メインヒロイン面した謎の美少女ごっこがしたい! (バリ茶)
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まずは美少女に変身

 

 

 

 

 この世界には魔法というものが存在していて、それに加えて俺の友人には主人公みたいな男がいる。

 

 都心部中心に位置する魔法学園(高等学校)に通い、今年で在学二年目を迎える彼とは一年の時から同じクラスで、何かと気が合うこともあってか親友とまではいかないが少なくとも学園内では一番に仲が良い。

 つまり彼と物理的に一番近い距離で過ごしていた生徒というのが俺であり、そんな存在だからこそ誰よりも彼が”主人公らしい”ことをしてきた事を知っている。

 

 まずは彼の名前から。

 姓はファイアで名はレッカ、その名に恥じることなく炎系魔法使いのなかでも最上位の実力を持っている。

 一応学園内では実力を隠しているが、俺や彼と親しい一部の人間などはその限りではない。

 そんなレッカ・ファイアくんだが──ぶっちゃけ死ぬほど強い。

 気に食わないくらい強いし確実に学内の優秀な生徒や教師程度では相手にならないだろう。

 そういった最強無敵な部分も主人公感が強いのだが、かのレッカさんはそれだけに留まらない。

 

 なんと彼は弱冠十七歳にして六人もの美少女を侍らせて若きハーレム王として君臨しているのだ。

 六人って多すぎると思う。戦隊ヒーローかよ。

 アレで誰にも手を出してないとか絶対嘘だろ放課後より取り見取り食い放題だろって様々な男子生徒たちから嫉妬の眼差しを向けられているレッカだが、実際のところはマジで手を出してない。

 一番親しい友人の俺が言うのだから間違いない。

 あの年中発情期みたいなヒロインたちから仕掛けてくる事こそあるもののレッカ本人は鋼の精神力でなんとかエロゲ主人公ではなくラノベ主人公に留まっている。えらい。不能だと思われることもあるけどアレは臆病で童貞なだけです。

 

 で、だ。

 俺はいわゆる彼から見た”友人キャラ”ってやつのポジションに収まっているワケなのだが、ぶっちゃけ最近はあまりレッカと話せていない。

 もちろんヒロインたちとのイベントも盛りだくさんなのだろうが、なによりレッカは秘密裏に暗躍しているわる~い魔法使い集団と日夜戦って街やひいてはこの国の平和を守ってくれているのだ。

 つまり多忙。クッソ忙しい。

 なので俺は最近放置され気味……という感じで。

 

 暇なんです。

 一年の頃から続いているレッカの物語に(一応)巻き込まれてるせいで派手な出来事に慣れてしまって、この一人で過ごす何でもない時間が退屈すぎてしょうがない。

 友人キャラと言っても親友ではない──つまり主要キャラではなくサブキャラの枠を出ないせいで本格的な戦闘や物語の中心には入り込めないのが現状なのだ。

 

 ……ハブられるのってイヤじゃん。

 不謹慎だってことは百も承知だけど、せっかく特別な人間たちと関われたのに外野からの応援だけじゃ人生もったいないだろ。

 最悪俺本人は物語に介入できなくても、レッカが主役を務めているストーリーをもっと間近で見て興奮したい。

 もっと刺激が欲しい。

 俺もなんか楽しいことしたい。

 大変そうだけどどこか楽しそうなレッカを見てるうちに傍観だけじゃ足りなくなっちゃった。

 つまりレッカのせいだ。俺は悪くない。

 ……とまではいかないけど、邪魔にはならない程度には主要キャラになりたい。

 

 そういうわけで、まだ初夏ですらないこの暖かい時期に俺は行動を開始することにした。

 どんな登場をするか、どこのポジションが空いているのか、ここ一週間考え続けた。

 そして見つけたのだ。

 まだ入れそうな場所を。

 演じられそうな役割を。

 頑張れば俺程度でもなんとかやれそうな──いや、自分が()()()()()()モノを。

 レッカは強い。

 実力で上を行くことは叶わないし、彼の周囲にいるハーレムヒロインたちにすら太刀打ちはできない。

 つまり敵になるのは論外だし、味方としても足手まといになるワケだ。

 それならどうするのか?

 

 

 ──敵にも味方にもならなければいい。

 

 

 

 

 

 

「力を貸してくれ、父さん」

 

 自分の部屋の勉強机の上、そこに鎮座するティッシュ箱サイズの無骨な鉄の箱の中から、俺はひとつのロケットペンダントを取り出した。

 このペンダントにはかつて俺の父親が完成させた研究成果の試作品としての効力が隠されている。

 気が狂ったように研究に明け暮れてたら母さんにキレられて今は家族サービス第一みたいになってる我が父上の残した研究者時代の最後の魔法。

 

「これでまずは──美少女になる!」

 

 ペンダントを開き、隠されていた非常に小さなボタンを押した瞬間、俺の全身が眩く発光。

 その数秒後、光が収まってから部屋の鏡に目を向けると──

 

「……成功だっ! やった!」

 

 思わずガッツポーズ。

 平均的な男子生徒の体型だった俺は姿かたちが変貌し、見目麗しいが低い身長や童顔も相まってどこか幼い印象も受ける黒髪ロングの美少女へと進化していた。

 レッカのハーレムヒロインたちはみんな髪色が特徴的だし、逆に黒くて地味な方が目立ちやすいし丁度いい。これでいい。

 ペンダントによる性転換魔法の効力は最大一時間でその時間内であればいつでも変身解除は可能だ。

 使用後のインターバルも一時間だし使い勝手はかなりいい方だ。

 研究者というかマッドサイエンティストに片足を突っ込んでた父さんには感謝しなければ。

 

「くっくっく、これで作戦を実行に移せる」

 

 喉を鳴らしてニマニマしながら、クローゼットから事前に準備していた衣服を取り出す。

 手にしたのはフード付きのブレザー型の学生服に似た衣服だ。

 白を基準とした上着とスカートには黒い線が入っていて、内側に着るシャツも黒いワイシャツ。

 ともかく全てが特注品で、この制服っぽい謎の衣装はこの世でコレ一つしか存在しない。

 つまり制服っぽいのに在籍している学園や所属組織を一切特定できない”謎の服”であり、これより”謎の美少女”を演じる俺にとってはうってつけのコスチュームというわけだ。

 

「楽しみだぜ奴の反応がよォ……!」

 

 そう、俺はこれより『ハーレム入りせず他のヒロインたちとは一線を画す立場にありそうな謎の美少女』を演じるのだ。

 絶対楽しい。

 今からもうニヤニヤが止まらないが、演じるときはミステリアス感を出すために基本的には無表情なキャラでいくから気合入れてポーカーフェイスしないと。

 

「あいつらはいま工場跡地でちょっと強い敵とやりあってる。その戦いが終わって全員が一息ついていつものように帰ろうとするその瞬間に、レッカにだけ見えるように登場する! そんでもって何も言わずに立ち去る! 完璧な謎の美少女とのファーストコンタクトだろ!」

 

 ささっと特別衣装に袖を通して気合を入れ直し、鼻息を荒くしながら家を飛び出る。

 行くぞー!!!

 



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クソデカ感情

視点が変わります



 

 

 

「これで終わりだ──ッ!」

 

 一閃。

 烈火を纏った聖剣は力強く振り下ろされ、邪悪な獣を一刀両断した。

 

『ゥ、グッ、バカナぁァァッ!!』

 

 断末魔を挙げながら花火のように派手に散っていく化け物。

 これまで多くの罪なき人々を喰らってきた恐怖の悪魔は爆炎を上げて四散し遂にその罪深き生涯に幕を閉じたのだった。

 悪の組織によって生み出された、魔法を操るモンスターこと魔物──その中でもトップクラスの実力を誇る獣であった彼だったが、()()()全員の力を合わせれば勝てない程ではなかった。

 

「……ふぅ」

 

 無事に倒しきれたことにホッと一息つきながら剣を腰の鞘に戻すと、僕と一緒に戦ってくれたいつものメンバーも各々力を抜いて休み始めた。

 そのまま床に寝転がったり建物にもたれ掛かったり二人で寄り添って座り込んだりなど、休み方まで彼女らは特徴的だ。

 そんな仲間たちを一瞥しつつ、僕はとある人に連絡を入れるためスマホを取り出してメッセージアプリを開くのだった。

 

 

 僕の名はレッカ。

 

 はるか昔に魔王から世界を救ったとされている勇者──その血筋を引くファイア一族の末裔だ。

 勇者の血統は様々な枝分かれを経て世界中に広がっていて、その中でも僕の姓であるファイアは特に勇者一族の中では下の下であり、勇者の末裔であるという事実を隠していることもあってか一般人にその事実は知られていない。

 そのため今までは普通の人間として生活していたのだが──

 

「やったね、レッカくん」

「いつも一緒に戦ってくれてるコオリたちのおかげだよ、ありがとう」

「……べ、別に改まってお礼を言われるようなことじゃないけど……」

 

 この僕の隣で何故か顔を赤くしながら座っている水色髪の少女こと『コオリ・アイス』との出会いが僕の運命を大きく変えた。

 入学式の日に初登校中の生徒を攫おうとした魔物と出くわしたのだが、その時の僕はまだ炎の力に覚醒していない状態で。

 無謀にも生身で立ち向かって新品の制服をボロボロにしていたところを、その魔物を追ってきていたコオリに助けてもらったのが全ての始まりだった。

 そして入学後にボランティア活動中心の部活動こと『市民のヒーロー部』に入ったときに、偶然にも彼女とほぼ同時に入部届を提出したことから交流──もとい”戦い”が始まったのだ。

 

 この市民のヒーロー部のボランティア活動というのは表向きの活動内容で、その実態は様々な街の人間たちと交流することで悪の組織の情報収集を図り、政府公認の極秘組織と連携して奴らを見つけ出し殲滅するための特殊チームだ。

 そのため入部条件は一般生徒にとってはかなり厳しいものだったのだが、そうとは知らずに頑張って条件をクリアしてしまった僕はその戦いに巻き込まれていくことになったのだった。

 この話は他言無用……なんだけど、戦いに巻き込まれて事情を知ってしまった僕の友人こと『アポロ・キィ』ことポッキーは「特殊チームなのに条件ガバガバすぎない?」とか言ってた。

 

 ともかく、僕は現在市民のヒーロー部としてこの街を悪の手から守護しているというわけだ。

 

「レッカ様~♡ 見ていただけましたかワタクシの勇姿を!」

「うわっ。ちょ、ちょっとヒカリ……」

 

 突然後ろから抱きついてきた金髪少女の名はヒカリ・グリントと言って、二番目にヒーロー部へ入部してきたチームメンバーだ。

 なんでもこの国の中でも有数の大企業のご令嬢だそうで、これまで超一流の教育を施されてきたらしく光魔法の実力は学園内でもトップクラス。

 いままでは色々な人たちに敬われ羨望の眼差しの中を歩いていたらしい。

 しかしそれゆえに孤独。

 特別扱いしかされないことを寂しく思っていた彼女は、内情を無視して全ての部員を平等に扱うこのヒーロー部で活動していくうちにようやく心を開いてくれたのだ。

 まぁ僕に対しては少し無防備すぎる気もするけど、部員のみんなとも仲も良好だし大丈夫だろう。

 とても頼りになる同級生だ。

 

「あー! ちょっと待ちなさいよ!」

「く、くっ付きすぎですよぅ……」

「あら、風の姉妹さん何かご用ですか? レッカ様に張り付きたいのでしたら是非ともご一緒に──」

「できればヒカリも離れてくれるとたすかるんだけど」

「嫌ですわ!」

「レッカが離れろって言ってんだから離れなさいよ! こんのぉ~!」

「うぅ、ビクともしない……」

 

 いま僕からヒカリを引き剥がそうとしている緑髪の二人の少女、名はカゼコとフウナで二人とも姓はウィンドという。

 昔から強力な風魔法で有名なウィンド家の双子の姉妹で、気の強いカゼコが姉で臆病な性格の方が妹のフウナだ。

 彼女らは三年前に悪の組織に拉致され、その後は僕たちと出会うまでずっと洗脳されたまま悪の組織の幹部として組織と戦っていた。

 そんな彼女らウィンド姉妹を助けるきっかけになったのが──

 

「はぁ……まったく、戦いの後だというのに騒がしい部員たちだ」

「あはは、ライ先輩もレッカくんの輪に入りたそうにチラチラ見てるのバレバレですよ?」

「なっ!? こ、こらアイス! 余計なことは言わなくていいのだ!」

 

 コオリに言われて照れているあの紫髪の長身の少女の名はライ・エレクトロ。

 僕たちの一つ上の先輩で、紫電の魔法を操りこれまで一人で一年間この部を支え続けてきた偉大な先輩だ。

 彼女が最初にウィンド姉妹の抹殺という組織の意向に逆らい、僕たち部員を率いて独断でカゼコたちの解放に動いたのだ。

 物理的に姉妹の洗脳を解いて悪の組織の支部から二人を助け出したのは僕だがあくまでそれは結果論。

 ライ先輩の判断やリーダーシップがなければフウナたちの救出は叶わなかっただろう。

 ちなみに彼女は生徒会長でありながらこの部も兼任しているスーパーハイスペックウーマンだ。

 

「にひひ、モテモテっすねぇセンパイ?」

「オトナシも見てないで助けてよ……」

「なんスかそれ、ウチも抱きつけってことスか!? しょうがないなぁセンパイはぁ~♡」

「ちょ、ちがっ!」

 

 彼女たちを引き剥がしてくれという願いを曲解して受け取ってしまったこのマフラーを巻いた少女の名はオトナシ・ノイズといって、少し珍しい音魔法を使うチームメンバーだ。

 僕の一つ下の後輩で、彼女が中学三年生の頃の秋に出会った仲間……もとい忍者だ。

 実は最初から裏で僕たちをサポートしてくれていた影の立役者だったらしく、ウィンド姉妹を助ける際も組織の目を撹乱してくれていたとのことだった。

 しかし責任の追及やら何やらがあって組織を追い出され、今はほぼ孤立無援状態となって自警団と化したこの市民のヒーロー部に流れ着いたというワケだ。

 その入部することになった流れにも一応ひと悶着あったのだが、今ではこの通りメンバー全員仲良しの素晴らしいチームに出来上がっている。

 

 ただ、まぁ、少々彼女たちは直接的なスキンシップが激しいというか、なぜかこのように皆でくっ付いて一つになってしまう事もしばしば。

 いつの間にかライ先輩とコオリもくっ付いているし。

 なんの儀式だろうこれ。

 

「えへへぇ、レッカくん♪」

「あらまコオリさんまで」

「何で増えんのよぉ!?」

「ふえぇ……ライ先輩まで……」

「う、うむ! チーム一丸、これぞ一致団結だな!」

「照れ隠しが下手すぎるッスよ。あともうちょいスペース譲ってください」

 

 まさに四面楚歌。

 どこにどう動いても身体中に柔らかい感触が伝わってくる。

 僕だって一介の男子高校生なんだし、もう少し適切な距離感で接してくれないと勘違いしてしまいそうだ。

 その勘違いで痛い目を見るのはごめんなので、やっぱり離れてほしい。

 さもないと大変なことになる。

 親友のポッキーからも『我慢できなくなったらヤれ』と言われてるし、もしヘタレ認定されているのが理由でこうやってからかいをされているのなら近いうちに大胆な行動を取ってこの子たちを驚かせてやろうかな。

 

「と、とにかく敵は倒したしみんな帰ろう。もう夜だしお腹もペコペコだよ」

「っ! それならワタクシが今夜のお夕飯を担当いたしますわ!」

「そうはさせないんだから! 行くわよフウナ!」

「う、うん!」

「ちょっ、三人とも待ってよ~!」

「こらアイス! 走ると転ぶぞ!」

「センパイ方がワチャワチャしてる間にいち早くセンパイのご自宅に帰還してやるっス……!」

 

 執事を呼びつけて車を走らせるお嬢様、魔法の風に乗って飛んでいく姉妹、地道に走っていく少女たちや屋根の上を跳んで闇夜に消えていく忍者など、こうしてみるとウチのメンバーは中々に個性的だ。

 

 

 そんな愉快な仲間たちが走り去っていきようやく一人になれた。

 話しかけられたり抱きつかれたりでスマホのメッセージを入力できていなかったので、街灯の下を歩きながらスマホを取り出す。

 

「……メッセージじゃなくて電話でもいいかな」

 

 強敵を撃破したことを自慢しようかなとか、今夜のウチでの食事にでも誘おうかなとか、いろいろ思案しながら画面に表示したのは『ポッキー』の文字。

 なんだか甘いお菓子のようなあだ名。

 アポロ・キィ──1年の頃からずっと一緒に居る男友達だ。

 彼はどう思っているか知らないけど、僕としては親友だと思っている。

 そんな御大層な間柄だと言えるほど長く過ごしたわけじゃない、たった一年間一緒に居ただけのクラスメイト。

 でも僕は付き合った時間の長さなんて関係ないと思ってる。

 

 落ちこぼれとして勇者の血を引く他の一族から侮蔑されたり、幼い頃から致命的に魔法の扱いが苦手だったり、それが理由で優秀な兄と比べられて実力主義の両親から半ば見放されていたり……いろいろあって幼い頃から人付き合いが苦手だった。

 端的に言って他人が嫌いだった。

 誰も優しくしてくれなかったから。

 誰もかれもが僕を落ちこぼれだと、愚図だの出来損ないだのと揶揄して嘲り笑っていたから。

 拗らせて、暗い性格になって、誰とも一定以上の距離を取るようになった。

 でもそんな自分が嫌だった。

 だから自分自身を変えるために、この数多くの人々が暮らす中心都市へ、魔法学園へやってきた。

 しかし簡単には変われなかった。

 コオリとも最初は気が合わなかったし、炎の力を覚醒させるまでは魔法もダメダメで、何よりこれまでの経験上人付き合いが苦手すぎてまったく周囲に溶け込むことができなかった。

 

 そんな時に出会ったのが──アポロだった。

 

 劇的な出会いなんかではない。

 体育の授業でのペア作りに失敗して、余り組として一緒になったのがファーストコンタクトだ。

 お互いギクシャクしながら会話をした。

 アポロも魔法がへたっぴで、クラスの中での魔法力ランキングはワースト1と2を僕たちが独占していた。

 魔法道具の提出課題では効果時間がめちゃめちゃ短い透明マントとかくだらないものを二人で必死に作ったり、一年の体育祭では二人三脚を組んですっ転んで二人して足を捻挫したり、放課後はこの広すぎる中央都市を冒険したり。

 

 そんなことをしているうちに仲を深めた。

 僕に初めての友達ができた。

 暗く重苦しいだけだった僕の人生に光が差し込んだ。

 彼は僕にとっての太陽に等しき存在になったのだ。

 いつの間にかあだ名で呼ぶようになり、僕は彼をポッキーと、彼は僕をれっちゃんと呼び合う仲になって、僕はその幸福を噛み締めた。

 

 だから、戦っている。

 平和を守るために。

 ポッキーを、僕にとっての平和の象徴を、彼が笑顔でいられるような世界を守る。

 最近はチームメンバーが増えたり敵が強くなったりと多忙になってしまってあまり話せていないけど、僕の本来あるべき高校生活とは彼との交流があってこそ成り立つモノなんだ。

 

 ……その、だから、流石に暫くは敵も来ないだろうしポッキー誘ってもいいよね。

 ぶっちゃけ女子と男子で多対一だと辛いものがあるから、彼がいてくれると非常に助かる。

 あとは久しぶりに遊びたいだけだ。

 明日は休みだし年中暇を持て余してるポッキーのことだから予定も空いていることだろう。

 今日は泊まってもらいたい。

 ついでに彼の宿泊を理由にしてチームメンバーたちのお泊り会を阻止できれば万々歳だ。

 彼女たちに囲まれていることで発生する性欲との戦いにも一時休戦を申し込みたいと思っていたところだし、そろそろマリカーでポッキーにリベンジもしたい。

 

「てことで、電話っと」

 

 ポチポチと画面をタップしてスマホを耳に当てる。

 するとワンコールで電話がつながった。

 応答が早くて助かる。

 

「もしもし、ポッキー?」

 

 そしていつものように声を掛ける──

 

 

 

 

 

「──もしもし」

 

 

 

 

 

 瞬間、電話口から──いや。

 ()()()()()()()()()()()()

 

 

「……えっ」

 

 振り返る。

 僕はポッキーに電話を掛けたはずだった。

 親友の”男子生徒”に声を掛けたはずだった。

 しかし電話口から聞こえてきたのはどう聞いても少女の声だった。

 応答とほぼ同時に同じセリフ、同じ声音が──凍えるように冷たい音色の返事が後ろから聞こえてきたのだ。

 

「きみは、誰だ?」

 

 振り返って数メートル先にいたのは、見知らぬ黒髪の少女。

 チームメンバーの誰よりも、最年少のオトナシよりも幼く見える彼女は、青白い月の光の下で()()()()()()()()耳に当てていた。

 返事はない。

 こちらの目を射抜くような真っ直ぐな瞳で、何を考えているのかわからない無表情で僕を見つめている。

 

「どうして、ポッキーのスマホを」

「……」

「答えろッ!」

 

 背筋に悪寒が走る。

 胸が締め付けられるような感覚を覚えた。

 早まる心臓の鼓動は僕に警告している。

 ”この少女は危険だ”──と。

 

 敵意なら向けられたことがある。

 僕をライバル視するかつてのコオリに。

 殺意だって向けられたことはある。

 悪の組織に洗脳されたウィンド姉妹に。 

 だが、この少女が放つプレッシャーはそのどれでもない。

 

 まったく見覚えのない制服。

 何故か所持している親友のデバイス。

 なにより意志の読めないその不思議な赤色の瞳が僕の焦燥感を駆り立てる。

 

「……レッカ・ファイア」

「ッ!?」

 

 彼女は僕の名を知っていた。

 言い慣れた様にそれを発言した。

 

 

 

 

 仲間たちと別れ、親友へ気まぐれの電話を掛けたその夜──僕はただひとり謎の少女と邂逅を果たしたのだった。

 

 

 

 




ポ:(やっべポケットにスマホ入れっぱなしだった……)


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ミステリアスムーブをしてみる

 

 

 俺は考えた。

 

 沢山のエロシーンがあるヒロインと、性的なイベントが唯一存在しないヒロインの場合、どちらの方が特別感のあるキャラなのか、と。

 

 俺は思った。

 

 ──いや圧倒的に後者じゃね? と。

 

 そういうワケで俺はハーレムメンバーとは一線を画す特別なヒロインとして振る舞うため、露骨に主人公くんを誘惑することはしない、という事に決めた。

 彼女たちは主人公のレッカに対して、これでもかと言うほど積極的だ。

 年中発情期と揶揄されるだけあって、事あるごとに彼の手を握ったり抱きついたり、あまつさえラッキースケベな展開に持っていく。

 おそらく彼女らは、レッカに突然おっぱいを揉まれても、困惑するどころかそのまま本番まで一直線に全力疾走していくだろう。

 それ程までにレッカというハーレム主人公に対してデカい好意を抱いているのだ。子孫を残すという生殖本能が強すぎる。

 

 なので。

 逆に俺はレッカに対して積極的な肉体的接触はあまりしない事にした。

 彼女らが胸を押し当てて誘惑するのなら、俺は彼と一定以上の距離を保ち続けよう。

 基本的には無抵抗で無気力な無表情キャラという形で通していくため、万が一レッカが情欲を抱いて触ってきた場合は抵抗しないが、俺から肉体的なスキンシップを取りにはいかないという事だ。

 

 無抵抗な少女のフリをして、少年の性欲我慢レースを間近で楽しんでやるぜ。フッヘッヘ。

 

 

 

 

 月明かりが差す運命の夜──ミステリアスな美少女に扮してすんごい露骨に意味深なセリフを言い残し、レッカと邂逅を果たしたその翌日。

 緊急措置として彼にスマホをぶん投げそのまま逃走した俺だったが、次の日も何食わぬ顔で男の姿に戻って普通に登校していたのであった。

 

 美少女状態で俺のスマホを持っていた理由付けとしては、昨晩レッカに女の姿のまま”落ちていたスマホを拾っただけ”と伝えた。

 そして後日『えっ、俺のスマホ拾ってくれた人がいたのか!? うわマジで助かったわ! 今度お礼言わねぇとな~』といった感じで誤魔化したため、なんとか辻褄を合わせることには成功。うっかりミスは事なきを得たのだった。

 

 ゆえに今の俺はスマホを落としただけのうっかりさんであり、変わらず本筋には関わっていない友人キャラだ。主人公くんが出会った謎の美少女とはどうあっても結び付かないはず。

 ヒロインと主人公の出会うきっかけが友人キャラだった、という話はそう珍しいもんでもないだろうし、ただスマホを落としただけなのだから怪しまれる要素もない。秘密はまだまだ安全だ。ひゃっほい。

 

 で、当の主人公さんですが──

 

 

「…………コク、か」

 

 

 窓の外を眺めてたそがれてます。

 机に肘をついたままボーっとしてる彼はさながら恋に悩める純情少年。

 突然現れて友人のスマホを届けてくれたのは、やや幼さを残しつつも淑やかな雰囲気を纏った謎の美少女。

 しかも何故か自分の名前を知っているときた。こりゃもう心中モヤモヤに霧がかかってしょうがないでしょうな。

 フヒヒ……あー、めっちゃ楽しい。

 

「おーい、れっちゃん?」

「……あぁ。ポッキー」

 

 こういう時一番に声を掛けるのが友人キャラの務めっすよ。ハーレムメンバーの少女たちは、いつもとは違う雰囲気のレッカに戸惑っているだろうし、俺が事情を聴いてやらんと誰も情報を共有できないからな。任せとけ! さっきから聞き耳を立ててる女の子諸君!

 

「なんかあったん。窓を眺めながら呟くとか、典型的なラノベの主人公みたいなムーブしてたぞ」

「ホント? はっず……」

 

 普段から主人公みたいな振る舞いしてるくせに何を今更、とか野暮なことは言わねぇ。親友だからな。

 

「コク──つってたけど」

「えっと……昨日会った女の子の名前なんだけどさ」

「それ俺のスマホを届けてくれた親切な人?」

「うん。なんか不思議な感じの子だったんだけど……連絡先も聞きそびれちゃって。いつの間にか姿を消しちゃってたし」

「へぇ~」

 

 すっとぼけ継続。まさかその少女の正体が、この隣にいる俺様だとは思うまい。

 ちなみに『コク』という女状態での偽名の名づけ理由は、単に髪の毛が黒いからだ。

 クロ、だとありきたりだから、少し捻って漆黒の”コク”にしてみた。

 変な名前の方が印象を抱きやすいと思って名乗ったのだが、存外うまくいったらしい。やったぁ。

 

「……ははーん。れっちゃんはその女の子、気になってるワケか」

『──ッ!!?』

 

 ガタガタっ。

 聞き耳を立てながら席に座っていた女子や、教室の出入り口からこっそり覗いていた数人が、あからさまに驚いて音を立てた。愉快なハーレムですね。

 

「別にそういうんじゃ…………ぁ。いや、これは……気になってる、か」

「その状態が”気になってる”じゃなきゃ何なんだよ」

「ハハっ、確かに」

 

 気楽に笑うレッカとは対照的に、眼力だけで人を殺せそうな視線を背中に感じます。こりゃもっと聞きださないと後で問い詰められそうだ。

 ていうかニヤニヤが止まらんのだけど。ポーカーフェイスをしないと怪しまれちゃうのは分かってるけど、黒幕ってポジションのせいで心が躍りっぱなしだ。

 

 だってさ、全員俺の掌の上なんだぜ。こんなに楽しいことがあるかよ。美少女になれてよかった……。

 

「なぁれっちゃん? その女の子ってどんな見た目してたの? かわいい?」

「品定めするような言い方するのはアレだけど……少し年下っぽくて、黒い髪の綺麗な子だったよ。あと、黒いシャツにフード付きの白い上着の制服着てて、調べたけどどこの学校なのかは全然わかんなかったな」

「えっ、制服まで調べたん? おまえその子のこと気になりすぎだろ。これが恋か」

『ッ!! っ゛!!?』

 

 後ろのハーレム集団少しだけお静かに願います。他の生徒がビビってるから。

 

「そりゃそうでしょ。だって僕の名前を知ってたんだよ? 敵と戦うときだって名前は隠してるのに……」

「謎は深まるばかりだな。そのミステリアスなヒロっ……少女がいったい何者なのか気になるぜ」

 

 チラッと後方を見てみると、ノートパソコンだったりスマホだったりで、少女たちが血眼になって各自情報を調べまくっている。普通にビビるくらい超必死だ。

 ふふ、まぁ無駄だけどな。俺の制服は極秘に作った世界に一つだけの特注品だし、そもそも戸籍はおろか所属する組織や本当の名前さえ存在しないのだ。せいぜい焦るがいいさ乙女たちよ。

 

「うぅ、あの情報だけじゃ何も出てこない……!」

「しっかりしてくださいまし、コオリさん。まずは街で本人を探すところからですわ」

「……うん、そうだね。ありがとヒカリちゃん。一緒にコクって子の正体を暴こう」

「レッカさんの身の安全の為にも全力を尽くしますわ。忍者のオトナシさんにもこの事を話して、放課後は──」

 

 おい見てくれ、この特別なヒロインにしか織りなせないハチャメチャなイベントを。

 

 主人公の関心をいとも簡単に掴み取り、既存のヒロインたち全員を翻弄することで、異質な存在感を漂わせている。すごいだろ! へへ~!

 

 いままで蚊帳の外だったからな、これからはもっと引っ掻き回してやるぜ!

 

 

 

 

 はい、というわけで放課後。

 

 用意したのは、レッカと一緒に作った数秒間しか使えない透明マントを、親父に頼んで改良してもらったハイパー透明マント。

 三十分も使用可能なコレを使ってこっそり家から駅の近くまで来た俺は、誰もいないトイレの中でさっそく美少女にTS変身した。

 コレでどこにも痕跡は残していないし、どこからともなく姿を現す謎の美少女の完成ってわけだ。帰る際にも便利な一品です。

 

 それでは本日の目的──モヤモヤしたまま買い物をしている最中の主人公の前に、散歩中のようにフラッと現れて街の中へ消えていく、昨晩出会った謎の美少女作戦──開始だ。

 

 事前の会話でレッカが日用品の買い物をすることは把握済みなため、今回はさりげな~く行きつけのスーパーの付近を通りがかればいい。

 特徴的な格好をしている今の俺を見かけたら、彼は必ず引き留めに来るはずだ。

 焦りは禁物だが、時間経過で関心が薄まるのもいけない……という事で、レッカの言動次第で家までは付いて行ってもいい。

 流石にあの奥手がそこまでするとは思えないが、もし自分の名前を知っている俺を警戒して話を聞き出そうとしてくるなら、俺も相応の反応を示してやることにしよう。一気に距離を縮めるのも、まぁ楽しそうではあるからな。

 

 俺は自分自身の欲望に身を任せて行動させてもらうぜ。……ふおぉ、ワクワクしてきたァ。

 

「……おっ。れっちゃん買い物が終わったみたいだな」

 

 物陰からこっそりとスーパーを見ていると、出入り口から大きいレジ袋を片手に持っている、赤いメッシュの入った黒髪の少年が歩いて出てきた。

 レッカはここから少し先のボロアパートで一人暮らしをしているのだが、よく自炊をするせいなのか一度に買う食材の量が多い。持ってあげようかな。

 

「……って、いかんいかん」

 

 しっかり切り替えろ、俺。

 今はコクという謎の黒髪無表情ロリっ娘美少女なのだ。

 顔はポーカーフェイス。

 声音はなるべく棒読みになるよう平坦に。

 俺の理想の無表情ヒロインをそのまま演じるんだ。

 

「……」

「っ! ぁ、あの子は……」

 

 フラッと参上しつつ、俺は気がつかないフリ。あくまで眼中にないですよアピールを欠かさず。

 

「…………ぅ」

 

 おやおや。こんな都合よくまた会うことが出来て動揺しているようだな少年。

 

「……」

 

 ふふふ……。

 

「……っ」

 

 あ、あれ? 止めてくれないの?

 何で下向いたまま固まってるんだ。

 えっ、あの、このままだと俺どっか行っちゃうんですけど! ねぇってば! ちょっとマジで!

 

 

「…………ッ! ま、待ってく──」

「お待ちなさいですわッ!!」

 

 

 やっとこさで俺を呼び止めようとしたレッカの声を、甲高い声がかき消した。

 ……って、うわっ、わっ、なんかいつの間にか俺の後ろに、金髪お嬢様と青髪少女が立っとる。ヒカリとコオリだ。

 

「見つけましたわよ! あなたがコク、という方でお間違いありませんね!」

「いきなりの初対面で悪いんだけど、ちょっと話を聞いてもいいかな……コクさん」

 

 まずい、前後を主人公とヒロインで囲まれた。コレが四面楚歌ってやつか。

 

「ちょっ、ちょっと二人とも! 何を急に……!」

「大丈夫だから。レッカくんは下がってて」

「えぇ。ワタクシたちは、その方をお茶にお誘いしているだけなのです」

 

 こんな物騒な顔したお誘いがあってたまるかよ。このまま付いていったらシバかれそうだわ。お茶をシバくんじゃなくて物理的に。こわい。

 

 

 ──いや、だが。

 

 舐めるなよ少女たち。

 こちとら生半可な気持ちでお前さんらにちょっかいを出してるワケじゃあねェんだぜ。

 TS変身して黒髪無表情っ娘になった俺は、文字通り中身まで『変身』してるんだ。

 ちょっとやそっとの緊急事態じゃ動じないし、素性を明かさない謎のヒロインムーブは何があっても崩さない。冷や汗も気のせいだ。

 

 そう、俺は複数のヒロインを抱えている主人公に対して、唯一違ったベクトルで関わることで、他のヒロインたちとは一線を画す立場にある事を、この身をもって証明する最後の登場人物。

 攻略可能なのかさえ不確定な、ゲームだったらエロシーンのサンプルCGはおろか立ち絵すらも公式サイトで見つからないような、謎に満ちたハーレム入りしないスペシャルでプレミアムな特別枠。

 

 

 ()()()()()()なのだから──

 

 

「──わかった」

 

 

 底冷えするような、抑揚の無い声音。

 それと同時に振り返った少女と、真正面から視線がぶつかり合って怯んだのか、自分から戦場に誘い込んだはずの少女二人は、喉を鳴らして一歩後ずさった。

 

「……ぁっ。わ、わかった、というのは?」

 

 冷たい返事一つで精神的な優劣が逆転してしまった金髪の令嬢は、動揺を押し殺して強気な声を上げた。その隣にいる水色髪の少女は、目の前にいる得体のしれない何かに雰囲気だけで圧倒され、自ら口を噤んでいる。

 

「お茶」

 

 まるで機械のように。

 悄然として立ち竦む少女二人を、不気味な瞳の中に映して。

 

「お茶の誘い、受ける」

 

 一歩、前に出る。

 彼女らは動かない。

 

「……っ!」

 

 否、()()()()

 まるで蛇に睨まれた蛙の如く、自分よりも頭一つ小さい少女に対して、二人は戦慄を覚えている。

 それが伝わってしまうほどに、すべてが表情に出てしまっているのだ。

 

 

「──まっ、待ってくれ!」

 

 更にもう一歩近づこうとした、その時だった。

 少年が庇うように少女二人の前に出た。

 それを受けて立ち止まる。

 彼に近づく必要はないのだ。

 親切にもお茶に誘ってくれた人物は、少年の後ろにいる二人だから。

 

「……あなたも、お茶に誘われたの?」

「悪いけどそのお茶会、今日は中止にしてくれないかな」

 

 明らかに彼は少女たちを庇っている。

 眼前に立つ少女を危険視したのかもしれない。

 少年にとって後ろにいる二人は、これまで苦楽を共にしてきた大切な仲間であり、守るべき対象だ。

 だから、庇った。

 野菜が入った買い物袋を持っている、その左手にほんの少しだけ力を込め、敵意を放った。

 

「本当に、悪いけど」

「……そう」

 

 彼の心情を理解し、一歩下がる。

 人形の様に表情は変わらない。

 ただ、上目遣いで見つめていた彼らへの視線は外し、目を伏せた。

 

 

 

 ──…………っぷぁぁぁぁ!!!

 

 あー! 緊張したし失敗した!! 

 いやコレ間違いなくミステイクですわ。 ヒロインを怖がらせるどころか、レッカに警戒までされちゃった。どうみてもミスってる。マジで三人とも変な雰囲気にしてごめんなさい。

 

 今日はもうダメだ、帰ろう。無表情ヒロインムーブがあまりにも下手すぎた。

 

 なんかこの場に留まったらバトルになりそうな予感がするし、過剰防衛で攻撃されてもおかしくない。逃げなきゃ。

 戦闘能力なんてミジンコ以下だから、バトったら確実に墓場へゴールインだ。

 

「お茶しないなら、もう行く」

「……うん、急に引き留めてごめん」

 

 ヒカリとコオリの前に立ちふさがるレッカを見てよく分かった。

 これが好感度の差ってやつなんだろう。選択肢をミスったのもあるけど。

 

 まぁ昨日会ったばかりなんだし、好感度ばっかりはどうしようもない。

 今回の正解ルートは、コオリとヒカリを無視してそのまま去っていくことだったんだ。

 

 では、すたこらサッサとその場を離れ──てはいけない。待って。やっとかないといけない事あったわ。

 今後の交流を円滑に進めるために、俺は味方ですよアピールをしないとな。あまりにも警戒されすぎたら敵認定されてしまう。

 ただ、露骨すぎると逆に怪しまれるだろうから、ここはグッと堪えてさりげな~く言葉にしよう。

 

 立ち止まり、ゆっくりと振り返る。

 彼らはまだ少しだけ緊張している様だったから、たとえ無表情キャラでもパッと見で判別できるように『なんかスゴい申し訳なさそうな顔』って感じの雰囲気で。

 

「……怖がらせて、ごめんなさい」

 

 殊勝な態度で言えば多少は理解してくれるだろう、と信じてそれだけ言い残し、俺はなるべく早歩きでその場を去っていったのだった。

 

 今回の失敗で一つ、あまりミステリアス過ぎても良くない、という教訓を得た。普通に怖がらせちゃったのは申し訳ないし、今度からは眼力に気をつけよう。

 

 願わくばさっきの態度で『怖い雰囲気で仲間を脅したヤツ』から転じて『こっちが勝手に怖がったことで傷つけてしまった少女』という認識で、俺を覚えてくれますように。どうかお願いします。

 

 

 

 

 わたしはライ・エレクトロ。

 市民のヒーロー部の部長兼、学園の生徒会長だ。

 

 今日は生徒会の仕事があったのだが、予想以上に作業が長引いてしまったせいで少し帰りが遅くなってしまった。

 そのため一度帰宅してから弟と一緒に買い物に出たのだが、空は既に真っ暗で。

 

 そして目を離した隙に──弟が迷子になってしまったのだった。

 

 分かっている。コレは確実にわたしの責任だ。

 市民のヒーロー部としての活動に加え、生徒会長としての仕事も重なり、多少疲れてしまっていたせいなのか、注意力が散漫になってしまっていたようだ。

 これでは部長としても失格。後輩のレッカやコオリたちに顔向けできない。

 

 しかしメンツを気にしている場合ではないだろう。こんな夜遅い時間に迷子になってしまったら、弟がどうなるか分からない。

 一刻も早く見つけ出さなければ。

 今ごろ怖がって泣いているに違いない──

 

 

「ぃ、いないいない~……ブェァっ」

「きゃははっ!」

 

 

 ……と思っていたのだが、どうやらこの街にはとても親切な人がいたらしい。

 

 見たことのない学校の制服を着た黒髪の少女が、こっちまで笑ってしまいそうな程の顔芸で、小学生の弟を宥めてくれていた。

 名前を聞いてみたところ、彼女は『コク』というらしい。珍しい名前だ。ニックネームというか、あだ名なのだろうか。

 

 ともかく何度も礼を言い、何もしないのは心苦しいと思ったため、お詫びとして買い物で買った牛乳を押し付けてしまった。少し値が張る牛乳だったが、恩人が喜んでくれるなら安いものだ。むしろそれで納得してくれただけありがたい。

 

 そういえばコオリたちが噂していた人物の名も、確かコクだったか。あぁやって親切な人助けをしてくれる良い人なら、多少なりとも噂になるのは納得できる。わたしも見習うべきだな。

 

「……じゃあ、私はここで」

 

 コクさんがバス停で別れを告げた。基本的には無表情な人だが、弟を笑わせたあの顔芸は目を見張るものがあった。芸人志望とかなら是非とも応援させてほしいところである。

 

「……あの、ライ会長」

「ん?」

「お願いがあります」

「あ、うん。何でも言ってくれ」

 

 弟を見つけてくれた恩人の頼みだ。出来る限り答えたい。

 

「コオリさんと、ヒカリさんに、申し訳なかった──と伝えていただけませんか」

「あの二人に?」

「……今日、お話をしたんですけど、怖がらせてしまったみたいで」

 

 まさか。コクさんが人を怖がらせるなんてあり得ない。というかあの二人がビビるのも想像できない。

 ……あっ、そうか。

 あの後輩たちが恐怖するくらい、とてつもない変顔を披露したのか。

 顔面でお笑いだけじゃなくホラーまでこなせるとは、芸風の幅が広いなぁ……すごい人だ。

 

「了解したよ、あの二人にはそう伝えておく。……あぁ、そうだ、きみの連絡先を──」

「ごめんなさい。バスが来てしまいました」

「そ、そうか」

 

 バスに乗り込む直前に弟の頭を撫で、彼女はこちらに優しく笑いかけてくれた。

 他の人が見れば無表情に感じるかもしれないが、彼女と話した今のわたしにならその顔の変化に気づくことができる。

 だから、わたしも弟と一緒に、彼女に笑顔で手を振った。

 

「な、コクさん」

「呼び捨てで構いません」

「じゃあ、コク。……また、会えるかな?」

「はい。きっと、またすぐに」

 

 その言葉と共にドアが閉じ、バスは出発した。

 

 不思議な雰囲気の少女だった。

 彼女の自信なさげな態度から見るに、平時は人形の様に変わらないあの表情のせいで誤解されてしまうのだろう。迷子の男の子を宥め続けてくれるくらいには優しい人だという事が、彼女の周囲の人にも伝わってくれたらいいのだが。

 

 うむ、良き友人を得ることができた。学年はわたしよりも下のようだったが、歳など些細なものだ。ぜひともまた会いたい。

 

 ……そういえば、名乗りこそしたが、わたしが生徒会長ということは伝えていただろうか? もしかして自分、少しだけ有名人だったりして。……そんなワケないか。

 

 

 それから後日のこと。

 

 今回のコクとの出来事を部員のみんなに聞かせてみたのだが、なぜかコオリとヒカリ、あとレッカの三人が顔を真っ青にしていた。何だったんだろう?

 

 



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改めてお話をしましょう

観覧評価感想モチベがブチ上がります 




 

 

 

 偶然出くわしたライ会長の弟くんに変顔を披露した日から、早くも一週間が経過した。

 

 そしてその間、俺は一度もTS変身しなかった。

 謎の美少女ムーブをするにあたって、反省点やこれからの方針を踏まえた結果、特訓をする時間が必要だと考えたからだ。ここ最近の放課後は、ずっと家に籠ってセリフや表情、うまく立ち去る為の魔法の練習などをしていた。

 

 それから、姿を現さなかったもう一つの理由としては、単純にレッカたちからの関心を引くという目的があった。

 頻繁に会える状況を作ってしまうと普通の人間だと思われてしまうし、滅多に接触できない人物として振る舞った方が、不思議キャラとしての格も高い位置で保たれるはずだ。

 押してダメなら引いてみろ、ということわざがある。

 俺もそれに倣う形で、会えない事により湧き上がる焦燥感を、レッカたちの中で駆り立てさせようって考えたわけだ。

 奇跡的にライ会長には『弟を宥めてくれた親切な人』という印象を与えることができたため、なんとかそれがレッカやコオリたちに伝わってくれれば、もう少し事を円滑に進めることが出来るようになる。

 

 コレが成功していれば『自分たちが敵意を向けることで追い払ったあの人物は、本当はただお茶会の誘いに乗ってくれただけで、見ず知らずの迷子を助けてくれる程度には優しい少女だった』という認識を彼らに与えることが可能だ。

 

 そう──これこそ名付けて『罪悪感で関心を引こう作戦』である!

 

 ホント迷子になってくれてありがとう弟くん。キミを助けたのはこういうわる~いヤツだったんだぜ。今度アイスおごってあげよう。

 

 自分の名前を知っている見ず知らずの相手なんて、どう考えても警戒するのが普通なのだが、お人好しなレッカの事だからきっと今頃は汗水たらしながら女の俺を探しているに違いない。

 コクに敵意を向けたことを謝罪したい、とそう考えているはずだ。

 本当ならレッカが謝る理由なんて一つもないんだけどな。なんたって全部俺が悪いんだから。

 ごめんよ少年。黒幕やるの楽しすぎてやめられねェんだ……最低な友人を許してくれ……。

 

 と、こんな感じで作戦の立案自体は完璧だ。あとは行動するだけ。

 最近のヒーロー部の様子を見るに、俺の思惑がだいたい当たっているというのも分かった。それが勘違いだったら死ぬけど、ビビってたって何も進まねぇし、動くなら今だ。

 

 

 

 

 はい、来ました。今は少女の姿で、いるのはどっかの建物の屋上です。

 さらに言うとそこにある給水タンクの上に立ってます。

 あと休日でお昼時です。

 

 こうして足元が危うい場所に平然と居座ることで、普通の人間とは違う不思議な雰囲気を、分かりやすく相手に伝えることができる。変なヤツのいる場所といったらやっぱ屋上っしょ。

 

 で、先ほどまですぐ先の路地裏で、怪物とレッカが戦っていたのだが、俺はここから魔法の矢による長距離射撃で彼を援護していた。

 別にそこまで威力のあるモノではないが、バケモンの気を引いて攻撃の隙を作る程度の事ならできていたはずだ。クソ雑魚な俺にもできる援護としては最適解ですね。

 もちろんただ助けるだけではなく、彼に俺の位置をわざと分からせる為の行為でもあった。

 

 屋上での会話イベントだぜ。

 さぁ来るがいい少年。

 

「っ!」

 

 ガチャン、と屋上の扉が開かれた。

 下を向けばそこには汗だくのレッカがいる。相当急いで駆けてきたようだ。

 

「あっ。……コク」

 

 キョロキョロと周りを見渡してから、首を上に向けることでようやく給水タンクの上にいる俺を見つけたレッカ。

 こっちも無表情を決め込みながら彼を見下ろし、ようやく二人の視線が重なった。

 レッカはホッとしたように表情をやわらげ、改めて声を掛けてくる。

 

「よかった、また会えて」

「……そう」

 

 あくまで一定の声音で。ここで「会えて嬉しい」的なニュアンスの会話をすると、チョロイン認定されてハーレム入りを果たすことになる。

 

「キミをずっと探してたんだ。……ぁ、ゴメン。それより先にお礼を言わなきゃだよね。さっきはありがとう、おかげで助かったよ」

「どう、いたしまして」

 

 一週間前はレッカからの好感度が低かったように、今のコク(おれ)も彼に対しては、さして興味が無いフリをしよう。

 

「……この前は、本当にゴメンッ!」

 

 申し訳なさそうな声音で叫び、頭を下げるレッカ。

 その姿を見て何かゾクゾクしてきた。変なのに目覚めそうだ。あんまり謝らせないようにしよう。

 

「別にいい」

「……でも、キミを誘ったのは僕たちだ。なのにいきなり拒否して、あまつさえ敵意を向けた……許されることじゃない」

 

 予想以上に認識が重いぜ! しかしその責任感、誉れ高い。

 

「だから、お詫びをさせてほしい。コオリとヒカリの二人も、悪気があってあぁ言ったわけじゃないんだ」

「……お茶に誘うことは、わるいことなの?」

「へっ?」

 

 ここで大事なすっとぼけタイム。

 

 レッカが敵意を向けてきたことはともかくとして、あの女子二人の言動に対しては、特に何も感じていなかったとアピールをしておく。その方が印象も良くなるだろう。

 相手の感情に疎いと解釈してくれてもいいし、単純にお茶を一緒にしたかったピュアっ娘と思ってくれても構わない。

 

「あなたが、あの時あの二人とお茶をしたかった事は、分かってる。邪魔をして、ごめんなさい」

「ッ!? いっ、いやそういうわけじゃ!」

「誘ってもらったの、初めてだったから、舞い上がってしまって。貴方が許してくれるなら、またお茶を」

「いいぃ行こう行こう、ぜひ。いやほんと、コクは何も悪くないから……えと、別にあの時も二人を独占したかったわけではなくて……」

 

 コオリとヒカリに対しては、別に悪感情は抱いていない。むしろお茶に誘ってくれて嬉しかった──みたいな感じでとぼけておく。

 あの二人を嫌いになったわけじゃない、って答えを伝えた方が、レッカも気負わずに済むでしょ。

 

 

「……んっ」

 

 

 突然、強い風が吹いた。

 

「ッ!!」

 

 ビックリするレッカくん。

 風のイタズラで、スカートが捲れてしまいましたね。

 ただでさえスカートの丈が短いから、下から見上げる形になってるレッカからすれば、パンツが見えそうで見えないくらいの危ない領域だったのに。

 いや~、ついに見えちゃいましたわ、スカートの中。

 

「……」

「ぁ、あっ、あの……っ」

 

 おぉ、おぉ。顔がリンゴみたいに真っ赤じゃないすか。顔そらしちゃってまぁかわいい。

 見えたんだろ? エロゲのヒロインしか付けないような、黒い紐パンがさぁ。

 てかお前、普段からあのヒロインたちといろいろラッキースケベしてるくせに、なんでそんな初心な反応ができんだよ。思春期すぎるだろ。

 

「みてないよナニもみえなかったから! ホント!」

「……見たかったなら、また見る?」

 

 風は止んでしまったので、今度は自分でスカートの端をつまんでみる。

 

「わあぁッ!? ちょちょちょっまって!! 見ない遠慮します! 大丈夫ですから!!」

「そう」

「はい!!!」

 

 レッカくんが後ろを向いて顔まで覆ってしまったので、ぱさりとスカートから手を離した。ここで無理やり見せたらただの痴女だからな。ハーレムメンバーでも多分やらないだろう。

 

 基本的にはどんな事も拒否せず、言われたことには従っちゃう受け身系ヒロインというのが俺のスタンスだ。

 無防備かつ従順な相手だからこそ、真面目な主人公の理性が試される的なアレね。

 ハーレムヒロインたちがどいつもこいつも積極的なタイプであるがゆえに、それが日常茶飯事な主人公くんは逆にこういうタイプに弱いと踏んで、人形系ヒロインのフリを選んだわけだ。

 

 その在り方を守るためなら、見せろって言われたらパンツくらい見せるのだが、百パーセントあいつはそういうの言わないんだよな。紳士というか奥手というか。

 もし言うとしたらそれはエロゲみたいに専用ルートへ入った後だ。エロゲの主人公って性的なシーンになった途端、急に中身が変態になりがちだからな。あいつら普段は真面目なくせに、エロになると平気で青姦したりリード付きの首輪つけたりしてくるから怖ぇんだわ。俺ちゃんの親友はそうでないことを祈るぜ。

 

「ほっ」

「うわっ」

 

 給水タンクから飛び降り、風の魔法を上手く使ってレッカの前に着地する。こういう行動も普通じゃないアピールの一環として必要だ。練習してたおかげでうまくいった。

 

「だ、だいじょうぶ? 高いところから飛ぶなんて、危ないよ……」

「慣れてるから、大丈夫」

 

 本当はドッキドキだったけどな!

 

「……ぁ」

 

 ぐぅ~、と俺のお腹が鳴った。

 そういえばお昼まだ食べてなかったわ。

 

「……えっと、実は僕もお腹減ってて。ご飯、一緒に食べる?」

「うん」

 

 咄嗟に言い訳をして気を遣ってくれるレッカさん。モテる理由がここにあった。

 

 でも、どうしたもんかな。

 変身の残り時間は三十分ちょっと。いまから店に行って飯を食うにはちょっとばかり心もとない。

 けど……この流れで解散、ってのも少し勿体ないよな。

 できれば一緒にメシを食うことで、もう少し好感度を稼ぎたいところだ。

 一度変身を解いてから再変身までのインターバルを考えると、昼食は一時間ちょっとあとの方が好ましい。

 

 あ、そうだ。

 

「あなたのお家、どこ?」

「えっ。ど、どうして……」

「一度解散して、これから材料を買って、私がご飯を作りにいく。それでは、ダメ?」

 

 かわいらしく首をかしげてみる。

 突飛な提案なため、拒否られる可能性もあるけど、どうか。

 

「それは……」

 

 結構悩んでるな。

 ここはもう一押し。

 今から行う二人きりの食事会が、どれくらい重要なイベントなのかを分からせてやろう。

 

()()()()、外じゃできないと思ったから」

「──っ!」

 

 おっ、いい反応ですね。

 適当にそれっぽい事を言っても、マジで重要なことみたいに聞こえるのが、謎のヒロインの良いところなのだ。

 

「レッカの名前を知ってる、理由……とか」

「……そう、だね。確かに外じゃできない」

 

 するとレッカはポケットの中から学生手帳を取り出し、メモ部分に住所を書いてちぎり、俺に手渡してきた。

 

「コク。この前、ライ先輩から色々と聞いたんだけど、あれは本当にキミなんだな?」

「その先輩に聞いてみればいい。私が言っても、説得力なんてないから」

「……いや、いいよ。今はキミを信じて渡す」

 

 さすが主人公。普通だったら住所なんて渡さないだろうが、こういう決断をできるところが主役たる所以なんだろうな。

 まぁ住所渡されなくても家は知ってんだけどな。聞いとかないと余計怪しまれるから聞いたけど。

 

 彼から住所の紙を受け取って、俺は一足先に屋上の出口へと向かっていった。

 そしてゆっくりと振り返り、一言。

 

「レッカ」

「……なにかな」

「私が味方かどうかの判断は、あなたに任せる。でも、ひとつだけ」

 

 屋上に暖かな風が吹き、頬を撫で黒い髪を揺らした。

 

「あなたたちを()()()()()つもりは──微塵もないから」

 

 レッカの返事は待たず、それだけ言い残して俺は屋上を去っていった。

 

 

 ……ふっへっへ! 今のかなり謎のヒロインポイント高かったでしょ!

 

 



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メインヒロイン面する

 

 

 

「父さん。ペンダントを改良してくれ」

 

 早朝。

 母さんの弁当を作っている途中の、猫さん柄エプロンを着た父親に対して、俺は朝一番に突飛な頼みごとをしていた。

 俺の父親は現在専業主夫で、朝は毎回こうして母親の弁当を作ってから、俺と母の三人で朝餉を囲むことが日課になっている。今は弁当の完成待ちの時間だ。

 極端に朝に弱い母が起きてくる前の、この二人きりの時間を使うことでしか、こんな頼み事はできない。

 

 父さんはフライパンでウィンナーを焼きながら、一瞬クイっと眼鏡をあげ、その鋭い眼光をこちらに向けた。

 

「何があった、アポロ。聞かせてみなさい」

「うん。実は──」

 

 

 回想タイムへゴー。

 

 実はレッカの家で昼食を作ることになったあの日から、既に一日が経過している。

 昨日、俺はこの上なく完璧な謎のヒロインムーブをかます事が出来たとホクホク顔で彼の家に向かったのだが、そこでまたしても失敗をしてしまったのだ。

 

『……なにしてるの?』

『料理してるの』

 

 コオリさんがいきなり突撃隣の昼ご飯してきちゃった。ポーカーフェイスは保ったけど、内心はもう冷や汗かきまくりでしたわ。

 なんとレッカは緊張のあまり、俺と出会ったことを誰にも報告していなかったらしい。

 ゆえにコオリがいつもの感覚で彼の自宅に押し掛け、偶然にも料理中だったこの俺と出くわしてしまったわけだ。

 しかし、問題はそこではない。コオリが乱入してくる程度なら、作る料理を増やせばいいだけだったから。

 

 俺がやってしまった失敗とは──時間の管理だ。

 

 改めて考えると、女に変身できる時間が一時間というのは、あまりにも短すぎる。

 ヒロインごっこを始める前までは「一時間もあれば十分っしょ(笑)」とか考えていた俺を殴りたい。

 変身を解いたあとの再変身までのインターバルも一時間必要という部分を加味すると、このタイムリミットはかなり辛いところがある。

 レッカとコオリの二人と応対しながら料理をしつつ食事をするに加えて大事な話をする──というのは、普通にめちゃめちゃ無理ゲーだった。

 

 途中、新しい怪物が近所に現れたことで、話をうやむやにしてそのまま消えることができたから助かったものの、あのままだったら女子制服を着た俺があの二人の目の前に出現するところだった。危ない。

 ちなみに怪物の能力で強めの地震が発生して、俺の作った料理はほとんど床に落ちてダメになってしまった。

 けど、作った本人の俺よりショックを受けて、怪物にガチギレしてたコオリを見るに、あの子も根っこは優しい子だという事も知ることができたのは、素直に良い収穫だったな。

 

 

 で、時間は現在に戻る。

 

「つまり少女フォームの変身持続時間を、もっと増やしたい……ということだな?」

「できるかな、父さん」

「ふーむ……」

 

 ささっと料理を弁当箱に詰め、朝食をテーブルに並べながら思案する父。

 

「……アポロ」

「なに?」

「お前は何のために少女になる。イタズラかい」

 

 優しい声音だが、はぐらかせるような雰囲気じゃない。これは俺の真意を問うているのだ。

 俺がやっていることを、父さんには全て話している。

 当たり前だ。研究者時代に制作した最高傑作の内のひとつを使わせてもらっているのだから、隠し事などできるわけがない。

 

 ──俺の行動がイタズラなのかどうか。

 

 答えはとっくに出ているさ。

 

「いいや。これは()()()()()だ」

「……っ!」

 

 父さんの目が見開かれた。

 俺もまた眦を決し、まっすぐに言葉をぶつけていく。

 

「研究者の頃に言ってたよな。それが世の役に立つかどうかではなく、真に追い求めると決めたものを最後まで研究し尽くすのが、研究者なんだって」

「あぁ、そうだ。その研究の最終地点が、見た目はおろか性別すらも完全に変質させることが可能な、アポロが持っているそのペンダントだ」

 

 父さんが追い求めた『変身』という魔法の到達点。

 少女の姿へのメタモルフォーゼという、普通だと世の中の役には立たなさそうな、もはや性癖でしかないソレを心血注いで『魔法』へと昇華させた、研究人生の結晶。

 

 それが──このペンダントなのだ。

 

「俺の研究テーマは”世界の変化”だよ。父さんが創造したコレを使うことで──いや」

 

 取り繕うことはない。俺たちは親子なのだから。

 

「ハーレム系バトル物語が、俺というイレギュラーが混ざる事でどんな化学反応を起こすのか……その果てに何があるのか──それを知りたいんだ」

 

 キッチリと言い切る。

 俺の中にある本気を、寸分違わぬ純度でそのまま伝えるために、まっすぐ瞳を見つめて告げた。

 

「……フッ」

 

 父さんは、小さく笑った。

 

「……さすがは私の息子だ」

「父さん……」

 

 椅子に座り、麦茶とコップを用意した伝説の研究者は、それを注いで俺に渡してくれた。

 乾杯の挨拶ということか。

 

「研究者というのは気狂いだ。己が性癖のために全てを費やす。……だが、それは誰よりも自由に生きているという事でもある」

 

 経験者は語る。

 その果てに彼はとある女性と出会い、命を次の世代へ繋げ、燃え尽きてしまった。

 ……燃え尽きなければ、きっと今頃は墓の中だった。

 

「縦横無尽に世界を駆けなさい、アポロ。全てを知りそれでもなお、お前を()()()()()()()()と出会う、その日まで」

「と、父さん……!」

「おいバカ旦那。息子に妙なこと吹き込んでんじゃねぇぞ」

「わっ」

 

 母さんが起きてきた。どうやら先ほど起床して、顔を洗ってスッキリしたらしい。いつもの鋭い目つきで父さんを睨みつけている。

 そのまま旦那の隣に座った母は、麦茶を飲んだあと一息ついて。

 

「アポロ。……本気なの?」

「っ!」

 

 この旦那にして、この女房あり。

 こういうのもなんだがこの二人、正直言ってチョロい方の人種だ。

 

「もちろん。これは誰に言われたわけでもく、俺自身が決めた事なんだ。このままだと永遠に続きそうな親友の戦いの物語を、俺が責任を持って最終章に移行させる。……これ以上あいつを戦わせないために」

 

 すごく重要そうに言うと、父と母はお互いに顔を向け、少し逡巡した後に深く頷いた。

 

「……さすがはアタシたちの息子ね」

「そうだろう。いずれ世界を救う器だ」

 

 この人たち、もしかしてかなり単純なのかな。

 いやまぁ、俺もウソついてるわけではないけども。

 

 ”楽しいからやめられない”って部分を言ってないだけで。

 

「分かったわ。それならこの家の地下にある研究室を譲ります。好きに使いなさい」

「父さんからは研究者時代の資料をプレゼントしよう。ペンダントの改良は資料を参考に自分でやるといい。研究というのは地道な一歩からだからな」

「二人とも……ありがとうっ!」

 

 というわけで俺は貴重なアイテム&すげぇ便利な施設をゲットしたのであった。

 

 ふっふっふ。……あぁ、いや、別に両親を騙してるワケじゃないから。

 俺が言ったことは、紛れもなく全部本心だ。停滞している物語を俺が動かすことで、レッカを闘いの日々から卒業させようって意思に、ウソはない。

 ただ一番肝心な部分である「楽しい」って事を伝えてないだけだ。情報を小出しにしてるだけ。

 

 ──くっ、胸が痛い。まさか俺は良心の呵責に苦しんでいるのか。なぜだ……これが黒幕の宿命とでもいうのか……。

 俺が心臓を押さえて苦しんでいると、不意に父さんが口を開いた。

 

「あ、そうだアポロ。ちなみに言うと母さんは海外赴任で明後日から居ないからな。父さんも付いていくことになったから、何年かは一人で頑張ってくれ」

 

 この父親、急にヤバイこと言ってる。頭おかしいのか。

 

「だいじょうぶ卒業式には出るから。ねっ母さん」

「えぇ、あなた」

「そういう問題じゃなくね?」

 

 

 そんなこんなでマッドサイエンティスト両親が唐突にも不在になり、この家はしばらく俺一人のアジトになることが決定した。ラブコメの主人公かな?

 

 ……だがコレで、どこでも心置きなくロリっ娘の練習が出来るようになったわけでもあるな。ひゃっほい。最高だ。

 さっそくれっちゃん呼んで夜通しゲームでもしようかな、なんて思いつつ朝食を済ませ、俺は家を出て学園へ向かうのであった。

 

 

 

 

 で、現在は一週間後。

 

 フリーダムになった俺は、自由と引き換えに一人暮らしの大変さに苦しみながらも、着々と謎のヒロインパワーを高めていた。

 両親から受け取った施設と資料を駆使した結果、俺は少女フォームへの変身タイムを、なんと三時間まで伸ばすことに成功したのだ。凄いでしょ、俺天才でしょ。

 さらに変身後のクールタイムも三十分までに短縮させ、俺は心置きなく少女姿で外に出ることができるようになってしまった。もはや怖いものなど何もない。

 

 ていうか、単純に美少女の姿で出歩くのが、最近かなり楽しい。

 多少は幼げな雰囲気があるものの、一見すると凄く可愛い女の子なのだ。道行く人々の視線を引きつけちゃうのクセになるわね。

 

 だからといって隠しヒロインムーブを怠っているワケではない。

 基本的にあの制服っぽい服以外は着ないし、正体がバレるような迂闊な行動も控えている。

 レッカたちとも距離を取ることで『結局大事な話が聞けず、お昼も一緒に食べられなかった少女』という、なんとも掴みどころのない不思議っ娘としての雰囲気を獲得できた。コレは良い調子だ。

 

 

 だが、流石にそろそろ距離を縮める時期だ。

 

 ずっと何も分からない立ち位置じゃ、向こうも不安になるだけだろう。

 隠しとはいえ”ヒロイン”としての仕事を果たさなければ、ただ周囲を振り回すだけの追加キャラになってしまう。

 

 というわけでここからは()の出番だ。

 コクと関係のある者として振る舞い、俺ことアポロ・キィも本編に参加させてもらおう。

 主人公の友人の関係者という事で、コクが味方側のキャラであることをアピールしつつ『アポロに聞いた』という理由付けで俺しか知らないレッカのあれこれを利用する。

 そして他のヒロインメンバーたちとは一線を画す存在だと主張するのだ。絶対たのしい。

 

 

「んっ。……あれ、怪人か……?」

 

 いろいろと作戦を考えながら、女の子状態で街中を闊歩していると、少し先の交差点であるものを見つけた。

 怪人だ。悪の組織が生み出した改造人間が、交差点で暴れている。

 特殊部隊や警察はおろか、あのレッカたちもまだ到着していないため、怪人はやりたい放題だ。

 仕方ない、俺が直接レッカに連絡しよう。

 

「って、なんで圏外なんだ」

 

 スマホはネットどころか通話機能すら使えない。

 ただの不調かと思ったが、周囲の人々も携帯が使えないことに対して狼狽している様子から察するに、あの怪人の仕業なのだろう。

 たぶん能力か何かで、ここら辺の電子機器を全てダウンさせている。

 それが理由で通報やら何やらが出来ず、助けを呼ぶことができていないのだ。

 

 つまり──孤立無援。

 

「……えぇ。いや待って、マジで」

 

 これ、もしかして俺が戦わないといけない感じ?

 

 ある程度の魔法なら誰でも使えるはずだけど、戦闘経験があるヤツなんて市民にはほとんどいないだろうし、ここは戦うことのできる人間が時間を稼ぐべきだ。

 それは分かってる……いや分かってるけど、ホントに俺がやんの? マジで他に誰もいない?

 

「うわ。うわうわ、あの怪人、子供襲おうとしてるじゃん。何で俺の前だとガキばっかピンチになんだよ」

 

 その光景を目にした途端に走り出した。もはや逡巡している暇など無かった。

 

 別に俺はヒーローじゃないし、自分の命を最優先に考えている普通の人間だ。英雄ならレッカがやってくれるから、俺は自分の事だけ考えてればいい。そういうスタンスが許される立場にあった。だってただの友人キャラなのだから。

 でも、さすがに幼いガキをここで見捨てたら人間として終わる。一応ヒロインとして関わってしまった以上、出くわした戦場から逃げるという選択肢は抹消されてしまったのだ。

 

 ──とか何とか、いろいろ理屈を捏ねる前に、足が勝手に動き出したのが本音だ。こういうのを馬鹿って呼ぶんだろうか。

 

「ばっかおまっ、やめとけッ!」

 

 風の魔法で加速し、横から怪人に蹴りを入れた。

 しかしほんのちょっとよろめいただけ。自分が非力すぎて嫌になっちゃいますね。

 

「……っ! おい、アレお前のお母さんか!?」

 

 遠くで周囲の人に止められながら、こっちに来ようとしている女性がいる。

 それを指さして少年に問うと、彼は涙ながらにコクコクと頷いた。

 

「緊急措置だからな、恨むなよ!」

「わっ、わぁっ!?」

 

 風の魔法を使用。

 そのまま少し強めの突風で少年を母親のところまで運んだ。

 よし、なんとか上手くいった。俺のさりげないパンチラとか高い場所からの着地の為に、風の魔法をたくさん練習しといて正解だったな。

 

「っ゛」

 

 はい、怪人に思いっきりブン殴られて、吹っ飛ばされました。

 近くの車に叩きつけられて、ベシャっと地面に叩きつけられたみたいです。

 もう痛みとかないよね。逆に痛すぎて。衝撃しか伝わってこねぇわ。これ内臓とか潰れてない?

 

『──』

 

 怪人が喋ってるけど、たぶんお前を殺すとかそういうセリフだと思う。ただ街中で暴れることしか能がない単純な怪人だから、高尚な思想とかはないでしょ、たぶん。

 いやぁ、困ったな。

 死ぬでしょこれ。

 急に悪い奴が出てきてピンチになるとか、もはやシリアス通り越してギャグだよ。うわ、この街って治安悪すぎ……?

 

「…………ぁー……」

 

 喋れんわ。

 こんなん交通事故に遭ったの一緒だろ。

 まさか少女姿のままボコられるとは。あの怪人もしかしてリョナ好きか? 相容れない存在だよお前は。

 

 

 

「うぅっ……」

 

 何とか立ち上がれた。

 

「……ぁれ」

 

 不意に腕時計を見てみる。

 さっき殴られてから──いつの間にか三十分が経過していた。

 どうやら少しの間、気を失っていたようだ。

 

「怪人……いないし……って、レッカか」

 

 遠くで爆発が起きた。そっちに目を向けると、レッカたちヒーロー部が爆炎をバックに決めポーズしてる。

 たぶんアレは怪人を倒した後だ。あぁいう悪役って死ぬとき爆発しがちなんだよな。なにが引火して爆散してるんだろう、不思議だ。

 

 てか今のうちに逃げとくか。事後処理とか面倒くさそうだし。

 

「──コクっ!!」

 

 うわ、後ろからレッカに声かけられた。

 早く男に戻って病院に行きたいから、話ならしないぞ。こちとら頭から血ぃ出てるし全身打撲してんだわ。

 後ろを振り向いてみると──彼だけじゃなく、ヒーロー部の少女たち五人も揃っていた。

 

 

 ……まって。

 いやいやいや待ってくれ。落ち着け俺。

 ちょっとこれ良いな。めちゃめちゃ良い。いま楽しくなっちゃってるわ。

 少し考えてみたら、この状況すげぇ良くね?

 

 

「……レッカ」

「すまない、きみはあの子供を助けて……僕たちの到着が遅かったばっかりに……!」

 

 今、コクという少女と、主役チームであるヒーロー部の全員が、真正面から対峙している。

 

「いま手当てを──」

「来ないで」

 

 こっちは一人。

 あっちは六人という状態で。

 

「……え?」

「助けは、いらない」

「な、なに言って……」

 

 数メートル離れた状態で会話していて、俺はボロボロな状態にもかかわらず、ヒーロー部は全員で戦ったせいかほぼ怪我は無い。

 

 

 軽傷で戦いを済ませ、頼れる仲間たちに囲まれてる、周囲に恵まれた少年。

 

 瀕死の重傷を負った、見て分かる通り仲間など一人もいない、孤独な少女。

 

 

 明らかに二人が対比されてる、今この瞬間の絵面──美しくね……?

 

「あなたには、やるべき事が、たくさん残っている」

 

 額から流れ出た血液が地面に落ち、僅かに脳がフラついたが、気合で耐える。

 他の少女たちは主人公の隣にいて、もはや攻略対象というよりは仲間。パーティメンバーだ。

 そして唯一、このコクという少女だけが、彼女らとは全く別の場所に立っている。

 レッカの隣ではなく、ただひとり、彼の前に立っている。

 

「私のことは、構わないでいい」

 

 もうこんなの俺がメインヒロインでしょ。

 だって女の子たち、誰も反駁してこないし。

 それに加えてこの場において、レッカに対して恋愛感情を抱いていないのは、このコクだけだ。

 あの主人公に攻略されていない存在は──傷ついた漆黒の少女だけなのだ。

 

「あなた達は市民のヒーロー部だと、そう聞いている。怪我をして泣いている人や、崩れた建物の中で、助けを待っている市民がいる。市民のヒーローを名乗るならば、やるべき事は分かっているはず」

「そ、それは……」

 

 口ごもるレッカ。ぶっちゃけ反論などいくらでも出来そうな暴論だが、怪我人の言う事だから頭ごなしに否定はできないのだろう。ふふふ、怪我してよかった。

 まぁ救助待ちの人がいるのは事実だし、さっさとそっち行きなさいよってのも本音な。俺は勝手に病院行ってるんで。

 

「……さよなら」

「コク! まっ──」

 

 風魔法を使って空中に浮遊し、そのまま遠くへ離れていく。

 フハハハー! どうだレッカ! 攻略できなくてもどかしいだろ! ヒロインってのは本来簡単には手に入らないモンなんだぜ! すぃーゆーまた明日!

 

 

 

 

 それっぽい別れをした、二十分後。

 

 体力が無さ過ぎて墜落した俺は、路地裏で座り込んで休んでいた──のだが。

 いつの間にか追いついていたライ会長によって、俺は救急箱で応急処置をされていた。この人追跡が上手すぎてこわい……。

 

「どうして、私を」

「ふふっ、愚問だね。キミだってわたし達が守るべき市民の一人じゃないか」

 

 すっごい年上オーラで諭されてしまった。

 かなり痛い思いをした後に優しくされたせいか、思わず癒されちゃう。

 

「部員のみんなには黙っておくから安心したまえ」

「……ありがとう」

 

 めっちゃ気ぃ使ってくれるじゃん。この人は何というか、盲目的にレッカに惚れているわけではなさそうな雰囲気を感じる。

 親友くんは恋人を選ぶなら、ぜひともこの人を選んでください。

 

「これくらいなんて事ないさ。……コク。自己犠牲は素晴らしいが、もう少し自分を大切にね」

「……うん」

 

 頭を撫でられちゃいました。

 まずい、童貞だから優しくされただけで好きになっちゃいそうだ。急にレッカが羨ましくなってきた。ゆるせねぇよハーレム野郎……。

 

「私、もう行く」

「そうか。……あ、前に聞きそびれた連絡先、教えてくれるかい」

「ツイッターのアカウントでいい?」

「そういうSNSやってたんだね……」

 

 スマホが一台しかないからさぁ! カバー付け替えたりとか別のアカウントを作ることぐらいでしか、連絡先の差別化ができないんですよねぇ! 不思議っ子のイメージこわれる。

 

「用事がある時は、ダイレクトメッセージで、よろしく」

「浮世離れした印象あったけど、概ね現代っ子で安心したよ、わたしは」

 

 そんなこんなで俺より何枚か上手な先輩と連絡先を交換しつつ、俺は家に帰ったあと男に戻り、病院へ赴いたのであった。そこでレッカと会ってかなり怪我を心配されたのは、また別の話。

 

 

 

 

「ねぇポッキー。コクって……もしかして二重人格なのかな」

「……???」

 

 あと、男口調で子供を助けたところを見られてたらしく、なんか余計な設定がひとつ増えてた。

 

 



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あくじの代償

 

 どうも、TSして友人をからかっている悪いヤツです。

 

 私事で恐縮ですが、先日病院へ行ったところ、右手首がバリバリに骨折していることが判明いたしました。遂に天罰が下ってしまった。

 大いなる力には大いなる責任が伴う、という言葉もあるように、出しゃばって子供を庇った結果、手首の骨が折れたのも、全てはヒロインごっこをしようとした俺自身の責任だ。

 普段から皆を引っ搔き回していることを深く反省しつつ、少しの間はこの罰を受け入れて大人しくしよう。

 

「……不便だな」

 

 とあるバス停のベンチに座りながら、ため息交じりに呟いた。

 現在は登校中。

 いつもであれば、どんな作戦を決行しようか思案しているところなのだが、今日は見ての通りそんな余裕もなくて。

 右手に固定サポーターを装着したままの生活は、現在親が家にいない俺からすると、想像を絶するほどに厳しいものであった。コレで一人暮らしはマジでやばい。

 あれからたった二日しか経っていないというのに、洗濯物も洗い物も溜まりっぱなしだ。片手じゃなんもできん。

 

「ぁ、バス来た」

 

 迎えが来たので立ち上がる。

 鞄を持ち上げて乗車し、入り口で定期を使おうとして──落としてしまった。あわわ。

 

「ご、ごめんなさい……」

 

 俺の後に乗ろうとしている人に迷惑がかかってしまう事を恐れ、謝りながら定期を拾おうとすると、既に乗車していた誰かがそれを取って、ついでにそのまま読み込ませて鞄まで拾ってくれた。

 

「すみません、助かりました」

「いいえ。こちらにどうぞ」

 

 更にはほぼ満員だというのに席まで譲ってくれた。あまりにも優しすぎる。おそらく前世はマザー・テレサだろう。

 ……って。

 

「グリント……さん?」

「おはようございます、キィさん」

 

 朝っぱらから女神みたいな慈愛ムーブをかまして来た人物の正体は、少し前にコク(おれ)をお茶会に誘ってくれた、ハーレムメンバーの内の一人。

 

 ヒカリ・グリントであった。

 もっとわかりやすく言うと、金髪縦ロールのお嬢様だ。

 

 みんなはこの子の事を基本的にヒカリという名前の方で呼ぶのだが、俺個人としては彼女とそこまで親しくないため、あまり聞き慣れない苗字の方で呼んでいるのだ。

 それは彼女も同じようで、俺をアポロではなく苗字のキィで覚えている。というか俺を知るきっかけになったレッカは、俺のことをポッキーとしか呼ばないから、もしかしたらヒカリは俺のファーストネームを知らない可能性すらある。

 

「怪人に遭遇してお怪我をされたと、レッカ様から聞きました。災難でしたわね」

「命があるだけマシだって。毎回危険な戦いに巻き込まれているグリントさんのほうが、よっぽど大変でしょ」

「ふふっ……お優しいのですね、キィさんは。でも心配は無用ですわよ? あれはワタクシが好きでやっている事ですから」

 

 聖母を思わせるような彼女の温かい微笑みを前にして、思春期の男子でしかない俺は少しだけ顔が熱くなり、目をそらしてしまう。

 俺と彼女は、いわゆる友達の友達でしかないのだ。

 そんな俺を迷うことなく助けてくれるなんて、さすがは市民のヒーロー部。ある意味で見境がない。

 

「あの、カバン自分で持つから大丈夫だよ」

「いえいえ、教室まで持ちますよ。同じクラスなんですし、そもそも怪我人なんですからもっと頼ってくださいな」

「えっ。いや、えと……ぅ、うん。ありがとう」

「どういたしまして」

 

 レッカのヒロインたちは、このようにみんな基本的には善性の塊であるため、困っていれば手を差し伸べてくれるいい子たちだ。

 こんなん一般の男子生徒は優しさで勘違いして当たり前だし、露骨に彼女たちから好かれているレッカが嫉妬の視線を向けられるのは、当然と言えば当然だ。ハーレムを持つ代償ってやつだな。ほんとお疲れ様です。

 

「……あら。到着したみたいですね。行きましょうか」

「ちょ、あの。定期くらいは自分でやるから!」

 

 ヒカリのコレはもはや介護の域だ。

 まぁ元を辿れば、メンバーの中でも最もお人好しであるレッカの影響なんだろうけど。道案内や横断歩道で老人の手伝いをするとかいう、お前もう逆に仕込んでんじゃねぇのかってくらいベタな理由で遅刻するの、この世でアイツだけだからな。

 

「そういえばキィさんはレッカ様を頼られないのですか? お友達なのでしょ」

「家の方向が全然違うし、いつも大変そうなアイツに頼るのは……こう、気が引けるっていうかさ」

「……でしたら治るまでの間、ワタクシが諸々をお手伝いいたしますわ!」

 

 何でそうなるんだよ。お前もしかして俺のことが好きなのか?

 

「……グリントさん、俺に何か聞きたいことでもあんの?」

「ギクッ!」

 

 擬音を口に出して驚くお嬢さま、とてもあざとい。しかしかわいい。

 

「……そ、その、キィさんはコクさんのお知り合いだと耳にしまして」

「知り合いっていうと、確かにそうではあるけど……」

 

 これはレッカにも話したことだが、俺とコクが知り合い──という設定を少し前にバラしておいた。

 しかし最初から面識があったことにすると、俺がコクを知らなかった事実で矛盾が生じてしまうため、新しく()()()()()()()()という設定で通した。

 

 それなりに名前と顔が知られてしまっているヒーロー部に代わって、悪の組織や能力者テロ集団などの情報を秘密裏に集める諜報員、という新しい設定を、まず俺が担当して。

 コクはその集めた情報を俺から受け取り、対価として彼女しか知らない情報を俺に共有させる──つまり一時的な協力者という関係性をでっち上げて、それをレッカに伝えたわけだ。

 

 まず俺自身が危険な諜報員になる事を、レッカが猛反対してきたことが少し意外だった。

 それに関しては……なんか、こう、あいつがマジで怒ってたので、本当に申し訳ないとは思ってる。もう少し設定を捻っておくべきだったかもしれない。ごめんね。

 

 しかしもうコクとは契約を結んでしまっている、という事情でなんとか納得してもらい、レッカがコクの事を知るチャンスだと説得した結果なんとか俺とコクの関係を作り上げることができたワケだ。

 

 だが、俺とコクはネットを通じて情報を共有しているだけであり、直接会ったことは一度しかなく本当にただの一時的な協力者でしかないことは、しっかりとレッカに伝えておいた。関係が深すぎるとコクが俺のヒロインになってしまうから、気をつけないといけないのだ。俺自身はあくまで友人キャラを保つ。

 『なにやら事情を抱えているようだけど、あの少女を何とかできるのはお前しかいない』という趣旨の言葉をレッカに言ってやったことで、コクの相手はあくまでレッカだと強調することができた。それによってアイツもしっかりそう認識してくれたはずだ。

 

 ……なので、ただの協力者でしかない俺は、設定上コクの居場所など知る由もないのだが──

 

「あのっ、ワタクシ本当にコクさんに謝罪したいのです! そして改めて彼女とお茶をして、親睦を深めたい!」

 

 とのことで、このヒカリの提案に少々困らされている。

 正直に言うと意外だった。

 あんなどこぞの馬の骨とも分からない、ヒロイン面した無口っ娘の事なんて嫌いになっていると思っていた。

 恋敵とか、むしろ妬ましいライバル的な認識だと考えていたのだが……この様子を見るに、それこそ俺の勘違いだったようだ。

 

 俺は穿った見方をしていたせいで歪んだ認識になっていたらしい。ヒーロー部の少女たちはみんな普通にいい子だった。何かゴメンね。

 

「あぁー……うん、わかった。一応会える機会がないか、今日のうちに聞いておくよ」

「本当ですか! ありがとうございます、キィさん!」

「いいってことよ」

 

 でもテンション上がったからって、そんな簡単に男子の手を握るのはやめてくださいね。勘違いを誘発させちゃうからね。

 あぁ、ヒカリの明るさに負けて、ありもしない約束をしてしまった。コレはまずい。こういう風に場の雰囲気に流されちゃうのが僕の悪いクセ。

 

 どうしたもんか。

 別に変身しても都合よく怪我が治るわけじゃないし、会ったとしても俺と同じ箇所にギプスを装着していたら、流石に怪しまれそうなんだよな。

 ……変身するとき外すか? サポーター……。だいじょぶかなぁ……。

 

「──あっ。おーいポッキー!」

「あら。校門付近にいらっしゃるの、レッカ様ではなくて?」

「うぇ? ……おぉ、確かにれっちゃんだな。待っててくれたのか」

 

 バス停近くの横断歩道の先。

 担当の教員が生徒たちに挨拶をしている校門の横で、レッカがこちらに手を振っている。

 家事の手伝いなんかしなくていい、とか迎えもいらない、など色々とあらかじめ伝えておいたのだが、結局あぁして俺の事を心配して待ってくれていたらしい。

 骨折は諜報員としての仕事で負った怪我ではなく、あくまで戦闘に巻き込まれただけ──って言ったんだけどな。もう諜報員なんかやめろってメッセージばっか通知に来てたわ。

 

 ……心配しすぎだろ、あほ。

 

「おはよ。ぁ、ヒカリがポッキーの荷物を持っててくれたんだね。代わるよ」

「ごきげんよう、レッカ様。これはワタクシが任された任務ですから、お構いなく」

「あははっ、ヒカリは真面目だね。でもほら、遠慮なんてしないでいいから」

「オホホ、受け持った使命は必ずやり遂げるのがグリント家のポリシーですので」

「何で俺のカバン取り合ってんの……?」

 

 怪我人に対する優しさとかで競ってたりするのかなコイツら。

 てか校門前でそういうことされるの、普通に恥ずかしいからやめて欲しいのだが。

 

「俺さきに行くから……」

「まってよポッキー、片手じゃ履き替えるの大変だろ」

「ワタクシがスリッパをご用意いたしますわ」

「いや僕がやるから」

「何かおっしゃいましたか?」

 

 お前らそこらへんで終わりにしとけよ。

 手首の骨折如きでこのレベルの介護はちょっとやり過ぎだからな。

 なんなら俺ちょっと情けなくなってきてるからな。ホントに。

 

 ……まぁ、でもこれくらい心配されるんだったら、あの時無茶して子供を助けた甲斐も、少しはあったかもしれない。少しばかり鬱陶しいレベルだけど。

 

「スリッパはヒカリに任せるよ。その間僕がカバンを持つね」

「持ったままできますので心配には及びませんわ。鞄から手を離されてもよろしくてよ。……むむっ」

「だいじょうぶだから、ヒカリ」

「レッカ様こそ。──あぁっ! カバンからノートが散乱してしまいましたわ!」

「ごめんポッキー!」

「いやもういいからカバン返せよお前らさァ!!」

 

 親切というか、もはやお節介でしかないので俺は限界を迎えてしまった。

 

 

 

 

 そしてその放課後、自宅にて。

 

「あっ」

「……えっ。……こ、コク?」

 

 家に帰って部屋着に着替えたあと、試しにサポーターを外して鏡の前で少女姿に変身してみたのだが、制服以外の少女姿のかわいさに舌を巻いていたそのとき、インターホンが鳴って。

 

 俺はうっかりそのままの姿で家のドアを開けてしまい──弁当を買ってきてくれたレッカと鉢合わせてしまったのだ。

 

 そう。

 謎に満ちたあの少女が、なぜか友人キャラのブカブカな服を着て、友人の家から出てきてしまったわけだ。

 レッカは口を開いたままポカーンと立ち尽くしてしまった。当然の反応だ。

 

「な、何で、コクが……あれっ、ポッキーは……?」

「…………」

 

 沈黙。

 自分自身の詰めの甘さに辟易したが、俺はこの一瞬でリカバリー方法を模索し、応急処置レベルの対応を決行しなければならない。

 一拍置いて──口を開いた。

 

「とりあえず、上がれば」

「ぁ、はい。…………えっ?」

 

 まったく取り乱す様子を見せず、自然な感じでレッカを家に上げる。

 そして彼に背を向けてリビングへ向かう中、俺は心臓バックバクで滝のように汗を流しながら、なんて言い訳をすればいいのかを懊悩するのであった。

 

 どうすんだよこれぇ……。

 

 



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おともだち

 

 

 僕は今、頭を抱えている。

 

 友人の自宅へ赴いたら、何故か本人ではなく最近接点を持ち始めた謎の少女が、彼の衣服を身に纏って現れたのだ。何を言っているか分からないと思うが、僕もこの状況が全くもって理解できていない。

 アポロが右手を骨折したというので、料理も大変そうだと思って弁当を買って、どうせなら少し遊んでから帰ろうかな──なんて考えていた数分前の自分は実に呑気だった。

 

「とりあえず、上がれば」

「ぁ、はい。…………えっ?」

 

 お互いが固まったまま気まずい雰囲気が続くかと思いきや、まるで意に介していない様子の少女は、そのまま僕を家の中に上げてくれた。……いやここアポロの家なんだけどな。

 二階建ての一軒家であるアポロ宅だが、彼から聞いていた通り両親の姿はない。海外赴任という話は本当だったようだ。

 それはいい。問題はそこじゃない。

 

「どうぞ」

「……ど、どうも」

 

 リビングのソファに腰かけると、コクがお茶の入ったコップをテーブルの上に置いてくれた。

 しかしそれに手を伸ばすことはなく、僕は彼女が何かしでかさないか不安になり、ずっと目で追ってしまっている。

 コクは自分の分のお茶も用意すると、テーブルを挟んだ正面の座椅子にちょこんと座った。慣れているような仕草に見えるけど、彼女はどれくらいこの家の事を知っているのだろうか。

 ……いやいや、それよりも先に聞かなきゃいけないことがあるだろ。

 

「あの、アポロはどこに」

「今はいない」

 

 居ないって、もしかしてあの状態で出かけたのか……? 買い物なら手伝うし、なんなら放課後に行けばそのまま付き添ったのに。片手で大丈夫かな。

 

「きみはどうしてこの家に? ……もしかして、アポロと同棲してたり……」

「出ていけというのなら、すぐにでも出ていく」

「追い出すなんてまさか。……その、ごめん」

 

 つい邪推してしまった。余計な考えは捨てて、正確な現在の状況を聞き出さないと。

 

「余裕が無いときは、このアジトを使用していいと、協力者からは聞いている」

「アジトって……ていうか、もしかして合鍵を持たされてるのか」

「カギ、ってこれ?」

 

 少女がズボンのポケットから、ジャラっと音を立てて鍵を取り出した。

 驚くべきことに、それは合鍵ではなくアポロが普段使いしているカギそのものであった。

 

「あのバカ……まさか鍵かけずに家を出たのか……」

「少し違う。入れ替わりだったから、鍵とアジトの防衛を、私が任されている」

「い、入れ替わり?」

 

 そうなるとアポロの状況判断が早すぎることになる。

 出かける直前にコクがこの家にやってきて、そのまま彼女に留守を任せて外出したということだ。大丈夫かあいつ。

 ……分からない。そういう判断ができる程、この子を信用しているってことなのか。

 

「いつも着ている服は、洗濯とクリーニングに出している。他の衣服がないので、協力者の部屋着らしきものを拝借した」

「……それなら、せめて上着を着てくれないか」

「なぜ?」

「逆に何で気づかないの……」

 

 この家に来た時から指摘しようとしていたのだが、服の首元がゆるいせいでコクの肩が見えているのだ。

 というか肩はおろか、危うく胸元まで見えそうになってしまっている。どうしてよりにもよって、アポロが使い倒しているヨレヨレのTシャツを選んだんだ。

 それにズボンだってあれゴムが伸びきってるやつだし、ずり落ちたらヤバイ。流石にもう少し自分に合ったものを選んでほしい。

 

「コク、そこの椅子にかかってるパーカーを使ってくれ」

「必要なこと?」

「早くして」

「はい」

 

 なんとか見ないようにはしているものの、この状況が続くと目のやり場に困ってまともに応対ができない。コクが聞き分けの良いタイプでよかった。

 改めてパーカーを羽織ったコクと正面から対峙する。

 前々から質問したかった事が山積みなのだ。このままでは帰れない。

 

「……まず、君が何者なのかを教えてくれ」

「面接みたい」

「……ごめん、かなり険しい顔になってたね」

 

 確かに威圧するような雰囲気を出してしまっていたかもしれない。これは良くないな。

 僕はお茶を一口飲み、一度咳払いをしてから彼女に向き直った。

 彼女は既に僕を知っているようだが、改めて考えるとこっちから自己紹介をしたことはなかった。礼儀として、まずは自分からだろう。

 

「僕の名前はレッカ・ファイア。魔法学園の二年生で、市民のヒーロー部に所属している。普段は普通の学生として生活しているけど、必要とあらば悪とも戦う魔法使いだ。……って、こんな感じで教えてくれると助かるかな」

 

 手本を見せてから発言権をコクに渡すと、彼女は数秒ほど下を向いて逡巡したのち、顔を上げて僕を見つめた。

 

「コードネーム:漆黒。とある科学者の研究によって誕生した。所属組織は無い。活動目的は──」

 

 一拍置いて、再び口を開いた。

 

「あなたの戦いを終わらせること」

「ぼ、僕の……?」

 

 一回で理解することが出来ず、無意味に復唱してしまった。

 漆黒と名乗った彼女の目的とは、僕──つまりレッカ・ファイアの戦いを終わらせること……らしい。

 いやだめだ、全然分かんない。どういう意味だ。

 

「……僕を倒す、ってことか?」

「敵対するつもりはない。ただ、レッカがもう戦わなくてもいいようにする……という目的のために動いている」

「それは誰の指示だ」

「誰でもない。私の意思」

 

 コクはいつもの調子で、しかし確実にきっぱりと言い切った。

 それを見ただけでこの言葉は間違いなく彼女自身のモノであり、そこに嘘は無いと本能で理解できてしまった。

 

 ……頭が痛くなってきた。

 どうして彼女は、僕を戦わせたくないんだ。自分の記憶を辿ってみても、真夜中に邂逅したあの日以前に、この少女と関わりを持った出来事など存在しない。

 何のために自分を戦わせたくないのかが、まるで見当がつかない。

 

 僕が戦いをやめて喜ぶのは、現在敵対しているあの悪の組織や、犯罪に手を染める悪い魔法使いたちだけだろう。

 むしろ彼らの仲間だと言ってくれた方が納得できるというものだ。

 それなのに敵対するつもりはない、ときた。もう思考をやめたくなってくる。

 

「なんでキミは僕を知っているんだ? 悪いけど僕自身はキミの事なんて一つも知らないし、何の覚えも無い」

「…………」

「現状きみに何を言われたところで、僕はヒーロー部としての戦いをやめるつもりはないよ」

「…………私は、知っている」

 

 まるで人形の様な、美しくもあり無機質でもある、不動の表情が僅かに揺らいだ。

 

「ずっと前から、あなたを知っている」

 

 僕はすぐに気がついた。

 ほんの少し、僅かにだが──彼女の声が震えていることに。

 

「物語の主人公のように、誠実で、優しくて、強い事を知っている。だからこそ、強いからこそ、あなたは人一倍傷を負って、それを我慢出来てしまうのだと、私は知っている」

 

 どうしてそんなことを、とか。

 余計なお世話だ、とか。

 反駁したい気持ちは確かにあるのに、僕は口を挟めずにいた。

 相手は得体のしれない存在なのに。まるで自分の事を理解しているような、普通だったら癪に障るような言葉を口にされているというのに。

 静かな彼女の内に、僅かな燻りを見た。

 

 いや。

 これは──怒り、だろうか。

 

「自分の命を顧みない姿勢は、素晴らしいと思う。自己犠牲の精神が、ヒーローの本質だということも、理解している」

 

 でも、と。

 

「あなたに傷ついて欲しくないと願う人も、いる。自らの命も勘定に入れて欲しいと、戦い続けることだけが人の為になるわけではないと、そう考える人も……確かに、いる。多くの人間を救ってきたあなたは、覚えてないかもしれないけれど」

「……そんな、人が……?」

 

 呆気にとられてしまった。周囲には、僕の戦いを応援してくれる人たちしかいないのだから。

 

 僕が戦うのは当たり前のことだ。かつて世界を救った勇者の血統を受け継ぎ、ヒーロー部として戦えない人々に代わって悪を討つのが、僕の存在理由なのだといっても過言ではない。

 確かに入学したばかりの頃は自分の事ばかり考えていたが、この学園で出会った少女たちと様々な世界を目にして、僕にしかできないことをやっと理解することができたんだ。

 

「……でも僕は戦うよ。きっと人々の為に戦うことが、僕が勇者の血を受け継いで生まれた意味なんだ」

「…………はぁ。勇者とか、ヒーローとか、そういうの関係ない」

「こ、コク? ちょ、ちょっと……」

 

 珍しくため息を吐いたと思ったら、彼女は立ち上がりテーブルを跨いで、僕の目の前に移動した。

 何事かと思った次の瞬間──僕はほっぺをつねられた。

 

「いはは(たた)っ! な、なひ(なに)っ!?」

「レッカ・ファイアは十六歳の男子高校生。昔ながらのご大層な肩書きを並べて勇ましく戦う勇者じゃなくて、魔法学園に通う普通の少年。……違うの?」

「うぅ、いてて……。ぃ、いや、違わないとは思うけどさ……」

 

 頬から手を離したコクは、また元のポジションに戻って座り込んでいる。いったい何だったんだ今のは。

 

「使命に突き動かされて、命を投げ出してまで戦うとか、そういうの古い」

「ふ、古い……?」

 

 これもしかして、僕は説教を受けてるのか?

 自分よりも頭一つ小さい女の子に……。

 

「もしレッカが悪との戦いで死んだとして、悲しむ人はいると思う?」

「そりゃ、いるにはいるんじゃないかな……いや、でも」

「はい、ザコ」

 

 ざ、雑魚!?

 

「そこで開き直るのがもうダメ。古すぎ。縄文時代。自分が死んだとしても、じゃなくて残された側のことをもっと考えて行動するのが、現代(いま)風のトレンド」

「と、トレンドって……」

 

 もしかしたら僕はひどい勘違いをしていたのかもしれない。

 コクは浮世離れした謎の少女というより、現代の知識が豊富なイマドキの女の子だという可能性が浮上してきた。

 まさか、これまでに助けてきた大勢の人々のなかに、この子もいたのか……?

 

「私じゃなくて、あなたの友達の事を、もっと考えて」

「なにを言うんだ。自分の友達のことなんて、僕が一番ちゃんと考えてるに決まってるじゃないか。どんなことがあっても僕が守る」

「ナチュラルに”守る”とか言っちゃう、そういう上から目線、キモい」

「き、きもい……」

 

 彼女、意外と毒舌……?

 すごい物静かで自主性が希薄な子だと思ってたんだけど、それこそ勘違いだったのかもしれない。

 

 彼女の中には真っすぐな芯がある。それを肌で感じ取れた。

 

「友達っていうのは、対等なもの。何でもかんでも遠ざけて、過剰に守られるだけの方の気持ち、考えてみた事あるの」

「……だ、だって、友達には傷ついて欲しくないし……」

「相手もそう思ってるかもしれないのに、それは無視するんだ。何も相談しないで『おまえは関係ない』の一点張りで、協力の提案だって拒否して、戦闘の翌日には傷だらけで登校して、何を聞いても『心配しないでいい』としか言わない。お前いつか死ぬぞ」

 

 あ、あれ、コクの語気が荒い。

 

「……レッカの言うその友達って、本当に友達? あなたにとって都合のいい”日常の象徴”にしてるだけなんじゃないの」

「なっ! 知ったようなこと言うなよ! あいつは……アポロは強くないんだ! 弱いしポンコツなの! 戦場に連れて行ったら死ぬに決まってるだろ!」

「んだとテメェッ!!」

「えぇっ!?」

 

 なぜか本人でもないのにキレられた。

 すごい理不尽なはずなのにめちゃめちゃ怖かった。

 

「……って、きっとその友達も怒ると思う。だいたい、その友達の強さとかまともに知らないでしょ。あなた女の子たちとの修行はしたのに、友達との特訓とかは付き合ってあげたの?」

「い、いや、危ないからやめようって言って、魔法の特訓はさせなかった……」

「チッ、過保護がよ」

「……キャラ変わってない?」

 

 この子本当に二重人格だったりする? 普段の印象と全く違うんだけど……。

 

「一緒に特訓したら強くなれるかもしれない。レッカが思うほど弱い人間じゃないかもしれないでしょ。それを脆弱だと決めつけて、自分から遠ざけといて『守らないといけない友達』って、勝手すぎると思わないの」

「……何でそんな事をキミに言われないといけないんだ」

「私、その友達のこと知ってるから。彼の気持ちを代弁しています」

 

 まさか協力者であるアポロと僕の関係を知っているのか?

 謎に満ちた彼女なら知っていてもおかしくは無いだろうが、まさかここまで言われてしまうとは思わなかった。

 

 

 ……でも。

 

 確かにアポロの気持ち、考えた事なかったな。

 守るのが正しいとかそう思ってたわけじゃなくて、ただそうするべきだと思って、ずっとそうしてきた。

 思考停止もいいところだ。

 

 僕だって最初は弱かった。アポロと二人で、クラス内の魔法の成績は、下から数えた方が早かったくらいだ。

 強くなれたのは、入学式の日に出会ったコオリと一緒に、ヒーロー部で鍛えたからだ。そのおかげで炎の力に覚醒して、今の能力を手に入れることができた。

 

 自惚れではなく、アポロは僕の力になりたいと考えてくれた。ずっと前から態度で分かっていたのに、それを拒絶して彼の戦う力を得る機会を奪っていたんだ。

 最初は弱いだけで、現在の自分のように強くなれるかもしれないのに。

 

 

 ──いや、そう考えると、大概だ。

 よく僕の事をバカにするけれど、アポロだって大概お人好しじゃないか。

 いつもいつも僕の事を心配して、どうにかしようとして。力の差は歴然なのに。……普通なら、戦いなんて自分に関係ないって、守られることに慣れてしまうはずなのに。

 

 ……心配しすぎでしょ、あほ。

 

「ごめんコク、ちょっと行ってくる」

「どちらへ」

「アポロのとこ。たぶんいつものスーパーだろうから」

「右手を心配して、助けに行くの?」

「いいや、見ず知らずの女の子に自宅の留守を任せた、あのバカを叱りにいく」

「そう。いってらっしゃい」

 

 言うが早いか、僕は玄関で靴を履いてさっさと家を出ていった。

 

 コクの事は、今はいい。

 本気で怒ってくれたあの態度から、少なくとも敵ではないことは判断できたから。

 詳しい話ははぐらかされてしまったけど、アポロの家にいるなら事情を聞く機会はいくらでもあるんだ。

 

 今はまず、親友に一言謝りたい。

 そして右手が完治したら、とことん頼ってやろう。僕の手伝いをすることがどれほど大変なことなのかを思い知らせてやる。

 

 守るだけの存在じゃない。

 打ち明けて、相談して──本当の友達になりたい。

 ただそれだけの気持ちを抱えて、僕は夕焼けが照らす住宅街を駆け抜けるのであった。

 

 




ポ:(変身解いて着替えたら、偶然を装って合流しよ……)


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もっと謎の美少女ごっこがしたい!!

 

 

 アポロの自宅を走り出て、近所を走り回ってようやく本人を見つけて。

 

 今までの事を謝り、これからの事を話し、荷物を代わりに持って一緒に帰路に就いた。

 僅かに存在していた彼との間の蟠りは、これで全て無くなったように思える。僕はようやく、彼と友人になる事が出来たのだ。

 それもこれも、僕のこれまでの行いを指摘してくれた、あの少女のおかげだ。

 

 帰ったらお礼を言うつもりだった。

 アポロの家をアジトと呼んでいたし、きっとこれからは今までと違って、定期的に会うことができる関係になれたと思った。

 彼女と僕は信頼のおける仲間になれたのだと──そう思い込んでいた。

 

 

【さよなら】

 

 

 そう書かれた手紙が、たった一枚だけ。

 家の中にはいない。

 僕は一瞬固まり、我に返った途端に家を飛び出した。

 時計の針は左下を向いており、オレンジ色に染まっていた明るい空は、気づけば漆黒に包まれていた。

 

 胃が痛む。

 呼吸が荒い。

 心臓の鼓動が早まってくる。

 胸の中がこれまでに無い程ざわついた。

 

「どうして──」

 

 静寂が支配する空の下で、零れる様に呟いた。

 彼女が何を思ったのか。

 何処へ行ってしまったのか。

 本当に分からなかった。

 

 コクは僕の友人の事でさえ気にかけてくれる、人並み以上に思いやりのある──普通の少女だ。

 少なくとも、彼女と言葉を交わしたあの時は、そう考えていた。

 僕のために怒ってくれた。

 友人のことに気づかせてくれた。

 彼女は恩人であり、まず一番に感謝を伝えるべき相手だった。

 

 だというのに、たった一言も、何も、言えないまま。

 

「…………っ!」

 

 忽然と行方を晦ましてしまった少女の、僕を送り出してくれたあの微笑みが脳裏によぎり、再び走り出した。

 ──黎明だ。

 空を覆っていた漆黒が、燦然と輝く太陽に、塗りつぶされていく。

 

 もう、夜が明けていた。

 

 

 

 

 

 

 レッカに対して緊急措置でなんとか誤魔化したあの日から、ちょうど今日で二ヵ月が経過した。とても長かった。もう夏が近い。

 

 この二ヵ月間、俺は新しくヒーロー部として入部した後、怪我を治してからずっと()()()()()皆のサポートをしていた。

 部活で鍛えた事で俺は、いわゆる探知能力というやつに覚醒したのだ。忍者であるオトナシの助けもあって、ここ最近は怪しいヤツを事前に見つけておくことで、事件を未然に防ぐことに成功している。

 そして何より、探知能力による俺の情報提供で警察が動き、ヒーロー部の出番を極端に減らすことが出来ていた。

 一学生であるにもかかわらず、警察から強い信頼を寄せられているのは、ひとえにヒーロー部のおかげだろう。それほどまでにヒーロー部は多くの人々を救ってきた。

 

 つまり、レッカの戦う機会も順調に減ってきている。

 当初の目的であった『レッカを戦わせない』という目的は、努力によって概ね完了したワケだ。

 だから普通の男子高校生として、日々を送っている。

 テストや課題に苦しみ、些細なことで楽しみを共有し、放課後や休日にはバカ騒ぎして、また学校に通って。

 そんな平凡で普通の日常を手に入れた。

 他人の為に傷つきやがるお人好しのアイツを戦わせないという、ずっと抱えていた俺の願いは叶えられたのだ。

 

 だが、重要なことが一つ。

 

 俺は俺自身の行動を振り返った結果、つまりレッカに対してキャラブレブレの説教を行ったあの時、かなり大変なことに気がついてしまい、あの日以来ずっと少女姿には変身せず、大人しくしていたのだ。

 その重要な事とは、いったい何なのか。

 答えはとっくに出ている。

 

 

 ──謎の美少女感、薄れてね?

 

 

 いや、マジで。

 あのリカバリー説教は、あの場を切り抜けるために必要な事だったけど、アレのせいでコクが普通に仲のいい女キャラとして、あまつさえ仲間として定着してしまいそうな流れは、非常に危ういと感じた。

 

 違ぇんだよ。そうじゃないんだ。

 謎の美少女ってのは、そんな簡単に仲間になって、容易く好感度が上がる存在じゃないだろ。 

 もしあの流れのまま正体が俺であることを隠したまま、上手いことコクとして彼らと接していたら、間違いなく『後半に加入しただけのハーレムの一員』になってしまっていたハズだ。

 ただ登場時ちょっと意味深だっただけで、その後は普通にヒロインたち取り巻きと一緒に居るだなんて、そんなの特別でも何でもないじゃないか。

 

 おい俺。今一度、しっかり思い出してみろよ。

 

 お前は良いヤツなのか?

 コレは友達との青春を取り戻すために、必要だからやった事ですって、そう開き直るつもりか?

 ふざけるなよ、そんな事をしていい人間じゃねぇだろ。友達想いの正義の味方なんかじゃないだろうが。

 

 俺はそもそも『楽しむため』に変身して、友人をからかった悪いヤツだ。

 そうだ、俺は自分の欲望に正直な、れっきとした“悪”なんだ。

 その悪事の果てに生み出した存在である漆黒の少女を、用済みになったからポイだと?

 

 どこまで中途半端なんだ。お前はいつもそうだ。いつも肝心なところで失敗する。いろんなところに手を付けるが、一つだってやり遂げられない。誰もお前を愛さない。

 かぁ~っ! 見んねコク! 卑しか男ばい! 

 

 誰に対しても現状ウソつきでしかない俺が、唯一誠意を果たせる存在は、この俺自身が生み出した『漆黒』という少女をおいて他にはいない。

 彼女をこのまま捨て去るってのは論外だ。

 なにより謎の美少女感が無くなってしまうのは、とても悔しい。

 

 正しいかどうかじゃない。

 俺のプライドが許さないのだ。

 悪人なら悪人らしく、最後まで我を貫き通した方がカッコいいでしょ。

 最低で最悪だろうと関係ない。親父が言ったような、止めてくれる人が現れるまで、縦横無尽に世界を駆けるんだ。俺の本当の力を見せてやる。

 

 ──っしゃあ! いくぜェッ!!

 

 魔法、TS変身(チェンジ)!!! 

 

 

……

 

…………

 

 

 はい、というわけで仮病を使って、まずは学校を休みました。

 レッカには『今日は休む』とだけメッセージを送った。アイツのことだから仮病ってことには気づいてるんだろうな。

 

 話を戻して。

 今回、俺は謎のヒロインとしてのストーリーを一気に進めていく作戦を思いついた。

 このままフラッと現れてまた居なくなってでは、進展も無いしレッカもそれに慣れてしまうだろう。

 さよなら、という手紙だけを残して二ヵ月も姿を消し、彼がコクの安否を気にしまくっている今がチャンスだ。マジでタイミング的には今しかない。

 

 今日は大雨が降っている。

 主人公に対してヒロインが『決別』を告げるには、これ以上ない良シチュエーションだ。

 そう、俺は本日レッカに対して、コクの重要な事実を暴露する。

 そして彼に対して本当の別れを告げ、ついに攻略できなかったヒロインとして、彼の関心を一気に引きつける作戦を決行するわけだ。絶対驚くぜあいつ。

 

 まずは透明マントを使って学内に侵入し、現在の状況を見てみる。

 

 時刻は昼休み。

 ヒーロー部もひと固まりではなく各々別に動いていていた。

 ライ会長は生徒会メンバーと一緒に生徒会室。コオリとヒカリは食堂で友達と談笑している。

 レッカは他のヒロイン……ウィンド姉妹の二人と一緒に、購買へ向かっているようだ。

 

「そういえばレッカ。いつも一緒にいるアイツはどうしたのよ」

「ポッキーはけびょっ……か、風邪で休みだよ」

「レッカさん? そこまで言ったら訂正する意味ないと思いますよ?」

 

 姉のカゼコと、妹のフウナに囲まれて、いつも通りのイチャイチャだ。ふざけやがって。

 ちなみに俺の風魔法は、あの二人のすっげー強い風魔法を参考にして練習してたのだが、結局ウィンド姉妹本人たちとは、コクの姿ではあまり接したことなかったな。やっぱハーレム六人は多いよ。

 唯一の下級生であるオトナシは見当たらなかったけど、まぁたぶん友達の教室とかで飯食ってんだろ。簡単に姿を見せないところが、いかにも忍者っぽいが、アイツを探して昼休みが終わっては元も子もない。

 そもそもずっと透明マントを着ているから、誰にもバレていないはずだ。

 

「……なーんか、ずっと見られてる気がするのよね。気のせいかしら」

 

 っ!?

 

「後ろには誰もいないよ、お姉ちゃん。だってほら、あたしたち購買の列の一番後ろだし」

「うっ。そ、そうね……出遅れたせいで、目的のものが買えるか不安だわ……」

 

 妹ちゃんナイスカバー。助かったぜ。

 ったく、勘が鋭いお姉ちゃんの方には気を付けないとな。

 

「カゼコとフウナにファンがいるって噂は聞いたことあるよ」

「えっ、わたしたちに?」

「ヒーロー部はそこそこ有名だしね。それに二人ともかわいいから、ファンがいても不思議じゃないっていうか」

「かっ、かわっ!?」

「あぅ……」

 

 わっっっかりやすいレッカの天然ムーブで赤面するカゼコと、困るフウナ。

 さすが主人公、自分のヒロインを照れさせることなんざ造作もねぇってか。やりますね。

 

「急に変なこと言うんじゃないわよバカっ!」

「いてっ! ご、ごめん」

「お、お姉ちゃん、叩いたらダメだよ……」

 

 強気な姉に、内気な妹か。

 より取り見取りで羨ましいよ、レッカくん。それでも理性的で、性欲に流されず好青年のままでいられるキミに敬意を表するぜ。

 

 

 っと、少し雨が強くなってきたな。

 

 マントが多少雨具としての役割を果たしているとはいえ、割と激しめの雨粒に打たれ続けて、少し体が冷えてきた。傘は一応折りたたみのを持ってきたけど、荷物になるという理由で学校の出口付近に隠してきたため、今は手元にない。

 風邪ひく前に、そろそろ作戦開始といきますか。謎の美少女モードに切り替えだ。

 

「……」

 

 透明マントを脱いで畳み、ポケットに入れる。

 途端に、ざぁっと頭に雨粒が降り注いだ。まるでシャワーでも浴びているような気分だ。

 制服の胸ポケットから家の鍵を取り出し、わざとコンクリートの下に落とした。

 

「っ!」

 

 落下による僅かな金属音に、レッカだけがピクリと反応した。よしよし、計画通り。

 普通なら雨音でかき消されるような弱々しい音だが、レッカなら気づくだろうという確信はあった。

 ここ最近はことあるごとに色々な音や人影に反応してしまうほど、コクを探していたのだ。こういう時でも気づいてくれるって信じてたぜ。

 

 購買からギリギリ見える範囲の物陰からあちらを覗いていると、キョロキョロと周囲を見渡しているレッカと、ついに視線がぶつかった。

 

「コク……っ!?」

「──」

 

 焦らず、ゆっくりと校舎の陰へ姿を消し、鍵を落としたままその場を離れて、誰もいない校舎裏に向かって歩いていく。

 走る足音が後ろに聞こえる。ちゃんと追ってきてくれているみたいだ。

 彼に声を掛けられる前に、校舎裏の開けた場所まで移動し、いかにも待ってましたと言わんばかりに背を向けて待機する。

 

「はぁっ、はぁっ、コク!」

「……」

 

 きたきた。

 無言のまま振り返る。

 レッカは相当急いで追いかけてきたのか、傘を持っているにもかかわらず、制服の肩が濡れていた。

 

「っ、はぁ……ず、ずっと探してたんだ、きみを。これ、アポロの家の鍵。持ってたってことは、今日はあいつの家にいたのか?」

 

 肩で呼吸をしているレッカは、息を整えつつ顔を上げた。

 彼の表情は安堵だ。

 コクを見つけることが出来て、どうやら主人公くんはホッとしているらしい。

 

 いいね、ゾクゾクしてきた。これからその表情を崩してやるから、覚悟しろよな。

 

「今日まで何してたんだよ。何かやるんだったら、相談してくれればいいのに。僕たち仲間じゃないか」

「…………仲間、じゃない」

「えっ?」

 

 レッカは眉を顰める。口元は笑っているが、何を言っているのか分からないといった表情だ。

 

「な……なに言ってるんだ? キミは、敵対するつもりはないって、そう言ってたじゃないか。それに僕の戦いを終わらせるって──」

「そう」

 

 少しだけ声を大きくして、彼の言葉を遮る。

 

「レッカの戦いを終わらせると、そう言った。そしてその通り、戦いは終わった」

 

 実際のところ、ヒーロー部としての戦いはほとんど終わっている。

 悪の組織だか何だかはやっつけてないが、それの相手は現在政府や警察が当たっていて、それが本来あるべき形だ。アレらを大人に任せることができた以上、彼の戦いはほぼ終わったと言っても過言ではない。

 

「おかげで未来は変わった」

「未来……?」

 

 ここからは、説教したあの日から長いこと考え続けてきた、コクの設定を披露する時間だ。

 

「私には断片的な未来が見える。眠っている途中、予知夢としてこれから起こる出来事を」

「……そんな、能力を」

「以前見えたのは、レッカと私が一緒に戦う夢。……敵の攻撃から私を庇って、あなたが死んでしまう未来」

「っ!?」

 

 どどん! 衝撃の展開。まぁそんな夢は見てないんですけどね。

 主人公補正バリバリのレッカが死ぬわけない。

 

「だから私は、あなたが戦う事をやめれば、あなたは死なないと考えた。私のせいで誰かが死ぬのは、見過ごせないから」

「……けど、きみは未来が変わったと言った。その予知夢から何が変わったんだ」

 

 ──だが、仲間入りをしていない、謎のヒロインなら果たしてどうかな。

 

 

「私が、あなたに殺される未来」

 

 

 その言葉の後、俺と彼の間に静寂が流れる。

 レッカは動揺のあまり声が出ず、手に握っていた傘が傾いた。

 

「……どう、いう」

「そのままの意味。断片的にその瞬間しか見れなかったから、経緯は知らない。でもこのままあなたの近くに居たら、私はいずれあなたに殺される」

「ばっ、馬鹿なこと言うなよ! そんなことするわけないだろ!? だいたい理由がないじゃないか!」

「知らない。ただ、私が見た未来は、私自身が必要以上に変えようとしない限り、絶対に変わらない」

 

 もちろんレッカが俺に手を出す理由なんざコレっぽっちも存在しない。だからこそ、めちゃめちゃに焦るのだ。焦らせてごめんな。楽しくて……。

 

「僕は……ボクはきみのことを、大切な友人だと思ってる。アポロとの蟠りを無くしてくれた恩人に、手をかけるワケがない」

「友人になった覚えはない。あなたの事も大切だとは思っていない」

「っ……」

 

 悔しいだろ。今まで出会った仲間の少女たちは、例外なく全員攻略してきたもんな。この学園に来て主人公になってから、ここまで女の子に拒絶されたのは初めてに違いない。

 でもレッカに嫌いって直接言うのは、やっぱ心が痛いな。

 ……うぅ、気をしっかり持て。妥協するなよアポロ・キィ。

 お前は人を弄んで遊ぶ悪役なんだ。コクという存在に敬意を払うなら、しっかりと悪の意思を保て。

 

「アポロ・キィの事を持ち出してあなたを焚きつけたのも、未来で私が人殺しにならないため。庇ったあなたが死ぬことで、周囲の人間から私の責任だと揶揄されるのを、避けるため。何もかも自分の為にやっていた。何一つ、あなたのために行動した事などない」

 

 場面によってはツンデレにも聞こえるセリフだが、今この状況なら無情な現実を突き付けるシリアスなセリフになってくれる。お前の為じゃない、っていうセリフ、意外と汎用性があるな。

 ……ていうか濡れすぎて寒くなってきた。

 

「私は殺されたくない。だからここを去る。私がいなくなればレッカは清廉潔白な英雄のままでいられる。止める理由なんてないはず」

「でも!」

 

 雨脚が強まる。

 彼が差している傘の雨粒を跳ね返す音が大きくなった。

 魚でも跳ねているのかと錯覚するほどに、びしゃびしゃ、ばしゃばしゃ、水を通さない布を雨が叩き続ける。

 

「あなたといた日々は、常に心が休まらなかった」

「……ッ」

 

 レッカは何かを言おうとしたが、混乱していて言葉が出ず、押し黙ってしまった。

 では、そろそろこの場を離れるとするか。

 最後にヒロインっぽいことを口にして。

 

「でも、屋上で話したあのとき。……お昼ご飯に誘ってくれたのは、少しだけ嬉しかった」

「っ! ……こ、コク……ぼくは」

「さよなら」

「あっ。まっ──」

 

 

「待つんだ、コク!!」

 

 

 うえぇっ。なんだなんだ。レッカじゃない別の声だ。

 風の魔法で飛んでいこうと思った矢先に、第三者に呼び止められてしまった。

 思わず固まった。

 

「……?」

 

 レッカの後ろの方からだ。

 目を向けると、そこには傘も差していない、息も絶え絶えの状態な、ずぶ濡れのライ会長が立っていた。

 

「……ライ、会長」

「っ! ふふ、わたしの名前を憶えててくれたんだな、コク。うれしいよ」

「先輩! どうしてここに……」

「レッカ、きみは知らないな。……その子の、正体を」

 

 エエエエェェッェェッ!!!!?

 ばばっば、ばばっ!!

 いいいつの間にバレたぁ!? そんなボロ出してた?!

 や、やっぱり仮病で休んだのは浅はかだったのかッ!!

 

「……二ヵ月と少し前のことだ。悪の組織の研究所から、とある実験体が組織を裏切った研究者によって、外へ連れ出されたという情報が入った」

 

 …………んっ?

 

「実験体の能力はまだ開発段階だが、完成すれば最強の……それこそ、世界そのものを破滅させられるようなモノらしい。それを危惧した研究者が()()を連れ出したんだ」

 

 ちょ、ちょっと待って。

 なんか急にまったく知らない話をされてるんだけど、なに?

 

「名前までは情報には載っていなかったが……」

「せ、先輩、まさか……」

「……コク。その実験体が、キミなんだな?」

 

 

 ……………………そ、そうゆうことに、しとこっかな~。

 

 

「好きに考えてくれて、かまわない」

「ちょ、待てよコク!」

 

 その答えに反応したのは、意外にもレッカ。

 だがこれ以上の応対は、頭がパンクするから無しだぜ……!

 風魔法を使い、俺は宙に浮いた。

 

「ライ会長」

「……なにかな」

「結局お茶ができなくて、ごめんなさいと、ヒカリに伝えておいてもらえますか」

「っ。……あぁ、わかった」

「ちょっと先輩!?」

 

 どんな考えがあるのかは分からないが、ライ会長は俺を止めようとはしない。

 その様子に困惑したレッカがこちらに手を伸ばす頃には、彼が届かないくらい高く飛んでいた。

 

「レッカ。改めて──さよなら」

「待てって! コクっ!!」

 

 ヒロインに追いすがる主人公くんを振り切って、なんとか俺はその場を離れることができたのだった。

 はてさて、これからコクをどう動かそうかな。

 

 

 

 

 ──その、数分後。

 

「…………」

「…………」

 

 俺の家の前には、びしょ濡れのまま体育座りしている、見知らぬ白髪の少女がいた。

 男に戻っている俺に見下ろされている、その髪がとても長い少女は、茫々とした黄金色の瞳でこちらを見つめている。

 

 

 ……いや、分かっている。

 さっきの会長の発言からして、確かにフラグは立っていた。

 不意に現れてもおかしい話ではない。このスピード感はギャグでしかないが。

 

 しかし、俺は決して主人公ではない。なりたくもない。

 別にヒロインとかいらんし、そもそも無表情系の謎の美少女はこの俺だ。同じ属性の被っている輩が現れてしまったら、キャラがパンクを起こして大変なことになる。

 

 

 ゆえにこういう時は、警察に通報だ。

 似たようなヒロインなどいらない。こいつは主人公であるレッカにも任せず、国を守るお巡りさんの元で安全に保護してもらおう。当たり前だよな?

 

「……んっ」

「あ? な、なに……スマホ?」

 

 無口な金眼白髪少女が、懐からスマホの様な何かを取り出して手渡してきた。なんか妙に近未来的なデザインだ。

 

「何だってんだよ……」

 

 とりあえずそのハイテクスマホ(仮)をタップして起動すると──

 

 

『あぁ! 無事に帰ったなアポロ! よかった、繋がったよ母さん!!』

 

 

 …………二ヵ月前に海外赴任で飛んだはずの両親が、画面に映りました。

 それに加えて二人とも白衣姿という、とても懐かしい恰好をしている。

 

「……あの、えと。……その、な、なに? これ……」

『詳細は追って説明する! 今はそのスマホを渡した少女を、自宅の中に匿うんだ!』

「え、嫌なんだけど。警察に通報するね?」

『だっ、ダメだ! 警察の上層部に一人だけ組織のスパイが紛れ込んでいる! 証拠をつかんでヤツを引きずり下ろすまで警察には頼れないんだ!』

「うるせえバーカッ!!」

『エェッ!?』

 

 うっせぇ。うっせぇ死ぬほどうっせぇわ。

 

『あ、アポロにおこられた……どうしてぇ……』

『しっかりしてあなた。あれが普通の反応よ』

 

 ほんとっ、もう……マジで──あのさァ!?

 いいよいいよ? 百歩譲って俺に海外赴任って嘘をついて、怪しげな研究所からいかにも隠しヒロインっぽいロリっ娘を助け出したのは、別に悪い事じゃないよ。すごーいウチの両親って裏で世界を守ってたんだ~って感心するだけだったからさ。賛美すらする。

 

 でも俺がヒロインとしてその設定をかすめ取った数分後に、本物をよりにもよって俺に任せるのマジで何なんだよ。レッカにしとけや。アイツならこのロリも攻略してハーレムにするし、なんならそのまま世界も救っちゃうからさ。

 

 あ、そうじゃん。今からコイツのことレッカに任せよう。

 

 もうコクの設定が矛盾するとか知らん。悪の組織から狙われてるような、典型的なロリっ娘ヒロインなんか匿えるか。やらねぇよ。おれ主人公じゃなくてヒロインがやりたかったんだよもうホントこいつが現れたせいで美少女ごっこも終わりだよクソぁ!!

 

『電話代わってあなた。……もしもし、アポロ』

「あぁ母さん。この子は頼れる俺の親友に任せるから、心配しないで」

『ごめんなさい。情報が拡散されてしまうから、それは無理だわ。尾行されてる可能性もあるから、あなたも早くその子を連れて、安全な地下室へ避難して。地下から安全な場所まで抜ける道は用意されてるから』

 

 あれ、もしかして母さんも無茶ぶりするタイプ?

 

『それから外に出るときは、ペンダントを使って女の子になっていた方がいい。私たちの資料からアポロの顔もバレてしまっている』

「なにしてくれてんの?」

『貴方が女の子に変身する機械を熟知してくれていて助かったわ。……きっと近いうちに悪の組織とは決着が付く。そうなればまた家族三人、平和に暮らすことができるわ。お願い、がんばって』

 

 シリアスそうな声音で言われても困りま~す。何で俺が……泣きそう……。

 

『母さん! 追手が来た!』

『くっ、追いつかれたか……ごめんなさいアポロ、もう切るから! 私もお父さんもあなたを愛してるわ! それじゃね!』

「おいおいおーい!」

 

 いやもうほんとバカ。何がバカって展開のスピードがバカ。

 だって十分くらい前に『……さよなら』って、ヒロイン面して主人公に別れを告げたばっかりなんだぞ。何で別の意味で物語の中心にされてんだよ。黒幕から被害者に変わっちゃったよチクショウ。

 

「……へっぷし!」

 

 うーん、かわいいくしゃみだね♡ それレッカの前でやれば守ってくれるよ。俺がやりたかったくしゃみだよ。

 

「……ごめんなさい」

「あぁもう分かったよごめん、ウチ入ろう。かわいそうなムーブしないでくれ頼むから」

「むーぶ……?」

 

 ロリっ娘を持ち上げて帰宅する。そして俺の心は泣いていた。

 

 

 ……あああああああぁぁぁ゛ァ゛ァ゛ッ゛!!! 

 

 レッカが主人公でぇ! コクがヒロインじゃなかったんですかァ!?

 



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ロリと忍者とTSっ娘

 

 

 どうも、性格が悪い元黒幕の小悪党です。真実を知ったレッカにぶっ飛ばされるより、顔も知らない悪の手先に惨殺される可能性の方が高くなってしまった今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。コレが因果応報ってやつか。

 

 それはさておき、帰宅して早々に困ったことがある。

 

「…………」

「……何で突っ立ってんだ。風呂沸いてるぞ」

 

 ワケあって匿うことになった謎の白髪少女が、脱衣所でボーっとしたまま動かないのだ。

 とりあえずタオルで軽く髪と体を拭いてから、風呂に入るよう指示を出して、彼女の着替えを持ってきたらこの有様だった。

 

「一人で入浴したこと、ない」

「じゃあ今まで風呂どうしてたんだよ」

「チエにやってもらっていた」

「母さんか……」

 

 そりゃまぁ子供の入浴は保護者が手伝って然るべきだけど……ちょっと待てよ。

 この場合の保護者って、もしかして俺ってことになるのか?

 

「おまえ、いま何歳?」

「十一歳」

「反応に困る歳だな」

 

 頭を抱えたくなった。十一ってことは小学五年生くらいになる。それくらいの年齢ってもう一人で風呂に入る時期なんじゃないのか。

 世間一般で言うロリっ娘の枠に入るのは間違いないが、温泉に行く時でも、父親に付いていって男風呂に入るような歳ではない。

 小5って普通は恥じらいを持って、異性を意識し始める時期だと思うんだけどな。

 

「……いや、これまでの生活事情を考慮しなかった俺が悪いな。とりあえず服は洗濯機に入れて、先に風呂場いってて」

「わかった」

 

 白髪少女が身に着けている衣服は、おそらくは母さんが買い与えたものだ。

 こんなオシャレな長袖のシャツとスカートを、悪の組織の研究所で着られるわけがない。

 二ヵ月ほどあのマッドサイエンティスト両親と逃亡生活を続けていたのだろうが、洒落た服を買う余裕があったという事は、意外と普通寄りの生活水準だったのかもしれない。

 

「……」

「どした。固まって」

「服、自分で脱いだことない」

「ウチの両親ちょっと甘やかしすぎじゃね……?」

 

 いや分からんけど。もしかしたらクッソ壮絶な過去があって、この歳で着替えできないレベルで甘やかされても、まだまだ足りないくらい不幸な人生だった可能性もある。

 でも一人で一般的な生活ができないのは、コイツ自身も困るはずだ。一応今の保護者は俺だし、他の人間に文句ばっか言ってないで、普通レベルの日常生活は俺が教えてやらないとだな。

 

「見ててやるから、俺の言うとおりにやってみ」

「お手本を」

「……わるい、よく考えたらスカートの脱ぎ方とか知らないわ。スマホ持ってくるから、ちょっと待ってて」

 

 家の前で拾った名前も知らない少女を目の前で脱がせて全裸にさせるの、はたから見れば言い逃れできないレベルで犯罪チックだな。怖くなってきた。

 絵面的な問題とか、俺の気持ち的な意味でも風呂の世話は女に変身した状態でやってやりたいが、今は変身解除後のインターバル時間だから無理だ。

 この様子だとどうせ一回じゃ風呂も覚えられなさそうだし、手間かけずにこのままやろう。

 

「キィ、質問がある」

「両親と違って俺は苗字呼びなんだな……で、何?」

「キィはどうして体操着を着直したの」

「俺も脱ぐ必要はないだろ」

「入浴の際に服を着てはいけないと、チエが言っていた」

「何事にも例外はあるんだって覚えときな。お姫さま」

「れいがい……」

 

 コイツを洗うのに俺がわざわざ全裸になる意味は無いと思う。確かに俺もずぶ濡れにはなったが、後で入れば済む話だ。

 

「……っ」

「おいおいおい俺のズボンに手をかけるなよ、急にとち狂ったなこのロリっ娘」

「良くないことは正せと、ユウキが」

「その親父の言葉は俺も聞いたことある。問題は何が良くないことなのかって話だ」

「服が濡れてしまうのは、悲しいことだとチエが言っていた。悲しいのは、良くないこと。このままだと、キィの服が濡れてしまう。なので」

「なので、じゃねぇんだわ。母さんが言ってた濡れて悲しい服ってのは、お前が着てたオシャレな服のことだろ。俺の体操着は濡れていいの」

「むむっ」

「お願いだから納得してください」

 

 もしかしてこの女の子、かなり面倒くさいタイプなのかしら。

 だが見た目や境遇に反して、言われたことだけに従って動くんじゃなく、割と自分の意思をしっかり持って行動してる部分はキライじゃないわ。頭を撫でてあげよう。

 

「へっぷし」

「あぁもう……風邪引くからほれ、入った入った」

「わがった」

 

 お鼻もチーンってしてあげた方がいいなコレ。てか寒いなら寒いって言ってくれ。

 とりあえず片手でシャワーを使い、バスチェアに座った少女に浴びせつつ、俺はポケットからスマホを取り出した。

 

「……シャワー、あたたかい」

「よかったな」

「キィ。質問がある」

「なんぞ」

「どうしてお風呂場に、スマートフォンを持ち込んでいるの」

 

 温度高めのシャワーを頭からかぶりながら、こっちを振り返る少女。わっ、お湯かかった……。

 

「撮影? じどうぽるの?」

「逆に何でそっちの知識はあるんだよ……。そんなんじゃなくて、長い髪の洗い方とかケア方法を調べてんの」

 

 俺の美少女モードは変身するたびに完璧で清潔な状態になるため、しっかりと女状態で髪や肌を気にしたことはなかった。

 そんな偽物でただの贋作でしかない俺と違って、この少女は正真正銘モノホンの美少女なので、これからの事も考えるとこういったケアは必須になるはずだ。

 

「コレもいずれ自分でやって覚えるんだからな。ほら、ちゃんと前向いて」

「はい」

 

 これからどれ程の期間この少女を世話する事になるのか、そういった多少の不安を胸中にしまい込みつつ。

 少女の持つ白皙で艶めかしい肌をなるべく視界に入れないようにしながら、俺は彼女を文字通り洗濯したのであった。

 

 

 

 

 風呂と簡単な食事を終え、これからの逃亡生活に必要な物をかき集めた俺は、ひとまず白い少女を連れて地下へ避難した。

 

 机の引き出しから見つけたマニュアルのおかげで、ここから外へ出る道は事前に把握できている。

 しかし大雨に濡れて疲弊した彼女をこのまま連れ歩くワケにもいかないため、今日のところはこのまま地下で寝泊まりすることにした。

 上の階から地下へ降りる道は封鎖したものの、いつ追手が自宅を襲撃するかは分からない。明日の昼までにはここを出発しよう。

 というわけで、これからは長時間の間少女モードで外を歩かなければいけない。

 

「ハァ……どうすりゃいいんだ」

 

 ゆえに俺は変身時間をもっと長くするため、ペンダントの改造に着手していた。

 だが、当然ながら一朝一夕で出来るモンじゃない。

 最悪の場合は三時間の変身をうまいこと工夫しなければいけないことになるが……それ、かなり厳しいんだよなぁ。

 

「キィ。そこの回路、こっち」

「えっ?」

 

 机にパーツや工具を広げてペンダントを弄っていると、横からロリっ娘の手が伸びてきた。

 

「ここをこうしてこうやって」

「待て待て怪我するからやめとけって」

「できた」

「ウソだろ……」

 

 ものの数分でペンダントを弄り終わった彼女がそれを手渡してきた。

 まさか、と思いながらパソコンにそれを繋いで、変身可能時間をシミュレートしてみる。

 ……いやいや。そんなまさかね。

 

【女性フォーム持続時間:32時間】

 

 あらまぁ。

 

【インターバル:5分】

 

 俺や父さんの研究って何だったんだろう。

 

「なんてこった……問題が解決してしまった……」

「役に、たてた?」

 

 首をかしげながらこちらの様子を伺う白髪少女。

 なんてことない無表情だが、心なしか不安そうな雰囲気を感じ取れる。

 

 なるほど──と。

 俺はこの子が悪の組織に利用されていた理由を悟った。

 それと同時に、目の間にいるこの生き物が急激にかわいく思えてきて、思わず彼女を抱擁してしまった。

 

 ぎゅう~っ、と。

 

「お前~ッ!! てんっっっさいだなお前は~!!! 良い子だ!! めっちゃめちゃ役に立った! ありがとう!! これからは一生俺が守ってやるからな!!」

「ぅわっ」

「よぉ~しヨシヨシよし、いい子だなお前は。かわいいな。天才でかわいくてほっぺもプニプニとか、非の打ちどころが無いじゃねぇか。名実ともにお前が最強だ。よしよし、ぷにぷに」

「む、むぅ……」

 

 褒められ慣れていないのか、はたまた俺が人を褒め慣れていないのか、ともかく白髪少女は珍しく目を細めてなされるがままだ。撫でられてジッとするその姿は猫を彷彿とさせる。

 

「役に立てて、よかった」

「じゃあそんな優秀な子にはご褒美をあげよう。冷蔵庫にあるカスタードプリンを進呈します」

「いいの」

「おかわりもいいぞ!」

「……!」

「遠慮するな……たくさん食え……」

「あわわ」

 

 パタパタと足音を立てながら、隣の部屋の冷蔵庫へ急ぐ少女。

 現金な奴だと思われても構いやしない。

 両親に託された以上もともと守るつもりではあったが、さっきの事で俺自身にも彼女を守りきる理由が出来た。

 

 まぁ、友人をからかって遊んでいるような、クソみてぇな性格をしている俺が言えた義理ではないが。

 少なくともあんな小さくて純粋な少女を、天才という理由だけで人体実験をしているような研究所に閉じ込め、あまつさえ化け物染みた能力とかいうアタッチメントまで付与させようとしていた変態ロリコン集団に、あの子は任せられない。

 

「もぐもぐ」

 

 ベッドに座ってプリンを頬張る少女。既に一個目は完食している。食い意地が張っているところも、年相応で可愛らしいと思えた。アレが本来あの歳の、子供のあるべき姿だろう。

 

「……そういや遅くなったけど、一応自己紹介させてくれ」

「もぐ」

「俺はアポロ・キィ。母さんたちみたいに名前で呼んでくれていいからな」

「ごくん。……わかった、キィ」

「いや、だから名前……まぁいいか。で、きみの名前は?」

 

 少女が食べ終わったプリンの器を受け取り、ゴミ箱に投げ入れながら聞くと、彼女は俺の背に向かって答えた。

 

「コードネーム:純白。チエとユウキには、そのまま純白と呼ばれていた」

 

 予想通りというか、やっぱり単純な名前を与えられていたらしい。

 ていうか純白って俺の漆黒と対になってんな。こうなると俺がコイツをパクッてたってことになるのか。

 

「……で、本当の名前は?」

「えっ」

 

 彼女は研究室で誕生したのか、それとも何処かから攫われてきたのか。

 どうしてもその部分が気になっている。

 

「悪い、それより先に聞くべきだったな。何歳の頃からあの研究所にいた?」

「……九歳」

 

 今は十一だから、研究所にいた期間は二年。となると確実に誘拐されてきた子だ。俺の使命はこの子を親元へ帰らせる、というものになるわけだな。

 

「パパとママはどこら辺に住んでるんだ?」

「親は、いない。顔も知らない。ずっと児童養護施設にいた」

「……ごめんな」

「いい。聞かれるのは、慣れた」

 

 俺の使命がたった今打ち砕かれたわけだが、まだ聞いていないことがある。

 

「きみの名前は?」

「……純白」

「そうじゃない。あんな馬鹿どもに付けられた記号じゃなくて、きみの本当の名前を知りたいんだ」

「…………」

 

 彼女は下を向いたまま口を噤んでしまう。

 この光景を目にすれば、無理に聞くべきことじゃないと、普通の人ならそう言うだろう。

 だが、俺は違う。悪い意味で普通の人間ではない。

 いきなり赤の他人のズボンを脱がせようとするような、ある意味スゴイこの子の強さを信じている。

 これからの逃亡生活に何より必要なのは距離感だ。

 名前で呼び合うことは、その距離感を縮める第一歩だと思っている。レッカとだってそうだった。

 

 ベッドに腰かけている彼女の隣に座った。小さい声でも聴きとれるように。

 

「…………いつき」

「うん」

「イツキ……イツキ、フジミヤ」

「いい名前じゃないか」

「…………私は、藤宮、衣月……」

 

 昔を思い出したのか、二年間も本当の名前を呼ばれなかったからなのか、彼女の心情を読み取ることはできないが、イツキは──衣月は無表情のまま涙をこぼして泣いてしまった。

 

「よく頑張ったな、衣月。もう大丈夫だ」

「……うん」

 

 そんな弱々しく震える少女の肩をそっと抱いた。

 彼女がこの二年間で受けてきた仕打ちは察するに余りある。気休めの言葉より、今はそのまま受け止めてやる事が必要だと感じた。

 

「キィ……紀依(きい)……」

「おっと。……ん、よしよし」

 

 我慢できなくなったのか、衣月が名前を呼びながら正面から抱き着いてきた。それを受け止めつつ、とある事を考える。

 

 ここら辺の地域では、苗字は名前の後ろに来る。

 例で言うとアポロ・キィ。アポロが名でキィが姓だ。

 魔法が極端に発展した区域──特に世界から見ても屈指の魔法学園である、俺の在籍校が存在するこの大都市部などでは、魔法発祥の地に倣ってそのように名乗ることが世の通例となっている。

 

「藤宮衣月、か」

 

 しかしそうでない場所──特に魔法に乏しい辺鄙な田舎や貧困地域などでは、苗字が前に来るのが普通だ。タロウ・ヤマダは、山田太郎になる。

 元々は俺もそういった場所の出身だ。魔法学園に進学する二年ほど前に、この都市部へ越して来た。

 

 母は紀依千恵、父さんは紀依勇樹で、俺は紀依太陽(アポロ)と呼ばれていた。太陽って書いてアポロって呼ぶのは、俗にいうキラキラネームってやつだったのかもしれない。両親は太陽神のように眩く、とかなんとか色々言っていたが、自分の名前の由来には別にそこまで興味もない。

 

 話が逸れた。

 つまるところ、衣月もそういった地域の出身ということだ。同郷の友というわけでもないが、彼女の気持ちは理解できる。

 そんな遠方の地から攫われてきて、訳も分からないまま別の名前を与えられて、いざそこから逃げ出してみれば、自分とは縁遠い魔法の溢れる世界だったわけだ。急に泣き出してしまうほど、精神的に張り詰めていた理由にも合点がいく。

 

「はぁ、酷い話だ」

「……紀依は、わたしを守ってくれる、の?」

「当たり前だろ。ていうかあんなクソ馬鹿ロリコン悪の組織(サークル)集団なんか、俺がぶっ潰してやるよ」

「……シリアスな雰囲気になると、紀依はカッコつける。覚えた」

「てめっ、真面目に言ってんだぞコラ!」

 

 コイツやっぱりメンタル面では強いのかもしれない。泣き止むのが早すぎるだろ。

 ていうか俺の事を紀依って呼ぶの、もしかしてアポロって名前が横文字っぽいからか? 元々住んでた場所的にも紀依のほうが呼びやすい的なアレか。

 

「でも苗字だと距離感じるだろ。特別にポッキーって呼んでいいぞ」

「……お菓子? へんなの」

「あ、やっぱそう思うよな。ポッキーって変なあだ名だよな」

 

 俺はアイツのことれっちゃんってありきりたりなニックネームで呼んでるのに、何で俺はポッキーになったんだろう。レッカのネーミングセンスは独特だ。

 まぁもう慣れたからいいけどね。割と好きだし。

 

 さておき、今日はもう寝ることにしよう。

 明日からはもっと忙しくなる。この状況からは逃げたくても逃げられないのに、変な奴ら(ハンター)から逃げ続ける逃走中生活だ。大変だぞマジで。

 

 

 

 

『──というわけでアポロ! 公共交通機関を一切使わずに、オキナワにある秘密基地まで、なんとかたどり着いてくれ!』

 

 朝いちばんにアホみたいな電話をよこしてきたのは、TSペンダントを作った張本人である父親だ。

 今は地下通路を歩いていて、こういった場所でも連絡できるハイテクスマホに感心していたところだったのだが、そういった感情は今の一言で全て消え去ってしまった。ウチの両親は無茶ぶりすんのが趣味なのか?

 

「オキナワ。……沖縄って言った?」

『そうだ!』

「公共交通機関を一切使わずに?」

『あぁ!』

「……ここ、東京のド真ん中なんだけど」

 

 めちゃめちゃ首都圏の中心なんですけど。

 魔法が発展しすぎて名前と苗字が反対になったハイパー大都会トーキョーなんだよ。

 四国でも九州でもなく、正真正銘ここは関東なんだわ。なのにこっから飛行機はおろかバスや新幹線すら使わずに、この国の最南端まで行けとか正気か? 親父のことブン殴りたくなってきたな。

 

「わかった。迎えが来てくれるんだな」

『来ないぞ! 二人でなんとか頑張ってくれ!』

「あきらめていいか」

『エェッ!? か、母さん! なにかアポロのやる気が出る言葉を頼むよ!』

『ごめんなさい、フォローできない』

 

 いや確かにフォローできない無茶ぶりだけどアンタは頑張れよ。このままだと息子は挫折します。

 

『……その子を守れるのは貴方しかいないわ』

「そっすね。がんばりまーす」

『あ、ちょっ、あぽ』

 

 もう電話は切ってやった。どうせありきりたりな励ましの言葉しか飛んでこないことは目に見えていた。そろそろ出口だし時間の無駄だ。

 

「よしいくぜ──TS変身!」

「ぴかー。しゅう~、どんっ」

「変身完了っ!」

「ぱちぱち」

 

 口でサウンドを足してくれていた衣月の頭に、パーカーのフードを被せてやった。こいつの目立つ白髪は隠しとかないとな。

 

「いいか衣月。外では俺のことをお姉ちゃんって呼ぶんだぞ」

「わかった、お姉ちゃん」

「んふっ」

 

 言われた瞬間、なんかゾクゾクしてきちゃった。お姉ちゃんって呼ばれるの、すげぇ変な気分だ……!

 

「紀依。キモい」

「ちくちく言葉はやめるんだ」

 

 普通に傷つくので。

 

 そんなこんなで、文字通り“旅”をする準備を終えた俺たちは、さっそく地下通路から繋がる扉を開けて、外に出ていった。

 俺たちが出た先は、おそらくは学園からは離れた位置にある郊外の、人気が無い路地裏だ。

 前日と違って今日は晴天。

 雲一つない青空が広がっている。

 旅立つにはこれ以上ないほどの良シチュエーションだ。

 

 ……あぁ、そう言えば。

 

「レッカに連絡するの、忘れてたな」

「れっか?」

「俺の友達。誰よりも頼れるすげー男」

 

 昨日はコクとして別れを告げた後、アポロとしてすら一度も彼と連絡を取り合っていなかった。

 かなり早い段階で地下室へ避難したため、俺のスマホはそれからずっと圏外だったし、うちに来てインターホンを鳴らされた場合でも気づくことが出来なかった。

 

 どれくらいの期間かは分からないが、しばらくは会えなくなるんだ。そこまで仲が深くないヒーロー部の面々はともかく、レッカにはその事を連絡しておきたい。

 電話するんだから男にも戻っておいた方がいいか。一旦地下通路に戻ろう。インターバルも五分だけだしすぐに済む。

 

「変身解除っと」

「……地下に戻ってから解除した方が、よかったんじゃないの」

「あ、やべっ、急いで戻るぞ」

「ポンコツ……」

 

 大変なことに気がつき、焦って衣月をグイグイ押しながら、扉の先に戻ろうとして──

 

 

 

「ちょ、ちょっと! あのっ!!」

 

 

 

 その時だった。

 俺の背後から──聞き覚えのある、少女の声が聞こえた。

 恐る恐る後ろを振り返ると、そこにいたのは。

 

「……き、キィ先輩? なにやってんスか……?」

 

 いかにも忍者っぽい恰好をした、長いマフラーが特徴的な女の子。

 

「…………オトナシ、ノイズ……」

 

 先日美少女になって学園へ足を運んだ時に、気配を消していたせいなのか、唯一その姿を見つけることが出来なかった少女。

 レッカを想い慕うヒーロー部のメンバーの中の唯一の下級生にして、現代を生きるニンジャ少女。

 

 オトナシ・ノイズであった。

 

 よりにもよって、ヒーロー部の中で最も活動範囲が広域な存在(ニンジャ)に、俺が変身解除するところを見られてしまったワケだ。

 

「い、いまっ、女の子から、先輩の姿に……? たしか、コクって子でしたよね? え、どういう……」

「オトナシ!」

「ひゃいっ!?」

 

 ……こういう初歩的な失敗をするのが、俺の悪い癖だというのは、十二分に理解できた。本当に改めるべき悪癖だ。

 しかし、ここで後悔に駆られて何もできないのはもっとマズい。

 さっそく正念場だ。

 俺のアドリブ力が今この場で試される時が来てしまったようだな。

 

 まず、こういう場において必要なのは──シリアスっぽい雰囲気だ。

 

「緊急事態につき、単刀直入に聞かせてもらう。お前、学校サボってここで何をしてる」

「え、えっと、キィ先輩を探してたんです。昨日の深夜、キィ先輩の家が何者かに破壊されて……んでその何者かと、ウチらが戦闘をしまして。それで、やっつけた後に倒壊した自宅を見ても誰もいなかったから、ウチら部員に先輩を探すよう、レッカ先輩が……」

 

 マジで? 昨日俺たちが寝てた時、その真上でバトってたの? 全然気づかずスヤスヤでワロタ。

 ……いやいや、冗談じゃねぇぞ。地下室ってそんなに音や衝撃を遮断する機能備わってたのかよ。そんな事になってたんなら、もっと早く逃げたのに。

 

「あの、何はともあれ見つかって良かったっス。とりあえずレッカ先輩に連絡しますね」

「いやダメだ」

「えっ」

 

 なんとか頑張ってポーカーフェイスを保ちながら、頭ん中を必死にこねくり回して、彼女に必死の説得を試みる。

 いま、確実に人生で最大と言えるほど、緊迫感のあるシリアス顔をしてると思う。がんばれ俺。

 

「お前が見た通り、漆黒の正体は俺だ。俺があの少女に変身していた」

「ど、ドン引きっす……」

 

 だよね……。

 

「どう思われようが構わない。全てはこの少女を守る為だったんだ」

「……その子は」

「ライ会長から聞いてないか?」

 

 賭けだっ!! お願いです会長!! みんなに情報共有していてください!!!

 

「も、もしかして、部長が言ってた“逃げ出した実験体”って……!」

 

 っしゃあ!!!

 

「レッカたちヒーロー部は、良くも悪くも人の目に付きやすい。情報の拡散が致命的なこの状況だと、頼れるのは隠密行動に優れた忍者であるお前しかいないんだ、ノイズ。……いや、オトナシ」

「……っ!!」

 

 スゴイ。あの子、驚きつつもシリアス感のある真面目な顔になった。割と話を聞いてくれる子で助かったわ。

 

「秘密を知ったのがお前で良かった。頼む、全てを秘密にしたまま、俺と一緒に来てくれ」

「っ……それは、レッカ先輩を裏切ることになります」

 

 うぐっ。あいつに惚れ込んでるヒロイン相手に、この提案は厳しいか……?

 正直『秘密は黙ってる』と言われても信用できない以上、この場でオトナシを返したくない。人を疑いすぎるのは良くないが、レッカの事を好いているのなら、あいつに対してだけは口が軽くなる可能性が大いにある。壁ドンされながら自白強要でもされたら、十中八九ゲロってしまうはずだ。

 

 頼むぞ後輩。おねがい──!

 

 

「……でも、その子がまた悪の組織に捕まったら、世界が大変なことになっちゃうんスよね」

 

 

 ──おっ?

 こ、これは確変演出か……?

 

「市民を守るのがヒーロー部の使命。……世界そのものが終わっちゃったら、話にならないです」

「オトナシ……」

「わかってますよ。忍者が秘匿情報をペラペラと喋るわけないでしょ」

「オトナシぃ……!」

「どこまで手伝えばいいのか、ちゃんと教えてくださいね。……先輩」

「オぉトナシャアァ……ッ!!」

「さっきからうるさいっスよ……」

 

 おめでとう! こうはいのニンジャが なかまになった!

 

 

 

 

 それから約十分後。

 オトナシが捨てたデバイスのGPSを追って、彼女を除いたヒーロー部の全員が街外れの、建設途中の大橋まで駆け付けた。

 なるべく急いでその場を離れたのだが、どうやら彼らの追跡能力を侮っていたようだ。

 

「──コクっ! 待て!!」

 

 建設中の大きな橋は二つに分かたれていて、それを繋ぐ中央の道が存在しない。

 まるで谷底のように、途中で断絶されているのだ。

 

「……レッカ」

「お前……いい加減にしろ!」

 

 橋の向こうから親友の声がする。息が上がっていて、汗だくだ。相当急いでこの場に駆け付けたのだろう。

 他の少女たちも焦燥の──いや、苛立ちや敵対とも取れる表情で、こちらを見つめている。なんならこのまま殺されてしまいそうな眼力だ。

 

 こちらはパッと見で、コクに変身した俺一人。

 衣月は透明マントを使った状態で隣にいて、オトナシも忍者らしく橋の真下に張り付いて待機している。

 何かあったときは彼女にサポートしてもらう手筈だ。

 

「おまえ何を隠してる!? どうして急にあんな事を……アポロがいなくなった事と、何か関係があるのか!?」

「……ごめんなさい」

「そうじゃない、答えになってない……!」

 

 これまでに無いほどレッカは怒っていて、尚且つ焦っていた。

 偶然衣月の事が重なったとはいえ、こうなってしまったのはほとんど俺のせいだからか、大きな罪悪感が胸中で燻る。

 

「レッカくん、話しても無駄だよ! 私が捕まえるからっ!」

 

 横から出てきたコオリが、俺を捕まえるつもりで、氷の魔法を放ってきた。

 氷で生成された巨大な人間の右手がこちらへ向かって、猛スピードで迫ってくる。

 

「ハッ──」

 

 しかし、その氷の手が俺を捕まえる直前で、橋の下からオトナシが飛び出てくる。

 彼女の駆使する音魔法とクナイを合わせた技によって、コオリの魔法で作られた巨大な右手は、粉々に砕け散ってしまった。

 

「オトナシっ!?」

 

 スタっと俺の隣に着地するオトナシ。

 相殺した魔法の衝撃が強すぎたせいか、透明マントが吹き飛ばされ、隣にいた衣月も露わになってしまう。

 ヒーロー部全員の前に、即席で作った三人の美少女チームが姿を現す事となった。

 

「どっ、どうしてオトナシが……? それに、その少女は──」

「申し訳ありません、レッカ先輩。今は事情を話せないッス」

「なに、言って……」

 

 狼狽えて一歩後ずさるレッカ。

 魔法を砕かれたコオリ、隣のヒカリやウィンド姉妹たち四人も同様に困惑したものの、中央にいるライ会長だけは、真剣な表情のままこちらを見据えていた。

 ぶっちゃけあの人にはどこまで知られているのか分からない。勘違いをしているのかもしれないし、わざと知らないフリをしている可能性もある。さすが生徒会長兼ヒーロー部の部長といった所か、どこまでも読めない人だ。

 

 だが、そんな事には構わず、主人公さんは俺たちに向かって問いかける。

 

「コク……この際、きみの正体は問わない」

「……」

「けどこれだけは答えてくれ。……アポロは──オレの親友はどこだ!? 知ってるんだろ!!」

 

 一人称が崩れるほどの迫真の叫びだ。正直ひるんでしまった。

 ……よく考えたら、レッカ視点から見たこの状況、ちょっと俺が隠しヒロインっぽく見えてるんじゃね──と考えた思考は吐き捨てる。流石にここまで追い詰められた状態だと、美少女ごっこに思考を割いている場合ではない。外での少女姿を強要されてる以上、もはやごっこじゃなくなり始めてるし。

 

 すべてを打ち明けて楽になりたいが、衣月のことを投げ出すわけにはいかない。

 だから俺はまだ嘘を隠し通すのだ。

 アイツがちゃんと俺を止めてくれる、その日まで。

 

「──私が生きている限り、アポロ・キィは死なない」

「…………は?」

「抽象的な意味じゃない。……いずれ、話すときが来る」

 

 それだけ言い残して俺が指で合図を鳴らすと、ウチの忍者が煙幕玉を下に投げつけた。

 灰色の煙が一気に充満し、その隙に俺は風魔法を使い、二人を浮かせる。

 

「二人とも、行くよ」

「うん。……音無(おとなし)

「大丈夫っすよ衣月ちゃん、しっかり掴まっててください」

 

 音無が衣月を抱えたところで、三人で一斉に空へ飛び上がり、大橋から離れていく。

 かなり目立つし魔力も大幅に消費してしまう撤退方法だが、あの場所から移動するためには、この手段しか残されていなかった。

 

 よし、これでひと安心──

 

 

「コクぁぁァッ!! 待てェェェッ!!!」

 

 

 ってなんか来てるゥーッ!!?

 

「ちょちょちょッ! レッカあいつ、飛べるようになってたのかよ!?」

「ヤバそう」

「あはははっ! さすがレッカ先輩ッス!!」

 

 笑ってる場合じゃねぇよ冗談抜きでやべぇ。

 主人公の底力マジで計り知れない。

 俺がアイツの前で何回も空へ消えていったせいなのか、その退散方法を学習したレッカが、両手から炎を大量に放出しながら飛行する方法を編み出して、煙幕を突き抜けて追いかけてきやがった。何だよあれアイアンマンかよ。

 

「散々振り回しやがって! 洗いざらい吐かせてやる!!」

「それ主人公の言うセリフじゃねぇッ!! わっ、うわわうわうわっ、くるなぁァァ!!」

 

 

 あまりにも予想外なお空での鬼ごっこが開始されてしまい、前途多難であろう道のりを嫌でも思い知らされる、最悪な旅路の一日目が早速スタートしたのであった。

 

 




朽木_様からポッキーとコクのイメージイラストを頂きました ありがとうございます

【挿絵表示】


悪そうな顔とか虚ろな目がとてもすき


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初心を忘れず

 鬼の形相で追いかけてきたレッカを、なんとか振り切ってから二日後。

 

 俺たちはとある片田舎の空き家で休憩をしていた。

 追いかけられたあの時は、何故かライ会長が電撃魔法で横やりを入れてきたおかげで助かったのだが、やはり彼女の真意は読めない。

 とりあえず俺たちはこの田舎の町で、改めて長旅をする準備を済ませることにした。

 

 ……あ、周囲の偵察に行ってた音無が帰ってきたな。

 

「ただいまッス。ひとまず敵影はありませんでし──」

 

 ここで衣月がやりたがっていた『イタズラ』を発動だ。

 

「「せーの、いらっしゃ~い♡」」

 

 玄関から入ってきた音無の両端から、女の俺と衣月が同時に、耳元へ向かって甘い声で囁いた。

 

「…………心臓が止まるかと思いました」

「いま音無、おどろいた。……紀依、イタズラは成功?」

「おうバッチリだ。イタズラを覚えたことで、更に世の中への見識が高まったな、衣月」

「うれしい」

 

 やった~、と抑揚の無い棒読みで喜びながら、両手を挙げてポテポテと部屋の中を歩き回る衣月。

 移動の際に邪魔になるかと思って結っておいた、白髪のポニーテールが上下に跳ねている。まるで無表情な顔の代わりに、感情の起伏を表現しているかのようだ。

 

「……ちょっと。先輩」

「な、何ですか」

 

 後ろから袖を引かれた。心なしか声音が低い。

 音無さん、もしかして怒ってらっしゃる……?

