隻眼の梟はダンジョンに降り立つ (グリル鍋)
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プロローグ
第1話「運命の分岐点」


 

 

 

 『神』とは得てして理不尽な存在である。

 

 一つ次元の違う、人知を超えた『超越存在(デウスデア)』。

 元より天界に住まい、下界の人類(こども)達を娯楽の対象として見下ろしていた彼らは、人間とは根本から思考回路が異なる。

 

 歳も取らず姿も変わらない彼らは、まさにこの世の理から外れている超越者。人類(こども)を愛し下界を尊重するが、時には赤ん坊の様な純粋さを以て災害を引き起こす。常識の範疇に全く当て嵌まらない超然とした存在なのである。

 人間が泣こうが喚こうが、神々はそれを単なるゲームの一場面として捉え、嘲笑を以て賑やかす。

 

 所詮全ては神が用意した、壮大にして滑稽な舞台に過ぎない。人類は頭上から糸を垂らされ、舞台裏で囁かれ、戯曲を書き換えられ、宿命を左右されてしまう。見えない神意に導かれてしまう。全ての背後には、神々が厳然と存在するのだ。

 

 

 

 ——ならば、()()も神が裏で糸を引くことによって定められた運命なのだろう。

 

 

 

 あるところに、一人の女がいた。

 この世に生まれ間違えた、一人の女がいた。

 彼女は世界を憎んでいた。

 彼女は歪なこの世を憂いていた。

 彼女は腐りきった運命に抗おうとした。

 

 彼女は——志半ばで力尽きた。

 とある青年に全てを託し、この世を去った。

 

 去った筈だった。

 

 きっと、神々は物足りなかったのだろう。

 彼女が辿る筈だった劇的な人生——()()()()手に汗を握り心が躍るような、数奇な運命の行く末を見守りたかったのだろう。

 だが、彼女は敢え無く途中退場してしまった。

 壮大な最期(ラスト)は無く、無味乾燥な結果に終わった。

 

 だから、神々は()()()()()()()()()()()()

 本来の戯曲に手を加え、あるべき運命を歪め、自らの神意の赴くままに物語の結末を操った。

 全ては『娯楽』のために、一人の女の宿命を左右したのだ。——これが『超越存在(デウスデア)』。彼ら神々にとってはとりとめのない日常なのである。

 

 ——そうして、彼女は再びこの世に降り立つ。

 神々に踊らされた一つの傀儡として、彼女は再び世界に抗う役目を担わされた。

 

 その神意に従うも従わないも、全ては彼女次第。

 これは、語り継がれることのない物語。

 密かに存在した、一つの神聖譚(オラトリア)

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 ——瞼が重い。

 最初に頭に思い浮かんだ言葉はそれだった。

 闇に沈んでいた意識が覚醒し、体が活動を再開し始める。自身の五感が働き、感覚を取り戻し始める。

 そのまま瞼を開けて視界を確認しようとするが、上手くいかない。眼球に隔てられた肉の扉ごときが重い筈もないが、何故か目を開けることができない。

 

 ならば手足を動かそうと試みるが——これも立ちゆかない。まるで鉛を取り付けられているかのように、手足が重たいのだ。そして同時に、微かに痙攣しているのを感じる。まるで死に際の昆虫のように、力無く震えている。

 

 何故、と疑問が浮かび上がる。

 そう言えば、呼吸も苦しい。いつものように深く息を吸い込むことができない。ヒュッという、自身の短く儚い呼吸音がかろうじて聞き取れる。虫の息という表現がまさに適切であるように思えた。

 

「——おい! あそこに誰かいるぞ!」

 

 誰かの声が聞こえた。

 声を聞き取るぐらいのことはできるらしい。

 耳鳴りが酷く、甚だしい耳閉感が今も自分を襲っているが、何とかかろうじて音を拾い上げた。

 

「おい、大丈夫か!!?」

 

 こちらに近づいて来る、複数の気配を感じる。

 バタバタと慌ただしく足音を踏み鳴らしながら、誰とも知れぬ者達が必死に呼びかけてくる。

 

「酷イ怪我ダ……!! 人間共ニヤラレタノカ……!? ダガ、マダカロウジテ息ガアルゾ!」

「ああ、分かってる! レイ、今すぐ皆を集めてくれ! 『隠れ里』に連れて帰って治療をしねーと!」

「分かりましタ!」

 

 何者かが己の身体を抱き寄せる。

 どうやら自分は誰かの太い両腕に抱きかかえられたらしい。死にかけの自分を慮る余裕が無いのか、随分と忙しない動きだった。

 

「グロスはフェルズを呼んでくれ! こんな深い怪我を直せる回復薬(ポーション)なんてオレっち達は持ってない! フェルズの魔法じゃないと無理だ!」

 

 騒がしい話し声。

 焦燥感に包まれた大きな声が、やけに耳の奥で響いている。だが、それも一瞬の間だけ。徐々に耳の機能は失われていき、彼等の声が薄れていく。

 

「くそっ……! 間に合ってくれよ……!!」

 

 一体何と言っているのか。こんな至近距離に居てもなお、やはり彼等の言葉は聞こえてこない。それほどまでに体力が失われているのか。腕はダラリと力無く垂れ下がり、段々と呼吸も止まっていく。

 

 先程意識が戻ったのも束の間、というやつだ。

 せっかく覚醒した五感も、全てが嘘のように失われていく。コップから零れ落ちるミルクのように、手で掬い上げることもままならない。まさに風前の灯火。いつ命が消えてもおかしくない。

 

 どうでもいいか——と、考えるのをやめる。

 どうやら思考力も消えていってるらしい。様々な疑問が頭に浮かんでいた気がしたが、それら全てを放り投げて意識の沈下に身を委ねる。

 目が開けられないのは、例えようのない強烈な睡魔があるからだ。体の部位一つとっても動かしたくないほど眠たい。瞼さえ開けない。

 

 このまま、ドロリと意識が溶け落ちて——。

 

 再び、闇に沈んだ。

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 とある青年がいた。

 名を″ササキハイセ″——否、″カネキケン″と言う。

 人間の身から喰種に堕ち、周囲の思惑に巻き込まれ続けた悲劇の青年。弱さを捨て、喰種としての本質を受け入れ、冷酷な強さを得た。

 

 そんな彼に自分は——エトは、全てを託した。

 己の半生をかけた悲願、喰種達の希望、世界の行く末、その他全てを″カネキケン″に託した。

 彼には自罰的で己を顧みない弱さがあるが、有馬貴将との戦いでそれを克服した。死人だった青年は死神を超えたのだ。恐らくは彼ならば、いびつの根源を破壊してくれるだろうと願って。

 

『世界は卵のようなもの』

『何かを生み出すには、目前の世界を破壊しなければねらない』

 

 確か、エトはそんな言葉を彼に言い放った。

 『卵は世界だ』とは、誰の言葉だったか。

 世界に抗うというのは、文字通り世界を破壊することだ。世界の均衡の天秤を水平に戻すために『歪んだ鳥籠』を壊す——そして、それには相応の力が必要なのだ。

 

 彼は有馬貴将を殺し、この世で最も力を持った喰種となった。玉座に座るべき新たな″隻眼の王″として、彼にはその資格が与えられた。充分な理由が与えられた。——全ての喰種達の希望を背負った。

 

『座すも壊すも君次第だ』

『やるか、やらないか、選べ』

 

 それは半ば一方的な押し付けだった。

 あの状況で彼が玉座に座らない選択肢は無い。強引に意見を通すエトに対し、彼は「乱暴」という言葉さえ使ったのだ。思わず苦笑が漏れてしまう。

 

 とにもかくにも、″カネキケン″が作り上げる新たな世界を——見守るとまではいかなくとも、地獄から見上げるぐらいのことはできるだろう。先立った先輩を安心させるために、青年にはぜひとも頑張って貰いたいものである。

 ……ついでにあの″薄ら笑いのピエロ(旧田 ニ福)″を殺しておいてくれるとありがたい。奴が地獄に落ちて来た時には大いに嗤ってやろう。

 

 エトはそう思った。

 そんな夢を見た。

 

 ——もうすぐ、夢は醒める。

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 ゆっくりと瞼を開ける。

 今度は別段重くなかった。元々肉の皮一枚動かす程度に苦心することは有り得ない筈だが。

 視界は霧がかかったようにボヤけている。どこからか発せられる光に照らされながら、徐々に視界が鮮明になっていく。

 

「ん…………」

 

 深く息を吐きながら、身体を起こした。

 自分の半身には、薄い掛け布団のような物がかかっている。いくつかの布で繋ぎ合わせているようだ。繋ぎ目は粗く、少々雑な作りではあるが。

 

 下半身には冷たく硬い感触が伝わってくる。フッと視線を下に落としてみると、目に入るのはゴツゴツとした岩肌。自分と地面の間には何も敷かれていない。どうやら自分は地べたに直接寝かされていたらしい。

 そういえば枕も無い。あるのは申し訳程度の薄い掛け布団のみ。物資に恵まれていない劣悪な環境なのか何なのか、とにかく異常な状況に感じる。

 

「…………?」

 

 ——イマイチ、頭が覚醒しきっていない。

 寝覚めが悪い。未だにうつろな意識のままだ。低血圧な人間は寝起きが悪いというが、自分はその類に含まれない筈。欠伸は出ない。眠気を引きずっている、というわけではないようだが。

 

 そんな事を考えながら、周りを見渡そうとする。

 そこで——はたと気づく。

 ()()()()()()()()に。

 

「……………………」

 

 自身の手や腕を視界に映す。

 傷一つない綺麗な肌。血の塊のようなものこそ付着しているが、痛む箇所は無い。本当に、傷が一つも無い。

 次に、パラリと下半身にかかっている布をめくる。

 足がある。これもまた傷一つなく、しかし多数の血が乾いた跡が見られる。

 改めて思い直す。呼吸もしやすいし、体も軽い。疲労も全くと言っていいほど感じない。

 

 こんなことは、おかしい。

 同時に強烈な疑問が湧いて出た。

 

 何故自分は五体満足でいるのか。あの旧田とかいうピエロ野郎にいいようにやられ、再生が追いつかないほど体にダメージを与えられた。両足は吹っ飛び、片方の羽赫ももがれていた。まさに虫の息だった筈だ。

 

「——ここは、どこだ?」

 

 あの後、自分は一体どうなったのか。あのまま死に果てると思っていたが、今自分は生きている。まさか、あの状況で何者かに命を繋がれたのか。

 

 急激に意識が覚醒し始める。

 目を大きく見開き、バッと周囲を見渡した。

 

 

 

『キュー!』

「…………兎?」

 

 側には、一匹の兎がいた。

 だぼだぼの青い衣服に身を包み、首には懐中時計を吊り下げている。赤色のつぶらな瞳がこちらを見つめており、目が合うと長い耳がピンと立ち上がる。

 

 ——()()()()()()()()()()()()()その兎は、まさしく小動物のような甲高い声で鳴いたかと思うと、シュバッと身を翻してどこかへ走り去って行った。

 その後ろ姿を、ポツンと目で追う。

 

「……兎が二本足で立ってる、だと」

 

 どこか気の抜けた呟きが口から漏れ出た。

 唖然とした表情を浮かべながら、先程まで兎が立っていた場所を見つめる。

 何だ今のは。何の冗談だ。

 夢か、夢なのか? 死に際に脳が見せた幻覚か?

