織田信奈の野望 〜in風林火山〜 (マクロなコスモス)
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信濃侵攻編(上)
始まり


暫く、ハーメルンの執筆から離れていましたので、リハビリとして書いています。駄文ですが、付き合っていただければ幸いです。


 「……んん。あれ?いつの間にか寝てたのか」

 

 一人の少年が目を覚ます。彼は通っている高校の制服を着ており、今まで背負っていたリュックサックが枕代わりとなっていた。

 

 (あれ?でも、俺は自転車に乗っていたはずじゃ……)

 

 少年の目に映っていたのはよくある住宅街の景色ではなく、それとはかけ離れた水田や畑など田舎の景色。そして、土の匂いと自然豊かな緑の匂いが彼の鼻をくすぐる。

 

 「いや、まさかね……」

 

 疲れすぎて深い夢を見ているのか。そう考えるが、あまりにもリアリティが高すぎた。この景色はまるで大河ドラマのロケ地のようだった。しかし、そのロケ地とは全く違う点に少年は気づいた。

 

 「電線がないな」

 

 そう、ロケ地では必ずどこかしらにはあるはずの電線がない。つまりは、ここは正真正銘のど田舎ということになる。

 

 「……しょうがない。聞いてみるか」

 

 夢である可能性が高いと感じたが、現実である可能性を捨てきれなかった。彼は寝ていた土手から降りて、村へ向かい、農作業をしている人に聞く事にした。すると、またしても可笑しな方に気づく。

 

 「あのー、すみませんって、あれ?」

 

畑を耕す老人の髪型は月代を剃っており、髷を結っていたのだ。

 

 「ん、わしに何かようか?お前さん、変な格好してんな〜。どこから来たんじゃ?」

 

 へ、変な格好?それは俺から見たらその髪型は時代遅れだと言いたいんだけどな……。と、言いたいことを言わずに呑み込みつつ、ここがどこなのかを聞くことにした。

 

 「あ、ああ。ここってどこなんだ?少なくとも千葉県じゃねえよな」

 

 「千葉?何を言ってるんじゃ。ここは甲斐の国だぞ」

 

 「え、貝?じゃなくて!甲斐か。そっか、ここは山梨県甲斐市という事か……。って、いやいや違うだろ!?」

 

 あらま不思議!千葉県にいたのに目覚めたらタイムスリップ&山梨県にテレポート!わけがわからないんだが……。

 

 「や…まなし?ほーんと、変わったガキじゃの……」

 

 少年が呟く言葉に老人は首を傾げる。

 

 「なあ、爺さん!」

 

 「な、何じゃ。いきなり、大きな声を出しおって」

 

 「俺の頬をつねってくれないか?」

 

 これしかない。俺が昔の山梨県にいるのかは知らない。ただ、これで夢から解放されるはず。

 

 「む……まあ、良い」

 

 老人は少年の頬をグイッと引っ張る。少年はちょっと痛いで済むと考えていたが、予想に反してかなり強く引っ張った。先程、鍬で土を耕していたのだ。それなりに腕力はある。

 

 「あ゛あ゛あ゛!?痛い痛い!夢じゃない…!?」

 

 「……。」

 

 場所を聞かれ、その上いきなり頬つねって欲しいと言っている少年の可笑しな言動に老人はほとほと困っていた。

 

 「うぅ……何で?何で夢じゃないんだ?ああ、一体何がどうなっているんだよ!?」

 

 「それはこっちが言いたいわ!何じゃいきなり、ここは何処かと聞いてくれば頬をつねろとお前は何をしたいんじゃ!?」

 

 嫌気がさした老人の怒鳴り声にビクッと驚く。それと同時に低下していた少年の思考力も元に戻る。

 

 「ご、ごめんなさい!実は……」

 

 少年は自分が今置かれている事情を話す。今ここで未来から来たと言って信じてくれる人はいないだろう。と言うより信じてくれるような信頼関係を結べていない。彼は目覚めたらこの場所にいて、混乱していた事しか話せなかった。

 

 「ふむ、可笑しな話しじゃの。最近は北条との戦はなかったしの……」

 

 うむむ、と考えこむ老人。この様子では、何故自分がここにいるのかのヒントは得ることはできそうになかった。しかし、引っかかったことが一つあった。

 

 「北条?ということは戦国時代。そして、ここを治めているのは武田」

 

 「そうじゃ。この戦乱の世、信虎様は度重なる出兵で我ら百姓の生活が苦しくなるばかりじゃ。わしの息子も農兵として戦へ向かったが、今も帰ってきておらん」

 

 老人は震えながら話す。戦に対する恐怖ではない。戦を行い続ける領主に対する怒りで震えていた。

 

 「……。」

 

 かける言葉が見つからない。いや、言葉をかけるべきではないのだ。人の気持ちを本当にわかるのはその人自身。ただ、少年は俯くしかなかった。

 

 「何かも言わん辺り、お前は人の心がわかるやつのようじゃ。今夜はわしの所で泊まっていくと良い」

 

 「い、いえ、そんな!泊まらせてくれるなんて悪いですよ!」

 

 「なに、息子と重ねて話がしたいだけ。老いて仏の導きを待つ身じゃ、昔話にも付き合ってくれんかの?」

 

 「は、はい!」

 

 こうして、この少年白井真斗(しらい まさと)は戦国時代生活1日目を終えた。

 

 これは運命に抗う少女、運命に殉じようとする少女に挟まれ、精神が削られながらも生き抜こうとする物語である。




 ストックはありますので、ある程度は書いていけると思います。誤字脱字があれば教えていただけると幸いです。


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第1話 武田勝千代

駄文だけど、書くのが楽しい今日この頃です。


 俺が戦国時代に来て約2ヶ月。彼は百姓の老人、今ではその人の事を「爺さん」と呼んでいるが、そのまま村に留まり農作業の手伝いをしていた。因みに、この村は都留郡にある小さな村だった事がわかった。

 

 「うん、順調に育ってる。大豆は正解だったな……」

 

 甲斐は山が多いため、米作りには向いている土地が少ない。この村もその一つだ。ここの課題となったのは山地でも育ちやすく、米の代わりなるほどの栄養価の高い作物を育てること。そこで目をつけたのは大豆だった。大豆は痩せた土地でもよく育ち、大豆を収穫した後でも根粒菌がいるので土壌も良くなる。うってつけの作物だった。

 

 「なあ、これでこの土地は豊かになるのか?」

 

 俺の大豆栽培を手伝ってくれている百姓は少し懐疑的だった。まあ、いきなりこうすれば生活は今までと比べて豊かになるなんて言われても信じてくれる人なんて中々いないと思うが。

 

 「ああ、大丈夫だ。大豆は貴重なタンパク源になるし、植える場所を選ばない。だから、飢えもしのげる」

 

 結果は後々わかる。今は疑っても手伝ってくれるだけでもありがたい。ここから爺さんへの恩返しをしていこうと俺は心の中に決めていた。

 

 「た、淡白?真斗さんは時々何を言っているのかわかりませんな…」

 

 「おっと……。悪いなタンパクってのは健康でいるために必要なものの事だ。所謂、南蛮語だと思ってくれ」

 

 「そ、そうか…」

 

 「さてと……。今日はここまでだな」

 

 うーんと背伸びをする。祖父の家が農家なので子供の頃からよく手伝っていた。そのため農作業には慣れていたが、ここは戦国時代だ。一つ一つが手作業のため、慣れないことが多くてとてもキツい。ただ、2ヶ月経った今、ようやく慣れ始めた頃だった。

 

 「よし、温泉にも入るかな……」

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……気持ちいい」

 

 戦国時代に来た後、温泉に入ることが俺の楽しみの一つになっていた。ゲームも漫画など未来の物がないこの時代で初めて見つける事が出来た唯一の趣味だ。

 

「いやー、毎日の温泉は最高だな……。今度は卵を持ってきて温泉たまごにして食べよう!」

 

 バシャッ!!

 

 先客がいたのか、俺の呟きが聞こえていたらしい。湯煙であまり前が見えていなかったが、目を凝らして見てみると……。

 

 「な、なにやつ!?」

 

 お湯に濡れた赤い長髪に誰が見ても大きいと言う程の胸元、見たところ俺と同い年くらいの女の子が温泉に浸かっていた。つまり今の状態は混浴状態という事だ。

 

 「えちょ、誰だよお前!?」

 

 「だ、誰!?この私、武田信虎が長女『勝千代』を知らないと!?」

 

 か、勝千代?確かそれって武田信玄の元服前の名前だよな。だけど、長女って……。いやいや、待て待て!!可笑しいだろ!?武田信玄が女の子だなんてそんなの聞いたことねえぞ!

 

 「はー……ふぅ。うん!」

 

 冷静になれ俺。よし、落ち着いた。女の子の裸を覗いてしまった時にできることはただ一つ。

 

 「すいませんでした!!!」

 

 盛大な水飛沫ならぬお湯飛沫を上げ、土下座をする。ああ、そういえば俺が見ていた大河ドラマの信玄役の俳優さんが半○直樹に出て「土下座野郎」って言っていたのを思い出した。俺も言われるのかな……。

 

 「……どうやら刺客ではないようね。いいわ。面を上げなさい」

 

 勝千代を名乗る女の子は俺が敵ではなく、偶々、一緒に温泉に入ってしまった事を理解してくれたようだ。

 

 「ぶぁ、ぶぁく!(は、はい)」

 

 お湯に顔を沈めながら返事をした後、俺は面を上げた。すると、勝千代は温泉に肩まで浸かりながら俺を見ていた。因みに、この温泉は白く濁っているため、肩まで浸からせればお互いに裸は見ずに済む。だが、恥ずかしそうな顔には見えなかった。

 

 「改めて聞くわ。あなたは一体誰なの?甲斐の民には見えないけど」

 

 「俺は白井真斗って言います。千葉…じゃなくて下総から来ました!」

 

 「下総?と言うことは浪人かしら?」

 

 「え、ええと。実は複雑な事情で気づいたらこの村にいて。行き場のない自分を助けてくれた村人たちに少しでも恩返しをするために農法を伝えていたんです」

 

 「農法?それってどんな農法なの?」

 

 「豆ですよ」

 

 「豆?なぜ豆なのかしら?」

 

 「いくつか理由があります。この甲斐や信濃の山々に囲まれた土地では米は育ちにくいため米を作ろうとするだけ、飢える人達が武士百姓問わず多くなります。それに対して豆はどんな土壌でも育ちやすく、豆を収穫した後の畑に作物を育てると実りも良くなるという利点もあるんです。それに……」

 

 「それに?」

 

 「その豆からは味噌が作れます」

 

 「!?」

 

 勝千代さんは何かを感じた顔をした。もし、この人が武田信玄ならばこの事の素晴らしさに気づいたのだろう。甲斐と信濃には海がない。これから信濃を手に入れる前も後も欠かせないのは他でもない「塩」だ。そして、味噌は塩分を蓄えるのに格好の食糧。といっても、甲斐で味噌作りを推奨したのは他でもない目の前にいる武田信玄なんだけどね。

 

 「なるほど、わかったわ。この狼藉を許すわ。そして、あなた、真斗と言ったわね」

 

 「は、はい!」

 

 「今からあたしに仕えなさい。俸禄は十貫からよ。働き次第で俸禄を上げるわ」

 

 「え、えぇぇぇっ!!?」

 

 俺はこの言葉に驚きを隠せなかった。やられたらやり返す。良い意味での倍返しを俺はくらってしまった。

 

俺は身支度を整える為に温泉を出た。その時、武田勝千代を初めて見た彼女の姿を思い出す。確かに女性として魅力的だと感じていた。しかし、それよりもその深紅の瞳から果てしない野望への挑戦心を強く感じた。武田信玄は勝千代の時から自分がどこまで行けるのか知りたかったのだろうか。

 

 俺はそれを感じた時、胸が高鳴った。これから自分に待ち受けるのはとても辛く険しい道なのだろう。だけど、その夢の先を見てみたい。俺はそう思った。




オリ主の立ち位置としては信繁の次に信頼が厚かった一条信龍のポジションのつもりです。

 


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第2話 共に夢を

ゴッホちゃんを引こうとして50連引きましたけど、礼装だけでした……。
それと、ファンタジア・リビルドの投票がそろそろ終わりそうですね。織田信奈の野望のキャラも参戦してほしいな……!


 勝千代さんと共に館へ行く前に、爺さんに別れの挨拶と身支度を整える為に一旦、家に戻った。

 

 「勝千代様に召し抱えられた!?」

 

 「はい。(まつりごと)が長けているということで。知行は十貫からですが」

 

 「む……そうか。お主がわしらに教えた農法が姫様に評価されたということか」

 

 嬉しくもあり、どこか寂しげな表情を浮かべる爺さん。本当に感謝しかない。

 

 「短い間でしたが、本当にお世話になりました。爺さんから受けた恩は必ず返します」

 

 「返すならわしだけでなく、甲斐全体に返してくれ。そして、豊かな国にしてくれ!恩返しはそれで良い」

 

 「はい!」

 

 「それと、ここを発つ前にこれを持っていくと良い」

 

 爺さんは俺に一つのペンダントを渡してくれた。それは三つの顔の神が槍、弓、剣を持ち豚の上に乗っている。

 

 「これは『摩利支天』と言ってな。戦の神と言われている。旅をしていた徳の高い僧侶から貰ったものじゃ。息子に渡すことは叶わなかったがな」

 

 「ありがとうございます。大事にします」

 

 真剣な顔つきで爺さんは俺を見つめた。

 

 「それと、これが最後じゃ。武士となると言うことは戦を必ずするということだ。聞けば当然のような事かもしれんが、戦では敵味方問わず沢山の人の命が散る。そして、その悲しみは残された者達の人生さえも揺るがす。だから、命だけは粗末にするなよ」

 

 息子を失った気持ちを知ってるからこそ、残された者だからこそ、爺さんから言われたその言葉がとても重く感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 俺はその後、村の出入口で待つ勝千代さんに付いていき、本拠地躑躅ヶ崎館(つつがさきやかた)に入った。まだ、当主は信虎だが、主に対する不満を抱えている家臣は多いようで、勝千代さんに着いていく俺を怪しくみる者はいなかった。

 

 「姉上。このヒョロそうな奴は誰だ?忍びじゃないだろ?」

 

 俺をそう呼んだ勝千代さんと同じ赤髪の少年。多分、血縁者だろう。俺より背は小さいが、荒々しい性格だと一瞬で感じた。

 

 「ヒョロイって……。俺は槍捌きには自信があるんだが」

 

 山賊や盗賊が時々、村の食糧を奪いに来ることがあったが、その時は槍で応戦して追い返すことができた。実はこれ、厨二病からの影響で八極拳にハマってしまったからである。因みに今も続けています。まさか、戦国時代で役に立つとは微塵も思ってなかったが。

 

 「太郎。彼は下総から来た白井真斗。先程あたしが召し抱えたわ。槍に自信があるのは今知ったけど、政の才能をもってるわ」

 

 へぇ、太郎って言うのか。ん、ちょっと待て。確か、太郎って武田義信のことだよな。

 

 勝千代さんの年は俺と同い年だったし、信虎の息子として義信が誕生しているということか。これは俺が知ってる歴史とはある程度違いはあるようだ。

 

 「姉上が言うならそうなんでしょうね。真斗と言いましたね?私は武田勝千代の妹の武田次郎信繁。よろしくね」

 

 武田信繁も女の子だったのか。見た目は勝千代さんを少し小さくしたような見た目だ。とても可愛らしい。あと、武田信繁は俺の好きな武将ランキング5位以内に入るほどの武将だ。性別の違いはあれど、「まことの武将」そんな人が目の前にいるなんて……。

 

 「よろしくお願いします!」

 

 「確かに太郎様の言う通り、頼りなさそうだが、いい面構えじゃないか!わしは甘利虎泰。この武田家の四天王の一人じゃ」

 

 如何にも涙脆そうな武将が甘利虎泰か。信虎時代では四天王に入る程の武田家中では屈指の猛将だ。上田原合戦で戦死するまで武田家を支え続けた。

 

 「武田四天王がいる……ということはもしかして隣にいるのは板垣信方さんですか?」

 

 「それがしの名が下総にまで届いておるとは……。如何にもわしが板垣信方だ」

 

 この板垣信方は甘利虎泰と同じく上田原合戦で戦死するまで信玄を支えた武将だ。信玄の守役としても有名だが、他にも子孫にあの板垣退助がいる事としても有名である。というか、マジでやばいよ。武田家の大物達が集まってる所にいるだなんて。

 

 「今度はあたしだな。あたしは飯富兵部虎昌。同じく武田四天王の一人だ」

 

 活発そうな少女があの元祖赤備の武将飯富虎昌だった。もう、俺誰が男で誰が女の子なのか分からない。ああ、頭が痛くなってきた。

 

 そして、残る一人が誰かという事だ。まあ、順当に行けば譜代筆頭家老の小山田信有だと思うが、あの人は北条の動きに目を光らせている事を爺さんから聞いた。あとは五名臣になるが、山本勘助、多田満頼、小幡虎盛は違うな。となれば鬼美濃の原虎胤、それか横田高松になる。

 

 「何だ、俺の事は知らんのか?」

 

 考え込む所を見られたからか、名が明かされていない家臣が俺を見る。いや、マジでわからん。マジでギラギラしたような目で見る。ポケモンの四天王で言うと四人目の人だろ絶対。

 

 「よ、横田高松さんですよね……。」

 

 根拠はあの甘利虎泰だ。横田高松と甘利虎泰は相備えで軍功を重ねてきたからだ。あとは知らん!どうにでもなれ!

 

 「違うな」

 

 「!?」

 

 「なんて、嘘だ。俺の名は横田備中守高松。よろしくな坊主」

 

 「ふぅ……。良かった」

 

 全く、心臓に悪い。

 

 「これから始まるのは他でもないわ。父上追放後の方針を決めようと思うの」

 

 まだ、信虎を追放する前なのに方針を考えるとは……いや、考えなくてはいけないのか。

 

 「ここで四天王を集めたのは、他の家臣達を動かしやすくするからですね。四天王達全員が賛同していれば、他の家臣も勝千代さんの政策方針に納得しやすくなる」

 

 「そうよ」

 

 「それに、諏訪頼重の裏を描くこともできます。諏訪頼重は勝千代さんの才を恐れ、刺客を送り暗殺しようとしました。それが失敗に終わった今、信虎さんを追放した直後、つまり家臣団の結束力が弱い時をだと油断し、海野家再興を目的とする関東管領上杉家と結び対抗してくるでしょう。しかし、こうして四天王ならびに一門がこうして結束しているのなら、話は別。その油断を突き、諏訪を滅ぼすことが可能という事ですか」

 

 元々、山内上杉家と武田信虎は対北条の為に同盟を結んでいた。しかし、諏訪と村上と結んだ信虎は上杉家の同盟相手である海野棟綱を攻撃し、上野へ追いやった。その結果、山内上杉家と関係が悪化し、今は反武田の姿勢をとっている。勝千代さんが武田家を継いだ直後に諏訪頼重は山内上杉家と手を結び、速攻でこの甲斐を取るつもりなのだろう。

 

 言い終えると、ジッと信繁や太郎、四天王達が俺を見た。

 

 「な、なんですか。そんな驚いたような目をして……」

 

 「予想以上ね。そこまで考えているなんて」

 

 信繁が口を開くと、止まっていた空気が動き出す。いや、まあ歴史で知ってましたけどね。だけど、諏訪にどう立ち向かうかについては知らなかった。自分なりに分析していただけの事だ。

 

 「ええ。知行七十貫でも申し分ないわね。後で、屋敷も与えるわ」

 

 「は、はい。ありがたき幸せ!」

 

 「これは楽しみになってきたな!あの山本勘助といい、あんたといい、これからの信濃攻略がどうなるかワクワクしてきた!」

 

 飯富さんは生粋の武断派なようだ。まさに猛将に相応しい人物。あと、山本勘助はもう勝千代さんに仕えていたのか。あの伝説の軍師と呼ばれた隻眼の軍師、ぜひ会ってみたい。

 

 「なあ、後で俺と手合わせしてくれないか?槍に自信があるんだろう?あんたの槍捌きが気になってさ」

 

 血気盛んな太郎にとってこれが一つのコミュニケーションなのだろう。信虎の勇猛さを1番濃く受け継いでいるのは彼なのかもしれない。

 

 「俺であれば喜んで」

 

 「話を戻すわ。父上を追放後、百姓達には豆を育てる事、そこから味噌を作る事を推奨するわ。そして、釜無川、笛吹川を中心とした治水事業を行うと思う」

 

 そして、その他にも、信虎が行っていた奴隷売買の禁止や侵攻による乱取りの禁止など、様々な策を打ち出した。それに対して四天王の板垣さんと甘利さんがその政策に対する課題を言ってくるが、勝千代さんは一つ一つ答えたいった。

 しかし、その中でも早々に解決できないものも存在した。奴隷売買の禁止である。甲斐は貧しい故に足軽たちは奴隷売買に頼っている所が多く、反発は大きくなりそうだった。

 

 「うーん、難しいですね。治水事業に大量の金を使うから、足軽に回せる金があまりないとなると。まあ、名物を作るしかないですよね……」

 

 「名物?」

 

 「ええ。極端ですけど、名物は富士を拝めながら温泉施設や、一つの食べ物に特化してこの天下の中では甲州しかないと言われるような物とかですね」

 

 ただ、食べ物の名物は時間がかかる内容だ。研究するだけでも時間がかかるうえに、足軽たちがどのくらい待ってくれるか……。

 

 「どのみち時間がかかりそうね。だけど、温泉施設は却下よ」

 

 「あれ?何でって……あーなるほど」

 

 そういえば、俺がいた時代には信玄の隠し湯というのが山梨県内にあちこちある。温泉好きな勝千代さんだ。お気に入りの温泉に多くの人が入ってくるのは少し抵抗感があるのだろう。

 

 「む……真斗。何故、姉上が温泉好きなのを知っているのですか?」

 

 信繁が俺を疑いの目で見つめる。やばい、どうやって釈明しよう。一緒の温泉に入ったなんて知ったら殺される!

 

 「ええと、それは「あたしと真斗が同じ温泉に入ったからよ」勝千代さん!?」

 

 あ、やばい。死んだ。

 

 「ほう……。お前が姉上の裸を見たと……殺す!」

 

 「ひいっ!!」

 

 信繁は刀を抜き、俺に襲いかかってきた。帯刀していない俺は避けるしかなかった。

 

 「この!何で!当たらないの!」

 

 「そりゃあ、刀は腕の延長線みたいなものだから、肘の動きを見ていれば避けれますよ!」

 

 「次郎ちゃん。このまま騒いだら父上に気づかれてしまうわ」

 

 「ちっ!」

 

 勝千代さんに宥められた信繁さんは刀を鞘に収めてくれた。いや、マジで死ぬところだった。

 

 「いや、本当にあれは事故だったから。もうこんな事がないようにしますから!許してください!」

 

 「本当か?」

 

 「はいぃぃっ!しません!」

 

 「……わかったわ。その言葉を信じるわ」

 

 「ふぅ…」

 

 温泉に入る時、人がいるか念入りに確認してから入ろう……。

 

 その後、俺は改めて郡内織の足軽達に推奨することで奴隷売買を抑えることを提案し、一通りの政策方針を決め終えることができた。

 

 

 

 

 

 

 俺はその後、屋敷をすぐに与える事はできなかったため、地侍(じざむらい)の家に泊まることとなった。その道を何と勝千代さんが案内してくれた。

 

 「泊まるところまで案内してくれるなんて、本当にありがとうございます」

 

 「いいのよ。あたしはこの先で勘助と会う約束をしているから」

 

 「そうでしたか。山本勘助ってどんな人かな……会ってみたいですね」

 

 「そうね。あたしも勘助に会わせてみたいわ。それと、太郎と兵部との手合わせ見事だったわ。明日、あなたに護衛を任せるわ」

 

 政策方針が決まった後、血気盛んな太郎は俺に槍での稽古をした。いやー、信虎さんから武勇を受け継いでいる太郎から一本取れたことは年下といえど誇るところなのだろう。あと、虎昌ちゃんと稽古したけど、普通に負けました。さすが、太郎の守役なだけある。後でまた鍛えてやると言っていたが、絶対に体がもたない。

 

 「もしも、父上があたしを襲い掛かったら……」

 

 「大丈夫です。全て言う必要はないですよ、勝千代さん。……泣きそうになっているじゃないですか」

 

 「何を言って……!」

 

 勝千代さんの目から無意識的にポロポロと涙が溢れていた。

 

 父親を明日に追放する覚悟はできている。今は酷い扱いを受けていたとしても、幼い時には自分を可愛がってくれていた親なのだ。家族を追いやる事は自分にとって、深い傷になるのだろう。家臣達や信繁さんや太郎が間違っていなかったと言ったとしても、それでも勝千代さんは罪悪感は完全に拭える事ができないのかもしれない。

 

 武田勝千代はとても優しい女の子だ。だからこそ、その傷をその痛みをわかってくれる人が必要だ。

 

 「こんな姿を家臣に見せるだなんて、まだまだね」

 

 俺は涙を拭いて貰うために布を勝千代さんに渡す。

 

 「いいえ。主君とて人です。人は泣いてもいいんです。弱音を吐くことが必要な時もありましょう。辛い時、苦しい時には心の中から信頼できる誰かにそれを打ち明けてください。その人は勝千代さんを必ず助けてくれます」

 

 「真斗……」

 

 「あとは、追放した後に信虎さんと会う時にはこう言わせましょう『勝千代。お前は父を超えた素晴らしい主君だ』って」

 

 勝千代さんは父親に認めて欲しかったのだろう。だからこそ、父親を甲斐から追放する。駿河から自分の姿を見て認めて欲しいと。

 

 「ええ、そうね。その為にも力を貸してくれるかしら?」

 

 「はい!喜んで力になります!」

 

 「あと、他の家臣がいる時はあたしのことは『御屋形様』そう呼びなさい」

 

 勝千代さんは四天王達と話した時と同じように凛とした声で俺に言った。

 

 「あ、すみません。今までとんだ御無礼を……!」

 

 「いいのよ。あたしや次郎ちゃんだけの時は『勝千代』と呼んでも構わないわ」

 

 「はい……」

 

 え、別に「御屋形様」と呼んでもも良いような気もするんだが……。

 

 「それと、私はこの武田の家臣達のことを『家族』のように思ってる。だけど、あなたは何か違うわ。他の家臣と同じように『家族』とは思えない、その……何といえばいいのか。共に歩いていくような…同胞のような……」

 

 「友達…ですか?」

 

 「そう、それ。白井真斗、あたしを支えて家臣であると同時に一緒に夢を見る『友』であって欲しいわ」

 

 まさかのお願いに言葉を失っていた。こんなに嬉しいことがあるのだろうか。ここまでの人が俺なんかを頼ってくれるなんて……。俺は嬉しくて堪らなかった。

 

 やばい、涙が出てきた。

 

 「ふふふ。あなたも泣き虫なのね」

 

 「ち、違います!目から汗が出ているだけです!」

 

 俺が涙を流す姿に勝千代さんは微笑んでいた。少しでも勝千代さんの心を助けることができたのであろうか。できたら、そうであって欲しい。俺はそう願った。

 

 

 そして、次の日。決行の日を迎えた。信虎は俺の存在を知らない。いきなり、勝千代に召し抱えられましたと言っても切り捨てられるだけ。その為、武田家の中で最も信頼が厚い板垣信方に召し抱えられたことになった。

 

 「真斗よ。勝千代さまのことを頼むぞ。そして、御屋形様を無事駿河の者に引き渡すのじゃ」

 

 「はっ。身命を賭してこの任務成功させまする」

 

 板垣の前に真斗が歩き、勝千代の側に着く。いつでも、信虎を守れるように。

 

 「父上。あたしは駿河の太原雪斎どののもとで、政について学んで参ります」

 

 「うむ。好きにせよ。心身をすり減らす武将稼業などやめて、駿河で定とともにのんびり風流と読書に生きるのもよかろう。それが、そなたのためじゃ」

 

 「父上?」

 

「わしにはわかっておるぞ。戦というものは、狂わねばできぬ。狂い続ければ、そなたのような心弱き者の心身は確実にむしばまれる。駿河におれば、諏訪頼重などに狙われることもない。息災に暮らしたいならば、血で血を洗う戦など忘れることぞ」

 

 勝千代は信虎に自分が娘として心配されていることに気づいた。しかし、もう後戻りできない。既に今川に信虎を引き取ってもらうことを約束してしている。

 

 甲斐と駿河の国境に今川の使者達が待っていた。

 

 「もう……行くがよい」

 

 「信虎殿、これより駿河に来ていただく」

 

 今川の使者達が信虎の周りを囲んだ。

 

 「これはどういうことじゃ?勝千代が駿河へ訪問する約束ではなかったのか!?」

 

 「父上、これより父上には駿河にて御隠居していただきます」

 

 最初に口を開いたのは信虎の寵愛を受け続けた信繁だった。愛情を掛け続けてきた娘に言われたことに信虎はショックを感じた。信虎の問いかけに対して、太郎、孫六は「駿河にいて欲しい」と一点張りだった。

 

 そして、意を決した勝千代は、「これより武田家はこの勝千代が守っていきます」と、感情を抑えた静かな声で信虎に自分の意志を伝えた。

 

 「なんじゃと!?板垣、甘利、何をしておる!勝千代を抑えよ!」

 

 「信虎様。それはできませぬ。わし達は勝千代に着いて行く所存」

 

 「わしも板垣と同じ気持ちですわい! うおおおおん!」

 

 他の四天王も聞く耳を持たなかった。

 

 「さらばです。父上。あたしはこれより元服し、晴信と名乗ります」

 

 こうして誰も血を流さずに信虎は駿河へ送られ、隠居された。これによって、新生武田家が誕生した。

 

 

 

 

 




自分の板垣信方の印象って千葉真一さんが演じた板垣信方がめっちゃ強いんですよね……。キャラクター性として、そっちに傾くかも。

それと、武田家臣団のオリ主に対する印象はこんな感じです。

 信繁→次に姉上の裸を見た時点で殺す。印象最悪。
 太郎→山賊を一人で追い払ったことに興味津々
 飯富兵部→太郎と同じ
 板垣→好青年な印象。武田に良きものをもたらしてくれそう
 甘利→目つきが元服前の自分に似ているらしい?
 横田→弄りがいがありそう


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第3話 諏訪攻略開始

FGOのメンテ明けに霊脈石というオリュンポスをクリアしている自分にとって何の役にも立たないのですが……。


 「ふあぁ〜……」

 

 パチンと頬を叩き、眠気を覚ました。この戦国時代には目覚まし時計がない。故に、日の光が代わりとなっていた。

 

 昨日は信虎を追放した後、勝千代さんは元服し晴信と名乗った。その夜、宴が催され初めて会う家臣達と酒を酌み交わした。初めての酒だったが、美味かった。一番大変だったのが甘利さんの酒絡みだった。老将とはいえ百戦錬磨の猛将であるため板垣さんと横田さんの三人で何とか抑えられることができた。

 

 井戸から水を汲み、顔を洗う。井戸水の冷たさが残っていた眠気を消していった。

 

 「おはようございます。真斗さん」

 

 身支度を整えている途中に、一人の女の子に声をかけられる。彼女は春日源五郎虎綱。名前から察する通り後の高坂弾正だ。「逃げる」と言う言葉が口癖で、俺が泊まった地侍の家の近くに彼女が住んでいた。

 

 「おぉ、源五郎ちゃん。早起きなんだな」

 

 「早起きじゃないと敵から逃げることができませんからね」

 

 「確かにそうだな。それと、今日から俺達も晴れて堂々と躑躅ヶ崎館へ行けるな」

 

 昨日から武田家当主は勝千代さん改め晴信となった。

 

 「はい!姫様の役に立てるように一緒に頑張りましょう!」

 

 「ああ」

 

 俺達は躑躅ヶ崎館へ出立した。恥ずかしながら馬に乗れない俺は源五郎ちゃんの馬に乗せてもらった。そして、周囲の目は俺を痛い目で見ていた。

 

 (あ、やめて。みんな変な目で俺を見ないでお願い!)

 

 と心の中で叫んでいる最中に躑躅ヶ崎館に到着した。

 

 「待たれよ、少年」

 

 「ん?」

 

 俺達が門を潜ろうとしたその時、一人の男性に呼び止められ、馬を降りた。源五郎ちゃんを待たせても仕方ないので、そのまま館へ行かせた。

 

 ぼさぼさに乱れた髪に片目には眼帯。その姿で一瞬で分かった。

 

 「山本勘助さんですか?」

 

 「いかにも。御屋形様が昨日召し抱えられた白井真斗殿であるな」

 

 「は、はい。そうですけど……」

 

 そう返事すると、勘助は俺に近づいていき、俺の瞳を覗いてきた。一体、俺の瞳を見て何を感じようとしているのか知らないが、近い。近すぎる。ちかーい!!

