園がどんなものなのか、その規模、設備、建物の大まかな構造。

そういった基礎的なものをゆっくりと説明していった。

その中で、自分は清掃員として学園に雇われることも知らされ、その仕事内容も教えられた。

殆どはあらかじめ知っていた「知識」と同じだったので特に気にすることもなかったが、一つだけ気になることがあった。

 

「それで、お前の部屋なのだが…教員棟の一室を使うつもりだ。 今すぐそこに案内しよう」

 

「…待ってください、僕はそんなところに住みたくありません」

 

彼は自分が住む所が気に食わなかった。

自分は可能な限り他の人との接触を避けたいのだ。

それなのに人の出入りが激しい場所で暮らしたくなど無かった。

 

「…ならば、一体どこならいいんだ? その部屋以上にいい部屋は無いんだぞ?」

 

「…そんなもの望んでいません。 …人がほとんど来ない場所…物置小屋か何処かでお願いします」

 

「なっ!? 確かに倉庫に空き部屋はあるが、とても人間が住めるような場所ではない。 すまないが諦めてくれないか?」

 

申し訳なさそうにそう言ったが、岡山は特に気にせずズリズリと足を引きずりながら歩き続けた。

 

「…問題…ありません。 少なく…とも…今までの所より…マシなら…生きていけます…」

 

「ッ! す、すまない…嫌なことを…思い出させた…」

 

織斑千冬は顔を伏せながらそう言ったが、岡山からしてみればお門違いであった。

むしろ、今こうして織斑千冬が傍いることが彼にとって苦痛になっている。

 

「…良いです、別に…。 早く案内してください、その空き部屋に」

 

「わ、分かった。 では私におぶさってくれ、運んで行こう」

 

そう言って彼女は彼の前で屈んで見せた。

しかし、それも彼は無視して自分で歩いていく。

 

「ま、待て岡山。 杖で歩いていくよりも、私が運んだ方が速いだろう」

 

「遅いとか…関係ないです…貴方には、触られたくないです」

 

「お、岡山…」

 

そう言い捨てると、織斑千冬はもう何も言えなかった。

涙がこぼれそうになるのを堪え、彼の前に進むと部屋まで案内していった。

 

 

 

 

 

一時間半経ち、彼はようやく部屋に着くことが出来た。

まだ授業中だからということもあってか、周りに人の気配は感じない。

着いた部屋は、織斑千冬が言っていた通り人間が住んでいいような場所ではなかった。

四畳ほどの一間のみで、本当にただの物置部屋のようである。

 

「………」

 

「ここが、先ほど言っていた空き部屋だ。 言った通り、とても住めた場所ではないだろう? さぁ、別の部屋に案内しよう」

 

そう言って彼に移動することを促すが、彼は全く動かない。

それどころか…。

 

「………これでいい、ここに住みます」

 

「なっ!? 本気なのか岡山…いや、分かった。 最低限の家具を移動させよう…これだけは受け取ってくれ、頼む」

 

彼女はもう彼に説得は通じないと悟り、彼の言葉を肯定した。

だが、何かをしたいのか先ほどからずっと岡山をちらちらと見ている。

 

「…分かりました、じゃあ僕はこれで」

 

「ま、待て岡山…」

 

「…何も、言うことはありません。 さようなら…」

 

そう言って彼はドアを閉めようとした。

しかし、それを織斑千冬が止めて部屋の中に入り、彼の手を握った。

岡山は彼女に対して怒りしか持ってはいないのだが、過去のトラウマのせいで彼女が近づくだけでも震えが止まらないでいた。

しかも部屋の狭さもあってか先ほど以上に距離が短くなっている。

そのせいで呼吸も不規則になってきている。

 

「待ってくれ、岡山。 …お前に、ずっと言いたかった…」

 

「…な、なんです…か…。 はぁっ、く…出て行って…下さい…」

 

苦しそうに言う彼を見て、織斑千冬はハッとなって手を放した。

 

「す、すまない…手短に済ませるから…。 岡山、お前が居なくなったあの日の夜…私は…見たんだ」

 

「…なに…を…ですか…?」

 

「…お前の日記だ…。 安心してくれ、アレは私しか見ていない。 見た後は焼却もしてる、誰の目にも入らない」

 

ソレを聞いて、岡山はやっと自分が犯した過ちに気付いた。

アノ日記には、自分の恨みだけでなく転生の事も書いていた。

つまり、彼女は自分のすべてを知っているということだ。

 

(…最悪だ、よりにもよってこの女に…僕は…)

 

「お前がどういう人間で、私たちがどういう存在なのか、よく分かった。 読み始めたころは信じられなかったが…未来の事も書いてあって…信じることにした」

 

「…そうですか…」

 

だからなんだ、岡山は彼女を睨みながらそう思った。

結局、この女はどうしたいのか全く分からないのだ。

また自分を痛めつけたいのか、それとも自分を珍獣として売りたいのか。

 

「あ、安心してくれ。 誰かに言うつもりは毛頭ない、死んでもこの秘密は守り続ける。 …それで、今までの事なんだが…」

 

彼女はそう言っているが、当の岡山は信じることなどできなかった。

それほどまでに、彼女は岡山にとって害悪でしかない。

 

「あの日、私がお前に何をしてきていたのか…ようやく理解した。 どれほどひどいことをしていたのか…」

 

「………」

 

「もうお前に何かを言う資格もない事くらい分かっている…でも、答えて欲しい。 今まで、何処にいたんだ? 何をしていたんだ?」

 

真剣な目を向けて彼に聞いた。

そんな彼女の眼光は岡山にとって凶器でしかなく、目を合わせずに何も答えない。

 

「………」

 

「ずっと、ずっと心配していたんだ…。 お前は、私のせいで片手と片足が動けなくなった。 碌に財産もないのにそんな状態で消えてしまって…本当にすまない…」

 

普段の彼女を知る者なら、今の織斑千冬を見たら偽物だとさえ思ってしまうだろう。

それほどまでに、彼女は憔悴していた。

いつもの凛とした態度など取れず、ただ目の前にいる男に懺悔し続ける。

 

しかし、岡山はそんなことを許しはしなかった。

 

「…黙れ」

 

「岡山…?」

 

「黙れと言ったんだ! いいか、お前が俺に何を求めているかなんてもうどうでもいい。 こんな檻のような学園に連れてきて、今度は何がしたいんだ!」

 

彼の豹変に織斑千冬は面食らい、何も答えることが出来ない。

 

「見たんなら分かるだろ、ここは僕の世界じゃない…ここじゃ僕はただ食われるだけの弱者なんだよ。 お前にも、篠ノ之束にも、僕は…ずっと」

 

「岡山、落ち着いてくれ。 私はお前に何かをしてほしいだなんて思っていない。 もうお前に無理をしてほしくない。 そう思っているだけなんだ」

 

「ッ!? 勝手に見下してんじゃねぇ!! お前等はそれが普通なんだろうよ、でも僕には選択肢なんてない。 どこに居ても、結局は押しつけられて…奪われる」

 

だから、と。

彼は彼女を「見て」言葉をつづけた。

 

「もう、逃げるのは止めた。 でも、立ち向かうのも止めた。 お前がこの学園に住めって言うなら、それに従う。 …でもそれだけだ。 お前の謝罪も、何も聞かない」

 

支離滅裂な言動。

しかしその言葉は織斑千冬の心に深々と刺さり、一切の反論を許さなかった。

 

そうして数分の沈黙が流れ、岡山は彼女に「出ていけ」と言い、冷たい床に寝そべるともう何も言わなくなった。

彼女ももう何も言及しなくなり、「何かあったら連絡してくれ」と彼の横に小型の携帯を置いてその場を去った。

 

 

 

ドアを閉める音、そして足音が遠くなっていき完全に消えたその時、彼は横にあった携帯を叩き壊した。

 

 

 

 




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悪意

無知な善意は、彼の心臓を貫く。


悪意

 

「フフ、アハは…」

 

機械しか無い部屋で少女は笑う。

 

「えへへ…ンフフ…」

 

狭い部屋、四方のどこを見ても機械しか見えない。

そこでは彼女は女王である。

そしてその「城」にいる限り、彼女は他の干渉を一切受け付けない。

 

「フフ、かーいいなー。 惨めで…負け犬だなぁ…クスクス」

 

そんな彼女の目の前には無数の液晶画面が存在していた。

画面は世界のありとあらゆる場所を映している。

日本だけでなく、アメリカ、中国、イギリス、ドイツ、フランス…その他の全ての国の隅々まで、彼女は画面を通して見る事ができるのだ。

 

そんな場所で、彼女はたった一つの画面を見ていた。

その画面は薄汚い部屋を映している。

そこには人間が生きていくために必要最低限の家具しか無く、娯楽や趣味の類は一切見えない。

彼女も部屋そのものには何の興味も無かった。

 

彼女が見ていたのはその部屋の中心、ボロボロの布団の上で眠る一人の男であった。

男は右腕を庇うように丸くなっており、何か悪夢を見ているのかガタガタと震えながら涙を流していた。

眉間にも皺を寄せ、見るに絶えない様子である。

少女はそんな男を、頬を染めながらウットリと眺めて笑みを零していたのだ。

 

 

 

「フフ、おかえり。 たっちゃん…アハは」

 

 

 

少女、篠ノ之束は画面の男である岡山太一を見てそう呟いた。

 

そんな彼女の見る液晶の隣には、沖縄地方にあるとあるホテルや小汚い路地裏を映す画面が存在していた。

それが意味する事は…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お化けが住み始めた?」

 

ある日、昼放課に織斑一夏は幼なじみである篠ノ之箒の言葉にそう答えた。

 

「あぁ、友人の一人が言っていたのだ。 お前も聞いた事くらいはあるだろう? 誰も住んでいない筈の校舎外れの物置小屋…その一室に数日前から見るに絶えない化け物が住み始めた、と」

 

「…化け物って…確かにこの前千冬姉が、清掃員が新しく入ったって言ってたけど…なんでお化けなんだ?」

 

「なーんか、顔が死にきってて気味が悪いから、みんな嫌ってるらしいわよ。 クズとかキモイとか、好き勝手言って虐めてるって聞いてるわ」

 

二人が話している中、彼の第二の幼なじみである凰鈴音が唐突に話しかけていた。

彼女は二人の間に割って入り、織斑一夏に軽く挨拶をする。

 

「なっ、お前はなんで平然と他のクラスに入ってくるんだ!?」

 

篠ノ之箒は彼女を少し敵視している。

凰鈴音は一度、クラス代表戦で織斑一夏と激戦を繰り広げたのだが、その時のあらましを全て知っているために、彼女を恋敵として認識しているのである。

 

「何よ、別に話くらい入っても良いでしょ? それで、さっきの話なんだけどね…どうやらその清掃員、男らしいのよ」

 

「男? そりゃまたなんで…」

 

IS学園はその特殊さゆえ男子禁制の学園となっている。

例え清掃員や料理人であろうとそれは例外である筈だ。

ただ一人、世界で唯一ISを動かせる織斑一夏を除いて。

 

「さぁね、理由は分からないわ。 ただ、さっきも言ったけどそのおかげで生徒達からは酷い差別を受けてるそうよ。 しかも、その清掃員片腕が動かないみたいで…足も一本動かないそうよ。 その事も相まって…最悪らしいわ」

 

「………腕が?」

 

凰鈴音が説明をする中、織斑一夏は彼女のある一言が気になった。

片腕が動かない。

その言葉が妙に引っかかったのだ。

 

そして思い出す、まだ自分が小学生だった頃に、姉である織斑千冬が一度だけ紹介してくれたとある男を。

食事の時には、姉はいつもその男の事を話していた。

その時の姉はとても嬉しそうで、楽しそうだった。

 

確か名前も覚えていない彼も、右腕が動かず死んだ様な目をしていた。

その姿が怖くて、ろくに挨拶も出来なかった事を覚えている。

ある日、突然道場で奇声をあげた後に入院し、そのまま失踪したと聞いたが…。

思えばあの日から姉は時々情緒不安定になり、謝罪の言葉を言い続ける時があったのだが…何か繋がりがあるのだろうか?

 

(あの時、千冬姉は男の人に対して「今は疲れているだけだ、すぐに治る」とか言ってたけど…もしそれが違っていたら…)

 

そんな事を考えていると、担任である織斑千冬が教室に入って来た。

時計を見ると、まだ授業開始まで15分程時間がある。

 

「あっ、ちふ…織斑先生。 今日はいつもより来るのが早いんですね」

 

「あぁ、用があって近くまで来ていたのでな…そのまま教室に来た」

 

「そうですか…そうだ、織斑先生。 少し聞きたい事があるんですけど…」

 

織斑一夏は織斑千冬の前まで歩くと、彼女に質問を投げかけた。

彼女は特に気にする事も無く、教卓に資材を置いて質問を聞こうとする。

 

「なんだ? 前の授業で分からない所でもあったのか?」

 

「いや、違うんです。 最近やって来た新しい清掃員のことなんですが…俺って前に、その人にあった事があるんじゃないかな…って」

 

 

 

その時、彼女の手がピタリと止まった。

目を見開き、持っていた出席簿を落としてしまった。

 

「…織斑先生?」

 

「っ、いや、何でもない。 大丈夫だ…」

 

口ではそう言っているが、彼女は明らかに様子がおかしかった。

そんな姉を見て、織村一夏は確信した。

 

「織斑先生…いや、千冬姉。 教えてくれよ、あの清掃員は何者なんだ、なんでここにいるんだ?」

 

「ふ、深い事情は無い。 ただ、偶然…」

 

「そんな筈ないだろう! ただの偶然で千冬姉が言葉を詰まらせるなんてあり得ない!」

 

「い、一夏…」

 

彼の真剣なまなざしに何も言えなくなり、彼女は遂に折れてしまった。

 

「…分かった、全て話す。 …授業の始まり、全員が集まった時にな」

 

「あら、織斑先生。 今日はお早いので…あら?」

 

そう言うと、彼女は「顔を洗ってくる」と言い、フラフラと教室を出て行った。

織斑一夏はそんな彼女を止める事などできず、傍にいた篠ノ之箒も凰鈴音も。

そして入り口ですれ違ったセシリア・オルコットは挨拶をしたが彼女の異常さに気付いて言葉を詰まらせ、その他の誰も彼女に声をかける事が出来なかった。

 

 

 

 

 

数分後、チャイムが鳴って授業の時間を知らせる。

欠席者は一人もおらず、全員が自分の席に座っている。

 

「さて、全員集まったな…今回授業は進めず、ある男の話をする。 重要な話だ、よく聞いて欲しい」

 

そう言って、彼女は今までの事を話した。

彼女が岡山と言う人物にどういう事をしてきたのか。

そして彼がどうなったのか。

空白の期間の後、彼がどのような状態であったのか。

彼女が説明できる事を、全て話していった。

 

生徒達は誰も言葉を発せなかった。

後悔の念を言い続ける彼女にいつもの輝きを見出せず、どうしたら良いのかも分からなかったのだ。

 

「…これが、岡山という人物の全てだ。 …私はアイツのことを何も考えず、自分勝手に暴力を振るい、その人生を壊したんだ。 私に出会わなければ、彼はもっと違った人生を歩めたのに…それを、私が…」

 

そう言いきる前に、遂に彼女は涙を流した。

止めようと思っても、その思いが邪魔をして止められない。

顔を伏せて手で口をおさえ、肩を振るわせて嘆いた。

 

「…顔を上げてくれよ、千冬姉」

 

そんな中、織斑一夏が口を開いた。

その声を聞いて彼女は恐怖した。

自分の過ちを聞いて、恐らく弟は自分を軽蔑するだろう。

今まで尊敬していた姉は、ただの暴力女だったのだ。

どんなことを言われても、文句など無かった。

 

しかし、弟から返って来た言葉は違った。

 

「…千冬姉は、ずっと後悔していた…そうだろ?」

 

「………」

 

「あの人が町からいなくなって…その時から千冬姉は寝込む時があった…何回も何回も…。 その時、決まって千冬姉はずっと謝り続けていた。 ずっと、謝りたいって思ってたんだろ?」

 

「私は…」

 

弱々しく答える姉に対し、織村一夏は立ち上がり目の前までやって来た。

 

「消える前、岡山さんの事を話す千冬姉は本当に楽しそうだった。 その時の顔だけで分かる、千冬姉に悪気なんてなかった」

 

「だが、悪気があろうと無かろうと…私は…太一に…」

 

「千冬姉はあの人と仲直りしたいんだろ? 今は無理でもさ、説得していこうよ。 それで償っていけば良い…どんなことをしてでも…またあの人が笑えるようにするんだ」

 

「一夏…」

 

呆然と自分を見つめる姉に背を向け、クラスメイトに向かって投げかける。

 

「みんな、今言った通りだ! 頼む、千冬姉の仲直りに手を貸してくれ! このままの状態が続いたらあの人も千冬姉も幸せになんてなれない…だから、俺は二人を助けたい!」

 

大声で織斑一夏はそう宣言した。

そんな彼に対し、全員が拍手で応える。

篠ノ之箒は無言で頷きながら、オルコットは涙を流して感激しながら。

その場にいる全員が、織斑一夏の、そして織斑千冬のために協力する事を決めたのだ。

 

 

 

 

 

ただ一人を除いて。

 

 

 

盛大な拍手が鳴り響く教室の外で、岡山太一はその全てを聞いていた。

彼は、ただズリズリと足を引きずって歩いていった。

唇を血が流れる程強く噛み締め、悔しさに涙を流して歩いた。

 

「………畜生が………畜生がぁ…」

 

誰も自分を理解してくれない。

そんな無慈悲な世界を憎み、ただ呟き続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数日後、世界はとあるニュースでにぎわっていた。

その内容は「第二の男性IS操縦者」である。

織斑一夏だけだと思われていた男の操縦者が、フランスから見つかったのだ。

その者はすぐさま保護下に置かれ、IS学園に送られたという。

 

「…ここに、織斑一夏がいる…父様の言っていた…標的…。 ………母さんが言っていた…あの人も…」

 

第二の男性操縦者、シャルル・デュノアは校門の前でそう呟いた。

瞳は濁りきり、うっすらと笑みを浮かべて歩みを続ける。

その姿は、亡霊のようであったという。

 

千切れた糸は再び繋がり、もう二度と解ける事は無い。

解くことなど出来ない。

 




ご感想、ご指摘がございましたら、よろしくお願いします。


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強欲

彼は、飲み込まれる。


強欲

 

私があの人を初めて見たのは、あのホテルの部屋の中から…鍵穴越しだった。

いつものように、母さんがくれた玩具で遊んでいると、外から声が聞こえたんだ。

母さんの声、でもいつもと違った。

 

(なんだろ…すっごく楽しそう)

 

母さんは、物心がついた時からずっと沈んだ顔をしていた。

作り笑いをすることはあっても、本当の笑顔を見せる事が無かったんだ。

それは「あの男」の近くに居た時もそう。

だから、あの母さんが楽しそうに話している事がすごく気になったんだ。

 

でも私は外に出ちゃ行けなかったから、つい鍵穴越しから見ようとした。

それであの人を見たんだ。

最初は怖かった、服に隠れていない部分は傷だらけ、しかも右足を引きずるように歩いていたその人は、昔母さんが見せてくれたホラー映画に出てくるゾンビのようだったんだ。

だけど母さんは、そんなゾンビさんとお話ししていて、すっごく楽しそうだった。

あんな綺麗な笑顔、私も見た事がなかった。

 

 

 

その夜、お仕事から帰って来た母さんにその人が誰なのか聞いた。

 

「ねぇ、母さん」

 

「ん? なぁにシャル」

 

帰って来た母さんはとても上機嫌だった。

 

「さっきね、鍵穴から外を見てたんだけど…母さんが楽しそうに話してた人って誰なの?」

 

「っ、み、見ちゃったんだ…そっかぁー…」

 

母さんはマズい事がバレたというより、気恥ずかしそうな顔をした。

 

「あの人はね、太一さんっていうの。 一ヶ月くらい前から来た人でね…とっても優しい人なのよ」

 

母さんは優しく微笑み、私を抱きしめてそう言った。

その温もりはいつもより優しく、温かかった。

 

「…私達がデュノア様のもとを離れて数年…やっと自分を見せても良いって思える人に会えたの。 …最初は変な人だなって思ってた…でもね、私はあの人の中に光が見えたの」

 

「光…?」

 

「そう、光。 多分、この世界のどこを探しても無い…あの人だけが持つ光。

それに私は惹かれたの」

 

私の頭を撫で、母さんは天井を見上げながら話を続ける。

光…か…私はあの人にそんなもの感じなかったんだけどなぁ。

 

「勿論それだけじゃないわ、あの人の笑顔、仕草、そして優しさ…全てが好きで…愛しいのよ。 貴方の前じゃ隠していたけどね」

 

見ると母さんの顔は真っ赤に染まっていた。

その顔は青春まっただ中の乙女のようで、思わず娘の私が見蕩れる程だった。

 

「でも、ごめんねシャル。 まだ貴方の事を言えないの…怖くって。 今もあの人には同い年だって偽って一緒にいる。 その全てを言って…今までの関係が壊れてしまうのが、とても怖いの。 こんな臆病な私を許して…」

 

「…いいよ、分かってる。 …そもそも、私が生まれなければ母さんはこんな所に来なくて済んだのに。 それでも私を娘だって愛してくれる…それだけで十分なんだ」

 

「シャル…!」

 

母さんは私の一言に感極まって強く抱きしめた。

それに私も応えるように強く抱きしめた。

そっか、あの人が母さんの恋人…母さんに本当の笑顔をあげた人。

 

私の…本当の父さんになってくれる人…か…。

 

 

 

それから私は太一さんをよく見るようになった。

鍵穴からは勿論、ベランダからもよく見ていた…一回通気口から外に出ようとした時は。バレてものすごく怒られたけど。

何度もあの人を見て、母さんが好きになる気持ちがわかるようになった。

あの人は確かに綺麗じゃない、お金だってあるわけじゃない。

 

でも、その中にある優しさが感じられたんだ。

クシャって笑うその顔は、僕は凄く可愛く思えた。

その動きの一つ一つがすごく人間臭くて、暖かみを感じた。

 

母さん達が二人で庭を歩いていたときもそうだ。

太一さんは母さんと手を繫いで、顔を真っ赤にしていた。

母さんも真っ赤、本当にできたてのカップルだよ。

 

その時。

 

(あ、キスした。 …うわぁ、母さん大胆だなぁ)

 

母さんが太一さんにキスした。

太一さんは只でさえ赤かった顔をさらに赤くさせ、クラクラと頭を揺らしていた。

…もしかして、のぼせちゃったのかな。

 

 

 

そう思っていたとき、手に何か違和感を覚えた。

 

 

 

痛い、見てみると右手の甲から血がにじみ出ている。

どうやら左手の爪で抓っていた様だ。

 

(あれ? なんで? 私、なんでこんなことしてたんだろう…どうしてだろう?)

 

どれだけ考えても答えは出ず、その日の夜は転んで擦りむいたと言って誤摩化した。

それから数日、やっぱり答えは出ずに悶々とする日が続き、母さんと太一さんが仲良くしているのを見るたびに同じ事をしていた。

多分、母さんを笑顔に出来た太一さんに嫉妬していたんじゃないか、結局納得できる答えが出なかったから勝手にそう考えて終わらせた。

 

 

 

でも、今だからこそ分かる。

僕があの時、なんであんなことをしてしまったのか。

僕が嫉妬していたのは、太一さんにじゃない。

その隣にいる人に、だったんだ。

 

つまり、僕は…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日、岡山はいつもより一時間も早く目が覚めた。

 

(…なんだろう、遅く起きるのはよくあるけど、早く起きるなんて初めてだ)

 

何か嫌な事が起きるかもしれない、しかしよくよく考えれば今以上の最悪などないだろうと思って上体を起こした。

 

「はぁ…」

 

そして「綺麗すぎる」周りを見てため息をつく。

本来この部屋は誰も寄りたくないと思う程汚い部屋であった。

しかし、ある人物が突然この部屋に入り、勝手に掃除していってしまったのだ。

 

「織斑…一夏………くそっ」

 

その「ある人物」である織斑一夏のことを思い出し、思わず悪態をついてしまった。

 

 

 

 

 

数日前、彼はいきなり複数の女生徒を引き連れて岡山の部屋にやってくると、両手をついて岡山に話しかけて来た。

 

「岡山さん、俺の話を聞いて下さい!」

 

「な、なん…ですか。 僕は、貴方の…ことなんて…知りません」

 

「あっ、すいません。 俺の名前は織斑一夏っていいます。 …貴方に消せない傷を与えてしまった、織斑千冬の弟です」

 

分かっている、岡山は内心そう呟いた。

岡山は彼の事を、そして彼の周りの人物の事を良く知っている。

故に、気が気で無かった。

 

(なんで、あの女の弟…しかも主人公が…嫌だ。 今度は何が起きるっていうんだ…)

 

そう思い、岡山は織斑一夏を怯えるように睨んだ。

しかし、そんな威嚇程度で織斑一夏が怯むワケも無く、そのまま話を続ける。

 

「貴方がどれだけ千冬姉を憎んでいるかは分かっている。 でも、千冬姉もずっとそのことで悩んで来てたんだ…謝りたいって思ってたんですよ!」

 

「だ、だから…なんなんで…すか…」

 

いきなり熱弁をし出した織斑一夏を前に、岡山はあまり彼を刺激しないように言葉を返した。

 

「だから、千冬姉を許して欲しいんです! 今はまだ無理でも…少しずつ、姉の事を!」

 

到底、快諾などできないことだった。

岡山が彼女や篠ノ之束に抱いている感情は怒りと恐怖のみ。

しかも一回や二回の出来事で生まれた事ではなく、何年も続いた苦しみに寄るものである。

さらに二度と戻らない傷を与えられ、何もかもを壊されたのだ。

 

そんな織斑千冬を許す。

それは今の彼の存在を全否定する申し出だった。

 

本当なら「ふざけるな」と言って殴り飛ばしたい所だ。

「知った事か」と言って終わらせたかった。

しかし。

 

 

 

「…分かり…ました…。 少しずつ…考えていきます」

 

 

 

「ほ、本当ですか!?」

 

そう答えてしまった。

自分の全ての考えを度外視し、機械的に即答したのだ。

 

恐怖したのだ。

今、彼の目の前に居るのは織斑千冬達とは全く違う異質。

「世界の中心人物」ではなく「世界の中心そのもの」なのだ。

その認識が、彼に反抗的な態度をさせなかった。

この世界の中心、織斑一夏に反抗した後、次になにが自分に降り掛かるのかまるで分からなかったのだ。

 

どこまでも普通な彼は、どこまでも異常な彼に逆らえなかった。

ただ、それは口上でのみの事、本当は許すつもりなど微塵もない。

今この場を乗り切れればソレで良い、そう思っての行動だった。

早くいなくなれ、そう願い続ける。

そんな姑息な行動をとらざるを得なかった。

 

(くそっ、くそっ。 もう何もしないって決めたのに…はは…もうどうでもいいか)

 

そして、ソレさえも諦めた。

これから、織斑千冬も頻繁に此処に来るのだろう。

その度に適当な事を言う。

そんなことをしなくてはならない状況に、自分から落ちてしまったのだ。

 

その後、織斑一夏たちは彼の汚すぎる部屋を掃除しだし、丸一日かけてピカピカにして帰ってしまった。

そのせいで、部屋を見るたびに結局世界に抗えなかった情けなさを思い出し気分が沈むのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、すいません」

 

 

 

そんな時、部屋を訪ねる者がいた。

その声を聞いて、彼はいつものような憂鬱な気分ではなく、言いようも無い不思議な気持ちになった。

 

(なん…だ…? 聞いた事ない筈なのに…)

 

普段なら居留守をしても構わなかったが、とりあえず出ようと思った。

出なくてはならない気がしたのだ。

 

「…はい、誰で…す………え?」

 

扉を開けようと立ち上がった瞬間、扉が勝手に開いた。

その訪問者を見て、彼は言葉を失った。

目の前に現れた存在、それは彼にとって懐かしく、淡く、愛しく、そして二度目の挫折を教えてくれた者。

この世の理不尽さを今一度叩き込んだ者。

 

 

 

「…はじめまして、なのかな。 うん、はじめましてだよね、太一さん」

 

 

 

かつて自分の目の前から去っていった、エレンがそこにいたのだ。

 

「…エレー…エレン…?」

 

彼は思わずそう呟いてしまた。

しかし、ソレと同時に不思議に思う。

若い、若すぎるのだ。

彼女は見た目以上に年を取っている事は知っている、しかし目の前の女はそれ以上に若く見えるのだ。

 

「あはは…やっぱり母さんと間違えちゃうか…えっとね、ボクはエレン・デュノアの息子、シャルル・デュノアだよ」

 

快活に笑いながら彼女はそう言った。

ソレを聞いて彼は瞬時に思い出す。

そして体を震わせ己の過ちに気がついた。

 

(しまった…デュノアって名前で思い出すべきだったんだ…。 エレンの子ども…つまり愛人の子どもは…シャルロット・デュノア…!)

 

自分の事を男と偽るこの女は、確か織斑一夏の情報を盗むためにここに来たと記憶している。

そして途中で彼に女である事がバレ、逆に懐柔されたはずだ。

そんな彼女が、今更なんで自分の目の前に来たのか。

 

「ふーん、一夏の言う通りだね。 こんな狭い所に住んでたんだ…」

 

部屋を見渡しながら部屋の中に入り、心底楽しそうに笑っている。

こう見ると、本当にただの高校生に見えた。

 

「…何が…目的なんで…すか…?」

 

「え? 目的なんてないよ? ただ貴方を一目見たかったなーって思って」

 

「う、嘘だってことくらい…僕でも分かります。 …ここには、貴方の欲しがるものは…ない。 女である事を隠して…行くべきなのは織斑の方だ…」

 

そう言って、彼はまた自分の過ちに気付いた。

ただの清掃員である筈の自分が、なんで「彼女の欲しがるもの」を知っているんだ?