 

「衣月ちゃんに変なもの覚えさせんの、もしかして趣味なんすか?」

「そ、そうじゃなくてだな……衣月のやつ、これまでイタズラした事なかったらしいから……あっ、ほら、ちょっとした茶目っ気だよ。なっ、ゆるして♡」

「うわぁ……」

「何だよ」

「引くッス」

 

 もはや俺の正体を知っている後輩に対しては、少女モードで媚びても無意味だという事が判明してしまった。かなしい。

 ほぼ巻き込む形で半強制的に連れてきたわけだし、音無から見た俺への好感度、もしかしたらマイナスの方に振り切っている可能性もあるな。仲良くしたいところだ。

 

「それで先輩、これからどうするんですか。まだ神奈川っスよ」

「あー、今日と明日はこの田舎でのんびり準備するよ。衣月の体力も考えて、遅すぎず、急ぎ過ぎない程度で旅しようぜ」

「呑気だなぁ……」

 

 張り詰めてたってしょうがないからな。俺や音無はともかく、衣月はまだ幼い。小5とはいえ研究所で拘束されていた分、精神の成長も遅れているんだ。

 多少は衣月が楽しいと思えるような旅にしてやりたいと考えている。あいつが笑ってくれれば俺としてもメンタル的な意味で助かるしな。

 

「じゃあ俺昼と夜の分の飯、買ってくるわ。携帯食と移動手段の確保は明日で」

「移動手段って……車ですか?」

「それしかないだろ。運転した事ねぇけど、がんばる」

 

 少ししかない胸を張って答える。免許は持ってないが、俺には両親に託されたハイテクなスマホがあるんだ。運転方法なんてググればちょちょいのちょいだぜ。後輩にカッコいい所みせてやる。

 

「そういう事ならウチが運転しますよ」

「えっ」

「ジェット機とかあまりにも特殊なヤツじゃなければ、大抵の乗り物は扱えるッス。車程度ならお手の物って感じで」

「なにそれ……」

 

 後輩にカッコいいとこ見せられなかった。泣いた。

 

「え、なに、ハワイで親父に習ったとか?」

「ウチ、忍者なので。ふふん」

 

 ニンジャすげぇ……。

 まるでドヤ顔が気にならないくらい感心した。

 

「俺もなろうかな、ニンジャ。にんにん」

「あれ、もしかして馬鹿にしてます?」

「いやぁ流石だぜ。マフラーが異様にデカいだけの事はあるよな」

「マフラーの大きさは関係ないでしょ!」

 

 そこまで寒い季節でもないのに、マフラーを常備しているヘンテコな後輩に留守を任せ、俺は隠れ家を後にした。

 行ってきます。にんにん。

 

 

 

 

 で、こういった田舎に住む人々の生活を支えている、この地域で一つしかないスーパーに訪れたところ。

 

「……コク?」

「こんにちは」

「えっ。……こ、こんにちは」

 

 

 あ! やせいのレッカが あらわれた!

 

 

「──まさか、こんなに早く会うとはね……」

「ホントだね」

 

 とりあえず話は後に回して、お互いに買い物を済ませてから数分後。

 食材の入ったレジ袋をプラプラさせながら、俺はレッカと二人で、見るからに廃れた商店街を歩いていた。

 マジでド田舎な場所だけど空気がウマい。

 めっちゃ大都会の中心にある学園にいた頃とは大違いだ。心なしか気持ちが安らぐし、なんならレッカも無表情だけど目は穏やかだ。

 

 まるでいつもの休日に二人で散歩をするように、車通りが全くない道路の端を歩く。

 

「コク、この前はすまなかった。少し気が動転していたんだ」

「あれが当たり前。こちらこそ、何も言わずに去ってしまって、ごめんなさい」

 

 お互いに自分の非を認めて、歩きながら謝罪をする。

 たぶんレッカに非はないと思うけど。マジで色々とごめんな。

 

「レッカはどうしてこんなところに。学園は」

「部員が一人、謎の美少女に連れていかれたんだよ? 授業なんか受けてる場合じゃないでしょ」

 

 その節は本当にお騒がせいたしました。あの後輩ちゃんすっごく頼りになります。

 

「でも、理由はもう一つあるんだ」

 

 なんだろ。

 

「悪の組織から放たれた刺客が君たちを追っている。狙いがコクなのか、あの白い少女なのかは分からないけど……」

「もしかして、私たちを守るために?」

「勘違いしないでくれ。きみたちに同行してるオトナシを守るためだ」

 

 わぁ~! ツンデレっぽいセリフだぁ~~!!

 しかし確かにツンデレっぽいセリフなんだが、状況を鑑みるとガチの可能性もあるんだよな。コクに対しての好感度ってどうなってんだろうか。

 

「僕らはオトナシを奪還して、君たち二人も保護するつもりだよ。……できれば協力して欲しいところだけど」

「無理。あなた達と一緒に居て目立ってしまうと、ヒーロー部だけでは対処できないほどの、組織が手を回した大勢の人間から一気に狙われることになる。加えて警察の上層部には組織のスパイもいるから、最悪の場合は警察全体も相手取ることになって、ヒーロー部全員がお尋ね者になる可能性も捨てきれない」

「……スパイに、情報操作の可能性……大変な事態になってるな」

 

 隠すべき秘密はそのままにするが、共有した方がいい事実はどんどん教えていくつもりだ。

 この旅時においては、レッカたちヒーロー部は壁であっても敵ではない。共通の敵である組織の情報は互いに知っておいた方がいいだろう。

 

「……部長に言われてようやく気付いたよ。きみは、ヒーロー部を争いから遠ざけるために、あぁ言って僕の前から姿を消したんだな」

「…………」

 

 な、何の話です……? ライ会長どんな説明したん。

 一旦そういう事にしといた方がいい感じなのかな。

 

「いや、あの白い少女の為か。……それにしたって不器用すぎないか? 事前に言ってくれたら、何だって協力するのに」

「違うし。未来、見えてるし。レッカのことなんか嫌いだし、勘違いしないで。わぁ、殺される」

「おいおい……」

 

 割と勘が鋭いタイプなのか、ガバガバな嘘は割と早い段階でバレるらしい。未来が見える云々は、この様子を見るに半分くらい信じてなさそうだ。あえてバラしたりはしないけど。

 

「レッカ、あそこのベンチで、少し休もう」

「うん」

 

 俺は自販機でジュースを二本買い、ベンチに座っているレッカに向かって、片方を投げた。

 

「ほれ」

「んっ」

 

 やはりというか、しっかりキャッチするレッカ。いつも通りだな。

 

「……コク。買ったジュースを投げて渡すの、ポッキーの真似か?」

「えっ」

 

 やっべ、すげー普通にアポロムーブしてたわ。

 別にこれくらいなら大丈夫だろ。俺とコクは知り合いの設定だし。

 

「そ、そう」

「ハァ。きみの様子を見るに、あいつも元気そうだな。どうせ連絡は取り合ってるんだろ」

「……レッカ、なんか落ち着いてるね」

 

 数日前の激昂してたアレから想像できない程に冷静だ。

 もしかしたら俺に謎の美少女ムーブで引っ掻き回されすぎて、いろいろと慣れてしまったのかもしれない。

 

「一歩離れた位置から」

「……?」

「冷静に俯瞰して物事を見ろって意味。そうしろって部長に説教されたんだ。……僕もまだまだ未熟だったよ」

 

 どうやらここ最近の出来事やライ会長とのイベントも相まって、普通の巻き込まれ型ラノベ主人公から、一皮むけて成長したらしい。

 

「それじゃあ俯瞰しているレッカは、これから何をすればいいか、見通せているの?」

「ただ闇雲に逃げているようには見えないし、恐らくキミたちには目的地がある。だから護衛というわけではないけど、そこにたどり着くまでは、キミたちを付け狙う敵は僕たちが相手取るよ」

 

 おいおいおい一皮むけて成長どころじゃねぇぞ。めちゃめちゃ有能キャラになってんじゃん。お前だれだよ。俺の知ってるレッカは、米を炊くときに水の分量を間違えておかゆを作っちゃうようなヤツなんだぞ。あのポンコツを返せ。

 

「……その代わりと言ってはなんだけど、ポッキーを返してくれ」

「返せ、と言われましても」

「居場所や連絡先を教えてくれるだけでもいい。親友に会いたいんだ」

「…………」

 

 し、親友だなんて照れるぜ、ばかやろーめ。目の前にいるわあほ。

 正面切って親友って言われたせいか、ちょっと顔が熱くなってきた。やめろよ、俺がチョロいみたいじゃん。ぶっ飛ばすぞおまえ。

 どうしようこれ、コナンくんみたいに正体を隠しながら電話で知り合いに生存報告をする流れか?

 

「……彼は今、安全な場所にいる。けれど、連絡を取り合うことで場所が割れてしまうと、逃げ場がない」

「でもコクは連絡しているんだろ?」

「頻繁に話しているわけではない。彼とは心が通じ合っているから、お互いにやるべき事は常に理解している」

「心……」

 

 心が通じ合っているというより、二人で一人だからな。てか一人だわ。理解してて当然と言える。

 

「……き、聞いていいかな?」

「なに」

「その、二人って……つ、付き合ってんの?」

「ブフッ」

 

 思わずジュースを吹き出してしまった。

 何だその質問中学生かよ。面白過ぎるわ。

 

「げほっ、ごほ! ……っぅ゛ぁ……はぁ、もしそうだったら?」

「やっぱり何でもない……」

「レッカ、かわいいね」

「何だよ急に!?」

 

 突然有能なキャラになったかと思ったが、年相応な部分があっさり出てきて安心した。やっぱ変わってないわコイツ。

 

「物理的に不可能だから、安心して」

「なにその言い訳……ていうか、別に二人が付き合ってようが僕には関係ないし」

「じゃあどうして聞いたの?」

「うっ」

 

 やばいマジでニヤつく。その弄りやすい反応やめてくれ。楽しくなっちゃうから。

 ハーレムはおろかヒロインすら居ない俺が、お前の先を越すことは絶対にないから安心しろよ。

 

「……ポッキーの連絡先は教えてくれないんだな?」

「私からも連絡はしていない。あっちが大丈夫だと判断した時に限り、非通知で繋がってくる。だからレッカの方にも、近いうちに連絡が来ると思う」

「そうか……それなら、いいけど」

 

 こんな俺の事を心配してくれるレッカに感謝しつつ、飲み終わったジュース缶をゴミ箱に投げ入れた。そろそろ帰ろうかね。

 あと、明日にでも男の状態でレッカに電話してやるか。生存報告的な意味も含めて。

 

「そうだコク。これ、ジュース代」

「いい。さっきのはあなたへのお詫びだから」

「お詫びって……」

「すべてが終わったら全部話して、贖罪として何でも言うことを聞く。だからそれまでは、もう少し──秘密にさせて」

 

 そう言って僅かに微笑む。

 デフォルトが無表情なコクとしては珍しい微笑を見せたせいか、レッカは目を見開いて驚いた。

 久しぶりに美少女ごっこをした気がする。……何かもう少しやりたい気分があるな。

 

「……コク。きみは──」

 

 言いかけた瞬間、レッカのスマホが着信した。

 それに応答した彼は、真面目な表情に切り替わる。

 

「……はい、了解です。すぐに向かいます」

「どうしたの」

「部長から。この町の入り口付近にあるコンビニで、怪人が現れたらしい。しかも子供を人質に取ってるって」

「……なら、私も行く」

「へっ?」

 

 俺の提案にレッカは素っ頓狂な声を上げた。

 ここらへんで一度共同戦線を張って、コクの好感度を上げておきたい気持ちがある。

 わざわざ謎の美少女に変身して、この物語に割り込んできた者として、そこには譲れない信念があった。

 

「私が死角から魔法の矢で、怪人を攻撃する。それで隙が出来た瞬間、レッカが子供を救出して」

「大丈夫なのか?」

「顔はフードで隠す。それにここで子供を見捨てたら、オトナシに顔向けできなくなる」

 

 後輩に顔向けできないってのは本当だ。協力してもらってる以上、アイツができない分のヒーロー活動はなるべく代わりに俺がやる。

 

「……ちゃんとオトナシの事、考えててくれたんだな。嬉しいよ」

「うん。でもレッカのヒロインなのに、いつの間にか奪っちゃってゴメンね?」

「言っていい事と悪いことってのがあるんだぞ」

「寝取りだぁ~、ざまぁみろハーレム男~」

「ケンカ売ってるんだな……?」

 

 レッカのハーレム事情を逆手にとって弄り倒すとかいう、まるで男の姿だったときの様なダル絡みをしつつ。

 早急に現場へ駆けつけ、見事なコンビプレーで子供を救出し、ついでに怪人もやっつけたのであった。俺たち二人が手を組めば、勝てない敵などいないのだ。

 

 

 

 

 帰宅。

 

「「せーの、いらっしゃ~い♡」」

 

 そして玄関に入った瞬間、後輩による反撃を受けた。

 

 

「……心臓止まった」

「ウチの気持ちわかりました?」

「ごめんなさいでした」

 

 心の底から謝罪しつつ、心臓がバクバクしたまま買い物袋を床において、ようやく気がついたことがあった。

 音無が制服の上からエプロンを着けている。

 元々ブレザーを着ない身軽なスタイルも相まって、なんだか異様に似合っていた。

 

「先輩があまりにも遅いんで、ありあわせでお昼作っちゃいました。衣月ちゃんはもう食べ始めてるッスよ」

「おう、わり。作ってもらっちゃって」

「昼食くらい別に。ともかく無事で何よりッス。レッカ先輩を手伝うのもほどほどにお願いしますね」

「うす」

 

 レッカとの寄り道に加えて、怪人との戦闘もあったワケだから、帰る時間が大幅に遅れるのも当然であった。

 くっ、後輩に飯を作らせてしまうとは、先輩としてあるまじき不覚。こうなったら意地でも明日のお弁当のおにぎりは俺が作るぞ。

 

(あるじ)のサポートをするのも忍者の役目ッスからね~」

 

 俺の分のナポリタンを皿に盛りながら、何でもないように呟く音無。

 待て待て。

 その言い方だと俺がお前の主様ということになるが? 何か興奮してきたな。

 

「特別にご主人さまって呼んでくれてもいいぜ」

「は? いやです」

「ニンジャだからもっと和風な方がいいのか……あっ、お館様だ!」

「そういう問題じゃありませんから」

 

 エプロンを外した音無も衣月の隣に腰を下ろし、三人で食卓を囲んだ。

 ボロボロの空き家で、小さなテーブルに三人分の料理を乗せて食事をするの、いかにも逃亡生活中って感じで逆にちょっと楽しいな。

 

「いただきます」

「もぐ。きい、おふぁえいなはい」

「こーら衣月ちゃん、口にモノを含んだまま喋らないの」

「んぐ」

 

 衣月の口の端に付いてるケチャップを、甲斐甲斐しく拭き取る音無のその姿は、なんだか姉妹みたいだ。

 なにより二人とも美少女ということもあって、いま視界が幸せなことになってる。眼福眼福。

 いやぁ戦闘の後は目の保養に限りますわ。

 

「先輩。ニヤついた顔、キモいっすよ」

「え、そんな顔してた?」

「ミステリアスな女の子がしていい顔じゃありませんでした。鼻の穴が広がってたし」

 

 うわ、気をつけよ……。

 でも音無ちゃんも、チクチク言葉はいたいいたいだから、やめようね。普通に傷つくからね俺。

 

「……ナポリタンうまっ。え、音無もしかして料理めちゃめちゃ上手いヒト?」

「なんでそんな意外そうな顔なんスか。普通できますよコレくらい」

「普通の基準が高すぎるだろ……やばコイツ……」

 

 ちくしょう、料理上手でマウント取るつもりだったのに、先輩の威厳を見せよう作戦が台無しだ。

 このニンジャ何でも出来るじゃねぇか。俺の立場が無いぞ。

 

「紀依、よわい」

「あー悪口だ! 音無のせいで衣月が悪い子になっちゃったじゃん! 責任取れ!!」

「ウチのせいじゃないでしょ! ウチに会う前から衣月ちゃんにポンコツって言われてたの忘れたんすか!」

 

 こいつ、あんな些細な会話まで聞こえてやがったのか……。どんだけ耳が良いんだ。すごいぞ。

 レッカのハーレムメンバー、この音無だったり主人公に説教するライ会長がいたりとか、有能な人材が多すぎるだろ。普通にズルい。

 

「この野郎……だいたい何だよこのナポリタン! おいしいぞ!!」

「マズくて悪かっ──え? ちょ、あのっ、紛らわしいキレ方するのやめてもらえます?」

「紀依、うるさい」

「すいませんでした……」

 

 衣月にガチトーンで怒られたので、そろそろ静かにしよう。こわかった……。

 

「ちなみに話は変わるんだが、音無はレッカにご主人さま呼びするように言われたら、やんの?」

「先輩? あんまり茶化すと裏切りますよ……?」

「申し訳ありませんでした」

 

 今のは本気と書いてマジと読む類の脅しだった。てか今日だけで俺、何回くらい謝罪したんだろう。

 俺の言葉がどんどん安くなっていくぜ。

 

 

「──んっ」

 

 

 気を取り直してナポリタンを頬張っていると、音無が俺を見て何かに気がついたような顔をした。

 オイ待て、口の端に付いたケチャップくらい自分で拭くぞ。付いてないと思うけど。

 

「すいません先輩、ちょっと動かないでもらえますか」

「えっ、なに?」

「いいッスから、そのまま」

 

 わざわざ俺の隣に来て、ジリジリと距離を縮めてくる音無。本当に何事ですか、怖いんですけど。

 ま、まさか音無はレッカのヒロインのフリをしていて、実は百合派だった可能性が……? しかしどうして食事中に発情を!

 

「ジッとしててください」

「やっ、やめてぇ……」

 

 今の俺は女姿だ。このままだとグッチョグチョに犯される──!

 

「……取れた」

「なにが……?」

 

 凄い近くまで迫ってきて女の子特有の良い匂いで俺が倒れそうになった瞬間、彼女が俺の肩から何かをつまみ取った。

 指の間で持っているそれに注目してみると、なにやら怪しげな機械だという事は分かったが、その正体にはてんで見当がつかない。

 

「何それ」

「これ、探偵が使うような小型のGPSですね。……()()()()()()()、誰かにバレました」

「ウソでしょ」

 

 いつのまにィ!?

 

「レッカ先輩が部長の指示でやったか、もしくはスーパーで何者かに付けられたか……何にせよ、もう居られないッスね、ここ」

 

 マジかよ。もう少しここでのんびり休憩するつもりだったのに。車だってまだ調達してないんだぞ。

 

「紀依、音無。準備、できた」

「早すぎない?」

 

 気が付けばデカいリュックを背負った衣月が、玄関で靴を履いて待機している。

 ここを離れるの個人的にはアイツが一番ゴネると思ったんだが。

 えぇい、どいつもこいつも強かな女だな。俺も隠しヒロインとして、負けてられねぇぞ。

 

「俺の探知能力にはまだ引っかかってない! コレ食ったら出発すんぞ! ガツガツ」

「この場で一番食い意地が張ってるのは先輩だってこと、自覚してくださいね」

「ウ゛ッ! げほっ!」

 

 むせた。水ください。

 

「ゆっくりでいいッスから。ちゃんと噛んで食べてください」

「紀依、まるで子供……」

 

 ママみのある後輩に水を渡され、食うのが早すぎるロリっ娘に哀れむような視線で見つめられながら、俺はいつまでも給食が食べ終わらない小学生のような肩身が狭い気持ちで、昼食を胃に叩き込むのであった。

 はい、ごちそうさまでした。

 

 




なななんと朽木_様に本作のイラストをもう一枚頂いてしまいました 一日一万回感謝の正拳突きをさせて頂きます

今回はクソデカマフラー後輩ニンジャことオトナシさんです


【挿絵表示】


黒手袋の解釈一致度合いが凄くて笑顔になっちゃった


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ポッキー・本能の覚醒


朽木_さんより白いロリっ娘ことイツキちゃんを描いて頂けましたのでご紹介です ありがとうございます

【挿絵表示】


ポニテと口みたいな栗がチャームポイントです 無垢にぴょこぴょこ飛んでそうなイメージがとても解釈一致ですね もしや脳が覗かれている可能性が微レ存……?



 

 

 

 

 田舎町を出発した翌日のこと。

 

 端的に結果だけを言うと、私たちは県境の森の中で、俗に言う組織の手先という連中に見つかった。

 

 キィ先輩も探知能力を使って慎重に進んでいたのだが、ヘリコプターを使った空からの監視と襲撃には対応できず、木々を隠れ蓑にしながら行動することを余儀なくされている。

 

 先輩が変身しているコクの姿は相手方にはバレていないはずだったものの、何やらその姿を知っている存在が居たらしく、その人物の報告によって包囲されてしまったという流れだ。

 

 森全体には巨大なバリアを張られており、中から出ることも外から入る事も叶わない。

 敵の援軍こそ来ないものの、逆に言えば味方の増援にも期待はできないという事だ。

 

 庇護対象である衣月と手を繋ぎながら、先行して進んでいるコク姿の先輩の後ろを、離れた位置から付いていく。

 

「紀依、だいじょうぶかな」

「ずいぶん先に進んじゃってますね、先輩……」

 

 俺が探知しながら進んで安全を確保する──と言って聞かない先輩は、かなり神経を研ぎ澄ませながら、私たちのかなり先を進んでいる。

 

 まさか変身した自分の姿を知っている人間がいるとは思っておらず、動揺してしまっている、というのは見て分かった。

 だからこそ必要以上に警戒して、私たちを守ろうとしているのだ。

 

 ……コレくらいの包囲なら、私の潜伏スキルと先輩の探知能力で、バリアを張っている大本を叩くことも可能なのだが。

 自分のせいでピンチになってしまったと思い込んでいる先輩は、必要以上に私たちを守ろうとしてしまっている。

 

 より慎重に行動しているワケだから、何も悪いことではないのだが、やはり気を張り詰めすぎているその姿を見ていると心配だ。

 

「こりゃ、絶対に怪我なんて出来な──」

 

 緊張しすぎて逆に足元がおろそかになってしまったのだろう。

 怪我なんてできないな、と言いかけたその瞬間、私は絡まったツタに足を引っかけて──転んでしまった。

 

「いだっ!」

「あわわっ」

 

 私が転倒したことで、手を繋いでいた衣月も釣られて、地面と頭をごっつんこ。

 

「ひてて……ご、ごめんね衣月ちゃん」

「だいじょうぶ。……あ、音無、血が出てる」

「えっ。……うわ、手元に石があったのか。手袋も破けて、手のひらに傷が……」

 

 転んだ先に小石があったらしい。衝撃を和らげるために地面へ手を突けたのだが、運悪く小石で手のひらを少しだけえぐってしまった。

 

 大して痛みはないものの、常備している黒い手袋が破けてしまい、無駄に出血もしてしまっている。見た目だけで判断したら惨事だ。友達に保健室へ連れて行ってもらう程度の。

 

「わっ、衣月ちゃんもおでこに傷が……。ごめん、すぐに手当てするね」

「痛くないよ?」

「ちょっと血が出ちゃってるから。とりあえずハンカチで──」

 

 私も衣月も、冷静に観察すれば転んでケガをしたのだと、すぐに判明する程度の軽傷だ。いや、かすり傷といっても差し支えない。

 だから持っているハンカチやティッシュで軽く拭いて、水で流したら絆創膏を張って終わり。

 

 ……の、はずだった。

 

 

「──ッ!? 音無! 衣月っ!?」

 

 

 私たちが立ち止まって座り込んでいることに気がついた少女先輩がこちらへ駆け寄ってくる。

 

「二人ともだいじょっ……」

「あはは、ごめんッス先輩。ちょっとドジっちゃって」

「紀依。心配、無用」

「…………」

 

 私たちの前まで戻ってきた先輩は、なぜか絶句したように口が半開きだ。

 忍者なのに転んでケガをした私に対して、ちょっと失望しているのかもしれない。情けない限りだ、ほんとに申し訳ない。

 

「…………俺の、探知能力は……ゴミだ」

「っ? 先輩?」

 

 何やら小声でボソッと呟いたようだったが、リュックから救急セットを取り出そうとしていたせいで、うまく聞き取れなかった。

 先輩は膝を折って私と視線を合わせ、肩を掴んで頭を下げた。何だ何だ。

 

「すまない音無」

「えっ……いや、先輩が謝るようなことでは」

「……俺は、どこか浮かれていたんだ。この非日常を楽しんでいたのかもしれない。衣月の運命を背負って、お前を仲間にして、レッカの様に戦いの中に身を置く特別な自分に酔っていた。まるで主人公にでもなったのかと錯覚していた」

「あ、あのー……先輩?」

 

 全然話を聞かなくなってるんだけど。何だこの状況。

 先輩が自分の胸を押さえて、苦しそうな表情をしている。てか悔し涙みたいなのも出てるし。

 

「その驕りが……お前と衣月に傷を負わせた……っ! 俺は自分が許せない! ()()()()()()()()()()()()を、俺は最後まで感知できなかった! 神経を張り詰めていたはずなのに、心の根底には気の緩みがあったんだ! すまない、本当にすまない……っ!」

「い、いや、先輩。このケガは別に」

「お前たち二人はこの木陰で隠れてろ! ヤツらは一人残らず──俺がぶっ潰す!!」

「おーい、先輩ってば」

 

 何やら盛大な思い違いをしてしまった先輩は、制止を振り切って私たちの元から走り去っていく。

 

「そんなに見つけてぇんだったら、こっちから姿を現してやる!」

 

 先輩は走りながらペンダントを操作し、本来なら衣月と同レベルで見つかってはいけないはずの男の姿に戻ってしまった。

 もしかしなくても、あの姿で敵を引き付けることで、私たちから追手を遠ざけるつもりなんだ。

 既に遠くまで行ってしまった先輩。

 追いかけようにも、今この場を離れたら、逆に先輩が私たちを見失うことになってしまう。もはや何もできなくなってしまった。

 

「っ? 音無、顔が赤い。どうしたの」

「……も、もう、ほんと、マジで死ぬほど恥ずかしいッス……」

 

 これ、後で何て言えばいいんだろうか。それを想像しただけで顔が熱くなってくる。

 

 転んで勘違いさせた挙句、終わったあとに「すいません転んだだけッスw」って言わないとダメなのか。恥ずかしすぎる。死にたい。

 

 

 

 

 

 

「クソッ! どうすればいいんだ!」

「れ、レッカくん、落ち着いて……」

 

 僕たちヒーロー部は無力だ。そう思い知らされてしまった。

 

 今もただ森の前で立ち往生し、この場所に展開された巨大なバリアを叩いて悔しがっている。

 慟哭を挙げている暇があったら、すぐにでも彼女らを助けに行きたい──しかし、それは叶わない。

 いよいよ本腰を入れてきた悪の組織が持つ”本物”の強さの前に、戦う力を持っただけの子供である僕らは、まるで為す術がなかった。

 

 あの田舎町を出た翌日のこと。

 僕らの情報網ですら引っかかるレベルで、組織が派手に動きを見せてきたのだ。

 恐らくはコク達のチームが向かった先であろう県境の森林へ、数台のヘリコプターや大勢の怪人を投入した。

 

 そしてヒーロー部が到着する頃には、既に強力なバリアフィールドが展開されており、彼女たちの応援に向かう事は出来なくなっていて──もはや手詰まり状態であった。

 

 

「……っ?」

 

 仲間の少女たちも悔し気にバリアの向こう側を見つめる中、ふと僕のポケットが震える。

 

「着信……非通知だ」

 

 スマホの画面に表示されたのは非通知の三文字のみ。

 こんな時に正体を明かさず電話をかけてくる存在に、心当たりなど──いや。

 まさか、と思い応答ボタンをタップする。

 

 瞬間。

 僕の耳に男の声が流れてきた。

 

『もしもし。やぁレッカさん、久しぶりだな』

 

 その声は誰よりも待ち望んでいたモノだった。

 電話が掛かってくる度に期待をして、()()()ではないと分かったらまた落胆をして……その繰り返しだった。

 

「……ポッキー?」

『大正解。繋がったようで何よりだぜ、れっちゃん』

「お、おまえ……っ!」

 

 そんな彼が、よりにもよって今。

 意外と元気な声音で、生存報告をしてきやがったのだ。ハッキリいって最悪のタイミングだ。

 森の中にいるオトナシたちへの心配な感情と、親友が無事に生きていたことへの安堵で、僕の頭の中はグチャグチャになってしまった。

 

「いま何処に!? ずっと心配してたん──」

『目の前にいる』

「は?」

 

 思わずバッと顔を上げて正面を見たが、そこには誰もいない。

 バリアが張られた、進行不可領域である森林がそこにあるのみだ。

 

「……まさか森の中に?」

『ご名答。いやさ、カッコつけて飛び出したはいいんだが、やっぱ俺一人じゃダメだったみたいで。出来ればあと一人、派手に動き回れて火力もある人材が欲しい』

「……ハァ。相変わらず回りくどい言い方が好きなんだな」

『へへっ』

 

 彼がハッキリと生きていたことが知れた喜びが少しだけ落ちついてきて、アポロのいつものような態度にホッとした。色々と抱えている状況であることは察しが付くものの、心配するほど精神的に参っているワケではないようで良かった。

 

 この際、事情は後で聞くことにしよう。

 どのみちこの場で懊悩している時間など残されてはいない。

 

『……来れるか、レッカ?』

「そんな事言われたら、ノーだなんて言えるわけないだろ。ちょっとそこで待ってて。──部長っ!」

「あぁ、全部聞こえてたし見てたさ。我々を差し置いて、ニッコリ笑いながら電話してる様子をね。……つまり全力でバリアをどうにかして、何とかキミひとりでもあの森の向こう側に送る事が出来れば、この事態の収束を図れるワケだな?」

 

 さすが部長、余計なことは詮索せず、今やるべき事だけを明確にしてくれた。

 彼女の要約した言葉のおかげで、他のメンバーたちも状況を理解できた。非常にいい流れが出来ている。

 

 ここからは僕たちのターンだ。

 ヒーロー部の本気を、子供には子供なりの意地と正義がある事を、悪事に手を染めた大人たちに思い知らせてやる。

 

「わたしたちの魔法を一点に集中させ、最大出力でぶつけ続ければ、僅かだがバリアに穴を空けられるはずだ。一時的なものになるだろうが……それで十分だな?」

「えぇ。僕がヒーロー部全員の分まで活躍してきますよ」

「ふふっ……そんな軽口が叩けるようなら、心配はなさそうだな。──部員一同、いくぞ!」

 

 

……

 

…………

 

 

「れっちゃん!」

「っ! ポッキー……!」

 

 なんとか無事に森の中へ侵入したあと、アポロ自ら探知能力を使って僕の元へやってきてくれた。

 

 その姿を見るのはたった数日ぶりだったが、僕は会った途端に少しだけ涙ぐんでしまった。

 一週間すら経ってはいないが、痕跡もなく一切連絡が付かない状態だったのだ。心配の度合いから考えれば、安堵から涙が出そうになっても不思議ではない。

 

 ともかく無事でよかった。擦り傷や打撲がそこそこあって、衣服も若干破れているが、本人はいたって元気そうだ。

 

「……れっちゃん。いや、レッカ。俺を殴ってくれ」

「再会して早々に出てくる言葉ではなくない?」

 

 どんだけマイペースなんだよ、この親友は。

 さっそく出鼻を挫かれた気分だ。

 

「俺はオトナシに怪我を負わせてしまった。先輩として……仲間として、絶対に守らなきゃダメな存在だったのに……先輩失格だ!」

「……やっぱり、コクたちの近くで活動してたんだな」

 

 薄々勘づいてはいた。あの黒髪の少女の発言からして、少し離れた場所から彼女たちを見守りつつ、旅に同行していたに違いない。

 

「たのむレッカ、歯が抜け落ちてマヌケ面になるくらい、思い切り力を込めて殴ってくれ。俺は……とんだ勘違い野郎だったんだ」

「……ふざけるな馬鹿っ!」

 

 いつになく弱々しい態度を見せる彼の胸ぐらをつかみ、吠える。いつも場の雰囲気を茶化すのがアポロなら、彼が展開しているシリアスな空間を破壊するのが、親友である僕の務めだ。

 

「仮に僕が君を殴ったとして、それを知ったオトナシがどんな気持ちになると思ってるんだ!?」

「……っ!」

 

 アポロは驚いた様子だったが、僕が怒るのは当然のことだ。

 今までロクに連絡をよこさず、自分がピンチになった途端に僕を頼った……そこはいい。僕だって何度もアポロを無視して、戦いの中に身を投じた経験がたくさんあるから。

 僕が怒っているのは、勝手にオトナシを連れて行っておいて、僕に対して甘えようとしている部分だ。

 

「殴られて許された気になろうだなんて甘えるな! 罰だったら僕じゃなくオトナシから受けろ!」

「れ、レッカ……」

 

 ここまで声を荒らげて彼を叱ったことはあっただろうか。

 いや、なかったと思う。いつだって負い目を感じていたのは僕の方だったから。しかし今は状況が違うんだ。

 

 僕にはヒーロー部のみんなという、道を正してくれる人たちがいた。

 中でもライ先輩は生徒会長として、上級生として、なにより部長というリーダーとして道を切り拓き、牽引してくれていた。

 

「オトナシだって……ただの高校生じゃない。キミを信じ付いていくと判断して、仲間である僕らにですら必死に秘密を隠して戦うことを選んだ、立派なヒーロー部の一員なんだ。許すか許さないか……それは分からないけど、きちんと話せばきっと、アポロが納得するような答えを出してくれるはずだ」

 

 しかしアポロがいるチームは、どう見ても間違いなく彼自身が先頭にいる。

 オトナシも、白髪の少女も、あのコクでさえもアポロの後ろを付いていく仲間であり、この親友には頼れるリーダーが存在しないのだ。

 

 だからこそ。

 いまアポロを叱咤できる人間は、この僕しかいない。

 どんなグループにも属さなかった彼に真正面から言葉をぶつけられるのは、常に一番近くにいたこのレッカ・ファイアしかいないんだ。

 

 立ち上がれ、親友。

 今の僕なら分かるんだ。君は弱くなんかない。

 オトナシだって話せば分かってくれるハズだ。この旅に同行すると決めたのは、他でもない彼女自身なのだから。

 

「……俺は、どうすればいい」

「僕と一緒に戦うんだ」

 

 そもそも彼女に怪我を負わせたのは、組織が放った怪人たちだ。どのみち奴らを倒さない限り、僕らがこの森から脱出することはできない。

 

「君と僕が手を組んで勝てなかった敵が、これまで一人でもいたか?」

「……あぁ、確かにそうだな。俺とお前で負けたことは一度もなかった。……そもそもあんまり戦ってないけど」

 

 そりゃそうだ。アポロがヒーロー部に入ったのはたった二ヵ月前だし。でも入学してからこの一年間で培ってきた、僕ら二人のチームワークは何物にも勝るはずだ。

 

「だったらここで経験値を増やしておこう。……きっと、これからは二人で戦う機会が、もっと増えるんだろうしさ」

「おう、任せとけ。後輩に傷を負わせやがった無法者に、きちんとお礼をしてやらないとな」

 

 手を差し伸べ、項垂れていた彼を立ち上がらせる。ようやく僕らは、本当の意味で再会できたのかもしれない。

 

「俺が森林の上空を飛んで注目を引きつけながら、探知スキルで敵の位置を割り出してお前に伝える。援護が必要になったら言え。魔法の矢で隙を作ってやる」

「大幅に魔力を消耗するし、なによりヘイトを一手に引き受けるのは危険だが、大丈夫か?」

「ははっ、心配するくらいならサクっと敵をやっつけてくれよ。増援が無い以上、どのみち短期決戦なんだ。……いくぞ、れっちゃん」

「あぁ、ポッキー!」

 

 こつん、と拳を突き合わせて、頷き合ったあと互いにその場を離れた。

 

 ──こんな状況だ。不謹慎な感情だという事は当然理解している。

 しかしそれでも、僕はアポロと共に戦うことに対して、僅かながら高揚を覚えていたのであった。

 

 

 

 

 

 

 オレたちは、いったい何と戦っているんだ?

 

 おかしい。次々と味方が倒されていく。

 死角からの斬撃や炎の銃弾、魔法の矢による攪乱が来たかと思えば、いつの間にかまた一人怪人が倒されている。

 

 こんな筈じゃなかったんだ。カスほども戦闘能力が無い白髪の小娘と、高校生のガキひとりを捕まえるだけの、楽で簡単な任務だったはずだ。

 それが何故、こんな全滅寸前にまで追い詰められている? オレたちは奴らに傷一つ負わせていないんだぞ。

 

「ッ!!」

 

 後ろからの気配を感じ、オレの全力をもって剣で弾いた。

 今のが直撃していれば間違いなく倒されていたことだろう。

 

「防がれた……っ!?」

 

 驚きつつも、オレと同じく剣を構えた状態で眼前に現れたのは、赤みがかった茶髪の高校生。

 資料で見たことのある顔だ。

 確かレッカ・ファイアというガキだったか。先ほどまでオレたち怪人を葬っていたのはコイツで間違いない。

 

「お前を含めてあと数人程度だ、諦めろ」

「が、ガキどもが……」

 

 いや、確実にもう一人いるのだが。

 ヤツは『正義に目覚めた』とかいう理由で組織を裏切り、十数年前に正義のヒーローたちに力を貸して、一度組織を壊滅寸前にまで追い詰めた科学者の息子だ。

 

「っ! さっきの衝撃で通信が切れて……」

「もう上空にいるお友達とは、コレで連絡ができねぇな?」

「問題ない。貴様程度の相手なら、僕一人で十分だ」

 

 紀依勇樹──忌まわしき元組織の科学者。

 実験体であるあの純白をキーとして、世界を創り変える能力を発動させるシステムの完成には、あの男の頭脳が必要とされている。

 ゆえに協力させるための人質として、その息子である太陽(アポロ)を捕まえなければならないのだ。

 

「くくっ。おめでたい奴だな、レッカ・ファイア」

「……何を笑っている」

 

 そうだ。オレはあのガキを捕まえて、一気に昇進して偉くなってやるんだ。その為にもここで終わるワケにはいかない。

 仲間が来るまでの時間稼ぎとして、俺が知りうる情報を使い倒してやる。きっとコイツも気になる話のはずだ。

 

「坊主。いまお前を援護しているあのアポロとかいうガキの姓、なんだか知ってるか?」

「……? キィだ。それがどうした、くだらない時間稼ぎなど──」

「オイ待て待て。早まるなよ、コレはお前も知っておかなきゃならねぇ話なんだぜ」

 

 おっ。警戒は解いてねぇが、動きは止まったな。

 ようやく話を聞く気になりやがったか。

 

「いいか。紀依太陽のオヤジ──紀依勇樹はもともと悪の組織側の科学者だ」

「……だとしても、そんな事アポロには関係ない」

 

「いや大いにあるね。……実はとある一人の少女を封印しているペンダントってのがあってな。そんな何の罪もないガキを閉じ込めた魔法アイテムを作ったのがそいつのオヤジで、アポロ本人もそれを使っているんだ」

「……なにを、言っている?」

 

 ファイアは怪訝な表情で眉をひそめる。

 

 

「まだ分からねぇのか。だったら教えてやる。

 実験体である純白を庇ってる、あの黒髪の少女の正体は──アポロだ」

「ッ!?」

 

 

 剣を持つ手が僅かに震えた。よしよし、いい調子だ。

 

 オレは紀依が悪の研究者として働いていた頃から組織にいる古株だ。

 数十年もあそこに居れば、偶然目に入った“自分しか知らない秘密”ってのも自然と増えていく。

 そうだ。

 組織の誰も知らない紀依の秘密を、オレだけは知っている。

 いつか周囲を出し抜けるように、誰にも共有してこなかった秘密が。

 

 だからオレはあの見覚えのある黒い少女を見つけた時、好機だと思った。

 今持っている地位と権力の全てを使って、自分の息が掛かった連中だけを引き連れてこの森に訪れ、奴を捕まえる作戦を決行したわけだ。

 

 黒髪の少女の正体が、紀依の息子だとすぐに分かったから。

 

「正確には黒髪の少女に()()()()()()()のが、てめぇの親友だってことだよ」

「……お前が何を言っているのか、理解できない……」

 

 動揺こそしているが、攻撃の隙は見当たらない。

 まったく末恐ろしいガキだ。

 

「だったらもう少し説明してやる。やつのオヤジである紀依博士は、組織の研究所を逃げ出す前夜、自分の研究室で『こいつは封印したままにする』と言っていた。この耳で聞いたからな、間違いねぇ」

 

 だいぶ昔の事ではあるが、あの少女に関する情報は、とても鮮明に記憶している。

 

「何度か博士の研究室を覗いたとき、たまにだがあの少女がいた。そしてその少女の姿から、博士の姿に戻るところもな」

「へ、変身魔法……とでも、言うつもりか?」

 

 甘いな。そんなモンじゃねぇ。

 

「姿形だけを変えているワケじゃないぜ? 博士はあの姿の時、まるで人が変わったように無口で大人しくなってたんだ。

 基本的にはフレンドリーだし、わりと常にテンションが高い博士の性格を考えると……あり得ないほどに変質していやがった」

 

 ファイアの額に汗が流れる。よほど衝撃的な内容だったせいなのか、いつの間にか呼吸も荒くなっていた。

 

「最初は演技で美少女ごっこでもしてる変態なんじゃねぇのかって思ったが、それは違ぇ。博士は助手のチエという女をいつも侍らせていたからな。

 気づいた時には腹にガキをこさえてやがったし、あんなノンケ野郎がそんな真似できるワケがない」

 

 だから、俺はこう考えたのだ。

 

「博士が使っていたペンダントの中には……モルモットとして捕まえたであろう、あの黒髪の少女が閉じ込められてんだろうな。本人が封印しておくって言ってたんだから間違いない。

 そんな彼女が現実世界に出てくるためには、ペンダントをつけた人間の体を依り代にして、その本人の意思で変身(交代)しなけりゃならねぇんだ。

 そうすることで黒髪の少女はようやく自分で動くことができるようになるが……くくっ、笑えるぜ。オレは一度もあの少女と博士が、同じ空間にいるところを見たことが無いぞ。

 きっとあの少女は──二度とペンダントの中から出られない」

「…………」

 

 長々とオレの話を聞いたファイアは、ついに手の震えを抑えることが出来ず、握っていた剣を地面に落としてしまった。

 詳しい関係は知らないが、きっとコイツはアポロだけではなく、黒髪の少女に対しても何らかの感情を抱いていたんだろう。

 だからこそ、ここまで心が揺れ動き狼狽している。様子を見れば丸わかりだ。

 

「テメェのお友達はな……オヤジからそんな最低最悪なアイテムを譲渡されちまったんだよ! 

 ケヘヘっ、一体どっちなんだろうな? 不憫に思ったあいつが少女に体を明け渡してんのか……はたまたモルモットの女が、アポロを誑かして体を奪ってんのか! 

 どちらにせよあの二人が同時に存在する事はできねぇってワケだ! ギャハハハッ!!」

「……はっ、はぁっ、ハァッ」

 

 おらっ今だ、ぶっ殺してや──

 

「ああ゛ァ゛ぁッ!!!」

 

 

 …………あれ?

 

 オレのお腹に、剣が刺さってる。

 いつのまに。

 剣はさっき、手放していたはずなのに。

 

「ばっ、馬鹿な、こんなところでぇ──」

 

 

 ──組織の改造人間、怪人は一定のダメージを受けると、情報漏洩を防ぐために自動で爆死する装置が埋め込まれている。

 

「ぐわああああぁぁぁッ!!!」

 

 少年の剣の一撃をトリガーに、怪人はしめやかに爆発四散した。

 

 

 

 

 

 

「──ということで、私と音無は本当にただ、転んでケガをしただけ」

「えぇ……」

「ごめんなさいごめんなさいほんっっとうにドジでごめんなさい、先輩は何も悪くないですマジで申し訳ない……ッ!」

 

 レッカとの通信が途絶してからだいたい三十分後。

 俺は一旦女の姿に戻った状態で木陰に腰を下ろし、衣月と音無による応急処置の手当てを受けていた。

 

 探知の能力で敵の残存兵力は常に確認していたため、もう敵がいないことは分かっている。

 通信が切れたあとにレッカが単独で倒したであろう敵と、先ほど魔力が切れた俺を襲撃して半殺しにしかけるも、助けに来た音無の音魔法で倒されたヤツで最後だった。

 ひとまずは安全が確保されてよかった。正直これ以上は絶対に戦えないレベルで魔力も肉体もボロッボロだ。

 

「あー、その、気にしなくていいからな、音無。もとはと言えば俺の早とちりが原因なんだし」

「こ、こんなに怪我をするまで無茶して貰っちゃったんスよ!? 気にしないなんて無理です……! ごめんなさい、先輩……」

「だから大丈夫だって。この通り無事に生きてる」

 

 転んだという真実を知ったところで、正直そこまで後悔とか恥ずかしさなんてものはなかった。……いやウソ。やっぱり少しだけ恥ずかしくなった。

 でも飛び出していったおかげでレッカと協力できて、結果的にはこの場を切り抜けることができたんだ。結果オーライってやつだろう。

 

「先輩、何でも言ってください。ほんと何でもします」

「そういうの軽々しく口にするんじゃないよ」

「いやもうマジっす。先輩はここで遠慮しちゃダメっすからね」

「……じゃあ、この先の町で寝泊まりできるとこ確保してきてくれ。風呂と夕食も用意しといてくれると助かるな」

「お任せあれ! 行ってくるッス!」

「場所決まったら公衆電話とかで連絡しろよー」

 

 言うが早いか、音無はすぐさまその場を駆けだして森の出口へ進んでいった。夕陽に向かっていくその姿はまさに青春だ。

 ……ていうか衣月も連れてけよ。

 

「今は紀依を一人にする方が、危険」

「そりゃそうかもしれんが」

 

 予想以上に戦闘が長時間だったこともあり、もう日が落ち始めている。

 辺りはオレンジ色の陽の光に照らされていた。

 完全に暗くなる前にこの森を抜けよう。

 

「んっ、電話か」

 

 着信したのは──父さんだ。謎にビデオ通話。

 

「もしもし」

『おぉアポロ! よかった、無事に切り抜けることが出来たんだな!』

「えっ? ……この状況の事、誰から聞いたの」

『誰って……さっきオトナシという少女から連絡が来たぞ。確か仲間だっただろ』

 

 あいつ行動の何もかもが早すぎるだろ。

 ニンジャとかもうそういう次元じゃない気がする。逆に転んでケガするとか、人間らしい部分が見えてホッとしたわ。

 

『ふむ。それにしてもやはり女の子への変装はバッチリだな。なぜ純白の位置が敵に割れたのかは分からないが……見た目の性能に関しては、私が使用していた時から一切劣化していないようで安心したぞ』

 

 その言い方もしかしなくても、父さんもコレを使って美少女になったことがあるってことだよな。

 確かに自分の研究なんだから性能の実験をするのは当然だし、俺が初めてペンダントを使ったあの日以前にも、変身後の少女姿を見せてもらったことはあったけども。

 

「父さんはこの姿になって何をしてたんだ? いつも通り過ごしてたの?」

『いや、見た目の完全な変化が楽しすぎて、変身するときはダウナー美少女として振る舞っていた』

 

 うわぁ……俺やっぱ、確実にこの男の血を引いてるわ……。

 

『顔や目の造形から体躯に髪の長さまで、全て自分が計算し尽くした最強の美少女をこの世に顕現させて、あまつさえ自分がそれになれたんだぞ? そりゃあ興奮するし、ごっこ遊びもしたくなるだろう』

「理解できるのが悔しい」

 

 多分研究してたのが俺でも、人目を盗んで父さんと同じことをしていたと思う。

 

「母さんに止められなかったのか?」

『はは、もちろん止められたさ。それも一度や二度の話じゃない。母さんはとても意志が固い人だったから、何百回も僕の奇行をやめさせようとしていた』

 

 懐かしむように言いながら、ちらりと後ろを見る父さん。そこには布団に包まって寝ている母さんの姿があった。追手から逃げ続けているせいで、睡眠不足だったのかもしれない。

 ボロアパートの一室で潜伏生活をしている親と電話をする息子なんて、おそらくこの世で俺一人だ。

 

『それでようやく折れた私は、そのペンダントを箱にしまって母さんと一緒に組織を逃げ出したんだ。

 私たちの子供が箱の中身を知ってもなお、自主的に開けようとするその日まで、こいつは封印したままにする──と母さんに約束してね』

「……そっか。父さんはやめたんだな、美少女ごっこ」

『やめてなきゃアポロが生まれてないよ』

 

 恐ろしい話だ。俺は母さんにもっと感謝しなければいけなかったらしい。

 

『まぁ、欲望だけだった私と違って、アポロは友達を救うために変身しているから、変身を解く機会が明確になっててよかった。組織を倒すことが出来れば、またアポロの姿で外に出られるよ』

「……そ、そうだな。全部終わったら……うん、戻るよ男に」

『苦労をかけてすまないな。では、また連絡する』

 

 俺の返事を待たずに通話が切れた。相変わらずマイペースな父親だ。

 

 そっか。あの頑固な母さんに何度も何度も止められて、それでようやく父さんは美少女として振る舞うことを辞めたのか。必死の思いで道を正そうとしてくれる人が居たから。

 俺もいずれそうなるのかもしれない。

 

 ……もっとも、俺の場合はこの場で今すぐに、道を正さないといけないようだが。

 

 

「──紀依、誰か来る」

 

 

 魔力が枯渇してもはや探知を使えない俺は、衣月に言われてようやくこちらに近づいてくる気配に気がつくことができた。

 走る足音。

 

 遠慮も慎重さもない一定の歩調から察するに、この気配の正体はレッカだ。そもそも敵は一人も残っていない。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」

「……レッカ」

 

 俺たちの後ろから現れた親友くん。肩で息をしているレッカの表情は、まるで信じられないものを見るような、何か言いたげな顔だった。

 

 彼から見れば、コクは数十分前のアポロと同じくらいの負傷をしている。

 手当てで包帯やら湿布やらは張ってあるものの、戦っていなかったコクがこれほどまでに負傷しているのは明らかに不自然だった。

 なにせ間違いなく、この森の中にいた全ての敵は、アポロである俺とレッカが相手取っていたのだから。

 

「コク……」

「…………衣月、先に行ってて」

「……うん」

 

 流石に、潮時か。

 

 ここまでは何回もラッキーが重なって、運よくバレなかっただけだ。

 ライ会長に説教される前の状態のレッカが少し鈍かったのも、秘密を隠し通せていた要因の一つだったんだろう。

 だが、彼はもう成長している。

 察しの良い主人公になったレッカの前に、俺が組み立てた計画性皆無な美少女ごっこ計画は、あまりにも無力極まる。

 

「……アポロ、なのか」

 

 もう、観念しよう。

 逆にいい機会だったのかもしれない。今日だけでも、レッカがどれほど俺のことを想ってくれていたのかが理解できた。これ以上俺のくだらないワガママに付き合わせるのは、あまりにも酷だ。

 どのみちバレてるし。

 ここで白状してしまった方が、色々と罪も軽くなるかもしれない。

 

「……レッカ、ごめ──」

「どっちなんだ!!」

「ひっ……」

  

 うぅ、やっぱりめっちゃ怒ってらっしゃる。

 今のどっちなんだ、ってのはどういう意味なんだろ。

 俺の意思なのか、それとも巻き込まれただけなのか、ってことかな。この際ハッキリ言っちゃうおうか。

 

 

「きみはアポロと……どんな契約を結んだんだ……!」

 

 

「…………?」

 

 え?

 

「たのむ今すぐ答えてくれ。きみの今の状態はアポロの意思なのか、それともきみ自身がアポロを利用しているのか」

「ちょ、ちょっと何を言ってるのか分からな」

「しらばっくれるな!!」

「ひぃっ」

 

 えぇマジでなに怖い怖い。

 俺の知らないところで何かが起きてんだけど。

 レッカの中で不思議な現象が発生しているんだけど。何なんだよコレ。

 

「僕は……きみのことが好きだ。あの時は拒絶されたが今でもその気持ちは変わらない。一緒に戦ったとき、一緒にジュースを飲んだ時、アポロと同じような安心感を覚えた。本当に……本当にきみを、大切な友人だと思ってる!」

 

 そ、そうなんだ。今でも大切な友人って認識なんだ。田舎でのコミュニケーション、意味あったんだね。……でも『きみが好きだ』って言い方は誤解を招くからやめた方がいいと思った(小学生並の感想)

 

「だけど! 僕は……オレはアポロも大切なんだ! 今日みたいにまた話がしたいと思ってしまっている! また学園に通って、馬鹿な事をして、一緒に過ごしたいと改めて考えてしまった!」

「レッカ……? 落ち着いて?」

「落ち着けるかッ! ……くっ」

 

 思わず俺から目をそらすレッカ。見るからに彼の葛藤は本物だ。俺の正体に気がついて、演技をして茶化しているワケじゃないという事は明らかだった。

 だが本当に分からない。

 レッカは何をどう解釈したんだ。発言から彼の認識を推測する事が出来ない。

 

「……お人好しなアイツのことだ。きっと自分から体を差し出したんだろ」

 

 ちょっと一人で盛り上がりすぎじゃない? 目の前にいるのに俺、話から置いてかれてるんだけど。

 えぇい我慢ならん。こっちは怪人にボコされて、若干意識が朦朧としてるんだ。推測で話を進められても困るぞ。

 

「待って。レッカは、どこまで把握しているの?」

「……アポロの親父さんの過去を知る怪人と出会った。そこで聞いたんだ。……きみは実験でペンダントに封印された少女で、他人の体を依り代にすることでしか、肉体を取り戻すことができないのだと」

「…………なる、ほど」

 

 ぜんっぜん俺の知らない設定だ。レッカはそっちの情報を信じたことで、いまこの場にいる『コク』に対して言葉をかけているらしい。

 

 コクの正体が俺──ということではなく。

 なにやらシリアスそうな設定の少女が、俺の肉体を使って活動している、という解釈で間違いなさそうだ。 

 

 ……なんそれ。

 え、どういう流れ?

 もしかして、研究者時代の美少女ごっこをしてた父さんを見て、拡大解釈しちゃった敵がいたってことか? 

 それでその本人がレッカに秘密を話して、この有様と。

 いやコントじゃねぇんだぞ。あり得なくないかそれ。もう宝くじの一等が五連続で出るくらいの、奇跡の思い違いが発生しちゃってるよオイ。

 

「……どうしてもと言うならオレの体を使ってくれ。アポロはもう……自由になっていいはずだ」

 

 めっちゃ深刻な顔してるじゃん。なんなら泣きそうになってるよ。 

 

「…………はぁ」

 

 この際しょうがない。

 俺から真実を伝えることにしよう。

 いったいどれほど叱られるのか、もしくは絶交されるのか、はたまた怒りでぶっ殺されるのか。

 それは分からないが、こんな姿の友人を見ていると心が痛む。

 これ以上からかうのはやめよう。俺の美少女ごっこはここで終わりだ。

 

 

「レッ────」

 

 

 口に出そうとしたその瞬間、眩暈がした。

 

「ぁ」

 

 思わず膝をつく。ほんの少しだが、身体の制御が利かなかった。

 額に手を当ててみれば、指がべっとりと紅く染まっている。

 音無に包帯を巻いてもらっていたはずなのだが、怪人に殴られた額の傷が開いてしまったらしい。

 

「コクッ!」

「…………」

 

 レッカがこちらに駆け寄ろうとしたが、俺が咄嗟に手を前に出したことで、彼は驚いて静止した。

 近づくな、という意思は伝わったようだ。

 

 

 何だろう。

 これはなんだろうか。

 

「……れっちゃん」

「っ! ぽ、ポッキーなのか……?」

 

 怪人に殺されかけたからか?

 頭をブン殴られておかしくなってしまったのか?

 分からない。

 自分の思考が理解できない。

 ただ、これだけは本能で感じ取ることができた。

 

 

 俺は今、これ以上ないほどに──高揚している。

 

 

「私、は」

 

 間違いなく、この状況を嬉々として喜んでいる。

 自分の嘘で、他人の勘違いで、友人の心が痛みを負ってしまったというのに。 

 まるで嘘のように()()()()()()()()()()()信じられず、僅かながら口角が釣り上がってしまう。

 

「は、ハハ。痛い。いたいな。奇麗な顔なのに、ホントもったいない。傷がついて、血も出てきちゃった」

「ぽ……ポッキー……?」

 

 どうしてだよ。もうバレていいだろ。

 こんだけ状況証拠が残っていて、何でこんな設定の齟齬が発生するんだ。本当に信じられねぇよ。

 言え。

 さっさと口にしろ。

 全部嘘でしたって言葉に出せ。

 

 そうしたい、俺は心から秘密を打ち明けたい、間違いなくそう思っている。

 レッカに全部話して、あいつを安心させたい。

 お前が救おうとしている少女なんか、初めから存在しないのだと教えてやりたい。

 男の姿を見せて、これからはずっと一緒だと──

 

 

 ──あぁ、ダメだ。お前は誰だ?

 

 

 俺の中に()()()()()

 これまでずっと押さえつけてきた感情の源が溢れ出している。

 良心と友情を侵食し、木っ端微塵に喰い荒らしていく。

 

 俺の中に潜む俺が。

 陰に隠れていたその姿が露になってしまう。

 

 震える。

 (からだ)が。

 赤く染まった指先が。

 心が、心臓が。

 脳が震える。

 

 まだ続けられる。

 この場でウソを口にすれば、漆黒という少女が存在し続けられる。

 良心を捨てて親友を騙せば俺はまだ物語の中心にいられる。

 

 裏切れ。

 裏切れ。

 裏切れ。

 裏切れ。

 

「うっ……うぅっぁ……!」

「アポロ!?」

 

 ふざけるな。どこまで親友をコケにすれば気が済むんだ。彼を想うなら、そんな下らない事など今すぐにやめろ。

 

 それは奇麗事だ。

 俺は何回も彼を騙し、裏切ってきた。

 いまさら親友ぶってレッカの元に戻ることなど、許されるわけがない。

 

 いや、それでも──

 

 

 あぁ、あぁ、いろいろな思考が頭をよぎった。

 きっとそれらはすべて本当の感情だ。

 しかし折り合いをつけるための時間稼ぎでしかないことも、また事実だった。

 

 

 最後に俺の頭に残ったのは、たった一つだけだ。

 

「……レッカ」

 

 俺はコクという存在を諦められない。

 

「悪いけど」

 

 本当の自分が、俺の中の本能がそう叫んでいる。

 

 卑劣で、最低で、人の心を弄ぶ、所詮は黒幕でも何でもない、弱い小悪党でしかないクズな自分を何度戒めても、俺を俺たらしめる揺るぎない信念が間違った方向へ歩を進ませる。

 

 レッカの反応を楽しみたいんじゃない。

 もはやコレを続けることが楽しいのか辛いのかも分からない。

 ただ、俺は自分を誤魔化せない。

 

「アポロを返すことはできない」

「──ッ!」

 

 

 レッカがすべての真実を知って俺を断罪するその日まで、俺は絶対に隠しヒロインごっこを──やめない!

 

 

「……どうしても、なのか……」

「そう。約束だから」

 

 思わせぶりな言葉を言って、コクという少女の存在を確立させるんだ。

 

「大切な友人だと言ってくれて、嬉しかった。私もレッカのこと、本当は嫌いじゃない」

「コク……」

 

 俺はもはや人間を辞めている。道徳を捨て去り、友情を踏みにじってしまった。

 

 俺たち二人の状況は、両親の時とは比べ物にならないほど、進んではいけないルートに舵を切ってしまっている。

 父さんには常に母さんという理解者がそばにいた。全ての事情を知っていて、尚且ついつも止めようとしてくれるストッパーが。

 

 だが、俺にはそんなもの存在しない。

 俺の中に秘めた感情を理解している者は、この世のどこにも、誰一人としていやしない。

 母のおかげで正義に目覚めた父とは違い、俺は親友を前にして悪に堕ちてしまった。

 誰にも内情を打ち明けることはなく遂にここまで来てしまったのだ。

 

 自分の中に眠っていた猛獣は──もはや俺の意思では止められない。

 美少女ごっこをやめられない。

 こうなったらバレるその日まで全力で隠しヒロインをやってやると、信念に深く刻み込まれてしまった。

 

「でも、アポロは渡せない。私たちは離れられない」

 

 やっぱり俺は主人公なんかじゃなかった。

 衣月という守るべきヒロインと、音無という頼れるバディと共に過ごしても何も変わらなかった。

 

 主人公になれるかもしれない状況に身を置いてもなお、少女の救済を建前にこれまでの嘘を正当化させるような事はできなかったんだ。

 偽りの継続を望み、その先にある全ての罪の断罪を求めた。

 

「言い訳はしない」

 

 あぁ、言い訳はしない。俺は悪人だ。だから偽善者ぶっていまさらヒーローに戻ろうとだなんて考えない。

 世界なら救ってやる。

 組織の目を掻い潜り、責任をもって衣月を沖縄まで送り届けよう。

 

 

 だが、美少女ごっこはやめない。

 俺はレッカのヴィランであり続ける。

 

「私にはアポロが必要。……だから、レッカには返さない」

「おまえ……っ!」

 

 攻略してくれ。

 

「どうしても親友を取り返したいのなら」

 

 頼む、レッカ。

 お願いだ、親友。

 

 

「アポロを選ぶのなら、私を殺して」

 

 

 厄介な設定を抱えた、このめちゃくちゃに攻略手順が面倒くさいヒロインと化した俺を止められるのは、ただ一人。

 お前しかいない。

 

 どうか──俺を止めてくれ。

 

 

 



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私は先輩の

 

 

 たくさんの敵が襲ってきた森での一幕が過ぎ、少し時間が経った後に先輩は合流してくれた。

 

 何やらあの人は笑顔になっていて、まるでずっと抱えていた悩みが吹っ飛んだかのような、晴れ晴れとした表情だった。

 あの森にはヒーロー部の皆さんも足を踏み入れていたと聞く。もしかしたら先輩は、あの時私たちがいない場所で、レッカ先輩との蟠りを解消する事が出来たのかもしれない。

 秘密を話したのかどうかは分からないけれど、あの二人がまた友人同士に戻ってくれたのなら、それ以上に嬉しいことはない。私も気が楽になるというものだ。

 

 あれから数日が経過して。

 敵と遭遇しないために迂回などを繰り返している影響で、まだ中部地方をうろついている状態だが、旅はいたって良好だ。

 

 確実に前には進んでいるし、私たちの仲も深まりつつある。

 衣月ちゃんは相変わらず不思議な立ち振る舞いだが、確実に私たちには気を許していて、機械方面では非常に頼りになる。

 キィ先輩は以前にも増して、何だか一皮むけたようだった。

 改めてヒーロー部に入部したあの時の、ライ先輩たちの頼もしさを思い出したくらいだ。

 三人という少数規模ではあるものの、私たちは間違いなく、ヒーロー部に負けず劣らずの『チーム』として成長しつつあった。私はそれが素直に嬉しい。

 

 

「……衣月ちゃん、すっかり夢の中ッスね」

「スヤスヤでワロタ」

「あれ、先輩もしかして壊れちゃいました?」

 

 とあるボロアパートの一室。

 現在時刻は既に深夜を回っており、衣月は布団を敷いた奥の部屋で眠っている。

 私はリュックの荷物整理。

 先輩は珍しく男の姿で、ペンダントのメンテナンスをしていた。

 

「いやぁ、ホントに衣月はえらい子だよ。どんな場所でも寝てくれるのは正直いってクソありがたい」

「枕が変わるだけで眠れない子もいますからね。衣月ちゃんは山小屋みたいなとこでも平気ですし、サバイバル適正の高さで言えば先輩より凄いっすよ。鍛えれば忍者にだってなれるかも」

「忍者キャラが渋滞しちゃうからダメ」

「それは誰目線なんすか……」

 

 呆れながらペットボトルの水を渡すと、先輩は待ってましたと言わんばかりに、すごい勢いで水を飲み干してしまった。喉が渇いてたのなら言ってくれればいいのに。

 なんだか最近、先輩の気持ちを察して私が先回りして行動していることが多いような気がする。バディってこういうものなのかもしれない。

 

「でも、音無だって十分凄ぇよ。年頃の女の子がこんな危なっかしくて敵だらけの旅を、文句言わずに付いてこれてるんだから」

「それを言うなら先輩もでしょ。少なくとも一年間戦ってたヒーロー部の皆さんと違って、先輩は二ヵ月一緒に居ただけでほぼ一般人じゃないですか。十七歳の高校生ができるような生活じゃないっすよコレ」

「無敵なので」

「……男の子ってホント、変な意地ばっか張りますよね。馬鹿なんだから」

 

 ……そんなおバカと一緒に居て、笑ってしまっているのはどこの誰なんだか。

 レッカ先輩とだって、こんな近い状態で自然に接したことはない。

 ヒーロー部にいた頃と違って二人きりの状況が多いせいもあるんだろうけど、随分と先輩の言動にも慣らされてしまった。

 少なくともこの人は私にとって、ヒーロー部のメンバーとはまた別の、特別な存在になりつつある。それを日々実感している。

 ……私ってチョロいのかな?

 

「なぁ、音無」

「はい?」

 

 作業をやめた先輩が、座ったままこっちに体を向けた。

 いつもの脱力した雰囲気だ。おおかた明日進むルートの相談だろう。

 こうやってすぐに思いつく辺り、やはり先輩との生活に、慣れ過ぎてしまっているかもしれない。ヒーロー部のときと違って、基本的にいつもピンチなせいだろうか。飲み込みが早くなる。

 

 

「そろそろヒーロー部に戻ってもいいんじゃないか?」

 

 

 ──しかしその発言だけは予測できなかった。

 

「…………な、なに言ってんすか~もう。あはは」

 

 思わず動揺してしまう。

 先輩があんまりにも何でもないように言ってきたから。

 忍者がこんな事じゃいけない。切り返さないと。

 

「やだなぁ、まったく。先輩が一人で旅を続けられるわけないでしょ? ウチがいないとダメなんスから」

「そうかもしれんが。でも森でレッカと会ったときに分かったんだよ。ヒーロー部のメンバーは、お前が思っている以上にお前のことを心配してるって」

「っ……」

 

 どうしよう。ヤバいかもしれない。

 これはどう見ても、先輩が私を説得しにかかっている。

 いつも通りな普通の表情をしているけれど、その瞳にはどこか本気の意思が宿っているように感じられた。

 

「そ、それを言うなら先輩だってそうじゃないスか。レッカ先輩にはめっちゃ心配されてますし。なんか仲直りはしたみたいッスけど──」

「いや? 俺は仲直りをしたんじゃなくて、レッカを裏切ったんだ」

「…………えっ」

 

 何気ない先輩の言葉。

 私は思わず言葉を失った。

 なんて返せばいいのかすぐに出てこない。

 どうしよう、焦っている。

 

 先輩はあのレッカさんと凄く仲がいい友人だ。

 はたから見ても親友同士だという事はなんとなく察しが付く。

 ヒーロー部ゆえに複雑な事情を抱えているレッカ先輩の方から、彼に何かを秘密にすることはあっても、先輩からレッカさんを裏切る事はないと思っていた。

 

 むしろ誤解されたくないと、すぐにでも真実を話したい相手だと考えていた。

 それは私の勘違いだったのだろうか。

 

「もう俺は戻れないんだよ。ただ隠し事をするんじゃなくて、明確にレッカを──友情を裏切っちまった」

 

 何かを諦めてしまったような、乾いた笑いと共にそう呟く先輩。

 

「今やっていることは、確かに正義の行いかもしれない。悪い奴らに追われている少女を守り抜けば、ひいては世界を救うことになる。それを言い訳にすればこれまでの嘘だって『仕方のない事だった』と正当化できるんだろう」

 

 そんな、笑っているのに悲しい顔を、私は知っている。

 ずっと前から見覚えのある……一番見たくない表情だった。

 

「でも違うんだ。背負ってる事情なんか関係ない。俺は明確に許されない、超えちゃならない一線を越えたんだ。衣月のことを含めても、両親のことや環境のせいじゃなくて、どうしたって……裏切った俺が悪いんだよ」

「……せん、ぱい」

 

 私がいつも、鏡の前に立つたびに見る顔。

 先祖代々続く家系で忍者(スパイ)として教育され、数えきれないほどの人たちを裏切ってきた、この私自身がしてきた表情だ。

 

 諦めたように──力なく笑う顔。

 

「音無。お前にはそうなってほしくない。取り返しのつかない事なんかホントはやるべきじゃないんだ。俺は……お前だけには、普通の日常ってやつを無くさないで欲しいと思ってる」

 

 それでも私を気遣って、無理に笑顔を作っている。

 彼のそんな姿は見ていられないほどに痛々しい。私は先輩を直視できない。

 なぜ突然こんなことを言い出したのだろうか、先輩は。

 

 

 いや、分かっている。

 

 私だって鈍感じゃない。むしろ物事に対しては機敏に反応するタイプの役割で、ここまでヒーロー部で活躍してきたんだ。

 先輩はレッカさんを裏切ったと言っていた。

 

 それはつまり、これから先は彼と敵対しながら旅を続けるということだ。

 レッカさんの敵はつまるところヒーロー部の敵。

 そんな裏切者の敵と行動を共にしていれば、私自身もそちらに取り込まれたと認識され、オトナシ・ノイズはヒーロー部の一員ではなく敵の一人としてカウントされることになってしまうだろう。

 

「な。頼むよ、音無」

 

 先輩はそれを危惧したんだ。

 だから私をヒーロー部の仲間のままでいさせるために、こんな下手な説得までしている。

 これ以上は巻き込めないという、先輩なりの誠意なんだろう。

 旅を始めた時と今とでは明らかに状況が違う。ただ秘密を隠していたあの時より、レッカさんを裏切った現在の方が圧倒的に立場が悪い。

 

 先輩がしているのは自己犠牲だ。

 私の為の自己犠牲。

 他人の為の自己犠牲。

 レッカさんがいつもやるような──私の嫌いな”自己犠牲”。

 

「っ……」

「……音無? あの、なんで俺の手なんか握って……」

 

 思わず彼の手を掴んだ。

 座ったまま俯いて、正面にいる彼の片手を、私の両手で捕まえた。

 

「ウチは……」

 

 今ここで先輩を離したら駄目な気がした。

 彼が遠くへ消えてしまう予感がした。

 このまま彼に流されてしまったら──先輩は自ら一人になってしまう気がしたから。

 

「私は……先輩の、こと……」

 

 咄嗟の判断というより、反射的な反応だった。

 彼に向けてどんな言葉を送ればいいのか、未だに見当がついていない。

 どうしよう、どうしよう。

 

「……音無。今から俺が言う事は、含みのある言い回しなんかじゃない」

「えっ?」

「ただありのまま、言葉の意味だけを受け取ってくれ」

 

 先輩の表情は変わらない。小さく微笑んだままの、私を気遣うような優しい顔だ。

 やめて欲しい。

 そんな顔を見せないでほしい。

 私が先輩にとっての重荷になっていると思い知らされてしまう。

 

「お前は──俺を裏切ってくれて、いい」

 

 そんな、初めて聞く言葉に、私の心が揺さぶられた。 

 先輩の手を握る力が弱まってしまう。

 彼からは握り返してくれないから、私が手を離したら。

 このままだと、私たちは。

 

「恨んだりなんかしないさ……絶対にな。ここまで一緒に、無償で衣月を守り続けてくれた音無には、どんなに感謝してもし足りないくらいだ」

「…………」

「ヒーロー部に戻っていいんだ、音無。あそこはいつでもお前のことを受け入れてくれる。……ここまで付き合ってくれて、本当にありが」

 

 

 私たちは──!

 

 

「せっ、先輩ッ!」

「っ!?」

 

 正面から先輩を抱きしめた。

 背中に手を回して力強く抱擁した。

 離さない。

 一人にはさせない。

 絶対にこのまま別れたりなんかしない。

 

「…………っ、っぅ」

「……おと、なし?」

 

 ダメだ、泣いちゃだめだ。

 私は弱い女の子じゃない。

 守られるだけのヒロインなんかじゃないんだ。

 私は先輩の、たった一人の、対等な仲間なんだから。

 

「せんぱい、はっ……バカ、です」

「……」

 

 落ち着け、深呼吸だ。

 先輩は待ってくれている。少し困ってる様子だけど、すぐに引き剝がすでもなく私の言葉を待っている。

 だから大丈夫。

 ちゃんと言葉で伝えよう。

 察してもらうんじゃなくて、しっかりと自分の意思をそのまま、純度百パーセントで届けるんだ。

 

「かっ、勝手すぎますよ。散々ここまで利用しといて、用が済んだらポイですか」

「い、いや俺は……」

 

 違う。分かっている。先輩がそんな事を考えていないのは百も承知だ。

 ……あぁ、なんかうまく出てこない。

 こんなに本気で、誰かに意思を伝えようとした事なんて、今までにあったかな。

 

「先輩は何でも、一人で背負い込もうとしてますけど……自惚れないでください。人を裏切る辛さなら……誰よりも、理解できるつもりです」

 

 そう、私は数多の人々を裏切ってきた。

 たくさんの隠し事を、秘密を抱えてここまで()()()()()

 

「レッカ先輩を裏切ったんでしょ? ……奇遇ですね。私も裏切った事ありますよ。あの人だけじゃなく、ヒーロー部を。……何度も、何度も」

「お前……」

 

 私は忍者だ。

 仕えるべき主を転々とし、その度に元の主は容赦なく切り捨てる──そういう教えの元で、忍者一族の最後の生き残りとして育てられてきた。

 情報操作や潜入といった諜報活動のたびに、何十回も何百回も人を欺いて、生き汚くこの世にへばりついている()()こそが、この私の正体だ。

 

「先輩なんか目じゃないくらい、いろんな人たちを裏切ってきました。他でもない……私自身の意思で」

 

 誰の味方にでもなって、誰の敵にでもなる。

 それが我が一族の忍者としての在り方だった。その教えは私の心の奥深くに根付いてしまっている。裏切る事がクセになっていると言ってもいい、本当に最低な女だ。

 

 ヒーロー部は元々は政府公認の特殊チームであり、正体を隠した状態でなら、何度も敵対して秘密裏に戦ったことがある。

 政府に引き抜かれて彼らのサポートに回り、命令違反でヒーロー部が組織から追放されたあとは、自警団の如く『市民のヒーロー』として活躍するようになった彼らの仲間になった。

 今まで敵だった、傷つけてきた秘密をひた隠しにして、都合よくチームに加入したのだ。

 

 そして──彼のハーレムに入った。

 

 ヒーロー部に加入したのは私が最後だったが、その時既に他の少女たちは、あのレッカ・ファイアという少年に好意を抱いていた。

 チーム内のほとんどが、だ。

 交際の申し込みこそしてはいないものの、誰もかれもがレッカさんへの態度を隠していなかった。

 みんながそれぞれ、彼にいろんな形で救われてきたとのことだった。だから好きになった、と。

 

 ……だから、私もそうした。

 

 レッカさんを好きになった。()()()()()()()()()

 チームの結束力の源が彼であるなら、そうするのが最適解だと思ったから。

 恋敵で、ライバルで、だからこそレッカさんを好きな気持ちは皆同じ。

 彼の為なら頑張れるという共通の強さを手にすることで、私はヒーロー部での居場所を獲得したのだ。

 

 

「全てがウソで塗り固められた、卑劣で最悪な女なんですよ、私は」

 

 私に人並みの”普通の日常”なんてものは、ハナから存在しない。

 いつも秘密を隠すことに心を擦り減らしていて、他の少女たちと同様にレッカさんに媚びるたびに、自分は何をしているのだろう、と頭の中が葛藤と混乱で埋め尽くされていた。

 

 確かに楽しい事もあった。でもそれ以上に負い目を感じていた。

 秘密を話したとしても、優しいヒーロー部の先輩たちなら許してくれるだろう。……私は許されたくなかった。

 きっと自分が許されたことを、一生許せなくなるから。

 

「……だから、裏切り者で最低最悪な先輩の味方になってあげられるのは、同じくサイテーで悪~い後輩の私しかいないんですよ。分かりました?」

「……で、でも、なぁ……」

 

 この先輩を一人にしちゃいけない。

 今でもレッカさんに対して大変な事をしているのだろうが、一人になったらもう歯止めが利かなくなってしまう。

 

「こーんなにかわいくて献身的な後輩を捨てるなんて、先輩ってばホモなんですか? 私ってもしかして、レッカさんと先輩にとってのおじゃま虫?」

「ばっ!? ち、ちげーよ何言ってんだ!」

 

 だから私が先輩の理性を保つ、最後の砦になる。

 私では止められないんだろうけど、彼が壊れないように、支えることはできると思うから。

 

「ていうか捨てるだなんて言ってないだろ、人聞きの悪い」

「似たような意味でしたよ。……そんなの、だめです」

「ちょっ……ぉ音無? あの、いろいろ当たって……」

 

 どうだ、あなたが拾ったのはこういうヤツだと、理解できたか。

 殊勝な態度で受け身になってやったりなんかしない。私は対等に、先輩の隣で歩いてみせる。

 

「私を連れ出したのは先輩ですよ?」

 

 絶対に離さない。

 

 

「責任……とってくださいね」

 

 

 先輩と衣月を守る。

 ようやく見つけた私の居場所を守る。

 

 この二人には──私自身には。

 

 もう絶対にウソはつかない。

 

 

 

 

 

 

 さすがにこれ以上俺の美少女ごっこに付き合わせるのは悪いと思ったので、それとな~くヒーロー部へ戻れるよう音無を説得したつもりだったのだが。

 

 いつの間にか、その後輩に抱きしめられてました。

 あと『責任とれ』とかいう、そこはかとなくえっちな香りが漂うセリフも言われちゃって、もう頭ん中どったんバッタン大騒ぎです。

 なにこれ……。

 

「あの、音無。……その、当たってるって」

「鈍いですね、当ててるんですよ」

「ウソでしょ」

 

 何だこの小悪魔!?(驚愕)

 ふえぇ……こんな子に育てた覚えはないよぅ。

 

「ほ、本当にいいのか? ここまで来たら……もう戻れないぞ?」

「いいんですってば。私の居場所は、先輩と衣月ちゃんのいるところですから」

 

 今すれ違いが発生したわ。俺はちょっと良からぬ事がおっ始まると考えてたんだが、後輩はシリアスに居場所の話をしていらした。思春期の脳みそで本当にごめんなさい。

 

「と、とりあえず離れない? 隣の部屋で衣月も寝てるし……」

「……せんぱい、から」

「えっ?」

 

 なんつった? 全然聞こえなかった。

 いや難聴キャラとかじゃなくて、こんな密着してても聞こえない声量ってよっぽど小さいぞ。俺は悪くねぇ。

 

「……~っ! で、ですからっ、先輩から抱き返してくれたら、離れてあげてもいいです」

「密着したら離れらんねぇだろ……」

「そういう屁理屈っぽいのいいですから!」

 

 まっとうな反論では……?

 

「私への誠意があるなら……ぎゅってしてください」

「音無……」

 

 ぎゅっ、て言い方がかわいいと思った(小並感)

 てかマジでこれどういう状況なんだよ。

 音無の好感度が上がるイベントなんてやった覚えないぞ。バグが発生している。

 

「…………ひとりに、ならないでください」

「……あぁもう、分かったよ」

 

 信じがたいがどうやらこの状況は、音無の中ではシリアスな雰囲気になっているらしい。こっちは生まれて初めて女子に抱擁されて、絶賛心臓バクバク中なんだが。

 ここはもう腹を括って……そうだな。

 ヒロインにモテモテなあの方を参考にさせて頂いて、レッカがやりそうな対応で乗り切っていこう。

 

「ありがとな、音無」

「……抱き返すのはともかく、頭を撫でていいとは言ってませんよ」

 

 あれぇ? おかしいぞ……!? レッカみてぇな主人公ムーブが正解なのではないのか!?

 ……あ、離した。

 一応何とか離れてもらえてよかった。助かった。

 

「まぁいいです。今日はこんなところで勘弁してあげます」

「できれば明日以降も遠慮させてくれ」

 

 俺の心臓が持たないため。

 

「……嬉しくなかったッスか? ウチとのぎゅー」

「うれしかったです正直興奮しました」

「キモ……」

 

 あっ!? てめっ、このメスガキ……ッ!

 今のは嘘だが。先輩は後輩に抱き着かれても、別に興奮などしないが。

 

「どうでもいいっすけど、夜遅いですし……寝ましょっか」

「まて、それはどういう意味だ」

「先輩ちょっと変態すぎません? 今の言葉を就寝以外の意味で捉えないでしょ、ふつう」

「思わせぶりな発言をするお前の方が悪いと思うのは俺だけか?」

 

 あーだこーだ言いつつも、なぜか俺の手を引いて衣月が眠っている布団まで移動する音無。

 オイ、そんな簡単に男子の手を握るんじゃねぇ。好きになるぞ。

 

「衣月ちゃんを挟んで、三人で川の字になって寝ましょう」

「なかよし兄妹じゃないんだぞ」

「もう衣月ちゃんの家族みたいなモンでしょ」

「……お前が嫁で、衣月が娘か……なるほどな……」

「何でですか。それこそ普通に兄妹でしょ」

 

 布団にイン。本当に衣月を挟んだ状態で、三人で寝ることになってしまった。

 

「ていうか音無さん? もう手は放してくれていいですよ」

「ダメっす。コレは『早朝、俺は眠っているオトナシの前から姿を消した』──とかカッコつけた逃げ方をさせない為ッスから」

「信用なさすぎない?」

 

 ぶっちゃけた話、いざとなったらそういう逃げ方で別れようとしていたのだが、お見通しだったようだ。流石は忍者、読心術も心得ているらしい。

 

「負けたよ、音無」

「ふふっ。先輩はまだまだ甘いッスね」

「じゃあもう寝よう。おやすみニンジャ、にんにん」

「定期的に忍者をネタにして煽るのやめた方がいいッスよ。ちゃんと怒りますからね、ウチ」

 

 こわい。

 

「……ほら衣月ちゃんも先輩を逃がさないよう、しっかり服を掴んどいて」

「分かった。わたしたち三人は死ぬまで一緒」

「ちょっ、いつから起きてたんだお前!? 離せェ!!」

 

 

 衣月も音無も、俺が思っていたよりも強かな女の子で。

 気づいた頃には、シリアスな嘘から始まったこのチームも、いつの間にか愉快な仲間の集まりになってしまっていたようだった。

 それはそれとして、この状態は寝苦しい。

 

 

 



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負けイベント

今回のあらすじ:道中、すっごい強い敵が現れた。みんなを眠らせて夢の世界へ誘ってしまったようだ。



 

 

 

 気が付けば、瞼の裏がオレンジ色に染まっていた。

 眩しい。

 自分を起こそうとしてくる光が鬱陶しくて、次第に眠気が霧散していく。

 薄く目を開けてみると、窓から朱色の西日が差しこんでいた。

 

 場所は校舎の端にある空き教室。

 市民のヒーロー部が使用している部室。

 

 もう放課後で、夕方だった。

 

「れっちゃーん? ……うぉ、やっぱここに居たか」

 

 ガラガラ、と音を立てて部屋に人が入ってきた。

 机に突っ伏して眠っていた僕は上体を起こし、寝ぼけ眼をこすりながら真横を向く。

 そこには見慣れた──なんだか呆れた表情をしている親友の姿があった。

 

「ぽっきー……?」

「お前なぁ。部室で昼寝するくらいだったら、居残りしないで早く帰った方がいいだろ」

 

 肩をすくめて「やれやれ」と首を横に振るアポロ。

 まるで海外映画の様なリアクションだ。

 

「部室にはもう誰もいねぇぞ、れっちゃん。今日は部活もなさそうだし帰ろうぜ」

「あぁ……うん、そうだね。帰ろっか、ポッキー」

 

 思いのほか早く意識が覚醒した僕は、机の横にかけてあったカバンを手に持って、彼の元へ駆け寄っていった。

 

 

 夢を見ていた気がする。

 内容……覚えてないや。何だったっけ。

 

「おい、れっちゃん」

「えっ?」

 

 後ろからアポロに手を引っ張られて、思わず立ち止まった。

 目の前を見てみると──赤信号だった。

 

「何だよボーっとして。危ないから気をつけろって」

「ごめん……」

「らしくないな。何かあったん?」

「……少し、長い夢を見ていた気がするんだ。内容は覚えてないんだけどさ」

「夢? ふーん」

 

 適当な相槌を打つアポロ。心底興味がなさそうだ。

 寝ぼけて事故りそうになった僕に呆れているのかもしれない。

 まぁ、どうせ夢だ。大した内容ではなかったんだろう。

 覚えてないってことはそれだけどうでもいい事だった証拠だ。印象的な夢だったら少しくらいは記憶してると思うし。

 

「なぁなぁ。れっちゃん」

 

 車通りの多い街中を闊歩していると、ふと隣にいるアポロが声を掛けてきた。

 

「なに?」

「いやさ、今日は部室で一人だったろ。いつもお前を囲んでるヒロインの皆はどうしたのかな~って」

「ヒロインて……そういう言い方、よくないと思うよ」

「なーに言ってんだ、この主人公モドキめ。戦いが終わった後には抱き着いてきたり、事あるごとに理由付けてお前ん家に来たりとか、弁当作ってきてお前の前で他のメンバーと味勝負したりすんのが、普通の友人関係だと思うか? お前だって本当はあの子らが自分のこと好きなのは分かってんだろ」

「それは……うぅん」

 

 ついつい答えが出ずに唸ってしまう。心当たりが無いと言えば噓になるから。

 確かに彼女らに多少なりとも好かれている自覚はある。

 それに気づかないなんて普通に考えてあり得ないだろう。鈍感とかそういうレベルの問題じゃない。それでは見て見ぬフリをしてるだけだ。

 

 ……こうしてアポロに直接言われなければ、そんな振る舞いをしていた可能性もありそうけど。

 

「で、でも、確実に僕の事が好きなわけじゃない女の子もいるよ。ほら、フウナとか」

「フウナ……えーと、確か風魔法が得意なウィンド姉妹の、妹のほうだったか。あの大人しい子だよな」

 

 さすが自称情報通。僕が交友関係を持っている人間のことはほとんど把握済みだな。

 

「何でフウナ?」

「あの子は姉であるカゼコの後を付いていってるだけなんだ。だからカゼコが僕に抱き着けばそれに続くし、逆の場合は一切干渉してこない。彼女らは双子だけど、いつも姉のカゼコの方がフウナを引っ張ってるってわけ」

 

 自惚れではなく冷静な分析だ。優柔不断であるがゆえにヒーロー部の少女たちに応えられないのは本当に申し訳ないが、それはそれとして彼女たちの特徴はしっかり把握している。

 

「でもれっちゃんはあの二人を、悪の組織に洗脳されてた状態から救ったんだろ。助けてくれたれっちゃんに惚れてても不思議じゃないと思うんだが」

「救ってないよ」

「え? ……ど、どゆこと?」

「フウナは洗脳されてなかったんだ。彼女には元から強力な催眠耐性があったみたいでね。……つまり、たとえカゼコ本人が操られた状態であっても、彼女はお姉さんの指示に従って行動する。幼い頃から自分にべったりで、自己肯定感や自我が薄い──ってのもカゼコから聞いたことがあるよ」

「はぇ~、難儀なモンだなぁ」

 

 

 こんな感じで夕方の道すがら、アポロが知らない情報をツラツラと並べていく。異様に口が軽いのは、それだけアポロに気を許しているからなのだろうか。

 

 こうして彼に何かを教えるのは珍しい事だ。

 いつもは重大な秘密を僕が黙ったままにするか、意外な情報をアポロから聞くかの二択程度しかなかったから。

 今では彼との距離感に変化が起きて、前までは出来なかった色々な話もできるようになった。喜ばしい事だ。

 一人で抱え込まず、二人で悩むことができる。

 

「……あれ?」

 

 何が──誰がきっかけでこうなったんだっけ。

 

「なんだっけ……」

「れっちゃん?」

 

 僕一人じゃ秘密を話す気にはならなかっただろう。そもそも彼に隠そうとしたのは僕自身なのだから。

 他の誰かに後押しをされたんじゃなかったのか。

 僕はその誰かに勇気を貰ったからこそ、アポロに全てを打ち明けた……そんな気がしてならない。

 どうしてだろう。

 頭の片隅にある靄が晴れない。

 

 とても大切な誰かを忘れているような──

 

 

『私を殺して』

 

 

 ──だれ、だったっけ。

 

 

 

 

 あたしコオリ・アイス! 

 今日は待ちに待ったレッカくんとのデートの日っ!

 

「あっ! レッカくーん!」

 

 噴水広場の前に彼の姿を認めた。手を振りながら近づくと、レッカ君もこちらに反応してくれた。

 

「ごめんね、待った?」

「さっき来たところ……って、コオリ。これ毎回やるの?」

「えへへ。レッカくんと恋人になれたのが嬉しすぎて……」

「まったく……ま、そういうところも可愛いんだけどね」

 

 あたしの頭を撫でるレッカくん。もうそれだけで幸せの絶頂を迎えそうだ。

 いつからだったかは覚えてないけど、レッカくんはヒーロー部の中からあたしを選んでくれた。

 一番初めにヒーロー部へ入ったあたしを──レッカくんと過ごした時間が一番長いあたしを。

 本当に、本当に嬉しい。

 

 これ以上はもう何もいらない。

 

「じゃあ行こうか、コオリ。美味しいスイーツ屋さんを知ってるんだ」

「うん! いこいこっ!」

 

 レッカくんさえいれば、それでいい。

 あたしの一番大切な存在が彼であるように、レッカくんにとっても一番大切な人はあたしのはずだ。

 だからあたしたち二人だけで完結している。

 他にはもう何も必要ない。

 彼が笑顔でいてくれたら、それで──

 

 

『おーす、れっちゃん』

 

 

 ……誰か、いたっけ。

 レッカくんの大切な人──あたし以外に誰かいたかな?

 

 

 

 

 グリント家の令嬢の朝は早い。

 わたくしヒカリ・グリントに、優雅に過ごす朝など存在しないのだ。

 

「ふっ、ふっ」

「いいペースだよヒカリ。この調子で行こう」

「は、はいっ、レッカ様!」

 

 今日は早朝からランニング。

 体力づくりの一環で始めたのだが、バテやすいわたくしを見かねたのか、日替わりでヒーロー部の面々がコーチをしてくれることになった。

 今回は待ちに待ったレッカ様の当番だ。

 良いところ見せますわよ~。

 

「流石ヒカリだね。先月よりもスピードが上がってるし、あまり息も切れてない。これなら戦闘中に一休みする必要もなくなりそうだ」

「ありがとっ、ございますっ……! ふぅっ、ふぅ」

 

 褒められて少し顔が熱くなった。

 こんな風に二人きりで過ごす時間は、これまであまりなかったから、本当に貴重な機会だ。この辺りでレッカ様からの好感度を一気に上げておきたい。

 

「あ、そうだ。放課後に時間があるなら、僕とトレーニングでもしようか」

「えぇっ!? ぜっ、ぜひとも──」

 

 この上ない最高のお誘いだ。頷かない理由はなかった。

 

「……あれ」

「ヒカリ? どうしたの」

「い、いえっ、何も……」

 

 しかし、なぜか足が止まってしまった。

 放課後の予定は何もなかったはずだ。せっかくレッカ様と二人きりでトレーニングできるのだから、即答すればよかったのに。

 

 どうして。

 何を悩んでいるのだろう──

 

 

『わかった。お茶の誘い、受ける』

 

 

 ──もっと前に、誰かと約束をしていた気がする。

 先約がいた気がする。

 とある人にお願いをして、もう一度お茶にお誘いしたいと、そう決めた時があったような気がしてならない。

 以前はわたくしが約束を無下にしてしまったから、もう一度お話をしようと思って。

 

 あぁ、思い出せない。

 これはきっと思い出さなければならない記憶だ。

 しっかりして、私。

 早く、早く。

 いますぐに思い出して。

 

 贖罪しなければならない──お話がしたかった”あの少女”の名を。

 

 

 

 

 私の名前はカゼコ・ウィンド! 妹のフウナと恋人のレッカと一緒にテーマパークに訪れたわ!

 

「お姉ちゃ~ん♡」

「カゼコ~♡」

「まったくもうアンタたちったら。本当に私がいないとダメね!」

 

 しょうがない子ね、二人とも。

 よーし、こうなったらとことん私が導いてあげるんだからっ! ついてきなさいッ!!

 

 

 

 

 

  

 ──視界が暗い。意識は保っているが、肉体が一ミリも動いてくれない。

 生徒会長だの、ヒーロー部の部長だの、ご大層な肩書を貰っておいてこのザマか。本当に情けない限りだ。

 うつ伏せで倒れた状態のまま、全身の力を振り絞ってなんとか瞼を開けた。

 そこには見慣れた部員たちの姿がある。

 

(私の見える範囲だが、少なくともレッカを含むヒーロー部の四人は眠っている……いや、眠らされたのか。強力な肉体拘束の魔法に、精神操作系の催眠術の二枚重ねをしてくる敵とは、恐れ入った)

 

 コクを捕縛するために悪の組織が放った切り札。

 究極人型ロボット、その名もサイボーグ。予想をはるかに上回る強さだ。

 

(このままでは全員拘束されて組織の本部へ連行されてしまう。動け、動け。ほんの少しだけでいい。誰か一人でも、この場から逃がすことが出来れば希望はある。動け、わたしの体──!)

 

 今こそ年長者の意地というものを見せるときだ、わたし。

 

 

 

 

 ……違う。

 

「おーい、どした音無」

「紀依、やばい。音無がずっとボーっとしている」

 

 この光景は、全部ウソだ。

 

 大きな家。

 奇麗に掃除された部屋。

 エプロンを着けて家事に勤しむ先輩。

 まるで普通の女の子のように、ソファでゲームをしながらくつろぐ衣月。

 

 こんなありふれた家族の様な姿の。

 その何もかもが──幻影だ。

 

「ごめんなさい、先輩。これは違うんです」

「えっ? お、音無……?」

 

 確かに彼らとの日常を望んだ。

 いつかすべてが終わって、こんな風に三人で幸せに生きていけたらいいなと、そんな願望を抱いた。

 でも、今じゃない。

 ちゃんと覚えている。

 私は何も忘れてなどいない。

 

「行かなきゃ」

「ちょっ、おい音無!」

「どうしたの、急に。わたしたちは、三人一緒じゃないと……」

 

「……ゴメンね、衣月ちゃん」

 

 すべてを放り投げて幸せな夢の世界に逃げるだなんて、今まで私が裏切ってきた数多の人々が許さない。

 衣月が許さない。

 あの先輩が許さない。

 なにより私自身が許せない。

 もう自分に嘘はつかないんだって、そう決めたんだから。

 

 起きろ、私。

 記憶が確かなら、先輩と衣月ちゃんは眠らされていない。早く助けに行かないとダメなんだよ。

 起きろ、はやく、今すぐに。

 

 目を覚ませ──!

 

 

 

 

 

 

 どうも。日に日にレッカと話すのが怖くなってきている弱虫こと、アポロです。

 

 現在はコクの姿になっていて、背中には衣月がいるこの状況を端的に言い表すと『ピンチ』以外の何物でもないわけですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。俺は死にそうです。

 

 もう少し正確に説明すると、俺たちは全滅しかけている。

 俺のチームとヒーロー部のメンバーを合わせた中で、俺と衣月以外の全員が眠らされてしまっている状況だ。もうマジでやばすぎておしっこ漏らしそう。

 

 沖縄までの道のりもあと少し、というところまで旅は順調に進んでいたのだが、その途中でスッゲェ強い敵が突然現れやがったのだ。

 なにやら悪の組織が本腰を入れて俺と衣月を捕える算段を組んだとのことで、奴らの切り札であるサイボーグとかいうロボット戦士が組織から解き放たれ、彼が俺たちを襲撃した。

 ライ会長の指示で応援に来たヒーロー部も、不思議な魔法でやられてこのザマだ。彼らが弱いんじゃなくて、この目の前にいるロボット野郎の催眠術が強すぎる。

 

「紀依……」

「平気だ衣月。まだまだピンチなんかじゃない」

 

 威勢を張る気力程度なら残っているが、ぶっちゃけ正面から戦っても勝てる気はしない。

 なぜかヤツの催眠魔法は、衣月と俺には効かなかったのだが、それを差し置いても戦闘能力に差があり過ぎるッピ。

 

 もう主人公みたいに覚醒して無双するしかないか。秘められた謎の力に目覚めちゃうか。

 

「排除、拘束、排除、拘束」

 

 明らかにあのロボットは会話が通じないため、説得も脅しもハッタリも無意味だ。

 純粋な戦闘能力だけがモノを言う少年バトル漫画みたいな展開になっちゃった。いよいよ隠された最強パワーでも覚醒させないと殺されそうだ。そんなの無さそうだけど。

 うおぉっ、なんか急に疼きだせ俺の右手。魔眼に目覚めるとかでもいいぞ!

 

「排除」

「えぇい、こうなったらヤケクソじゃい!」

 

 右手を前に構えた。この状況で使えるのは風魔法くらいしかないが、やれる事はやらないと。何もしないでぶっコロコロされるよりはマシだ。

 

「風まほ──」

 

 しかし、俺が魔法を使おうとしたその瞬間。

 

「──グッ? ハっ、排除、排除」

「えっ……く、クナイが飛んできて、ロボットの頭に刺さった……まさか!」

 

 後ろを振り向いてみると、そこにはうつ伏せの状態で険しい表情をしている、音無とライ会長の姿があった。

 なんとあの二人は自力で催眠術を乗り切って覚醒したらしい。強すぎる。主人公かな?

 

「はぁっ、はぁ……部長、ありがと、ございますっ……」

「ハ、はは。きみのクナイを電撃に乗せて飛ばすくらい、この状態でも出来るさ……」

 

 俺の味方になっても、音無とライ会長の絆は途切れてないってことかよ。羨ましくなるくらいカッコいいぜ、二人とも。

 

「せっ……こ、コクちゃん! 私たちのことはいいですから、ここは一旦引いてください!」

「いや、でも……」

「オトナシもわたし達もすぐに殺されることはない! 部長命令だ! いけっ!!」

 

 今すぐここで彼女らを助けられない歯がゆさはあれど、ここで意地を張ったら全滅だという事も理解していたため、俺は迫真の顔で叫んだライ会長に従って自分の足元に風魔法を使用した。

 

 ──すると、音無は真横の方向に首を向けて、再び叫んだ。

 

 

「フウナさん! フウナ先輩ッ!」

 

 

 その声が届いたであろう人物は、うつ伏せのまま()()()()をしている。

 ……あっ。でもピクッて反応したな。

 絶対に起きてるわ、アレ。

 それに気づいたライ会長が、めちゃくちゃデカい声で彼女に向かって叫んだ。

 

「起きているんだろフウナ! きみには催眠の耐性があったはずだ!」

「……ぐ、ぐぅ、ぐぅ。すやすや……っ」

「きみの姉を助ける為にはキミ自身の力が必要なんだ! コクと共に行ってくれ!」

 

 ライ会長の悲痛な叫びにも反応なし、と。

 あれは意地でも狸寝入りを決め込む体勢だな。あのフウナとかいう妹の方、よっぽどお姉ちゃんと離れたくないらしい。

 

「すぅ、すぅ……ぁ、あたしはいつでも、お姉ちゃんと一緒……むにゃむにゃ」

「アイツめ……」

 

 しょうがない。どうしてあの少女に催眠術が効かなかったのかは知らないが、ハッキリと意識があるんなら無理矢理にでも協力してもらおう。

 音無もライ会長も術にあらがってこそいるものの、基本的に怪人の技はその怪人本体を倒さなければ解除することはできない。

 本当ならあの二人のどちらかを連れていきたいところだが、あの様子じゃ戦闘は無理だ。戦えるのはそもそも術が効いてない俺とあの長い緑髪の少女だけということになる。

 

 ついでに俺の風魔法で浮遊させられるのも俺を含めて3人が限界だ。会長と音無に託された以上、意地でもあのシスコン女を連れて行く。

 

「紀依、わたしに任せて。……ほいっ」

 

 昨日の夕食を釣る時に使ってからそのまま背中に背負っていた釣竿を衣月が手に取り、竿部分をフウナの方にポイっと投げる。

 

「引っかかった。紀依、もう少し飛んで」

「了解」

「……えっ。うぇっ! ええぇっ!?」

 

 鮮やかな一本釣りでございます。お見事。

 

「何これェ! わぁー! お姉ちゃ〜ん!!」

「ちょっ、暴れんなコイツ……!」

「揺れる揺れる」

 

 なんとか持ち上げられたので、風魔法を使ってアシスト。

 見事にフウナを手元まで引き寄せることに成功した。サンキュー衣月。

 よし、落ち着いてきたしちゃんと美少女コクモードになるぞ。

 

「は、離してください! あたしはお姉ちゃんと一緒にいるんです! 離してー!!!」

「今こそ姉離れのとき。放っておいたらあなたのお姉さんは眠ったまま。それでもいいの?」

「でも離れたくないんですぅ! お姉ちゃんとあたしは一心同体、いつだって──ハグッ」

 

 わっ! 気絶した!?

 なんで……。

 

「うるさいから、わたしがスタンガンを使って眠らせた」

「衣月おまえ、意外と容赦ないのな……」

 

 釣竿だったりスタンガンだったりと、秘密道具がいっぱいな衣月えもんと厄介なシスコン女を引き連れて、死に物狂いになりながらその場を離脱していく俺たち。

 

 待ってろよ音無、みんな。

 絶対助けにいくからからな!

 

 

「……ハッ! お姉ちゃ──オゴッ♡ ………。」

「この人、うるさい」

「あと何回これやるんだろうな……」

 





またまた朽木_さんに頂いてしまいました 号泣してます 
今回はオトナシちゃんの好感度が高めな時に発生するイベントのCGっぽい仕上がりとなっております

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恋する百合女

 

 

 

 いつだってお姉ちゃんと一緒だった。

 

 他人からの評価を当てにするのなら、お父さんもお母さんも『良くない人』ではあったけれど、あたしにはお姉ちゃんがいてくれたから、それだけでよかった。

 

 いつもどこかへ遊びに行ってしまうお母さんの代わりにご飯を作ってくれたし、お酒に酔ったお父さんがあたしに痛いことをしてくると、お姉ちゃんはお父さんのお股を蹴り飛ばしてすぐに助けてくれた。

 

 勉強が苦手だからか決して優秀ではないけれど、それを補って余りある程に、幼い頃から賢い人だった。

 両親以外の頼れる大人を見つけて、得意な風魔法でお小遣いを稼いだり、人柄の良さで色々な人に好かれたり──とにかく『生きる』ことが上手で。

 

 あたしはそんなすごいお姉ちゃんの後ろにずっと引っ付いてきた。私についてきなさい、ってお姉ちゃんが言ってくれたから、そうするべきなんだって思った。

 

 いつだってお姉ちゃんが何とかしてくれる。

 だからあたしは邪魔にならないよう、お姉ちゃんのサポートをするんだ。

 それだけやっていればいい。

 お姉ちゃんが生かしてくれた命なのだから、死ぬ時だってお姉ちゃんと一緒だ。

 洗脳されたりとか、眠らされちゃったときとか、お姉ちゃんがダメになったならきっとあたしもダメなんだ。

 

 彼女に生かされた命として、彼女と共に生き、彼女と共に散る。

 それがカゼコお姉ちゃんの妹として生まれてきた、このあたし自身の守るべき矜持なんだ。

 

 

 ……そう、思っていたんだけど。

 

 

「うぅ~、おねぇ゛ぢゃ~ん……!」

「よしよし、ゴメンね。ほら、スタンガンはもうポイってしたから、怖くないよ」

「ビリビリぃ~……!」

「もうビリビリしないから、だいじょうぶ。……そうだ、はいコレ。紀依から貰ったアメ、あげる」

 

 白髪の幼い少女から貰ったアメ玉を口内で転がすと、悲しみを打ち消す甘味が口いっぱいに広がっていく。

 おいしい。何これ、うま。

 

「ぁ、ありっ、ありがとうございます。……えと、純白……さん?」

「藤宮衣月。名前でいい」

「は、はい……衣月さん」

 

 ──自分よりも明らかに年齢が低い子に宥められてしまっている。なんと情けない事だろうか。

 

 実はサイボーグという強そうな敵が現れて、お姉ちゃんが負けてしまったのであたしも諦めて死んだフリをしていたのだが、なんやかんやあってこの子とあっちにいる黒い少女──コクに連れてこられてしまったのだ。お姉ちゃんからあたしを引き剝がすなんてもはや誘拐に等しい。

 

 でもしょうがないじゃないか。

 学校以外でお姉ちゃんと離れた事なんてほとんどないんだから、怖くなってしまうのは道理だ。あたしは悪くない。

 ……いや、冷静に考えたらあたしが悪くないワケないのだが、それでも望まぬ状況にされてしまったのは事実だ。怯える程度のことは許してほしい。

 

「さて、フウナ・ウィンド」

「ひゃいっ!」

 

 なにやら離れた場所でスマホを操作していたらしいコクが、振り向いて声を掛けてきた。突然のことだったので思わず声が上ずってしまった。

 

「オトナシとの通信によると、ヒーロー部のみんなはここから少し離れた場所にある、悪の組織の支部に連れていかれたらしい」

「は、はぁ……」

 

 不思議な雰囲気の少女だ。

 衣月に比べれば表情は柔らかい方だが、それでもクールなのは変わらない。

 こんな状況でも落ち着いていられるその様子から精神力の強さが垣間見えた。

 

「助けるためにはあなたの力が必要。協力して」

「……い、いやです」

「どうして?」

 

 だってこの人に関しては悪い噂しか聞いていないから。

 

「お、お姉ちゃんからは……ヒーロー部の秩序を乱す悪い子って、聞いてます」

「わるい子……でも、私のことは二の次でしょ。あなたのお姉さんを助けるためだよ」

「あたしはその、えっと、お姉ちゃんの指示に従うっていうか……お姉ちゃんに言われたこと以外は、するつもりが無いと言いますか……」

 

 依存しているのは当の昔に理解している。自立しろと他人に急かされたことだってある。

 でもあたしは()()()()()()だから、お姉ちゃんを差し置いて勝手に行動したりはしない。

 救出しろだなんて言われてないし、お姉ちゃんがここで終わるのなら私も後を追う。

 そもそもお姉ちゃんが『悪い子』と言っているような相手の指示など従いたくないのだ。

 

「というか、どうせ……レッカさんが何とかしますから」

「今はそのレッカも追い詰められてるの、知ってるでしょ。レッカはあなたの好きな人なのに、助けようとは思わないの?」

「えっ……別に好きな人ってワケじゃないし……」

 

 お姉ちゃんが彼を好きってだけの話だ。あたしが彼と距離を縮めようとするのも、最終的にお姉ちゃんが有利になるためである。

 以前は『姉妹丼だなんて……レッカが変態になっちゃうわ! キャ~!』とか言ってたけど、よく意味が分からないし、あの時のお姉ちゃんは何だか喜んでいたように見えたから、私の行動はきっと間違っていない。

 

「……レッカに救ってもらったのではないの? それが理由で恋をしていたのだとばかり……」

「あ、あの人が救ったのはお姉ちゃんだけですから。別にあたしは洗脳されてなかったし、そもそもレッカさんが恋愛対象になるなんてあり得ないし……」

「あり得ないんだ」

 

 当然。あたしは女の子が好きなのだ。お姉ちゃんには黙ってるけど。

 

 レッカさんに関しては感謝や尊敬こそすれ、恋慕の感情を向けることなどあり得ない。あの人に魅力が無いのではなく、自分の嗜好の問題だ。

 

 小学校の頃に好きになった子は別の中学に行ってしまって、中学に至っては好きな人ができる前に悪の組織に拉致されてそのまま三年が経過したから、恋愛なんて一ミリも経験がないけど。

 しかしあたしの恋愛対象は女の子だ。それだけは分かっている。性格以外での数少ないお姉ちゃんと自分の明確な違いだから、より一層意識してると言ってもいい。

 

 ゆえにレッカさんを好きになる事はない。

 まさかお姉ちゃんが恋してる人を本気で好きになったりなんかしないし、そこに男の人に惚れることは無いという自分自身の線引きも相まって、彼に恋焦がれるなど二百パーセントあり得ないのだ。

 

「な、なのでお姉ちゃんの指示が無い限り、あたしは何もしません。第一あなたの言う事になんて従いませんから」

「…………そう。わかった」

「えっ」

 

 突っぱねるように言った自覚はあるのだが、まさかそこまで興味がなさそうにすんなりと受け入れられるとは思っていなくて、面食らってしまった。

 

 ……お、怒らせちゃったのかな……?

 

「夜も遅いし、今日のところはここで野営する。捕まった皆もまだ牢に閉じ込められてるだけみたいだから、具体的な解決法は明日考えよう」

「は、はい。……ぁっ、いえっ! あたしには関係ありませんけど!」

「コレは指示じゃなくて提案なんだけど、きっと夜は冷えるから焚火に使う枝は拾ってきた方がいいと思う。どうかな」

「それは……まぁ、はい、そうですね……」

 

 自分だって焚火に当たるのだから、そこを人任せにするのは流石にマズい。

 てかこれは指示に従ったわけじゃなくて、提案を吞んだだけだから。うん。

 

 

……

 

…………

 

 

「アダッ!!」

 

 燃やすための枝を集めている最中、少々ぬかるんだ地面に足を取られ、そのまますっ転んでしまった。

 

「いたた……うぅ、膝擦りむいたぁ」

「……ヒーロー部って、転んでケガをする伝統でもあるの?」

「あっ、コクさん……」

 

 膝を抱えて涙目になっているあたしの所に、よく分からないことを呟きながら駆け付けるコク。

 その手にはリュックの中から取り出したと思われる、小さな救急セットが握られていた。

 

「まったく。手当てするから、動かないで」

「わ、悪いですよ……」

「少しくらい頼ってくれてもいいでしょうに。今日だけは一緒に夜を過ごす仲間なんだから」

 

 少し呆れた様子でぼやきつつ、彼女はあたしの傍に座り込んだ。

 

 

「……えっ?」

 

 

 その艶やかな黒髪が似合う凛々しい外見からは想像できない──蹲踞の体勢で。

 

 彼女が着ている制服っぽい服装の下はスカートなのだが、もはやミニスカートと言っても過言ではないほど丈が短いソレでは、中のパンツが見えそうになってしまうではないか。

 

わ、わっ、わぁ……っ!」

「……? 膝が汚れてるから、水でちょっと洗うね。染みると思うけど我慢して」

「アヒッ!?♡」

 

 見え隠れする下着に目を奪われた矢先に、ペットボトルのミネラルウォーターを膝にかけられ、思わず変な声をあげてしまった。

 染みた痛みというより、意識外からの攻撃に驚いた感じだ。

 やばい、パンツ見えそうだったから油断してた。無意識に見ようとしちゃってたけど、バレたかな……?

 

「ご、ごめん。そんなに痛むとは思わなくて……」

「ぃいいえ! いえいえっ! ごめんなさいッ!」

「何で謝るの……?」

 

 気づいてないのか!? こっ、ここ、これって指摘してあげた方がいいのかしら!?

 

「濡れた膝を拭く。さすがにもう痛くはしないから、だいじょうぶ」

「…………ぁっ」

 

 気を遣ってもっと丁寧に手当てをしようと考えたのか、コクは更に私の方へ接近してきた。

 密着する一歩手前だ。

 端的に言って近い。

 

「……ほっ……おっ」

 

 黒髪が揺れる。

 瞬間、甘い香りが鼻腔を通り抜けた。すると、何だか下腹部が微妙に疼いた。

 

「絆創膏を張るね」

「ぁはいっ。……あ、あの」

「なに?」

「その……少し、丁寧にお願いできますか」

「えっ」

 

 自分でも何を言っているのかわからない。

 もう少しだけ彼女の髪の匂いを嗅ぎたかったせいなのか、咄嗟に出た一言だった。

 丁寧にやるというのは、ゆっくりと作業するという事。

 ゆっくりやれば……それだけ時間もかかる。

 時間がかかれば……匂いが、嗅げる。

 

 やばい何だろう、あたしってもしかして変態なのかな。

 

「わかった。さっきは痛くして、ごめんね」

「だっだ、大丈夫です…………っ、んひ」

「……鼻息が異様に荒いけど、本当に大丈夫? 体調が悪いの?」

「はいっ、はい、はい。あっ、いいえ。体調は良好です、ご心配なく」

「そう……」

 

 いけない。自分では気づかなかったけど、鼻息が荒くなっていたのか。もう少し意識して気をつけないと。

 ていうか変なにやつき顔になってないよね? ポーカーフェイス、冷静な顔をしないと。

 

「……フウナ」

「な、何でしょうか」

「その……無理やり連れだして、ごめんね。お姉さんのことは必ず助けるから、安心して」

 

 ──儚い微笑みを見せる、漆黒の少女。

 燦然と星々が煌めく、あの夜空に浮かぶ月明かりと相まって、まるで妖精と見紛うほどに彼女が神秘的に……美しく見えた。

 

「ほら、肩を貸すから。一緒にキャンプ場所まで戻ろう」

「は、はひ……」

 

 なんなの、この子めっちゃ優しいじゃん。

 

「あ、そうだ。フウナは、ご飯はたくさん食べる人?」

「えと、それなりに……育ち盛りなので……」

「それなら私の缶詰めも分けてあげるね。無理やり連れてきちゃったお詫びだから、遠慮せずに食べて」

 

 妙に優しいし距離が近いし、もしかしてあたしが好きなのか? 

 コイツもしやあたしの事が好きなのか?

 わかんないわかんない。大事な思春期は悪の組織で過ごしたから、女の子との距離感わかんない。

 

 そういえばレッカさんのお友達のキィ君が入部した後、なんやかんやあって彼が持っていた漫画を借りたことがあったけど、そこでは同じ学年の男の子を優しさで勘違いさせる善意百パーセントの女の子が登場していた。

 これもアレか。

 善意からくる勘違いなのか?

 

「……あの、コクさん。集めた小枝、転んだ場所にそのまま置いてきちゃいましたけど……」

「フウナは気にしないでいい。私が後であなたの分も、まとめて拾ってくるから」

 

 いや違うわ。コレ善意じゃなくてあたしに対して優しいわ。あたしの事少しだけ特別な目線で見てるわ。

 確実に中学生の男子みたいな勘違いじゃない。彼女は街の中で初めて会ったあの時から、レッカさんと話しているように見えて、実はあたしを見ていたんだ。そんな気がする。

 だからこんなに優しいし、気も遣ってくれる。実はあたしの事が気になっていたのだ。だって優しいし。

 

「…………」

「……? なに、私の顔になにか付いてる?」

 

 待って、気づいた。

 コクさんめっちゃ可愛くね? いやかわいい。小学校での初恋なんか吹き飛ぶくらいかわいい。なにより多分あたしのこと好きかもだし、それも相まって超かわいい。

 えぇ……好き……。

 

「衣月、ただいま」

「おかえりなさい、きっ……コク」

 

 あたしを切り株に座らせたあと、抱き着いてきた衣月の頭を撫でるコク。

 

「一人にしてごめんね、衣月」

「いい。別に、怖くなかった」

「そっか、衣月はえらいね。はい、ほっぺむにむに」

「んんぅ……」

 

 年下をあやすママみまで会得してるってのか。どこにも隙が無いじゃないか。何だあの完璧な美少女は。

 

「フウナ。私は衣月と一緒にさっきの枝を拾ってくるから、火の管理をお願いできるかな」

「まっかせてください!!!」

「う、うん。ありがとう」

 

 頼られてしまったからには成し遂げないと。もうカッコ悪いところは見せられないと、あたしの本能が強く叫んでいる。

 

 

 お姉ちゃん、ご報告があります。

 あたしは本当の恋というものを知ってしまったかもしれません。

 アナタがいなければ何もできなかった自分ですが、もしかしたら何かが変わった可能性があります。

 きっかけというのは本当に些細なものなのですね。

 

 

「……んぁ、いつきぃ? ねむれねぇ、なら……こっちこい……」

「ア°ッ」

 

 深夜。

 ふと目を覚ましたら、寝ぼけているのか異様に口調がワイルドになったコクさんに、衣月さんと勘違いされて手招きされたので、コレはフリでもう絶対この人あたしのこと好きだろワイルドな口調もギャップ萌えです好きって思いながら同じブランケットを被って眠りました。めちゃくちゃドキドキして眠れなかったです。

 

 

 

 

 翌日。

 

 寝ぼけてフウナと一緒に寝てしまった俺は自分を戒め、衣月をフウナに任せて一人で組織の支部へ赴こうとしたのだが、意外にもそれはフウナ本人によって止められた。

 予想していなかった。こういっては何だが、彼女の意思はもっと希薄な物だと思っていたから。

 どうやら昨晩の『めっちゃ相手を尊重して優しくすれば少しは心開いてくれるんじゃね作戦』は少なからず成功していたようだ。

 

 で、現在はというと、ヒーロー部さまから直々に風魔法の上手なコントロール法を伝授してもらっていた。

 少しでも能力を向上させた状態で殴り込みをかけた方がいい、とのことだったから、俺はかなり真面目に修行に取り組んでいる。

 

「こ、コクさん、もう少し指先の力を抜いて」

「うん」

「腕の位置はそうじゃなくて、あとちょっと上です。あたしが調節しますね。……手、柔らかいですね」

「えと、ありがとう……?」

 

 ……つーかセクハラされてるだけのような気もするんだが。

 今は後ろから腕の位置を調節してもらっているのだが、余計に手のひらをぷにぷにしてきたり、無駄に後ろから腰を密着させてきたりと、明らかに俺を触りに来ている。

 

 気づかないとでも思っているんだろうか。中学生でももう少し節度があると思うんだけど。

 

「……フウナ。どうして私の髪の匂いを嗅いでいるの」

「わひゃっ!? かっかか、嗅いでなんかいませんよ! 近すぎましたね、ごめんなさい!!」

 

 無知っ娘を装って釘を刺すと、案外簡単に手を引いた。

 なんというか怪しげな感情をひた隠しにしているというより、単に性欲が暴走しているだけな気がしてきた。

 

 多分コイツは女の子が好きなんだろう。昨日だって散々俺の太ももとかをねっとりした視線でチラチラ見てたし、例えるなら女子を性的に意識し始めた男子中学生みたいなモンだ。

 別に何が好きだろうと文句なんかあるわけないが、時と場合ってものは意識して欲しいところだ。今はどう考えてもコクをセクハラしている場合ではないだろう。

 

「あのあぁのっ、本当にごめんなさい……! そんなつもりじゃなくて……すみませんっ、ごめんなさい!」

 

 思ったよりも殊勝な態度だ。本当にただ一瞬性欲に負けていただけで、実はそこまで悪い子ではなかったりするのだろうか。

 中学校時代の三年間を悪の組織で過ごしたことは、既にレッカから聞いていた。彼女の精神の成長は三年分止まっていたと考えてもいいのだ。

 俺もそこを加味したうえで、このフウナ・ウィンドという少女とコミュニケーションを取らなければいけないはずだ。

 

「大丈夫。別に気にしてないから」

「そ、そうですか……?」

「うん。それより私は、フウナが一緒に戦う気になってくれたことが、嬉しい」

「ぁっ、えと、あたしは……」

 

 ここはもう少し都合よく振る舞ってあげた方が吉だろう。

 まさかコクに対して本気で恋をしているとは思えないが、性欲を向ける対象になっている以上、こちらが提供できる対価というものが存在することになる。

 

 こうやって言うとマジで悪役のセリフに聞こえてくるが、彼女にはもうちょっと俺の為に“協力”して頂こう。

 音無やヒーロー部のメンバー、なによりレッカを助けるためだ。手段を選んでいる場合じゃない。

 

 くっくっく、覚悟しろよお嬢さん。俺の体を触ったからには、同じく労働(からだ)で払ってもらうからな。

 お前はセクハラする女の子を間違えたんだぜ──!

 

「私、フウナのこと……結構好きだよ」

「ッ!!!?」

 

 ……こんなに分かりやすく動揺することある? ちょっと心配になってきちゃったわね。

 い、いや、ここは心を鬼にする時だ。

 今こそ漫画で読んだ『童貞を勘違いさせる女の子ムーブ』でコイツを上手く乗せないといけないのだから。

 レッカにやってた美少女ムーブとは系統が少し異なるけど……がんばるぞ!

 

「一緒に戦う事が出来れば、私たちもっと仲良くなれると思うんだけど……どうかな」

「どどっど、どうって! あの、はいっ! 戦いましょう! 一緒に! 頑張ります!!」

「ありがとう、嬉しい」

 

 そしてここで使うのは、コクとしては珍しい照れ顔だ!

 

「えへへ。やっぱりフウナは優しいね」

「……そ、そうですかね? まっ、まぁ、人として当然のことですよ」

 

 隠してるつもりだろうけど死ぬほどニヤついた顔だからな。チョロすぎないかこの子。

 

「それでも嬉しい。一緒にがんばろ、フウナ」

「えぇっ、はい! ぜひ! 一緒にお姉ちゃんたちを救出しましょう!」

 

 

 というわけで(一時的に)風使いの妹ちゃんが仲間になったのであった。

 

 理由や経緯はどうあれ、彼女はお姉ちゃんの指示ではなく、自分で考えて行動が出来るようになったワケだ。それに関しては素直に喜ばしい事だと信じよう。

 

「よーしがんばるぞぉ……! い、衣月さん! あたしの背中に飛び乗ってください!」

「はい。……わ、すごい、浮いてる」

「ご指示を!」 

「進め、我が足」

「御意ッ!」

 

 目を離した隙に衣月とも仲良くなってた。衣月がフウナの背中に立って空を飛び回っていて、まるで筋斗雲に乗る孫悟空みたいになっとる。かわいいなアイツら。

 精神年齢で言えばそこまで離れてないから、もしかしたら相性もいいのかもしれない。楽しそうで何よりです。

 

 よし、俺も行くか。

 学友たちを助けるために、悪の組織の支部へ突撃隣の晩ごはんだ。

 

「コク、自分で空を飛べるの、ズルい」

「あとでフウナに風魔法を教えてもらいな」

「いいの?」

「えへへ、いくらでも伝授しますよ衣月さん。あたしは風魔法だけが取り柄ですから」

「……やっぱり、風菜(ふうな)の背中に乗るのも、悪くないかも」

 

 お、ようやっと名前で呼んだ。やっぱり懐いちゃったみたいだな。

 相性良いってのもあながち間違いじゃなかったかも。

 

「……もっ、もしかして衣月さんもあたしの事が好きなのか?」

 

 マジで節操ねぇなコイツ……。

 

 

 



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忍法・ヒロイン奪いの術

 

 

 

 なんやかんやあって、俺たちはサイボーグの撃破に成功した。

 

 もう少し詳しく説明すると、ヤツは門番のように支部の入り口の前に立ち塞がっていたのだが、衣月が投擲したクナイを俺と風菜の風魔法で超加速させた結果、サイボーグの頭部を粉々に打ち砕いて勝利した──という流れだ。衣月はあらかじめ音無からクナイを一本持たされていたらしい。

 

 しかし勝利の喜びも束の間。

 どうやらサイボーグは量産されていたらしく、この組織支部のいたるところに配置されていることが分かってしまった。

 割と苦労して倒した敵だっただけに、そいつが量産型の内の一体だということが判明したときの落胆も大きかった。

 

 だが風菜と衣月の励ましによって再起し、とりあえず先に仲間の解放をしようということで、風菜に衣月を任せて二手に分かれ、俺は怪しげな地下のほうへと降りて行った。

 そこで見つけたのは──

 

 

「…………コク」

 

 

 大きな廊下で、燃え盛る炎の剣をその手に握ったレッカが、脱力したように立ち尽くしている。

 その周囲には木っ端微塵に破壊され尽くした、あのサイボーグの残骸が散乱している。

 燃えた痕跡や廊下中に漂うコゲ臭い匂いから察するに、これはすべてレッカが片付けたものなのだろう。

 

 ……えっ、なにこれ。

 覚醒イベントか何か?

 

「レッカ、これは」

「見ての通りさ。皆を処刑させないために、すべて僕が倒した。どうやら在庫はまだまだ残ってるみたいだけどね」

 

 いやいやもうこの際、サイボーグの残存兵力だとかはどうでもいい。

 あの、れっちゃんが異様にクールな男になっちゃってる方が不思議でならないんですけど。

 てか起きてるし。あの催眠状態から自力で覚醒したのか。

 

「きみのおかげだよ、コク」

「私……?」

「僕はアポロとの日常という夢に囚われていたんだ。とても心地良くて……平和な日々だった」

 

 催眠状態のときはみんな夢を見せられてたらしい。ありがちな夢の世界ってやつだな。

 でも、何でよりにもよって俺との起伏のない日常が夢なんだろう。

 そこはヒーロー部の女の子たちとアレコレする最高のハーレム桃源郷じゃないのか?

 まったく夢がない奴だな、どんだけ俺のこと好きなんだよ。照れるからやめれ。

 

「でも、きみの存在が僕に違和感を与えてくれた。親友を奪ったキミがいたからこそ、僕は()()で目を覚ますことができたというワケだ」

 

 あれ、今ちょっと不穏なワードが聞こえた気がするんだけど、気のせいかな。

 

「夢なんかで満足したりはしないよ。僕は僕のあるべき日常を取り戻すつもりだ」

「レッカ……」

 

 やばい、怖くて一歩下がっちゃった。

 しかしそれを縮めるように一歩俺に近づくレッカ。持ってる武器の剣先が床を削って、嫌な金属音を立てた。

 

「コク」

「……ッ!」

 

 全身から殺意が溢れ出てるんですけど。

 これもしかしなくてもこの場で殺されちゃうヤツか?

 

「アポロの事も、キミのこともまとめて救う。……親友曰く僕は『主人公』ってヤツらしいからね。僕の大切な人は誰一人死なせはしない」

 

 あっ、言葉通り主人公っぽいセリフだ。

 よかった~。

 

「だから今ここで、そのペンダントを回収する」

 

 よくなかった~。

 

「渡せ、コク」

「む、むり……」

「ダメだ、渡してアポロを解放しろ。君の体の媒体が必要なら僕を使え。必ずきみをペンダントの牢獄から救いだしてみせる」

 

 目が据わってる。もうマジのマジだ。

 夢での体験がトリガーになってしまったのか、もはやあの優柔不断で迷いながら歩くレッカはどこにもいない。

 

 そこで俺はようやく理解したのだ。

 今のコイツには以前なかったものがある。

 

「拒否をするようなら力づくでそれを回収させてもらうよ」

 

 たとえそれが相手を傷つけるような選択であったとしても、今のレッカには()()()()()()()()()──

 

「コク……そこを動くなッ!」

 

 ──そんな『スゴ()』があるッ!!

 

「にっ、逃げるが勝ち……ッ!」

「なにッ!」

 

 足に風魔法を使用して加速し、レッカの股下を通り抜けて彼の背後へ。

 

 俺にはメインヒロイン面した謎の美少女ごっこを最後までやりきるという『覚悟』がある。その意思を貫き通す為にも、誰一人助けていないこんな中途半端な状態で捕まるワケにはいかないのだ。

 ついでに膝カックンもして転ばせといてやる。

 

「ほい」

「あぅっ!」

 

 ひゃっひゃっひゃ! かわいい悲鳴じゃあねぇかッ! 

 めっちゃ怖いから俺はこのまま音無を見つけて逃げさせてもらうぜェーッ!

 

 

 

 

 鬼のれっちゃんから死に物狂いで逃走して、数分。

 音無とライ先輩を除いたヒーロー部のみんなが投獄されている牢屋を見つけた俺は、管制室から持ってきた鍵を使って彼女らを救出した。

 残るは我が相棒こと後輩ニンジャと、精神力がカンストしてるあの生徒会長だけである。

 

 ……なのだが。

 

「で、レッカくんはどこにいるの? アナタまさかレッカくんを囮に使ったわけじゃないよね?」

「……」

「あんたフウナのこと連れて行ったらしいわね!? 何処にいるのか答えなさい! あと一日だけ妹のお世話してくれてありがとう!」

「…………」

「ちょ、ちょっとお二人とも! そんな質問攻めをされたら、コクさんが困ってしまいますよ!」

 

 四人で廊下を走りながら、横にいるコオリとカゼコにめ~ちゃめちゃ因縁をつけられてる。そろそろ鼓膜が破れそうだ。

 なぜかヒカリが味方というか、仲介をしてくれているおかげでギリギリ『残りの仲間を見つける』という方向性で場の雰囲気は纏まってくれているのだが、もし彼女が一緒じゃなければ、きっと今頃ポコポコにされていたに違いない。

 

 金髪お嬢様が彼女らと同じ牢屋にいてくれて、本当に心底助かった。

 ありがとうございます……時間が出来たら一緒にお茶しましょうね……。

 

「んっ」

 

 戦闘訓練場、という標識が張られた大広間のような場所に出た。

 広さで言えば学校の体育館程度の面積だ。

 この支部の中央に当たる場所なのか、周囲にある出入口の数がかなり多く、ほぼどこからでもこの訓練場にたどり着ける仕組みになっているらしい。

 

 つまり──迷ったらとりあえずこの訓練場に行きつくというワケだ。

 

「あっ、みなさんあちらっ、ライ部長ではなくて?」

 

 ヒカリが指さした場所には、電撃を纏った鉄パイプでサイボーグを数体倒したように見える、少々息切れした様子のライ会長が立っていた。

 やはり会長も施設内を歩き回って、結果的にここへ流れ着いてしまったようだ。

 

 ……それにしても、会長といいレッカといい、一度負けた相手には普通に勝ってしまうあたり、戦闘能力の成長スピードが早すぎないだろうか。俺なんか風魔法がちょっとうまく使えるようになっただけなのに。

 

「フウナとオトナシはいないみたいね。館内放送でレッカが脱獄したのは知ってたけど、まさか部長まで牢屋をぶっ壊してたなんて、マジで驚きだわ……」

「流石ライ部長だねっ!」

「わたくしたちの部長は無敵ですわ~!」

 

 会長の最強っぷりを見せつけられて、思わず語彙力が低くなるメンバー三人。

 それだけライ会長の姿が鮮烈に見えているのだろう。やっぱすげぇ人だわ。

 ていうかこの三人とも、こうして見るとレッカよりライ会長に対してのほうが好感度高そう。理想的な上司なんだろうなきっと。

 

「はぁっ、はぁ……むっ」

 

 俺のチームにも率先して前に立ってくれるリーダー欲しいな~、とか思いながら彼女らを眺めていると、会長が気づいてくれた。

 他の部員を差し置いて、いの一番に俺との視線が合わさっちゃったので、会長はもしかすると俺のことが好きなのかもしれない。

 

「よかった、みんな無事だったか。……おや、コクもいたんだね」

 

 全然俺のことなんか気づいてなかったから、さっきのは自意識過剰だったようだ。恥ずかし。

 もう俺から話しかけちゃおう。

 

「ライ会長も、無事でなにより」

「ふふ、ありがとう。……なるほど、その様子を見るにきみが彼女らを牢から出してくれたんだね。部長として礼を言わせてもらうよ」

「どういたしまして」

 

 ライ会長も俺たちの方へ合流し、早くも五人揃うことが出来た。ちょうど戦隊ヒーローみたいな数だ。

 肝心の赤色であるレッカが見つからないけど、アイツどこ行ったんだろう。

 てっきり俺の後ろから追いかけてくると思っていたけど──

 

 

「コク! 見つけたぞッ!」

 

 と、そこまで考えたところで、正面の出入り口からレッカが入場してきた。なんか衣月を肩車した状態で。

 てか後ろに残りのメンバーだった音無と風菜もおるな。合流できたようで何よりだ。

 

「あら、レッカ様ですわ。オトナシちゃん達もいますわね」

「フウナー! お姉ちゃんよー! 怪我とかないー!?」

「よかった……これでヒーロー部は全員集合ですね、部長」

「あぁ、そうだな。……しかし、妙だ。組織の支部という割には、敵の人員が少なすぎるような気もする……」

 

 会長のフラグっぽい独り言はさておき、俺が手を振ると、肩車でレッカの上に乗ってる衣月が手を振り返してくれた。あいつら親子みたいだな。

 

「……みんな、コクと一緒にいたんだな」

「えぇ、彼女がわたくし達を助けてくれたのですわ。レッカ様はオトナシさんを?」

「まぁ、ね。ほとんどフウナのおかげだけど」

「エッヘン!」

「さすがフウナ! お姉ちゃん鼻が高いわ!」

「あれ……? ふ、フウナちゃんもしかして、独り立ち出来るようになったの?」

「ふっふっふ、驚きましたかコオリ先輩。もう以前までのお姉ちゃんにべったりなフウナ先輩ではないんスよ!」

「えぇ~ッ!? すごい成長じゃん!」

 

 ……もしかして、ヒーロー部同士の会話って、あんまり知能指数が高くない感じなんです……?

 思ったよりもほんわかした空気が流れてて安心した。これが部活メンバーの雰囲気ってヤツか。

 

 あぁ、いや、これが当たり前なんだよな。

 実際の所、因縁がバッチバチなのは俺とレッカだけだもんな。

 

「……コク」

「レッカ……」

 

 なんだかレッカと俺の所属チームが正反対になったような状態で、俺たち以外のみんなが離れた状態で会話をしている。

 いつも主人公と一緒だったメンバーは俺の周りに。

 女に変身して逃げ出したわる~い友人キャラの仲間は、彼の方に。

 

 まるでメンバーの交換会でもやるような雰囲気だ。見事に逆のパーティになってしまっている。

 

「みんなを助けてくれた事には礼を言うが、きみ自身のことに関しては別の話だ」

「こっちもそう。音無を解放してくれたことは感謝してるけど、衣月に肩車してもいいと許可を出した覚えはない」

 

 バチバチと視線がぶつかり合う。けど周囲の雰囲気が悪くなる様子はない。この子たち肝が据わりすぎてない?

 

「コオリ、こっちに来るんだ」

「あ、うん」

「衣月、おいで」

「わかった」

 

 レッカの上から飛び降りた衣月がポテポテと小走りでこっちに向かってくる。

 それとすれ違うようにして、コオリがレッカの元へ行った。

 まずは一人だな。

 

「他のみんなも戻ってきてくれ」

「えっ、ズルい」

 

 一気にメンバーをゴッソリ持ってかれてしまった。これが主人公力の違いか……。

 俺の元に残ったのは衣月だけだ。構図的には『ヒーロー部 vs 白黒姉妹』みたいになってるけど、こんなん勝ち目がない。

 けど、諦めないからな。

 俺はまだ美少女ごっこをやめるつもりはない。雰囲気なんかにゃ負けねぇぞ。

 

「コク、僕たちは一年間街や国を守ってきたヒーロー部だ。警察に組織のスパイがいたとしても、僕たちなら君を守れる。その少女だって例外じゃないんだ。二人も来てくれ」

「……どうするの、紀依」

 

 ふっふ、愚問だな。この程度じゃ狼狽えたりしないぜ。

 

「行かない。レッカ、あなたは私のペンダントを奪おうとした。だから絶対に仲間にはならない」

「……アポロを解放するためだ。自由に行動がしたいなら、僕の体を使ってくれればいいじゃないか。これ以上僕の親友を巻き込むな」

「これはアポロの意思で、ペンダントは私と彼を繋ぐ絆。あなたにこれを渡す理由は無い。……コレを奪うということは、アポロの覚悟を踏みにじる事でもあることに、気づいているの?」

「だとしても、だ。彼の気持ちは尊重してやりたいが、キミと一緒に死なれたらたまったもんじゃない」

 

 どうしても拒否するなら実力行使も辞さない──といった雰囲気を感じる。

 

 いいじゃないか、面白くなってきやがった。

 ようやくレッカも本気モードになったという事で、こっちも隠しヒロインムーブに熱が入るってもんだ。

 

 意地でも衣月は俺が送り届ける。ヒーロー部の力を借りた場合のリスクとリターンを考えても、それが美少女ムーブしつつ安全に衣月を旅させる最善の選択だ。なにより両親との約束がある。

 ここで仲間になったらハーレム入りだから、絶対に仲間にもならない。絶対に、だ。

 

「あなたには従わない。前にも言ったでしょ、アポロを取り返したいのなら、私を殺せって」

「……っ」

「友人を自分の手元に戻すための選択肢は、このペンダントを破壊する事だけ。誰もかれもがあなたの輪の中に入るわけじゃない。私はヒーロー部にはならない」

 

 まだ攻略なんかさせないぜ、親友。

 漆黒は攻略難易度も攻略手順も一番面倒くさいヒロインなんだ。根気を見せてもらわないと困る。

 それに俺がここで仲間になったら、決死の想いでヒーロー部を裏切った後輩の意思を無駄にすることになるからな。

 もうレッカと一緒に戦えば万事解決、だなんて単純な話じゃないんだ。

 

「だったら力づくで──ぁっ。……お、オトナシ?」

「ごめんなさい、レッカ先輩」

 

 レッカが実力行使に出ようとしたその時、音無が前に出た。

 彼女はそのままスタスタと前へ進んでいき、ついに俺の隣に来てから彼の方へ振り向いた。

 

「私は……こっちに付きます」

「な、なにを言ってるんだ、オトナシ。コクの正体が判明したいま、状況は変わった。すぐにでも保護して、アポロの安全を確保するべきじゃないか」

「レッカ先輩がいなくても、あの人は大丈夫です」

「……ッ! バカな事を言ってないで戻ってくるんだ!」

 

 音無は不動を貫く。衣月の手を握り、真っ向からレッカと対峙する。

 

「戻りません! 先輩も衣月ちゃんも──私が守ります!」

「オトナシ……」

「あの、あたしもあっちに行きますね……」

「ちょ、フウナ!?」

 

 ついでに百合女もこっちに来やがった。

 なんでやねん。

 

「レッカさん、今までありがとうございました。……えへへっ♡」

 

 おい引っ付くなバカ。

 何これ、共闘はしたけど仲間に誘った覚えはないんだが。

 てかなんでそんなホイホイ主人公を裏切れるの? 裏切りのバーゲンセールかよ。

 悪いこと言わないからお前は戻れって……。

 

「な、何だ、そのフウナの態度は。明らかにキミに惚れているぞ。一緒に過ごしたのはたった一夜のはずだろ」

「そのはずなんだけどね……」

「まっ、ま……まさかえっちな事をしたのか!?」

「あの主人公スゴイこと言い出した」

 

 するわけねーだろ!!!!

 何だよアイツ、クールになったかと思ったら全然そんな事なかったぞ!?

 

「きみは魔性の女だ……ッ!」

「あなたも女の子を侍らせてるけどね」

「黙れ! 実際に手を出したきみの方が罪深いぞ! もしやオトナシにも──あギャッ!?」

 

 突然レッカの額にクナイがぶっ刺さった。

 もしやと思って隣を見てみると、顔を赤くした状態で、若干怒った表情の音無さんがいらっしゃった。こわい。

 

「男子って本当、ばか……ていうか先輩、変な設定増えてませんか」

「ウッ……で、でも、レッカのあれはやりすぎじゃない?」

「うるさいです。言っておきますけど、あれセクハラですからね」

「ぉ、オトナシ……? いたい……」

「今のは確実にレッカくんが悪いと思うよ?」

 

 コオリさんの冷たい一言がグサリと刺さったのか、落ち込む親友。なんだか哀れに見えてきた。

 同じ男として庇ってやりたいところだが、今は敵対してるから無理だ。ごめんよれっちゃん……。

 

「こらフウナ! お姉ちゃんのとこに戻ってきなさい!」

「あっ、あたしは恋を知りましたッ!!!」

「えっ……。そ、それだと、無理強いはできないわね……」

 

 あの姉妹いろいろ感覚がおかしくない? これ俺が変なの?

 

「それなら三日に一度は電話をすること! いいわね!?」

「わかった! ありがとうお姉ちゃん!!」

「いいのよ……わたしは妹の恋路を邪魔するほど、野暮な女じゃないわ……」

 

 野暮な女であってほしかった。

 

「コク、きみはやっぱりオトナシとフウナを……!」

「忍法・ヒロイン奪いの術でござる。にんにん」

「キサマぁ゛ッ!!!」

 

 俺すらも思考放棄をしてレッカを煽り始める始末だ。

 もう、今すぐこの場から逃げ出したい。

 

 

 ──と、そう思った矢先のことだった。

 

 

 

『施設爆破までのカウントダウンが三分を切りました。館内に残された職員並びに戦闘員は、早急に地下室の脱出用ポッドまでお急ぎください』

 

 

 

 そんな館内放送が、辺り一帯に響き渡った。

 

 ……そういえばだけど、ライ会長が何かフラグっぽいことを言ってた気がする。

 

「……なるほど、やはりな」

「ど、どういうことですの、ライ部長?」

「この組織の支部の中にいた敵が、サイボーグしかいなかった理由だよ。ここ自体を爆発させて、わたし達を一斉に亡き者にしようとしていた──という事さ」

 

 ドヤ顔でいう事だろうか。

 てか悪の組織めっちゃバカなことするじゃん。何で捕まえたいはずの俺と衣月がいるのに、建物ごと爆破させようとしてたの? もしかして俺たちが戦ってる間に、外で何かあった?

 ……冷静にこの状況、めちゃめちゃヤバくないか。

 

「敵だ味方だ、という話は一旦保留だ。まずは部員一同、地下に向かって……」

 

 スゥっ、と息を思い切り吸って、一言。

 

 

「──走れぇぇぇぇッ!!!!」

 

 

 そんな部長の叫びによって、バラバラだったこの場の全員の気持ちが、一瞬にして同じになったのだった。

 

 



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氷が溶ける温かさ

(R15タグ)いる……?


 

 

 結論から先に言うと、地下室の脱出用ポッドは、いわゆるワープ装置というものだった。

 

 車の運転席一つ分くらいの座席が内側に付いた、丸い鉄の塊が脱出用ポッドだ。なんかドラゴンボールで見たことありそうなフォルムしてたな。

 で、俺たちはその脱出ポッドがある地下室へ向かう道を、何度も何度もサイボーグたちに阻まれた。

 レッカに先頭を切り拓いてもらったり、音無に衣月を託したりなど道中諸々あって、結果的に最後尾を走ることになったのは俺だった。

 

 ライ会長の『今は自分の身の安全だけを考えろ』という一喝によって、皆は心苦しい思いをしながらも、脱出用ポッドに到着した人から順に次々とポッドを起動して脱出していった。

 一番最初にポッドに着いたヒカリの情報によって、ポッドにはワープ先を任意の場所に指定できる機能があると知ったため、会長の指示でワープ先はみんな『沖縄』に統一することにした。

 

 つまり上手くいっていれば、本来の目的地である沖縄にヒーロー部全員揃って集結する事が出来る、というわけだ。

 会長がどうして沖縄を選んだのかは分からないが、死に物狂いだったので質問なんて出来なかった。

 音無から聞き出したか、俺たちの会話をどこかで盗み聞いていたのか……ともかく目的地に行けるなら何でもよくて。

 

 ついに脱出用ポッドの部屋に着いた俺の目の前には、たった一つしかない脱出用ポッドと、それに乗り込もうとしているコオリ・アイスの姿だった。

 どう見ても一人乗りでしかなかったが、死にたくない一心で俺は突撃。

 コオリの胸に飛び込んだ瞬間にポッドの扉が閉まり、館内放送で爆破までのカウントダウンが残り三秒を切っていたため、ワープ先の設定などしている場合ではなかった。

 

 簡単に言うと、俺とコオリはワープ先が()()()()の状態で、命からがら悪の組織の支部から脱出したのであった。

 

 

 ──そして、現在。

 

 

「……さむい」

 

 俺たちは見知らぬ場所にいた。

 

 具体的に説明すると、猛吹雪が吹き荒れている、動植物が全く存在しない極寒の山岳地帯にワープしていた。

 パッと見た限りでは、ヒマラヤ山脈を彷彿とさせるような場所だ。もしかしたら日本ですらなく、南極大陸にでも飛ばされてしまったのかもしれない。そう思えるほどに異質で非日常的な寒冷地帯だった。

 雪と氷と岩壁しか存在しない、確実に生物が生存できないような冷気の牢獄。

 まるで冷凍庫の中に入ってしまったんじゃないかと錯覚してしまうほど、絶望的で今にも凍え死んでしまいそうな場所だった。

 

 そんな何処かも分からない所で、防寒具はおろか厚手の上着すら持っていない俺とコオリは、唯一冷気を遮断できて尚且つここを脱出するただ一つの希望であるワープポッドの中で、身を寄せ合って寒さを耐え忍んでいた。

 

 ポッドのワープにはエネルギーの再充填が必要であり、中にあった非常用のバッテリーを詰めた結果、ポッドそのものの再起動も必要だという事が画面に表示された。

 ワープ機能を再起動させるために必要な時間は、約十二時間。

 

 

 つまり、外に出たら三分で絶命してしまいそうな、この極寒の地獄で半日を過ごす、ということだ。

 死刑宣告にも近いその状況に絶望しかけながらも、俺とコオリは一縷の望みをかけて、一人用の狭いポッドの中で互いを励まし合うのだった。

 

 

「……キィ君。私のワガママを聞いてくれて……コクちゃんと交代してくれて、ありがとう」

「ぉ、おう」

 

 エロ漫画を熟読している人間から見たら、まるで対面座位でもしている様な体勢。

 男に戻った俺の膝上に、コオリが正面から座っている。

 

「……本当に良かったのか? こうしてくっ付いて温め合うなら、女であるコクの方が……」

「いいの。私、あの子が苦手だから」

 

 時間制限のこともあったのだが、何よりコオリからの希望で俺はコクからアポロの体に戻っていた。

 体の大きさによる面積の圧迫や、性別を鑑みてもコクのままの方がいい気がしたのだが──まぁ、こんな状況だ。

 余計な争いを生み出しては元も子も無い。今はコオリの望むことをしてやった方が、お互いに精神的にも安定するだろう。

 コオリがあらかじめレッカから、俺とコクが肉体を共有していることを聞いていてくれて助かった。

 

「キィ君……あの、シャツのボタン、外してくれる?」

「ま、まだくっ付くのか?」

「ゴメンね……本当に、寒くて」

「……わ、分かった」

 

 俺はシャツの前のボタンを外して胸元を晒した。

 同様にコオリもワイシャツの前を開け、割とシンプルなブラを付けた豊満な胸部を晒し、俺の上半身と密着させる。

 

「非常用の、アルミのブランケット……あってよかったね」

「マジでそれ。これが無かったら死んでたかもしれないわ」

 

 肉体を密着させ合って温め合うとしても、わざわざ服を全て脱ぐ必要はない。一部の密着部分を温め合いつつ、体の外側の部分は非常用のアルミブランケットで覆い、冷気から守るのが得策だ。

 例に倣い、互いに露出させた胸を密着させ合ったあと、銀色の防寒用の布で俺とコオリの首から下を包んだ。

 

「ふ、ぅ……ね、キィ君」

「どした」

「もう少しだけ、強く抱きしめてくれないかな。……さむ、くて」

「……悪い、まだ遠慮してたかもしれない。こんな状況なのに」

「えへへ、だいじょうぶ。私もまだ少し、恥ずかしいから……」

 

 ポッドの中はとても寒い。

 外界の地獄のような冷気を多少遮断してくれているとはいえ、それでも完璧ではないのだ。

 暖房も無ければ火もつけられないこの状況では、こうして寄り添うことで何とか体温を奪われないようにするしかない。

 

 だから羞恥心も、目の前の少女が恋してるあの親友への義理立ても全て捨て去って、なんとか互いを生存させるためになりふり構わず抱き合っているというわけだ。そうしなければ冗談抜きで死んでしまうから。

 

「……れ、っか……くん……」

「…………」

 

 いや、でもなぁ。

 

 どうしてよりにもよって、一番好感度が低いというか、コクのことを明らかに嫌ってそうなコオリとなんだろう。

 俺はともかく彼女に申し訳ない。

 寒いから体をくっつけて温め合うシチュ自体は、なんかこうエロゲっぽさがあるんだが、あまりにも相手がミスマッチだ。

 

 合理的に行動してくれる音無や非常時に強いライ会長、ましてや俺を慕ってくれている衣月ですらなく、多分レッカのことが一番好きな女の子とコレって。

 俺は心苦しいし、彼女の気持ちを考えてもやっぱり最悪の組み合わせだろう。

 

「……ねぇ、キィ君」

 

 なんでしょうか。

 

「わたし……きみがコクちゃんと同じ体で、本当によかったと思ってるの」

 

 それは、どうしてだろう。

 

「この状況であの子と過ごしたら……たぶん私、コクちゃんのこと、嫌いになれなくなっちゃうから」

 

 少し熱気で蒸れてきたが、身体を離したら一気に体温が下がってしまう。

 だからコオリは更に俺を強く抱擁し、耳元で言葉を続ける。

 

「コクちゃんが……根は良い子だってことは、知ってるから」

「……どうかな。本当は悪いヤツかもしれない」

「そういう部分があったとしても……あの怪人が街で暴れた日に、死にそうな目に遭ったにもかかわらず、なりふり構わずに子供を助けたのは……紛れもない事実だから。私は、それを見たから……」

 

 アレ見てたのかよ。助けが来るまでもう少しだったのか。

 てかあれは体が勝手に動いたというか……ヒーロー部じゃなくても、子供が殺されそうになってたら助けるだろう。

 あんなん誰だって助けたいと思うはずだ。俺の場合はたまたま体が動いてくれただけの話だし……いやまぁ言わないけども。

 

 ともかくあの一件の影響で、コクは根が良い子って認識をされているらしい。

 

「ほら、つり橋効果ってあるでしょ。この状況でコクちゃんに優しくされたら、普段のイメージとのギャップで、私あの子を好きになっちゃうかも」

「それはチョロすぎないか……」

「ふふっ、そうかも」

 

 会話の内容はさておき、ようやくコオリが笑ってくれた。

 極限状態だから疲れるようなことはできないけど、なるべく笑顔でいられるような精神状態の方が好ましい。やっぱり会話は全ての基本だ。

 

「……私ね、キィ君のこと、全然知らないんだ。レッカくんと仲良しなのは知ってるけど、少し前に入部してからも、あんまりお話してなかったから」

「奇遇だな。俺もアイスのこと何も知らないよ。いつもレッカから少し話を聞くだけだったから」

「じゃあ、改めて自己紹介しよ? ……もしかしたら、ここで死んじゃうかもしれないし。最期に一緒の時間を過ごす人のこと、ちゃんと知りたい」

 

 縁起でもないことを言いやがる。

 俺のことは教えてやるが、絶対死なせないからな。寝ないでちゃんと話を聞いててもらうぞ、あほ。

 

 

「……ふぅん、アポロって太陽って書くんだ」

「特殊な当て字だぞ。普通は絶対違うからな」

「紀依太陽……そっか、未発展地域の出身なんだね。実は私もそうなの」

「意外だな。どういう文字で書くんだ?」

「えっと、コオリは水を凍らせた氷と、織物のおりで氷織。アイスは──」

 

 

 大して仲を深めてなかったからこそ、弾む話もあったのだろう。

 

 極限状態で、二人きりで、半裸で抱き合って。

 何か間違いが起きそうな準備は万全だったが、間違いが起きない程度の仲だったおかげで、俺たちはいたって健全で平和にその時間を過ごしていった。

 

「……紀依君? 顔赤いけど、だいじょ──あっ。…………あの、ぇ、えっと……」

「ゴメン。本当に申し訳ない。何というか体が勝手に反応しただけなんだ。すぐに収まるから気にしないでくれ」

「その……ご、ごめんね……?」

「違うマジで本当に気にしないでごめんなさい許して……!」

 

 ()()()()()は終わった後に、急激に体温を奪ってしまう。こんな場所で体が冷えたら、それこそ一瞬であの世へ瞬間移動だ。

 だから雪山で遭難したシチュエーションなどで、温め合っているうちに気分が昂ってそのままヤッてしまう成人向け作品のアレは、つまるところ自殺行為(ファンタジー)なのだ。

 

 そもそも間違いが起きることはないという大前提を必死に頭の中に思い浮かべ、危機に陥った際の生存本能に急かされた邪な感情を、俺は必死に押し殺した。

 

 

「……それじゃ、今度は私が話す番だね」

 

 彼女のターンに入ったようだ。

 正直言ってかなりの寒さに頭がやられていて、先ほどからボーっとするような時間が伸びている気がする。

 本当に助かるのか、分からない。

 あと何時間ここに居ればいいのか、あと何時間、自分が耐えられるのか。

 

 なんとか生き残るという意志を強く持ちながら、俺は彼女の言葉に耳を傾けるのであった。

 

 

 

 

 

 

 幼い頃、人を殺したことがある。

 

 抽象的な意味ではない。

 私は実際に魔法で人間を凍らせて、粉々に砕いたことがあるのだ。

 

 私の叔父はとある国のエージェントだった。スパイだとか、殺し屋だとか、他の呼び方も多かった気がする。

 六歳の頃に交通事故で両親を亡くし、私はその叔父に引き取られることになった。

 

 叔父以外の親族は、私を毛嫌いしていたから。私は感覚が分からず魔法を常時発動し続けてしまうダメな子で、冷気を撒き散らすその姿から雪女と呼ばれていたのだ。嫌われるには十分すぎる理由だった。

 

 そんな私を引き取った叔父の仕事はいくつも存在していたが、私が見た中で一番多かったのは、機密情報を知っている重要な人物を拷問する光景だった。

 良い人でも悪い人でもなかった叔父は、ただ自分が知っている生き方を、私に教えようとしていただけだったのだろう。

 優しい両親のもとで育った私は、幼いながらに叔父のような生き方はしたくないと考えていた。

 

 

 とても大きな銀行の、偉い人だっただろうか。

 叔父が拷問の最中に席を外し、誰かと電話を始めた。

 

『──ころしてくれ』

 

 その時、拷問されていたその人が、同じ部屋にいた私にそう言った。

 

 だから私は彼を殺した。

 体全体を氷漬けにして、粉砕して殺した。

 泣いていたから、痛そうだったから、本当に心の底から殺してほしいと願っていたから、殺した。

 引き取られてから一年後のことだ。

 七歳のころ、初めて人の命を奪った。

 

 電話の内容から察するに、きっとまだ聞き出さなければいけない情報があったのだろう。

 けど、叔父は私を叱らなかった。

 ただ「すまない」と泣いて謝りながら、私を抱きしめ続けた。

 

 叔父は常に心を痛めながらも仕事を全うする普通の人だった。

 私は怯えも躊躇も涙もなく、子供ながらに人を殺めることのできる異常な人間だった。

 その日から、叔父は仕事をよく休むようになり、私は彼と普通の生活を過ごし始めることになった。

 

 

 少し時が流れて、私が中学に進学した頃。

 育ての親だった叔父が死んだ。頭の中に残っていた銃弾が原因だったらしい。

 数多の人の命を奪ってきた叔父に相応しい、因果応報な最期だった。

 

 ──じゃあ、私は?

