『希望の実』拾い食いから始まる逆転ダンジョン生活! (IXAハーメルン)
しおりを挟む

第一話

アルファとカクヨムにも投稿していますが、せっかくアカウントを作ったのでこちらでもデータ保存用兼新話執筆用として投稿しようかなと
アルファの執筆機能死ぬほど使いにくいんですよね


 突然隣の山田がナイフを振るい、私の足を浅く切りつけた。

 無様に転び、泣きそうになる。

 

「え……!?」

「それじゃ、あとはよろしく!」

 

 手を伸ばし助けを求めるも、アイツらはニコニコ笑顔で走り去ってしまった。

 奥からはドスドスと強烈な足音を立て、私をぶち殺そうと嬉々として駆け寄ってくるオーク。

 

 死ぬ、のか。

 

 本当は探索者なんてやらず、幸せに暮らしたかった。

 普通の家族と笑ったり喧嘩したりして、友達とスイーツ店巡りをしたかった。

 

 それが現実は、十五になってそうそう、こんな場所で何も出来ずに死ぬ。

 

 はあ……本当に最悪だ。

 拾い集めていた希望の実を一気に口へ放り込み、最後の晩餐を終える。

 

 サクサクと青臭く、苦く、渋く、酸っぱい。

 食べるドブが人生最後とは、我ながら悲しいものだ。

 

 希望の実は食べると一日分の食事が不要になるほど、栄養とカロリーがある。

 その代わり吐きそうなほどまずいが。

 

 希望の実を食べ尽くせば、目の前にいるのは絶望のみ。

 

『グオオオオオオオッ!』

 

 高々と掲げられた石斧。

 ああ、最後にショートケーキ食べたかった……

 

 

「あ……お金ない……」

 

 財布を天高く掲げ、硬貨が一枚たりとも転がり落ちてこないことを確認する。

 なんてことだ。施設から貰った大切なお金だったのに、人生で2度目となる憧れだったショートケーキやら、スイーツやらに全部使い切ってしまった。

 だって夢だったんだ、お腹いっぱい甘いものを食べるの。

 

 夢なら仕方ない、誰も見ていない中一人頷く。

 

 人々があくせくと行き来する中、公園のベンチでこの先どうするか頭を抱える。

 

 私は結城フォリア、現在住所不定の15歳だ。

 色々あって母親から保護され児童養護施設にいたのだが、15という年齢になり多少の金と共に追い出され今に至る。

 名前から分かる通りハーフで、見た目だけは整った外国人に見えるらしい。

 だから何だって話なのだが、そんなことよりお金をくれ。

 

 本当は働き場所も決まっていたのだが、なんだか工場長がねちっこく私を見てくるのが気持ち悪くて、直ぐに辞めてしまった。

 ごめん、誘ってくれた人。

 

 さて、この先どうするかという話だが、いくつか選択肢がある。

 ソープに沈むか、バイトを掛け持ち生き延びるか、命を懸けて探索者になりダンジョンへ潜るかだ。

 

 いやはや、栄養不足で15だというのに小学生ほどの身体をしている私がソープなどに行けば、恐らく数日持たずに死ぬのが目に見えている。

 バイトもそこまで体力が持つとは思えない。

 

 だが、その体力不足を解決するのが、ダンジョンへ潜ることだ。

 詳しいことは知らないが、三十年ほど前に異世界と繋がった? らしく、世界各地にぽこじゃかとダンジョンが生まれた。

 その中で戦えば魔力が染み渡り、どんどん身体が強くなる……らしい。

 

「ダンジョンで鍛えて、体力を付けてからバイトをする……完璧」

 

 ダンジョンでとれるアイテムや素材は高価で取引されるらしいが、私がそこまで強くなれるとも思えないし、最低限の体力をつけれればいいのだ。

 ダンジョン内には食べられるものが生えているらしいし、それを食べれば食費もかからない。

 

 なんて天才的なんだ、自分の考えに拍手を送りたい。

 スニーカーの紐をキュッと結び、気分一新その場から走り去った。

 

 

「えーっと、新規登録……ですか?」

「うん、お金一円もないから」

「……お母さんとか呼んできてくれるかな? 小学生一人だと登録できないのよ」

 

 ようやくたどり着いた探索者協会、受付の女性が眉を顰める。

 カウンター……だと頭しか出ないので、椅子に立って交渉をするが、困った顔で拒絶されてしまう。

 

 なんてことだ、完全に小学生だと思われている。

 お母さんは今どこに居るかもわかりません、多分ソープに沈んでいますとは言えない。

 困った……

 

 するとカウンターの裏から、筋肉モリモリのゴリラっぽいハゲが現れた。

 凄い筋肉だ、ぴくぴくしてて気持ち悪い。

 

「おう、どうした園崎」

「あ、マスター。その、この子が探索者になると言って聞かなくて……」

「探索者にならないと死ぬ。本当に無一文」

「ふむ……《鑑定》 なんだ、もう十五じゃねえか、登録できるぞ」

「嘘ぉ!? 《鑑定》……あ、本当だ……申し訳ありません、今から登録しますね!」

 

 なんと筋肉ゴリラのおかげで窮地を免れることが出来た。

 ありがとう筋肉ハゲゴリラ……ハゲゴリラは失礼かな、筋肉にしよう。

 

 それにしても鑑定、か。

 きっとスキルという奴なのだろう。あまりになじみがなさ過ぎて失念していたが、確認方法があるなら最初からそうしておけばよかった。

 

 スキルという奴は始めてダンジョンに入ると、ステータスと共に必ず付与されるらしい。

 その中でも鑑定は基本的かつ必須なスキルで、真っ先に皆が取ると知り合いの万丈が言っていた。

 私もダンジョンで食べ物を漁るのなら取るべきだろう、お腹壊すと困るし。

 

 名前、年齢、住所は無しと伝え暫く待てば、一枚のプレートが手渡された。

 伝えたことだけが書かれている,簡素な金属の板。だがこれが冒険者の証。

 登録は無料だ。レベルの高い探索者というのは一般人と比べ、絶大な力を振るうことが出来、それを生み出すために各国が躍起になっているから。

 

 なんだか体力をつけるために来ただけなのに、こうやって持ってみれば不思議な実感がわいてくる。

 取り敢えずバイトを掛け持ちできるくらい体力つけて、お腹いっぱい甘いものを食べるために頑張ろう。

 

「お嬢ちゃん」

 

 カードをリュックに仕舞うと、突然筋肉が話しかけてきた。

 

「なに?」

「事情は知らんが探索者は過酷だ。それだけの価値があり、国も目を逸らしているとはいえ、最初の一年で三割が死ぬ……これで包丁でもなんでもいい、身を守れる武器を買ってこい」

「え……? いいの?」

 

 筋肉が手渡してきたのは、一枚のお札。

 ケーキがニ十個位買える、凄い大金だ。

 

 私が二度見するとニカっと白い歯を見せ、陽気に笑う筋肉。

 やっぱりこの筋肉はすごい良い奴だ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二話

「これください」

「まいどありー」

 

 ちゃららっちゃらー

 フォリアは 金属バットを 手に入れた!

 お金を7000円失った!

 

 昔施設に来た卒業生の、木戸さんにやらせてもらったゲームの音声が、脳内に鳴り響く。

 ナイフや包丁はもっと安く手に入るが、切れ味の手入れや接近して戦うとなれば危険が危ない。

 そこで適当に振っても威力がそこそこあって、手入れも不要、その上振る事に特化した小学生用金属バットを手に入れた。

 

 本当はこの一万で安いホテルでも借りて、バイト面接した方が良かったのだろう。

 でも筋肉の笑みを思い出すと、彼を裏切るようなことはしたくなかった。

 

 大人用の奴も考えたのだが、値段が跳ね上がるのと重かったので諦めた。

 まあこれで護身は十分だろう。

 さあ、早速ダンジョンにれっつごーだ。

 

「えいえいおー」

 

 掛け声を上げたら、横のサラリーマンに凄い見られた。

 ちょっとぞくぞくした。

 

 

 今日私が向かうのは、最低難易度であるGクラスの花咲ダンジョンだ。

 スライムとかネズミがたくさんいるらしい。

 

「君、本当にひとりでダンジョンに入るつもり?」

「え? うん」

 

 ダンジョンへの侵入許可を待っていると、後ろにいた三人組が話しかけてきた。

 男二人、女一人のパーティで、近くの大学生らしい。

 一人で並んでいる私を心配して、俺達のチームに入らないかと誘ってくれた。

 

 気遣ってくれるなんて、多分いい人たちだ。

 体力をつけるためとはいえ、確かに一人で潜るのには不安があった。渡りに船という奴で断る理由もなく、それを受け入れる。

 男二人は茶髪と金髪、女は金髪だったのでもしかしたら、私と同じハーフなのかしれない。

 

 

「それじゃあ、入ろうか!」

『おー!』

 

 リーダーだという金髪の山田、その声に合わせ皆で掛け声を上げる。

 

 遂にギルドの登録証を見せ、迷宮探索の許可が下りた。

 これからは他のダンジョンであっても、自己責任で侵入することが出来る。

 

 踏み入れたダンジョンは、どこかじめっとした草原だった。

 その瞬間、無機質で電子的な音声が脳内に鳴り響く。

 

「……! ステータスオープン」

 

―――――――――――

結城 フォリア 15歳

LV 1

HP 2 MP 5

物攻 7 魔攻 0

耐久 11 俊敏 15

知力 1 運 0

SP 10

 

スキル

悪食 LV5

口下手 LV11

―――――――――――

 

 凄い、本当にステータスが出てくるんだ……!

 自分自身不思議に思う程、この超常現象に素直に感動していた。

 耐久が高いのは良く母親に殴られたからで、速度が高いのは多分こっそりご飯を食べていたからだろう。

 

 三人の大学生もワイワイと、スキルがどうだとか、ステータスが高いだとかで互いに騒ぎ合っていた。

 遂に手に入れた能力、そして初期値として渡されているスキルポイント。

 ここまでは話に聞いていたままだし、定石通り鑑定を皆でとって、私たちの冒険は始まった。

 

 

 ……と、これがここ一週間での出来事だ。

 皆で朝に集まって、一時間ばかしダンジョンに潜る。

 互いの身の上話なんてこともして、両親を頼る箏の出来ない現状も話したら、大西……金髪の女は泣いてくれた。

 

 食事は迷宮内に落ちている、希望の実という種で過ごしている。

 渋くて苦くて酸っぱくて、更にドブのような匂いがする。いや、もはや食べるドブと言っても過言ではない。

 でも栄養が大変豊富で、ダンジョン内で食料が尽きた時は、これを見つければ生き延びれると言われている、大変凄い実なのだ。

 

 まあ本当に不味いので、私以外は誰も食べていないだろうが。

 

「なあ、そろそろFランクのダンジョンに潜ってみないか?」

 

 お金は山分けと、互いに不満もおそらく少なく、平穏なダンジョンライフを過ごせていた。

 男その2、もとい飯山がそう切り出すまでは。

 

「え……でも危ない……」

「大丈夫だって、俺達ならいけるよ!」

「確かに……ここでちんたらやっているより、上のダンジョンでレベル上げした方が効率いいよな」

「そうね! スライムとネズミばっかで飽きてたところだわ!」

 

 流石に危ないだろうと止めたのだが、三対一では分が悪く、Fランクである落葉ダンジョンへと行くことに決まった。

 他の三人と比べ基礎的な力のない私は、この時点でレベル3。他の三人は10を超えていたので気が大きくなっていたのだろう。

.

.

.

 

「ハァ……ハァ……! こんなにヤバいところだなんて聞いてねえぞ……!?」

「ま、まって……私はっ、レベル低いから……!」

 

 後ろから爆音を上げ、巨大な斧を片手に走ってくるオーク。

 俊敏こそある程度はあるが、体力も低くレベルも劣っている私では、三人を追いかけるのがやっと。

 少しでも足を縺れさせれば、このまま捕まって死んでしまうだろう。

 

 やはりというべきか、Gランクの踏破すらしていない私達ではステータスが足りず、落葉ダンジョンでまともに攻撃が通ることは無かった。

 無謀だったのだ、何もかもが。

 

 皆の顔が恐怖に引き攣り、どうにか逃げようとジグザクに走り回る。

 しかし匂いで追いかけているのか全く撒ける気配もなく、このまま死ぬのか……そんな雰囲気が漂い始めた。

 

 その時、大西が山田に何かを耳打ちした。

 飯山にもそれを伝え、にやりと笑う三人。何か逆転の一手を思いついたのかもしれない。

 

「ね、ねえ! なんか思いついた?」

「ええ、最高の案がね……!」

 

 ひょいと大西がナイフを抜き取り……一閃。

 私の太ももを浅く切りつけた。

 

「え……!?」

 

 驚愕、そして激痛。

 そのまま地面を無様に転がり、痛みに呻く。

 一体何で……!?

 

「ごめんねぇフォリアちゃん。貴女スキルも習得しないし、基礎ステータスもよわっちいから要らないのよ。元々肉壁として確保したわけだし、なんか表情変わらないのも不気味なのよねぇ。まあ追放ってことで、あとはよろしく!」

 

 あとから分かった事だが、本来パーティを組む場合経験値がパーティメンバーにも流れるらしい。

 その分経験値の取り分が減るとかはなく、みな平等にレベルアップすると。

 

 そう、私のレベルは3で三人のレベルは10超え。

 つまり元からパーティメンバーとして組んでいたわけではなく、有事の際の肉壁として確保されていたにすぎない。

 いや、もしかしたら最初は打算ありきの好意だったのかもしれないが、天涯孤独な身の上などを知って、使い捨ててもバレないことに気付いたのかもしれない。

 

 どちらにせよ私は、ゴミ屑の様に捨てられたわけだ。

 

 手を伸ばし助けを求めるも、アイツらはニコニコ笑顔で走り去ってしまった。

 奥からはドスドスと強烈な足音を立て、私をぶち殺そうと嬉々として駆け寄ってくるオーク。

 

 死ぬ、のか。

 

 本当は探索者なんてやらず、幸せに暮らしたかった。

 普通の家族と笑ったり喧嘩したりして、友達とスイーツ店巡りをしたかった。

 

 それが現実は、十五になってそうそう、こんな場所で何も出来ずに死ぬ。

 

 はあ……本当に最悪だ。

 拾い集めていた希望の実を一気に咀嚼し、最後の晩餐を終える。

 希望の実は食べると一日分の食事が不要になるほど、栄養とカロリーがある。

 その代わり吐きそうなほどまずいが。

 

 希望のみを食べ尽くせば、目の前にいるのは絶望。

 

『グオオオオオオオッ!』

 

 高々と掲げられた石斧。

 ああ、最後にショートケーキ食べたかった……

 

『希望の実の特殊効果による、レベル10以下の復活判定が行われます』

『失敗』

『失敗』

『失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗……成功』

 

『称号 生と死の逆転 を獲得しました』

『ユニークスキル スキル累乗 LV1 を獲得しました』

『スキル 経験値上昇 LV1 を獲得しました』

 

 脳裏に響く不思議な音を聞いて、私は気絶した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三話

 夢を見た。

 まだ両親をパパ、ママと呼んでいて、普通の家庭だった時の夢。

 多分小学生になるより前、初めてショートケーキを食べた。

 二人共笑顔で……

 

 

「――ろ、起きろお嬢ちゃん!」

「……あ」

 

 目を開くと真っ白な光が突き刺さり痛い。

 火にも炙られていないところを見ると、地獄ではなさそうだ。

 死んだ私はどうやら、天国にいったらしい。

 

 光になれれば、目の前にいたのは筋肉。

 なんてことだ、天使というのは凄い美女やイケメンではなく、筋肉ムキムキのハゲゴリラだった。

 衝撃の事実に口を開ける。

 

「天使は筋肉ハゲゴリラだった、これは小説の一文になるかもしれない」

「誰が筋肉ハゲゴリラだコラ……その様子じゃ体調に何か問題はなさそうだな」

 

 どうやら私は別に死んでいないようだ。

 筋肉曰く私は落葉ダンジョンで倒れていたところを、偶然通りかかった探索者によって救出、教会へと運び出されたそうな。

 ここは教会に併設されている無料の医療施設、探索者が強力な存在なので国が金を払っているのだ。

 

 どうしてあんなところに潜ったんだ、筋肉は私に怒るが、私だって本当は入りたくなかった。

 事情を説明したが、パーティの正式な登録をしていないなら、その証明は難しいと渋い顔で告げられた。

 そんな気はしていた、でなきゃあまりに躊躇が無さすぎる。

 ああ、人間なんて信じるんじゃなかった。

 

「これからどうするんだ? ……お前がその気なら、協会の職員として推薦状を書くのもやぶさかじゃないが……」

「いや、探索者としてこれからは一人でやっていく」

 

 筋肉の話はあまりにありがたすぎる申し出だったが、私だってクマムシくらいのプライドはある。

 ゴミみたいな扱いをされて、少し、いや結構傷付いたし、あいつらは絶対に許せない。

 でも今の私だと雑魚だ、多分切り掛かったらその場で肉袋になる。

 

 だから頑張る。

 今までは体力をつけるだけが目的だったけど、強くなる。強くなってあいつらをボコす。

 えーっと強い奴が偉いってのは……焼肉定食? そう、焼肉定食の摂理に従って、私は己の欲望のままに奴らを喰らってみせるのだ。

 

「そうか……ほら、これお前の武器だろ?」

「おお、愛しの金属バット」

「悪くない選択肢だ。遠心力を利用すれば弱くてもそこそこの威力が出るからな」

 

 筋肉にも褒められた。

 人に褒められたの久しぶりかも、えへへ。

 

 

 まだ体調も完璧じゃない、ここで休んでろ。

 筋肉はそう言ってこの部屋から去っていった、協会の支部長らしく忙しいのだろう。

 

 さて、人が居なくなったところで確認することがある。

 死ぬ直前か直後か知らないが、聞こえたあの音とスキルについてだ。

 

「ステータスオープン」

 

 

―――――――――――

結城 フォリア 15歳

LV 3

HP 10 MP 15

物攻 11 魔攻 0

耐久 23 俊敏 29

知力 3 運 0

SP 0

 

スキル

スキル累乗 LV1

悪食 LV5

口下手 LV11

経験値上昇 lv1

 

 

称号

生と死の逆転

―――――――――――

 

 やはりというべきか、あれは夢ではなかったらしい。

 気になるのは当然『スキル累乗』『経験値上昇』『生と死の逆転』だろう。

 目の前に出たウィンドウを突けば、各々スキルの詳細も確認できる。

 

―――――――――――

 経験値上昇 LV1

 パッシブスキル

 経験値を獲得する時、その量を×2倍

 

 スキル累乗 LV1

 パッシブ、アクティブスキルに関わらず、任意のスキルを重ね掛けすることが出来る

 現在重ね掛け可能回数 1

 

 生と死の逆転

 死を乗り越え、運命を切り開いた証

 称号獲得者に『経験値上昇』と『ユニークスキル』を付与

―――――――――――

 

 成程、このへんてこなスキルや称号たちは、私が死んで生き返ったから手に入ったようだ。

 確か希望の実でLV10以下復活判定だとか言っていたから、そのおかげだろう。

 

 しかし希望の実で生き返るとは、今まで聞いたことがない。

 いったいどれほどの低確率なのか、一個や二個食べたから大丈夫です、という物でもないだろうし、LV10以下でないと判定も出ないとなれば、今まで誰も知らなかったのも当然だ。

 要するに私は、最後の最後に悪運があったという訳らしい。

 

 累乗、るいじょー……ぎりぎり覚えている。

 学校で学んだ、同じ数字を掛け合わせると凄い大きい数になる奴だ。

 序盤は足し算が上でも、続けていけば足し算なんか足元にも及ばない桁になるらしい。

 

 ……もしかして

 

「『スキル累乗』発動、対象『経験値上昇』」

 

 もしかして、もしかしてだ。

 例えばこの『スキル累乗』を発動して、経験値上昇が『×4倍』になったとしたら……

 

 『スキル累乗』のLVが上がって、重ね掛けの回数が三回、四回と増えていく時、二倍が四倍、四倍が八倍、八倍が十六倍……ちょっとその先は計算できない。

 算数は苦手なのだ、そもそも勉強できないけど。

 

―――――――――――

 

経験値上昇 LV1

 パッシブスキル

 経験値を獲得する時、その量を【×4倍】

 現在『スキル累乗』発動中

 

―――――――――――

 

「は、はは……!」

 

 心臓が、震えた。

 涙がとめどなく溢れ、全身に力が漲る、

 

 私は今、銀杏塩辛に覆われた現実を払拭する、とんでもない力を手に入れてしまったかもしれない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四話

 とんでもない力……かもしれないと分かれば人間現金なもので、早速試したくなってしまった。

 金属バット、というのもなんだか寂しいので名付けてエクスカリバー、いや、カリバーを握りしめベットから飛び上がる。

 迷宮ではボスなどから強力な武器が産出するが、その他にも自分の武器を使いこめば、その分強力になるという話を聞いたことがある。

 カリバーは私の愛バットとして名前を轟かせてもらおう。

 

 さあ、迷宮だ。いざ迷宮、今すぐ迷宮だ。

 もうそれしか今は考えられない。

 廊下を早足で抜け、階段を降り……

 

「あら? 貴女目覚めたのね?」

「……?」

 

 突然見知らぬ女の人が話しかけてきた、新しい宗教加入かもしれない。

 こういった手合いは慣れている、うちにも毎日のように来ては、知らないと追い払っていたから。

 無視と放置、王道の一手だ。

 

「あ、ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ! アンタ助けてあげたのあたしなのよ?」

「え……そうなんだ。ありがとう」

 

 命の恩人だった。

 深々と頭を下げ、しっかりと感謝の意を伝える。

 お礼はしっかりしなさいと、兼崎先生に教わったのだ。

 

 穂谷汀(ほたになぎさ)と名乗ったその人は、顔の美醜は良く分からないけど、凄いスタイルのいい人だった。

 しかも一人でダンジョンなんて危ないと、一緒に潜らないかと、膝を曲げて顔を合わせ提案してくれた。

 いい人そうだし、もろ手を挙げて喜ぶ……ことは出来ない。

 

 思い出すのは、大西の歪んだ表情。

 一週間とはいえ一緒に戦った仲間を、何の慈悲もなく切り捨てる人間。

 ああ、だめだ。どうやら私は残念ながら、他人を心から信用するのが恐ろしくて恐ろしくてたまらないらしい。

 いつ背中から斬られるのか、壁としてぞんざいに扱われてしまうのか、頭の中をぐるぐるしている。

 

「ごめん、自分一人でがんばる」

「そう……じゃ、じゃあ電話番号あげるわ! 何か困ったらここに電話してね!」

「電話持ってない……」

 

 私の言葉を聞いて痛々しいものを見たような、何とも言えない顔になる穂谷さん。

 暫しの無言が続き、土日にはここに来るから、何か困ったら話してねと言って彼女は去っていった。

 

 いい人だ。

 信じれない自分がちょっと情けない。

 ……んんっ、何とも言えない出会いだったが、それはともかくとしてダンジョンに行こう。

 勿論今回はFランクの落葉ではなく、Gランクの花咲ダンジョンだ。

 

 

 草むらの影、透き通った見た目の蠢く粘液。スライムだ。

 足音を消し、ゆっくりと近づいて……

 

「ほーむらーん」

 

 スコンッ!

 

 両手でカリバーを握り全身を使い、振り回す様にかちあげる。

 見事スライムの中心を捉え、そのまま真っ二つに。ついでに軽く踏み潰してスライムは絶命した。

 

 本日10匹目、さらに経験値四倍となっているので実質四十匹目のスライム。

 当然経験値もたんまりと入り

 

「来た!」

 

 脳内に響き渡る、無機質で電子的な音声。

 これで通算四回目、漸く訪れたLV5のレベルアップ音だ。

 気を付けないと鼻息荒くなってしまう程度には、テンションが上がってきた。うほうほしてきた。

 

 どうして私がこんなに興奮しているのか、それはレベルとSPの関係だ。

 単純に言えばSPはレベルが5の倍数の時、一定数付与される。

 勿論強力なスキルのレベル上げや習得には大量のSPが必要で、高レベルに成程SP自体も豊富に貰えるらしい。

 

「ステータスオープン」

 

―――――――――――

結城 フォリア 15歳

LV 5

HP 18 MP 25

物攻 15 魔攻 0

耐久 35 俊敏 43

知力 5 運 0

SP 10

 

スキル

スキル累乗 LV1

悪食 LV5

口下手 LV11

経験値上昇 lv1

 

 

称号

生と死の逆転

 

装備

カリバー(小学生向け金属バット)

―――――――――――

 

 確実に成長していることを、自分でもはっきりと理解してきた。

 走ってもすぐに息が切れないし、最初は何度もバットを振り下ろして倒したスライムが、今では一撃で四散する。

 ちょっと頭もよくなったかもしれない、分かんない。バカのまんまかも……

 

 取り敢えずSPが手に入った、それが一番重要なのです。

 スキルという物は多岐に渡って、剣術などのオーソドックスな物ならば、スキルレベルごとにどんな能力になるのか知れ渡ってる。

 

 しかし一方でユニークスキルやレアなスキルは、どうなるかいまだ不明なものも多い。

 ユニークである『スキル累乗』、死に戻りという厳しい条件の『経験値上昇』は、そのどちらも情報が全くない。

 ここに来る前ネットカフェで頑張って手書き検索したのだが、一切情報が出てこなかったので、スキルポイントを振るのはなかなか度胸が居る。

 

 鑑定と同じく、基本的なスキルならSPによる習得も可能だ。

 今はあえてこの二つに触れず、戦闘能力の充実をするのも手だろう。

 むむむ、これはちょっと悩むぞ……ちらっ

 

―――――――――――

スキル累乗LV1→LV2

必要SP:100

 

経験値上昇LV1→LV2

必要SP:10

―――――――――――

 

『経験値上昇がLV2に上昇しました』

 

 ……はっ!?

 

 数値を見た瞬間、勝手に指が動いてしまった。

 上昇が上昇して面白い、空高くまで飛んでいけそう。

 好奇心とレベルアップの興奮を求める自分を止められなかった、だってレベル上がるのが早いほど強くなれるに決まっているし、きっとこれは間違っていない。

 

 別に自分のスキルへ他人がどうこう言う訳ないのだが、つい誰かへ弁明したくなってしまった。

 うむ、上げてしまったものは仕方ない、仕方ないのじゃ。

 どれどれ、どれだけ変わったのかな……

 

―――――――――――

 

 経験値上昇 LV2

 パッシブスキル

 経験値を獲得する時、その量を×2.5倍

 

―――――――――――

 

 50%の上昇。

 最悪1%刻みで上がるなんて思っていたが、神様というのは案外私に甘いらしい。

 6.25倍の経験値上昇、ぞくぞくが足から脳天へ登る。

 もし、次上がれば経験値効率は9倍、その次は12.25倍……!

 

 おっと、ダンジョン内だというのに、つい気持ち悪い笑みを浮かべてしまった。

 

「スライム……倒す……!」

 

 ぶんぶんとカリバーを振れば、相棒も私の着々と増す力に唸り声をあげる。

 重くて振る度に掌が痛かったのに、今では長年の相棒もかくやという程馴染み、強力な一撃を放てるほどになった。

 

 七日間毎日一時間狩り続けて、漸く上げた2レベル。

 しかし今の私は、たった一時間足らずでその結果を上回る戦闘をこなした。

 さらに今後戦えば戦う程、私の成長はより飛躍的に跳ね上がる。

 

「行こう」

 

 戦おう、もっと。

 

 

 その後日が暮れるまでカリバーを振り回し、私のレベルはあっという間に10まで上昇した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五話

「スライム倒してきた」

 

 合計107個、小指の爪程しかない大きさのスライムの魔石を袋に詰め、カウンターに乗せる。

 スライムのは濁った灰色だが、より強い敵に成程鮮やかに、各属性の色を宿す様になり高価だ。

 とはいえスライムの魔石も沢山拾えて使えば消滅する電池みたいな扱いで、一個20円で買い取ってもらえる。

 

 ダンジョンが生まれて三十年ほど、魔導力学の発展は目覚ましいもので、既に電力であった半分は魔力で補われていた。

 

「あら……一人で頑張ったの?」

「頑張った」

 

 最初に小学生扱いしてきた女、園崎さんが目を丸くする。

 昨日までは何度もスライムをカリバーでしばいて漸く討伐、一時間で数匹狩れればいい程度だった。

 当然カウンターの彼女もそれを知っていて、私の成長速度に驚いているようだ。

 

 ふふん、まあ余裕だったね。

 2140円、今までのなかでもぶっちぎりの稼ぎだ、これなら今日もネットカフェに泊まることが出来る。

 この前筋肉に貰ったお金と、自分で稼いだお金でなんとかネットカフェに泊まっていたが、すっからかんだったので助かった。

 

 レベルが上がるほどスライムを倒す速度も、散策する速度も上がっているので、明日はもっと稼げるだろう。

 だが今日はここで直行するわけではなく、やらなくてはいけない調べ物があった。

 

 

「うー……!」

 

 勉強は苦手だ。

 

 文字を読み進めるたびガンガンと痛む眉間を抑え、しかめっ面でページを捲る。

 読んでいるのはここら一帯に存在するダンジョン、そのボスや適正ランクについてだ。

 協会には探索者を支援するため図書室があり、こういった本が充実してその上無料で読むことが出来る。

 

 ダンジョンは大まかにGからAまでランクが割り振られているが、その実同ランク内でも適正レベルは上下、Aの上位となればレベル50万超えの探索者でも歯が立たない。

 まあ私がいる花咲ダンジョンは雑魚オブ雑魚なので、適正ランクは1から10らしいが。

 そう、10が適正ランクの上限……つまり今の私と同じだ。

 

 でもこれ、多分パーティ組んだ時の話だよね……?

 

 ボスの部屋に入ると、なんと閉じ込められて倒すか死ぬまで扉が開かないらしい。

 俊敏と耐久が高い代わり攻撃力が低く、攻撃スキルもない私。もし攻撃がまともに通らなければ、体力が尽きて死ぬまで全力のシャトルランをする羽目になる。

 

「どうした、本なんて抱えて唸って」

「あ、筋肉。花咲のボス、入っても大丈夫なのかって」

 

 突然筋肉が現れ、私の手元を覗いてきた。

 筋肉はここのトップだと聞いたが、もしかしたら暇なのかもしれない。

 

 レベル10になったのでボスに挑戦するか迷っている、素直にそう伝えると彼は肩の筋肉をぴくぴくとさせ、『鑑定』していいかと尋ねてきた。

 『鑑定』はスキルや称号以外のステータスを無許可で見ることが出来る、無言で他人を鑑定するのはマナー違反だ。

 きっと私の話が本当か疑っているのだろう、勿論ここはおっけー、彼は頷き『鑑定』を行い、私の話が本当だったと驚き喜んだ。

 

「凄いじゃないか! たった一日でここまで上げるなんて、滅多に出来る努力じゃないぞ」

「ねえ筋肉」

「ん?」

 

 筋肉は良い奴だ、もし筋肉に『スキル累乗』や『経験値上昇』の話をしたら、色んな相談に乗ってくれるだろうか。

 私は頭も悪いし、一人だといつか致命的な失敗をしてしまうかもしれない。

 ふと、弱気な自分が覗いてしまって、慌ててそれを掻き消す。

 

 他人は信じないって決めた。

 筋肉は良い奴かもしれないけど、良い奴が約束を守ってくれるとは限らない。

 それに筋肉は協会の人間で、たった一人の、しかも孤独で住所不定な人間の平穏なんかより、組織全体の利益を求めるのは当然の事。

 二つのスキルは私がもっと強く、誰かに何かされても跳ね除けられるくらい強くなってから、その時に相談しよう。

 

 誤魔化す様に口角を引っ張り上げ笑う。

 

「ボス、倒せるかな」

「おぉう……無理やり作った笑顔がなかなか下手くそだな。っと、ちょっとその本貸してみろ」

 

 私の笑顔に引きつつ手を伸ばす筋肉。

 本をペラペラと捲り何度か頷くと

 

「まあ、行けるだろう。鈍器スキルは持ってるのか?」

「持ってない、でもSPは10ある」

「そうか、今後も打撃武器を使うなら取っておけ。ここのボスはスウォーム・ウォールだからな」

 

 その太い指が差す写真は、いくつものスライムが重なって茶色くなっている壁。

 表面は硬く、中はスライムが詰まっているらしい。

 刃物だとうまくダメージを与えられないが、打撃などで壁を壊し、中身を引きずり出せば後は普通のスライムと変わらない。

 

 本にはここまで詳しい戦い方が載っておらず、特徴だけ軽く羅列されているだけだった。

 筋肉は筋トレではなく、モンスターにも造詣が深いようだ。

 すごい。

 

「筋肉ありがとう!」

「気にすんな、お前は放っておくと直ぐに死にそうだからな」

 

 直ぐに死にそうというか、もう一回死んでいる。

 すくっと立ち上がり、彼は仕事があるからもう行くと告げ、背中を向けた。

 

 が、扉の前でくるりとこちらを向き

 

「無理に笑顔作るより、最後の方が似合ってたぞ」

 

 ハゲ頭を光らせて、立ち去ってしまった。

 笑顔……?

 

 良く分からない、筋肉は時々頭がおかしくなる。

 ぐにーっと両頬を人差し指で押し、彼が最後に言った言葉の意味を暫く考える羽目になった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六話

 翌日、花咲ダンジョン最奥にて。

 

 ここは見た目からして草原、ボスエリアと言っても何か大きな扉があって、中に構えているなどと言うことは無い。

 その代わりボスエリアには、草が一本も生えていないのだ。

 強いて言うのなら学校のグラウンド、入れば地獄の体育が始まってしまう。

 

「ふぅ……よし」

 

『スキル 鈍器 LV1 を獲得しました』

『鈍器LV1 により ストライク を習得しました』

 

 ウィンドウへ手を翳し選択、お目当てのスキル。

 筋肉の助言に従い、鈍器スキルを習得した。

 

―――――――――――

 

鈍器 LV1

 

 打撃系武器の威力が1.1倍

 

 アクティブスキル

 ストライク 習得条件:鈍器 LV1

 消費MP5

 質量を利用した横の殴打

 威力 自分の攻撃力×1.5倍

 

 冷却時間 3秒

 

―――――――――――

 

 『スキル累乗』とはまた別の、新たなアクティブスキル。

 『鈍器』自体に攻撃への補正がかかるのは驚いたが、つまりはこの名前を叫べば技が発動するのだ、そう本に書いてあった。

 冷却時間はそのまま、二度目を発動するまでに必要な、待機時間か。

 

 ……一度も使わないでボス戦に挑むのは危険かもしれない。

 

 丁度横にスライムがふよふよ震えていたので、掴んで放り投げ

 

「『ストライク』」

 

 ぐいっと、何もしていないのに体が勝手に動き出す。

 

 輝くカリバーがスライムの中心をしかと捉え、衝撃を受け爆散。

 

「うへぇ……」

 

 ねちゃぁ……っとしたスライムが顔面にぶっかかり、そのまま消滅。

 

 もう十分だ、大体わかった。

 スキルという物の強力さ、十分に理解できた。

 あまり試し打ちをしていてもMPが無くなるだけ、もしボス戦で0になりましたなんて目も当てられない。

 さっさと突入しよう。

 

 あ、でもその前に。

 

「いただきます」

 

 ポケットから食べなれたそれを取り出し、口に放り込む。

 

 カリ……コリ……

 

 そこら辺に落ちている苦くて、渋くて、酸っぱい希望の実。

 レベル10というその制限ギリギリ、今まで知られていないのだから、復活する可能性は笑ってしまう程低確率なのだろう。

 それでもこの実はこの一週間私の食事として、そして私の未来を切り開く希望に繋がった。

 だから食べた、願掛けだ。

 

 私は勝ち続ける、さいきょーになる。

 

 でもやっぱり不味いので水で流した。

 

 

 足を踏み入れた瞬間、雰囲気が変わったのを理解する。

 

 首の後ろがちりちりと灼け、何者かに見つめられているような、全身を這う不気味な感覚。

 しかし何もいない。まるで私と何者かが戦う闘技場の様に、黒々とした円形の大地がそこにはある、

 

 サク、サク、と慎重に足を進め、三分の一ほどまで差し掛かった瞬間

 

 ドンッ!

 

 影が落ちたと思いきや、空中から巨大な壁が落ちてきた。

「……っ! 『鑑定』!」

 

――――――――――――――

 

種族 スウォーム・ウォール

名前 ジャマイカ

LV 5

HP 200 MP 37

物攻 27 魔攻 11

耐久 50 俊敏 1

知力 7 運 11

 

――――――――――――――

 

 ヤバい、めっちゃ強いではないか。

 

 名前がある辺り一概にボスと言っても個体差があるのか、写真で見た同族よりも黒々としている。

 大きさは縦横共に二メートルほど、でこぼことしてスライムが重なった跡があり、子供が泥を重ねて作った壁みたいだ。

 

 そして何よりもHPと耐久が異常に高い、まさにボスといった風貌。

 100ですら見た事が無いレベルなのに、突然200だなんて何を考えているんだ。

 これは不味い、筋肉は行けるだなんて言っていたが、想像以上に強そう……

 

 ……と、ここまでちょっと距離を取って考えていたのだが、スウォームはピクリとも動かない。

 もしかして本当に壁で、攻撃とか一切してこないのかな……?

 それならとんだ見掛け倒しじゃないか。

 

 最初の緊張感から外れ、気の緩みまくった私はホイホイ近寄って

「そりゃっ……!?」

 

 カリバーを振ろうとした瞬間、拳の様に太い棒が壁から高速で伸びた。

 

 速い……!?

 

「げ……ぇ……」

 

 ミシ、と骨が軋み、後ろへ吹っ飛ばされる。

 ゴロゴロと回る視界の中、自分の失敗を悟った。

 ああ、やってしまった。戦いの最中だというのに、どうしてそう簡単に気を許してしまうのか。

 

「ステータス……オープン……!」

 

――――――――――――――

 

結城 フォリア 15歳

LV 10

HP 12/28 MP45/50

 

――――――――――――――

 

 鑑定してみれば、そこにはたった一撃で半分を切った己の貧弱なHP。

 耐久が高くてよかった、下手すれば即死だったかもしれない。

 

 くらくらと頭が揺れ、視界がぼんやりと定まらない。

 痛む腹を抑えながら立ち上がり、奴を見て見ればいまだに動くことは無く、ただそこに立ち尽くしている。

 

 成程、こうやって調子に乗って寄ってきた初心者を、手痛い攻撃でぶっ飛ばしてきたわけだ。

 今の痛みで十分に目は覚めた。あいにくと私は俊敏に自信がある、ちまちま削って逃げる作戦で行こう。

 

 全力で駆け寄り、横に素振り。

 激しい衝撃が腕を伝い泣きそうになるが、気にせずそのまま走り去る。

 足を止めればあの一撃が来て、今度喰らってしまえばもう二度と立つことは出来ない。仲間がいれば回復なども出来るだろうが、私にそんなものはないのだ。

 

 足元へ背後から迫る棒、それを蹴り飛ばしそのまま前転。

 無事攻撃の範囲外へ離れることに成功した。

 

――――――――――――――

 

種族 スウォーム・ウォール

名前 ジャマイカ

LV 5

HP 184/200 MP 37

 

――――――――――――――

 

 ……先はまだ長そうだ。

 

 腕と手首をぐるぐるとまわし、短く息を吐く。

 一撃喰らえば死ぬ、そのくせ相手のHPは未だ多く、戦いの終わりは見えない……だというのに、なんだか楽しくなってきた

 

 私はもしかしたらマゾだったのかもしれない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七話

「そりゃ! 『ストライク』!」

 

 輝くカリバーがスウォームを強かに打ち据え、既に感覚がない腕はそのままに、足だけは勝手に前へと進む。

 

 だがこれで終わりじゃない。

 

 此方へにょいと伸びてきた棒をかちあげ、そのまま二度、三度と殴打。

 こりゃたまらんと戻っていくそれだが、今度は深追いせずに撤退。

 壁に近付くほど棒と接触する可能性は上がり、複数本出されれば回避が間に合わないかもしれない。

 

 戦い続ける中で分かった事がいくつかあった。

 伸びてきた棒にもダメージが通るという事と、調子に乗って棒を叩き続ければ手痛い反撃を喰らうという事。

 まるで初心者にヒットアンドアウェイの基本を教え込むように、スウォームはそれを繰り返していた。

 

「『鑑定』……!」

 

――――――――――――――

 

種族 スウォーム・ウォール

名前 ジャマイカ

LV 5

HP 52/200 MP 37

 

――――――――――――――

 

 残り四分の一、ここまでくればもうゴールは間近だ。

 黒光りしていた表面、しかしいつの間にか随分とボロボロに剥げ、中でスライムが蠢いているのが分かる。

 安全を重視して叩きやすいところを狙っていたが、あそこなら攻撃もきっと通りやすいし、次の『ストライク』はあそこを狙おう。

 

 一方私のステータスと言えば

 

――――――――――――――

 

結城 フォリア 15歳

LV 10

HP 9/28 MP 35/50

 

――――――――――――――

 

 一撃喰らってから、あまり変わっていない。

 ただ一つ、残念な話がある。

 スウォームが非常に硬いからなのか、ストライクを打つたびにちょっとずつダメージを喰らっているらしい。

 掌は摩擦と衝撃で真っ赤だし、腕はもう感覚が全くないのだ。

 

 これ以上長引くと、もうカリバーを振るうことが出来ないかもしれない。

 ……ストライク連打で、身体が拒絶反応を起こす前に決めよう。

 

 沈黙を保つスウォームへ全力ダッシュ、棒の射程距離に入ったタイミングで

「『ストライク』!」

 

 スキルに導かれるようにして、本来は慣れていても難しい、走りながらのぶん殴りを両立。

 だがこれで終わりじゃない。今の一撃で壁の一部がより崩れ、カリバーをねじ込める程度には隙間が生まれた。

 横を駆け抜けた瞬間方向を反転、勢いを足のばねで逆転させそのまま振りかぶり……

 

「『ストライク』……!?」

 

 ガンッ!

 

 突然スウォームが赤銅色に輝いたかと思うと、返ってきたのは今までの衝撃とは比ではない、金属同士ぶつけ合ったような痺れ。

 スキルだ、スウォームはスキルを隠し持っていたのか。

 

 突っ立って驚いている暇はない、その瞬間が命取りになるから。

 そのままカリバーを胸に抱き、勢いに任せ地面を転がり距離を取る。

 そしていつもの射程距離外へ辿り着き、回りすぎて吐きそうな口を抑えつつ立ち上がった。

 

 一体何が起こったんだ……!?

 

「おえ……『鑑定』……」

 

――――――――――――――

 

種族 スウォーム・ウォール

名前 ジャマイカ

LV 5

HP 23/200 MP 0/37

物攻  魔攻 11

耐久 161 俊敏 4

知力 7 運 11

 

――――――――――――――

 

 ああ、冗談は本当に勘弁してほしい。

 先ほどまでの耐久が50、しかし今は161。

 引いて111、MPのええっと……いち、に……三倍分きっちり増加しているじゃないか。

 

 要するにこれが彼の隠し玉というわけか、何とか追い詰めた初心者も白目を剥く、凶悪な奥義だ。

 今の感覚からして、恐らく二度目のストライクはまともにダメージが入っていない。

 二度ストライクを使って、残りの私のMPは25。五回発動したとして倒し切れるかどうか、反動でそもそも私が死にそうだが。

 

 どうする……?

 

 お昼ごはん用に希望の実はいくつかあるし、あれが切れるまで待つか?

 でもどれくらい時間がかかるか分からない、もしかしたら永遠に切れないかもしれない。

 それにもし相手のHPが自然回復したら……今、やるしかないよね。

 

 でも通用するような一手なんて……あっ

 

「ステータスオープン!」

 

 

――――――――――――――

 

結城 フォリア 15歳

LV 10

HP 7/28 MP 25/50

.

.

.

 

 スキル累乗 LV1

 パッシブ、アクティブスキルに関わらず、任意のスキルを重ね掛けすることが出来る

 現在重ね掛け可能回数 0

 

――――――――――――――

 

 これだ!

 経験値上昇に使ってばかりで、他の使い道を一切考えていなかったが、『スキル累乗』は『アクティブスキル(・・・・・・・・)』にも使えるんだ!

 

 私の残りHPは5、もしかしたら反動で死ぬかもしれない。

 どこもかしこも痛いし、実は結構涙が出てる。

 だがこれこそがきしめん爽快の一手だと、私の本能が告げていた。

 ……やろう。うだうだ悩んでいたって、永遠に終わらないんだから。

 

 若干凹み始めた相棒を握りしめ、しかと前を向く。

 ただ黙し続ける黒い壁、だが私はこいつに奇妙な親近感を覚えていた。

 

 何も言わず、淡々と、しかし大切なことをいろいろと教えてくれる、まるで先生みたいだ。

 私の小学校の頃の佐藤先生はニコニコと表面上は優しくも、髪の色で虐められても何もしてくれなかったが、スウォーム・ウォール先生は厳しくも素晴らしい先生なのかもしれない。

 

「いくよ……先生。『スキル累乗』対象変更、『ストライク』」

 

 疾走、肉薄。

 迫りくる太く黒い棒を寸前で避け、カリバーを顔の横に構える。

 果たしてこの動きはスキルによるものなのか、それとも私の意志がそうしているのか。

 

 どうでもいい。

 

 この一撃を、この一撃に私は全力を注ぐだけなんだ。

 

「うわああああっ! 『ストライク』ッ!」

 

 無意識に死を恐れているようで、ちょっと情けない叫び。

 だがいつもより輝きを増したカリバーは的確に振られ、吸い込まれるように割れ目へその身を滑りこませ

 

 ドッ……ゴォンッ!

 

 その壁を、爆散させた。

 

――――――――――――――

 

結城 フォリア 15歳

LV 10

HP 3/28 MP 15/50

 

――――――――――――――

 

 視界の端に映っているのは、HPはレベル1の時より下になった、他人に小突かれれば死んでしまいそうなそれ。

 だが勝った、私は賭けに勝ったんだ。

 感動の雄たけびを上げるのもおっくうなので、凹んだ相棒をぶん投げ、地面へ大の字に寝転がる。

 

 私の先生はゆっくりと姿を溶かし、最後に残ったのは薄い茶色の魔石。

 あ、ちょっとまって。

 経験値が入ってくる前に、『スキル累積』の対象を『経験値上昇』へ戻しておく。

 危ない危ない、感動で忘れるところだった。

 

『レベルが上昇しました』

『レベルが上昇しました』

『レベルが上昇しました』

.

.

.

 

 鳴り響く無機質な電子音と、無感情な女性の声。

 だがそれが何よりも最高な勝利のファンファーレで、土と若干鉄臭い地面の上で、私はその酩酊感に暫し酔いしれた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八話

 ボスを倒して一定時間経つと、探索者の身体はダンジョンの入り口へと転送される。

 理由は不明だが、ボス戦で消耗した身体で来た道を戻るというのは危険が伴うし、ありがたい仕組みだ。

 花咲ダンジョンからボロボロの身体を引きずって、やっとこさ協会へと向かったのだが

 

「え!? に、二千円にしかならないの……!?」

「ええ、スウォーム・ウォールの魔石ですよね? 一応多少は魔力が多いので色を付けるとして、それでも二千五百円くらいですね」

 

 ボロボロの身体で協会に向かい、漸く手に入れた先生の魔石を売ろうとしたのだが、あまりに世知辛い現実が私を待っていた。

 二千円じゃネットカフェで過ごしたら無くなってしまう、五百円も併設のシャワー代金で吹っ飛ぶし……

 

 一万円くらいは貰えるだろうと、そのお金でどんなケーキを買おうかとわくわくしていたのに。

 やはりもう少しレベルが上がり、効率のいいダンジョンに潜れるようにならなければいけないようだ。

 

「それにしてもアレを物理だけで倒す人、初めて見ましたよ」

「……?」

「スウォーム・ウォールは魔法がよく効きますからね。魔法職の人が居ればすぐに討伐できますよ」

「……!?」

 

 つらい、おせちがからい。

 そういえば私を追放だ何だと言って切り捨てた三人も、既にレベル10を突破していたはず。

 もしかして私がいないときに、魔法で楽々討伐していたのか。

 それならばあの自信も分かる。私がスライムを必死にシバいている間に、スウォームを何度も倒してレベルを上げていたのかもしれない。

 

 一人で戦い続ける弊害がだんだん浮き彫りになってきた。

 回復、そして魔法。すべてを網羅するのはあまりに不毛、まんべんなくというと聞こえはいいが要するにただの器用貧乏。

 

「分かった。魔石はそれでいい……」

「え、な、泣かないでください。信頼できる仲間を見つければ、きっと今度は簡単に……」

「泣いてない。仲間なんていらない」

 

 だが私には『スキル累乗』がある。

 たとえ器用貧乏でスキルレベルが高くなくとも、賭け合わせていけば高性能な魔法として代用できるはず。

 仲間なんていなくとも、器用万能に私はなる。

 

 園崎さんからお金を受け取り、足早にカウンターから離れる。

 私以外にも魔石や素材、ドロップアイテムを売ろうと待っている人はたくさんいて、ずっと噛みついていれば目を付けられてしまう。

 ぶっちゃけソロの探索者がダンジョンで殺されてしまえば、それが他殺かモンスターによる戦死なのか判別がつかない。探索者は割とブラックかつアウトローなのだ。

 

 紙切れ二枚と一枚のコイン。

 命を賭けた見返りは、あまりにちんけなものだった。

 

 

 ギルドお抱えの回復術師に千円支払い、回復魔法をかけてもらう。

 幸いにして私はHPが低いので、たった一回でも十分全快にまで届き、皮がむけピリピリと痛かった掌も、すりむいたりした足も綺麗サッパリ治った。

 

 そして千五百円だけをポケットに突っ込み、ギルドを後にして……

 

 

「ステータスオープン」

 

―――――――――――――――

結城 フォリア 15歳

LV 17

HP 42 MP 85

物攻 39 魔攻 0

耐久 107 俊敏 78

知力 17 運 0

SP 10

 

スキル

スキル累乗 LV1

悪食 LV5

口下手 LV11

経験値上昇 LV2

鈍器 LV1

 

称号

生と死の逆転

 

装備

カリバー(小学生向け金属バット)

―――――――――――――――

 

 よしよし、レベル上がってSP入ってる。

 

 これから一人で戦っていくうえで必要なのはなにか。

 高威力の魔法スキルか、バットに何か魔法剣的なことを出来る力か。

 違う、回復だ。昨日の死ぬか避けるかのチキンレースも、『ストライク』で死ぬかどうかのギリギリを攻めるのも、回復で余裕を保てていれば何とかなった。

 

 回復ポーションも存在するが高い、最低基準で一本五千円なんて貴族しかつかえないぞ。

 住所不定の十五歳にはぜいたく品過ぎる。

 

 だが私はMPが高いのに魔攻が0という、嫌がらせのようなステータス。

 これでは魔攻で回復量が決まる回復魔法は使えないし……

 基本スキルとはいえ無数にあるそれをソートしていく中、一つだけ光るものがあった。

 

―――――――――――

 

活人剣 LV1

攻撃時、ダメージの1%を回復に転化する

必要SP:20

 

―――――――――――

 

 うーん……活人剣か。

 回復量が微妙でいまいち使いにくく、あまり人気がないスキルだと聞いたことがある。

 しかし今の私にはこれしかない、のかな。うん、これを取ろう。

 とはいえそもそも、今の私ではSPが足りない。

 

 相棒を握りしめ、歩みを進める。

 時刻は12時を過ぎた所、レベルアップでステータスも上がったし、やるべきことは決まっている。

 先生を殴りまくって、お金と経験値をもらうのだ。

 

 

「先生、お金と経験値ちょうだい」

 

 ドゴォッ!

 

 カリバーを叩き付ければわかるのは、以前ストライクを発動した時と同程度の威力が出ているという事。

 レベルアップによって上がったステータスのおかげで、それほどの攻撃を行っているのにも関わらず、衝撃によってダメージを受けるという事もない。

 手に馴染む、とでもいうのだろうか。

 成長を感じる。

 

 二度、三度と擦れ違い打ち据えていけば、今度は茶色いスウォームの壁に罅が入った。

 HPは満タンで、上がった耐久も併せて数発攻撃を受けても、何ら問題はない。

 

 受け流し、滑り込み、跳躍。

 

 再三にわたる執拗な一か所への攻撃は罅を砕き、弱点を空中へと晒した先生。

 最後は『スキル累乗』で決まりだ。

 

「『スキル累乗』対象変更、『ストライク』」

 

 声を受け、呼応するように輝きを増すカリバー。

 土を舞い上げ跳躍した私はスキルに導かれ、全身を独楽の様に大きく振り回した。

 

 深く息衝き一点を見据える、余計な所に力はいらない。

 

 ドンッ!

 

『合計、レベルが4上昇しました』

 

 ステータスの差という物は、なんと恐ろしいのだろう。

 あれだけ苦戦した相手に私は、たったの30分ほどで討伐を終えてしまった。

 経験値もお金もくれるなんて、先生はカモだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九話

 戦う程に行動は最適化され、引き際はより明確に自分の前へと現れる。

 

「『ストライク』」

 

 目の前へ伸びてきた棒を殴打、そのまま突撃。

 勿論近付くほどに棒の数は増えるが、片手やわき腹を掠る程度なら問題はない、無視して直進。

 多少のダメージなら活人剣によって補えるからだ。

 

 そして壁に肉薄した瞬間

 

「『スキル累乗』対象変更、『ストライク』」

 

 輝くカリバーが打ち据え、スウォーム先生は四散した。

 

 ……が、何も起こらない。

 レベルアップの無機質で電子的な音声が、一切聴こえなかった。

 時間は既に夕暮れ。草原に見えるこのダンジョン内でも外の時間に連動して、草木が赤く染まっている。

 

「むぅ……明日から場所、変えるべきかなぁ」

 

 初めて先生と戦ったときは、一気に七レベル上がった。

 次は四、その次は二、一つ前は一、そして遂にこの討伐ではレベルが上がらなくなってしまったのは、『スキル累乗』によってのごまかしがきかなくなってきた証拠か。

 先生のレベルは5、たとえボスモンスターという条件を考えても……

 

 ふとここで、ステータスを呼び出す。

 

―――――――――――――――

結城 フォリア 15歳

LV 24

HP 56 MP 110

物攻 53 魔攻 0

耐久 149 俊敏 127

知力 24 運 0

SP 0

 

スキル

スキル累乗 LV1

悪食 LV5

口下手 LV11

経験値上昇 LV2

鈍器 LV1

活人剣 LV1

 

称号

生と死の逆転

 

装備

カリバー(小学生向け金属バット)

―――――――――――――――

 

 レベルは既に二十四。

 スライムを狩り続けるだけでは到達しえない数値だが、現在日本の最高ランクは百万近いという。

 最強を目指すのならば、この地を離れ次のダンジョンへ向かうべきだろう。

 

 黒々とした土の広がったボスエリア。

 私の血と汗、そして砕かれた無数の先生がここには染み込んでいる。先生は死んだらすぐ消滅するけど。

 だからだろうか……

 

 

「ありがとうございました……」

 

 

 気が付くと私は、そこで深々と頭を下げていた。

 基礎を、これからどう進むべきかを教えてくれた先生、そしてこの花咲ダンジョンに私は感謝を捧げる。

 

 ダンジョンは未だに分からないことが多いし、日々新たな発見があり、そして人が死んでいる。

 人を見れば襲い掛かってるモンスターがいるし、崩壊すればモンスターが溢れ出し、小さな町が壊滅することだってある。

 それでも、それでもこの花咲ダンジョンは、私にとって恩師だった。

 

 だから頭を下げた。人類の敵だとか異世界の先兵だとか言われていても……

 

 もうここに来ることは無いだろう。

 だが、これから先無数のダンジョンを巡り、私はレベルアップを続けようとも、ここを忘れることは無い。

 

「さようなら、花咲ダンジョン、先生」

 

 ボス討伐による強制転移が発動し消えゆく視界の中、その煌々と染まった草原を見続ける。

 私の旅立ちを祝福するように草たちが風と踊り、葉擦れの音が私の背中を押した。

 

 

「はい、一万円ですね」

「みょ……!? んんっ、確かに受け取った」

 

 園崎さんに貰ったお金を大事に、それはもう財布に仕舞ってポケットの中で握りしめ協会を抜ける。

 怖い、受け取った一万円の重みに、無意識ながら身が震えた。

 

 確かに筋肉から一万円を借りた(筋肉はやると言っていたが、勿論返すつもりだ)が、あれとこれとは価値が違う。

 私が自分の力で稼いだ、正真正銘私だけのものだ。

 周りの人間が全員私の一万円を狙っている、そんな気すらしてしまう。

 

 昔、もう死んだおばあちゃんが元気だったころ、封筒に修学旅行代として十万円を貰った。

 大切にベットの裏に仕舞っておいたのだが、ママ……母に見つかってしまい、そのまま没収されて賭博代になってしまった。

 勝つから大丈夫なんて言っていたが当然戻ってくるわけもなく、皆が修学旅行をしている中、一人で登校して桜の木に付いた蜂の巣を観察していた。

 

 お金は人を狂わせる。

 もしこの一万円を誰かが見たら、私のお金を奪いに来るかもしれない……

 

 そうだ、少し使ってしまおう!

 

 ケーキにして食べてしまえば細かいお金になるし、ぱっと見ちょっとお金を持っている小学生に見えるかもしれない。

 そう、別に私がケーキを食べたいとかそういう訳ではなく、身の安全を確保するためにケーキを買うだけだ。

 

 

 ぶらぶらと歩いていれば、狐のマークが特徴的な洋菓子屋さんを見つけた。

 結構人が入っている、人気店なのかな。

 

「いらしゃいませー」

「はぁぁ……!」

 

 入った瞬間に広がる、バターとバニラの甘い香り。

 幸せだ、ここに住みたい。

 

 今日は贅沢にも三千円払い、鍵付きのネットカフェの個室を借りてきたので、カリバーは置いてきた。

 流石に洋菓子店にバットを持ち込んで入ったら、下手したら追い出されてしまう。

 

 ショーケースに並ぶのは、一つ一つ丁寧に作られて、キラキラと輝く色とりどりのケーキたち。

 どれもつやつやと目を引き、ショートケーキを食べようと考えていた頭が、あちこちへ引っ張られてしまう。

 もんぶらん……名前は聞いたことがある、栗のケーキだって。チーズケーキも食べてみたい、ああ、悩む。

 

 しかしずっと貼り付いていては他の人に迷惑がかかるし、無数に絡みついてくる誘惑の糸を断ち切り、バシッと決めた。

 モンブランだ、私はモンブランを食べるぞ。

 一週間くらい前にショートケーキは一杯食べたので、ここはあえて王道から外れることにした。

 

「あの、この和栗のモンブランください!」

「はーい、280円ね」

 

 安い!

 この前食べたショートケーキは一個五百円もしたのに、この店が安すぎるだけなのかも知れない。

 凄い、これからもここに通おう。

 

 お姉さんが丁寧に箱へつめ、お手拭きなどを貼り付けるのをわくわく眺める。

 プラスチックのフォークも付けてもらい、こちらへ手渡される宝石箱。

 なんて高貴な存在なのだ、ケーキ様だ。恭しく受け取り、両手で大事にホールド。

 お姉さんのありがとうございましたー、とどこか抜けた声を聞きながら、私は狐のケーキ屋さんを去った。

 

「ふふん……」

 

 優しい風が吹く夜道を、速足気味に歩く。

 

 ケーキ、ケーキだ。

 施設から出てきたときはもうそれしか考えていなくて、味わうことなく一気に食べてしまった。

 これからレベルが上がっていけば好きなだけ食べられるし、卒業したという感動の為にも、今日はゆっくりと味わおう。

 

 だが突然、前を歩いてきた女性がふらふらと揺れ、こちらへ近づいてきて

 

 ドンッ!

 

「あ……」

 

 くる、くる、と回り、弧を描いて飛んでいく真っ白な箱。

 手を伸ばすが届かない、そのまま道路へ。軽い音と共に一度、そして微かに二度地面を跳ね……モンブランは車に踏み潰された。

 

「あ、ああ……」

「あらーごめんねぇ、お姉さんよそ見してたわ。怪我とかない? 大丈夫?」

 

「ああああ……! わ、わたっ、わたしのっ、わたしのもんぶらん……!」

「あらー……想像以上に重そうだわ、これ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十話

「ふんふん、それで探索者を……」

「うん」

 

 私のモンブランを台無しにした女は、私にケーキを奢るからと店を逆戻り、更に夜風の吹くテラス席で紅茶と共にモンブランとショートケーキをごちそうになった。

 名前を剣崎(けんざき) 真帆(まほ)、ダンジョンの研究と探索者の二匹のワラジムシを踏んづけているらしい。

 茶髪を適当に結んだり、よく見ると靴下があべこべなあたり、多分結構身だしなみは適当な人だ。

 

「貴女の名前は?」

「結城フォリア」

「あらー、私の尊敬してる先生と同じ苗字ねぇ」

 

 ダンジョン探索の第一人者で、旅に出ると言って十年近く姿を消しているらしい。

 尊敬される結城さんもいるのか、失踪した私の父とは大違いだ。

 でも十年近く帰ってこないって、多分その凄い結城さんも多分死んでると思う。

 

 まあ剣崎さんのことはどうでもいい、そんな事より目の前のケーキだ。

 モンブランは濃厚な栗の風味がするうにょうにょとした奴の下に、コクはあるがくどくない生クリーム、更にど真ん中には茶色い栗がドンと入っている。

 全体的に柔らかいのだが、土台になっているクッキーのようなものがサクサクとしていて、ちゃんとアクセントになっていた。

 

 おいしい、すごくおいしい。

 甘い、さくさく、とろとろ、ほくほく、いいにおい。

 

「あらー、たかがモンブランで凄い幸せそうな顔」

「初めて食べた、おいしい」

「……お母さんとか、買ってきてくれなかったの?」

「……」

「あらー……お代わりとか欲しいなら好きに言ってね。お金なら余ってるから」

「うん」

 

 剣崎さんはいい人だった。

 ケーキをたくさん奢ってくれたし、持ち帰りで二つ、フルーツタルトとアップルパイも持たせてくれた。

 

「私はここの近くにある大学で研究室開いてるから、なんかあったら来るといいよ」

「え、それって……」

 

 近くにある大学、既視感が私を襲う。

 そう、私の足を切り見捨てた三人、アイツらも近くの大学生だと言っていた。

 ここらに大学は一箇所しかないので、同じ大学であることは間違いない。

 

 思い出すだけでも腹が立つ。

 あれのお陰で『スキル累乗』や『経験値上昇』を手に入れたとはいえ、死んだことに変わりはない。

 

 それにアイツら、絶対私以外にも肉壁扱いして、今なお殺しているはずだ。

 会った時にはみんなレベル1であった以上、私が初めての犠牲者ではあるだろうが、人の性質はそう簡単に変わらない。

 寧ろ味を占めてより積極的に、無知な相手を使い捨てている可能性が高い。

 

「ふむ……」

 

 だが剣崎さんの反応は、あまりいいものではなかった。

 

「少なくとも私の講義や研究室に、そういった三人はいなかったはずだが。男二、女一で山田、飯山、大西でしょ?」

「だ、だってあいつら大学生だって……!」

「もし、最初から君を使い捨てにする考え、或いはそれに近い考えを持っていたのなら、態々本当のことを伝える必要もないんじゃないかな?」

「そう……か……」

 

 確かにその通りだ。

 両親の病気で生活費がきついから頑張るだなんて言っていた大西、ダチの為なら何でもするだなんて言っていた二人も、きっと全部嘘だったのだろう。

 許さないだなんて言いながらも、少しだけ信じていた自分の間抜けさに苛立つ。

 やっぱり人は信じれない。

 

「ま、まあもしかしたらうちの大学生ってのは本当かもしれないし、一応事務に聞いて調べておくわ。一週間くらいしたら来なさい、報告してあげる」

「うん……」

 

 きっと向かったところで、新たな情報を得ることは無いだろう。

 それでも会ったばかりの私の言葉を信じて、あれこれと動いてくれる彼女には感謝している。

 最後に頭を下げて、剣崎さんとの会遇は終わった。

 

 

「ふぅ……」

 

 ネットカフェに戻り、小さな鍵を回したところで漸く緊張が緩む。

 

 大学に在籍していた、していないはともかくとして、結局私の目的は変わらない。

 上に登れば人脈とかでいくらでもあいつらを探すことが出来るし、そしたら見つけ出してぼこぼこのぼこにしてやるんだ。

 

 そうと決まれば次潜るダンジョンを決めなくてはいけない。

 手書き入力をカチカチとやりつつ調べた所、どうやらこの近くにはもう一つGランクのダンジョン『麗しの湿地』があるようだ。

 花咲は超初心者でも潜ることが出来たが、そのダンジョンはGランクでもトップクラス、推奨レベル15~50らしいので気を抜いてはいけない。

 

 推奨レベルとは読んで時の如く、おおよそその程度のレベルがあればまともに戦っていける基準で

 G 1~50

 F 50~500

 E 500~1000

 D 1000~10000

 C 1万~10万

 B 10万~50万

 A 50万~100万

 人類未踏破ライン 100万~

 

 となっている。

 上に行くほど幅が大きくなってしまうのは、レベルが上がるほど多少のレベル差は無視できるようなるからだ。

 人類未踏破ラインのダンジョンは幾つか確認されているが、当時のトップランカーたちが潜った『天蓋』では150万レベルがうじゃうじゃいたらしいのでちょっとヤバい。

 

 これを見れば分かるが麗しの湿地は間違いなくG最高峰、生温い覚悟で挑んでは私が飲み込まれる。

 

 ふと、横に立てかけられていたカリバーが目に入った。

 随分と傷だらけで、小さなへこみも目立ってきた相棒。

 普通のバットとして使うのならこんな短期間でボロボロにはならないだろうに、私に買われたのが運の尽き、こんな無残な姿になってしまった。

 

 ……買い替えの時だろうか。

 

 鈍器スキルを十二分に使うのなら、モンスターを殴るために作られていないバットよりも、しっかりしたメイスやハンマーを買うべきだ。

 それにしても名前を付けたのは失敗だった、あまりに愛着がわいてしまっている。

 掌の皮がべろべろになるまで振るって、私の成長を共に分かち合った、唯一と言っていい仲間。

 

 今後SPが溜まれば『アイテムボックス』等の便利なスキルも取れるようになり、今みたいに手で持たなくとも問題が無くなる。

 仮に武器を変えることとなっても、それまでカリバーは捨てずにとっておこう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十一話

 早朝、凹んだカリバーを片手に町を出る。

 『麗しの湿地』は近くと言っても隣町、徒歩で行くのは大変だし電車を利用するつもりだ。

 そう、電車。一駅移動するのにも二百円かかる、お金持ちしか使えない乗り物である。

 

 本当にこれで良いのかドキドキしつつ、一番安い切符を購入。

 閑散とした駅のホーム、朝露でしっとりと湿り、薄く霧が漂っている。

 電車に乗るのは一体いつぶりだろう。霧を裂いて奥から現れた金属塊を見つめ、私は感傷に浸った。

 

「あ、筋肉」

「ん? お、お嬢ちゃんか。遠出か?」

「うん。麗しの湿地」

「おー……あそこかぁ……」

 

 私の話を聞いて、筋肉がものすごい嫌そうな顔をする。

 ネットでは人が少なくて穴場だと書いてあったのだが、もしかして金稼ぎとしては不味いだとか、トラップが凄いだとかあるのだろうか。

 これは選択を間違えたかもしれない、もう少し調べておけばよかった。

 

 私の雰囲気を察してか、

 

「ああいや、難易度はそこまででもないから安心しろ。それよりもそのバット、一週間で随分と使い込んだな」

 

 物凄い露骨に話題を変えてきた。

 まあ乗ってあげよう。

 

 先生という壁に叩き付け続けたカリバーは、やはり他人から見ても随分と酷い見た目らしい。

 今のところ大きな亀裂などもなく、攻撃をすれば即折れるという物ではないのだが……

 

「そんなに気に入ってるなら、ユニーク武器になるのを狙うのも良いかもしねえな。バットがユニーク武器ってのは聞いたことが無いが」

「ユニーク武器?」

 

 筋肉曰く、同じ武器を使い続けると人間と同じくレベルが上がり、自分だけが使えるオンリーワンの武器になるらしい。

 魔力が染み込む? とかなんとか、そんな感じで進化するとのこと。

 その過程でスキルが付いたり、切れ味や魔力の伝導率が上がって魔法の威力が云々、要するにすごく強くなる。

 上位の中には好んでユニーク武器を使って、複数本所持している強者もいるらしい。

 

 ははぁ、昔聞いた迷宮で武器を使いこむほど強くなるというのは、このユニーク武器の事だったようだ。

 特にスキルっていうのが気になる、炎とか纏ったりするのだろうか。もし魔法攻撃が可能になったら、私の弱点も補える。

 ユニーク武器すごい、夢がある。

 カリバーは私の相棒として末永く頑張ってもらいたい、手入れのオイルとか買った方が良いのかな。

 

 筋肉にユニーク武器を目指すと伝えると、筋肉は三角筋をぴくぴくさせて頑張れと笑顔を浮かべた。

 彼は筋肉まみれな身体をしているが、色々なことを知っている。支部とはいえ協会のトップだから、実はすごい奴なのかもしれない。

 そして仕事があるからと立ち去った彼に手をふり、私も電車へ……

 

「あ……」

 

 時計を見れば筋肉と出会ってから、既に五分ほど経っている。

 勿論、そこに電車はいなかった。

 

 

 結局それから十五分ほど待って、漸く次の電車が現れた。

 閑散とした駅のホームからして分かるが、当然その電車内にも人は少ない。

 数人本を読んだり寝たり、ゆったりとした時間が流れる中ポケットを漁り、いくつか希望の実を取り出す。

 

 カリ……コリ……

 

 相変わらず恐ろしいほど不味いそれ、しかしながら一週間以上ずっと食べてきたので、もはやこれを口に運ぶのがルーチンワークになっている。 

 昨日先生を何回も倒したおかげで、未だに五千円以上お金は残っていた。

 しかし何があるか分からないし、余裕で暮らしていけるという金額ではない。ただで食事を済ませられるのなら、それに越したことは無い。

 

 それにお金を使うのなら食事より、新しい服が欲しかった。

 施設を出た時一応着替えは二着貰った。だが今着ている服もそうだが、寄付として施設に送られたお古。

 全部よれよれだし、私だっておしゃれがしたい。

 

 いや、おしゃれしなくてもいい、せめてよれよれじゃない服が着たい。

 町ですれ違う同年代の女の子がキラキラと綺麗な服や靴を履いて、笑顔で友達と何かを食べ歩きしている。

 そしてチラリと血や泥塗れの私を見て、クスクスと隣の人と笑われるのが辛い。

 

「……ごちそうさまでした」

 

 考え事をしながら食べていれば希望の実は既になく、食べきってしまったことに気付く。

 次の駅までまだ時間がかかりそうなので、ぼうっと外を眺める。

 

 ゆっくりとズレていく地平線、目の前を過ぎ去る木々。

 ここからでも見える天を貫く巨大な蒼い塔は、ずっと遠くにある人類未踏破ダンジョンの一つ『碧空(へきくう)』。

 きっと三十年前の人がこの光景を見たら、酢醤油狼狽するに違いない。

 

 そこら辺に放置されている、かつて使われていたという電柱には何もかかっておらず、世界が電力から魔力へ切り替えた痕跡が残っている。

 今乗っている電車もそうだ。形骸化した名前だけは残っていても、そこに電気を使った『電車』は存在しない。

 

 ゆっくりと身体が前に倒れ、流れていた景色が次第に現実を思い出す。

 電車が止まり、ゆっくりと扉が開かれた。

 

 足に挟んでいたカリバーを握りしめ、短く息を吐く。

 ここが『麗しの湿地』の最寄り駅、歩いて数分でダンジョンに向かうことが出来る。

 初めてくる町、初めて行くダンジョン。怖くないわけがない、でもきっと足を止めてしまえば、私は二度と歩き出せなくなってしまう。

 

 考えるのは止めた、私が出来るのはカリバーを振り回し、レベルを上げ続けるだけだ。

 

 

 よっぽど人気がないのだろう、草があちこちに生え荒れ果てた門。

 それを開くとぶわっと生臭い匂いが流れ、目に入ったのはポコポコと不気味な音と気体を放出し続ける、目に痛いピンクの沼。

 一目見てもう帰りたい、絶対ダメなところだここ。

 

 踏み込んで暫し探索すると、小学生ほどはあろうかという巨大なピンクナメクジが、てらてらとあちこちに這っていた。

 

『お゛ぉ゛……』

「き、きもちわるい……! 『鑑定』」

 

――――――――――――――

種族 アシッドスラッグ

名前 ゲニー

 

LV 15

HP 70 MP 44

物攻 78 魔攻 51

耐久 31 俊敏 6

知力 12 運 8

 

――――――――――――――

 

 先生よりレベルは断然上とはいえ、ステータス自体は大したことがない。

 目に悪い蛍光ピンク色、ぬめぬめてらてらと最悪な見た目を除けば。

 

 帰りたい。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十二話

 ヌメヌメテカテカ、その上蛍光ピンクの悍ましい巨大ナメクジ。

 はっきり言って最悪の存在だ、どうしてこんなものを神様は生み出してしまったのか。

 近寄りたくない……

 

 しかし二百円も払って来た以上、その分と明日の宿泊代は稼がなくてはいけない。

 一体このナメクジがどんな魔石を落とし、いくらになるのかは知らないが、最低一匹、精神が持つなら出来る限り大量に狩る必要がある。

 そして明日からは来ない、絶対に来ない。

 

 天を眺め、流れていく雲へ意識を飛ばす。

 ああ……よし、覚悟はできた。

 

 ステータスを見る限り速度はなく、先生の様に変形をするとも思えない。

 一気に殴って戦いを終わらせよう。カリバーを握りしめ、『スキル累乗』の対象を『ストライク』へと変更。

 正面から一気に駆け寄り

「そいっ……!?」

 

 見た目通りいうべきか、ぐにゃりと柔らかな反応。

 しかし半分ほどまで沈み込んだかと思うと、異常なまでの反発力が突然生まれ、餅つきでもしているかのように身体が後ろへと突き返される。

 反動で片足立ちになり、そのままゆっくりと後ろへ倒れていく私。

 

 今の感触、打撃全く効いていない気がする。

 

 ここで倒れてしまうと泥にダイブすることになるし、どう見ても肌に悪そうなこれに触れたくない。

 ちょっと体勢的に無理があるかもしれないが

 

「『ストライク』!」

 

 スキルによる強制的な姿勢の変更、そして生み出された回転は姿勢を立て直すには十分。

 ぐるりと右足を中心に一回転、体勢を崩して上半身を倒しつつ、かちあげる様に放たれた『ストライク』はアシッドスラッグを大空へと舞いあげた。

 

 泥を撒き散らし、どう、と地面へ転がるピンクの物体。

 ついでに私も遠心力で体を起こし、体勢を元に戻す。

 

 ちょっと腰捻ったかもしれない、痛い。

 でも今の私には『活人剣』があるので、多少身体を痛めていても相手を殴っていれば治るはず。

 おお、そう考えると凄いぞ『活人剣』。

 

「『鑑定』」

 

――――――――――――――

種族 アシッドスラッグ

名前 ゲニー

 

LV 15

HP 48/70 MP 44/44

――――――――――――――

 

 全然効いていない。

 いや正確には効いているのだが、本来与えられるダメージには遠く及ばない。

 今の私が全力でストライクを発動すれば、先生相手にも80程度のダメージを与えられる。

 だというのに実際はその四分の一ほど、たとえ見かけの耐久が低かろうとスキルや本体の能力次第でいくらでも抑えられるという訳だ。

 

 困った、打撃が効かないのなら斬撃か魔法と言いたいが、残念ながらそのどちらも私には扱えない。

 幸いにして『スキル累乗』によって『ストライク』を発動したときの消費MPは10、その上私は無駄にMPが高いので、ここは一気に殴り飛ばしてしまう方が良いだろう。

 

 バットを横に構え、のんびりと起き上がっているナメクジへ肉薄、側面に重ねて全力の横薙ぎを繰り出す。

 目のあたりがパカリと開き、何かしようとしているが遅い。

 先手必勝、緩慢な行動が終わる前に攻撃してしまえば、相手は何もできずに倒される。

 

 その顔面へとカリバーが吸い込まれていき……

「――『すとらいく』?」

 

 が、空振り。

 

 あれ?