 ギュッと頬を指先で摘み、力を込める。

 痛みはある——夢じゃない。

 

「……んんん?」

 

 盛大に眉を顰め、怪訝な表情を浮かべる。

 まだ頭が寝てるのだろうか。状況が理解できないまま、周囲をクルリと見渡す。

 

 場所は、まるで鍾乳洞のようなところ。

 どこかの洞窟の中なのか、いやに広い空間だ。辺りには懐中電灯のような見た目の光源が複数個置かれており、この空間内を淡く照らしている。

 特に目を引くのは——神秘的な光を放つ石英(クオーツ)の塊。エメラルドを連想させる濃緑の石英(クオーツ)がいたるところに置かれていた。

 それぞれの濃緑水晶がうっすらとした光を放つ光景は、どこか幻想的な情緒に包まれるほどの。

 

 思わず目を奪われる。

 思考を忘れ、視界に広がる風景に惹き付けられる。

 

 

 ——そんな時に、野太い声が響き渡った。

 

「おお! 目が覚めたか!」

 

 バタバタと慌ただしい足音が聞こえて来る。

 ボンヤリと聞き覚えのある声音に反応し、半ば反射的にそちらの方をバッと振り向いた。

 

「意識が戻って何よりだ、同胞!」

「リド、コイツハ目ガ覚メタバカリナンダ。モウ少シ静カニシロ」

「……言ってモ聞かないでしょウ」

 

 こちらに向かってやって来た、三体の()()

 二本足で立つ大きな人型の蜥蜴。人にあるまじき羽を有する、人の体をした美しい鳥。そして、まさしく石でできた体躯の竜らしき人型。

 蜥蜴人(リザードマン)と、歌人鳥(セイレーン)と、石竜(ガーゴイル)

 ファンタジー作品に登場するような、怪物の姿形を成している生き物達。喰種とはまた違う人外の存在。なおかつ人語を話しているという、強烈な違和感。

 

「…………あー」

 

 そして、彼等のそばには先程の兎が。

 自分が目覚めたことを彼等に知らせに行ったのか。

 己を見つめる四匹の怪物(モンスター)達に対し、それぞれ視線を投げかけて——脱力する。

 力無く口角を上げ、苦笑を浮かべる。

 

「……何じゃこりゃ」

 

 今度こそ()()は、自分の目を疑った。

 

 

 



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第2話「邂逅」

 

 

 

 

「——オレっち達が倒れてるお前を見つけたのは、『中層』のとある広間(ルーム)に辿り着いた時だ」

 

 大柄な蜥蜴人(リザードマン)はそう語る。

 頑丈そうな赤緋の鱗で覆われた肌に、爬虫類を思わせる雄黄の眼。口から覗かせている鋭い牙や爪は、生き物の命を容易く刈り取れるだろう。

 その体躯には胸甲(ブレストプレート)に手甲、腰具、肩当てや膝当てを装備している。怪物(モンスター)の見た目をしている反面、防具を付けるなどまるで人間のように理知的であった。

 

 彼のような存在を、ここでは異端児(ゼノス)と呼ぶ。

 ダンジョンに産まれ落ちたモンスターの本分である破壊や殺戮の衝動に支配されない、常軌を逸した怪物達。知性を有し、人間と何ら遜色ない意思と感情の総体——『心』を持っている特殊な存在。

 ダンジョン内にある『未開拓領域』を拠点とする彼等は、定期的に他の階層へ移動を行う。その際、自分達と同じく知性を宿したまま産まれ、右も左も分からない『同胞』を探して回る。ダンジョン内で産まれた異端児(ゼノス)を保護するのである。

 

 今日もいつものように異端児(ゼノス)達は『中層』の領域を移動し、同胞探しを行っていた。

 そんな時に、見つけたのである。

 石英(クオーツ)に囲まれたとある広間(ルーム)の奥に、傷だらけで倒れているエトの姿を。

 

「本当に焦ったぜ。なんせ両足はぶった斬られてるし、片方の羽ももがれてる。血だらけで息も絶え絶えだ。いくら魔石は壊されてないと言っても、こんな大怪我じゃ自己再生も追いつかねえ」

 

 フェルズが駆けつけてくれなかったらヤバかった——と、焦燥に満ちた心境を吐露する蜥蜴人(リザードマン)

 彼らは傷だらけのエトを出来るだけ早く近くの『隠れ里』に連れて行き、急遽駆けつけた″フェルズ″という人物が治療を施したのだった。彼の言う通り、少しでも治療が遅れれば命が無かったかもしれない。

 

 言いながら彼は胸に手を当て、深く溜息を吐いた。

 その仕草は本当に人間のように見える。姿形は怪物のそれでも所作の一つ一つは容姿とかけ離れており、見る者に強い違和感を抱かせる。

 ——そんな彼を、呆けた顔で見つめるエト。

 地面に寝そべっていた状態から上半身だけを起こし、掛け布団に両手を添えている。

 

「けど、安心してくれ『同胞』。ここにはお前を傷つける奴はいない。オレっち達はお前を歓迎するぜ」

 

 そう言って蜥蜴人(リザードマン)はニッと笑う。

 雄黄の双眸を弓なりに細め、牙を覗かせる大きな口角を緩やかに上げる。危険は無いと安心させるため、穏やかな口調で言葉を発している。

 牙や爪に、夥しい鱗、雄黄の両眼——その醜悪な相貌からは、およそ怪物の見た目に似つかわしくないほど柔らかな印象を感じた。

 

「オレっちはリド。こっちの歌人鳥(セイレーン)はレイで、石竜(ガーゴイル)はグロスって言うんだ」

 

 蜥蜴人(リザードマン)のリド。

 歌人鳥(セイレーン)のレイ。

 石竜(ガーゴイル)のグロス。

 それぞれ三人はエトに向き直り、顔を見合わせる。

 

「そんで、一角兎(アルミラージ)のアルルだ」

『キュッ!』

 

 リドの足下に立っていた小さな兎。

 言葉は話せないが理解はできるのか、名前を呼ばれたアルルは返事をするかのように鳴き声を発した。

 

「本当は他にも同胞はいるんだが、ひとまずはオレっち達だけで様子を見に来た。酷い怪我だったし、気が落ち着くまで無理をせずに………………って、どうした?」

 

 ——ポカンと口を開けて固まっているエト。

 目の前に広がる状況を受け入れきれず思考が固まってしまっているような、そんな様子。リドの話も碌に頭に入っておらず、呆けた表情を浮かべていた。

 そんなエトの反応をうけてリドは疑問を表す。何か様子がおかしいが一体どうしたのかと。

 

「————」

 

 エトは、何も話さない。

 若緑色の前髪から覗かせる大きな瞳が、眼前に立つ四体の人外の姿を捉えている。身体の隅々まで注意深く観察し、解せないこの状況を理解しようとしている。

 

「…………あー」

 

 やがて、エトはポツリと呟く。

 ピンと人差し指を立てて、リドの方を向いた。

 

「まず、というか…………一つだけ聞きたいことがあるんだけど、いいかな? そこの蜥蜴クン

「! お、おう、何でも聞いてくれ」

 

 予想とは裏腹に、流暢に言葉を話し始めたエトにリドは一瞬呆気にとられるが、気を取り直して大きく頷く。今の今まで無言であった同胞との会話を喜びつつ、ドンと胸を叩いて応えようとした。

 対するエトは、その眼差しに懐疑的なものを宿しながら話を続ける。

 

「——君らは、何なんだ?」

「……? それはどういう……」

「そのままの意味だよ。正直自分の目を疑ってる。着ぐるみやコスプレにはとても見えない。それとも、君らは『喰種』だったりするのかな? その鱗は赫子が変異した何かかい?」

 

 瞳に疑念を宿すリドに対して、エトは質疑を続けた。

 淀みなく言葉を話す彼女の表情は、先程までの呆気にとられた風のものではない。怪訝そうに眉を顰め、あり得ないものを見るかのようにリド達『異端児(ゼノス)』を見据えていた。

 

「……何を言ってるのかは分からねーけど、オレっち達が何かって——『怪物(モンスター)』に決まってるだろ?」

 

 少し困ったようにリドは答える。

 彼の反応は当然のものである。彼は喰種という言葉や生き物のことなんて知りもしない。コスプレ、などとオラリオに住まう神々のような言葉も知らない。エトの発する言葉は、ともすればリドにとって異星語のように聞こえた。

 

「……モンスター、ねぇ」

 

 そんな中、『怪物(モンスター)』という返答を受けたエトの表情は依然として芳しくなく、納得しているようには見えない。懐疑的な眼差しは更に強まり、リドの言葉や態度を注意深く吟味している様子であった。

 一体何の冗談なのかと、リドやその他の異端児(ゼノス)達、ひいてはこの状況に対して辟易とした感情を胸に募らせている。

 

 少しの間、どこか重苦しい沈黙が生じた。

 互いに互いを理解しかね、認識がすれ違う。

 まるで牽制をし合うかのように、リドもエトも口を閉ざしてしまう。

 ——そんな状況を見かねた『異端児(ゼノス)』が一人、おもむろに口を開いた。

 

「……リド、きっと彼女ハまだ頭ガ混乱しているノでしょウ。もう少し時間ヲ置いた方ガいいノかもしれませン」

「レイ……」

 

 透き通った玉音の声音。青色の双眸。金の翼を持つ歌人鳥(セイレーン)に、リドはハッと顔を振り向かせた。

 彼女の容姿は見目麗しい。くすんだ金の長髪は全ての毛先に青みがかかっている。『半人半鳥(ハーピィ)』と同じく両腕に当たる前肢は美しい金翼で、同色の羽毛に覆われる下半身は長い両足の先端に鳥の爪を有している。膨らみのある胸の上には女戦士(アマゾネス)が好むような戦闘衣(バトル・クロス)を纏っており、臍をはじめとした羽に覆われていない素肌が露出している。

 

 レイと呼ばれた金翼の歌人鳥(セイレーン)は、チラリとエトに視線を向ける。その青の瞳には『同胞』に向けられた気遣いや同情が感じられた。無残な姿になるまで傷を負わされた、『同胞』の心身を確かに案じていた。

 

「ダンジョンニ産まれタばかりなのカモしれませンし…………右モ左モ分からない状況デ、冒険者ヤ同族ニ襲われれば心ガ摩耗するのも無理ノないことでしょウ」

「……そうか、そうだよな」

 

 レイの言葉を噛み締めるようにリドは頷く。

 エトの懐疑的な態度や警戒心は、自分の身を襲った理不尽により心身が疲弊してしまった事に原因があると。

 

 

「——私もレイの意見に賛成だ」

「! フェルズ……!」

 

 ふとして、広間(ルーム)の出入り口から響いてきた中性的な声音に、リドを含めた異端児(ゼノス)達は一斉にそちらの方を振り向いた。

 新たに現れたのは、黒ずくめのローブを全身に纏った謎の人物。闇で塞がったフードの中身は何も見通せず、両手には複雑な紋様の手袋をはめている。肌の露出が一切存在しない。本当に人間なのかと疑ってしまうような、言葉にできない存在感がある。

 性別もわからない黒衣の人物に、エトは警戒心を強めるように双眸を細めた。

 

「まずは、無事に目覚めたようで何よりだ。もし治療が間に合わずに君を死なせてしまっていたら、彼ら『異端児(ゼノス)』達が悲しむだろうからね」

 

 歩み出てきた黒衣の人物——フェルズは、そう言いながらリド達の隣に並んで足を止めた。

 

「私はフェルズと言う。こんな怪しい見た目をしているが、決して君の敵ではないという事を言っておく。警戒を解いてくれると助かるよ」

「…………蜥蜴クン達の親玉かい?」

「生憎そのような関係性ではない。そうだな……『地上』と『異端児(ゼノス)』の橋渡し役、とでも言っておこうか」

 

 『地上』——その言葉にピクリと反応するエト。

 黒衣の奥に隠された視線は、その微弱な反応を目敏く見据えていた。

 

「リド、少しいいかな」

「ん、何だ?」

「彼女と少し話がしたい。出来れば二人でだ。暫く席を外して貰いたいんだが、頼めるか?」

「? 別に構わないけどよ……何の話をするんだ?」

「なに、傷心の女性を労るだけさ。心配はいらない」

 

 フェルズの申し出に、リドは心なしか気遣わしげな表情でエトを見やる。思いやりの感情からくるリドの憂いを失くそうと、穏やかな声音でフェルズが言った。

 

「……分かった。レイ、グロス、アルル、オレっち達は先に行こう」

 

 リドは静かに頷き、隣の異端児(ゼノス)達に呼びかける。歌人鳥(セイレーン)石竜(ガーゴイル)が付いていく中、一角兎(アルミラージ)のアルルは最後までエトの方を心配そうに見つめていた。

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

「アノ同胞、妙ナ『目』ヲシテイタナ」

 

 最初に口を開いたのは石竜(ガーゴイル)のグロスだった。

 フェルズに言われた通りあの場から離れ、他の異端児(ゼノス)達が待機している『里』の広間(ルーム)へ向かう道中——点々と生えた石英(クオーツ)に囲まれた通路を歩いている最中のことだ。

 

「『目』って、どういうことだよグロス?」

「言葉ノ通リダ。……昏イ目ヲシテイタ。瀕死ノ状態カラ助カッテモナオ、アノ同胞の瞳ニハ光ガ宿ッテイナカッタ」

 

 先程の光景を思い返すようにグロスは語る。

 彼自身、同族や冒険者に襲われ無残に殺された同胞達は数多く見てきた。自分の身に襲いかかる理不尽に絶望しながら絶命した同胞達を見て、彼は何度も拳を握りしめ憤慨したことか。

 だが、エトの『目』は今までの経験を凌駕していた。死の淵から助かってもなお彼女は『死人の目』だった。

 

「それは……レイが言ってた通りなんじゃないのか? 酷い怪我を負わされて、まだ精神が不安定なんだって」

「ソウ、ダトハ思ウンダガ……何故カ気ニカカッタ」

 

 リドの言葉に頷きはするグロスだが、依然として心に引っかかりを覚えている様子。彼とて数年前に知性を持って産まれたばかりで、相手の本質を見通す洞察力なんてものは持ち合わせていない。自身の胸に残る気がかりの正体は、今は気づけなかった。

 

「ソレニ、随分ト人間ニ近イ姿ダッタ。イクラ異端児(ゼノス)ト言ッテモ、アレホド人型ニ似セタ体ヲ持ツノハ普通アリ得ナイ。一体何ナンダアレハ……」

「確かに、一見するト人間にしか見えないくらいでしたネ。爪の無い手に小さな口、綺麗な肌……少し羨ましいト思ってしまう程ニ綺麗でしタ」

『キュッ!』

 