 

 「ふむ……お主、中々良い目をしておるの」

 

 「え、あ、はい。ありがとうございます…?」

 

 「あいや、すまぬ。昨日、御屋形様が召し抱えられたお主のことが気になってな。なるほど、これは良き人材を登用された。さすがは御屋形様じゃ」

 

 そう言って、満足気に躑躅ヶ崎館へ入っていった。俺を褒めているのか、勝千代さんを褒めているのか分からない。伝説の軍師となると、俺なんかと比べ物にならないくらいことを考えているのかな……。

 

 

 

 

 山本勘助は宿曜道の達人である。天体の動きを読み取り、人の運命を占っていた。彼は勝千代が登用した真斗を聞き、軍師としての勘なのか。彼の運命を占った。彼を示す星は蘇利耶(スーリヤ)つまり日輪だった。その時、勘助は感じた。

 

 この者は成長すれば御屋形様を良き運命へ導く者になる、と。ならば、彼を自分の跡取りとすることも視野に入れるべきか。今こそ軍師になれど、年というものにはどうしても勝てない。

 

 若輩の後継者ならば必ずや御屋形様を京へお連れする事ができる。勘助は新たな決意を胸に秘めていた。

 

 

 

 

 信虎追放後、事態は刻一刻と動き出した。信虎追放を知った諏訪頼重が早くも動き出し、山内上杉家と和議を結び、佐久郡が上杉家の物となったのだ。

 佐久郡は武田の信濃攻略の前線基地であり、その佐久郡を失うことは即ち信濃攻略の道も途絶えたのと同じことだった。最早、武田にとって諏訪を攻略することは避けて通ることができなくなったのである。

 

 「勘助と真斗の言ってた通りね。諏訪が関東管領と手を組み、佐久の地を奪ってきたわ」

 

 「ならば、早めにこちらも手を打たねばなりませぬ。諏訪攻略を進めなければ信濃統一など夢のまた夢となりましょう」

 

 「わかってる……」

 

 「しかし、諏訪には禰々様が嫁いでおりまする。堂々と諏訪攻略を始めれば人質となっている禰々様のお命が危うくなりまする!」

 

 板垣信方の言う通り。諏訪攻略の一番の難関、それは勝千代さんの妹の禰々の救出である。諏訪頼重の人質となっている禰々を死なせずに攻略する為には頼重に動きを悟られないようにしなくてはならない。

 

 「そう。一番の問題はそこだな」

 

 「そこで我らは諏訪の大祝を狙っている高遠頼継を調略しまする」

 

 勘助の策。それは高遠頼継を調略し諏訪と高遠で二分する策だった。

 

 高遠頼継。諏訪氏の分家である高遠氏と諏訪氏は諏訪氏惣領の座を巡って度々争っていた。今でこそ、諏訪と高遠は同盟を結んでいるものの、高遠頼継が諏訪氏惣領となる機を伺っている。

 

 「なるほど、それで諏訪と高遠で二分にするのだな」

 

 「左様。我らは高遠に諏訪へ兵を出してもらい、我らはその援軍として出陣致しまする。その後にこちらが有利となるような和議を結びまする」

 

 「だが、あの用意周到の頼重だ。高遠を調略したところで、上杉から援軍が来たらどうするんだ?」

 

 横田さんの疑問も最もだ。例え、二分し挟み撃ちにしたところで諏訪が援軍を呼べば状況は変わる。

 

 「ならば、某にも考えがございまする。発言をしても?」

 

 「真斗。申してみよ」

 

 「はっ。先程、横田様の言う通り諏訪が援軍を呼べば状況は変わりまする。ただ、諏訪が呼べる所は限られております。まず、関東管領は対北条に目を向けており、援軍を差し出す余裕はござりませぬ。されば、諏訪が援軍を呼ぶのは」

 

 「村上か守護の小笠原か」

 

 「その通りです。しかし、諏訪と上杉の講和は秘密裏に行われたもの。武田と同じく盟約を破られた村上が手を貸すとは思えませぬ。残るのは小笠原です。その小笠原に援軍を差し向けないようにすれば、勘助殿の策も難なく事を運ぶことができましょう」

 

 史実では、瀬沢の戦いで武田は諏訪と小笠原の連合軍と対決した。守護の小笠原がいたからこそ、諏訪は武田と対決できたと俺は考えている。

 

 「わかった。高遠の調略は勘助。小笠原の説得は真斗に任せる」

 

 「「ははっ」」

 

 

 その後、急ぎ支度をし騎馬隊の一人を供として連れていき、小笠原長時のいる林城へ向かった。

 

 小笠原長時という人物像は一言で言ってただの女好きであった。家臣である仁科盛能という武将の奥さんを奪ったという噂を城下の者達から聞いた。また、勝千代さんの美貌に惚れていたようで、その勝千代さんを手に入れる為に諏訪へ援軍を出すことを考えていたようだ。

 

 だが、そうはさせないのが俺だ。

 

 「貴様が武田からの使者か。苦しゅうない、表をあげよ」

 

 「はっ……」

 

 俺は家督相続につき、同じ甲斐源氏の誼として信濃の小笠原長時にご挨拶しに来たという事で機嫌を取った。その後、諏訪頼重が勝千代さんを暗殺し、今もその命を狙っていることを話した。このまま援軍を出しても、諏訪頼重は必ず勝千代さんを殺すと。だから、援軍を向けてはかえって勝千代さんに会えなくなると言っておいた。

 

 すると、見事にその話に食いつき小笠原は諏訪に援軍を出さないことを約束した。これで小笠原の援軍は来ない。諏訪は信濃で完全に孤立することとなった。何とも簡単な作業だった。

 

 そして、小笠原長時は武勇はあれど、家臣達をまとめ上げる統率力は乏しいと見た。もし、攻略するときは調略を仕掛ければ難なく対処できるだろう。

 

 「白井様、やりましたな」

 

 俺の供が迎えに来てくれた。今度は一人で馬に乗れるようにしないとな……。

 

 「ああ、ここまで簡単だったとは思わなかった。これで諏訪の攻略は捗る。そして、この後の最大の敵は村上となった」

 

 村上義清。武田信玄を2度も破った猛将である。北信濃いや、信濃の中で最強の武将だ。上田原の戦いと砥石崩れで今現在の四天王のうち3人が討ち死にしてしまう。

 

 この村上義清を何とかしないと、武田の信濃侵攻に遅れが出てくる。しかし、それはまだ先の話だ。今は諏訪だ。目の前にあるやるべきことをやらなければ!

 

 

 




 宿曜道の星は、仏教では九曜曼荼羅が、またはインド神話に出てくる神々を示しています。その中でも太陽を示す蘇利那はインド神話に出てくるスーリヤ(Fateで言うとカルナの父親)を示しています。また、摩利支天の元となったのはスーリヤの恋人であるウシャス神と言われています。こう言う共通点から、真斗を示す星を太陽としました。

 因みに、この作品の設定にFate要素は入れるつもりはありません。ネタとして使うことはあるかもしれませんが……。
 


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第4話 非情な選択

 冬が近いのに以外暖かくて、服の組み合わせに悩んでいます。

久しぶりにのぼうの城を見ていたのですけど、あれは名作だと再認識しました。

 それと、この話は途中で主人公目線から三人称視点に変わります。


 小笠原の説得を終わらせたことを勝千代に報告しに行った。そこには勝千代さんとそばにいる小姓が一人いた。

 

 「真斗。よく戻ってきた。意外と早かったわね」

 

 「いや、こんなのはまだまださ。今回は長時が単純な人で助かったよ。また、頼重みたいな奴だったら苦戦してたかもしれない」

 

 今回は本当に運が良かったと言える。本来ならばもう少し時間がかかるところだろう。

 

 「良い心がけね。勘助の調略も順調そうよ」

 

 「そうでしたか。それで、そこにいる小姓だけど、どこかで見覚えがあるんだけど……誰なの?」

 

 あの赤い髪の子、どこか見たことのあるような感じだけど誰なんだろう。

 

 「この子は飯富源四郎。あの飯富兵部の妹よ」

 

 「ああ。なるほどね」

 

 勝千代に紹介された源四郎はペコリと頭を下げた。飯富さんの妹か。ということは、源四郎ってあの山県昌景だよな。こんなところで四天王の二人目に会えるなんてな。

 

 「源四郎にございまする。姉上のような最強武将を目指しています。以後、宜しくお願いします」

 

 「そんな固くなくて良いよ。俺は白井真斗。まだ、家臣になったばかりなんだ。気軽に真斗で良いよ」

 

 「そうなの。よろしく、真斗」

 

 「おう。そういえば、御屋形様。金脈の方はどうでしたか?」

 

 「ええ。次郎ちゃんと孫六がかなり多くの金脈を見つけたそうよ。これで兵糧も武器も買いやすくなったわ」

 

 元々、甲斐は砂金が豊富にある。信虎はそのことをあまり気にも留めていなかったようだが、勝千代は違った。甲斐が抱えている課題を見つめ直すことから始めたのだ。

 

 「それは良かった。あとは、勘助さんの帰還を待つのみか……」

 

 「ええ。禰々も佐助が救出してくれるそうよ」

 

 「佐助?確か、頼重が御屋形様に放った刺客の名前でしたよね。もしかして……買収したの?」

 

 「ええ、勘助が確かバナナという南蛮の果物で餌付けしたそうよ」

 

 「餌付けって……」

 

 食べ物で買収って。大体、忍びって義理堅いイメージがあったんだけどな……。まあ、忍びも人それぞれってことか。

 

 「真斗。そろそろ、下がりなさい。勘助が帰還するまての間に出陣の支度を整えるのよ」

 

 「はっ!」

 

 

 

 ◆

 

 

 

 諏訪攻略は勘助の策略通りに動いた。高遠は諏訪惣領となるべく挙兵。それに武田は援軍として出陣した。武田晴信、甲斐の戦国大名としての初陣である。

 

 一方、諏訪も上杉家の援軍が来ないことを知り、小笠原に援軍を要請したが、真斗の説得に応じた小笠原は援軍要請に見向きもしなかった。形勢が不利と見た諏訪頼重は本城の上原城から撤退し、守りが堅い桑原城へ逃げた。

 

 そして、武田が降伏を条件に和議を申し込み、諏訪はそれを承諾。武田は一兵も失うことなく諏訪を攻略したのである。

 

 「城とはこれほど容易に落ちるものなのか。それがしの二段構え、三段構えの策も無用であったか」

 

 山本勘助は軍師として華々しい勝利を収めた。しかし、それは呆気ないものだと感じていた。

 

 「勘助さん、やりましたね。一人も兵を失うことのない大勝利です」

 

 「これは真斗。いや、お主が小笠原を説得しなかったら、武田は諏訪勢と相い見えていたでしょうな。ところで、なぜ小笠原が援軍として来ると読んだのか?」

 

 自分は未来から来たからです、と真斗は言えるはずもなかった。ただ、理由として挙げるのであればそれは一つ。

 

 「小さくても可能性が一つでもあるならば潰した方が良いと考えたからです。戦はいつどうなるか分かりませんからね。例えば、源平合戦の一ノ谷の合戦なんて、義経に崖から奇襲を仕掛けられて平氏は負けたのと同じように、絶対ということはないのですから」

 

 「なるほど。同感ですな……」

 

 「それで頼重はどうするんですか?」

 

 「彼奴は御屋形様の命を狙った。それは降伏した今もだ。生かせば災いを呼びかねない……」

 

 「ならば、腹を切らせると」

 

 「御屋形様次第かと。武田家には一門は殺さぬ掟がありますからな」

 

 「このまま頼重が大人しくていれば万々歳なんだけどな……」

 

 「真斗、お主に確かめなければならないものがある」

 

 「ん、どうしました。勘助さん」

 

 「お主はわしの後を継ぐに相応しいか、この場で見定めさせてもらおう」

 

 「……はい?」

 

 「では、行くぞ!」

 

 「えっ、ちょ、えぇっ!?」

 

 急な展開に真斗は頭がついていかなかった。自分の後を継ぐのに相応わしいのか、などと初老に入ったばかりの軍師が何を言うのかと。

 

 「女性の魅力それは何ぞや?」

 

 「は?」

 

 いきなり、孫子や呉子などの内容かと思いきや、全然斜め上な質問だった。自分にとってが感じる女性の魅力。それは……。

 

 「女性の魅力はよく包容力があるとか、ふくよかなところだと言われますよね」

 

 これを聞いた時、勘助は失望した。自分の後を継ぐのは自分と同じ価値観を持ってこそ弟子にできるというものだ。

 

 

 「しかし、俺はそれは違う考えています」

 

 「ん?」

 

 「真に女性の魅力とは、『心』であると。何かを慈しむ心、純真無垢心がある者ならば尚良いかと。その心から生まれる笑顔はとても癒しになり、それが一番の魅力だと考えています……ってところなんですけど、どうっすか?」

 

 この時、勘助の認識は改まった。

 

 「おぉ……おぉぉぉぉっ!!」

 

 「まさにその通り!女性の魅力とは身体つきではぬぁい!!女性の真の魅力、それは純真無垢なところ!つまりは幼女である。愛は幼女也!!」

 

 (え、何言ってんだ。このロリコン軍師は……)

 

 この時、真斗は山本勘助に対しての認識は伝説の軍師から「変態不審者軍師」と改まった。軍法や築城技術は心から尊敬こそすれど、人として尊敬できなくなってしまったのを真斗は心の中で嘆いた。

 

 

 

 

 その後、武田軍は甲斐へ帰還し、晴信は頼重と面会した。武田家には一門は殺さないという掟により、甲斐にて幽閉となった。しかし、何も知らない禰々にとって、諏訪から見れば裏切り同然とも言える行為。これに対して、禰々は激怒していた。

 

 「姉上!」

 

 「禰々……」

 

 「父上を駿河に追放し、わたしの夫を攻め滅ぼすだなんて! 姉上はいったいどうなされてしまったのですか? あの優しい姉上はどこへ行ってしまったのですか?」

 

 禰々はまだ幼い純粋な女の子だ。夫との幸せな時間を過ごしていたのをいきなり自分の姉に取り上げられたと感じていた。

 

 「……ごめんなさい。武田家を守るため、仕方がなかったの。武田家が領土を拡大するために、諏訪はどうしても必要だったの」

 

 先に武田に仕掛けてきたのは頼重の方だった。しかし、だからと言ってそんなことで納得する禰々ではない。晴信は謝るしかなかった。そんな時に信繁と太郎が室内に入って禰々を宥める。

 

 「御屋形様。今川よりの使者が。火急の知らせとのこと」

 

 タイミングが良かったのか、悪かったのか今川から火急の知らせということで使者が来た。それに応じるため、晴信はこの場を後にした。

 

 「逃げないで!」と叫ぶ禰々に晴信は振り返ることはなかった。

 

 

 

 

 今川からの使者。それは河東への援軍要請だった。今川は武田と結んで以降北条との関係が悪化し、北条に駿河国の河東(かとう)という地域を占拠されていた。以来、この地を巡る戦いを「河東の一乱」と呼ばれている。今川義元はその河東を巡る戦いに終止符を打つため、武田に援軍を要請したのである。

 

 晴信はこの要請に応えるため、援軍を出すことを決めた。しかし、この事に乗り気ではなかった。今川は関東管領上杉家と挟み撃ちのつもりで北条を攻めている。しかし、上杉家が北条を討ち滅ぼすとなると勢いが増していき、信濃侵攻に支障が出てくる。ただ、北信濃の村上義清は勢力を拡大する事に興味がないことが不幸中の幸いだった。

 

 「援軍を出すのは良いもののどうするべきか」

 

 「今川を裏切ることはできない。かと言って北条がここで倒れてもらっては困る」

 

 板垣信方は腕を組み難しそうな顔をして悩んでいた。板垣だけではない、晴信、信繁、他の四天王がこの難題に苦戦していた。

 

 「いっそ、今川と北条が和睦すれば良いんだけどな……」

 

 思わず真斗の本音が漏れてしまう。

 

 「それができたら苦労しないわよ!」

 

 信繁が声を荒げる。和睦しているならとっくにできているはずだと思っているからだった。

 

 「わ、悪い。だけど、北条にとって関東が最優先であって、すぐに対上杉に備えたい。それに対して今川は上洛する前に後顧の憂いを断つために河東を取りたい。それだったら、和睦することはできるはずだと思ったんだけどな……」

 

 真斗はこの河東の一乱について詳しくは知らない。ただ、武田にとって一番の最良の結果が北条と今川の和睦なのは間違いなかった。

 

 「ほう、流石。それがしと同じ考えとは」

 

 勘助はニタリと笑い、真斗を見た。勘助のひらめきが策を一気に組み立てた。

 

 「御屋形様。河東を今川に譲渡する事を条件として、我ら武田が和議を取りなすのです!今川を裏切らず、北条との関係を強めることもできまする!」

 

 「なるほど、やってみる価値はあるわね。勘助頼むわ」

 

 「ははっ!」

 

 「皆も聞いた通りよ。急ぎ出陣の支度をせよ!」

 

 「「「「ははっ!!」」」」

 

 

 

 

 

 

 勘助の作戦通り、武田の仲介によって今川は北条と和議を結ぶことを決めた。北条も上杉との決戦に備えるため、河東を今川に譲渡することを決めたのである。

 

 これにより相駿の和平が結ばれることとなり、話し合いは善得寺にて行われることとなった。

 

 「善得寺。後にここであの三国同盟が結ばれた寺か」

 

 真斗は善得寺の入り口にて警備を任されていた。善得寺はあの大原雪斎が修行した寺として伝わっている。雪斎は今川の全盛期を築き上げた名軍師である。桶狭間の戦いも雪斎が生きていれば存在していなかったと言われるほどである。また、徳川家康の師でもあったため、日本の歴史に大きな影響を与えた人物だと言っても過言ではない。

 

 「あなた、見たことのない顔ですね。武田の新参者か?」

 

 「ん?」

 

 黒い長髪を後ろに結っており、右手に槍を携えている女の子だった。その姿は「可憐」という言葉が相応しい。

 

 「まあ、そうだけど。俺は白井真斗。よろしく」

 

 「名乗られたら私も名乗らなければなりませんね。私は岡部五郎兵衛元信です。この善得寺の警備を任されました」

 

 岡部五郎兵衛元信。史実では今川家中でも猛将と言われた武将で、その武勇は桶狭間の戦いの勝利者である織田信長を感動させ、義元の首を取り戻した。また、駿河が武田の支配下になった後は駿河衆をまとめ上げたと言われている。

 

 「あの猛将と言われた岡部か?いやあ、東海道一の猛将と一緒に警備ができるなんて運が良いな!」

 

 「そ、そうですか。そう言われるのは悪くないですね……。あまり褒められたことがないので」

 

 髪を弄りながら少し恥ずかしげに答えた。

 

 「え、なんでさ?」

 

 「家中では公家文化を好んでいる方達が多いので……」

 

 「そうなのか。それで、何で俺が新参者だということが分かったんだ?」

 

 「実は私、一度甲斐に身を寄せたことがありまして。その時に武田の家臣達の顔を見たことがあるんです。私、記憶力には自信があるんですよ」

 

 「なるほどね……」

 

 「それで真斗殿が警備を任されるなんて、武勇には自信があるの?」

 

 「いや、実は俺、戦に参加したことがないんだ」

 

 「え?」

 

 「ただ、兵部さんから『真斗なら大丈夫だろ!!安心してくれ御屋形様。あたしが保証する!』と言ってたから、まあ多分大丈夫だと思う」

 

 勘助が高遠を調略している間、暇を持て余した太郎と飯富に連れ去られ、稽古の相手にされた。連れ去る理由として、真斗の使う八極拳やそれを応用した槍術に興味を持ったのが理由だった。最初はボコボコにされる日々が続いていたが、段々とついてこれるようになり、槍の稽古で十回中一本取れるまで成長していた。

 

 その飯富兵部と太郎は一緒に駿河で隠居している信虎に会いに行っている。

 

 「飯富殿が言ってるならそうだと思うわ。戦になったら自信を持っていくと良いわ」

 

 「あ、ああ。そうだな」

 

 「それと、あなたに足りないものが一つあるわ」

 

 「それは?」

 

 「覚悟よ。人を殺す覚悟があなたから感じられないわ」

 

 「っ……。」

 

 そう言われた瞬間、真斗は少し俯いた。元信の言った通り、真斗は人を殺したことがない。村にいた時も山賊や盗賊の襲撃に対して槍で応戦したものの、人を殺すことが一切なく、追い払う程度のものであった。

 

 「人を殺す覚悟がない限りあなたは武将になれない。この時代でそんな覚悟で主を守ることは疎か生きていくことなんてできないわ」

 

 「……肝に命じます」

 

 その後、何事もなく会談は終了し、和議が成立した。甲斐に戻る前に真斗に対して、元信は彼の肩をぽんぽんと叩いて「頑張って」と言い、この場を去った。

 

 




 二代目武田四天王はあと1〜2話で出揃えるつもりです。

 真斗の視点では武田晴信を「勝千代」、三人称視点では「晴信」と呼んでいます。

 長尾家と真斗をどう組み合わせるか、ここで時間がかかりそうです。話的にはまだまだ先の話ですが……。頑張って書きますのでそこも楽しみしていただけると幸いです。


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第6話 決意

ハーレム希望が多かったので、タグをハーレムに確定しました。初めて主人公の本格的な戦闘回となります。


 『人を殺す覚悟がない限り武将にはなれない』

 

 真斗の頭には元信の言葉が今でも残っていた。人を殺す、それは命を絶つということだ。古今東西で悪とされている。その悪を行うことに対する抵抗感、つまり罪悪感を拭えない限り、この時代は生きていけないということだ。

 

 それは戦うものの定めであり、決して逃れることのできない。

 

 「俺は……」

 

 この時、答えを出すことができなかった。

 

 「おい!真斗いるか!」

 

 悩んでいる最中、突如、太郎が真斗の屋敷に上がり込んできた。

 

 「急にどうした!?何があった?」

 

 「頼重の野郎、禰々を殴った後に逃げやがったんだ!!一緒に探すぞ!」

 

 「分かった!すぐに行く!」

 

 馬に乗り、頼重が逃げた方向へ向かった。その先は要害山。晴信が生まれた山としても有名だ。

 

 「要害山か……。」

 

 「要害山がどうしたんだ?」

 

 「頼重が山に行ったということは姿を隠す以外に何かあるはずだと思ってな」

 

 「そうか?最近、酒に酔い潰れているだけにしか見えないけどな」

 

 「あの念入り深さから考えると乱破がある可能性がある。気をつけててくれ」

 

 「はっ!乱破なんざ居てもすぐにぶっ殺してやらぁ!」

 

 「あっ、おい待て!」

 

 太郎は馬をさらに早く走らせ、要害山へ入った。真斗も彼を追い、山へと入っていった。

 

 「太郎のやつ。頼重を殺してなんかないよな……」

 

 あの勢いでは頼重を殺しかねない。山を駆け上がり、頼重を探す。山を登っていくうちに月の光が辺りを照らしていき、一人の人影が見えた。間違いない、諏訪頼重だ。

 

 「頼重!」

 

 「くっ!追手がもうここまで来ていたか!」

 

 「すぐに投降しろ。今なら殺されずに済むぞ」

 

 頼重は、頭は良いが、武辺に関しては疎い。真斗なら頼重を取り押さえるのは容易いことだった。

 

 しかし、真斗は警戒心を解かなかった。頼重のすぐそこに誰かいる。すでに誰かと接触していたのだ。

 

 「頼重の近くにいるのは乱破だな」

 

 「ほう。俺の気配を察知したか」

 

 頼重の陰が動く。

 

 「ちっ、バレたなら仕方ない。加藤。鳶ノ術を、今こそ見せよ」

 

 「フフ。見せることはできぬな。なぜならば、己の姿を『見せぬ』術なのだからな。うぬの命、もらった」

 

 「っ!」

 

 加藤という名の乱破は真斗に向けて棒手裏剣を投擲する。それに対し、棒手裏剣を槍で弾き、次の攻撃に備える。しかし、身軽かつ、俊敏さが優れている加藤は彼の懐に入ろうとした。そのときに加藤の姿を目視できた。蜘蛛のような体型をしており、普通の人間ではないということに気づいた。

 

 「(見た目なんかどうでも良い!このままだと隙を与えちまうな。だったら!)」

 

 あっちが超接近戦を持ち込むならこっちも、と。真斗は槍を捨て、逆にこちらから滑歩を使い、高速で接近した。

 

 「なにっ!?」

 

 思わぬ行動に加藤に隙ができる。

 

 (勝負は一瞬!)

 

 真斗の腕はクナイを持った加藤の腕を捉えていた。そして、八極拳の技の一つである「暗勁*1」を打ち込む。

 

 「っ!?」

 

 しかし、真斗の拳は空振りに終わった。加藤の姿が一瞬で消えたのだ。

 

 「いやはや、見事。俺以外の乱破ならば腕が吹き飛ばされていただろう」

 

 背後から加藤の声が聞こえた。もはやこれは人間の技ではない。現代でいう瞬間移動。つまり、一つの超能力とも言える力だった。

 

 振り返る暇はない。振り返ればその時は死んでいる。

 

 「真斗、伏せろ!」

 

 真斗は太郎の声に反応し、姿勢を低くした。すると、太郎が投げた槍が真斗の頭上を通過し、木の幹に突き刺さった。

 

 「助かったぜ、太郎」

 

 真斗は加藤が距離を置いている隙に槍を拾う。

 

 「ああ。頼重の野郎は……後回しだな」

 

 「おい、二人して何やってんだ馬鹿!」

 

 「兵部?てめえいつから……?」

 

 真紅の鎧の女武者。武田四天王の一人、飯富兵部虎昌も合流する。

 

 「お前ら諏訪が忍びを使うんだぞ!」

 

 「知っていたさ。だから、このままにするわけはいかない。頼重を逃せば御屋形様の命も危ない」

 

 「……確かにそうだな。この蜘蛛野郎、首を置いていけ!」

 

 飯富兵部の繰り出す槍先を加藤は紙一重で躱していく。

 

 「ふん。俺は姫武将との命のやりとりは好きではない。女は愛でるもの、あるいは呪うもの。愛にしても呪にしても、生かしておいてこそ。殺すべきものではないからな」

 

 「ちょこまかすんなぁこの乱破があ! 武田家最強、あたしの突きはかわしきれないぜ!」

 

 飯富兵部の槍が加藤の心臓を貫こうとした。その時だ。

 

 「おっ?どういうことだ?どこにかくれやがった!?」

 

 加藤がまたしても消えた。あの瞬間移動だ。

 

 「逃げろ兵部!」

 

 太郎は飯富兵部の腰にしがみつき、横方向へ押し倒した。

 

 「っ……」

 

 真斗は飯富兵部に向かって投げられた三本の棒手裏剣を弾いた。

 

 「こらっくっつくな太郎、あたしを襲ってどうすんだよっ!」

 

 「襲ってねえよ! そうじゃねえ、この忍びは化け物みてえな技を使うんだよ! 瞬時にてめえの身体の位置を変えやがる! 理屈はわからねえ!」

 

 「はあ? 忍者なんだから当然だろう? 身軽に動いてるだけさ!」

 

 「違う!あれは修行で会得できるようなものじゃない!」

 

 兵部は忍者=万能の人というイメージを持っていた。だが、忍者とて人間だ。瞬間移動というのは人間では不可能だ。

 

 「くっ、今は逃げるぞ!頼重をぶっ殺すのはその後だ!」

 

 頼重は加藤の鳶ノ術を見て呆気を取られていた。幸いにも今三人達を襲うことはない。

 

 「頼重!三人が相手では貴様を庇いきれん、太郎かあの男を殺せ!」

 

 「あ、ああ」

 

 しかし、加藤の声に、我に帰った頼重は刀を抜いた。

 

 「それまで!双方、武具を捨てよ!」

 

 それと同時に、山本勘助の声が響渡った。山の周りを武田軍が囲んでいた。流石の鳶加藤も多勢に無勢。撤退するより他なかった。

 

 「加藤、貴様も……いや、無理か」

 

 「その通りだ。この俺の攻撃を凌いだ礼だ。名前くらいは聞いておこう」

 

 「白井真斗だ。あと、お前の名前は分かったぜ。鳶加藤と言われた忍びはただ一人。加藤段蔵だな」

 

 「ほう……。俺の名を知っていたか。ではな、真斗。再び会う時は貴様の命日だ」

 

 そう言い残し、加藤段蔵は姿を消した。

 

 「……。」

 

 真斗は加藤段蔵との戦闘を振り返った。あれはまさしく殺し合いだった。殺す覚悟がなければ生き残ることができない。その事を痛感したのだ。

 

 そして、もう一つ気づいたことがある。この戦いは守るための戦いだった。勝千代と太郎、兵部を守るための戦いだ。

 

 ならば、俺は守るために戦う。それが戦に参加する意義だ。誰も失いたくない。もう覚悟は決めた。

 

 真斗は武将として生きる決意を固めた。

 

 

 

 

 

 

 頼重捕獲から一夜明け、諏訪頼重の処遇をどうするか家臣と共に話し合っていた。

 

 「姉上。頼重さまを殺さないで。もとはといえば姉上が頼重さまを攻めてこの甲斐に幽閉したことが、頼重さまが荒れたきっかけなの。あの人は、少しばかり酔っていただけなの」

 

 証人というより弁護人の禰々は頼重を必死に庇い続けた。しかし、この主張に納得しない者がいる。太郎だ。

 

 「黙って俺に殴り返されていればまだ許せたが、あの野郎は忍びを放って俺たちを返り討ちにしようとしやがった! それによ、禰々。いちど女を殴った男は、二度でも三度でも殴るもんだぜ! 女を殴らない男は、いかなる状況にあろうとも絶対に殴らない。絶対にだ。しかし殴る奴は、なにかと理由を見つけては何度でも殴る。頼重の野郎は、女を殴る腐れ男だったというだけのことだ! あんな野郎はもう、お前の夫じゃねえ!」

 

 この反論に禰々が猛反発し、兄妹同士の言い合いが始まった。これでは埒があかない。

 

 「頼重は一度は御屋形さまに刺客を放ち、二度目は我ら武田との盟約を反故にし、そして三度目は太郎さま達を乱破で手にかけようとしました。これ以上は見過ごすことはできまい」

 

 「頼重は切腹させるより他はない」と勘助は晴信に進言した。

 

 「しかし、そうなれば禰々さまのお気持ちはどうなりましょうや?そもそも、お若い御屋形様に苦しい決断をさせてはならぬ」

 

 板垣は勘助を叱咤する。晴信も禰々も小さい時から見て来たからこそ、二人を助けたいという気持ちが大きかった。

 

 「俺も頼重を処罰するべきかと」

 

 真斗も頼重を処罰することに賛成だった。

 

 「真斗。お主も勘助と同じ考えか!」

 

 「板垣様。頼重を処罰をしなくては家中に示しがつきませぬ。しかし、命を断つかどうかは別です。御屋形様、ここは助命する方法も考えつつ、どう処罰するかを考えましょう」

 

 禰々の夫を想う気持ちを壊したくないと考えている晴信を思っての進言だった。

 

 「そうね。勘助、頼重を助命する方法を考えてくれる?」

 

 「はっ……。御屋形さまが寛大なる処置をお望みとあらば、この勘助も鬼にはなりきれませぬ。頼重を生かす方法を考えまする」

 

 勘助も晴信の気持ちを汲み取り、助命方法を考える。そして、勘助が思い付いた考えは、昨日の夜に頼重が雇った加藤段蔵の独断で行われたものとするということだ。

 

 「加藤段蔵。戸隠……猿飛佐助と同郷の忍びなの?」

 

 「御意。幼き頃に戸隠山で異形の力を得た戸隠忍びの一人でありまする。加藤なる者が鳶なる通り名を名乗っているのは、戸隠最強の証し。加藤は真田のもとに集った佐助たちとは異なり、武士に仕えることなく、戸隠の山で無頼な『山の民』としての暮らしを謳歌しておりました。それがしとも一応面識はありますが、とてつもない腕利きの上に、天下のことにいささかも興味なしと豪語しておりました」

 

 続けて、あの加藤段蔵は高天原より飛来した天岩戸の扉石──「石」を祀る戸隠山の忍びであるということ。そして、その「石」の力を浴びた人が超能力を手にすることができるということを勘助は語った。

 

 真斗は現代人だからこそ、その考えについていけなかった。分かったことはただ一つ。戸隠山に不思議な石があり、その石の力を浴びることで超能力を得ることができるということだ。

 

 「しかし、勘助さん。あの加藤段蔵は瞬間移動する能力を持っているんですよ。捕らえることは不可能に近いと思いますけど」

 

 「左様でありましょうな。すでに加藤は甲斐を脱出し、おそらくは北信濃の村上義清のもとへ向かっているでしょう。北信濃の奥に鎮座する、戸隠山を守るために。諏訪を奪った御屋形さまは必ずや戸隠山をも奪い尽くし破壊するだろうと、切れ者の加藤は予想していることでしょう」

 

 晴信は神の住む世界ではなく、人間が作る世界を作ろうとしている。それに対して、加藤段蔵は信仰を守るために反発し、諏訪頼重に加担したのだ。

 

 「じゃあ、加藤が次に手を組む相手としたら村上義清になるということか?」

 

 「うむ。本来は武家と独立独歩のわが道を行く戸隠忍群、手を組むはずがないのですが……神聖な諏訪に手をつけた御屋形さまが出現した以上手を組むことになりましょう」

 

 真斗は面倒なことになったと内心舌打ちをする。村上義清が加藤段蔵と手を組めば、晴信暗殺も容易なことだ。それともう一つ。この事件での頼重助命ができなくなってしまった。

 

 「頼重が腹を召す以外ないのね」

 

 晴信は無念そうに結論を口にした。

 

 「姉上!それでは話が違います!」

 

 声を荒げた禰々を信繁が押さえた。

 

 「御屋形様。結論を急がないでください。例えば、頼重を出家させるとかあるじゃないですか」

 

 「真斗。そりゃあ、無理だな。あいつは気位が高い。諏訪家の血だけがあいつの誇りだからな。諏訪の名を捨ててまで生き延びるなんざこの上ない恥だろうさ」

 

 太郎が首を振って答えた。

 

  「……あたしは決めた。諏訪頼重に、切腹を命じる。あたしにとって、武田家は神氏よりも大切だ。神々の世は終わり人間の世が来た、と信濃の民に知らしめる。そのために武田家は信濃を平定する」

 

 晴信は獣を彷彿させるような眼光で頼重の処遇を言った。それは信虎を追放の時と同じ非情な目だった。

 

 これに対して禰々は猛反発した。

 

 「姉上は、武田家のためと言いながら自分の野望のためになんだって踏みにじれる人なんだわ! いずれ今川家をも裏切って、父上も定も今川の手で殺させるつもりなのでしょう! それでも姉上は平気なのよ!」

 

 「御屋形様!なりませぬ!」

 

 板垣は晴信の決定に異を唱える。これ以上、一門衆に手をかけてしまったら、悪名が全国に響いてしまう事を危惧しているからだ。

 

 しかし、審議荒れるなか事態は動いた。諏訪頼重を監視していたはずの甘利虎泰が広間に駆け込んできたのだ。

 

 「申し訳ございませぬ! 別室に閉じ込めていた諏訪頼重どのが、わずかな隙をついて自ら腹を召されましたぞ!」

 

 「甘利、なにをしておった。介錯は?」

 

 「介錯は無用と。最後に山本勘助どのに会いたいと」

 

 「勘助。行って、頼重の遺言を聞いてやれ。神氏でありながら、頼重はやはり武士だった。自らけじめをつけたのだ。これ以上、あの者を苦しめるな」

 

 「ははっ!」

 

 勘助は晴信に頭を下げた後、すぐさま頼重のいる部屋へ向かった。

 

 晴信は自分が涙目を浮かべていることを悟られぬように拳を握り下を向いた。それを察した信繁が自分の手を晴信の手の上に重ねた。

 

 

 

 

 

 

 俺は勘助から軍法の指南を受けるために勘助の館へ入った。勘助の館は手入れがされておらず、庭に草木が荒れ放題だった。最初は獣が住み着いているのかと考えていたが、それでも屋敷なのは間違いなく、勘助は気にせずに住んでいたのだ。

 

 「あれ?屋敷、間違えたか?」

 

 しかし、ここが勘助の屋敷だということは間違いなかった。勘助さんの屋敷は他家臣の屋敷とは違い、端っこにある。つまり、間違いようがなかったのだ。

 

 改めて勘助の屋敷を見る。

 

 なんてことでしょう。今まであった荒れていた屋敷はすっかり風流あるご立派なお屋敷に早変わり。傷んでいた畳は張り替えられて新品の畳の香りが鼻をくすぐる。そして、なんと言っても草木が生え放題だった庭はすっかり、京の都に住む貴族のいる庭園に変わっていた。

 

 「え、何このビフォーアフター」

 

 テレビ番組だったの?いつの間にか、俺は大河ドラマのシナリオに組み込まれていたってこと?いやいや、ありえない!