 

 間違いなくその顔に叩き込まれたはずのカリバー、しかし一切の衝撃がなく、まるで空を切ったかのように無抵抗。

 というか突然、カリバーが物凄い軽くなった。

 

 一体何をされたのか、ピンクナメクジを見て見れば、子供の水鉄砲程度の勢いでビューっと、なにやら粘液を吹き出していた。

 そしてその前に転がっているのは、見慣れたべこべこに凹んでいるカリバーの上半身。

 手元を見れば半分ほどから溶け、今なお少しずつ金属部が消えていくカリバー。

 

「……あ」

 

 カリバー、溶かされた。

 

『武器破損による、ユニーク武器化判定が行われます』

『固有名称を確認、判定確率の補正完了』

 

『成功。固有名称カリバー』

 

「おお」

 

 真っ二つになったカリバーであったが、私が握っていた柄からにょきっと新しく生えてきた。

 ピカピカだ、一体どういう仕組みなのか分からない。

 

 こういう時どんな顔をしたらいいのだろう。

 ずっと使ってきた相棒が溶かされ真っ二つになったかと思えば、まさか新品になって生えてくるとは思わなかった。

 

 筋肉曰く使い込んでいれば進化するとのことだったが、破壊されたときにも判定があるようだ。

 どうやらユニーク武器になったのは、名前を付けたおかげでもあるらしいし、所持者の愛着とかでも成功率が上がるのか。

 

 私が相棒の復活に感動していると、いつの間にか方向転換を済ませたナメクジがこちらを向いていて、プッと何かを吐き出した。

 

 速い……!?

 

 

 本体の緩慢な動きとは対照に、その吐き出された粘液の速度は成人の全力投球程度はある。

 目の前に物が迫ってきたら誰しも顔を覆ってしまう様に、私もカリバーを盾にしてその場に立ちすくんでしまった。

 不味い、これではせっかく治ったばかりのカリバーが、また溶けてしまう。

 

 想像以上に粘度が高く、ねっとりとカリバーへ張り付くそれ。

 微かに飛び散った粘液は服の端を掠め、瞬間、そこらが黒焦げ、果てには穴あきとなる。

 

 もしこれを直接受けたら……!

 

 背筋に氷を投げ込まれたような気分だった。

 誰だってわかる。金属の塊があっという間に溶け、服は触れた所から黒く焦げる。

 生身に直接、更にはカリバーで守っていなければ顔に当たっていたわけで、そうなったらポーションも回復魔法もない私は、死神と握手するしかない。

 

 ああ、だけど私の代わりにカリバーは壊れて……

 

「あれ、壊れてない?」

 

 そこにあったのは粘液を纏わせつつも、ピカピカと誇り高く輝く金属バット。

 一度ナメクジは放置して、入り口付近まで撤退。

 

 まさか筋肉が言っていたように……

 

「『鑑定』」

 

 

―――――――――――――――――――――――

 名称 カリバー(フォリア専用武器)

 

 スキル 不屈の意志

 逆境を乗り越え、運命に抗うと決めた少女の武器

 彼女が歩みを止めぬ限り、この武器は傍へ寄り添い

 続けるだろう

―――――――――――――――――――――――

 

 カリバー……!

 

 良く分からないかっこいいことが書かれているが、要するに私が生きていれば壊れないってことだよね。

 なんだろう、息子が立派に成長して、今度は俺が助けるよって言ってくれているような気分だ。

 

 無性に頬ずりしてあげたい衝動にかられたが、残念ながら今は粘液がべっとりとついていて、そんなことをしてしまえば顔が無くなる。

 だがこれでもう、武器の心配をする必要は無い。

 

「行こう、カリバー!」

 

 復活した相棒は、粘液でてかてかと輝いていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十三話

 という訳で、無事相棒が復活したお祝いとして、ナメクジをサンドバッグにすることにした。

 

 全く垂れる気配のない粘液、カリバーに貼り付いたまま。

 洗い落とすべきかとも思ったが、ここにある水源は怪しい気体が発生しているピンクの沼のみ。

 いくら壊れなくなったとはいえ、あの中に突っ込み洗うというのは流石に気が引ける。

 第一アレに入れて洗うことが出来るのか、毒とかありそうだしむしろ汚れるだろう。

 

 動きの遅いピンクナメクジ、幸いにして少し離れてカリバーの鑑定をしていても然程遠く逃げることもなく、うねうねとそこらを這っていた。

 正面から行けばあの速い粘液弾が飛んでくる、だが側面に回ってしまえば……

 

「『ストライク』!」

 

 ジュッ

 

 攻撃はいくらでも叩きこめる!

 

 先ほど同様もんどりうち、泥にその身を埋めるナメクジ。

 だが一つ違うのは、まるで塩を掛けられた普通のナメクジの様に、グネグネを激しく身体を蠢かせ呻いているということ。

 よく見てみれば殴られたところから煙が出て、滑っていた表面が乾いている。

 

 そういえばさっき服に飛び散った時も、そこが焦げて穴が開いた。

 どういう仕組みかは知らないがこの粘液、当たったところが乾いたり、あるいは熱くなって燃えたりするらしい。

 

「『鑑定』」

 

――――――――――――――

種族 アシッドスラッグ

名前 ゲニー

 

LV 15

HP 3/70 MP 44/44

状態 脱水、火傷、酸蝕

――――――――――――――

 

 笑ってしまうくらいめちゃくちゃ効いてた。

 

 見続けていれば刻一刻とHPが削り取られ、あっという間に0へ。

 薄い水色の魔石がごろりと転がり、私の打撃ではびくともしなかったピンクナメクジが、いとも簡単に死んでしまった。

 必殺だ、まさに必殺、特効という他ない。

 『ストライク』では全くダメージが与えられなかったが、この粘液がまとわりついたカリバーで軽く突けばナメクジ狩り放題だ。

 

 いつも通り無機質な声が私にレベルアップを告げる。

 それも一じゃない、一気に三上がった。

 たとえボスとしての補正がかかっていても、その三倍あるピンクナメクジはステータスで劣っていても、経験値は十分にあるようだ。

 

「ふ……ふふ……!」

 

 にやにやと、自分でもちょっと変な笑みがこぼれる。

 だってこんなにおいしい話があるだろうか。誰もいない不人気なダンジョンで、恐らく破壊不可の武器がないと出来ない攻略法で、その上経験値が高い。

 最高だ。

 帰りたい? 冗談じゃない、麗しの湿地愛してる。

 

 まだピンクナメクジはそこら中にいて、カリバーに纏わりついた粘液が切れても、ちょっと突いて吐かせればいくらでも補充できる。

 

 

 地面を蹴り飛ばし全力疾走、のんびり這っているナメクジを次々に辻斬り、もとい辻殴り。

 ダメージを通して倒す必要はない。どうせ粘液が染み込めば勝手に死ぬし、倒しきれなくとももう一度粘液を擦り付ければいい。

 五体、六体、そして七体目を殴ったあたりで、流石にカリバーに纏わりついていたそれが無くなってきたことに気付く。

 

 湿地を走り回っていれば同然音が響くし、ナメクジたちは私を敵としてターゲットし始めている。

 当然離れれば奴らは近付けないし、その場合選んでくるのは……

 

『お゛ぉ゛ぉ゛……!!』

 

 シュッ!

 

 粘液による狙撃だ。

 大丈夫、私の俊敏はおそらく同レベル台と比べても高いし、落ち着いて対処すれば十分回避できる速度。

 先ほどこそ意外な攻撃にびっくりしたが、今度は全て余裕をもって避け、射線上へカリバーを振り回すことでたっぷりと粘液を確保することに成功した。

 

 粘液をくれたお返しとして一気に接近、つん、と飛び出した目や顔へカリバーを叩き込む。

 皆身体をグネグネと動かせ大喜び、ついでに見物へ来た他のナメクジたちも襲撃。

 さながら様子はパーティ会場、DJフォリアによる粘液祭りである。

 

 さあもっと来い、全員私の経験値になってもらう。

 もっと、もっと強くならないと。

 

 

 二十分ほど駆けずり回ったあたりで漸くひと段落、周囲に山ほどいたナメクジたちは全員グネグネと動き回り、一匹たりともこちらへ近づいてくる様子が無い。

 どうやら全員に粘液を叩き付け終えたようだ。

 

「ふぅ……」

 

 柔らかな泥にバットを差し込み、いつの間にか滲んでいた汗を拭う。

 春とはいえこうも動き回ってしまえば汗がすごい出る、跳ねた泥や粘液で服もボロボロだ。

 小さな粘液が跳ね肌を焼いたりもしたのだが、簡単に倒せる興奮で痛みが無く、そのうえ活人剣は最低1回復するようなので直ぐに完治。

 恐らくがっつりぶっかかればまた話は変わってくるのだろうが、この程度ならさほど問題は無かった。

 

『レベルが上昇しました』

『レベルが上昇しました』

 

「あ、きた」

 

 どこかでほわりと小さな光、ピンクナメクジが死亡して消滅した証拠。

 直後にレベルアップ。

 一匹死に始めればあとは早い、次から次へと無機質な音声が鳴り響き、気が付けばあれほど蠢いていたナメクジたちの姿はなく、小さな水色の魔石が泥水を浴びてキラキラと輝いていた。

 

 綺麗だった。

 いや、蛍光ピンクの沼は確かに気持ち悪い見た目なのだが、きらきらと幾つもの魔石たちが反射し、不思議な色合いを生み出している姿は、何とも言えない物だ。

 むしろそんな色合いだからこそ、現実感のない不思議な美しさがそこにはあった。

 

「ステータスオープン」

 

――――――――――――

 

結城 フォリア 15歳

LV 38

HP 84 MP 180

物攻 81 魔攻 0

耐久 233 俊敏 225

知力 38 運 0

SP 30

 

――――――――――――

 

 経験値累乗の効果が十二分に発揮され、ここに来てから僅か小一時間で十四もレベルが上昇してしまった。

 その上SPも30増えたとあれば、もはやいうことが無い。

 麗しの湿地、最高である。

 

 泥にうずもれた魔石を一つ一つ拾い集め、ポケットへ入れていく。

 どうせもう服も泥まみれだし関係ない。ダンジョンの近くには血などを流すため水道が設置されているし、頭からそれを被ってしまえば全部流れる。

 ついでにカリバーもそれで洗ってしまって、日向ぼっこで身体を乾かそう。

 

 合計37の魔石、恐らくいくつかは埋もれたままだが、そういった魔石はまた魔力となってダンジョンに吸収されるらしいし、放っておいても問題ないだろう。

 一体いくらになるのか、わくわくする。

 沢山稼げたら、希望の実ではなくちゃんとしたご飯が食べたい。

 レストランに行って、この前女の子たちが話していたミラージュ風ドリアというのを食べてみたいし、ジュースも飲みたい。

 服も安いので良いから欲しい、これから暑くなっていくし今着てる長袖で暮らすのは厳しいだろう。

 

 泥の上を闊歩し入り口へ向かう……が、何か白い物体が落ちていた。

 四角く、ちょっと突いてみれば柔らかい。

 灰色の泥の上、当然それは良く目立つ。

 

 来た時はこんなもの無かったのに……あ、もしかしてこれがドロップアイテムって奴だろうか。

 私の運はなんかとんでもないことになっているので、そういった手合いには今まで出会ったことが無かったが、運が0でも落ちないという訳ではない様だ。

 ふふ、一体何だろうこれ。

 

「『鑑定』」

 

――――――――――――

 

アシッドスラッグの肉

 

――――――――――――

 

 ふふ、本当になにこれ。

 食べれる?



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十四話

 水道からだばだばと贅沢に水を出し、手や足、泥の飛び散った上着やズボンも洗っていく。

 カリバーは水に漬けると、物凄い水を飛び散らせて蒸気を出すのが怖かった。

 ついでに泥の上に落ちていたので、ナメクジの肉も一応洗っておく。

 

 流石に外で脱ぐわけにも行かず上から水を被っているが、ダンジョン探索で温まったとはいえ冷える。

 サッと脱いで軽く絞り着なおし、なんかの大きな平たい記念碑の上で日向ぼっこ。

 日に当たれば春の日差しはぽかぽかと温かく、眠気が襲ってきた。

 

 このままごろりと横になり寝てしまいたい気分だが、それをするより先にナメクジ肉をどうするか考えなくては。

 粘液だとかがドロップするならともかく、肉が落ちるとは思ってもいなかった。

 まさに青天のムキムキだ。

 

 果たしてこれは食べられるのか、いや、見た目も綺麗で食べられそうな雰囲気は纏っている。

 

 触ってみればイカというか、貝のぐにぐにしたところみたいな感触。

 あのピンクナメクジの肉だとは思えないほど、白くてきれいなのが不気味だ。

 食べるにしても生ではなく、せめて過熱して食べたい。泥の上に落ちていたし、そうでなくともナメクジの肉なんて何があるか分かったものではない。

 生肉とキノコは生で食べるとヤバい、それを私は嘗ての生活で学んでいた。

 

 勿論捨てるなんて考えはない、食べられるものは食べるべきだ。

 

「……協会ならキッチンか、焚火出来る場所ないかな」

 

 という訳で帰ることにした。

 

 

 入れる袋も用意していなかったのでナメクジ肉を握って持っていたら、通りがかったおばさんからビニール袋を貰った。

 雨も降っていないのにずぶ濡れなことを心配されて、警察を呼ばれかけたりもしたが、どうにか電車で無事に帰還、そのまま協会へ直行する。

 

「なんだガキ、探索者志望か? 世間の物語程楽しいものじゃねえよ、さっさと帰れ」

「これ、魔石」

 

 いつものカウンターだったのに、園崎さんがいなかった。

 髪の毛を激しくツンツン尖らせた目つきの悪い男が、出会って早々帰れと警告する。

 

 五分ほどガキじゃない、鑑定しろと繰り返し伝えて渋々鑑定、漸く私が15だと認めてもらえたが、それでもつっけんどんな調子は変わらない。

 なんて失礼な奴なんだ。

 髪の毛では飽き足らず、態度まで攻撃的じゃないか。

 

 むかつくので名前を憶えてやろうとネームプレートを見れば、そこには見慣れた園崎の文字。

 

「なんだよ、人の顔見てんじゃねえぞ」

「別に。早く買い取って、あとキッチンとか借りれる?」

 

 態度は悪くとも仕事はしっかりこなすつもりらしく、なにか魔石をいじくったり台に乗せたりと忙しい。

 しかし園崎さんと比べて精彩を欠いているというか、手際が悪い。

 始めてみる顔だし、新人なのかも。

 

 時間がかかりそうなので、適当に協会内を見回す。

 時刻は昼頃、皆ダンジョンへ潜っているのだろう、私のほかに探索者は数人しかいない。

 緻密な飾りのついた鎧を着込んだ、ぴかぴか光る剣を担いだ男だとか、大きな宝石が付いた杖を持っている女がいる中、一人バットを持っている私は凄い目立った。

 

 私みたいな初心者は置いておいて、探索者の多くはダンジョンからドロップする武器や防具を纏う事が多い。

 かつて最盛を迎えたらしい科学技術による武器などは、低レベルのダンジョンなら確かに強力な物だった。

 しかし難易度が上がるにつれ人々の身体能力や敵の攻撃力も飛躍的に上昇、つまりまともに効かなくなってしまうのだ。

 銃を撃とうと高レベルのモンスターなら皮膚で弾いてしまうし、レベルが上がった筋力で直接殴ったほうがダメージが出る。

 

 迷宮から出る装備は良く分からないが、なんか硬かったり切れ味が良かったりする。

 というわけで、高い金をはたいてそんなものを纏うより、ドロップ品を狙う方がいい。

 勿論それで諦める人類ではなく、科学技術と魔法の融合も日々行われていて、それが私の乗った『電車』だったりする。

 

「……い、おい、鑑定終わったぞ」

「ん」

「協会の裏に鍛錬場があるから、火使うならそこでやれ。他の探索者も偶に勝手にコーヒー沸かしたりしてるし」

「ん、ありがと」

 

 払われたお金は一万八千五百円、ピンクナメクジの魔石は三十七個拾ったはずだから一個当たり、えーっと……五百円かな?

 

 軽く小突くだけでこんなにお金がもらえるなんて、穴場という話は本当だった。

 これから数日間、ボス戦に突撃するまでは麗しの湿地でお金を稼ぎつつ、レベルも一気に上げてしまおう。

 存外の収入、服もボロボロになってしまったし、丁度いいので新しく買いに行こう。

 心が躍る。自分で服を買いに行くなんて初めてで、どんなものを買ったらいいのかもわからないけど。

 

 そして名も知らぬ彼に聞いた鍛錬場、そんなものがあるとは知らなかった。

 

「あ、おい待て結城」

「なに?」

「これ持っていけ、五百円で貸し出ししてるから。ちゃんと返せよ」

 

 ポイっと投げ渡されたのは、おもちゃの銃みたいななにか。

 よく見れば魔石が嵌め込まれており、ボルトを回転させて撃つことで火を出したり、水を出したりできる便利アイテムらしい。

 これで火を付けたり、終わった後は消火しろとのこと。

 

 五百円玉を投げわたし、ありがたく借りる。

 私も欲しいのだがダンジョンのドロップ品で、模造品も数十万するらしいので諦めた。

 

 銃とバットを手にぶらぶら歩き、協会の後ろへ向かう。

 確かに話に聞いていた通り踏み固められた地面が広がっていて、所々消し炭の後があった。

 そして休憩用の椅子もいくつか設置されていて、その一つに見慣れた姿。

 

 背中まであるつやつやの黒髪、ぴんと張った背筋。

 園崎さんだ、何か食べてる。

 

「園崎さ……ん……」

「むぐ……っ!?」

 

 後ろから覗き込んでみれば、彼女の手元にはボロボロに千切られた文庫本。

 それを指先でちまちま引き千切っては、まるでお菓子でも食べる様に口へと運ぶ。

 鼻歌交じりな辺り、本当においしいらしい。

 

 紙って食べること出来たんだ、私も何もないとき新聞食べればよかったのかな。

 雑誌とかもよく道に転がっているし、それを拾い食いすればお腹ペコペコでも苦しまずに済んだかも。

 

 声を掛けた瞬間物凄い勢いで振り返り、目を真ん丸に見開く園崎さん。

 私の声を聞いた彼女の口の端から、ぺらりと小さな紙片が零れ落ちた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十五話

 彼女の口角からぺらりと風を舞う小説の破片、それを摘まみ上げ口へと運ぶ。

 

 もさもさとして無味、だが微妙にインクと紙の匂いがじんわりと溢れる。

 つまり不味い、流石に希望の実よりは食べようと思えば食べられるが。

 雑誌だとか小説だとか関係なく、紙は食べるものではないし、食品として扱われているのを見たことが無い。

 もしかしたら私が知らなかっただけかもと思って食べたが、至極当然の現実が風味となり鼻を通り抜けた。

 

「え、ちょっ、な、なんで食べっ!?」

「園崎さんは紙食べるの好き? 私は苦手かも」

 

 もしかしたら美味しい食べ方があるのかもしれない、炒めればいいのかな。

 

 暫しわたわたと両手を動かし、なにやら思案している園崎さん。

 人に見られるの嫌だったのかな、悪いことしたかもしれない。

 

「い、いや私は……そう、スキル! ユニークスキルの能力で食べることが出来るの!」

「へえ、すごい。うらやましい」

 

 そんなユニークスキルもあるなんて、本当にうらやましい。

 素直に感心していた私だが、園崎さんは椅子に座ったまま、何故か私の様子を窺うように下目使い。

 

「……変じゃない? 気持ち悪くない?」

「……? なんで?」

「――ううん、なんでもない! ごめんね変な所見せちゃって、鍛錬でもしに来たの?」

 

 園崎さんの挙動が一番変だ、とは言えない。

 私なんてよれよれぼろぼろの服を着て、バットを片手に町を闊歩しては、誰も食べない希望の実を常食している人間だ。

 紙を食べる以外普通な園崎さんより、多分私の方が社会的に駄目な存在だと思う。

 

 彼女に袋の中身を見せ、これを焼いて食べたいというと興味を持ったらしく、私も横にいていいかな? と聞いてきた。

 勿論断るわけもなく、椅子を一つ引っ張ってきて、彼女と焚火を作って囲むことにする。

 

 焚火などやったことが無かったが彼女が詳しく、辺りに生えてる木々の枝を拾い集めては積み上げあっという間に組み上げてしまった。

 最後に食べていた小説をぺりぺりと千切り

 

「あ、しまった。これじゃ火がつけられないわね」

「これ使う?」

「あ、もしかしてキー君から借りてきたの? ありがとうね」

 

 手慣れた様子でトリガーに指をかけ、紙片へ火をつける。

 暫し残った小説で仰いでやれば炎は大きく育ち、木の枝を舐めてぱちぱちと猛り始めた。

 肉を枝に付け地面へ刺し込んでやればじっくりと炙られ、ジュクジュクと美味しそうな臭いや音が溢れ出す。

 とはいえそこそこ分厚いし、ゆっくり焼くべきだろう。

 

 二人で揺れる炎を見ていると不思議と口も軽くなり、園崎さんは色々と話し出した。

 キー君とはあの受付のムカつく奴で、彼女の弟でやはり今日から協会支部へ配属となったらしい。

 口は悪いけど良い子だから仲良くしてあげてね、そう笑う彼女の横顔は、一人の姉として弟を大切にしているのが分かる。

 

 ……正直気は進まないがまあ、買取や受付でいつもお世話になっているしちょっと様子を見るくらいなら、考えなくもない。

 

 彼女いつも人の少ないこの時間にここに来ては、のんびりいろいろな本を食べているそうだ。

 本に篭もった書き手の思いや、文章の内容が色々な味となって楽しめるらしい。

 良く分からないけど、私には思いもよらない味を食べることが出来るなんて楽しそう。

 いつか私にもそんなスキルが生えてこないかな、なんてつぶやいたが、彼女は引き攣った笑みを浮かべるのみだった。

 

 雲が流れていくのを眺めながら、のんびりと肉が焼けるのを待つ。

 微かに透明がかっていたナメクジ肉であったが、しっかりと火が通ったらしく軽い焦げ目と、白くなった内部。

 

「いただきます」

 

 噛みつけばあの殴った時の弾力は何処へやら、さっくりと柔らかく簡単に食い千切れる。

 味は油もなく淡白で、しかし噛めば噛むほどしっかりとした旨味が溢れ、満足感があった。

 触った時の感触通りと言えば通りか、塩味こそ足りないがこれは貝だ。旨味の強さといい、大きな貝を食べているような食感と味。

 

 なんて良いものを見つけてしまったんだ。

 

 希望の実は確かに食べるだけで栄養が取れるが、恐ろしいほど不味いし流石に飽きる。

 この味なら塩を買って掛けるだけでおいしく食べられるし、希望の実の味を誤魔化すのにも十分、しかも狩場で拾えるのだから言うことが無い。

 ドリアは後回しだ、今はこれを食べてお金を貯めよう。

 

 むごんでもにゅもにゅと食べていると、横から視線を感じる。

 ちらっと向いてみれば園崎さんが私の手元を見つめ、しかし慌ててそっぽを向いた。

 ならない口笛なんて吹いて、この人は嘘や演技が下手だ。

 

「一口食べる?」

「いや、流石に貧乏の中毎日頑張ってる子のご飯を貰うことは……」

「いいよ、どうせ明日も拾うだろうし」

 

 口では嫌がっていても、身体は正直だ。

 ずい、ずい、と突き出してやれば臭いが鼻をくすぐり、結局彼女も一口食いついた。

 

 お上品な小さい一口であったが旨味は確かに伝わったらしく、一瞬口を止めて、そのまま無言で呑み込んだ。

 

「あ、美味しいわね……!」

「うん、おいしい」

 

 そういえばだれかとご飯を一緒に食べたのは、随分と久しぶりな気がする。

 いや、施設では他の子どもと一緒に食事するのだが、ほぼ強制なそれとこれとはまた別の話だ。

 

 もう一口食べるかと突き出すも、流石に断られてしまう。

 結局ほとんどを自分で食べつつ園崎さんと話していると、後ろから大きな影が降りた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十六話

おう園崎……っと、弟もいるから分かりにくいか。美羽、この書類なんだが……」

「あ、筋肉」

 

 筋肉だ。

 何やら分厚い書類を片手にせわしなく何かを確認しているあたり、どうやら園崎さんと事務についての話があるよう。

 

 筋肉といったワードに反応し、私がいたことに気付く筋肉。

 怪我はないか、何か変なことは起こらなかったかと聞いてきたので、今日起こったことを教えてあげる。

 粘液を使えばピンクナメクジを簡単に倒せるという事、カリバーがユニーク武器になって壊れなくなったこと、そしてナメクジ肉は凄い美味しいという事を。

 

「ほう……見た目や酸で人気が無い場所だったが、そういった方法があったか。ガラス製の武器なんかを用意すれば、誰でも簡単に狩れるかもしれないな……」

「あ、でもカリバーがユニーク武器にならなかったら、私も危なかったかもしれない。スウォームの時もそうだけど、筋肉は多分倒せるだの適当過ぎる」

「あー……悪い。ちょっと細々した感覚が怪しくてな」

 

 実は結構この事について怒っていた。

 お前ならいけると勇気づけるのは良いが、結構死にかけることもあったし、彼の大丈夫はいまいち信用が出来ない。

 

 頭を掻き、ばつの悪そうな顔で謝る筋肉。

 まあ結局今のところは生きているから許すが、彼の知識量は信用しても大丈夫という言葉は信頼しない方がいいかもしれない。

 

「ああそうだ、お嬢ちゃん」

「……?」

「アシッドスラッグの肉は魔法触媒になると聞いたことがあるが、食う奴は初めて見た。 腹壊すなよ」

「……!?」

 

 うまいうまいと食べていた私と園崎さんが、顔を見合わせ驚愕する。

 大丈夫……だいじょうぶだよね?

 

 

 翌日、特に体調の異常などもなかった。

 

 良かった、これならナメクジ肉を食べていっても問題なさそうだ。

 さて、今日も今日とてダンジョン探索と言いたいところだが、その前にすることがある。

 

 紙コップに無料の水を注ぎ、ネットカフェの個室でステータスを開く。

 

―――――――――――――――

 

結城 フォリア 15歳

LV 38

HP 84 MP 180

物攻 81 魔攻 0

耐久 233 俊敏 225

知力 38 運 0

SP 30

 

スキル

スキル累乗 LV1

悪食 LV5

口下手 LV11

経験値上昇 LV2

鈍器 LV1

活人剣 LV1

 

称号

生と死の逆転

 

―――――――――――――――

 

 なんてことは無い、私のステータス。

 しかし昨日のナメクジ狩りでSPが入ったので、何かスキルを強化するなり、基礎スキルを習得するなりを考えている。

 

 一般的にスキルはレベルと基礎SPを掛け合わせることで、次のレベルにおける必要SPが計算できる。

 基礎SPというのはLV1からLV2にあげる時必要なSPで、私の『経験値上昇』なら10だ。

 すると高ランカーのスキルはとんでもないレベルになるんじゃないか、なんて思うが、現実はそう上手くは行かない。

 なんとスキルレベル10ごとに必要SPが10倍へ跳ね上がってしまう。

 例えば『経験値上昇』の基礎SPは10だったが、スキルレベル11へ上げるためには100SPではなく、1000SP必要になる

 勿論その分メリットもあって、新たなスキルを習得したり、性能が大きく上がるのだが。

 

 まあその話はレベル数万、Cランカー以上でないとあまり関係のない話。

 今の私には遠い話である。

 

「うーん……どうしよ」

 

―――――――――――

 

スキル累乗LV1→LV2

必要SP:100

 

経験値上昇LV2→LV3

必要SP:20

 

鈍器LV1→LV2

必要SP:10

 

活人剣LV1→LV2

必要SP:50

 

―――――――――――

 

 勿論悪食や口下手のスキルレベルは考慮に入れない。

 第一私は悪食と言われるほどそこまで変なものは食べていないし、口下手なんて変なスキルこれ以上上がっても困る。

 希望の実はダンジョンの遭難者が口をそろえて、あれが無ければ死んでいたという程凄い実なのだ。

 同じ口で、次遭難したら餓死を選ぶなんて言うほど不味いが。

 

 すると現状上げられるのは『経験値上昇』と『鈍器』の組み合わせか、レベルが上がるのを待って『活人剣』や『スキル累乗』を上げるかになる。

 

『経験値上昇がLV3に上昇しました』

『鈍器がLV2に上昇しました』

 

 が、やはりここは『経験値上昇』と『鈍器』だろう。

 『活人剣』は案外便利なスキルであったが必要SPが高いのと、今調べてみた所1%しか効果量が上昇しないらしい。

 今のところLV1でも十分戦えているし、無理にあげる必要はない。

 

 そして私の一番の強みである『スキル累乗』だが、恐らくSP100まで我慢してこのままで上げるより、SPが溜まるごとに『経験値上昇』を上げていって成長を加速していった方が、恐らく効率が良いと考えた。

 

 まあ計算は苦手なので、あっているかは分からない。

 ぶっちゃけ誤差だと思うけど、本音を言うと経験値が沢山入ってレベルを上げたほうが楽しそうという、すごい個人的な考えだ。

 最終的な目標は誰にも嫌がらせされない最強になる事だし、多少過程が変化しようとどうでもいいのだ。

 

――――――――――――――――――

 

経験値上昇 LV3

 パッシブスキル

 経験値を獲得する時、その量を【×9倍】

 現在『スキル累乗』発動中

 

鈍器 LV2

 パッシブスキル

 打撃系武器の威力が1.15倍

 

――――――――――――――――――

 

 経験値上昇は予想通り三倍、スキル累乗の効果もかかって九倍。

 しかしながら鈍器は1.2倍まで上がると思いきや、想像以上にこまごまとした数値になってしまった。

 勿論『ストライク』のように、基礎スキルを上げていくことで生えてくるスキルもあるので、これが無駄だとは言わない。

 

 よし、今日もナメクジいじめに行くか。

 

 紙コップの水を一気に飲み干しクシャッと潰すと、私はカリバー片手に立ち上がった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十七話

「ほい」

 

 粘液付きバットで殴打。

 

「つぎ」

 

 近寄ってきたナメクジはお仕置き。

 

「よっと」

 

 近寄ってこないナメクジも襲撃。

 我ながら野蛮だが仕方ない、冒険者とはそういう物。

 ウホウホ筋肉帝国の使者として、これはいわば使命なのだ。

 

 昨日の焼き戻しの様に、周囲にはグネグネと蠢くナメクジたち。

 そいつらが次から次へと死亡し姿を光に変え、ドロップした魔石を私が回収する。

 暫くするとまたピンクの沼からナメクジたちが這い出てくるので、歓迎パーティ代わりにその頭を粘液付きバットで殴り飛ばす。

 

 あ、ナメクジ肉落ちた。

 

 昨日おばさんから貰ったビニール袋に放りこみ石の上に放置、どうせここには私以外誰もいないし、盗まれることもない。

 昨日ナメクジを簡単に倒せる方法を筋肉に伝えたのだが、彼は私がここで暫く狩り続けるだろうから、それが終わったら情報を公開すると言っていた。

 

 まあ私の場合は『スキル累乗』と『経験値上昇』の組み合わせで、他人とは比にならない成長速度なので、恐らく一週間もすればここから去ることになる。

 そうしたらここは一躍人気ダンジョンになるだろう。見た目は確かに汚くとも簡単に倒せるなんて、初心者垂涎の経験値稼ぎ場になるのは間違いない。

 

 さらに有用な情報には報奨金が出るらしく、なんと五万円も貰ってしまった。

 今の私は七万円も持っている、大金持ちだ。

 このお金で服を買おうと思ったのだが、『麗しの湿地』では泥や酸が跳ね直ぐに汚れてボロボロになってしまうし、ここを攻略してから新しく買うことにした。

 

『レベルが上昇しました』

 

 石の上でぼんやりとナメクジたちが消滅するのを待っていると、レベルアップの音声が耳へ飛び込んできた。

 流石にレベルの上昇も緩やかになってきたとはいえ、スキルレベル自体を上げたことによって、今なおレベルアップは起こる。

 しかしながらナメクジのレベルは15、今のレベルアップにより私のレベルは40となったので流石にもう厳しいだろう。

 

 麗しの湿地は推奨レベル15~50、今までは入り口近くでナメクジを狩ってばかりいたが、そろそろいい頃合いか。

 普通ならもっと低いレベルで奥へ向かうのかもしれないが、私はソロで致命的なダメージを受けた瞬間おしまいだ。

 少し慎重すぎるくらいがいい。

 

 オークに頭を潰される直前の、手足から血が引く感覚を思い出し身が勝手に震えた。

 流石にもうあれは勘弁してほしい。

 

 

 カリバーを掴み上げ、石の上から飛び降りる。

 泥が飛び散るが今更だ、駆けずり回ってフルスイングを繰り返しているせいで、既に全身泥まみれだし。

 一度ナメクジたちを壊滅に追い込むと、彼らが沼から出てくるまである程度時間がある。

 その間に悠々と闊歩、沼地を進んで行く。

 

 しかし先ほどまで何もなくだだっ広い泥が広がっていたというのに、奥に進んで行くと三メートルはあろうかという巨大な蓮の葉が、あちこちからにょきにょき生え始めた。

 勿論沼の色とそっくりな花も咲いていて、随分と幻想的な雰囲気がある。

 モンスターが動くような影もなく、気が抜けていたのだろう

 

「……!?」

 

 音もなく後ろに忍び寄っていた、そいつに気付かなかった。

 

 始めに感じたのは奇妙な動きづらさ、そして遅れて走ったのがわき腹への激痛。

 先生との戦いで考えるより先に回避行動が身に染み付いていて、そのまま泥の中を前転し、鑑定を発動しつつ振り返る。

 

――――――――――――――――

 

種族 パラライズ・ドラゴンフライ

名前 ララミア

LV 37

HP 121 MP 71

物攻 277 魔攻 84

耐久 21 俊敏 301

知力 57 運 41

 

――――――――――――――――

 

 音もなく背後に忍び寄っていたのは、一メートルほどの巨大なトンボ。

 薄い灰色の身体は泥の色と混ざっており、遠目からだと気付くことは難しいだろう。

 私が追撃を回避したことで警戒を始めたのか、その場でホバリングしてこちらの様子を窺っている。

 

 薄く透明なその羽、しかし今は赤く染まっている。

 あれにやられたようだ、なかなかいい切れ味じゃないか。

 

 睨み合い、どちらが動くかを待つ。

 レベルの高さもさることながら、自信のあった俊敏ですら負けてしまっているあたり、下手に殴り掛かれば手痛い反撃を喰らうのは間違いない。

 耐久は見るからに低いので、攻撃さえ当ててしまえば一撃で倒せるだろうし、冷静になれ私。

 

 カリバーを低く構え、一触即発の一瞬を待つ。

 

 不意に首を回転させたかと思うと、猛烈な勢いで真正面から突撃してくるトンボ。

 

 そちらがその気なら、正面から叩き潰してやる。

 

「『ストライク』!」

 

 輝く斜めの振り上げが唸りを上げ、トンボの頭を叩き潰さんとその飛行ルートへ差し掛かる。

 ナメクジの粘液弾を受けていたのも功を奏して、そういったタイミングを計るのも上手くなった。

 

 筈だった。

 

「……っ!?」

 

 トンボはつい一瞬まで恐ろしい速度で接近していたというのに、ストライクの範囲ギリギリでピタッと止まっていた。

 ホバリングだ、こんなに身体が大きいのに小さなトンボと遜色ないほどの。

 獲物を見過ごし、大きく弧を描くカリバー。そしてご自由にどうぞとばかりにがら空きな、私の胴体。

 

 やってしまった!

 

 冷たい汗が背中を流れる。

 声によるスキルの発動はだれでも綺麗な軌道を描けるが、その代わりに決まった形しか描けない。

 勿論敵に当たらずともそれは変わらなくて、スキルの余韻として一直線に振り切ってしまった私の隙を、トンボが見過ごすわけもなかった。

 

 世界が色を失い、時の進みが遅くなる。

 動かぬ身体でどこか冷静に、この状態は不味いと脳が警戒を鳴らしている。

 だがそんな考えている私を嘲笑う様に、脇の下へもぐりこんできたヤツは、先ほど切り裂かれた脇の肉を噛み千切った。

 

「う……あぁ……っ!」

 

 視界が激痛で赤く染まり、堪らず悲鳴が漏れる。

 抑えた所からぬるりとした血が出ているが、幸いにして傷はそこまで深くはなさそうだ。

 私の肉がよほどうまかったらしい。口元を蠢かせつつ蓮の葉に止まり、じっと見つめるトンボ。

 

――――――――――――――

 

結城 フォリア 15歳

LV 40

HP 76/88 MP 185/190

 

――――――――――――――

 

 恐らく同レベルの中でも高い耐久のおかげで、致命傷という程ではない。

 とはいえ一撃で一割以上持ってかれたし、血も出ているし、今も痛すぎて涙が止まらない。

 どうしてこんなヤバい奴が居るんだ、さっきのナメクジは一体何だったのだ。

 

 今までスライム、先生、そしてナメクジと全て遅い敵ばかりで、積極的に高速戦を仕掛けてくる奴は居なかった。

 慣れない戦法、その上二発も攻撃を受け止めてしまったとあれば、これはなかなか分が悪い。

 逃げるにもこの速度だ、背中を狙われて美味しく頂かれてしまうだろう。

 

 辛いが、戦うしかなさそうだ。

 まだやりたいことが沢山ある、ここで死ぬわけにはいかない。

 

 唇を強く噛み締め、私はカリバーを構えた。 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十八話

 さて、どう動く……?

 

 空中にピタッと止まり、首をねじってこちらを観察するトンボ。

 一方私はゆっくりと擦り寄り、一撃が届く範囲にまでトンボが動かぬよう祈るのみ。

 当然殴られてはたまらないトンボも必死であり、少しでも触れそうになれば、つい、と滑らかに空をかけ距離を取る。

 

 足元はぬかるんでいて、その上俊敏値でもトンボに負けている。

 無駄に走って追いかけっこをしたところで、障害物がないトンボの方が有利なのは決まり切っているので、どうにかこちらの範囲内に奴を誘導するしかない。

 虫という生き物は本能で動いているとばかり思っていたが、どうやらこのトンボに関していえば確かな知性を感じる。

 

 無機質な複眼が私を見つめる中、おもむろにポケットへ手を入れ、希望の実を口へ放り込む。

 

 どうやってアレに攻撃を仕掛けた物か……おえ、まっず。

 

 食べなれた不味さが口内と鼻をタコ殴りにして、気付かず焦りに襲われていた思考がリセットされる。

 魔法などの飛び道具は無く、私の攻撃に使えるスキルはストライクのみ。

 いや待て、ストライクで遠距離攻撃は……

 

 出来る!

 

 周囲を見回しその場を疾走、お目当ての物は泥の上、半分ほど沈んだ形でそこらに転がっていた。

 

 カリバーの先でほじくり叩きあげ、泥まみれのそれを握る。

 ざらざらと硬く冷たい灰色、握った私の手には先ほどまで埋まっていた地面の冷たさが、じんわりと染みた。

 なんてことは無い、ただの石だ。

 

 それをいくつか掘ってはポケットに突っ込む。

 

 大切なことを失念していたよ、バットは物を殴って飛ばすものだって。

 てっきり壁やナメクジをサンドバッグにするための物だと思い込んでいたが、そういえば元々スポーツ用品だった。

 

「うりゃ! 『ストライク』!」

 

 私が逃げ出したと思い込んだのだろう、一撃を叩きこもうと直線状に飛んできたトンボ。

 その真ん前へ、スキルによる全力の加速を受けた石が飛び込んだ。

 

 

 が、直前になって視認したのだろう、翅を大きく揺らめかせるトンボ。

 それもギリギリで避けられ、また一直線にこちらへ飛翔。

 

「ほーむらーん!」

 

 石に集中しすぎたのだろう、駆け寄っていた私には気付かなかったらしい。

 今まで聞こえなかったトンボの翅音が聞こえるほどの至近距離、一瞬彼の瞳が私を貫いた気がした。

 だから何だって話なんだけど。殺すね。

 

 掬い上げるような私とカリバーの一撃が、そのくりくりとした複眼を叩き潰した。

 

 こすれ合う金属のような絶叫、なんかねちょっとした体液。

 もがき苦しむように蠢く足、透き通るような翼が泥に塗れ汚く染まっていく。

 バットに少しナメクジの粘液が残ってたみたいで、じゅわじゅわと煙が出ているのが、見ているこちらまで痛くなる。

 

 虫に叫ぶ喉はないと思うので、多分本当に翅かなんかが擦れているだけだと思う。

 いやまて虫って叫ぶのかな、私が知らないだけかもしれない。

 まあどうでもいいか。

 

 トドメの一撃を打ち込もうとカリバーを握り直し、地面で暴れるトンボへ近づいたところで

 

「ひゃ……れ……?」

 

 かくっと、足から力が抜けた。

 

 足だけじゃない、カリバーを握っていた両手すらも力が入らない。

 一体何が……

 

 ふと思い出すのは、このトンボの正式名称であるパラライズ・ドラゴンフライだったか。

 ははん、なるほど。

 パラライズってのは確か、麻痺とかそんな感じの意味だったよね。

 大体わかった、さっき切り裂かれたか噛みつかれたかしたときに、麻痺毒を打ち込まれたみたいだ。

 

 積極的に攻撃を仕掛けてこなかったのも、その内麻痺するからってわけだ。

 本当に頭いいなこのトンボ、賢過ぎて嫌になる。

 

 動かなくなった身体は重力に導かれ、私は泥に横顔を突っ込んだ。

 泥に埋もれていない右目で見て見れば、ふらふらとゆっくりながらも飛び上がり、残った片方の複眼でこちらを睨みつけるトンボ。

 ゆっくりと顔半分が溶かされているがお構いなし、死ぬならば私もろともというわけだ。

 

 不味い、全く体が動かない。

 死にたくない……!

 

 今までの精密な飛行と打って変わって、荒々しく翅を掻き回しすさまじい羽音を立てるトンボ。

 得意の大顎は無くともその鋭い翅は健在、そのまま突っ込まれれば無傷じゃ済まない。

 それにここはダンジョンの中で、ただぶっ倒れていたらいつ他のモンスターに襲われるか。

 どうにかここを切り抜けないと……

 

 痙攣した腕、力が入らない。

 だが逆に、痙攣しているせいで私の手は、カリバーを握った形のままだ。

 頼む……発動してくれ……!

 

「『しゅきりゅりゅいひょ(スキル累乗)ひゃいひょひぇんひゃ(対象変更)すふょらいふゅ(ストライク)

 

 カチリ、と、私の中で何かが切り替わった。

 

 来た。

 たとえ活舌が麻痺で死ぬほど悪くても、そこに『私の意志』 があれば発動するらしい。

 

 見る見るうちにこちらへ近づくヤツの顔を見ながら、天へ祈るような絶叫。

 

「ふひゃああああああっ! 『すふょらいふゅ(ストライク)』!」

 

 ドンッ!

 

 泥の柱が天高くに登り、私の身体も一緒に空へ撃ちあがる。

 眼下に見えるのは、最大の仇を殺そうと突撃するも、爆音とともに突然姿を見失ったトンボ野郎。

 

 スキルの効果は、その身体を強制的に決まった動きへ導く。

 麻痺した身体でもMPによる操り人形として働き、『スキル累乗』の強化によって性能を引き上げられた『ストライク』は、私の身体を発射するエンジンの代わりを十分に果たした。

 

すふぇーふゃふゅ(ステータス)

――――――――――――――

 

結城 フォリア 15歳

LV 40

HP 31/88 MP 170/190

 

――――――――――――――

 

 やっぱり無理にスキルを発動させたのと、地面にストライクを叩き付けた反動をもろに喰らったせいで、結構ダメージを受けてしまっているようだ。

 まあ、トンボは耐久が低いし『累乗ストライク』と『活人剣』の組み合わせである程度回復できるから、死なないはず。

 多分、だいじょぶだいじょぶ。

 

 地面を這いつくばるライバル、だが私の勝ちだ。

 

「『スヒョライヒュ(ストライク)』!」

 

 ミチィッ!

 

 若干麻痺が引いて回復した滑舌でストライクを発動すれば、引力も合わさってその胴体にみっちりと食い込み、そのまま衝撃波で爆散する。

 

『レベルが上昇しました』

 

 聞きなれた音声と共にトンボの姿が消え、空の様に水色の魔石だけが残った。

 今回はなかなかヤバかった。ここまで追い込まれたのは、先生にお腹をぶっ飛ばされたとき以来かもしれない。

 泥の上とはいえ衝撃で痺れる足、着地の体勢であるがに股のまま、どうにか戦いに勝利した安どのため息を漏らす。

 

 あ、『経験値上昇』に『スキル累乗』の効果乗せるの忘れてた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十九話

 恐らく一体倒すだけでレベルが1上がったので、このトンボは相応の強敵だったのだろう。

 勿体ないことをした。

 一々『対象変更』と宣言しなければ変えられない現状は、なかなかにして面倒だ。

 どうにか短縮して発動、それか意志だけでの変更が出来ないだろうか、戻ったら試行錯誤するべきだろう。

 

「ケホッ……ステータスオープン」

 

――――――――――――――

 

結城 フォリア 15歳

LV 40

HP 12/92 MP 150/200

 

――――――――――――――

 

 無理やりスキルを使ったからだろう、死にかけだ。

 

 切り裂かれたわき腹と、無理が祟ったのだろう、胸や足がジンジンと痛い。

 手を当てて咳をすれば響く鈍痛と共に、喉の奥から生臭い鉄の風味がせり上がってくる。

 眉を顰めてそれを吐き、流石に戦闘の継続も厳しいので協会へ戻ることにした。

 

 辛い。

 心の中で誰かが、もう十分レベルは上がっただろうと、バイト生活に逃げても良いんじゃないかと甘く囁く。

 バイト生活が嫌だとして、ナメクジを倒すだけでも一日数万円と、十分以上のお金が稼げる。

 無理に先へ進もうと戦い続けなくとも、最強を目指さなくても良いんじゃないか。

 

 私の足を止めようと吹き込んでくる悪魔、それを薙ぎ払う様にカリバーを振り回す。

 弱気になるな、一度足を止めたら二度と立ち上がれないぞ、私。

 拾ったトンボの魔石を握りしめ、折れそうな心へ活を入れる。

 

「帰る前にナメクジ殴っておこう……」

 

 痛む身体を引きずりながら、トンボの後だと癒しに感じる蛍光ピンクな奴らを思い出す。

 遅くて、サンドバッグになって、HPも回復出来て、お金にもなる最高な奴ら。

 これはストレス発散じゃない、HP回復のためだ。

 本当だよ。

 

 

「魔石」

「ちっ、なんだお前……!? お前身体どうしたんだよ!?」

「なんだっていい、戦うなら怪我するのは当然。換金」

 

 今日も受付にいたのは園崎弟、たしか園崎さんはキー君とか言っていたか。

 HPは半分ほど回復して傷口もある程度塞がり、鈍痛も薄れているとはいえ服がボロボロなのは変わらない。

 相変わらず入り口の水道で洗ったとはいえ泥汚れも残っているので、それを見て驚いたのだろう。

 

「大丈夫な訳ねえだろ! 回復術師の人来てくれ!」

 

 頼んでもいないのに、勝手にお抱えの回復術師を呼ばれてしまった。

 まあ流石に今日は利用するつもりだったので良いのだが。

 

 柔らかな光に包まれ、全身から痛みが引いていく。

 薄く貼っていた皮膚の下に肉が生まれ、食い千切られたはずの所はしっかりと、周りとの色差もなく元通りに回復した。

 回復魔法と名乗るだけあってさすがの効果量である。私も魔攻があれば使えたらと思うと、口惜しい。

 

「ありがと、千円」

「ああいらんいらん、俺が払っとくから! じゃ、ありがとうございました」

 

 ポケットからお金を取り出すが、園崎弟に押しのけられ、勝手にお金を払われてしまった。

 

 これは困る。

 

 他人に自分の物を渡す分には気にしないが、他人に施されると後で何を要求されるか分かったものではない。

 筋肉から一万円もらったときはお金に困っていたし、良い奴そうだからありがたく頂いて後で返すつもりだが、園崎弟は口が悪いし情けを掛けられたくない。

 園崎弟を手で払って千円を手渡そうと画策したのだが、何度やっても手で遮られてしまう。

 結局今回は奢られてしまった。

 

「だから言ったんだ、ガキは無理しないで帰れって。遊びじゃねえし危ねえんだよ」

 

 相変わらずウニの様に鋭い髪型で、いがぐりの様にツンツンとした言葉を吐いてくる。

 危ないのなんて分かってるし、もう何回も死にかけている、というか一度死んでいる私には今更の話。

 もういい、こいつの名前はウニで十分だ。

 

「うるさい、お前に私の何が分かるんだ」

 

 なおもしつこく寄ってくるウニ、それを無視して協会を出れば、流石に仕事中の奴も追ってくるのは諦めたらしい。

 園崎さんに仲良くしてくれなんて言われたが、やっぱりこいつとは仲良くできない。

 せめて髪型と言葉をもっと丸くしてくれないと、話していてイライラする。

 

 五十三個のナメクジ魔石と、トンボの魔石ひとつ。

 合計二万八千五百円、今日も最高額を更新した。

 報奨金とここ数日の稼ぎを合わせて十万円、そろそろ銀行口座か金庫を用意した方が良いかもしれない。

 『アイテムボックス』が一番安心ではあるのだが、この前見た時は500SP必要だったので、流石に入手するまで遠すぎる。

 

 欲しいものややりたいことは沢山あるが、それにはレベルを上げる必要がある。

 取り敢えずもう昼近いし、ナメクジ肉と希望の実で昼食にしよう。

 そうビニールを開いたが、手が止まる。

 

 火どうしよう。

 

 あいつにお願いしてあの銃を借りるのが一番だが、それはどうも気に食わない。

 

 ふと目についたのが、入り口にマッシブな両親と子供がポージングを決めている人形で有名なコンビニ、ファミリーマッチョ。

 大手チェーンなだけあってこの街にも一件、人の集まるギルドの前に立っている。

 

 きらりと輝く歯を見せる素敵なスマイルを浮かべ、筋肉程鍛えられてはいないが、黒々とした筋肉を見せつける人形達。

 うーん、不気味だけどまあここでいいかな。

 コンビニに入るのは生まれて初めてかもしれない。どんなものが置いてあるんだろう、雑貨品だから多分ライターとかも売ってるよね。

 ちょっとわくわくする。

 

 私は店員の声を受けながら、冷たい空気の零れるコンビニへと足を踏み入れた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十話

コンビニに入ったはいいが、バットを買った以外買い物というものをそもそもしたことがない私。

 バットは入り口近くに立てかけてあったし、手に取ってすぐ買うだけで済んだ。

 しかし果たしてコンビニのどこに、何があるのかが全く分からない。

 

 どうしよう、ふらふらと見回して歩いていたら、万引きと間違えられないだろうか。

 警察呼ばれたり、果てには今持ってる十万円が盗んだものだと思われたらどうしよう……!?

 

 考えるほどに揺れ動く頭、落ち着かずに動き回る手。

 不味い、分かっているのに挙動不審になってしまう。

 このままだと逮捕……!?

 

『あの子が万引きなんてするとは思ってもいなかった』

 

 目線を隠された筋肉が、ネットニュースで取り上げられているのが脳裏に浮かぶ。

 違う、私は何もしていない。

 筋肉の見た目の方が、私の何倍も犯罪チックじゃないか。

 あああどうしよう、一回出た方がいいのだろうか。誰か、そう、園崎さんか筋肉でも引き連れて……!

 

「ねえ君」

「ひゃい!? わっ、私はまだ、な、何にもまだしてない!」

「何言ってんのよ……アンタ、あたしが拾った子よね?」

「……あっ」

 

 声をかけてきたのは、穂谷さんだった。

 元気そうでよかったわ、と、笑顔で背中をバシバシ叩いてくる。

 太ももに差した無数のナイフ、動きやすいように関節や胸のみ装備で守っているあたり、私と同じで俊敏の高いステータスだろう。

 

 希望の実で復活した後気絶した私を、わざわざギルドまで運んでくれた彼女。

 ずっと戦っているのであまり曜日感覚というものがないが、今日は土曜日らしく彼女も探索に来たらしい。

 

「あんた随分と挙動不審だったけど、もしかして……だめよ、スライムじゃ稼げないのは分かるけど。そんなことするくらいなら、うちで養ってあげるからやめなさい」

「ち、ちがう! 実は……」

 

 やはり傍目から見ても相当アレな動きだったらしい。

 別に隠すこともないし、変な疑問を持たれるのも嫌なので、ナメクジ肉を見せつつこれをギルド裏で焼くからライターか何かが欲しいと素直に伝える。

 

 ようやく納得がいったようで、手を引かれてレジにまで連れていかれた。

 ライターの類は子供が下手に扱って火事になることがあるので、そもそも陳列されていないらしい。

 気をつけて使うのよ、と、購入後に何度も言われた。

 

 完全に子ども扱いされている気がする。

 

 まあいい。

 運よく彼女と出会ったおかげで、追い返されることもなくライターを手に入れることが出来た。

 早く肉を食べよう、おなかすいたし。

 

「しかしあんた……服ボロボロね」

「戦うから仕方ない」

「いや、それにしても酷過ぎるわ。あの筋肉禿達磨は見てて心が痛まないのかしら……今から時間ある?」

「ある……けど……」

 

 警戒している私に苦笑して

 

「別に取って食うわけじゃないわ。妹のお古だけど服とか靴余ってるから、サイズ合うやつ持って行きなさい」

「え……」

 

 お古と言われて思い浮かぶのは、よれよれのびのび、サイズが合わないだぼだぼの服たち。

 今私が来ている奴だって、私の身長に合うものがないので小学生用の謎な猫が描かれたやつだ。

 好意はありがたいが、流石に気が引ける。

 お金もあるしきれいな服が着たい。

 

 しかし何を勘違いしたのか、子供は遠慮するなとずいずい詰め寄る穂谷さん。

 その肉も調理してやるからと押され、結局断り切れずに彼女の家へ行くことになった。

 

 どうしよう。

 

 

「ほら上がった上がった」

「……お邪魔します」

「じゃあご飯作ってくるから、そこで座ってなさい!」

 

 穂谷さんの家は大きな一軒家だった。

 玄関に並んでいる靴とかもピカピカだし、ボロボロで泥まみれのスニーカーを横で脱ぐのが恥ずかしい。

 場違いだと言われている気分になる。

 

 しかし彼女はそんなこと気にも留めていないようで、大きなソファに案内されると、そこで待っていろと小走りで去ってしまう。

 あまりにどんどん変わっていく状況にどうしたらいいのか分からず、ソファの端っこで三角座りをして待つ。

 私なんかが足を伸ばしていると、敷かれた綺麗なカーペットを汚してしまう気がして。

 

 大きな木製の壁掛け時計、いくつも並んだ、幸せそうに笑う姉妹や家族の写真。

 高い天井といい、私なんかが入ってはいけない隔絶した生活環境だ。

 いや、私も昔は一軒家に住んでいた……気がする。だが父が居なくなってからだったか、それも売り払ってしまって……

 

 昏い記憶に浸っていた私の意識を、穂谷さんの明るい声が引き上げる。

 

「なんちゅー座り方してんのよ……ほら、普通に座りなさいったら。あのよくわかんない肉、イカっぽいわね!」

「わぁ……!」

 

 彼女が突き出してきたのは、トマトベースのパスタ。

 湯気と共にいい香りが漂ってきて、見ているだけでおなかがすく。

 

 本当はこんな手間のかかったものを作ってもらう気などなかったのだが、フォークを差し出されてしまえば辛抱たまらなかった。

 受け取り、はぐはぐと無言で口の奥へ押し込む。

 美味しい。

 ただ焼いただけのナメクジ肉とは大違いで、トマトや玉ねぎのうまみと共ににんにくの風味が後押しして、食べれば食べるほどフォークが止まらなくなる。

 

 どんどん食べていくと、一緒に食べていた穂谷さんがまだ食べられるかと聞いてきたの頷けば、奥からフライパンを持ってきておかわりまでくれた。

 

「ゆっくり食べなさい、むせるわよ」

「うん」

 

 冷たい水の入ったコップを机の上に置かれる。

 気が付けば皿は空っぽで、久しぶりの満足感だけが残っていた。

 

「……普段何食べてるの」

「希望の実」

「希望の実ぃ!? あのクッソ不味いって言われてるやつ!? あんた本当に大丈夫!?」

「食べなれると耐えられる」

 

 彼女にポケットから、一つ手渡す。

 

 訝しみながらもそれを受け取った穂谷さんは、ぽいと口に放り込んでかみ砕いた。

 あ、慣れてないのにそれは……

 

「!?」

 

 その瞬間、彼女の顔から表情が消え、顎が全開に。

 さらにかみ砕かれた希望の実がごろっと転がり落ちた。

 

 三分ほど待っただろうか、突然穂谷さんの体がぶるぶると震えたかと思うと、そのまま一気に部屋から走り去る。

 遠くで水音がするので、多分トイレか洗面所に行ったのだろう。

 私は母の下にいた時生ごみを漁ったりして変なものを食べていたおかげで、悪食スキルが育つ程度には味に強い。

 しかし恐らく何もない彼女には、耐えることは不可能だ。

 

 ぼうっと外を眺めながら、彼女が返ってくるまで待ちつつそう思った。

 食べるくらいなら餓死すると言われる不味さは、伊達巻ではないのだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十一話

 戻ってきてからコップに牛乳を注ぎ、一気飲みする穂谷さん。

 それではどうしようもなかったのかパックへ口づけし、そのまま飲み干した。

 

 冷凍庫を開き、様子見とばかりに小さなアイスを一つ頬張り

 

「だめね、なんも味感じないわ」

 

 それでもだめだったらしく、今度は薄いピンクな液体の詰まった小瓶を棚から引っ張り出し、無言で一気飲み。

 聞いたことがある見た目なので恐らくポーションだろう、色が濃いほど高品質なのでそこまで高くはないはず。

 漸く味覚が治ったらしく、アイスを食べて安堵の表情を浮かべた。

 

 することもないし暇なので、それを鑑賞しつつ希望の実を齧っていたのだが、穂谷さんに変なものを見る目で見られた。

 ひどい。

 不味いと分かっていて、慣れていないのに一気に食べる方が悪いと思う。

 

「大丈夫?」

「こっちのセリフよ。あんた味覚本当に大丈夫? 味蕾死んでない?」

 

 味覚と未来に何の関係があるのだろう。

 希望の実のあまりのまずさに、思考回路まで狂ってしまったのか。

 

 未来に関しては、間違いなく最強のルートが開いてはいる、

 勿論その過程で死なない、という前提があるが。

 問題は割と死にかけまくっていることだ、果たして私はいつまで生き残れるのだろう。

 

「未来? 未来はすでに掴んでる」

「いやそうじゃなくて……まあいいや。希望の実ばっかじゃなくて、たまには美味しいもの食べなさいよ。美味しい食事は万物の基本だからね」

「うん」

 

 命を張っているだけあって、探索者というのは恐ろしいほど儲かる。

 まあピンクナメクジを超効率よく狩る人間は私くらいなので、Gランクで一日数万稼ぐことはなかなか難しい。

 しかしFランクの上位、4,500レベルにもなれば魔石の買取価格も上がり、パーティで活動していたとしてもお金に困ることはないだろう。

 それだけ魔石という突然世界に生まれたアイテムは、とんでもない価値を秘めているのだ。

 

 稼ぎも増えてきた今、食事にもある程度お金を回す余裕はある。

 料理なぞ出来ない私は彼女の言う通り、外食というものをするべきなのだろう。

 しかし希望の実はなんとなく、今後も食べていく気がする。

 あのまずさが癖になるのだ。

 

「さ、食事も終わったし服選びましょ!」

「う……」

 

 遂に来てしまったか……

 

 

「やだ、すっごい似合ってるじゃない! 今度はこっちも着てみて! はいこっち向いてポーズ!」

 

 妹の物だという服を着せられ、その姿をテンション高く撮影する穂谷さん。

 チェックのスカートにブラウンのトップスなど、もしかしてこれ小学生用の服ではないのか。

 いや、可愛いのだが何だろう、この敗北感。

 

 うちの妹より似合うわー! と高々に笑う彼女。

 妹さんは現在高校一年、私と同年代らしい。

 同年代なのに……同年代なのに、彼女が小学生の時の服がぴったり……

 私の母は身長もスタイルも良かったはずなのだが、遺伝より成長期の食事の方が大切というわけだ。

 つらい。

 

 これも、これも、ついでにこれも、と、どんどん積み重なっていく服の山。

 流石にここまで盛られると、持って帰ることが出来ない。

 

「あんたどこに住んでるの? 持って行ってあげるわ」

「ネットカフェ」

「……っ!」

 

 一瞬目を見開き、そのあと目を伏せた穂谷さん。

 

 そんな驚くことかな、いや、驚くことなのかもしれない。

 ホテルなんかよりも安いし、それが当たり前すぎて気にしたことがなかった。

 ……もうそろそろ、どこか家を借りる方がいいのかもしれない。

 アイテムボックスも将来的に習得する予定ではあるが、それまでに武器ドロップなどしたら置いておく必要があるし。

 

 これ持って行きなさい、といって手渡されたのは、大きなリュックサック。

 あちこちにひもだのベルトだのがついていて、結構ごちゃごちゃしている。

 

「登山用リュックよ。元々あたし登山部でね、山登りの体力つけるために探索者始めたの。今のアンタには必要でしょ、ぶっちゃけダンジョンの方が山登りより面白いから使わなくなったし、持って行きなさい」

「え……いいの」

「いいの! ビニール片手にダンジョン探索するなんて聞いたことないわよ!」

 

 そのあとは彼女と相談して、可愛らしい見た目の服より、パーカーや短パンなど運動に適したものをリュックへ詰めていった。

 本当は可愛いの入れたいと渋られたのだが、ダンジョンの探索でボロボロになってしまうので、気が引けると断ったのだ。

 

 背負ってみれば随分と大きいが、長さの調整できるベルトのおかげでしっかりと身体に固定できるし、そこまで運動の邪魔にはならなそう。

 本格的な戦闘の前には外してどこかに置いておくだろうが、登山用なだけあってしっかりした作りだし、ダンジョンの過酷な環境でも十分使えるだろう。

 

 お礼をしたい。

 こんな私にあれこれくれるなんて、それに登山用リュックなんて絶対高い。

 

 ……手元には、十万円ある。

 

 きっと彼女に手渡そうとしても、断られてしまうだろう。

 

「ふぃー、お疲れ! ちょっと待ってなさい、お菓子持ってくるわ!」

 

 鼻歌交じりに奥へと消えていく穂谷さん。

 ふむ……

 

 

「おまたせー! ってあれ? フォリアちゃーん?」

 

 ポテチとジュースを用意してリビングに戻ると、金髪の少女、フォリアちゃんはリュックと共に忽然と消えていた。

 

 

 フォリアちゃんは私が落葉ダンジョンでパーティと探索をしていた時に、気絶していたところを拾った少女。

 ちなみに名前は拾ったときに『鑑定』で覗かせてもらった。死んでるか生きてるかの確認をする必要があったので、仕方のないことだった。

 うん。

 

 服装を見たり話を聞く限りなかなかに壮絶な生活を送っていたようで、髪は傷んでいて雑な切り方だし、表情はあまり変わらないが多分いい子だ。

 どうにも放っておくと死んでしまいそうで気にかけていたのだが、久しぶりに見かけたので家まで拉致した。

 うちの随分生意気に育った妹の服を押し付け、あれこれと世話を焼き、割と素直で可愛いから何ならうちで養ってもよかったのだが……

 

「あら? こりゃまた……」

 

 机の上に置かれていたのは、いつも机の上に放置されているメモ帳と、その下に挟まれた十万円ほどある札束。

 メモに残された文は要約すると、あれこれと世話を焼かせるのが心苦しいので、勝手ながら去らせてもらいますとのこと。

 十万円はそのお礼だと、綺麗な文字で書かれていた。

 

 はてさて、困った。

 恐らくこの十万円は彼女が稼いだお金なのだろうが、流石に服数着とリュック程度のお礼としては多すぎる。

 まあ確かにいいリュックではあったが、それでも服と合わせて五万円が良いところだろう。

 

「……また会ったら、その時に返してあげればいいかな」

 

 それまでこの十万円は、大切に保存しといてあげよう。

 マーカーで文字を書いた袋に入れたあと、アイテムボックスに仕舞いこんで、彼女の無表情に隠された食事時の笑顔を思い出す。

 

 フォリアちゃんはいつか死んでしまいそうな儚さはあれど、どこか強烈に魂を燃やす輝きもあった。

 探索者は危険がつきものだし、安全マージンを取って自分のレベルより数段階下のダンジョンで、小遣い稼ぎに土日だけ戦う者も多い。

 私もそうだ。私のレベルは七万程度あるが、危険なCより安全に稼げるF、D級ばかり潜っている。

 それでも一回の探索で数万円になるし、メンバーで分配しても十分な稼ぎだ。

 

 ……けれど、彼女を見ているとなんだか、自分ももう少し前に進もうという青臭い感情が湧いてくる。

 今度メンバーに相談してみようかなぁ……



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十二話

 さて、穂谷さんには悪いが無言で家を出てきた。

 お金は今日のネットカフェ代を除いてすっからかんだが、なんなら今から先生をシバいたりしても稼げるし、そこまで焦る必要はない。

 

 リュックサックはものすごい便利だった。

 普段移動するときはカリバーを片手に握っていたが、今はリュックへ横にぶっ刺してベルトで押さえればしっかりと抑えられる。

 手もフリーになってすこぶる行動しやすい、こんなのを気軽にくれた穂谷さんには感謝している。

 あとはさっさと戻ってお昼寝でもしたいところだが……まあ、まだ試すことがある。

 

 向かう先は協会の裏、鍛錬場だ。

 

 

 時刻は午後三時を回った程度、想像以上に穂谷さんの家へ長居し過ぎた。

 相変わらず人のいない鍛錬場だが、恐らく夜になると多くの人が集まっては、ここでバーベキューでもやっているのだろう。

 あちこちに残る黒い燃えカス、もう名前鍛錬場じゃなくてバーベキュー会場にでも変えた方がいいと思う。

 

 しかし今日の私はナメクジ肉を焼くのではなく、ちゃんと鍛錬をしに来た。

 目的は一つは思いついたことの実験、そして『スキル累乗』を宣言なし、或いは短縮して発動することである。

 

 今日の戦いで分かったが、たとえ体が麻痺していてもスキルによって身体を無理やり動かすことは可能だ。

 そして『ストライク』が外れた時、それを認識しているにもかかわらず、動きを止めることが出来ないのも分かった。

 

 ふとそこで考えたのが、二つのスキルを繋げて使ったらどうなるのか、ということだ。

 

 今私が持っているアクティブスキルかつ。身体をつかうスキルは一つ、『ストライク』のみ。

 だがSPで習得できる基礎スキルは無数にあって、当然その中にはアクティブスキルもある。

 朝のナメクジ狩りで丁度40レベルに上がってSPも10余っているから、何か習得して試すには絶好の機会だろう。

 うまくいけばスキルの硬直時間とでもいうべき、攻撃後の余韻を打ち消すことが出来る。

 

 もしかしてこれって……私だけが気づいてるんじゃないか……!?

