遠い銀色のトラベル (バームクーヘン753)
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第一部「師匠探索編」
第1話 風に押されて


 風の国ウィンズ。年中通して穏やかな気候と豊かな自然に恵まれた平和な国。

ワンストーン町はそんな国の辺境に位置した小さな街であった。街の人々は主に畑で育てた作物や狩った動物を売って生計を立てているものが殆どだった。小さいながらも、旅の行商人もよく訪れる流通に不便のない暮らしやすい村だ。

 今日も街の市場では多くの人々が野菜や魚を売買していた。一人の旅人が屋台の一つへと寄った。

 

「ここは鶏肉を焼いているのかい?」

「ああ、今焼き始めた所だよ」

「そうですか。なら少し待たせてもらいま……」

 

 その瞬間、炎の勢いが急に強くなり店主と旅人の眼前にまで燃え上がった。驚いて旅人は腰を抜かして尻餅をつき、店主は慌てて消火を試みる。

そんな店主ごと、大量の水が上から降り注ぎ、あっという間に鎮火した。幸いけが人もなく無事だったが、店主はびしょ濡れになり、旅人も何が何やらわからず呆然としていた。

 そこに、大きな笑い声が響き渡る。

 

「アハハハ、どうですか肉屋さん。我ながら満点の焼き具合なのですが」

「……っ、シル!! またてめーかこのイタズラ娘!」

 

 店主が屋台から飛び出して天に向かって怒鳴り声を上げる。旅人は訳も分からず店主の見ている先を向き、そして驚愕した。箒に乗った女の子が宙に浮いていたのだ。

 

「ま、魔女……」

「その通り。てんっさい魔女のシルと申します!」

 

 箒に横向きに乗った銀髪の少女、シルは旅人のリアクションが気に入ったのか自信満々に自己紹介をする。しかし、店主は首を横に振って否定する。

 

「魔女なんて立派なもんじゃねえよ。あいつはただ魔法を使ってイタズラしてばかりの小娘だ」

「失礼ですね。私ほど才能に満ち溢れた美少女はそういませんよ。ねぇ皆さん」

 

 シルが周囲の人々に同意を求めると、周囲の人々は口々に不平を口にする。

 

「ふざけんな!」

「お前のせいで家が迷路になっちまったんだぞ!」

「私なんか変な髪型にされて旦那に大笑いされたのよ!!」

「僕は恋文を学校の全ての黒板に転写されました!!!」

「あたしはまな板が100mに巨大化しちまったよ!!!!」

 

 街の人々に口々に罵声を浴びせられ、シルはそそくさと箒に乗って上昇した。

 

「では皆さん、魔法で素敵なグッドライフを」

「ふざけんな!」

 

 下から聞こえてくる声を無視して、シルは箒に乗ったまま勢いよくその場を飛んで逃げ出した。

街の人々の内何人かは、怒りながらシルを追いかけるのだった。

 

 

 

 シルは暫く箒で飛び続けていたが街から離れ森の中へ降りると、ひっそりと佇む一軒の小屋へと入った。

 

「師匠ー、ただいま戻りました」

「お帰りなさいシル。今日はまた派手にやらかしたようですね」

 

 小屋の中には、黒色の長髪の女性が何やら書類に手をつけていた。ローブが床に擦れる姿は、シルにとって見慣れた物だ。

 

「師匠ー、いい加減私にも水晶魔法使えるようにしてくださいよ」

「だって貴女覚えても碌なことしないでしょう。若いうちは他人様の私生活を覗き見するものじゃありませんよ」

「えー。師匠はやってるのに?」

「私は良識があるからいいんですよ」

 

 シルは一から学ばなくても、人が使ってる魔法を見ただけである程度覚えられる。

しかし、水晶魔法や時間操作など、一部の魔法は寝ている間に勝手に師匠によって使えない様に術式のプログラムを組み込まれてしまっていた。

シルにとっては上級魔法のいくつかを使えないように縛られている現状は歯がゆいものがあった。

 

「私だって最低限の良識はありますよー。だって嫌になりますよ、風の国に住む魔女がこんなに不自由だなんて」

「王宮魔導師や他の働いてる魔女に比べたら貴女は自由人ですよ」

 

 そんな話をしていると、入口の扉がドンドンと叩かれる。

師匠はそそくさと立ち上がると杖をひと振りした。

 

 

「失礼します、ロンズさん。シルの事でまたお話を……」

 

 先ほどの肉屋の店主だった。

店主は小屋の中に入ると、電撃を浴びてシバかれているシルを見て硬直した。

 

「あばばばばばばばばばば」

「シルなら今まさに折檻していますが」

「……」

 

 店主はゴホンと咳払いをして師匠……ロンズに話しかける。

 

「ロンズさん、アンタには礼をいくら言っても言い足りないくらい世話になっている。街に続く道を整備してくれた上に、川の水を綺麗にしてくれて森の魔物達も大人しくさせてくれた」

「だからこそ、そいつにももっと言い聞かせてやって欲しいんだ」

「アンタの弟子だからあまり強くは言っていないが、限度ってものがある」

 

 人々が口々にシルへの文句を言い、ロンズは平謝りして許してもらえるように懇願する。

人々もロンズを責める気は毛頭ないのでちゃんとシルに言い聞かせるように念押しすると足を揃えてロンズの小屋を跡にした。

 

 ロンズは皆が帰っていったのを確認するとシルに浴びせていた電撃を解除してシルは床に崩れ落ちた。

シルは恨めしそうにロンズを睨む。

 

「酷いですよ師匠。可愛い愛弟子をこんな目に合わせるなんて」

「体裁ってものがあるんですよ。いくら私が街の恩人でも貴女のイタズラを黙認してたら無駄にヘイトが溜まるんです」

「いいじゃないですか、口出しされない立場なんですから」

 

 不満げにしているシルに、ロンズは溜息を吐いて語りかける。

 

「全く貴女はいつからこうなってしまったのやら。気がついたら魔法を使って毎日毎日イタズラばかり」

「んー……だって他の人こんなこと出来ないじゃないですか。でも私は出来るんだぞって所を見せつけないとモヤモヤするんですよ」

「私は貴女の器の小ささを見せつけられているようで悲しくなってきますよ」

 

 ロンズがシルに魔法を教え始めた当初は、純粋な好奇心で魔法を学んでいたのにいつの間にか他人に魔法を見せびらかすようになってしまっていた。

シルはそれを悪いこととは思っていないようで、ツンと顔を逸らしていた。

 

「ふぅ……まあいいでしょう。シル、突然ですが貴女自由になりたいとは思いますか?」

「んー……確かにそろそろ街の外に行きたいなぁとは思っているんですけど」

 

 シルは一部の魔法だけでなく、ワンストーン町周辺以外にはいけないようにプロテクトを掛けられていた。だから外の世界にも未だに行ったことがない。

 

「そうですか。分かりました」

「なんですか。もしかして旅行にでも連れて行ってくれるんですか?」

「まぁ話半分に期待しておいてください」

 

 ロンズはそう言うと再び机に向かって書類に手をつけ始めた。

シルは暇になったのでベッドに入って寝ることにした。ロンズがシルに「あなたが個室を持つとロクなことにならないのでいりません」と言ってこの小屋には個室が無い。なので一人でこっそり研究なのも出来ないのでロンズが教えようとしない限りシル自身から学べることは殆どない。

 魔法の研究資料などもロンズは一つも残していないので、勝手に学ぶことも出来ない。今やっている書類だって、いつものどこかお偉いさん相手の文通に決まっている。

 

 シルは溜息を吐いて目を瞑ると、そのまま眠りに着いた。

暫く書類に手を走らせていたロンズだが、シルが眠ったのを確認すると立ち上がりシルに向かって振り返った。

 

「シル……」

 

 

 

 

 

 酷く肌寒かった。

あの安そうなベッドの唯一の取り柄が意外な程眠り心地が良いことなのに、今日は随分と気持ち悪い。

 

「……おい、起きれるか?」

 

 男の声がする。

なんだろうと思って起き上がると、何故か外に居た。周りには街の人々がシルを見下ろしている。

皆不思議そうに、戸惑っているという風だった。周りにいるのは町長や市場の店主、市民の人や子供達など色々な人がいた。

 

「んー……おはようございます、皆師匠に何か用ですか?」

「……後ろ見てみろ、後ろ」

「後ろ? 後ろになにか……」

 

 シルは言葉を失った。

促されるまま振り返ると、そこには煙を上げて寂しそうに佇む燃えてなくなった小屋の成れの果てがあった。

 

「……は?」

「何だか知らんが街から煙が上がってるのが見えてな。何事かと思って皆で様子を見に来たらこうなってたんだ」

「不思議なことに最初から鎮火はしていたのよね。てっきり火事だと思ってたから消防団の人もいたんだけど」

 

 呆然としていたシルだが、慌てて人々に話しかける。

 

「えっあっ、し、師匠はどうなったんですか。一体どうしたんですか」

「いや、それが分からねぇんだ。今朝は誰もロンズさんに会ってないらしいし……」

「ええ……」

 

 シルは呆気にとられた。一体師匠は急にどうしたと言うのだろう。なんで住処である小屋を燃やして自分を置いていくようなことをしたのか。

何もわからないシルだったが、ふと気になることがあって尋ねた。

 

「あのー、私これだと根無し草になってしまうのですが」

「そうだな」

「しかもお金も残ってなさそうですし……」

「そうねぇ」

「なので誰かの家に厄介になりたいのですが」

「…………」

 

 何故か最後の言葉にだけは誰も反応してくれなかった。

 

「いやいや、人助けだと思って」

「いや……」

「お前はなぁ……」

 

 皆渋い顔をしている。

イタズラをした時の怒った顔や憎しみの表情をしている人は全くいないが、皆不憫だと思いながらもシルのことを面倒事を見る目で見ている。

狼狽しているシルの前に、町長が出てきた。

 

「……シル、君に話がある」

 

 

 

 町長に促されて町長の家に連れられてきたシルは、町長の書斎に入った。

シルは苦笑いしながら町長に尋ねる。

 

「えーっと、それで私は一体どうすればいいんでしょう。ここで厄介になれたりは」

「それはない」

 

 がっくりと肩を落として落ち込むシルに、町長は一つの巾着袋を手渡した。

それなりに重みのある巾着袋を不思議そうに眺めていると、町長が咳払いをして口を開いた。

 

「……実は今朝、ロンズさんがこっそりと私の前に現れて渡したのがそれだ」

「えっ!? もしかして貴重な魔法石とかですか!?」

 

 シルが勢いよく袋を開くと中は金貨を中心に銀貨や銅貨など、硬貨が詰まっていた。

一体どういうことかと町長に尋ねる。

 

「ロンズさんが私に話したのは、『シルにしたこの辺り周辺にしか移動できないプロテクトを解いた。彼女はもうどこにでも自由に行動できる』という話と、このお金を資金にして旅に出ろということだけだ。他には何も言わずどこかへと飛び去って行ってしまった」

「師匠が、私に旅に出ろと?」

「その真意は分からんが、確かにそう言っていた」

 

 師匠の言い分は分かったが、その心の内はさっぱり分からない。一体自分に旅に出て何をさせようとしているのだろうか。

だが、シルの中にはある考えが生まれていた。

 

「うーん、でもこれがあれば私この街で気ままに暮らせると思うんですよね。外に出稼ぎにも行けるでしょうし」

「それは無理だ」

「えっ何でですか」

 

 言いにくそうにしていた町長だが、覚悟を決めてきっぱりと言い放つ。

 

「……今までお前が好きにやれていたのはお前の師匠がロンズさんだったからだ。彼女はこの街の外部とのコネクションや道の整備、自然を豊かにしたり一言では言い表せない貢献をしてくれた。だからこそ、彼女の弟子であるお前のイタズラも大目に見ていたのだ。それが無くなれば、今まで抑えていたお前への不満が爆発しても可笑しくない」

「えー、流石にそこまで嫌われていませんよ」

「そう思っているのはお前だけだ。下を見てみろ」

 

 町長に促されて窓から下を見下ろすと、物騒な得物を構えた男達が数人待っていた。

 

「多分、お前を匿うと言ったらあいつら大暴れするだろうな。あいつら以外にもそのような者は大勢いる」

「そ、そんな……」

「お前が街を出ていくというのなら私達はお前を追ったりはせん。これは、お前の為の提案でもある」

 

 シルは町長邸の前で身構えている人々を見つめて狼狽していた。

確かに色々イタズラはしてきたが、こんな武装される程嫌われているとは思っていなかった。そこまでのことをしてきたのだろうか。

暫く立ち尽くしていたシルだが、窓を思い切り開けると箒に腰掛けて外へと飛び出した。

 

「二度と戻ってきませんよこんなクソみたいな田舎町!!!」

「お前という奴は最後まで全く」

 

 町長はシルが飛び出したのを見送ると、下にいる町人達に話しかける。

 

「おいお前たち、もういいぞ」

「へーい……でも町長、ロンズさんは何考えているんでしょうね?」

「それにここまでする必要あったんですか?」

 

 町人が町長へと問い掛ける。実際のところ、シルを家に居候させることに賛成するものは皆無だが、追い出そうとまで考えているものは恐らく一人もいないだろう。

しかし、町長は首を横に振った。

 

「ロンズさんは出来るだけここに心残りのない旅立ちを、と言っていた。嫌われていると思い込んでいた方がいいだろう」

「でも、それにしてももうちょっとやりようがあったんじゃ」

「お前さんたちだって、最後にあいつにイタズラ出来て楽しかっただろ」

「それはそうだ」

 

 口を揃えて肯定する町人達に、町長は苦笑した。

そして、シルが飛び去った方角を静かに見上げるのだった。

 

 

 

 

 風が吹いていた。

風の国ウィンズに吹く風は、勇気と幸福をもたらすと言われている。

 

 シルを後押しする風は、未知の世界への期待と、ちょっとだけの寂しさを感じさせた。待ち焦がれていた自由への旅路が始まる。だが、まるで師匠に与えられた自由なようで、シルの心は晴れ渡りはしなかった。

それでも、後戻りはしたくない。

 

「……では、行ってきます。クソ田舎」

 

 シルは箒に腰掛けたまま、静かに前進する。

シルの世界が変わる旅が、今始まった。

 



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第2話 出会いと別れの街

 ワンストーン町から離れ、当てもなく進み続けるシル。

冷たい風を肌に感じながら、シルは浮かない顔のまま飛んでいた。待ち焦がれていたはずの自由が、今はとても虚しく感じられた。

 だが、あるものを見つけてシルの表情は一変した。町だ。

 

 シルは今までの人生で、ワンストーン町以外の町へ行ったことが一度もない。

今まで見たことのない未知の場所へ行けるという実感を今更ながら感じ、シルは思わず微笑んだまま街へと降下していくのだった。

 

 

 

 出会いと別れの街、エンウォーカー。それがこの街の名前だった。

入口の看板と門番の話を聞く限り、ここは港に隣接していて陸路も多数交差する人の行き来が特に多い街らしい。

 シルは街の中をキョロキョロと忙しなく見回しながら歩き続ける。人も店も、見たことのない物ばかりだ。

 

 そんな好奇心に晒されながら歩いていたシルだが、だんだんと不審に思い始めた。

なにか、過ぎ行く人々がチラチラと自分を盗み見しているような気がする。気のせいかとも思ったが、明らかに大勢の人々が通り過ぎるたびに自分を横目で見て、その後隣の人とひそひそ話をしている。

 一体なにを話しているのか気になったシルは、持っていた杖を振って自分の聴力を強化する。これで周りの人の独り言も聞こえるようになる。

 

 

(あの子、あんなに大きな箒持ち歩いてどうしたのかしら)

(清掃業者の人じゃないか?)

(箒たけで雑巾とかはもってなさそうだけど……)

 

 どうやら、過ぎ行く人々はシルの事を大きな箒を持った清掃業者かなにかだと勘違いしていたらしい。

それに機嫌を悪くしたシルは、ズカズカと荒く踏み出して足早に宿屋へと向かうのだった。

 

 

 

「全く無礼な人たちですね! 人を勝手に清掃業者だの備品持ち出した卑しい女だの!」

 

 シルは宿屋で一番高い部屋を借りると、大きくふかふかなベッドに思いっきりダイブして先ほどの出来事の不満を口にする。

仮にも天才魔女の自分に対して勘違いも甚だしい。

 

「この私のどこを見たら魔女以外のなにに見えるって言うんですか。あの人達目が付いてるんですか!」

 

 不満タラタラなシルだったが、ふと奇妙な感覚に陥った。

改めて、どこかがおかしい。なにかははっきりとしないが、自分の風貌を見て、なにかが引っ掛かる。そうして鏡と眺めっこをすること5分、ようやくシルは自分の現状に気がついた。

 

 

「……私の服、普通の女の子ですね」

 

 

 

 

 

「お似合いですよお客様」

「そうでしょうそうでしょう」

 

 自分の衣服が白を基調としたワンピースというあまりにもありふれた物だという事に気がついたシルは、大急ぎで服屋に駆け込んで魔女らしい服がないか探した。

黒いローブやマントの中から値の張って質のいいものを片っ端に探して試着していく。やがて気に入ったものを見つけるとすぐに身につけて購入する旨を伝える。

 黒色のローブや三角帽の中でも、特に質感や魔力の通りが良いものを選抜した。これなら防護魔法を普段から掛けていても劣化しないだろう。

 

 シルは巾着袋から金貨を一枚取り出すと店員へと指で弾いて飛ばす。

 

「おつりはいりません。とっておいてください」

「お客様、あと5枚足りません」

「あらら」

 

 シルは再度袋を開けると杖をひと振りした。すると、袋の中から金貨が5枚浮き上がり、店員の元へと飛んでいった。

店員は慌てて金貨を受け取ると、吃驚した様子でシルの後ろ姿を見つめる。

 

「こ、コスプレじゃなくて本当の魔女様だったんですね」

「勿論」

 

 店から出ると、箒に腰掛けて空へと浮き上がる。そうして空へと飛んでいってしまったシルを、店員は呆然と眺めていた。

 

 

 

「魔女だ……」

「あ、魔女がいる」

 

 街の中を飛んでいると、下にいる人々が口々に自分を指差して驚いている。

そんな光景に、シルは思わずニヤケ顔になって得意になる。

 

「そうです。これですよこれ。これが私の望んでいた物です。大体なんなんですかワンストーン町の人達は。人を見れは「げっ」だの「うわっ、来たよ……」だのと。クソガキ共に至っては私を見るやいなやビー玉投げつけてきますからね。全く、こっちから願い下げですよあんな人達」

 

 口を開けば、次々とワンストーン町の人への不満が零れ出る。

そうやってグチグチと悪口を言い続けていたシルだが、やがて大きな溜息を吐いて肩を落とした。

 

「……私、あの人達と喧嘩友達みたいなものだと思っていたんですが……」

 

 そう思っていたのは自分だけだったのだろうか。

そう思うとちょっと寂しくなってきた。シルは滲んできた涙をぬぐい去ると、巾着袋を取り出した。

 

「まぁ過ぎたことを気にしても仕方ありません。そろそろなにかお腹に入れて……」

 

 そして、シルの動きが止まった。

袋の中を確認する。別に盗み取られたりはしていないし、中身はきちんと残っている。残っているが……

自分が想像していたよりも、ずっと金貨の減りが速い。

 

「あれ、あれ、あれ? もしかして……私って、金遣い荒いタイプ?」

 

 今まで師匠の財布を触らせてもらった事は一度もなかった。ましてや自分で買い物などもした事がない。だから気付かなかったのだが、どうやら自分はかなり金遣いが荒いタイプらしい。

 

「いやでも、私いっても宿でロイヤルスイートを取って服も一番高いの買って他の小物も高いのにしただけですし……」

 

 今後は妥協を覚えよう。そう心に誓ったシルは今後どうすべきか悩み大きな溜息を吐いた。そうして肩を落としていると、人だかりが出来ていた。

降下して手頃な人に話しかける。

 

「あの、これは何の集まりで?」

「依頼掲示板だよ。ここに張り出されている依頼を請け負って達成したら依頼主から報酬が貰えるんだ」

 

 いい話を聞いた。これでなにか手頃な依頼でも達成すれば楽々報酬が貰えるということだ。

そうと決まれば早速いい依頼はないかと探そうとした時だった。シルの隣に子供が倒れ落ちた。

 

「いい加減にしろ! ガキは保護者同伴じゃねーと依頼として請け負えねーんだよ!」

 

 掲示板の管理人らしき人物が怒鳴り立てていた。突き飛ばされた子供達は尚も食い下がっているが、誰も相手にしていない。

周囲の大人達が小声でひそひそと話している。

 

「またやってるよ、幽霊騒ぎ」

「子供のイタズラにしちゃしつこいな」

「子供だけじゃないよ、こいつらの家にいる婆さんが言いだしっぺらしいぞ」

 

 よく分からないが、何やら面倒そうな事情があるらしい。

まぁ自分には関係ないだろうと無視しようとした瞬間、子供の一人と目があった。

 

「えっ」

 

 シルが顔を引きつらせると同時に、子供達が群がってきた。

 

「魔女のお姉さん、家の悪霊退治して!」

「お願い!」

 

「いえ、私はですね」

 

 出来れば正規の報酬が貰えそうな依頼を受けたいのですが、と言いたいのだが子供達の喧騒に邪魔されて言い出せない。その上、これ幸いと周囲の人々が口々に勝手なことを言い始める。

 

「よかったな坊主達、きっとこの魔女様が解決してくれるぞ」

「もう来るんじゃないぞ」

「いや助かった助かった」

 

 何も良かねーですよ、と言いたかったが子供たちはすっかりニコニコ笑顔でシルのローブや袖をガッチリ掴んで離さない。

どうしましょうか。いっそのこと魔法で全員吹っ飛ばしてなかったことにしましょうか……

 

 

 

 結局、断りきれぬままシルは子供たちに引っ張られて家まで案内されることになっていた。

 

「お姉ちゃん、絶対に悪霊退治してね!」

「そうして欲しければ私の髪を引っ張らないでください」

 

 シルは自分の長い銀髪を楽しそうに引っ張る女の子に抗議する。

そうこうしている内に目的の家までたどり着いたのか、子供達がぞろぞろと玄関の扉を開けて家の中へと入っていく。

 

「お母さん! 魔女のお姉さん連れてきたよ!」

「これで悪霊も一発だよ!」

 

 子供達の母親らしき人物がやって来て、申し訳なさそうにシルに頭を下げた。

 

「すみません、家の子供達が勝手に……それで、そのぅ、大変言いづらいのですが……」

「ええ、分かっていますよ」

 

 シルは苦笑いしながら視線を母親からその隣にいるお坊さんに向けた。髪を残すことなく剃り上げた立派な頭をした若いお坊さんがシルに向かって頭を下げたあと手を伸ばして握手を求める。

 

「初めまして。まだまだ修業中の身ですが、僧侶をしております清念と申します」

「私は天才魔女のシルです」

「自分で言うからにはよっぽどなのでしょうね」

「よっぽど凄いです」

 

 なんということはない。つまり子供達が勝手に飛び出して助けを求めて走り回っている間に、親が正式に除霊の依頼を申し込んでいたということだろう。

さてどうしようか、こうなるといよいよ自分がここにいる意味がない。帰ってしまいたくなったシルだが、折角ならここで除霊とやらを見物していこうか。

 

 思えば本物の悪霊退治とやらに心惹かれない訳でもない。自分の力を振るう必要もないとあれば、むしろタダでいい見物ができるのではないであろうか。

そう思い至ったシルは母親に尋ねてみた。

 

「よろしければ私も同席してよろしいでしょうか。除霊とやらに興味もありますし」

「ええと、僧侶様がよろしければ私どもは構いませんけれど……」

「私も構いませんよ」

 

 

 そうして清念を先頭にして皆が問題の部屋へ向かった。

部屋の前に経つと、部屋主であるお婆さんがガタガタ震えながら清念に寄りかかる。

 

「おお、僧侶様。やはりこの部屋に悪霊が……ワシは悪霊と共にいたのでしょうか……?」

 

 弱々しいお婆さんはただでさえ体が弱そうなのに恐怖で今にも倒れそうなほど恐怖で顔面を蒼白にしていた。

清念は暫くじっと扉を見つめていたが、やがて笑顔になってお婆さんに語りかける。

 

「悪霊なんていませんよ、ご老体。」

「えっ」

 

 思わずシルは声を上げた。しかし、深く突っ込むのもどうかと思い黙っていると子供たちが不平の声を上げる。

 

「嘘だ! だって色々変なこと起こってたんだもん!」

「そうだよ、うちに来た人が怪我したり、夜中に音がしたり……」

 

「勿論問題が無いわけではありません。この家は少し不運を貯めやすい風気をしているようです。拙僧が改善しましょう」

 

 そうやって清念はあちこちに御札を貼ったり家具を移動したりしていた。

それも十分ほどで終わり、皆清念に感謝をし始めた。

 