 

 叔父が遺した莫大な財産と人脈のおかげで、生きることには困らなかったが、幼い頃に犯した殺人の罪悪感は心の奥底で燻り続けていた。

 

 だから人を救うことでその罪を清算しようと考えたのだ。

 あと叔父が望んでいたように、普通の女の子として生きていこうとも決めた。

 

 二つを両立するために、学園へ訪れヒーロー部に入部した。

 贖罪の為にいろんな人を助けよう。

 普通の女の子みたいに恋もしてみよう。

 

 

 そう思って、頑張って、それはほとんど達成された。

 

 レッカ・ファイアという少年はとても眩しくて、恋をするに相応しい人物だった。だから優しく明るい彼に、心から惹かれた。

 

 でも、きっとそれは間違いだったのだろう。

 彼に好意を抱く他の少女たちに比べて、私の手は汚れ過ぎていた。

 ヒカリは私のような過去もなく清廉潔白で、その名の通り光の如く明るく天真爛漫な良い子だ。

 カゼコは洗脳されていただけで本人に非はなく、そもそも彼女の本質は善性そのものだった。

 他のみんなもきっとそうだ。

 私よりも価値のある人間だ。

 誰よりも価値のない人間である私が、あの温かい炎を与えてくれる少年に、選ばれていいワケがなかったのだ。

 

 ……そして、この状況が私への罰だ。

 

 人を殺しておいて、のうのうと生き延びて普通を望んだ私への。

 傲慢にも一緒に居ることを望んだあの想い人の親友を巻き込んで、人を凍らせてきた私が凍死する。なんという皮肉だろうか。

 

 この上なく、私に相応しい最期だ。

 

 

「……なぁ、氷織(こおり)

 

 

 ふと、彼が口を開けた。

 どこまで話したのか、どこまで聞いてもらっていたのか、何も分からない。

 ただ、今この瞬間はハッキリと会話をしていた。

 

「どうしたの?」

「魔法、もう使わなくていいぞ。お前の体が持たなくなる」

「……あはは。何のことだか、わかんないな」

 

 お見通しだったらしい。彼の声は真剣そのものだった。

 

「ポッドの周囲の冷気を操って、吹雪から守ってくれてたんだろ。でもそれをやり続けると、魔力不足でお前が倒れる。あとは俺が風魔法で何とかするから、もうやめていい」

「……ダメだよ。紀依君のこと、死なせられない」

 

 私を犠牲にしてでも、せめてこの人のことだけは助けたかった。

 それがレッカくんにできる唯一の恩返しだから。

 

 なによりこんな状況でも、私を励ましてくれたこの人を、死なせたくなかった。

 

「おい、このバカ」

「ぃだっ!」

 

 デコピンされた。なんで。

 

「……紀依、くん?」

「お前の事情は分かったが、死に急いでいい理由にはならない。俺は認めないからな」

「……そんなの」

「うっせぇ。なるかならないかじゃなくて、俺が絶対に認めないって言ってんだ。俺は死なないし、俺の親友を好いてくれてる女の子も死なせるつもりはない」

 

 ──キャンプの焚火の様に、ほんのりと温かさを感じる、優しい炎のようなレッカくんとは違う。

 今目の前にいるこの少年は、まるで太陽のように暑苦しくて、こっちの事情なんか考えずに眩く照らしてくる。

 

 迷惑だ。やめて欲しかった。レッカくんなら気を遣って、私にやらせてくれるのに。

 

「レッカのことが分かってねぇな。お前が思っている以上に、レッカは氷織のことが好きだぞ」

「……うそだよ」

「ウソじゃない。一年間一緒に戦ったんだろ? 恋愛感情かどうかは知らんが確実に言えることは、レッカにとってお前は大切な存在ってことだ。俺にはわかる」

 

 だって、そんなのあまりにも私にとって、都合が良すぎるじゃないか。

 

「それだけ氷織も頑張ってきたってことなんだよ。んで、そんな大切な存在であるお前が死んだら、レッカはどうなると思う? 多分泣くだけじゃすまないぞ。退部して不登校になって行方不明になっちゃう」

「……大変だね、それは」

「だろ。だから俺たちは片方を生き残らせるんじゃなくて、両方生存する責任があるんだ。泣き虫れっちゃんを泣かせるワケにはいかんからな」

「……アポロ君、励ますの上手なのか下手なのか、わかんないね」

「そこは普通に褒めてくれよ。……ってか名前呼びになってるし」

 

 レッカくんは名前呼びに気づくの遅かったのに、彼はすぐに反応してしまった。 

 こういう鈍感じゃない所も、なにもかもがレッカくんとは違う。

 

 ……そんな違いを感じ取ったからこそ、レッカくんにすら話していない事まで、喋ってしまったのかもしれない。

 彼を特別な目で見てしまっている。

 レッカくんとはまた違う信頼だ。これが『友達』というものなのだろうか。

 

 わかんない。

 

 こんなに私のことを知ってくれた人は、初めてだったから。

 

「……おっ、魔法やめたな。じゃあ次は俺の番だ」

「アポロ君も無茶しちゃダメだよ? 一緒に生き残るんだから」

 

 少しだけ腕の力を強めた。

 汗ばんだブラジャーが彼の胸元に押し付けられて、妙にしっとりしている。

 互いに体温が少しずつ上がっているのかもしれない。

 

「こんな状況を誰かに見られたら、大変だね」

「……レッカに殺されそうだな」

 

 苦笑いする黒髪の少年。

 そんな彼の心臓の鼓動が、胸から直接伝わってくる。アポロ君もまた、私と同じようにドキドキしてるんだ。

 

「頑張ろうな、レッカの為にも」

「うん、そうだね。……レッカくんの為に」

 

 レッカくんにまた会う為に。

 そう自分に言い聞かせて、私は感じたことのない不思議な感情に困惑しながら、ただ彼の胸元で寒さを耐え忍ぶ。

 

 これ、もしかしたらレッカくんに悪いかもしれない。

 アポロ君に感じているこの感情は、たぶんすご~い友情だ。たぶん。生死の境目を共にしているわけだし、友情が深まってもおかしくない。

 だからアポロ君の親友ポジションを私がもらってしまうかもしれない。そうなったらごめんねレッカくん。

 

「あと数時間の辛抱だ、氷織」

「うん、大丈夫。……アポロくんと一緒なら」

 

 きっと問題ない。

 心強い友達と、一緒なら。

 

 

 

 

 

 

 気がついた時──俺たちのいる場所はあの地獄ではなかった。

 

 照りつける太陽、美しい海。

 氷織がもしかしたら俺に惚れたんじゃないか、なんて中学生みたいな妄想を排除しながらあの寒い所を耐え忍んで、遂に俺たちは沖縄に到着したのだ──。

 

「うわ。紀依が女の子を抱いてる。ヤバイ」

 

 もうこの程度じゃ狼狽えねぇぞ。死にかけたからな。

 

「寝取り? R18?」

「残念ながら何も起きなかった、健全な寄り道だったよ」

「そう。紀依たち以外のみんなは、もうこの沖縄にいる」

 

 衣月のそんな言葉に安心しつつ、俺はそこで一つ思い出したことがあった。

 

 

 沖縄で待っているのは俺の両親だ。

 そしてこの沖縄にはレッカたちヒーロー部がいる。

 

 

 ……レッカが親父にペンダントの秘密を聞いたら、終わりじゃね? と。

 

 

 そう考えて焦りこそしたのだが、未だに寝たまま引っ付いて離れない氷織に悪戦苦闘し、俺は一歩も動けないのであった。

 

 



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漆黒ルートにご案内/もしもエロゲだったなら

 

 

「コオ゛リざ゛ぁァ゛~゛んッ!!!」

「わっ。ひ、ヒカリ……」

 

 俺と氷織が沖縄に到着してから少し経って。

 

 衣月の知らせによって、一足先にこの場所へ到着していたヒーロー部の面々が、揃って俺たちがいる砂浜まで駆け付けてきた。

 

 俺は一応コクに変身しているのだが、レッカは氷織を気遣ってか、こちらを一瞥してすぐに彼女の方へ寄っていった。俺に聞きたいことなんて山ほどあるだろうに、ここでサラッと我慢できる辺りやっぱ出来る男は違うらしい。

 

 ヒカリやカゼコが泣きながら氷織に引っ付いて離れない光景を後目に、一足先に砂浜を出ようとすると、向こうから誰かが走ってきた。

 

 あのデカいマフラーは間違いない、音無だ。

 俺の目の前で止まって、息を切らしている。

 

「はぁっ、はぁっ……」

「お、音無? だいじょうぶか……?」

 

 見て分かるほどに汗だくだ。相当急いで駆けつけてきたのだろう。

 一時はどうなるかと思ったけど、無事に会えてよかった。俺の人生のなかで一番ホッとしてる瞬間だ。

 

「……せん、ぱい」

 

 顔を上げた音無は、何とも言えない微妙な表情をしていた。

 驚きと困惑が半分……といった所だろうか。

 俺も何かを口にすることが出来ずにしどろもどろになっていると、汗だくの音無は軽く微笑んで、俺の隣にいる衣月の方へ顔を向けた。

 

「……衣月ちゃん、もう我慢しなくていいんだよ。私は大丈夫だから」

 

 どゆこと。

 

「……うん。…………ぅんっ」

「うおっ。い、衣月?」

 

 明らかに涙ぐんだような、上ずった声音の衣月が、横から俺に抱き着いてきた。

 俺のお腹に顔をうずめているその状態でも分かるくらいに……あー、うん。泣いてるな、これ。

 

 

 冷静に考えてみると、支部の建物内にいたほぼ全員がこの沖縄に到着した中で、唯一俺と氷織だけがここにワープできていなかった。

 建物が爆発寸前だったことも鑑みると、俺と氷織は時間に間に合わず、爆発で二人とも死んでしまったのではないか──という仮説が立てられても不思議ではない。

 

 というか、普通は死んだと思われるはずだ。

 レッカや最初の衣月の対応が常軌を逸していただけで、この状況ならめちゃめちゃに泣きながら氷織に抱き着いていったヒカリの反応が普通だろう。

 

 衣月は砂浜で俺を見つけてから、ずっと我慢をしていたんだ。

 それはきっと、俺の隣に氷織がいたから。

 俺と音無以外に弱さは見せない──そんな衣月なりの線引きがあったことに、俺はようやく気付くことができたのだった。

 

「ごめんな、衣月」

「うるさい」

 

 頭を撫でてやっても衣月の体の震えは治まらない。マジで信じられないくらい心配させてしまっていたようだ。反省点が次々と浮かび上がってくるわね。

 こういうのに最初から気づけないあたり、レッカと違って俺の鈍感さはとことん悪い方向にしか効果が発揮されないんだなぁ、とつくづく実感させられる。

 

 それに心配させていたのは、衣月だけではないようで。

 

「……もう゛~ッ! やっぱ無理……っ!」

「おっ……となし……」

 

 結局二人とも俺に引っ付いてしまった。

 衣月を気遣って最初は堪えていた音無も、ついに我慢の限界が訪れてしまったらしい。

 自惚れなんかじゃない。この二人からどれほど大切に思われているかは、俺自身が一番よく分かっている。……というか、いま理解した。

 

 なんとかうまい事を言って二人を安心させてやりたいところ──なのだが何も思いつかない。

 俺のボキャブラリーは貧弱だ。

 

「べ、別にっ……何も言わなくて、いいですから。……生きててくれた、だけで……」

「勝手に心を読まないでもらえると助かるんだが」

「うっさいです。……あぁ、もう、ほんと──よかった」

 

 ガチで死にかけたあとに、仲間からのガチシリアスモードでのお出迎えで、こころがくるしい。

 うぅ、何かもっと緩い感じで再会すると思ってたよ俺は。

 

「……紀依」

「どした」

「ヒーローは、レッカがいる。だから……別にカッコいい事とかは、しなくていいから……えと」

「衣月……?」

「勝手にいなくならないでください、って事ですよ。鈍いですね先輩は」

「ご、ごめん」

 

 いかん、もうレッカのこと鈍感とか難聴とか言ってバカにするの、確実にできなくなってきたぞ。

 

 支部を脱出するあの状況では仕方のなかったことだが、これを見るとそうも言ってられない。

 これからはあまり主人公みたいな無茶はしないようにしよう、と心に誓った。衣月が言った通り、ヒーローの役割にはレッカが就いてくれているんだ。

 

 

 ──よし、とりあえず仲間との再会は果たしたな。

 

 まずは親父に会いにいって、いろいろと聞き出さないと。

 

 

 

 

「……つまり?」

「レッカ君には何も話していない、ということだよ」

 

 ヒーロー部のみんなが仮住まいにしてるらしい、沖縄のどこかにある大きなホテル──の地下にある研究所の、一室にて。

 俺は久方ぶりに会った父親の言葉を聞いて、安堵するとともに肩の力が抜け落ちた。具体的に言うと、男の姿に戻った状態でソファにぐで~っと寝っ転がった。マジで安心した……。

 

「彼には怒り交じりにいろいろと質問をされたが、アポロから聞いてくれ、とだけ答えておいた。真実を告げるのはお前の役目……なんだろう?」

「うん、そう。それがアイツに隠し事をしてきた俺の責任だからな」

 

 お父さんファインプレーですよホント。まだ美少女ごっこは続行可能だ! えへへ~!

 

 

 では、ここまでの顛末を軽くまとめよう。

 

 まず俺たちとヒーロー部のメンバーは、あの支部の爆発で全員死亡扱いになっていたらしい。

 表向きは死傷者ゼロの爆発事故だが、悪の組織側からすると支部に残っていた様々な情報や、面倒なことを知りすぎているヒーロー部をまとめて排除できたと思い込んでいる、とのことだ。

 

 それから組織は俺の両親を追いかけることはやめて、既存の科学者メンバーだけでヤベー装置の完成に着手することに決めた。あちらも切羽詰まっていて、時間もないため逃げ足の早い両親を捕まえることに人員を割いている場合ではなくなったのだ。

 

 そして肝心の衣月──組織が言うところの『純白』だが、彼女のクローンを作る事でヤベー装置の起動キーを作ろうという方針に決まった、と聞いた。

 衣月ほど完成度の高い実験体を作ることにはまだ成功していないらしいが、それでも今や脅威になりつつあるヒーロー部に守られている衣月を捕獲するより、クローン生成の方がコスパがいいという結論に行きついたのだとか。

 

 実力だけで言えばヒーロー部はかなり強い。

 だから悪の組織は正攻法で戦うことをやめ、いち早くスーパーウルトラ激やば装置を完成させ、一瞬で全ての人間を支配下に置いて、世界を掌握しようと考えたわけだ。

 

 

 けど、父さん曰くまだ焦る段階ではないらしい。

 

「しばらくは悪の組織も停滞が続くだろう。長期休暇というわけでもないが、この機会にアポロ達もこの沖縄で十分な休息を取るといい」

「……死亡扱いってことは、もう監視の目がないんだな?」

「そうだ。研究所があるこの周辺なら、アポロの姿に戻って出歩いても問題はない」

 

 つまるところ、日常回のターンが来た、ということだ。

 ここまでは派手な逃走劇だったり、バトって殴ってじゃんけんポンみたいな殺伐とした日々が続いていたから、ちょうどいいタイミングだ。この機会にゆっくり羽を伸ばそう。

 

 

 ──と、考えるのは二流のヒロインだ。

 

 この俺は一味違う。

 平和な日常を過ごせる時間が出来たからこそ、さっそく影が薄くならないように、一気にレッカに対してメインヒロインムーブをしていかなければならないのだ。

 

「……アポロ」

「なに?」

「……その、なんだ、えっと……楽しいか?」

 

 一瞬ドキッとした。俺の内心を見透かされたような気がして。

 しかし俺は氷織と共に極寒の雪山を生き延びた男だ。

 この程度じゃ決して怯んだりしない。俺だって精神的に成長してるんだぞってとこを、父さんに見せてやるぜ。

 

「あまり気乗りはしないな。親友を騙し続けるのは……やっぱクるものがある」

「アポロ……」

「でも、まだダメなんだ。今じゃないんだよ父さん。いろいろ理由はあるけど……すべてを明らかにするにはまだ早い」

 

 すご~く重い事情を抱えてそうな雰囲気を出したことが功を奏したのか、父さんは思惑通りシリアス顔になってくれた。このまま続けよう。

 絶対に『楽しい』だなんて口にしたりはしない。

 美少女ごっこで得られる気持ちは俺だけのものなんだ。

 

「アイツは俺を止めてくれる器だ。でも俺たちは親友同士だから、ここで俺がすべてを明かして歩み寄ってしまったら、レッカは俺を止めてくれなくなるかもしれない。黙認してしまうかもしれない。……俺を止めてくれる人が、いなくなってしまうかもしれない」

 

 自分でも八割くらい何を言っているのか分からないが、この場で父さんを納得させることが出来ればそれでいい。父さんにはレッカに何を聞かれても、最後まで黙っていてもらう必要があるんだ。

 

「だから、このペンダントの事は俺に任せて欲しい。……誤解だけど、父さんを悪者にして……ごめん」

「……フッ。なに、気にすることはない。元を辿れば父さんはれっきとしたワルモノだ。なんせ悪の組織に属していたんだからね。そんな私を連れ出してくれた母さんが、アポロにとってのレッカ君なら──」

 

 父さんは、研究者がやりがちな怪しい笑みを浮かべて。

 

「たくさん迷惑をかけてしまいなさい。始めてしまった物語は、中途半端に終わらせてはいけない。それでも、たとえ何があろうとも止めようとしてくれる人物こそが、お前の物語を終わらせてくれるヒーローなんだ」

「……そうだな。俺の研究の最終目標は、そんな『ヒーロー』に出会うことなのかもしれない」

 

 

 色々言ってるけど、父さんと母さんの時とは全然ちがう。

 

 母さんは悪の組織から父さんを抜け出させようとしていたけど、そもそも母さんは最初からペンダントで女の子に()()できることを知っていた。

 

 つまり父さんの美少女ごっこは、文字通りごっこ。

 研究成果は人類史に刻まれる大偉業だが、彼の美少女ごっこ自体は、ソレを『美少女ごっこ』だと認識している女性の前でしか行っていなかった──もはやただのコスプレに近い行為だ。

 謎のダウナー少女として振る舞ったことこそあれど、本気でこの世界を股にかけた隠しヒロインのロールプレイングはしていないのだ。

 

 だが、俺は違う。

 

 ダウナー少女に変身したアポロ・キィではなく、本人とは別の『漆黒』というキャラクターを、この世界に認識させている。

 謎の美少女ごっこではなく、もはや謎の美少女なのだ。

 コクという少女が存在している。

 レッカが『コクという人格など元から無い』と知るその日が来ない限り、俺の研究が終わる事は無いというわけだ。

 

「父さん。このペンダントを生み出してくれて、ありがとう」

 

 分かるか、父さん。

 俺はアンタを超えた。美少女ごっこしかできなかったツールを、本物の美少女がいると認識させるアイテムへと進化させたんだ。

 時代は先へと進んだんだよ、先輩。

 

「けど──ここからは俺の物語だ。これの使い道も、これの秘密も真実も、すべて俺だけが行使する」

 

 これは俺が受け継ぐ。

 俺の未来を切り拓く道具として存分に活用させてもらう。

 

「その代償はいくらだって払うよ。衣月にはいつか『普通の日常』を与える。世界だって救ってやる。それでも……誰かが俺を止めるまで、俺は絶対に止まらない」

「アポロ……! あぁ、我が息子よ……ッ!」

 

 父に頭を撫でられたのは、小学生以来だ。

 こんな歳になっても、撫でられるって嬉しい事なんだな。

 

「誰よりも自由であれ! 私はお前の旅路を祝福するぞッ!」

「サンキュー親父! じゃあ早速行ってくるぜ!!」

「いってらっしゃいッ!!!」

 

 父の熱い激励を背に、俺は研究室を飛び出していった。

 

 

 父さんの説得はこれで完了だ。もう何があっても彼の口から真実が口外されることは無いだろう。とりあえず一安心だ。

 

 では、美少女ごっこをステージ2へ移行させることにしよう。

 

 待ってろよ、レッカ。

 今日で隠しヒロイン──漆黒ルートに突入したことを、エロゲ風味を混ぜ込みつつ存分に思い知らせてやるぜ。

 

 決行時間は夜。

 場所は人気のない砂浜海岸。

 そしてコクの新たな衣装差分として、この常夏サンバな海の国に相応しい、真っ白なワンピースをお披露目だ──!

 

 

 

 

 

 

 この沖縄に到着してからは、驚くくらいに平穏な時間が続いている。

 

 僕たちよりも遅れてコクとコオリがやって来たときは、爆発寸前だった気持ちを何とか堪えるのに必死だったけど、時間が経過するにつれて冷静になる事が出来た。

 アポロの父親からは何も聞き出せなかったが、どうもあの人は怪人から聞いたような極悪非道の科学者だとは思えず、いまは味方で居てくれることに納得をして、一旦話を終わらせた。

 

 秘密を話さなかったのは、きっとコクとしっかり話し合って欲しかったからなんだろう。

 自分の子供と深い繋がりがある少女の事だ。僕を混乱させてしまっては元も子もない。

 あの人は焦った状態の僕が冷静になれるよう、わざと話をはぐらかしてくれたんだ。

 おかげで今は落ち着いている。

 

 組織の支部にいたあの時は──覚悟が決まっていたんじゃない。

 ただ親友を取り返すことに必死で、周りが見えなくなっていただけだったんだ。あんなんじゃ文字通り話にならない。

 

 会話は全ての基本だ。僕は彼女と会話をしなければならない。

 アポロの事も、彼女自身の事も、話すことで知ろう。

 本当は最初からこうするべきだったんだ。

 

 

 夕食を食べ終え、すっかり空が暗くなった頃、コクから呼び出しを受けた。

 彼女から誘ってくれるなら好都合だと思い、僕は指定された場所まで急いだ。

 

 ──そこにいたのは、月明かりが差す砂浜の海岸で、静謐に佇む一人の少女。

 

 白いワンピースを着た、裸足のコクだった。

 

「……コク」

「来てくれてありがとう、レッカ」

 

 こちらへ振り返り、丁寧に腰を折ってお辞儀をした。本当に変わった子だと思う。

 改めて礼を言われるようなことじゃない……そう言いながら、僕は彼女の方へ歩み寄っていった。

 

「今日はいつもの服じゃないんだな」

「ホテルのお土産屋さんで、買った」

 

 くるっと一回転して見せるコク。

 衣服全体を僕に見せたかったらしい。

 

「どう?」

「似合ってるよ。きみの奇麗な黒髪と良く合ってる」

「ありがとう。うれしい」

 

 人形のような無表情だが、微かに笑っているような気がした。

 実際、似合っているのは事実だ。僕から見てもかわいいと思う。フウナ辺りにでも見せたら、破壊力が凄そうだ。

 

 本題に入ろう。

 僕が気づいたことを、彼女に伝えるんだ。

 

「コク。きみは……アポロの為に戦ってくれていたんだね」

 

 返事はない。

 青白い月を背にして、静かに僕の言葉に耳を傾けてくれている。

 

「アポロの母親と話をしたんだ。その時に大事な資料も見せてもらった。そこでアポロの顔と名前が、悪の組織に割れていた事を知ったよ。……追われていたのはきみじゃなくて、あいつの方だったんだな」

 

 ずっと勘違いをしていた。

 コクは組織から逃げた実験体で、アポロがそれを匿っていたのだと、そう思っていた。

 けど、真実はその正反対。

 元組織の構成員だった科学者の息子である彼を、コクは自らの肉体と交代させることで庇っていたんだ。

 

「今にして思えば、オトナシが協力しようとした事にも合点がいくよ。なんせキミはアポロを庇いながら、組織から逃げ出した本当の実験体である藤宮衣月もまとめて守っていたんだから」

「……買いかぶり過ぎ、だよ」

「謙虚は美徳かもしれないけど、コクはもっと誇っていい」

 

 僕なんか目じゃないくらいに、どこまでも自己犠牲な精神を持った少女だ。

 まるでヒーローじゃないか。

 どんな理由があるのかは分からないけど、ペンダントの中に閉じ込められていて、他人を媒体にしないと自由に喋る事すらできないというのに。

 

 ただ目の前の人間を救おうとする。

 怪人に襲われていたあの子供と同じように、アポロも、衣月も。

 その小さな体躯と、触れたら折れてしまいそうな細腕で。

 

「アポロも緊急時には姿を変えることで、君を守っていたんだね。あのオトナシが怪我をした森の時のように、危険な戦闘はあいつが担当していたんだ。君たちは文字通り……一心同体だった。コクが言っていた『心が繋がっている』って言葉の意味が、ようやく理解できた気がするよ」

 

 ずっと二人で戦っていたんだ。僕が言った『親友を巻き込むな』という言葉は、あまりにも見当違いだった。

 コクが反論しなかったのは、僕に余計な疑いを持たせないためだったんだろう。こうして理解した今なら、彼女が黙々と旅を続けていたワケがよく分かる。

 

「ありがとう、コク。今まで僕の親友を守ってくれて」

「どういたしまして」

「そして、これまでの非礼を謝罪させてほしい。……本当にすまなかった」

「うん、許す」

「……相変わらずというか。フットワークが軽いよな、きみは」

 

 これでもかというほど、円滑に会話が進んでいく。まるで以前までのすれ違いが嘘のようだ。

 本来彼女とのコミュニケーションは、これくらい簡単に進められるものだったのかもしれない。

 

「コクはこれからどうするんだ? アポロを監視する目は無くなったけど、悪の組織もまた壊滅したわけじゃないし……」

「もう少しだけアポロと一緒にいる。衣月が安心して、普通の女の子としての暮らしができるようにする為に、私は悪の組織を打倒しなければいけない」

「そうか……うん、もう止めないよ。アポロもきっと、最後までコクに付き合うつもりなんだろ?」

 

 この二人の間には、僕では計り知れないような信頼関係があるに違いない。

 

「たぶん、そう……?」

「何で疑問形なんだ」

 

 急に不安にさせてくるの、心臓に悪いからやめてほしい。

 

「肉体を共有しているといっても、心の中にアポロがいるわけじゃない。会話はできないし、ある程度相手の考えてることが伝わってくるだけ」

「……君たちはどうやって意気投合したんだ」

「書き置きなどで意思の疎通はしたけど、実際にアポロと会話をしたことはない。私がまともに話したことのある男の子は──レッカくらい」

 

 なんだか予想と少し違ってきた。

 確かに大体の事実は合っている。しかし、アポロも聞いているつもりでコクと話していたのだが、どうやらそういうわけではないようだ。

 

「私が外にいるとき、アポロはペンダントの中で眠っている。逆もまた然り。アポロの体が私に変身しているのではなく、文字通りそのまま『交代』している、といった感じです」 

「……えっと」

「つまりレッカがあの屋上で見たのは、親友のアポロではなく、私のパンツ。レッカは男の子の下着を見て赤面したわけではないから、安心して」

 

 そういう問題だろうか。というかむしろ同性のポッキーではなく、異性であるコクのパンツを見てしまったことの方が問題なんじゃ……?

 

「レッカ、むつかしい顔をしている」

「そりゃまぁ情報量が多いからね……」

「またパンツを見れば、元気になる?」

「いや見ないからなッ!? ちょっ、やめろスカートの裾を持ち上げるんじゃない!」

 

 パンツは見なかったが、なんやかんやあって、僕はようやく彼女と和解することができたらしい。

 早とちりした僕と、流石にいろいろ隠しすぎていたコクの両方に非があるということで、喧嘩両成敗でこの話は終わりだ。こうなるまで本当に長かったな。

 

「それじゃ、コク」

 

 帰らないとみんな心配するし、そろそろ戻ろう──と口にしようとした、その時だった。

 

 

「排除」

 

 

 コクの背後の海から、ここにはいないはずの『サイボーグ』が姿を現し、彼女を後ろから羽交い絞めにした。

 

「わっ」

「コクッ!」

 

 おそらくは支部が爆発する直前に、ワープ前の誰かの脱出用ポッドに張り付いていたんだろう。いつの間にかその場から離れ、この海で僕たちヒーロー部の誰かが来るのをずっと待っていたのだ。

 

「自爆、自爆、排除」

「レッカ、レッカ。こいつヤバいこと言ってる」

「いっ、今すぐ助ける──!」

 

 

……

 

…………

 

 

 数分後。

 

 上空に浮かび上がってコクもろとも自爆しようとしたサイボーグを追いかけ、なんとか彼女を取り返したのだが、その瞬間にサイボーグが大爆発して。

 僕とコクはそのまま海の中へドボンし、無傷かつ命も助かったものの、完全にびしょ濡れの状態になってしまったのが、いま現在の状況だ。

 

 割と浅い所に落ちたので、溺れる事こそ無かった──けど。

 

「…………服、透けてる」

「見てない見てない! 見てないから!」

 

 コクを正面から抱きかかえた状態で海岸まで移動し、彼女を下したときに気が付いてしまった。

 海水でびっしょりと濡れてしまった純白のワンピースが、肌に張り付いて透けている。

 どうやら生地が薄いタイプのワンピースだったようで、ダメ押しにもう一本といった感じで、コクはパンツ以外の下着を身に着けていなかった。

 

 膝から下が海に浸かっている状態で、僕は彼女の正面に立っている。

 見てないなんて連呼していても、その無防備で艶めかしい姿が目に映るのは避けようのない事実だった。

 

「レッカ。どうして、顔を背けているの?」

「はっ、ぇっ……ど、どうしてって……!」

 

 たったいま『透けてる』って自分で言ったじゃないか。

 それ以外の理由がどこにあるというんだ。

 

「前々から気になっていたけど、レッカは女の子の体を目にすると、過敏に反応してそっぽを向く。どうして?」

「み、見ちゃダメだからに決まってるでしょ……君だって見られたくはないはずだろ……?」

「別に、いいけど」

 

 本当に何を言っているんだこの少女は。

 ついつい彼女が今どんな表情をしているのか気になって、チラリとコクのほうへ視線を向けてしまう。

 そこにいたのは、相も変わらず仏頂面で、あられもない姿をしている黒髪の少女だ。

 

「レッカはヒーロー部の少女たちから好かれている事、自分でも自覚しているはず」

「……そ、それとこれとは関係ないんじゃ」

「ううん。関係ある」

「──っ!?」

 

 コクが此方へにじり寄ってきて、顔を隠していた僕の腕を無理やり引っ張っておろしてしまった。

 つい驚いて目を開けたままにしてしまう。

 眼前にいる少女はあまりにも華奢な体躯で、本来は体型を隠してくれるワンピースが肌に張り付いているせいで、より一層彼女の身体が引締まって見えた。

 

「ちゃんと、見て」

「……こ、コク……っ」

 

 手を掴まれているせいで顔を隠せない。だから彼女の肢体をまじまじと見つめてしまう──なんて言い訳が脳内を歩き回っている。瞼を閉じればそれで済む話だろうに。

 僕は目をつぶることが出来なかった。

 コクの白皙な肌に、目を奪われてしまっている。

 

「ヒーロー部の娘たちは、みんな本気。その状況を良しとしているのに、身体を見たら純情ぶって目を離すなんて、ズルいことだと思う」

 

 果たしてそうだろうか。

 反論の余地などいくらでもありそうだが、僕はコクのきめ細やかな濡れた髪を見て息を呑む事しかできない。

 

「もしこういう状況であの娘たちから目を逸らしたら、傷つけてしまう可能性もある。いろいろな女の子に好かれている以上、あなた自身も知っておくべき事があると思う」

「そ、それは違くないか……?」

「あっちが勝手に好いているだけだから、自分には関係ない? あんなにアピールされておいて、フることも受け入れる事もなく一年以上なあなあで過ごしてきたけど、勝手に好かれているだけだから自分は悪くない?」

「ぅ…………」

 

 彼女の鋭い言葉がグサグサと心臓に突き刺さっていく。アポロと情報を共有している以上、どこまでもこの少女にはお見通しだったらしい。

 確かに思い返してみれば、確実に僕にも非はある。

 部活内の雰囲気を優先したせいで、メンバーの彼女たちにはまるで誠意を見せてこなかった。

 

 ふと、ポッキーに『お前いつまで共通ルート続けるつもりなんだ?』と叱られたことを思い出した。

 答えを出さないまま、彼女たちに囲まれて過ごす日常を、心のどこかで楽しんでいたのかもしれない。

 

「……レッカ、童貞でしょ」

 

 どどど童貞ちゃうわ、とポッキーなら茶化すのだろう。

 けど、僕はこの状況に鼻白むことしかできなかった。

 

「慣れたほうがいい。せっかくハーレムを築いたのに、童貞丸出しでヒロインたちに失望されてほしくはないと、アポロも言っていた」

 

 余計なお世話だよあのバカ。

 

「……その、慣れるって……?」

「まずは──目を逸らさないこと」

 

 そう言いながら、コクは自分のスカートをつまみ、水滴を垂らしながら裾を持ち上げていく。

 徐々にそれが上がっていき、ワンピースに覆われていた彼女の下半身が、遂に露になってしまった。

 

「……っ」

 

 思わず喉が鳴る。

 

「濡れた下着、見るのは初めて?」

「……たくし上げられたスカートの中を見るのが、そもそも初めて……かな」

「そう。初めてなら、しっかり見て、慣らさないと」

 

 海水を含んで重くなってしまった白い生地のパンツが、目に焼きつけられていく。

 上目遣いでスカートをたくし上げているコクの頬は、意外にもほんのりと赤みを帯びていた。

 冷静で鷹揚とした雰囲気に見えて、実は彼女も僕と同じような恥ずかしさを感じているのかもしれない。

 

「……これは特訓」

 

 それでも真っすぐに此方の眼を見つめ、耳の奥へ流れるような透き通った声音で、彼女は続ける。

 

「レッカの友人として、練習台になろうと思う」

「だ、ダメだろ、そんな」

 

 とっさに口から出た()()が、本気の言葉じゃないことは、否が応でも自覚できてしまった。

 この状況に期待をしてることは丸わかりだ。

 そのように僕の気持ちを揺さぶってしまうほど、彼女には小柄な体躯とは不釣り合いな妖艶さがあった。

 

 聞き心地の良い声に、油断を誘う甘い言葉に──脳が溶かされてしまいそうになっている。

 

「……組織との決着がついても、私は普通には生きられない。アポロはあなたの元に戻って、私は二度とレッカと話すことができなくなる」

 

 彼女を救い出す方法は、まだ見つけていない。

 そんなことはないんだと、否定することが出来なかった。

 

「これ以上、誰かの身体を奪う気にはなれない。私に残されている時間は、あと少しだけ」

「コク……」

「だからレッカ。……私、思い出がほしい」

 

 目の前にいる漆黒の少女が放ったその言葉の意味を、僕はとうに理解していた。

 察してしまえたからこそ──強く拒絶できなかった。

 

「一番仲良くなれた男の子との思い出があれば、あの薄暗い牢獄の中でも、希望を抱いて眠り続けることができると思う。友達のために、特訓に付き合って……それで、えと……」

 

 いつの間にか、スカートを持つ手が下がっていた。

 コク自身も、どんな言葉を僕にぶつければいいのか、分かっていないんだろう。

 

「レッカに覚えておいてほしい。コクっていう、変な女の子がいたってことを」

「……もう、何があっても忘れるわけないだろ。きみはいつだって僕の予想を上回ってきた凄い女の子なんだから」

「で、でも、ここですれば……もっと忘れられない記憶になる、かも……」

 

 互いに自分が何を言っているのか、ハッキリとは理解していない。

 きっとこの後に起こる事は二人とも察していて、それでもまだ心の準備ができていないから、回りくどく様々な言葉で時間を稼いでいるんだ。

 

 しかし、それも終わりの時が来たようで。

 

 

「……ごめん、レッカ。もう何も思いつかない」

 

 

 分かってる。

 コクの言いたいことは、ちゃんと伝わってるから。

 

「ここで、したい。一度でいいからしてみたい。私が私であった証が欲しい。……レッカ」

 

 もう一歩。

 僕に一歩、寄り添って。

 彼女は僕にしがみ付いて、上目遣いで懇願してきた。

 

「わたしを……使って」

 

 その願いに対して、僕の答えは──

 

 

 

「レッカ様ーッ! コクさぁーんッ! どちらにいらっしゃいますのぉー!? 何かすごい爆発音が聞こえて……あっ、お二人とも!」

 

 

 

 ──……答えは、出せなかった。

 

 

 

 

 っっっっぶねぇぇぇ!!!

 ハーッ! マジで助かった! ヒカリが来てくれて命拾いした!!

 

 いやぁ、思いのほか距離を縮めることができたな。重畳重畳。よくできました。

 

 サイボーグが爆発した後くらいから、慌ただしい様子で俺とレッカを探すヒカリの姿が遠めに見えていたので、きっと彼女によってこのイベントが中断されるだろうと踏んで行動していたのだが、予想通りうまくいって良かった。

 

 あのままだったら同情(興奮)したレッカと、危うくくんずほぐれつな大運動会をするところだったからな、マジでギリギリだった。

 

 夜の海でアレをするなんて、もうどうあがいてもエロゲ的な展開だったよな。レッカも流されそうになって、あと一歩でエロCGを回収しちゃう寸前だった。ほんとにスリリング。

 

 けど悲しいかな、これはエロゲじゃあないんだ。

 成人向けな物語だったらルート確定の青姦だったけど、そうはならないよう最初から調整していた。残念だったな童貞くん。

 

「さ、サイボーグがまだ残ってたんですの!? お二人ともご無事で本当によかった……」

「はは。心配かけてごめんね、ヒカリ」

 

 まあアイツ興奮はしてたけど勃起はしてなかったから、まだちょっと刺激が足りなかった気もするな。

 暫くしたらリベンジ案件かもしれない。

 

「……コク」

 

 小さい声でレッカが耳打ちしてきた。

 急にやられるとゾクッてなるからやめてほしい。

 

「今日のことは二人だけの秘密にしよう」

「うん」

「それと……少しだけ、時間をくれないか」

 

 まぁヒカリがいなくなったら即再開ずっこんばっこんってワケにもいかないよな。

 

「わかった。……待ってる」

「……う、うん」

 

 赤くなって、かわいいやつだな。分かりやすいわ本当に。

 

 

 とにかく、これでメインヒロインムーブは完璧だろう。俺のルートに入ったのは疑いようがないので大丈夫だ。

 ……たぶん。急に氷織とかカゼコが覚醒でもしない限りは。……えっ、大丈夫だよな……?

 

 これで好感度を稼いだ後はどうするかあんまり考えてなかったけど、近いうちに悪の組織との闘いも再開して忙しくなるだろうから、間違ってもこの沖縄で過ごす短い休暇期間の間に、親友と一線を越えてしまうことはあり得ないはずだ。

 

 まだまだ美少女ごっこは続けるけど、親友とのエロいことは回避して。

 

 いろんなとこに気を配りつつ、なるべく健全なまま全クリするぞー!

 

 

 



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ムラムラする

 

 

 

 ──めっちゃオナニーがしたい。

 

 

「どーしよ……」

 

 夕方過ぎ。

 自室として割り当てられたホテルの部屋のベッドの上で、俺はゴロゴロしながら一人悶々としていた。

 

「……ぐぬぬ」

 

 体勢を変えてベッドに座り、両手を組んで唸る。

 それほど悩ましく、また早急に答えを出さねばならないほど追い詰められている。

 

 ──そうだ。

 何を隠そう俺は今、信じられないぐらいムラムラしているのだ。

 

 

 この沖縄に到着してから、もう数日が経過している。

 親父とお袋が完璧な隠れ蓑を用意してくれたおかげで、家の前で衣月を拾ってから続いていた、慌ただしい逃走劇は既に終わっているのが現状だ。

 

 つまり平和なのだ、ここは。

 今までは生死の境目を行ったり来たりするほど忙しく、気持ちの余裕もあまりなかったせいで、まず自慰行為そのものを封印していた。目の前のことだけに必死だったから当然と言えば当然だ。

 しかし、こうして普段の日常に近い状況──精神にゆとりが生まれる状況になると、おのずと暇な時間が生まれる。

 

 暇になると、当然だがこれまでに自分が何をやって来たのか、冷静に振り返る機会が増えるだろう。

 その結果が、これだ。正直に言わせてもらうと衣月を拾って風呂に入れた時から、ずっとムラムラはしていた。

 流石に彼女に欲情したわけではないが、常に自分の傍に誰かがいることで、絶対にオナニーができない状況が生まれたのは事実だ。

 

 普段していたことが急に出来なくなる。いつ出来るようになるのか分からず、夜中こっそり抜くこともできない。

 おまけに衣月はいつも俺に引っ付いてちっぱいを押し付けてきやがるし。

 音無と正面から抱き合ったり手を繋いだまま眠ったり、フウナにはセクハラと同時に柔らかい身体を押し付けられ。

 しまいには脱出用ポッドという狭い空間の中で、よく見りゃスタイル抜群でムチムチしてる氷織と、エロ漫画のロッカーに閉じ込められるシチュみたいに、互いに密着して体を温めあった。

 

 ……いや女子との肉体的接触が多すぎる。こんなんばっか体験しておいてムラムラしない男子高校生は人間じゃないだろ……。

 

 俺は人間なので、今までの体験がフラッシュバックした事に加えて、長いこと射精を我慢していた日数も相まって、もう涙が出る程にムラムラしているのだ。俺よく頑張ったよ。ここまで我慢できてえらい。

 強制的に性欲を押さえつけると、ここまで気持ちが昂ってしまうもんなんだなぁ。

 

「俺は主人公じゃない……なので許される……」

 

 ブツブツと呟きながら部屋の中を徘徊している。

 詳しい状況は分からないがきっとレッカも同じ状況だろう。しかしアイツには一年間女の子たちと過ごした時間と、それまで貞操を保ち続けた強い精神力がある。

 きっと、おそらく、ハーレム系の主人公はオナニーしない。だかられっちゃんは悶々としつつも、性欲を我慢できるから、自慰をしなくても自我を保てるのだ。

 

 だが、俺は違う。

 

 先日そのレッカに性的に迫ったことで、そういえば俺自身もずっと射精してねぇな……と自覚をしてしまった。だから無理なんだ。女の子になったり色々としてきたが、中身は思春期真っ只中な少年だからよ……。

 

「そうだ。第一、あいつらが気安く触ってくるのが悪いんだ。確かに絆を深めた仲間ではあるけど、俺たちは家族でも兄妹でもない。触られたり抱き着かれたりしたら、興奮して当たり前じゃねぇか」

 

 改めて声に出して自覚することで、距離感のバグった優しいクラスの女子みたいに勘違いを誘発させようとしてくる、あの少女たちに非があるという真実を導き出した。俺はわるくない。

 

 

「よ、よーし……」

 

 ティッシュ箱とスマホを手に取り、ベッドの上に横たわったあと掛け布団で体を隠した。

 ここまで様々なことを思考してきたわけだが、つまるところ溜まった性欲を発散したいだけなのだ。

 

「さっき窓から外を覗いたけど、なんかヒーロー部は全員で出かけたみたいだからな。安心して俺一人だけの時間を過ごせる……」

 

 時刻は夜の八時前。自慰をするならもっと深夜の時間帯の方が好ましいんだろうが我慢できん。俺はもう抜くぞ。

 エロゲの主人公でもなければハーレムの中心でもないんだから、俺には抜く権利がある。男の子として当たり前の権利だ。

 

 いいか、これは応急処置だ。

 性欲を発散させることで、邪な感情を排除するためにやるんだ。なんせウチの味方はレッカ以外みんな女の子だからな。良からぬことは最初から考えないようにしなきゃならない。

 

 今この精神状態であのヒロインたちと対面したら、まず間違いなく胸か太ももに目線がいってしまうだろう。それは不快な思いをさせてしまう──だから抜く必要があったんですね。

 

「このスマホでもログインできんのかな……ぉ、いけた」

 

 俺が持っているスマホは本来俺のモノではなく、衣月経由で親から受け取った特殊なデバイスだ。

 ネット機能があるなら使えると踏んで起動したのだが、どうやら上手くいったようだ。

 

「……へ、へへっ」

 

 ベッドに横たわりながら、つい笑いが出てしまう。まだ何もしてないのに。

 こうやって男の姿でまったりするの、いつぶりなんだろう。嬉しくて笑っちゃったくらいだから、俺は相当長い期間、女の子として生きてたみたいだな。

 俺は男だ。男の子にしかできないことをやるぞ!

 

「…………」

 

 無言のままズボンを下ろした。スマホをポチポチして、お気に入りのお供を迎えにいく。

 うおぉ、宴の始まりだ──

 

 

 

「先輩いますかー? 急ぎなんで、入りますよー」

 

 

 

 ──ッ゛!!?

 

 な、なっ、何事だ!?

 

「あぁ、いたいた。……って先輩、もう寝ようとしてたんですか」

「お、おう。あの、えっと、アレだ。ペンダントのメンテナンスしてたから、そう、目が疲れちゃって。仮眠をだな」

「それはそれは。ご苦労さまっす」

 

 おい、来るな。なんでこっち来るんだよお前は。

 ちょ待て! ベッドに座るな! よりにもよって何で今なんだ!?

 

「呼びに来たんですよ、先輩のこと。この周辺でおすすめの美味しいお店を予約できたらしいので」

「ほ、他のヤツから呼びに行ってあげれば?」

「レッカさんたちはもう行っちゃいましたって。先輩が最後」

 

 さっきヒーロー部がみんなで出かけてたの、そういう事だったんだ。そういえばもうディナーの時間ですね。

 

 でも。

 でもね音無。

 俺はいまズボンを履いてないんだ。

 それどころか情緒がバグって息子が覚醒している。お前が座ってるところのすぐそばにヤバいブツがあるんだぜ。気をつけてください。

 

「……頑張るのは結構ですけど、たまには息抜きも必要じゃないですか。みんなでご飯食べましょうよ」

 

 横になっている俺の頭を優しく撫でる音無。

 

 クソが……。俺はたったいま自分に必要なイキ抜きをしようとしてたんだよ……! みんなでじゃなくて一人でのお時間だったの!

 

「……わかった。すぐに準備するから、先にエントランスで待っててくれ」

「先輩のご両親からお金は預かってますから、お財布はいりませんよ? さっ、一緒に」

「まてまてまて」

 

 何でこんなグイグイ来るんだ。頭を撫でてきたことと言い、コイツもしや俺のことが好きなのか?

 ちょっ、布団を剝がそうとするな。やめろ。

 

「はいはい、お目覚めの時間で──」

 

 らめぇっ。

 

 

「…………す……?」

 

 

 布団を剥がし、ついに固まってしまった音無。

 奇跡的にも脱いだズボンが大事な箇所の上に乗ってくれて、肝心の本体こそ直接見えてはいないものの。

 

 そこに()()()が設営されているのは、誰がどう見ても明らかであった。

 

「……ふぇっ……」

「まて、俺は悪くない。お前も悪くないんだ、音無。これは本当に、どうしようもなかった事故なんだ」

 

 苦しい言い訳は余計に場の雰囲気を悪くする。

 そう分かっていても、言わずにはいられなかった。

 だって音無が絶句してるから。

 

「………………ぇ、っと……その……」

 

 みるみるうちに顔が真っ赤になっていった音無は、動揺で体を動かすことができないのか。

 まじまじと俺のズボン越しのお城を見つめたままで。

 

「……はぅ……っ」

 

 怯んだ声を漏らし、目をつむって俺の下半身にそのまま掛け布団をそっと戻すのであった。

 ──死にたい。

 

 



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むっつり忍者

 

 

 

 おそらく人生で一番情けないであろう姿を、後輩に目撃されてから数分後。

 

「……」

「……」

 

 俺たちは二人ともベッドの上で、正座になって向かい合っていた。

 今の俺の心境を表すとすれば、さながらイタズラがバレて教師に叱られる直前の生徒みたいな心持だ。あとちなみにズボンは履きました。

 

「……何なんすかね、これ」

「アヒんッ♡♡ 急に突っつくな!!」

「あ、ごっ、ごめんなさい」

 

 まだ覚醒したままである俺の息子の先端を、ズボンと掛け布団の上から指でタッチしてきやがった。

 いろんな布で防御されているとはいえ、突然急所を指で突くなんて信じられん。恐ろしい娘だ。

 

「でも、まだ勃ってる先輩もおかしくないです?」

「……否定はできない」

 

 そうなのだ。

 めちゃくちゃに恥ずかしい場面を見られて、本来なら一瞬で萎えて縮こまるはずなのに、俺の珍宝は暴れん坊将軍のままなのだ。一体どうなってる。

 もしかしたら女の子に変身しすぎて、肉体そのものがバグっているのかもしれない。こんな事になるならペンダント使うのやめようかな。

 

 

 ……終わった。俺の物語はここでお終いのようだ。

 

 よりにもよって数少ない仲間である音無に、男なら確実に見られてはいけない瞬間を目撃されてしまったんだ。もうどう取り繕っても俺の評価はマイナスだろう。

 今までだってそこまで頼りがいのある先輩としては見られていなかったんだろうが、今この瞬間をもって彼女は俺に心底失望したので、もはや人間としてすら認識されなくなったに違いない。

 

 すまない父さん。遥か高みを目指すアポロ・キィの夢は、こんなにも呆気なく潰えてしまったよ。

 

「くぅ……」

「先輩、そんな赤くならないでも……思春期の男の子ならよくある事ですよ。……たぶん」

「むり……」

 

 顔から火が出るとかそういう次元の話じゃない。このままだと感情が爆発して闇落ちする。世界を滅ぼしちゃう。

 

「ほんと、穴があったら入りたい……」

「えっ? ……え?」

「ちょっ、待て! 変な意味じゃない! お前だって分かってるだろ!?」

 

 ただのことわざを深読みされる状況、端的に言って地獄だ。

 

「……いや、マジですまなかった。見られた時は事故だって言ったけど、これは確実に俺が悪い。変なもん見せてごめん」

 

 頭を下げて謝罪。元の体勢が正座なので、そのまま奇麗な土下座となった。

 本当に死にたい。こんなん母親にバレるのより精神的にキツい。

 

「……私は別に構いませんけど、他の人が入ってきてたら……先輩どうするつもりだったんですか」

「ゃ、それは……ほら、ヒーロー部がホテルを出ていくのは見えてたから。……その、大丈夫かと思って」

「カギ、普通閉めませんか? ここ先輩の家じゃないんですよ?」

「何とでも言ってくれ。俺は世界で一番ダサい男なんだ」

 

 あの時の俺はどうかしていたんだ。

 そうだよ、何で部屋の鍵をかけなかったんだ。下半身に忠実すぎるだろうがよ。アポロくんガバも大概にして……。

 

「……まぁ、その、私も……はい、本当にすみませんでした」

 

 音無も小さく頭を下げてきた。何事かよ。

 

「いえ、勝手に部屋の中に入りましたし……強引に布団を剝いだりもしたので、申し訳ないです」

「分かればいいんだよ、分かれば」

「調子良すぎません?」

 

 こうでもして気持ちを誤魔化さないとやってられない。俺はいまここで自爆してもいい心構えが出来上がってるんだぞ。

 

「……相変わらずおっきいままだし」

「掛け布団で見えねぇだろ」

「表情や体の動きで分かりますよ。忍者なので」

 

 絶対ウソだ。お前の忍者の認識どうなってんだよ。流石に万能すぎるぞ。

 

「基本的には何でもできるって、前にも言ったでしょ」

「……ロールキャベツは?」

「作れます」

「ブルドーザーの運転とかは?」

「ぜんぜん余裕ですね」

「房中術は?」

「だからできっ──いま、なんて言いました?」

 

 房中術。

 あれだよ、アレ。昔の人がやってたあのエロい事して相手を油断させる技的なヤツ。

 

「できんの? 房中術も」

「…………」

 

 おや。赤面して黙っちゃったぞ。

 

「忍者って何でもできるらしいからなぁ。そういう相手を陥落させる初歩的な技術なんて、当たり前のように心得てるんだろうな~」

「……で、できますよ? えぇ、出来ますとも。あまり忍者を舐めないで頂きたい」

「えっ。……じ、実戦経験あんの?」

「うぇっ!」

 

 彼女の返事に対して思わず怯んでしまった。煽ったのは事実だが、ここでは『出来ませんけどそれ今関係あります?』みたいな感じの正論で、俺のことボコボコにしてくると思ってたから。

 マジかよ、出来るんだ房中術。

 忍者ってそういうのヤるのが当たり前だったんだな。これからはもっと音無に優しくしよう。

 

「ば、バカっ! した事なんてあるわけないでしょ!? 知識ですよ知識ッ!」

「ふむ。音無後輩はむっつり忍者だった、と」

「わたし先輩のことキライになりそうです」

 

 恨めしい顔になる音無。どうやら煽りすぎてしまったらしい。

 この場の恥ずかしい雰囲気を誤魔化すために、何かをやろうとした結果だったのだが、裏目に出てしまったようだ。

 

「ごめん音無。その、俺……」

「うるさいです。大体むっつりとか言ってますけど、先輩だって度を超えた変態じゃないですか。人のこと言えないでしょ」

「なっ」

 

 度を超えた変態だと……? アンタいつからそんなに口が悪くなったんだい……!

 

「この前の夜だって、女の子に変身した状態でレッカさんに迫ってましたし」

「──────」

 

 心臓が止まった。

 

「ぉ、おま、ぉっ、え、おまえ、おぉ……?」

「言語能力を失ってる……」

 

 まさかアレ見てたのか!? 俺とレッカの怪しい情事の現場を!

 バカな、そんな気配はしなかったはずだ。

 あの場にいたのは俺たち二人と、その遠くから向かってきていたヒカリだけだ。

 何度も周囲は確認してたし、間違っても音無に見られてたなんてことはあり得ない。ハッタリに決まっている。

 

「あのですね、自分の気配を消すのは忍者の初歩的な技術ですよ。それが出来なかったら忍者になんてなってるワケないじゃないですか」

 

 ニンジャ、すごい……。

 

「今までありがとう。さよならだ」

「窓から飛び降りようとするのはやめてくださいね」

「はなせッ! 俺はもうこの世では生きていけないッ!!」

 

 くそっ、押さえつけられてベッドに戻された。

 単純な力だけなら俺の方が上なのに、対人技術に差がありすぎる。

 後輩の女子に拘束されるなんて情けない限りだ、もう舌を嚙み千切るしかない。

 

「落ち着いて。どうどう」

「うるさい慰めるな。もう煮るなり焼くなり好きにしろ」

「別に先輩を辱めるつもりなんてありませんから……」

 

 また頭を撫でてきやがった。こいつ俺のことを完全に下の存在だと思っていやがる。事実その通りだから何も言えねぇ。

 頼むからもう優しくしないでくれ。憐れむくらいなら殺しておくれ。俺みたいな人を弄ぶようなクズは、ここら辺で地中に埋められて地獄行きになるくらいの罰を受けるべきなんだ。

 

「……先輩は」

 

 悲しみに暮れながらベッドの上で座る俺の隣に、音無がゆっくり座った。

 間違いなく説教タイムだ。

 

「先輩は……そんなに溜まってたんですか」

「は?」

「で、ですから。女の子になってレッカさんに迫る程、精神的に追い詰められてたのか、って話です」

 

 そういう認識になっちゃう? いやまぁ、追い詰められてるのは事実だけども。

 

 ……よく考えてみたら、普通の人間じゃやらないような事ばっかやってるな、俺。

 そういう意味では、レッカがバトルラブコメをしていたあのとても退屈な時期に、俺は()によって精神を破壊されたといっても過言ではないのかもしれない。

 

 最初の動機はレッカをビックリさせたいだとか、ちょっと物語に混ざりたいだとか、そんな単純なものだったのに。

 いつの間にか俺は引き返せない場所まで来てしまっていた。

 両親が悪の組織の一員だったことや、研究所から逃げ出してきた衣月のこともあるが、結局俺から面倒事に首を突っ込んだことに違いはない。俺がペンダントを使っていなければ、きっと両親も衣月を俺ではなくレッカに任せていたことだろう。

 

「……えっと」

 

 まずい。音無の一言で冷静になってしまいそうだ。俺なにやってんだろうって少し考えちゃった。

 ダメだぞ、ここでやめたら俺自身を否定することになる。

 止めてくれる資格を持つレッカによって物理的にストップさせられるまで、俺は美少女ごっこはやめないんだ。

 

 ……やめない、よな?

 

「性欲でレッカさんを困らせるのは、本意じゃないでしょ」

「それは、その……」

 

 咎めるのではなく俺の良心に訴えかけてくる音無。こうかは ばつぐんだ!

 

「まぁ、不用意に寝室へ誘ったり、衣月ちゃんと一緒に先輩とくっ付いて寝てた私も悪いですよね。先輩だって年頃の男の子ですし」

 

 音無が悪いってことはないと思う。それで興奮する俺の方が圧倒的に非があるんじゃなかろうか。

 

「……そんなに溜まってるなら、抜いてあげましょうか?」

「ッ!!?」

 

 思わず反応してしまった。こいつは急に何を言い出しやがるんだ。

 

 おい、おかしいだろこれは。なんでレッカじゃなくて、俺がエロゲの主人公みたいな展開になってるんだ。逆だろ普通。

 ……落ち着け。

 これは罠だ。

 こんな都合よくエロゲみたいな美味しい展開など起こるはずがない。だって現状俺が悪いことをしただけなんだぞ。えっちな雰囲気になる理由がまるで存在しない。

 

「だっ、だ、だめだぞぉ?↑ そんな、不用意な発言はするもんじゃあないって……」

「……プッ。ふふ」

 

 何笑ってんだ……!

 

「もう、冗談っすよ。あー、おもしろ」

「テメェな……」

「この状況ならこう言えば先輩が喜ぶかな~、ってセリフを言ってみただけです。予想通り、口では取り繕いつつも期待した眼差しになりましたね? ぷぷっ、単純な人」

 

 口に手を当ててあざ笑う音無。

 この後輩許せねぇ。そんなに純情な少年をからかって楽しいのか。あぁ楽しいだろうよ。男の子をからかうの楽しいよね……分かるよ俺もやったから……。本当にごめんなレッカ。

 ちくしょう、俺には音無を怒る資格が無いぞ。タイプ相性が最悪だ、有効な技がひとつもねぇ。

 

「先輩。もしかしなくてもコクちゃんに変身するの、ちょっと楽しくなってるでしょ」

「違うなそれはお前の単なる勘違いだ」

「すごい早口」

 

 ふぇぇ……僕の語彙力じゃもう誤魔化せないよぅ……。

 

「別に責めたりはしませんよ。先輩がロクでもない人だってのは前から知ってますし」

 

 むしろ怒ってくれた方が嬉しいまであるのだが、そうは問屋が卸さないようだ。

 ここまで知ってもなお失望してすぐに見放さないなんて、どうかしてる。音無に関しては好感度が高いのか低いのかすら見当がつかない。

 

「仕方なく始めたことでも、後から楽しくなってきちゃうこと……ありますもんね」

「えっ」

「忍者の活動をしてて『楽しいな』って感じたことは、全くもって一度もなかった──と言えば嘘になりますし、私も経験ありますよ。衣月ちゃんを守るためとはいえ、先輩は女の子に変身する時間が長すぎました。ちょっとくらい楽しくなっちゃっても不思議じゃありませんよね」

「音無……」

 

 ここまでの話を聞いた限り、音無からの認識は事実とは少しズレているみたいだ。

 本当は衣月を守るために始めたんじゃなくて、TSを始めてから衣月と出会ったんだけどな。

 

 そこはいい。

 とにかく()()()()()()()()()TS変身を始めたわけではないって認識をされてるなら、なんとか致命傷は免れている。

 救いようのない変態男ではなく、ちょっと誘惑に負けてしまっただけの変態男ってことだ。……おっと大して変わらない気がしてきたぞ。

 

「もうこの際レッカさんに全部明かしませんか? 余計な設定を増やしたことは、私も一緒に謝ってあげますから」

 

 こいつは聖母の生まれ変わりなのだろうか。

 こんなにどうしようもない男を庇うばかりか、自分は悪くないのに一緒に謝るだなんて、あまりにも精神が高潔すぎる。自分では裏切ったと言っているが、やはり彼女の根底にはヒーロー部で培った慈しみや優しさの矜持があるのかもしれない。

 

 ……だが。

 

「それは……でき、ない」

「……どうしてですか」

「音無には明かしていない真実がある。……俺はそれを守るために、レッカに対して秘密を隠し通さなきゃならないんだ」

 

 俺の中にあるのは矜持や誇りといった立派なもんではない。

 性癖──抗えない()()に突き動かされているに過ぎない。

 しかし、それでも俺は美少女ごっこを続ける。続けなければならないのだ。

 コレこそが俺を俺たらしめる証そのものだから。

 

 自らの意思でこの戦いを降りてしまったら、俺はアポロ・キィではなく、中途半端に人助けをしながら周囲を引っ掻き回した──ただの友人(サブ)キャラになってしまう。

 それは嫌だ。ガキみたいな思考だと思われたって構わない。

 俺はここで『やめない』という判断ができてしまうような、どうしようもない馬鹿なのだ。

 

 そんな馬鹿でクズな男ですらなくなってしまったら、俺は──

 

「先輩」

「……おと、なし」

 

 いつの間にか、俺の左手が握られている。

 ふと首を横に向けた。

 そこには『仕方ないな』と言われなくても伝わるような、微笑を浮かべた音無の姿があった。

 

「その真実ってやつ、先輩にとってはよっぽど大事なものなんですか」

「……あぁ、そうだ」

「なら無理強いはしないですよ。……多分、それは先輩を形作るものなんですよね」

 

 俺の意思は無事に伝わってくれたようだ。

 

()()止めません。私にその資格はありませんから」

 

 そう静かに告げた音無は、より一層俺の手を強く握りしめる。

 

「でも、状況が悪化するのは目に見えてます。先輩が私を認めてくれたら、そのときは何をしてでも先輩を止めますから、そのつもりでいてくださいね」

「……あぁ、分かった。ありがとう音無」

 

 ようやく気付いたことがある。

 俺はこれまで、自分が思っている以上に様々な人たちと交流を重ねてきた。

 その中にはとても近い距離で、絆を深めた人間もいる。

 

 もしかしたら、俺を止めてくれる存在とは、レッカだけを差すものではないのかもしれない。

 

 

「……ところで先輩」

「どうした」

「おちんちんは小さくなりましたか?」

「うぉぉっと本当に話題が変わったな」

 

 

 

 

 

「……逢引(あいびき)?」

 

 俺たち二人がいつまで経ってもフロントへ降りてこない事に痺れを切らした衣月が、俺の部屋に突撃してきて最初に放った言葉が、それだった。

 

「違うぞ」

「でも、手を繋いでいる」

「衣月とだってよく手を繋ぐだろ。それと一緒だ」

「それはおかしい。紀依の股間が膨らんでいる。私と手を繋ぐときは、そうはならない」

「…………」

 

 遂に反論できなかった。

 後輩のやわらかプニプニな手に自分の手を握られ、あまつさえ肩が触れ合う距離で『おちんちん』なんて言われてしまったせいで、俺のロケットは天を衝くが如く屹立してしまったのだ。あと音無ちゃん良い匂いするんだわ。

 

「おい待て衣月、どうして逃げようとする」

「エロシーンを邪魔する輩は絞首刑に処すと、いんたーねっとで見た。断罪されてくる」

「ちょっ、ダメダメダメっ!! 衣月ちゃんまって!?」

 

 弾かれたようにベッドから飛び出し、そのまま衣月を正面から抱きしめて拘束する音無。見事な早業だ。

 

「あのっ、これは本当に何でもないから! 一人にしてゴメンね!」

「責めているわけではない。……こうして捕まえたということは、私も参加をするの?」

「参加っ!?」

 

 お前はその変な知識をいつどこで吸収してるんだ……。

 

「乱交。……ちがう。確か三人なら……さんぴぃ?」

「おいおいおい」

「先輩っすか。衣月ちゃんの純真無垢な精神を汚したのはアンタなんスか。やっぱりこの場で縁を切ったほうが良さそうっすね……」

「待ってくれ誤解だ」

 

 もしかして衣月にデバイスをたまに貸してたのがよくなかったのか。

 確かにフィルタリングは設定されてなかったけど、怪しいサイトは検索しないように言ってたはずだ。何かがおかしい。

 

「ついったーというツール、とても便利。単語の学習にとても役立つ」

 

 よりにもよって光と闇が交差する特殊な環境に、ネット慣れしていないにもかかわらずいきなり突っ込んでしまったらしい。こんなのもう実質事故じゃねぇか。おとなしく猫の動画でも見とけばよかったものを……!

 

「この状況は……じぇーけぇと、小学生ろりの、さんぴぃハーレム?」

「オマエ意味全部わかってて言ってんだろ!?」

「お願い衣月ちゃん今言葉にした単語全部忘れてぇ……っ!!」

 

 

 ……ということもあり、子供であるがゆえに何でも吸収してしまう衣月に四苦八苦しつつ。

 そんな彼女のおかげで逆に落ち着いたため俺の性欲も沈静化され、俺たち三人はかなり出遅れてからホテルを出発したのであった。

 

 



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好感度チェックの偵察

視点が変わります


 

 

 

 ──正義のヒーローとして戦い始めたあの時は、こんな光景を目にするなんて思いもしなかっただろう。

 

 

「と、とっても美味しいですわ。このお料理のお名前は……?」

「確かついったーでは……これ、ソーキそば」

「あら、ありがとうございます。衣月さんは物知り博士さんですね」

「ねぇねぇヒカリ、聞いてくれたらアタシも答えられたよ。アタシも郷土料理詳しいよ」

「あの、コオリ先輩? 自分より幼い子と張り合うのやめません?」

 

 たくさんの仲間と食卓を囲み笑い合う、この平和としか言いようのない姿こそが、かつて孤独だった僕が幼き頃に抱いた夢だった。

 

「はい、コクさん、あ~ん♡」

「ぁ、あーん……」

「ばっちりよフウナ! その調子で自分がいないとダメになっちゃうくらい堕落させてしまいなさい!」

「えへへ……! 頑張るねお姉ちゃんっ!」

「ふむ。部長としてコレは止めるべきか否か、判断が難しい所だな」

「早く止めてください会長、もう食べられなムグゥッ」

 

 本当に心の底から、ここまで戦い続けてきて良かったと思える。

 おかげで大切な仲間たちと巡り合い、こうして同じ時を共に過ごすことができるのだから。

 

 

 僕の家系は才能重視の実力主義だった。

 

 かつて世界を救った勇者の末裔なのだから、当然といえば当然だ。

 勇者の血を引く他の一族に比べて、ファイアの姓を継ぐ者は代々魔法に乏しく、周囲から見下されている。

 そして両親はいつもそんな状況に腹を立てていた。二人はとてもプライドの強い人だったから。

 

 故に、僕よりも遥かに優秀だった兄が優遇され、ダメな弟の僕が両親から見放されるのは当然の摂理だった。

 二人の血を色濃く継いでいる兄はとても高慢で、そんなプライドの塊のような彼を反面教師にしていたからこそ、僕はファイアの姓でありながら、一族の誇りを持たない『ただの少年』になれたのかもしれない。そういった意味では、両親や兄には感謝している。

 

 ただの少年になれたのは幸運だった。

 誇り高く生きることはできないけれど、両親や兄のように多方面から常に敵意を向けられる事もないから。

 何よりダメダメだったおかげで、僕はあの親友と出会うことができたのだ。

 優秀ではないからこそ巡り合える運命というのもあるのだろう。

 

 兄は大成し、僕は仲間を得た。

 それぞれの正解を見つけたこともあり、兄に対しての劣等感は当の昔に消え去った。アポロと一緒に居たことで、無理をしてまで優秀になろうだなんて、そんな考えはしなくていいのだと知れたんだ。

 

 本当にありがとう、親友。

 

 

「おーい、れっちゃん」

「っ!」

 

 一旦食事の席から離れ、店の外で風に当たってたところで、後ろから声を掛けられた。

 振り向いたその先には──久方ぶりに再会した親友の姿があった。

 

「ポッキー。……ぁ、あれ? コクは……」

「あー、えと、交代した。せっかくの機会だしってことで、コクが気を利かせてくれたんだ。……ほれっ」

 

 ジュースの入ったコップを手渡してくれた。

 僕が言い淀んでいるうちに彼は隣に座り込み、自分のコップを差し出してくる。

 

「店ん中は姦しいからさ。お互い最近は女子とばっかり過ごしてるし、たまには男二人で話そうぜ」

「ははっ、確かにそうだね。……うん、じゃあ、乾杯」

「かんぱ~い」

 

 コップを合わせて音を鳴らし、クイっと飲料を口に含んだ。

 悪の組織との本格的な抗争が始まってから、こうして二人でゆったりする時間は、確かになかったな。

 そもそも彼がもう一人の少女と入れ替わっていたせいもあるけど。

 

「オトナシや衣月ちゃんとはどう? 上手くやれてる?」

「いきなり母親みたいな質問」

 

 アポロは苦笑いになってしまったが、やはり気になるところだ。

 コクがあの二人と仲が良いのは知っているが、依り代である本人は果たしてどうなのか。そもそも会話をする機会はあったのだろうか。

 

「ふっふっふ……そりゃあもうバッチリよ。信じられないだろうが、アイツら俺のこと大好きだぜ」

「でた、いつもの勘違い」

「んだとコラ」

「学園じゃ女子と目が合っただけで『マズいぞ、俺の運命が始まった!』とか言ってたじゃん。ほんと頭の中は幸せ者だよね、ポッキー」

「テメェ!!」

 

 軽口を叩いたらアポロにヘッドロックされてしまった。ちなみに全然痛くない。

 

「生意気な口ききやがって……」

「いたいよぉ、はなしてぇ」

「大体お前はどうなんだよ。いい加減共通ルートは終わったんだろうな?」

「それは……まぁ」

「おっ。どれ、話してみなさいよ」

 

 パッと首を離したと思ったら、軽くつまめる料理が乗った小皿を二人の間に置くアポロ。どうやら本格的にここで時間を潰すつもりらしい。

 

「えっとね……まず、コオリに実質告白された」

「ブッ!!」

「わっ、汚ねっ!」

 

 めっちゃ盛大に噴き出すじゃんコイツ。もっと心構えしっかりしてると思ったのに。

 

「う゛ぅ……ぃ、いつだ。いつどこで、どんな風に言われたんだ」

「コクとコオリが沖縄に来た日の夜だよ。夜中にコクと話し終わって、部屋に戻ったらコオリがいたんだ。それで『この戦いが終わったら伝えたいことがある』って」

「……死亡フラグみたいな告白だな」

「それは僕も思った……」

 

 絶対に死なせるハズなどないが。

 それにしたってあの発言はもう実質告白みたいなものだろう。この戦いが終わって学園に戻った暁には、彼女からの告白イベントがあるに違いない。

 

 ……イベントって言い方をするあたり、僕もだいぶアポロに毒されてるな。

 

「ふんっ、なんだよ、じゃあ氷織ルートで決定かよ。おめでとさん」

「何で半ギレ」

「うるせぇよお前、アレだぞアレ。そのままだと事故が起こるぞ。ちゃんとヒカリとカゼコの事はフッたんだろうな」

「いや二人にも似たようなこと言われて……」

「クソぁッ!! このハーレム主人公がッ!!」

 

 激しく悪態をついたアポロは小皿に乗っていたピーナッツや枝豆を食い尽くしてしまった。ハーレム主人公に食わせる飯はねぇ、とのことで。

 

「どーすんの! おまえもしかしてヤンデレでも誘発させるつもりなのか! アイツら三人一緒だなんて──」

 

 途端に言葉が詰まるアポロ。

 何かに気がついたようだ。

 

「……一緒でも仲良くやりそうだな」

「この前三人で話してるとこ見かけたよ。問題は一夫一妻制の法律だけ、とか言ってた気がする」

「公認ハーレムかよ。死ね」

「ド直球な悪口が来たな」

 

 ゆるせねぇ~~、とか言いながら頭をかきむしってる親友の隣で、僕は飲み物を舐めるように少し飲む。

 

 これからどうなるのか分からない。

 自分がどういう判断をするのか見当もつかない。

 彼女たちは言うまでもなく魅力的な存在で、大切な仲間であり少なからず意識してる異性でもある。

 ここでアポロから露骨な後押しでもされたなら、きっと迷わず彼女らを受け入れてしまうことだろう。

 

 でも、そうはなっていない。

 彼が知っているのかは不確かだが、誰よりも直接的に僕を求めてきたあの少女の事がある。

 

「ハァ……れっちゃんがこうなら、もうコクなんて眼中に無さそうだな……」

「……どうかな。たぶん、今の僕が一番気にしている女の子(ヒロイン)は──あの子かもしれない」

「うぇっ!? そ、そうなの……」

 

 さっきからオーバーリアクションが過ぎるだろ。

 それとも本気で一喜一憂するほど僕の恋路に肩入れしてるのか。

 

「えっえっ、ちなみに何で。お前ロリコンだったのか」

「めちゃくちゃな解釈するのやめてくれる?」

 

 確かにコクはヒーロー部のメンバーと比べたら小柄だし、こう言ってはなんだが胸もあまりない。

 だがそういう問題ではないのだ。身体的特徴を気にするターンはとっくに終了している。

 

「……僕も分かんないよ。自分の感情をしっかり理解してるワケじゃない」

「おっ、主人公特有の独白タイムだ」

「キミから聞いたんだから真面目に聞けよ。殴るぞ」

「ごめんなさい」

 

 『(´;ω;`)』みたいな顔しやがって。うざいなこの男。

 

 

 もちろん、コオリたちとは深い絆がある。

 

 一年間も一緒に悪と戦ってきたのだから当然だ。学園内の他の人は知らないような、彼女たちのクセや秘密だって僕は知っている。逆もまた然りだ。

 素直に言えば好意を抱いている。

 僕は彼女たちを信頼しているし、好きかどうかと聞かれたら好きだと即答するだろう。

 

 ──だが、あの漆黒の少女に対して抱いた感情は、彼女たちへ向けるそれとは異なっている。

 

 同情だと言われてしまえばそれまでかもしれない。

 人を依り代にしなければ自由に生きられない彼女に、かわいそうだとか不憫だとか、そういう感情を向けていないと言えば嘘になる。

 

「……でも、なんか違うんだよ」

 

 初めて会ったあの夜はただただ不思議な謎の少女だと思っただけだった。

 

 しかし屋上でしっかりと話したあの日から、僕はどこか彼女に──惹かれていたのかもしれない。

 突風が吹いてもスカートを押さえなかったり、サイズの合わないアポロの服を着たりなど、どこか抜けているところがあって。

 真摯に親友との付き合い方を叱咤してくれた。

 子供を助けて怪我をしたのに、僕たちの前から姿を消したりだとか、強がりな部分もあった。

 たまにポッキーみたいに煽ってきたり、子供っぽい発想をしたり、年相応なかわいらしい振る舞いもしていて──

 

 なにより親友を守ってくれていた。

 

 その身を挺してアポロを守り、僕に敵対されようともその意思を曲げることはなく、いつだって力強く立ち上がっていた。

 でも僕との繋がりを求めるような、儚さを感じる一面もあって。

 

 その事実に、その姿に、僕は──

 

 

「もういい。もういいぞれっちゃん」

「だから、もしかしたら僕は」

「やめとけ! もういいからぁ!」

 

 何だよ、いいところまで話したのに。むしろここから先を聞きたいんだと思ってたぞ、僕は。

 てか何で赤くなってんだよ。こんな話で恥ずかしくなるほど初心じゃないだろ君は。

 ……いや、でもちょっとニヤついてるな。

 友達の恋バナ聞くのそんなに楽しいかい、ポッキー。

 

「十分だぜ。俺はその話を聞いて満足だ」

「あっそ。……言いふらさないでね」

「んな口軽くねーから安心しろって。俺とお前だけの秘密だぜ。誓いとして握手をしよう」

「う、うん」

 

 何で握手……?

 

「じゃあ先に戻ってるから。またコクに変わってるかもしれないけど、アイツとも仲良くしてやってくれ」

「言われるまでもないよ」

 

 そういって店の中へと消えていくアポロ。

 もしかしたら彼は、一番近くにいた相棒のような存在であるコクの恋路を、密かに応援していたのかもしれない。だから喜んでいたんだ。

 

「……さて、僕も戻るか」

 

 すっくと立ちあがり、彼が置いていった皿を持ってお店の中へ戻っていく。

 ふと振り返ると雲一つない空が広がっていた。

 

 あぁ、今日は月が奇麗な夜だ。

 

 




感想をいくつか頂きましたので、R18版に需要があるようでしたらIFルートとして50000分の1くらいの確率で執筆します


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隠しヒロイン

 

 

 【速報】オレの親友、ロリコンだった。

 

 というわけでヒロイン三人の告白イベントがあったにもかかわらず、俺はメインヒロインの座をキープすることに成功したのであった。

 正直あそこまでされたら勝てる要素が無いと、話を聞いていた時はそう思っていたのだが、どうやらレッカがロリ体型好きの変態だったおかげでどうにかなったらしい。ばんざい。

 

 あとそれから、俺たちは遂に沖縄を出発することになった。

 

 悪の組織がもうすぐ激ヤバ装置を完成させるとのことで、それが発動されてしまったら世界中の人々が一瞬で洗脳されてしまうという、意外とめちゃくちゃに追い詰められている状況になっていたようだ。

 しかしこちらもただ手をこまねいていただけではない。

 組織の本部に殴り込みをかけるための潜水艦を用意し、ヒーロー部のみんなもしっかり能力を修行していた。戦う準備はバッチリだ。

 

 以前両親から聞いた警察に潜り込んでいる組織のスパイの正体も判明したのだが、ヤツを告発させるに至る程の証拠を掴むことは、終ぞ叶わなかった。

 スパイの正体は警視庁の警視監。

 上から数えた方が早いくらいのお偉いさんということもあり、証拠隠蔽はお手の物だったようだ。

 

 つまり、俺たちは未だ警察の手を借りることはできず、ここまできたヒーロー部のメンバーと俺の両親だけという、世界を救うにはいささか心許ない人数で巨悪に挑まなければならない──ということだ。普通にこわくて怖気づきそう。

 

 でもここでやらなきゃバッドエンドだし、なるべく全力でがんばるぞ。

 

 

「じゃ、私たちはこれで」

「また夕食の時にでも話そう、コク」

 

 俺の部屋に来ていた音無とレッカが、それだけ言い残して退室していった。かれこれ三十分くらいお話をしていたかもしれない。

 

 現在は潜水艦に搭乗しており、俺がいるのはその中にある一室だ。

 悪の組織の本部まではまだまだ遠く、少しの間はここで過ごすことになっている。

 

「……どうなるんだろうなぁ」

 

 ペンダントを操作し、コクの姿から戻ってから、ベッドに転がって呟いた。部屋の鍵は閉めてあるから、急な来客が来ても対応できるので問題ない。

 

 ……で、先ほどの音無とレッカとの会話なのだが、どう考えても最終好感度チェックのイベントだった。

 一番仲の良い仲間が部屋に来る流れになっていたんだろうけど、まさか二人も来てしまうとは。

 最初にレッカが来たときは、最終決戦前ってことで思い出作りに一発ヤられるんじゃないかとヒヤヒヤしていたのだが、程なくして音無も訪れたことで部屋の雰囲気は健全に保たれた。音無によるこの上ないファインプレーだ。褒めて遣わす。

 

 会話の内容は『戦いが終わったら』とか『今回の作戦は』など、当たり障りのないものだった。

 レッカも音無もいつも通りの態度だったし、特別何も起きなかったこともあって、良くも悪くも今後の展開が予測できなくなってきている。

 果たしてレッカに攻略されてしまうのか。

 それとも音無に美少女ごっこを止められてしまうのか。

 ましてや悪の組織なんて本当に倒せるのか──不安は拭えない。

 

 だが俺は俺なりに頑張るつもりだ。

 謎の美少女に変身できるこのペンダントを手に取ったあの日から始まった俺の物語が、どんな結末を迎えるのか。それだけはしっかりとこの目で見届けるつもりでいる。

 ちょっと怖いけど、やはり少しだけ楽しみだ。

 

「……ん?」

 

 コンコン、と部屋のドアがノックされた。

 

「──紀依、わたし」

「おう、今開ける」

 

 声の主は衣月だった。相手が彼女ならわざわざコクに変身する必要もあるまい。

 扉を開けると、そこには俺よりも頭一つ分くらい背が低い、白髪の少女が立っていた。

 その見慣れた姿に安堵しつつ部屋の中に招くと、程なくして衣月が正面から抱き着いてきた。なんだなんだ。

 

「どした衣月。急にくっついてきて」

「風菜やカゼコと遊んで汗をかいた。紀依、一緒にお風呂に入ろう」

「えぇ……」

 

 何でよりにもよって俺なんだ。そこは音無とかライ会長でいいでしょうに。

 出会った初日は衣月を風呂に入れたが、それでも二人で同じお湯に入ったことはない。血は繋がってないし兄妹でもないし、ましてや男女なのだから当たり前だ。

 

「紀依はイヤ?」

「逆に聞くけどお前はどうなんだよ。小5くらいなら、男に体を見られるのは恥ずかしいモンなんじゃないの」

「知らない」

 

 いや知らないてアンタ。

 確かにこれまで悪の組織に幽閉されていたわけだから、普通の小学生と同じ感性を得るのは難しかっただろうけども。

 それこそツイッターとか使ってたわけだし、この旅で身も心も文字通り成長してきたはずだ。

 なのに俺とお風呂か。

 普段は音無と一緒に入ってんのに、男の俺か。

 もしかして衣月には羞恥心ってものが無いのだろうか。

 

 ……ま、まぁ? 俺だってロリコンではないから?

 衣月の裸体を見ようが何とも思わないし、お前がいいなら別に構わないけどな。

 

「あれ、でもここってシャワー室しかなくね?」

「私の部屋には普通の浴槽がある。お湯も溜めてあるから、無問題」

「そっすか」

 

 無問題って、これまた変な言い回しを覚えたなこいつ。実際の歳に比べて、知識が偏ってるような気がする。

 マジでこの戦いが終わったら一般教育科目から順に、しっかり教え込んでいこう。

 

 

 

 

「……狭くない?」

「別に平気」

 

 十数分後。

 とりあえず簡単に身体を洗った後、そこそこ温かいお湯を張った湯舟に浸かると、衣月がそのまま膝上に乗っかってきた。

 二人で入っていることもあって、風呂の湯は溢れて零れてしまう。少し勿体ない。

 

「なぁ、衣月」

「どうしたの」

「その……なんで男のままじゃないとダメなんだ?」

 

 俺はコクに変身していない。衣月からの希望だったのだが、普通に考えたら女同士の方がいいと思う。なんでわざわざこっちで……。

 

「だって、そっちが本当の紀依だから」

「そりゃそうだが」

「どっちでもいいけど、こっちの紀依の方が、私は好き」

「うれしい~」

 

 お湯に髪を漬けないよう、タオルで頭を覆ってやった。

 奇麗な白髪なのだからもっと大事にしてほしい所だ。

 

「紀依」

「んっ?」

「もっとくっ付いて」

「今の時点でこの上なく密着してるだろ」

 

 クソ狭い浴槽で少女を膝上に乗せながら湯に入るなんて、相手が衣月だろうと、はたから見れば犯罪でしかない危険な行為だ。

 そのリスクを承知で一緒に浸かっているのだから、もっとくっ付けだなんて無茶なお願いは勘弁してほしい。

 

「だめ。後ろから抱きしめて」

「そんなに寒いか……?」

 

 もう十分温まってるはずなんだけどな。この子もしかして冷え性なのかしら。

 一応今回は彼女の希望を叶えるためにやっている事ということもあって断れず、俺は後ろから彼女の腹部辺りに手を回し、苦しくならない程度に抱き寄せた。

 サラサラで触り心地の良い少女の背中が、俺の胸板に密着される。

 相手が衣月じゃなかったらエロシーンに突入してそうな状況だ。

 

「んっ……」

「これでいいな」

「……うん」

 

 衣月はそっと俺の腕に手を重ねてくる。……なんだろう、もしかしてシリアスなターンだったりするのかな。

 もう、この際ハッキリと聞いてしまおうか。

 

「なにか話したいことでもあったのか」

「……あった。ある。今から話す」

「どうぞ」

「承った」

 

 独特な空気感での会話が続く。

 少し動けばお湯の揺蕩う音が耳に入ってくる。

 それほどまでに浴室は静まり返っていた。

 

「私、未来が見える」

「……えっ。俺のパクリ?」

「紀依のハッタリとは違って、私のは本当」

 

 普通に考えたら衝撃の告白なのかもしれないが、ここまで非日常に巻き込まれると、いろいろと慣れてくるらしい。

 多少驚きはしたが、動揺するほどではなかった。

 そんな俺の様子を知ってか知らずか、衣月は淡々と話を続けていく。

 

「能力というよりは、呪い。ごく稀に、一瞬だけ仮定の未来を見ることができる。紀依のペンダントを改良できたのも、その“改良される”という仮定の未来をあの場で見たから」

 

 どうやら彼女は特別機械に強かったわけではなく、先の事象を知る事で物事を解決させる力が元から備わっていたらしい。

 呪いというほどだから、きっとこれまで見てきたのは良い未来ばかりではなかったのだろうが。

 

「組織にいた頃は、いつも眠るときに未来を見ていた」

「……どんな未来だった?」

「世界が、救われる未来」

 

 お湯を手ですくって遊びながら、彼女は俺の膝上でその未来を語る。

 

「研究所から連れ出されて、私はレッカに保護される。いろいろあって悪の組織と戦うけど、ヒーロー部は勝利を収める」

 

 これまでの過去とは違う未来だ。

 やはりというか、最後のヒロインに相応しい衣月はレッカに守られ、最初から俺という存在は必要なかったらしい。

 

「私はレッカを好きになって、レッカも私を一番大切にしてくれる」

 

 れっちゃんマジでロリコンだったんだ。まぁそういう性的嗜好もあるよね。

 

「……でも、最後にヒーロー部の誰かが死ぬ」

「流れ変わったな」

「私とレッカは死なない。世界も無事に救われる。けど、仲間の内の誰かが必ず死ぬ」

 

 想像以上に重い未来を見ていた衣月。

 思わず茶化そうとしてしまったが、そういう雰囲気ではないと理解して、そっと彼女の頭に手を乗せた。

 

「何百回と見てきた。一番回数が多いのは音無で、その次は氷織。二人とも、私の見た未来では『自分は死んでもいい』って考えてた。だからいつも、最後には犠牲になる」

「……そうか」

 

 音無の場合は裏切者という罪悪感から。

 氷織に至っては、幼い頃に人の命を奪った負い目から、そういう感情を抱いてしまったのだろう。

 これだけを聞くと非常にこの先心配になるが──

 

「でも、僅かにだけど、死ななかった未来も見た」

「マジで?」

「まじで」

 

 希望が見えてきたと思ったら、衣月が体ごと振り返って、俺と対面した。

 浴槽の中で静かに見つめ合いながら、俺は少女の話に耳を傾ける。

 

「その未来を見たのはつい数日前。……そこにはいつも、紀依がいた」

「俺……?」

「おれ」

 

 何で俺?

 

「よく分からない。確実に言えることは、仲間が誰も死なない未来を見始めたのは──あなたと出会ってからが、初めてだった」

 

 自分が特異点になった可能性があると言われても、いまいちピンと来なかった。

 欲望に負けて物語に参戦した俺が、どうしてよりにもよって運命を変える歯車になってしまったのか、まるで想像がつかない。

 

「紀依と出会って未来は変わった。でもここ最近はまったく未来を見ていない。いつも研究所で受けていた注射を、長い間受けていない影響かもしれない。……私はもう、未来を見ることができない」

「……それでいいだろ。先の事なんかわかんないのが普通の人間なんだから」

「嫌。見たい。どうしても、いま見たい」

 

 珍しくワガママを言ってきた衣月は、そのまま正面から俺の頭を抱擁してきた。ちっぱいで前が見えねぇ。

 

「心配しないでも大丈夫だって。現状の最強メンバーで挑んでるんだし、死なない未来まで見たんだからそれこそ無問題だろ」

「そうじゃない。私の見た未来で、紀依だけが生死の結果が分からなかった」

 

 ……あれ、もしかして死亡フラグ立ってるのって、俺なのか。

 

「未来に紀依がいたのは間違いない。でも生きてるのか死んでるのか、判断が付かなかった。もし誰も死ななくなった代わりに紀依が死ぬのなら、そんなの意味が無い」

 

 めっちゃ強く抱きしめてくる衣月。痛い痛い。どんだけ俺のこと心配なんだお前は。

 

「やだ。……死なないで、紀依」

「死ぬわけないだろ、このアホ」

「いたっ」

 

 流石に苦しいのでポコッと頭を軽く叩き、彼女を少し体から離した。

 まったく、俺が死ぬ前提で話を進めるんじゃないよ。

 

「いいか。そういうフラグっぽい発言が俺のことを殺すんだよ。するならもっと素直に応援してくれ」

「……がんばれ、がんばれ……とか?」

「おぉ、いいなそれ。滾ってきたわ」

「児童ぽるの? ろりこん?」

 

 わかんねぇ。俺もしかしたらロリコンかもしれねぇわ。衣月のこと大好きだからな。

 

 まぁ、とりあえず余計なフラグ発言さえされなきゃ、俺は死なないってことだ。

 なんたって衣月曰く『運命を変えた男』だからな。これはもうレッカと並ぶ重要な人物と言っても過言ではないだろ。

 

 うおぉ、これこそメインヒロイン。

 実際に超重要な役割を担ってしまったぜ、ひゃっほい。

 

「俺に任せとけって、衣月。誰も死なない超絶ハッピーエンドを見せてやるからな」

「それ、フラグっぽい」

「お前が茶化してくれたならもう大丈夫だ」

「……やっぱり不安。ねぇ紀依、レッカにしようとしたように、私とも思い出を残す?」

 

 お前もあの夜の浜辺でのイベント見てたのかよ。もう両親とか会長が知ってても驚かねぇぞ俺は。

 

「今のうちに種を仕込んでおけば、バッドエンドでもいつか紀依の子孫が仇を討つ」

「ハッピーエンドにするって言ったでしょ。てか間違ってもお前に種は仕込まねぇよバカ。どんだけ下ネタ好きなんだ」

「おっきくしましょうか」

「小さいままでお願いします」

 

 ……本当に困った少女だ。

 

 



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コクちゃん二転三転

 

 

 

 間違いなく、作戦は順調だった。

 

 海上にある悪の組織の本部へ奇襲をかけ、その最深部にある全世界洗脳装置は確かに破壊した。

 道中あの警察に潜り込んでいたスパイである警視監の男が立ちはだかったものの、ヒーロー部の力を合わせれば勝てない相手ではなかったため、苦戦しつつも俺達はヤツを退けて前へ進んで。

 その結果辿り着いた結末は()()()()であった。

 

 結論から先に言おう。

 俺と風菜とライ会長を除いた他の全人類は、悪の組織に洗脳されてしまった。

 

 

 

 

 まず、ヒーロー部の活躍で悪の組織の親玉──つまりラスボスは撃破した。

 

 いかにも悪そうな顔をしたオッサンで、めちゃめちゃゴツくてデカい怪人に変貌したものの、皆の力を合わせれば普通に負けない程度の相手であった。

 確かに強くはあったものの、よりにもよってアレが組織のボスだったのは意外だった。あっさり決着が付いて思わず拍子抜けしたほどだ。

 

 そんなラスボスが後生大事に庇うような装置とあれば、破壊しない理由など一つもない。

 というわけでヤツの背後にあったバカでかい洗脳装置を、俺たちは全員の力を合わせて木っ端微塵に粉砕した──のだが。

 

 そのとき、まだ生き残っていた警視監の男が、こう叫んだのだ。

 

『ざ、残念だったな! 実は全世界洗脳装置は予備としてもう一つ作ってあったのだ! 密かに魔法学園の地下に設置してあった予備装置はつい先ほど完成し、その効果が発動された! 間もなく世界は組織のモノとなるのだァ! やったー!!』

 

 めちゃめちゃ説明口調で、気が動転してたのか予備装置の隠し場所までご丁寧に教えてくれた警視監の男は、そのまま『ボスの理想は私が継ぐぞ!』と言い残して本部から姿を消した。強さや口ぶりから察するに、ヤツは組織の中でも上から数えた方が早い方の幹部だったのだろう。

 つまりラスボスは倒したもののそれで終わりではなく、今度は裏ボスが出現しやがったのだ。RPGあるあるですね。

 

 そしてその裏ボス曰く、この世界はまもなく組織のモノになるとのことで──

 

「どうして逃げるんだい、コク。さぁ……一緒に組織の仲間になろう」

「ひぇぇっ……!」

 

 こんな感じで、完全に洗脳されたレッカに追い回されてる現在に繋がるわけだ。

 

 現在いる場所は未だに悪の組織の本部の中であり、俺はコクの姿で細長い通路を疾走しながら、完全に闇堕ちしてしまった親友と鬼ごっこをするハメになっている。

 ちなみに洗脳されていない他の二人も、俺と同様悪の手に堕ちた仲間に追いかけられているため、この海上に浮かぶ基地から脱出するための手段を見つけて合流しない限り、俺たちに未来はない。

 しかし、自分以外にあと二人仲間がいるという事実は、間違いなく今の俺の心の支えになっていた。

 

 

 風菜とライ会長が洗脳されていない理由については、とても簡単だ。

 

 まず風菜に関しては言わずもがな、あの生まれ持っての最強な催眠耐性体質。

 そしてライ会長が闇堕ちパワーを受け付けなかったのは、他ならぬ俺が理由だ。

 

 俺が身に着けているこのペンダントには、どうやら精神干渉に関する魔法の一切を、完全に防御する機能が備わっていたらしい。

 父親にも聞いていなかった事なので確証はなかったものの、記憶を掘り返してみれば思い当たる点は確かにあった。

 

 初めてサイボーグに襲撃され、ヒーロー部の全員がヤツの催眠によって、精神世界へダイブさせられてしまったあの夜。

 耐性のあった風菜以外にあの場で意識を保っていられた人間は、俺とすぐそばにいた衣月だけだった。

 会長も音無も覚醒はしたものの、一旦は眠らされてしまったわけで、風菜を除けば最初からそもそも催眠が効かなかったのは俺と衣月だけだったのだ。

 

 衣月に催眠の影響が出なかったのは、彼女に催眠の耐性があったわけではなく、きっと俺のすぐ傍に隠れていたからだ。今回、衣月が他のみんなと同様に洗脳されてしまった状況からも、その事実はハッキリしている。

 逆に前回の彼女と同じように、俺のすぐ隣にいたことで、なんとか洗脳から免れた人物もいた。

 

 それがライ会長だ。

 

 どうやらペンダントには俺だけでなく、身に着けている人物のすぐ近くにいる存在も、精神汚染から守る効果が隠されていたらしい。

 

 

「逃げないでくれコク! きっと君にもすぐに組織の素晴らしさが理解できるはずだ! ハハハッ!」

 

 で、れっちゃんは俺とは離れた位置にいたせいで、この有様というわけだ。守ってやれなくてすまんな、親友。

 

「観念しろっ!」

「わぎゃっ……!」

 

 火炎球が足元に飛んできて転倒。痛い。

 尻餅をついた俺の前に立ったレッカは、何かを思いついたように自分の両手をポンと叩いた。

 

「あっ、そうだ。コクのついでにポッキーも勧誘しよう。ねぇコク、きみに僕の身体を貸すからアイツを説得してくれよ」

「えぇ……」

「ありがとう!」

 

 いや了承の返事ではないんだが。

 

「それじゃあペンダントを預かるね……」

「ちょ、やめっ!」

「ほいっと」

「あぁん」

 

 抵抗むなしくレッカにペンダントを強奪された俺は、強制的に変身解除させられ男の姿に。

 そんな俺を見下ろしながら、レッカは遂にペンダントを自分の首にかけてしまった。

 

「やぁポッキー。これからは僕が依り代になる事で、いつでもコクと会話できるようになるよ。よかったね」

「ぁ、あの、れっちゃん。頼むから、そのペンダント返して……?」

「ダメ」

「うぅ……」

 

 相も変わらず洗脳された状態のレッカを見るに、ペンダントの効力はあくまで精神攻撃を防ぐのみで、洗脳された人間を元に戻すような機能は備わっていないらしい。

 

「さぁ、僕の体を使ってくれ──コクっ!」

 

 レッカは高らかに叫び、ペンダントの中のボタンを押し込んだ。

 

 ぴかー。

 しゅう~っ。

 ドン。

 

 変身が完了し、親友は普通の男の子から、黒髪ちっぱい低身長ロリへと姿を変えてしまったのだった。

 やはりというべきか、たとえ元の変身者が誰であっても、ペンダントを使用した際に変身する姿はまったく同じらしい。

 

「……あ、あれ?」

 

 洗脳されているにもかかわらず、未だに自分の意識がある事に違和感を覚えるレッカ。

 

 それもそのはずだ。なぜならあのペンダントには『コク』などという名前の少女の人格なんて、初めから搭載されていないのだから。

 

「姿は変わった──な、なのにどうしてコクと意識が切り替わらない?」

「……えっと」

「あ、アポロ! これはどういうことだ! 人格の交代どころか、ペンダントからは生命力の反応すら感じないぞ! コクはどこだッ!?」

 

 迫真の形相で俺に迫りくるレッカことコク。

 

 これはマズい。

 状況がヤバい。

 まるで言い訳が思いつかない。

 ついに来たのか詰みのターン。

 暴かれちまうぜオレの秘密が。

 

 ……気が動転して、思わず下手くそなラップまで出てきちゃった。まったく韻を踏めてないし。

 本当にどうしよう。よぅよぅ。

 

「──ええい、ここは一時撤退だ! さらば親友っ!」

「まっ、待てアポロぉ!」

 

 俺はすぐさま立ち上がり、レッカに背を向けて駆け出した。それはもう人生最大と言えるほどの全力疾走で。

 はたから見れば黒髪のロリっ娘から本気で逃げてる男子高校生の図になるため、俯瞰して自分の状況を考えると非常に情けない事この上ない。

 

 しかし、どのみち今の普通じゃないレッカを、この場でまともに相手する必要はないのだ。

 

 ペンダントを取り戻したいのは山々だが、そもそも戦闘じゃ勝ち目は無いし、状況を鑑みるにここは逃走して態勢を立て直すべきだろう。うおぉ逃げるぞー。

 

 

 

 

 

 

 ──どうして、こんな事に。

 

『悪の組織に入りましょう、部長!』

 

 いや、分かってはいた。

 強大な敵を相手取るという事は、その分失敗したときに返ってくる危険の度合いも大きいということだ。

 

『どうして逃げるんですか? みんな仲間ですよ』

 

 それを承知の上で戦っていたはずだった。みんなも、私も。

 しかしやはり、こういった土壇場で動揺しているあたり、自分は精神の弱い人間なのだと思い知らされてしまう。

 

『部長、一緒に来てください』

『逆らうのなら実力行使も厭いませんよ?』

『組織に入れば怖いものなんてもうありません! さあ! さあ!』

 

 洗脳されていると頭では理解しているのに、部員である彼女らに攻撃された事実が、ひどくショックだった。

 数分前までは共に戦っていた仲間たちが──それどころか全世界の人間から敵として認識されてしまった現状に、私は絶望した。

 

 怖気づき、足が竦んだ。

 

 

「……ぅっ、うぅ……っ」

 

 組織の本部、そのどこかにある無人の部屋で、私は瞼に涙を滲ませて俯いていた。

 目の前で起きている現実から目を逸らすように床に蹲り、しゃくり上げて泣き散らしている。

 

「ぶ、部長? ……えと、あのっ、大丈夫ですよきっと。アタシたちだけじゃなくて、まだコクさんやキィ君もいますから」

「……ふう、な」

 

 私の傍に寄り添ってくれているのは、特殊体質ゆえに洗脳を免れたフウナだ。

 以前までは姉がいないとまともに活動できなかった彼女だったが、今ではこの通り、こんな切迫した状況でも折れずに前を向けるほど成長している。

 

「ごめっ……フウナ……っ」

 

 すまない、と謝るつもりだった。

 しかしいつも使っているような、あの厳格さを出すための硬い口調では喋れないほど、私の心には余裕が無かった。

 今の自分は誰がどう見ても、ヒーロー部の部長や学園の立派な生徒会長でも何でもなく、打たれ弱いただの未熟な女子高生だ。

 

「あわわ。……ぁ、安心してください! この建物から逃げられるまで、部長のことはしっかりアタシがお守りしますから!」

 

 ぎゅう、と私を抱擁するフウナ。彼女なりの気遣いなのだろう。

 だがそんな彼女の優しさが、余計に私を惨めな気持ちにさせる。

 

 頼ってしまっているという罪悪感が、どうしようもなく胸を締め付けた。

 

 

 

 ヒーロー部に所属する面々は、誰もかれもが()()だ。

 

 レッカは勇者の血統を受け継いでおり、ヒカリは国を支える財閥の令嬢で、どちらも自分の宿命を理解し、誇り高き精神で自らを突き動かしている。

 

 コオリやオトナシは、常人では心が壊れてしまうほどの凄惨な過去を逆に糧として、それを誰にも譲らない強さへと昇華させた。

 

 ウィンド姉妹は言わずもがな、決して恵まれていたとは思えない境遇で育ち悪の組織に利用されてもなお、互いを思いやり支え合う深い愛情と絆がある。

 

 三者三様、十人十色の過去と立場だ。

 だが彼ら彼女らには『強い』という共通点があった。

 普通とは違う境遇にいたからこそ、そこで培ってきた強靭な精神力が彼らの強さを引き立たせているのだ。

 

 

 ……なら、私は?

 

 こんなに部員の過去を()()()()()()ほど、彼らから強い信頼を向けられた、この私は?

 

 

「っ! やばい見つかった! 部長、手をっ!」

 

 フウナに手を引かれ、部屋を出て廊下を駆ける。

 ふと、走りながら振り返ってみる。

 後ろから私たちを追いかけてきているのは、見慣れた部員たちだった。

 

 

 ──あの子たちに比べて、私はあまりにも平凡過ぎた。

 

 中学生の頃、ヒーロー部に所属していた先輩に助けられて、正義の味方に憧れた。

 だからヒーロー部に入った。

 ただ、それだけ。

 

 

「あっ、キィ君! ってうえぇぇ!? コクさんに追いかけられてる!?」

「風菜! レッカにペンダント奪われちゃった!」

「ハァ!? 何やってんですかもう!」

 

 

 特別な境遇など無い。

 優しい両親に育てられ、周囲に混ざって普通に成長し、進学した。

 恵まれた環境にいたおかげで、豊富な知識を得ることができたから、ただそれを参考に見栄を張って強がっていただけなんだ。

 

 

「ぁ、あれ? ちょっと風菜、ライ会長どうしちゃったんだ?」

「今はそっとしてあげてください! ていうかアタシが囮になるんで、キィ君は部長を連れて先に脱出手段を見つけて! 多分どこかに小型のボートとかありますから!」

「おっ、おう! 了解!」

 

 

 中身は幼い子供のまま。

 ヒーロー部の中で一番精神力が貧弱なのは、間違いなく自分だ。

 

 

……

 

…………

 

 

「待ってくれ、アポロ君」

 

 海上にあるこの本部から脱出するための、小型ボートと出口は見つけた。

 そこで私は、一人にするのは危険という事で私の手を引こうとした彼に声を掛け、足を止めた。

 

「か、会長?」

「フウナに知らせに行くんだろう。私のことはここに置いて行ってくれていい」

「なっ、何言ってんですか、会長を一人に出来るワケないでしょ。一緒に──」

 

「離してくれッ!」

 

 アポロの手を振りほどき、私は数歩後ずさった。

 もう自分が足手まといになっている事など、とっくに理解しているのだ。

 これ以上後輩たちに迷惑はかけられない。

 

「……私を連れて歩くより、フウナと二人で行動した方がいい。使い物にならなくなった私を同行させる意味など、ないよ」

「会長……」

 

 だって無理じゃないか。

 世界中の人たちが敵に回ったんだぞ。

 ヒーロー部の皆にだって裏切られたいま、たった三人で勝てるわけがない。

 

 平凡過ぎる私の心はもう折れている。

 これまでやってこられたのは、常に仲間の部員たちがいたからだ。

 敵だってこんなに大きくはなかった。間違っても世界そのものと戦うことなんて無かった。

 

 こんな状況、諦めたくなるのが普通だろう。

 

「……や、ダメです」

 

 挫折したくなるような状況なのだ。

 それなのにどうして、きみはそんなにも強い意志を持てるんだ。

 

「会長の──ライ先輩の気持ちは分かりますよ。今はこんなですけど、俺も最近まではただの一般市民でしたからね。戦いたくない気持ちは誰よりも理解できます」

「それなら……」

「だから先輩は戦わなくていい」

「……えっ?」

 

 予想していた言葉と違った。

 私はてっきり、諦めるなだとか、一緒に戦おうだとか、こちらを奮い立たせるような説得の言葉を向けられると思っていた。

 しかし、後輩は不敵に笑いながら、私に『戦わなくてもいい』と言い切ってしまった。

 

「そんな状態で戦ったら、いよいよ先輩の心が壊れちゃいます。だから戦う必要はありません」

「……じゃ、じゃあどうして……私の手を、握っているんだ」

 

 いつの間にか、振りほどいた手が再び繋がれている。

 彼の男らしいゴツゴツとしたその手に握られ、私はそれを離せないでいた。

 

「先輩を見捨てるかどうかは別の話ってことです。心配しないでも、この世界はきっちり俺と風菜が救いますから安心してください。なにせ学園の地下にある洗脳装置をぶっ壊すだけなんですから、全然余裕っすよ」

「なに、言って……わっ、ちょっと!」

 

 アポロは私を連れて施設内へと戻っていく。

 まるで泣きじゃくる子供をあやす大人のような余裕を見せながら、戸惑いを隠せない私を連れていく彼の背中は、不思議と大きく見えた。

 

 ……私の方が身長高いのに。

 

「むしろ先輩は今まで頑張りすぎてたくらいなんですから。こっからは俺たち部員が活躍する番です」

「ま、まってアポロ君っ……!」

「待ちません! いやほんとマジで大丈夫ですから、任せといてください!」

 

 私の方が先輩なのに。

 そんなにグイグイ引っ張って、これではどっちが部長なのか分かったもんじゃない。

 

 

 

 ──あぁ、もう。

 

 何やってんだ私は。

 

 気を遣わせるばかりか、後輩にここまで空元気をさせて。

 それでも生徒会長か? ヒーロー部の部長だって胸を張って言えるのか、お前は。

 

 知っているよ、アポロ。同じ部活のメンバーとして活動した期間はたった二ヵ月だったが、以前からレッカとつるんでいたきみの特徴はよく把握している。

 今のコレは空元気どころの騒ぎじゃないくらい、本心からなる行動ではないね。

 

 きみはレッカのような直感的で底抜けに明るいタイプの人間ではない。

 目の前で起きている事象を、まるで物語を観察するかのように俯瞰して、散々思い悩んでから答えを出す人間だ。レッカが入部してからも、一年以上ヒーロー部に入る気配を見せずに、戦いの現場を覗きに来ていたのが、その確たる証拠だ。

 

 

 ……つまりアポロは、とても無理をして明るく振る舞っている、ということ。

 レッカが敵になったことで、彼は必死にその穴を埋めようと努力しているんだ。

 

 そんな健気な後輩を前にして、私はどうだ。

 平凡な生い立ちだから精神も弱い?

 世界中の人々が襲ってくるのだから勝ち目などない?

 

 何を言っているんだ。

 先ほどアポロが言った通り、魔法学園の地下に存在するとされている最後の洗脳装置を破壊すれば、確かに勝機はあるんだ。

 勝ち目の無い無謀な戦いなんかじゃない。

 諦めるにはまだ早い。

 

 いい加減にしろ、絶望している暇なんてないぞバカ。

 生徒会長として、部長として、みんなを纏め上げるリーダーとしての務めを果たせ。

 

 それが平凡なりにここまでやってきた私に出来る、最大限のヒーロー活動なのだ。

 

 

 

 

「レッカぁッ!! 目を覚ますんだあぁぁぁッ!!」

「あばばばばば」

 

 小型のボートを発見してから、数十分後。

 

 風菜と合流した俺たちは、洗脳されたヒーロー部に道を阻まれたのだが、なんか急に勇ましい覚醒を遂げたライ先輩が無双しているのが、現在の状況だ。

 どうやらすっかり先輩は()()に戻ったようで、レッカの顔面を鷲掴みにしながら電撃魔法で洗脳を解こうとしている。凄まじいまでの肉体言語のゴリ押しに感動すら覚えてしまった。

 

 ちなみにレッカは未だにコクの姿なのだが、会長はあいつの言動からコクではなくレッカ本人だと認識してボコボコにしている。

 もしかしたら、既に会長にはペンダントの秘密がバレてしまっているのかもしれない。

 

「せぃやッ!」

 

 会長がレッカからペンダントを奪い取った。

 その瞬間、彼の姿が黒髪のロリから少年へと戻った。小さな女の子をボコる絵面は終わったようだ。

 

「ぐっ……ライ部長! どうして組織に逆らうのですかっ!」

「君たちを洗脳の呪縛から解放するためだ! アポロ君、受け取れっ!」

「あ、はっ、はい!」

 

 投げ渡されたペンダントを何とかキャッチ。

 

「……うわぁ、会長の電気とレッカの炎で壊れてそうだな……」

 

 手に持ったペンダントがバチバチと怪しい音を立てている。精神攻撃の魔法は防げても、物理的な魔法には一切耐性が無いのだから、あれだけ乱雑に奪い合えば故障するのも無理はないが。

 

「変身できるかな? ──おっ、いけた」

 

 一応変身は出来た。

 しかしこの場はアポロの姿の方が都合がいい。機能は確認できたし一旦戻ろう。

 

「……あれ、戻れない」

 

 ポチポチ。

 

「なんで……」

 

 何度ペンダントを押しても元の姿に戻れない。

 どうして変身は出来たのに解除はできないんだ。ヤバいぞこれ。

 

「ハァァアアッ!!」

「のわあああ!! ──はぅっ……」

 

 ライ会長の迫真の電撃によって気絶したのか、レッカは地面に伏してしまった。

 さっきから戦闘のテンポが早すぎない……?

 

 すると彼を担いだ会長が、そのままレッカを小型のボートにぶん投げた。めっちゃ手荒だ。

 

「コク! おそらくレッカの洗脳は解けた! 彼を連れて行きたまえ!」

 

 そう言い放った会長は俺に背を向けたまま、ヒカリや氷織といった残りのヒーロー部の相手をし始めた。

 あの電撃魔法で本当に洗脳が解けたのかは怪しい所だが、いまの会長には謎の説得力があった。たぶんあの人が解けたって言うなら解けてるんだろう。

 

 それより、小型のボートで逃げる準備はできた。

 運転席には風菜がいるため、あとはライ会長が搭乗すれば逃げられる。

 

「会長も早く──」

「私のことはいい! 今はヒーロー部だけだが、もうすぐ敵の増援も来る! 敵は私が食い止めるから、かまわず行けッ!!」

「か、会長……」

 

 あまりにも漢気に溢れすぎている。惚れそう。

 

「部長の頑張りを無駄にはできません! 行きますよコクさん!」

「う、うん」

 

 会長の影響なのか、以前より逞しくなった風菜に後押しされて、施設内から俺たちはボートで脱出した。

 ライ会長、ご武運を。

 

 

 で、すぐさま海の上に出たものの、ここでまたひとつ問題が。

 

「待ちなさいフウナあぁぁアァァッ!!!!」

「お姉ちゃん!?」

 

 会長の隙をついたのか、洗脳された状態のカゼコが空を飛んでこちらへ向かってきていた。めちゃくちゃ早い。

 

「……コクさん! 運転代わって!」

 

 言われるがままボートの操縦を代わる。

 すると風菜が俺をそっと後ろから抱きしめてきた。

 

「大丈夫です、必ずまた会えます……」

「ふ、風菜……」

「そこまでよフウナぁぁぁァァ!!」

「お姉ちゃんは行かせないっ!!」

 

 

 

 ……と、こんな感じで非常に早すぎるテンポで事が進んでいき、洗脳から逃れたはずの仲間は二人とも俺を逃すための礎となって。

 

「むにゃむにゃ……ポッキーぃ……」

「……マジかよぉ」

 

 悪の組織を打倒するため、世界を救うために最後に残された世界の希望は、気絶したままのレッカくんと、一時的に男に戻れなくなった哀れなTSっ娘である俺だけなのであった。

 

 



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帰ってきた美少女

 

 

 

 そもそもペンダントを外せば元に戻れるやん! 盲点だったわ外しとこ。

 

「…………なんで戻れないんですかね」

 

 そう思ってた時期が俺にもありました。ていうかそう考えるのが普通なんだが。

 で、外してみた結果がこれだ。鏡を見れば、そこには黒髪の美少女が佇んでいる。

 ──どうしてこうなった。

 

 

 組織本部のある海から逃走した翌日。

 

 本土に到着した俺たちはボートを捨て、一旦廃墟のビルに身を隠すことになった。

 組織に属さない反逆者として既に世界中に顔が割れているため、以前以上に外を出歩くのが厳しい状況になっている。これでは必要最低限の買い物すらままならない。

 

 どうしたものかと頭を抱えながら、廃ビルの冷たい床で寝転がっていると、気が付けば朝になっていた。

 運よく追手が来ていないことに安堵し、ようやく一息つく俺たち。

 今後の作戦を練りつつ、俺自身のこともどうするか考えなければならない状況で──課題は山積みだ。

 

「修理できそうではあるんだがな……」

 

 ペンダントを外して観察してみたが、再起不能なレベルで破損しているというわけではなさそうだった。

 少し時間はかかるだろうが、メンテナンスをすれば何とかなりそうだ。

 問題は、そのメンテナンスに必要な道具が一つも手元にない、という点なのだが。

 

「にしても、れっちゃんはどこ行ったんだろう」

 

 朝起きると、レッカは『周囲の偵察をしてくる』とだけ告げて、俺と一言も会話することなくこの階から姿を消してしまった。

 昨晩このビルまで一緒に行動していた時は、動揺していたものの協力的ではあったから、少なくとも洗脳自体は解けている……と、信じたい。こればかりはライ会長の魔法の腕次第なので、俺にはどうしようもない領域だ。

 

「……おっ、ドライバー発見」

 

 廃ビルの中には投棄された段ボール箱やガラクタがあちこちに散乱している。

 多少汚れてはいるものの、漁ってみればドライバーや釘程度の工具なら見つけることができた。

 本当ならもっと精密なアイテムが必要になるのだが、ワガママは言っていられない。これを使って、修理とまではいかないが、故障している箇所を調べる程度のことはしておこう。

 

「元に戻れないバグは一旦置いといて……ペンダントを外しても変身したままってことは、効果範囲がイカレちゃってる可能性があるな」

 

 最悪の場合はレッカも女の子になってしまう可能性がある。それはそれで……いやないな。

 

 ──噂をすればなんとやら。タイミングよくレッカが戻って来た。

 何個か缶詰を抱えているその様子から、食料を探していたことが伺える。そういえば朝食はおろか昨日の晩飯すら何も食ってなかったな。

 

「おかえり、レッカ」

 

 昨晩からは一応コクとして振る舞っている。

 ペンダントを彼が使ってもコクの精神に切り替わらなかった理由は、レッカがまだ何も聞いてきてこないため、何も答えていない。

 設定はいくつか考えているのだが、なんかしっくりこない。どういう言い訳しようかな。

 

「ただいま。これ、缶詰見つけてきたんだ。消費期限はギリギリだけど、ちゃんと密封された状態だったから、食べるのは大丈夫だと思うよ」

「わかった。ありがとう」

「……ねぇ、ポッキー」

「どした?」

「やっぱりポッキーなんだね……」

「──ぁっ」

 

 やっべ!!? ハメられた!!!

 

 

 

 

 

 

 ……洗脳されていた時のことは、よく覚えている。

 

 まるで他の誰かが自分の体に入って、勝手に動かしているかのような──とても気持ち悪い感覚だった。

 記憶を残すような洗脳を、あの悪の組織が施すとは思えないし、この状態はライ部長の電撃魔法が影響した奇跡的な状態なのかもしれない。

 だが記憶が残ったことで、自分が犯してしまった大罪も、消えることなく脳内に残留している。

 

 洗脳された自分が、コクからペンダントを無理やり奪い取った。

 あの状態であっても自分は、彼女はアポロではなく僕の体を使えばいいとばかり考えていたのだ。僕は悪に操られていようが、悪い意味で考えが変わらないらしい。

 

 そして奪い取ったペンダントを使用したはいいが、彼女の意識と僕が切り替わる……なんてことはなかった。

 

 

「……アポロ」

 

 項垂れる。

 膝から崩れ落ちると言ってもいい。

 僕は彼の前で膝をつき、手をつき、額を冷たい床に叩きつけた。

 

「すまない。ごめんなさい。本当に……本当に、僕は許されないことをしてしまった」

「わっ、ちょっ! やめろよ土下座なんて!?」

 

 この状況で僕ができる最大がこれだ。恥も外聞もなく、みっともない形で謝罪することしかできない。

 そこまでしても許されないことは分かってはいるが、それでも彼女の相棒であったアポロの前で話すためには、この体勢でないとそれこそ話にならなかった。

 

「コクがペンダントを渡そうとしない理由がやっと分かったんだ。……彼女は、きみの肉体にしか適合できない」

 

 あの少女はどんな説得をしても、まるで譲る気配が無かった。

 それほどまでにアポロから離れなかった理由は、そもそもアポロ以外では正常に『交代』することができなかったからだ。

 

「僕や他の人間がペンダントを使ったところで、コクの肉体を奪い取って変身することしかできないんだ。ペンダントに封印されているという、あまりにも不安定な状態で存在している彼女は、依り代がアポロでなければ──ぅぐっ」

 

 目頭が熱くなってきた。

 土下座をして、真摯に贖罪をしなければならないのに、僕は勝手に泣こうとしている。

 悔しさと不甲斐なさと、情けない気持ちで今にも死んでしまいたい気持ちだった。

 

「その体でっ……きみが今コクじゃないという事は……僕が、彼女を……」

「れ、レッカ。落ち着けって」

「すまない、すまない……う゛ぅっ」

 

 アポロとコクはとても繊細な状態だったのだ。

 ペンダントに魂を繋がれている彼女が、よりにもよってアポロと肉体を交代している時に、無理やりペンダントを剝ぎ取られでもしたら。

 

 当然、バグるに決まっている。

 

 外した瞬間に彼女はアポロに戻った。だが交代することなくペンダントを外されたあの時に、まさか都合よくそのままコクがペンダントの中に戻れるはずがなかったんだ。

 僕があのアイテムを手に取ったとき、既にコクの気配は無かった。

 

 あのペンダントに残されていたのは、彼女の肉体データのみ。

 あまりにも不安定な状態で、奇跡的に自我を保持できていたコクが、その魂の置き所であるペンダントを壊されてしまったら、一体どうなるのか。

 

 

 ……彼女の自我はもう、霧散してしまったのかもしれない。

 

 

「──う゛ぅゥっああああぁぁぁァァ゛ッ゛!!!!」

 

 その事実を頭で理解した瞬間、理性の歯止めが利かなくなり、悲鳴をあげてしまった。

 

「僕が! ぼくがァ! 彼女を殺したのは僕なんだぁッ!!」

 

 大切に思っていた存在を、油断して洗脳された挙句、ヘラヘラと笑いながら殺した。

 彼女の秘密から目を逸らして、自分の行動が善い行いだと思い込んで。

 あの『アポロと心が通じ合っている』という言葉の意味は、比喩でも何でもなく、コクと彼は文字通り一心同体だという意味だった。

 依り代を変えようしなかったのではない。

 どうあっても()()()()()()()()んだ。

 

「きみのっ、友人でいる資格なんて、無い……っ! きみが誰よりも守りたかった存在を、僕は……!」

 

 物理的にも精神的にも彼と深い絆があった相棒を、この手で消した。

 世界の命運だなんて頭の中には残っていない。

 僕の世界はもう終わっているのだ。

 

 大切な親友に深い傷を負わせ、自分を求めてくれた少女を殺し、この後に何が残るというのか。

 世界を救おうが誰を救おうが関係ない。

 勇者の末裔が聞いて呆れるほどに、どうしようもない人間の屑になってしまったのが今の僕なんだ。

 

 もう、何もしたくない。誰も傷つけたくない。

 この世から消え去ってしまいたい──

 

 

「……れっちゃん、聞いてくれ」

 

 

 少女の透き通るような声が、鼓膜に響いた。

 ふと顔をあげると、そこには見慣れた()()の姿があった。

 しかし目の前にいるこの黒髪の少女は、ニックネームを告げたことからもわかる通りアポロだ。

 

「えと、その……全部、ウソなんだよ」

 

 少女の姿をしていても尚、僕を気遣い小さく笑うその表情から、男の彼の顔が浮かぶほどに──どうしようもなく、彼女はアポロだった。

 

「コクなんて最初からいないんだ。アレは俺が演技してただけで、ペンダントには女の子の魂なんて入ってない」

 

 あぁ、あぁ。

 僕は本当にどうしようもない奴だ。

 必死に事情を打ち明けようとする……いや、取り繕うとするその様子は、見ていられないほどに痛ましい。

 まるで鋭利な刃物の様に、僕の心を切り裂いていく。

 

「ヒーロー活動で忙しくなったお前に構われなくなって、暇になった俺がレッカをからかおうとして、無駄に美少女ごっこをしてただけなんだよ」

 

 肩に手を置き、僕の土下座をやめさせようとしてくる。

 親友の土下座は見たくないと、そう言っているのだ。

 お人好しだとか、もうそんな次元の話じゃない。

 

「コクなんていない。……えっと、れっちゃんが殺した女の子なんて、存在しないって話な。全部俺が悪いんだよ。れっちゃんは何も悪くない、本当にごめん。……その、だからさ。泣いて土下座するなんて、もうやめ──」

 

 たまらず、彼女を抱きしめた。

 僕の情けない姿こそが、彼の心をどこまでも追い詰めてしまうと、理解したから。

 

「わっ、わっ。──えっ。…………えぇっ!? ちょっ れっちゃん!? なにしてんのっ!?」

「ごめんアポロ……ほんとうに……本当に、ごめん……っ゛」

 

 

 大切な人を失って、一番傷ついているのはアポロ本人のはずなのに。

 そんな下手くそな嘘で、殺した本人である僕を励まそうとして。

 きみの前世は聖人か何かなのか。

 

 

「う、ウソなの! さっき言ったことが全部真実なんだってば! 気遣いとかじゃねーから!」

「もういい、もう大丈夫だよアポロ……! 僕にこんな事を言う資格がないのは……分かっているが、僕の為に傷つくのはもうやめてくれ! 彼女の存在を否定することは、誰よりもきみが一番辛いはずだ……!」

「話を聞けよっ!?」

 

 ついに、僕はアポロに言ってはならないことを()()()()()()()()

 コクを嘘にすることを。

 そんな少女など最初から存在しないだなんて、あまりにもアポロ本人にとって残酷すぎるウソを。

 

「もう、僕を庇おうとだなんて考えなくいいから……君だけは、彼女の事を忘れようとしないでくれ! 頼むっ!」

「ね、ねぇってば……違うんだってぇ……」

 

 抱擁を解いて正面から顔を見ると、アポロは涙目になっていた。

 そうだ。

 彼はずっと、ここまで耐え続けてきていたんだ。

 涙を呑んで、悲しみを溜め込んで、ずっと表に出さないように気を張っていたのだ。

 そんな気持ちを察せないで、何が友人だ。気を遣われて、優しくされるだけが友達か? 違うだろうが。

 

 いまここでアポロに我慢をさせてしまったら、友人の為に大切な人を嘘だったと思わせてしまったら、僕はいよいよ人間ですらなくなってしまう。

 アポロの為に出来ることを。

 この手で消してしまった彼女に報いるためにも、コクの代わりに僕が彼を守るんだ。

 

「今度こそ──きみだけは、絶対に死なせない」

「……あぁ、もういいよ、そういうことで。……うぅっ」

 

 約束だ。

 必ず、僕が!

 

 

 

 

 

 

 はい、ネタばらしが意味をなさなくなりました。おまけに男に戻れません。これが因果応報ってやつか。

 

 流石に親友が号泣しながら土下座までしてきたら、美少女ごっこ欲と良心がせめぎ合うのは当然だった。

 今回は友情が勝ったので遂に真実を公開した──のだが、この始末。

 どうやら俺は大切なヒロインを失った可哀想な友人キャラ(女)にクラスチェンジしてしまったらしい。

 

「……よくない」

 

 あれから半日以上が経過し、そろそろ夜になる頃。

 レッカが毛布やら水やらを探すために、廃ビル内の各階層を改めて見回っている中、俺は屋上で一人佇んで唸っていた。

 

 いかん、これはいかんぞ。

 このままだと『大切な人を失った悲しみを共に乗り越え、その人の分まで幸せな未来を築こうとする、女になった友人キャラとそれを支える主人公』になってしまう。それはダメだ。

 

 俺が思う美少女ごっことは、なにも美少女のガワを着て親友にメス堕ちさせられる事を言っているわけではない。全然ちがう。

 せっかくここまで頑張って『コク』という少女を作り上げたのに、あんな些細なことで死亡だなんて雑過ぎだ。ていうか勿体ない。

 

「それにあいつ、俺の言うこと全否定しやがったしな……」

 

 良心の呵責に苛まれた結果、意地を曲げてまで必死に真実を告げたのに、レッカくんは信じてくれなかったのだ。

 もうここまで来たら何を言っても無駄だろう。嘘が真実になって、元あった事実が虚構にされてしまった。何回同じことを言っても、今日みたいにあしらわれるに違いない。

 

 だったらこの状況を逆手にとって、より深みのある美少女ごっこを再開してやる。

 もう普通だったらバレるレベルの無茶をしても、アイツは信じちゃう状態だからな。大胆に行くぜ。

 

 世界の洗脳を解くまでにレッカが気づくのか。

 はたまたそのあと洗脳が解かれた音無によって物理的に阻止されるのか。

 それとも誰も止めてくれないのか──どのみちやらねばならない。

 

 それが俺の性癖(サガ)だから。

 

 うおぉ、もしかしたら終わらないかもしれないエンドレス美少女ごっこの開幕じゃあっ! もうレッカが泣いて土下座したってやめないからな!

 

 

「あ、ポッキー。ここにいたんだね」

 

 屋上にレッカがやってきた。

 その手には、朝と昼に食べ終わった缶詰の空き缶が握られている。

 よく見れば空き缶には透明な液体が注がれていた。

 

「近くの公園に水道があったから、軽く洗って水を汲んできたんだ。水分足りないだろうし、これ飲んで」

「……レッカ」

 

 星々が煌めく夜空の下。

 銀色の光を放つ月明かりに照らされた屋上で、俺は長い黒髪を靡かせながら、彼のいる後ろへ振り返った。

 

 なるべく『無表情』で。

 

「──っ」

 

 そんな()()()()()()の俺を前にしたレッカは、言葉を失った。 

 ついでに手に持っていた空き缶も落としてしまった。良いリアクションですね。

 

「……ぽ、ポッキー、何かあった?」

「…………」

 

 無言で佇む。

 静謐な雰囲気で会話を拒否するのは、コクちゃんの常套手段なのだ。

 

「ポッキー……だよね」

「レッカは、どう思うの」

「えっ」

 

 都合のいい時だけ口を開く。これも美少女にしか許されない会話術だ。美少女最高。

 

 そう、この雰囲気から分かるとおり、今の俺はアポロではなくコクだ。

 俺がやろうとしているのは──ペンダントを介さない二重人格である。

 

「私が、アポロに見えているの」

「……だって、ポッキーは今、コクの姿をしている。……悪ふざけはよせよ、親友」

「信じられないのなら、信じなくていい。私も自分を信じられないから」

「……っ!」

 

 確信を得たかのようにハッとするレッカ。

 そうだ、こういう時は無理に自己主張するべきではない。

 押してダメなら引いてみろということわざがある通り、ここで自らを否定することが、逆にレッカから見てコクの存在の確立に対して作用するのだ。

 

「アポロがふざけているだけかもしれない。……うん、きっとそう。これは私じゃない」

「……ま、まって」

「ペンダントは壊れてしまった。だから、私が存在する理由など何も」

「待ってくれ! コクッ!!」

 

 食いついた! 大物だ!!

 

「き、きみは……今、どうなっているんだ? きみはコクだ、間違いない……し、しかし」

 

 ふっふっふ、分かんねぇだろ。俺もわかんない。

 とりあえず適当に設定を仄めかしとけば大丈夫か。

 

「私にも分からない。洗脳されたレッカにペンダントを奪われてから、気が付けばここにいた。でも、アポロの考えていることが……今は、わかる」

「……まさか」

 

 何かに感づいたレッカ。

 なんだろう、聞かせて欲しい。そのお話から設定を膨らませていきたいと思ってるので。

 

「魂の置き場所が……ペンダントからアポロ本人に、変わっている……?」

「そうなの」

「そ、そうかもしれないってだけで」

「なら、そういうことでいい」

「いいのか……」

 

 一番大事なのはコクって少女が戻ってくるという部分だからな。むつかしい理屈は後付けでつじつま合わせすればいい。

 魂は今の俺の体にあって、アポロ本人の肉体データだけはペンダントに移ってて~とかそんな感じで。

 

「またレッカと会えた。それだけで、うれしい」

「……っ!」

 

 あえて露骨な笑顔はしないまま、いつも通りのコクの様に、無表情なまま声音だけを少し明るくさせた。

 こうすればきっとレッカは『無表情ながらも、僕の目には彼女が笑っているように見えた──』的なモノローグを頭の中で展開させて、納得することだろう。

 

「──コクっ!」

「わっ」

 

 我慢できなくなったのか、レッカが正面から抱きしめてきた。

 抱き着いてきやがるのはこれが二回目だ。流石にもう動揺はしないぜ。

 

「コク……コクぅ……っ!」

「心配かけて、ごめんね」

 

 それにしても、まさかレッカがここまでコクを欲していたとは。

 まったく罪な女だぜ、コクちゃんってやつはよォーッ!

 

「ごめんっ、僕は君を消してしまうところだった! なんて、謝ったらいいか……っ!」

「……ぁ、あのー、れっちゃん」

「えっ!?」

 

 呼び方をレッカかられっちゃんに変えただけでこの反応。あまりにも早すぎて。

 

「わるい、今は俺だ」

「こ、コクは……!?」

 

 今まで読んでいたエロ漫画は……? みたいな狼狽した顔で迫るレッカ。焦らないでもまた会えるから心配すんなって。

 

「あー、多分なんだが、今の不安定な状態だとコクはあまり表に出られないかもしれない。理屈じゃなくて感覚だから、うまく説明はできねぇんだけども……とりあえず危なそうだから今は引っ込めた」

「そ、そうなんだ」

「長く続いても一時間持つかどうか、ってところかもな」

「……そっか、なるほど」

 

 目に見えて落ち込むレッカ。本当に分かりやすいなお前。

 

 しかし、彼を落胆させてまでこうしたのにはしっかりとした理由がある。

 あまりにもこのピュアッピュアな親友にとって都合が良すぎると、必要以上に依存されてしまう可能性があると危惧したのだ。

 

 俺とコクはマジの一心同体になったわけだが、美少女ごっこを続ける都合上、これまでの様に近すぎず遠すぎずの距離感でいる必要がある。

 なんせ世界の全てが敵に回っているのだ。

 

 正直言ってこんなめちゃめちゃに不安な状態で、親友に超至近距離でときめくような事ばっかされたら、余裕でメス堕ちする自信がある。

 こいつ腐ってもハーレム主人公だからな。氷織やヒカリ、カゼコを堕とした手腕は間違いなく本物だ。同じ状況に陥らないよう、もっと警戒しなくてはならない。

 

「でも、ポッキーとコクはやっぱり別人だから……その、変わってるときの目印とか、ないかな」

「それならペンダントをかけてるときが俺で、コクに変わったらペンダントを外してポケットにしまわせるよ」

「分かった。付けてる時がポッキーで、外してる時がコクだね。了解」

 

 とりあえずはこんなもんで良いだろう。十分に二重人格設定はレッカの中に浸透したはずだ。あとは時間をかけて、アポロとコクの違いを意識して出していけばいい。

 

「よし、れっちゃん。とりま世界を救おう。全てが敵の状態じゃあペンダントの修理もままならないぜ」

「……そうだね、まずは世界中にかけた悪の組織の洗脳を解いてからだ。それに──」

「ヒーロー部のみんなも助ける、だろ?」

「ははっ、ポッキーにはお見通しか。……よーし、気合入れて頑張ろう!」

「お~!」

 

 世界は大変なことになっているというのに、落ち込むどころか逆に気合を入れてしまう。

 こんなことが出来るのは、やっぱり俺たち二人が一緒に居るからなのかもしれない。

 

 早く面倒ごとを解決して音無や衣月に会いたいなぁ──なんて考えつつ。

 

 新たな設定を背負うことになった俺は、夜めちゃくちゃ寒かったにもかかわらず毛布に使える布が一枚しかなかったため、レッカと隣同士くっついて一枚の布に包まりながら、廃ビルで夜を明かしたのであった。

 

 



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二重人格はつらいよ

 

 

 

 設定増加から数日が経過し、一つ気がついたことがある。

 

 ……二重人格を演じるの、めっちゃしんどくね?

 

「ようやく帰ってきた。この部室に」

 

 魔法学園の校舎の隅っこには、市民のヒーロー部と記された表札が立てかけられた教室が存在する。

 その部屋の前で感慨深く呟くレッカを一瞥しつつ、俺はため息をつくかのように肩を落とした。

 

 

 状況を説明しよう。

 

 まず、俺たちがいる場所は、ヒーロー部の部室がある事からもわかる通り、愛しの母校である魔法学園だ。

 おい待ておかしい、全人類を洗脳させた装置はこの学園の地下にあるのだから、そう簡単に入れるわけないだろう──と、普通ならそう考えるだろう。

 

 ここでひとつ、大事なことを思い出してみる。

 そもそも『学園の地下に洗脳装置がある』と口にした人物は誰だっただろうか。

 

 アイツだ。

 悪の組織の構成員のくせに、警察にスパイとして潜り込んでいた、あの警視監の男だ。

 奴が悪の組織の本部から逃げ出す際にそう言っていた。

 

 つい数時間前まで、あの男が放った言葉を俺たちは鵜吞みにしていたワケだが、冷静に考えたらそんなものがアテになるはずがなかったのだ。

 組織の本部から脱出したあの時は、俺たちも焦っていたせいで、落ち着いて考えることができていなかった。大誤算である。

 

「やっぱり誰もいないね。……みんな洗脳されてるわけだから、当たり前だけど」

 

 そう言いながら懐かしむように部室内を見て回るレッカ。

 俺たちがドキドキしながら学園まで来たとき、校舎はもぬけの殻だった。

 当然だ。こんな場所に洗脳装置なんて大層なもんは隠していないのだから。

 

 俺たちを待ち伏せしている可能性も考えてはいたのだが、刺客はおろか追手すらいない。

 もしかしたら何かヤバい事が起きているのかもしれない──と思いつつも、洗脳装置の足取りを掴めない俺たちは、こうして学園の中で右往左往することしかできないのであった。

 

「……ポッキー?」

「っ! な、なに、れっちゃん」

「よかった、やっぱりポッキーだ。ペンダントを首にかけてないから、てっきりコクに変わってたのかと思ったよ」

 

 ハッとして首元を触ると、いつもの硬い感触が無かった。

 

「わり、ポケットにしまったままだったわ」

「大事な見分け方なんだからしっかりしてよね」

「はーい……」

 

 と、こんな感じのうっかりが、ここ最近何回も連発してしまっているのだ。

 

 

 ここでようやく話を戻そう。

 

 二重人格を演じるのは、俺の予想以上にめちゃめちゃハードなやり方だった。

 ペンダントの付け忘れ取り忘れから始まり、コクの時に男口調が出てしまったり、たまに自分が今どっちを演じているのか分からなくなったりなど、考えることやミスのリカバリーの事で頭の中が爆発しそうになっている。

 

 もう限界だから『コク』とかいうマジの別人格を生み出した方が楽なんじゃないのか、なんて思い始めてもいる。俺はもう疲れたよパトラッシュ。

 二重人格という案はいささか早計な判断だったかもしれない。頑張れば何でもできるという思い込みは非常に危険だ。

 

 そういう事情も含めて、この敵が襲ってこないタイミングで部室に戻ってこられたのは僥倖だった。

 

「ポッキー、何探してんの?」

「俺の工具箱。本格的な道具は入ってないけど、ペンダントのメンテナンスをする程度ならアレで……お、あったあった」

 

 見つけた箱の中には精密機械を弄る時に使う器具の数々が。

 これは数ヵ月前に俺がヒーロー部に入ってから、もしもの時の為に部室に置いておいた、応急処置をするための救急箱みたいなものだ。

 

 これを使って早急にペンダントを修理する。どうしても直さなければならない。

 以前は姿かたちを完全に変身させることでメリハリがついていたのだが、今のコクの姿のままという中途半端な状態じゃ色々と厳しい。

 

「……どう?」

「完全に直ったわけじゃないが、破損部分は修理できた。……理論上はボタンを押せば交代できるはずなんだけど」

 

 メンテナンスを始めて数十分後。

 ポチっと押しても変化なし。

 

「やっぱライ会長の電撃とレッカの炎でどこかしらバグってんな……」

「ご、ごめん」

「謝んなくていいって。操られてたんだからしょうがないだろ」

 

 これ以上は自宅にある設備を使用しないと直せそうにないが、そもそも俺の家は爆破されたので戻れない。もうこのまま使うしかないようだ。

 ……冷静に考えると、愛しの我が家が既にぶっ壊されてるの、普通に悲しくなってくるな。悪の組織ゆるせねぇよ……。

 

 両親までもが洗脳されている以上、無事に残っている地下室も期待できそうにない。ペンダントに関しては万事休すといった所か。

 

「ワンチャンもう一回同じ手順でぶっ壊せば直ったりしねぇかな」

「落ち着いてポッキー」

 

 ペンダントをぶん投げそうになった手をれっちゃんに止められた。くぅ。

 涼しい顔をしているが内心俺は焦りまくりだ。

 

 もしかしたら一生女の子のまま生きていくんじゃないか、という不安が脳裏によぎった。冗談じゃない。童貞のまま男を失ってたまるか。意地でも俺は元に戻るぞ。

 

「割と真面目な考えなんだが、何かしらの衝撃が加えられればペンダントは戻ると思うんだよ。……その衝撃でぶっ壊れたら元も子もないから、どうしようもないんだが」

「しばらくは保留だね。……大丈夫、きっと戻れるよ」

 

 レッカに肩を叩かれた。彼の優しさに涙が出そうだ。

 

「ポッキー。洗脳装置の所在地はこれから探すとして、まずはこの部室内を物色しよう。何か使えるアイテムがあるかもしれない」

「がってん」

 

 親友の指示で部屋の中をうろつき始めた。

 入部してから二ヵ月程度は入り浸った部屋だが、その一年前から使われていたここには俺の知らないモノも多い。

 

 氷織にヒカリ、風菜といった個性豊かなメンバーが使っていた部室なのだから、何かしらのレアアイテムはあると思うのだが──

 

「……これは、音無の……?」

 

 見つけたのは和風な木箱。

 紐を外して中を確認してみると、そこには彼女が使っていた忍者道具が、奇麗に一式敷き詰められていた。

 

「予備の忍者道具、ここに隠してあったのか」

 

 それらを拾い上げて一つ一つ確認していく。

 どの道具も取り扱いが難しそうで、慣れてない俺では活用できなさそうだ。

 

「クナイくらいなら使えるかな。これは持っていくとして──」

 

 道具箱の中のクナイを持って立ち上がったとき、ふと視界の端に何かが映った。

 横を向いてみると、机の上には小さな写真立てが置いてあった。

 

「ヒーロー部の……集合写真?」

 

 その写真を手に取って見てみる。

 レッカを中央に添えた、いかにも集合写真って感じの一枚だ。

 暖かそうな恰好からして冬に撮ったものなのだろう。部活動紹介の際にでも使うものだったのかもしれない。

 

 写真に俺はいない。

 アポロ・キィという異物が混入される前の、紛れもなくレッカが主役だった頃のヒーロー部の姿。

 写真撮影の際にカゼコが変顔をしたせいなのか──みんな笑っている。

 

 集合写真特有の引きつった笑みではなく、屈託のない笑顔だ。

 

「あぁ、それか」

 

 横からレッカの声。

 俺が見ている写真が何なのか気づいたらしい。

 

「確か……校門前の雪かきをやってた時だったかな。ちょっと雪合戦とかもやったりしてて、急に写真を撮るって言われて、焦って集合して撮ったやつなんだ。みんな少し楽しくなっててさ、そこで写真を撮るってのにカゼコが変顔をしたもんだから……ふふっ」

 

 思い出し笑いだろうか。

 その思い出は俺にはない。

 俺がいなかった頃の、ヒーロー部の幸せな青春の思い出だ。

 

「なんだよ」

 

 悲しい、陰惨な過去を俺に告げたあの少女たちも、笑っている。

 あそこは自分の居るべき所じゃないとか、ずっと罪悪感があっただとか、いろいろと神妙に語ってたくせに。

 

「……楽しそうじゃないか」

 

 彼らヒーロー部の楽しそうな姿を見て、俺も少しだけ肩の力が抜けた。

 氷織も、風菜も、音無も──ヒーロー部の一員だ。

 この笑顔を見ればわかる。

 確かに思うところもあったのだろうが、彼女らにとっては間違いなく、ヒーロー部は大切な居場所だったのだ。

 

「何が裏切者なんだか……ったく」

 

 俺が関わってきたあの少女たちみんな、ヒーロー部に絆される途中で俺に出会ってしまっただけなんだ。

 アポロ・キィと関わらなくたって、きっと彼女らの心はいずれ救われていただろう。

 それほどまでに居心地の良い場所だった。

 傷を負った少年少女たちに明るい青春を与える拠り所だった。

 

 自分という異物は異物でしかなかったことを改めて理解しつつも、親友がいた場所は決して危険な戦いに巻き込むだけの戦場ではなかったことを知って、心から安堵した。

 市民のヒーロー部は、誰かのために頑張れる人が集まっただけの、ただのボランティア部活動だったんだ。

 

 

「……ふぅ」

 

 感傷に浸って何分経過しただろうか。

 俺が全てを壊したとか、俺がいなければだとか、頭の中にはいろいろと浮かんだ。

 所詮はただの友人キャラに過ぎなかった俺が出しゃばったことで、狂ってしまった未来がいまここなんだろう。

 

「まぁ、気にしないけどな」

 

 過ぎたことを悔やんでもしょうがない。

 女の子になってレッカをからかい、ヒロインレースを横入りしたのは最高に気持ちよかった。あの時の感情に嘘はない。俺は自分の行いを後悔してなどいない。

 

 ……とりあえず、全部が終わって平和な日常に戻ったら、ヒーロー部からは退部しようかな。

 

 

「──あっ、見つけたッ!」

 

 

 バターン、といきなり部室のドアが開かれた。

 

「わっ! ……って、フウナ?」

 

 驚いたレッカの前に姿を現したのは、風姉妹の妹さんこと風菜ちゃんだった。

 俺たちを庇って、洗脳されたカゼコに立ち向かったはずだったのだが、どうやら無事だったらしい。

 

「よ、よく無事だったね、フウナ」

「お姉ちゃんが見逃してくれたんです。洗脳されててもアタシたちの愛は不変ですから」

 

 もしかしたらあの姉妹が最強なのかもしれない。愛ってすげぇわ。

 

「それより洗脳装置の所在地が判明しました! 二人とも行きましょう!」

 

 

 ──というわけで、物語は遂に最終局面に移行したらしい。

 

 風菜が突き止めた場所へ向かうべく、俺は一度美少女コクちゃんムーブで彼女を褒めたたえつつ、音無のクナイをその手に握って学園を後にしたのであった。

 

 

 

「えへっ、えへっ、えへっ。あの、コクさん。もう一回撫でて……」

「いま俺だけどいいの?」

「コクさんを返して!!!!!!!!!!」

 

 

 ……もしかすると、俺はこの子が苦手かもしれない。

 

 

 



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たぶん、ハッピーエンド

もうちょっと続きます



 

 

 実を言うと、現在の世界はほぼ元通りとなっている。

 

 もうラスボスはしっかり倒してゲームクリアをした、という意味だ。

 全人類にかけられた洗脳は解かれ、悪の組織の親玉もくたばり、世界は平和になった。

 衣月と約束した通りの、ヒーロー部が誰も死なない真ルートのハッピーエンド。誰もが望んでいた未来である。

 何もかもが丸く収まった、完全無欠の大団円だ。

 

 

 ──俺、アポロ・キィが陥った今の状況を除けば。

 

 

 では、ここまでの流れをまとめてみよう。

 

 まず悪の組織が企んでいた真の目的は、魔王の復活とのことだった。

 

 かつて世界を混沌に陥れ、レッカのご先祖さまである『勇者』に倒された伝説の怪物である魔王を再臨させるためには、大勢の人間による復活の祈りが必要になる。

 というわけで悪の組織は全世界の人々を洗脳し、魔王復活の礎としてみんなに祈りを捧げさせていたのだ。

 

 ほぼ全ての人間が祈っていたおかげで、俺たちが学園にいたときも誰も襲ってこなかったんだろう。

 祈りは継続中らしく、風菜が突き止めた洗脳装置の所在地を遠くから見ても、明らかに警備は最低限だった。

 

 たった三人だけしかいない俺たちを甘く見ているのか、それとも魔王の復活にはそれほどまでに人員を割かねばならないほど余裕がないのか。

 どちらであろうとチャンスに変わりはない。

 

 空が暗雲に包まれ雷が轟き、明らかにヤベー奴が復活しそうな雰囲気満々だ。早く止めないとマジに世界が終わるかもしれない。

 

 

 で、俺たちは洗脳装置が隠された場所である、国会議事堂に突入した。

 

 流石に洗脳装置を破壊されるのはまずいと考えたのか、議事堂で待機していた警視監の男の命令で、組織の手下や洗脳された人々が俺たちの道を阻んだ。

 しかし窮地を乗り越えてきた風菜は一段と強くなっており、雑魚は任せろと言わんばかりの勢いで俺とレッカを先に行かせ、彼女は数千人を一人で相手取ることに。

 

 そうして先に進んだ俺たちを待ち構えていたのは、正真正銘のラスボスこと警視監の男。

 ついに最終決戦が始まったというわけだ。

 

 彼は魔王の力の一部を裏ワザで引っこ抜いたらしく、この世界が精霊やドラゴンで溢れていたファンタジーな世界だった頃の大昔の強大な力を手に入れた。

 

 そんで、めっちゃ強かった。まぁ勝てないんじゃね? って普通に諦めそうになる程度には、史上最強の敵と化していた。

 ほんっとうにヤバかった。俺なんか心折れて泣きそうになってたくらいだ。二重人格で悩んでたのがバカみたいに思えてくるほどの恐怖だった。

 

 

 しかし、そこはやはり主人公。

 

 コクモードに切り替えて俺がそれっぽい言葉で応援すると、我が愛しの親友であるレッカくんは覚醒。

 彼が使っていた炎の剣が、かつて世界を救った勇者の剣に大変身した。さすが勇者さまのご子息といったところか、主人公補正がバリバリだった。レッカくん最強~!

 

 その伝説の剣によって警視監の男が持っていた魔王の力を消し飛ばし、ヤツが怯んだその隙に全世界洗脳装置を破壊。

 世界中の洗脳が解かれ、全人類は元通りとなった。

 

 

 だが、やはりそれだけでは終わらず。

 

 祈りが中断されたことによって、復活の最中だった魔王が不完全な姿でこの世に降臨した。

 一言で言えば怪獣だ。

 いかにもラストバトルで倒される感じの、自我が存在しない巨大なモンスターとなって魔王は現れた。

 

 アイツを倒せばハッピーエンドだ、というわけで、遂にヒーロー部の全員が集結。

 しっかり音無と風菜も再加入して、最終回らしくみんなで名乗りを上げた。

 見てるこっちが恥ずかしくなりそうだったが、あまりにも迫真だったせいか、名乗りを見終わった後は謎の高揚感があった。

 ちなみに最後は『市民のヒーロー部ただいま推参!』だった。めっちゃ息ピッタリ。

 勇者の謎パワーで全員妙なパワーアップもしてたし、完全に戦隊ヒーローのそれだったな。カッコよかったかは別にして、俺も混ざりたかったなぁ、とは思っちゃった。

 そんなヒーローらしく配色もバッチリな彼らがデカブツと戦っていた──その、すぐ傍で。

 

 

 俺は、俺だけの最終決戦をしていた。

 

 

『……私を殺しに来たか』

 

 生き残っていた警視監の男──真のラスボスとの決戦だ。

 

 まぁ決戦ていうほどの激しい戦いではない。

 お互いに満身創痍で、ド派手なラストバトルをしているヒーローたちを横目に眺めながらの、生き汚い人間二人による泥仕合だ。

 

『私が生きてさえいれば、悪の組織は何度でも再建できる。洗脳装置のデータも私の手元だ。あの魔王モドキがヒーロー部に倒されたとて、計画には何の支障もない』

 

 悪の組織というのは案外脆いもので、ここまでの計画は既に逝っている組織のボスとこの警視監の男の二人が中心になって、必死こいて進めていたらしい。他の連中は組織に属していただけの無能だ、と。

 

 こいつが生きている限り組織は不滅だが、逆に言えばボスの理想を継ごうとしたコイツが消えれば、悪の組織は息絶えることでもある。

 

 だから、この場で葬らなければならなかった。

 正義のヒーロー然としたレッカ達にこんな事はやらせられんし、こういう汚い事が出来るのはこれまでアホな事をしながら物語に居続けたこの俺だけだ。

 

『後悔する事になるぞ? 世界中を洗脳し、私は自分の悪事の証拠を完全に消し去った。今の私は清廉潔白の国民を守る人望高き警視監だ。しかもこの状況は私が用意した監視カメラに写っている。私を殺せばその瞬間、殺害の映像が世に出回りお前は大罪人と化すんだ。仮に逃げられたとしても、組織の数少ない残党がお前の命を狙い続けるだろう──』

 

 警視監の男はペチャクチャしゃべり続けていたが、ぶっちゃけ話の半分もまともに聞いていなかった。所詮は悪人の脅しなのだから、真に受ける必要はないと判断したのだ。

 

 問答無用、ということで戦闘開始。

 警視監の男は強かったが、俺は彼の脳に埋め込まれている爆弾に、強い衝撃を与えて起爆できればそれで勝ちだ。

 悪の組織の連中は例外なく頭の中に爆弾が仕込まれているため、それが俺にとっての唯一の勝ち筋だった。

 

 つまり、脳天に一撃ぶち込んでやればいい。

 そのための技術を、俺は既に持っている。

 

『そっ、そんな馬鹿な、あの裏切り者の息子如きにっ、この私が……ッ!?』

 

 部室で手に入れた音無のクナイを、得意の風魔法に乗せて射出した。

 攻撃を額に直撃させる為にはそれなりのコントロール技術が必要とされるが、そこは全くもって問題ない。

 

 腕をもっと上にあげて、指先の力を抜く──だったよな、風菜。

 

『アポロ……アポロ・キィ──!!』

 

 で、大爆発。完全なる俺の勝利だ。

 

 自分を支えてくれた少女たちの力をもって、俺はようやっと世界を救えたのであった。

 ほんとにあの警視監の男、散り際までしっかり悪役染みてたな。ある意味尊敬するわ。

 

 

 そんで現在。

 

 ヒーロー部は不完全な魔王モドキのでっかい怪獣を撃破して、間違いなく悪の組織の野望は打ち砕かれた。

 とても遠い回り道だったが、やっぱ最後は奇跡の大勝利で終わるのがヒーローらしい。

 

 

 みんながビルの屋上で勝利の喜びを分かち合っている。

 俺は薄暗い路地裏で座り込み、怪我をした腕に包帯を巻いている。

 

 レッカは大勢の仲間たちに囲まれ、戦っていた姿を全国中継されていた事も相まって、名実ともに人類を救った英雄となって。

 俺はたった一人孤独に、尚且つ人殺しの汚名を背負った犯罪者として、逃走を続けながら生きていくことになる。

 

 これが正義のために戦ってきた主人公と、自分の感情の赴くままに行動したよく分からんキャラの決定的な違いなんだろうな。捕まらない内に早くこの場を去らなきゃ。

 

 

「──紀依」

 

 透き通るような声が聞こえた。

 静謐な空気が漂う路地裏にやってきたのは、これまであらゆる人間を欺いてきた俺が、ただの一度もウソをつかなかった唯一の存在。

 純白の少女、藤宮衣月だ。

 

「……おいで、衣月」

「っ……!」

 

 立ち上がり、駆けてきた彼女を正面から受け止めた。俺も少女の姿だからか、男の頃のように大きく抱きしめてやることはできない。

 

 ……うん、そうだな。

 彼女にだけは、ちゃんと別れを告げておこう。

 

「見たか、アレ」

「うん、見た。見えてる。ヒーロー部の人たちは、誰も死んでない」

「だから言ったろ? ハッピーエンドにするってさ」

「……確かに、未来は変わった」

 

 小さな声で言いながら、彼女は顔をあげて俺と視線を交わした。

 衣月が見た、あのヒーロー部が不幸になる未来はちゃんと回避した。人間その気になれば、運命なんざ簡単に変えられるのだ。やったね。

 

「でも、紀依は救われてない。紀依一人だけが……不幸になってる」

 

 衣月は目を伏せてしまう。落ち込んだ声音からも分かる通り、彼女は俺を想って悲しんでくれているんだろう。

 人間性最悪で性癖がカスみたいなこんな俺でも、こうして寄り添って温もりを与えてくれる存在がいる。

 

 もう──その事実だけで十分だった。

 

「救いなんて必要ないって。悲劇のヒロインじゃあるまいし」

「でも……」

「まぁ、強いて言うなら衣月が俺の救いだな。衣月がまた普通の日常を送ってくれるのなら、俺にとってそれ以上の救いはないよ」

「……ほんと、お人好し」

 

 自分を不幸だとは思っていない。

 身から出た錆という言葉があるように、俺がこれから一生追われ続ける状況に陥ったのは、他でもない俺自身の責任だ。こうなって当然な行いをしてきたわけだし、なんなら五体満足で生きている今の状況は、むしろ幸運だと呼べるだろう。

 

 救いは要らない。

 もう俺は救われているから。

 誰よりも助けたいと思った少女を、無事に平和な世界へ導くことが出来たんだから、どっからどう見てもこの上ないハッピーエンドだ。

 

「……紀依。好き、だいすき。世界で一番、あなたが好き」

「うん、俺もだ」

 

 これからはもう一緒に居られないことを悟ったのか、彼女は唐突に愛を囁きだした。

 照れるからやめて欲しい気持ちもあったが、もしこれが今生の別れになるのなら、俺も恥ずかしがってないで答えやるべきだ。

 

「……ひとつ、約束して」

「なんなりと」

 

 まるで主人公とヒロインのような関係だが、アポロ・キィは……紀依太陽はどう足掻いても主人公になり得るような立派なモンではないし、藤宮衣月という少女もヒロインと呼ぶにはあまりに幼すぎる。

 

「紀依がちゃんと帰ってこられるように、わたし頑張る。本当に一番わるい人をやっつけたのは、紀依なんだって、みんなに分かってもらう。だから……」

 

 血は当然繋がっていない。

 兄妹でなければ家族ですらなく、ましてや恋人だなんて大それた関係でもありはしない。

 

 それでも、俺と彼女の間には──確かな絆があった。

 

「……だから。待ってる、から」

 

 だからこそ、彼女が言いたいことも理解できた。

 たとえそれが不可能に近い事であっても、この少女との約束であれば必ず守ろうと、そう思えた。

 絶対に嘘をつかないと誓った唯一の存在が望むことなら、無理難題であろうと俺は頑張れるのだ。

 

「あぁ、必ず帰る。約束だ」

 

 どうやら俺は既に、自分勝手に死ぬことは許されない立場になっていたらしい。

 

 

「……帰ってきたら、わたしと結婚する?」

「いやそれは約束できねぇな……」

 

 

 

 

 

 

「……レッカ、音無。……みんな、さよなら」

「ポッキー!?」

 

 というわけで衣月との別れの挨拶も終わり、さっそくヒーロー部に対して今世紀最大のヒロインムーブをかましていく。

 

 

 衣月と話してから、これから先のことを少し考えてみた。

 

 そうして決まった行動指針は、とりあえず警察に捕まらないよう逃走を続けながら、自分自身を囮にして悪の組織の残り少ない残党を掃討していく──みたいな感じ。

 組織の奴らが俺の命を狙っているという事実を逆手にとって、残りの構成員をみんなやっつけてしまおうってワケだ。そもそもボスをぶっ倒したのは俺だし、責任もってしっかり壊滅させよう。

 

 その旅の途中でペンダントを修理……もとい改造していければいいかな。

 物理的な攻撃や強力な魔法をくらっても大丈夫な感じにしつつ、元の俺の姿に戻れるようにしたい。

 コクの顔が犯罪者として割れているのなら、アポロに戻ればまた普通に暮らせるかもしれないので、まずは男に戻る事が第一目標だ。

 

 ついでに親父を超えるべく、コクでもアポロでもない第三のフォーム変身を開発したい気持ちもある。

 ともかくしばらくは忙しない日々が続きそうだ。

 

 

「もうここには居られない。だから、これでお別れ」

 

 彼らヒーロー部が立っているビルの正面に位置する建物の屋上に立ち、俺は風に吹かれながら静かにそう告げた。

 まるでレッカにパンツを見せながら、謎の美少女ムーブ全開で出会ったあの時のように。

 

「ま、待ってくれ! 君はコクなのか!? それともアポロなのか!? どうして急に、さよならなんて──」

 

 レッカのヒロインを引き止めようとする表情が、見ててめちゃくちゃ気持ちいい。癖になりそう。

 これは最後の美少女ごっこが捗りますわ。ふへへ。

 

 ……い、いや、別に自暴自棄になったとかじゃねぇし。

 

 正直これからはめちゃくちゃ不安だけど、探知能力があるから組織の刺客とかはなんとかなる。

 

 れっちゃんも英雄になって、音無は円満にヒーロー部に戻れた。

 だってのに俺が残ったら、また彼女を迷わせたりだとか、組織の刺客による襲撃に巻き込んでしまう。それはダメでしょ。

 

 俺がこの場を去るだけで大団円を迎えられるなら、喜んで去ってやろうじゃねえか。別にさびしくなんかないぞ。なんたって男の子だからな。

 

「音無。衣月のこと……よろしく」

「せ、先輩……」

「本当に消えるつもりか!? ポッキー!」

「……ごめん」

 

 あえてアポロなのかコクなのか分からないどっちつかずの中性的な口調で語り、レッカを困惑させてゆく。れっちゃん、どっちか分からなくて俺のことポッキーと呼ぶしかないみたい。

 

 ふはは、お前は遂にコクを攻略することはできなかったのだ。残念だったな、好感度不足だぜハーレム主人公くん。

 

「アポロとコクの事は忘れて、どうかみんな──幸せに」

 

 未攻略ヒロインがいつまでもうろついているわけにもいくまい。そろそろ退散だ。

 風魔法を使って宙に浮き、今度は誰も追いかけてこないよう、怪我をしない程度の突風を彼らに放った。

 

「ぐっ!」

 

 別に永遠にアデューするわけじゃないし、俺が新しい姿になるか元に戻るかしたら、またこの街には帰ってくるんだ。心配せんでもまた会えるよ。

 それが何ヵ月後か、何年後になるかは知らないが。

 組織の刺客に殺されたらその限りではないけど、なんとか死なないように頑張ろう。

 

 謎の美少女ごっこも恐らくこれが最後になるだろうが、終ぞ誰かに止められる事は無かったな。

 

 まさかヒロインとして攻略されることもなく、ましてや物語のようなシチュに巻き込まれたのにヒロインと出会って結ばれるなんて事もなく、警察に追われる犯罪者兼悪に命を狙われる賞金首みたいな存在になるとは思わなかった。これが美少女ごっこをしてきた代償かぁ……。

 

 まぁいいや。

 やれる事は大体やっただろ。自分が陥った状況は散々だが、概ね満足のいく研究結果だった。

 

 紀依(アポロ)太陽(・キィ)は美少女ごっこがめちゃくちゃ上手い。

 Q.E.D.証明完了。

 

 それではさらば──っ!

 

「さよなら~」

 

「ま、待ってくれポッキー……っ! ポッキぃーッ゛!!」

 

 



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死にかけポッキー

 

 

 

 これはたぶん、明晰夢ってやつだ。

 

 自分が見ている光景を夢だと自覚したまま夢を見続けられるっていうアレ。体験するのはこれが初めてになるかもしれない。

 

 俺がいる場所は──魔法学園だ。

 校舎には見覚えしかないし、自分が今座っている教室の風景からして、それは間違いない。

 ていうか俺が学生服を着ててなおかつアポロの姿に戻ってんだから、これが夢じゃなかったら何なんだって話だ。

 

「じゃあ補習はここまで。次は赤点取るんじゃないぞー」

 

 気だるい声音でそう言い残した教師が荷物をまとめて教室を出ていく。

 すると教室内の雰囲気が緩和し、俺と同じくテストで赤点を取ったアホ生徒たちは、各々解散していった。

 

 

 ……あぁ、なるほど。

 

 夢っていうより、これは記憶の再現だな。

 テストで赤点を取って補習を受けさせられたのなんて、もう随分と前の事だ。

 

 確かレッカはもうこの頃には、ヒーロー部に入り浸ってたか。

 当然の如く、この補習クラスにあいつはいない。

 

 烈火の魔法に目覚めた我が親友は、実技においては遅れを取ることもなくなって、勉学の面においても生徒会長であるライ先輩に面倒を見てもらうようになったから、この時期はもうすっかり落ちこぼれから脱却している。

 

 分かりやすく言えば、俺とレッカに距離が生まれ始めている時期だ。 

 

 アイツは着々とハーレム主人公になっていって、俺は友人キャラからモブ生徒に降格されてどんどん関わらなくなる時期。

 ここら辺のレッカは異様に忙しかったっけな。

 

 例えるならレギュラーメンバーが固定されて、敵との戦闘やら日常回やらヒロインたちとのイベントやらで、めっちゃドタバタする中盤のバトル系ラブコメアニメそのものだった。

 

 その思い出も今となっては懐かしい。

 いい機会だし、もう少し夢の中の自分に入り込んで、今は無き学園生活を過ごしてみようかな。

 実はこれまでほとんど明かされなかった、アポロ君の過去編の始まりだ。

 

 

「……適当に昼メシ食って帰るか」

 

 土曜日だったか、日曜日だったか。

 休日に補習をやらされた俺は、辟易しながらもカバンを手に取って教室を出ていった。

 

 魔法学園は部活やクラブ活動が異常に盛んで、休みの日にもかかわらず学園の敷地内にはそこそこの数の人間がいる。

 故にそういった休日でも青春をしまくる若者たちをサポートするという名目で、学園の食堂や購買は土日でも営業しているのだ。

 

 ということでこの日の俺は、帰る前に購買にでも寄ろうと考えたのだろう。

 学園の購買はとにかく安い。お財布にも優しいし、今すぐ腹を満たしたい俺はその魅力に抗えなかった。

 休日でも食堂は人が多いから、購買でカップ麺でも買って静かな場所で食うのが良さそうだ。

 

「購買、全然ヒトいねぇな……んっ」

「いらっしゃいま──ぁっ」

 

 大盛況な学園食堂に比べて、シャッターだらけの廃れた商店街並みに客がいない購買へ到着すると、そこにいたのは見慣れたおばちゃんではなく。

 

「あー、えぇっと……あ、そうだ。確かレッカ先輩と仲良しの……」

「アポロ・キィな」

「そっすそっす。へへ、別に忘れてたワケじゃないっすよ」

 

 デカいマフラーが特徴的な女子生徒が、いつもおばちゃんの座ってる椅子に腰かけて、購買を営業していた。

 ……あいつ、ヒーロー部のメンバーだったよな。

 何だっけ名前。

 

「どうもこんにちはっす、先輩」

「結局名前は呼ばないんだな」

「いいじゃないっすか、先輩で。名前を呼ばないのも一種の信頼っすよ。ほら、名前を呼ぶ必要もないくらい仲良し~みたいな」

「……俺の名前、もう一回言える?」

「…………えへへ」

 

 もう忘れてんじゃねぇか。どんだけ俺に興味ないんだよコイツ。

 てか思い出したぞ。

 こいつヒーロー部の中で唯一下級生のヒロインだったよな。れっちゃんは色んな子に手を出しすぎです。

 

 名前は……あぁ、そうだ、ノイズだ。

 なんとかノイズ。

 

「じゃあノイズ、そこのやつくれ」

「えっ、何でウチの苗字知ってんすか。ちょ、怖い怖いもしかして先輩ストーカーか何かなんです? 割と普通に気持ち悪いんでこっちじゃなくて食堂の方でご飯食べて頂けると助かります」

「俺レッカの友達なんだから名前ぐらい知っててもおかしくないだろ……」

 

 ほんとアイツのハーレムってどいつもこいつもキャラ濃いな?