 モンスターとは思えない程人間に近い姿を持つエトに対し、グロスが疑問を呈する。隣のレイは、エトの醜くない綺麗な体躯に羨望の念を覚え、それに同調するようにアルルが鳴き声を発した。

 

「ヒョットスルト、我々ハ同胞(モンスター)デハナク人間ヲ助ケタノデハナイカ?」

「馬鹿を言うなよグロス。オレっち達がアイツを見つけた時、アイツの体には同胞(モンスター)の特徴がバッチリとあった筈だ」

 

 『中層』のとある広間(ルーム)でリド達がエトを発見した時。

 まず、無残に切断されていたエトの右脚には赫子で作られた鱗のようなものに覆われており、片方の肩からは力無くしなだれた羽赫の赫子が見られた。そして何と言っても右目に発現していた赫眼こそが、怪物(モンスター)である最大の特徴と言っても過言ではない。

 人間とはかけ離れた見た目、そしてあの傷でもリド達が駆けつけるまで息があった生命力——エトがリド達と同じ怪物(モンスター)であることは、疑いの余地もないだろう。

 

「……言ッテミタダケダ。ソウ本気ニ捉エルナ」

「怖い冗談を言うんじゃねえよ。……でも、見た目が人間に近すぎるってのはオレっちも同感だ。あんな異端児(ゼノス)は見たことがねえ。一体何のモンスターなんだろうな?」

「私達ガまだ知り得ない、『深層』ニ生息するモンスターかもしれませン」

「『深層』のモンスターが『中層』に……? 同族か冒険者に追いかけられて、逃げてきたってことか?」

 

 レイやリドがうんうんと頭を悩ませるが、考えても答えは出てこない。正体が分からない『同胞』によって、リド達は少しばかり落ち着きを無くしていたのだった。

 

「——まあ、とにかくだ。今はフェルズがアイツと話をしてる。ひとまずは任せておこうぜ」

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

「私の傷が完全に治っているのは……一体どんな手品を使ったんだい?」

 

 両足を覆う掛け布団をペラリとめくり、自身の傷一つ無い白い素足を見やるエト。他にも無傷な箇所を確認し、半ば呆れたような表情でそう言った。

 完全に喰種の回復力を超えている。彼女自身の優れた再生力でさえ意味を成さない筈の重傷だったのだ。

 

万能薬(エリクサー)と同じ、いわゆる全癒魔法というやつだ。私の魔法でね。どれだけ疲労や負傷をしていても、全快にまで回復させることができる」

「……ほぉ〜〜、回復魔法とな。つまりはベホマズンかな

 

 フェルズの平然とした回答を受け、エトはフッと口元を綻ばせた。微笑みではない。無理やり茶化したような、ともすれば状況の理解の諦めからくる諦観の境地である。

 

「私が異端児(ゼノス)達から連絡を受けたのは数時間前のことだ。『中層』で瀕死の同胞(ゼノス)を発見した、とね」

 

 そう言いながらフェルズは手を懐に入れる。そこから取り出されたのは、小さな黄色の水晶玉だ。

 

「だが、その連絡を受ける直前にも——ウラノスから『ダンジョンに妙な存在が紛れ込んだ』と話を聞かされていたんだ。最初は意味が分からなかったが、今君の姿を見てようやく理解ができた」

 

 得心がいったようにフェルズはそう語る。思い起こされるのは数時間前の出来事だ。

 ギルド本部地下にある『祈祷の間』。

 中央の神座に君臨するウラノスが——決して腰を上げることのない不動の老神が突然立ち上がり、ダンジョンの異変を告げたのだ。

 

『ダンジョンに、妙な存在が紛れ込んだ』

『! ウラノス、一体どうしたんだ?』

『これは…………いや、何だ……? 何者だ……? ダンジョンに、いや——この世界に存在し得るものなのか……?』

 

「——あの時の、あんなウラノスの顔は初めて見た」

 

 黒衣の奥からひび割れたような声音を発する。

 エトの存在を感知したウラノスは、疑念や懸念が混ざり合わさった複雑な面持ちであった。いつの日も凝然と神座に腰かけていた老神が、その冷静な表情を崩したのだ。

 

「……まあ、こう言っても君には伝わらないか。私が何を言っているのかも理解できないだろう——異界の者よ」

「………………」

 

 異界の者、と含みを込めた語調で告げるフェルズ。

 そう言われた当事者であるエトは、口を噤んだまま眼前に立つ黒衣の人物を見据える。

 

「君は、何者なんだ?」

 

 そうして改めて、質問を投げかける。

 リド達とは違い、フェルズは明らかにエトを『自分達とは異なる存在』として認識していた。突如として舞い降りてきた『異常事態(イレギュラー)』として、冷静な声音と共に確かな警戒心を覗かせながら。

 

「…………私は」

 

 静謐な面持ちのまま、エトは口を開く。

 僅かな間も置かずに。

 自身の右目を片手で覆い、前に向き直る。

 

「私は、喰種(グール)だ」

 

 赫々とした赤と黒の色に変色した隻眼を剥き出しにし、目の前のフェルズに言い放った。

 

「——彼ら(リド達)と同じ、怪物(バケモノ)だよ」

 

 

 



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第3話「不相応な温もり」

 

 

 

 

「——私は本来死ぬ筈だった」

 

 ふと上を仰ぎ見て呟くエト。

 『異端児(ゼノス)の隠れ里』の一角である広間(ルーム)の天井には、無機質な黒岩の光景が広がっている。魔石灯や石英(クオーツ)の明かりは届かず、天井部一帯が薄闇に包まれていた。

 

「ところが、私は今こうして生きている。何故か異なる世界に降り立ったことで。運が良いのか悪いのか……

「……恐らくは神の仕業だろう。考えても仕方のないこと、理解が及ばない領域だ。天災に巻き込まれたと諦めた方がいい」

 

 おどけた風に苦笑を浮かべるエトに対し、フェルズは溜息を吐きながら疲れ切った声音で答えた。

 神の御業(みわざ)

 『超越存在(デウスデア)』による気まぐれ。

 下界に蔓延る人類(こども達)を見下ろしていた天上の住人により、エトの運命はいたずらに歪められた。下界の理を超越した神々の手にかかれば、人一人の宿命を左右することなど造作もないことなのだ。

 

 神が為すことの理不尽さを誰よりも知っている賢者(フェルズ)は、嘆息混じりにエトを慮る。新たに生まれた神々の被害者の一人として、フェルズの胸には同情の気持ちが芽生えていた。

 

「目を覚ましてみれば、怪物(モンスター)だの魔法だの……まるで悪い夢を見ているかのようだった。死んでもなお世界は『喰種』に手酷い仕打ちを与えるのか、と」

 

 自嘲を混じえながらエトはそう言う。

 そんな彼女の言葉の中で、ある一つの点にフェルズはピクリと反応した。黒衣をはためかせ、慎重な声音で再度エトに向き直る。

 

「……その、『喰種』というのは? 君の種族の名前か何かなのか?」

 

 先程エトが見せた、()()()()()

 ビキビキと目の周りに血管が浮かび上がり、赫々とした瞳を曝け出していた。常人がそれを目の当たりにすれば、生理的嫌悪や本能的恐怖を引き起こすだろう。

 リド達とは違い人間の見た目をしていたエトの、人外の部分。人ならざる怪物の側面であった。

 

「君が元いた世界にも、怪物(モンスター)が居たのか?」

「ハハ、怪物(モンスター)か……いや、似たようなものかね。人間側からすれば、私達喰種も立派な怪物(モンスター)に部類するのか」

 

 そう言ってエトは、フェルズに視線を向ける。

 ()()()鋭く攻撃的な眼差しを向ける。自分が人類に仇なす存在であると、目の前の人物に知らしめる。

 

「——人を喰らう生き物だよ。人を喰らうことでしか生きられない欠陥品……この世に生まれ間違えた、孤独な存在だ。笑えるだろう?

「…………笑えないさ」

 

 自嘲的に語りかけるエトとは対照的に、フェルズは重苦しい語調でそう答えた。

 ——愚者(フェルズ)は知っている。

 地上に出たい。人間達と手を取り合いたい。

 そんな、純粋かつ強烈な憧憬を抱いている|()()()()()()()()()()()彼ら(リド達)が一番》》彼ら(リド達)が一番》》、自分達が怪物(モンスター)であることに悲痛さを覚えていることを。

 人からも同族からも嫌われる自分達に対し、諦めにも似た悲嘆に暮れていることを。

 知っているが故に、フェルズはエトを取り巻く境遇を決して笑えなかった。

 

「……君は、これからどうするんだ?」

()()()()()、だって?」

 

 そう問いかけてきたフェルズの顔をエトは覗き込む。口元を緩め、しかし儚い眼差しを向けて。

 

()()()()()()()なんて、それを一番望んでいないのは君なんじゃないのかい?」

「…………そんなことは」

「警戒心はもっと上手く隠した方がいい。私という存在に対して懸念を抱いているのが丸分かりだ。ま、無理もないがネ

 

 エトの言う通り——フェルズは懸念を抱いている。

 突如として迷宮に降り立った異界の存在。

 ウラノスでさえ見通せない『異常事態(イレギュラー)』。

 来る筈ではなかった一人の異邦人により、オラリオの秩序に影響が及ぶことを不安視しているのだ。長い年月の間、ダンジョンや都市の大勢が誤った方向へ向かわぬよう目を光らせてきた賢者として、当然の考えではあるのだが。

 

 エトに図星を突かれる形になったフェルズは、何も返すことができずに口を噤んでしまう。

 

「——ハハ、困らせたかな。だが安心してくれ、君の考えは何一つ間違っちゃいないんだから」

 

 そんなフェルズの反応を見かねたエトは、語調を冗談めかして笑い飛ばす。賢者として『異常事態(イレギュラー)』を見過ごせないフェルズの判断を、当然の事であると本人自身が認める。

 

「世界から排斥されるなんて、今に始まったことじゃない。慣れているさ」

「……君は」

「おっと、哀れみなんてよしてくれよ? ……今は″うら悲しい″も″腹立たしい″もない」

 

 フッと目線をフェルズから外し、虚空を見つめながらエトは自身の心情を語る。

 

「——ただただ困惑している。……()()()()()、なんてものは存在しないよ。…………」

 

 すまないね——と、か細い声で呟くエト。

 そう言う彼女の瞳からは覇気を感じなかった。重々しく開かれた瞼に、諦念に満ちた声音。この世に何の未練も無いかのように、くたびれた様相を晒していた。

 

 エトは一度、確かに死んだ身。

 生きる存在理由であった悲願、野望を他者に託し、全てを悟って死を受け入れた。

 ——己を繋ぎ止めていた鎖は、もう無い。

 彼女はどうしようもなく、ただ死を待つのみだった。

 

「……『カラッポ』だ。今更生を与えられようが、足掻く気力すら湧かない」

「————」

 

 力無く呟くエト。

 そんな彼女の姿を見たフェルズの胸には、一体どういう想いがよぎっただろうか。

 

 『賢者の石』を憎き主神に砕かれた後妄執に取り付かれ、不死の秘法を編み出したいつかの愚者(じぶん)。全身の肉や皮が腐り落ち、心身共に生きる亡霊となった賢者の成れの果て。ウラノスに拾われるまで、まさに死んだように生きていたフェルズ。

 そして、生きる理由を失ったエト。残酷にも神に己の運命を歪められ、文字通り抜け殻と成り果てた彼女。

 

 似ていた。ともすれば同じだった。

 彼女の瞳——気力や生気が宿っていない死人の目。

 今や肉体を失い、涙を流す瞳さえ持たないフェルズではあるが、彼にも″心″は存在する。数百年前の自分の心は確かに死んでいたのだ。

 ならば、彼と彼女の一体何が違うものか。

 

「……君の」

「……?」

「君の名前を、聞かせて欲しい」

 

 フェルズは名前を尋ねる。

 『賢者(フェルズ)』は彼女に歩み寄る。

 『異常事態(イレギュラー)』——未知なる存在として警戒していた心は、徐々に霧散していく。

 エトに対してシンパシーを感じたフェルズは、目の前の抜け殻と成り果てた孤独な人物に手を差し伸べるのだ。かつて『異端児(ゼノス)』に手を差し伸べたように。

 

 ——その選択は、ともすれば大いに()()で。

 『愚者(フェルズ)』は、判断を違えた。

 

「…………エト」

 

 そんな『愚者(フェルズ)』の姿を、彼女は眩しそうに見上げて答える。こちらに歩み寄ってくる黒衣の魔術士(メイガス)に対し、冷笑にも似た微笑を浮かべた。

 

「エト、ここは『ダンジョン』だ」

「……ダンジョン?」

「ああ。君が今いる場所は、血肉を貪る凶暴な怪物(モンスター)達が大量に蔓延る地下迷宮だ」

 

 そう言うと、続け様にフェルズは上を指さす。

 

「そしてダンジョンの真上には『迷宮都市(オラリオ)』がある。数多の神々や屈強な眷属達が揃っている、まさしく世界の中心だ」

 