「ありがとうございます僧侶様。それで、報酬なのですが……」

「遠慮しておきましょう。ご依頼の内容は悪霊退治です。拙僧は今回そのようなことは致しておりません」

「そんな……じゃあ、せめてこれを。この街の名産品でもあるリングです」

 

 母親が持ち出したのは、この地周辺でよく採れる鉱物を使って作られたリングだった。

売ればそこそこの値になるのではないだろうかとシルは考える。清念は少し考えた後、それを謹んで受け取った。

こうして解決ムードになったところで、母親はシルに話しかける。

 

「魔女さんも巻き込んでしまってごめんなさい。よろしければ、今から僧侶様にご夕食を振舞うのですが、魔女さんもどうぞご一緒に」

「え、いいんですか?」

「はい、巻き込んでしまったのは家の子供たちですから……」

 

 なんという僥倖。とんだトラブルに巻き込まれたと思っていたら、まさかタダ飯にありつけるとは。

シルは喜んで頷き、振舞われた手料理を満喫した。初めて食べる手料理に、シルは止めることなく箸を進めるのだった。

 

 そして、夕食を食べ終えて少しばかり歓談すると、家を後にすることになった。

玄関に、家族が揃って見送りに来てくれていた。

 

「僧侶様、今回は本当にありがとうございました」

「お姉ちゃん、またね!」

「私にも魔法教えてね!」

 

 軽く手を振って子供たちに答えると、扉を閉じて家を後にした。

家族が家の中へと戻り、見ていないことを確認すると清念と視線があった。

 

「……なにか?」

「いえ、私にも教えて頂こうと思いまして」

 

 シルがそう言うと、清念の目が一瞬鋭くなった。

しかし、すぐに笑顔になると清念は頷いて見せた。

 

 

 

 そして、清念はそのまま家に引き返したかと思うとその裏庭へと向かっていった。

シルは黙ってついて行っていたのだが、なにか変に思って首を傾げた。そして、裏庭に到着すると清念は御札を投げつけた。

御札は何もない場所に張り付いたかと思うと、突然バチバチと激しいエネルギーを放って張り付いたものの正体を表した。

 

 そこには、禍々しい姿と化した犬のような妖怪が唸り声を上げて清念を睨みつけていた。

流石にシルは黙っていられなくなって清念に喋りかける。

 

「ちょ、ちょっとお坊さん!」

「どうしたんですか」

「貴方インチキ坊主じゃなかったんですか!?」

 

 シルが急に変なことを言い出したので、清念は妖怪と対峙しながら聞き返す。

 

「何を言っているんですか。てっきり私は貴女が私が思っているよりも手練でこの悪霊の存在に感づいているのかと思っていたのですが」

「いや気づいてましたよ。でも貴方が悪霊なんていないって言って謝礼を受け取ってたから貴方が詐欺師だと思ったんですよ! だからその話術を参考までに学ぼうと思ってたのに!」

「……貴女私が思ってたより小悪党ですね」

 

 そこまで会話したところで、妖怪が二人に向かって飛びかかって来た。

清念が錫杖を地面に突き立てて念じると、周囲に結界が貼られて妖怪が弾き飛ばされる。清念はそれを見て身構えた。

 

「ただの悪霊なら良かったのですが……妖怪に取り付いたパターンですか。面倒になりましたね」

 

 妖怪は直線で攻撃しても無駄だと判断したのか、高速で周囲を飛び回り始めた。

シルは清念の隣に移動して話しかける。

 

「参考までに聞きますが、悪霊に魔法って効きますか」

「今は実体のある妖怪に憑依しているので効くと思いますよ。霊魂の状態でも効きそうではありますが」

「なら良いです」

 

 シルが杖をひと振りすると、シルと清念を囲うようにして風が巻き上がり壁となった。

清念は感心した様に見ていたが、慌ててシルに呼びかける。

 

「危ない!」

「分かってますよ」

 

 壁の中に魔力の薄い部分が出来ている。正確には、シルはわざとそこを薄くした。

その薄い部分から、妖怪が壁をぶち破って突っ込んでくる。壁が破られると同時にシルは妖怪に向かって杖を向けていた。

 

「ドラグヘッド・ファイア!」

 

 シルが簡易詠唱を唱えると、杖の先から炎を纏った竜が飛び出した。

 

「リュオオオオオオオオオ!!」

 

 竜は声を上げながら妖怪に向かって突き進み、大きく口を開けて噛み付いた。

竜が噛み付くと同時に炎が爆発し激しく燃え上がる。激しい爆発が終わると、妖怪は耐えられなくなって倒れ込んだ。

 

「キュうぅぅぅ……」

 

 倒れた妖怪に向かって清念は歩み寄り、また御札を貼る。そしてシルにはよくわからないが念仏を唱え始めた。

すると、妖怪は小さくか弱い姿にみるみる内に変わっていき、妖怪の中から二つり人影のような物が飛び出してきた。

清念は優しい顔をして二つの霊魂に語りかける。

 

「さあ、お逝きなさい。もう心配しなくても良いのですよ」

 

 霊魂の表情は見えなかったが、やがてゆっくりと天に向かって飛んでいく。

呆然と眺めていたシルに、清念が話しかける。

 

「この家の主人とおじい様ですよ。霊となってもこの家を見守っていたのです。それがふと妖怪にとりついてしまったが故に暴走していたのです」

「……じゃあ、家にいた人が怪我したり夜中に物音がしたりって言うのは……」

「夜中に来た泥棒かなにか追い払っていたんでしょう」

 

 この家を守っていた霊は、悪霊になってもこの家を守り続けていた。それが、少しずつ行き過ぎになって段々と暴走していこうとしていたということらしい。

しかし、腑に落ちない点があった。シルは清念に問い掛ける。

 

「でも、だったらなんであの時悪霊なんていないって言ったんですか。知ってたならこれを見せたらよかったじゃないですか」

「あのお婆さんを見たでしょう。もし悪霊がいるなんて行ったらポックリ逝っちゃいますよ」

「ああ……でも、他にやりようはあったんじゃないですか? 奥さんにだけは話しておくとか」

 

 清念は空を見上げて、静かに口を開く。

 

「ここは出会いと別れの街です。しっかりと葬式をして別れたはずの旦那さんがまだいたなんて、野暮じゃないですか。なら、スッキリ綺麗に別れたままにしておいてもよくはありませんか?」

 

 確かに、別れの儀式をしたはずがしっかり現世に留まっていたなんてあまりいい話ではないかもしれない。

それに、怪我をさせた人が皆悪人な保証はない。もし家の人が原因で無駄に怪我人を増やしていたなんて事実、知らない方がいいかもしれない。

霊になった二人にとっても家族にとっても、昔綺麗に別れたままだというほうがいいのかもしれない。

 

 それでも、シルはまだ腑に落ちないことがあった。

 

「そんなに格好つけるんならそのリング貰わなきゃいいじゃないですか。正当な報酬は開けとらなくてちょっとした物だけ受け取るなんて変ですよ」

「それはそれ、これはこれです」

 

 清念はリングを取り出すとクスクス笑い始めた。どうもこの坊主、根っからの聖人という訳でもないらしい。

 

「俗ですねぇ」

「修業中の身です故」

 

 なら仕方ない。

 

 

 

 シルと清念は街の中央まで来ると互いに向かい合った。二人の宿はここから別方向だ。

 

「ではまた、会う事があればお元気で」

「ええ、さようなら。よい旅を……いえ、よい修行を」

 

 シルと清念は踵を返して歩み始めると、そのまま振り返ることなく進み続けた。

歩み続けながら、シルは先ほどの事を思い出していた。キリの良い別れを、それが、互いの幸せになることもある。

 

 だが、シルとロンズの別れは腑に落ちないことばかりだ。このまま分かれるなんてスッキリしない。

師匠のことなど忘れて好きに生きるのもいいかもしれないと思っていたが、やはり駄目だ。スッキリするまで、まだお別れなど出来はしない。

 

「必ず見つけてやりますよ、師匠」

 

 

 

 出会いと別れの街、エンウォーカー。

この街で、一つの家族が人知れず別れを告げた。そして、シルと清念という新しい出会いもあった。

新しい出会いが、待っている。この街を離れても、その先にきっと……

 

 



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第3話 誇りの街

 出会いと別れの街、エンウォーカーから離れて一週間。シルは旅を続けるうちにいくつかの街を渡り継いでいた。

始めたばかりで慣れない一人旅も、徐々に要領が掴めてきたと思えるようになり、シルは不安よりも新たな街へとたどり着く事への期待の方が勝るようになっていた。

 

 そして、暫く飛行を続けていると視界に町並みが広がってきた。

入口にまでたどり着いたシルは、看板を調べて町の名前を確認する。これもすっかり新たな街に着いた時の習慣となっていた。

 

「誇りの街プライド……ですか」

 

 さて、一体この街は何に誇りをもっているのでしょうか。さぞ誇り高い市民がいっぱいいるのかと思いながら街へと足を踏み入れたシルだが、その期待は叶いそうになかった。

街のどこを見ても、活気が少なく覇気が感じられない。エンウォーカー程豊かな街ではないとはいえ、この閑散具合は異常だと通りすがりのシルにも判断できた。

 

「あのぅ……」

 

 突然、背後から弱々しい声が聞こえてきた。

なんだろうと思って振り返ると、痩せこけた老人が立っていた。杖を突いた腕が常に震えている頼りない風貌の老人だった。

 

「見たところ、魔女様だとお見受けしますが……」

「ええと、はい、天才魔女様です」

 

なにか嫌な予感を感じながらも老人の問いに答える。

老人は、安心した様子で胸を撫で下ろした。

 

「失礼しました、実は最近困ったことが起こっておりましてな」

「困り事ですか」

「最近ここから北に向かった先にある洞穴に魔物の集団が住み着きましてな。この街を襲うようになってほとほと困り果てておるのです」

 

 どうやらこの街の活気がないのは魔物の襲撃によって物資を奪われているかららしい。

この流れは魔物対峙の依頼をされるかもしれない。そう思ったシルは先に報酬の話を吹っかける事にした。

 

「そうですか。ちなみになんですが、もし私がその魔物を退治した場合は……」

「勿論お礼はさせて頂きますとも!」

「具体的には?」

「金貨十枚程で」

 

 魔物の強さにもよるがまぁまぁ妥当ではないだろうか。あまり吹っかけすぎると渋られるかもしれないのでこれでシルは引き受けることにした。

 

「分かりました、引き受けましょう」

「おお! ありがとうございます! 実は丁度先ほど王宮魔導師の方がいらしておりましてな、魔女様まで加わっていただけなるなら心強い!」

 

 おおっとこれは事前に聞いていない情報が混ざっているぞとシルが考えている間に、老人はそそくさと移動を始めていた。

 

 

 老人に案内された先には二人の男女がいた。

一人は先ほど老人が言っていた王宮魔導師だろう、高価そうなマントやブローチを身につけた金髪の男性だ。

そしてもう一人は、刀や槍といった様々な武器を携帯した黒髪の女だった。長い髪をポニーテールで纏め、隙のない冷たい雰囲気を感じさせる。

 

「こちらが王宮魔導師のアルフレドさん。偶然この街にやって来て依頼を引き受けて頂けたのです。えーっとこちらが……そうそう、退治屋の雨流さんです」

 

 肩書きからして、雨流というこの女性の方が正式に魔物退治を引き受けてそうなのだが、老人の扱いは明らかにアルフレドの方を贔屓していた。

シルとしては先程の報酬金貨十枚が一人当たりに貰えるのか、分配なのかが非常に気になるのだが、老人はシルの視線に気づくと先程までの弱々しさはどこに行ったのか滅茶苦茶爽やかな笑みで返してきた。

 

(これは絶対分配されるオチですね……)

 

 シルは溜息を吐いて肩を落としつつ、とりあえず二人に挨拶をすることにした。

 

「初めまして、天才魔女のシルです」

「……よろしく」

 

 雨流はシルの挨拶に一言だけ返して終わった。

アルフレドの方は爽やかな笑みを浮かべながら握手を求めてくる。

 

「よろしく、僕は王宮魔導師のアルフレド。と言っても、王都直属じゃなくてまだこんな辺境支部所属なんだけどね」

 

 それは果たして王宮魔導師と名乗っていいのだろうか。まだ政府公認とかの方が正しい肩書きのような気がするのだが。

しかしアルフレドは全く気にしていないのかぺらぺらと自己紹介を続けていた。

 

「今はまだこんな辺境に配属されているけど、ふふ、いずれは王都に昇進、やがては国王直属の魔導師になるさ」

「そうですか」

「なんせ僕は十歳の頃に既に魔法が使えるようになったんだからね、まだまだ伸び代に溢れているのさ」

「そうですね」

 

 私は8歳くらいの頃に覚え始めましたけどね、というのはあまりにも不毛なマウント合戦になりそうなので黙っておくことにした。

すると、老人が三人に向かって話しかける。

 

「ええと、それでは皆さんにこれから出発して頂きたいのですが……やめたくなった方は素直に申し出ていただいても宜しいのですが」

 

 老人は雨流をジッと見ながらそう話した。

暗にもうお前はいなくていいよと言っているのだろう。さしずめ、最初は退治屋に依頼をしたものの偶然魔導師と魔女がやって来たからもういらなくなった……というところだろう。

シルが事情を察したところでアルフレドが雨流に話しかける。

 

「分からないかな? 魔法が使えない君はもうお役御免だと言っているのさ。僕と彼女だけで充分だからね」

「……なら報酬はなくていい、勝手にさせてもらう」

「何を言っているんだい?」

「一度受けた依頼は最後までやり遂げる。報酬の有無は関係ない」

「あ、タダでいいならワシは大歓迎じゃよ」

 

 この爺さんかなり厚かましいですね……と思いつつ、シルは二人の間に割って入った。

ただでさえ報酬が減ってやる気がなくなっているのに同行者に揉められてはやっていられない。

 

「話はそこまでにしましょう。人数は多い方がいいでしょうし、ここで言い争うだけ時間の無駄ですよ」

「……君がそう言うなら尊重しよう。君、魔女さんの寛容さに感謝するんだね」

「ああ」

 

 雨流はシルを一瞥するとすぐに装備を整えて退室した。続いてアルフレドも部屋を出て行く。

シルは面倒なことになったと思いつつ、二人に続いていった。

 

 

 

 そして道中、アルフレドがひたすらに雨流に嫌味を言い雨流がそれを無視するという構図が出来上がっていた。どうもアルフレドという男は根本的に魔法が使えない人間を見下すタイプらしい。

シルにしたら、師匠以外の魔法使いの有無を気にしたことがなかったので、そういう価値観があることが初耳だった。

 

「魔女さん、君もそう思うだろう? いずれは僕達魔法使いが国政の中心を担うようになると」

「そうですね」

 

 シルにとっては、その当たりの話はあまり興味がなかった。

どちらかと言えば、退治屋という聞き慣れない肩書きの雨流の話を聞きたいのが本音だった。アルフレドの自慢話を背景に、シルは雨流に話しかける。

 

「退治屋さん……でいいのでしょうか」

「好きに呼べばいい」

「では退治屋さん、そもそも退治屋ってなんなのでしょうか。そういう職業があるのですか?」

 

 雨流はシルを横目で一瞥する。その視線にシルは首を傾げるが、すぐに雨流は口を開いた。

 

「退治屋は依頼を受けて報酬を受け取る一族だ。正式な職業というよりはそうやって生計を立てる一族が複数いるという認識でいい」

「なるほど、一族ごとになにか違いはあるので?」

「依頼に関するスタンスだな。私達の一族は依頼を最後までやり遂げることを信条にしている。中には報酬目当ての奴もいるし、己を高めるのを最優先にする連中もいる」

「……お話は分かりました。しかし流石に報酬無しなんて大丈夫ですか? 少しくらい貰っておかないと割に合わないような」

 

 雨流はシルの瞳を真っ直ぐに見る。正面から見つめられて思わずシルは足を止める。

 

「お前にとって依頼は報酬を得るための手段でしかないだろう。私にとっては違う、それだけだ」

「……退治屋さんにとって依頼とはなんなのですか?」

「自分の為にやることだ。修行、正義、義務、なんでもいい。己の意思を貫くためにやるべきことだ」

 

 そう言って雨流はシルから視線を逸らすと正面を向きながら歩き始めた。

シルは、その後ろ姿に黙って付いていった。アルフレドはまだ自慢話をしていた。

 

 

 

 目的の洞穴までやって来た。

一応、同士打ちなどが発生しないように作戦会議を行うことにした。

 

「僕達魔法使いは詠唱に手間がかかるからね。君が先行して敵を引きつけてくれ」

「ああ」

 

 アルフレドは攻撃に時間の掛かる自分達は後ろで待ち構え、雨流を先行させるというものだった。

私は特に長ったらしい詠唱するつもりないし、なんなら無詠唱呪文だけでなんとかなるから全員で突っ込んでいった方がいいと思うんですけどねーと思いつつ、面倒なので二人に合わせることにした。

実際、雨流は自分が先行して囮役になることに抵抗はないらしい。

 

 これはこれで雨流の戦いが邪魔なく見られるかもしれない。シルはそう考えた。

そして、タイミングを合わせて洞穴へと突入した。

 

 入口や道中にいたゴブリンが、雨流の刀で次々と切り捨てられていく。

鮮やかな太刀筋に、囮どころか後続のシル達の出番が殆どないほどだ。シルがやっていることと言えば適当に攻撃されずに済んだ壁際の植物型の魔物に魔法弾を当てて気絶させるくらいだ。

 

 アルフレドは走りながらブツブツなにか呟いている。

 

「おかしい……予定ではもうあの女はダウンして僕が一騎当千しているはずなのに」

 

 それは見通しが甘すぎやしませんかと思いつつ、シルは雨流の動きに見とれていた。

動きに無駄がないし、何より一閃のひと振りが肉眼で捉えるのが難しいほど速い。殆ど雨流に先導してもらう形で、シル達は洞穴の奥へと進んでいった。

 

 

 

 そして、奥までたどり着くとそこに親玉らしき魔物がいた。

緑色の肌に巨体。一つ目がギラギラをシル達を睨みつける、威圧感に溢れたモンスターだった。魔物は手に持っていた棍棒を振り回してシル達を襲う。

 

「僕の出番のようだね!」

 

 アルフレドは杖を構え、魔力を練り始める。足元に魔法陣が広がり、魔力が集まり始めた。

 

「我の元に集え、神々の力、その象徴たる雷よ。怒涛の勢いにて天地を揺るがし~」

 

 長くなりそうだなと思ったシルは、雨流と目配せして先に仕掛けるよう促す。

雨流は刀を両手で握り締めると、姿勢を低くして構える。

 

「奥義、紫電一閃」

 

 高速で振り払われた一閃が、紫の電気を帯びた一太刀となり魔物の腹部を切り裂いた。

痛みで暴れようとする魔物の動きを、シルが風の魔法で吹っ飛ばした。雨流は一瞬シルを驚いた表情で見るが、すぐさま背中に背負った槍を左手で手に取る。

 

「奥義、炎槍一突!」

 

 雨流の突き出した槍の一撃が、魔物の腹を突き刺した。

呻き声を上げて崩れ落ちる魔物に、詠唱を唱え終わったアルフレドが魔法を唱える。

 

「いでよ、神の雷! ライトニングボルテッカー!!」

 

 強烈な電撃が洞穴全体を覆うほどに広がり、既に動けなくなっていた魔物に直撃した。

念の為に調べると、もう動くことは出来そうになかった。シルは終わった安堵から背伸びをして肩の力を抜いた。

 

「いやー、終わってみると案外簡単でしたね」

「……ああ、それよりお前」

「いやあ、素晴らしいアシストだったよ魔女さん」

 

 雨流がシルに話しかけようとしたが、そこにアルフレドが割り込んできた。

 

「君には才能がある。どうだい、王宮魔導師になってみる気はないかい?」

「はあ、王宮魔導師ですか……それってやっぱりお給料いいんですか?」

「勿論、大切な国の礎なんだからね、優遇されて当然さ」

 

 それは正直魅力的でもあるな、とシルは少し興味を持っていかれる。

 

「昇進していけば分かるさ、国の為に己の魔法を使うその誉がね……こんなところでくすぶっているのは勿体無いよ、君」

「……いえ、お断りしましょう」

 

 シルの返答が意外だったのか、アルフレドは硬直してしまっていた。

それでも、辛うじて問い掛ける。

 

「……何故? 君ほどの才能がありながら……」

「まぁいいじゃないですかそんなことは。それより早く街に報告に戻りましょう」

 

 そうして引き返し始めたシルの後ろから、アルフレドの放った雷玉が襲いかかった。

シルが魔力を感知して振り返ると同時に、雨流が刀で雷玉を切り捨てていた。雨流はシルとアルフレドの間に立ってアルフレドを睨みつける。

 

「何をしている」

「どいてくれないかな、低俗な君に用はない」

 

 アルフレドはあくまでシルに話しかけていた。

 

「残念だよ、君のように才能のある物が国に使える王宮魔導師の尊さを理解していないとは。最も、力の差を思い知れば君にも分かるだろう……僕のような、王宮魔導師になることの喜びを!」

「いや貴方王宮魔導師ではないでしょう……なんにしても、私の答えは変わりませんよ」

「んんんー……何故だい? 理解できない」

 

「私の魔法は私のためにあります。国を想う気持ちは否定しませんが、だからって私の全部を預ける気になんかありませんよ」

 

 シルの答えに、雨流は思わず振り返ってシルを見つめていた。

シルは真っ直ぐにアルフレドを見つめ返している。アルフレドは溜息を吐いて杖を構える。

 

「仕方ないね……どうやら、おしおきが必要なようだ!!」

 

 魔力を練り始め、アルフレドの詠唱が始まる。

 

「神の雷よ、我の元に集いて真なる力を解放せよ。その根源たるは我が誇り高き~」

 

 また長々と詠唱を始めたアルフレドに、雨流が刀を抜いて突っ込んだ。

シルの見積もりでは僅かに先にアルフレドの魔法が先に放たれそうだ。それでも雨流ならなんとかしそうだとシルは思ったが、一応手助けした方がいいだろうと杖を取り出した。

 

 アルフレドは詠唱を唱えながらほくそ笑んだ。今から詠唱を開始したとしても間に合うはずがない、と踏んでいた。

魔法にはランクがあり、上級になるほど高い魔力と長い詠唱が必要になる。故に、今から上級呪文を唱えても間に合わないし、下級呪文を詠唱無しで唱えても自分の上級呪文に太刀打ちできるはずがない。そんな算段だった。

 

「現れよ! 神の雷その化身よ!」

 

 詠唱がほぼ唱え終わり、雷を纏った化身がアルフレドの背後に現れる。

目前まで雨流が迫っているが関係ない、あとは名前を唱えて発動するだけで雨流ごとシルを倒せる。

 

「ボルテック・ギガサン……」

「リベレイトアームズ!」

 

 シルの唱えた武装解除の呪文が、アルフレドの杖を吹っ飛ばす。そして完成していた雷の化身が瞬く間に消されてしまった。

 

「えっちょっまっ」

 

 アルフレドの腹に、雨流の刀が直撃した。

 

「おっ……ごっほぉ……」

 

 顔を真っ青にして倒れ込んだアルフレドに、シルが恐る恐る近寄る。

 

「あの……殺っちゃいました?」

「安心しろ。峰打ちだ」

 

 見ると、確かに斬られた後が全くない。気絶しただげのようだ。

シルは安心して胸をなで下ろした。どうやら無駄に死なせたりはしなくて済んだらしい。

 

「これからどうしましょうか。とりあえず逆恨みされても嫌なので記憶でも消しておきましょうか」

「できるのか?」

「簡単なものだけですけどね。私達の顔を見たら思い出してしまう程の。そうですね……とりあえず魔物の前に寝かせておきましょう、起きたら自分一人で倒して依頼を達成したと認識してくれるでしょう。先に街に帰って口裏を合わせてもらえればばれなさそうですし」

 

 そこまで話したところでシルは雨流に確認する。

 

「報酬は全部魔導師さんに渡してもらうことになりそうですけど、構いませんか?」

「ああ、元々今回はそのつもりだったからな」

 

 雨流にしても、別に報酬にそこまで拘りはない。

むしろシルの方が報酬がないと困るのではないかと、雨流は懸念していた。

 

「お前はいいのか? 今回タダ働きで」

「うーん……まあいいでしょう。退治屋さんの格好いい戦闘が見物出来ましたからね、それでいいですよ」

「……ふっ、変わってるな、お前」

 

 その日、シルは初めて雨流の笑顔を見た。

 

 

 

 街に引き返したシル達は、依頼者の老人の元へと向かった。

そこでは、老人が一人の男と話していた。髭を生やした初老のまだ若めの男性だった。身につけている衣服から、彼もまた魔導師のようだ。

老人が二人に気づいて声をかけてきた。

 

「おお、噂をすれば。彼らが今回依頼を受けてくれた……あれ? 金髪の魔導師さんは?」

 

 シル達はそばにいる男性が気がかりになりつつも、事情を老人に説明した。

話を聞いた男性は、二人に頭を下げた。

 