 こんなにふてぶてしい態度取れるんなら、アイスとかウィンド姉妹とも対等に渡り合えそう。末恐ろしい後輩だ。

 

「だいたいお前、なんで休日の購買で働いてんの」

「あー、なんかいつものおばちゃんが腰をやっちゃったらしくて。平日は流石に無理っすけど、休日のお昼時くらいなら代われるってことで、ヒーロー部が週替わりで担当してるっす」

 

 そりゃまたご苦労なことで。

 ボランティア部に名前変えてもよさそうじゃない?

 

「とりあえずそのカップラーメンくれ」

「まいどあり。ストロー付けます?」

「いやお箸つけて」

 

 急に口の中を火傷させようとしてくるじゃん。怖いよこの後輩……。

 

「そうだ先輩、レッカ先輩の好きな食べ物とか教えてくださいよ」

「ヤダ」

「え~、なんで」

「どうせお料理対決とかレッカに弁当作ってくるとかだろ? ベタすぎんだよお前ら。マジでどこまでも王道だよな」

「……もしかして、レッカ先輩が羨ましいんすか?」

 

 は~~~???? 違いますが。別にハーレムを抱えるのとか気苦労が増えるだけだし俺はそんなの求めてませんが。女の子から胸を当てられて照れてるレッカを見て羨ましく思ったことなんてたった一度もありませんが。勘違いすんなよなホント。

 

「誤魔化すのに必死っすね。かわいいんだ~」

「煽ってんじゃねぇぞ」

「照れちゃって。……もしよかったら、私が先輩のお弁当作ってきましょうか?」

「えっ!?」

「ウソです」

「てめぇ……」

「きゃー、こわーい」

 

 俺に対してこんなメスガキムーブをかましてきやがるコイツも、レッカの前じゃ乙女チックな表情になるんだろうな。

 『レッカ先輩♡ ウチがお弁当食べさせてあげるっすよ♡ はい、あーん♡♡』みたいな感じでよ。親友に対しての敗北感で脳が壊れそう。

 

「帰るわ……」

「え、もう帰っちゃうんすか」

 

 何で引き留めようとするんだ、と考えたところで気づいたことがある。

 コイツたぶん暇なんだろうな。客もいなければ話し相手も存在しないし、部活動の一環で手伝ってるだけだろうから給料なんかも出なさそうでモチベも上がらないのかも。

 

 ふん、いい機会だ。

 先輩を煽り散らかした罰として、お前には最大級の暇をプレゼントしてやるぜ。

 

「おう帰るぞ。せいぜい暇に苦しむがいい、ふはは」

「ひどい! 可愛い後輩を置いてまで家に帰ってもどうせレッカ先輩以外に友達いないからゲームやるか昼寝するしかないのに! 鬼、悪魔!」

「ケンカ売ってんなら買うぞお前?」

「あ、何だかんだ言ってやっぱり残ってくれるんすね。いやぁ頼りになる先輩だなぁ。これがレッカ先輩だったらもっと良かったんだけど、そんなワガママは言えないっすよね」

「そんなにレッカがご所望なら電話かけてやるよ。お前んとこの後輩が俺をいじめてるよ~ってな」

「待ってください先輩。一旦ジュースでも飲んで落ち着きましょう。ねっ」

 

 

 ──そう、だったな。

 

 思い返してみれば、こんな一幕もあった気がする。

 クラスで他人行儀な挨拶程度を交わす氷織やヒカリを除けば、多分初めてレッカのヒロインとまともに会話をした日だった。

 

 確か、この後も数回程度だがヒーロー部と関わった事がある。

 そのどれもがちょっとした会話程度に過ぎないが、レッカから話を聞くこと以外でヒーロー部を知れた数少ない機会だったこともあってか、そのほとんどが記憶に新しい。

 

 特に印象に残ってるのは──

 

 

「れっちゃーん、帰ろうぜ」

 

 部活が終わった後、レッカと一緒に帰る約束をしていた。

 早めに終わらせると言われたから、放課後になって一時間後くらいに、ヒーロー部の部室を訪れてみた。

 

「レッカくん、どうかなコレ?」

「感想が聞きたいですわ♪」

「お姉ちゃん……このかっこ、はずかしい……」

「だいじょーぶ似合ってるわよフウナ! これで朴念仁なこいつも一発で悩殺ね!」

「ところで部長は着替えないんすか? これ着るとレッカ先輩がいやらしい視線を送ってきてくれますよ」

「だったらなおさら着替えないだろ!? 生徒会長がこんなハレンチな格好できるか……!」

 

「…………はぁ。なるほど」

「ち、違うんだポッキー。これは潜入捜査に使う時の衣装を、みんなで調整しているだけで……あの」

 

 扉を開けたそこには、バニーガールのコスプレをした少女たちと戯れる親友の姿があった。

 

 そりゃもう見せつける様に彼女らとイチャイチャしていやがった。ヒロインが多くていいですね!

 やっぱ主人公さまは格が違うよな、合法的な言い訳を用意すれば、学校で4Pでも5Pでもできるんだから。

 

「帰るわ」

「待ってポッキー!? ほんともうすぐ終わるから!」

「だまれ早漏野郎」

「不名誉なあだ名が……っ!」

 

 なんとか撤回しようとしたレッカだったが、職員室へ持っていかなければならない資料というものがあったらしく、彼は俺に待機するよう何度も念押ししながら、一旦部室から姿を消した。

 

 その間、俺は部室で待つことになって。

 たぶん初めてヒーロー部の少女たち全員と、同じ空間で過ごすことになった瞬間だった。

 

「また会いましたね、トッポ先輩」

「ポッキーな」

「大差ないっすよ」

「それは俺も同感」

「……あらま。オトナシさん、いつの間にキィさんと仲良しに?」

 

 どこをどう見たら仲良しに見えるんだよコレが。

 

「お友達が増えるのは良いことですわ!」

「ヒカリ先輩ピュアっピュアで眩しすぎ……あれ、先輩? 何で目ぇそらしてんすか?」

「うっさい」

 

 きわどいバニー衣装じゃなかったら素直にかわいいと思えたんだがな。この空間、えっちが過ぎるだろ。

 どいつもこいつもアニメ本編の放送終了後に発売されがちなちょっとお高いフィギュアみてぇなエロ衣装しやがって。羞恥心ってものが無いのか。

 

 こんな露骨に女子複数人から誘惑されてて、れっちゃん何で耐えられてるんだろう。俺だったらもう数人には手を出しててもおかしくないってのに。えらいねお前は本当に。

 

「ねぇねぇキィ君」

「なに、アイス」

「来週レッカ君の誕生日じゃない? プレゼントって何あげたら喜んでくれるかな……」

 

 自分で考えて、どうぞ。

 ていうか近いんだよそんな甘い匂いを醸し出しながら胸の谷間を見せつけるのは青少年の精神に大変よろしくないぞうわあぁぁぁ他にも来た……。

 

「ウチも知りたいっす! この中で一番最高級のモノを用意するっすよ~」

「抜け駆けは許さないわよオトナシ! わざわざ高い物を渡されてもレッカが気後れするだけじゃない! みんなで考えないとダメよ!」

「お姉ちゃんが急にまともな事を……」

「皆さーん、あんまり激しく動き回ると、お胸が危ない事になってしまいますわ……あっ」

 

 噂をすれば、ヒカリのお胸がポロリ。

 

「ぶ、部長~っ!」

「まったく何をしているんだ……ほら、他の部員も早く着替えなさい。部長命令だぞ」

「うぅーん……もう少しレッカくんに見てもらいたかったなぁ」

「じゃあ見せに行くっすか? 何とここにはレッカ先輩が持っていき忘れた、余りの資料が……」

「あぁー! ズルい!」

「わっ! お姉ちゃん待って! 胸がやばい事になってる!!」

「騒がしい部員たちだ……やれやれ」

 

 

 溜息を吐きたいのはこっちだ──と、当時の俺ならそう思ったんだろう。

 

 こんな風にヒーロー部はいつ様子を見に来てもレッカが中心で、誰もかれもがアイツに対して好意を隠していなかった。

 それだけレッカが魅力的なのは分かっていたし、羨ましいとは思ったが同時に当然だなとも理解していた。

 

 ……ちょうどこの頃だったかな。

 

 このヒロインたちからレッカを奪ってやったら、どんな顔をするんだろう──って変態みたいな思考が生まれ始めたのは。

 結果的には状況を引っ掻き回しただけで、俺は何者にもなれなかったわけだが。楽しかったから別にいいんだけどね。

 

 ともかく、みんなレッカが大好きだった。

 

 俺と一緒に行動していた少女たちも、本当は彼に惹かれていたんじゃないだろうか。俺と一緒に行動するうえで、俺を扱いやすくするために、わざと好意的な態度を取っていたのかもしれない……と、いまなら冷静にそう考えられる。だって、こんなにレッカにゾッコンだったんだから。

 

 ヒーロー部、元に戻れてよかったな。

 ヒロインレースがどうなるのかは分からないけど、俺がいなくなってようやく平和になったんだ。どうにでもなるだろうし、俺自身もう二度とここへ戻ろうと考えることはないだろう。

 きっとそれが、彼女らにとっての幸せに繋がる選択肢なんだ。

 

 

 

 

 ──長い夢だった。

 

 どこかも分からない馬小屋で夜を明かし、今は無き学園生活に想いを馳せながら、俺はみっともなく逃走を再開する。

 

 記憶が正しければ現在は国外にいるはずだ。貨物船に忍び込んで日本を出ていった気がする。ここがどこなのかは見当もつかないが。

 

 なんだか、頭が痛い。昨日も刺客と戦ったせいだろうか。

 拭き取るのを忘れていた手の甲の血が固まっている。ズキズキと痛むが、洗う場所も絆創膏も無いから我慢だ。

 

 ていうか右目が見えなくなってんな。すっげぇ痛い攻撃が直撃したから、まぁ失明しててもおかしくない。

 こんなボロボロになっても、自業自得の因果応報ということで納得できるのがせめてもの救いだろうか。もはやそれが一種の心の支えみたいになってる節がある。

 

「……ぁ、ダメだな、これ」

 

 呟き、うつ伏せに倒れ込んでしまった。

 

 心は負けていないが、身体がほとんど死んでいる。

 自分が何日くらい飯を食ってないのか、どれくらいの期間逃げ続けているのか、その何もかもが分からない。どうやら身体だけでなく、とっくの昔に俺の脳みそも限界を迎えていたようだ。

 

 うーん。

 まぁ、さすがにもう無理か。こりゃ死んじゃうわ。

 でも俺にしては珍しく頑張ったほうだろ。えらいぞポッキー。

 

 って、あー! 視界が暗くなってきた! こわい……たすけてれっちゃん……。

 よもやよもやだ。我が運命もここまでである。それなりに楽しい人生だったし及第点なんじゃないすかね。

 

 

「──先輩」

 

 

 誰かの声が聞こえたものの、確実に耳と意識が遠くなってるので、全くもって聞き取れない。もしかしたら刺客に発見されちゃったのかもしれない。無念。

 

 ヒーロー部のメンバーは、ハッピーエンド後の後日談みたいな感じで、学園でレッカとよろしくやってる筈だから、絶対にここには来ない。

 通りすがりのめっちゃ優しい人でもなければ、相手は確実に悪の組織の残党だ。ここに来てお祈り要素とかやめたくなりますよホント。

 

「先輩、先輩。私です、音無です、わかりますか。……よかった、呼吸はしてる」

 

 抱き上げられた気がする。首でも絞められんのかな。なるべく苦しまないやり方で殺して欲しいところだけどそれはワガママか。女の子の姿だし手加減してくれてもいいんだぜ。

 

「あっ、氷織先輩! こっちです!」

「っ! アポロく──っ……ひ、ひどい、状態……」

「病院はまずいですよね。とりあえず隠れ家に運びませんか」

「分かった。待って、いま部長に連絡を──」

 

 はい無理ー。気絶します。

 最悪の場合はこのまま死にます。描写されないモブの最後ってこんな感じなのかしら……。

 

 できれば親友か好きな女の子あたりに看取って欲しかったが、それは叶わない夢なんだなぁと自覚しながら、俺は眠るように意識を手放したのであった。

 

 



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メンタルぽこぽこポッキー

 

 

 

「……やわらかいベッド、あんしんする」

「よかったわね」

 

 謎の人物との遭遇と同時に気絶してから、気が付けば一日が経過して。

 目を覚ました時、俺は全く見覚えのない部屋のベッドの上だった。知らない天井だ。

 そこから上半身を起こして辺りを見渡すと、俺の傍らには長い緑髪が特徴的な少女がいた。

 

 ウィンド姉妹のお姉ちゃんの方──カゼコだ。

 

 こっちの事情もあっちの事情も、とりあえず後でまとめて話そうという流れになり、俺は彼女の看病を受けることになった。

 話を聞く限り、どうやら俺は昨晩まで重傷だったらしい。

 レッカ以外のヒーロー部はみんな来ているようで、俺の怪我の大半はヒカリが光魔法で治療してくれた、とのことだった。右目はまだ治ってないけど。

 

 で、現在はお昼。

 他のヒーロー部のメンバーは買い出しやら何やらで朝から出払っているらしく、俺はカゼコお姉ちゃんにタイマンでお世話してもらっているのであった。

 

「ほらキィ、お口開けなさい。あーん」

「おいしい」

「もうご馳走様?」

「うん」

「いっぱい食べられて偉いわね。よしよーし、いい子いい子。じゃあ次はお着替えしましょうか? ほぼ丸一日眠ってたわけだし、寝汗でびっしょりでしょ。はい腕上げてー」

「はーい」

 

 風菜がお姉ちゃん大好きウーマンになってしまう理由が垣間見えた気がする。これはダメになりますわ。

 

「……老人介護ですの?」

「あら、ヒカリ。おかえりなさい」

「え、えぇ。ただいま戻りましたわ、カゼコさん」

 

 カゼコお姉ちゃんに上のパジャマを脱がして貰ったところで、ちょうど部屋の扉が開かれて、ヒカリが入室してきた。

 その手に買い物袋が握られていることから、買い出しの帰りだという事が察せられた。お疲れ様です。

 

 

 ──どうしてヒーロー部がここにいるのか。

 

 そもそも俺はどこの国にいるのか。

 何かもが不透明な状況ではあるものの、それらすべてを一気に知ろうとするほど、俺はまだ回復しきっていない。

 

 これまでの一人旅は苛烈を極める地獄旅そのもので、何よりいつ襲われるか分からない恐怖と、頼れる人間が一人もいない孤独感と不安のせいで俺の精神は摩耗しきっていた。人生ハードモードってこういう事なんだなって実感しちゃったよね。

 

 なので、知っている人間に匿われるばかりか、柔らかいベッドに温かいご飯まで用意されて、俺はようやっと人間らしい感性を取り戻し始めている途中なのだ。

 親友のハーレムの一員だろうが、TSした自分を気に入っている少女の姉だろうが関係ない。甘えさせてくれるなら全力で甘えてやるぞ。俺は疲れたんだ。

 

 カッコつけて姿を消したのに結局見つけられてしまったわけだから、本来なら恥ずかしい状況なんだろう。とてもヒーロー部に顔向けできるような立場ではない。

 しかしそんな事はもう気にしない事に決めた。

 今ここで自分を甘やかしておかなければ、俺はいよいよ精神が崩壊して植物人間になってしまう。

 

 結局主人公でもメインヒロインでもなくただのサブキャラだったのだ。格好つけた行動をするのは一旦おやすみして、普通の人間らしく休息を取ることにしようと思う。

 

 

「今のアポロさんは貧血気味ですから、お腹の調子が良くなったら……あった。これですわね、このサプリメントをあとで飲みましょう」

「うん」

「もう少し温かくした方が良さそうかしら。このブランケットを羽織るといいわ」

「モフモフ」

 

 コクの姿をしてるのに、完全にアポロだと認識されている事が不思議でならないが──別にいいか。

 元から美少女ムーブをする気力も残ってないしな。思考停止でアポロのままでいられるんなら、精神衛生上は間違いなくそれが一番だ。

 

 あっ、風菜が帰ってきた。

 

「……キィ君がハーレム築いてる」

「おかえりなさいフウナ。頼んどいた乗り物は用意できた?」

「あ、うん。ちょうど皆で乗れるくらいのバスが手に入ったよ、お姉ちゃん」

「お疲れ様ですわ!」

 

 風菜からも一目で俺だと判断されてしまった。

 何でだろう、あいつコクのこと好きなんじゃなかったっけ。謎は深まるばかりだ。

 

 なにはともあれ、続々とヒーロー部の仲間たちが集結し始めているのはとても良いことだ。主に俺が安心する。知人に囲まれるって幸せな事だったんだな……。

 

「キィ君、もうご飯は食べたんですよね。食後のデザートにリンゴを買ってきましたよ」

「でしたらワタクシが切って差し上げますわ。……あっ、お皿はどちらでしたっけ……」

「こっちにあるわよ。それからコレ、果物ナイフね」

 

 ベッドの周囲を少女たちがうろついて、俺の為に色々用意してくれている。至れり尽くせりとはこの事だろうか。感動で咽び泣きそうだ。

 

 おや、氷織が帰ってきたわね。

 

「ぁ、アポロくんがハーレムを──」

「コオリさん、そのセリフはさっきフウナさんが仰いましたわ」

「えっ、そうなの。……じゃあ驚くことじゃないか。ありがとヒカリ」

 

 ……飲み込み早くない?

 何だかしばらく見ないうちに、ヒーロー部の女の子たちのフットワークがめっちゃ軽くなってる。コレが本編終了後ヒロインの風格ってやつなのか。もう俺じゃ勝てないに違いない。

 

「そうそう、紀依さんたちと連絡取れたよ。港に船を用意してくれたって。もう少しでおとうさん達と会えるね、アポロくん」

 

 聖母の微笑みで癒してくれる氷織。

 

「バスで港まで移動したら、そのまま学園に帰る感じになるわ。キィの家は組織に壊されちゃったから、しばらくは学園の寮での生活になるわね」

 

 面倒見が良くあれこれお世話をしてくれるカゼコ。

 

「キィ君は誰との同室がいいですか? 一人にするのはまだ危険だから誰かがそばに付くことになってるんです。ちなみにアタシとお姉ちゃんと氷織ちゃん、あと部長と音無ちゃんが寮生ですよ」

 

 ワガママっ娘だった過去が嘘に感じるほど凛々しくなり、なにやら温かいココアまで用意してくれてる風菜。

 

「わたくし以外の方々は皆さん同じ寮なのですわ。……あっ、もちろんアポロさんがご希望でしたら、わたくしの屋敷でも大丈夫ですから。部屋はたくさん空いてますのでご心配なさらず」

 

 甲斐甲斐しくリンゴを切ってくれるその姿が、もはや看病に来てくれた恋人にしか見えないほど理想的な美少女ムーブをかましてくるヒカリ。

 

 誰も彼もが本編終了後の余裕あるヒロインになっていて、俺は思わず感涙してしまいそうだった。

 あの戦いを通じて彼女たちは成長したのだ。

 ごっこ遊びの俺では到底太刀打ちできない、手の届かない高みへ到達してしまった。

 

 この敗北感は、もはや一周回って心地が良いまである。

 ヒロインですら無くなってしまった俺には、こうして彼女たちにお世話され、格の違いを見せつけられながら静かに涙を流すくらいの扱いが丁度いいんだろう。

 

 ……ん、誰か帰ってきたな。

 

「ただいま偵察から戻りました。周囲に敵影はありませんでし──」

 

「はいアポロさん、リンゴが切れましたわ。あ〜ん♪」

「うまうま」

「ココア出来ましたよ、キィ君。どうぞ」

「あつい」

「ダメじゃないフウナ。ちゃんとスプーンも付けないと」

「おかえりオトナシちゃん。偵察ありがとね」

「あー、はいっす。ついでに遠出に必要そうなもの、色々買ってきたっすよ」

 

 久しぶりに見た音無の顔は、やはり記憶の通り余裕のある表情だった。

 

 

 

 

 安っぽいハーレム展開から数時間後。

 ついに元チームメイトである忍者後輩も集合し、いよいよ俺のベッド周辺の安全性が完璧になってしまった。アルソックもびっくりの最強布陣だ。

 

 ゆえに心が安心しきったのか、緊張の糸が切れて俺は再び眠りについてしまった。

 そして案の定、これまでの一人旅の体験がフラッシュバックして──俗に言う悪夢を見た。

 

「ッ!! はぁっ、ハァッ、はっ……!」

 

 思わず飛び起きる。

 悪夢を見ること自体は初めてじゃないが、コレはとても慣れるようなものではない。寝間着も汗もびっしょりだ。

 

「……先輩、大丈夫ですか」

 

 横に首を向けると、そこには椅子に座った音無がいた。どうやら眠っている間、ずっとそばで容体を見ていてくれたらしい。気がつけば彼女に手を握られていた。

 

 今の俺は弱い。とてもよわいザコだ。

 悪夢を見て不安に駆られてしまうことや、怖くなって泣きそうになる事だって当然ある。

 いつ殺されるか分からない恐怖と常に隣り合わせで、孤独に耐えながら一人で世界中を逃げ続ける生活は、予想以上に俺の心を脆くしてしまったらしい。

 

 だからだろうか。

 傍らに居てくれた音無を見て、俺は心底安堵した。

 そして泣きそうになる気持ちを抑えるためには、そのまま彼女を抱きしめる他に術が無かった。

 

「わっ。……先輩」

「ごめん音無。……ご、めん」

 

 彼女からしたらとんだ迷惑だろう。本当はレッカに対して恋してるかもしれない音無には。

 しかしこの隠れ家にいる人間の中で、俺が心から気を許せる──弱さを曝け出せる相手は、彼女をおいて他にはいなかった。

 

 一体どんな罵詈雑言が飛んでくるのか、ビクビクと震えながら涙を堪えていると、俺の頭にそっと温かい手が置かれた。

 

「何を謝る必要があるんですか。むしろ私が先に謝りたいくらいです。……あなたは頑張りすぎなんですよ、先輩」

 

 抱き返してくる音無。

 その声音は、まるで子供をあやす母親のように、安らかで落ち着く音色だった。

 

「全ての責任を押し付けてしまって、本当にごめんなさい。これからは私も一緒に……先輩の罪を背負いますから」

 

 何だこの良い子!?(驚愕)

 これは紛れもなくヒーロー部の一員ですね間違いない。

 音無のほんわか癒しボイスASMRで心が安らいでいくわ。

 

 ……いや、もう、本当に嬉しくて逆に泣きそう。

 

「コクの事に関しては、レッカ先輩以外のヒーロー部の皆さんにはネタバラシしました。……衣月ちゃんを守るために、何よりヒーロー部はおろか魔法学園とも関係ない人物として振る舞い、全ての責任を引き受ける事で、私たちを世間の目から守ったんだ……みたいな感じで」

 

 それはあまりにもファインプレー過ぎる。マジでありがとう。

 さすが忍者と言うべきか、情報操作はお手の物なようだ。

 

「……まぁそれは事実として残った結果であって、先輩の考えは違うんでしょうけど」

 

 しかも美少女ごっこの真相にもほとんど勘づいている。今年度のアポロ理解グランプリの優勝者はキミに決定だ。

 

「とにかくみんな先輩の事は、レッカ先輩と同じくらい信頼しきってるってことです。女の子姿のままだからっていうのもあると思いますけど、風菜先輩に至ってはアレ完全に惚れてますね。めでたくハーレム完成じゃないですか」

「……」

「……ぁ、あの、嫌味とかじゃないですよ? 悪の組織による被害を最小限に食い止めた英雄なんですから、それくらいの役得はあってもいいと思ってます。……先輩?」

 

 周囲の状況なんて今はどうでもいい。

 俺にとって大切な事は、音無が以前と変わらず自分を受け入れてくれた事だけだ。

 精神的な疲弊でまともな言葉は喋れないが、せめて感謝は伝えたかった。

 

「ぉ、おと、なし。……俺、は」

「……あのー、先輩」

 

 喋りきる前に彼女から声がかかった。

 

「なに」

「そんなに強く抱きしめなくても、私は逃げませんよ。本当に大丈夫ですから、今はもう少し離れて貰えると助かります。……あの、本当に苦しいですから」

「やだ」

「どんだけ私のこと好きなんですか。結婚しますか?」

「する」

「先輩のメンタルがヤバい事になってる……」

 

 この後、音無の「たすけて〜」という言葉で他の少女たちが集結し、抱擁の対象を風菜にすげ替えられた俺は、健闘虚しく彼女に抱きつかれたまま再び眠りにつく事になったのであった。

 

 どうやら俺の精神状態を正常に戻す為には、もう少しばかり日数が必要とされているらしい。

 

 



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ライかいちょ〜

 

 

 

 

『ごめんね、紀依』

 

 

 ──白髪の少女が一人の少年と、手を繋いでこちらに微笑みかけている。

 

 藤宮衣月と、レッカ・ファイア。

 二人がまるで恋人のように振る舞いながら、俺の前で笑っているのだ。

 目の前の顔面偏差値が高すぎて眩しい。

 いきなりイケメンと美少女を並べるのはやめてください。

 

 衣月とレッカがくっ付いている光景はあまりにも非現実的で、しかし心のどこかで納得できると思えてしまう自分もいた。おかしな話だ。

 オイ待てどうなってんだ──そう声を掛けるつもりだったのだが、不思議と喉から音が出てこない。

 まるで息を止めているような感覚だ。

 苦しくはないものの、一声も発する事ができない違和感はとても不快だった。うぐぐ。

 

 ……なにこれ。

 何この光景。

 

『わたし、レッカと結ばれたの』

 

 純白の髪を揺らす彼女が──衣月が俺の親友である少年の腕に抱き着き、見たこともないような満面の笑みでそう言い放つ。

 いきなり頭を鈍器で殴られたかのような衝撃が俺を襲った。

 何言ってんだあの女……。

 そう思いつつ、脂汗が額から滴り落ちる。

 いったいどういう事なんだこれは。

 何で衣月がレッカといい感じになってるんだ。

 冗談も休み休み言えって。

 

『本来はこうなる運命だったんだから、何もおかしくはないでしょ。……ふふっ♪』

『その通りさ。僕たちが結ばれる未来こそが、この世界の紛れもないグランドルートだったんだ。……一体いつから衣月がポッキーのヒロインだと錯覚していた?』

 

 え、違うの。俺が見てたのって幻影だったの? 鏡花水月されてた? 

 あ……ありのまま今起こったことを話すぜ!

 俺は衣月が俺のことを好きだと思っていたら、いつの間にかレッカとイチャついている様を見せつけられていた。

 何を言っているか分からねーと思うが俺も分からない。

 催眠術だとかそんなチャチなもんじゃない、もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……。

 

 もし俺が見ていたものが妄想だったとしたら、とんだ夢オチだ。

 今までの頑張りとか全部錯覚だったってことになるじゃん。

 急に泣きそうになってきたわ。

 ラブリーマイ後輩音無ちゃんどこ……たすけて……。

 

『いつまで経っても帰ってこないポッキーが悪いんだよ?』

 

 とんだ責任転嫁じゃねぇか! いい加減にしろ!

 お前もしかして王道ラノベ主人公じゃなくて、成人向けNTRゲー主人公だったのか……?

 失望しましたヒーロー部やめます。

 

『もう紀依なんて知らないわ。……レッカ♡』

『ふふっ、衣月ちゃんの心の穴を埋められるのは僕だけさ』

 

 待て待て待て。

 ヤバいぞ。

 何がやばいってお前、特にレッカは本当にここで手を引かないとヤバいぞ。

 勘違いしてるようだが衣月はお前がお付き合いしていい年齢じゃないからな。

 確かにエロゲのロリっ娘キャラは『※登場人物はすべて18歳以上です』という倫理バリアによって守られてるから、主人公とちゅっちゅしても何ら問題ないが、お前の隣にいるその純白ロリはエロゲのキャラじゃねぇんだぞ。

 

 藤宮衣月:十一歳(推定小学5~6年生)

 

 はい、見てこれ。

 ガチ幼女です。

 手を出したら犯罪者になります。

 衣月本人に幼女って言ったら怒られそうだから一応少女って認識だけど、それでも成人じゃないのは確かだ。

 お前ホントに小学生のロリとお付き合いできるとでも思ってんの?

 イカレてんのか俺の親友。

 倫理観世紀末だ。

 

 ……ぁ。

 やばい。

 しまった、大事なこと忘れてたぞ。

 

 俺が変身した少女形態であるコクが気になってたってことは、レッカくん──ロリコンじゃん。

 

『それじゃあデートしようか衣月♡ どこに行きたい?』

『ディ〇ニーランド♡ ホテルにも泊まりたいかも♡』

『夢の国で僕たちの夢を作るつもりなのかい♡ まったく欲張りさんだな♡』

『野球チーム作れるくらい頑張ってね♡♡』

 

 地獄だ……地獄じゃあァ……ッ!

 たとえれっちゃんがロリコンだったとしても、ハーレムを築き上げたその手腕は間違いなく本物だ。

 そんなやつが本気を出して一人の少女を攻略しにかかったら、それはもう当然のごとく堕ちるに決まってる。

 俺なんかの説得じゃ無力だ。

 

 どうしてなんですか、二人とも。

 

『わたしを置いて行ったのは紀依でしょ?』

『親友のくせに相談の一つもせずに僕の前から消えたのはポッキーだろ?』

 

 そ、それは……そのぅ……。

 

『行こうか衣月♡ って、おいおいあんまりちっぱいを押し付けるなよ♡ 僕のロリコンパワーが充填されちゃうだろ♡♡ ムキムキッ』

『きゃ~♡ 大人の威厳わからされちゃう♡♡ 勇者の遺伝子で一族繁栄させて世を平穏に導いちゃう~♡♡♡』

 

 

 ……ぅうっ、うわああぁぁぁぁ──ッ!!!

 

 

 

 

 レッカと衣月が夢の国で不純異性交遊するクソ最悪な悪夢を見てから数時間後のお昼ごろ。

 俺は匿ってもらっていた隠れ家の外で、ライ会長にポコポコにされていた。

 

 ここ最近は悪夢にうなされて起きることが多かったせいか、ヒーロー部の皆からもかなり心配されていた。

 これまでの酷い体験が尾を引いているのは確かに事実で、彼女たちは何とか俺を支えようとサポートしてくれたりもした。

 非常にありがたい話だ。

 しかしそれでも一向に改善されることなく時間だけが過ぎ去ってしまったのが、この一週間の現状である。

 

 そんな芳しくない状況をもどかしく思ったのか、ライ会長は俺たちと合流した次の日──つまり今日、俺をどうにかしようと考えたらしい。

 会長は昨日まで色々とやる事が山積みだったようでまともに寝てすらいない。

 どうやら世界中でネットの晒し者にされている俺の情報をどうにかしたり、人類を救った英雄チームのリーダーとしてメディアに関わる仕事が重なっていたりなどで、彼女は一学生とは思えないほどに多忙なのだ。

 くじけている俺なんかに構っている暇など本当は無い。

 だからこそ自分以外のヒーロー部の面々に俺を任せたわけなのだが──我慢の限界、とのことで。

 

 メンタルケアを理由に隠れ家で少女たちに対して甘えきりだった俺の首根っこを引っ掴み、誰もいない森の奥に放り投げ、会長は俺をポコポコにし始めた。

 名目上はリハビリトレーニングなのだが、どう考えても普通のリハビリなんかじゃない。

 あまりにもスパルタ過ぎる彼女に指導に耐えかねて、俺はついに弱音を挙げて地面に寝っ転がってしまったのだった。

 

「もうむり」

「……まあいい、少し休憩にしよう」

 

 俺に水を手渡し、木にもたれかかる会長。

 呆れたような顔にも見えたが彼女の表情に疲れは見えない。

 体力無限なのか、この人。

 

「……会長」

「ん?」

 

 そう言えば少し気になっていたことがあった。

 俺は上半身を起こし、胡坐をかいて座ったまま会長の方へ体を向けた。

 

「俺のこと、どうやって見つけたんですか。スマホは捨ててきたし、誰にもバレないように日本を発ったと思うんですけど」

「部室から音無の予備クナイを持っていっただろう。彼女の忍具にはほぼ全て位置情報を発信するGPSが搭載されていてな。その反応を追ってここまで来たんだ」

 

 最終決戦で警視監の男を倒すために使った武器のことだ。

 やつを撃破した後、俺がこれまで戦ってきた唯一の証明ということで後生大事に抱え持っていたあのクナイが、まさかヒーロー部にだけ情報が筒抜けになる珍アイテムだとは思わなかった。

 彼女たちの平和な日常の為を想うなら捨てておくべきだったかもしれないが、それによって俺の命が救われたこともまた事実。

 複雑な気持ちです。

 

「……アポロ」

「は、はい」

 

 まっすぐに俺の目を見て語り掛けてくるライ会長。

 そんなに見つめられたら照れる。

 会長は自分も美少女なんだってこともう少し自覚してください。

 俺と激しいトレーニング(そのままの意味)をしたせいで、彼女も多少は汗をかいているのだ。

 で、ライ会長は現在学園の運動着。

 汗ばんで湿った彼女の胸元が凄い事になってます。

 桃色のブラが薄っすらと透けてるって意味ですよ会長。

 元からアイドル顔負けなスタイルの持ち主だし、そんな人が体のラインが出やすい体操着を着たらこうなるに決まってる。

 体育の時間に男子の劣情を煽るなんて生徒会長の風上にも置けないな?

 ちなみに胸部装甲だけで言えばヒーロー部は会長の完全なる独壇場だ。

 ヒカリや音無もいい線いってるので今後の成長に期待ですね!

 

「いま、ヒーロー部がどんな状況になっているか、きみには予想できるかい?」

「えっ。……ぁ、なんだろう。……わかんないッス」

 

 思わず彼女のおっきなお胸に吸い寄せられているところで声を掛けられたため、びっくりして肩が跳ねてしまった。

 ついでに話も聞いてなかった。

 ここ最近、ヒーロー部の少女たちのメンタルケアの甲斐あって、立ち直れてはいないものの性欲だけは元通りになりつつあるのだ。

 加えて彼女たちも異常に距離感が近いせいで、隠れ家にいる間はずっとドキドキしっぱなしだ。

 レッカは部室にいるときいつもこんな気分だったのかな。

 そしてこれを耐えていたのか。

 流石はれっちゃんだ。

 余程のロリコンじゃなければとっくに彼女たちに対して手を出している事だろう。

 ……い、いや、衣月にも手は出しちゃダメなんだけどな! 夢オチでよかったわホント。

 

「きみが姿を消して以降、レッカはずっと心ここにあらず、だ。そしてそんな彼を見て、部員の少女たちも気が気でない」

「……それは、どういう……」

「平和じゃないってことさ、今のヒーロー部は」

 

 マジで?

 あれだけやってまだ平和な日常に戻ってないの?

 俺がいなくなってようやく大団円なんじゃなかったのかよ。

 

「……アポロ。きみは少し誤解しているな」

 

 誤解……?

 

「我々にとってきみは勝手に消えていいほど軽い存在ではないんだよ。ヒーロー部の少女たちにとってレッカが必要なように、レッカにとっても親友であるアポロが必要不可欠だ」

「えぇ……」

 

 会長の深刻そうな表情から察するに、レッカが落ち込んでいるというのは俺を連れ戻すための口実ではなく紛れもない真実だ。

 マジかよ。

 れっちゃんどんだけ俺のこと好きなの。

 ……いや、必要なのはコクか?

 どちらにせよ、俺とコクが同時に消えたのはマズかったようだ。

 ヒーロー部の全員が落ち込んでるってことは、エピローグはまだ始まってすらいないという事になる。

 ラスボス倒したあとなのに。

 

「……私にとっても、きみは大切な存在だ」

 

 そうなんだ。

 いや、まぁ一応部員だもんな。

 俺の説得をしようとするなら当然出てくるフレーズだ。

 こんなどうしようもないカス野郎が相手であっても、彼女は部員やレッカの為にわざわざ気を遣って優しく接してやらないといけない。

 『部員を守る』『英雄として関わりたくない人々とも関わる』。

 両方やらなくっちゃあならないってのが『ヒーロー部のリーダー』のつらいところだな。

 さすがライ先輩、覚悟ガン決まりである。

 

「……」

「か、会長?」

「……うぅん、これは伝わってないな……」

 

 肩を落とした会長は立ち上がり、俺の方へ近づいてくる。

 あなたの覚悟ならしっかり伝わってるんだよなぁ……。

 もしかしてライ会長もレッカと同じくらい鈍感だったりするのかしら。

 属性被りは死活問題なので気をつけて欲しいところだ。

 

「……えっ、え? 会長?」

 

 なんて呑気な事を考えていたら、会長が俺の目の前に座り──抱きしめてきた。

 

「……アポロ」

「はいっ!」

 

 訳の分からないまま名前を呼ばれ、ほぼ反射的に返事の声をあげた。単にビビっただけとも言う。

 

 まて、何だこれは。

 どうして俺はいきなり抱擁されている?

 話の脈絡がないしこんないきなりやられても驚くだけってうわ待っておっぱいでっか……。

 抱きしめられてるせいで俺の胸板にマシュマロもびっくりな柔らかいナニかが押し付けられてる。

 綺麗な円球から潰れるように形を変えてて大変にセンシティブです。

 

「……」

「……っ」

 

 十秒か、一分か。

 時間の感覚が把握できなくなってしまう程に、俺の心臓は高鳴っている。

 まずい。

 非常に危ない。

 このままだと俺の心の中の息子がうまぴょいしてしまう。

 自分の親友のことが好きな美少女に抱きしめられてメンタルがズキュンドキュン。

 罪悪感とか緊張で脳のキャパシティが容量オーバーしちゃうぞ。

 ……これ、抱き返すのとかはダメだよな?

 何かしたら罪に問われるのは俺だよな!?

 こんなチキンレースは初めて……!

 

「……悪の組織でみんなが洗脳された時のこと、覚えてるかい?」

「へっ? ……え、えぇ。まぁ……」

 

 ペンダントが奪われたり仲間たちに襲われたり散々だった。

 きっと一生忘れる事のないトラウマ体験だ。

 アレめっちゃ怖かったな……。

 

「あの時、私は心が折れてしまった。君が見ていた通り、諦めたくなってしまったんだ」

 

 そういえばそうだったっけ。

 会長が『もう勝てるわけない! 足手まといな私のことは置いてけ〜!』とか何とか言ってた気がする。

 今思うとすごい光景だ。

 あんなに弱々しい会長を生で見たのは、ヒーロー部はおろか学園の全生徒を含めても俺一人だけに違いない。

 ……そう考えたらちょっと優越感湧いてきた。

 ダメだ反省しよう。

 

「そんな私を奮い立たせてくれたのは──他でもない、君だ」

 

 そ、そうなの……。

 いや俺、あの時は会長に対して『会長は頑張り過ぎだからもう戦わなくていいよ(笑)』みたいなニュアンスの事しか言わなかった気がするんだけど。

 そんな心が奮い立つようなカッコいいセリフ言ったっけ。

 

「あの場にいれば誰であっても私に対して強く、もしくは冷たく当たるだろう。そうされて当然なタイミングで私は塞ぎ込んでしまったのだから」

 

 ヒーロー部のみんななら全員優しく接してくれると思った(小学生並の感想)

 

「しかし君は私を置いていくでもなく励ますでもなく……必ず守ると、そう言ってくれたね。あのありきたりじゃない、君なりの優しさが……私の折れた心を救ってくれたんだよ」

「ぉ、大袈裟ですって……」

「それでも事実さ。あれ以来、私の中にはずっと君の言葉が残響している。守ると言ってくれた君のことを……忘れられない」

 

 えっ。

 待ってまって。

 それって……部長が俺に恋をしてる……ってコト!?(早とちり)

 

「だ、だから私は部員としてではなく、ひとりの人間として……アポロ・キィとして君に戻ってきてほしいんだ。ヒーロー部は辞めてもいいし、組織の手先だって私がやっつけるし……えぇと」

 

 パッと俺から離れて、赤面しながらしどろもどろ。

 いきなり抱擁だなんて思い切った行動をするなぁと感心していたのだが、どうやらライ会長本人も自分のやった行為がかなり恥ずかしいものだったことに気がついたらしい。

 

「……ほ、本当は君に早く立ち直ってほしくて、連れ出したんだ。……す、すまない、やはり君のことは音無や風菜に任せるべきで──」

 

 ああでも無いこうでも無いとあわあわ狼狽える会長は端的に言って普通の少女だった。

 英雄でもなくカリスマ生徒会長でもなく、言葉に詰まって緊張してしまう普通の──

 

 ……かわいい。

 途端に会長が可愛く見えてきた。

 何だよこのポンコツっぷりは……この人俺より年上だよな……?

 

「俺会長のこと好きかもしれません」

「うぇぇエッ!!? き、急に何を言い出すんだ!?」

 

 かなり弄りがいがありそうでワクワクしてきました!

 

 



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アポロとコクの脳内会議

 

 

 

 

 最近記憶に残るような夢見すぎじゃね? 

 

「そうだね」

 

 誰だお前。

 

「私」

 

 答えになってませんが。

 

「どうせ察しはついてるんでしょ。知らないフリとかしなくていいから」

 

 意味わからん……。

 

 

 ──気がつくと、俺は妙な空間で座っていた。

 

 辺りを見渡す。

 おんぼろだが見覚えのある家の内装だ。

 記憶を辿ってみれば、沖縄を目指す旅の途中で音無と衣月の二人と一緒に潜伏していた、あの田舎町の隠れ家が該当した。

 確か音無がナポリタンを作ってくれたんだったっけか。

 あの時は別に仲が良いわけでもなかったからどこか距離感があって、それを縮めるために同じ食卓を囲もうって考えたんだよな。

 

 そんな思い出の場所で、俺は何をしているのか。

 座布団の上に座り、テーブルを挟んで()()()()()と向かい合っている。

 

 水色だったり純白だったりと特徴的な髪色が多いレッカのヒロインたちと比べれば、随分と個性が薄く見える黒髪黒目の少女。

 彼女の名前は──コク。

 漆黒。

 俺が魔法のペンダントを使うことでハイパー大変身できる『この世に存在しない少女』というのが、彼女の正体だ。

 

 では何故見覚えのある部屋で、目の前にコクが座っていて、なおかつ俺の姿もアポロに戻っているのか。

 答えは簡単である。

 これが夢だからだ。

 

「また変な夢かよ……」

 

 思わず呟いてしまった。

 逃亡生活を始めてからというもの、俺は眠るたびに絶妙なラインで不快感を刺激してくるような悪夢に毎度の如く苛まれている。

 もう夢で苦しむ展開はいいから……なんて毎回考えたりはするものの、夢は拒否できないものなのでどうしようもない。

 

「悪夢じゃないよ」

「……お前が目の前にいることが既に悪夢だよ」

 

 何でTSした自分と会話しなきゃならないんだ。

 こんなの十分悪夢に該当するだろ。

 

「苦しいの?」

「え。……いや、別に苦しくはないけど」

「じゃあ悪夢じゃないでしょ」

「気持ち的な問題とかもあるし……」

 

 夢の中とは言え自分自身と会話するなんて、よっぽど精神が追い詰められてないと起こりえない事態だ。

 まあいい。

 これが明晰夢だってんなら、頬をつねれば今すぐにでも目覚められるはずだ。

 さっさと起きてしまおう。

 

「起きていいの」

「は? そりゃ起きるだろ」

「これから何をするのか、決まってる?」

「…………」

 

 コクに問われて言葉に詰まった。

 正直に言えば決まってない。

 ぶっちゃけ無計画もいいところだ。

 

 ヒーロー部を巻き込まないために一人で逃げだしたにもかかわらず彼女たちには見つかって。

 直そうと思っていたペンダントも未だに修理できておらず。

 おまけに右目も見えなくなって、ライ会長にコテンパンにされるまではPTSDも発症していた。

 俺の体はボロボロだ。

 ついでに計画もボコボコだ。

 ヒーロー部のハーレム癒しコースで徐々に回復してはいるものの、このままだと単に堕落ルートを進むだけな気もしている。

 彼女たちに頼りきりで、一人で生活する事すらままならないこの状態は、果たして()()と呼べるのだろうか。

 美少女ごっこもまともに終わらせられず、衣月との約束も果たせそうになく、逃げ続ければいいのかレッカのヒロインたちと一緒に何食わぬ顔で学園に戻った方がいいのか──何もかもが分からない。

 

 どうしよう。

 俺はこれから何をすればいいんですかね。

 

「……ていうか、お前は何なんだ。どうして夢の中で俺と話せている?」

「アポロが脳内を整理するために生み出した相談相手。要するに、あなたが考えた“妄想”でしかない。都合のいいもう一つの人格とかではないから、妙な期待はしないように」

 

 ちょっと期待してた部分が見事に打ち砕かれた。

 ……いや、ほら、ペンダントを使い続けたことで生まれたもう一つの存在とかさ。

 実は本当にコクっていう少女が封印されてたとか──そういうのじゃないのね。

 妄想。

 ただの妄想かぁ……うぅん。

 この夢の中でだけ話せる、俺が生み出した妄想の産物。

 

 それってつまり、ここにいるのは俺だけじゃな?

 こいつの姿こそコクだけど、実のところは一人で脳内会議してるだけだ。

 急に虚しくなってきたわ。

 相談相手がいなさ過ぎてついに自分自身をサンドバッグにしやがった。

 これが想像力(イマジネーション)ってやつらしい。見えた! 俺の終着駅!

 

「アポロ。まずは何から決めればいいか考えて」

「……今後の方針、かな」

 

 とりあえずでいいから指標が欲しい。

 何の目的もないまま動き続けるのは、俺の立場を考えると不可能だ。

 いろんな人間に余計な迷惑をかけてしまう。

 

「ヒーロー部の女子たちに囲まれてる今の生活……それをまずは終わりにしたい。あいつらが俺の傍にいるってことは、その間ずっとレッカが一人になってるってことだ。それじゃいつまで経っても先に進まない」

「自分が戻るかどうかはさておき、ヒーロー部は優先して帰らせたい……てことだね」

 

 そうです。

 せっかくラスボスを倒したのに一人にされてるレッカが可哀想だし、ヒロインの少女たちにも気を遣わせ続けていて、普通に居心地が悪い。

 申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 特に音無には早急に帰って普通の日常を取り戻してほしい。

 俺の旅は衣月をハッピーエンドの世界へ連れていくことが目的だったが、道中で巻き込んでしまった音無をちゃんとヒーロー部の日常に戻してあげる事も考えていた。

 

 それが出来ていたのに、また俺に付きっ切りにさせてしまったのだ。

 これでは旅を頑張った意味がない。

 

「アポロ。ひとついい?」

 

 コクが挙手をした。

 

「どうぞ」

「……そのレッカみたいな鈍感のフリするの、もうやめよう」

「…………何のことでしょうか」

 

 無表情がデフォルトのコクだが、なんだか呆れた顔をしているように見えた。

 

「いや、気づいてるでしょ。私はあなたなんだから、心の奥底で考えていることくらい知ってる」

 

 こいつ俺の相談相手とかのたまってたけど、これ明らかに説教じゃね?

 お前は俺の良心だとでもいうつもりか。

 色々と目を逸らして逃げ続けてる俺を窘めるつもりなのか。

 

「音無はヒーロー部よりアポロの方が大切だよ。恋愛的な感情はこの際考えないとして、それでもあの子にとってアポロは大切な存在ランキングで上から数えた方が早い位置にいる。それくらい察してるはず」

「……ま、待て待て。お前こそ俺なら知ってるだろ。あいつがヒーロー部で楽しそうに過ごしていた事をさ。この前だってその夢を見たばっかりだ」

 

 口では必死に否定しているものの、目の前にいるコクが自分自身なのは明らかに事実で、彼女の発言は俺が極力考えないようにしていた感情そのものだった。

 つまるところ、図星。

 音無云々の話はすべて心の中で抱いたことのある俺の思考だ。

 

「主人公じゃないんだから、そういうくだらない鈍感ムーブは要らなくない? それともこの旅で物語の主人公にでもなったつもりだった?」

 

 これは俺が自分自身を責め立てているに過ぎない。

 わざわざコクの姿を駆り出してこうしなければならないほど、俺はどうしようもない状態になっていたのだ。

 

「ライ会長も音無も衣月も、みんな本気でアポロの事を想ってる。……風菜はわかんないけど」

 

 風菜の感情は俺も分からない。

 彼女は女の子が好きで、なおかつコクの事が好きだったのだから、その正体が俺だったとしても『じゃあアポロを好きになります』とはならないはずだ。

 ゆえに風菜に関しては考えても分からないので、そもそも思考しないものとする。今はそんなこと考えてる場合でもない。

 

「知らないフリを続けるの、そんなに楽しい? 自分もレッカみたいに鈍感主人公になれたと感じられて、ついついやめられなかった?」

「……そ、そうです」

 

 彼女の言葉は俺の思考だ。

 的外れな発言など一つもない。

 認めるしかない。

 何よりも俺自身が考えていた事なのだから。

 

 知ってる。

 分かっているんだ。

 ラノベ主人公ムーブをしている少年を、まるで物語を読むかのように遠くからずっと眺めていたのだから、彼ら彼女らの感情の機微には気がつかないハズがない。

 アイツ俺のこと好きなんじゃね? とかいう中学生みたいな思い違いを否定したい気持ちはあるものの、何をどう考えても衣月と音無は俺のこと好きだろう。

 会長や風菜に関してはまだ本当に断定できる段階じゃないから決めつけるのは不可能だが、前述の二人に関しては確定だ。

 

 抜いてあげましょうか発言や一緒に罪を背負う発言などから、あまりにも献身的すぎてそれはもうヒーロー特有の奉仕精神じゃなくて、音無本人の感情だろってことは分かりきっている。

 衣月の結婚宣言は流石に気が早すぎるだけだと思うが、俺への感情は気の迷いなどではない。……はず。

 俺は主人公じゃないのだ。

 鈍感でもないんだしそれぐらい気がつくに決まってるではないか。

 コクの言う通り『見て見ぬフリ』を続けていただけだ。

 

「それが分かるのなら、レッカの気持ちも察せるよね」

「……まぁ、そうだな」

 

 何が一番アイツの為になるのかは分からないが、とりあえずレッカが喜ぶような事は把握している。

 

「男に戻って親友としてあいつのもとに帰るか、もしくは完全にコクになってレッカのヒロインになる。あいつのメンタルが回復しそうなことと言えばこんな感じか」

「でもヒロインになるってことはメス堕ちさせられるってことだし、アポロには戻れなくなる。逆に親友として戻ったら、『コクは死んだ』とか言わない限り、今まで通りの中途半端な美少女ごっこを続けることになるね」

「……問題だらけだな」

 

 やっぱりむつかしい。

 消去法で行くと、多分一番無難なやり方は、アポロとして生活しつつたまにレッカの前でコクに変身してあげることだ。

 しかしそれはエピローグでやる事ではないだろう。

 またダラダラと美少女ごっこを続けるだけでは()()()()()

 

 なによりこのままだと誰も俺を止めてくれない。

 俺を止められるのはただ一人、俺だ! と開き直る事が出来ればどれだけ良かったことか。

 俺は自分を止められない。

 だから音無やレッカに期待して美少女ごっこを続けていたのだが、おやおやちょっと待て。

 誰も止めてくれないぞ? 

 おかしいね。

 物語の結末は俺が決めたいところだがそうは問屋が卸さない。

 美少女ごっこを続けるにはコクが大罪人になりすぎているし、真実を告げようにもレッカはそれを信じようとしない。

 ……詰んでるじゃん。

 

「身から出た錆だよアポロ。今まで人を欺いてきたあなたへの罰だね。いんがおほ~」

 

 コクが無表情のままからかってきやがる。

 いや待て。

 ここまでやって俺はまだ自分の罪を清算できていないのか。

 

「聞けよコク。半ば無理やり巻き込まれた衣月騒動を解決して、アイツのことはしっかり最後まで守り通した。それに悪の組織の親玉をやっつけて再建できなくさせた。世界を救ったんだ。おまけに組織の残党の狙いも全て俺に集中させて衣月やヒーロー部を庇いつつ、人殺しの汚名を被って世界中の敵になって、右目も失明してPTSD発症するくらい一人で孤独に戦い続けたんだぞ? ……ま、まだ足りないってのか?」

 

 怖くなってきた。

 

「レッカには謝りながら真実も告げただろ? でも信じて貰えなかった……これ以上何をどうしろってんですか」

「いや、そもそもアポロが勝手に美少女ごっこを始めたのが原因だし」

 

 ぐうの音も出なかった。

 全部私のせいだアッハッハ!

 あまりにも因果応報すぎて涙が出てきた。何やってんだろ俺。

 

 俺が衣月を拾わなかった場合はレッカがロリコンパワー全開で衣月をモノにして世界を救う、というのが衣月本人が予知した未来だ。

 結局俺が何もしなくても世界は救われていた。

 ヒーロー部の誰かが死ぬことになるとか言っていたけど、レッカならどうせ『ヒーロー部の運命(さだめ)は僕が決める!』とかカッコよく言い放って未来も変えられてたでしょ。あいつ主人公だし。

 

 つまり俺の頑張りはすべて俺自身の尻拭いでしかなかった──という事だ。

 世界のことなら最初からレッカに任せときゃよかったのである。Q.E.D。

 

「で、結局アポロはどうするの? わしわし」

 

 後ろから俺に抱き着いて髪を触ったり耳たぶを引っ張って遊びながら、コクが一番大切な事を質問してきた。

 えぇい触るな気色悪い。

 何が悲しくて自分自身に遊ばれなきゃならんのだ。

 

「……まずはペンダントを修理して男に戻れるようにする。それから一旦学園に帰るよ。アポロの姿なら逃亡生活をする必要もない」

「じゃあその後は」

 

 俺の膝の上に座って知恵の輪で遊び始めるコク。

 こいつ俺のくせに自由すぎない?

 ……いや、よく考えたら俺って自由な人間だわ。

 いらない持たない、常にフリーな状態。

 

「予定はない」

「行き当たりばったりだね」

 

 明日はいつだって白紙(ブランク)なのだ。

 その場その場のアドリブで窮地を乗り切ってきたこの俺が、今更らしくもなく綿密な計画を立てようとしたって上手くいくわけがない。

 とりあえずの目標があればそれで何とかなると思う。

 

「誰かに止めてもらうまで美少女ごっこを続ける。色々な人たちと触れ合う内に、いつの間にか自分が主人公なのかもって錯覚してたけど、俺の当初の目的はそれだったんだから」

 

 原点回帰ってやつである。

 たとえ俺の秘密を知っていたり勘違いをしていたとしても、音無やレッカなら俺を止めてくれるはずだ。

 彼ら彼女らに……ヒーローの資格があるなら……!

 何とか頑張って止めてください。

 俺はもう自分を偽らないからさ。

 気の向くままに行動する初期のポッキーに戻ることとするぜ。

 その欲望、解放しろ。

 

「ヒーロー部の皆から聞いた限りでは、俺の逃亡期間は三か月だった」

 

 長いのか短いのかよく分からない中途半端な期間だ。

 実に俺らしい。

 

「計算すると、あと二ヵ月後には修学旅行がある。なるべくその一大イベントで美少女ごっこを“継続”するのか“終了”するのか確定させたい……ってところだな」

「……修学旅行に行きたかっただけでしょ、アポロ」

 

 流石は俺。考えていることが筒抜けだ。

 俺がお前でお前が俺って感じだな。ポッキーブラザーズXX。

 ウィーアー!

 

「でも、やりたいことが決まったのならよかった。頑張ってね」

「おうともさ」

 

 何とか頭の中を整理する事が出来た。

 まずは修学旅行に向けてペンダントの修理だ。

 心が躍るな!

 

「ほっぺをつねれば夢から覚めるよ。またこんなところに落ちてこないよう、上手く立ち回ってね、アポロ」

「あぁ、任せろ。それじゃあな、コク」

 

 別れの挨拶と共に頬を引っ張ると、急速に視界が暗くなっていく。

 その中で僅かに彼女の声だけが俺の頭の中に響いてきた。

 

 

「いってらっしゃい」

 

 

 イテキマー。

 

 ただの夢のはずだったのに。

 ただの妄想のはずだったのに、何故か心地よい安心感と自信、そして当初の目的意識を()()から受け取る事の出来た俺は、ようやく現実世界へと帰還するのであった。

 

 



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ポッキー死す

デュエルスタンバイ!


 

 

 ──おっと、いきなり視界が真っ赤だぞ。

 

 

「紀依。……紀依お願い、返事をして……っ」

 

 どうやら俺は仰向けの体勢で寝転がっているようで、その傍らには一人の少女がいる。

 声からして恐らく衣月だ。

 ぼやけていてよく見えないが、彼女が俺の顔を覗き込んでいるであろう事は分かった。

 

「コオリは氷魔法で傷口を塞げ! ヒカリは私と一緒に彼へ魔力の供給を──オトナシ! 二階からAEDを持ってきてくれ!」

 

 近くでライ会長の鋭い指示の声が響いている。

 ほとんど機能していない視覚に反して聴覚は正常であるらしく、周囲の慌ただしい雰囲気が音を通してハッキリと伝わって来た。

 

 

 ……はて。

 何だろう、この状況は。

 俺自身が仰向けに倒れているという、それ以上の情報が何もつかめない。

 

 恐らくは後頭部を強打してしまったのか、頭の中で記憶がグルグルしている。

 これじゃ何もできない。

 混濁する意識の中で、俺は今この瞬間までにいったい何をしてきたのか、回想するような感じで思い出していくことにしたのであった。

 

 ぽわんぽわんぽわわ~ん。

 

 

 

 ……

 

 …………

 

 

 

 夢の中でもう一人の自分に鼓舞されたその日の早朝のこと。

 

 さてペンダントの修理に取り掛かろうと思いながら顔を洗っていると、突然隠れ家付近の上空にジェット機が襲来した。 

 そんなご大層な乗り物でお迎えに来てくれるなんて聞いていなかった俺は慌てふためいていたのだが、直後にヒーロー部の皆も焦った様子で隠れ家から出てきた。

 どうやら彼女たちにとってもこれは予想外の出来事だったらしい。

 

 そんな動揺する俺たちの前で、ジェット機から姿を現したのは、赤色の短髪が特徴的な若い男性だった。

 長身に合うスーツをビシッと着こなすその青年はレッカによく似ていて、その既視感に答えるかのように彼は俺たちに自己紹介を行った。

 

 グレン・ファイア。

 彼の名乗った名前に俺たちはざわついた。

 その名前から察せられた通り、俺たちの前に現れた青年は、我らがヒーロー部のエースであるレッカ・ファイアの肉親であったようだ。

 三歳年上の兄がいる──というのは以前レッカ本人から聞いていたが、直接会うのは初めてだった。

 あまり自分の家族のことは話したがらないレッカが唯一詳しく教えてくれた人物でもある。

 

 レッカの家はかつて世界を救った勇者の血を引く一族で、中でもファイア家は特に血筋が薄く、魔法の力にも乏しいという事で他の一族から敬遠され侮蔑の眼差しを向けられていたらしい。

 父も母もそんな状況の影響で実力主義な考え方が強くなっていって、そんな環境下で育っていった結果誕生してしまったのが、まるで中世の貴族かの様に高慢な振る舞いをするようになった兄なんだ、と。

 

 確かこんな感じだった気がする。

 平たく言えば性格の悪いお兄ちゃんってことだ。

 親友から聞いた話を鵜呑みにするのであれば、レッカの家族はかなり偏った価値観をお持ちの方々という事になる──のだが。

 

 俺たちの前に現れたレッカのお兄ちゃんことグレンは、何だかずっとばつの悪い顔をしていて、話に聞いたような高慢な態度を取る人物ではなかった。

 それはレッカが嘘を言っていたわけではなく、どうやら彼が反省した結果だったようだ。

 今まで落ちこぼれだと見下していた弟は世界を救った勇者になり、反して自分は何もできず洗脳されて魔王復活の手伝いをしていただけの脇役(モブ)だった、と自嘲気味にグレンは語った。

 どうしようもないプライドの塊だった自分がいまさら都合よく手のひらを返して、弟に対して家族の様に振る舞うことはできない──ゆえにこうして陰からサポートすることにしたのだ、と。

 良くも悪くもストイックな人物だ。

 根底にある実力主義が変わっていないのは確かで、レッカを支える気になったのも、彼が世界を救ったという実績を手にしたからなのだろう。

 逆に言えば、そういう特殊な考え方をする兄に認められるほど、レッカが成長したとも捉えられる。

 

 ぶっちゃけレッカんちのお家事情など知った事ではないのだが、多少なりとも家族同士の確執が薄まったこと自体は良かったと思う。

 ヒーロー部の旅でのレッカの頑張りも決して無駄ではなかったのだ。

 よかったね親友。

 

 

 で、肝心のグレンが自家用ジェット機を使ってまで俺たちの迎えに来たその理由は──言うまでもなくレッカのピンチだからだった。

 ヒーロー部が計画していたアポロくん療養の帰宅旅や、俺のペンダントの修理も後回しにするほどの重大な出来事が起きている、とのことで。

 

 まぁそうだよな、と思いながらヒーロー部全員で搭乗し、いざレッカの待つ魔法学園へ向けて出発。

 俺の両親も船で日本に向かっていることを電話で知りつつ、少しだけ嫌な予感を覚えながら身構えていると、ほんの数時間で学園の上空まで到着してしまった。

 結局俺がどこの国にいたのかは分からず終いだったが、そんなことを気にしている場合ではないと荷物をまとめ始めた──その時、緊急事態が発生した。

 

 地上でレッカと戦っている何者かの能力『重力操作』によってジェット機が故障し、俺たちは帰国早々にして人生初のスカイダイビングを決行する事に。

 災難な目に遭いながら、どうにかこうにか地上に無事到着して、ヒーロー部の面々はようやく事態の概要を知る事となったのだった。

 

 

 群青──という少年がいた。

 

 彼は悪の組織に拉致された人間の一人であり、かつて『純白』と呼ばれていた藤宮衣月と同じく、組織が世界を牛耳る為に必要な計画の駒だったらしい。

 その群青くんが魔法学園の校庭に現れて、俺たちの目の前でレッカと戦っていたのだ。

 

 純白だの群青だの、悪の組織のネーミングセンスって単調だよな。

 あいつら国語辞典から名前決めてそうだ。 

 ちなみに漆黒はいないらしい。被ってなくてよかった……。

 はいどうでもいい話終わり。

 

 群青はいなくなった衣月の代わりに特殊な改造を受けさせられた実験体で、あの全世界洗脳装置の一部にされていた少年だ。

 確かレッカがあの装置を破壊した後に、中から気絶した誰かを助けていたのは見ていたが、そのあとに警視監の男を追ったり巨大魔王が出てきたりとかした影響で彼に関心を向けることは終ぞなかったな。

 それどころじゃなかったし、あんなやついたんだ、ってレベルだ。

 グレンから聞いてようやく知った。

 

 年端もいかない──というか衣月とほぼ同年代の少年である群青だが、彼は衣月の空いた穴を埋めるために必要以上の改造を組織に施されてしまったらしく、能力や魔法の強さが桁外れになっている。

 そのせいでレッカも苦戦中だ。

 正直めっちゃ強い。

 

 組織が壊滅しリミッターも無くなって自由になった群青くんが求めたのは、自分と同じく悪の組織に幽閉されていた実験体である『純白』だった。

 「自分の気持ちを理解できるのは同じ境遇だった純白だけ。

 オレは純白と一緒に二人で生きていくんだ」というのが彼の目的だ。

 

 そんな思いを胸に秘めながら彷徨っていた群青が、やっとの思いで見つけた純白は、見知らぬ男と仲良さげにお話をしていて。

 純白を奪われた(そもそも彼の物でもないが)と勘違いしてキレ散らかした群青が純白(衣月)を取り戻すために、レッカを襲撃したのがこの事件の発端だったようだ。

 

 ……うん。

 なんつー勘違いの連鎖なんだろうね。

 そもそも群青くんの命を救ったのは他でもないレッカだ。

 気絶していて知らなかったとはいえ、まさか自分の命の恩人を殺しにかかっているとは思うまい。

 戦闘中の興奮状態じゃその事実を伝えても信じないだろうな。

 

 なにやら群青はレッカたちヒーロー部が倒した魔王の力の一部も無意識に吸収していたらしく、勇者の力に覚醒したあの時の力が使えない今のレッカでは少し厳しいところがある。

 おまけに傍にいる衣月を守りながらの戦いで、なおかつ相手が怪人ではなく人間だから本気を出せないとなれば、防戦一方もやむなしだ。

 そのため他のヒーロー部の力が必要になり、レッカのお兄ちゃんであるグレンは俺たちを連れ戻しにきた──といった感じで繋がってくるわけだな。

 

 

 群青くんは確かに強い。

 だが流石に全員揃ったヒーロー部の方には敵わない。

 

 その実力差を肌で感じ取ったのか、群青は彼女たちが参戦する前に高濃度のエネルギービームを、レッカに向けて発射した。

 彼はレッカのヒロインたちを見た途端に、短期決戦にしようと考えたのだろう。

 衣月の守りの要である人物を倒せば、あとは本人を攫うだけでいい。

 わざわざ真正面から全員と戦う必要はない──なんて。

 

 そんな彼の短絡的な、焦りから来る行動は大きなミスを齎した。

 あまりにも強すぎるビームは、あのレッカといえど衣月を守りながらでは簡単に防ぎきれるものではない。

 その為レッカは巨大な炎の盾でギリギリ防ぎつつ、衣月を離れた場所に避難させようとした。

 結果、群青は逃げていく衣月に気を取られて、自分が放っているビームのコントロールが疎かになってしまったのだ。

 

 ビームの方向がズレて、レッカの炎の盾にぶつかっていた()()が、まるで光の屈折の様に反射して別方向へ飛んでいった。

 

 そのビームの先には──衣月。

 

 群青が咄嗟にエネルギーの放出を止めようと、既に発射されたビームは消えることなく、衣月に向かって飛んでいく。

 炎の盾で視界が奪われているレッカでは間に合わない。

 彼女を助けられるのは、つい先ほど現場に到着したばかりのヒーロー部しかいない。

 だがこの状況は俺たちがスカイダイビングで魔法学園に着地してから、たった数分間の出来事だ。

 走って助けが間に合う位置にみんなはいない。

 なんとか目で今の状況を理解するのがやっとな状態だ。

 

 そういった複雑な状況が錯綜する中で、衣月の身の危険に対してほぼ反射的に、もはや本能とも言えるレベルで即座に反応が出来たのは、この俺をおいて他にはいなかった。

 

 咄嗟に風魔法による突風で自分の体を勢いよく吹っ飛ばし、衣月を付近の砂場に突き飛ばした──その結果。

 

 

 彼女を庇った俺の胸部を、細長いビームが貫通したのであった。

 

 

 ちゃんと思い出せましたね?

 はいでは現在に戻ります。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「ぁ゛……がっ」

 

 それでこの 瀕 死 の 状 態。

 

 うわ、うわぁ。

 ようやっと記憶が戻ったわ。思い……だした!

 何かすげぇ急展開といきなり湧いて出てきた新キャラのおかげでこうなったんだった。

 ひどい話だ。

 真面目に泣きたくなってきた。

 

 まさかヒーロー部のメンバーとのんびり旅をしながら帰るでもなく、ペンダントを修理して男に戻るわけでもなく、急に学園に向かってほんの数分で致命傷を負うとは。

 即落ち二コマかな?

 今朝コクに『いってらっしゃい』って壮大に送り出されたばっかりなんですけど。

 あれ()ってらっしゃいって事だったの?

 アイツもう一人の俺とかじゃなくてただの死神じゃねぇか。

 くっそ会わなきゃよかった……。

 

「紀依、紀依……っ」

 

 あぁ衣月ちゃん肩揺らさないで。

 頭グワングワンになってるから。

 下手するとマジで一瞬にして意識飛ぶから。

 

「ぶ、部長、アポロ君の血が止まりません……っ」

「コオリ、狼狽えてしまっては元も子もない。とにかく氷魔法で傷口を塞いでくれ。きみの魔法なら凍傷させることなく止血できるはずだ」

「むっ、無理です……! これっ、下手したらアポロ君の血液も凍らせちゃうかも──」

 

 ようやく理解できた。

 これ俺がヒーロー部のみんなに応急処置してもらってんだ。

 たぶん肺とかそこら辺を思いっきりぶち抜かれてるから、今ここでうまく応急処置しないと即死するって事なんだろうな。

 フリーザに負けたベジータの気持ちが今になってようやく分かる。

 ほとんど息ができない。

 これめっちゃ苦しいわね。

 例えるならず~っと首の根元を手で絞めつけられてる感覚だ。

 

「……ち、違うんだ純白。オレはきみを悲しませるつもりは」

「アンタは黙ってなさいッ!!」

 

 なんかどんがらがっしゃーんって激しい音が聞こえてきた。

 今のはカゼコの声だ。

 恐らく戦意喪失した群青を彼女が風魔法でぶっ飛ばしたのだろう。南無。

 

「コオリさん落ち着いてください、わたくしもコントロールをお手伝いしますから……」

「ひ、ヒカリ……ぅ、うん、やってみる……」

 

 熱い友情のやり取りをすぐ傍で感じる。ほんとアンタたち仲いいわね。

 

 

 ……さて、どうしたもんかな。

 

 ぶっちゃけ俺に出来ることは何もない。

 衣月を無事に庇えたのは何よりだが、おそらくこのままだと俺は死ぬ。

 人間不思議なもので、こうして死にかけると意外にも冷静になってしまうらしい。

 ドーパミンだかアドレナリンだかよく分からんが痛みはほとんどないし、視界こそぼやけてよく見えないものの意識自体はハッキリしている。

 

 みんなの声が良く聞こえる。

 

「AED持ってきました! このままやらせてください!」

 

 愛しの後輩こと音無の声だ。

 どうやら忍者というのは緊急救命装置の取り扱いにも長けているらしい。

 流石ニンジャである。にんにん。

 

「大丈夫ですからね先輩……絶対、ぜったい死なせたりなんかしませんから……っ」

 

 感動だ。

 お前は良い子に育ったなぁ、感慨深いよ。

 

「──そ、そうです! 魔法学園の第一校舎前の校庭! ……はい、はいっ、お願いします!」

 

 風菜は救急車を呼んでくれたようだ。

 そのあとすぐさま俺のもとへ駆け寄り、ヒカリやライ会長と同じく俺の手を握って、自らの魔力を俺に注ぎ始めた。

 

 魔力は生命力の源とも言われていて、とりあえず外でぶっ倒れた人を見つけたら魔力供給をしてあげましょう──というのは授業で聞いたことがある。

 大怪我を負った人間は魔力のほとんどを生命維持に使うため、体が弱れば魔力は減っていく一方だ。

  魔法学園の生徒なら誰でもやれる救命方法であり、なおかつ効果的なものがこの魔力供給なのだろう。

 

「コクさん、しっかり……あたしが付いてますから……!」

 

 そう言いながら俺の手を強く握る風菜。

 ……あ、なるほど。

 この土壇場でコクの名前が出てくるあたり、やっぱり風菜は彼女への気持ちを諦めてはいなかったんだな。

 確かにコクとしての振る舞いは男とは思えないくらいの演技だったし、本気にしてしまってもしょうがない。

 あれは演技ではなく俺の中には本当に『コク』という少女がいるのだと、風菜はそう考えているのだろう。レッカと同じだ。

 

「先輩、先輩──ぃ、息してない……!」

 

 音無が焦燥に駆られた声音で呟いた。

 傷ついた内臓や傷口はたぶんコオリが何とか誤魔化してくれているのだろうが、それではどうにもならない程に肉体が弱っているのかもしれない。

 情けないなポッキー。貧弱貧弱。

 この際だから何度か人工呼吸をされていることは気にしないが、これも口づけだと判断するのであれば、俺のファーストキスは音無ということになる。なんかごめんね……。

 単なる医療行為なのにこういう考え方になってしまうあたり、俺の脳内は大概お花畑なんだろう。

 

「……場所をあけて、音無」

「れ、レッカさん……?」

 

 うおおおい! まさかレッカも人工呼吸すんの!?

 ……いやまぁ、コクの姿だし問題ないか。

 そもそも医療行為だしな、うん。

 

「僕の体内の炎を直接ポッキーの魔力と繋げる。勇者の力なら生命維持の効力も大きいはずだ」

 

 え、それ大丈夫? 俺の体が燃えたりしない?

 ちょっと怖いんだけど──あっ、意外とあったかい……。

 温泉に浸かってる気分だ。ちょっと気持ちいい。

 どうやらレッカの額と俺のおでこをくっつけてるようで、この態勢だと人工呼吸はできないものの、それよりも効力のありそうな応急処置になっているから大丈夫そうだ。

 

 

 まぁ、そもそも俺がもう限界なんだけども。

 

「っ!? ポッキーッ!!」

「せっ、先輩、ダメです先輩……息をして……っ!」

 

 ごめんなんだけど、身体が言う事をきかないんすよね。

 呼吸したいところなんだけど、喉に何か詰まってる感覚がさっきからずっと続いてるんだわ。

 こりゃダメかも分からんね。

 

「いやっ、死なないで、紀依──」

 

 

 ……おっと、遂に声も聞こえなくなっちゃったな。

 

 いよいよ死ぬか。

 てかこんな唐突に死ぬことある? と言いたいところだが、これまでいつ死んでもおかしくないような旅をしてたんだった。

 世界中が洗脳されたり、四六時中命を狙われたり、よく考えたらめっちゃハードモードだったじゃん。

 むしろ今までよく生き残れたと褒めてやりたいところだ。えらい!

 

 潮時だとは思っていたんだ。

 

 もし俺の所業のすべてを知っている人間がいたとして──もし、贖罪の機会が訪れたとして。

 俺はどうやったらこれまでの罪を償えるんだろうって考えていた。

 世界を救っても、男の体を捨てても、右目を失って命を狙われ続けても足りないのなら、あとは何をしたらいいんだろう、って。

 

 ……いや、そんなのもう死ぬしかなくね?

 

 払えるモン払いきったんだから最後は命でしょ。

 ずっと前から考えていた。

 また美少女ごっこを続けたりとか、修学旅行に行きたいだなんて考えが甘すぎた。

 結局れっちゃんと衣月にもう一度謝る事は出来なかったが、因果応報と考えればしょうがない。

 すべての罪が罰となって返って来たんだ。

 最後に一言も遺言を発せず、両親とも会えなかったのなら罰としては上等だろう。

 誰かを守って死ねたのなら俺の人生にも意味はあったと思う。

 まあデスノート使ったら天国にも地獄にも行けないらしいし、いろんな人たちに迷惑かけ続けてきた俺も、きっと良いところへは向かわないんだろうな。

 

 願わくばなるべく異世界転生はしないでこのまま死ねますように。

 

 

 

 

 

 

「……アポロ、戻ってくるの早すぎない?」

「ごめんて」

 

 気が付けば、なんだか見覚えのあるボロい家の中で。

 俺は再び──コクと向かい合って座っていた。

 彼女からすれば一日経たずに俺が戻って来たはずなので、たぶん呆れてる。

 

「……コク。もしかして俺、これから異世界転生する?」

「いやしないと思うけど……」

 

 見覚えのある不思議な夢空間に来たことで、たぶん自分が死んでいないんだろうなという事を察しつつ、俺は目の前にあったお茶を手に取るのであった。

 

 



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眠り姫は似合わない

裏の麦ティーで検索を掛けたらなにか出てきたり出てこなかったりするかもです


『辛うじて一命は取り留めました。……ですが意識が戻るかは、何とも……』

 

 

 執刀してくれた医師からその言葉を聞いて、もう二週間が経過しようとしている。

 私は一人、重い足取りで病院の廊下を歩いていた。

 

 とても優秀で、尚且つ真摯な先生だった。

 誰もが助からないと考えてしまう程の絶望的な状態から、見事に先輩の命を繋ぎとめてくれたのだ。

 感謝してもし足りない。

 回復の見込みが薄い事もハッキリと伝えてくれて、少なくとも病院側が間違いなく全力を尽くしてくれた事は誰もが理解できた。

 

 同時に、これ以上はどうしようもない──そんな事実が浮き彫りになってくる。

 

 ヒーロー部による応急処置は、完璧ではなくとも最善は尽くしていた。

 間違ってもあの場にいた皆を責めることなど出来るはずもない。

 藤宮衣月(純白)が凶弾に倒れることはなく、また彼女を庇った紀依太陽(アポロ・キィ)が命を落とすこともなかった。

 あの群青という少年が齎した今回の事件は、幸いにも死者を出す結果には至らなかったのだ。

 

 先輩のおかげで最悪は免れた。

 その代わりに、ヒーロー部にとっての最悪が訪れた。

 

「……おはようございます、先輩」

 

 病室の戸を開けると、そこには大きなベッドで仰向けに眠っているアポロ・キィの姿があった。

 先輩。

 アポロ先輩。 

 彼はいつの間にか私の中で一番大きな存在になっていた。

 傍で支えてあげなければならないと、そう考えてしまう程に、放っておけない人になっていた。

 しかし彼はいつの間にか私の前から姿を消して。

 またいつの間にか──遠くに行ってしまった。

 本当にはた迷惑な先輩だ。

 

「寝心地はどうですか? こーんなに大きくて立派な個室で眠ってられるのは、ヒカリ先輩のご協力あっての事なんですからね。後でしっかりお礼を言わないと」

 

 無駄にだだっ広くて設備が豪華な病室を眺めながら、窓を開けて空気を換気する。

 使っているベッドはかなり大きくて、未だにコクの姿な先輩の体では結構スペースが空いていた。

 大企業の令嬢であるヒカリ先輩のおかげでこの大きな病室へ移動できたわけだが、正直一般人が入院する様な部屋ではないように思う。

 例えるなら学校の教室一個分だ。

 テレビは何だか横に長いし、ソファなんて三つもある。病室なのに。

 先輩は起きたときにこの部屋を見てどんなリアクションをするのだろうか。

 そこだけは少し楽しみだ。

 

「ふぅ……いやー、今日の依頼も大変でしたよ。まさかいまどき家出した飼い猫探しなんて……靴も少し汚れちゃったな」

 

 ベッド横の椅子に腰かけ、カバンを床に置いて一息ついた。

 先ほどの言葉通り、今日はヒーロー部の活動を行ってからここに来たのだ。

 午前授業だった事もあり、今日は早めに病院へ向かえるなぁ、なんて考えていたところで舞い込んできた依頼だった。

 部長曰く『こんな時こそ普段通りに』とのことで、ヒーロー部は一週間前から活動を再開している。

 ゆえにそんなありきたりな、市民のヒーロー部に相応しい平和な依頼が届いたというわけだ。

 先輩の事だから、きっと自分のせいで部が停止していたら責任を感じてしまうに違いない。

 だからこそ彼がいつでも戻ってこられるように、私たちは普通の学園生活を続けていく事に決めたのだ。

 

「あ、そうそう、レッカさんから聞いたんですけど……修学旅行の班決め、そろそろ始まっちゃうらしいですよ。早く起きないとマズいっすね、先輩?」

 

 返事は無い。

 それもそうだ、彼は眠っているのだから。

 しかし、それに構わずこの病室に来る人間の多くは先輩に対してたくさん語り掛ける傾向にある。

 意外とみんなお喋りだ。

 他のメンバーに比べれば、私は話の話題が少ないかもしれない。

 先輩に聞かせたい話、実はもっとあるんだけどな。

 

「これ、お花持ってきました。生花は病室に持ってきちゃダメらしいんで、プリザーブドフラワーってやつです。いわゆるドライフラワーですね……ふふん、綺麗でしょ」

 

 病室の花瓶に花を飾りながら語り掛けても、望むような言葉が返ってくることはない。

 心の中で虚しさが湧いた。

 分かってはいたものの、やはり慣れるようなものではないらしい。

 再び彼の横に座り話しかける。

 最近やる事と言えばこれくらいしかないのだ。

 

「……知ってます? あと一時間くらいしたら衣月ちゃんが来ますよ」

 

 彼女は三ヵ月前から小学校へ通い始めている。

 元々要領がよく勉強に関してもヒーロー部の面々が世話をしてくれているため、学習面での遅れも早い段階で取り戻すことができた。

 学校生活も大方問題なく、クラスメイトや同級生たちとも上手くやっている。

 

「衣月ちゃん、ようやく友達ができたんですよ。結構遊びに行くようにもなって、もうすっかり普通の女の子って感じです」

 

 だが、これは二週間前の──先輩が倒れる前までの話だ。

 

「言いたい事わかりますか、あほ先輩。衣月ちゃんってば最近放課後は毎日のように病院へ来てるんです。遊びにも行かないで、誘われても断って、一直線に先輩のもとへ駆けつけてるんですよ。はぁ……まったく、なんてタイミングで入院しちゃってるんですか」

 

 少しだけ嫌味を言ってやった。

 彼ならなんて返すだろうか。

 そうだな──『マジ? 責任取って明日退院するわ』……とか?

 わかんないや。

 答え、教えてくれないかな。

 

「みーんな待ってるんですから、早く戻ってきてくださいね」

 

 事実だ。

 ヒーロー部も、彼の家族も、私だって待っている。

 ずっと待っている。

 回復は絶望的だと言われても、この先永遠に植物人間なんだと決めつけられても、諦めることなく待ち続けている。

 

 

 氷織先輩は、私を休日によく遊びに誘ってくれるようになった。

 カゼコ先輩は、一緒にお昼を食べる機会が多くなった。

 風菜先輩は、ヒーロー部の依頼の担当を代わってくれる回数が多くなった。

 ヒカリ先輩は、衣月ちゃんの登下校にいつも付き添ってくれている。

 ライ部長はいつも通り、たくさんの仕事をそつなくこなしながら、私や部員のみんなをサポートしてくれている。

 

 先輩が再起不能の状態に陥って、みんなきっと私の精神状態を危惧したのだろう。

 自分たちも辛い思いをしているにも関わらず、後輩の為に明るく振る舞ってみせる彼女たちを目の当たりにして、私は改めてあの人たちが”先輩”なのだと実感することができた。

 

 ……うん。

 確かに気持ちは嬉しいのだが、流石にそこまでしてもらわなくても私は大丈夫だ。

 衣月ちゃんがいる手前、自分だけ年下ぶって甘えるわけにもいかないし。

 むしろ私の目が無いところでひっそり泣いたりしてるヒカリ先輩とかの方が心配である。

 

「……こういう時に泣ける人と、泣かないようにやせ我慢する人って、どっちの方が強いんですかね?」

 

 この人の為を想って涙を流せる先輩方は、本当に優しい人たちだ。

 実は結構危ない行動もしてた人なんだけどな……沖縄での夜にレッカさんへ迫ったときとか。

 まぁ、それを差し引いても功績が大きすぎるから、結果的にはプラスなのかもしれない。

 

 先輩はきっと──そうは思っていないのだろうが。

 

「ねぇ。罪の清算が出来たとか、これでやっと償えたんだとか、そんな事考えてません?」

 

 衣月がここへ訪れる前に言っておきたいことがあった。

 これは自分の心を整理するための行動だ。

 

「バカなんですか先輩。さんっざん人に迷惑を掛けておいて、命をかけて人を救ったんだからそれでチャラ──なんて単純な話じゃありませんよ」

 

 ピクリとも動かない彼の手をそっと握りながら、静かな病室で滔々と話していく。

 たとえ彼には聞こえていないのだともしても。

 

「みんなは先輩の事すっごく評価してますけど、先輩は逆に自分を過小評価しすぎてて……何で、こう、極端なんですかね。それで納得しちゃダメですよ。まだ何も解決してません」

 

 先輩は衣月との約束を現在進行形で反故にしている。

 

「互いの認識の擦り合わせをして、尚且つ衣月ちゃんとの約束も果たさないと、先輩は許されませんから。生きて、起きてやらないといけない事が山積みなんです。寝てる暇なんてないんですからね?」

 

 先輩はとても大きな、偉業とも呼べることを成し遂げた。

 それ故にきっと周囲は彼を褒めそやし、優しく接することだろう。

 自己犠牲の塊というか、ヒーロー然とした今までの行動は確かに称賛されて然るべきだ。

 

 だから私だけは彼に対して厳しく当たろうと思っている。

 調子に乗らないように。

 自分を見失わせない為に。

 まるで物語の主人公の様に誰もから褒められるような英雄的存在ではなく、また多くの自己犠牲を以てしても許されないような咎人でもなく、普通の日常を普通に送っていい“普通の人間”なんだと、教えてあげるために。

 そんな事が出来る人間はきっと多くはないし、彼の真実に気づいている者も数少ないから、これはきっと私にしかできないことなのだ。

 

 勘違いさせたままになんてしない。

 事実として立派なことはしたのだろうが、何の相談もなく一人で背負い込んで、私たちの前から姿を消した事も許さない。

 先輩がどんな人間なのか、彼の口から直接ヒーロー部のメンバーに話させてやる。

 みんなを心配させた罪は重いのだ。

 

「……だから、起きてくださいよ、先輩」

 

 たくさん叱ってやりたかった。

 それの百倍褒めてあげたかった。

 逃亡生活で打ちのめされた彼の精神が元通りになったら、私もまた元通りの接し方をしたいと考えていた。

 また一緒に食事の席を囲んで。

 また一緒に衣月ちゃんと三人で。

 また、一緒に。

 

 

「っ……ダメだな、私も泣き虫だ……」

 

 ──頭の中で何度都合のいい理由を考えただろうか。

 誤魔化しが利くような言い訳を何回ほど口にしたのだろうか。

 それらは嘘ではない。

 嘘ではない、けど。

 

 何よりも私は──先輩と話がしたかった。

 

 ただ、それだけだった。

 

 

音無(オトナシ)、いるかい?」

「……っ!」

 

 

 コンコン、と扉が叩かれる音と共に、レッカの声が聞こえてきた。

 咄嗟に手の甲でぐっと涙をぬぐい、平静を装って応対する。

 

 ──そこで沢山のことを聞いた。

 

 先輩を殺しかけた張本人である群青という少年は、現在レッカさんのお兄さんであるグレンが保護していること。

 彼もまた悪の組織による被害者だということ。

 そして群青が現在、衣月(純白)の最も大切な存在を手にかけたことで、重度の心神喪失状態にあることも。

 

 恨まないと言えば嘘になるが、衣月と同じ十一歳という年齢だという事や、彼の陥っていた環境そのものがあまりにも劣悪だったことを考えると、唯一自分に近しい彼女を必死になって求めた行動自体には理解を得る事が出来た。

 しかし関係ない人間を瀕死に追い込んでしまったのは紛れもない事実だ。

 そんな幼い体と心を大きな罪悪感で潰されかけている群青を許せる(救える)事が出来るのは、ただ一人。

 彼にやられた本人である先輩しかいない。

 

「……群青の中にあった魔王の力の残滓が今、ポッキーの身体を蝕んでいるらしい。このままじゃいくら肉体を回復させたところで意識が戻ることはないって、グレン兄さんが」

 

 レッカさんは持ってきた情報を神妙に語る。

 最悪体だけならいくらでも治せるのだ。

 光魔法は傷を癒す魔法であり、それを極めた人物なら私の情報網やライ部長のコネクション、ヒカリ先輩の資金力を持ってすれば容易く雇う事が出来る。

 しかしこの病院での処置が完璧だったこともあり、肉体の傷自体は問題なく塞がっている。

 身体の回復だけで見れば、後は自然治癒やヒカリ先輩の光魔法を定期的に受けるだけで完治するのだ。

 

 問題は魔王の力の残滓に蝕まれている先輩自身の精神だが──そんなものどうすればいいのか、皆目見当がつかなかった。

 精神の中に潜んだ太古の闇を浄化する、なんて都合のいい魔法や医術など存在しない。

 

「……勇者の力なら、何とかなるかもしれない。もちろん僕だけじゃ無理だけど」

「どういうことですか?」

「勇者の血を引く家系がたくさんある事は知っているだろ。その中で勇者の資質を最も濃く受け継いだ一族の代表──その人と会える機会を、兄さんが作ってくれたんだ」

 

 未だに全ては解明されていない、勇者の力という未知の魔法。

 それが先輩を叩き起こす唯一の手立てであるらしい。

 

「行こう、音無。僕たちでアポロとコクを救うんだ」

「……はいっ!」

 

 ならば縋ろう。

 どんな力であろうと、どんな人間であろうと構わない。

 何だってしてやろうじゃないか。

 

 今度こそ先輩を目覚めさせて──失ったものを全て取り戻して見せる。

 

 

 

 

 

 

「……で、アポロはどうするの?」

「どうしようもねぇな」

 

 そう返してみると、コクは『ふーん』とつまらなそうに踵を返し、台所で料理を始めた。

 

 

 死んでるのか生きてるのか分からない状態になってから、どれくらいの期間が経過したのだろうか。

 長いようで短い、何とも表現しがたい感覚だ。

 随分前にここへ来たような気がするし、ついさっきここへ訪れたばかりのような気もする。

 夢の中って不思議ですね。

 

「暇だなぁ……」

 

 俺たちは相も変わらずボロアパートの一室でくつろいでいた。

 テレビは映らないしスマホは無いし、オマケに話し相手は俺が生み出した(らしい)妄想ただ一人だけ。

 夢の中なのにお菓子や料理を作り出すトンチキ野郎の奇行には慣れたものだが、如何せん変化が無いから退屈だ。

 夢の中だからこそ何でも好きにできるのかと思ったらそうでもないし、こんなのただの引きこもりと何ら変わりない。

 これだとポッキーじゃなくてヒッキーだな。

 色々と頑張ったのに最後は自分の妄想と二人きりとか、やはり俺の青春ラブコメまちがってるわ。

 やり直してぇ……思い返してみたら俺の青春って血みどろ過ぎるだろ……。

 

「はい、ナポリタン出来た」

「えっ?」

 

 出てきたのは意外にも家庭的な料理だった……が。

 まさかよりにもよってこの俺に『ナポリタン』を出してくるなんて思わなかった。

 ていうか夢の中なのにわざわざ飯食うなんてイカレてんな。

 

「おいおい……俺の後輩が作った料理を出すとかお前正気かよ。絶対音無が作ったやつの方が旨いかんな」

「いいから食べてみ」

「ふん……」

 

 愛しの後輩が作ってくれたあの美味が上書きされることなどあり得ない……と思ったけどコレ普通にうめぇな。

 

「うまうま」

「イェイ、寝取り完了」

「はっ倒すぞお前」

 

 そもそも俺と音無は寝てない。

 ……いや物理的に隣で睡眠は取ったけど、変な意味で寝てはいないのだ。

 変なこと言いやがってこのロリっ娘め。

 

「アポロ。それ食べたら出かけよっか」

 

 出かけるとは……?

 この世界ってこのボロアパートの外も存在すんのかしら。

 

「どこへでも行けるよ。だって夢の中だもん」

 

 コクがエプロンを外しながらこちらへ戻ってくると同時にナポリタンは消滅し、世界が一瞬だけ暗転した。

 

 

 気がついた時には、見覚えのあるビーチに立っていた。

 

 空は暗い。

 星が綺麗な夜だ。

 目の前を見てみると、そこには白いワンピースを着た黒髪の少女と、前髪に赤いメッシュの入った黒髪の少年が、足元だけ海水に浸かった状態で会話をしているのが目に映った。

 

『……レッカ、童貞でしょ』

 

 わぉ、俺が一番とち狂ってた時期じゃん。

 確かコクになりきるどころか、氷織と一緒に無事生還できたことが嬉しすぎて、いつも以上に美少女ごっこに熱が入ってたんだよな。

 流石は夢の中。

 あの時は楽しかったけど今は思い出したくない記憶すらも掘り出せてしまうらしい。

 

「何これ?」

「アポロの記憶の再現。あと別の未来をシミュレートする事も出来る」

 

 別の未来とは。

 なんだろう、ちょっと気になる。

 

『レッカ様ーッ! コクさぁーんッ! どちらにいらっしゃいますのぉー!?』

『──コクっ!』

『わっ!?』

 

 本来俺の美少女ごっこを中断させるはずだったヒカリが登場した瞬間、レッカが俺の手を掴んで海の中へと潜っていった。

 本来の歴史とは違った動きだ。

 ヒカリから隠れたことで、あの二人を邪魔するものはいなくなった。

 ──いや、確か音無が遠くから見てたはずなんだが。

 

『……その、なるべくお手柔らかに……お願い、します?』

 

 オイオイあの世界線の俺ヤベーこと言ってるぞ。

 途中『俺って本当はアポロなんだよ!』とか言って逃げようとしてたけどレッカの気迫に圧されて遂に折れやがった。よわすぎる。

 きっかけ一つで俺もあぁなる未来があったって考えるとゾッとするな。

 

『何かビクビクしてる……変なの……』

 

 どわああああアぁぁァァッ!!?

 あいつら何して──あっ、消えた。

 

「あら残念。アポロ、続きは成人向けPCゲーム版でね」

「いらねぇよそんなの……」

 

 えっ、え。

 今のなに……? こわ……。

 親友に流されたら俺あんなセリフを口にしちゃうのか。

 ほとんど抵抗しないのか。

 もう心の底から美少女ごっこを楽しむのは無理な気がしてきたな。

 

「意外。アポロってあぁいうの見たがる人だと思ってた」

「いやいや、俺の姿は男の面影が無いコクだから百歩譲って許すとして、何をどう間違えても同性の友人が腰振ってる光景なんか誰も見たくないだろ。頭おかしいのかお前」

「じゃあ、竿役が自分なら見られる?」

「そういう問題じゃなくない……?」

 

 まず竿役って言い方が身も蓋もないからやめようね。

 仮にも女の子なんだからねキミ。

 

「だいたい俺がそんな役になる機会なんて無かったろ。レッカじゃあるまいし」

「沖縄のホテルで音無が本当に抜いてくれる方向に進んだ未来、たぶんあるよ」

「…………」

 

 盲点だった。

 

「見たい? そのシミュレート」

「……み、見てやってもいい」

「ダメ~♡」

 

 お、女を殴りたいと本気で思ったのは生まれて初めてだ……。

 

「だってアポロまだ十七歳でしょ。R18に足を踏み入れてはいけません」

「正論パンチやめてください」

 

 ていうか夢ならノーカンでしょ。

 俺の夢の中なんだから俺が何をしたって許されていいはずだ。

 もう一人の自分のくせに横暴だぞ!

 

「……まぁ、何はともあれコレで分かったよ、コク」

「なにが?」

「女としても男としても、これまでに貞操を捨てる機会は確実にあったんだ。それらを全部蹴っ飛ばして俺はここまで来たんだな俺は。……やり直してぇ」

 

 結局主人公にもメインヒロインにもなれず、それどころか男女どちらの純潔もしっかり守り通してしまい、最悪このまま死のうとしている。

 そんなの死んでも死にきれなくないか。

 買ったばかりのアイスを地面に落として一口も食べられなかった時くらい悔しいぞ。

 このやるせなさを抱えたまま息絶える事こそが、今まで親友を弄んできた俺に相応しい罰だとでもいうのか。

 ……それならしょうがない気もしてくるな。ごめんよれっちゃん。

 

「生き返るかどうかも分からんし、気にすることないか」

 

 ここまで童貞と処女を完璧に守り通す才能があるなら吸血鬼になれる未来なんかもあったかもしれない──なんてくだらない事を考えながら、俺は夜の砂浜に腰を下ろした。

 すると柔らかい風が吹いて俺の頬を撫でた。

 沖縄で実際に嗅いだあの磯の匂いや、生暖かい風を感じることはできない。

 そういう部分からも、ここはあくまで夢の中なのだと実感させられた。

 今いるこの場所は決して現実世界ではなく、俺もまた目覚めてはいない。

 俺が倒れた時のアレはどう考えても助かるような傷ではなかったし、ここにいるのは死ぬまでのボーナスタイムに過ぎないのかもしれないと、そんな思考がふと脳内によぎる。

 

 このままゆっくりと死へ誘われていくと考えたら、少しだけ肩が震えた。

 

「じゃあ、私とえっちする?」

 

 座り込む俺の前に立ったコクが、夜の帳に光る青白い月明かりを背に、そんなことを言ってきた。

 いつかの俺と同じように──スカートの裾を少しだけ持ち上げて。

 

「そりゃいいな」

 

 俺は立ち上がり、バイトで必死こいて稼いだ金で製作した特注の『黒い制服っぽい服』に身を包んだコクを見下ろした。

 あの白いワンピースに比べたら、随分と色気のない格好だ。

 俺が美少女ごっこを楽しむために作った服なのだが、いつの間にか彼女の物にされてしまったらしい。

 

「夢の中とはいえ、童貞捨てられるんなら願ったりかなったりだ。コクはかわいいし申し分ないな」

「すごーく最低なこと言ってるよ?」

「当たり前だろ、俺相手だぞ。気遣いなんて──」

 

 

 ……ん?

 

 いや、まて。

 重大な事に気がついたぞ。

 何でその気にさせられてたんだ俺は。

 

「……そうだよ、お前俺じゃん。おまえとヤっても意味ねぇじゃん……」

「気づかれましたか」

 

 ブックオフなのに本ねぇじゃん~と同じリズムで文句を言うと、コクの手から離れたスカートの裾がパサリと落ちて戻った。

 当たり前の事を失念していた。

 俺とやっても意味なんて無いんだよな。

 自分自身とのセンシティブな対話って、それただの自慰行為じゃねぇか。

 こいつ本質的には俺の左手と何も変わらんぞ。

 

「アポロって左手派なんだ」

「サウスポーと呼んでくれ」

「何で誇らしげなの?」

 

 一瞬で気の抜けた雰囲気になってしまった。

 確かにコクは美少女だが、先ほどの考え方を持ってしまった途端に、もう“そういう目"では見られなくなっているのが現状だ。

 性別はおろか顔も全く違うが、コイツは俺なのだ。

 鏡で自分を見て興奮できるほど強靭な自尊心は残念ながら持ち合わせていない。

 

「コクちゃんほっぺ柔らかいね。むにむに」

「んむぅ」

 

 彼女の頬を揉んだりしても劣情が湧き上がってくる様子はない。

 この調子だと身体のどこを触ろうとも結果は同じだろう。

 今回はこういう悲しい結果で……終わりですね……。

 

「はぁ……早く起きてみんなに会いたい」

「それなら魔王の残滓を倒さないと」

「なんて?」

 

 コクを抱っこしたままグルグルと回転して遊んでいると、不意に彼女が妙なことを口にした。

 急に新しい単語が出てきやがったな。

 

「群青って男の子がいたでしょ。あの子の攻撃で私たちの体内に魔王の力の残滓が入っちゃったんだって。それがアポロの目覚めを阻害してるとか何とか」

「え、何でそんな事知ってんだ?」

「ちゃんと耳を澄ませば外の会話も聞こえてくるよ」

「ほう。……やってみるか」

 

 一旦コクを下ろす。

 そしてジッとそのまま固まっていると──

 

 

『言いたい事わかりますか、あほ先輩』

 

 

 ──罵倒が聞こえてきた。

 涙が出てくるわ。

 

「うぅ……後輩が辛辣だよぅ」

「かわいそうなアポロ……よしよし」

 

 コクの胸に顔を埋めて泣いた。

 

 うぅん、やはりそうか。

 随分とちっぱいだなぁコイツ。

 こんなのが好きだなんて、れっちゃん本当に重度のロリコンだ。

 ヒカリやライ先輩辺りにでも治療してもらった方がいいと思います。

 

「ねぇアポロ。とりあえず魔王の力の残滓ってやつを探そっか」

「それが何なのかよく分からないけど、まぁそうだな。……てか、ここ夢の中だろ? どうやって探すんだ」

「徒歩で」

「徒歩かぁ……」

 

 いきなり湧いて出てきた新設定によって、俺が目覚められない元凶探しの旅が突然始まる事になったのであった。

 なんか旅してばっかだな俺。

 一応高校生なんだけども。

 これではまるで不良生徒だ。

 修学旅行前に素行不良は大変に良くない。

 早急に目を覚まして出席日数を取り戻さねば。がんばるぞ。

 

「夢の中って大きさどんくらい?」

「だいたい街一個分くらい」

「広いなぁ……」

 

 溜息を吐いてばかりだが、そろそろ気を取り直して行動を開始しよう。

 僅かではあるものの覚醒するための手がかりを知る事が出来たのだから、もうダラダラとくつろいだりシミュレーション鑑賞会なんてしてる暇など無い。

 

 死ぬことで罪の清算になるとも考えていたが、生き残れるのならきっとそれに越したことはない筈だ。

 ヒーロー部の誰にも何も伝えられずにこの世界へ落ちてきてしまったのは正直言って悔しかったし、なにより俺を殺しかけてしまったあの群青という少年の事が心配だ。

 魔王の残滓だか何だかよく分からんが、とりあえずはさっさと覚醒して現在の状況を把握するために頑張ろう。

 

「アポロ号、発進」

「お願いだから降りてねコクちゃん」

 

 いつの間にか背中によじ登ってきた黒髪少女の事は結局振り払えず、俺は彼女をおんぶしたまま夢の世界の探索を開始するのであった。

 

 



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分裂

{IMG81131}

阿井 上夫さんより純白と漆黒(衣月とポッキー)のイラストを頂きました! とってもありがとうございます
鏡合わせの演出が美しすぎて失明してしまいました 家宝にします
ゲームの製品パッケージみたい(小学生並の感想)
やっぱり髪ロングのロリっ娘にはワンピースがとても似合いますね スイカに塩 マシュにチャラ男 ロリにワンピ


 

 

 

 

 ふと、目を覚ました。

 

 ゆっくりと瞼が上がっていく。

 最初に抱いた感想としては──暗い。

 室内だろうか。

 首を横に向けると、窓の外から月が見えた。

 明かりがついていない為周囲の確認に手こずったが、次第に目が暗闇に慣れてくる。

 月の光も相まって視界が良好になってきた。

 俺はベッドにいて、周りには椅子やテーブル。

 上を見ればよく分からない配線やコンセントがあり、手元には何やらボタンらしきものも転がっている。

 

 ──病院だ。

 俺がいるのは病室に違いない。

 不思議なほど意識がハッキリしていて、寝起きだというのに既に眠気も霧散している。

 

「……っ」

 

 口元に違和感を覚えた。

 呼吸器だか酸素マスクだかよく分からないが変な器具が付いている。

 鬱陶しく感じたので剥ぎ取った。

 ……特に苦しくはない。

 外しても問題はなかったようだ。

 昏睡状態の時にのみ必要なものだったんだろう。

 

「……はぁ」

 

 溜息を吐き、少しだけ目をつぶる。

 声は思ったよりもガラガラにはなっていなかった。

 いつも通りのハスキーな低い声だ。

 

 ──ん?

 

「えっ。……おれ、もどってる……?」

 

 声で気がついた。

 いつの間にか男に戻っている。

 コクではなくアポロの声音だった。

 首元を触ってみてもペンダントは無い。

 壊れたか、没収されたか、紛失してしまったのか。

 何にせよ大切なアイテムが手元に無くてかつ男に戻ってるとあらば一大事だ。

 

 早急に情報確認をするため、体を起こそうとして──しかし動かない。

 

「何だ……?」

 

 上半身がいやに重い。

 痛みがあるわけではないのだが、何故だか体が上がらない。

 ここまで筋肉が衰えてしまう程の長い期間眠りについていたのか、と思った矢先に気づいた事があった。

 

 ──体の上に()()()()()()()()。 

 

 

「あっ、起きた」

 

 

 入院患者用の清潔で真っ白な掛け布団を退かしてみると、妙に聞き覚えのある甲高い声が鼓膜に響いた。

 近い。

 声の主は目と鼻の先というかほぼゼロ距離だ。

 ベッドで寝ている俺の身体の上に、なぜか一人の少女が()()()乗っかっている。

 

「……」

「……」

 

 固まった。

 意味が分からない。

 

 もう一度言おう。

 寝てる俺の身体の上に。

 一人の少女が乗っている。

 全裸で。

 

 そう。

 全裸で。

 

「アポロ?」

「……ちょっと待ってね」

 

 受けた衝撃があまりにも大きすぎた場合、俺はどうも悲鳴を上げたりだとか派手なリアクションを取れるようなタイプの人間ではなく、ただただ無言になってしまうらしい。

 いいだろう。

 俺の上に少女が──どう見ても『コク』にしか見えない女の子が乗っていることは認めよう。

 意味わかんねぇが目の前にあるこの状況自体は本物だ。

 現実逃避はしない。

 

 前後の記憶が曖昧で、目が覚めたらやけにデカい病室にいて、ペンダントは手元に無くオマケに俺自身が男に戻っていて、最後のトドメと言わんばかりに全裸のコクが引っ付いている……が、これらは全て俺がたった今観測した覆しようのない事実だ。

 

 認める。

 おかしな場面に陥っている事は認める。

 ここでモノローグ語りがちなラノベの主人公みたいに『間違いないコレは夢だ』なんてくだらない言葉は口に出さないし考えたりもしない。

 俺はしっかりと全て受け入れる。

 

 ……ただ。

 

「アポロ。どうして目を閉じるの?」

「少し休憩させて……」

 

 心と頭の整理をする時間ぐらいは欲しいです……。

 

 

 

 

 最初に目覚めた時刻は深夜の三時を回った頃だった。

 

 裸のコクとくっ付きながら起きるという摩訶不思議な意味不明体験をした俺は、とりあえず病室のクローゼットにかけてあったパーカーを彼女に着せ、まずナースコールを押した。

 看護師さんに体が男に戻った言い訳をしつつ、自分の怪我の具合を一緒に確認してもらうためだ。

 その間コクは見つからないよう一旦ベッドの下に隠れさせておいた。

 

 俺の容態自体は至って正常。

 なんかとんでもない超天才スーパードクターや光魔法のおかげもあって、傷跡こそ残ってはいるもののほぼ完治した状態になっているとのことだ。

 ブチ抜かれた胸や内臓も何とかなっており、担当医の判断次第だがうまくいけば二週間もしない内に退院できるかも──と諸々の説明をされたところで、ようやく俺はこれまでの事の顛末を思い出したのであった。

 

 そういえばそうだ。

 群青とかいう少年の攻撃から衣月を庇って死にかけたんだった。

 ちゃんと記憶を掘り返してみれば案外鮮明に覚えているもので、俺を助けようと必死に抗ってくれていたヒーロー部のセリフなんかもポンと頭に浮かぶ。

 

 あの後に意識を失って──そこからが曖昧だ。

 看護師さんが退室し、ベッドの下から這い出てきたコクを持ち上げてベッド上で対面すると、彼女は分かりやすく首を傾げた。

 

「覚えてないの?」

「最後らへんを覚えてないんだよ。またあの夢の世界に落ちた事は分かるんだけども」

 

 夢の中での出来事ということもあって、しっかりと記憶に残っているワケではない。

 なんか魔王の残滓だとか何とかよく分からない固有名詞をいっぱい言ってた気がする。

 

「そんなに難しい事はしなかったよ」

「じゃあ事の顛末を三行で纏めてくれ」

 

 そう言うとコクはこほんと一つ咳払いをしてから再び口を開いた。

 

「アポロを蝕む魔王の残滓

 討ち祓ったのは勇者の(つるぎ)

 なんやかんやで私も分離」

 

 出てきたのは変なラップだった。

 あと全然分からんかった。

 

「……ごめん、俺が悪かった。やっぱちゃんと説明してくれ」

「えー。ワガママだなぁ」

 

 ワガママ低スペックなんです。ゆるして。

 あの三行で『なるほど!』って納得できるほど頭は良くないんだよ。

 

「なら今度はちゃんと聞いてね? まず、アポロは魔王の残滓に体を侵されてたでしょ」

「うん」

「ソレをどうにかする為に外のレッカたちが何か色々やってたらしくて」

「はい」

「体の中に勇者の力の一部が入ってきました。それを使って魔王の残滓をやっつけました。覚醒の妨げになっていた問題の原因は解決したけど、勇者と魔王の力が両方体内に混在したことで体がバグりました」

「……ん?」

 

 流れ変わったな。

 

「で、現在」

「……」

 

 いや待て待て。

 

「あの、端折りすぎてないか?」

「そんなことないよ」

「今ので全部?」

「私が覚えてる限りでは」

「マジかよ……」

 

 これもう一回頭の中を整理する時間必要じゃない?

 さっきの説明かなり大雑把だったし、何から何まで急展開のジェットコースター状態でまったく口が挟めなかった。

 

 ……落ち着け。

 もっと理解しようとしないとダメだ。

 一気に全部飲みこもうとするから良くない。

 細かく一つずつ情報を処理していけば混乱する事も無いはずだ。

 

「えっと……まず、俺の目覚めを阻害していた『魔王の残滓』とやらは完全に消えたんだな?」

「分かんない。勇者の力は借りたけどアポロは勇者じゃないし、ちゃんと力を行使できていたかは不明。もしかしたら残滓も少しは残ってるかも」

 

 なるほど。

 最初に大前提として、魔王の力を得た群青の攻撃で俺は倒れた。

 彼の攻撃にはやべぇパワーの一部が宿っていて、それが体内に侵入して、その影響で俺は目を覚ます事が出来なくなっていた。

 

 恐らくだが『魔王』だとか『勇者』だとか、よくわからん超常の力は医術じゃどうにもならなかったのだろう。

 

 魔王や勇者というのは、800年以上前の歴史に出てくる、もはやおとぎ話に近い存在の名だ。

 その血を引くレッカや現世に現れた不完全な魔王などからして、彼らの存在自体は創作でも何でもなく本物の歴史だったのだろう──が、やはりどう考えても火や風を行使する一般的な魔法や化学の域を逸脱した“ファンタジー”の話だ。

 

 製造工程が未だに解明されない古代遺跡なんかと同じ部類の話である。

 現代の技術や情報を以てしても多くは引き出せない、未知のパワー。

 そんな魔王というファンタジーをどうにかする為には、同格のファンタジーである勇者の力を使うしかなかったわけだ。

 

 で、最終決戦で主人公らしく、太古の力である勇者ぱわ~を現代に呼び戻したレッカが、いろいろな人の協力を得て再びその力を行使した。

 ファンタジーを注入された結果として、アポロ・キィの中にあった魔王の力は、少なくとも意識を取り戻せる程度には取り除かれた──と。

 

 

 よしよし、少しは情報を咀嚼できたな。

 とりあえずレッカ達のおかげで命拾いした、という事実だけ覚えておけば良さそうだ。

 

「じゃあ次だ。……何で俺、男に戻ってんの?」

「知らない。私が分離したからじゃないかな」

「分離……」

 

 はい、一番ワケ分からない部分に直面しましたね。

 これからコク先生による講義の時間ですよ。

 

 この際俺が男に戻った理屈はどうでもいい。

 もともとペンダントがバグって戻れなくなってたんだから、何かの拍子にあれが直って、今みたいにペンダントを外された結果男に戻ったとかそういうのでいい。

 そこは気にしないことにした。

 もっと気になる情報が出てきたから。

 

 まず何だよ分離って

 おまえ誰?

 夢の中にいたコク張本人なの?

 いや、でもアレは俺の妄想のはずなんだ。

 もしかして本当にコクっていう別人格がいたのかしら。

 流石にそれは都合が良すぎるような気がするんだが……うん、やっぱ分からない。

 

 本人に聞くのが一番手っ取り早いか。

 

「お前は何者なんだ。コクなのか?」

「コクはあなたが演じるキャラの事でしょ。そんな人間は実在しないよ?」

「そ、それは……そうなんですけども……」

 

 なんかすごい真顔で当たり前の事を言われてしまった。ちょっと凹む。

 今のは俺の質問の仕方も 悪かったかな。

 

「じゃあ、分離したってのはどういう事だ? お前……俺の妄想だったはずだよな」

「私もそう思ってたんだけどね。まぁ、正直に言うとよくわかんない」

 

 分からないって、そんな無茶苦茶な。

 

「アポロ。そこの机の引き出し」

「えっ? ……これか」

 

 コクが指差したのはベッドの真横にある机だった。

 引き出しが三つほどあり、上には花瓶が飾られている。

 言われた通りに机の引き出しを開けると、そこには見慣れた俺のペンダントが入っていた。

 

「ペンダント、ここにあったのか」

「使ってみて」

「あ、あぁ。……おっ、変身できるな。しかも戻れる」

「ほら、コクはアポロでしょ」

 

 まさしくその通りだった。

 コレで俺が無表情ヒロインっぽく振る舞えばそれが『コク』という存在になるわけだ。

 ペンダントが直っているのは不可解だが、元はといえば会長とレッカの力で壊れたのだから、再びレッカのパワーを注がれたのなら逆に故障した部分が直っても不思議ではない。

 そもそも俺が眠っている間に父さんが修理してくれた可能性もあるし。

 とりあえずペンダントを首にかけて、男に戻っておく。

 するとコクが説明を始めた。

 

「ペンダントは使用時にほんの少しだけ装着者の魔力を吸う。その影響でペンダントの中にはアポロ・アポロのパパ・レッカの三人の魔力が入ってた」

「確かにそうだな。……何なら悪の組織の本部から逃げ出すときにライ部長の魔力も入ったかもしれない」

 

 れっちゃんと部長が取っ組み合いをした時のことだ。

 あの時はその彼の炎と彼女の電撃魔法が原因でペンダントが壊れて男に戻れなくなってしまったわけだが。

 

「人間を女の子にするペンダントの中でいろんな人の魔力が合わさって、そこに勇者の力と魔王ぱわ~も加わったら、どうなると思う?」

「……想像もつかないな」

「そういう事。勇者と魔王の力が合体するなんてきっと人類史上初めてのことだし、何が起きても不思議じゃないと思うよ。いつの間にか私はアポロの中に()()し、勇者だの魔王だのって話が解決した頃には、私は現実世界にいて裸でアポロにくっ付いてた」

 

 彼女は自分の胸や頬をペタペタと触りながら話を続ける。

 

「ペンダントが由来の存在なんだとは思う。アポロの記憶も多少は持っていて、でも知らない事もあるから私は確実にアポロじゃない」

「……別人格、ってことか?」

「別人格じゃなくて“別人”なんじゃないかな。ペンダントから生まれたからコクの姿をしているだけで、きっと私はコクですらない。いろんな人の魔力の集合体が、なーんやかんやあって勇者と魔王の力を受けて現実世界に顕現した──とか、多分そんな感じ。人間じゃなくてバケモノだね」

 

 あっけらかんと言い放ち、コクは俺の膝の上にこてんっと頭を乗せて寝転がった。

 

 

 ──正直に言えば、今の話は何一つ理解できなかった。

 

 いつの間にかコクの姿をした誰かが存在していて、またいつの間にか目の前にいて。

 こんなの一種のホラー体験じゃん。普通に怖いんだけど。

 確かに他人の力が介在する機会は多くあったから、何かしらの奇跡が起きて黒髪美少女爆誕! ってなってもおかしくは……いやおかしいな。

 

 

 あー、ダメだ。

 考えるのやめた。

 脳細胞がローギアです。

 

 こういう小難しいのはレッカとか母さんに考えてもらおう。

 多分どうにかこうにか理屈つけて結論出してくれるだろ。

 考えるべきはコイツがどう生まれたかじゃなくて、これからどうやって生きていくかだ。

 

 

「……名前、どうするんだ?」

 

 まず呼び名が無いと不便だ。

 こいつがこのままコクって呼ばれ続けるのが苦痛なら新しい名前を考えないと。

 

「コクでいいよ。面倒くさいし」

「でもお前はコクじゃないだろ」

「同じ名前の人なんていくらでもいるでしょ。てかこの姿で現実世界へ出てきた私に名前を付けるならコクしかないと思うし。それでいいってばよ」

 

 俺の膝上でゴロゴロしながらそう言う彼女はあっけらかんとしていた。

 フットワークが軽いというか、自分への関心が薄いというか。

 

「……とりあえず、お前はペンダントから生まれたペンダント太郎ってことでいいんだな?」

「概ねその認識で合ってる」

 

 ダメだこいつ自分の事ですらもツッコミ入れねぇ。

 天性のボケ担当だ。絶対扱いづらいな。

 

「ハッ。もしかしたら私、ペンダントの付喪神なのかも」

「少なくとも神様ではなさそうだけどな……」

「そう考えたらアポロよりペンダントの方が誕生したの早いから、私がお姉ちゃんってことなるね」

「発想の飛躍がすごい」

 

 想像力が豊かなロリっ娘ですね本当に。

 

 

 ……まぁ、こんな奴だが少なくとも恩があるのは事実だ。

 

 最初は夢の中で脳内会議に付き合ってくれて、鈍感なフリして主人公ぶってる俺に自分の本性を改めて自覚させてくれたりもした。

 発破をかけて応援してくれたし、未来のシミュレーションも見せてくれて、終いには精神世界で一緒に魔王と戦ってくれてたみたいだ。

 俺はもっとこの少女に感謝をしなければならないのかもしれない。

 

 戸籍も無く存在の出自も証明もあやふやで、それなのにしっかり自己を持って協力してくれたのだ。

 ほぼ俺と同じ記憶を持っているとはいえ、精神面だけで見れば彼女は俺よりもずっと強い人間なのかもしれない。少なくともバケモノなんかではない筈だ。

 きっとレッカに攻略してもらったら幸せになれるよ。知らんけど。

 

 ──これからの美少女ごっこ、どうしようかなぁ……。

 

「ほっぺにチューをしろ弟よ~」

「まてコク。お前はペンダントから生まれたのであってペンダントそのものじゃない。生まれたのはつい最近だ。というわけで俺の方が年上な」

「あっ、そうなるんだ」

 

 ともかくコイツが俺の姉になる事だけは許可できない。

 誰がどう見てもお前の方が年下だろうが。

 

「兄、おにい、お兄様、お兄ちゃん……アポロは何がいい?」

「それ俺が決めていいんだ……」

 

 個人的にはおにい呼びが熱いな──なんて考えつつ窓の方を向く。

 

 いつの間にやらすっかり明るくなっていた。

 立てかけられた時計を見ればもう十時過ぎだ。

 看護師さんに色々と説明して貰ったり、コクと話し合っているうちに結構時間が経過していたらしい。

 

「コク」

「なに? お兄ちゃん」

「名前呼びでお願いします」

「分かった、兄上」

「人の話きいてた?」

 

 どっちが年上かはともかく、兄妹になるかどうかなんて話はしてなかったと思うんですけど。

 まず家族ですらなくない?

 

「私たちは二人とも紀依夫婦から生まれてるんだから、それはもう兄妹みたいなもんでしょ」

「大いに間違ってると思います」

 

 だいたい血も繋がってねぇし。

 

「……血の繋がりが無い兄妹って、なんかエロゲっぽいね」

「あれ、もしかしてコクちゃんって俺より頭わるかったりする?」

「ねぇお兄ちゃん……兄妹による禁断の恋を始めちゃお……」

「ァひんっ♡ てめっ、耳元で囁くな!」

 

 話が通じないし変な妹ムーブしてきやがるし、もしかしたら俺とこいつは相容れない存在なのかもしれない。

 とんでもないヤツが誕生してしまったわね。

 コクの姿って犯罪者としてネットで拡散されてたはずだし、この女が近くに居たら美少女ごっこはおろか日常生活すら脅かされかねん。

 

「おいコク、お前とりあえず今日一日は俺のベッドの下にいろ。誰かに見つかったらマズい事になる」

「えぇー、やだ。パーカーだけ羽織ってベッドの下にいるの寒いもん」

「……言い方が悪かったな、頼むよコク。今のところお前の存在を明かせるのは両親くらいしかいないんだ。看護師さんは俺が起きたことを家族に連絡するって言ってたし、きっと今日はヒーロー部の連中も集まる。バレるわけにはいかないんだ」

 

 この女は一番近くにいた俺ですら飲み込みきれてない程の謎の新キャラクターだ。

 しかも俺にとってめちゃくちゃ都合の悪い爆弾まで抱えていやがる。

 コクが見つかるだけで俺の美少女ごっこは呆気なく終焉を迎えてしまうし、そうでなくとも悪の組織の残党に狙われているのだから油断できない。

 俺が制御、もとい守護らねばならない。

 

「それアポロの都合だよね。私は寒いのやだよ。ていうか今も寒いし」

「服はそれしかないんだからしょうがないだろ……」

「私隠しヒロインなんだからもっと優しくして」

 

 お前をヒロインとして迎え入れた覚えはないんだよ。

 ていうか本物の隠しヒロインはこの俺なんだが?

 まさかこれまで俺が美少女ごっこで培ってきたコクとしての功績をかすめ取るつもりか? ゆるせねぇ……。

 

「寒いからアポロが温めて」

「掛け布団やるよ」

「ダメ。人肌恋しいからこうします」

「ちょっ! 抱き着くなバカ!」

 

 正面から膝の上に座ってきたかと思いきや、そのまま後ろに手を回して密着してきやがった。油断も隙も無い。

 

「……これ、はたから見たら対面座位してるように見えない?」

「子守りにしか見えないだろ」

「むっ。ロリコンのくせに私を対象外とみなすか」

 

 ロリコンはれっちゃんなんだよなぁ……。

 

「おまえの言う兄妹ならそれこそ対象外だろうが」

「禁断の恋」

「おい黙れよ」

 

 ──と、こんな感じでコクと言い争いをしていたせいで、気がつかなかったのだろう。

 

 迫りくる()()()()()()に。

 

 

「先輩っ! 意識が戻ったってほん──」

 

 

 病室の扉を開けた音無の目には、俺たちはどう映ったのだろうか。

 昏睡状態にあった先輩が起きたと言う一報を受けて病院に駆けつけたら、ベッドの上でパーカーしか着ていない下半身裸の黒髪少女を対面座位のような形で抱き締めていたのだ。

 

「…………」

 

 おまけに音無は俺とコクが同一人物だということを知ってる。

 なのに何故か分離していて、いかがわしい事をしているようにしか見えない体勢で出迎えられたら、彼女は一体どんなリアクションを取ってくれるのか。

 情報量の暴力に殴られた後輩の第一声は──

 

「…………すみません、部屋まちがえました」

「ちょ、まっ」

 

 ピシャン。

 無常にも部屋の扉は閉じられ、彼女が病室に足を踏み入れる未来は終ぞ訪れなかった。

 

 ……泣いていい?

 

「アポロ涙目になってる」

「誰のせいだと思ってるんですか?」

「ごめんね。音無に謝ってくる」

 

 今あいつに謝ったらただの煽りにしかならないから本当にやめて。

 病室で下半身露出させた状態で抱き合ってたら言い訳なんて出来無いに決まってる。

 俺の人生はもう終わったんだ。無駄な抵抗するな。

 

 

「ぽ、ポッキー? 音無が病室の外でブツブツ呟いてるんだけど、何かあったの? 起きてるんだろ……?」

 

 

 はいれっちゃん来ましたタイミング最悪です。

 もう逆に神がかってるよね。

 

「は、入るよ? いったい何が──」

 

 ぜひ音無の様子を見てその場で踏みとどまって欲しかったな。

 

「……え。……ぇっ、え?」

「あ、レッカだ。やっほ」

「こっ、コク……? ……っ?? え? ど、どういう……?」

「待てれっちゃん。頼むから早とちりしないでくれ。一から説明するから」

「早とちりも何も意味がわからないんだけど……」

 

 そうだよな、みんなそうなるよな。

 俺もコイツを前にした時は同じ様になったから気持ち分かるよ。

 だから今すぐ説明してあげるね。コイツのことぶん投げて退かすからちょっと待ってね。

 お前がコクを好きなのは知ってるから。別にNTRじゃないしコイツそもそもコクですらないから。

 

「実は──」

「ん……っ♡」

 

 おい変な声を出すな。

 

「だめ……♡ そろそろ出ちゃう……っ♡」

「なにが!?」

「おしっこ……」

「ァひんっ♡ テメェおまえコラァ!?」

 

 不必要に耳元で囁くんじゃねぇよバカ! 

 レッカに聞かれるのが恥ずかしかったのか!? 

 なんでこんな時に人並みの羞恥心発揮してんだよキャラ変やめて……!

 

「ポッキー……!?」

「違う誤解だ安心しろ!! こいつはコクじゃない!」

「じゃあ誰なんだよ!?」

「妹だ!!」

「えぇっ!!?」

 



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急転直下のコクムーブ

感想でご指摘頂いたんで次次回はキャラ紹介兼寄付していただいた支援イラスト紹介とあらすじまとめをしたいと思います〜


 

 

 

 大切な仲間たちと最悪の再会を果たしてから、数十分後。

 

 意味不明で情報量の多すぎる現場を目撃したレッカは『頭を冷やしてくる』といって病院の屋上へ退散。

 彼が持ってきてくれた俺の荷物の中から、取り出した財布と着替えをコクに渡すと、彼女もまた『冒険だぁ~』と意気揚々と病院の売店へと駆け出していった。

 

 今は病室で音無と二人きりだ。

 

「はい、お水です」

「お、おぉ……サンキュな」

 

 ベッドに座っている俺に手渡されたものは、自販機で買ってきたばかりであろう良く冷えた水のペットボトルだった。

 さっと開けて口の中に流し込む。

 うまい。このしっかりと喉を潤す感覚は夢の中では味わえなかった。

 やっぱり現実世界にいてなんぼだな。

 

「……あの、音無さん?」

「何ですか」

「怒ってらっしゃる……?」

 

 しかし見るからに不機嫌というか、ずっと無表情なのだ。こわい。

 いや、あんな場面を目撃された後なのだから当然と言えば当然なんだが……これどうやって言い訳するんだ。

 

「いいえ、別に怒ってませんよ。反応に困ってるだけです」

「えっ」

 

 怒ってないの。

 

「ほら、先輩だってレッカさんが部室でバニーガール衣装のヒーロー部に囲まれてるとこ、見たことあるでしょ」

 

 確かにある。夢の中で改めてそれを見たこともあってか、昔の事にもかかわらず何故か記憶に新しい。

 あの時はれっちゃんがハーレム侍らせて抜きゲーみたいな事してると思って失望したわけだが、それも結果的には誤解だった。

 

「慣れましたから、こういう誤解を招くような現場に遭遇するの。レッカさんなんて生徒会室で私と会長と3Pした事にされかけましたからね、昔」

「大変だったんだなヒーロー部……」

 

 どういう流れになったらそうなるんだって状況を第三者に目撃されて誤解される──だなんてラブコメじゃありがちな展開だ。

 物語然とした道筋を辿ってきたレッカたちなら、当然それを経験した回数も一度や二度ではないのだろう。

 常に当事者(主人公)として被害者の立場にあったレッカはともかくとして、傍観者に回る機会が多かった音無としては既に見慣れたシチュエーションであったらしい。

 

「で、先輩は何でコクちゃんそっくりのロリっ娘と対面座位してたんですか?」

「だから誤解なんだってェッ!!」

 

 少々からかわれつつも、ようやく数ヵ月ぶりに俺たちは二人きりで会話をする事が出来たのだった。

 

 話す暇もなく俺が姿を消したりとか、再会した時には精神状態が終わってたりだとか、彼女にはいろいろと迷惑をかけてしまった。

 失った信頼を取り戻すのは今までの百倍くらい大変かもしれないが、いくら時間を掛けてでも、なんとか以前までの良好な関係へ戻る為に頑張りたい。頑張ろうな、うん。

 

 それから、聞いた話によるとコクが警視監の男を殺害したという事件も、既に大方収束しているとのことだった。

 彼が悪の組織に属する怪人だったことも俺の両親やレッカの兄貴であるグレンの尽力によって公にされ、なにより数ヵ月前にヒーロー部の世界救済の裏で起きた事件などもうほとんどの人が興味を示していないこともあってか、コクが出歩いてパニックになるような時期は当の昔に過ぎ去っていたらしい。

 

 既に多くの人から顔を忘れられたコクが病院を闊歩したところであまり問題は無い……ということで、音無も彼女の自由行動を黙認する事に決めたらしい。

 

「──で、あの子は誰なんですか?」

 

 私にもわからん。

 ……なんて答えたら怒られそうなので、現時点での仮説だけは話しておこう。

 

「あれはいろんな人の魔力をベースに勇者パワーと魔王ウイルスがマザルアップして融合召喚されたペンダントバグスターだ」

「一言一句正確にもう一度言ってください」

「……あの、ごめんなさい俺もよく分かんないです……」

 

 優しい人をからかうのは優しいうちにやめるべきだよね。

 真面目に解説しよう。

 

「あのペンダントにはいろんな人の魔力が宿っていて、装着者である俺には勇者と魔王の力が与えられた。……その、恐らく理屈を超えた化学反応だったんだと思う。本人も言っていたように()()()()()()()()()()()んだ。自我も、肉体も」

 

 すべてが憶測であり、何も分からないのが本音だ。

 だがそこを誤魔化すとまた面倒なことになってしまうのは目に見えていたし、何より音無になら正直に話しても問題ないと思った。

 受け入れてくれると思った。

 非常に身勝手で都合のいい解釈である。

 しかし彼女は共に旅をした仲間……もとい相棒だ。

 勝手に期待してしまうのも当然ではないだろうか。

 

「……まぁ、先輩を助けるためにアレコレ変なことをしまくったわけですからね。終わった後に妙なことが起きても不思議ではありませんし……」

 

 続けながら、俺の目を見て──

 

「病み上がりの人をこれ以上質問攻めにするのもアレですし……うん、流石にやめときましょっか」

 

 音無は仕方なさそうに笑った。

 精神的に追い詰められていた俺を気遣って見せたあの時のような、心の痛みを押し込んだものではなく──年相応の自然な微笑みだ。

 彼女の笑った顔を最後に見たのはいつだったか。

 沖縄を発ってからは辛い状況ばかりだったから、もしかしたら四ヶ月ぶりとかかもしれない。

 

 ほんとにハードモードな旅だった。

 本業は高校生なんだし、もうしばらく旅はお休みしたい。五年ぐらい。 

 

「あ、そうそう果物持ってきてたんだった。特に食事の制限はないって電話で看護師さんから聞いてたんで──」

 

 程なくして、彼女は見舞いの品をカバンから取り出しながら、さりげない所作で近況報告の会話へと移っていった。

 

 隙のない話題転換や本当はもっとしたいであろう質問をぐっと飲みこんだりなど、音無の対応は高校一年生とは思えないほどに大人だ。

 やっぱ名前にもオトナって入ってるだけの事はあるよな。礼節の格が違う。

 俺が音無を守った場面の数より彼女が俺を支えた回数の方が圧倒的に多いし、これじゃどっちが先輩と後輩なのか判断に困る。

 これからは尊敬を込めて音無パイセンとでも呼んだ方がいいかもしれない。

 

「……ほんと、目を覚ましてくれてよかった」

 

 心底安心したようにそう呟いた音無の目は、いささか疲れているように見受けられた。

 俺が死にかけて寝込んだことで、少なからず気苦労もあったのだろう。

 これまで頑張ってくれた後輩へのせめてもの労いとして、頭を撫でて──

 

「は? 何ですか急に」

 

 ……あげようとしたら目にも止まらぬ速さで躱されてしまった。

 いつの間にか椅子ごと数センチ後ろに下がっている。

 おい何だ今のスピードは。

 ニンジャって危機感を覚えたらあんな速度で反応してくるのかよ。

 ていうか俺本気でキモがられた感じなの? 

 想像以上に後輩に嫌われてて凹む。

 

「あの、頭撫でようとしただけなんだけど……」

「えぇ……いきなり何しようとしてんですか。そんなにベタベタした関係じゃないでしょ、私たち」

 

 何言ってんだ! 隠れ家にいた時は結婚するかどうか聞いてきたくせに!

 一緒に罪を背負う発言からして、もう俺に対してはデレデレだと思ってたのに……。

 とんでもない自惚れだったようだ。

 恥ずかしすぎて爆裂しそう。

 

「ていうか抜け駆けなんか出来ませんし……」

「なんて?」

 

 抜け駆けって何ですか。

 

「いえ、ですから衣月ちゃんや部長を差し置いて、先に撫でられるなんて出来ませんって話です」

「なんだそれ……遠慮すんなって」

「遠慮とかじゃないんですってば。順番なんですよ」

 

 そんな撫でる順番なんて決めた覚えはないんだが?

 俺の知らないところで何かが起こってる。こわい。

 

「目覚めた先輩に最初に撫でてもらうのは衣月ちゃんって決まっててですね。二番目は風菜先輩で三番目は部長で……みたいな」

「どんな会話してたらそんな流れになるんだよ」

 

 握手会みたいなノリで勝手に撫でる順番決められた俺はどんなリアクションを取ればいいんだ……。

 俺って別にそんな人気者ではなかった筈なんだが。

 いやまぁ、警視監の男の事を考えると悪い意味では確かに有名人だけども。

 てか何で部長は三番目にランクインしちゃってるんですか?

 

「じゃあ音無は何番目なの」

「へ? ……い、いえ、別に立候補なんてしてませんけど」

 

 スーッと俺から視線を逸らし、前髪を指でいじり始める音無。

 ごめんなさい。いま最も撫でながら褒めてやりたい相手が、そもそも順番に組み込まれてなかったとき……どんな顔をすればいいか分からないの。

 笑えばいいですかね。でも変に笑ったら誤解されそうだよな。あんたバカぁ?

 

「じゃあ封印されしゼロ番目って事で撫でるよ。衣月たちには秘密って事で」

「だから別に撫でられたいわけじゃ……」

「起きた時からこうしたかったんだよ。病人のお願いを叶えると思ってさ、な?」

「そんなこと言われても困りま──ぁわっ」

 

 隙あり。

 狼狽して油断していた音無の頭にそっと手を置くことに成功した。

 女の子相手なので流石に髪型が崩れるほど強く撫でるつもりはないが、軽く触れるくらいなら怒られる事はないだろう。

 何より俺は病み上がりだし、そんなに強くは当たれまい。

 これが病人の特権というやつだ。ふはは。

 

「音無たちのおかげで命拾いした。本当にありがとな」

「……い、衣月ちゃんに顔向けできませんって」

「そんなの秘密にすればいいんだよ」

 

 頭撫でるだけで大袈裟な、とは思う。

 しかしこれもまた音無の責任感が強すぎるが故のことだ。

 俺よりも遥かにしっかりしてる真面目な彼女を撫でて褒めるにはこうするしかなかった。

 

 ……割と邪な考えなのは理解しているのだが、音無に触れたかった気持ちも確かにある。

 最低かもしれない。

 でもこれまで頑張った自分に少しだけ報酬を与えたかった。

 ついでに離れた期間が長かった分、彼女のことも褒めてやりたかった。

 ワガママなのは重々承知だがこれまで美少女ごっことかいう人類最大のワガママを貫き通してきたのだから、コレくらいなんてことはない。

 

「俺たち二人だけの秘密、な」

「ぁっ。……もう、まったく」

 

 優しい声音でそう言いながら撫でるのをやめると、音無は少しだけ名残惜しそうな表情(であってほしい)をしつつ、これまた仕方なさそうに微笑んだ。

 ちょっと待て。

 この女、改めて見ると顔が良すぎるな?

 もしかして美少女か。

 ヒーロー部の顔面偏差値ハーバードかよ。

 

「絶対衣月ちゃんにバレちゃダメなんですからね。先輩口を滑らせたりしないでくださいよ」

「……病室の扉、開いてるな」

「うぇっ!」

 

 

 この後はお決まりの展開を挟みつつも、至って平和な時間が続いた。

 衣月や両親には揉みくちゃにされ、ヒカリや風菜はおいおい泣き始め、収拾が付かなくなりそうな辺りでレッカが戻ってきてくれてなんとかなって。

 

 楽しく、愉快だった。

 

 しかしそんないつも通りの彼らとの触れ合いの輪の中に──コクの姿だけが無かった。

 

(やばくね……?)

 

 全員が病院を去った後でも彼女が病室に帰ってくる事はなく、心配になった俺は腕から点滴をぶち抜き絆創膏で出血を押さえ、こっそり病室を抜け出した。

 最悪の場合あいつがこれまでの俺の頑張りを利用して、レッカに対して“美少女ごっこ”なんか始めたらいよいよ大変だ。

 

 事情を知らない他のみんなを気遣ったのか、今日のレッカは俺にコクの事は聞いてこなかった。

 さりげなく探りを入れてみたが彼女とは会話すらしていないらしい。この状況における最善の行動を取ってくれたれっちゃん、まじでナイスファインプレーだ。

 

 状況を複雑にしないでくれた彼に報いる為にも、探して、探して、探しまくった。

 そうして俺が最後に辿り着いた先は──屋上庭園だ。

 

「…………おいおい」

 

 その屋上にある柵の外側に彼女はいた。

 最上階の柵の向こう側はつまり外だ。

 足を踏み外したら確実に命はない。

 俺に気がつき、コクは艶やかな黒髪を靡かせながら振り返った。

 

「あれ、来ちゃったんだ」

「待て待て、早まるな。急展開すぎてついていけてねぇ」

「……? 今日の様子を見るに、私は余計な存在でしかないと思ったから、消えようと思っただけだけど……」

 

 何言ってんだあのロリっ娘。倫理観バグってんのか。

 ともかくこっち側に連れてこな──

 

「さよなら〜」

「だああぁァァッ!!!?」

 

 まるで迷う素振りも見せずに屋上から飛び降りたコク。

 俺は人生における最大最速の風魔法を発動して、彼女を回収するために死に物狂いで同じく飛び降り後を追ったのだった。

 




※助かります


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Q.私は死んだ方がいいですか? A.お黙りなさい

次回はあらすじ紹介とキャラ紹介と頂いた支援絵紹介です


 

 

 

 突然の奇行に走ったイカレ女を助ける為に、彼女を追って病院の最上階から飛び降りた俺だったが、風菜に教えてもらった得意の風魔法を駆使することでギリギリ間に合うことが出来た。

 

 コクを抱きしめ、魔法でなんとか勢いを殺しながら落下していき、そのまま茂みに突っ込んでいく。

 まさかパラシュートを着けたスカイダイビングの様な完璧な対処ができるわけもなく、不格好にも尻餅をついて悶絶。

 涙目になりながらコクの様子を見ると、彼女は相も変わらず無表情だった。

 

 落ちた場所は病院の敷地内にある院内庭園の茂みの中だ。

 俺たちがいる草木の外には美麗な花々が植えられており、ヒーリング・ガーデンと呼ばれるだけの事はあるようで、陽の無い夜でも心を安らげることが出来そうな雰囲気がそこにはあった。

 傷心してるのか情緒がバグったのかは知らないが、この穏やかな場所であればコクの精神の回復には丁度いいかもしれない。落ちた場所がここで良かった。

 痛む腰をさすりつつ、俺は彼女の手を引いて茂みの外へ歩き出し──

 

「……おい、コク?」

「…………」

 

 ──て行こうと思ったのだが、彼女は俺の手を掴んだまま、辺りの雑草を踏みつぶして座り込んでしまった。

 ぐっ、と引っ張ってもビクともしない。

 置物かな?

 

「あそこにベンチがあるだろ。お互い言いたい事は一旦飲み込んでさ、あそこに座ってから話さないか?」

「…………」

「……急にガチ無表情キャラになったな」

 

 俺の手は離さず、しかし花壇に鎮座したまま一言も発さずに黙りこくる彼女に、ベッドの上で俺をからかうようなコミュニケーションを取っていたあの少女の面影は見えない。

 突然のキャラ変更には流石の俺も困ってしまうな。

 完全に『無表情だけどその分テンションが高い』みたいな性格だと思ってたんだが、どうやら違ったようだ。

 高低差というか、感情の起伏が激しすぎる。

 

「あぁ……もう、分かったよ。動きたく無いんならしょうがない」

 

 観念し、ドカッと腰を下ろした。

 座っている場所は雑草が生え散らかった花壇の上だ。

 庭園の端っこにある、手入れをサボられた、癒しの欠片も無い土に座って、俺たちは向かい合うことになった。

 

「……んっ」

 

 ポツリ、と。

 

 頬が水滴を弾く。

 上を見上げても、真っ暗なので空模様は窺えない。

 

 しかし降ってくる水滴は勢いを増していき、それはあっという間に雨粒になっていった。

 頭上から無数の水が全身を襲ってくる。

 まるで冷たいシャワーを浴びているのかと錯覚する程の勢いだ。

 明らかに本降り。

 しばらくは止みそうにない。

 早いところ屋内に避難したいところではある……のだが。

 

「コク」

「……」

「聞いてんのか、おい」

「むぃっ……」

 

 無視され続けてむかっ腹が立ったため、試しに空いた腕で彼女の頬を引っ張ってみた。

 抵抗はしてこない。

 ぐにぐに。

 もみもみ。

 

「……」

 

 されるがままだ。

 どうやらコレを続けたところで意味は無いらしい。

 何コイツ、どうして突然本物の無表情ヒロインになってんの。

 

「はぁ……」

 

 困り果てて手を離した。

 ざぁざぁと雨は強くなる一方で、俺たちが座っている土も泥と化し、濡れて肌に張り付く服と同様に微妙な不快感を覚えさせてくる。

 

「寒くないか?」

「……寒くない」

 

 ようやく会話をしてくれたのは嬉しい──が、やはり俺の手は離さない。

 ずぶ濡れになったまま俺を引き留めるその手は分かりやすく冷たかった。

 寒くない、などという彼女の言葉は嘘だ。

 肩が震えている。

 指先の力が弱まっていく。

 水を吸った漆黒の長髪が顔の前に垂れ、コクの表情が見えなくなってしまった。

 

「痛くない。苦しくない」

 

 雨音が耳朶を打つ。

 空から降り注ぐ轟音に、彼女のか細い声は今にも搔き消されてしまいそうだ。

 ふと、前髪の隙間から彼女の瞳が見えた。

 頭のてっぺんからつま先まで水浸しで、力なくこちらを見上げるその姿は、初めて出会ったときの衣月を彷彿とさせる。

 

 異様な雰囲気。

 意味深なセリフ。

 常軌を逸した立ち振る舞い。

 それはまるで、メインヒロイン面した謎の美少女のようで──

 

 

 

 は?

 

 いや、え?

 待て待て、ちょっと一旦落ち着いてもらおうか。

 

 ……おかしいだろ。

 メインヒロイン面した謎の美少女は、他でもないこの俺なんだぞ。

 何で急にぽっと出の新キャラにアイデンティティを喰われなきゃならねぇんだ。危うくアイデンティティクライシスするところだったわ。

 このままこの女のヒロインムーブを許すわけにはいかない。

 

 無表情メインヒロインはただ一人、この俺なのだから。

 

 

「……見て、私の手」

 

 言いながらコクが片手を俺の目の前に差し出してきた。

 その手の中指と薬指に該当する部分が──ひん曲がっている。

 本来ならあり得ない方向に折れてしまっているのだ。

 明らかに重度の骨折だった。

 おそらくあの不格好な着地をした際に、どこかへ指をぶつけてしまったのだろう。

 

「この指は折れてるけど、すぐに治る。私は人間じゃないから」

 

 そう言うとコクの折れた指の部分が、どこからともなく発生した光の粒子に包まれた。

 まるで蛍が一斉に集まってきたかのような光景だ。

 ほんの数十秒ほどそのまま待っていると、次第に光の粒子が霧散していく。

 

 そして完全に光が無くなった頃には──彼女の指は元通りに治っていた。

 

「ほらね。普通の人なら大変な大怪我も、私にとっては意味が無い。バケモノみたいに肉体が再生されていくんだ。気味が悪いでしょ? 屋上から飛び降りた時だって、アポロが助けてくれなくても……きっと、私は死ななかった」

「……いや、あの高さは流石に死ぬだろ」

「…………」

 

 沈黙しやがった。

 どうやら俺がこういう反応をしてくるのは予想していなかったらしい。

 

 ていうか、よく見たら目が少し赤くなってるな。

 言ってしまえば泣いた後のような瞼の色だ。

 雨を浴びただけではこんな風にはならないだろう。

 きっと先ほどまで黙ってたのは口を利かなかったんじゃなくて、単に折れた指の痛みで悶絶してただけだったんだな。

 何だよ、ちゃんと痛覚もあるじゃない。

 指が痛すぎて喋れずに泣いちゃうとか人間じゃなくて何なんだよって話だ。

 

「そりゃ治りはしたが、指も本当は痛かったんだろ? めっちゃ人間じゃん」

「……うるさい」

 

 あまりにもレスバが弱すぎないか、この女。

 これなら激しい口論には発展しなさそうだ。よかった。

 

 

 ──うん、分かる。

 

 わかるぞ、コイツ人外系のヒロインなんだな。

 確かに今までガチで人間をやめた系の女の子は一人もいなかったから、しっかり新しい属性で他とも被ってない。

 この上ないタイミングでの登場だ。

 改造人間だったり経歴に殺人がある少女だったりと、ヒーロー部や俺の仲間もなかなかに濃い属性を兼ね備えていたが、物理的にデフォで一般人を超越した存在が出てきたのはこれが初めてだ。

 こいつが噂に聞く逸般人ってやつなんだろう。

 

 数十秒で骨折を治すヤツが果たして人間なのかという話だが、コクの言葉を聞いた限り彼女自身は人間でありたいっぽいので、俺はこの少女を人間扱いする事に決めた。

 普通に考えても本人が望む方向に肯定してやるのが一番いいはずだ。

 もちろん時間は掛かるだろうけど、俺に最も近しい存在の為なら、どれだけ頑張る事になろうと別に苦ではない。一周回って自分の為にもなるのだから当然だ。

 

「アポロだってこんな、得体のしれないバケモノとなんて一緒に居たくないでしょ」

「俺はそうは思わないぞ」

「う、嘘ばっかり。それにアポロがどう思おうと、私が死ぬのは決定事項だから」

「何でそんな結論になるの……?」

 

 ──なにより。

 

「私だって悩んだよ。いっぱい、いっぱい悩んだ。でも、何をどう考えても、アポロの前から姿を消す以外に……私自身が消える以外に、私が生まれた意味を果たす方法が無かったの」

 

 このあからさまに悲劇のヒロインぶった彼女のムーブを無視するワケにはいかないのだ。

 俺がヒロインごっこを続ける都合上、絶対に。

 早急に対処しなければならない事案だ。

 

 いやまぁ、事実この少女は悲劇のヒロインではあるんだろう。

 自分の意思に関係なくいつの間にか他人の姿を模した生を受けてしまい、尚且つ一般人に見られたら非人間だと揶揄されそうな力を持っていたのだから、彼女はコレが悲劇のヒロインじゃなかったら何なんだよってレベルの悲ヒロ(悲劇のヒロインの略)度数をお持ちの少女なのだ。

 

 しかし彼女を悲ヒロ扱いすることは出来ない。してはならない。

 その理由は至ってシンプルだ。

 目の前にいるこの少女が、レッカが自ら救わなければならない程の不幸なヒロインになってしまった場合、俺の演じる『コク』の存在感が、それはもうハチャメチャに薄まってしまうからである。

 

 もしもこれを誰かが聞いたら、そんなくだらない事が理由なのかよ、と思われるかもしれない。

 

 それは違う。

 断じて違うのだ。

 は?

 くだらなくなんか無いが?

 

 俺は世界が滅びそうになった時や、自分自身の命が潰えそうになった時ですらも、美少女ごっこを辞めなかった男だ。

 痛くても苦しくても我慢してきた!

 世界中から命を狙われても、右目を潰されても、すごい痛いのを我慢してた!

 俺は長男だから我慢できたけど次男だったら我慢できなかった。

 

 コクの存在意義を守るためなら本気になるに決まっている。

 これまで耐えてきた我慢を、無かった事になんてさせてたまるか。

 たとえ相手が本物の悲ヒロだろうが、俺は怯まず立ち向かって彼女を一般人の女の子として周囲に認めさせてやる。

 TS変身することで幕を開けたこの物語のメインヒロインはただ一人、この俺だ。

 

 謎の美少女を続けるためには、どうしても他の謎の美少女が弊害となる。

 言ってしまえば壁だ。

 コク本人が、ではなくコクの纏う悲劇のヒロインパワー全力全開のオーラが、である。

 今まで培ってきた非常時に強いこの俺の対応力を用いて、彼女の問題をすべて平穏に解消してオールオッケーにしなければ。

 場当たりパワー、ポッキー!

 

「コク。そこまでして悩んだんなら、逆にどうしてその『死ぬしかない』って結論に至ったんだ?」

「……私にはアポロしかいないけど、アポロには沢山の仲間や理解者がいる」

 

 たとえコクがどんな心境や理由で仕掛けて来ようとも、彼女が醸し出すシリアスムードは全て破壊する。

 見とけ、シリアスなヒロイン扱いなんて絶対してやらないからな。

 すぐに病室のベッドの上でワチャワチャしてたあの生意気ロリっ娘に戻してやるから覚悟しろよ。

 

「仲間も親友も、相棒も一番の理解者も、アポロにとって必要な存在の枠は、既に全部埋まってる。病室にヒーロー部が来てたあの光景を見てて、気づいたんだ。私はいらないんだって。だから消えようと思ったの」

「いや、俺の美少女ごっこの真実を知ってるのはお前だけだろ」

「…………音無も知ってるよ」

「違うな、間違っているぞ。お前も本当はわかってるはずだ」

「む、むぅ……」

 

 コクの言った言葉は少し的外れだ。

 確かにアイツは察しがいい方だが、彼女の認識は『衣月を守るためにTSし、変身しているうちにだんだんTSが楽しくなっちゃった』みたいな感じだ。

 

 そうじゃない。

 日々の退屈。

 ヒーロー部に対する僅かな劣等感。

 そんなくだらない感情で始まったのが美少女ごっこなのだ。

 誰かを守るためだとか、世界を救うためだとか、そんな高尚な理由などありはしない。

 レッカをからかいたくて、部員のヒロインたちよりも特別な位置に立って──とにかく気持ち良くなりたかっただけだ。

 それで親友を騙しているのだから、もはや悪役染みた思考である。主人公には程遠い。

 

 そして、それをこの少女は知っている。

 誰にも明かしていない真実を、彼女だけが唯一共有している。

 

「絶対の秘密を脳内で話し合ったのも、夢の中で一緒に戦ってくれたのも、俺を不幸ぶったエセ鈍感主人公から美少女ごっこが大好きな変態に戻してくれたのも、すべてお前だ。コクのおかげで、いま俺はここにいる。俺にとって誰にも代われない、唯一無二の特別な位置にお前はいるんだよ」

「……なにそれ、口説き文句? アポロ、きもい」

 

 うるせぇな、無言で屋上から飛び降りようとする方がきもいだろ。お互い様だ。

 お前が自分をいらない存在だとかのたまったからこう言ったのに、本当にワガママなやつだ。さすが半分くらい俺なだけある。俺ってワガママだもんね。

 

「ねぇアポロ、気づいてる? 失明した片目、ちゃんと見えてるでしょ」

「んっ……あぁ、そういえばそうだな。なんか治ってら」

 

 改めて意識すると気がついた。

 両方の視力が戻っていて、視界がとても良好だ。

 

「私ね、右目が見えないの。これとコクの姿といい、これからアポロが生きていく中で不必要な部分をまとめて引き受けたんだよ。しょせん私はアポロの復活の際に出たゴミ。捨てるだけだった不必要な部分に意識が混じっちゃっただけのバグってこと。分かった? このまま消えるのが当然の流れなんだ」

 

 おっ、だんだん早口になってきた。

 焦りの感情が手に取るように伝わってくる。

 そんな状態のお前が何を言ったところで、今の俺を納得させられるわけがないんだよな。

 

「コク、その右目……多分治るぞ」

「適当な事ばっかり」

「さっきの指を治した時と同じ要領でさ、目の治療を意識してみてくれ」

「そんなんで治るワケ──」

 

 恐らく回復する。

 骨折した指だって治ったタイミングは、コクがわざわざ俺に見せつけて『治そう』と考えた時だ。

 意識するまではあの指も折れたままだった。

 

「……治った。見える」

「だろ?」

「うざい」

 

 口が悪すぎるだろ……失明が完治したやつのセリフじゃないよ……。まぁでも治ってよかった。

 どうやらコクは俺の思い通りに事が進んだのが気に食わないらしい。

 

「何も死のうとする必要はないんじゃないか。お前はバケモノなんかじゃないし、俺以外の仲間だってこれからどんどん増えていくはずだ。まだ生まれてから一日しか経ってないんだから」

「……わかんないよ」

 

 コクが小さく呟く。

 ばしゃばしゃと激しく跳ねていた雨音は、いつの間にか弱まっていた。

 強く降り注いでいた空の涙も、そろそろ在庫切れで晴れようとしている。

 同じくして、彼女が自分を否定する言葉のバリエーションの在庫も、品切れ間近なようだった。

 

「バケモノじゃないなら、私はいったい何者なの? 気がついたら()()にいた。勇者だか魔王だか知らないけれど、人知を超えた力も持っていた。何のために? どうして生まれたの?」

 

 どんなシリアスっぽいセリフを吐こうが、無表情ヒロインぶって付けてた仮面が剥がれつつあるのは隠せやしない。

 元気が戻りつつある。

 少なくとも今すぐ死のうとはしない程度に。

 

「私は……アポロの邪魔をしたくて生まれてきたわけじゃない。……でも、現状アポロの邪魔になってしまっているのなら、やっぱり私は消えるしかないよ」

「──ふっ、甘いな」

「な、なに……? ドヤ顔きもい……」

 

 鼻で笑い、彼女の言葉を一蹴する。

 ていうかさっきからお前一言余計だぞおい。

 

「分からないのか。俺のこれからの美少女ごっこに、お前の存在は必要不可欠だという事を」

「そうなの」

「あぁそうだ。きっとすぐに分かるさ」

 

 すっかり雨も上がり、暗雲に包まれていた空を見上げると、そこは満天の星々で埋め尽くされていた。

 涙を流して感情を吐露する時間はたった今をもちまして終了いたしました。残念でしたね。

 俺はすっと立ち上がり、未だに呆けたままこちらを見上げるコクに、手を差し伸べた。

 

「コク。お前、私にはアポロしかいない、って言ったよな?」

「……その通りでしょ」

「どうかな。少なくともお前はまだ俺としか会話をしてない。自分は余計な存在だとか、俺と違って孤独だとか、そういう答えを出すにはまだ早すぎると俺は思ってる」

「なにそれ。……わっ」

 

 いつまで経っても俺の手を握ってこないため、痺れを切らして無理やり彼女の手を掴んで立ち上がらせた。時には強引な方法も必要なのだ。

 

「確かに答えは自分で出すものだ。でも、お前にはまだ答えを出すに足る経験が不足している。もう少しだけ俺と一緒に生きてみて、それから答えを出してみてほしいんだよ。……まぁ、それでまだ死にたいだなんて結論が出てきたのなら、その時は俺も止めないからさ」

「……たぶん変わんないよ」

「変われるって。たぶん」

 

 こいつを更生するための算段は既に考えついている。

 俺が考えたこの作戦を決行すれば、必ずコクの中の考え方も変わるはずだ。

 もう自殺未遂とかそういう面倒なシリアスはお腹いっぱいです。

 

 シリアスな欠片も無い世界へ投げ入れてやるから覚悟しとけよ、謎の美少女め。

 

 

 

 

 

 

「というわけでレッカ。アポロを返して欲しかったら、私()()を捕まえてね」

 

 数日後。

 俺はコクの姿に変身した状態で、コクと一緒に二人で学園に赴いて、レッカたちヒーロー部の前に姿を現した。

 コクにはあのフードが付いた制服っぽい衣装を着せ、俺は沖縄で使ったワンピースの上にカーディガンを羽織った状態で、風魔法で宙に浮いて校庭にいる彼らを見下ろしている。

 

「どういうこと?」

「この学園都市全体を使ってかくれんぼをします。いざ勝負」

「分からない……何でアポロを人質に取られてる……? そもそもどうしてコクが二人に……?」

 

 ブツブツと呟くれっちゃん。そりゃ分かんないよな、ごめんな。

 

 でもこうするしかなかったのだ。

 コクの存在意義を肯定するなら、こうして『コクを二人にする』という新展開の美少女ごっこをする必要があった。

 お前の存在は無駄なんかじゃないのだと証明する必要があった。

 あと単純にこのシチュをやってみたかった。

 

 ただ、これではまだ足りないから、もう一つ。

 

「カゼコ、氷織。……それからヒカリも、手伝ってくれる?」

 

 俺がそう言うと、名前を呼ばれた彼女らは一歩前に出てから俺たちに手を振ってくれた。

 一番最初に反応してくれたのは氷織だ。

 

「はーい、今行くね。カゼコちゃん頼んだ!」

「あぁ、そういう事。しょうがないわね……ほら、あたしの風魔法で浮かせるから、ヒカリもこっち来なさい」

「お待ちになってくださる!? あのっ、このまま飛んでしまったらレッカさんにスカートの中が見られ──ぎゃあっ!!」

 

 おおよそ令嬢とは思えない悲鳴をあげながら、他の二人と同じくして俺たちの方へ飛んでくるヒカリは、分かりやすく涙目だった。かわいそう。

 彼女たちには事前に『協力してほしい』とだけメッセージで送っておいたのだが、流石はヒーロー部。飲み込みの早さと洞察力は並じゃない。

 

 そう、コクにとってもう一つの必要な事とは、俺以外の人間との交流だ。

 このかくれんぼを通して、ヒーローの部の中でも特にコミュ力と癒しパワーが高いあの三人と仲良くなって貰おう、って算段である。

 

 傷心気味な人間のメンタルケアであればあの三人が適任、という事は俺が身をもって体験して知った。

 コクが自分なりの答えや理解者を得る為にはこの方法が一番優れているに違いない。

 ふふふ、我ながら天才すぎる発想だぜ。自分が怖い。

 

「ちょっ、待ってくれ三人とも! なんでそっち側に!?」

「はいはい、レッカ先輩はウチらと一緒に鬼をやるッスよ」

「ふふっ、頑張ろうなレッカ。勝手にいなくなった部員たちを私たちでとっ捕まえなければ」

「ぉ、オトナシに部長まで……なんだコレ……!?」

 

 俺の考えをうまく察してくれるあの二人には、コクがヒーロー部と打ち解けるまで逆にレッカに付いて彼をうまくコントロールしてもらう。

 直接何をやるかは伝えていなかったのだが……やっぱり音無と会長は頼りになるな。

 

「あの、アポロ。これ大丈夫なの……?」

「心配すんなって。さ、かくれんぼの始まりだ」

 

 踵を返し、ちょっとだけパンチラをサービスしつつレッカくんに向けて、一言。

 こういう時こそ頑張ってくれよな、主人公くん。

 

「さよなら〜」

「まっ、待てコラーッ!!」

 



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ここまでのあらすじと登場人物まとめ(挿絵あり)

こちら登場人物まとめとストーリーの振り返りになっております
キャラ紹介形式で投稿するの初めてなのでドキドキです


●勇者の血統を継ぐ少年視点のここまでのあらすじ

 

 高校に入学しとある男子と意気投合。いろいろあって親友同士にまでなる。

 

 数多の少女たちと出会い交流を重ね、ヒーローとして悪の組織に立ち向かい、街を守りながら成長していく。

 しかし戦いの激化に伴い親友とだんだん疎遠に。

 

 そんなある日の夜、謎の少女と邂逅する。

 

 今までに出会った少女たちと違い、近づけそうで近づけない彼女の距離感に四苦八苦しながらも、心のどこかでその少女に惹かれ始める。

 だが突然親友と少女が行方不明になる。胃が痛む。

 二人が物理的に一つの肉体を共有していると察する。胃に穴が空きかける。

 様々な出来事を経て最終的に世界を救うも、少女(親友)が殺人の罪を背負って姿を晦ます。胃が死ぬ。

 

 数ヵ月後に帰ってきた少女(親友)が会話をする間もなく事故で瀕死の重傷を負う。精神が壊れかけるが、やせ我慢で耐えた。

 

 回復のため必死に奔走し各所へ協力を働き掛けた結果、少女が昏睡から目覚める。

 知らせを聞いて病院に駆けつけると、親友と少女が分離しており、二人は病室で対面座位をしていた。

 え?