 ——迷宮都市(オラリオ)には何でもある。

 世界の誰かはそう言った。

 富や名声、そして『未知』が眠る魅惑の地。

 欲や『未知』に取り付かれた冒険者達や、娯楽を追い求める神々が集うこの世の中心。

 多くの者達の運命が、この場所で交錯するのだ。

 

「——生き飽きるのに事足り無い、賑やかな場所さ」

 

 フェルズは語る。

 この都市で紡がれてきた歴史を、神聖譚(オラトリア)を。

 それは、オラリオを取り巻く世界の情勢全て。耳にした者達が各々の憧憬を胸に抱き、オラリオに集うような眩い英雄譚。人類(子供達)の胸を等しく躍らせる物語を。

 孤独な異邦人に、彼は語り明かした。

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

『リド達には、君のことに関しては深く伝えないでおくつもりだ。君もそうしてくれ。彼らに余計な混乱を与えたくないからね』

 

 エトは、少し前の会話を思い返す。

 濃緑の石英(クオーツ)に囲まれた通路を歩きながら。

 向かう先はリド達『異端児(ゼノス)』が待機している広間(ルーム)。リドやレイの他にも理知を備えるモンスターが何体か保護されているらしい。

 

『君は——この世界で言うところの、異端児(ゼノス)に類する立場にあるのだろう。人間や凶悪なモンスターとも違う、極めて特殊な存在だ』

 

 フェルズはエトを『異端児(ゼノス)』であると分類した。

 ダンジョンに産まれ落ちた新たな『同胞』として、リド達が織り成す共同体に加えられる事になった。

 

「(まあ、考えてみれば当然の話か)」

 

 顎に手を添えてエトは思考する。

 自分を異端児(ゼノス)の一員としたフェルズの計らい。懸念要素であるエトという存在を管理しやすくするために、リド達に自分を監視をさせる目的か。

 結局のところ、あの黒衣の魔術士(メイガス)はエトに歩み寄る姿勢を見せておきながら、依然としてエトのことを信用しきってはいないのだ。

 

 ——と、エトは推察する。

 言うまでもない事だが、彼女はフェルズを信用していない。先程の話では、彼は数百年の時を生きてきたと言う。そんな『賢者』がエトのような不安要素に対して、簡単に心を開く筈がないと考えている。

 

 多少の歩み寄りはあったと言えども、唯一エトの素性を知るフェルズが彼女の存在を不安視しないわけがないのだ。どうあっても彼女は、突然ダンジョンに舞い降りた一つの『異常事態(イレギュラー)』に過ぎないのだから。

 

 それに——エトの素性を知る者と言えば、フェルズの他にもう一人いる。

 

『私はウラノスに君のことを報告しに行く。直ぐに立ち去る無礼を許してくれ。今、我々ギルドには落ち着く時間が残されていないんだ』

 

 そう言ってフェルズは迷宮から去っていった。

 彼が仕える主人の元へ向かったのだ。

 オラリオの創設神であり、ギルドの真の王。

 ダンジョンを管理する、ウラノスという大神に。

 

 フェルズから()()()()()()——神々と眷属の関係やオラリオの情勢を聞いたおかげで、自身を取り巻く環境は大体把握できた。

 ウラノスこそが、フェルズ以上に信用できない者であることは確かだろう。

 

「(それにしても……ダンジョンだのモンスターだの、とんだ世界に来ちまったもんだ。ファンタジーものはあまり好かんのだが)」

 

 エトは大きな溜息を吐く。

 ふざけたピエロ野郎に重傷を負わされ、自分の悪運もここまでかと完全に諦めていた。

 それが——神による介入?

 超越存在(デウスデア)に運命を歪められた?

 反吐が出るほどの嫌悪感が、彼女を襲う。

 

 エトは、支配されることを激しく嫌う。

 自身の生き死にを管理されることを極端に憎む。

 故に、世界を自分の所有物だと勘違いしている連中を相手に、エトは人生を懸けて戦ってきた。

 いつだってエトは()()()()()()()()()

 

 そもそも、彼女にこの世界を生きる理由はない。

 神々の悪ふざけに付き合う義理はないのだ。

 

「(……けれど、命を救われたのは事実。蜥蜴クン達に義理立てしないわけにもいかないか。……)」

 

 せめて迷惑はかけないようにしよう、と思い直す。

 フェルズに言った通り、今更生を与えられたところで()()()()するつもりはない。彼ら(ゼノス達)が今まで築き上げてきたものを崩す理由はないのだ。

 

 

 

 ——そう考えていた最中に、目的地に到着する。

 リド達を含めた異端児(ゼノス)達が待機している、『隠れ里』の広間(ルーム)の一角。魔石灯や石英(クオーツ)が照らす淡い光に包まれた広い洞窟だ。

 

 広間(ルーム)の入り口を通り抜けたエトの視界に入ってきたのは、多数のモンスター達の姿。

 半人半鳥(ハーピィ)赤帽子(レッドキャップ)に、半人半蛇(ラミア)人蜘蛛(アラクネ)。他にも様々な種類のモンスターが存在しており、その総数は二十体ほど。

 あれらは全て『異端児(ゼノス)』であり、獰猛な殺意と醜悪な様相で人を襲うモンスターではない。

 そう分かってはいるのだが、彼らの姿を目の当たりにしたエトは、ふと目を細める。

 

「……慣れんなーやっぱ」

 

 すると、エトの姿に数体の異端児(ゼノス)が気づいた。

 その内の一体はリドだ。蜥蜴人(リザードマン)の大きな体躯を揺らしながら、こちらに駆け寄ってくる。

 

「! もう歩き回って大丈夫なのか、安心したぜ! フェルズとの話は終わったのか?」

「ああ、こうやって歩き回れるくらいには落ち着いたよ。いらん心配をかけて悪かった。彼はウラノスの所へ戻ると言ってたかな」

 

 話し声を聞きつけ、他の異端児(ゼノス)達も集まってくる。

 

「わあ……! リド達の言う通り、本当に人間にしか見えないですね……!」

「モンスターとは思えないほどお綺麗な方だ……」

 

 半人半鳥(ハーピィ)赤帽子(レッドキャップ)と、続々と駆け寄ってくる異端児(ゼノス)達に囲まれるエトは、苦笑いを抑えながら彼らに応える。

 見たことも聞いたこともない空想の怪物達。

 いくらフェルズと話してこの世界の事を把握したとはいえ、『怪物(モンスター)』との邂逅はやはり神経が削がれる。気が弱ければ卒倒してしまうくらいに。

 

「——落ち着いたようデ何よりです」

「! 君は……確かレイだったか?」

 

 そんな中、金翼の歌人鳥(セイレーン)が近寄ってくる。

 先程は状況が状況なだけに言葉さえ交わせなかったが、比較的マシな面持ちで現れたエトを見たレイは、ホッとしたように頬を緩めていた。

 

「まずは改めて——初めましテ、新たな『同胞』。ここで貴方ヲ虐げる者ハいませン。私達ハ貴方ヲ歓迎します」

 

 穏やかに細められる青色の双眸。

 その瞳に込められているのは、レイが持つ確かな暖かさ。傷付き冷えた同胞を温め癒すように、彼女は自身の羽根の手を差し出した。

 

「名前ヲ聞かせてもらっても、いいですカ?」

「…………ああ、私はエトだ。気軽に呼んでくれ」

 

 姓は名乗らない。名乗る必要もない。

 先程黒衣の魔術士(メイガス)に伝えたように、エトは自身の名である二文字を短く答えた。

 

 やがて、全ての異端児(ゼノス)達がエトのもとへ集まる。

 新たな『同胞』の誕生を歓迎するように、皆が柔らかな物腰でエトと挨拶を交わしていく。ここにやってきた以上、自分達を脅かす存在は何も無いのだと安心させるように、彼らは朗らかな笑みでエトを迎え入れた。

 

 喰種にも優しい温かな環境。

 なるほど別世界であると、エトは確信した。

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

「フェルズから君達…………あぁいや、私達のことについて話を聞いたよ」

 

 ひとしきり異端児(ゼノス)達と挨拶を交わした後。

 エトは彼ら集団から少し離れた場所に移動し、黒い岩盤に腰を下ろしていた。

 

「理知を備えるモンスター。前世から抱き続けている、地上や人間への強烈な憧憬。ダンジョンに突如として産まれた甚だしい『異常事態(イレギュラー)』。——それが私達『異端児(ゼノス)』であると」

 

 隣に座るのはリドだ。

 大きく頑強な体躯を器用に丸めて座る姿は、醜悪な怪物の様相からかけ離れていて、どこか可笑しくもある。並んで座ると二人の体格差が如実に表れていた。

 

「ああ、オレっち達は『異端児(ゼノス)』って言うんだ。皆、共通の目的のもとで一緒に行動してる『同胞』だよ」

 

 楽しげに談笑している異端児(ゼノス)達の姿。

 ほのぼのとした光景が視線の先で広がっている中、それを微笑ましそうに見つめながらリドは言う。

 

「前世、なんて概念が存在するのは驚きだね。もはや何を見せられても聞かされても驚く気は無かったケド」

「まあ、言うほどハッキリ覚えてるわけじゃないんだけどな。前世の記憶と言うよりかは『夢』ぐらいの感覚だ。エトも似たような感覚がある筈だぜ?」

 

 ″夢″——当然、エトにはそんなものは無い。

 ダンジョンから地上に出た際に見る夕日の景色も、人類への羨望や憧れも、彼女は持たない。彼女は異端児(ゼノス)でもなければ純心な喰種でもないのだ。

 だが、それらを口には出さずにエトは鷹揚に頷く。

 

「エトは異端児(ゼノス)の中でも特に人語を喋るのが上手いみたいだしよ……オレっち達以上に『夢』の影響が強く出てるんだと思うぜ」

「まあ……そんなもんかね」

「おう、そんなもんだよ。お前は前に人のことをよく見てたってことさ」

 

 確かに人の観察はよくしていた方か、とエトは心の中で得心する。作家としてあらゆる状況でネタを探さなければならない以上、取材という名の人物分析は常日頃から行っていた事ではある。

 

 ——それにしても、とエトは思う。

 怪物(モンスター)の身でありながら、よく彼らはここまで地上や人類に憧憬を抱くことができたものだ。

 彼らがいくら歩み寄ったところで、待ち受けているのは世界からの迫害に他ならないだろうに。

 自分達喰種と同じ、人類を脅かす存在として生み出されたにも関わらず、いつか夢が叶う日が来ると信じている。ダンジョンでその日をずっと待ち続けている。

 なんと健気で、滑稽なことか。

 

「(私にゃあ真似できんなぁ……)

 

 他の異端児(ゼノス)達が気ままに過ごしている光景を、どこか遠い目をしながらエトは見つめる。

 ——そんな中。

 チラリと、一体の異端児(ゼノス)と目が合った。

 

「——エト! 私ともお話しをしましょう!」

 

 バサリと翼を羽ばたかせ、エトの所へ元気よく向かってくる半人半鳥(ハーピィ)異端児(ゼノス)

 彼女の名前はフィア。肩まで伸びた臙脂色の髪に大きな翼が特徴的で、彼女の下半身を覆う柔らかな羽毛にも目がいく。その瞳はモンスターと思えないほど穏やかな気性を感じさせる。

 

ムニャッ

「見れば見るほど、人間みたいに綺麗な体ですね……! 爪も鱗も無いし、柔らかい肌……!」

 

 翼の腕を器用に折り曲げ、エトの両頬に触れるフィア。モンスターの面影が一切ない柔らかな肌の感触に、フィアはその双眸を輝かせた。

 その唐突なスキンシップにもエトは特に抵抗をせず、グニグニと頬をまさぐられ続ける。まるでペットにじゃれつかれてるみたいだと、エトは心の中で苦笑いを浮かべた。

 

「本当に、エトは何のモンスターなんですか? ここまで人間の姿に近いのは珍しいですよ」

「うんにゃ、それは私にもよく分からん」

「オレっちもお前みたいな同胞は初めて見たぜ。フェルズからは何も聞いてないのか?」

 

 リドの問いかけに首を振るエト。

 喰種のような生き物は当然ダンジョンには存在しない。恐らくは何らかの新種のモンスターとして、曖昧に片付けられる事になるのだろう。

 

「つーか、フィアちゃんや。元気過ぎないかキミは。ほっぺたが真っ赤になっちまわい ムニムニ

「仕方ないじゃないですか。新鮮な感触で、触り心地が良すぎるのが悪いんですよっ」

「フィアはここの誰よりも好奇心旺盛だからなぁ。興味を持たれて当然だと思うぜ」

 

 子供のような無邪気な瞳でエトの頬の感触を楽しんでいるフィア。彼女達の仲睦まじい光景を見て、リドは愉快そうに笑みを浮かべる。

 

 やがてこの状況に痺れを切らしたエトが、やり返しだと言わんばかりにフィアの慎ましやかな胸をガッと掴んだ。それにフィアは思わず「ひゃっ!?」と甲高い声を上げ、顔を赤くしながら両翼でシュバッと胸を隠す。

 したり顔で謝るエトに対して、フィアは恥じらいつつもう一度エトの体にじゃれつきに行った。その間、少女達のやり取りに対し、リドは若干気まずそうな顔で目を逸らしていたと言う。