いくらでも言い換えることが出来た筈だ、いくら何でも馬鹿すぎた。

 

「あの………ッ!? ひっ!」

 

とっさに何かを言おうと彼女を見たとき、思わず声をあげてしまった。

彼女はこちらを見て、裂けるように口を歪ませ笑っていた。

先程の少しの時間での彼女はもうなく、狂った化け物がそこにいたのだ。

 

「………ふーん、お見通しなんだ。 はは、少しでも芝居したのが馬鹿だったね」

 

一切の優しさを無くし、彼女はそう言った。

 

 

 

 

 

「ひ…はぁ…」

 

「あはは、何その情けない声。 ………そんなだから、お前は母さんを守れなかったんだ」

 

ゆっくりと、彼女は岡山のもとへと行く。

岡山は後ずさろうとするが、とっさの事で上手く出来ない。

 

「ひぃ、ひぃ…うあぁ」

 

「…あの後、母さんと私がどんな扱いを受けたか教えてあげようか? 帰った後、私と母さんはあの男の慰め者になった。 アイツがヤりたいって思ったとき、何処に居ようといつでも犯されたんだ。 まったく、ロリコンじゃないんだから…フフ」

 

狂った笑みを浮かべ、彼女は淡々と述べていく。

止めろと言いたくても、岡山は上手く声を出せずにもがいている。

聞こうとせずに耳を塞ごうとするが、片腕しか動かない彼にとってそれは不可能な事だ。

 

「私達が運ばれるとき、母さんはホテルの入り口で倒れる貴方をずっと見ていたよ。 飛行機に乗った時にはずっと貴方の名前を呼んでた。 どんな酷い扱いを受けても、ずっとずっと貴方の名前を…だからなのかな。 母さん、いきなり壊れちゃったんだよね」

 

そう言って、彼女は笑いながらビデオカメラを目の前に置いた。

ソレを見て、岡山は血の気が引いた。

嫌な予感しかしない、これを見たらきっと後戻りできない。

 

「や、やめ…」

 

「やめないよぉ。 これはお前が見なくちゃいけない罪だ。 その目をしっかり開いて見ろ」

 

そう言って、彼女はスタートボタンを押した。

 

 

 

 

 

そこには、簡素な部屋でベッドに横たわるエレンが居た。

 

『母さーん、こっち向いてー』

 

そこにデュノアの声が聞こえた。

恐らく、録画しているのは目の前の娘なのだろう。

エレンはデュノアの呼びかけの応じて、上体を起こしてビデオの方を見た。

 

『あら、おはようシャル』

 

『うん、おはよう母さん。 今は何をしてたの?』

 

そう言うと、エレンは近くのテーブルに立て掛けていた写真立てを手に取り、顔の近くに寄せ…。

 

『フフ、お父さんと一緒に寝てたのよ』

 

幸せそうにそう言った。

 

『そっかー、ねぇ、私の父さんって…誰なのかな?』

 

『えぇ? 何を今更そんな事を言ってるのよ。 お父さんの事を忘れちゃダメでしょ? ねぇ、貴方もなんとか言ってよ…』

 

そう言って、エレンは持っていた写真をウットリと見つめた。

 

 

 

『貴方のお父さんはこの人、太一さんでしょ? 忘れちゃダメじゃない、太一さん傷つきやすいんだから…泣いちゃうわよ? フフ…』

 

 

 

写真を優しく撫で、淀んだ目をしながらそう言った。

そんな彼女の顔には生気がまるでなく、数年前の彼女と同じとは思えない程である。

 

『なぁに、太一さん? フフ、そうね。 貴方は泣き虫なんかじゃないわ…優しくってかっこ良くって…いつでも私を慰めてくれる…昨日だって………あれ?』

 

そんな時、彼女に異変が生じた。

昨日の話をしだした途端、彼女は震え出して写真を落としてしまったのだ。

 

『あれ…? 昨日、私は…デュノア様に…ち、違う。 私は今までずっと太一さんと一緒に…でも、あれ? あれ? アレエェェぇぇぇエエエエ?』

 

人形のように首をだらりと下げ、瞳孔が開いてしまっている目で周りを見渡す。

必死に何かを探している様だ。

 

『太一さん? どこ? どこにいるの? なんで返事をしてくれないの? さっきまでソコにいたじゃない。 太一さん!? どこなの!? シャル、太一さんが…お父さんがいないの! 声が聞こえないのよ! いや、いやぁっ! 私は汚くない! 私はぁ! いやぁぁぁあああ!!!』

 

 

 

 

 

ソコでブツリと映像は途切れた。

デュノアは映像が終わるまで岡山の瞼を掴み、目を閉じる事を許さなかった。

彼は何も出来ず、エレンがどのような結末を辿ったのか、それを見る事になってしまった。

 

「…あの後、母さんは持病が再発して死んだよ。 やっと逝けるって感じでさ…憎らしいくらい穏やかだったよ。 確か、最後の言葉も「太一さん、助けて」だったかな。 あの時の父様の顔、お笑いだったよ…アハは」

 

「…持病?」

 

「あぁ、知らなかったっけ? 心臓の病気だよ。 父様に酷い事されなかったとしても、早いうちに死んでたんじゃないかな?」

 

それで、と。

彼女は岡山の首を絞めて顔を近づけた。

 

「ぎ、あぁ…」

 

「貴方はどう思ったかな? 貴方が何も出来なかったせいで私達は散々な目にあった。 それに関して、どう思ってるの?」

 

「ゴホッ…や、やめて…」

 

「止めないよ。 お前のせいで母さんは精神を壊した。 こんなことなら、お前なんかに会わなければ良かったんだ!」

 

彼女はさらに手の力を強め、彼の首をユラユラと揺らす。

 

「ぼく、僕だって…助けたかった…。 その手を掴みたかった…でも…でも」

 

「何? この期に及んで言い訳? ホント、何処まで経っても弱っちいんだね、貴方は」

 

「ち、ちが…僕は…僕は………ああアアァァアぁぁぁぁアアアア!!!」

 

「狂って逃げるな!! この弱虫が!!!」

 

右手にISを出現させ、それで彼の頭を思いっきり殴った。

彼女は岡山の狂気すら許さなかったのだ。

精神が壊れる事も許されず、彼は強引に現実に戻される。

 

「あぐ、ぐぁ………。 じゃあ、僕は…どうしたらいいんだよ…」

 

「………」

 

「償いたい、出来る事なら彼女に謝りたい。 でも、彼女はもう居ないんだろ? じゃあ、どうしたら良いって言うんだ………」

 

力なく倒れ、涙を流しながらそう呟く。

その姿は極めて惨めで、まさしく負け犬であった。

 

「………簡単だよ、太一さん」

 

そんな彼を、デュノアは次に優しく抱きしめた。

まるで彼女が過去に母親からしてもらったように、彼を優しく抱擁する。

 

「今、私を助けてよ。 それが、母さんへの償いにもなるんだよ。 母さんの娘である、この私を…」

 

何度もそう言い聞かせ、それを岡山は聞き続けた。

真っ白な頭の中で、「シャルロットを助ける」という言葉だけが生まれていき…。

 

 

 

完全に形を成した。

 

「…どうしたらいい? 何をしたら、償いになるの…?」

 

「簡単だよ、太一さん」

 

ソレを見てデュノアはニヤリと笑う。

彼女がこの学園に来る前、父親から言われていた「計画」の成功を確信したのだ。

そして、彼女は岡山の耳元で最後の言葉を言った。

 

 

 

 

 

「織斑一夏の情報を、織斑千冬から盗んで来て」

 

 

 

 

 




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怨念

世界の流れを壊し、崩れる。


幸福

 

[転送ファイル確認 code:織斑 一夏 code:白式]

 

「………」

 

 

 

 

 

[対象ファイルをコピーします …残り36秒]

 

「………」

 

 

 

 

 

[コピーが完了しました 端末を取り出して下さい]

 

「………」

 

 

 

 

 

真っ暗な職員室、そこに岡山太一はいた。

眼に光は無く虚ろで、まるで誰かに操られているかのようだ。

たった一つ、「彼女」の形見である少女を助けるために。

それで許されると本気で思い込んで、だ。

 

「…できた」

 

まるで機械のように無機質な動きでメモリースティックを取り出すと、彼はそのまま職員室を出ようとする。

今の時刻は夜の0時、生徒たちの消灯時間はとうに過ぎ、職員たちも寝てしまっているはずの時間だ。

そんな時間に、彼はそこに居たのだ。

 

「…早く、シャルロットに…」

 

たった一つの贖罪のために、一歩間違えれば極刑になりかねない。

それはそうだろう、彼が盗もうとしたのは世界でたった一人の人物の詳細なデータ、及び彼が使用するISの機密事項なのだ。

DNAは運よく部屋に落ちてたアイツの髪の毛で良かったが、それ以外はデータを盗む以外に知る方法が無かった。

 

(これで…償える…エレン…僕は…)

 

「ふふ…えへへ…」

 

気味の悪い笑みを浮かべて、いつものように松葉杖を使ってゆっくりと歩みを進める。

このまま部屋に戻り、デュノアに渡せば完了だ。

これでエレンを救うことになる、やっと彼女を助けられる。

未来永劫そんなことは無い筈なのに、彼はそう思って笑みを浮かべる。

歪みきった感情、それを胸に抱いて意気揚々と。

 

 

 

扉を開け、頭だけを出して周りを確認する。

右も左もあるのは闇のみ。

すなわち、自分以外にこの廊下を通る者はいないことになる。

行くなら今だ。

 

「………」

 

無言で、ゆっくりと外に出る。

監視カメラや指紋など、後で調べれば痕跡など山ほど残るのだろう。

しかし、岡山はそんなこと気にしてなどいない。

身分、職業、経歴。

今更何を守るというのだ、そんなものはない。

この場を成功さえすれば、後はどうなろうと知ったことではないのだ。

 

そんな調子で数十分歩き続け、ようやく中間地点あたりまでたどり着いた。

あと半分、歩ききれば終わりだ。

 

そんな時だ。

 

 

 

「…そこにいるのは誰だ…岡山?」

 

 

 

月明かりが射し、自室へ向かう道に織斑千冬が見えた。

彼女は岡山を見るとそのまま歩を進め、それが本当に彼であることを確認した。

 

「やはり岡山か…どうしたんだ? 何か必要なら連絡をくれればなんでも用意する。 こんな時間にこんな所にまで…」

 

「…ただの散歩…です…。 そんな…時…まで…貴方に言わないと…いけないんですか?」

 

「っ…すまない、そんなつもりはなかったんだ。 ただ、こんな暗闇に一人で歩いたら何が起きるか分からない。 だから…」

 

「…そうですね…気を…つけます。 では…」

 

いつも以上に機械的な冷たい返答をして、岡山は彼女の横を通り過ぎようとした。

しかし彼女は何か思いつめたような顔をして彼の道を塞ぐ。

 

「…まだ、何か…?」

 

「い、いや…何でもないんだ…。 …岡山、もう一度聞きたい。 お前は、本当に散歩でここにいたんだな?」

 

「…はい。 もう、いいですね?」

 

「…分かった…気を付けてくれ、岡山」

 

「………」

 

最後、岡山は彼女に返事をせずにまた歩き始めた。

織斑千冬も、もう何も言わずに彼を見送る。

ゆっくりと、ノロノロと歩く彼を悲しげに見ながら、彼女は彼とは逆の方向に歩みを進めた。

 

 

 

向った先は職員室だった。

部屋に着いた彼女は、自分のパソコンを立ち上げて様子を確認した。

 

「………」

 

そして想像していた事が現実のものであったと確信し、力なく椅子に座ってしまった。

一人の生徒と、その者が使うISのデータが写された痕跡があったのだ。

 

「織斑先生」

 

ふと、横から声が聞こえた。

同僚である山田 真耶である。

彼女はいつものような優しげ顔ではなく、真剣な表情を浮かべ織斑千冬を見ていた。

 

「…山田君か。 どうした、こんな時間に」

 

「織斑先生こそ…もう寝ないと、明日に響きますよ?」

 

「分かっている…だが…私は…」

 

対する織斑千冬は弱弱しく、何かに迷っている様子であった。

彼女が他人にこんな姿を見せることなどない…例外を除いて。

 

「…岡山さんのことですね?」

 

山田はそう言うと、持っていた携帯を手に持つ。

「暗部」に電話をしようとしているのだ。

 

「…止めるべきです。 外部に織斑君の情報を渡すことが、どれだけ危険か…」

 

「分かっている。 しかし、彼は…」

 

「貴方が岡山さんに負い目を感じているのは分かっています…でも、それとこれとは別問題です。 これは織斑君だけじゃなくって…全世界に関わることなんですよ!」

 

必死に織斑千冬を説得しようとするが、当の彼女には響いていない。

むしろ、そのことに関してはまるで心配していないようだ。

 

「…そのことなら問題ない。 …見てくれ」

 

「何を言って…。 っ、これは…」

 

彼女の言われるままに画面を見ると、山田は彼女が何を言いたかったのか理解した。

そこには、確かに「織斑一夏」と「白式」のデータを抜き取られた記録はあったが、そのデータは本来のモノとはまるで違っていたのだ。

 

「ダミー…ですか」

 

「あぁ、この学園は情報の宝庫だ。 ソレが詰まった宝箱に…鍵を掛けないバカはいない。 本物は別の所にある」

 

「では、岡山さんは偽物を持って行った…ということですか」

 

「…予感はしていたんだ。 デュノアは他の生徒たちから、岡山のことをこと細やかに聞き出していたからな…。 何かしら因縁があるか…利用するかのどちらかだと思って注意していた」

 

「………」

 

「ISの実習の時、時々外を掃除する岡山が見える時があった…。 その時のデュノアの顔はいつもの純粋なものではなかった。 ドス黒く、歪んだ顔をして…猛獣のような目をして彼を見ていたんだ…データを取った後、岡山に何も仕掛けないとは思えない」

 

「そんなことが…」

 

「あぁ、しかもさっきの岡山の様子…明らかにおかしかった。 操られているような…そんな感じがした」

 

織斑千冬はゆっくりと立ち上がり、職員室を出ようとする。

山田はそんな彼女を追うように出て、真っ暗な道を歩く。

 

「今からどこに?」

 

「…岡山の所だ。 彼の足ならちょうど今部屋に着いた頃だろう」

 

「…分かりました、私も着いていきます。 必要なときは…」

 

「あぁ、よろしく頼む」

 

そんなことを話しながら、彼女たちは急いで物置倉庫に向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………」

 

「あ、おかえり。 …ちゃんと持ってきてくれたんだね、太一さん」

 

自室に戻ると、部屋の隅でデュノアが座っていた。

そんな彼女をかつての恋人と重ねてしまい、また岡山は気が沈んでしまう。

しかし、対するデュノアはそんなことはお構いなしにと彼に近づき、持ってきた戦利品を強引に奪った。

 

「あ…」

 

「うん、これで完了だね。 ありがとう」

 

彼女は嬉しそうにニッコリと笑った。

奪ったメモリースティックを両手に持ち、愛おしそうに眺めた後に制服のポケットにしまった。

 

「こ、これから…どうするん…ですか?」

 

「え? 決まっているよ、帰るんだ。 欲しいものは手に入ったし、こんな所に居る必要なんてもう無いもん」

 

キッパリとそう答えた。

そんな彼女を見て、岡山はもう何も言えなくなってしまった。

声も、顔も、何もかもエレンと似ている彼女と話すこと自体、彼にとっては耐えられない事であった。

 

(もう話すこともない、やることはやったんだ。 エレンへの償いは出来た…やっと…)

 

そう思いながら、彼は勝手に出ていくであろうデュノアから目を放し、近くにある布団の上に寝転んだ。

もしかしてこの場でデュノアに殺されてしまうのか。

殺されなかったとしても、恐らく翌日には学園側からの尋問が待っている。

そういったことをまともに考えず、瞳を閉じた。

歪んだ幸福感を胸に、彼は眠りに着く。

 

(救えた…救えたんだ…エレン…エレン…エレン…)

 

そうやって、彼は現実から目を放した。

 

 

 

 

 

「荷造りはもう出来ているし、もう忘れたものは無いかな…よし。 それじゃあ…行こっか、太一さん」

 

 

 

 

 

しかし、またも彼は自分の望む結末を迎えられなかった。

彼女は突然ISを起動させると、寝そべる岡山を掴みあげたのだ。

 

「ッ!? な、なんで…何してるんです…か…!?」

 

「何って…決まってるでしょ? 貴方は私と一緒にここを出るんだよ」

 

「な、んで…!?」

 

彼は必死に体をくねらせて拘束を解こうとするが、一般男性をはるかに下回る力でISの力を超えることなどできる筈がない。

デュノアは暴れる彼を気にも留めず、壁を銃で砕いて外に出た。

 

「なんでって…言わないと分からないのかなぁ…。 お前はこれから私のモノになるんだ。 それで、目の前で父様に汚される私を見続けろ。 再現してあげるよ、母さんがどんなことをされたのか…全部ね…アハは」

 

「そん…な…」

 

「なに、もしかしてこのまま出てってくれるとか思ってた? アハは…そんなワケないでしょ、どこまで幸せな頭してるの?」

 

「いや…だ…はなせ…」

 

「放すわけないよ、一生縛り付けてやるからね。 お前はもう、私のモノだ。 人じゃない…腐った醜い…道具以下のゴミなんだ…きひひ」

 

人のものとは思えない笑い声を聞いて、岡山は暴れる気力を無くして震えた。

目の前にいる人間が、人外の化け物に見えて仕方がなかった。

 

「はなぜ…はなじで…」

 

「…うるさいなぁ、黙ってよ弱虫」

 

そう言ってデュノアは彼を掴んでいた手の力を強める。

万力のような剛力で締め上げられ、呼吸すらもままならなくなってしまった。

 

「ぎぃ…はぁあ゛…はな゛しでぇ…はな゛しでぇ…」

 

「あぁ、もうっ! なんでそんなに嫌がるの!? 私と一緒に居れるんだよ!? 母さんの…エレンの娘の私と! 一緒に居れるだけで幸せじゃないの!!?」

 

我慢できなくなったのか、デュノアは声を荒げて岡山を怒鳴った。

それに乗じて手の力も強くなり、彼の体から骨の軋む音がしだした。

 

「ぎゃあぁ…! はなじで…はなしでくだざい…! ごめんな゛ざい…はなじで…ごめんな゛ざい…あ゛ぁぁ!」

 

碌な思考も出来なくなり、自我が崩れ始めて意味不明な懺悔を呟きながら身を震わせる。

危険から身を遠ざけるための服従、謝罪。

それでも助かりたいと思う欲望。

そして、救えなかった恋人への思い。

その全てが入り混じり、もう正常な考えなど頭の何処にもなかった。

 

ガクガクと体を痙攣させ、白目をむいて、口からは唾液を垂らす。

そんな彼を見ても、デュノアは一向に歩みを止めない。

 

「…ここら辺からなら飛んでも良いかな…。 ………結局、貴方はずっと「母さん」なんだね…。 まぁいいか…これから先…母さんはもういない…」

 

「………」

 

そうつぶやくと、彼女は翼を広げて飛び立とうとする。

岡山はもう声を発する気力もなくなり、ダラリと体を下げて気絶してしまっている。

 

「まぁ、それなりに楽しかったかな。 バイバイ、IS学園」

 

そして全ての準備が完了し、彼女が飛び立とうとした…。

 

 

 

 

 

…その瞬間だ。

 

 

 

 

 

突然、デュノアの背中を正体不明の衝撃が襲い、彼女は飛ぶ姿勢を崩してしまった。

いきなりの事で対処しきれず、そのために急接近する「敵機」に気が付かなかった。

 

「なっ!?」

 

ソレは真っ直ぐにデュノアの下へ突き進み、そのまま岡山を奪い取った。

彼女は顔を歪ませてその正体を捉える。

 

「…こんばんは、織斑先生。 …ソレを渡してもらえませんか?」

 

「悪いな、貴様に岡山は渡さん…。 行くなら、一人で出ていけ」

 

弱り切った岡山を抱え、彼女にとって敵機である織斑千冬は武器を構えた。

 




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失楽

世界は、深く深く飲み込む。


失楽

 

仕掛けたのはデュノアであった。

 

「ハァッ!!」

 

「ッ! シッ!」

 

風を切る音と共に、織斑千冬の首元に刃が一直線に進む。

完全に殺す気である、容赦などさらさらない。

それを止めるために織斑千冬は神速で相手の刃と自分の武器を合わせ、金属同士がぶつかり合う独特な音が響く。

 

「わた…せぇ…!」

 

「この…何処にこんな力を…!?」

 

すぐさまデュノアはさらなる攻撃を繰り出し、何度も剣劇を叩き込む。

織斑千冬は攻撃を防ぎながら疑問に思っていた。

ブリュンヒルドの異名を持つほどの実力を持つ彼女に、なぜ一般生徒であるデュノアの力が釣り合うのか。

 

「わたせっ! わたせっ! わたせっ! わたせっ! わたせっ! わたせぇぇぇええっ!」

 

(こいつ…体のリミッターが外れてでもいるのか…!? そんなもの意識をしてできる筈がない…そうまでして太一を…!)

 

目を見開いて何度も攻撃してくるデュノアを見て、彼女は岡山を必死に迷う。

再び彼女たちは武器を振るい、鍔迫り合いとなった。

ガリガリと鉄の削れる音が鳴り、尋常でないほどの力が込められていることがわかる。

 

「その人は…太一さんは私のなんだ! お前のモノでも…母さんのモノでもない…! これからはずっと…私だけのモノなんだ!」

 

「…何を言っているか分からんが、少なくとも岡山はお前の下になど行きはしない…もう誰の所にもな」

 

「うるさい! そうやって結局は太一さんを縛りたいだけ…ッ!?」

 

力の押し合いが続く中、自分の感情を爆発させていたデュノアは突然あることに気が付いた。

そう、目の前にいる女性は岡山太一をIS学園に連れてきた張本人だ。

調べてみると、採用の時には反対する他の教員たちを力で黙らせた上で、だ。

なぜそこまでして彼をこの場に押し込んだのか。

それがもし、彼女が償いたい気持からではなく、自分と「同じ目的」であったら。

そう考え、戦略を変えた。

 

(…なるほど、同じなのかな…織斑先生)

 

ゆっくりと、彼女は笑みを浮かべて「毒」を植え付けた。

 

 

 

 

 

「…ふふ、そっか。 貴方も必死なんだね、織斑先生」

 

いきなりデュノアは織斑千冬に話しかける。

先ほどまでの猛獣のような様子はなりを潜め、静かに彼女を見つめる。

 

「何を…言っている…?」

 

「そのまんまだよぉ、織斑先生。 貴方が太一さんに何をしてきたのか…父様に全部聞いたよ。 全く、酷い人だね…それで、今度は太一さんをどうしたいのかな」

 

その言葉を聞いて、わずかに織斑千冬の力が弱まった。

デュノアはそれを見逃さず、刃を叩き込もうとするがかろうじて弾いて後ずさる。

 

「どうしたい…だと? 私は彼にもう何もするつもりはない…ただ必要なときに彼の助けになりたい。 それだけだ」

 

「見え透いた嘘を吐かないでください。 分かっていますよ、貴方は私によく似ているから…未だ貴方が太一さんをどうしたいのか…手に取るようにね。 …ふふ」

 

「世迷言を…」

 

「世迷言かどうかは貴方が一番よく知っている…そうでしょ? まったく、いつまで堪えてるつもりなの? 求めてるのがバレバレなんだよ…」

 

そう言って、デュノアは切っ先を彼女に向けて笑みを浮かべる。

そして冷徹に、残酷に、織斑千冬に言い放った。

 

 

 

「…伝わらなきゃ、いつまで経ってもゼロなんだよ。 いや、マイナスかな。 ざまぁ無いね、この負け犬」

 

 

 

その瞬間、織斑千冬の中で何かが爆ぜた。

 

「ッッ!? 貴様ァッ!!!」

 

「アハは、怒ったってことは図星だね」

 

今まで防ぐだけだった彼女はいきなりISを全身にまで起動させ、轟音と共にデュノアを叩き潰しにかかった。

しかしその攻撃にいつもの冷静さは無く、まっすぐ進んでくるだけの攻撃は、デュノアにとって避けるのに難は無かった。

 

「…ふぅん、それが貴方の専用機…初めて見るなぁ。 確か暮桜だっけ…いつもは身に着けていないはずなのに…やっぱり彼のことは特別なのかな?」

 

「それ以上何も言うなッ! 貴様はここで殺してやる、何も分からない小娘がァ!」

 

攻守は反転し、デュノアに世界頂点の一撃が降り注ぐ。

そこに一切の慈悲は無く、もう先ほどのような救う気持ちなど無くなっていた。

 

「あーあ、その上に身勝手なんだから…太一さん、振り回されて辛そうだよ? 分かってる? 全く太一さんのこと考えてないんだ…」

 

「五月蠅いッ! こいつは…太一のことは一番私がよく分かっている!」

 

「本音だだ漏れだね、見苦しいなぁ…。 話も変わっちゃってるし。 そういう話を聞かないところも、太一さん大嫌いなんだと思うよ?」

 

「黙れぇぇぇぇッッ!!」

 

そんなやりとりが延々と続き、決着が全くつかない。

しかもデュノアの言う通り、織斑千冬が急な動きをする度に岡山の体は振り回され、ただでさえなくなっていた体力も底へと向かう。

恐らく、あと数分同じ状況が続けば岡山の体は本当に危険な域に達するだろう。

 

「アハは、ホントに愚かだなぁ…だから、こんな所で命を落とすんだよ」

 

しかし、それは意外な形で終わりを向かおうとした。

再度織斑千冬は突き進む、しかしその先にはデュノアの刃が待ち構えていたのである。

デュノアは冷静に織斑千冬の攻撃を避け続け、完全にその動きを見切っていたのだ。

対する織斑千冬は闇雲に攻撃するだけで、ただのイノシシにまで成り下がっている。

そんな彼女は、デュノアでも倒せるほどの弱い存在になっていた。

 

「ッ、しまっ…」

 

刃が眼前に迫る瞬間、彼女は自分の過ちに気付いたがもう遅かった。

凶器はすでに目と鼻の先、自分の勢いはすさまじく避けることなど到底無理であろう。

 

「ぐっ、このっ…」

 

間一髪、ISの絶対防御が作用して、彼女が傷を負うことは無かった。

しかし、彼女は一度崩れたペースを戻すことができない。

その後も数回打ち合ってはダメージを負っていき、ISに残ったエネルギーもわずかなものになっていく。

 

「とどめぇ…はァァア゛ッ!!」

 

デュノアが今までとは明らかに違う一撃を放った。

重さも、威力も、スピードも全て桁外れの、トドメの一撃であった。

 

「ぐっ…あぁっ!」

 

ソレをまともに受け、彼女は岡山を庇いながらゴロゴロと転がってしまった。

その後立ち上がろうとしたが、彼女はそれができない。

遂に体力がつき、織斑千冬は膝を折ってしまったのだ。

それと同時にエネルギーも尽き、装甲していたISが消えてしまった。

 

「アはっ、織斑先生ぇ。 いい加減太一さんを放して下さいよ…もう本当に死にそうじゃないですか」

 

「この…貴様ぁ…」

 

ブレードを楽しげに振り回しながらゆっくりと織斑千冬に寄っていき、その切っ先を再び彼女に向けた。

 

「この、この…貴様だけは…」

 

「フフ、別にいいでしょ? 今の今まで、好き勝手してきたんだからさ…たった一つくらい、渡してくれてもいいじゃない」

 

狂笑を浮かべ、織斑千冬へと刃を近づける。

それを見て、織斑千冬は岡山の体をゆすりながら、必死に呼びかける。

岡山だけでも逃がそうとするが、肝心の岡山は動く様子もない。

 

「太一…起きてくれ…この場から逃げろ…太一…」

 

「…何ワケの分からないこと言ってるの? まぁいいか、あひゃ…バイバーイッ!」

 

振り上げ、全力で振り下ろす。

ISのエネルギーが尽きてしまった今、織斑千冬を守る盾は存在しない。

受ければ確実に絶命に至る。

 

 

 

 

 

だが、彼女が死ぬことは無かった。

刃が届く寸前、別の方向から銃弾が飛んできてデュノアの武器を弾いたのだ。

デュノアは驚いて後ろへ飛び退いた。

 

「くっ、一体誰だよ…あとちょっとだったのにさ」

 

「…デュノア君…いえ、デュノアさん。 武器を置いて大人しくしてください」

 

遥か上空より、その新たな存在はゆっくりと降りてきた。

銃を構え、デュノアの頭を標準に合わせる。

 

「…山田先生か…面倒な人だなぁ」

 

「…この場は既に操縦者たちが包囲しています。 織斑先生と岡山さんから離れなさい」

 

「…従わなかったら?」

 

その瞬間、デュノアの足元に数発の弾丸が撃ち込まれた。

何処から来たのかも分からない。

しかし、答えとしては十分すぎる対応だった。

 

「なるほどね…もう逃げ道もない、と」

 

「その通りです、今ならまだ後戻りできます。 そのデータを返して、ISを解除して此方に来てください」

 

「………きひひ」

 

真剣に訴えかける山田に対し、デュノアは変わらず気味の悪い笑みを浮かべるだけである。

 

「…そっか…じゃあ…仕方ないかな」

 

「っ! 従ってくれるんですね! ありがとうございます、デュノアさん!」

 

「えぇ…貴方に従います、山田先生」

 

山田は嬉しそうに顔を輝かせ、デュノアに近づいた。

山田真耶は、元来人を疑うことが出来ない人間である。

その一言を山田は信じ切り、今はもう彼女をどうやって助けようかを考えていた。

 

故に、デュノアの目が未だ濁りきっていることに彼女は気付かなかった。

 

次の瞬間、強烈な爆発音が響いた。

 

「なっ、デュノアさん!?」

 

あたりに煙幕が立ち込め、辺りを確認することが出来ない。

しかも、それだけではない。

 

「センサーも動かない…ジャミングされている!? 山田です、応答願います! こちら山田真耶…反応がない、まさか通信も!?」

 

煙幕と同時に特殊な電波が流れ、センサー機能が完全に停止してしまっていた。

周りに配置していた暗部たちとも連絡が出来ず、完全に詰みの状態である。

 

「デュノアさん、何処にいるんですか! くっ、織斑先生! 岡山さん!」

 

山田は必死に叫び、辺りを走り回るが誰の反応もない。

 

 

 

『ガガ…ガ…こちらAグループ、山田教諭応答願います…こちらAグループ!』

 

『こちらBグループ! 山田先生、指令を!』

 

「っ、通信が…それに煙幕も!」

 

数十分経過し、煙幕が晴れていくと同時に通信機能も回復していった。

視界が広がっていき、辺りを確認していく。

 

「織斑先生!」

 

そして少し離れたところで蹲る織斑千冬を発見した。

彼女はボロボロになった体に鞭打ち、必死に立ち上がろうとしている。

 

「織斑先生、無茶をしないでくださいっ! 今は傷を癒さないと…!」

 

「…そんな…暇はない…。 岡山が攫われた…すぐに向かわなくては…!!」

 

「岡山さんが…! し、しかし今はっ!」

 

「ぐ、うぅ…山田先生…この位置に暗部を行かせてくれ…頼む」

 

織斑千冬は震える手で何かを出し、ソレを山田に渡す。

どうやら発信機のようである。

それに映る標的は、恐ろしいスピードで何処かへと向かっているようである。

 

「これは…デュノアさん達ですか? ISを使っているとしても、こんなスピードが出せるなんて…。 でも、一体何時の間にこんなものを…」

 

「説明は後だ…。 早く向かわせてくれ…最悪なことになりかねない!」

 

「わ、分かりましたから! とにかく休んでください!」

 

山田がそう言うと、織斑千冬は安心して今度こそ気を失ってしまった。

そんな彼女を確認し、山田は伝令する。

 

「AからCグループへ、緊急です。 岡山さんがデュノアさんに奪われました。 発信機のデータを送るので、急いで後を追ってください!」

 

その掛け声とともに辺りから無数のISが飛び立ち、同じ方向へと進んで行った。

 

 

 

しばらく時間が経って、標的はあるところで止まった。

見ると、そこは沖縄地方のとある廃ホテルを指し示していた。

 

 




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幸福

全てを捨て、たった一人の愛を求めた。


幸福

 

午前四時、もうすぐ日が明けるであろう時、デュノアは目的地に着いた。

そこには大きな建物があったが、人の気はまるで感じない。

それもそのはず、この建物には誰も住んでいない。

 

 

 

その建物は、かつて近辺では有名なホテルであった。

そのオーナーは日本の東京から来た、所謂余所者であったのだが、その者が持つ底なしの明るさに皆が惹かれ、すぐさま人気者になったとか。

そのホテルの従業員には地元民も複数いたが、彼と同じように県外から来た者が多かった。

理由はさまざまであるが、その者は誰が来ようと拒みはせず、喜んで迎え入れていたようだ。

 

だからこそ、エレン・デュノアや岡山太一が来た時も、ホテルの支配人は受け入れた。

 

そんなホテルが、今は誰も住んでいない空っぽの建物になってしまっていた。

彼は悩み続けていた、救うことが出来なかったエレンや岡山と言う人間を。

今までホテルに来た者を一人残さず救ってきた彼が、唯一助けられなかったのだ。

 

食事ものどを通らず、経営もしっかりと出来なくなり、彼はいつかこのホテルが潰れると考えた。

誰かに渡すことも考えたが、従業員も含め経営が出来る人などいなかった。

 

都会の方の大きな企業に委ねても良かったのでは?

確かに、従業員の一人が彼にそう進言したが彼は首を縦に振りはしなかった。

 

そこには彼がこの地に来た理由があった。

彼は元々都会の有名企業の重役であった。

部下からの信頼も厚く、将来はトップになることも約束されていたほどだ。

しかも社長から気に入られており、彼もまた社長が語る企業の未来に心を奪われたそうな。

 

しかし、企業は潰れた。

その社長が行っていた不正が明るみになったおかげで信用を無くして倒産したそうだ。

彼は信じていた企業に、そして社長に裏切られた悲しみと憎しみで一杯になり、全財産を持ってこの地方まで来たという。

 

そんな彼は、巡り巡って「都会の企業」を深く憎む形となった。

故に、彼はその選択を最後まで選べなかった。

 

そして悩み、悩み、悩み抜いた結果、支配人はこのホテルを捨てることにした。

従業員全員に新しい就職口を見つけ終えると、彼は誰にも伝えずに姿を消した。

都会に戻ったのか、外国へ行ったのか、誰でもその後の彼を知らない。

残ったのは、今も客人を待ち続ける大きなホテルのみであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな思い出の詰まった廃屋に、デュノアは入っていく。

約束を果たし、自らの夢を果たすために。

 

 

 

「ISをそこに置け、身に着けている武装を解いてこちらまでくるんだ」

 

 

 

入り口付近で男の声がした。

デュノアはそれに従い、ISを取って近くの台の上に置き、続けて拳銃を二丁置いた。

そして岡山を背負って再び歩き出す。

 

「…来たか、シャルロット。 …少し太ったか? 腹が出ているように見えるが…」

 

「………」

 

真っ暗な、月光のみが明かりとなっているロビー。

そこにある椅子に彼は座っていた。

ホコリの一つもない清潔感のあるスーツを身にまとった金髪の男は、デュノアの実父である男であった。

 

「では、まずはデータをもらおうか、私に渡せ」

 

「…その前に、お願いしたいことがあります」

 

「なんだ? 少なくとも、ソレを渡さない限りは叶わないことだ」

 

「約束の保証を…今一度この場でしてください」

 

「…ふん、いいだろう。 お前がソレを渡した後、私は一切お前たちに干渉はしない…約束しよう」

 

男がそう言うと、デュノアはその場に岡山を優しく下ろすと、ゆっくりとポケットから情報が入ったメモリースティックを取り出して彼に手渡しした。

 

「…よくやった、さすが私の娘だ」

 

「………」

 

「それにしても、お前達は本当に酔狂な母娘だ。 そんな男に何をそこまで執着する?」

 

「…太一さんを、侮辱するな」

 

「ふん、当然のことを言ったまでだろう。 その男は何も守れない、奪われるだけのクズだ」

 

デュノアが睨み付けるが男は全く気にせず、立ち上がってベランダの方に出ようとする。

そこからは沖縄の綺麗な海を一杯に見ることができ、夜の海はまた幻想的な雰囲気を醸し出していた。

 

「思えば、この場は全ての始まりだった。 エレンが名を偽り、岡山と言う人間と出会い、そして私の下に戻った場所だ」

 

「………」

 

「一つ聞こう、お前はこの後どうするつもりなのだ? こんな広いだけの建物を使って、岡山と二人っきりで…一生介護でもするつもりか?」

 

そう、デュノアと男の間に交わされた約束、それは男にデータを渡す代わりにこのホテルと岡山を貰い、その後一切の干渉をしない。

そういうものであった。

故に、男には理解が出来なかったのだ。

なぜ、そこまで岡山と言う人間に執着するのか、そしてこの後に何をしたいのか。

 

「…貴方には関係ない。 もう、消えてください」

 

「そう言うな。 最後の親子団欒の時だろう? 父である私に、最後くらい腹の内を教えてくれてもいいだろうっ!」

 

彼は腕を大きく振り上げて、大声でデュノアに言った。

しかし、デュノアは男に対してどこまでも冷徹で、全く反応しない。

 

「…冷たいなぁ、シャル。 私たちは親子だぞ。 あぁそうか、最後にまた私に愛して貰いたいのだな? よし、それならば今すぐ…」

 

「ッ、私に触れるな! このクズがッ!!」

 

男はそんなデュノアに歩み寄りその肩を厭らしく掴む。

それをデュノアは完全に拒否し、その手を払って岡山の元まで走っていく。

 

「お前に話すことなんてない! ここは今から私と太一さんだけの…二人っきりの家になるんだ、さっさとこの場からいなくなれ!!」

 

「おいおい、何をそこまで嫌がるんだ…ん? おい、まさかシャル…なるほどそういうことか…ハハハハハハッ!!!」

 

すると、彼は片手で顔を覆いながら突然大声で笑い出した。

その突然の反応に、デュノアも少したじろいでしまった。

 

「な、何が可笑しいんだ!」

 

 

 

「フフ…いや、なかなか悲しい物語だと思ってな…シャル。 お前は母であるエレンが愛した男に………恋をしたのだな?」

 

 

 

「ッッ!!?」

 

デュノアは完全に動きを止めてしまった。

自分がずっと隠し通してきた感情を、最後の最後で一番知られたくなかった男に言われたのだ。

指先が震え、うまく言葉を発せられない。

 

「その様子を見ると、当たりのようだな…フフッ! 可笑しいとは思っていたのだ、お前が岡山に向ける目は…明らかに父へと向けるモノとは違った! まるで長年会っていない恋人を見つめるような…情熱的で狂った生娘のモノだった!!」

 

「ち、ちが…私は…」

 

「違うはずなど無いだろう! なるほどな…やっと理解した。 お前がこの場を選んだ理由も…何もかも!!」

 

そう言いながら、男はデュノアの下に再び近寄る。

デュノアは岡山を庇いながら後ずさっていく。

 

「この場は、エレンと岡山が愛を語り合った場所…お前はここで全てをやり直そうということだな。 自らがエレンになりきることで」

 

「ッ!? 違うっ、私は母さんなんかにならない! 私は私で…」

 