 

 正直自分で自分が恐ろしい。

 だってそうだろう、強力なスキルは大体詠唱だとか、溜めだとか、撃った後に身体が硬直したりする。

 でもスキルを繋げていけば、そのデメリットを一部なかったことにできてしまうのだ。

 特に私みたいな一人で戦っている探索者は一瞬の隙が命取りで、それを潰せるならそれほど大きなこともない。

 

―――――――――――――――

 

結城 フォリア 15歳

LV 41

HP 90 MP 195

物攻 87 魔攻 0

耐久 251 俊敏 246

知力 41 運 0

SP 10

 

スキル

スキル累乗 LV1

悪食 LV5

口下手 LV11

経験値上昇 LV3

鈍器 LV2

活人剣 LV1

 

称号

生と死の逆転

 

装備

カリバー(フォリア専用武器)

 

―――――――――――――――

 

 さてはて、私の攻撃力はだいぶ低く、あまりアタッカーには向いていないステータスだ。

 しかし今のところナメクジの様に打撃耐性がある敵を除いて、攻撃時特に困ることはない。

 『累乗ストライク』、小柄とはいえ私の体すら空高く打ち上げてしまう威力を発揮する、これさえあれば今後もそこまで急いでほかの攻撃スキルをとる必要もないか。

 

 攻撃スキルから攻撃スキルに繋げるのも興味はあるが、それはもう少しSPに余裕が出てから。

 となると今回とるべきは……

 

―――――――――――――――

 

ステップ LV1

 

 消費MP1

 任意の方向へ、強制的なステップ

 最大距離 10cm+俊敏値補正

 

 必要SP:10

―――――――――――――――

 

 これだろう。

 主に前衛職が習得するらしいが、ストライクの隙を攻撃された時でも、これを発動すればうまくよけられるはず。

 ふふ、完璧だ。

 

 早速習得したらリュックを端っこの方に置き、カリバーを持って鍛錬場の中心へ。

 

「ステータスオープン」

 

――――――――――――――

 

 

 

結城 フォリア 15歳

LV 41

HP 90/90 MP 181/195

 

――――――――――――――

 

 HPは十分、MPも多少使った分が回復している。

 これなら失敗して何か起こっても、即死はしないよね。

 

 カリバーを右下に構え、深く深呼吸

 

「『ストライク』!」

 

 いつも通りカリバーが輝き、素早い斜めの切り上げ。

 ちょうど目前にまで差し掛かったところで

 

「『ステップ』!」

 

 勝手に足へ力が籠められ、まだスキルの途中だというのに勝手に世界が歪む。

 そして気が付けば私は、わずか数十センチとはいえ前へと進んでいた。

 

 きた、成功だ!

 

 手に汗がたまり、『スキル累乗』と『経験値上昇』を組み合わせた時と同じくらいの興奮が沸き上がる。

 『ステップ』を発動した瞬間、カリバーを握った腕が重力に引かれ落ちた。

 これはつまり抗いがたいスキルの誘導が、ステップを発動したタイミングで消えたということ。

 上書きに近いのかもしれない。

 

「『ステップ』!『ストライク』!『ステップ』!」

 

 交互に使っていくことで、とんでもない速度で前進する私の身体。

 ストライク走法とでもいうべきそれは、MPが続く限り行える画期的な戦闘方法……の、はずだった。

 

 興奮のまま、猛烈な速度で鍛錬場を駆け回っていた私。

 しかし突然

 

「はうっ!?」

 

 腰へ雷が落ちたかのような、とんでもない激痛によってその場に崩れ落ちた。

 

 すわ敵襲か、ダンジョンが崩壊したのか。

 異常に痛む腰は一体どうなったのだ、私の下半身は切り落とされてしまったのか……!?

 足を見てみればどうやら着いている、一応動くがあまり感覚がない。

 

 周囲を首だけ動かして見回しても敵などおらず、何か騒ぎが起こっている様子もない。

 

「す、すてーてす……」 

 

―――――――――――――――

 

結城 フォリア 15歳

LV 41

HP 47/90 MP 61/195

 

―――――――――――――――

 

 やばい、なんかHPめっちゃ減ってる。

 MPはストライクとステップのせいだろうが、HPが減る要素なんて今までなかったはず……

 

 上手くいっていて完璧な作戦であったが、突然異常なダメージを受けてしまえばどうしようもない。

 これ以上の実験は原因がわからないと危険だ、協会に戻って回復魔法を受けてから、ネットカフェで考え直さないと……死ぬ。

 

 歩くほどに鋭い痛みが腰を襲い、そのたびに奇妙な声が口からこぼれる。

 せっかくもらったリュックを引きずりながら、這うようにして私は訓練場を後にした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十三話

 うう、痛い……

 先生に出会った当初腹パンされた時も痛かったが、今回はそれに匹敵するかもしれない。

 

 カリバーを支えにして中腰になり、よたよたと歩いていく。

 

「かい……ふく……!」

「大丈夫か君!? ちょっと回復魔法使える奴来てくれ! 協会の術師でもいいから!」

 

 麻婆の体で協会の入り口へたどり着くと、丁度探索を終えたのだろう、壮齢の探索者によって抱き上げられ協会へ運び込まれた。

 優しくしてほしい……振動が響いてすっごい痛い。

 

 数人に囲まれて床に安置、暫くすれば奥からお抱えの術師が現れ私に回復魔法をかけた。

 中には園崎弟、ウニもいて大丈夫かだとか、いったい何にやられたんだとか言っている。

 ウニの様子からして鬼気迫るものなので、騒ぎがどんどん大きくなっていき、私を切りつけた奴がいるのかなどと話がどんどん大きくなっていく。

 

 ヤバい、どうしよう。

 

 逃げよう。

 明日しれっと戻ればなんとかなるはず。

 何もありませんでした、うん。

 

「ど、どいて!」

「おい結城待てって! 速っ!?」

 

 ストライク走法で一気にその場を脱出。

 繰り返すとまた腰が大変なことになる気がしたので、人だかりを抜けた後はそのまま走って逃げた。

 

 その場で探索者の一人が私の動きを見て

 

「あー。ありゃ自殺ダッシュやってるわ」

「じゃあさっき苦しんでたのは……」

「その反動だろうなぁ……」

 

 そんな会話をしていたとは知らずに。

 

 

 検索で疲れた目を休めるように瞑り、嘆息。

 あまりに衝撃的な内容に、襲ってきた悲しみや羞恥を流し込むように紙コップの水を飲み干す。

 

「自殺ダッシュ……」

 

 

 吐き出すようにこぼれた言葉、それが今見たページに書かれていたタイトルだ。

 手書きであれこれ検索したところ、どうやら私のやったスキルの重ね掛けはそんな呼び方で、ある程度知れ渡っていた。

 

 探索者の身体は強い。

 流石に今の私だとわからないが、レベルが数百、数千になれば、たとえトラックに引かれようとも平然としていられるほどの耐久力になる。

 数十万のレベルならば地雷を踏もうが、なんちゃら爆弾といわれるようなものを食らってもかすり傷すらつくまい。

 だが、基本的な構造は人間なのだ。

 

 目が乾けば痛いし、食事をずっと取らなければ死ぬ。

 めったなことではならないが、関節を逆に曲げれば折れる。

 『怪我をしにくくなる』がしないわけではないというのが、今回の自殺ダッシュの問題点だった。

 

 『ストライク』に限らず攻撃スキルは角度こそある程度自由に変えられるとはいえ、綺麗な一直線を描くようにスキルが導く。

 それは効率的なダメージを与えられると同時に、攻撃後の余韻自体が衝撃を和らげる役目もあるから。

 しかし私はそのスキルの導きを、『ステップ』によって無理やり遮った。

 

 例えばめちゃくちゃ重たいものがあったとして、それを振り下ろしたとしよう。

 そのまま重力に任せて落とすのは簡単だ。

 だがその途中で腕を止めて、無理やり上に持ち上げたならどうなるか。

 関節を痛めたり、下手したら折れることだってあり得る。

 私がしたのはそういうことだった。

 

 ストライクによって踏み込み、腰のひねりも加わった理想的な攻撃。

 振り切ることで余計な衝撃を逃がすはずが、強制的に動きを書き換えてステップをしてしまった結果、余計な衝撃は逃げることなくそのまま私の腰を直撃、さらにそれを繰り返したことによって無事、そこそこ高い耐久力を誇る私の腰は破壊されたということ。

 

 あなたが思いついたそれは、『誰もやらなかった』のではなく、『やって駄目だった』ものです。

 高レベル、スキルが強力であるほど、より大きな衝撃が体にかかるので気を付けましょう。

 

 と、悲しい一言。

 

 強いて言うのなら『累乗ストライク』のあとに『ステップ』をしなくて良かったと、自分を慰める。

 下手したら一発で腰の骨が砕けていたかもしれない。

 

 しかし自殺ダッシュ、もといストライク走法は確かに危険ではあるが、実際相当便利な動きではある。

 実際上位の探索者はこれを応用して戦っているらしいので、一切使えないというわけではない。

 要は使いようだ。さっきの私みたいに駆けずり回るのではなく、必要な時に最低限使うことが大切なのだ。

 

 将来的にポーションを多用できるほどお金を手に入れたら、たとえストライク走法で身体を痛めてもその場で回復できる。

 回復出来ればデメリットなどないのと変わらない、無限に高速で移動できる裏技だ。

 だからこの発見は無駄ではなかった、未来で役に立つ予定がある。今そう決めた。

 

 ……希望の実でも食べて寝よ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十四話

 家々の屋根から太陽が顔をのぞかせ、人々が起床する時間に私はダンジョンへ向かう。

 

 今日も今日とてダンジョン探索、貧乏ヒモ暮らしとはまさにこのこと。

 ポケットの中には千円、これではネットカフェと言えど、最低レベルの部屋にすら泊まることが出来ない。

 果たして昨日十万すべて置いてきたのは失敗ではなかったかと、己の悪魔が囁く。いや、あれは親切にしてくれた穂谷さんへの感謝もあるのだと、天使と共に悪魔をフルスイング。

 

 さて、せっかく彼女から服をもらったとはいえ、今の服装は相変わらずボロ切れだ。

 お古と言われて最初こそ気が引けていたが、貰ってみればどれも新品の様に綺麗でかわいい服ばかり。

 そんなのをダンジョンに着て行き即ボロボロにするのは気が引けるし、折角ならいつかお金に余裕が出来た時、休みの日に着たいものである。

 

 しかし流石にボロボロ過ぎて、警察に見られたら虐待か何かと勘違いされてしまう。

 そこで私が思いついたのが……

 

 

「らっしゃーせー」

「これください」

「まいだりー」

 

 ちゃららっちゃらー

 フォリアは 黒のTシャツを 手に入れた!

 お金を600円失った!

 

 昨日ファミリーマッチョに入った時気が付いたのだが、なんとコンビニにはTシャツまで売っているらしい。

 どれも男物でSサイズでもだぼだぼではあるが、着る分には何の支障もないだろう。

 すごいぞコンビニ、なんでもあるな。

 

 そのままトイレを借りてぼろ切れを脱ぎ、さくっと着替える。

 コットン100%と書いてあるだけあって肌触りも柔らかく、ダンジョンで汗をかいてもしっかり吸ってくれそうだ。

 脱いだ服はこのまま捨ててしまうとコンビニの人に迷惑がかかるだろうし、リュックの奥へしまい込んでおく。

 『活人剣』で回復しきれない怪我をしたとき、これを包帯代わりに抑えるだけでも全然違うと思う。

 

 細々したお金はあれどおおよそ残り四百円、丁度『麗しの湿地』を行き来できる金額だ。

 新しい服を着ると気分がいい、今日も一日頑張ろう。

 

 

 朝食である希望の実をゴリゴリかみ砕きつつ、相変わらずピンク一色の湿地へ足を踏み入れる。

 もはや手慣れたもので、粘液を受けては顔の横をつつき、ナメクジたちを魔石へと変換していく。

 

 このまま奥に潜ってしまうのも手ではあるが、想像以上に敵のレベル上昇が激しい。

 個体によって多少上下するとはいえ、アシッドスラッグたちの平均レベルは15。

 一方で昨日出会ったパラライズ・ドラゴンフライはなんと37、このダンジョンの推奨レベル上限が50だったことを考えると、大量に倒すことはなかなか難しい。

 最低限の魔石は回収しておいて、たとえ奥で何も倒せなかったとしても稼ぎが出るようにしておく必要があった。

 

「32、33……37かな。よし」

 

 キラキラ輝く魔石たちを拾ってはビニールに詰めてから、リュックの中にしまう。

 既にナメクジと私のレベル差は26、『スキル累乗』をかけてからいくら倒してもレベルが上がる気配はない。

 しかしこれくらいあれば数日分の宿泊代にはなる。

 

「さて……いくか」

 

 カリバーに纏わりついた粘液は、強力な武器になるのであえて落とさない。

 

 歩みを進めて行けば、周囲にはあの巨大な蓮たちが乱立し始めた。

 戦っているうちにわかったことだが、このピンクの沼は色こそヤバいが、特に毒などもなさそうだった。

 

 ……蓮って確か根っこも、種も食べれたよね。

 いや、蓮根は地下茎だっけ? まあいいや。

 

 綺麗な花を見ていると湧いてくるのが、あくなき食欲。

 葉っぱは流石にざらざらとして固そうだが、もしかしてこの茎も表の皮をむけば食べられないだろうか。

 毒があるかもしれないが、即死でなければどうとでもなるし、最悪ゆでこぼせばある程度毒も抜けるだろう。

 ぜひともチャレンジしたい。

 

「むっ」

 

 そんなことをつらつら考えていたのだが、ふと目の前の葉が揺れ意識を向ける。

 トンボだ。昨日のあいつそっくりなのが葉の上にとまり、じっとこちらを見つめていた。

 

 やはり羽音もなく忍び寄っている。

 気を付けなければ、もし首をあの鋭い翅で切り裂かれたり、食い千切られてしまえば一巻の終わり。

 カリバーを正面に構え、周りにもほかの敵がいないかゆっくり見まわす。

 

 残念ながら、やはりいた。

 

 一、二……三匹!?

 

 気を抜き過ぎたか、いつの間にこんな集まっていたのか。

 どいつも蓮の葉に止まり、興味ないですよといった雰囲気をまとわせつつ、しかし私が動けばしっかりとその複眼で追っている。

 ギリギリだった。きっと後一分でも気を抜いていたら、私は殺されていた。

 

 まさかこいつら、普段は群れで行動してるのか……!?

 

 あれだけ苦戦した相手なのに、さらにそれが複数来るだなんて冗談じゃない。

 幸いにして昨日拾ったいくつかの小石、そして今のところ傷一つないのが唯一の救いだ。

 

「……っ」

 

 フォンッ

 

 あまりに微かな音。

 気を抜いていれば耳にも入らない音を立て、背後にいた一匹が飛び立つ。

 

 振り向きざまに一閃、が、当たらない。

 そもそもこちらへ飛んできていない……!?

 

 首元をひやりと冷たい一陣の風が撫でた。

 いる、後ろに。

 

「『ステップ』! 『ストライク』!」

 

 屈んであえて後ろへステップ、直後に私がいた前と横から、二匹のトンボが交差するように飛び込んだ。

 私の後ろにいたトンボはまさか突っ込んでくるとは思わなかったようで、急浮上。

 ツンとむけられた尻へかち上げストライクを叩き込まれ、無様に地面へと転がった。

 

 そのまま放置しても酸で死ぬだろうが、前回の様に道連れ狙いで特攻されてはかなわない。

 複眼の中心、脳みそがあると思われる場所へカリバーを振り下ろし、ぴくぴくと痙攣を始めたのを確認してから離脱。

 直後に消滅したそいつから経験値が流れ、『経験値上昇』に『スキル累乗』をつけたままであったのもあり、レベルが2上昇した。

 

 死角からの見せかけな攻撃、そして背後へ現れてからの二重誘導。

 本当に頭いいなこいつら、私より絶対頭いい。

 

 仲間があっさりやられたことで、私の認識が『獲物』から『敵』へと変わったらしい。

 蓮の葉の上に逃げ、ぐりぐりと首を傾げこちらを観察している。

 昨日のあいつは今の一匹の様にあっさりとは倒せなかった、これから本番というわけだ。

 

 緊張で額から垂れた汗をぬぐい、二匹を睨みつける。

 

 かかって来い、トンボどもめ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十五話

 頭上をゆっくりと旋回する二匹のトンボ、どうやら私の隙を狙っているようだ。

 みすみす受けてやるわけにもいかない、しかし何もしなければ緊張で神経をすり減らすだけ。

 あちらか、こちらか。どちらかが仕掛けなければ、この膠着が解けることはないだろう。

 

 逃げるか……?

 

 倒した一匹の魔石を回収できないのは残念だが、命を失うよりはまし。

 ストライク走法なら、おそらく奴らの飛翔速度も振り切ることが出来るし、ダンジョンの外に逃げてしまえば私の勝ちだ。

 ダンジョンが崩壊した場合はこの限りではないが、その場合ダンジョンの様子自体が普段より異なるらしいので、今はあり得ない。

 

 が、その時になって突然、旋回していた二匹のトンボがくるりと回転、そのまま重力に合わせて滑空してしてきた。

 槍の様に鋭く素早い。

 狙いは当然私、残念ながら逃げ遅れたらしい。

 

「……っ、『ストライク』!」

 

ポケットから小石を取り出して上にトス、ゆっくりと落ちてきたそれを『ストライク』で一閃。

 全エネルギーを一身に受け急加速した石ころは、吸い込まれるようにトンボの頭へと……当たらない。 翅の角度を変えることで、速度を失うことはなく避けられた。

 

 やはりだめだったか。

 苦し紛れで小石を一気にストライクで放出、しかし二匹とも綺麗な曲芸飛行を披露し、全部華麗に回避。

 その間に距離をとっていた私に気づき、いったん地面へと接近するも急浮上、また空の上で旋回を始めた。

 

 あいつら完全に、空にいれば攻撃が届かないって分かってる……!

 ずるいずるい、私も空飛びたい。

 空飛んであいつら叩き落したい。

 

 背中を見せれば、間違いなく襲ってくる。

 様子見の段階はとうに超えていて、狩るか狩られるかの二択のみ。

 

 

 ポケットへ手を突っ込むと、残っているのは手のひらほどしかない、たったひとつの石のみ。

 直線上に飛ぶ石ころひとつでは、どうやっても避けられてしまう。

 どうにかして広範囲を攻撃するか、隙を着いて攻撃をするしかない。

 耐久は低いのだ。どんな小さな一撃でも、当たりさえすれば

 

 ん?

 小さな?

 急転直下の閃き、だがあまりに不確定。

 私の低い物攻で行けるか……? いや、やるしかない。

 

「ピッチャー、変わりましてレベル43。結城フォリア、結城フォリア」

 

 失敗すれば腕くらい吹っ飛ぶかもしれない、絶対痛い。

 やだなぁ、なんでこんなやつら居るんだろう。ナメクジぐらい雑魚ばっかだったらきっと楽しいのに。

 恐怖をごまかすように、茶化してカリバーを握る。

 ごめん穂谷さん、後で綺麗に水道で洗うから。

 

 彼女からもらったリュックを泥の上に置き、その場から遁走。

 ちらりと見れば空から降り、私の背後へぴったりと並んで飛んできているトンボたち。

 

 来い、私を追え……!

 

「『スキル累乗』対象変更、『ストライク』!」

 

 輝くカリバー。

 私のその姿を見て、一瞬で停止しその場にホバリングするトンボたち。

 やはりそれはストライクの範囲外で、完全に当たらない範囲を見極めているのが分かる。

 

 バカめ、人間を舐めるなよ。

 

 おりゃ! 『ストライク』っ!」

 

 空を切った……のではなく

 

 バッコォン!

 

 祈りは天に通じた。

 『累乗ストライク』の力を受けた石ころは粉々に砕け、まるで散弾の様に破片が一直線に飛んで行っく。

 今更慌てて飛んだところで遅い。直列に並んでいたうちの一匹、私に近かったトンボは全身へ破片を受け地面を舐める。

 翅までもが穴だらけになっている、効果は抜群といったところか。

 

 『ステップ』で最後の一匹が襲ってくる前に詰め寄り、地に落ちたそいつの頭を叩き潰す。

 レベルアップ、これで44レベル。

 最後の一匹になろうと相変わらず慎重で、蓮の葉に止まってはこちらを観察している。

 

 これで一対一、カリバーを奴へ突き付けて挑発。

 さあお仲間は全員あの世に送ってやったぞ。

 次はお前か?

 

 煽りが通じたとは思えないが、一対一の構図になった以上飛び掛かるしかないと判断したのだろう、急加速による肉薄。

 こちらも石はすでに尽きている、攻撃を当てるか、当てられるかの二択だ。

 真正面20メートルほど、ここで『累乗ストライク』を……!?

 

 右足が……動かない……!?

 

 『ストライク』を打ち込もうとしたのだが、右足が何かに引っ張られているように固く重い。

 そのうえ勢いをつけていたからだろう、泥の上に転んでしまった。

 

 蓮の根か石にでも引っかかった……!?

 

 違う。

 私の予想したそれらは、どちらも外れ。

 足首をがっちりとくわえていた奴は、沼の中に隠れるためだろう、つややかなピンクの金属光沢をもっていた。

 

――――――――――――――――

 

種族 パラライズ・ラーヴァ

名前 ナゴスケ

LV 22

HP 56 MP 32

物攻 82 魔攻 4

耐久 204 俊敏 37

知力 32 運 11

 

――――――――――――――――

 

 トンボの幼虫、一般的にヤゴと呼ばれるもの。

 彼らの下顎は普段折りたたまれているが、獲物を狩るときは実によく伸びる。

 マジックアームの様に伸びた下顎で、上下左右自在に伸びては相手をがっしりと捕まえ、そのまま口元へと引きずり込む。

 

 私の足を捕まえていたのは、恐らくこのトンボの幼虫。つまりヤゴだ。

 金属光沢をもつ巨大なピンクのヤゴが水中から顎を伸ばし、私の足を引きずり込もうともくろんでいた。

 

「はっ、はなせっ!」

 

 何度も蹴り上げるが、まるで金属の塊を叩いたような鈍い音。

 成虫のトンボとは打って変わって、鈍足だが異常なまでに頑丈。

 いくら蹴ってもびくともせず、ずりずりとすさまじい速度で顎を縮め、私を沼の奥底に引きずり込もうとしていた。

 

 しかし敵はヤゴだけではない、こちらに飛び掛かっているトンボもだ。

 

 前門のトンボ後門のヤゴ。

 まさか親子で仲良く協力を仕掛けてくるとは、思いもしなかった。

 地面をひっつかもうにも下は泥、指を突き立ててもゆっくりと捲れ上がり、何の意味もなさない。

 

 口の中に入り込んだ泥の、嫌な風味と食感。

 ああ、最悪だ。どうすればいい、どうすればここから生き残れる。

 考えろ、私……!

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十六話

 トンボが寄ってこないようにバットを振るい、しかしそのたびに沼へと引きずられていく身体。

 ヤゴの大きさは50cmほど。私の身体が大人の男、せめて年齢相応の大きさならまた結果は異なっていたのだろうが、小学生並みの身体では容易に引き込まれてしまう。 

 

 必死に抵抗するが、泥は私の足を掬うばかりで何の役にもたちはしない。

 てかてか輝く金属光沢のピンク、その中心に座すどす黒い複眼が、私にニヤリと嘲笑を投げる。

 こいつだけじゃない。よく見てみればてらてらと、水中から私を見つめる無数のヤゴたち、その黒々とした瞳が揺蕩っている。

 

 あの中に落ちてしまえば一巻の終わりだ。 

 

 蹴ってだめなら…… 

 

「……引っこ抜くぅ! 『ステップ』!」

 

 そばに生えている蓮の茎を握りしめ『ステップ』を発動、導きによって左足だけは泥を力強く蹴飛ばし、それにつられて右足へ噛みついたヤゴも一緒に沼の中から引きずり出された。

 

 どうだ、ざまあみろ。

 

 まさか引きずり出されるとは思っていなかったのだろう、空中を抵抗もなく舞うヤゴ。

 さらに驚きからか、顎は私の足から外れている。 耐久高いし多分こいつも堅いだろう。ちょうどいい、小石の代わりになってもらおう。

 また死ぬのかって、正直めちゃくちゃ怖かったんだからな。

 

 

 ちゃーらっちゃっちゃー

 

 ピッチャーフォリア選手、再登板です!

 

「ぶっとべ 『ストライク』!」

 

 ミチィッ!

 

 弾ける甲殻、吹き出す白い中身。

 蝉の幼虫は揚げると表面はサクサク、中はトロッとして美味しいらしい。

 ヤゴも体の構造は大体同じらしく、硬い表面とは逆に中は随分柔らかそうであった。

 

 バラバラになった体、特に下顎が吹き飛んだ先はトンボの元。

 尻の先にそれがかみつき、悶えつつ飛翔。

 ヤゴの存在は確かに厄介ではあったが、沼に近づきさえしなければどうってことはない。

 

 空中で一回転した後地を這い、超低空飛行でこちらの足を切り裂こうと近づくトンボ。

 限界まで引き寄せてからジャンプ、横に生えていた腕より太い蓮の茎がトンボの翅に切り裂かれ、どうっと泥をまき散らして倒れる。

 その茎を踏んで跳躍、今度は私が背後からの襲撃だ。

 

「『ストライク』!」 

 

 最期の一撃はあまりにあっさりしたもの。

 翅のど真ん中、胴体への痛撃を叩き込まれ羽虫は沈黙した。

 

 消えて魔石になる直前、スキル累乗の対象を元に戻す。

 

『レベルが2上昇しました』

 

 これでレベル46。

 今日はさほどダメージを受けていないが、ちょっと疲れた。

 前もってナメクジどもをシバいておいてよかった。ヤゴの魔石はいくらになるか分からないが、トンボ以下と考えればあまりいい金額にはならないだろう。

 

 ちらりと奥を覗けば、まるでコロシアムの様に巨大な蓮の葉が、ぷかりと水上に浮かんでいる。

 きっとあれが『麗しの湿地』におけるボスエリアなのだろう、今はまだ行こうとは思えないが。

 果たしてどんなボスが待ち受けているのか、気になりこそすれど、今の私が確実に倒せる保証はない。

 

 花咲ダンジョンもそうだったが、一人で戦う場合適正レベルの上限は気にしない方がよさそうだ。

 Gランクダンジョンなら最低+10程度あって、ようやく安心して戦えるほど。

 さらにレベルが上がるほど、多少のレベル差は誤差となる。

 

 いい方法を思いついたから、明日からはナメクジ以外でレベル上げをしよう。

 

 

 

 

「ほいっ」

 

 87匹目のナメクジが溶けた。

 

 今日も今日とてナメクジ狩り。しかし今までと違うのは、経験値や魔石が狙いではなく……

 

「きた、なめくじ肉」

 

 泥の上に転がったのは、ぷりぷりと真っ白に輝く美味しい奴。

 そう、ナメクジ肉だ。

 

 

 

 今日は運がよく、すでに五個落ちている。

 大きなビニール袋にそれを詰め込んで、リュックの中へ放り込む。

 今日のリュックに詰め込まれているのはそのナメクジ肉と、大量に持ち込んだ小石、そしていくつかに切られたピンク色のロープだ。

 ピンク色のロープはいろんな店を探してようやく見つけた。息の荒いおっさんに後をつけられたりしたが、まあその話は置いておこう。

 

 

 目標の数が集まったのでリュックを背負い、ダンジョンの奥へと進む。

 着いたのは昨日と全く同じ場所。切り倒された蓮も残っている。

 

 ピンクのロープはかなり頑丈なもので、大体10mほどの長さで切られている。

 その上にナメクジ肉を括り付け、反対側はしっかり立っている蓮の茎へ巻き付けてから、ぎっちり縛り付けた。

 そして勢いをつけてナメクジ肉を投擲、沼の奥へと無事着水。

 これを合計五回繰り返す。

 

 

 

 すべてが終われば、あとはのんびりしておくだけ。 切り倒された蓮の茎、その上にある葉っぱへ腰とリュックを下ろし、カリバーを握って奇襲に気をつけつつ休む。

 

 もう大体わかるだろう、釣りだ。

 まったく探索者に人気のないこのダンジョン。恐らくあのヤゴたちの主なエサは、沼の奥から出てくるピンクナメクジ。

 しかもピンク色をした沼の中に、よく目立つ純白の肉が放り込まれたとあれば……

 

 クンッ、クンッ

 

 来た来た。

 わっさわっさと蓮の葉が揺られ、ぴんっとロープが張る。

 一気に引っ張り上げれば予想通り、いや期待以上の成果。五匹ほどのヤゴが一つの肉に食らいつき、沼の奥底から引きずり出された。

 勿論逃がすわけがない。びったんびったん暴れるそいつらの頭へ、丁寧にカリバーを振り下ろす。

 

 そして食いついたヤゴが居なくなった肉は沼へ投擲、廃棄がなくてエコだね。

 

 

 引っ張る。

 

 叩き潰す。

 

 『レベルが上昇しました』

 

 完璧だ……!

 想像以上にうまくいった永久機関は、わずか十分ほどで私のレベルを上昇させた。

 ちなみにヤゴの魔石は700円だったので、一回の釣りで三千五百円の稼ぎ。

 

 ふと、ひもを結んでいないはずの蓮が揺れた。

 勿論それを見逃すわけにはいかない、トンボが飛んできた合図だから。

 

 多分ではあるがこいつら、群れで行動しているわけではなく、同じ獲物を狙った場合協力するのだと思う。

 この釣りをする前に散策したのだが、最初は一匹が後ろから着いてきては隙を狙っていて、気付かない振りをしていたら数匹寄ってきた。

 そしてある程度集まったところで、一気に襲ってくるのだ。

 逆にこちらが気付くと、数が集まっていなくとも襲ってくる。

 

 

 つまり放置して長引かせるほど、ほかのトンボたちが飛んできては協力して厄介になる。

 一匹見つけたらすぐに殺すのが大切だ。

 傍らに置いてあったリュックから石ころを五つ取り出し、手のひらでぐっと握る。

 

「『スキル累乗』対象変更、『ストライク』!」

 

 ファン、とかすかな音を立てこちらへ飛び込んでくるトンボ。

 もうあきた、私は学習する賢いゴリラだぞ。

 いやゴリラは元から賢いんだったか、まあどうでもいい。

 

「うほうほ、『ストライク』!」

 

 石ころによる散弾が突き刺さり、地面へと転がるトンボ。

 『ステップ』で一気に肉薄、そしてカリバーで頭を叩き潰す。

 

 『レベルが上昇しました』

 

 ふっ。

 『麗しの湿地』、他愛もないな。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十七話

 真横をトンボが駆け抜け、ロープと一緒に巨大な蓮の葉までもが切り倒される。 

 

 モンスターに壊されないように頑丈なのを選んだから、そこそこ高かったのに……

 悲しみに暮れたいところだが、残念ながらそんなことをしている暇はない。 

 

 手慣れたもので、三つほど石ころを同時に投げては、一直線になった瞬間を『ストライク』。

 破片に翅をズタボロにされ落ちたトンボ、その頭を叩き潰して終わり。

 

『レベルが上昇しました』

 

「む……そろそろ終わりにしようかな」

 

 ヤゴ釣りを始めてから四時間余り。今の様に切られたロープが二本、そして何度も食いつかれボロボロに、すでに肉がついていないロープが一本。

 初めて出会った頃こそ必死こいて倒していたトンボであったが、石による範囲攻撃が抜群の効き目を発し、比較的容易に倒せるようになった。

 

「ステータスオープン」

 

―――――――――――――――

 

 

 

結城 フォリア 15歳

 

LV 60

HP 128 MP 290

物攻 125 魔攻 0

耐久 365 俊敏 379

知力 60 運 0

SP 50

 

スキル

スキル累乗 LV1

悪食 LV5

口下手 LV11

経験値上昇 LV3

鈍器 LV2

活人剣 LV1

ステップ LV1

 

称号

生と死の逆転

 

装備

カリバー(フォリア専用武器)

 

―――――――――――――――

 

 レベル60。

 『麗しの湿地』、その推奨レベルを10上回った。 そう、ボスに挑む目安レベルとして設定していた、推奨レベル+10の値だ。

 

 

 

 麗しの湿地は恐ろしいほど人気がない。この数日間毎日潜っているのに、私以外の探索者と一人も出会わないのが何よりの証拠。

 

 それゆえボスに関する情報が、笑ってしまうほどない。

 

 ネットカフェで調べたのだが、大体が『ナメクジキモイ!』『トンボに腕切り落とされた!』などといった恨みつらみばかり。

 ボスに挑戦するといった書き込みすら見当たらなかった。

 

 こんな時はアレだ、困った時の筋肉頼み。

 

 

「あん? 『麗しの湿地』のボスに挑む?」

「うん」

「……なんか早くねえか? 早く強くなりたいってのは分かるが、焦り過ぎは身体に悪いからな。レベルはじっくり上げて行けばいい」

「……?」

 

 翌日、園崎さんに許可をもらってカウンターの奥、筋肉の部屋へ質問しに入る。

 

 しかし何か勘違いされている気がする。

 あ、そうか。

 私のユニークスキル『スキル累乗』はあまりに異常だし、筋肉にもその存在を教えてなかったんだった。

 

 筋肉が誰かへ漏らすとも思えないけれど、世の中絶対はあり得ない。

 ここは珍しくこそあるが普遍的な、『経験値上昇』の存在を彼に伝えておくべきか。

 レベルが上がるほど『1レベル』の価値は落ちるし上がりやすくなるが、私の『スキル累乗』と『経験値上昇』のコンボは、それでも説明できないほど異常な上がりを見せることになる。

 

 下手に勘繰られる前に、前もって伝えておけば多少はその眼も和らぐだろう。

 

「レベルはもう60ある。私は『経験値上昇』を持ってるから」

「ああ、だからこの前のレベル上昇も早かったわけか」

 

 ちょっと情報を渡せば、筋肉は勝手に納得してくれた。

 

 腕を組み、麗しき湿地のボスについて何か考え込む筋肉。

 これはもしや……

 

「あー……悪いんだが、麗しの湿地については知らん。あそこ人気なさ過ぎてな、協会の本にも書かれてないなら情報はない」

「そう……」

「推奨レベルが設定されている以上、恐らく一度は協会の関係者が挑戦しているはずだ。でなきゃ知らずに入った犠牲者が増えるからな」

 

 確かに誰も見たことがないのなら、推奨レベルの設定なんてできない。

 筋肉へお礼を言って部屋を抜け出し、協会の図書室で本を漁れば確かにボスについて書かれていた。

 「メタルスネイル」、金属質なカタツムリらしい。 うん、それだけ。

 前回のスウォーム・ウォール同様、ステータスもレベルも何もなくただ写真と名前が張られているのみ。

 

 前から思っていたが使えないなこの本、絶版にしろ。 

 

 

 カタツムリもナメクジも大体同じだろということで、恐らく動きは鈍重だと予想。

 メタルなどと響きからして固そうなので、相当長期戦になりそうな予感がする。

 そうなった場合、HPの低い私は大変不利である。

 勿論『活人剣』による回復もあるとはいえ、カタツムリがナメクジの酸みたいに一撃必殺級の攻撃を持っていて、さらに食らってしまった場合などでは使い物にならない。

 

 ならどうするか?

 

 そろそろ私も、ポーションの類を用意するべきかなと思う。

 しかし果たしてポーションとはどこで売っているのか。

 もしかしたらコンビニなら売っているかもしれない。なんたって服まで売っているのだ、逆にない方がおかしい。

 

「らっしゃーせー」

「すみません、ポーション売ってますか?」

「プロテインならありますよー」

「プロテインってなに? ポーションの仲間ですか?」

「まあ筋疲労を労わるという点ではポーションみたいなものですねー」

 

 早速ファミリーマッチョで店員に聞いてみれば、これがおすすめだと言って袋を取り出された。

 プロテインというポーションの仲間らしい。

 何味が好きかと聞かれたので、イチゴ味を買った。おまけでシェイカーもついてきた、お得だ。

 

 ポーションというものはどれも高く、最低品質でも五千円すると聞いていたのだが、なんとプロテインは四千円で買うことが出来た。

 しかも水に溶かせば五十杯分になるらしい、一杯あたりええっと、80円? すごいコスパだ。

 どうしてみんなプロテインを買わないんだろう、ポーションより断然安いじゃないか。

 ぜひともこれはみんなに伝えるべきだと思う。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十八話

 だまされた。

 プロテインはポーションじゃなかった。

 掲示板というところでプロテインは普通のポーションより安いと書いたら、皆にめちゃくちゃ馬鹿にされた。

 プロテインも知らないなんて小学生か? だとか、脳が筋肉に侵されて常識的な分別がつかなくなったんだろ、だとか、何もそこまで言わなくていいじゃないか。

 

 くそぉ……くそぉ……

 

 四千円もしたのに、このままでは無駄にお金を使っただけになってしまう。

 それだけはあってはならない、お金は大切だ。無駄にすることだけは許されない。

 悔しかったのでプロテインについて調べたら、どうやら単純にたんぱく質の補給として運動後に飲むものらしい。

 探索者はレベルアップで身体能力が上がる、しかし当然ながら単純な鍛錬、つまり筋トレや運動でも身体能力は上がる。

 

 関節は逆に曲がらないし、無理をすれば身体を壊す。鍛えれば身体能力が上がるのも至極当然であった。

 

 日々の探索自体過酷なトレーニングのようなものだし、これは普通に飲む価値があるのではないか。

 もしやと思って購入したプロテインの公式ホームページへ飛んでみれば、あの探索者である剛力さんご愛飲などとうたって、ムキムキの禿が力こぶを作っていた。

 というか筋肉じゃないか、お前広告塔までやってたのか。

 

 というわけでポーションでこそなかったが、プロテイン自体は飲む価値がありそうなので、探索後に一杯ひっかけることに決めた。

 ……ポーションどうしよ。

 

 

 ポーションについては諦めた。

 いや、最低品質の物は見つけたし気休めに買ったのだが、性能があまりに低すぎる。

 恐らく使ったところで、傷を取り敢えず塞げればいいところだろう。

 

 麗しの湿地のボスエリアは、校庭程はあろうかという真ん丸な巨大な蓮の葉だ。

 軽く石を投げてみたが全く揺れることもなく、相当頑丈なので走り回っても問題なさそう。

 

 大きな石の上に座り込み、どうやってボスを倒すか考える。

 

 今残っているSPは50、基礎スキルならある程度習得は可能だ。

 しかし初めて先生と戦った時とは異なり、今の私には『鈍器』、そしてそれに付随する『ストライク』があるので今すぐに欲しいスキルがあるわけではない。

 『ステップ』やストライク走法で緊急回避もどうにかなるし、今は温存しておこうか。

 

 もし、死んでしまったらどうしよう。

 

 いや、死んでしまったらどうしようもないのだが、ふと足元へ忍び寄っていた恐怖心が背中を撫でる。 つくづく自分の弱さが嫌になる。

 一人でできると何度も言い聞かせているのに、こういった『本番』が近づくとどうしても心が弱ってしまう。

 

 何度傷ついて、何度倒れて。本当にそんな苦しい道を、ずっと進んでいかなくちゃいけないのか?

 もう何度目か分からない、逃げてしまえという甘え。

 

 きっとこれはもう治らない。これから先も何度も同じ考えが頭を埋め尽くして、私を楽な方へと誘うのだろう。

 

 ポケットをまさぐって、ずいぶん少なくなってきた希望の実をつまむ。

 そして口の中へ放り込めば、青臭くて、苦くて、渋くて、酸っぱいこの世の終わりみたいなフレーバーが、ガツンと脳天を叩いた。

 

「あーあ、生きるって辛いなぁ!」

 

 リュックのベルトを全身に巻き付け、動き回っても邪魔にならないように。

 岩から飛び降りて泥を散らす。そしてカリバーを握りしめて、ブオンと素振り。

 思えば随分と身体能力も上がった。大丈夫、私は強くなってる。

 

 私を食おうと狙いをつけていたが、衝撃に驚いたヤゴが慌てて水中へ潜った。

 

 辛くて、苦しくて、ゴールが見えなくて泣きそうだ。

 それでも選んでしまったから、私は今日もバットを振るう。

 

 本当、私はマゾかもしれない。

 

 

「ほっ……」

 

 ツンツンと足で軽くつつくと、柔らかくもしっかりとした感触。

 大丈夫そうだ。

 

 ボスエリアである蓮の葉に全身が入った瞬間、背後に不可視の壁が生成される。

 これでもう出ることはできないし、誰も私を助けに入ることもできない。

 まあ助けてくれる仲間なんていないんだけど。 

 

 軽くジャンプ、素振り、反復横跳び。

 

 水上というだけあって若干揺れるし、衝撃が吸収されている気がする。

 斬撃や魔法と異なり私の打撃は衝撃がダメージソース、叩きつけなどが吸われてしまう以上、もしかしたらこのフィールドは相性が悪いかもしれない。

 

 小さなシミが蓮の中心を黒く染め、けたたましい音を鳴り響かせて着地。

 水も、蓮の葉も、そして私自身も大きく跳ね飛ばされ、そして元の位置へ。

 メタルというからにはつややかな金属調かと思いきや、一円玉の様に少し掠れた銀色。

 

「わっ……とっと」

 

 でかい、大型トラック程の体長にそれを越す高さがある。

 校庭ほどある巨大な葉の上だというのに、その大きさは見劣りしない。

 

 メタルスネイル、『麗しの湿地』に存在するボスは、全身がまるで剣山のようであった。

 鋭利で私の腕程はあろうかという針がその肉をびっちりと覆い、微かに揺れる度しゃらり、しゃらりと擦れ合う。

 その音は凉しげというよりは、悪寒が走るか。

 下手に何も考えず突っ込んでいけば、すぐにでも貧相な生け花が生まれそうだ。

 

「『鑑定』」

 

――――――――――――――――

 

種族 メタルホイールスネイル

名前 クレイス

LV 60

 

HP 1360 MP 557

物攻 555 魔攻 76

耐久 600 俊敏 39

知力 71 運 11

 

――――――――――――――――

 

「なんか種族もレベルも聞いてたのと違うんだけど……」

 

 種族に関しては、ダンジョンによってボスが数種類あるところも存在するので、まあいいとしよう。 レベルは推奨レベルを軽々と通り越し、私と同じ数値だ。絶対おかしいだろ、おいあの本書いたやつ出てこい。

 絶対に殴り飛ばす。

 さらにボス補正もかかっているのか、私を超える耐久にトンボを鼻で笑う物攻、そしてついに越してしまったHP三桁の壁。

 

 リュックに思いつく限りの対策を詰め込んできたとはいえ、これは死ぬかもしれない。

 カリバーを握っていた右腕が、ぬるりと滑った。

 無意識に荒くなっていた息をのみこみ、覚悟を決める。

 

 それにしても先生といい、ダンジョンのボスというのは、上から落ちてこなくてはいけない決まりでもあるのだろうか。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十九話

 針まみれのカタツムリ……ハリツムリの、唯一予想通りだったのは緩慢な動き。

 デカい体に殻まで金属質な全身もあり、こちらへ寄ってきてはいるもののあまりに遅い。

 わざわざ待ってやる必要もないし、先生の時みたいに愚直に近づいてカウンターを食らう気もない。 というかこの攻撃力、下手しなくても直撃したら死ぬ。

 

 飛び道具を持っている可能性も気にして側面へ移動、リュックに仕込んであった石ころをその場に散らす。

 私が用意してきた作戦は三つあり、そのうちの一つがこれ。

 することはごく単純。遠距離から『ストライク』で石を打ち込み続ければ、遅い敵なら嵌め殺すことが出来る可能性だ。

 

 気分は甲子園球場。

 ツンツンと冷たい、グレてしまった不良ハリツムリへ、私が熱い野球精神を叩き込みたいと思う。

 野球のルール知らないけど。

 

「ふっ、『ストライク』!」

 

 まずはお試し、『スキル累乗』は使うと石が砕けてしまうので今回はなしの方向で。

 

 輝くカリバーの推進力を受けた小石は真っ直ぐに突き進み直撃、が、しかし針と針の間へ挟まり速度を失った。

 針くらい折れると思っていたのだが、これはまさか…… 

 

 二発目、三発目も間髪入れず発射。

 が、しかしそのどれもが針の隙間に埋まり、やはり何一つ折れることなく終わる。

 やはりか。ピンクナメクジと同じでこいつ、衝撃にめちゃくちゃ強い。

 体表こそ金属でおおわれているが、本質はナメクジもカタツムリも似たようなものなのだろう。

 

 表面へ垂直の攻撃がだめなら、横からの攻撃はどうだ。

 横からの薙ぎ払いならば衝撃を吸収されることもないし、針をへし折ることさえできれば直接叩くこともできる。

 

 ズリ、ズリ、とハリツムリ自体は愚鈍な動き、しかしバカでかい身体と不安定な葉の上なので振動が凄い。

 ただ葉の上を這いずっているだけだというのに、立っているこちらも下手すればバランスを崩してしまいそうになる。

 焦る必要はない、しっかり踏み込んで近づけばいい。

 

 正面を取らないよう周りながら距離を詰め、足に生えた針をカリバーで軽く薙ぎ払う。

 

 カンッ!

 

「折れた……!」

 

 予想は見事的中。

 

 見事な棘も横からの攻撃には脆く、へし折れた針達がくるくると回って沼の中へと沈んだ。

 勿論その図体からすればごく一部、人でいえば爪の先が欠けた程度に過ぎない。が、しかしダメージを与えることが出来る証拠にはなった。

 

 

「『鑑定』」

 

――――――――――――――――

 

種族 メタルホイールスネイ

名前 クレイス

LV 60

 

HP 1358/1360 MP 557/557

 

――――――――――――――――

 

 全く削れていない。

 ま、まあこれならこのカタツムリ動きも遅いし、ちまちま削っていけば……

 

『オ……』

 

「ん?」

 

 

『オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!!』

 

 

「うるっ……さぁ……っ!?」

 

 ハリツムリの天を衝く絶叫、口の中にも無数に生えた針がシャリシャリと互いにぶつかり合い、不愉快な金属音が撒き散らされる。

 あまりの爆音に耳を抑えているにも関わらずまったく意味がない、その上振動で全身の皮膚までがビリビリと引き攣った。

 果たして今私は立っているのか、寝ているのか、平衡感覚すら失う。

 

 あまりに突然の豹変、一体何が起こったのか。

 理解が追い付かない。

 まさか針は折っていけなかったのか、それともダメージを一でも食らうと、がらりと動きが変わってしまうような敵だったのか。

 

 慟哭が終わった瞬間を見計らい、葉の端へと駆け出す。

 ハリツムリのツン、と飛び出した目がグネグネと左右している。

 何が起こっているかさっぱり認識できていないが、少なくとも近くにいるのは危険な気がした。

 

 一体何を仕掛けてくるんだ……

 魔法か、それとも全身の針を飛ばすのか、ピンクナメクジみたいに酸でも吹くか……?

 

 ふいに、ふくらはぎをねっとりと、何かが舐めた。

 

「え……?」

 

 今私たちは一対一の戦いをしていて、誰もその邪魔をできないはず。

 なのにどうしてだろう、どうしてこんなに無数の存在から睨みつけられているような感覚が、体中を這い摺り回っているのは。

 いやな予感は大体当たる、焦って飛びのいた場所にそいつらはいた。

 

 沼の奥底から這い出てきたのは、ピンクの憎きアイツ。

 ゆっくりと葉の上に出てきて、丁度近くにあった私の足へ、奴らの目が触れたらしい。

 

 そういえばお前たち全滅したら沼からどんどん出てきてたな、なんてのんきな感想が脳裏をよぎる。

 

 そして何度も受け慣れたこいつらの攻撃は……

 

「す、『ステップ』! 『ストライク』! 『ステップ』!」

 

 無意識のストライク走法。直後、私が立っていた場所から激しく白煙が立ち込めた。

 酸だ。

 すんでのところで避けられたが、もし直撃していたらその瞬間にすべてが終わっていた。

 

 顔中に冷たい汗が吹き出し、心臓が奇妙な鼓動を始める。

 

 しかも一匹じゃない。

 周りを見回せば、水中からにょきにょきと突き出す目、目、目!

 居る。十匹、二十匹、それだけで済むだろうか。 じわりじわりと寄ってきているのはきっと、ハリツムリの絶叫こそが彼らを集めるための呼び鈴だったのだろう。

 

 冗談だと言ってほしい。

 こっちは一度入ってしまえば、勝利以外で二度と出ることが出来ないというのに。

 ずるいずるいずるいずるい! お前らは仲間を呼び放題だなんてバランスが狂ってる、正気じゃない!

 ふざけるな。こんなの、こんなの死ねって言ってるようなものじゃないか。

 

「か……『鑑定』っ!」

 

 

 

 頼む、弱くあってくれ。

 しかしどうせ無理だと、心の端で私が叫んだ。

 

――――――――――――――

 

種族 アシッドスラッグ

名前 ジョン

 

LV 47

HP 223 MP 126

物攻 237 魔攻 167

耐久 41 俊敏 6

知力 12 運 3

 

――――――――――――――

 

ああ、最悪だ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十話

 こんなのあんまりだ。

 レベル47? しかもこの周りにいる無数のナメクジが、全部それと同程度のレベル?

 終わってる、詰みだ。

 

 カリバーを適当にぶん投げて、ハリツムリに突撃したくなってきた。

 多分あの大きさに踏みつぶされたら一発で死ねると思うし、どうせなら苦しむ前に終わらせてしまえ。 なんならナメクジ共の酸を頭からかぶれば、ちょっと苦しいだけで済む。

 

 ナメクジが鎌首をもたげ、喉が脈打った。

 気分は絞首台を前にして、すべてを諦めた死刑囚。

 ほら、前に進め。一直線上に飛んでくるであろう粘液を受ければ、私は簡単に……

 心はそういって諦めてしまいたいのに。

 

「……っ!」

 

 気が付けば身体は勝手に動いて、いつも通りカリバーの先に粘液を絡めとっていた。

 

 まだだ。

 私はまだ戦える。

 走って、息をして、飛び回れる。

 

 冷静に考えれば、この状況を上手く使う事で逆に、勝利への道が開けたのかもしれない。

 深く呼吸。

 酸素をしっかりと取り入れて、大してよろしくない頭を上手く回転させる。

 

 レベルは上がっていても、対処方法は変わらないはずだ。

 いつも通り粘液で顔面を張り倒して、酸で死ぬのを待つ。

 『ストライク』はこのまま温存だ、どうせこいつらには打撃が全く効かない。

 それにMPが切れてしまえば直接的な殴打しか攻撃手段がなく、そうなれば高いHPと耐久を誇るハリツムリを倒すのはほぼ不可能。

 

「『ステップ』!」

 

 前後左右から襲い掛かる粘液弾、その間隙を縫ってナメクジたちに接近。

 確実に顔へ叩きつけ、即座に離脱。

 

―――――――――――――――

 

種族 メタルホイールスネイル

名前 クレイス

LV 60

 

HP 1358/1360 MP 407/557

 

―――――――――――――――

 

 叫びでどれだけ変わるかと思ったハリツムリの動きは、相変わらずちんたらとどんくさい。

 人間でいうなら召喚士。本体の棘はあくまで飾りで、メインの攻撃手段は大量に呼び出したナメクジによる圧殺かな。

 注目するべきはMPが相当減っていること、ナメクジを呼ぶのもノーコストというわけにはいかないようだ。

 使えて後二回、それさえ乗り越えればあとはデカい的だろう。

 

 そしてこの呼んでくれたナメクジ、使わないわけにはいかない。

 

 カリバーを溶かしてしまうほどの強烈な酸だ、きっとあいつの針にもよく効くだろう。

 さばききれない数のナメクジはこちらで処理しつつ、ヘイトを稼いでハリツムリを盾にする。

 

「そりゃっ! 『ステップ』!」

 

 蹴る、カリバーで顔を殴る、蹴る。

 私の背後には見慣れた、自身の酸にもだえ苦しむピンクな奴ら。

 いくらレベルが変わろうと多少耐えられる時間が延びるだけで、基本的な体の構造は変わらないのはモンスターも同じだ。

 

 外周を全力で駆け抜け、酸を擦り付けるのとヘイトを稼ぐのを半々で行っていく。

 

『レベルが上昇しました』

 

 背後から薄い光が立ち上ったかと思えば、レベルが上昇した。

 流石トンボ以上の高レベルに、ボスが呼び寄せたナメクジなだけはある。

 今は『ストライク』を使う必要がないので、『経験値上昇』に『スキル累乗』を重ねているおかげでもあるだろう。

 

 数えて行けばジャスト五十匹、これがハリツムリの一度に呼べるナメクジの数か。

 

 全身に無数の針が生えているハリツムリだが、つるつると硬質な殻には大きな針が点々と着いているのみ。

 動きも遅い、ならばすることは一つ。

 

「よっ……こいしょっ!」

 

 足をかけ、よじ登る。

 

 ナメクジは円周上にまんべんなく存在しているが、ど真ん中にいるハリツムリの巨体に遮られ、私の姿を見失う可能性があった。

 

 できる限り多くの粘液をぶつける方が討伐の成功率は上がるし、それなら丁度いい櫓としてついでに働いてもらおう。

 

「おらーかかってこい! 私はここだぞー!」

 

 どうせ言葉は通じないが、適当に手でメガホンを作りカリバーを振り回す。

 

 にょきっと地面から伸びるナメクジの目線が、私の全身へ突き刺さった。

 蠢き、さざめき、一斉に脈動しだすピンクの肉塊共。

 

 そうだ、よく私を狙えよ。

 絶対に外すな……!

 

 高台にいるからだろう、普段よりナメクジたちの揺れも、そして溜めも長い。

 メトロノームの様に上下へ揺れていた頭が次第に大きく、力強いものへと変わっていく。

 上、下……上。

 

 コポ……

 

「……!」

 

 本当に小さく、何かが湧きだすような音が重なる。

 その瞬間私は身を空中へ放り投げ、ハリツムリの身体から離れていた。

 

 風に舞う前髪、その数センチ先を粘液が掠める。

 刹那、無数の粘液たちが私のいた場所へ殺到、そして合体、巨大な塊となってその下へ落下した。

 そのまま軽く後転してエネルギーを分散しつつ着地。

 

 立ち上がる白煙、一瞬の静寂。

 

 

『オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!?』

 

 

「『鑑定』」

 

――――――――――――――――

 

種族 メタルホイールスネイル

名前 クレイス

LV 60

 

HP 843/1360 MP 407/557

 

――――――――――――――――

 

 蒼穹へ絶叫するハリツムリ。

 背中に生えていた巨大な針がでろりと溶け、痛みに引き攣った皮膚が全身の針をピン、と立たせる。 

 ツン、と生えていた目はぐるぐると弧を描き、その苦しみから逃れようと暴れまわっていた。

 

 へへ、ざまあみろ。

 

『合計、レベルが7上昇しました』

 

 ついでに近くにいたナメクジたちにも粘液が降りかかり、哀れにも一瞬で絶命した。

 もう背中は粘液まみれなのでこの作戦は使えないが、たった一度でHPの四割ほどを一気に削り、その上酸のおかげで継続ダメージも期待できる。

 

 勝機が見えてきた。

 

 もし紙ぺら一枚程度の時間飛び出すのが遅れていたら、私もあそこの仲間入りをしていたのだろう。

 無意識のうちに震えていた手が、カタカタとカリバーを揺らす。

 後頭部が熱い。緊張と興奮、そして間近に迫った死が私を撫で、意識を沸騰させようと笑いかけている。

 

 震える手で希望の実を口に放り込み、吐くほどのまずさでむりやり意識を冷静に保つ。

 

 大丈夫だ、いける。

 

 痛みから逃げるためにか、殻の中へと全身をねじ込むハリツムリを正面に、私は希望を飲み込んだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十一話

 殻の中へ閉じこもったと思えば、小刻みに揺れだすハリツムリ。

 何をしているんだ。

 死を悟って絶望した? モンスターが? まさかそんなわけはあるまい。

 ぬぐい切れない奇妙な違和感、何かを見逃している気がする。

 

 いや、大丈夫だ。

 確実に酸は効いていたし、勝利へ近づいている。 どうせ私の打撃はまともにダメージを与えられないし、それならこの隙にピンクナメクジ共の殲滅に取り掛かろう。

 

 適当に横にいた奴を蹴り飛ばし、口元へカリバーを宛がう。

 せり上がってきた粘液はそのまま目の前のカリバーへ、そしてそのまま自身の顔面へと返品された。 私自身半分は倒していて、先ほどの二次被害でも相当数減っている、これで後は消化試合を……

 

『あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛……』

 

 またか、慌てて耳をふさぐ。

 葉がビリビリと揺れ、波がさざめき沼をかき回す。 殻に入っているせいだろう、少し籠った声のピンクナメクジ招集。

 

 叫びに呼応するように、にょきにょきにょきと相も変わらずピンクの目玉が生え、ゆっくりゆっくりとこちらへ近づいてくる。

 まあいい、どうせハリツムリはもうすぐに死ぬんだ。

 呼んでくれたナメクジ共は、レベル上げのえさにでもなってもらおう。 

 

―――――――――――――――

 

結城 フォリア 15歳

LV 77

 

HP 96/162 MP 268/375 

 

―――――――――――――――

 

 大量のナメクジのおかげで、レベル自体もこの挑戦前から相当上がっている。

 結果論ではあるが、ハリツムリはステータスと比べてそこまで苦戦することもなかった。 

 

 カリバーを担ぎ上げ、揺れる葉の上を闊歩。

 葉の上に上がってこようとした奴を優先し、丁寧に顔を張り飛ばす。

 無機質な電子音と、無感情にレベルアップを告げる声、そして私がカリバーを叩きつける水音だけが交互に響いた。

 

 それにしても酷い揺れだ、酸で葉っぱがボロボロにでもなったのだろうか。 

 

「うわっ……と、と……!?」

 

 ひときわ大きな揺れの後、再度響くハリツムリの絶叫。

 これで三度目、もう招集は使えまい。 

 

 シャラ……

 

 ひときわ強烈な揺れ。

 それは葉だけでなく、ど真ん中に鎮座するハリツムリも同じで、殻に籠ったまま大きくガタガタと揺れていた。

 

 にわかに鼓膜を叩く、不吉な金属音。

 違和感が次第に膨らみ、不気味な焦燥感となって喉元を焼く。

 まただ。何か、何かがおかしい。何かを見逃しているのに、それが何なのかがわからない。

 

 私は何を見逃している……?

 

 ふと思い浮かんだのは、ハリツムリの名前。

 

『メタルホイールスネイル』

 

 メタルはいいだろう、金属的なアレだ。

 ホイールは輪っか? だろうし、スネイルはまあ、多分カタツムリだとかそんな感じの意味じゃないか。

 いや待てよ、なんでホイールなんだ?

 

 見た目からして針まみれだし、ニードルとかじゃないのか。

 

 小さな疑問、その答えはすぐに返ってきた。

 

「……!?」

 

 私の目に飛び込んできたのは、自身が閉じこもった殻を回転させ、バカみたいな勢いで突っ込んでくるハリツムリ。

 その背中には先ほど融かされたはずなのに、堂々と天を穿つ巨大な針。

 しかも先刻とは異なり、本体の肉にも生えていたように無数の針が、殻の周りへびっしりと生えている。

 

 ああ、なるほど。

 誰がハリツムリはナメクジを呼ぶことしか出来ないって言ったんだ!

 さっきの絶叫はナメクジを呼ぶものじゃなく、これを生やすためだったんだ!

 

 

「す……『ステップ』! 『ストライク』! 『ステップ』!」

 

 一直線にこちらへ突っ込んでくる化け物を避けるため、即座にストライク走法で距離をとる。

 ミチミチと脹脛が悲鳴を上げ、これ以上使えば以前と同じく大怪我に繋がるぞと、全身が私に告げた。

 殻に籠りゆらゆらと揺れていたのは、葉の振動を受けていたらではない。

 ハリツムリが自ら体を揺らして、殻を動かそうとしていたから。むしろ葉は逆、揺らされている側であった。

 ホイール(輪っか)だなんて冗談はやめてほしい、何もかもを踏み潰すその姿は戦車だ。

 

 こうなればもう敵も味方も関係ない。

 

 私の背後をぴったりと追い続け、何もかもを破壊しつくす暴虐の化身へと変わったハリツムリは、その道中にいる蠢くナメクジたちを次々に貫き、踏みつぶし、肉塊へと変えていった。

 

『合計、レベルが3上昇しました』

 

 何もしていない、ただナメクジたちの間をすり抜け走っているだけなのに、後ろでどんどん踏みつぶされていくせいでレベルが勝手に上がる。

 

 酸が吹き出しその身に塗れ、白煙が吹き出した。 が、関係ない。

 融けた針の奥から更に針が生まれ、必死に抵抗するナメクジたちを食らい尽くす。

 むしろ酸の力も得て、葉の上に無数の穴を生み出していった。

 

「はぁっ、冗談はっ、はぁ、よしてほしいっ!」

 

『合計、レベルが3上昇しました』

 

 逃げるほどに私とあいつの距離は縮まり、たなびく服を回転する針が切り裂く。

 

 このままだと追いつかれる、距離を取らないと……!

 

 

「『ステップ』! 『ストライク』! 『ステッ……!?」

 

 

 視界が後ろに溶け、距離が生まれた瞬間だった。 突然膝から力が抜け、世界がゆっくりと色を失っていく。

 

 やってしまった。

 

 自殺ダッシュ、名の通り使い過ぎれば死へ一直線。

 地面に身を叩きつけ、転がる。

 致命的な失敗を理解した瞬間、私の背後へあまりに刺激的な影が訪れた。

 

 

 全身の痛みに耐えて身を持ち上げ、後ろから迫ってくる絶望に息をのむ。

 

  轢くのは一瞬だ。転がっているナメクジの様に急所を外し、一撃では死なない可能性もあった。

 だから、確実に殺すのなら殻に籠って潰すのではなく、己の足に生えた針で刺し殺す方がいいと判断したのだろう。

 身を隠していた殻から飛び出し、布団の様に私を覆おうと広がるハリツムリ。

 

「……っ! 『ストライク』ッ!」

 

 ギチィッ!

 

 咄嗟に飛び出た怒号。

 衝撃に耐えきれず、情けなく尻餅をつく。

 

 目の前数センチの所まで針が迫り、力が抜ければこのまま死ぬと分かった。

 

――――――――――――――――

 

種族 メタルホイールスネイル

名前 クレイス

LV 60

 

HP 142/1360 MP 0/557

 

――――――――――――――――

 

 鑑定が指し示すのは、酸により刻一刻と減っていく、既に死を間近にしたハリツムリの姿。

 だがこれだけHPがあれば、私を叩き潰し殺すのには何の支障もない。

 

 ふと、力が抜けた。

 

 三秒。

 

 クールタイムでもあり、スキルの導きが続く時間が過ぎたのだ。

 

「ああぁ……!」

 

 スキルの効果がなくなれば当然、ゆっくりと私を押し潰す巨体。

 頬へゆっくりと針が沈み込み、ねっとりとした血が首筋へ垂れていく。

 針の先から垂れた粘液が頬を掠め、やけどの跡を残す。

 

 何もかもが痛いはずなのに、溢れんばかりに湧き出すアドレナリンのせいだろうか、何も感じない。

 

―――――――――――――――

 

結城 フォリア 15歳

LV 84

 

HP 67/176 MP 257/410

 

―――――――――――――――

 

 視界の端に開かれたステータスが、じりじりとHPの減少を伝えた。

 勿論減少速度も、そして現在のHPもカタツムリ以下なので、このまま耐えきるのも不可能。 

 

「『スキル累乗』対象変更っ、『ストライク』ッ! ……ぁあああっ! 『ストライク』ッ!」

 

 カリバーが輝き、虎の子である『累乗ストライク』をその足へと叩き込んだ。

 衝撃を受け揺れるも、しかし私から退くまでには至らない。

 

 そしてカリバーが点滅し、ふっと力が抜ける。

 

 ストライクを撃つたび、にわかに状況が好転したかのように見える。

 しかし力を切らすたび、ゆっくり、そしてより深く針が肉へ突き刺さっていくのを、私は頬の感触から理解していた。

 

 死ぬのか、私は。

 まだ何もできていないのに、まだやることがたくさんあるのに。

 

 遂に足が完全に踏みつぶされ、忘れかけていた激痛が脳天を横殴りにした。

 

 喉から悲鳴が絞り出される。くそっ、私は……!

 

『レベルが上昇しました』

 

 視界の端でナメクジが溶け、レベルが上がる。

 今更上がったところで、どうしろっていうんだ。

 

―――――――――――――――

 

結城 フォリア 15歳

LV 85

 

HP 23/178 MP 71/415

物攻 175 魔攻 0

耐久 515 俊敏 554

知力 85 運 0

SP 100

 

スキル累乗LV1→LV2

必要SP:100

 

 

―――――――――――――――

 

どうしろって……こうするしか無いじゃないか……!

 

『スキル累乗がLV2へ上昇しました』

 

―――――――――――――――――

 

スキル累乗 LV2

 

パッシブ、アクティブスキルに関わらず

任意のスキルを重ね掛けすることが出来る

 

現在可能回数2

 

―――――――――――――――――

 

「……ぁ、ぁぁぁぁあああああああっ! いったいんだよぉぉぉぉおっ! 『ストライク』ッ!」

 

 ドンッ!

 

 怒りと恐怖がごちゃ混ぜになった新たな『累乗ストライク』は、巨大な肉布団をめくりあげた。

 

 最後の一押しになったのだろう。

 叩きあげられたハリツムリは、再度私へ覆いかぶさる前にHPを失い、光となって消えていった。

 胸元にコロンと転がったのは、きらきらと中に星の見える、透明なハリツムリの魔石。

 

 遠くなる意識をどうにかつかんで、『スキル累乗』を『経験値上昇』へ、そしてポケットの中に入っていた最低品質のポーションを無理やり飲み込む。

 

 多分これ飲まないで気絶すると、出血多量で死ぬ気がする。

 

 鳴り響くレベルアップ音を聞きながら、ハリツムリの魔石を胸に抱き、狭まる視界へ手を伸ばす。

 

 

 ああ

 

 ケーキたべたい……

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十二話

 ここ最近はダンジョンに一切潜っていない。

 いやー、流石にあの死闘を乗り越えて、さらに毎日戦うってのはきつい。

 ほとんどネットカフェに引きこもっては、映画を見たりしていた。

 

「おう、よく来たなお嬢ちゃん」

「うん」

 

 そして筋肉に言われた通り一週間後、私はハリツムリの魔石をうっぱらったお金を受け取りに来ていた。

 いや勿論本当は翌日に魔石を売りに行ったのだが、なんとあのハリツムリ、協会には登録されていないモンスターだったらしい。

 

 うん、なんか名前おかしいと思ったんだよね。

 しかも推奨レベルより高いし、技えげつないし。

 知力が低かったしもし魔法が使えたなら、もっと楽に倒せていたかもしれないけど。

 

  というわけで未確認の魔石、一体どんな効果を秘めているか分からないというわけで、検証だとかに時間がかかった。

 取り調べは凄い怖かった。

 なんたって筋肉並みにムキムキな人とか、腹筋バキバキに割れてる女の人とかがすっごいまじめな形相で私を見つめつつ、延々と質問を突っ込んできては紙にがりがりと書き込みしていくのだ。

 

 誰だってビビる、しかもあの人たち多分超強い。

 だって腰に凄いピカピカ物理的に輝く武器差してたし、あれ多分ドロップ武器ってやつだ。

 

「んじゃこれが石の買取、調査、情報提供代だ」

「ん。……ん?」

 

 ぽんっ、と手渡されたのは、分厚く重い封筒。

 軽く封じられていたそれをぺりぺりと破り中をのぞけば、一センチほどはあろうかという紙束。

 

 え、なにこれ。

 

「百十五万だ。ほとんど新たなモンスター、しかもボスだからだな。本当は銀行とかに振り込んでおきたかったんだが、お嬢ちゃん口座登録してないだろ?」

「ひゃ、ひゃくま……?」

 

 百万ってどういう意味だろう。

 百万って、百万?

 

 あれ、ちょっと待って。

 百万ってなんだ……百万は万が百で……百がマンだから……?

 

『やあ! 僕百万君!』

「百万君!? 誰!?」

『僕はマネー王国から君と友達になりに来たんだ!』

「どういうことなの……!?」

『さあ、僕と一緒に飛び立とう!』

 

 巨大な札束に手足の生えた百万君が、私に向かって手を差し伸べた。

 手を重ねれば、私の身体は空高くへと……

 

「……ちゃん、お嬢ちゃん。大丈夫か、意識飛んでたぞ」

「……え? 百万君は?」

「あん? 何言ってんだ?」

「あ……うん、何でもない」

 

 というわけで、私はとんでもない大金を手に入れた。

 これはあれか。

 悪いこと、苦労した後にはいいことがある、人生万事最強の馬というやつか。

 

 ど、ど、どうしよう……!?

 

 

「だ、だれもいないよね……?」

 

 人が怖い。

 突然金の亡者がゾンビの様にわらわらと、そこら辺から生えてきて私のお金を奪っていかないか怖い。 大丈夫かここは、まだマネーウイルスに侵食されていないだろうか。

 

 協会を抜け大通り、真昼間なだけあって人はいない。

 百十五万円の入った封筒様はリュックの中、服で二重に包んで大切に守っている。

 銀行だ。筋肉も言っていたが銀行を開設して、それから何をするか決めよう。

 

 裏通り、冷たいコンクリの壁に背中を当て、大通りの様子をうかがう。

 

 こちらフォリア部隊、敵確認できません。

 今より銀行へ突撃しま……

 

「お、いたいた」

「ひゃあっ!?」

 

 つん、とわき腹をつつかれ、奇声が喉奥から湧き出した。

 

 そこにいたのは相変わらずちぐはぐな靴下、適当に茶髪を結んでいる剣崎さん。

 この街の近くにある大学で、ダンジョンの研究をしている人だ。

 今日は前回会った時とは異なり、私服ではなく白衣そのまま。

 

「け……剣崎さん……!」

「やあ、探したよ。一週間後に来てって言ったのに、二週間過ぎてもまだ来ないから、剛力君……協会のトップに直接話付けてね」

 

 筋肉、もとい剛力。

 名前まで筋肉にあふれているなあいつ。

 

 どうやら剣崎さんは筋肉とも知り合いらしく、私が一週間後に現れることを知っていたらしい。

 まあダンジョンの研究をしていると言っていたし、協会の支部長でもある筋肉と面識があるのは、何らおかしいことではない。

 

 命がけの戦いを繰り返して忘れていたが、そういえば彼女には、あの三人組が大学にいないか調査を頼んでいたのだった。

 教授となれば忙しいだろうに、わざわざ私に会いに来てくれるとは。

 いい人だ。

 

「まあこんなところで話すのもなんだ、ついてきなさい。近くにいい喫茶店があるんだ」

「え……うん」

 

 本当はさっさと銀行へお金を預けに行きたいのだが、そもそも最初に頼んだのは私だ。

 颯爽と白衣をはためかせる彼女の後へついていく。

 ああ、それにしてもこの百万円何に使おう……!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十三話

「好きなもの頼んでね」

「うん」

 

 剣崎さんに連れられ入ったカフェは、むき出しのレンガがどこか懐かしい、シックなお店だった。

 ちょっと硬めのソファに対面で座り、すぐに会話して終わりというのも寂しいので、軽く食事もすることに。 

 今日はお金をたくさん持っているので、好きなものを頼める。

 

 ええっと、紅茶と、ケーキは……ナポレオンパイ? 

 

「ナポレオン・パイはイチゴのミルフィーユのことね。ここのはカスタードじゃなくて、クレームディプロマットを挟んであるから重すぎずフレッシュなミルクのフレーバーが……」

「……?」 

 

 物凄い早口で語り始める剣崎さん、興奮しているのか顔が凄い赤い。

 よくわからないけどミルフィーユというのがこのナポレオンパイで、彼女が興奮するくらい美味しいというのは分かった。

 行きつけの店だと言っていたし、これが好きで通っているのかもしれない。

 

 私と剣崎さん、二人とも同じナポレオン・パイを一つずつ、紅茶とコーヒーで注文。

 早々に届いたカップの中身を啜り、一息ついたところで話は始まった。

 

「端的に言おう。君をダンジョン内で見捨てたという三人は、やはりウチにはいなかった」

「うん」

「なんとなく予想はついてたって顔だね、ごめんよ」

「ううん、大丈夫。私も強くなってるから、自分でも探せる」

 

 実際剣崎さんと以前会ったときに、恐らく見つからないと言われていたので心の準備はできていた。

 ……いや、はっきり言ってしまうと、私は今の今までそこまであの三人を気にしていなかった、というのが本音だ。

 ダンジョンに延々と潜り続ける日々、恨み言を思い出す暇もなかった。

 しかしこうやって面と向かって存在を告げられれば、不思議なことに心の奥底へ、消えていたはずの澱が積もっていくのが分かる。

 

 都合よく醜い感情だ。

 憎しみを忘れていたはずなのに、そう簡単にまた生まれてしまうなんて、本当はそこまで恨んでいないのじゃないか?