 なに、この状況……

 困惑と情報量で脳が破壊されそうになったため、その場から逃げた。

 

 数日後、更に二人に分裂した少女がいきなり学園に登場。

 親友を人質に取って『鬼ごっこをしよう』と言い出す。

 度重なる意味不明な状況でついに精神が参ってしまい、泣いちゃう。←いまここ

 

 

●頭のネジが一本足りてない少年視点のここまでのあらすじ 

 

 高校に入学しとある男子と意気投合。いろいろあって親友同士にまでなる。

 

 しばらくはダラダラと遊びながら学園生活を送っていたものの、なんか親友だけ明らかにバトル系のハーレムラノベ主人公みたいな状況に陥ってしまい、突然とても暇になる。

 その間何度か親友のヒロインたちと接触し、次第に『俺がヒロインになって親友を奪ってやったら、コイツら一体どんな顔すんのかな』という邪な感情を抱き始める。

 

 入学から一年後、ついに理性が限界を迎えてしまい、いろんな道具を使って黒髪の美少女に変身。

 ヒロインたちを驚かすため、親友をからかうため、退屈な日常を破壊し()()()()()()()()に行動を開始する。

 始めてから暫くはおおよそ目論見通りに事が進み、美少女ごっこも楽しくなり徐々に歯止めが利かなくなっていく。

 

 そんなある日の昼、謎の少女と遭遇する。

 

 ここまでやってきた悪行のツケが回り、生まれて初めて他人の命を背負うことになる。心の中で泣く。

 身元を隠しながら公共交通機関を使用せずに東京から沖縄へ向かう旅を強制される。お腹が痛くなる。

 やせ我慢で旅を頑張るが、いろんな誤解を招いていき更に苦しめられる。

 なんやかんやあって人類滅亡を企んだ黒幕を打倒するも、敵の策略によって全国指名手配犯になり、ダメ押しで女から男に戻れなくなったり失明したりPTSDを発症したりなどして、二桁は死にかけた。

 

 少し回復した矢先に再び瀕死になる。また……?

 植物人間のような状態になり、一生目覚めないと断定され実質死亡。

 

 仲間の奮闘(よく分からんチートみたいな違法パワー)によって復活。

 そのデメリットで肉体がバグり、自分が変身していた美少女の姿にそっくりな女の子が爆誕。

 意味が分からないので、精神の安全のために一旦思考停止する。

 

 数日後、自分の存在意義を見出せないそっくり少女の為に何が出来るかを考え、最終的に鬼ごっこを決行。

 親友に無茶ぶりをするが、自分が去った後に彼が子供みたいに泣いている事は知らない。←いまここ

 

 

 

 

【キャラクター】

 

 

●レッカ・ファイア

 

 あだ名で呼び合いたいなって思ってたんだ。

 友達がいた事なんて無かったから、実はそういうの憧れててさ。

 うん、本当。お恥ずかしながら。……えへへ。

 君はアポロ・キィだから……アッキィ、ぽろぽろ……うぅん。

 あっ。

 じゃあ──ポッキーとか、どう?

 

・概要

 一般人視点から見た場合の主人公。

 

 かつて魔王から世界を救った英雄の子孫にあたる少年でもある。

 その血の宿命なのか面倒ごと(主に世界の危機)に巻き込まれがちだが、実際は親友と遊び呆ける毎日を送りたい普通の男の子。

 幼少期から両親による実力主義の教育が災いして今まで友人を作れず、同性との対人関係に疎かったため、親元を離れてようやく出来た初めての友人であるアポロに対しては、若干重めな感情を向けている節がある。

 少し強火なだけの友情なのでたぶん問題はない。はず。

 レッカが美少女ごっこを始めたら三話くらいで話が終了する恐れがある。

 

 ヒーロー部の他メンバーが女子しかいないため、学園にいる大抵の生徒たちからは『美少女侍らせハーレム野郎』として認識されていた。

 世界を救った後は男女両方からモテているが、肝心の親友が指名手配されたり植物人間になったりしていたため、引きつった愛想笑いをする日が続いている。

 

【幕間】

 最新話の直後、情報量に殴られ過ぎて遂にいじけてしまった。

 しかし優しい性格なので誰に八つ当たりする事も出来ず、一人でめそめそ泣き始めてしまう。

 とりあえず部長や後輩が慰めてくれたので大事には至らなかった。

 その後、またコクに関して余計な考察(勘違い)を始めている。悪いクセ。でもやっぱり七割くらいはアポロの責任。

 

 

●オトナシ・ノイズ

 

 裏切るな、と脅してきた輩は大勢いた。

 裏切ってもいいと、そう言ってくれた人はただ一人だった。

 いつでも誰かの裏切り者だったけど、その人だけは裏切らないと心に誓った。

 徹頭徹尾、私はあなたの忍者です。

 にんにん。

 

・概要

 漢字表記は音無。

 相棒なのかヒロインなのか保護者なのかよく分からない人。

 

 アポロの破滅的な思考(美少女ごっこ)を心配しつつも、それを止められない自分を憂いている。

 ただ先輩があまりにも自由奔放すぎるため、やり過ぎた場合は堪忍袋の緒が切れて手を出す可能性もある。

 彼の根底にある『罪悪感からなる、他者優先の自己犠牲』についてはノーコメント。

 また同じ事をするつもりであれば、その時は何も言わずそばで支える。

 

 旅を通じて姉妹のような仲になった衣月とは、学生寮の広めな一室を借りて二人で生活している。

 しかし『わたしか音無が紀依と結婚したら三人で住む家を買おう』と言われた時は半笑い。

 衣月が変に年上好きになってしまわないか日々心配している。割と過保護。

 

【幕間】

 鬼ごっこが終わってアポロが戻ってきた場合、紀依夫婦が一時的に住んでいる賃貸と自分たちと同じ学生寮のどちらに彼が来る事になるのか、最近はそれだけが少し気になっている。

 

 

●藤宮衣月

 

・概要

 マリオにおけるピーチ姫的なアレ

 

 組織の実験体だった頃とは打って変わり、すっかり普通の小学五年生に戻った白髪ロリっ娘。

 旅を通じて得た豊富な知識や、目を引く美少女然とした容姿も相まって、無意識にクラスメイトの男子たちの初恋を軒並み奪っている。魔性の女。

 特に仲の良い女子の友人が一人出来たため、学校生活は極めて良好。

 男子に告白されたりなど、衣月が困ったときは大抵その女子が助け舟を出している模様。

 日曜日は彼女の自宅へ赴き、二人でプリキュアを観ていたりする。

 

 無表情がデフォルトだが、アポロが植物状態から目を覚ました際には、表情を崩して大泣きした。

 二、三時間ほどは甘えに甘え尽くしたが、冷静になった後は思春期な感情が湧いてきてしまい、恥ずかしいところを見られたので紀依がちゃんと戻ってくるまでは会わない、と頑なに対面を拒否するようになってしまった。

 鬼ごっこなんか知らない。

 

 

●コオリ・アイス

 

・概要

 漢字表記は氷織。青髪。

 

 暗殺者に育てられた過去を持つシリアスキャラだった。

 アポロと関わったことでフットワークが軽くなる。

 彼の後押しもあり、悪の組織との戦いが終わったらレッカに大事なことを伝えるつもりだったが、ラスボス撃破の直後にアポロが行方不明になったため、完全にタイミングを失ってしまった不遇な立場。

 元々感性豊かで涙脆いところもあったが、彼が昏睡状態から覚醒した時は衣月と同じくらい泣き散らした。

 声に濁点が付いていたので相当汚い泣き声だった模様。

 最新話では分離した方のコクのメンタルケアを任された。

 

 

●ヒカリ・グリント

 

・概要

 漢字表記は光梨。金髪。

 

 ほんわかぱっぱピュアお嬢様。

 おそらく作中で最も心が清い。

 あまりにも精神が高潔すぎるため、彼女が全ての事情を把握してアポロを説得した場合、完全に浄化されてしまいそれが最終回になる。善性の擬人化か何か?

 どでかい財閥の令嬢ということもあり、活動の資金面における切り札。

 氷織と同じく分離コクの甘やかし担当に抜擢される。

 

 

●カゼコ・ウィンド

 

・概要

 漢字表記は風子。姉妹二人とも緑髪。

 

 カウンセリングの達人とされている。

 精神的に死んだアポロを一番献身的に世話していた。おねえちゃんママ。

 洞察力が鋭く、分離コクの精神状態にいち早く気がついたため、彼女のメンタルケアは鬼ごっこ開始直前で既に始まっていた模様。もう大丈夫! アタシが来た!

 

 

●ライ・エレクトロ

 

・概要

 漢字表記は雷。紫髪。

 

 黒幕撃破後、世界を救ったヒーロー部のメディア対応をほぼ一人で担い、他のメンバーがアポロを探せるよう尽力した。

 部長と生徒会長の仕事を両立させながら、部員のためにヘリの調達や情報操作を行ったりなど、明らかなオーバーワークも気合いで何とか乗り越えたスーパーウーマン。

 立場上なかなか気が休まらないリーダーだが、絶望した自分を奮い立たせてくれた彼の為ならいくらでも頑張れる、と自分を鼓舞して耐えてきた。

 しかしやはり人間。

 めっちゃ疲れる立場なので最近はスイーツに没頭していた。あと体重計を見て滝汗を流したりも。

 アポロが覚醒したあとは肩の荷が下りたようで、普通の学生生活以外の仕事は全て休む事にした様子。

 

 恋愛経験が皆無なため自分の感情の分析に疎く、『彼の近くにいると心が安らぐんだ』とか恥ずかしげもなく言っちゃうタイプの子。

 

 

●グレン・ファイア

 レッカの兄。

 何かと便利屋扱いされている。

 弟との交流が増えたのは素直に嬉しい模様。

 

 

●紀依勇樹

 元悪の組織の研究員。

 物語開始の引き金となったTSペンダントを製作した張本人。

 悠々と自分を超えていく息子に並々ならぬ期待を寄せている。

 

 

●紀依千恵

 同上。

 変態マッドサイエンティストを正義の味方に引き入れた人類の英雄。過去の戦いにおけるMVP。

 まだ退院日じゃないにもかかわらず病院を抜け出して鬼ごっこを始めた息子を叱りつけるため、夫を引きずりながら街中を歩き回っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●アポロ・キィ

「ハーレム入りせず他のヒロインたちとは一線を画す立場にありそうな、メインヒロイン面した謎の美少女ごっこがしたい!」

 

・概要

 一応主人公兼ヒロイン。

 漢字表記は紀依(キィ)太陽(アポロ)

 コクという黒髪少女に変身する。

 ヒロインとしての立場の方は常に脅かされているため、気合いで兼任している。無駄な努力。

 

 自分の心に忠実に従った結果、たくさんの人を振り回したり、少女たちの心を救ったり、世界を滅ぼそうとした組織を壊滅させたり、親友を困らせて泣かせてしまったりなど、良くも悪くも影響力が強い男。

 因果応報と言わんばかりに何度も世界に殺されかけるが、旅の過程で得た仲間によって延命されてしまうため、死ぬに死ねないままシミの如くこの世にへばりついている。

 身内の誰かが危険な目に遭いそうになると、考えるよりも先に体が動く厄介体質。

 というより身内じゃなくとも目の前であれば無謀に飛び込むので、ただの気狂い判定を受けることもままある。

 

 好き勝手に生きてはいるものの、罪悪感が無いわけではないため、その贖罪を理由に度を超えた自己犠牲を働きがち。

 その度にシャレにならないレベルの重傷を負うため、関係者も叱るに叱れない悪循環が生まれている。普通にブン殴られてもいいと思う。

 当面の目標は自分から分離した少女の補助と修学旅行。呑気。

 

 精神世界でのシミュレートの通り、別の世界線ではTSした状態でレッカに攻略されたりなどもしているため、本質的にはチョロい。

 男としても女としてもチョロい。

 鬼チョロ。

 チョロすぎてチョロQになったわね。

 

 

 

●フウナ・ウィンド

 

 風菜。カゼコの双子の妹。

 コクが好きなレズっ娘。

 生理痛がムリすぎて鬼ごっこは欠席した。

 

 

 




提供していただいたイラストを紹介いたします。

朽木_様より、アポロとコクのポッキーコンビ

【挿絵表示】

本当にありがとうございます!コクの茫々とした無表情っぽさとアポロの不敵な笑みが絶妙な対比になっていて素晴らしいです。これで同じ人間なんだ……


朽木_様より、音無

【挿絵表示】

ワイシャツ長袖ベストと黒手袋!!ありがとうございます!そしてこのにへら笑いの表情があまりにも解釈一致度高すぎて声にならない悲鳴をあげてしまいました。かわいい!!!!!


朽木_様より、衣月

【挿絵表示】

ありがとうございます!第10話のポテポテと部屋を歩き回る衣月ですね!おでこ広めなポニテや口みたいな栗がSO CUTE


朽木_様より、音無Ver.2

【挿絵表示】

ありがとうございます待ってかわいい!!!?
このイベントCG感がたまらなく好きです。ポニテ!長めのもみあげ!!上目遣い!!!!乾杯です。


阿井 上夫様より、衣月とコク

【挿絵表示】

ありがとうございます!純白と漆黒が綺麗に対比されていて美しい……
こちら細部の修正までして頂いて本当に嬉しいです!本当にゲームのパッケージみたいで透明感のあるイラストですね!


阿井 上夫様より、音無

【挿絵表示】

み、見え……あ゛ッ!!!太ももにベルトが!!!!!むちっと感が強調されていて大変にえっちだ……。たびたび出番のあった煙幕玉や忍者感マシマシのスリケンに加えて何よりこのデカいマフラー、あまりにも芸細なんだ……
感動でしめやかに爆発四散しました。本当にありがとうございます!


※紹介漏れがあったので追加

阿井 上夫様より、特注の制服を身に纏ったコク

【挿絵表示】

ありがとうございます~~~~!!!(クソデカ大声)
黒シャツと白ブレザーの組み合わせに節々の黒い線やフードなど作中におけるあの謎の制服の細かい設定を完璧に落とし込んだ最強のイラストです 髪の毛がモフモフでとてもかわいい


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ヒーロー部、またの名を慰安部

 

 街全体を使った鬼ごっこが開始されてから、大体二日くらい経過して。

 時計の針が左下に移動し、鬼ごっこ生活三日目の朝がスタートした。

 

 俺たちが現在いる場所は市街地の端っこにある一軒家だ。

 ヒカリの実家であるグリント家が所有している別荘の一つらしい。彼女の厚意で、数日前からここを鬼ごっこ中の潜伏先として使わせてもらうことになった。

 そんな家の窓から朝日が差し込み、小鳥がチュンチュンと囀っている。

 気持ちの良い朝である。

 

「うぅ゛ー……ふあぁ」

「おはよう、氷織」

「んー。アポロくん、おきるの早いねぇ……」

 

 瞼をこすりながら最初に寝室から出てきたのは氷織だ。

 寝起きにしては意外と髪が整っていて、寝ぐせは見当たらない。

 昨晩眠る前にブラッシングをしたりシュシュを着けたりしていたせいかもしれない。

 女の子って大変なんですね。

 

「くんくん……いい匂い。なに作ってるの?」

「普通の卵焼き。そろそろ出来るからみんな起こしてきて」

「はぁい」

 

 沖縄への旅や逃亡生活中は常軌を逸した早起きが基本だったため、今ではそれがすっかり習慣になってしまっている。

 流石に朝四時だとかに起きることはもう無いだろうが、それでも六時前起床は当たり前だ。

 勝手に身体が起きてしまう。

 れっちゃんの寮部屋へ泊まりに行って昼まで寝てた頃の俺に戻るにはもう少し時間がかかりそうだな。

 気持ち的には二度寝どころか五度寝くらいしたい。

 

「ぉはよう、ございま、すぅ」

「……眠そうだな、ヒカリ」

「人生初の、夜更かしさんはぁ……うぅ、強敵でございましたわ……」

 

 確か昨日はトランプで大盛り上がりしてたんだったか。

 ついでに深夜アニメを観たりなんかもして、俺以外の女子四人は楽しそうに夜通し遊んでいた。

 有名財閥の令嬢と生まれてから数日しか経ってないロリっ娘の二人にとっては、アレが人生初の夜更かしだったのだ。

 寝不足になるくらいテンション上がっちゃってもしょうがない。

 

「……アポロがエプロン着けて料理してる」

「んっ」

 

 噂をすれば、件のロリっ娘も寝室から出てきた。

 ヒカリや氷織と違って既に目は冴えているものの、逆に髪がボサボサだ。

 よく見れば後ろに眠そうな顔したカゼコお姉ちゃんもいる。

 おはようございます。

 

「ふわぁ。……んん? あら、()()ったら髪の毛がピョンピョンしてるじゃない」

「え、ほんと」

「ブラシで梳かしてあげるから……ほら、こっち来なさい」

「うわぁ」

 

 未だに半分寝ているような状態のカゼコによって、化粧台の前に座らされる黒髪の少女。

 普段から手のかかる妹を世話しているだけのことはあって、彼女をブラッシングするカゼコの手さばきはかなり熟れている。

 飼い主に撫でられる猫のように、黒髪ロリは目を細めてされるがままだ。

 

 

 ──マユ。

 

 勇者と魔王の力がきっかけで生まれたから、そこから一文字ずつ取ってマユ。

 髪の色が漆黒だったから名前をコクにした俺と同レベルのネーミングセンスだ。

 まぁ中身の半分は俺なわけだから、当然と言えば当然だが。

 むしろしっくりきたくらいである。

 

 コクは俺。

 レッカに謎の美少女ムーブをかましていた変態女の名前はアポロの物だから、とりあえず別の名前を名乗ってみる……との意見だった。

 だから、マユ。

 自分はコクではないから。

 まずは人間としての第一歩として、彼女は自分だけの名前を得たのだ。

 

 

「マユちゃん銀髪のメッシュ似合ってるね~」

「そう?」

 

 五人で一つのテーブルを囲む朝餉。

 氷織に褒められたマユは無表情ムーブで照れを誤魔化しながら、少しだけ前髪を指で弄る。

 アレも個性の一環だ。

 あまりにも見た目がコクと一緒過ぎるため、マユの方から外見を外しにいった結果ああなった。

 前髪の一部を銀髪に染めつつ、髪型もツーサイドアップに変えている。

 常に髪を下ろしていて尚且つ真っ黒髪なコクとは、もう既にだいぶ見た目が違う。

 なんかコクがフォームチェンジした感じだ。あっちの方がカッコいい。

 女の子って本当に変化が早いんだな、とつくづく実感した。

 髪染めとかお洒落なこと、俺もちょっとやってみたかったな……。

 

「ふぅ……ご馳走様。マユ、洗い物を手伝ってくれるかしら?」

「りょーかい」

「あっ、わたくしもお手伝いいたしますわ!」

「流石に三人はいらないわよ……?」

 

 カゼコに諭されてしゅんとするヒカリ。かわいそう。

 

「はいはい、ヒカリはあたしと布団のお片付けしようね」

「氷織さん……!」

 

 いちいちリアクションがデカいんだよな、あのお嬢さま。疲れないのかしら。

 

 ──と、まぁそんな感じで朝の一幕は極めて平和に過ぎていった。

 連日のかくれんぼは、上手いことライ会長と音無がレッカを制御してくれているおかげで、かなりのイージーゲームと化している。

 ぶっちゃけこれはレッカ対ヒーロー部全員なので、こうなる事態は予測できていた。

 概ね目論見通りだ。

 

 しかしこのままでは永遠に見つからなさそうだし、何よりヒーロー部には学校をサボって参加してもらっているため、鬼ごっこはそろそろ潮時かもしれない。

 

「……さすがにもう大丈夫だよ、アポロ」

 

 ビルの屋上での休憩中、俺の隣に座っているマユがそう呟いた。

 横を見てみると──彼女は小さく笑っていた。

 

「え、マジで?」

「うん。もうしばらくは生きてみてもいいかなって、そう思ってる。アポロの狙い通りにね」

 

 ジト目のままにひひっと微笑むマユの姿はメスガキそのものだ。生意気な……。

 一応美少女ごっこの一環という形で彼女を協力させていたのだが、どうやら最初から俺の考えはお見通しだったらしい。

 

「あんな良い子たちと一緒に居たら、そりゃ絆されちゃうよ。アポロが私の立場だったら(あれ? こいつらもしかして俺のこと好きなんじゃね……?)って勘違いのガチ恋する程度にはヤバいよヒーロー部」

「そうだね……」

 

 そこには俺も異論ない。

 実際俺も精神状態がやばい時に介護してもらっていたあの頃は、マジで部員全員に片思いしちゃうレベルで心を溶かされてたわ。

 本当に恐ろしいし、あの娘らに囲まれてても普段通りでいられるレッカはもっと恐ろしい。

 

 ──そういえばレッカは今頃どうしてるんだろう。

 

「アポロ、スマホ鳴ってるよ」

「ちょっと出てくる」

「んー」

 

 空返事をするマユから離れてスマホを確認する。

 連絡してきたのはライ会長だったようだ。

 

 応答して内容を聞くと、どうやらレッカのメンタルがやばい事になっているらしい。

 よくよく考えれば今の彼はワケ分からん状況にまた意味不明な状況を持ってこられた状態だったわけだから、そりゃ鬼ごっこをやめて拗ねちゃうのも当然だ。ごめんねれっちゃん。

 

 というわけで、マユのメンタルケア鬼ごっこはこれにて終了。

 過大な情報量による迷惑なダイレクトアタックでライフがゼロになってしまった親友を慰めるために、俺は久方ぶりにアポロとして彼のもとへ赴くのであった。

 

 ……あっ、そういえばそろそろ修学旅行の時期か。

 

 









なななんと阿井 上夫さんに特注の制服を身に纏ったコクを描いて頂きました

【挿絵表示】

ありがとうございます~~~~!!!(クソデカ大声)
黒シャツと白ブレザーの組み合わせに節々の黒い線やフードなど作中におけるあの謎の制服の細かい設定を完璧に落とし込んだ最強のイラストです 髪の毛がモフモフでとてもかわいい


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男子高校生が二人

 

『──そっか。兄さん、しばらく帰ってこないんだね』

 

 

 放課後の魔法学園へ訪れ、こ~っそりとヒーロー部の部室前まで訪れたところ、中かられっちゃんの声が聞こえてきた。

 

 なにやら電話をしているようだったが、特に声音が早まったり電話を切ったりなどもしなかったため、俺の存在には気づいていないらしい。

 やったぞポッキー、潜入は成功だ!

 ここまで抜き足差し足が得意だったなら、ニンジャである音無に弟子入りして、最後の忍び足をマスターするのもありかもしれない。

 あとで後輩にメッセージ送っとこう。にんにん。

 

『群青くんを連れて二人旅、か。……んっ? あぁ、いや。そういえば僕の親友も似たような事をしていたなって』

 

 何だ何だ。

 会話の中に俺が出てきたぞ。

 レッカのお兄さんがしばらく帰ってこなくて、且つ群青くんを連れて二人旅?

 

 群青くん、ってのは確か衣月と同じで、以前まで悪の組織に実験体として捕らえられてた子供の事だったっけか。

 ついでに俺が瀕死になる原因を作った男の子でもあったはず。

 歳も衣月と一緒の十一だ。

 まだまだ成長途中の年齢だし、諸々の事情があってまだ小学校にも通わせてあげられないから、世間を知ってもらうための二人旅──って感じなのかもしれない。

 

『うん、何かあったら連絡して。アポロに大怪我を負わせてしまって、心を塞ぎこんでしまっている彼を立ち直らせるのは難しいだろうけど……えっ、そんなことないよ! 兄さんならきっと出来るさ』

 

 あぁ、そういえば群青くん、いまめちゃくちゃ落ち込んでるんだった。

 俺が死にかけたことで衣月が泣いちゃったから、罪悪感がヤバ谷園のマジ卍って感じなんだよな。

 

『へ? ……アポロに? え、えと……やめといた方がいいと思うよ? ほら、衣月ちゃんの時とはかなり状況が違うわけだし……』

 

 なんだろう。

 レッカのお兄さん、もしかして俺のことを頼ろうとしたのかな。

 純白として大変な立場にあった衣月を何とかした人間ならワンチャン、的な。

 いやぁ……無理だと思うけどなぁ。

 とてもむつかしい。

 だって俺、群青少年から見たら純白を奪った張本人だし。

 衣月を悪の組織から連れ出した本当の犯人はウチの両親なんだが、そういう細かいのもあの子からすればどうでもいいに違いない。

 

 せいぜい俺が出来るのは、衣月の時と同じで本当の名前を聞いてあげる事ぐらいだろう。

 

『……うん、気をつけて。それじゃ』

 

 あっ、電話終わったな?

 

『ふぅー』

 

 レッカが一息ついている間に、ちょっとだけ扉から離れておく。

 それからわざと足音を立てて部屋の前までくれば、あたかも今さっき来ましたよ~って感じの雰囲気になるため、電話を盗み聞きしていたとも思われない筈だ。

 何も聞いてなかったから安心してくださいね。

 

 ……電話終了から一分くらい経ったし、そろそろ入るか。

 

「開けろっ! デトロイト市警だッ!!」

「わぁっ!?」

 

 めっちゃ勢いよく扉を開けて部室内へ突入すると、れっちゃんが驚いて椅子から転げ落ちた。

 百点満点のリアクションだな。

 俺の行動にここまで大げさな反応をしてくれる人間は、世界中どこを探してもお前だけだよ親友。

 

「いたた……──えっ」

「こんにちは」

「ぽ、ポッキー?」

「ポッキーだよ」

 

 言いながら手を差し伸べると、れっちゃんは数瞬迷った末に、俺の手を取って立ち上がった。

 はい、いつぶりの再会でしょうかね。

 病院で目覚めた時の『こいつは妹だっ!』って言ったアレの後は、他のメンバーや両親がいたから、あまり話せていなかった。

 その後はマユの行動でひと悶着あって、レッカが改めてお見舞いに来る前に鬼ごっこが始まったから──うん、まともに会話をしたのは組織との最終決戦以来だな。

 実に三ヵ月ぶりくらいの再会だ。

 会いたかったぞ、ジョジョ。

 

「……人質はもう終わったの」

「うん」

「鬼ごっこは?」

「レッカがもうやらないっぽいから終わり」

「……うぅん」

 

 こめかみを押さえるれっちゃん。

 文字通り頭が痛いらしい。

 上手い!

 

「れっちゃん大丈夫?」

「誰のせいだと──」

 

 呆れた声音で呟きながら顔を上げ、俺の顔を見たレッカは、小さくため息を吐いて椅子にもたれ掛かった。

 

「はぁ、もういいや。……おかえり、ポッキー」

「へへっ、ただいま」

 

 何だか以前の、いい加減な俺を相手する時の脱力した(見慣れた)レッカに戻った気がして、不意に笑い声がこぼれた。

 

「ほんっっとに呑気なヤツだな。僕らがどれ程心配してたと……まったく」

 

 そして同じく仕方なさそうながらも笑みを浮かべる親友くん。

 どうやらお説教は後回しにするようだ。

 それくらい疲れてるって事でもあるんだろうが。

 まぁ、ここまで彼を疲弊させた張本人は他でもない俺だ。

 その責任を取れるのも俺だけだろうし、そろそろれっちゃんにも()()()()()ってヤツを返してあげよう。

 世界を救って俺も救って、本当にマジで良く頑張った。

 ステージクリアのリザルト評価はSで間違いない。

 

「れっちゃん、とりあえずメシ食いに行こうぜ。積もる話もあるだろ」

「い、いや、それより怪我は大丈夫なの? 病院を抜け出して来たらしいじゃないか」

「体力全開! オールオッケー!!」

「数日前まで寝たきりだったのに、何でこんな元気なんだ……?」

 

 困惑するレッカを半ば引っ張るような形で部室を後にした俺は、そのまま近所のファミレスへと直行していった。

 

 もちろん今回は全部俺が奢るつもりで。

 世界を救ってくださった勇者様を、金欠高校生なりにおもてなししようってわけだ。……あっ、待って、ステーキはちょっと高いから無しで……。

 

「ポッキーはお土産なに買うの?」

「え、木刀」

「中学生かよ……」

「はぁ!? いいじゃん木刀! 逆にこういう機会じゃなきゃいつ買うんだよ木刀!」

「いやそもそもいらないだろ木刀!」

 

 確かに、しっかりと大事な話はした。 

 (コク)の事や鬼ごっこを行った真意とか、マユの事情だったりとか。

 レッカがどういう解釈をしていて、俺はどんなふうに誤魔化すのかとか、真実はどれくらい伝えておくべきなのかー、とか。

 共有するべき情報と教えない真実だったりと、いろいろ吟味して最初はそれらを考えて会話していたんだと思う。

 

「待ってれっちゃん、五泊六日? それホントに修学旅行?」

「結構いろんな場所を巡るっぽいよ」

「長すぎない……? もはや旅行じゃなくて合宿じゃん……」

「それは僕も思った」

 

 しかし気がついた時には、そんなこと話していなかった。

 必死に考えた嘘を口にすることはなかったし、彼が謎の美少女について深く追及してくることも、いつの間にか無くなっていて。

 なんか修学旅行に関しての会話しかしていなかった。

 クソ程どうでもいい、ほとんど実の無いやり取りを。

 まるで学校の一大イベントを前にした──普通の男子高校生の様に。

 

「ポッキー、店員さんが睨んできてるんだけど」

「……ドリンクバーだけで二時間は粘り過ぎたか」

「そろそろ行こっか」

「ちょいまち。最後に一杯だけ」

「そのセリフ四回目だよ。ほら、もう会計するから……おい! コーラ注ぐのやめろ!」

 

 ……いやまぁ、一応普通の男子高校生のハズなんだけどな。

 他に話さなきゃいけないことは沢山あったけど、もしかしたら俺たち二人とも()()に疲れていたのかもしれない。

 だからもうそんな事は忘れて、ただ普通に楽しい事だけを話題にしていたんだ。

 世界を救ったりとか。

 勇者だとか魔王だとか、突然生えて出てきた謎の女の子だったりとか。

 んなよく分からないのは一旦放置して。

 

「うわっ、空暗い……早く帰らないと寮の門しまっちゃうな」

「今日れっちゃんの部屋泊まっていいか? 着替え持ってくるからさ」

「いや病院に戻れよ、入院患者だろ」

「はい……すいません……」

 

 俺もれっちゃんも働きすぎたし、少なくとも修学旅行が終わるまでは──ただの高校二年生でいようと決めたのだ。

 

 

 

 

 で、本日は修学旅行の当日です。

 アレから一ヵ月ちょっとが経過したわけだが、光陰矢の如しって感じであっという間だった。

 

 完全回復を果たし退院、それから学園の寮で世話になる事となって。

 両親が生活している賃貸にも顔を出しつつ、いわゆる普通の学園生活というものを過ごしていた。

 マユが個性的な外見に変わって俺もほとんどコクに変身しなかったこともあるのか、悪の組織の残党もほとんど現れなかった。

 そもそも奴ら残党自体がほとんど残っていない、という可能性もあるが……ぶっちゃけ気にすることはほとんどなくなった感じだ。

 もちろんヒーロー部がちょっとした面倒ごとに首を突っ込むことは多少あったものの、全体的に見れば極めて平和な一ヵ月だったと言えるだろう。

 こういうのでいいんだよ、こういうので。

 

 結局何か大事件が起こるなんてこともなく、気が付けば新幹線に揺られて関西の方へ訪れていた。

 絶賛修学旅行の真っ最中である。

 謎の美少女ごっこだのエセ主人公ムーブだの、妙なことをし続けてきた俺だが、心配性な後輩から受け取った高機能クナイをリュックに忍ばせている事を除けば、騒がしい周囲の連中と同じく至って普通の高二だ。

 

「それじゃあウチのクラスも自由行動な。二時間後に駅前の噴水広場に集合だから忘れんなよー」

『はーい』

 

 隣にはレッカ。

 班は二人以上ならそれで良いとのことだったから、俺たちはいつも通り二人きりでの行動をすることに決めたのだ。

 別に友達が少ないわけじゃないもん!

 トトロいたもん!

 

「コオリたちのグループは人多いね……」

 

 レッカの一言で視線を横へ向けると、そこには七人ちょっとの大所帯が。

 中心には氷織とヒカリがいる。

 どうやらアレは彼女たちが纏め上げた精鋭部隊のようだ。

 ホントに友達が多いなアイツら……。

 

「れっちゃんも色んな奴らに誘われてたろ。何で断ったん」

「いや、あれはその……僕って良くも悪くも名前と顔が知られてるだけだから。一緒にいてつまんない奴だと思われたら嫌だし……」

 

 世界を救った勇者くんも我らと同じく”陰”の者だったらしい。

 有名にはなっても友達自体は増えてないんだね。

 置いてかれてなくて安心しました。

 

「行こうポッキー。街中をうろついてたら囲まれちゃうからさ」

「うわ言ってみてえそのセリフ~~っ! やっぱ有名人のイケメンは格が違ぇわ」

「まぁね、それほどでもある」

「否定してほしかったな」

 

 れっちゃんが最強になってしまった。

 ピュアッピュアだった主人公のキミは一体どこへ。

 

「ほらあのバス乗るよ、ポッキー」

「置いてかないでぇ!」

 

 てなわけで、修学旅行はヒーロー部も悪の手先も出自不明な謎の少女も交わることなく、むさ苦しい男二人だけで巡る事になりました。

 これがデートってやつか?

 絵面に華が無さすぎるって……。

 一応ペンダントは持ってるけど、騒ぎになったら面倒だし変身は自重しとこう。

 かわいい成分を足したい気持ちは我慢して、コクちゃんの出番は一旦お休みだ。

 バスに乗って揺ら揺ら~。

 

「コオリたちはどこに行くんだろうね。観光名所ってなるとある程度は限定されるから、やっぱり途中で再会しちゃったりするのかな」

「俺といるときに他の女の話? ひどい……」

「お前は何の立場なんだよ」

 

 ていうか他のヒーロー部との再会より気になる事があるぞ。

 

「れっちゃん、このバスどこに向かってんの?」

「少し先にある神社の前で止まってくれるんだ。あんまり人気がない所だけど」

 

 有名人のレッカが煩わしい思いをせずに観光するとなったら、やはりメジャーな観光スポットではなく、マイナーな秘境を巡る旅になってしまうらしい。

 それはそれで楽しそうだけどな。

 一風変わった旅行って感じで。

 

 ──到着したようだ。

 ささっと料金をぶち込んでバスを降りると、なかなかに険しい石造りの階段が目の前に聳え立っていた。

 もしかして今からこれ登るの?

 見るからに心臓破りの坂なんだけど。

 

「れっちゃん?」

「何してんの、早く登ろうよ」

「いや頂上が見えねぇよこの神社。マジでこの階段登る気か」

「置いてくからねー」

「一人にしないで!」

 

 なんやかんやレッカに食らいつきながら階段を上った先には、割と大きめな境内が広がっていた。

 マイナーながらも豪華な神社ではあるな。

 

「あんまり参拝客いないね」

「そりゃ、そう……だろっ、! ハァ……っ!」

 

 訪れる人が少ないのは、あの登山を彷彿とさせる様な急斜面の激ヤバ階段があるからだと思う。もうエスカレーター作っちまえってレベルだった。

 なんでレッカはあれだけ長距離の階段を駆け上って息切れ一つしてないんだ。ポケモンの主人公かお前。

 

「ネットの情報だとこの神社の端っこに面白いものがあるんだって」

「そりゃ……はぁ、楽しみだな。ふぅ……」

 

 息を整えながら、彼の後ろを付いていく。

 奥に入れば入る程いかにも『秘境』って感じの風景に変わっていって、気が付けば俺たち以外の参拝客は見当たらなくなっていた。

 大丈夫かな、これ。幻想郷に行っちゃったりしそう。

 

「赤い縄が巻かれてるらしくて……あっ、アレかな」

 

 れっちゃんが指差した先には──

 

「……えっ」

 

 どこからどう見ても()()()にしか見えない、木彫りのナニかがそこにはあった。

 大きさ的には成人男性の身長と同じくらいで。

 何だか言い知れぬ威圧感を放ちながら聳え立つご立派さまが、俺たちの前に姿を現したのだ。

 

「れっちゃん、なにこれ」

「一応調べてみるね。たぶん見たまんまの物だと思うけど」

「ネオアームストロングサイクロンジェットアームストロング砲?」

 

 やけに完成度高けー作品だ。

 まさに古の芸術って感じだな。

 神社に祀られてるだけあって……なんか、こう、神々しい。

 

「調べたけどちんこだね、これ」

「ちんこかぁ」

 

 まさに古き時代の産物って感じだな。

 現代で作ったら許されねーよコレ。

 

「ふざけた建造物ではないよ? えーと……男性器の象徴だから、子宝に恵まれるんだって」

「遠い未来の話だな」

「あと(しも)の病にご加護あり、らしいよポッキー。性病から守ってくれるってことかな」

「珍棒無敵バリア……ってコト!?」

 

 ワァ……っ!!

 こうしちゃいられねぇ!

 

「最強の神社だ。お賽銭入れなきゃ」

 

 チャリン、と五円玉を賽銭箱に落とし込んだ。

 するとあら不思議、身体中から力が湧き上がってくるではありませんか。

 凄まじい効き目だ。

 これが神の御加護ってやつかよ。

 

「やった……! 珍棒無敵バリア完成だぁ!」

「良かったね」

「れっちゃんは?」

「僕は別にいいかな……」

 

 流石は勇者だ。

 人間の頂点に君臨する英雄の血を引いていれば、神に頼るまでもないらしい。

 ハイパームテキなバリアを手に入れたところでこの神社は後にして、一旦昼食を取る事にした。

 階段を下りたあとの道沿いで老舗っぽい蕎麦屋を見つけたので、そこでモグモグ。

 あと三十分で駅前に戻らなきゃ──といったところで、不意に寂れた神社が視界の端に写り込んだ。

 旅行でいささかテンションが高くなっていた俺たちはその神社へ突入。

 境内はそんなに広くなく、また雑草も所々に生い茂っていた。

 

 が、最奥に鎮座する拝殿は静謐な空気と相まって、異様にも荘厳な雰囲気を醸し出している。

 なんだか有名な神社よりも遥かに神が住んでいると思わせてくれるスポットだ。

 

「見てポッキー、立札があるよ」

「んーと……縁結びか」

 

 雰囲気に反して祈りの効果自体は割とメジャーだった。

 

「でも見逃せないぜ」

「うん、これは僕もお祈りしなきゃ」

「れっちゃんは縁結びの加護いらなくない?」

 

 ただでさえ氷織・ヒカリ・カゼコの三つに分かれて混沌を極めてるってのに、まだモテたいと申すのかキサマ。

 欲望に溢れすぎているだろ。グリードかよ。

 ……ていうか今更だけど、子宝に恵まれる神社とか縁結びだったりとか、男二人で来るような場所ではなくない?

 

「とりあえず俺はご縁があるようにって5円玉──」

「フッ、甘いねポッキー」

 

 な、なにっ!?

 

「僕が使用する手札コストは50円玉さ。これで縁結びの効力は50倍ッ!」

 

 5円の50倍なら250円じゃね……? 

 い、いや、そんな細かい事を気にしてる場合じゃないぞ。

 先にレッカが彼女を作って自慢してくるなんざ言語道断だ。

 負けるワケにはいかねえ!

 

「僕は50円玉を賽銭箱へ送り、縁結びの効果発動! これで高校卒業までに彼女が出来る! 悪いねポッキー、先に入れた僕の勝ちだ……」

「──それはどうかな」

「何っ!?」

 

 俺は素早く財布の中から最大の硬貨をドローした。

 こいつが俺の切り札にして最強の僕、500円玉ッ(ブラック・マジシャン)

 

「ま、まさか……」

 

 耐えてくれよ、俺の身体!

 これが未来の彼女へ繋ぐラストターンだ!

 

 界王拳──

 

 

「100倍だぁぁぁぁぁぁァァァァッッ!!!」

「ちょっ、落ち着いてポッキー! 500円はやり過ぎ! 待って僕が悪かったから!!」

 



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ロリ巨乳でここはひとつ

 

 これまで巻き込まれてきた命懸けの冒険が嘘だったかのように、修学旅行は極めて平和に進行されている。

 現在は四日目の夜だ。

 日程は五泊六日なのであと二日ほど残ってはいるが、この調子でいけば最終日まで問題なく過ごせるはずだ。

 そう楽観できてしまうくらい、この四日間を頭空っぽにして楽しめていたとも言える。

 

 直近の出来事で言えば、今日も学生らしいイベントがあった。

 木刀が売られているお土産屋さんの前で風菜がゴネていて、カゼコに『そんなのいらないでしょ!』と叱られているところを、俺が『大和魂を思い出せ!』と言いながら風菜を庇ったりだとか。

 結局最後は俺と風菜二人とも正座させられて結局木刀は買えなかったけどな! ガハハ!

 ……これ学生らしいイベントか? わかんない……知り合いに一般人が居なさ過ぎて……。

 得られた情報は、風菜が俺と同じで誇り高きニポンの志を胸に秘めているという事だけである。後で一緒に木刀買いに行こうね、お姉ちゃんには秘密でね。

 

 で、現在は宿泊先の旅館の一室だ。

 魔法学園のクソ忙しい旅行スケジュールのおかげで、ホテルやらキャンプやら様々な場所で寝泊まりしてきた俺たち学生だったが、ここにきてようやく如何にも修学旅行っぽい宿泊先に訪れることが出来たわけだ。

 もうみんなテンションマックスで枕投げ始めちゃってるからね。まだお風呂入ってないんだから落ち着いて。

 

「あれ、ポッキーどこ行くの?」

 

 俺たちがいる場所はクラスの男子全員がぶち込まれた広い和室だ。

 そこから出ようと襖を開けると、カバンの中のお土産を整理しているレッカに声を掛けられた。

 

「一階の売店で飲みモン買ってくる。れっちゃんも何かいる?」

「じゃあコーラで」

「オッケー、お汁粉ね」

「いやだからコーラ」

「はいはいジャスミン茶だろ? 分かってるって」

「お前さぁ……」

「ふはは」

 

 流しつつ部屋を出ていく。

 すると後ろから悲鳴が聞こえてきた。

 どうやられっちゃんも大乱闘まくら投げブラザーズに巻き込まれてしまったらしい。

 

「覚悟しろレッカ・ファイア! お前を倒して今日からオレが本当の勇者だァ!」

「そ、そんな……大切なクラスメイトだと思っていたのに……」

 

 やっちゃいなよ! そんな偽物なんか!

 

「闇に堕ちた仲間を救うのも勇者の役目だ……!」

「ぐはっ!」

「なにィっ!?」

「おいファイアが強すぎるぞ! 囲め囲め!」

 

 意外とクラスの皆とも仲良さそうで安心した。

 れっちゃんが彼らを全滅させる前までには戻りましょうかね。

 

 

 

 

 

 

「やっ」

 

 …………。

 

「なに?」

 

 あ、固まっちゃってごめんね。

 修学旅行先で自分の半身と鉢合わせた時の対応の仕方なんて持ち合わせてないからさ。

 

「……お名前、伺ってよろしいですか」

「マユです」

 

 何で旅館にマユちゃんおるの。

 

「アポロが心配だったから。えへへ」

 

 かわいい。まゆすき。

 

 

 ──じゃねえんだよ!!?

 

「意味わかんない意味わかんない。普通来ないだろ何でいるんだよ」

「いろいろと事情がありまして」

 

 あまりにも急すぎて俺を思考停止に追い込んだ女の正体は、勇者と魔王の力によって生まれたもう一人の俺ことマユだ。

 旅館の購買でちょうどコイツへのお土産を見てたら、ぬっと後ろから突然現れやがった。

 背後霊の類だよお前……。

 

 コイツとのやり取りが誰かに見つかると面倒になるため、とりあえず人気の無い場所まで移動することにした。

 旅館の仲居さんですら来なさそうな端っこの、さらに人目に付かないであろう多目的トイレの中へと隠れてゆく。

 なるべく周囲に気を配って移動したから見つかってはいないはずだ。

 見られてたら本当にヤバい。

 ロリを多目的トイレに連れ込む正当な理由なぞこの世には存在しないのだ。

 修学旅行どころか最悪俺の学園生活が今夜終了してしまう。

 

「きゃっ♡ トイレに連れ込んでナニをする気なのっ」

「黙れ」

「アポロが冷たい。くすん」

 

 この女すっかり調子が戻ってんな……。

 元気になったこと自体はめでたいんだが、どうにも再会のタイミングが嚙み合わない。

 

「……」

「ん、なにアポロ。ジッと見つめて」

「いや、よく見たら結構ビジュアル変わったなって……」

 

 改めて彼女の姿を眺めてみると、予想以上に外見の変化があったことに気づいて驚いた。

 おそらくは色々な試行錯誤を経てこの姿にたどり着いたのだろう。

 マユの見た目は既にほとんどコクからかけ離れている。

 

「髪も染めたのか」

「うん、茶髪は仲間内には誰もいなかったから。どうかな」

「似合ってんじゃない? オリジナリティ出てるし」

 

 ヘアコーデに関しては小学生レベルで疎いから詳しくは知らんけど、誰とも被らない髪色にしたのはいい選択だと思う。

 コクと違って髪を結っているのも特徴的だ。

 

「ツーサイドアップもいい感じだな。なんかふわふわしてるし」

「日々のお手入れのたまものです。触っていいよ」

「マジ? おぉ、やわっこい。モフモフだ」

 

 猫を撫でる様に彼女を愛でていると自然に目が下へと向かっていき、ショートパンツに黒ニーソとかオタクが好きそうな恰好してんな……と思ったところで、一つだけ異様な何かが視界に映った。

 ん? と。

 違和感を覚えて視線を少し上げると、そこには彼女の上半身。

 そして長袖のシャツに重ね着でニットのベストを着た()()()()()()()()()()()()()()()()が、そこにはあった。

 

「……??」

 

 思考が停止した。

 

「ん……? んん……?」

 

 意味が分からない。

 

「アポロ、どうかした?」

「いやお前がどうかしてないか? 何か変なのついてない?」

 

 冷静に戻ってもやはりおかしい。目の錯覚などではなかった。

 このロリにこんな”デカいなにか”など付いている筈がない。

 コイツのベースはコクなのだ。

 正真正銘、まごうこと無きスレンダーでドストレートなロリっ娘だったはずだ。

 なのに……何だ……なにが起きている……?

 

「──あぁ、なるほど。アポロはコレが気になってるのか」

 

 揺れてる。

 

「おっぱい大きくなったんだよ、私」

「胸は数日で膨らむモンじゃないんだが」

「正確には大きくした、だね。マユぱわ~です」

 

 マユぱわ~って?

 

「魔王と勇者のパワー、略してマユぱわ~。修行を音無と部長に手伝ってもらってたら上手くコントロールできるようになったから、試しに形態変化をやってみたの。怪我を治せた力だし肉体の急成長も可能だと思って」

「あぁ……実験したら偶然胸がデカくなったのか、なるほどな」

「違うよ? 巨乳にしようと思って巨乳にしたの」

 

 何でそうなるんだよ。

 傷を治せるから胸をバインバインにできるって、それイコールになってないでしょ。

 

「どうせボールか何かを詰めてんだろ? 流石に不自然にデカすぎだ」

「んっ……」

「あれ?」

 

 うわわわ本物だぁ……!

 

「もう。別に触ってもいいけど、次からはちゃんと事前に言って」

「二度と触りません本当に申し訳ありませんでしたごめんなさい!!」

 

 流石にトイレの床に土下座できるほど肝は据わってなかったので、深々と頭を下げた。

 コクとして頑張ってた俺と違って容易く巨乳属性を手に入れやがったマユが気に食わなくて、どうせボールか詰め物だと思ったから取ってやろうと考えたのが良くなかった。

 俺は今日、ロリを多目的トイレに連れ込んで胸を触った犯罪者になりました。自首しなきゃ……。

 

「ていうかアポロ、ふざけてる場合じゃないよ。アポロの手を借りたくてここに来たんだってば」

「ちなみに俺はいま人生で一度しかない高校の修学旅行の真っただ中だよ」

 

 胸を触ったことは謝るが()()()()面倒ごとはまた別だ。

 少なくともこの旅行が終わるまでは物語みたいな事をするつもりはないからな。

 凄く最低なこと言ってるのは分かってるけど勘弁してください! 高校二年生最後の秋なんです!

ゆるして!!

 

「それは私も理解してたけど……このままだと、あの群青って男の子が危ないんだ」

「群青?」

 

 あいつはレッカのお兄さんと二人旅をしている筈だぞ。

 何でここでその名前が出てくるってんだ。

 

「すごーく端折って説明すると、アポロの代わりにあの子が組織の残党に狙われるようになったの」

「悪の組織の残党ってまだ残ってたの……?」

「あいつらにレッカのお兄さんも怪我させられちゃって、やばい。数の暴力」

 

 ゴキブリかよあいつら。

 もういい加減そろそろ滅んでくれないかしら。

 ロリの次はショタですか?

 俺と同レベルの犯罪者集団だな本当に。

 マフティーの名のもとに制裁を下すべきか、これは。

 

「いや、さすがに親友の兄貴と小学五年生の男児が狙われてるってなったら放っておけんわ」

「ごめんね。本当は私一人で何とかしたかったんだけど、アポロに対しての義理立てよりあの子の命の方が優先度高いと思ったから」

「そこまでストレートに言ってくるなら謝んなくてもいいよ?」

 

 子供の命は地球の未来だからね、しょうがないね。

 燃えるレスキュー魂! 

 

「アポロ、レッカはどうするの?」

「あー……うん、せっかくだし協力してもらおうか」

 

 もうこの際コクに変身して、マユの事はうまく誤魔化しつつダブルヒロイン体制にしてやる。

 ハーレムだよ、やったねれっちゃん!

 ふふふ……修学旅行に来てまでこんな事したくなかったぜ。

 

 



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厄介ヒロイン vs 本編終了後主人公くん

阿井上夫さんに以前いただいた音無のイラストを加筆して頂きました ご査収ください

【挿絵表示】

後ろのでっかい手裏剣ロゴマークに目を奪われがちになりますがよく見ると太ももの肉付きが良くなっておりますねムチムチわっしょい



「ハッ、まずい。コクと私が一緒になったら、キャラと喋り方が被っちゃう」

「そんなにマズい事かな」

「だいじょうぶ安心してアポロ。そっちはいつも通りのコクで良いよ。私が語尾でキャラ付けするから」

「あ、はい……」

 

 

 

 

 

「遅いな、ポッキー……」

 

 彼が購買へと出かけてから、もう余裕で一時間以上が経過している。

 まさかそれだけの長時間お土産を悩むなんて事はないだろうし、もしかしたらトラブルがあったのかもしれない。

 そろそろ消灯時間も迫っている事もあって、焦りから脂汗が額に滲む。

 

「あれ。おいファイア、もう少しで先生の見回り来ちゃうぞ?」

「ごめん、すぐキィのヤツとっ捕まえて戻ってくるから。先生が来たらトイレ行ってるとかで誤魔化しといて」

「うぃー」

 

 クラスメイトに諸々を任せつつ、僕は浴衣の紐を改めて強く締め直し、小走りで部屋を出て行った。

 

 ……アポロは大丈夫だろうか。

 旅館内では教員が複数名定期的に巡回しているため、彼らに見つかればアポロも自室へ戻れと指示されるはずだ。

 それなのに一時間以上も戻ってこないという事は、彼の意思で戻ろうとしていないか、もしくは物理的に戻れない状況にあるか、の二択に絞られることになる。

 前者なら消灯時間に負けて帰ってくる可能性もあるが、もし後者だった場合は今すぐ手助けに向かわなければいけない。

 何かがあってからでは遅いのだ。

 

 どこだ、無事なのかアポロ──

 

「レッカ、レッカ」

 

 嫌な予感が脳裏をよぎったその瞬間、横にある職員用の狭い通路の方から、僕の名前を誰かに呼ばれた。

 何事かと思ってそちらを振り向くと。

 

「……コク。……はぁぁ、よかった」

「いいから早くこっち来て」

 

 そこには周囲をキョロキョロと見まわしながら僕を手招きする、見慣れた黒髪の少女の姿があった。

 本当に良かった、一安心だ。

 アポロと肉体を共有しているコクがここにいるという事は、つまり彼もいま目の前にいるということ。

 想像していたような酷い展開には巻き込まれていなかったようだ。

 コクは浴衣ではなくいつもの制服のような恰好になっているため、おそらくは彼女がコンビニに行くとでも言いだして、それに付き合わされていただけだったのだろう。

 

 手招きされるまま、薄暗い通路へと入っていく。

 ──するとコクの後ろに誰かの気配を感じた。

 

「コク? 後ろに誰かいるのかい?」

「あ、うん。ごめん少しアポロの両親と電話してくるから、この子と一緒にここにいて」

「えっ。ちょ、ちょっと」

「消灯時間になっても戻らないでね。それじゃ」

 

 あれこれ一方的に言い残して、コクはスマホを耳に当てながら通路の奥へと姿を消していった。

 そして、この場に残されたのは全くもって状況が飲み込めない僕と、コクによく似た別の誰かだけ。

 困ってしまった。

 

「あの、名前を聞いても?」

 

 僕がそう声を掛けると、薄暗くて顔が良く見えなかった彼女は一歩近づいて、僕を見上げながら口を開いた。

 

 

「どうも初めまして! マユぽよっ☆」

 

 

 ……どうしよう、これ。

 

 

 

 

 マユ、という少女の事は一応事前にアポロから聞いていた。

 コクとそっくりではあるがあくまで別人であり、もし接触する機会があったらその時は優しくしてやってほしい、と。

 まさかその彼女と、こんな修学旅行の真っただ中で出会う事になるとは思いもしなかったが。

 

「えっと……つまり今夜中に群青くんを保護して、アポロの両親のもとへ送り届ける……って事でいいのかな」

「そうだってばよ」

「外で学園の生徒が活動しているとバレたら大変だから、アポロはコクと交代して、僕はこのサングラスとカツラで変装……」

「その通りでござる。理解が早くて助かるぺポ~♡」

 

 語尾変わってない……?

 とりあえずコクが帰ってくるまでは動けないので、僕たちは誰にも見つからないよう通路の陰に二人で座り込むことになった。

 この茶髪の少女が何を考えているのかは分からないが、コクが戻ってきてくれれば場の雰囲気も良くなることだろう。

 今は取り留めのない話題で時間を稼げばそれでいいはずだ。

 

「こっちにはいつ来たの?」

「半日前くらいザウルス」

「……ご、ご飯はもう食べた?」

「何も食べてないからずっとお腹ペコペコだなも」

「そ、そっか」

「……」

「…………うぅ」

 

 この常に語尾と口調が変化し続ける不思議少女と、これ以上うまく会話を続ける自信が僕には無い。

 もう早速黙っちゃったもんね。

 かなり厳しいものがある。

 こうして話す前はコクと同じような、見た目通りの抑揚の無い声音で喋る人物だと思っていたのだが、認識が甘かった。世界は広いなぁ……。

 というか僕を若干突き放すような雰囲気が感じ取れてしまうため、こちらとしてもどこまで踏み込んでいいのか分からにというのが現状だ。この子僕のこと嫌いなのかな。

 

「──私のこと、気に入らない?」

「えっ!?」

 

 まるで心の内を見透かされたかのような台詞を浴びせられ、思わず肩が跳ねてしまった。

 しかしマユは相変わらずこちらを見ることはなく、コクとよく似たジト目の無表情で間を見つめたまま言葉を繋げていく。

 

「レッカから見て、私はどんな風に映っているナリ?」

「それは……」

 

 急に話しかけられたことで動揺してしまったが、せっかく彼女から会話を持ちかけてくれたのだ。

 内容はどうあれ続けるべきだろう。ここはもう正直に言ってしまえ。

 

「……アポロが目を覚ましてくれたと思ったら、そこにはキミがいたんだ。妹とか言われたけどよく分かんないし、きみは立場が不透明過ぎる。ハッキリ言わせてもらうと……その、あまり信用はできない」

 

 どこから来たのか、いつからアポロと面識があったのか、その何もかもが判明していない。

 もし何か弱みを握って親友に取り入っているのだとしたら危険だ。

 群青や兄の支援も重要だが、それよりもまず早急に彼女の正体を知らなければならないのだ。

 

「教えてくれないか。……きみは何者なんだ?」

 

 アポロに『優しくしてやってくれ』と言われていた事を思い出した頃には既に遅かった。

 僕は遠慮も無しに正面から彼女に自分の正体を問うてしまった。

 それほどまでに焦っていたともとれるが、僕の行動は聊か早計なものだったかもしれない。

 

「あ、えと……」

「レッカ」

 

 慌てて弁明をしよう──と考えた辺りでようやく()()()()()()()()()()()()

 その瞳の色はあの黒髪の少女と全く同じで、こうして改めて正面から彼女を捉えると、不自然なほどにコク本人にしか見えなかった。

 瓜二つだとかそういう次元の話ではない。

 意識して変えたであろう髪色や髪形、それから……なぜか妙に大きい胸以外は、まるでコクをそのまま写し取ったかのように彼女のそのものだ。

 

「コクに見えるピョン?」

 

 息が当たってしまいそうな程の至近距離まで顔を近づけて、マユは僕の目を真っすぐ見つめる。

 

「あの子と違う存在なのかどうかも、私には分からないぽよ。逆に聞きたいのだけれど、私はどうやって自分を証明すればいいッピ?」

 

 その無表情で物を語る様は、もはやコク以外の何物でもなくて。

 

「私は致命傷を負ったってすぐに治るし、本来誰も知るはずの無い、アポロだけしか知らないような過去の記憶だって持ってるンゴねぇ。自分がどう生まれたのかも説明できないし誰も知らないし、誰も教えてくれないゾ」

 

 しかしアポロと理解し合い自分の存在がどういうものなのかを理解していて、尚且つ最後まで覚悟が決まっていた彼女とは、まるで正反対の位置にマユはいる。

 その事実こそが彼女はコクではなく全くの別人であるという事を、ようやっと僕に理解させてくれた。

 

 ……ていうか、変な喋り方のせいで内容がほとんど頭に入ってこないんだけども。

 きっっつい。

 これはかなりメンタルが試される相手だ。

 正直既にかなり疲れてるけど、なんとかもう少し頑張らなきゃ。

 

 マユの迷える姿はかつてのヒーロー部の少女たちを彷彿とさせる。

 自分に対して自信が持てていないのだ。

 あとすぐにシリアスな雰囲気を醸し出してしまう。

 僕にも似たような時期があったな。

 

 ──よし、久しぶりにやってみるか。

 あの親友に何度も()()()だ何だと揶揄されていた頃の、説教臭いセリフばかり吐いていたあの頃のレッカ・ファイアを。

 

「……僕も、きみと同じだったよ」

「えっ」

 

 彼女は致命傷がすぐに治ると言った。

 一言で表すならば超常の力だ。

 それはヒーロー部の一員として戦っていた僕にも確実に存在していたモノだ。

 

「勇者の力っていうのは、便利な超パワーとかじゃないんだよ。行使する度に頭の中がかつての『勇者』に侵食されていく。遥か昔の時代に勇者として世界を守っていた少年の記憶が、感情が、とめどなく脳内であふれ出てくるんだ」

 

 精神世界でその勇者──ご先祖様と和解してからはデメリットが薄くなって、上手くコントロールもできるようになったけど、いまは黙っておこう。

 ここで大切なのはマユとの気持ちの共有だ。

 

「昔は勇者の血を引く家系の中でも特に落ちこぼれだったから、四六時中バカにされてたっけかな。その時は死んでしまおうかな、なんて考えたこともあったよ。

 僕だって、勇者の家系になんて望んで生まれたかったわけじゃないのに」

 

 話の入りはあえてネガティブにいく。

 立ち直っていった話はもう少し後だ。

 

「学園に来た後もこの力に悩まされた。覚醒した勇者の力はあまりにも強すぎるから、自分の意思にかかわらず誰かを傷つけてしまうと、そう恐れてからは唯一の親友とも距離を置くようになったんだ」

 

 マユは少し鼻息を荒くしながらも聞き入っている。

 彼女にとってはかなり興味深い話題だったようだ。

 どうやらテーマの選択はこれで正解だったらしい。一安心である。

 

「力を使わなければ誰も守れない。でも力を使えば自分が自分でなくなっていく」

 

 もちろんこれを本気で悩んでいた時期は存在した。

 自らポッキーを避けているうちに戦う意味を見失いそうになった時もあった。

 まぁ、それらはもう過去の話だ。

 普通は聞かせるだけでも気後れしそうな話だが、今の彼女にはこれくらいがちょうどいい刺激になると思う。

 

「なぜ戦うのか、自分は何者なのか……どうして、この力を持って生まれたのか。誰かにその答えを教えてほしかった」

「……!」

「でもさ、最後はやっぱり自分で決めるしかないんだよ。幸い僕たちにはその選択までの時間を支えてくれるような、頼れる仲間がたくさんいる」

 

 立ち上がり、彼女に手を差し伸べた。

 きっとそろそろコクが戻ってくる頃だ。

 至近距離で顔を近づけたまま喋っていたら良からぬ誤解を生みそうだし、ここらで適切な距離に戻っておかなければ。

 

「僕も手伝うよ。きみが自分で自分を見つけるその時が楽しみだ」

「……なんか手慣れてる感あるね、レッカ」

 

 ブツブツと文句を言いながらも、僕の手を取って彼女は立ち上がってくれた。

 喋り方も普通だ。

 これはかなりの進歩なのではなかろうか。

 

「闇を抱えてる女の子の攻略はお手の物って感じなのだ」

「いや、そんなカウンセラーなのか節操なしなのかよく分かんない人間ではないんだけど」

「きゃー! 攻略される~! コクちゃん助けて!」

 

 戻ってきたコクに抱き着くマユの目に、僕はどう映ったのだろうか。

 やっぱりこの子は少し苦手だ。

 でもちょっとだけ笑っているし、少しは心を開いてくれたのかな。

 変な語尾に戻っちゃってるけど。

 

「なになに。レッカ、マユに何したの」

「えっ、ちょっと話しただけだよ。別に何もしてないって」

「おてて触られたっぽい! あいつロリコンでち!」

「やば。レッカ……」

「そんな目で見ないで! 立つときに手を貸しただけだってば!」

 

 あまりにも酷すぎる言いがかりだ。泣きたくなってきた。

 どうやら僕とマユが打ち解けるにはまだまだ時間を要するらしい。

 最初の頃のコクといい、どうして正体不明の謎の少女たちはこんなにも距離感が独特なんだろうか。

 

「もう一回遊べるドン」

「いやもう安易にきみの手なんか握らないからな、マユ」

 

 どう考えても罠としか思えない雰囲気で手を差し伸べられたので、それを無視して通路を歩き始めた。

 結局どのみちこの旅館を出ない事には何も始まらないんだ。

 兄さんも待っている事だし、彼女に振り回されていないで早く行動を起こさなければ。

 

「ほら、そういうのいいからもう行くよ、二人とも」

「分かった」

「ンゴw」

 



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ロリTSっ娘でおねショタムーブ

 

「れ、レッカ、すまない……」

「兄さんしっかり! 兄さぁぁぁんっ!!」

 

 旅館を飛び出して数十分後、市街地の路地裏にて。

 壁にもたれ掛かって動けなくなっているレッカのお兄さんことグレンを見つけた。

 明らかにちょっとした擦り傷しかなく、なにやら足を挫いただけで動けなくなっているエリート(笑)さんの事は過保護な弟くんに任せ、俺とマユは一人で先にいった群青を追いかけることに。

 

「待ってくれ、二人とも!」

 

 しかし、その場を離れる前にグレンが俺たち二人に声を掛けてきた。何だろうか。

 

「こ、コクくん。キミをビームで打ち抜いたあの時、群青はきっと魔王の力の影響で情緒が不安定になっていたんだ。全てを忘れて許して欲しいなどとは言えないが……頼む、僅かでもいいから一考してくれないだろうか。あの少年も本当は優しい子のハズなんだ……」

 

 とのことで。

 グレンが群青と一緒に居た期間はほんの数日のはずだが、どうやら彼にも思うところがあったようだ。

 あの『純白を返せぇぇ』と荒ぶっておられた群青少年だけど、本当は優しい子だと思うから派手な制裁は勘弁してほしい──という事らしい。

 

 うん。

 まぁレッカのお兄さんが言いたいことは分からんでもない。

 群青は衣月と同じ十一歳の小学五年生で、しかも数年間悪の組織に拉致られてたから、一般常識などにも疎い……って言われたらそれは確かにそうだ。

 そこに魔王の力とかいうワケ分からん謎パワーまで足されたのなら、色々とおかしな方向に気持ちが向いてしまっても無理ない。

 理屈としては確かに筋が通っている。

 あんな幼い子供が過剰な暴力を振るうことが出来るまっとうな理由を考えたら、これが一番しっくりくると俺も思う。

 

 いや……まぁ、でもね。

 衣月を取り戻そうとしてレッカと戦っていた時の彼の表情は真に迫っていたし、群青くんの事情を考えたらアレだけ必死になるのも頷けるんだよな。

 俺からすればむしろ、特別な事情など無くとも『純白を取り戻したかった』って気持ちだけで戦っていた、と言われた方が違和感が無い。

 

 ”相手や周囲の気持ちを無視しでもやり通したい事がある”という気持ちは誰よりも理解できてるつもりだ。

 純白の意思どうこうではなく自分が純白と居たいから行動を起こした、ってんならほとんど俺と一緒じゃないか。

 レッカの気持ちを後回しにして美少女ごっこに耽っていた俺の精神構造と全く同じだ。

 

 マジでめっちゃ本気で衣月を奪いたかった、なんて群青が言ってきたら俺はあの子のこと許しちゃうかもしれんわね。

 ハイパー身勝手星人として共感せざるを得ない。

 

 結果だけで言えば俺は助かったんだし、ほんの僅かでも反省しているんだったら過度なお咎めは無しってことにしよう──と、そう思いながら俺は何かちょっと暑苦しいファイア兄弟を置き去りにし、群青君を探しに行くのであった。

 

 

 

 

 

 

「純白が欲しかったんです。オレの理解者は彼女しかいないと思ったから……」

 

 う~~~ん群青くん大変正直でよろしい! ポッキーポイント五点です!

 

 

 勇者兄弟から離れて数分後、群青はあっさりと公園で見つけた。

 何やら怪しげなロリっ娘が彼を襲っていて、それを止めに入った感じだ。

 追い払ったロリっ娘は確か──

 

『ま、またしてもボスの理想を邪魔しやがって……お前ホント許さんぞ、アポロ・キィ! もう組織の残党も私だけだし……ぐぅ、警視監の立場がまだあればどうにかなったのに……っ! しかし群青の魔王の力は半分貰ったからな! バーカバーカ!』

 

 こんな事言いながらロリっ娘は涙目で逃げてった。

 口ぶりからして女の子の中身は、あのラスボスだった警視監の男なんだろう。

 怪我をした膝の部分が明らかに機械むき出しのロボットだったし、悪の組織がサイボーグというロボット兵士を使っていた事を考えると、恐らく警視監の男は自分の意識のバックアップをどこかに保存していて、それを余ってたサイボーグにブチ込んで復活を果たした──の、かな?

 

 よく分かんねぇ。

 とにかく言えることは『女の子に変身=ヒロイン化する』という事だけだ。

 アイツきっといつの間にかレッカのヒロインにされるんだろうな。

 ヒーローと悪の親玉っていうライバル的な関係性でキャラ立ちとしては申し分ないし、物語終盤で雑にハーレム入りする典型的な例だ。

 何で体をロリ型のロボットにしたんだろう。アレしか無かったのかな。

 どうせ悲しい過去語りした後のレッカによる撫でポで即堕ち間違いなしなのは確かだ。

 かなり悪いことをしたヤツだし簡単には許してもらえないだろうが、おそらく投獄とか特別な処理を受けつつ、劇場版とか番外編とかで活躍の機会を与えてもらうタイプのキャラになると思われる。

 

 結論、ロリっ娘化した警視監ちゃんは、多分レッカがメス堕ちさせて何とかするので無視でいい。Q.E.D。

 はい終わり終わり。

 

 俺の目的はポンコツラスボスじゃなくて名前も知らないショタの方だ。

 

 

「……オレを断罪してください」

 

 まぁこんな感じのシリアスオーラで始まる事は分かっていた。

 最初期の衣月と同じで出生から育ちまで何から何までシリアスの塊だからな。別段違和感はない。

 そしてこういうのは真に受けちゃダメだ。

 いちいちシリアス風味のオーラに構ってたら時間が足りない。

 

「オレが魔王の力を振るったのは……自分自身の意思です。力に吞まれるような感覚はあったけど、確実に自我は存在していた」

 

 公園のベンチに座り込む群青くん。

 そんな彼を俺とマユで両サイドから座って挟み込んでみた。

 ふふふ、近い。

 

「っ……? え、えと……その、許されるとは思っていません。オレは貴方の命を奪うところだった。……たとえ殺されても文句は言えない」

「ふむふむ」

「見てコク、この子まつ毛が長いよ」

「将来はイケメンだな」

「……ぁ、あの……?」

 

 群青と名付けられるだけのことはあって、彼の前髪は奇麗な海色のメッシュになっている。黒髪の中心にあるからなお目立つな。

 顔立ちも年相応に幼くはあるがクッキリしているし、成長したら顔面暴力みたいなイケメンになる事だろう。

 衣月といい彼といい、悪の組織というのは美少年や美少女をモルモットにするのが決まりだったりするのだろうか。どんだけ顔面偏差値を上げたいんだ。

 

「オレをどうするんですか。もう純白には手を出しませんし、どんな罰でも……受けるつもりです」

 

 俺と同じく人としての罪悪感はそれなりに持っていたらしい。

 それだけあれば十分だ。残りの部分の矯正はヒーロー部とかいう聖人集団に任せてしまえばいい。

 俺の任務は彼を許すこと。

 彼に自分がまだ子供なんだと自覚させること。

 そして彼の本当の()()を周囲の人間たちに認識させることの三つだけだ。

 色々あって俺を殺しかけたことに関しては、結果的にマユを生み出す要因を作ってくれたわけだし、ここは不問に処す事としようじゃないか。

 

「はい、よしよし」

「ふぇっ……ちょ、ちょっと?」

「ほら、マユも」

「ハーイよしよしヨーシヨシ」

「あ、あのぅ……!」

 

 まずは衣月の時と同じく、しっかりと年上ムーブをかまして相手の心を絆していく。

 今はマユもいるのでせっかくだからお姉さんハーレムでもお見舞いしてやろう。

 小さい子供には温かい愛情──これが基本だ。

 組織によって親の愛を受ける機会を奪われたとあらば、なおさらそれが大切になる。

 衣月に対して兄のように振る舞ったように、今度はお姉ちゃんとしてこのショタっ子を導いてやるぜ。

 ふふ、おねーちゃんに任せちゃってください!

 

「まずは名前を教えてくれるかな?」

「……群青、です」

 

 そっちじゃなくて、本当の名前の方ね。

 

「きみ、純白の本当の名前、知ってる?」

「い、いえ……」

「あの子は衣月って言うの。藤宮衣月、ね」

「藤宮……いつき……」

「それと同じようにきみにも名前があるでしょ? ……お姉さんに、それを教えてほしいな」

「ぁっ、えと……」

 

 そっと手を握り、め~ちゃくちゃ頑張って温和で優しめな声音で語り掛けていく。

 すると少年は顔を赤くして俯いてしまった。初心だね。

 アイコンタクトを取り、マユにも彼の手を握って肩を寄せさせてみようか。

 

「拙者も知りたいでござる。コポォ」

 

 その変な語尾まだ継続中なの……?

 まあいい、ともかく両耳攻めASMR音声みたいな感じで、彼の凝り固まった心をやんわりほぐして、わる~い気持ちを吐き出させてあげなければ。

 

「オレは……たい、ょぅ」

「「もう一回♡」」

「~っ!? たっ、太陽です! 藤宮太陽!」

 

 なんと。

 マユと同時に囁いてみたら予想外の返答が飛んできた。

 藤宮は衣月と同じ苗字で、太陽って漢字は俺のアポロと全く一緒だ。

 名前はともかく苗字に関してはただの偶然とは思えないし、なにかワケありなのは確定だな。

 まぁ今は深く詮索する必要もあるまい。

 とにかく現状は優しく穏やかにお姉ちゃんムーブを、だ。

 

「私はコク。特別にお姉ちゃんって呼んでもいいよ、太陽くん」

 

 本当は男だけどそこら辺の説明は面倒なので割愛。

 

「ワテクシはマユ。こっちも特別にお姉ちゃん呼びを許すわよぜ」

 

 お前は語尾がバグりすぎ。

 

「そ、そんな、おねっ……なんて……」

「いきなりは難しかったよね。夜も更けてそろそろ寒くなってくるし、とりあえずどこか休める所へ行こっか」

「わわっ。ちょ、まって……!」

 

 完全に誘い文句が人攫いのそれだったが勢いで誤魔化す。

 その後、俺は群青こと藤宮太陽くんが逃げないようマユと両サイドからがっちり腕を組みつつ、店員をうまく誤魔化して三人一緒にネカフェへ駆け込むのであった。

 寒いからとりあえず温まろうね!

 



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ファーストキスはカレーうどん

 

 

 ショタっ子をネカフェに連れ込んでから数時間後。

 時間をかけてゆっくりと話しているうちに太陽の緊張もほぐれてきたようで、彼との会話もだいぶ円滑に進められるようになった。

 

 コク(おれ)による励ましと許しは必要最低限をこなしたとして、残りの会話イベントはほぼすべてマユに任せることに。

 寝たふりをしている間にそれをやってくれ、と口裏を合わせて俺は太陽の膝を枕に狸寝入りを決め、様子見をすることになった。

 

 マユ曰く、私も太陽君も似たようなモンだから彼の存在の肯定は私が一番の適任なんだポヨ、とのことで。

 特殊な出生だったり人間離れした能力持ちだったりなど、確かに太陽の説得なら共通点の多いマユが合っているんだろうな、と俺も思った。

 

 で、その結果。

 

「ごめんなさい……ひぐっ、ごめっ、なさ……!」

「大丈夫。よしよし」

 

 ずっと涙を我慢していた太陽君を、年相応の少年へと戻すことに成功したようだ。

 マユに任せて正解だったな。

 よかったよかった。

 ていうか、俺が喋ってないときは変な語尾にはならないんですね。線引きがしっかりあって安心しました。

 

 

 運命に翻弄され続けた少年少女たちのメンタルケアも、ようやくこれで一段落だ。

 マユはどうやらレッカから良いアドバイスを貰ったようだし、太陽は見ての通りそのマユ本人がレッカと同じように導いてくれた。

 元を辿れば今回のワチャワチャはほとんどレッカが解決した形になる。

 こっちの出番はほとんどなかった。

 もう俺の周囲で道に迷ってる人間なんて一人もいないし、これでしばらくは面倒事が舞い込んで来ることも無くなるだろう。

 

 ……今も道に迷ってるのは俺だけだしな。

 そこら辺はまぁ、うまいこと自分の中だけで咀嚼しようと思ってる。

 修学旅行中の親友に攻略してもらおうだなんてのは流石に甘え過ぎだから。

 太陽に対してのアプローチの結果、コクの姿は必然的に無くてはならないものになったため、美少女としての活動自体はしばらく続くことになるだろう。

 

 だが──ぶっちゃけ美少女ごっこについては未定だ。

 

 まさか『漆黒』というキャラクターにここまで現実的な人間としての責任が付与される事になろうとは、美少女ごっこを始めたばかりのあの頃の俺では考えもしなかった。

 親友をからかいつつヒロインっぽい役をちょっと楽しめればそれでいいか、なんて当初は思っていたのに、随分と遠いところまで来ちゃったもんだな。

 レッカのことをヒロイン攻略中の主人公だとかなんとか茶化していたのに、気がつけば俺も彼と同等くらいの面倒に巻き込まれている。

 人生って何が起きるか分からないものなんだなぁ。みつを。

 

 

 

 

 突然やってきたショタっ子のイベントも何とかこなし、その後の修学旅行も普通に楽しんでから数日後。

 旅行イベントを終えて学園都市に帰ってきた俺たちは、日曜というこの世で最も尊い安息日を返上して、学校の部室へ訪れていた。

 

「ヒーロー部一同、球技大会の準備がんばるぞー」

『お~』

 

 ライ会長の合図と同時に全員が部室内を掃除し始めた。

 この学園はあと三週間後に、全校舎を使った大規模な球技大会こと”ハイパーボール鬼”を予定している。

 鬼がボールを持って人間を追い回し、球を当てて人類側を全滅させる恐怖のイベントだ。

 

 窓ガラスや細かな備品などは強化魔法で保護されるのだが、部室内の道具類などは対象外なので、ボール鬼の際に破壊されない為にこうして急遽部室の大掃除が開催されたわけである。

 てかこの学園イベントが多すぎない?

 クソ広い校舎をすべて使ったボール鬼とか、修学旅行の三週間後にやる行事じゃないよ……。

 

「あれ、アポロは楽しみじゃないの、ボール鬼?」

「人から追いかけられるのトラウマなんで……」

「かわいそう。よしよし」

 

 ロッカーの整理をしている途中、コアラみたいに背中にくっついて離れないマユに頭を撫でられた。

 ずっとひと一人を背負ってるの辛いし、なにより普通に邪魔だから早く降りてほしい。

 

「マユちゃん背中からおりて」

「やだ」

「うぜぇ。降りろオイっ」

「むぅ~っ」

 

 不要な装備アイテムを振り下ろそうと暴れていると、視界の端に背の低い二人が映った。

 お手伝いに来た衣月。

 それから初めてヒーロー部の部室へ訪れた太陽だ。

 小さい身体でせっせと動き回るロリとショタ、とても目の保養に効きます。かわいい。

 

「太陽。脚立もってきて」

「あ、うん。アレだね姉さん」

 

 藤宮太陽という少年の生い立ちはかなり特殊で、いろいろあった結果いまは衣月の弟ということになった。

 太陽も元は孤児院に預けられた子だったらしく、組織に目を付けられて誘拐されるなど、その辺りの生い立ちはほとんど衣月と一緒だ。

 二人の名字が同じ理由については──まだ分かっていない。

 年齢が幼いことや組織の実験で記憶が曖昧になっていたりなどの理由で、太陽自身にも自分の事で分からないことがかなり多いのだ。

 そういった部分の調査はレッカのお兄さんに任せてあるから、いずれは判明するだろうということで、細かい事情は後回しにした。

 

 藤宮太陽は藤宮衣月の弟、だ。

 今はそれでいいだろう。

 

「はい姉さん、脚立持ってきたよ」

「遅い。減点」

「んうぇぇっ! ほっぺ引っ張らにゃいへぇ! ごえんなひゃい!」

 

 ちなみに衣月は太陽に対してそこそこ当たりが強い。

 まぁ事実だけ見れば、衣月の親代わりみたいな事をしていた俺を半殺しにしたわけだから、彼女が太陽に対して厳しいのも無理はない。

 というか会話拒否をしてもおかしくないレベルの確執だ。

 太陽には『アポロとコクは別人』という風にしっかり認識させており、ついでにコクは衣月の血の繋がらないお姉さんという設定で通しているため、彼自身もコクを手にかけたことで衣月から良くない感情を向けられている事に関しては気がついているのだろう。

 

「うぅ……」

「ジュース買ってくる。太陽は何がいいの」

「えっ? ……あ、えとっ、お茶で」

「分かった。待ってて」

 

 ただ、見て分かるように衣月もただ太陽に対して厳しく当たるだけではないらしい。

 俺を殺しかけた事に対してはまだ憤りを覚えているが、それはそれとして彼のお姉ちゃんとしても振る舞おうと努力しているようだ。

 ちゃんと知り合ってからまだ数週間も経ってないし、ぎこちないながらも互いに適切な距離感を探っている途中なのだろう。

 二人とも優しく、物わかりの良い子でよかった。お兄ちゃんは安心しています。

 

「ポッキー、ロッカーの整理終わった?」

「おう」

 

 段ボールを持ったレッカが出現。荷物が重そう。

 

「僕ちょっと職員室に用があるから、このダンボール外の倉庫に持ってっといてくれる?」

「うい了解」

 

 そして俺が彼から大きなダンボールを受け取ろうとした──その瞬間。

 

 

「ウヒャアアァッ!! ゴキブリですわぁぁァ゛ッ!!?」

 

 

 足元に出現した黒光りのGにビビったヒカリが飛び上がり。

 

「ぴぃ~っ!!」

「うわっ!?」

 

 後ろからヒカリにぶつかられたレッカがバランスを崩し。

 

「ちょっ、おわっ!」

 

 そのまま重力に従った親友に押し倒され、ドミノの様に床へ転がった俺たちは──

 

 

「……」

「…………」

 

 

 見事に男同士で唇を重ね合わせてしまいました。

 

 思わずフリーズしちゃったよね。

 

「──っぷは! ぁっ、ご、ごめっ、ポッキー……」

「うえええぇぇぇッ!!!! げほっ! ゲホっ!!」

 

 何でよりにもよってこんな事故でチューする事になるんだろうね。

 ファーストキスが男同士とか悪夢だ。

 

「水道!!!!!」

「あっ、ぼ、僕も!」

 

 唖然とする部員たちを置いて、俺とレッカは部室を飛び出て水道へと駆け出していった。

 犯されてしまった唇を洗浄するために。

 

 くそ。

 ちくしょう。

 アイツが昼に食ってたカレーうどんの味がした。

 初めてのキスがカレーうどんだった。

 相手が男でカレーうどんだった。

 縁結びで五百円ぶち込んだら一周回って不幸になりやがった……涙が止まらないよぅ……カレーうどん……。

 

「がらがらがら……ペッ」

「ポッキーごめん。きみのキス童貞を奪っちゃった……」

「そういう言い方やめろよお前!! きめぇマジで!!!」

 

 何で親友くんは割と余裕ありげなんですか!

 お前もしやキス初めてじゃないな? ラノベ主人公時代のラッキースケベで何回か経験してるな?

 いや、でも男同士のアレでここまで動揺が少ないのは流石にヤバい。

 こわい。

 コレが勇者なのか。

 流石は世界を救ったヒーローだな。

 もはや尊敬の念を抱かざるを得ないぜ。

 

 これが美少女フォームの時の事故ならまだ『ヒロインとしてのイベントだからセーフ』とか何とかうまくメンタルを誤魔化せたのに。いやそれでもかなり辛いけども。

 どうしてよりにもよって男の時なんですか?

 誰も幸せにならないよこんなの……!

 

「このカレーうどん野郎がッ!!」

「理不尽」

 

 事故だから僕だって被害者なのに……とメソメソ半泣きになるレッカ。

 うるせぇよバカ。泣きたいのは俺の方だ。

 

「……三人とも、何やってるんですか」

 

 縁結びで運勢が逆にバグった俺たちの前に現れたのは、モップを片手に携えた音無後輩だった。

 てか三人ってどういうことだろう。

 ……あっ、そういえばマユが背中にくっ付いてたんだった。

 転んだ時に腹パンくらったような声上げてたわ。

 

「音無、俺とキスしてくれ」

「は?」

 

 上書きして欲しい。

 レッカの男らしい唇の感触を別の衝撃でかき消して欲しいんだ。

 頼む後輩。

 

「なにを急にトチ狂ったことを……」

「辛いんだ! たすけて!!」

「いや無理です。普通にキモい」

 

 あぁっ、行かないで。

 まずい失望されてしまった。

 レッカとキスした事で情緒不安定な状態に陥ってしまっていたようだ。

 俺は何てことを口走ってしまったんだ。

 後輩に嫌われちゃった。つらい。

 

「はぁ……あのですね先輩。そういうのは然るべき時に……えと、もっとこう、雰囲気とかあるじゃないですか普通」

「ふんいき……?」

「~ッ……あぁもうっ、先輩なんて知らないです。いきなり変なこと言うのキモすぎ。嫌い」

「そ、そんな……」

 

 ぷんすか音無ちゃんはモップを持ったまま廊下の奥へと消えていってしまった。

 流石にいきなり過ぎたせいか、思いっきり好感度が下がってしまったようだ。バッドコミュニケーション。

 あれか、すぐ近くにレッカとマユがいたのがいけなかったのかな。そういう問題じゃないですねはい。

 

「れっちゃん、ごめんな。ひどいこといっぱい言った」

「い、いや……うん。分かってくれたならいいよ」

 

 後輩にめちゃくちゃ嫌われてようやく自覚できた。

 今回ばかりは事故だし、レッカにはまるで非が無い。

 反省しよう。

 きっと今回のコレは美少女ごっこでいろんな人を翻弄してきた俺への罰なんだ。

 親友はとばっちりを受けただけなのだ。彼に当たるのはもうやめよう。

 

「何か飲み物買ってくるよ、ポッキーは何がいい?」

「味噌汁」

「アクエリでいいね」

「……うん」

 

 軽いジョークすらあっさりと受け流されてしまった俺は完全なる敗北者だ。

 せっかくの日曜だってのに気分ダダ下がりである。

 もう今日はずっとダメな日に違いない。

 

「アポロ、アポロ。私がキスしてあげる」

「遠慮します」

「はむっ」

「マユちゃん? あの、頬っぺた吸わないで──イデデェッ!!? 噛むなバカやめろお前オイ!!」

 

 ……本当に今日はダメな日だ。

 

 



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無自覚少女は闇夜に消える

 ──違う。

 

『んっ、コクも肉まん食べる?』

 

 そうじゃなくて。

 

『今度はヒーロー部のみんなと一緒にお店を回ろうよ』

 

 これは俺が求めてるものと違うんだよ、レッカ。

 

『それじゃあ、また明日。ポッキーにもよろしくね』

 

 そう言いながらお前は手を振って別れたけどさ。

 

 明日も、明後日も、その次も、いつでも会える存在なんて。

 日常の一部として当たり前のように存在する女の子なんて。

 

 そんなの──俺が望んだ『謎の美少女』じゃないんだよ。

 

『……先輩?』

 

 今一度、しっかりと考え直さなければならない。

 

『おーい、難しい顔してどうし──あっ、ちょっと!』

 

 自分の部屋で、たった一人で、思慮に耽る時間が必要なのだ。

 早急に答えを出さなければならない。

 今後の身の振り方を。

 コクとしての在り方を。

 

 俺はこれから──どうすればいいのかを。

 

 

 

 

 球技大会を翌日に控えたある日の夕方の事だった。

 俺がコクに変身し、レッカと二人きりで街をブラつく機会が訪れた。

 タイマンで美少女として振る舞う事に緊張を覚えつつ彼と一緒に街へ繰り出して──俺は改めて現実を知ったのだ。

 

「…………」

 

 沈黙する。

 今いる場所は学生寮の一室だ。

 実家が悪の組織に破壊されて以降、俺は寮で生活している。

 たった一人の自由な空間での生活を許されているわけだ。

 だからこうしてベッドに仰向けで寝転がり、目を閉じるでもなく、ただ天井を眺めていても誰からも文句を言われることはない。

 誰からも思考を妨げられることが無い。

 

「……また明日、か」

 

 ぼそりと呟く。

 何だか天井の光が鬱陶しくて、手を上げて明かりを視界から遮ってみた。

 眩しいけど、電気を消したらそのまま寝てしまいそうだったから、部屋の明かりはつけたままにしている。

 少し経って、腕が疲れた。

 体を横にして壁を見つめる。

 

「なんか……コクはもう、ハーレムの一員って感じだな」

 

 世界を救って、学園に平和を齎して。

 レッカはすっかり以前と同じような生活に戻ってしまっていた。

 怪人との命を懸けた戦いこそ無いものの、俺の親友は相変わらず多数の女子に囲まれながら、至って平和にラブコメ生活を送っている。

 むしろ世界を救った功績で、昔よりも更にモテていると言ってもいい。

 他の男子たちからは羨望の眼差しを向けられ、女子たちからはよく声を掛けられ、肝心のヒーロー部の少女たちとの仲はより一層深まっている。

 

 そして周囲と比べて唯一、コクという少女だけが何も成長していなかった。

 

 百戦錬磨のレッカからすれば、慣れた少女の相手などお手の物だったのだろう。

 すでに謎の少女が主人公を翻弄する時代は終焉を迎え、本編終了後の余裕ある少年が、攻略しきれていなかったヒロインの好感度上げをするターンに入ってしまっている。

 コクはもう『ハーレム入りしない謎の少女』ではなくなってしまっているのだ。

 めっちゃハーレム入りしちゃってる。

 レッカの取り巻きの一人って感じ。

 正体を知っている他のメンバーの前では変身しないが、だからといってコクに変身してレッカとだけ接しても、妙な雰囲気になる事も変に深読みされることもなかった。

 

 この数週間で何度もコクとして接触したが、結果は同じ。

 

「じゃあ、どうすればいい?」

 

 思わずスマホを触ろうとしてしまったが、それは思考の邪魔になると気づいてスマホを枕の下にしまい込んだ。

 俺はこれからどうすればいいのか。

 それが分からない。

 

 なのでとりあえず()()()()()()()()()()()()()を思い出してみることにした。

 

 ……普通に暇なだけだった。

 いや、うん。

 そういえば高尚な考えがあるだとか、そういうんじゃなかったな。

 レッカに放置されて退屈になって、ならハーレム入りしない特別な立ち位置のヒロインとして登場して、アイツらをかき乱しながら楽しんでやろうって考えて、美少女ごっこを始めたんだ。

 それが俺の始まり、オリジンってやつだった。

 

 それから色々と狂っていって、気がつけば特別な少女を守る事になったり悪の親玉をやっつけたり、もう一人の自分が生まれたり──情報量が多い数ヵ月を過ごした。

 

 その果てがコレか。

 命を懸けて……いや別に命懸けの事がやりたかったわけじゃないけど、ともかく命を張るくらい大変なことをした結果がハーレム入りだなんて、到底容認できることではない。

 ない、けど。

 そもそもが俺のワガママから始まったのなら、最後がここまで俺の意思を踏みにじる結果だったとしてもしょうがない。

 きっと俺自身がどこかで間違えたんだろう。

 

「……潮時、か」

 

 コクは謎の美少女感が完全に消え失せた。

 俺自身もコクになってレッカと接してもあまり『楽しい』とは感じられなかった。

 彼には余裕があって、コク(おれ)には余裕が無い。

 美少女ごっこを始めたあの時とは状況が何もかも違う。

 

「氷織たちの事もあるし……あー、もう無理だな」

 

 体を起こす。

 スタンドミラーにはコクが映っていた。

 

「無理だよな?」

『……』

 

 こいつはマユじゃない。

 俺自身だ。 

 心の中の俺を映し出している。

 喋りもしないし動きもしない。

 ただ無表情で俺を見つめるだけだ。

 

「最初はあの子たちを”レッカの取り巻き”とだけ認識していた。けどアイツらをちゃんと知ってからは──」

 

 レッカを奪ってしまったら悪い、と。

 そう考えてしまうようになった。

 

「氷織もヒカリもカゼコも本気でレッカに想いを抱いているのに、俺が茶々を入れて……あまつさえヒロインとして奪うなんて事があれば、彼女たちを深く傷つけることになる──よな」

『……』

 

 鏡に映るコクは何も言わない。

 俺自身が答えを出さなければいけないからだ。

 俺は誰からも助言を受けてはならない立場なのだ。

 

 そうだ。

 ヒーロー部の少女たちと仲を深めてしまったのがいけなかった。

 美少女ごっこを続けてレッカのヒロインとして役割を全うするつもりだったのなら、俺は何があってもあの娘たちと親密になってはいけなかったのだ。

 俺自身の罪悪感が大きすぎるから。

 周囲の人間たちを引っ張りまわせるだけの心の余裕を奪ってしまうから。

 性格が終わっているので他人なら大丈夫だったが、知り合いを傷つけてしまうとなれば話は別──となってしまう。

 

 結果論で言えばレッカもかなり傷つけてしまっているし、沖縄で『コクが好きかもしれない』という想いを抱かせてしまったのも、彼のヒロインたちと仲良くなってしまった後だと考えれば失敗だった。

 あの時は気づかなかったが、こうなってしまった以上結局最後はヒロインたちへの罪悪感で動けなくなってしまうに決まっていた。

 

 

「結論をまとめようか」

 

 ここまで考えて、答えは出た。

 

「既にコクはメインヒロイン面が出来るほど特別な存在ではなくなっている」

 

 それからもう一つ。

 

「悪の組織の残党によってボコボコにされた俺を、親身になって世話してくれたあの娘たちを傷つけてまで、レッカをからかおうとする気力(モチベ)はもう俺には無い」

 

 俺がそう言いながら頷くと、鏡の中のコクも頷き、その姿が少女からアポロ・キィへと戻っていった。

 心の中で渦巻いていたモヤモヤが晴れたおかげなのだろう。

 美少女()()()が終わろうとしている。

 人生の目標が無くなろうとしている。

 

 これまで『コク』を頑張ってきた自分にはウソをつきたくないから、変身ペンダントを捨てて都合よくアポロ・キィとして生活する、という選択肢は俺には無い。

 だからレッカのヒロインとして振る舞うという目的が消え去った以上、俺は今後きっと──ずっとコクとして生きていく事になるだろう。

 しょうがない。

 変えようのない決定事項だ。

 

 ──だって、だって。

 

 

「レッカは……俺を止めてくれなかったから」

 

 

 時間はあった。

 少し時間をくれと言われたから、それを与えた。

 退院してからの平和な一ヵ月間、自分から聞きにいく事はなかった。

 けど彼から答えをくれる時は終ぞ訪れなかった。

 沖縄で好感度を上げたのは間違いなかったけど、レッカがコクに対して告白してくることはなかったから、結局ヒロインとしてのムーブも中途半端だったんだろうな。

 

 負けた。

 失敗した。

 コクはメインヒロインにはなれなかったんだ。

 美少女ごっこをする変態が誰にも止められなかったのなら、それはもう哀れに最後まで美少女を続けるしかないだろう。

 たとえ理解者や仲間が誰一人いなかったとしても、だ。

 

 それが美少女であり続けた自分への誠意であり、周囲の心優しい人間たちを──たった一人の親友を欺いてきた自身への罰なのだから。

 

 

 

「……シリアスな主人公ごっこ、終わった?」

 

 俺がベッドから立ち上がると、それとほぼ同時にマユが部屋の扉を開けてこっちを覗き込んできた。

 

「うん」

「よかった。じゃあ私も準備するね」

 

 先ほどまでの俺の葛藤や悩みを全て『シリアスな主人公ごっこ』の一言で纏め上げられてしまった。かなしい。

 反発する気力がないのでそのまま肯定したが、マユってやっぱり少し辛辣なんだよな。

 部屋に入ってきた彼女は何やらリュックに色々な物を詰めており、俺の出した答えに関してはほとんど興味が無いようだ。

 ……まぁ、そうか。

 マユからすればどうでもいい事なのかもしれない。

 

「ねぇ、アポロ」

「何ですか」

 

 準備を終えて動きやすい恰好に着替えたマユが、リュックサックを背中に背負いながらこっちへ向いた。

 

「みんなが楽しみにしてる球技大会を邪魔されたくない、っていうのは分かるんだけども」

「はい」

「私たち二人だけであの警視監の(ロリ)を今夜中に見つけて捕まえるって、かなり無謀じゃない?」

「……はい」

 

 少しばかり呆れた声音でそう告げられ、俺は何も反論する事が出来なかった。

 

 ……いや、あのですね。

 警視監の男って死んでなかったじゃん。

 俺が倒したと思ったけど、あいつ体をロリっ娘アンドロイドにして生き延びてたじゃない。

 そんでもってこの前の修学旅行では、群青──太陽の中にある魔王の力を狙って襲い掛かってきた。

 これもうただ事じゃないんだよね。

 ねっ。

 パンドラの箱開いちゃってるよね。

 ヤバいよねってこと。

 

 ──つまるところ、警視監は悪の組織再興の為に、魔王の力をかき集めているという事だ。

 そしてこの世界において魔王の力を体内に宿している人間は、俺とマユと太陽をおいて他にはいない。

 簡単に言えば、警視監は俺たち三人を常に狙っているというわけで。

 そうなるといつ襲われるか分からないし、明日行われる球技大会の途中で襲撃してくる可能性も捨てきれない。

 

 以上の理由から、俺はあの警視監ロリをとっ捕まえて牢にぶち込まなければならないのだ。

 これはアイツを殺しきれなかった俺の責任だから。

 

「俺がやらなきゃいけない事なんだ。みんなの為にも、俺の為にも」

「……うん。あの、そういう決意表明は別にいいんだけどさ。アポロは何か行動を起こすときに『謎のヒロインとして』とか『美少女ごっこが~』とか、そういうの考えすぎて決断が遅くなってる事にそろそろ気づいた方がいいと思うよ?」

 

 マユは窓のカーテンをずらして外を見ながらそう言ってくる。

 

「えっと……マユ、もしかして怒ってる?」

「は? そろそろ深夜の零時を回るんですけど。帰ってきてからクソどうでもいい美少女ごっこ云々を考えるのに五時間近く使ってるのマジで何? その間ずっと部屋の外で待ってた私の気持ち考えて?」

「ごめんなさい……」

 

 そんな長い間シリアス主人公ごっこしてたのか、俺は。

 そりゃマユも不機嫌になるわけだな、本当に申し訳ない。

 お詫びに板チョコを手渡すとマユはそれをぶん取り、むしゃむしゃと食べながら横目に俺を見てきた。

 

「……で、自分を納得させることは出来たの」

 

 心の整理は出来たのか、という意味の質問だろう。

 それはもうとっくに大丈夫だ。

 なんせ五時間も費やしたのだから。

 

「あぁ。俺は都合よくアポロ・キィとしてこの学園に残ることはしない」

「ずっとコクのまま生きていくってこと?」

「誰も止めてくれなかったからな。その時は元からこうするつもりだったさ」

 

 みんなに黙ってこの学園を去り、生き残ったラスボスと命を懸けたラストバトルをしに行く免罪符を俺は手に入れた。

 自分を納得させるための言い訳をようやく思いついたのだ。

 俺自身の尻拭い、そして周囲への罪滅ぼしのために、誰も巻き込まず巨悪を討ちに行く。

 

 そして誰にも攻略されなかった哀れな負けヒロインとして、俺は役目を終えてどこかへ消える。

 

 そうするという結論に至った。

 周囲に恵まれた環境でアポロとして生きていくには、俺の罪は重すぎる。

 到底許されるべき行為ではないと思います。

 アポロを捨て去って、攻略してくれる主人公が不在のヒロインになって、孤独に生きていく──それが終点。

 

 それこそが、周囲への迷惑を考えずに自分の思うままに行ってきた、この美少女ごっこの終着駅だ。

 

「ふっふっふ。まぁ私は何があってもアポロのそばにいるんですけどね、初見さん」

「なんでそんなドヤ顔?」

 

 マユに関しては……もう、いろいろ諦めた。

 彼女の存在というか、俺との関係性そのものが事故みたいなもんだし。

 なによりマユ本人がどうあっても(なぜか)俺から離れようとしない以上、無理やり引き剥がすのも難しいから、ついてきたいなら好きにしなさいよ、という流れになった感じだ。

 

「アポロ、警視監を捕まえたらその後はどうするの」

「……そのまま居なくなるよ。未練がましくコクとして残ったところで、本物のヒロインである氷織たちの邪魔になるだけだ」

 

 ヒカリもカゼコも傷ついた俺を優しく支えてくれたし、氷織に関してあの子の恋を応援すると言ってしまった。

 ならもう確実にコクの存在は不要だし、彼女らに恩を仇で返すような真似はしたくない。

 レッカを翻弄して悔しがらせてやろう──なんて考えは当の昔に消え去っていたのだ。

 だったら無理して美少女ごっこを続ける意味も無いだろう。

 なんやかんや理由をつけて頑張ってはきたものの、元はと言えば俺が()()()()()に始めた行為だったのだから、モチベが無くなったのならやめるべきだ。

 

「警視監が潜伏してそうな怪しい場所は、いくつかレッカのお兄さんから教えてもらってる。しらみつぶしに探していくわけだし、時間もかかるからもう行こう、マユ」

「わかった」

 

 学園には未練たっぷりだし、本当は戦いなんて怖いから行きたくない。

 それでも人の命がかかっていて、世界を終わらせようとしている危険思想のアホがいるならやらなければいけないことだ。

 両親にも『人生を左右する大事な実験のために旅に出る』とそれっぽい事を言って納得してもらった。

 

 ヒロインにも何者にもなれなかった俺でもやれる事はある──そう覚悟を決め、コクに変身してから部屋を出ていくのであった。

 

 

 

 

「紀依、わたしもついてく」

 

 カッコつけて自室から出発した僅か数分後の事。

 俺の前に見覚えのある白髪の少女が姿を現してしまった。

 めちゃめちゃ出鼻を挫かれた気分だ。

 

「……衣月、なにその恰好」

「音無に作ってもらった」

 

 そして俺の庇護対象であったはずのその少女──藤宮衣月は、黒色を基準とした『忍者』のような恰好をしていたのだった。

 首に巻いているマフラーも異様にデカい。何か見覚えある。

 こんなの見たらそりゃ言葉を失うし、軽めに引くだろう。

 黒い網タイツやらどうやって着たかも分からない黒インナーの上に、ミニスカかよって程に丈の短い忍者っぽい着物を身に纏っていて……ともかく小学五年生がやって許されるようなコスプレではない。

 

「えっちすぎる。着替えて部屋で寝なさい」

「やだ」

「いい加減にしないと怒るぞ」

「紀依の方こそいい加減にしないと叩く。何度言ったら──いつになったら"他人の手を借りる"っていう選択肢を覚えてくれるの」

 

 お兄ちゃんムーブで誤魔化そうとしたが無意味だった。

 無表情だが明らかに衣月が普通に怒ってる。こわい。

 

「……紀依がいなくなってから私、音無にお願いしてずっと忍者の修行をつけてもらってた」

 

 何やってんだあの後輩……。

 

「ちゃんと強くなった。もうただ守られるだけの足手まといにはならない」

「い、いや……そういう問題じゃ」

「そういう問題。どうせ勝手にいなくなろうとするんだから、こっちが強くなって置いてかれないようにするしかない」

「わっ、ちょっ、衣月……」

 

 そう言って彼女は俺の腕に引っ付き、絶対に離れないという分かりやすい意思表示をしてきた。

 いつの間にか武闘派みたいなことを口にするようになった衣月ちゃんには、どうやら何を言っても無駄なようだ。

 小学校の事とか、新しく出来た友達の事とかいろいろあったはずなのに、それらを二の次にして──またこんなバカに付いていこうとするなんて、この少女も大概だな。

 

「これでロリハーレム完成でごザンス~♪」

 

 背中に隠れてたマユがとんでもない事を口走りながら腕を抱いてきて、いよいよ収拾がつかなくなってきた。

 はたから見ればロリとロリにくっ付かれてるロリという絵面だ。ややこしすぎる。

 

「出た。紀依の分身」

「マユだってばよ! これからお世話になります、ハーレム一号先輩!」

「衣月だよ。よろしく、ハーレム二号」

 

 いや打ち解けるのはや……。

 

「裏口で紀依を待ってる人がいる。いこ」

 

 衣月に半ば連れていかれるような形で寮の廊下を進んでいき、俺たちは建物の外へ出ていく。

 いったい誰が俺なんかを待っているのか。

 ……大体の想像はついている。

 

 

 時刻は午前の深夜。

 白銀の月光が差す、その静まり返った校舎の裏口に──その人はいた。

 

「……うわ、両サイドにロリっ娘を侍らせてる。小児性愛者……」

「不可抗力だ。いわれのない中傷は止めるんだ」

 

 衣月と似たような忍者っぽい装束。

 見慣れた黒髪に仲間内では珍しいポニーテール。

 なにより異様なデカさの、首に巻かれた雀茶色のマフラー。

 既視感の塊であった。

 暗くて顔が見えなくても絶対に判別がつく人物だ。

 

「……マユ、ちょっと衣月の相手しててくれ」

「了解だッチュ!」

 

 適当な理由をつけてマユが衣月を少し遠くへ連れて行ってくれた。

 なにやらリュックから色々な道具を取り出して、衣月に披露したり、逆に手裏剣の投擲技術を見せてもらったりしている。

 あっちはしばらく大丈夫そうだ。

 

 ……で、俺はこっち。

 

「オイ、そこの忍者」

「はい」

「屈め」

「はい──いひゃひゃっ!?」

 

 とりあえず相手をかがませ、ほっぺを割と強めに引っ張った。

 コレは制裁だ。

 まじで何やってんだこの後輩は。

 指はすぐに離してやったが、俺は未だに少し怒ってるぞ。

 

「音無オマエ、小学生になんてモン覚えさせてんだ?」

「……そ、それに関しては、ホントにごめんなさい……」

 

 珍しく殊勝な態度で謝ってくるオトナシ・ノイズ後輩。

 こいつの事だから何やら理由をつけて俺を論破しにかかると思ったのだが、その予想は外れたようだ。

 ……ていうか音無のちゃんとした忍者衣装を見るの、今回が初めてだな。

 通気性を意識してるのか所々で肌が見えていて、特に太ももの網タイツが大変えっちだ。

 目のやり場に困るから、できれば制服を着ていて欲しかったところである。

 

「何で衣月に危険な事を教えたんだよ。あいつに特別な力が残ってない事はお前も分かってるだろ」

「そりゃ、頼まれた当初は断りましたよ。二桁くらい」

 

 あれ、割と甘やかしてるワケではない……?

 

「それでも何度もお願いしに来る衣月ちゃんを見て分かったんです。本気なんだって」

「い、いや、でもだな……」

「先輩の言いたいことは理解できますよ。衣月ちゃんはまだ十一歳だし、悪の組織から解放されてようやく普通の日常を手に入れましたからね」

 

 でも、と。

 そう続けながら音無は首を横に向けた。

 追うように俺もそちらへ目を動かすと、視線の先には忍者装束に身を包んだ衣月がいた。

 彼女は近くの巨木に向かって手裏剣をブン投げ、それらを全て命中させている。

 素人目でも分かるほどの、驚異のコントロールだ。

 あの少女がどれ程必死に鍛錬を積んだのか、どれほど本気で修行に取り組んだのかが、今の手裏剣技術を通して理解できた。

 

「あの子を庇護対象の子供じゃなくて、一人の女の子として見てあげて欲しいんです。衣月ちゃんだって、本当はずっと先輩を守りたいと思ってたんですよ?」

「……でも、あいつには普通の日常が──むぃっ」

 

 すると、今度は音無が俺の頬を引っ張ってきた。

 とても優しい力だ。まるで痛くない。

 

「衣月ちゃんの()()には先輩も入ってるんだって事……分からないって言うつもりなら、私も本気でほっぺつねります」

「……ごえん」

 

 頬を伸ばされたまま俺は謝罪を口にした。

 音無のその態度からして、もしかしたら自分が思っているほど、アポロ・キィという存在は軽くないのかもしれない。

 ここでとぼけて突き放す事も出来たかもしれないが──いや、やっぱ無理だな。

 仲間がいるってなると気が緩んでしまって、その仲間から離れたくないと考えてしまう。

 俺ってホントに単純な生き物ですね。

 彼女に手を離された後、俺は深々と頭を下げた。

 

「ありがとう、音無」

「いいえ。私たちが勝手にやってることですから」

 

 いつもの穏やかな声音だ。

 何も言わず勝手に学園から去ろうとしたわけだが、どうやら衣月ほど怒ってはいなかったらしい。

 俺の奇行に慣れた、とでも言うべきだろうか。

 ともかくある程度の事情は察してくれているようで、仲間として単純に心強い存在だ。

 

「……ねぇ、先輩」

「なんだ?」

 

 音無が立ち上がり、腕を後ろに組んでこちらを見下ろしながら切り出してきた。

 何でしょうか。

 ちょっとお茶飲むんで待ってもらえるかな。

 

「私とキスします?」

「ブッ゛!!」

 

 突然、突拍子もない申し出を受けてお茶を吹き出した。

 なんだなんだなんだ。

 お茶が鼻から逆流して大変なことになってるから待って。

 いま美少女がしていい顔してないからちょっと待ってくれ。 

 

「うぅ……な、何のつもりだ、おまえ?」

「え、何って……三週間ぐらい前の先輩と同じ事してみただけですけど」

「どうしてこんな時に」

 

 あまりにも急過ぎて急須になったわね。

 三週間前の出来事って、たしか俺とレッカが事故で唇が合体しちゃったから、その衝撃の上書きがしたくて俺が音無に『キスしてくれ』って頭のおかしい事を口走ったときの事だよな?

 よく覚えてたな……いや、あんなキモい事を言われたら印象にも残るか。

 

「私も今の先輩と同じ気持ちだったって事を分かってほしくて」

 

 同じ気持ちってどういう。

 

「ですから……その、一瞬本気なのかなって思っちゃったってことですよ」

「えっ? あぁ、いや……あの件に関しては本当に申し訳ないと思ってるよ。ごめんって」

「謝って済む問題じゃないです。私ったらマジでビビったんですからね? あの時私が本当にキスしたらどうするつもりだったんですか」

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 一瞬でごめんなさいボットと化した俺。

 すると彼女はかがんで俺のそばに詰め寄り、耳に近い位置で声を上げた。

 

「これはお詫び案件ですね」

「お、お詫びって……?」

 

 あれ、もしかして俺いま後輩にたかられてる?

 オイ兄ちゃん金持ってんだろー、ちょっと飛んでみろよー的なアレか?

 こわい、忍者やはり汚い。

 振り返ってみれば音無にはいくら払っても足りないくらいの迷惑をかけてるから、腰を抜かすような大金を要求されても断れないのが辛いところだ。

 5000兆円とか言われちゃったらどうしよう。

 

「じゃあ、今回の戦いが終わってもしばらく学園から去ろうとはしないでください」

「へっ……?」

 

 マジか、このまま居なくなろうとしてた事までお見通しだったのかよ。

 思考盗聴したな? 

 ニンジャってのは何でもありだなホントに。

 

「明日は球技大会ですし、来月には衣月ちゃんの小学校で運動会。その二週間後もウチの学園祭があって、それから──」

「待て待て、ちょっと待って」

「なんです?」

「いや、目的が分からん。何でそうまでして俺を行事に参加させたがるんだ?」

 

 衣月の運動会や授業参観はかなり行きたいが、それにしたって音無の手は空いている筈だ。

 なして俺までそれに行かせたがるのか、それが分からない。

 

「何故って……私が先輩と学園生活を送りたいからですけど」

「えっ」

 

 へっ?

 

「そんな事も分かんないくらいおバカになっちゃったんですか」

「ちょ、まっ……え?」

 

 何で俺と学園生活?

 俺にキスしろって言われて不快になったんじゃないの……?

 どうしてお前──急にそんなデレてんの。

 

「私の”普通”の中にも先輩がいるって事ですよ。それの何が不思議なんです?」

「だ、だって俺は……えぇと……」

「……ハァ。まったく鈍い人ですね」

「えっ──わっ! ちょっ!?」

 

 すると音無は突然詰め寄ってきて、俺を校舎の壁に追い詰めてきた。

 ドンっ、と。

 いわゆる壁ドンというヤツをされ、心臓がドキッと高鳴った。

 やだ、この後輩ワイルドすぎ……。

 

「キスでもしないと──分かりませんか?」

「……ひゃ、ひゃい」

 

 そして顔面偏差値の暴力をかまして来た。

 美少女というよりイケメンだった。

 絵面はロリに迫る女子高生なのでかなりヤバイ。

 しかし──音無の気持ちは伝わってきた。

 めちゃめちゃに伝わってきてしまった。

 俺の顔が熱くなっていくのを感じる。

 

 ……ぇ、えっとぉ!

 この後輩、もしかして、そのー……あの。

 

 

 お、俺のことがすっ、すすっす好きなのかしら……?

 

 

「はわわ……っ」

「……もう、ビビりすぎ」

 

 俺が恐らく勘違いであろう感情で震えあがっていると、彼女は壁ドンをやめて小さく笑った。

 

「私は先輩の忍者ですからね。何処へだってお供しますけど、主が道を踏み外しそうならそれを正すのが私の仕事です」

 

 そ、そんな主ってまさかお前この流れで──俺のことを『ご主人様』とでも呼ぶつもりか!?

 もしくは忍者っぽく和風テイストにお館様か!?

 

「私に目をつけたって事はこうなるってことですよ。……覚悟してくださいね、先輩」

 

 あっ、そこは変えないのね。

 先輩呼びが徹底されてましたわ。

 ……いやまぁ冷静に考えると、後輩にご主人様って呼ばれたら、それはそれで困るか。

 先輩呼びでよかった。

 後輩に変なプレイをさせずに済んだ。安心だ。

 

「さ、早くいきましょ。この先で風菜センパイとライ部長も待ってますから」

 

 あの二人までいんの!?

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ」

「どしました」

「何でそんなに俺の事情を知ってるんだ? マユ以外には誰も──あっ」

「えぇ、そのマユちゃんからの情報です」

 

 あの野郎……口が軽すぎるだろ……。

 

「それに部屋に戻る前の先輩の顔を見て、私たちもただ事じゃないなって思ってましたし、話を共有される前から準備はしてましたよ」

「お前ら俺への理解があり過ぎて逆に怖いよ」

「先に行ってますね~」

 

 そう言って音無は衣月とマユを連れて、学園の裏口から外へと飛び出していった。

 もはや俺が一人で逃げないことは確定事項なようだ。

 てか脚力だけで門を飛び越えているあたりやっぱニンジャってすごいわ。

 俺もあとで弟子入りしようかな。

 

 

 じゃあ俺も行くか──と、そう思ったところで()()()()()()()()()

 

 

「……あぁ、やっぱり」

 

 振り返った。

 予想通り、俺の親友──レッカだった。

 何かを察知して焦って起きてきたのか、髪はボサボサだし服装もジャージのままだ。

 

「こ、コク……? 何処へ行くつもりだ?」

 

 彼にはバレたくなかったんだが、これもコクという少女を演じるうえでの宿命か。

 負けヒロインがどこへ行こうと勝手だろう……なんて言うのは流石に酷いかもしれない。

 

 音無や衣月たちからは『アポロ・キィ』を必要とされていた。

 あれらの会話からそれだけは確定している。

 そしてこの世界で『コク』という少女を必要としている人は、もはや俺以外に誰一人として存在しない。

 太陽にも衣月というお姉ちゃんが出来たし、コクはそろそろ役目を終えようとしているのだ。

 ならば、もう必要以上にヒロインとして振る舞う必要もないだろう。

 

 ──俺は自分の意思じゃなくて、お前に止められたかったんだけどな、親友。

 

「心配しなくてもアポロ・キィは帰ってくる。後輩に釘を刺されちゃったから」

「……っ」

 

 レッカが眉間に皺を寄せた。

 そういう問題ではない、とでも言いたげな表情だな。

 

「何もかも私のせいだけど、ひとつだけ言わせてほしい事がある」

 

 どうせコクとして会うのはコレで最後になるんだ。

 ペンダントの処分についてはあとで検討するとして、言いたいことだけ伝えておこう。

 

 

「……私は待ってたよ。沖縄の時からずっと、レッカの答えを」

 

 

 少年は目を見開いた。

 呆然とする、といった方が正しいかもしれない。

 俺の言葉が衝撃的だったのか、はたまた『負けヒロインに伝える答えなんて無い』と呆れているのか、その判別はつかない。

 ただ一つ言えるのは、今の言葉が俺の本心だという事だけだ。

 

 どちらでもよかった。

 勝ちでも負けでも。

 だけどそれは俺が勝手に出す結論じゃなくて、彼の口から聞きたかった答えだったんだ。

 

「あなたにとってはどうでもいい存在かもしれないけど……出来れば頭の片隅にでも置いて、たまには思い出して欲しいな。コクっていう、自分に言い寄ってくる変な女の子がいたってことを」

「ま、待って! コク……待たせてしまって本当にごめん。その……ぼ、僕は──」

 

 彼は優しい。

 きっとここで待てば、コクに対して正解としか言いようのない返答をくれることだろう。

 だけど、相手を気遣ったその場限りの優しい言葉は、どうしても聞きたくなかった。

 それは俺の……いや。

 

 ()()のワガママだ。

 

「さよなら」

 

 レッカの反応を待たずに、俺は風魔法を使って闇夜に溶けていった。

 おそらく見事な負けヒロインムーブに見えた事だろう。

 元謎の美少女としてのフィナーレと考えれば、割と及第点なのではなかろうか。

 ふふふ、最後にちょっとだけ楽しいと思える雰囲気づくりが出来たな。

 よかったよかった。

 

 

 ……待って、なんか後ろから音が聞こえるんだけど。

 多分あいつ追いかけてきてるな? 

 ヤバい、どうしよ……。

 

 



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好感度チェックのセクハラ

 変身したら特注の衣装を着たコクになって、変身を解除すれば学園の制服を纏ったアポロに戻れる──という性質を利用し、変身と解除を繰り返して目くらましをしながら逃げていたのだが、結局後ろを追ってくるレッカを振り切る事は出来なかった。

 

(でも一向に姿を見せないんだよな……アレで隠れてるつもりなのか?)

 

 もしかするとレッカ的には俺を尾行しているのかもしれないが、手から噴射する炎の音がうるさすぎてバレバレである。

 しかし前みたいに真っ向から『何をするつもりなんだ!』なんて質問攻めはせず、こっそり様子を窺うようになったのは……まぁ、成長したとも言えるかもしれない。

 

 とりあえず後ろにいるレッカの事はあまり気にしないで、まずは目先の問題を解決しよう。

 ──と、そう思いながら仲間たちと合流した矢先の事だった。

 

「あっ、コクさん! こっちですーっ!」

 

 俺が到着した夜の公園には、なんだか明らかにコスプレっぽい衣装に身を包んだ少女たちが待ち構えていた。

 レッカと出くわす前に見送った音無と衣月とマユに、ヒーロー部の部長であるライ先輩、それからウィンド姉妹の妹の方である風菜の計五人だ。

 なかなかカオスな光景だな。

 

「こんばんは、風菜」

「はいっ!!」

 

 俺の挨拶に過剰な反応を見せた風菜は、下半身こそ5分丈のスパッツに短パンといったスポーティで動き易そうな恰好だったが、羽織っている上着のパーカーが少し特殊だった。

 パーカーにはなにやら怪しげな青白い光の線が入っており、一見すると近未来的な印象を受ける。

 

 にしても、相変わらずコクの前だと元気いいね。

 彼女は音無から俺の正体をバラされた後でも『実はコクさんって本当にいるんじゃないか?』みたいな感じで、相も変わらずコクの存在を信じている数少ない存在だ。

 ていうかレッカと風菜だけですね、コクを信じてるの。

 俺の美少女ごっこはもうボロボロだ……。

 

「ライ会長も」

「うむ。今日はよろしく頼むぞ、コク」

 

 隣にいたライ先輩に声を掛けると、彼女も俺をアポロではなくコクとして認識した。

 しかし、これは先輩がコクを信じているんじゃなくて、単純に風菜を気遣っての行動なのだろう。

 男が女に変身してキャラを演じてた──なんて情報を聞いた後でも元の存在を信じている風菜の方が特殊なんだ。

 

 まぁ、コクを演じるときは本気で無表情ヒロインムーブしてたし、その演技力に加えて風菜の『初恋の相手』というブーストが追加されていたおかげなのかもしれない。

 コクさんがいるの、私だけは知ってますからね……と俺に話しかけてきた事もあったし、レッカと同じでこれ以上俺が何を言っても彼女の認識が変わる事はなさそうだ。

 

 閑話休題。

 そういえばライ先輩も、風菜と同じように青白い線の入ったコスプレっぽいパーカーを着ている。

 何なんだろうこれ。

 音無と衣月の忍者装束といいこの二人といい、今夜は美少女コスプレ仮装大会だったりするのかな。

 

「二人とも、そのお揃いのパーカーはなに?」

「ん? ……あぁ、これか」

 

 俺がふと質問すると、先輩がパーカーの内側をチラッと見せながら説明を始めてくれた。

 

「アポロの両親である紀依博士たちに作ってもらった特殊な戦闘服さ。これを身に着けている間は魔力が増幅して、魔法の威力を上げることも可能になるんだ」

「あ、コクさんの分もありますよ! はい、どうぞ」

「うぇっ……」

 

 何故か俺も近未来パーカーを羽織る事になってしまった。

 どうやって事前に採寸してあったのかは不明だが、受け取った服はコクの身体にジャストフィット。

 服に走っている青白い光が少々鬱陶しいが、確かに魔力の増幅を感じるスゴイ服だった。

 

「えへへ……コレでお揃いですね?」

「う、うん。そうだね」

 

 風菜がだらしなくニヤつきながらにじり寄ってきた。こわい。

 

「あの、音無と衣月は着ないの?」

「私たち忍者にはこっちの方が合ってるので。そもそもこっちも紀依博士に作っていただいた物ですし、機能もほぼ同じですよ」

「何でそんなものを……」

 

 ウチの両親めっちゃコスプレ作ってるじゃん。

 マッドサイエンティストじゃなくてコスプレ職人だったのかあの人たち。

 どうして急にそんなものを製作してこいつらに渡したんだろう、コミケにでも出るつもりなのかな。

 

「先輩のご両親から頼まれてるんですよ。()()()()()()()()、って」

「意味が分からないんだけど」

 

 なにそれこわい。

 同じ部活の女の子たちに『ウチの息子をよろしく!』って両親がお願いするの、一体どういう流れなんだ。

 もしかして俺、勝手に逃げ出す猛獣か何かだと思われてたりする?

 ……隙あらば逃げようとする点では間違ってないか。

 衣月にも指摘されたことだし、そういう性質はとっくに皆へ共有されていたのかもしれない。

 いや、そもそも何でほとんどの周囲の人間によろしくされてんの俺。介護老人じゃねえんだぞ。

 

「特に私と部長と風菜センパイは念入りにお願いされてます。先輩が……コクちゃんが何かやらかしそうな時は、あなたたちで支えてあげてね~って感じで」

「どうしてあなた達三人なの?」

 

 

 ごく普通に疑問を投げかけると、勢いよく風菜が手を上げた。

 

 

「ハーレム三号!」

 

 続いてライ先輩が恥ずかしそうにおずおずと手を上げて。

 

「は、ハーレム四号……」

 

 そして最後に音無が手をひらひらさせながら、あっけらかんと。

 

「私がハーレム五号──とまぁ、こんな感じで先輩がいつも侍らせてる相手だからです。よかったですね、レッカさんに勝るとも劣らないハーレムですよ」

「もしかして今、あり得ないレベルの言いがかりを付けられてる?」

 

 本当に泣きそうになってきた。

 侍らせてるとかハーレムだとか、その認識はマジでおかしいだろ。

 そりゃ旅の途中で少なからず絆だの友情だのは育んだかもしれないけど、こんなあまりにも安っぽいハーレムが完成することある?

 俺への認識どうなってるんだよ……お前らを侍らせてハーレムやってた覚えなんて無いよ……。

 

 ──わかった。

 

 分かったぞ、こいつら俺をからかってるな?

 もしくは学園から去ろうとしてた俺を繋ぎとめるために、わざとハーレムだのなんだの男が喜びそうな事を言って引き留めているだけだ。

 そうに違いない。

 騙されんぞ。

 

 本物のハーレムは『一夫一妻制という問題を解決すれば私たちの勝ち!』みたいな事を、大真面目で三人で相談するレッカのヒロインたちの事を言うんだ。

 こんなお揃い衣装のコスプレ大会を開きながら、ハーレム何号とか意味わかんねぇ事を口走る奴らがハーレムなワケがない。

 ……そういえば、普通に数えてみるとハーレム二号がマユになるのか。

 それはおかしくね?

 

「あっ、ちなみにコクさんのハーレム一号はあたしこと風菜ですよ!」

 

 それもおかしくね?

 コクとアポロで序列別のハーレムが生まれてんの怖いよ。

 ていうかレッカを差し置いてよく自分が一号だって宣言できたなお前。

 いやまぁ、コクへの感情のデカさでランク付けするなら、間違いなくおまえが一番だけども。

 

 ええい、そんな事はどうでもいいんだ。

 肝心なのはこいつらの俺への感情が本物かどうかという話なんだから。

 

 これからそれを確かめてやる。

 ハーレムを容認するくらい俺(コク)のことが好きなら、不意に俺がセクハラなんかをしても、顔を赤らめて黙認するか発情するかの二択だろう。

 ハーレムなんてそんなもんである。

 ……えっ、認識が歪んでる?

 

 ……。

 …………。

 ………………か、仮にそうだとして!

 

 俺のこの心のモヤモヤを消さないと、警視監を捕まえる作戦にはとても集中できない。

 自分を好いてもいない連中から、ハーレムだと言われながら囲まれて行動するのは怖すぎるからな。

 とりあえず警視監の潜伏先の候補はいくつか存在するから、あえて可能性の低そうな場所から調べつつ、その時にそれぞれと二人きりで行動する機会を作りながら好感度を確かめてやろう。

 

「マユ、ちょっといいか」

「なに?」

 

 その為にはちょっとばかりレッカの目を離す必要があるので、彼をどうにかしなければ。

 マユにだけこっそり協力を持ちかけよう。

 

「レッカが付けてきてるのは気づいてるな?」

「うん。茂みからこっそりこっちを見てるね」

「少しやりたい事が出来たから、ちょっとの間コクのふりをして、アイツを攪乱してくれないか」

 

 極めて真剣な顔でそう告げると、マユは背中のリュックからこっそりと黒い髪のカツラを取り出して、ふんすっと鼻を鳴らした。

 

「わかってる、任せて。ハーレムヒロインたちと青姦するんだよね?」

「全然分かってない」

「『そんなことしてる場合じゃない』って時にこそえっちな事するのは、エロゲ主人公の宿命だもんね。他人の目は私が何とかしてあげる」

「ちょ、違う。待って、その認識を改めて」

 

 協力を取り付けられたのはいいが、とんでもない勘違いをされてしまったようだ。

 いや、セクハラしようとしてるんだから、あながち間違いでもないのか?

 もう何でもいいや。

 はい、よーいスタート。

 

 

 

 

 街外れの廃ビルに訪れた。

 まずは風菜からだ。

 現在は彼女と二人きりで、俺はコクに変身している。

 もうこの場所に警視監がいないことは発覚しているので、もう少しだけ探索したら外で集合だ。

 早めに行動していこう。

 

「……んっ? コクさん、どうかしましたか?」

 

 隣を歩く風菜をじっと見ていた事に気づかれたのか、彼女がこちらを見下ろしてきた。

 ──どうしよう。

 目的は決まっていたけど、肝心の手段を決めていなかった。

 好感度チェックにセクハラするわけだけど、そもそもセクハラって何をすればいいんだ。

 

「えっと」

 

 分かんない。

 俺ってこんなに度胸ないやつだったっけ。

 いや、やるぞ、できるぞ、俺は出来るやつだ。

 セクハラだ。

 最低なセクハラをしてやるぞ。

 俺が嫌われたとしても、それはそれで好都合だ。

 これが容認できないならハーレムなんてやめて、あとこんな危険な事もやめて、さっさと寮に帰るんだな。

 そもそも学園から去ろうとしていた身なんだから、何も失うものなんてない。

 うおぉぉ、やるぞセクハラぁ!

 

 

 とりあえず──てっ、手を繋げばっ、いいかな……?

 

 



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vs 図書館で『男性器を生やす魔法』を借りた女


あらすじ:セクハラして好感度チェック


 

 

 

 ──風菜。

 フウナ・ウィンド。

 その少女は、この俺、アポロ・キィにとって。

 何の例えも見つからないくらい、他とは一線を画す程に特別な存在であった。

 

 

 彼女は世界有数の魔法教育機関である東京都魔法学園に在籍しており、いまや世界中の誰もが知る『市民のヒーロー部』の一員でもある、風魔法のエキスパートだ。

 以前までは影の薄い日陰の存在だった彼女だが、もはや現在はあの時とは比べ物にならない程に、周囲の人間たちから実力とその人間性を認められた大物になっている。

 悪の組織との戦いを通じて身も心も大きく成長し、ヒーロー部に相応しい高潔な精神とそれを貫けるだけの高い実力を持った、立派な戦士となったのだ。

 

 しかし、そんなことは関係ない。

 世界を救おうが、皆から尊敬される英雄になろうが、まるで何も関係ない。

 俺が風菜を特別視する、その理由はたった一つだ。

 

 彼女が、この世で初めて()()()()()()()()()()()、明確に恋愛的な意味での『好意』を示してくれた人間だから──である。

 

 

「コクさん。……いえ、キィ君。何でもあたしに話してください」

 

 だからこそ、風菜が目の前にいるこの少女(おれ)を、コクではなくアポロとして扱ったことが、何よりもショックだった。

 

「悩みがあるんですよね? 任せてください、あたしもヒーロー部の一員なんですから、必ず力になれるはずです」

 

 俺はセクハラをしようと、勇気を出して彼女の手を握った。

 その結果がコレだ。

 突然手を握られたことで妙な雰囲気を感じ取った風菜が、俺を連れて屋上まで移動し、鉄柵に腰を下ろして語り掛けてきた。

 こちらの予想をはるかに超えて、風菜は大人に成長していたのだ。

 

 手を握られても照れなかった。

 純真無垢にこの黒髪の少女を『コク』だと信じていたわけでもなかった。

 俺を──アポロ・キィを、未だにペンダントの力に溺れている哀れな人間として捉えている。

 救うべき人間だと認識している。

 コクを慕うあの振る舞いは全て演技、だったんだ。

 俺を気遣っての行動だったのだ。

 

「風菜……どうして」

「ふふ。分かりますよ、それくらい」

 

 俺の質問に、彼女は微笑を浮かべながら応対する。

 以前とは違って、その姿はとても大人びて見えた。

 

「そりゃまあ、音無ちゃんから話を聞いた時は……ハッキリ言って、ショックでした。コクっていう女の子なんか存在しなくて、全てキィ君の演技だったんだって聞いた時は」

「っ……。その、私──」

「謝る必要なんてありませんよ」

 

 風菜は既に俺の手を放している。

 自分を騙していた女男の手など握っていたくもないのだろう。

 

「衣月さんを守るために、仕方なくやっていた事なんですから。……勝手に、コクさんを好きになったあたしが悪いんです」

 

 これまでは自分の感情をひた隠しにしていたにも拘らず、今の風菜はあっさりと告白まがいのセリフを淡々と呟いていく。

 見て分かる通り、もう俺の知っている風菜ではない。

 片想い。

 失恋。

 そして世界を救ったという経験と実績が、彼女の精神年齢を底上げしてしまったのだ。

 風菜はもう、子供ではない。

 

「と、とにかく、あたしの事なんて今はどうでもいいでしょ。キィ君の方がもっと大変な状況にあるんですから。遠慮せず何でもあたしに話してください、ねっ」

 

 その現実を。

 余裕を持った彼女の姿を前にして、俺は。

 

 

 どうしようもなく──憤りを感じていた。

 

 

 は。

 ほーん。

 はぁ。

 なるほど。

 

 ……いや、これはちょっと受け入れ難いな。

 風魔法の練習にかこつけて手のひらをプニプニしてきたり、鼻息荒くして後ろから腰を密着してくるようなセクハラ女が、いまは高潔なヒーローですか。

 

 いや、もちろん良いヤツなのは知ってるけども、あの風菜に場の主導権を奪われるほど、俺の美少女ごっこって浅いものだったのか。

 浅いモンだったかもしれないけども。

 でも単純に悔しくない?

 これまで世界を股にかけて行ってきた美少女ムーブの成れの果てが、このセクハラ女に諭されるエンドなの、普通に納得いかなくない?

 

 彼女の成長は喜ばしいことなのだろうけど、それはそれとして悔しい。

 美少女ごっこはそろそろ辞めようとか考えていたわけだが気が変わった。

 少なくともこの少女に『ペンダントを手放せない可哀想な人』という認識をされたまま終わりたくはない。

 ……いや、実際に俺が可哀想なヤツなのかどうかは一旦置いといて、風菜からそう思われてるままコクを終わらせてしまっては、これまで築き上げてきた『コク』という存在があまりにも不憫だ。

 

 それに、たとえ俺がアホで馬鹿でクズで美少女ごっこを辞められない悲しい変態なのだとしても、それはそれとしてコクを本気で好きになってくれた風菜に『コクの正体はこんな情けないヤツでした』と思って欲しくない。

 彼女の中にあるコクを、何としても魅力的な謎の少女のままにしたい。

 風菜が恋した存在を虚構という結論で片付けたくはないのだ。

 

 よし、久しぶりに本気を出そう。

 コクは存在するんだよ、風菜。

 

 ここからは俺の番だぜ、謎の美少女人格──ライドオン!

 

 

「……どうでもよくなんて、ないよ」

「っ?」

 

 完全なるポーカーフェイスモードを発動し、シリアス顔で俺はそう呟いた。

 隣に座る風菜の方へ顔を向け、コクの姿ではあまりやってこなかった微笑の表情を浮かべる。

 

「ねぇ風菜、一つ聞かせて」

「は、はい。なんでしょう……」

 

 神妙な顔つきになった彼女に言うべき言葉はただ一つ。

 コクという少女を、コクという人間そのものを、風菜の中で復活させるための魔法の言葉を、俺は告げた。

 

 

「風菜は、アポロとコク──どっちが本当の姿だと思う?」

 

 

 コクの声が静かな夜空へ消えていく。

 

「…………えっ」

 

 言葉に詰まる風菜。

 驚いたというよりは、何を言っているのか理解できていない顔だった。

 脳内で俺の言葉を咀嚼している途中なのだろう。

 飲み込むまでに時間が掛かっている。

 

 十秒。

 三十秒。

 ──そして一分が経過した頃になって、ようやく風菜は言葉の意味を理解し、驚くようにガタッと身を引いた。

 

「えっ? ……えッ!?」

 

 うーん、それだよそれ。

 俺が見たかったのはそういう表情だ。

 これだから意味深な発言をするのは止められないな。

 

「いやっ、ちょ……えっ? ま、待ってください」

「うん、待つ」

「ありがとうございます……あの、時間をくださいね」

 

 額に手を当てて、文字通り頭を抱える風菜。

 その姿は大変に愉快であった。

 美少女ごっこの本質を思い出した気分だ。

 俺がやりたかったムーブは本来、こうして相手を翻弄させるものだったんだよな。

 いつの間にやら、みんな俺より精神的に上の立場になっていたけど、どうやら風菜にはまだ付け入る隙が残っていたようだ。安心。

 

「いっ、いえいえ、あり得ませんって。音無ちゃんからは『先輩が演じていたんだ』って聞いてますし……その方が、辻褄も合うし……」

「風菜はどう思うの。他人がどうとかじゃなくて、私は風菜の意見が聞きたい」

「そ、そんな……」

 

 困ってる困ってる。

 これで第一の目標である『風菜を動揺させる』という目的は達成されたわけだ。

 では、そろそろ次のフェーズへ移行しよう。

 ただ迷わせるだけじゃ話が先に進まないからな。

 

「……風菜にだけは教えてあげるけど、本当はコクもアポロも、二人ともすごいウソつきなの。音無から色々な話を聞いているとは思うけど、彼女にだって教えていない真実がある」

「ふ、二人ともウソつき……?」

「そう。だから私たちの言葉の全てを鵜呑みにはしないで。信じる前に、疑って」

 

 ここら辺でそれっぽい事も言っておく。

 『教えるのはあなただけ』という特別扱い満載のフレーズを付けておけば、否が応でも話を無視できなくなるはずだ。

 

「レッカはコクもアポロも疑わないし、答えもくれない。もしかしたら……私たちを止められるのは風菜だけかもしれない」

「……あたし、だけ」

 

 風菜は小さく呟きながら顔を俯かせ、何かを思考している。

 彼女が何を考えているのかは知らないが、特別なのは自分だけだとこれ程までに念を押して強調してやれば、多少は判断力も鈍ってくれることだろう。

 

「だからそんな風菜に一つだけ……本当のことを教えてあげる」

「そ、それって──ふぇッ!? わっ、ちょ、コクさんっ!?」

 

 俺は彼女の両手を正面から、いわゆる恋人繋ぎの形で握りしめる。

 こっちの目論見通り驚いた風菜から出た言葉は『コクさん』であり、ようやっと彼女の中でコクという少女の存在が復活してくれた事を実感でき、とりあえず一安心だ。

 

 

 そして。

 風菜は俺に最も重要なことを改めて教えてくれた。

 

 彼女の振る舞いとその言葉から、俺はようやく美少女ムーブに一番必要な要素を自覚する事が出来たのだ。

 その重要な要素とは『デレ』に他ならない。

 先ほどの風菜のように、簡単に好きという言葉を言ってしまえるような度胸と、相手から見た場合のこちらの心の緩みこそが、俺の振る舞うコクに足りなかったパズルのピースだったわけだ。

 

 いままでのコクはデレなさ過ぎた。

 ミステリアスな雰囲気を保つためといって、レッカや風菜からあまりにも距離を取り過ぎてしまっていた。

 それではダメだったのだ、レッカがルート確定の告白を先延ばしにするのも頷ける。

 アレでは扱いづらいだけのキャラで、決してヒロインと呼べるような存在ではなかった。

 あいつに対してデレを見せたのは沖縄での夜の時くらいだし、それ以前もそれ以降も元の距離感に戻ってしまったのは頂けない。

 多少なりとも好感を抱いてくれている相手に対しては、こちらも信頼と心の緩みを見せてあげなければいけなかったのだ。

 でなければレッカ側も『攻略している』という気持ちにはなれないだろう。

 

 俺は謎の美少女ヒロインなのだから、相手が攻略していて楽しいと思えるような存在でいるべきなんだ。

 ハーレムの一員になりたくない気持ちばかりが先行して、まず第一に意識するべき『ヒロイン』としての振る舞いが出来ていなかった。

 やろう。

 デレよう。

 俺に足りなかったモノを取り戻そう。

 

 

「コクを好きだと言ってくれたこと──本当に、うれしかった。これが嘘偽りのない、私の本当の気持ち」

 

 割とマジでコクを好きになってくれた風菜には感謝しているので、飾ることなくそれを伝えつつ距離を詰めていく。

 これまで無表情キャラの体裁を保ってきた影響で女の姿では一度もやってこなかった()()を浮かべて、俺は風菜に迫り、そして。

 

 

「──んっ」

 

 

 そっと、彼女の頬にキスをした。

 

「……? …………????」

 

 何をされたのかを、数秒経ってようやく理解した風菜は、顔を真っ赤にしてプルプルと震えだした。

 

「ぇっ、はっ……ぁ°……はわゎ……っ!」

 

 なるほどな、これは深い。

 生まれて初めて自分から口づけをしたわけだが、案外簡単だった。新しい技を覚えちゃったぜ。

 

「お礼にコクのファーストキス、風菜にあげるね」

「~っ!?」

 

 驚いた顔の風菜に迫る(コク)

 両手を繋ぎ、彼女の膝上に跨り、顔を超至近距離まで近づけて、寡黙なキャラをブチ壊して滔々と言葉を繋げていく。

 ここを逃したら勝機は無い。

 

「女を演じている男なのか、男を演じている女なのか」

 

 彼女と額をくっつけて、目を閉じながら意味深に聞こえるセリフを吐いていく。

 

「何が本当で、どれがウソなのか。全てを暴いて」

 

 分厚い闇夜が広がる空の下で、また一人。

 自分を想い慕う人間に、俺はまた一つ欺瞞を描いていく。

 

「本当の私を見つけて──風菜」

 

 祈りにも似たその言葉を受け取った風菜は、一体俺に何を見せてくれるのだろうか。

 とりあえずそれっぽい事を言いまくった俺は彼女から離れ、腕を後ろに組んで微笑んでおく。

 あとは風菜の行動次第だ。

 

 果たして彼女は、俺を止める人間になる事が出来るのか。

 それを楽しみに思いながら、雰囲気を壊さない為に俺は赤くなって呆けた彼女を置いてその場を去っていくのだった。

 

 

 

 

 あのあと他のメンバーと合流した俺たちは、また別のアジトを探すために移動を開始した。

 そういえば、あのロリっ娘ロボットに体を移し替えた警視監の男の拠点を探す、っていうミッションだったんだよな。

 美少女ムーブに熱が入り過ぎてすっかり忘れていた。

 

 先ほどの俺のデレデレ攻撃がうまくクリティカルヒットしてくれたおかげなのか、風菜はすっかり余裕のない慌てた雰囲気を出すようになり、それを前にした俺は徐々にモチベーションが回復しつつある。

 別の誰かと話している途中でも、軽くウィンクしてやるだけで照れてしまう彼女を目の当たりにしたら、こちらも楽しくなってしまうというものだろう。

 無くなりかけていた美少女への熱が再燃してきたかもしれない。

 ふっふっふ、ようやく何かが掴めてきた気がするし、風菜には感謝しなければな。

 

 ……あいつがポケットから落とした図書館の貸出カードには『性別を反転させずに()()()()()()()()()の研究について』とかいう本のタイトルが書かれていたが、俺は何も見てないぜ。

 今日の仕返しみたいな感じで、いつかアレを生やした風菜に襲われたらどうしよう……どうやって逃げようかな……。

 

 ──なんて呑気なことを考えつつ、男に戻って公園の公衆トイレに寄ったそのとき、事件は起こった。

 

 

「うぅ~っ! あのレッカ・ファイアの兄のグレンとかいう男め! 次々と私のアジトを特定しおって……! つ、次はどこへ逃げれば──」

 

 

 ……鍵の掛かっていない個室のトイレの中から、妙に甲高い──聞き覚えのある声が聞こえてきたので、そこをノックしてみた。

 コンコン。

 

「入ってます!」

 

 コンコン。

 

「はっ、入ってますってば! うるさいな!」

 

 どうやら鍵を閉めていない事に気づいていないらしく、彼女は返事を返すだけであった。

 そんな個室のトイレをゆっくりと開けてみると、そこには便座に座りながら、涙目でノートパソコンを操作している幼女が鎮座していた。

 

「ちょ、勝手に開けな──ゲェッ!?」

 

 そして俺は目的のターゲットであったそのロリを逃がさない為、そのまま個室へ入って後ろ手にドアのカギを閉めるのであった。

 

「き、ききっ、きさまはアポロ・キィっ!? なっ、なぜここが……っ!?」

 

 どうやら自分のクソデカい独り言を自覚していなかったラスボスを前にして、俺は思考する。

 

 

「あわわっ、バカなぁ……っ!」

「…………」

 

 

 ……どうしようかな、この状況。

 

 



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クリスマス・イヴにデートの約束

 

 

 

 俺は市民のヒーロー部が好きだ。

 

 部活そのものではなく、そこに所属する人たち全員に好感を抱いている。

 親友のレッカだけではなく、これまでの旅を通してその仲間たちへの理解も深めていき、結果的にいつの間にか彼ら彼女らを好きになってしまっていた。

 

 そして、その感情が許されてはならない程に身勝手なモノだとも、当然理解している。

 俺はあの少年少女たちを欺き、傍観者面して嘲笑し、もはや敵と言っても過言ではない程度にはたくさんの迷惑と損害を彼らに与え続けてきた。

 

 だからこそ俺は罪悪感に苛まれて、マユの言ったようにくだらないシリアス主人公ごっこをして感情を整理し、ヒーロー部への罪滅ぼしを行う為と言う結論を出してから、学園を抜け出してラスボスを倒しに向かったわけだ。

 

 その結果──

 

「ぁむっ、んっ」

 

 現在、何故か俺はラスボスであるロリに、公衆便所の個室の中で、唐突に唇を奪われてしまっていた。

 本当に突然すぎて意味が分からない。

 

「んぐっ──ぷはっ! はぁっ、はぁっ」

「ふぅ。くっくっく、リカバリー能力も高い私、やはり優秀……」

「……急に何してくれてんだ、この頭イカれロリっ娘」

「なっ!? ろ、ロリっ娘ではない!」

 

 俺の暴言に逆ギレした警視監の元男だったが、すぐさま表情をドヤ顔に変えて便座の上で仁王立ちをした。なんだなんだ。

 

「ふふん、聞いて驚けアポロ・キィ! 私はいまの口移しで、貴様の体内にナノマシンを侵入させたのだっ!」

 

 唐突にキスしてきたその理由とは、案外マジに油断ならないモノであったらしい。

 意外と機転が利くやつだな、とつい感心してしまった。

 

「機械の体内だからこそ仕込んでおけた魔改造ナノマシンだぞ。そいつらは私の指示ひとつでオマエを内臓の内側から食い破って殺してしまうのだ」

 

 こわ。即死スプラッターじゃん。

 ……いやまぁ、だいぶヤバい事をされたわけだが、ここで冷静さを欠いてしまってはこのロリっ娘の思う壺だ。

 見るからにバカっぽそうだし、ハッタリの一つでも吹き込んでやれば状況をイーブンに持っていけることだろう。

 

「くっはっは! どうだ、恐れ慄け! ビビって声も出ないか!」

「……実はあの瞬間、俺もお前の中にナノマシンをブチ込んでおいた」

「ウェッ!? な、なんだとォッ!?」

 

 リアクションがいちいち派手すぎるだろ。

 わざとかコイツ?

 ……いや、たぶん余裕がないだけだ。深読みするのは疲れるだけだからやめておこう。

 所属していた組織が崩壊して、頼りにしていたリーダーが死んで、自分自身の肉体も破壊されてさらに後ろ盾も無くなってしまったとあれば、ここまで精神的に張り詰めていたとしても別段不思議はない。

 つまるところ、予想外の事態に対して極端に弱くなっているわけだ。

 それならどんどん予想外の発言でコイツをアワアワさせてやろうな。

 

「俺のナノマシンは指示するだけで機械の体を緊急停止させて、ついでに爆発もさせてしまうのだ」

「ゃ、やば……っ」

 

 ここまで分かりやすい反応されると、こっちも少しだけ楽しくなってしまう。

 もう少しダメ押ししてやろうか。

 

「それから別の機械の体に乗り換えようとしても無駄だぞ。人格データごと破壊するからな」

「……いや、そもそもスペアボディは残されていないから、それは別にどうでもいいのだが」

 

 意味なかった。恥ずかしい。

 

「しかし困ったぞ……これでは……」

「あぁ、お互いに指示一つで相手を殺すことができる。先に殺そうとしてきても反撃が間に合う以上、スピード勝負も意味をなさない。そんな状況になったわけだから、俺もお前も相手に対して強くは出られなくなったな」

 

 もちろん俺の方のナノマシンはまったくのウソだが。

 そこは『体内からナノマシンを取り出そうとしたり調べようとしたら自動で爆発する』とか適当な脅しをかけておけば問題ないはず。

 

「……ぁ、アポロ・キィ」

「ん、話し合いだ」

 

 とにかく、これでようやく落ち着いて会話する状況を生み出すことができた。

 この機会を逃す手はない。

 下手すれば秒速で絶命する可能性のある場面だが、死にそうになった事なんて両手じゃ足りないくらい経験してきたんだ。

 いまさら普通の人間みたいにビビったりはしないぞ。

 ……しないようにがんばるぞ。なるべく。

 

 

「では、決着をつけるのはクリスマスイブの夕方から──という事でいいな、アポロ・キィ?」

 

 あれから五分と少しが経過した。

 俺のスマホの方には衣月から『まだトイレ?』というメッセージが届いており、早めに話し合いを終わらせるべくいろいろ端折って話を進めた結果、俺たちは二ヶ月後の今日──つまりクリスマス・イブの夕方頃に『ゲームで』決着をつけることに決めた。

 

「私と貴様でゲームをそれぞれ複数用意して、それをルーレットで決定。先に三勝したほうの勝利……だったな」

「あぁ。ゲームの準備期間であるこの二ヶ月間は、互いに一切干渉しない。次に会う時がどちらかの命日になる」

 

 ただの殺し合いでは互いに色々と不便なため、勝負は公平性のあるゲームだ。

 代表例で言うとジャンケン。

 そんな感じのありふれたゲームを持ち寄って、人生最後の日に生涯相容れることのない宿敵と遊ぶ、というわけだ。

 

「ふふふ、楽しみだな。命を賭けているとはいえ、まさか貴様とゲームをする事になろうとは」

「……まあ、確かに楽しみではあるよ。振り返ってみても、お前とは殺し合ったことしかない」

「その通り。まったく野蛮な男だ、貴様は」

 

 とんだ八つ当たりだ。お前が悪さをしなければ、俺だって殺そうとはしなかったのに。

 

 ……よくよく考えてみると、まったく不思議な関係性だ。

 コイツは世界を脅かす悪の組織のナンバー2で、俺は正義の味方として活躍するハーレム主人公の友人キャラ。

 本来なら交わるはずのない二人だったのに、いつの間にか命を賭けた遊びの約束を結んでいる。

 一体どうしてこうなってしまったんだか。

 

「……なぁ、警視監」

「ん?」

 

 善性の塊みたいなレッカ・ファイアと、汚い悪意を秘めたアポロ・キィ。

 そんな、どうして親友という関係性が成り立っているのか、まるで意味が分からない俺たち二人と同じくらい、警視監と自分は妙な縁で繋がっている。

 だから、なのだろうか。

 関係性を持って気が緩んだのか。

 

 俺は少しだけ彼という人間を知りたくなってしまった。

 

「お前、どうして悪の組織に入ったんだ?」

 

 突拍子もない質問だということは分かっていた。

 この男は数多の人々を不幸に陥れ、世界を混乱させ、一度は人類全てを洗脳した極悪人だ。

 そんな心の底まで悪意に染まった人間に対して『なんで悪い事をやったんですか?』だなんて、死刑囚に殺人の理由を聞くぐらい意味のない質問なのだ。

 そんなことは理解しているのに、俺は我慢ができなかった。

 

「……ふむ。なるほど」

 

 どうして今更そんな質問をする? とかそんな感じで馬鹿にされると思っていたのだが、警視監は顎に手を添えて思考し始めた。

 外見がツインテールのロリなせいで何も考えていないように見える。

 ……本当にいまさらになるけどコレ以外のボディは無かったのかな。少女姿の方が周囲に溶け込めるから、とか理由があるのだろうか。

 警視監が考え込んで何も言わないからか、余計な思考がぽんぽんと増えていく。これは良くない、集中しないと。

 

「……まぁ、いいか。加入したのではなく、私とボスで組織を作ったのだが……そういう話ではないな。なぜ悪事を働くのか、という部分を貴様は疑問に感じているわけだ」

 

 うんうん、と何度も頷き、便座の上に仁王立ちしている警視監ロリは俺と視線を重ね合わせた。

 

「ないよ」

 

 さも当然かのように言い放つ。

 彼女は淡々と続ける。

 

「貴様と……君と同じだ、アポロ・キィ。特に意味はない」

 

 ヒーロー部のメンバーが聞いたら怒髪天を衝くような言葉を、俺はただ冷静に聞き続ける。

 警視監の発言は驚きこそしたが、意外ではなかったから。

 

「知っているぞ。君は純白を守る場面以外でも、少女の姿に変身していたな」

「……ああ」

「腹の底は読めないが……私はこう考えている。君があぁしていたのは”そうする事ができたから”じゃないか?」

 

 核心をつく様な彼女の言葉が、俺の茫漠としていた意思の靄を切り払っていく。

 

「可能だからやった。やれるからやった。一番最初こそ明確な理由たり得るものがあったのかもしれないが、その後は惰性にも近い感情で動いていた。……違ったかな?」

 

 そして理解した。

 この男は、この世界で、いまこの瞬間。

 最も精神状態が俺に近い存在だ、という事を。

 

「私は仕えると決めたボスの為に。君は──」

 

 俺は親友を揶揄って楽しむために。

 

「……分からないが、それを始めるに相応しい理由があったのだろうな。しかし今は違う、君も私も。

 私は抗う意思と力が残っているから、未だに悪の組織を再興する為に動いている。……仕える筈だったボスは既にこの世には居ないというのに。

 君もそうなんだろう?

 もう当初の目的や感情はほとんど残っていないのに、少女に変身できるそのペンダントを未だに所持しているから、所持してしまっているから──やめられない」

 

 警視監の発言が的を射ていたのだろう。

 俺は何も言い返す事が出来なかった。

 美少女ごっこに対するモチベーションよりも、ヒーロー部に対する罪悪感の方が大きくなってしまっている今この状態は、紛れもなくいま彼女が口にした状況そのものだ。

 しかしペンダントを所持しているせいで、何よりまだ美少女ごっこが出来るせいで俺は風菜を再びからかってしまった。

 

 もはやこれは病。

 病気だ。

 美少女ごっこ病とでも言うべきか。

 自分自身のヤバい性癖とペンダントが合わさって取り返しのつかない領域にまで到達してしまっている。

 性癖は自分では治せないと聞くし、外からの治療を施されない限り、俺は恐らく死ぬまでこれを続けることになるのだろう。

 

 それを警視監は言い当ててみせたわけだ。

 理解者とは呼びたくないが、少なくとも俺の現状を冷静に分析して言語化できた人物は、この人を措いて他にはいない。

 

「ふっふっふ。どれ、私に話してみなさい」

 

 自分が抱えているこの状況を目の前にいる彼女に相談したら、どれほど心が軽くなるのだろうか。

 今この瞬間、確実に俺は警視監のロリっ娘に惹かれていた。

 どんな手を使ったのかは知らないが警視監という役職にまで上り詰め、悪の組織を世界征服の一歩手前まで成長させたこの元男の、確かなカリスマ性に魅せられてしまったのだ。

 

 

 ……しかし。

 

 

「──デコピン」

「ぁだっ!? きっ、急に何をするっ!?」

 

 気を許していい相手ではない、という事実を忘れたわけではない。

 先ほどまでの俺と自分の状況を分析しているところまでは良かったが、最後の『話を聞いてやろう』とかほざいていた部分は、完全に俺を取り込んで傀儡にする気満々だった。

 これ以上コイツの巧みな話術を真正面から受けるのは危険だ。

 

「……質問に答えてくれた事には感謝してる。おかげで自分自身の状況も少しは整理できた、ありがとう」

「だ、だったらなぜ話を遮る! 私は少しでも君の力になれればと……!」

「あんたのそれは余計なお世話ってヤツだから」

 

 後ろ手にトイレの個室の鍵を開ける。

 これ以上の時間ここにいるのはマズい。

 もし仲間が心配して様子見にでも来たら、追い詰められた警視監が俺を巻き込んで自分もろとも自爆する可能性があるからだ。もう慣れ合っている場合ではない。

 

「あんたは俺のことをよく理解してくれている。でも」

 

 それはそれ、これはこれだ。

 

「気を許すことはない。これ以上の相談もしない。

 あんたが作った組織のせいで、衣月の人生は滅茶苦茶にされたんだ。

 だから……あんたの事は絶対に許さない」

 

 ここだけは譲れない線引きだ。

 

 悪の組織はたくさんの悪事を働いてきたわけで、その過程で大勢の人々を不幸や死に陥れてきた。

 もちろん、それ自体を咎めることはしない。

 色々な人たちを傷つけただとか、人体実験だの犯罪だの世界征服だの、そんな事に対して怒りを見せるのは俺の管轄外だ。

 ヒーローでなければ主人公でもないのだから。

 俺自身が友達や同級生たちを傷つけてきたわけで、だったらなおさら俺の言えた義理ではないのだ。

 正義を語るつもりは毛頭ない。それはヒーロー部の仕事だ。

 

『──…………私は、藤宮っ、衣月……』

 

 しかし、彼女を泣かせた事だけは絶対に許さない。

 あの少女から名前と表情を奪い、モルモットにした事実は忘れない。

 衣月を傷つけた悪の組織、それを作った張本人である警視監だけは、何があっても必ず地獄へ落とす。

 善悪の話ではなく、俺個人が屠ると決めた相手なのだ。

 

「分かったらホラ、さっさと行けよ。早くしないと俺の仲間が迎えに来るぞ」

「ぐっ、ぐぬぬ……」

 

 悔しそうに歯ぎしりしながら個室を出ていった警視監は、一度振り返って俺に中指を立ててきた。子供か。

 

「後悔することになるからな、アポロ・キィ!」

「言ってろ。……えっと、あんたの本当の名前、なに?」

「ふんっ、教えぬわっ! 決戦の日に私を倒せたら教えてやる! さらばだクソガキッ!!」

 

 言いたい事だけぶつけた警視監は、周囲を確認しながらそそくさと公衆便所から去っていった。

 あいつにカリスマがあるのは間違いないが、熱くなるとすぐにガキっぽくなるあの性質のこともしっかりと覚えておこう。れっきとした弱点だ、今後に活かせるかもしれない。

 

 

 ……さて、これからどうしようか。

 簡単にまとめると、ラスボスと殺し合う約束を交わしたワケだが。

 あいつがここから去っていったという事は、これから向かおうと思っていたアジトにあいつは絶対にいないという事になる。ただの徒労に終わってしまうだろう。

 しかし今回の事を仲間に伝えたら、その瞬間俺はナノマシンによって殺されてしまう。

 一応『ナノマシンを起動したら俺のナノマシンも自動で発動される』と脅しをかけておいたので、不意打ちで殺されることはないだろうが、それを加味しても自爆特攻の危険性から考えて仲間との情報共有は危険だ。

 

「アポロ」

 

 うぅん……と顎に手を添えて一人考えていると、女子トイレの方から茶髪の少女が姿を現した。

 マユだ。

 もしかすると──

 

「……マユお前、もしかして聞いてたのか?」

「うん、大変だねアポロ。二ヵ月後には死ぬかもしれないんだ」

 

 あっさりと言ってのけるマユの顔は無表情そのもの。

 イカれた話を聞いた直後だってのに、まるでいつも通りの仏頂面を見せる彼女を前にして、やはり俺は困ってしまった。

 どうしたもんかね……と。

 仲間に共有できない、なんて考えた直後に事情を知られてしまったし、もう好感度確認のセクハラなんてやろうとしてる場合ではないな──などと思い浮かべながら、俺はスマホで『トイレ終わった』と衣月にメッセージを送るのだった。

 

『トイレ長すぎ。便秘? 下痢?』

 

 あらぬ誤解を生んでしまっている!