「いや申し訳ない、仮にも政府公認の魔導師がそんな無礼を働くとは……アルフレドは、才能はあるんだが如何せんそれを過信している節がある男でな」

「それはまぁ、はい」

「私も彼の若くして上級呪文を扱える才は認めているのだがな。しかし実戦でそんなもの使う暇はほぼほぼないと言っておるのに」

「私も師匠に言われましたね、実戦では口より先に手を動かせと」

 

 男性はここで自分が名乗っていないことに気がつき、改めて自己紹介をする。

 

「私の名はグリーズ。一応、王宮に使えている魔導師だ。君は退治屋の一族だね、腕っ節が立つようじゃないか。君の一族の腕前は我々の間でも評判になっているよ」

「ありがとうございます」

「それで君は? 先程言っていた師匠というのは……?」

 

 グリーズはシルに問い掛ける。シルはその質問に答えた。

 

「私はシルです。私の師匠はロンズというのですが、今行方が知れていなくて」

「えっあの磔の……いや大地のロンズか。そうか、君は彼女の弟子なんだね」

「なんですかさっきの物騒な単語は」

「いやいや気にしなくていいんだよ。そうか、彼女は弟子も育てていたのか。それはなによりだ」

 

 グリーズはシルの問いには応えず一人で納得している様子だった。

シルはそれが気に入らない様子で、グリーズはそれに気が付くと謝罪をした。

 

「いや、誤魔化すようで悪かったね。残念ながら私も彼女の行方は知らないよ。最近は彼女も全然王宮と連絡を取らなくなっていたからね」

「……そうですか」

「しかし、重ねて済まないね。アルフレドが君に王宮魔導師を強要してしまって……君たちはまだ若い。その才能も生き方も、君たち自身が誇れるようなものにするといい」

 

 グリーズはそれだけ言い残すと、アルフレドを回収に行くとワープして消えてしまった。

残ったシルはもう遅いし宿でも探そうかとしたところで雨流に話しかけられた。

 

「待ってくれ、一つ聞かせてくれないか」

「はい、なんでしょう」

「私は最初、お前はただ報酬目当ての女だと思った。だが、お前は魔法は自分の為に使うと言って王宮魔導師を断った。お前にとって、自分のための魔法とは一体なんだ?」

 

 雨流の問いに、シルは笑って答えた。

 

「私が好きなようにやるってだけの話ですよ。お金の為でも人の為でも、その時私がやりたいかどうかが全てです。その判断を国や他人に預けたくないだけですよ」

「……適当だな」

「師匠の教えですよ。自分で考えて動かない奴は碌な人間にならないって、口うるさく言われましたから」

 

 雨流はそれを聴き終わると、苦笑してシルに背を向けた。

 

「引き止めて悪かったな。また、会えたらいいな……シル」

「……ええ、また巡り合わせがあれば会いましょう、退治屋さん」

 

 シルは雨流と別れて箒に腰掛けた。

街中を飛びながら、先程のことを考える。

 

 師匠は魔法を使う時、行動を起こす時は誇りを持って出来ることをしろと言っていた。

後から振り返って、その行いを誇れるかどうかを考えろと。そう、言っていた。

師匠はどうなのだろうか。突然自分の前からいなくなって、旅をさせて。

それを、本当に誇れているのだろうか。

 

 

 いずれにしても、自分のするべきことは変わらない。

必ず師匠を見つけ出して、その真意を確かめる。その決意を改めて固め、シルは前を向いて進み続ける。

 

 



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第4話 探求の街

 探求の街シーカー。今この街では年に一度のお祭り、ダッシュレースが行われていた。

ルールは簡単、箒で街の中を決められたコースで進み、ゴールを目指す。そして、参加者に配られるバッジを奪取すればその数に応じてタイムが短縮され、そのタイムを競うというという物だ。

 

 バッジを取られればその時点で失格となり、バッジを奪うことと速くゴールを目指すか、どちらを優先するかが肝となる。

そして毎年盛り上がるこのレースだが、今年は類を見ない展開になっていた。

 

 

「はぁっはぁっ……」

 

 現在一位で先頭を走っている男は周囲を見回しながら箒を飛ばしていた。その速度は走っているというよりほぼ徐行と言っていいほどだった。男は決して油断している訳でも余裕を見せている訳でもない。

 男は、このままゴールすると敗北してしまうというジレンマを抱えていたのだ。

 

「失礼しまーす」

「ひぃっ!?」

 

 男が震えながら声のする方向を振り向くと、そこには誰もいなかった。全方向を隈なく見回すが、誰もいない。

しかし、いきなり男の背後から手が伸びてバッジが毟り取られた。

 

 彼女は、ずっと男の背後を付けていたのだ。彼が顔を動かすたびに空を自在に飛び回り、背後を取っていたのだ。

バッジが取られた瞬間、司会者の声が魔法を使って街全域に拡散される。

 

『決まったー! 今年のダッシュレース、なんと初参戦の飛び入り参加選手が全参加者のバッジを奪い取り、実質の第1位に躍り出たー! これで決着ー! 勝者は飛び入り参加の謎の魔女……シル選手だー!!』

 

「はーい、ありがとうございまーす。私を信じてくれた方が正義でした!」

 

 シルは見せつけるようにして参加者からむしり取ったバッジを空からバラ撒き、盛大に高笑いしてみせた。

 

 

 

 

「はーっはっはっはっはっ、いやぁー箒でちょちょっと飛んだだけでこの賞金とは参りましたねー。全くボロい商売があったもんですよ。これは私の天職が見つかってしまったかもしれませんねー」

 

 シルはすっかり調子に乗って賞金の金貨が入った袋を振り回して街の中を歩いていた。

偶然立ち寄ったこの街で箒で空を飛ぶ祭りがあると聞いて軽い気持ちで参加してみたところ、あっという間に優勝してしまったのだ。自分の空を飛ぶ才能がここまで優れていることを、シルは改めて実感していた。

 

「さーて、思わぬ大金を手に入れたことですし今日は奮発していいもの食べましょうかね」

 

 ご機嫌なまま歩き続けるシル。その後ろを、何者かがこっそりとつけ回していた。

気づかれないようにしつつも、一定の距離を保って尾行をする。シルが脇道へと移動したのを確認すると足早に駆け寄って壁に沿うようにして一度待つ。

 シルと距離を取れるほど時間が経つと再び備考を再開しようとした追っ手だが、覗き込んだ先にシルはいない。思っていたよりも先に進んでしまったかと思い急いで路地裏へと駆け込む追っ手だが、途中で背後から肩を掴まれる。

 

 驚いて振り返ると、何もいないと思っていた空間から突然シルの姿が現れた。透明化の魔法で身を隠していたのだ。

 

「私になにか用ですか? お嬢さん」

 

 シルを備考していた追っ手は、桃色の髪をしたまだ幼い少女だった。

少女は観念して頭を下げる。

 

「さすがですね、魔女さん。私は貴女に会いたいと命令されて貴女の後をつけておりました」

「私に?」

「はい、主の命令で」

 

 

 

 いきなり見知らぬ人に会いたいと言われ、しかも堂々とお願いせずに使いを寄越してきた事にシルは不審をを抱いたものの、気まぐれで会ってみることにした。少女に連れられて案内されたのは、街に入る前から見えていた大きな城だった。

 

「えっ、もしかして私に会いたいって言ってるの領主さんとかですか?」

「正しくは領主様の養子様です。私はその方の命令で馳せ参じました」

 

 城の前で手続きをし、不審物を持っていないか入念にチェックをされてようやく入城の許可が降りる。

いくら領主の城とはいえ少し厳重すぎやしないかと思う。それに、城の中もなにやらバタバタしている。

 

「……なにかあったので?」

「実は今怪盗から予告状が届きまして、その騒ぎで城内は慌てています」

「私が呼ばれたのはそれ関係ですか?」

「いえ、それとは関係ありません」

 

 てっきり怪盗を捕まえてくれとでも言われるのかと思っていたので、シルは拍子抜けするようなホッとするような妙な気がした。

やがて城内のとある個室の前にたどり着き、少女が扉をノックする。

 

「クローン様、例の魔女様をお連れしました」

「ありがとうスパ。入って」

 

 スパと呼ばれたここまで案内してきた少女が扉を開けると、中には大量の本が棚に並ぶ書斎が広がっていた。

そこに、緑色の髪の、修道服を来た男の子が座っていた。少年は部屋に入ってきたシルに手を差し出して握手を求める。

シルはその手を握って握手を交わす。

 

「クローンです、先程のレースはお見事でした。本物の魔女さんに会うのはこれが初めてです」

「それはどうも。それで、私に用とはなんでしょうか」

「僕は色々な知識を集めるのが好きなんです。ですから、是非魔女さんのお話を聞きたいと思いまして」

 

 どうやら単なる好奇心と探求心のようだ。

シルとしては怪盗騒ぎの方も気にはなるのだが、ただ話を聞かせるだけでいいのならいいだろうと旅の話を聞かせることにした。

 

 とは言ってもシルが旅を初めてまだ一ヶ月弱。話せるエピソードも限りがある為、自然と話は師匠と暮らしていた間の話に移っていった。

 

「師匠は割と大らかな性格なんですが、私が犯罪まがいのことしようとすると鬼のような顔して怒るんですよねー」

「保護者として当たり前のことでは」

「大変でしたよ、師匠の銅貨を金貨に変える魔法を使った時は。腕の骨が折れるかと思うくらい叩かれました」

 

 スパの冷めた目を無視して師匠との思い出を語る。ロンズ自身は清廉潔白な人間とは思えないのだが、シルに対しては異常な程悪事を犯さないよう強要してきた。

それが何故なのかは、シル自身長年の疑問だった。

 

「ロンズさんですか……うーん、確か王宮の資料で見たことがあったような気がします」

「師匠が王宮にいたことがあるってことですか?」

「はい。あまり詳しくは載っていなかったのですが、確か20年近く前の話だったかと」

 

 20年前となると、シルが生まれるよりも前の話だ。

ワンストーン町の人達は、ロンズはまだ赤子だった頃の自分を連れて町に来たと言っていたから、自分が生まれるよりも前に師匠は王宮にいたということになる。

 

「師匠が王宮魔女だったなんて話は聞いていないんですがねぇ」

「僕もそのような記録は残ってないと思います。客人かなにかだったのかもしれませんね」

「クローン様」

 

 話の途中でスパがクローンに呼びかける。クローンは頷くとシルに改まって話しかけた。

 

「魔女さん、実は折り入ってお願いがあるんです」

「なんでしょうか改まって」

「魔女さんは神器についてご存知ですか?」

 

 礼をして部屋から立ち去るスパを横目に、シルはクローンに言われたことを考える。

神器。確かどこかで名前を聞いたことがあったような気がする。

 

「えーっと……確か、大昔の戦争で使われた兵器でしたっけ」

「はい。魔女さんもご存知だと思いますが、今人間が栄えているのも大昔から続く戦争に人間が勝ってきたからです。古い文献には、2000年近く前には既に人間と魔族の戦争が始まっていたと書かれています」

 

 2000年前に、人間と魔族の戦争が始まった。

魔族は数も多く、身体能力に優れた種族が大勢いた。人間は魔法や武術で対抗したものの、多勢に無勢となり追い込まれていった。

 

「そうして追い込まれた人類は、1500年前に神器を作ったといいます」

「そもそも神器ってどうやって作ったのでしょうか」

「恐らくは、優れた魔法使い達がその魔力を……場合によっては命を捧げてまで力を込めた魔鉱石だと言われています。大勢の魔力を注がれて出来た神器の力は凄まじく、一気に人類側が優勢になる程だったと」

 

 しかし、あまりに強力すぎる兵器だったため、人類は神器を使わないことにしたという。

 

「ただ、時が100年、200年と経つ内に人々は神器の恐ろしさを忘れ、また神器を使用する……そんな歴史を何度も繰り返して来たそうです」

「そんなに使い回されるだなんて、神器って一体どんな兵器だったんですか?」

「神器は使用されるたびに姿を変えていたと聞きます。一説によれば天下覇道の剣、もしくは一撃で相手を滅ぼす大砲など……そんな風に様々な用途で使われたそうです」

 

 しかし、遂に500年前に人類は神器を使い魔族との大勢に決着を付けそれを期に神器を封印することにした。

それ以来、神器に関する事柄は避けるように伝えられるようになったという。

 

「僕が神器について調べたことも、数々の資料から推測できることをつなぎ合わせてできたものです。それだけ、神器に関する資料は出来る限り伏せられているんです」

「ふーん……で、その話が一体今何の関係が?」

「この城の書庫の奥に、鍵がかけられた場所があります。そこには僕でも立ち入ることを許されていません……僕の直感なのですが、そこには神器に関する資料があるような気がしてならないんです」

 

 クローンは俯いて瞳を閉じる。

 

「僕は何故だか分かりませんが、神器に関することに関しては特に惹かれてしまうのです」

「なる程……それでそれで?」

「今この城は怪盗騒ぎで警備もそちらに集中しています。なので……今のうちに、書庫に忍び込もうと考えています」

 

 大人しそうな顔をしている割に大胆なことを言い出し始めた。

そして、クローンはシルの顔を見つめてお願いをする。

 

「なので魔女さん。どうか僕が書庫に入れるように力を貸してもらえないでしょうか?」

 

 中々な大事を頼まれてしまった。これはそう簡単には安請け合いは出来ないだろう。

なにせ向こうから言い出したこととはいえ、城の重要な場所に忍び込むなんて犯罪スレスレの行為だ。

無断で忍び込んだわけではないが、咎められる可能性は充分ある。

そのような危険を犯してまで重大な秘密が隠されている場所へ踏み込もうなどとは……

 

「やりましょう」

 

シルは好奇心に逆らえなかった。

 

 

 夜の城内はあちこちの通路を警備の兵が巡回していた。書庫へ通じる道も、宝物庫や入口ほどではないが絶えず何人かの兵が交代しつつ見張りをしている。

そんな中、そっと音を立てずに扉がかすかに開き暫兵が気づかない内に暫くすると扉は閉じてしまった。

 

 書庫の中では、透明になっていたシルとクローンが姿を表した。

シルは杖をひと振りして探知魔法を使う。するとシルには部屋の中に侵入者を感知する装置が隠されていることに気がついた。

 

「厳重ですね。壊してしまうのも気が引けますし、どうしましょう」

「……」

 

 クローンは黙ってなにか考え事をしている様子だった。その瞬間、突然城の中に警報が響き渡った。

拡声器を使った兵士の声が一斉に響き渡る。

 

『不審者が東側の棟に現れたぞ! きっと怪盗だ!』

 

「あら、今怪盗さんが来ちゃったんですか」

 

 シルは放送を聞いて反応した。今シル達がいる書庫は西側なのでシル達のことがバレた訳ではない。ということは、本当に予告状の怪盗がこのタイミングで現れたということだろう。

すると、突然クローンが一人で進み始めて部屋の警報が作動する。

 

「ちょ、ちょっとなにしてるんですか」

「城内の警報はもう作動しているのでここのことは誰にも気づかれませんよ。今のうちに奥まで行ってしまいましょう」

 

 理屈の上では分かる。だが、ふと引っかかるものを感じてシルは無言のままクローンに付いていった。

 

 

 やがて厳重に閉ざされた扉の前にたどり着いた。これが例の資料を保管してある場所だろう。

クローンはシルに尋ねる。

 

「魔女さん、ここにはお父様の魔力でしか作動しないロックが仕掛けられています。解除できますか?」

「ちょっと待っててください」

 

 シルは鍵をしてある装置に触れた。確かに特定の魔力の周波数でしか作動しないようにプログラムされているようだ。要はこれが作動するのと同じパターンの魔力を出せばいいのだろう。

 

「……はい、開きました」

 

 シルがクローンの義父と同じパターンの魔力を流すと、装置が作動して暗証番号が入力できるようになる。

クローンはすかさずパネルに触れて番号を入力していく。

 

「パスワードは分かるんですか?」

「以前父の部屋に行った時にこっそり流し見して覚えました」

「へー、よく覚えられますねこんなの」

「……魔女さんがさっきやったことの方がよっぽど凄いと思いますが」

 

 そうこうしているうちに、入力が終わり扉が開かれた。

部屋の中には中央に机が設置されており、その上に一冊の本が置かれてある。それ以外には何も置いていなかった。

 

「禁断の書物とか色々置いてあるのかと思いましたが、これ一冊だけみたいですね」

「はい、僕もてっきり色々な書物が封印されているのかと思っていたんですが……」

 

 そう言ってクローンが一冊の本を手に取り、読み進める。

シルも覗き見してみたが、現代の言語ではなかったのでパッと見ではなんのことやら分からない。翻訳魔法でも使えばシルでも理解できそうだが、神器のことについてはシルにはそこまで興味がなかったので辞める事にした。

 暫く本を読んでいたクローンだが、やがて読み終えたのか本を閉じて再び元の場所へと戻した。

 

「なんて書いてあったんですか?」

「神器の封印方法についてです。どこにあるのかは他の資料には記されていなかったのですが……どうやら昔の人々は神器を砕いて水の国の各地へと封印したようです」

「水の国ですか」

 

 水の国ウォルタ。風の国ウィンズと並ぶ三大大国の一つで、主に魔法に優れた者が多く生まれる地とされている国だ。

 

「水の国は魔法の始まりの国とされていますから、封印するにももってこいだったのかもしれませんね」

「なるほど」

「魔女さん、今日は無理言って申し訳ありませんでした」

 

 危ないことに巻き込んで申し訳ないとクローンが謝罪するも、シルは対して気にしていないと返す。

こういう探検じみたことも今までやったことがなかったので、シルなりに楽しんでいたのも事実だ。

 

「さて、それじゃあもうひと仕事しましょうか」

「もうひと仕事……?」

「気になるじゃないですか、堂々と予告状なんて出した怪盗さんの正体が」

 

 そう告げると、クローンの表情に焦りが出たことをシルはなんとなく感じた。

 

 

 

 城内に忍び込んだ怪盗は警備兵の目を掻い潜り、城内を駆け回っていた。

城に仕掛けられた罠を次々に避けて突破し、現れる追っ手も振り切って逃げ回る。そうして警備を翻弄し続けた怪盗だが、通路の奥に佇むシルに気が付くと足を止めて急いで逆に引き返す。

 

「逃がしませんよ」

 

 シルが杖を振ると風が巻き起こって怪盗の動きが止まる。

それでも捕まるまいと窓に向かって飛び出して、ガラスを割りながら中庭に向かって落ちていく。途中で木に捕まって滑り落ちて怪我をせずに着地する。

シルは中庭に向かって杖を振った。

 

 すると、中庭に生えていた植物が急成長して蔦を伸ばし始める。

怪盗の手足を蔦が絡めとり、動きを止めた。箒に腰掛けて窓から飛び、怪盗の元まで降りていく。

 

「さて、ではお顔を拝借……」

 

 シルは怪盗の仮面に手をかけて、パッと取り外した。

警備の兵たちが駆けつける中、シルは怪盗の顔を見て溜息を吐いた。

 

「……まあそうだとは薄々思っていたんですが」

「……流石ですね、魔女さん」

 

 城に忍び込んだ怪盗の正体は、クローンの召使いのスパだった。

 

 

 

「一体どういうつもりなのだ、スパよ」

 

 謁見の間に連行されたスパは、領主の前に跪き頭をたれていた。領主は、スパに一体なんの目的でそんなことをしたのか問い詰めた。

スパは俯いて黙っていたが、やがてクローンがスパの前に出て領主との間に立ちふさがった。

 

「お父様、申し訳ございません。今回の一件は全て僕の責任です」

「クローン様!」

「……僕が、彼女に騒ぎを起こすように頼みました。あの書庫に入るために」

 

 クローンが封印された書庫に忍び込んだ事を聞いて領主は驚き狼狽した様子で二人のことを見つめた。

そして、シルのことに気がつき問い掛ける。

 

「君は?」

「私は魔女です。彼に書庫に入りたいと頼まれまして」

「僕がお願いしたんです。彼女の……魔女の力を借りなければあそこには入れなかったので」

 

 領主はクローンの話を聞き、どうやった忍び込んだかを察した。

そして、シルに尋ねる。

 

「あのロックを解くとは君は余程優れた魔女のようだな。あれでもあのロックはロンズ殿に組んでもらったんだがな」

「えっ、゜師匠があの魔法を?」

「……君は、あのロンズ殿の弟子なのか?」

 

 シルがロンズの弟子だということを聞いて、領主は余程驚いたのか椅子から立ち上がった。

そして、溜息を吐いて椅子に座り込んだ。

 

「……事情は分かった。どうしてこんなことをした?」

「お父様、僕はどうしても知りたかったんです。神器の秘密について、知らなくてはいけない気がするんです」

 

 クローンは自分の非を認めつつも、真っ直ぐに領主を見つめていた。

領主は暫く無言でクローンとスパを睨んでいたが、やがて溜息を吐いてクローンに告げた。

 

「事情はどうあれ、これだけの騒ぎを起こした者を見逃すわけにはいかん」

「はい……」

「クローン」

 

 領主に名前を呼ばれ、クローンは震えながらその顔を見上げる。

震えながらも自分から目を逸らさないクローンに、領主は静かに告げた。

 

「スパは実家に送り返す。クローン、お前が連れて行ってやれ」

「え……お父様、それは」

「何度も言わせるな。お前が彼女を送り返すんだ、外に出てな」

 

 クローンに外へ出るように命令する。それがどういう意味を持つかは、領主に取っては分かりきっていることだろう。

 

「本当に、良いのですか?」

「好きにしろ。彼女を家に送り返して……お前は、気の済むまで探し続けろ。お前が探し求めたものの答えを」

 

 領主はそれだけ告げると早々にこの場を立ち去った。残されたクローンは呆然としていたが、後ろからスパがクローンに駆け寄った。

 

「クローン様!」

「スパ……ごめんね、君を巻き込んで」

「私は構いません。クローン様……良かったですね」

 

 スパはクローンの手を握り、クローンの望んでいた外への探求の旅が叶うことを祝福していた。

クローンはそれに感謝すると、シルに話しかけた。

 

「魔女さん……いえ、シルさん。今回は本当にありがとうございます、巻き込んですみませんでした」

「いいですよ、別に。私は私のやりたいようにやっただけですので」

 

 シルは嬉しそうにしている二人を見ながら、そっと溜息を吐いた。

 

 

 

 翌日の朝、街の出口にシルとクローン達は立っていた。

クローンは、まずはシルを実家のある街まで送り届けに行くという。

 

「ではシルさん、お気をつけて」

「お二人こそ、スパさんはともかく学者さんは一人旅だなんて出来るんですか?」

 

 クローンは苦笑しながら答える。

 

「やったことがないので不安ですよ。でも、お父様が認めてくださったんです、無駄には出来ませんよ」

「……そうですか」

 

 シルは三角帽子を深く被って俯いた。黙りこくったシルを不思議に思ってクローンはどうしたのか尋ねた。

それに対し、シルは静かに呟いた。

 

「……私は、学者さんと違って快く送り出された訳ではなかったので。少しいいなと思いまして」

「……僕には、ロンズさんの真意は分かりません。でも……分からないなら、きっといい意味だって信じられます。本当のことが分かるその時まで、信じてみていいのではないですか?」

 

 シルは俯いたままだった。だが、少しだけ深くかぶっていた帽子を上にあげた。

 

「僕には、話を聞く限りロンズさんはシルさんのことを大切に思っていたと思います。シルさんだって、信じているんじゃありませんか?」

「……どうでしょうね、何考えているか分からない師匠でしたから」

 

 そうやってロンズのことを語るシルの表情は、さっきよりも明るくなっているとクローンには感じられた。

やがて、別れの時が来た。クローンは軽く頭を下げて、スパを手を繋いで歩き出していった。

 

 シルはそれを見届けると、箒に腰掛けて空に浮かび上がる。

 

「私も行きましょうか。師匠……あなたがなにを考えているか、探しに」

 

 そうして、シルの箒は動き始めた。

朝焼けの空が眩しく輝く中、シルはどことなく気持ちのいい風を感じながら飛んでいくのだった。

 

 

 



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第5話 無償の村

 旅を続けていたシルは、道中に人気が少なくなっていたのを感じていた。

畑に時々人の姿は確認できるものの、これだけ自然しか目に付かないのは久々だ。そう思っていると、遠くに建物が集まっているのが見えた。

 ようやく街にたどり着いたと思ったシルが地面に着地し、看板を眺める。今まで訪れた街の看板は、それなりに独自の装飾などで華やかな見た目になっていた。しかし、ここの看板はえらく質素な作りだった。

 

『無償の村 フリージ』

 

「……村、ですか」

 

 シルが看板を見た時に抱いた感想がそれだった。

今まで訪れたのは、全てそれなりに人の行き来がある街だった。しかし、こんなに静かな、それも村という小規模な場所に来たのは初めてだった。

 