「いや、お前はエレンになろうとしている。 お前は岡山に自分をエレンだと思い込ませることで、その愛を奪うのだろう…死んだ母親から!」

 

その一言に彼女は動けなくなり、その場にペタリと座り込んでしまった。

自分がやろうとしたこと、そのすべてを明かされてしまったのだ。

言い様のない恐怖が、彼女の全身を襲う。

 

「ひ…きひぃ…」

 

「確かそういう行為を刷り込みといったか…まぁ、名前などどうでもいい。 とにかく、お前はソレがしたかったのだろう」

 

「だ、だま…れ…!」

 

「本当は自分自身を愛して貰いたかったのだろう? 母親が死んだのだ、次は瓜二つである自分が愛して貰えると…だが岡山は違った」

 

「うる…さい…」

 

「IS学園に行く前から、もう分かっていたのだろう? お前は母親に勝てないと…だから保険としてこの場所を選んだ。 自分を愛して貰えなかった時の最後の手段として」

 

「う、ぐ…」

 

「岡山をかつての部屋に押し込めた後、ゆっくりと記憶の入れ替えをするつもりだったか…まったく、我が子ながら恐ろしいな。 ここまで愛に狂うものなのか」

 

「…違うって、言ってるだろう! 私は太一さんに愛してもらっている! 母さんじゃなくって、私を!」

 

彼女は大声で叫びながら、先ほど男に渡したメモリースティックを指さした。

 

「そのデータが証拠だ。 それは太一さんが私のためだけに持ってきてくれた…愛そのものだ」

 

「ははは、そんなワケない。 お前は「あのビデオ」を岡山に見せたのだろう、私が言った計画通りにな。 その時点でお前はエレンの遺産でしかなくなっていた…お前個人など見ている筈ない」

 

「ッ、それ…は…!」

 

何も反論できなくなってしまった。

顔がみるみる内に青くなり、顔を伏せて動かなくなる。

 

「確かに、そうすればお前は愛して貰えるだろう。 …だがな、シャル。 お前自身は一生見て貰えないさ。 永遠に、エレンの代用品として生き続ける」

 

「アアアァァァァア゛ア゛ア゛!!! 黙れ黙れ黙れ黙れぇぇェエ゛エ゛エ゛!!!」

 

その瞬間、彼女の精神は限界に達してしまった。

まるで現実を否認するかのように、両手で頭を抱えて何度も振り続ける。

今まで逃げ続けてきた、絶対に認めたくない事実をその場で言いきられてしまったのだ。

彼女を支えるものは無くなってしまった。

 

 

 

「…まぁ、それすらも許すつもりは無いがな」

 

 

 

チャキリと鉄の音がした。

デュノアはその音に反応してゆっくりと顔を上げると、そこには銃を向ける父がいた。

 

「…何のつもり?」

 

「バカな娘よ、良く考えてみろ。 自分の汚点を生かしておくバカが、この世にいると思うか?」

 

ニヤリと笑い、ごみを見るかのような目でデュノアを見る。

そこには先ほどとは違う、歪んだ冷徹さが見て取れた。

 

「最初から…そのつもりだったんだ」

 

「あぁ、そうだ。 なんで捨てるつもりの女のためにそこまで譲歩する必要がある? お前はここで終わりなんだ、せめてその男と一緒に殺してやろうか」

 

「ッ! ウあああアアアアアアあ゛あ゛ア゛ア゛ッッッ!!」

 

ソレを聞いてデュノアは奇声を上げてその場を走り去る。

近くの柱の陰に逃げ込み、息を殺そうとするがうまく出来ない。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ…」

 

「どこへ行くつもりだシャル。 愛する岡山はここに居るんだぞ? ここで逃げたところでどうするつもりだ?」

 

「………」

 

「それに近くには私の部下もいる。 どうせ何をしようとも無駄だ、武器も外に置いてきただろう!?」

 

そう大声で叫びながら、デュノアが隠れる柱の下へと進む。

デュノアはゆっくりと近づいてくる彼の足音を聞きながら、カタカタと震える。

 

「さぁ、そろそろお前の顔が見えるぞ。 最後の一瞬、その愚かな顔を父に見せてくれ、シャル!!」

 

デュノアにその言葉は届かない。

彼女はただ震え、その場から動かない…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただし、恐怖ではない。

歓喜で震えていた。

 

「…きひゃっ」

 

男が顔を出したその瞬間、彼女は「普通ではありえない場所」から手の平サイズの銃を取り出し、男の肩を打ち抜いた。

肩の肉と骨が爆ぜる音が響き、その激痛に耐えきれず男はその場に倒れこんでしまう。

 

「ぎ、ぎゃぁぁあああアァァぁああ゛ア゛ッ!!!?」

 

「あれぇ? どうしたの父様? すっごくすっごぉく、痛そうだね?」

 

ゆっくりと立ち上がるデュノアの顔は狂気そのものであり、もはや人間のソレと思えない。

満月のように見開いた眼、裂けるように歪んだ口、そして頬に着いたわずかな血が、彼女が狂人であることを物語っている。

 

「キサマァ…一体どこから銃を持ってきた!? お前は武器を全ておいてきたはずだ…私もソレを確認したはずだ…!!」

 

「えー、確かに身に着けていた武器は全部置いてきたよ? …「身に着けた」ものは、ね」

 

そう言うと、彼女は左手で下腹部をゆっくりと撫でた。

その動作だけで、男は彼女が何処に銃を隠してきたかを察して血の気が引いた。

 

「き、気でも狂っているのか!? まさか「そんな所」に、銃を入れてきたのか!!?」

 

「そーだよ、大正ぇ解! お前が私たちを殺そうとしていた事くらい分かっていたよ! だから私も何処かに銃を隠そうとした…その時に真っ先に浮かんだのが「此処」だよ。 ちょうどよくガバガバに壊れちゃってたし」

 

亡霊のように男の下へと向かい、その銃口を彼の右目に近づける。

そして右手の力を少しずつ強めていき…。

 

「ひっ、や、やめ…」

 

「そりゃそうだよねぇ、私の思い出って言ったらこれくらいしかないもん…。 お前は散々私と母さんの「此処」で遊んでくれたよね。 大人数で襲わせたり、バットよりも太い棒を押し込んだり…。 ほら、ちょうどこんな風に…サァッ!!!」

 

ソコに銃口を押し込んだ。

ブチュリと果実が潰れるような音がして、部屋中に男の叫び声が響き渡った。

 

「ぎゃあっぁァァアアアアアアア!!? アアああアァァぁッぁぁぁぁぁッぁああ゛あ゛あ゛ア゛ア゛!!! 痛い゛ッ、痛い゛ィぃィイ゛!!!」

 

「こぉーやって、こぉーやって…金髪シェイクーって遊んだっけ? あひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!!」

 

グジュリグジュリとその中を掻き回し、そのたびに男の体がぴくぴくと痙攣する。

その様子がツボに入ったのか、またデュノアは狂ったように笑い続ける。

 

「よし、次はどぉーしようかっ? もう一方の眼も潰しちゃう? それとも…あぁ?」

 

気付くと男の反応はなく、見ると泡を吹いて気絶してしまっているようだった。

今まで感じたことのない痛みに耐えきれず、意識を切り離したのだろう。

 

「あーあ、つまんない。 このままペットとして飼ってやろうかって思ってたのに…、これじゃ使えないよぉ。 …まぁいいか、死ね」

 

無慈悲にそうつぶやくと、彼女は無表情になって引き金を引いた。

乾いた銃声が響き、同時に男の命は完全に断たれた。

 

 

 

 

 

 

「…終わっちゃうと、あっけないものだね太一さん」

 

最後に死体に蹴りを一発入れると、すぐさまそこを離れた。

先ほどの狂笑をやめ、優しく微笑みながら岡山の下へと向かう。

 

「…まぁ、父様の言う通りだったよ。 私は母さんが好きだったけど…憎かった」

 

物言わない岡山を抱きかかえ、その温もりを感じながらつぶやく。

 

「太一さんは娘として好き…でも、私は女としても大好きだった」

 

「………」

 

「貴方たちが逢引きしているのを見ているだけで腹立たしかった。 憎しみが募って、でも母さんを悲しませたくないから、いつも自分を傷つけていた。」

 

「………」

 

「母さんが本当に最後に言った言葉を教えてあげる。 「太一さん、ありがとう」だよ。 貴方には心を壊して欲しくって、嘘吐いたんだ。 …ごめんね」

 

その愛しい顔を寄せ、優しく口づけする。

何の味もしない、達成感のない乾ききったキスであった。

 

「結局、貴方は母さんを選んでいた。 私を見ても、思い出すのはやっぱり母さんだった。 …もう、あの時諦めてたのかもね…。 本当の負け犬は、私だったんだ…」

 

そう言うと、彼女は銃口を自分の頭に向けた。

その姿は聖女のように美しく、悪魔のように妖艶であった。

 

「じゃあね、太一さん。 …最後に一回、「愛してる」って言って欲しかったなぁ」

 

眼から大粒の涙を流しながら、彼女は彼に最後の言葉を言った。

その涙にどれだけの思いがあったのか、世界の誰も理解することなどできないだろう。

いや理解しようとすることすら、とても許されることではない。

今の彼女にとって、どんな慰みも、癒しも、憎しみや怒りにしかならない。

それほどまでに、彼女は狂い、堕ちてしまった。

もう二度と戻れない。

 

だからこそ、その終止符を打つために、彼女は自分の命を絶つことを選んだ。

 

 

 

 

 

しかし、それも世界は許さない。

 

「…動くな、シャルロット・デュノア!」

 

建物の入口より、何者かが声を発した。

デュノアは姿勢を変えずに目線だけ向けると、そこには何者かに体を支えられながら歩く織斑千冬がいた。

先ほどの戦闘の疲れが取れていないのか、息を荒げながら大量の汗を流している。

 

「そのまま…動くな。 お前は絶対に死なせ…ない…」

 

「………」

 

「ッ、死なせないと…言っている!」

 

デュノアは織斑千冬を無視してそのまま引き金を引こうとしたが、その銃は弾かれて部屋の隅に飛ばされてしまった。

 

「…なんで、邪魔するんですか…?」

 

「AからBは岡山とデュノアの…保護。 Cはそのまま…デュノア社の者たちを…拘束していろ。 …この事件の…証拠人になる」

 

「答えてよ! 私はもう生きる意味なんてない! なんでまだ生きてなきゃいけないんだよッ!?」

 

「…お前を生かすこと。 それが岡山の意志だからだ」

 

静かに、ただ一言デュノアに向かってそう言った。

ソレを聞いて、デュノアは目を見開くとそのまま気を失って倒れてしまった。

 

 




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激情

崩れ、堕ちる。


激情

 

時は数時間前に遡る。

 

デュノアが煙幕を出してあたりを混乱させている中、織斑千冬は岡山を庇おうと必死に抱えていた。

 

「くっ、デュノア…ここまで準備していたのか…」

 

大声を上げて山田に場所を知らせようかと考えたが、逆にそれはデュノアにも知らせることとなる。

加えてデュノアはこちらを確実に殺そうと考えている。

山田一人で対処できるとは到底思えない、最悪返り討ちにあってしまうだろう。

 

(どうしたらいい…このまま動かないでいたらいずれ見つかる。 そうなれば太一を助けることなど不可能だ…私が冷静さを失ったばかりに…!)

 

悔しがりながら対策を考える。

そんな時だ。

抱えていた岡山が目を覚まし、織斑千冬の袖を掴んだ。

 

「っ! 岡山、起きたのか…!」

 

「…これ、は…?」

 

「デュノアだ、アイツは視界を遮断させてこちらの攻撃を防いでいる」

 

「…デュノア…あの子が? ぐ、うぅ…」

 

岡山はデュノアに締め付けられたダメージがすさまじく、蹲って腹部を抑えている。

生身の人間がISのパワーをモロに受けたのだ。

喋れるだけでも奇跡である。

 

「アイツは恐らく、お前が渡した情報をデュノア社の社長に渡すのだろう。 男として此処に来た理由も…たぶん「お前が書いていた事実」通りだ」

 

「…です…か…。 ……ッ!!」

 

そう言った瞬間、岡山は目を見開いて顔を上げた。

顔を悲痛に歪ませ、織斑千冬の胸倉をつかむ。

 

「ど、どうした岡山…一体何を…」

 

「…発信機…」

 

「発信機?」

 

「そう、だ…。 どうせ…似たものくらい持って…いるんで…しょう? それを…僕に…つけてください」

 

考えてもいなかった岡山の一言に織斑千冬は完全に固まってしまった。

確かに、そうすれば攫われた場合も迅速に対処することは出来るろう。

最悪の場合彼女もそれを行おうと考えていた、しかし。

ソレは岡山が絶対に嫌がる行為であると思っていたのだ。

故に、岡山からソレを提案してきた理由が分からなかった。

 

「…確かに持っている。 だが、お前は…」

 

「いい…から…。 早く僕に…付けて下さい…。 それと…」

 

そのまま彼はもう一つの要求をした。

その要求は、織斑千冬が発信機以上に予想していなかった事であった。

 

「…シャルロット…デュノアを…絶対に助けて下さい…」

 

「なにっ!? デュノアを!?」

 

「…ん? なんだぁ、そっちにいたんだね!」

 

思わず彼女は大声を出してしまい、そのせいでデュノアに場所を知られてしまう。

しかしそんなことなどお構いなしに、織斑千冬は言葉を続ける。

それほどまでに、岡山の要求は不可解すぎた。

 

「何故だ、何故デュノアを助ける!? アイツはお前を攫おうとしたんだぞ! しかもアイツは…「私たちと同じ」なのだろうっ!? お前は嫌っている筈なのに…何故だ!」

 

「…貴方には…関係…ない…。 デュノアが…あの男が…帰ってきたあの子を…逃がす筈がない…。普通に考えれば…それくらい分かる…手遅れになる前に…早く…!」

 

「っ…分かった…。 付けるぞ」

 

まるで納得できていなかったが、とりあえずは指示に従い岡山の首元に小さな機械を取り付けた。

 

「付けたぞ、岡山。 …デュノアの事は、まかせてくれ…」

 

「…ありがとう…ございます…」

 

そう言って彼はこと切れた。

もとより喋る体力すらなかったのだ、無理もない。

 

 

 

「あ、みぃーつけた」

 

 

 

それと同時にデュノアが煙の間から顔をだし、三日月のように口を歪ませた。

そしてカツカツと二人の下に寄ると、岡山のみを掴んで背負う。

 

「ま、て…デュノア…」

 

「待たないよー。 殺されないだけ、ありがたいって思ってね」

 

織斑千冬の静止の言葉を全く聞かず、そのまま彼女は翼を広げ飛び立って行った。

 

「…何故だ。 なぜデュノアは助けるんだ…太一っ…!」

 

拳を地面に叩きつけ、悲しげにそうつぶやいた。

しかし相手は答えを言わず、知ることなどできなかった。

グルグルと様々な感情が混じり、思考がうまく働きもしなかった。

 

 

 

それからしばらく経ち、彼女はやっと平静を取り戻した。

その後山田が近くまで走ってきて、発信機のことを伝えたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…ここ…は…。 IS学園…?」

 

夜が明け、既に正午を回った頃、デュノアは目を覚ました。

どうやらベッドに寝かせられ、手当ても施されたようだった

そこから動かずに眼だけを動かして周りを見ると、状況を整理しようとする。

 

「私は…あの男を殺して…自分も死のうとして…でも、織斑先生に…」

 

何があったかを思い出し、歯を食いしばって悔しがった。

あの時、自分は死ぬつもりだった。

何もかも失い、それでも手に入れようとした人は一生を自分を見てくれない。

その事実を前に全てを諦め、死を選んだはずだった。

 

「なんなの…太一さんが…なんで私を助けるんだよ…」

 

そう言って、織斑千冬に言われた一言を思い出す。

あの時は驚きと疲労のせいで何も言えなかったが、可笑しすぎることであった。

 

(あの人は僕を殺したいとは思っても、生かしたいなんて思うはずない。 それなのに…あ…)

 

しかし、すぐに諦めたかのような表情になると、深くため息を吐いた。

 

「フフ、そっかぁ。 …まぁ、母さんの娘だから…かな…」

 

そうつぶやくと、ズリズリと起こしていた上体を倒していき、そのまま横になった。

どうでもいいかのように鼻で笑い、再び瞳を閉じる。

 

その時だ。

 

 

 

「起きたか、デュノア」

 

 

 

部屋の入口が開き、そこから織斑千冬が入ってきた。

しかしデュノアは目を開かず、返事もしない。

 

「起きていることくらい分かっている。 体調の方は…その様子なら大丈夫か」

 

「………」

 

「分かっているとは思うが、一応言っておくぞ。 ここはIS学園の職員用の部屋の一つ…もちろん空き部屋だ。 お前は気絶した後私たちに運ばれ、治療をしたのちに此処に運ばれた」

 

「………」

 

「だんまり…か…。 まぁいい、話をつづけるぞ。 付近にいたデュノア社の者は全員此方で拘束してある。 …今回の事は公にはしない予定だ。 デュノア社長は事故死という扱いになる」

 

「………」

 

「デュノア社そのものについてだが…別件の不正などを暴いて潰すこととなった。 もとより学園への干渉が多かった企業だ、上も近いうちに決行する予定だったらしい。 お前を知る者も…じきにいなくなる、以上だ」

 

「…ふぅん…全部、太一さんが?」

 

織斑千冬が言い終えた時、やっとデュノアは口を開いた。

つまらなそうに、他人事のようであった。

 

「あぁ、そうだ。 全てあの後、岡山が言ってきたことだ。 岡山はここに戻ったあと、目を覚まして私に詳しい指示を出した。 理由は分からない…本人に聞け」

 

そう言うと、彼女は外へ出て行った。

それとすれ違うように、一人の男が入ってきた。

杖を片手に、ノロノロと歩いてきた男はデュノアにとって最愛である人であり、二度と届かない人であった。

 

 

 

「…目、覚めたん…ですね…」

 

「…うん、おかげさまでね」

 

彼女は目を開いて前を見る。

そこには彼女が父として、そして男として愛した岡山太一がいた。

 

「…体の…調子は…?」

 

「おかげさまでね…ありがとう。 「母さんの娘」の私を助けてくれて」

 

母さんの娘、その言葉を強く言った。

お前の考えなどお見通しだと、そう訴えるように言ったのだ。

 

「どういう…こと…?」

 

「とぼけなくたって良いよ。 全部分かってるんだからさ。 貴方が助けてくれたのは、全部母さんのためなんでしょ?」

 

「………」

 

「アハは、否定しないんだ。 個人的には、違うって言って欲しかったんだけどなぁ」

 

つまらなそうに、感情をこめずに言い続ける。

それを岡山は黙って聞き続け、顔の表情すら変えない。

 

「私ね、貴方のこと大好きだったんだ。 それも最近の事じゃなくって…あのホテルに住んでいた時から。 母さんとイチャイチャしてるの見て…ずっと悔しかったんだ」

 

「………」

 

「私が貴方を攫った後どうしたかったのか、本当のことを教えてあげる。 昔貴方が住んでいた所に閉じ込めて、少しずつ私を好きになってもらおうと思ってたんだよ」

 

「…監禁…ですか…」

 

「フフッ、その通り! 貴方の心を壊してね、私を母さんだと思い込ませるつもりだったんだ。 そうすれば、私が母さんになれるって思ってさ」

 

今度は楽しそうに、子供のようにコロコロと笑った。

しかしその眼は笑っておらず、真っ暗な瞳をしていた。

笑い声も次第に狂ったものへと変わっていく。

 

「………」

 

「いひっ、きひひ…私はあの男の所に戻った後も、ずっと貴方だけ思っていたよ」

 

「………」

 

「あぁ、貴方が夢に出てくるときもあったよ。 貴方は私が寝ているベッドの中に入ってきてね、ずっと「シャル、愛している」って言うんだ。 嬉しかったなぁ…目が覚めた時には起きちゃった自分を恨んじゃうくらいにね」

 

「………」

 

「ずっと考えてた。 全部終わった後にね、父様たちに汚された所全部、貴方に綺麗にしてもらうんだ。 想像するだけで、どんなことされても耐えきれたんだ」

 

デュノアはもう抑えることが出来ないのか、自分の思っていたことを全て話し続ける。

常人では到底理解できない、彼女だけの心のうち。

それを、誰よりも常人な岡山へと叩きつける。

 

気付けばデュノアは、また自分が涙を流していたことに気付いた。

なんで泣いているのか、自分を殺そうとしていた時よりも分からなかった。

もう理性など働かず、思いの丈をぶつけ続ける。

 

対して岡山は未だに動かず、立ったまま何も言わない。

 

「あひゃ、くひ…今もね、想像するだけで笑いが止まらないんだ。 これが本当の私だよ、どう? 気持ち悪すぎて言葉も出ない、ってところかな? 貴方が助けようとした女は、これからずっと貴方を狙い続ける…殺しちゃった方が楽だったかもよ? きひゃひゃひゃひゃ!!」

 

「………」

 

「…黙ってないで何とか言いなよ。 その耳も麻痺しちゃったの!? ホラ、気持ち悪いって言ってよ! この私を! 母さんの娘をさぁ!!」

 

勢いよく上体を起こし、狂いきった満面の笑みを浮かべてそう叫んだ。

もう自分でもどうしたらいいのか分からなくなっていた。

ボロボロと涙をこぼしながら叫び続ける。

 

その時、岡山はようやく口を開いた。

顔は変わらず無表情のまま、しかしその口のみはしっかりと動いた。

彼はゆっくりと口を動かし、その喉の奥から。

 

 

 

 

 

「あぁ、そうだな。 …気持ち悪い」

 

 

 

 

 

その言葉を発した。

 

「…え?」

 

デュノアはソレを聞いて目を見開くと、思わず声を漏らす。

覚悟を通り越し諦めていたというのに、その言葉を受けきることが出来なかった。

 

「お前は、気持ち悪い。 まだ恨んでいるなら良い、ゴミだクズだと…好きに言ってくれた方が…良かったね」

 

「え? え…?」

 

「…お前は、勘違いしている。 確かに…僕はお前にエレンを…連想させた。 ビデオを見せられた時…も、後悔で…一杯になった。 でも、それがお前を助ける理由になったワケじゃない」

 

「う、嘘だ! お前はずっと私に母さんを浮かべていた! だからその後も私に操られていたんじゃないか!」

 

「…確かにね。 でも、お前の洗脳は…不完全…だったんだ。 あの時ずっと、意識は…あった」

 

「デタラメ言うなよ! 慰めてるつもりか、ふざけるな!」

 

「…エレンのことも…考えていた…。 でも、それ以上に…お前のことを考えて…いた…。 考えちゃっていたんだ…」

 

「ッ!? じゃ、じゃあ理由を言えよ! なんで私のことを思ってたんだ! なんで私自身のためにデータを盗んできたんだ! 答えてみろよッ!!」

 

岡山を指さし、現実を否認するように泣き叫ぶ。

怒るのでもなく、憎むのでもなく。

目の前の岡山に怯え、怖がっていた。

今まで自分を支えていたボロボロの柱が、今崩れようとしている。

その現実が恐ろしく、認めたくないのだ。

今のデュノアは、子供が駄々をこねるように叫び続けた。

 

「…理由? そんな…こと…なんで言わなきゃいけないんだよ…」

 

「うるさい! いいから答えろよ!」

 

「…ホントに、愚か…だ…。 もっと違う道が…あった筈なのに…どうして僕は…いつもいつも…間違えるんだ…くそ…」

 

岡山は真っ直ぐデュノアを睨むと、眉間に皺を寄せる。

それだけでデュノアは怯み、まともに動かない足を捩じらせて遠ざかろうとする。

 

「ひ…嫌だ、嫌だッ! お前は僕を恨んでるんだ! 大好きな母さんのために僕を助けただけなんだ!!」

 

「違うっつってんだろぉが!! そのウザい口閉じろッ!!」

 

「ひっ!?」

 

「…くそ…だったら教えてやるよ。 なんで僕がお前を助けようとしたのか…」

 

突然の大声で、デュノアはとうとう何も言えなくなった。

見苦しく動かしていた体も動かせなくなり、ただ首をフルフルと横にする。

 

そんなデュノアの脆い心に、岡山は本当の理由を弱弱しく…しかし深々と突き刺した。

 

 

 

 

 

「僕は…僕は…。 お前を…「自分の娘」として…愛そうとしてたんだよ…!」

 

 

 

 

 

「な、ナンで…? 何で何で何でッ! 何でそんなワケの分からないこと考えたんだ!」

 

金切声で叫ぶデュノアを無視し、岡山は本当の気持ちをさらけ出す。

 

「知るかよッ! 僕だってワケ分かんなかった…! でも、でも…僕はあの時、お前を「自分の娘」だって本気で思った!! なんでかなんてわかんねぇよ!!」

 

「そ、そんな曖昧な理由信じられるか! 根本から可笑しいだろうが! 母さんとお前は結婚なんてしていない…それなのになんで!」

 

「そんなこと…僕が知りたいよ…! 何にもわかんねぇよ…でも…お前を見た時…頭の中に浮かんだんだ…」

 

「な、何を言って…」

 

「お前は助けてと言っていた。 デュノアに捕まり、泣き叫ぶお前とエレンが…脳裏に浮かんだ。 なんでかなんて分からない…分かんないんだよ…」

 

そう言って、岡山はその場にうずくまり動かなくなった。

 

 

 

これは彼なりの過去との決別でもあった。

彼はもともと不安定な精神であった。

二度の絶望を味わい、身の内も外もボロボロであったのだ。

 

しかし、その「知識」のみは未だ健全であった。

故に彼はエレンたちのその後を容易に想像でき、また精神を削らせていた。

それを防ぐために、彼は少しずつ思い出を消そうとしていた。

少しずつでも苦しみを弱めていき、己の平静を留めようとしたのである。

 

そんな彼にとって、デュノアとの接触は危険極まりない事であった。

 

目の前に現れたのは、愛していたエレンと瓜二つの娘であるシャルロット・デュノア。

ソレを見た瞬間、彼の記憶は大きく揺さぶられた。

消えかかっていた想像が一気に心に舞い戻り、体中を駆け巡ったのだ。

 

そして決め手になったのがあの映像だ。

映像を見た瞬間、彼の想像が現実であったことを知り、最早その感情を止めることなどできなかったのだ。

グルグルと負の感情が回り、何をどうしたいのか自分でも分からなくなってしまった。

そしてその状態で、目の前のデュノアを見て無意識のうちに考えた。

 

今もこの子は苦しみ続けている、と。

 

学園に来るまで散々デュノア社の者たちにいたぶられ、ろくな人生を歩まなかった彼女を見て、彼は助けたいと思ってしまった。

死んでしまったエレンから、そしてデュノアという呪縛からせめて苦しみ続けているこの子を助けたいと。

 

故に考えたのが、「シャルロット・デュノアを娘と思う」ことであった。

 

盗んだデータを渡そうとする前に、岡山は彼女に学園で住むことを勧めようとした。

デュノアという姓を捨てさせ、岡山という名を与えて救おうとした。

 

これがエレンという過去との決別であったのだ。

「エレンの娘であるシャルロット」ではなく、「自分の娘であるシャルロット」として見ることで、彼女にも新しい人生を与えようとした。

そんな彼なりの決意であったのだ。

結局、ソレを言うことは叶わなかったのだが…。

 

到底考えのつかないことだ。

本当は心の根底には、エレンという存在がまだ根付いていたのかもしれない。

エレンの娘というレッテルを理由にしていたのかもしれない。

しかし、彼はその選択をした。

エレンではなく、シャルロットという一人の人間を見ようとした。

 

 

 

そんな彼の思いを、デュノアは察することができなかったのだ。

 

「ひ、ひ…」

 

「…もう、何を言っても変わらない…一生…このままだ…」

 

「やめ…待って…」

 

「僕はもう、お前を助けたいなんて思えない。 …でも、これだけはしてやる」

 

そう言って立ち上がると、岡山は近くの机に置いてあった書類を持って彼女に見せた。

 

「…ここに適当な名字と…名前を…書け。 それでお前は…違う戸籍を手に入れ…られる。 出来れば名前も…変えて欲しいけど…母親から貰ったものだからな…好きにしろ…」

 

「いや…ダメ…」

 

「…やっぱり僕は…「主人公」みたいにうまく出来ないなぁ…どうやっても…無理だった」

 

「いや…行かないで…待ってよ…!」

 

「…じゃあね、「エレンの娘」さん。 もう、二度と僕の前に出てこないで…下さい…」

 

デュノアは必死に彼を呼び止めるが、彼は全く止まらずにそのまま扉を開け、何も言わずに出て行ってしまった。

 

 

 

 

 

「いや…いやだよ…なんで…」

 

たった一人しかいない部屋の中で、デュノアは震えていた。

やっと彼女は岡山の本当の気持ちを知ることが出来た。

望んでいたモノとは多少違ってはいたが、彼は彼なりに自分そのものを見ようとしていたことが分かった。

しかし、全て遅すぎたのだ。

 

「ひ…いや…離れたくないよ…」

 

どう言おうと答えてくれるものはなく、ただ独り言を言い続ける。

 

「いやだ…私を見てよ…愛してよぉ…」

 

頭を抱え、うまく呼吸も出来ない。

碌な思考も出来ない状態で、どうしたら彼に再び見て貰えるかのみを考える。

しかし、全く答えは出てこない。

 

「父さん…太一さん…父さん…太一さん…やだ…消えないで…」

 

そんな時、ふと自分の内ポケットから何かが落ちた。

それは、母親であるエレンが死ぬ間際まで持ち続けていた岡山と彼女が笑いあう写真であった。

彼女が死んだあと、ずっと持ち続けていたのだろう。

その笑顔がデュノアの視線に入り、一気にその心を打ち砕く。

 

「ひぃっ!? いや…いやぁ…!」

 

彼女は、彼に恋をする前のことを思い出したのだ。

父として彼を好きでいた時の気持ち、その純粋な思いを。

ずっと想像していたのだ。

彼と母の間に自分がいて、皆が楽しそうに笑いあう未来。

そんな儚い夢を今になって、思い出してしまった。

 

そして、それすらももう届かない事実が重なり、彼女の心をさらに壊していく。

 

「ぎ…ぎぁ…アアぁぁぁああ゛ア゛!! アアぁぁぁあああアァァぁあ゛あ゛ア゛!!!」

 

感情を抑えきれずに悲鳴を上げる。

結局、彼女は何も得ることが出来なかった。

もう自分を見てくれない。

 

突然ベッドから飛び出ると、そのまま辺りのモノを壊し始める。

椅子を掴んで振り上げると、壁を、床を、ベッドを、照明を、机を、目に映るありとあらゆる物を奇声を上げながら粉々に砕く。

すでに理性など切れてしまっている。

 

「ギィィっ! アアああアァァぁァァアアアアア゛ア゛ア゛ッ!!! ウアァァア゛ッッ!! ギィィァああアア゛ッッ!!」

 

最早原型をとどめている物など存在せず、壊すものが無くなるとようやく彼女は動きを止めた。

フーフーと息を荒げる彼女は瞳孔が開ききっており、歯を食いしばりながらボロボロと涙をこぼし続ける。

どうしたらいいのか分からず、ただ子供のように喚き散らすことしかできなくなってしまっていた。

 

 

 

 

 

そんな時、彼女の眼に床に落ちた「あるもの」が止まった。

それは岡山が自分に残してくれた最後の優しさであった。

デュノアはそれをジッと見続ける。

 

「………」

 

何も言わず、肩で息をする状態でただ見続けていた。

そして、思いついてしまった。

たった一つの「抜け道」を。

 

「………………………………………………ア゛は」

 

喉が潰れてしまい濁った声を出しながら、確かに彼女は笑った。

 

「ア゛は…ア゛ひゃ゛ひゃ゛ひゃ゛ひゃ゛ひゃ゛ひゃ゛ひゃ゛ひゃ゛ひゃ゛ひゃ゛!!!」

 

狂ったように笑いながら、彼女はソレにものすごいスピードで駆け寄った。

 

「ア゛ァッ! ギィィぃッ!!」

 

ソレを掴んで壁に叩きつけると、傍に転がっていたボールペンを握りしめて乱暴に文字を書き始める。

手が震えているために上手くかけず、ミミズが這ったような字になる。

それでも彼女は確かにその名を書く。

 

「ぎゃはぁッ! ヒギヒィひひひゃハハはッ!!!」

 

それは母親が夢見た姿であり、自らが夢見た光景であった。

壊れきった彼女は、ただ彼の愛を求めてソレを書き記す。

母親もなれなかった、彼の隣に居続ける存在。

それになるために。

 

自分を優しく見つめる、父としての彼。

自分を愛する、夫としての彼。

その両方を手にするために。

 

 

 

そこには…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Helene okayama

 

そう書かれていた。

 

「ア゛はァ…」

 

恍惚の笑みを浮かべ、彼女は堕ちた。

もう二度と戻ることは無い。

 




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崩落

偽って手に入れたその幸せも、また偽りであった。


崩落

 

朝、最悪の目覚めだった。

目を覚ますと思い出すのは昨日の事である。

 

(くそ…どうして僕は…)

 

あの後彼はデュノアがいる部屋を出てまっすぐに自室に戻った。

後ろからはデュノアの呼び止める声が何度も聞こえたが、もう相手にする気も起きなかった。

ただ一人の少女を見捨てた事実と、結局助けられなかった自分から逃げたくて、考えることを放棄して歩き続けた。

そして部屋に着くとそのまま何もせず、夜まで銅像のように動かずにいたのだ。

 

しかも、もとより彼女は「登場人物」だ。

関わり合いたいとも思わない。

助けたいという気持ちはとうに死に、今はもう拒絶しかない。

 

(エレン…シャルロット…僕は結局どうしたかったのかな…)

 

目を開き、天井を見ながら考える。

 

(…何を求めてたんだ…織斑一夏を真似して…ハハ…ホントに…救いようがないクズだな)

 

再び目を閉じ、力なく笑う。

デュノアを救う際、彼は「物語」にて織斑一夏がとった行動をヒントにしていた。

デュノアをここに住まわせることも、元をたどればソレが起因となっていた。

織斑千冬に言ったことも、デュノアの今後の扱いについても、主人公である彼を真似たのだった。

確かに、デュノア社を潰すことなどは「物語」にない彼独自の提案ではあったが。

それでも、「物語」を参考にしたのは確かであった。

 

織斑一夏がとった行動を自分が取れば、きっとデュノアを助けることも出来るだろうと本気で思った。

だが、結局は無理だった。

 

その事は十字架のように彼にのしかかり、一生取れることは無いのだろう。

それが悔しく、悲しく、苦しく、どうしようもなかった。

 

 

 

そんな時、彼はある違和感に気付いた。

 

(…? なんだ、この匂い…)

 

部屋中にいつもと違う匂いがあったのだ。

悪臭ではない、むしろ心地いい部類だろう。

しかし、この部屋ではありえない匂いだった。

 

(トースト…それに…肉を焼く匂い…)

 

そして気付いてから暫く経って、ようやくそれが食べ物の匂いであることが分かった。

香ばしい肉の匂いや、暖かいパンの香りが広がっていた。

 

(なんで…一体誰が…織斑千冬? それとも、主人公か…関係者か?)