 

 「真斗。何をしておる、早く入らんか」

 

 屋敷から勘助さんが出てくる。乱れた髪と服装は相変わらずだった。

 

 「勘助さん。この屋敷って勘助さんの屋敷ですよね?」

 

 「何を言っている。それがしの屋敷に決まってるだろう」

 

 うん、勘助に何かあったな。多分、あまり考えたくないが……。

 

 「かんすけ。このひとはだあれ?」

 

 「ん?」

 

 勘助さんの屋敷から女の子が出てきた。しかも年が4〜5歳くらいの。

 

 「まさか、勘助さん。幼女を連れ去っ……」

 

 「そんなわけあるか!」

 

 言い切る前に速攻で否定された……。

 

 「で、この子は?」

 

 「この方こそ、諏訪頼重の妹、四郎さまである」

 

 四郎って、勝頼の幼名だろ。この世界だと、勝頼は頼重の妹ってことになっているのか。

 

 「それで、何で頼重の妹が勘助さんの館に?」

 

 「それがな」

 

 勘助は頼重の遺言として、この四郎を育てて欲しいと言っていたことを話した。

 

 「頼重がそんなことを……。四郎ちゃん」

 

 俺は姿勢を低くし、四郎との目線を合わせる。純粋な四郎は俺をキョトンとした目で俺を見ていた。

 

 「俺は白井真斗、勘助さんの弟子なんだ」

 

 「かんすけのでし?」

 

 四郎は俺が勘助の弟子ということに興味を持ったのか、俺に近づいてきた。

 

 「そうだよ。勘助さんから軍法を学んでいるんだ」

 

 「そうか。まさと、よろしくな」

 

 「うん、よろしくね」

 

 四郎の頭を撫でると、気持ちよさそうな顔になり、もっと撫でろと言わんばかりに頭を寄せてきた。なんだか猫みたいだな。

 

 「ぬおぉぉおっ!四郎さまの慈悲溢れる笑顔がたまらなくお美しい!」

 

 勘助さんのロリコンっぷりが今大爆発したらしい。

 

 「俺までロリコン扱いされないかな……。マジで心配」

 

 その後、勘助さんから兵糧などの補給の任務の重要性やポイントを教えてもらった。まだまだ覚えることが山ほどあるというので、勘助さんの弟子として相応しくなれるようにしなくては!

 

*1
発勁の一種。身体動作を小さくし、わずかな動作で高い威力を出す




 諏訪頼重が自害した後、その怨念が巨岩を割ったという伝説があり、その岩が頼重院(らいじゅういん)にあるそうです。それと、桑原城跡を登ると諏訪湖を見下ろせたり、北アルプスも見れる絶景スポットになってます。

 以上、風林火山プチ紀行でした。

 そろそろ、諏訪編が終了します。甲州法度次第の話も作れたらとも思います(多分、短くなりそう……)。

 


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第7話 花

この話で諏訪編は終了となります。また、真斗の本当の意味の初陣を果たします。


 禰々は頼重の切腹後、食べ物を何ひとつ食べずにいた。母である大井夫人。信繁、太郎、孫六も手を尽くしてきたが、益々ひどくなる一方であった。

 

 そんな中、一人の武田家臣が禰々に面会を頼んだのである。

 

 「禰々さま。白井真斗殿がお目通りを願っております」

 

 「しらい…まさと?」

 

 禰々はその者が誰なのか知らなかった。そんな名前の家臣がいたのだろうか。もし、晴信の使者であれば追い返そうと考えていた。

 

 襖が開けられ、白井真斗の姿が現れる。禰々はその姿を見て思い出した。板垣信方と共に頼重の助命を願い出た家臣だったと。

 

 「白井真斗。禰々さまにお目通り叶い、恐悦至極でございます」

 

 「あなたは板垣と共に頼重様の助命を願い出てくれた方ね」

 

 「はい。頼重さまのお命を救えず、面目次第もございません」

 

 「……面をあげられよ」

 

 「はっ……」

 

 真斗は顔を上げ、禰々を見る。食事を取りつづけていない為か、彼女の顔はやつれ、腕は痩せ細っていた。

 

 「白井。あなたは何をしにここに来たの?」

 

 「恐れながら。聞くところ、禰々さまはお食事をお取りしていないご様子。このままでは、お体に障ります。お食事をお取り下さって欲しいこと。そして、御屋形様にもお会いになってくださらないでしょうか」

 

 「姉上に?何で姉上に会わなければならないの?父上を追い出し、私の愛する夫を奪った姉上に!もうあの優しい姉上はいないのよ……」

 

 痩せ細った身体で禰々は力を振り絞りながら真斗に言い放った。それは幸せを突如奪わった晴信に対する怒りだった。

 

 「御屋形様は!いや、勝千代は最後まで頼重さまの命を守ろうとしていました!禰々さまと共に生きてもらう為に必死に助ける方法を探そうとしてくれたのです。あなたにとっての優しい姉上は今も変わりません!」

 

 「……って」

 

 「?」

 

 「帰って!」

 

 禰々が話を聞こうとしないことは分かりきっていた。しかし、動かなければ状況は変わらない。これはまず、その第一歩だ。

 

 「わかりました。あと、帰る前にこれを……」

 

 真斗は帰る前に花と一つの紙を禰々の前に置いた。

 

 「この紙は頼重さまの御遺言を紙にお書きしたものです。どうかお受け取りください」

 

 禰々に告げた後、真斗はこの場を去った。

 

 

 そして、その次の日。真斗はまた禰々に面会を申し込んでいた。禰々は昨日のこともあり、会おうとはしなかった。

 

 次の日も。次の日も。真斗は禰々に会おうとした。そして、その度に花を持ってきたのである。そして、持ってきた花は日々違っており、中には頼重と一緒に見て楽しんだものや、嫁ぐ前に姉達と一緒に愛でたものもあった。

 

 「……此度はどんな花が来たの?」

 

 ある日、禰々はふと女中に真斗から送られる花を聞こうとした。なぜかはわからない。不思議と次の花が何なのか、禰々は気になり出したのである。

 

 「今日のお花は桔梗でございます」

 

 「桔梗?」

 

 「何でも花言葉は『変わらぬ愛』と真斗殿は仰っておりました」

 

 「そう……」

 

 頼重に対する愛は変わらない。とでも言っているのだろうか。それとも……。

 

 『御屋形様は!いや、勝千代は最後まで頼重さまの命を守ろうとしていました!禰々さまと共に生きてもらう為に必死に助ける方法を探そうとしてくれたのです。あなたにとっての優しい姉上は今も変わりません!』

 

 禰々は真斗が自分に必死に訴えてきたことか頭の中に過った。「私は家族に大切にされていない」と思っていたが、違った。

 

 自分は気づいてなかったのだ。自分が甲斐に戻った際、母は自分を暖かく迎えてくれたのだ。夫が死んだ後も、信繁も、孫六も、太郎も、そして、晴信も。

 

 『助命する方法はないの?』

 

 『他に方法はないの?』

 

 晴信は頼重の命を助けることを家臣に聞いていたことを思い出す。決して、最初から頼重を殺すつもりなどなかったのだ。

 

 自分を大切に思ってくれる人達はいた。このことに気づいた禰々は家族から受けている愛情を思い出したのである。

 

 「松」

 

 禰々は「松」と言う名の女中を呼ぶ。

 

 「どうされました。禰々さま」

 

 「お腹が空いたわ(・・・・・・・)

 

 「……!はい、すぐにお食事をお持ちいたします!」

 

 

 

 ◆

 

 

 

 「真斗!」

 

 真斗は館で休んでいる中、晴信が走ってきた。飛び込んでくるかのような勢いだった。

 

 「うおっ、びっくりした……。どうした?」

 

 「禰々が食事を取るようになったわ!」

 

 「ほんとか!よかった……」

 

 真斗と晴信。最初は真斗は二人きりの時でも敬語を使っていたが、今では友人らしく、砕けた関係になっていた。

 

 「ええ。あたしは禰々が何も食べずこのまま……」

 

 晴信は涙声になりながら心中を話した。

 

 よく見ると、体も少しやつれているように見えた。禰々が食事を取らなくなってから、晴信は体調を崩してしまい、信濃侵攻が中断される事態となった。この機を伺い、高遠頼継と小笠原長時が諏訪に侵攻してくる恐れがあったが、諏訪にいる板垣信方がその動きを睨んでいたため、今まで侵攻してくることはなかった。

 

 「それで、どうだった。禰々は会ってくれるって?」

 

 「そうなの!禰々が会いたいって!」

 

 「うん、そっか……」

 

 真斗は「笑ってるのか泣いているのやら」と思いながら、晴信の涙を拭き取り、頭を撫でた。ここにもしも信繁がいたら嫉妬で間違いなく彼女は真斗を切ろうとするだろう。

 

 それほど、真斗と晴信の仲は良好だった。ただ、恋仲に発展することはなかった。なぜならこの二人は恋愛に対してはお互いに鈍感だからである。どちらか一方から告白でもしない限り、気づくことはないだろう。

 

 「では、俺は勘助さんのところへ行くので」

 

 「そういえば、真斗は勘助の弟子になったそうね」

 

 「ええ。それも、その師匠は幼女に侍りながら教えてるのですけどね」

 

 「四郎さまぁぁぁぁぁあ!」と晴信と真斗の頭の中には四郎の笑顔に興奮している勘助の顔が頭に浮かんだ。思わず笑みが溢れる。

 

 「くっくく…」

 

 「ふふふ……」

 

 「俺はこれにて」

 

 「ええ。しっかり学んできてね。それと……」

 

 「?」

 

 「あの子達のこともよろしく」

 

 真斗は晴信の言っていることがよく分からなかった。しかし、その意味は勘助の館に入った後、知ることとなった。

 

 

 〈勘助の屋敷〉

 

 「ふ、増えてる……」

 

 勘助の館に入ると、4人の女の子達が勘助から教えを受けていた。

 

 「あ、真斗殿!」

 

 一人目は「逃げる」が口癖の春日源五郎。後の高坂弾正が真斗に気づき、声をかける。

 

 「真斗、あなたも来ていたのね」

 

 二人目は飯富源四郎。後の山県昌景。史実通り背が小さい。そして、彼女に背丈のことを言うのはNGである。

 

 「この男が白井真斗……私は馬場信房。……よろしく」

 

 三人目の無口そうで大人しい姫武将が馬場信房。一見、か弱そうな女の子だが、怪力無双を誇っている。一体その体で何でそんな力が……。

 

 「私、工藤祐長といいます。そ、その……山本勘助の屋敷で軍法を学んでいます。あ、あの、こっちを向いてくださーい!」

 

 薄汚れた簑を身体にすっぽり被った、そこはかとなく貧乏くさい地味な少女が工藤祐長。後の内藤昌豊である。

 彼女は身を守るために「気配を殺す」技術を身につけたが、その為中々周囲の人に気付いてもらえなくなってしまっただけでなく、名前さえまともに覚えてくれなくなってしまったという。

 

 「うおっ、びっくりした……。えっと、工藤ちゃんか。うん、覚えた!」

 

 「え、本当ですか!?なら、私の名前を呼んでみてください」

 

 「工藤○一でしょ?」

 

 「違います!誰ですかその新○という人は!」

 

 「あ、ごめん。その人は有名な名漫画の探偵の名前だった」と誤魔化して「祐長だよね」と言い直した。間違えたのはわざとだ。

 

 「?おかしいわね。そんな子いたかしら?」

 

 源四郎が工藤祐長の存在を疑っていた。これはふざけているわけではない。真斗とは逆に本当に存在を忘れているのである。

 

 ちなみに、真斗は「工藤祐長。工藤祐長。工藤祐長。」と心の中で連呼して、忘れないようにしようとしているのは内緒である。

 

 「いましたよ!あー、もう何で私はこうも影が薄いのですか?」

 

 「まあ、他のみんながあんたのことをよく知らないからじゃないか?だって、あんた、武田の譜代の工藤家の姫なんだろ?そこから覚えてもらうしかないと思うぞ」

 

 工藤家の姫。そういうところから、段々と覚えてもらうべきという真斗のアドバイスに工藤はキラキラと目を輝かせていた。

 

 「ホントですか!?ホントに周囲に覚えてもらえるようになりますか?」

 

 「あ、ああ。少しは良くなると思う」

 

 ただ、真斗が言った通り、少しは良くなったのだが、「工藤なにがし」とまでしか覚えてもらえないのはまた別の話である。

 

 

 こうして、勘助の屋敷に四郎、真斗、そして二代目武田四天王が集まることになった。兵法や軍の動かし方は勘助から、源四郎が体格の関係なく戦える方法を知りたいという要望から、体術や槍術は真斗が教えることになった。

 

 四郎は勘助から学ぶ真斗達の様子を見てそれを楽しみ、その笑顔が勘助の心を癒やしていった。

 

 しかし、そこから事態は急変する。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 「おい、今なんて言った……」

 

 「禰々が亡くなったわ」

 

 真斗は信繁から聞いたことを信じられなかった。禰々は要害山へ一人で行ったところ、足を滑らせて崖から落ちてしまったらしい。

 

 「見張りはどうしていたんだ?」

 

 「『私は大丈夫です。少し外の空気を吸いに行くだけよ』って言われて、見張りも油断したみたい」

 

 「不慮の事故ってわけか」

 

 真斗の問いに信繁は静かに頷いた。

 

 「よりにもよって、何でこんな時に……」

 

 「くそ……」と真斗は拳を館の柱にぶつけ呟いた。

 

 「それで、勝千代は……御屋形様はどうしている?」

 

 「今は大祝を狙っている高遠をどうするか、勘助と話しているわ」

 

 禰々の死因は武田の謀殺と主張する高遠頼継は諏訪を狙い、侵攻を始めた。

 

 「そ…うか……」

 

 晴信は武田家の当主。妹の死に嘆く暇も心を休める暇も戦乱の世は与えなかった。

 

 しかし、当主とて人間だ。その当主を支えるのが家臣だ。暇がなければ作れるようにすれば良い。

 

 それが真斗の考え方だった。

 

 「高遠との戦。速攻で勝つ」

 

 「ええ。そうね」

 

 信繁も真斗の考えを察し、頷いた。

 

 「(高遠頼継は諏訪の大祝を務めた家柄だ。この戦に勝ったとしても、頼継を小笠原へ逃してしまえば「高遠が立ち上がった」というだけで諏訪衆は高遠側へ傾いていく。これから諏訪を安泰にするために高遠頼継を捕縛するか討ち取るしかない)」

 

 

 

 ◆

 

 

 

 高遠頼継が挙兵したことによって、高遠側に与する諏訪衆は多かった。それもそのはず、諏訪頼重と禰々を謀殺したという噂が流れているからだ。もちろんその噂を流したのは高遠頼継だ。

 

 それを鎮めるためにも、諏訪衆を武田側につくために勘助は一つの策を打ち出した。それは四郎を晴信の義妹にすることだった。義妹にすることで、諏訪と武田が一つになったという証になり、四郎が立ち上がることで武田が諏訪の後見役となるということを正当化される。

 

 そして、もう一つ。四郎が自ら出陣するということだ。これは勘助の策ではなく、四郎自らの意思であった。勘助は反対していたが、四郎の決意は固かった。それが功を奏し、武田を疑っていた諏訪衆達も武田方に着くようになったのだ。

 

 「御屋形様」

 

 「何、真斗」

 

 「この戦、俺にとって武器を取った初めての戦、本当の初陣です。ですが、この戦の先陣、俺に務めさせてくれませんか?」

 

 初陣で先陣。あまり聞いたことがなかった。白井真斗の目つきはいつものとガラリと変わっていた。穏やかそうな目をしていたのとは真逆にギラリとした鋭い目つきとなっていた。

 

 「おい、待て待て。それはあたしがやる!」

 

 武田の随一の猛将である飯富兵部も願い出た。

 

 「……わかったわ。真斗に任せる。だけど、深追いはしないで。決して死なないで」

 

 「御屋形様!」

 

 「兵部さん、安心してください。あなたが鍛えてくれたんで、ちょっとやそっとで死にやしませんし、負けません。兵部さんから教わったことを今こそ発揮する時だと思っています」

 

 飯富兵部はそれを聞き、「そ、そうか……」と少し上機嫌となる。自分が鍛えた武将が先陣を切って勝鬨を上げる。師匠として誇らしいことこの上なかった。

 

 「ったく、仕方ねえな!真斗、負けんじゃねえぞ!」

 

 「ああ。任せてくれ」

 

 そう言った後、真斗は兜を被り、戦場へ向かった。

 

 

 

 真斗は馬に乗り、槍を持った。これで戦の準備は整った。

 

 「皆の者。我らは先陣を切るが、途中で迂回し、高遠城へ続く道を塞ぎ、高遠頼継を討つ!この戦はすでに勝ち戦だ。俺たちにこそ諏訪大明神の加護ぞある!」

 

 「「「おぉぉっ!!」」」

 

 「行くぞ、者ども。首は打ち捨てよ!投降するものは丁重に扱え。狙うは高遠頼継、ただ一人だ!続けぇ!!!」

 

 「「「「おぉぉぉぉっ!!」」」」

 

 真斗の号令と共に法螺が鳴らされ、戦の火蓋は切って落とされた。

 

 「武田が来たぞ!武田を討ち取れ!」

 

 高遠の騎馬隊が迎え撃つ。しかし、諏訪衆の大多数が武田方についたことから、兵の士気は低かった。武田軍は次々と高遠軍を蹴散らしていく。

 

 一騎が真斗に目掛けて槍を振るってきた。それを真斗は弾き返し、兵に隙が生まれた。

 

 (俺は戦う。勝千代のために……!)

 

 真斗は相手の首を目掛けて突く。彼の八極拳で鍛えた突きは槍術にも反映される。正確かつ鋭い、それが真斗の強みだ。槍は敵将の首を正確に捉えていた。

 

 「(俺はあんたの顔を忘れない!討ち取った者たち全て、俺は胸に刻む。それが俺の償いだ)」

 

 兵の首は胴から離れ、吹き飛んでいった。この時、白井真斗は武士(もののふ)となった。

 

 「はあっ!」

 

 真斗の軍はこのまま馬を駆け、高遠頼継の撤退ルートを先回りしていった。

 

 

 

 一方、高遠頼継は諏訪衆が次々と武田方についたことに形勢が逆転し、焦りを感じていた。

 

 「くそっ、武田めぇ!幼い女子を利用するとは小癪なぁ!」

 

 高遠頼継はこの戦で弟の高遠頼宗、その他重臣を多く失う結果となり、高遠の敗北は決定的となっていた。

 

 「殿、このままでは殿が危のうございます!撤退の下知を」

 

 「くっ、くうぅぅっ!」

 

 高遠頼継は持っていた鞭を折る。そして、本陣を置いていた安国寺より兵を引き、高遠城へ撤退することを決めた。しかし、それは真斗の読み通りだった。高遠軍が撤退する寸前に、軍を迂回させ、先回りし、高遠城へ続く道を阻んでいたのだ。

 

 「殿、あれは……!」

 

 「高遠頼継殿とお見受けする。俺は武田家臣白井真斗!この戦はお前の負けぞ。降伏するなら、命は助けるが如何に?」

 

 「ほざけ!武田に何かに降るなぞ……!」

 

 「死んでもごめんってか。……ならば、俺と一騎討ちをしようか。貴様が勝てば、我らの軍を撤退させてこの道を開けさせるとする。さあ、どうする?」

 

 「青二才が……。死んで後悔しても知らんぞ」

 

 「殿、誘いに乗るのは危険でございます!」

 

 「黙れ!あのような奴に負けるわしではないわ!」

 

 高遠頼継は家臣から槍を受け取る。負け戦によるイライラと真斗の挑発によって高遠頼継は正確な判断が出来なかった。

 

 「来な」

 

 「なめるなぁ!」

 

 両者は馬を走らせ、互いの距離を縮めていった。頼継は真斗の首を狙った。一方、真斗は頼継の首もましてや心臓を狙うことはなかった。

 

 「取ったぁ!」

 

 そのことを察した頼継は高らかに勝利を確信し、吠えた。

 

 「何言ってんだ?」

 

 そう言った時、頼継の槍は真斗の首を捉えることはなかった。頼継の槍の穂先が無くなっていたのだ。真斗が最初から狙っていたのは槍の穂先、つまり相手の武器を無力化することが目的だった。

 

 「なっ……」

 

 槍の穂先がなくなっていたことに気づいた頼継は驚きを隠せなかった。そして、その驚きが隙を生んだ。

 

 生まれた隙を真斗は逃さなかった。

 

 「ふんっ!」

 

 「ぐっ……」

 

 真斗は頼継の首元を叩き、気絶させた。

 

 「敵の大将、高遠頼継は武田に降った!双方、これ以上の戦闘は無用!高遠軍は速やかに降伏せよ!」

 

 「「「「おぉぉぉぉぉぉっ!!!」」」」

 

 この瞬間、戦場に味方の軍勢の勝利の声が響いていった。

 

 

 

 

 

 

 真斗は戦の結果を報告するため、本陣に戻った。

 

 「真斗……」

 

 晴信は本陣に戻ってきた真斗を見る。目立った外傷はなかった。晴信はその事にホッと一安心していた。

 

 「白井真斗。ただいま戻ってきました」

 

 「ご苦労。大義だった」

 

 「はい」

 

 「真斗。ようした!これで諏訪は安泰となる」

 

 「初陣で先陣を切り、敵の大将を生捕にし、無傷で戻ってきた。武将としてこれまでにない戦果だ。お前の武名は信濃に届いたぞ」

 

 「板垣様、横田様……。ありがとうございます!」

 

 武田四天王達は帰ってきた真斗を暖かく迎えた。

 

 「良くやったな真斗!これで伊那は平定されたのも同然だ!」

 

 飯富兵部の言う通りだった。伊那郡は高遠頼継が支配していたが、頼継が生捕りにしたことにより、高遠家臣達は次々と武田に降ることなり、伊那郡は平定された。もしも、討ち取っていれば忠節を誓った家臣達が反武田の勢力として居座っていたかもしれない。

 

 「いやぁ、お主の姿を見ると、わしの初陣を思い出すわ。あの時のわしは……」

 

 「甘利殿、昔話は陣を引いた後に聞かせましょうぞ」

 

 甘利虎泰の昔話が始まろうとしているところを板垣信方が止めた。

 

 「む、そうか。では、真斗。甲斐に戻った後はわしの初陣の話を聞かせてやろう」

 

 「あ、はい……」

 

 と真斗は返事をした後、飯富兵部は真斗に近寄り、「甘利の昔話は長くなるぞ。酒を飲ませ続けて寝かせた方が良い」と真斗にアドバイスをした。

 

 「わ、わかりました……」

 

 こうして、高遠との戦は終わり、武田軍は甲斐へ戻った。その後、高遠頼継は領地を没収され、伊那から追放された。残りの高遠家臣達の領地は安堵され、伊那衆は武田に忠節を誓った。

 

 

 

 

 

 

 戦が終わり、宴が催された。甘利虎泰は最初から酒を飲み続け、寝てしまったため、長い昔話を聞くことはなかった。そこから真斗は密かに部屋を出て夜風に当たりながらチビチビと酒を飲んでいた。

 

 「真斗」

 

 「これは板垣様。甘利様を運ぶのを手伝ってくださりありがとうございます」

 

 「なに、いつものことだ。気にする必要はない」

 

 板垣信方は真斗の横に座り、酒を一杯飲んだ。

 

 「禰々様の部屋に度々行っていたらしいな」

 

 「……知っていたんですね」

 

 「うむ。そちが禰々様のお心を開かせたことで御屋形様と禰々様は最後の最後で仲直りすることができたのだ。幼い御屋形様と禰々様が仲睦まじくしていることを思い出すほど。御屋形様の守役として礼を言いたくてな」

 

 「いえ、それには及びませんよ。結局、俺は何もできなかった……」

 

 杯を震わせながら真斗は答えた。もっと何かできることはなかったのか。そのことが真斗の頭の中でいっぱいだったのだ。

 

 「それは違う」

 

 「えっ」

 

 「お主が動かなければ、御屋形様と禰々様の仲は暫く拗れていただろう。もしかすれば、御屋形様と禰々様は仲直りができないままになったかもしれん。同じ終わり方でも過程が違うだけで、人の心は救われもするし、救われないこともある。お主のやってきたことは決して無駄ではないのだ」

 

 「……。」

 

 板垣は真斗に語り続ける。

 

 「わしは老いた。若ければ今の御屋形様の斬新な考えも理解できたかもしれぬがな。だが、それは無いものにねだっているのと同じ。今の御屋形様には次郎様や勘助、そして、白井真斗お主達がおる。わしや甘利殿のような老将もお主達を見れば、安心して冥府へ旅立てるといものだ」

 

 飽かなくも、なほ木のもとの夕映えに、月影宿せ花も色そふ

 

 そう呟いた詩こそ、現代まで伝わっている板垣信方の辞世の句だった。真斗は気づいたのだ。板垣信方は死期を悟っているのだと。

 

 「板垣様。弱気になってはなりません!御屋形様は板垣様のお力を頼りになさっているのですから」

 

 「……確かに弱気であったな。だが、人はいつか死ぬ。それは誰にも訪れるもの。その前に意志を残し、誰かが意志を継ぐ。真斗よ。その時はわしの意志を継げ。そちが月影となって、御屋形様の行く道を照らすのじゃ」

 

 「……わかりました。しかし、なぜそのことを俺に?」

 

 その質問に板垣は少し笑い「わからぬ」と答えた。

 

 「わからぬが、お主が御屋形様の運命を変えてくれるかもしれんと感じたのじゃ。父を追い出し、妹を失った御屋形様は領地を拡大する度に何かを失うかもしれんと思い込み、それが呪いとなっているかもしれぬ。それをお主が断ち切ってくれるかもしれん。そう感じたのじゃ。いつかはわしにはわからぬがな」

 

 「板垣様……。そのお言葉しかとこの胸に刻みました」

 

 「そうか。頼むぞ」

 

 真斗は頷き、館を後にした。

 

 

 

 

 

 

 晴信は家臣達が宴で盛り上がっている中、要害山に向かっていた。要害山には禰々と頼重の墓があった。公式の墓ではなく、晴信が密かに別の墓標を立てていたのだ。

 

 山に登り、禰々の墓の近くまで行くと、一人誰かが墓の前に手を合わせていた。最初は暗くて誰なのかはわからなかったが、月の光が山を照らしたことでその姿が見えてきた。

 

 「真斗?」

 

 「勝千代……」

 

 手を合わせていた人の正体は真斗だった。真斗は桔梗の花を墓前に置いた後、晴信に一礼しその場を後にしようとした。

 

 「待って!」

 

 しかし、晴信が真斗を呼び止める。

 

 「少しで良い。少しでいいから、あたしのそばにいて」

 

 と言われた真斗は頷き、留まった。その後、晴信は墓に手を合わせた後、真斗の隣に座った。

 

 「どうして、ここに禰々の墓があるってわかったの?」

 

 「偶然だよ。お墓はあっても、魂はまだ要害山にあるんじゃないかって。そしたら、見たことがないお墓があったからさ。そこに花を備えようって」

 

 「そう…なのね。真斗。あたし達は父上に続いて禰々まで失ったわ。家臣達の前で、死者を二度と振り返らない、涙を流さないと決めたけれど……もうこんな過ちは犯したくない。だけど、冷酷な判断をしてしまうことが怖いの」

 

 国盗りの野望が晴信の家族達を犠牲にする。それに晴信が気づいてしまったのだ。

 

 「領地を拡大する度に次郎ちゃんや孫六、真斗あなたも失いそうで……」

 

 晴信の痩せ細った手を真斗は優しく握った。

 

 「安心しろ。俺は死なない。今回の戦で傷一つ負わなかった。これからの戦も傷一つ負わないからな。あと、生き残ることには自信がある。それに、信繁。あんたもそうだろ?」

 

 木の幹の裏でビクッとなにかが動いた。

 

 「えっ……」

 

 信繁が木の幹からゆっくりと出てきた。宴を抜け出したことに気づいて晴信を追ってきていたのだ。

 

 「気づいていたの?」

 

 「気づかない方が可笑しいって。そんな殺気丸出しの視線を感じない奴がいるのかよ」

 

 「……確かにそうね」

 

 「本当に悪いと思ってる。こういう時は家族だけがいるべきなのによ」

 

 「別に今回は特別よ。あんたが禰々の心を開かせてくれたから、姉上もわたしも一緒に笑うことができた。寧ろ、感謝してるのよ……って、何よそんな驚いた顔をして」

 

 「いや、まさか感謝されるなんてな……。もしかして、明日は槍でも降るのか」

 

 「はぁ!?わたしだって感謝する時はするわよ!あなたのことなんかだいっっっきらいだけど!!」

 

 「まあ、俺が嫌いかどうかは兎も角。返答は?死ぬつもりはないんだろ?」

 

 「当たり前よ。姉上と共にいるわ。やっと、姉妹仲睦まじくいれるもの」

 

 「ほんとに?二人とも死なないって約束してくれる?」

 

 「俺たちがそう言っているんだ。約束するに決まってる」

 

 「真斗と同じ意見なのは癪だけど、わたしもそうよ」

 

 そう言って真斗と信繁は晴信に微笑んだ。

 

 夜が明け、日が昇りはじめる。朝日の優しい光が晴信達を照らしていった。




 禰々の享年は僅か16歳。原作でも史実と変わりなく、不遇な人生でしたが、あまりにも可哀想だった為、少しでも救いのあるような終わり方にしました。

 ここからは信濃攻略において信濃最強の敵と刃を交えることになります。武田家に襲いかかる苦難にどう立ち向かうのか、どうかお楽しみにしてください。


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第8話 結成、金山衆

 ここから少し投稿頻度が遅くなりそうです。


 伊那を平定してから暫く経ち、甲斐と駿河、そして関東に激震が走った。北条氏康が関東管領上杉憲政、扇谷上杉朝定、古河公方足利晴氏の連合軍八万の軍勢を僅か八千でこれを打ち破ったのだ。

 

 この出来事について晴信、そして家臣達は話し合っていた。

 

 「さすが、北条氏康。先代の氏綱公から受け継いだ才能を見事に発揮している。命乞いの文をばら撒いて敵を混乱させるなんざ朝飯前ってところか」

 

 「真斗の言う通り、北条氏康は今まで争い合っていた勢力だからこそ、そこに漬け込んだのだ」

 

 そこに「女狐という言葉は北条氏康のためにある言葉だな。北条は見捨てても良かったんじゃないか」と横田備中は呟く。

 

 「いえ、北条は上洛に興味はなく、関東に王国を作ることが目的。それに、北条が負けていれば信濃侵攻に支障をきたすのは明白。これで良かったのです」

 

 「これで関東管領の権威は失墜したか」

 

 「いや、そうとも限りませぬ。上杉憲政は必ず再起を図る為にここ佐久の地に出兵してしきましょうぞ」

 

 板垣の質問に勘助が答える。河越夜戦でまともに戦ったのは扇谷上杉と足利晴氏であり、上杉憲政はまともに戦おうとせずに撤退した為、余力は残っていた。

 

 「となれば、これから攻めるは志賀城主の笠原清繁となるか……」

 

 甘利虎泰は次なる相手について考えていた。志賀城主である笠原清繁は佐久郡の国人で、上杉家臣と縁戚関係であるため上杉方として武田と対立していた。余談だが、諏訪の一族とも言われている。