 とりあえず村に入って中を見て回ることにした。

建物の殆どが木で造られたいわゆるログハウスというものだ。今まで訪れた街に比べると、やはり活気という点では寂しい村だ。

 

「そう言えば、師匠が来る前のワンストーン町もこんな風だったみたいですね。私が物心着いた頃には既に街になっていましたが……」

 

 深く考えたことはなかったが、自分が街で好き放題する前から、あの街や街の人々には生活があって、発展してきた歴史があったということだろう。

そんな事を考えていたシルに、突然市場のお兄さんが声を掛けてきた。

 

「そこの魔女さん、ウチの特製パンはどうだい? あの有名なメーカーのパンを独自のルートで仕入れたよ!」

「いやいや、ウチの手作りおむすびがオススメだよ! ウチに代々伝わる伝統のかまどで炊き上げたごはんにおかずを詰め込んだよ!」

 

 突然商品を勧められて、シルは驚いたものの折角だしどちらか買おうと考えた。

 

「パンとおむすびはそれぞれおいくらするんですか?」

「ウチのはタダだよ」

「ウチもだ」

 

「……はい?」

 

 聞き間違いかと思った。しかし、再度確認してもどちらも無料だと言う。

 

「えーっと、とりあえず手作りおむすびで……」

 

 ひとまず手作りのおむすびを選んで譲ってもらったが、続けて他の店の人々が話しかけてくる。

 

「都会で大流行のお手軽レトルトカレーはどうだい?」

「ウチの母ちゃんが作った手作り和風カレーはいかがかな?」

「手作りカレーで」

 

「一流シェフ考案のアイスケーキはいかがかな?」

「私が考案した手作りチョコチップクッキーはいかが?」

「手作りクッキーでお願いします」

 

 あれもこれもと勧められるうちに、結構な量の手作り食品を受け取ってしまった。

美味しいとはいえ、これだけのものを無償で貰うとかえって気味が悪い。

 

「一体なんなんでしょうかこの村は……」

「それはですね」

「うわあぁぁぁ!」

 

 突然背後から声を掛けられて思わずシルは飛び上がって驚いた。

慌てて振り返ると、そこには見たことのある顔がいた。

 

「って、僧侶さんじゃないですか」

「お久しぶりですね、シルさん。旅の途中ですか?」

「まぁそうですね。僧侶さんは?」

「修業中の身です故」

 

 以前あったことのある僧侶、清念だった。清念は修行の旅の途中でシルよりも先にこの村に来ていたようだ。

シルが清念に宿の場所を尋ねると清念はここから北の方角にあると教えてくれた。そちらに向かって歩き出すと清念はスナック菓子を食べながらシルの横に並んで歩く。

僧侶の癖に食べ歩きを平気でするのだなと思いながら、シルは清念の話を聞くことにした。

 

「この村の人が全て無料で物を売っているのはですね、ここが無償の村だからです」

「そう言えば看板に書いていましたね。無償の村ってどういうことですか?」

「私もここに着いてから聞いた話なのですが……」

 

 昔、この地域は激しい商業の争いにより貧富の差による確執が生まれてしまったという。度重なる富裕層による圧政や貧困層によるクーデターにより、人々はすっかり疲れ果ててしまった。

その結果、ある時を境にこの地域では商業行為を忌み嫌うようになり、人々は無償で働き、生活を営んでいけるように動き始めたらしいのだ。

 

「ははー、そんないきさつが」

「故に、この村では賃金は存在せず、物の売買も無償で行われているようですよ。規模がそこそこの小ささで留まっているおかげか、自給自足で成り立っているとか」

「変わった村もあるんですね」

 

 話を聞き終わり、シルは清念に尋ねた。

 

「それで僧侶さんはなぜ私に付いて来ているんですか?」

「宿に向かっているだけですよ。この村に宿泊施設は一つしかありませんから、どうせ同じ場所に向かうことになりますからね」

「そうなんですか」

 

 そう言って二人がたどり着いたのは、そこそこ大きなサイズの建物だった。

無償というくらいだから、寂れた小屋を想像していたのだが、意外にも中々しっかりとした作りの施設だった。

 

「タダで寂れていると舐められますからねぇ。見栄を張るべきところはしっかりしているということでしょう」

「そういうものでしょうか」

 

 シルはとりあえずチェックインしてここに泊まることにした。

清念と別れたシルは自室でのんびりしていたが、やがて宿の職員に夕食に呼び出された。食堂に入ったシルは先に席に座っていた清念を見つけるとその正面に座った。

運ばれてきた食事は白飯に味噌汁、焼き魚に漬物と質素な内容の物だった。

 

「予想はしていましたが質素ですね、ここの朝食は」

「いいじゃないですか、温かみがあって」

 

 美味しそうにご飯や味噌汁を掻き込むシルを見て、清念はある質問を投げかけた。

 

「そう言えば、以前厄介になった家でもやたら美味しそうに食べていましたね……シルさん、手料理とか好きなんですか?」

「んー、そうですねー」

 

 シルは水をゴクリと飲み込んでから回想し、視線を上に向ける。

 

「私も師匠も料理とか全然出来ませんでしたからね、大体出来合いのものばかりで……だから、たまに街の人がお裾分けしてくれる煮物とかが私にとってはご馳走でしたね」

「そうですか、ご師匠さんと暮らすようになる前は?」

「……分かりません、物心着いた時には既に師匠と暮らしていたので。私の両親のことを聞いても、師匠はいずれ話すの一点張りで」

 

 師匠は両親から自分の世話を託されたから預かっていると言っている。それを疑うつもりはないのだが、果たして生まれたばかりの自分の世話を他人に押し付ける自分の両親は一体何者なのだろうとシルは考える。

シルは視線を手前の料理に戻して食事に戻る。

 

「……まぁ、今は両親よりも師匠ですよ。早くとっ捕まえて文句の一つでも言ってやります」

「そうですか」

 

 清念も何か考えている素振りだったが、すぐに食事に戻った。

そう言えば、自分が話すばかりで清念の家族については何も聞けなかったことにシルは気がついた。しかし、別にどうしても聞かなければならないことでもないし、その内機会があれば聞いてみればいいと思い、シルはこの場は何も聞かないことにした。

そして、夕食を終えたシルと清念はそれぞれの部屋へと戻り眠りに就いた。

 

 

 

 気持ちよく眠りに耽っているときの事だった。

何か物音がドンドンなっていることに気がつき、シルはあくびをしながらベッドから立ち上がり扉に向かう。

 

「……なんですか、ドンドンうるさいですね」

「申し訳ありません、清念です」

「え? 清念さん?」

 

 扉の前から聞こえてくる声は確かに清念のものだ。

シルは扉を開けて清念と向かい合う。

 

「なんですか、夜這いかなにかですか?」

「それならもっと胸の大きい方を訪ねますよ。何か村の方で騒ぎがあったようです」

 

 シルが周りを見ると、確かに何人かの人がドタバタとどこかへと向かっている。

こうなるとシルの野次馬根性が沸き上がってくる。

 

「すぐに行ってみましょうか」

 

 シルは持っていた杖を振り、ローブや三角帽を引き寄せる。

その場ですぐに纏って着替え終えたシルだが、今度は清念が自室へとのそのそと引き返していく。

 

「私の着替えは時間がかかるのでそこで待っていてください」

「ふざけやがりますね……」

 

 

 

 結局清念の着替えを待って出て行くと、既に現場の周りを野次馬が囲んでいた。シルなら箒で上から覗き込めそうだが、流石に目立つだろうか。

騒ぎの中央が何を言っていねのか聞き耳を立てる。

 

「なんでお前の方が売れてるんだよ!」

「知るか! 俺のパンの方が優れてるんだよ!」

「お前のとこは単に仕入れてるだけだろうが! 俺は仕入れから作るとこまで手が込んでんだ!!」

「本当にそうならお前の方が売れてるだろ!」

 

 聞こえてきたのはそんな内容の話だった。

競合相手とのトラブルかなにかだろうか。

 

「大体お前のまずいパンが一個でも売れてるのが気に食わないんだよ」

「はっ、泥団子と変わらない味のミレーヌのとこと同レベルのおにぎりしか作れない奴が偉そうに」

「なんかですってぇ!!!」

 

 恐らくミレーヌであろ女性がパン屋の男性に掴みかかる。

 

「汗臭いおむすびとあたしの手塩にかけた団子を一緒にしないで頂戴!」

「けっ、脇汗から出した塩の間違いじゃねぇのか」

「なんか言った? ウンコみたいな匂いのドロース」

「んだとこのババア!」

 

 あれやこれやという内に複数の野次馬を巻き込んでの大乱闘へと発展しそうになる。

掴むだけでなく、いよいよ我慢できなくなった男が殴りかかろうとしたところを、清念が錫杖で突き抑える。

 

「そこまでです、続きは落ち着いた場所でお願いします」

 

 しかし、殴られそうになった男が近くの店の引き出しから果物ナイフを取り出して殴ろうとした男に突っ込む。

シルは急いで杖を取り出して男に向ける。

 

「よくも、死ねクソ野郎!」

「リベレイトアームズ!」

 

 男の手に合ったナイフが魔法で弾かれて地面に突き刺さる。

清念はすかさず突っ込もうとした男の脇に移動すると男を取り押さえた。シルは落ちたナイフを回収して取られないようにして、清念と一緒に自警団の到着を待つことにした。

 

 

 

 やがて自警団に経緯を説明したシルと清念は、後のことを任せて村を跡にした。

先程の騒ぎについてシルは清念に尋ねる。

 

「結局、なんであんな騒ぎになったんでしょうか。無償なんですから別に売上で困ったりしませんよね?」

「……無償だから、ではないですかね」

 

 清念は立ち止まって村を振り返る。

 

「価格というものは少ながらず物の価値について一定の基準を付けてくれます。安ければ軽んじられ、高ければ箔がつく。それである程度自分の商品の扱いについて妥協できます」

「……高いから売れなくても仕方ないとか、安くてもいっぱい売れるからいいとかですか?」

「その基準は人それぞれですが、まぁそんな感じですね。ですから、仮に売れなくてもそれはコストを掛けて高くしているからだとか、向こうのほうが安く売れる工夫をしているからだと納得させることもできます。通常は」

 

 但し、と清念は話を続ける。

 

「全てが無料となれば売れた売れなかったの結果だけが残ります。自分があれだけ手間をかけたのだからあいつより売れて当然だと、逆にあそこはまずいから自分よりも売れなくて当然だ、と。そんな不満がどんどん積もっていって……それで、とうとう爆発したんでしょう」

「自然と誰かを妬んだり、蔑んでたりしていたってことですか? 無償の村っていう割に中々陰湿になってますね」

「人は誰しも潔白でいることは難しいですから」

 

 清念はポケットの中からスナック菓子を取り出してポリポリと食べ始めた。

シルはそんな清念を見ながら話しかける。

 

「僧侶さんは、あんまりあの村のこと信じていなさそうでしたね」

「修業中の身です故」

「薄々思っていたんですが、僧侶さん人のこと信用してないんですか?」

 

 清念は空を見上げて溜息を吐く。その目は、どこか遠くを見ているようだった。

 

「これは、私の身の上話になるのですがね」

 

 

 

 昔、清念の父親は法力の高い法師として付近の人々にも親しまれていた。何より、貧しいものからは除霊や法事の代金を取り立てないことで感謝されていた。清念も兄達も、そんな父親を尊敬していた。

しかしある時、付近の人々から「我々からだけ金を取るのは平等なのか?」と問われるようになった。そして、とうとう父親は誰からもお金を要求せずに仕事をするようになった。

 母は猛反対していたが、それでも父は無償の奉仕をやめることはなかった。幸い蓄えや代々伝わる法具などの資産はあるのだから、なんとかなるだろうという見立てはあった。

 

 しかしある日、父親が妖怪の退治の際に大怪我を負ってしまった。治療費には莫大な金が掛かるが、家の資産を売り払えば支払えないこともない。

 

 だが、母親は真っ先に金と資産を持ち逃げして家と家族を捨てていった。馬鹿な夫の治療費に使われるぐらいならと、独り占めしたのだ。

 周囲の人達は法力も行使できない父親を助けようとはしなかった。父親が死んだあと、苦しい生活に耐え切れなくなった兄達は人々から金を要求するようになり、人々がそれをけちり出すと村を見捨てて他の地へと旅立っていってしまったという。

 

「そして、まだ幼かった私は父の知り合いのツテで遠い寺の住職に育てられそこで修行をするようになった訳です」

「……」

 

 シルは清念の話を聞いて、何を聞くべきか迷った。そして、一番気になっていることを尋ねる。

 

「……僧侶さんは、どう思っているんですか?」

「どうとは?」

「父親を尊敬しているんですか? 周囲の人々を憎んでいるんですか? 家族を見損なっているんですか?」

 

 

「分かりません」

 

 清念ははっきりと、しかし答えは出ていないと告げる。

 

「父が無償で人助けをしようとしたことは立派だと思っています。しかし養うべき家族を考慮していなかったのも事実です。周囲の人々も、金を払いたくない心理も、貧しい者だけタダなことを不満に想う気持ちも分かります」

 

 清念は空になったスナック菓子の箱を潰して自分の袋の中へと仕舞う。

 

「私は分からないんですよ。私達を見捨てた母を恨みたくても、むざむざ私達を窮地に陥らせた父を見捨てて保身に走ったのは悪なのでしょうか。尊敬する父の末路を見届けて、同じ道を辿ろうとしない兄は果たして間違っているのでしょうか」

 

 清念は苦笑いしながらシルを見た。

 

「私は、そんな当てのない旅の途中にいるのです」

「私も、似たようなものですよ」

「シルさんは、師匠を見つけるという目的があるのでは?」

 

 確かに、シルには目的もゴールも決まっている。

正確には、決まっていると思っていた。

 

「私も分からなくなっていますよ。師匠を見つけて、その先なにがしたいのか……それを、考えないようにしていたのかもしれません」

 

 ロンズを見つければそれでこの旅も終わると思っていた。

だが、本当にそうなのだろうか? 師匠は、自分を見つけたシルに何をさせるつもりたのだろうか。シルは、師匠を見つけてどうするつもりなのだろう。ワンストーン町に戻りたいのか、それとも師匠のいる場所に定住するのか、それとも……更に旅を続けるのか、別の新天地に住むのか。

 

「ゴールがある気になっていただけです。私は、先の見えない旅をしているような気がします」

「……そうですか、答えが見つかればいいですね」

 

 やがて分かれ道に差し掛かった。清念は別れ際になってシルに尋ねる。

 

「ついでに聞いておきたいのですが、シルさんは先程の話を聞いてどう思いましたか? 父のやったことを、どう思いましたか?」

 

 シルは考えた。

貧しい人からはお金を要求せず、やがて無償で奉仕するようになり身を滅ぼした男性のお話を。

 

「……少なくとも、私は自分や大切な人を苦しめてまで無償で働くことは出来ません」

「そうですね」

「もっと、話し合えたらよかったですね。自分の信念も、大切な人の暮らしも守れるような、そんな折合いがつくように」

 

 シルは箒に腰掛けて、宙に浮き上がる。

 

「私も、多分自分のやりたいことは曲げない性分なので……難しいですね、こういうの」

「構いませんよ。元よりシルさんに聞いて答えが出るとは思っていません。これは、私が出さねばならない答えなのですから」

 

 そう言って、久々に清念は笑みを浮かべた。シルはその顔を見て、つられて笑みを浮かべる。

シルは自分の進む方向を見つめて三角帽を深く被りなおす。

 

「では、お互い良い旅を」

「ええ、また会いましょう」

 

 そうして二人はまた別々の道を進む。

それぞれの答えを出すための、遠い旅の道中へ。

 

 



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第6話 復讐の里

「……冷えてきましたね」

 

 

 シルは風の国の東側に向かって箒に乗って飛行していた。

今までは寄り道しながらも北に向かっていたのだが、そろそろ国の端にまで差し掛かろうとしていたので進む方角を帰ることにしたのだ。

そうして東に向かっていたシルだが、冷えた気候に包まれて身震いするようになってしまった。

 

「あー……寒い。この周辺は気候が温暖で穏やかだと聞いていたのですが」

 

 前に立ち寄った街で、この周辺について尋ねた時は比較的落ち着いた地域だと聞いていたのだが、とても穏やかとは程遠い肌寒さだ。

おまけに、時々魔物が襲いかかってくることもある。その証拠に今も正面から飛龍が飛んできて火球を放ってきた。

 

「エアロック」

 

 シルが杖を向けると前方の空気が固まって壁となり火球を防ぐ。ついでに飛龍の正面の空間も固くして、それに激突した飛龍は下に向かって落ちていった。

 

「また来ました……早く街とか集落に付きませんかねー」

 

 シルはぼやきながら人のいる場所に付かないか祈り始めた。

 

 

 

 そして日が落ちて夜になり、シルはようやく人がいそうな場所を見つけた。

箒から降りて門に向かうと、門番をしている男に立ち塞がれる。

 

「待て、この里に立ち入るには通行料が必要だ」

「えー、本気ですか?」

 

 失礼ながら、通行料を払わねばならない程魅力的な場所には見えない。ここから見ただけでも所々寂れているうえに、活気も少なそうだ。

しかし、門番の男も一歩も引くつもりはない。

 

「悪いが決まりなんだ、払えないなら通すわけにはいかないな」

 

 男は仏頂面で取り付く島もない感じだった。悪意は感じないので、彼も多少は不本意なのだろうか。

 

「ちなみに、いくら払えばいいんですか?」

「金貨3枚だ」

 

 滅茶苦茶ぼったくりですねぇ、と思いながらシルは財布を覗き込んだ。幸いまだお金には余裕が有る。あるにはあるが、こんなところで無駄遣いするのも気が引ける。

 

(いっそ魔法で誤魔化して見ましょうかね。幻覚魔法で金貨を銅貨に見せかけるくらいならできますし)

 

 師匠にはお金を実際に変化させるのは封じられたが、見た目を変えるだけならばまだ使える。それならこの場を上手く切り抜けられるだろう。

最も、間違って銅貨を受け取ってしまったなんてことになった彼の処遇については同情するが。

 

(うーん、でも私もやむなくやる訳ですし構いませんよね)

 

 最悪去り際に自分が魔法で幻覚を掛けたと説明でもすればそれでなんとかなるだろう。それまでは申し訳ないが、彼に貧乏くじの一つくらい引いてもらおう。

 

(どうせ後でカバーすればいい話ですよね。魔法でどうとでもなりますし)

 

 そうだ、後でどうにかできるなら今はどうなってもいいだろう。自分にはそれだけの力がある。

後から直せるなら、何をしても……

 

……魔法が使えるなら、何をしたって許される。

 

 

 

「うっ……おえっ!!」

「お、おい」

 

 突然目の前で蹲り、嘔吐したシルを門番の男は思わず駆け寄って背中をさする。

一体どうしたのか聞く前に、シルはすばやく魔法で自分の嘔吐物を消し去るとハンカチで口を拭いながら門番に金貨3枚を押し付けた。

 

「払います、これでいいでしょう」

「あ、ああ……だがお前大丈夫なのか?」

「ほうっておいてください」

 

 シルはその場から逃げるようにして駆け出していった。その背中を、門番は呆然と見送るのだった。

 

 

 

……気持ち悪い。

シルは顔を手で抑えながらむしゃくしゃしたまま歩いていた。先程のことを考えると、今も気分が悪い。

 

 一体、なんだったのだろうか。

理由はさっぱり分からない。だが、後からリカバリーできるなら何をしてもいいと考えた途端、急にとてつもない嫌悪感が込み上げてきて、耐えられなくなってしまった。あれは、なんだったんだろう。

 

「私の中の正義感が働いたとか……」

 

 散々イタズラを繰り返しておいてそれはないのではないでしはょうか。シルは自分でそう考える。

これ以上は考えても気持ち悪くなるだけだろうと。そう思ってシルは深く考えるのをやめようとした。

 

「おい」

「うえっ」

 

 急に襟首を掴まれて引き止められたかと思うと、目の前に大きな石像があることに気がついた。

既に半壊しているものの、あのまま歩いていたら顔から思いっきりぶつかるところだった。

 

「この里でよそ見歩きとはいい度胸だな」

「いえ、なにぶんこの街には詳しくないもので……ん?」

 

 シルは自分を止めてくれたこの女性に見覚えがあった。黒髪のポニーテール、真紅の燃えるような瞳、帯刀した刀に数々の武器に隙のない佇まい。

 

「退治屋さんじゃないですか。なんでここに?」

「旅の途中だ。お前もだろ?」

 

 退治屋の雨流との再会にシルは驚き、ついでにこっそり尋ねてみることにした。この街の住人でない彼女になら聞いても問題ないだろう。

 

「なんでこの街こんなに寂れてるんですか?」

「ああ……最近、野盗に襲撃されたそうだ。気候に異常が発生して交通が不便になったタイミングと丁度重なったせいで王都の救援も中々こないみたいだ」

 

 なるほどと思いつつ、シルはその話にはある疑問が浮かんだ。

 

「盗賊に襲われただけでこんなに寂れますかね? なんか思いっきり壊れてる建物とかあるんですけど」

「その野盗の集団だが、どうやら魔法使いの集団で構成されているらしい。この里には魔法使いはいないから、殆ど抵抗できずに終わったそうだ」

「……嫌ですね、そういうの」

 

 魔法を使って強盗をする集団がいるというのは、シルにとって気持ちのいい話題ではなかった。

雨流は周囲の寂れた光景を眺めながら口を開く。

 

「そういう訳で、この里の住人はみんな気が立ってるんだよ。野盗のせいで貧しいくらしを強いられている人も多いし……家族を殺された子だっている」

 

 確かにこの里に入って家族が揃っているのをまだ見かけていない。シルは子供が一人木の枝を振り回しているのを見つけた。

恐らく、魔法の練習をしているのだろう。子供の足元や杖を向けている先にいびつな形の魔法陣が描かれている。だが、シルはその少年から魔力を一切感じなかった。

 

「退治屋さんは、どうするんですか」

「まだ依頼は受けていない。最もこの様子じゃ報酬は期待できそうにないがな」

 

 そう言う雨流の目は、落胆や傍観するような感じではなかった。

きっと、頼まれてもいないのにやるつもりだろう。シルはそう確信した。

 

 すると、大きな笛のような音が里中に響き渡った。入口から襲撃の知らせを告げる男達が声を張り上げて避難を呼びかける。

雨流はすぐに駆け出し、シルはその隣を箒に腰掛けて並走した。

 

「噂をすればとやらだな。待つ時間が無くて助かる」

「冷え込みますからねぇ」

 

 里の門にたどり着くと、武器を持った里の男達と野盗の集団の睨み合いが始まっていた。最も、里の防衛戦力の方が人数が多いのかジリジリと野盗の集団は後ろに下がっていく。

一人一人と野盗が撤退していく光景を、シルと雨流は後ろから眺めていた。

 

「……妙だな」

 

 雨流の呟きに、シルは頷いて肯定した。

確かに人数は里の人間の方が多いが、魔法が使えるなら諦めるような戦力の差ではない。一戦も交えずに撤退するのは明らかに変だ。

そう考えたところで、外に居た野党の集団が次々と姿を消し始めた。それを見て、シルはすぐに里の中へと引き返す。

 

 その後ろを雨流が追いかけてシルに問い掛ける。

 

「おい、これって」

「転送魔法ですね。多分前回の襲撃の際にマーキングされていたんでしょう。表の陽動隊が引きつけてる間に手薄になった中央を攻める魂胆だったんでしょう」

 

 シル達が中央付近にたどり着いた頃には、あちこちから煙が立ち上がり、強盗が始まっていた。

 

「おやおや、遅かったねぇ」

 

 鎧を身につけた老婆が到着した里の男達を嘲笑う。周囲にいる男達は武装して老婆を守ろうとしている。そして、何人かの野盗は里の住人を人質に取っていた。

雰囲気からして、恐らくこの老婆が野党達のトップなのだろう。

 

「流石は魔法も使えない劣等民族だねえ。やること全部トロくて笑っちまうよ。なぁお前たち」

「へへへ」

 

 野党達は老婆に促されるまま大笑いして里の住人達を馬鹿にする。

里の男達は歯を食いしばり野党を睨みつけるが、人質にされた子供や女を見て思いとどまる。やがて、首領の老婆がシルに気がついた。

 

「おや、お前さんよそもんの魔女だね。お前さんもここの連中が無能だって嗅ぎつけてきたのかい?」

「……いえ、別に」

「隠さなくていいさ。お前さんもあたしらも同じ穴の狢ってやつさ」

 

 ケラケラ笑う老婆を、シルは冷めた目で見つめる。そんなシルの顔を見て、老婆はニヤついた顔のまましゃべり続ける。

 

「若いうちは認めたくないかも知れんがね、あたしゃ魔法使いは皆本質は同じだと思ってるよ。誰もが、自分のことを選ばれた者だと思ってる。最もそれは本当のことさ。この世界に棲む精霊と契約し力を行使できる選ばれた者が魔法使い……それが出来ない劣等種なんざ世界に見放されたのと同義だと思わんか?」