 

様々な憶測が脳内を駆け巡るが、一向に答えは出てこない。

仕方なく彼は上体を起こし、自分用に作られた簡易な台所を見た。

そして、動けなくなった。

 

 

 

 

 

「あ、太一さんおはよっ。 朝食の用意できてるから、早く起きてね」

 

 

 

 

 

その先には制服の上にエプロンを身に着けたシャルロット・デュノアが、無邪気に笑いながらこちらを見ていた。

 

 

 

「な…何をしてるん…です…」

 

「何って…朝ごはんの用意だよ? 朝なんだから当たり前でしょ…よっと」

 

そう言いながら、彼女はフライパンからベーコンと目玉焼きを皿に盛り、続けてトーストを乗せて岡山の下へ運んできた。

 

「ちが…う…。 僕が言いたいのは…なんで貴方がここに…いるってことだ…!」

 

驚きと焦りでうまく喋れず、途切れ途切れにそう言った。

対するデュノアはワケが分からないような顔をして小首を傾げる。

 

「どうして…私がここに? あはは、変な太一さん。 私たち夫婦なんだから、ここに居るのは当たり前でしょ?」

 

そして何の迷いもなく、さも当然のようにそう言った。

 

「…は?」

 

「もう、もしかしてからかってるの? そんなことする暇があったら、早く一緒にご飯食べようよ………ね?」

 

昨日の凶行が嘘のように、優しく微笑みながら言う。

しかし岡山はその姿を見て、恐怖しか感じられなかった。

昨日の出来事は夢でもなんでもない、現実なのだ。

確かに彼女は自分を攫い、実の父親を殺し、自分に歪んだ愛を告げたのだ。

そんな彼女が、普通の少女のようにふるまっていることに恐怖し、自分を夫としてる事に狂気を感じた。

 

「からかってるのは…お前だろ! お前はエレンに…なりきろうとして…僕を拉致しようとした! 何をバカみたいな…ことしてるんだ!!」

 

「…うーん、もしかして寝ぼけちゃってるの? しっかりしてよ、なんで私が私自身になりきらなくちゃいけないの?」

 

「…は? 今なんて…」

 

「だから、私はエレンなんだから。 自分をマネするなんて意味が分からないよ」

 

一瞬、思考が完全に停止した。

岡山は目の前の女が何を言っているのか、全く理解できていなかった。

すぐに我に返り、目の前の「異形」に話しかける。

 

「…お…お前は…シャルロット…デュノアだ…」

 

「んー………?」

 

「エレンはお前の…母親で…僕の…妻なんかじゃ…ない…」

 

「………」

 

「昨日のことを…忘れた…のか…! …もう…顔を合わせたくも「うるさい」」

 

岡山が最後まで言おうとした時、デュノアはその口を掴んで持ち上げた。

その勢いでもう一方の手で持っていた皿を落とし、床にベーコンやトーストがボトボトと落ちる。

岡山の顔を自分の顔に近づけ、ジッと見つけた。

そのままギリギリと握りしめ、激痛が走る。

 

「…ッ! …ッ…ッ!!」

 

「私はエレンだ。 エレン・岡山。 貴方の妻で、一生を共にする女だよ。 貴方と私はずっとずっと一緒に居た」

 

怒鳴ることも悲鳴を上げることもなく、静かにゆっくりと、岡山を諭すようにデュノアは言葉を続ける。

先ほどまでの快活さは嘘のように消え去っている。

まるで、この部屋で彼女が初めて岡山と会った時のように、容赦など一切なくなっていた。

 

「ぐ…んぐッ…!」

 

「もう一回言うよ? 私はエレン、貴方の妻。 離すことも、離れることも許さない。 ………いい?」

 

ゆっくりと、しかし隙がない。

体中を鎖で縛りつけられたような感覚に陥り、岡山は全く動けなくなった。

 

「…返事は?」

 

「ッ!? …ッ! …ッ!」

 

動くことも喋ることも出来ず、恐怖だけが増えていく。

五月蠅いほどに心臓が鳴り響き、額から汗が止まらない。

 

「…? あっ、ゴメンね太一さん」

 

そんな彼の様子を見てデュノアはやっと手を放した。

自分を落ち着かせるために深呼吸を何度も行う。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ………」

 

「大丈夫? …思い出してくれた?」

 

「ひっ…お…思い出しました…。 貴方は…エレン…です…」

 

「………うん、そうだよ太一さん」

 

彼の一言を聞くと、デュノアはまた満面の笑みを浮かべて岡山の下に駆け寄った。

隣に座ると彼の左手を握り、優しく撫でた。

 

「な…何…?」

 

「んーん、何でもないよ…。 ただ、撫でたかっただけ」

 

壊れ物を扱うようにゆっくりと、何度も何度も撫でる。

その様子が恐ろしすぎて、岡山は身震いが止まらなかった。

彼女の心の中で一体何があったのか、想像がつかなかった。

ただ一つだけ分かったといえば、目の前の彼女はもう「正気」ではないことだ。

 

先ほどから手を撫で続ける彼女は、傍から見れば子供のような無邪気さを持つかわいらしい少女なのだろう。

誰がどう見ても、嫌なところなど全くない最高の少女なのだろう。

しかし、その内には得体の知れない化け物が岡山を捉えていたのだ。

 

「え、エレン…いつまで…撫でてるの?」

 

岡山はデュノアに手を放すように促す。

とにかく、今は少しでもこの場から消えたかったのだ。

目の前の恐怖から離れ、どうしたらいいか一人で考えたかった。

 

だが、これで終わらなかった。

 

 

 

「…え? 何言ってるの父さん、私シャルロットだよ?」

 

 

 

「………は?」

 

デュノアの雰囲気が一気に変わった。

言い様もないが、とにかく先ほどのような大人しい雰囲気が成りを潜め、今度は子供らしい「ナニカ」が現れたのだ。

 

「母さんはもう病気で死んじゃったじゃない、しっかりしてよ! もう、いつまで経っても私と母さんを間違えるんだから…」

 

「え、え…?」

 

「べ、別に父さんがその気なら…私は別に良いけどさ…って、何ボーっとしてるのさ」

 

「…あぁ、ゴメン…」

 

「んー、父さんったらまたお料理こぼして…いつも私が食べさせてあげてるんだから。 無理しないでって言ってるじゃない。 頑張ろうとするのは分かるけど…もっと私を頼ってよね」

 

勝手に喋る続ける彼女を前に、岡山は自分で驚くほど頭がクリアであった。

先ほどの混乱はなく、冷静に物事を考える。

そして、彼はひとつの答えに容易にたどり着いた。

 

 

 

今すぐ、ここを離れなければならない。

 

 

 

(少しでも早く…でないと「呑まれて」殺される…!)

 

その後の行動は早かった。

 

「あれ、どうしたの父さん? いきなり立ち上がって」

 

「…散歩に…行ってきます」

 

「そっか、分かった。 …危ないし、一緒に行こうか?」

 

「大丈夫…です…。 一人で歩きたい…から…」

 

彼女の提言をやんわりと断り、彼は急いで部屋を出た。

扉を閉めるその時まで、デュノアは彼をジッと見続けていた。

クルクルとナニカが入れ替わる彼女であったが、その眼だけは最初から変わらず歪んでいた。

 

 

 

 

 

「………」

 

部屋を出て数m歩いて階段の近くまで進むと、彼は立ち止って独り言のように喋りだした。

 

「…アレは…なんです…?」

 

「………」

 

「どうせどこかに…隠れているんでしょう? …納得がいく…説明を…お願いします…織斑…先生…」

 

「…分かった、伝えよう」

 

階段の影より、織斑千冬がゆっくりと現れた。

その様子は優れているとは思えず、目の下に薄らとクマも出来ている。

 

 

 

 

 

「…今のデュノアは…二重人格に近い形になっている」

 

「二重…?」

 

「あぁ、そうだ。 アイツはお前に娘としての愛と、妻としての愛を求めていた。 だが、それが手に入らないと分かって…両方の自分を作ったんだ」

 

聞いただけで震えが止まらなくなった。

昨日の凶行から一日しか経っていなかったというのに、デュノアは完全にその精神を壊してしまったのだ。

しかも、成り代わりの相手は実の母親なのだ。

もう元に戻れないのだろう、本当に一生続くのだろう。

 

そして、もう一つ。

 

「…やっぱり、昨日の事も見ていたんですね…」

 

淡々と話し続ける織斑千冬に、彼は睨みながら憎々しげに言う。

彼女は岡山とすれ違ったのち、何も干渉せずにそのまま帰る手筈になっていた。

織斑千冬もそのことを了承していたはずだ。

それなのに、昨日のことを持ち出してくるということは、監視がされていたということになる。

 

「っ、い、いや…さすがにあの状態のデュノアと…二人っきりにさせるのは…」

 

「………」

 

「…すまない…だが分かってくれ。 お前になにかあったら…私は…」

 

「…何を今更言ってるんです。 …まぁ、そんなことはどうでもいいですけど」

 

顔をさらに暗くさせて理由を話そうとする織斑千冬を無視して、彼はそのまま何処かへ行こうとする。

その様子に彼女は苦しそうな表情をし、体を震わせていた。

しかし、何とか持ちこたえて彼の隣に寄って行った。

 

「お、岡山…デュノアは…どうするんだ?」

 

「………」

 

「あの娘は危険な状態だ。 お前さえ頼んでくれれば、何時でも引き離すこともできる」

 

「………」

 

「…無言は肯定…ということで…いいのか?」

 

そう言い続ける彼女に、岡山はようやく反応した。

 

「…あの子は…ウチに居させます」

 

「ッ!? な、何故だ!」

 

「貴方たちに任せて…その後どうなる? 良くて一生病室…それかモルモットか? 適性の高い…操縦者は、女性でも…重宝される…からな」

 

「っ、そんなつもりは…」

 

「…貴方たちの…ことは…信用していません…。 とても任せられない…」

 

「し、しかしだ! お前はもうあの娘を助ける理由がないだろう! 昨日あれ程のことをされて…なんでまだ助けるんだ…!」

 

いつの間にか、織斑千冬は彼の肩を掴んでいた。

必死の形相で彼に疑問の言葉を投げ続け、その手の力を強くさせていく。

その痛みに耐えきれず、岡山は顔を歪ませる。

 

「ぐ…うぅ…」

 

「それにあの娘も…「物語」の一人だろう! お前は毛嫌いしている筈だ…それなのに何故!」

 

「…あの子は…エレンの娘だ。 一緒に暮らす…それだけだ…それ以上もう何もしない」

 

そう言いきって、彼は左手で織斑千冬の手を払った。

力強く握っていたのに、その手は簡単すぎるほどにスルリと取れた。

彼女は呆然と彼を見つめているが、岡山は全く気にしないでその場を立ち去る。

 

「もう話すことは…ないですよね…では、外に出てきます…さようなら」

 

「ま、待て…岡山…デュノアは…」

 

「………」

 

彼女の呼び止めに全く反応せず、彼は外へ向かっていく。

ノロノロと、いつものように足を引き摺って歩く。

彼女はもう何も言えなくなり、彼の姿が見えなくなるまでその弱弱しい後姿を見るしかできなかった。

 

 

 

 

 

「…おか…やま…」

 

そして彼の姿が完全に消えると、彼女はその場に力なく座り込み、堪え続けていた涙を流した。

 

「く…うぅ…」

 

何時もなら堪えることが出来ただろう、今までも耐え続けてきたのだ。

しかし、今回だけは出来なかった。

 

「なぜ…だ…」

 

彼はまた選択を誤ったのだ。

デュノアは無条件で助け、その理由を織斑千冬にしっかりと言わなかった。

「エレンのため」という理由は、彼の空白の過去を知らない彼女からしてみれば曖昧で不鮮明な理由でしかないのだ。

 

そして、その足りな過ぎる事実が、織斑千冬を蝕んだ。

 

 

 

「なんで…デュノアは助けるんだ…太一…!」

 

 

 

脆い心は、たった一つの変化で全てを無くす。

彼女もまた、もう戻れない人間なのだ。

 

 




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災害

遂に再会する、全ての根源に。


災害

 

「…臨海…学校…?」

 

「そうだよ太一さん、今度の月曜日からクラスの皆と一緒に行くんだ」

 

梅雨が開け、夏も半ばを過ぎようとする頃、突然岡山はデュノアからそう伝えられた。

 

臨海学校。

 

岡山の記憶が正しければ、ソレは「物語」の進行過程の中で主人公達が成長する重要なターニングポイントであった筈だ。

すっかり忘れていたが、時期的に見てもそろそろ頃合いである。

 

「そう…ですか…。 では、楽しんで来て下さい…」

 

小声で媚びるように、岡山は引きつった笑みを浮かべて答える。

デュノアが正気を失って以来、彼は毎日彼女に対してこんな調子である。

自分を父として見ている時も、恋人として見ている時も、まるで不発の爆弾を扱うように丁重に扱っている。

 

否、扱わなくてはならなかった。

少しでも彼女の「矛盾」に触れてしまうと、途端に彼女はその激情を露にする。

首を絞め、腹を殴り、体中を蹴り付ける。

そうしながら、彼女は涙を流しながら叫ぶのだ。

 

私はシャルロットだ。

私はエレンだ。

 

その二言を何度も交互に言い続け、岡山の謝罪が耳に届くまで暴行を続ける。

そんな毎日を同じ部屋で過ごし続けた結果、彼が取った行動は服従であった。

 

捨てようと思った時もあった。

なんでこうまでしてこの娘を庇わなくてはならない。

さっさと織斑千冬にくれてやれば良い。

そう何度思った事か。

 

しかし、その度に彼の中で本物のエレンの姿が浮かんだ。

本気で愛した彼女の娘を、見捨てるなんてできなかったのだ。

故に彼はいつも寸前の所であきらめ、彼女に従っていた。

 

そしてそれは、今も続いている。

 

 

 

「…何言ってるの? 父さんも一緒にくるんだよ? 織斑先生にもちゃんと許可貰ったんだからさ」

 

 

 

故に、彼は断れない。

最も近づきたくない連中と、否が応でも接する事になるであろう場所に、自分の意志とは無関係に。

 

「………そんな」

 

「…そんな…何かな?」

 

曰く、父とは娘の頼みを断れない。

曰く、男は恋人の望みを必ず果たす。

 

彼女が持っている歪んだ知識の一つだ。

ほんの少しの拒絶も、デュノアの脆すぎる精神の前にはダイナマイトと同等である。

 

「ひっ…分かり、ました…。 一緒に行きます…」

 

「…フフ、だったら良いんだよ、父さん」

 

そう言って、彼女は微笑むと立ち上がり部屋を出ようとする。

 

「そろそろ授業が始まるから、私は言ってくるけど…太一さんは部屋から出ちゃダメだよ? 私がいないと、太一さん何も出来ないんだから」

 

その瞳に二度と光は宿らないだろう。

真っ黒な眼は岡山以外の何者も受け入れず、そして彼のみを奥底へと引きずり込もうとする。

そんな瞳を、彼は受け入れなくてはならない。

 

「…はい、分かっています」

 

「…その敬語も、いつかはちゃんと直してよ? 私、父さんの娘なんだから敬語なんて要らないよ」

 

そうして彼女は部屋を出て、岡山に自由が訪れる。

深くため息をつき、全身の力をようやく抜く事が出来る。

 

「…どうしろっていうんだ」

 

あぁ言ってしまった以上、臨海学校自体が中止になるくらいの事が無ければ参加は避けられない。

そしてそれを止める術は、岡山にある筈も無い。

 

「行きたくない…でも、行くしかない…」

 

行かなければ、またデュノアは自分を襲うだろう。

その上で、引きずってでも連れて行くのだろう。

ならば自分に許される行動は、一つしか無い。

 

「…畜生」

 

誰もいない部屋で誰に対してでもなく。

敢えて言うならこの世界そのものに対して、彼は小さく悪態をつくことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから数日後、結局彼は何も出来ずIS学園を後にする。

バスに乗せられて数時間、少々の休憩を挟んで目的地まであと少しという所。

真っ白な砂浜、美しい青の海。

夏を象徴する壮大な光景がそこにあった。

 

これを見て興奮しない者はいないだろう。

まだ到着していないのに女生徒達の何人かは既に水着になってしまっている。

恐らく制服の下に着て来たのだろう、着いた瞬間に飛び込む勢いだ。

そんな彼女達を山田は優しく注意し、織斑千冬は頭を悩ましていた。

織村一夏達も興奮を収められないのか、着いてから何をするか楽しそうに話し合っている。

 

そんな彼の隣、一番奥の隅で岡山は丸くなって座っていた。

夏だと言うのに毛布にくるまり、全ての介入を拒否するかのように瞳を閉じている。

 

「岡山さん、着いたら何しましょうか?」

 

そんな彼に、織斑一夏は全く恐れる様子も無く話しかけた。

 

「…と、特に何も…」

 

岡山は突然の質問に驚きながら当たり障りの無い返答をする。

 

「だったら着いてから俺たちと一緒に行動しませんか? 一人でいるより皆といる方がきっと楽しいですよ!」

 

一切の邪気を感じさせず、織斑一夏はそう言った。

だが岡山からすれば、その誘いは苦悶の一言でしかなかった。

今此処で彼等の傍にいるだけでも辛く、堪え難い苦痛なのだ。

行動をともにするなど論外だ。

 

「い、いえ…私の事は気にしないで…皆と楽しんで下さい」

 

「そんな事言わないで、千冬姉ともしっかり話ができると思いますから!」

 

巫山戯るな、そう言ってやりたい。

抱きかかえるように持っている杖で殴りつけてやりたい。

 

「本当に…大丈夫ですから…少し、やりたい事もありますので…」

 

「そうですか…だったら一度は千冬姉の所に言って下さいね! 今日までに貴方に見せるんだって水着を選んで…」

 

「余計な事を言うな、織斑! それに貴様ら、浮ついてるのも良いがそろそろバスを出る準備をしろ。 目的地まであと少しだ」

 

織村一夏が何かを言おうとした瞬間、織斑千冬は彼に対して強烈な拳骨を食らわせ気絶させてしまった。

男一人をたった一撃で易々と気絶させてしまう彼女を、そして隣で白目になって気絶している彼を見て、岡山はもう何も思う事は無かった。

 

ただ、この悪夢のような時が少しでも早く終わる事だけを祈り続ける。

 

 

 

 

 

旅館につき、簡単な荷物の整理をした後で彼は女生徒達とともに砂浜へと出た。

共に、と言っても一時間程後でだが。

 

彼は用意された織斑一夏との相部屋で人の気配が無くなるのをじっと待っていた。

織斑一夏はもう一度彼に一緒に行く事を勧めたが、岡山はやる事があると言って丁重に断り、その場に居続けたのだ。

 

「…そろそろいいかな?」

 

そう呟き、彼はようやく重い腰をあげた。

生徒達が動き出して一時間経過した、もうさすがに旅館に残っている生徒はいないだろう。

今出れば誰にも接触する事は無い。

 

他にも方法はあっただろう。

そもそも、接触を無くしたいのなら部屋から出なければ良い。

風邪を引いたとでも言い訳をすれば、デュノアも手荒な真似はしない筈だ。

しかし、彼にはソレが出来なかった。

 

原因はデュノアにあった。

彼女はこの数日、今まで以上に彼と一緒にいる時間を増やした。

仮病を使って授業を休む時があったくらいだ。

デュノアは臨海学校を「岡山と共に旅行に行ける」という認識でしか見ていなかった。

口では他の生徒達と、などと言っていたが結局は見ているのは彼しかいない。

 

何処までもしつこく、執念深く、彼の事のみを考えていた。

故に、デュノアは当日まで彼に異常が起きないように徹底的に管理した。

万全の状態で彼とのバカンスを楽しむために、一切を見ていた。

そしてそれは今も変わりない。

 

「………」

 

彼女は岡山を見続けている。

人の気配が消えている筈の廊下から、少しだけ襖を開けて覗き込んでいた。

真っ黒な眼を限界まで見開き、彼が準備を終わらすのを待ち続けていたのだ。

 

「…すぐに…行きます…」

 

故に、彼はまた抵抗できなかった。

部屋を出ると、デュノアは満面の笑顔で岡山の手を取り、ゆっくりと浜辺へ向かっていった。

 

 

 

 

 

「海、綺麗だね太一さん」

 

「はい…そうですね…」

 

「あ、そういえばさ。 この水着新しく買って来たんだけど…似合ってるかな?」

 

「…似合っていると…思います…」

 

「そ、そっかー…ありがとね父さん。 父さんが褒めてくれるなら、私も選んだ甲斐があったよ」

 

淡々と、どこか狂っている会話を延々と繋げる。

デュノアと岡山は二人きりで砂浜をゆっくりと歩く。

その時も彼女は岡山と手をつなぎ、全く話そうとしない。

他の生徒達が二人を見ながら嫌な意味でざわついている中、一切気にせず自分の物だと言わんばかりに強くその手を握る。

 

「…太一」

 

その中には織斑千冬もいた。

十人中十人が注目するであろう、黒色の悩殺的な水着を纏う彼女にいつもの覇気はなかった。

彼女は悲しげに彼を見つめ、だがしかし動く事が出来ないでいた。

弟達も自分に協力してくれたというのに、その足を動かせなかったのだ。

二三言葉を交わせるだけでも良い、そう思っていたが、それすらも拒絶されるのではないかと恐怖してしまったのである。

 

今回で仲が修復するなどとは微塵も思っていない、しかし少しでも彼と話がしたかった。

恨みの一言でも、言ってくれればソレで良かった。

だが一度恐怖してしまうと、その足はもう動かせなくなってしまった。

一歩も彼に近づけない、その事実が彼女を一層焦らせる。

 

「太一…私は…」

 

拳を握りしめ、声を震わせる。

せめて彼の聞こえない場所で、その名を呼ぶ事しか彼女には出来なかった。

 

 

 

それから数時間、結局織斑千冬は結局夜になるまで彼に話しかけられなかった。

その間、延々と彼の隣に居続けたデュノアに対し言いようもないドス黒い感情をむき出しにしながら、それでも彼女は動く事も出来なかった。

それに気付いていたのか、デュノアは時折織斑千冬がいる方向を見ると、彼女に向かって不敵に微笑んでいた。

固く握るその手を見せつけながら、狂った笑みを浮かべていた。

 

そして岡山は、ひたすら何も考えないでいた。

抵抗もせず、最低限の言葉しか発さずに、いつものように媚びた笑みを浮かべ、ただその時が過ぎるのを待ち続けていた。

 

彼も遠くから織斑千冬がこちらを見ているのには気付いていた。

しかし、だからどうしたというのだ、と言わんばかりに無視し続けた。

反応しようが無視しようが、今の状況は変わらないだろう。

ならば何をしようとも無駄、そもそも視界にすら入れたくないのだ。

そしてとりあえず彼は夜までその危うすぎる状態を維持し続け、難を逃れる事に成功したのだ。

 

 

 

その夜、岡山は「歩きすぎて疲れた」と言って夕飯を後にした。

本音を言えば、すぐに眠りにつきたかったのだ。

あの人物達相手に無傷で一日を終わらせる、彼からしてみれば奇跡でしかなかった。

一切共感を得られない達成感を胸に、彼は敷いてあった布団に倒れ込み瞳をとじる。

 

(多分、織斑一夏は帰って来たら僕に何か仕掛けてくるだろうな…どうせ逃げれないなら、今だけでも休んでいたい…)

 

そう思い、彼は眠りについた。

完全な静寂、彼の安眠を邪魔するものはない。

ゆっくりと流れる時に心地よさを感じながら、彼は久しぶりに安息を得た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んふぅ…えへへ…」

 

はずだった。

 

彼が眠ってから数十分後、彼は不快な何かに強引に起こされた。

 

「ふぅ、ん…はぁ。 あったかぁい…ん…」

 

聞き覚えが有る様な無い様な。

どちらにしても彼がその声から感じるものは良いモノではなかった。

 

「それにしても…細い腕だなぁ…。 私でも折れちゃうくらい…フフ」

 

全身が何かを押し付けられる感覚。

恐らく何者かが自分の上に乗っかっている。

しかし、ソレが誰なのか分からない。

 

眠っているフリをしながら考える。

 

(デュノアはこんな声じゃない、織斑千冬も…でもアイツら以外でこんな行動をとるヤツなんて…)

 

「あ、やっぱり起きてるんだ。 寝たフリも下手だね、たっちゃん」

 

「………ひっ!?」

 

それを聞いて、記憶の奥底にあった恐怖を思い出す。

幼い頃、織斑千冬とともに自分に苦痛を与え続けた者。

唯一自分の異変に気付きながら、それでも笑いながら自分を痛め付けた者。

自分をその名で呼ぶのは、彼女しかいない。

 

一瞬で思い出し、眼を開けてその存在を確認する。

違う者であってくれ。

今ならデュノアだろうと織斑千冬だろうと誰でも良い、アレ以外なら何でも良い!

 

そう願いながら自分の上に居座る存在を見る。

 

 

 

「アはッ、久しぶりだね。 たっちゃん…くひっ」

 

 

 

しかし彼の願いは届かなかった。

目の前にはとあるおとぎ話の主人公を思わせる水色のドレス、鮮やかな紫色の髪、そして機械仕掛けのウサ耳が見えた。

 

彼を起こした者の正体は、かの有名な最高にして最悪の科学者、篠ノ之束であった。

 




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悔恨

奪われ、消えていた。


悔恨

 

「ひ…ぎぁ…!」

 

「んー? どうしたのたっちゃん? あ、分かった。 私と久しぶりに会えて嬉しいんでしょー! 感激で声も出ないとか! 嬉しいなぁ!」

 

的外れな事を早口で言いながら勝手に自己解決し、篠ノ之束は馬乗りの状態で心底嬉しそうに顔を恍惚とさせる。

しかし、当の岡山はそんな事を否定する余裕すらなかった。

なぜ篠ノ之束がこんなところにいるのか分からない、理解したくもない。

だが、自分の全てが警鐘を鳴らしているのだ。

 

(コイツだけはダメだ…! コイツだけは…何が何でも…!!)

 

そう思い、岡山は渾身の大声を上げようとする。

なぜかは分からない、理由が自分でもハッキリとはしないが、彼女と対峙する事だけは避けなくてはならない。

 

最早織斑千冬が来る事やデュノアの存在など知った事ではなかった。

ただ目の前の悪魔から逃げ出したい、その一心だった。

 

「だれ…ッ!?」

 

しかし、それも篠ノ之束によって阻まれた。

彼女はあたかも「最初から分かっていた」かのような滑らかな動きで両手を彼の口に当てると、自分の顔を目の前まで寄せて来た。

 

「フフ…させると思う? たっちゃんが考えてる事なんてさぁ…私が分からない訳無いでしょ?」

 

視界全面に篠ノ之束の顔が映り、岡山の震えがより一層大きなものになる。

岡山にとって篠ノ之束という存在は嫌悪でしかない。

昔与えられた堪え難い苦痛だけでなく、「物語」から感じられる彼女の狂気は岡山を忌避させるには十分すぎる程だ。

 

そんな彼の事などおかまい無しに、彼女は岡山の口を抑えたまま彼の胸に顔を埋めて来た。

 

「んふふぅ…久々のたっちゃんだぁ…ずっとずっとこうしたかったよ…アはッ」

 

まるで子どものように、篠ノ之束は彼に甘える。

しかし岡山は猛獣に首筋を狙われている様な感覚に襲われ、そのせいで恐怖で呼吸すらまともに出来ていない。

 

「スーッ…はぁ。 いい臭い…たっちゃん…たっちゃぁん…きひ」

 

そう言って自分に頬擦りをする彼女を前に彼はただ震えることしか出来なかった。

 

 

 

 

「…ねぇ、たっちゃん」

 

数分後、彼女は唐突に岡山に話しかけてきた。

 

「………」

 

「今の私、見てどう思う?」

 

この場をどう打破するか。

その方法を考えていたとき、不意に篠ノ之束が意図の読めない質問を投げかけて来た。

 

(どう思うか…だと…? そんなの、すぐに消えて欲しいに決まってるだろうが…!)

 

口を塞がれているために言葉を話せないが、代わりに睨みつける事でその気持ちを伝える。

ソレを見て篠ノ之束はなぜか落胆したかのように肩を落とした。

 

「はぁ、やっぱりまだ無理か…今出来上がってる方が楽だけど…まぁ、コッチの方が楽しいかな…フフ」

 

また理解の出来ない独り言を言いながら、彼女は背筋が凍る程冷たい笑みを浮かべた。

岡山はその笑顔を見た覚えがある、彼女が自分に対し劇薬を押し付けてくるときと同じモノだ。

 

その笑顔だけで、岡山は彼女が何かを仕掛けてくる事を予測できた。

故に、意地でもその場から逃げようとする。

動く手足を必死にばたつかせ、全身を動かして彼女を押しどけようとする。

しかし篠ノ之束は彼の抵抗などおかまいなしにその場に居続け、気味の悪い笑みを浮かべるのみ。

 

 

 

「…フフ、フフフ。 ねぇ、たっちゃん。 面白い話してあげようか?」

 

 

 

ただの一言。

全く意に介す必要もない、筈だ。

しかし、岡山はその言葉に途方も無い悪意を感じた。

まっすぐ自分に向けられた言葉は正確に彼を射抜き、意識を向ける事を余儀なくさせる。

 

故に、彼は見てしまった。

必死に見る事を避け続けた、彼女の眼を直視してしまった。

 

「………ッ!!?」

 

その眼は、最早人間のソレと言っていいか分からないナニカであった。

光が無い、底の見えない瞳。

そんなものはデュノアだってそうだ、毎日見ている。

 

だが目の前の化け物は違う。

感じ取れるのだ、ただの凡人である筈の自分ですらも。

真っ暗な瞳の深淵に、今まで見た事が無い様なドス黒い闇が見える。

まるで自分を一瞬で引き込もうとしているかのように、揺らぎ蠢いているのだ。

何をすればその眼を持つ事が出来るのか、分からない程に。

 

そんな瞳を持つ少女は、目の前で怯える男を前にハッキリとした口調でこう言った。

 

 

 

 

 

「…貴方が今まで受けた痛み、全部私の仕業だったとしたら…どうする?」

 

 

 

 

 

たった一行の文。

至極簡単な言葉を理解するのに、岡山はたっぷり数分かけた。

そしてかけた後も、理解できていなかった。

 

「あれぇ、いまいちピンときてないようだね…よし。 この束さんが全部教えてあげようか」

 

そんな全く追いついていけてない岡山を気にせず、篠ノ之束は全てを話し始めた。

 

「まずは…そうだね。 前提としてだけど、私は今までたっちゃんの事をずっと見てたんだ」

 

さも当然のようにそう言うと、彼女は岡山を抑えていた両手の一方を放して空を切るように人差し指を横に引いた。

するとそこに画面が現れ、この場ではないどこかを映し出す。

 

「…!?」

 

「ふふ、たっちゃんにとっては思い出の場所かなぁー? ちょっと長い旅行先だよねっ!」

 

岡山はソレを見て愕然とした。

見覚えのありすぎるその光景は、かつて彼が働いていたホテルのロビーであった。

 

「あ、ちなみにたっちゃんが生活してた部屋の映像もあるし、逃げた後に暮らしてた路地裏も見れるよ、ほらっ!」

 

篠ノ之束が楽しそうに何かを操作すると、画面はどんどん切り替わり、様々な場所を写していく。

そして、その全てが彼に覚えがある場所だった。

 

「………ッ」

 

「これのおかげで私はたっちゃんの毎日を知る事が出来たんだよ! 離れててもずっと貴方の事を知る事が出来たんだよーえへへっ!!」

 

恐ろしいまでに無邪気に、楽しそうに篠ノ之束は説明していく。

 

「だからこそ、エレー…誰だっけ? まぁどうでもいいや、たっちゃんがソイツと仲がよくなった時にはすぐに「持ち主」に連絡してあげたんだよ、えっへん!」

 

胸を張って誇らしげにそう言った彼女を岡山は驚愕の眼で見ていた。

 

目の前のこの女は今なんと言った?

連絡した?

持ち主?

 

(持ち主って…デュノアのヤツのことか…!? つまり、アイツがあのホテルに来たのは偶然じゃなくって…コイツが…!!)

 

「あれ、もしかして偶然だとか思ってたの? いくら何でもソレは無いよぉ。 世界中の国の中から、しかもあんなボロッちい宿を選ぶなんて、それこそありえないよ。 私が連絡したからこそ、あんなに早くたっちゃんは助かったんだよ?」

 

(助かったって…何がだよ!? コイツは何を言ってるんだ!?)

 

まるで追いついていけない。

今まで全てを監視されていただけでも衝撃的だったのに、それ以上の事を簡単に伝えられてしまったのだ。

思考が上手くまとまらない、しかし。

 

(コイツのせいでエレンは…!!)

 

憎悪を爆発させるには十分だった。

眉間に皺を寄せ、目尻に涙を溜めながら先程以上にキツく睨みつける。

本当ならば暴れて存分に痛めつけた後に殺してやりたい。

それほどまでの怨嗟を込め、目の前の怨敵を射殺すように睨む。

 

だが篠ノ之束はそれでも動じない。

むしろ満足げに何度も頷きながら顔を恍惚とさせて頬を染め、そのまま話を続け始めた。

 

「…きひっ、良いよ。 それだけでも十分「たっちゃん」らしいなぁ。 …でもこれだけじゃないよ。 これだけじゃ絶対にダメなんだから。 実を言うとねぇ…」

 

理解できない事を一人で勝手に喋りながら、彼女はポケットから何かを取り出した。

それは何度も見た事があるカプセルであった。

昔、自分が何度も飲まされた薬である。

彼女はその薬を指先で遊ばせながら言葉を続けた。

 

「たっちゃんは見覚えあるかなぁ、くふふ。 この薬、ただの薬じゃないんだよねぇ」

 

彼女は器用にカプセルを割ると、その中身を岡山に見せて来た。

中には液体か何か入っているかと思ったがそうではなかった。

 

ソレはとても小さいが、確かに形を作っていた。

黒ずんだ灰色の様なソレは堅く、無機質な感じがする。

彼は「知識」あってか、それが何かの機械である事がすぐに分かった。

 

だが、正体が分からない。

 

(なんだ、それ…。 僕に一体何を飲ませたんだ…!?)