 



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狂っても平気?

 

 

「ねぇアポロ。いつになったら、その遊びをやめるの?」

 

 

 真夜中の公園を後にしようとしたその時、背中に声を掛けられた。

 マユだ。

 女の子に変身した俺の姿にそっくりな、もう一人の自分だ。

 藪から棒に何だというのか。

 

 てっきり彼女は何も言わずに協力してくれる存在だと考えていたのだが、それは俺の驕りだったのかもしれない。

 まさかマユの方から美少女ごっこを辞めさせに来るとは。

 ともあれ、振り返る。

 生気の無い能面を彷彿とさせるような、まるで表情を持たない少女が、上目遣いでこちらを見上げていた。

 

「美少女ごっこのことだよ。みんなと合流する前に答えて。有耶無耶にしたらさっきのこと、全部バラすから」

 

 彼女の目には本気の意思が宿っていた。

 いま口にしたことは間違いなく冗談などではない。

 俺が答えなかった場合は実際に情報を拡散させるつもりだ。

 

「……何なんだよ、急に」

「はいイエローカード。あと一回誤魔化したら、スマホでみんなにメッセージ送るから」

「ちょっと待ってちょっと」

 

 どうやら本気で問答無用らしい。

 既に文言を綴ったスマホをチラつかせているあたり、脅しも入っていてまるで容赦がない。

 まずい状況だ。

 ここで時間をかければかけるほど、合流が遅くなってヒーロー部のメンバーに怪しまれてしまうから、どうしても早急に戻らねばならないというのに。

 ……しかし、マユをこの場で説得するのは不可能に近い。

 それこそ本当に自分の心の内を曝け出さなければ彼女は絶対に納得しないだろう。

 言わなければならない。

 語らねばならない、今すぐに。

 

 俺の行動原理。

 今なお美少女であり続けようとする、その理由を。

 

「……はぁ」

 

 大きく深呼吸。

 それから、一拍置いて。

 高鳴る心臓の鼓動を感じながら、俺は話を切り出した。

 まずは──いいや、思いついた事から喋ろう。

 

「まだ、やめるつもりは無い」

 

 聞くと、マユは首をかしげる。

 

「じゃあいつになったら終わるの?」

「たぶん二ヵ月後。恐らくその日に全てが変わる……はずだ」

 

 首から下にかけられてるペンダントを握り、溜息を吐いた。

 少しだけ警視監との会話を思い出している。

 二ヵ月後に終わる。

 ……終わる?

 いや、強制的に終わらせられるだけなんじゃなかろうか。

 当たり前だが、死んだら美少女ごっこなんて続けられるワケがないし。

 もし勝負に勝って生き残ったとしても、やはり何かしら行動をして、その日を節目にするのは決まっている気がする。

 クリスマス・イヴってこともあるし丁度良さそうだ。

 

「私が要領悪いだけかな? アポロの言葉の意味が分からないんだ。警視監と戦う際にコクの姿は必要無いじゃない。別にいますぐやめても問題はないと思うんだけど」

「……確かに、それはお前の言うとおりだ」

 

 誰の目から見ても明らかな正論という事もあり、俺は言い返せない。

 だが反論できないのはそれだけではなかった。

 責め立てるような彼女の口調に、少なからず怯んでしまっている。

 そしてマユ自身もそれは理解していたようで、これ幸いと間髪を容れずに詰め寄ってきた。

 

「聞いてアポロ。あなたが今いるその立場を明確に言語化するから、聞き漏らさずに全部頭に詰め込んで」

 

 身体が密着する位置まで距離を詰めた。

 彼女よりも身長が高いおかげで顔はまだ離れているが、もしマユが背伸びでもしたらそのままキスできてしまうくらいには近い。

 コイツの距離感どうなってんだよ。

 そういうのドキドキしちゃうので勘弁してください──なんて茶化せる雰囲気でもない為、端的に言って現在の状況は地獄そのものだ。

 そんな逃げ出したい気持ちが顔に出かかっている俺を前にしても、マユは構わず滔々と話を続けた。

 

「ほぼ全ての人類が洗脳された世界をも救ってしまえる程の強い力を持っていながら、アポロが口にする言葉なら大抵のことは信じてしまうくらい、誰よりもあなたを信頼してくれている──人望ある親友がいる」

 

 誰の事を言っているのか一瞬で理解できる。

 しかし俺が口を挟む隙はない。

 

「どんな状況でもあなたを見捨てず、支え続け、真実を知っても尚付き従ってあろうことか敬愛の念すら抱いて、未だに慕ってくれているような……理想の後輩がいる。しかもすっごくかわいい女の子」

 

 マユはこちらを煽る様に笑みを浮かべる。

 当然分かってるだろう──彼女の表情がそんな言葉を物語っていた。

 

「あなたを兄の様に想ってくれている少女もいれば、学生が出歩いちゃいけないこんな深夜でもあなたの為に学校を抜け出して、職務や矜持よりもあなたを優先して協力してくれる生徒会長もいる。他にも沢山いてもうキリがない。

 学校を休んで国を飛び出してまであなたを探しに向かったり、心身ともに限界を迎えていたあなたを熱心に支えて怪我を治すばかりかメンタルケアまでしてくれたり──ねぇ、分かる?」

 

 当然だ、わからない筈がない。

 マユの言わんとしていることは、否が応でも自覚させられてしまった。

 

「……あぁ、分かる」

「答えてみて?」

「俺は、恵まれてる」

「そう」

 

 そうだよ。周りを見ればすぐに自覚できるはずじゃん。

 言いながら、マユは呆れたように息を吐いた。

 

「だったらこれ以上の何を望むの? 凄い親友がいて、女の子たちには囲まれて、頼れる人がたくさんいてさ。

 はたから見れば今のアポロ、半年前のレッカみたいな『学園の皆が羨む主人公』そのものじゃない。

 どこが不満なの。何が足りないの。どうしてこれ以上、リスクしかない遊びを続ける必要があるの?

 学園を出る前と今とじゃ状況が変わってる。音無に『学園にいて』って言われたんだ。一人で勝手にどこかへ雲隠れしようだなんてもう不可能だよ?」

 

 彼女の意見はごもっともだった。

 食い下がってはいけないタイプの正論であった。

 冷静に周囲と今の自分と半年前の俺を照らし合わせれば、現状がどれほど恵まれているのかなど秒速で理解できる。

 皆が羨む主人公……そうかもしれない。

 どうやら俺は少なからず数人から好かれているらしいし、なかでもレッカからの信頼度はどう捉えてもエベレストより高い。

 こんな自分でも、こと人間関係の関しては確実に誇れる部分があると思う。

 

 

 ──なの、だが。

 

 

「……マユ」

 

 何故だか心が反駁してしまう。

 彼女の言葉には間違った指摘など何一つ存在していなかったというのに、それは違うと言いたくなってしまった。

 

 ……いやいや、落ち着けって。

 マユの主張は正しいんだ。

 だからそれに対して返す言葉は、先ほどの事実を否定するものじゃなくて、『それでも俺は』と開き直った感じの何かそれっぽいアレこそが相応しい。……何言ってんのか分かんなくなってきた。

 

 とにかく、マユによる怒涛の詰問ラッシュは落ち着いた。

 狼狽えてばかりじゃ格好がつかないし、ここからは俺のターンに入らせてもらおう。

 俺の言うべきことはもう決まっている。

 

「俺は──コクを()()にしたいんだ」

「……は?」

 

 この主張を必ず通す。

 それがこの場で俺がやるべき最善の行動だ。

 

「ごめんアポロ。ちょっと何言ってるのか分かんない」

「そのままの意味だよ」

「どのまま?」

「だ、だから……悪い、説明不足だよな」

 

 表現を捻ったつもりは欠片も無かったのだが、やはりそう簡単には伝わらないらしい。

 もう一人の自分とはいえ、以心伝心ではない部分も存在していたようだ。

 彼女にだけはこの熱意を理解して貰わないと困る。つたわれーっ。

 

「コクっていう女の子自体は架空の存在だろ?」

「うん。アポロが演じてるキャラクターの名前だね」

「それを本物の人間として確立させたい……いや、周囲に”コクは存在するんだ”と認識させたい──っていう話だ」

「……あぁ、まあ、うん。意味は確かに伝わったよ。意味だけはね」

 

 未だに困惑して眉が斜めになってるマユ。

 そうだ、意味だけを教えたところで説得にはならない。

 この主張へ至ることになった経緯が最も大切なのだ。

 

「待ってアポロ。それってレッカにもっとコクの存在を信じ込ませるってこと? そもそもレッカからは疑われてないし、やったところで無駄なんじゃ……」

「そうじゃない。レッカだけじゃなくて()()()()()()()に信じさせるんだ」

「…………」

 

 マユは言葉を失っている。まさしく絶句だ。

 困惑というか、呆れ顔というか……引いているというか。

 ともかく彼女を黙らせることには成功した。癇癪を起こしてメッセージを送信される前に、俺の主張を全て伝えきらなければ。

 

「レッカ以外の仲間たちには音無がネタばらしをしているから、コクなんて最初からいなかったって事になってる。レッカに教えなかったのは、その事実が相当なショックになるってのがあったのと、そもそもレッカ自身が信じようとしないからだったんだろうな」

 

 一拍置いて。

 噛まないように気をつけるのと、途中で言葉のチョイスをミスらないように、頭の中を整理する。

 二秒経過。

 うん、よし、もう大丈夫だ。おそらく会話中に詰まることはない。

 軽く深呼吸をしつつ、再び口を開いた。

 

「コクが確実なものになれば、レッカにショックを与えることは無くなるし、周囲の皆も『レッカに秘密を黙ってる』っていう罪悪感から解放される。……っていうのが一つ」

「……まだ、あるんだ?」

 

 まだある。

 まだまだ、ある。

 

「まぁ……正直な話、いま口にした理由のほとんどは言い訳だ」

「なら残りは何だろう。もっとしっかりした──」

「マユ、もう察しはついてるんだろ?」

 

 言うと、彼女は初めて俺から視線を逸らした。

 

「俺自身の極めて個人的な……くだらない理由だ」

 

 こっちは本気なんだぞって雰囲気を出すために、あえて真剣な表情に切り替えてシリアスっぽい感じを醸し出していく。

 いや、まぁ普通に本気ではあるのだが、重苦しい空気に耐えられなくて途中で茶化してしまう癖があるので、それを意図的に封印する為でもある。

 彼女には誠心誠意、真っ直ぐに気持ちをぶつけていかないと。

 

「なぁマユ。確かに俺はお前の言う通り、恵まれた環境にいるよ。凄い親友、かわいい後輩、頼れる仲間たち。しかもみんな芸能人顔負けの、世界中の誰もが知ってる有名人ときた。

 この状況は、この立場は、他の人からしたら皆が羨む主人公なのかもしれない」

 

 自己分析が出来ないわけではない。

 ずっと一人で寂寥感に包まれていた半年前とは違い、自分が表舞台で活躍する眩しい連中とよく絡むようになった事は自覚している。

 

 

「……でも」

 

 

 そうすることが出来たのは、俺の力じゃない。

 誰よりも()()を、俺は理解している。

 

「俺を”弱いから”って理由で遠ざけていた友達と、対等になれたのも」

 

 自分の力じゃない。

 

「俺になんて全くこれっぽっちも興味が無かった後輩から、一緒に学園生活を送りたいだなんて、告白まがいのセリフを言われたのも」

 

 アポロ・キィの魅力によるものじゃない。

 分かっているんだ、そんなことは。

 

「文武両道で才色兼備な生徒会長から『立ち上がれたのは君のおかげだ』だなんて過大評価されたのも、姉離れが出来ずに塞ぎ込んでいた女の子を一人前の正義の味方に押し上げる事が出来たのも、身寄りのない孤独な少女を世界中の悪意から守りきることが叶ったのも──」

 

 最後にもう一つ付け足そうとして、脳内に選択肢が二つ出てきた。

 

 【自分がいま生きていられるのも】←

 【マユと出会えたことも】

 

 ……うん、コレは下にしておこう。

 

「こうしてマユと出会えた事も──全部このペンダントがあったから。

 コクという少女がいてくれたから出来たことなんだ」

「……っ」

 

 間違いなく、俺一人ではここまで来られなかった。

 きっとアポロ・キィが必要以上に頑張ったところで、結局はレッカたちヒーロー部の足を引っ張ることくらいが精々だっただろう。

 そしてまた心が折れて、俺には荷が重すぎたんだと諦めて、みんなに失望されながらまたモブに戻っていく──そんな未来が容易に想像できる。

 

 そうならなかったのは、このペンダントがあったからだ。

 

「コクという仮面があったから。コクという少女が身代わりになってくれたから、俺は身の丈以上の立場を手に入れる事が出来た。”モブ”が”主要人物”になれたのは、全部コクのおかげなんだよ」

 

 他人にコレを言ったところで、十中八九意味など伝わりはしないだろう。理解を拒まれるだろう。

 だがマユにだけは。

 もう一人の自分である彼女になら、きっと伝わるはずだ。()()()()()()()はずだ。

 もう一人の自分、なのだから。

 

「確かにコクを捨ててアポロとして生きて行こうと考えたことは何度もあった。でもダメなんだ。

 このペンダントを捨てて生きていきたいと思えるほど幸福な立場に至れたのは、間違いなくコクが俺を支えてくれていたからだ。

 コクは今の俺を形作る全てなんだよ。こいつが居なかったら今の俺はいない」

 

 だからこそ。

 

「コイツを捨てることはできない。コクに恩を返したい。存在を確立させることで、彼女の献身に報いたいんだ」

「……アポロ」

 

 マユはいつの間にか、呆れ顔から真剣な表情へと切り替わっている。

 俺の言葉が本気だと理解してくれたのだろう。熱く語った甲斐があったというものだ。

 未だに目は合わせてくれないが、きっと彼女の心は揺れ動いている。

 

「気づいてる? 今のアポロ、この世にいない存在に対して義理立てしようとしてるんだよ。分かってるの?」

「分かってるさ。きっと無意味だと思うんだろう。……でも、俺は止めない」

 

 おそらくあと一押しだ。

 

「これから生まれるんだ。みんなの中で本物の”コク”が。みんなが存在を認識してくれたのなら、そこにはもう彼女が()()。たとえ俺がコクにならなくてもコクという人間が存在するんだ」

「頭が痛くなってきた。それってみんなを騙すってことじゃない?」

「そうだ。俺の為に、コクの為に、レッカだけじゃなく全員を欺く」

「……はぁ、本当に頭痛が」

 

 ごめんねマユちゃん。

 でも今しかないから言わせてもらいます。

 ……こんな頭のおかしな事を立案して、剰え実行しようとしている辺り、やはり俺は主人公にもヒーローにもなれない──なってはいけない人間なのだろう。

 

「コクを本物にしたい。だから俺は美少女ごっこを止めない。その先に本当の美少女が待っているのだから」

「あの、ヤバいこと言ってる自覚あるのかな。鏡で自分の顔を見てみたら?」

 

 呆れた物言いをしている割に、マユの顔は明るい微笑を浮かべていた。

 仕方ないな、とでも言っているような表情だ。

 これは説得成功か、そう思った瞬間、ようやっとマユが俺と目を合わせてくれた。

 

 そして。

 

 

「今のアポロ──すっごく、狂ってるよ」

「……だろうな」

 

 

 ()()()()()()、俺も口角が釣り上がった。

 

 

 

「……ま、アポロの主張は大体分かった。それなら今すぐヒーロー部を騙す準備をしなくちゃね」

「えっ」

「とりあえず服装はボロボロにして……アレがバレるといけないから、警視監も二人でやっつけたって事にしとこうか」

「ちょっ、ちょっとマユちゃん?」

 

 待って、さすがに切り替え早すぎないか。

 どうなってんだ、これ。

 

「なに」

「サラッと協力ムーブするの、おかしくない?」

「何がおかしいの」

「な、なにがってお前……俺を止めたかったんじゃないのか?」

 

 そんな風に動揺する俺を前にして、マユはプッと吹き出した。なに笑っとんねん。

 

「アポロ。私は一言も『やめろ』なんて言ってないよ」

「…………は?」

 

 意味わからん。そういう感じの雰囲気だったじゃん。

 

「理由を聞いてただけだって。で、教えてくれたからこの話は終わり。違う? さぁホラ準備しよ」

「待ってまてまて。待てオイ。違う、違うと思うな、僕は。めっちゃ心臓バクバクしてたんだよ、ねぇキミ」

 

 ──うっっっぜえええぇぇぇぇ!!!!

 最初から協力するつもりだったのかよお前ェ! じゃああの神妙な空気は何だったんだよお前ぇ!!

 

「私はあなたなんだから、裏切るワケないでしょ。自分を裏切る自分がどこにいるの」

「い、いやっ、な……あぁっ、納得いかねぇ……!」

「どんな時でも、私はアポロの味方だよ。世界中を敵に回そうと、絶対にね」

「──えっ」

 

 トゥンク……。

 やだ、まゆすき。

 



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アポロなコク/コクなアポロ


視点:ライ→レッカ



 

 

 

 なにやら、また面倒な事になってるな──と。

 

 マユからの要請を受けて最寄りの公園へと駆け付けた時、私はついそんな考えを頭の中で思い浮かべてしまった。

 

「き、紀依くん……?」

「どうしたの、風菜」

「えっ、あ、あの……本当に紀依くん、ですよね?」

「分からない。私の名前は”コク”──だったような、気がする」

「ひえぇぇ……っ!?」

 

 困惑する風菜に対して、自分をコクだと語るその存在は、どこをどう見ても()()()()()()姿()()()()()()()

 衣月、音無、そして風菜の三人は額に汗を滲ませながら、男の姿で架空の人物の名を名乗る彼を前にして『どうしようどうしよう』と狼狽している。

 

 曰く、人格が分裂した”かもしれない”。

 曰く、肉体とペンダントが故障を起こした”かもしれない”。

 一つだけ確実に言えることは、私たちが探していた警視監は、アポロとマユの二人で撃退した、という彼女(マユ)が語った事実のみであった。

 

 

 数十分前。

 公園にいたのは傷ついたマユと、激しい戦いで疲弊し眠ってしまったアポロの二人のみで。

 音無たちがすぐさま駆け寄り、手持ちの救急用品で応急処置をし始めると、アポロが目覚めたタイミングで落ち着いたマユがようやく事の顛末、その詳細を語ってくれた。

 

 アポロがトイレを出たタイミングで警視監に襲撃され、奴に連絡機器を強奪されてしまった為、助けを呼ぶ事が出来なかったらしい。

 衣月が逐一連絡を入れても『まだ出れない』などというメッセージしか返ってこなかった理由はそれだった。返信をしなかった場合それを不穏に感じた仲間が駆け付けると考えた警視監が、うまいこと適当に返事をしていたのだ。

 戦いが起きていたのなら激しい物音に我々が気付くはずだが、どうやら彼らは刃物や鈍器だけを用いた音の無い戦闘を繰り広げていたらしい。マユ曰く、相手の性質上そうするしかなかった、と。

 

 そして、なんとか勝利した。

 心臓部を破壊するなどの深傷を負わせて撃退したため、警視監もしばらくは活動が出来なくなるだろう、とのことだった。かなりのダメージを与えた事もあり、もしかしたら途中でヤツが野垂れ死ぬ可能性もあると。

 何はともあれ、とりあえず直近の危機は去ったと考えて間違いないようだ。

 傷だらけで服装もボロボロになっており、尚且つアポロが疲弊して眠ってしまったことも相まって、マユの言葉にはかなりの説得力があった。疑う余地などありはしない。

 

 

 ──問題は、そこではないのだ。

 

 

「……警視監がね、最後の悪足掻きみたいな感じで攻撃してきたんだ」

 

 服が破れて肩が見えてしまっているマユに上着を貸すと、彼女が疲れたように小さく呟いた。

 

「ライ会長、アイツが魔王の力を持ってるのは前に話したっけ」

「あぁ。群青──藤宮太陽少年からそれを奪ったと」

「そうそれ。アイツは何かビームみたいな意味わかんない光線技をアポロに当てたんだけど、その時に『人格が分裂する』だのなんだのを言ってたんだ。その時に使ったのが恐らく魔王の力で──」

 

 俯いていた顔を上げ、視線を前に移す。

 そこには三人を翻弄するアポロの姿があった。

 

「先輩しっかりしてください先輩ちょっとふざけるのやめて」

「音無、顔がこわいよ」

「私のことはいいですから、先輩はそのコクちゃんみたいな無表情をやめてください」

「だから、私はコク……」

「んなああぁぁッ! 先輩が壊れた! 風菜センパイ助けて!!」

「そっ、そんなこと言われてもぉ……い、衣月さんっ!」

「がってん。ビンタしてみる」

「いきなり暴力ッ!?」

「叩けば治る」

「……? 衣月、なにす──ヘブッ!!」

 

 ひどい光景だ。

 焦る三人を前にして逆に動揺しているアポロを見る限り、もしかしたら本当に()()はコクなのかもしれない──などと考えてしまう。

 そんなはずはない。

 コクという少女は、アポロが身分を隠して衣月を守るために名乗っていた、偽りの仮面なのだから。

 ……しかし、あれは。

 

「これまでのコクはアポロの変装だったとして……あれは、あそこにいる”彼女”は何者なんだ?」

 

 コクなど存在しない。

 それは既に証明されている事実だ。

 音無からの説明もあったが、なにより彼が学園の生徒たちを殺人の風評被害から守るために姿を晦ました後、精神が壊れた状態でコクの姿が戻れなくなっていたのを発見したとき……あの時の彼の人格は、間違いなくアポロ・キィそのものだった。

 

「私にも分からない。警視監の言う通り、本当に魔王の力で人格が分裂したって線も、あり得なくはない」

「……コクとして振る舞っていた記憶を基に、そこから『本物』の人格が形成されたと? そんなバカな……」

 

 にわかには信じ難い状況だ。

 だいたい人格が分裂するビームって何だ。用途が意味不明過ぎるだろう。

 精神が二つに分離することで相手を困惑させる……とか? そんな回りくどい事するかなぁ……。

 

「紀依かえってこ~~い」

「ぐえぇっ」

「ちょっ、衣月さん首絞めはやり過ぎ!!」

 

 ……いや、心当たりがないワケではない。

 もちろん人格分裂ビームだなんて突飛な必殺技なんかは理解できないが、コクという少女の人格が彼に発生すること自体はあり得る可能性だ。

 

「ポッキー!」

「ぅぶぶ……ぁ、れっか」

「こ、この状況は一体……?」

「分かんない。とりあえず助けて」

 

 もう一人の人格が発生する理由とは、精神的な自衛に他ならない。

 自分ではない別の自分に心の負担を肩代わりさせることで、本来の自分への精神ダメージを軽減させるというものだ。

 解離性同──いや、あまり深く考えたくはないが。

 警視監の攻撃によるファンタジーな人格分裂なのか、それとも心のダメージが引き金となって発生したもう一人の人格なのか、その判断をするのは非常に難しい。

 

 ただ、そうなってしまってもおかしくはない程の苛烈な経験を、彼はこれまでしてきたのだ。

 

 

 ──ある日突然、巨大な犯罪組織から追われている少女を、たった一人で守ることになった。

 

 公権力に頼る事も出来ず、その身一つで彼女を匿わなければならないその状況で、私たちヒーロー部すらも巻き込まない為に、少女に扮し逃亡を始めた。

 正体がアポロ・キィだとバレてはいけないから、たとえ親友のレッカから疑いや憤りをぶつけられても、それに耐えて隠し続けた。

 世界が、人類すべてが悪の手に堕ちようとも、諦めたくなるような絶望的な窮地に立たされようとも、自らの不安や泣きたくなる程の怯えや震えを押し殺して、私やレッカを支えてくれた。

 

 ……そして、誰よりもあの少女の為に奔走した彼は、誰よりも不幸な結末を選択したのだ。

 彼女だけではなくヒーロー部、延いては学園に通う生徒たち全員を警視監殺害の風評被害から守るために、アポロ・キィの姿を捨ててただ一人、命を狙われ続ける逃走生活に身を置いてしまった。

 

 結果、心が壊れかけた。

 それらの回復の兆しが見えた矢先に、今度は意識不明の瀕死の重傷を負い、植物状態に陥り生死の境目を彷徨った。

 魔王の力に肉体を蝕まれた。

 目覚めると、マユという正体不明の存在が現れた。

 すべてを忘れて修学旅行を満喫しようとすれば、魔王の力を抱えた少年と出会い、命を賭して倒したはずの警視監が肉体を変えて生き残っている事を知った。

 

 またいつ襲撃されるか分からなくて、また皆に迷惑をかけない為に、また一人で戦おうと学園を出ていこうとした。

 そして最後の敵を倒したと思ったら、次は意味不明な技をぶつけられて、精神を弄繰り回された。

 

 壊れない方がおかしいというものだ。

 誰よりも衣月という少女の為に、仲間や学園の為に世界へ奉仕してきたあの少年は、いつも報われずに最後は耐え難い苦しみに見舞われてしまう。

 何度殺されかけた?

 何回心を壊されかけた?

 何も特別な力など持ってはいないのに。

 彼はまだ十七歳の、ただの、高校生の少年だというのに。

 

 

「……ライ会長は、アポロが心配?」

「当然だろう。彼を助けたいと思っているのに、私はいつも間に合わない。何もできない自分が情けなくて……憤懣遣る方無い」

「ん、むつかしい言葉」

「ヤダなぁって、思ってるってことさ」

 

 本当に、自分が嫌になる。先輩として、部長として、生徒会長として、人間としてだらしないと今でも思う。

 彼の為になるようなことを、出来たためしがあっただろうか。

 いや、無い。

 アポロがもう一人の人格を作って自己防衛をしなければならないほど追い詰められるまで、私は何も為す事が出来なかったのだ。

 

「でも、今度こそ……」

 

 もしアレが魔王の力によって発生した完全なる別人格だったとしても、今度こそ私は彼を支えてみせる。力になってみせる。もう肩書きだけの女でいるのは耐えられない。

 

「なら会長、今はあのアポロを元に戻さないと」

「う、うむ」

 

 そうだ。まずはアポロを”アポロ”にしなければ。まさか元の人格が消えたなんて事は無いだろうし、おそらくきっかけがあればすぐに戻ってくれるはずだ。

 

「レッカ、会いたかった」

「っ゛!!?」

 

 (アポロ)の姿のままレッカに抱き着くコク。

 凄まじい光景だ、音無も風菜も青ざめて言葉を失っている。……実は私も。はわわ。

 そもそも彼はレッカのことを呼ぶときはれっちゃんと呼称するはずだから、今の人格はコクで間違いない。早く人格を切り替えさせないと大変なことになってしまいそうだ。

 

「ぽぽぽっぽポッキー……!?」

「さよなら、なんて言ってごめんなさい。私だけじゃなく、アポロの事もしっかり考えるべきだった」

「そそっ、そそそれはいいから……! えとっ、それどころじゃなくってぇ!」

「……っ?」

「こ、コクさん! あのっ、今の自分の姿を確認して!」

 

 咄嗟に風菜が手鏡を見せつけてからようやく、彼女は自らの肉体がアポロである事に気がついたようだった。

 

「わお」

 

 いやリアクションうっす。

 端的に言うと、無表情のまま口だけあんぐりと開けてびっくりしている。

 眠そうなジト目のまま驚くアポロの表情は新鮮というか、初めて見る顔だった。何だか本当にコクに見えてきた。アポロが表情豊かで普段から顔がうるさい事もあるが、それにしても同一人物には見えない。

 冗談抜きに見事な二重人格である。

 

「じゃあ、こうする」

 

 彼女は呟きながら胸のペンダントを押し込んだ。

 すると当然、姿はアポロからコクへ。

 

「これなら、無問題」

 

 そういう問題ではないと思うのだけども。

 むむ、というか見た目が変わっても人格は交代しないのか。厄介な……。

 

「コク。どうやったら紀依にもどるの」

「知らない」

「それは困る」

「ごめんね」

「……」

「……」

 

 衣月とコクじゃ無表情っ娘同士で話が進まないィ!

 

「あの先輩。……ぁ、いやコクちゃんか。とりあえずレッカさんから離れましょ、ね」

「分かった」

「ど、どうすれば紀依くんに戻るんだろう……あっ、あたしがハグをすればもしや!」

「え。まっ、まって風菜──むぐっ」

「治れ、治れぇ~……ぅへへ」

「風菜センパイ。どうか私にクナイを出させないでください」

「ヒッ」

 

 あぁでもないこうでもないと話し合いやら実験やらが始まり、その数分後。

 ついに『部長が何とかしてください!』と全員が匙を投げて、私に彼(彼女?)を全任せしてきたのであった。

 そこで考えたのは、漫画やアニメなどでよくある二重人格キャラの、人格交代の引き金となる諸々。

 千年アイテムが光り輝いたりバイクに乗ったりすると人格が変わるんだったっけ──とか思いながら色々と試行錯誤した。

 精神疾患ではなく魔王の力によるファンタジー二重人格なら、そういった解決策しか思い浮かばなかったから。

 

 で、昔見たドラマの『女子に触れたりキスしたりすると元に戻る』というのを思い出し、それを最終手段として、とりあえずその前にくしゃみをさせてみた。

 くしゃみで男から女になるとか漫画で見た気がするので、ダメもとで。

 私の髪で彼の鼻をコショコショ。

 

「へくちっ」

 

 ──そしたら治った。

 

「はぇ……あ、会長? な、なんすか、顔近い……」

「ふむ、なるほど。記憶は引き継がないタイプか」

「あ、あの、何の話を……」

 

 コクの姿のまま、中身がアポロになっている。

 うん。

 ベタだな。くしゃみで人格が変わるんだ。なんか古いタイプの二重人格だわ。

 おそらく逆もまた然りなんだろう。

 これからは意識してくしゃみを我慢しなきゃいけないのだろうが、そこは頑張って私も支えていこう。

 ラスボスは撃退して、悪の組織も潰えたわけだから、私たちに残されているのは平和な日常だけだ。

 アポロが安心して普通の生活を送っていけるようがんばるぞ。

 

「勘弁してよポッキー!!」

「なっ、何だよなに何ですか!?」

「先輩もう二度とくしゃみしないでください」

「絶対無理なこと言うじゃん……」

「き、紀依くん? もう一回くしゃみしてみませんか?」

「もう仲間内で意見が食い違ってるんだけど」

 

 ……確かに面倒な事にはなっている。

 だが、目の前にいる彼を見て、私はほんの少しだけ安心したのであった。

 

「紀依、実験」

「ちょっ、おい待て衣月、細く丸めたティッシュを鼻に突っ込もうとするのはやめなさい」

「ポッキー……いい加減早く男に戻りなよ」

「じゃあコイツを止めろって! まっ、やめっ……ヘクシュッ!!」

 

 この数週間、アポロは常に浮かない顔をしていた。それは学園を発った後の、私たちがハーレム何号だのワケわからん事を宣言していたあの時も同様だった。

 何かを思い詰めているような、暗い顔。

 誰にも話せない秘密を一人で抱え込んでいる人間にしか見えないと、ずっとそう思っていた。

 

「先輩とコクちゃんでくしゃみの仕方が変わるんですねぇ」

「あの、興味深そうな顔してないで衣月を止めて。たくさんくしゃみするのつら──へくちっ」

「紀依、戻った?」

「なにしてんのか分かんねぇけどとりあえずやめろ!!」

 

 しかし今のアポロはどこか晴れ晴れとしている。

 最近のシリアスな表情ではなく、沖縄にいた時の様な──スッキリした元気な顔だ。

 目下の懸念点であった警視監を撃退したこともあるのだろうが、それはそれとして彼の中で”何か”が進展したのかもしれない。

 

 それが何なのかは想像もつかないし、直接聞いたりだなんて野暮なこともするつもりはない。

 もしかしたら私たちにとって、あるいはアポロ自身にとって不利益になり得る事柄だという可能性もある。

 ただ、それでも。

 

「ふっ、戻ったぜ」

「何でドヤ顔なのポッキー」

「この身体なら衣月の手など届くワケがないからな」

「むぅ~」

「フハハハッ! ジタバタしても無駄無駄ァ!」

「紀依くん笑い方が悪役すぎ」

 

 ずっと浮かない表情だったアポロが、ようやく年相応な笑顔を見せてくれた──それだけで。

 

「……ふふっ。ほらいい加減にしないか。明日は球技大会なんだからもう帰るぞ」

 

 それだけで、私は嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ポッキー、部屋にいる? 今日の球技大会の予定表を渡しに来たんだけど……入るよ?」

「んおー、サンキューれっちゃん」

 

 早朝。

 寮内の彼の部屋へ入室して、僕は思わずひっくり返った。

 

「──えっ。ちょっ、まままっ、待って! なんでコクの姿でくつろいでんのっ!?」

「あぁ、これ? 何かペンダントがまた故障したっぽくてな、調整中。まぁ別に戻れなくなったわけじゃないから平気だよ。とりあえず入れば」

「イヤイヤイヤイヤまってダメ、とりあえず上着とズボン身に着けて。肌着とトランクスから衣装チェンジして」

「え、何で。暖房付けてたせいで暑いんだよ、てかこんな格好いつも見てるだろ」

 

 こいつ!!! コイツはァ!!!! 

 ……わっ、まっ、肌着の隙間がいろいろ危ない!!

 

「おっ、女の子の身体になってる自覚あるのか!!?」

「あるに決まってんだろ。とはいえ色気の欠片もねえコクの姿だし……えっ、なにれっちゃん。もしかして──」

「うるっさいなぁ!? だいたいキミじゃなくてコクの身体なんだから少しは遠慮しろよ!!」

「いや、でも中身は男の俺なのに、さすがに動揺しすぎじゃ」

「黙って!!!!!!!」

 

 



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放課後密着ロリータ 前編

 

 

 

 ──『殺してやる』

 

 

 

 頭の中で怨嗟の声が木霊し、目が覚める。

 

「っ……!」

 

 勢いよく起き上がり周囲を見渡すと、何もかもが暗闇だった。

 次第に暗所視で判断がつくようになっていき、ようやく気がついた。

 ここは俺の部屋だ。

 学園寮で宛がわれた自分だけの空間だ。敵も味方も存在しない、俺だけの場所。

 警戒することもない、怯える必要のない安全圏。

 

「……あっ」

 

 ひどい汗だと思った。寝巻の首回りがびしょ濡れだ。

 枕元にあるスマホを手に取り時間を確認すると、まだ朝の四時半だった。

 多重人格だの何だの嘘をついて皆を騙し、学園の寮に帰ってきたのがたった二時間前の出来事なため、大して睡眠は取れていない。

 だから、眠い。

 眠い──はずなのだが。

 

「はぁっ、は……っ」

 

 とても就寝できるような状態ではなかった。

 呼吸が荒い。

 心臓の鼓動が壊れたように暴れている。

 額から落ちた水滴が白い掛布団に一点のシミを作った。暑いし、着替えて顔でも洗おうか。

 

「……痛い」

 

 不意に、そう呟いた。

 口から零れ落ちる様に、自然と。

 

「っ……?」

 

 すぐに自分の言葉を理解し、困惑する。

 痛い?

 なにがだ。痛みなど感じるはずがない。誰にも、何もされていないのだから、健康そのものだ。

 健やかです。からだ健やか茶。

 ……よし。

 あぁ、大丈夫だ。まったく問題ない。

 悪夢を見ることなんて初めてじゃないんだから。

 こんなもんしゃっくりと変わらない。たまに発生して、すぐに治まる。ただのしゃっくりだ。

 

「……ぃ、……痛いっ!」

 

 痛くない。痛覚は刺激されていない。

 失明した眼だってマユのおかげでちゃんと治ってる。

 気のせいだ。落ち着け。

 深呼吸。

 深呼吸。

 深呼吸。

 ……ほら、大丈夫じゃないか。

 

 ここに敵はいない。

 後ろから肩を引っ張ってくる奴はいない。

 後ろから刃物を突きつけてくる人はいない。

 後ろから銃口を向けてくる敵なんて、どこにもいないんだ。

 

 後ろ、から。

 

「ぅっ、うしろ……」

 

 背筋が震えあがった。

 怖くなって後ずさると、背中が自室の壁にくっついた。

 後ろには誰もいない。

 後ろには誰もいるはずがない。

 壁なんだから、背後から何かをされることなんてあり得ない。

 

「……はっ。……アホか、なに被害者ヅラしてんだ。……はぁ、あー、喉渇いた」

 

 嘆息を吐き、呆れたように笑い飛ばした。もう平気だと判断した。

 以前、マユに『人から追いかけられるのがトラウマ』だとか何とかを言った覚えがある。

 嘘ではなかったが、悪夢を見る頻度が減った影響でここ最近はそれを忘れていた。思い出しても、既に克服したのだと楽観した。

 

 ──いや、克服してるはずだ。

 組織の刺客に追われていたのなんて、もう三ヵ月以上前のことだろう。

 保護された後なんてヒーロー部の皆に優しくしてもらって……確かにそのあと意識不明にはなったが、メンタル的な話でいえば右肩上がりだった。

 いまさら被害者面していい立場じゃないし、するつもりもない。

 

「元を辿れば……全部、俺から始まった事象なんだから。被害者でもなんでもないのにトラウマで苦しんでるフリするの、さすがにキモすぎるな」

 

 今日の球技大会のボール鬼だって絶対に参加する。

 追う側追われる側の両方をだ。流石に学園の生徒に後ろを追われたところでビビるはずがない。

 なにより、球技大会は年に一度の行事だ。

 明日は何かしら面白いイベントが起こるかもしれないし、くだらないトラウマなんぞに怯んでいる場合じゃない。

 

「……一応変身しとこう」

 

 ペンダントを操作してコクの姿になった。

 男の姿で悪夢を見てしまうなら、女になればどうにかなるかもしれないという、非常に浅はかな考え方だ。

 とりあえずはこのまま起きておくつもりだけど、万が一俺が二度寝してしまったときの為のための保険である。

 

 

「ポッキー、部屋にいる?」

 

 ──と、そんな感じで二度寝対策を講じていたのだが結局眠れず。

 

「えっ。ちょっ、まままっ、待って! なんでコクの姿でくつろいでんのっ!?」

 

 数時間後にレッカとひと悶着ありつつ、また新しい日がスタートして。

 目覚めてからずっと感じていた強烈な吐き気は、部屋を出る頃には無くなっていた。

 

 

 

 

 

 

「これにて、本日の球技大会を終了いたします」

 

 なにも……! な゛かった……ッ!

 いや、まったく何もない日だったと言うと語弊がある。

 確かに特殊なイベントならわりとあったんだが、この俺に関しては本当に何一つ発生しなかったのだ。

 

 ……結局途中で怖気づいて、ボール鬼には参加しないでベンチにいたから、当たり前っちゃ当たり前なのだが。

 今回の球技大会で学園モノの主人公みたいなトラブルに見舞われたのはレッカの方だ。

 

「もうっ! もうもう! レッカ様のおたんこなす! あんぽんたん! 今後はもっと足元に気をつけてくださいまし!!」

「ご、ごめん。本当に申し訳ない……」

「レッカ先輩……久しぶりの学園のイベントで張り切るのは分かりますけど」

「面目ない……この通り……」

「お姉ちゃん、大丈夫だった?」

「ふふふ、ラッキースケベをするレッカを見て安心する日が来るとは思わなかったわ」

「カゼコちゃんは強いね……」

 

 校庭の隅っこで正座させられているレッカが、カゼコの言ったように自らが『ラッキースケベ』を働いた女子たちから詰問を受けている。かわいそう。

 今日のれっちゃんは主人公体質ここに極まれりって感じで、もはや故意にやってると思わせるレベルのトラブルを引き起こしていた。

 つまづいて相手の胸に飛び込むなど序の口。

 次から次へといろんな女子(というかほぼヒーロー部)を巻き込んでいき、一番最後のヒカリに対してはセクハラで訴訟を起こされてもおかしくないレベルのラッキースケベを働いてしまっていた。南無。

 

 ぶっちゃけ一年以上一緒に過ごしていて尚且つ好意を持っているヒカリだったから、なんとか正座からのお説教で許されているだけで、もしも他の女子だったらいくられっちゃんとはいえお巡りさんの出番は免れなかった事だろう。

 

「……ぁ、あたしっ、ファイア君にボール当てられちゃった……!」

「えっマジ? どんな感じ?」

「めっちゃ優しかった! ぽんっ、って感じ!」

「いいなぁ~。他の男子もあの紳士的なボールさばきを見習えって感じだよね」

 

 しかし、流石は世界を救ったヒーローとでも言うべきか、ヒーロー部外の一部の女子からは好意的な解釈もされていたらしい。

 彼女たちからすればレッカは同じ学園に通ってるアイドルみたいなモンだし、実際イケメンだという事も相まってファンは増える一方だ。

 今回のヒカリの様な()()()()()()()()()をしない限り、あの状態は終わらないだろう。

 俺が植物状態から回復し、そのあと間近に迫っていた修学旅行も終わらせた後は、気後れするものが無くなったおかげかメディア露出が露骨に増えていた。それらも認知度の向上に一役買っているのかもしれない。

 

 テレビに出たり雑誌の取材などを受ける理由は、ヒーロー部の活動資金の調達や、自分たちの存在をアピールすることで発生する悪に対しての牽制などでしかないようだが、必要最低限の事をこなしているというレッカの考えとは裏腹に、彼自身の扱いはもはや国民的アイドルのようなナニかへと変貌してしまっているようだ。そろそろドラマの主題歌とか歌わされそう。

 

「お、オレ別のクラスだから初めてアイスを間近で見たんだけど……て、テレビよりずっと──」

「みなまで言うな、分かってる。ちなみにオレはウィンド姉妹推し。甲乙つけがたいので二人とも」

「ハァ、お前ら……普通はグリントだろ。ボールの片付けを手伝っただけであの満面の笑みだぞ? あの金髪お嬢さま絶対オレのこと好きだろ……」

 

「やばい。センパイたちがヒーロー部に釘付けで、テントの片付け手伝ってくれねぇんだけど」

「……ちなみにお前は誰推し?」

「えっ。いや……べ、別に僕は誰とかないし」

「嘘つけ、ずっとノイズの方見てるじゃん」

「はぁ!? 別に好きじゃねーし!!」

「照れ方が小学生すぎる……」

 

 ──と、無論ヒーロー部で活躍しているのはレッカだけではない。

 忍者ゆえに目立つことを割と避けている音無ですらあのレベルなのだからお察しだ。

 普段はこれほど露骨ではないのだが、マンモス校である魔法学園の全校生徒が一堂に会するイベントということもあってか、ヒーロー部は今日一日中ずっと好奇の眼差しにさらされている。お疲れ様です。

 

「あ、あたしファイア君に写真頼んできてもいいかな?」

「行ってきな! ウチも行く!」

 

「お、一年生で写真撮るみたいだぞ。それにノイズの隣が空いてる」

「……っ!」

「行ってこい! オレも行く!」

 

 微笑ましい光景だ。

 にしても、こうして他人に認知されるヒーロー部を目の当たりにすると、彼らがいかに雲の上の存在なのかを、改めて実感させられてしまう。

 特にあの不完全魔王を討伐した時の映像は世界中に拡散されているから、国外での認知度も含めたらハリウッド俳優と肩を並べるくらいの人気者だ。ヤバいですね。

 

「……あのぉー、そこのセンパイ」

「んっ」

 

 前の方から重そうなダンボールを抱えた女子が、ベンチで休んでいる俺に声を掛けてきた。

 

「センパイって、俺?」

「そーっす、ジャージの色が青だから二年生っすよね?」

 

 ふぃー、と言いながら縦に積まれた二つにダンボールをドサっと置く女子。

 先輩呼びの口ぶりからも察せるが、体操着のジャージの色も赤なので彼女は一年生、つまり後輩だ。

 ちなみに三年生の学年色は緑。

 あっちには明らかに初期から想定されていた許容サイズを大幅に超過するほどの大きなお胸をお持ちの我らがライ・エレクトロ生徒会長さまが、そんな緑色のお山を揺らして周囲の目線を(無意識に)奪いながら、テントの部品が入ったダンボールをえっさほいさと運んでいる。

 

 前のダンボールを見ると、中身は同様だった。確かに重そうだ。

 

「お名前なんて言うんすか」

「……あぁ、キィでいいよ。悪い、手伝う」

「あざす~。めちゃ重いんでお気をつけになさって」

 

 重い腰をベンチから起こしてダンボールを持ち上げると、やはりそこそこ重量があった。

 目の前にいる亜麻色の髪の少女はとてもではないが筋肉があるようには見えないし、彼女には荷が重い代物だ。二つとも俺が持っていこう。

 

「こっちも俺が持つよ」

「わっわっ。手持ち無沙汰はヤバめ……あっ、じゃああたしはこれ持ってきます」

「……」

「カラーコーン」

 

 とても軽そう。

 

「……おう」

「はわわ。では二つ」

「別に一個でもいいけど……」

 

 両手に赤色の大きなカラーコーンを装着した後輩と共に、校庭の器具庫の方へと向かっていく。

 ここからだと割と距離があるし、彼女の荷物を二つとも預かったのは正解だったようだ。

 

「両手にカラーコーン装備してたらロボットみたいっすね」

「ドリル武器っぽいな」

「どどどどっ、びーっ」

「先端からビーム出るタイプか……」

 

 初対面にしてはノリが軽い……というか不思議っ娘っぽい雰囲気を纏った後輩と一緒に歩いていると、いつの間にか荷物を運び終わっていた。

 周囲を見渡すと球技大会の片付けは概ね終わっているようで、校庭に残った生徒たちは祭りの様にワチャワチャしている。

 彼らがなかなか解散しない理由の一端はヒーロー部にもあるようだ。レッカなんか正座したまま囲まれている。

 

「キィ先輩、さっきもそうでしたけど……もしかしてヒーロー部のファン?」

「えっ?」

 

 アイツらの事を注視し過ぎていたせいかもしれない。

 他人からだとそう見えるのか、いまさっきの俺。

 

「……まぁ、そんな感じ」

「ほぇー。パリピっすね」

「キミ流行に敏感なヤツのこと全員そう呼んでんの?」

 

 なんだか割と図太い神経をしている彼女の言葉からも分かる通り、俺こと『アポロ・キィ』だけが、ヒーロー部の一員としては全くと言ってもいいほど認知されていない。

 そもそも世界を救う映像に映っていたのはあの七人だけなのだから当然だ。あの時の俺はそのすぐそばで、コクの姿で警視監と戦っていた。

 

「サイン貰ったりとかしないんすか」

「同じ学園の生徒にサイン求めるの恥ずかしくない……?」

 

 とはいえ、遠目に見えるヒーロー部たちはサイン代わりといった雰囲気で一緒に写真を取られまくっていた。俺がおかしかったのかもしれない。

 

 

 世界を救ったヒーロー部は、一人の少年と六人の少女──それが世間一般での認識である。

 

 俺をヒーロー部のメンバーだと知っているのは、俺が入部してから衣月を連れて旅に出る前までの二ヵ月の間に、ちょっとしたお悩み解決をヒーロー部に依頼してきた数人の生徒やペット探しを手伝ったおじいさんくらいだろう。

 それだって『あれ? もう一人いなかったっけ?』とかいう次元の話だ。

 アポロ・キィという名前を憶えている人間などほとんどいない。

 

 マユは俺を『皆が羨む主人公』と言っていたが、それは俺と他の人間の関係性を正確に把握していたから出た言葉であって、周囲からの評価はその限りじゃない。

 確かにここ最近も変わらず学園ではレッカとよくつるんでいたものの、レッカ自体が誰にでも優しいヤツという認識なので、俺は彼に構ってもらっているモブAとしか見られていないのだ。

 二人きりだった修学旅行も基本は人気の無い場所を巡っていたし、そもそも学園側で用意されたイベントが多かったため二人きりの時間はあまり多くなかった。

 

 学園ではレッカ以外のヒーロー部とはあまり絡んでないし、もし話をしていたとしても他の生徒たちからの目は『有名人と話してる一般人』程度に過ぎない。どうあっても俺個人には興味が示されないシステムが完成しているのだ。

 相も変わらず、アポロ・キィは誰でもない。

 

「きみはサイン欲しくないのか」

「あたし? ……んー、あたしは別にいいかな。オトちゃんからいつでも貰えるし」

 

 オトちゃん、とは。

 

「オトナシ・ノイズちゃん。あたし従姉妹(いとこ)なんすよ。あっちが二ヵ月先に生まれてて」

「……そうなんだ」

 

 知らんかった。アイツ従姉妹いたのか。

 言われてみてもあんまり音無とは似てない。従姉妹だから当然か。

 

「申し遅れました、野伊豆(のいず)琴音(ことね)っす。……あっ、逆か」

「いいよ、俺も未発展地域の出身だから、その間違い分かる」

「あら奇遇。ではフルネームをどうぞ」

「紀依太陽……あっ、紀依が苗字な。アポロは太陽って書くんだ」

「キラキラ!」

「俺もそう思う」

 

 どうやらバカにされてるワケじゃなさそうだ。キラキラネームの人初めてみた、って感じの驚きの表情だった。良い子や。でも他の人にはその反応しちゃダメだよ。

 荷物運びを手伝ってその後にわざわざ自己紹介をする、などという妙な流れを体験したわけだが、向こうでもみくちゃにされているヒーロー部に比べたら楽な方だろう。一人に名前を覚えてもらっただけでも幸運だ。

 

「ほんじゃ、また」

「ん」

 

 琴音はわりとあっさり別れを告げてどこかへ行ってしまったが、音無の親戚という事もあってかなり印象には残った。また会ったら挨拶くらいはしたいものだ。

 

 

「……とりあえず荷物まとめて帰るか」

 

 そう呟き、器具庫の前から離れていった。

 

 明日からは寮生活ではなく現在両親が住まいにしている賃貸の方から通学することになっている。

 母親からは『そろそろ帰ってきてもいいんじゃないか』とのことだった。

 悪の組織の残党はいなくなり、もう何ヵ月も襲撃されていないことを踏まえて、学園の保護下でなくても生活していいだろうという判断だ。

 事前に大きな荷物は送ってもらってあるから、あとは簡単な手荷物だけ運べばお引越し完了である。

 

 それにしても──

 

 

「ファイア君いっしょに写真撮って! ウチも正座するから!」

「えぇっ!?」

 

「あのっ、ウィンドさん、記念にいいかな?」

「えと、あたしはいいけど、お姉ちゃんが……」

「コラそこの男子ー! 妹を勝手に撮るなー!」

 

「……のっ、ノイズ。そのっ、えと」

「頑張れ!」

「いいっい、いい一緒に写真、とってくれ……!」

「あ、うん。……キミもしかして、この前プールの掃除を手伝ってくれたタナカくん?」

「ウェッ!? おっ、オレのこと覚えて……ヒュっ……!」

「しっかりしろ! 過呼吸になるな!」

 

 

 ……まだまだ忙しそうだ。声はかけないでおこう。

 

 人気者は大変だな──なんて考えると、ふと気づいたことがあった。

 ああして懇願しなくても、ヒーロー部とは自然な流れで一緒に写真を撮れるような関係のはずなのに、冷静になって振り返ってみると。

 

「……あいつらと写真、とったこと無いな」

 

 大勢の人たちに囲まれた彼らを一瞥して、俺はぼやいた。

 いつの間にか、正面から『写真をとってくれ』だなんて事を頼める他の生徒たちが、少しだけ羨ましく思えてしまっていたのだ。

 

 彼らの邪魔ばかりしている俺には、きっとそんなことは言えないだろうから。

 

 

 

 

 

 

「紀依」

 

 荷物をカバンに詰めて寮の外へ出ると、ランドセルを背負った衣月が裏口の前で待っていた。

 どうやら少し前に小学校が終わっていたらしく、俺と一緒に帰りたくて待っていたとのことだった。

 

「音無と一緒に寮で暮らしてたんじゃないのか?」

「正式に親権が光莉(ヒカリ)の家に移ったから、今日から光莉のお城で暮らすことになった」

 

 お城てアンタ。確かに城みたいにクソでかい豪邸ではあるけども、ヒカリお嬢様のご自宅は。

 ……あれ。

 ていうか親権が渡ったの、ウチの親じゃないのか。

 

「私、養護施設から悪の組織に移ってなんやかんやあったから、戸籍上の扱いが面倒なことになってたみたい」

「面倒、というと」

「死亡扱いになってた」

「はわわ……」

 

 そこから色々な話を聞いた限り、衣月に纏わりついていた悪の組織に関する面倒な事情やら戸籍上のなんやかんやは、ヒカリの家であるグリント財閥が全部片を付けてくれたらしい。

 もちろんウチの両親も手伝ってはいたようだし、研究者時代にグリント財閥とも繋がりを持っていたという縁もあったため、紀依家で衣月を引き取ってヒカリん家から援助を受けることも出来たそうだが。

 どうやら最終的には()()()()()だったようだ。

 

「な、何でウチには来なかったんだ?」

「……紀依と、兄妹にはなりたくなかったから」

 

 もしかして俺って想像以上に衣月から嫌われてます……?

 

「兄妹では、結婚できないと、法律にあった」

「それはそうだけど……は? えっ、なに」

「うるさい」

 

 ぽかっ、と腕を殴られた。衣月にしては珍しく照れ隠しをしてきおった。本当に珍しくてビックリしちゃった。

 

「……てか、これからはヒカリに学校まで送ってもらうのか」

 

 リムジンで登校すんのかな。……さすがに無いか。ヒカリもバス通学だったし。

 

「んーん、一人でいく」

「それはダメだろ……ほら、ヒカリにでも付いていって貰えよ。音無のときもそうだったんだろ?」

 

 何気なしにそう言うと、衣月は少しだけ俯きながら返事をした。

 

「……始業時間、小学校のほうが早いから。音無、一緒に登校する時いつもちょっとだけ眠そうだった。自分の準備もあるのに、私に付き合わせるのは良くないと思った。なので」

 

 なので、ではないだろう。きっと音無だって気にしていないことだ。

 他の人間に気を遣えるのはとても良いことだが、それくらいならこっちも喜んでやるのに──あっ。

 そうか、なるほど。

 

「なら俺が付き添うよ。それなら大丈夫だ」

「……なんで紀依ならいいって事になるの?」

「俺が早起きなの知ってるだろ。おまえとの旅の中で培った能力だぜ」

「…………うん、分かった。ありがとう」

 

 他人を思いやるばかりか素直にお礼も言えてしまう素晴らしい人格者です。同級生だったら既に告白してフラれてるレベル。

 

「てことは明日からグリント衣月になるわけか」

 

 女優さんの芸名みたいだ。

 

「一瞬だけ。今はそうだけど明日か明後日には藤宮になってるよう、もう手続きしてくれてる」

「……そっか。やっぱそっちの方が馴染み深いもんな」

 

 彼女の両親の事は何も知らないし、衣月本人も記憶はないと言っている。

 しかし、だからこそ藤宮という姓は彼女にとってより特別なものとして認識されているのかもしれない。

 俺としても、せっかく衣月が頑張って悪の組織から取り戻した姓なので、大切にしてほしいと思っていたところだ。

 

「紀依衣月というのは、すこし悩んだ」

「二つとも名乗るわけにはいかんし」

「いずれ……」

「どんな未来でも苗字二つは無理じゃない?」

「そーゆーのじゃない。ばか」

 

 ぽかっ、再び。あんまり人にパンチしちゃダメだよ衣月ちゃん。

 

 彼女と話しながら歩いていると気がつけば太陽が沈みかけていた。

 ずっと寮生活だったこともあり、夕焼けを浴びながら帰路につくのは久しぶりの感覚だ。

 陽が完全に落ちる前までには衣月を送り届けて、俺も早く帰らなければ。

 

 ──そうして、ただ当たり前の事を、歩きながら考えていた時の事だった。

 

 

「オイっ!!」

 

 

 後ろから声を掛けられた。

 怒声の如く、張り裂けるような大声を()()()()浴びせられた。

 

「っ」

 

 足が止まり、ついでに心臓が跳ねた。

 驚いた。

 思わず声が出そうになってしまった。

 落ち着け、話しかけられただけに過ぎない。

 

「……?」

 

 ゆっくりと振り返る。後ろから大声をかけてくるなんて、まったく非常識な人だと思った。

 こわいからやめて欲しい。落とし物だったとしても、オイ、とかじゃなくて、あの、とかでいいだろ。

 そう思いながら、身体ごと後ろへ向けた。

 朱色の西日が少しだけ眩しくて、一瞬だけ瞼を閉じ、改めてそこへ視線を向けた。

 

「ボクはッ! ロリコンなんかじゃないッ!!」

 

 そこにはワイシャツ姿の中年の男性がいた。

 とても汗をかいていた。

 血走った眼をしていた。

 涎を垂らしていて、鼻息が荒かった。

 

「ロリコンじゃない! 盗撮なんかしてない!! ロリコンじゃないッ!!」

 

 意味のないうわごとを反芻している。

 何度も、何度も。小さく呟いたり、大きく叫んだり、落ち着きがない。

 

「子供以外を殺せば分かるはずだ……わかる、分かるぞ! ボクもそう思ってた! そうだよ!! ガキになんか興味ない!!」

 

 そして、その手には包丁が握られていた。

 

 

「……そう言えば帰る前に、担任の先生が小学校を盗撮してる不審者の話をしていた。……紀依?」

 

 

 不審者だ。

 凶器を持ち、終始異常な言動をする頭のおかしい奴だ。

 そうだ、まともじゃない。

 イカレている。

 俺と何が違うのだろう。

 俺もまともじゃない。

 違う、そうじゃないだろ。

 今考えるべきはそこじゃない。

 刃物を持ってる。

 対処しなきゃ。

 簡単だ、風魔法で吹っ飛ばして、塀にでも激突させれば無力化できる。

 その後に警察を呼べばいい。

 勝てない相手なんかじゃ──

 

「殺してやるっ!!」

 

 

 

『殺してやる』

 

 

 

 ………………あ?

 

 

『お前だな、ボスを殺したのは』

 

 何だ。俺は悪くない。悪事を働いたお前らが悪い。

 俺は?

 悪事を働いた、俺は。

 

『おはよう! 起きたら爪が剥がれてた気分はどう?』

 

 痛くなんかなかった。

 風で吹っ飛ばして、金的してやったら泡を吹いて倒れた。

 勝てない相手じゃない。

 でも、でも。

 みんな、怖かった。

 

『殺してやる』

 

 誰もがそう言った。

 

『殺してやる』

 

 ナイフを刺してきたやつもそう言った。

 

『殺してやる』

 

 右眼を焼いたやつもそう言った。

 

『殺してやる』

 

 ころしてやる、と。

 

 

「殺してやる!!」

 

 

「……ぁっ」

 

 竦んだ。

 足が。

 凶器を前に怖気づいた。

 こんな低俗な諍いに敗北している。

 反撃できない。

 どうして?

 あの夢を見たせいか。

 違う、関係ない!

 

 また、痛いことをされる。

 もう傷つきたくない。

 また眼が視えなくなるのは嫌だ。

 内臓が潰されて呼吸が出来なくなるのは想像を絶する苦痛だった。不快だった。

 

 バカが。

 被害者ぶるな。

 全部身から出た錆だろ。お前の責任だろ。

 動け。

 殺らないと殺られる。

 無理だ。

 早く動け。

 やれ。

 無理だ。

 

 無理だ、無理だ。無理だ無理だ無理だ。

 俺には──

 

 

「紀依、手を上げて」

 

 

 ──衣月が、俺の腕を持った。

 

「そのまま。手のひらを、あの人に向けて」

 

 言われるがまま、半強制的に衣月の言った動きを取らされている。

 

「全身の血液をその右手に集めるイメージ。何も考えず、それだけに集中して」

 

 よく分からない。

 俺は何をしていて、何をされているのだろうか。

 手のひらに『風』を感じた。

 

「指先の力を抜いて……手首を、強く前に押し出す」

 

 言う通りにやった。

 気がつくと、いつの間にか凶器を持った男は、電柱に後頭部をぶつけて倒れ込んでいた。

 俺がやったのだろうか。

 冷静に考えれば俺しかいないし、右手から突風が発生したような気もする。

 

「紀依、スマホ貸して。……はい、いえ事件です、二分ほど前に不審者に襲われました。同行者が凶器を取り上げましたが、またいつ暴れだすか。十番通りの公園前です。いえ怪我人は犯人だけです……はい、イツキ・グリント、住所と番号は──はい、お願いします」

 

 沸々と、自分に対する怒りが込み上げてきた。

 隣に衣月がいたんだぞ?

 意味不明な動揺なんかしてないで、すぐにあの不審者を倒して拘束するべきだった。

 ふざけるな。

 本当にふざけるな、お前だけならともかく衣月が怪我をしたらどうするつもりだったんだ。死んでいい人間と絶対に駄目な人の区別くらいはつくはずだろ。

 情けない。何を考えて……

 

 

「紀依」

 

 ──手を握られた。

 衣月だ。

 スマホを俺の胸ポケットにしまい込んで、隣から手を取ってくれた。

 

「こわかったね」

「……ぁ。……あぁ、うん、そうだな。怪我は、ないか?」

「だいじょうぶ。紀依がやっつけてくれたから」

 

 俺が?

 そうかな。

 そうか。

 ……いや、違う。

 衣月が、だ。

 彼女がいなければ、俺は今頃。

 

「ロリコン対決は紀依の勝ちだね」

「……あほ。縁起でもない」

 

 何かを間違えたら俺もあの男の様になるのだろうか。

 あるいは、もうなっているのか。

 ロリコンだし、大して変わらないよな?

 

「紀依」

「っ……はっ、は」

「落ち着いて。もう大丈夫だから」

 

 腰を抜かした。塀に背を預けて座り込むと、衣月は手を握ったまま寄り添ってくれた。

 

「違うよ、紀依は」

 

 なにが? あの男と俺の何が違う?

 自分の為に他人へ刃を向けた。

 きっと、俺もしたことがある。何も違わない。

 

「違う。紀依は、私を──」

 

 彼女の言葉を遮る、騒々しいサイレンの音。

 警察が来て、焦燥の表情でこちらへ駆けつけてくる。

 

「……話は、帰ってからにしよっか。ほら、立って」

 

 自分自身に懊悩し、全く使い物にならない俺を無理やり引っ張り上げ、衣月は警察の対応に当たって。

 両親に連絡が行って、すぐさま他県から帰ってくることになって、それから解放されて。

 パトカーで自宅まで送り届けてもらう頃には、既に空が闇に包まれていた。

 

 天気予報によるとこの後は、大きな雷雨が待っている。

 

 



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放課後密着ロリータ 後編

 

 事件に遭った自分たちに気を遣ってか、パトカーに同乗していた警察官はずっと気さくな態度だった。

 

 黙りこくった俺と元々あまり喋らない衣月が組み合わさって、車内の空気が沈鬱だったのもあるのだろう。なんとか雰囲気の緩和を試みるその警察官の男性は、端的に言えばとても良い人だった。

 国を守るだけでなく、一人一人に目を向けて取り組むその姿勢は紛れもなく正義の味方そのものだ。

 そんなヒーロー部ともよく似た善性の塊のような人間は──今の俺には眩しすぎたらしい。彼の言葉のほとんどを無視してしまっていた。いまも罪悪感が胸中で燻っている。

 

 両親が住んでいる賃貸は、よくある安いアパートだった。

 経済的な面では問題ないようだが、悪の組織と戦う際に各所へ手を貸していたため、現在もまだその対応に追われており、多忙なあまり新しい自宅の目途も全くついていないらしい。

 そして、二人は現在東京から離れている。

 俺と衣月が事件に巻き込まれたと知ったため仕事をキャンセルして戻ってきているらしいが、それでも自宅に到着するのは明け方になるだろう、との事だった。

 

 つまり、今夜は俺一人で過ごす──はずだったのだが。

 

「電気つけるね」

 

 片時も俺の手を握ったまま離さないでいた衣月はヒカリの家には帰らず、自分一人になるはずだった暗いこの家に光を灯し、そそくさと家事を始めていた。

 寮暮らしだった俺よりも遥かにこの家の間取りを熟知しているようで、気がつけば彼女によって浴槽に湯が張られていた。夕食も作ろうと思えばすぐのようだ。

 

「紀依。お風呂、入ろう」

 

 初めて出会ったときは一人で風呂も入れなかったはずなのに。

 いつの間にか自分の手から離れて立派に自立している彼女を前に寂寥感を覚えながら、俺は言われるがまま浴室へと連れていかれた。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「ギリギリ二人でも収まる」

「……そうだな」

 

 軽く体を洗い終わり、俺を先に浴槽へ浸からせた衣月は、そのあと膝上に乗るようにして自分も入浴してきた。

 精神面では大きく成長していても、俺との距離感はあまり変化していなかったらしい。

 

「ふぅ、気持ちいい」

 

 俺の胸板に背を預けて、ぐぐっと手足を伸ばしてリラックスする衣月。

 体躯が小さい彼女だから可能なのであって、このあまり大きくない浴槽だと俺は体を伸ばせない。

 しかし、伸ばせたところできっとやらないのだろうが。

 先ほどからリラックスなど出来てはいない。

 体洗いや何からなにまで小学生の少女に任せきりで、とても情けない気持ちだった。

 

 なにより、そうまでされても立ち直ろうとしない自分自身の心が、どうしようもなく鬱陶しい。

 どうして俺はこんな状態に陥っているのだろうか。

 

「紀依」

「……どした」

 

 いつの間に入浴の際にヘアゴムで髪をまとめることを覚えたのか、後頭部に白いお団子がある衣月が呟いた。

 

「怖かった?」

 

 質問の意図は明白だった。

 十中八九、数時間前の不審者の件だ。

 怖かったか、などと聞かれたら、普通は見栄を張って否定する。相手が年下の少女なら尚更そうだろう。

 大人はどうだか解らないが、自分くらいの年齢の男子なら大抵は身の丈に合わない強がりをするものだ。

 俺もそうしようと思っていた。

 思っていたが、言葉が喉から出てこなかった。

 

「……私は怖くなかった。紀依が隣にいたから、大丈夫だって」

 

 過大評価だ。

 実際のところは衣月が手を貸してくれなければ殺されていた。

 手も足も、出なかった。

 

「ね、紀依」

「……?」

「今日は──くしゃみしなかったね」

「っ!」

 

 肩が跳ねた。

 人格が入れ替わるくしゃみの事だ。今日は朝から今の今まで、その事を全くもって意識していなかった。

 くしゃみしなかった、というのは人格の入れ替えをやろうとしなかったという意味だ。もしかしたらくしゃみ自体はしていたかもしれないが、コクという嘘は一度もついていなかった。

 この日はずっと、俺はアポロ・キィのままだったのだ。

 

「マユと協力して、あんなに頑張ってみんなに信じさせようとしてた。なのに、今日はやらなくてよかったの?」

「そ……、ぁっ……」

 

 ばれている。

 何故かこの少女にだけは、何もかもが筒抜けだった。

 疑っているだとかそんな次元の話ではなく、前提として俺の振る舞いが嘘だったのだと既に判断されている。

 

「はっ……うっ……っ」

「……紀依? あの、私責めてるわけじゃなくて」

「ご、ごっ…………ごめっ、なさ……」

 

 温かい湯船に浸かっている筈なのに、凍えるかの如く躰が震えて止まらない。

 罪の意識がぶり返して胃が痛み始めた。苦しい、ここに居たくない。一人になりたい。

 これまで何をしていたんだ俺は。

 皆を欺いてまで何がしたかったんだ。

 これから衣月が情報を拡散して、失望されて、それから──

 

「落ち着いて」

 

 ──思考を遮るように、衣月が振り返って俺を抱きしめてきた。

 

「無神経なことを言ってしまって、ごめんなさい」

 

 首の後ろに手を回して、後頭部を撫でながら優しく抱擁してくる。

 時間が止まったかのように思えた。

 

「誰にも言ってない。伝えるつもりもないから、私は紀依の味方だから。……おちついて、大丈夫」

 

 幼少期に親にあやして貰っていたときの事を想起させるような、穏やかな声音だった。

 抱きしめて、頭を撫でて、慰めの優しい言葉をかけて平静を取り戻させようとしている──これではどちらが子供なのか分からない。

 俺たちは互いに衣服を全て剥ぎ取った状態だ。

 当然、密着すれば相手の鼓動を肌で直接感じ取る事が出来る。

 とくん、とくん、と。

 まるで二人の体が一つになってしまったのかと錯覚してしまうほど、彼女の心拍が自分の音の様に聞こえてくる。

 

「…………ごめん、衣月。……ごめん」

「謝らないで。ぜんぶ分かってるから」

 

 六つも歳下の少女に甘えるなど恥知らずにも程がある。

 頼られるならまだしも、こんな形で頼ってはいけない存在なのだ。

 ましてや彼女が否定したように『家族』ですらないのだから。

 

「私の前で強がる必要なんて、ない」

 

 そう頭では理解しているつもりなのに、俺は衣月の甘言に絆されてしまっている。

 自分の手が勝手に伸びていくのを感じた。

 彼女のくびれた胴のあたりに手を回して、自らのほうへ引き寄せていく。

 

「……うん。紀依も、だきしめて」

 

 僅かながらに安堵した自分のとった行動は、衣月を抱き返すというものだった。

 泡のように柔らかく、健康的な色で艶やかなその素肌に触れていると、喉奥に滞留していた嗚咽が引いていくのを感じた。

 胸がすく想いだった。

 背負い続けたまま手放せなかった恐怖という重荷を、ようやっと下ろす事が出来たような気分だった。

 

「いっ、ぃ……衣月、おっ、おれは……」

「知ってる。最初は違ったんだよね」

 

 弁明しようとする俺を撫でて落ち着かせ、抱擁したまま衣月は話を続ける。

 

「私の為じゃなくて、自分の為にペンダントを使ってた。……私と出会う前から持ってたのだから、当たり前のこと」

 

 親友や後輩すら知らない事実を、彼女だけは察している。

 

「ほんの遊びのつもりで女の子に変身していた」

「っ……」

「旅を始めてからずっと一緒にいたんだから、流石に分かる」

「……ごめん」

 

 謝る必要なんてない、と言いつつ一拍置いて、衣月は更に続けていく。

 

「でも、私が現れたせいで状況が変わった。私を守るにはペンダントが一番都合のいいアイテムだったから、使わざるを得なくなった。止めようと思えばいつでも止められる遊びを、続けなくてはならなくなった」

 

 それは。

 ……それは、違う気がする。

 そうじゃない。アレは俺が勝手にやった事なんだ。

 

「い、衣月のせいじゃない。だって、俺が正体を明かせば、それで終わる話だったんだ。おまえに責任なんてない……」

「明かしたら、紀依は戦えていた?」

「…………えっ?」

 

 衣月が口にした言葉の意味が理解できない。

 

「紀依、私と出会う前は戦った事なんてほとんどなかったでしょ」

 

 それは、確かにそうかもしれない。

 ただの学生でしかなかった俺が戦う機会に巡り合うわけなどなく、コクの姿で怪人に殴られたあの時以外──つまりヒーロー部に入ってからも、探知能力で敵の位置を割り出して、みんなに教える程度の事しかしなかった。

 だがそれとこれと何の関係があるというんだ。

 

「本来、人に暴力を振るったり振るわれたりなんて普通じゃない。ヒーロー部みたいに一年近く戦っていた経験があるならともかく、紀依みたいな一般的な学生が、凶器や殺意を持った人間を前にして、何の訓練も無く戦える?」

 

 抱擁をやめ、俺の目を見て話す衣月。

 吸い寄せられるように焦点がそこへ定まり、視線を逸らす事が出来ない。

 加えて、彼女の言にも否定できないでいた。

 

「紀依はペンダントによる変身を、()()を心の支えにしていた。

 今日感じていたような根底にある恐怖に蓋をして、見ないようにして、遊びの事だけを考えていれば、あの旅の時の様に平静を保っていられたから」

「……ちがう、そんな。違うって。……そんなわけない」

 

 俺が恐怖を感じていた?

 旅を始めたあの時から?

 怖いから、恐怖から逃げたかったから、見ないフリして美少女ごっこだけに意識を割いて自分を保っていた?

 バカな。

 そんなはずはない。

 俺はあの旅をしているとき、全身全霊で美少女ごっこに打ち込んでいたはずだ。

 レッカをからかいたかったから、楽しかったから、気持ちよかったから。だから──

 

「紀依。楽しいこと、気持ちいい事じゃないと、怖いことに蓋はできないよ」

「…………っ」

 

 ついに顔を背けてしまった。

 彼女は誰よりも優しいのに、他の誰よりも俺に対して現実を突きつけてくるから。

 否定したい、無視したい気持ちを全て認めさせようとしてくる。

 あの旅の中で抱いていた感情の全てを『恐怖から逃げるための言い訳』だと一纏めにされてしまい、耐えられなくなってしまった。

 

 そんなわけがない。

 俺は、ただ楽しかったから、美少女ごっこを続けていたんだ。

 

「……け、警視監も、マユもお前も、ロリっ娘は知ったような口ばかり利くな。俺の気持ちなんかひとかけらも理解してない。……俺は、してほしいとも思ってないんだ」

「ウソつき」

「っ!」

 

 衣月は俺の両頬に手を添えて、無理やり自分の方へ振り向かせた。

 相変わらず彼女の表情は動いていなくて、何の感情も読み取れない。

 

「寂しがり屋のくせに、強がってばかり。寂しかったから、レッカの前で女の子になったんでしょ」

「…………なんで」

 

 どうしてそんな事が察せるんだ。何で俺のことをどこまでも知っているんだ。

 俺よりも、俺のことを。

 何なんだこの少女は。

 

「ペンダントで恐怖を誤魔化して、強い紀依であり続けたから……私は、全部をあなたに任せてしまった。勝手に強い人だと思い込んでいた。盲目になっていた。……本当に、ごめんなさい」

「……だから、衣月はなにも悪くないって……」

「私にも背負わせて。私も、紀依の一部でいさせて」

 

 ここまで俺の最低な人間性を、過去を、何もかもを知っているのに──味方でいようとしてくれている。

 罪悪感と情けなさを感じると同時に、嬉しさをも抱いてしまって、目頭が熱くなった。

 

「どうしてこんな……元を辿れば全部、俺が悪いのに──」

「違うよ」

 

 何度自分を否定しても、彼女は俺の存在を肯定する。

 責任と罪を自覚しようとしても、衣月はそれを否定する。

 

「私が悪の組織に攫われて、実験体にされたのは紀依のせい?」

「っ……」

「紀依が私を守って、警視監をやっつけて、悪の組織を……世界を蝕む悪意を壊滅させたのは、悪いこと?」

 

 とても卑怯な言い方だ。

 俺はただワガママに生きてきて、だから自分を悪い人間だと信じていたのに。

 

「ねぇ、紀依。警視監を殺した後、どうしてみんなの前から姿を消したの? 

 あの時でも紀依に味方する人間はたくさんいた。警視監が完全に証拠を消したと言っても、世界の洗脳はたった数日間だったし、全部だなんてあの人が思い込んでいただけで、結局はすぐに後から出てきた。

 みんなに頼んで一緒に弁明してもらえば、紀依だってすぐに悪を打倒した英雄だと世に知らしめることが出来た。……どうして消えたの?」

 

 なのに、それを”違う”と言われてしまったら、俺だって否定したくなってしまうではないか。

 

「……音無と風菜がヒーロー部に戻れたから、俺は邪魔だと思った。組織の刺客に襲われる可能性もあった。

 俺がいなくなれば……大団円になるって、そう思ったんだ」

「……強大な犯罪組織を人知れず壊滅させて、自分を犠牲にしてまで皆の幸せを願った人間が、諸悪の根源なわけないでしょ。ばか」

 

 衣月が軽くため息をつき、浴槽の湯が揺蕩う。

 顔を上げ、両手を添えた俺の顔と更に距離を詰めた。

 近い。

 鼻息が当たってしまいそうな程に彼女の顔が間近にある。

 

「紀依は確かに悪事を働いた。心を守るためとはいえ、あまり良くない形で周囲を混乱させている。あのヒーロー部の人たちみたいに、清廉潔白な英雄なんかじゃないかもしれない」

 

 もはや悪役(ヴィラン)とでも表現した方が正しいのではないかと、俺自身もそう思っている。

 しかし彼女は──それでも、と。

 

「正しい行いだってしてきたんだよ。少なくとも、いま紀依の目の前にいる人間は、そのおかげで命を拾っている」

 

 俺の手を取って、自らの左胸に添えさせた。

 パンのように柔らかく、艶やかで白皙な肌の奥で、確かに脈打つ鼓動を感じた。

 

「ほら、この動いている心臓」

「……あぁ」

「これは紀依のおかげで、今も強く高鳴ってる」

 

 胸部に触れている俺の右手に、彼女も自らの小さな両手を重ねた。

 愛おしそうに、想いを込めるかのように俺の右手を抱いている。

 

「私の胸、少し大きくなった。背もちょっとだけ高くなった。髪の毛も伸びたし、家事だって出来るようになった」

「それは……」

「うん、そうだよ、成長してるの。()()()()()()()成長できる。

 私がこうして成長しながら生きていられるのは、常識を、自由を、笑顔を、命を──あなたがくれたから」

 

 衣月は、笑った。

 ごくごく自然に、優しい微笑みをしてみせた。

 年相応の幼さを感じさせる、無邪気であどけない笑顔を、目の前で見せてくれたのだ。

 無表情などではない。

 人形なんかじゃない。

 

「私のヒーローは、あなただけ」

 

 彼女には感情があって、それを相手に伝える力がある。

 笑顔がある。

 涙を流すときでさえ揺れ動くことのなかった彼女がいま、笑っている。

 それは衣月が成長したから。

 

「紀依、過ちを認めるのはいい。でも、自分を責めすぎないで」

 

 生きて、成長しているからに他ならない。

 

「正しいことをした自分の事も、ちゃんと認めてあげて」

 

 そして成長を続ける衣月が今、生きているのは。

 俺が、彼女を助けたから。

 

 

「コクじゃなくて、()()()()やってきた事なんだから」

 

 

 言葉通りに、それを自覚した瞬間、少しだけ。

 ほんの少しだけだが、俺は。

 

「……そう、だな」

 

 ようやく自分の事を──認める事ができた気がした。

 

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「衣月にしては、今日は随分しゃべったな?」

「……そうかな」

 

 少し経って。

 風呂から上がった俺たちは夕食を済ませると、早々に布団を敷いてしまっていた。

 寝るにはまだ早いという事でボーっとテレビを眺めていたのだが、そこでふと気になる情報が脳裏によぎった。

 また相変わらず膝上に座ったまま置き物と化してしまった衣月に、今日は随分お喋りだったねぇといった旨の意見を告げると、彼女の肩がビクっと跳ねた。何だろうか。

 

「わ、わたし、成長したから。お喋りに、なった」

 

 いや、なんかもう基本的に一拍あけるいつもの喋り方に戻ってるけど。

 

「使いやすいワードだな、成長」

「むむ……」

 

 反発してみると、むくれた衣月は俺から離れ、毛布に包まってしまった。ミノムシみたい。

 

 思い返すと少しだけ疑問が浮かんだのだ。

 今日の衣月はなんだか普段と違って、かなり流暢に言葉を話していたな、と。

 もちろん今までだって露骨に片言だったというワケではないが、あぁして俺を即座に論破できるレベルで今日ほどスラスラと会話できた日はいままでになかった。

 

 まるで喋るセリフがあらかじめ決まっていたかのようだと、素直にそう思ってしまった。

 

 特に警視監の証拠云々の辺りは……こう言っては何だが、衣月っぽくなかった。

 賢すぎるというか、あの場で考えたにしてはあまりにも完成しすぎた理論を展開していた気がする。

 衣月が良い子なのは百も承知なのだが、小学生があんなの即座に思い付くだろうか。

 俺の説得に対して必死になってくれていたのは分かるしとても嬉しいが、衣月っぽいセリフはどちらかといえば『楽しいこと、気持ちいい事じゃないと、怖いことに蓋はできない』とかあの辺りだ。

 

「衣月?」

「な、なに」

「今日の放課後ウチの学園にきたとき、みんなが忙しそうだったから俺と帰ったんだよな。本当は誰と一緒に帰る予定だったんだ?」

「………………音無」

 

 いやこれ十中八九あいつの入れ知恵だな……。

 

「衣月、もしかして俺のこと説得しようって、音無と話してた?」

「…………話してない」

 

 目が泳いでますよ。

 

「そっか。ならいいんだけど」

「……ま、待って、ウソ。本当はちょっと、話した」

 

 別に責めているわけでも誘導しているわけでもないのだが、根が良い子すぎる衣月は勝手に自白してしまう気質だったらしい。かわいいね。

 

「くしゃみの事は、まだ気づいてない。遊びのことも言ってない。でも、紀依が怖いのを我慢してるのは、分かってた」

「なら、今日はもともと話をする予定だったのか」

「んん。わたしより、音無の方が話したがってたから、任せるつもりだった。……でも、紀依が予想以上に……その、あれだったから」

 

 そこは本当に申し訳ない。

 衣月があぁして心の底まで暴いてくれなかったら、俺はいずれ壊れてしまっていたかもしれない。

 この少女と、彼女を説得係に引き入れてくれたあの後輩は命の恩人だ。

 

「じゃあ話す内容は音無と決めてくれてたんだな」

「……大体の流れは、そうだけど」

 

 恥ずかしそうに毛布の隙間から顔をのぞかせながら。

 

「八割は、わたしの言葉、だから」

「……そっか。ありがとな、衣月」

「ヤダ、忘れて。もうああいうの無理だから」

 

 めっちゃ恥ずかしがってるじゃん。

 まぁ、確かに彼女からすれば思い出したい会話ではないかもしれないな。

 キザという程ではないけど、思い返せば恥ずかしいと感じるであろうセリフはいくつか言っていたから。

 私のヒーローはあなただけ──とかを聞き返しでもしたら、嫌われるか一生口を利いてくれなくなるかの二択と化すのは間違いない。

 

「あ。そういえば身長伸びたんだってな。どんくらい?」

「……気になるの、そっちなの」

 

 もう片方は聞けないでしょ。お前が成長して恥じらいを覚えたのなら尚更ムリです。

 

「胸を触らせたとき、ちょっと指を動かしたくせに」

「いや動かしてねぇだろ。てか、そもそも触れさせたのはお前……」

「うるさい。ロリコンのくせに、往生際がわるい」

「お嬢さん? あの不審者と同じ扱いにするの、結構ひどい仕打ちだよ?」

 

 羞恥心が発生してる時の衣月、わりと毒舌だ。

 罵倒のテンポにそこはかとなく音無みを感じる。ずっと一緒に居たせいかだんだん似てきたね……。

 それにしても、あの不審者おじさんと同レベル扱いは少々不本意だ。

 警察官の人によれば、あいつ本当に盗撮してたらしいけど、俺は誓って盗撮なんてしないからな。

 

「紀依は、ロリコンさんだよ」

 

 毛布をキャストオフし、四つん這いで俺の方へ向かいながら、そう決めつける衣月さん。

 なにを証拠にズンドコドン。

 てか何でこっち来てんの。

 

「正座して」

「あ、はい」

「手を膝の上に」

「はい」

「目を閉じて」

「は……え、もしかして殴られる?」

 

 ビクビクと怯えながら瞼を下ろした。

 アポロは めのまえが まっくらになった。

 

 

「んっ──」

 

 

 ……………………っ?

 

「っ、ッ?」

 

 唇に何かが触れた。

 というか塞がれている。息ができない。

 思わず目を開けると、視界には衣月しか映っていなかった。

 

「…………っ!?」

「んむっ」

 

 本当に視界の全てが衣月の顔に埋まっていて、尚且つ唇が完全にふさがれていた。

 俺が目を白黒させている間に、口腔内は体験したことのないお祭り騒ぎ状態に陥っている。

 なにしてんだ、なにしてんだコイツ、マジで頭とち狂ったのか。本当に意味が分からない。

 

「ん゛ん゛っ……!」

「らめ。きぃ、く()あけへ」

 

 柔らかく小さな舌が絡みついて、まるで軟体生物が這い回るような──とか呑気な事考えてる場合じゃねぇ!

 引き剥がさなきゃ! コイツ俺との年齢差いくつあると思ってんだ!! ……ぁ、あれっ、そういう問題でもない気がする……。

 たとえ何歳だろうとやっちゃダメなキスだろコレ。

 

「~~~っ!!」

「……んっ、ぷはっ。……うん」

「うん。じゃねーよ!!!」

「夜だよ。大声出さないで」

 

 ひぃっ、平静を保ちすぎててこわい。

 こんな大胆というか度を超えた不思議っ娘に育てた覚えはないよ俺は……どうして……。

 

「じーっ」

「なに……? 衣月ちゃんこわい……」

 

 何やら俺の顔をじっと見つめたあと、すっと視線だけを下半身へと下げた。

 すると彼女は数瞬だけ固まり、もう一度俺の方へ向くと、なんだか怪しげな笑みを浮かべて──ひとこと告げた。

 

「はい。ロリコン、完成」

「…………」

 

 満足したかのように撤退し、衣月が自分の布団へ潜っていくのを見つめる。

 

 ……俺は。

 おれは何もしてない。

 ロリコンだと思われるようなことは何もしちゃいない。あんなの衣月の早とちり。勘違いだ。

 なので、心当たりのない事は調べる必要すらないので、俺は自分の下半身へは絶対に視線を下げないまま、めちゃめちゃ上だけを見ながら寝床へ入っていくのであった。

 

 

 

 

 

 

「アヤトくんは、好きな子とかいないの?」

「いるわけねーだろ。みんな子供っぽいしな」

「ほぇー、アヤトくん大人……あっ、衣月ちゃんだ。おーい」

「えっ、藤宮っ!?」

 

 早朝。

 昨晩とんでもない事件を起こしやがったロリっ娘を小学校へ送り届けるため、彼女と一緒に住宅街を歩いていた。

 すると、公園の前にランドセルを背負った集団を発見した。

 アレは衣月が合流する予定だった登校班だ。

 俺が同伴するのはあの公園までで、衣月は途中からあの班に交じって学校へ向かう手筈になっている。

 

 どうやらその中の女子一人が気づいたようで、こちらに手を振っている。衣月が何気なく振り返しているあたり、よくある事のようだ。稀に寮ではなくウチで寝泊まりすることもあったのかもしれない。

 

「おはよう、柴乃(シノ)。アヤトも」

「……お、おう」

「おは。今日はあっちのお家からなんだね」

「びっくりさせんなよな、まったく……」

 

 恋バナになぞまるで興味を示していなかったアヤトくん(仮称)が、衣月が合流した途端に顔を赤くしてそっぽ向いてしまった。分かりやす過ぎてかわいい。

 アヤトくん絶対お前のこと好きじゃん。

 同年代との恋、俺は応援してるぞ。

 

「あれ? 衣月ちゃん、今日はお姉さんと一緒じゃないんだ」

「うん。この人は、近所のお兄さん」

「へ、へぇ……高校生の、男の人……あっ、ど、どうも!」

「おはよう。衣月のこと、よろしくね」

「はい!」

 

 お辞儀はするし返事も明るいし、めっちゃ礼儀正しい女の子だな。

 柴乃ちゃんだっけ。衣月とも仲良くしてくれてるのかしら。

 

「う、うっす」

 

 アヤト君も返事を返してくれた。みんな良い子ですわ。

 

 

 ──今朝、衣月とこれからの事について話したのだが、しばらくはこのまま現状維持という事に決まった。

 衣月曰く『ついた嘘には責任を持つべき。なんなら本当にしてしまえばいい。コクの件は私も協力するから、なんとか誰も傷つかない方法で終わらせよう』との事だった。

 彼女は未だに美少女ごっこが俺の精神的な支えになっていると思っていたらしい。だから嘘を拡散することはしない、と。

 それにどうやらマユも、衣月と同じような考えで俺に協力してくれていたようだ。俺より俺を理解しているやつが多すぎる。

 

 加えて、今朝は悪夢を見なかった。

 完全に克服したとまではいかないのだろうが、少なくとも己の心の弱さと向き合うだけの準備は、僅かながらに出来たような気がする。

 支えになると宣言してくれた人がいる以上、俺もただ流されるだけではいけない。

 いつかペンダントが無くなっても自分の足で立っていられるように、少しずつ強くなっていかなければ。

 

 がんばるぞ、むん。

 

 

「……そう言えば藤宮。昨日、ロリコンの盗撮魔が出たって、噂で聞いたんだけど」

 

 一旦家に帰ろうとしてその場を離れかけたのだが、アヤト君の声がつい耳に入ってきてしまった為、足が自然と止まった。

 

「えっ、あたし聞いてない! 衣月ちゃんはだいじょーぶだった……!?」

「大げさ。わたしは襲われてない。あと、そのひと現行犯で捕まったって、噂で聞いた」

 

 あぁ、そこははぐらかすのか。

 確かに同級生に余計な心配はかけさせたくないものな。そりゃそうだ。

 

「い、いやでも、やっぱロリコンとか気をつけた方がいいぜ。ほら、藤宮ってかわ──ねっ、狙われやすそうだろ? よわそうだし……」

「こらアヤトくん!」

「わっ! えと、ちょっ、違くて!」

「まぁ、アヤトが言うことも、確かに一理ある」

 

 同級生の言葉に相槌を打ちながら、曲がり角へ差し掛かる直前に、なぜか衣月が一瞬だけこちらへ視線を向けた。

 

「ロリコンには──気をつけないとね」

 

 そして、また一瞬だけ、小さな笑みを浮かべて。

 彼女は愉快な仲間たちと共に、自らの学び舎へと登校していくのであった。

 

 

 …………完全にロリコン認定されてしまった俺は、半泣きになりながら学園へ登校するのだった。

 

 



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体験版・個別ルート 前半戦

裏の方も書き進めております


 

 

 

「では撮影を始めまーす。ヒーロー部さん宜しくお願いしますねー」

 

 

 衣月にとんでもない事をされた週の土曜日。

 

 俺たちは休日なのにも拘らず学園の制服を身に纏い、部員みんなでとある場所へ訪れていた。

 なにやらテレビ局から出演を依頼されていた番組の撮影があるらしく、それが本日だったらしい。

 やってきたのは特殊魔法研究所という、ショッピングモールに匹敵するほどの大きさを誇る施設だ。

 俺の両親の現在の勤め先でもある。

 

 経緯を軽くまとめると、市民のヒーロー部の一日に密着しつつ、彼らが研究の協力を買って出ている特殊な施設を一部公開──みたいな感じだとかなんとか。

 つまり最後の撮影場所がここであり、番組スタッフから様々な無茶ぶりをされてきたヒーロー部の過酷な一日もようやく終わりが見えてきた、というわけである。

 

「監督、画角調整ばっちりです」

「よーし。じゃあ正門前に七人で並んでもらえるかな?」

 

 当然だが『ヒーロー部』に俺は含まれていない。

 主にカメラに映るのは、部長であるライ会長と黒一点でヒーロー部の顔でもあるレッカの二人。

 他のメンバーは各所での見せ場作りやリアクションなどの担当が割り振られている。カゼコとかは結構な頻度で面白い顔になってたりするので、彼女なんかはこの放送を通して別の意味で人気を獲得しそうだ。

 

「あら? レッカ様、あちらにアポロさんが」

「ホントだ、何してるんだろう。……顔が虚無ってるけど、コクになってたりしないだろうな……?」 

 

 で、この俺ことアポロ・キィはただの部外者である。

 そもそも撮影に付き添って来たわけではなく、こっちは別の事情があって研究所へ訪れている。

 それは衣月・太陽・マユの三人──魔法とは異なる特殊な力を持っている子供たち、の健康診断だ。マユは『子供じゃないし!!』と喚いていたがそこは割愛。

 撮影の話自体は聞いていたものの、現場に鉢合わせたのは偶然だ。

 本当はもう少し早めに帰る予定だったのだが──

 

『対象、拘束します』

「うぎゃああああぁぁぁぁァァァァ゛ッ゛!!!!!」

「太陽、がんばって。マユも追いつかれないよう、ふぁいと」

「ムリぽよぉ~~~~~」

 

 なにやらだだっ広い緑の芝生で、楽しそうな鬼ごっこを続けているので、彼女たちの保護者である俺は帰れずにいる、というわけだ。

 衣月を背負って全力疾走している群青こと太陽くんと、それに追従して滝のような汗を流しながら逃げているマユを追っているのは、とある巨大ロボットである。

 彼らを追い回している巨大ロボットは完全自立思考型アンドロイドであり、誰かの指示がなくても一定範囲内の行動であれば自由に行える優れものだ。あと見た目が怖い。

 

「てか姉さんは自分で走ってよ! 忍者の修行してるしこの中で一番早いじゃん!」

「お昼ごはん食べてお腹いっぱい。なのでお姉ちゃんは動けません」

「こいつ……っ!!」

「ンゴw」

 

 あのロボットのように、この研究所では以前悪の組織が引き越した『超超規模範囲型催眠魔法』が、再び発生しても対処できるような研究が日夜進められている。

 ロボットは主人が催眠されても任務を遂行できるように設計されており、研究所内には他にも目を見張るような実験機たちが数多く存在している。

 ヒーロー部の特番の最後にはもってこいなネタの宝庫であることは間違いないだろう。

 

「……飲みもんでも買ってくるか」

 

 まぁ、俺には関係のないことだ。

 そう割り切ってポケットの中に手を突っ込み、鬼ごっこで喉が渇くであろう子供たちの飲料を買うために、俺は研究所の中へと足を踏み入れるのであった。

 

 

 

 

 自販機はどこなんだろうと所内をほっつき歩いていると、見慣れた光景が目に飛び込んできた。

 

「のっ、ノイズさん。あの、よかったら連絡先を……」

「私で良ければ! こちらこそお願いします、これからも研究所には顔を出させていただきますし」

 

 廊下の曲がり角からこっそり覗くとその先には、俺と同年代くらいの白衣を着た少年が、耳を赤くしながら必死に音無へ迫っている光景が展開されていた。

 流石は有名人だ。

 行く先々でファンやガチ恋勢などにエンカウントしているのか、ああいった人たちの対応は俺でもわかるレベルでプロ級に進化している。

 ぞんざいに扱うでもなく特別扱いしすぎるでもなく、相手が気持ちよく喜べる範囲の対応がしっかり身に付いているようだ。笑顔も自然体で素晴らしい。

 

「オレも魔法学園の生徒でして。休日は……えと、こうして研究所の手伝いをさせてもらってるんです」

「わっ、すごい。それって結構多忙じゃないですか? まだ学生なのに……尊敬しちゃいます」

「そそそっそんなことないですよ! あのっ、こういうの好きなんで!」

 

 少年くん顔が真っ赤じゃないか! 分かるぞ、その気持ち……。

 実際に目の前にするとより理解してしまうのだが、あのオトナシ・ノイズとかいう部員はめちゃめちゃに顔が良い。

 かわいい・やさしい・人当たりがいいの三拍子が揃った究極の存在なので、初対面にもかかわらず連絡先を聞いてしまえるくらい距離が縮めやすいのも納得だ。

 

「あのっ、よかったらノイズさんの忍具を拝見させていただけませんか? もしかしたら改良とか出来るかも……」

「ホントですか? 嬉しい、そういう事なら是非お願いしたいです」

「は、はい! お任せください! ……そ、それじゃあ僕の研究室に──」

 

 そのまま音無と白衣少年は廊下の奥へと消えてしまった。後輩がお持ち帰りされるの初めて見ちゃったな。

 ……いやぁ、それにしてもやっぱりモテるな、ヒーロー部。

 一番露骨に迫られてるのはレッカだけど、球技大会のときに見たアレなんかも加味すると、特にヒカリや音無のガチ恋勢が多い気がする。

 

「あれ、先輩?」

 

 ただのロリコンという扱いにまで降格してしまった俺とは大違いだ。あれ、目から涙が……。

 

「おーい。先輩ってば」

「えっ?」

 

 後ろから声を掛けられたことに気づいた。

 振り返ると、そこには数分前に()()()()()()()()()()()()()の後輩忍者こと、音無パイセンがおりました。

 

「ちょ、えっ、あれ?」

「何ですか」

「お、お前、さっき白衣の男子にお持ち帰りされてたはずじゃ……」

 

 お持ち帰りなんて人聞きの悪いことを言いますね、と呆れた様子で呟いた音無は、わざとらしく印を結ぶように両手を組んで見せてきた。なに、火遁豪火球の術?

 

「分身の術ってやつです。にんにん」

「ヤバ……」

 

 こいつ遂に分裂できるようになりやがった。

 頼むから人間は辞めないでくれ。

 

「つい最近ようやく習得したんですよ。これで忙しい時でも分担作業できます、ふふん」

「じゃあこっちがニセモンか」

「え。いや、私が本物ですけど……」

「──っ!? お、おまえなんてことを!」

 

 自分にガチ恋してくれてて武器の改良まで申し出てくれた純情な少年に偽物を充てて、適当にほっつき歩いてる俺に本物をよこすのは完全に配分ミスだろ! 今からでも入れ替わったほうがいいよ!

 

「だ、大丈夫ですって。分身とはいえ思考レベルは同程度ですし、あと数時間は消滅しませんから」

「そういう問題じゃなくない?」

「しょうがないでしょ。ヒーロー部って世間から必要以上に持ち上げられちゃってる感ありますし、ああやって躱す手段も必要なんですよ」

「……そ、そうか……そうなのかなぁ……」

「そうなんです」

 

 俺は有名人とかじゃないから、その苦労が分かんないや……。

 

「氷織センパイだって氷人形で分身作ってるし、学園の外に出るときはみんなそんなもんですよ」

「じゃあ、これからはヒーロー部の皆と話すときも偽物かどうかを疑わないといけないのか。なんてことだ」

「……一応言っときますけど、私含めてヒーロー部のメンバーは、先輩と一緒にいるときは皆さん絶対に本物ですよ」

「え、なんで?」

 

 聞き返すと音無がガクッと肩を落とした。

 

「あなたこっち側の人間でしょ……?」

「…………あ、うん」

 

 そうだった。

 えへへ、と愛想笑いして誤魔化しておく。誤魔化せてるとは言ってない。

 いや、だって最近のヒーロー部はマジで周囲の扱いが一般人を超越した”向こう側”って感じだったから、いつの間にか俺もそういう目で見ちゃっててもおかしくはないだろ。有名人すぎるんだよ君たち。

 

「……ていうか撮影は?」

「んっ」

 

 音無は返事代わりに廊下の先を指差した。

 そこには──

 

「フウナフウナ♡ ほら早くこっちへ来なさいな♡ お姉ちゃんがひざ枕して耳かきしてあげるわ♡」

「たすけてーっ!! 場を弁えない変態実姉に襲われてますーッ!!!」

 

 なにやら地獄のような光景が繰り広げられていた。

 

「大変ですライ部長! あのカゼコが強力な催眠魔法の範囲下に!」

「落ち着くんだレッカ部員。こんな時こそ研究所から預かっていたあのアイテムを使うときだ。じゃじゃん」

「さすが部長ッ!」

 

 ……テレビの撮影って大変なんだなと思いました、アポロ・キィです。よろしくお願いします。

 あいつら今後テレビの撮影の話が回ってこないようにわざとはしゃいでない?

 

「というわけであの撮影が終わったら、部長とレッカさんで締めの挨拶をやって終了。私や氷織さんたちの出番も終わってますから、あとは随時解散って感じですね」

「リアクションうすいな……じゃあ、もう帰るの?」

「折角ですから研究所を見て回りましょうよ。氷織さんとヒカリ先輩も見学してるみたいですし」

 

 意外にもすぐに帰りたいわけではなかったらしい。

 俺も両親が現在どんな研究をしているのかは気になるところではあったし丁度いい機会だ。

 では、レッツゴー。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

 いろいろな研究室を見て回った。

 

 催眠されたら即座に『自分は催眠されたと自覚させ別の行動を取らせる催眠』で上書きするという、なんかもうよく分からない事になってる魔法をかける眼鏡など、割と面白いものを沢山見ることができて概ね満足だ。

 音無の分身の件も上手いこと誤魔化しきれたらしく、マユたちの鬼ごっこも終わって懸念点が無くなりスッキリした。

 あとは帰るだけ──というところで一つ気づいたことがある。

 

「……そういえば両親の研究見るの忘れてた」

「寄り道ばっかりしてましたからね」

 

 音無と二人で歩いているせいかよく声を掛けられ、その度に彼らの研究を拝見するハメになっていたため、それが積もりに積もっていつの間にか本来の目的を忘れてしまっていた。

 マユ辺りが『早く帰りたい』とゴネる前に、ささっと顔を出しに行くとしよう。

 

「父さん、お疲れ」

「おやアポロ。まだ研究所に残っていたのかい……っと、音無さんもいらっしゃい」

「どうもお久しぶりです。お邪魔しますね」

「母さーん! アポロと音無さんが来たぞー!」

「はいはーい」

 

 数分歩いて到着した研究室は、いままで立ち寄ったどの部屋よりも面積が広く、他の部屋が学校の教室一つ分だとしたらここは体育館くらいの広さがあった。

 こんな巨大な施設を任されるなんて、ウチの両親この研究所でどれ程の地位にいるのだろうか。もしかしてえらいひとなのかな。

 親父に声を掛けられた母さんが遠くからこちらへ向かってくると同時に、音無が部屋の奥に鎮座する巨大な装置に気づいて感嘆の声を漏らした。

 

「ふわぁ、すっごい大きい……」

「コレって何の装置なんだ?」

 

 聞くと、親父は白衣をバサァっっと翻しながら声高らかに宣言した。恐怖のマァッドサイエンティストかな?

 

「これは未来予測装置さ! 使用者の脳を解析し、あり得たかもしれない未来、もしくはこれから起こるかもしれない未来を映像として算出するのだっ!」

 

 お父さんたのしそう。

 

「まだ試作段階だけどね! 試しにやってみるといいよ!」

「えっ、ちょっ、何だよ母さん頭に変な装置つけないで……!」

「まぁまぁ物は試しって言うじゃない。頑張ってアポロ」

 

 うちの両親こわい!

 

「せんぱいがんばれー」

 

 ……頑張る!

 

 

 

 

 俺が見た未来はいわゆるIFルートと呼ばれる様なものだった。

 

 前提が異なる可能性の未来の事だ。

 めちゃめちゃリアルに体験できたせいか現実との境界が曖昧になってしまうところだった。

 それほどまでに高クオリティでプレイする事が出来たIFの未来──その一部を振り返ってみよう。

 

「……別に、コクさんが好きだからって理由だけで、こうして一緒にいるわけじゃないんですよ?」

 

 一番最初に見た人物は風菜だった。

 なにやら俺はアポロの姿で、俺たちは二人きりで夕方のバスに乗っていた。

 何だコレどういう状況なんですかと質問する前に、俺の手に彼女の手がそっと重ねられて。

 

「キィ君。あんまり他の女の子に現を抜かしちゃイヤです。ちゃんとあたしの事を見てください」

 

 なにやら独占力全開の風菜に終始振り回されてしまい、このルートの俺がどういう道筋を辿ったのかを聞くことは出来なかった。

 まさかあの控えめな風菜をここまで変えてしまうだなんて、この世界線の俺は一体何をしでかしたのだろうか。

 

「あっ、そういえば男性器を生やす魔法が完成しましたよ!」

 

 それから風菜はとんでもない事も口にしていた気がする。

 

「これでようやくコクさんを満足させてあげることができますね……いやいや、キィ君の事も勿論考えてますってば。ちょっと一回試してみませんか? いや大丈夫! キィ君が初めての時にあたしに優しくしてくれたみたいに、こっちも最大限優しくしますから! ねっ! お尻使ってみませんか!!」

 

 急に目をキラキラさせ始めた頭イカレ女に大変なナニかをされる前に、俺は装置によって自動的に別の世界線へと飛ばされるのであった。

 正直ここにはもう二度と来たくない。

 

 ……

 

 …………

 

 お次はバスではなくヒーロー部の部室だ。

 まるで円卓会議のように全員が座って集結しており、何故か俺の隣にはライ会長が座っている。

 直前まで何かを話していたのか、既に会長は耳まで真っ赤で顔を両手で覆い隠していた。

 状況を飲み込めない俺を前に、氷織が話の続きを切り出した。

 

「あのですね部長? アポロ君と仲が良い事自体は大いに結構なんですよ。私たちも後押しをした身ですからそこに文句はありません」

「はい……」

 

 叱られてる子犬の様な反応を示すライ会長。

 あの厳格で頼りになる会長がどうしてこんな赤面して追い詰められる事態に……?

 

「でも()()は部室なんですよね。……再三になりますけど二人の事は応援しています。でもやっぱり節度は守ってほしいと言いますか……というかバレないようにやってほしいというか」

「はい……申し訳ありません……」

 

 おっと氷織の口ぶりからして嫌な予感がしてきたな?

 会長が真っ赤になってるのもだいたい予想できた気がする。

 こ、こっ、これはまずい世界線だ。

 

「──放課後のこんな時間に部室でえっちしないでください!!」

 

 ヒェーッ!!!

 

「お姉ちゃん……」

「その目はやめてあげなさいフウナ。……わたしはあまり二人の事を怒る気にはなれないわ」

 

 ひぇっ、ひぇぇ……。

 どうしてこんな事になってるのこの未来……。

 

「二人が愛し合ってるのを目撃しちゃった私とヒカリはどんな顔すればいいんですか!」

「お、落ち着いてくださいまし、コオリさん。お二人とも十分に反省なされてますし……」

「ダメだよヒカリ! もし部室の扉を開けたのが部員以外の人だったら大変なことになってたんだよ!? 分かってるんですか部長! 部室はえっちする場所じゃないんです!!」

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 というかあのライ会長をこんな事態に陥らせるほど、俺は彼女を攻略しきっているという事になるのだが、そのビジョンが全くと言っていいほどイメージできない。

 

 さっきの風菜といい今回の会長といい、まるで俺がエロゲの主人公になったみたいだ。

 IFルートというか、完全に部員の中の一人を攻略した個別ルートみたいになっている。なんてものを見せやがるんだ、あのクソ未来予測装置。

 部室で情事に及ぶのは発情しすぎじゃないかな……? これ俺と会長のどっちから誘ったんだろう。というか本当にあり得る未来なのかコレ。試作段階とか言ってたし絶対バグだろ。

 

「CG回収は捗ったかい、ポッキー」

 

 レッカにこんなこと言われる世界線は嫌だ。

 何で俺が茶化される側に回ってんだ。

 

「す、すまないアポロ。私が転んでしまったばっかりに……パンツを見たキミを興奮させてしまって……こんな事に」

 

 発情したの俺かよ!? 場を弁えろよ俺ぇ……ッ! 本当にエロゲみたいな青姦してんじゃねぇよ俺……ッ! ひぃ……っ。

 

 ──あっ、視界が歪んできた。また別のルートに移動する合図だ。

 ヤダ、もう見たくない! 修羅場というか恥ずかしい場面が多すぎる! 現実に帰りたいよぉ!!

 

 



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体験版・個別ルート 後半戦

 

 

 

 気がつくと、俺は南の島の浜辺に座り込んでいた。

 

 辺り一面にはスカイブルーの美しい海が広がっており、白々とした砂浜と相まって、そこはまるで旅行雑誌に掲載されているリゾート地のようだった。

 身に付けている服は、いつもの学園制服ではなく、半袖に半ズボンといった如何にも夏っぽい衣装で。

 どうやら海を眺めて物思い気に黄昏ていたらしい俺の背中に、突然誰かの声が掛かった。

 

「アポロ君」

 

 聞き覚えのある女性の声だった。

 振り返った場所にいたのは──水色髪の少女。

 軽そうな純白のワンピースを見事に着こなした彼女は、腕を後ろに組みながら、花のような明るい笑顔を湛えて俺の前に立つ。……あ、ワンピース透けてパンツ見えそう。

 

「ご飯できたよ。昨日採れたトマトを使って、スープ作ってみたんだ」

「……それは楽しみだな」

「えへへ。いこっ」

 

 差し伸べられた彼女の手を握り、海辺を後にする。

 俺を連れて前を進む彼女の名は”コオリ・アイス”。

 あくまでもレッカのヒロインであり、この俺とは親しみが深い友人でしかない()()()彼女が、なぜか俺に対してレッカに見せるような満面の笑みで接しているのが、現在の状況である。

 

 しかし、ツッコミはしない。

 どうせこれがシミュレーターによる夢みたいなモンなら、自動的に別の世界線へ飛ばされるまで、もういっそ開き直って適応してやろう、と考えたわけだ。反発して無駄に疲れたくないないしね。

 

「私たちがここに来て、もう半年かぁ」

 

 マジ? 二人だけで六ヵ月も旅行してんの。

 それはもはや旅ではなかろうか。

 

「……いっ、いろいろあったよな、この半年間」

 

 全くもって何も覚えてない、というか元から知らない為、この世界線での出来事を調べるべく、探りを入れるように露骨な反応をしてみた。

 手を繋いで隣を歩く氷織は、別段怪しむ様子はない。

 

「そうだね、いろいろあった。……やぁー、ホントに大変だったなぁ。脱出ポッドで雪山に遭難したときは、どうなる事かと思ったよ」

「あぁ……あー、そうだな、懐かしいなそれ」

 

 脱出ポッドで雪山に遭難──というのは俺も知っている。

 それは俺が実際に歩んだ道筋の中でも発生したイベントだ。

 

 確かコクを風菜が好きになって、彼女と衣月の三人で悪の組織の支部から、攫われたヒーロー部の皆を助けに行った、またその後の出来事だったはず。

 支部が建物ごと大爆発することになったから、みんなで地下の脱出用ワープポッドに乗り込んだんだ。

 で、肝心の脱出ポッドは一人用。

 しかし俺と氷織が脱出できていない時点で残っていたのが残り一つだったから、狭い場所に無理やり二人で乗り込んでワープした。

 

「最初はみんなと同じ場所に行けると思ったのに……私とアポロ君だけ、ぜんぜん違う場所に着いちゃうんだもんね。びっくりしちゃった」

「氷像になるかと思うくらい寒かったな、あそこ」

「ほんとだよ!」

 

 行き先をランダムにしていたせいで、到着したのは人間はおろか生命や植物すら存在しない、数分で凍死するレベルの極寒の大地。

 そこで暖を取る為に、お互いにポッドの中で半裸になって抱き合いながら励まし合い、過去やレッカとの馴れ初めを語り明かして仲を深めた──んだよな。

 

 覚えている限りではそんな感じだ。

 全くもって親しくなかった氷織と、改めて友人になったイベントだったから、記憶には強く刻まれている。

 しかし沖縄へワープした後は……こう言っては何だが、彼女と深く関わる機会は多くなかった。

 だから氷織との個別ルートなんて、これっぽっちも予想していなかったのだ。意外過ぎて腰が抜けそう。

 正直に言うと、この時点で早く別の世界線へ逃げたい気持ちになっています。たすけて!

 

「寒さでポッドも壊れちゃって、またランダムにワープしたら、ここに来て」

「……あぁ、寒暖差ヤバいよな」

 

 ちくしょう、適当な事しか言えねぇ。

 このままだと怪しまれそうだし、ここは思い切って俺から行こう。周囲の状況や彼女の話から、現状のある程度の予想はついている。

 

「ずっと昔に住む人がいなくなった孤島で、二人きりのサバイバルー……ってか。俺たちよく生き延びられたな……」

「最初は毎日忙しかったね。飲み水を確保するだけでもやっとだったし」

 

 どうやら見事に的中したようだ。

 先ほどから廃れた建物や荒れ果てた田んぼなどが散見されるため、もしやと思って言ってみたわけだが、やはりここは単なる無人島ではなかったらしい。

 自分たちが着ているこの服も恐らくは島に元からあった物だろう。

 

「少しずつ生活を良くしていって……この島に逃げて来た悪い人もやっつけて。私たち本当に高校生なのかな?」

「はは、他にはいないだろうな」

 

 悪い人って誰の事だ。感慨深そうに復唱すれば補足してくれるかな。

 

「……悪い人、か」

「やー、まさかヒーロー部のみんなと引き分けになった後、この島に逃げてくるなんてね。警視監の人とか、ボスの人とか、わたしたち二人だけで倒せてホントによかった」

 

 あいつらこのルートだと無人島に逃げ込むんかい。

 ていうか颯爽と世界を救ったあのヒーロー部も、この世界線じゃ引き分けで終わっちゃうのか。世の中甘くないね。

 でも最後は俺たちが倒したわけだから、結果的に悪の組織の魔の手からは解放されているのかもしれない。

 

「……あのときのアポロ君、かっこよかったよ」

「や、やめろよ、恥ずかしいって……」

「あはは、照れてるんだ~」

 

 オイオイ待て待て、これはとってもおかしくないですか。

 前回までの風菜やライ会長と比べて、あまりにも正統派というか普通の彼女として馴染みすぎでしょ。何だ今の流れるようなイチャイチャは。

 この子レッカのヒロインなんだぞ。

 あのクソぽんこつ未来予測装置、マジで内容も人選も節操がなさ過ぎるだろう。

 

「…………ねぇ、アポロ君」

「ん?」

 

 俺たちの現在の住処にしているであろう民家が見えてきたその時、氷織が小さく呟いた。

 何気なしに彼女の方へ向くと、そこには頬にほんのりと赤みを帯びている水色髪の少女がいた。

 

「きっ、昨日のやつでも……その、的中したとは思うんだけどさ」

「お、おう……?」

 

 そして彼女は自分の下腹部を優しく手でさすりながら、柔らかな……ともすれば恍惚とも捉えられるような、そんな微笑を浮かべて、一言。

 

「ご飯のあと……また、しない?」

「……は、はい」

 

 その言葉で全てを察した俺は半ば思考停止に陥りながら、彼女に手を引かれて自宅へ足を踏み入れていく。

 いや、もう、本当に深くは考えないぞ。

 これは無限に存在する可能性の中の一つなんだから、あり得ない話じゃないんだ。

 だって若い男女二人だけで、こんな誰にも頼る事が出来ない孤島に閉じ込められたんなら──ダメだ、やめよう。俺が言い訳できる立場じゃない。

 

「アポロ君。ヒーロー部のみんな……怒る、かな?」

「……怒ってくれたらいいな」

「っ! ……そうだね、うん。怒ってくれるくらい、想ってくれてたら……うれしいね」

 

 ごめん、れっちゃん。

 本当に申し訳ありませんでした。

 何もしてないけど、ナニかをする可能性があったことをここに謝罪いたします。腹切って詫びます。

 

 あっ、視界が歪んできた。待ってました! あと何回で終わるんだろうコレ……? 帰りたい……。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

 その後、立て続けにヒカリとカゼコの個別ルートも体験してしまった。重ねてお詫び申し上げます。

 

 雪山での遭難というきっかけがあった氷織ならまだしも、完全に本当に全くもってこの二人とはそういう仲にならないと思っていたのだが、そうは問屋が卸さないらしい。

 可能性という言葉、あまりにも恐ろしい。

 カゼコは俺がコクとして風菜を利用しようとした線から『あんたヒトの妹に何してくれてんのよルート』に分岐し、ヒカリはコクを始めたばかりの頃に、誘いを断ったあの”お茶会”からの正体バレできっかけを作って個別ルートを展開していった。

 

 どちらも冷静に考えたら前提条件が無茶苦茶なシチュエーションだった、という事だけは覚えておこう。

 少なくとも現在俺が歩んでいる世界線では、間違いなく発生しえないルート分岐であることは確かだ。

 今のアポロ・キィに近い未来はいつ来るのだろうか──

 

 

 ……

 

 …………

 

 

 気がつくと、豪華な装飾が施された、広い食堂のような場所に俺はいた。

 

 目の前には大きなテーブルに、これでもかという程敷き詰められた料理たち。

 俺ですら目の当たりにしてすぐ高級そうな料理だと判断できるくらいには、目の前の状況が異質だった。

 

 ふと、前を向く。

 そこには雪のような白髪を揺らす、()()()な少女が座っていた。

 

「……衣月」

「…………料理、冷める」

 

 目の前にいる彼女に、突然キスをしてきたり怪しげに笑ったりする感情豊かな現在の、あの成長した彼女の面影は見受けられない。

 過酷な旅をそのまま続けたような、まるで感情を摩耗しきってしまったような姿だと思えてしまった。

 ──瞬間、脳内に溢れ出した、()()()()()記憶。

 それによると、現在の状況は至ってシンプルだという事が判明した。

 

 警視監を殺したあと、組織の刺客から命を狙われ続ける孤独な旅に、衣月もついてきた。

 なんとか男に戻れた後も奴らは追ってきている。

 ただ、それだけの事だったらしい。

 

「衣月これ……なんて言って注文したんだ」

 

 後ろにはニコニコと笑顔を浮かべる、コック帽をかぶったシェフとウェイトレス。

 窓の外からは海や隣接しているホテルのような建物が見えた。

 おそらくここはあのホテルが所有しているレストランだ。

 

「精がつく料理。最上級のものを、四人前」

「俺たちは二人だ。……ただでさえ歳の離れた二人組なのに、怪しいだろ?」

 

 このホテルはとある暖かい地域に存在している。

 組織からの追手の目が届かなさそうな場所を選んだ結果、そうなった。

 もちろん誰も来ないという確証はないが。

 

「東京を発ってから、紀依はずっと戦ってた。ろくに食事をとれない日も、多かった」

「……衣月」

「ここは安全。今はゆっくり食べて。紀依に教えてもらった探知能力で、見張りはわたしがやっておくから」

「…………ありがとうな」

 

 こんな道も確かにあったのかもしれないと、一人で追手から逃げていた日々を思い出しながら、俺は目の前にある料理たちを頬張っていく。

 それに倣うようにして、衣月も細々と箸を進めた。

 

 衣月が自分からついていくと言い出したのか、はたまた俺自らが彼女を連れ出したのか──そこだけは分からなかったが。

 ただこれまで見てきた世界線の中で、この物静かな空間こそが、最も”あり得た”可能性の世界だと思えてしまった。

 

「……んっ。衣月、胸ポケットから何か出てるぞ」

「これ?」

「ン゛ッ!!」

 

 彼女が胸元から取り出したそれを見て、思わず飯を吹き出しそうになってしまった。

 何とか堪えて水で流し込み、涙目になりながらその物体について疑問をぶつける。

 

「なっ、なんで、ゴム……っ!!」

「受付の人にもらった。もしもの時はコレを、と」

「あまりにも余計なお世話過ぎる……ッ!!」

 

 彼女が手に取ったのは、包装された小さな避妊具のそれであった。間違えても食事中に見るもんじゃない。

 たとえシリアス感が漂う二人ぼっちの孤独な旅をしていても、結局俺はロリコン扱いされてしまうんだな──と悲しみながら。

 

 揺れる視界の中で意識が途切れるその直前まで、自分に付いてきてくれた少女のことを見つめ続けるのであった。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「何ですか、先輩」

 

 学園にある、使われていないどこかの教室。

 

 目の前にいる音無は何故かメイドのコスプレをしていて、俺は彼女を壁ドンしている。

 教室の窓の外から見えるのは、飲食物やパンフレットのような物を持ちながら歩き回る、まるで夏祭りを彷彿とさせる人混みの光景だ。

 そして衣月の時と同じように、存在しない過去の記憶が断片的に流れてくる。

 

 これは学園祭。

 俺が通う魔法学園の文化祭だ。よく目を凝らせば音無以外にも、変な格好をしている連中は各所に見受けられる。

 

「……ぁ、あのですねぇ」

 

 そして今、俺が音無を誰もいない教室で壁ドンしている事をようやく思い出した。

 音無は恨めしそうな顔をしながら、頬を赤らめている。

 

「そっ、そうやって直前に怖気づくぐらいなら、最初から襲わないでくださいよ……! びっくりしたなぁ、もう……っ」

 

 俺から顔を逸らしながら、突っぱねるように文句を口にする音無は、どうやら本当に怒ってるっぽかった。

 状況から察するに、恐らくはライ会長の時と同じく発情した俺が、音無をこの人気の無い教室まで連れ込んで、真昼間にもかかわらず迫っていたのだろう。いい加減にしろよアポロ……。

 

 まぁ、無人の教室での壁ドンという点を除けば、この状況自体は俺の世界線でもあり得る未来だ。

 魔法学園祭は本当に来月くらいに開催するし、高校生の文化祭であればメイド喫茶を開いても不思議ではない。

 壁ドン以外で不穏な点があるとすれば、俺が彼女を()()()()()()()()()関係にあるという事だ。こんなのもう確定で個別ルートじゃないか。

 

「あの、何もないなら私もどりますから」

「駄目だ」

「えっ? ──ひゃぅっ!」

 

 壁ドン、もう一回。

 

「なっ、な……っ!?」

「怖気づいてなんかないさ。……メイド姿の音無、本当にかわいいな」

「やめっ、何言ってるんですか先輩……っ!」

 

 ふふふ、ここは夢のような世界。

 なればこそ遠慮する必要はないのだと、ここに来て遂に理解してしまったのだ。

 俺がこの場で音無に手を出そうとそれは夢の世界での出来事。捕まりもしなければ罪を問われる道理もない。……かっ、かんぺきだ!

 

「だれか、来ちゃいますってぇ……」

「邪魔者なんて来やしない。俺に索敵能力がある事を忘れたのか?」

「こっ、こういう事に使うものじゃないでしょ!」

 

 俺の脳から算出しているだけあって、本物の彼女よりは何だかチョロそうな雰囲気になってしまっているが、この際そんな事はどうでもよい。

 これは夢だ。

 ただの夢だ。

 自分の夢なら何をしたっていいんだぜ。

 

「かわいいぜ、音無」

「やっ、せんぱい……っ」

 

 キザな台詞を吐いても恥ずかしくないもんねー!! だって誰にも観測されてない俺だけの世界だからねーッ!!

 へっへっへ、覚悟しろよ後輩忍者ァ!

 

「……せ、先輩?」

 

 ──あっ、やば、時間切れだ。

 

 ウソだろ承太郎! 今からが本番なのにそれはないだろ!?

 あぁっ、嫌だ、視界がぼやける!

 せっかくの夢がぁ!! 俺の夢がぁぁァッ!!

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「コクだけじゃない。その姿のキミも……かわいいよ、ポッキー」

「おわあああああああああぁぁぁぁぁぁッ!!!!?」

 

 これは夢だ!! 夢なんだぁ!! 

 夢なんだから早く覚めてェッ!!!

 

「緊張してるのかい? 大丈夫だよ、ほら僕に任せて……」

 

 あ゛あ゛ア゛ぁ゛ぁ゛ァ゛ァ゛ッ!!! たすけてぇ──ッ!!!

 

 

 

 

 

 

「──ッ!?」

「あっ、起きた」

「……はぁっ、はっ! ……ま、マユぅぅ゛」

「よしよし、怖かったねアポロ」

 

 

 合計で体感は二時間弱。

 ようやっと戻ってきた汗だくの俺を待っていたのは、ベッドの隣に座ってスマホを弄っているマユだけであった。

 彼女に片手間で頭を撫でられながら周囲を見渡すと、自分の居る場所が医務室だと理解できた。

 あの恐怖のムァァッドサイエンティィストなアホ両親の姿も無く、ここには俺たち二人だけだ。

 はぁ、あぁ……ほんっっっとうに、疲れた。

 

「ど、どうなってる?」

「えっとねー」

 

 頭を撫でるのをやめて再びスマホゲームに熱中しつつ、マユは抑揚のない声で俺に現状を説明してくれた。

 

「試作機のテストを勝手に部外者で行ったアポロのパパとママは、所長からすんごい説教されてる」

 

 ざまぁみやがれクソッタレ。もう二度とやらねぇからな、あの装置の実験体なんて。

 

「脳に異常は出てないから安心して、だって」

「そ、そっか……あれ? ヒーロー部の皆は」

「自分のスマホ見ればわかるよ。はい」

 

 彼女に手渡されたデバイスの画面を付けると、とあるアプリの通知のメッセージが数件届いていた。

 

 アプリの名前は『市民のヒーロー部:公式』であり、このアプリは時折ヒーロー部に対してのお悩み相談メールや、お助け依頼などが舞い込んでくるものだ。

 このアプリ自体は一年前からずっとあるもので、今現在はイタズラメールや不埒な輩からの変な依頼だけ知り合いのプログラマーに対処してもらい、市民のヒーローとしての依頼は通常通り承っている。

 そもそもこのアプリは広告もしていなければ、テレビにも取り上げられていない、存在自体があまり認知されていないものなので、依頼の量自体は微々たるものだ。

 

 一般用と部員専用の二つがあり、通知があったのは部員専用の方。

 内容は『迷子のネコさんを探そう! ~最初に見つけられるのは誰だ選手権~』とのこと。ちなみに毎回依頼のタイトルを書いてるのはライ会長だ。文面だと口調柔らかいんだよな、あの人。

 

「……あぁ、なるほど。みんなもう街に戻ったのか」

「衣月と太陽くんも帰ったよ。で、その依頼アポロもやるの?」

「おう。一応俺も部員だしな」

 

 要約すると家から逃げ出した飼い猫探しである。

 いかにも昔のヒーロー部が請け負ってた依頼っぽくて、逆にワクワクしてるくらいだ。やらない理由はない。

 

 

「──そういえばだけど、アポロはどんな未来を見てたの」

 

 スマホをポケットにしまい込んだマユの一言だった。

 こいつに対しては隠し立てをするような関係でもないし、正直ずっとモヤモヤしてから、全部話してスッキリしてしまおう。

 ……というわけで、彼女にほとんどの事を明かした。

 

「って感じだな」

「はぇー」

 

 リアクション薄いなお前……。

 

「夢の世界なら童貞じゃないんだね、アポロ」

「もしかしてケンカ売ってる?」

 

 キレそうだがここは抑えよう。

 確かに夢の中では”経験”をしたわけだが、そのどれもが結局は記憶には存在していない。

 音無も衣月も……一応レッカも、最後は未遂に終わったため、俺は何も得ていないし失ってもいないのだ。その事を素直に喜ぼう。

 

「……ね、私は?」

「えっ。……そういえばいなかったな、お前」

「うわぁん、仲間外れだぁ~」

 

 泣き真似すんなよ、気味悪いな。

 

「……確かに、いなかった」

 

 思い返してみれば目の前にいるこのロリっ娘は、個別ルートはおろかどの世界線にも、一度たりとも登場する事は無かった。

 現実に戻ってきてようやくそれを実感できるくらい、違和感が皆無だったことに、今ようやく気がついている。

 まるでこの世界にマユなんて最初からいなかった、みたいな扱いをしてたな。あのクソぽんこつ未来予測装置。これだから試作機は。

 

「そういやマユ。健康診断の結果は?」

「概ね問題なしで栄養状態もバッチリ。ただアポロパパによると、やっぱりまだ()()()()()()()()()()()は分かんないって」

 

 彼女は相も変わらず眠そうなジト目のままで、感情の起伏がどうも読み取れない。

 

「……やっぱ気になるか」

「いや、割とどうでもいいけどね」

「オイ」

 

 あっけらかん。

 俺のシリアス顔を返せ。

 

 

 ──マユの出生は未だに判明していない。

 現時点で判明しているのは、瀕死になった俺を助ける際に使用された勇者の力や、体内に残留していた魔王の力のほとんどが、マユの体内の方へ移っている、という事だけだ。

 魔王だとかペンダントの魔力だとか、一度は長々と語ったがしょせんは全て憶測の域を出ない。

 過去の資料などを漁っても類似例などたった一つも存在せず、現状は分からずじまいで進展もしていない。

 

 いつのまにか、そこにいた。

 俺のそばで眠っていた。

 それ以上は分からない。

 

 怪我は自在に治せるが、人間として生きるために必要な栄養エネルギーは摂取しないと活動できない。

 というか普通に餓死するらしい。

 その点から考えると彼女はバケモノなどではなく、特殊な力を持った普通の人間という事になるのだが、詳しいことはこれからに期待といった感じだ。

 

 

 ……そもそもマユ本人があまり気にしていない事だから、無理に掘り下げる必要はないのかもしれないが。

 

「それより何で私が出なかったの。出てきたら音無と同じくセクハラくらいはするつもりだったんでしょ」

「とんでもない言いがかりは止めなさいよ」

「嘘つき。むっつり」

「静かにしてください」

 

 そもそも壁ドンしただけで、セクハラに関しては未遂だからな! ……そういう問題ではないか。反省しよう。

 

「ほらほら、ロリ巨乳だよ」

「膝の上に乗るな」

「ロリだよ」

「何でそっちのほう強調するの。ねぇ」

 

 てか数時間前に『私子供じゃないし』とか言ってたよねあなた。

 

「なんだー、さわる勇気もないのかー、どうてー」

「コイツ……」

 

 この女あまりにもウザ過ぎる。

 そんなんだから夢の中ですらヒロイン扱いされないんだぞお前?

 まずはそのメスガキ成分から更生していきましょうね。

 

「じゃあ二度と生意気な口が利けないよう、徹底的に揉んでやるぜ」

「なにっ」

「貴様の顔面のほうをな」

「ほ、ほっぺだとォーッ」

 

 数分間にわたって頬をムニムニしてやったら、ついにマユは静かになった。

 というか撫でられてる猫みたいに、目を細めて喉を鳴らしてた。これからこの女を黙らせるときは毎回こうしよう。

 

「にゃーん」

「お前は猫じゃないんだよ」

 

 彼女の頬を揉んでいても、やはり邪な感情が湧いてくるような気配はない。

 未来予測装置のせいで多少は感覚麻痺させられてしまったが、ブレーキを見失ったワケではないようだ。

 

 これまで見てきた様々な個別ルートは、要するに機械が俺の脳を分析して作り出していた幻想だったわけだが、ハーレムルートのようなあまりにも破綻した物語などは出てこなかったあたり、俺も最低限の理性を働かせることは出来ていたらしい。安心しました。

 

「アポロ? みんなを侍らせるハーレムルートは本当に見なかったの?」

「いや無かったよ」

「現代日本でハーレムは作っちゃいけないんだよ」

「……だから無かったって。あんまりうるさいとほっぺ揉むぞ」

「十倍返しのデコピン、いきます」

「は? ちょ、まっ──あ゛ァっ!!」

 

 



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ラブコメ主人公ムーブで自尊心を満たそうチャレンジデー

 

 

 

 個別ルートを体験したその翌日。

 

 日曜日という事もあってか、完全にだらけきっていた俺は、自室で仰向けに寝転がりながらスマホを弄って暇をつぶしていた。

 ちなみに俺の上にはマユがうつ伏せの体勢で乗っている。

 重い重いと文句を垂れるこっちの事などつゆほども気にせず、俺の上で漫画を読みふける彼女はさながらナマケモノ。

 本を読むだけなら密着しなくてもいいというのに、まったく勝手な女だ。

 

「なぁマユ、なんの本読んでるんだ」

「アポロママにお小遣い貰って、昨日買ったやつ。アポロも読む?」

「さんきゅ」

 

 試しに本を借りてみても、相変わらず退く気配はない。もう諦めよう。

 彼女から手渡された本を読んでみると、絵柄からしてそれが少年漫画である事が分かった。

 少し意外だな、と思いつつ読み進めていると──

 

「……お前、何で少年誌のハーレムものなんか読んでんの?」

 

 至極単純な内容の漫画であることが判明した。

 彼女が没頭していたのは、よくある学園ラブコメだ。

 自称なんの取り柄もない少年主人公と、彼に好意を抱いている多くのヒロインたちが織り成す、ちょっとえっちなドタバタ学園ラブコメディ。

 こう……なんというか、一昔前って感じの印象だ。

 数年前に見かけたことのあるタイトルだし、確か本誌ではもうとっくに完結している。

 少なくとも女の子が夢中になって読むタイプの漫画とは思えないのだが、これも多様性か。

 

「自己投影してハーレム学園ライフを楽しんでた。わたしはモテモテ」

「めっちゃ純粋に楽しんでいらっしゃった……」

 

 今どきの中高生でもそんな真剣に自己投影はしないと思う。純粋な子だねあんたは。

 だいぶ前にチラッと読んだ程度の漫画という事もあり、ペラペラと続きを読んでいくと、僅かだが世界観に引き込まれた。

 設定はありがちだが、有名な少年誌で長期連載をしていただけあって、テンプレの内容でもこれがなかなかどうして面白い。

 

【く、くっそぅ……! どうしてアイツがあんな美少女たちにモテるんだ……!】

【羨ましい……】

 

 懐かしいシチュエーションが出てきた。

 特にこれといった特技もなく、別段イケメンでもない主人公が、物語後半には既にモテモテになっていて、経緯や事情を知らない周囲のモブや男子キャラたちが悔しがる、という古き良きシチュである。

 改めて見返してみると、こんな露骨に悔しがる男子なんて、学園で一番の美少女とかいう謎の立ち位置にいるヒロインくらいファンタジーな存在だなぁと感じる。

 

「それ、気持ちよさそう」

「は? ……えっ、これが?」

 

 美少女ヒロインたちに囲まれてる場面じゃなくて、男子たちが悔しがってる場面を指してマユが呟いた。

 

「優越感スゴそう。有名な人たちに自分だけが特別扱いされて、他の男の子たちが悔しがってる姿を見るの、自尊心が満たされる」

「性格悪いな……」

「でも、アポロだって同じ気持ちでしょ」

「理解できてしまうのが悔しい」

 

 そりゃ有名人から特別扱いをされたら、否が応でも嬉しくなってしまうというものだろう。

 他の人間たちから嫉妬の眼差しを向けられるのは、個人的には居心地が悪そうだとも思ったが、悔しがっている姿を眺めること自体は確かに楽しいかもしれない。

 

「やろうよ。暇だし」

「何を?」

「それ」

「……どれ?」

「これ」

 

 俺から漫画を取り上げたマユが、男子生徒が悔しがっているコマを指差しながら俺に見せてきた。

 それをやるってどういう事なの……。

 

「ヒーロー部って十分に有名人じゃない?」

「そりゃまあ」

 

 街を歩けば握手なり写真なりを求められる大物だ。冷静に考えるとあいつら大変そうだな。

 

「アポロはヒーロー部のみんなと親密な仲で、なおかつほとんど知名度がない」

「ただの学生なんだから、知名度なんてあるワケないな」

「じゃあ出来るよ。公衆の面前でヒーロー部の誰かとイチャつくだけで『だ、誰だあいつ……何であんなやつが……』って、みんなを悔しがらせることができる」

「本気で言ってる?」

 

 とっても悪趣味な遊びですね!

 ちなみに学園ではレッカとよく話しているが、肝心の俺は有名人に構ってもらってるモブ扱いをされてるため、その作戦は失敗すると思われる。

 

「レッカとじゃなくて、女の子たちとだよ。人が多い街の中で、露骨に近い距離でお話をすればよい」

「えぇ……」

「アポロは特技もない普通の一般人だから、可能」

「待て、聞き捨てならない。俺には美少女を完璧に演じられるという立派な特技があるんだ」

「それ立派じゃないよ」

「…………」

 

 確かに。

 さっきは悪趣味とか何とか言ったが、そもそも美少女ごっこの方がよっぽど悪趣味なイカレた遊びだ。

 なにをどう頑張ったところで、俺がマユに対して常識を語る事は不可能だという事が判明してしまった。つらい。

 

「ね、やろ。別にヒーロー部のみんなが傷つくわけでもないし」

「奇異の目にさらされて俺が傷つくんだけど」

「きっと優越感が勝るよ。わたしはドローンで眺めてるから、アポロはぜひ現場でハーレム主人公気分を味わってきて」

「体よく俺のこと家から追い出そうとしてるだけだろ! まっ、おい! 鍵閉めないで! マユちゃん!!」

 

 結局彼女に押されて家を出ることになった俺は、特にやることもないのでハーレム主人公ごっこを始めることになるのであった。

 そもそもハーレム主人公はれっちゃんの方だと思うのだが、やらないとマユが家の鍵を開けてくれない。

 こうなったらヤケだ、がんばるぞ。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

 はい、ダメでした。

 ぜんっっぜん無理でございました。世の中そんなに甘くないね。

 ヒーロー部と遭遇したイベント自体は多かったのだが、どうも俺が主人公的な活躍をすることはできなかった。当然と言えば当然だ。

 

 とりあえずダイジェスト気味に振り返っていこう。

 

 

 最初は氷織とヒカリのコンビと邂逅した。

 ヒカリの方からお助け要請の電話を受けて現場に駆け付けたのだが、そこでは氷魔法を使って暴れる男がいて、彼女たちはその対処に追われていたのだ。

 しかし、なにやら氷織がトラウマで戦えなくなっていた。

 

「コオリさん! 頑張ってくださいまし!」

「む゛り゛ぃ~ッ……さむいのこわいぃぃ……」

 

 話を聞く限り、氷織は俺と一緒に雪山で遭難したあの時から、寒い場所や氷魔法を操る相手がトラウマになってしまっていたらしかった。

 自分が使う氷魔法や冷気程度なら何とか耐えられるが、自分以外から発生する『寒い』『冷たい』といった現象に対しては、極端に弱くなっていた。お前そんな事になってたんか……。

 

「わたくしが光魔法でピカーって照らして温めてさしあげますから! ぴか~」

「ダメぇぇ゛……ぐすっ、えぐっ」

「ピカー! ぴぃ~……ピィーカッチュ!」

「あはははっ! ……やっぱ無理ィ!」

「ちょっ、いま笑いましたよね!? 本当は少し余裕ありますねコオリさん!? ねぇってば!!」

 

 ヒカリさんが完全に保護者になっていらっしゃった。

 氷織はどうやら寒さによる恐れを誤魔化すことくらいなら出来るのだが、本格的な戦闘となると話は別になってしまうらしい。

 現場には警察も来ておらず、ヒカリと氷織も物陰に隠れて様子を見ていたため、彼女たちを応援する人々やファンなどはその場にいなかった。

 

 たとえ俺が彼女たちと一緒に戦っても、周囲から羨ましがられて優越感を得ることはできない──が、流石にそんなことを気にしている余裕はないので。

 氷織と同じく遭難した俺が、彼女を支える杖としての役割を買って出ることになった。

 

「お前の気持ちは俺が一番よく分かってる。なにせ一緒に遭難したわけだからな」

「アポロぐん……っ」

「んまっ、コオリさんったら鼻水が。これティッシュお使いになって」

「チーン! ……あ゛りがとっ、ごめんねヒカリっ」

 

 メンタルケアをしつつ、彼女の手を握って奮い立たせることに成功した。

 朝ドラの主演女優レベルの有名人と手を繋いだわけだが、残念ながら観測者はゼロだ。

 

「あのときも”一緒なら大丈夫”って言ったろ? 俺がついてるから。……ほら手ぇ握って、アイツ倒してレッカに褒めてもらおうな」

「う゛んっ……! がんばる!!」

「あっ、わたくしもお手手を……」

「アタシの両手塞がっちゃうからアポロ君の空いてる方を握って、ヒカリ」

「そうですわね!」

「あの、それだと俺の手が塞がっちゃうんだけど……」

 

 なんやかんやあって敵には勝った。戦力的には俺いらなかったな。

 結局戦闘が終わった後は、すぐに風菜から連絡がきてそちらへ向かう事になったため、あとからやってきた野次馬たちに”有名人二人と手を繋ぐ俺”を見せることは終ぞ叶わなかった。ぐぬぬ。

 

 

 続く風菜とカゼコのウィンド姉妹の方にも救援に向かったが、そこでも俺は優越感を得ることは出来なかった。

 

 なにやらビルの屋上から落ちそうになっている少女が一人。

 風魔法の練習中に魔力切れを起こして不時着してしまい、高層ビルの端に掴まる事になってしまったらしい。

 とりあえず俺と姉妹の三人で、風魔法による飛行で彼女を助けようとしたのだが、問題が発生した。

 

「すっ、少しでも動いたらおしっこ漏れそうなのぉ……! ビルの下にいる人たち、写真とか動画撮ってるし、そんなの見られたり拡散されたりしたら死ぬしかないよぅ……!」

 

 とのことで。

 どうやらこの際おしっこを漏らしてしまうのはしょうがないと割り切っていたようだが、それを大勢の人間に見られるのだけは避けたいらしかった。当たり前の事だ。

 ビルの下には珍しいもの見たさで集まる野次馬ばかりで、警察や消防もまだ到着していない以上、彼女を助けられるのは空を飛べる俺たち三人だけ。

 

 しかし助けようとして動かした後すぐにお小水が流れてしまうのであれば、何らかの策を講じなければならない。

 というわけで導き出した答えは、いつも通り俺が汚れ役を請け負うというものだった。

 

「ちょっとキィ! なにする気!?」

「下にいる連中に向かって、怪我をしない程度の風魔法を打つ。思わず目閉じちゃうレベルのヤツな。

 その隙にささっとその子を屋上に引き上げてくれ」

「で、でも、そんな事をしたらキィ君が……」

 

 嫌われてしまう、と風菜は言いたかったのだろう。

 だが本当にいつもの事なので気にはしていない。一度は世界中に極悪殺人犯として認識された俺だし、この程度は屁でもない──と強がってみせた。

 自尊心を満たすために家を出たのに、まさかただ嫌われる事になろうとは……と内心落ち込みつつ、警察も呼ばないで動画を撮ってるアホな野次馬共に突風でお仕置き。

 

「あっ、き、キィ君はまだ屋上にはいかないでください! あたしあの子の着替えを買ってくるので──」

 

 てな感じで誰かに礼を言われることもなく、俺はスイスイとその場を去っていった。

 

 

 で、最後はライ会長のお助けだ。

 彼女が受けていた依頼は、発泡スチロールの箱の中に乗って大きな川に流されてしまった飼い犬を助けてほしい、という内容だった。

 依頼主は以前見かけた衣月の友達である柴乃ちゃんだ。

 

「ひぐっ、か、河川敷で遊んでたんですけど……わだっ、わたじが川に落としちゃったボールがっ、箱の中に入って、それをイグザリオンユニバースが取りに行っちゃっでぇ……!」

 

 すごい名前の犬だな──という気持ちは押し込んで川の方を見ると、石に引っかかってギリギリ流されずに済んでいる発泡スチロールの箱の中に、ポメラニアン種の白いモフモフがちらりと見えた。

 かなり横幅の大きな川で流れも少し速く、あの小さい犬では恐らく溺れる可能性がある。水に落ちないうちにさっさと箱ごと回収しなければならない。

 

「しかし──見なさいアポロ。あの川にはサメがいる」

 

 なんで……。

 

「品種改良された凶暴なやつだ。……もしかすると、悪の組織に代わる別の何かがいるのかもしれない。

 何にしろ、水辺で我々はサメにはかなわない。救援が来るまで待たないと」

「ふえぇぇん、イグザリオンユニバースぅぅ゛……!」

 

 どちらにせよ助けに行かないと、イグザリオンユニバースが危険だ。サメがイグザリオンユニバースを襲わないという保証もない。

 ここは俺が風魔法で飛びながら、こっそり河辺から引き上げるとしよう。

 

「なっ!? ひとりでは危険だアポロ!」

 

 まぁ体を張るのは俺の領分みたいなところがあるので、俺がやらなきゃ誰がやるって感じで出動。

 丁度いい場所まで移動し、空中で犬を箱ごとゆっくり持ち上げた。

 すると出現した川の主こと凶暴サメ。

 

『シャークッ!!』

 

 最強の進化形態にあるサメと激しい空中戦を繰り広げ、最後は俺の生んだ隙を会長が生かし、10万ボルトをサメハダーにぶち込んで大勝利。

 ポメラニアン犬ことイグザリオンユニバースを助けることに成功した。

 

「あぃっ、ぁ、ありがとぅっ、ございます……! イグザリオンユニバース……怪我はなかった?」

「ワン」

「良かった……あ、あのっ、本当にありがとうございました! 衣月ちゃんの近所のお兄さん!」

 

 子供の笑顔を見られることが出来ただけでも、命を張った甲斐があったというものだ。

 もうぶっちゃけ優越感だとか自尊心を満たすだとかはどうでもよくなっている節があるな。

 とりあえず柴乃ちゃんの頭を撫でて、年上っぽいことを口にすればこの事件は解決だ。

 

「どういたしまして。何か困った事があったら、またいつでもヒーロー部においで。どんな時であってもお兄さんが助けるからね」

「っ……!」

 

 柴乃ちゃんは驚いたような表情で頬を赤くした。

 まさか恋に落としてしまったか。フハハ。

 ……流石にキモすぎるな、やめよう。

 

「す、すてき……っ」

 

 恐らくは年上への憧れに過ぎないので深くは考えないことにする。慕われること自体は良い事だし。

 その後は柴乃ちゃんの見送りをライ会長に任せて、ようやくすべてが終息した。

 

 ──こんな感じでダイジェストは終わり。

 俺の日曜日は優越感や自尊心など欠片も満たされることはなく、多忙に次ぐ多忙によって徹底的に破壊し尽くされてしまったのであった。

 

 

 

 

 滅茶苦茶に疲弊し、フラフラになりながら帰路につく途中、俺は凶器を所持した男に遭遇した。

 今日のイベント発生率、ちょっとバグり過ぎてない? RPGじゃないんだぞ。

 

 衣月と一緒に襲われた前回といい、今日の氷織とヒカリと戦った相手といい、最近は妙に気性の荒い連中が、人目のつくところで暴れすぎている気がする。

 ライ部長が口にしていた『悪の組織に代わる何者か』による仕業なのかもしれないが、あまりにも疲れ切った今の俺にはそんな事すらどうでもよく感じられてしまう。

 うまく頭が働かない状態で敵の前に立ちはだかると、男は予想通り『殺してやる』と荒々しく叫び散らかし、日本刀を持って俺に迫ってきた。

 

 殺してやる。

 その言葉をぶつけられて足が竦む。

 怖い、逃げたい、戦いたくない──脳裏に過去のトラウマが想起される。

 顔が蒼くなり血の気の引いた唇が強張るが、高鳴る胸を自分の拳で思い切り叩き、怖気づくなと自らを鼓舞した。

 眼前に目を剥く。

 懊悩している暇など無い。

 

 ……いや、負けねぇぞ。

 やられてたまるかってんだ。

 俺がシリアス顔してたら仲間たちだって気落ちしてしまうんだ。俺もヒーロー部の端くれだなんだという所を見せてやる。

 よーし、やるぞポッキー!

 

 

「先輩、うごかないで」

 

 

 ──と、なんとか立ち上がって戦おうと心に決めたその瞬間。

 俺の頬のすぐ横を何かが通過し、相手の男の脳天にそれが突き刺さった。

 そして男は悲鳴を上げる間もないまま仰向けに倒れ、完全に沈黙した。

 ……えっ。

 し、死んじゃった?

 

「麻酔薬を注入させる特殊なクナイです、死んでませんよ」

 

 後ろを振り返る。

 そこには口元全体をマフラーで覆い隠した少女──忍者が静かに佇んでいた。

 

「安心せい、峰打ちじゃ……ってヤツですね。大丈夫でしたか、先輩」

「ぉ、音無……」

 

 俺を助けてくれた忍者が、目元を緩ませながらマフラーを顎の下まで下げた。おかげで彼女の正体をハッキリと視認する事ができる。

 後輩ニンジャ、音無。

 今日一日姿を見せていなかった彼女こそが、一番危ない瞬間の俺を救ってくれたヒーローであった。

 

 

 少しして、街中にある噴水広場まで移動し、そこのベンチに座って俺は手当てを受けていた。

 音無に絆創膏やら消毒やらをされているが、相変わらずそんな俺たちを観測してくれる人々は誰もいない。

 そもそも時間帯が既に夕方を過ぎていて、空が暗くなる直前だ。おまけに人通りの少ない広場のベンチとあらば、誰にも見られないのも無理はないのかもしれない。

 

 く、くっそぅ……! どうしてアイツがあんな美少女たちにモテるんだ……! ──なんてあまりにも臭すぎるセリフは、これからも一生言われないに違いない。

 そもそもの話として、別に俺はあの漫画のような勝ちまくりモテまくり主人公ではないからだ。当たり前のことを失念していた。どちらかといえば負けまくり泣きまくりって感じ。

 部活動の仲間がワケあって有名になっただけであって、彼女らが俺のハーレムだなんてのは大きな間違いだったのだ。

 

「……先輩?」

「俺はとんだ自惚れ野郎だ」

「何を言ってるのか分かりませんけど、勝手に帰ろうとしないでください。サメと戦ったせいで全身ボロボロなんですから」

 

 大体なんで川にサメがいるんだよおかしいだろ。左手の薬指の爪とか完全に剥がれててクソいてぇし、もうマジで最悪な一日だ。

 

「ほら、剥がれちゃった爪の応急処置しますから、動かないで」

「痛い痛い痛い」

「あした一緒に病院いきましょうね」

「もうやだ……」

 

 涙が出てきた。何で俺ばっか痛い目に遭わなきゃならなんのだ。……ほぼ全て自己責任だからなんも言えねぇ。強いて言うなら俺自身を叱ってやりたい。もっと自分の身体をいたわっておくれやす。

 まったく。

 学園ラブコメだのハーレムだの、くだらない。

 周囲から羨ましがられる状況なんて一度も来た試しがないし、来る気配すらなかった。

 俺なんかが出来るのはせいぜい今日みたいな血みどろ激痛バトルくらいだろうが。二度とハーレムだなんて勘違いするんじゃないぞ。物理的に痛い目を見るだけだからな、ほんと。

 

 平気なフリしてても、痛いのはムリだし面倒くさいのは嫌なのだ。

 

「先輩、今日はたくさんの人を助けたんですってね。いろんな方々から聞きましたよ」

「……あー。……い、いや、全然そんなことないぞ? マジで謙遜とかじゃなくて」

 

 ほとんど成り行きというか、俺はあまりにもちょい役でしかなかった。

 最初の事件の敵は氷織とヒカリだけでやっつけたし、ビルから落ちそうな女の子はウィンド姉妹が引き上げて、最後のサメだってとどめを刺して助けてくれたのはライ会長だ。

 

「そもそも……一番やりたかったことは出来なかったし」

「はぁ、なるほど」

 

 教えてないから分かるはずも無いけども。

 邪な考えで周囲を悔しがらせようだなんて、突飛で偏屈な思考は唾棄すべきものだ。誰にも喋らないで、俺自身が忘れるまで秘密にしておこう。

 

「でも、先輩のおかげで救われた人たちがいたのは、紛れもなく事実じゃないですか」

「……やさしいな、音無は」

「正当な評価をしてるだけです。……自分の先輩がこんなにもカッコいい人で、私は誇らしいですよ」

 

 温かい笑みが本当に眩しい。俺には勿体ないというか、本当に後輩運に恵まれたというか。

 彼女に褒められただけで、少なくとも今日一日を頑張った意味は生まれた気がする。

 やはり音無は誠実で慈愛の塊みたいな人間だ。

 俺の脳内から生み出された妄想(未来)世界の、チョロくてすぐに赤面してたアレに関してはよっぽど酷い幻想だったのだ、と改めて思う。

 

「……んっ、電話。……会長からだ」

 

 スマホに通知が来たので出てみる。

 

『もしもしっ、アポロ!? きみ今どこにいるんだ!』

「えっ。……ふ、噴水広場っすけど」

『なに……あっ、いた!』

 

 振り向いた時にやって来たのは、なにやらレジ袋を二つほど抱えたライ会長だった。

 なんでそんな息切れしてるんだろう。

 

「はぁっ、はぁ……っ、さ、さがしたぞ、まったく」

「ご、ごめんなさい……?」

「……忘れたのかいアポロ。サメと戦って怪我をして、服装も傷だらけになって目立つだろうから、救急用品と替えの服を買ってくるので河川敷の近くで待っていてくれ──と言っただろう?」

 

 あ、あれ? そうだったっけ……。

 ライ会長、てっきり柴乃ちゃんを送り届けてそのまま帰ったのかと思ってた。

 どうやら今日の俺は肉体のみならず、脳の方もだいぶ疲弊してしまっていたらしい。

 

「部員全員に共有させておいてよかった。音無、彼の応急処置は」

「はい、最低限は」

「よかった、ありがとう。……アポロも、本当にありがとう。きみが走り出していなかったら、私は危うく判断を見誤るところだった。不甲斐ない部長で、すまない」

「い、いえ……お気になさらず……」

 

 もしかして結構心配させてしまっていたのだろうか。とても悪いことをしてしまった。

 すみませんでした──と謝ろうとした直前に、再び近くで足音が鳴った。

 横を見ると、やって来たのは見慣れた緑色髪の少女二人だ。

 俺の姿を確認するや否や、二人とも急いだ様子でこちらへ駆け寄ってきた。

 

「きっ、キィ君ごめんなさい! まさかあたしが帰ってくる前に、どこかへ行っちゃうとは思ってなくて……! みんなに嫌われてまで助けてくれたのに、お礼も言わずに……ごめんなさい!」

 

 ひぃ、早とちりして勝手にさっさと移動した俺が悪いのに、謝られたら胃が死んでしまう。

 

「今日は本当に助かったわ。ありがとうねキィ。けっこう見直しちゃったわよ」

「……ぇ、えへへ」

「あっ、キィ君が笑ってる……かわいい……」

 

 そりゃまぁ、褒められるのは素直に嬉しいから笑うのは当然だ。笑顔がキモいとか思われてたら凹む。

 しかし音無だけでなくカゼコにも功績を称えられるだなんて、今日の俺の運勢はどうなっているのだろうか。

 

「あー! アポロくんいたーっ!」

「コオリさんお待ちになって! 走るとタマゴが割れてしまいますわ!」

 

 トドメと言わんばかりに、今日一番最初に手を貸した二人組である氷織とヒカリまで駆け付けてくれた。

 彼女らもパンパンのレジ袋などを持っていて、なにやら大量に買い物をしたであろう事が窺える。

 

「なに、どうしたの二人とも」

「えっとね、アポロくんに今日のお礼をしたくて。来てくれなかったら、きっと戦えてなかったから」

「お鍋の材料を買い集めましたの。よかったら皆さんでご一緒に……どうかな、と」

「…………泣きそう」

「「えぇっ!?」」

 

 

 情けは人の為ならず、なんて言うが、それにしたってこんな露骨に自分に対して、良い事が返ってくるとは思っていなかった。

 こんなに心配してくれたり、あまつさえ親切にしてもらえるだなんて、まるで夢でも見ているかのようだ。あの未来予測装置はこんな幸福な世界線は見せてくれなかった。

 

 他の誰かが見ていなくても、この仲間たちは俺のことを見てくれているのだ。

 これ以上のことを望むのは野暮というものだろう。他人に対しての優越感はともかく、自尊心の方はこの上なく満たされている。

 今日の目的は達成できたといっても過言ではないのではなかろうか。

 きっかけをくれたマユにも少しは感謝してやってもいいのかもしれない。……それはそれとして、家に帰ったら追い出した仕返しにデコピンをしよう。

 

「鍋は俺の家でやろうか」

「りょーかい! いこヒカリ!」

「ですから走るとタマゴが……!」

「フウナ、私たちも途中で何か買っていきましょっか。食紅とか」

「お、お姉ちゃん? 闇鍋じゃないよ?」

「そーいえばですけど部長、今日レッカさんは何してるんですか」

「歌のレコーディングだそうだ。あまりにも音痴で難航しているらしい」

 

 そう、このまま。

 そのまま自宅へと帰って一日が終了──そう思ったときだった。

 

 

「ぉ、おい、あれヒーロー部じゃね?」

「マジだ……! って、囲まれてる真ん中の、あの男……誰だ?」

 

 

 遠くにヒーロー部を知る一般ピーポーを発見してしまった。

 俺はギリギリ彼らの声が聞こえているが、女子勢はみんな会話をしているせいで耳に入っていないらしい。

 数時間前までは彼らに観測されることを望んでいたのだが、なんともタイミングが嚙み合わないものだ。

 

「あれファイアじゃないぞ?」

「学園の生徒か。見たことあるような……」

 

 どうしてこういう時に限って、あの漫画を彷彿とさせるような一般人が登場してしまうのか。

 ……まぁ、もう疲れたし、面倒なことは考えたくない。

 

 せっかくだから試しに一つ。

 本当に有名人の美少女と仲良さげに振る舞ったら悔しがってくれるのか、ここで最初で最後の検証を行ってみよう。

 

「音無」

「なんですか?」

「爪が剥がれてる左手、なんか痛くて震えるんだ。家に着くまででいいから……その、握っててくれないか」

「はぁ。それくらいなら別に」

 

 ──はい。

 ヒーロー部の中でも特にガチ恋勢が多い音無と手を繋いでみました。反応はいかに。

 

 

「……ッ!? っ!?」

「何てこった……ノイズ推しのあいつが今いなくて良かった、たいへんだ……!」

「いやっ、なんなんだよあの男子!?」

 

 

 ……あっ。

 その露骨な反応、ちょっと気持ちいいかもしれない。

 

「えっ? なんですかキィ君、いつのまに音無ちゃんと手なんか繋いじゃって」

「い、いろいろあって……」

「風菜先輩もやったらいいですよ」

「……ふむ、じゃあキィ君。身体の右半分だけコクさんと代わってください」

「そんな器用な事できねぇわ」

「だったらくしゃみしてくださいよぉ! くらえ髪攻撃っ」

「ちょっ、やめっ!」

 

 自然と風菜が寄ってきて、手を繋ぐのではなく右腕ごと抱いてきた。ふわふわのナニかが当たってて罪悪感で死滅しそう。ここまでしてもらうハズでは無かったんだが。

 

 

「なんで、あんな冴えない顔の男が、ウィンドと……?」

「まっ、落ち着け! 握りこぶしを解け!」

「アイツ屋上へ連れ込もうぜ……久しぶりに……キレちまったよ……」

 

 

 …………や、やっぱりヒトを煽るのはやめとこう……。

 

 



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幕間 放課後TSっ娘


短めです


 

 疑似的なハーレムを体験した、その翌日。

 

「…………」

「れっちゃん、お茶とって」

「う、うん」

 

 わけあって午前中で授業が終わった俺とレッカは、部活も無かったため俺の家に集まってゲームをしていた。

 テレビゲームで、オンライン対戦。

 異様に操作テクニックが卓越しているれっちゃんに介護されながら、数時間くらいコレを続けている。

 

「……ポッキー?」

「なんぞ」

「どうしてコクの姿のまま……?」

 

 俺は女の子の姿だ。いつも通りラフな部屋着に着替え、だらけながらゲーム三昧。最高の放課後ですわ。

 

「今日はくしゃみ多いから、あらかじめ変わっておこうと思ってな」

「……コクの為ってこと?」

「そんな感じ──あっ、スマッシュボール取られた」

 

 今のは適当だ。とりあえずレッカが来たから、反射的にコクへ変身しただけである。

 ほぼ毎日男の状態で接しているわけだし、コクというもう一人の存在がいる事を踏まえると、こうする方が自然だと思った。それだけの話だ。

 

「っ……」

 

 とはいえ、レッカがチラチラと胸元や太ももに視線を向けている事も理解はしている。ゆるい恰好しているからいろいろ見えそうなんだよな。

 これは別にレッカがむっつりだとかそういう話ではなく、単純に俺がからかっているだけというか、誘惑したら本当に気を向けてくれるのかを実験しているのだ。

 

 ……それと、アポロのままヒーロー部の女子たちと接していると、あの個別ルートのような間違いが起きそうで怖いから、しばらく変身しておこうという気になった、というのもある。

 

「なに、れっちゃん」

「えっ! あっ、いや、別に」

 

 そんな分かりやすく照れてくれるんだ。かわいいなコイツ。

 一年近くハーレムを体験して、現在だって女の子からもてはやされてるってのに、根は未だに純情を保ってるのスゴイな。

 俺は複数人に囲まれただけで個別ルートまで妄想してしまう、典型的な勘違い男子だってのに。おまえは凄い男だ、れっちゃん。

 

「うへぇー、負けたぁ」

「今の人強かったね」

「休憩しようぜ、休憩」

 

 コントローラーを放り投げ、仰向けに寝転がった。

 シャツが捲れてお腹が出てしまっている。これはセンシティブに含まれるのだろうか。

 ……って、うわ。

 レッカめっちゃガン見してるじゃん。ちゃんとコクの身体にも反応してくれる男の子でよかった。

 

「お、お腹見えてるって。隠しなよ、コクの身体なんだから」

「んんー……いやぁ、アイツだって割と勝手に俺の身体を使ってるし。あんまり神経質になりすぎなくてもいいっしょ」

 

 ゴロン、とうつ伏せに。

 コクの身体のサイズからするとかなり大きくてブカブカなシャツと半ズボンなので、油断をするとすぐにずれて臍なりパンツなりがチラリと見えてしまう。

 女に変身すると、あの制服のような恰好をしたコクになるわけだが、そのとき一緒に下着も女物に変わる。

 だから見えてるパンツは男の穿くものではなく、薄桃色の女の子らしいパンツ──というわけだ。

 

「夕飯どうすっか。れっちゃん、今日は泊まってくんだろ?」

「……あっ、ぅ、うん」

 

 見すぎじゃない? 呆けるレベルで凝視させるなんて、コクの魅力は天井知らずだな。

 

「えと、寮の方には外泊許可をもらったし、着替えも持ってきてるよ」

「んじゃあ、一緒に夕飯の支度だな。今日は両親帰ってこないし、マユもヒカリの家に泊まってるから俺たち二人きり」

 

 俺とレッカの二人きりになるという事はそれすなわち、男子のバカ騒ぎが発生するという事である。

 今日はなんかヤベーもんでも食いますか、親友。

 

「……僕、馬刺し食べたいな」

「マジ? ウマの肉? じゃあついでにユッケとかも作るか」

「ポッキーはあんまりお金ないだろ。この前の出演料は少し貰ったし、今回は僕が出すよ」

「ぐぬぬ」

 

 親友との経済差を見せつけられて実感したが、いい加減貯金を切り崩すだけじゃ厳しくなってきたな。

 そもそも旅や逃亡生活で、資金はほとんど底をついていたのだ。

 バイトでも始めよう……。

 

 

 一時間後。

 買い物を終えた俺たちは帰宅し、さっそく夕飯の準備に取り掛かろうとしていた。

 スーパーではおばちゃんに兄妹扱いされたがそこは割愛。

 

「ふふふ、材料は買ってもらったからな。米炊きもタレ作りもこの俺に任せるがいい」

「大丈夫なの?」

「期待して待て!」

 

 長い後ろ髪を一つにまとめ、エプロンを装着して支度にとりかかった。

 

「れっちゃんはテーブルでも拭いててくれな~」

「あ、うん」

 

 エプロン姿で料理をする少女と、邪魔にならない程度に手伝いをする男の子──この構図だけ見るとなんだか同棲してるみたいだ。

 くしゃみして俺からコクに変わったら、完全に好感度を上げるためのイベントと化すなコレ。

 

「……なんか、同棲してるみたいだね」

「お前が言うのかよ」

 

 俺のセリフ取らないで。照れさせるつもりだったのに、こっちが赤くなるわ。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

 飯食って遊んで寝て──気がつけば翌朝だった。

 結局今回はレッカとただのお泊り回をやっただけで、イベント感のある出来事は何も起きなかった。本当にちょっとだけ彼が、俺の身体をチラ見していたくらいしか記憶にない。

 コクというより、ずっとアポロだった。くしゃみもしなかったし。

 

「んんぅ……」

 

 目の前には、布団で眠っているレッカがいる。

 そろそろ起きないと遅刻してしまうのだが、普通に起こすんじゃつまらないと考えた。

 ほんの僅かでもヒロインっぽい事を出来れば満足なのだ。ちょっとだけイタズラしてしまおう。

 

 小さくくしゃみをして鼻をかみ、コクの姿のままレッカの毛布に潜り込んでみた。

 間近で彼の顔を眺めながら、ときたま頬をぷにっと突いたりして遊ぶ。

 すると、ようやく主人公くんが重い瞼をあけて目覚めてくれた。良い朝ですね。

 

「おはよう、レッカ」

「……。…………っ!? ッ!?」

 

 その慌てふためく姿、とても懐かしい気持ちになるな。

 そういえばコクとして一緒に寝たことは無かったね。そりゃビックリもするか。

 

「ぽ、ぽっ、ポッキー……!?」

「んっ。わたし」

「コク、なのか……? ぃ、いやっ、もっとダメじゃないか!?」

 

 朝だぞ、あんまり大声出さないで頂戴。

 

「……レッカ。ズボンが盛り上がっているけれど、何かを隠しているの?」

「違うから! とりあえず離れて!」

「むっ。あやしい」

「やめっ、やめてぇ……! 本当に何でもない朝の生理現象だからぁ……!」

 

 ……あまりいじめすぎるのも可哀想か。 

 一日中、距離感が異様に近くて無防備な女の子として振る舞っていた俺に耐えきった彼の為にも、そろそろオチを作ってあげなければ。

 ぷち美少女ごっこにも付き合ってくれてありがとね、れっちゃん。

 

「へくちっ。…………んぉ、れっちゃん?」

「ポ、ポッキー。よかったぁ……」

「えっ、何この状況。お前もしかして……遂に、コクに手ぇ出したか」

「違うってばァッ!!」

 

 えへへ、知ってる!