 

 

「——そう言えば、フェルズはこうも話してたな」

 

 エトの体にしがみ付こうとするフィアの頭を手で抑えながら、リドの方に顔を向ける。

 

異端児(ゼノス)の普段の活動についてだ。食料の調達や万が一の襲撃に備え、定期的に場所を変えているんだろう?」

 

 彼ら異端児(ゼノス)は拠点を一箇所に絞らない。

 未開拓領域——未だ冒険者達に見つかっていない安全階層(セーフティポイント)のことを彼らは『隠れ里』と呼び、ダンジョン内にいくつか存在する『里』を転々と移動している。

 移動範囲は中層域から深層域。それに伴い、食料などの調達の他に『同胞』探しを行なっているのだ。

 

「おう、その通りだ。そもそもオレっち達が倒れてるお前を見つけた時も、次の『里』を目指して移動してる途中だったしな」

「となると……拠点の移動は終わったのかい?」

「いや——まだだ。次の『里』までにはまだ距離があったし、瀕死のエトを連れていくのは難しかったからな。元いた『里』まで引き返したんだ」

 

 ほう、とエトは息を吐く。

 自分の存在が異端児(ゼノス)達の行程を邪魔してしまったことに心苦しさを感じるが、ともあれ『里』の移動は終わっていないらしい。

 

「本当は日を改めてから移動するつもりだったんだがよ……フェルズのおかげで思ったよりエトの容態が良いみたいだし——今なら問題ないよな!」

 

 そう言ってリドはゆっくりと立ち上がった。

 エトに体を抑えられ、むくれ顔をしているフィアの肩をトンと叩いて話しかける。

 

「……? なんですか、リド」

「エトに構ってもらうのはしばらくお預けだ。皆に呼びかけてくれ。そろそろ出発するぞってな」

「あれ、もう行くんですか?」

「これ以上ここに留まっても仕方ないだろうしな。それに、予定の時間より結構遅くなっちまった」

 

「(……お……? 移動を再開するのか。異端児(ゼノス)のリーダーは行動が早いことだ)」

 

 リドに言い付けられ、渋々エトの体から離れるフィア。しかし直ぐに半人半鳥(ハーピィ)の翼を羽ばたかせ、バサリと他の異端児(ゼノス)達の所へ向かって行った。

 皆を統率する蜥蜴人(リザードマン)は、その黄色の双眸を隣のエトに向けて口を開く。

 

「一応確認するけどよ、体はもう大丈夫だよな?」

「ああ。フェルズの魔法のおかげで、あの時の傷や疲労が嘘みたいだよ」

「——よし!」

 

 エトの返答を受けてリドは力強く頷く。

 広間(ルーム)の中央に集まっている異端児(ゼノス)達の所へ向かうリドの後ろ姿を見届け、エトもゆっくりと腰を上げた。

 

「(階層の移動……ダンジョンの探索か。……)」

 

 ダンジョン。

 数多の凶暴な異形達が蔓延る迷宮の地。

 古代より人類はこの地下迷宮に潜り、獰猛なモンスター達と何度も戦ってきた。夥しい量の傷や血を流し、無惨にも命を奪われ続けてきた。

 覚悟を持たない者は生き残れない。

 ここはそういう場所だ。

 命のやり取りが日常の光景なのだ。

 

 かつて喰種やCCGの連中との戦いで何度も血を流し、他者の命を摘み続けてきたエト。

 悲願を託して命を落とし、それでもなお再び生を受けたエトに待ち受けていたのは——やはり血に塗れた昏い世界であった。どうしようもなく、世界は喰種に″奪い合う″ことを求めている。

 

「——はてさて、高みの見物と決め込もうか」

 

 隻眼の喰種による、人生初のダンジョン探索。

 誰にも聞かれないよう小さな声で、エトは乾いた笑みを浮かべた。

 

 



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第4話「里の移動」

 

 

 

 

「エト、『里』カラ出ル場合ハ()()ヲ着ロ」

 

 拠点の移動の準備をしている最中。

 リド達が武器や防具等の装備を整えている間、別段することも無く立ち尽くしていたエトのもとに、石竜(ガーゴイル)のグロスが話しかけてきた。

 彼の片手には一着の黒い外套がある。

 エトの体より僅かに大きい漆黒のローブ。体に纏えばスッポリと体が隠れるだろう。

 

「ローブ……? ……ああ成る程、人間達に姿を見られればマズイからな」

「ソウイウコトダ。我々ノ正体ガ冒険者達ニ露見スレバ、地上に余計ナ混乱ヤ警戒ガ生マレル。ソレハ(フェルズ)モ懸念シテイル事ダ」

 

 グロスの言葉に頷きながらエトは外套を受け取る。

 チラリと周りを見渡してみれば——他の異端児(ゼノス)達は皆黒いローブに身を纏い始めている。防具を纏った上に外套で体を覆い隠すのだ。ちょっとやそっとで冒険者達に正体がバレることはないだろう。

 見れば、一角兎(アルミラージ)のアルルや黒犬(ヘルハウンド)のヘルガも体のサイズや形状に合った上衣を着ている。一体どこでそんなモノを手に入れたのかと思わず呆れてしまう。

 

「ソシテ、オマエニハ私ト同ジ後続隊ニ居テモラウ」

 

 少しブカッとするな——と呟きながらローブを着用するエトに、グロスは移動部隊の構成を言及する。

 

「後続隊? その心は?」

「最モ安全ダカラダ。イクラフェルズノ魔法デ傷ガ完治シタトハイエ、先程マデ瀕死ニアッタオマエヲリド達ノ先行部隊ニ加エルワケニハイカナイ」

 

 階層を移動する際には、冒険者達に見つからないように、小隊に分かれて目標の合流地点に向かうのが常であった。下層域以下と比べ、比較的冒険者の数が多い『中層』ではなおさらである。

 異端児(ゼノス)の中でも最古参であり力を持つリドやレイは、一番手あるいは二番手の部隊で出発する。そしてその後に続く比較的力の弱い異端児(ゼノス)達は、最後方の安全な部隊に加えられるのが常である。

 

 灰色の石肌で覆われた顔を向けて言うグロス。

 いつもどこか厳しい雰囲気で喋る石竜(ガーゴイル)異端児(ゼノス)だが、その辿々しい言葉の裏には同胞達を想う強さが込められている。

 ——尤も、現在のエトの容態は極めて良好だ。守って貰わなくてはいけないほど脆弱な体ではない。

 

「(余計なお世話ではあるが……まあ、彼らなりの気遣いだ。無下にはできない、か)」

 

 できれば先行部隊でリド達とモンスターの戦闘を見てみたい欲はあったが——と口惜しく思うエト。

 先程並んで語り合っていたリドの体からは、抑えられてはいたが中々のエネルギーを感じていた。恐らくは今までに数多くの命を摘み取ってきたのだろう。

 どうも、中々()()()らしい。

 それは目の前にいる石竜(ガーゴイル)も同じだ。

 

「後続隊ともなると、モンスターとの戦闘があまり無さそうに思えるが」

「実際、戦闘ニナルヨウナ状況ハアマリ無イ。数回クライハ同族ト遭遇スルコトモアルガ……移動ノ妨ゲニナル要素ハ、先行部隊ガ排除スルカラナ」

 

 エトの質問にグロスが丁寧に答える。

 先に出発している異端児(ゼノス)のパーティは、後続隊のために進路上に冒険者達がいないか偵察し、通常のモンスターや異常事態(イレギュラー)を排除する役目を担っている。それ故に、モンスターとの戦闘や突発的な事故は先行部隊に集中するのだ。

 

「そうか……」

「……ナゼ残念ソウナ顔ヲシテイル」

「いやいや、何でもないさ」

 

 露骨にテンションが下がるエトに対してグロスがジト目を向けるが、愛想笑いで首を振る。

 決して戦いたいというわけではないが、何も起こらない状況というのも退屈だ。せめて、異端児(ゼノス)達とは違う凶暴なモンスターの姿ぐらいは見てみたい。

 フェルズから教わったこの世界の情勢——その中でも『ダンジョン』に関しては、エト自身ある程度の興味を持てたのだ。少なくとも、生きる拠り所を失ったエトが目を向けるくらいには。

 

 しかし、ワガママを言う気はない。

 無理を言って一番手のパーティに加えて貰うこともできるが、焦る必要もないだろう。場合によっては次の『里』に着いた後に、個人的にダンジョンの探索を行えばいいだけである。

 かつてアオギリに居た時のように全身をローブで覆ったエトは、人知れず息を吐いた。

 

 

「——よし、そろそろ行くぞ!」

 

 異端児(ゼノス)の統率者である蜥蜴人(リザードマン)が号令をかけると、他の同胞達はザッとそれぞれの隊列に並んだ。

 黒い外套で身を隠し、その下には完全武装。

 これより安全階層(セーフティポイント)を離れ、殺戮の衝動に呑まれた同族が蔓延る地下迷宮へと挑む。

 死地に赴くわけではない。しかし、彼らの表情からは気の緩みが一切感じられない。

 『ダンジョン』では油断禁物——異端児(ゼノス)達はそのことを痛いほど理解しているのだ。

 

 部隊の数は全部で三つ。

 一つにつき異端児(ゼノス)六、七人のパーティ構成だ。

 一番手にリドが率いる部隊、そして二番手に続くのはレイが率いる部隊。最後方の部隊ではグロスが統率する。

 

「レイ、グロス。無事に合流地点で落ち合おうぜ」

「ええ。リドも気ヲつけて下さい」

「何カアレバ水晶デ知ラセル」

 

 各パーティのリーダー同士である三人で無事を祈り合う。彼らがそれぞれ手に握っているのは、別の部隊と連絡を取る役割を果たす『眼晶(オクルス)』という魔道具(マジックアイテム)だ。フェルズが作成したものであり、赤や青の色をした小さな水晶玉を異端児(ゼノス)は複数個所持している。

 

 ——そして、一番手のパーティが出発する。

 この部隊には、リドの他に大型級(トロール)銀毛猿(シルバーバック)など力のある異端児(ゼノス)が集まっている。頑強な防具や武器を装備しているその様は、さながら歴戦の戦士達のようであった。

 見た感じ彼らの強さは、元いた世界で言うSレートくらいに値するのだろうか。その中でもリドは特別実力を持っているように見える。歩く姿、姿勢一つとっても実力というものは表れているのだ。

 

「こりゃ壮観だな……」

 

 その様子を見つめるエトは、彼らが隊列を織り成して広間(ルーム)から出て行く光景を見て密かに目を細めた。

 身を隠した彼らが征く様子は、最早モンスター達による行進などにはとても見えない。

 ローブを着た謎の集団と言ってしまえばそれまで。

 遠目で見ると、彼らは至って普通の人間の様だった。

 

「これだと、もし冒険者に見つかってもバレないんじゃないか? あちらさんも私達のことを『同業者』だと誤認しそうなもんだが」

「……ソンナコトハナイ」

 

 グロスの隣に立って言うエトに対して、彼は灰色の頭を横に振って口を開く。

 

「人型ニ近イ者ナラバ正体ハ露見シニクイガ、他ハソウデハナイ。人蜘蛛(アラクネ)鷲獅子(グリフォン)黒犬(ヘルハウンド)ナドノ異端児(ゼノス)ハ、鎧ヤ外套ヲ纏ッテイテモ姿形ガ容易ニ悟ラレル」

「……ふむ、まあそうか」

 

 確かに、モンスターとしての形貌を多く残した者だと正体がバレやすい。蜘蛛の下半身を持つ人蜘蛛(アラクネ)のラーニェや四足歩行の黒犬(ヘルハウンド)であるヘルガなど、布や防具で身を包みきれない異端児(ゼノス)もここには数多くいるのだ。

 

「……でも、人型の異端児(ゼノス)なら本当にバレないと思うがね。少なくとも私の目には——」

 

 そう言ってエトは広間(ルーム)の出入り口を見やる。

 リド達先行部隊は既に出発している。

 目に入るのは、二番手の部隊であるレイ達だ。

 

「外套や鎧を纏えば、モンスターには見えない。人間と同じだ」

「………………」

「それに、フェルズの手を借りれば正体を完全に隠し切るのもわけない筈だろう。()()魔道具(マジックアイテム)はとても優秀だ。ひょっとすると、ダンジョンから『地上』に出ることも可能なんじゃないのかい?」

 

 流し目でグロスの横顔を一瞥する。

 異端児(ゼノス)達の憧憬——『地上』という大それた言葉を使い、彼の心を揺さぶる。別段意図した行動ではないが、エトが他人の精神的な核に触れるのは最早職業病だ。多くの命を奪ってきたエトが持つ″嗜虐心″と言い換えても差し支えない。

 

 しかし、それに対しグロスの反応は物静か。

 ——否、穏やかな心中などではない。

 

「下ラナイナ」

 

 心の内に秘められた強い感情。

 常に冷静な態度で振る舞ってきたグロスが見せた、一瞬の情動の綻び。

 彼の双眸は細められ、しかしそこには明確な感情が込められている。無意識のうちに灰石の拳をギュッと握り締め、隣に立つ同胞に言い放つ。

 