 

 「確かに志賀城を攻め落とすことは必定でしょうが、関東管領は佐久に三千の兵を率いて向かっておりまする。そこを叩けば志賀城攻めも楽になりましょう。御屋形様、いかになさいまするか?」

 

 「勘助。天の時は上杉憲政のもとを去った。関東を統治する能力も持たずいたずらに戦乱を長びかせてきた関東管領などという足利幕府の亡霊を、今こそ滅ぼすべき時だ。関東管領を討ち、その軍は徹底的に蹂躙し、殺し尽くす。上杉軍から捕虜は取るな。みな斬首せよ。二度と、甲斐信濃の地には関東の軍勢を踏み込ませぬ」

 

 「それはやりすぎでは!?」と板垣は異議を唱えたが、晴信は聞く耳を持たなかった。ただ晴信の戦の方針はただ一つ。「上杉憲政の首を取れ」それだけであった。真斗は晴信が何か焦っているように感じた。

 

 「御屋形さま。今すぐに急ぎ奇襲をかければ勝てまする。決戦の地は小田井原になりましょう。諏訪での合戦とは異なり、血腥い戦いになりますぞ」

 

 山本勘助はこれからの戦の展開を予想する。

 

 「覚悟の上だ。板垣。甘利。横田。そして、飯富兵部。武田四天王全員をこの決戦に注ぎ込む。必ずや上杉憲政の首を取れ!」

 

 戦場は小田井原となった。武田は碓氷峠を越えてくる上杉軍を待ち伏せしていた。互いの軍勢はともに三千。上杉軍は河越夜戦から日はそれほど経っておらず、兵達は疲弊しており士気が低かった。戦の勝敗は決定的となった。

 

 板垣、甘利、横田、飯富勢が次々と上杉軍を薙ぎ倒していく。真斗も板垣勢の与力として戦に参加し、槍を振るった。敵はただ蹂躙され、降る者も悉く首を刎ねられた。

 

 程なくして上杉軍は撤退を余儀なくされた。そして、佐久郡にいる上杉方の国人達は次々と降伏していき、佐久の地は武田が完全に支配することとなったのである。

 

 戦後処理について、晴信は伊那郡を平定した際、旧高遠の家臣達の殆どは領地を安堵され、捕虜達は解放されたが、今回は違った。佐久衆の捕虜達は金山へ送られた。村上義清を倒すための軍資金を必要とし、それを作るための金掘り人が不足していたためである。所謂、強制労働だった。

 

 これには、「佐久衆は武田に着くことを決めたんだ。そこまでする必要はないだろ!?」、「佐久衆に対してだけ、あまりにもむごいわ」と真斗と信繁の晴信が最も信頼している二人に反対されたが、晴信はこれを突っぱねた。

 

 これに真斗は頭を悩ませていた。

 

 「まずいな。このままだと、佐久衆の武田に対する忠誠が揺らぐ。もしかしたら、最悪の事態を考えなきゃいけないな」

 

 「正にブラック企業『風林火山』だな…」と呟き、屋敷の中でゴロゴロ寝転がりながら考えていた。

 

 「最悪の事態って?」

 

 「ああ、最悪の事態っていうのは……っておい信繁。何で俺の屋敷にいるんだよ」

 

 信繁が真斗の屋敷に上がり込んでいた。

 

 「わたしだけじゃないわよ」

 

 信繁だけではなかった。春日源五郎、工藤佑長もいた。

 

 「珍しい組み合わせだな、三人ともどうしたんだ?」

 

 「真斗さん。何を言ってるんです?ここにいるのは信繁さまと私だけですよ?」

 

 「ちょっと、私もいますよー!あー、綺麗な服を貰ったのに、目立たないなんて……」

 

 真斗は試しに工藤に華やかな服を買い与えてみたが、影の薄さは相変わらず。しかも、与えた真斗すら、この事を忘れる始末となっていた。

 

 「取り敢えず、上がってくれ。茶をたてるから」

 

 白井真斗は現代にいた時には茶道部に所属していた。その為、作法はある程度身に付けている。因みに流派は裏千家だ。

 

 「どうぞ」

 

 まだ、茶の文化が京に留まっているこの時代、信繁達は作法を知らない為、このままお茶を口に運んだ。

 

 「……美味しいわね」

 

 「美味しいです!」

 

 「もう一杯貰えませんか?」

 

 「その前にさっきの質問を先に答えたいんだけど、いいか?」

 

 「そうね。まずはそっちを聞きたいわ」

 

 「まず、今回は流石に佐久衆が可哀想だ。板垣様も言っていたが、貧乏くじを引かされて佐久衆の人たちが納得するはずがない」

 

 実際に、晴信が行なった行為は信濃の国人達の反発を強める結果となった。反武田の勢力が村上義清に集結しつつある。衝突は必至だった。

 

 「その通りだと思うわ。このまま虐げられたら忽ち反乱が起こる」

 

 「そうなれば信濃攻略なんてしている場合ではないです。反乱が起こったら、私達は逃げるしかなくなります」

 

 「源五郎の言う通りだ。もし、小笠原、または村上が佐久衆の旧領回復を謳って侵攻を開始したら、それに呼応して内側からも攻められる。そうなれば、武田家存亡の危機になりかねない」

 

 「じゃあ、どうすれば良いですか?」

 

 「答えは簡単だ。佐久衆が貧乏くじを引いたのなら、今度は俺たちも引けば良い」

 

 「えっと……つまり?」

 

 「俺たちも金を掘るんだよ」

 

 佐久衆が苦しんでいるのなら、自分達も同じ苦しみを共有すれば良いという考えは周囲から見て奇抜な考え方だった。

 

 

 

 

 佐久衆の人達が金山で働かせられている。あまりにも過酷な労働環境に不満は溜まる一方だった。

 

 「くそっ、何で俺たちが……」

 

 「伊那衆の奴らは安堵されたっていうのに、俺たちはここで働かされているんだ……」

 

 金山の中から最も多く取れていたのは金ではなく、佐久衆の不満の声だった。

 

 「お前ら、武田の家臣が来たぞ!」

 

 仲間の声が聞こえ、一旦作業を中断し、佐久衆は挨拶しに向かった。

 

 「よいよい。別に挨拶しに来なくても」

 

 「は、はい……。それでどんな御用件で?」

 

 「いや、何。俺達も手伝いたいと思ってな」

 

 真斗の後ろにかつて真斗を助けてくれた村の百姓達や、足軽、諏訪衆や伊那衆の人たちが来ていた。

 

 「お前たちは我らに逆らわず、武田に味方することを決めてくれた!だがしかし、俺たちはこの金山に送る結果となった。この事に、御屋形様も俺達武田家臣団も申し訳なく思っている。ならば、せめてお前たちと苦楽を共にしたい。それがお前達にできる償いだと思った。労働環境も改善し、飯も多く食えるようにしよう!そして、完全週休二日制!有給休暇も取らせる!」

 

 「あ、あの……『ゆうきゅう』とは?」

 

 「ああ、一日休んでも一定数の給与を与えるってことだ。つまり一日限定、何もせずにお金が貰える」

 

 「お、おぉ!こりゃあ、すげぇ!」

 

 「そ、そんなあなた様がそこまでする必要は……」

 

 「ないと申すか?それは違う。これは俺たちが決めてここに来たのだ。何も気にすることはない」

 

 「行くぞお前ら!今こそ、武田の臣下の者同士、助け合う時だ!一堀りいこうぜぇぇぇえ!!」

 

 「「「「おぉぉぉぉぉっ!!」」」」

 

 こうして、真斗による佐久衆融和作戦が始まった。真斗自らツルハシを手に取り、身分関係なく、金山を掘り進めていった。人員が増えたことによって佐久衆の負担は格段に下がり、採掘速度が格段に上がった。そして、休みの日を設けることで心の余裕が生まれるようになり、佐久の地に帰ったり、甲斐に留まって住んでいた人たちと交流をしていく者もいた。

 

 真斗自身も身分関係なく屋敷に招き、夕食や酒を振る舞った。そこから武田に対する不満を聞いたり、働く環境としてどういうものが求められているのかを把握し、労働環境を整えていったりした。

 

 他にも真斗は十分な食料を供給させる為に二代目の武田四天王達をパシリ……ではなく、駿河、相模に派遣させて甲斐の特産品を売らせ、資金を貯め、特産品を買い、そして売ることを繰り返すことを指示した。そして、得た金銭を使い米を購入し、金山に働くものたち与え続けた。またそこから金掘り人のやる気も上がっていき、金がどんどん採掘され、その利益からまた特産品を買い、売っていくというサイクルが生まれた。

 

 そこから一ヶ月が経ち、佐久衆の武田に対する不満な声は殆ど聞こえなくなり、次第に支持する声が高まっていったのだ。

 

 「俺たち武田ではなく、白井様に着いてきます!」

 

 「ワシらを部下にしてくだせぇ!」

 

 「白井様!白井様!」

 

 武田ではなく、真斗を支持する声が。

 

 「姉上ではなく、あなたに忠誠を誓ってるわね……」

 

 「……あれ?こんなはずじゃなかったんだけどな……」

 

 真斗は予想外な結果に唖然としていた。

 

 「これで良かったのでしょうか?」

 

 春日源五郎もこの不思議な結果に疑問を感じざるを得なかった。

 

 「良いんじゃないかしら?真斗の主君が姉上である限り彼らは武田に反旗を翻すことはないと思うわ。それに、真斗が裏切ることなんてありえないもの」

 

 信繁は気楽そうにこの状況を見ていた。

 

 「何か最近、お前の俺に対する評価が高くなってるような気がするんだが……」

 

 「わたしは当然のことを言ってるだけよ。姉上のためにここまでする家臣なんてそうそういないわ」

 

 この纏まりが後に「金山衆(かなやましゅう)」と呼ばれ、城攻めの際に破壊工作で活躍していく集団として、真斗の与力となる事は、この時の真斗は知る由もなかった。

 

 

 




 史実では、武田は小田井原の戦いの後討ち取った者の首を志賀城の前に並べていき、敵方の士気を弱めたと言われています。
 また、志賀城陥落後の捕虜達は男女問わず奴隷として甲斐に送られ、2貫文から10貫文で売り払われたと言われています。この残酷な処置を行なった結果、信濃の国人達の反発強め、逃げ伸びた者達は村上義清に頼り、それが上田原合戦にまで発展していきます。

 この作品ではそんな捕虜達をあえて金山衆として武田家の戦力にさせてみました。

 史実での金山衆は文字通り金山を採掘していた集団のことで、城の破壊工作を行った他、掘削技術は道路建設や土木技術の発達にも貢献しました。


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第九話 両雄散る!

お久しぶりです。卒論終わりましたー!長かった…!今、あと2話分のストックができそうなのである程度更新できそうです。頑張ります!


 真斗が佐久衆融和作戦を進めている間、晴信と山本勘助は村上義清との対決に向けて準備を進めていた。信濃侵攻に勢いが増している武田に迂闊に手を出せないと感じたのか、村上家の同盟相手である守護の小笠原長時は静観を維持している。

 

 小笠原の援軍に頼ることができなくなった村上義清は小県郡(現在の長野県上田市、小諸市の一部、東御市の一部)にある最重要拠点、砥石城に籠る、と勘助は予想。晴信の率いる本体と信繁率いる別働隊でを挟み撃ちにするという作戦を立てた。

 

 しかし、村上義清は勘助の予想を裏切り、砥石城に篭らず、自ら率いて出陣し、千曲川北岸の岩鼻を通り過ぎ須々貴山に陣を敷いた。総数五千人。この行動こそ、村上義清が勇猛果敢な人物だということを物語っていた。

 

 武田は五千の兵を率いて甲府を出発し、上原城で待っていた板垣信方が率いる諏訪衆、小山田信有が率いる郡内衆と合流し、南岸の上田原に着陣した。数は八千に膨れ上がった。

 

 お互い、浦野川と産川の合流点付近で対峙することとなった。

 

 上田原は広大な平地であり、奇襲や挟み撃ちにすることすら難しい戦場だった。その結果、策を弄すことなどできない。ここからは互いの持てる力をぶつけ合う真っ向勝負となった。

 

 

〈武田軍本陣〉

 

 

 

「信濃最強の村上義清を破れば、小笠原などは戦わずして武田に降る。これが信濃統一のための最後の合戦となる。勝てば、宿老の板垣信方と甘利虎泰にはそれぞれ信濃の一城を知行地として与える。手柄を立てたそれぞれの武将にも、知行を約束しよう。信濃全域を手に入れれば武田の国力は三倍に増す。越後にも東海道にも侵出することができる。海に出られるぞ。甲斐は、豊国へと一変する。佐久の領民も、苦役から解放できる」

 

「戦に勝つ前に大盤振る舞いをするのは不吉でございます。論功行賞は、勝ち戦の前に行うもの」

 

 板垣信方は晴信に諫言する。晴信の言っていることは勝ちを前提としている。今の状態は危ういと感じ取っていた。

 

「城など要らぬ。わしはただ甲斐に武田晴信あり、と天下に示すことができればそれでいい。駿河の大殿、晴信様のご活躍をなにとぞご覧あれ! うおおおおん!」

 

 甘利虎泰は褒美の有無に関係なく、この戦に対してやる気が満ち溢れている。

 

 志賀城陥落以降、佐久の地は荒れた。真斗が融和策を取っていたものの、それは金山に送られた者だけの話であり、佐久郡の国人達は金山に送り強制労働させた武田に対して反旗を翻した。その度に鎮圧してきたが、度重なる連戦によって兵達は疲れていた。

 

「御屋形様。こたびの戦、正面から衝突して押し切れればよろしいのですが、我らの軍は連戦続きで疲弊しております。数で圧倒しているとはいえ村上軍を侮ってはなりませんぞ」

 

「板垣は心配性だな。焦ってはいない。今更に村上義清個人の武勇で覆せるような戦力差ではなかろう。なにも問題はない」

 

「それは違う」

 

 晴信の言うことに異を唱えたものがいた。白井真斗だった。

 

「真斗、どういうことだ?」

 

「御屋形様。村上義清は個人の武勇だけにあらず、このような場面の真っ向勝負で戦ってきた経験は御屋形様と比べるまでもなく多い。そして、志賀城から逃げ延びた者、我らに反旗を翻した者たちが村上に集結し、士気は高くなっている。村上義清はただ単に兵力差だけで勝てると考えてはいけない」

 

 真斗は知っている。この合戦で武田は敗北を喫することに。だからこそ、勝利のことしか見ていない晴信に板垣と重ねて諫言した。

 

「……真斗よ。お前も板垣と同じで心配性だな。何も心配することはない。この戦、兵力差では我らが有利なのだ。これは誰が見てもわかることだ」

 

「そうだぞ、真斗。お前、なんだか板垣に似てきているな。もしかして本当は親子なんじゃないのか?」

 

 飯富兵部が真斗と板垣を揶揄う。

 

「いやいや、それこそどう見たって違うだろ」と真斗は否定するが、「確かに性格が似とるな……」と甘利が二人を見ながら呟いた。

 

「んん……。それよりも勘助。そちはどんな考えだ?」

 

 話が逸れかけた所を板垣が咳払いし、勘助に今の状況を聞いた。まず、物見をさせた兵が帰ってこないため、敵がどのような戦法を取ろうとするか掴めないということ。そこには加藤段蔵が率いている戸隠忍群(とがくしにんぐん)が妨害していることだった。

 

 そこで多くの忍びを抱えている真田幸隆を雇おうとしているが、上野から動く様子はなく、武田に本当につくべきか見定めているのではないかと予測していた。

 

「じゃあ、武田につかせるためにはどうすれば良い?」

 

 真斗は真田幸隆が武田に味方する条件を聞く。

 

「そこまで難しい条件はござらん。我らが村上と敵対する姿勢を見せれば、真田は甲斐に来ることは間違いない」

 

 信虎時代の武田は村上と結び真田幸隆の主家である海野棟綱を上野へ追い出し、また真田幸隆も真田の庄を失ってしまった。信虎から晴信に当主が変わったとしても村上と再度結ぶ可能性があるのなら、領地を取り戻すことができない可能性もあるため、中々甲斐に来る決断ができなかったのだ。

 

「真田を帰順させたのちに村上との決戦に及ぶべきだと拙者は考えておったが、そういうことであれば村上とこの場で戦うべきであろうな」

 

 今回の村上義清という相手を一番知っているのは他でもない真田幸隆だ。だが、村上と戦わない限り幸隆が武田に味方しないのであれば、多少のリスクを取らなければならない。今回の上田原での合戦がまさにそれだった。

 

 これには真斗は納得するしかなかった。これからの後に真田幸隆を始め、真田一族の活躍が武田家の領土拡大に大きな影響を与える。

 

「(板垣様と甘利様を助けることができないのか……!)」

 

 真斗は奥歯を噛み締めた。

 

 しかし、これで未来が確定したわけではない。戦が始まる前に何かできることはあるはず。

 

 真斗は深呼吸をして、心を落ち着かせた。

 

「きゃっ? 太郎? お前、今あたしの胸を触らなかったか?」

 

「え? 触ってねえよ? だいいち、お前に胸なんてあったか?」

 

 そんな時、兵部の問いかけに対して太郎は疑惑を否定する。真斗は太郎と兵部と一緒に稽古をしていたこともあり、気づいていたが、偶にこういうラブコメっぽいトラブルが起きていた。そして、今はその頻度が多くなっている。

 

「あるよっ! あたしだってもう子供じゃないんだ。ガキの頃みたいに勝手に冗談半分であたしの胸をまさぐったりしたら、殺すぞ」

 

「こらこら兵部。主筋の太郎さまに『殺すぞ』はいかん。まるっきり子供の言いぐさではないか」

 

 胸を触られてキレる飯富に甘利が仲裁に入る。

 

「だってこいつ、相変わらずあたしを女だと思ってないんだ!」

 

(もう、さっさと結ばれて、そして爆ぜてくれ。糖分はこれ以上いらん)

 真斗は心の中でつぶやく。

 

「そうか。飯富兵部は、女だったっけか」

 

 今度は横田備中が飯富をいじり出す。

 

「横田。あんたまでそれを言うのか?」

 

「俺は神頼みはしねえが、験を担ぐんだ。お前のような豪傑の姫武将が急に色気づいて『あたしは女だ』と言いだしたり、俺のような独り身を貫いてきた戦争屋が『この合戦が終わったら俺はあの女に祝言を申し込む』と恋話を吹きはじめたらそいつは戦で死ぬ予兆だぜ。やめておけ」

 

「おいこら横田。やせっぽちのあたしがいつ張飛みたいな豪傑になったよ?」

 

「今だってそうやって、イナゴを食い散らかしている」

 

 兵部はいつもイナゴを食っている。河東へ出陣する時もイナゴを食べていた。イナゴは兵部のソウルフードになっているのかもしれない。

 

「伊那ではみんな食ってるよっ! 栄養あるんだぜ、これ。毎日食えば少しは胸も膨らむかもな、姫さまみたいに。っていうか横田。あんたみたいな男の口から祝言なんて言葉が飛びだすとはな。あんたこそ死にそうだな、はははっ」

 

「そうだな。俺が戦場で強いのは、なにも背負っていないからだ。いつ討ち死にしようが、どうでもいい。ただ目先の敵の首さえ落とせれば俺はそれで満足だ。いちど守る者を背負っちまうと、俺のような闘犬は弱くなるものさ。だが……それはそれで犬の死に様としては、幸せなものかもな」

 

「……横田?」

 

 横田が言ったことに甘利が説教を始める。この和やかな雰囲気は信虎時代にはなかった。家族のように接し合うことこそ、晴信が求めていた家臣団だった。

 

「とはいえこの決戦、無傷では勝てますまい。これは武田が戦国大名として生まれ変わるための産みの苦しみと言ってもいいでしょうな。みなの衆、よろしく頼み申す」

 

「いや勘助。あたしは強引な戦で四天王たちを失いたくはない。四天王は父上が甲斐に残してくれた貴重な財産だ。万が一にも形勢不利とみれば、退こう。もっとも、この戦力差があれば万が一はないはずだが」

 

 その万が一が起こりうるのが戦国の世である。

 

 晴信は真斗の言っていた事を思い出すが、不安を振り払おうとするかのように首を横に振った。

 

(ううん、大丈夫。今のあたし達なら勝てる絶対に勝てる!)

 

 

 

 

 

 軍議が始まる。勘助の策略が通らないこの現状、村上義清と戦ったことのある板垣信方と甘利虎泰の意見が重宝された。二人の経験によると、村上義清は武田信虎と同じように真っ直ぐに突進する武将ということだ。

 

 戦術は実に単純にして明解である。ただ、真斗の中で懸念点があった。戸隠忍群の存在である。偵察させた兵が帰ってきていないことから、何か戦術を隠しているに違いない。そう考えていた。当然、その事を頭に入れていない晴信と勘助ではなかった。

 様子見として弓矢での揺さぶりする考えも出てきていたが、あの村上義清の性格からして戦術を変えるとは思えないという板垣、甘利の意見があったため、晴信と勘助はその意見に同意した。

 

 真斗は村上義清という人物像を知っているわけではないため、軍議で意見を出すことができなかった。

 

 先鋒は板垣、甘利、諏訪衆。中備えに太郎と飯富、横田備中。そして、後衛に晴信と旗本近衛軍。真斗は板垣隊の配属となった。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 そして、決戦前夜、真斗と板垣は今の状況について話し合っていた。

 

「真斗」

 

「どうされましたか。板垣様」

 

「この戦、どう思う?」

 

「そうですね……。決して、板垣様や甘利様を疑ってはいませんが、この戦何かあります。あの加藤段蔵達が村上義清の戦術を隠しているように見えるんです」

 

「うむ……。しかし、かといって退くわけにもいくまい。退けば諏訪と佐久の支配が揺らぎ、信濃統一が遠のいてしまう」

 

「はい」

 

「何、心配することはない!!村上がどのような戦法を用いようが、蹴散らすのみ!!」

 

 二人に向かって甘利虎泰が言い放つ。

 

「甘利様、いつの間に……」

 

「真斗よ。お前のその慎重さも大切だが、お主がこのままでは兵の士気にも関わるぞ」

 

「っ……!」

 

 甘利の言葉に真斗は「はっ」と気がついた。兵たちは自分たちを信じて前に進む。しかし、その指揮官が迷っていては兵も迷うのは必然だった。

 

 真斗はこの戦の敗因を自ら作るところだったのだ。

 

「ありがとうございます、甘利様。おかげで目が覚めました」

 

「うむ!ならばよし!」

 

 甘利は「ははははっ!!」と笑いながら満足げに持ち場へ戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 夜が明け、朝日が登る。本当にこの先どうなるのかわからない。今の武田軍ができることは、目の前の敵の戦法を見てその場で対応することだ。かなり難しいことだが、やるしかなかった。

 

 法螺貝を吹き、戦が始まる。開戦してすぐに村上勢が板垣隊に向けて射掛ける。この時点から今まで村上義清が使っていた戦法と明らかに違っていた。

 

「怯むな!攻め込め!村上は腰が引けているぞ!!」

 

 板垣が兵に檄を入れ、千曲川を渡らせ、村上軍に向けて突撃をかける。しかし、それこそが村上義清が狙っていたことだった。

 

「なに!?これは……」

 

 板垣隊を待ち構えていたのは、隙間なく密集し、長い槍を構えた足軽たちだった。

 

「かかれぇぇぇえ!!」

 

 村上義清の号令と共に足軽たちは板垣信方に向かって突撃をかけた。

 

 長槍を持たせた歩兵たちを密集させて突撃をかける。この戦法は紀元前から使われていた戦法だ。あのマケドニア帝国のアレキサンダー大王もこの戦法を得意としていた。現代では「ファランクス」という名で呼ばれている。

 

 この戦法の大きな利点は槍の扱いに長けていなくとも容易に敵を倒すことができるということだ。武田軍は個人の武勇に頼るところがとても大きく、それは信虎から晴信に変わってもこの態勢は変わることはなかった。今の武田にとって、最も相性の悪い戦法といえる。

 

「申し上げます!初鹿伝右衛門様、お討死!」

 

 そして、板垣隊の中で最強と呼ばれた初鹿伝右衛門が討死した。

 

「なんと……。そうか。村上義清と直接戦った経験がある拙者や甘利ら老臣から得た情報を、御屋形さまも勘助も鵜吞みにしていた。あの二人には村上戦の経験がなく、拙者たちにはあった。それゆえにわれらの意見が尊重された。だが、それが過ちだったか……。」

 

 戦法による相性差、晴信と勘助の戦の経験不足。この二つが上田原の戦いの勝敗を分けた。

 

「──その通りだ。板垣信方。貴様は武田信虎の重臣ではあったが、武田晴信が造ろうとしている新しき甲斐、新しき武田軍にとっては時代遅れの老将よ」

 

 村上の本陣から黒馬に乗った男が姿を表す。武田信虎を彷彿させるような殺気と獣臭。そして、獲物を狙う狼のような目で板垣を見ていた。

 

 真斗はこの男の正体が一瞬でわかった。

 

「こいつが村上義清……!」

 

「この千曲川が、貴様らの三途の川だ。武田家中興を果たした名将板垣駿河守信方よ。最期は、この俺の手で冥土へ送ってやろう」

 

「くっ、板垣様をお守りせよ!」

 

 真斗の指示で兵たちは村上義清に向かうが、次々となぎ倒されていく。

 

「だめだ。このままじゃ……」

 

 大将の首を取れずとも、大きな傷を負わせれば戦は終わる。今、目の前にいる村上義清を討ち取らなくても相討ち覚悟でいけば、負けたとしても損害を小さくできるかもしれない。

 

 そう考え、真斗は村上軍に突撃しようとしたが、板垣に肩を掴まれ止められた。

 

「……真斗。ここはわしに任せ、御屋形様の護衛に行け!」

 

「な…何を言ってるんですか!!俺が村上義清をここで食い止めます!」

 

「ならぬ!!」

 

「そんな!?俺はこんなところで板垣様をここで死なせるわけにはいきません!」

 

「まだ分からぬか、戯け者!!!!」

 

 板垣信方の大声が戦場に響き渡る。味方だけでなく、敵の兵も一瞬怯んだ。

 

「よく聞け。この戦の勝敗はすでに決した。悔しいが、わしは時代遅れの老将じゃ。しかし、お主は違う。武田の未来を切り拓く力を持っておる。力のあるお主を死なせるわけにはいかぬ!」

 

「……。」

 

「もうわかるな」

 

 真斗は震えながら頷く。

 

「これから御屋形様のところへ向かう。着いて来い」

 

 真斗は兵達そう告げて急いで晴信のいる本陣へ向かった。

 

「……行ったか。む、お前たちは」

 

「板垣様。わしはここに残りますだぁ!」

 

 しかし、板垣隊に残る兵達も数多くいた。皆、信虎の時から板垣に仕え、最後まで自分の主君について行くと決めていた者達だった。

 

「お前達……。そうか、わしと共に冥府へ行ってくれるか」

 

 板垣の言葉に兵達は頷く。士気は今までになく高い。

 

「全軍、川岸へ戻れ!川岸へ戻り、首実験を行う!」

 

 兵士達が陣を敷き、人と馬で壁を築き始めた。

 

 

 江戸時代に作られた甲陽軍鑑によると、板垣信方は上田原の合戦の際、油断して首実験を行ったと言われている。しかし、合戦当時の資料はないため、明確な理由は定かではない。戦の結果が伝えられるのはいつの時でも勝者(・・)であるため、本当の理由を知る者はその時にいた人達だけである。

 

 

 後方から板垣を救おうと甘利虎泰が慌てて駆けつける。

 

「甘利よ。拙者とともに死ぬつもりか」

 

「うおおおっ!板垣!ここで死ぬことは許さんぞ!!」

 

 甘利の言ったことに「フッ……」と板垣は笑う。

 

「安心せよ。わしは死なぬ。武田の未来に繋げるためにあの小さな背中にわしの意志を託した。その者が託した意志を忘れぬ限り決して死ぬことはない」

 

 板垣は武田本陣の方へ向きながら言った。その方向には晴信、信繁、勘助、飯富、横田、そして真斗がいる。

 

「何を弱気なことを!」

 

「弱気ではない。むしろ強気だ。心残りがあれば死んでも死にきれん」

 

「ううむ……、そうか。ならば……」

 

 甘利は渋々納得し、迫る村上軍の方へ向いた。

 

「我らは御先代様の時から数十年仕えてきた仲だ。お主と共に冥府へ参ろう」

 

「板垣信方に、甘利虎泰か。悪いが時間は稼がせぬ。俺の流儀ではないが、一瞬で終わらせる。天の時がわが頭上に輝いているならば、まもなく晴信は死ぬ。だが天の時が晴信のもとにあるならば、俺は武田晴信率いる武田軍を新たに生まれ変わらせるという大仕事を手伝ってやったということになろう──」

 

「そうとも。今日の勝ちはそなたのものだ。しかし御屋形さまはこの経験によって、お強くなられる。日ノ本一の武将になられる」

 

「いや、まだだ。まだひよっこだ。女は、武将にはなりきれん。なりきる前に、俺がその首を落とす」

 

「ならねばならぬ、御屋形さまはな」

 

 村上義清が馬に鞭を入れ、板垣信方に目掛けて突進する。しかし、甘利虎泰も同時に馬に鞭を入れ、村上義清へと迫った。

 

 (わしも老いた、この狼には勝てぬ! 一撃で討たれる! 板垣、この一騎討ちの隙を摑め! 卑劣であろうがなんであろうが村上義清をここで止めよ!)

 

 甘利虎泰が心の中で板垣に向けて訴える。板垣は頷き、刀を取り、義清目掛けて刀を抜いた。

 

 しかし、義清は切られなかった。板垣が持っていた刀が突如、消えたのだ。

 

「なんと!?」

 

 何を隠そう、加藤段蔵が率いる戸隠忍群が動きだしており、板垣の刀を奪っていた。刀が無い板垣にはもはやなす術はない。

 

 甘利虎泰の首は既になく、村上義清の槍は板垣の首を捉えていた。

 

 

『板垣!』

 

 板垣は幼い晴信が笑顔で自分を呼ぶ姿を思い出す。守役を務め始めた頃の温かい一時の瞬間。

 

「姫様……」

 

 板垣信方は義清によって貫かれた。

 

 

 

 

 

 

 

「板垣信方様、甘利虎泰様お討死!」

 

 本陣に向かう真斗に伝令が二人の死を伝える。

 

「……。」

 

「白井様……」

 

「……わかってる。板垣様と甘利様の死を無駄にするな!絶対に御屋形様のお命をお守りしろ!」

 

「「「はっ!」」」

 

 真斗は兵達に配置を伝え、晴信のところへ向かった。

 

「真斗!」

 

「御屋形様……。勘助さんは」

 

「勘助は信繁のところへ向かった」

 

「なら、勘助さんから聞いたと思うが、早く撤退の指示を」

 

「……だが、村上義清がそんな猶予を与えてはくれなかったようだ」

 

 幔幕が破られ、巨大な黒馬に跨がった武者が現れる。村上義清だ。

 

 晴信は村上義清の姿を見て硬直した。狼の如く自分を睨むその姿は武田信虎を彷彿させたからだ。

 

「武田晴信、その首をいただく。葛尾城主村上義清、参る」

 

「(体が動かない……!)」

 

「……。」

 

 真斗は晴信を一瞬見た後、一度頷き、村上義清の前に立ち塞がる。晴信は何故か安心感を感じた。

 

「お前は板垣信方のところにいた小僧か」

 

「悪いがここは通させねぇ。板垣様に託されたんだ俺は!」

 

「ならば、貴様ごと晴信を叩くまでだ!」

 

 義清は真斗ごと晴信に向けて槍を振り下ろす。

 

 キンッ!

 

 真斗の槍と義清の槍が擦れ合う音が響く。振り下ろされた槍は真斗によって受け流される。

 

「くっ!」

 

 義清は馬上から何度も槍を振り下ろすが、真斗の正確な槍捌きによって弾かれる。

 

「(力も速さもこちらが上!しかし、何故だ!?何故此奴を討ち取れない……!)」

 

「(流石、村上義清だ!力も速さも俺とは比べ物にならない。敵討ちしたいっていうのに、受け流すのが精一杯だ!)」

 

 力と技が拮抗し続ける。しかし、お互い、隙を作ってしまえば、討ち取られるのは明白。村上義清は真斗を相手にしている限り、晴信を討ち取る機会を失うこととなった。

 

「……そうか。なるほど、巧さは貴様が上か。巧さだけで我が槍をこうも受け流すとはな。名は」

 

「白井真斗」

 

「そうか、加藤段蔵が言っていた……だが白井真斗。我らの目的は武田晴信を殺すことだ。悪いが手段は選ばんぞ」

 

「……!」

 

「……『鳶加藤』、参る。武田晴信。女を殺すのは俺の性に合わんが、貴様は別だ。貴様が人を束ねて死地へと送り込むその才気は、男女の別などを超越している」

 

 そう言った時に鳶ノ術を使った加藤段蔵が晴信の背後を取られていた。既に刀は抜かれており、晴信には逃げ場はない。

 

「ああ…。知ってたさ。そんなことは」

 

 ドコォ!!!