 犠牲者を増やしたくないだなんて言っておきながら、本当はどうでもよくて、自分自身の恨みを正当化するために、誰か存在しえない犠牲者を人形にして遊んでいただけなのでは。

 

 ……いや、そんなわけがない。そんなわけないのだが……自分の感情がどんなものなのか、自分自身でも整理が出来なかった。

 

 憎いのか、悲しいのか、思い出すのも辛いのか、それとももうどうでもいいのか。

 たった二週間前の出来事なのに、もう遠い昔のように感じる。

 殺されたのは当然あれっきりだが、殺されかけたことはもう何度もあった。

 その経験が記憶の傷口に染み渡り、死を味わうという昏いはずの過去が、実は普通じゃないのかと錯覚させてくるのだ。

 

 靄のかかった感情を胸に抱き、ぼうっと空調に揺られる観葉植物を眺めていると、そっと皿が机に置かれた。

 

「ごゆっくりどうぞ」

 

 にこりと微笑むウェイター。

 皿の上には何か茶色の、クリームが二回ほど挟まれた物体。

 ほう、これがミルフィーユというやつか。

 

「さ、食べましょ。あまり考えすぎない方がいい、月並みな言葉だが復讐は何も生まないからね」

「……うん」

「いいかい、ミルフィーユってのは一度倒してから食べるんだ。上からナイフやフォークを入れると……」

 

 初めて食べたミルフィーユはカラメルがほろ苦く、甘酸っぱいイチゴとクリームが美味しかった。

 

 

「そういえば君、今もまだネットカフェに住んでるの?」

「うん、安いから」

「うーん……確かにホテルとかよりかは安いだろうけど、まとまったお金が貯まったらマンションか、アパートでも借りた方がいいんじゃないかしら? ここらなら1LDKで五万もしないとおもうわ」

「……!」

 

 確かに。

 今まで生きるのに必死だったし、お金が一気に稼げるようになったのは『麗しの湿地』で戦う様になってからだったので、そんなこと考えたこともなかった。

 しかし今借りてるネットカフェの部屋は鍵付きで一日三千円、一か月で十万円ほど。

 掃除だとか、水道代だとかもかかるとはいえ、賃貸に住んだ方が合計は安く済む気がする。

 

 あ、でも家電とかも買わないといけないのか…… 冷蔵庫に掃除機、テレビとかも見てみたいし、調べ物をするのにパソコンも必要……そう考えると狭くてネットカフェの方が……うーん。

 いや待て、調べるときだけネットカフェに行けばいいのか?

 しかし……いや、うん、今持っている百十五万円を使えば、大体の物は買いそろえられるのか。

 

「うん、じゃあ今から借りに行く」

「え!? 今から!? お金ない内に無理に借りる必要もないんじゃ……」

「あ……ううん。ダンジョン毎日潜ってるから、借りるくらいなら全然できる」

 

 そうか、剣崎さんと出会ったとき、私のレベルは20もなかったはず。

 あのころと比べたら経済状況は雲泥の差、『スキル累乗』によってレベルアップ速度も異常に高いなんて、普通の人にわかるわけもない。

 

 ユニークスキルについては隠しつつ、既に私はFランクダンジョンへ手を出せる程度にはレベルが上がっていると伝える。

 勿論すさまじい成長速度だと驚かれはしたが、まだ期待のルーキーとしてありえなくもない程度。

 よく頑張ったとほめられた。

 

 

「それなら大丈夫そうね、保証人はいるのかしら?」

「ほしょー……にん……?」 

 

 ほしょーにん……保証人、かぁ……。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十四話

 その後の流れを端的に記すと、ネットカフェを抜けて協会近くに建てられた、探索者向けのビジネスホテルへ泊まることになった

 契約だのなんだので、部屋を借りるのは私一人では大変。

 それに探索者は上に行くほど儲かるが、その代わり命をかけて戦う職なので、結構偏見の目が根強く残っている。

 その苦労を無視できるのだから、高くついてしまったとしても払う価値があるだろう。

 

 剣崎さんは保証人になろうかと言ってきたのだが、出会ってまだ二度目だというのに、あまりに甘すぎるのが怪しく感じてしまった。

 いや、勿論彼女を心の底から疑っているわけではないのだが、どうにも他人を心底信じることが出来ない。

 

 それにアパートだのマンションだのを借りるとして、家電や水道、ガスなどの契約もあるし、正直面倒だ。

 勿論アパートなどを借りた方が安いのは分かっているが、『スキル累乗』を駆使して戦っていけば、きっと私はもっと強くなれる。

 お金だって稼げるし、それならすでに全部準備されているホテルを借り続けた方が楽だ。

 何より隣近所のあれこれを気にする必要があるし、そういうのは避けたい。

 

 そしてホテルのロビーにて。

 

「まあ、あんまり無理しないでね。なんなら大学に来てくれれば、寮とかこっそり転がり込んでもいいし」

「うん。でも大丈夫、私は強くなるから」

「……はぁ、心配だわ」

 

 太陽が頭上に上がるころ、私は剣崎さんと別れた。

 心配され何度かやはり止められはしたが、彼女にユニークスキルの話をするわけにもいかないし、どうにか押し切ることで済ませる。 

 

 

 靴を脱ぎ部屋に上がり、リュックを端へ下ろす。

 小さなテレビ、電気ポット、一人用のベット。

 冷蔵庫やクーラーまでついている、借りたホテルは一泊一万円もするだけあって、かなり設備が整っていた。

 探索者向けのビジネスホテルらしく、入り口近くには汚れを落とす水道なども設置されている。

 

 真っ白なシーツの敷かれたベットへ手をのせれば、ゆっくりと沈みこんで柔らかい。

 

 生唾を飲み込む。

 

 今まである程度柔らかいとはいえ、設置された椅子の上で寝起きしてきた。

 施設で寝るときは布団だったし、ベットなんてずっと昔に使ったきり。

 本当にここで寝ていいのか? 寝たら永遠に動けなくなったりしないよね?

 

 ポスン、と身体を投げ出す。

 微かに反発するがふんわりと身を包み、柔らかくて暖かい。

 いいにおいがする。 

 ホテル凄い、ネットカフェとは全然違う。

 こんな気持ちいい物知らなかった、もっと早くに借りていればよかった。

 

 正直長期滞在プランがあるとはいえ、一日おおよそ一万円もするなんて高すぎる気もしていた。

 だがその考えは撤回だ。

 これは借りてよかった。それこそもっとお金をためて一軒家を持つとかでなければ、お風呂まであるし、洗い物だけコインランドリーで済ませればいいのだから。

 

「さいこぉ……!」

 

 柔らかな布団に包まり、天井へ勝利のこぶしを突き上げる。

 

 よくよく考えれば賃貸なんぞ借りても、探索者として色んなダンジョンへ潜るのならただの足かせでしかない。

 その時々に合わせてホテルを借りる、そうすれば各ホテルの特色も楽しめるし、完璧な選択じゃないか。

 

 頑張って戦ってよかった。

 私は探索者になって初めて、心からそう思った。

 

 

 しばし布団でごろごろしていると、くうと腹が鳴る。

 

「あ……」

 

 そういえば今日はいくつかの希望の実と、剣崎さんと一緒に食べたミルフィーユくらいしかない。

 希望の実も随分と在庫が減っている。

 花咲ダンジョンで相当量拾って帰っていたのだが、麗しの湿地のはピンクの沼にずっと浸かっていたであろうしあまり食べたくないので、拾っていないからだ。

 一食分はあるが……折角だし、外食をしよう。

 

 うん、これは仕方のないことなのだ。

 希望の実の在庫が心もとないのだから、外へ食べに行くのは至極当然のこと。

 

 別に誰からか責められるわけではないのだが、ポケットに一万円だけを突っ込み、部屋を抜ける。

 

 何を食べよう、温かいものが良いな。

 春もだいぶ深まってきたとはいえ、短パンにシャツだと夜はやはり寒い。

 穂谷さんから不細工な猫の描かれたパーカーをもらっていてよかった。一応持ってきたそれを羽織ると、だいぶ寒さがましになる。

 

 ポケットへ手を突っ込み、あてもなくぶらぶらと夜の街を歩く。

 

 ふと目に飛び込んできたのは、ずいぶんとレトロなリヤカーに真っ赤な暖簾。

 らーめん、と手書きで書かれている。

 今時まさかこんな、それこそ教科書に載っているようなものが出てくるとは思いもしなかった。

 

 しかし丁度いい。

 ラーメンなんて学校の給食で妙に伸びた奴か、施設で出てきたちゃちい物しか食べた記憶がない。

 今日の夕飯はこれにしよう。

 見たことのない過去の情景が脳裏に浮かび、無意識のうちに頭上の暖簾を、意味はないが押しのけ席へ座る。

 

「ラーメンください」

「へいらっしゃい! 味は?」

「えーっと、じゃあ醤油で」

 

 若い男の人だ。

 ちゃっちゃかと茹で上がった麺のお湯を切り、あっという間にラーメンを作り上げていく。

 ナルト、ネギ、メンマ。そして分厚いチャーシューが一枚……

 

「これはおまけ。お嬢ちゃん可愛いからね!」

「え……いいの?」

 

 しかし正面からさらにもう一枚、チャーシューが追加された。

 

 本当にいいのか、視線を向ければニカリと白い歯を見せ笑う青年。

 いい人だ。

 無意識に笑みがこぼれる。

 

 醤油の香ばしい香りと、てらてらと水面を揺蕩う油。

 熱い湯気が立ち上り、夜風に冷えた頬をやさしくなでれば、唾液が口内にあふれる。

 胸いっぱいに良い匂いを吸い込み、ぱきっと割った箸を早速突っ込もうと

 

「おう、チャーシュー麺くれ!」

「よぉ、鍵一じゃねえか! 協会の仕事はどうだよ!」

「まあまあだな。危なっかしいガキがいてさ、心配で見てらんねえんだわ」

 

 したところで、横に既視感のあるやつが座ってきた。

 いがぐりの様にツンツンととがった頭、目つきの悪い三白眼。

 

「げっ、なんでお前ここにいんだよ!」

 

 こっちのセリフだ、ウニ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十五話

『……』

 

 互いに無言でラーメンをすすり……たかったのだが、あまり麺類を啜るのが上手くないのと、熱いので蓮華の上で小さいラーメンを作って、吹いてから食べる。

 

 えへへ、美味しい。

 

 多分魚介系のスープなのだろう。

 あっさりとしているが、決して手を抜いていたり、出汁をケチっているわけではない。

 魚の風味が鼻をくすぐり、舌の上でうまみが主張した後、くどくなりすぎる前に喉奥へ消えていく。 細めの麺ではあるがしっかりもちもちとしていて、スープとよく絡んでいる。

 メンマも歯ごたえが良いし、ふとすれば物足りなく感じてしまうスープを、とろとろのチャーシューが補っていて言うことがない。

 

 いい店だ、おいしい。

 

 設置されていた胡椒を振りかけてみれば、また一味変わる。

 華やかで刺激的な風味、ちょっとピリッとした辛さが食欲をあおり、次へ、また次へと箸が進む。

 

『ご馳走様』

 

 気が付けばスープまで飲み干していて、隣のウニとほぼ同時に丼を返していた。

 

「なに?」

「別に、何でもねえよ」

 

 こちらをじっと見つめ、何か言いたげなウニ。

 目つきが元々悪いので、まるで私を殺そうとしているようにも見える。

 もう少し柔和な表情を浮かべられないのか。

 

 何か切り出してくるかと思って少し待っていたのだが、何も言ってこない。

 こいつは苦手だ。

 何も用がないのなら帰らせてもらおう。

 

「あっ、ちょ、ちょっと待てって!」

「なに?」

「う……あ、アイスでも食いに行かね? 奢るからさ」

「えぇ……」

 

 去ろうとした瞬間、右手をグイっと引っ張られ止められる。

 

 ようやく口を開いたと思えば、この寒空の下アイスを食わないかという提案。

 話に誘うにしたってもう少し何かあるだろう、まあ乗るんだけど。

 

 

「ほら」

「ありがと」

 

 コンビニの端、全面ガラス張りの席に座り待っていると、横からウニが真っ白なソフトクリームを差し出してきた。

 

 受け取り、ぺろりと舐める。

 ひんやりとして甘い。

 店内は空調が効いていて暖かく、ラーメンで火照った体にアイスの冷たさが染み、案外心地よかった。

 

「なあ、協会の職員にならないか?」

 

 行きかう車のテールランプを目で追い、ウニが口を開いた。

 

「やだ」

「やだ、じゃねえよ! ……お前も聞いてんだろ、探索者は一年で三割は死ぬんだよ。特にお前みたいなソロはな。お前がどんどん強くなっていってるのは分かる、向いてるんだろうな。それでも……」

 

 筋肉にも一度誘われているが、断ったのをウニは知らないのだろう。

 いや、それだけじゃない。

 私がダンジョンで使い捨てられたことも、きっと筋肉はほかの人に教えていないのだろう。

 ムキムキピクピクな見た目に反して律儀な奴だ、やっぱりあいつは信用できる。

 

 しばしアイスを揺らし、逡巡するように口をパクパクするウニ。

 そういえばウニはキャベツを食べさせると、身が詰まって美味しくなるらしい。昨日見たネットニュースにそう書いてあった。

 果たして目の前のウニの口にキャベツを突っ込めば、もう少し目つきと態度が丸くなるのだろうか。

 

「俺さ、15の頃探索者になったんだよ」

「ふーん」

「興味なさそうだな……まあそれでな、色々あったんだがダチが死んでさ、俺だけが生き残ったんだよ。昔から力だけは強くてな」

 

 中肉中背な見た目のウニだが、見た目に反して筋力があるらしい。

 がむしゃらに武器を振って友人を殺した敵を倒して、そのまま逃げるようにその場を離れてから探索者をやめたと。

 それからダンジョンに入ろうとは思わないが、お前は死に急ぐみたいで見ていられないと。

 

 

 ……妙に最初からとげとげしかった理由は分かった。 一応私を心配して、やめさせようと画策していたらしい。

 へたくそか。もう少しかける言葉というものがあるだろうと指摘すると、ウニは眉をしかめて顔をそむけた。

 

 危ないからやめろ。

 安定した協会の仕事を仲介するし、それでいいじゃないか。

 言いたいことはわかる。でも……

 

「でも私は、ダンジョンを回るのが好きだから」

「……っ」

 

 未知のものと遭遇して、少し走っただけで疲れていた身体が強くなって、楽しかった。

 いつも何かに怯えていた私には、ダンジョンで命を燃やして戦うということが……でもほんとうに、それだけなんだろうか。

 

 ウニへ言い切ったはずの私の言葉なのに、それに強い確信は持てないでいた。

 私には今、私がどうしてダンジョンで戦っているのかわからなかった、

 

 私がダンジョンに潜るのは、現実逃避に近いのかもしれない。

 戦って、けがをして、普通の人として社会の歯車に上手く嵌まれなかった自分自身を、どこかゴミ屑のように扱うことで許されようとしているのかもしれない。

 いったい誰に許されようとしているのか、それは分からないけれど。

 

「はぁ……なんでそうなるかなぁ……」

「だめ?」

「ダメだけど俺が何言っても聞くつもりないだろお前……」

 

 コーンの先を口に放り込み、ガシガシと髪をかき回すウニ。

 長々とため息を吐き

 

「……死ぬなよ」

「忠告のつもり?」

「当たり前だろ!」

 

 一度死んでいる私には、あまりに今更な話だ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十六話

「むにゃ……」

 

 ふわふわで暖かいベッドの中、ただひたすらに惰眠を貪る。

 ぼんやりと霞む視界、壁にかかった時計が早朝を告げていた。

 

 あさ、朝かぁ……

 

「……ダンジョンいかないとっ!?」

 

 不味い不味い、もうこんな時間なのか!

 

 思考回路は完全に停止しているが、ここ二週間で慣れてしまった、夢半ばの状態で探索の準備を進める。

 服、カリバー、そして数の少なくなってきた希望の実。

 カリバー以外はビニールに包んで、リュックの中へと突っ込み……

 

 そこにあったお札を見て、そういえば今はそんなあくせく探索しなくてもよかったのだと思い出す。

 

 お金をいっぱい手に入れたのはいいが、正直何をしたらいいのか分からない。

 美味しいものはいっぱい食べたいが、果たしてお金が底を尽きるまで延々食べられるかといえば、それはだいぶ難しい。

 服でも買おうかと思ったが、あいにくと穂谷さんからもらった服があるし、すぐボロボロになるからダンジョンに着て行くことのできない以上、そんな沢山の洋服は要らない。

 

 するとなると……お金はあるが、何をしたらいいのかがわからない。

 

 我ながらつまらない人間だ。

 お金が欲しいと言いながらも、いざ大金を手に入れてみれば、さほど欲しいものが思い浮かばなかった。

 お金は最低限あれば、それ以上は要らないのかもしれない。

 

 あれだ。

 もし戦闘不能になって探索者をやめた時でも生きていく分のお金が貯まったら、あとは適当に寄付でもすればいいのかな。

 

 ふと目に入ったのは、リュックの中へ縦に突き込まれたカリバー。

 一応毎回汚れは落としているし、破壊不可なので新品のように輝いている。

 

「ダンジョン……か……」

 

 1万円だけ残して、あとのお金は全部部屋にあった金庫に放り込み、リュックを背負う。

 カリバーを握って手にポンポンとぶつけて、久しぶりの感触を味わう。

 一週間戦っていなかったが、ああやってウニに語ったせいだろうか、ダンジョンに潜りたい欲がむくむくと湧いてきた。

 

 それになにより、何もせずに一日を過ごすよりも、頑張った後のご飯の方がおいしいだろう。

 

 

「らっしゃーせー」

「これください」

「マチョチキサラダチキン味ですね、160円でーす」

 

 希望の実が心もとない数なので、今日の朝食はウニから聞いたホットスナックとおにぎり、そして今まで買っていなかったがペットボトルのお茶だ。

 昨日ファミリーマッチョにウニと訪れた時、こういった店は詳しくないから何かおすすめはあるかと聞いたらこれを推された。

 

 サクサクとしたチキンの食感、こんがりと揚がって香ばしい衣と刺激的なスパイスの刺激。

 油と濃い塩味におにぎりがよく合う。

 こってりとした口内をさっぱりとしたお茶、あと栄養が気になったので数少ない希望の実もついでに流せば、あっという間に食べ終わってしまった。

 

 いけるじゃないか、コンビニご飯。

 

 唇に残った油をペロリと舐め、おしぼりで指先を軽くぬぐう。

 ビニールにごみを詰め込み、ゴミ箱へ放り込んでふと思う。

 

 そういえばかつてはビニールなどのごみ処理に、世界中があくせくしていたらしい。

 今はダンジョンに埋めてしまえば、ものによって時間の差はあれどそのうち魔力へと変換されてしまう。

 電力から魔力への切り替えのため技術自体はさほど進んでいないが、ダンジョンの現れる前と比べて生きやすさは格段に上がっているのだろう。

 

 空高くへこぶしを突き上げ、大きくあくび。

 

 さて、今日からまた気合い入れて頑張りますか。

 

 

 ダンジョンへ行く前、なんとなしにステータスを開く。

 

「ステータスオープン」

 

―――――――――――――――

 

結城 フォリア 15歳

LV 117

HP 242 MP 575

物攻 229 魔攻 0

耐久 707 俊敏 778

知力 117 運 0

SP 60

 

スキル

 

スキル累乗 LV2

悪食 LV5

口下手 LV11

経験値上昇 LV3

鈍器 LV2

活人剣 LV1

ステップ LV1

 

称号

生と死の逆転

 

装備

 

カリバー(フォリア専用武器)

 

―――――――――――――――

 

「おお……」

 

 すると、なんかビビるくらいレベルが上がっていた。

 

 私が今行こうとしていたダンジョンは、もう潜り慣れたピンクなあそこ、『麗しの湿地』だ。

 だがこのレベル、ハリツムリのレベルすら倍上回っている今、次の段階へ向かうべきだろう。

 

 次の段階……そう、Fランクダンジョン。

 そしてここの近くにあるのは、私が一度殺された場所でもある、人型が多く存在する『落葉ダンジョン』だ。

 

 腕が震え、視界がぼやける。

 

 自分ではかつての状況を冷静に見れていると思っていたが、トラウマというものはそう簡単に消えてくれない。

 本当に潜っていいのだろうか、もしオークが斧を大きく振りかぶったとき、私は冷静に戦うことが出来るのだろうか。

 分からない。

 分からないけれど……立ち止まっていては、先に進めないことだけは分かる。

 

 ポケットに手を突っ込むと、最後の希望の実が指先に触れた。

 

 いけるさ、きっと。

 落ち着くためにいつも食べていたそれ、しかし今食べる必要はない。

 ただ軽く握りしめるだけ、それだけでも十分心は静寂に沈む。

 

 ここまで頑張ってきて、すべてを乗り越えてきた。 トラウマごとき、大した壁じゃない。

 『落葉ダンジョン』はFランクの中でも、難易度が最低レベルの物。その性質上多くの人が毎日潜っているし、『麗しの湿地』みたいに未確定な情報はほぼない。

 

 さあ、忌々しい過去の記憶を乗り越えよう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十七話

 落葉ダンジョンは私が初めて挑戦する、ダンジョンらしいダンジョンだろう。まあ二回目だけど。

 重厚な扉を抜ければ魔石のランプが壁に掛けられ、地下へどんどん進んでいくほどに強敵が現れる。

 私が頭をかち割られたオークはその中でも最底辺、レベル50程度。

 とはいっても当時の私からすれば絶望的なレベル差、まともに太刀打ちできるわけがなかった。

 

 ホテルを出たのは明朝、まだ入り口の扉前に人は少ない。

 

 入り口近くに設置された台、その上に置かれているのは簡易的な地図の印刷された紙。

 協会が用意したものだろうそれを一枚……一応二枚抜き取り、片方は折りたたんでリュックへ詰める。 こうやってみると相当広く、あちこちへとルートが分岐しているようだ。

 しかしその多くはマップの中心、地下へと続く階段へつながっているので、どの道を通るかなどはあまり気にする必要もあるまい。

 

 取っ手へ手を伸ばし……動きが止まる。

 本当に開けていいのか、私は……

 

 何度めか分からない逡巡。

 無機質な金属の冷気が、恐怖で血の気が引いた指先へ伝播する。

 目をつむり深呼吸、深々とした息衝き。

 

「よし」

 

 開いた瞬間、背中を押すように空気が雪崩れ込む。 緊張で火照った頬を風が舐め、肩の上で適当に切った髪の毛が風と戯れる。

 果たして鬼が出るかじゃがいもが出るか、まあ落葉ダンジョンには実際鬼が出るのだが、

 

 戦いへ身を投じる前に、レベルアップで入手したSPを『経験値上昇』へ叩き込む。

 

―――――――――――

 

経験値上昇LV3→LV4

 

必要SP:30

 

―――――――――――

 

『経験値上昇がLV4へ上昇しました』

 

 これで経験値効率は3倍から3.5倍、そして……

 

「『スキル累乗』対象変更、『経験値上昇』!」

 

―――――――――――――――

 

経験値上昇 LV3

 パッシブスキル

 経験値を獲得する時、その量を【×42.875倍】

 現在『スキル累乗』発動中 

 

―――――――――――――――

 

 LV2に上がった『スキル累乗』、その効果によって三乗された経験値補正は、膨大なものとなる。

 

 薄暗い通路、ランプの明かりに照らされたカリバーが私へ笑いかける。

 戦えるか……って? 勿論だ。

 私が歩みを止めぬ限り、カリバーだけは私のそばに寄り添い続けてくれる。

 相棒が一緒にいてくれるというのに、私が折れるわけには行けない。

 

 ◇

 

 通路を歩きながら、未体験の感覚に戸惑う。

 花咲、麗しの湿地とそのどちらも視界が開けたダンジョンだったので、こうやって制限された道を進む感覚に慣れない。

 しかしトンボの様に突然どこからか現れ襲撃されない分、これはこれで悪くないか。

 

「……っ!」

 

 ジャリ……ジャリ……と砂を噛む足音、ぼうっと明かりに照らされた巨漢。

 オークだ。

 その見た目からすれば奇妙に思えるほど鍛え抜かれた、筋肉の割れた腕を見ればわかる。

 二メートルほどの巨漢。突き出た腹はただ太っているのではなく、堅牢な筋肉の上に分厚い脂肪というクッションをかぶっているのだろう。

 

 壁に掛けられたライトの光を受け、粗末な出来の石斧が私を嘲笑う。

 また来たのかと、お前も学ばないやつだと。 

 

『グオオオオオオオッ!』

 

 向こうもこちらを見つめ、狂喜の雄たけびを上げた。

 

「ひっ……!」

 

 レベルだって圧倒的にこちらの方が上。

 そのはずなのに、なぜか足はすくみ、喉が引き攣る。

 人間がどれだけ扱い慣れても火を恐れるように、優位を理解していても、根源的な恐怖が私の身体を縛っていた。

 

 ドスドスと鈍重な音を立て寄ってくるオーク、滲んだ汗が首筋を伝う。

 

 目を逸らせない。

 私は、わたしは……!

 

『オオオオオオオオオオッ!』

 

「やっ……、やだ……っ」

 

 斧というにはあまりに武骨な石の塊が、私の身体をぐちゃぐちゃに叩き潰そうと、その牙を剥く。

 

 やっぱり来なければよかった。

 Fランクのダンジョンなんて無数にあるのだから、わざわざここでなくとも、多少遠出してでもほかの場所を選べばよかったのだ。

 だからこんな目に合う、だから二度、私はここで無様に死ぬ。

 

 トンボの飛翔と比べたら遅い一振り。

 それを避けるわけでもなく、オークへ攻撃をするでもなく……私はただ反射に従って、頭を守るようにカリバーを構えて……

 

 

 カンッ!

 

 

「……ん?」

 

 響いたのは、馬鹿みたいに軽い音。

 

 カンッ! カンッ! カンッ!

 

『ブモオオオオオオオオッ!!』

 

 私の目の前で汗だとか、唾液だとかを振りまき、必死に石斧を振り回しているオーク。

 だがバットへ伝わる衝撃はあまりにしょっぱく、冗談なのかと思ってしまう。

 

「『鑑定』」

 

――――――――――――――

 

種族 オーク

名前 アニー

 

LV 50

HP 200 MP 0

物攻 192 魔攻 0

耐久 326 俊敏 89

知力 7 運 13

 

――――――――――――――

 

 耐久特化のステータスだが、肝心の耐久も当然だが私以下。

 そこそこあるはずの攻撃力だが、私自身耐久特化なステータスの上、カリバーが破壊不可なのでただでさえ高い耐久力が、カリバーで受ける場合にはさらに跳ね上がっている。

 

 その結果、オークさんによる全力の振り下ろしは、めちゃくちゃ情けない音を立てて終わってしまった。

 

『オオオ?』

「……?」

 流石におかしいぞと、こちらを見つめ首をかしげるオーク。

 

 それに合わせこちらも首をかしげる。

 

 目と目が見つめあい……

 

「『スキル累乗』対象変更、『ストライク』」

 

 

 取り敢えず殴っとくか。

 

「『ストライク』ッ!」

 

『ブオオオオオオオオッ!?』

 

 輝くカリバーがその腹に突き刺さり、高耐久の上から致命的な一撃を食らわす。

 首を垂れ膝をつき、呼吸のできなくなった苦しみに喘ぐオーク。

 その首筋へ再度『累乗ストライク』を叩き込むと、彼は光となって消えて行った。

 

『レベルが上昇しました』

 

 

 オーク克服しました



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十八話

 しばしオークさんたちと戯れて分かったのは、今の攻撃力があれば『累乗ストライク』でなくとも、オーク相手に十分ダメージを与えられるということ。

 例えば前から歩いてきた二匹のオーク。

 

「『ステップ』! 『ストライク』! 『ステップ』!」 

 

 ストライク走法で一気に肉薄、横に力強く払われた斧、さらにはオークの肩を踏みつけ飛び越え背後へ。

 がら空きの膝裏へただのストライクを一撃。

 

 水袋が叩きつけられたかのように鈍い音、支えを失い崩れる巨体。

 ぶつぶつと荒れていてまばらに毛の生えた頭を追撃、瞬間、HPが0になりオークは姿を消した。

 既に数体これを繰り返していて、多少のパターンこそ変わるがさほど苦労もなく戦いは終わる。

 

 あれほど恐怖の権化だと、勝てるわけがないと思っていた存在は乗り越えてみれば、なんとちっぽけな相手だったのか。

 安心したというか、どこかあほくさいというか。 いや、はっきり言って今の私は乗り越えた興奮からか、普段よりだいぶ結構調子に乗っていた。

 

『レベルが上昇しました』

 

「ほら、仲間死んじゃったよ」

 

 カリバーを軽く回し煽れば、意味は伝わっていなくとも意図は十分理解したのだろう、醜い鳴き声を上げて突撃してくるもう一匹。

 はっきり言って瞬殺を狙うのでなければ、カリバーすら本当は使う必要がない。

 

 この攻撃すらなんならカリバーなしでも受け止められる……が、単に受けるのもしゃくだ。

 斜めに受け流され地面にめり込んだ斧、そこから伸びる腕。

 踏みつけ宙を舞い、体を思いきりひねって喉元を蹴り飛ばす。

 三角跳びの要領で壁、地面、そして最後に跪いたオークの頭を踏み潰せば、濁った叫びがこぼれて怪物は息途絶えた。

 

「ふふ、弱い弱い」

 

 鼻歌交じりに魔石を拾い上げ、ぽいぽいとリュックへ投げ入れる。

 既に数十個単位で集まっていて、ずっしりと重たいそれ。

 帰るか、なんてちらりと思考をよぎったが、落葉ダンジョンの推奨レベルは最大で300、奥に進めばもう少しレベルを上げられそうでもある。

 

 三乗にまで引き上げられた経験値上昇、そして加速するレベルアップによってスキルレベル自体もさらに1上げたので、戦うたびにレベルが上昇する快感。

 今日の分は十分集まったし、ちょっと奥を見に行くくらいなら全然問題ないだろう。

 

 スニーカーの紐を結びなおし、肩をぐるりと回す。

 入る前はなかなか憂鬱な気分であったが、慣れれば結構このダンジョンも悪くないじゃないか。 

 

 

 カツーン、カツーンと響く足音。

 

 真っ暗な階段を抜けて行けばたどり着いたのは、相も変わらず変わらない薄暗い通路。

 あの後地図を見つつしばし進んでいたのだが、オーク、オーク、たまにゴブリンとあまり面白みがなかった。

 ゴブリンは背も小さくオークより弱弱しかった。恐らく群れて強みが出てくるのだろうが、落葉の一階では基本単体で行動しているようで、カリバーで軽く殴れば死んだ。

 

 MPも有り余っているし、誰も拾っていないので希望の実も結構落ちている。

 食事の心配もないし適当に拾ったそれをかじりつつ、もっと奥へ進むことにした。

 

 一つ不満なのは、地面に砂こそあるが石ころがないこと。

 散弾として扱えるのはかなり便利なのだが、こうも見当たらないと今度から持ち込みを考える必要があるかもしれない。

 まあ相手のレベルが上がると、そもそも石屑程度でダメージを与えられない可能性もあるけれど……

 そういえば魔石を砕いたらどうなるのだろう。

 

 

 

 今まで考えたことがなかった。

 魔石はお金になる。貧乏人には売る以外の選択肢がなかったが、余裕が出てくればそういった考えも出てくるか。

 ウニが渡してきた銃の様に魔石を使って火を出したり、それらを解析して発達していった魔導技術がある以上、何の効果も示さないわけはないだろう。

 

 今度暇になったら、安全な場所で試してみよう。 ここで失敗して重傷負いましたなんて、笑い話にもならない。

 

 特にいうこともなくぶらぶらと歩いていくと、今まで見たことのない奴が現れた。

 曲刀とでもいうのか、大きく曲がった剣に、ボロボロではあるがしっかりとした皮鎧。

 見た目はゴブリン、だがこれはなかなか強そうだぞ。

 

「『鑑定』」

 

―――――――――――――――― 

 

種族 ゴブリンリーダー

名前 ソーナ

LV 103

HP 161 MP 70

物攻 291 魔攻 0

耐久 157 俊敏 239

知力 122 運 43

 

――――――――――――――――

 

 ほう……

 

 一階層潜っただけだが、一気に敵のレベルが上昇した。

 ステータスも相応に上がっていて、リーダーというだけあってステータスのバランスも良い。

 攻撃と速度特化であったトンボより攻撃力も高いので、油断すれば普通の人ならば手痛い反撃を食らうことになるだろう。

 

 まあ、私には関係のない話だが。

 

「ふっ」

 

 踏み込み軽く素振り、勿論これにみすみす当たるわけもなく、軽く後ろへ飛ぶことで避けられる。

 

 

 予想通り。

 相手からすればそれが全力か、或いは手を抜いた攻撃かは分からない。 

 なんたって私自身俊敏値が高く、はたから見れば素早い一撃に見えるだろうから。

 

 だからそれが隙になった。

 

「『ステップ』」

 

『ゴォッ!??』

 

「『ストライク』」

 

 後ろに焦って飛んだからだろう、ゴブリンリーダーは、さらに踏み込んできた私に対処しきれなかった。

 すれ違い、輝くカリバーに引っ掛け疾走。

 体重が非常に軽いのでそのまま横の壁に叩きつけると、ずるりと力なく落ち、消滅した。

 

『レベルが3上昇しました』

 

 他愛もない。

 

 ニヤリと笑みをこぼし茶色の魔石を拾い上げると、私はさらに奥へと足を進めた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十九話

 ゴブリンナイトが粗末な盾を振り回し私を牽制、奥からアーチャーが弓を射かけてくる。

 が、既にそこに私はいない。 

 

「じゃま。『ストライク』」

 

 『ステップ』で接近していたのだが、盾によって視界が遮られていたせいで気付くのが遅かったのだろう。

 最後に彼が見ていたのは、私がカリバーを振りかざす姿。

 

『ゴゲェッ!?』

 

 盾ごとひしゃげ、脳天が衝撃にシェイク。

 地面を舐めたその首筋を踏み潰し宙へ跳ね、こちらへ追撃を行おうと構えるアーチャーを、その弓ごと叩き潰す。

 手足に跳ねたゴブリンたちの血が同時に消え、戦闘は終わった。

 

『合計、レベルが5上昇しました』

 

「……ふぅ」

 

 第二階層の敵はゴブリンリーダー、ゴブリンナイトなどゴブゴブしている奴らばかりだった。

 どれも高い俊敏に加えて、リーダーは攻撃、ナイトは耐久と割り振られており、本来強敵といえる存在ばかり。

 しかし私のレベル自体加速的に上がっている今、さほど苦労する相手ではなかった。

 

 ちょっと強くなりすぎたかな。

 

 今までが苦戦続きだったので、こうもあっさり敵を倒してしまえるとつまらない。

 特にひどいのが『累乗ストライク』で、ゴブリンナイトの堅牢な盾の上からでも容易に倒せてしまえる。

 

 どさりとリュックを下ろし魔石を積み込もうとして……すでにパンパンに詰まっているのを思い出す。

 流石にゴブリンの魔石よりアーチャーやナイトの方が高いだろうし、入りきらない分は適当に壁へ投げつける。

 もったいない気もするが、ダンジョンが溶かしてくれるだろう。

 というかあれだ。好奇心からダンジョン奥に進んでいたが、流石に魔石が持ちきれなくなったのなら、おとなしく帰った方がいいだろう。

 

 微かに残ったペットボトルのお茶をぐいと飲み干し、私は踵を返した。

 

 

 

 

 帰ってきたらもう空が随分暗く、協会にも人が溢れていた。

 地下なので時間感覚があやふやだったのだが、どうやら随分と長い時間潜っていたらしい。

 

 どれだけのお金になるのかワクワクする。

 ダルそうな顔をしているウニの前でリュックをひっくり返し、どさどさと魔石を転がしどや顔。

 目を真ん丸にしてビビってるウニの顔を見るだけで笑える。

 

「……二十三万五千円だ」

「ん」

「ちょっと待てお前」

 

 二十万!?

 

 口から零れそうになった言葉を抑えこむ。

 本来四人か五人で潜るのでもらえる分は減るのだが、私の場合ソロなので全取りなのもあるのだろう。

 今日も稼ぎが大金だった。

 

 内心本当に受け取っていいのか震えつつ、表面上は冷静に振舞っていたらウニに腕を掴まれる。

 

 

「姉ちゃん、ちょっと受付変わって!」

「もう、キー君協会では美羽さんでしょ!」

「悪い頼んだ! お前はちょっとこっちこい!」

「離せウニ、なにするんだ」

 

 ぐいぐいと腕を引っ張られ、ギルドの奥へと連れていかれる。

 振り払おうと腕を回したのだが、以前本人が言っていたように妙に腕力が強く、三桁レベルを達成した私ですら抵抗が出来ない。

 しぶしぶついていく。

 

 奥にいたのは筋肉、なにかパソコンをいじっている辺り協会の仕事だろう。

 筋肉と電子製品、果たしてここまで合わないものがあるだろうか。

 カレーにケーキを乗っけるくらいミスマッチ過ぎて、変な笑いが出てきそうになる。

 

「あ、剛力さん。こいつの協会預金作りたいんですけどいいですかね?」

「あん? 別に構わんが……そこまでお嬢ちゃんの稼ぎ多くないだろ」

「それがもう落葉の二階層まで潜ったっぽいんですよ。無理はすんなって昨日伝えたばっかなんですけどね」

「ほぉ……」

 

 探索者は最初の一年で三割死ぬが、その多くはGランクの50レベルからFの100レベル辺りだ。

 なぜかというとそこらで一気に相手の行動が幅広くなり、集団で押しつぶしていた探索者は歯が立たなくなるから。

 この前のハリツムリだってそうだ。私がソロだからあんな戦い方できただけで、もし物理攻撃手段しかないパーティなら即壊滅していただろう。

 

 まあ、私は勝ったんだけど。

 

「100レベルに一か月で到達か……まさかそこまで早く成長するとは、流石先生の……」

「先生?」

「じゃあこれ書いといてくれ」

 

 先生とは一体何なのか、私の言葉を遮って何かを取り出す筋肉。

 

 ポンと胸元へ押し付けられたのは一枚の書類。

 裏になんかあれこれと契約だなんだと書かれているが、見ていて頭が痛くなる。

 渋い顔をしていたのが分かったのだろう、横のウニが私から奪い取り概要を説明してくれた。

 

 協会預金とは魔石を売ったりしたお金をすべて預金しておけるシステムで、税金など細々したものを全部自動で支払ってくれるらしい。

 私の様に住所不定で探索者になるものは多いが、そういった人々は税金の支払いなどが適当で問題が噴出したので、国営の協会側が一括で管理するようになったとか。

 探索者は一般人と比べて身体能力が飛びぬけているので、暴力に走った時の被害もデカい。

 

 面倒事を生み出して事件が起こるよりも、多少の手間をかけて未然に防ぐほうが効率的だと、筋肉は肩をすくめた。

 

 国もちゃっかりしているな。

 事件を未然に防ぎつつ、搾れるところからはしっかりしぼっているわけだ。

 

 まあ私は税金のあれこれなんて分からないし、勝手にやってくれるならそれほど楽なものもない。

 書類に名前や性別、年齢を書き手渡すと、今度は協会のプレートを出すように言われる。

 

 リュックの奥底から引っ張り出し渡すと、端っこに大き目な穴を開けられてしまった。

 そこに何やら変な紫の宝石をつけ、血を垂らせば登録は完了だと告げられる。

 

 紫の宝石は光に照らすと複雑な文様が見えるが、内部に複数の魔導集積回路が刻まれており、血の登録による魔力の波長を読み取って本人確認を行うことで、かつての暗証番号式よりも高度なセキュリティを……長々と説明されたがつまり、私以外には使えないクレジットカードだということだ。

 

 便利だ、すごい。

 

 取り敢えず言われるままに針で血を垂らし、ぼうっと宝石が光れば登録は完了。

 協会がある街なら大体使える、落としたら作り直すのに金がかかるぞと脅されて話は終わった。

 端っこにもう一つ穴を開けてもらい、貰った紐で首に垂らすよう指示される。子ども扱いされている気がするが、落とすのも怖いのでおとなしく従う。

 

 ついでに登録料を十万円も毟られた。

 お金がかかるなら最初に言っておいてほしい、ウニがすまん忘れてたと頭を下げる。

 許す。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十話

 プレートが便利な財布に進化した後、私は協会の図書室へ訪れていた。

 

 Fランクの魔石は、勿論レベルによるとはいえ、使い捨ての電池代わりに使われることが多い。

 軽く火を付ける程度ならスライムの魔石でも相当持つし、流石に風呂一杯の水を出すとなれば一発でなくなってしまうかもしれないが、使い終わった魔石はチリになり風に溶ける。

 要するにゴミが出ない。

 こんな理想的なエネルギー源人類が飛びつかないわけもなく、世界各地で開発が今も進んでいる。

 

 だから高く売れるし、探索者は儲かる。

 

 そんな素敵素材を今から私は敵へ叩きつけ、ましてやぶっ壊そうと目論んでいるのだから、自分でも正気とは思えない。

 とはいえお金自体は容易に確保できるようになった今、そんな狂気の沙汰に身を投じるのもやぶさかではない。

 

 ぺらぺらと魔石に関する本をめくっていけば、四冊目にしてようやく見つけた。

 魔石の耐衝撃性と破損時の危険性について……要するに壊れたらどうなるかってことだ。

 

 魔石の耐衝撃性と破損時の危険性について

 

 

 現在生活に深く浸透している魔導力学ではあるが、その多くが魔石によって補われているのはご存じの通りだろう。

 特にFランクの魔石は最も流通しており、手軽な……

 ……ここで普段魔石を研究している我々が注意すべき点を……

 以下の表を見てもらえば分かる通り、魔石による衝撃波というのは、各石に保有される魔力に比例して……

 ……また魔石は属性による指向性を示すため、純化していない魔石を破壊した場合、空間に滞在する魔力を消費して各属性の原始的な魔法を発揮することが……

 

 ……見ていると頭痛がしてくる。

 どうして論文だとかの類はこうも長々と書くのか、私にも一発でわかるように書いてほしい。

 

「あー……」

 

 なんか要するに、ぶつかって砕けたら爆発するし、属性によって火が付いたり凍ったりするらしい。

 まあそもそも魔石は、一般人が全力でアスファルトに叩きつけた程度では壊れないのだが、レベルの上がった私なら別だ。

 あと発生する爆発の威力は魔石に溜まってる魔力量で決まるらしい。 

 

 これを読んだ私は……

 

「……やれば分かる!」

 

 色々放り投げた。

 

 下手したら手元で爆発して大変なことになるが、うまく使えば手ごろな爆弾として使えるわけだ。

 しかもこれ、魔力量によって左右されるということはつまり、魔法ダメージとして期待できるのではないだろうか。

 魔法が使えない、というより使ってもダメージの低い私にとって、これは存外の事実であった。

 

 今すぐにでも試したい、爆発させたい。

 けれど魔石は先程全部うっぱらってしまった、不覚だ。

 今からダンジョンに向かって魔石を取りに行くのもありだが、流石に空も真っ暗だしなぁ……

 

 今日は帰ることにしよう。

 

 

 というわけで今日訪れたのは『麗しの湿地』。

 『落葉ダンジョン』と悩んだのだが、あちらは地下ダンジョンというのもあって、爆発の威力が高かった場合下手したらこちらまで被害を被る。

 その点を考えるなら、広々とした沼地の方がいいだろう。

 

「ふんっ!」

 

 ピンクナメクジの胴体をカリバーで殴り飛ばすと、以前は弾き飛ばされていたが、圧倒的レベル差もあって大きく吹っ飛び、そのまま消滅する。

 

 ふふん、弱い弱い。

 ナメクジごときが私に勝てると思うなよ。

 

 酸なんて使う必要もないし、ストライクも不要。 格下のダンジョンで戦うことのなんと楽なことか。上のダンジョンへ挑むのをやめ、魔石回収だけで生きていく人の気持ちもわかる。

 魔石を拾い上げ、10を超えたあたりで回収を終える。

 

 今日の目的は魔石を集めることではなく、魔石を叩きつけること。

 

 しばし奥へ進んでいくと巨大な蓮が乱立し始める、ヤゴやトンボが多くあらわれるエリアだ。

 ここで魔石を一つ上に投げ

 

「『ストライク』!」

 

 まずは軽く一発目、ストライクを受けぐんぐん距離を伸ばしながら、沼へと向かう。

 ここからでも罅が入り、スキルが発動するときのようにそこから光がこぼれるのがわかる。

 そして水の奥底へと沈んでいった……

 

 何も起きないのか。

 

 落胆。

 想像だとド派手に爆発するのかと思ったが……と、その時。

 

 ドンッ!

 

 決して派手ではない、ともすれば聞き逃してしまいそうな破裂音。

 緩慢に水が揺れ、暫く待っているとぷかーっと、何匹ものヤゴが浮かび上がってきた。

 光になって消えないので、死んではいない。恐らく気絶しているだけであろうヤゴたちが、次から次へと水上に浮かび始める。

 

 なんだっけこれ……パチンコ漁?

 

 確かそんな名前だったはずだが、衝撃波によって水中のヤゴたちが一気に気絶したようだ。

 水のせいもあってそこまで派手ではなかったが、ナメクジの魔石でこれなのだから結構使えそうだ。

 やばい。

 自分でいうのもあれだが、私は天才かもしれない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十一話

 魔石の実験も終わりお腹もすいてきたので、帰ることにした。

 初めの頃はびくびく乗っていた電車だが、今では慣れたもの。

 流れるように切符を買って、華麗に搭乗だ。

 

 とろけるように後ろへ流れていく木々、遠くで空へ伸びる人類未踏破ダンジョン『蒼穹』。

 

 あ、ピザ食べたい。

 

 

 青は食欲を減退させる色だというが、運動後でおなかの空いていた私には真逆であった。

 後ろに『とろけていく』木々といい、空へ『伸びる』蒼穹といい、ピザを食べたい欲が刺激されるだけ。

 一度思考がそちらへ向いてしまえばそれしか思い浮かばない、ピザだピザ、ピザを食べよう。

 ピザトーストなら施設で出たが若干冷えて固まっていたし、丸くて大きなピザなんて食べた記憶がない。

 

 きっとこれは昨日部屋に備え付けられていたテレビを見たのも、多分に影響しているのだろう。

 とろりととろけるチーズ、分厚い生地を口いっぱいに頬張るCMの俳優が思い出される。

 あ、でもどうやって頼もう?

 

 

 

 結局ギルドで話をしたらどうせ昼間は人が来ないからと、電話を借りるついでに皆で昼食にすることになった。

 頭割りするか? といった流れにもなったが、ここは私が払うことに。

 初めて筋肉に出会ったとき一万円を貰ったし、そのおかげで今の私がいるようなもの。

 恩返しというにはいささか俗っぽいが、たまにみんなで食事するときくらい私が奢ってもバチはあたらないだろう。

 

「ほら」

「ん」

 

 ウニは私に奢られることを最後まで渋っていたが、携帯を借りることでどうにかなだめた。

 前は目つきや態度が悪いとウザかったが、今は今で融通が利かなくてウザい。

 

『はい、ピザマッチョです!』

「えっと、ピザください」

『はい! 注文はお決まりでしょうか!』

 

 あ……そうか、どんなの頼むかも決めないといけないのか。

 困った、どんなものがあるか分からない。

 

「お任せで良いんじゃないか?」

「じゃ、じゃあ一番人気の奴お願いします」

『一番人気はタンパクMAX四種のアソートピザですね!』

「うん、それの一番大きいサイズください」

『耳までソーセージや耳までチーズはいかがですか?』

 

 耳までチーズやソーセージ……!?

 え、どういうことなの……?

 耳の中にアツアツのソーセージやチーズを突っ込まれちゃうのかな、流石にそれは嫌だ。

 

『最後まで楽しめると大好評いただいております!』

「人気なの……!?」

『左右の耳に半々でチーズとソーセージを入れられる欲張りセットもありますよ!』

「右耳と左耳にチーズとソーセージ……!?」

 

 そんなのが大人気だなんて、日本人疲れすぎじゃないか。

 

『いかがでしょうか?』

「あ、じゃあそれで……」

『サイドにドリンクとポテトとチキンと……』

 

 結局ごり押しされて全部頼んだ。

 

 

『かんぱーい!』

 

 ソーセージや鶏肉、ステーキの細切れなどタンパクMAXの名前だけあって、肉、肉、肉って感じのピザ。

 しかし甘辛いソースや、酸味のきいたトマトソースなどそれぞれ味がしっかりと考えられていて、決して飽きることはない。

 しかも端っこの余った生地の部分、何もないのかと思いきやソーセージやチーズが詰まっていて、最後までたっぷり楽しめる。

 

 うまい……!

 

 想像通り、いや、想像以上だ。

 なんかよくわからない葉っぱが乗っているが、それも爽やかな香りがして良い。

 これはいい物だ。月一くらいでピザパーティー開こう、今決めた。

 

 ピザに舌鼓を打っていると、筋肉が寄ってきた。

 

「おう、ごちそうさん」

「うん」

「コーラ飲むか?」

 

 コップを手渡すとなみなみと注がれる黒い液体。

 グイっと飲み干せばすっきりと爽やかで甘酸っぱい、脂っぽくなった口内を流す。

 

 そういえば今まで筋肉と会うときは、大体何か質問するときだったので、こうやって近くにいるのに何もしないのは不思議な気分だ。

 どうして筋肉はここのトップをしているのだろう。 彼の筋肉や普段の様子を見ていれば分かる。こいつはめちゃくちゃ強い、それに探索者はレベルアップで多少の衰えは無視できる。

 わざわざ稼ぎの減るトップなんてやる必要がない。

 

 と、気になって聞いたが、彼が浮かべたのは苦い顔。

 まあわざわざやっているのだから、何らかの理由があるのだろう。

 別に気になる程度で、無理に聞く必要もない。

 

「あ、見てキー君! フォリアちゃん笑ってるわ!」

「痛っ、見えてる見えてる! 姉ちゃんレベル高いんだから叩くなって!」

 

 ポテトをつまんでいると、ダブル園崎が何やら叫んでいた。

 

 ダブル園崎と筋肉、そして私。

 のんびりと焚火を囲んではピザやポテト、チキンを炙ってのんびりの昼食。

 楽しい。

 施設を出た時はバイト詰めが一番で、死ぬ危険がある探索者なんてすぐに辞めるつもりだった。

 けどこうやって誰かと笑えるのなら、探索者を続ける選択は間違いじゃなった気がする。

 

「そういやお前、ポーションは持ってんのか? 金に余裕が出てきたなら買っとけよ」

 

 ウニが焚火を消しながら言ってきたそれで、そういえばポーションをこの前使ってしまったことを思い出す。

 あの時買ったのは最低レベルの物だったが、今ならもう少し良い品質のが買えるだろう。

 一本あるだけでも緊急用として使えるし、できる限り高品質のを買っておいた方がいいか。

 

 どこかでいい物が売っていないか聞くと、ここからちょっと離れたところに、協会で買い取ったものを卸している場所があるらしい。

 以前行ったときはそんなところ分からなかったと伝えれば、協会に所属してる人以外には紹介していないから当然だと、ウニはあきれたように首を振った。

 

 ポーションはどんな傷でも治すが、魔力を保持していない人間、つまりダンジョンに潜ったことのない人間には一切の効果がない。

 あくまで体内の魔力に働きかけ、治癒能力を増幅することで体を治しているのだとか。

 実は回復魔法も同じ仕組みだとか。そういえば確かに、協会に加入する前は回復魔法を受けたことがなかった。

 そういう事だったのか。

 

 しかしそれを知らない人は何でも買い占め、転売したり、どうして効かないんだと怒鳴り込んだり、案外大変らしい。

 お前が買ったのは転売した奴をさらに薄めた奴だろうな、呆れたように笑うウニ。

 

 なんと。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十二話

 朝。

 一杯の水を飲み、希望の実を食べようとリュックを漁って……

 

「あ……」

 

 昨日の夜最後の一つも食べてしまったのだと思い出した。

 

 思えばこの一か月間、私の探索者ライフは希望の実から始まって、希望の実に支えられてきたといっても過言ではない。

 心の支えとしても食べていたし、単純に貴重な栄養源としても食べてきた。

 普通の人のガムだとかたばこみたいなもので、とりあえず口に含む生活を送ってきた結果……

 

「うあー……取りに行くか」

 

 若干依存みたいなものが入っていた。

 

 いや勿論希望の実に依存性などは確認されていない。第一依存性なぞあったら、次遭難したら食べずに死を選ぶなんて言われないし、そのおぞましい不味さをどうにかする手段も確立されているはず。

 しかし一か月食べることがルーチンワークだったせいで、こうやってなくなってしまえば極度の不安に襲われてしまうのだ。

 

 現状私が知っているダンジョンは三か所。

 花咲、麗しの湿地、そしてトラウマを克服した落葉だ。

 しかし麗しの湿地に落ちている奴はちょっと食べたくないし、落葉に行くなら希望の実よりも、魔石を優先的に詰め込みたい。

 

 となれば答えは一つ、花咲ダンジョンに向かおう。

 リュックに入っていた着替えをポイポイと抜き、空っぽに。

 たっぷり採取して、今後も切らさないようにするのだ。

 そして最後、カリバーを一応突き刺して、協会のプレートだけ首に垂らして準備完了。希望の実をたくさん食べるための採取という、恐らくこの世の中に私以外存在しえない特異な存在が誕生した。

 

 

 壊れかけの扉をがたがたと鳴らし、どうにか件の店へ入る。

 中には一人の男が、ライトの元のんびりと本を開きつつ、茶菓子をつまんでいた。

 ここに来たのは他でもない、ポーションを買うため。

 勿論花咲ダンジョンで希望の実狩りもするが、どうせなら一緒にポーションも買ってしまった方がいいだろう。

 

「やあお嬢ちゃん、お使いかな? スーパーならここから……」

「ん」

「ほう……既に預金へ加入、か。ごめんよ、注文は?」

 

 早い切り替えだ、楽でいい。

 

 ここの店主だという眼鏡をかけた茶髪の青年、古手川さんがにっこりとほほ笑む。

 筋肉に聞いた店はもはや店という体を成しておらず、ただのボロイ民家であった。

 なるほど、確かにこれなら知らなければ店に入ってくることもないだろう。

 

 しかし安全という点ではどうなのか、泥棒に入られたら根こそぎ持っていかれそうだ。

 そう聞けば古手川さんは笑みを浮かべ、聞きたいかい? と囁く。まあ当然ダンジョンを牛耳っている協会が絡んでいるのに、何も準備していないわけがなかった。

 別に興味もないので断り、店内の物色を行う。

 

 見たことのないモンスターのドロップアイテムや、使いにくそうな武器、そしていくつかの指輪。

 透明な冷蔵庫の中には赤い液体、ポーションの類が当然完備されている。

 

 はて、ポーションは冷やさないといけないのか。

 

 私の告げた疑問へ、古手川さんは眼鏡をきらりと輝かせ、その必要はないと告げる。

 見た目がそっちの方がいい、僕銭湯に売られてるコーヒー牛乳が好きなんだよねとドヤ顔。

 どうでもいいこだわりだ。協会はこんな奴に重要そうな店を任せていいのか、予算無駄に使われてるぞ。

 

 経営は適当だが品ぞろえ自体はよく、見たことがないほど濃い色のポーションもたっぷり完備されている。

 ほとんどはダンジョンで買い取ったものだが、時折研究室の方から人工的に作られたものも卸されるそう。

 前回のポーションは粗悪品だったらしいが、それでも効果は確か。なければ今の私はいなかっただろうし、今回は奮発して五十万するのを一本だけ買った。

 名をドラゴンブラッド、上等な深紅。光に翳せば魔力が多いのか、反対側へ通さないほど濃いのに、不思議ときらきら輝いている。

 

 

 

「ありがと」

「これからもごひいきに、ね」

 

 突然両目を何度も瞬かせる古手川さん。

 何がしたいのかと思えばウィンクか、出来てないけど。

 

 

 小さな金属製の扉。

 これを潜り抜ければ、あの花咲ダンジョンになる。

 不思議な気持ちだ。

 

 初めてここへ潜ったときは何も知らず、ただ必死にスライムを殴ってばかりいた。

 今も殴ってばかりな気がするが、身を取り巻く環境も、そして経済状況も随分と良くなった。

 そして今度は生きるためではなく、趣味(?)の希望の実を集めるためにここへ訪れることになるとは、卒業だと頭を下げたあの時の私には想像もつかないだろう。

 

 そうだ、先生にも会いに行こう。

 ヒットアンドアウェイ、ソロ戦闘のイロハを教えてくれた壁な彼。

 お腹をぶん殴られたときはあまりの激痛に視界がチカチカしたが、今ならまた話は別。きっと直撃を受けても、ちょっと痛いな程度で済んでしまうだろう。

 

 小さな吐息、ひんやりと冷たいドアノブへ手を伸ばし……

 

「ダメですよ! 小さい子はダンジョンに入るなんて、危ないですからね!」

 

 脇の下からひょいと抱き上げられ、遠ざかるドアノブ。

 

 また面倒そうなやつが来た気がするが、持ち上げられてしまっては仕方がない。

 後ろを振り向くと一人の女が、にこにこと何が面白いの笑顔を浮かべていた。

 

「誰?」

「あたしですか? あたしは泉都琉希(せんと りゅうき)です! 琉希お姉ちゃんと呼んでもいいですよ!」

 

 

 離せと伝えれば、割とあっさり地面へ戻された。

 しかしダンジョンに入ろうとするたび道をふさがれ、危険だから駄目です! と目の前でバッテン。

 ウニがさらにめんどくさくなったような性格だ、一応私の心配をしているようではあるが。

 

 琉希は学費を払うために今日からダンジョンへ挑むつもりだと、胸を張ってプレートを見せつけてきた。

 ちなみに十五歳らしい、タメじゃないか。

 恐らく人当たりがよさそうとでもいうのだろう、そういった雰囲気をまとっている。

 足元へ乱雑に置かれた小型のチェーンソーがなければ。武器になるものを探して倉庫を漁っていたら、偶然見つけたらしい。 

 

 お前まさか、それでダンジョン潜る気か。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十三話

「えっ、フォリアちゃん15なんですか!?」

「ん」

「じゃ、じゃあ誕生日は……」

「四月一日」

「私は三月三十一日です! やっぱり私の方がお姉さんですね!」

 

 ……うざ。

 

 面倒だったので泉都に協会のプレートを叩きつけると、それはそれで凄まじく慣れ慣れしくなった。 一人で潜るのは寂しかっただの、一緒に潜りましょうだの、聞いてもいないことを勝手に話しては、いつの間にか一緒に潜ることが決まってしまった。 一々抱き着いてくるのも暑苦しい。

 

 構うとより一層ヒートしてきそうだったので、無視して花咲に入ることにした。

 取り敢えず今日と明日の分程度を確保したらさっさと退散しよう、そう心に決めて。

 

 軽い……いや、軽く感じる扉を開き、あの見慣れた草原へ足を踏み入れ……

 

「……っ!?」

「わあ……! 花咲なだけあって、本当にお花畑なんですね!」

 

 広がっている景色に目を疑う。

 

 泉都の言う通り、かつての青々とした草原の姿はどこにもなく、一面に咲き乱れる花、花、花。

 鮮やかな緋が巨大な絨毯の様に、どこまでも広がっていた。

 私が入ったのは春先であったので、もしかしたらまだ開花時期ではなかったのかもしれない。

 いや、そもそもダンジョンに季節の概念があるというのが、ここ最近で一番の驚きだが。

 

 もしかしてこの花々が希望の実をつけるのかと思ったが、どうやらそういうわけではなく、葉っぱを押しのければ相も変わらず希望の実は転がっていた。

 本当に謎だ、謎の種だ。

 モンスターの餌にでもなっているのかと思ったが、モンスターが食べているという報告も今のところないらしい。

 

 

「あ、ステータス出ましたよフォリアちゃん! 見てください! ほら!」

「……『鑑定』」

 

 見てくださいと言われても、ステータス欄は開いたところで他人からは見えない。

 本来は確認をとる必要があるが、今回は本人も見てくれと言っているのでいいだろうと、『鑑定』を使わせてもらう。

 

―――――――――――

 

泉都 琉希 15歳

LV 1

HP 11 MP 13

物攻 4 魔攻 17

耐久 8 俊敏 5

知力 4 運 99

SP 10

 

―――――――――――

 

「……!?」

 

 運99……!?

 

「どうですか! スキルも一つついてましたよ! 回復魔法だそうです!」

 

 回復魔法……!?

 私なんて悪食と、デメリットでしかなさそうな口下手しかなかったのに……!?

 

「ふ、ふーん……普通かな。私は二つあったし」

「ええっ!? すごいですね!」

 

 泉都のどこまでも純粋な言葉が心に突き刺さる。

 いいもん、私には『スキル累乗』があるし。

 別にレベル一のステータスがどうだからといって、この先に大きな変化が訪れるわけでは、ないとは言えないが、すべてが決まるわけではない。

 これは決して嫉妬ではない、純然たる事実だ。

 ……本当だ。

 

 それにしても花が伸びているせいで、スライムがどこにいるかもわからない。

 どうせ今日はモンスターを狩る気がないからどうでもいいが、これなら泉都もここではなく、ほかのGランクダンジョンに潜った方がいいのではないか。 いや待て、なぜ私が他人の心配なんてしているんだ。放っておけば勝手に、そのうち飽きて帰るだろう。

 

 黙々と希望の実を集めていると、後ろから視線を感じた。

 泉都だ。

 何が楽しいのかずっとこちらを見て、にこにこ笑っている。学費を補うために探索者になったのなら、私を観察なんてしていないで早くレベルを上げろと言いたい。

 

 ……希望の実を無理やり食わせて追い払うか?

 

 邪な思考が過ぎるが、頭を振って考えを振り払う。 どうにもこいつが近くにいると、考えが変な方向へ飛んでいく。

 

 

「何集めてるんですか?」

「……希望の実」

「私も手伝いましょう!」

「その必要はない」

 

 断ったというのに勝手に横にしゃがみ込み、希望の実を拾ってはこちらへ手渡してくる。

 

「これ何に使うんですか?」

「食べる」

「食べるんですか!? どれ一つ……ふむふあ゛っ、ま゛っ」

 

 口へ突っ込む前に勝手に、それも数個一気に口の中へ放り込み、勝手に悶絶を始める泉都。

 今までにないパターンの人間だ。

 何を考えているのかが全く分からない。甘い言葉ですり寄るでもなく、お姉ちゃんだと言いながら情けない姿ばかり、新手の宇宙人を見ている気分になる。

 

「あ、フォリアちゃん笑いましたね!? もぉ……!」

「勝手に食べたのはそっちのほう。私は味について一切言及してない」

「そんなぁー……」

 

 情けなくへにょりと眉を歪ませる泉都。

 その背後に蠢く影、姿の見えなかったスライムだ。 騒ぐ泉都の声を聞きつけて寄ってきたのか。いやまて、スライムが能動的に襲ってくるなんて聞いたことがない。

 

 脳裏に疑問が浮かんだその時、スライムがぴょんと軽く飛び掛かった。

 

「はれ……? からだ……が……?」

 

 泉都が、二つになった。

 

「は……?」

 

 冗談みたいに血を飛ばし、ゆっくりと倒れていく下半身。

 千切れた上が私の手元に転がって、茫然とこちらを見つめている。

 

 ありえない、こんなの絶対に。

 だってスライムでしょ? 確かにレベル一でバットだと倒すのに時間かかったけど、そんな、人を襲って、あまつさえ身体を真っ二つ……?

 

 悪い夢でも見ているようだ。

 だってさっきまで笑ってて、そこに確かにいて……

 痙攣だけを残して、血だまりに沈む足。

 それを食おうとしているのか、ゆっくり、ゆっくりと近づきのしかかる、透明の物体。

 

 なんなんだ、『あれ』は。

 

 私の知っている『スライム』じゃない……だってここはGランクダンジョンでしょ……?

 

 

「泉都……? ね、ねえってば……」

 

 

 何か伝えようと口を動かすも、何も聞こえてこない。

 だめだ、このままだと死んじゃう……なおさないと……そうだ、朝買ったばかりの

 

 

「ぽ、ぽーしょん……!」

 

 震える手でリュックからポーションを取り出し振りかけるが、何も起こらない。

 既に彼女は事切れていた。

 何が起こったのかもわからず、間抜けな面を晒して。

 

 一体何が起こったんだ。

 だってここはただのダンジョンだったはずで……

 いや、違う。

 気付いていたのに、見逃していた自分の察しの悪さが嫌になる。

 ダンジョンの様子が普段と異なるなんて、原因は一つしかないじゃないか……!

 

 

 起これば町一つが滅びる『ダンジョンの崩壊』、その兆候に決まってる。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十四話

 何度も触り、慣れたはずの真っ赤な液体。

 ねばつき絡みつく感触はなぜか、不気味なほどの違和感を伝えてくる。

 手の中で冷たい肉塊へと変わる泉都を抱きしめ、茫然と目の前の怪物を見る。

 

 何なのだ、あのスライムは……!

 

 彼女の血を浴び、てらてらと輝くスライム。

 いや、本当にスライムなのか、あの化け物は。

 私の知っている奴らは弱く、レベル一が体当たりされようとちょっと痛いだけ。

 こんな、こんな簡単に人を殺すなんて……!

 

「か……『鑑定』っ!」

 

――――――――――――――――

 

種族 バイティングスライム

名前 ガッツ

LV 200

HP 347 MP 234

物攻 723 魔攻 0

耐久 377 俊敏 201

知力 257 運 33

 

――――――――――――――――

 

 200……!?

 

 冗談だろう、そう言ってほしい。

 

 天を仰いで、自分が今見たものがでたらめだと、何度も暗示をかける。

 だってここはFランクの、しかも最低レベルのダンジョンだぞ。

 ありえない、こんなのあってはならないだろう。

 

 しかし現実は非常で、その数字が変わることはなかった。

 

 もっと私が早くに異常を察知していたら……もしかしたら、泉都は死ななかったのかもしれない。

 後悔が押し寄せる、しかしもう遅い。

 手の中にある(・・)泉都の亡骸が、私を責めるように見つめていた。

 

 ……逃げないと。

 このダンジョンから逃げて、自分より強い存在に危険を提示しないと。

 200なんてのがうじゃうじゃいるのなら、生きて出られるわけがない。

 誰でもいい。筋肉でも、剣崎さんでも、穂谷さんでも誰でもいいから、レベルの高い人を呼ばないと。

 

 幸いにしてスライムは目が見えないらしく、生きている私よりも、目の前へ転がってる泉都の下半身に夢中だ。

 肉を食み、じっくりと溶かしている。

 俊敏は私の方が高い、距離さえ開ければ十分逃げられるだろう。

 

 ごめん、泉都。

 

 朽ちた彼女、その上半身だけをリュックへ差し込む。

 下半身まで持ち帰ることはできないが、せめて上だけでも。

 今背負っているリュックは登山用故大きく、少女の上半身だけならどうにか入った。

 

 唇を噛み締め、血に濡れた手でカリバーを握りしめる。

 逃げないと。

 

「……『ステップ』! 『ストライク』! 『ステップ』!」

 

 今は体の傷だとか、スキルを中断することによる反動だとかを気にしてはいられない。

 ただ逃げて、このダンジョンから逃げ出すために、ストライク走法を躊躇せず使う。

 

 みるみる後ろへ溶けていく景色、グンと加速し軋む全身。

 飛び出した私の音に気付き、こちらへ跳ね寄ってくるスライム。

 しかし一度距離を開ければ最後、俊敏に関しては私の方が高いので、どうにか追いつかれずに済みそうだ。

 

 途切れ途切れ、息を荒げそれでも走り続ける。

 すべてはここから逃げて生き延び、情報を協会に届けるため。

 

 私たちが希望の実集めをしていたのは、入り口からほど近かったというのもあってすぐに見慣れた門へたどり着いた。

 

 助かった。

 心に安堵が満ち、涙腺が緩む。

 朝に入ったばかりだしダンジョンの崩壊までまだ時間があるはず、これで後は筋肉に全てを委ねればいい。

 

 門へ手をかけ、深い溜息が零れ……

 

「……んでっ、なんで開かないの……!?」

 

 目の前ですり抜けた希望に、慟哭した。

 

 開かない。

 何度も拳で叩いても、何度押し込んでもピクリともしない。

 

 そんな、こんなのあんまりだ。

 だってやっと助かると思って、それを目の前で取り上げるなんて。

 

「あけ、あけ! 開けてよ! ねえ! やだっ……ねえお願いっ!」

 

 ガンッ、ガンッ、ガンッ

 

 拳から血が滲み、恐怖に指先から血が引く。

 

 いやだ、死にたくない……!

 私はもっとやりたいことがあって、もっとみんなと……!

 

「す……『ストライク』! 『ストライク』! 『ストライク』ッ!」

 

 しかしどんなにカリバーで殴っても、返ってくるのは無機質な金属音だけ。

 昏く重い心の中に、絶望という暗闇の中に、理不尽への小さな怒りが灯る。

 私が一体何をした? こんなところに閉じ込められて、モンスターに肉をしゃぶられるような罪を、一体いつ犯したっていうんだ。

 

 ……やるしかない。

 

 もうだめだ、どうせ私は死ぬんだ。

 投げやりな感情。

 ならそれまでにダンジョン内のモンスターを少しでも殺して、外に漏れる数を減らさないと。

 後ろ向きな行動理念。

 

 ガサッ

 

 草が揺れ、私を追ってきたスライムが姿を現す。

 

 ああ、いいさ。

 殺してやる。

 お前も、ほかのモンスターも。全員私が地獄に道連れにしてやる。

 

 ぴょんと飛び掛かり、その透明な牙を剥くスライム。

 きっと泉都はこれに食いつかれて、真っ二つにされてしまったのだろう。

 

「ふんっ」

 

 横へ身を逸らし、その口元へカリバーをねじ込む。

 

 重い。

 キリキリと音を立てる鋭い牙は、並大抵の武器ならかみ砕いてしまうのだろう。

 カリバーが破壊不可でよかった。

 

 そのまま地面へ叩きつけると、べちゃりと広がるスライムの身体。

 中心にこんもりとした膨らみが生まれ、そこにスライムの核があると分かった。

 そうだ、落ち着け私。

 レベルや攻撃力こそ高いが所詮はスライム、冷静を保てば十分に戦える。

 

 核めがけて、全力でカリバーを振り下ろす。

 

 確かな手ごたえ。

 確実なダメージが入ったことを、その感触が私に教えてくれた。

 

 さらなる追撃を叩き込もうと体を捻じったときに、奇妙な違和感を感じる。

 

「……っ!?」

 

 足が……動かない……!?

 

 いや、足だけじゃない。

 胴体も、腕も動かない。

 

 喉元に冷たく、鋭い感覚が当たった。

 

 スライムだ。

 スライムが全身を細く伸ばして私の身体を縛り、牙の様に尖らせた先端を当てていたのだ。

 

 やられた……!

 核を見せつけていたのは罠、私に勝利を確信させるため。

 肉を切らせて骨を断つ、まさかスライムがそれをやってくるなんて……!