 



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NTR演出で脳を破壊し隊 vs ポッキー

 

 

 

 あまりにも金欠が極まるアポロ・キィ、ついにアルバイトを始めました。

 

 以前のレッカとの一件で金がなさ過ぎる事実を自覚したため、俺は数日前から学園付近のコンビニでバイトを開始している。

 といっても週に三、四日レベルのものである。

 時間にしてみると放課後のたった数時間だが、高校生の小遣い程度ならこれくらいで十分賄えるだろう、という考えでこうなった。

 いまはバイト先のレジ裏にあるタバコの整理をしている──の、だが。

 

 現在、とある不安が胸中で燻っていた。

 

 

『悪の組織に代わり、裏で世界の覇権を握ろうとしている組織がある。キミにはそれを教えておかなければならない』

 

 学園を出てバイト先へ向かう道中、俺はあの黒髪ロリっ娘こと警視監と遭遇した。

 偶然出会ったわけではなくどうやら彼女が俺を待ち伏せしていたらしく、人目のつかない所へ行こうと言われて付いていった結果、そんな話を聞いた。

 

『正義の秘密結社──という。表の顔では優良企業かつ慈善団体としても活動している奴らだが、裏では人体実験や違法な魔法や能力を一般市民に渡して暴れさせている連中だ』

 

 表でも活動してるのに秘密結社ってどういうことだよ、などとツッコむ暇は無かった。

 あのロリっ娘と一緒にいると、否が応でも場の雰囲気が血生臭くなるので、本当になるべく関わりたくない。

 しかし「何でそんな話を俺に」と、キレ気味に聞き返しても意に介さず、彼女は飄々としていた。

 

『キミにも責任の一端はあるんだぞ? アポロ・キィ。正義の秘密結社はもともと大した組織ではなかったし、以前までは悪の組織が連中を黙らせていたんだ』

 

 一介の学生でしかない俺に責任とは。

 

『いいかい、キミが悪の組織そのものを壊滅させたから、抑圧されていた連中が世に放たれたんだぞ』

 

 それは違いませんかね、と言いたかった。

 どう考えても悪いことをしようとする連中が全面的に悪いだろう。……いや、その理論でいくと俺も悪者になるな。

 

『私は当然奴らに命を狙われているが、キミとて例外ではない。ヒーロー部の身内という事もあるし、さすがに直接手を下してくることは無いだろうが……せいぜい気をつけることだな。約束の日までは死ぬんじゃないぞ。

 ……あ、あとお茶ありがとね』

 

 ベンチへ座る前に奢ってやった飲み物の礼を言いつつ、彼女はささーっとその場を去っていった。あいつ普段はどこで生活してるんだろう。

 

 

 ──ともかく、こんな感じで不穏な連中のウワサを耳に入れてしまった為、微妙にバイトに身が入らなくなってるのが現状だ。

 その組織の仕業らしい犯罪者たちもこの目で見てきたため、いよいよその存在を近くに感じてしまっている。

 今日は結構遅い時間までバイトをするので、このままだと気が滅入って余計に疲れてしまう。

 気持ちを切り替えよう。

 

「んー、今日はお客さん少ないっすね」

 

 不意に横から声が掛かってきた。

 そちらへ向くと、揚げ物コーナーを弄繰り回している女子の姿が見えた。

 

 亜麻色の髪にウェーブがかったショートヘアの彼女の名は、コトネ・ノイズ。

 野伊豆(のいず)琴音(ことね)だ。

 球技大会の日に道具の片付けを手伝った、あの音無の従姉妹だとかいう不思議っ娘が、このバイト先における俺の先輩だったのだ。

 

「……暇そうだな、野伊豆さん」

「掃除も終わっちゃって仕事なくなりましたし。……あっ、ていうか琴音でいいですって、紀依さん」

「善処するよ、野伊豆さん」

「あー、またそうやって」

 

 互いにさん付けで呼び合っているのは、このバイト先のルールだ。お客様がいなくても従業員同士の呼び捨ては禁止、と店長が念押ししていた。先輩後輩の上下も関係なしだ。

 俺もタバコの整理が終わり、やる事が無くなったので適当にレジ袋を補充しながら、数ヵ月ほど前からここに勤めていた大先輩の雑談に付き合うことに。

 

「そうそう、聞いてくださいよ紀依さん。昨日マジ最悪だったんすけど」

 

 個性の塊みたいなヒーロー部のメンバーと違って、野伊豆は話し方から平時の態度まで、何もかもが今どきの女子高生といった印象を受ける。

 眠そうというか、ダルそうというか、いつも気の抜けた感じだ。

 俺の知り合いはなんだか親密過ぎる人間が多い気がするので、彼女が割と適当な距離感で接してくれるのは正直言ってありがたかった。

 

「何が最悪だったの」

「えっと、昨日の夜なんすけどぉ。ニヤニヤしながら自分の彼女にコンドームを買わせてる男の人が来ました」

「……お、おう?」

 

 最悪なんだ、それ。

 

「ウザくないっすか? 彼氏の方とかなんかすげぇあたしの顔見てくるし、帰る前に『ごめんね店員さんw』とか言ってて、めっちゃ引きました」

「それは……まぁ、確かに引くな」

「彼女さんもクソ顔赤くなってたし、かわいそうだったなぁ」

 

 変わった人もいるもんだな、と思ってしまった。

 わざわざ恋人に避妊具を買わせるのって、恐らくはそういう羞恥プレイか何かなんだろう。

 そこは別に本人たちの自由なので文句はないが、購入先の店員に声を掛けてまで楽しもうとするのは、いささか常識を疑ってしまう。

 というか邪悪だ。

 俺だったらキレて悔し涙を流してたかもしれん。

 

「あ、紀依さんは彼女とかいる感じ?」

「募集中です」

「いないんすね。じゃあ仮に出来たとして、彼女さんにそういう事させたら気持ちいいって思います?」

 

 この流れでその質問の仕方だと、ほぼほぼ答えは決まってるようなもんじゃない?

 まあ俺も男だし、話に出てきた彼の気持ちは分からないでもない。

 

「たぶんだけど、その男って恋人がいる状態に酔ってたんだと思うんだよ」

「はぇー」

 

 恐ろしいぐらい適当な相槌だ。

 

「もちろん彼女を辱めてお互いに興奮する……とかそういう目的もあったんだろうが、わざわざ野伊豆さんに喋りかけたのは”俺ってモテるんだぜ”ってことをアピールしたかったんじゃないかな」

「うわっ、スゴイ早口」

「お前もしかして俺の敵か?」

 

 本当に生産性のない、空気のような会話だ。これに大した意味は無い。

 そんな風に二人でレジに並びながら、クソどうでもいい会話を続けていると、客が来店してきた。

 制服からして魔法学園の女子生徒だ。

 そしてその人物は──

 

「……こっ、これ、ください……っ」

 

 耳の先まで真っ赤になりながら、さっきまで会話の話題にしていたゴムを、会計まで持ってきたのであった。

 ……マジ?

 

「よ、497円になりまーす」

「~~っ!」

 

 おいおいおい頭おかしいのか落ち着けよおかしいだろ。

 まだ19時だぞ? 

 お夕飯時ですよ?

 ちょっと夜の営みを始めるには早くない? そもそも制服着てるし高校生だよね……!?

 

「ありぁっしたー。……な、何が起きてるんだ」

「ヤバいですね。マジやばい。紀依さんかわいそ」

「うるせぇな……あっ、いらっしゃいま──」

 

 ドンッ。

 レジのカウンターに置かれたのは先ほどと同じコンドーム。

 目の前を見ると、そこにいたのは先ほどとは違う女子高生。

 

「……えっ」

「は、早くお会計お願いします……!」

「ハイッ、はい、すみませんっ」

 

 焦って会計を済ませると、その女子生徒は弾かれたように店を飛び出していった。

 何だ?

 これはどういう事だ。

 ナニかがおかしいぞ。

 

「紀依さん紀依さん、みてアレ」

「な、なん──あッ!?」

 

 野伊豆が指差した方向に目を向けると、コンビニの外には数十人もの女子生徒たちが行列を作っており、一人ずつ入店してはゴムを買って出ていき、その繰り返しとなっている。

 お祭りか? コンドーム購入祭? 下ネタにも限度ってモンがあるんだぞ、いい加減にしろ。

 

「いらっしゃ……ぁ、はい、497円丁度ですね……」

「み、みんな紀依さんのレジにしか行かない。これは一体……」

 

 どいつもこいつも赤面しながらアレを買っているのだが意味が分からない。

 最初の一人くらいは、彼氏にやらされてんだなぁ、深夜になる前から盛りやがってリア充死んでくれよなぁ、程度にしか思わなかったのだが、現在の状況はあまりにも異質だ。

 もう悔しさを感じるだとか、そういう次元の話ではない。

 

「これください……」

「四百きゅうじゅ──って! 風菜!?」

「はうぅ……」

 

 ついに身内が来たぞー! 大事件だぞー!

 はい、事件確定です。

 この大量の女の子たちは、何者かによって無理やりいかがわしい物を買わされています。間違いない。

 まず風菜の恋愛対象は女子なので、万が一俺たちに秘密で恋人を作っていたのだとしても、こんなものを使用する機会は訪れません。あるとすればコイツが暴走して男性器を生やす魔法を使ったときだけだ。

 

 ……冷静に考えろ。

 この状況は普通じゃない。

 少なくともこの地域には、女の子は一人ずつコンビニに入ってゴムを買わなければいけない、みたいなイカレた風習は存在しない。

 

 この大量女子高生コンドーム購入祭、まさか鬼畜抜きゲー主人公でも出現したのか?

 だとしたら俺では勝ち目がないのだが! たすけてれっちゃん!!

 

 

「──()、捕捉しました」

「えっ?」

 

 

 隣を見ると、野伊豆が両耳を塞ぎながら、瞼を閉じた状態で佇んでいた。

 

「このコンビニの裏で魔法の詠唱を続けている男がいるっぽい」

「マジ?」

「オトちゃんは忍術が優れてるけど、あたしは音魔法が得意なんす。あたしがレジ代わるんで、紀依さんはそいつを早くやっつけてきて」

「お、おう……っ!」

 

 

 とりあえず言われた通りにコンビニの裏口へ向かうと、そこには黒いフードを被った男の姿があった。

 ブツブツと呟いていたので、隙を突き縄で締め上げて休憩室にブチ込んだところ、コンビニの外に並んでいた女の子たちは正気に戻り、数分後に警察も駆けつけてこの事件は幕を閉じたのであった。

 

 その後、連行される前に男は──魔法学園の制服を着た男子生徒は、俺に向かって真実を告げた。

 

「す、数日前にお前がっ、ヒーロー部の女の子たちとイチャついていたから……お前の脳を破壊したくて、寝取りを演出したんだ」

 

 顔を見て思い出した。

 彼は少し前に、俺がヒーロー部に囲まれながら帰っているところを目撃していた、あの男子生徒だったのだ。

 ……彼氏の前で、寝取った女の子にわざわざゴムを買わせる、などというエロ漫画にしかなさそうな演出をしたかったらしい。そもそも俺は誰の彼氏でもないのだが、話は聞いてくれなかった。

 

「組織から貰ったんだ! 三十秒だけ洗脳できて、洗脳が解けた後はその時の記憶も無くなるっていう、優れものな魔法を!」

 

 優れものというか、だいぶピーキーな魔法だと思う。

 洗脳能力を手に入れてまず最初にやる事がこれなんて、彼はどれほど俺のことが嫌いだったのだろうか。

 

「お、お前だって同じだろ? 洗脳か何かでヒーロー部に取り入ったに違いない。じゃなきゃお前みたいなよく分からない男が、あの子たちに囲まれるわけ──クソ! 離せーっ!」

 

 最後まで典型的な悪役染みたセリフを貫き通して、彼はそのまま警察に連れていかれてしまった。残念だがこういった大きな事件を起こしてしまった以上、退学は免れないだろう。

 

 

 ──帰り道。

 

 野伊豆と二人で住宅街を歩きながら、俺はふと考えてしまった。

 あの男子生徒の凶行を誘発させてしまったのは、もしかしなくても俺なのではないか、と。

 

「災難だったっすね。コンドーム事件」

「とんでもねぇ事件名だな」

 

 事情を知らない野伊豆は俺を励ましてくれているが、彼を悪に落としてしまったのは──悪役(ヴィラン)を生む原因を作ったのは、やはりこの俺をおいて他にはいないと理解してしまった。

 

 ヒーロー部は人気者だ。

 となれば当然、過激なファンや熱狂的な信者なんかも存在するわけで。

 だからこそ彼ら彼女らは、そういった人々が暴走しないようにする為に、自分たちを応援してくれる人に対して、近すぎず遠すぎずの距離感で適度なファンサービスを行っていたのだ。

 俺が浅はかだった。

 同じ立場にあるレッカや、既に名の知れた有名人ならともかく、俺のような無名の人間が人前で気安く触れ合うと、今回のような”勘違い”が発生してしまうんだ。

 あの日は誰にもバレずこっそりヒーロー部を助けるだけならともかく、帰り際に欲を出して周囲を悔しがらせようとしたのがいけなかった。大いなる間違いだったのだ。

 

 ……はぁ。何もかも上手くいかない。

 やっぱり距離を取るか、ヒーロー部のみんなとは。

 少なくとも一般人の前では必ずそうする、と心掛けておこう。

 

「そういえば野伊豆、今日は助かったよ。ありがとう」

「いーえ」

「何か礼を……」

 

 続きを言おうとすると、彼女が指先で俺の唇を押さえてしまった。

 そういう事されると男子は勘違いしちゃうんだから本当にやめてね。こちとらバキバキの童貞なので。

 

「じゃあ、名前でお呼びなさい、バイト後輩くん」

「……助かりました、琴音センパイ」

「ふふっ、惚れちゃった?」

「それはない」

「むぅ……」

 

 もう男状態のときはモブに徹しようと考えながら、俺はプクーと頬を膨らませたバイト先の先輩と並び、静寂に支配された夜道で足音を鳴らすのであった。

 

 

 

 

 時はお昼休み、場所は魔法学園の食堂にて。

 ポッキーは何やら先生の手伝いに追われてるらしく、僕は一人で昼食を取っていたのだが、いつの間にやら周りの席にヒーロー部のみんなが集結してしまっていた。

 そして、メンバーの様子もいつもとは違っていた。

 

「……わたしが足、引っ張ったせいかなぁ」

「こ、コオリさんのせいではありませんわ! アポロさんだって何か事情が……」

 

 見て分かるほどに気落ちしているコオリをフォローしているヒカリだったが、僕から見るとヒカリ本人もいささか元気が無いように思えた。

 

「キィ゛くんに……ぎらわれぢゃったのかなぁ……お姉ちゃあああえぇ」

「お、落ち着きなさいって。キィに限ってそんな事は……ない、と思う。……あたしに対しても素っ気なかったけど……」

「カゼコ、私はどうしたらいいんだ。まさか知らぬ間に彼の逆鱗に触れてしまっていたのでは……ぁわわ、なんてことだ……」

「もー! 部長くらいはしっかりしなさいよ! みーんなこんな調子じゃ困るわよぉ……」

 

 まさに三者三様。

 学園にいる従姉妹と食事をとっていてこの場にいない音無を除き、それぞれのメンバーが独自の落ち込み方をしている。

 今日の彼女たちには共通点があった。

 

 アポロに嫌われたかもしれない──と。

 

 皆が口を揃えてそう言っているのだ。何してんだあいつ。

 肝心のアポロ本人はここにいないから、事情など聞きようがない。

 昨日や今日のポッキーは僕に対しても多少距離を作っていたが、めっちゃ眠かったり課題を出されていたりするといつもそうしていたので、別段珍しい事でもないと思っていたのだが……。

 どうやら女子メンバーたちは違うと感じたらしい。

 

「オトちゃんもウチでバイトしなよ。二年生の先輩やさしいよ」

「あれ、琴音の職場って学園の生徒いたっけ」

「新しく入った人だなも。バイト的には後輩だけど、二年生だからセンパイなんだ。……ふへへ。アタシ部活とかやってなかったから、先輩とか出来るの初めてなんだよね〜」

「あら、ご機嫌だ。では先輩ができた記念でこの海老フライをプレゼントします」

「苦しゅうない」

 

 少し遠くで従姉妹の少女と仲良くランチをする音無を見ながら。

 

「…………ハァ、音無ちゃんみたいな元気が欲しい」

 

 コオリが呟き、他のメンバーも小さく頷きながら黙々とご飯を食べ進めていく。

 

 ……えっ、なんなの!? この地獄なに!?

 どうしてお昼時に沈鬱な空気を感じながら食事しなきゃいけないの……たすけてポッキー……。

 



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ヒーロー部 暴れる

 

 

 

 

 沖縄を目指す旅をしていた頃とは違い、現在の朝の時間帯の行動は、ほぼ全てがルーティン化されている。

 

 異常なまでの早起き癖は鳴りを潜め、最近の起床する時間帯は小鳥が囀る六時半前後。

 別々の布団を敷いているのに、三分の一くらいの確率で、いつの間にか俺の胸元に潜り込んでいるマユをほっぺ揉み揉みで起床させ、二人分の朝食を作るところから俺の一日はスタートする。

 両親は泊まり込みや早朝出勤が多いため、洗濯や朝のゴミ捨て、マユのお弁当を用意するのも俺の仕事だ。

 別に主夫を目指しているワケではないのだが、よく考えたら最近は普通の男子高校生の倍くらいは、家事に追われている気がする。このままだと家庭的な男子へ成長しちゃう予感がするな。

 

 で、だ。

 いつもならこのまま制服に着替え、歩きで衣月を迎えにいき登校班まで送り届けて、バスに乗り登校──なのだが。

 何やら今日は妙なことになっている。

 ルーティンに入っていない事態が発生したため、未だに半分寝ていた俺の頭が覚醒してしまった。

 

「ごきげんよう、アポロさん」

「ひ、ヒカリ……?」

 

 グリント家の屋敷の裏口に着くと、いつもは部屋着で衣月を見送ってくれるヒカリが、何故か既に制服に着替えた状態で待ち構えていたのだ。

 いつもは毛先がロールされているはずの色艶のいい金髪が、まだセットされていないのかそのままになっており、後ろ髪も少し外跳ねしているため、彼女が今日は例外的に急いでいることは明白だった。

 よく見れば鞄も持っているし、朝の支度に時間が掛かるはずのお嬢様が、なんと既に準備を終えてしまっている。何事だコレは。

 

「紀依、おは」

「おはようさん。……ヒカリ? もしかして今日は、衣月を一緒に送ってくれるつもりで?」

「え、えぇ。というより今までは任せきりになってしまっていたので、これからは毎朝ご一緒させて頂きたいですわ」

 

 俺個人としては衣月の要望に従っていただけだから、申し出は素直に嬉しい……けど、ヒカリはいいのだろうか。

 

「構わないけど……あぁ、いや、何でもない。行こう」

「うん」

「はいっ」

 

 どう見ても身だしなみが整ってないというか、無理して朝の支度を時短したように見えるのだが、そこを指摘するのは野暮というものだろう。

 せっかく衣月や俺のために急いでくれたのだから、ここは厚意に甘えるべきだ。

 というかそもそも、女子の身だしなみについてとやかく口を出せるほど、俺は偉い人間ではない。

 

「紀依、手」

「え。……いつもは繋いでないだろ?」

「今日は特別。光莉(ひかり)も」

「あっ、は、はい」

 

 言われるがまま手を繋いだ。

 衣月の両手は俺とヒカリで埋まってしまっている。

 なんだこの状況。

 まるで子供を遊園地に連れてきた夫婦みたいに、衣月を挟んで間接的にヒカリとも手を繋いでしまっている。

 これ、衣月は恥ずかしくないのか……?

 

「手を繋いで、仲良し」

「お前がいいなら構わないけど……なんか悪いな、ヒカリ」

「いえいえ、兄妹が出来たみたいでわたくしも楽しいです。ふふっ」

 

 確かに、はたから見れば兄弟姉妹にも見えなくもない。全員髪色は違うけど。

 急に手を繋ぎたがるだなんて、衣月にも年相応な可愛らしさがあって安心した。その調子でまだまだ小学生のままでいておくれやす。

 

「紀依。今日はなんと、給食に黒毛和牛が」

「すげぇなそれ、俺も食いてぇわ」

「来る?」

「お兄さん校舎に入ったら捕まっちゃうから……」

 

 そんな感じで衣月といつもの雑談をかわしていると、彼女の隣を歩くヒカリが小さく呟いた。

 

「……衣月さんには普通に……やはりわたくし達だけ……」

 

 何のことをブツブツと呟いているのだろうか。

 少々怪訝に思いながらも、気がつけば衣月の登校班と合流。

 彼女を班の子供たちに任せ、俺たちはバスで学園へ向かうことに。

 

 

 そこで──ふと思い出した。

 

 俺はもう二度と逆恨みによる犯罪者を生まない為に、数日前から一般人の前ではヒーロー部のメンバーとは、一定以上の距離を置くと決めていたのだ。

 先ほどの人気の無い住宅街や、幼い子供たちの前でならともかく、このままヒカリと一緒にバスに乗るのは、自殺行為にも等しいと思う。

 まちがいなく、バスの中は登校中の学園の生徒が過半数を占めているのだから。

 

「アポロさん。バス、もう来ていますわよ?」

「えっ。あ……」

 

 ヤバい、どうしよう。

 普通にヒカリが乗車したら、当然彼女は注目の的になるだろう。

 いつもは別々の時間帯のバスに乗っているので問題なかったがコレはマズい。

 全く知らないんだけど、ヒーロー部であるヒカリが乗車したら、車内の空気ってどう変化するんだろうか……。

 

「出発ですわ~」

「ちょ、おいっ、押すなって……」

 

 普段より幾分かゆるい雰囲気のヒカリに背中をグイグイ押されて、結局そのまま同じバスに搭乗してしまった。

 

「ゎっ、みて、あれグリントさんじゃない?」

「えぇっ、マジ? ほ、ホントだ……綺麗な金髪……」

「この時間に乗ってるの、初めて見た……!」

 

 や、やばい。

 物理的に逃げ場を失ってしまった。

 

「奥が空いていますわね」

「ヒカ──ぐっ、グリントが座るといいよ。俺はこっちで立ってるから」

 

 これが今の俺に出来る最大限の応急措置だ。

 乗るのが偶然同じだっただけで、別に仲良しでも何でもないと周囲にアピールしなければ。

 あと名前呼びも禁止で。

 

「二人分空いていますから。さぁさぁ」

「まっ……!」

 

 あ、あんまり一緒にバス乗ったことなかったけど、こんなにグイグイ来るタイプだったっけ……!?

 なんか今日のヒカリ、おかしくね……?

 彼女に誘導されるがまま一番奥の座席に腰を下ろすと、まるで当然のように金髪お嬢様は俺の隣に腰を下ろした。距離感近すぎてこわい。

 

「アポロさんったら、今更苗字呼びなんてされなくてもよろしいのに」

「い、いや、俺が気にし──ぃ゛……っ!?」

 

 かっ、肩がくっついている!

 何なら服の上からでも分かる程に大きさを主張しているヒカリの巨峰が、俺の二の腕にふわっと当たってしまっているぅ!

 とっ、と、とんでもなく柔らかい。俺は今日死ぬのか?

 

「ぇっ、あの男子、だれ……?」

「すっごい仲良さげだけど……くっついてるし」

「グリントさんと一緒に登校したくて、次の時間帯のバスは男子で溢れかえってるのに……抜け駆けってやつ?」

 

 とんでもない誤解を生んでいる。実際は抜け駆けどころか、ヒカリ側がこっちに合わせてきてるんですけど。ぼくわるくない。

 ていうかやっぱりヒカリの人気って凄まじいな。学生以外の乗客もチラチラと此方へ視線を飛ばしている。とても肩身が狭いです。

 

「おい田中、起きろ……! グリント先輩いるぞ!」

「うぇっ? そういう嘘はもう聞き飽き──なッ!?」

 

 あぁもうやだ帰りたい。有名人の友達とかいう立ち位置、本当にいろいろとやりづらくて辛い。

 ここはいっそ不愛想な態度をとって、ヒカリを幻滅させるか。

 そうすれば呆れて俺から離れてくれるかもしれない。

 ……いや、それを引きずって部活内の空気を悪くするのは、もっとダメな気がする。あれ、もしかして詰んでる?

 

 

「……アポロさん、もしかして何か悩み事がございますの?」

 

 いまこの状況が悩みの種だよ。察して欲しい。

 ──という心境が表情に出てしまっていたのか、ヒカリは少しだけ気落ちしたような表情に。

 しかしかぶりを振って、彼女はもう一度俺の方へ首を向けた。

 その瞳には芯が通っている。

 

「わたくし、昔は……ヒーロー部に入るまでは、ずっと一人でしたわ」

 

 唐突に始まる過去語り。俺はどんな顔をしていればいいのだろうか。

 何を思ったのか、彼女は今までの半生を俺に教えてくれた。

 

「ですから、どんな事も自分の中に溜め込んで、誰にも相談せずに生きてきました。でも今は、それが間違いだったと分かります。

 ……アポロさん。もし、一人で抱え込んでいる悩みがあるのでしたら、わたくしにもお話しして頂けませんか?」

「ひ、ヒカリ……」

 

 シリアス顔で手を握ってくるの、本当に勘弁してほしい。

 振りほどけないしドキドキするしで身が持たない。周囲もかなりざわついてる。やばいって。

 

「……衣月さんを守る旅のとき。悪の組織に洗脳されたとき。そして、魔王と戦っていたとき、すぐそばで本当の黒幕(警視監)が逃げようとしていた事も知らず。

 わたくしはいつもアポロさんの足を引っ張るばかりで……加えて、多くの責任を貴方一人に背負わせてしまっていた」

 

 ちょっ、すごい深刻そうに話してるけど場所が悪すぎるって!

 はたから見ると俺たち、手を繋いでイチャついてるようにしか見えてないんだってぇ!

 

「アポロさん」

「っ!?」

 

 ぎゃあ! 顔が近い! 顔が良すぎる……遠慮もなさ過ぎる……。

 

「どうか、わたくしに変わるチャンスをくださいませんか。

 ヒーロー部に入ってから……いえ、貴方がいなくなってしまうまでずっと、わたくしはレッカ様に──レッカさんに盲目なばかりで、周囲がまるで見えていませんでした。

 テレビや雑誌で持ち上げられているだけの、見せかけだけのわたくしではなく、本当の意味でこの世界を救ったのはアポロさんなのだと、身をもって重々承知しております。

 ……たくさん痛い思いをして、たくさんの人を救ってきた貴方に、もうこれ以上……傷ついてほしくないのです」

 

 怒涛のマシンガントークで場の雰囲気を掌握するヒカリ。

 会話の内容は聞かれていないものの、真剣な顔をした彼女の姿から、周囲の人間たちもヒカリが俺に対して真面目に何かを告げているであろう事は理解している様子だった。

 

「なんとしても重荷にはならぬよう、最善を尽くし努力して参りますわ。ですから、どうか、どうか。わたくしを──わたくしたちを、お傍に居させてくださいませんか。

 遠くへ行かないでください……まし」

 

 どうやら、この状況に於いては。

 

 この場限りで考えると、俺が勝手に遠い存在だと決めつけていた有名人(ヒーロー部)の少女は、逆に俺を遠くに感じてしまっていたらしい。

 そして俺が彼女らとコミュニケーションを取らないように距離を置いたから、こんな腹を壊すレベルのシリアスな言動を、ヒカリから引きずり出してしまう事になったのだ。

 

 ……さすがに、配慮が足りなかったか。そこまで突き放していたつもりは無かったのだが。

 まさかこれほどヒカリからの俺への評価と好感度が高かったとは、夢にも思わなかった。

 口ぶりからして他のメンバーも同じ事を考えている可能性が浮上してきたし、ヒカリのシリアス度合いを鑑みると──もしかして、結構シャレにならない事態になってます?

 

 こっちとしてはほんの少し距離を取れればよくて、別に縁を切ろうだとか、そういうつもりは毛頭なかったんだけども……ヤバいかもしれない。

 

「……すまん、分かった。悪かったよ」

「わる、かった……?」

 

 とりあえずはこの場を収めたい。少なくともヒカリには俺の考えを伝えておこう。

 

「ヒーロー部って有名になっただろ。でも俺はただの学生だし、そんなどこの馬の骨かも分からない俺がお前らと絡んでると、面白くないって感じる連中も少なからずいるんだ」

「そ、そんな……」

 

 あまり正直に伝えたい事ではなかったが、手を握られてこんな間近まで迫られてしまったら、とても嘘で取り繕える気がしなかった。それこそコクに変身して、完全に気持ちのスイッチを入れ替えないと不可能だ。ここで変身は出来ないから選択肢にすら挙がらない。

 

「それで俺に嫌がらせする為に結構危ない事をした奴もいたから……その、人前では少し距離をとろうと思って。本当にそれだけなんだ、変に心配かけてごめん」

「…………」

 

 お、怒った?

 

「……それは、アポロさんの責任ではありません」

「えっ。──ちょっ!?」

 

 神妙な顔つきになったヒカリが一瞬だけ固まり。

 一体どうしたんだと顔を覗き込もうとしたその瞬間、彼女は俺の腕に抱き着いてきた。

 とんでもない事をしている。急にバグったんだけどこの子。

 

「なっ、なにしてんです……っ!?」

「わたくしたちの責任ですわ。今までアポロさんという存在を主張しなかったから、そういった方々が現れてしまった。

 なのでアポロさんは()()()()()()()()なのだという事実を、これより皆さまにアピールいたします! 知り合いだと認知すれば文句も出ないと思いますの!」

 

 そうかな……? そうかも……。

 いや、でもそれにしたって腕に抱き着くのは違くありませんか?

 ちょっとおっぱいが大変な事故をおこしてるんですけどもこれは知り合いアピールというよりもっといけないもののアピールをしているような──

 

「あっ、到着しましたわ。このまま一緒に」

「マジで勘弁して!! 仮にカップルでもそんな登校はしないだろッ!?」

「これくらいしないと意味がありませんことよ! 一緒に教室へゴーですわ!」

 

 あり得ないことが起きてまーす!! この女まともじゃないと思いますー!

 ほらいろんな生徒が驚いてるっていうか引いてますよ! バスおりた瞬間から母校なのにアウェーを体験している……。

 

「グリントさんだ、おはようござ──ぁ?」

「皆さまごきげんよう。さっ、同じ部活メンバーのアポロさん、遅刻しない内に登校してしまいしょうね」

「お前ちょっと白々しすぎない?」

 

 確かに知り合いアピールをするってのは間違いではないと思うんだが、そのために腕を組んで登校ってのはぶっ飛んだ発想が過ぎるだろ。これ一般生徒よりもレッカに見られた場合の方が危険な気がしてきたぞ。

 

「ひっ、ヒカリさん!」

「あら? 風菜さん、ごきげんよう」

「少しだけキィ君を借りてもいいですか!」

 

 突然空から現れた風菜が、周囲にパンツがチラ見えしている事も気にせず、俺たち二人に迫ってきた。

 え、なに。

 もしかして俺の事情を察してたのか。もしくはヒカリが爆速でヒーロー部の連中に情報共有したとか。

 

「……ふふっ、なるほど。風菜さんも遂に吹っ切れましたのね」

「は、はい。やっぱりいつまでも悩んでちゃ先に進みませんから」

「承知いたしましたわ。ではアポロさんをお貸しいたします」

「ありがとうございます!」

 

 待ってあれおかしくない? もしかしなくても今のやり取り、俺の意思が介在する余地なかったよね。 本人なのに……。

 はい、周りをご覧ください。みんなざわついてるどころか、ヒカリと風菜に取り合われてるように見える俺を前にして、遠くにいる男子諸君の顔が既に半ギレと化していますね。胃が壊れそう。

 

「来てください! キィ君っ!」

「お、おい待てって……! お前ら急に暴れすぎ──」

 

 

 ……

 

 …………

 

 

 校舎裏に連れ込まれた。ヒカリがふっ切れてから展開のスピード感が凄まじいんだが、時間が加速してないか?

 

「きっ、キィ君、これ……!」

「何なんだよ……」

 

 風菜は何故か顔を赤くしていて、周囲を見渡して誰も付いてきていないことを確認すると、ポケットから何かを取り出して俺に手渡してきた。

 それは──

 

「ごっ、ゴム!?」

 

 この女が以前の事件の時、俺のバイト先で購入したコンドームであった。

 いったい何のつもりでコレを手渡してきやがったんだろうか。下ネタを引きずるのも大概にしとけよお前。

 ていうかこれ、洗脳された状態で買った物じゃなかったっけ。

 

 …………ちょっと待て。

 風菜って確か……催眠に耐性あったような。

 そうなるとコイツ──自分の意思でこれを買いに来てたのか? なんて女だ。俺では絶対に勝てない。

 

「あのっ、あたしがコレを買ったから……キィ君のアルバイト先でこんなものを買っちゃったから、キィ君はあたしっていう知り合いのせいで、隣のレジにいたあの女の子に引かれちゃって……ぉ、怒ってるんですよね……?」

「は? ……えっ、あ、いや怒ってはいないけど」

 

 めちゃめちゃ見当違いな認識されてるじゃねぇか。

 そんなバイト先で避妊具を購入した友人にキレるほど面白い人間ではないんだぞ俺は。

 

「ごめんなさい! あたしっ、男性器を生やす魔法が実用段階に入ったから、こっそり買って確かめようと思ってたんですけど!

 ……その、なんかたくさんの女子たちが並んでゴムを買っていたから、あたしも紛れたらバレないかなぁって思って。……あ、あの、本当にキィ君がアルバイトをしているところとは知らなかったんです! ごめんなさいっ!」

 

 すごい謝ってきてるけどこの女ヤバいな? あんな魔法をガチで研究してやがったのか。実用段階にまで漕ぎつけたのは素直にすごいと思いました。

 ていうか大量の女子生徒が並んでコンドームを買ってたらまず事件性を察知してくれ。カモフラージュ目的で並ばないで……。

 

「それで、何でわざわざ俺にゴムを……?」

「つ、使ってください」

「……????」

 

 風菜ちゃん本当に怖い。何を言っているのか理解できない。

 

「おっ、お詫びというか……それ、あたしに使ってくれていいですから!」

「冷静になってくれ。本当に頼むから」

「……なので、あの、ゆ゛っ、ゆるしでください……っ。キィくんともコクさんともっ、いづもみたいにお話しがしたいんですぅぅ゛……ぬっ、脱ぎますからぁァっ……!」

「やめっバカお前まてこんなとこで脱ぐなッ!? たっ、たすけてーっ!! れっちゃーん!!! おとなしーッ!!! だれかこの子とめてェーっ!!!!」

 

 



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市民のヒロイン

阿井上夫さんより、ゲームのパッケージを彷彿とさせる素敵な集合イラストを頂けましたのでご紹介致します!
https://twitter.com/aiueo8371/status/1441715692475084811?s=20

指でハーレム何号かアピールしていますねぇ!(小学生並の感想) チラッと横に映ってるヒロインたちも可愛い
一族で受け継いでいく家宝にします



 風菜に迫られた日の放課後。

 

 

「妹が大変ご迷惑をおかけしました」

「いえいえ……」

 

 なんとか彼女を落ち着かせて、コミュニケーションが暴走しがちなヒーロー部を上手く躱しながらこの日を乗り切り、俺は誰に目にもつかないようコッソリと帰宅をしていた。

 そしてその数分後に、自宅に来客が訪れた。

 事前にスマホへ『お家にお邪魔させてもらってもいいかしら?』という旨のメッセージを送っていた、部活メンバーの一人。

 

 風菜の双子の姉こと、カゼコ・ウィンドだ。

 自分の家に女の子をあげて、あまつさえタイマンでお話をするなんて生まれて初めてなのでバキバキに緊張しています。バキバキ童貞、バキ童です。

 こんな時に限って何でマユちゃんは家にいないの?

 

「大体の事情は察したけれど……解決策ならいくつか思いついてるわ」

「ど、どんな感じのヤツ……?」

 

 カゼコは色々あって俺の現状をある程度把握しているようだった。

 ヒーロー部に所属しているが、肝心の部活動メンバーと一緒にいると周囲から目の敵にされる──という詰んだ状況であるという事を。

 

「常にレッカと一緒にいる、もしくはアンタも裏で活躍してたって情報を、テレビやネットを通じて拡散させる……とか、それくらいかしら」

 

 正座でお茶をすすりながら告げたカゼコの案は、なるほど合理的なものだと思えた。

 レッカと一緒にいれば、少なくとも襲われることは無い。世間一般の認識で言えば、ヒーロー部で最も強いのはレッカという事になっているから、下手に手出しは出来なくなるだろう。

 俺の今までの旅の活躍をネットに拡散するというのも、なかなか悪くない方法だ。

 確かに実績だけで考えれば、俺もヒーロー部と共に活動していたわけだから、少なくとも『どこの馬の骨とも知らぬ奴』ではなくなると思う。

 カゼコの提案した案は、どれも根拠がしっかりしたものだ。

 

 ……なのだが。

 

「普通に考えてずっとレッカの傍に居るのは……」

「まぁ、物理的にムリね」

「今更『実は部員がもう一人いて、裏ではヒーロー部と一緒に頑張ってました』なんてアピールしても……」

「信憑性の欠片もないし、証拠も映像も残ってない。警視監の撃破に至っては、あの時のアンタはコクの姿だったから……証明するってなると全世界に、コクと二重人格の細かい事情を赤裸々に公開しなきゃいけなくなるわ」

「……やだ」

「分かってる」

 

 という事であった。

 つまりは俺のワガママだ。

 さすがにコクなどの俺がついた嘘の諸々を世界中にも共有させるのは……何というか、気が引ける。あまり大規模な話にし過ぎると、本当に一つも逃げ場が無くなってしまう。

 俺を妬んで嫌がらせをしてくる人間が増えることを踏まえても、どうしてもそこだけは譲れなかった。

 元を辿ればレッカのヒロインごっこをしたかっただけで、世界中を巻き込んだ物語を展開したかったわけでもないし、これ以上無闇にコクを拡散させたくはない。

 

「なぁ、カゼコ」

「うん?」

 

 短いスカートで正座してるせいか、太ももの奥の秘境が見えそうになっている事に気がつき、反射的に彼女から目を逸らしつつ声を掛けた。

 

「俺、やっぱりヒーロー部をやめ──」

 

 言いかけた瞬間チラリと彼女の方を見ると、お茶を飲んでいるカゼコがジト目になったのが視界に映ったため、口に出そうとした言葉を引っ込めて軌道修正。

 

「──るわけにはいかないから。……やっぱ、地道に部活で頑張っていくしかないと思うんだ。一年前のカゼコたちがやってたみたいにさ」

「……はぁ。まあ、そうなるか」

 

 露骨に言い直したことを察しつつも、特に指摘はしてこなかった。俺が考えるようなことは最初からお見通しだったのかもしれない。さすがお姉ちゃん。

 

「なら、部に届いた依頼はみんなアンタに回すことにするわ。全部とはいかないけど、できる限りたくさん割り振る。

 街でいっぱい依頼をこなしていれば多少は認知されるだろうし、少なくとも『素性の知れない謎の男子生徒』ではなくなるでしょ」

「……それ、大丈夫なのか? あっ、俺のことじゃなくて」

「わかってるわよ、皆が心配してついてこないか、でしょ?」

 

 その通りだ。

 俺一人で活動し、俺自身がヒーロー部の部員として認知されることに意味があるため、他の部員と一緒に活動していたら『自分も頑張ってますよアピールをしているヒーロー部の金魚のフン』みたいな扱いを受けるかもしれない。

 ひねくれた考えかもしれないが、現に俺が洗脳でヒーロー部に取り入っただとか、とんでもない勘違いをする輩も出ているのだ。考えすぎるくらいが丁度いい。

 多少……いやかなりの重労働だとしても、そうしなければ俺は彼らの隣にいられないのだ。

 

「ま、部員の皆はあたしがうまく誤魔化しておくから。……てかアンタこそ、結構大変な数のお助け要請を受ける事になるけど、そこ平気なの?」

「だーいじょぶだって、んな難しい事を求められてるわけじゃないし」

 

 少なくとも世界中のあらゆる場所から、命を狙われながら逃げ続けるよりかは、格段に要求値の低い事だ。大変だが、こなせない道理はない。

 

「……そうですか。決意は固いみたいね」

「わるいな、カゼコには皆を騙すようなマネを……」

「気にしないでいいってば。アンタのに比べたら大したことないし」

 

 部員たちをうまく誤魔化すのはそれなりに大変そうだと思ったのだが、彼女からすればお茶の子さいさいのようだ。やはりお姉ちゃんは格が違った。

 

「あっ、そうだ」

 

 何かを思いついたのか、両手を合わせたカゼコの、緑髪のサイドテールがふわりと揺れた。

 

「キィ、あんた風魔法をよく使ってるわよね。気に入ってるの?」

「気に入ってるっつーか……まぁ、使いやすくはあるかな。風菜にコントロールも教わったし」

「じゃあ基本的な技能は身に付いてるワケね。……うんうん、よし」

 

 藪から棒に何なんだ。風魔法の話が始まってから、急にカゼコの目がキラキラし始めたぞ。

 なに、風魔法オタク?

 

「やる事も増えるんだから、出来ることも増やしといた方がいいと思うの」

「それは、そうかも」

「でしょ! この際一緒に風魔法を鍛えましょうよ。アンタの知らない風魔法、この機会にいろいろレクチャーしてあげるから。……ふふふ、レッカとか他の皆は付き合ってくれなかったから、腕が鳴るわ……」

「お、おう。よろしく……」

 

 勢いに負けてつい承諾しちゃったけど、コレ本当に大丈夫なのだろうか。既に不安になってきた。

 

「依頼の何もかもをキィに任せるのは無責任だし、バレないようにあたしも陰からコッソリ手助けするから。で、空いた時間に魔法の勉強をしましょ。はい決まり」

「い、いや待てカゼコ。やっぱり今のは──」

「放課後、二人きりで……ねっ?」

「はい」

 

 勢いに負けてよかった。カゼコの世界一レベルで様になってるウィンクを前にして、俺にはその思考しか許されなかった。

 明日から放課後は人助けをしつつ、翠髪美少女と二人きりで秘密の特訓だ。ひゃっほい。

 

 

 

 

 ──死 ぬ ほ ど 忙 し い 。

 

 アレから一週間が経過しているが、俺の学生生活は社畜そのものだ。学生なのに社畜とはこれいかに。あまりにも多忙すぎて禿げそうです。

 バイトをしながらヒーロー部の職務を一手に担うという行為の重みを、一週間前の俺は理解していなかったようだ。反省してくれポッキー。

 

「あ゛ぁー……つっ、かれた……はぁ」

 

 暖かい昼は身を潜め、肌寒い風が夕暮れを乗せて首筋を撫でた。

 身震いしながら公園のベンチに腰かけて、体の中から疲労を吐き出すように溜息をする。もうしばらくは立ち上がりたくないと、体全体が主張しているかの様な気だるさだった。

 

「人気すぎだろ、市民のヒーロー部とかいうグループ。ただの高校の一部活じゃないの……」

 

 レッカたち部員が、世界的に名の知れた著名人になってから、ヒーロー部への依頼の量は右肩上がりだ。

 相変わらずアプリの方に来る依頼は少ないが、それを補って余りあるほどの大量の依頼が、電話や魔法学園公式サイトを通じて、ヒーロー部に流れ込んできやがるのだ。

 迷子のペットを一匹探し出すだけでも一苦労だというのに、ボランティアの手伝いや街のイベントのサポートなど、助けが本当に必要なのか怪しい依頼まで紛れ込んでいるため、単純に活動量が異常だった。

 

「……ていうか、今日もだいぶ嫌な顔されたな」

 

 はは、と自嘲気味に笑い飛ばしたが、やはり気分の良いものではない。

 ぶっちゃけた話、依頼主たちはヒーロー部のメンバーに会いたいとか、もしくは彼らの知名度を利用して人を集めたいだとか、そういった裏の事情が透けて見えるような連中がほとんどだ。

 なので、華のある彼らではなく、知名度の欠片も無い俺一人が『ヒーロー部でーす』と依頼解決に赴いても、依頼主たちは分かりやすいため息を吐いて、物凄くテキトーに扱ってくるのが、ここ一週間の現状である。

 期待外れ、お前じゃない、そんな言葉を胸中に留めながら、奴らは表面上だけ笑顔のまま接し、終わればさっさと俺を追い出していった。

 

「……さむっ」

 

 前方から木枯らしに吹かれて、反射的に身震いした。早く帰った方がいいのは分かっているが、体を動かすのがとても怠かった。

 求められていないのは、最初から分かっていたのだ。

 だが、実際に雑用のような扱いをされると、意外なほどムカっ腹が立つ自分もいるのもまた事実だった。

 ヒーロー部も最初期はこんな感じだったんだろうな……と、彼らの苦労を慮ることで耐えたが、これがこの先何ヵ月も続くのだと考えたら──少し、嫌になってくるかもしれない。

 

「どーすっかな……流石に、まだ大丈夫だけど……」

 

 このままだとストレスで頭がおかしくなって、また周囲を顧みない壊れた美少女ごっこを始めちゃうぞ。どうにか自分をコントロールしないと社会生活に支障が出てくる。

 カゼコのおかげでやれる事自体は増えてるし、彼女のサポートもあってか、まだ耐える事は出来ているが、それも時間の問題な気がしてきている。

 このままだとカゼコに甘えきりの、カゼコお姉ちゃんたすけてルートに突入するかもしれねえ。……レッカとの二択になって、結局俺がフラれる未来まで見えちゃった。かなしいね……。

 

 

『うわああぁぁァァッ!!』

 

 

 コクの声でバーチャル配信者にでもなってオタクから金を巻き上げてやろうか──なんて邪悪な思考が脳裏によぎったその時。

 遠くから年若い男性の悲鳴が、俺の耳に飛び込んできた。

 

「…………マジか。……えぇ、まじか……」

 

 レッカやヒーロー部の女子たちなら、思考する前に声の方向へ飛び出していけるのだろう。

 しかし、俺が今までに思考抜きで助けに飛び込めたのは、衣月とマユの二人だけ──つまり身内だけなのだ。

 面倒ごとに巻き込まれたくない心と、危険なイベントには頭を突っ込みたくない恐怖が、俺の足を地面に縛り付けている。

 というかこの街、危ない事象が起こり過ぎてない?

 

『だずけてーッ!!!』

 

 悲痛な叫びに頭を叩かれたような気分だった。

 流石に見て見ぬふりは出来ないと、頭の中をリセットする。

 

「が、がんばれポッキー……、お前ならできるぞポッキー……!」

 

 以前、一度だけ怪人から子供を庇ったことがあり、それを思い出した。

 命を投げ出すつもりはないが、少なくとも助けに向かえる行動力はあるはずなので、俺は『自分は出来る』と半分自己暗示をしながら、声が聞こえたビルの路地裏の方へと駆け出すのだった。

 

 

 

 

 

 

 駆け付けたその場所では、両手にメリケンサックを装着した大柄な男が、魔法学園の制服を着た男子生徒を襲っている姿があった。

 

 男子の方は以前見たことがある。

 校門で俺の腕にヒカリが抱き着いていた時、遠くから恨めしそうな視線で睨みつけていた生徒だ。

 言わずもがなヒーロー部のファンであり、俺を快く思っていない人間の一人である。

 とはいえ彼も一般市民。

 助けないわけにはいかない為、メリケン男を突風魔法で怯ませ、その隙に彼を俺の後ろに庇った。

 

「お、お前っ、グリントに抱き着かれてた男子……!?」

 

 やっぱそういう認識になってるのね……。

 連鎖的にあらぬ誤解が生まれそうだし、ヒカリといる時はもっと距離感を意識しよう。

 

「きみ、名前は?」

「えっ? さ、サイトウ……」

「俺はキィだ。サイトウ君、今のうちに警察に電話を」

「むっ、無理だ! さっきあの男にスマホを奪われちゃって……」

 

 言われて前方に向き直ると、メリケン男が素手でスマホを握りつぶしていた。あの握力は人間やめてない?

 

「じゃあ俺のを使って──」

「禁止ィィィィィィッ!!!」

「おわっ!?」

 

 ズボンのポケットから携帯を取り出したその瞬間、メリケン男が壊したスマホの破片を、俺たちに向かって全力投球してきた。

 狙いすましたかのように破片は俺のスマホに直撃し、路地の奥へ吹っ飛ばされてしまった。

 振り返ると、スマホは煙を立てながらバチバチと嫌な音を響かせている。どう見ても完全に破壊されてしまったようだ。

 人通りの少ない路地裏。

 後ろは行き止まりの壁。

 機転が利いた相手の行動により、俺たちは完全に孤立してしまったのだった。

 

「禁止、禁止、禁止ッ! 拘置所の刑務官はそればっかりだったので! ……オレも倣って禁止してみた。どう?」

「……よくできました、って言えばいいのか」

「いらねェよこのクソガキィッ!! ありがとう」

 

 ヤバイ。やばいやばい。

 待って、本当にコレはまずい。なにアイツ。何なのマジで怖すぎる。

 完全に情緒がぶっ壊れちゃってて、まるで話が通じないんだが。もしかしてバトルアニメ出身の方?

 少なくとも学園生活で四苦八苦してる学生の前に出てきていい敵キャラではないだろ……。

 

「あっ、あいつ! テレビで見た事あるぞ!」

 

 知っているのかサイトウ!?

 

「数ヵ月前に死刑判決が出てた凶悪犯だ……も、もしかして脱獄を……っ!」

 

 解説してくれたサイトウ君の顔が青ざめた。どうやらマジで相手は死刑囚のヤベー奴だったらしい。

 バキバキ童貞のバキ童、最凶死刑囚編が開幕してしまった。冗談じゃねぇぞおい。

 

「……なんでオレが死刑なんだ? 顔面をグチャグチャにしただけなのに」

 

 自分で理由を言っちゃってるじゃん……。

 

「そうそう、整ってる顔を見るとイライラするんだよな。だからグチャグチャにしたくなる。とりあえずオレと同じくらいにはグチャグチャになって貰わないと、とても困る」

 

 いや誰も困らないから! お願いだから自制して!

 

「お前えええぇぇぇっ!!! ……普通だな。イケメンじゃあない。普通だ。髪ぃ真っ黒だし、組織に聞いた()()()とかいうヤツではない」

 

 組織ってたぶん、警視監が言ってた正義の秘密結社ってヤツの事なんだろう。

 まさか一般人に危険な魔法を渡すだけではなく、死刑囚レベルの凶悪犯までもを脱獄させるなんて、あまりにも無法すぎる。

 自分たちが所有する怪人だけで組織を構成していた悪の組織の方がマシに見えてくるレベルだ。正義の秘密結社は見境が無さすぎるぞ。

 

 ……なんで俺がこんな事考えないといけないんだ? バトルアニメの住人ではないんですけど……。

 しかしレッカが狙われてるとあれば話は別だ。

 少なくともコイツだけは、この場でなんとかしなければ。

 

「殺さないッ! お前の顔面は普通だが、やはりグチャグチャにする。殴りまくって顔面をグチャグチャにするだけだ! 殺しはしない、安心しろ」

「今のセリフの中に安心できる要素がどこにあったんだよ」

 

 イカレ野郎だ。野に放ったままにしていい人間じゃないのは確かなんだ。

 倒せるかどうかは半々だが、逃げるという選択肢はない。そもそも逃げられないからだ。

 

「き、キィ……どうするんだ……!」

「逃げたいところだが逃げられない。風魔法で宙に浮いても、空中浮遊のスピードでは奴の投擲を躱せないんだ。立ち向かうしか手は残されていない」

「立ち向かうったって、あんなヤベー奴に勝てるワケないだろ!?」

 

 そう考えるのが普通だ。サイトウの言っている事は正しくて、何もおかしなことはない。

 俺だって衣月を守る旅に出る前だったら、きっと同じことを口にしていただろう。

 しかし今の俺は、良くも悪くも普通ではない。

 こういった悪に立ち向かえるだけの経験がある。

 衣月と音無からは勇気を、風菜とカゼコには戦う為の手段を与えて貰った。

 もう敵を前にして怖気づいたりはしないし、あまつさえ守らなければならない存在が後ろにいるのだから、猶更退くわけにはいかないのだ。

 

 ……た、戦うぞ。がんばれポッキー!

 

「下がってろ。怪我をしないように離れているんだ」

「えっ? ま、まさか」

「早くッ!」

 

 急かすと、ようやくサイトウは俺から離れて、壁にへばりつくように身を固めた。

 これでようやく戦える──そう考えた瞬間。

 唐突にメリケン男が駆け出した。

 

「お前の顔面を治せなくしてやるよぉッ! 殻が割れた生タマゴみてぇになあーッ!!」

 

 変わった比喩表現をお使いになりますねと、煽る暇もないスピードだ。

 鋼鉄のメリケンサックを装着した右手が、何の迷いもなく、一切の躊躇なく俺の顔面に伸びてきた。

 ある程度は予想していたが、本当にヤツの狙いは顔面のみだったらしい。

 

「っぶね!」

 

 体を動かすだけでは間に合わない為、更に風魔法で自分の肉体を吹き飛ばし、横へ吹っ飛ぶ形で攻撃を避けた。

 

「あ゛ぁ゛ッ!?」

 

 叫びながら、誰もいない場所を殴りぬけるメリケン男。

 奴の拳は空を切ったわけだが、そこはまるで金属バットをフルスイングした様な、凶悪な轟音が吹いていた。

 ……やっば。

 当たってたら首が千切れてたんじゃねぇの、アレ。

 

「こわすぎる……」

「反射神経だけは一人前じゃあねぇか。ただの高校生のガキだと思ってたが、意外とやるようだな」

 

 初撃を躱した程度で、そこまで過度な期待はしないで欲しい。

 こっちとしては向こうが本気を出す前に決着をつけたいのだ。

 というわけで先手必勝──この場合は後手になるが、ともかく攻撃を避けてからは俺が仕掛ける番だ。

 

 カゼコに教わった護身用の風魔法を使う時が来たようだぜ。

 

「空気弾ッ!」

 

 指を二本前に突き出す鉄砲の形に変え、叫んだ瞬間目に見えない高速の風が射出された。

 これは空気を圧縮して魔法でコーティングし、物体にしてから弾丸の様に発射する技だ。

 わざわざ名前を叫んだのはカッコつけたわけではなく、口に出して正確に意識しないと、魔法のコントロールが上手く出来ないからである。既に風魔法のエキスパートである風菜やカゼコは無言で発射できるらしい。すごい!

 

「オレにはバリアがある。無駄だ」

「……マジで」

 

 メリケン男の周囲に半透明の壁のようなものが出現して、本当に弾かれちゃった。ウソでしょ。

 

「う~~ん。やはり組織からバリア魔法を受け取ったのは正解だった。ただ暴れるよりも効率が良い」

「……暴れるのが目的なのか。幼稚だな」

「なに?」

 

 困ったので適当に会話で時間を稼ぐ事にした。

 この間に魔力を指先に集中させつつ、バリアで現状ハイパームテキになっているコイツを、倒せる手段を考えないと。

 

「俺のことをガキだ何だっていう割には、行動原理が幼稚だって言ってんだよ。癇癪起こして駄々こねてる子供となんら変わらねえ」

「キサマッ!! きさま……きさまぁ、なるほど時間稼ぎか? そうはさせんぞアポロ・キィ!」

 

 バレてるぅーっ!!

 うわぁ来たっ!!

 

「あぶっ! ぉ、おまっ、何で俺の名前をっ!?」

「抹殺リストには目を通した! 今思い出したんだよ、お前の顔と名前をなぁッ!」

「──ッ゛」

 

 パンチは数発躱したが、まるでラッシュの様に早いそれを全て避けることは出来ず、頬に一発貰ってしまった。

 男が振り抜いたことで吹っ飛び、付近にあったゴミ袋の山に落下。

 たった一発だというのに、かなりのダメージを受けてしまった。

 

「……ぅっ、鼻血が……っ」

「キサマァ゛ッ! ……なるほど、オレの拳に突風をぶつけて、パンチの勢いを軽減させたか。直撃すれば骨が砕けるはずだからな。賢いぞ、戦い慣れている。ふざけるなぁッ!!」

「まじで、情緒どうなってんだよ……」

 

 ホントに怖いよこの人……。

 鼻の中が切れてしまったのか鼻血が出てきたし──というか脳みそが揺れている。フラフラだ。

 

「うぷっ……」

 

 頭痛がする! は、吐き気もだ! なんてことだ、このアポロが……気分が悪いだとォ……ッ!?

 普通に考えて屈強なムキムキマッチョの成人男性に殴られたら、こうなるのが普通なんだよな。……うわっ、口から歯が一個出てきた。

 

「ハハハッ! いいぞ! 歯が抜けるのは『顔面が崩れる第一歩』だ! ざまぁみろマヌケ面めッ!!」

「こ、こんなガキ相手に本気になって、楽しいのか、おまえ……」

「楽しい……弱い者イジメ大好き……」

 

 ダメだこれ喋りじゃ時間稼ぎができねぇ。

 戦って勝たなきゃいけないわけだが、アイツに勝つには肉体に直接空気弾をブチ込まないとならない。

 当たれば勝てるが、当てる事が出来ない。……詰んでない?

 

「殺してやるぜ~ッ」

 

 お前さっき殺さないって言ったじゃん……。

 クソ、遠距離ではまるで話にならないし、こうなったら少しずつ距離を詰めて、アイツがバリアを張れない距離を探らないと。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「う゛ぅ゛……」

「ギャアッハハハハハ!!!」

「あわわ……キィの顔がボコボコに……」

 

 はい、滅茶苦茶にボコられました。流石に正義の秘密結社が目をつけた人物ってだけの事はあったようで、戦闘技術に関しては圧倒的にヤツが上だった。ちゅよい。

 

 だが何とかギリギリ立てているし、何よりバリアの無効範囲も正確に割り出せた。

 鼻とか完全に折れてるけどもう全身痛すぎて逆に気にならなくなっている。頭が冷静になってアドレナリンが切れる前に、早期の幕引きを図らねば。

 

「い゛っ……今から、テメーを再起不能に……する」

「ハァ? 何処をどう見たらンなことが出来ると思うんだ貴様。いい加減飽きたし、そろそろ顔面ごと頭蓋骨を粉砕してやるからな」

 

 急にめっちゃ恐ろしい事をのたまっているが、どうやら俺には手加減をしていたらしく、痛めつけるのを楽しんでいたようだ。

 それは好都合。

 いい時間稼ぎになってくれた。お前が遠慮していてくれたおかげで、俺はお前に勝つことが出来る。

 

「っ来い……クソ外道。お前のガキ大将みたいなくだらねー暴れん坊人生に、ここで引導を渡してやる」

「~~ッ゛!!? 遂にイカレやがったかアポロ・キィ!」

 

 指でクイクイと分かりやすい挑発をしてやれば、予想通りメリケン男は乗ってくれた。

 突然怒ったり冷静になったりと、掴みどころのない奴だが、少なくとも気性が荒く短気なヤツだという確信はある。

 

「いいか! 最後は華々しく散ろうったってそうはいかねぇッ! 貴様のグチャグチャになった顔面はこの後、オレが『ハンバーグにして食っちまう』んだからな? 貴様の最後はオレのウンコだッ!! ウンコにしてやる!!」

 

 こいつ食人趣味もあったのかよ、とことん救えない奴だな。あと排泄物の名前連呼しないで。

 最初は俺の時間稼ぎに感づくなど、多少の冷静さは残っていたようだが、今は違う。

 明らかに戦闘で疲弊しているし、もう戦闘を楽しむよりも終わらせたいという気持ちが先行していることは、先ほどのセリフからも明白だ。

 冷静じゃないという事は、俺の行動も大して読もうとしない、ということだ。

 

「殴り飛ばしてやるッ! その顔面を叩き潰してやるッ! 死ねアポロ・キィ──ッ!!」

 

 今のヤツには不意打ちが通じる。 

 その一度で、俺は勝てる。

 逆に言えば外した場合は殺される事になるが、殺されそうになった経験なんて、死刑判決を受けたコイツよりも多いんだ。いまさら怯むなんてことはない。

 覚悟はできている。頭の中で処刑用BGMが流れている。絶対に勝ってやる。

 そして俺は壁に背を預け、奴のパンチが届くのを待った。

 

「オレのウンコになれッ! ウンコォォォォォォォォッ!!!」

 

 拳が鼻尖に迫る。

 瞬間、俺は()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「あ゛ぁ゛ッ!! ──…………ぁっ?」

 

 

 繰り出した剛腕の拳は、この俺に直撃することは無かった。

 男のパンチは壁に激突した。

 コンクリート製のビルの壁に、全力で拳をぶつけた。

 メリケンサックが破壊され、右手の骨が砕け、肉が裂けて出血する程の威力で。

 

「……当たらなかったな。無駄だった。お前の『自慢の拳』は、残念なことに俺には届いていない」

「ッ!? なっ、なにィ──ッ!?」

 

 本来なら俺の顔がある場所を殴りかかった。

 奴の狙いは完璧だった。

 だが()()()()()()()()()

 

「あっ、アポロ・キィの姿がッ! いつの間にか『見知らぬ少女』に変化しているッ!?」

 

 メリケン男の拳が俺の顔面に到達する直前に、俺はペンダントを使って『コク』に変身したのだ。

 だから、当たらなかった。

 

「この姿は男の俺よりも()()()()()()()()()からな。女になって急激に身長が縮んだ俺の顔面は『男だった俺の顔面を狙っていた』お前のパンチに当たる事は無かった。縮むことでその位置から俺の顔面が()()()からだ」

「ば、バカなっ、何だその意味不明な変身魔法は!?」

「そして──」

 

 俺は右手を鉄砲の形に変え、拳が砕けて怯んでいるヤツの体に潜り込むようにして胸部の中心に、それをあてがった。

 

「ゼロ距離ならバリアは張れない」

「やっ、やめ──」

 

 奴は最大限まで自分の近くにバリアを張る事が出来る。これまでの戦いでそれは突き止めた。

 そしてバリアが張れない位置とは、メリケン男の素肌そのものだ。スーツの様に肉体を覆う形でバリアを張ることは出来ないのだ。

 慈悲は無い。許しを請われてももう遅い。

 許しならお前がこれまで傷つけてきた多くの人たちに請えと、そんな気持ちを込めて、一言。

 

「空気弾ッ!!」

 

 強く言い放った数瞬後──戦いは終わっていた。

 

 

 

「……き、キィ? やった、のか……?」

 

 奥からサイトウが恐る恐る近づいてくる。

 心臓に空気弾をブチ込まれ、完全に戦闘不能になり俺のそばで沈黙する死刑囚を一瞥し、彼はすぐに俺の方へと首を向けた。

 当然だ。困惑するのも無理はない。

 

「おまえ、その姿は……いったい……?」

 

 何故なら、俺の姿はアポロ・キィではなく、全く見たことのない黒髪のロリっ娘になっていたのだから。

 これ以上外部の人間には明かしたくない秘密だったが、この窮地を脱するためにはこうするしかなかった。

 ……とはいえ、どうしよう。

 とりあえず意味深なことを言ってここを立ち去るのが先決か。俺のことは言いふらさないで貰えると助かるんだが。

 

「サイトウ君は、どっちが本当の姿だと思う?」

「えっ。……そ、それは」

 

 風菜の時と同じやり口だ。芸がないと言われたらそれまでです。

 

「私は……いえ、()()()はこの事を秘密にしている。でも、きみが知った秘密の行使は、きみ自身が決めるべき事。言いふらしても、かまわない」

「そっ、そんな事はしない! お前が秘密にしているのなら、なおさらだ!」

 

 ふふふ、やはり。

 だ、駄目だ、まだ笑うな……こらえるんだ。し、しかし……。

 こういう時は『黙ってて』と言うのではなく、敢えて相手に秘密の公言を許可するものなのだ。そうすればこっちの意思を汲んで、逆に秘密の黙秘を約束してくれる。サイトウ君が良い子でよかった。

 

「グリントたちとの関係も、その……野暮だろ? 聞かないよ。でも、一つだけ……たった一つだけ、質問をさせて欲しい。

 ……お前は、何者なんだ?」

 

 通りすがりの仮面ライダーだ、覚えてお……わっ、めっちゃ真顔。真剣な顔しすぎててふざけた事言えなかった。

 茶化せないなコレ。全然そういう雰囲気じゃない。

 仕方ないからこっちも多少はまともに応対しないと。

 結論を誤魔化すにしても、ほんの少しだけ真面目に、だ。

 真面目に、意味深に。

 

 謎の美少女の雰囲気で。

 

 

「さぁ。言うなれば──市民のヒーロー……かな」

 

 

 小さく微笑み、痛む肩を押さえながらその場を去っていった。

 

 

 

 

 

 

 翌日の朝。

 

 久しぶりに少しだけ謎の美少女ごっこをできた気がして、俺は寝起きから気分が良かった。

 怪我や歯のことは、人体を回復してくれるヒカリの光魔法で何とかなっている。流石にすべての青あざが消えることは無かったが、それらは時間の問題ということもあって気にしていない。身体に数か所湿布や包帯を巻いているくらいだ。

 衣月をささっと小学校へ送り届け、相も変わらず隣を歩こうとするヒカリにはうまいこと他の女子生徒をあてがって躱し、俺は校門に到着した。

 

「おい、見ろよアイツ……」

「ヒーロー部の人たちに気に入られてるからって、調子乗ってる男子だ」

「同じ部活ってだけなのに……!」

 

 ふっふっふ、美少女ごっこによってメンタルが回復した今の俺には、そよ風にも等しい罵倒だぜ。バリアー! 効きませェ~ンッ!!

 

「ポッキー……」

 

 遠くかられっちゃんが不安げな表情で俺を見守っている。

 隣に立つことで俺を守りたいのだろうが、それが根本的な解決にはならないという事を、彼は既に気がついている。

 だが、いずれは我慢できなくなってこちらへ走って来るだろう。いつもの事だ。

 極力周囲は気にしないように教室へ向かおう──そう思って歩き出した、そのとき。

 

「キィっ!」

 

 後ろから男子の声が掛かってきた。

 この学校にキィという苗字の生徒は俺しかいない。俺のことを呼んでいることは明白だ。

 振り返ったところにいたのは、俺を必死に追いかけてきたのか、額に汗を滲ませたサイトウ君だった。

 

「サイトウ君、おはよう」

「えっ。ぁ、ああ。おはよう……って、それより!」

 

 待って、サイトウ君ちょっと声がデカいわよ。

 俺と仲良くしている風に見られたら、周囲から嫌われる可能性もあるので、なるべく手短に済ませてこの場を去ってほしい。彼の平穏な学園生活の為にも。

 

「お礼を言ってなかった。……本当にありがとう、キィ! マジに冗談抜きで命の恩人だ!」

「や、やめて、そんな大声で……」

 

 恥ずかしいから勘弁してほしい。

 さっきの数倍はみんながこっちを見ているぞ。ひぃぃ。

 

「放課後、また会えないか? 何か礼をさせてほしいんだ」

「そんなの別に……」

「頼むっ!」

「……わ、分かったよ。じゃあ、俺を手伝ってくれない? 放課後、街全体でゴミ拾いがあるんだ」

「了解だ! それじゃあまた放課後!」

 

 風の様に走り去っていくサイトウ君。

 なんだろうサイトウ君、いかにも普通の男子って見た目とは裏腹に、結構義理堅いというか……熱いヤツというか。

 とにかく良い子だった。

 これはアポロの評判を上げよう計画の、記念すべき第一歩なのではないだろうか。うへへ。

 

「おはー……あっ。あそこにいんのヒーロー部のキィじゃん。なんかあったの?」

「男子から命の恩人がどうとか言われてたけど……」

「はぇー。ヤバくね」

 

 近くを女子生徒が通りかかった。何で俺の名前知ってるんだろう。ちょっと有名になってるのかな。

 

「そういえばアイツ、この前地区のマラソン大会で設営とか司会とかやってたよ。ウチ参加したから見かけたわ」

「えっ、ヒーロー部の人たちが来てたの?」

「別に? あいつ一人だったけど……」

 

 地区のマラソン大会って、あの子供と元気な老人しか参加してなかったイベントか。景品はお菓子とかお米とかシェイバーとか、そんな感じだった気がする。

 そう言えばあの女子もいたな。唯一と言っていい高校生だったから、よく目立ってたわ。

 弟だか妹だかと一緒にのんびり走ってた覚えがある。こっちに手も振ってくれた。すき。

 

「……ご、ごっ、ご高齢の方と施設で触れ合うボランティアにも……き、キィ君、いた……よ」

 

 さっきのギャルのそばに、前髪がめちゃめちゃ長くて挙動不審な女子が見えた。

 対照的な二人ではあるがあの距離感の近さから見て、どうやら普段から一緒にいる友達ではあるらしい。

 

「ま? 何したん」

「くくっ、く、車椅子を押してお散歩したり……他にもいろいろ……」

「へー。忙しいね、あいつ」

 

 あー、思い出した。あのボランティアか。

 そういや俺の隣で車椅子を押してた変な女子もいたな。アレあの子だったのか。魔法学園の生徒が俺たちだけだったから、やけに注目を浴びてた。

 

「キィー、おはよ」

「ぉ、おっ、おはようございます、キィ君……」

「うぇっ……。お、おう。おはよう……?」

「何でビビってんの。ウケる」

 

 さっきのギャルと根暗っぽい女の子が挨拶をしてくれた。怯んでしまったせいか陰キャ全開の返事をしてしまったが、特に気にする人じゃなくて助かった。

 その女子たちを見送ると、そこでようやくレッカが駆け寄ってきてくれた。

 しかし、何だかれっちゃんは笑顔だ。

 

「すごいよポッキー。僕たちよりずっと『市民のヒーロー』をしてるじゃないか」

「え、そっ、そう……? 照れる……」

 

 それもこれも、大体の仕事を俺に回してくれたカゼコのおかげなんですけどね。

 秘密なので黙っておくが、めっちゃ言いふらしたい。自分でアピールしたら白い目で見られるから言わないけど、本当はめっちゃ頑張りましたアピールをしたいよ、れっちゃん。

 

「き、キィのヤツって意外と、がんばってるんだな……」

「はぁ? あんなの点数稼ぎだろ。頑張りましたアピールだって」

 

 ギクッ。

 

「でも実際に行動してるじゃん。それは事実だべ?」

「……そ、それはそうかもだけど……いや、でもさぁ」

 

 少々訛りの入っている男の子が庇ってくれたおかげで、周囲からのピリついた視線も減ってくれたように思う。

 まだ俺のことを信用しきれていない人たちも多いが、少なくとも『ちょっと良いことしてる男子生徒』程度の認識は広まってくれたようだ。

 この人が集まりやすい校門で、今のやり取りがあったのはかなり大きいぞ。やったー!

 

「……ありがとな、コク」

「ポッキー?」

「コイツのおかげでもあるんだよ。……交代したら、れっちゃんも後で褒めてやってくれ」

「……うん。分かった」

 

 ここでもう一人の美少女の事もアピールしてレッカからの好感度もアップだ。すごい、とても上手くいっている。

 フハハハー! ……油断するとすぐにガバを発生させるのが俺だから、今日一日は帰るまで気を張って生活しよう。

 がんばるぞ、えいえい、むんっ。

 

 



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忍者、捕獲

 

 

 とても怖い夢を見た。

 

 誰かに殺されたりとか、追い回されたりだとか、そういうシリアスなもんではなかったのだけど。

 表面上は幸せに見えてその実とんでもなく恐ろしい夢だったんだ、と起きてからようやく気がついた形だ。

 夢は、パッと見た限りではハーレムだった。

 ヒーロー部のメンバー全員に囲まれていて、胸やけするようなイチャイチャをしていたら、遠くにレッカの姿が映って。

 

『そうか、そうか。つまりキミはそんなやつだったんだな、ポッキー』

 

 待って誤解だエーミール。

 侮蔑の眼差しを向けるれっちゃんは、本当にマジで信じられんぐらい心底俺を嫌悪した態度で、どこかへ消えてしまった。

 そして俺は目覚めたのだ。

 おはようございます、最悪な朝です。バッドモーニング。

 

 

「……くしゅんっ」

 

 くしゃみ一つ。

 ティッシュで鼻をかみ、俺は歩を進める。

 今日は休日だ。バイトも部活も学業も、何もかも存在しない平和なお休みだ。

 そんな日に限って嫌な夢を見てしまったのだからさぁ大変。心の平穏が乱されてしまった。今回はこういう悲しい結果で終わりですね……。

 

『えっ。コクの姿で出歩くの?』

 

 今朝のマユの言葉を思い出た。

 現在の俺はコクの姿に変身しており、目的もなく適当にショッピングモールでブラついている。

 あの夢を見て少し、アポロの姿でいる事が怖くなってしまったのだ。

 流石に部員みんなが俺を大好き、だなんて盛大な勘違いはしていないが、未来予測装置で個別ルートを体験した事も相まって、みんなとの接し方が──アポロとしての適切な距離感が判断できなくなっているような気がする。

 

「ゲームでも、買おうかな」

 

 だからこうして、アポロとしての煩わしさが付いてこないコクに変身し、気分転換に出かけているわけだ。

 服装はあの制服っぽいナニかではなく、太ももまで伸びている灰色のロングパーカーに、短いホットパンツ。

 この組み合わせは角度次第じゃ『下に何も穿いてないんじゃね……?』と、アホな男子を惑わすことのできるファッションだ。マユちゃん直伝です。

 女の子の恰好をして行動するのは、美少女ごっこ云々関係なく普通に楽しいからである。男子をからかいてぇ。

 

「──あれ、先輩」

 

 急なエンカウント。

 通りかかったホームセンターから出てきたのは、買い物袋を片手に携えた音無後輩だった。

 クールな私服でカッコいいね。ロングブーツなんて高いもん持ってないわ俺。

 

「んっ」

「……あぁ、コクちゃんか。こんにちは」

「うん」

 

 さっきくしゃみしちゃったので、否が応でもコクのフリをせざるを得ない状況になってしまっている。

 『コクが嘘』だという事を知っているのは衣月とマユだけなのだ。

 まあそもそもコクの姿だし、こっちの方が楽だからいいか。

 アポロじゃなければ部員の女子たちとの距離感を考える必要もない。

 

「コクちゃん、お買い物?」

「理由なく歩いてる」

「そっか。……じゃ、私とちょっとデートしよ」

「わかった」

 

 ッ!!!!?!?!??!?!??!

 あぶねぇ! 変な声出る所だった!! 急にデートとか何ふざけた事をぬかしてやがるんだこの後輩!?

 本当にギリギリだったぜ。コクとして完全にスイッチを切り替えてなかったら、危うく動揺してしまう所だった。やはり俺の特技は美少女ごっこだ。

 

「──あっ」

 

 やべっ、急に鼻がムズムズしてきた。最悪なタイミングだ。

 落ち着け、俺なら絶対に耐えられる。くしゃみなんか我慢できて当然の──

 

「へくちっ」

 

 無理でした……。

 めっちゃオシャレした女の子の姿をしたアポロとかいう、意味不明な存在を演じなければいけなくなっちゃったじゃん。面倒くせぇ……でも自業自得……。

 

「ぁ? ……ここ、どこだ」

「あら、変わっちゃった。こんにちは先輩」

「音無……? って、うわ! コクのままじゃん俺!」

 

 ちょっとわざとらしい気もするが、とりあえず焦って多目的トイレに潜り込み、制服姿のアポロに変身をしてから彼女の元へと戻った。

 れっちゃんならともかく、音無の前で『女姿のアポロ』をロールプレイする意味はない。

 

「わ、わるい音無。コクと何を話してたんだ?」

「いえ、別に」

 

 彼女はどこ吹く風といった態度で、コクと交わしたデートという約束を、俺には秘密にしようとしている。どうして。

 

「じゃ、私かえりますね」

「えっ」

「何ですか?」

「ぁ、えっと、あの……」

 

 ちょっと何で。コクなら良くて、俺とのデートはお断りってことなのか。待ってそれは悲しすぎる。

 あのオタクの妄想みたいな夢を見たせいで勘違いしていたのかもしれないが、もしかして音無からの好感度って『ただの部活の先輩』程度の認識だったりします?

 そんな……涙が止まらない……。

 

「先輩がなんとなく私たちを避けてたのは知ってます。理由も大方見当がついてますし……あれはこっちの不注意でした。ごめんなさい」

「ち、違うって。別にみんなの責任じゃ……」

「周囲の目も気になるでしょうし、早いとこ解散しましょ。このショッピングモールは人も多いですし……それじゃ」

 

 まずい、音無が行ってしまう。

 確かにさっきからチラチラと視線をぶつけてくる一般人はいるし、音無の言っていたことは間違いではない。

 この前の一件で俺への扱いが多少まともになったとはいえ、それは学園の生徒や一部の市民に限った話であって、関わっていない街の住人からすれば俺はまだ何でもないただの男子生徒だ。

 

 とはいえ。

 

 いつまでも周囲に配慮して、俺の人生を送れないのは論外ではないだろうか。

 上がった評判のおかげで多少は庇ってくれる人も出てきたし、心配しすぎてもしょうがない。

 何よりこのまま音無を帰してしまったら、次に会ったときの雰囲気が芳しくないものになる気がする。

 ……色々と語ったが、つまりは彼女とデートがしたい。好感度を上げたい。

 最近ずっと忙しかったし、なかなか話すことも出来なかったし、ヒーロー部の中で一番最初に俺の仲間になってくれた少女とのコミュニケーションは、既に俺の大事なルーティーンの一つとなっているのだ。

 そろそろオトナシチャン成分を接種しておかないと、脳が崩壊してしまう。

 

「ま、待って、音無」

 

 彼女の袖の裾を掴んで引き留めた。よくあるラブコメだったら、これをやる立場は逆な気がする。

 いや、気にすることないか。どちらかと言えば俺が攻略されてしまっているんだから。チョロインのアポロです。

 あっちが想像してる百億倍以上は音無のこと好きだからな俺。勝手に巻き込んでしまったのに、あんなに優しく献身的に支えられちゃったら、堕ちるに決まってるだろ。

 こちとら手を握られただけで『コイツ俺のこと好きなんじゃね……?』と勘違いする普通の思春期男子なんだぞ? そんな相手に超至近距離で接したらどうなると思ってんだ。頼むから結婚してくれ。

 

「……どしたんですか」

「この後なにか、急ぎの用事でもあったりする……?」

「いえ、別に……ありませんけど」

 

 突き放されると余計に恋しくなるのが人間というものだろう。

 俺の頭には、もう彼女と過ごす今日一日の事しか頭に残っていなかった。

 

「デートしよう。俺と」

「……ふぇっ」

 

 あっちからの好感度が低いのなら、やることは好感度上げ一択に決まっている。ここで手を引いたらみんな仲良しの通常エンド行きだ。それはヤバい。

 今までの旅という、貴重な経験を無かった事にできるほど、俺は無欲な人間ではないのだ。欲望の化身グリードです。その欲望、解放しろ。

 

「あの、でも、みんな見てますし」

「関係ないよ。お前と一緒にいて、誰かに文句を言われる筋合いはない。勘違いする輩が出ないように、見せつけてやるくらいが丁度いいんだ」

 

 うおおおキザなセリフを言えポッキー。どっちつかずな態度じゃ、変に言いくるめられて終わってしまうぞ。

 一般市民に文句は言わせない。音無後輩との仲に限っては、誰よりも親密な関係を築いてきた自信があるんだ。ここに八つ当たりをぶつけてきやがるのなら上等だ、真正面から受けて立ってやる。

 

「あの旅の時みたいに、いっしょに過ごそう」

「……き、急にどうしちゃったんだろう、この人……」

 

 ここは羞恥心を犠牲にしてでも、こっちが本気だという『覚悟』を示さなければいけないのだ。

 『覚悟』とは! 暗闇の荒野(共通ルート)に! 進むべき道(個別ルート)を切り開く事だッ!

 

()()()()──なんだろ?」

「っ……! 、なんで恥ずかしげもなく、そんな事が言えちゃうんですかね……ほんとにもう……」

 

 俺のモノ、みたいなニュアンスで言ってやったわけだが、マジでセリフがあまりにもキザすぎて、そろそろ自分自身が耐えられなくなってきた。つらい。顔赤くなりすぎて燃焼しそう。

 無理だ! あぁやっぱ上手いことを言うのはムリです。

 

「行こう」

 

 続きは歩きながら考えよう──ということで、俺は彼女の手を引いて歩き始めた。 

 

「……はい、先輩」

 

 音無も俯きながらだが、了承して付いてきてくれた。まずは第一段階クリアといったところだろうか。

 

 

 そこで一つ、ようやく気がついたことがあった。

 俺はペンダントで男に戻ったので、私服ではなく学園の制服を身に付けた状態だ。

 休日なのに制服。

 オシャレをバッチリ決めてる女の子の真隣りで、なんと制服。

 

「あ、あのゴメン音無。俺、制服だった……」

「……相変わらず締まらないヒトですね」

 

 ごっ、ごめんなさい!!!

 



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普通ができない三人

 

「……わっ。……アレ、氷織センパイたちじゃないですか?」

 

 

 デート(?)が始まって数分後。

 妙に人だかりが多いと思いながらショッピングモール内を進んでいると、案の定ヒーロー部とエンカウントしてしまった。

 場所はフードコート。

 メンバー構成はレッカ・氷織・ヒカリの三人で、なにやらワチャワチャしている。

 見つからないよう咄嗟に隠れてしまったが……なにやってんだアイツら。

 

「ほらコオリ。冷たい氷だよ~」

「ひぎゃあああああァァァァッ!!!」

「コオリさん!? お気を確かに!」

 

 コンビニやスーパーで売っているロックアイスの袋からレッカが氷を一つ取り出し、氷織の顔に近づけている。

 すると氷織はたちまち青ざめ、涙目になりながら無意識に反撃。

 見事にレッカが氷漬けにされてしまった。かわいそう。

 

「あわわ、レッカさんが凍ってしまいましたわ……」

「僕なら大丈夫だよ」

「い、一瞬で溶けた……」

 

 あの人たち往来で何やってんの……?

 

「ご、ごっ、ごめんねぇ……レッカくん……」

「もうっ、コオリさんったら。トラウマ克服の練習がしたいと言い出したのは貴女ですわよ」

「うぅ……冷たいものが、まだこんなに怖いなんて」

 

 トラウマ、と言うとあれか。

 確か氷織は俺と一緒に遭難した時、極寒の雪山で瀕死になりかけた影響から、寒い場所や冷たい物が苦手になってしまったんだったっけか。

 氷魔法の使い手なのに、厄介なトラウマを抱えてしまったものだ。

 

「アポロ君と手を繋いでるときは、なんか平気なんだけどなぁ……」

「僕じゃダメかい?」

「えー。レッカ君だと緊張しちゃうし……」

「その様子だと別に緊張しそうにないと思うのですけど、コレ考えてるのわたくしだけです?」

 

 トリオ漫才はなかなか終わる様子が見えない。ほんと仲いいわねアンタたち。

 はたから見ればレッカがハーレムデートしてるように見えなくもないんだろうが、有名人すぎるのと相手が部活内メンバーというのもあって、もはや一周回って普通の光景だ。

 もしあの立場が俺だったら周囲からの目も変わっていたのだろうが、既に愛されキャラと化した彼へ送るみんなの視線は、どれも生温かく優しいものであった。さすが勇者さまだ。

 

「……行くか」

「あ、はい」

 

 彼らの日常を観察するのも楽しそうではあるが、今の俺はそれどころじゃないのだ。

 自分の隣にはなんと女子がいる。

 ハイパーかわいい後輩がいて、しかも童貞歴イコール年齢の俺からすれば信じられないような事実だが、手も繋いでしまっている。

 ここまで露骨に好意を露わにしてデートへ誘った以上、呆けてなどいないでしっかりとエスコートをするべきだろう。

 久しぶりに先輩らしいところを見せてやるぞ。

 手を繋いだことで逆に緊張が加速しまくってるけど、俺ならできる俺ならやれる頑張れイケるぞアポロ・キィ。

 

 

 とにかく学生らしい、身の丈にあった普通のデートをしよう──そう考えて一旦ショッピングモールを出たのだが。

 

「きゃあーっ! 急に雨降ってきたよ、お姉ちゃん!」

「フン、囀るな妹よ。我が力をその目に焼きつけるがいい。……てや~ッ!!」

「おぉー……お姉ちゃんの風魔法で雨どころか雨雲が吹っ飛んだ」

 

 どうも今日の俺は、仲間たちとのエンカウント率が高すぎるらしい。

 というかあの女勝手に天候を変えちゃってるけどセーフなのか。

 

「ふはは、唯我独尊」

「自分で言う事じゃなくない……? 武士が活躍する映画見たからって、お姉ちゃん影響受けすぎでしょ」

「囀るな妹よ」

「それ気に入ったんだね」

 

 逃げよう逃げよう。

 別に見られて困る事なんて何もしてないが、顔を合わせたら何かと面倒なことになりそうだ。特にあの戦国武将モードになってるカゼコとか、扱いが難しそうだし。

 

「……い、行くぞ」

「はーい」

 

 

 と、そんな感じで面倒なイベントを避けながら街を移動し続ける俺たち。

 ……避けながら移動し続けているという事は、つまり行く先々で知り合いとの遭遇やイベントの発生などが起きているということなのだが、それでも挫けずに音無をエスコートする俺。

 エスコートしたい俺。

 したいのにできない俺。

 

 動物園から逃げ出したライオンを追いかけるライ会長や、ジェットパックを身に付けてフハハーと空を飛んでいる親父。

 突然現れた元死刑囚の敵キャラに加え、迷子の子供や大荷物を抱えた老人に、果てはコンビニ強盗にまでエンカウントしてしまい──それら全ての事件を解決していった。

 

「……う、うぅ」

 

 泣きたい。

 デートのデの字も見当たらない。何だよこの街物騒すぎるだろ、治安どうなってんだバカ野郎がよ。

 俺はいままで自分に寄り添ってくれていた後輩に、なにか恩返しができたらと思って誘ったのに、どこに行ってもイベントに次ぐイベントが襲ってきて、肝心の音無ちゃんとのイベントを漏れなく潰してきやがる。ゆるせねえ……だれか助けて……。

 これは罰か、それとも試練か。

 美少女ごっこをしてきたからこそ、今のヒーロー部たちとの関係性を手に入れることが出来たのだから、男の姿で甘んじてデートなどしようものならそれ相応の対価としてイベントを消化しないといけないってのか。

 

 ──いや、違う。

 そうだ、今までの事なんざ関係ねえ。知った事じゃないぞ。

 俺は音無とデートがしたいんだ。

 付き合ってすらいないのにデートとかよく考えたら意味不明だが、とにかく彼女の好感度を上げたいのだ。

 何者にも邪魔はさせない。

 今日は何があっても絶対に、音無からの評価を一ミリでも上げるんだ。

 がんばれポッキー!

 

「そ、そうだ音無、もうお昼時だろ。ここら辺におすすめの店が──」

「キャアアアア!! ひったくりよォ! 誰か捕まえてェ~っ!!」

 

 だああああああアアアあぁぁ゛ぁ゛!!!! クソがよォーッ!!!!!

 

 

 

 

 

 

「……あの、ごめん」

「いえいえ、気にしないでください」

 

 結局、今日一日はボロボロだった。

 気がつけば彼女とも手を離してしまっているし、すっかりオレンジ色になった陽の光が後ろから降り注いで、濃い影をコンクリートの地面に映している。

 今歩いている場所は住宅街だ。

 遊べる場所はおろか、飲食店や暇をつぶせるような施設も存在しない。

 今日五回目くらいの迷子を家に送り届けていたら、いつの間にかこんな場所でこんな時間になってしまっていたのだ。本当に凹む。

 

「ハァ……」

 

 俺は彼女に対して何ができただろうか。

 当然、何もできなかった。

 ただ相次ぐ面倒ごとに振り回していただけで、とてもとてもデートと呼べるようなモノではなかった。

 露骨に嫌われるまでは無いにしても、やはり呆れられてしまったのは確実だろう。アポロ君の一日はこれで終了です。

 

「……ふふっ。なぁに落ち込んでるんですか」

「えっ? そりゃ、お前……」

 

 後ろに腕を組んだ音無が、イタズラめいた微笑を浮かべながら、そんな事を言ってきた。

 まさか分からないワケではあるまい。

 呆れを通り越して、逆に笑いが出てきてしまったのだろうか。空回りしまくる俺が滑稽に見えていたのかも。

 

「私は楽しかったですよ? 市民の方々や街の平和も守れましたし、一石二鳥って感じで」

「治安維持はそうだけど……いや、楽しかったか?」

「えぇ、そりゃもう」

「はえぇ……あんた変わった子だね……」

 

 唯一少しだけゆっくりできた昼飯だって、急に暴れ始めた不審者の魔法で、店がボヤ騒ぎになって中断されちゃったし。

 半分も食べる前に事件が起きて、二人でそれを解決したはいいものの、料理はひっくり返って食えなかった。ハッキリ言って最悪だった。

 なのに『楽しかった』とは、どういう……?

 

「先輩、あの旅と同じように過ごそう、って言ってましたよね」

「う、うん」

「今日の忙しさは、まさしくあの旅の時と同じくらいだったなって、そう思いません?」

「……う、うん?」

 

 何が言いたいのでしょうか。

 

「まあ、普通にどこかで遊んで、美味しいもの食べて、映画をみて……とか、そんなのもアリだとは思います。でもやっぱり私たちって、こういう()()()()()()のがデフォじゃないですか」

「……確かにあの旅は普通じゃなかったな」

 

 怪人たちから逃げ回って、日本中を駆けながら三人でこっそりお忍び生活。

 少なくとも普通ではないだろう。

 俺たちと同じ形の、あの妙な青春を体験した高校生は、恐らく他には存在しない。

 

「文句言いながらもヒーローをやってる先輩、カッコよかったですし」

「思ってもない事を言うんじゃないよ」

「……本心ですって」

「からかうなってば」

「え、ウザ……自己評価が低すぎませんか? 謙虚も度が過ぎると失礼って知ってます? ばーか」

 

 そんな慇懃無礼な態度を取ったつもりは無かったのだが。

 ていうか喜んでいいのか分からない絶妙なラインだったぞ今の。ただ状況に振り回されていただけとも言えるし。

 あとチクチク言葉はやめようね……。

 

「いや、本当に申し訳ない。デートとか言っといてトラブルに振り回しただけだったし……マジ、ごめん」

「ふふん。先輩と一緒にいられたら、それだけで十分幸せなんです。実は」

「えっ!? お、音無ちゃん……!」

「チョロい……」

 

 良い子すぎないかこの後輩。

 笑顔が眩しいよ。結婚してくれないかな……。

 

 

「──うん。それじゃ、また学校で」

 

 

 遠くに友達を見送ってる衣月を発見した。

 もうこの程度のエンカウントじゃ驚きはしない。

 

「……あっ」

 

 そして俺たちを視認した衣月は、焦った様子で物陰に隠れてしまった。

 どうやら二人きりで歩いている様子を見て、空気を読んでくれたらしい。成長したわね衣月ちゃん。

 しかし……まぁ、小学生に気を遣われて、それに甘んじるというのも微妙な気がしてくる。ましてや相手があの衣月で。

 

「そうそう……先輩」

「ん?」

「今日はもちろん楽しかったんですけど、やっぱり何か足りないなーとも思ってたんです。

 ──衣月ちゃん、おいでー」

 

 音無が手を振ると、十字路の塀からコッソリこちらを覗いていた衣月が、遠慮がちに周囲を見渡している。

 それでもなお彼女が声を掛けるものだから、ふっ切れた衣月はパタパタと俺たちの方へ駆け寄ってきてくれた。

 

「私たち、あの旅はいつだって三人だったじゃないですか。旅のときみたいに、って言うならやっぱり衣月ちゃんがいないと」

「……確かにそうだな」

 

 思い返してみればその通りだ。

 悪の組織から身を隠しながら日本横断をしていた時や、ホテルで音無と怪しい雰囲気になった時でさえも、いつもそこには衣月という少女の存在があった。

 それ以前に、まず大前提として俺と音無を引き合わせてくれたのは衣月だ。

 そもそも旅の始まりは俺と衣月の二人からだった。

 音無を味方に引き入れる理由を作ってくれたことや、俺たちを繋ぎ止める存在になってくれていた事実を踏まえると、アポロ・キィとオトナシ・ノイズの二人の間には、やはり彼女が──藤宮衣月という少女が必要なのだ。

 

 ……うん。

 きっと衣月を蔑ろにして二人きりでキャッキャウフフしようとしたから、今日は異常な量の邪魔が入ったんだな。

 それにあんな露骨に気を遣われては、デート(笑)の続きなど出来るワケがない。

 

「紀依、音無っ」

「はい衣月ちゃんゲット。ふふん、先輩には渡しませんので」

「キサマ……」

 

 ぽてっ、と抱きついてきた衣月を撫でまわす音無。

 髪の色なんて白と黒でまったくの正反対なのにもかかわらず、やはりこの二人は仲の良い姉妹に見えた。

 

「かわいい〜」

「音無、くすぐったい」

 

 音無と二人きりになるとやけに緊張してしまうのに、そこに衣月が加わるだけで実家のような安心感を得られるのは何故だろうか。

 

「……私と紀依と音無、もしかして三角関係?」

「なんてことを言い出すんだお前は」

「先輩と私たちに至ってはただの三角形じゃない?」

 

 意味不明なこと言ってんじゃねえぞ!

 

「……ハァ。衣月を連れて遅くまで出歩くわけにもいかないし、もう帰るか」

「そうですね、帰りましょ」

「じゃあ今日は紀依の家にお泊まり」

 

 何でそうなるんだよ。

 

「ほら、先輩も衣月ちゃんと手繋いで」

「紀依はやく」

「おい、まって何このフォーメーション。兄弟でもやらなくない?」

 

 まるで幼い子供がいる親子みたいな体勢だ。

 小さい子を間に挟んで三人で手を繋ぐの、ちょっと仲良し過ぎるでしょ。ヒーロー部のファンとかに見られたら在らぬ誤解を生み出しそうで怖いんだけども。

 

「先輩のご自宅にきったく〜♪」

「紀依の家に帰宅〜」

「きみたち帰宅って言葉の意味知ってる? ていうかまだ泊めるなんて一言もおおぉっ引っ張る力強いっ♡♡」

 

 この三人が揃うと、どうやらチーム内ヒエラルキーにおいて俺が最下位になってしまうらしい。

 されるがまま、振り回されるままに、結局俺は二人を連れて帰宅する事となったのであった。

 

 



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アナザーポッキー・マユ

二ヵ月ぶりの更新なのでここまでの簡単なあらすじ

1:美少女ごっこして親友をからかってたらなんやかんやあって世界を救った
2:女に変身した時の自分に外見がそっくりな少女が何故か出現
3:実は生きてたラスボスと、クリスマスに殺し合いをする約束を交わした



 

 親父が妙なことを言い出した。

 

 悪の組織がやったように世界中の人々が洗脳されてしまうのなら、誰も洗脳されていない別の世界に一旦避難して、態勢を立て直してみるのはどうかな、と。

 言わんとしている事は分かる。

 この世界に逃げ場所がないのなら、別の世界に逃げればいいだろ、という至極簡単な話である。

 分かる。

 ……わかる、けども。

 いや、まぁ、やっぱり何言ってるか分かんないわ。

 出来るのかな、そんなこと。

 

 俺が警視監を倒して世界に一時の平和が訪れてから、親父はずっとその『別世界へ飛ぶ』ことを可能にする装置の研究に没頭していたらしい。

 両親揃って全盛期の頃のように研究に明け暮れ、来る日も来る日も家に帰らず実験三昧。

 二度と俺に重荷を背負わせないためにという理由でそんなことをしていたらしいのだが、はたから見れば単に研究に夢中になっているのは丸わかりだった。

 此の子にして此の親ありというか、要するに美少女ごっこに邁進していた時期の俺と一緒だったというわけだ。

 守るものや口当たりのいい建前があって、それらすべてを駆使して自分のやりたい事に全力で打ち込む。

 紀依という名を持つ人間は総じてそういう性質があるのかもしれない。

 結局、そんな両親の無茶な研究は驚くことに実を結び、彼らによって別の世界線へ移動する装置というものが完成したのだった。

 

 ──そんなわけで、装置の動作テストとして俺とマユが被験体になった。

 

 これは俺自ら希望したこと……というかマユの要望を受けて提案したことだ。

 彼女曰く、別の世界線をこの目で見れば、自分の出自について何かわかるかもしれないから、とのことで。

 そういう事であれば協力せざるを得ないだろうという事で、俺も付き合う事にしたわけだ。

 この装置で移動するのは別の世界線。

 つまり以前俺が実験で見たあの『氷織と結ばれた未来』や『衣月と二人で逃亡を続ける未来』などの、別の道を歩んだ世界線へと実際に移動する形になる。

 あの未来演算装置も、今回の研究の過程で生まれたものだったようだ。

 つまり別世界と言っても、凄い近未来のSF世界だったり巨大なモンスターをハントする世界とかではないらしい。少し残念。

 

 ややあって、ついにテレポート。

 俺とマユの二人は両親が作ったなんかすごい装置の力によって、俺たちとは別の道を辿っている世界線へ──こちらがオリジナルと仮定した場合の『IF世界線』へと転移した。

 

 そして。

 

 

「…………嘘つくんじゃないわよ。キィは死んだんだから」

「……あの」

「黙りなさいッ! アタシの質問にだけ答えろって言ったでしょ! アンタたち本当は誰なの!?」

 

 

 ……転移して早々、俺たちはなぜか風魔法を操る姉妹の姉のほうである、カゼコ・ウィンドに()()を突きつけられているのであった。

 

 

 

 

 

 

 結論から先に言うと、ここは悪の組織に敗北した世界線──とのことで。

 

 いまいちピンと来なかったのだが、カゼコの話ではどうやらこの世界線も途中までは俺たちと同じ道筋を辿っていたらしい。

 沖縄を出発し悪の組織の本拠地へ殴り込みをかけ、その際カウンターをくらって俺とライ会長と風菜の三人を除く全人類が洗脳される……という所までは同じだったようだ。

 

 まず、俺のいたオリジナル世界線での流れを振り返ってみよう。

 あっちでは会長がレッカの洗脳をゴリ押しで解き、風菜が一人で殿を務め、俺とレッカが二人きりで逃げる事になって。

 俺が女から男に戻れなくなり、レッカが『コクが死んでしまった』と思い込んだため、彼の精神状態を危惧した俺が全部ウソだったんだよと告白して。

 それでも頑なに信じてくれなかったレッカにウンザリして、俺が再び美少女ごっこを再開し、コクとアポロの二つの人格を持っていると演技しながら、曖昧になんやかんやあって警視監を殺して世界を救ったのがオリジナル世界線での出来事だった。

 

 しかしこちらのIF世界線では俺の”選択”が異なっていたらしい。

 結果だけを言うなら、俺は美少女ごっこを再開しなかったのだ。

 レッカに全てを打ち明けても信じてくれなかったところまでは同じだが、こちらの俺はコクが死んだという誤解を美少女ごっこで打ち消さず、そのままコクが死んだものとして扱い()()()()()()()()()レッカと行動を共にしてしまったようだ。

 まあ、ヤケになったという意味では俺と変わらない。

 ただノベルゲームの分岐点のように二つしかない選択肢の中で、俺は雑な二重人格美少女ごっこを、こっちの俺はそのままの現状維持を望んだ──それだけのことだった。

 

 ……で、なぜそんなアポロ・キィしか知らないような事情を知ることができたのか、だが。

 

「私は……いや、私になる前のアポロは、もう疲れちゃってたんだね」

「……マジですか、マユちゃん」

 

 この世界に来てから数時間が経過し、時刻は夕方。

 場所はほぼ廃墟と化した魔法学園の、ヒーロー部の部室。

 なんやかんやあってカゼコによってこの場所へ連行された俺たちは、彼女が協力者を呼ぶために席を外している最中に、そんな重大な会話をしている。

 

「な、なんで急に思い出したんだ? ……その、昔の自分のこと……」

「分かんない。この世界のカゼコの顔を見た途端、脳裏によぎったの。……元々この世界の人間だからなのかな」

「えぇ……なにそれ……」

 

 わけわからん。

 多分シリアスなターンに入ってて、尚且つ重要な場面に遭遇してるから、マユには的確な助言を言ってやるべきなのだろうが。

 今の俺は彼女の話を必死に脳内で整理するだけで手いっぱいだった。

 なんだろう、世界を移動してから情報量が多すぎてそろそろ泣きそうだぞ。

 落ち着け。

 いったん冷静になって、言われた情報をしっかりと整理しよう。

 

 

 ──マユは、この世界の俺だった。

 この言い方は少し語弊があるかもしれない。

 もう少し詳しく言うのなら、記憶を失ったアポロ・キィに芽生えた、もう一つの新しい人格……だった。

 らしい。

 ……だめだ、よく分からん。

 とにかくアポロ・キィではない、とだけ覚えておこう。

 

 まず、俺が美少女ごっこを再開しなかった場合、レッカは女の体になった俺を守る事に必死で、とても刹那的で強引な行動ばかり取るようになってしまったらしい。

 そんなレッカに守られてるアポロは彼に対して反発できず、世界を救うどころか状況は悪化する一方で、終いには魔王が完全に復活してしまう始末。

 こちらの世界以上にめちゃくちゃ体を張ったライ会長のおかげでヒーロー部のメンバーたちは洗脳が解けたものの、世界中が敵で尚且つ魔王とかいうワケわからん最強無敵ファンタジー存在がいる状況では多勢に無勢。

 

 逃走が困難になるにつれてヒーロー部は各地へ散り散りに。

 紆余曲折あって魔王とタイマンを張る事になったレッカは、あまりにも強大な敵に孤軍奮闘するも敗北。

 魔王が彼を次元の狭間に放り捨てようとしたところを俺が庇って、次元の狭間とかいう意味不明な空間にブチ込まれたこの世界のアポロ・キィは死亡した──という扱いになっていたらしい。

 だからカゼコも『キィは死んだ』と言って、俺たちの存在を信じてくれなかった冒頭の場面に繋がるわけだ。

 

「次元の狭間を彷徨う内に、こっちのアポロの肉体は記憶と共に消えてなくなった。……で、魂が完全に消え去るその前に、アポロがいるオリジナル世界線に流れ着いて、自分と同じ存在であるあなたの魂と共鳴し入り込んだ」

 

 魂の共鳴とか、なんだか話がスピリチュアルになってきたな。

 もう細かい事情はなんとなくで、ほとんどニュアンスだけで話を理解してる状況だぞ、こっちは。

 

「最初は、魂だけの存在だったからアポロの夢にしか現れなかったけど。……アポロが胴体をビームでブチ抜かれて瀕死になって、その時に入り込んできた勇者と魔王の力の残滓を半ば無意識に吸収して──これ」

 

 コレ?

 

「これ」

 

 …………えっと。

 

「そうして私が現実世界に肉体を持って誕生したの。……ここまでの話、理解できた?」

「……ごめんなさい」

 

 理屈では分かるような気がしないでもないけど、そんな大量の情報を一気にぶつけられても、すぐさま咀嚼してハイわかりましたなんて事が出来るほど頭は良くないんだよな……。

 もう少し簡単にまとめてほしい。

 

「つまり、アポロが美少女ごっこを辞めた世界線がここなの」

 

 途轍もなく分かりやすい、ドストレートな表現でようやく少しだけ状況が飲み込めた気がする。

 

「アポロがあの時美少女ごっこを再開しなかった場合、こんな感じで世界が魔王に支配されるバッドエンドになってたってことだよ。分かった?」

「……まぁ、はい。なんとなくだけど理解できた」

 

 つまりなんだ。

 アレか。

 オリジナル世界線では、俺が美少女ごっこを再開したから世界を救えたってことなのか。

 ……美少女ごっこって世界を救うんだ。知らなかったな。

 

 



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バッドエンドルートのオトナシさん


あまりにも精巧なイメージ通りのイメージイラストを阿井上夫さんより頂きました 感動で咽び泣いちゃった
https://twitter.com/aiueo8371/status/1472454432747319300?s=21

今回マユ視点です



 

 

 ──くだらないことが脳裏によぎる。

 

 ヒトがこの世に生を受けるとき、そこには必ず感情の揺らぎが発生する。

 自分が()()()()世界で他人を知っていくたびに、私のそういった考えは徐々に確信へと変わっていった。

 

 誰かと誰かが愛し合ったり。

 誰かが誰かを憎んでいたり。

 母胎から排出されたソレを人間と呼び、周囲はソレに対して様々な感情を抱く。

 生まれてくれてありがとう、とか。

 産まなければよかった、とか。

 彼と彼女の愛の結晶、だったり。

 望まれたわけではない悲しき命、だったり。

 どんなヒトであっても、それが生まれた時点で、もしくは生まれる前には、必ず周囲に『強い感情』が存在する。

 歓びや悲しみ。

 嫌悪や拒絶。

 望まれていようといなかろうと、人間はソレに対して必ず感情を抱く。

 たとえどんな経緯であっても。

 それが()()()()()()()()

 

『おまえは何者なんだ。コクなのか?』

 

 もう一人の自分に等しい少年の言葉を思い出す。

 私はコクではない。

 彼でも彼女でもない。

 何者でもない、なにかだ。

 

 私はそこにあった。

 人間同士の『強い感情』など無く、気がつけばただそこにあった。

 誰も交配していない。

 誰も実験していない。

 誰も開発していない。

 命が芽吹くように仕組んだ者はいないし、誕生を見届けた者も当然いなくて。

 どこかの世界のアポロ・キィが『諦めた』結果、自然に発生した()()としか言いようがなかった。

 思考の停止。

 感情の棄却。

 そこには愛も欲も、悦楽も苦悩もなく。

 およそ生命など生まれるはずがない運命の流れによって自己を獲得した私は。

 分裂でも生殖による世代交代でもなく、意思を持つようプログラムされたわけでもなく、そこにただひとつの『わたし』として出現した自分は、たぶん。

 ──ヒトではないのだろう、と。

 

 そう思えてならなかった。

 

 

 

 

 

 

 物事を順序だてて整理して、改めて頭の中でくだらないモノローグを語ってみると、不思議なことに自分がまるで物語の主人公にでもなったかのような錯覚を覚えることができた。

 謎の出生。

 謎の存在。

 まさしく主人公──もしくは悲劇のヒロインにピッタリの生い立ちと立場だ。

 アポロだったら手放しで喜びそうな状況である。

 

「……マユ?」

「なに。寝てたんだけど」

 

 世界線を移動してから3日ほどが経過した。

 私とアポロは『アポロ・キィを騙るニセモノ』としてカゼコに拘束され、二人とも縄に繋がれたまま彼女に連れ回されている。

 現在はどこかのビルの屋上で放置されており、建物の下で魔王の洗脳が解けた少数の人々を避難させているカゼコの帰宅待ちだ。やることがない。

 そのため腕をロープで縛られているにもかかわらずコンクリートの床に寝そべって寝たフリをしながら、モノローグを語る主人公ごっこをしていたのだが、声をかけてきたアポロのせいで中断を余儀なくされてしまった。

 仕方なく起き上がると、彼はなんとも不安げな表情。

 こんな状況なのに眠ってしまったせいなのか、アポロはどうやら私が疲労困憊ではないのかと心配してくれていたようだ。

 

「ごめんね。アポロみたいにモノローグを語りながら、ちょっと物思いに耽ってただけだから」

「……俺ってそんなことしてる風に思われてたの?」

 

 いつものように適当な言葉ではぐらかしつつ、屋上の柵から眼下を見下ろす。

 一言でいえば荒れている。

 よく聞くところの世紀末だとか、そんな感じの荒廃した世界だ。

 廃墟と化した建物ばかりで、そこかしこに瓦礫やらゴミが散乱している。

 カゼコに聞いた話によれば、悪の組織によって洗脳されたままの人間は、人並みの生活を放棄して魔王に祈りを捧げ続けている、とのことだった。

 生きていくために最低限の食事をして、あとはほぼ四六時中魔王にお祈りするだけの信者。

 食って寝て祈るだけなので、広義の意味ではもはやニートみたいなものだ。

 反してヒーロー部の活動の余波で洗脳から抜け出せた人たちは、反逆者を取り締まる悪の組織の刺客たちから逃走を続ける生活を余儀なくされている。

 魔王に従っていれば生活を保障され、抵抗すれば命を狙われる──という、とても単純な世界だ。

 

「大変そうだよね、この世界の人たち」

「……そんな他人事みたいに言うもんじゃないぞ」

「実際アポロにとっては他人事でしょ。この世界の人間じゃないんだから」

 

 あっけらかんと口にすると、アポロは困ったように目をそらしてしまう。

 彼は本来面倒くさがりな人間だ。

 ここで挑発的な言動をとったとしても、救世主然としたレッカのように『それでもこの世界を救いたい』だなんて、正義に満ちた意思表明はきっとしてこない。

 

「アポロはどうするの。いつ帰る?」

「あー……それなんだが、まだ物理的に帰れないんだよな。俺たちがつけてるこのリストバンドを起動させて帰還するみたいなんだけど、ワープのための魔力(エネルギー)が足りてなくて」

「どれくらいでエネルギーが溜まるんですか」

「えっと、俺自身から少しずつ吸収して貯蔵するっぽいから……だいたい一か月くらいか?」

「……そう。じゃあ、準備ができたらすぐ帰ってね」

「ま、待て。なんだよその言い方。お前もいっしょに帰るんだぞ」

「面倒くさいからヤダ」

「なんで!?」

 

 私たちはあくまで”実験”によってこの世界へワープしてきただけなのだ。

 それ以上の目的などなく、自分たちのいた世界線を放棄してまでこちらに肩入れする理由だって存在しない。

 あくまでアポロは。

 ……私は出生の秘密というか、故郷がこちら側だったという真実が明るみになったから、無関係を装って帰還することはできない。

 ものすごく簡単にいえば、私はこちらの世界のアポロの生まれ変わりだから。

 彼が死んで私が生まれた。

 だから──というわけでもないけど、本来こっちの彼が背負うべきだった責務は、彼の死骸から生まれ落ちた寄生虫の自分が全うするべきだと思っている。

 ……ちょっと卑下しすぎたかな。

 

「こっちよ、音無!」

 

 屋上の扉の向こう側からカゼコの声が聞こえた。

 ほどなくして開放される出入り口。

 そこから現れたのはカゼコと、もう一人。

 

「……アポロ、あれ音無だよね」

「お、おう……なんか、だいぶ雰囲気ちがうけど……」

 

 カゼコが連れてきたのは見慣れた黒髪の少女──オトナシ・ノイズだったわけだが。

 なにやら殺気立ったオーラをビンビンに醸し出しており、正直こわい。

 正規世界線の彼女と比べるとあまり余裕が感じられないが、いったいどんな修羅場を潜り抜けたらあんな風貌に様変わりしてしまうのだろうか。

 

「………………」

 

 無表情。

 その一言に尽きる。

 マフラーで口元を完璧に隠してしまっていて、ジト目からピクリとも表情が動かず、彼女の心境を窺い知ることが()()()できなくなっているのだ。

 余裕はないが、あちらと違って真意がまるで読み取れない。

 なんというか、目に光が宿っていない。

 

「なぁカゼコ、なんで音無を……」

「うっさいわね。さっきまで洗脳が解けた市民の避難を手伝ってもらってたのよ」

 

 カゼコお姉ちゃん、バッドエンドルートで荒んだ結果口が悪くなってもちゃんと質問には答えてくれるんだ。

 

「…………」

 

 音無がジッとアポロを見つめている。

 一見すると興味のなさそうな顔に見えるが、はたして。

 突然クナイとか投げてきたらどうしよう。

 

「さぁ、どう音無? キィと一緒にいた時間が長いあなたなら、こいつらが偽物かどうかの見分けもつくと思うけど」

「………………」

 

 カゼコの声に反応してはいるが、一貫して声を口に出さない音無。

 そんな正規世界線ではあり得ない様子を目の当たりにしてせいか、彼女を心配してしまったアポロが恐る恐る一歩踏み出した。

 

「おとなし……? あの、カゼコ、音無ほんとうに大丈夫か?」

 

 死んだ人間の姿で油断を誘い接触してきた偽物の敵、という疑いで拘束されていることを自覚していないのか、アポロは心の底から音無を慮って心配の眼差しを向けている。

 

「…………────」

 

 すると、それを目にした音無が目を見開いた。

 不思議とその瞬間に、まとっていた殺気のようなものが霧散した気がした。

 

「──」

 

 彼女が一歩。

 

「────」

 

 また、一歩。

 

「………………」

 

 気がつけば、音無はアポロの目の前に立っていて。

 彼が声をかけるよりも先に、少女は少年を抱きしめた。

 

「……えっ? あ、ぇっ。音無?」

 

 アポロの声にはピクリとも反応せず、彼女もまた信じられないといった表情で彼の背中に手を回している。

 

「急にどうしたんだ……」

 

 困惑する彼をよそに、音無はアポロを触診していく。

 首筋の匂いを嗅いだり、一度離れて頬をぺたぺたと触ったり、もう一度抱きしめてみたり。

 次第に困惑の色が抜けていき、無表情のまま彼女の目じりに水滴が浮かんでくる。

 抱擁されているアポロには知る由もないが、音無は確実に彼を()()だと認識し、確信し、波のように押し寄せる感情を制御しきれず──ただ泣き始めてしまっている。

 

「────は、……っぁ」

 

 少女の口から漏れ出たソレは、まったく意味を持たないただの”音”にしか過ぎないが。

 私にはそれがどういったものなのかが理解できた。

 別に理解しようとしたわけではないけど、目の当たりにすればあんなの誰でも察せるだろう。

 たぶん、あれは感動の再会とかいうやつだ。

 ずっと一緒にいたからこそ、アポロを本物だと確信できた。

 例えるなら信頼? 愛の力?

 わかんないけど、音無にしかわからない『これがアポロ・キィなのだ』という判断基準があって、あそこにいる童貞が見事にそれを突破した、というわけだ。

 そりゃそうだよね。

 別の世界線から来たとはいっても、アポロ・キィ本人であることは変わりないんだし。

 

「ね、ねぇアンタ。音無が抱き着いたまま動かないんだけど、あれどういうこと?」

「不思議なことじゃないよ。あのアポロ本物だし」

「エェッ!?」

 

 そんなこんなの一幕があって。

 私自身の説明はおいといて、ひとまずアポロは本物だと信じてもらうことができた。

 以降、音無は無表情でアポロの制服の裾を掴んだまま離れなかったけど、警戒されるよりはマシということで私たち二人は事情説明を少しだけ延期することにしたのであった。

 

 

 ……はぁ、それにしてもちょっと面倒くさいな。

 実際アポロが死んでるから当たり前なんだけども、かなりシリアスというか、正規世界線のテンションだと厳しいところがあると思う。

 なんやかんやでアポロの自己犠牲によって成り立っていた正規ルートだったが、やりすぎて命を落とすとここまでひどい状態になってしまうんだ。

 やっぱり不思議な存在だな、アポロって。

 勇者の末裔でもないし、魔王とも関係ないし、彼が自称する通りモブに等しい友人キャラって感じの立ち位置だったのに。

 特別な選ばれた人間でもないけれど、美少女ごっこで親友をからかいたいっていう欲望だけでここまで世界を変えてしまうのだから、本当に恐ろしい逸材だ。

 ──そうそう、世界を変えるといえば。

 

『この崩壊しかけた世界を創り直すのよ。魔王が保有する絶大な魔力を逆に利用してやれば、超超規模世界改変の術式を発動することができる。……それで悪の組織の計画が頓挫した世界に創造し直すの』

 

 私たちを少なからず信頼してくれた(らしい)カゼコが語った、この世界での最終目標だ。

 世界すべてを洗脳して支配してしまうようなチート野郎の力を逆に利用して、強制的にこのバッドエンドルートをトゥルーエンド世界線に切り替えるチートを使おう──という話である。

 まぁ、それくらいやらないと取り返しがつかないくらい、この世界は終わってしまっているからしょうがない。手段を選んでいる場合じゃないのは理解しているつもりだ。

 

 問題はそれがあり得ないほど大変というか()()()()()()()()()()()()()()()()のが前提なことで。

 全く関係ない別世界からきた彼に頑張ってもらうのは筋違いな気がしないでもない。 

 ところがアポロ本人が若干乗り気なため、私から強くやめるようには言えないのが現状だ。

 なんで頑張れるの、と聞いたら一言。

 ──ここには俺がいないから。

 それだけだった。

 

「……うん。やっぱ私がやらないと」

 

 深夜。

 場所は秘密基地として使われている山奥の宿泊施設。

 布団の中でぐうすか寝息を立てているアポロを眺めながら、私は消え入るような声で小さく呟く。

 

「がんばらなくていいよ、アポロ。この世界のアポロ・キィは私だから」

 

 起こさないよう、そっと髪をなでる。

 アポロ・キィは人格を失い肉体を再構成され、私が生まれた。 

 私という存在の地盤は間違いなく彼だ。

 だから……なんというか、使命感に駆られてるわけではないけど。

 本来彼がやるべきだったことは、いま彼の魂と身体を間借りしている私がやるべきなのだと考えている。

 世界を創り直せばきっと私になる前のアポロも『死ななかったこと』になって甦るだろうし、モチベーションはそれなりにあるほうだ。

 最後に”マユ”というナニカがどうなるのかは知らないけど。

 

「ふふっ……」

 

 ──わからないのか。俺のこれからの美少女ごっこに、お前の存在は必要不可欠だという事を。

 

 あのときのことが脳裏によぎるたびに、やっぱりこの世界を彼に任せるのは間違っていると思ってしまう。

 彼のために頑張ろうと切り替えることができてしまう。

 マユという生命体はよくわからないナニカだけど、アポロにとっては必要な存在だと言ってくれたから。

 私を求めてくれたから。

 美少女ごっこだなんていう意味不明な、珍妙にして滑稽な目的のためだけど。

 それでもやっぱり──マユを肯定してくれたから。

 

「……うーん、ダメだな。エモかったりシリアスだったりって、やっぱり私たちの雰囲気じゃないよね」

 

 アポロのほっぺをツンツン。

 まぁ、まぁ。

 私の心境はおいといて、とりあえずシリアスな世界観にのまれずやれることからやっていこう。

 

「アポロの分までがんばるぞ~。……はむっ」

「──っ!!?」

 

 あっ、耳たぶ甘噛みしたら起きちゃった。

 

 



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マユのトゥルーエンド

 

 

 アポロに特別な力があることは、薄々感づいてはいた。

 

 天才的な頭脳とか、秘められた超パワーとか、そういったものではないけど。

 彼には誰よりも特別な力がある。

 たくさんの仲間を作り。

 おかしな目的を持っているにもかかわらず、多くの人々から信頼を得たり。

 ”自分の物語”を動かすために周囲を巻き込み、結果的により良い方向へと動かす力がアポロにはあった。

 当然、本人からすればそれはただの結果であって、自分の力とも思ってはいないのだろうが。

 それに関しては、まぁ……当然というか。

 私みたいなよくわからない存在が生まれたり、世界中から命を狙われたり、子供のように泣きわめいてしまうほどのトラウマを刻まれたりしているから、アポロからすれば不幸だらけで特別な力だなんて思えるわけがない。

 

 しかし、やはり彼には特別としか言いようがないパワーがあったのだ。

 その証拠としてここ一ヵ月の出来事を振り返ってみよう。

 

 

 

 

『キィくん!? え、あれっ……あなたはコクさん? わわっ、茶髪だ……イメチェンかわいい……』

 

 まず初週。

 カゼコに連絡を取ってもらう形で、彼女の妹である風菜が合流した。

 アポロが変身した美少女であるコクに恋をしている彼女を納得させるのは容易で、ダメ元でアポロがそれっぽいことを口にしたら風菜はあっという間に味方入り。

 多分今まで一番簡単なミッションだった。

 

 その後、私とアポロの間で決まったこの世界での約束事は二つ。

 一つは私たちのウソと事情を隠し通すこと。

 もう一つは絶対に”変身”しないこと、だ。

 

 一個目のウソに関してだが、大前提として私たちは()()()()()()()として振舞うことにした。

 アポロは奇跡的に生還して戻ってきた設定。

 私はなんやかんやあって彼と分離した『コク』って感じで。

 四六時中限界ギリギリでストレスマッハな終末世界で生きているヒーロー部の面々に、やれ異世界だの出生が意味不明な美少女だのと、頭が混乱するような情報を余計に与えるべきではない、という結論に至ったため、こういったリカバリー方法をとるしかなかったのだ。

 彼ら彼女らは自分たちの世界のことで手一杯。

 追い詰められている人間に対して、わざわざ難しい事情への理解を求めるほど、こちらも急いでいるというわけではない。

 少なくとも警視監との殺し合いが始まるクリスマス・イヴの前日までに、元の世界へアポロを帰還させられれば、それでまったく構わない。

 

 ──話は戻って、風菜と合流してから数日後。

 

『よ、ようやぐっ、ヒーロー部のみなさんであづまることができでぇ……ヴぇっ、うえぇぇ、ひぃーん』

 

 大阪で洗脳が解除された人々を()()()守り切っていたヒカリと合流。

 全員で力を合わせて大阪の支部を破壊し、避難民を秘密基地に送ることで、ヒカリが大阪を離れられなかった懸念点を解決することができた。

 私たちの世界よりだいぶ泣き虫になったヒカリを連れ、今度は部長が現地の同志と徒党を組んで悪の組織に抵抗しているらしい九州の熊本へひとっ飛び。

 

『どわああああぁぁぁァァッ!!? で、でっ、でたああああああぁァァ!!!』

 

 アポロを幽霊と勘違いしたライ部長が気絶──なんて一幕もありつつ、これまたアポロの不思議なパワーで周囲にバフがかかり、熊本での厄介ごとを片付けて彼女を再びチームに迎え入れた。

 ここまででわずか二週間あまり。

 アポロがこの世界に訪れてからたったの数日で、人々は悪の組織に対抗できるようになり、各所へ散り散りになっていたヒーロー部は再びチームとして活動可能なまでに再興してしまった。

 本当におそろしい影響力だ。

 アポロ個人の能力自体は微々たるものだが、他人の精神的主柱となることで周囲のメンタルを強固にする彼本来の性質が、この世界にきてから見事に炸裂している。

 

『うそ。……ほんとに、アポロくんなの……?』

 

 アポロを生き返らせるためになんか闇落ちして悪の組織に与していた氷織のことも、なんとか目を覚まさせて。

 

『まっ、まって。生きてることも驚きなんだけど、二人ともなんで分裂してるんだ。……ぃ、いや、良いことなんだろうけど……あの、僕と再会するたびにものすごい情報量で殴ってくるの、そろそろやめてほしいな……』

 

 組織に捕縛され地下深くに監禁されていたレッカをも救った頃には、すっかり元のヒーロー部というチームに戻っていた。

 ……いや、正規ルートと比べると細部は異なるか。

 ヒカリは打たれ弱くて泣き虫だし、ライ部長は乙女っぽい部分がほぼ消えて全体的に筋肉質でクール。

 カゼコは妙に殺気立ってて口が悪いし、レッカも荒んでて乾いた笑いばかりする精神的に成熟しきった大人みたいになっており、音無なんかまるで最初期のコクを彷彿とさせる寡黙な無表情っ娘に変貌してしまっている。コクとして振る舞ってるはずの私のほうが会話の回数が多いレベルだ。

 アポロが死んでから数か月で、ここまでヒーロー部が変わってしまうとは思わなかった。

 正規ルートと比べて人格が乖離してないのは風菜くらいのものである。それにしてもメンタル強いなこいつ……。

 

 ──で、昨晩。

 

『紀依っ』

 

 激ヤバな実験の被験体として消費される寸前だった衣月をどうにか救いだし、名実ともにヒーロー部は全員集合を果たした。

 これで目下の課題だった”戦力が足りない”という部分は解消されたわけだ。

 ヒーロー部は六人揃ってることが真価を発揮する条件。

 そしてアポロが本気を出すには庇護対象である衣月と、そこにいるだけで精神的支えになる音無が必要だった。

 とりあえずはこれで大丈夫だろう。

 別の世界線での出来事とはいえ、一度は文字通り世界を救ったチームだ。

 必要最低限の求められている人材は確保したし、あとは魔王の力を逆利用した世界の改変をおこなうだけである。

 

 ──と、そんな感じで何もかもが順調に進んだ一週間だったのだが。

 

 

「……いやいや、早くアポロをもとの世界に返さないと」

 

 みんなが寝静まった深夜。

 第二の拠点として使っている廃ビルの一室で、私はそんなことを小さく呟いた。

 

「アポロのパパに聞いたけど……世界改変ってこの世界にあるものすべてを書き換えちゃうらしいし」

 

 紀依博士にもらった資料を確認しながら、数日後に決行する最終作戦の行動内容をまとめていたのだが、そこでようやく重要なことに気がついた。

 元は別世界からきたアポロだが、今は当然ながらこの世界の一人の人間として組み込まれている。

 改変のタイミングがシビアなため、少しでも遅れるとアポロはこの世界の人間として再編纂され、二度と元の世界に戻れなくなってしまう。

 そもそも向こうではアポロが不在の状況がずっと続いているわけだ。

 あちらのヒーロー部も大いに心配しているはず。

 それに現在は十二月の中旬ということもあり、警視監との約束のクリスマスも目前にまで迫っている。

 ぶっちゃけアポロをさっさと帰したい。

 いつまでも別の世界線に同情なんかしてないで、自分の生まれた場所での自分がやるべきことに専念してほしい。

 

「…………寝てるよね」

 

 こっそりアポロが寝ている部屋へ赴き、彼の腕につけてある機械を少々いじくる。

 

「さっさと帰りなよ、バカなお人好しさん」

 

 こちらの紀依博士に協力してもらって手に入れた特殊なプログラムを、彼の腕輪に流し込んでおいた。

 これは時間経過で勝手にスイッチを起動させるウィルスだ。

 彼の意志とは関係なく、世界改変に巻き込まれることのない、安全に帰れる時間帯に強制的にアポロをもとの世界へ帰還させられる。

 直接世界改変のトリガーを引くのは、この私だ。

 元をたどれば私になる前のアポロが美少女ごっこをやめたのがバッドエンドの原因なんだから、その後始末は彼の体を乗っ取った私がやるべきだ。

 それに最初からこっちの世界出身だし。

 元の鞘に収まるというか、あるべき場所に帰るだけです。

 

「たぶん、私はいなかったことになるけど」

 

 私は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が引き金となってこの世に生を受ける。

 つまり世界改変でそもそも悪の組織が自滅したことになれば、ヒーロー部──アポロが世界を救った事実そのものがなかったコトになり、私を発生させる要因はそのことごとくが駆逐されていく。

 最初からいなかったことになるのだ。

 前提条件としてこの世界からあの世界へ流れ着いた魂だけの存在という、まるで意味不明なバグなのだから、間違いが修正されれば消えるのは道理だろう。

 

「……ヒロインなら今のうちにキスでもするところだけど」

 

 やっぱやめとこ。

 

「たぶん相棒枠だしね、私。……さよなら、アポロ」

 

 彼からそっと離れつつ、自分の両頬を叩いて気合を入れ直す。

 よーし。 

 命をかけた人生最後の大仕事だからな、がんばるぞ。

 死ぬことになるんだろうけど──不思議と怖くない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──と。

 らしくもなくシリアスな風を吹かせて、計画通りに自分が死ぬはずのトリガーを引いたはずだったのだが。

 

「………………生きてるんかーい」

 

 予想に反して、私は生きていた。

 とても晴れた青空の下、とあるカフェの屋外テラスで紅茶を飲みながら、自分に起きた様々な事象を脳内で整理している。

 

 まず、バッドエンド世界は当初の予定通りに改変した。

 衣月とアポロを除くヒーロー部全員で魔王に膝をつかせたその瞬間、紀依博士が作った特殊な機械をやつと連結させ、魔力を吸い取ってそのままスイッチを押して起動。

 世界改変が開始され、視界が真っ白に染まったあと──この世界で目が覚めた。

 アポロのことは作戦の最終段階を迎える前に、窓のない地下室に閉じ込めておいたため、改変前までには強制的にこの世界を去ることができたはずだ。

 だから……そう、アポロの心配はいらないのだ。

 

「困ったな……ズズ──熱っ!」

 

 問題は自分のことである。

 どうやら今回のこの事象に関しては、私の解釈が間違っていたようで。

 修正後の世界では発生しないバグ……つまり存在しえない生命体である私は、生まれる過程そのものが否定されてこの世から消え去ると思い込んでいた。

 しかし事実は少し異なっていた。

 

 確かに私はこの世界では確実に発生しない生き物だ。

 二つの時間軸を彷徨して結果的に生を受けた私は、いわばこの世界の枠組みから逸脱している。

 あり得ない──イレギュラーな存在だ。

 だから。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 どうやらこの世界は割といじわるだったようで、いなかったことになるのではなく、私というバグをいったん取り除いて世界を直してから、ふたたび私を盤上に置き直した。

 余ったパズルのピースだ。

 はめ込む場所がないから、とりあえずパズルの上に置かれている。

 この世界は直せるけど、他の世界の事情も交じっててよくわからんお前のことまでは面倒見れないわ──とこの世界そのものから否定された感じ。

 つまり何もかもが修正されてトゥルーエンドを迎えた世界で、唯一私だけが改変前と全くなにも変わらない人間として取り残された、というわけだ。

 

「ごちそうさまでした」

 

 数少ない路銀で頼んだ紅茶を飲み干し、カフェから発つ。

 時刻はお昼よりちょっと前くらい。

 そろそろ飲食店が込み合う時間だが──

 

「どうしよっかな」

 

 ポケットから取り出した小さい小銭入れの中には数百円。

 当然大きなお金はない。

 服装はヒーロー部が通っている魔法学園の制服(改変前にもらった余り物)だが、今日は土曜日ということもあり真昼間から制服で往来を歩いていても補導されることはないから安心だ。

 とはいえタイミングに助けられているだけだから、日曜日を跨ぐまえに別の服とか用意したいな。お金ないけど。

 マジで補導だけは面倒だ。住所はおろか戸籍すらないんだから。

 

「……本当に、誰もいないしな」

 

 私を知っている人間は誰もいない。

 帰る場所も、これから先の目的もない。

 ただ漠然と世界を書き換えて、いまここにいる。

 自分の正体を知ってからは、アポロをもとの世界へ帰すこと以外は、わりとどうでもよかった。

 そりゃあこの世界の人々には同情したし、あっちの世界では良くしてくれたヒーロー部の力になりたいとも思っていた。

 けど、やっぱり心の底ではどうでもいいと思っていて、選んだ選択がこの大多数にとっては幸福につながる道だった、というだけの話なのだ。

 こちらの世界には思い入れがない。

 あっちの世界は私の居場所ではない。

 結局どっちつかずで、最後の最後は一人になった。

 警視監と決着をつけて世界を救ったあの時のアポロとは違い、見送ってくれる衣月(ヒロイン)も、血眼になりながら必死に探してくれるヒーロー部(なかま)も、ずっと想ってくれる親友もいない。

 ただひとり。

 たったひとりで──

 

「わっ……」

 

 下を見ながら歩いていたせいか、誰かとぶつかってしまった。

 そこまで強い衝撃ではなかったが、原因は私にある。

 早く謝らないと、と思って顔を上げると──見覚えのある人物だった。

 

「すいませ……」

「だ、だいじょうぶ? ごめん、俺もよそ見してた」

「……………………」

 

 これまた、なんとも、ベタな展開だ。

 思わず言葉を失っちゃった。

 私の目の前に現れたのは──まぁ、普通にアポロ・キィだった。

 

「……あ、あの? どこか痛むのか?」

 

 見た目から判断したのか、私のことを年下だと思って接している。

 ていうか制服のリボンが下級生のものだったからってのもあるけど──なんかうざい。

 実際の年齢はともかくとして、記憶の量はほぼ同等だしなんなら精神年齢(なかみ)はほとんど一緒なんだぞ。

 

「…………いえ、平気です」

 

 顔見知りですらない目の前の少年に、そんな生意気なことを言える道理はないけど。

 

「そうか……? でも、顔色がよくない──」

「もとからこういう肌色なんです」

「……ご、ごめん」

 

 病的な……とまではいかないけど、私は普通の人に比べればかなり色白だ。

 不健康そうに見えるのはしょうがない。

 まず私を知っていたらしないはずの反応だったからか、いざ現実を目の前にすると少しだけひるんでしまった。

 余計に傷つく前に彼の前から去ろう。

 

「まあ、あなたが無事ならそれでよかったです。それじゃ」

「お、おう。…………どっかで会ったことあったかな、あの子……?」

 

 

 足早にその場を離れ、噴水広場のベンチに腰を下ろして一息ついた。

 呼吸を整えながら背もたれに体重を預け、空を仰ぐ。

 

「はぁー……そりゃそうだ……」

 

 アポロは私を知らなかった。

 コクと瓜二つな私を見ても、何の違和感も覚えなかった。

 悪の組織の計画が頓挫した世界線に変えたはずなのだが、どうやら彼がペンダントを使って美少女ごっこに邁進した事実すらもなかったことになっていたらしい。

 いったいどの段階で悪の組織が失敗したのかは定かではないが、少なくともアポロがヒーロー部に入部するきっかけとなった美少女ごっこすらなかったとなると、ヒーロー部が身を粉にしてまで戦っていた正規世界線よりは平和になっているのかもしれない。

 

「……あっ、ヒーロー部」

 

 遠くに見えたのはライ部長、氷織、ヒカリ、それから荷物持ちをさせられているレッカだった。

 

「そういえばコオリさん、電飾を買ってませんわ!」

「あー、忘れるとこだった。あそこのホームセンター寄ろっか」

「れ、レッカ? やはりわたしも持とうか?」

「いえっ……ジャンケンに負けた僕が悪いんです……! 最後まで頑張ります!」

「……そ、そうか。レッカも男の子だな」

 

 ほほう、なるほど。

 クリスマスが近いということもあるせいか、なにやら大量に買い出しをおこなっていたようだ。

 というか悪の組織の活動が活発じゃなくても、あの四人は最終的にヒーロー部になってしまうらしい。

 見た限りではほんわかした雰囲気だ。

 もしかしたらこの世界では血生臭い戦場になど赴かない、市民のヒーロー部という名の健全なボランティア部活動なのかもしれない。

 

「──フウナ? どうしたの?」

 

 ヒーロー部が目指していたホームセンターから出てきたのはウィンド姉妹。

 別の世界線ではチームメンバーだった彼女たちは、どうやらこの世界では込み入った事情のない普通の仲良し姉妹であったようで、無関係の部活メンバーたちの横を当然のごとく素通りした。

 すると風菜だけが立ち止まり、じっとこちらを見つめている。どうしたんだろう。

 

「……お姉ちゃん。一目惚れって……信じる?」

「えー? ないない。人って中身を知らないと好きにはなれないものよ。……なに、さっきの男子に一目惚れしたの?」

「それは全然違うけど……うぅん、なんでもない。いこ」

 

 二人もまた私を知らないため、ほどなくして去っていった。

 まだ肉体を持ってないときにアポロの記憶を見たことがあるが、風菜がコクを好きになった原因は外見が四割、残りは童貞が勘違いするようなムーブで優しくされたからだ。

 強い接点を持たない以上、風菜がコクにそっくりな私を必要以上に気にする理由もまた存在しない。

 

「……衣月、音無の家の子になったんだ」

 

 こんな都合よく邂逅することある? って疑いたくなるほど、その場には以前の知り合いたちがたくさんほっつき歩いていた。

 ヒーロー部四人は先ほどの通り一般的な部活動のメンバー。

 ウィンド姉妹も悪の組織に幽閉された過去はなくなり普通の女子高生。

 衣月は──

 

「あ、おねえちゃんだ」

「……めちゃめちゃ心配した表情でこっち来てるぞ。きみ、ちゃんとお姉さんに謝りなさいよ」

「わかった。……紀依おにいちゃん、一緒に探してくれてありがとう」

「ん。今度は迷子にならないようにな」

「こら衣月ー! 勝手にひとりで行かないでって言ったのに!」

 

 アポロと手をつないでおり、ほどなくして彼の手を離れて、迎えにきた音無に抱き着いた。

 

「おねえちゃん、ごめんなさい」

「まったく。……あっ、そのネクタイの色、二年生の方ですよね? 妹のこと、ありがとうございます」

「お構いなく。俺も急ぎの用事とかはなかったから、衣月ちゃんと少し遊ぶのはいい暇つぶしだったよ」

 

 迷子になったあと、私とぶつかった後のアポロと出会い、保護してもらっていたらしい。

 正規世界線だと衣月は組織に拉致される前から児童保護施設にいたはずだが、彼女のそういった境遇も悪の組織が一枚嚙んでいたようだ。

 

「はぁ……衣月と遊んでくれたんですか」

「おにいちゃんとはメダルゲームやった」

「えっ!? ばかっ、いくら使ってもらったの!」

「ハハ、たった五百円だから気にしなくてもいいって。衣月ちゃんゲームうまいからメダルけっこう増えたし──」

「……何かお詫びさせていただきます、先輩」

「だ、だから気にしなくていいって」

「ダメです! 学生の五百円はバカにできませんよ!」

 

 ……それにしてもあの三人、平和な世界でも出会うくらい因果が繋がってるんだな。運命って感じだ。

 もしかして悪の組織、紀依勇樹博士と知恵さんが組織から抜けて”アポロ・キィ”の誕生が確定したあたりで破綻したのだろうか。

 今となってはどうでもいいことだけど。

 

 

 かつての知り合いたちの邂逅を目の当たりにしていると、なんだか落ち込みそうになったので視線を下にさげた。

 別に、もう無関係の学生たちだ。

 誰も知らないどこかの世界の、顔が似ている誰かを私が覚えているだけ。

 友人の惚気を見せられる独り身みたいな気分だった。めっちゃふつうに最悪です。

 平和になったあの少年少女たちに、私みたいな化け物が近づくべきではない。

 妙な欲が顔を出す前にこの場を離れよう。

 

「かえろ。…………あっ」

 

 何言ってんだ。

 帰る家なんかないでしょうに。

 

「うーん……まぁ、いっか」

 

 深く考えるのはやめて、ベンチから立ち上がった。

 これからはただ各地を彷徨して、どこかで野垂れ死にするだけの人生だ。

 お金があるうちにおいしいものを食べて、誰も訪れないような場所を見つけたらそこでひっそりと過ごす。

 誰も私を──わたしの名前を知らない世界で、また知ってもらおうと頑張る気は起きない。

 この先のことも割とどうでもいい。

 

 今日の夕食くらいは悩もうと考えつつ、目的地も特に決めないまま歩き出す。

 なるべく、なるべく気落ちした自分の心を直視しないようにしながら。

 

 

 

「────マユっ!!」

 

 

 

 ……。

 

 …………。

 

 ………………えっ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 最近の夜は、なんだか意味深なセリフばっか吐きやがるマユのせいで眠れなかったり、途中で起きたりすることがままあった。

 その最たる例がこの世界での最終決戦の前夜だ。

 やれ帰れだのバカだのお人好しだのと好き勝手罵ったと思ったら──

 

『たぶん、私はいなかったことになるけど』

 

 といった爆弾発言をしてくれやがった。

 なんだこいつ睡眠妨害に続いて自害宣言とか頭おかしいのか。

 確かにこの異様なシリアス世界観の別ルートにいたら多少影響されてナイーブになってしまうのはわからないでもないが、それにしても死に急ぎすぎだろう。

 まさかと思ってこの世界の親父を問い詰めたところ、なにやら特殊なウィルスを彼女に渡していたそうで。

 息子特権でそれを消去させたあと、マユの動向を様子見していたのだが、まさか俺を独房に閉じ込めるとは思わなかった。

 こっそり手助けを頼んでいた衣月に扉を解錠してもらい、ラスボスと戦っている現場にようやく到着したと思ったら時すでに遅し。

 寂しそうな笑顔、ともすればシリアス作品に影響されすぎた中学生みたいなキメ顔で、世界改変スイッチを押したマユがそこにはいた。

 

「はぁ、はぁ。……まったく、ようやく見つけた」

 

 で、気がつけばこの世界。

 

「どうなってんだこの状況? 風菜もカゼコも俺のこと知らないし、ペンダントつけてない俺が音無とイチャイチャしてるし……」

 

 作戦内容にあった世界改変というのには成功したのだろうが、まさか美少女ごっこ自体が消え失せているとは夢にも思わなかった。

 風菜にコクを聞いたとき『それ誰ですか?』って言われちゃったときは素直にショック受けちゃったわね。

 あとれっちゃんも俺のことポッキーって呼んでくれなかった。てかキィって呼ばれた。苗字ておまえ。

 どういう過去改変をされたのか、なぜか俺は二人いて、なおかつれっちゃんとは知り合いではあるものの親友といえるほど仲良くはなっていない。

 

「どういう……そもそも別世界の人間だから、私と同じようにはじかれた……?」

 

 顎に手を添えてブツブツと呟いているが要領を得ない。

 こっち見ろよおい。

 

「こら、おいマユ。無事なら無線機で連絡しろって。めっちゃ探したんだぞ」

「…………ね、ねぇ」

「なに」

 

 不安げな表情のまま上目遣いで俺を見上げるマユ。

 惚れそうになるから急に美少女しぐさしてくるのやめてほしい。

 

「名前……もっかい言って」

「は?」

 

 何言ってんのかわかんねぇ。

 平気そうに見えて実はマユも結構困惑してたりするのか。

 

「マユ」

「うん」

「……え? いや、呼んだけど」

「もっかい」

「なんで……」

「もういっかい」

「何なんだよ……マユ、マユ、マユちゃん。これでいいですか」

「…………うん」

 

 これはいったいどういうことだ。

 あの煽りカスで常に余裕綽々って雰囲気を崩さなかったマユが……なんというか、普通に年頃の女の子っぽい。

 わかりやすく赤面してたり──は、しないけど。

 目が泳いでるし、手も俺の制服の裾を掴んだまま離さない。てかいつのまに掴んでたんだ。

 

 

 ……不安だったのだろうか。

 確かにこの世界へ訪れてからはほとんど余裕がなかった。

 みんなもそうだが、なにより俺自身が結構キツかったように思う。

 ぶっちゃけ地獄みたいな一ヵ月だったといっても過言ではない。

 アポロ・キィがそもそもいなかったり、ヒーロー部のメンバーはみんな『誰?』って感じの変化を遂げてたし、加えてどいつもこいつもメンタルが危うくて接しづらかった。

 俺がまともに……というかいつも通りでいられたのは間違いなく、すぐそばにマユがいてくれたからだ。

 睡眠妨害はまぁ普通にウザかったが、彼女がいなかったら俺もシリアス堕ちしてしまっていたかもしれない。

 事情を把握しているマユのおかげでがむしゃらに頑張れて、くだらないやり取りをしていたからこそメンタルも保てていたのである。

 そういった感謝の念は素直に言葉にして送るべきだ。

 あっちももしかしたらそれ待ちかも。

 

「ありがとな。こっちの世界じゃ正直助けられっぱなしだった」

「……そうなんだ」

「おう。だから……そうだな、帰ったらどっかファミレスにでも寄ろう。なんでも頼んでいいぞ」

「……私、かえってもいいの?」

 

 何言ってんだこの外見ロリは。

 

「当たり前だろ、お前の家はウチなんだから。……な、なんだ、家出でもしたくなったの」

「……ううん。かえっていいなら、かえる。一緒に……帰る」

「そうしとけ。だいたい、俺と警視監との約束を知ってるのはお前だけなんだかんな。こっちに残りたいって言っても連れ帰ってたわ」

「そっか……そっか」

 

 茶化しながら笑い飛ばしてみると、なぜかマユは少しだけ嬉しそうに微笑み、人目も気にせず正面から抱き着いてきた。

 まって。

 待って待って。

 なんなの、なんで突然のデレ期なの。

 攻略するような手順は踏んだ覚えないぞ。

 

「私って、アポロの相棒?」

 

 なにをいまさら。

 

「お前がそう思ってくれてるうちはな。せいぜい失望されないように頑張るわ」

「わかった。……ありがとう、アポロ」

「……お、おう」

 

 どうしたんだお前──とか。

 そういう質問をするのは野暮かと思ったからやめておく。

 俺たちが歩んだルートより何倍も凄惨なこの世界を体感して、それから一番大事な自分の出生の秘密を知ったこともあり、彼女は彼女で感じ入るものがあったのだろう。

 正直こういう反応は予想してなかったけど。

 ともかくお互い無事だったのならそれでいい。

 チートも特典もない危なっかしい異世界転移の大冒険はこれで終わりだ。さっさと帰ろうな。

 

「よし、じゃあワープ装置を起動させるぞ」

「……アポロ、鼻の下が伸びてる」

 

 うっ。

 

「あ、あのな。女子に抱き着かれたら否が応でも男子はそうなるんだって。少年漫画とか読んでたんだからわかるだろ」

「そうやって開き直るんだ」

「最初にくっついてきたのはそっちだろ! 俺で遊ぶとあとが怖いからな!」

「……べつに。なにをされても文句はいわないけど」

「え? ……えっ?」

 

 どういう意味ですか……。

 

「ふふっ。いかにも童貞くさい反応。やらしー」

「テメェなぁっ!!?」

 

 



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疲弊

「…………はぁ」

 

 

 ため息一つ。

 季節が冬へと移り変わったこともあり、吐息は白い風になって霧散する。

 バイト帰り、退勤してからコンビニで買った温かいお茶を手のひらで転がしつつ、辟易したように重い足取りで進みながら最近のことを思い返す。

 

 こちらに戻ってきて一週間と少しが経過した。

 十一月の終わりごろに異世界転移装置で並行世界へ渡り、あちらで一ヵ月を過ごしたのだから、本来であれば今日か明日が警視監との約束の日だ。

 しかし現在は十二月の初週。

 なんとあっちでの一ヵ月は、こちらではたったの三時間であったらしい。

 親父によると時空のゆがみがどうこうという話だったが、正直半分も理解できなかった。

 唯一わかったのは、俺の転移したあの世界が相当の『IF(ありえない)』ルートだった、ということだけだ。

 

『ふたりとも三時間も戻ってこないなんて心配したぞ……。三十分ほど別世界の様子を見たら一旦戻ってくるように言ったじゃないか。……え、魔力切れ? そんなバカな、しっかりと往復用の魔力をチャージしておいたはず──』

 

 曰く、この正規世界からみて”IF”の世界線であればあるほど、渡航する距離と消費魔力が大きくなってしまうらしい。

 どんな世界線を往復しても三分の一程度の魔力が余るほどの、多量のエネルギーを持っていたにもかかわらず、それを片道で消費しきるあの世界は、よっぽどこの世界とは乖離したあり得ない──あるはずがないルートだったようだ。

 確かに以前の個別ルートシミュレートをしたとき、悪の組織を壊滅させたという一点に関しては、すべての世界線で共通していた。

 悪の組織を倒すということは、俺が”美少女ごっこ”を継続させコクという存在の延命をおこなうことでもある。

 コクがいるとレッカの心が折れない。

 彼の心が折れなければ、ヒーロー部は六人集って魔王を倒す。

 氷織の個別ルートのようにコクを続けることがなくなっても、たとえみんなが集まらなくとも、部員内で()()が出なければ、悪の組織は滅ぼせる。

 これらは、もはやそういった概念の話だ。

 ヒーロー部のメンバーの誰が俺を選ぼうとも、誰も死なない限り絶対に負けることはあり得ない。

 しかし、一人欠けるとどうなるのか──それは知っての通り悲惨な結末だ。

 あそこは別の世界から訪れた俺とマユの二人という、言うなれば裏技みたいな存在が介入しなければ修正できないほど終わっていた。

 それは一人死んだから。

 悪の組織に対するカウンター的存在であるヒーロー部のうち、運悪くアポロ・キィという男が命を落としてしまったからだ。

 

 しかし、俺が死んでこの世が支配されてしまうほどあり得ないそんな世界だったからこそ、彼女が誕生するきっかけが生まれたのだ。

 

「……ん」

 

 交差点の信号で立ち止まると、反対側に少女の影が二つ見えた。

 一人はカゼコ。

 もうひとりは──マユだ。

 目の前にある歩行者用の信号が青になるころには、互いに手を振って解散した。

 面倒見のいい翠髪のお姉さんは、俺の帰路とは反対方向へ。

 そして彼女を見送った明るいブラウン髪の少女は、振り返る途中で俺の存在に気がつき手を振った。

 

「おー、アポロ」

 

 ジト目で、なおかつ眠そうな声。

 あの別世界で戦っていたときの、妙なシリアス顔はどこへやら。

 こちらに戻って一週間で、どうやら彼女も”いつも通り”というものを思い出せたらしい。

 平時のマユの姿は俺にとっては形容し難い安心感のようなものがあったようで、先ほどまで疲弊しきっていたメンタルが少しだけ回復したように思う。

 

「おう。買い物してくれたのか」

「カゼコと一緒に。そっちはバイト帰りかな」

「あぁ、もうヘトヘトだよ」

「お疲れ様です。それはそうと荷物持ってくれる?」

「容赦ないねキミ……」

 

 変わらずふてぶてしい態度の彼女に苦笑いしつつ、飲み物が大量に入った重そうなレジ袋を受け取る。

 これはマユにはちょっと重すぎて無理だ。きっと途中までカゼコに手伝ってもらっていたのだろう。

 

「そういえばバイト先の後輩ちゃん……琴音だっけ。落とせそ?」

「世間話みたいに出てきていい内容じゃないな」

「えっ。近づく女はみんなハーレムに入れるのがモットーだったんじゃ」

「そんな古代の王みたいな思考はしてないんだよ……」

 

 思い返してみるとマユに限らず、いろんな人にハーレムだなんだと揶揄される事が多いのだが、個人的には俺の状況はそうではないと思う。

 これは単純に男女比が偏っているだけだ。

 そもそもヒーロー部の時点で男子はレッカだけの1対6なのだし、そこに俺が加わっても男が少ない現状が変わるはずがない。

 さらにマユと衣月の二人が足されるのだからお手上げだ。

 仲間がハーレム3号だの4号だの、冗談ですらハーレムを名乗ってしまっているため、現状がそう見えるのは仕方ない事だが、実際はクソ雑魚な俺のことをみんなが介護してくれているだけだから、現実は異なるのだ──ということをなるべく強調していきたい。

 

「ていうか、俺がコクになったら男子はレッカだけだぞ。アイツのほうが圧倒的にハーレムだろ」

 

 彼のことを好いているヒーロー部複数人に加えて、一応レッカに重めな恋慕の感情を向けている設定のコクが合わさり、まさに向かうところ敵なしだ。

 誰もが認める最強のハーレム主人公である。

 

「アポロはそれでいいの?」

「……あいつがモテることに関しては最初から気にしてないわ。一日が二十四時間なのと同じくらい当たり前のことだし」

 

 もはや妬みとかそういった感情すら湧いてこない領域に彼は到っているのだ。

 英雄色を好むともいうし、文字通り命を懸けて世界を守ってくれた親友くんには、あれぐらいの役得があって然るべきだと常々思っている。

 そもそも今更だろう。

 ヒーロー部の名が知れてからは一般人からの人気も凄まじいことになっているし、彼の立場は超の付く有名人だ。

 当たり前のことを目にしたところで、感情が揺さぶられることはない。

 ハリウッドスターがモテモテなことに怒る一般人がどこにいるんだって話だ。

 

「まぁ、れっちゃんはああ見えて誠実な奴だから、複数人から好かれてる現実をあれ以上放っておくことはしないと思うぞ。今年中にはコクに対してもケジメつけるだろ」

 

 そうするように発破をかけたのは他でもない俺だし。

 

「確かにモテるけど、そういう意味じゃアイツはハーレムじゃないかもな。そろそろ誰かを選ぶんだから」

「ふーん。じゃあアポロは誰が選ばれると思うのかね」

「順当にいけばいつも一緒にいる三人のうちの誰かじゃないか? 氷織もカゼコもヒカリも好感度マックスだろうしさ。コクは……まぁ、庇護対象だろ。大胆に攻めたのも沖縄が最後だし、ヒロインごっこは失敗だ」

「最後までわかんないじゃん。コクが選ばれたらアポロどうすんの?」

「そ、それは……うむ……」

 

 適当に始めた美少女ごっこに答えなんてあるはずがない。

 いままで本当に何も考えずにただただレッカをからかってきただけなんだ。

 コクから好意を露わにしている以上こちらから断ることはできないため、全てを彼に任せることになる。

 きっぱりフッてくれるのか、それとも彼の優しさと誠実さと隠された聖剣でメス堕ちさせられてしまうのか。

 ……正直、分からなすぎて怖い。

 俺ってこんなにメンタル弱かったっけ。

 

「──私としては、コクは選ばれてほしくないけどな」

 

 若干気落ちしながら歩いていると、不意に横からそんなセリフが耳に飛び込んできた。

 しかし疲れていたせいか、そんな彼女の一言を気に留めることはなく、緩慢な足取りで帰路につくのであった。

 

 



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告白なんて聞いてない

 

 

「……なんで、こんなことしてたんだっけ」

 

 月満ちる静寂の夜。

 ヒトひとりいやしない公園のベンチで、空を仰ぎながら力なく呟いた。

 俺のそばには誰もおらず、ただ手元に二つのペンダントがあるのみ。

 思考する。

 顧みる。

 これまでしてきた自らの行いを、改めて思い返してみた。

 といっても、なんら難しいことをしてきたわけではない。

 至ってシンプルな、簡潔に言い表せる結論だ。

 

 ──美少女ごっこがしたかった。

 俺はただ、それだけだった。

 

 

 高校生になったばかりの頃、体育の授業でペアを決めることになった。

 友達作りに成功している生徒ならいざ知らず、未だ学校やクラスに馴染めていない人間からすれば地獄のような提案だ。

 案の定、俺は余って。

 そしたら、意外なことにもう一人余っていて。

 半強制的にその男子と組むことになり、俺は一時的に孤独ではない状態になることができた。

 ペアを組んだ男子、彼の名はレッカ。

 レッカ・ファイア。

 高校生になった自分にとって、彼は初めての友人であった。

 

 まず先に声をかけたのはどちらからだったか。

 始まりの合図は覚えていない。

 だが話していくうちに互いを理解して、気がつけば放課後に会う約束をする仲にまでなっていた。

 そうなることができたのは、田舎から出てきた自分と、実家から飛び出してきたレッカ──条件は違えど、高校に馴染めず知り合いがいないという、二人だけの共通点があったことが大きな要因だったように思う。

 休み時間にちょっとした話をして。

 一緒に昼食をとって。

 適当に街をぶらついたり、片方の自室へ赴いてゲームをしたり、時たまくだらない遊びなんかもしながら、そうして俺たちは二人だけの狭いコミュニティを築いていった。

 この上なく充実していた。

 それだけで、満足だった。

 

 しかし、ある日。

 その友人が腕に包帯を巻いて登校してきた。

 中二病になっちゃった、だとか茶化してきたが、どこをどう見ても手の甲に酷い怪我を負っているのは明白だった。

 転んだか、事故に遭ったか、それか喧嘩でもしたのか。

 聞いても誤魔化して答えてくれないから、聞かれたくないことなんだなと、飲み込んでその怪我のことは気にしないことにした。

 高校生とは多感でなんでもしたがる年頃だ。

 怪我をするくらい不思議なことではないんだろうな、と自分を納得させた。

 もし人には知られたくないような、恥ずかしい遊びなんかで負った傷なら、確かに自分でも恥ずかしくて人には絶対に教えたくないと考えるだろう。

 だから、詮索はやめておこう。

 親しき中にも礼儀あり、だ。

 

 ──怪我がそれだけなら、俺もそうやって割り切ることができたのだが。

 日を追うごとにレッカの傷が増えていく。

 ひどいときなんか、二週間以上も入院することだってあった。

 我慢が、できなくなった。

 俺と遊ぶ時間が減っていったことに関しては、この際だから無視した。

 彼にも事情があるのだろう、もっと仲の良い友達でもできたのだろう、もしくはアルバイトに精を出しているのだろう、と。

 しかしレッカの怪我や多忙具合は、彼の個人的な都合だから、と納得できる範囲をはるかに逸脱していたから。

 放課後、額から血を流してフラフラしている彼を見つけて、堪忍袋の緒が切れた自分は詰め寄った。

 『お前いつも何してんだ』

 『危険なことなら、今すぐやめてくれ』

 そう言っても、レッカは聞いてくれなかった。

 

 ある日の晩、スーパーへ買い出しに向かった帰り道で、偶然レッカを見つけたのだが。

 声をかけることはできなかった。

 そんなことが可能な状況ではなかった。

 彼は──闘っていたのだ。

 ゲームとかアニメとか、そういう話の中でよく見かける”戦う高校生”という立場に、彼はあった。

 手から炎を出して、顔を強く殴り飛ばして、とにかく悪い人と暴力を振るい合っていた。

 

 そりゃあ、怪我もするだろう。

 入院したとしても不思議ではないだろう。

 来る日も来る日も殺し合いをしていたのだから、無事で済むわけがないだろう。

 このことを話さなかったのは、こういった事情に巻き込まないため。

 俺のことを心配して、俺のことを突き放していた。

 その事実を理解した頃には、これがどうして俺は憤りを覚えていた。

 親友が命を懸けなければならない状況を。

 そんな彼に対して何もしてやれない自分の無力さを。

 だけど、社交性も身体能力も、これといった長所が何もない俺では、戦いの場に赴いても大怪我を負って病院送りになるのが関の山。

 何もできないことを知っていたから、何もしなかった。

 ずっとずっと言い訳を続けて、俺は傍観者であり続けた。

 ──しかしある日、俺はレッカに戦いを強制させている大元の原因をこの目で発見したのだ。

 

 市民のヒーロー部。

 

 そんな、一風変わった名前の部活に、彼は席を置いていた。

 部員、七人。

 レッカを除くと女子六人。

 そこには三年の生徒会長さんとか、有名財閥のご令嬢とか、小市民の自分とは一線を画すような存在が多数在籍していて。

 その中の誰もがヒトを魅了する強い輝きを有していて、そんな彼女ら全員をレッカは魅了していた。

 あぁ、なるほど。

 こいつらが理由か、と。

 六人の少女たちとの関係性が親友を縛り付け、命の危険が伴う戦場へ向かわせていたのだと、理解することができた。

 

 それが分かったらどうすればいいのか──答えはシンプルだ。

 引き剝がせばいい。

 ヒーロー部とかいう意味不明なよくわからん美少女サークルから彼を引き抜けば、親友は今まで通りの普通の高校生に戻ることができる。

 ヒロインたちを救いながら世界を守る勇敢なハーレム主人公ではなく、ただ毎日を青春に消化する一介の男子高校生に戻ってほしかった。

 彼が戦わなくなることで発生する不具合など知ったことではない。

 高校生の子供が命を張っていい理由などあるわけがない。

 世界の秩序を守るのは大勢いる大人たちの仕事なんだから、親友がわざわざ無茶をする必要なんてないだろう、と。

 そう思ってからは、早かった。

 かつて優秀な研究者だった父の発明品に頼り、俺は黒髪を靡かせる美少女に変身した。

 友人の俺の言葉が届かないなら、別の手段を試せばいい。

 レッカを引き付けるナニかを演じる──思いついた方法はそれだった。

 此方に関心を向けさせ、ヒーロー部のことなどどうでもいいと思わせてしまえば俺の勝ちだ。

 これでいこう。

 俺の友人のために。

 彼の大切な青春のために。

 

 俺の親友を救おう──()()()()()()()()()

 

 

「……いや、違うよなぁ」

 

 乾いた笑いが喉から漏れ出る。

 そうだ。

 確かに親友のレッカをただの高校生に戻してやりたい気持ちはあった。

 また馬鹿なことしながら遊んで、彼と楽しい毎日を過ごしたいと思っていた。

 だが、しかし。

 やはり、冷静に考えると。

 ()()()()()()()()

 きっと、いままで思い返したソレは、客観的に見たときに自分を正当化するための口実であり、高尚なお気持ち表明ってやつなのだ。

 

 俺が黒髪の少女に変身した本当の理由に、絡み合った複雑な事情などありはしなかった。

 ただ、面白いことがしたかった。

 仲のいい友達と距離が生まれてしまって、暇になったから。

 シリアスな世界で主人公ぶっている親友をからかって、楽しく笑いたかったからそれを始めた。

 ハーレムに属さない、唯一無二の特別なヒロインを演じてみるのも、面白そうだと思っていた。

 いかにも只者ではなさそうな雰囲気を醸し出すことで、すっかり主人公属性が板についた友人や、彼と共にライトノベルもどきの学園バトル活劇を続ける少女(ヒロイン)たちの鼻を明かして、こう言ってやりたかった。

 

 お前ら、ただの高校生だろ。

 危険なことして世界を守るなんて、話の中だけで十分なんだよ。

 学園バトルものの登場人物みたいに戦いの場に慣れて、シリアスに振る舞う立場に酔いしれて、一度しかない青春を対価にしてまで、命かけて戦ってんじゃねえよ。

 もっと普通に学園生活を送ればいいだろ──って。

 

 遠回しにこう言って、RPGのキャラみたいに世界を守ることに従事してるアホどもを解散させてやりたかったんだ。

 いいんだよ、そういう危ないのは無い世界観で。

 さっさと少年少女の戦いを終わらせて、あとは学園に通いながらレッカの恋愛物語を眺められればそれでよかった。

 そりゃあ、ただの友人ポジションは暇だから、たまに美少女ごっこしてからかったりはするけど、逆に言えばそれ以上のことは何もしないし。

 戦わなくてもラブコメはできるだろ。

 難しいことは大人に任せればいいよ。

 

 

「だから、美少女ごっこして気持ちよくなりながら、その立場を利用してあいつらに戦いを止めさせて──」

 

 

 それで、終わり。

 そうなれば、いい。

 いや、たぶん、もうそうなってる。

 

「……」

 

 ヒーロー部はほとんど戦わなくなった。

 困ってる人は助けるけど、血みどろな戦いはほとんどしなくなった。

 

「……あぁ」

 

 彼らは青春を謳歌している。

 世界を救って有名人にこそなりはしたが、それでも彼らなりの学園生活を送れている。

 

「あぁー、そっか。……俺か」

 

 そうだ。

 ()()()()()()()()()()()

 

 

 明日、とある人と殺し合いをする。

 そんな約束を二ヵ月前に交わした。

 部活メンバーで集まって、みんながクリスマスパーティをしている中で、俺は席を外してひとり、悪人とゲームをすることになっている。

 

「……なんで、こんなことになってるんだっけ」

 

 友人たちがクリスマスパーティといういかにも学生らしいイベントをするというのに、どうして俺は未だ血生臭い世界にいるのだろうか。

 その疑問には、すでに答えが出ている。

 

「俺が……美少女ごっこをしたから、か。……ははっ」

 

 自虐ではなく、本当に面白くなって笑ってしまった。

 友達をからかうつもりで美少女に変身してたら、ものすごいしっぺ返しを食らっているのだからお笑いだ。

 

「っふふ、はははっ。いやぁ……何してんだろうな、俺って」

 

 ただの高校生だろ。命をかけて戦うなんて、話の中だけで十分なんだよ。

 ……なんて、あいつらに言いたかったセリフが全部自分に返ってきている。

 こんなに愉快なことがあるか。

 ミイラ取りがミイラになってるじゃないか。

 なんで俺だけ命がけで悪と戦ってんだよ。

 

「……はぁ。よしっ、やる気でた」

 

 すっくとベンチから立ち上がり、頬を叩いて自らを鼓舞した。

 思い返せば、最近はずっとシリアス主人公ごっこをしていた。

 藤宮衣月という少女を庇ってから、荷が重すぎる異常が津波のように押し寄せてきていたからだ。

 でも、俺が本来やりたかったのは、美少女たちに囲まれてムカつく親友を、美少女に変身してからかって遊ぶという、この世の終わりみたいな遊びだけなのだ。

 明日殺し合いの予定が組まれている、あのロリっ娘アンドロイドに意識を入れ替えた、因縁の相手である警視監に勝てばその遊びも再び可能になる。

 負けたらまぁ、それまでの男だったというだけの話だ。

 シリアスな空気に流されて、懊悩するのはもうやめた。

 俺は本来そういうのを茶化す立場だったんだから、いい加減暗い雰囲気は終わりにしよう。

 

「そうと決まれば最終調整だな。帰ろ」

 

 今朝、ようやく”アポロ・キィ”の姿に変身できるペンダントが完成した。

 これをマユに渡し、ヒーロー部のクリスマスパーティは、俺の姿に変身した彼女に乗り切ってもらう予定になっている。

 俺が負けて死んだら、海外に飛んだとか適当に誤魔化してもらう算段だ。

 抜かりはない。

 これで安心して警視監とのデスゲームに専念できる──

 

 

「キィくんッ!!」

 

 

 ──と考えて、さっそく帰ろうと歩き出したその時だった。

 不意に誰かが、俺の背中に大きな声を浴びせてきたのは。

 …………普通にめちゃくちゃビビった。

 心臓が跳ねたわ。

 

「はぁっ、はぁっ。……ようやく、見つけた」

 

 現れたのは、緑色の髪が特徴的な学生服の少女。

 使いやすい風魔法を伝授して、何度も窮地を脱するきっかけをくれた恩人。

 そして数週間前に『本当の私をみつけて』と、コクが一番最後に謎の美少女ムーブをかました相手。

 ──風菜・ウィンド。

 俺が変身した姿である美少女ことコクに対して、淡い恋心を抱いてくれていた女の子でもある、ヒーロー部の一員だった。

 

「……答えは出たのか?」

 

 俺が女を演じている男なのか、それとも男を演じている女なのか。

 それを見極めてくれと、以前の彼女に告げた。

 あの後は人格が分裂したとかいろんな嘘が錯綜したが、聡い彼女ならそれらが偽りであったと察していてもおかしくない。

 衣月や音無、ライ部長ですらもそれを察している節があった。

 だからきっと、何を言われても驚かない。

 ……驚かないフリ、を頑張ろう。

 

「はい、出ました。あたしのなかで結論が。……きっと、こうだって」

「……聞かせてくれるか?」

 

 頑張ってポーカーフェイスを保っている俺とは異なり、風菜は走ってここまで来た疲弊こそあれど、顔つきは極めて冷静だ。

 

「あなたは──キィくんは、キィくんです。コクさんじゃない。

 ……あの人は、この世に存在しない」

 

 あの黒髪美少女は俺が変身した姿。

 コクなんて少女は存在しない、と。

 最初から事情を共有していた衣月以外で、初めてそう言い切ったのは親友ではなく、俺がずっと嘘だけを教えてきた少女だった。

 

「衣月さんみたいに一緒にいたわけじゃないし、レッカさんみたいな強い信頼関係を築いてきたなんてこともない──だからこそ、あたしはあたしのわかる範囲で、キィくんとコクさんのことを考えました」

 

 淡々とこれまでの俺の行動、その真相を語っていく。

 その姿を前にしたいまの俺は、さながら蛇に睨まれたカエル。

 平静を保ったフリをしながら心臓バクバクで緊張し続けることしかできない。

 

「ヒーロー部が追い詰められたとき、あたしがワガママを言って動こうとしなかったから、キィくんはあたしを奮い立たせるために優しい女の子として振舞ってくれた」

 

 レッカに対してはやけに距離を作っているのに、風菜に対してはかなり甘かった、というコクの矛盾点を突いてくる。

 なるほど、確かにそうだった。

 相手は二人とも同じヒーロー部の部員なのにもかかわらず、彼女に対して都合よく振る舞い過ぎていた。

 それから──

 

「あたしたちの前から姿を消したあとの、ボロボロの瀕死状態で発見したときのキィくん……ヒーロー部総出でお世話していたときのキィくんは、どうしようもなく()()()()()姿()()()()()()()()でした」

 

 警視監を殺し、その報復として悪の組織の残党に四六時中命を狙われながら、世界各地を逃げ回ったあとのことだ。

 俺が精神的に死んでいて、それを発見したヒーロー部の女子たちから、献身的なメンタルケアと日常生活のサポートを受けていた。

 あの時の俺は文字通り死んでいたから、美少女ごっこができるほどの気力が残っているはずもなく、ただ女の姿から男に戻れないアポロ・キィとしてそこにいた。

 それが決定的な証拠。

 あとから俺がどれほどハッタリ利かして設定を追加しようが、アレは揺るがぬ真実なのだ。

 

「……敵の特殊な攻撃を受けて、くしゃみで人格が変わるようになったって聞いたときは、正直言うと嬉しかったんです。コクさんは本当にいたんだ、幻想じゃなかったんだって」

「それは──」

「分かってます。全部。……ぜんぶ、わかってますから」

 

 いつの間にか、風菜は目と鼻の先に立っている。

 魔法も身体能力も彼女が格上である以上、これでは物理的に逃げられない。

 聞くしかない。

 これまで欺いてきた少女の、俺ではない俺に恋をしてくれた大切な存在の言葉を。

 

「コクさんがいるって信じたいのは、キィくんも同じだったんですよね。だから二重人格のように振る舞ってた」

「風菜……」

「……あたしの抱いた淡い幻想を、壊さないために。あたしのために、キィくんはあの少女として振舞ってくれていた」

 

 ──はい?