「自ラ好キ好ンデ人間共ト関ワリ合イニナルナド、考エラレン。奴ラハソウ良イ存在(モノ)ナンカジャナイ」

「……?」

「エト、オマエハマダ知ラナインダ。奴ラノコトヲ」

 

 ——リド達に引き続いて、レイ達二番手のパーティが広間(ルーム)から出発し始めた。残された後続部隊の異端児(ゼノス)達がその光景を後ろから見届ける。

 

「……我々モソロソロココカラ離レル。イツデモ動ケルヨウ準備ヲシテオケヨ」

 

 エトにそう言うと、グロスはその場から立ち去っていった。その様子はどこか強引に話を断ち切ったかのような、あるいはまるで話したくない事柄のようだった。

 感情を押し殺した静かな声音を後に去っていったグロスの後ろ姿を、エトは背後から見つめる。

 

 

「——ほう?」

 

 人知れず、エトは口元を歪めた。

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 ダンジョンの21階層。

 最初の死線(ファーストライン)とも呼ばれる、13階層以下から始まる『中層』域の中でも——19階層から続く『大樹の迷宮』はまさに別世界である。

 

 樹皮に覆われた迷宮は、まさに巨大樹の内部を探検しているかのようだった。通路は複雑に枝分かれしているかと思えば、頭上が十M以上裂けた縦長の樹道が現れる。瘤のように盛り上がった木の根を階段代わりにするなど、この階層はその広大さの他にも高低差が思った以上に目立った。

 光源となるものは光り輝く石英(クオーツ)や燐光などではない。天井や壁面、床にも繁茂する夥しい苔が発光し、星屑のように輝いている。美しい碧色の光粒は、まさに言葉を忘れてしまうほど幻想的であった。

 

 探索する者達の進路の先々では、奇妙な形と色をした葉、大きな茸、銀の滴を垂らす花々など、地上には存在しない様々な植物が姿を見せる。訪れる広間によっては景色が変わり、美しい花畑も存在するほどだ。

 

 頭上を仰げば壁と天井の境目に白花が咲き乱れ、道の角を曲がった瞬間、巨大な茸の塊が視界に飛び込んでくる。更には不可思議な色をした薬草、突き当たりの壁を茨のように覆いつくす金色の小花と蔓草、天井から滴る水滴によって作られた小さな蒼い泉など目を惹く光景はあちこちに見られる。

 

「おぉ……ダンジョンの中はこんな感じなのか……!」

 

 ——そんな中、周辺の景色をキョロキョロと見回しながら喋り続けている者が一人。

 

「もう少し声を落とせエト。同族達に見つかれば面倒なことになる」

「おっと、すまないラーニェ。気をつけるよ」

 

 浮ついた声音で喋っていたエトを窘めるラーニェ。

 彼女は人蜘蛛(アラクネ)異端児(ゼノス)だ。上半身には冒険者の鎧を纏い、顔もバイザー付きの鉄兜で完全に覆っている。だが一度その兜を抜けば、雪原の如く白い肌に端正な顔立ちが露わになる。異端児(ゼノス)の中でも随一の美貌を持った同胞である。

 

「……それにしても、お前の反応はよく分からないな。まるでダンジョンを初めて見たかのような振る舞いだ」

「——ま、()()()()()()()()()()()()()()()だからネ」

 

 『大樹の迷宮』内部の光景に対して新鮮な反応を見せるエトに、ラーニェが訝しげな表情を浮かべる。

 エトが嘯くのは自身の″モンスターとしての出自″だ。リド達異端児(ゼノス)が未だ見たことのないモンスターとして、『深層』域に生息する何らかの新種であるという『仮面』を被るのだ。

 

「エトは自分が何のモンスターなのか分からないと聞いていますが……」

「ああ、それは本当だよレット」

 

 続けて話しかけてくるのは赤帽子(レッドキャップ)の小怪物(ゴブリン)

 小さな体躯に不釣り合いな大斧を背に担ぎ、紳士的な口調で人語を話すレットは同胞達の中でも特に人間臭い。立ち振る舞いは完全に人間のそれだ。

 

「フェルズでも分からない領域——恐らくは『深層』域のモンスターなんだろうね、私は。賢者も存外役に立たないもんだ

「……なるほど。……不安ではないのですか? 自分のことが何も分からないというのは」

 

 己の素性を知り得ない不安や恐れ。

 正体不明を内包していながらも平然としているエトに、レットは眉根を寄せて疑問を投げかける。

 しかし、直ぐにレットは首を横に振った。

 

「……すみません、配慮に欠けた質問でした。聞き流して下さい」

「いやいや、気にしないでくれ」

 

 別段気分を害することなくエトは頭を振る。

 すると、そんな彼女を気遣ったのか一角兎(アルミラージ)のアルルや黒犬(ヘルハウンド)のヘルガが体を寄せてきた。『キュッ!』『バウ!』とそれぞれ鳴き声を上げ、アルルに関してはエトの肩によじ登ってくる。

 

 ——後続隊に居る異端児(ゼノス)の数は六人。

 非戦闘員であるアルルとヘルガ、エトの三人を護衛するため、グロスとラーニェが先頭を歩き、レットが最後尾を守っている。この三人が、周辺をくまなく警戒しながら進んでいた。

 モンスターと遭遇する頻度は少ない方ではあるが、冒険者と遭遇してしまう可能性もある。『下層』域とは違い、ここらの階層は冒険者の数も多い。殿(しんがり)を務めるグロス達と言えども、決して無警戒でダンジョン内を練り歩くわけにはいかないのである。

 

 静寂に包まれた無人の道を進み続けるエト達。

 燐光の代わりに発光する苔は無秩序に迷宮中で繁茂し、青い光を放っている。広大な空間が形成されている『大樹の迷宮』を照らす天然の光源『アカリゴケ』だ。

 ダンジョンに生息する特殊な植物。それらは高層ビルが立ち並ぶ東京を生きてきたエトの常識を覆す超自然である。異端児(ゼノス)達と会話を交わしながら、エトは依然としてダンジョンの中を観察していた。

 

 

 ——そんな中、バキッと音がする。

 突如として樹皮の壁面が突き破られ、一体の異形が異端児(ゼノス)達の目の前で産まれ落ちた。

 

 『中層』のモンスター、バグベアーだ。

 茶色い体毛と頑丈な皮膚に覆われた熊型のモンスターで、その爪が持つ殺傷力は決して油断できない。真っ赤な双眸と獰猛な咆哮は、対面する獲物を怖気付かせるほどの威圧が込められている。

 

「おっ、これがモンスターってやつか——」

 

 思わず目を見開き反応するエトを他所に。

 異端児(ゼノス)達の動きは早かった。

 

「ラーニェ」

「ああ、分かってる」

 

 グロスが言うより早くラーニェが蜘蛛の糸を放出し、バグベアーの大きな体躯を絡め取った。

 音を立てて壁に貼り付けられる熊型のモンスター。ギョッとした表情を浮かべ慌てて抜け出そうとするが、肝心の爪は腕ごと壁に固定されていた。それほどまでに、ラーニェの糸は強靭なものだった。

 

「フッ!」

 

 そして、グロスが灰石の爪を振り上げ、蜘蛛の糸ごとバグベアーの胴体を切り裂いた。

 赤黒い血飛沫を上げて悲鳴を上げるモンスター。グロスの持つ爪は、バグベアーの命を一撃で刈り取るほどの威力を有していた。

 そして、絶命と共に体が灰塵と成り変わる。

 残った物は、小さく輝く紫紺の結晶だ。

 

「レット、周囲ノ状況ハ?」

「今のところ接敵の心配はありません」

 

 続けてモンスターの出現を警戒するグロスに、レットは油断なく周辺の様子を窺う。

 ——唐突にモンスターが出現しても、至って冷静かつ迅速に対処を行う。常に警戒の糸を張り巡らせているからこそ可能な行動。長年の時を経て体に染み付いている、ダンジョン内でのルーティンである。

 

「…………なるほどなるほど。仕事が早いもんだ

 

 それを感じさせる彼らの行動を受けて、エトは後ろの方で密かに感心を見せた。あの熊型のモンスターも中々強そうに見えたが——と、今はもう灰塵と成り果てたモンスターの方を見やった。

 そして、灰塵の山に埋もれた紫紺の結晶が目に入る。

 

「あれが『魔石』という物なのかい?」

「ええ。私達の胸部の中心にある、いわゆる『核』です。最大の弱点でもあるため、砕かれないよう注意をしなくてはいけません」

 

 隣に立つレットの言葉を聞き、ほぅと息を吐く。

 

「(フェルズの話では、異端児(ゼノス)は魔石を喰らうことで力を強めていくらしいが……)」

 

 地上の冒険者達曰く、それは『強化種』。

 【経験値】を集めて能力を更新する人類と相反する、モンスターの独自の法則。他のモンスターの『核』を喰らうことで、怪物は力を高める。自身の種族である本来の実力以上の潜在能力(ポテンシャル)を引き出すのだ。まさに、怪物の名に相応しい弱肉強食の理である。

 

 そんな中、灰塵の中の魔石をグロスが拾う。そしてそのまま魔石を口の中へ放り込み、ガリガリと音を立てて咀嚼し始めた。

 当然魔石を置いて放っておくわけにもいかない。同族が拾えば冒険者達を害する『強化種』となる。次の里まで持ち運ぶのも面倒だ。それ故に、敵を倒した者がその場で喰らうのが最も合理的である。

 アオギリであれば魔石の取り合いが起こりそうだな——と、当時組織の創始者であったエトは密かに思った。

 

「(——しかし妙だな。……()()()()……)」

 

 顔を小さく上げ、辺りを見渡す。

 ——さっきからずっとそうだ。

 少し前から、エトに対して殺気が降り注いでいる。

 出どころは分からない。正体不明の殺気。

 安全階層(セーフティポイント)である『里』を出た途端に向けられた敵意。

 

「(モンスターの殺気か……? いや……それにしては、いやに″広い″。)」

 

 モンスターではなく()()()()()()()()()……?

 

 

 

「開ケタ場所ニ出ル。注意ヲ怠ルナヨ」

 

 先頭を歩くグロスがそう言うと同時に、エト達異端児(ゼノス)の集団はより一層広大なフィールドに抜け出た。

 

 ——巨大な樹木の内部を彷彿させるこの階層は、非常に天井が高い。太い樹々の根が複雑に絡み合っている反面、小さな『横穴』がいくつも存在し、モンスターが潜む場所がいくらでもある。

 赤と青の色をした斑模様の茸、金色の綿毛を四散させる多年草、近くの樹皮の壁から大量に垂れ落ちる蜂蜜のごとき樹液。そして辺りに群生する層域特有の植物は、ダンジョン内を往くエト達を幻惑するかの様だった。

 

「アルル、ヘルガ、離れるなよ」

『キュウ』

『バフッ』

 

 戦闘能力に乏しい二体の同胞に対し、人蜘蛛(アラクネ)のラーニェは厳しい口調ながらも気を配る。

 こういった『横穴』が多い場所ではモンスターとの遭遇率が異様に高まると、彼女達はよく知っている。油断が命取りになるこのダンジョンにおいて、出入り口の多い広間(ルーム)はひときわ警戒する必要があるのだ。

 

「……何か感じないか?」

「? どうかしましたか、エト」

 

 怪訝そうな表情を浮かべるエトは、後方にいるレットに状況の不穏さを尋ねた。対する赤帽子(レッドキャップ)は特に何も感じていない様子。

 「いや、気にしないでくれ」と前を向き直るエトだったが、その双眸にはこれまで以上の警戒の色が見えた。

 

「(周りの異端児(ゼノス)は何も感じていない。しかし、私達を取り巻く殺気はますます濃くなっている)」

 

 そう考えながら、油断なく周りを見渡す。

 広間(ルーム)の横穴からモンスターの気配は感じない。敵意を以て視線を向けられれば当然エトは気づくのだが、今はそれもない。

 

「(誰だ? 誰が私達を狙っている?)」

 

 あらゆる五感を駆使してダンジョン内の様子を窺うが、目立った変化は見られない。

 しかし、依然として向けられている殺気は徐々に強まっていく。今や煙のように、濃密な殺意がこの広間(ルーム)をいっぱいに満たしているのだ。

 

 ——その理由を、エトは知る由もない。

 

 ()()()()()()()()()()()

 

 モンスターを産み落とす母胎であるこの地下迷宮は、まるで我々生物のように意思を持ち、内部に入ってきた侵入者を排除しようとする。

 エト達異端児(ゼノス)に向けられる殺意は、ダンジョンに侵入しモンスターを次々と殺す冒険者達と同等のもの。遥か地下から登りゆく膨大な怒りが、残酷なまでに彼らの命を摘み取ろうとするのだ。

 

 エトだけがこの殺気に気づけるのは、ひとえに彼女が異界の人間であることが大きい。冒険者や異端児(ゼノス)、この世界を生きる者達以上に()()()()()()エトだからこそ、迷宮自体から放たれるという奇妙な殺意を感知できた。