 

 スライムがゆらりと後ろへ揺れ、勢いをつけて私の喉を掻き斬ろうとした瞬間……

 

「ふぁ……なんか窮屈ですね」

 

 後ろでもぞもぞと何かが動き、スライムの狙いが逸れた。

 どうやら私を縛るときに、リュックごと縛り付けていたらしい。

 助かった。

 

 全身の拘束が緩み、そのチャンスを逃さずスライムの核を蹴り上げる。

 

「ひゃああっ!? なっ、地面が揺れてっ!?」

 

 貰った。

 

「『ストライク』!」

 

 見事ど真ん中を叩き潰し、粉々に砕けるスライムの核。

 光へと変わり、おぞましい怪物はこの世から消えた。

 

「一体何が起こってるんですか……?」

 

 後ろから間抜けな声が聞こえ、足から力が抜ける。

 勝鬨を上げたいところだが、それより色々あって疲れた。

 

 ……本当、さっき希望の実食べてて良かったな泉都。

 

「ところで私のスカートが見当たらないんですけど、何処にあります?」

「後で取りに行くからちょっと黙ってて」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十五話

 しばしの休憩を取った後、今度は周囲を警戒しつつ声を潜めて話し合う。

 

 やはりというべきか、彼女も希望の実によって復活したらしい。

 称号に『生と死の逆転』、経験値上昇、そしてユニークスキルの獲得をしたらしいので間違いない。

 そして肝心のユニークスキルだが……

 

覇天七星宝剣(はてんしちせいほうけん)、らしいです」

「……よくわかんない」

 

 覇天七星宝剣……長いので宝剣と呼ぶが、七種類までどんなものでもユニーク武器として扱い、好きな時に取り出し操れるらしい。

 よく分からないが強そうだ、名前からして。

 

「フォリアちゃん……」

「なに?」

「私が守りますからね……」

 

 私の肩を抱き、きらきらとした瞳でこちらを見つめる泉都。

 

 冗談もたいがいにしてほしい。

 レベルからして守るのは私、むしろまた死なれても困るのでお願いだから後ろにいてもらいたい。

 

 もう、目の前で死なれるのは勘弁だ。

 

 

 

 戦闘を避け、探索を重視した結果、どうやら今ここにいるスライムたちは『最低レベル』が200程度だということが分かった。

 そう、最初に私たちが出会ったやつこそが最弱で、ある意味運がよかったとすら言える。

 あと泉都のチェーンソーは仕舞ってもらった、音がうるさくてスライムたちに襲われかねない。

 結局彼女の『宝剣』をどうやって使うのかというと……

 

 スライムが体の先を三つに分裂させ、こちらへ三方向からの同時攻撃を仕掛けてくる。

 ステップで横へ一発目を回避、反動に任せ跳躍で二発目、そして無防備になった宙に浮かぶ体へ三発目が向かい……

 

「フォリアちゃん!」

「ん」

 

 彼女の『宝剣』はそれこそなんでも武器として登録できた。チェーンソーも、そこら辺の平たい岩すらも。

 そして何もかも好きに操作できるということは、空中で動かぬ足場としてこれ以上都合のいい物もない。 

 

 彼女の掛け声とともに宙に輝く平たい岩が生まれ、そこに足をかける。

 踏み込みくるりと一回転、私がそこから離れた直後に三発目が殺到。

 無防備になったスライムの核、そこへ重力も合わさった振り下ろし。追ってストライクを叩き込めば派手に砕け散り、スライムの身体は一瞬震えると光になって消えていった。

 

 これで最初の奴を除き、ようやく一匹目。

 草むらに隠れているせいで探すのも一苦労だが、見つけた後も目を疑うようなレベルだったりで、まともに太刀打ちできるか怪しいのがわんさかいる。

 今の奴もレベル200、これで泉都も多少はレベルが……

 

「わぁ、フォリアちゃん! レベル100以上上がりましたよ!」

「は?」

 

 能天気な声、そしてその直後。

 

『レベルが21上昇しました』

 

「……は?」

 

 聞き慣れた無機質な声と、聞き慣れない異常なレベルアップ。

 ありえない。だってさっき同じようなレベルのを倒したときは、13の上昇だったはず。

 それだってかなり驚異的な上がり幅だというのに、それ以上上がるだなんて……

 

 まさか……と、ふと頭に浮かんだ考え。

 

 このパーティ、もといバディは二人とも『経験値上昇』を持っている。

 まさかすべて別枠で計算されて、最後に同じ値が私たちに割り振られているのか……?

 私の『累乗経験値上昇LV4』は経験値64倍、そして彼女の恐らくLV1である『経験値上昇』が合わさり、128倍になっているとしたら……一応、21レベルの上昇もありえなくはない。

 まさかとは思ったが、そうとしか考えられなかった。

 

 そもそも『経験値上昇』自体結構レアなスキル、果たして『生と死の逆転』以外での入手方法があるのかすら分からない。

 少なくとも基礎スキルには存在せず、所有者が二人そろうことは皆無だろう。

 凄まじい性能への興奮と共に、どこか付きまとう恐怖。

 一体自分が何に恐怖しているのか分からない、分からないけれど、脳内で警告を鳴らし続ける何かがあった。

 

「……フォリアちゃん」

「なに?」

「この希望の実に関する情報、誰かに話したことは?」

「ない……けど……」

 

 先ほどまで能天気に笑っていたはずの泉都、彼女の顔はいつの間にか凍り付いていた。

 

「この情報……絶対に誰にも話さないでください。……夥しい数の人が死ぬのを見聞きしたくなければ」

「……っ!」

 

 そうか、それだ。

 ずっと胸中を取り巻いていた不吉な感情は、無意識のうちにそれに気づいていたから。

 

 もしこの情報が世界へ知れ渡れば、国や地域によっては人々に無理やり希望の実を食わせ、『生と死の逆転』を取得させようとするだろう。

 高レベルの探索者は存在だけで一級の兵器を上回る。それが多少の犠牲と共に量産できるのなら、絶対に行う連中は出てくる。

 勿論どれだけの確率で復活するかすら分かっていないのにそんなことをすれば、きっと……

 

「まあここから生きて出ないと、そもそも誰かに話すも何もないんですけどね! あはは……」

「ほんと最高、すごい笑った」

「全然顔笑ってませんよフォリアちゃん」

 

 くすりとも笑いが零れない中、どちらからともなく立ち上がる。

 ずっと座っていても話は進まない、戦わなければ生き残れないから。

 

 私と同様、これから先彼女の戦闘方法も、ユニークスキルが中心となるのは間違いない。

 七種類のユニーク武器を相手の相性によって使い分けるのは、相応の苦労がある分万能だ。

 問題はその分必要なスキルも多くなり、器用貧乏になる可能性が高いことだが……

 

「よっ、ほっ!」

 

 チェーンソーに乗りながら石を振り回している姿を見る限り、器用貧乏よりは器用万能になりそうだ。

 レベルが上がったことでステータスも上がったので、音の出るチェーンソーを使う許可を出した。

 今の彼女なら先ほどのように、一撃で死ぬということもないだろう。

 当然戦闘慣れは一切していないが、どうやら本人が相当に器用らしく既にらしい動きが出来ている。

 初めはなんだこいつと思ったが、これなら少なくとも背中を任せても問題ない程度には成長してくれそうか。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十六話

「じゃあいきます……よっ!」

 

 絞り出すような掛け声に合わせ、平たい岩が猛烈な回転を纏い草を薙ぎ払う。

 気配を察知したスライムが飛び出し、その体を細くくねらせて木の枝へ括りついた。

 当然その状態になれば核への守りも薄くなっているので、一気にストライク走法で肉薄した私が一撃、レベルアップにより当初より威力の増したそれを受け、スライムは全身から力を失った。

 

『合計、レベルが3上昇しました』

 

 淡々とした声を聞きながら、魔石の回収を済ます。

 スライムがどこにいるのか分からないなら、引きずり出してしまえばいい。

 最初にこれを言い出したのは琉希の方だった。

 

 勿論複数体出てくるなどのデメリットもあったが、彼女自身ある程度戦えるようになったことと、多少の傷なら回復魔法を扱えるというのがこの作戦を後押しする要因となった。

 今まで『活人剣』による地味な回復しかなかった私にとって、回復魔法で多少の無茶が効くというのは、すこし、いや、だいぶ革命的な変化だ。

 

 今の上昇によって私のレベルは472、泉都のレベルは415にまで到達。

 はっきり言って異常なまでの速度だ。自分でもレベルが上がり過ぎて、何が何だかよくわからなくなってきた。

 あれ? レベルって一回で10くらい上がるのが普通だったっけ……?

 

「だいぶレベルの上昇も落ち着いてきましたね……」

「うん、そろそろ」

 

 互いにコクリと頷き、視界の先に広がる花の生えていない場所、ボスエリアを睨みつける。

 今はまだボスの姿はそこにない、大方いつも通り、上から落ちてくるのだろう。

 このダンジョン、花咲に存在するモンスター、その性質はダンジョン崩壊寸前とはいえ大きく変わらない。

 スライムは名前こそ違えどスライムだし、恐らくボスとして出てくるのも先生の仲間。

 そこに勝機があると私は睨んでいる。

 

 私たちがスライムと戦っているのはレベル上げもあるが、それ以上に重要なのが奴らの魔石。

 先生と同じタイプの敵ならば、大きな移動はしてこないだろう。

 遠距離から魔石を爆弾としてぶつける、または琉希の飛ばす石に乗り上空から降らすことで、さほど苦労なく倒せないだろうかと私は企んでいる。

 

 分かっている、そううまくいかないだろうということは。

 レベルが高すぎて魔石爆弾が通じない可能性も大いにあるし、そもそもほぼその場から動かない敵である保証もない。

 しかしできることはすべて準備しておきたい、次死んで生き返られる保証はないのだから。

 

「はぁ……お腹空きました……」

「希望の実食べる?」

「勘弁してくださぁい……どうしてそれそんな、真顔で食べられるんですか……」

 

 気が付けば琉希と互いに笑い、軽口を飛ばすようになっていた。

 

 周囲の草はすべて薙がれていて、スライムの姿は見当たらない。

 ここに閉じ込められてから半日ほど、ようやく私たちはすべてのスライムを狩り終えたようだった。

 

「ステータスオープン」

 

―――――――――――――――

 

結城 フォリア 15歳

LV 472

 

HP 952 MP 2350

物攻 339 魔攻 0

耐久 2863 俊敏 3263

知力 472 運 0

SP 620

 

スキル

 

スキル累乗 LV2

悪食 LV5

口下手 LV11

経験値上昇 LV4

鈍器 LV2

活人剣 LV1

ステップ LV1 

 

称号

生と死の逆転 

 

装備

カリバー(フォリア専用武器)

 

パーティメンバー

 

泉都 琉希

 

―――――――――――――――

 

 もうなんだか、入った時と比べてステータスが上がり過ぎて、何が何だか分からないのが正直なところだ。

 しかし明確な弱点として表れてきたのが、圧倒的な攻撃力の低さ。

 今まではよかった。私も敵もレベルが低いから、攻撃力が多少低くとも補うことが出来たから。

 しかし耐久と比べて十倍の差がつくとなると、たとえ私の耐久がそもそも高水準だとしても、流石に厳しいものがある。

 

 ……ここは攻撃力を補うという点でも、『鈍器』のレベルと『スキル累乗』のレベルを上げるべきか。

 

 200SP使い『スキル累乗』のレベルを3に、250SPで『鈍器』のレベルを一気に2、LV4まで上げる。

 協会の本に書いてあったのだが、鈍器のレベルが3になれば確か……

 

――――――――――――――― 

 

 

 アクティブスキル

 スカルクラッシュ 習得条件:鈍器 LV3

 消費MP20

 重力を利用した強烈な一撃

 威力 自分の攻撃力×3倍

 

 冷却時間10秒

――――――――――――――― 

 

 習得できるのが、このスカルクラッシュ。

 消費MPがストライクと比べて一気に跳ね上がるが、威力は折り紙付き。

 まあ私の場合MPに対するダメージ効率は多分『累乗ストライク』の方が上だが、逆に言えばMPに糸目をつけなければ『累乗スカルクラッシュ』のほうが断然一発の威力は上になる。

 

 ここぞというときに頼れる、必殺技みたいなものだ。

 

「こっちも終わりましたよー」

 

 途中から本格的に戦闘へ参加し始めた琉希も、彼女の戦闘スタイルに合わせて自分でスキルを割り振ってもらった。

 私に任せるなどと最初は言っていたが、スキルは今後の彼女を支えるもので、あとから振り直しはきかない。

 流石に必須級の鑑定は最初に取らせたが、それ以外は自分で決めさせた。

 

「『覇天七星宝剣』は?」

「それが1レベル上げてもなんも効果なかったんですよね……回復魔法を3LVに、それといざという時のために金剛身ですね」

 

 金剛身は確か数秒だけ耐久を上げるスキルだったか……

 回復魔法や『宝剣』の遠隔操作で戦う彼女、いざというときに耐えられるスキルは悪くないかもしれない。

 残念ながら『宝剣』の方は、私の『スキル累乗』同様レベルが上がるごとに顕著な変化があるかと思ったが、そううまくもいかなかった。

 

 ユニークスキルがどう伸びるかなんて分からないし、仕方がないことではある。

 

 ともかく互いに準備を終え、頷きあう。

 彼女の浮かせた平たい岩の上に乗り、そのままボスエリアへ直行。

 この先どうなるか分からないが、全力を出して天任せだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十七話

 侵入した直後、それはやってきた。

 

 ドンッ!

 

 激しい地響きを上げて降り立ったのは、巨大な白銀の壁。

 やはり先生と同じ、スウォーム・ウォールの仲間だったようだ。

 

 琉希の岩に乗ったまま恐らく攻撃の当たらないであろう高度まで飛び、遠目から観察を行う。

 

 ピクリとも動かない白銀の壁だが、表面には複雑で緻密な模様が描かれている。

 華美といっても過言ではなく、どこか高貴な雰囲気があるのはレベルが上がったからか。

 モンスターにそんな概念があるのか知らないけど。

 

「『鑑定』」

 

――――――――――――――

 

種族 グレイ・グローリー

名前 

 

LV 1000

HP 20000 MP 37432

物攻 6532 魔攻 4521

耐久 3542 俊敏 2026

知力 2567 運 53

 

――――――――――――――

 

「灰色の栄光ですか……意味深ですね」

「……名前よりステータス見て」

 

 きらりと目を輝かせ、琉希が壁の種族を読み上げる。

 どうして種族に注目してしまったのか、何よりも先にみるべきはその隔絶したステータスだろう。

 スライムが赤子に見えるほど膨大なHP、そしてその他のステータスもまんべんなく高く、私自慢の耐久すら余裕で追い抜かれている。

 

 これは結構辛い戦いになりそうだなぁ……

 

 かつて先生に強烈な一撃を入れられたのを思い出し、腹がきりりと痛む。

 何より俊敏がそこそこ高いのが不安だ。

 ただの壁にしか見えないが、何をしでかしてくれるのか。

 

 とはいえ遠距離から見ているだけでは戦いが進まない。

 一度入ってしまった以上、奴を倒すかこちらが死なない限りここから出ることもできないし、動かないなら動かないで遠慮なくやらせてもらおう。

 

 リュックを下ろし、琉希に手渡す。

 まずは最初の予定通り、魔石による爆撃だ。

 

「じゃあいきますよ! ほいっ」

 

 ポイっとちょうどいい場所に投げられたスライムの魔石。

 私は餅つきの要領でそれを

 

「ほーむらーん」

 

 カリバーで叩き落していく。

 

 次から次へと横から投げられてくるそれを、壊れない程度に罅を入れつつ打っていく作業。

 勿論この程度では、たとえ当たったとして大したダメージにもならず、地面は土なので衝撃で砕けることも期待できない。

 だがそれでいい。

 

 時間にして五分ほどそれを続けた。

 そして……

 

「はい、最後の一個です!」

「了解。『スカルクラッシュ』ッ!」

 

 

 光り輝くカリバーが力強く振り下ろされ、最後の魔石だけは粉々に砕いた。

 まるでカリバーの輝きが乗り移ったかのように煌めき、細かな振動を帯びて地面へと転がっていく魔石の屑。

 それを確認した私たちは石の上に伏せ、一気に急上昇する。

 

 一秒、二秒……

 

 その瞬間、世界から色と音が消えた。

 

 

 ドォォォオォォンッ!

 

 

 全身を焼き付くように強烈な爆音と熱気。

 最後の魔石が砕け爆発した直後、その衝撃波によって連鎖的に砕かれた魔石たちが、何度も何度も空気を叩き続ける。

 破壊不可であるはずの『宝剣』によってユニーク武器化された岩が、あまりの衝撃に大きく揺れ動き、振り落とされるかもしれない恐怖と戦いながら、ひしと岩の端へ縋り付いた。

 

 

「……終わった?」

「みたい、ですね……」

 

 暫くして音と暴風が止み、二人顔を見合わせ下を覗く。

 

 焦げ付き、いまだに煙を上げる土。

 壁があったそこには巨大なクレーターが生まれていて、その中心にいたのは……

 

――――――――――――

 

種族 グレイ・グローリー

 

LV 1000

HP 17237/20000 MP 19543/37432

 

――――――――――――

 

軽い煤に体を汚しながらも、悠然と立つ『白銀の騎士』であった。

 

「なっ……」

 

 壁は一体どこへ行ったのか、いや、あれこそが壁なのか。

 細く長いレイピアを顔の前で縦に構え、ピクリともせずその場に立ち尽くしている。

 その顔がゆっくりと動き、昏く深い鎧の奥底、そこに座す鋭い瞳が私を見た気がした。

 

 気が付くと目の前には、その騎士が剣を振り下ろそうと構えていて……

 

「……フォリアちゃん!」

 

 鳴り響く駆動音、飛び散る眩い火花。

 

 私を突き倒し、かの騎士が振り下ろした剣をチェーンソーで受け止める琉希。

 しかし押し負けているらしく、ゆっくりとその剣が彼女の頬をなぞった。

 

「……っ! 『ストライク』ッ!」 

 

 がら空きであったその胴体へ『ストライク』を叩きつければ、大きく身体をくの字にして、反対側へと吹き飛ばされていく騎士。

 

「ごめん」

「ええ、ラーメンおごりで良いですよ!」

 

 まさか地面からここまで飛びあがり、無理やり岩の上に乗ってくるとは思いもしなかった。

 もし彼女の反応が少しでも遅れていたら、私の首は既に切り落とされていただろう。

 その事実に心臓が激しくなり、背筋へ冷たいものが駆け抜ける。

 

 何より不味いのは相手がここまで飛びあがることのできる事実。

 高所は相手が来れないのならアドバンテージになるが、逆に手が届いてしまうのなら、ただ逃げ場が少なくなっただけ。

 どうせ魔石ももうないし、ここにずっといる意味もない。

 

 琉希もうなずき、互いに飛び降りる。

 軽く衝撃を散らすため転がりカリバーを構えたあたりで騎士も体勢を立て直し、ゆらりと剣を構えた。

 先手必勝、真っ先に殴り掛からせてもらおう。

 

 地面を蹴り飛ばし一直線、騎士の正面へ肉薄。

 

「『ストライク』」

 

 かつて先生にも有効であった横を走りぬき、すれ違いざまの一撃。

 しかしかの存在もこれに反応しないわけがなく、絡めるように剣を伸ばし、カリバーを弾き飛ばそうとその身を間隙へ滑り込ませてきた。

 

 だが私だって、当時より強くなっているんだ。

 舐めるなよ。

 

「『ステップ』!」

 

 剣とカリバーが触れ合う刹那、バックステップによって騎士の正面、加えて手元へとスキルの導きによって、無理やり身体をねじ込む。

 ゴギリ、と不気味な音がして、背筋へ小さな痛みが走る。

 ちょっと無理し過ぎたか、そう思った直後に暖かな光が溢れ、痛みが消え去った。 

 

 琉希の回復魔法だ。

 ただスライムを減らすのも退屈だったので『ストライク走法』の話をしたのが、うまいことここで作用してくれたらしい。

 

 回復魔法って本当に便利だ、これなら無理をしてでも遠慮なく攻撃できる。

 

「『ストライク』っ!」

 

 目の前へ迫ったその腕に合わせてカリバーを薙ぎ払えば、騎士の一刀自体の衝撃も合わさり、金属同士がつんざくような爆音を響かせた。

 

「かはっ……!」

「フォリアちゃんっ!? 『ヒール』!」

 

 そしてそれに耐えきれず、紙屑の様に空へ舞い、地面へと叩きつけられる私の身体。

 力、そして体格、すべてが負けている私が競り負けたのだ。

 騎士の腕も多少の歪み見せているようではあるが、この程度では致命傷にも程遠い。

 

 肺から空気が無理やり引きずり出され、衝撃と酸素を失ったことによりひどく痛む頭。

 追って琉希の回復がかかるが、流石にキツい。

 叩きつけられたときに頭も打ったのか、妙に体がふらつき、抉り出されるような吐き気が喉奥から湧き上がってくる。

 

 ヤバい、こいつめっちゃ強いわ。

 

 どこか遠く感じる視界の中、駆け寄ってくる騎士を見つめて浮かんだ感想は、そんな幼稚なものであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十八話

 あー……きついなぁ……

 

 地面を駆けているのか、それとも空を浮かんでいるのか分からない。

 ふわふわとした体感の中、ただひたすらに攻撃を避けるため身体を動かし続ける。

 騎士を中心として走り続けているのだが、あちらも下手な手を切ることはなく、じっと構えてこちらを補足し続けている。

 

 一体だれが花咲で希望の実を取ろうだなんて言い出したんだ、私か。

 私が来なければ琉希が死んでいたと考えれば、まあどうにか無理やり自分を納得……させれなくもない。

 いや、やっぱりきついな。

 

 出来ることなら累乗スカルクラッシュを叩き込んで、一気に有利へ戦闘を持っていきたい。

 しかしこの騎士、隙が全く無いのが困りもの。

 途中で方向を変えてもすべてぴったり追っているようで、まったく背中を見せてくれない。

 琉希も無言で叩き潰そうと岩を投げたりしているのだが、まるで目がついているように全て避け、なんなら岩の上へ曲芸師の様に乗って、隙あらば琉希も叩き斬ろうとすらしている。

 

 仕方ない。

 

 その場に立ち止まり、カリバーを下ろす。

 そこまで疲労は濃くないが、あえて肩で呼吸。

 

 さあ、どう動く……?

 

 じっと観察していると、微かに鎧が輝く。

 ジャリ、と、砂の噛む音だけを残して姿が掻き消え、瞬きの直後、既に目の前で剣を振りかぶっていた。

 恐ろしいほどブレもなく、真っ直ぐに振り下ろされる細剣。

 

 驚くほどの超加速、だがこれは読んでいた。

 剣の軌道に合わせてカリバーを斜めに構え、そのまま地面へと叩きつけてやれば、流石の切れ味をした剣が土へとめり込む。

 勢いに任せ一回転、

 

「『ストライク』っ!」

 

 続けざまに横腹への一撃。

 微かに揺れへこむ鎧を見つつ、その場から離脱する。

 

 私が離脱した後、平然と剣を抜き取り再度構える騎士。

 その動きは相変わらず精細なもの。

 鎧の上からだと中々硬い、大したダメージにはなっていなさそうだ。

 それにしてもこちらの瞬きに合わせて接近だなんて、ダンジョンのモンスターのくせに随分と小賢しいじゃないか。

 

 今の一撃で鈍い痛みが両腕に走ったが、奥から飛んできた琉希の回復魔法によってそれも吹き飛ぶ。 回復の有無で戦闘の難易度が段違いだ、もうなしでは戦えないかもしれない。

 

――――――――――――

 

種族 グレイ・グローリー

 

LV 1000

HP 15286/20000 MP 15543/37432

 

――――――――――――

 

 MPが先ほどと比べて、4000程度減っている。

 どうやらあの超加速、スキルか魔法かは分からないが、永遠に使っていられるものでもないらしい。 また、かの攻撃はどれも鋭い物だが、直線的でもある。

 はたして何かがあれの元になったのか、或いは偶然騎士という形をとったのかは知らないが、攻撃自体も正々堂々としたものらしい。

 

「それじゃあ私も行きますよ!」

 

 私が下がったのと同時にチェンソーを片手へ握り、轟音とともに素早く琉希が切りかかった。

 私も後ろでただ見ているわけにもいかない。ストライク走法で同時に近づき、彼女の攻撃に少し遅れて、背後から所謂偏差攻撃を仕掛けることにする。

 

「『スキル累乗』対象変更、『ストライク』」

 

 目の前にはじっと立つ騎士。

 

 どちらかを対処しようとすれば、片方は食らわざるを得ない。

 琉希の攻撃は多様だが威力に劣り、私は威力だけはある。彼女の派手に音を散らす攻撃を陽動として、激烈な私の一撃を叩き込む。

 空中で私と彼女の視線が交差、微かに頷き全力で武器を振り回す。

 

 この時私たちが失念していたのは、かの騎士が元々は壁であること、そして人間と同じ動きしかできないという思い込み。

 

『……っ!?』

 

 意識したときは既に遅く、騎士の身体は180度周り、こちらへ剣を向けていた。

 飛び掛かった空中で姿勢を変えることはほぼ不可。ゆっくりと風を切り迫りくるそれを見つめ、なにもできずただその時を待つのみ。

 

 上半身だけ円を描くようにぐるりと回し、一気に周囲を切りつけたのか。

 そういえばこいつ、先生と同じようなモンスターだったな。人型じゃありえない攻撃もできますってか。

 

 ざっくりと胸元を切り裂かれ、燃えるような熱さを理解した直後、私たちの身体はゴミ屑の様に空を舞っていた。

 

「げぇ……っ!?」

 

 深紅の花びらをまき散らし、ボスエリアを飛び出して飛び出して転がる体。

 不味い、もう既にボスエリアと、普通のマップの垣根が消えている。

 ダンジョンと街の境界が消えるのも近いだろう、そうなったら……

 

 灼熱の激痛と共に、絶望が胸へ押し寄せる。

 最悪の失敗をやらかした。二人同時に痛撃を食らってしまえば、片方のミスを補うことすらできない。

 

 霞む視界の奥底、生まれたての子豚のように体を震わせ、立ち上がる琉希。

 その近くにいるのは白銀の騎士。

 レベルも低く、私より耐久の低い彼女がもう一度攻撃を受けてしまえば……

 

 奥歯を噛み締め、伏せた体で無理やりスキルを発動。

 

「……『ストライク』ッ!」

 

 轟音、飛び散る花達。

 ブチ、ブチと、何か切れてはいけない物が千切れた音がした。

 

 処刑人のように剣を構える騎士の頭上、私が空を舞う。

 

 耳が聞こえない、手先の感覚もない。

 死ぬのか、私は。

 

「……ぁあぁあああッ! 『スキル累乗』対象変更、『スカルクラッシュ』!」

 

 たとえ体が満足に動かなくとも、スキルの導きなら動かすことが出来る。

 痛みに震える体も、死の恐怖に凍り付いた心も、何を抱えていようと動かすことが出来る。

 今の私は操り人形だ。傀儡師の采配に全てを委ね、ただ目の前の騎士を叩き潰せばいい。

 

 彼女の首元へと振られかけた細剣、しかし私の接近に気づき反転。

 そして避けきることも、反撃をかますことも出来ないことに気づいたのだろう、剣を斜めに構え防御の姿勢をとる。

 

 その程度で耐えられると思ってんのか、私の攻撃を。

 

 漏れ出た声は絶叫。

 ごうと風を斬り、嘆きすら背後に残して飛んだ私が、渾身の一発を叩き込む。

 

「……っ! 『スカルクラッシュ』ッ!」

 

 垂れた血で赤く染まった視界。

 微かな手ごたえと共に、キン、とあまりに軽い金属音。

 盾にした剣をへし折り奥の兜ごと叩き潰し、地面へめり込ませる感覚だけが伝わってきた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十九話

 確かに攻撃はめり込んだ……はずだった。

 

 体の半分を叩き潰されながらも、しかし光に溶けることなく、堂々とその場に立つ白銀の騎士。

 ひしゃげた兜の隙間から、涙の様にでろりとスライムの身体が零れる。

 どこまで行っても体を形作ているのはスライム、たとえ頭らしきところが潰されようと、それが死に繋がることはない。

 

――――――――――――

 

種族 グレイ・グローリー

LV 1000

HP 5287/20000 MP 543/37432

 

――――――――――――

 

 まだ……生きて……っ!?

 

 累乗スカルクラッシュは威力も折り紙付きだが、その分衝撃も強力。

 肩も、腕も、着地の衝撃も。何もかもが全身を縛り付け、体を捻ることすら不可能。

 カリバーを叩きつけた体勢のまま、私は半分から先の折れた剣を振るそいつを、ただ見ることしかできなかった。

 

 無理、だったか。

 

「『リジェネレート』! 『金剛身』ッ!」

 

 横から私を突き飛ばす何か。

 身体が倒れかけの駒みたいに揺れ、一歩、二歩とそこから離れる。

 

 スキルの効果だろう、輝く体で半分の刃を受け止めていたのは、琉希だった。

 肩から胸にかけてバッサリと剣が食い込み、その痛みに歪む顔。

 彼女の黒髪が血に染まり、濃く、艶やかな濡烏へと変化していく。

 

 食い込んだ剣を抜こうと力を籠める騎士だが、彼女の肉体自体が回復魔法でゆっくりと回復し、その突きこまれた剣をぎっちりと抑えて離さない。

 

「『覇天七星宝剣』……ッ!」

 

 生み出されたいくつかの岩が騎士の身を打ち据え、壁となって二人を押さえつけていく。

 そんな状態になっても彼女の瞳は生に輝き、私の目を貫いていた。

 

「……フォリアちゃんっ!」

 

 ……やるじゃん。

 

 もう動かないと思っていた身体に力が漲り、不思議と足が地面を踏みしめる。

 

 跳躍、振りかぶり。

 

「はァァッ! 『スカルクラッシュ』ッ!」

 

 ガッ……チィッ!

 

 今度は鎧だけじゃない、その奥底にあったこぶし大の核すらも砕き、スライムの粘液をまき散らして騎士は力尽きた。

 

 限界をとうに超えた膝が崩れ、カリバーすらも適当に放り投げる。

 痛くない場所がない。

 全身血まみれ、全身打撲まみれ。もちろん私だけじゃなく、琉希だって同じだ。

 というか彼女の方がその身だけで攻撃を受けたので、猶更酷いことになってる。

 

「あー……もうむり……」

 

 白銀のそれが輝きを失い、端からゆっくりと黒ずみ光へと変わっていく。

 傍目にそれをとらえ、笑ってしまうほどだるい身体を無理やり動かして、『スキル累乗』を『経験値上昇』に戻してから倒れる。

 

『合計、レベルが1076上昇しました』

『専用武器、カリバーにスキルが付与されました』『条件の達成により、称号が付与されました』

 

 バカみたいなレベルの上昇、後なんかカリバーについたり、色々出てきた。

 しかし今はそれよりも……

 

「つかれた……」

「ですねー……」

 

 騎士が完全に消滅した直後、私たちを取り囲んでいた深紅の花が一斉に散り、風へと流されていく。 最後に残ったのは、見慣れた草原。

 どうやらダンジョンの崩壊は、完全に食い止められたらしい。

 

 もう何もしたくない、おなかすいた。

 けーきたべたい。

 あー……

 

「フォリアちゃん、後でラーメン食べに行きませんか?」

「死にかけて絞り出した言葉がそれ?」

「死にかけたからこそですよ……『ヒール』」

 

 彼女が搾りかすのような魔力で『ヒール』を唱えると、まったく動かす気が湧かなかった体に、ほんの少しだけ活力が戻る。

 

「よっこいしょ……」

 

 はたしてダンジョン崩壊したときの仕様が普段と同じかは分からないが、ちんたら寝ていてドロップアイテムを拾う前に叩き返されては困る。

 一体何が落ちているかは分からないが、せめて魔石くらいは拾わないとやってられない。

 体にムチ打ち立って、騎士がいた元へ足を運ぶ。

 草に埋もれていたのは、素朴な木製のペンダントと、彼が使っていた細剣、そして一つの魔石。

 ひょいと剣を拾い上げ、鑑定をかける。

 

――――――――――――――――――

 

アストロリア王国の騎士に配給される、正式仕様の細剣

白銀の鋭い輝きは王国の敵を畏怖させ、使い手を奮励させる

 

物攻 +1000

俊敏 +1000 

 

――――――――――――――――――

 

 

 どこだよアストロリア王国……聞いたことないぞ。

 まあ説明文は放っておいて、その効果は凄まじい。

 めったに流通しないのでダンジョンのドロップ武器は初めて手にしたが、ここまで強力な武器、他人が手放さないのもよくわかる。

 

 まあ、私にはカリバーがあるし、もっとふさわしい人間がいるだろう。

 

 ぽいっと琉希に投げ渡せば、彼女はしかと受け取り、しかしいぶかしんだ顔つきでこちらを見る。

 

 

「いいんですか?」

「命救われたお礼」

「やぁんフォリアちゃんがデレましたぁ! このこのぉ!」

 

 にこにこと笑顔を浮かべすり寄り、猛烈な勢いでこちらの頬をつついてくる琉希。

 

 ……うざ。

 

 無視して魔石、そして最後のペンダントを拾い上げる。

 随分とボロボロだし、真ん中に小さな宝石らしきものが付いている以外、全体的につくりが安っぽい。 こりゃあんまり高く売れそうにないか。

 

 一応どんな効果があるか分からないので『鑑定』をかけるが、あまり期待もできない。

 はあ。

 せっかくボロボロになったというのに、手に入ったのが魔石、二人で折半するとなれば猶更空しい。

 

「『鑑定』」

 

 手のひらに握ったそれへ視界を向けたその時、世界が漆黒に染まった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十話

 気が付くと私は、小さな部屋に立っていた。

 窓際には木製の机があり、壁には無数の本が収納された本棚、そしてしわくちゃな服などが適当に放り出されたベット。

 窓を覗けば古臭い、それこそアニメだとか、映画だとかに出てきそうなデカいお城まで見える。

 

 羽ペンだとか、よく分からない謎の置物だとか、妙にちぐはぐな時代感覚。

 今時こんなものを使っている人なんているのか、もしいたらとんだ変わり者だろう。

 

 はて、そもそも一体ここはどこなのか。

 

 首を回し再度見直すが、やはりこんな部屋、というかこんな場所記憶に一切ない。

 私は確かに白銀の騎士をぶっ潰して、ちゃちなペンダントを弄っていたはずなのだが。

 もしかしてあのペンダントには、こんなリアルな映像でも見せる技術が詰まっているのだろうか。

 中々やるじゃないか。大して売れなさそうだなんて言って悪かった。これはもしかしたら当たりの魔道具かもしれん。

 

 もしかして触れるのかと思って手を伸ばしてみたが、残念なことに空を切る。

 本の中身など気になったのだが、そう上手くもいかないか。

 

「ふぁ……つかれたぁ……」

「……っ!?」

 

 突然背後から声がして、吃驚し肩が跳ねる。

 

 そこにいたのは金髪の少女、いや、勿論私ではない。

 見た目こそ人間そっくりだが耳が長く尖っている、長い髪を一つに縛った女の子であった。

 

 やはり私のことは認識していないようで、こちらへ一直線へ歩いてきては身体を通り抜け、そのまま机へと座り込む。

 そしてガサゴソと机の中を探って紙束を取り出し、ふんふんと楽し気な鼻歌、端にあった羽ペンでさらさらと何か書き記していく、

 ちょっと覗いてみてみたが、全くもって何と書いてあるか分からない。

 

 ……退屈だ。

 

 彼女は何か空中を見上げては何か思いつき、図などを示していくのだが、どれも見たことがない物ばかり。

 最初こそ興味をひかれたが、意味が分からなければ見ていても何の楽しみもない。

 色々気になることはあるがそれより飽きた、早く帰ってケーキ食べたい。

 

「ふぃー……これで貧者でも栄養を取ることのできる……」

 

 少女がどこか年寄臭い嘆息をこぼし、ぐいと背伸びをする。

 その時胸元からちらりと見えたのは、あの妙にちゃちなペンダントだった。

 どうやら彼女の持ち物だったらしい。

 

 ドンドンドンドンッ!

 

『ひゃっ!?』

 

 弛緩した雰囲気の部屋に響く、激しく荒々しいノック。

 突然襲撃していたそれに驚いたのは、どうやら私だけではないらしい。

 

 恐る恐る扉を開け、外をうかがう少女。

 

「な、なんだお前たち!」

「魔導研究者のカナリアだな? 貴様の同僚から情報提供を受けた、国家反逆罪で束縛させてもらう!」

「はぁ!? ちょ、ちょっとまて……何の痛っ、やめっ……」

 

 ずかずかと足音を立て入ってきたのは、確かに私が倒したはずな白銀の騎士。

 それも一人や二人ではなく、既にこの部屋……いや、家をぐるりと囲んでいるらしい。

 いつの間にやってきたのだろう、窓の外にもずらりと並んで、全員剣を携えていた。

 

 目を白黒させ驚愕していたカナリア? とかいう人であったが、外に並んでいる騎士たちを見て諦めたのか、手を上げ敵意がないことを主張していた。

 何が何だか分からない。

 え、この人悪い人なの? 見たところそんなこと考えていなさそうな雰囲気だったけど。

 

「くそ……お前たち、証拠もないのに無辜の民を脅すことに恥はないのかっ! 騎士というのは誇り高いものだろう、貴君らの剣は何のために捧げたのだっ! 弱者を甚振るためかっ!?」

「黙れ、悪漢に貸す耳はない!」

「あうっ……!」

 

 鋭い拳が少女の顎を打ち据え、ふらりと崩れ落ちる。痛そう。

 うつ伏せになった彼女の後頭部をブーツで踏みつけ、荒々しくその身をロープで縛り付ける白銀の騎士。

 どう見てもこっちの方が悪者なんだが、私からは何にもできない。

 

 それにしてもどこか既視感がある。

 嵌められたっぽい感じといい、誰かに騙された感じがあるのは、かつての私を見ているみたいだ。

 めっちゃむかつくんだよね、分かるよその気持ち。

 

 波乱の展開に見ているこちらも手に汗握る。

 うーん、よくできてるなこれ。

 この映像誰が作ったんだろ、どこかの映画かなにかだろうか?

 

 痛みと苦悩に呻くこの子の顔とか、本当にそれが起こってるみたいだ。

 

「王国の騎士たちよ……貴様らの行いは誇り高きその名、地に堕とすぞ……っ!」

「連れていけ!」

 

 あ、連れていかれちゃった……

 

 

 

 

「……ちゃん、フォリアちゃん! おーい! ぺちぺちっと」

「お」

「あ、やっと動いた。どうしたんですか突然固まっちゃって」

「え……今の映画……?」

「映画ですか? いいですね! 私キャラメルポップコーンとつぶつぶのアイス食べたいです!」

 

 目の前でふにゃりと溶けるアホ面。

 

 あれ、今、変なの見てた気が……私だけ……?

 

 琉希にそれとなく聞くも、帰ってきたのは頓珍漢な回答。

 キャラメルポップコーン……いや違う違う、今のを見たのはどうやら、私だけのようだ。

 まるで夢でも見ていた気分だ、なんだったんだアレ。

 

 手に握るのは、やはり変わらぬペンダント。

 しかし鑑定をかけても、ついぞあの映像を見ることはできなかった。

 

「フォリアちゃーん! お腹すきましたし、早く帰りましょう!」

「あ……うん」

 

 まあいいか。

 どうにかダンジョンの崩壊も食い止められたし、二人とも死なずに済んだし。

 

 足元に転がっていたカリバーを拾い上げ、リュックへと突き刺す。

 当初の予定だった希望の実集めはできなかったが、今から集める気にもならない。

 あまりに濃い半日で寿命が縮まった気がする。筋肉に今回のことを報告して魔石を売り払ったら、暫くの間はごろごろしていよう。

 

 随分ボロボロになったスニーカーの靴ひもを結びなおし、深く息を吐く。

 

 柔らかな風に背中を押され、私は琉希の下へと駆けた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十一話

「ま……まだ……?」

「大丈夫ですよフォリアちゃん……もうすぐ……かはっ」

 

 カリバーとさっき拾った剣を杖代わりに、ふらふらと歩く私たち。

 目も霞むし、歩いた後には点々と血が垂れていた。 周りの人々も異様な私たちの姿に何か感じているが、通報するべきなのか、探索者の出来事に巻き込まれないように遠目で放置するべきか戸惑っている。

 テンション高く花咲ダンジョンから抜け出した私たちであったが、そもそも多少回復魔法を使ったとはいえ全身ボロボロ、あまりの苦痛に呻きだすのはすぐであった。

 アドレナリンが切れた後はただの地獄、息をするのすらおっくうだ。

 

 しぬ……しんでしまう……

 薄く塞がってはいるがぱっくりと斬られた胸元がジンジン痛むのを抑え、ようやく目の前に見えてきた協会の扉を睨みつける。

 正直もう歩きたくない……あっ。

 

「琉希……協会に岩投げて人呼んで……」

「あ……それいいですね……はは、『覇天七星宝剣』……」

 

 ビュンと猛烈な勢いで飛んでいく岩。

 ああ、これはまずいな。ぼんやりとした思考の中、速度の出過ぎた岩を眺めてそう思ったが、止める言葉が上手く喉から出てこない。

 疲労困憊が極まっているせいで、思考や行動がちぐはぐになってしまう。

 

 その時、協会のガラスを突き破って、一人のハゲが飛び出してきた。

 

 筋肉だ、筋肉がやってきた。

 彼は別段焦った様子もなく岩の射線上に立ち、何気ない様子で踵落としを決めた。

 その瞬間岩は土を巻き上げ地面へめり込み、すべてのエネルギーを失う。

 

 レベル1000を超えた探索者の一撃、それを止めたにも関わらず特に身体を痛めたこともなく、誰だ岩なんて投げてきたのは! などと茹蛸の様に顔を赤らめ怒っていた。

 

「もうむり……」

 

 限界ギリギリであった体。

 ついでに筋肉のパワーを見せつけられ、私は気絶した。

 

 

「ん……」

「おう、起きたか」

 

 霞む視界、魔灯の柔らかなオレンジの光。

 ふんわりと温かいベッドの上で寝転がっていることに気づく。

 そして横から伸びてくる暑苦しい顔、筋肉だ。

 

「事情は大体この子から聞いた」

「フォリアちゃんおはよーございまーす!」

 

 ついでにもう一人、黒髪の少女の顔も伸びてきた。 琉希だ。ここは協会の二階にある、職員の仮眠や緊急時のベッドらしい。

 私が寝ている間にダンジョン崩壊の件については聞いていたらしく、今回の岩投擲に関しては不問となった。

 よく食い止めたと、後でもう少し細かい話が聞きたいから、起きたら降りて来いと言って筋肉は部屋から去る。

 

 相変わらず話の分かる奴だ。

 

 ベッドのそばにはリュックが置かれていて、ペンダントや魔石もそこから頭を覗かせている。

 魔石はさっさと売るとして、ペンダントは正直よく分からない。

 私が見たあの映像は一体何だったのか気になるし、一応とっておこうと思う。

 ……もしかしたら本やネットで調べてみたら、案外私と同じような体験をした人が居たりしてね。

 

「大丈夫ですか?」

「まあまあ、そっちは?」

「私はほら、リジェネがある程度残っていたので!」

 

 力こぶを作り、にかっと笑う琉希。

 ふと胸を触ってみれば、そこに傷はもうなかった。私の傷も治っている。

 恐らく協会の回復術師に治されたのだろう、費用は預金から勝手に引かれているのだろうか。

 

 壁へ供えられた時計が示すのは六時。

 窓の外は若干薄暗くなっているので、もう直に夜の帳が下りるだろう。

 

 毛布を下ろしリュックを背負う。

 この時間帯は受付が混む、さっさと並ばないと相当待たされることになる。

 もういいんですか? と首をかしげる琉希に頷き、私達は一階へと向かった。

 

 

「んー……魔力が少ないな。これなんかに使ったとかじゃないか?」

「ちゃんとさっき戦って取ってきたやつ、その機械壊れてるんじゃ?」

「そんなことねえよ。崩壊寸前のボスで1000レベルだろ、本当はこの数百倍あってもおかしくねえ」「おかしい、絶っ対おかしい。筋肉はうそをついている、うそつきんにく」

「まあまあフォリアちゃん落ち着きましょう、ね? 取り敢えず調査に送りましょう! はい決定! 終わりでーす!」

 

 琉希が件の魔石を取り上げ、ぽいっと送付用の箱へ放り込んで蓋をしてしまう。

 

 白銀の騎士、その特徴や技などを筋肉が聞き取り書き終えた後、どれくらいの魔力があるか測ってみようという話になった。

 内蔵されている魔力量によってどれくらいで売れるかもわかるし、モンスター自身の指標にもなる。 そして筋肉は天秤のような機械を引っ張ってきて魔石を乗せたのだが、途端に顔をゆがめた。

 

 話と魔石内の魔力が釣り合わないというのだ。

 

 勿論そんなわけない。

 確かにあの白銀の騎士は化け物みたいに強かったし、レベルに見合ったステータスをしていた。

 魔石だけがカスみたいな魔力だなんて、あまりに奇妙過ぎる。

 

 しかしこれは事実だと筋肉は言い張り、二人睨み合うことになった。

 別にお金が欲しいわけじゃない。

 ただ信じていた筋肉がこんなくだらない嘘を吐くというのが、私にとっては何よりも気に入らなかった。

 

「はいじゃあ剛力さん後はよろしくお願いしまーす! さあフォリアちゃん、ラーメンでも食べに行きましょう!今日は私が奢っちゃいますよー!」

「筋肉、うそつきはいつか後悔することになる」

 

 結局筋肉は過ちを認めることなく、話はお開きになる。

 ずりずりと琉希に引きずられ、無理やり協会から出されてしまった。

 

 

「……いや、本当のことなんだけどなぁ……ぶっ壊れちまったんかな」

 

 機械を滾々とつつき、軽く状態を確認する剛力。

 傍らにあったCランクの魔石をのせてみれば、やはり正しい数値を示す。

 壊れているわけでもなく、本当にこの『グレイ・グローリー』の魔石だけが明らかに魔力が少ないようだ。

 量にしてゴブリンリーダーと同じ位、数千円程度の価値しかない。 

 

 彼女らの話が本当なら、絶対にありえない数値だ。 魔石は死後モンスターの魔力が固まったもの、それこそモンスターの身体を構築している魔力まで吸い取られたなどでもなければ、そう減るものではない。

 

「……まあ、しゃあないな。ないもんはない」

 

 箱をしっかり封じ込め、上にモンスターの特徴などを書いた紙を張り付け、嘆息する。

 

 ダンジョンは毎日奇妙な出来事が報告される。

 一々そんなことを気にしていたようでは、協会支部のトップなど務まらないのだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十二話

「ほーそんなことがねぇ……」

「あいつは私を裏切った……」

「すみませーん、おかわり麺硬めでくださーい! 味玉とチャーシューも追加で!」

「あいよっ!」

 

 赤い提灯の下、ウニの友人が作るラーメンを啜る。 どんなに気分が曇っていようと、彼の作るラーメンは常に透き通った味をしていて、陰った私の心を晴れさせた。

 

 チャーシューうま

 

「剛力さんのことは信じてたんだろ? じゃあ本当のこと言ってんじゃないかい?」

「……たぶん、そう」

 

 いや、私だってなんとなく、あいつが嘘をついていないのかもしれないとは、心のどこかで考えている。

 カッとなってつい怒ってしまったが、落ち着いて考えれば所詮はレベル1000の魔石。

 それより上のがうじゃうじゃいる界隈で、その程度をちょろまかすために信用を裏切るようなことをするかと思うと……

 

 じゃあ一体何故魔石の魔力が減ったのか、全く分からない。

 魔石に関連したものといえばボスが落とした剣、そしてペンダントくらいだし。

 まさか剣のドロップやペンダントの映像と関係が……? いや、ドロップアイテムの有無で魔石の魔力が減るだなんて、現状聞いたことがない。

 

 ……分からん。

 頭をわしわしと掻いてポケットへ手を突っ込み……そういえば希望の実の採取を、全くできずに終わったことを思い出す。

 つい癖で希望の実に頼ってしまっている、はぁ。

 

「すみませーん! もう一杯くださーい!」

「食べるの早くない?」

「え? 普通ですよ、普通! 今日半日何も食べてませんし!」

 

 そういえば私とこいつ、まだ会ってから半日くらいしか経ってないんだっけ……

 

 ずるずると猛烈な勢いで麺を食い進める横の黒髪。 可愛らしかったがボロボロだった服は既に着替えられ、コンビニで買った安い短パンと簡素な白いTシャツに代わっている。

 なんだか私が食べ終わらないと、いつまでもおかわりしていそうで怖い。

 彼女も負けじと麺を啜り、どうにかほぼ同じタイミングで食べ終える、

 

「ご馳走様でしたー!」

「ごちそうさま、支払いは……協会預金って使える?」

「あいよっ! 探索者の方もよく寄ってくれるからね!」

 

 なんかよくわからない機械へプレートの石を押し付けて、二人分のお金を一気に払う。

 琉希は私が払うだの言っていたが、そもそも相手は苦学生、レベルも滅茶苦茶上がったとはいえ探索者になったばかりの彼女に奢られるほど落ちぶれてはいない。

 支払いは余裕がある人間がやる、当然の摂理だ。

 

「結局奢られちゃいましたね! それじゃ!」

「うん」

 

 ……あ。

 

 ずっとパーティを組むつもりだったけど、もしかして私だけの思い込みだったのだろうか。

 聞くのに少し躊躇してしまう。

 もし、え? ずっと続けるつもりだったんですか? なんて嫌悪感出されたらどうしよう。

 私は顔が変わらなくて怖いなんて言われるし、初対面で扱い悪かったし……笑顔の裏で、内心嫌悪されていたりしたら……

 

 思えば私の考えはほとんど一方通行だった。

 先ほどは子供っぽく怒ったところも見られてしまったし、あきれ果てているのかもしれない。

 ああ、どうしよう……もしかしたら探索者なんて危険だし、今日のダンジョン崩壊で凝りてもうやめるだなんて可能性も……

 

 背を向けた彼女に手を伸ばし、そしてひっこめる。 私の気持ちを伝えても嫌がられないのか分からない。

 もし断られたその時、私は普通の顔を保っていられるだろうか。無様に涙をこぼしてしまうかもしれない、そうしたらまた迷惑をかけてしまうのかも。

 

「あ、そうだ! 今度いつ探索行きます?」

「え……?」

 

 くるりと振り向き、琉希が何気なく聞いてきた。

 

「う……」

「ま、まさか私を捨てるつもりで……!? 一緒に死線を越えたのに……!?」

「ちっ、ちがっ……! じゃあ明日」

「明日は学校なので……」

「あ……じゃあ日曜」

「了解です! それじゃ!」

 

 ……行ってしまった。

 

 ま、まぁ、別に私はパーティなんて組まなくとも、1人で戦えたのだが。

 別に嬉しくなんかない、本当だ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十三話

 ホテルに帰った後ベットに寝っ転がり、照明へペンダントを翳す。

 

 真ん中に嵌ったのは小さな赤い石。きらきらと光を受け輝いているが、別段何か飛びぬけて凄い訳でもない。

 しかしあの剣が普通のドロップ武器だとして、明らかに雰囲気が違うのはこのペンダントのみ。

 魔石の魔力が減っていた原因はこれくらいしかない、はず。

 

「『鑑定』」

 

――――――――――――

 

 カナリアのペンダント

 町で売っていた

 彼女の愛用品

 

――――――――――――

 

 が、しかし、やはり何も起こらない。

 突然体が暗闇へ飲み込まれることもなければ、映像が浮かび上がるわけでもなく、ただペンダントの情報が浮かび上がるだけ。

 全くもって手掛かりがない。

 

 はて、一体どうするべきか。

 

 しばし考えこめば思い出すのは、いつ会っても靴下のちぐはぐな研究者、剣崎さん。

 彼女はダンジョンの研究者であったはずだし、何かこの『カナリア』だとか、剣の説明にあった『アストロリア王国』だとかについて情報を握っているかもしれない。

 

 

 翌日、大学へ向かう途中で剣崎さんと出会った。 一体どこへ行くのかと思えば花咲ダンジョン、ダンジョンの崩壊が発生したのでその調査だと。

 

 なんと奇遇な、というか昨日の今日なのにフットワークが軽い。

 

 それを止めたのは私だと話せばめをぱちくりさせ、話を聞かせてくれと喫茶店へ誘われる。

 勿論私も聞きたいことがあるので了承、そのまま顔を突き合わせる形となった。

 

「あー……君もそれ拾ったんだね」

 

 ボスのドロップは何だったのかなんて言われたものだから、一本の剣と、ここにあるペンダントがそうだと突き出す。

 彼女は軽くそれをいじくりまわした後、アストロリア王国について言及した。

 

「や、やっぱり何か……!?」

「うん、勿論知らない。この世界において『アストロリア王国』なる国は、いまだかつて存在したことがないからね」

 

 いや、アストロリア王国だけじゃない。

 ベラディナ帝国、キザリス教国……ダンジョン産の物から確認された国は多数あれど、それらはすべて歴史上に存在したことがないらしい。

 奇妙な話だ。

 ダンジョンが国の名前を作り出したのか、それとも世界から消えたのをダンジョンだけが覚えているか。

 

「ダンジョンが異世界由来だという説は、この国々の名前から来ているんだ」

 

 剣崎さんはコーヒーをクイと飲み、そう締めた。

 異世界の存在をだれも確認したことがないので、あくまで机上の空論。

 目の前に広がる広大な宇宙ですら生物の存在が確認できていないのに、だれが異世界にいる生物の存在を証明できるのか。

 

 ……もしかして私が見たあの映像、とんでもない物だったんじゃ。

 

 いやまてまて、今のところ二度目を見ることもないし、あれは白昼夢だったのかもしれない。

 第一説明してくれと言われても、ペンダントがうんともすんとも言わない以上、私の妄想だと言われるのがおちだ。

 

「剣崎さんは異世界の存在、信じてる?」

「……ある。いや、存在を確信している」

「ふぅん……」

「興味なさげだね」

「仮にあったとして、別に関係ないし……」

 

 ドライな考えかもしれないけれど、人ってそういうものだろう

 今も遠くでは多くの子供たちが死んでいますなんて言われても、確かに多少はかわいそうと思うが、別にそのために命を張るわけでもない。

 身近に、または自分自身が体験しなければ、実在していようが興味なんてわかないのが性質だ。

 

 まあ仮にダンジョンが異世界に繋がっているのだとしたら、いつか行けたらいいとは思う。

 どんなケーキがあるのか気になるし。

 

「それで、カナリアって尖った耳の人に聞き覚えは?」

「……さあ? 聞いたことがないな、異世界のエルフかもしれないね」

 

 ぶらぶらと彼女の前でペンダントを揺らし、軽く尋ねてみる。

 期待はしていない、ダンジョンなんて分からないことだらけだし。

 

 訝し気に首を傾げ、足を組み替える剣崎さん。

 まあペンダントの持ち主である一個人の名前なんて、一体だれが知っているというのだって話だ。

 そこら辺に落ちている新聞紙を、誰が買ったかなんて分からないのと同じ。

 

 丁度その時ミルフィーユが届いたので、会話はいったん区切られた。

 彼女に倣った通り横に倒し、サクサクと頂いていく。

 

 こんがりと焼けた小麦と、芳しいバターの香りが良い。

 食べれば食べるほどフォークも進み、一口が大きくなるのですぐに減ってしまって……

 

「あ、そうだ」

「ん? まだあるのかい?」

 

 減ってと言えばそう、一番大事なことを忘れていた。

 魔石の魔力が減ってしまっていたこと、これより大事なことはない。

 

 が、やっぱりこれも不明。

 

「魔石の魔力が勝手に減る、か……」

「なんかあるの?」

 

 いくつか話は出てきたのだが、そのどれも当てはまりそうにない。

 モンスターにモンスターが食われたときは魔石が出ないなんて、そりゃそうだろう。

 大人数で組むと魔石が出なかっただとか、私たち二人だったしこれもない。

 敵の魔力を吸い取る攻撃を受けた時、魔石が溶けたなんて話も出てきたが、やはりこれも違うだろう。

 第一あそこには私たちと、白銀の騎士しかいなかった。

 

 結局話は行き詰まり、情報が特に更新されることもないまま終わる。

 そういえば白銀の騎士、グレイ・グローリーについても面白い話が一つあった。

 大体のモンスターについているはずの個体名が、なぜか存在しなかったのだ。

 

 これについて剣崎さんに伝えると、何らかのバグかもしれないとあまり興味はなさそう。

 どれだけの数があるかは分からないが、聞けばダンジョンのモンスターの個体名は時々被りがあるらしい。

 もしかしたら名付け親が飽きたのかもねと、いたずらな笑み。

 

 相変わらず謎が多い。

 

 モンスターの名付け親か……物凄いいかつい顔してそうだなぁ……



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十四話

 剣崎さんと相談、と言うにはあまりに進展がなさすぎるそれをした後、そのままホテルへ直帰……してカリバーだけを回収、落葉ダンジョンへと向かう。 することは勿論新たなスキルの習得と、カリバーの新スキルの確認。

 

 本当はすぐにでも確認したいのだが、あまりに強力過ぎたり派手だった場合街中で使うのは厳しい。 勿論協会の裏で軽い運動だとか、バーベキューで火をつけます程度なら問題ないが、建物を壊したりした場合速攻でしょっ引かれるだろう。

 一人一人が強大な力を持ちうる以上、結構探索者の扱いは厳しいのだ。

 

 本当は希望の実集めで花咲へ行きたかったが、どうやら調査で人が多く来るらしい。

 あまりに人が多いところは苦手だ、疲れるしうるさいから。

 

 真昼間に一人でぶらぶら歩いていると、相変わらず街には人が少ない。

 琉希もそうだが若者は学校へ、社会人は会社へ。 ダンジョンが生まれようと大衆のルーチンワークはさほど変わることがなく、皆『普通』を『普通』に許容して生きている。

 

 つい数か月前まで己自身がそこに組み込まれていたのに、気が付けば私という歯車は世間から外れ、一人、奇妙な体験と共に転がり続けている。

 いったい私はどこまで転がり続けるのだろう。

 そしてその転がり続けた先に、一体何が待ち受けているのだろう……何も分からない、何も見えない。

 

「ふぁ……」

 

 大きく背伸びして、全身の筋肉を伸ばす。

 今日も快晴、ぽかぽかと暖かい。

 

 いくら考えたって分からない物は分からないし、似たような悩みを持つ人間は、それこそ何千年も昔からごまんといる。

 そんだけの人が考えておきながら、いまだに人生でこういった悩みが出たら、必ずこうしなさいなんて大衆に受け入れられた結論は存在しない。

 つまりこれまでの道に、そしてこれから私が進む道に正解なんてものは存在しなくて、きっと何度も悩み続けて探っていくことになるのだろう。

 

 まあしいて言うならあれだ。

 ケセランパサラン。

 

 

 快晴だといった直後にダンジョンへ潜るのはどうなのだろう。

 そんな私のポケットは拾った希望の実でパンパン、こうもぎっちり詰まっていればまともに動くことすら支障が出る。

 

 ……このままでは、ね。

 

 私がリュックを背負ってきていないのには、これも多分に関係している。

 昨日のダンジョン崩壊、その過程では私は四桁一気にレベルアップという、誰が聞いても驚愕するであろう躍進を遂げた。

 それによって私は、なんと2000ものSPを入手している。

 

 ここまで言えばもうわかるだろう。

 そう、私が入手するのは……

 

『スキル アイテムボックス LV1 を獲得しました』

 

「おほー」

 

 ポケットからばっさばっさと希望の実を取りだし、空間にできた揺らぎへ叩き込んでいく。

 左右のポケットに詰まっていた希望の実、その全てを叩き込んでもまだ入る様子。

 調子に乗ってカリバーを突っ込んでみれば、残念ながらこれは無理な様子。

 壁へ押し付けているような違和感が返ってきて、どんなに強く押し込んでも進むことはない。

 

 しかしこりゃ便利だ、魔石もこれならある程度入りそうだし。

 

 あまりの便利さに感動した私、ちょっと悩みこそしたが、残っていた1500ポイントも使って『アイテムボックス』をレベル3にまで上げてしまう。

 『スキル累乗』も率先してあげたいところだが、あまり上げ過ぎてもそこまで攻撃力が必要ない。

 白銀の騎士戦でも何度か『累乗スカルクラッシュ』『累乗ストライク』を使ったが、正直身体が結構ヤバい状態になっていた。

 

 下手したらスキルを使った瞬間、体が真っ二つに千切れてしまうかもしれない。

 レベルアップによる恩恵で強靭な体になっているとはいえ、ストライク走法、もとい自殺ダッシュ同様、スキルの使い方によっては身体を痛める。

 さらに『累乗』なんてしていった先には、冗談抜きで……今後はある程度、慎重にスキルのレベルを上げていく必要があるだろう。

 

 いやな想像をしたところで頭を振りかき消し、レベルを上げたアイテムボックスに意識を向ける。

 

 再度カリバーを入れてみれば、今度は何とか丸ごと入ってくれた。

 しかし希望の実とカリバーでやはり限界、これ以上は入らないらしい。

 琉希がいるときは回復魔法でどうにかなるが、ソロの時はやはり傷口を抑える布などが欲しいので、リュック自体はまだ必要そうか。

 

 しかし動き回るとき、リュック内の魔石が動いたりしてまごつくこともあったし、魔石を持たないだけでも相当行動しやすいな。

 

 SPをつぎ込んだ価値はあった。

 これには私も勝利を確信、納得のガッツポーズ。

 今後はおやつついでにケーキを、アイテムボックスに入れて持ち込むのもありかもしれない。

 

 アイテムボックスへ突き込んだカリバーだが、再度引っ張り出す。

 

 軽く素振り、相棒、私、共に調子は上々。

 相変わらず新品同様、傷一つない美しい金属バットだ。

 よしよし、ういやつめ。前々から考えていたが今なら余裕があるし、あとでスポーツ道具店にいって拭く用の油買ってやるからな。

 

 さて、探索者を始めてからずっとそばにいた相棒だが、先日の戦いでなんかスキルを獲得しただとか聞こえてきた。

 確かにカリバーは壊れないというだけで強力だが、騎士の剣の強力な効果を見た後だと、やはりちょっと物足りない感はある。

 今後戦い続ける中で何の能力もない武器を振るうのは、拳を痛めにくいなどそりゃ素手よりはましだが、流石に勘弁してもらいたい。

 

 そんなタイミングで新たなスキル、これはもはや天命といっても過言ではない。

 神が私に、カリバー一本で戦い抜けと言っているようなものだ。

 

 ふふ、私のために進化するなんて、お前もなかなか献身じゃないか。

 さあ見せてみろ、お前の新たな力を!

 

「『鑑定』!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十五話

「『鑑定』!」

 

―――――――――――――――――――――――

 

 名称 カリバー(フォリア専用武器)

 

 スキル

 不屈の意志

 巨大化

 

 逆境を乗り越え、運命に抗うと決めた少女の武器

 彼女が歩みを止めぬ限り、この武器は傍へ寄り添い

 続けるだろう

 

―――――――――――――――――――――――

 

 カリバーの新スキルは、あまりに単純なものであった。

 どこまで行っても文面通りの意味にしか受け止められない、大きくなるだけ。

 

 どうやらMPを消費することで、縦横太さ好きなように変形できるらしい。

 変化量に応じてMPの消費も変わるようなので、木の上に何か引っかかったなどであれば、まあ使えなくもなさそう。

 しかし思っていたのはこう、なんというかド派手なイメージ、例えば魔法剣ならぬ魔法バットとか……だったのでちょっと拍子抜け。

 

 まあそう使いにくい能力よりかは、こういったシンプルなのも悪くないのかな。

 

「ふーん……『巨大化』っ!?」

 

 取り敢えずすべて三倍くらいにしてみるかと、軽い気持ちでスキルを発動した瞬間だった。

 重力が突然横方向に発生し、体が無理やりに引きずり込まれた。

 

 ガンッ!

 

 返ってきたのはやたらと重くなり、腰が抜けたかと思うほどの衝撃。

 太くなったカリバーの先が地面へめり込み、持ちづらくなったグリップを取り落としてしまう。

 焦り、動揺。

 今の私はきっと、ひどく滑稽な顔をしているだろう。

 

 ちょっと待って、ホンマに重い。

 

 落ち着いて拾ってみれば、流石レベル四桁を超えた身体能力、そこまで苦労なく持ち上げることが出来た。

 しかしながら重いものは重い。子供用金属バットとは言った何だったのか、恐らく一キロもない程度であったはずのカリバーが、今じゃ数十キロはあるんじゃないかと思うほど。

 特に元々先っぽの方が重かったのもあって、グリップを持つくらいならまだしも、持ち上げて『累乗ストライク』を振るとなれば肩がぶっ壊れそうだ。

 

「ふぬぬ……っ! しょあーっ!?」

 

 試しに振ってみたが、これがまたアホかってほど重い。

 全力で踏ん張っているのに体がもっていかれる。

 振り回される役目はどっちだって話だ。あーだめだめ、中止中止。

 

 軽く嘆息。

 さっくり元の大きさに戻し、カリバーを『アイテムボックス』へ戻す。

 ちょっと冷静になって考えたら、めり込んだ状態でも触って、小さくさせてから拾いなおせばよかったなこれ。

 

 どうやらこれ、大きさだけでなく質量自体も相応の物になっているらしい。

 一体どんな仕組みだ、どっからその質量は来たのかがさっぱり分からないぞ。

 大きくなるだけなら谷の先など、遠くの物を突くなどに使えたかもしれないが、ここまで重くなると厳しい。

 遠くの物を突く前に取り落として、川だとか溶岩に流されていきそうだ。

 

 そういえば紛失した場合って、専用武器はどうなるのだろう。

 

 考えたことがなかった。

 はたして忠犬カリバー公として戻ってくるのか。実験は失敗した場合のダメージが大きすぎて、全くやろうという気にならないが。

 

 

 大まかにスキルなどを調べ終えた後、私は適当にダンジョンを進んでいくことにした。

 別にダンジョンを舐めているわけではないが、今のレベルはFランクの適正上限である500を、既に1000以上超えている。

 ちょっと探索するくらいなら、別にさほど問題ないだろう。

 

 うーん、まずい。

 

 ポイポイと希望の実を口の中へ放り込み、久しぶりの絶望的な不味さを堪能する。

 舌が痺れるほど渋く、涙が出るほど酸っぱく苦い。その上喉の奥底から湧き出す青臭さまであるのだらなぜここまで不味いのか理解が出来ない。

 たとえ気が狂った人間でも、これを一つ口に放り込めばすぐに正気を取り戻すだろう。

 

 まああまりの味にやられて、さらに頭がおかしくなるかもしれないけど。

 

『ブルルルルッ! フンッ!』

 

 ぼけっと歩いていると、オークとばったり出会った。

 

 

 こんなに恐ろしい奴、世界に存在しないなんて思っていた時もあったなぁ。

 風を斬り、猛烈な音を立て襲い掛かる石斧を見て、のんきな感想。

 

「でも……もう私の方が強い」

 

 

 希望の実をパキ、とかみ砕き喉で笑う。

 

 

 常人をミンチへ変えるような攻撃も、あの騎士の一閃と比べれば赤子とさして変わらない。

 ヤクザキックで合わせれば斧はへし折れ、そのままオークごと壁へと叩きつけられる。

 

 おらおらー、かかってこいやー

 

 以前来た時ですらさほど苦労しなかったのだから、今戦えばなおさらだ。

 カリバーを使うまでもなく、パンチやキックだけですべて倒していけるのだから、レベルアップの恩恵は計り知れない。

 

 

 振られた剣を二本指でキャッチしてどや顔をしたり、ステップで背後に回って頬を突いたりして遊びつつ、ダンジョンの奥底へと降りていく。

 そして潜り始めてから二時間。

 疲労感など全くないまま、私はボスエリアである巨大な扉の前で軽くストレッチをしていた。

 

 落葉ダンジョン、ちょろいぜ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十六話

 落葉ダンジョン、その最終階。

 スニーカーの紐を結びなおし、トントンと軽くつま先で地面をたたく。

 調子は上々、気分はハイテンション。

 一つ歌でも歌いたくなるようないい気分だ。

 

 ただ一つ残念だったことは、私のレベルが上がり過ぎたせいか、道中で全くレベルが上がらなかったこと。

 まあ仕方ない。

 レベル400の時ですら200レベル相手に、琉希もいて1上がるかどうかであったのだから、二倍どころか十倍近く離れている敵もいる落葉でレベルが上がるなど、そううまい話もないか。

 魔石はいくつか拾ったが、今はさほどお金が入用でもないし、必死こいて集める必要もない。

 

 さて、ここのボスはどんなやつかな……っと。

 

 ギィ……と、ちょっと手入れがされていなさそうな音、壊さぬようにゆっくりと扉を開ける。

 

 ダンジョンの扉って壊れるのかな……人が全く入っていない『麗しの湿地』ですら問題なかったし、これもあくまで雰囲気づくりなのかもしれない。

 

 はて、ダンジョンの雰囲気づくりとは? 謎が深まるばかりだ。

 

 扉を抜けた先だが、これが暗くてよく見えない。 じっと目を凝らせば、何やら奥にぼんやり輝いているのが見える。しかしそれだけだ。

 だが足音がやけに響くので、どうやら相当このボスエリアがしっかりした密室ということは分かった。

 ひとつ入り口近くに設置されていたランプをかっぱらってくれば良かったか? いやしかし戻すのも面倒だし、今更戻るわけにもいかない。

 

 いっそ『累乗ストライク』でカリバーを思いっきり輝かせて、ちらちらと状況を確認して戦うか? なんて考えていた時だった。

 

「お」

 

 ボンッ

 

 ゆらりと揺れる私の影。

 見上げればはるか遠くの天井で煌々と燃えている、動物のらしき頭蓋骨を寄せ集めた趣味の悪いシャンデリア。

 いやぁ、これはないな。趣味があまりに悪すぎる、もう少し可愛らしくできない物だろうか。

 天井をしばし眺めていたのだが、ちらちらと視界の端で輝くもの鬱陶しい。

 一体何かと睨みつけるとそこにあったのは、私の身長と同程度はあろうかという、巨大な淡青色のクリスタル。

 綺麗な六角形にカットされており、全体を金色の金属で装飾されていて、見るからに豪華。

 

 くるり、くるりとゆっくり回っていて、カットされた部分がシャンデリアの光を受け乱反射、それが私の視界へ飛び込んできたようだ。

 何かに吊り下げられているわけでもなのに、不思議と数十センチ浮かんでいる辺り、やはりあれもダンジョン産の物というわけか。

 

 あれ持ちだしたら高く売れそう。

 

 一瞬邪な考えが浮かぶが、ほかに何かモンスターが居ないあたりあれがボスらしい。

 ボスなんて外に持ち出したら……いや持ち出せるかは分からないが、人工的なダンジョン崩壊にも近いことが起こる。

 死刑か無期懲役か、どちらにせよまともな最期は遂げられそうにないかな。

 まあ死と隣り合わせの探索者やっている時点で、結構な人数がまともな最期なんて遂げられないだろうけど。

 

 何はともあれあれがボスだというのなら、まずはステータスの確認だ。

 明かりがともっても何もしてこない辺り、先生や白銀の騎士同様、接近したら変形して何か攻撃を仕掛けてくるのかな?