 

 真斗の後ろで誰かが吹き飛ばされた。それは晴信ではなく、段蔵の方だった。

 

「何が起こった!?」

 

 村上義清は今起こった事に対して収拾がつかなかった。

 

「いや、何が起こったも何も。『殴られて吹き飛ばされた』それだけさ。」

 

 段蔵を吹き飛ばした正体は拳を突き出した構えを取った工藤祐長だった。

 

「本当にできちゃった……」

 

 段蔵を吹き飛ばしたことに驚きを隠せない工藤。この方法を教えたのは何を隠そう真斗である。

 

 

〜〜〜回想〜〜〜

 

 

「工藤ちゃん」

 

「どうしました。真斗さん」

 

 勘助の軍法の講義が終わり、家へ帰る工藤を真斗が引き止める。

 

「俺は君や源四郎ちゃん達に体術を教えている。これは自分や御屋形様を守るためのものなのはわかってる?」

 

「ええ、それはもう当然」

 

「それでだ。これから工藤ちゃんにだけ少し先のことを教えようと思って」

 

「え、それはどうして?源四郎や信房じゃなくて?」

 

「お前だけだ。後でみんなにも教えるけど、工藤ちゃんだけには早めに教える。なぜなら……」

 

 

「私の存在感の薄さは御屋形様を守るための武器に繋がる……!ありがとうございます、真斗さん。私、少し自分のことが好きになれた気がします!」

 

 工藤の身体能力は真斗や他の2代目四天王達と比べると、そこまで力はない。しかし、体全体を動かし、腕に力を集中させれば話が変わる。そこまで力はなくとも、大人でも大きなダメージを与えられることができる。

 

「いつのまに、伏兵を……!」

 

 段蔵は腹を押さえながら工藤を睨みつける。

 

「あなたが気づかなかっただけですよ。まあ、私達も気づきませんでしたが……」

 

 段蔵の周りには馬場信房、飯富源四郎、春日源五郎が囲んでいた。

 

「姫武将三人でこの俺を抑えられると思うな!」

 

 段蔵は再び鳶ノ術を使う。しかし、ここまでが限度。これ以上鳶ノ術を使っては体がもたない。この戦での最後の賭けだった。

 

「加藤は上空から来るぞ、妹よ!」

 

 武田の間者として男装した娘がそう叫ぶが、戦の喧噪によってかき消えてしまう。その声を聞くには距離が足りなかった。

 

「(よくぞ見抜いた!だが、遠い!)」

 

 工藤は晴信の側にいたが、先程は奇襲のようなもの。二度も通じない。

 

「応! 鳶ノ術、捉えたぞ姉者! 行け佐助!」

 

「なに!?」

 

 いつの間にか、晴信の側に見知らぬ二人の姫小姓が侍っていたのだ。一人は肌が青白く、酷く痩せていた。そして、もう一人は。

 

「ウキッ。心うきうきでござるな! 鳶加藤殿、お命頂戴いたす!」

 

「貴様ッ、猿飛!? なぜここに?」

 

 加藤段蔵と同じく鳶ノ術を使う忍びである猿飛佐助だった。

 

「村上義清の突撃に紛れてあんたがこの本陣に来ると読んで、軍師どのと口裏を合わせていたでござるよ!」

 

「日和見は噓か! 真田の者どもが武田方に参戦していたか!」

 

「当主の幸隆どのはほんとうに日和見しているでござる! 参戦した者はあんたがたに気取られぬように、ごく少数に絞ったでござるよ!」

 

 鳶ノ術術を破ったのは同じ戸隠の御神体である「石」の力を浴び、能力を会得した者であるということ、真田の者で姉妹であるということ。この二つの条件で段蔵は一つの結論を導きだす。

 

 

「(そうか、噂には聞いていたが実在したのか。真田の「双子」か……! )」

 

 真田一族は戸隠の「石」に挑戦する者が後を絶たず、かつて真田幸隆の双子の娘が奇跡的に生き延び、「力」を得たという。そして、双子同士が、はるかに離れた位置からお互いの声を聞きあい会話できるという異様な術を会得した。

 

「くっ、ここまでか!」

 

 段蔵は煙幕を使い撤退した。

 

「鳶加藤が退いたか。義清殿。今回はここまでにした方が良いと思うが」

 

「……そのようだな」

 

 真斗と義清は息切れしながら言葉を交わす。そして、義清は兵達に指示を出し、本陣へと戻った。

 

 

 こうして、上田原の戦いは終結した。戦死者は村上軍300人、武田は700人の戦死者を出した。そして、その戦死者の中には武田の宿老である板垣信方、甘利虎泰、村上家の家臣である屋代基綱・小島権兵衛・雨宮正利がいた。

 

 両者、「痛み分け」という結果となったが、武田方は有力な家臣を二人も失ったことを見れば「敗戦」であることは間違い無く、武田晴信にとって初めての負け戦となった。

 

 ただ、史実として違う点があるとすれば、晴信は負傷することがなかった。その点のみである。




布陣図初めて描いてみましたが、中々難しいですね(⌒-⌒; )

次の塩尻峠の戦いはもっと上手く描いてみたいです。


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第十話 起死回生・前

ようやく、2話分書き終えました(^_^;)
この2話で「天と地と姫と」の2巻の部分が終了です!


 上田原合戦は武田の敗北に終わった。その日の夜。睨み合いとなっていた。互いに甚大な被害は出しており、容易に動ける状況ではなかった。

 

 ただ、村上義清は何を思ったのか、板垣信方と甘利虎泰の首と遺骸を丁重に武田軍へ送り届けた。これ以上、兵達を疲れさせたくないということ、互いに踏みとどまっても益はないということを伝えているようだった。

 

 しかし、晴信は退却する素振りを見せなかった。そのためか、村上軍も撤退する様子は一切見せない。

 

「無念ですが武田の完敗にござる。このような無謀な突撃を仕掛けてくることも計算外でしたが、あの槍衾は堅い。急いで諏訪へひきかえさねば、諏訪にて反乱が起こりますぞ」

 

「いや勘助。撤退はしない。われらも大打撃を被ったが、村上軍も多くの重臣と兵を失って四分五裂する寸前だ。板垣たちの無念を置き捨てて、おめおめと帰れるはずがない」

 

 勘助は晴信に撤退することを進言しているが、彼女は撤退する気を見せなかった。横田備中や飯富兵部もそれに賛同し、晴信に逆説得を始めてしまい、勘助の頭を悩ませた。

 

「御屋形様」

 

「……真斗か」

 

「勘助さんの言う通りです。引き上げた方がよろしいかと。兵達も既に疲れが出ています。このまま、戦を続けるのは民を苦しめることになり得策ではないかと」

 

「あなたは悔しくないの!?板垣と甘利の無念を晴らせずに、おめおめと逃げ帰れと!!」

 

 晴信は立ち上がり、真斗を睨みつける。

 

「姉上……」

 

 晴信の側にいる信繁が宥めようとする。

 

「それに、あたしは村上義清の姿を見るなり金縛りにあって動けなくなった。板垣と甘利の仇を目の前にしていながら、恐怖に居すくんでしまった。このまま逃げ帰れば、自分がどうしようもない臆病者だと認めることになる」

 

 勘助は信繁と太郎にも説得してほしかったが、二人もまた、晴信に撤退を承知させる言葉を持たなかった。とりわけ信繁は「あたしは臆病者ではない。しかし今逃げれば臆病者だ」と父親の影と村上義清の姿をだぶらせながら涙目で繰り返す晴信の心情がわかるだけに、強く晴信を説得することができなかった。

 

「俺だって、悔しいに決まっている……!だけど、だからと言ってこのまま戦を続けていたら、板垣様と甘利様が命を捨ててまで御屋形様を守ったことが無駄になっちまう!!」

 

 真斗は続けて晴信に訴える。

 

「板垣様と甘利様は次に繋げてくれたんだ。板垣様と甘利様が御屋形様の盾にならなければ、御屋形様のお命が無かったかもしれない!そして、加藤段蔵の奇襲を防いだのは勘助さんや俺の策でもない、板垣様の策だ」

 

「板垣が……」

 

 板垣は戦が始まる前から戸隠忍群による攻撃を懸念して、それに対抗できる者を晴信の側にいさせることを真斗に相談していた。板垣信方は最後の最後まで晴信を守り抜いた。

 

「御屋形様。今の状態では村上どころか様子見している小笠原にも勝てない。一度、甲斐に戻り疲れを癒やすことこそが次の戦で勝つために必要だ。勝つ者が強いんじゃない、負けても這い上がってくる者が強いんだ」

 

「……あたしは」

 

 晴信はまだ心の中の整理がつかなかった。真斗の言う通りこのまま戦を続けても村上義清を倒すことができない。しかし、二人の仇は目の前にいる。

 

 そんな時、両脇に双子の姉妹を引き連れた姫武将が姿を現した。彼女は小銭を数珠のように紐に通して縛り、首や肩にじゃらじゃらと掛けていた。そして、その配下は「六文銭」の旗印を身につけていた。

 

「あんた、まさか……」

 

「わたくし、真田幸隆と申します。こちらの姉妹はわが娘、信綱と昌輝。真田一族は上野を去り、この信濃に戻ると決めました。そのほうが銭を稼げそうですので。わたくしどもはこれより武田晴信さまにお仕えいたします」

 

「今頃来たのか」

 

「さんざん気を持たせて日和見してきやがったくせに、今更なんだ!」

 

 横田備中と飯富兵部は幸隆を睨みつける。

 

「武士も商人も、自分がいちばん高く売れる時に売るもの。それにわが娘たちは戸隠で力を得た異形の者ゆえ、なかなか仕えるべき主を選びますの。ふふ。土産代わりに、晴信さまのご母堂・大井夫人さまから書状をいただいて参りましたわ」

 

「なんだって?」

 

 晴信は幸隆から手紙を受け取る。

 

「ええ。ここに。ここで敗戦を認めたくがないあまりに意地を張って武田を滅亡に導いてはならない。潔く敗北を認めて退く時は退き、再び立ち上がる機会を窺うことこそが真の勇気。今は急いで撤退し、甲斐へ戻れとのこと」

 

 晴信達の母である大井夫人は信虎追放後、出家し甲斐の国政に関わることはなかった。しかし、初めての敗北を向き合えきれない晴信に対して手紙を書き、親として諌めた。

 

 信虎とは対照的に子に区別なく愛情を注いでくれた母だからこそ、晴信の心を動かした。

 

「……わかった。あたしは父親を駿河へ追放した娘だ。それでもなお甲斐に留まってくれた母上に対して親不孝はできない……甲斐に引き返し、温泉で傷を癒やそう」

 

 武田軍は甲斐へ撤退し、その後村上義清も居城である葛尾城へ戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 晴信は甲斐へ戻った後、温泉で疲れを癒やすことにした。無論、ただ疲れを癒やすわけではない。武田の敗北を聞いた信濃の諸将は忽ち矛先を武田に向けている。そのため、温泉で極秘の軍議を開くことになった。

 

「だから真斗。あなたもあたしと一緒に入りなさい」

 

「……は?」

 

 俺は晴信の言っていることを理解できなかった。

 

「『は?』ではないでしょ。あたし達が村上義清に負けて信濃の諸将が攻め込もうとしてきているわ。そのために軍議を開くの」

 

「いやいや、それはわかる!だけど、何で俺も一緒に入るの?俺、男だよ」

 

「わかってるわよ。太郎と兵部を誘ったら一緒に顔真っ赤にして拒否されたのよね……。なぜかしら」

 

「なぜも何も、それは当然の反応では?」

 

「?」

 

 晴信はキョトンと首を傾げる。

 

「そこからか……」

 

 真斗は思わず頭を抱える。

 

「勘助も誘った途端、鼻血を噴き出して倒れるし、男武将の代表として残っているのはあなたくらいよ。だから」

 

「お断りします」

 

「これは命令よ」

 

「……。」

 

 あ、もうこれ死ぬやん!信繁か源四郎ちゃんに斬られて御陀仏コース間違いなし!これは死んでくれと言ってるようなものじゃん!

 

「(もうダメだ。おしまいだ……!)」

 

 俺は戦国時代の中で一番変な理由で命の危機に晒されているのではないだろうか。

 

 

 

 

 

「というわけで、お願いします。助けてください」

 

 真斗は信繁に詳細を伝え、土下座で頼み込んでいた。このことを聞いた信繁も頭を抱えていた。

 

「姉上ったら……。兵法書ばかり読んでるから。源氏物語を読みなさいよ」

 

「マジで俺はどうすりゃいいんだ……」

 

「……はぁ。仕方ないわ。入りなさいあなたも」

 

「え、お前もどうしたの?上田原で敵陣に突っ込もうとするし、頭を強く打ってないか。大丈夫か?」

 

「あ、あの上田原のことは忘れなさい!それと、頭を強く打ってもないわ!」

 

 「まったく……」と信繁は一旦、ため息をつく。

 

「あなたは小笠原長時に会っているのだし、その後も情報を集めていたのでしょう?」

 

「知ってたのか」

 

「あなたの口から出る意見は重要なものになるはず。だからよ」

 

「まあ、確かにな」

 

「その代わり!目とその……下は隠すように」

 

 真斗にそう言った信繁は少し顔を赤くなっていた。

 

「(あ、可愛い……)」

 

 

 

 

 

 

 

 

〈晴信の隠し湯〉

 

 

「各地で反乱と信濃勢の攻撃が続いている中、よく集まってくれた。勘助にも来てほしかったが、仕方ない。軍議を始めるわ」

 

「姫様。それは良いのですが……。何で真斗が入っているのですか!?」

 

 飯富源四郎が当然の如くツッコミを入れる。

 

「小笠原の情勢について詳しいのは彼だもの。一緒に入るのは当然のことよ」

 

「違います!そうじゃなくて、何で殿方も一緒なのかと聞いているのです!」

 

「本当にすまない。できる限り見苦しいようなことはしないよう尽力するから」

 

「真斗もよ。何で目なんか隠す必要があるのかしら?」

 

「自分の裸を見られたくない人がいるからだよ!」

 

「そうなの?あたしは一向に構わないけど」

 

「「「「「私達は構います!!」」」」」

 

信繁と二代目四天王達が口を揃える。

 

「……とりあえず、源五郎ちゃん。手引っ張ってくれてありがとう。助かった」

 

「いえ、真斗さんにはお世話になっているので……」

 

温泉は滑ることがあるため、目隠しをしている真斗には自分の手を引っ張ってくれる人が必要だった。その時に手を挙げてくれたのが春日源五郎だった。

 

「さて、話を戻させてもらう。真田幸隆さん、上田原での日和見のせいで、勘助さんは兎も角、他の家臣達はまだあなたに全幅の信頼は置くことができていない。それが現状だ」

 

 今回の軍議には幸隆とその子供である双子の姉妹がいた。武田の家臣達は上田原の戦いで幸隆の日和見しなければ板垣信方と甘利虎泰は死ぬことがなかった、と思っている家臣が多く、飯富兵部と横田備中がその代表格だ。

 

「そもそも六文銭の旗印ってなに? 真田家は商人なのかしら?」

 

 六文銭のことを知らない晴信が尋ねる。

 

「わたくし、居城を失って以来一族を抱えて上野に逼塞していましたから、ずいぶんと貧乏しましたの。それですっかり小銭稼ぎが趣味に。むろん真田は一応は武家ですわ。一応は。三途の川の渡り賃が六文銭なのだそうで。意外とお安いこと」

 

「……その双子は?」

 

 次は馬場信房が幸隆が連れてきた双子について尋ねた。

 

「この『双子』はご存じですわね。わが娘。真田信綱と、真田昌輝ですわ」

 

「「……(ぺこり)」」

 

 普通、歴史を知っている人なら信綱と昌輝は双子だったの!?となるが、真斗が知っていることと大分違っていると割り切っているため、もう驚くことはなかった。

 

「無口で感情をあまり見せない二人ですけれど、武人としてはなかなかの器量の持ち主」

 

「身体が細いし、ずいぶんと肌が白いけれど、ご病気なの?」

 

「いや、勘助さんが言ってたあの戸隠の御神体の力を浴びたんだろう。佐助や段蔵を見ていたら大方予想はつく」

 

 晴信の疑問に対して、真斗が先に答える。

 

「その通りですわ」

 

「しかし、佐助に聞いたところでは、そんなことをしたら十中八九死ぬのでは」

 

 佐助とは、諏訪頼重が晴信暗殺のために雇った猿飛佐助のことだ。そして、戸隠山の御神体の「石」の力を浴びた者は力を得るか、それとも死ぬのかどちらかとなる。確率として死ぬことが多いというのが佐助の言っていたことだ。

 

この双子の姉妹は一か八かの賭けに勝ち、能力を手に入れたということ、力を使う代償としてと鼻血が出てしまうことを幸隆は説明する

 

「佐助と協力して加藤を止めた活躍は見ましたけれど、結局どういう力なんですか?」

 

「……どうやって鳶加藤の鳶ノ術を見切ったのか、知りたい……」

 

 馬場の疑問に双子は「コクリ」と頷き、口を開いた。

 

「姉者の発した言葉が、離れた場所にいても聞こえるようになった」

 

「妹が口にした声が、遠くから聞こえるようになった」

 

「鳶ノ術の仕組みは、実は、宙を舞う猿飛の術と同じ」

 

「加藤段蔵は、瞬間的にある地点から別の地点へ移動しているように見せているが」

 

「実は、人の目の死角へ入っているだけ」

 

「加藤は己の身体が大地に引かれる力を一時的に無効にして、鳶のように軽々と宙を舞う」

 

「空を飛ぶ人間などいないと誰もが思い込んでいるので、上空が死角になる」

 

「なるほど。二人は言わば、以心伝心の術?みたいなもので連携して佐助を上空に放ったと」

 

 真斗の要約に双子は頷いた。

 

「段蔵は鳶ノ術を隠形に用い、暗殺のための術に特化させていますからな。拙者は派手に宙を舞って長距離を素早く疾走したり人をおちょくるために力を用いている分、隠形に力を用いるあの者とは相性が悪いでござる」

 

「空を飛ぶだなんて……そのような無茶をして人の身体が保つのかしら?だいじょうぶなの、佐助?」

 

「ウキ。たしかに大きな負担がかかるので、あまり長くは用いられぬでござるな。戸隠で生き延びて運良く猿飛の術、もしくは鳶ノ術を手に入れても、力を制御できずに死ぬ者が多いでござる。力を長く使いすぎて限界が来ると身体が膨張して爆発するでござるよ」

 

「ば、爆発?」

 

 つまり、きたねぇ花火になるのか、と真斗は何処ぞの野菜王子の台詞を思い出す。

 

「ですから、忍びの体術や己の精神力と組み合わせて、力を自在に操れるよう修行せねばならぬのでござる。双子にしても同じことで、戸隠で特別な力を得てから、その力を術として完成させるために行う忍術修行のほうが実はたいへんなのでござる」

 

「そんなことを幼い子供にやらせるなんてな……」

 

 真斗は思わず思っていたことを口に出してしまう。

 

「その通り。この双子の姉妹はご母堂と似て変人でごさる」

 

「この工藤祐長も挑戦してみたいです! どこにいても人に見つかってしまう力が欲しいです! 誰にも気づいてもらえない存在なんて、生きながらに死んでるのも同然ですよ?」

 

「やめとけよ、工藤ちゃん。それにお前、上田原で段蔵吹っ飛ばした時に『少し自分のことが好きになりました!』って言ってただろ」

 

「確かにそう言いましたが、気づかれないのは寂しいんです!」

 

 工藤はぷくーっと頬を膨らませるが、目隠ししている真斗には知る由もない。

 

「あ、そういえば、えっと……小幡?に教えたことをまだ私にも教えてもらっていません!後であのやり方聞きますからね!」

 

「わかってるよ。源四郎ちゃん達にも教える」

 

「だから、工藤です!いい加減、覚えてくださいよぉ……」

 

 「真斗さ〜ん」と言って詰め寄る工藤に真斗は「はいはい」と頭を撫でて慰めた。工藤のことを忘れることがないためか、真斗に懐いている。

 

「それで、四郎と遊んでいるもう一人の童女は誰?」

 

 四郎とキャッキャと戯れている子供がいた。

 

「次郎さま。この子は源五郎と申しまして、やはりわたくしの娘。『双子』の姉たちとは少し年が離れております。まだ元服していませんの」

 

「はは。源五郎です! どうしても晴信さまにお仕えしたくて押しかけて参った!」

 

「(源五郎ってことは昌幸か!徳川家康を二度も撃退し、表裏比興の者とまで言われた……)」

 

「御屋形さまに憧れているらしくて。上野から武田家へ移れとうるさかったのですわ」

 

「この源五郎、必ずや晴信さまのお役に立ちまする! 小姓にしてください! 毎晩、床をともにいたしますぞ!」

 

「きゃあああ、かわいい! でも、あたしと同じ名前です! ややこしいですね、どうしましょう!」

 

「そうね。この際だからあなたは春日弾正、とでも名乗りなさい。あなたももう立派な武田の侍だもの」

 

「姫様!? 弾正だなんて、そんな立派な名前を? あああ、ありがとうございます! でも姫さまの添い寝役はこの春日が続けますからねっ! 新参者には渡しませんっ! っていうか姫様は浮気者すぎます! 昨夜だって寝室に女の子を三人も侍らせて。馬場と三郎兵衛まで連れ込んで」

 

「……げ、源五郎ちゃん。じゃなかった、春日弾正。妙な言い方はやめて。あたしはただ、独り寝は危険だから必ず誰かに添い寝してもらっているだけで」

 

「いいえ、許しません!」

 

 この時、真斗はふとある逸話を思い出す。それは春日源五郎改め、弾正が浮気について問い詰める内容の手紙を晴信に送り、晴信が焦ってお前が一番だと手紙を書いたといったものだ。今もその手紙のやり取りは残されており、事実だということがわかっている。

 

「今は小笠原長時についてどうするか。話し合うべきじゃないか?」

 

 真斗は仕方なく晴信に助け舟を出す。

 

「そ、その通りよ。これから小笠原について話し合うべきだわ」

 

 弾正はむぅ……と不機嫌そうな顔になりながらも渋々頷いた。

 

「じゃあ、これから小笠原長時について話すよ」

 

 

 

 




後編に続きます!


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第十一話 起死回生 後

起死回生後編です!


 少し、小笠原について話をしよう。

 

 信濃守護の小笠原氏は武田氏と同じく甲斐源氏の血筋を引いている。一時は信濃守護としての地位を安定させていたが、家督をめぐる争いによって家が三つに分立してしまい、力が衰える時があった。

 

 戦国時代に入り、小笠原長棟が分裂した小笠原氏を統一し、戦国大名としての最盛期を築き上げた。

 

 ただ、長棟の子である長時は家臣を統一させる力が乏しく、勢力拡大が思うように進まず、そんな時に武田が信濃に侵攻し始め諏訪、高遠、関東管領上杉を打ち破って勢力を伸ばしていった。長時は勢力拡大に勢いづいている武田に対抗する手段を持ち得ておらず、黙って武田の侵攻を見るしかなかった。

 

 しかし、武田晴信が村上義清と対峙し敗北した。この戦での敗北の影響は大きく、信濃の国衆がこぞって反武田の姿勢を見せた。これは長時にとって漁夫の利を得ることができる絶好の機会となった。長時は守護として信濃の諸将に「打倒武田」を呼びかけ、兵を集めて諏訪攻略を開始した。

 

 一時、諏訪の諸将の半分が寝返るという事態に陥りかけたが、山本勘助が諏訪大社が行う奇祭「御柱祭(おんばしらさい)」を行ったことで離反を防いだ。

 

 諏訪四郎を義妹として迎えて保護し、大いなる苦境にありながら御柱祭を開催させて諏訪の伝統を守り通した武田家に対する諏訪の領民たちの評判は一気に高まった。そして、伝統を壊そうとした小笠原許すまじと武士百姓問わず小笠原長時に対決姿勢を見せた。

 

 結果、小笠原長時は諏訪攻略が進まず、足踏みしている。

 

 

「それで、だ。小笠原長時は甲斐を取ったあかつきに姫武将達を恩賞として与えると言って兵達の士気を高めたらしい。それと、小笠原長時は武田晴信を自分の側女にすると宣言した」

 

 真斗はこめかみに血管が浮き出るほど怒気を込めて言った。親しくしてくれている主君や同じ家臣達が身売りのような目にあわせようとする小笠原長時に怒り心頭だったからだ。

 

「姉上を側女にとは万死に値する発言。殺しましょう」

 

 信繁の黒いオーラが漂い始める。怒っている真斗も一瞬、寒気を感じた程だ。馬場・春日・飯富・工藤の四人からも怒りのオーラを放っていることを真斗は感じた。

 

「それと、単独行動をして申し訳ないと思うが、調略もしてある」

 

「いつの間に……」

 

「まずは長時に嫁を奪われた仁科盛能だ。あの人は小笠原長時に非常に強い不満を抱いている。嫁を奪い返すことを条件に寝返りを勧めたら、応じてくれた」

 

 加藤段蔵は村上義清に手を貸しているが、小笠原長時には手を貸していない。それに加え、諏訪に攻め込むために急いで兵を集めていたため、間者を送り込むことは容易だった。

 

「後は山家氏と三村氏にも調略をしているが、すまん。まだ、返答はもらっていない。ただ、噂を流せば小笠原軍の結束も揺らぐはずだ。今の小笠原軍は河越を攻めた関東管領同じ烏合の衆に過ぎない」

 

 真斗はすーっと息を吸った。

 

「向こうの考えはこっちには筒抜けだ。小笠原長時を徹底的に完膚なきまでに叩き潰す!!」

 

 晴信を始め温泉にいる全員が頷いた。

 

「幸隆。真田忍群にあたしが体調を崩しているという小笠原陣営に噂を流してちょうだい」

 

「承知しました」

 

 本題が終わり、寛ごろうとする真斗の後ろに四郎が近づいてきた。

 

「まさと。目をかくしていては、しろうたちを見れないであろう」

 

「四郎ちゃん?何やってんの?ちょっ…」

 

 四郎が「それっ」と言って真斗の目隠しをぐいっと引っ張り外してしまう。

 

「「「「「あっ……。」」」」」

 

 真斗の視界に映るのは美少女達の一つも曇りのない美肌。そして、晴信や馬場の豊満な胸が目に映った。咄嗟に両手で目を隠すが時すでに遅し。

 

「見るなーー!!!」

 

「真斗のすけべ……!」

 

「ぐはっ!?」

 

 真斗が信繁と馬場に引っ叩かれる形で軍議が終了した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 温泉軍議が終わった数日後、小笠原長時は余裕な表情で軍を進めていた。目的は武田晴信と彼女に仕えている姫武将達。しかも、諏訪を攻める前に姫武将達の観察のためだけに甲斐に潜入もしていた。

 

「この五千の兵なら上原城もすぐに落ちるだろう。そうすりゃあ、武田晴信やその妹達、他の姫武将を……。ぐ、ぐへへへへっ!」

 

 長時の容姿は黙っていればそこまで悪くないが、下心丸出しで下品な表情を浮かべているため台無しだった。

 

「長時殿!そこにおられましたか!」

 

 妄想中の長時に一人の武将が声をかける。その武将こそ、高遠頼継だった。宮川の戦いで真斗との一騎討ちで敗北し、捕縛され、一度飛騨に落ち延びた後、信濃に戻り、旧領回復のため林城に身を寄せていた。

 

「なんだ、頼継」

 

 長時は不機嫌そうに頼継を見る。

 

「なんだ、ではござらん!早く上原城を攻め落とすべきかと。今にも武田は策をねっており、隙を窺っております。何をしでかすかわかりませぬぞ!」

 

 自分が有利になっているからこそ生まれる隙を武田は突いてくる。高遠頼継はそのことを身をもって知っている。そのため、長時に諏訪攻略を急がせようとしているのだ。

 

「頼継よ。お主の旧領を回復させたいという気持ちはよーくわかる。しかしな、村上に敗れた武田にはもはや戦う意志などない。晴信が倒れている今、我らの侵攻に黙って指を咥えているしかないだろう」

 

 長時は「なあ、皆の衆」と周りの家臣に問いかけた。それに家臣達は頷く。長時達は頼継の言うことに耳を傾けようとはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 「あぁ……。まだ、ヒリヒリする」

 

 「災難だったな、真斗」

 

 太郎が頬を押さえる真斗の肩を優しく叩いて励ます。武田は諏訪に侵攻してきた小笠原長時を討つために兵を進めていた。小笠原軍は上原城を攻撃するために進軍。その時、上原城を守っていた千野靱負尉(ちの ゆきえのじょう)守矢頼真(もりや よりざね)は援軍を晴信に要請。それに応えるために晴信は出陣した。

 

 しかし、晴信は体調を崩しているという噂を信じ込ませるためにわざとトロトロと進軍させていた。

 

「白井様。仁科盛能からの書状が届きました」

 

 真斗の兵の一人が書状を渡してきた。真斗はすぐに文を開き、内容を読む。

 

「そうか。よし、大義だった」

 

「は!」

 

「真斗。なんだそれは」

 

 太郎は書状を横から覗き込む。

 

「内応している仁科盛親が説得して三村と山家を内応させてくれたらしい。しかも、小笠原は油断して塩尻峠を動く様子はない」

 

「つまり?」

 

「この戦、明日の朝が勝負だ」

 

 真斗は伝令を晴信の下へ走らせた。その後、日暮れと共に武田軍は進軍する速度を上げ、上原城に入城し、軍議を開いた。

 

 

 

〈上原城〉

 

 

「皆、わかっていると思うが、この戦が生まれ変わった武田を見せつける時だ」

 

 晴信の呼びかけに家臣一同頷く。そして、作戦を伝えるべく山本勘助が地図を開いた。

 

「我らは深夜に塩尻峠の麓まで進み、春日弾正・馬場・飯富姉妹・工藤の五つの部隊に分け、明朝に塩尻峠を囲み、小笠原長時を叩く」

 

「「「「「はっ」」」」」

 

「真斗、仁科盛親と三村氏、山家氏にはこの夜に撤退してもらい、隙だらけの村井城、深志城、埴原城を奇襲で一気に攻略してもらうよう伝えよ。この戦を勝つだけで小笠原長時は領地を捨て村上義清に頼るしかなくなる」

 

「承知した」

 

「兵達には重い甲冑は置いていくよう伝えよ!これより小笠原長時を討つ!!」

 

「「「「応っ!!」」」」

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

塩尻峠

 

 

 小笠原長時は寝ていた。調略によって兵力が削がれ、三つの居城が既に攻略され始めていること、そして、自分のいる塩尻峠に武田がすぐそばまで近づいていることに気づかずに。

 

「かかれー!!」

 

おおおおおっ!!

 

 飯富兵部の号令で兵達は唸りをあげ、小笠原長時に向かって突撃していった。分かれた部隊も続いて小笠原に向かって突撃をかける。

 

「何事だ?」

 

武田軍の足音を聞き、小笠原長時は目を擦りながら起きる。

 

「殿!武田です!すぐ側まで向かっておられます!」

 

「何だと!?それで数は」

 

「およそ、三千」

 

「数ではこちらが上だ!巻き返せ!」

 

「申し上げます!」

 

今度は別の伝令が長時の前に現れる。

 

「今度は何だ!」

 

「仁科、三村、山家は我らを裏切り、兵を引き村井城、深志城、埴原城が落とされました!」

 

「んな、馬鹿な!?」

 

 真斗の調略により、小笠原の兵数は五千から武田と同じ三千にまで減っている。もはや、小笠原長時になす術はなかった。

 

「殿、村上義清のところまでお逃げください!今ならまだ間に合いまする!」

 

「くそぉ!武田めぇ、せめて美しい姫武将の一人は見たかった!」

 

 小笠原長時は領地を捨て命からがら村上義清のいる葛尾城まで落ち延びた。これによって小笠原家は没落の一途を辿った。

 

 

 

 

「おのれ。武田めぇ!」

 

 長時が逃げている中、高遠頼継は武田軍の兵を相手に奮戦していた。

 

「高遠頼継。久しぶりだな」

 

「貴様は!」

 

 頼継が目にしたのは馬に乗っていた真斗の姿だった。

 

「この戦は我らの勝利だ。無用な殺生はしたくない。大人しく投降しろ」

 

 兵達が頼継の周りを囲い込み、槍の穂先を頼継に向ける。多勢に無勢。どう足掻いても頼継に勝ち目は無かった。

 

「おのれぇ……!」

 

 頼継は捕らえられた後、佐久の寺で剃髪し出家することを条件に助命を許された。後に高遠頼継の死後、後継者がいないため高遠家は滅亡することとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦が終わった後、宴が催された。ただ、真斗だけ宴には参加せずに板垣信方の墓の前で月を見ていた。今夜は三日月。板垣の旗印も三日月である。

 

「板垣様、勝ちました。勝利も勝利。大勝利です」

 

 真斗は一杯の酒を墓の前に置いた。

 

「『飽かなくも、なほ木のもとの夕映えに、月影宿せ花も色そふ』。板垣様、俺は少しは勝千代を照らせる月影になれているのかな」

 

 真斗は墓に問いかけるが、答えは来ない。そんなことはわかっている。しかし、何故か問いかけたくなったのだ。

 

「真斗、その詩って……」

 

呼びかけられ振り向くと晴信がいた。大将口調から元の口調に戻っていた。

 

「……高遠頼継に勝った後の宴で板垣様が謳った辞世の句なんだ。すまない、伝えるのが遅れた」

 

「そう。板垣は既に死を悟っていたのね……」

 

「……。」

 

 晴信は真斗の隣に座り空を見上げた。

 

「あの時とは逆ね」

 

 あの時とは禰々のお墓に行った時のことだろう、と真斗は推測する。

 

「そう…だな」

 

「板垣はあたしにとって父も同然だった。あたしを褒めてくれたり、叱ってくれたりもしてくれた」

 

「俺もだ。甲斐に入って右も左も分からない俺を板垣様は色んなことを教えてくれた。家族がいない俺にとって父親みたいな存在だった。甘利様は近所の叔父さんっ感じだったかな」

 

「ほんと、酒で酔った甘利様を板垣様と一緒に止めるのはほんと大変だった……」と真斗はその時の出来事を懐かしむように言った

 

「姉上、ここにいたのね。急に宴を抜け出して。勘助も探していたんだから」

 

「次郎ちゃん。来てたの?」

 

 信繁が晴信に目を向けた後、真斗にも目を向けた。

 

「あら、いたのね。のぞき魔」

 

「え、それ酷くない?あれは流石に無理でしょ。それと、謝ったでしょ。許してくれよ」

 

「いいえ。姉上の裸を見ること自体が罪よ。謝った程度では済まされないわ。それにあなたは姉上だけじゃなくわ、私達の……」

 

 あの温泉の出来事を思い出したのか、信繁は顔を赤らめる。

 

「御屋形様、そこにおられましたか」

 

「勘助」

 

「御屋形さま。上田原では板垣さま甘利さまを失いましたが領土を得ることはできず、塩尻峠ではほとんど犠牲を払うことなく中信濃を手に入れることができましたな」

 

「そうね。小笠原との勝利で寝返った佐久の国衆も私達の下に戻ってきた。上田原の時とは違うわ。村上に勝てば北信濃……信濃全域を治めることができる」

 

 晴信は村上義清との再戦を決心する。

 

「ああ。だけど、水を差すようで悪いが、村上義清を破っても信濃を治められるかどうか、それが分からなくなっている」

 

「それはどうして?確かに村上に勝っても、木曾や他の国衆達が大人しくしているか分からないけど」

 

 信繁は真斗に問いかける。

 

「いや、違う。北信濃の先にある越後(・・)のことだ。越後の守護は関東管領の同族が治めているが、今じゃ守護代の長尾家が実権を握っている」

 

「えぇ。聞いたことはあるわ」

 

「だが、その跡継ぎの晴景が病弱らしくてな。越後の国衆達が反乱を起こし始めた」

 

「なら、村上義清に勝てばすぐに越後を手にすることができると思うけど」

 

「信繁、話はここからだ。それで、晴景は元服したばかりの妹を使い、その反乱を見事に鎮めさせた。晴景に代わってその妹がゆくゆくは国を治めるのではないかという話らしい」

 

「その妹って」

 

 晴信が長尾晴景の妹の名を聞く。

 

長尾景虎(・・・・)だ」

 

「長尾景虎……」

 

 晴信は夜空を見上げる。

 

「(何故かしら、あたしはその名を知っているような気がする)」

 

 晴信は自分の気持ちの正体がわからなかった。

 

「知っていたのか、真斗」

 

「いやぁ、これは幸隆さんから聞いたことなので俺が知れるのはそれくらいですよ」

 

 

 長尾景虎との戦いが、日ノ本史上最大の激戦と呼ばれる「川中島の戦い」となることを晴信、信繁、勘助はまだ知らなかった。ただ、知っていたのは白井真斗。ただ一人である。

 




ここから、2巻から長尾家視点の1巻の内容に入っていきます!と言っても越後統一の部分からとなりますので、短くなりそうです。

これからも頑張って投稿しますので、応援して頂けると幸いです。よろしくお願いします!