「……」

 

 下手に動けば人質が危ないことを理解している雨流は、その場から動かずに老婆とシルの会話を聞いていた。

ただ、そばにいるだけでシルから不穏な空気を感じる。余程この老婆の話が気に入らないのだろう。

 

「お前さんだって心当たりはあるじゃろう? みな自分の才能を持っていない者に見せたがるものさ。優れた魔法使いが持たざる劣等種から全てを奪うのは必然なんだよ。お前さんもこっちに来い。ヒヒヒ、劣等種どもから金も物も命も奪うのは楽しいぞぉ」

 

 シルは拳を強く握り締め、俯いた。思い出したのは、ワンストーン町の人達だった。

確かにシルは自分の才能をひけらかす為に毎日イタズラを繰り返していた。そして、そんなシルをあの町の人達は嫌っていた。

 

 それでも、あの人達は最後のあの瞬間までシルを追い出そうと敵意を向けなかった。

師匠に対して何度も差し入れをくれたし、なによりも魔女の自分達を受け入れてくれた。あの人達といると、楽しかった。

 

「お断りします」

「……は?」

「確かに私は自分の魔法の才能を見せびらかしていましたし、誇りに思っています。ですが、それと魔法が使えない人をどう思っているかは別です。私はあの人達が好きです。ですから、さっきからあなたの話は虫唾が走って堪りません。私は魔法が使える、使えない人は使えない。それだけです」

 

 シルの言葉を聞いて、老婆は溜息を吐いた。そして野盗の部下達に顎で命令する。

 

「なら仕方ないね。小娘、杖を捨てな。逆らったら分かってるだろうね?」

 

 杖が無ければ魔女は無力だと分かっている老婆はシルに杖を捨てるよう命令する。

シルは言われたとおりに杖を地面に放り捨てた。ジリジリと野盗達がシルに迫る。

 

 その瞬間、人質になっていた少年が暴れ始めた。すぐに取り押さえられたが、一瞬野盗達の意識がそちらに向いた。その一瞬の間に、シルは袖の中に隠し持っていた杖を取り出して野党達に向けた。

老婆が気づいて杖を構えたが僅かにシルの口が開く方が早かった。

 

「リベレイトアームズ!」

 

 シルの武装解除の魔法が野党達の手から杖をはじき飛ばした。そして、シルが魔法を使ったと同時に雨流が駆け出して刀を抜刀する。

 

赤電三連斬(せきでんさんれんざん)!」

 

 雨流が刀をひと振りすると同時に3つの斬撃が雷のような速さで野盗に襲いかかる。

あっという間に野盗を切り伏せていく雨竜に続いて里の男達も動き始める。劣勢になる中老婆は隠していた杖を取り出してシルに向けた。

 

「こんの小娘がぁ! ガトリングフレア!」

 

 火球が杖の先から連続で放たれる。シルは杖を老婆に向けると同じ魔法を使って相殺する。

老婆は立て続けに魔法を使った。

 

「アームズフレア!」

 

 火で出来た巨大な拳がシルに襲いかかるが、またシルは同じ魔法を杖を向けて放ち相殺する。老婆は内心狼狽しつつも更に攻撃を続ける。

 

「メガフレア! フレイムタワー! ダブルブイフレア!」

 

 大きな火球、前進する火柱、サイドからV字に曲がる炎を放つが、シルはまた全て同じ魔法を杖を向けて放った。

全ての魔法が相殺されたことに、流石の老婆も冷や汗が止まらなくなる。シルはそんな老婆に杖を向けたまま話しかける。

 

「この程度の魔法に簡易詠唱が必要なのによく才能が元々とか言えますね」

「こ、この程度……?」

 

 老婆は酷く狼狽していた。確かに、今まで使ったのはどれも上級呪文ではない。しかし、中には上位クラスの中級呪文も含まれていたのだ。普通の魔法使いなら簡易詠唱が必要なのは当然で、人によっては正式な詠唱だって必要な魔法だ。

それを、どうしてこの小娘は無詠唱で唱えられるのか。老婆の中である考えが浮かんだ。

 

「抜かった……貴様、火の魔法に精通しているのか!」

 

 自分よりも炎の魔法に精通している魔女ならば、それぐらいの芸当が出来ても可笑しくない。

そう老婆は考えた。

 

 だが、シルはそれを否定した。

 

「いえ、別に。さっきのも全部初めて見る魔法でしたよ」

「……嘘をつくな、さっきお前も使ったじゃろうが」

「あなたが使い方を実践してくれたんでしょうが。それ見ただけで充分ですよ」

 

 これはなんだ? 一体今、自分は何を話しているのだ?

老婆は目の前で話している少女の存在が現実かどうか疑い始めていた。錯乱し、まともな思考回路を失った老婆は狂ったように杖を天に掲げた。

 

「我が魔法によりて、大地を震わす災害となれ! ボムクラッシャァー!!!」

 

 老婆が叫ぶと同時に、鈍い音が響いた。それは、山の方角から聞こえた。

野盗達は焦って老婆に駆け寄った。

 

「お、お頭、今のは山に仕込んでた起爆装置を作動させる魔法じゃ」

「俺達皆巻き込まれるぜ!?」

 

「けひゃひゃひゃひゃひゃひゃ! 死ね死ね死ね! 皆死ぬんじゃあ!」

 

 狂ったように笑い続ける老婆に舌打ちし、雨流は山を見た。見ると、山の上部から雪崩が迫ろうとしていた。

最近の異常気象で積もった雪が、里を飲み込もうと勢いを増していく。

 

「おいシル、流石にやばいぞ。早く皆の避難を」

 

 雨流が話しかけた時、シルは既に杖を雪崩に向けていた。そして、シルの周囲に強力な魔力が集まっていくのが、魔法を使えない雨流にも感じられた。

 

「ちょっと本気出すんで、離れててください」

 

 雨流は頷いて、一歩下がった。周囲の雰囲気が変わっているのが、もう誰にでも分かるくらいになっていく。

そして、シルは静かに口を開いた。

 

「四神の龍よ。魔女シルの名のもとに命ずる。四つの力携えて、我の元に現れよ」

 

 雨流は内心驚いていた。今までシルは、無詠唱か簡易詠唱しかしてこなかった。他の魔女が詠唱を必要とする魔法も、全て簡易詠唱などで済ませてきたのだ。そのシルが、自分の前で初めて正式な詠唱をしている。

それは、それだけシルが本気の魔法を使うことを意味する。

 

 シルは、詠唱を終えると改めて杖を雪崩に向けて振りかざした。

 

「ドラグサモン・クアドラプルエレメンツ!」

 

 シルの背後の魔法陣から、四体の龍が現れた。いつもの、頭だけが出てくるのとは違う。体を持った龍が召喚されている。

四体の龍はそれぞれ火・雷・水・木を纏っており、その大きさも平気で家一つを飲み込めそうなほど大きい。

 

「ファイア!」

「リュオオオオオオ!」

 

 炎の力を持った龍が咆哮をあげながら雪崩に向かって突き進む。龍が噛み付くと同時に炎が爆発し、雪崩を吹っ飛ばしていく。

 

「アクア! ウッド!」

 

 二体の龍がシルの号令により動き出し、先程の魔法で防ぎきれなかった雪崩の余波に噛み付く。それぞれ水と木が立ち上がり、里には全く届くことなく雪崩は止められた。

 

 

「……あれ?」

 

 呆然とする老婆達野盗に、シルは杖を向けたまま話しかける。

 

「で、どうしますか? まだ一匹余ってるんですけど」

「リュオオオオオオオオオ!」

 

 電気を纏った龍の咆哮に、野盗達は腰を抜かして涙を流し始める。

 

「た、助けて……」

「死にたくない! 死にたくないよぉ!」

 

 泣いて命乞いをする野盗に、残った電気の龍が襲いかかる。

龍の口が大きく開けられ、迫り来る恐怖に老婆は気絶した。しかし、実際に龍が野盗達に噛み付く寸前に魔法は綺麗さっぱり消えてしまった。

 

 シルは、呆然と立っている里の男達に話しかける。

 

「ほら、さっさと捕まえてくださいよ。私はもう疲れてるんです」

 

 

 

 その後、自警団の男性達が野盗を縛り上げ王都から派遣された兵に引き渡すまで拘束することになった。

シルと雨流は里の大人達に感謝され、僅かな謝礼を受け取って里の歓迎を受けていた。

 

「凄い魔法だったな。あれだけの魔法を使える魔女はそういないだろ」

「天才魔女ですから」

「知ってる」

 

 シルの自慢を雨流は軽く流した。実際、あの規模の魔法は雨流自身滅多に見たことがない。間違いなくシルは王宮魔導師の中でも上位クラスの実力者に匹敵する才能が有る。

そんなシルがこの年まで他の魔法使いなどに知られることなく田舎町に住んでいたというのも変な話だと雨竜は思った。

 

 その時、一人の少年が近寄ってきていることに気がついた。その少年は昼に魔法の練習をしていた子供だった。

何の用かと思っていると、少年は俯いてフルフルと震えだした。

 

「なんでだよ……」

「はい?」

「あいつら、俺の父ちゃんと母ちゃんを殺したんだ……なんで、なんであいつら殺してくれなかったんだよ!」

 

 少年はシルを睨みつけながら罵倒し、思いっきりシルの足を蹴りつけた。

シルは突然のことに驚き、唖然とする。だが、次の瞬間雨流が少年の肩を掴み自分の方に向かせると思いっきり殴り飛ばした。地面に倒れ伏す少年を見てシルは雨流を驚愕した表情で見つめる。

 

「ちょ、ちょっと退治屋さん……?」

 

 シルの制止も聞かず、雨流は少年の頭を踏みつけた。

 

「シルはあいつらをどうとでもすることが出来た。お前はそれを見ていただけだ。お前がそれを止められなかったのは、お前が弱いからだ」

「……強くなってやる。魔女よりもお前よりも、ずっとずっと強くなってやる!」

「出来るものならやってみろ」

 

 シルは少年の腹を蹴り上げた。少年はうめき声をあげながら蹲って縮こまっている。

そうそうとこの場を立ち去る雨流を、呆然と眺めていたシルが追いかける。早歩きで進む雨流の後ろから、シルがこそこそと話しかけた。

 

「あの、あの子控え目に言ってクソガキでしたけど流石にやりすぎなのでは?」

「……そうか。必要かと思ってやったんだが」

「どの辺に必要性が……?」

 

 シルの疑問に雨流はさらっと答える。

 

「自分で仇を取りたかったのにそれが出来なくなったんだ。代わりの目標があった方があいつも今後生きやすいと思った」

「いや、目標はいいんですけど……あれじゃ雨流さん無駄に恨まれたりしてませんか?」

 

 雨流はそれを聞くとゆっくりと空を見上げた。立ち止まってどこか遠くを眺める様な雨流に、シルは同じく立ち止まって隣に立つ。

やがて、雨流は静かに口を開いた。

 

「目標があった方がいいと思ったのは本当だ。私はあれでもあの子に同情したつもりだ」

「あれでですか」

「……復讐は何も生まないが、それが人生の目的となるとなくなったら寂しいものだ。だったら、無駄だとしてもあったほうがあいつの為になるんじゃないかと思ってな。案外虚しいものなんだぞ、仇がいなくなったりするのは」

 

「……それは、退治屋さんの実体験ですか?」

 

 どうにも感情のこもった言い方に、シルはただ持論を語っているだけではないのではないかと思った。

雨流はシルに言い当てられたからか、薄く笑った。

 

「私の両親は、火の国にいる不死鳥と呼ばれる魔物に殺された」

「不死鳥、ですか」

「正確には強い回復力を持つ羽を纏った鳥の魔族だな。普通に寿命で死ぬんだが、その羽の希少価値からよく狩りの対象にされていて、昔から人間と確執があったらしい。それで、たまたま任務で火の国を訪れていた両親が巻き込まれた」

 

「当然、私はその不死鳥を憎んださ。そして毎日死に物狂いで修行して、両親を殺した不死鳥を私の手で殺してやると。ただそれだけを支えにして生きてきた」

「……じゃあ、その不死鳥は」

「ああ、火の国の人間が退治して殺した。まだ幼かった私は遅れてきたその情報を聞くことしかできなかったよ。そして、あいつみたいに……両親の仇を勝手に倒した奴らに逆恨みした」

「それじゃあ、今度はその人達を倒すのを目標に?」

 

 シルのその疑問に、雨流は首を横に振った。

 

「同時に入ってきた知らせに、その人間達も不死鳥族の報復にあって死んだとあった。そして、また討伐隊を組んで討ちに行くとな。もう私は訳が分からなくなったよ、今度はその不死鳥を憎めばいいのか? それともその不死鳥を殺せた人間が目標なのか?」

 

 まるで自虐するみたいに雨流は苦笑した。

 

「私と同じく復讐に燃えていた弟や妹は、それですっかりやる気をなくしたよ。退治屋なんかやめて他の職業で生きていくってな……それで、私だけがあの修行の日々を忘れられずにただ手に入れた技と力に縋って生きてきた」

「退治屋さんは、それを虚しいと思っているんですか?」

「少しな。だが今の自分がいるのは間違いなくあの時の憎悪があったからだ。だから、否定したくない」

 

 雨流は自分のことを話し終わると、シルと向き合った。

 

「お前の方こそ、何か引っかかってるんじゃないのか?」

「……私は、野盗を殺すべきだったんでしょうか?」

「殺したかったのか?」

 

 雨流の問いに、シルは目を逸らした。拳を握り締めて、しかし項垂れて顔を上げられずにいた。

 

「あの婆さんの話を聞いて、凄くムカつきました。同じ魔女だと思いたくないと、こんなやついなくなれと思っていました。でも、あの時命乞いをされて……人殺しの集団で許せない相手なのに、何故か殺すのが嫌だと思ってしまったんです」

「別に殺しなんかやらないでいいならそれでいいだろ。お前がやりたくないと思ったんならそれはやらなくていいことだ。お前は、お前にとって間違いなく正しいことをしたよ」

 

 シルは雨流の言葉を聞いても納得ができないでいた。

 

「私、自分が分かりません。毎日イタズラばかりしてて、人の迷惑とか考えてこなかったんです。それがどうして金貨を偽造しようとしたら吐いたり、悪党を殺そうとしたら嫌だと思うのか全然分かんないんです」

「なんだ、そんなことか」

「退治屋さんは分かるんですか?」

「お前は、自分が思っているよりずっと馬鹿でお人好しなだけだよ」

 

 笑みを浮かべながら言い放った雨流を、シルは目を細めて睨みつける。

 

「馬鹿にしてますか?」

「馬鹿とは言ったな」

 

 不貞腐れるシルを見て、雨流はクスクス笑い始めた。

そんな雨流の態度が気に入らなくて、シルは雨流に背を向けて宿に向かい始めた。

 

「もう疲れました。私は明日朝一で出発します。退治屋さんなんか見送りしてやりません」

「多分私の方が早起きしてお前を置いていくぞ」

 

 そういえば退治屋さんの朝起きる時間を知らなかったとシルは眉をひそめた。が、こんな困った顔は見せたくないとそのまま雨流を無視して歩み続ける。

雨流は、そんなシルの顔がまるで透けて見えるみたいで、シルの後ろ姿を見ながら苦笑し続けるのだった。

 

 

 

 

 



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第7話 勇気の家

「あっ、たっ、あっ」

 

 箒に乗って空を飛ぶシルは、崩れそうになるバランスをどうにか維持しながら移動していた。

少し前から、突然上手く飛べなくなってしまっていたのだ。理由はさっぱり分からないが、箒に乗っての飛行という初歩中の初歩の魔法ができなくなるなどシルにとっては考えられないことだった。

 

 いつもの箒に腰掛けるスタイルで飛ぶ余裕など全くなく、王道の跨って乗る方法でなければ今にも地面に叩きつけられてしまいそうだ。

 

「なんなんですか一体……おや」

 

 ふと下を見下ろすと、一台の馬車が見えた。そして、一人のお婆さんが場車に乗ろうとしている。今の自分なら、箒で飛ぶよりもあの馬車の方が楽なんだろうなぁと羨ましく思う。

その瞬間、うっかりバランスを崩したシルは地面に向かって急降下してしまう。

 

「あっ!」

 

 同時に、お婆さんの方も躓いて後ろに倒れ掛かってしまった。地面に倒れるかと思った瞬間、偶然にもシルがその場へと落ちていった。

 

「だ、大丈夫ですか……」

「あ、ああ……あんたも平気かい?」

 

 何とか右手で箒を地面に突き刺して地面に叩きつけられるのを防ぎ、左手で老婆の腰を支えて倒れないようにした。プルプル震える腕で持ちこたえるシルを、一人の少年が支える。

 

「大丈夫ですか?」

「ええ、なんとか……ん?」

 

 シルは地面に足をついてどうにか立ち上がると、自分を支えてくれた少年に視線を向ける。どこかで聞いたような声だったような気がしたのだ。

そして、その少年は柔らかな笑みでシルを見つめた。

 

「お久しぶりです、シルさん」

 

 白い修道服を着た緑髪の少年、クローンは再会の挨拶をシルに告げた。

 

 

 

「まさかこんなところで学者さんに会えるとは思いませんでしたよ」

「僕も驚きました」

 

 お婆さんを助けたお礼にシルも馬車に乗せてもらえることになり、車内でシルはクローンと話をしていた。

 

「スパを実家のある街まで送り届けた後、神器について調べる旅をしていたんです。その道中でこの方達に偶然出会って、ご一緒させて頂くことになったんです」

 

 クローンが紹介すると、体格のいい男性と先程倒れそうになったお婆さんが自己紹介を始める。

 

「カインと言います。先程は母をありがとうございます」

「モースだよ。本当にありがとねぇ」

 

 男の方がカイン、お婆さんの方がモースというらしい。挨拶を済ませるとクローンはシルに問い掛ける。

 

「でも本当にシルさんって凄いですね。こんなところで空を飛べるなんて」

「……どういうことでしょうか」

「……? もしかしてシルさん、知らないんですか?」

 

 意外そうにしながらクローンは話を続ける。

 

「この森の周辺は、特殊な気候になっていて魔法が使えないんです」

「あー、だから上手く飛べなかったんですか。でもなんでですか?」

「一説によると、かつての戦争の影響で精霊が寄り付かなくなったと言われていますね。だから精霊の力を借りる魔法は使えず、本人の魔力も乱されるらしいです」

 

 そんな土地があるのかとシルは感心して話を聞いていた。

しかし、魔法が好きに使えないというのはなんとも落ち着かない気持ちになる。シルがそうもどかしく思っていると馬車が止まってしまった。

 一体何事かと外を見ると、地面が酷く荒れていた。深く抉れたりぬかるんだりしていて馬車が通るのは難しい。

 

「こりゃ昨日の大雨でやられたかな」

「魔物が暴れたのかも知れないねぇ。最近はそんな被害も多いらしいの」

 

 カインとモースが困っていると、シルは杖を取り出して地面に向けた。

いつもと違って集中して魔力を練らなければ発動すらままならない。しかし、いけると確信したシルはそのまま魔法を発動した。

 

 シルの魔法により、地面がボコボコと音を立てて形を変え風が吹き地面を更地にしていく。やがて、先程までの光景が嘘のように地面が平らに整った。

 

「流石に疲れますね」

「……本当に凄いですね、シルさん。今のは土と風の魔法を両方使ったんですか?」

「ええ。こうして地面を整えるのは師匠がよくやっていたので」

 

 昔ワンストーン町付近の道を整備する為に、ロンズが魔法で獣道や荒れていた土地を人が使えるようにしていたのをよく見ていた。

ロンズはそういった空間を自分の思い通りに整える魔法に優れていると言っていた。

 

「本来生まれ持った資質の一つの属性以外は初歩的な魔法しか扱えないのが魔法使いの常識と聞いたことがあります。そう言えばシルさんは以前も風と木の魔法を使っていましたね。やっぱり様々な属性の魔法が使えるんですか?」

「え、ええ。特に不得意な属性はありませんが……」

 

 知りませんでした。皆一つの属性しか伸びないものだったんですね、とシルは心の中で驚いた。

一方でモースはシルの魔法に関心している様子だった。

 

「はぁー……凄いもんだねぇ魔女っていうのは」

「ああ、君には助けられてばかりだ」

「いやぁー、それほどでもありますよぉ」

 

 ストレートに褒められて、シルは露骨に機嫌を良くする。

その後もシルは魔法を使って馬車に近寄る魔物を撃退したり、雨を防いだりした。

 

 その後、馬車は目的のモースの別荘へとたどり着いた。

家に上がると、エプロンを着た女性がカイン達を迎え入れた。

 

「おかえりなさい、あなた」

「ああ、ただいまマリー。トミーはどうしたんだい?」

「まだ街で遊びたいんですって。一応兵士さんに護衛をお願いしたからその内帰ってくると思うわ……あの、そちらの方たちは?」

 

 マリーと呼ばれたカインの妻がシル達について尋ねる。カインとモースはシルとクローンの紹介をして、シルの魔法に助けられたことを熱心に語った。

 

「本当に凄かったんだよ、この子。実際目にしてみると魔女っていうのは凄いんだねぇ」

「任せてください。私の魔法に不可能はありません」

 

 シルは胸を張ってモース達の羨望の眼差しに応える。すっかり天狗になったシルを、クローンは苦笑いしながら見守るのだった。

 

 

 そして暫く時間が過ぎて、夕食の時間が迫ってきた。天気も崩れ始めてマリーが不安そうに外の様子を窓から見つめる。

 

「トミー、まだ帰ってこないのかしら」

「ああ、心配だな」

 

 夫婦揃って息子のトミーの心配をしていた。

今日は久しぶりにモースの息子夫婦であるカイン一家が別荘に集まる日のようで、モースは孫であるトミーに会えるのを心待ちにしていたという。

 

 話を聞くと、どうやらトミーとモースは喧嘩別れしたらしく今日まで中々会おうとしなかったらしい。だから、今日を仲直りの機会にするつもりのようだ。

 

「しかし荒れてきたわねぇ。こんな天気になるなら無理にでも連れて来るべきだったかしら」

 

 マリーが昼にトミーを街に残してきたことを後悔する。

その時、使用人の女性が外から扉を勢いよく開けて飛び込んできた。

 

「奥様! 大変です、橋が……外の橋が!」

 

 

 

 

「こりゃ酷いな……」

 

 カインは崩れ落ちた橋を見て落胆した。荒れ狂う台風の影響でこの別荘地に繋がる唯一の橋が崩れ落ちてしまっていた。

これでは、街に残っていたトミーがこちらに来ることができない。

 

「折角今日は家族みんなで集まれると思っていたのに……」

「母さんになんて言えばいいんだ……」

 

 すっかり落胆した様子のカイン夫妻を見て、シルは杖を取り出して前に出た。

 

「私に任せてください」

 

 シルが魔力を込めて魔法を発動すると、地面の土が移動して橋の続きを補填していく。

 

「これで向こうまで行けば解決しますよ」

「ちょっと待って下さい」

 

 自信満々で進もうとしたシルを、クローンが引き止めた。

 

「なんですか?」

「シルさん。一旦魔力を抑えてください」

 

 不審に思いつつも魔力を止める。すると、先程出来た地面がボロボロと崩れ落ちていってしまった。

シルが驚いているとクローンが話を続ける。

 

「ここは魔法が使いづらい場所です。シルさんが魔力を込め続けないと魔法で作った道は維持できないんです」

「……じゃあ、私が橋を維持しながら向こうまで行ってきますよ」

「この橋は対岸まで3kmあります。その間ずっと魔力を込め続けるつもりですか? ここはただでさえ集中できなくて魔力の消費量だって多いはずですよ」

 

 クローンに諭され、シルは他の魔法が使えないか模索する。しかし、どの方法も魔法が制限されるこの地では出来そうにない。

俯いたまま考え続けるシルに、クローンは申し訳ないという気持ちを押し殺して静かに告げる。

 

「戻りましょう。僕達に出来ることはありません」

 

 

 

 別荘に戻ると、重い空気がシル達を包み込んだ。

モースは目を瞑って俯き、項垂れたまま動かなかった。

 

「……そうかい、駄目だったんだね。これも、バチが当たったってことなんだろうねぇ。トミーの我が儘一つ聞いてやれなかった」

「母さん」

「仕方ないさ、ずっと会えない訳じゃないんだ」

 

 モースは使用人に支えられて自室へと戻る。

シルの顔を見ると、そっと微笑んで気にしないように告げる。

 

「気にしないどくれ。アンタにはここまでいっぱいお世話になったんだ。ありがとうね」

 

 そう言って部屋に戻るモースの顔には、隠せない悲しみの色が現れていた。

シルはそんなモースとすれ違って、拳を握り締めて震える。そして、用意された自室へと駆け込んだ。

 

 シルが逃げるようにして去った後を眺めながら、カインが重い溜息を吐いた。

 

「彼女にも悪いことをしたね。善意でやってくれたのに……」

「ご馳走を用意しましょう」

 