 

「『鑑定』」

 

――――――――――――――

 

種族 ゴブリンキングダム

名前 マイケル

 

LV 500

HP 10000 MP 75383

物攻 0 魔攻 0

耐久 0 俊敏 0

知力 3876 運 40

 

――――――――――――――

 

 ……なんだこのステータスは。

 ダンジョンの命を懸けた渾身のギャグなのだろうか、小学生ですら鼻で笑いそうだが。

 

 HPとMP、それと知力だけは高い。

 しかしその他のステータスはちょっとお粗末というレベルを超えている、スライムの方が幾分かましだ。

 大方なんらかのカードを隠し持っているのだろうが、それにしたってこれは……

 

 何より名前が酷い、宝石にマイケルだなんて何を言っているのかちゃんちゃらおかしい。

 それにキングダム……ええっと、王国? だなんて、誰もいないじゃないか。

 支える者のいない王なんて、地面に円を描いて俺の領土! なんて言っている子供じゃあるまいし。

 

 さんざんな言い方だが、ほいほい近づくことはしない。

 どうせ近づいたらなんかしてくるんだろうなぁ……と、流石の私でも学んでいる。

 

 カリバーを上に構え、縦の衝撃に備える。

 

「『巨大か゛げぇ……っ!?」

 

 突然襲い掛かってきた横からの衝撃、流石にこれは予想していなかった。

 

 想定外の衝撃に変な声が零れるが、ダメージ自体はさほどでもない。

 くるくると全身を吹き飛ばされながらも脳内は冷静、何度か空中を回転しつつ壁に着地、そして蹴り飛ばし地面へと帰還。

 一体何が行ったのか、元居た場所へ注意を向ける。

 

 デカい。

 

 最初の感想はその一言。

 手に握っているのは木のこん棒だろうか、それだけでも私の胴体より太い。

 緑の肌はゴブリン特有のそれ、しかし腕、足、体、そのどれを取っても今まで出会った奴らとは比例できないほどの、バカみたいなサイズ。

 

 こんな奴一体どこにいたのか。

 まるで突然現れたみたいに気配もなく私の背後を取り、ぶっ飛ばしてくれた。

 

「『鑑定』」

 

――――――――――――――

 

種族 ホブゴブリン

名前 イーナ

 

LV 500

HP 2741 MP 0

物攻 632 魔攻 0

耐久 3071 俊敏 202

知力 13 運 40

 

――――――――――――――

 

――――――――――――――

 

種族 ゴブリンキングダム

名前 マイケル

 

LV 500

HP 10000 MP 74883/75383

 

――――――――――――――

 

 ……なるほどね。

 

 どうやらこのゴブリンキングダムとやら、MPが減っている辺り召喚士に近いらしい。

 背後を取ったのではなく、背後に『召喚された』ってところだろう。

 そして減ったMPは500、ホブゴブリンのレベルも500。

 

 レベル差があり過ぎてどうかと思っていたが、中々面白くなってきた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十七話

 棍棒を避け股座へ身を滑り込ませ、その膝を裏からヤクザキック……が、ちょっとよろめくだけで倒れない。

 私の攻撃力の低さもさることながら、ホブゴブリンの耐久力に割り振られたステータス、これが厄介だった。

 バックステップで一度撤退。今回は使う必要ないかと思っていたが、アイテムボックスからカリバーを引っ張り出す。

 

 押し潰すような振り下ろし、棍棒を横へ薙ぎ払う様に叩き、降りてきた頭へ

 

「『ストライク』!」

 

 まずは一発。

 

――――――――――――――

 

種族 ホブゴブリン

名前 イーナ

 

LV 500

HP 2085/2741 MP 0

 

――――――――――――――

 

 ただでさえ高い耐久に加え殴った部位が堅牢な頭蓋骨、衝撃に手がビリビリ痺れる。

 その身を起き上がらせようと呻く巨漢、ついでにもう一発頭へ『ストライク』を叩き込んでから一度撤退。

 

 奥へ目をやれば『ゴブリンキングダム』はくるり、くるりと光を反射しつつ静寂を保っている。

 数で圧殺してくるかと思ったが、高みの見物でも決めているつもりか。

 まあいい、ちゃっちゃか終わらせよう。

 

「……『スキル累乗』対象変更、『スカルクラッシュ』」

 

 体勢を立て直したヤツが、私を潰そうと連続の叩きつけ。

 しかしどれも遅い。

 軽く何発か避けた後、微かな溜め。渾身の一発であろうそれに向かって、全力で突撃。

 

「『ステップ』!」

 

 当たらないようにぎりぎりを避けたのだが、これまた衝撃波が凄い。

 服や髪がばっさばっさと煽られる辺りステータスで勝っているとはいえ、ダンジョンのモンスターというのは怪物なのだなと、しみじみ思う。

 ぴしぱしと頬に当たる砂粒を感じつつ、その巨碗へ足をかけ首元へと駆けあがる。

 

 こうやって動き回っている自分が、まるで別の世界にいる存在にすら感じられた。

 現実感がないというか、自分なのに自分だという実感がないというか。

 そしていつも死にかけた時に思うのだ、ああ、あほなことしたなぁって。

 

「『スカルクラッシュ』!」

 

 カリバーが背中に当たるほど反った体、指で曲げられた定規が元に戻るように、私の身体も撓りとスキルの導きを受け元へ戻ろうと軋む。

 そして体が一直線になった、その瞬間。

 

「『巨大化』!」

 

 三倍ほどの長さに変化したカリバーが、強かにその頭蓋骨を打ち据えた。

 体が振り回されてしまうのなら、もともと踏ん張りの効かない空中や、攻撃を決める直前に巨大化させればいい。

 

 着地と同時に大きさも元通り、背後でホブゴブリンが光へと変わる。

 

 攻撃直前での『巨大化』、これは結構使えそうだ。 確かに巨大化した直後は反動がかなりあるのだが、振り下ろし中などタイミングをしっかり選べば、ダメージは最小に抑えられる。

 

 重さはしっかりと増えているのでダメージの底上げも狙えるし、使い方次第では強力な武器だろう。

 そして今、ボスマップにほかのモンスターはおらず、キングダムと私の間にはだだっ広い地面が広がるのみ。

 このチャンス、十二分に使わせてもらう。

 

 ホブゴブリンの魔石を拾いあげ、すかさず

 

「『ストライク』」

 

 クリスタルへと、砕かぬよう力を抑え叩き込む。

 ホブゴブリンは特に属性などないだろうが、ダメージとしては十分なものになるだろう。

 一直線に父親の下へと戻り、輝きを放つ魔石。

 

 ……が、しかし即座に現れたモンスターたちがそれを受け止め……こちらへ投げ返してきた。

 

「ちょっ……!?」

 

 ドンッ!

 

 全身へ襲い掛かる衝撃波。

 這う這うの体で爆風から転がり出て、口の中に入った砂利を吐き出す。

 別に絶望的なダメージではないが、痛いものは痛い。

 

「けほっ、けほっ……んんっ」

 

―――――――――――――――――

 

結城 フォリア 15歳

LV 1548

 

HP 2794/3014 MP 7640/7730

 

―――――――――――――――――

 

 やられた。

 

 己の意志で発動する魔法と違って、あくまで魔石爆弾は魔力が暴走しているようなもの。

 対象を選ぶことなんてないし、こうやって冷静に投げ返されてしまえば、使用者に牙を剥くのも当然。

 数えるのもうんざりするくらい大量のゴブリンたちが並んで、こちらへ勝鬨かの様に叫んでいる。

 一体しか出していなかったのは、どうやら私が遠距離の手段を持っていないと思っていたからか。

 

 今の魔石爆弾は完全に失敗だったな、無駄に警戒させるだけで終わってしまった。

 

 仕方ない、多少の消耗は覚悟でいこう。

 

「『ステップ』! 『ストライク』! 『ステップ』!」

 

 私が動き出したのを皮切りに、ゴブリンたちの大群もこちらへを押しつぶさんとばかりに突撃。

 全身へ勢いをつけ全力での疾走、そして跳躍。子供がおもちゃを投げたように、くるくると回る私の身体。

 視界に見えるゴブリンたちは、数こそ多いがレベルは100かそこら。

 

 それならこれで行けるはず……多分。分からない、失敗するかも。

 

「『スカルクラッシュ』! 『巨大化』!」

 

 五倍ほどに伸ばしたカリバーは重く、みち、みちと筋肉が軋む。

 どうやら継続的な戦闘を考えるのなら、ここら辺が限界らしい。

 恐らくこれ以上『スキル累乗』や『巨大化』を重ねたら、ぼっきりと骨が逝く。本能的に理解できるほど、ぎりぎりの一撃。

 

 どう、と鈍重な一撃。

 ゴブリンたちの集団に一文字が刻まれ、空白地帯に魔石が転がる。

 その瞬間限界に近かった体から、すぅっと痛みが抜けた。普段はあまり効果を感じられない『活人剣』だが、こうも一気に倒してしまえば、ある程度は実感が沸く程度の効果はあるらしい。

 

 ……まだ行けるか?

 

「……っ、『ストライク』ッ!」

 

 

 

 奥歯をぐいと噛み締め、土へ踵をめり込ませる。

 流石に厳しい。

 腕にかかる負担が凄まじいが、そんなのお構いなしだと、スキルの導きは私を操る。

 風を、空間を、そしてゴブリンたちを薙ぎ払うカリバー。

 

 数にして四分の一ほど、大量にいたそれをゴミの様に叩き飛ばし、痛む肩で息。

 

 力を入れ過ぎたせいか血圧が上がり、頭がくらくらする。

 もうやりたくない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十八話

 飛び跳ねて叩きつけ、時計の様にぐるりと回って薙ぎ払い。

 たまに槍だとか弓矢が飛んできたりするが、上がった耐久力のおかげだろう、さほどダメージを受けることもない。

 

 暫く暴れていると、途中から一撃では死なないゴブリンが出てきたので、飛びながら『巨大化スカルクラッシュ』をメインに叩き込んでいると、ゴブリンの数が減っていることに気づいた。

 伸ばしたカリバーを振り回すときに、手に伝わる衝撃が随分と収まってきたからだ。

 

――――――――――――――

 

種族 ゴブリンキングダム

名前 マイケル

 

LV 500

HP 10000 MP 0/75383

 

――――――――――――――

 

 ……MPが切れて召喚すらまともにできなくなったようだ。

 倒した数からしてMP切れからは程遠いと思ったのだが、途中から硬くなった辺り、もしかしたらレベルを多少上げて召喚するようにしていたのかもしれない。

 

 臣下のいなくなった王国を、はたして誰が一体国だと認めようか。

 こうなればもう後は叩くだけなので、道を塞ぐゴブリンをなぎ倒しつつ詰め寄り

 

「『スカルクラッシュ』!」

 

 一発全力で叩き込んでやれば、哀れにもクリスタルは砕け散ってしまった。

 同時に周りで生き残っていたゴブリンたちも同時消滅、しかし私が倒していないからだろう、残念ながら魔石を落とすことがなかった。

 

『レベルが上昇しました』

 

 1000以上あるレベル差、ここに来るまで、そしてここで倒したゴブリンたちの分も合わせてようやく1レベル。

 ダンジョン崩壊に立ち会って理解したが、今の私のレベルがあろうと、Fランク以上のダンジョンが崩壊したときにはまともに太刀打ちできないだろう。

 なんたって推奨上限が10レベルのダンジョンですら、1000レベルの化け物が生まれるのだ。Fランクなら押して図るべし、だ。

 

 生活が安定したことで、正直腑抜けていたところがあると思う。

 今回最初に殴り飛ばされたのだって、もっと慎重に周囲を見回していれば食らうことはなかったし、より上位のダンジョンならあの時点で死んでいた。

 今回は希望の実集めついでに訪れたが、もっとレベルを上げるためにも、より上のダンジョンへ向かわなくては。

 

 ドロップした魔石は『ゴブリンキングダム』そっくりの淡青色、シャンデリアの光を反射して輝いている。

 相変わらずほかのドロップは無し。

 そういえばこの前の騎士戦後、参照のできないスキルと共に運が1上昇していて少し期待していたのだが、所詮は1ということだろう。

 

 ぐいと背伸びをして、とれたて新鮮な希望の実を口に放り込む。

 

 ふぃー、疲れた。

 

 

 

「魔石……なにそれ?」

「あ? 猫だよ猫、ダンジョンに入り込んでたのをほかの探索者が拾ってきたんだ」

 

 協会へ足を運ぶと、ウニが黒い物体を撫でていた。 拾ってきた本人も家だと飼えないということで、協会で預かることになったらしい。

 腹を見せてうにゃうにゃと、ウニに撫でられて情けない姿を見せている。

 

 どれ、一つ私も撫でてみるかと手を差し出せば、鋭い爪が手のひらを襲う。

 

 

 にゃふーっと満足げな鼻息、どうやら私が気に食わないらしく一撃浴びせてきたようだ。

 まあレベル差でダメージなんて全くないので、無視してそのまま撫でる。くふふ、お前ごときが私に勝てると思うなよ。

 柔らかくて暖かい。良いな動物、動物飼いたいかも。

 

「めっちゃ嫌がってるんだけど」

「うん」

「あんまり嫌がらせするなよ……」

 

 ポケットから魔石を取り出し、ごろんと机に転がす。

 ウニも心得ていて、それに手を……

 

『あっ』

 

 横からひょいとそれを咥え上げ、猫が飲み込んでしまった。

 こ、このやろう。

 

「吐け」

『ミ゛ィィィィっ!』

「こらこら振るな振るな、お前も吐き出せって」

「吐け、痛っ」

 

 脇の下から掬い上げわっさわっさと揺さぶっていると、その爪が頬を薄く切る。

 触っても血は出ていないがひりひりと痛むし、跡にはなっていそうだ。

 

 代金は後で弁償するとウニは言うが、ぞんざいに置いた私にも問題がある。

 今回は互いに悪かったということで弁償もなし、それより魔石なんて飲み込んだ猫の調子が心配だ。 本人はいたってマイペースに毛づくろいしていて、全く苦しんだり痛がるそぶりを見せない。

 

 魔石なんぞ絶対に体に悪いのに、本当に飲み込んで大丈夫だったのだろうか。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十九話

 日曜日、一週間ぶりとなる琉希との会遇。

 午前の九時に協会の前で出会い、一週間で随分と協会に馴染んだヤツを彼女が見つけた。

 

「やーん、可愛いですね!」

 

 ぐにぐにと琉希の腕の中で揉まれる黒猫……もとい、クロ。

 きんきらの黄色い瞳をぱちくり、きゅうと黒目を細めて気持ちよさそうに撫でられている。

 ゆらりと揺れる長い尾、気分は上々らしい。

 

 なぜか私以外の人間にはなついていて、どんなに撫でられようとも抵抗をしない。

 しかしひとたび私が手を伸ばせば……

 

『フシャーッ!』

「む……」

 

 半ギレ状態で切りかかってくる。

 完全に嫌われてしまった……というか最初から嫌われていたので、あんまり変わってないのか。

 いったい私の何が気に食わないというのか、引っかかれるのは無視してそのまま撫でる。

 

 ふふん、猫ごときが私に勝てると思うなよ。

 

 み゛よぉぉ、と地獄の底から響くような鳴き声、勿論力をかけているわけでもなく、やさしくなでている。

 どんだけ私に撫でられたくないんだ、そんな声出されるともっと撫でたくなっちゃうじゃないか。

 

「相変わらず相性悪いなお前たちは」

「あ……」

 

 背後から筋肉が現れ、ぽんとこちらの頭を撫でてくる。

 瞬間、私にいじられていたクロがぴょんと起き、彼の肩へと飛び乗った。

 クルクルと機嫌よさげに喉を鳴らし、彼の頬へ顔をこすりつけているのだが、どうやら協会の職員の中でも筋肉が一番のお気に入りらしい。

 

 いったい私と何が違うんだ。筋肉か、やはり筋肉なのか。

 

 彼がポケットから取り出したカリカリを旨そうに食べているので、こちらも便乗して希望の実を差し出す。

 しかし軽く嗅いで猫パンチ、希望の実は要望に沿えなかったようだ。

 

「……そろそろいいか?

「うん」

 

 クロを下ろした筋肉、琉希、そして私が協会の奥へと進む。

 勿論話す内容は先週のダンジョン崩壊、その調査結果と魔石についてだ。

 

 三人ソファに腰を下ろし、顔を付き合わせる。

 

「どっちから話してほしい?」

「私は探索者になったばかりで詳しくないので……フォリアちゃん、後は任せました!」

「ん、花咲のダンジョン崩壊について」

 

 

 ダンジョンの崩壊はめったに起こるものではないが、一度起こってしまえばとてつもない災害と化す。

 そのくせ噴火などと違って予兆なんてものがほぼなく、私たちの様に予兆を察知しても知らせるため外に出ることが出来ないのだから質が悪い。

 ダンジョン内は当然通信機器なんて使えないので、それが一層情報伝達の困難さを上げていた。

 

 つまり私たちの様に予兆に巻き込まれ、その上で情報を持ち帰る存在は珍しいということ。

 出来る限りダンジョンについて情報を仕入れたい協会側もそういった手合いに対しては、随分と手厚い扱いをしてくれる。

 普段は魔石の売り買い程度の扱いでも、こういうときばかりはあれこれ情報の融通をしてくれると言訳だ。

 

「花咲ダンジョンは完全に鎮静化していた、崩壊はもうしばらく起こらないだろう」

「一度収まったからって二度目はないって根拠は?」

「経験則、だな。少なくとも今のところ、同じ場所が短期間で崩壊の予兆を見せたことはない」

 

 ダンジョンが世界に生まれて三十年弱。

 果たしてその時間が根拠として十分に働くかは人によるだろうが、少なくとも私よりは情報に通じているだろう。

 協会が大丈夫だというのなら、私があえて食って掛かる必要もない。

 花咲は沈静化してもう崩壊の危険性はない、私もそれでいいと思う。

 

 どういう理論かは知らないが、ダンジョン崩壊が確かにあったという証拠も確認したらしい。

 嘘をついても意味はないというわけ、まあ嘘なんてついていないから私には関係のないことだが。

 

「んでこれが崩壊を止めたってことで、協会からの報奨金な」

 

 筋肉が机の下から、一枚の封筒を取り出す。

 一枚の封筒といっても相当分厚く、一つの箱とでも言われた方が納得できるほど。

 随分と好待遇だ。

 

「ええっと、私はそこまで活躍していないので……」

「半分は私の口座に入れといて」

「そう言うと思って既に半分に分けてある」

 

 ニヤリと笑みを浮かべ。筋肉はさらにもう一つの封筒を取り出してきた。

 必死に断って返そうとする琉希であったが、彼女が居なければ今の私はこの世にいなかった。

 断られる方が困るので、無理に押し付けてしまう。

 

 私の分は筋肉が机の下に仕舞い、コホンと一つ咳。

 

 次の話こそがメイン、なぜ魔石の魔力が少なかったのかについてだ。

 魔石は研究所へ送られたはずだが、そこなら何か原因が究明できるかもしれない。

 しかし彼の顔は、以前と同じく渋い物。

 

 ……これはあまり期待できなさそうだ。

 

「一つだけ、分かったことがある」

「ほほう、一体何でしょう!」

「魔石の魔力だがな、抜き取られたんじゃなく最初から少なかったらしい。数値にしておよそレベル二桁程度」

 

 最初数値を図ったとき、筋肉は魔力を使ったんじゃないかと聞いてきた。

 しかしどうやらあの魔石、そもそも入っていた魔力が少なかったと……ふむ。

 勿論ダンジョン崩壊の痕跡などがあった以上、虚偽の報告だとも取れないので、はっきり言って研究所もお手上げだと。

 

 お前、まさか魔石を間違えてないよな? なんて疑いの目。

 失敬な、ちゃんと渡した。

 第一魔石なんて持っていたところで、私が使うことはほぼない。

 強いて言えばウニから借りる銃だろうが、あの程度なら1000レベルもあるモンスターの魔石を使う必要もない。

 

「……怒らないんだな」

「うん、前はごめん」

「気にするな」

 

 まるで犬か猫でも扱っているように、雑に頭をぐりぐり撫でられる。

 髪がぐちゃぐちゃになる、やめろ。

 

「なんか親子みたいですね」

「別に……そんなんじゃにゃい」

「あっ、噛んだー! 恥ずかしいんですね、分かりますよ!」

 

 横で見ていた琉希がにやにやと、いやな笑み。

 筋肉が親だなんて冗談じゃない。

 親なんてどいつもまともじゃない奴らだ、そんなもの……

 

 話も終わったので、琉希の手を引っ張って部屋を出る。

 熱くなった頬は隠して。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十話

これで無事全部移動完了です

ありがとうございました

――――――――――――――――――

 

「今日行くダンジョンだけど……」

「あ、ちょっとその前に良いですか?」

「なに?」

 

 きりりとした琉希の顔。

 にやけがない、一体何が彼女をそんな顔にしたのか。

 

 

 

「髪型はいかがなさいますかぁ?」

 

 茶髪を緩く巻いたお姉さんが、私の髪を弄って甘ったるい声で話す。

 目の前には巨大な鏡、そして普段より輪をかけて固まった私の顔。

 何もかもが暖色で構成された部屋……というより街にある美容院だ、ほかにも若い女性が何人か座って、あれこれ談笑しつつ髪の手入れをしている。

 

 どうして私はこんな場所にいるんだろう。

 今までまともに関わったことのない場所にいるので、全身が凄いむずむずする。

 髪なんて適当に肩から上で切っていたので、髪型をどうするかなんて言われたところで、適当にしろとしか言えない。

 

 しかし初対面の相手、そう気軽に話すのも気が引ける。

 どうしよう……逃げたい、帰りたい、ダンジョンいきたい、希望の実食べたい。

 何なのだこれは、どうすればいいのだ。

 

 どうしたらいいか分からなくなったので、ここへ連れてきた本人へ救援要請。

 

「りゅ、琉希……!」

「フォリアちゃん可愛いんですけど、こう、髪とかあんまり手入れしていないのが気になっていたんですよね! この機に色々やっちゃおうかなって!」

 

 後ろから一応返ってきたが、返答が返答になっていない。

 くそっ、前も横もニコニコニコニコした奴らに囲まれていて、逃げ道がない。

 なんでこいつらこんなに笑顔を貼り付けているんだ、普通の表情はどこに置いてきたんだ。今すぐ私が嵌めなおしてやる。

 

 他人へ無防備に首筋を晒すのが、こんなにも不安になるとは思ってもいなかった。

 手癖なのか知らないが、櫛で何度も襟足を梳かれるたびにこそばゆさと恐怖が交互に訪れ、一秒たりとも落ち着けない。

 

「髪質は細くて柔らかいのでぇ……してー……トリートメントをー……」

「ウッス……ウッス……」

「あっ、それならカールさせて……ーを……」

 

 何言ってるかさっぱりわからん。

 ニコニコともはや私は置き去り、琉希と美容師の激しい舌戦が頭上で繰り広げられる。

 下手したら苦手な数学よりも分からない、あーあー、もう少し日本語でしゃべってくれ。

 

 硬く目を閉じ、すべて放り投げて椅子へ身を沈める。

 確かにおしゃれはしたいと以前考えていたが、こうも複雑怪奇だとお手上げだ。

 もう知らん、お金は払うからあとは全部任せた。

 

 

「すっごい可愛いですよ!」

「そ、そう?」

「ええ、ええ!」

 

 パチパチパチとテンション高く拍手、ゆるく巻かれた私の髪。

 髪を洗ったりトリートメントをかけたり……あれこれやっていたらしいのだが、気が付けば既に三時間以上経過していた。

 その上その店専売のシャンプーだのトリートメントだのを買わないかと勧められ、よく分からないまま買ってしまった。

 もしかして私はいいカモ扱いされたのでは、と気づいたときにはもう遅く、紙袋片手に美容院の前で茫然。

 

 怒涛の勢いであれこれと押し付けられ、何を言っていたのか半分……いや、四分の一も理解できなかった。

 取り敢えずそれらは全部、空にしていた『アイテムボックス』へ放り込む。

 髪質は一日二日で改善するものでないし、毎日使ってくれなどと言われた気がするので、一応今日から使ってみようとは思う。

 

 はあ、疲れた。

 美容師との会話は楽しくもあったが、なんか物凄いあれこれ喋ってくるし、なぜそこまで話すことがあるんだとこちらが聞きたくなるくらい、次から次へと話題が飛び出て目まぐるしい。

 舌噛まないのだろうか、口の中にばねでも仕込んでいるんじゃないか?

 

 近くのハンバーガーショップに入り適当に注文、ポテトを食べながらジュースを吸い込む。

 うまい。

 ポテトが香ばしいのは、揚げ油にラードを使っているからだろう。

 壁に貼ってあった紙にそう書いてあるので間違いない。

 

「ふぃー……、それでダンジョンなんだけど」

「次はですねー、服を買いに行きましょう!」

「ま、まだ行くの……!?」

 

 終わらない店巡り、一体何が彼女をそこまで駆り立てるのか。

 

「何言ってるんですか! コンビニの服ローテなんて、十五の女の子がする生活じゃありませんよ! もっとかわいい服着て、楽しいことしましょうって!」

「い、いや……よく分かんないし……」

「じゃあ私が教えてあげます! なんならお金は私から出しますから!」

 

 金を出すから一緒に行こうだなんて、まるで私がヒモみたいじゃないか。

 いやお金は私もあるからそんな気にしなくていいのだが、ダンジョン……まあいいか。

 

 分厚いハンバーガーを一口、うまい。

 横目で琉希とちらりと見れば、彼女も笑顔でエビバーガーに食いついていた。

 

 なぜ私なんかに構うんだろう。

 無口だし、自分でいうのもあれだが態度も素っ気ないし。

 人当たりのいい彼女だからきっと友人も多いだろう、わざわざ私とつるむ必要がないだろうに。

 最初は何か企んでいるのかと思いきや、多分大体の行動をそこまで考えてやっているようにも思えない。

 

 全くもって理解できない。

 まだクロの方が考えを理解できる気がする、どれもこれもが突拍子もなさすぎる。

 

「なに笑ってるんですか?」

「……別に」

 

 ……別に笑ってなんかいない。

 ただ顔が、そういう風に見えただけだろう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十一話

久しぶりなのでゆっくりではありますが、続きを書いていきたいと思います。

―――――――――――――――――――

 

 先週は結局彼女と遊び歩き、ダンジョンに向かうことが出来なかった。

 まああれはあれで楽しかったのだが、それでは色々と困る。

 今日も出会って早々カラオケでも行こうと言ってきたので、いや待て待てと、そもそも琉希も学費を稼がないといけないのじゃないかと説き伏せ、落葉へと潜ることになった。

 

 本当はもう少し上のレベルに行きたかったのだが、彼女のレベルが上がったのはあまりに偶然、そこまでの本来積むべき経験を一切積んでいない。

 仕方のないことである。

 

 それはいい、それはいいのだ……が。

 二人でダンジョンに潜ってから、奇妙な出来事が起こっていた。

 

「……落ちた?」

「落ちませんねぇ……」

 

 ダンジョンに入ってから彼女と手のひらを翳し、パーティ契約を結んでからのことだった。

 魔石が落ちない、一つたりとも。

 どちらかが隠しているだとか、暗くて見えないとかではない。

 一つたりとも落ちることがないのだ、たとえ階層を潜ってもそれは同じであった。

 

 思い出すのは白銀の騎士と戦った後、なぜか魔力の減っていた……というより異常に少ない保有量であった魔石。

 だがしかし今日はその肝心のペンダントも、一つたりとて持ってきていない。

 何が原因なのか、どうして魔石が落ちないのかさっぱり見当もつかない。

 

 どうしたらいいんだ……?

 

 思わずその場で頭を抱えしゃがみ込む。

 

 私はいい、まだお金は沢山ある。

 しかし琉希は割と死活問題だ。

 なんたって彼女が探索者になったのは、そもそも学費を稼ぐため。

 今は花咲のダンジョン崩壊で貰った報奨金があるとはいえ、それだけでは流石に学費に足りないだろう。

 

「ま、まあそういう時もありますよ! 帰ってこのままゲーセンでも行きません?」

「うん……」

 

 互いに手のひらを重ね、パーティの契約を解除する。

 なんと空しい帰還だろう。

 一時間ばかり狩り続けたというのに、成果がないとはここまで虚無に満ちたものだったのか。

 

 

 一階へ戻ったときの事であった。

 来た道をトボトボと歩き、成果なくスカスカのリュックをぶらぶら振り回す。

 

「お」

 

『フゴッ!』

 

 丁度目の前にオークが居て、こちらと仲良く視線が交わった。

 

「ほいっと」

 

 琉希の掛け声とともに岩が飛び掛かり、ぐしゃっと豪快な一撃。

 流石に二桁もレベルが離れていれば、どんな適当な攻撃でも一撃で沈む。

 それに何度も倒しているので、何か興奮だとか、得られることもないので淡々としたもの。

 

 しかしそこに転がっていたもの、それが私たちの動きを停止させた。

 

 つやつやと輝く、手のひらに乗る程度の石ころ。

 しかしただの灰色ではなく、その透き通る見た目は間違いなく……

 

『魔石……!』

 

 先ほどまで私たちが欲してやまなかった、貴重な収入源であった。

 二人で顔を突き合わせ、頷く。

 

 魔石、魔石だ。

 モンスター狩りの時間だ。

.

.

.

 

「落ちましたね……!」

「うん」

「どうしてさっきまで落ちなかったんでしょう……?」

「うーん……?」

 

 私たちの前には、リュックいっぱいの輝く魔石たち。

 ダンジョン1階から最終階、そのすべてが今までの落ちなさは何だったのかと思ってしまうほど簡単に、ボロボロと魔石を落としてくれた。

 

 まあ最終階と言えばボスエリアで、この奥に行けば『ゴブリンキングダム』が待ち受けているのだろう。

 しかしボスエリアはパーティメンバー以外入ることが出来ないので、今の私たちでは片方だけが侵入することになる。

 片方だけ元来た道を戻るのも大変なので、彼女と再度パーティ契約。そしてそのままボス戦を重ねることとなった。

 

 

 

「おお、あれが……『鑑定』」

 

 くるり、くるりと蒼い結晶が回り、相変わらず趣味の悪い骨のシャンデリアが、高校と輝きを灯す。

 今回は特にボスが前回と変わるなんてこともなく、以前私が訪れた時同様、ゴブリンキングダムがお迎えしてくれた。

 

 琉希の瞳がせわしなく動き、軽く何度か頷く。

 ステータスもやはり私が戦ったときと同じで、事前に伝えていたことを確認し終えたようだ。

 MPによってモンスターを召喚し、次々と襲い掛からせてくる。

 やはり同様の戦闘方法らしく、私たちの後ろに現れたホブゴブリンの攻撃が、彼女の平たい岩によって阻まれた。

 

 そして背後に回った私が膝を叩き潰し、彼女のチェンソーで首を跳ね飛ばされる。

 まあこのレベル差の探索者が二人だ、苦戦しろって方が難しい。

 そしてそこには……

 

 魔石が、落ちていなかった(・・・・・)

 

 ふむ……



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十二話

「パーティ、解散しましょう」

「あ……う……」

 

 それは薄々気付いていて、私が心から恐れていた言葉。

 せっかく仲良くなったというのに……人というのは、こうもあっさり関係を切り捨ててしまうのだろうか……。

 

 

「『スカルクラッシュ』!」

 

 MPを使い切ったクリスタルに、輝くカリバーが振り下ろされる。

 HPこそある程度あるとはいえ低い耐久、渾身の一撃は容易くその身に罅を入れ、ついには粉々に砕いてしまう。

 そして私は『スキル累乗』を『経験値上昇』へ乗せようとして……やめた(・・・)

 

 ごろりと転がる魔石。

 レベルアップは無し。

 やはり、か。

 

 予想が当たってしまった絶望感に、頭がくらくらする。

 ああ、どうか琉希だけは気付かないでくれ。

 

「あ、魔石落ちましたよ!」

「うん……」

「あれ、元気ないですね……どうかしました?」

 

 ひょいとのぞき込んでくる顔を、私は真正面から見ることが出来ない。

 

 どうやら気付いていないらしいが、このまま彼女に何も伝えず必要がるのかと思うと、心が苦しかった。

 とくとくと、激しく心臓が鳴る。

 

 いいのか、本当に何も言わなくて。

 自分の中で誰かが叫んだ。

 このまま何も言わなければきっと、彼女は何も気づくことなく、私と一緒に探索者として戦ってくれるだろう。

 けれどそれはつまり、彼女の善意を、無知を利用しているだけで……結局、私を使い捨てたあいつらと同じことを、私もすることになる。

 

 世界がぐにゃりと歪み、私たちの身体が落葉の入口へと戻された。

 拳の中で握りしめられあ魔石が、いやに冷たく感じる。

 

 だめだ、言おう。

 頬の肉を噛み締め、悪魔の甘言に揺れる心を、無理やり元の世界へ呼び戻す。

 

「琉希……魔石が落ちないのは、私のせいかも、しれない」

「ええっ!? 何言ってるんですかフォリアちゃん!?」

 

 目を真ん丸にして驚愕する彼女。

 かもしれない、と言ったが、本当は九割がた確信している。

 それはさっき魔石が落ちた時点で、証拠は十分集まってしまったから。

 

 以前剣崎さんと話したとき、彼女は魔石が出なかった条件のうちに

『大人数で挑んだ時、何も出ないことがあった』

 そう言った。

 

 ダンジョンには不思議なことが多く、それもきっと何らかの条件に引っかかったのだと、私はそう思って関係ないと切り捨てた。

 だが違う。これこそが私たちの前で、魔石が落ちなかった理由。

 

 普通は報酬の分配や狭い通路での連携、多くの理由で大人数のパーティを組むことはない。

 だからこそ、その必要性が薄かったからこそ、そこまでこの情報は重要視されていなかったのだろう。

 

 経験値はどんな敵と何人で戦おうと、基本的に同じ量をパーティメンバーが貰うことが出来る。

 探索者の中では常識らしい。

 だが一体経験値とはどこから出てきて、どうやって分配されているのだろう。

 

 勿論詳しいことは分からない。

 だがもし、だ。

 もし私の予想がすべて当たっているのならば、経験値というものは……魔力か、それになるためのナニカじゃないのか、そう思う。

 

 魔石はモンスターの身体を作る魔力が集まったもの……らしい、そう本に書いてあった。

 もし『レベルアップ』と名乗るこれがその魔力の一部を吸収して、私たちの身体を強化していたとしたら……『スキル累乗』で『経験値上昇』を強化し、その上琉希の『経験値上昇』を掛け合わせ、二人分を更に吸収している私たちは、実質大人数で魔力を貪っているのと同じなのではないか。

 

 白銀の騎士の魔石、その魔力が少なかったのも、そして今まで魔石が落ちなかったのも当然。

 だって私たちが、すべての魔力を平らげてしまったから。

 魔石になる分まで一切を吸収してしまったのだ、何も出るわけがない。

 

 私はこの仮説が正解にほど近いと、予知めいた確信を抱いている。

 

「……そう、ですか。なるほど」

 

 私の拙い説明を聞き、琉希が納得したように数度頷いた。

 

 私たち二人がパーティを組む限り、この問題が解決することはない。

 私はできる限り早くレベルを上げたいが、彼女が探索者になった理由は学費を稼ぐため。

 ……だから嫌だった、彼女に伝えるのは。

 せっかく仲良くなったというのに、もう別れるなんて。

 

 どうか言わないでほしい、パーティを解散するなんて。

 情けない感情だ。たった数日しか顔を合わせていない相手に、こうも縋り付いて泣きたいというのは。

 けれどその感情を捨てることもできずに、私は彼女へ救いを求めるように、眉を歪ませて目を向けた

 

「パーティ、解散しましょう」

「あ……う……」

 

 何気なく、特に何かを気にすることもなく、彼女はその言葉を紡いだ。

 言わなければよかった。

 押し寄せる後悔が心に穴を開け、そこに住み着く醜い化け物が、私の偽善的な行為を嘲笑う。

 

 それは薄々気付いていて、私が心から恐れていた言葉。

 せっかく仲良くなったというのに……人というのは、こうもあっさり関係を切り捨ててしまうのだろうか……

 

 気が付けば口の中を強く噛んでいたらしく、じんわりと鉄の匂いが鼻をくすぐる。

 仕方のないことだ。自分をなだめすかしたいのに、押しつぶすような冷たい感情は、私を雁字搦めに押さえつけてやめることがない。

 

「……うん、じゃあ、ね」

 

 じんと熱くなった目頭を隠すように、琉希へ背を向ける。

 もう、彼女と会うこともないだろう。

 

 彼女と出会ったのもそもそも偶然で、本来は交わるべきでなかった人間だった、そう思おう。

 偶然絡まった紐が解けたに過ぎないのだから、何を惜しむ必要があるだろうか。

 私は……わたしは……

 

 どうせ元々天涯孤独の身だ。

 家族もいないし、良くしてくれたおばあちゃんももうこの世にはいない。

 偶然できたメンバーが居なくなるくらい、別に大したことでは……

 

「あっ、ところで来週はいつ会います?」

「……うん」

「土曜と日曜開いてるんですけど、フォリアちゃんはどっちがいいですか?」

 

 ……うん?



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十三話

 

「あれ、どうしたんですか顔なんて抑えて? どこかにぶつけました?」

「……なんでもない」

 

 ちょっと大きめの勘違いをしていただけだ。

 

「耳赤くなってますよ? 風邪ですか?」

「……ちょっと黙ってて」

 

 あー……あー……。

 うん、あー……。

 

 そうか、別にパーティをずっと組んでいる必要も、別にないのか。

 会いたいときに会って、遊ぶだけでいいのか。

 どうやら私はちょっとだけ、重く考えすぎていたのかもしれない。

 

 

「うーん……着替えどうしよう」

 

 リュックに下着、そして着替えと言いたいところなのだが、それが悩みどころ。

 

 というのも、これから向かおうとしているダンジョン、Dランクの『炎来』がなかなかの厄介者なのだ。

 名前からして分かる通り、ここ大変熱いらしい。

 

 暑さの対策は二種類。

 長袖ロングスカートで直接身が焼けるのを防ぐか、Tシャツ短パンで……つまり一般的な夏の暑さ対策をするかである。

 理想としては通気性のいい長袖ロングスカートなのだが、私の強みは高い耐久力と俊敏、厚着をすればそれだけその強みを殺すことになる。

 

 こういう時、動きの少ない後衛として戦えないことが歯がゆい。

 

「悩むけど……まあ仕方ないか」

 

 そもそもスカートなど持っていないので買うことになるのだが、それも面倒だ。

 まあいつも通りの服装で良いだろう。

 二リットル入る水筒も買ってきたので、たっぷりの水とご飯代わりの希望の実も放り込んで準備完了。

 

 さて、行くか。

 

 

「人多い……」

 

 電車を出てまず飛び込むのは、右や左へと動き回る黒い頭たち。

 剣などの武器を持っているのは探索者、しかしそれだけではなく、単純にスーツなどを着込んで仕事へ向かう人も多い。

 まあ駅なのだから当然か。

 

 電車に揺られ小一時間、『炎来ダンジョン』が存在する街は私が住むところからそこそこ遠かった。

 これを毎日はなかなか疲れる。

 私自身居住地があるわけでもないし、ダンジョン攻略まで拠点をこちらに移すのもありかもしれない。

 

 それにしても……出口の改札が分からない。

 

「……っと。あっ、すいません……ん……」

 

 人の流れに合わせふらふらと、あちらこちらへ身体が流されていく。

 誰もかれもがあくせく忙しない、どうして人はこうも毎日を落ち着きなく生きていくのだろう。

 

 結局人々が向かうのは出口だろうしと、抜け出すのは諦めて流れに身を任せ、じわりじわりと前進。

 汗、化粧品、そして洗剤の匂いなどが混然一体となって、普段人ごみに慣れていない私には中々強烈な匂いだ。

 進んだ距離自体はさほど長いものでもないし、時間も大して立っていないはずなのだが、改札が見えた時には私は疲労困憊になっていた。

 

 まだダンジョンに潜っていないのに、どうしてこうも頭が痛くなってくるのか。

 ちょっぴり疲れた。

 ポケットに手を突っ込めば多少の小銭、そして目の前の駅構内にはお誂え向きの、ガラガラなチェーン喫茶店。

 これは神様がちょっと休めと言っているに違いない。

 

 コーヒーの香ばしい香りにふらふらと誘われ、暖かな印象の板張りされた店内へ足を踏み入れる。

 

 苦いものは嫌いだが、コーヒーの匂いだけなら好きだ。

 泥水より苦い点を除けば、紅茶に勝るとも劣らない良い匂いだと思う。

 

 紅茶とクッキーを頼み、窓際の席で漸くゆるゆると体の力を抜く。

 

「ふぅ……あち」

 

 腑抜けた気持ちでカップを傾けた瞬間、とろりとした琥珀色の液体が口蓋を焼く。

 

 地味に痛い……

 

 よく考えればもう夏も近い、アイスで頼めばよかったかもしれない。

 ざらりとした火傷を舐めながら、横にあったスティックシュガーを一本、二本、三本と流し入れていく。

 

「ちょっとよろしくて?」

「え?」

(わたくし)、こういうものですの。貴女学校は?」

 

 警官特有の制服に身を包んだ女性が私の肩を叩き、向かいの席へ座り込む。

 穏やかな笑みを浮かべた彼女を見て、私は驚愕に目を剥いた。

 

 髪型が凄い。顔の横の髪をなんだっけ……コロネ? そう、パンのコロネみたいな感じで巻いた人だ。

 物凄い邪魔そうな髪型だ。この現代においてこんな髪型にするだなんて、一体何の罰を受けているのだろう。

 それとももしかして、虐められているのだろうか。

 

 彼女が胸元から取り出したのは、一つの警察手帳。

 そこには自信ありげに胸を張った、しかし髪型は普通のショートカットな彼女。

 名前を安心院(あじむ) 麗華(れいか)、髪型だけではなく名前も凄い。

 

 ふむ……

 

「単刀直入に言いますわ、最近ここらで事件が多発していますの。目撃者の証言には必ず、『金髪の女性』がそこにいたと」

「うん」

「貴女、見たところ学校も行かずにフラフラと、こんな時間に喫茶店でお茶とは、ずいぶん余裕がありますわね?」

 

 これはもしかしなくとも、完全に疑われているのではないか。

 

 背筋にたらりと、冷たいものが通る。

 

 いやいや、勿論私は犯罪なんて犯したことがない。

 頭は悪いが基本悪いことはしない、その弁えているつもりだ。

 まあ復讐を胸に抱いている時点であまりよろしくないのかもしれないが、それはそれ、これはこれ。

 面倒な勘違いをされても困る。こういった勘違いは放置するほど、後々になって重くのしかかってくると相場が決まっている。

 

 あわててリュックから探索者のプレートを取り出し、彼女へ突き出す。

 探索者になれるのは基本15以上、これで私が小学生だとか、或いは中学生だとかの勘違いは解消される……はず。

 

 ふむふむと確認を終え、手帳へ何か書き込んでいく麗華さん。

 よしよし。

 

 相手が警察だと思うと、別に何か悪いことをしたわけではないのに、不思議と息が詰まるのはなぜか。

 取り敢えずさっさといなくなってほしい。

 お茶が冷める……いや、飲みやすくなるためには冷めた方がいいのか。取り敢えず見知らぬ人間と、痛くもない腹の探り合いなんてする趣味はないのだ。

 

「よく分かりましたわ……貴女が事件に関与している可能性が高いということが!」

「は?」

「事情を聞きたいので、任意同行して頂いてもよろしくって?」

 

 よろしくないが。

 

 ……取り敢えず

 

「お茶飲んでからでいい?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十四話

「伊達さん! (くだん)の事件の重要参考人を連れてきましたわ!」

「ちょっと待ってろ……ええ、はい、了解です」

 

 安心院さんに連れられたどり着いたのは、駅の近くにある交番。

 中にいたのは濃いひげ面の男性、電話に耳を当て暫く応答をしてはペンを動かし、顔に似合わぬまじめな態度で相手へ何か確認している。

 どうやら彼は安心院さんの同僚らしい。

 

「どうやらあの女がまた目撃されたらしい。留守は頼んだ、その子も……迷子か? このお姉さんが対応してくれるからね」

 

 軽くしゃがんで目線を合わせにこりと微笑むと、彼は自転車に飛び乗ってどこかへ行ってしまった。

 まああの女とやらが私とそっくりな金髪の、先ほど安心院さんが言っていた事件の重要参考人、その本人なのだろう。

 

 奇しくも、私が何もしゃべらずとも別人であることが判明してしまったわけだが……私を連れてきた本人は扉を開けた体勢のまま固まり、こちらを唖然と見つめていた。

 

「帰っていい?」

「え、えーっと……お茶でもいかがかしら?」

 

 

 巻き込まれてしまったものは仕方なく、そして巻き込まれてしまったからには、どんな事件が起こっているのか気になるのが人間の性。

 いったいどんな事件が起こっているのか。

 私の疑問を聞いた彼女は、深い溜息と共にカップのコーヒーを揺らした。

 

「軽い万引きから接触事故、異臭騒ぎ……どれもよくある何気ない、よくある事件ですわ。しかしその全てに同じ人物の影があったとすれば話は別、本格的に調べることに……」

「ふぅん……」

 

 確かに彼女の言う通り、生きていれば時々あるような事件であり、そこまで気にする必要もない気がする。

 内容に一貫性もないし単なる偶然、それで片付くようなものばかり。

 そんなことでも意識しておかなくてはいけないのだから、警察というものは大変だ。

 まあ私からしてれば偶然立ち寄った街で起こっていること、そこまで深入りしようといった考えもない。

 

 大量の砂糖と半分以上牛乳で薄めたコーヒーを飲み、貸し出されたパイプ椅子から立ち上がる。

 

「何かあったらここに来ると良いですわ」

 

 ひらひらと手を振り、彼女がこちらへ笑みを向ける。

 ちょっとばかし可笑しな喋り方と髪型ではあるが、どうやらこの安心院さん、印象と比べてそこまで変わった人でもなさそうだ。

 なおさらなんでこんな振る舞いをしているのか、まあいいか。

 

 安心院さんへ手を振り交番を出て、真っ直ぐに人々の群れを抜けていく。

 既に彼女から『炎来』の場所は聞いてあるので迷うこともない。

 

 私がいた街と違って都会的な場所だけあって、上を向いて歩けば空が狭い。

 灰色の建造物が無数に並んで天高くへ伸び、進んでも進んでも新たに表れる。

 

 そんな街のど真ん中に目的のダンジョンはあった。

 

 石畳に覆われた広場の中心、泥などを落とすためだろう併設された水道、そして幾らか集まった人々。

 Dランクという、一気にランクの中でも差が生まれる域、そして交通の便が非常にいいということもあって、ここまで一か所に探索者が集まっているのは初めて見たかもしれない。

 真ん中に堂々と立っているのは巨大な門。しかし当然その奥に何かが続いているわけではなく、そこからダンジョンに飛ばされるようだ。

 

 一人、しかも金髪で背の低い女がいるのだ、当然人々の視線は私に集中する。

 気まずい。

 

 カリバーを『アイテムボックス』から引っこ抜き、無言で人の群れを抜けていく。

 視線から逃れるよう気が付けば足早に、ダンジョンの門へ歩み寄ってその身を沈める。

 えも言えぬこう、ぬめっとした感触が肌を撫でたと思えば、いつの間にか周りの景色が一変していた。

 

「おお……」

 

 真っ先に飛び込んできたのは、山火事かと言わんばかりに燃え盛る木々。

 しかしよく見てみればそういうわけではなく、何かが燃える特有の不快なにおいも、ましてや肌を焼くような熱も感じない。

 この状況こそが、『炎来ダンジョン』そのものなのだ。

 

 炎の名前を冠しているだけはあり、なにもかもが燃え盛っている幻想的な景色。

 真っ赤な足元の石ころを蹴飛ばすと、ふんわりと生れ出た火花の蝶が散る。

 舞った深紅の蝶が手のひらに舞い降り、やけどするかと慌てて振り払うも、肉が焼ける感覚も、それどころか蝶の実体すらそこには存在しなかった。

 その熱はじんわりと暖かい程度。

『炎来』は思っていた灼熱の空間ではなく、この場所を形作っている炎は蜃気楼のように幻影そのもの、そこにあるようで存在しないようだ。

 

 足元に這えているのは彼岸花のようにもみえるが、その花弁は煌々と揺らめいて一秒たりとも同じ姿を保つことなく、刻一刻と移り変わっている。

 つんつんと軽く指先でつつくと、花粉の様にも見える火の粉が風に乗って飛び散った。

 

 草原、ピンクの沼と来て、今度はすべてが幻想の炎でできた森、か。

 まるで異世界に来たみたいだ。

 いや、そもそもダンジョンの門を潜った時点でどこかに飛ばされているので、本当にそうなのかもしれないが、何とも言えない感情が今更ながら湧き上がってきた。

 

 ぬるい風が頬を撫で、木々をやさしく揺らす。

 彼らはそれに落ち葉ではなく火花で答え、ぱちぱちと燃える音を奏でた。

 

「……あったかい」

 

 恐る恐るカリバーを伸ばし木肌に触れ、それを指先で撫でる。

 やはり木も灼熱というわけではないらしく、今度は抱き着いてみれば人肌ほどの暖かさ。

 木のぬくもりだなんてチープな言い回しだが、炎来ダンジョンではそれを全身で体感することが出来た……本来の意味は違うだろうけど。

 

 どれもこれもが面白い。

 ひとつ鼻歌でも歌いたくなるような、どこまでも不思議な世界に心が躍る。

 

 総じて気温は外と大して変わらず、長そでを持ってこなかったことはある意味正解であった。

 視線から逃げるため急いで飛び込んだせいだろう、緩みかけた靴紐をきゅっと結びなおす。

 

「ふぅ……」

 

 首を軽く回して深呼吸。

 炎来ダンジョンは見た目こそどこか恐ろし気な光景かもしれないが、触れてみれば親しみの湧く良いダンジョンだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十五話

 地面に広がった落ち葉すらも燃え上がる道を、ひたすらサクサクと進んでいく。

 『炎来ダンジョン』は森といってもかなり見通しがいい、木々が鬱蒼と生えそろっている訳ではなく、整備された山道の様にも感じられた。

 

 しかし問題が一つ。

 いくら見通しがある程度いい森とはいえ、私の行く先を導くような道も、ましてや案内してくれるような人もいない。

 つまり、どこがゴール……つまりボスエリアなのか分からない。

 

 あー……入り口にやっぱり『落葉』と同じで地図とかあったのかなぁ。

 というかあんまり進み過ぎたら永遠に戻れない気がする、どうしよう。

 落ち着いて見回していれば良かったと思うが、過ぎてしまったことはどうしようもない。

 

「お」

 

 門を中心として見落とさぬよう、ぐるりと円を描くように探索をしていると、目の前に一匹のモンスターが現れた。

 

 まるで風に舞う様に、私程ある巨体の重さを感じさせない、ふわり、ふわりと空を舞う蛾。

 小さな蛾などは不快感が勝ってしまうだろうが、ここまで大きく、しかも全身にビードロ状の、しかし柔らかそうな赤橙色の毛が生えていて、どこかマスコットキャラのように抜けた感覚さえ覚える。

 ともすれば目立ちすぎな気がする橙色の羽、しかしこの森ではきっと保護色なのだろう。

 

 もしかして……ちょっと光ってる……?

 

 いや、本体が光っているのではない。

 羽ばたく度に飛び散っている辺り、鱗粉?のようなものが、まるで火花の様に輝いているようだ。

 

 それにしても全く敵意を感じない。

 穏やかな昼間の波の様に静かで、全くこちらを倒そうという気概が感じられなかった。

 今まで出会ってきたモンスターは、どいつもこいつも殺意に満ち溢れていたので、こんなに何もしてこない相手は不思議な気分だ。

 

「『鑑定』」

 

――――――――――――――――

 

種族 モスプロード

名前 イリス

 

LV 1200

HP 4324 MP 3221

物攻 386 魔攻 4551

耐久 1377 俊敏 1201

知力 2654 運 67

 

――――――――――――――――

 

「もすぷろーど……」

 

 二の腕をぽりぽりと掻きながら、モスプロードなるこの巨大な蛾のステータスをじっくりと観察する。

 

 見た目からもわかる通り、物理的な攻撃はさほど強くなさそうだ。

 ステータスからして魔法型……といっても何か魔方陣だとか、魔法をぶっ放してくるような気配もない。

 謎だ。

 

 それにしても手や足が痒い。

 さっきまで(・・・・・)こんなに痒くなかったのに、次第に強くなってる感じがする……!?

 

「……っ!」

 

 喉奥に引っかかったような違和感に、両手を突き出し目を見やる。

 肌の上にきらきらと、煌々と輝く木々の光を受け、小さな何かが光を反射した。

 

 違う! 攻撃をする気がないんじゃなくて、もう攻撃は始まっていた(・・・・・・・・・・・)だけだ!

 

 慌ててその場から飛びのき、蛾から距離を開ける。

 私の腕に突き刺さっているのは、きっとこの蛾のきらきらと輝く体毛か、羽から飛ばしている鱗粉。

 目に見えないほど小さく細いそれが風に舞い、私の露出していた四肢に突き刺さっていたのだ。

 

 何がマスコットだ、こんな凶悪なマスコットが居てたまるか。

 

 よく見まわしてみればその鱗粉は風に乗り、きらきらとそこらへ浮遊している。

 特に空気の淀んで溜まった場所には、大量のそれが集まって、空気が薄い黄色に見えるほど集まっている。

 

 どうする……?

 

 あれに近づくのは得策ではないだろう、どう考えても全身に針が突き刺さる。

 けれど遠距離攻撃用の魔石も、石ころですら今日は用意していない。

 自分の備えの悪さに臍を噛む。

 

 かゆみでうまくまとまらない頭を振り、出来る限り接近しないような攻撃を考える。

 

 もっとカリバーを伸ばして、遠距離から叩く?

 無理だ。それには取り囲む木が多すぎて、あれに届くほど伸ばして振り回すことはできない。

 それに今も私が感付いたことに警戒して、相当高くまで舞い上がってしまっている。

 

 しかしこのままにらみ続けているだけでは、攻撃なんてまともに当てられそうにないぞ……

 このまま背を向けて逃げるのも悪くないが、何も倒せず帰るのはちょっと面白くない。

 

 と、その時、木々の隙間に不気味な音が響いた。

 

 カチ、カチ、と、規則的な音。

 それは天高く、私を見下すように空を舞う蛾の、背中から。

 

 

 ドンッ!!

 

 

「お゛……げ……っ!?」

 

 肺を巨人に無理やり握りつぶされ、空気がすべて絞り出されるような吐き気。

 

 その灼熱と衝撃は、確かに何もいなかったはずの背後から。

 背骨から伝わって全身を打ち砕くような爆発。

 天と地がぐるりとねじ曲がり、ゴムボールの様に私の身体は吹き飛ばされ、幻の炎が広がる地面を舐めていく。

 

 なにが、おこって……!?

 

 痛みすらまだ到達しないほど混乱した脳内。

 しかし私が現状を確認する前に、頭を守るように丸くなって飛ばされた身体は『淡黄色の空気』の中へ転がっていく。

 無数の小さな針が腕へ、足へと突き刺さって痛痒感を伝える。

 

 ああ、もうっ!

 動けば動くほど針が突き刺さって、苛立ちを掻き立てて止まない。

 

 だが体中の痒さは直後、強烈な熱と激痛へ変わった。

 

 

 ドンッ!!!

 

 

「ぎいいいぃ……っ!?」

 

 死にかけのセミが絶叫するより醜悪な声が、喉から捻り出される。

 

 今度の爆裂は、私の身体ごと飲み込むようなもの。

 腕が、足がちりちりと灼熱を伝え、針が燃え盛って肉の裏から神経を殴りつける。

 痛みに視界が虹色に点滅して、流す気もないのに涙がとめどなく溢れた。

 

 痛い、いたい、いたいっ!

 

 喘ぎ、声が絞り出され、天を仰いで罪人が処刑人に慈悲を乞う様に、赤く爛れた両腕を突き出す。

 しかし彼はゆらり、ゆらりと空を踊り、いっそ残酷なまで冷静に、私が力尽きるのを待っていた。

 

 毛か鱗粉か、もしくはそのどちらもが大変良く燃えるようで、相手に突き刺した後爆発に誘導して、その肉ごと焼き尽くす。

 そんな蛾の攻撃方法を今更理解したところでもう遅い。

 この戦い、出会った時点で終わっていたらしい。

 

 ああ、最悪だ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十六話

 痛みを堪えて地べたに這いずる私と、悠然と空を舞う蛾。

 連鎖する爆発に身を焼かれて以降、あの蛾は全く地上へ降りることがなかった。

 私が息絶えるその瞬間まで、絶対に近寄るつもりがないのだろう。

 

 もはやこれまでか。

 諦めに目をつむり、終焉のその時を静かに待とうと、震える四肢から力を抜いたその時だった。

 

「くそっ、ここでもアクセス出来なかったか……! チッ、チッチッ! もっと大きな断層でないと……しかし魔力が足りん……!」

 

 奥から、一人の女が『空を飛んで』やってきた。

 

 目深に被った地味だが大きなつばの帽子、もう夏も近い季節、その上暖かな気温のダンジョン内だというのに、全身を大きなコートで包んでいる。

 しかし何より特徴的なのは、そんな帽子をかぶっているにも関わらずはみ出た、長い金髪(・・)

 

 何か考え事をするように顎へ手を添え、ブツブツと前も見ずに空を飛び続ける。

 彼女も、そして私に注目していた蛾も互いの存在に気付かず……

 

 ドンッ!

 

「ああ? チッ、邪魔だ。くそっ、不愉快な時にばかり出てきおって!」

 

 その巨大な羽根へと体当たりするようにぶつかった彼女は、舌打ちを繰り返して苛立たし気に、激しく髪を振り乱す。

 顔は全く見えないが、何もかもに激高しているような、見ているこちらが恐怖する雰囲気。

 先ほどまで燃えるような熱を持っていたはずの全身が、なぜか突然凍り付いたように冷たく感じる。

 

 この感覚は、かつて母だった人に甚振られた、あの日々の感覚そっくりだ。

 じわりと、何度も執拗に蹴り飛ばされた背中が、幻想の鈍痛を思い出す。

 

 分厚いコートの中から出てきたのは、粗暴なその口調とは真逆のほっそりとした腕。

 それは顔の周りに飛ぶ羽虫を振り払うように、あまりに適当に振られ……その瞬間、私を苦しめていた蛾は、激しく身を地面に叩き付けていた。

 

 強い……!

 

 ピクピクと激しい痙攣、そして透明の体液をまき散らし地面でのたうつ蛾。

 彼女はその元へ降りると、荒々しく、激情を隠しもせずに何度もその身を蹴り続けた。

 最初はその大きな羽根を、二度と飛べないと一目で分かるほど。次にその柔らかな腹を、端から形も残らぬよう。

 戦いではなくただの蹂躙。それも金が必要だからなどではなく、一方的な八つ当たり。

 先ほどまで命を狙い、返り討ちにあった私が言うことではない気がするが、それはあまりに残酷な仕打ちにも見えた。

 

 痛みも忘れ茫然と見る私に、蛾が光へと変わったのを確認した彼女の、鋭く冷たい瞳が突き刺さる。

 

 殺される……!?

 

 先ほどまでの諦めも含んだ感覚ではなく、本能的な恐怖とでもいえばいいのか、彼女の蒼い瞳に睥睨されるのが恐ろしかった。

 自然と頬は引き攣り、額から汗が垂れる。

 ゆっくりとその腕が動き出し、くたばりかけの私を捻りつぶすように……

 

「ふん、まだ(・・)生きていたか」

「え?」

 

 バシャバシャと頭から掛けられたのは、冷たくどこまでも紅い液体。

 血? いや、違う。

 さっきまで赤く爛れてていた四肢も、掻き毟るほどの痒さに襲われていた顔も、燃えるほどの熱さも、全てが消えていく。

 ポーションだ、それもとびきりの。

 

 彼女の手に握られているのは、今も液の滴っている小瓶。

 

 私を……助けてくれた……?

 

「え……? あ……ありがとう……」

「数日したらここは崩壊する、死にたくなければ逃げるんだな」

「ま、待って……!」

 

 表情一つ変えずに伝えられたのは、あまりに衝撃的な話。

 

 ダンジョンの崩壊、その予測なんて聞いたことがない。

 もしそんなことが容易に行えるのなら、定期的に報道される山間部の村の全滅、街での阿鼻叫喚などは一切なくなるだろう。

 だというのに彼女はさも当たり前の様に私へ伝えると、制止も聞かずに飛び去ってしまった。

 魔石すら興味がないのか、その場にごろりと転がったままだ。

 

 ……意味が分からない。

 

 彼女の残していった魔石を拾うのも気が引け、これ以上戦う気にもなれない。

 微かな頭痛とふらつき。

 こんなに暖かいのに鳥肌の収まらぬ腕を撫で、『炎来』の初探索は終わった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十七話

 一体彼女は何者だったのだろう。

 喫茶店で一人座り頭を抱える。

 

 一瞬で蛾を倒してしまった実力といい、高性能のポーションを特に気にすることもなく使ったことといい、相当高レベルの探索者なのだろうか。

 しかしそれよりもあの冷たい目と、蛾を甚振る態度。

 他人へ躊躇いもなく慈悲を施す態度とは真逆に、奥底から吹き出すような凄まじい激情を感じた。

 

 そして……ダンジョンの崩壊、その予言。

 

 今までは文字で、或いは耳でちょっとばかり聞く程度の情報だった『ダンジョンの崩壊』。

 しかし直面して初めて分かった。

 その圧倒的な暴力性を、常人と隔絶した世界の差を。

 

 『花咲』という最低レベルのダンジョンですらあそこまで難易度が跳ね上がったのだ。

 もしDランクのダンジョン、その上こんな町のど真ん中に位置するものが崩壊したとなれば、きっとその時は……

 

 私はこの確証もない情報を警察に、安心院さんへ伝えるべきなのか。

 しかし彼女の金髪、安心院さん達が追っている事件の重要参考人と同じ。

 どこの事件にも必ず現れる辺り、今回の情報を伝えてしまえば、犯行予告にも捉えうるかもしれない。

 もしそれで彼女が捕まってしまえば、私は命の恩人へ仇で返すことになる。

 

 誰かに相談するったって、一体だれに?

 協会の関係者はだめだ。

 筋肉達はいい人ではあるが、公的な機関に関係している以上、その情報を警察に伝えないとは限らない。

 むしろ人的被害を減らすためにも、積極的に情報を公開する可能性の方が何倍も高い。

 

 琉希に……?

 きっと人のいい彼女なら頷いてくれる……けど……

 

 頭を振るい、甘えを飛ばす。

 

 きっと協力してくれるけれど、彼女には家族が居る。

 初めて出会ったときは運よく生き返ったが、次はなく、ダンジョン崩壊は並大抵の探索とはわけが違う。

 死ぬ可能性の方が高いし、巻き込むわけにもいかない。

 

 私一人で対処しよう。

 何、誰にも気づかれないうちに倒してしまえば、それは何も起こらなかったも同然だ。

 

 手元の紅茶にミルクを注ぐと、透き通った琥珀色の液体が濁っていく。

 

 どうせ私が死んでも、悲しむ家族なんていないから。

 どこにいるか分からない母も、生きているのか分からない父も、私が死んだと聞けば清々したと笑うに違いない。

 

 口がへの字に曲がった私の顔を、喉奥へと流し込む。

 砂糖を入れ忘れたミルクティーは何とも空虚な味がした。

 

 

 嘘か誠か分からない情報。

 けれど来るかもしれないその未来に備えるには、何はともあれレベルが必要だ。

 幸いにして今回のダンジョンである『炎来』はダンジョンの中でも人気があり、情報は出そろっている。

 

 喫茶店から飛び出した私が向かったのは、駅でも、ホテルでもなく、この街にある協会の図書室。

 やはりというべきか併設された図書室に飛び込み、一人分厚い本を捲れば現れるのは、相も変わらず軽い特徴だけ書かれた簡素なモンスターの紹介。

 

「えーっと……」

 

 無数に連なった文字を指で追っていけば、炎来ダンジョンのモンスターについて軽く書かれた項を見つけ出した。

 炎来ダンジョンの推奨レベルは1000から5000、Dランクの登竜門といったところか。

 

 文字を見る度襲い掛かる軽い頭痛、その上目もくらむ。

 レベルがいくら上がろうと、本に対する拒絶感は失われないらしい。

 しかし切羽詰まった現状、不快感をねじ伏せペンを動かし、コンビニで買ってきたメモ帳へ情報を纏めていく。

 

 琉希とのパーティを組んで早めに分かったことだが、経験値上昇をいくら上げたところで、吸収できる経験値には上限がある。

 現在の『経験値上昇』はLV4、恐らく『経験値上昇』のレベルを1……いや、2ほど上げて『スキル累乗』をかけてしまえば、その時点で吸収できる経験値は最大値に届くだろう。

 無駄にSPを使わずに済んだのは行幸だ。

 

 二日だ。

 数日といっていたからには、流石に三日以上の余裕はあるはず。

 二日間でレベルを上げ切り、出来ることならより上のダンジョンに向かってレベルを上げ、崩壊が起こる前に『炎来』へ挑戦し、白銀の騎士同様ボスを倒す。

 

 情報を纏めたメモをアイテムボックスへ放り込み、椅子から立ち上がる。

 

 よし。

 今から叩き潰しに行くから待ってろ、蛾。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十八話

 最後に普段より重い(・・・・・・)リュックを背負い、拘束ベルトをしっかりと嵌めていく。

 上半身ほどあるとはいえぴったりフィット、これで準備は完了だ。

 

 ……が、

 

「んー……微妙」

 

 手足を軽く捻り動かし調子を確かめるが、どうも落ち着かない。

 その原因は私の足を包み込む青いアレ、ジーンズのせいだ。

 

 あの蛾の何より厄介なのは、手足に張り付く鋭い毛や鱗粉。

 動きやすく足を守れるものということで選んだのだが、聞いていた話と違ってってとても硬い。

 ごわごわを通り越してごわってぃだ。

 なんだあの店員は、どうしてプロテインといい店員は嘘をつくのか。

 

 不満に合わせてカリバーをぶんぶん振り回し、数時間ぶりの『炎来』、その門へと足を運ぶ。

 

 時刻は既に夕方。

 あれだけいた人々も既に去った後のようで、辺りには人っ子一人いない。

 子供も間違えて入ってしまえば危険だからだろう、昼間はなかった柵が突き立てられていた。

 

 濡れないようにだろう、シートの被せられた台から地図を一枚抜き取れば、そこには適当に描かれた円形の図。

 門を中心として広がった円形の森、それが『炎来ダンジョン』の基本的な形らしい。

 それにしたってあまりに簡素過ぎてどうなんだ。まあ書くことが特にないほど、ただの広々とした森ということなのかもしれないが。

 

 ぐにゃりと歪んだ門の先、昼間の様に明るい燃え盛る木々。

 一応空は次第に暗くなっているのだが、こうも明かりが周りにあればそんなのは関係ない、ということなのだろう。

 景色はまだ特に変化なし、ダンジョンの崩壊がこの先起こるかもしれないだなんて、この風景を見慣れた人間には思いもよらない……かもしれない。

 

「……よし」

 

 パチパチと炎が爆ぜる音を背に、緊張からかピクピクと勝手に動く瞼をぎゅっと閉じ、胸の奥底に溜まった息を吐きだす。

 

 大丈夫だ、大丈夫。

 ダンジョン崩壊が起こる確証なんてないんだ、落ち着いてレベルを上げよう。

 あそこが崩壊するかも、なんて虚言は日々あちこちで飛び交っていて、今回のそれだって起こらない可能性の方が、起こる可能性よりも何倍も高い。

 第一助けてくれた人が言った話とはいえ、証拠もないのに完全に信じるだなんて狂ってる。

 このレベル上げはハレー彗星の噂話を信じた人が、無駄にタイヤを買い込んだのと同じで、いつか笑い話としてネタになるかもしれないからやるだけ。

 

 お腹の奥底にこびり付いた不気味な確信を覆い隠すように、自分の気持ちを軽くするように、いくつもの言い訳を積み重ねていく。

 

 暫しそうやって自己暗示をしていると、何か柔らかなものがこすれ合う音が鼓膜を叩いた。

 

 ……来た。

 

 音のする方向へ首を傾け、こちらへゆらゆらと近寄ってくる蛾を睨みつける。

 

――――――――――――――――

 

種族 モスプロード

名前 コットン

 

LV 1200

HP 4323 MP 3021

物攻 376 魔攻 4542

耐久 377 俊敏 199

知力 650 運 38

 

――――――――――――――――

 

「『ステップ』! 『ストライク』! 『ステップ』!」

 

 地面を蹴り飛ばし、スキルの導きに逆らって蛾へ飛び掛かる。

 以前と違って積極的に私が攻撃へ向かったからだろう、ゆらりゆらりと、ゆっくり旋回してその場から立ち去ろうと行動を始めた。

 

 やっぱり、遅い。

 

 思った通りの行動。

 そのままストライク走法でその身を抜き去り(・・・・)、真正面へと立ちふさがる。

 

 確かにこいつの爆ぜる針は厄介だ。

 だが効果が発揮されるのには時間がかかるし、その前に行動を終えれば何の価値もない。

 私の高い俊敏値と危険な走法の組み合わせは、同レベル帯では比肩する者がいないだろう。

 最初こそ気を抜いていたが、魔攻に特化したこいつのステータスでは、いくら逃げたくとも逃げられまい。

 

「『巨大化』! ……っ! せやっ!」

 ドンッ!

 

 上昇して逃げるより素早く振るわれ、その身に届くほど長く伸びたカリバーが打ち据え、鈍い水音を響かせる。

 そのまま遠心力に身体を振り回され、二度、三度と激しく地面の草を飛び散らす。

 翅は折れ曲がり、ヤシの葉じみた触角は千切れ、その柔らかな腹は大きく凹んで透明な体液をたらりとこぼしてた。

 

 

――――――――――――――――

 

種族 モスプロード

名前 コットン

 

LV 1200

HP 2034/4323 MP 3001/3021

 

――――――――――――――――

 

 初手さえ取ってしまえばなんてことはない、耐久の低さも相まって蠢くサンドバックだ。

 

「『ストライク』」

 

 叩き付けられた衝撃だろう、蛾の周りに舞っていた金色の粒子を吹き飛ばし、むやみに針が刺さらぬようゆっくりと近づく。

 それでもやはり残っているものが多少はあるようで、チクチクとささくれるような不快感が、顔やむき出しの掌へ纏わりついた。

 

 この程度なら十分許容範囲だ。

 なんたって私には……

 

「『スカルクラッシュ』!」

 

 『活人剣』で、十分カバーできる。

 

 微かな手ごたえとどこか気の抜けるような音。

 手や顔にあった刺激がゆっくりと消える。

 脳天を叩き潰された蛾は微かに脚を振るえさせ、直後光となって風に流されていった。

 

『レベルが73上昇しました』

 

「よし!」

 

 カッと熱くなり、全身から高揚感が沸き上がる。

 危険こそあれど流石はDランクダンジョン、レベルの上がり幅もかつてないほど。

 これなら崩壊までに間に合うかも……

 

 いや違う違う、崩壊なんて起こらないかもしれないんだ。

 

 ごろりと転がったのは、蛾の毛と同じく赤橙色の魔石。

 どれほどの値段になるか気になるし、今から協会で確認したいところではあるが、今回はこれも貴重な武器になるかもしれないので、リュックの中へ放り込む。

 

 ……もっと、レベル上げないと。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十九話

「はぁ……っ! はぁっ……! ……痛っ」

 

 カリバーを振り続けていたからだろう、気が付けば掌には熱が籠り、ぐっと握った瞬間に血が滲んだ。

 

 目を落とせば飛び込んでくるのは、燃える地面の植物に負けず劣らず真っ赤に染まったグリップ。

 私が戦いに集中していたのもあって、気づいてはいないだけで何度か切れては、『活人剣』で回復しては何度も切れていたようだ。

 既にダンジョンに潜ってから数時間は経過している、ちょっと休憩しよう。

 

 周りを二度見まわし、耳を澄ます。

 大丈夫、羽音や足音は特にしない。

 

 どさりと、近くにあった木の根元へ腰を下ろし、アイテムボックスから水筒を一本取りだす。

 きゅぽんと軽快な音。

 よく冷えた水を喉奥へ流し込めば、するすると止まることがない。

 相当水分を失っていたのだろう、なにもいれていないのに微かに甘く感じる。

 

「ふぅ……」

 

 そしてその水の甘みを台無しにするのが、アイテムボックスから取り出した希望の実。

 一気に二粒かみ砕けば、二倍の不幸が口の中に広がる。

 しかし長時間動き回る探索者、こう簡単にカロリーを補給できるのは便利だ……味にさえ耐えることが出来るのなら。

 

 口直しにコンビニで買ってきた飴、味はイチゴミルク、カラリと口内で転がしていると、耐えがたい眠気が脳天から、じわり、じわりと襲ってきた。

 既に頭上には満天の星空。とはいって果たして輝くこれらが、私の世界のそれかは分からないのだが。

 

 ああ、だめだだめだ。

 ダンジョンで警戒もなく寝るなんて、寝首を掻いてくれというようなものだ。

 私はここで死体になるために潜っているんじゃない。

 

 頬の肉を噛んでは、眠らぬよう忙しなく指先を動かす。

 

 だるい……

 

 しかし私の努力とは裏腹に、手足を何度曲げようとも、全く眠気は飛んでくれそうにない。

 むしろ動かす度に侵食を強めて行って、ゆっくりと体の動きが絡め捕られていくようだ。

 

 震える膝を強引に動かして立ち上がり、霞む目を激しく瞬かせて辺りをうかがう。

 

 せめて身を隠せるような場所はないのかと探せば、どうにか私一人なら入り込めそうな木のうろ(・・)を見つけた。

 ここに生えている木はどれも太く立派なものばかり、うろも相応にして大きなものだ。

 

 ちょっと地面から高いところにあるが、むしろそれくらいの方が襲われにくいだろう。

 元々運動なんて得意じゃないし、木登りなんてあまりした事が無いのだが、案外するすると登れてしまうのは、レベルが上昇して腕力などが付いたからかもしれない。

 

 往々にしてこういった木のうろには水が溜まっているものだが、不思議と人肌程度の温度があるお陰か、手を突っ込んでみれば中は乾いていた。

 

 うん、これなら……

 

 眠気の枷が纏わりついた手足を丸め、胎児よろしく身体を丸めてうろへすっぽりと入り込む。

 外から襲われては叶わないので、リュックを蓋代わりに構え、暫しの休息をとることにしよう。

 

 ごつごつとしていて硬く、木の何とも言えない香ばしい匂い。

 決して人とはかけ離れたものだが、その木が持つ確かな温もりが体を包み込み、疲れた体をそっと支える。

 ぽかぽかと温かい。

 指も、手のひらも、足も。感覚が薄れていく。

 

 ピン、と張り詰められた心の糸が、意識が、端から……

 

 

 

 ふと気が付けば私は木の中でも、燃える木々の中でもなく、人工的な建物の中にいた。

 照明が周囲を白く染め、微かに混じったオレンジの色彩が暖かな印象を与える。

 

 デパート、かな……?