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越後潜入編
プロローグ 毘沙門天の呼び声


何とか生きてます……。仕事をし始めて中々書ける時間がありませんでしたので、今回の話はかなり短いです。


(どこだ。ここは……)

 

 気づけば俺は城の中にいた。広大な平野が続く景色が目に映り、ここが甲斐や信濃とは違う場所だということはすぐにわかった。そして、もう一つ。

 

 ここが下総(俺の故郷)であるということだ。城から見下ろした景色は田畑が広がっており、現代との景色の違いはあれど、今と変わらない地形が俺のいた住宅街を連想させた。

 

『白井様、白井様!』

 

 俺を呼ぶ伝令の声が聞こえ、後ろを振り向く。そこにいたのは息を切らしながら近づく伝令だった。

 

『そう慌てるな。息を整えてから、話せ』

 

 しかし、明らかに発した声は違う者の声だった。渋く貫禄のある声。今の自分では出ない声だった。

 

『上杉が、上杉がこの臼井城に向かっております!総勢一万五千!』

 

 臼井城?あの人、今、臼井城と言ったな。間違いない。今、喋っているのは白井浄三。幻の軍師……!

 

『そうか。とうとう来たか……。胤貞様は何処に?』

 

『はっ、胤貞様自ら城下にいる百姓に城に籠るよう呼びかけました。城にいる兵を併せて二千になるとのこと。しかし、この兵力では……』

 

『そう狼狽えるな。五百程いなかった兵が二千にも膨れ上がったのだぞ。そのようなこと、集まった百姓達に言えるのか?』

 

『……申し訳ございませぬ』

 

『良い。其方の気持ちもわかる。故にこの戦の肝となるのもその気持ち(・・・)ぞ』

 

『はっ……』

 

『毘沙門天の化身と呼ばれているが、謙信とて人の子だ。絶対的ではない。そして、それに従う兵達もな。集まった兵、百姓に伝えよ「この戦、必ず勝てる!」とな』

 

『御意……』

 

 伝令は頭を下げた後、兵達の士気を高めるため、急いで走り去った。

 

オン ベイシラマンダヤ ソワカ

 

オン ベイシラマンダヤ ソワカ

 

お経を唱える声が彼方から聞こえて来る。

 

軍神がこの地に来る日は近い。

 

 

 

 

「はっ……」

 

 目覚めた真斗は周囲を見回す、視界にあるのは晴信から与えられた屋敷の部屋の壁だった。

 

「またか……」

 

 あの時、真田幸隆から長尾景虎のことを聞いてからずっとだ。あの毘沙門天の真言が頭の中から離れずにいた。

 わからない。なぜ、同じ夢を繰り返すのか。この夢の意味を真斗は知りたかった。

 

(どうすればいい。このままでも、夢とは片付けられるが、同じ夢がこうも続くと……)

 

 真斗は未来から来ている。彼は未来での常識により、架空の生物や「神」の仕業という出来事の多くは迷信だということがわかっている。ただ、戸隠山の「石」による力を得ている猿飛佐助や加藤段蔵のように未来でも説明がつかない力があるのも自分自身の目ではっきりと見ている。

 

「行ってみるか。越後に……」

 

 真斗は決心する。信濃の先にある越後に答えがあることを信じて。

 

 




天と地と姫とを全て読みました。原作では晴信の信濃侵攻と景虎の越後統一がほぼ同時期になっているのですが、本作では原作より少し史実に傾けさせているので、長尾家の越後統一は原作より少し遅めにしています。


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第1話 越後潜入

お久しぶりです。。長い間投稿できていませんでした!申し訳ない!
ここまでの間、いろんな歴史番組とか見てました。

偉人 素顔の履歴書という番組が結構おすすめです。

さて、久しぶりの最新話となります。どうぞ。


 

 はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……。

 

 白い髪、白い肌、そして赤い眼を持った少女は走る。その姿はまるで雪の妖精。彼女は自分の母がいる館へ息切れしながら走る。

 

 彼女の名は長尾景虎。長尾為景の次女として生まれ、いずれ越後守護代と守護を継ぐ者である。彼女の姿は現代でいうアルビノというもので、その日本人離れした姿に神々しく捉える人が後を絶たなかった。

 

 父の為景と従兄弟の政景がまさにそうである。

 

 為景は、関東管領と守護の上杉家の当主を殺して越後を乗っ取り、秩序を乱した。そのことに対しての当て付けではないか、と景虎を疎み、最期には毘沙門天の化身だと畏怖し、これまでの行いに許しを彼女に請うた。

 政景は景虎に異様な執着を見せており、「越後の王には相応な女が必要」と狙っている。そんな政景から守るために姉の綾(後の仙洞院)は景虎の身代わりとして政景に嫁ぐことで景虎を守ったが、政景はまだ諦めていない。

 そして、越後の諸将も景虎の美貌さに惹かれ、そして、越後支配のために彼女に求愛している。

 

 為景の死後は病弱で統率力が乏しかった兄の晴景が継ぐが、景虎を手に入れたい政景に唆され、晴景と景虎は対立してしまう。その間を守護の上杉定実が取り持ち、和解させて越後の守護代の座に景虎が就くこととなった。

 

 晴景が守護代を譲る時に景虎に告げたのは唐突な「別れ」と景虎に恋をしているという「告白」だった。

 

 もちろんそれは実らぬ恋であり、到底許されるものではない。義と秩序を重んじている景虎なら尚のことだった。だからこそ、晴景は景虎に別れを告げて隠居した。景虎も兄の想いを無駄にしないために二度と会わないと決めた。

 

 同日、景虎は政景に嫁いだ綾と再会する。その時、彼女が見たものは政景の子を身籠った姉の姿だった。姉の微笑みは「姉」としてではなく、「母」としてのもの。そして、その笑顔は自分ではなく、腹の中にいる子に向けられている。

 

 もはや、私の知っている兄上と姉上はもういない。一体、誰を信じれば良いのかわからない。

 そう感じた景虎は本丸から出ていき、母のいる館に向かって走り、今に至る。

 

「はぁ、はぁ……うっ!?」

 

 走る途中、景虎は倒れてしまう。躓いて転んだからではない。下腹部に激痛を感じたからだ。

 

「(痛い!痛い痛い痛い!)」

 

 景虎は近くの木にもたれかかる。両手で腹を押さえるが、一向に痛みが引く気配すら感じない。それどころか、酷い吐き気も込み上げてきたのだ。

 

 そんな時だ。

 

「お前、大丈夫……じゃあなさそうだな。ちょっと、待ってろ」

 

 声が聞こえる。聞いたのことのない声だ。景虎は顔を上げると、自分より少し年上で摩利支天の首飾りをつけた少年の姿が目に入った。

 

 

 

 

 

 

 

 さて、時間は少し遡り、視点は甲斐の躑躅ヶ崎館へと移る。

 

 小笠原長時を破った武田は再び村上義清との戦のために準備を始めていた。

 

 深志城や埴原城など一気に城を取ったことで城主を誰にするかを決めなければならないということ、領主が小笠原から武田に変わったため、領民の支持を得る必要がある、主にこの二点である。深志城には馬場信房が城主となっていることが既に晴信の頭の中で決まっていた。

 

 また、深志城は村上義清との戦いのために大量の兵糧を運び込む必要があるため、ある程度時間がかかる。

 

 村上義清の方も小笠原長時を破って再び勢いづいた武田を迂闊に攻撃できないと考えたのか、小競り合いも起きることもなかった。ほんの一時ではあるが、甲斐と信濃に平穏が訪れていた。そんな中、館の大広間で真斗と晴信は越後について話していた。

 

「越後へ行く、そう言ったのね?」

 

「ああ、特に村上との戦もなく睨み合いが続いている今なら、敵になりうる越後を見に行っても損はないだろう」

 

「目的は『長尾景虎』ね」

 

 晴信は顔を上に向ける。まだ顔を合わせていない誰かであるはずなのに、どうしてかその名前に惹きつけられる。

 

「まあな。長尾晴景が当主を退いた途端、力を急速につけ始めている。村上義清を倒したら次に俺たちに立ちはだかるのは越後の長尾になる。一番手が空いているのは俺だし、適任だと思う」

 

 対する真斗もそうだった。最近、夢に出る臼井城。何か説明しきれないものが俺に越後へ行けと言っているのではないか、と感じざるを得なかった。

 

 白井浄三。

 

 真斗は彼と同じ「白井」という名字。「白井」と言う人は何処にでもいるだろうけど、あの夢を見てからは何かしらの因縁があるようでならない。

 

「しかし、武田の者とわかれば命の補償はないわ」

 

「そうだな。けど、俺の名前は越後までには届いてないだろうさ」

 

 真斗の発言に晴信は首を横に振る。

 

「いや、そうとは限らない。村上義清と互角に渡り合う武勇に小笠原の領地を一気に手に入れることができるほどの調略。その功績は大きいわ。本来なら、深志城の城主としての役目をあなたに任せるべきだと考えているくらいよ」

 

 しかし、晴信は馬場信房に城主を命じた。実力があれば、先代信虎に滅ぼされた家系であろうが、姫武将だろうが取り立てるということを譜代の武田家臣に示すことが理由なのだろう。

 

「そこまで大したことはした覚えはないんだが……」

 

 本当に大したことはしていないという考えは遠慮ではなく、彼の本音だった。上田原での村上義清との戦闘は防ぐだけで精一杯で、塩尻峠の時は小笠原長時に対する不満を武田で解消できると説得しただけに過ぎない。現に、仁科盛能らの不満は解消され、今では仲睦まじい夫婦となっている。

 

「あなたはこの武田にどれ程の影響を及ぼしているのかをもっと自覚するべきよ」

 

「そうだったのか……すまん、悪かった。だが、これからの敵を見定めるには良い機会だと思ったんだ」

 

「……そうね。どんな人なのかは知る必要があるわね。けど、命だけは粗末にしないで」

 

「わかっている。危なくなったら、すぐに逃げるさ」

 

 

 

 

 さて、ここからが難しいところ。どうやって越後に潜入するか、だ。

 

 問題は越後へ進むルートだ。北信濃には当然、あの戸隠忍群がいる。あの加藤段蔵の目を掻い潜るのは難しい。

 ただ、戸隠山を守ることが目的の彼が甲斐以外の国に潜入していることは考えにくい。ここは安全策を取り、北信濃を通らないルートがベストだろう。

 

 そうなると残るのは上野から入るルートだ。知っての通り、関東管領である上杉憲政の領地。河越夜戦で大敗したものの、上野に未だ居座っている。

 

 あの貴公子のような彼に忍びを使うことはあまり考えられない。これは猿飛佐助から聞いた情報だが、北条は上杉家臣を調略し始めており、内応に応じる人は多数いるらしい。

 

 ならば、ここで行く道は諏訪から上野へ、そして越後に入る。

 

 よし、これで行こう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 真斗の予想通り上野経由でのルートは遠回りではあったものの、特に怪しまれることもなく安全に越後に入ることができた。そして、坂戸城近くの農村を歩いている。坂戸城には景虎の従兄弟である長尾政景がいる。

 気性が激しく、力こそ全てという考えを持っていると農民から聞いていた。

 

「暑いな……」

 

 北陸とはいえ、夏の猛暑は彼の水分をどんどん奪っていく。何度か川や村の井戸から水を補充しているが、もうなくなりかけている。川を探して水を汲んで補充するしかない。

 今の彼はこの酷暑で判断力が格段に鈍っていた。

 

「待て、貴様!」

 

「ん?」

 

 真斗はフラフラ歩いている中、声をかけられる。声の方向へ振り向くと馬に乗っている武士3人がいた。その中でも真ん中にいる一人は目がギラギラしており、ヤクザにいそうな容姿だった。しかし、真斗に声をかけたのはその取巻きだった。

 

「『ん?』とは何だ!殿の前を横切るなぞ無礼であろう!」

 

「はい……」

 

「……。」

 

「……。」

 

 暫く静寂が続く。

 

「詫びぬか!?」

 

「あ、それよりも川がどこにあるか知りませんか?喉がもう渇いてて」

 

「こいつ……!」

 

 あまりにも図々しい真斗に対して、家臣達は苛立ち刀に手を取ろうとした。

 

「まあ、待て」

 

 熊のような図体をした男が家臣達を静止させる。

 

「貴様、見たところ浪人だな。俺を長尾政景と知ったうえで、この態度だな。しかも、それなりに力には自信がありそうだな。信濃の村上とそりが合わなかったか?それとも軟弱な関東管領に呆れてこの越後に入ったのか?まあ、良い。俺に勝ったら召し抱えてやる」

 

(いや、知らんし。それと、随分とおしゃべりだな。しかも、一撃でも当たったら死ぬのでは……)

 

 真斗は思わずツッコミそうなところ耐える。また、こういったチンピラみたいな雰囲気を出すような人は彼は苦手としている。

 好戦的だし、人間的に面倒くさそうだし、あまり関わりたくないという感想だった。

 

 政景は馬から降りて刀を抜く。刃の先には真斗の首。勝てば召し抱えられ、負ければ死ぬ。この世は戦国時代、命の価値は現代より軽んじられており、殺生なんて日常茶飯事だ。

 

「あ、いつでもどうぞ」

 

 真斗は刀を抜かず、拳を構えた。

 

「刀は抜かないのか?」

 

「いや、拳で十分なので」

 

 本音を言えば、真斗は剣術だけは壊滅的に酷いからである。槍を持ち歩くわけにもいかないため、選択肢は拳しか無くなるのだ。

 

「ならば、その拳を切り落としてやる!」

 

 真斗に切り掛かる政景に対してバックステップで躱していく。

 

「くっ!」

 

ブンブンと刀の素振り音だけが鳴っていく。擦りもせずただ時間が過ぎていくことに政景は苛立ちを隠せなくなった。

 

「なぜ当たらん!」

 

(あ、なんか聞いたことがあるこのセリフ)

 

 真斗は以前、信繁が切り掛かろうとした時を思い出していた。腕の位置を見ればどこを狙っているのかは大方予想がつく。この時点で勝負は決していた。

 

「ふっ!」

 

 真斗は短く強く息を吐き、拳を政景の腹へ打ち込む。

 

「ごふっ!?」

 

 政景は腹の空気が一気に外へ出て、自身の腹を抱えて倒れた。余程痛かったのか悶絶している。

 

「殿!」

 

 政景の家臣達が馬を降りて主人の元へ駆け寄る。

 

(このままいても、恨みを買われて複数人から襲われそうだし、すぐにここから離れよう)

 

「あ、貴様、待て!」

 

 真斗は全速力で走ってその場を後にした。

 

 

 

 

 

「あー、とんだ道草を食っちまった……」

 

 坂戸城を過ぎていき、春日山城下へ入った。景虎の容姿について、城下町の人たちに聞いてみたところによると、長尾景虎は戦の際に行人包をつけているらしく、下から見る足軽や農兵達はあまりはっきりと見た人は少ないそうだ。ただ、噂では雪のように白い肌に赤い目をしていると言っていた。

 

 さて、それはさておき、越後の経済的状況を整理しよう。日本海に面している越後は「青苧(からむし)」という繊維原料の輸出に力を入れている。

「青苧」というのは男性用の夏服の原料だ。姫武将がいるとはいえ、男性武将も非常に多いため、非常な経済力となって越後を支えている。現代でこそ、コシヒカリなどの米のブランドが有名だが、この戦国時代では繊維の産業地帯となっている。

 そして、直江津、柏崎が主な港となっている。ここから入って来るのは堺や長門、そして京からの輸入品が入ることもあるため、情報を得るのにも適している。

 

 甲斐と比べて雲泥の差だ。海があるかないかでここまで違うのか、と痛感せざるを得ない。

 

 あとはどうやって本拠地の春日山城に入るかどうかだ。

 

 考えながら城下町を歩いていると、大量の野菜や米俵が運ばれているのを目にした。運ばれる方向は城。つまり、春日山城だ。これってもしかして……。

 

「なあ、少し良いか?」

 

「何だ小僧?こっちは今忙しいんだ」

 

 荷車を引いている商人のおじさんは面倒くさそうにこっちを見る。

 

「大量の米俵を城に持っていくのは何でだ?何か、あったのか?」

 

 俺の質問に対して商人はため息を吐く。

 

「知らないのか?長尾景虎さまが越後守護代になられるんだ。そのことを祝うために持っていくんだよ」

 

「なるほどね……」

 

 晴景は隠居して景虎に家督を譲ったのか、ということはその後景虎の姉の綾が政景に嫁いで越後が統一されることになる。

 

「む、待てよ」

 

 この米俵を持っていくのを手伝えば、城の中に入ることができる。そしたら、長尾景虎を一目見ることができるかもしれない。安直な考えではあるが、捕らえられる可能性も少ない。

 

「なあ、俺で良かったらこの米俵を運ぶのを手伝おうか?」

 

「いきなりなんだ……。まあ、人が多いに越したことはねえけどよ」

 

 素性の知らない俺のことを少し怪しむだろう。ただ、この多くの作物を持っていくのには人手が必要なはずだ。

 

「良いだろう。この荷車を後ろから押してこい」

 

 荷車を押し始めておよそ三十分経過した。春日山城の南三ノ丸付近まで来ていた。そこには他の商人達が作物や干物などを持って並んでおり、二人の門番が何が来ているのかを調べて記録していた。

 

 それと、夏の炎天下で喉が渇いてる。後で水を貰えないか、不安が残る。

 

「次」

 

「はっ」

 

 商人は門番達に荷車の中身を見せる。

 

「よし、良いだろう。この先にある蔵に入れろ」

 

「はい」

 

「あの、すみません。蔵に作物を入れた後、この水筒に水を入れても良いでしょうか?」

 

「……わかった。宇佐美様のお屋敷の近くに井戸がある。そこから水を入れると良いだろう」

 

「ありがとうございます」

 

 俺は門番達に一礼して城内に入った。

 

 

 

「これで全部か」

 

「小僧、よく運んでくれたな。助かった」

 

「いや、ちょうど暇を持て余していたんで。俺、井戸に行って水飲んできます。先に行っててください」

 

「そうか。くれぐれも変な真似はするなよ!」

 

 そう言って商人は先に城を出た。さてと、井戸に行って怪しまれないように探索でもしますか。

 

 春日山城は連郭式山城という城に分類されている。「連郭式」というのは本丸と二ノ丸、三ノ丸といった他の曲輪を連なるように並べて配置したものだ。主に山城がその形式を取っている。そして、この城の特徴として、山全体にたくさんの曲輪が配置され、約2km四方にも及んでいることだ。攻め手からしたら厄介なことこの上ない城だ。

 

 さてと、井戸は確か「宇佐美様」の屋敷の近くと言っていたな。宇佐美と言えば宇佐美定満だよな。やべぇよ。上杉謙信を支えた名軍師。警戒しなくては。

 

 俺は歩き続けること暫くして、何とか井戸を見つけることができた。

 

「もう、喉がカラカラだ……」

 

「おい、あんた。ここで何しているんだ?」

 

 井戸に手を伸ばそうとした時に後ろから声をかけられ振り向いた。すると、目つきは歴戦を戦い抜いてきたようなギラリとした目。洋風な帽子を被った総髪の男がいた。戦国時代ましてや越後に西洋のような格好をする人がいるとは思わなかった。

 

 俺はその奇抜な格好におもわず目を見開く。いや、驚いたら怪しまれるため、一先ず深呼吸した。

 

「すみません。喉が渇いていたもので、水筒に水を入れたいのですが、井戸を使ってもよろしいでしょうか?」

 

 男は俺を少し様子を見て首を傾げつつも、首を縦に振った。

 

「いいぞ。いくらでも飲むと良い」

 

 優しい!この人、見た目によらず優しいぞ!

 

 俺は井戸から水を汲み上げ、水筒の口を洗った後、水を入れた。ようやく飲める水。

 

 いざ水を飲もうとしたその時だ。

 

 ざわっ……。

 

 風が吹いた。

 

 人によっては何てことのないただの風だ。だけど、俺には何か胸を騒つかせる風だった。木々が騒いでいるような……。

 

(誰かが苦しんでいる……?)

 

「お、おい、待て!」

 

 気づけば自然と走り出しており、先程の男の静止などお構いなしだ。

 

(行くべき方向がわかる……。)

 

 風がまるで俺の背中を押しているかのようだった。なぜなのか、理由を考えてわかるはずもなく、そのまま走り続ける。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……。!?」

 

 走り続けた先に俺が目にしたのは白い髪白い肌の女の子が腹を押さえて木にもたれかかっていた。太ももが血塗れになっており、口からは嘔吐物を出した後があった。

 

「お前、大丈夫……じゃあなさそうだな。ちょっと、待ってろ」

 

 この倒れている少女が長尾景虎だとは思わなかった。





時系列的にはこうです。

武田:小笠原長時を破った後、村上義清と戦うための準備中。砥石城攻め前の段階。

長尾(上杉):長尾晴景が隠居して景虎が当主になったばかり。越後はまだ豪族の独立意識が高い。


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第2話 問答

 2話連続投稿です。投稿ペース考えないと……。


 長尾景虎を知るために真斗は越後に潜入し、長尾家の本城、春日山城に侵入する。探索するなか、彼は倒れている白い髪、白い肌をした少女を見つける。彼女こそ、越後の守護代・長尾景虎だった。

 

 真斗は井戸水が入った水筒を取り出す。

 

「まずは、これで口を濯いで。このままだと歯が溶けるぞ。安心しろ水筒は洗ってある」  

 

 景虎はコクリと頷き、水筒に口をつけ、口を濯いだ。次は血を拭くことだな。

 

「太ももはどこから怪我をしたんだ?今、止血してやるから」

 

 それに対して彼女は首を横に振った。

 

「怪我は……していないわ」

 

「怪我をしていない?それはどう…いう……」

 

 真斗はもう一度血塗れの太ももを見て、傷口らしきところはなかった。

 

「えっと……、少し待ってほしい」

 

 顔を赤くし、顔を俯く。なんとも、年頃の少女らしい反応だった。

 

 あの貞操観念がないに等しい晴信とは正反対だ。あいつにもそれくらいの恥じらいがあればな……、とふと頭の中に過ぎる。しかし、今はそれどころではない、苦しんでいる彼女をすぐに助けるのだと、真斗はすぐに着ている服の袖を刀で切りとり、まだ水筒に残っている水を濡らし、彼女に渡した。

 

「お、俺は反対側を向いているから、終わったら言ってくれ」

 

「え、ええ」

 

 景虎は真斗から渡された濡れた布で血がべっとりと付いている太ももを拭き取る。真斗は彼女に背を向けて、終わるのを待つ。

 

「……もういいわよ」

 

 彼女の言葉に真斗は振り返る。そこには衣服に血が付いているものの、あの倒れている時の姿がまるで嘘かのような可憐で白い雪の妖精のような少女が座っていた。

 

「お腹、まだ痛むか?」

 

 痛みを堪えていたのか、少し顔が歪ませながら頷く。

 

「まずは深呼吸して。気持ちを落ち着かせて」

 

「すー…はー……」

 

 景虎は頷き深呼吸を数回繰り返す。

 

「どうだ?」

 

「痛みは大分和らいだわ。礼をい……」

 

 突如、景虎の言葉が途切れる。

 

 バタンッ

 

 彼女が礼を言おうとした瞬間、真斗は倒れる。それもそのはずだ。彼は先程の商人の荷物運びを手伝ってから今まで水を一滴も飲んでいない。それどころか、井戸で汲んだ水を全て景虎を助けるために使ってしまっていた。

 結果、彼女が大事にいたらなかったことに安心して緊張が途切れ、一気に脱水症状が彼を襲ったのだ。

 

(やばい。水、飲んでなかった……。)

 

 真斗の意識が薄れゆく中、景虎が慌てて彼に近づく。

 

「どうしたの!?だ、誰か居らぬか!!早くこの者を助けよ!」

 

 景虎にはどうすれば彼を助ければ良いのかわからない。戦には天才的な才能を持っているが、人命を助ける術は知らない。

 だが、そんな理由で自分を助けようとした恩人をこのまま死なせることは他ならぬ自分自身が許さなかった。

 

 必死に叫ぶ中、誰かの足音が景虎の耳に入る。

 

「どうした、景虎!」

 

 洋風な帽子を被った総髪の男が景虎に近づく。彼こそ、長尾家の軍師・宇佐美定満である。そして、彼女を忌み嫌った為景に代わり「義」の心を教えた。つまり、育ての親とも言える存在だ。

 

「宇佐美!この者、わたしを助けた後に倒れてしまったのだ。このままにはしておけない、どうすれば助けられる?」

 

 宇佐美は倒れている真斗を見て、あの井戸で出会った小僧か、と口にする。これで真斗が突然井戸から走り出したのか、合点がいった。彼は何かしら景虎の危機を察して助けるために駆けつけたのだ、と。

 

 宇佐美もこのまま真斗を放置するわけにはいかなかった。

 

「ああ、わかったわかった!とりあえず、まずは涼しいところに連れていくぞ。こいつは水を飲んでいない。この暑さにやられたんだ!ここからだと一番近いのは毘沙門堂だ。そこで休ませる。良いな?」

 

 宇佐美の問いかけに景虎は頷く。

 

 しかし、宇佐美は真斗をどうするか考えていた。景虎は自分を助けた彼を必死に介抱するだろう。素性の知らない少年をただ助けるわけにはいかない。そう考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

「……。」

 

 毘沙門堂に運ばれた真斗を景虎は静かに見つめていた。

 

(改めてこの人は一体何者だろうか。何故こうも胸がざわつく。)

 

「んん……。ここは」

 

 薄暗く涼しい場所。暑さにやられた真斗にとって、とても心地よく感じた。

 目を覚ますと白い肌、白い髪、そして赤い眼をした少女の姿が目に映る。彼女の姿を改めて見てようやく「長尾景虎」なのだと気づいた。真斗は兎に角苦しんでいる人を助けたいという一心でやっていたため、気づくのが遅れたのだ。

 

「春日山城。そして、ここはその中にある毘沙門堂よ」

 

「毘沙門堂……」

 

 景虎の後ろに毘沙門天の像を見る。

 

(なぜだろうか。不思議と俺はここに呼ばれていたように感じる。)

 

「助けてくれてありがとう。このまま倒れていたら、どうなっていたか……」

 

「礼には及ばないわ。それは私も同じ。あなたに助けられたわ。それと、あなたを運んだのはあの宇佐美よ」

 

 景虎の視線の先に宇佐美定満が立っていた。真斗は思わず、目を丸くして定満を見た。

 

「あの時の……。宇佐美様、ありがとうございます」

 

「良いさ、景虎を助けたお前を見殺しにするわけにはいかねぇさ」

 

 ただな……、と宇佐美は付け足す。

 

「お前、何者だ?」

 

「え?」

 

「一瞬、商人の下働きかと思ったが、帯刀もしている。それも錆がない磨かれた立派な刀だ」

 

 宇佐美は真斗が持っていた刀を取り出して刀身を見せる。まだ、兵農分離がされていない時代、武士でなくとも帯刀する人は中にはいる。ただ、磨かれた刀となれば話は別だ。ここまで磨くのは武士であることに間違いない。

 

「だが、軒猿にしては迂闊だ。殺気も微塵も感じない」

 

「……。」

 

 真斗は顔色を変えずに一度長尾景虎を見る。

 

(助けてくれた人に嘘は吐きたくないな。それこそ、「義」を重んじている彼女に失礼だな)

 

「わかりました。俺は武田家臣白井真斗。越後に来た理由は長尾景虎、あなたを知るために来た」

 

「「!?」」

 

 景虎、宇佐美は驚きを隠せなかった。この状況を誤魔化す人が多いが、こうまで堂々と自分の正体と目的を答える人はまずいないからだ。それに加え長尾景虎にとって、武田晴信は父を他国へ追放しあまつさえ妹の嫁ぎ先だった諏訪を滅ぼし信濃を我が物としようとする成敗すべき敵として定めているからだ。

 

「……今、武田家臣。そう言ったのね?」

 

「言ったさ。嘘は言わない」

 

「『白井真斗』、こりゃあはまた大物が来たな」

 

「宇佐美知ってるの?」

 

「そりゃあそうだ。以前、武田が信濃守護の小笠原を一気に叩きのめしたって話があっただろ?勝利に貢献したのはこいつだって話だ。まさか、こんなガキだったとはな……」

 

「それで。何が目的なの?」

 

「え、だから。あんたを知るために」

 

「それだけなの?」

 

「それだけだな」

 

 即答だった。ここまで来ると彼が嘘を言っているように見えない。私の命を狙うことが目的ならあの時に携えていた刀で自分を突き刺せば良い話だ。状況証拠は揃っている。

 

 ただ、自分を生かした理由もわからない。あの悪虐非道を尽くす武田晴信の家臣だ。兄がいない今私を殺せば、武田にとって益となるはずだ。真斗の目的が益々分からなくなる。

 

 だからこそ、長尾景虎は真斗に尋ねた。

 

「どうして、私を助けたの?」

 

「え、いや……」

 

 真斗は「うーん」と唸り、少し頬を赤くし恥ずかしそうな顔をして言った。

 

「聞いて笑わないのなら答える。それを約束してくれるなら…」

 

「ええ。約束するわ」

 

 真斗はゆっくりと口を開いた。

 

「そこに苦しんでいる人がいたからさ。それで助けなくちゃいけないな……と」

 

「……。」

 

 景虎は思わず言葉を失った。彼は欲も何も持たず善意で自分を助けたと言った。

 正直さ、誠実さ、そして弱っている者には手を差し伸べる心。それらを兼ね備えている真斗を見て、景虎は目を丸くした。自分が考えている、人として在るべき姿を彼が体現しているのだと感じたからだ。

 長尾政景も含めた越後の諸将達は皆、景虎を嫁にと血眼になりがら求めるのに対して、真斗は何一つそういった考えを持っていない。

 

 だからこそ、景虎は体を震わせる。武田晴信は彼のような人までを騙し、利用しているのだと。

 

「あなたは……、あなたのような人が武田にいるのかがわからない。騙されているのよ、武田晴信に。父を追放し妹を殺すような卑劣な女に」

 

 この時、真斗は顔を顰める。彼は外側の人が抱いている武田晴信のイメージというのを理解した。だからこそ、悔しかった。あれほど家族を想いやる優しい少女は数少ない。しかし、それとは真逆の評価を受けている。

 

「なあ、景虎さん」

 

 真斗は景虎の赤い瞳を睨んだ。目を逸らさないように、自分の本心をしっかりと彼女に伝えるために。

 

「見たことのない。実際に会ってもない人に俺の主君を侮辱されるってのはかなり怒りを覚えるんだよ。だからさ、今の言葉撤回しろ」

 

「!?」

 

 景虎は怒りを向けられたことに硬直する。敵対しているとはいえ、全て彼女を目的としていたため、敵意を向けられることはなかった。しかし、彼は違う。晴信を侮辱したことに対する怒りと明確な敵意を景虎に向けたのだ。

 

(こりゃあ、根っからの忠義者だ。律義で若さ故の真っ直ぐさ。景虎好みの性格だが……)

 

 宇佐美は景虎にも目の方にも目を向ける。

 真斗が武田晴信に仕えているのは自分の意思であることに、景虎はショックを隠せないようすだった。

 

「だ、だが、事実だ」

 

「噂を事実と認識するのだったら、あんたの兄上、長尾晴景は野望のためだけにあんたを殺そうとしたって噂が流れていたけど、あれは事実なのか?」

 

「それは違う!兄上を侮辱するな!」

 

「あんたが言っていたことは、それと同じことだ。事情も分からない、知らない人に大事な人を侮辱される筋合いはないはずだ」

 

「っ!それは……」

 

 景虎は言い返せなかった。正直、悔しかったが、彼の方が正しい。認めざるを得なかった。

 

「あなたへの主君への侮辱については謝るわ。だが、信濃の豪族達を脅かす武田晴信は私にとって成敗すべき敵だ」

 

「……わかった。俺も晴景公を侮辱するつもりは毛頭なかった。すまない」

 

 真斗は景虎に深く頭を下げた。

 

「それで今、当主が武田を敵と定めた以上俺を切りますか?宇佐美様」

 

 真斗は宇佐美に目を向ける。景虎の武田に対する敵意を示した以上、その家臣である彼をどうするか、処遇を決めなくてはならない。

 

「そうだな。敵である以上、ただでは返すわけにはいかねぇな」

 

「ま、待て宇佐美!たとえ、敵であろうと彼は恩人だ。決して殺すな!」

 

「だがよ、こいつは武田の家臣で、戦場ではあの村上義清に勝るとも劣わないと言われた武将だ。このまま、武田に返せば必ずこの越後の脅威になるぞ!」

 

「構わない!」

 

「っ!!」

 

 景虎の意思は固かった。宇佐美は後ろ頭を掻き、ため息を零した。

 

「まあ、そう言うと思ったよ。好きにしな」

 

「……。」

 

 真斗は景虎の誠実さに思わず魅入ってしまった。見た目だけでなく心も美しく、そして気高い。彼女を狙う国人がいるとは噂で聞いていたが、それも納得がいった。

 

「どうした小僧。惚れたか?」

 

 宇佐美は先程とは打って変わってニヤニヤした表情で真斗を弄り始める。だが、真斗は静かに首を横に振った。

 

「いえ、尊敬の目で見ていました。命を二度も助けられたのに、このまま帰るわけにもいかなくなった」

 

「どういうことだ?」

 

「命の恩人に何もせずに帰るほど恩知らずのつもりはないです。少しは恩返しはさせてほしい。しばらくの間、俺を客将としていさせてもらうことはできますか?」

 

 景虎と宇佐美は首を傾げた。





 上杉謙信を取り扱った歴史番組を見ていたのですが、殆どひらめきで戦を進めていたそうです。それを見ると本当に天才っていうのがいるんだな……と。

 皆さんはどんな才能が欲しいですか?