 

 だが気づいたところで、こちらからはどうすることもできない。この広大な地下迷宮が相手では、矮小な存在には対処のしようもない。

 

「!」

「——ッ」

 

 そして、こうした戦闘経験が多いグロスとエトの二人が、真っ先に反応した。

 

 二人が聴いたのは『音』だ。

 先程目にした光景と同様に、バキっと樹皮の壁面が突き破られ、一匹のモンスターが生まれ落ちる音。

 

 ——だが、その音は広間(ルーム)のあちこちから鳴り響いた。

 

「なっ……!」

「そんな……」

 

 遅れてレットとラーニェ、そしてアルルとヘルガもその表情を大きく歪めた。忌々しい壁面の罅割れが進み、そこから大量のモンスターが現れる。一瞥しただけでも四十以上の異形の影が見られた。

 

 『怪物の宴(モンスター・パーティー)』。

 突発的なモンスターの大量発生。迷宮の侵入者を絶望の淵に突き落とす、悪辣な迷宮の陥穽(ダンジョン・ギミック)

 冒険者達に存在を悟られないよう静かに立ち回りたかった異端児(ゼノス)達にとって、たった今仕掛けられたダンジョンの罠は非常に凶悪と言えた。

 

「〜〜クソッ!! ラーニェ、レット! アルル達ヲ守リナガラ出入リ口ニ進メ!! 全テヲ相手ニシテイテハ我々ガ先ニ潰レテシマウ!!」

「わかりました!」

「間の悪いアクシデントだな……!」

 

 グロスがそう言うや否や、異端児(ゼノス)達の小部隊の配置換えが即座に行われる。グロスが先頭に立ち、その後ろに控えるアルル達非戦闘員を左右でラーニェとレットが挟んだ。

 後退を許さない、特攻のフォーメーションだ。途中で逃げることも戦うことも時間が許さないため、彼らに出来ることは、立ちはだかる障害を倒しながら全速力で突っ切る他ない。

 

「ふむ、ダンジョンではこういうこともあるのか」

 

 間もなく広間(ルーム)からの脱出が行われる時、グロス達に囲まれているエトはボソリと呟いた。

 殺気の正体が分かったエトの表情に、焦りの色は見られない。緊迫とした雰囲気が漂う中、彼女だけが場違いなまでに平然とした様子だった。

 

 これがダンジョン。

 今回の『異常事態(イレギュラー)』は、異邦人であるエトにとっての最初の試練のように思える。

 思わずフッと笑みが溢れた。

 

「私も守られる身だが——危ない時には手を貸そう」

 

 そう言ってエトは人知れず、異形の触手をローブの中からチラリと見せたのだった。

 

 



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第5話「乱戦」

 

 

 

「クッ……! 何故コンナ時ニ!!」

 

 そう叫びながらグロスは灰色の爪を振り下ろす。

 中層に出現するモンスター相手ならば、上手くいけば一撃でその命を奪うことができる石竜(ガーゴイル)の爪。

 しかし、その攻撃には焦燥の色が顕著に現れており、立ちはだかるモンスターに決定打を加えられないでいた。

 

「邪魔ダ!!」

『ガッッ!?』

 

 苛立ち混じりにグロスは眼前の『マッドビートル』を爪で殴りつけるが、走りながらの攻撃なため腰が入っておらず、一撃で死なせるには至らない。

 

 ——だが、今だけはこれで良かった。

 突如として『怪物の宴(モンスター・パーティー)』に遭遇してしまった彼ら異端児(ゼノス)達に許されるのは、戦闘ではなく逃走のみ。

 同族を殺し切る必要はなく、攻撃を加えて吹き飛ばすだけで良かった。

 

「ヘルガ、アルルを上に乗せてやれ! 少し遅れているぞ!?」

『ガウッ!』

『キュ!』

 

 モンスターの群れの中を全速力で突っ切る中、異端児(ゼノス)側にもやや遅れる者はいる。少しバテ気味なアルルを見たラーニェは、ヘルガを指さしながらそう叫んだ。

 甲高い返事をした一角兎(アルミラージ)はピョンと黒犬(ヘルハウンド)の上に飛び乗る。その一連の動作は随分と小慣れていた。

 

 そんなアルル達を狙う凶暴なモンスターは、ラーニェとレットが迅速に対処していく。グロスが出入り口への道を切り開く特攻隊長なのであれば、彼らはその道を通るパーティを守る支え役だ。

 赤帽子(レッドキャップ)の大斧が、人蜘蛛(アラクネ)の強靭な糸が、迫り来る異形の群れを追い払う。こちらも殺し切る必要はなく、足止め程度で十分だった。

 

 走る。

 疾走する。

 目的地を目指して地を駆ける。

 

 一度でも止まってしまえば、彼らを待っているのは悲惨な結末だ。ダンジョンは平然と自分達を地獄に落とそうとしてくる。容赦のない『死』がおびただしい量で迫ってくる光景は、何度もダンジョン内を探索しているグロス達でさえも慣れないものだ。

 

「エト! ちゃんとついて来れていますか!?」

「ああ、心配ない。逆にもっと速度を上げてはどうだ? 意外とモンスター共も足が速い」

「無茶を言いますね……!」

 

 レットの呼びかけにエトはいつもの調子を崩さず答えた。傷が治ったばかりだというのに、グロス達の進行速度に涼しい顔でついて来ている。これが『深層』域のモンスターのたくましさなのかと、レットは密かに納得した。

 

「(——しかし、逃走の判断が早かったおかげで最悪の事態は避けられそうだ。モンスターの波に飲まれるより早く出入り口に辿り着ける)」

 

 そう思いながらエトは目を細める。

 

 グロス達異端児(ゼノス)の小隊が向かうべき出入り口は、約三十(メドル)先の小さな樹穴。

 大量のモンスターに行く先を阻まれてはいるが、最小限の戦闘に努めれば最短時間で目的地へ到達できる。

 先陣を切るグロスの特攻力は目を見張るものがあり、彼が道を切り開いてくれるからこそ、このパーティは異形の波を抜けることができるのだ。

 

 これなら手伝う必要は無さそうだな——とエトは若干の気落ちを抱きつつも、左右でモンスターの横槍を捌いていくラーニェとレットの手腕を眺めていた。

 

 

 ——しかし、これだけでは終わらない。

 

 ダンジョンの『異常事態(イレギュラー)』は繰り返される。

 予想通りの展開など何一つ起こらない。この広き地下迷宮は明確な意思を以て彼らを死地へと誘う。

 希望を見つけた瞬間に絶望の淵へ突き落とされる。徹底的に愚かな侵入者の心を折りくるダンジョンの『未知』は、あまりにも残酷である。

 

「……っ!! グロス、前方に新手が!」

「アレハ……!?」

 

 ラーニェの叫び声にグロスが前方の上空を向く。

 目的地である樹穴の付近、高くそびえる樹皮の壁面には、いくつもの『横穴』が存在している。

 天井が高く広大な広間(ルーム)にありがちなこの『横穴』から、モンスターの影が次々と飛び出してきた。

 

「随分とデカい蜂だな」

「『デッドリー・ホーネット』です!!」

 

 レットの余裕を無くした声音を聞きながら、エトは視線の先で羽ばたいている異形の存在を見やる。

 

 鎧と見紛う黒い硬殻を纏った昆虫の体軀。鋭角的で禍々しく、全長は成人のヒューマン並みにある。顔面には鋏を有する大顎が存在し、体の先端から突き出るように伸びるのは——大杭(パイル)を彷彿させる『毒針』だ。

 

 22階層より出現する殺人蜂のモンスターが、群れをなして唐突にこの21階層へやって来た。

 『怪物の宴(モンスター・パーティー)』の騒ぎを聞きつけたのか、忌々しい羽音を立て階層を上がって来たのだ。

 

 それは、数匹どころの話ではない。

 続々と『横穴』から現れ、その数は徐々に膨れ上がる。

 

「————」

「なっ……!?」

 

 そしてついに『デッドリー・ホーネット』の数が二十を優に超えた時、いよいよグロス達の表情が凍りつく。

 

 未だ彼らを囲んでいるモンスターに加えて、前方から行く手を阻むように迫ってくる大量の巨大蜂(デッドリー・ホーネット)の群れ。彼らの視界は異形の波に埋め尽くされ、自然と全身が強張ってしまう。たった六人の小隊にとって、周りをとり囲むモンスターの数はあまりにも多すぎた。

 

「(道ガ見エナイ……!)」

 

 その絶望的光景は、先頭に立つグロスの視界を飲み込んでいた。出入り口を目指し全力疾走するためのルートが、強引に立てていた道筋自体が埋め尽くされていく。

 

 巨大蜂(デッドリー・ホーネット)は素早い。

 高い敏捷性を以て空中を自由に飛び回るこのモンスターは、容易に倒せない。ラーニェの糸で攻撃させても難なく避けられてしまうだろう。

 他の大甲虫(マッドビートル)熊獣(バグベアー)狙撃蜻蛉(ガン・リベルラ)などのモンスターも、数を成して襲い掛かられれば非常に厄介だ。

 

 今までのように、グロスが力づくで道を切り開くことも絶望的となっていた。それほどまでに、『量』を以てモンスターに襲われるのは『死』を意味するのだ。

 

「グロス、レイ達をここへ呼んでくれ! 私達ではどうすることもできん!」

「……アア、分カッテイル!」

 

 目的地である出入り口まであと十五(メドル)といったところで、ラーニェはグロスにそう提案した。

 中間部隊であるレイ達をここへ呼び戻すこと。グロスとラーニェ、レットの三人だけでは、恐らくアルル達非戦闘員を守り切ることはできないと考え、やむなく応援を要請する選択をとった。

 彼女達を巻き込み『里』への進行の予定を崩してしまうことになるが、こうなっては仕方がないだろう。

 

 周りを見やり、眼晶(オクルス)を握るグロス。

 レイ達がここへ来るまでグロス達はモンスター達の猛攻に耐え凌がなくてはならない。とにかく、壁際まで移動した方がいい。アルル達を背にして守り、決死の覚悟で戦い抜くしか——

 

 

 

「いや、その必要はない」

 

 ヒュン、と風を切る音がした。

 

 異端児(ゼノス)達の頭上を、悍ましい異形の()()が通り過ぎる。その動きは、数々の魔石を喰らい力を高めてきた『強化種』のグロス達を以てしても、視認するのが難しいほどの速さだった。

  

『——ギッッッ!?』

えげ〜け〜おォン」「キャホォォ

 

 瞬きをするのも惜しいほどの高速で流動する()()は、的確に巨大蜂(デッドリー・ホーネット)の体を仕留めていく。魔石ごと身を貫き、または歯茎の形をした悍ましい触手がバクリと体を噛み千切った。

 飛翔系モンスターの高い俊敏性を以てしても避けられない攻撃。上空十(メドル)ほどの空中は、もはや奴らのフィールドではなくなっている。

 その攻撃が一匹、また一匹と、巨大蜂(デッドリー・ホーネット)の群れを削り取っていく光景を見て、グロス達は思わず目を見張った。

 

「これは……!」

「エト!?」

 

 その禍々しい触手が放たれた後方を振り返る異端児(ゼノス)達。すると、そこにはこの絶体絶命の状況に不釣り合いなほど不敵な笑みを浮かべるエトの姿が。

 彼女のローブの中からは異形の触手が伸びており、彼女の『右目』は赫々とした赤黒い色に変色していた。

 

 まさしく

「——なに、これは私の手足みたいなもんさ。気にせんでくれ。変わった手足だと思うがネ

エトしゃん!    くあしく

 

 肩を竦めてそう言うエト。

 今彼女の体から放たれている触手——『赫子』はニ対四本。しかしそこから複数のものに枝分かれし、何本もの太く硬い触手がゾゾゾと蠢いている。

 最も特徴的なのはその赫子の形だ。人の口や梟の羽、恐竜の手足を模したような見た目をしており、それはどの赫子の型にも当てはまらない。誰にも真似できないエト独自の『素質』と『知性』の結晶体だ。

 

 奇声を発する赫子に平然と囲まれているエト。

 しかし、彼女の『赫眼』や奇妙で悍ましい触手を目の当たりにしたグロス達は、その表情を硬直させていた。

 

「周りの憂いは私が取り除こう。君たちは前だけを向いて進んでくれたまえよ」

 

 そう言ってエトは前方を指差す。

 目的地である出入り口付近で行く手を阻んでいた巨大蜂(デッドリー・ホーネット)の群れは既に崩れている。それに加えて周囲のモンスターを赫子で払い退け、異端児(ゼノス)の小隊に『ルート』を示す。

 エト単体でこの場を切り抜けることは無論可能だが、助力以上のことをするつもりはない。異端児(ゼノス)達が逃走の選択肢をとったのならそれに従うまでだ。

 

 ——エトの不敵な笑みをうけたグロス達は、彼女の言葉を聞いて弾かれたように前を振り向く。

 先陣を切るグロスは吠え猛り、今まで以上の勢いを以てモンスターの群れに切り込んで行った。

 