 

 あまり入ったことがないけれど、きっとそうだ。

 視界の端にちらつくエスカレーターや、続々と並べられたマネキン達が、私がどこにいるかを教えてくれた。

 一体何があったのか分からず唖然としていると、突然後ろから声が聞こえ、肩が跳ねる。

 

「フォリアちゃんはどれがいいかしらぁ?」

「うーんとね……」

「ママ、まだ終わらないのか? いい加減腹が減ったよ」

「まあアナタ、女の子の買い物は時間がかかるものなのよぉ」

 

 心臓が激しく鳴った。

 

 金髪の少女と、その傍らで服をあれこれと当てては、これでもあれでもないと入れ替えては、笑みを浮かべる妙齢の女性。

 どこかからか戻ってきた黒髪の男がその様子を見て、呆れたように嘆息。早く帰ろうと返された催促に、彼女はいたずらな笑みを返した。

 

 ああ、これは夢だ。

 不思議な確信。

 どこまでも優しくて、きっとこんな日々が続くと思っていた、何も知らなかったときの夢。

 なんで、こんな夢、見たくないのに。

 

 もう何時の事かすら分からないほど昔、私の両親が二人揃っていた時、きっと私は普通の家族をしていた。

 けれどいつしかパパはどこかに行ってしまって、同時にママはおかしくなってしまった。

 普通はいつの間にか異常になっていて、異常が私の日常になった。尋ねてもママは何も教えてくれない、ただ憎々し気な表情を顔に浮かべて、私を蹴りつけるだけ。

 

 パパ、パパ。どこにいるの……?

 パパがどこかに行かなければ、こんな悪夢を見なくてよかったのに。

 今からでも戻ってきてくれれば、私の終わらない悪夢は終わるのに。

 

 ただ立ち尽くして、私は目の前で続けられる喜劇を眺め続ける。

 私がいたはずの舞台、けれどもう二度と登ることはできない。味のしないガムを何度もしゃぶるように、思い出の中の甘みを反芻するしかない。

 

「もう、しょうがないわねぇ……じゃあ帰りましょうか」

「うん!」

 

 手を繋いだ家族たちは笑顔で、ゆっくりとその場から去っていく。

 私ただ一人を置き去りにして。

 

『ま、まって……!』

 

 筋肉だって、琉希だって、園崎姉弟だっていい人だろう。

 探索者になって、いい思い出も増えた。

 けれどそれより、そんなのより、この時に戻れるのなら、わたしは……!

 

 けれど彼らが一歩、また一歩と踏み出す度、私の背後から世界がセピア色に染まっていく。

 追いかけ走っているのに絶対に追いつけない、絶対的な距離が広がっていくことが、心の奥に深い絶望を積もらせていった。

 

 いやだ……!

 夢で良い、現実になんか戻らなくていい。ここで良い、ここがいい、ここに居たい。

 

 三人の背中に向かって突き出した右腕が、紐となってゆっくり解けている。

 夢が醒めようとしているのか。

 抑えようとした左手も、両足も紐になって、するり、するりと天へ昇っていく。

 

 ここはお前の居場所じゃない、そう言われているみたいに。

 

 気が付けば私の身体すらもふわりと浮かんで、世界が黒茶色に飲み込まれた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十話

 突然訪れた意識の急浮上は、船酔いにも似た気持ち悪さがあった。

 

「……んあ」

 

 よく思い出せないが、なんだか嫌な夢を見ていた気がする。

 

 狭く暗いうろの中で最初に感じたのは、そんな微妙に思い出せない違和感。

 リュックを蹴っ飛ばして蓋を外し飛び降りれば、既に星が昇ってきた太陽の光によって薄れてきた空。

 

 少し寝過ぎたか? いや、それでも2,3時間ほどしか経ってないはず。

 そう満足いく環境でも時間でもなかったが、我慢ならないほどの眠気は随分と消え、もう少しだけなら頑張ることが出来そうだ。

 

 もしゃもしゃになった髪を軽く手で梳き、寝ているうちに垂れていた涎と涙を袖で拭う。

 変な場所で寝たからだろう、少しばかり違和感のあった関節も、暫し伸ばしてやれば直ぐに元へ戻った。

 

 軽い嘆息。

 

 マラソンというものは疲労感しか感じないが、終わりの見えないマラソンはなおの事辛い。

 正直泣きそうだ。

 今すぐこの場で手足をじたばた振り回し、髪を振り乱して叫び、どうにもならない現実に狂ってしまいたい。

 だってそうだろう、崩壊時のレベルなんてどれくらい上昇するか、さっぱり分からない。

 どこまでレベルを上げればいいのか、どこまで準備をすればいいのか……考えれば考えるほど、どうしたらいいのか分からなくなってくる。

 

 背後から現れた巨大な蛾。

 寝起きで頭が働いていないからか、その接近に気が付くのが遅れる。

 しかし休憩もなしにレベルを上げ続けた結果、あれだけ苦しめられたその針も、もはや肌に刺さることはない。

 

「……『ステップ』」

 

 草葉を蹴り飛ばしてその背後に回り、引っ掛けるように伸ばしたカリバーで殴りつける。

 貧弱な私の攻撃力ではあるが、レベル差が開いたのと蛾本体の装甲の薄さもあり、一撃で光へと変わった。

 

 しかしレベルは……上がらない。

 

「『ステータスオープン』」

 

―――――――――――――――――

 

結城 フォリア 15歳

LV 3157

 

HP 3011/6232 MP  4035/15575

物攻 5709 魔攻 0

耐久 18961 俊敏 22058

知力 3157 運 1

 

SP 3540

 

スキル

 

スキル累乗 LV3

悪食 LV5

口下手 LV11

経験値上昇 LV4

鈍器 LV4

活人剣 LV1

ステップ LV1

アイテムボックス LV3

 

―――――――――――――――――

 

 今までなら一体でレベルが上がらなくなってからも、暫くは同じ敵と戦っていた。

 慣れないモンスターと苦労して戦い勝つより、慣れた方が安全だから。

 けれど今は安全マージンだとか、余裕を保ってだなんて甘いことは言ってられない。

 

 虎屋に入らなければずんだ餅は食えないのだ。

 だからこそできる限りのことはしておく。

 

 ここは当初の予定通り、『経験値上昇』をLV6へ。

 そして必要SPの問題で上げてこなかった『活人剣』を、一気に10まで上げる。

 消費SPは合計で、えーっと……2340となった。

 

 活人剣を上げたのは、何も勢いではない。

 今までほとんど効果を感じることのなかったこれだが、琉希との共闘、そして今回の針による細かな怪我で、回復の重要性を一段と噛み締める結果になった。

 

 またずっと悩んでいたのだが、これ以上『スキル累乗』を上げた場合、私の身体はもう持たないだろう。

 特に『スカルクラッシュ』、これを使うたびに、腕が引きちぎれるような激痛が脳天を殴りつけ、視界がくらむのだ。

 もう本当に辛い。めっちゃ痛い。

 けれど私は魔攻が伸びないので、『強化魔法』だとか、『回復魔法』の類は効果がないし、使うたびにポーションを飲んでいたら破産してしまう。

 SP効率は恐ろしく悪いが、渋々『活人剣』を上げることにしたというわけだ。

 

 そして次、活人剣のレベルを更に上げようとした時だった。

 

「5000!? ……あっ、そっか」

 

 500とばかり思っていた必要SPであったが、突然一桁跳ね上がっていることに仰天し、すぐに納得する。

 そういえばスキルは10上げる度に、次の必要SPが10倍へ増えるんだった。

 スキルレベル10なんて遠い未来のことだと思っていたが、案外あっという間にたどり着いてしまったようだ。

 残念ながら次の階段を上るには、またレベルを相当上げる必要がありそうだが。

 

 レベルが上がったことで実質的には減ってしまったHPだが、活人剣LV10によって吸収量は1%から10%にまで上がった。

 元が元とはいえ効率は10倍、これなら直ぐに回復できるだろう。

 

「……っ」

 

 遠くから微かに見えた太陽、緋色の光線が目を突き、軽いめまいに体が震える。

 

 宵闇は既に空を去った。

 あとどれだけ余裕が残されている?

 レベル上げが終わった後にもすべきことがあるし、のんびりしている暇はない。

 

 サクサクと実をいくつか食べ、簡単に食事を終えてからカリバーを握り、リュックを背負う。

 緩んできた靴紐をキュッと握れば、だいぶ頭もはっきりしてきた。

 

 ……私で、私が何とかしないと。

 

―――――――――――――――――――――――

今回から言い間違いは最後に解説を置いていこうかと思います。

虎屋に入らないとずんだ餅は食えない:虎穴に()らずんば虎子を得ず

 

意味 危険を冒さなければ大きな成功は得られない



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十一話

 気分一新、探索を進めよう……としたのだが……

 

「……っ! もう! また!?」

 

 気に張り付いて休んでいたのか、ひらひらとこちらへ舞ってくる蛾、蛾、蛾!

 何匹殺したのか覚えていない、絶滅させる勢いで潰しているというのに、次から次へと絶えることなく飛んでくる。

 いい加減うんざりだ、そのオレンジの身体は見飽きた。というか視界に映るものどれもが燃えていて、物凄い精神が疲弊する。

 

 めんどくさい……もういいや。

 

 げんなりとした気分。

 後ほど使う予定であったが、リュックに詰め込んだ石ころを一つ握りしめ、全力でぶん投げる。

 これが上手くクリーンヒット、その太く大きな胴体ど真ん中を打ち抜き、ふらりと地面へ叩き落される蛾。

 勿論レベルは上がらない……一応『経験値上昇』に『スキル累乗』をかけているのだが……。

 その上必要であるとはいえ、『経験値上昇』を上げてしまった影響で魔石も落ちないので、全くもって何の喜びもない。

 

 もしかして奥から来た金髪の彼女も、これにうんざりしてぐちゃぐちゃに殺したのかも知れない。

 いやそれにしたって物凄い形相であったが。

 

「あーもうだめだめ、作戦変更」

 

 ポケットに突っ込んでいた地図を引っ張り出し、……結構くしゃくしゃだったので、ちょっと引っ張って……、地形を確認。

 多分ここらへんだろうか、いや、もう少し右……? まあいいや、何とかなるだろう。

 どこにいるのかよく分からなくなったので、もう一度ポケットに突っ込みなおす。いや、私は悪くない、門の場所くらいしか書いていない地図が悪い。

 

 深く息衝き、両手で顔を覆ってしゃがむ。

 

 蛾が多すぎる……!

 

 いつからこの森は昆虫博物館になったのか。昆虫博物館としても品ぞろえが悪すぎる、文句言いたいから館長を呼べ。

 レベルも相応に上がってきたし、もう面倒だから垂直に外周へ向かおう。

 

 進行方向をぐるっと九十度回転、とはいっても視界はやはり燃える木々なのだが。

 

 五分、十分と慎重に探索を続けたが、本当に先ほどから視界に変化がない。

 そう、火の粉を散らす炎の花、風もないのに揺らめく真紅の木々、そして多少開けた場所で、こんもりと盛り上がった落ち葉の塊達……誰が掃いているわけでもないのに、森の中で落ち葉の塊……?

 

 

『ケェッ?』

『ケェッ?』『ケェッ?』『ケェッ?』

『ケェッ?』

 

 

 最初の鳴き声に反応して、一つ……二つ……いや、数えきれないほど沢山。

 落ち葉の山だと思っていた何か(・・)から、ぴょこぴょことひょろ長い頸が伸び、無数の真っ黒な眼光が私を貫く。

 

 

「お……?」

 

 

『ケエエエエエエエエッ!』

「んもっ!?」

 

 気が付けば視界いっぱいに飛び込んできたのは、私の拳程はある極太の爪。

 

 避けられない……!?

 

 雄々しく太いその足から繰り出されたのは、ガツンと身体を吹き飛ばすほどの強烈な蹴り。

 ギリギリ顔の前に差し込めたカリバーごと空を舞い、認識したときには地面をボールの様に転がり、どうにか体勢を立て直して目の前を睨みつける。

 

 最初の印象はダチョウだとか……ええっと、うん、ダチョウっぽい巨大な鳥。

 それが何匹も地面に寝転がり落ち葉に擬態していたようで、次から次へと立ち上がっては、私の動向を見ている。

 けれど地味なそいつらの羽とは違って、赤を基調とした目が痛くなる極彩色の羽は、やはりこの森では保護色となるようなもの。

 私がいたであろう場所の土が吹き飛んでおり、一匹だけ群れから離れてそばにいる辺り、どうやらとんでもない勢いで蹴り飛ばされたようだ。

 

 開けた場所は、このダチョウっぽいナニカの巣、もしくは会合場所? のようなものだった。

 初めてのモンスター、その上群れに出くわすとは運が悪い。

 

 魔法じゃなくてよかった……

 

 爪が掠めて切れたのだろう、額に垂れる血を拭い胸を撫で下ろす。

 痛みには最近慣れてきたところではあるが、魔法で焼かれた痛みはまた一味違って、ちょっとだけ、いや、結構堪えがたいものがあった。

 その上こちとら頑丈さにかなり自信があるのだが、魔法攻撃にはとことん弱いステータスをしている。

 もし今の速度で顔面に魔法を叩き込まれていたら、今頃昨日の焼き戻しの様に痛みへ呻く羽目になっていただろう。

 

「『鑑定』」

 

――――――――――――――――

 

種族 ストーチ

名前 イッソ

 

LV 3700

HP 8324 MP 3221

物攻 7087 魔攻 5432

耐久 9085 俊敏 15432

知力 2654 運 55

 

――――――――――――――――

 

 全体的に高水準、その上かなり俊敏も高い。

 人によっては初手のキックで終わっていたかも……本当に運がよかった。

 壁に投げつけられたトマトを想像し、無意識の身震い。

 

 私を蹴っ飛ばしたのは群れの中でも体格がよく、レベルもその分高いのだろう。

 とはいえ後ろにいる奴らも当然雑魚ではない。このダンジョンにいるのだからステータスは生半可なものではなく、気を抜けば代償を支払うことになる。

 ここは……

 

「『ステップ』! 『ストライク』!『ステップ』!」

 

 先制を仕掛けて、出来る限りダメージを与えよう。

 

 蹴り飛ばされ一度は大きく空いた空間であったが、ストライク走法にかかれば大した距離ではない。

 群れのど真ん中に高速で飛び込むと、まさかここまで堂々と殴り込みに来るとは思っていなかったと見えて、動転した鳥たちは一斉に跳躍、私を取り囲むようにあたりへ散った。

 

 静寂、睨み合い。

 屈強な足でにじり寄り、次第に縮まっていく円。

 傍から見れば私は自分から飛び込み、勝手に追い詰められた八方ふさがり……かもしれない。

 

「……スキル対象変更、『ストライク』」

 

 でも最悪の時は最高のチャンスであると、以前ネットカフェに合った漫画に描かれていた。

 まあ言ってた人ラスボスだったけど。

 そもそもこれはわざとやったので、ピンチでも何でもない。

 

 以前私が『巨大化』を使った時、重さによろめき、まともにに振るうことが出来なかった。

 これは力が足りないわけではなく、どうやら体重が軽いせいで大きくなったカリバーの重さとつり合い、うまく踏ん張れなかったからだ。

 

 じゃあ、もし私の体重を何かで補ったら?

 そう、例えば……リュックに石を詰め込むとか。

 

『ケェエエエエエエエッ!』

 

「『巨大化』! 『ストライク』ッ!」

 

 身を屈め、かの敵を蹴り潰そうと一斉に飛び立ったダチョウ共。

 けれどそれをただ見ているだけなわけもなく、手に握った相棒は既にすらりとその身を伸ばしていた。

 およそ5メートル。

 斬馬刀もかくやというほど長く伸びたカリバー、元は子供用とはいえ質量も当然跳ね上がっている。

 

「ふ……ぬぅぅぅぅっ!」

 

 馬鹿みたいに長い鉄の棒。それを『累乗ストライク』で周囲へぶん回すのだから、モンスターだって食らえばもんどりうつだろう。

 

 ぶちぶちと色々ダメそうな音が聞こえ、その直後、捉えた鳥どもを殴りつける無数の衝撃か腕へ伝わる。

 それでも身体は止まらない。

 一度発動してしまったスキルは、たとえ体がどうなろうと、基本的には勝手に動き続けるのだ。

 

 舞う無数の羽毛、続く重々しい打撃音。

 

「ほげっ」

 

 視界いっぱいの真紅。

 

 ついでに叩ききれなかった鳥に蹴り飛ばされ、再度空を舞う私の身体。

 喉元への猛烈な蹴りに一瞬昏倒し、背中に走る衝撃で覚醒。

 

「……っ! ゲホッ、コホッ」

 

 忘れていた呼吸を思い出し、胸いっぱいに酸素を吸えば口内に広がる鉄臭い風味。

 口の中を噛んでしまったようだ。

 

 そりゃ全部倒すのは無理だよね。

 上手くいくと思ったんだけどなぁ……



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十二話

 痛っ……、カリバーどこだ……あ、あった。

 

 ぼやけた視界で何とか探り当て、手のひらに広がる金属の冷たい感触、しかしここでは命綱の武器。

 慣れたそれに一瞬気が緩み、しかし今は戦闘の最中であることを思い出し、思考が一気に現実へ戻る。

 

「……っ!」

 

 突然激しい足音が響き、振動が身へ伝わった。

 

 見上げれば、一匹が私を蹴り飛ばしたのが隙と見えたらしく、雁首揃えてこちらへ向かってくるダチョウ。

 

 くそっ、あいつも中々に良い一撃をくれた、視界が鈍い点滅を繰り返し前もまともに見えない。

 立とうにも上下がひっくり返ったようだ、その上膝もがくつく。

 

「たたないと……」

 

 癖にもなっているが、意識を戻すために頭を振……ろうとして、いや、まずいなと気を取り直す。

 ノーなんちゃらって奴だろうし、振ったらなおの事ヤバそうだ。

 あー不味い。落ち着け私、冷静になれ。

 

 どうにか元に戻ってきた視界であったが、右も左も鳥、鳥、鳥。

 木の根元近くに転がった私を嘲り、無機質な視線がこの実を貫く。

 飛び道具? それともさっきみたいに範囲攻撃を恐れているのか、完全に取り囲まれたというのに、今度は一斉攻撃をせずに待っているのも厭らしい。

 

 鳥頭ってすごい賢いって意味だっけ?

 辞書を突き付けたら理解してくれるかな? いや、無理か。

 

 燃え上がる木の根元で蹴り殺されるなんて嫌だ。

 けどどうやって、どこに逃げる?

 右も左も、前も後ろも囲まれている。モグラの様に下へ穴を掘るのも、鳥の様に上空を舞うのだって……

 

 ちらりと見上げた私の目に飛び込んできたのは、二つに分かれた巨枝。

 

 ……私が両手を広げても、お空はちっとも飛べない、が。

 

「……『巨大化』!」

 

 今までにないほど勢いよく、天を突くようにどこまでも伸びたカリバー。

 しかし今突くのは天でも、ましてや目の前の鳥でもない。

 二手に分かれた太い枝の、丁度ど真ん中……はちょっと外れて、その少し手前。

 

「とっとと、引っかかった!」

 

 (くび)れた部分が上手く引っ掛かり、衝撃に枝が揺れる。

 そう、私の作戦は至極単純。枝にカリバーを引っ掛けて巨大化を解除すれば、そのまま上にあがるのでは? と、それだけ。

 

 いけるかどうかなんてやってみれば分かる。

 

「ぉおほおおっ、よしっ!」

 

 解除した瞬間上方向への凄まじい加速、負荷に筋肉が悲鳴を上げ、キリキリとした痛みが突き抜ける。

 しかしその痛みこそが成功の確信。

 間近に迫った枝を掴んでひょいと飛び、華麗にその上へ着地。

 

 どんなもんよ、飛べない鳥はただの鳥だね。

 

『ケェェェェェッッ!』

「やば……ちょっ、木蹴るなこら」

 

 ド、ド、ド、ドッ!

 

 機関銃もかくやという激しい音とともに木くずが飛び、わっさわっさと私の立つ巨木が揺らされる。

 真面に立っていられないない揺れ、たまらず幹へ縋り付く。

 

 流石人間を何メートルもぶっ飛ばす脚力というべきか、木の周りを取り囲んだダチョウたちは空を飛ぶ代わり、天にいる存在を叩き落すことに決めたらしい。

 なんちゅう脚力をしているんだあいつら。

 先ほど殴り飛ばした奴らも数匹は首が折れ痙攣しているが、それでもまだ死に至ってはいない。

 

 ううん、どうしよう。

 まだそれには至らないけれど、きっと直ぐに倒れるだろう。

 木の枝を伝って逃げてもいいけれど、今の私には逃げられない理由がある。鳥ごときにビビって街が崩壊しては元も子もない。

 

 

 仕方ない。

 本当はあんまり使いたくなかったけど、こんなことで時間を使っていられないんだ。

 

「ほいっ、そりゃ! ついでにもう一個!」

 

 リュックの中から拾っていた蛾の魔石を叩き落していくと、そのどれもが粉々になって散っていく。

 私が何かをしたのに警戒しこちらへ顔を向けた鳥たちを傍目に、私はリュックで顔を覆う。

 

 

 ――キィン

 

 

「あれ?」

 

 が、想像していた衝撃はなく、顔を覆っていたせいで何が起こったのかすらよく分からなかった。

 

 おかしいな、蛾の爆発みたいなものを期待していたんだけど。

 その割には妙に静かだ。

 コケコケと喧しく木を蹴り飛ばしてくる衝撃も、鳴き声すら聞こえない。

 

 恐る恐る覗くと、そこにはひっくり返って泡を吹く鳥たち。

 死んでいるわけではない。死んでいるのならこちらのレベルも上がっているはずだし、なにより微かに動いている。

 音もない、爆風もない、鳥たちが魔石に触れたわけでもない、なのに気絶する……何故、原因は?

 

 試してみるか。

 

「ふんぬっ。おああああああっ! 目があああっ!?」

 

 一つ手の上で砕くと、突然溢れ出す凄まじい光。

 視認した私の目を鮮烈に焼き尽くす眩いそれを投げ捨て目を覆うが今更だ、一応警戒して顔を逸らしていたのに全く意味がなかった。

 

 これが複数炸裂したのを直視したのだから、そりゃ当然ひっくり返るか。

 にしたって間抜けにも目の前で犠牲者が出たのに自ら割る私も馬鹿だ。

 

「ん、いた。『スカルクラッシュ』!」

 

『レベルが122上昇しました』

 

 足先で探り当て、気絶する鳥を叩き潰した瞬間、真黒に塗りつぶされた視界が一気に鮮明になる。

 レベルの上がった『活人剣』の効果で治ったのだろう、光で目を焼き潰されるものどうやらダメージ扱いになるようだ。

 それにしたって迂闊だった、もし活人剣のレベルを上げていなかったり、周りの鳥たちが気絶していなかったら死んでいた。

 

 だけど。

 

「朝食にはちょっと重いかな? 『スカルクラッシュ』」

『ケ゛ェ……』

 

 振り下ろしたカリバーが目を瞑ったダチョウの頭へ、生々しい音を立て沈み込み、色々なものが飛び散る。

 勿論その直後、光の粒へと変わるのだが。

 

『レベルが104上昇しました』

 

 私の前には高レベルで、しかも全く動くことのない経験値たち。

 これをさっさと倒さない理由はない、そうでしょ?



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十三話

『ボギョォッ!?』

 

『レベルが3上昇しました』

 

 真っ赤に燃え上がった(・・・・・・・・・・)ダチョウを殴り飛ばし、最後に頭を叩き潰す。

 戦っている最中、突然全身が燃え上がり突撃してきたのだが、先ほどの閃光の影響が抜けていなかったのと、そもそも私のレベルが上がっていたのもあって苦も無く撃破。

 その身すべてが光となって溶けていった。

 

「よし、よし……くふ」

 

 体がふわふわする。

 

 太陽は今ちょうど天高くに上り時刻は昼頃。

 金髪の彼女から情報を聞いて一日。ダチョウたちは基本的に群れで行動しているようで、蛾の魔石で目を奪えばあとは経験値の塊、レベルを上げるにはうってつけであった。

 

「ステータスオープン……」

 

―――――――――――――――――

 

結城 フォリア 15歳

 

LV 5244

HP 10406/10406 MP 634/26010

 

―――――――――――――――――

 

 間に、合ったか。

 

「キヒ……」

 

 なんだ、余裕だったじゃないか。

 コキコキと首を鳴らし、案外あっさりと上がったレベルに口角が吊り上がる。

 

 当初の予定では二日ほどかかるかもしれないと睨んでいたのだが思ったよりも早く『炎来』の推奨レベル上限にまで届いた。

 MPこそ『スカルクラッシュ』や『ステップ』のせいで減ってはいるものの、無駄にSPを注ぎ込んだ『活人剣』の調子はすこぶる良好で、全身にあった疲労感は気が付けば消えていた。

 むしろレベルが上がっていくほどに、全身の感覚がすさまじく鋭敏(・・・・・・・)になっていくのを理解し、次へ、その次へと戦いたくなってしまう。

 渇望とでもいえばいいのだろうか。足りない、この程度じゃ満足できない。

 

 いつの間にか鋭く伸びた爪でポリポリと頬を掻く。

 

 ボスを殺しに行こうか、なんて考えていた時だ。

 

「あれ? フォリアちゃん?」

 

 ヒトの声が鼓膜を叩いた。

 

 一人、二人、三人か。

 武器は短剣、槍、そして魔法使いらしき杖持ち。最初に襲う(・・)なら短剣使いだろうか、素早いのをつぶしたほうが後々楽そうだし。

 うん、そうしよう。

 

 一直線に全速力で懐へ入り込み、首元へ顔を近づける。

 甘い、いい匂いがする。

 木々の明かりに照らされた白い首筋、おいしそう。

 

 どうせこのダンジョンに居るならレベルは5000以下だ、大した反撃もできないだろう。

 

「やだ、そんな嬉しかったの? 久しぶり、元気にしてた!?」

「ぐぇっ!?」

「ちょっと(なぎさ)、抱くにしてももう少し手加減しなさいよね。あたしたち適正レベルと離れてるんだから」

「げほっ、げほっ……あ、あれ……? 穂谷さん……?」

 

 

 

 

 

 

 あれ?

 今私、なにしようとしてたんだっけ……?

 

 

 

 

 

 

 ふと気付けば目の前には笑顔の穂谷さん。後ろに立つ二人の女性はパーティメンバーだろう、呆れたような顔をした背の高い人と、微笑んでる人。

 穂谷さん。蘇生した私を落葉で拾ってくれたり、今も使っているリュックサックをくれた優しい人。

 

 いつの間に目の前にいたんだろう、全く気が付かなかった。

 戦っている途中から妙に体がふわふわとして、現実感がなくなってきた辺りからあんまり覚えていない。

 うーん? まあいいか。

 

「久しぶり」

「うんうん、久しぶり! ここまで来れるくらいレベル上げたんだ、すごいわね!」

「まあ、うん。へへ、穂谷さんもレベル上げに?」

「いや、私たちは本来もっと上が適正なんだけど、ずっと本格的な戦闘はしてなかったからね。徐々に鳴らしてるのよ」

 

 君のこと見てたら、なんだかやる気が湧いてきたのよね。と、お茶目に笑いウィンク。

 

 そうか、穂谷さんはもっとレベルが高いのか……

 いや、待てよ。

 

 ピンときた。

 これは好機だ。レベルも高いし、彼女はたぶん信頼できる人。

 レベルも相当高いらしいし、探索者として必然協会に所属しているが、あくまで一員としてだ。

 

「ねえ、穂谷さん。その……相談があるんだけど」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十四話

「その……えっと、ダンジョンが……」

「……? ダンジョンが?」

 

 ……崩壊する、かもしれない。

 証拠も根拠もないけど、そんな気がするから数日間付き合ってくれ……なんて言って、信じてくれるのか。

 

 頭二つほど高いその先、茶色の瞳が私を見ている。

 

 どう考えても、信じてくれる気がしない。

 人間性がどうだとか、信頼関係がどうだとか関係なく、少なくとも私が似たようなことを言われて信じるか、それを考えれば必然的に結論は出ている。

 

「……ううん、なんでもない。久しぶりに会えてよかった」

「ええ、ええ! これから昼食行くんだけど、フォリアちゃんも来る?」

 

 いいよね?

 後ろの二人に彼女が確認を取り、二人も特に嫌がることなく頷く。

 

 昼食、か。

 魅力的な提案だ。ここに入ってからまともな食事もしていない、調理されたものを食べたい。

 けど

 

「いや、私はもう少し潜る。ありがとう」

 

 その提案を、今の私は蹴ることしかできなかった。

 

 本当に起こるのか、いつ、どうやって?

 何もわからないけれど、やっぱり私はこの不気味な確信から目を逸らすことはできない。

 

 かくなる上は、やはり当初の予定通り、ダンジョン内で崩壊が起こるまで待ち、直後にボスへ突撃して倒すしかない。

 

「そう、じゃあまた、ね」

「うん、さよなら」

 

 時間がどれだけ残されているのか、できる限り行動を速くしなければ。

 

 

 協会直営の店でポーションを買い足し、ダンジョンに潜ってから数時間。

 ダチョウを倒してもレベルがほぼ上がらなくなり、疲労も大分溜まってきたので、木のうろへもぐりこんで寝てきた時の話だった。

 

 うるさい……

 

 何かが叫んだり、暴れ回っている。

 いい感じに眠れていたというのに、これではそうもいかない。殴り殺して寝てやろうか、寝起きで不機嫌なまま鼻を鳴らす。

 

 ひょっこり外を除く、黄色く燃える木々。

 だがそこで起こっていた惨劇に、私は思わず口を覆った。

 

『ケ゛ェッ! オゴッ……コォ……!』

 

 今まで私が戦っていたダチョウ、のはずなのだが、異常に体がデカい。

 そして周りにいるのは見慣れたダチョウ。しかしそのすべてが足をバキバキにへし折られ、しかし死んではいないようで僅かにその身を震わせていた。

 そして化け物は……周りにいたそいつをひょいとついばみ、丸呑みにしてしまう。

 

 なんだあの化け物は……!?

 

 今まで何度かダチョウの群れと戦ってきたが、あんな奴はいなかった。

 あんな巨体見落とすわけない。

 

――――――――――――――――

 

種族 ストーチ

名前 ゼノ

 

LV 5137

――――――――――――――――

 

「ごせ……っ!?」

 

 名前こそ今までと同じなのに、そのレベルはけた外れ。

 遠来の推奨レベルである5000なんて飛び越している、絶対におかしい。

 しかも、だ。一匹、二匹と周りのダチョウを飲み込むごとに、そのレベルは数十という単位ではねあがっていく。

 

 まさか、これがダンジョン崩壊の兆し……!?

 

 考えるより先に体が動いていた。

 カリバーをアイテムボックスから引っ張り出し、その場から飛び出す。

 

「スキル対象変更、『スカルクラッシュ』」

 

 着地、疾走。

 

 これ以上肥えられても困る。

 

 刹那の瞬間に肉薄し、跳躍。

 サッカーボールほどある巨大な瞳が、キュウと狭まった。

 

「『巨大化』、『スカルクラ……』!?」

 

 その頭を叩き潰さんと、高々と掲げたはずのカリバー。

 しかしスキルを唱える間もなく、その首はぐんぐんと空へ伸びていき、手の届かない位置へと起き上がってしまう。

 

 やっば……!

 

 スキルに導かれ、しかし空を切る。

 空中、移動手段は当然ない。

 ぐるりと回った体で最後に見たのは、こちらへと振りかざされる暴力的なまでの巨頭だった。

 

 ミチィッ!

 

「お゛っ……げぇ……!?」

 

 その時、腹へ酷く不快感が走った。

 

 今まで多くのものを殴り飛ばしてきたが、自分がボールのように吹き飛ぶのはなかなか慣れない。

 このダチョウ共は私をボール代わりにするのがお気に召したようだ。

 

 土、落ち葉、草。

 口の中へ飛び込んできたすべてを吐き出し、空中で二転。

 太く硬い木の幹へ着地し、ずり落ちる。

 

「あ゛ぁ……ぺっ」

 

 ぺろりと服を裏返すと、二本のどす黒く太い線。

 嘴がめり込んだのだろう、触るとビリビリとした痛みと共に、膝から力が抜ける感覚が通り抜けた。

 

 巨大ダチョウは動かない。

 というよりその巨体に足が埋もれていて、動こうにも動けないのか。

 しかし襲ってきた私は敵と認識しているのだろう、しかとこちらを見つめている。

 

 さて、どうしたものか。

 

 見回し、地に伏すダチョウへターゲットを変える。

 ここから距離も近く、巨大なあいつからは離れているそいつは、私をじっと見つめ何か言いたそうな雰囲気をまとっていた。

 

 うむうむ、私が君の仲間の仇を取ってやろう。

 

「『ストライク』」

 

 メキョッと脳天へ一発、苦しむことなく彼は旅立っていった。

 残されたのは彼らの羽に似た魔石。君の遺志は私が受け継ぐから、安らかに眠ってくれ。

 

 そういえばモンスターに天国はあるのだろうか。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十五話

 ダチョウ君の遺志を受け継ぎ魔石と、ついでに体力の回復も済ませた。

 一家に一台活人剣、ありだね。

 SPの効率めちゃくちゃ悪いけど。

 

 コロンとオレンジに輝く魔石。

 ちょっとおいしそう。一口くらい食べても……って、そんなことする余裕ないか。

 

「ほいっと」

 

 ぐっと握り、小さな罅が入ったのを確認してぶん投げる。

 

 仲間を食われたダチョウ君の遺志をその身で噛み締めろ!

 

 輝きを纏い、まっすぐにその胴体へ吸い込まれる魔石。

 でっぷりと太った巨鳥。それを目で追いながらも、体の重さに慣れていないのか、それとも余裕ぶっているのか避ける気配はない。

 

 

 刹那の静寂……耳を劈く爆音!

 

 

 多少離れているはずだが、それでも爆風がこちらの顔を舐め、弾き飛ばされた土が服にまき散らされた。

 

 発動したのはシンプルな爆発。

 だがそれは消えることなく、巨鳥を薪として一層のこと激しく燃え上がった。

 ナパージュ弾だっけ?的な感じ。

 

 おお……もっさもさの羽がよく燃えてる、すごい熱そう。

 見てるとおなかすいたなぁ……鳥の丸焼きとか食べてみたいかも。

 

 燃えてて殴ろうにも殴れないし、近づき手持無沙汰で暫くぼうっと見ていたのだが、なんだか喉に引っかかるような違和感に気付く。

 顎に指、頭に疑問符。

 なんだ?

 

 あ……苦しんでない……!?

 

「やば……!」

 

 気付きと変化は紙一重、鋭い眼光が深紅のカーテンからこちらを見定める。

 豪炎を切り裂き、その大頭が私を啄もうと飛び掛かってきた。

 

 キツツキよろしく、しかし絶え間ない地響きを伴って地を穿つ嘴。

 右へ、左へと命がけの反復横跳び。

 しかし首の長さも有限、ある程度の距離を取ればそれ以上は伸びず、全身に纏っていた炎をぶるりとかき消し、巨鳥は高々と嘶いた。

 

 見た目こそでっぷりと太ってかけ離れた姿だが、これでもちゃんとストーチ(ダチョウ)

 炎の扱いはお手の物ということだ。

 

 睨み合い。

 鳥も背中に沿ってたたまれた翼を振り、こちらが何も仕掛けてこないことをけん制する。

 なぜ襲ってこないって? 誰が攻撃圏内にわざわざ行くかっての。

 

『ケェェェェッ!』

 

 巨大な目を引ん剥き勝鬨を上げると、突如としてその体が空中へ浮かんだ。

 支えるのは、その膨らんだ体に見合わぬすらりと長い脚、とはいっても小さな木ほどの太さはあるが。

 

「いや立てんのかい」

 

 思わず毒づいてしまう。

 

 太った体はさぞ重かろうと思っていたのだが、案外軽やかな動きでこちらへと駆け寄ってくる。

 もっさもっさとした羽の塊が来る様子はなかなかにファンシーで、どこかコミカルな雰囲気もあった。

 動けるデブ? いや、単純に大量の羽で膨らんでいるだけで、別に太っているわけではないのかもしれない。

 

 単純におなかいっぱいで動きたくなかったのね。

 仕方ない、誰にだってそういうときはある。

 

 それにしてもどうしよう。

 激しく動き回る巨大な胴体、その上ここまで体高があるとなればまともに殴れない。足元に近づくのも爪長くて危ないし……

 熱気にやられて噴き出した汗を拭い払う。

 

 あ、木登れば顔にも近づけて一石二鳥じゃんね。

 

「とうっ! ……むっ」

 

 びょいーんと跳びあがってしなる枝を握り締めたその時、どこかしっくりこない感覚に戸惑う。

 元々不思議と人肌ほどの温度があった木の表面であるが、今はそれ以上、触っていて熱いと感じる程度には温度が上がっていた。

 ずっと触っていれば低温やけどくらい起こしそうだと、早めによじ登って枝の上に立つ。

 

 うむむ。

 いつの間にか燃える葉の色が白くなっているのもそうだが、どうやら気付いていないだけでモンスターの行動だけではなく、もっと小さなことも変化しているらしい。

 これ以上熱くなるのなら流石に木の上へ逃げて……なんてことも難しいかも。

 

 バチンッ!

 

「ふぁ!?」

 

 目の前の枝が消える。

 

 バチンッ! バチンッ!

 

 突然の消滅は足元から。

 意識外からのそれに最初は気付かなかったがこの巨鳥、跳びあがってその嘴で枝を切り落としていっている。

 あまりに巨大な体のせいで狙いが定まっていないが、どこまで鋭利な嘴なのだろうか、滑らかな切断面はうかうかしていた場合の末路を示していた。

 

 ふざけた奴……!

 

 上へ横へと跳んで枝を乗り移れば、あちらも徐々に慣れてきたと見え、次第に正確となっていく突きがすぐ横を突き抜け木片が飛び散る。

 このままだジリ貧だ、なんとか手を打たないと。

 

――――――――――――――――

 

種族 ストーチ

名前 ゼノ

 

LV 5600

HP 6324/17843 MP 2221/5451

 

――――――――――――――――

 

 レベルの上昇が止まってる……消化が終わったってとこ?

 それよりHPやMPが妙に削れてるのが気になる……さっきの火は対してダメージを受けてなさそうだし、なんでだ?

 いや、そうか。モンスターといえど私と同じなんだ。レベルが上がった直後は、まだHPが最大値まで回復していない……!?

 

「枝ぁっ!?」

 

 確かに先ほどまで枝があったはずなのに、伸ばした右手が空を切る。

 

 やられた!

 ただむやみに私を狙っていただけじゃない、逃げる先まで考えて枝を切り落としていたのか!

 まんまと追い込まれたってわけだ。もう、ほんと頭良すぎて嫌になっちゃう。私の頭が悪いだけ?

 

 空が遠のき、世界が逆転した。

 天は地に、地は天に。

 レベルが上がろうと逆らえない重力の枷が身体を縛り付け、ゆっくりと地面、いや、巨鳥の赤黒い喉奥へ誘う。

 

 終わった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十六話

 落ちる。

 呆けた体は緩やかに宙を泳ぎ、踏み締めるものを失った足は投げ出される。

 一瞬熱くなった頭がさっと冷たくなるのが分かった。血の気が引くなんて表現があるが、まさしく今のことを示すのだ。

 

 大きく、黒く、深く、柔らかな喉が隆起して、私が飛び込んでくるのを今か今かと催促している。

 さながら気分は一寸法師。

 

 いや待てよ。

 どこまでが胴体かわからないほど羽で膨れ上がった体より、今目の前にあるここ(・・)の方が何倍も狙いやすくて、柔らかいじゃん。

 

『キョエエエエエッ!』

 

「きょ……『巨大化』っ!」

 

 ゆっくりと大きくなっていくカリバーが、私と共に喉奥へ吸い込まれていく。

 

 時間にしてみれば一瞬。

 いつも速過ぎるとまで思っていたその速度が、今はもどかしいほどに遅い。

 その程度一口だと鳥が嗤う。

 

 これじゃ間に合わない……! もっと、もっと速く……!

 

「『巨大化』っ! 『巨大化』!」

 

 叫ぶほど、願うほどに巨大化の速度は跳ね上がった。

 そうだ、それでいい。

 もっと大きく、もっと太く、もっと重く!

 

 突然巨大になった棒が口に飛び込み、目を引ん剥き嘔吐(えづ)こうと喉が隆起する。

 だが私の体より太く、そして長く伸びたそれは見た目相応の重量があり、落下の速度も合わさってそう簡単に吐き出せるほどちゃち(・・)なものじゃない。

 もはや握るではなく抱き着く。振り落とされないよう必死に抱き着き、そのまま落下。

 

 重みで叩き潰し、ミチミチと肉繊維を割いて穿つ生々しい感触が身体を伝わる。

 

 極太のカリバーは顎を引き裂き、その巨体をものともせず頭の先から下まで潰し、無理やり刺し貫いた。

 

「おお……」

 

 太く大きくなったカリバーが、小さな建物ほどの巨鳥、その脳天から地面を抉っている姿は、なかなかにファンタジーで愉快な光景だ。

 しばらく焼き鳥とか食べられないかも。

 

『レベルが407上昇しました』

 

 わずかに痙攣し、これでも死なないのかと驚愕したが、流石にここまでやられればモンスターと言えど死ぬらしい。

 光が散らばり、巨大化したカリバーとそれに抱き着く私だけが残され、レベルアップを伝える声が鼓膜を打つ。

 

 安堵と共にゆっくり『巨大化』を解き、地面に着地。

 

 モンスターがモンスターを喰い、巨大になる。もしかしたらそれを繰り返した先、花咲のスライムたちのように変異もあるのかもしれない。

 もしそうだとしたら……ちんたら一匹一匹倒していては間に合わないだろう。

 いや、それどころかモンスターたちのレベルアップが私より速ければ……

 

 ぶるりと身震いしたその時、無数の影が私の背後から燃える木々の光を遮った。

 

「な……っ」

 

『ケェェェェッ!』

『ケッケッパラッポ』

 

 気が付けば首が折れ寝転がっていた鳥たちは消え、その代わりに、先ほどのものほど大きくはないとはいえ、何匹もの巨鳥がこちらを無機質な瞳で見つめていた。

 

 なるほどね。

 

 

 

 

「なんですのそれ」

 

 朝。

 署への出勤を終え派出所へ足を運んだ安心院が見たのは、一般的なパソコンほどのサイズがある、奇妙な機体を弄る伊達の姿であった。

 

「ああ、まだ試作品段階だが、年々崩壊の件数が増えてることを受けてな。崩壊間近になると噴出する魔力量が跳ね上がるのを検知しているらしい」

「ほえ……凄いですわね」

「技術の発展は日進月歩って訳よ。ああそうだ、上のランプが点滅したら崩壊間近って訳らしい。 こいつは『炎来』専用だが……ま、そう簡単には光らねえよ」

「はあ、それってその……そんな感じで真っ赤な感じですの?」

「そうそう、真っ赤な感じ。丁度そう、こんな風に……」

 

 ライトは真っ赤に点滅し、朗々と警戒を二人へ呼びかけていた。

 

「い、いやあああああっ!? けっ、警察に通報ですわ!?」

「俺たちがその警察だアホ! お前は署と協会に連絡しろ、俺は先に入口の封鎖へ向かう!」

 

 

 街の中心部から僅かばかり離れた『炎来』の入り口。

 普段は探索者達が集って最終準備に取り掛かる広場であるが、今日は異様な喧騒に包まれていた。

 

 集まったのは物々しい格好をした人々、普段『炎来』に潜っている探索者や警察など、戦闘員として実力のある者たちだ。

 鳴り響くサイレン、切羽詰まった顔で市民が走り去る。

 

「はい皆さん落ち着いてー、回復魔法使える人はこっちに集まってー。君、危ないから動画なんて撮ってないで、避難所にお母さんお父さんと一緒に行こうねー」

「探索者の皆さんはこちらへ、レベル4000未満の方は崩壊時に備えバリケードの構築に回ってもらいますわ! もう、ちょっと喧嘩しないの! あっ、こら、探索者なのに逃げない! 義務でしてよ!?」

「ほっとけ安心院! どうせ逃げる奴らは使い物にならねえ!」

「あの……」

 

 役所の倉庫で腐っていたポーションも今日ばかりは大盤振る舞い、机の上に広げられ、好きに持って行けとばかりに放置。

 ある者は高価なため普段買わないので嬉々として複数ちょろまかし、ある物は一つ匂いを嗅いで顔をしかめる。

 

 明朝から始まった混乱のさなか集まる探索者、それを誘導する安心院達の背後から一人の女性が声をかけた。

 

 こんな忙しいときにいったい何の用だ、くだらない内容だったら張り倒してやろうかしら。

 しかしこんな時に取った態度が後々面倒な奴(マスコミ)らに目を付けられ、実家にまで影響が及んでしまうのだから面倒だわ。

 

 苛立ちに笑顔を張り付け、安心院は後ろを振り向く。

 はたして、そこにいたのは……



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十七話

 果たして、そこにいたのは……穂谷。

 昨日フォリアと出会ってからこんな事態になり急いできたものの、彼女の姿が見当たらず場を仕切っていた警官へ声をかけたのであった。

 

「金髪の子、見かけませんでしたか? こう……バット持ってて、いっつもフラフラしてる子なんですけど」

「はあ……金髪の子ですの……? それって……」

 

 金髪……ふと思い当たる安心院。

 関係があるにしては、件の少女と随分年齢が離れているように見えるなと、目の前の女をいぶかしげに睨む。

 

 脳裏に過ぎるのは一人の少女。

 いないのなら逃げただけじゃないのか。そう口に出そうとした安心院であったが、ダンジョンに入り込んだ者がいないか確認のため、逆再生で早回しされていた監視カメラの映像に、ちらりと映ったその姿を見て絶句する、

 

「今のって……」

「まさか……」

 

 夕方から明朝分の再生を終え、現状確認できた探索者は彼女一人……出てきた様子はない。

 より大型のダンジョンに潜る場合大量の食糧を準備し、数日かけて潜ることは当然ある。しかしながら『炎来』は森とは言え、さほど大きなものではない。

 何故そんな時間から潜っているのか不明だが、おそらくダンジョンに潜っているのは彼女一人。

 

 崩壊が起こった時、ダンジョン内のモンスターのレベルがどれほど上がるかははっきりしていない。

 GランクダンジョンがDやCに匹敵することもあれば、ランクが1段階上がるだけで終わることもある。

 しかしながら一概に言えることは、普段の適正ランクほどしかない探索者では太刀打ちできないことが多い、ということだ。

 

 数日前、安心院がフォリアと初めて出会ったとき、彼女は安心院に『炎来』の場所を聞いてきた。

 それはつまり、今の今まで炎来に潜ったことがないということ。彼女の年齢からしてDランクを大きく飛び越えるほど経験を積んでいるとは考えられない。

 Dランクの壁は大きい。一般的にCランクへ手をかけるのには年単位、どんなに早くても半年はかかるだろう。

 

 はっきり言って、フォリアの生存は絶望的であった。

 

「……っ! 私先に突入してますわっ!」

「馬鹿ッ! おい待て安心院っ、もう侵入から半日以上経ってる! 生存は絶望的だ……ああっ、クソッ! おい! 俺とハコ(交番)の相方で先に偵察して来る!」

 

 手配されている拳銃を片手に、安心院が真っ先に飛び出す。

 手を伸ばした伊達であったが当然声は届かない。人々をかき分け門に飛び込んだ彼女を追い、同僚へ適当な理由を告げるとその場を立った。

 

 治安維持のため時には探索者の相手をする警官。

 魔石を使う拳銃での対応をすることもあるが、基本はその身一つでの鎮圧であり、一定以上のレベルを上げることは必須であり、戦闘能力は並みの探索者を凌ぐ。

 

「それなら私も……!」

「心配してるところ悪いがアンタはバリケードに回ってくれ!」

 

 渋い顔。

 しかし現状それが一番なのを穂谷は理解し、物憂いげに頷いた。

 

 実際のところ、普段パーティを組んでいない人間同士が緊急時に協力するというのは、途轍もない疲弊が伴う。

 またDランク以上のモンスターがダンジョンから溢れたとなれば、たとえ一匹でも甚大な被害になるのは間違いがない。

 その上自身にもパーティメンバーがおり、勝手に行動するのは迷惑がかかる。

 穂谷自身歯がゆくはあったが、この緊急時、苦いものを飲み込んで二人にここは任せるほかなかった。

 

 

 

 

 蒼く燃え上がる木々、普段は穏やかな森が狂い悶えているようにも感じれた。

 安心院がこの街に配属されて一年。今まで見たことのない異様な光景は、浮世離れして幽雅であり、しかしどこか空恐ろしいものがある。

 

 武者震いか、それとも本能的に命の危険を悟ったのか。安心院はぶるりと身震いをし、こぶしを握り締めた。

 

 彼女は小柄。

 異変に気付きさえすればその身をどこかに隠し、うまく生き延びている可能性だってある。

 しかしどうやって探したものか。発信機なんてもの彼女についているわけないし、一人で端から端まで探すのは骨が折れるだろう。

 いっそ大声で呼びまわるか……

 

「待て安心院、一人での行動は危険だ! 俺も同行する!」

「っ! 伊達さん……」

 

 その時背後から走ってきた伊達が、彼女の肩を叩き冷静になるよう諭したことで、安心院はハッと我に返った。

 

 何も考えずに飛び出してしまったことで、先輩である伊達が尻拭いをするように追ってきてしまったのだ。

 こういった状況で一番失ってはいけない冷静さ。それを真っ先に放り投げ、人々への指示や避難誘導等の職務も放棄し、一人この場にきてしまった。

 警官失格だ。

 

 ああ、ダメですわ。

 大見得を切って家を出てきたというのに、結局物事を知らない間抜けな女のまま。お兄様に嘲笑われた通りですわね……

 

「申し訳ありません! ですが」

「……一時間だ。一時間捜索して見つからなければ速やかに撤退、入り口で待機して突撃部隊と合流する。いいな?」

「……っ! はい!」

「んじゃこれ持っとけ」

 

 突き出された箱の中にはいくつかのポーションと、拳銃の詰め替え用に手配された魔石。

 思えば自分はそれを持ってきていない。本当に何も考えずに飛び出してきてしまった事に、再び恥じ、顔を赤らめる。

 勿論徒手空拳での戦闘技能(スキル)はいくつか収めているし、アイテムボックスの中に武器を入れているが、手数は多いほど良い。

 

 安心院はニヤリと笑った男にしかと頷き、箱を受け取った。

 

「お前緊急時なんだし、いい加減その口調どうにかならねえのか」

「いやその……幼少期から染み付いてて、気を付けてもなってしまうのですわ……です」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十八話

『ケェッ?』

『ココ?』

 

 木の影から真ん丸な奴らがひょっこりと顔を出し、くりくりとつぶらな瞳でこちらを見る。

 せめて腰くらいの高さならまだかわいげがあるのだが、どいつもこいつも数メートルの巨体で爆走して来るのだから、愛おしさのかけらも感じない。

 ぶっとばしたい。

 

「まだ出てくるの……!?」

 

 苛立ちにため息でも一つ吐いてやりたい気分だが、そんなことをする暇もない。

 気の抜けるような鳴き声だが既に同じ声を上げる存在を数時間殺して来たので、いい加減にうんざりしてきた。

 

 広大な森。たとえ共食いをしていたとして、それでも次から次へ湧いてくるモンスターは一向に尽きることがない。

 こんな状況だというのにレベルが上がる度、どこかふわふわとした、非現実的な感覚に襲われる。

 うまく事の進まない現状に間違いなく心は苛立っている……はずなのだが、自分の心が自分のものじゃないみたいに、愉快な感情が勝手に湧き出してくる。

 これがランランハイハイというやつか? 自分の感情が気持ち悪いと思ったのは初めてだ。

 

 疲れて変になってるのかな……

 

 固まった眉間をほぐしぎゅっと相棒の柄を握る。

 

 幸か不幸か、ダンジョン崩壊の最初も最初、出だしに遭遇することができたおかげで、今のところ敵のレベルに対応しきれないということはない。

 もちろん相手のレベルにばらつきがあるのはそうだが、こちらだって数か月頑張って戦ってきたので多少のレベル差なら何とか覆せるし、なにより相手のレベルが上がるほど私のレベルも加速的に上昇する。

 これは『スキル累乗』と『経験値上昇』の組み合わせができるからこそで、普通の人ならこうはいかなかっただろう。

 

 だが遭遇するモンスター……ほとんど巨大ダチョウだが、蛾はレベル差があるダチョウに一方的に食われている……自体のレベルも、猛烈な勢いで上がってきている。

 きっと丸ごと食べているので、私同様に経験値か魔力を余すことなく吸収して、すべてレベルアップにつながっているんだと思う。

 要するに滅茶苦茶ギリギリの状態なのだ、戦う手を止めると相手のレベル上昇速度が上回ってしまうから。

 

 私と同じようなレベル上昇をする存在がここまで厄介だとは思ってもいなかった……

 

 泣きたい。

 めっちゃ泣きたい。

 インチキレベルアップも大概にしろ、ずるをしてレベルを上げるなんてずるいぞ。

 大体モンスターがレベルアップするとかダメだろどう考えても、大食いでカレー食べてるときに突然カレーがどんどん辛くなったら困るでしょ。

 

 何よりもきついのは敵の体が大きくなることで、殴ろうとまともに攻撃が入らないこと。

 『巨大化』と『累乗ストライク』の併用はMP的にも、肉体的にも消耗が激しく、治るとはいえ使う度に走る全身への激痛は、精神的にもこちらを疲弊させてくる。

 

「くっ……『巨大か……」

 

 唱えた瞬間からずしりと来るはずの重さは、そのわずかな片鱗すら見せてはくれなかった。

 いや、重さだけではなく、スキルを使ったとき特有の、体へ何かが巡る感覚もない。

 

 MPが切れたんだ……!

 

 ステータスを開くまでもない、疲労で鈍くなった頭でもそれは直感で理解できた。

 

 多少睡眠をとったとはいえ二日間戦い続けた結果、レベルアップでは回復しないのもあって、ついにスキルを一回発動するだけのMPすらも切れてしまった。

 何より私は『スキル累乗』によって重ね掛けした分だけ、消費するMPが跳ね上がる。

 ここまで持っただけマシかもしれない。

 

 にしたってこれはいかんね、どうしたものか。

 失敗前提、死ぬ覚悟。ダンジョン崩壊が起こった場合間違いなく死ぬとは思っていたが、あっさり死んでたまるか。

 私はまだ、やってないことが星の数だけあるんだから。

 

 一瞬ぶれた意識の間隙を縫い、一斉に鳥たちは全身へ炎を纏い、地を駈けた。

 こちらへ驀進する炎の塊。体は大きくなろうと何の問題もなく、ダチョウの技は扱えるらしい。

 

「しぃ……っ!」

 

 ギリギリではあったが直前に気付くことで、地面を転がりながらの回避は間に合った。

 

 激しい熱波が背中を駆け抜け、髪が熱に犯される匂いが鼻を衝く。

 

 ズゥゥ…………ン

 

 勢いを抑えきれなかったのだろう、

 私が数人手を広げたって覆えそうにない大きな幹も、その巨体による突進にはひとたまりもなく、メキメキと嫌な音を立てへし折られる。

 しかしそれをものともしない。纏わりついた木屑を身震い一つ、無傷ではい出てきたダチョウは長い首で辺りを見回し仲間と何やら合図を取ると、再び獲物(わたし)をただまっすぐに見据えた。

 

 『経験値上昇』にかけた『スキル累乗』を一旦解除して魔石を確保、即砕いてぶん投げて全力ダッシュ……かな。

 多少ダメージを食らうのは前提で行くしかないよね……嫌だなぁ、痛いの。

 あの赤と白の肉が裂け、罅が入った骨が軋み、筋肉が震えて痛みを伝える感覚は永遠に慣れることはなさそうだ。

 

 よし、行くぞ。ぶっ飛ばすぞ。

 

「う……お、お、おぉぉぉ!!」

 

 震える膝を押しつぶす勝鬨、疲労を吹き飛ばす絶叫……を上げた瞬間、突然横から何かが駆け抜けてきた。

 

「行け安心院!」

「かっ、確保ぉぉぉぉぉぉッ!」

「ほげぇっ!?」

 

 どこかで聞いたことのある男の声と、どこかで見たことのある巻かれた黒髪。

 誰かが猛烈な勢いで腹に突き刺さってきたと思ったら、さっきまで私を喰おうと睨みつけてきた鳥たちの頭が次々に爆散した。

 

 え、なにこれ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十九話

 警察にあるまじき巻かれた髪型、変な口調、確か名前もすごい変わっていたはず。

 この人は確か……確か……

 

「あ、あじたまさん……?」

安心院(あじむ)ですわ」

「あ、安心院さん……」

「ええ、もう大丈夫ですわ。いったん入り口まで撤退して……」

 

 そうなにかあれこれと話す安心院さん。

 それと確かもう一人の男性は彼女の先輩だったか、二人はまるで私を救出しに来たかのような態度。

 なんでこの二人が、ダンジョンの中に……?

 

 悪寒が走った。

 

 まさか、既に街にまでモンスターが流出して……!?

 ダンジョン内の異変に気付くには、それくらい起こる必要がある。もっと早く気付けるのなら山間部の村が崩壊だとか、大騒動になるわけがないのだから。

 私が考えていたタイムリミットなんてあくまで予測で、実際にどうなるかなんて分からない。

 早く起こったってなんもおかしくはなく、それが現実に起こってしまったのだとしたら……

 

「おい安心院! くっちゃべってる余裕あるならっ、手伝ってくれねえかなぁ!?」

「あっ、はい! フォリアちゃんはちょっと下がっててくださいまし」

「私も戦える」

 

 分からない、情報が少なすぎる。

 けれど少なくとも今はここから離脱して、二人から話を聞かないと。私がやらないと……

 

 考えは前へ前へ動こうとしているのに、膝は震えるし、視界はぐにぐにとねじ曲がって定まらない。

 

 くそっ。

 さっきまで上手くごまかせていたのに。

 

「手先の震え、発汗……多分低血糖と極度の疲労ですわね、そこに座ってこれを食べておきなさい。お茶と白虎屋の羊羹ですわ」

「戦える、私は……やらないと……」

「あのねぇ、そんな体で横に居られても危険ですの! 第一子供は大人に甘えなさい! はい座って! 食え!」

「ふもっ」

 

 ぐっと肩を押さえつけられ地面に足が触れた瞬間、わずかに残っていた立とうという気力や力が完全に霧散して、ぺったりと尻が地面に付いた。

 

 手元には彼女がアイテムボックスから取り出した一口サイズの羊羹。

 押せば包装からつるつるとした黒いそれがにゅるりと出てきて、小豆独特のにおいが鼻をくすぐる。

 

 甘い。

 

 落ちていた希望の実ばかり食べていた舌に、羊羹のどこまでも純粋な甘みが突き刺さった。

 

 

「伊達さん、今行きますわ!」

「ああ、一気に終わらせる。20秒稼げ」

「ええ!? ……もうっ、『風神招来』、チェストォッ!」

 

 伊達の無茶ぶりに抗議する時間も惜しいと、風を纏った拳で殴り掛かる安心院。

 彼女に時間稼ぎをさせていったい何をするのかと思えば、彼はなにやら武器の分解を始めたのだから理解できない。

 しかしこれでも一応ある程度は信頼した相手、まずは目の前の敵に専念することとした。

 

 時間にして三十分ほど、無事件の少女を確保した安心院は安堵に胸をなでおろし、しかしその状況に危機感を抱いている。

 

 ダンジョンの大きな変化は崩壊寸前の予兆。

 どの指南書にも必ず書いてある、もはや常識とはなっている知識。

 普段赤く燃える木々が、今では真っ蒼な炎をめらめらと上げているのだから、一刻も早くここから逃げ出したいのは人としての心理だろう。

 しかしそれよりも気になるのは、彼女の全身にへばりついた泥や、『戦える』と食いついてきたこと。

 

 まさか、さっきまで一人で戦って生き残っていた……?

 

――――――――――――――――

 

種族 コロッサル・ストーチ

名前 セーラ

LV 13700

HP 38320 MP 13221

物攻 27567 魔攻 19022

耐久 49085 俊敏 83721

知力 8343 運 11

 

――――――――――――――――

 

 この巨大な化け物相手に……?

 あり得ませんわ、D級ダンジョンに居ていい敵じゃありませんもの。

 

 最初安心院が一人飛び出して来たのだって、D級にまだ馴染み切っていないはずの彼女がまともに生き残れるわけがないからこそ。

 たとえ崩壊前のボスに食いつけるほどレベルを上げていたとして、いくらレベルが全てではないとはいえ、それですら仮定を多く含んだ非現実的な話だ。

 

 一体彼女はどうやって、もしそれが有用なスキルなら手の内に囲い込むのも……

 いや、まだあまり話したことはないが、そういったことを好むような子ではなさそうですわね。

 

 

「『跳躍』ッ、セアッ!」

 

 光を纏った弾丸となって空に舞い上がり、巨鳥の頭を捉える。

 

 小さな人間が巨大なモンスターに立ち向かうとき、狙うべきは目やつま先などの弱点。

 セオリー通りのその攻撃はやはり確実であり、バスケットボール大の巨大な瞳に彼女の拳が突き刺さると奔流した風が一瞬で中へ注ぎ込まれ、透明なゼリー状の何かがはじけ飛ぶ……そして(まさ)しく目の前にいた安心院の全身へ降り注いだ。

 

「ほぉぉぉ……!」

 

『ギョォォォォォォォォッ!!』

 

 ねっとりとした粘液に絡みつかれ、何とも言えない残念な気持ちのまま地面へ降り立つ。

 モンスター本体が消滅すれば消えるのだが、たとえそうだとしても気持ちのいいものではない。

 なんだか匂いとか残ってそうな気分になるし。

 

 片目を吹き飛ばされた巨鳥が大声で喚き上げ、その主犯である安心院をぎょろりと睥睨した。

 

 早くお風呂に入りたいですわ……

 

 彼女を追い詰めるようにゆっくりと、しかしその巨躯故激しい振動と轟音をばら蒔き歩み寄るモンスター達。

 次の一手を考えていた彼女へ男の声が届く。

 

「すまん、ちょっと待たせた!」

「先輩、待たせる男は嫌われますのよ?」

 

 悪態を吐き跳躍すると、男の、そして座り込んだ少女の元へ戻る。

 

「馬鹿、ヒーローは遅れてくるんだよ」

 

 男はニヒルに笑い、カチリと引き金を引いた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八十話

 彼の撃ち出した小さな弾丸は無数の魔方陣を貫き、加速的に巨大な火球へ変貌する。木も、草も、そしてモンスターすらも等しく飲み込む暴虐の化身として。

 相性だとかそういったものすら焼き切ってしまう、純白な熱量の塊。

 

 今まで攻撃魔法という物を直に見たことはなかったけど、なるほど、これが魔法か。

 もちろん相性だとか、敵への向き不向きも存在するのだろうが、もしこれを自在に扱えたのならそれほど探索が楽になるものもないだろう。

 自分の妙に偏ったステータスが本当に口惜しい、0ってなんだ0って。

 

「あ、調整失敗したなコレ……」

 

『ええ!?』

 

「わりわり、二人とも身寄せろ。『金剛身』『クレネリアスの絶護』」

 

 さほど悪いとも思っていなさげな口調のそれに驚愕し、しかし何かできるわけでもなく彼の背後へずりずりと身を寄せる。

 アイテムボックスからだろう、サッと透明なシールドを取りだした伊達さんはそれを真正面に構えると、手早くスキルを唱えて衝撃に備えた。

 

 直後、爆風。

 光と音の繚乱はまるで天地がひっくり返ったかと思うほど、耳も目もおかしくなりそうだ。

 肉片がこちらまで飛び散り、ぺたりと盾へ張り付いた後即座に光へ変わっていく。

 

「な、な、なんですの……これ……」

 

 唖然と二人口を開き、はっと意識を戻した安心院が伊達へ詰め寄る。

 

「ちょっと派手にやり過ぎたな、使う魔石のレベルは五桁以下にした方がよさそうだわ」

「いやそうじゃなく! 支給の銃でこれだけの威力出るわけありませんわ!」

「ああ、そっちか」

 

 伊達さんはポケットからいくつかの……なんだこれ、私から見たらよく分からないなにか、謎のパーツを取り出し得意げに語った。

 

「純化機構と放出量制御装置だ」

「じゅんかきこーと……?」

「制御装置……?」

 

 彼が見せてるそれ、明らかに外してはダメそうなものなのだが。

 え、この人警官なんだよね? 大丈夫? 街の平和任せちゃダメな人じゃない?

 

「今使われてる魔道具は基本ダンジョンから見つかったものを解析したものなんだがな、全部純化機構ってのが組み込まれてるんだわ」

 

 じゅんかきこー……? 耳慣れない言葉過ぎてさっぱりだ。

 私は普段その性質を利用しているが、魔石にはモンスターごとに属性や能力が異なる。どうやらじゅんかきこーとやらがその魔力の性質を綺麗に整え、扱いやすいように変えているらしい。

 やはり外すのはあまりよろしくなさそうなものだが、じゅんかきこーを通すと魔力が減衰し、合計量自体は減ってしまうものだとか。

 放出量制御装置はそのまま、一度に使う魔力の量を調整するものだろう。

 

 つまりそれを外しちまえば魔術を発動しつつ、魔力の制限が無くなって超火力ってわけ。

 銃を撫でニヤリと笑う伊達。

 

「ほら安心院、お前の銃出せ」

「え? あ、はい。でも何故?」

「そりゃお前、お前のも改造するからだよ」

「はぁ!? ちょっと返していただけます!? 大体備品を改造なんて規律違反ですわ!」

「ばれなきゃ犯罪じゃねえんだよ、大体規律違反なら勝手に飛び出したお前も人のこと言えねえだろ。ほら早くしろ、武器は強いほうがいいに決まってんだろうが!」

「う……そっ、それはともかくっ! いーやーでーすーわーっ!! 放してください! あほーっ!」

 

「警官って自由なんだ」

「この人だけですわ! ダメな大人、参考にしてはいけない存在ですの!」

「警察はいいぞぉ! 最新鋭の魔道具も触り放題だし。おっと、そういやさっきの話はあんまり一般人には知られてないんだったかな! んなははは!」

 

 

「体調は?」

「うん、もう大丈夫。羊羹ありがとう」

「ええ、まあおやつだったのですけれど……たとえ普通の食事で栄養を補給していたとしても、激しい運動をするときにはエネルギー……糖質や脂質をしっかり補給することが大切ですわ。お菓子でも、何でもいいですけれど持ち込んで、次からは気を付けるとよろしくてよ」

「これ食うか、うまいぞ」

「うん」

 

 カセットコンロを『アイテムボックス』から取り出した彼は、袋麺に野菜や肉などをバターで固めた、ぺミカンと言うらしい、を放り込んで煮込んだものを、紙のカップに注いで手渡してきた。

 かなり気温的には温かな場所ではあるが、それでも冷たい食事よりは温かいものの方がおいしいと感じるのは不思議なものだ。

 

 ずるずると麺を啜りこってりした汁を飲み干すと、ようやく体も普段通りに動けるよう活力がみなぎる気がしてきた。

 

 いつもは日帰りだったし希望の実だけを食べていれば、物足りない分は外で食べて補えたから気が付かなかった、ただ普通の食事分だけでは補えないという事実。

 もしかしたらずっと気分だとかが悪かったのも、これに原因の一端があったのかもしれない。

 戦っている間に知る常識らしいが、私はスキルの都合上あまり人とも関われないし、何より探索者になってまだ半年たっていない。

 

 ただ力があるだけじゃ、届かない場所がある。

 知らないことがあまりに多すぎるのに、どこでどうやって知ればいいのか分からない。

 私は何が見えていないの? どこまで理解できてるの?

 何も分からない。

 

 こんな時頭のいい人ならどうするのだろう。いや、頭がいい人はこんなことをそもそも考える必要もないのかな。

 

「それで、見ての通り私たちはあなたを救助しに来たわけですけれど」

「え? あ、うん」

 

 ぼうっと考え込んでいるときにかけられた声で、びくりと背筋が伸びた。

 

「一つ、聞いてもよろしくて?」

「え……何?」

 

 

「何故貴女はあんな時間に、一人でダンジョンへ潜り込んだのかしら?」

 

 それは、聞いてほしくなかった言葉、かな



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八十一話

「しょ、それは……」

 

 なんだ、何を疑われてるんだ……?

 

 ニコニコと先ほどと変わらぬ雰囲気、けれどどこかピンと張り詰める何かを感じる。

 私がダンジョンの崩壊が起こることを知っていたと、そういいたいのか? 落ち着け、それは流石にあり得ない。

 

 続けざまに安心院さんは、私から何か聞き出そうと詰めてくる。

 

「侵入時刻は十四時四十七分、トライするにしては少しばかり遅い時間ですわね?」

「お、お昼休みも終わったし、腹ごなしかな」

 

 まだ、私が金髪の女だと思っている?

 何かを企んでいるとでも思っているのか……?

 

「安心院、そろそろ準備しろ」

「……困ったことがあれば何でも相談をしてくださいまし、ね?」

 

 完全に把握されてそう……

 

 

 

 困りましたわね……

 

 へにょりと眉を八の字にするフォリアを見て、安心院は内心どうしたものかとため息を吐いた。

 

 監視カメラの映像からして探索者の出入りがあった夜までダンジョンから出ることは可能、深夜遅くになってからダンジョンの崩壊が始まったと推測される。

 つまり深夜までこの少女は、ダンジョンから出ようとしなかったと考えられるのだ。

 いったいどうして、どんな理由があって?