 因みに私は文才が欲しいです……!


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第3話 越後統一 壱

越後潜入編3話目です。ちなみにかねたんは越後潜入編では出てきません。

また、白井真斗のキャラ絵はこんな感じです。

【挿絵表示】


Uni Dream というアプリから作りました。


 自分を客将にして欲しい。そう申し出た真斗に対して宇佐美は懐疑的であった。景虎とのやり取りから見て彼は誠実さを持っているのは確かだが、敵対する武田の家臣という立場である以上それが拭えなかった。

 

「それで、客将として止めおくのは良いとして、何かあれば戦に出てくれるということで良いだよな?」

 

「その捉え方で大丈夫ですよ。戦になれば参加するし、内政ならば多少の助言くらいはできるかと」

 

「……そうか」

 

 宇佐美は少し考え、一つの結論に辿り着く。

 

「なら、今の越後が抱えている問題を解決させるってのはどうだ?」

 

「というと?」

 

「景虎が『命の恩人』というのなら、この越後が抱えている問題を解決させてみろ。それで貸し借りは無し、どうだ?」

 

「わかった、それでよければ。……景虎」

 

「なに?」

 

「これはいわば俺の自己満足だ。命の恩人であるあんたに対する俺なりの『恩返し』ということになる。武田家の俺に施しを受けたくない、というのであれば拒否するも良い」

 

「私は…そこまで器は小さくないつもりだ。白井真斗。あなたみたいな『義』の心を持った人の行いを私は否定しない」

 

「そっか、ありがとう。俺の自己満足に付き合ってくれて」

 

 真斗は越後の情勢について可能な限り調べてきたことについて、話して自分の予測と同じかを確認した。もちろん、全てがすべてを相手が解答してくれるわけではない。

 しかし、大まかなことは理解できた。まず、真斗がたどり着いた越後の課題は「景虎は祝言を上げる気はないが、周りの諸将は景虎が欲しくて仕方ない」ということだ。それが越後諸将の結束を邪魔しているということになっている。

 

「越後の諸将が景虎を狙っているのは知っていたけど、ここまでとは思わなかったな……」

 

「だから、予めに夫を取れと言っているんだがな。さもないと、内乱の火種になる」

 

「……嫌だ。男と女の交わりなど、私は嫌いだ。ぞっとする。(けが)らわしい」

 

「とまあ、こんな調子だ」

 

 宇佐美は景虎を親指で指している。

 

「俺としては景虎の意志を尊重した結論を出したいのだが……。一応、確認したいのですが、景虎を狙っている人の中で一番力を持っているのは誰なんですか?」

 

「ん、ああ、『長尾政景』だな」

 

「!?」

 

 真斗は政景の名前を聞いてビクッと震えた。景虎と従兄弟同士だとか、そういったものではない。春日山城へ向かう途中で彼に遭遇して、勝負をした上、腹に一撃を入れて地面に沈めさせてしまったのだ。

 

(や、やばい……。)

 

「どうしたの真斗?顔色が悪いわ」

 

 真斗の変化に景虎は熱中症が治っていないのかもしれないと心配する。

 

「え、あ、いやぁ……。その……」

 

「おい、政景の名前を聞いた途端からこの様子だな。何かあったのか?」

 

「え、えっと……」

 

「まさか、政景に○られたのか!?」

 

 宇佐美は揶揄い混じりで真斗に問いかける。

 

「○られてねぇよ!!何でそんな予想になるんだ!?」

 

 真斗は声を荒げて否定する。

 

「宇佐美、○られるというのはどういうことだ?」

 

「ああ、もう、景虎が反応した!景虎は気にしなくて良い。良いな」

 

 真斗は咳払いをしてありのままを景虎達に伝えた。

 

「ぶはははっ!!政景を殴ったって、あははっ!ああ〜、ダメだ腹痛ぇ……!」

 

 宇佐美は腹を抱えて笑い始める。景虎はポカンと口を開けていた。あれほど自分を手篭めにしようとする政景が腹を抱えて倒れていることを想像できなかったらしい。

 

「んんっ……。まあ、そんなこともあったので政景に会ったら今度は殺されかねないな……と」

 

「ええ、まあ…」

 

「大丈夫だろ。守護代に就任する景虎の前でそんな真似はしないはずだ」

 

「それは良かった……。ん、ちょっと、待ってください。その守護代に就任する際に越後全体の諸将達が集まるんですよね?」

 

「ああ、そうだが。それがどうした?」

 

「その時に景虎は何を言うつもりなんだ?」

 

「私は夫を取らない。そう言うつもりだ」

 

「だったら、そこに一つ芝居を打たせよう。他に景虎を異性としてみていない、または崇拝の対象としている武将に『景虎様を狙うなど以ての外!この身は景虎様に守る盾となり、敵を穿つ矛となりましょう』と言わせるんです。そして、予め書かせた誓紙を景虎の前に提出する。これを十人ほどで行わせたら、他の諸将も続いて行うかと」

 

 つまり、真斗が言いたいのは景虎の前にある程度の人数が景虎を嫁にするために狙わないと誓わせて、あとはドミノ倒しのように誓う武将を増やしていく、というものだ。日本人によくある集団主義を突いた作戦だった。

 

「政景はどうする?他の諸将が書いても、あいつだけは景虎をそう簡単に諦めたりはしないはずだ」

 

「それは誓紙を書いた諸将が景虎側に着くことになる。全員誓紙を描かなかったとしても全体の…そうだな七割が書いていたら、数の差で押し込められる。命を棒に振って手に入れようとするほどの愚か者でなければ、動こうとしないはずさ」

 

 それは他の諸将にも言えることだ、と真斗は補足を入れる。

 

「これは……いけるか」

 

「博打の要素は拭えないが、賭けてみる価値はあると思う」

 

「わかった。なんなら、芝居ではなく本気で誓う奴らにやらせた方が良いな。候補として、柿崎景家と本庄家の若造がいるか……。時間はないが、不本意だが、直江大和に協力を持ちかけたらやれるかもしれねえ。あとは俺に任せろ」

 

 宇佐美はすぐに立ち上がり毘沙門堂を後にしていった。

 

「行ってしまったわね……」

 

「まあ、当てがあるなら大丈夫だろ。あー、疲れたぁ……」

 

 真斗は脱力して床に寝転がった。

 

「意外だわ。緊張していたのね」

 

「いやいや、下手な提案したら殺すぞって感じていたし。しないほうが可笑しいと思うのだが……」

 

 真斗は「ハハハッ」と乾いた笑い声を出す。景虎はそんな彼を見て不思議そうに見ていた。

 

(政景とは明らかに違うけど、宇佐美や直江のように私を見ているのかと言えばそれも違う。白井真斗、あなたはどんな目で私を見ているの……?)

 

「真斗、あなたは言っていたわよね。私を知りたいと」

 

「えっと、あ、そうだった。そのために越後に来たんだった……。君がどんな信念を持ってこの乱世で戦うのかを尋ねたい。もちろん、言える範囲までで良いんだけど」

 

 真斗は自身の目的を忘れていたことに気がつく。

 

「ええ……。いいわよ、話してあげる。少し長くなるわ」

 

「構わないよ。教えて欲しい」

 

 景虎は語り始めた。自分の姿は生まれた時からこの姿で、父である為景に疎まれていたこと。従兄弟の政景に狙われた際には姉の綾が身代わりに嫁いでいったこと。為景が死に際に今までの行ってきた悪行について、景虎を毘沙門天と見て許しを乞いた時に「許す」と答えたことを。

 

 そして、父為景の死は因果応報によるものなら、自分が一身に受けると願い崖から身を投げたことを話した。

 

「その時、私は海に身を投げた時に毘沙門天に言われたの『赤い目白い肌なのは毘沙門天の化身である証。義の戦を持って戦い、敵を許して人の命と魂を救え。それが長尾為景が行ってきた罪業を許すと言った虎千代への罰である』と」

 

 真斗は絶句した。こんな残酷な宿命を背負えと、もし神がいたとしてただ一人の少女だけに背負わせていいものではないと感じた。人としての幸せを捨てて生きていけなどと、それは人の姿である以上は不可能だ。

 宇佐美定満の言っていたことが真斗にも理解できた。そんなことを聞いてしまっては、義を持つとしても人として生きて欲しいと願いたくなる。

 

「そして、私は恋をすればたちまちに死ぬと言われた。私は神として戦い、神として生き、いつか神として還る。それが私の運命だ」

 

(そうか、あの夢を見た意味はそういうことか……)

 

 臼井城の戦いの夢を見た理由が真斗には理解できた。いくら神と名乗ってもそれは「人」に過ぎないのだ。白井浄三が神として見たのではなく、「人」としての上杉謙信を見たからこそ勝つことができたのだ。

 

(俺は決めた。景虎を「人」として見ると。)

 

 そして、もう一つの感想があった。晴信と景虎は父親に疎まれていたという意味で境遇が似ている。そして、ただ純粋に愛情という物を求めていたことも。

 

「景虎。一つ確かめたいが、晴景公からは家族としてではなく一人の女として恋をしているって言われたんだよな?」

 

「え、ええ」

 

「なら、代わりに本物ではないが、兄らしいことはできる」

 

 ほら、ここに寝てみろと言わんばかりに真斗は自身の膝を軽く叩く。所謂、膝枕というものだった。

 

「信用できないのなら、別に構わない。もし、俺を信用できるのならここに寝てみろ」

 

(なに?何が目的なの?)

 

 景虎は懐疑的だった。真斗とは家族でもなんでもない。赤の他人だ。自分が苦しんでいたところを偶然見つけ、助けようとしてくれたお人好しに過ぎない。

 

(会って間もない彼を信用できるところは……)

 

 見返りも無しに助けようとする。越後の諸将よりも信用できるし、ましてや従兄弟の長尾政景と比べるべくもない。嫁にしたいと言っていた家族よりも断然信用できる。

 

(あれ、意外と素直だな。結構、警戒されると思ったんだけどな)

 

 気がつくと景虎は真斗の膝の上で寝ていた。

 

「頭、撫でて良いか?」

 

 景虎はコクリと頷く。真斗は景虎の頭を撫で始める。ゆっくりと優しく、そして彼女へ向ける顔は優しく微笑んでいた。

 

(暖かい。心が満たされるような、そんな感じがする。父上にも兄上にもこんなことされたことなかったわね)

 

「景虎。君は凄いよ」

 

「え?」

 

「自分のためだけに戦う人達は大勢いる。地位や名誉のために領土を求めるのに、義のために困っている人がいれば助けようとする。たとえ敵だとしても許す。他の人ではできないことだ。君にとってはそれは当然だと思っているかもしれない。だけど、俺はその行動を起こす君を『人』として尊敬する」

 

「何を…言ってるの?私は人じゃないわ。私は毘沙門天の化身よ」

 

「悪いけど、俺は君を神と見ることができない。君と同じように白い髪と肌、赤い目をしている『人』を見たことがあるんだ。だけど、その人達は神として崇められていない。ただ珍しいというだけで『人』として生きているからだ」

 

「いるの?私と同じような姿をしている『人』が」

 

「まあな。ただ、探そうと思えば本当に大変だ。その姿で生まれるのはとても珍しいことだからな」

 

「見てみたいわね。そういう人がいるなら、会ってお話ししてみたいわ」

 

「戦乱の世が終わればできるかもしれないな」

 

 真斗の言葉に景虎は首を少し横に振って否定する。

 

「それは叶わないわ。戦乱の世が終わる時はそれは私が神として還る時なのだから」

 

「だったら、神から人に戻してやる。この先、そう遠くない時に俺達は戦うことになる。その時は俺は君に勝ってみせる。君が軍神である毘沙門天だというのなら、それに勝って君が神ではなく『人』であることを認めさせてやる」

 

 負ければそれは「神」とは言えないからなと言って景虎に顔を向ける。ただ、それは景虎を求めるという欲ではなく、人として生きて欲しいという(ねがい)で見ていた。

 

「そう……。なら、私は武田とあなたと戦い、そして勝ってみせるわ。そして、あなたに勝った時は私を『神』と見てもらい、私の義戦に身を投じてもらう」

 

「わかった。誓うよ。だけど、そう簡単にできると思うなよ」

 

「その言葉そのままあなたに返してあげる」

 

 二人は互いに笑い合う。敵対関係であるものの、今の時間は二人にとって楽しく感じた。

 

「まあ、男女の関係は何も恋仲に限らないから、一応『友達』になるってなら毘沙門天は許してくれそうだけど、どうする?」

 

「友達?」

 

「そう友達。君と俺、心の内を語り合った者同士として」

 

「なら、友達になりましょう。あなたと話していると心が満たされて楽しいもの」

 

「じゃあ、よろしく」

 

「ええ……」

 

 景虎は瞳を閉じる。心の安らぎを見つけたかのようにその寝顔は穏やかなものだった。




次回で越後潜入編は終わりとなります。
時間軸を考えればきついところがあるかな……と。
次話が終われば信濃統一編(後)となります。


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第4話 越後統一 弐

投稿がストップしていたのにお気に入り登録してくださる方や感想を書いてくださる方、本当にありがとうございます!

さて、これで越後潜入編は終了となります。



 

 景虎との邂逅から3日が経ち、春日山城に大勢の武将達が集まっていた。皆、越後の国人衆で長尾家及び越後守護の上杉家に従っているが、実際は独立意識が強く、現時点では主従関係とは程遠いものとなっている。

 

 その代表格が上田長尾家の長尾政景だった。景虎と政景は従兄弟同士の関係であり、血筋も近いことから景虎相手にかなり強気で振舞っている。

 

 しかし、国人衆は政景を支持せず、景虎を支持している方が多い。理由として、この3つが挙げられる。

・景虎が戦に強いこと

・為景や政景と異なり、敵であっても許していること

・武田の北上作戦により、情勢は刻一刻と変わっていること

 

「景虎、準備は良いか?」

 

「ええ。私の意志を皆に示す。それで良いのね?」

 

 行人包を被った景虎は真斗に問いかける。

 

「ああ、それで良い。あとは、宇佐美さん達が何とかしてくれるはずさ」

 

 真斗が答えると景虎は頷き、国人衆の前に現れる。そして、自らの行人包を外し、素顔を見せた。その姿を見た国人衆の若い男達は「おおっ……」と言いながら、景虎の神秘的な姿に見惚れていた。

 

 重ねて言うが、この越後では守護代であっても、自分と対等だと考えている武将が殆どだ。そのため、景虎さえ嫁として迎え入れれば越後の支配者になれるという考えだった。

 

「婿を取られるのでありましょうか」

 

「許嫁はおらぬと伺うかがっております」

 

「他国では、姫大名はその家臣とは祝言を挙げてはならぬという風習があります。親族かあるいは同格の大名が相手でなければ祝言を挙げられぬそうです」

 

「ですがこれまで姫武将すら存在しなかったこの越後には、そのような風習はありませぬ」

 

 国人衆は次々と求婚を景虎に迫ってくる。真斗はこの光景を見て呆れていた。

 

(あーあ。皆さん、元気のよろしいことで)

 

 景虎は思わず懐に入れている青竹を出してたくなったのを近くにいる宇佐美と直江大和が視線で景虎を制止させた。景虎は息を整え、口を開く。

 

「諸将よ。わたしは毘沙門天から武の力を授って、その力を借りることで戦に勝ち続ける。これからもこれまでも、わたしは合戦に負けないだろう。だが、夫を迎えれば毘沙門天の力は失われる。わたしは生涯、誰にも嫁がぬ。武士ではあるが、出家の身に等しいと考えてもらいたい」

 

 景虎の宣言に求婚していた国人達が顔を蒼白させる。しかし、そこで間髪入れず、宇佐美が根回しした諸将が動く。

 

「景虎様が決断されたそのお覚悟を決して無駄にはしませぬ。この柿崎景家、身命を賭して景虎様と越後のために尽くす所存!」

 

 柿崎景家は一枚の書状を景虎に提出する。それは真斗が言っていた景虎に対して求婚をしないことを誓い、また景虎の家臣として従うことを誓う起請文だった。

 

 起請文に書いたことを背く行為をすれば神仏による天罰が降りるまたは死後に地獄へ落ちると信じられている。この時代の神仏への信仰はとても強いため、相当の覚悟を持って書く必要がある。

 

「無論、私だけではない。景虎様に従うことを誓った諸将もおりますぞ!」

 

 景家に続き他の諸将が景虎に起請文を提出する。しかし、景家のような豪胆な武将は少なく、年老いかけている武将が目立っていた。そのため、反発する国人衆は少なくなかった。

 

 その代表格と言える北条高広は口を開く。

 

「柿崎殿。それがしたちは坊主でもなければ、解脱しかけた年寄りでもない。目の前にいきなりこれほどの美しい女性が現れていながら、いきなり夫は生涯取りませんと言いだすとは、どういうことだ。これではわれらは生殺しではないか」

 

(やはりそうきたか……)

 

 真斗は苦虫を噛み潰したように顔を顰める。真斗の懸念点として考えられたのは柿崎に賛同する武将達が年老いた者ばかりということだ。これでは若い国人衆からは反発されるのは目に見える。

 

「ならば、この場にいる者達に問おう。我らと同じ誓いを立てようとする者はいないのか?」

 

 柿崎の呼びかけに対する国人達の反応は薄い。話し合いをするのも少数派であった。

 

 沈黙が続く中、一人の男が立ち上がった。

 

「それがしも誓いを立てましょう」

 

「おおっ!」

 

「色部殿、誠か!?」

 

 柿崎景家が喜び、北条高広が困惑の声を出す。

 

 色部勝長。為景と晴景、そして景虎に仕えている武将であり、為景の代から揚北衆の国人達をまとめあげている。以前には為景に敵対して隠退まで追い込んだという実力者だ。

 

 つまり、揚北衆の代表が誓いを立てるとなれば、他の揚北衆の国人達も勝長の意思に従うことになる。つまり、越後の国人衆の中で実力を持った武将が景虎の家臣となり、景虎を守ると誓ったことになる。

 

 また、その揚北衆の中には本庄繁長という武将もいる。彼は若き武将ではあるが、景虎の神秘的な姿に見惚れて求婚を通り越して崇拝対象としてしまっている。

 

「この色部勝長、揚北衆の代表として貴様ら忠告しよう。もし、景虎様を狙うような真似をする者がいれば、我ら揚北衆が忽ちその者を滅ぼしてくれよう」

 

 勝長の宣言に求婚を求めていた国人衆は一気に静まり返る。景虎を狙えば命はないことを嫌でも分かるからだ。北条高広もこれ以上景虎に求婚を迫ることができないと感じたのか、沈黙している。

 

(ここは時を待つしかあるまい。時さえ経てば、今の揚北衆も年老えていき、賛同している年老いた国人たちもいなくなっているだろう)

 

 他の国人衆も高広と同じ考えに至っている。さて、問題を一時的に解決したと言える。あとは、長尾景虎がこの間に自分の発言力を高めていくかによるだろう。

 

「宇佐美どの、直江どの。貸ひとつだぞ」

 

 勝長は景虎に侍っている宇佐美と直江に囁いた。勝長も何も見返りなしで宣言したわけではなく、後々は長尾家の中でそれ相応の地位に着くことが目的でもあった。

 

(色部勝長。中々に侮れないな……。だが、助かった。このまま、あいつらは引き下がろうとはしなかったからな)

 

 宇佐美は勝長を警戒しつつも、越後を纏められることができたことに感謝していた。

 

 こうして長尾景虎の越後守護代に就いたことによる所信表明は終わった。

 その後、景虎と国人衆との間には直江大和が入り、対応にあたった。主に色部勝長がこのまま景虎様を狙っているのではないか等についてだった。

 

「お嬢様はまだ大人になりきれていないので、そのような年頃でもあるのです。今は不犯の誓いを立てていますが、そのうち気が変わることもありましょう。また、揚北衆でなくとも戦果をあげていけば、もしかすればということもあるかも知れませぬ。今は忠勤に励んでいただければ」

 

 それに対して直江大和がのらりくらりとした返答で返していった。可能性さえあればそれに賭けようとする者が多いからだ。

 

 しかし、一人の男は違った。長尾政景である。

 

「フン。直江大和。俺は貴様を信用できんなあ。一度騙だまされているからな。貴様は景虎を俺に嫁とつがせると謀たばかって、綾を俺に娶らせた」

 

「その綾さまがご懐妊だそうで、おめでとうございます。政景さま。仲むつまじいご夫婦のようで、微笑えましい限り」

 

「……なにを企んでいるかは知らんが、景虎のくだらん不犯の誓いなど撤回させてやる。揚北衆やてめえを蹴落として景虎を手に入れてやる」

 

長尾政景だけは、直江大和に向けて不敵にも笑っていた。

 

「あなたは一度叛いた。お嬢さまに討たれ、命を許された。次に謀反すれば、お嬢さまがどう言おうとも処断いたします。あなたが黒田秀忠を誅したように、です。長尾政景さま」

 

「もう俺の負けはないぞ、直江大和。あんな下手な戦は二度とやらん。次は、黒田秀忠など担がん。俺のやりたいように戦い、俺が勝つ」

 

 その会話を聞いていた景虎は誰にも悟られぬように密かに毘沙門堂に入っていった。

 

 

 

 

「……わたしは、なぜ姫に生まれたのだろうか。わたしが男であれば、誰を惑わすこともなかったはずなのに。わたしはほんとうに越後に義をもたらすことができるのだろうか」

 

 景虎以外の姫武将はいなく、気軽に相談できる相手もいないため孤独を感じていた。今までは姉の綾がいたが、政景に嫁いだ後、母親として生きることを選んだ。 

 

 宇佐美や直江も景虎のために尽くしているが、それでも景虎の悩みを打ち消せるものではなかった。

 

(寂しい……)

 

 景虎は毘沙門堂の中で蹲った。

 

「あ、やっぱりここにいた。まったく、宇佐美さん達探していたぞ」

 

 毘沙門堂の扉を誰かが開ける。その人を月の光が照らしているが、逆に光によってできた影が顔を隠していた。

 

 しかし、景虎はその人の声で誰なのかは分かっていた。

 

「真斗?」

 

「そうだけど……。どうしたの?蹲って」

 

 景虎は一度真斗の顔を見るが、また顔を俯かせた。景虎の今の悩みも真斗が解決できるものではないと思っているからだ。

 

「……まあ、確かにあんなに婚姻を求められちゃ、嫌になるよな。ましてや、同じ『姫武将』というのはこの越後には誰もいない」

 

 真斗はゆっくりと景虎の隣座った。

 

「……これは俺の予想なんだが」

 

「……?」

 

「かつち…じゃなかった武田晴信と長尾景虎は考えは違うけど、境遇が似ている。父に疎まれたところなんざ、特にな。もし、二人が家柄とか大名とかそんなこと抜きで出会ったのだとしたら」

 

「出会ったのだとしたら?」

 

「多分、友達になれる」

 

「!?」

 

 景虎自ら敵と定めていた武田晴信と友達になれる。それは冗談であってもすかさず青竹を取り出して叩くところだったが、そんな気になることができなかった。それどころか、真斗の言葉をどこか信じている自分がいることに気づいていた。

 

「ほ、ほんとうに?」

 

「まあ、俺の勝手な予想だ。どうなるかはわからないけど……」

 

 景虎はギュッと裾を握りしめて真っ直ぐに真斗を見た。

 

「何故だかわからないけど、私もそんな気がするの。だから、真斗の言ってること信じられるわ」

 

 景虎は真斗に微笑みかける。その顔は毘沙門堂に戻った時と違い、嬉しそうな表情を浮かべていた。そのギャップに真斗は見惚れてしまい思わず、顔を背ける。

 

「どうしたの真斗?どうして顔を背けるの?」

 

 景虎は真斗の顔を覗こうとするが、その度に真斗は顔を背ける。

 

「い、今はあまり顔を見せたくない。結構、変な顔になってる」

 

「変な顔?それはどうして?」

 

「それは……まあ、景虎の今の表情がさ」

 

「?」

 

「とても、可愛かったから……」

 

 照れ臭そうな顔をしている真斗の表情を見る。真斗の顔は表情を抑えるためにピクピクッと動いており、本人の言う通り可笑しな表情をしていた。それを見た景虎は思わず笑いそうになる。

 

「ああ!やっぱ、笑われた……」

 

「ふふっ。真斗ってそんな顔をするのね」

 

「人である以上、そんな顔をすることもある。もちろん、邪な気持ちはないからな」

 

「わかっているわ」

 

(願わくばそんな顔でいてほしい。多分、その気持ちは長尾景虎という『人』としての証なのだから)

 

「さて、俺はここまでかな」

 

 真斗は立ち上がり、毘沙門堂から出ようとする。

 

「ここまで?帰るの?」

 

 景虎の問いに真斗は静かに頷く。

 

「そもそもの目的は景虎がどんな姫武将なのかを知ることだった。どんな目的で信念で戦うのか知ることができた。目的は達成できた。あとは帰ることのみだ」

 

 景虎は思わず帰ろうとする真斗の手を掴む。せっかくできた心の内を話せる大切な友達を失いたくない。それが景虎が白井真斗に対する望みだった。

 

「ごめん、俺は帰らないと」

 

 真斗は景虎にそう言って掴まれた手を振り切って、出口へ向かう。

 

「真斗!」

 

「何?」

 

「いつか…またゆっくり話してくれる?」

 

「また…いつかな」

 

 真斗は景虎に笑いかけた。その表情は明るくかったが、どこか寂しそうだったと景虎は感じた。

 

 




次話から信濃統一編(後)が始まります。こちらももそこまで話数多くはないのかな……と。

原作では第3巻のところに入り、強敵、村上義清との戦いがまた始まります。


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信濃統一編(後)
第1話 砥石城へ


この話から信濃統一編(後編)となります。
メインは砥石城をめぐる武田と村上の戦いとなります。


 

 越後を後にした真斗は来た道を戻るかのように甲斐へ戻り、越後の情勢と長尾景虎が何者かを伝えるために躑躅ヶ崎館の大広間にいた。

 

「白井真斗、ただいま帰還いたしました」

 

「真斗、大儀。早速だが、越後について話してほしい」

 

 真斗は頷いて口を開く。

 

「まず、『長尾景虎』という者は己の欲のために動かず、また、家臣のために他国を切り取るという考えを持っていない姫武将だ」

 

 真斗の言葉に自身を除く、大広間にいる全員が困惑の声をあげる。この時代、そのような考えを持つ武将はまずいない。そんな姿勢を見せれば、周囲の勢力に脅かされるのは必定だからだ。家を守るにせよ他の勢力の領地を切り取らざるを得なくなっている。

 

「そんな人がこの戦乱の世にいるのか?」

 

「ただの弱腰な姫武将なだけではないのか?」

 

「長尾家はそのような姿勢で越後の国人衆をまとめ上げることができるのか?」

 

「皆、話しの途中よ。控えなさい」

 

 家臣達は真斗に対し、様々な質問を投げかけるが、晴信の側にいる信繁の一喝により、大広間は一度静まり返る。

 

「いや、家臣達の疑問は当然だ。あたしもそんな考えを持っているのか、疑いを持ってしまう。本当にいるのか?そんな姫武将が」

 

「いる。それじゃあ、何のために戦うのか。それは自分の『正義』によって動いている。この日の本をあるべき姿に戻すこと、つまり、足利幕府がまた武士達の棟梁としてまとめ上げる世の中を目指していると言うことだ」

 

「もし、そのような世の中になったとして、景虎は幕府を傀儡とするような考えはないのか?父親の長尾為景は上杉定実を傀儡としていたというのに」

 

 かつて、景虎の父親である長尾為景は越後守護の上杉家の当主を滅ぼした後に上杉定実を次の守護として担ぎ上げて実権を握ったという経緯がある。父がそうなのであればその子もそうなのだろうと考えるのは普通だ。

 

「ない。これはハッキリと言える。あと、敵対した奴らだが、降伏したのであれば命までは取らず、その者を許している」

 

「それは偽善だ。敵を倒しながら必ず許し城を奪わぬなど笑止。それでは、いつまでも城盗りの合戦が繰くり返されて、堂々巡りとなるだけ。それでは越後の国人達はまた反旗を翻す」

 

 自分とは全くの逆とも言える方針を取っている景虎の存在に晴信は苛立ちを隠せない。

 

「だが、そうでもない。まず、景虎は強い。軍師に宇佐美定満というのがいるんだが、彼に頼らずとも天才的な軍略を持っている。それと、容姿が俺たちとは違っていてな。白い肌に白い髪、そして赤い眼をしているんだ。その容姿に惹かれて従う意思を見せる奴もいる」

 

 まあ、嫁にしたいために表面上従っていると言えるがと真斗は補足する。

 

「では、越後は統一されたというのか?」

 

「ああ。ほぼ統一されたと言える。だが、統治はまだ行き届いていない。直江大和という優れた政務官がいるが、そこは国人達の利権とかが絡んでくるからな。安定させるにはまだ時間がかかる。そのうちに」

 

「村上義清を叩く必要がある、と」

 

 晴信の言葉に真斗は頷く。

 

「ならば、我らの方針は変わらない。村上義清を勝つために砥石城を落とす」

 

「「「「はっ!」」」」

 

 

 

 

 

 

「真斗、少し良いか」

 

 躑躅ヶ崎館を後にしようとする真斗を横田備中が呼び止める。

 

「どうしましたか横田様」

 

「少しばかりお前の実力が見たくなった。着いてこい」

 

「?急ですね。なんでまた……」

 

「何、単なる思いつきだ。越後に行って槍の腕が鈍っていないか確かめるだけだ」

 

「……わかりました」

 

 真斗は静かに頷き、横田備中について行く。その様子を見ていた家臣が「白井殿と横田様が手合わせするらしいぞ!」と他の家臣達へ話してしまい、二人が棒を構えていた時には多くの見物客で賑わっていた。その中には晴信の姿もいた。

 

「横田様、これは流石に聞いていないのですが」

 

「俺も知らん。まさか、こんなことになるとはな……」

 

 真斗と横田備中の手には槍が握られていた。先端は布で巻かれており、急所を突かれたりしても大怪我しないようになっている。

 

「二人ともなぜこのようになったのかは分からないけど、あたしの前で戦う以上、全力を尽くしなさい。勝った方を褒めて遣わす。源四郎、立会人はあなたに任せるわ。二人とも姉にも負けじと劣らない勇将よ。よく見ておくように」

 

「はい!では、お二方よろしいですね?」

 

 源四郎の言葉に真斗と横田備中は再度、構え直す。

 

「はじめ!」

 

 試合開始の声に二人の槍が交わることはなかった。

 

「「……。」」

 

 二人は側面を突かれないように足を横に動かす。お互い、睨み合いが続いていく。

 

「二人とも、正面になるように足を動かしているだけだな」

 

「お互い、隙を見せた瞬間にやられるから、動こうにも動けないのサ。まあ、私には武術というのには疎いからわからないけどネ」

 

 太郎とその右隣には晴信を少し幼くさせたような少女がいた。彼女の名前は孫六。武田晴信に容姿が似ていることから影武者になる訓練をしている。

 