 期待してシルに重圧を掛けてしまったと夫妻は反省し、気分を切り替えようと提案する。

クローンはシルを心配に思いつつも夫妻を手伝うことにした。

 

 

 

 シルはベッドの上でうつ伏せになったまま寝込んでいた。

自分の魔法なら出来ないことはないと思っていた。それが、ちょっと特殊な場所に来ただけでこれだ。

それでも、仕方が無かったんだと自分に言い聞かせる。魔法が使えない場所なら、魔女である自分に出来る事がないのは当然だ。

そうだ、私は悪くありません。そう思ったところで、脳裏に浮かんだのはモースの悲しみに満ちた顔だった。

 

「…………」

 

 シルはゆっくり起き上がると、深く被っていた三角帽を投げ捨てた。

 

 

 

 

「あの……魔女様は部屋から出られたのでしょうか?」

 

 食事の時間になってシルを呼びに行った使用人が、いくら呼んでも出てこないのでクローンやカイン達に部屋から出ていないか尋ねた。

しかし、誰もシルを見たものはいない。

 

 いたたまれなくなって出て行ったのだろうか? しかし、いくらなんでもこんな台風の中を外に飛び出しはしないだろうと考える。

不思議に思っていると、クローンがなにかに気がついた。

 

「なにか、聞こえませんか?」

 

 黙って耳を澄ませると、確かにどこかから物音が聞こえる。

音のする方へ全員で移動すると、そこは玄関だった。風の音だろうか? そう思いつつも、扉の先に人の気配がするような気がして、無視できない。

 

「……」

 

 カインは扉のノブに手をかけ、そして静かに扉を開いた。

 

 

「パパー! お婆ちゃん!!!」

「と、トミー!?」

 

 外から飛び込んできたのは、カインの息子のトミーだった。待ち望んだ孫の登場に、モースは呆気にとられる。

誰もが唖然としていると、トミーが泣きじゃくりながら外を指差した。

 

「お、お姉ちゃんが! 魔女のお姉ちゃんがー!」

「え?」

 

 カイン達が首を傾げて不思議がる。クローンはまさかと思って扉の外に出る。

すると、別荘の柱にもたれ掛かったシルが座ったまま項垂れていた。

 

「シルさん!」

 

 クローンが駆け寄ると、シルは無理しつつも笑ってみせる。

 

「ああ、学者さんですか……どうですか? やってみせましたよ」

「シルさん……」

 

 明らかに疲労困憊した様子のシルを見て、クローンはシルに向けて手をかざす。すると、シルの体を淡い光が包み込み、少しだが体が楽になる。

そして、クローンは別荘の使用人を呼んで急いでシルをベッドに寝かせるように頼んだ。

 

 

 

 シルを個室のベッドに寝かせると、カイン達はトミーに一体何があったのか聞くことにした。

 

「橋を渡ろうとして行ったらね、もう崩れちゃってたの。兵士の人と橋の近くで待ってたんだけど、どうにもなんなくて……でも、そんな時に魔女のお姉ちゃんが来たんだ」

 

 兵士にもうテントに戻るように言われながらも雨の中橋の前で立ち尽くしていたトミー。すると、大雨と強風に打たれながらも、箒に跨ったシルが向こうから飛んできたのだ。

シルは倒れるようにして地面に降りると、泥だらけになりながらもトミーを睨みつけるようにして見つめた。そして、問い掛ける。

 

「一つだけ聞きます。何が何でもお婆ちゃんに会いたいですか? 滅茶苦茶無理して我慢できますか?」

「……す、する。お婆ちゃんに会って、仲直りするんだ」

 

 トミーは、怖いと思いつつも決して引くことなくシルの問いに答えた。

 

 

「それで、箒で飛ぶお姉ちゃんの手を掴んで崩れた橋を渡りきったんだ。その後もお姉ちゃん、僕が風で飛ばされないようにずっと手を握ってくれてて」

 

 空を飛んでいる間どころか、その後別荘までの道のりの間も、シルはトミーの手を握って走り続けたという。

ただでさえ空を飛ぶのも不安定になるのに、その間ずっとトミーの手を握って連れてきたのだという。

 

 クローンはトミーの手を治癒術で治療しながら、シルは相当腕に負担を掛けたに違いないと確信する。

 

「……しかし、どうして魔女さんはトミーを箒に乗せなかったんだろう。そっちの方が手を引くよりも楽なのに」

「……出来なかったんだと思います。魔女にとって、自分の箒に乗せるということは、生涯のパートナーになるということと同義ですから」

 

 クローンはトミーの手の腫れが治ったのを確認すると、シルの様子を見るために部屋へと向かう。クローンが去ったあと、トミーはモースの元へ向かう。

 

「ごめんねお婆ちゃん、我が儘言って」

「……」

「でもやっぱり僕、魔法の勉強がしたい。いっぱい勉強して……あのお姉ちゃんみたいに、困ってる人を助けるんだ!」

「……そうだね、ああ……そうなれたらいいね」

 

 孫の決意を前にして、モースは静かに頷いた。

 

 

 

 

 

「無茶する人ですね、シルさん」

 

 クローンは呆れた様子でシルの治癒をしていた。案の定腕に疲労が溜まっていて、クローンは溜息を吐く。

シルは苦笑いしながら目を逸らした。

 

「それよりどうですかやっぱり私の魔法に不可能はありませんでしたよ。私の勝ちですよ」

「何の勝負ですか一体」

 

 クローンはシルの強がりを流して、クスクスと笑みを浮かべる。

 

「皆分かっていますよ」

「なにをですか」

「シルさんは自分の魔法を見せびらかしたかった訳じゃありません。嫌だったんでしょう? モースさんが悲しい顔をしているのが。そんな顔をさせたくなくて……それで、こんな無茶したんでしょう?」

 

 クローンの言葉に、シルは何も答えない。

 

「黙ってても、皆シルさんのことお人好しだって分かっていますよ」

「……なんですか、それ。勝手に言わないでください。不愉快です」

 

 シルは布団を被って閉じこもってしまった。クローンは呆れつつも、もう体調は大丈夫だろうと思い部屋を出ることにした。

 

 

 

 

「あの、やっぱり魔女様がいないのですが……」

 

 翌朝、朝食の時間になってシルを呼びに行くと、またしてももぬけの殻になっていたので、使用人がシルの行方を尋ねる。

皆シルの姿は見ていないと不思議がっている。

 

「もしかしてもう出て行ったのか?」

「あら……お礼もまだ全然言えていないのに」

「また会いたいもんだねぇ、優しい魔女さんに」

 

 シルがいないことを残念がる家族を見て、クローンはなんとなくシルが挨拶もなしに出て行った理由を察した。

きっと、正面から感謝されるのが今度は恥ずかしくなったんだろうなぁと、そんな理由で一人で出て行ったシルのことをクローンは照れ屋な人だと改めて認識した。

 

 

 

「はっくしょん!」

 

 小雨が降り続ける中、箒で飛んでいたシルは盛大なくしゃみをした。そして、そのせいでバランスを崩しかけて大きく傾く。

 

「あーもう、こんな場所二度と来ないですからね!」

 

 シルはふらふらと飛び続けながら、溜まりに溜まった鬱憤を晴らすように、大声で叫んだ。

 

 

 

 

 

 



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第8話 道標の港

「はぁー……」

 

 シルは目の前に広がる海を見て感嘆の声をあげる。ワンストーン町から北に向かって出発した旅は、国境近くから東に向かいとうとう東の端までたどり着いた。ワンストーン町は風の国の南西に位置しているので、一応国の殆どを突っ切ったことになる。

 最も、まだ訪れていない街や地域はいっぱいある。しかし、住んでいた場所から国のほぼ反対側まで来たという事実はシルにある程度の充足感を与えた。

 

「来るところまで来た感じがしますねぇ」

 

 師匠を探して続いた旅も、一つの節目を迎えようとしている。シルはそう感じていた。

とはいえ、未だ師匠ロンズに関する手がかりは見つかっていないのだ。気持ちを切り替えて街の探索をしようとした時だった。

なにやら大声が聞こえてくる。

 

「ジョンソーン! 必ず、必ず帰って来てねー!」

「約束するよジェニファー! 僕は、必ず愛する街と君に幸せを持ち帰ってくる!」

 

 防波堤に立つ女性が、なにやら海に向かって大声で叫んでいる。シルが女性の向いている方向を見ると、生みの上に浮かぶイカダが見えた。

どうやら、それに乗っている男性に呼びかけていたらしい。

 

「はぁ……カップルの茶番でしたか」

 

 あんなイカダでは沖に行くことすら困難だろうに、一体何をしようというのだろうか。

シルはバカップルの遊びには付き合いきれないと、さっさとその場を離れようとした。その瞬間、海中から黒い触手のような物がイカダを突き破り、男性を海へと吹っ飛ばした。

 

「ジョーンソーン!!!」

「知らない人ー!!!」

 

 ジェニファーとシルの大声が港に響き渡った。

 

 

 

 

「ごふっごふっ……ありがとう、キュートな魔女さん」

「いえ、別に」

 

 シルは箒で飛んで海に放り出されたジョンソンを回収し、恋人のジェニファーの元まで連れ戻した。海水で濡れたスカートを絞って水気を落とし、魔法で濡れた衣服を瞬時に乾かした。

 

「本当にありがとうキュートな魔女さん。もう少し君の胸が大きければ君の虜になってしまっていたよ」

「本当にありがとうビューティーな魔女さん。もう少しあなたの胸が大きければジョンソンを盗られていたわ」

 

「なるほど、喧嘩売ってるんですね」

 

 シルが青筋を立てて怒りをなんとか堪えつつ、肩を抱き合って笑い合う二人に尋ねる。

 

「……それで? 一体なんであんなイカダに乗って海に行こうとしたりしたんですか。それにあの黒いのは一体なんなんですか?」

「そうだね、その説明をするにはちょっと移動したほうが分かり易いかもしれないね」

 

 シルはジョンソンとジェニファーに連れられて、港の泊地にやって来た。そこにあったのは、ボロボロになった大量の船とその修理に追われる作業員だった。

 

「殆ど全滅じゃないですか」

「そうなんだよ。最近あの黒い触手が港から出ようとする船を手当たり次第に襲うせいで、全然漁も運搬もできなくなっちゃったんだ」

「そのせいで最近は全然皆仕事できなくて……早く何とかしないと仕事がなくなっちゃうかもしれないの」

 

 近頃突然現れたあの触手のせいで、この港はすっかり仕事が出来なくなってしまったらしい。ジョンソンとジェニファーの両親も船を破壊され、困り果てていたという。

 

「それで僕が勇気を出してあの触手を倒そうとしたのさ。結果は魔女さんの見たとおりだったけど」

「なるほど、そういうことでしたか。王都から救援は来てないんですか?」

「まだあれが現れて一週間も経ってないからなぁ、最初に知らせを飛ばした時は被害も小さい船がちょっと破損した程度だったから、あんまり大事だと思ってくれてないのかも」

「あーあ、あの人がいてくれたらなぁ」

 

 ジェニファーが残念そうに呟いた。その内容が気になってシルは質問をした。

 

「あの人とは?」

「水の国から来た魔女なんだけど、この港に常駐しててね。揉め事とかあったら全部解決してくれてたの。たまたま水の国に戻った時にこの騒ぎが起きて……あの人がいたらこんな騒動すぐに解決するのに」

「なるほど、そんな魔女がいたんですね…………ん?」

 

 シルがジェニファーの話を聞いていると、ふと視線を感じた。

辺りを見回してみると、漁師や作業員の視線が自分に集まっていた。シルは思わず後ずさりする。が、すぐにジェニファーが手を素早く掴んで引き止める。

 

「そんな訳で、ここの人は皆魔女を頼りにしてるのよ」

「うんうん、きっと魔女っていうのは優しくて強くて頼りになるんだろうなぁ」

「そうだそうだ」

「あー、頼りになる魔女様がいてくれたらなぁ」

 

 ジョンソンとジェニファーに続き、その場にいた人物全員がシルをちらちら見ながらわざとらしく大声で独り言を零す。

シルは盛大に溜息を吐いて頭を抱えた。

 

「……はいはい、やりますよ。やればいいんでしょう? やれば」

「うおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 渋々了承すると、漁師と作業員、野次馬の住人達全員が湧き上がって歓喜し始めた。

シルは早くこの街離れたいと切に願うのだった。

 

 

 

 そして、漁師達にもう使い物にならない程壊れた小さい船を借りたシルは、魔法を使ってゆっくりと船を動かし始めた。

ジェニファーは驚いて口をあんぐり開けた。

 

「凄いわ! あれ直ってるの?」

「いいえ、魔法で無理やり前進させてるだけです。でも囮にはあれで充分ですよ」

 

 シルは涼しい顔で船を操作し前進させる。すると、また黒い触手が現れて船を底から貫いて壊した。

その瞬間、シルは船から触手へと魔法の光を移す。黒い触手はすぐさま海中へと引っ込んで姿を消してしまった。

ジョンソンが不安げに尋ねる。

 

「もしかして、逃げられたのかい?」

「いえ、今のはマーキングをしただけです。これで気兼ねなく追いかけられますよ」

 

 シルは触手に付けた魔力の反応を追って、杖の指す方向に向かって歩き始めた。暫く歩いていると、そこには下水道の入口があった。

シルは溜息を吐いて下水道の続く先を見つめる。

 

「ここですか……この先にいかないといけないんですか……」

「へー、海に魔物でも潜んでるのかと思ったけど、この中に隠れてたんだね」

「そうねー、てっきり沖の向こうとか海底にいるのかと思ってたわ」

 

 シルの憂鬱をよそに、ジョンソンとジェニファーは気楽なものだった。

シルは二人に言いつけた。

 

「とりあえず、私はこの先を調べます。おふたりは港で大人しくしててください」

「分かったよ」

「頑張ってね魔女さん」

 

 二人に見送られながら、シルは下水道の奥へと箒に腰掛けて飛んでいった。奥に進むにつれて、明かりがなくなって暗くなっていく。

杖の先端に光を灯し、それを光源に奥への探索を続ける。

 

 すると突然、水道の中から魚の様な形をした魔物が飛びかかってきた。

 

「シェルシールド・エレキ」

 

 シルが杖を向けた先に亀の甲羅の様な形状の盾が現れる。盾は魚の突進からシルを守り、甲羅の中から蛇が現れて魚達を絡めて縛り付ける。そして電撃が発生し、魚達は一瞬の内に消滅していく。

 

「……天然物じゃありませんね、コレ」

 

 自然の魔物ではなく、明らかに人が作り出した生物だとシルは見抜いた。ということは、間違いなくこの奥にこれを作った人物が潜んでいる。

 

「どうやら無駄足にはならなさそうですね」

 

 早めに終わりそうで何よりだと、シルは飛行の速度を上げて突っ切っていく。

 

 

 

 

 

「大丈夫かなー、魔女さん」

「心配ねー」

 

 ジョンソンとジェニファーは二人仲良く体育座りをしてシルを待っていた。

すると、二人の背後に人の影が出来た。一体誰が来たのかと振り返ると、二人は驚愕の表情を浮かべる。

 

「あ、あなたは!?」

 

 

 

「もしもーし、出てきてくれませんかー?」

 

 下水道の奥深く、少し開けた空間にたどり着いたシルはそこにいるであろう人物に呼びかけた。ここだけうっすら明かりが付いていて明らかに人の出入りの跡がある。

人がいるに違いないというシルの読み通り、その人物は奥の暗闇から姿を現した。

 

 薄汚れた白衣に牛乳瓶の底みたいなレンズの眼鏡をかけたヒョロヒョロの男性が、クククと笑い始める。

 

「ようこそ、僕のラボへ」

「ここをラボと言い張りますか」

「僕の研究の偉大さは分かってくれるだろう? 僅か一週間足らずでこの港を壊滅状態に追い込みつつある。これが完成すれば高く売れるぞぉ、こいつは……」

 

 男は自分の研究に酷く酔いしれているようだった。こんな大人にはなりたくないなぁと思いながら、シルは男に杖を向ける。

 

「大人しくお縄になってください。今なら多分街の人に半殺しで済みますよ」

「お断りだね……行け! ハムラクラーケン!!」

 

 男の呼びかけに応え、黒い体表のイカのような魔物が水の中から現れ低く鈍重な雄叫びを上げる。

シルは魔物を睨みつけながら杖を向ける。

 

「これが黒い触手の正体ですか……しかしクラーケンはともかくハムラとは……?」

「僕の名前だけど」

「……」

 

 思わずずっこけかけたシルだが、なんとか持ちこたえる。

落ち着きましょう、自分の名前をつけたがるのはよくあることです。シルは自分にそう言い聞かせてなんとか笑いを堪える。

 

「悪いですけど、さっさと仕留めさせて貰いますよ。フェニクスウイング・エレキ!」

 

 シルが杖をひと振りすると、大量の電気を帯びた羽が発射される。それらは全てクラーケンに命中した。

しかし、意外にもクラーケンは平気そうな様子だった。怪訝な顔をしたシルを見て、ハムラは高らかに大笑いした。

 

「ふはははははは! 皆水の魔物を見ると電気属性の魔法ばっかり使う! だから僕はそれに対抗できる魔物を作り出すことにしたのさ! 電気に耐性のあるミグメフロッグをクラーケンに融合させた! これにより、電気に耐性のある最強の水属性の魔物が出来上がったんだ!!」

「……」

 

 ハムラの話を流し聞きしていたシルは、構わずクラーケンに向けて杖を向けた。それを見たハムラは鼻で笑った。

 

「ミグメフロッグは水で濡れると自らの電気に感電する。それを狙っても無駄だよ、このクラーケンは水を吸収する変異体だからね。水と電気、どちらにも耐性のある最強の魔物なんだよ、ハムラクラーケンは!」

「ドラグヘッド・ツインアクアエレキ!」

 

 シルの杖から放たれた二匹の龍が、クラーケンに噛み付いた。水の龍の攻撃をクラーケンは吸収し、そこへ電気の龍の攻撃がフロッグの感電と合わさって強力な電撃と化し、クラーケンは呻き声をあげて倒れた。

余裕の顔をしていたハムラだが、目を見開いてシルを震える手で指差した。

 

「お、お前なにしてんだぁー!?」

「いえ、水と電気両方ぶつけただけですけど……なんか最近よくこれ驚かれるんですけどそんなに凄いですかコレ?」

 

 シルが複数の属性を使えることを伝えると、ハムラは頭をぐしゃぐしゃと掻き毟って大声で叫んだ。

 

「お前! お前みたいな変異種が! 突然生えてきた特例の変異種のせいで僕の偉大な研究が霞んじまうんだよぉ! 駄目だろう!! お前みたいな自然の摂理に反した変種はいちゃダメだろおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」

「……なんか色々好き勝手言ってくれますね」

 

 半ば呆れ果てたシルを他所にハムラはクラーケンに泣きながらしがみついた。

 

「可哀想に僕の可愛いクラーケン……今すぐ逃げようね」

 

 すると、クラーケンは下水の中に潜り込みあっという間にその場を離脱してしまった。

 

 

 

 入り組んだ下水道だが、ハムラは出口へと最短ルートを知っている。こればかりはひたすら下水道に篭りきりだった自分だけの特権だ。初めて見る顔のあの魔女は脱出にも手間取るはず。そう読んでハムラは一目散に逃げ出した。

やがて外の海へとたどり着いたハムラはクラーケンから降りて港へと降り立った。

 

「よしよし、とりあえず急いで荷物を纏めて出発の準備をしようか。他所の街で落ち着いてクラーケンの更なる強化の研究を進めよう」

「あ、お疲れ様でーす」

「うん、お疲れ様」

 

 思わず返事をしたハムラだが、嫌な予感がして振り返る。

そこには箒に腰掛けて笑っているシルがいた。口をあんぐり開けてシルを指差した。

 

「お、お前、なんで!?」

「私師匠ほどじゃないけどワープも出来ますから。入口にマーキング付けておいたんですよ」

 

 箒から降りてシルは改めてハムラに杖を向ける。

 

「さあ、終わりにしましょうか」

「……舐めるなよ魔女。ここは海、クラーケンの本気が出せる環境だ! やってしまえ!」

 

 ハムラが命令した瞬間、海の水が鋭い槍の形になり、クラーケンの足を全て削ぎ落とした。

 

「……え?」

 

 ハムラが呆気に取られた顔をしてクラーケンを見つめる。

シルも何事かと思っていると、シルの後ろから一人の女性が現れた。長い金髪と蒼の瞳、鋭い目つきはまるで不良のように思わず縮こまってしまう程だ。

 

 シルが不思議がっていると、ジョンソンとジェニファーが後ろから現れて笑顔で呼びかけてくる。

 

「もう大丈夫だよ、アビスさんが来てくれたからね!」

「アビス……?」

「水の国から来たこの街を取り仕切る大魔女……流水の魔女アビス!」

 

 ではこの人が街の人から頼りにされていた例の魔女でしょうかと、シルは思い出す。

こちらに近寄ってくるアビスをシルはじっと眺めていたが、アビスに帽子の上から撫でられる。

 

「よくやったな」

「……あ、はい」

 

 突然褒められてシルは唖然とする。

アビスは前に出てハムラを睨みつける。その眼光に怯えながら、ハムラはアビスに文句を言い始める。

 

「お、お前……よくも僕のクラーケンを! こいつを作るのに僕がどれだけ」

「うぜぇ」

 

 アビスが杖を適当に振ると、海水の水が目にも止まらぬ高速の速さでハムラの顔面に叩きつけられる。水とはいえ、これ程の速度で叩きつけられればコンクリートがぶつかるのと変わりはない。ハムラは気絶して地面に仰向けに倒れ込んだ。

 

 これで終わったかと思ったが、足を全てもがれたクラーケンが唸り声を上げて怒りを露にする。まだクラーケンが生きていたことに驚くシルの横で、アビスはクラーケンに杖を向けた。

 

「アクアクラック」

 

 アビスが簡易詠唱をすると、クラーケンは真っ逆さまに落下して地面に叩きつけられる。それは、海水がクラーケンを中心に真っ二つに割れたから起きた現象だった。そして、割れた海の壁がまた高速で動き、クラーケンを挟むようにしてぶつかりあった。

激しい波しぶきが巻き起こり、地面に海水が音を立てて大量に溢れ始める。

 

 シルはこの光景を呆然と眺めていた。

海を割り、ここまで自在に操る魔法を簡易詠唱で使うなど常識では考えられない。常識に疎いシルでも、それだけははっきりと分かった。

 

 

 こうして、アビスの手によってハムラは捕まり、然るべきところへ引き渡すこととなった。

後のことを街の住民に引き継ぐと、アビスはシルの元へとやって来た。

 

「悪いな長引いて」

「いえ……凄いですね、あんな魔法が使えるなんて」

「オレが極めてんのは水魔法だけだ。複数の属性を高水準で扱えるお前の方が伸びていくだろうさ」

 

 シルはアビスの言葉を聞いて、不審に思った。どうして初対面のはずのこの人が自分の魔法について知っているのだろう。

そんなシルの内心を読み取っているのか、アビスは煙草を吸い、煙を吐き出してシルを見つめた。

 

「……お前、ロンズの弟子のシルだろ」

「っ、師匠を知っているんですか!?」

 

 シルは身を乗り出してアビスに尋ねる。

アビスはそんなシルの顔を見て、どこか呆然としているように見えた。まるで何かを懐かしむような目をしていたアビスだが、一度目を逸らした後シルを真っ直ぐ見つめてはっきり告げた。

 

「あいつは水の国にいる」

「師匠が……水の国に」

「水の国ウォルタ、始まりの魔法使いが生まれたとされる国だ。あいつはそこに行くとオレに言って発って行った。今どこにいるかまでは知らねーが、他の国には行ってねーだろ」

 

 シルは衝撃を受けた気分だった。行方の知れなかった師匠の居場所が、明らかになった。

アビスはそんなシルを見て、何か書類を書き始めた。

 

「水の国に行くなら、最初に王都アクアリウムに行け。あそこなら色んな情報が手に入るだろ」

「ありがとうございます」

 

 シルはアビスが紹介状を書いている間に、遠い海の向こうを見つめた。

いずれ会える師匠の事を思って、シルは目の前が晴れていく気がした。

 

 

 

「では、お世話になりました」

「ああ、行ってこい」

 

 シルはアビスに別れを告げると、箒に腰掛けて海の上を飛んでいく。

港を旅立つシルの後ろ姿を、ジョンソンやジェニファー、街の漁師達が見送った。

 

「ありがとー!」

「頑張ってこいよー!」

 

 港の人々の見送りの声を受けながら、シルは新たなる国、水の国への旅に思いを馳せるのだった。

 

 

 

 

 

-こうして、私は生まれ育った風の国から、新たなる大地、水の国へと旅立つのでした。

そして、この時の私はまだ知りませんでした。世界の異常に関する出来事に巻き込まれることを。

 