「走レェ!! アトモウ少シダ!!!」

 

 グロスの持つ灰色の爪が熊獣(バグベアー)の体を薙ぎ倒す。エトの赫子に多少の怯みを覚えたのか、モンスター達は先程よりもどこか腰が引けている様子だった。

 狙撃蜻蛉(ガン・リベルラ)の放つ弾幕はレットが大斧で打ち払っていく。彼の小さな体に不釣り合いな大きさの武器を振り回し、走る仲間達の防衛に務めていた。

 

  おつおい

「くっ、邪魔だッ!!」

べっぴんしゃん」  「ぶち殺してェ

 

 走路上にいる大甲虫(マッドビートル)を薙ぎ払うラーニェ。そんな彼女の手助けをするように異形の触手が後方より伸び、モンスターの体を貫いていく。

 馴れ馴れしく話しかけてくるその奇声に何とも言えない表情を浮かべながら、ラーニェは地を駆け続けた。

 

 ——目的地まで残り数(メドル)

 先程までの逃走よりグンと速度を上げている異端児(ゼノス)の小隊は、まさに水を得た魚のよう。周囲の懸念をエトに任せ、判断に迷いのなくなったグロス達の集団はもはや止められる勢いではない。

 

 そして、グロスの足がついに出入り口へ踏み入り、次の広間(ルーム)へ続く連絡路に到着した。

 

「ヘルガ、お願いします!!」

『ガルルッ!!』

 

 レットの掛け声にヘルガが反応する。

 アルルを上に乗せて走っていたヘルガは連絡路へ入った瞬間に後ろを振り向き、広間(ルーム)の出入り口に殺到するモンスターの群れへ向けて()()()()

 その口内から覗かせるのは膨大な赤熱。

 真っ赤に燃える口腔を開け放ち、圧縮された炎の塊をモンスター達へ一気に放出した。

 

「おお!? 火なんて吹けるのかいワンコ君!!」

 

 唐突に爆炎を放ったヘルガにギョッとするエト。それまではアルルと一緒で愛くるしいペット感覚で接していたため、灰色の毛並みを逆立てるヘルガの姿はまさに青天の霹靂だった。

 しかし、ヘルガの炎は『中層』のモンスターを追い払うことはできても灰塵に帰すほどの火力は無い。せいぜい牽制程度の攻撃なため、モンスターを火に怯えさせることしかできない。

 だが、今はそれでよかった。

 

「ラーニェ!!」

「分かってる!!」

 

 モンスターの群れが停滞した光景を見計らって、グロスの掛け声と共にラーニェが後方へ飛び出した。

 出入り口に向かって大量の糸を放出し、巨大な『壁』を作り出していく。続けて何重にも壁の層を重ねていき、ニ(メドル)ほどの分厚さの糸壁で出入り口を埋め尽くした。

 

 そこから異端児(ゼノス)達は再び走り始める。

 

 次の広間(ルーム)へと続く連絡路を最大限の速さで通り抜けていく。ラーニェの糸で作り出した壁は、熊獣(バグベアー)の爪でたちまち破壊されてしまうだろう。しかし、少しの間足を止めさせられるのは非常に大きい。その時間があれば異端児(ゼノス)達は追っ手の怪物から十分に離れることができる。

 

 やがて、先程の『怪物の宴(モンスター・パーティー)』の騒ぎが聞こえなくなるまで距離を離した。

 

 グロスが一旦足を止め、小隊に小休止を挟む。

 

「はあ、はあ……」

「流石に撒いたか……」

 

 異端児(ゼノス)達の荒い息遣いが辺りに響く。

 モンスターの群れの中を強引に切り込んでいたグロスの体には、その壮絶さを表す痛々しい傷が残っていた。中衛でグロスのサポートをしていたラーニェとレットも、押し寄せてくる怪物達の波による被害の痕が体に見られる。

 

 まさに、ダンジョンの悪辣さが如実に表れた出来事だった。各『里』間を移動するべく何度もダンジョン『中層』を行き来していた異端児(ゼノス)達とはいえ、今のような窮地はそう慣れるものでもない。あのような『異常事態(イレギュラー)』に表情一つ変えず対処できるのは、第一級冒険者のような正真正銘のバケモノぐらいだろう。

 

「いやー、中々に楽しい体験ができたな! 」

 

 そんな中、エトは一人だけ満足そうな笑みを浮かべていた。先程まで五十以上のモンスターから一斉に命を狙われていたとは思えない様な、いっそ憎たらしいくらいのニコニコ顔で「これまたいいものを見せてもらった!」などとほざきつつ、疲労困憊の異端児(ゼノス)達を眺めていた。

 

 そんなエトの側に——ユラリと近づく影が一匹。

 

 ガシッとエトの胸ぐらを掴み、石竜(ガーゴイル)異端児(ゼノス)は驚きやら怒りやらがぐちゃぐちゃになったよく分からない表情で口を開く。

 「お?」と声を漏らし首を傾げたエトに対して、グロスは汗を流しながら怒鳴り始めた。

 

「——タ、戦エル元気ガアルナラ最初カラソウ言ッテオケ貴様アァッ!!? 危ウク死ニカケタゾ!!? 高ミノ見物ヲシテイル暇ガアッタノナラサッサト同族ドモヲ仕留メテオカンカァッ!!?」

「お、おう?」

「おお落ち着けグロスっ! 言いたい事は分かるがもう少し声を抑えろ! また同族共が騒ぎを聞きつけ来られては敵わん! 言いたい事は分かるがな!!」

 

 いつもの泰然とした様子は崩れ、大いに取り乱しながら怒鳴るグロスに、エトは抵抗の余地もなくユッサユッサと体を揺らされる。それを見てラーニェは慌ててグロスとエトの一悶着を止めにかかり、レットは彼らの姿を受けて「はぁ……」と苦い表情を浮かべた。

 

 人蜘蛛(アラクネ)異端児(ゼノス)のおかげで解放されたエトは、「ウオオ、離セラーニェ!!」「まずは落ち着け!」などというグロスとラーニェのどたばたを視界の端に捉えつつ、何やら盛大に疲れた様子のレットのところへ向かった。

 

石竜(ガーゴイル)くんはどうやら乱心しているようだな…………ん、どうしたレット?」

「いえ、貴方の性格が大体分かりました」

 

 エトの問いにレットは肩を竦めて頭を横に振る。

 ふむ、と顎に手を当て、エトは近くの壁に寄りかかって休憩している二匹の異端児(ゼノス)のところへ向かう。

 

「何やら皆の様子がおかしいな……君達はどこか怪我していないかい?」

『キ、キュウ……!』

『…………クゥ〜ン』

 

 エトの言葉にアルルはブンブンと縦に首を振り、ヘルガはその耳を垂れ下げてか細い鳴き声を上げた。

 今さっきレットが言っていた、エトが実は()()()()をしているというのはアルル達も非常に同感だった。絶体絶命の窮地に戦えないと思っていた味方が急にピンピンと戦い始めたのだ。ヘナヘナと力が抜けてしまうのも無理はない。

 ちなみにエトの赫子を見たアルルとヘルガは盛大に目をひん剥いていた。まさに異形と言える姿形の触手がゾゾゾと蠢くのを目の当たりにし、思わず仰け反ってしまうほどであった。

 

 

   ◇◇◇

 

 

 暫くしてグロスが落ち着きを取り戻した後、彼ら後続隊の進行が再開された。

 幸い、グロス達の騒ぎを聞きつけたモンスターが襲ってくる事は無かった。これはひとえにグロスの動揺を取り成したラーニェの努力があってのことである。

 依然として鼻息が荒いグロスが睨み付けるが、睨まれている本人であるエトは涼しい表情を見せていた。

 

 そして、そこからの進行では特に何も問題は起きず、努めて静穏に『中層』を進むことができた。

 事実、あの規模の『怪物の宴(モンスター・パーティー)』に遭遇する事は滅多にない。悪い意味での偶然が積りに積もって引き起こされた『異常事態(イレギュラー)』だ。あんな絶望的状況が頻繁に起きるようなら、『中層』を攻略していた冒険者達の死体が大量に生まれていたことだろう。

 

 ——そうして、エトにとって初めてのダンジョン探索が無事に終わり、目指していた『里』に到着した。

 

 

「おう、無事だったかグロス。予定より到着が少し遅れていたが、大丈夫だったか?」

「…………コンナニ疲レタノハ初メテダ」

「?」

 

 魔石灯や『アカリゴケ』が放つ淡い光に照らされている広間(ルーム)の中で、先行部隊だったリド達や中間部隊だったレイ達は既に体を休めていた。

 グロス達後続隊とは違って、最大限隠密性を保ち移動していたレイ達などの表情に疲労の色は見られない。その反対に、グロスやラーニェ、レット達はゲンナリとした様子で『里』へ到着したのだった。

 

「エトの調子はどうだった?」

「……アイツノ身ヲ気遣イ後続隊ニ置イタ私ガ間違ッテイタ。随分ト人騒ガセナ奴ダ」

 

 リドの問いかけにくたびれた声音で答えるグロス。

 

 例の『怪物の宴(モンスター・パーティー)』を乗り越えた後も——いや、それから更にエトはよく喋る様になった。

 巨大樹の中を探検しているような『大樹の迷宮』での進行は、元々エトの好奇心を大いに刺激していたのだ。足元に繁々と生えている奇妙な形の茸や美しい花々など、前世には存在し得なかったであろう植物に瞳を輝かせ、あれは何だこれは何だと、さながら取材をする作家のように異端児(ゼノス)達に絡んでいた。

 

 その度に「静マレト言ッテイルダロウ!? 同族ヤ人間ニ見ツカルゾ!?」「だから落ち着けグロス!」と一悶着が起こり、渋々レットがエトの質問に答えるということが何度もあったのだ。どちらかと言うと、体の疲労よりも心労の方が大きかったであろう。

 

 

「——エト、食料ヲ持ってきましタ。疲れているでしょうシ、ゆっくり食べテ下さい」

「おお…………助かる、ありがとう」

 

 『里』に到着してから一人、広間(ルーム)の周囲の景色を見渡していたエトのもとへ、歌人鳥(セイレーン)のレイが食料の入った籠を持ってやって来た。

 そこにはダンジョン産の果実や木の実、薬草がふんだんに詰められている。それに加えて泉から汲んできた水もある。異端児(ゼノス)の腹を満たすささやかな食料だ。

 

 礼を述べたエトは表情を動かさず、籠にあった一つの果実を手に取った。そして、その匂いをおもむろにスンスンと嗅ぐと、フッと目を細めた。

 

「……あまり腹を空かせてないんだ。食事はまた後にしようかな。水だけありがたく貰っておこう」

「? そうですか、分かりました。……無理ハしないで下さいネ?」

 

 エトのそんな言葉をうけて、特に疑問も抱かなかったレイは水筒を渡しその場を後にした。

 

「(…………生を諦めた身だったからすっかり忘れていたが…………そうか、()()()()があったか)

 

 喰種が喰らい、栄養を摂ることができるのは人間の血肉だけである。それ以外の食物は消化や吸収すらできず、加えて匂いや味、食感はその場で吐き出してしまうほど酷いものだ。

 今レイが持って来てくれた食料も、およそ食えた物ではない。思わずえずいてしまいそうな香りだったが、前世で人間社会に溶け込んでいたエトはその悪感情を表情に一ミリも出さなかった。

 

「(……まあいい、ここはダンジョンだ。探索していればいつか人間の死体と遭遇するだろうし——異端児(ゼノス)の目を盗んで調()()してもいい)」

 

 心の中でそう結論を出したエト。

 人語を扱えるほどの大きな憧憬を持った異端児(ゼノス)達は、人間との融和を望んでいる。彼らの目の前で人間を殺してしまうと、大勢から顰蹙を買うだろう。

 もっとも、人間との融和を望んでいない様子の異端児(ゼノス)も中にはいるようだが——と、そう思いながらエトは懐に手を突っ込む。

 

 そこから取り出したのは、一つの紫紺の結晶。

 『怪物の宴(モンスター・パーティー)』にて屠った巨大蜂(デッドリー・ホーネット)の群れの一匹の魔石だ。赫子で体を貫き、一匹だけ体内から魔石をくり抜いておいたのだ。

 

「これが魔石……」

 

 指先でソレを持ち上げ、細部をまじまじと観察する。

 モンスターはこの魔石を喰らう事で力を高める。まさに怪物の名に相応しい弱肉強食の理。

 『里』の移動時にもグロスが魔石を体内にとりこんでいた光景を見ている。あれを喰らったことで、石竜(ガーゴイル)異端児(ゼノス)はまた少し強くなったのだろう。

 

 その光景を思い出し、真似るように——エトは魔石を自身の口の中へ放り込んだ。

 

 ガリッ、ガリッと咀嚼音が密かに鳴り響く。

 意外と硬くはない。喰種の咬筋力でも噛み砕くことは可能だった。

 そして、その咀嚼物を飲み込み体内に取り込む。

 その瞬間、ドクンと体が震えた。

 

「…………うーむ」

 

 エトは顎に手を当て、低く唸った。

 

 



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