 

「ねぇ、たっちゃんはモスキート音って分かるかな?」

 

とても楽しそうに、自分の発明品の説明を続ける。

 

「アメリカで作られた音響機の一種でね、迷惑な人を追っ払ったり、防犯にも使われてるんだよ。 耳元で蚊が飛んでると鬱陶しい音がするでしょ? 要はあれを人工的に作ってるんだ」

 

ソレ自体は岡山も聞いた事がある。

実際に聞いた事は無いが、例えば建物の入り口付近に設置すればソコにたむろする不良達は激減する、程度の知識はあった。

 

(…でも、それがどうしたんだ…?)

 

「あれ、まだ分かんないかな? さすがにちょっと鈍すぎるんじゃないかな、たっちゃん?」

 

未だに困惑している岡山を見て、篠ノ之束は引き気味で彼を見つめた。

しかし、当の岡山は分からないのだからどうしようもない。

 

「う、うーん。 これは…どうしようかなぁ…」

 

カプセルを持っている手で頭を抱え、顔を伏せて悩んでいる様子であった。

 

(…くそ、なんだ。 コイツは何が言いたい!?)

 

必死に彼女が言おうとしていることを考えていると、突如篠ノ之束に異変が起きた。

 

 

 

「く、くふふ…」

 

 

 

彼女は笑いをこらえているようだった。

よく見ると頭を抱えていた筈の腕は腹部に持っていかれており、プルプルと全身を振るわせている。

 

「く、きひ…あははははははひゃひゃひゃっ!!!」

 

「ッ!?」

 

そして、いきなり爆発したかのように大きな声で叫ぶように笑い出した。

その笑い方はデュノアのソレにとてもよく似ており、そして彼女以上に禍々しいモノだった。

 

「分かってるよぉ、たっちゃぁん!!」

 

刹那、彼女は突然馬乗りのまま顔をもう一度岡山に向けて来た。

鼻と鼻が当たりそうな程に近い距離で、眼を見開きまっすぐに岡山を見つめる。

 

「たっちゃんは私が全部全部教えてあげないといけないもんねぇっ! くひひ、だから教えてあげる、たっちゃんに飲ませてたのはそのモスキート音を発する機械だよ!」

 

楽しそうに、心底楽しそうに。

一息で早口に言い続けるその姿に、岡山は碌に思考を働かせる事等出来なかった。

 

「あれ、あれぇ? どうしたのたっちゃん? くふ、ポカーンとしちゃって…アはハはッ!」

 

0距離で、彼女は止まらず叫び続ける。

 

「この音の凄い所はねぇ、聞こえる人と聞こえない人の区別が存在する所なんだぁ! 聞こえる人は聞くだけで不快になって、聞こえない人には何も問題がない。 私は子どもの頃にソレを作って…きひゃひゃっ! タッチャンに飲ませたんだ!」

 

「………ッ! …ッ!?」

 

彼女の言葉を全て理解できてはいない。

それでも、その危険性だけは岡山にも十分に察知できた。

しかし、助けを呼ぼうにも篠ノ之束に口を塞がれ、人語を発する事が出来ない。

彼女の狂言とも言える程の凶悪な事実を、ただ聞く事しか出来なかったのだ。

 

「聞こえるようにしたのはたっちゃん自身や私、あとちーちゃんとか箒ちゃん達の「家族」以外の奴らかな。 同じくらいの年のね。 なんで誰もたっちゃんに話しかけすらしなかったか分かった? そりゃそうだよね、近寄るだけで頭が割れる程の怪音がするんだもん。 遠ざかっちゃうよねぇ、ねぇ!? すごいでしょたっちゃんっ!!」

 

確かにそうだ。

思い返せば子どもの頃、「物語」の人物以外の人達と話をした事がない。

それどころか、自分が近づくだけで離れているばかりだった。

あの時は単に痛めつけられた自分が見ていて気持ち悪かったからと思っていたが。

 

「まっ、単純に体が痛くなる様な薬もいっぱい飲ませたけどさ、一番多く飲ませたのはこの薬かな。 欠点があるとすれば、飲ませてから一週間もしない内に作動しなくなっちゃうから定期的に飲ませる必要があった事かな」

 

そんなことを変わらない調子で言い続ける彼女を見ながら、岡山は疑問に思った。

彼女は今、聞こえる相手を子どもにしたと言った。

なら、大人達はどうなんだ?

 

(いくら気味悪がっても、誰も話しかけすらし無い事なんてありえない…どういう…)

 

「あ、もしかして大人はどうとか考えてる?」

 

まるで筒抜けているかのように、篠ノ之束は岡山の考えを的中させる。

それに驚き目を見開く岡山を見て、彼女はまた満足げににんまりと微笑む。

 

「フフ、さっきから言ってるでしょ。 たっちゃんの考える事くらい、私には全部分かっちゃンだからね。 …まぁ、偉そうにしてた奴らは皆脅したよ、簡単でしょ? 表面は良くても、中身をちょっと調べたら汚い所なんかいくらでも出てくるからね。 ソレをネタに全員ちょっとお話ししただけだよ」

 

(そんな、そんなこと…いや、コイツならあり得るのか…くそ、なんだ、コイツは…)

 

平然とあり得ない事を言い続ける彼女を前に、岡山は遂に抵抗する意思すら無くし、人形のように黙って話を聞き続ける事しか出来ない。

 

(もういい、もうなんでもいい。 早く終われ)

 

彼女が昔どんな事をしたのか一応分かった。

もう十分過ぎた。

抗う気持ちももう起きない、さっさと満足して消えてくれ。

そう思うようにまでなった。

 

しかし、聞き流し始めていた彼女の話の中で一つだけ、気にかけざるを得ない一言があった。

 

「…あぁ、そういやたっちゃんの両親だけは違ったね」

 

それは自身のこの世界での親であった。

まさか、この化け物は自分の両親達にも何か洗脳まがいのことや脅しをしたりしたのか?

そう思うと、消えかかった怒りがまた戻って来た。

 

(コイツ、いい加減にしろよ…どれだけいたぶれば気が済むんだ…!)

 

そんな事を考えていたが、彼女が次にいった一言で全てを消沈させる事となった。

 

 

 

「確かたっちゃんの親は…お金をあげたんだっけか。 うん、そうだそうだ思い出した! アイツらは一番簡単にたっちゃんから離れてくれたんだよ!」

 

(…は?)

 

「ん? どうしたのたっちゃん? …あぁそうか、アイツらたっちゃんの前では最後まで良い顔してたもんね。 こればかりは分からないのも無理ないね」

 

彼女は変わらず一人で納得し、勝手に話を続ける。

そこに一切の揺らぎは全くない。

 

「たっちゃんの家族ね、本当はもう破綻してたんだよ? 男の方は仕事してないし、昼間はずっと遊んでたんじゃないかな? 私が依頼したようにスーツ着込んで、たっちゃんの前ではサラリーマン気取ってたけど。 女の方もほとんど変わらないよ。 風俗…ホストって言うのかな? そんなのにハマって、勝手に遊び散らしてた…どうしようもないクズ共だよ 信頼なんて、あるワケないね。 ホント、お金をあげてたとしてもよく保ってたって驚くくらいだよ」

 

信じれなかった、信じたくもなかった。

彼が今まで歩んで来た人生の中で、親と言う存在は確かに信じる事が出来る数少ない存在であった筈だ。

自分が家を出る直前も、自分を守れなかった事を泣きながら謝ってくれていた。

むしろ、黙って出て行った事を申し訳ないと思っていた。

いつか、殴られたとしても謝りたいと思っていたこの世界で唯一の相手。

 

「本物」でないとしても、それが彼にとっての「親」であった。

 

「…信じたくない? じゃあこれ、見てみなよ…くふふ…お笑いだよ、コイツらっ、アハは!!」

 

彼女はそう言いながら、彼に何枚か写真を見せて来た。

そこにはパチンコ屋で店員に鬼の形相で殴り掛かる父親と、チャラチャラした男共に囲まれて馬鹿笑いする母親が。

そして、自分がいない家で見た事もない酷い表情で罵倒し合う二人が写っていた。

 

「………ふ…く…」

 

あの優しい父親は、あの優しい母親は。

自分が話しかければ、いつも優しく微笑み大きな手で頭を撫でてくれた父親は。

自分が帰って来た時には、いつも台所で笑って迎えてくれた母親は。

 

なんだったのか。

この目の前に写っている父や母に似た人達は、一体なんなのか。

 

「どう? どう!? たっちゃんどんな気持ちかなっ!? たっちゃんにも分かりやすく教えてあげようか? 貴方が信じてたモノは、全部全部、ゼェーンブ、最初からなかったんだよ!! 親共はクズ、教師は最初から無視。 頼れる存在なんて無いんだよ! これからもずっとずっと、たっちゃんは一人ぼっちだよぉ!! アハはハははッ! キヒャヒャヒャヒャッ!!」

 

「ふ…ぅ…くぅ…」

 

口を抑えられ声を発せられない。

身動きも録に取れない。

そんな状態で、彼に許されるのは唸るように泣く事のみであった。

 

目の前の化け物に、最初から全てを奪われていた。

信じていた者は、全て偽物だった。

その事実が、悔しくて悲しくて虚しくて…上手く纏める事もできない。

 

「ぅ…うぅ…ふ…」

 

「キヒヒヒ、あれぇ!? どうしたのたっちゃん、何がそんなに悲しいの!? 別に最初っからないものなんだから、悲しむ必要なんてないでしょ? ほら、笑いなよ、アはははははははッ!!!」

 

狂い、ただ笑う篠ノ之も見ず、ただ泣き続ける。

 




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拘束

喰われ、潰され、嬲られ、何も残らない。


拘束

 

泣いても泣いても、結局何も変わらなかった。

篠ノ之束によって奪われていた全て、そして奪われていなかったとしても無かった未来を思い、岡山はただ目の前の悪魔から眼をそらした。

自分の現実を全て否定したかった。

 

「…くふ、フフ…やっぱり、その顔が一番かぁいいね、たっちゃん」

 

狂笑を止め、篠ノ之束が話しかける。

だが、当の岡山には彼女の言葉に耳を傾ける余裕など残っていない。

 

「………」

 

「アハは、もう声を聞くのも嫌、って感じかな? 良いよ、どんどん私を憎んでよ」

 

でも、と。

 

不意に彼の口を塞いでいた手を放し、篠ノ之束は彼の左手を握った。

まるで子どもを諭す優しい母のように、優しく包み込むように。

端から見れば何の意味も無い動作であったが、岡山は彼女の行動にまた震え出してしまった。

 

彼女の手はゾッとする程冷たく、まるで悪魔が地獄へ引きずり込むように感じたのだ。

 

「ひっ…放し…て…」

 

「んふ、放してもいけどさぁ…さっきの質問に答えてよたっちゃん」

 

震えながら、まともに動かない頭で思い出そうとする。

彼女に何を言われたのか、たったそれだけの事。

ついさっきの事なのに、その全てが完全に消えてしまっている。

彼の頭の中は、既に否定したい現実で埋め尽くされてしまっていたのだ。

 

「しつ…もん…?」

 

「あれぇ、もう忘れちゃってるの? く…フフ…まったく…たっちゃんはダメダメだなぁ…いいよ、だったらもう一回聞いてあげるから」

 

笑いをこらえる素振りを見せながら、篠ノ之束はもう一度彼に問いかけた。

 

 

 

「たっちゃん…今の私を見て…どう思う?」

 

 

 

その問いに対して出る答えは簡単だ。

実に明確であり、逆に言葉にし辛い。

憎しみ、怒り、願わくば今すぐにでもその息の根を止めたい程の怒濤の憎悪が答えだ。

自分の全てを奪って目の前の悪魔に向ける感情は、少なくとも正の感情ではない。

 

「フフ、答えは出てるみたいだね。 …じゃあ、教えてよたっちゃん。 私に対する思いを…全部全部、ぶちまけてよッ!!」

 

その言葉が引き金となり、遂に岡山の感情が爆発した。

口を大きく開き、ありとあらゆる暴言を言おうとする。

いや、最早言葉にすらならないだろう。

まるで猛獣の雄叫びの様な、己の負の感情全てをまるでダムが決壊したかのように一気に放とうとした。

 

 

 

しかし、それは不発に終わった。

 

 

 

(あ…れ…?)

 

口は開いている。

声帯に異常は無い筈だ。

しかし、言葉が出ない。

喉で何かが塞き止めているのだ。

 

次いで顔が青ざめるのが分かった。

カタカタと先程以上に肩を震わせ、冷や汗まで出てくる。

その原因は、間違いなく目の前にいる存在だ。

 

(なんで…なんで!? 言えば良いじゃないか! 復讐は出来なくても、それでもコイツに言いたい事は山ほど…!)

 

何も言えない自分がもどかしく、歯がゆく、情けない。

必死に言葉を発しようとするが、それでも喉は動かない。

 

「きひひ…成功…かな」

 

そんな時、篠ノ之束が口を開いた。

先程と変わらず、まるで分かりきっていたかのような口調で話しかけてくる。

 

「な…にを…?」

 

「たっちゃん、今のたっちゃんがどういう状態か教えてあげようか?」

 

うっとりと、まるで長年かけて造り上げた作品を見つめる芸術家のように、彼女は岡山を見つめる。

底の無い異質な眼をしたまま。

 

「くふふ…たっちゃんは…私が憎いよね? それも殺したい程に、今からでも。 でもねぇ…フフ、たっちゃんはそれ以上に、私が怖いんだよ」

 

その言葉に、一番大きくビクリと体を震わせた。

目の前の悪魔が、化け物が、最早形容のつかないナニカに変貌しつつある。

 

「だってそうでしょ? いくら行動できなくても、言葉くらいは自由に言える筈だよ。 ましてや、たっちゃんの目の前にいるのはこの「私」だよ? …アハはッ」

 

笑いながら、彼女は握っていた岡山の左手を自分の首に寄せた。

愛しそうに撫でながら、まるで自分を殺す手ほどきをするかのように。

 

「ひ…いぃ…」

 

「ほら、私の首はここだよ? なんなら、折っちゃってもいいんだよ? ハンマーもあるから、砕いて壊してくれても構わないよ…きひひ…」

 

願ってもいないことの筈だ。

少し力を強めれば、彼女を苦しめる事が出来る。

武器を使えば、確実に彼女を殺す事が出来る。

そんな状況なのにも関わらず、彼は何もする事が出来ないのだ。

 

たっぷりと時間をかけても、岡山は全く動く事が出来ない。

ただ目の前で凶行を続ける篠ノ之束を見て、震えるだけである。

 

「…フフ、やっぱりたっちゃんはそうでなくっちゃね」

 

そんな岡山を見て、彼女は満足げに手を離す。

 

「…ねぇたっちゃん、人を縛るのに一番大切な事ってなんだと思う?」

 

「………」

 

「答えられないかぁ…それとも、怖すぎて言えないのかな? どっちでもいいけど、話を進めるね。 人を縛るのに大切な事は…その人を怖がらせる事だよ」

 

そう言うと岡山の頬を撫で、顔を近づけるとベロリと舐める。

そして耳元に口を寄せると優しくささやく。

 

「生半可な恐怖じゃダメ。 徹底的に、視界に入るだけで一切の思考が止まっちゃうくらいに怖がらせるんだ。 そうすれば、簡単にその人を捕まえる事が出来る。 …人間は愛があれば大丈夫って言うけどさ、それはあくまで「感情」がある人間の話でしょ? 理性をぶち壊して、何も無くなったヒトさえも服従させるには、もっと根深い鎖が必要なんだよ」

 

そう言って、次に彼の耳を甘噛みする。

かすかにくすぐったさを感じるが、岡山は大蛇に巻き付かれたカエルのように身じろぎ一つできない。

 

「たっちゃんは…自分が凡人だって思ってるでしょ? 何のとりえもないグズで、私やちーちゃんに虐められてたんだ、ってね…。 フフ、でも違う。 たっちゃんは負け組の天才なんだよ。 どうしようも無くて、何をやっても失敗する能無しのね。 だってほら、こんなに可愛い泣き顔なんだもん、これはもう才能だよね…たっちゃん? きひ、キひゃひゃハははッ!!」

 

いきなり大声で笑い出すと、彼女はそのまま彼の両肩を掴んだ。

少女の力とは思えない程の力で、ギリギリと万力のように握りしめていく。

 

「あ…が…!?」

 

「だから絶対手にしてやるって決めたんだ! あの時、ちーちゃんにボロボロにされて泣き崩れる貴方を見て、一生放してやらないって誓ったんだよ! そのためになんだってやった、貴方の周りを全部壊して、貴方自身も壊した!」

 

「ひぎ…あ…なじ…て…」

 

「放さないよ…誰が放すもんか、たっちゃんは私のモノだッ!! これからだってずっと痛めつけてあげるよ、爪を剥ぎ取って内臓を潰して手足を全部切り取って、殺したい程憎い私が居なきゃ何にも出来ない本物の負け犬にするんだっ!! 貴方は私を頼らなきゃいけなくなるんだよ、それはそうだよね。 世界で貴方が信じれるのは、私だけなんだから! キヒャひャヒャヒャひャ、アハははハハハハッ!!!」

 

「あ…あぁ…あぁぁ!!?」

 

既に、彼の中に考える理性すら消えていた。

生物本能の恐怖が彼を埋め尽くし、意識を保つ事すら出来なくなる。

 

(ダメだ、気を失ったら…何をされるか…!)

 

そう思っても、本能に理性が叶う筈も無く、現実から逃避しようとする自我が強制的に彼の意識を奪おうとする。

 

 

 

 

 

そして彼の意識が完全に消えようとしたその時、彼の視界に何かが入った。

無機質で鋭いそれは、彼がよく知っていて、そして彼が嫌う世界の重要なファクター…ISであった。

そしてソレを持っているのは。

 

「…岡山から手を放せ、束」

 

織斑千冬であった。

 




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怨嗟

壊れ、怯え、ただ後悔のみが残る。


怨嗟

 

「…何かな、ちーちゃん?」

 

「今言っただろう、岡山から離れろ束」

 

織斑千冬は無表情のまま、依然として武器を親友である筈の篠ノ之束に向ける。

しかし、そんな彼女を見て篠ノ之束は驚く素振りを見せない。

むしろ待っていたと言わんばかりの楽しげな表情を浮かべている。

 

「もう、久々のたっちゃんとのラブラブタイムなんだから邪魔しないでよ…。いくらちーちゃんでもこれは許せないよ?」

 

「…今のお前達を見て放っておく人間などいる筈無いだろう。 もう一度言う、岡山から離れろ束。 お前が行っているのは洗脳だ、許される事ではない」

 

「洗脳? …フフ、違うよちーちゃん。 たっちゃんは成るべくしてこの状態に成ったんだよ!」

 

震える岡山に体をすり寄せながら、彼の頬に手を当てる。

 

「見てよちーちゃん。 今のたっちゃん、さいっこうにかわいいよ? ちーちゃんも、このたっちゃんを見たいから昔虐めてたんでしょ? 違うの?」

 

返答は刃であった。

チャキリ、という金属音とともに篠ノ之束の首筋に鋭い刃が当てられた。

 

「…本気で言っているのなら、次は容赦なく切るぞ」

 

「…きひっ、怖いなぁちーちゃんは。 そんなに怒らなくても分かってるよ、ちーちゃんに悪意が無かった事くらい。 …まぁ、だからこそタチが悪いと思うけどね」

 

篠ノ之束の言葉に織斑千冬は僅かに体を震わせたが、顔は無表情のままである。

しかし、刃を持つ手には今まで以上の力がこもっておりワナワナと震えている。

 

「純粋にたっちゃんのためを思って何度も痛めつけてたんだもんね、たっちゃんに早く自分の隣に立って欲しいから」

 

「…違う、そんなつもりは無かった」

 

「嘘だね、彼の前だからって隠す必要なんてないよちーちゃん。 …ま、結局全部無駄に終わっちゃったけどね、きひひ…」

 

「…違う」

 

「あ、無駄じゃないか、ちーちゃんのおかげでここまでボロボロに出来たんだから。 フフ、ありがとうちーちゃんっ!」

 

「………」

 

刹那、織斑千冬は刃を振るった。

殺気を込めた、純粋な攻撃であった。

彼女は無表情のまま右腕を横に払うように振り、篠ノ之束の首を取ろうとしてしまったのである。

 

しかし、対象である篠ノ之束は瞬時に姿を消すと部屋の隅に突如現れた。

俗に言うテレポート、ソレを行ったのである。

 

「アハは、酷いなぁちーちゃん、私達親友でしょ?」

 

「…お前は…全て知っていたんだな?」

 

織斑千冬は抑揚の無い口調でそう問いかけた。

 

「…んー? 何を知っていたって言うのかなー?」

 

「岡山の体が、もう戻れない程のダメージを負っていた事をだ…」

 

「…フフッ…見ていたなら分かるでしょ? その通りだよ」

 

織斑千冬の質問に対し、あくまで篠ノ之束は笑いながら答えた。

 

 

 

「たっちゃんの全部は私が壊したんだ。 家族も、友達も、何もかも。 でも、それはたっちゃんのためだもん。 私のたっちゃんが一番輝くには、真っ黒なゴミに成らなくちゃいけないんだもん、きゃハはッ!!」

 

「ッ! 貴様ぁっ!!」

 

織斑千冬はようやくその表情を変えた。

まさに鬼の形相にその顔を変え、一瞬で篠ノ之束の近くに寄ると、眼にも留まらぬ速さで切り捨てようとする。

だが、篠ノ之束はまたもテレポートして部屋の反対側へと移動する。

 

「アハはっ、何を怒ってるの? 好きな人を最高の状態にしたい考えはおかしい事かな? それこそ、ちーちゃんのやりたかったことと何が違うって言うの?」

 

「五月蝿い、お前の言う事など聞かん。 貴様はもう親友でもなんでもないッ!!」

 

「アハはははッ! どうしよ、ちーちゃんに嫌われちゃった! 慰めてよたっちゃん、キヒャはハは!!」

 

織斑千冬は続けて何度も斬撃を放ち、必死に篠ノ之束を殺さんとする。

しかし篠ノ之束も何度もその攻撃を余裕で避け続ける。

 

「このっ、お前がっ、あの時っ、一言でもっ、言ってくれてっ、いればっ…!」

 

「フフッ、どうしたのちーちゃん!? いつもみたいに冷静に攻撃しないと太刀筋が見え見えで簡単に避けれちゃうよ!?」

 

「お前がっ、お前さえっ…! 」

 

数十回攻撃し続けたが全く当たらず、二人の一方的な激戦はどれだけ経っても終わりそうになかった。

一人は完全に頭に血が上った状態、もう一人は全く攻撃せずに冷静に避け続けるのみ。

最早織斑千冬が疲れきるまで終わらないとも思えた。

 

 

 

だが、ソレはあっけなく終結したのだった。

 

「…ふぅ、もういいかな。 私帰るねちーちゃん」

 

篠ノ之束はいきなり織斑千冬の眼前にテレポートするとそう言った。

 

「な、何を言っている! まだ決着は…!」

 

「もう、本筋からズレちゃってる…ちーちゃんは何のためにここに来たの? 最初から私を殺すつもりだったの?」

 

先程までとは違い、小声で織斑千冬にしか分からないように話しかける。

ソレを聞いて気がついたかのようにハッと眼を見開くと、織斑千冬はある一点を見た。

 

その方向は部屋の方向であり、ソコには先程まで拷問とも言える程の精神的苦痛を受け続けていた岡山がいた。

 

「ひ…いぃ……」

 

「あ………私…は……」

 

「くひひ、彼から見れば、貴方はどう見えたかな? 今の彼は「私のおかげ」でまともに状況を見る余裕なんて無いし、認識できるとすれば、ちーちゃんがいきなり現れて凶器を振り回してる…くらいじゃない?」

 

そう言われ、織斑千冬は岡山を見つめる。

岡山は怯えている、しかも尋常ではない程に。

しかしそれは既に篠ノ之束に対してではなく、「部屋で武器を振り回し破壊行動を続ける織斑千冬」に対してであった。

織斑千冬を睨みながら身をよじらせ、少しでも彼女から離れようとするその姿は、哀れの一言であった。

 

「な、そんな…私はそんなつもりじゃ…」

 

「そんな気がなくてもさ、彼はきっとそう思うよ。 フフ、見れないのが残念だけどさ、私にもやる事があるから…今回はこれで帰るとするよ」

 

「ま、待て束。 岡山に誤解を…」

 

「しないよ、私達親友じゃないんでしょ? きひひ、じゃあねちーちゃん、たっちゃん。 また会おうね…」

 

そう言って、篠ノ之束は完全に姿を消した。

彼女が居なくなり、部屋にいるは武器を持って呆然とする織斑千冬と、そんな彼女に見つめられ怯え続ける岡山だけになった。

 

「…お、岡山…私は…」

 

ゆっくりと、ままならない口調で話しかける。

ダメージなど無い筈なのにその手は震え、今にも泣きそうな程繊細で諸い「弱さ」を曝け出してしまっていた。

 

「………」

 

対する岡山は何も言わない。

何も言わず、ただ彼女を睨みつけるのみである。

 

「聞いてくれ、岡山…私は、お前を守るために…」

 

「………」

 

「だから…その…あ、安心してくれ。 これでお前を傷つける事は断じてない…。 だから…」

 

たどたどしい口調になりながら、それでも彼女は必死に訴えかける。

そんな彼女にようやく岡山は口を開く。

 

だが…。

 

 

 

「…何を、安心しろって言うんだ…」

 

やはり、放たれるのは拒絶であった。

 

「っ、岡山…それは…」

 

「お前の何を…安心しろって…言うんだ!?」

 

震え、怯えながら彼は言葉を放り出す。

篠ノ之束に植え付けられた恐怖も重なり、一言出すだけで心臓が絞られる様な感覚に陥るが、それでも彼は言わなくては自分を保てなかった。

 

「アイツに全部壊されて…お前にも痛めつけられて…それで安心しろ? どの口が言うんだ、この犯罪者がッ! 今もそんなモノ自慢げに振り回しやがって…そんなに自分の力を自慢したいのかよっ!?」

 

「ち、違う、聞いてくれ岡山。 私はお前を傷つけ様だなどと思った事は微塵も…」

 

「黙れっ、この期に及んでまだ言い訳するのかよ! …もういい、くそっ、もう何もかも…今度こそ捨ててやる。 どうなっても知った事か、お前も、デュノアも、篠ノ之束も、お前の弟達も、もう…どうでもいいっ!! くたばれ異常者がっ!!」

 

支離滅裂な事言いながら、彼は手元にあった枕を投げつけた。

ポスッと軽い音を立てて地に落ちたソレは、今の織斑千冬にはどんな武器よりも重く、痛みを感じた。

 

「っ……」

 

故に、こみ上げる感情は並大抵のモノではない。

 

(ダメだ、泣くんじゃないっ…どれだけ拒絶されても、太一を守ると決めただろうっ!)

 

必死に堪え、彼をなだめる事のみを考える。

 

「…気に障った…なら…謝る…すまなかった…。 だが、信じて、欲しい…お前に…手を出すつもりは…ないんだ…本当だ…」

 

「そ、そんな言葉今更信じれるか! いいからお前も早く消えろ、織斑一夏もこの部屋に入れるな! 一生僕にかまうな!」

 

どれだけ経っても一切交差しない会話をし続ける。

しかしそれでも織斑千冬は諦めずに彼を諭そうとする。

何度も優しい口調で話しかけ、どれだけ拒絶されようと納得させるまで部屋まで出ようとしない。

 

故に、気付かなかった。

もう一人の「最悪」が近づいていた事に。

 

 

 

「父さーん、遊びに来たよー」

 

 

 

軽快なノック音とともに一人の少女の声が響く。

デュノアが部屋にやって来たのだ。

 

「ッ!? くっ、よりにもよって今…!」

 

「…あれ、変だな。 なんで父さんしか居ない筈の部屋から織斑先生の声が聞こえるの?」

 

反応が早かったのは織斑千冬の方であった。

彼女はデュノアがドアノブに手をかける間に少し動きを止めたその隙に、出入り口まで移動してカギをかけたのだ。

今は岡山の精神を安定させるだけで手一杯なのだ、これに彼女が加わるだけで何が起こるか。

想像するだけでぞっとする。

 

「…ん? なんでカギがかかってるのかな? おーい太一さーん、開けてったらー」

 

「…デュ…ノア…」

 

「ッ! 岡山、彼女の声を聞くな。 今は落ち着いていてくれ!」

 

織斑千冬は彼をデュノアから遠ざけようと必死に呼びかけるが、それも虚しく岡山はデュノアの声を聞いてしまう。

それが今の岡山にとってどういうことになるのか。

 

「…何しに来たんだ、さっさと部屋の戻れよ」

 

「…あれ、おかしいなぁ…。 父さんはそんな乱暴なこと言わない筈だけど…」

 

「そりゃそうだろうさ、僕はお前の親なんかじゃないからな。 お前の親はあのデュノアだ。 だからさっさと自分の部屋に帰れッ!」

 

「う、嘘だ! 僕の親は岡山太一だ! お前は一体誰なんだよ、父さんの声を使って…父さんになりすまして…出てこい、八つ裂きにしてやるッ!!」

 

岡山は織斑千冬と同様に彼女を拒絶する。

そしてデュノアは自分を否定する彼を全く別の「誰か」と思い、殺気をむき出しにして叫び出した。

 

「よせ、岡山! これ以上デュノアを刺激するな!」

 

「五月蝿い、なんで僕がお前らの事を気にしなくちゃいけないんだ! 勝手に全部奪って、滅茶苦茶にして、これ以上何をするってんだ、いい加減にしろよ!!」

 

「くそっ、ドアが開かない! ISは…ご飯の時は部屋に置いて来たんだ…くっ! おい、このドア開けてよ。 今ならまだ許してあげるからさ…私を太一さんと会わせてよ。 ほら、早くさァッ!!」

 

ガチャガチャとドアノブを回していた音は、次に拳を叩き付ける音に変わった。

その音は凄まじく、彼女の感情が憎しみ一色しかないことを物語っている。

 

「開けろッ、開けろよぉッ!! 私にパパを返せ! パパに会わせろッ!! さっさと開けろって言ってんだッ!!」

 

「くぅ…このままでは…本当に破られてしまいそうだ…どうしたら…」

 

デュノアは尋常でない力でドアを叩き続けているために、織斑千冬が支えていないとぶち破られる恐れすらあった。

 

「太一は、私の太一はそこにいるんだろッ! なんで私に会わせないんだ、誰の許しを得てるんだッ!? 私からパパを取り上げて何が楽しいんだ、早く開けろッ!!」

 

「ひッ!? や、やだ! お前の顔なんか見たくない! もう僕の前に来るな、どっかに行け、消えてくれよッ!!」

 

「黙れ、太一の声で喋るな!! パパはそんな酷い事言わない! パパ待っててね、ここが開いたらソレをすぐに殺して太一を助けるから!!」

 

「く…うぅ、二人とも…落ち着いてくれ…頼む…誰か…」

 

最早この状況は織斑千冬一人に対処できるモノではなくなっていた。

生命線であるドアが破られれば、体のリミッターを外したデュノアが襲いかかってくる。

恐らく戦えば両者とも無傷ではすまされない、最悪命に関わるだろう。

 

そんな状況に陥り、彼女はもう誰かに助けを求める他なかった。

 

(誰でも良い、デュノアを…アイツを少しの間だけでも止めてくれ…)

 

そう切に願った。

そして「彼」に優しい世界は、「彼」を姉のピンチに駆けつけさせた。

 

「!? 何やってるんだシャル! 落ち着けよ!」

 

後少しでドアが破られてしまっていたその時、織斑一夏が食事を終えて自室に戻って来たのだ。

彼はデュノアの異様な雰囲気に飲まれながらも、彼女の奇行を止めようとした。

 

「…一夏、邪魔しないで。 パパは…私が助けないと…」

 

「パパ? 一体誰の事…それより、その手を止めろって! 血だらけじゃないか!」

 

織斑千冬はその声を確かに聞いていた。

 

(一夏…か…? 良かった、来てくれたのか…アイツには荷が重いかもしれんが、なんとかデュノアを…)

 

「とにかくお前の部屋に戻るぞ! そのケがの手当をしないと…おっ、あれは…。 おーい鈴、ラウラ、手伝ってくれ!」

 

「ん? 何やってんのよアンタ?」

 

「どうした嫁よ」

 

彼は近くにいた二人を呼びデュノアを連れて行く手助けをしてもらう。

だが、デュノアの岡山に対する執着はすさまじく、断固として部屋の前から動かない。

 

「…いいよ、この程度痛くもないし…。 それより、IS持ってるんならこのドア壊してくれないかな? 中で織斑先生と誰かが太一を虐めてるんだ」

 

「…え? 千冬姉が…? ………」

 

デュノアの言葉を聞いて、織斑一夏は動きを止めた。

そして冷静に頭を働かせて、何が「異常」かを考える。

 

(どういうことだ? 千冬姉があの人に危害を加えるなんてあり得ない…シャルには悪いけど、嘘をついてるようにしか…)

 

そう思いながら先程呼んだ二人と眼を合わせる。

考えは多少違っているかもしれないが、少なくともこの場で何が異常かは分かっている様である。

 

「…あぁ、ちょうど私がISを持っている。 壊すからソコをどいてくれ」

 

「ホント!? じゃあ早く壊し…グっ!?」

 

ボーデヴィッヒは彼女の油断を誘い、その背後から鈴音がISによる強烈な一撃を放った。

いくら限界を超えている体とはいえ、ISによる攻撃を生身で受けたらひとたまりも無く、デュノアは何が起きたかも分からずそのまま倒れ伏してしまった。

 

「…とりあえず、シャルロットは気絶させたぜ、千冬姉」

 

「…あぁ、すまない。 ありがとう一夏」

 

弟の機転の利いた行動に感謝しながら、彼女はようやく脱力した。

 

「ひっ…ひっ…来るな…」

 

そして安堵したと同時にデュノアの殺気に当てられまともに言葉も話せない状態に戻ってしまった岡山を見て、また気分を沈ませる。

 

(太一…なんでこんな事に…全て…私のせいか…)

 

そして必死に堪えていた感情が限界を超え、静かに涙を流した。

しかし流した所で、何も変わる事は無かった。

 

世界は、「彼女達のみ」には優しいのだ。

 




ご感想、ご指摘がございましたら、よろしくお願いします。


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苦渋

怨は開かれ、うねる。


苦渋

 

【IS学園の女生徒が一人、臨海学校において発生した事故によって入院する事と成った】

 

臨海学校にて起きた岡山を中心とした騒動は、表向きにはこうやって公表された。

もとよりIS学園はISという武器を扱う学校である、学生一人の入院はそこまで問題視される事は無かった。

言うまでもないが、入院した生徒というのはデュノアの事である。

彼女は岡山が共に暮らす事を放棄した時点で安全保護下、という名の拘束を受ける事となったのである。

 

あの後。

彼女は気絶している間に旅館に呼ばれた暗部達によって指一本動かせないまでに体を縛られ、そのまま精神病院へと運ばれた。

 

岡山はそのときの彼女の顔を忘れる事が出来ない。

彼女は眼を覚ました瞬間、自分の状況を察知したのか眉一つ動かさなかった。

ただ、まっすぐに岡山を見つめ続け、クスクスと笑っているように見えた。

まるで再会を必然だと思っているかのように、全くの抵抗をしなかったのである。

 

ただ一つ、彼女を拘束する際に一つ問題があった。

彼女のISを取り外す事が出来なかったのだ。

まるで意思があるかのように、彼女の感情に応えるかのように、ISは彼女に深く「食い込んで」しまっていたのだ。

故に武装を完全に解かせる事ができなかったのだ。

 

因みに、というより蛇足になるのだが。

織斑一夏並びに彼を慕う者たちは、「物語」通りに無事「銀の福音」を倒す事に成功した。

織斑千冬も彼の戦いを一部始終見守り続けたが、その内には岡山の存在が残り続けていたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………」

 

臨海学校から帰った後、岡山は前と同じ生活をしている。

定時になると部屋を出て意味の無い掃除をし、生徒が通りかかると迫害を受け、ソレ以外は全て部屋で過ごしている。

 

「………」

 

話をする相手はおらず、そもそも会話をしようとも思えない。

織斑一夏達は定期的にこの部屋にやってくるが、それすらも岡山は無視し続けた。

真に全てとの接触を断ったのだった。

最早ソレを行う事によって何が起きようと知った事ではなかった。

 

岡山の行動に対し、一度織斑一夏は激怒して彼に殴り掛かった事があった。

 

「千冬姉は本気でアンタに謝ろうとしている、なんで応えないんだ」

 

よく覚えてはいないが、確かそんな旨の事を長々と言われた事を岡山は覚えている。

しかし、何をされても一切反応しない岡山を見て、織斑一夏はもう何もしてこなかった。

代わりに廊下ですれ違う度に岡山を睨みつけてくる。

そしてすれ違い様に「千冬姉は心配しているぞ」といった事を軽く言うようになった。

 

岡山から見れば厄介ごとが減ったのだからむしろいい事だったのだが、女生徒からの迫害はより一層強いものとなった。

彼は学園唯一の男子生徒であり、慕う女生徒も多い。

故にもとから嫌われていた岡山は、完全に学園の敵に成り果てていた。

 

その場に織斑千冬はいなかったが、いたらどのような表情をしたのだろうか。

弟を止めるのだろうか、自分に代わって殴り返すのか、弟の行動に感動するのか。

ただ、織斑一夏に何の変化も無い様子を見て、岡山は彼に何も無かったと判断した。

 

(まぁ、なんにせよ「アイツら」のいいように動くんだろうな…フン)

 

歪んだ、しかして間違っていないことを予想する。

 

 

 

 

 

「…岡山、いるか? 私だ」

 

そんなことを考えていた時、軽いノック音とともにドアが開かれる。

相手は織斑千冬であった。

彼女はいつものように顔を曇らせながら部屋に入って来た。

臨海学校での騒動以来、岡山は彼女の事も無視し続けている。

視線すら合わせず、壁の方に視線を移して身じろぎ一つしない。

 

「…今日は、雨が降っている。 かなり強めだ、傘が無いと外には出れないだろうな」

 

「………」

 

「…そういえば、近いうちに学園祭が開かれるんだ。 …たまには、そういった催し物に顔を出してみないか?」

 

「………」

 

「あとは…その…」

 

反応が無いのにも関わらず、彼女は言葉を続ける。

ただ、彼女も口が達者な方でないために、すぐに言葉は途切れてしまい、言いようの無い静寂が流れる。

 

「…また、来るからな」

 

そして彼女は耐えきれなくなり、部屋を出る。

そんな事を毎日行ってくる。

 

ドアが閉じる音がして彼はようやく体を起こした。

同時に深いため息をついて、そこから全く動かない。

 

「くそ…何だっていうんだ」

 

負の原因を捨てることができたというのに、彼はまだ何かが胸に残っている感覚がした。

何かが足りないのだ。

ソレが分からない故に、延々に悩んでいた。

何も考えずボーッとしていても、ソレが鎖となって自分を縛り付ける。

 

(何が、何が足りないって言うんだ? 僕は…どうしたらいいんだ?)