-そして、私の人生の中で最も大切な出会いがあることを。私は、まだ知りませんでした。




第一部「師匠探索編」完

第二部「七神欠片隊編」に続く


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第二部「七神欠片隊編」
第9話 王都アクアリウム


 曇り空に太陽の光が遮られ、薄暗い明かりの中をシルは箒に腰掛けた体勢で飛行し海の上を快調に進んでいた。

師匠ロンズが水の国にいるという情報を手に入れたシルは、風の国ウィンズから水の国ウォルタを目指している最中だった。

 

 風の国の領域に含まれる離島で一夜を過ごし早朝に出発したが、既に夕方近い時刻になろうとしていた。だが、シルの視界にはようやく水の国の本土が映っていた。

暗くなり始めた空間の中、街の光が怪しく目を引きつける。そして、シルはとうとう海の上から大地の上へと到達する。

 

 初めて訪れた水の国、その王都アクアリウムの門は噴水が湧き上がり水の迫力がその存在をより強く引き立てていた。

街の入口に到達したシルだが、門番に行方を遮られてしまった。

 

「王都には自国民以外は入場許可が必要だ」

「流水の魔女アビスさんに紹介されました、風の国の魔女シルです」

「……なに? アビスから?」

 

 門番は怪訝な顔をしていたが、シルが差し出した紹介状を確認してそれが本物であると認める。

 

「確かに本物のようだな。すると、お前はアビスが認めた魔女ということか?」

「認められたかどうかは知りませんが……才能溢れる魔女です」

「ふむ……少し待て」

 

 そう言うと、門番は携帯袋から水晶を取り出し誰かと会話をし始めた。

会話の内容は聞こえないが、シルとしてはさっさと街の中に入れて欲しいのが本音だった。暫くすると門番はシルに向かって振り返り、軽く咳払いをする。

 

「話がついた。入っても良い、だが条件がある」

「条件ですか?」

「うむ。我らが王都アクアリウムは、今一人の魔女に国の発展に繋がる技術協力をして貰っている」

 

 門番の発言に、シルは首を傾げた。

 

「王宮魔導師とは違うんですか?」

「正式な階級を得られる王宮魔導師とは違う。その存在は公にはしていないからな」

「……今私に話してるじゃないですか」

 

 シルがそう尋ねると、まるで待っていたとでも言いたげに門番は目を光らせる。

 

「条件とはそのことだ。ここ数ヶ月、そいつは何の成果も見せていない。恐らくはスランプにでも陥っているのだろう……同じ魔法使いとしてなにか刺激になるような経験をさせてやれ。それがお前を王都に迎える条件だ」

「えー……」

 

 シルは露骨に嫌な顔をした。いくら王都とは言えそんな使い走りのようなことをしなければ入場できないとは、あまりに理不尽だ。

とはいえ、王都を追い出されるという事態は出来るなら避けたいのが本音だ。下手をすると他の街にすら入れないように王都から根回しされるかもしれない。

 

(まー偉い人のご機嫌取っておくくらいいいですかね)

 

 渋々ながらシルは首を縦に振った。

 

 

 そして、シルは門を開けてもらい、王宮から来た遣いの兵士に案内されて街の中へと入っていった。

街の中は、シルが見てきた中でも一番の美しさを誇ると言っても過言ではなかった。整備の整った造りの街に、淡い光に包まれた水が至るところを流れまるで光の中に包まれているような気分になる。

 王宮にたどり着くと、奥まで連れて行かれそこから地下へ続く階段を通っていく。

 

「えっと、その魔法使いってこんな地下にいるんですか?」

「普段はいつも地下深くで研究をしている。その方が集中できると言ってな」

 

 こんな地下深くで好き好んで一人で研究するとは、余程偏屈な人なのだとシルは思った。

気難しい人だったら嫌だなぁとシルは憂鬱になる。

 

 

 そしていよいよ目的の魔法使いがいる部屋へとたどり着いた。

シルは面倒な人に難癖付けられないといいなぁと面倒に思っていた。兵士が扉を叩いて中にいる人に呼びかける。

 

「ルド、客人を連れて来た。入るぞ」

 

 ルド、というのがこの先にいる魔法使いの名前らしい。

扉を開け、中に入ったシルは部屋の中を見回した。

 

 そこには部屋の至るところに剥製や人形が飾られ、大量の本や魔法瓶なども散らかっていた。

いかにも陰気な魔法使いの研究室っぽいなぁとシルは肩が重くなる気がした。そして、兵士が部屋の主に声を掛ける。

 

「こちらが風の国から来た魔女だ。話を聞いてみると気分転換にもなるだろう」

 

 兵士が動いてシルから部屋の主が見えるようになる。

 

 

 

 世界が、止まったかのように思えた。

偏屈な年を取った老人や、気難しい男性を想像していた。しかし、今目の前にいるのは、幼い少女だった。

金髪のウェーブのかかった髪が微かに揺れる度に視線が惹きつけられ、丸く可愛らしい熊の耳が付いたフードもより幼さを助長して見せる。何よりも、銀色の淡い瞳と柔らかく繊細な肌でできた顔に、シルは目が離せなくなった。

 兵士がなにか話しているが、全く耳に入ってこない。ただ、ルドという少女にシルは釘付けになり他の全てが目に入らなくなってしまった。

 

 胸が熱い。ドクンドクンと煩いほどに高鳴り、その熱が全身から顔へと伝わり頬も赤く変色していく。

ルドの見上げるような視線も、その佇まいも、全てが可愛らしくて愛おしくて仕方がない。無限にも思える程の時間が、シルの中で過ぎていっているような気がした。

 

 

「……おい、おい」

 

 兵士に肩を叩かれて、ようやくシルは正気を取り戻した。自分が黙り込んでいたことに気がついたシルは、慌ててルドの前に出た。

 

「えっと、初めまして。魔女の、シルで……」

 

 前に出て、改めて近くでルドを見る。そのせいで、また緊張してしまった。

一体自分はどうしてしまったのか。胸が高鳴りを止めないし、体温は上昇しっぱなしで、言葉すらまともに出てこない。

 

「……ルド。よろしく」

「よ、よろしく、です」

 

 震える手をゆっくりと伸ばしてルドと握手を交わす。手を握ると、その感触に全身を電流が走ったのかと錯覚するくらい衝撃を受けた。

柔らかい、そして温かい。なにより、一瞬聞こえた声も劇薬のようだった。

 

 兵士はシルに任せると告げると部屋を出ていってしまった。二人きりになり、シルはどうしようかと考えるがルドは一人でノートに向かって何かを書き続けていた。

ひとまずはここに連れられてきた目的を果たそうとシルはルドに問い掛ける。

 

「あの、今は一体なにをしているんでしょうか。数ヶ月成果が出ていないと聞いたのですが」

「それはもう終わってる」

「はい?」

 

 シルは聞き間違いかと思った。しかし、ルドは黙々と資料を見比べながら言葉を続ける。

 

「課題を終わらせるとすぐに別の仕事を押し付けてくる。だからギリギリまで引っ張ることにしてる。その間に自分の研究をした方が楽しいもん」

「はぁ」

 

 どうやら国はルドがスランプに陥っているから進展が遅いのだと解釈していたが、実際はルドが自分の研究を優先させているだけだったようだ。

なんという呆気ない結末。これだと自分がすることはないなとシルは溜息を吐いた。

 

 報告すべきかどうか悩んだが、こんな女の子に国の発展のための研究を押し付ける方が変な話だとシルは思い、黙っておくことにした。

やることがなくなってしまい、どうしたものかとシルは途方にくれていたが部屋を見ているとあるものが目を引いた。

人形が数体、研究資料や小道具を運んでいる。それ自体は魔法で動かしているのだと理解できたが、単調な動きではなくまるで自分の意志を持っているかのような動き方をしていることにシルは気がついた。

 

「このお人形さん達はどんな魔法で動かしているんですか? こういうのって単調な動きしかできないと思っていたのですが」

「私の専門がネクロマンシーだからその応用。命のないものに生きているものと同じように自律で動かすことが出来るの」

「へー、結構な高等魔法ですね」

 

 シルは早速試したくなって、杖を取り出すと動いていない人形に向けて魔法を描けた。魔法を掛けられた人形はひとりでに動き始め、床に散らばっていた書類を拾い始める。

 

「へー、こんな感じなんですね」

「……」

 

 それまでずっと自分の作業を黙々と続けていたルドが、シルに目を向けた。自分と同じ魔法を使ったことに、僅かながら表情に驚きが出る。

 

「……お姉さんは操作魔法が得意なの?」

「いえ、初めてやりました。私、一度見た魔法は大体すぐに覚えられますので」

「……」

 

 シルの話を聞いて、ルドは暫く考え込んでいたがやがて机に置いてあった杖を取ってシルの隣へと移動する。

 

「見てて」

 

 一言だけシルに告げると、ルドは杖を机に置いてある薬品に向けて振った。すると、二つの瓶の中に入っていた薬品がそれぞれ半分浮き上がり、空中で一つに纏まる。そして球体の形になったかと思うと突然鉱物に変わって床にゴトンと音を立てて落ちた。

 

「物質操作と変化を同時にする魔法。お姉さん、やったことある?」

「いえ、流石に同時にこんなに変えるのはやってませんね……全然違う物質になってるじゃないですか」

 

 物質変化も、銅を金に変えるなど鉱物を別種の鉱物に変えるなどある程度同種の物ならばやったことあるが、鉱物と関係のない薬品を混ぜ合わせた上で鉱物にするなど、やったことがない。

 

「やってみて」

「はい」

 

 面白そうだと思ってシルは同じ魔法を試そうとする。しかし、シルは初めての事態に直面した。

ルドが魔法を使うところを見ていたはずなのに、どうすれば出来るのか見当がつかない。今までこんなことはなかったのに、魔法の使い方が分からない。

シルが悩んでいると、ルドが小さな声で呟いた。

 

「成功」

「え?」

「私の魔法が盗まれないようにプロテクトを掛ける術式を試してた。お姉さん相手に通用するなら機密性は高水準と見て良さそう」

 

 ルドは心なしか嬉しそうにしながらノートに向かって今の結果を書き記し始める。

シルが魔法をコピーできるのを知って、それが出来るか否かで自分の魔法が完成したかどうかをテストしたらしい。

 

 研究熱心というかなんというか、手段を選ばない子ですねとシルは苦笑する。

ルドは今の結果を書き終えると人形の一体を胸の前でギュッと抱きしめる。そして、シルと向かい合って上目遣いで見上げてくる。

シルがその仕草にドキっとしていると、ルドはまた小さな声でシルに話しかける。

 

「……見せて」

「はい?」

「次は、お姉さんの魔法……見せて」

 

 自分が魔法を披露したのだから、今度はシルの魔法が見たいのだと言っている。ルドは、最初と違ってシルに興味を示していた。

それが分かると、何故か無性に嬉しくなった。シルは二つ返事で了承した。

 

 そして、二人は普王宮の魔法使いが使用する訓練場に移動してお互いの魔法を見せ合った。

短い間だったが、見たことのない魔法を次々に見られてシルは久々に魔法を学ぶ気分を思い出した。未知の魔法を目の当たりにする興奮は、何度味わっても飽きが来ない。

なにより、お互いが学び教えあう時間が、ルドとの距離が縮まっていく気がして心地よかった。

 

 最初は冷たかったルドだが、今ではなんの抵抗もなくシルと話をして、側に寄ってくれる。

ふと目が合うと、心が暖かくなるのを感じて二人で揃って笑みを浮かべたりした。

 

 

 

「……お別れですね」

「……うん」

 

 夜の10時を目前にして、シルは城の兵士から今日は街の宿を取っておいたから一度帰るように伝えられた。

また明日になって会えばいいとは分かってはいるが、多少は寂しい気持ちが沸き上がってくる。

 

 シルは、ふと気になってルドに尋ねた。

 

「あの……ルドは一人なんですか? ご両親は一体どこにいるんですか?」

「いない」

「それって……」

 

「私は親に捨てられてた所を拾われた。孤児院にいて、偶然アビス様が私のことを見つけて王都に斡旋してくれたの」

「そうだったんですか」

 

 シルは、ルドの話を聞いて悪いと思いながらもどこか親近感を感じずにはいられなかった。

 

「私も同じようなものです。物心着いた頃には両親はいなくて、師匠に育てられて来ました」

「……お姉さんも、親が誰か分からないの?」

「はい」

 

 シルが話し終えると、ルドと二人でお互いを見つめ合う。

ずっと二人でいたいと思っていたが、兵士に催促されてシルは渋々城の外へと向かう。最後に振り返ると、ルドの寂しそうな顔が目に焼き付いた。

 

 

 

 宿へと向かう道中、シルはずっとルドのことを考えていた。

 

 私と同じで両親を知らないルド。でも、正確には違う。私は、どうして親がそばにいないのか分からない。でも彼女は、明確に勝てられたのだと知っています。

そして、私には師匠がいます。師匠からは、少なからず大切にされてきた思い出があります。でも、彼女にはきっとそれがない。あの城で、愛情に包まれて暮らしていたとは、あの顔を見る限り思えません。

 

 シルの頭に浮かぶのは、別れ際のルドの寂しそうな顔だった。

そして、シルは立ち止まり箒に腰掛けると逆方向へと飛んでいった。

 

 

 

 

 

 暗い自室の中でルドは明かりもつけずに座り込んでいた。

今まで、あんな人にあったことはなかった。内に秘めた才能も、ルドが王宮で見たどの魔法使いよりも優れている。秘密がいっぱいあって、もっともっと知りたいと思える。

でも、夜になったらお別れだ。普通の子供たちは、夜になっても大好きなお母さんやお父さんと一緒の家にいる。

 

「……私は、夜になったら一人ぼっち」

 

 本当は、いつでも一人だ。この広い城の、大勢の人がいるこの城の中で、私は一人だ。

私のことを分かってくれる人なんてここには一人もいない。誰も、私がなにを考えているのかなんて知ろうともしない。

現にこの数ヶ月、私になにがあったのか聞きに来る人は一人もいなかった。私に近いところに来てくれたのは、たった一人。

 

 通りすがりの、銀色の魔女だけだ。

 

 

 その時、突然ドアをノックする音が響いた。

こんな時間に誰だろうと思って扉を開けると、そこにはボロボロの人形が浮かんでいた。自分の私物ではない人形の登場にルドは不審に思いつつも、まるで自分を導くかのように移動する人形の後をルドは追いかける。

もしかして、もしかして……そう思って城の上階まで来たところに、彼女はいた。ガラス越しに浮いている姿が見えた瞬間、ルドは窓に魔法をかけてガラスを消し去った。そして、空に浮かぶ彼女を近くで見上げる。

 

「こんばんは、お嬢さん」

 

 月の光に照らされて見えるシルの笑顔は、ルドにとってこの世の何よりも美しく見えた。

シルは苦笑いしながらルドに話しかける。

 

「ごめんなさい、どうしても会いたくなってしまって」

「私も、会いたかった」

「……ルド、見てください」

 

 シルは杖を街に向ける。その瞬間、淡い水色に光っていた夜景が、一瞬にして七色に彩られる。

口を開けて呆然とするルドに、シルは側に寄って話しかける。

 

「街の至る所にある光源の魔力に少し細工をしました。これで光源は魔力に触れるたびに色を変えるようになるんです」

「この街は水に乗って魔力が流れるから、それを利用して光が次々に色を変えていくんだね」

「ええ、驚きました?」

 

 シルの質問に、ルドは頷いて肯定した。

シルは、そんなルドを見て微笑む。そして静かに告げた。

 

「ルド、私は師匠を探さなければなりません。だからここにはずっといる訳には行きません。だから、覚えておいて欲しかったんです」

「え……?」

「私は旅に出て、少しですが変われた気がします。知っていたはずのことでも、実際に見てみると全く違って見えたりもしました。だから……いつか、あなたにもそんな日が来ることを祈っています」

 

 例え今はこの城に一人でも、外にはまだあなたの知らない世界があると。

あなたの知らない世界には、きっとあなたが大好きになれるものが、あなたを好きになってくれる人がいっぱいいると、シルはそう伝えたかった。

 

「すぐじゃなくても構いません。いつか……外に出て、色んな物を一緒に見ましょう。それができる日を楽しみにしています」

「……ありがとう」

 

 ルドが感謝の言葉を伝えると、城内の騒ぎが大きくなってきた。

早く逃げないと見つかりそうだと考えていると、ルドがシルに話しかける。

 

「私が城の人を足止めするから……その間に逃げて」

「ありがとうございます……また、会う日まで」

「うん」

 

 シルは、ルドとまた会う約束をすると全速力で王都から外に向かって飛んでいった。

ルドがその後ろ姿を眺めていると、警備の兵士がルドを見つけた。

 

「ルド? こんなところで一体何をしている。それより、今街が……」

 

 兵士がそこまで言いかけた所で、ルドはパチンと指を鳴らした。

その瞬間、その場にいた兵士だけでなく、城内にいた者が全員意識を失った。城内だけでなく、王都の民も次々と気絶していく。そして、気絶した者の頭から魔力で形成された小さな虫が這い出てくる。

 

 こんな時の為に、寄生虫を仕込んでおいて良かったとルドは安堵した。

虫を回収して自分の魔力として取り込みながら、寄生していた宿主の知識から必要なものを抜き出して一緒に吸収する。

さて、早く荷物を纏めて出発の準備をしなければいけないとルドは早足で自室へと向かった。急がなければずっと遠くへと行ってしまうかもしれない。そうなると、土地勘が会っても追いかけるのに苦労してしまう。

そうなる前に、さっさと出発して再会しようとルドは決めていた。

 

 

「待っててね。シル……お姉さま♥」

 

 そう呟いたルドは、今までで一番の笑みを頬を紅潮させながら浮かべていた。

 

 



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第10話 忘れ者の街

「……」

 

 シルは呆けた表情で空を飛んでいた。

バランスは安定しているものの、ただ呆然と前を向いて飛び続けている。頭の中はルドのことで一杯だった。

 

 笑っている顔、澄ました顔、はにかんだ表情、考え事をしている顔。あらゆる表情のルドを思い浮かべて、その度にシルの胸が熱く高鳴る。

次第に頬が熱を帯びて、赤く染まっていく。

 

 そうして心ここにあらずで空を飛んでいると、前方を見ていなかったせいかシルは大木にぶつかってしまった。

 

「ぐぇっ」

 

 正面からぶつかってしまったシルは呻き声をあげて地面に向かって真っ逆さまに落ちてしまう。

シルは溜息を吐いて仰向けに倒れたまま空を眺めていた。

 

「……私なにしてたんですっけ」

 

 シルはもはや何故自分が旅をしていたのかすら忘れそうになっていた。

寝っ転がったまま空を眺めていたシルだが、そこへ通りがかった人がいた。

 

「魔女さん、こんなところで何を?」

「いえ、別になにかをしていた訳ではないのですが……そういうあなたは何用で?」

「私かい?私はね……なにしに来たんだっけねぇ」

 

 通りすがりの女性はシルの質問に首を傾げた。シルがこの人は一体なんなのだろうと不思議に思っていると、女性はそのままどこかへ立ち去ってしまった。

変な人にあってしまったと考えていると、ふとシルは先程まで女性が立っていた場所に財布が落ちていることに気がついた。

 

「おや、落し物ですか……とりあえず近くの街に届けに行きましょうか」

 

 

 

 シルは箒で空を飛び、最寄りの街にたどり着いた。

看板に記されている街の名前は『忘却の街オブリビオン』らしい。変な名前の街だと思いつつ、シルは門番に話しかけた。

 

「すみません、恐らくこの街の人の物だと思うのですが、忘れ物です」

「そうか、では預かり所への地図を渡そう……むむむ?忘れてしまった。仕方がないから今から思い出す、しばし待て」

 

 門番はうんうん唸りながら地図を書こうとする。空からそれっぽい場所を探せばいいのではと思ったシルだが、折角の好意を無駄にするのも忍びないので任せることにした。

そしてたっぷり30分使って完成した地図を受け取った。しかし、出来上がった地図は道や道中の建物の名前も曖昧だった。

 

「うーん、見づらい地図ですね……それに目的地の14番保管庫ってどういう名前なんでしょうか」

「それはね」

 

 突然話しかけられシルは驚いて背後を振り向いた。そこには街の住人と思われる女性がいた。

 

「この街の人は忘れっぽくてねぇ。忘れ物を預かる保管庫が全部で30もあるのよ」

「……そんなにたくさん保管所を作るより大きな保管所を1つ作るほうがよかったのでは?」

「そんな案もあった気がするわねぇ……でも結局いっぱい作ることにしたのよねぇ」

「なぜですか?」

「大きな保管所を作る計画を忘れちゃってて……」

「……」

 

 この街は大丈夫なんでしょうかとシルは不安になった。

とりあえず保管所に財布を預けて外に出たシルは、観光でもしようかと街の中を歩き回ったが、周囲はどこもなにかを忘れている人しかいなかった。

 

「すみません、明日の待ち合わせ何時でしたっけ」

「俺のそろばんどこにあるか覚えてる?」

「私のお母さんって名前なんだったっけ……」

 

 道すがら出会う人が全てなにかを忘れている様ははっきりいって異常だった

気味悪く思いながらも街の中を歩いていると、中央に大きな石像が立っているのが見えた。正確には石像が寝ている、とでも言うべきだろうか。

寝っ転がった姿勢のハムスターらしき動物の石像が、街の中央に鎮座していた。

 

 シルは石像付近の住人に話を聞くことにした。

 

「あの、この石像になっている動物は一体なんなのでしょうか」

「ああ、これはタレハム様と言ってな……」

「あんた、ぐでハム様だよ」

「おねハム様じゃなかったか?」

「そうだったかのう……」

 

 数人の人々の話し合いでこのハムスターの名前がおねハム様ということになり、一体何故石像として祀られているのかがシルは気になった。

 

「おねハム様はな、かつてこの地が戦乱に巻き込まれていた頃」

「ん? これができたのつい最近じゃなかったか?」

「いや、わしが子供の頃からあったぞこれは」

「えー、でも俺がハタチの頃工事してたぞ」

「あんたそれ修復してた時の話じゃないの」

「この像三代目じゃなかったかのう」

 

 ひょっとしてこの街にいても何も得るものはないのではないでしょうかと不安になるシルだった。

結局、昔からある像だということは分かったが何を目的として作られた像なのかは分からなかった。シルは石像を触りながら見上げる。サイズの割に、この石像は随分と寂れて見えた。そして、あることが気がかりになりシルは街の人々に尋ねた。

 

「あのー、つかぬことをお聞きしますが……このおねハム様、この地を護る精霊だったりはしませんか?」

「それはないのう。おねハム様はかつてここの地主だった男のペットだったんじゃ」

「え? この地を創造した神様じゃないの?」

「俺はてっきり名物のゆるキャラかなにかかと……」

 

 結局正確なことは分からなかったものの、そう言えば街の北の森におねハム様を祀る祠があったような気がするという話が出た。

シルはその話が正しいのか調べるため、祠を目指すことにした。というよりも、もはやこの街で実のある体験がその精霊様に話を聞くぐらいしかなさそうだ。

 

 街の外へ行こうとしたシルを、先程まで話をしていたおじいさんが呼び止めた。

 

「魔女さんや、気をつけたほうがええ。その森の水は危険なんじゃ」

「……なにか危険な成分でも?」

「詳しいことは忘れたが……恐ろしい毒が含まれているんじゃ」

「毒水ですか」

 

 随分と危険な地帯になっているんですねとシルが感心していると、隣にいた男性が首を傾げた。

 

「え? 魔力を遮断するとかじゃなかったか?」

「笑いが止まらなくなるんじゃ……」

「……」

 

 やはり何も信用できない街だとシルは呆れるしかなかった。

 

 

 

 そして、街から離れて森に入り、数十分は箒に乗って移動していただろうか。ようやく噂の祠にたどり着いたシルは中に入って様子を探った。

こじんまりとした手入れもされていない祠を、シルはとりあえず魔法を使って見た目だけでも清潔に戻した。

 

 そして、祠に残る微かな魔力の残骸から祀られていた精霊を呼び出す為に魔力を注ぎ込む。そして、祠が一際眩い光を放った祠から、石像になっていた姿そのまま……ではなく、太った猫の姿をした精霊が現れた。

 

「……あのー、もしかしておねハム様でしょうか」

『んー……ん? もしかしてあの街の連中まだワシのことをハムスターだと思ってるの?』

 

 久しぶりに顕現したおねハム様……正確な名前は忘猫様というらしいが、ともかくその精霊が詳しい話を教えてくれた。

なんでも、元々忘れっぽいこの地の人々は知恵の神である忘猫を祀り、決して知識を忘れることのない知恵を授けてもらおうとしたという。その代償として、毎日この祠に参拝するという条件を出したという。

 

 街の人々は条件通りに毎日祠を参拝し、忘猫様のご加護を受けていたらしいが……

 

「結局、毎日の参拝を忘れてしまったと」

「うむ。恨んではおらぬがこれでは加護してやることもできん」

「……一応聞きますが、また参拝すれば街の人々を加護してくださいますか?」

「それは構わぬが……次はいつまで持つかのう」

 