「兵部はどっちが勝つと思う?」

 

 太郎は左隣にいる自身の守役、飯富兵部に予想を尋ねる。試合を見ている兵部は食べていた焼きイナゴを飲み込んで口を開いた。

 

「ごくり……。そりゃあ、横田……と前までは言ってると思うが、あたしにも想像がつないな。板垣と甘利が死んでから、真斗(あいつ)の槍の腕はかなり成長している。まあ、勝負が決まるのだとしたら、それは気持ちの問題。例えば、迷いがあるかないかとかじゃないか?」

 

 真斗が突きで横田備中に仕掛けて行く。横田は難なく、それを弾く。次いで二撃目、三撃目と繰り出されるも横田は弾いていった。三撃目の際は横田はあえて力を込めて真斗の槍を弾く。

 

 力いっぱい槍を弾かれた真斗は体をよろめいて体勢を崩してしまう。これこそ、横田備中の目的であり、体勢を崩したと見るや反撃の構えを取り、穂先を真斗に向けて突きを繰り出した。

 

「っ!」

 

 しかし、穂先は真斗を捉えることはなく、地面を突いていた。何が起きたのか。それは横田が突きを入れた際、真斗は瞬時に両手から右手に槍を持ち直しつつ、横田の持つ槍を上から叩いたのだ。

 

 槍が地面に向いたことにより横田の体勢は前屈みになる。つまり、胸から頭までがガラ空きの状態ということだ。

 

 勝敗はここで決した。

 

 真斗はできた隙を逃すことなく、そのまま穂先を横田の首元に向けた。

 

「そこまで!」

 

 源四郎が試合終了の宣言をする。

 

「二人とも。良い試合であった。皆もこの者らに負けず常に励め!」

 

 晴信は家臣達に激励を送った後、館へ戻って行った。

 

「真斗。三撃目が俺に弾かれた時、わざとよろめいたな?」

 

「やはり、気づきましたか」

 

 横田の問いに真斗は小さく頷いた。

 

「最初にお前から仕掛けてきたのも、俺の攻撃を誘い出すため。お前の三撃目を弾いた時は感触が少し軽いからよもやと思ったが……」

 

「しかし、そこは警戒して攻撃をせず、引き続き攻撃を誘う体勢でも良かったのでは?」

 

「そうだな」

 

 真斗の問いに横田備中は空を仰ぎながら答える。その顔は何かを悟っているかのような表情だった。

 

「いや、どちらにしろお前に負けていただろう。俺がお前に嫉妬している限りはな……」

 

「嫉妬ですか……」

 

「だが、今回でそれも無くなった。覚悟も決まった……」

 

 真斗は横田の今の表情を見て板垣信方と面影が重なった。あれはいつ死んでも構わないという目だった。これから向かう砥石城での戦い。そこで起きるのは武田晴信が二度目の大敗を喫した「砥石崩れ」だ。

 

 殿(しんがり)を務めた横田備中は戦死する。

 

「すまなかったな。俺の心の整理に付き合わせてしまった」

 

「横田様。こちらからもよろしいですか?」

 

「なんだ?」

 

「死に場所を探すようなお気持ちで戦場に出てはいけません。今の御屋形様は勝って生きて帰ることこそを良しとしておりますゆえ」

 

「ふっ……、生意気言うようになったじゃないか。安心しろ未練があったら死んでも死にきれない」

 

 横田は真斗の問いに答え、自身の屋敷へ帰っていった。

 

「……未練が無くなったら死ににいくってことじゃないか」

 

 横田は死に場所を探している。おそらく、次の砥石城での戦いを最後の戦場と決めているのだろう。だが、それは晴信の誰も失いたくないという気持ちに沿わないのだ。

 

 このまま進んでしまえば砥石城での戦いではまた晴信の心に傷を残す。そして、その先にある長尾景虎との戦いでも……。

 

「悪いけど、ここで死なせるわけにはいかない」

 

 上田原の戦いのように重臣を死なせるような敗戦をさせてはいけない。真斗は決意を固め、自身の屋敷へ戻った。




偉人 素顔の履歴書で村上義清が紹介されていたのですが、戦国時代の部隊編成の基礎を作ったとされていて、これは当時の晴信が負けるのも頷けるな……と思いました。

さて、そんな村上義清に晴信が挑みます。
次の話も楽しみにしていただけると幸いです。


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第2話 退く覚悟

2話連続投下です。これでストックがほぼほぼなくなりました。。



 

 砥石城は真田幸隆の居城であったが、海野平の戦いにより海野棟綱と共に幸隆が亡命したため、村上義清の手に渡った。元々、村上義清や武田信虎などの敵勢力からの攻撃を防ぐための城だったため、堅固な城となっている。さらに、義清は大改築したことにより、難攻不落の城と言って差し支えなかった。

 

 しかし、義清の居城である葛尾城も守りが固く、戦上手な村上義清もいるため、本城を叩くことができない。信濃統一を狙う武田晴信にとって砥石城を落とすことは避けて通れない道となっている。

 

 正攻法で攻めれば甚大な被害が出るのは必定だということは晴信も認識していた。そのため、真田幸隆と山本勘助に調略による落城を指示した。

 砥石城さえ落とすことができれば、村上方が最大の防衛拠点を失うため地元の豪族は武田方に靡き、葛尾城が孤立するようになる。それこそが狙いだった。

 

 砥石城は調略で落城させる。未来を知る真斗にとってこれは思いもよらない朗報だった。史実では、砥石城は調略によって武田に攻略される。もし、力攻めで城を落とすのであれば、味方への被害が大きくなると考えていた。

 

 

 そんな中、武田家中である噂が出回っていた。

 

 

「え、横田様が主君筋の誰かに恋をしてるって?」

 

「そうなんです。私も風聞で聞いていたので、本当かどうかはわからないのですが……」

 

 定期軍議のために諏訪大社へ向かう途中、源五郎は真斗に家中での噂を教えていた。なぜ、噂になっているのか、それは「君臣の恋」というのは元来御法度とされているからだ。

 

 家臣が主君筋に恋をするのはまさに下剋上であるため、姫大名では警戒されていることがある。それは武田家も例外ではなかった。

 

「主君筋となると……信繁に孫六がいるな。あとは御屋形様か」

 

「ひ、姫さまにまさかそんな……」

 

「噂なんだろ?武田に敵対しているやつらが流した可能性があるかもしれないし」

 

「そうですよね!敵が流したのでしょう。きっと」

 

 源五郎は横田備中が晴信に恋している可能性があることに動揺していたが、敵の罠である可能性を聞いて気持ちを持ち直した。

 対照的に真斗あくまでも可能性であり、主君筋の誰かに恋をしているという可能性は拭えないと考えていた。

 

「……いや、まさかな」

 

 横田から自分に対して嫉妬していると口にしていたことを真斗は思い出していた。真斗は誰にも恋心を抱いていなければ、恋をしたこともない。故に横田が誰に恋していたのかがわからないのだ。

 

(そんなことを考えても仕方ないな。今は目の前のことに集中しないとな)

 

 真斗は諏訪大社に着き、晴信がいる広間へと向かう。そこには話し合うための机が置かれており、奥中央には晴信が座っていた。真斗は机の端に座る。彼はこの時、侍大将となっており軍議に参加することを許されている。

 

 この軍議に参加しているのは、武田次郎信繁と山本勘助、真田幸隆、飯富兵部、そして横田備中だった。

 

「皆、集まったな。あたしはこの砥石城を調略ではなく、力攻めで落とそうと考えている」

 

 晴信の発言に勘助と幸隆、そして真斗は驚きを隠せなかった。

 

「強引にすぎましょう御屋形さま。砥石城は忍びと銭を用いて調略すると決めたはずです。万一にも力押しで落とせねば、村上義清が後詰めに来て我らを挟撃しますぞ」

 

「ええ。調略には時がかかりますの。あと三ヶ月お待ちください」

 

 調略を進めていた二人は力攻めで城を落とすことに反対する。

 

「勘助。幸隆。そのつもりだったが、あたしは気が変わった。父上にこれ以上、臆病とそしられたくはない。村上義清だけは合戦で押し切って乗り越えねばならない。ここで正面衝突を避けて回り道を行けば、この先の戦いでもあたしは例の──運命から、逃れられなくなる。そんな気がするのだ」

 

「運命…でございますか」

 

 勘助の問いに晴信は「そうだ」と答える。

 

「それは御屋形さまの気の迷い、偶然にすぎませぬ。合戦で武士が死ぬのは自然の理であり、避けることはできませぬ。しかも、横田どのが先鋒とは? 板垣様甘利様亡き今、頼みの横田どのがもし討ち死にしてしまえば武田四天王はほぼ全滅ですぞ」

 

「偶然と言うならば偶然だと証明せねばならない勘助。そして、武田は次こそ運命を乗り越える。そうだな、横田備中」

 

「……三日で陥落させれば葛尾城の村上義清も間に合うまい。勘助と真田は、葛尾城と砥石城との間の連絡網を遮断してくれ。それで挟撃される危険も回避できるだろう」

 

 軍議が始まるまでの間に何があったのか、それはわからない。ただ、晴信の方針転換に賛成なのは横田備中であることにあの噂は本当だということを真斗は確信した。

 

「俺も勘助さんと同じ意見です。城攻めは反対だ。とても三日で落とせる城じゃない」

 

「いいか真斗。板垣、甘利たちの命を奪い御大将を負かした村上義清は、御大将にとって巨大な壁だ。克服するべき『運命』そのものだ。武田はただ城を奪えばいいというわけではない。例え、卑劣な勝ちを収めても、『運命』からは逃れられん。御大将を『運命』から脱却させることこそが、俺たち家臣としての務めだろう」

 

「御大将の考えを理解していないお前ではないだろう」と横田備中に言われ真斗は言葉が詰まる。確かにあの禰々の死も板垣と甘利の死も振り返れば領土を広げる度に大切な人達を晴信は失った。

 だからこそ、村上義清と真っ向から戦って何も失わずに勝ちたいと願っている。晴信の近くにいた真斗はその想いを痛いほど理解している。

 

 しかし、わざわざ負ける戦に「運命」を持ち出すのは間違っている。そんなことのために兵達を死なせるわけにはいかない。だからこそ、真斗は妥協点を出した。

 

「わかりました。三日……ですね。それまでは城攻めに参加する。金山衆にも水の手を断つよう指示を出します。もし、三日過ぎれば撤退準備をすることを約束してほしい」

 

 真斗の言うことに晴信は静かに頷いた。

 

「そうね。姉上は武田家の当主である前に、一人の『人間』だから。決して姉上を、人間以外の何かにしてはならないのね。勘助、幸隆。そして横田。過酷な任務だけれど、どうかお願いね」

 

 こうして、砥石城を調略から力攻めによって城攻めを行うことになった。しかし、無謀とも言えるこの戦を真斗は死ぬ覚悟を決めなくてはいけないと考えていた。

 

 

 

 

 軍議終了後、真斗は信繁と太郎を広間に呼び止めていた。晴信は戦の準備に取り掛かると言って、この場から離れている。

 

「真斗、どうしたの?もう、軍議は終了したはずよ」

 

「悪い。どうしても勝千代の聞こえないところで話したくてな。それで、太郎。お前、どうして尻に手を当てているんだ?」

 

「横田の奴が俺のし、尻を狙っているって聞いてよ。寒気を感じるんだよ」

 

 真斗はどんな噂が出回っているんだと頭を抱えそうになる。

 

「安心しろ、誰もお前の尻なんざ狙ってねえよ。とりあえず太郎は座ってくれ」

 

 太郎は単なる噂だったことを知るや体の震えも止まり、席に座った。

 

「それで何の話をするんだ?」

 

「砥石城攻めについてだよ。俺はこの戦、勝つことはまず無いと思う」

 

「……はぁ!?兵部から城攻めには真斗も賛成したって聞いたぜ。賛成したお前が何で今更」

 

 兵部から聞いていた話と違うことに太郎は驚きを隠せなかった。

 

「違う。あくまで三日までは城を落としに行くと言っただけだ。三日過ぎても城が落ちなかったら、俺は撤退の準備をするってだけだ」

 

 今の勝千代と横田は『運命』と言う言葉に惑わされて冷静さを欠いている。城攻めは状況によって攻め方が変わる。砥石城は力攻めで落とすには適しない城だ。そこを三日で落とすというのはまず不可能だ。味方に犬死しろと命じているのと同じだと言っても過言じゃない。

 

 真斗の考えは的確に問題を突いていた。

 

「だけど、姉上は武を持って村上義清に勝たなければ父上を超えたことにならないと思っているわ。ここで逃げてはまた姉上は父上の影に苦しめられるわ」

 

「信繁もよく考えてみてくれ。そもそも、負ける戦をすること自体が先代に怒られることなんだよ。この戦に負けて家臣が死んだら益々、勝千代にその『運命』というものが染みついてしまう」

 

「っ……」

 

「確かに禰々が死んでしまったのは事故で偶然かもしれない。ただ、上田原で負けて板垣様と甘利様を失ったのは偶然でも何でもない。単に戦の経験が少なく、勝千代も俺達も勝ちに焦ってしまったから負けた。俺はそう思う」

 

 二人はどう考える。真斗は信繁と太郎に二人の考えを尋ねた。

 

「姉上は『国盗りの野望と家族家臣とは交換』と思っている。もし、『運命』から解き放てる戦が今なら私は止めるつもりはないわ。けど、真斗、あなたはそれが今ではない。そう考えているのね?」

 

「俺はそう考えている。勝千代が俺のことを『友』と呼んでくれたのなら、俺は彼女の友としてこの戦の被害を最小限に抑えたい」

 

「太郎はどう考えているの?」

 

「俺はその『運命』っていうのがイマイチわからねえ。けど、姉上がまた苦しむことになるってなら、それを止めたいと思う」

 

「……わかったわ。少し考える時間をちょうだい」

 

「ありがとう。あと、もう一つ、お願いがある」

 

「なに?」

 

 真斗は深呼吸して、信繁に向き直る。この時信繁は、彼の瞳からは一つの覚悟を感じていた。

 

「この戦、撤退する時は俺を殿(しんがり)にすることを勝千代に進言してくれ。もし、撤退しようとするなら死にに急ぎそうな奴を一人知ってるからな」

 

 殿を務めるということは部隊の最後尾に位置するため、撤退戦では一番死ぬ確率が高い。つまり、死ぬ覚悟がある、ということも意味していた。

 

「生きて帰る算段はついているの?」

 

「悪いが、算段はついていない。どうしても賭けになるところがある。はっきり言って生きて帰れるとは言い切れない。だが、勝千代が家臣を失わないまま撤退することができれば少しはその『運命』というものに綻びが出るってもんだろ」

 

 真斗と信繁の間に静寂が走る。この微妙ともいえる空気に太郎は戸惑った表情で二人を見ていた。

 

「……私はあなたのことが嫌いよ」

 

「ああ、知ってる」

 

「姉上の裸を見たことも、姉上のことを誰よりも考えているようなところも、姉上のためなら命を捨てる覚悟もあるところもすべて嫌い」

 

「けど……」そう言って、信繁は唇を震わせながらゆっくりと口を開く。

 

「あなたには死んでほしくない。あなたが死んだら武田は悲しみに包まれるわ。必ず生きて帰りなさい。それが絶対の条件よ」

 

「……ありがとうよ、信繁。俺のわがままを聞いてくれて」

 

 信繁はプイッと真斗へ顔を背け、そのままこの場を後にした。

 

 これから始まるのは「運命」との戦い。真斗の心には見えない敵との戦いに思いを馳せていた。





 次回が砥石城攻めとなります。村上義清を相手に真斗がどう挑むのか、お楽しみにして頂ければと思います。

では、また次のお話で!


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第3話 砥石崩れ

あと、1ヶ月と少しで信長の野望新生PKが発売されますね。

結構、新要素が詰まっているので楽しみにしています。

個人的には弱小大名で織田とか北条を併呑して天下を目指すという遊び方が好きだったりします。

具体的には里見家だったり、姉小路家を使ったりしていました。


 

 武田晴信は甲斐、諏訪、中信濃、佐久から合計七千人の兵を砥石城へ向けさせた。

 

 対する砥石城の守備兵は五百人。数こそ圧倒的な差はあるが、村上義清が改築を重ねたことにより、断崖絶壁の城壁となり難攻不落の城に出来上がった。

 また、守備兵の半分以上は志賀城の残党であり、打倒武田という意識を持つ者が多く全体的に士気も高い。

 

 かくして、砥石城攻めの火蓋が切って落とされた。

真斗も金山衆に井戸の場所を探るよう命じつつ、自身の兵を引き連れて砥石城へ向かっていた。

 

「白井さま」

 

 足軽の一人が馬上に乗る真斗に駆け寄る。

 

「どうだ。砥石城を登り切れそうか?」

 

「いえ、山を登ろうにも足が滑り、思うように登ることができませぬ。まさに『砥石』の上を登るかのようです」

 

「……わかった。下がってくれ」

 

「ははっ」

 

「源五郎。少しいいか?」

 

 真斗は足軽を下がらせた後に春日源五郎を呼んだ。彼女は真斗の与力として加わっている。

 

「なんでしょう?」

 

「御屋形様がいつでも撤退できるよう退路を確保してくれ。これは味方の士気にも関わるからできるだけ夜間でな」

 

「え、まだ撤退命令が出ていないのですが、良いのですか?」

 

「責任は俺が取る。ここで大事なのは御屋形様の命だ。俺の言いたいことはわかるか?」

 

 源五郎は静かに頷き、自身が預かっていた兵を連れて対応に当たった。

 

(分かりきった負け戦に兵を減らす必要はないが……)

 

 しかし、城攻めを命じられている以上、兵達に城を向かわせなければならない。真斗は苦肉の作戦を命じることにした。

 

「皆、このままでは我らは矢の的にすぎない。足軽達は新しい陣笠を付けて登っていけ。登るのが無理なら木の幹に隠れながらこちらに引き返せ。」

 

 真斗はあらかじめ新しい陣笠を作らせており、できるだけ兵の防御力上げさせていた。

 

「はっ!」

 

 兵達は陣笠を付け、城攻めへ向かっていく。しかし、これは矢だけを防ぐためのものであり、投石や煮湯を防げるまでのものではなかった。そのため、登り切ることは困難であり、登ることが難しいと判断したならこちらに引き返すよう伝えている。

 

 命令には従いつつもできるだけ味方の被害を減らす方法を真斗は取ろうとしていた。

 

「正直、命令違反と言われるかもな……」

 

 真斗の行動は良く言えば慎重、悪く言えば臆病と捉えられる。しかし、どちらにしろ晴信の気持ちを無視しているとも言える指示を出していることに不安を感じていた。

 

(しかし、勝千代も他の家臣も死なせるわけにはいかない)

 

 負けて死ぬか命令に違反したとして追放されて野垂れ死ぬか、どちらにしろ死ぬのが早いか遅いかの問題だろうと考えていた。

 

「白井さま。金山衆から『どこも崖のようになっており、水の手がどこにあるか想定がつかない』とのこと!」

 

「わかった。敵に射かけられる前に戻ってこいと伝えてくれ」

 

「はっ!」

 

(そろそろ、覚悟を決めないとな)

 

 真斗は天に祈るかのように空を見上げて瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「横田備中隊、兵の半ばを失いました! 山頂へはいまだ到達できず!」

 

「小山田出羽殿、断崖を登る際に矢を浴びて負傷! もはや部隊の指揮は執れませぬ」

 

「原美濃隊も七合目で苦戦! この城には人が通れる山道などない、崖しかない、と足軽たちが口々に弱音を吐いております」

 

「白井真斗隊も落石、煮湯で押し戻されております!」

 

 城攻めから三日が経った。武田本陣に伝わるのはどの部隊も苦戦している状況のみだった。

 

「御屋形様。この砥石城はわれらを釘付けにするための撒き餌です。力押しで盗れる城ではありません」

 

「ダメだ勘助。あたしはすでに村上義清からいちど逃げた。二度も、逃げられない。戦って運命を変えてみせる」

 

 山本勘助は味方の状況を聞き晴信へ撤退を進言するが、晴信は聞く耳を持たなかった。

 

「運命という言葉に囚われてはなりませぬ、御屋形様。それは、御屋形さまのお心が作り上げた観念(かんねん)にすぎませぬぞ。戦の度にご家族が亡くなられるのは、単なる偶然にすぎないのです。まして、横田殿とご自分との運命や境遇を重ね合わせることはなりません。ここは戦場です。躑躅ヶ崎館(つつがさきやかた)ではありません。そのような私情を戦に挟めば、軍略に必ずやほころびが出ます!」

 

「それは理屈だ勘助。理屈ではわかっている。すでにほころびは出ている。だが、村上義清に勝つためにあたしは理屈を超えた力が欲しい。運命に抗う意志、情熱、新しい人生を切り開こうとする希望、そのようなものをあたしは、あの横田備中の中に見た気がする」

 

「御屋形様は公私を混同しておられまする! 信繁様。どうか御屋形様に諫言を」

 

(姉上は間違っている。だけど……。)

 

 信繁は迷っていた。晴信が村上義清に勝つことで父である信虎の影から逃れられる。しかし、戦況が悪いのは明確であり、味方の兵達が減るばかりのこの状況に武田軍が勝利できる姿を思い描けない。

 

 晴信の意思を尊重するか、晴信の命を優先するか。副将・武田次郎信繁は選択を迫られていた。

 

「……勘助。もし、ここで献策できるとするならば、どのような策を出せるの?」

 

「それがしが出せるとするならば、致命的な負けを逃れる窮余の一策くらいでございましょう」

 

「この戦は勝てる見込みは無い、そう言うのね?」

 

「勝てる可能性は限りなく低いかと」

 

 勘助ですら出せる策は晴信の命を守るための撤退戦のみ、つまり負け戦であることが前提だった。

 

「……姉上。ここは退くべきよ」

 

「次郎?」

 

「勘助すら、この攻城戦で勝てる策を出せないと言っているわ。正直、姉上の意思を尊重したい……だけど、このままじゃ姉上も姉上が家族だと思っている家臣達も皆死んでしまうわ。そうなる前に撤退の指示を出して」

 

 信繁は晴信に撤退の進言をする。家族の中で一番の理解者とも言える信繁から反対されたことは晴信にとって、衝撃的なことだった。しかし、撤退すればまた敵から逃げたことになり、父である信虎の影に追われることになる。

 

「……まだだ。もう少し待って欲しい」

 

「姉上!?」

 

(ごめんなさい、真斗。私でも姉上を説得できなかった……)

 

「まだ、意地張っていたのか」

 

 晴信に誰かが声をかける。聞き覚えのある声に信繁は顔を振り向いた。

 

「真斗?」

 

「真斗、なんでここにいる!?」

 

「なんでも何も、撤退の指示を仰ぐために来たんだよ」

 

「何を言っているんだ。早く、横田と共に砥石城を攻めてこい!」

 

「断る。兵や家臣に犬死してこいという命令なんざ聞きたくないな」

 

「……なんだと?」

 

「もう一度、言ってやる。戦況も碌に見ようとせず、兵や家臣達を矢の的させるような状況を続けろという馬鹿な命令に従わないって言ってるんだ」

 

「っ!!」

 

「姉上!?真斗も……」

 

 晴信は激昂し、真斗の胸ぐらを掴み上げる。掴み上げられた真斗の表情は変わることはなかった。

 

「退く勇気もないのに城攻めの指示を出しているのかよ。とんだお笑い草だな。それじゃあ、信虎公に怒られるどころか、呆れて何も言われなくなるんじゃないか?」

 

「お前にあたしの何がわかる!!」

 

「わかるか。お前の心の中を全て読める奴はどこにもいねえよ。だがな、今の状況ならわかる。砥石城を短期間で落とすことが不可能だってことをな。それは俺だけじゃない。勘助さんや信繁もわかっている」

 

「だが、横田はあたしに勝利を齎らすと言った。今の戦にはあたしの『運命』が……」

 

「運命も何もねえよ。村上義清に負けるのは運命でも偶然でもない。負けるべくして負けているんだ。上田原の時も義清は槍衾っていう、俺達の思いつかない方法で戦ってきた。それは長年戦い続けてきた経験から生まれた差だ。それ以外でも何でもない。だから、勘助さんや幸隆さんのような謀将を起用して、その差を埋めていくしかないんだ。だから、この際、はっきりと言ってやる。真正面で戦っても村上義清に勝つことはできない」

 

「くっ……!」

 

 晴信は悔しい表情になり、真斗の胸ぐらから手を離す。孫子には勝つ人は勝つべくして勝つと説いている。晴信も孫子を読んでいるため、真斗の言っていたことを理解できない彼女ではなかった。

 

「で、どうする?城攻めは続けるのか?それとも撤退するのか、どっちなんだ?」

 

「あたしは……」

 

 晴信は体を震わせる。悔しさと恐怖が混じり、出すべき結論が分かっても口が中々開かなかった。

 

「申し上げます!村上義清自らが率いる後詰めが、われらの背後に現れました!」

 

「なんだと!?」

 

 武田本陣に動揺が走る。村上義清が戦場に現れたことで晴信の選択肢は消滅した。もはや、武田にとって勝ち目はなくなったのだ。

 

「御屋形さま!」

 

「……我らは撤退する。皆にもそう伝えよ」

 

「心中、お察しいたしまする」

 

 勘助は兵達に諏訪へ全軍撤退させよと伝え、引き上げの準備に取り掛かった。

 

「だったら、諏訪への退路は源五郎に確認しろ。諏訪への道は作ってくれているはずだ」

 

「真斗、既にそうなるとわかって……」

 

「既に負け戦だと分かっていたら、退路を作るのは普通だ。さっさと帰れ」

 

「待て!どこへ行く」

 

 真斗は踵を返し、本陣を去ろうとするところを晴信が呼び止める。

 

殿(しんがり)は俺が務める。城攻めした部隊の兵じゃ、疲労でまともに戦えないだろうしな。足止めくらいできるだろう。じゃあな」

 

「待ちなさい、真斗」

 

 これから戦場へ向かおうとする真斗を信繁が呼び止めて彼に近づく。

 

「……悪いな、信繁。あとは頼む」

 

「もし、自分が死んでも悲しくならないように姉上に悪態をついていたんでしょ?」

 

「……。」

 

 真斗は晴信に悪態をついていたことの目的を信繁は気づいていた。

 

「ごめんなさい。本来なら私が説得するはずだったのに……」

 

「言うな。信繁が悪いわけじゃない。勝千代に一度お灸を据えないといけなかったんだ。それが今で、たまたま俺がやることになっただけさ。それに、わざととは言え、姉妹で喧嘩するのは嫌だよな」

 

「ほんとう、優しいのね」

 

「さあな。……もう時間がないな。行かないと」

 

「もう一度言うわ、必ず生きて帰ってきて。もし死んだら地獄に落ちてもらうから」

 

「そこは念仏を唱えて供養してくれよ」

 

「姉上を悲しませるのはどの罪より重いのよ。そろそろ気づきなさい」

 

「はいはい。わかったよ」

 

 真斗は馬に乗り、自らが率いた兵達に自分達が殿をすることを伝えた。

 

「良いか。これより、我らは砥石にいる横田様達をお救いした後、御屋形様を諏訪へ送り届ける!相手は村上義清だ。生半可な気持ちでかかれば死が待っているぞ。故に死ぬ気で戦え!さすれば、生きて帰れよう」

 

「「「おおおおっ!!」」」

 

 真斗が槍を振い、自らも戦うことを伝え兵達を鼓舞する。彼が率いていた兵達は死傷者が少なく、また、疲労も溜まっていないことから士気が高かった。

 

 こうして、砥石における撤退戦が始まった。

 

 

 

 

 

 

 砥石城を攻めていた横田備中にも村上義清が現れ、晴信が撤退することになったという伝令が入る。

 

「御大将の『運命』を変えることはできなかったか。原美濃も小山田も既にいないか……。ならば、俺達で村上義清を食い止めるしかあるまい」

 

 横田と共に砥石城を攻めていた原美濃守虎胤と小山田出羽守信有は既に退却していた。そのため、武田軍で最後方にいるのは横田隊だった。

 

「皆、すまん。最後の最後に、どうやら俺は運をつかめなかったらしい。上田原で死に損なった俺は、柄にもなく欲を出したのだろうな」

 

「ここで死ぬ気ですか?自ら犯した失態に対して死んで逃げる気ですか?」

 

 兜もボロボロになり、顔に切り傷を作っていた横田に呆れたような表情で真斗が到着する。

 

「真斗、なぜここに来た?御大将はどうした?」

 

「殿は俺が務めます。横田様ははっきり言って足手まといですので、すぐに諏訪へ退却してください」

 

「何言ってんだ!?砥石城を三日で落とせなかった俺におめおめと引き返せと言うのか!!」

 

「当たり前です!死んで詫びるなんて、甘ったるいんですよ!!失態を晒したから死んで逃げるなんざ、俺は許さねえぞ!!」

 

 真斗の目上に対するいつもの丁寧な口調から荒々しい口調に変わる。

 

 真斗と横田の言い争いの中、村上義清は迫ってきている。時間は残されていなかった。

 

「自分に罰を下したいなら、生きてその恥を晒せ。それが状況を理解せずに力攻めを進言したあんたの罰だ!!」

 

「……それなら、この状況をどうする。村上義清は御大将を逃そうとはしないはずだ」

 

「決まっている。御屋形様が見えなくなるまで村上軍を引っ掻き回せばいい」

 

 横田備中は「そんな無茶なことを簡単に」と愚痴をこぼす。しかし、この現状を考えると真斗はその無茶をやるしかなかった。真斗の言っていたように横田隊は砥石城攻めにより体力があまり残されておらず、殿をしても、下手をすれば突破されて晴信の部隊まで辿り着いてしまう可能性があった。

 

「わかった、殿はお前に任せる。だが、あそこまで俺に啖呵を切ったんだ。死ぬんじゃねえぞ」

 

 横田備中は真斗にそう言い残して戦場から離脱した。

 

 

 

「武田の兵は疲れ切っているはずだが……」

 

 一方、砥石城の救援に駆けつけた村上義清は武田軍の善戦に困惑していた。攻城部隊が殿になっているところまでは予測通りだったが、敵兵の士気が高く、また乱れることなく統率が取れており押し込めることができなかった。

 

「まだだ!御屋形様が諏訪へ戻るまで堪えよ!」

 

 一人の男の掛け声に村上義清は反応する。彼の声は上田原で聞き覚えがあった。

 

「なるほど、確か白井真斗……だったか。あの小童(こわっぱ)が指揮を取っているのか!」

 

「村上義清……。俺のことを覚えていたのか。敵に自分の名前を覚えられるのは誉れなのか。いや、今はそんなことはどうでも良いか」

 

 真斗が率いる部隊は士気こそ高いものの、村上軍との兵数の差があった。当初は善戦していたものの、数の差で少しずつ押され始める。

 

「もう十分だ。我らも諏訪へ退却する!」

 

「敵は引いていくぞ!押しつぶせ!!」

 

 真斗は自軍に撤退指示を出し、それを逃すまいと村上義清が追撃の指示を出す。砥石城から諏訪への道は細い谷道となっており、現代では国道142号線となっている。数で勝る村上軍の戦力を地形でできるかぎり下げようとしていた。

 

「やはり、追撃するか。だが、好都合だ。おい、種子島の用意をしろ」

 

 火縄銃を持たせていた一人の騎馬兵に弾を装填させる。

 

「天に向けて放て!」

 

 火縄銃の銃声が山に響き渡る。驚く者はいれど、戦況を変えるようなものではなかった。

 

「なんだ、この音は……。いや、違う。これは」

 

 ヒュンヒュンと何かが空を切る音が村上義清の耳に入る。

 

「そ、空から矢が降ってくるぞ!?」

 

 音の正体を見た一人の兵が叫び声をあげると共に左右の方向から無数の矢が勢いづいていた村上軍に襲う。矢を受けた兵が馬上から落ち、それに引っかかる形で他の兵が足を取られるように転んでいった。

 

「そうか、あの音は矢を撃たせるための合図!最初から俺達を射かけるように仕組まれていたのか!!」

 

 

「真斗さんが諏訪へ帰れるまで、村上軍に矢の雨を降らせなさい!!」

 

 春日源五郎は村上軍へ射かけるよう兵達に指示を出す。退路を確保していた彼女は真斗を援護するために周囲の山に兵を配置していたのだ。

 

殿(との)、どうされますか!?」

 

 武田軍から放たれる矢によって味方の兵達が次々に倒れていく。狭い道により軍勢が細く伸びている村上軍は格好の的となっていた。

 

「兵の足並みを外された以上、追撃したとしても俺達に大きな損害が出るかもしれん……。仕方ない退くぞ!!」

 

 

 最後の最後まで武田晴信を討つことができんとは、と呟き村上義清は苦虫を噛んだかのような表情で退却の指示を出した。

 

 これにより、砥石城を巡る攻防戦は幕を下ろした。

 

 武田軍の攻城戦により、多くの兵数を失ってしまい敗北した。しかし、負傷した家臣はいたものの、戦死した家臣はいなく、撤退戦では最小限の被害に抑えられたと言える。

 

 一方、村上義清は武田晴信に二度目の勝利をしたものの、2回も勝ちながら武田晴信を討ち取ることができなかった。これにより、周囲の豪族は武田につくか、村上につくかの選択肢で大いに悩ませることになる。

 

 




上田原の戦いで二度の失敗は犯さないと決めた真斗。この話で横田備中は生存することになりました。

ここからは歴史改変されたという形になりますが、タグに「歴史改変」と入れた方が良いのでしょうか?

「織田信奈の野望」という作品が歴史改変ものではありますので、そのタグは入れなくても良いのかなと個人的には考えています。


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