 

「ッ!? はっ……かはぁ!?」

 

ザーザーと雨音のみが流れる部屋で、彼は身をビクリと震わせる。

同時に呼吸が不安定になり、胸を抑えて身をよじらせる。

眼は血走り、汗が滝のように流れる。

 

岡山は臨海学校の後から、この状態になる事が増えた。

しかも原因がわからないのだ。

昔は織斑千冬や篠ノ之束から受けたダメージがフラッシュバックして起きていたのだが、今はそういったハッキリとした原因がなかった。

ただ唐突に、突然に、彼を蝕んでいるのだ。

 

「…くっ…なん…だよ…」

 

症状が収まると、次にとてつもない「重さ」が彼を襲う。

言いようも無い、締め付けられるのか、押さえつけられているのか、ソレすらも分からない。

ただ苦しい何かが彼を襲うのだ。

 

その正体が分からない事実が、また彼をいらだたせる。

 

「何だっていうんだ、畜生が!!」

 

耐えきれず叫びを上げる。

織斑千冬がまだ近くにいたら、すっ飛んでどうしたのか聞きにくるだろう。

しかし、それも彼は気にする余裕が無かった。

 

 

 

 

 

しばらくして、ようやく「重さ」は消えた。

彼はグッタリと倒れ、全く動けない。

 

「くそ…なんだっていうんだ…まだ…何をしろって…言うんだ…」

 

答えなどあるはずがないのに、つい言葉に出してしまった。

とにかく答えが欲しかった。

自分を襲う「重さ」を少しでも楽にしたかった。

しかし、返事は来ない。

必然だろう、この部屋には彼以外誰もいないのだ。

 

 

 

「…教えてあげようかしら? 岡山太一」

 

しかし、無い筈の返事が発せられた。

岡山は驚いたように上体を起こし、声がした方向を向いた。

 

そこには人が二人立っていた。

誰だかは分からない、陰に隠れてしまっているせいで顔もよく見えない。

ただ、声色から女性である事は予想できた。

 

「誰…です…?」

 

「はんっ、正体だなんてどうでもいいだろうが」

 

「そうよ、私達は貴方に答えを与える者。 その苦しみがどうしたら無くせるか、教えてあげるわ」

 

そう言って、名も知らない彼女は何かを投げつけて来た。

鉄のように冷たい、金属のなにか。

ソレを見て、岡山は例えようも無い悪寒がした。

 

「これ…貴方達は…これで…どうしろって…!」

 

「うっせぇな、一々喋るなクズ野郎が!」

 

彼が言葉を出した瞬間、「もう一方の」女性が罵声をあげてソレを塞いだ。

先程の落ち着いた様子の女性と違い、かなり荒々しく感じられる。

 

「ダメよ、そんなに威嚇しちゃ。 怯えちゃってるわ」

 

「…チッ、だから男は嫌いなんだ。 なんだってアイツもこんな奴に執着するんだ?」

 

「まぁ、人の好みなんてそれぞれよ。 そんなことより、岡山太一。 私が今から言う事をやってみてくれないかしら?」

 

こちらにナニカを寄越して来た女性は静かに相棒と思われる女性を諌めながら、岡山に何かを要求して来た。

 

「こ、こんなもので…何を…」

 

「大丈夫、貴方に損は無いわ。 貴方にして欲しい事は………」

 

女性は部屋の明かりを消すと、彼の耳元まで口を寄せると、ゆっくりと話し続けた。

ソレを聞いて、岡山は愕然とした。

彼女が言って来たことは岡山には到底出来ないことであった。

 

「そんな事、で、できるわけないだろう!? こんな体で、どうすれば良いんだ!?」

 

「大丈夫よ、計画はもう練ってある。 それに、想像してみなさい。 ソレを成し遂げた後、貴方はきっと例え様の無い開放感に満ち、最高の快感を得る事が出来る筈よ」

 

彼女の言う事は正しかった。

彼女が言った事を本当に成し遂げれたら、自分はこの「重さ」から解放されるかもしれない。

そう思えた。

 

「さぁ、どうする? これは貴方にしかできないこと。 貴方だからこそできることなの」

 

「テメェだったら、簡単にできんだよ。 オラ、さっさと決めろ」

 

「………はい」

 

二人に言いよられ、彼は決意した。

何もかも捨てた筈なのに、まだ彼は縛られていた。




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鎮魂

黒く黒く、その先にある光明もまた黒く歪んだ。


鎮魂

 

今週は雨が続いていた。

延々と降り続ける豪雨は、まるで学園を洗い流すかのように、強く。

そして無慈悲に流れる。

 

「………」

 

岡山は一人、部屋の中で机を前にして座っていた。

机の上には、先程名前も知らない女性から貰ったモノが置いてあった。

 

「………」

 

ソレを見つめ、岡山は全く動かない。

只見つめ、あの女性から言われた「計画」を思い出す。

 

「…僕は」

 

彼女達が自分に言って来た事は彼を、いや世界を大きく揺るがす事であった。

失敗する可能性は大いにある。

恐らく自分の命も無くなるだろう。

 

「………」

 

しかし、同時に渇望した。

心の奥底でくすぶっていた感情が露になっていた。

いつかしたいと思っていた、彼が押し殺した只一つの望み。

ソレを行えたらと、何度思った事か。

 

「………でも」

 

その思いを消して来た。

出来る筈が無いと、諦めたのだ。

世界をパソコンで例えるなら、彼はウイルスである。

パソコンの中の規則正しいデータを乱す、厄介な異物。

そんな彼を世界が快く思う訳が無い、そして彼に世界に対抗する力など無い。

消されて当然、迫害されて当たり前。

 

「………だけど」

 

それをもし行えたら?

小さく、矮小な欲望が沸々とわき上がる。

握る手に力が入る。

弱々しいウイルスが、その中枢にヒビを入れ、データの全てを蝕む。

少しでも響かせる事ができるのなら。

 

「………」

 

もう考える事は無かった。

彼は世界の心臓を砕く術を手に入れた。

亡霊のようにゆらゆらと体をふらつかせながら立ち上がる。

そして部屋の隅に転がっている「あるもの」を手に取った。

 

それは世界の中心、パソコンの中枢から渡された道具である。

彼が何度も壊し、その都度持って来た。

幾度と無く拒絶していたが、今回だけはこれをくれたことを感謝する。

コレのおかげで、「計画」は数段楽になるのだから。

 

「………」

 

ボタンを動かし、ある画面を開く。

そこにはとある人物の名前のみ映っており、ソレ以外の連絡先は全く存在しない。

彼はゆっくりと画面を進めていき、その相手を呼び寄せた。

 

「…はい、私です。 ………少し、用がありまして…」

 

相手と繋がると、彼は要件のみを伝え電源を切った。

そして再び脱力する。

その場に座り込み、ふと自分の左手が震えている事に気付いた。

緊張したのか、恐怖したのか、おそらくその両方なのだろう。

同時に、重い不安が脳裏をよぎる。

 

(本当に成功するのか、相手は世界の中心なんだぞ…?)

 

例えそうでなくても、アレと自分の間には埋めれない実力差がある。

自分の持つコレも、もしかしたら全く効かないかもしれない。

 

「………」

 

しかし、後悔も引く事もできない。

既に相手は呼び寄せた。

後は実行のみ。

 

「…行こう」

 

ただ、実際のところもう彼にとって計画が成功しようがしまいがどちらでも良い、というのが本音であった。

ただ一度、服従し続けた敵に対して、ほんの少し抵抗が出来たら。

それでいいのだ、もうそれ以上は自分が望める事ではない。

 

故にもう止まる理由も無い。

彼は再び立ち上がり、杖と「道具」を持って部屋を出る。

たった一回、世界に対して小さな、本当に小さな。

取るに足りない復讐を果たす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………」

 

少女は夢見る。

愛すべき男と、二人っきりで過ごす夢の様な一生を。

誰も二人を邪魔する事無く、思う存分愛を育む。

そんな幻を、思い浮かべる。

 

「………フフ」

 

クスクスと笑いながら、恍惚の笑みを浮かべ、ただ思い耽る。

小さすぎる部屋、一切の道具が存在しない。

コンクリートが露出した、冷たい空間の中心。

指一本動かせず、椅子に固定されても、彼女は思い人との再会を楽しみにしていた。

 

「………」

 

そんな時、たった一つの扉が開かれた。

看守が見回る時間でも、食事を持ってくる時間でもない。

しかし彼女はソレが来るのを当然のように冷静に見つめていた。

 

入って来た者は、深くフードを被っていた。

背は小さい方だろうか、顔が見えないせいで性別も分からない。

侵入者は部屋に入ると、目の前にいるデュノアに話しかけた。

 

「…シャルロット•デュノアだな?」

 

「違う」

 

反射的に、彼女は侵入者が発した言葉を否定した。

その眼は冷たく、汚物を見るかのように嫌悪感を丸出しにしている。

 

「…そうだな、失礼した。 お前は「エレン」だな?」

 

対する侵入者はいたって冷静だった。

彼女の異様な雰囲気を全く気にせず、再度訪ねた。

すると、次にデュノアは顔を笑みで歪め、焦点が合わない瞳で相手を見据える。

 

「…フフ、そうだよ。 私はエレン。 太一の恋人で、永遠の愛を誓い合った者だよ…きひひ」

 

「…そうか。 私はお前に用があってここに来た。 共に来てもらおうか、エレン」

 

「違う、私はシャルロットだ」

 

獣のように鋭い眼光を向け、デュノアは再び侵入者を威嚇する。

まるで親の仇をみるかのように、いつでも殺してしまいそうな、理不尽な殺気を叩き付ける。

 

「そうか、すまなかったなシャルロット。 とりあえず、その拘束を解こう」

 

「…解くのはありがたいけど、貴方はいったい誰なのかな? まともな人種には見えないけど…?」

 

「…それはここを出てから話そう。 今は早くここから「そうはいかないよ」」

 

侵入者は彼女の脱出を促したが、対するデュノアはその言葉を遮る形で止めた。

その眼から感じられる感情は決して良いものではなく、嫌悪感しかない。

 

「お前が誰なのか、とりあえず教えてくれないかな? …なんていうか、お前は信用できない。 正体が分からないとか、そんな「幼稚な理由」じゃない。 こんなに他人を嫌いになったのは、あの男ともう一人…アイツくらいだ」

 

「………」

 

「だから気になるんだよねぇ。 たった一回会っただけであの二人と「同じくらい」嫌いになっちゃった貴方が、一体何者なのか。 私は貴方の声しか分からないのに、なんでこんな気持ちになったのかな?」

 

「…そうだな、予定は変更だ。 ここで教えるとしよう」

 

そう言って、侵入者はフードをゆっくりと取った。

そこから現れた顔を見てデュノアは一瞬驚愕で眼を見開いたが、すぐに狂笑した。

 

「…くひ、キヒャひゃヒャヒャはハはは!! そっかぁ! そういうことなんだぁ!! それは「納得」だなぁ! ねぇ、どうしたらそんなにソックリになるの!?」

 

「…こちらにも、色々と事情があるのだ。 だが、誓って私と「アレ」に繋がりは無い。 …いや、あるにはあるが、接触した事はない」

 

「きひひ…あぁいいよ。 別にどうでもいいさ、そんなこと。 …ただ、貴方が私をここから出す理由も、なんとなく分かっちゃったなぁ」

 

体中に狂気を纏わせ、デュノアは侵入者に言葉を続ける。

その一言一言、そして全身から放たれる威圧は尋常なものではない。

全く動けない筈なのに、その不利を全く感じさせない程に。

圧倒的に、相手を殺す勢いで話し続ける。

 

「分かったから言うけどさ、ソレは絶対に叶わないよ? パパは私のモノなんだから。 お前が入れる余地なんてないよ」

 

「…言葉では簡単に言うが、その障害となる者達はどうするつもりだ? 織斑千冬は? 篠ノ之束は? そもそも、私の助けなくしてどうやってここから出るつもりだ?」

 

侵入者はデュノアに問いかける。

確かに、岡山を取り巻く環境は並大抵のものではない。

特に侵入者が言った二名は世界を揺るがす実力を持っている、そう易々と出し抜ける筈が無い。

 

「…アハは、別にそんなもの大した事無いよ。 太一のためだもん、私がなんとかしてみせるよ。 それにこれだって、ISを起動させればなんとでも…」

 

「それは嘘だな。 その拘束に使われている布には特殊な電磁波を放つ物質がくみ込まれている。 日本が総力を挙げて作り出した、ISに対する唯一の防御手段だそうだ。 数はかなり限られている様だが、ひと一人動けなくさせるくらいには作れていたのだな。 お前はソレが解けないから、今もこうして動けずに居るのだろう?」

 

そう言われ、デュノアは言葉を詰まらせた。

確かに図星であった、彼女は一刻も早く岡山に会いたかったが、この拘束を破る事が出来ず、彼に対する思いを重ねる事しか出来ていなかった。

故に、侵入者に対して反論をする事が出来なかったのである。

 

「………」

 

 

「…そこで、だ。 ここから動けないお前を自由にさせる代わりに、一つ提案があるのだ」

 

「…なんなの? その提案っていうのは?」

 

「なに、お前に損をさせる事も、彼を傷つける事も無い。 ただ、ほんの少しお前に「妥協」してもらいたいだけだ。 それだけで皆が…彼が幸せになれるのだ」

 

デュノアは侵入者の言葉を深く吟味する。

妥協とはどういう意味なのか、本当に彼に害はないのか、全員が幸せになるとはどういうことなのか。

恐らく今聞く事は出来ないのだろう。

素顔を晒した時点で既にかなりの譲歩をしたはずだ、これ以上は何を聞いても無駄だろう。

自分に許されるのはハイかイイエのどちらかのみ。

 

デュノアは考え、考え、考えた。

そして、自分が今行うべき最善の行動をとるために…

 

 

 

「いいよ、分かった。 お前の考えは分からないけど、とりあえず従うよ」

 

 

 

イエス、と返事した。

 

その瞬間彼女の拘束は解かれ、その場を後にしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雨は降り続いていた。

強く、強く、ただ強く。

その場を歩くには「傘」が必要だろう。

 

しかし、彼には歩くために傘がない。

くれてやったのだ。

ただでさえ冷たい「雨」が降り注ぐ世界で。

あの薄汚い、人間の掃き溜め場で。

 

たったそれだけのこと。

だが、それ故に。

 

「少女」は、彼に、恋をした。

 




ご感想、ご指摘がございましたら、よろしくお願いします。


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呪殺

雨ですら、流してはくれない。


呪殺

 

雨が降る。

 

「………」

 

ただ、雨が降る。

 

「………」

 

激しい音を立て、周りの騒音を掻き消していく。

ソレは体に当たり、流れ、容赦なく熱を奪っていく。

凍えるほどに寒く、鉛のように重く、頭もうまく働かない。

 

「………」

 

そんな悪天候にも関わらず、岡山太一は校舎の屋上にいた。

虚ろな目をして上を見上げ、瞳に雨粒が当たっても身動き一つしない。

呆然と立ち尽くしている。

 

 

 

そんな時、聞き取りづらいがチャイムの音がした。

 

 

夕方に鳴るソレは授業が終わり、生徒たちが教室を出る時間を知らせる。

そして岡山に、彼女がここに来る時間であることを知らせる。

 

「………」

 

かすかに聞きながら、それでも岡山は動かない。

それこそ、まさしく木偶の坊のようであった。

 

「………」

 

岡山は思う。

今までの自分の人生は、どうだったのだろうか?

 

幸せだっただろうか?

否、当然。

安楽だっただろうか?

否、コレも当然。

彼が今まで歩んできた道は、今振り続ける雨のように彼を削り続けてきた。

奪われ、傷つけられ、気付いた時には全て無くなっていた。

 

全てはあの時、この「物語」が目の前に迫った時。

 

「………」

 

思えば、なんと思慮の浅い行いだっただろうか。

いささか、愚かすぎることであった。

 

自分に力はなく、彼女たちにはある。

本能で生きる動物たちにも通じる法則。

弱者は強者に近寄らない、そんな簡単なことに彼は気付かず、好奇心に負けてしまった。

その結果が、彼の動かない片手片足、傷だらけの体を生み出した。

頼るものもない、真の孤独を作り上げた。

 

「………」

 

自分がなぜこの世界に来たのか、未だ理解できない。

神とでも呼ばれる、想像主たる誰かに会ったわけでもない。

輪廻転生の道をしっかりと覚えているわけでもない。

 

しかし、もし自分が誰かによって呼ばれたのなら、そしてソレが目の前に現れたのなら。

 

「………」

 

…そう考えたところで、彼は思考を止めた。

考えたところで何になると鼻で笑った。

自分にとって、今が現実なのだ。

 

もう二度と、自由に歩くことなどできない。

もう二度と、利き腕で箸を持てない。

したい、とすら考えない当たり前のことを、自分はもう出来ない。

 

「………」

 

しかし、これで終わる。

臆病で、劣悪で、どうしようもなく敗者であったこの道を、終えることが出来る。

 

その終わりも決して幸せではない。

最悪の一言であろう、しかし。

少なくとも、一瞬の喜びはあるかもしれない。

だから、彼は彼女をここに呼んだ。

 

 

 

「…岡山」

 

 

 

そう彼女、織斑千冬をこの場に呼び寄せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…思ったより、早い、ですね…」

 

「あ、あぁ…お前が呼んでくれるなど、今まで無かったからな。 言っただろう、お前が呼べば飛んでくると」

 

「…冗談だと思っていましたが、流石ですね」

 

化け物め、と。

心の中で叫ぶ。

 

だが彼は表情を変えず、動きもしない。

 

「…しかし、こんな所に呼んで何をするんだ? しかもこんなに雨が強い中で…早く戻らないと風邪をひいてしまうぞ?」

 

「…かまいません…ここででしか…叶わない…ことなんで…す…」

 

そう言って、ようやく岡山は彼女の方に体を向けた。

その姿は痛々しいの一言である。

最近になって出来たであろう頬の傷は、恐らく女生徒たちから受けた傷だろう。

赤く腫れ、とても痛々しい。

そしてその動作は恐ろしいほどに鈍い。

それは一生消えない傷故に。

 

「………」

 

織斑千冬は、そんな彼から決して目を放さない。

己の罪の象徴である彼から、決して目を逸らさない。

岡山はそんな彼女に少しずつ歩み寄る。

 

「…貴方と、話がしたかったです。 二人っきりで」

 

「…そう、か。 そうだな…私も、お前とずっと話しがしたかった」

 

彼女もまた、彼の下に歩み寄る。

二人の歩くスピードは遅く、ゆっくりとその距離は縮まる。

その途中で、岡山はまた声を上げた。

 

「酷い雨、ですね」

 

「あぁ、少し打たれるだけで凍えてしまうほどに冷たい。 お前は大丈夫か? 長い間あたっていたんだろう?」

 

「大丈夫ですよ、今もこうしていますが…特に問題ありません」

 

「……それは」

 

「えぇ、貴方の考えている通りです。 もう寒いとも感じれません」

 

そう言って、彼は頭を下げて自分の右腕を見た。

もう長年動かない腕は今もピクリともせず、寒さも痛みも感じさせない。

 

そんな彼の様子を、織斑千冬はただ見つめる。

 

「…この腕は…もう治りません」

 

「…あぁ」

 

「…この足は…もう動きません」

 

「…そうだな…」

 

淡々と言葉を述べる彼を前に、織斑千冬もまた淡々と返事をする。

血が通ているのか疑わしいほどに、恐ろしいほど感情が籠っていない。

 

「………貴方は、僕に何がしたかったんですか?」

 

しかし、その問いに彼女は答えられなかった。

彼女はわずかに目を開いたが、それ以外は何の行動もしない。

 

「………」

 

「なんで、何にも言わないんだ? なんで、言い訳しないんだ? 言ってみろよ、何でも良い。 ただ憎かったでもいい、虐めたかったとか面白かったでもいい。 とにかく喋れよ」

 

「………」

 

「教えろよ、教えてくれよ。 理由くらいあるんだろうが、教えろよ…」

 

「………」

 

どれだけ言っても、彼女は何も言わない。

ただまっすぐ岡山を見つめ、彼女は眉一つ動かさない。

ただ悲しげに見つめるだけだ。

 

「…まぁ、いいさ。 お前が僕のことをどう思っているかなんて…もうどうでもいい」

 

そう言い、彼は左ポケットから何かを取り出す。

ソレを見た時、織斑千冬は逃げることが出来た。

逆に彼を気絶させ、止めることも出来た。

しかし、しなかった。

 

「これで、終わりなんだからさ」

 

故に、彼の左手より放たれた銃弾を、彼女は受け止めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…ぐッ」

 

苦しげに、わずかに顔を歪ませる。

ソレを見た時、岡山の体には未知の感覚が走っていた。

しかし、その正体を理解できない。

 

「………」

 

「ッ…ぐゥ…」

 

次いでもう一発、今度は彼女の右足を打ち抜いた。

それにより彼女は立つことが出来なくなり横に倒れる。

 

「………」

 

彼女が苦しむたびに、全身に電気が走ったかのような感覚がよぎる。

嫌ではない、むしろ快感である。

そう、快感だ。

この世界に生を受けて、久しく感じていなかったソレを岡山は感じていた。

 

「………き」

 

だが久しすぎた故に、彼はその正体を知ることが出来ない。

自分が今幸せなのだと理解することすらできない。

まるで自慰を覚えたての子供のように、ただ快感のみを貪る。

 

「き…きひ…」

 

そして自分の気持ちすら理解できない彼は、「笑う」という幼い表現のみを行う。

ただ目の前の彼女を傷つけること、それに不明の快感を感じながら。

 

「あひゃ…きひゃひゃひゃひゃひゃッ!!」

 

そして感情は爆発し、彼に狂笑を吐かせる。

 

「アハッアハッ ア゛ハァッ!! アアアアぁぁぁァァアアあああぁあッッ!!! ア゛ヒャヒャヒャひゃひゃヒャヒャッ!!」

 

その後、彼は玩具を振り回す子供のように銃を乱発させた。

六発装填されていた銃弾は、先ほどのも含め半分の三発しか命中しなかった。

もともと銃を持った経験もなく、悪天候のせいで手は震えている状況だ。

むしろ三発も当てられたことが奇跡だろう。

 

最後の一発は、彼女の喉元を貫いた。

 

「ジネェッ! ジネェッ! 死ネェ! アヒャヒャヒャヒャッ!」

 

涙、涎、鼻水、汚らしい体液をぶちまけながら、岡山は最後の一発を放ったのだ。

その一発は全く動かない彼女にめがけ一直線に放たれ、そして命中したのだ。

 

「ギっ!? が…ハぁ…!?」

 

唐突に流れる激痛に、織斑千冬はたまらずうめき声をあげた。

しかし、喉に風穴を開けられたせいか濁った音が放たれてしまっている。

 

「ぎひ、ギヒャヒャ…あ゛ヒャヒャヒャッ!!」

 

そんな彼女を全く気に掛けず、岡山は笑いながら力なくその場に座り込んだ。

そのまま彼はポケットに入っていた携帯を彼女に投げつけ、再度腹を抱えて笑い続ける。

 

織斑千冬は、そんな彼をただ見つめるだけであった。

何もせず、身じろぎ一つしない。

ただ、優しげに、悲しげに、愛しそうに彼を見つめる。

 

「…………………」

 

そんな時、彼女は少しだけ口を開いた。

座り、笑い続ける彼に向かって何かを言った。

それがなんなのか、既に理性すら捨ててしまった岡山には知るすべはない。

ただ、一つだけ存在する事実を述べるのならば。

 

その数分後、「織斑千冬」という存在はこの世から消え失せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

分かっていたさ、何もかも。

 

 

 

お前が、私が渡した携帯で、私を呼び出すなんてありえない。

もしあるとしたら、それこそ死人が出るほど劇的なナニカが起きる時くらいだ。

そしておそらく、その死人は私なのだろうな。

 

山田先生や、暗部からも報告があった。

お前が得体の知れない誰かと接触していたと、そしてその時からお前の部屋に一丁の銃が置かれていることも。

 

その誰かに私を殺せとでも言われたのか?

まったく、こういう時ばかり勘が働く。

対策など、湯水のごとく溢れてくる。

やはりお前の言う通り、「世界」というものは私たちには優しいのだな、太一。

 

…だが、本当に優しいのなら。

どうして、お前を私から離してしまったんだ?

そのおかげで、私は世界を愛することが出来ないんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幼少期、私に娯楽というモノは全くなかった。

物心ついた時、私が父から渡されたのは竹刀のみ。

そして伝えられるのは剣術のみ。

毎日定時に叩き起こされては血反吐を吐きながら稽古を続けさせられた。

吐いても、苦しがっても父は許してくれず、それどころか「弛んでいる」と痛がっている所を竹刀で押さえつけてくる始末であった。

あの時の激痛は、今も忘れることなどできない。

 

しかし、私は挫折することなく修練に励んだ。

いつか努力が実を結び、父が私を認めてくれる日を夢見ていたんだ。

最強の名を手にすれば、きっとあの手で頭を撫でてくれると信じていた。

故に止まることは無かった。

愛を渇望し、ただ私は努力し続けたのだ。

 

そのおかげか、保育園に行く頃には既に大人すら倒せる実力を持ったのだ。

実力者相手だとまだ負けてしまうときもあったが、大抵の大人相手にはもう負けることがないほどに。

そんな私を見て、他の子供たちが向ける視線は分かりきったものであった。

恐怖、恐怖、恐怖、恐怖。

余りある力を持つ私を、子供たちだけでなく大人たちも化け物を見る目で見てきた。

近くに居てくれるのは、幼馴染と弟のみ。

 

あぁ、そうだ。

保育園に行く頃には家族の関係にも変化があった。

そのころになると、両親は一切私たちに干渉しなくなってしまったんだ。

そう、親にすら恐れられてしまったんだ、私は。

 

ある日保育園から家に帰ると、そこには年端もいかない弟が一人泣いていた。

事情を聴くと、両親は自分たちを捨てたのだと。

もう面倒を見る気すら起きないと。

見ると、弟の手には通帳があった。

中には子供二人には荷が重すぎる額が、恐らくこれで生活しろということだろう。

 

…私は涙すら流れなかった。

悲しむ感情すら消え失せ、その場に座り込んでしまった。

喪失感、焦燥感、虚脱感、理解できない感情が生まれては消え、生まれては消えて行った。

頼る親戚はおらず、近隣からは化け物扱いされていたせいで近づくだけで逃げられる。

もう、私にはどうすることもできなかった。

 

束は何度か私に移住するように勧めてきた。

こんな所に居ても腐るだけだと、しかし私はその申し出を受けることが出来なかった。

 

震えてしまうのだ、あの家から出てしまうと。

この家にある道場は、私にとって苦痛でしかない代わりに唯一の拠り所だったからだ。

剣しか教えられてこなかった私にとって、もうこの場所しか生きる場所は無いとすら感じた。

そのせいで、私はこの家を出ることが出来なかった。

せめて弟だけでもと考えたが、弟も私と離れたくないといい、結局二人でこの家に住むことになったのだ。

 

 

 

 

 

それから、私の生活は空虚の一言だった。

弟や幼馴染がいるから、一人ではない。

最近では弟も家事をすると言い出して、危なくないことは任せられるようになった。

幼馴染は暇さえあればウチに来てくれて、アイツの妹も弟と仲が良くなったみたいだ。

 

…しかし、足りなかった。

私の中に足りない何かは、日々私を蝕んでいった。

何をしてもつまらなく感じてしまい、手につかない。

ソレがなんなのかも分からないからタチが悪い。

 

だが確かに私はソレを求めていた、ソレは間違いない。

だから苦しかった、苦しかったから、逃げた。

何も感じなければ、その苦しみからも逃れられると。

本気で思い込んでいた。

 

 

 

 

 

そんな時だ、彼に話しかけられたのは。

 

あの時、いつものように意味もなく玩具を振り回していた時だ。

 

「あ、あの…」

 

頼りがいなど微塵も感じられない声色。

見るとそこにお前がいた。

しっかりご飯を食べているのかも疑ってしまうほど華奢な体。

私の力なら平気で折れてしまうだろう。

 

しかし、彼の問いかけに私の頭の中は真っ白になってしまった。

久しぶりすぎたのだ、弟や幼馴染以外の誰かに話しかけられたのが。

邪気をはらんだ言葉すら入れていなかった私にとって、それは劇薬にも勝る衝撃だった。

 

「…なんだ?」

 

そのせいで、私の反応も酷く簡素で冷たいものになってしまった。

それで次は普通に返せばよかったのだが、私の中に根付いた拒絶の心は強く、次の言葉も凄惨なものであった。

 

「…お前には関係ないだろう、さっさと戻れ」

 

そう言うと、彼は諦めたように部屋の隅に戻ってしまった。

 

…その時、何故か私は嫌だと思った。

 

今を逃したら、彼はもう二度と私に話しかけてこないだろう、そう思うと手が震えてしまった。

何もかも拒絶してきたというのに、彼だけは離したくないと、そう思ったのだ。

 

だから、私は彼を強引に引き留めた。

自分の理解できない感情のために、彼の自由を一切奪ったのだ。

 

そして、私の今までを押し付けた。

他に方法が思いつかなかったのだ、彼とどう接したらいいのか微塵も分からなかったために、かつて自分が受けてきたモノを全て彼に与えた。

 

…今思えば、私は彼に同じ存在になってほしかったのかもしれない。

一緒の存在になれば、同じ誰からも嫌われる存在になれば、私の隣から消えないと。

一生私の傍から消えないと。

 

己の気持ちの整理も出来ないまま、ただ彼を縛ることのみ考え続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、その結果がこれだ。

私は自覚もせずに彼に苦痛を与え続け、おんなじ存在だと信じ続けたせいで彼を壊してしまった。

そして皮肉にも、彼が私の目の前から消えてしまった時にようやく気付くことが出来た。

 

私は、彼と一緒に居られるだけでただ楽しかった。

嬉しかったんだ、彼に話しかけられたことが。

声をかけてくれたあの時、無限の闇の中に居た私を救い出してくれたように感じたんだ。

だから離したくなかった、ずっと一緒に居たかった。

彼となら、どんな苦境も笑顔で乗り越えられる、そう感じていたんだ。

 

そう一目見たその時から、話しかけられたその瞬間から、私は彼が好きになっていた。

そして一緒に過ごすうちにその気持ちは強まっていき、ついに完全なものになっていったのだろう。

彼に私が体験した苦しみを押し付けたのは、私のことをもっと知ってほしかったからだと気付いた。

ただ彼の隣にいるだけで幸せな気分になれていたと気付いた

しかし、自覚した時にはもう何もかも終わってしまっていた。

 

同時に、私はあの日記を見たことで世界をはっきりと憎むようになった。

彼を蝕み、私から遠ざけて行った世界に、いつか復讐したいと思った。

ずっと考え続けていた、どうしたら世界に刃向い、彼を救えるか。

しかし、どれだけ経っても答えは出ず、ただ世界は無慈悲に私たちだけを救い続けていた。

逆に彼は、延々と世界からの迫害を受け続け、私への恨みを重ねていったのだろう。

 

 

 

 

 

そして、その断罪を今受ける、他の誰でもない彼自身から。

授業が終わり、文字通り飛んで彼の元まで駆けつける。

異常な早さで辿り着いた私を、彼は忌避の眼で見つめる。

 

(そうだろうな、こんな芸当お前の世界ではありえなかったんだものな…)

 

彼は私に話しかけてくる、それだけで私の体には無類の喜びが駆け抜ける。

ただ、彼の言葉を聞くだけで嬉しいと感じている。

 

…ただ。

 

「………貴方は、僕に何がしたかったんですか?」

 

この問いに、私は返事が出来なかった。

今更、私の気持ちを伝えたところで何になる?