 

「…………へっ?」

「あたしに恋心を抱かせた責任を取ろうとして、みんなに嘘をつくってリスクを抱えてまで、コクさんでいてくれた。……優しすぎますよ、キィくんは」

「え、えっと。ちょっと待ってくれるか、風菜?」

「ふふっ。もう、だいじょうぶですよキィくん。さっき言ったじゃないですか、あたしはぜんぶ分かってるって」

 

 待ってほしい。

 本気で少し待ってほしい。

 なにかすれ違いが発生してないか。

 俺は俺のために二重人格のウソをついたのであって、風菜の心の行方まで察して行動するほどの余裕はなかったんだ。

 

「衣月さんを守る過程でついた必要なウソで、あたしが勝手に好きになっただけ。……それでも。道の途中で後ろについてきた、仲間でも何でもない、ただの邪魔者でしかないはずのあたしの恋心を守るために……また、ウソをついてくれた」

 

 別にそんな、初恋の子を気遣って自分は美少女ですとウソをつき続ける優しいのかひどい詐欺師なのかよく分からないムーブをした覚えはないのに。

 

「だから、たぶん……こんな気持ちになっちゃったのかな」

 

 風菜が優しく微笑んでいる。

 き、気持ち……?

 なんだろう、見当がつかない。

 いや待て、アレか。

 もしかしてこれまでの全ての感情が怒りに変換されて、ついに俺をボコボコにしに来たのか。

 過去の罪状を鑑みれば、今この場で殺されても何らおかしくはない。

 初恋の相手は、実は女に変身して自分を騙してた男でした、なんて種明かしをされたら許せなくなるのも当然だろう。

 ヤバい。

 宿敵と殺し合いをする前に、過去の罪の清算で死ぬことになってしまう。

 どうすれば。

 俺はいったいどうすればいいんだ。

 いっそ潔くぜんぶバラして──

 

 

 

「好きです、キィくん」

 

 

 

 ……。

 

「…………」

 

 ……。

 …………。

 

「えっ」

 

 ──えっ。

 

「うへへ。……い、いっちゃった」

「…………えっ、え」

 

 一瞬世界中の時が止まったような、思考が真っ白になるような、背後からいきなり銅鑼を鳴らされたような──とてつもない衝撃を全身に感じた。

 

 告白。

 告白だ。

 おれ、いま、告白された。

 メジャーリーガーでも目を疑うような、どストレートの剛速球をぶん投げられた。

 

「な、なっ、なにいって……!」

「聞いてください、キィくん」

 

 なのに。

 だというのに。

 風菜は俺の気持ちなぞ露知らず、もしくは意図的に無視しているのか、とにかく自分のペースを崩す様子が見受けられない。

 つよすぎる。

 俺が出会ってきたこれまでの誰よりも、この場にいる彼女は間違いなく無敵の存在だ。

 

「コクさんの頃から察していたと思うけど、あたしは女の子が好きです。恋愛とか小さいときからよく分からなくて、お姉ちゃんみたいにフワフワでやわらかくて、気兼ねなく接することができるから、女の子が好きでした」

 

 一歩。

 こちらへ歩み寄ってくれた彼女を間近にして──ようやく気づいた。

 ほんの少し、頬が赤みを帯びている。

 

「同年代も年上も、男の人はみんな苦手でした。仲良くなった子は、高学年になったら素っ気なくなったり、イタズラをしてくるようになったし。お父さんは大きい声で怒鳴るし、痛いこともしてくるし、あたしをさらった悪の組織の人たちも、みんなそんな感じだったから」

 

 無敵だ何だと言っていたが、それはちがう。

 彼女よりも俺のほうが、もっと大きな勘違いをしていた。

 

「レッカさんはお姉ちゃんの好きな人だから、あんまり近づかないようにしようって思って。……だから、まともな恋愛なんてしたことありません。いまの気持ちだってもしかしたら何か間違ってるかも。

 でも、それでもいいんです」

 

 いま自分の目の前にいるのは、恥ずかしい気持ちを押し殺して、異性に想いを伝える──ただの恋する少女だったのだ。

 

「上辺だけ好きだった女の子も、仲良くなりたいけど苦手だった男の人のことも、いまはどうでもいい話。あたしは、ただ──」

 

 精一杯の勇気を振り絞って、彼女はこちらの手を握る。

 だが、強くない。

 自信のなさそうな、弱々しい力だ。

 握るというより、そっと触れていると言ったほうが正しいかもしれない。

 相手からの拒絶や困惑、自らに湧き上がる羞恥や恐怖など、それら全てを飲み込んで風菜は告げる。

 

 

「ただ、キィくんに恋をしました」

 

 

 満面の笑みで、恥ずかしそうに、嬉しそうに。

 ずっとずっと真っすぐに、眩しいくらいの好意を告白してくれた。

 

「ぇ、えへへ……」

 

 頬が赤い。

 顔が熱い。

 それはきっと、俺にも言えることなのだろう。

 あまりにも恥ずかしくて──それ以上に嬉しくて。

 

「好きです。好きだから、もっと知りたいです。キィくんのことを、もっともっと教えてほしいです。……だから。もし、キィくんが嫌じゃないなら」

 

 生まれて初めて、真正面から『恋をしている』と、シンプルに『好きです』と伝えられて。

 

「お話し、してくれませんか。……もう、一人でどこかにいくなんて、そんなこと言わないでください。キィくんは一人じゃありません。

 あたしがいます。あたしが、そばに──」

「ま、まって」

「えっ……?」

 

 そんなこと言われて、多感な男子高校生が、平静を保てるわけがない。

 比喩抜きに顔から火が出そうなのに、シリアスな空気なんて継続させられるはずがない。

 

「すっ、す、す……座らない? 風菜あのっ、ぁ、いっ、一旦ベンチに、一旦……すっ、座りませんか……?」

「あ……う、うん。じゃあ、えと……座りましょうか」

 

 そうして、一旦、ベンチに座って。

 ──あまりにも無理すぎて、やっぱり何も言えなくなってしまった。

 

「っ…………」

「……えっと」

「あの、ゴメン……ほ、ほんと……ちょっと、まってくれ……ッ!」

「う、うん……」

「……、……っ!」

「……えっと、キィくん?」

「っ……!!! ッッ……!!!!」

 

 おそらく風菜が人並みの恥ずかしさを取り戻したころ。

 俺はその五百万倍くらい恥ずかしすぎて、歪みきってニヤついた表情を見せないために、顔を伏せてしまうのであった。

 

 



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ハーレム四号

 

 

「…………」

 

 正座、している。

 

「……ふむ」

 

 目の前には、同じように正座している、長い薄紫髪の女子生徒。

 この学園の生徒会長とヒーロー部の部長を兼任しているスーパー才女こと、ライ・エレクトロ先輩がいる。

 場所は学園内にある畳張りの和室。

 普段は茶道部が使っているその場所で、ライ先輩は俺のために、お茶を一服立ててくれていた。

 

「なるほど。風菜の想い、君はしっかりと受け取ってくれたんだね」

 

 先輩は優しく微笑んだまま、柔らかい雰囲気でそう続ける。

 清廉でおしとやかなその空気は、まさに大和撫子。

 落ち着き払った彼女を前にしていると、自然とこちらも穏やかな心持ちになることができた。

 

 

 ──昨晩、風菜という少女からあまりにもストレートな告白をされた俺は、自分がこれからどうするべきか分からなくなってしまっていた。

 好意を伝えられ、一人ではないと励まされ、逡巡している間も手を握ってそばにいてくれた風菜によって、たった一人で危険なイベントを押し進めることのリスクと恐怖を再認識した。

 端的に言うと、これまでのように自分を無理やり奮い立たせて、部員のみんなを置いて一人で戦いへ赴く勇気(蛮勇)がきれいさっぱり消え去ってしまったのだ。

 

 ゆえにこうして、昼休みの時間を割いてもらい、生徒会長であり部活の長でもあるライ先輩にお話を伺いに来た、というわけである。

 もう下手な隠し事は自分を苦しめるだけだと理解し、風菜のことや警視監との約束のことも、包み隠さず彼女に明かした。

 

「……俺はどうしたらいいんでしょうか、会長」

 

 年上で多角的な視野をお持ちのライ先輩にしか聞けないことだ。

 自分だけでなく、ヒーロー部のみんなにならいくらでも頼っていい──そんな風菜の言葉に動かされて、俺は今ここにいる。

 ようやく俺の選択肢に”相談”という項目が追加された、と言ってもいい。

 もうかっこつけてソロプレイを続けられるほど、俺の心は強くないのだ。

 

「……そうだな。……みんなで、戦おうか」

 

 先輩が点ててくれたお茶を差し出してきた。

 それを受け取り、手のひらの上で回す。

 

「みんなで、ですか」

「君がどう思っているかは分からないが、ヒーロー部は漏れなく全員君の味方なんだよ、アポロ」

「……味方」

 

 部員のみんなが俺の味方──その言葉の意味を、俺はこれまで半分も理解していなかったように思う。

 同じ部活のメンバーで、旅の中で一緒に戦っていたとしても、やはり俺にはみんなに対する隠し事が多すぎたから。

 自分一人が別の場所に立っていると、そう思い込んでしまっていた。

 けど、それはライ先輩曰く、間違った認識だった。

 

「想いを伝えた風菜はもちろん、他のメンバーにとっても君は大切な存在だ。見ていて気付かなかったかい?」

「……すみません。俺、見て見ぬふりをしていたかもしれない」

 

 きっと最初から気づいていたのだ。

 だが、知らないふりを続けていた。

 みんなに信頼されているだなんて、ただの一般人である自分がそう考えるのは、とてもおこがましいことだと思っていたから。

 

「アポロのためならどんな助力だって惜しまないさ。わたしたちは仲間なのだから」

 

 ライ先輩の穏やかな声音が、深く心に染み入る。

 簡単に言うと感動してしまった。

 なんだか普通に嬉しくて、表情がほころんでしまいそうになる。

 ニヤニヤしてる顔、見られたくないな。

 

「──それと、わたしも君のことが好きだ。……風菜には、先を越されてしまったようだが」

 

 あくまで余裕を崩さないまま、ほんの少しだけ頬を赤らめて、微笑みながら彼女は告げる。

 

「世界中の人々が悪の組織に洗脳されて、心が折れたわたしを守ってくれた。多分、あのときから。……吊り橋効果、だとか揶揄されてしまったら、反論が難しいな」

 

 あはは、と小さく笑うライ先輩。

 一言で表すと──かわいい。

 年上の先輩なのに、どうしてここまで守りたくなるような雰囲気を出せるのだろうか。

 好きだ……。

 

「でも、やはり君はわたしの中で大切な存在だから。頼ってほしいし、力になりたいと思っているよ」

 

 これまた直球の告白だった。

 ここで俺が取り乱さないでいられるのは、落ち着いて自然に話を続けてくれる、ライ先輩の巧みな話術と静かな雰囲気のおかげかもしれない。

 

「……あの、ライ先輩。俺──」

「今はいいよ、アポロ」

 

 答えというか、自分自身の想いというか、どんな言葉を口にするかは決まっていなかったが、とにかく彼女に返事を返したかった──のだが、それは受け取る本人であるライ先輩によって制された。

 

「風菜も、わたしも、すぐに答えが欲しくて伝えたわけじゃないんだ」

「え……」

「それよりも君の──いや、()()()答えを待ち続けている相手がいるだろう」

「っ!」

 

 すぐに思い至った。

 ライ先輩が言っている、その彼女の答えを待っている相手という人物に、俺は一人しか心当たりがなかったから。

 お茶を飲み干し、ふちを拭って茶碗を返して、ゆっくりと立ち上がった。

 後押しされていることには気づいている。

 ここまでして背中を押されては、とぼけて時間を稼ぐのも不可能だ。

 

「君の親友は部室にいるよ。……たぶん、いまは一人かな」

「……ありがとうございます、ライ先輩」

「うん、いってらっしゃい」

 

 とても頼りになる先輩に背を向け、俺は和室を出てヒーロー部の部室へと向かう。

 その道中、首に下げたペンダントを一度触って。

 見目麗しい黒髪美少女に変身をして、俺は一番初めにウソをついた相手のもとへ駆けていくのだった。

 



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共通ルート/個別ルート

 

「もしもし、兄さん?」

 

 ある日の昼休み。

 放課後に予定しているクリスマスパーティーを気兼ねなく楽しむため、残っていた依頼メールの返信を部室でおこなっていると、着信でスマホが震えた。

 電話の主は僕の兄。

 確執が絶えない勇者の血を引く一族のなかで、唯一気兼ねなく話せる血縁者だ。

 魔法学園入学前は良好とは言えなかった彼との関係が改善され、普通の兄弟のような接し方ができるようになったのは、コクの追跡をきっかけに始まったあの旅のおかげでもあるため、これもアポロたちが繋いでくれた縁の一つと言えるかもしれない。

 

「──正義の秘密結社が、遂に動き出した!?」

 

 その普通の兄弟のような仲になった兄とは、あまり普通のことはしていない。

 こうして悪事を企む連中について連絡を取り合い、二人で協力して奴らを沈静化させるというのが、今の僕たちの絆の在り方だ。

 今回情報が回ってきた正義の秘密結社とは、悪の組織の後釜を狙って動き出した新しい敵のことである。

 表向きは慈善団体として活動しているようだが、その裏では非合法な取引や悪事が横行している真っ黒な集団だ。

 勇者の血統にあり、曲がりなりにも悪の組織を壊滅させて世界を救ってしまった僕には、一種の責任というものがある。

 悪の組織に続こうとする輩を鎮静化させる役割も、僕が背負うべき責任の一種というわけだ。

 

「あぁ、もちろん学園の生徒を実験台に、だなんて許さないよ。……えっ、もう学園へ向かってる!? わ、わかった、すぐ迎撃するッ!」

 

 電話が終わり、急いで席を立った。

 学生とは本来、貴重な青春を楽しむ時期であって、決してライトノベルやアニメの高校生なように、危険な戦いに明け暮れるべきではない。

 しかし力を行使しなければならないのであれば、僕は迷わずその道を選ぶつもりだ。

 ヒーロー部と親友、そして何よりあの少女を守るために。

 

「わっ。……れ、レッカ」

 

 部室を出ると、背の低い黒髪の少女と鉢合わせた。

 彼女はコク。

 親友の中に存在するもうひとつの命であり、僕がこれまでやってきた女子に対する不誠実な対応を真正面から咎めてくれた唯一の存在でもある。

 旅の道中、沖縄で彼女に告げられた言葉を思い出す。

 僕が出すべき答え。

 彼女に告げなければならない"それ"を今夜のクリスマスパーティーが終わった後、二人きりのときに伝えようと思っている。

 散々懊悩して何とか導き出した答えを、ようやっと伝えられる機会が訪れたのだ。

 誰にも邪魔立てはさせない。

 僕に対して強い感情を向けてくれているヒーロー部の少女たちのことや、ずっと一緒に隣を歩いてきた親友のことも、すべてを加味して考え抜いた先に出てきた結論だ。

 これをコクに伝えることこそが、僕の今の人生最大の指標と言っても過言ではない。

 

「……あのね、レッカ。わたし──」

 

 だからこそ早急に責任を果たして、世界を狙う巨悪を打ち砕き、今夜のクリスマスパーティに間に合わせられるよう努めなければならないのだ。

 

「ごめんコク! 急いでるから、また後でゆっくり話そうっ!」

 

 返事も聞かずにその場を後にした。

 話を中断してしまった罪悪感もさることながら、くだらない世界征服を考える悪党どもに対して辟易としたため息が出てしまう。

 なんだってこんな大切な日(クリスマス・イヴ)に動き出すんだ、奴らは。

 今日この夜こそが、コクに対して大事な答えを告げて、アポロが揶揄していたような『主人公ぶった男』を終わらせる、またとない絶好のタイミングだというのに。

 

 急ごう。

 早く敵を片付けて、今度こそ親友が口にしていた共通ルートとやらを終わらせるんだ。

 

 

 

 

 

 

 ──フラれた。

 

 いや、実際のところは『あなたのことが好きではありません』と直接告げられたわけではないのだが、明らかにそうとしか思えない態度で、親友くんに一蹴されてしまった。

 俺は美少女ごっこをしていた。

 かわいい女の子に変身して親友をからかい、遊んでいた。

 そして紆余曲折あり、生徒会長でありヒーロー部の長でもあるライ先輩から鼓舞され、今度こそ謝罪と本音を彼に告げようとしたら、もうお前なんか興味ありませんといった雰囲気で後回しにされてしまったのが、数時間前の出来事の概要である。

 ……あー、まぁ、分かってたけどな!

 コクは沖縄での疑似告白イベント以降、ヒロインらしい行動は何一つ出来ていなかったし、その間ずっとレッカを支え続けていたヒーロー部のヒロインちゃんたち三人のことを鑑みれば、こうなることは必然だった。

 完全に攻略外のサブヒロインに降格したコクのことを、いまさら主人公くんがまともに相手にするはずがなかったのだ。

 閑話休題。

 現在の状況を整理すると、俺はヒーロー部たちと分断されて単独行動をしている、ということになる。

 

 まず、正義の秘密結社とかいう連中が癇癪を起こして、魔法学園を占拠してしまったのが始まりだ。

 奴らの目的は学園の生徒たちを洗脳し、人質兼手駒として利用することで、計画を有利に進めることだったらしい。

 ていうかまた洗脳かよ二番煎じじゃねえか、悪党ってのは芸がないな、という文句はさておき。

 秘密結社が魔法学園全域に巨大なバリアを張り、学園と外部を完全に遮断することで、学園側への救援を絶ってしまっているのが現状だ。

 つまり、事態の解決は学園内にいる職員と生徒たちにかかっている。

 敷地内に取り残された人々だけで、悪質なテロリスト共と戦わなければならなくなってしまったのだ──と言ったところで。

 

 俺の話をしよう。

 クリスマス・イヴの夕方に殺し合いをする、という約束をある人と交わしていた俺は、レッカにフラれた直後に早退扱いで先に学園の敷地外に出ていた。

 その事情を知っているヒーロー部の女子たちがついて来てくれていたのだが、突如発生したバリアが学園内を包み込んでいき、バリアの中に残るか外に出るかの咄嗟の判断を求められて迷った彼女たちに対して、俺はこう言った。

 

 ヒーロー部なら学園の生徒を守ってくれ──と。

 

 謎のバリアが発生した時点で、学園が何者かに狙われていることは明白だった。

 遠くを見れば、いつの間にかレッカが秘密結社の構成員と戦闘を繰り広げている。

 さらに言えば、既に音無も彼の援護に回っている。

 だからこそ、俺のそばから離れるか否か躊躇している残り五人に対して、強い口調でそう言わなけれなならなかったのだ。

 

『待っててくださいね、キィくんっ! これ終わったら絶対ぜったい、ぜぇーったい迎えにいきますからッ!』

 

 そう告げた風菜が正面から抱擁をかまし、ついでと言わんばかりにライ先輩も『すまない、必ず』と耳元で囁きながら俺を抱きしめ、氷織とヒカリとカゼコの三人もそれぞれ一言残し、彼女らはヒーロー部として逃げ惑う生徒たちのほうへ向かっていった。

 

 ええ、そうです。

 つまるところ、いつも通りということである。

 ヤベー敵が襲ってきて、ヒーロー部の面々は市民を守るためにそちらへ赴き、俺は一人。

 いたって通常運転だ。誰もついてこなくて逆に安心しちゃったよね。

 男の姿に変装して俺の代わりにパーティに参加する、という目的で学園内にスタンバってたマユもバリアの内側だし、正真正銘たったひとりの最終決戦というわけだ。

 曲がりなりにも俺の方へ理解を示してくれていた女子たちも、もれなくレッカの加勢へ向かったもんだから、一周回って笑ってしまった。

 あとになってどれほど善い行いをしようが、結局一番初めに不純な動機で美少女への変身を企てた事実は変わらないのだ。

 そんなバカでマヌケな変態の末路などこれで十分、ということなのかもしれない。親友を裏切って物語をスタートしたという原罪を背負い続けています。ポッキーの原罪。

 

 で、だ。

 親友やそのヒロインたちは相変わらず人々を救ってらっしゃるので、俺は俺の事情に集中しなければならないわけだが。

 約束の公園まで赴くと、敷地の中から走って出てきた幼女に手を掴まれ、そのまま連れ去られてしまった。

 

「逃げるぞ、アポロ・キィ! 秘密結社の狙いは学園の生徒でもヒーロー部でもなく、きみだ!」

 

 有無を言わさず手を引いたのは、肉体が死んだので精神をロリっ娘アンドロイドに移し替えた、元ラスボスこと警視監の男だった。

 俺が殺し合いの約束の約束をした張本人だ。

 コイツに、内臓を食い破るナノマシンを口移しで流し込まれたからこそ、でまかせとハッタリで何とかゲームによる対等な決闘をしようという話まで進めて今日に至るのだが──なんだろう、二度も急展開でこっちを振り回すの、やめてもらっていいですか?

 意味わからん裏社会の事情に付き合わされる学生の身にもなれよ、このロリっ娘。

 

「なぁ、警視監。俺、はやくお前とゲームして勝って、体内のナノマシン停止したいんだけど」

「うるさいなっ、逃げるのに集中したまえよ! そんな物ただのハッタリに決まってるだろ!? 口移しじゃないと相手に仕込めないナノマシンなどという非効率の極みなんぞ使うはずないだろうがッ!」

 

 うわ、すごい早口。

 ていうかあれウソだったのかよ。逆ギレすんなって。

 

「くそ、今日の約束だってきみを呼び出して、味方に勧誘するための口実だったんだ……。だというのに秘密結社のやつら、邪魔しおって……!」

「すごいペラペラ白状するよな、お前」

 

 よくそんな調子で俺のこと勧誘しようとか考えたな。

 その胆の据わりようには素直に感心するわ。

 

「……疑問なんだが、どうして俺が狙われてるんだ? お前が俺を勧誘したいってのも、よく分かんないし……」

 

 なんとか路地裏に逃げ込み、呼吸を整えながらそう質問すると、警視監はイラついた様子で頭を抱えた。

 

「あのねぇ……きみ、自分の立場を理解していないのか?」

「都内の高校に通う学生です」

「ちがう!」

 

 違わねぇよバカ。

 なんなら学生証見せてやろうかこの野郎。

 

「いいか、よく聞きたまえ。きみは裏社会のトップだった悪の組織から最重要被験体である純白を奪取し、ついでと言わんばかりに組織そのものを壊滅させ、さらにはその身一つで組織残党の追手をすべていなして日常生活に戻ったバケモノだ! 経歴だけ見れば秘密結社だけでなく、どこの組織もきみを欲しがるに決まってるだろう!」

 

 こ、こいつ今ヒトのことバケモノって言った!

 人間やめてロリっ娘アンドロイドになったくせに!

 言いたい放題しやがってクソっざけんな、ばーかばーか!

 そもそも全部結果論じゃねえか、真実がねじ曲がってるぞオイ。

 衣月を組織から逃がしたのは両親だし、悪の組織のクソ強い連中を倒したのはみんなレッカたちヒーロー部だし、日常生活に戻れたのも死にかけてたところを仲間が熱心に治療してくれたからだ。

 ……俺、マジで何もすごいことしてないじゃん。

 ただ美少女に変身して遊んでたカスです、よろしくお願いします。

 

「ッ!? くそっ、捕縛ネットか……っ! 逃げろ、アポロ・キィっ!!」

 

 

 気がつけば警視監は秘密結社の追手に捕まり、俺は一人で街中を駆けずり回ることになっていた。

 学園の占拠は盛大な囮で、その目的はいつも身近にいるヒーロー部たちと俺を分断すること。

 どこへ逃げても場所がバレていた辺り、おそらく警視監は最初から秘密結社に盗聴器やら位置情報発信装置やらを仕込まれており、ここまでの行動や計画はすべて筒抜けだったのだろう。

 結局、またひとりで逃げることになってしまった。

 逃亡生活何回目だよこれ。

 誰かを守るとかじゃなくて、遂に俺個人がターゲットにされちゃってんだけど。

 わざわざ俺のこと捕まえても、得るものなんて何もないというのに。

 

 アポロ・キィには何もない。

 これまでは運とタイミングが奇跡的に重なり合って、偶然俺の歩んだ道の後ろで世界や人々が悪の手から解き放たれていたのであって、自分一人で守れたものや救えたものなど、ただの一つも存在しないのだ。

 庇護対象にしていた衣月のことだけを考えても、周囲の助けがなければ早々に奪われていた。

 ゆえに、疑いようのないほどに、俺自身に褒められるような、周囲に認められるような価値なんて皆無で。

 謎の美少女ムーブに徹していたコクですら、ついにヒロインレースの途中で落馬してしまった以上、もはや清々しいほどに空っぽになっているのが今現在のアポロ・キィなのだ。

 勘違いで好意を抱かせてしまった風菜やライ先輩には悪いが、俺という人間はどこまでいってもしょうもない。

 勇敢に悪へ立ち向かう姿を生配信されているヒーロー部たちと、ひとり惨めに逃げ続けているだけのこの状況を見れば、そんなことは一目瞭然なのである。

 はぁ、シリアスシリアス。

 現実に打ちのめされちゃって、ポッキー絶賛ナイーブ中だわ。

 

「おわっ」

 

 住宅街の入り組んだ道を走っている最中、首にロープが巻き付けられた。

 遠くから縄を括りつけるとか西部劇の警察かよ。

 

「ぅぐっ、ぁ゛」

 

 強い力で首のロープを引っ張られ、呼吸という行為が強制停止させられてしまう。

 そのまま引きずられていると、ようやく捕まえたぜ、という声が遠方から薄っすらと耳に入ってきた。

 捕縛するためとはいえ方法が少しばかり強引すぎる気がしないでもいない。

 彼らが本当に俺個人を欲しているのか、それとも最強の勇者の力を持つレッカやクソ強ヒーロー部の面々を味方陣営に引き込むために、人質として俺を利用したいのかは分からないが……いや、まってそれじゃね?

 聡いアポロ氏、ここにきて真の目的に気づいてしまった。

 そうだよな立場だけ考えれば、ポッキーって最後まで利用価値たっぷりだもんな。

 逆に使えないって判断されたらただの荷物になるから、すぐさま殺されそう。

 ヤダ怖い死にたくない、わが生涯に何片か悔いあり──

 

「うぉ──って! ……ッ?」

 

 叫ぶこともままならない状態で引きずられていたその時、突然ロープが千切れて転倒した。

 コンクリートの硬さを頬で直に感じつつ、顔を上げる。

 そこには──見慣れた顔があった。

 

 

 

 

 

 

 果たしてこの少女に助けられるのは、これで何度目なのだろうか。

 

 街外れまで移動して逃げ込んだ廃ビルの一室に身を潜めながら、隣を向いてそんなことを考えていた。

 まるで散歩中の犬のごとく引っ張られていた俺の首の縄を、クナイで切断して救助してくれたのは、バリアの張られた学園内でレッカたちと共に戦っていたはずの後輩。

 にんにん忍者ことオトナシ・ノイズであった。

 いつにも増してマフラーがデカい。

 

「湿布、首に失礼しますね」

 

 壁に背を預けてぼんやりしていると、彼女が痛めた首に冷えた湿布を貼ってくれた。

 二人で廃墟の高層ビルに逃げ込んだはいいものの、状況的には八方塞がり。

 本来ならばここからどうやって事態を改善させるかを考えるべき──なの、だが。

 やはり、俺は音無がこの場にいるという事実が無視できなかった。

 そのためスマホを取り出し、誰かがカメラを構えて撮影している、学園内での戦闘の生配信を画面に映し出した。

 思った通り、そこにはレッカ。

 いつものように他のヒーロー部。

 生徒たちを避難誘導するマユに、どこからどう見ても音無にしか見えない忍者もバッチリ映っている。

 

「まさか、おまえ音無の分身か?」

 

 以前見せてもらった分身の術による一時的な分離。

 そうとしか思えなかったのだが、隣で膝を抱えて座っている彼女は首を横に振った。

 

「……画面の中にいるそっちが分身です」

「はっ? お、おま、何してんの……」

 

 生徒や職員たちを守るために学園へ残ったほうが術による分身で、俺のもとへ駆けつけた音無が本人だ、と彼女はそう語った。

 いや、いやいや。

 それはおかしい。

 そんなことをしていいはずがない。

 巨悪に狙われて大変な事態に陥っている学園を分身に任せて、俺ひとりのほうへ本人がやってくるなんて、どう考えてもあってはならないことだ。

 逆ならまだ理解できる。

 むしろよくやったと褒めてやりたいくらいだ。

 だが、なんというか、これは……。

 

「なぁ、分身の強さとか、耐久度とかはどんな感じなんだ」

「戦闘能力自体は三分の一程度です。攻撃を三度受けたら、自動的に霧散する……って感じです」

「お世辞にも強いとは言えないな……」

「……そうですね」

 

 然しもの音無といえど、今回ばかりは自分の判断が合理的でないことには気がついているようで、終始申し訳なさそうな低い声音で応対している。

 そんな態度になるくらいなら、どうして。

 強くそう問いただしたい気持ちはあるものの、彼女がいなければ今頃秘密結社の手の内に堕ちていたため、俺自身は責められる立場にない。

 しかし無視をしていい理由もないだろう。

 

「音無……どうするんだ、これ。みんなの前で戦ってるコイツがやられて、分身だって判明したら、お前の立場が危ういぞ?」

 

 下手をすれば『分身に任せて逃げた』と誤解されてしまう可能性もある。

 それだけではない。

 後からついてきた周囲の人々からの憧れや羨望はまだしも、ヒーロー部の面々からの信頼すら失ってしまいかねない危険な行為だ。

 どう考えても学園に残るべきだった。

 戦わないにしても、レッカたちのサポートや、マユのように避難誘導をしたりなど、あの場でやるべきことはいくらでもあったはずだ。

 そんな彼らをおいて、自分の命と約束を守るために外へ出ていった俺はクズでいい。

 間違いなくそうであるし、自分の行いが正しいとはこれっぽっちも思っていない。

 一人で逃げ出したアホとして糾弾されようとも、それは道理というものだ。

 しかし、音無がそれに付き合う必要はない。

 俺という個人ではなく、市民という善良な人々のもとへ駆けつけるべきだった。

 合理的に考えてもそうするべきだったことは本人も理解しているはずだ。

 なのに、どうして。

 

「助けてくれたことには感謝してるけど、俺なんかよりも学園のみんなを──」

 

 そう言いかけた瞬間、音無が不機嫌そうな表情で顔を上げた。

 彼女のそんな雰囲気に気圧されて、言葉の続きが喉の奥へ引っ込んでいく。

 突然どうしたのだろうか。ちょっと怖い。

 

「……また、それ」

 

 小さく呟き、先ほどまで目も合わせてくれなかった音無は、剣呑な空気を醸し出して俺を見つめた。

 呆れたような、ともすれば怒っているような眼差しだ。

 

「俺なんか、って。……なんですか、なんかって」

「えっ。……いや、でも」

「自分のこと、何だと思ってるんですか。追い詰められたら助けてほしそうな顔をするくせに、どうしてそれを飲み込んでまでカッコつけようとしちゃうんですか。意味わかんないです。ほんと、ダサい」

「……ご、ごめん」

 

 これまでずっと味方をしてくれていた後輩に、とても痛いところをグサグサ刺され、ダメ先輩な俺は反論よりも謝罪が先に口から出てしまう。

 なんだろう、これは。

 もしかしてじゃなくて、割とマジなほうで彼女を怒らせてしまった可能性が高い。

 というか完全に怒ってますねこれ。

 自分のことを棚に上げて音無に的外れな指摘をしたせいで、めっちゃ正当な怒りを持たれてますねコレ。

 やばい、今すぐ訂正して全力で謝らないと。

 

「……ごめんなさい、最低ですね、私。先輩にこんな八つ当たり」

「い、いや、八つ当たりではないだろ。正当な──……音無?」

 

 目をそらしたかと思えば、今度は抱えていた膝を伸ばして、隣にいる俺の手を握ってきた。

 こっちは訳が分からず混乱しているというのに、彼女も彼女でなかなか喋らないため、沈黙だけが埃だらけの室内を漂っていく。

 音無に手を握られると、旅のときのことを思い出す。

 自らの覚悟の想いを告げるとき、彼女は隠れ家でも沖縄のホテルでも、遠く離れた海の向こうでもこうして俺の手を握ってくれていた。

 それまで俺は彼女のこれを、相手に触れることで自分を緊張状態に陥らせ、相手を安心させつつ自分の逃げ場を無くすという対話の方法だと思っていた。

 ──だが、どうやらそれは違ったらしい。

 

「……手が震えてるって。緊張しすぎだぞ、音無」

「う、うるさいです。言っときますけど先輩だって、目が泳いでるのバレバレですから」

 

 音無をこうさせたのは、俺だ。

 いつだって逃げようとしてしまうから、不安になった彼女に、最後の手段であるこの選択肢を取らせてしまう。

 

「……みんなの期待を、ヒーロー部からの信頼を、無下にしていることはわかってるんです。

 でも、でも私は。……こうしたい。こうしたかった」

 

 握った手は、離れないでほしいという想いの表れであり。

 震える指は、彼女がまだ十六歳の少女であるという、なによりの証だった。

 

「ずっとこうしたかったんです。正義の味方でも、市民の味方でもなくて、私はただ──ずっと、あなたの。

 何もかも、かなぐり捨てて……先輩だけの味方でいたかった」

「……嬉しいけど、分かんないんだよな」

 

 ──そして、俺にはそれが分からない。

 察することができなかったという部分もあるが、今この瞬間でも音無のことが分からない。

 なぜ俺を助けてくれるのか。

 どうして俺の味方でいてくれるのか。

 何が彼女をそこまで駆り立てるのか、その何もかもが分からなかった。

 危険な諍いに巻き込み、無理やり秘密を共有させ、今も昔も苦労をさせ続けてしまっている。

 俺が彼女に与えることができたものなど何もない。

 奪って振り回して甘えただけだ。

 何より──

 

「俺、おまえの好きな料理が何なのかも、知らないような男なんだぞ」

 

 大切に想ってくれる価値のない人間だと、そう告げてやったら、後輩は。

 半ば無理やり俺の味方をさせられていた少女は、これがどうして小さく笑った。

 

「……ふふっ。奇遇ですね。私も先輩の好きな食べ物、これっぽっちも知りませんよ」

 

 仕方なさそうに微笑みながらこちらを見つめる。

 その瞳から視線を逸らすことなどできるはずもなく、彼女に対する無意味な押し問答を続けてしまう。

 互いに言い合いっている言葉の内容は本当に無意味で、そこには生産性など欠片もありはしなかった。

 俺は疑問に思ったことを口にして。

 音無は自分の中の感情をそのまま答える。

 ただ、それだけのことを続けた。

 時間が欲しかったから。

 はいそうですか、じゃああなたは自分の味方なんですね、だなんてすぐに飲み込むことはできなかったのだ。

 

「先輩、もしかしなくても私のこと好きでしょ」

「なんだ、人のこと言えんのか。いつだって手を握ってくるのは、お前のほうからだっただろ」

「顔を真っ赤にして”デートしよう”とか頑張ってたひとが何か言ってますね」

「いや、赤くなってたのはそっちもだって。……大体な、どうしてそこまで俺に──」

 

 言いかけた俺の口に、人差し指を押し当てて黙らせる。

 そんなことをされたら喋れない。

 眼前にいるのは、とてもズルい女の子だった。

 

「……仕方ないじゃないですか。

 だって、気がついたときには、そうだったんですから」

 

 音無は、既にどこかのタイミングで気持ちの整理がついていた。

 ズルいことができる、まさに忍者にふさわしい今の彼女に、できないことなど何もなかったようだ。

 それが想いを告げることでも、唇を重ねることであったとしても。

 ゆえに、それに釣られたのかは分からないが、こちらにも多少の余裕というものは生まれていて。

 心の内をさらけ出し合った俺たちは、気づいたときには二人して笑っていた。

 

 ……そして三分ほど経った頃になってようやく我に返り、お互い顔を真っ赤にして、何も喋れなくなっていた。

 ことこういったことに関しては、互いに弱者であったらしい。……恥ずかしすぎて死にそう。

 

 



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メインヒロイン面した謎の美少女ごっこ【上】

 

 

 

「こんばんは。レッカ」

 

 ──思い返せばいろいろあった。

 

 それはもう、目まぐるしい程のイベントの数々が、眼前にいるこの少年と自分の周囲で、嵐のように飛び交っていた。

 様々な事情を抱えた一癖も二癖もある美少女たちや、創作からそのまま飛び出してきたようなコッテコテの悪役共であったり、とにかくこちらを暇させない連中がたくさんいた。

 彼ら彼女らに振り回されてこんなにも数多くの死線とラブコメを渡り歩いた男子高校生は、この世に俺と“彼"の二人をおいて他にはいないだろう。

 レッカ・ファイアという少年──親友は巨悪を打倒し救世の英雄になり、俺は世界中の悪い奴らから命を狙われる犯罪者と化したり、分裂したり異世界へ行ったり敵も仲間も自分の立場さえも右往左往の二転三転を続けてきた。

 

 けれどやはりコレは、俺とアイツの二人から始まった物語だ。

 だから結局何があろうと最後にはここへ収束する。

 レッカと俺は、他に誰もいない高層ビルの屋上に立ち、二人で向かい合っていた。

 これが俺にとっての正真正銘、最後の美少女ごっこになるだろう。

 

「私たちもそろそろ──エンディングへ入ろう」

「……あぁ、コク」

 

 ここまでの経緯は簡単だ。

 また、俺たち二人は非日常に巻き込まれた。

 本当にただ、それだけの事である。

 俺がとある少女から告白をされたり、発破をかけられたり、長い事停滞していた互いの関係性を整理し直して一歩先へ進んだのと同じように、親友で主人公で元ハーレムの中心だったレッカにも、ここへ訪れるまでに様々なドラマがあったに違いない。

 だがそれは二の次で、本題ではない。

 世界の事も仲間たちとの恋路の行方も関係ない。

 ここで行うのは、数々のイベントに巻き込んできた悪役共や忙しない青春に緩急を与え続けてくれたあの少女たちの事でもなく──俺たち二人の話だ。

  

 ここで決着をつけるために、俺たちはこうして向かい合っている。

 

「……とりあえず寒すぎるからコンビニいこ」

「えっ。……う、うん」

 

 だがクリスマスを迎えた深夜の外は極寒の一言であり、寒さに屈した俺たちはシリアスな空気を保つことが出来ずそそくさと屋上を降りて付近のコンビニへと向かうのであった。さむい。

 

 

 

 

 

 

「えっ……フッたんだ、みんなのこと」

「うん。これまでどっちつかずな態度だったことを謝って……想いを告げなきゃいけない相手がいるってみんなに言ってから、ここに来た」

「それは、なんというか……そうですか……」

 

 場所はどこかの公園のベンチ。

 クリスマス・イブだというのにイルミネーションの一つも無い小さな公園に並んで座り、暗い寒空の下で缶コーヒーを嗜んでいる。

 そしてここで互いに全てを話した。

 いま、俺たちを縛るものはもう何もない。

 

「でも、ごめんなさい。私は()()()()()()に告白してくれた後輩を大切にしたいから……レッカの気持ちには応えられない」

「……そっか。──ありがとう。ちゃんと答えを返してくれて」

「んんっ…………フッた相手に感謝するってどうなの?」

「せめて言わせてくれよ。辛いことも苦しいこともあったけど、君に恋をしていた時間は間違いなく充実してたんだ」

「……まぁ、そういうことを真正面から言えるのは本当にレッカの才能だと思う。そりゃモテる」

「いまさっき君にはフラれたけどね」

「うぐっ」

 

 二人の間に緊張はない。

 覚悟を決めた、というよりはお互いに観念した、と言ったほうが正しいと思う。

 

 

 ──これまでの長い長い道程に反して“清算”はあっさりしていた。

 

 学園を襲った悪いヤツらはみんなで協力してやっつけて。

 俺とレッカは、それぞれ自分と関わってくれた少女たちと話をつけて。

 ふたりで大切な話をすると告げ、彼女たちの前から姿を晦まして、今に至る。

 話し合いは簡潔であまりにも緊張感のない状態だが、ここに来るまでは本当に長かった。

 

 まず親友が一昔前のライトノベルの主人公かのごとく戦いに巻き込まれて。

 あれよあれよという間に彼を想い慕うヒロインたちが増えていき、気がつけばレッカ・ファイアはありきたりなハーレム主人公としか言えないような立ち位置に君臨していた。

 ズルい。

 羨ましい。

 何より俺だけ蚊帳の外なのが許せない。

 そういった考えから、俺はかつて父親が開発した『美少女に変身できるペンダント』を手にして介入を始めた。

 これが全ての始まり──謎の少女コクの幕開けだった。

 

 狙う立場は親友のメインヒロイン。

 具体的には物語の中盤辺りから謎の人物として参加して、他のヒロインとは一線を画すような特別な立場を利用して最終的に主人公の関心ごとメインヒロインの立場を掻っ攫っていくようなズルい美少女。

 そのヒロインになることができれば()()()()()()()()と考えて計画を実行に移した。

 ……いや、まぁ、計画と呼べるほど綿密な作戦は何も考えていなかったが。今にして思えば粗雑極まる行き当たりばったりな珍道中だった。

 

 しかしなんやかんやありつつ、当初の目的はたったいま達成された。

 レッカに告白をされた。

 何人もいたヒロインたちの中から(コク)が選ばれたのだ。

 これにてメインヒロイン面した謎の美少女ごっこは無事完遂した、というわけである。

 感想はいかほどかというと──やはり最高に気持ちよかった。

 いままでの旅の道中でヒーロー紛いなことをしてきた俺だったが、嬉しいことに吐瀉物にまみれた腐肉に等しいカスそのものな感性はそのままでいてくれたらしい。

 これが俺、アポロ・キィの本性というわけだ。最高にクズ! ありがとうございました。

 

「……もう気づいてるよね、レッカ」

 

 というわけで今一度ネタバラシの時間だ。

 実は前にも一回真実を告げているのだが、その時は様々な悪条件が重なって親友がそれを信じてくれないという結果に終わってしまっていたのだ。

 お互いに落ち着いた精神状態で、言う事言ってスッキリした今ならちゃんと正面から受け入れてくれることだろう。

 

「私はアポロ・キィ。あなたが好きって言ってくれたコクという少女は、あなたの友人が被っていたただの仮面」

「……そうだね。流石にもう信じないわけにはいかないな」

 

 苦笑いして頬をポリポリとかくレッカ。流石にもう、ってのはどういう事だろうか。

 

「もうこの際だから観念するけど、君に真実を告げられた時に僕は現実逃避したんだ。……で、いろいろあって嘘がそのまま真実になってくれたりしないかなって淡い……甘すぎる期待を抱きながら過ごしてた」

 

 あの時マジで勘違いしてたわけじゃなかったんかい。

 

「君が僕の前で仮面を被っていたように、僕も君のことを騙していたんだよ。……お互い様だね」

「いや私の方が罪状重いと思うけど……まぁ、レッカが言うならそうだね。おあいこ」

 

 親友だ何だと言っておきながら、俺たちは互いに互いを騙し合っていた。

 自分のために相手を謀っていたのだ。

 市民に対して、世界に対して、そして共に戦ってくれた少女たちに対してどれほど良い事をしようが、俺たちは親友に対してだけは永遠に不誠実だった。

 だが、不誠実を貫くのもこれで終わりだ。

 二人とも観念して、何より嘘をつき続けることに疲れた。

 相手からの叱責だとか失望だとか、怖いものはたくさんあったがそれでも終わらせにかかった。

 ずっとこうしたかったのだ。

 俺たち二人だけで、何もかもぶっちゃけて話がしたかった。で、もう我慢するのはやめようと考えたのが二人同時だった。ゆえにこうなってる。

 

「……正直、コクとアポロがイコールだとどうしたらいいか分からなかったんだ。コクっていう少女に恋してるのか、それとも自分を理解してくれてる親友が女の子だから好きになったのか、何も判断できなくなっちゃうから。……でも、もう──」

「レッカ、フラれたかったんだね」

「……はは。まいったな、全部見透かされてる」

 

 よく分からんことで懊悩するくらいならフラれて楽になりたい──そう考えるのはごく自然な事だ。

 ましてや俺たちは思春期真っただ中の高校生。

 自らの恋路なんぞ自分の感情と自身の都合で好き勝手に解釈して、都合のいい方向に運びたいに決まってる。

 だからレッカを卑怯だとは思わない。

 なにせ彼の百億倍は俺の方が卑劣なのだし、人のこと言えないとかそんな次元の話じゃないからだ。

 

「でもコクのことが好きだったのは本当だよ。それは今でも変わらない」

「うーん……変わってほしかったけど。まぁこれは私の責任か」

「少しはね。沖縄で濡れたワンピースで誘惑してきた事は忘れてないし、アレに関しては君がやり過ぎてたと思うな。どう思う?」

「その節は大変ご迷惑をおかけしました……」

 

 場合によっては俺とレッカがくんずほぐれつの大運動会を始める世界線が発生するレベルでギリギリの美少女ごっこだった。アレはさすがに綱渡りが過ぎたと反省してる。

 

「……ははっ」

「なにレッカ」

「いや、別に。……ただなんというか、ようやくモヤモヤが晴れたなって」

「……それは確かに。……ふふっ」

 

 小さな笑い声は白い吐息になって寒空に消えていく。

 もうイブは終わりだ。

 日付が変わってクリスマスの当日を迎える。

 プレゼントをくれる白いひげのおじさんは現れなかったが、その代わりに俺たちは少しの憂いも無いさっぱりとした距離感を手に入れることができた。

 非日常に身を置くレッカを妬み羨望していた頃に、喉から手が出るほど欲しかったもの。

 互いの事情を理解し合っていて、言いたいことはなんでも言う。

 守ったり守られたりしない、ただ隣に立つ関係性。

 告白イベントを終えて遂にそれを獲得したのだ。

 ()()()()()()()()

 いまの俺はレッカにとっての唯一無二だ。

 

「……で、君はこれからどうするんだい?」

「ん……」

 

 今後の事。

 それは正直あまり考えてなかった。

 やりたいことややるべき事はそこそこあるが、優柔不断なのでイマイチ決まらない。

 そこで親友の出番というわけだ。

 

「いろいろあるから、レッカの意見を聞きたい」

「何でもどうぞ」

「ありがとう。……まずはこのペンダントをどうするかなんだけど」

「……まぁ、一番大事なとこか」

 

 俺が謎の美少女でいるためのアイテム──ここまで来るともう不要かもしれないが、この姿を好きになってくれた少女もいる。そのため、一概に男の姿が一番いいとは言えないのだ。

 

「これを手放せば(コク)はいなくなって、この世界にはアポロだけが残る。アポロは多分しれっといつも通りに戻ろうとするし、二度と変身もしようとしない」 

「そのまま持ってれば……逆にずっとコクでいるってことかな」

「うん。もう両立はしない。もう片方を完全にいないものとして扱う」

 

 この決定に関しては、責任というより俺自身の心に区切りをつけるためだ。

 ずっと繰り返してたらアポロとコクのどっちでいるべきなのか迷ってしまうし、もうそれで悩むのは終わりにしたい。

 だからどっちかだ。

 アポロか。

 コクか。

 

「それをレッカに決めてほしい。(アポロ)か、(コク)か──どっちに居て欲しいのかを」

 

 そこで主人公くんへ提示する最後の選択肢だ。

 セーブもロードもないこの世界でどっちのエンドを取るのかは、最初から最後まで俺という人間を見続けてきた彼が決めるべきだと思う。

 ここまできて生きたい方を自分で選ぶのはズルすぎるから。

 せめて最後のルート分岐の選択肢は、俺が振り回し続けた親友の手に委ねるべきだろう。

 

「責任だとか、あんまり重く考えすぎないで欲しい。自分としては、本当にどっちでも上手く生きていく自信があるから」

「それはそれで困るんだけど……うん、とにかく分かったよ。僕が決めていいなら、僕が決める」

 

 わお。目に迷いがない。これが本編最終盤の頼もしい主人公くんってやつか。

 ここまで乗り気なのは正直意外だったが話が早いのはこちらとしてもありがたい。

 フッて、フラれて、俺たちを取り巻く感情の矢印はその全てがリセットされた。

 ここから先は彼自身が進みたい未来を選ぶだけだ。

 またコク(おれ)を攻略するのも──二度目はきっと断れないので──ありだし、男友達として残りの学園生活や卒業後にバカをやってもいいし、これを機に俺と縁を切ってあの少女たちと今度こそ横やりのないラブコメをやり直すのも良い選択だ。

 さあさどうするってんだい少年。

 

「……なぁ、僕ってさ。たぶん精神的には最初から、ずっと君の手のひらの上だったんだよな」

 

 そうかな。そうかも。

 少なくとも美少女に扮して関心を引きまくってた最初期は、手元にある情報量の多さから鑑みても、間違いなく俺の方が精神的には優位に立っていたと思う。でなけりゃ濡れ透けワンピースのまま夜の浜辺でスカートをたくし上げながら『思い出が欲しい』だなんてギリギリアウトなからかいは出来ん。

 

「そこで思ったことがあるんだ。騙されてた僕自身が悪いのはもちろんだけど、それはそれとしてムカつくなって」

 

 微笑みながらそう言って、彼は俺の首元にぶら下がっているペンダントを優しく握る。

 な、なんだなんだ。

 ……あれ、予想以上に怒ってるのかしらレッカくん。

 優しい雰囲気を感じるけど俺は恐怖を感じてるよ、ヤバいよヤバいよ。

 もしかして最後は僕の手でデッド・エンドだぜェーッてオチ? バッドエンドルート入ってるこれ?

 

「だから決めたよ()()()。僕は君を困らせたい。今度はこっちが精神的に優位な立場に立ちたい。だから……」

 

 言いながらペンダントを俺の首から外すレッカ。

 まだスイッチを押してないのとすぐ近くにあるから変身は解けず、俺の姿はコクのままだ。

 まるで行動の意図が読めずに狼狽していると彼は──ペンダントを自分の首にかけて()()()()()()()()

 

「えっ。……まっ」

 

 瞬間、発光。

 親友が眩い光に包まれたかと思ったのも束の間。

 ふと気がつけば自分はこれまでの戦いの蓄積で少々逞しくなった男の肉体に戻っていて。

 

「……おっ、うまくいった。やっぱり誰でも使えるんだね、このペンダント」

 

 目の前には明朗快活ながら穏やかさも併せ持ったあの優しいイケメン男子とは似ても似つかない、ちんまくて艶やかな黒髪が特徴的でジト~っとした眠そうな赤い目の少女がベンチに座っていた。

 そして少女は自分の指先に魔力を込めて自分の前髪をなぞり、いったい何の魔法を使ったのか分からないが自身の髪の一部に燃える炎を彷彿とさせる赤色のメッシュを入れて、イタズラっぽい笑みを浮かべた。

 

 

「どうかな、ポッキー? 第三の選択肢を選ばれた気分はさ。これで僕が()()()()()()()()()()きみについていったら……いったいどうなっちゃうんだろうね──ふふっ」

 

 

 …………それは。

 その。

 なんというか。

 間違いなく、予想だにしていない展開で。

 間違いなく、今日この場に於いて俺の全てを理解した、メインヒロインに相応しい立ち位置にいて。

 だから。

 えぇと。

 つまり、あの。

 

 

「………………………………はぇ……っ」

 

 

 ものの見事に──困らされてしまったようだ。

 

 





次回で最後になります。


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メインヒロイン面した謎の美少女ごっこ【下】

 

 

 ──たぶん、やっと普通の高校生活というやつを手に入れることができたのだと思う。

 

 というか、一年前までは俺もどこにでもいる一市民だったのだ。

 手に入れたというよりは、ただ元に戻っただけだと言ったほうが正しいだろう。

 

 なんかヤベー悪の組織とバトッたり、明らかにワケありな少女を助けたり、別の世界線へ飛んだり犯罪者として国外を飛び回りながらの逃亡生活をしたりなど、流石にそこまでしなくていいんじゃないかと思えるような数多の冒険を経験してきたせいで感覚が麻痺していたが、そもそも普通の高校生は普通に学校に通っていればそれだけで普通の高校生活を送れるはずなのだ。美少女ごっこで自らそれを手放した俺がおかしい。とてもかなしい。

 

 しかし、そのようやっと取り戻した輝かしく愛おしい普通の高校生活だが、実は一点だけどうしても無視できない部分が存在している。

 ここのところ俺はずっとそれに悩まされているのだ。

 

「んんっ。……ぁ?」

 

 だらりと布団の上で目を覚ました。

 枕元にあるスマホで時刻を確認すると、いつも家を出ている時間のほんの十分前だと気がつき、焦って飛び起きる。

 もう冬休みは終わっているのだ。早くしないと遅刻してしまう。

 

「やべ……っ」

 

 朝餉は不可能だと判断し歯磨きだけ済ませて、慌ただしく制服に着替えていく。……あ、ワイシャツのボタンかけ違えた。時間無いのに。

 

「マユのやつ先に行きやがって……起こしてくれりゃいいのに」

 

 同居人の少女は早朝から既に家を出てしまったらしく、両親も相変わらず多忙で家には俺一人しかいなかった。

 ほんの少し前までは違ったのだ。

 具体的にはクリスマス前までは朝はいつも二人で朝食をとっていた。

 しかし()()()()()から同居人であるマユはクソ早起きになった挙句、俺を置いてすぐ家から出るようになってしまった。

 その事情だが──

 

「あっ、ポッキー! おはよっ」

 

 アパートから出て少し進んだ先に“彼女”がいた。

 学園指定の女子用制服を身に纏う、前髪の一部に赤いメッシュが入った、長い黒髪の小柄な少女が。

 ──事情とは彼女のことだ。

 この少女は登校日の早朝、この曲がり角で立って待ってくれている。

 彼女はいつもここで待っているのだ。

 そう、いつも。

 文字通り、毎日ここで。

 

「うぅ~、今日も寒いねえ」

「……そうだな」

「あ、年越しの日にボクがあげたマフラー、ちゃんと使ってくれてるんだ」

「……寒いからな」

「えへへ。プレゼントしたアイテムを身に着けてもらってるの、嬉しいけどちょっと恥ずかしいな……」

 

 そう言いながらさりげなく俺の隣を陣取って、並んで歩き始める。

 彼女は今日も上機嫌だ。

 別に今日に限らずいつも上機嫌だ。

 あの日からずっと、上機嫌で余裕綽々で小悪魔めいた態度の彼女に翻弄され続けて、まるで美少女ごっこをして親友をからかって楽しんでいたかつての自分が嘘かと思うほど、俺の心は()()()()()手のひらの上で転がされまくっている。

 

 この少女の本当の名はレッカ。

 レッカ・ファイア。

 かつての俺の親友であり──ここ数週間ずっと俺の隣でメインヒロイン面している謎の美少女だ。

 

 

 

 

 あのクリスマスの夜、ついに俺の美少女ごっこが終焉を迎えた。

 

 親友に対して隠していたこれまでの秘密の全てを打ち明け、彼に対して『男に戻る』か『女のままでいる』かのどちらかを選択肢として掲示したのだ。

 アポロ・キィという男子高校生か、コクという黒髪の少女のままでいるのか、その決断を彼に委ねた。

 どちらを選ばれようと、俺としては全力でその道を生きていくつもりだったから。

 それが出来るだけの自信があったのだ。

 

 しかしあろうことか親友は、俺が提案した結末へ進むための選択肢をどちらも潰し、無法にも彼自身が新たなエンディングへ至るためのルートを生み出し、なんとそれを選んでしまった。

 その結果がコレである。

 俺から美少女に変身するためのアイテムを奪い、今度はレッカ自身が謎の少女に成り代わり()()()()()()()()()として参上した。

 レッカがそんなとんでもない道を選んだ理由は、たった一つだけだ。彼が直前に自分で明かした。

 

 ──俺を困らせるため。

 

 本当にただそれだけの為に、レッカは世界を救ったイケメン男子の姿を捨て、小柄な謎の美少女として俺の隣へ降り立ったのであった。

 

 

「……はぁ」

 

 四限目の終了を知らせるチャイムが鳴り響き、昼休みが始まると共に疲弊のため息が自然と出てきた。

 もちろん授業に疲れたワケではない。

 基本的な学校生活に関しては何も不自由なところなど無い。

 以前のように悪い大人たちに命を狙われることもなければ、街に出現した怪物を倒すために駆り出されることもなくなった。

 登校して、授業を受けて、クラスメイト達と時間を過ごしながら一日を終える──そんな何の変哲もない普通の高校生活である。

 俺は戻れたのだ。

 ただの一般市民という、どこにでもいる存在に。

 

「ふひー、ようやく授業終わったね。食堂いこ、ポッキー」

 

 唯一返ってこなかったものと言えば、常日頃からバカみたいな話をしながら一緒に過ごしていたあの男友達くらいだろう。

 いや、物理的には今も隣にいるのだ。

 会話の内容も以前とさして変わっていない。

 最近見た動画やマンガの話をしたり、生徒間のくだらない噂話なんかを話題にしている。そこは極めていつも通りと言っていい。

 

 だが、現在の彼は彼女になっていて。

 年明けからこのクラスに襲来してきた謎の美少女から何故か異様に好かれている俺は周囲から奇異の視線で見られることになり、あと数ヵ月で入学してから三年目を迎える在籍校にいるにもかかわらず、俺は非常に肩身の狭い思いを強いられているのであった。

 

 

 ──そう、レッカはここにきてなんと学校内で美少女ごっこを始めやがったのだ。

 ほんと何やってくれてんだマジで。

 

 あのクリスマスの日から、かつての俺と同じく身分を詐称して、謎の少女としてこの学校へやってきた。

 いま現在の名前はホムラ・ファイアと言い、年末年始にいろいろあって休学扱いになったレッカと入れ替わるように転校生としてうちのクラスに入った彼女は、特に取り繕う様子もなく堂々と初日から俺に引っ付いてきている。

 そうして困惑と誤解がどんどん肥大化していき、今のように周囲から怪しむような目で見られてしまう状況が生まれてというわけだ。

 

「はぁー……落ち着いて昼食がとれるって幸せだね。あんなに毎日闘ってたのが嘘みたい」

「そうだな。もう俺たちが呼ばれることもないらしいし……」

 

 食堂の端っこでカレーをつつきながらそんな話をする。

 

 少なくとも俺の周囲に限って言えば、世界は平和になったのだ。

 レッカのお兄さんが本腰を入れてなんか立派な組織を立ち上げて、警察では対処できないような裏の勢力を対処するようになってくれたおかげで、市民のヒーロー部は文字通り困ってる市民からちょっとした依頼を受けて活動する程度のボランティア部活動として落ち着いたため、もう俺たちのような高校生が命懸けで異能バトルを繰り広げるターンは終了した。

 

 だが所感としては、そんな平和な世界になってからが今のところ一番大変だ。主に精神的な面で。

 

 こいつは想像以上に本気でメインヒロイン面した少女のロールプレイに取り組んでいる。

 一切の隙がないほど、彼女はボロを出すことなくホムラという少女として成り立っている。

 そんなかわいい少女として男をからかう仕草がやけに上手いのは、元を辿れば“それ”をやっていた過去の俺をずっと間近で見てきて学んだからだろう。因果応報をひしひしと感じる。

 距離感自体はかつての男同士の頃のままであり、逆にそのせいで肩はくっつくわ顔は近いわで逆に攻撃力がクソ高いのもお困りポイントだ。こまった、ちょっと勝てない。

 

「──あっ、キィくん!」

 

 食堂でレッカ……ホムラと向かい合って食事をしていると、横から声をかけられた。

 

「お、おう……風菜か」

「キィくんもカレーだったんですね。お隣いいです?」

「あぁ」

 

 そうして俺の隣の席を陣取ったのは、サイドテールが特徴的な翡翠色の髪の少女だった。

 彼女は風菜(フウナ)・ウィンド。

 双子の姉と一緒にヒーロー部に所属しているチームメイトだ。

 あの波乱万丈極まる旅の中で何度も触れ合い、俺が変身した姿の美少女に恋をしてくれたりなどいろいろあった末に、先月の下旬辺りに真正面から告白してくれた少女でもある。

 

「あ、スプーン忘れちゃった……」

 

 バタバタと忘れた食器を取りにいった。

 程なくして戻ってくると彼女は恥ずかしかったのか少し頬を赤らめている。かわいい。

 

「えへへぇ……──あっ、ホムラちゃんもいたんですね」

「こんにちは、フウナ」

 

 ようやく気づいた風菜に声をかけられてもホムラの態度は相変わらずだ。

 女に変身した自分の前に見知った相手が現れたにもかかわらず、動揺する様子が欠片もない。

 ……コイツ本当にあのレッカなのか?

 ヒロインたちに抱き着かれて顔を赤くして焦ったりしてた純情ボーイなあいつはどこへやらだ。あまりにも精神的に成長しすぎてるだろ。

 

「ホムラちゃん、今日もキィくんと一緒なんですね?」

「まあね。ポッキーはボクが傍にいてあげないとダメだから」

 

 平然とした顔で言ってるけどその発言普通じゃなくない?

 もしかするとレッカは昔の俺と同じで美少女体だとガチでスイッチを切り替えられるタイプなのかもしれない。まさしく秘められていた才能というやつだ。

 

「むむ。……キィくん、あたしのカレーを一口食べませんか?」

「いや味は一緒だろ」

「どうぞっ!」

「……いただきます」

「ふふっ。あ~ん」

 

 風菜の見せつけるようなあーん攻撃!

 

「……ほう、やるねフウナ」

 

 こうかは いまひとつみたいだ……。

 

「でも実はさっき既にボクの麻婆豆腐をあ~んしているんだ。よってボクの方が先なんだな、これが」

「なっ、なんですと……!」

 

 どういう争い?

 

「……流石はホムラちゃんですね。でも、負けません! あたしキィくんのハーレム三号ですから!」

「風菜、ちょっと声のトーンおさえてくれ」

「なるほど。ボクもその称号はまだ持っていない……ふふ、面白いねフウナ。ならばボクはこれまで秘匿されていた伝説のハーレム(ゼロ)号と名乗らせてもらおうかな」

「おいホムラも乗るな」

 

 二人の美少女が俺の目の前でハーレム云々を主張しているせいか、次第にがやがやと周囲が騒がしくなってきた。俺の社会的地位の失墜がとどまることを知らないからそろそろホントに勘弁してほしい。

 

「むっふっふ、序列の割り込みはルール違反ですよ、その地位は誰も保障してくれません。あたしは正式に衣月ちゃんに認められたハーレム三号なので称号の価値が違うのです」

「……そっか。でもフウナ、ポッキーがお風呂に入る時……いつもどこから最初に洗うのか知らないよね」

「な──ッ!!?!?!?」

 

 レスバの激化に伴い周囲からの視線も増えていく。

 この世界を救って一躍有名人になったヒーロー部の一員である風菜と、レッカ・ファイアの親戚にあたるミステリアスな謎の美少女転校生の間に挟まれている当の本人である俺が何者でもないため、他の生徒たちは困惑するばかりだ。

 

 一応ヒーロー部としての活動を通して俺を知ってくれている人たちもいるにいるが、それでも普通の生徒の域を出ない誰だアイツ状態の俺では、なんか有名人に囲まれてるよく分からんモブという認識がせいぜいだろう。地獄。

 

 

 ──おそらく風菜はホムラの正体がレッカであることに気づいている。

 

 というかヒーロー部はもれなく全員、この秘密については認知済みだろう。

 なんせクリスマスの翌日、行方不明になったレッカの代わりに俺と一緒に彼女たちの前に現れて、なおかつ俺が失った変身用のペンダントを彼女が持っていたのだから、むしろ気がつかない方がおかしいというものだ。

 

 そもそもレッカ自身がほとんど取り繕わないのだ。

 一応ホムラという名前を名乗ってはいるが、俺のことは男の時と同様にポッキーと呼ぶし、ヒーロー部の面々に対しても、基本的に態度は変えていない。

 変に新しいキャラを作るよりも、元のままでいったほうが俺を困らせるのに有効だと気づいていたのだろう。

 

 レッカは今ホムラとして、これまでの親友という関係性を利用して誰よりも俺の近くに居座っている。

 そうすることで俺に対して『好意を抱いている』と明言してくれた少女たちの壁になって、立ちはだかっているのだ。

 ハッピーエンドなラブコメを俺に過ごさせない為に。

 コクという少女に扮して彼を振り回し、恋心すらも乱しまくった俺への意趣返しでもあるのだろう。自分はこんな気持ちだったんだぞ、と暗に伝えてきていて、俺もまさに今それをバッチバチに感じまくっている。本当にすいませんでした。

 

 俺を好いてくれている少女たちからすると、今のレッカ──いや、ホムラは現状最強のライバルだ。

 彼女を諦めさせて男のレッカに戻さない限り、ここから先に進むことはできない……らしい。

 なぜレッカがこんな暴挙に出たのか。

 遊んでいるだけなのか、それともガチでヒロインとして俺を狙っているのか。

 もしくは俺とレッカの間にしかなかった秘密があって、そこから本当にホムラという新しい存在が発生したのか。

 ヒーロー部の少女たちはその真実をまだ知らないが、とにかく今はホムラに好き勝手させないために、食堂に現れた風菜のように毎度目を光らせている──というのが今の学園生活の現状なのである。毎分胃が痛い。

 

 いや、まぁ、俺が本気で止めようとすれば終わる話な可能性は捨てきれない。

 学園生活を送りながらヒーロー部と青春を謳歌したいなら、きっとそうするべきなのだろう。

 

 しかし俺には無視できない責任があるのだ。

 ()()()()()()()()()()、という当事者としての責任が。

 

 まず一度、俺たちはこれまでの行いに対して清算をおこなった。

 俺が騙していた事や、レッカも俺を騙していたことなど、それまでの全てを話してそれらをスッキリさっぱり終わらせたのだ。

 だから一度は自由になったはずだった。

 そこから俺が新たに背負う責任は、レッカが選んだ道で生きていくという、その一点のみであるはずだった。それ以外には一つもしがらみを持たずに生きていこう、と。

 

 ……なのだが、困った事にレッカは三つ目の選択肢を発生させやがり、最大限に俺を困らせる方向に舵を切ってしまった。

 レッカが選んだ道には口を挟まず受け入れる──その俺が持つ唯一にして最大の責任が、この事態を延々続けさせる要因となっている。

 

 とどのつまり、俺は立場上レッカに『やめろ』とは言えないのだ。

 それが俺のたった一つの、人として、そして友として守らなければならない大切な責任だから。

 ……マジで最大の弱点を突いてきやがったなアイツ。どうやら精神攻撃パワーが俺を超えたみたい。あまりの成長具合におじさん泣いちゃいそうです。

 

 

 

 

「ライ先輩。また町内会から手伝いの依頼が来てるみたいなんですけど」

「ん、どれどれ。……うん、この日なら私が空いてるよ。一緒に行こうか、アポロ」

「了解です。二人で向かうってメールで返信しときますね」

 

 あれから少し経って放課後。

 他のメンバーは委員会の仕事などで遅れているため、部室には俺とライ部長の二人しかいない。

 パソコンで依頼のメールを確認しながら作業しているのだが、俺の隣に座った部長は先ほどからやけに機嫌がいい。どうしたのだろう。かわいいね。

 

「ライ先輩?」

「ん?」

「あ、いえ。なんかすごく機嫌がいいな、と」

「ふぇっ」

 

 そう言うと部長はちょっとだけ恥ずかしそうに目線を下げた。困り顔がちょっと美人すぎて腰が抜けそう。

 

「す、すまない。……なんというか、こうして君と二人きりになれる時間はあまりなかったから」

 

 俺と二人きりだから楽しそうにしてたってことですか!!? あざとかわいいにも限度あり。マジで恋煩いしてしまう。

 

「ふふ、これまではずっと多忙だったが……生徒会長としての任期も終えたし、かなり時間にゆとりができた。これからはもっと一緒にいられる時間が増えるはずだ」

「そ、そうですね。……そういえば、ライ先輩はもう進学先が決まったんでしたっけ」

「先月にな。ひとまずは安心だから、ヒーロー部にはなるべく顔を出すようにするよ」

 

 そう語る先輩の表情はとても落ち着いている。

 この年始の時期は、三年生の先輩方は受験を控えていて多分一番忙しいはずだ。

 しかし生徒会長とヒーロー部の部長を兼任していたスーパー才女であるライ先輩は既に進学先が決まっており、余裕をもって部活に参加できるとのことだった。

 

「アポロも来年度から三年生だが……どこを受けるのかは決まっているのかな」

「まぁ、一応。……先輩と同じところを」

「っ!」

 

 俺の場合は先輩と違って表立った功績がほとんどないので普通の一般受験になるが。

 

「そ、そうか。……そうかぁ」

 

 表情が崩れちゃってますね。にへら笑いになってて油断と隙しかない。

 それほど俺に対して心を許してくれているという事でもあるが……改めてよくこんな関係性になれたな、俺。最初は主人公みたいな親友をからかうために美少女へ変身したただの変態だったのに。

 

「アポロ、よかったら私が勉強を見てあげようか」

「え、いいんですか?」

「あそこに行く場合、君の成績だと少し頑張らないといけないだろう」

「うぐっ。……すいません、お願いします」

「うむ、任せたまえ」

 

 こういうところはズバッと言ってくれるんだよな。そんなところが信頼できるとも言えるが。

 元から好きな科目以外の勉強はそこまで得意な方ではないし、それに加えて俺は敵に追われながら日本や国外を旅していた時期があったせいで、周囲と比べて勉学が少々遅れているのだ。

 ライ先輩に見てもらってようやく平均にギリ届くかといったところかもしれない。今年は気合い入れて頑張らないと。

 

「……ふふっ」

 

 ライ先輩が小さく笑った。どうしたのかしら。

 

「いや、すまない。……こうして普通の学生らしい話をできることが嬉しくてな」

「先輩……」

「クリスマス・イヴの日に君がまた悪意に狙われた時は肝が冷えたが……無事に戻ってきてくれて良かった。……また少し妙な事態に陥ってはいるが、総合的に見ればいつもの事だろう。何はともあれ皆が揃って学園にいることが一番だよ」

 

 この妙な事態というのは間違いなくホムラのことだろうが、流石は部内で唯一の三年生といったところか、ライ先輩は今回の騒動に関しては少し俯瞰して見ることができているようだ。俺もぜひその余裕が欲しいところ。

 

「そうだアポロ。明日の休みは予定などはあるのかな?」

「……あー、えっと。……朝からホムラとイベントに行く予定なんです。予約制のチケットがないと入れないやつなんですけど……俺の分まで用意してくれてたみたいで」

「っ! ……そうか。……ふむ、先手を取られてしまっていたらしい。侮れないな、ホムラ……」

 

 その口ぶりからして俺と過ごす予定を計画してくれようとしていたのは明らかだが、流石に先に約束していた方をドタキャンして彼女に予定を合わせるのは、生真面目なライ先輩本人から見ても地雷行為だ。今回ばかりは向こうを優先しなければ。

 

 

 

 

 そして翌日の昼頃。

 ホムラと一緒に物販コーナーでの買い物を終えて会場内を歩いていると、偶然にもかなり予想外の人物と出くわした。

 

「マユ……?」

「──げっ。……アポロたちも来てたんだ」

 

 アニメ作品のイベント会場で大きなリュックを背負ってフラフラしていた小柄な少女の正体は、同居人でありもう一人の自分でもあるマユだった。

 どうやら彼女は物販でかなりの量のグッズを収集していたらしく、明らかにパンパンになったリュックを背負って疲弊している。

 

「やあ、マユ」

 

 俺の隣にいたホムラも当然マユに気がつくわけだが大して気にする様子はない。

 

「……ホムラもチケット取ってたんだね。言ってくれたら一緒に来たのに」

「はは、ありがとう。でもポッキーと二人で行きたくて」

「ふ、ふうん。……それはいいけど、ちょっとアポロとの距離が近すぎない? 腕くっ付いてるし……」

「おっとこれは失敬」

 

 マユに指摘されたホムラは俺から一歩離れたが、未だ明るい表情のままだ。

 

「ごめんマユ、ちょっと邪魔しちゃったね。ボクは外の自販機で何か買ってくるから、その間ポッキーを頼めるかい」

「えっ。……う、うん」

「ポッキー、飲み物は何がいい?」

「あー……適当に炭酸で」

「マユは?」

「えと、私もそれで」

「はーい」

 

 そう言って彼女は一旦俺たちの前から姿を消した。

 突然の待ち時間が発生したため、二人で付近の柱へ寄りかかって待機することにした。

 なんというか、少し意外だ。

 ホムラの事だからてっきり俺を引っ張ってすぐにでも二人になろうとするのではないかと考えていたのだが、まさか予想に反して一歩引くことでマユに俺を任せるとは思っていなかった。

 

 引き際を見誤ることなく、場合によっては余裕をもって一時的に離れることも辞さない──なるほど。

 たしかに俺が昔やっていたメインヒロイン術だ。

 押してダメなら引いてみろという言葉があるように、時には相手から離れることもメインヒロインとしての格を保つ事に繋がる。

 メインヒロイン面に一番大切なのは『余裕』だ。

 なにも絶対に自分が余裕でい続けるという意味ではなく、なんとか周囲に自分の真意を悟らせず()()()()()雰囲気を維持し続けること──それが謎の美少女ごっこの極意なのだ。……こんなもんに詳しくても意味ないけど。

 

「……はぁ」

 

 隣にいるマユが小さくため息をついた。

 

「アポロがハマってたアニメのグッズを密かに手に入れて、プレゼントして驚かせる作戦だったんだけどなぁ」

「……その為にこのイベントまで出向いてくれたのか?」

「ホムラの読みで泡沫に帰したけどね。どうせチケットを取ったあの子に連れて来られたんでしょ?」

「まぁ……」

 

 概ね認識は間違っていないものの、断るわけにもいかず無理やり──というわけではない。

 このイベントには前から行きたいと思っていたのだ。

 あくまで()()()と、だが。

 普通に親友と男二人で遊びに行きたい、といった気持だったわけだが実際はコレだ。

 美少女ごっこで彼の心を弄んだ罰としてはこの上なく上出来で、むしろイベントに不参加になるよりもダメージがデカい。

 

 だが改めて考えてみると、自分のことを一番に考えてくれている可愛い女の子が毎日一緒に登校してくれて、四六時中一緒にいる割には距離感自体は男友達のそれで心地いいし、休日には遊びに誘ってくれたり自分の趣味にも普通以上に共感を示してくれる──という、お前それで何が不満なんだと周囲から文句を言われそうな状況ではあるのだ。

 

 いま明確に『何に困っているのか』と聞かれたら、とても一言で答えられるとは思えない。

 だから、きっとこれは贅沢な悩みというやつなのだろう。

 俺がモヤモヤしている理由は親友が非の打ち所がない美少女にTSしてしまったからだが、その原因を作ったのは間違いなく俺であり、それでいて基本的な私生活には特に支障はきたしていない。

 故に困っているのだ。自分が何をすればいいのかがまるで見えてこない。

 

「……どうするの? ホムラのこと」

「どうするって言われてもな……全面的に俺が悪いし……」

 

 ホムラがレッカに戻れば万事解決──というわけでもない気がする。

 既にヒーロー部に立ちはだかってしまったレッカが彼女たちと元の関係性に戻れるとは思えないのだ。

 かつては俺もヒーロー部と対立していたが、その時は曲がりなりにも衣月を隠し通すことで『世界を守る』という建前上の大義名分があったものの、レッカには今それがない。

 

 ホムラはコクという謎の美少女として活動を始めた頃の俺と何もかもが一緒なのだ。

 ただの一つも後ろ盾がない状態で、周囲の人々を相手取ってヒロインを演じるという、一般人なら全く理解できないような限界ギリギリの崖っぷちな状況に自ら踏み入ってしまっている。

 だから、分からない。

 なんか紆余曲折あって結局は元鞘に収まれた俺には、今の彼女がどうするつもりなのか、そして自分自身が何をすべきなのかが分からない。マジで困り果てた。

 

「でもアポロ、この状況……実はちょっと楽しんでるよね」

「うぇっ!?」

 

 マユにジト目で指摘され、思わず上ずった声が出てしまった。恥ずかしい。

 

「だって毎日鼻の下を伸ばしてるし」

「い、いやそれは──」

 

 つい言葉に詰まり、一瞬黙ってしまった。

 言われて気づいたことではあるが、思い返してみると否定できる材料など一つも持ち合わせてはいない。

 マユが突っついてきた部分は間違いなく真実で、俺という人間は今の状況を困った顔しつつも確かに楽しんでいる。

 その理由は明確だ。

 

 いま、俺は“レッカ”になっている。

 謎の美少女ごっこを始める一番の理由となった、去年の春ごろの彼とほとんど同じような状況になっているのだ。

 一年を通して大勢の悪意と戦い抜き、その中で絆を深めた複数の少女たちみんなから、誰から見ても明らかなほど自分に対して好意的に接して貰えている。

 俺という存在そのものを取り合われている。

 そう、言うなればこの状況、まさしく()()()()というやつだろう。

 

 ──ん?

 

「……あぁ、なるほど。ありがとうな、マユ」

「えっ。……なにが?」

「自分がどうすればいいのかようやく分かったんだよ。だからそのお礼だ」

「は、はぁ……」

 

 マユの言葉でふと我に返り、一旦落ち着いて考えてみれば、欲していた答えは驚くほどすんなり出てきた。

 

 

 ──今なら当時のレッカの気持ちがよく分かる。

 あの時はアホみたいにモテやがってカス野郎がという気持ちでいっぱいだったが、彼と現在の自分と重ね合わせてみると、あの頃の親友特有の受け身主人公ムーブのワケに説明がつく。

 それはあまりにも単純明快なものであり、高校生の男子としては至極当然のものだったのだ。

 

 楽しい。

 気持ちいい。

 このままがいい。

 

 本当にただ、抱いている感情はこれだけだ。

 たとえ大勢の命を救っていようが、滅びゆく世界の運命を変えていようが、結局は十七歳の男子高校生。

 もちろん多少の精神的な成長はあったかもしれないが、別に極端に人格が変わるほど長い時間を戦いに費やしたわけではないし、普通の男子が抱く『女子にモテて嬉しい』という当たり前の感情は、立派な使命を果たしたところで消えるようなヤワなものではない。

 だって、それは間違いなく本能から来る想いであるはずだから。

 

 できれば女子にモテたい。

 別にそんなの興味ないと思っていても、実際にモテたとしたら、きっとそれはそれとして嬉しい。

 陽キャだろうが日陰者だろうが、誠実な主人公だろうがカスみたいな変態だろうが、俺たち男子高校生はきっとみんな()()()()()()できているのだ。

 だから俺もあの時のレッカも、この現状の維持を望んでなぁなぁな態度を取っていた。

 たとえあからさまに邪な感情を抱いてなくとも、無意識にそうしたいと行動していた。

 

 確かにこの環境は気持ちがいい。

 けど、きっと良いものではない。

 許されるか許されないかではなく、俺自身がこれから生きていくうえで良いか悪いかを考えた場合、これは良くないと感じたのだ。

 そして“ハーレム”を終わらせる方法を、俺は既に知っている。

 あの日の夜、他でもない親友自身が俺に証明してくれた。

 決して放棄できない責任を背負っていたとしても、それがあればきっとなんとかなる。

 

 この事態を終焉へ導くための鍵は──誠実さだ。

 

 

 

 

「ポッキー、この漫画って十二巻で終わりなの?」

 

 イベントの日から一週間後。時刻は昼過ぎ。

 ホムラは俺の家の畳の上でゴロゴロしながら漫画を読み耽っており、完全に油断しきった状態だ。

 だらけきった体勢も相まって胸元やスカートが少々危ないことになっているが、それを眺めたいという思春期の性欲は今は我慢しなければ。

 

「そこのダンボールに続きの巻あるぞ」

「わーい」

 

 ぽわぽわしてるホムラはどう見ても休日モードだ。

 タイミングとしては今日しかない。

 俺たちが二人きりで、且つホムラが他の少女たちへの警戒意識を解いているこの緩んだ状態でなければ、作戦の成功確率が著しく低下してしまう。

 今しかないのだ。

 マジでチャンスは一度きり──覚悟しろよホムラ。

 

「なぁ、ちょっといいか」

「んー?」

 

 お前は確かに完璧に近いメインヒロイン面をこなしている。

 レッカだった、という立場を利用した大立ち回りはまさに感服の一言だし、他の少女たちを寄せ付けないオーラはまさにメインヒロインに相応しいものだ。こうして俺の家に入り浸っているのもポイント高い。

 

「あ、お昼? 確かにそろそろおなか減ってきたねぇ」

 

 しかしお前は美少女ごっこを始めて日が浅い。

 ヒロインとしての振る舞いは見事だが、あの頃の俺と明確に違う点として『正体がバレてはいけない』という緊張感が存在しない。

 故に発生してしまうのだ──油断が。

 今のだらけたお前は謎の美少女ホムラではない。

 あぁして無防備を装って興奮を煽るやり方も存在するが、どう見てもアレは違う。

 アレは普通に俺ん家へ遊びに来た親友のれっちゃんだ。親友だからこそれっちゃんが今『狙ってやってるわけじゃない』というのが分かるのだ。

 

 なので確信できた。

 今が攻め時だということを。

 

「ホムラ」

 

 俺は見ていたスマホを丸テーブルの上に置き、立ち上がって彼女の近くまで移動した。

 まだ漫画に夢中なホムラはさほど気にしていない様子だが好都合だ。

 あぐらをかいて漫画を読んでいる彼女の後ろを無事に陣取った。

 

「……」

「ん? どしたのポッキ──」

 

 そして、完全に油断しきったホムラの身体を、後ろから腕一杯に抱きしめてやった。

 

「っ!?」

「……」

「ぽ、ぽっ、ポッキー……!?」

 

 ホムラは予想通りの狼狽っぷりを見せており、今の彼女からは普段のような余裕は少しも感じられない。

 もし彼女がいつもの鷹揚な態度だったらこうはいかないだろう。仮に物陰で壁ドンしたとしても『ふふっ、どうしたのかなポッキー?』と軽く一蹴されるのがせいぜいだ。

 

「どっどどうしたの……? なんで急に抱きしめてきて……アハハ、ぁあれか、発情しちゃったか!」

 

 しかし今はご覧の通り。頬が紅潮しておめめぐるぐる。

 これが事前準備のパワーである。

 どうしてもこのセッティングが必要だった。

 今の俺は男だが──メインヒロイン面した謎の美少女ごっこの極意、その一。

 こっちが基本的に弱い立場である以上、対話時に相手のペースのままだとなんぼなんでも勝ち目が無ぇので、死ぬ気で最初から最後までずっと自分のターン! を心掛けるべし。

 

「ホムラ、聞いてもいいか」

「なっ、なに……?」

 

 そして極意その二は迅速果断。

 相手が落ち着きを取り戻す前にボッコボコに畳みかけるべし。

 

「お前、クリスマスの夜に『メインヒロイン面する』って俺に言ったよな」

「う、うん」

「それなら、これからちゃんと()()()()()()()覚悟はある……って考えてもいいんだな?」

「へ……? ひ、ヒロインに……?」

 

 一定のラインを超えた場合の謎の美少女ごっこは、自身の運命をかけたチキンレースであって決して遊びではない。

 もし、仮に、万が一、億が一、たとえそれが何かの間違いで合ったとしても──相手に選ばれた場合は、その答えを示さなければならない。

 

(コク)は沖縄でレッカに対して想いを告げたとき、相手が本気ならそれを受け入れていた。これは親父の開発した未来演算装置でも実際に証明されたことだ。()()()()()()()も確かな可能性として存在していた」

「……っ!?」

 

 そう、一歩ミスっていればコクは既に沖縄でレッカにブチ犯されている。

 もっと正確に言えば、海で二人きりだったコクたちを他のヒーロー部が探しに来た段階で、呆然としたままだったあの時のレッカが『邪魔されたくない』と強く思って、コクと一緒に水の中へ隠れていれば、そのルートは間違いなく実現していた。 

 

「そのペンダントを使った美少女ごっこは綱渡りだ。……あの時レッカを誘ったコクは、彼の選択次第ではそのまま堕ちていた」

「ぇっえ……」

「メインヒロイン面するってことは、選ばれる側に回る──つまり相手に選択権を委ねるってことなんだよ」

 

 コクとしてのスタンスを今一度思い出してみてほしい。

 私だけを選んで、ではない。

 他の娘を見ないで、でもない。

 遊んでからかうけど求められても拒否して遊びのまま終わらせる、なんて事でもない。

 

 ──私を選んでもいいよ、だ。

 

 謎のヒロインってのは選択肢だ。

 たくさんの美少女に囲まれた主人公に対して、他のヒロインたちより関心を引くような立ち回りをして『こっちじゃなくてそっちにしたい』と、主人公自身に第三の選択肢というものを自ら自覚させるための方法だ。

 明らかに一度フラれたがっていたあのクリスマスの夜以外なら、どのタイミングで選ばれても、表面上ちょっと抗ったあとすぐコロっといっていた事だろう。実際あの後も俺自身の処遇は彼に委ねていた。

 つまり選択を受け入れるという“覚悟”を持つことが、そのペンダントを用いた美少女ごっこの本質なのだ。

 

「メインヒロイン面するって言ったよな、ホムラ」

「そ、そうだけど……」

「なら、今ここで俺がお前を求めても、それにヒロインとして応えてくれる覚悟も持ってるってことでいいんだよな?」

「それは……──えっ。ぁ、あぇっ……!? そそれって……!」

 

 後ろから抱きしめた手を少女の胸元──そこにある変身ペンダントへ伸ばした。

 そのまま耳元で囁くように警告する。

 

「これ。()()()()()()()()、絶対に押さないって約束できるか」

 

 そう言った、次の瞬間。

 

「~~~ッ゛♡!!?!?」

「……? ──うおっ」

 

 少女は俺の腕を振りほどいて、腕で自身を抱きしめながら向かい側の壁に背を預けた。

 頬どころか耳の先まで真っ赤にして、視線も右往左往しまくりだ。

 

「はっ、は……! ぇっ、あ……ぼ、ボクは……っ!」

 

 あまりにも焦燥しすぎているこの様子を見るに、俺の作戦は大成功を収めたようだ。

 まだ遊び感覚の抜けない“レッカ”に問うのだ。

 美少女ごっこに対する誠実さを。

 マジでお前このままくんずほぐれつする覚悟あんの? と。

 その結果は──見ての通りである。

 

「どうしたんだ、()()()()()

「っ! ぁ、う…………ぼ、僕っ、今日はもう帰るね……ッ!!」

 

 完全に気が動転してるレッカは、引き留めようとする俺の言葉を聞く間もなくバタバタと荷物をまとめて家を出ていってしまった。

 

「……まさか、あそこまでクリーンヒットするとは。れっちゃんもまだれっちゃんだったか。……はぁ゛ー、よかった……」

 

 次第に彼女の足音が遠のいていき、そこでようやっと安心して大きな息を吐いて、俺は全身の力を抜いて仰向けに倒れることができたのだった。

 

 はぁ。

 ようやくホッとした。

 元がかなりの純情くんだったレッカだからこそ、勝算があると踏んで実行した作戦ではあったが、もしも耳元で囁いた時に無抵抗で頷かれていたら、もう完全に俺の負けだった。

 マジのマジでギリギリだった。

 ほんっっとうに超危ない綱渡りだった。

 この上なく追い詰められた、まさに史上最強の相手だった。

 だが──そう、このギリギリ感だ。

 

 俺が美少女ごっこに邁進していた大きな理由の中に、この削ったメンタルを糧に勝負する対話バトルで感じるスリルがあったのだ。

 これもまたメインヒロイン面するのに大切な要素だった。

 

 もちろんレッカのロールプレイにも目を見張るものがあって、実際かなり驚かされたが、この運命の崖っぷちに自らを追いやる限界ギリギリのスリルを楽しむ度胸がなければ、本当の美少女ごっこというものを遂行するのは不可能だろう。先輩からの一言です。

 

「……まあ、とりあえずしばらくはコレで大丈夫か」

 

 天井を眺めながら安堵の声を漏らした。

 もうペンダントを返せだとか、責任と約束を反故にするようなセリフを言わずに、ホムラの心をレッカに戻す作戦はなんとか上手くいったので、当分の間は安泰だ。

 ここから先、レッカがどういった判断をするのかは彼次第である。俺にできることは全部やった。後悔はない。がんばったです。

 

「……散歩でもすっか」

 

 闘い終わって安心したおかげか、急に空腹が訴えかけてきた。

 このまま家にいるのもなんだしコンビニで適当な物を買って、気分転換に近所をフラっと散歩してこよう。れっつごう。

 

 

 

 

 ちょっと周囲をブラついて帰るだけのつもりが、ついつい駅付近まで足が伸びてしまい、なんやかんやでゲームセンターに寄ったり映画で時間を潰したりしていたら、いつの間にか夕方を過ぎて夜になってしまっていた。

 良さげなフィギュアがあったクレーンゲームには大敗して、レッカとのコミュで削れたメンタルを回復させようとコメディ系っぽい映画を選んだら構成ぶっ壊れなとんでもないクソ映画で逆に困憊に陥ってしまい、財布も気力も底をついたままフラフラと帰路についているのが現状だ。

 

「なんかこういうのばっかだな……」

 

 ついつい苦笑交じりに呟いた。

 何か物事がうまく運ぶと、その後に決まって大失敗したり痛い目に遭うのがお約束みたいになっている気がする。主に自己責任で。

 本当に思い通りにいかない人生だ。

 まあ人生ってそういうものなのかもしれないが、高校生でそんな世知辛い真理を知りたくはなかったぜ。もっと夢が見たい。

 

「……ん? ……ここって確か──」

 

 せめてどこかの景色でも眺めてから帰ろうと、少しだけ遠回りの道で歩いていたところ、ふと見覚えのある場所を通りがかった。

 

「まだ工事中だけど……橋は繋がったのか」

 

 俺が辿り着いた場所は、かつて俺がヒーロー部の皆の前から正面切って逃げ出した──沖縄へ向かう旅の始まりの地でもある大橋だ。

 海を跨いで向こう側と繋がっているこの名前も知らないなんとかブリッジは、確かその時は真ん中の繋がる部分がなくて分断されていたんだっけか。

 

 あの時はいろいろ逡巡した結果、もっと本気でコクをメインヒロイン面した謎の美少女として認識させたくて、雨の中でレッカに別れを告げるというそれっぽい演出を披露した後──貴重な実験体として扱われていた白髪の少女を、両親が悪の組織から外へ逃がして。

 そのまま俺の家の前で震えていたその無表情な彼女を拾い、流れで半強制的に身元を隠しながら沖縄へ向かうことを余儀なくされて。

 

 家がぶっ壊されて、なんとか出発した翌朝には、俺自身がちょっとしたヘマをして──それを一人の少女に目撃された。

 たしかそんな感じだったよな、あの旅の始まりって。

 いま思い返してみても全てがライブ感というか、その場その場のノリでピンチを何とか誤魔化して先へ進むグダグダな冒険だった。

 

 まぁそういう計画性が皆無な旅ではあったものの、結局はこうして思い出として当時のことを振り返ることができている。

 それは俺が今もちゃんと生きて息をしているからで。 

 何よりクソハードモードな命懸けのバタバタ珍道中が約束されていたあの過酷レベルマックスな激ヤバ冒険の中において、ロリっ娘一人も満足に守れないような弱い存在だった俺に対して、唯一最初から味方として接し、肩を並べる仲間となって協力してくれた、とある一人の少女の存在があったからに他ならない。

 

「うわー、懐かし。あの後レッカがブチ切れながら空を飛んで追いかけてきたんだよな」

 

 少し歩いて近づき、もう完成間近な橋を眺めながら感慨深く呟いた。

 半ば巻き込んだ形ではあったが、ヒーロー部の中で唯一俺の秘密を共有した部員である彼女と一番最初に行動を共にしたのが、当時は向こう側と繋がっていなかったこの大橋だった。

 その後も時には優しく時には厳しく、とにかく根気強く支えてくれるその少女がそばに居続けてくれたからこそ、今俺はこうして無事に生きていると言っても過言ではない。……マジで揺るがない事実だな、うん。

 

 ……とても急ではあるが、何か無性にアイツに会いたくなってきた。

 かつての俺のような美少女ごっこをするレッカと接し続けていたせいか、最近やけに原点を振り返る機会が多い気がする。

 柄にもなく感傷に浸り、なんとなく胸に残っている小さな痛みが疼いて、それがどうして心地いい。

 これは何かのキャラムーブを楽しんでいるとかではなくて、きっと俺だけが、感じることを気持ちいいと思える痛みだ。

 

 昔の親友のような人々を救う主人公としてではなく、世界の運命を握る謎のヒロインでもなく、よく分からん事態に巻き込まれながら面白おかしい冒険を経験した──ただのアポロ・キィという一人の人間だからこそ感じられる心地よさだ。

 この思い出だけは、絶対にこの俺だけのモノであるはずだ。

 

 

「──……なーにしてんですか、こんな何もないとこで」

 

 

 ふと、背中に声をかけられた。

 つい反射的に肩が跳ねてびっくりしつつ、後ろを振り返ってみる。

 

「……お、おぉ……なんだ、音無(オトナシ)か」

「音無かぁ、じゃないですよ。まったく」

 

 そこにいたのは学園指定のコートに身を包み、黒髪をハーフアップで結びあげた一人の少女だった。ちなみにちょっと呆れた顔をしている。

 彼女を知っている。

 あの少女は先ほどまで頭ん中での回想の大半を占めていた張本人だ。

 先ほどは、この思い出は俺だけのものだと考えていたが、よく考えたらもう一人だけそれを共有できる存在がいた。

 

 それが一学年下の後輩である彼女。

 オトナシ・ノイズだ。

 なんか普段とちょっと髪形が変わってて可愛いね。

 

「……てか、音無こそどうしてここに?」

「スマホ見てないんですか。マユちゃんからメッセージ来てると思いますけど」

「いや、一時間くらい前にバッテリー切れちゃってて」

「あー……なるほど」

 

 スマホが使えなくなり暇潰しが不可能になったからこそ、いい機会だと遠回りして散歩する理由になったといってもいい。

 

「実は二十分くらい前にマユちゃんからこっちに連絡が入ったんですよ。今日はホムラちゃんとずっと家にいるって言ってたのに、二人ともいないし夜になっても既読がつかない~、って」

「そりゃ悪いことしたな……ん? てことは音無、俺を探しに来てくれたってことか」

「……まあ、先輩は裏社会の人たちから襲われた前例とかあるんで、一応ちょっと心配で」

 

 手を後ろに組んでそっぽ向く音無。なに、どした。

 ……あぁ。心配だから探しに来たってセリフ、真正面から言うのは恥ずかしいもんな。

 ここ最近はずっと平然とした態度のまま近い距離で接してくるホムラといたせいで、普通の女の子がどういう感じなのか少し忘れてた。

 これが普通なんだよな。

 歯の浮くような言葉なんてのは言い淀んで然るべきなのだ。やっぱホムラは距離感バグってたわアレ。

 

「……先輩、なんか良いことでもあったんですか?」

「え、何で」

「いえ……さっきからニヤニヤしてるというか、やけに上機嫌と言いますか……」

 

 怪訝な表情で聞いてきた音無に言われてようやく気づいた。

 やばいな、顔に出てたのか俺。

 直近であった良いことと言えば、昼頃にホムラの心をレッカに戻せた件だが──俺の顔を崩していたのはきっとそれとは別のことだろう。

 

 無性に会いたいと思っていた存在に会えた。

 それも向こうから探してくれていた。

 そんなの、普通に嬉しいに決まっているだろう。

 ついつい無意識に破顔してしまっても不思議ではない。

 

「ちょっと昔のことを振り返っててな。思い出し笑いっつーか……そんな感じ」

「はぁ。この大橋に思い出が──」

 

 そこまで言いかけてようやく思い当たったようで、やっと音無も思い出したように小さく笑って、こちらへ歩み寄ってくれた。

 

「あ……ふふっ。そっか、私たちが衣月ちゃんを連れてヒーロー部の皆さんを撒いたとこだ。えーと……そうそう、確かあそこら辺でしたっけ」

 

 工事中の看板の向こう側を眺めながら、かつて俺たちが風魔法で空を飛んだ辺りの場所を楽しそうに指差した。

 やはり彼女もあの頃のことを覚えてくれていたようだ。

 一年間ヒーロー部として戦った思い出や、忍者として活動していた時期もあった中で、それでも俺との旅の思い出のを鮮明に覚えてくれていたことが何より嬉しい。

 あんなのでも俺にとっては高二の大切な青春の一部なのだ。

 普通の人たちから見れば辛さや大変さにばかり目が行くかもしれないが、俺としては本当に楽しい旅だった。

 

「懐かしいな、音無」

「ホントですね。……あっ、ていうかあの時の私、冗談抜きでめちゃめちゃ大変だったんですよ? レッカ先輩がお熱になってる女の子の正体が親友のあなたで、それを知った途端に『ヒーロー部を裏切って協力してくれ』、だなんて」

「その節は大変ご迷惑をおかけいたしまして……」

 

 思い出話をしながら歩き始める。

 この大橋が街外れということもあり、時間帯も相まって河川敷の付近に人影はなく、まるで世界に二人だけしかいないかのような静けさを感じる。

 

「そういえば聞き忘れてましたけど、今日お家にいらっしゃってたホムラちゃんはどうしたんですか?」

「……いろいろあって帰ったんだよ。おそらく当分は大人しくなるんじゃないか。……それこそレッカに戻るかも」

「え、そんなことありますかね。あの人結構本気でしたけど……」

 

 どうやら音無から見てもレッカはホムラとして完全にスイッチを切り替えているように感じていたらしく、俺が彼を負かした話を聞くと素直に驚く様子を見せた。

 

「……やっぱり先輩はスゴいですね。人を変える才能があるっていうか……」

「そ、そうか? へへ……」

「……良くも悪くも、ですけど」

「う゛っ……」

 

 照れる前に釘を刺された。つらい。

 よく考えてみれば確かに手放しで褒められるようなことはあんまりしてないし、レッカの件も事の発端はそもそも俺だ。やっぱり格好つかないな。

 

「──ね、先輩」

 

 落ち込んで項垂れたまま歩いていると、急に音無が数歩先へ進んでこちらを振り返ってきた。

 どうしたの突然の美少女しぐさ。

 

「クリスマスの日のことなんですけど、私ちょっと気になっちゃって」

「気になるって……何がだ?」

 

 音無の言うクリスマスの日のこと、とは街外れの廃ビルの中で二人きりで話をした時のことだろう。

 

 まず初めに学園が悪いやつらに襲われて隔離されてしまい、その日に決闘の約束をしていた警視監へ会いに行くためにギリギリで俺だけが外に出て、実は学園の襲撃は盛大な囮で、敵の狙いは俺だった──みたいな流れだったはずだ。

 そして捕まりそうになったところを音無が助けてくれて、逃げた先の廃ビルの一室で、お互いに改めて言いたいことを言い合って。

 そこに至るまでずっとグダグダだった俺たちの関係性が、そこでようやく一歩前進することができた……と。

 

 思い出してみるとやっぱり少し恥ずかしいシチュエーションだったが、彼女は今になって一体何が気にかかるのだろうか。

 

「ほら、私たちってあの時いろいろと話したじゃないですか」

「そうだな。そのおかげで俺も決心を固めてレッカに会いに行くことができた」

「それなんですけど……結局、私たちって付き合ってるんですか?」

 

 ──えっ。

 

「どっ、ど、どういう……?」

「何と言いますか……先輩が私のことを好きなのは分かりましたし、私も先輩だけの味方でいたいって言いましたけど……なんかシリアスな雰囲気に流されて、ただ遠回しな言葉ばっかり使ってただけな気がしまして」

「そ、それは…………それは、確かに……?」

 

 そうかな。

 そうかもしれん。

 いや、マジで言われてハッとした。

 ──俺たちって今()()()()()()()()

 

「改めて言葉にした方が……いいですかね?」

「そう……だな。そうかも」

 

 確かに関係性が前進するような会話はした。

 お互いに溜め込んでいたものを吐露して、自分たちの気持ちに正直になった。

 

 しかし、言われてみれば確かにあの時の俺たちは、なんか『それっぽい雰囲気』で『それっぽいセリフ』を言っていただけな気がする。

 お互いにこうしていこうだとか、明確にこれからどうしていくのかなど、ハッキリとした答えは一つも言葉にしてしなかった。

 そこからレッカがホムラになってひと悶着が発生してしまい、なんの憂いも無く改めて話せるようになったのは、それこそ今日が初めてだ。

 

「……すまん音無。こう……なぁなぁになってたな。また周囲の雰囲気に流されてたみたいだ」

「い、いえいえ、こっちも全然指摘しませんでしたし」

 

 焦ってブンブン手を振った音無は、ちょっと気まずそうな苦笑交じりの表情になってしまっている。

 ──こんなんじゃダメだ。

 いつもその場その場のアドリブで乗り切っていた俺だけど、()()だけは頭の中で何度も反芻して、いつか言おうと決めていたのだから。

 

「えーと……じゃあ私から──」

「ちょっ、いやあの、待ってくれ音無……っ!」

「あ、はい」

 

 咄嗟に彼女の言葉を遮った。

 思い返してみるといつも──それこそクリスマスのあの日ですら、俺は彼女の方から言わせてしまっていた。

 それじゃあ先輩としての面目丸潰れだろう。

 既に地の底についた先輩の威厳がさらに下がってマントルに突入してしまう勢いだ。

 しっかりと言葉にして伝えるべきだ。

 こうして外で二人きりでいられる機会もそう多くはない。

 

 だから今しかない。

 今しかないんだぞポッキー。

 ちゃんと正直になって、それでいて絶対に噛むなよ。

 今こそ人生における大一番ってやつなんだからな。いけ、がんばれ!

 

「……俺から言わせてもらえないか」

 

 夜の帳が下りた頃、周囲には誰もいない河川敷の上で、二人きりで向かい合う。

 本来なら指先まで凍るような冷たい風が吹く新年の上旬だが、途端に爆発しそうなほど鼓動が早まってきた心臓のおかげで、今は全くもって寒くない。

 身体が冷えると口が回らなくなるものだ。

 だから安心した。

 心も体も温かいどころかクソ暑い状態の今なら、しっかり噛まずに言えるはず。

 

「あの……ちなみに、私も自分から言いたいんですけど」

「えっ」

「どうします?」

「……い、いや、俺から言いたい。たのむ音無」

 

 ここで本当なら相手を尊重するべきなのだろうがそうは問屋が卸さない。

 思い出してみてほしい。

 あの旅が始まったときから、今日この瞬間に至るまでの俺を。

 ……たぶん本当にずっと永遠に悲しくなるほどダサかった。

 悪を倒しても、暗い過去を背負った少女を助けても、ここだけじゃなく他の世界を救ったあとも、結局最後は締まらないというかなんか格好がつかなかった。

 

 こうして目の前にいる彼女こそが、この世で一番良いところを見せたい相手だというのに、気がつけばいつも助けてもらってばかりだった。泣ける。

 だからこそ、今回だけは譲れない。

 もう()()()()()()()展開はまっぴらごめんだ。

 コレを最後にしたいのだ。今度こそ、これまで有耶無耶にしてきたこの流れを。

 

「今日だけは……俺にカッコつけさせてくれ」

 

 マジの全力で羞恥心をこれでもかというほど押し殺し、ただまっすぐに彼女の瞳を捉えた。

 いまこそ美少女ごっこで培ってきた大胆さを披露するときだ。

 

「っ。…………わ、わかりました。じゃあ、先輩にお任せします……」

 

 俺の眼光から本気の意思が伝わってくれたのか、音無は自分の手を後ろに回して待ちの姿勢に入ってくれた。

 この機を逃すまいと、意を決して一歩前進。

 二人の間がサッカーボール一つ分くらいになるまで距離を詰める。

 

「……っ」

 

 そして少女が俺を見上げた。

 彼女もまた気恥ずかしい気持ちを堪えて、ほんのちょっとだけ緊張しながら、しっかりと俺の瞳を見つめてくれている。 

 ──機は熟した。

 ペンダントから始まった冒険を終わらせ、ここから俺の物語を始めるときだ。

 

「……音無」

「は、はいっ」

 

 数えきれないほど迷惑をかけて。

 それを超えるたくさんのものを貰って。

 時には引っ張ってもらったり、また時にはこっちが背中を押したりもした。

 そうして次々と移り変わっていく物語の中で、確かにこの感情だけは、最初に抱いた時からずっと変わることはなかった。

 

「好きだ。俺と……付き合ってください」

 

 なので精一杯の誠実さを見せなければと思い、最後だけはカッコつけた言い方をせずに、心からの想いを告げてみた。

 カッコつけさせてくれ、と言っておきながらこれではもっとカッコ悪いかもしれないが、それでも言葉で誠意を表したかった。

 この想いだけは間違えずに伝えたかったから。

 

「…………っ」

 

 ド緊張しながらゴクリと唾を飲む。

 あとはただ、少女からの返事を待つのみだ。

 

「──」

 

 時間にして五秒……いや、十秒?

 もしかしたら一分は経ったか。

 まるで無限にも思えるその一瞬を突き破ったのは、一度目を伏せた後に、もう一度見上げてしっかりと俺の目を見つめてくれた、最愛の後輩からの一言であった。

 

「……はい。私でよければ、喜んで」

 

 少女が答えてくれたその言葉は、まさしく──俺の心を射抜く一撃だった。

 

「──音無ッ!」

「ひゃっ」

 

 そこから途端に我慢できなくなって、正面から彼女を腕の中へと抱きしめてしまった。

 本当は堪えて最大の優しい笑みを浮かべて『ありがとな』とか言って手を握るくらいに収めるつもりだったがそうはいかなかった。

 とにかくあまりにも嬉しすぎて、もう理性ではこの感情を制御しきれないことが頭で分かる。

 

「まっ、マジでありがとう……っ! ぁ、くそっ、めちゃくちゃ嬉しい──!」

「そ、そうですか……でも、ぁあの、急に抱きしめるのはどうなんですかね……っ」

「っ゛!!? ご、ゴメンっ!」

「あっ……」

 

 後輩が言ってくれた言葉で、ついそのまま押し倒してしまいそうな勢いの抱擁だったことに気がつき、俺はバッと手を放して一歩下がった。

 やってしまった。

 マズい、ヤバい。

 せっかくの一世一代の人生をかけた告白を受け入れてもらえたってのに、これでは早速嫌われてしまう。

 

「……先輩、そういうとこですよ」

「す、すまん」

「……ハァ。そうじゃなくてですねぇ──」

「っ!?」

 

 しかし、なぜか今度は音無の方から俺の胸に倒れ込んで体重を預けにきてくれた。 

 咄嗟に彼女を抱き留め、それを確認したシノビ少女は、先ほどと違って自らしっかり俺の背中へ腕を回して抱擁してくれた。うおっ全身やわらか……。

 

「……ふふっ、まったくもう」

「な、何かミスったよな俺……」

「だーかーら、そういうのですよ。こういう時は何を言われても気にしないで、そのまま抱きしめちゃってていいんですってば」

「そういうもんか……?」

「えぇ、そういうものです」

 

 こちとら女の子と付き合ったことなんて一度もない童貞ゆえ。

 基本的にうまく捲し立てて逃げることを前提に動いてる美少女ごっこ内でのそれっぽい振る舞いならともかく、完全に本当にマジで好き合った経験は、間違いなくコレが初めてなのだ。ごめんなさい。

 アホみたいに嬉しいってこと以外もうなにも分からん。うれしい……この後輩ホントかわいい、すき……。

 

「……本当に嬉しいよ。ありがとうな、音無」

「ん、私も先輩が自分から言ってくれて嬉しいです。ちょっとカッコよかったですよ」

「ちょっとかぁ……」

 

 まぁ今までのダメダメ具合を鑑みたら、ほんのちょっとでも成長できていてよかった。勇気を出した甲斐があったというものだ。

 とりあえずこのまま三十時間ぐらい抱きしめ続けたいところだが、人通りが少ないとはいえ一応往来の場所なので、俺たちは一旦離れて抱擁をやめた。

 

「……あはは。先輩そんなに名残惜しいんですか?」

「え。……顔に出てたか」

「それはもうはっきりと」

「恥ずかしすぎる……ぐぅ」

「そんな残念そうにしなくても。これからはいつでも抱きしめ放題なんですから」

「──っ!? ……お、おう」

 

 その発言はちょっとセンシティブに片足突っ込んでない? あー! いけませんお客様! えっちすぎます! いけませんお客様! あーッ!!

 

「……帰るか、音無」

「そうですね。もう遅いですし」

「えと、それから……手、繋いでさ」

「ぁ……えへへ。はいっ」

 

 そうして隣に並んで手を──

 

「……あの、音無?」

「どうしました、先輩」

「いや、指摘されなかったから言うんだが……いきなり恋人繋ぎでいいのか?」

 

 つい自然とこの握り方をしてしまって、あとから気づいたので『急に段階を飛ばし過ぎじゃないですか?』とか『がっつくと嫌われますよ?』とかそういう感じの呆れた発言をされると思って身構えたのだが、一向に指摘される様子がない。あれ……?

 

「……? だって私たち恋人同士じゃないですか」

「ぁっ、お゛、そっ、そうっすね……」

 

 さっきそうなったばかりだけど、既にそうなったからOKって判定なのかな。

 

「──あっはは。あー……もう、さっきから緊張し過ぎですよ先輩。……まあ、そういうところもかわいいんですけど」

「す、すまん。……ぇ、いまかわいいって」

「変に気を張らなくたっていいんです。これからもずっと一緒なんですから、いつも通りでいましょ」

「……そう、だな」

 

 流石にちょっとおっかなびっくりが過ぎたというか、告白後の興奮のせいで少々気が動転していたみたいだ。

 音無の言った通り、きっと気取らずいつも通りに振る舞った方がいい。

 こうして告白の承諾こそしてもらえたが、急に生活が大きく激変してしまうとか、別にそういうわけでもないのだ。

 変にカッコつけた俺ではなく、俺が俺だからこそ音無にも受け入れてもらえたんだし、彼女も普段通りの距離感を望んでいるはずだ。

 くっつきすぎず、離れすぎず、それでいて以前よりはもう少し近く──そんな接し方を心掛けることとしよう。

 

「んー……それにしても先輩、なんかちょっと暑くないですか。真冬の夜のはずなんですけど」

「そりゃあ、お前……告白したし。かなり緊張したんだから火照りもするだろ」

「……意外ですね。さっきまでの先輩ならもっとキザな返事をすると思ったのに」

「勘弁してくれ。いつも通りに戻ろうって言ったのは音無じゃないか。俺のライフはもうゼロだぞ」

 

 もうここから先は着飾ったセリフなんか一個も言えないし言わないからな。

 もし次に言う時があるとしたら、あとはプロポーズの時くらいだろう。もう恥ずかしいセリフは当分の間ごめんです。今でも顔から火が出そうなんだぞ! だれかたすけて!

 

「ちなみに私は言えますよ。恥ずかしいセリフ」

「お、おいやめとけって。後悔するのは音無の方だぜ」

「うーん……そうですかね? 私としてはもっとくっ付く口実が欲しいところなんですけど」

「…………」

 

 ちょっと後輩ニンジャさん? こっちはいつも通りに戻ったつもりだったのに、なんかいつもより素直に甘えてきてない? いつもと少しどころかかなり態度が違くない?

 

「どーんっ」

 

 音無の肩をくっつける攻撃!

 こうかは ばつぐんだ!

 

「ちょ、おまっ、流石に脈絡ねぇって」

「ふふ。言葉は不要かな、と」

「さっきまでの流れなら多少は必要だろ……。せめて何か恥ずかしいセリフを言ってからにしてくれ、こっちの心臓が持たん」

「先輩、そんなにドキドキしてるんですか? かわいいですね」

「ぐっ……そ、そっちこそまだ耳が真っ赤だぞ。実は結構恥ずかしいじゃないの」

「うぇっ。……ぁ、あはは、バレちゃいましたか。

 ……ええい、照れ隠し~」

「──っ!?」

 

 ば、バカな、反撃してみたら逆にもっとくっ付いてきただと……ッ!? 恋人繋ぎじゃなくて腕にくっ付くレベルに到達しちゃった……。

 どれだけ俺の理性を揺さぶれば気が済むというのかねこの後輩。さすがはニンジャといったところ。忍ぶどころか暴れてるぜ。

 

「お、おいちょっとは忍べって。忍者だろ」

「シノビは主様(あるじさま)に対しては全幅の信頼を寄せるものなので……」

「いや限度……」

 

 マジでこのまま顔が爆裂しそうな勢いなんだが。頼むから手加減してくれ、まだ付き合ってから十分も経ってないんだぞ。

 

「ていうか主様ってお前な……」

「あ、別にウソじゃないですよ? 私にとって最初で最後の主様が先輩ってだけの話なので」

 

 おいちょっと待ってくれ、聞き捨てならん。

 

「……その言葉の響き、俺の世間体が危うい気がするんだけども」

「でも旅を始めたばっかりの頃に『ご主人様って呼んでもいいぜ』って言ったのは先輩のほうじゃないですか。言質とってますよ、むふふ」

「た、確かに言ったけど! でもあの時は音無こそ『は? いやです』って言ったろ!」

「むぅー……今ならいいんですっ」

 

 どういうことなの……。

 

「だって私、ちゃんと先輩の忍者ですから。前にデートへ誘った時に『俺の忍者なんだろ?』って言われてます。なので公認です。えっへん」

「お、おま……そんなことまで覚えてたの? 記憶力が良すぎるだろ……」

 

 てかなにえっへんって。かわいい。

 全然いつもの音無じゃない……ッ!

 

「ふふ、私ニンジャなので基本的に何でもできますよ。試しに何か命令してみますか」

「……いや、恋人に命令するのは……なんかアレだろ」

「っ! ……う、嬉しいですけど、忍者は私のアイデンティティでもあるので。そこも尊重してくれたら、もっと先輩のこと好きになっちゃうかもです」

「うっ……それなら……あ、来週の休みとか空いてたら、ウチへ泊まりに来てくれないか」

()()()()()()()、ではなく……?」

「…………泊まりに来い、音無」

「えへへっ。はい、了解です!」

 

 なんだか少し……いやかなり妙な部分もあるが、これもまた音無からの信頼の証なのだろう。

 流石にちょっと俺の方が自分に対して厳しくなっておかないと、命令にかこつけて音無にアレな要求をしかねないので、なんとか頑張って本能を抑え込もう。さもなくば卒業する前に結婚してしまう。

 言えば命令を聞いてくれるだなんて、ちょっとこっちの支配欲が刺激され過ぎてヤバいからね……気をつけようね……。

 

「音無、もう街中に入ったけど……」

「そうですね。休日の夜ですしまだ人がいっぱい」

「……自分の知名度、わかってる?」

「魔王から世界を救ったヒーロー部の一人ですね。……あっ、そこのコンビニに私が表紙の雑誌が置いてありますよ」

「いや、だから……人の目があるって話なんだが」

 

 人通りの多い区域に入った途端、マジでめっちゃ周囲の通行人たちからの視線が一点集中してる。やばい。

 

「別にいいじゃないですか、もう恋人なんですから。自慢しちゃうくらいがちょうどいいですよ」

 

 そう得意げに言いながらニコニコしたまま腕にくっ付く後輩ニンジャ。

 音無ってこんな性格してたっけ……それとも、本来の姿がこうだったのだろうか。

 

「お前なぁ……」

「えへへ……」

 

 ……そんな気がしてきたな。

 しっかり者というイメージで通ってる音無だが、それでもやっぱりまだ高校一年生の少女なのだ。

 これまでずっと大変な道を歩んできたわけだし、ようやく素の自分でいられる相手を見つけたという事なら──俺がその存在であり続けられるよう努力しないと。

 ようやく音無が俺に()()()()()をみせてくれたのだから、それに見合うだけの自分になろう。

 

 もうこの少女が自らの心を殺して、あんな命懸けの闘いに身を投じるターンはとうの昔に終了した。

 俺たちは高校生なんだ。

 これまでヤベー奴らとバトってきた分、他の人たちよりも何十倍も青春を楽しんでやる気概でいこうじゃないか。

 それこそ音無との仲を自慢するくらい堂々と、だ。

 

 

 

 

 あれから数日後。

 今日も今日とてヒーロー部の部室で放課後を過ごしており、現在はパソコンを使ってメール返信などの作業をおこなっている。

 ちなみにこの部活において、外部と連絡を取り合ったり依頼の処理などをする事務担当が今は俺になっており、他の部活よりは半年ほど遅れたが部長もようやく代替わりを終えた。

 ヒーロー部の現在の部長だが、名義上は氷織(コオリ)が務めている。

 本来であればレッカが任されるはずだったのが──

 

「おぉ……ホムラちゃんが珍しく大人しい……?」

 

 俺の隣でヒーロー部の新しい勧誘ポスターの下書きを手書きで作成している氷織が、向かいの席にちょこんと座ったまま俯いて大人しくしている小柄な少女にふと意識を向けた。

 ──いまのあんな状況に陥っているレッカでは、とてもではないが部長を務めるのは不可能だ。

 

 それなら次の部長はどうするのか、という話になった際に、真っ先に名前が挙がったのが氷織だった。

 まだヒーロー部がライ先輩一人しかいなかった頃、レッカと同じタイミングで入部した最古参のメンバーであり、人当たりがよく責任感もあり何より二年間に及ぶヒーロー部の闘いの、その全てを間近で見てきた彼女だからこそ、部長に相応しいとみんなが納得した……というのが一連の流れである。

 

「ねね、アポロくん」

「どした」

「ホムラちゃん……何かあったの?」

「ちょっと話をしただけだよ。……どちらかと言えば今のアイツはレッカだな」

 

 そう言った瞬間バッとホムラの方を向き、再びこっちを見る氷織。なんだなんだ。

 

「まだ全然普通に女の子のままなんだけど……」

「俺にペンダントを返すか迷ってるんだろ。どの道俺から返すようには言えないから、今は見守ってやっててくれ」

「ふうん……?」

 

 訝しむ氷織だが本当にこれ以上は説明のしようがない。

 この明るい水色髪の少女からすれば、ハーレムをやめ誠意をもって自分をフッたはずの男が女の子になって帰って来て、挙句なんかメインヒロイン面した謎の美少女ムーブを発揮したかと思いきや、急に反省したようにしょぼくれている──といった不可解な怪奇現象に見えていることだろう。マジで変としか言いようがない流れだよな。本当に申し訳ないと思っております。

 

「あ、ところで新しいポスターなんだけど、アポロくんは何かいい案ないかな」

「……手書きは確かにかわいいかもしれないが、普通に現行メンバーの集合写真にした方がいろんな人に注目してもらえるんじゃないか? 俺以外はハリウッドスターにも並ぶ知名度の鬼なわけだし……」

「ふふ、なんたって世界を救ってるからね!」

 

 ムフー、と自慢げに胸を張る氷織。

 かわいいけどおっぱいが揺れてて直視できん。

 

「……でもアポロくん。これからの私たちって、ただの市民のヒーローじゃない? 来年度の新入生たちは悪~い敵なんかとは闘わないだろうし、なし崩し的に得た私たちの知名度を使うのは違うかなーって……」

「あー……まあ、確かに変な期待をさせ過ぎるのもな。実際はもうただのボランティア部活動だし」

「そうそう。だから来年以降も使えるような、普通にちょっと良さげなくらいのポスターにしたいな、と」

「普通にちょっと良さげって一番難しくない……?」

 

 そのままああでもないこうでもないとデザインについて話し合っていると、ガラガラと部室の戸が開かれた。

 

「お疲れ様ですわ~」

「あ、ヒカリ!」

 

 やってきたのはゆるふわな雰囲気の金髪縦ロールお嬢様こと光莉(ヒカリ)だった。

 いつも通りに氷織の隣に腰かけると、彼女もまた座ったまま大人しいホムラに気がついた。

 

「あら? ホムラさんはどうされたのでしょうか」

「心の整理中なんだって。アポロくんに口説かれて」

「なんと……!」

 

 おい聞き捨てならない言葉が聞こえたんだが。誤解が広がるからその言い方やめてください。

 確かにちょっとは過激だったかもしれないが、俺はあくまで彼女の覚悟を問うただけだ。何をどうしろとか具体的なことは何も言ってないからな。そこら辺よろしくね。

 

「場合によってはレッカくんに戻るかも」

「は、はぁ……よく分かりませんわね、殿方の考えることは」

 

 ビクッとホムラの肩が跳ねた。今の若干呆れたような声音は、レッカの立場なら俺でもビビる。

 あの柔和なヒカリもこの一年間でいろいろと学んだようで、彼に一度フラれた事も相まってか、彼女がかつて自分で言っていたような『盲目的に恋に恋している』という状態からは、無事に卒業することができたらしい。一皮むけた、と言ったところだろうか。

 

「アポロさんはいいのですか? ペンダントがあのままで……」

「……まぁ、あげたようなもんだから」

「なるほど。……では、もうずっとアポロさんのままなのですね」

 

 ヒカリは安堵したような、優しい声音でそう呟いた。

 ちなみにヒーロー部の面々はコクという少女がいた過去に対して、既に心に区切りをつけている。

 最終的にどうなかったかというと、あれは俺が自らの心を守るために生み出したもう一人の人格だった──という話で一旦落ち着いた形だ。

 

 言われてみると確かに、俺はコクになることで心を保ってた節があるため、あくまで意識的に切り替えていただけでもう一人の人格というのも一概に嘘とは言えない。

 ヒーロー部の中での俺は、紆余曲折あって心の闇を乗り越えた……的な感じの扱いになっているようだ。もうそれでいいけど。

 

 

 クリスマスの夜に“コク”とは別れを告げた。

 これまでもう一人の自分として後生大事に抱えていた彼女は、レッカとのやり取りを経て無事に役目を全うし、一旦眠りについたのだ。

 このヒーロー部にとっては、もう俺はどうあがいてもアポロ・キィだ。

 

 もし。

 万が一、億が一。

 奇跡的にまた彼女が復活することがあるとすれば、それは戦いの物語を終えたヒーロー部の前ではなく、また異なるストーリーを紡ぐ別の主人公たちの前で、登場することになるだろう。

 

 ぶっちゃけ正体を隠して他の誰かを手助けするならこの上ない手段だし。

 また手を貸さないと世界が危ないなんて事態に陥ったのなら、その時は前作主人公のヒロインみたいな感じで、再び漆黒の少女として舞い降りようと思う。

 

 そんなヤバいイベントなんて起きないに越したことはないが、一応心構えだけはしておくつもりだ。

 だから、それまでは一旦のお別れ。

 誰よりも常に俺と共にあり続けてくれたあのメインヒロインにも、そろそろ休息の時が必要なのだ。

 なので、とりあえず今は──お疲れさまでした、コクちゃん。

 

 

「お疲れー。頼まれてた昔の資料もってきたわよ」

「カゼコさん!」

 

 程なくして、部室にまた一人メンバーが増えてヒカリが反応した。

 大きなクリアファイルを何冊も抱えて部屋に入ってきたその翡翠色の髪の少女は、風菜の双子の姉である風子(カゼコ)だ。

 ドサッとテーブルの上にファイルを置いたが、俺はこれがなんなのか知らない。

 

「カゼコ、これは?」

「昔のヒーロー部の記録よ。旧校舎の資料室でホコリ被ってるってライ部長が言ってたから引っ張り出してきたの。ポスター制作の参考になればと思って」

「カゼコちゃん、カゼコちゃん。ちなみに今は私が部長だよ」

「ん……そういえばそうだったわね。コオリ部長さん」

「えっへへ~」

 

 カゼコの氷織に対するあしらい方がお姉ちゃんすぎる。

 ライ先輩を除けば、部員の中で精神年齢が一番高いのは、もしかすると彼女なのかもしれない。

 もし氷織が辞退していたら、次期部長はきっとカゼコになっていた事だろう。それくらい頼れるお姉ちゃんオーラに溢れている。

 ……世界中を逃げ回ってボロボロになったあと、確か真っ先に隠れ家で俺を看病してくれたのもカゼコだったっけか。

 あの時は死ぬほど優しかったし面倒見も良かったしで、もはや俺からしてもお姉ちゃんなんだよな。

 

「──で、ホムラはコレどうしたのよ」

「レッカさんに戻るかどうか悩んでいらっしゃるそうですわ」

「ふーん? ……まぁ、選びたい方を選べばいいんじゃない。どうせこれからも同じ部活なんだしさ」

 

 ポンポン、とホムラの頭を撫でるカゼコ。

 彼女もクリスマスの夜にレッカから改めてフラれて初恋が終わったことで、ようやく心に一区切りをつけることができたらしく、ツンデレというかデレデレだったかつての雰囲気もすっかり落ち着き、今は常にどこか余裕のあるクールで抱擁感たっぷりな自分を獲得することができたらしい。

 

 一年前の春頃のような、失礼ながら俺が個人的に感じていた、あのいかにもヒロインの中の一人といった雰囲気は、もう全くと言っていいほど皆無だ。ただ一人のスゲぇ魅力的な少女として完成されている。

 そのせいかヒーロー部の中でも、特に他の男子たちから好意を持たれる機会が増えたとの事だが、どうやら告白は全て断っているらしい。今は恋愛には興味なし、という事なのだろうか。

 

「そういえばアポロ」

 

 俺の向かい側の席に座ったカゼコが思い出したような声をあげた。

 

「音無とのこと、おめでと。自分から伝えたんですって?」

「え゛っ」

 

 まさか急にその話題が飛んでくるとは思わなかった。

 部室の中に他の皆がいるのに平然と聞いてくるとは、なかなか侮れないぜお姉ちゃん。

 

「あ、あぁ……まあ。サンキュ」

 

 気恥ずかしい気持ちを誤魔化すように頭をかくと、次は隣にいる氷織がひょっこり首を出してきた。なんですか。

 

「ほぇー、アポロくんやるねぇ。……ん? それじゃあ、風菜ちゃんが言ってたハーレム何号とかってどうなるの?」

 

 それ衣月が勝手に言い出して風菜たちが乗っかっちゃっただけで、別に正式な決まりとか何もないから。

 勝手に消滅するというか、むしろみんな自然とその事は口に出さなくなると思ってました。向き合わねば……。

 

「気持ちは嬉しいが、俺は音無と付き合ってるから──」

「あ、そっか! じゃあ音無ちゃんが一号に昇格なんだ!」

「ちょっと待って氷織?」

 

 ぜんぜん違うよ? ハーレム何号とかそれ自体が消滅って話だよ?

 実はもう彼女に告白したことは、ヒーロー部の全員にしっかり伝えてあるのだ。晴れて音無と付き合う流れになったことも、一言一句正確に。

 だから一号とか二号とか無いから。俺の彼女は音無だけだから。

 

「ヒカリは順番覚えてる?」

「ええ、確か衣月さんからマユさん、風菜さんでライ部長、最後に音無さんだったので、音無さんが一番上に来て一個ずつ降格……ですわね!」

「違う違う違う」

 

 マジで順番とか無いから! 恋人は一人しかいないから!

 ……てかそういえばこの三人、『一夫一婦制をどうにかすれば』とかそんな話をしてたって、沖縄にいた時にレッカから聞いたな。

 本当に俺は侍らせるとかハーレムだとかそんなつもりないからな。

 

「──お疲れ様でーす」

「すまない、待たせたな皆。……おや、なんだか盛り上がってるみたいだ、オトナシ」

「ですね。どしたんでしょうか」

 

 あ、音無とライ先輩が来た。

 

「あ、先輩。お客さん来てますよ」

「うぇっ……」

「──こんにちは、紀依」

「い、衣月……!? お前、なんでここに……」

 

 ついでと言わんばかりに、彼女たちの後ろには純白の髪の少女が引っ付いていた。

 ──藤宮衣月だ。

 俺が一年前に旅を始めるきっかけとなった、全ての始まりの少女だ。髪がふわふわでかわいいね。

 いまは普通の小学校に通っているはずなのだが、どうしてこの学園に。

 

「ん、依頼をしにきた。ヒーロー部に」

「俺たちに……?」

「そう。友達の家の猫が外に出たまま帰ってこないから探してほしい、という依頼」

 

 まさか依頼の為とはいえ、わざわざ学園まで出向いてくるとは思わなかった。

 ヒーロー部のアカウントにメールを送ってくれたらそれでいいのだが──

 

「あと、紀依に会いにきた」

「だからって校内に入ってまで──ちょっ、おい衣月……! 急に膝の上に乗るなって……」

 

 こっちが狼狽している隙に彼女が太ももの上に腰かけてきた。軽いし柔らかいけどそういう事じゃない。何なんだ急にどうしたというのか。

 俺が衣月の相手をしている間に、あとからやってきたライ先輩と音無後輩も部屋にいたメンバーから話を聞いたらしく、面白そうに笑いながら荷物を置いている。

 

「うぅむ、アポロのハーレム順番問題か」

 

 あのちょっと顎に手を添えて本気で考えないでください先輩。なんかノリで出てきただけのしょうもない話題なんで、本当にスルーしてほしいですお願いします。

 

「お、音無っ。もうおまえからもみんなに言ってやってくれ……ッ!」

 

 氷織とは反対の俺の隣に腰かけた後輩に頼み込んだ。

 どうやら俺ではこの流れを制御できないらしいのだ。ここで彼女である音無がビシッと言ってくれたら、きっとこの流れも終わるはず。

 

「……んー。──ふふっ」

 

 そこでなぜか小さく笑う後輩ニンジャ。

 かわいいけど何、どうしたの。

 

 

「や、別にいいんじゃないですか。市民も世界も救ってきたわけですし、それくらいの役得があっても」

 

 

 ──え。

 

「ハッ……!!?!?」

 

 いたずらっぽい笑みを浮かべて、俺の恋人であるはずの少女が、突然とんでもない爆弾発言をかましやがった。

 その言葉に合わせて他のメンバーがみんな一斉に反応したが、音無は気にせず俺と衣月の手を重ねて握ってきた。

 

「なっな、なに言って……!」

「だってほら、元々は衣月ちゃんのおかげで始まった縁じゃないですか」

「た、確かに最初はそうだったかもしれんが……」

「始まりって結構大切ですよ? というか、どちらかと言えば先輩と衣月ちゃんが二人だったところに、あとから私が割り込んだワケですし」

 

 そういう認識だったの。でも割り込んだんじゃなくて手を貸してくれたんですよ貴女は。

 ちょっと待て。

 なんか流れがおかしいぞ。

 音無がズバッと言って終わる話じゃなかったのかコレ。

 

「……むしろ、私と付き合うからって衣月ちゃんを蔑ろにされるほうが嫌と言いますか……」

「いや蔑ろになんてしないって……! ただ、ほら、ハーレムって言葉はなんかこう、違うだろ!?」

「やだなぁ、違いませんって。衣月ちゃんだって一人の女の子なんですよ? 旅を始めた頃からずっと先輩はハーレムだったじゃないですか」

「えっ、え……?」

 

 わからん。なんもわからん。

 俺からすれば音無が『先輩は私の恋人なので』とか言って場を収めてくれるかと思ったのに、なぜか聞けば聞くほど俺が追い詰められている。どうして。

 いや、衣月がちゃんと一人の少女だって事は俺も分かってるとも。

 あくまで守る対象であって、決して妹とかそんな関係ではない、旅を共にした対等な少女だと理解している。

 でも、なんか“ハーレム”は違くないか? 俺たち三人にしかない絆とかそんな感じのやつがあったじゃん。

 ……お、俺って、音無が言うように、本当に最初からそうだったのか……?

 

「紀依は……私のこと、きらい?」

「ばっ、そんなわけないだろ」

「じゃあ一緒にいる。音無がいるから、私はハーレム二号」

 

 まてまて、一緒にいるってそういう事じゃないだろ。

 

「私は衣月ちゃんが一号でいいよ?」

「ん、だめ。音無が先に告白したから」

「あの、頼むから俺の話を──」

 

 そう言いかけた瞬間、ドンガラガッシャンとけたたましい音を立ててドアを開け、また一人部室に少女が登場した。なにこの勢い。

 

「──話は聞かせてもらいましたっ!!」

「ふ、風菜……!?」

 

 得意げな顔をして登場した風菜はテーブルの下にサッと潜り込み、すぐ俺と衣月の足の間から顔を出して目を輝かせた。

 

「では既にキィくんに告白済みなのでやっぱりあたしがハーレム三号ですねっ!! ふへへっ!」

 

 お前そんな勢いだけで何とかなると思ったら大間違いだぞ美少女こら。お願いだから一回落ち着いてくれ。

 

「ははっ。その条件であればハーレム四号は変わらず私かな、アポロ?」

 

 この流れに乗ったライ先輩は椅子に座った俺の真後ろに陣取って、両肩に手を置いて小さく笑った。おい最年長でしょ、あなたが鎮めないでどうするんですか。

 くそ、ヤバい。いよいよ収拾がつかなくなる気がする……っ!

 

「……あっ。いいこと考えた。ヒカリ、カゼコちゃん。耳を貸して」

「はい? ──ふむふむ……ほわっ、なるほどですわ! 名案っ!」

「いいじゃない、面白そうね。それで()()()がどう出るのか楽しみだわ」

 

 ちょっとそこのお三方。何の作戦会議をしているのか知らないが、とにかく風菜あたりから引き剝がしてほしいんですけど。助けて。

 

「はいはーい! じゃあマユちゃんが空席の五号で、わたしがハーレム六号になるね!」

「うふふ、コオリさんが六番目なら、私は七号をお務めいたしますわ」

「じゃ、アタシはヒカリに続いて八号ってことで」

「待て待て待て待て」

 

 戦国武将も腰を抜かすような名乗りを上げた三人は、それぞれギュウギュウに距離を詰めてくっ付いてきた。

 コレは流石に違くない?

 ギリギリ告白されてたライ先輩まではこのノリに乗ってもおかしくはないが、君たちまで参加しちゃうことある?

 

「ちょっ、お前ら三人は逆にそれでいいのかッ!?」

「レッカさんにはもうフラれてしまいましたし……あえて振り返らず、新しい恋を始めるのもよいと思いますわっ♪」

「そうそう、アンタが良い男だってことはアタシたちも知ってるしね」

「あ、わたしも結構まんざらでもないよ。ワープ装置で二人きりになった時、唯一アポロくんと素肌でくっつき合った中でもあるし~」

「氷織、私もお風呂で紀依とくっついたことがある。唯一じゃない」

「な、なんですとぉ……!?」

 

 そうしてとんでも発言とスキンシップで次々と迫ってくる少女たちに翻弄される中で──ふと視線が前へ向いた。

 

 そこにいるのは、数日前に覚悟を問われてつい逃げ出してしまい、自分がどうするべきなのか分からなくなってしまっているホムラ──いや、レッカだ。

 紅いメッシュの入った黒髪の少女の姿のまま、親友は現在の俺の光景を前にしてワナワナしている。

 

 

 ……そうだな。

 分かるよ、レッカ。

 ペンダントを使っていた俺だからこそ、お前のその気持ちがよくわかる。

 そう──悔しいんだよな。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 決して男として相手のハーレムが羨ましいんじゃない。

 そうではないのだ。

 かつて美少女ごっこに真剣だった俺も、皆に囲まれて積極的にアプローチを受けていたレッカを目の当たりにして、深く絶望したことがある。

 

 ヒロインは、俺なのに。

 そいつを誰よりも理解しているのは、親友としての数多の情報とアドバンテージを持っていて、なおかつただならぬ雰囲気で彼を翻弄している自分なのに──と。

 

 俺を困らせるつもりでメインヒロイン面した謎の美少女を始めたってのに、今やハーレムを八番目まで埋められてしまっては立つ瀬がないと考えて言うのだろう。

 迷った事なら俺もある。

 ヒロインの座をビビるほど脅かされている──それが何より悔しいのだ。

 

「レッカ……」

「っ……!」

 

 でも、あの時の俺の気持ちを理解できた今のお前なら、この事態を解決できるはずだ。

 わかるだろう親友。

 俺の道を、一度はお前に委ねたんだ。

 

「れっちゃん、頼む……」

「──ッ!!」

 

 彼女はハッとしたように目を見開いた。

 そうだ。

 やはりそのペンダントが鍵なんだ。

 

 お前が変身を解いて正真正銘のレッカに戻り、ペンダントを俺の首にかけてスイッチオン。

 そうしてまたあの漆黒の少女に戻った俺をお前が抱えて、この部室から攫ってくれ。

 二人きりでここから逃げ出す……それが唯一の解決法だ。

 伝わってるよな、親友。

 わかってくれるよな、このアイコンタクトだけで。

 

「……うん、そうだね。ポッキー」

 

 そうだよ、れっちゃん。

 唯一無二の親友である、お前なら! 

 

 

「──ボクがハーレム(ゼロ)号だッ!!」

 

 

 そう叫んで、少女は膝に乗った衣月ごと、正面から抱きしめてきた。

 

 

 ────ちげえええええええええッ!!!?!?

 

「ポッキー♡♡」

「ばかっ、おま! ちげぇよ! そうじゃないって! 察したんじゃねえのかよ!?」

「なにが違うのさっ! さっきのは『ちゃんとヒロインを全うしてくれ』って意味のアイコンタクトでしょ!」

 

 この状況でそんなわけねえだろ!!!!!!!

 

「むう。レッカ、くるしい」

「ふふふ、衣月、音無。ボクは絶対負けないからね。ポッキーとの付き合いの長さならボクが一番なんだ」

「あらレッカ先輩ってば大胆ですね。でも私たちだって譲りませんよ。ね、衣月ちゃん」

「うん。紀依の初めて、私たちがもらう」

 

 ヒトの膝の上で派閥争いすんな! あとサラッととんでもないこと言わないで!!

 

「おいレッカぁ!」

「ん、そもそもはコク(きみ)が発端だぞ、ポッキー。ボクを含めてみんなを変えたのはポッキーなんだから、ちゃんと責任とってね」

 

 いやっ、それは、ちが──くはないけど! 

 よく考えたら確かに俺がめちゃくちゃ元凶だけどもッ!

 クソッ、どうすれば! 一体どうすればいい……っ!?

 あれだ、誰かへ助けを求めねば。……そうだ、もう一人の自分にも等しいあの少女に!

 

「スマホっ、電話電話──ぁ、もしもし、マユっ!? 今すぐ助けに来てくれッ!!」

『いやー、無理でしょ。神妙にお縄についてください』

「お、お前……相棒だろ……!」

『でも私だってアポロのこと好きだもん。じゃ、これから私もそっちに行くねぇ』

「ウソだろオイっ……あぁ、嘘って言ってくれ──!」

 

 

 マジの四面楚歌で逃げ場、無し。

 

 そんな人生最大のピンチが訪れたとき、そこでようやく俺は気がついたのだ。

 少し前に『一般人に戻れた』などと嘯いていたが、潔く前言撤回。

 俺は普通の高校生活なんてものは、まるでまったく手に入れていない。

 こうして結局はこれまでの責任を取ることになり、丸く収まるだなんて都合のいい終わり方にはならないのだ。

 

 あぁ、求めたのはこんなんじゃない。

 これがどうして、もう既に心の奥底へ沈んだはずの、俺の本能が再び叫び始めてしまっている。

 一度目はひどく退屈すぎて。

 そして今度はあまりにも忙しすぎて。

 あの背負うものが一つもない、この身一つで世界の全てを相手取っていた、ただひたすらに楽しかった頃のことを、思い出してはまた()()()()と考えてしまう。

 

 くそう、また深いことは何も考えず、ただ欲望の赴くまま──メインヒロイン面した謎の美少女ごっこがしたい!

 

 

 




終わり



〇●●


これにて完結になります。
長くなりましたが約二年半の間お付き合いいただきありがとうございました。

一度完全に更新が止まった作品にもかかわらず、その後の投稿でも閲覧してくださった読者の皆様には感謝の言葉もありません。嬉しくて涙がちょちょぎれました。

最終話とはいえ本文が三万文字強になってしまい申し訳ありません ぎゅうぎゅうに全部詰めました 満足

そのうち活動報告の方でこの作品についてまとめた解説(?)かなにかでも出そうと思ってますのでお暇なときにでも覗きに来てくださると嬉しいです。

長すぎるとアレなので後書きはこの辺で
またどこかでバリ茶の名前を見かけましたらその時はまたよろしくお願いします

ここまでお読みいただきありがとうございました まる


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