 忘猫様はどこか遠くを眺めているようだった。

 

「以前は何年持ったんですか?」

「3週間くらいかのう」

「……」

 

 もう見捨てても許されるのではないでしょうか。そう思いつつもシルは森の水を汲んで祠にお供えをした。

透けていた忘猫様の体が多少くっきりと見えるようになり、忘猫様はシルに頭を下げて感謝する。

 

「礼を言うぞ魔女の子よ。ワシはこれから街に行ってこのことを伝えようと思う」

「はい、お元気で」

 

 シルは街に向かって飛んでいった忘猫様を見送ると、一仕事終わったと安堵して肩の力を抜いた。

しかし、安心していたシルの元へ忘猫様が戻ってきた。一体何事かとシルは不安になった。

 

「あのう、オブリビオンってここからどの方角じゃったっけ?」

「……」

 

 もしかしてこの精霊当てにならないのではないでしょうか。シルは自分のしたことが無意味に終わるような予感がしてならなかった。

 

 

 

 そして、森の外まで忘猫様と同行したシルは街へと向かった忘猫様を見送ってようやく肩の荷が降りた気分がした。

 

「なんだが今日は人一倍くたびれましたね……今後ここに来ることがあってもこの街には立ち寄らないようにしましょう」

 

 とにかく相手をしていて疲労の溜まる相手ばかりだと痛感した。

本当に疲れる……が、終わってみれば中々楽しい人達だったと今はシルは思った。

 

「……さて、あの街では聞き込みも期待できませんし、次の街に向かって行きましょう」

 

 師匠を探すために、出発しようとシルが思った瞬間だった。

 

 

「お姉様」

 

 不意に、幼い女の子の声が背後から聞こえてきた。

咄嗟にシルは背後を振り返る。振り返った先には……金髪の少女、ルドが人形を抱えて立っていた。ルドは嬉しそうに笑みを浮かべたままシルを見つめている。

 

「……ルド? どうしてあなたがここに」

 

 いるんですか、とシルが尋ねようとした瞬間だった。人形の後ろに隠していた杖をルドはシルに向ける。

 

「ノクターンシップ」

「ぇっ」

 

 ルドの杖から放たれた死の呪文がシルの胸を貫く。シルはゆっくりと仰向けに地面に倒れ、そして瞳から光が失われていく。

こうして、静かにシルの命の鼓動が止まった。

 

 



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第11話 涙

「……はっ」

 

 重くなったまぶたをどうにかこじ開けて、シルはゆっくりと目を覚ました。起き上がって周囲を見回すと、周囲には薄暗い洞窟の中のような風景が広がっていた。

刺々しい形の岩やどこまでも広がる闇が辺りを静かに包んでいる。かと思えば、周囲の視界は明るく確保できる不思議な空間だった。

 

 見覚えのない場所だが、この独特の風景は創作物などでよく地獄として形容される類のものだ。この事から察せるのは……

 

「なるほど、ここは地獄ですか!」

 

 自分の手をポンと叩いて納得する。そして、静かに意気消沈した。

 

「地獄ですか……地獄ですかぁ……」

 

 改めて、自分が地獄にいると思うと自然と膝をついて項垂れた。力なく暗闇が広がる空を見上げた。

 

「私地獄落ちしたんですね……そんなに酷いことしたんでしょうか。確かにイタズラはいっぱいしましたけど……はぁ」

 

 大きな溜息を吐いた生前の行いを後悔した。こんなことになるなら、人に迷惑をかけない生き方をするべきだったと今更ながら悔やんでしまう。

 

「でもまさか本当に地獄があるなんて」

「でもまさかりコックが本気でアルデンテ」

 

 

 

 静かに沈黙が辺りを包み込んだ。止まった思考の中でシルはゆっくりと先程聞こえた幻聴について振り返る。

この大して面白くもなくどこが笑いどころなのかも分からない中途半端なギャグ。こんな場所に自分を連れてきたあげくこんなしょうもないことを言う人物は。

 

 暫くしてから咄嗟に振り返ったシルの目に飛び込んできたのは、コックの衣装を其の辺に投げ捨てている師匠の姿だった。

 

「あらシル、リアクションとるならもっと早くお願いしますよ。無視されてるのかと思ったじゃないですか」

「な……な……」

 

 シルは震える足でゆっくりと師匠に向かって歩み寄る。ロンズは、そんなシルを見て軽く微笑んだ。

 

「お久しぶりですね、シル」

「師匠……本当に、師匠なんですね!」

 

 シルは勢いよく駆け出してロンズの胸に飛び込んだ。ロンズは飛び込んできたシルを、優しく受け止めた。

 

「おやおや、随分甘えん坊になりましたね」

「はい……でも安心しました。師匠もやっぱり地獄に落ちるような人間だったんですね」

「うるさいですね……とりあえず本題に入りましょう」

 

 ロンズはコホンと咳払いをして話を始めた。

 

「シル、あなたは自分がどうしてここに来たかは覚えていますか」

「あ、はい……その、ルドという女の子に」

 

 今でも鮮明に思い出せる。ルドに会えて嬉しいと思う間もなく、死の呪文に胸を貫かれて死んでしまった。

それを思うと、自然と気落ちしてしまう。俯いて力なく佇むシルにロンズは静かに告げた。

 

「あなたはまだ死んでいません」

「……え?」

「正確にはあなたが死ぬ寸前、魂が肉体を離れる瞬間に私が作ったこの空間に、私とあなたの意識を連れてくるように術式を組んでいました。万が一の時に備えてのものでしたが、まさか使うことになるとは思いませんでしたよ」

「はぁ……」

 

 とんでもない魔法だが、師匠ならそれぐらいのことはやれてもおかしくないとシルは納得した。しかし、新たな疑問が湧いてきてシルは我慢できずにロンズに問い詰める。

 

「あの、師匠。一体どういうつもりなんですか? 家を燃やして私を放ってきたと思えばこんな過保護なことをして……師匠の目的ってなんなんですか?」

「詳しく話したいのは山々ですが、あまりのんびりもしていられません。なにせ早くあなたの精神を元の体に戻さなければならないのですから」

 

 ロンズはシルに杖を向けると、シルの体が淡い光に包まれる。

 

「いいですかシル。今から私があなたに仕組んだプロテクトを全て解除します。どんな手を使ってでも、必ず私のもとに来なさい。私は迷宮の谷ラバレンスにいます」

「ラバレンス……? あっ、ま、待ってください師匠!」

 

 シルの体が空中に浮き上がり、体を包んでいた光が強く輝きを増していく。ロンズに向かって手を伸ばすも、宙に浮いた体はどんどん天に向かって飛んでいき距離が離れていく。

 

「あなたの無事を祈っています」

「師匠! 師匠!」

 

 ロンズの祈るような顔を見ながら、シルは必死でロンズに手を伸ばすがその体は光に包まれて消えてしまった。

 

 

 

 

 

「……はっ」

 

 シルの目覚めは長い眠りから目覚めるというよりも、うたた寝していたところを呼び起こされたかのような感覚だった。一瞬にして意識が戻り、周囲の状況を確認しようとする。

視界に飛び込んで来たのは、目を見開いて驚いたような顔をしたルドだった。目線を下に落とすと、ルドが自分の衣服を脱がせようとボタンを外しているのが見えて、シルは思わず黙り込んだ。

 

 お互いに時間が止まったかのように硬直していたが、シルは咄嗟にルドを振り払って箒を拾い空へ飛翔した。

森の上を飛んで逃げながら、シルは脱がされかけた自分の衣服を着直してぼやいた。

 

「な、何分ですか? 今何分経ちました? あっ、良かったまだ五分くらいしか経ってない……人様が死んで数分で何しようとしてんですかあのクソガキは!?」

 

 シルがそこまでぼやいたところで、背後から魔力を感じて咄嗟に振り返る。すると、ルドの操る金髪の人形が、数体で銃を構えてシルを捉えていた。

銃口から魔力弾が発射され、シルは咄嗟に森の中へと降下して身を潜める。

 

「くっ……」

 

 背後からルドが迫ってきているのが、感覚で分かったシルは逃げながらギガサンダーやギガウインドといった上級呪文を放つ。ルドも同じく攻撃を仕掛けていたらしく、大きな光弾や闇の塊が飛んでくる。互いの魔法が森林を破壊しながら森の中を駆け回り、徐々に距離が詰まっていく。

大きな光弾がシルの側にある大木に直撃して周囲が眩い光に包まれる。その瞬間、ぞっとする気配を感じたシルは咄嗟に振り返って杖を向ける。

 

 シルの杖とルドの杖がぶつかり、先端が向き合う形になる。

 

「テラフレア!」

 

 火の魔法の中でも特に強力な上級呪文が至近距離でぶつかり合い、爆風でシルの体は大きく吹っ飛んだ。

シルの体は地面を転がり、泥が服や頬にまとわりつく。

 

 

 天気が崩れ、曇り空にゴロゴロと雷の鈍い音が響く中、シルは顔を見上げて相手を見つめる。

ゆったりとした動きで地面に着地し、こちらを笑顔で見つめるルドを、シルは冷や汗を流しながら見つめることしかできなかった。

 

 

「ルド……一体、あなたはなにを考えているんですか」

 

 シルが感じていた疑問はそれだった。何故ルドが自分を殺し、そして今も攻撃してくるのかが分からない。

シルの問いに、ルドは人形の一体を抱きしめて答えた。

 

「好きだから」

「え?」

「私はお姉様のことが好きだから」

 

 ルドは人形を抱きしめる力を増して、より強く抱え込む。

 

「でも私知っているの……人ってすぐ変わっちゃう。お城の人も、好きだって言って次の日には浮気する人もいるし、40年経ってから心変わりする人もいる。好きなままなのに、段々変わっていって合わなくなっちゃう人もいる。皆、変わっていくの……変わるせいで、信じられなくなっちゃうの」

 

 だからね、とルドは続けた。

 

「私は変わっていくお姉様なんて見たくない……ずっと私の好きなお姉さまでいて欲しいの。だからね、お姉様には死んでほしいの」

「なにを、言っているんですか?」

「死んでしまえばもうそこから変わることはないから……だからお姉様には、ずっと私を大好きなお姉様のままで死んで欲しいの」

 

 頬を桜色に染めて語らうルドの姿が、シルには酷くおぞましく見えた。

昨日過ごした少女の内面に、こんな意味のわからない思考があったなどと誰が分かるだろうか。シルがなにかを言う前に、ルドの人形が襲いかかってくる。

 

「っ、ドラグヘッド・ファイア!」

 

 龍の頭が炎を纏って飛んでいき、口を開けて人形に噛み付こうとする。しかし、剣を持った人形がひと振り剣を振ると炎の龍は真っ二つに切り裂かれた。

いとも簡単に自分の魔法が破られたことにシルが動揺していると、人形が目前まで迫ってきていた。

 

「シェルシールド・ウッド!」

 

 木が絡んだ玄武の甲羅が盾となって現れるが、斧を持った人形によって甲羅が叩き割られてしまう。シルは咄嗟に広範囲を攻撃して人形を足止めしようとする。

 

「フェニクスウイング・アクア!」

 

 水しぶきとともに不死鳥の羽が周囲を覆い尽くすようにして放たれる。銃を持った人形が狙いを定めて引き金を引くと、銃弾が羽を叩き落としながら直進しシルの腹に命中する。

シルが呻き声をあげて片膝を着くと、目前まで槍を持った人形が迫る。

 

「あっ、た、タイガークロウ・エレキ!」

 

 シルの杖の動きと連動して虎の爪が電気を帯びて振るわれるが、ルドの人形が突き出した槍が虎の手を突き破ってシルの肩を掠める。

シルは痛みに顔を引きつらせながらも、後ろに後退して魔法を発動させる。

 

「エアロック!」

 

 空気の一部を硬化させて、人形の動きを封じる。見えない塊にぶつかって思うように人形が動けないのを見て、ルドはポケットに入れていた粉の薬品を取り出して杖を向ける。すると、粉が風の魔法に乗って飛んでいき、シルの魔法が固形になった空間にまとわり付く。

粉を目印に固まった空間を見極めたルドは、人形達を一斉にシルの元へ向かわせる。

 

 接近した人形にシルは剣や槍で傷つけられ、衣服に血が滲んでいく。

 

「ぐっ……」

 

 追い詰められながら、シルは最大術を使わなければ勝ち目がないと判断する。

そして、ルドが一歩前進してシルに近寄った瞬間、地面から魔力で作られた鎖が飛び出しルドを縛り付けた。先程後退する時に、予め自分が立っていた場所にトラップ魔法を仕掛けておいたのが作動した。両腕を縛られたルドは、弾みで杖を落としてしまっている。

 

(あれなら魔法も使えない……防護魔法は発動しているみたいですし、直撃しても死にはしないでしょう。悪いですけど最大術を当てて気絶してもらいますよ)

 

 シルは集中して魔力を練り込んでいく。術が発動できる段階まで魔力が高まると、シルは杖を勢いよくルドに向けて呪文を唱える。

 

「四神の龍よ。魔女シルの名のもとに命ずる。四つの力携えて、我の元に現れよ」

 

 シルが詠唱を始めると、周囲の空気が冷えて異様な雰囲気へと変わっていく。その光景を、ルドは興味深そうに眺めていた。

 

「ドラグサモン・クアドラプルエレメンツ!」

 

 シルが呪文の名前を唱えると、四体の龍がそれぞれの属性を身に纏って顕現した。一体一体が家一つ丸呑みに出来そうなほど大きな体躯をしていて、これだけの大きさの術を同時に、更に別の属性を纏わせて召喚するのは、才能があるの一言で済ませられるものではない。

ルドは初めて見るシルの本気の術に本気で陶酔していた。そのある種の美しさまで感じる完成度の高さに、見とれるしかなかった。

 

 そして、四体の龍は大きな声で吠えながら縛られたルドに襲いかかった。口を開けて牙を剥き出し、同時に噛み付いて激しい爆音が周囲に鳴り響いた。

シルはやり過ぎないように注意深くルドがいた地点を見続ける。だが、その内異変に気づいて不審に思い始める。

 

 ドラグサモンが直撃すれば、大爆発が起きているはずだ。なのに、四体の龍は未だに噛み付いたまま留まっている。どうなっているのかと思っていると、目に飛び込んできた光景にシルは唖然とした。

 

 

 ルドが、光を放って牙が触れる寸前で防いでいる。魔法は使えないはずなのに、何故こんなことが出来るのか。それを考えた時、シルは昔ロンズとした会話を思い出した。

 

 

 

「師匠ー、最強の魔法ってなんですかー?」

「なんですか薮から棒に」

 

 ロンズは書類に筆を走らせながらシルの問いに対して聞き返した。

 

「やっぱり魔女たるもの最強の魔法がなにかって気になるじゃないですか。私もそれ覚えたいです」

「最強の魔法ですか……まぁ心当たりが無いわけではないですが」

「えっ師匠知ってるんですか!?」

「これです」

 

 ロンズは机の上に置いてある杖を拾うと、振り向きざまに軽く振る。すると魔力の塊が飛んでいき、飾ってあった壺が割れた。

ロンズが魔法ですぐに壺を修復するのを見ながらシルは不貞腐れる。

 

「師匠、それ魔力飛ばしただけじゃないですか。全然魔法じゃないですよ」

「これでも割と本気ですが」

「だって師匠昔言ってたじゃないですか。魔力飛ばしは王宮魔導師でも中級魔法程度の威力にしかならないって。そんなの全然最強じゃないですよ」

 

 ロンズはそんなシルの文句を聞くと、暫く黙っていたが不意に口を開いた。

 

「逆に考えてみてください。王宮魔導師にとっては魔法使いが放つ中級呪文までは魔法を使わずとも魔力を飛ばすだけで戦えるんですよ」

「む……でも結局は中級止まりじゃないですか」

「ああ言えばこう言う子ですねあなたは」

 

 ロンズはそこで話を切り上げようとしたが、暫し考え込んだあとつい言葉を零した。

 

「でも私は思うんですよ。もし魔力飛ばしを上級呪文以上の力で放てる魔法使いがいたとしたら……」

 

 

 

 

 それは最強の魔法使いと言えるのではないでしょうか、と。

師匠のそんな言葉を脳裏に浮かべたシルの目の前で、ルドは全身から魔力を放出してシルの最大術の龍を同時に四体全て弾き飛ばした。

弾かれた龍は腹を破られ、そのまま消滅していく。消える自分の術を唖然と眺めながらシルは立ち尽くして言葉を無くしていた。

 

 自分の最大術が、真っ向から破られた。魔法の相性や完成度など関係ない。ただ圧倒的な力の前に正面から破れた。

その事実がシルに叩きつけられる。

 

 当のルドは、地面に落ちた杖を拾って土を払いながらマイペースに動いていた。そして、シルに向かって笑いかける。

 

「……結構魔力持って行かれちゃった。やっぱりお姉様は凄いね、もう半分近くしか魔力が残ってないよ」

 

 目の前の少女が何を言っているのか、シルは理解出来なかった。苦し紛れに全力で悪あがきをしたと言うなら、まだ理解できなくはない。それが、まだ彼女は半分近いスタミナを残しているという。その途方もない魔力量は、完全にシルの理解の範疇を超えていた。

 

 これは、少なからず今までシルが他の魔法使いに対して抱かせた印象と同じだった。今までの自分の人生で培ってきた価値観を、正面からその才能で捩じ伏せる。シルは、今まで理解出来なかった相手の気持ちを、今身を持って体感していた。

 

 

 勝てない。

私は、私の魔法は、彼女に通用しない。そんな現実を前に、シルは手から力を抜き立ち尽くすしかなかった。もう、どんな魔法もルドには通用しないと、そう理解してしまった。

 

 しかし、一歩ずつ迫ってくるルドを見て師匠との約束を思い出す。

何をしてでも必ず師匠のもとへたどり着くと。その為に今できることを必死で考える。そして、不意にシルは師匠の言葉を思い出した。

師匠は、私に掛けたプロテクトを全て解くと言っていた。なら、今まで使えなかった魔法を……死の呪文を唱えることだってできるはず。

 

 先ほどの不意打ちは、出来るだけ魔力の気配を消すために術式を読まれないプロテクトを仕掛けていなかった。つまり、シルもあの死の呪文を使えるはずだ。

ルドはこのことを知らない、だから、不意打ちで死の呪文を当てることができれば……

 

 

 シルは一瞬のチャンスを逃さないようにするため、項垂れる振りをする。確実に呪文を当てられる距離になるまで引きつける。

一歩一歩とルドが迫る事にシルの心拍数が上がっていく。

 

(大丈夫……やれます、やってみせます。先に殺そうとしてきたのは向こうです。だからこれは……やむを得ないことなんです)

 

 そう自分に必死に言い聞かせながらシルはタイミングを伺う。ルドとの距離が近くなり、確実に術を当てられる範囲に迫ってくる。

杖を力強く握り締め、タイミングが来た瞬間に素早くルド目掛けて杖を向ける。

 

「ノクターン……」

 

 

 

 術を当てた時の光景が思わず脳裏に浮かんだ。胸を貫かれて倒れるルド、それを見下ろす自分。

人を、二度と動かぬ物に変える感触。直接触れてはいないのに、魔法を使った杖を握る手に残る奇妙な感触。

これが、死なのだと。人を殺める、罪の感触。それが、否応なしに己の手に滲んでいく感覚。酷く気持ち悪かった。

 

 

 

 

「っうっ、おっ、おええ゛゛え゛え゛゛っ!!」

 

 術を放とうとした瞬間、ルドを殺す光景を思い浮かべた。その嫌悪感が激しい嘔吐感を催し、シルは地面に思い切り嘔吐物を吐き出した。

あの日、里に入るために貨幣を偽造しようとした時とは似て非なる感覚だった。気持ち悪い、だなんてものではない。

体の全てが、殺人という行為を忌避しているかのように、全ての器官が自分を戒めるがごとく激しい嘔吐感に襲われてシルは震えながら蹲る。

 

「……お姉様?」

 

 全身を震わせていたシルは、ルドの声を聞いて反射的に顔を上げる。もう目前にまでルドは迫って来ていた。

シルはルドに殺されそうになっていること、先程感じた吐き気を催す嫌悪感、それら全てが混ざり合い反射的に箒を掴んで跨ると勢いよく飛び出した。

 

「はあっ、はあっ、う゛っ、ああ……」

 

 ほぼ過呼吸気味になりながら、ふらつく箒で木の枝にぶつかるのも気にせずにがむしゃらに逃走を続ける。

後ろを振り向くと、ルドが追いかけて迫ってきている。それを見て、シルは半ば狂乱しながら手当たり次第に魔法を乱発する。

 

「ーっ、こ、来ないで! 来ないでぇぇ!!」

 

 怖くて、自分が情けなくて、ぐちゃぐちゃになって訳が分からなくなった。そんな必死な姿のシルを見て、ルドは思わず微笑んだ。

 

「お姉様……可愛い」

「っぁぁ、いやっ! いやああああ!!」

 

 そして、恐怖のあまり乱れた心で魔法を使おうとした瞬間、杖の先端で火の魔法が暴発し、シルの体は爆風に包まれた。吹っ飛ばされた体は、冷たい水の圧力を受けて急激に力が抜けてしまう。

 

 シルが叩きつけられたのは、森の中を流れる川に繋がる滝だった。そして、この時になってシルは思い出した。この森の水が、魔力を遮断する効果があることを。

魔力が使えなくなったシルは、当然飛ぶこともできずに滝に飲み込まれて川へと流されていってしまった。

 

 ルドが滝の前まで来た時には、シルの姿は見えなくなってしまっていた。

探索魔法を使おうにも、この水に浸っている限りは探知できないだろう。

 

「……しょうがないや」

 

 ルドは城の人間から得た知識をもとに、川の流れる先へと先回りすることにした。

 

 

 

 

 

「…………?」

 

 シルは温かい感触を感じたかと思うと、ゆっくりと目を開けて目覚めた。そして、唐突に気分が悪くなり咳き込んだ。川の水を飲みすぎてしまったのだろうか。

 

「おい、大丈夫か?」

「ぁ……え?」

 

 何者かが自分のことを覗き込んでいる。焦点の合わない目でその人物を見ていたが、やがて視界がはっきりするごとに、その人物の正体が分かった。

 

「退治屋……さん?」

「ああ、そうだ。おい、シルが目を覚ましたぞ!」

 

 そう言って雨竜は近くにいた誰かに呼びかける。一体誰に話しかけているのかと目線を動かすと、そこには更に信じられない光景が映っていた。

 

「僧侶さんに、学者さん……?」

「ええ、心配したんですよ」

「シルさん、温かいスープを用意しました。冷えているでしょうから、どうぞ」

 

 差し出されたスープと、清念とクローンを見比べる。

今まで顔を合わせた人物たちが、何故か一堂に会していた。雨竜と清念は安堵の表情を浮かべて二人で話しだした。

 

「水を汲みに行っていた雨竜さんが偶然シルさんを見つけましてね。いや、死んでいるんじゃないかと焦ったものです」

「まあお前はこの程度で死ぬようなタマじゃないと思ってはいたんだがな」

「でも本当にびっくりしましたよ。こんな所で倒れたシルさんを見つけるなんて想像もしていませんでしたから」

 

 思い思いに話し出す三人を見て、シルは不意に今まで感じたことのない安堵感に包まれた。下を見下ろすと、自分の体に毛布が掛けられていた。恐らく三人が介抱してくれたのだろう。

身の安全が確保されたことを理解したシルは、遅れて心の内から苦い感情が溢れ出てくるのを感じていた。初めて自分と同年代以下の魔法使いに敗北した。

 自分には天性の才能があって、師匠だってそれを否定はしなかった。そんな自分の魔法が、尽く破られて追い詰められて。

 

 そして何より、殺そうとしても出来なかった。師匠が細工をしていたりも無いはずなのに、人を手にかける事を想像しただけで気持ち悪くなって嘔吐してしまった。別に殺したかった訳ではない、でもルドや今まで戦った相手が平気でやろうとしたことを、自分が出来なかったことが情けなく思えてしまう。

 だが、なによりも今一番胸の内をしめているのは……

 

 

 

「っ!」

 

 清念と雨竜は自分たちのもとへ抱きついてきたシルを戸惑いながら受け止める。

胸の内で震えるシルは……泣いていた。

 

 怖かった。また死ぬかもしれない。自分の力でどうしようもない相手に殺されかけた事実が、今も胸の中で恐怖と不安として巣食っている。

だから、今側に清念達がいることで安心してしまって、感情を押し殺せずに表に出してしまった。

 

「うぅ……ひっ、ぁ……うぅぅー……っく、うぅ……」

「……」

 

 何があったかは分からない。

ただ、今は何も聞かないでおこう。そう思って清念と雨竜はシルを抱きしめて、クローンは後ろから背中をさすってやった。

三人の温もりに包まれながら、シルは生まれて初めて、人前で泣き続けるのだった。



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