余計彼を困らせてしまうだけだ、そんなことをして喜ぶはずがない。

彼を壊してしまった時から、もう私に出来るのは彼のために生きることだけなんだから。

 

…あぁ、押し寄せてくる。

彼の殺気が、限りなく私に迫ってくる。

…嬉しいぞ、太一。

お前の気持ちが、感情が、心が、全て私に向けられている。

お前は全身全霊を持って私を殺そうとしてくれているのだろう?

 

「世界」よ、見ているがいい。

お前が望む未来など、絶対に作らせない。

私たちだけに優しい世界なんて、絶対に。

私の消滅で、彼を自由にするんだ。

 

放たれる銃声は、私の右肩を貫く。

次に放たれた弾は、右足を打ち抜いた。

奇しくも、私が壊した彼の部位と同じところを。

 

(あぁ、嬉しいなぁ…)

 

その時に感じたものも、また喜びだった。

彼によって、彼と同じになった。

それが嬉しくて嬉しくてたまらなかった。

 

そして数発外した後に、最後に彼の狂気は私の喉を打ち抜いた。

まるで、一切の弁明も許さないと訴えているかのように。

それでいい、この期に及んで何かを言うつもりなど毛頭ない。

 

倒れてしまい視界もぼやける中、私が最後に見たのは彼の笑いこける姿であった。

決してかわいらしさを感じるモノではない、歪な狂笑であった。

しかし私は、彼が笑っているだけで幸せになれた。

とてもきれいで、たまらなく愛おしくて。

 

「…あ゛い゛しでいる゛」

 

そう呟いてしまった。

幸い彼には届いていないようだ、これでいい。

この感情は、彼だけには伝えてはいけないモノだ。

私は最後に見れた彼の笑みを頭の中に浮かべながら微笑み、意識を失った。

 

あぁ、願わくば最後に…。

 

 

 

お前を千切れるまで、抱きしめたかった。

 

 

 

 




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自壊

世界が、揺らぐ。


自壊

 

 

 

「殺してやる」

 

 

 

織斑一夏が「あの事件」を聞いた後、出てきた言葉がそれであった。

彼はいつものように授業を終え、オルコットたちと食事をとりながら談笑をしていた。

特に意味のない、他愛ない内容のものであった。

 

「…一夏?」

 

つい先ほどまで何時ものように満面の笑みで話をしていたのに、今はその顔に一切の表情がない。

毎日と変わらず、ふざけ合いながら楽しい時間を過ごしていた。

だがしかし。

 

 

 

織斑千冬が岡山太一に撃たれた。

 

 

 

この一言を聞いた瞬間、織斑一夏は瓦解したのだ。

まるで朝起きて歯を磨くように、そうすることが当たり前なのだと言わんばかりに、さも当然のことのように無表情でそう言ったのだった。

 

「一夏、大丈夫か? 気持ちは分かるが落ち着いてくれ」

 

再度、彼の隣にいた篠ノ之箒が話しかける。

近くにいるオルコット、ヴォーデヴィッヒ、鈴音たちも心配そうに彼を見つめている。

しかし、当の織斑一夏はまるで人形のように微動だにせず、黒く歪む瞳だけを彼女に向ける。

 

「こ、殺すだなんて物騒なこと、お前らしくない。 とにかく、千冬さんの様子を見に行くのが第一ではないか?」

 

「…あぁ、そうだな箒。 それもしなくちゃいけない…でも、その前にやらなきゃいけない…アイツを…」

 

「一夏ッ! 気をしっかり持て! あの男の罪はいずれ裁かれる、千冬さんを撃った奴のためにお前まで罪人になる必要なんてないだろう!」

 

声を荒げて織斑一夏を説得するが、彼は一向に言うことを聞こうとしない。

ブツブツと呟きながら食堂の外に出ようとする。

そんな彼を、今度はオルコットが遮った。

 

「…なんだよ、セシリア。 悪いけど、今は構ってられないんだ。 …どいてくれ」

 

「退きませんわ。 あ、貴方がやろうとしていることは到底許されることではありません。 お願いですから、話を聞いてください一夏さん」

 

彼女は両腕を広げて彼が部屋の外に出ないようにするが、その手はカタカタと震えている。

目の前にいる自分の思い人のあまりの豹変ぶりに驚き、恐怖してしまっていたのだ。

しかし、それでも気丈な態度を崩さず織斑一夏を睨み付ける。

 

「…ハハッ、変なこと言うなセシリア。 俺はお前の言うことくらいちゃんと聞いてるぜ?」

 

「だったら、その手に握っているブレードをしまって下さいませ、一夏さん」

 

彼は目の前にオルコットが立ちふさがった時から無意識のうちにISの一部を発動させていた。

その武器は鈍く光り、触れた相手を真っ二つにする狂気を纏っている。

 

彼は少しだけ自分の右腕に視線を移したが、すぐにまた真っ直ぐ前を見つめる。

その瞳には感情がなく、しかし頬は少しだけ緩んでいる。

一目で嘘だと分かるような、安っぽく薄っぺらい、凶悪で冷徹な笑みであった。

 

「セシリア、どうして退いてくれないんだ? 大丈夫だ、すぐに終わるから」

 

「だからダメだと言っているのです! 一夏さん、今の貴方は織斑先生が倒れてしまったことで精神が揺らいでいます。 冷静に、今やることを考えるべきですわ」

 

対してオルコットも一歩も引かない。

両手を広げ、織斑一夏の行く道を遮る。

しかしその表情に余裕はなく、体もカタカタと震えだしている。

 

まるで小動物のように震え、それでも果敢に立ちふさがる彼女を前にしても、彼の様子は一切変わらない。

いやそれどころか、ますます悪化させていった。

 

「…そう…か…分かった、そぉいうことなんだな………」

 

「…い…ちか…さん…?」

 

彼は未だ無表情のまま、ゆっくりと右腕を上げる。

人形のようにゆっくりと、一切躊躇わず、邪魔な戸棚をどかすかのように。

必然のごとく、オルコットを切り捨てようとした。

 

「…そんな…一夏さん…」

 

オルコットは目の前の彼に圧倒され、動くことが出来ない。

蛇に睨まれた蛙のように、彼女は抵抗することすら出来ないでいた。

 

「アンタ、いい加減にしなさいよ」

 

「教官が撃たれたことは私も許しがたい、しかし今のお前はとても正常とは言えん。 少し頭を冷やせ、嫁」

 

そんな彼女に変わって鈴音とボーデヴィッヒが割って入った。

二人ともISを起動させてはいないが、その様子は臨戦態勢に入っている。

 

「…なんだ、お前達もか。 リン、それにラウラ」

 

「…一緒って何よ? 大体アンタさっきから何を言って…ッ!?」

 

鈴音は最後まで言葉を発せなかった。

言い切る前に、織斑一夏が振り上げたブレードで切りかかってきたのだ。

 

「アンタッ…正気なの!?」

 

「嫁、いい加減にしろッ! 自分が何をしているか分かっているのか!?」

 

「お前も…お前も…邪魔するんだな…アイツの味方なんだな…。 信じてたのに…お前ら全員グルになって…俺の邪魔をするんだろ? もういいさ、友達でもなんでもない。 お前等皆殺してからアイツの所に行く」

 

「ッ…アンタ、いい加減に…え?」

 

予想していなかった突然の発言に鈴音は少し顔を歪めたが、直ぐに平静を取り戻し自身のISを起動させようとした。

しかし、それは実行には移されなかった。

 

彼女が織斑一夏の相手をしようとした瞬間、当の相手がいきなり倒れてしまったのだ。

一瞬何が起きたのか理解できていなかったが、直ぐ後ろにいる存在を見て気が付いた。

 

「い、一夏…すまない…。 でも…でもこうしないと…」

 

「箒…アンタ…」

 

倒れた彼の背後には、震える手で竹刀を握る篠ノ之箒が立っていた。

目を見開き、歯を食いしばり目の前で倒れる織斑一夏をただ見つめる。

 

「そうだ…一夏は…疲れただけなんだ。 ただ少し…周りで色々なことがありすぎて…そうだろう皆?」

 

そう言って、篠ノ之箒は懇願するかのように四人を見た。

目の前で震える少女にいつものような覇気は無く、今にも泣き崩れてしまいそうなほどに脆かった。

 

「ほんのちょっと…ほんのちょっと休めば、きっといつもの一夏に戻る。 あの優しい一夏に…戻ってくれるはずだ。 だから、今は…安ませるべきだ…」

 

顔は青白くなってしまっており、呼吸も正常にできていない。

すぐにでも倒れてしまいそうであった。

それでも、彼女は織斑一夏という存在を必死に留めようとする。

無理に引き攣った笑みを浮かべ、他の皆に、そして何より自分自身に言い聞かせる。

 

 

 

織斑一夏は、すぐに帰ってきてくれる。

 

 

 

「…そうですわね、一夏さんは疲れてます。 部屋に運んで…ゆっくりと眠っていただきましょう」

 

そしてその訴えに、オルコットが反応する。

織斑一夏を運ぼうとする篠ノ之箒に手を貸し、彼を部屋まで運び始める。

 

「………」

 

「………」

 

そんな二人を見て、鈴音とボーデヴィッヒも無言で動きだし、彼を運ぶ手助けをする。

 

「…目が覚めても、一夏が完全に治ってるとは限らないわ。 もしかしたら暴れるかも」

 

「でしたら、ベッドに縛っておく必要がありますわ。 ISも…危険ですから少し預かっておきましょう」

 

「そうだな…男一人を縛るのだ。 縛るモノも強固なモノでなくてはならない…鎖のような…」

 

「それに一夏は昔から平気で無茶をするからな…完治していなくても大丈夫だと言って抜け出すかもしれない。 数週間…いや数か月は私たちが看ていよう。 一夏が以前の一夏に戻ってくれるまで…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

所変わり、同時刻。

IS学園より最も近い総合病院。

そこに彼は居た。

 

「………」

 

あの日、あの時。

狂い、笑い続ける彼は打たれた鎮静剤により眠り続けている。

今も定期的に投薬され、安静を強制されているのだ。

 

それは発見された当時の現場の凄惨さが原因であった。

日課として屋上の施錠を確認に来た教師が扉を開け、それを見てしまったのだ。

屋上の中心でゲラゲラと笑い続ける彼と、体に何発も風穴を開けられ、意識を失ってもなお無言で彼に瞳を向ける織斑千冬を。

 

正常、と表現するのはおかしいかもしれない。

だがその光景は、「正常な事件」とは程遠く異質で、狂気が撒き散らされていた。

 

「…ヒッ…ハッ…アぁッ?」

 

故に、屋上に来てしまった彼女は悲鳴すら上げられなかった。

常人の感性を持つ人間には、屋上にて展開された世界の空気は毒以上に強烈で、苦痛を与えるモノであったのだ。

加えて自分を支えてくれる他者はおらず、彼女はその毒をモロに受ける形となった。

故に、第一発見者が狂気にあてられ倒れてしまうことは必然であった。

 

その数時間後、教師や織斑千冬が戻ってこないことを不審に思った者たちが何人かが屋上に至り、惨状をなんとか治めることに成功したのであった。

 

織斑千冬は即時に緊急治療室へ運ばれ絶対安静に。

岡山は現場の様子から目覚めた際のリスクを考え、鎮静剤の投薬が行われたのである。

 

 

 

「…失礼するぞ。 といっても、いるのはお前だけか太一」

 

そんな眠り続ける彼の部屋に、何者かが入ってきた。

身長や声色から察するに幼い少女のように見える。

だがしかし、その様子や覇気から鑑みると、到底子供のように思えない。

 

「…久しぶり、といっても一年も経っていないか。 あの日、あの場所でお前に会ったこと…今も鮮明に覚えている。 あの時から、再開する時をずっと待っていた」

 

眠り続ける彼の右手を取り、自分の頬を触らせる。

眠り続ける彼の手は恐ろしいほどに冷たく、青白かった。

 

「もしこの手が動いていたら、お前は何を掴んでいたのだろうな。 ペンか、武器か、それとも誰かの手だったか…何にしても私がその手を握ることは無かっただろうな。 …だがお前は何も掴めない、何も為しえない。 見ろ、無力なお前は私が守ってやる。 私だけが、お前を受け入れてやれる」

 

「なにワケわかんないこと言ってるのさ。 パパを見つけたんなら、早く連れ出そうよ」

 

まるで呪詛のように愛を語りかける少女の言葉を遮ったのは、デュノアであった。

彼女は部屋の入り口で苛立ちながら少女を止め、カツカツと音を鳴らしながら部屋に入ってくる。

 

「無駄なことはしないでよ、病院丸ごと無人にするのも楽じゃないんだからさ」

 

「…すまない、彼を前にすると自分を抑えられなくてな」

 

「まぁ、分からなくもないけどさ。 それにソッチの人たちも協力してくれたからあまり言わないけど、早いに越したことはないよ」

 

そう言うと、デュノアは腕部のみISを起動させて眠る岡山を担ぎ上げた。

 

「はぁ、この匂い久しぶり…太一さんの匂い…きヒ…っといけない。 ほら、貴方も着いてきてね」

 

「あぁ、分かっている」

 

彼女たちは岡山を回収すると部屋を後にする。

廊下に人の気配は無いが、それでも細心の注意を払って進む。

 

「それにしても見事なものだな」

 

「? 何が?」

 

「この病院は小さいワケではない、むしろかなり大きい部類だろう。 そんな場所を、私たちの力を借りたとはいえ本当に無人にしてしまうその手腕が、だ」

 

歩きながら、少女はデュノアにそう言ってきた。

 

「…まぁ、それほど難しいわけじゃないよ。 別に丸一日空けさせるわけじゃないし、完全に無人ってワケじゃない。 重症の人や守衛の人、あと数人のナースさんも残ってるかな。 ただ私たちがこの場所を歩く時間だけ、ここを無人にしただけさ」

 

「いや、それでも素人が簡単に出来るモノではないだろう。 兵士としてもお前は十分に活躍できるだろうな…」

 

「はは、止めてよ。 僕はソッチ側に行くつもりはさらさら無いんだからさ。 今回も太一を取り戻すために仕方なく…」

 

デュノアは笑いながら少女と話していると、不意に言葉と歩みを止めた。

ナニカが、聞こえたのだ。

人がいる筈のないこの廊下で、はっきりと声が。

別の階にいる一般人の声ではなく、聞き覚えのある。

だが決して聞きたくはない、そんな声が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…だいぢ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………」

 

 

 

 

 

   …だいぢ

   …あ゛あ゛あ゛あ゛

 

 

 

 

 

   …だいぢ…だいぢぃ…

 

 

 

 

 

「…ふーん」

 

「…? どうしたのだ、シャルロット」

 

「そっか…同じ病院に居たんだぁ。 よくよく考えればそうだよね、さすがに部屋は違ったみたいだけど。 …フフ、いいこと思いついちゃった。 ねぇ、先にパパを連れて戻っててよ」

 

そう言って、デュノアは同行者に岡山を渡し、一人だけ踵を返した。

 

「何か忘れ物でもしたのか?」

 

「んー…まぁそんな所かな。 ちょうどペットが一匹欲しいって思ってたし丁度いいかな。 パパへの罰にもなるし」

 

「罰?」

 

同行者の問いかけにデュノアは振り返らず返答する。

しかし背中越しにも同行者には彼女の表情がよく分かった。

 

「…キヒひ、そぉだよ。 私にこんな寂しい思いをさせたんだもん、太一にはお仕置きが必要だよ。 それに、あの人も本望じゃないかな、太一と一緒に居れるんだから。 あ、もう人じゃないか…キひゃ」

 

「…あぁ、なるほど。 了解した、どうせアレにもう理性はないだろうし、好きにしろ。 お前の言う通り、私は先に行くぞ」

 

狂いきった、人とは思えない邪悪な笑み。

端正に整った顔立ちであるからこそその顔はさらに恐ろしく、凶暴に感じた。

しかし、そんなことなどお構いなしに同行者は一人で病院を歩く。

岡山に怪我をさせぬよう、ISを展開させて慎重に運びながらふとこの先のことを考えた。

 

「…潜伏先はあそこにするとして、果たして奴に気付かれないだろうか…。 デュノアは簡単だと言っていたが…成功するかどうか。 奴もアレの恐ろしさは分かっているだろうに。 まぁ、彼を渡すつもりなどさらさらないがな」

 

そう独り言をつぶやき、彼女は外へ出た。

するとそこには、自分と同じ場所に住む者が二人いた。

 

「よぉ、遅かったじゃねぇか」

 

「ずいぶんと時間がかかって…あら、彼女は?」

 

「オリジナルを回収に行った。 恐らく飼うつもりだろうな」

 

同行者の発言に二人は苦笑する。

 

「ははっ、とことん狂ってやがるなあの女。 その男のためなら世界だって敵に回すんじゃね?」

 

「フフ、愛の力は強いのよ。 憶測じゃない、確実に世界だって滅ぼすわ。 彼女の毒は、それだけ強力だもの」

 

二人の様子を見て、同行者は何かを察知した。

予想ではあるが、恐らく「成功」したのだろう。

 

「その様子だと、うまくいったのか?」

 

「えぇ、篠ノ之束を欺くことに成功したわ。 今の彼女には、私たちが何処にいるかすらも分からない。」

 

「あの女が言ってたことは本当だったぜ、まさかここまであっけないとは思わなかったがな」

 

「そうか…よし。 ではそろそろ出発しよう。 デュノアが戻ってきたときにまだこんな所に居たら、後で何を言われるか分からない」

 

そう締めくくると、三人は各々ISを展開させ、夜空へと飛び立った。

その間、同行者はISの腕に収まっている岡山を終始愛おしそうに見つめ続けていた。

 

「…やっと、お前に傘を返せるな。 太一」

 

 

 

 

 

 




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牢獄

夢を殺して、夢をもぎ取る。


牢獄

 

「おとーさーん、もう起きてよー」

 

愛娘の声で目が覚める。

窓からは小鳥の鳴き声がかすかに聞こえ、まだ残る眠気と共に布団から出た。

 

まだ覚醒しきっていない、おぼつかない足取りで階段を下りて真っ先に洗面所へ向かった。

自分が顔を洗っている隣では今日も忙しく洗濯機が動き、辺りには美味しそうな朝食の匂いがする。

愛妻が、自分よりもずっと早く起きて準備してくれていたのだろう。

 

「あ、お父さんおはよー」

 

顔を洗っていると、後ろから声を掛けられた。

娘であるシャルロットだ。

 

「あぁ、おはようシャル」

 

「ほら、早く行こうよ。 お母さんご飯作って待ってるよ」

 

「そうだね、急いで行かなくちゃ」

 

そう言って、僕達は朝食が並べられたテーブルへと向かう。

そこには準備を整え先に座っている妻のエレンが座っていた。

 

「あら、おはようあなた」

 

「おはようエレン。 うん、今日もおいしそうだ」

 

軽く挨拶をして、僕とシャルはそれぞれの席に座る。

 

「いただきます」

 

そして三人仲良く礼をして、食事を始めた。

 

「そう言えばシャル、学校はどうだい? 高校になりたてだが…友達はできたかい?」

 

「うん、バッチリだよ父さん! 皆いい子だし、とっても楽しいよ!」

 

「はは、そうか。 だったらいいんだ、せっかくの学園生活なんだから楽しまなきゃね」

 

「うん!」

 

そんな他愛のない会話をしながら、僕達は食事を進めていく。

何の変哲もない、代わり映えしない普通の生活。

 

「エレンも、仕事の方は順調なのかな?」

 

「えぇ、順調も順調。 これからどんどん頑張ってもっと上にまで昇ってやるんだから!」

 

「はは、まぁほどほどにね。 体を壊したりしたら大変だから」

 

「ふふ、ありがとうあなた。 でも、二人のためにも頑張らなきゃね」

 

しかし僕やシャル、そしてエレンは幸せだ。

変わらないからこそ、恒久的だからこそ、僕達はその幸せを感じていた。

 

 

 

 

 

その中で、エレンはふと時計を見て慌てて立ち上がった。

 

「あら、いけないもうこんな時間! 早く洗濯物を干さなきゃ」

 

彼女の声にハッと気づき時計を見るともうかなり時間が経ってしまっていた。

 

「たいへんたいへん、シャルちょっと手伝ってくれるかしら?」

 

「うん、いいよそのくらい。 早く済まさないと!」

 

「あ、ちょっと待って二人とも。 洗濯物くらい僕が干しておくよ。 僕が出る時間は皆より遅いしね」

 

そう言って僕が席を立とうとした時、二人はきょとんとした顔でこちらを見た。

 

「何言ってるの父さん? 片足動かないのに」

 

「…え?」

 

瞬間、僕の足は力を失った。

バランスを取れなくなり、その場に倒れてしまったのだが、僕自身はまだ状況がつかめないでいた。

 

「あれ、なんで…足…」

 

「もう、貴方はそこにいてよ。 遅刻したらデュノア様に何をされるか分からないんだから…ふふ」

 

そう言って頬を赤く染めるエレンを見て、僕はますます意味が分からなくなっていく。

とにかく立ち上がろうと、今度は右腕を支えにして立ち上がろうとした。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ二人とも。 言ってる意味が全然分からないよ」

 

「んー? 分からないのは私たちだよ父さん。 なんで立とうとしてるの? 右腕だって動かないのに」

 

そして今度は腕に力が入らなくなり、もう一度地面に倒れ伏すことになってしまった。

 

「は、え? なにこれ、何で二人とも平然としてるの? ちょっと、起きるの手伝ってよ」

 

「手伝う必要なんてないでしょ。 パパはずっとそうしてなよ。 私たちがアイツに犯されてる間、ずっとさ」

 

「そうね、貴方にはソレがお似合いね。 碌に人も守れないゴミみたいな貴方には」

 

そう言って、二人はゆっくりと僕の目の前まで歩いてくる。

その姿が死神みたいに見えて恐ろしく、愛している筈の二人が化け物に思えた。

 

「ひっ!? こ、こっちにくるな…」

 

「えー、何言ってるの? 私たち家族なんだから、全部私たちに任せてよ」

 

「そうそう、貴方はもう何もしないでいいの。 ここでずっと、負け犬のままでいなさい」

 

「ふ、ふざけるな!! お前等、一体何を考えて…!?」

 

僕は二人から逃げようと必死に暴れるが、二人の力は異様に強く、ほぼ抵抗できないまま先程までいた洗面所に連れて行かれた。

 

「父さん、多分寝ぼけてるんだね。 まだ自分が普通の人だって思い込んでる」

 

「そうね、目を覚ましてあげなきゃ。 さっさと今の自分を確かめて貰わないとね」

 

目の前には洗面台、そしてそこには一杯まで貯められた水があった。

 

「ほら、ジャバジャバー」

 

「ブッ!? ゴバ…がばッ…」

 

そこに思いっきり叩きつけられ、碌に息も出来ないで為すがままにされる。

数秒後に顔を上げられ、また沈められ、上げられ、沈められた。

それを延々と繰り返され…。

 

「ほら、目が覚めた? 今のパパどうかな?」

 

シャルにそう言われ目の前の鏡を見ると、そこには目も鼻も耳も口もない、真っ黒な顔が映されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目が覚めると、そこは見覚えがあるようでないような場所であった。

岡山は最初、病院かと考えたが明らかに内装が病院のソレではない。

 

「…こ、こは…」

 

岡山は思い出そうとするが明確な場所は思いつかなかった。

感じるのは、懐かしさと温かさのみ。

ベッド、机と椅子、必要最低限の家具。

そしてすぐ近くには棚があり、そこには色鮮やかな果物が置いてあった。

 

簡素な部屋を彼は見渡していた。

 

「僕、は…あの女を撃って…」

 

「そう、パパはそのまま倒れて病院に運ばれて…私たちに此処まで運ばれたんだぁ」

 

全身が総毛立つような恐ろしい声に反応して横を見ると、そこにはデュノアが立っていた。

 

「…デュノア…なにをした…んだ…!?」

 

「…は? 私はシャルロットだよ、デュノアだなんて名前じゃないよ?」

 

獣のような殺気を放ちゆっくりと、ニヘラと笑いながら岡山の方へデュノアは歩み寄る。

岡山は遠ざかろうとするが、なぜか足が思う通りに動かず、みじろぎすることがやっとである始末だ。

動く方の足に何か異常があるのか、確かめようにも布切れのようなものがきつく巻かれており、片手でほどくのは難しい。

 

「シャルロットだよ、シャルロット…貴方と母さんがつけてくれた名前…そうでしょ?」

 

「…違う、それはエレンとあの男が着けた名前だ。 僕は…無関係だろうが…」

 

あくまでも反発する岡山を見て、デュノアは不機嫌そうに顔を歪ませ…笑みを浮かべた。

 

「もう、変な冗談はよしてよ…私の姓名は岡山、貴方の娘…そうでしょお? ねぇ」

 

ゆっくりと岡山に近づきながら、まるで子供に言い聞かせるように優しく、穏やかな口調で話かける。

しかし彼女の本性を知っているが故に、彼はそれを見て素直に安心することが出来ない。

 

「ひ…そ、それ以上来るな…」

 

「なんでそんなひどいこと言うの? 世界に一人しかいない家族なんだよ? 大事な娘でしょ?」

 

「今更…昔を書き換えるのはやめろ…お前は…おまえはデュノアの妾から生まれた…僕とは赤の他人だ…」

 

岡山がそう言うと、デュノアの顔から笑みが消えた。

何かを我慢するように全身を震わせ、泣くのを必死にこらえているようだった。

 

「…分かってるよ、もう。 私があの男の娘で、貴方は取られた人だって」

 

「っ…お前…。 …分かってるなら、僕がもうお前に構う理由がない事も分かってるだろ?」

 

「うん、そうだね。 でもさ、私が貴方を離したりなんてしないことも分かるでしょ? 父さんは…私にとって大切なんだもん…娘としても、女としても…」

 

そう言うと、彼女は拘束されている彼のもとにたどり着くと、その頬を撫でた。

 

「私は…こんなだけど…それでもあなたが好き…。 父親として…恋人として…貴方が必要なんだ。 だから…さ…今からでも家族に戻ってくれないかな? お願いだから…」

 

今までの狂った様子は一切なく、たった一人を求めるだけの少女になっていた。

そのようにしか見えなかった。

世界のすべてを敵に回してもなお、彼女が求めるのは岡山ただ一人だったのだ。

そして曲がりなりにもそれを理解しているからこそ、岡山は数秒返事をするのに躊躇した。

永遠と感じられる数秒の中、彼は真っ直ぐに彼女を見つめてハッキリと拒絶の言葉を発した。

 

「…やっぱり駄目だ」

 

「…え?」

 

「僕は、お前を許容できない。 許せないし、一緒にいたくない。 お前一緒にいるくらいなら、織斑千冬に飼い殺される方がマシだと思うくらいに」

 

この時、岡山は油断した。

油断し、つい本音を喋ってしまった。

いつものように媚びるように彼女を肯定するようなことのみを話していればよかったのに。

彼女の狂気が消えた顔を見て、安堵してしまったのだ。

 

「…くふ…」

 

「だから…もうお前とは…ッ!? ギッ!?」

 

直後、デュノアから放たれたのは強烈な蹴りであった。

鋭く、凶悪なソレは岡山の腹に突き刺さり、彼にそれ以上の言葉を許さなかった。

 

「が…ハァッ…!?」

 

「あーあ、やっぱりパパは私を裏切ってたんだ。 残念だなぁ、愛してるって言ってくれれば安心できたのに…きひひ」

 

掠れた視界で彼女を見ると、その顔は先ほどまでの優しげな顔ではなく、見覚えのある淀んだ目をした気味の悪い笑みを浮かべる彼女がいた。

 

「太一はさ…私にとって貴方がどういう存在なのかまだ理解できてなかったんだね…。 私にとって貴方の位置づけはもうどうでもいいんだよ、恋人でも父親でも…大切なのはさ、もう貴方をぜぇったいに離れさせないってことだよ」

 

引き攣った笑みを浮かべ、苦しそうにもがく岡山を見ながらその顔をめがけて蹴りを突き刺す。

何度も何度も放ち、彼の顔を壊していく。

 

「ハァ゛ッ、ハァ゛ッ、ハァ゛ッ、ハァ゛ッ、ハァ゛ッ!! どう!? 痛い!? 痛いよね!? 私も痛かった、よッ! 貴方にッ、酷いことッ、言われてッ、さッ!!」

 

「ブッ…ギ…グェ…やめ…アが…!?」

 

救いを求める声も許さない、ひたすら彼を蹴りつけ己の欲を満足させていく。

 

「アハァ、楽しいね太一! でも太一のせいなんだからね! あの女の方がいいだなんて言ってまた私を傷つけるんだからさぁッ!!」

 

「が…ぁ…は…ハァ…」

 

鼻が曲がり、目が真っ赤に染まり、唇が割れ、歯が砕け、耳が裂けても蹴りをやめない。

笑いながら彼を痛めつけていく。

 

「…あ?」

 

そんな時、デュノアは彼の異変に気が付いた。

顔をガードしていたはずの片手が、いつの間にか彼の首を掴んでいたのだ。

 

「は…が…」

 

「? 何やってるの父さん? 楽しいこと?」

 

自ら首を絞め、彼は苦しげな声を発する。

ソレを見てデュノアは最初理解できていなかったがすぐに何かに気付いたのかその顔をさらに歪ませた。

 

「き…きゃはハ!! ねぇもしかしてパパ死のうとしてるの!? 自殺ッ!? この期に及んでまだ私から逃げようとしてるのッ!?」

 

彼がしようとしたことを理解すると彼女はまた大きな声を上げて彼を嗤い、すぐさま彼の首に手を添える。

 

「それにさぁ、そんなんじゃ全然死ねないよ父さん? 死にたいんだったらさぁ、こうやって脈を指で押さえて本気で締めないと…ねぇ太一ぃ」

 

「かはっ…く…」

 

「ねぇ、本当にこのまま死んじゃってみる? どうせすぐにたたき起こすし、一回くらいなら別にいいよ? 少し離れるのは寂しけど、ちょっとした小旅行だよねぇ…キヒひゃひゃひゃッ!!」

 

狂笑をしながら自分の首を絞め続けるデュノアを見ながら次第に薄れていく意識に心地よさを感じていた。

このまま死んでしまっても良いか、でも蘇生させられると考えると少し気分が憂鬱になる。

 

そんなことを予想外に冷静な思考で考えていると、ふと目の前に何かが写った。

銀色の発色しているそれは、自分が縛られているベッドの棚…そこに置かれていた果物の近くにあったナイフであった。

 

「あ…」

 

彼女は死んでも生き帰させると言っていたが、即死ならばどうなのだろうか?

どのような方法を取るのかは知らないが、蘇生の準備すら許さない勢いで死ねば不可能なのではないか?

 

「…」

 

「ねぇどう太一さん? 気持ちいいかな? 一応マッサージするような感じで押さえてるんだけど…くふふ」

 

岡山が何を見ているのかにも気づかず、デュノアは一心不乱に彼の首を絞めていく。

 

(…やるなら…今…どうせ彼女たちには敵わないんだから…)

 

そう思って、おもむろにナイフを手に取り、自分の心臓の近くに寄せようとする。

これで永遠に彼女から離れられることを祈って。

 

 

 

そしてその手があと少しで辿り着くという所で、止められてしまった。

その手を何者かに掴まれたのだ。

 

 

「…ッ!?」

 

「…なに? 今は私の時間でしょ?」

 

岡山はその正体が分からず動揺し、対するデュノアは何者なのか分かっているのか不機嫌そうに介入者を睨み付ける。

 

「…すまないな。 今、してはいけないことを彼がしようとしていたのでな…協定違反だが介入させてもらった」

 

その声がする方向を見て、岡山は絶句した。

そこには彼の肩腕片足を潰した織斑千冬、その最も忌まわしい幼少期の姿があった。

 

 




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永劫

永遠の檻は出来上がった、あとはその中身を放り込むだけ。


永劫

 

「もうっ、イイトコだったのになんで邪魔するのさ…太一さん、あとちょっとで出発だったのに…」

 

心底残念そうに、そして楽しげにデュノアは部屋に突然現れた少女へ話しかける。

対して少女は無表情のまま、手に持つナイフを顔の近くまで上げて見せた。

ソレを見てデュノアは表情を消すと、ゆっくりと岡山の顔を見た。

 

「…ふーん、パパまた逃げようとしたんだぁ…くふ…」

 

「ヒッ…ヒぃ…」

 

目を細め、三日月のように深い笑みを受かべるデュノアを前にして、岡山は彼女を見ていなかった。

 

「なんで…なんでだ…」

 

「……? どうした太一、私のことが分かるのか…?」

 

彼はデュノアでなく、部屋に入ってきた少女を凝視していた。

ソレは何故か、その侵入者の姿が殺したはずの織斑千冬…しかも最も恐怖を抱いていた幼少期の姿をしていたのだ。

 

「なんでまだ…生きてんだ…!」

 

「…あぁ、もしかして、あの裏路地の事を覚えていたのか? …はは、何かを嬉しいと感じるのは久々だ…」

 

「なんでまだ生きてんだよッ! お前はァァッ!?」

 

自分が唯一、化け物達に対して出来た抵抗。

達成と同時に気が触れ、狂笑を上げるほどの喜びを得たというのに、ソレを目の前で否定された。

なんだこの化け物は、殺したんだからもう出てこないでくれ、そう思いながら必死に叫ぶ。

焦り、驚愕、恐怖、憎悪、悲哀。

その全てを含め、どれとも言えない黒い感情が彼の中を侵していった。

 

「どうしたんだ太一、私はお前に傘を返したいだけだ。 お前が示してくれたように、今度は私がお前を導いてやる」

 

「止めろッ! 来るな化け物! 消えろ、お前は居ちゃいけないだろうがァ!」

 

首を精一杯振りながら、目の前の化け物を否定する。

しかし、対する少女は彼の拒絶を全く気にせず、逆に彼を包むように優しい笑みを浮かべて彼へと歩く。

まるで彼の拒絶が全く聞こえていない様に、彼の前へと迫る。

 

「…そんなに私に会えたのが意外だったのか? …あぁ、この姿は少し事情があってな。 だが安心しろ、私はあの女のようにお前を傷つけたりはしない」

 

「……」

 

幻でも見ているのか、彼女を見てデュノアをそう思った。

彼の言葉はどう聞いても肯定ではない、しかし彼女はそんな事全く気にしていなかった。

そして彼女はあと少しで彼に手が届くところまで歩み寄った。

少し震える両手を前に出して、慈母のように彼へ語りかける。

 

「…あぁ、手が震えている。 許してくれ、お前を嫌っているワケではないんだ。 ただ…やはり少しだけ緊張してな…」

 

そこで岡山は自分の内にある感情に耐え切れなくなった。

 

「いぎ…ぐる……な…うぶぐ」

 

「? …あぁすまない、お前も緊張していたんだな。 ほんの少しお前は気が弱いと思っていたが、まさか腹を痛めてしまうとは…」

 

何も無い筈の胃からドス黒い怨念のごとく込み上げてきたそれは、岡山の矮小な抵抗など全く気にもかけず、容易く口元まで昇って来ていた。

そんな様子を見ても少女は様子を変えず、手を下ろして恥ずかしそうに視線を逸らしただけだった。

 

「ぐ…ぶ…え゛え゛え゛ッッ!!」

 

「ッ! …くふ…フフッ!」

 

そして口から溢れ出ようとした瞬間、反応したのはデュノアだった。

彼女は即座に彼の口に自らの唇を合わせると、そこから流れてくる怨念を飲み込んでいった。

 

「んぅ!? お゛ぉおえ…えォォ!?」

 

「ンフーッ…フーッフッ…フーッ…ンっンっンっ……ぷはっ」

 

一滴残らず、彼の流したものを全て飲み干す。

そして流れが止まったことを確認すると、デュノアは口を離し天使のような笑みを浮かべて岡山を見た。

対する少女は、デュノアを見て少しだけ目を細めた。

 

「…あまり、逢瀬を邪魔しないでほしいのだが…」

 

「アハは、ごめんよ。 でも最初に邪魔したのは君なんだから、大目に見て欲しいかな。 あんまり構ってくれないと私も寂しいし」

 

そんな軽口を叩く異様な二人を見て、岡山は理解が追い付けずうめき声しか喉から出すことが出来ない。

 

「ふ…ぐぅ…!?」

 

「あー、やっとこっち見たぁ。 あの子ばっかり見ないで、ちゃんと私も見てよね、パパ?」

 

そう言って彼女は口から垂れるソレを手で拭うと、舌でベロリと舐めとった。

未だ不快に痙攣する胃の感覚も気にせず、目の前でたった今自分が吐きだしたモノを飲み干したデュノアを信じられない表情で見た。

 

「ぐ…ぅ…なんで…なんでこんな…!」

 

「なんでって…太一がコッチを全然見てくれないんだもん。 構ってくれなきゃ、キスくらいしたっていいでしょぉ? …きひひ」

 

さも当然と言いたげな表情で言った後、その全てがまやかしだと言うような狂笑を浮かべる。

彼女は震える岡山を少しだけ見つめると、その視線を少女の方へと移した。

 

「だから言ったでしょ? 我慢できないのは分かるけど、直ぐに会ったら拒絶されるだけだって…ただでさえ太一は私しか見ないんだから………ん?」

 

デュノアは呆れながら彼女に話しかけていたが、途中でその違和感に気付いた。

 

「どうした、太一? 別に覚えていなくても、私は怒ったりなんかしないぞ?」

 

「ヒィ…来るな…来ないでッ…」

 

自分が話しかけているのに、少女は全く自分を見ていない。

それどころか、一点に岡山のみを見ながらゆっくりと彼の方へと寄るだけであった。

 

「ねぇ、聞いてる? 私さっきも言ったよね…」

 

再び少女へ話しかけようとした時だ。

少女はデュノアに気付いてゆっくりと顔を向けると…。

 

 

 

「……? あぁ、すまないデュノア。 何か言いたいことがあるなら筆談で頼む」

 

 

 

さも当然のように少女はデュノアへとそう言って、持っていたメモ帳を渡してきた。

デュノアは驚いたように少しだけ目を開いたが、やがて全てを理解したように狂笑へと戻った。

 

「きひひ…アハはははッッ!! そっかぁ、そこまでして太一に会いたかったんだぁ! ふーん、どうせ拒絶されるなら聞く耳持たないって…くふふふ」

 

少女は、部屋に入ったら彼に否定されることなど分かっていた。

彼が路地裏の一件も、自分に言っていくれた言葉も覚えていないだろう。

全て理解していた、自分の望む結末など訪れないと。

それでも彼女はいち早く彼に会いたかった。

 

故の凶行、彼女は既に音の届かぬ体になっていた。

部屋に入った時の一言も、逢瀬を邪魔した時の一言も、単にデュノアの表情や様子を見て適当に放っただけの言葉であったのだ。

会話をしているようで、全くできていない。

彼女はデュノアの言葉も、岡山の言葉さえももう聞くことはできない。

しかし、そのおかげで彼女は岡山の言葉を一切耳に入れず、傷つくことも無かった。

 

「…へぇー、それはそれは…。 いいよ、少しだけ…敬意を表してあげる」

 

そう言うと、デュノアは岡山の隣から離れて部屋の出口まで歩いて行く。

流石に彼女の動きに気付いたのか、少女はデュノアに話しかけた。

 

「…? 何をするつもりだ?」

 

そう問いかける少女に対して、デュノアは彼女から受け取ったメモ帳に『罰ゲームをする、貴方もいていいよ』と書いて彼女に見せた。

 

「…あぁ、そういうことか」

 

納得したかのように、少女はの方へ向かうのを止め、部屋の隅へと移動して椅子に腰かけた。

対するデュノアはドアを開けると、その近くに置いてあったであろう大きな箱を載せたカートを引っ張ってくる。

いきなり現れた異様な物体に、岡山はまた言い様もない恐怖を感じた。

 

「な…んだよ…それ…」

 

「ふふ、実は新しい家族が出来てね…太一にも紹介してあげようと思ったんだよ」

 

そう言いながら、デュノアはソレを岡山の目の前まで引っ張って行き、満面の笑みで布を捲り岡山にその全てを見せた。

 

 

 

「さぁ、紹介するね。 僕たちの新しい家族…チフユだよ!」

 

 

 

布の中身は人一人が入れるほどの檻、そしてその中にはボロボロの布きれを纏った織斑千冬が、身を丸めながら静かに寝息を立てていた。

 




ご感想、ご指摘がございましたら、よろしくお願いします。


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天罰

理不尽な罰は振り下ろされ、彼という存在もこの世から消え失せる。


天罰

 

「お…りむ…ら…」

 

「んー? パパ何言ってんの? この子はオリムラなんて名前じゃなくて、ペットのチフユちゃんだって」

 

デュノアはさも当然のように、キョトンとした顔で岡山を見つめる。

対する岡山は理解が追い付いていないのか、拒絶すらせずたどたどしく喋ることしか出来ない。

 

「は…なんで…あい…つ…は…あれ…さっきも…いたは…ず…?」

 

次第に顔から血の気が引き、急に寒気が襲ってくる。

目が揺れ、呼吸が乱れてきた。

 

しかしそんな彼を前にしても、デュノアは心底楽しげであった。

 

「…くふ、どうしたのさ太一。 そこらにいる犬や猫と変わらないでしょ? 何がそんなに怖いのさ?」

 

デュノアの明るい声を聞き、ゆっくりと彼女の方を向く。

そこには先程と変わらない、ニッコリと笑う彼女がいた。

 

「お前…何…言って…」

 

「あぁ、ちょっとだけ違うかな? この子、太一を見つけると途端に太一の方へ向かっていくんだよね。 私たちを見てもボーっとしてるだけなのに…ホント懐かれてるよねー」

 

そう言って、デュノアはその笑みをさらに深く歪める。

岡山はその様子を見て一層の不気味さを感じたが、それ以上に何か引っかかるところがあった。

 

「…コイツは…寝てる間に…僕に何をしたんだ…?」

 

思考が戻ってきたからか、岡山は口調が少しだけ元に戻っていた。

だが、目の前に織斑千冬が二人いるという意味の分からない現象を前に、完全に正気に戻ることが出来ない。

戻ればきっと、また恐怖に体が支配されてしまうと、心の奥で理解していた。

 

「…あ、そっか。 パパは寝てたから知らないんだっけ。 聞いてよ、チフユったら貴方にしがみついたらなかなか離れないから大変だったんだよ? パパの体にけっこう甘噛みしてたから、きっと跡も残ってるだろうし…」

 

「は…あ、甘噛みって…? 僕は…何をされたんだ…?」

 

岡山はデュノアに問いかけながら自分の体を確認しようとする。

しかし自分の体は毛布掛けられて見ることが出来ない。

それだけなら左腕で払えばいいのだが、なぜか動くはずの左腕が動かない。

 

「あれ…なんで手…動かないんだ? ん…ぎ…あ、足も…? で、デュノア…僕の体を…動かないように…してるのか…?」

 

「ううん、そんなことしてないよ? 言ったじゃん、チフユが太一に何回も甘噛みしたって…」

 

「あ、甘噛みって…そんなので…腕が動かなくなるわけ…ないだろ…」

 

「でもホントのことだよ? これ見たら信じてくれる?」

 

そう言うとデュノアは毛布をまくり、その中身が全て見れるようにした。

 

「…は?」

 

岡山は自分の体がどうなっているのか見ることが出来た。

しかし、理解することが出来なかった。

ただ、岡山の頭の中に一つの単語が浮かぶ。

見たことがあるようでないような、その程度のフワッとした知識しか持ち合わせていなかったが。

確かにその単語が浮かんだのだ。

 

「なん…だ…これ…」

 

クレーター

 

彼の頭の中に浮かんだのはコレであった。

自分の足や腕、そして体中に、月にあるような窪みがいくつも存在したのだ。

皮膚を破り、肉をえぐり、場所によっては白い何かが見えるほどの、深い深い窪みが。

そしてその窪みの縁は、デュノアの言う通り歯型のように見えた。

 

自分の四肢が動かなくなった原因は、誰にでも分かってしまうことだった。

だが、余りにも現実味のない光景に、岡山の思考はまた急激なブレーキをかけてしまっていた。

 

「は…僕の…なんだよ…これ…なんなんだよ…」

 

「きひ…びっくりした? まぁ、これは罰の内の一つ…ってところかな? 途中で太一が起きないように、ちゃんとお薬使って眠らせてあげてたんだからね?」

 

デュノアは岡山の両肩に手を置き、耳に触れるほど口を近づけて話しかける。

しかし、ソレほどの距離だというのに岡山は一切目もくれず、目の前の惨状を凝視し続ける。

 

そんな時だった。

 

 

 

「ん……」

 

 

 

眠っていたはずの織斑がゆっくりと目を開いた。

寝ぼけているのか半目の状態で頭を揺らし、放って置いたらそのまま二度寝してしまいそうな状態であった。

ゆっくりと辺りを見渡し、まるで毛づくろいをするかのように自分の腕をぺろぺろと舐める。

その様子は、デュノアの言う通り愛玩動物のソレであった。

 

「……」

 

しかし、岡山を見た途端その様子が一変した。

 

「ッ! だいぢッッ!!」

 

「ヒィッ!?」

 

未だ織斑の目覚めに気付かず自分の足を見続けていた岡山は、突然前方で発生した轟音に悲鳴を上げた。

先程まで眠っていた織斑が、目を皿のように見開いて満面の狂笑を浮かべながら、岡山に迫ろうとして堅牢な檻に阻まれたのだ。

 

そんな光景を前に、ようやく岡山の正気が叩きだされた。

 

「ヒッ、来るな! そこから動くなッ!」

 

「だいぢッ! ああ゛ぁ゛ァ゛ッ!! だいぢィィッ!」

 

潰れた喉から濁った叫び声を上げながら、邪魔な檻を壊そうと腕に力を込める。

理性の欠片も残っていないのだろう、自分の邪魔をする檻に憎しみの表情を浮かべながら、粉砕しようと何度も殴りつける。

 

「ヒィッ!? …た、助け…助けて! 助けてくれ、デュノア!」

 

迫りくる狂気を前に、岡山は藁にもすがる思いでデュノアに懇願した。

最早誰であろうと関係ない、ただひたすらに目の前の恐怖から逃げ出したかった。

しかしデュノアは愛しげに岡山を見つめるだけで、何もしようとしない。

 

「言ったでしょ、これは貴方への罰なんだよ。 …それに、今更私を見たって、もう助けてなんかあげないよ…じゃあね」

 

それだけ言うと、彼女はベッドから降り、部屋の外へとつながる扉まで歩いて行った。

そしてメモに何かを書くと、それを隅にいる少女に見せた。

 

「…分かった、私も極力手は出さないようにする。 まぁ、流石に死の直前にまで迫ったら止めるが…構わないな?」

 

デュノアはそれを聞いて軽くうなずくと、そのまま部屋の外へ出た。

扉を閉じる瞬間、彼女は岡山の様子を見た。

自分に見捨てられ、地獄から逃れることが出来ない事実を前に、その顔は絶望に染まりきっていた。

そんな彼を前にデュノアは…。

 

「じゃあ、またねパパ…キヒヒ」

 

それだけ言うと、微笑みながら扉を閉めた。

閉めた後、彼女は岡山と織斑のことを考える。

きっとあの獣は、これで完全に岡山の精神を破壊させるだろう。

だが殺されることは無い、あの少女が絶対に阻止するから。

 

壊れた彼はどうなるのだろうか?

ひたすら叫び続ける獣になるか、何も言わない人形になるか。

どちらでもない、形容の出来ない化け物に成り果てるか…。

だが、どれになったって関係ない。

 

「ぶっ壊れて、何もなくなったあの人は…私だけのモノになる…」

 

全ての過去を失い、未来もなくなった彼を、今度こそ自分だけの愛しい存在にする。

今は協力しているあの少女も排除して、彼を誰にも渡さない。

そして最後には、自分だけを見て、自分だけを愛する岡山が手に入る。

 

そんな幸せに溢れる日々を想像し、彼女は自然と笑みをこぼす。

常人が見れば恐怖で一歩も動けなくなるような、凄惨な笑みを。

 

「く…ふふ…キヒヒ………あ、いけない。 そろそろ電話が来る頃だ」

 

狂喜で我を失いそうになった彼女は、寸前で正気に戻りポケットにしまっていた携帯を取り出す。

画面には何もなく、真っ暗な液晶が彼女の顔を映すだけであったが、しばらくすると着信の知らせが流れた。

 

非通知の文字を見て、彼女は鼻で笑うとその着信に応じる。

 

「やっほー篠ノ之博士、よくこの電話の番号が分かったね」

 

『ふん、電話番号くらい簡単に分かる』

 

電話をしてきた相手は、デュノアにとって排除すべき対象である篠ノ之束だった。

その声には隠す気のない怒りと憎しみが込められており、口調も岡山や織斑と話す時とは全く違うモノだった。

 

「へぇーすごいすごい。 流石天下の篠ノ之博士だ」

 

『薄っぺらい賞賛なんかするな、反吐が出る。 そんなことより、たっちゃんは何処だ? お前が一緒に居ることくらいお見通しだ』

 

軽口を叩くデュノアに対し、篠ノ之はひたすらに憎しみをぶつける。

しかしそれでもデュノアは揺らがなかった。

 

「たっちゃんー? そんな人知らないなぁ、私が一緒に居るのは恋人とペットだけだよ?」

 

『……』

 

返答は無かった。

それに手ごたえを感じたのか、デュノアは攻めの言葉を続ける。

 

「今度紹介してあげるよ、私の恋人をね。 まぁ、今はちょっと悪い事をしたから、限界ギリギリまで壊してる所だけど」

 

『…やめろ』

 

「貴方に何か言われる筋合いはないかなぁ。 恋人を自分好みに変えたいって思うのは当然のことでしょ?」

 

『やめろッ! それは私の特権だぞ! 誰の許しを得てそんなことしてるんだッ!!』

 

その後に叫ばれたのは、歪みきった欲望の塊であった。

 

『たっちゃんを壊すのは私だ! 私がたっちゃんを最高にするんだ!』

 

「…五月蠅いなぁ、貴方の世迷言なんて聞いてないよ。 わざわざ電話に出てあげたのに」

 

『いいか、今からお前を殺しに行ってやる、それまでたっちゃんには一切手を出すなよ』

 

「はぁ? そんなこと出来ないのは分かってるんだよ? 私たちが何処にいるかすら分からないくせによくそんなこと…」

 

デュノアは嘲笑と共に篠ノ之をまくし立てようとしたが、最後まで言い切ることが出来なかった。

 

爆発、それも辺りに響き渡るほどの大規模な。

空気を揺らすほどの大爆発が、窓の外で突然起きた。

 

「……」

 

そして強烈な破壊音が聞こえる先を見ると、そこには火の海が広がり、そこから見覚えのある人間が出てくるのが見えた。

 




ご感想、ご指摘がございましたら、よろしくお願いします。

当小説をご覧いただき誠にありがとうございます。
作者のツム太郎でございます。
長い間更新させず、申し訳ありませんでした。

実は現在、一から物語を書きたいと考え、オリジナル小説を書いておりました。
ゼロから勝負したいと考え、ハーメルンではなく、カクヨムというサイトにて、「世界はセイケンを求めてる!」というタイトルで投稿中です。
活動報告にリンク先を載せておきますので、宜しければそちらの方も見ていただけると幸いです。

また、自分ではなかなか小説の良し悪しが分からない事が多いので、ご指摘などをしていただけると嬉しいです!

勿論、当小説の完結も同時に進めていきますので、これからもお付き合いいただけると幸いです。

では、今後ともよろしくお願いいたします。


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消滅

相対し、滅ぼしあい、遂には消える。


 

 燃え盛る炎の中、彼女は確かに笑っていた。

 

「……」

 

 彼女、篠ノ之束は皿のように目を見開き、地獄と化した地を歩いている。

 怒号、悲鳴、叫び声。そんなものすら聞こえない。

 

 彼女に追随するように降ってくる火の雨が、この地を守っていたIS搭乗者たちを容赦なく燃やし尽くす。

 そんな中で、篠ノ之はただ笑い続ける。

 

「……きひ」

 

 そして、彼女を見続けるデュノアも笑っていた。

 その笑みにどのような意味があるのか。最早彼女自身にすら分からない。

 この現状が面白いのか、それとも笑うしかない程に絶望しているのか。

 両方かもしれないし、両方違うかもしれない。

 

 ただ、彼女の口角は自然に吊り上っていた。

 

「ふぅん、ちゃんと来れたんだ」

 

 天災と呼ばれる化け物の接近を許しているのにもかかわらず、デュノアは愉快気に笑う。

 何気なく、日常で生じる独り言のように。

 

「……」

 

 対する篠ノ之は無言のままだ。

 決して友好的ではない笑みのまま、デュノアを見て歩き続ける。

 会話など不要。そんなことを考えているのだろうか。

 

 と、そんな時だ。

 

『……! ……ッ!』

 

 ふと、デュノアは自分が身に付けている通信機から声が発せられていることに気付いた。

 相手は言わずもがな、この地を提供してくれた亡国企業の者だろう。

 彼女は篠ノ之を見たまま通信機を耳元に寄せ、明るい口調で話しかけた。

 

「ハァイ、今更どうしたのかな?」

『テメッ、どうして何回も呼んだのに応えねぇ!?』

 

 デュノアはその声に聞き覚えがあった。

 彼女が小さな織斑に助け出され、移動した先で会った女性の声である。

 

「えっと……確かオータムさん、だっけ?」

『だっけ、じゃねェッ! テメェ、この状況で何してやがんだ!』

「何って、篠ノ之博士とお話中だよ」

『はぁっ!?』

 

 素っ頓狂なオータムの声が通信機から響く。

 その様子からは彼女の本気の焦りが感じられた。

 自陣が一瞬のうちに壊滅させられているのだから、当然といえば当然である。

 

 しかし、そんなオータムの声を聞いてもデュノアはその笑みを絶やすことはなかった。

 

『ヤツはソッチにいるのか……! なら話は早い、お前はそこで篠ノ之博士を食い止めろ。残存戦力掻き集めて応援に行ってやる』

「んー……別に良いけど、多分意味ないよ? 篠ノ之博士も私も、周りを気になんてしないし」

『テメッ、一応今は協力関係だろうが!』

「だからこそ忠告してるんだよ。中途半端な人たちを寄越されても、死ぬだけだから意味ないし」

 

 楽しそうに明るい口調で話し続けるデュノアだが、彼女は目を見開いたまま瞬き一つしていない。

 それどころか、篠ノ之を見つけたその時から身動き一つしていなかった。

 

浮かべている笑みも全く変化しない。

 まるで笑顔そのものをデザインされた、感情が一切ない人形のようである。

 そんな彼女から出てくるオータムへの優しい忠告は、虚無の塊にしか聞こえなかった。

 

 しかし声以外の情報が全くないオータムからしたら、デュノアの言葉はただの忠告である。

 故に彼女の声は、ほんの少しだけ優しいモノになった。

 

『チッ……ならアイツを使え。戦力になんだろ』

「アイツ……あぁ、あの子ね。無理だよ、もう耳が聞こえないみたいだし。盾にしようにも、篠ノ之博士の目には太一以外何も映ってないみたいだからなぁ」

『耳ィッ!? クソ、なんだってあの野郎に関わったヤツは全員頭がおかしくなってんだ!』

 

 だが優しい声になったのも数秒の事。

次の瞬間には通信機から破壊音が響いた。

 相当苛ついているのだろう。オータムが近くの物を殴ったようだった。

 

 しかしデュノアの表情に相変わらず変化はない。

 オータムがどれだけ叫ぼうが、苛立とうが、一切感情が動いていないように見える。

 それどころか、オータムの言葉すら聞いているようで聞いていないのか。

 

「じゃあ、そういうことだから。貴方達は居ても居なくても変わらないからね」

『おいちょっと待て! 人の話をき――』

 

 オータムの叫びは最後まで届かず、デュノアは通信機の電源を切った。

 

「ふんふーん」

 

 楽しそうに鼻歌を歌いながら、その目を少しだけ細める。

 クルクルと通信機を手の上で転がし、そのまま篠ノ之の方向へと投げ飛ばした。

 

 恐ろしいほどの精密さと速度で通信機は放たれ、一切の誤差なく篠ノ之へと向かう。

 直撃すれば、常人ならタダでは済まない。

 

「……」

 

 だが直撃の瞬間。

 突如現れた小型のミサイルが通信機にぶつかり、爆音とともに粉々になった。

 パラパラと通信機やミサイルの破片が降る中、篠ノ之もその笑顔を一切歪ませない。

 しかし、周囲には変化が生じていた。

 

「……」

 

 空間が歪む。

 篠ノ之を中心にいくつもの光が生じ、そこからいくつもの武器が出現した。

 

 ミサイル、爆弾、そして何機ものIS。

 その全てが冷たく輝き、デュノアに矛先を向けていた。

 

「わぁ、かっこいいなぁ」

 

 デュノアは篠ノ之が出した数々の武器を見て、何気ない様子で呟く。

 そしてゆっくりと右腕を前に出すと、そのまま切り払うかのように勢いよく右へと振った。

 同時にデュノアのすぐ近くから爆発音が響き、彼女を黒煙が覆う。

 黒煙は意思を持つように瞬時に掻き消え、そこにはISの砲台を握るデュノアの姿があった。

 

 そして彼女の足元にはミサイルらしき鉄片が転がっている。

 篠ノ之の奇襲を瞬時に見破り、簡単に対処した様であった。

 

「くふ……いきなり先手だなんて、ちょっと下品じゃないかな? 篠ノ之博士」

「……別に、品とか気にしてないし。お前がこれで死んだら楽だなぁ……って思った」

 

 ようやく篠ノ之は口を開いた。

 彼女は手をヒラヒラと振りながら、鋭い視線をデュノアに向ける。

 いや、詳しくは彼女の奥にある扉。その奥にいる一人の男を。

 決して透視なんて事ができるワケではない。

 しかし篠ノ之は何かを見ることが出来たのか、その顔を満面の笑みに変えた。

 

「きひひ……見つけた」

 

 途端、篠ノ之は辺りの瓦礫を吹っ飛ばしながら、恐ろしい勢いで前方へ飛んだ。

 足に細工を施しているのだろう。その速度、飛距離は只の人間だ出せるモノではない。

 音速を超えているのかもしれない。彼女は目にも留まらぬスピードを瞬時に出し、扉の方向へと向かった。

 

 篠ノ之はそのスピードのままデュノアのすぐ横を通り過ぎようとした。

 だがそれも、デュノアによって遮られる。

 

「ダメに決まってるよ、そんなの」

 

 デュノアには見えていた、とでもいうのか。はたまた獣に近い感性ゆえか。

 彼女はゆるりとした動きで持っていた砲台を前方に向け、篠ノ之が迫る瞬間に弾を放った。

 

 発射された轟音と共に、何かが衝突する音も同時に響く。

 

「……チッ」

 

 篠ノ之は後方へ吹っ飛ばされ、瓦礫の上へと着地した。

 同時に周囲のISをデュノアへ飛ばし、その息の根を止めようとする。

 ISは各々の武器を持って、デュノアの眼前へと迫る。

 

「きひゃっ」

 

 対するデュノアはISを展開。光と共に全身に装着させた。

 彼女の狂気が沁み込んだとでもいうのか。機体は以前の鮮やかな色ではなく、黒く歪な色をしている。

 デュノアは辺りのISを撃ち落としながら、篠ノ之もとへと駆けだした。

 

 

 

 

 

 かくして、始まってしまった狂人二人の衝突。

 こうなることは最早必然だっただろう。

 二人は己の力を、狂気を相手に叩きつけた。

 同時に、相手のソレを一身に受けることとなった。

 そして、周りにさえ。

 

「……」

 

 決着は以外にも早くついた。

 結果、どちらが立っていたかは定かではない。

 その者の片腕は千切れ、骨は砕け、片目は抉れ。肌は燃えて黒く焦げていた。

 立っていた者は一つの方向に顔を向ける。自分が心から求めていた、ただ一人がいる方向を。

 

 だが、その方向には何も残っていなかった。

 その人はおろか、いた筈の建物も。

 辺り一面に広がるのは、炎に鉄クズ。瓦礫に死体のみであった。

 

「……」

 

 真っ黒な顔に浮かぶ目は何も映しておらず、故に何を思っているのかも分からない。

 次の瞬間、その者は勢いよく何処からか銃を取り出し、そのまま自分の額を打ち抜いた。

 乾いた銃声と共に、その場に倒れ伏す。

 少しだけ震え、そのままピクリとも動かなくなった。

 

 なんとも呆気なく、しかし確実に。

 こうしてこの世界は、終わりを迎えた。

 




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??

巡り巡って。


 

 

 あの硝煙が立ち込める瓦礫の中。死の淵で最後に見たのは息絶えた想い人であった。

 

 

 死んでいたというのに、彼の顔はどこまでも穏やかだったのを覚えている。

 まるで、自分を縛っていた鎖から解放されたかのような。

 眠るように、彼は息絶えていた。

 

 そんな彼を見て、私は決して手放したくないと思った。

 自分だけ遠くに行ってしまって、私を置いて行ってしまって。

 目の前にいるというのに、もう消えてしまった事実を認めたくなかった。

 

 もっと別の道があったのではないか?

 彼の弱さを受け入れ、それでもなお共にいられる道。

 そんなモノが、数少ない可能性の中であったのかもしれない。

 そう思うと、激しい後悔が自分を襲った。

 

 しかし、死に体となったその時に出来る事は無く。

 私は流す資格が無い涙を垂らしながら、最後まで彼を見ながら死んだ。

 

 

 

「……」

 

 

 

 戻る筈のない意識。

 しかし、ソレは記憶と共に新しく生じた。

 いや、戻ったというべきか。

 

 全てが頭の中に流れ込み、記憶が蘇ったのは「あの時」だった。

 特に面白くも無い素振りをしていた時、そして彼が初めて話しかけてきた時。

 幼稚園の頃、全ての始まりの時だ。

 

「……」

 

 隣には友であった少女。そして目の前には……彼。

 私は数秒の沈黙の後、すぐに理解した。

 理由は分からないが、「過去の自分」に戻ることが出来たのだと。

 

 いったいなぜこんなことが起きたのか?

 もしかして、彼をこの世界に連れ出した何者かによる仕業なのだろうか?

 少しだけ考えたが、すぐに考えるのを止めた。そんなことはどうでもいい。

 その時、私の中にあったのは激しいまでの喜びであった。

 

 決して悟られぬように、視線だけを彼に向ける。

 あの時と同じだ。他の子達に馴染めないのか、外で遊ぶ子供たちを見て座っている。

 五体満足。何も起きていない純粋な彼がいた。

 

「……くふっ」

 

 思わず笑みがこぼれてしまう。全力で彼の下へ駆けてしまいそうな程に。

 しかしダメだ。少なくとも彼の前でそんなことをしてはいけない。

 過去に私はどんな存在であった?

 彼が求めるのはどんな存在だ?

 そう思うと同時に、手に持つ玩具を見る。

 

「……」

 

 瞬間、ソレを地面に叩きつけたくなった。

 だが、必死に抑える。少なくとも彼の前で、おかしな所を見せてはならない。

 彼に合わせろ。彼と同じ視線で、彼と同じ世界を見ろ。

 そうでなければ、彼はまた遠くに行ってしまうぞ。

 そう思って衝動を抑えながら、私はゆっくりと玩具を床に置いた。

 

「……あ」

「ッ……!」

 

 その時、彼と目が合った。

 純粋な、子供の目をしている。

 その中に憎悪や、恐怖といった感情は見られない。

 恐らく、私と違って未来の記憶は無いのだろう。

 

「……」

 

 ちらり、と隣に座る少女を見る。

 彼女もあの時と同じ、つまらなそうに機械をいじっていた。

 演技のようには見えない。つまり、この場で記憶を持っているのは私だけであった。

 

「……ねぇ」

 

 彼に声を掛けられた。それだけだというのに、全身に電気が流れるような感覚を覚える。

 抑えられない。いやダメだ、彼を怖がらせるな。

 普通、普通の幼稚園児に徹しろ。

 

「なぁに?」

 

 間延びした、子供のような口調で返事をする。

 これで良いはずだ。可笑しなところは一切見せるな。

 

「あ、あの……何してたのかなぁって……」

「ヒーローごっこだよ。昨日テレビで見たんだぁ」

 

 満面の笑顔で返事をした。

 この手の玩具なら、この言い訳でなんとかなるだろう。

 

 前はここで彼を拒絶してしまったが、今回は決してそんなことはしない。

 絶対に放してなるものか。

 

「ねぇ、貴方は何してたの? えっと、お名前……」

「あ、太一だよ。岡山太一。僕はその……皆と一緒にいるのが苦手で……」

「そっかぁ……ねぇ、それなら一緒にお昼寝しようよ」

 

 そう言って、私はゆっくりと彼の手を取った。

 強くは握らない。優しく、優しく。

 大丈夫だ、今度は決して壊したりはしないから。

 

「えっ、で、でも……」

「良いの、貴方は今から一緒にお昼寝するの。ダメ?」

「う、ううん」

 

 少しだけ動揺したようだが、彼は快諾してくれた。

 優しい彼の事だ。少し不安そうな顔をしたら受け入れると思ったぞ。

 私はニコリと笑い、彼の手を取って近くにあった毛布の方へ歩く。

 その途中で、少女である束が信じられないモノを見るかのような目でこちらを見ていたが、構っている暇はない。

 私は彼をその場に寝かせ、連なる形で横になった。

 吐息がかかるくらいの、すぐ隣に。

 

「ね、ねぇ……」

「なぁに?」

「ちょっと、近くない……かな?」

 

 照れているのだろうか?

 彼は視線を横に逸らしながらそんなことを言ってきた。

 あぁ、本当に愛おしいなお前は。

 もうダメだ、抑えきれない。

 

「そんな事無いよ。ほら、こうやってギュッとすればあったかいんだから」

「わぷ……!?」

 

 彼の背中に手を回し、抱きしめる。

 彼の温もり、心臓の鼓動が感じられた。

 あの瓦礫の中で、どれだけ近くても感じられなかったモノを感じることが出来ている。

 そう思うと、彼を抱きしめる腕の力が強くなっていった。

 

「くふ……くふふ……」

「う……いた……い……」

 

 気付けば、彼が苦しそうに顔を歪ませている。

 あぁ、いけない。思わず力を入れ過ぎてしまったか。

 

 力を緩めて、決して彼を傷つけるな。

 安心しろ岡山。私はもう、お前を怖がらせたりはしないぞ。

 お前も本当は、ただ不安だったのだろう?

 頼れる人もいなくて、たった一人で傷ついて。

 

 私がずっと一緒にいよう。

 同じ小学校に行って、同じ中学校に行って、同じ高校に行って、同じ大学に行って。

 同じ道を、同じ目線で歩んで行こう。

 そのためなら、私は「普通」で在り続けよう。

 あくまでも、お前の前では。

 

 だから、お前ももう拒絶してくれるなよ。

 決して、離さないからな。

 

 お前は、私のものだ。

 




これにて、一応当初考えていた終わりとなります。
多くのご指摘、ご感想ありがとうございました。
複数の方からご指摘をいただいた通り、この話はプロット等を全く考えずに本能のまま書き殴った話でした。
数日前に最初から読んでみたのですが、話の内容や文法どころか原作の設定もガバガバでしたね……実に酷い。矛盾点も多いですし、素直に猛省です。
次からはしっかりとプロットから練っていきたいと思います。

では改めて、最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。


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