 

 あまり大きな声で言えるようなことではないが、正直ダンジョンの管理はザルだ。

 大きな街では監視カメラ等が設置されているとはいえ、老若男女侵入しようと思えば、探索者等の許可証がなくともいくらでも入り込むことが出来る。

 第一エコな資源の獲得だ、人類の新たなる可能性だと謳って、許可証自体の入手も簡単すぎることを批判する声は多い。

 社会的には最終的な受け口としての役目もあり、一概にそれが悪いとも言えないのだが。

 

 もちろんそれだけ簡単に入ることが出来るのなら、悪用するものだって出てくる。

 子供をダンジョンで戦わせ、魔石だけは自分で売り払うことで利益を得ようとする親や、あまりよろしくない組織の者たちだ。

 恐怖や金など、彼らがその束縛から離れられない理由は多岐にわたる。だが間違いなくその犯罪として引っかかりにくい悪の芽は、確実に社会へ暗い影を伸ばしつつある。

 法整備だって未だに完全ではない、どうにかしっぽを捕まえ、そこから検挙へ繋げるのも安心院達の職務の一環であった。

 

 そう、安心院はフォリアが虐待の末、何やらそういったものに指示されているのではないかと疑っている。

 

 妙にいろいろと怯えた様子と言い、どこか落ち着かない動きと言い、正に教本に乗っていた通りですわ。

 体が小さいのはもしかしたら、まともに食事を与えられていなかったからかもしれませんわね。

 

 めらりと燃え上がる正義の精神、安心院は拳を握り締め、人生初となる巨悪の影に武者震いをした。……後ろで呆れたように眉を顰める、先輩の伊達に気付かないまま。

 

「まあ、仕方ありませんわね。では伊達さん……」

「ああ、まずは情報共有と行こうか……えーっと」

「あ、私? えっと、その、結城、だけど」

「結城か。よし、これより俺たちは入り口に向かってボスの討伐部隊と合流する。どんな奴かは分からんが、そいつを倒さないとここから出ることなんて出来ないからな……完全に崩壊したときはまた別だが」

 

 彼女の家庭環境などは置いておいて、それよりまずはここからの脱出が最優先。

 伊達の言葉に続けて、安心院は懐中時計を『アイテムボックス』から取り出すと、そっと二人の前へ置いた。

 

「丁度あと30分もすれば作戦決行時刻になりますわ」

「ああ。さっきの戦闘を見ていたら分かるだろうが、俺たちはある程度戦闘技能を備えている。君が戦闘に関わることはないし、合流までは基本的に守られる立場、合流後は後方支援として動いてもらいたい。おそらく突入部隊と言っても人数は相当絞られるからな、一人でも手が欲しいだろう」

「あ……うん。でも、私、戦えるし……せめて合流するまでは一緒に戦った方が……」

 

 積極的に戦闘へ参加しようとするその心持ち、それはありがたいものだ。

 だが彼女の体はきっと彼女が思っているより疲弊している。それは自身の疲労にすら気付けていない状況が、何よりもはっきりと示している。

 それに……

 

「少しは信頼してもらいたいですわ」

「ああ。こいつみたいに情けないところもまあ多々あるけど、これでも俺達は人守るためにこの仕事ついてんだわ」

「はぁ!? なんですのその言いよう!?」

 

 解せませんわ。

 私のいったいどこが情けないのかしら。

 今日はちょっとばかり考えなしに出てきてしまったところはあれど、これでも警察学校では優秀な成績を収めてきたつもりですわ……いや、今はそんなことを言っている暇はありませんわね。

 

 軽く首を振り、脇へ逸れた考えを振り払う。

 

 時々子供でも頭を抱えるような失態を犯す者や、組織の一部が腐り果てているところもあれど、警察という物に就く人間は多かれ少なかれ誰かを助けたいという精神でこの仕事に就く。

 特に昨今は人類がレベルアップという力を手に入れ、単純な暴力沙汰ですらかつての事件とは比べ物にならないほど、飛躍的に危険度が増している。

 それでも就くと決めてなったのだから、そう簡単に舐められては困る。

 

「大丈夫ですわ。私たちがきっと、あなたを守ってあげます」

 

 ぽんぽんとその金髪を撫で、安心院と伊達は互いに頷いた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八十二話

「止まれ……よし、来い」

「フォリアちゃん」

「うん」

 

 延ばされた腕がくいくいと揺れ動き、待機していた私たちは彼のもとへと向かう。

 レベルを上げることに集中していた先ほどまでとは一転して、安心院さんたちと合流した今は戦いを避け続けていた。

 

 モンスターは軒並み巨大化していて、わずかに生き残った蛾も随分と姿が変わっているようだ。

 共食いしあう状況で本来弱者の立場である蛾が生き残っている。それはそれだけその存在が強力な存在へレベルが上がっているという証拠であり、やはり交戦を避けるのが良いだろうとの見解らしい。

 

 歯がゆい、もやもやする。

 

 崩壊を防ごうとして一人ここまで入ったっていうのに、結局二人は私のために危険を冒してここに入ってきて、成し遂げられたことは一つもなかった。

 私はただでさえ低い攻撃力をスキルの累乗で補っている。

 要するにMPがない私は今二人の援護もまともにできない、完全にただのお荷物だ。

 

 力だ、力が欲しい。誰の迷惑もかけない、誰にも世話をかけさせない、誰にも……誰にも……

 

「……妙だ」

「どうしましたの?」

 

 深い思考の迷宮に落ち込もうとしていた私の意識が、伊達さんの声によって引き上げられた。

 

「突入部隊が入ってきた気配がない。時間からして既に入っているのが当然なはずなのに……」

「……確かに、何も合図がありませんわね」

「合図?」

「ええ。侵入してきたのなら発煙筒など、一目でわかる合図があるはず。内部に囚われた人がいた場合、それを目安にしますの」

 

 なるほど、目安か。

 

 奇跡的な偶然だが彼女たちがダンジョンの崩壊に気付いたのは朝、偶々支給された魔道具によって判明したそうだ。

 仮に早朝からダンジョンの崩壊が判明して、緊急の呼び出しによって準備を行っていたというのなら……昼を過ぎて全くダンジョン内部に反応がないというのはおかしい。

 夜になればそれだけ視界は悪くなる。それはたとえ木々が燃え盛る森の中と言えど同じで、視界の悪化は避けられない。

 崩壊前に止めるのが目的ならば行動はすでに始まっていなければおかしいだろう。

 

 じゃあなんで人が入ってこないのか……?

 

 来る必要がなくなった? いや、木々の色は普段の赤からかけ離れた蒼、モンスターだって未だに成長を続けている。

 ダンジョンの崩壊は現在進行形で進んでいるのだ。

  

 それなら答えは……

 

「既に、モンスターが街に出てる……?」

「まさか、な」

 

 口では否定していても、ここにいる三人全員が理解していた。

 対処に追われているのなら来れないのも必然。いや、ボスのテリトリーであるダンジョン内にわざわざ入るより、外で構えていた方が討伐難易度も低くなるだろう。

 無言になり、しかし足取りだけは次第に早くなっていく。

 

 早くここから抜け出さないと。

 

 蒼い、どこまでも蒼い空。

 いつだって外とつながっているはずの見慣れたそれが、今日ばかりは飲み込まれてしまいそうに映った。

 

 

 

 一瞬の出来事だった。

 

 巨影が頭上を覆い、雲でも射したのかなんて、ちらりと脳裏に浮かんだその時。

 

 

「伊達さん、上にっ!」

「っ! がァッ!?」

 

 安心院さんの警告も遅く、先行していた彼の体が押し倒され背筋に爪がねじ込まれる。

 

 狼だ。

 全長10メートルは下らない、人の頭蓋骨なんて一口で噛み砕けそうな大狼。

 荒れ狂う激流のような毛皮は私たちを覆う木々のように揺らめき、次から次へと沸き上がっていた。

 

 その足元を覆う草が激しい水蒸気を立て散り、その隙から消し炭となっていく。

 

 

 やばい、こんなやつここで見たことがないぞ。

 どうやらスキルで耐えているようだが、それでもこんなのに長時間触れられてぴんぴんしていられるほど人間は素敵な生物じゃない。

 

 

 

『オオオオオオオォォォォンッ!』

 

 

 

 覇を唱える遠吠え。

 更にその爪先が伊達の肉へ食み込み、噴き出る汗と歪む顔。

 苦も無くあのダチョウ共を屠っていた彼ですらこう抑え込まれ全く動けないほどの力、うかつに近寄れば……

 

 けれど。

 

「い、今たすけっ……『ステップ』ッ!」

 

 ヴゥンと風を斬り振られるカリバー。

 

 彼らからもらったごはんで体も、先ほどより活力がみなぎっていた。

 MPだってちょっとばかしなら回復している、やってやるさ。

 

 熱気を掻き分け狼の足元に駆け寄る。

 

 熱い。

 熱気と水蒸気のむせかえるような刺激、それでも足は進み続ける。

 

 何か聞かれてしまうだろうか、普通じゃない私の力。

 でもいいよ。きっとこの人たちなら、嫌なところまでは踏み込んでこない。そんな確信があった。

 琉希とした誰にも話さないって約束は破っちゃうけどね。

 あ、あとあの金髪の人のことは話せない。このスキルのことだけなら、それにダメだったらあまり話さずに逃げてしまえばいいだけ。

 

 『スカルクラッシュ』はだめだ、振り下ろしたら伊達さんにあたってしまう。

 

 遠吠えの余韻に鼻をひくつかせ、ゆっくりと彼の首筋へ牙を近づける炎狼。

 私たちのことは歯牙にもかけていない、目すらくれていない。獲物は怯えて縮こまってろってか。

 

「スキル対象変更、『ストライク』」

 

 走って、ぶっ飛ばす。

 

「『ストライク』ッ!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八十三話

 ミチィッ!

 

 柔らかいのに硬い。

 ビリビリとしびれる刺激が両掌に広がり、筋肉が、肌が震える。

 痛い。

 

 しなやかな毛皮の奥に隠れた強靭な筋肉と頑丈な骨、三つが組み合わさった狼の体は天然の複合装甲となって攻撃の衝撃を緩める。

 伊達さんへ近づけた口を遠ざけ私を睨み、だがこれといってダメージを負った様子はなかった。

 

 これでも細い木なら容易くぶっ飛ばしてしまえるはずなのだが……ふざけたやつだ。

 

「しょあっ! おほほ、ごめんあそばせ!」

 

 遅れて動き出した安心院さんが二人を飛び越し転がり、そのまま伊達さんを小脇に抱え距離をとる。

 彼がポーションを口に含んだのを目の端でとらえつつ牽制、二人のもとへ狼の意識がいかないように祈り振り回されるカリバー。

 

『クルルル……』

 

 ひょー、で、でかい……

 

 近づくほどに覇気が毛穴を開き、本能的な忌避感に脳が掻き毟られる。

 実際長さで比べたのならダチョウたちの方が上なのだろうが、空へ伸びる鳥と違って極太の手足や燃え盛る毛皮、鋭い眼光がかの存在をより一層恐怖の存在へと押し上げていた。

 生まれながらの絶対的な強者、四肢に力を滾らせたその大狼は凛として存在を私に知らしめる。

 

 少しでも目を逸らせば、一瞬で詰められて殺されるだろう。

 確信に冷や汗が止まらない。

 鳥だって、蛾だって相当な強敵だっていうのに、こいつはそんなの鼻で笑ってしまうほどの力が滾っているのを、わずかに対峙しただけで嫌というほど分からせて来る。

 

「……!」

 

 なにも見えなかった、ただ影が消えた。だから(・・・)跳んだ。

 

 草が吹き飛ぶ。土が抉れる。

 

 奴はただそこに居た、数舜前に私が立っていた場所に。

 元からそこにいたのだとでもいうように、なんの気負いもなく。色の変わった足元だけが、奴がそこに飛び掛かったことを示していた。

 

「……っ、ハァッ……! ハァっ……!」

 

 速過ぎる……!

 本当に気が付いたら居ましたって、冗談じゃない。

 どうにか距離を少しは取れたがこの速さ、ちょっとでも気が緩めばすぐに詰められてかみ殺されるだろう。

 

 緊張で息が上がる。

 

 どうやって、どうやってダメージを……いや、せめて皆で逃げる隙を……

 

「ィィイイイッヤッ!」

「あ、安心院さん……!」 

 

 その時、背後から奇声を上げ跳びあがった彼女。

 あまりの大声にびくりと声に震えた狼、息もつかぬ刹那に彼女は首元へと肉薄し、固く握られた拳を叩きこんだ。

 

 が、

 

「なっ……」

 

 一体どういったわけか、安心院さんはそのままずっぷり沈み込むように体に飲み込まれたかと思えば彼女の一撃は狼の体をすり抜け(・・・・)空を切る。

 勢いあまって土を跳ね飛ばし着地、彼女は大きく目を見開き振り返った。

 

 私を襲って来た時のように高速移動したわけでもない、それは私だって見ていたのだから確かだ。

 そこからピタリとも動いていないというのに、この大狼に間違いなく安心院さんの攻撃は当たっていたというのに、なぜかするりと身体をすり抜けてしまった。

 

 奇襲や搦め手を恐れたのか、それとも私たち……いや、彼女を明確な脅威として判断したのか、狼はその顔を低く伏せ唸り動こうとしない。

 今なら……

 

「……『鑑定』」

 

――――――――――――――――

 

 

プロメリュオス・ディヴィジョン

名前 

 

LV 55000

HP 590383/610383 MP 6890/6890

物攻 222048 魔攻 87362

耐久 110038 俊敏 300183

知力 88797 運 44

 

――――――――――――――――

 

 ごま……っ!?

 まさかこいつ、ここのボスなのか。

 数日とはいえずっとここに潜っていた私が見たことのない姿、明らかに先ほどの鳥たちと比べても飛びぬけたレベル。崩壊が始まった影響でボスエリアから離れて出てきた、そういうことなのだろう。

 

 目に飛び込んできたのは、もしかしたら一人で抑えられるかもしれない、なんて最初の頃考えていた私を嘲笑うかのように飛びぬけた異常なステータス。

 最初から勝ち目なんてなかった、間に合わせることなんて無理だった。

 

 情けないやら、無力感に苛立たしいやら、もう自分の感情が分からない。

 もっと力があれば、もっと早くに向かっていればこんなことにはならなかったのに。

 

 安心院さんと狼の睨み合いへ迂闊に手を出すこともできず、私はただ臍を噛むことしかできなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八十四話

 身体を通り抜けてしまい攻撃の通用しない狼、上手く攻撃を避ける安心院さん。

 ポーションで多少の回復を見せているとはいえ未だダメージの抜けきらない伊達さんは、彼女の背後から援護を行っている。

 併せて実力は拮抗している……ように見えた。

 けれどこのままではじりじりと体力を削られていき、どうあがいても体格の小さな彼女が最後にはやられてしまうことは誰にだってわかる。

 彼女自身それを理解して風を纏い速攻を仕掛けようとはしているようなのだが、やはり攻撃が当たらなければ体力を削るなど夢のまた夢、体中にかすり傷が生まれ、その制服は確実に切り刻まれていった。

 

 もし彼女が倒れれば次標的になるのは伊達さん、そして私だ。

 

 有効打を紡ぐ方法は……ある。

 こんな時、は想定していなかったが、何か詰まった時のためにSPを全く使わず取っておいた。

 

 だが今何も考えずにレベルを上げて、体がもつのだろうか。

 

 そう思った瞬間、ピリリと幻痛が肩から駆け抜けた。

 

 息が漏れる。

 

 レベルと共に耐久や体力自体も大きく上がったからか、もしくは私が痛みに慣れたからか、攻撃スキルに『スキル累乗』を掛けても以前ほどの痛みに襲われることは少なくなった。

 けれどそれは今のスキルレベルだからだ。

 1上げるだけでも負荷が大きく上がるというのに、この巨狼へ有効打を与えるほどスキルレベルを上げて、私の体は戦いについてこられるのか。

 

「きゃあっ!?」

「安心院っ!? チッ、俺が前に出る!」

 

 巻かれた黒髪の端が飛ぶ。

 悲鳴の主はざっくりと腕を切り裂かれ吹き飛び、草片をまき散らしながら地を転がる。

 

 未だ背中からの出血が収まっていないというのに、彼女をかばうようにして盾を取り出し、銃を片手に援護から護衛へと回った伊達さん。

 されど相手も心得たもの。その巨体に見合わぬ小回りの利いた噛み付きや尾による薙ぎ払いを絡め、執拗に彼の傷口ばかりを狙っていた。

 

「逃げなさい!」

 

 満身創痍の彼女が遠くで叫ぶ。

 

「で、でも……!」

「いいから! 私たちは貴女が離れた後で逃げますわ! だから早く!」

 

 嘘だ。

 二人ともボロボロで、どう考えたって逃げられるわけがない。

 なんで、なんでそんなにまっすぐに、躊躇わずに逃げろなんて言えるんだ。

 単に憐れんで慈悲を施すんじゃなくて、顔のどこを見てもそれはどこにもなくて……私なんかのために命まで投げ捨てて、本当に意味が分からない。

 

 あいつら(・・・・)みたいに真っ先に切り捨てて逃げ出してくれれば、こっちだって気兼ねなく逃げ出せるのに。

 

 琉希だってそうだ。

 私より弱いくせに守るだなんだなんて言って、どいつもこいつも、本当に理解できない。

 ママもパパも居なくなって、何度も他の人にいじめられて、失敗を繰り返して、誰も彼もが嫌な奴らばっかだと思えたのに……どうして今さらになっていい人ばっかり出てくるんだ、なんで私なんかにやさしくするんだ、なんでそんな無条件に人にやさしくなれるんだ。

 もっと醜い本性見せてよ。

 もっと嫌な人間になってよ。

 

 じゃないと……

 

「逃げろ!」

「逃げて!」

 

―――――――――――――――――

 

 

結城 フォリア 15歳

 

LV 13324

HP 20334/26566 MP 3043/66410

物攻 26043 魔攻 0

耐久 79965 俊敏 93227

知力 13324 運 1

 

SP 20520

 

スキル

 

スキル累乗 LV3

悪食 LV5

口下手 LV11

経験値上昇 LV6

鈍器 LV4

活人剣 LV11

ステップ LV1

アイテムボックス LV3

 

Σ∀しょウ 浸食率 1%

 

―――――――――――――――――

 

 

 逃げられる、わけない。

 

―――――――――――

 

スキル累乗LV3→LV4

必要SP:300

 

―――――――――――

 

『スキル累乗がLV4へ上昇しました』

「う……ああああああっ! 『ストライク』ッ!」

「フォリアちゃん!? 何で……早く逃げなさいっ!」

 

 届かない。

 私の攻撃なんて避ける価値がないと、透過させるだけ無駄だと炎狼は鼻を鳴らす。 

 

『スキル累乗がLV5へ上昇しました』

『スキル累乗がLV6へ上昇しました』

 

「嫌だっ! 『ストライク』ッ!」

 

 火の粉が飛び散る。

 でも届かない、まだ足りない。

 

『スキル累乗がLV7へ上昇しました』

『スキル累乗がLV8へ上昇しました』

 

「ううううああああああっ! 『ストライク』ッ!!」

 

『ギャンッ!?』

 

 目の前にある私の腕なんかより太いやつの肉を殴り、初めて感じた手ごたえ。

 ようやく、届いた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八十五話

「はあ……はあ……けふっ」

 

 臭い。

 ああ、錆臭い。

 

 喉が鳴る度に、紅く熱い粘液がせり上がる。

 擦り切れぬるりと滑る手のひらをズボンで軽く拭い、固く握りしめた。

 

「貴女……」

「わ、私だってやれる! 戦える! だから、だからこれ以上……」

 

 優しくしないで、私みたいなのに命を懸けないで。

 吐き出したかったそれ(・・)。なのになぜだろう、つっかえて出てこない。

 

 怖くて仕方ないのか。

 誰かにやさしくされるのが、誰かと仲良くなるのが。

 また裏切られてしまうかもしれないから。

 

 なのに、なのに嬉しくてたまらない。

 

 嫌な顔一つせず一緒にいてくれて、自分なんかのために命を張ってくれる人がいて、優しくしてもらえて。

 だから嫌なんだ。そんな人が死ぬのを分かっていて見捨てようとするのが、やっと見えてきた光が消えてしまうのが。

 怖くて、嬉しくて、苦しい。

 こんなに辛いなら最初から誰ともかかわりを持たなければよかった、ずっと一人でいればよかったんだ。

 

 探索者になってからずっと、ずっと言葉にならないぐちゃぐちゃの感情がぐるぐると身体を渦巻いて、私はずっとそこから抜け出せずにいる。

 

「フォリアちゃん!」

 

 戦いのさなか固まってしまった私を、初めての痛撃を与え『雑魚』から『敵』と認識の変わった私の首筋へ、怒りを滾らせた巨狼が飛び掛かる。

 憎しみに瞬く光彩、昏くよどんだ瞳孔がひどく印象的だった。

 

 反応なんて出来ない。

 ぺたりと湿った土が太ももを撫でた。

 

「あ……」

 

 

「しゃおらっ!」

 

 

 突如視界を遮った広い背中、破れたシャツの奥に治りきっていない傷口が見えた。

 

 ちっぽけな人間ごとき圧倒するあまりの巨体。

 彼はそれを盾として真正面から受け止めるのではなく、あくまで弾道を逸らすように盾を斜めに構えると、力強く地面に差し込んみぎりりと歯を食いしばった。

 

 きっと耐え難い痛みだろう、泣き叫んで喚きたいほどだろう。だが彼は頬をぴしりと引き攣らせ、それでも全身を硬直させ流しきれなかった衝撃をその身一つで受け止めた。

 筋肉が震え衝撃にたまらず噴き出した温い血しぶきが頬へ飛ぶ。

 それは彼が、伊達さんが生きているのだと、今命を燃やしているのだと何よりも雄弁に伝えてくる。

 

「おふ、めっちゃいてぇ……おしゃべりもいいがまだ戦いは終わってないぞ、流石に俺一人だと死んじゃうからよ」

「あ……ありがとう……」

「戦うんだろ?」

 

 ずい、と差し出された手のひら、厚く張った皮とごつごつとしたタコの跡。

 

「……うん」

 

 恐る恐る手のひらを重ねると、ぐいっと身体が引き起こされた。

 

 皆頷き大狼へ構える。 

 まだ私の感情(こころ)に名前を付けられそうにない。

 けれど、体を動かすことならできるから、まだ戦うことならできるから、だから私は二人の横に立った。

 

 

「それで、どうすんだよ!」

 

 伊達さんがシールドを構え攻撃をしのぐ裏、彼の叫びがこちらへ投げかけられた。

 最初こそ隙をつかれたが、防御に徹すればすべてとは言わずともある程度受け流すことが出来るらしい。

 だが傷は増えこそ減るものではない、三人戦いに参加しようとも長くは持たないだろう。

 

「攻撃がすり抜けるのが、厄介ですわねっ!」

 

 シールドが大きく弾かれた隙、裏から安心院さんが伊達さんの代わりに飛び出す。

 彼が体制を整える隙を彼女が埋める、このローテーションによって背水の一時的な膠着が作り出されていた。

 苛立たしいことだが私が肩代わりすることはできない、というより単純に耐えきれる自信がない。

 

 聞けば二人のレベルは四万程度、伊達さんの方が安心院さんより上とはいえ、彼は守護に特化していて決定打を打つ手段はあまりない。

 安心院さんの方はいくつか手があるとはいえ、それも消耗からあまり連打できるものではなく、一撃の威力ならレベルこそ大きく離れるとはいえ私に一兆の笹がある。

 

 それまで私が出来ることは……

 

「上から火球、正面から突進」

 

 まき散らされた土で視界の悪くなる盾役の彼らに、後ろから動きを報告することしかない。

 

「火球は私が! 『ウィンドブラスト』!」

 

 彼女の呟きと共に背後から一陣の風が吹き荒れ、無数の火球と土埃のこと如くが掻き消される。

 それに紛れ疾走する大狼の姿が露になった。

 

 熱い吐息、がばりと開かれた咢。

 

 男が頷き、両手でシールドを構え突貫する。

 

 

「『ブレッシングブライト』『怨嗟の呪縛』」

 

 

 虹の輝きに包まれた瞬間、彼の体は紅蓮の影に覆われた。

 

「……っ」

 

 ギィンと鼓膜を通り抜け、脳を揺らす激烈な音。

 吹き荒れる風に髪がうねり目もまともに開いていられない。

 何も見えない、聞こえない。

 

 脳裏に奇襲を受け地に伏せる伊達さんの姿が過ぎる。

 

「大丈夫ですわ、彼を信じて。『風神招来』」

 

 目も開けぬ真っ暗な世界の中、彼女の声だけがやけに響いた。

 

 信じる……信じる、か。

 そうだ、信じて、勝って、ダンジョンの崩壊を止めて、ここからみんなで出るんだ。

 

「……『スキル累乗』対象変更、『スカルクラッシュ』」

 

 

 

 

 

「やれ!」

 

 

 

 

 切り裂かれた闇の中、炎狼の口へシールドをがっちりと挟み込み、土の中へ足をめり込ませながらも凛と立つ男の背中が見えた。

 

「行きますわよ!」

「『ステップ』!」

 

 二人並び立ち距離を詰める。

 風になり地を駆け抜ける彼女、スキルの勢いを跳躍に変え空を舞う私。

 

「……! チェストォッ!!」

「『スカルクラッシュ』!」

 

 狙ったわけではない、だが盾を挟まれ開かれた顎を無理やり閉ざす渾身の双撃は、ほぼ同時に放たれた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八十六話

 ぐるりと一転して着地。

 

「んん゛、けほっ……」

 

 煙いし何も見えない。

 一瞬しっかりと当たった感覚はあったのだが、それより下からくる衝撃が凄まじく体が吹き飛ばされてしまった。

 

 じぃんとしびれた腕を軽く振り払い、ほっと嘆息。

 音がほとんどしない、ぱらぱら降りしきる砂の細かなさざめきだけが響く。

 

 どうやら無事に倒せたようだ。

 

「ねえ」

 

 これでダンジョンの崩壊も収まるかな?

 

「黙れ!」

 

 そんな私の問いかけは警戒を促す男の声に遮られる。

 

 

「え? い゛っ……げぇ……っ!?」

 

 

 揺らめく視界に現れた深紅の彗星。

 それは真っ先に私の右腕を打ち据え、握りの甘くなったカリバーが吹き飛ばされ、そちらへ向いた意識も一瞬後には腹へめり込んだ牙の鋭い痛みに掻き消される。

 

 ただ睨んでいた。

 私を、二度も己に痛撃を加えた存在を。

 虎視眈々と狙っていたのだ。間違いなく気が緩む瞬間、怨恨の一撃を見舞えるこの時を。

 

「はな……っ、あああああああああっ!」

 

 ぷつり

 

 あっさりとした軽快な音と共に肉へ抉りこむ牙、隙間から溢れた生温かな唾液が胸に伝う。

 振り回され、かき乱され、まるで絵も知らぬ子供が気儘に作り上げた粗悪な油絵のように、世界の色がぐちゃぐちゃに染まっていく。

 

 頭へ上る血が思考を緩慢な終焉へ導く中、

 

 こちらへ走ってくる誰かの姿に、

 

 

 わたし

 

 

 は

 

 

 

 ああ、おちる。

 

 

 

「くそっ」

 

 意識を失ったことを確認した炎狼が、少女を吐き捨てこちらへにじり寄ってくるのを後ずさりしながら、伊達はホルスターに仕舞っていた拳銃を抜き取り舌打ちをする。

 

 一斉の双撃、確かに間違いない一撃を加え、伊達自身一瞬ではあるが勝利を確信した……はずだった。

 しかし盾を構え真正面に姿を見ていた彼は気付いていた、炎狼が攻撃を食らった直後、痛みに目を剥きながらも盾から口を放し(・・・・・・・)、真っ先にその身を霧状に変え致命的な一撃だけは避けていたことを。

 安心院も違和感から止まることが出来たがフォリアは下からの衝撃に身を吹き飛ばされたため、それを確認することなく距離を開けてしまったのが原因だろう。

 

 たとえ茶色い砂嵐の中であろうとその優れた聴覚は場所を一瞬で特定し、彼女は噛み付かれてしまった。

 

 アイテムボックスから最後のポーションを取り出し、少女の保護へ向かった安心院に投げつけると、伊達はリボルバーに詰め込まれた魔石の数をちらりと横目で見る。

 

「2、か」

 

 どうやら捜索を優先し、道中では魔石の確保をしていなかったのが仇に出たらしい。

 己は守ることに特化している故、これが現状最高火力。

 あちら(プロメリュオス)も引くに引けず、しかし能無しに突撃することもなく様子をうかがっているが、疲労も摩耗もすでに限界を超えている、長くは持たない。

 

 ならば、

 

「安心院! 弾寄越せ!」

「はい!」

「あとその子抱いて距離取れ!」

「はい! ……はい?」

 

 投げ渡されたのは手のひらほどの小箱、中に詰まっているのは色とりどりの鮮やかな魔石たち。

 

 上出来だ。

 元々近接メインの彼女のこと、ここまで来るのに銃を使っていたのは数えられるほど。

 じゃらりと魔石を手のひらに広げると、男はそれを銃身(・・)へ押し込みつつ皮肉気な笑みを浮かべる。

 

 何があるか分からない以上、むしろ距離をとってもらわねば困るのだ。

 困惑と心配を隠さず、しかし信頼から少女を小脇に駆け出す彼女の背中を見送り、伊達は目の前の敵へ肩をすくめた。

 

「さて、最期のエスコート相手は残念ながら可愛い子ちゃんじゃなくて俺だ。生憎とダンスは苦手」

 

『ゲァァッ!』

 

「くそっ、最後まで言わせてくれよ!」

 

 飛び掛かってきた炎の塊を、二度は受けまいとぎこちない動きで地面を転がり避けると、取り出したシールドを正面にすくりと立ち上がる。

 地へ深々と爪痕を残し着地した炎狼、背後を狙いたいところだが先ほどの動きを見る限り、その尾すらも自由に動かし武器にしてくるのだから、そう安易に近寄ることもできまい。

 

 土を擦る音だけが響く。

 

 己が一歩進み、奴が下がる。

 互いに確実な一撃が届く距離から僅かに離れ、それでも決定打を狙って合間を図る擦り合わせが続いた。

 

 一歩、二歩……

 

 

「ぐあっ!?」

 

『クルルルッ!』

 

 突然走る目への違和感。

 

 威風堂々王然とした大狼が選んだ最後の手段は、前足で土を薙ぎ伊達の目を潰す、単純にして狡猾なもの。

 本能的に顔を逸らし守るように突き出された彼の腕へ、隙を見逃すわけもなく濡れ輝く牙が向かう。

 

 つぷりと肉を穿つ感触に目を細め勝利を確信した巨狼は、(獲物)が何一つ慌てない違和感に気付くことが出来なかった。

 

 

「最初に狙ってくるのは武器。そしてやはり何かに触れている間はお前、霧に成れないみたいだな」

 

 

 牙の隙間から覗く、冷たい鈍色の輝き。

 目前にあった鼻に自由であった片手をねじ込み逃げられぬよう握り締める。

 激痛に苛まれる右腕も、鼻奥へ突っ込んだ左腕も不快な滑りに包まれ眉を顰めつつ、伊達は引き金へ力を込めた。

 

 ともすれば聞き逃してしまいそうになる、小さな撃鉄の音。

 

 シリンダーに込められた魔石を火薬として、詰め込まれた魔石たちが連鎖的に爆裂、銃身へ刻まれた魔術刻印を中核として指向性を持ち、巨大な魔法陣を組み上げる。

 暴走すらをも構成に組み込んで、この刹那に賭けた凶悪な一撃がついに放たれた。

 

 燃え盛る王の影が最期に見たものは、己の口内から溢れ出す魔術の煌めきであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八十七話

「ん……」

 

 不快な意識の浮遊感、直後おなかから伝わってくる鈍痛に顔をしかめる。

 蒼炎(・・)に染まった空の下、後頭部から伝わってくる土と草の青臭さが、私が未だダンジョンから抜け出ていないことを教える。

 

 全身がだるい、頭もボーっとして働かない。

 いや、働かないのはいつものことだった。

 

「起きたか」

「あ……おん」

「体はどうだ、どこか痛むところは?」

 

 痛むところ……そういえばなんで私寝てたんだろう。

 無意識におなかを撫でた瞬間、記憶が鮮明に蘇った。

 

 そう、確か

 

「あ、あの狼……!」

 

 そうだ、やったと思った瞬間に声を上げたところで噛み付かれて、私……

 

「大丈夫だ、もう倒した」

 

 そういって彼がポケットから取り出したのは紅蓮の、不思議と内側で炎が揺らめくようにも見える魔石。

 おいしそうだ。

 話を聞けば私が気絶した後、彼の手で仕留められたらしい。

 彼のポーションをかけてもらったおかげで死なずに済んだようだ。

 

 戦えるだなんて言って立ったのに、結局真っ先にやられて迷惑をかけてしまった。

 とんだ道化じゃないか。

 

 地面に座ったまま膝を組んでいると、彼が手のひらほどの紙箱を取り出し、こちらへずいと突き出してくる。

 中から覗くのは細長く白い何か。 

 

「どうだ、一本」

「いや……」

 

 たばこは嫌いだ。

 くさくて、なにより嫌なことを思い出す。

 第一未成年だぞ、警官が何してるんだ。

 

「ココアシガレットだ」

 

 目の前でカリカリ食べ始める男。

 お菓子のようだ、紛らわしい。

 

「もらう」

 

 甘い。

 

「見ての通りだが……」

「ただいま帰還いたしました。ダンジョンの崩壊は続いていますわ、どうやらあの狼は」

「ボスではなかった、か」

 

 どうやら偵察に向かっていたようでいつの間にか戻ってきた安心院さんの言葉に、続けた私のそれに二人は顔をゆがめ頷く。

 

 木々の色が元に戻っていないことで薄々は気付いていたことだが、確信を得たその瞬間心に昏く重い何かがずしりと引っかかる。

 あれですら雑魚の一匹、か。

 

 彼女はなおも渋い顔のまま、ぴんと人差し指を立てこちらへ顔を近づける。

 

「ただ、いい知らせと悪い知らせがありますわ」

「じゃあ悪い知らせから頼むよ」

「ダンジョンが完全に崩壊しましたわ」

「いい知らせの方はどうだ」

「おかげでダンジョンから抜け出せそうですわ」

 

 どっちも内容変わらないじゃないか。

 

 

「これが……」

「ああ。俺も実物は初めて見たが、確かに『崩壊』ってのがしっくりくるな」

 

 まるでガラスが砕けたように世界そのものへ罅が入り、その先に街の景色が見える。

 ようやくたどり着いた入り口ではあったが、見慣れたダンジョンへ潜る門完全に消滅してるようだ。

 

 足元へ転がっていた石を投げつければ、当たり前だが外へ転がっていく。

 隔離されて明らかに別世界へつながっていたはずのダンジョンと現実、それが完全に陸続きとなっていた。

 

 これが……崩壊。

 そしてなにより

 

「街、ボロボロだね」

「ええ、戦闘痕も深く刻まれていますわね」

「避難指示は早朝からされているからな、一般人の被害者は少ないはずだ」

 

 協会の地下にはこういった時に備え避難用のシェルターがあるらしい。

 もちろんそれ以外にもいくつか点在してはいるものの、基本的に最も大人数が収容できるのはそこだと。

 

 石畳はひっくり返されて下の土が見えているし、街灯や街路樹は根元からへし折られている。

 何もかもが滅茶苦茶で、凄惨というほかない。

 これが昨日まで普通の街として機能していただなんて決して考えられない。映像としてしか見たことのない災害が、目の前でありありと広がっていた。

 

 私がもっと強ければ……一人でどうにかできたのかもしれないのに。

 力があれば、力さえあれば。

 

 がれきを踏みつけ三人無言で歩く。

 

 何も音がしない。

 人の喧騒も、車のうなりも、モンスターの鳴き声も。

 戦いはすでに終わっているのか?

 それとも、町を破壊しつくしたモンスターたちはここを抜け出し、活動を他の場所に移したのか?

 

 その時、何かがはじけ飛ぶ轟音。

 

 方角は……

 

「おいおい、協会の方からしたぞ」

「急ぎましょう!」

 

 何かができると決まったわけではない、ボスですらなかった大狼に手間取っていた私たち。

 それでも、気が付けば走り出していた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八十八話

 いったいどんな惨状が広がっているのか、恐怖に顔を固めたまま走り続けた私たちが見たものとは……

 

 

 ドンッ!!

 

 

「えぇ……?」

 

 必死こいて倒したはずな無数の炎狼達が、一匹、また一匹と一撃で空にかちあげられ輝く粒子へと姿を変えていく、あまりに衝撃的な光景であった。

 その震源地……? いや、狼花火の発射所? の中心にいたのは、全身筋肉で作られているのではと思ってしまうほど、すがすがしいまでの筋肉だるま。

 

 いや筋肉じゃん、なんでこんなとこいるんだ。

 

「やりますねあの人!」

「現役は引退したと聞いていたが……未だなお健在、か」

「おお良かった、生きてたか。丁度片付いたところでな、いいタイミングだ」

 

 めっちゃ気軽な挨拶して来るじゃん。

 

 

 あれから数日。

 

 筋肉曰く、今回のダンジョン崩壊について事前に察知をすることが出来たことで、どうにかモンスターが溢れ出す前に駆けつけることが出来たと。

 自分以外にも遠方より救援に来た探索者は多く、家屋の倒壊や様々な被害はあれど、幸い一般人(・・・)の犠牲者はいなかったようだ。

 

 そしてあの狼、ボスかと思わせといてボスでなかったあいつは、やっぱりボスだった。

 本体が無数に分裂してたった一匹で群れを作り上げるモンスターで、私たちが倒したのはその分裂体の一匹に過ぎなかったとのこと。

 ちなみに本体は分裂体の中に混じっていたものを、筋肉が気付かぬうちに叩き潰したことで終わった。

 

 伊達さんは精密検査のため休職、安心院さんは壊れた街を復興させるため瓦礫の処理へ駆り出されるとのことで、いろいろ話したいことはあれど一旦私は元の町へ戻ることになった。

 

 私も精密検査するべき?

 まあ大丈夫だろう、多分。

 

 そして今、協会に備え付けられたテレビの前で頬杖をつき、ボスを倒したヒーローインタビューをボーっと眺めていた。

 

『剛力さん、今回の活躍について一言を!』

『今回の敵はかなり手ごわいものだったとのことですが!』

 

 テレビの中にいる筋肉へ、報道陣のマイクが押し寄せる。

 

『あー、その前に一ついいですか。あ、マイク借ります』

 

『伊周泰作、大西亜紀、立花咲哉、西村健……今回のダンジョン崩壊にて勇猛果敢に戦い、そして人々のために殉職した探索者達の名です』

 

『探索者という職業は大変誤解の多い職です。常に武器を携帯し、粗野で、力だけが取り柄の社会でも最底辺に位置する職業……そうお思いになる方も多いでしょう。確かにそういったものもいないわけではない、最後の受け皿として存在するこの仕事へ就くそれなりの事情を持つ者だって少なくはない』

 

『けれど、彼らのように人々が安心して暮らせるため武器を手に取り、そして身を張って戦うものもいるということを忘れないで頂きたい。一人では決して今回のようにうまくは行かなかった、探索者だけではない、戦闘能力を持たない一人一人も協力して初めて得られる結果なのです』

 

「ものすごいカットされてるね」

 

 現場にいた私だから分かる、本当はもっとずっと長く語っていた。

 三分の一以下だ、これはひどい。

 

 いつの間にか横に座ってコーヒーを啜っていた筋肉が口を開く。

 

「まあいつもやってるからな」

「いつもやっていつもカットされてるの?」

「おう」

「意味ないじゃん」

「意味はあるさ。このニュースじゃ全部流してくれなくとも、フルバージョンはどっかで流されてるんだから」

 

 カップの中身を軽く啜り鼻を鳴らす筋肉。

 

 彼なら既に名声だって、金だってきっと腐るほどある。

 わざわざこんな反感を受けるようなこと言わずとも、適当に謙遜でもして称賛を浴びていればいいのに。

 

「強いやつが理想を語らないと、誰も理想なんて言えなくなっちまうだろ」

 

 ふぅん。

 

「自分で強いっていうんだ」

「事実だからな」

「剛力さん、本部からの通達届いてるんスけど」

 

 後ろから来たウニに頷き、奴は立ち上がると

 

「ああ、これ猫につけといてくれ。ボスが落としたんだよ」

 

 私の前に一つの首輪を置いて去っていった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八十九話

 筋肉が置いていったそれは非常にシンプルなデザイン、一体何の物かは分からないがつやつやとした、皮で出来た黒い首輪。

 

 迷宮産の首輪、か。

 なんか変な呪いとかかかってないだろうな、心配だぞ。

 大丈夫だとは思うけど、あいつ結構大雑把なところあるからなぁ。

 

 まだほんの数か月前のことではあるが出会って数日後、かなり適当なアドバイスで死にかけたことを思い出す。

 まあ一人一人がどうなるかなんて深く考えていたら、協会のトップなんてまともに心が持たないのかもしれないけど。

 

 ……一応見ておくか。

 

「『鑑定』」

 

 机の上のソレに言い慣れたワードを掛けた瞬間……

 

 

 

 

「ん……ここは……」

 

 外だ。

 純白な石畳、大きな広場の中心に私はいた。

 

 あれ? いつの間にこんなところ出たんだろう。

 ついに私は痴呆で徘徊するほど頭がおかしくなって……

 

「放せ! くそっ、これはきっと何かの誤解なんだ! なあ!」

 

 ふと、背後からの声に気付く。

 

「おお……」

 

 全く気が付かなかったが物凄い量の人、人、人。

 ずらりと並んだこう、なんか物凄いごてっとした鎧を着た人や、ともすればコスプレか映画の撮影にでも見える豪華で重そうな服を着た人達。

 そして出入口なのだろうか、奥まで続く真っ暗な通路から引っ張り出されてきた1人の少女に驚く。

 

 見たことある人だ……

 

 日本にはいない……勿論コスプレを除けば、ピンと尖った耳、そして私と同じ金色の髪。

 名前をなんというのだったか。カメムシ? カメリア? カチョエぺぺ? ともかくそのような名前の人。

 前のダンジョン崩壊時に拾ったペンダントの持ち主、きっと異世界の……

 

 ああ、そうか。

 気付くのが遅れたがこれ、この前の不思議な体験の続きなのかもしれない。

 異世界、かもしれない不思議な映像。

 

「王よ、聴いてくれ! 私は生まれてこの方決して罪など犯したことがない! 裁きと守護の女神クレネリアスに誓ってもいい!」

「罪人はみぃんなそう言うのよ。知らないのかしら、カナリア?」

「クラリス! よかった、お前も説明してくれよ! お前だって私はそんなことしないの知ってるだろ!」

 

 あ、そうそう。カナリアさんね、カナリアさん。

 

 王と呼ばれた笑みを湛え豪華な椅子へ腰かけた若い男、いや、少年にすら見えるその人。

 彼の背後からゆるりと現れた一人の女性。彼女はチョコクリームみたいな肌と白い髪はきっと私の世界に存在しない姿で、けれど自然と似合っていた。

 そしてピンと尖った耳はカナリアにそっくりで、そのつながりか分からないがどうやら彼女らは既知の存在らしい。

 

 クラリスと呼ばれたその人はツカツカとカナリアへ歩み寄ると、彼女の首元につながった鎖を拾い上げ睨んだ。

 

 すっごい薄くてひらひらの服、寒くないのかな。

 ツタっぽい何かで編まれた靴も歩きにくそう、変わった服装してるね本当。いや、異世界ではこれが普通なのか?

 

「クラリス、お前寒くないのか? 腹を冷やすのは体に良くないぞ」

 

 あ、やっぱり変な服装なんだ。

 

「……貴女ほんっとうに昔から変わらないわね。誰かを疑うってことを知らない、純粋で……」

「なあクラリス、おい……いっ!?」

「昔からそういう態度が不快で仕方なかったわ。常に私の前を歩いて、そのくせこっちにも無邪気によってくる貴女のその態度が! 貴女さえいなければ私は……!」

「お前……何を言って……」

 

 軋む鎖、カナリアの零れる小さな悲鳴。

 クラリスに引っ張られた首元の真っ黒な首輪が悲鳴を上げる。

 

 なんだかよく分からないが仲が悪そうだ。

 鬱憤でもぶつけているのか、こんなのをずっと見させられるのだろうかと思っていた所で、王とか呼ばれていた少年が飄々とした笑みを浮かべ寄ってきた。

 

「もういいか?」

「我が王……失礼いたしましたわ。しかし罪人に近づくのは御身に危険が及ぶ可能性が」

「良い。聞きたいことがあるからな」

 

「研究者カナリア、『次元の狭間』についての研究を隠していたというのは誠か?」

「な……! なんでその話を……!?」

 

 次元の狭間。

 私の人生にこれまでも、そしてこれからも大きく関わる存在を初めて知ったのはこの瞬間であったが

 

「あっ、あの首輪さっきの奴じゃん」

 

 カナリアの首についていた首輪が先ほど筋肉に渡された首輪だと気づいた私は、この時そこまで次元の狭間なるものに興味を持っていなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九十話

「な……何故……」

「私が報告したからよ。まさか第一人者である貴女がそこまで重大な情報を隠し持って……他国と内通し技術を売り払おうとしていたなんて、ね。ずっとこの研究について反対していたのはまさか、大金と共に隣国へ亡命でもする予定だったのかしらぁ?」

「……は? 何言ってるんだよお前」

 

 自分自身思ってもいない内容、いや、この小さなエルフが思いつくわけもない筋書き(・・・)をつらつらと語るクラリス。

 

 学会の異端児として名を馳せ、革命的な発明を次々と発表していたカナリア。

 彼女の存在によってこの国、さらにはこの世界そのものの技術は、この数十年で飛躍的に向上していった。

 

 だがそういった技術の発信は彼女が裏で発見し、『次元の狭間』と名付けた存在、そして研究の隠れ蓑に過ぎなかった。

 最終的にこれは人類の手に余ると結論付け、研究結果の抹消を決定したのだが……

 

「でも残念でしたぁ。貴女が内密に処理しようとしていた資料すべては私が回収したの、気付かなかったでしょ? 既に研究と試運転は始まっているわぁ」

「おま……お前…………!」

 

 幼馴染であり良き理解者だと思っていたクラリス。

 だが普段彼女が浮かべていた笑みの裏に渦巻く怒りや嫉妬を、カナリアは今の今まで気づくことが出来なかった。

 ふとした日常での違和感からカナリアの身辺を調べたクラリスは、彼女が情報を破棄する直前で『次元の狭間』の存在を知ることとなったのだ。

 

 クラリスの話に絶句し、パクパクと口を開くだけのカナリア。

 彼女にとっては初耳、しかし周りの人は平然としており既に織り込み済みの様子。

 たった一人、誰からも気付かれることなく観察している……半分ほど上の空だが……未来からの目撃者を除いて。

 

「天へ続く蒼の塔(・・・)、ここからも見えるでしょう? あれも研究の一環、いえ、研究の要よ。世界そのものへ干渉するために建てられたの」

「……! まさか……だってお前、あれは新しい観光名所だって……! 一緒に行こうって言ってたじゃないか!」

「……どうしてこんな頭お花畑に負けていたのかしら。」

 

 立ち上がりクラリスへ飛び掛かろうと怒りをむき出しにするも、軽く鎖をひかれただけでその小さな身は地面へと這いつくばり、何もなすことはできない。

 嘲笑う彼女の足元、カナリアは精いっぱいの声を張る。

 

「聞いてくれ王よ! あれは人類には早過ぎる、いや、手を出してはならない存在なんだ! どんな悪影響があるのか……」

 

 

「その悪影響とやらは『異世界』へのことか?」

 

『……!?』

 

 視界の端でちらちら動いていた王?とやらの言葉を聞き、心臓を鷲掴まれたような衝撃が走った。

 どうせ関係ないことだと、異世界のことだと高をくくっていた私の脳天を叩いて注意を促すような、そんな感覚。

 

 ま、ままっ、まさささささっまさか、ね。

 異世界ったって、私たちの世界であるとは限らない。

 ……だよね?

 

「な、ならば! 聡明な王ならばご理解下さるはず! 下手をすれば無辜の民、いや、異世界そのものが犠牲に……!」

「勘違いしているようだが……王という物は国と一心同体、己が国を導き、富ませることこそが使命であり運命なのだよ。その過程において必要なら周辺各国へ首を垂れ、罪を背負い身を削る。だが『次元の狭間』に眠る魔力は誰のものでもなく、恒久的に湧く得難い資源よ。万が一には異世界の存在が犠牲になる、それは悲しいこと」

 

「しかし己が国のためなれば、些末な事よ」

 

 もういいだろう。

 椅子から立ち上がり、背を向けその場から去る王とやら。

 入れ替わってカナリアの前に立ったのはクラリス、無言で会話を見ていた彼女は下卑た笑みを隠さない。

 

 言っている事がよく分からなかった。

 もっとわかりやすく言ってほしい。

 

「可哀そうだけれどごめんなさいねぇ、あの人国のためなら冤罪とか関係ないのよ。残念だけれど隠してたって事実を報告された時点で貴女は……」

 

 あら? 報告したの私だったわぁ。

 

 クスクス、ケラケラと。

 口角を歪ませひとしきり嗤った彼女は、項垂れたカナリアを見下ろし……ふと思い出したようにしゃがみこんだ。

 

「そういえば貴女の処刑方法知ってるかしら? 大好きな次元の狭間に放り込まれるらしいわよぉ? 確か中に入ったものはぜぇんぶ魔力に変換されて消えるなんて貴女の資料には書いてあったわね。大丈夫、その魔力も全部汲み上げて私たちが大切に使ってあげるわぁ」

 

 ツンツンと長い爪でカナリアの頬をつつきながら、にやついた表情で彼女の処刑方法とやらを語る。

 

 うーん……?

 この次元の狭間ってやつ、なんか所々で聞いたことあるような、ないような話が……あるような……ないような……?



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九十一話

 二人が消えてからは驚くほどあっさりと話は終わった。

 淡々と、人の生き死にが決まるだなんて思えないほど非情に、髭を生やしたおじいさんたちは彼女の罪状等を読み上げ、冷酷な判決が下された。

 

 肝心の被告人は……

 

「立て」

 

「い…………嫌だっ! 死にたくない! ああああ死にたくないしにたくないいやだあああっ! はなせよっ! なあおい助けてくれよなあお前たちだってわかってるだろ!? 私が何したっていうんだよ! 変なことなんてひとつもしてない! 悪いことなんもしてないよぉ!?」

「静粛に」

 

 抑えきれない感情でぐちゃぐちゃに歪んだ顔。

 言いたいことは無数にある、だがむしろ多すぎて出し切ることが出来ない……そんな表情はあまりに痛々しくて見ていられない。

 

「お前らが使ってる物だって私が開発したもの多いんだぞ!? 恩恵だけ肖ってちょっと不都合になったら消すなんてずるいだろこんなのさぁ!? ばかあ! あほ! アホ王! バカ王! バカリス! アホリス!」

「黙れ!」

 

 見ていられないと思っていたのに、どうにも発言が微妙な緊張感を掻き消していくのは彼女の性格ゆえか。

 

「い、嫌だ! 黙らない! 黙らないぞ私は!! お前らこの先起きてても寝てる間も夢や脳裏で私のことを思い出して苦しむように記憶へ刻み付けてやる! 人間は嫌な記憶を忘れないように出来ているんだ! あの時助けていれば良かったと一生後悔し続けろ!!」

 

 ずるずると小さな体を引き摺られ両手を振り回し、涙と唾をまき散らしながら姿を消すカナリア。

 この先いったい彼女はどうなってしまうのか、無意識に追いかけようと足に力を入れたところで……

.

.

.

 

 

「ここまで、か」

 

 相変わらず終わりは唐突で、ふと気が付けば私は元通り協会の椅子へと、頬杖と共に腰かけていた。

 

 カナリアが付けられていた真っ黒で簡素な首輪。

 血も何も付着していない、ただつけていた主だけが不在で、恐らく鎖が付いていたのであろう部分にはなにもついていない寂し気な姿。

 彼女は既に死んでいるのだろうか、それともあれは現在進行形で……?

 ダメだ、どうにも見たそれがどこかふわふわとしていて、それこそテレビだとか映画の中の出来事のように思えてしまう。

 

 けど、たった二度しか経験がないけれどそのどちらもが彼女に纏わる出来事の映像だった。

 この首輪も、そして今アイテムボックスに放り込まれたペンダントも彼女の物。

 関係なんて。意味なんてないのかもしれない。ただ偶然私の手元にこれが転がり込んできて、ただ偶然私が『鑑定』をしたからあの映像が見えただけなのかもしれない。

 

 しかし、もし何か関係があるとしたら…………

 

 

『ふみ゛ャっ』

 

「痛っ、お前アホねこめ」

 

 ピリリとした頬に走る痛みがドツボにハマった思考を掘り起こす。

 

 目の前にはあいつ。

 私の不意を付けたことにご満悦な表情を浮かべ、机の上で右手をうにうにとさせて優雅な毛づくろい。

 例えるならば不敵なお嬢様と言ったところか。

 

 相変わらず生意気な奴め。

 そういえば筋肉が首輪、こいつに付けろとか言ってたな。

 

「おりゃ、捕獲」

 

 暴れるネコの鋭い爪を上手い事さばきつつ首輪を装着したはいいが、どこか何かが足りないような気もする。

 違和感があるようでカリカリと後ろ脚を使いひっかく姿を観察しているうちに、欠けたピースに思い当たるものが出てきた。

 

 鈴だ。

 猫と言ったら鈴だろう、鈴付けよう鈴。うんうん。

 

「おりゃ、ちょっとこっち来いアホネコ」

『み゛ぃ!?』

 

 買い物行っている間にどこかへ姿を消されても困るし、ついでにこいつも連れて行けば似合うのも見つけやすいだろう。

 

 脇へ手を差し込みでろーんと持ち上げ、ゴリっとした硬い物体が手のひらに突き刺さる。

 膝へ着地、感覚を頼りに毛を掻き分け見つけたのは黒く小さな石。

 石と言っても本当に爪より断然小さく、人によってはこれは砂の粒だと言うだろう、それほどまでに小さなものが固まっていくつか点在していた。

 

「なんだこれ……」

 

 かさぶた、かな……?

 

 爪で引っ掛けて弄ってみたがどうにもがっつり張り付いていて、引っ張ると痛むのかウナギとなってグネグネ体をくねらせ嫌がる。

 無理に取ってしまうこともできるが、かさぶたはあまりとらない方がいいとどこかで聞いたことがある。ステータスのない動物にポーションを使おうと意味がないし、どうせそのうち治って剥がれるのだから放っておこうか。

 

 まあどっかで喧嘩したとかだろう、猫だし。

 

「また喧嘩してんのかお前らは」

「違う、可愛がってあげてるだけ」

 

 ついでにもちもちと頬を引っ張って遊んでいると、コンビニから帰ってきたのかビニール片手のウニが反目で私と猫の攻防に口をはさんできた。

 ぷすぷすと膝の上から抗議の鼻音が聞こえるが無視だ無視、第一最初に喧嘩売ってきたのこいつだし。

 

「まあいいや……程々にしろよ」

 

 いまいち私の話を聞いていなさそうなウニの反応。

 

「別に喧嘩なんて……あ、ここら辺にペットショップとかある?」

 

 どうせ何言ったって信じてくれないし、さっさとここは退散するに限る。

 あ、こら暴れるなって。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九十二話

「ぺっとしょっぷ……ぺっとしょっぷ……」

 

 歩くたびに消え失せる四角く灰色の建物。

 気が付けば小さな公園と街路樹、そしていくつかの家屋だけが並ぶ不思議な通りに私はいた。

 

 妙だ。

 ウニの言う通りに道をたどったはずなのに、ペットショップどころか建物すらどんどん減っていく。

 これはまさか……

 

「ウニに騙されたのか……!」

 

 私は絶対に迷ってない。

 くそぉ……くそぉ……あいつゆるさん。

 大通りを抜けたらすぐだって言ってたじゃん! 大きな看板があるって言ってたじゃん! どこにもないんだけど!

 

 あっちへうろうろ、こっちへうろうろ、果てには帰り道すら分からなくなりネコは腕の中で居眠りを始める始末。

 もういっそ屋根の上でも飛んでいこうか、いや勝手に登ったらやっぱり犯罪になるのかな。

 

「わっ!」

「ひょおお!? ……りゅ、琉希。どうしてここに……」

 

 突然背後からかけられた大声に跳ねる肩、振り向けばにやにやと笑う彼女。

 

 普段平日だとか関係のない生活をしていて忘れがちだが、どうやら今日は休日らしい。

 まだ昼間だというのにも関わらず私服の彼女を見て気付くが、街中で会うのならともかくこうも閑静な住宅街で出会うのはなかなか不思議な事だ。

 

「どうしてもこうしてもここ私の家の近所ですよ? フォリアちゃんこそどうしてこんなところに……あ、もしかして私に会い」

「丁度良かった、ペットショップってどこにある?」

「あいに……あいに……はい、知ってますよ。一緒に行きましょう!」

「え、いや別に一緒に行かなくても場所さえ教えてくれれば……」

「行きましょう! ね! ね!」

「あびゃああ」

 

 猫と共に世界がかき乱される、奴も逃げようと腕の中で藻掻くがお前も苦しめ。

 ぬは、ぬは、ぬははうえええ……き゛も゛ち゛わ゛る゛い゛……

 

 何が一体そこまで彼女を駆り立てるのだろう、肩をがっしりと掴まれ前後に揺さぶられてしまえばこちらは頷かざるを得ない。

 

 

 バンッ!

 

「こんにちはー! もう開いてますかー!」

「それはあけながら言う言葉じゃないと思う」

 

 開けて早々に匂ってくるのは、動物特有の据えた獣臭……かと思いきや逆、それどころかさわやかな花の匂い。

 加えて奇妙なことに、動物たちの鳴き声が全くしない。

 はて、一体どういったわけか……

 

「ここはワンちゃんとか置いてないんですよ、店主さんが飼ってるネコちゃんはいるんですけどね」

「あら、いらっしゃい琉希ちゃん。今日も勉強のおさぼりに来たのかしら?」

「あーあーそれはちょっと言っちゃだめです! ほらフォリアちゃん鈴探しましょう! ね! ね!」

「……!? え、ああ、うん」

 

 全く察知できなかった、一人の女性が後ろに居たことを肩に手を掛けられようやく気付く。

 

 閉じているのか開いているのか、一見その判断すら難しいほど目を細めたその女性。

 琉希の態度や会話を見る限りどうやら彼女がここの店主のようだ。

 気になることはあるのだが琉希にぐいぐいと手を引かれてしまえば振り払うわけにもいかないし、彼女もこちらを引き留める様子がないので店内を進めば、もう夏も近い、軽く汗ばんでいた体にクーラーの利いた店内は心地よかった。

 

 なのだが。

 

 こう……店主の前で考えるのも失礼なのだが、かなり広々としたわりに寂しい店だ。

 服やリード、ケージなどは並んでいる、とはいえやはりペットショップなのに動物たちがいないせいもあって空きが目立つ。

 一応ショーケースもあるというのにその中は空っぽ、冷たいガラスの奥に真っ白な壁だけが見えるせいで、余計モノ寂しい雰囲気を醸し出していた。

 

「あ、鈴ありましたよ! どれにします?」

 

 勝手に戸棚をガサゴソと漁っていた琉希が引っ張り出して来たのは、色も形もとりどりの鈴が入ったケース。

 昔からあるような金色の爪ほどの大きさをしたものもあれば、魚の形、蝶ネクタイについたもの、変わり種では魚の形をした陶器製のものまであった。

 

 む……これは悩むぞ。

 

 こやつは全身真っ黒、首輪まで黒ときたものだから中々どの色にすべきか悩む。

 金ぴかなものが王道だとは思うが、しかしこれでは目立ちすぎな気もするなぁ……いや待て、それならあえて暗い色にするか……?

 

「ん……えーっと、これとか?」

 

 決めかねて適当に取り上げてみたそれは赤と黒のチェック模様をした蝶ネクタイ、真ん中で揺れる金の鈴がコロコロと音を鳴らしてかわいらしい。

 

 うん、案外悪くないんじゃないかな。

 

 手に取ってみれば不思議と気に入ってしまい、これがベストなようにすら感じる。

 まあ適当な性格ってだけかもしれないけど。

 

 足元をうろちょろしてた猫をホールド、試しに付けてみたらやはりしっくりときた……のだが、

 

『ミ゛ィ!』

 

「こら暴れるな、落ち着けアホネコ」

 

 着けた瞬間嫌がるように体をうねうねをくねらせ、床に地面をこすりつけて猛烈な勢いで暴れだした。

 まるでウナギかなにかのようだ。

 いったい何が気に入らないというのか、似合っていると思うのだが……

 

「鈴の音が嫌なのかもしれないわね、猫って耳いいから」

「……!?」

「確かここら辺に……ほら、これが音の出ないタイプね。これなら嫌がらないんじゃないかしら?」

 

 気付かなかった……この人気配がなさ過ぎて怖い。

 

 またもやいつの間にか背後にいた彼女が引っ張り出して来たのは、見た目こそそっくりだが揺らしても音のしないタイプ。

 流石はペットショップのオーナーというべきか、少しばかり嫌がるような素振りをしたがそこまでで、猫も今度はおとなしく首輪を受け入れた。

 

 私は音が鳴る方がよかったのだが……まあいいか。

 

「うん似合ってる似合ってる、貴女センスあるわ」

「そ、そう……?」

 

 そう言われてみればこっちの方が似合ってるような気がしてきた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九十三話

「これうちの特製シチューね」

「うん、頂きます」

 

 このペットショップ、動物は置いていないが軽い食事が出来るらしく、琉希の

 

『ここのシチューはすっごくおいしいからすっごくおいしいんです!』

 

 と言語の崩壊した後押しもあり、時間もそろそろ昼だし食事を注文することとなった。

 

 食事を出しているのは店の奥、小ぢんまりとしたカウンター。

 ここに来る客の多くはペットと共にここで食事をとることが目的ですらあるらしい、そもそも客が少ないけどねと犬飼さん……この店のオーナーである彼女の名前らしい……は苦笑しつつの談。

 

 ううん、夏も始まろうというこの時期にシチューとはちょっとばかしズレている気がするが味はいい、冷房も動き始めて冷える体にはちょうどいいのかもしれない。

 

「ひゃー! からーい! お水くださーい!」

「え……なにしてんの……?」

 

 純白であったシチューはどこへやら、深紅に染まったそれをがっつき辛いと唸りながら水を求める彼女。

 

「え、一味入れないんですか?」

 

 一味……一味!?

 

 机の上にそんなものはなかったはずなのだが、彼女の傍らにはいつの間に用意されていたのか真っ赤な小瓶。

 どうやら頼めば出してくれるらしいが……

 

「入れないよ?」

「入れましょう!」

「やだ」

 

 しばしの駆け引きを繰り返し、その押しに負け入れる羽目となってしまった。

 

 舌に合わなければ彼女が完食し代金を払うという約束の元、わっさわっさと一味をぶち込まれ白を失うシチュー。

 己のあいでんなんとかを失い、どこか悲しげな雰囲気を纏わっているように見えるのは私の気のせいだろうか。

 

「……」

「ハイ一気に!」

「んん……!?」

 

 ……結構イケる。

 

 確かにこれは辛い、一口含むごとに体がカッと熱くなる。

 しかしただ辛いだけではなくどろりと煮込まれたシチューから感じる複雑な甘みなどが、その辛さをどっしりと包み込んでいた。

 見た目ほど辛くないのは牛乳のコクからきてるのだろうか。

 

 案外美味しい、悔しいけど。

 

「ね?」

 

 くそっ

 

 猫もカリカリの山に乗せられたツナにがっついている、いやカリカリも食えよ。

 

 

 食事が終わり、琉希は猫を連れ店の端にある動物と遊べるスペースで転がっている。

 気分も緩んでいたからだろう、何となしに先ほどから気になっていたことを口に出してしまう。

 

「ねえ、なんでここ動物置いてないの?」

 

 空気がピンと張り詰めたのが分かった。

 いくら私でも分かる、これはきっと容易に踏み入ってはいけないものなのだと。

 

「うち? んー……昔は置いてたんだけどね。これ言っていいのかなぁ……ほら、売れ残った子って処分されちゃうでしょ? 知ってすぐは割り切ろうと思ってたんだけど、やっぱり駄目だったわ。きっと私には向いていなかったのね、それでも簡単に廃業って訳には行かないのが辛いところなのだけれど」

 

 最初こそ言ってもいいのか悩む様子だったというのに、ジワリと溢れ出してしまえば最期、一度堰を切って溢れ出した感情の発露にこちらまで飲み込まれそうになる。

 無意識にだろう、カウンターの上で握り締められた彼女の拳は汗ばみ、爪痕が残るほど握り締められ震えていた。

 

 何か言い返さなくては。

 焦燥に脳が焼かれそうだというのに、唇は震え定まった言葉が出てきそうにない。

 

「あっ……えっと、その……」

 

 思い出したくないものだったのだろう、その細い瞳の奥に隠していたものなのだろう。

 じわりと端に浮かんだ涙が輝く。

 

 しまった。

 きっとこういうところが、私が人に嫌われいじめられていた要因なのかもしれない。

 だからお前はだめなんだ、何も考えていない馬鹿な自分が嫌になる。

 

「あー! いいのよ、ごめんなさいね若い人にこんな話。あんまり聞いてて気持ちのいいものじゃなかったわね」

 

 正直私は命の大事さだとか、生という物をあまり理解できていない。

 ダンジョンで死にかけて必死に生きている感覚へ縋っているだけで、ダンジョンで見知らぬ誰かが死んだと聞いても全く実感だとか、感情が大きく揺さぶられることもなかった。

 なのにどういうことだろう。こうやって目の前で、人間ですらない動物の命が散ることに痛みを覚えている人を目にすると、不思議と私まで心の奥がつんと痛んでくるのは。

 

 分からない。

 本当に最近は分からないことだらけだ。

 

「えっと……」

「んん、こほん。じゃあ貴女の悩み事でも聞こうかしら! こう見えても教えたりするのは得意なの、勉強で悩み事とかはない!? ほら、初めて会う相手だし普段は言えない悩みとか……!」

「分からない……」

 

 悩み事と言ったって、一番どうしたらいいのかわからないスキルのことはあまり人に言えないし……ああ、それなら

 

「どうしてみんな、他人のために命張れるのかな」

「……年頃の女の子が出す話題じゃない気がするわね」

「琉希もそうだった。私より断然弱いくせに、膝もがくがく震えて内心怖がっているのが丸わかりなのに、私が守ります、私が守りますって馬鹿みたいに言い切って」

 

 本当に理解できない。

 彼女や安心院さんたち、そして先日のダンジョン崩壊で命を張って死んでいった、姿すら知らない探索者の人たち。

 どうしてそうやって自分の命を張れるのだろう。必ず守れるわけでもない、守って誰もが崇め奉るわけでもない、むしろ世の中の大半はそんなことより自分の夕飯に何を食べるかの方が大切だろう。

 

 他人のために命を張るのなんて馬鹿だ。

 

「なにかいいましたー!?」

『み゛いぃぃ!』

 

 名前が出たのが聞こえてしまったのだろう、ネコとねこじゃらしを抱えこちらへ寄ってくる彼女。

 

「何でもない、向こうで遊んでて」

 

 その手にある猫じゃらしをひったくってぽいっと放り投げれば、ネコと共に走り去っていく。

 本当に能天気な奴め。

 

「うーん……誰しも守りたいものってあると思うの。家族や友人だとか、大切なものだとか、或いは目の前の命だとか……善人悪人関わらず必ず何かあるはずよ。いつ気付くかは分からないわ、もちろん失って初めて気付く人だっているでしょう」

「守りたいもの……」

 

 私の守りたいもの……

 

 家族だっていない、家なんてない、手持ちはスポーツ店で買った子供用金属バット(カリバー)や服など、大きなリュックに詰め込めば済んでしまうほど。

 そんな私の守りたいもの、か。

 

「もちろん人にとって線引きはそれぞれだけれど、全て等しく価値があるわ。他の人のために命を張れる人は、きっとその線引きの境界が広いのね」

「そう……なんだ……」

 

 私とは遠くかけ離れた人たちだな。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九十四話

 眉を顰め合わせた手のひらへ唇を当て黙り込んだ私へ、犬飼さんが不思議そうな顔を浮かべ語る。

 

「納得いっていないみたいだけれど、貴女もきっとその一人だと思うわよ?」

「え……?」

 

 私が? 冗談はよしてほしい。

 

「琉希ちゃんとダンジョンで一緒に戦ったのって貴女でしょ? 何度も話してくるのよ、金髪の子がーフォリアちゃんがーって」

「う……」

 

 目を細めたままにこやかに語る犬飼さん。

 たまらずといった様子でくすくすと零れる笑みからして、琉希がよほど熱心に語っていたであろうことが見て取れる。

 

 あいつ他の人にそんなホイホイ話していたのか、口が軽い。

 いやまあスキルのことは話してないのなら何でもいいのだけれど……それは横に置くとして、私が教会の広い人間だとは笑えない冗談だ。

 自分のことしか考えていないし、あれ(琉希)みたいに平然と命の危機に飛び込むことだってできない、その上やられたことはずっと根に持っている。

 

 いやな人間だ、私は。

 

「ふふ……自分のことって案外、他人の方が分かっているものよ。人の心は複雑なの、決して同じ形のない多面体ね。一つの面からでは決して見えない面も、離れた場所に立つ人からなら容易に見えてしまう」

 

 私の苦悩もなんのその、よく分からないことをつらつら語りつつ微笑を浮かべ、ゆるりと肘をつく犬飼さん。

 

 意味が分からない、もう少し分かりやすく言ってほしい。

 ……まあいい、要するに人間性の問題って話だろう。懐が深い人間は自分のことだけじゃなく他人のことへも気が回るし、私みたいな人間はそれが出来ないのだ。

 誰しもがきれいな心を持っているわけではない。犬猫の処分に涙をこぼす優しい世界で生きてきた、綺麗な心を持つ人には理解できないことだってあるから。

 

 彼女はきっと何か勘違いしている。

 昔から馴染みのある少女を助けた私、なんでも好意的に受け取ってしまうのに無理はないだろう。

 

「ほかに何か悩み事は? 貴女一杯抱えてそうだもの、吐き出しちゃいなさい」

 

 なんだその、悩み事の塊みたいな扱い。

 ……いや、確かにどうしたらいいか悩んでいることはたくさんある。けれどそう容易に言えるものではないし、ぱっと思いついたのだってさっき話してしまった。

 

「--じゃあ最後に一つだけ。すっごく強くなりたい、何にも負けないように。けどきっとただレベルを上げるだけじゃそれには届かなくて……」

 

 無意識に噛み締めたらしい唇へかすかな痛みが走った。

 

 そう、今の私にはきっと何かが足りないんだ。

 薄々気づいていた。レベルが上がれば多少の差は無視できるはずだったのに、なぜか攻撃を食らってしまったり、やられかけたり。

 

 スキルの都合上基本一人で戦うしかない私にとって、戦闘不能は即座に死を意味する。

 偶然あの金髪の女性に助けられていなければ、きっと今頃は『炎来』で誰にも気付かれることなくしたいすら分解されて……だから、だからそんなことが起こらないように、何にも負けないように、もっともっと強くならないといけない。

 

 戦いをやめればいい。

 

 当初の予定のように体力は十分以上着いたのだから、一般人として普通の生活を送ればいい……甘い考えが脳裏をよぎる度全身がざわついて妙な冷や汗すら出てしまう。

 それではきっとダメなのだ。きっとそれでは納得が出来ない、いつかまた耐えきれず燻る衝動のままに相棒(カリバー)を握って、何もかもを投げ飛び出してしまう予感があった。 

 

「貴女、戦いの鞭撻をしてくれる人はいないの?」

「べんたつ……?」

「ああ、指南、先生役のことよ」

 

 先生、先生か……。

 

「一生のうちに一人で学べることは限りがあるわ。けれど無数の人が学んだことを集約して、知識として蓄えていく。そうやって集約された知識の塊こそが『教え』、『教材』だのと口伝や記録になって次の人へより重厚になって伝わっていくの」

「はあ……」

「まあ要するに一から手探りより、先駆者から教えてもらった方が何倍も早いってことだわ。追いついた後で未開の世界があったなら、そこで自分自身がさらに切り開いていけばいいの」

 

 先駆者……つまり超強い人ってことか。

 超強い人なら一人心当たりがある。多分ここいらで、下手したら日本でもトップクラスの能力を持っているかもしれない人物。

 

 脳裏を過ぎるのは筋肉塗れのハゲ。

 

 なんたってプロテインのCMに起用されるくらいだ、その強さが周知されていなければ指名だって来ないだろう。

 街であの筋肉を見てスカウトされた可能性も無きにしも非ずだが。

 

「思いついたみたいね」

「うん、ありがとう」

 

 時計を見ればもう三時、別に急ぎの用事があるわけでもないが、長居する必要もない。

 それに今の話でやることが出来た。

 

「もう行く、ありがとう」

「ええ、また来てね」

 

 私みたいなめんどくさい人間、本当にまた来てほしいわけじゃないのかもしれない。

 だが、まあ、また来ても……いいかな。

 

 琉希とじゃれていたネコをひょいとつかみ上げ抱き、協会へと戻ることを告げる。

 彼女もいっしょに協会へ行くのかと考えていたが、今回はここへ残るらしい。どうやら犬飼さんに勉強を教えてもらうようだ。

 ちょっと寂しげな顔をしていたが、必死こいてダンジョンでお金を稼いで高校に行っているというのに、私と遊んで落第したとなれば笑い話では済まないだろう。

 

 二人にゆるりと手を振りドアノブへ手をかけ……

 

「フォリアちゃん」

 

 犬飼さんが掛けてきた声に止まる。

 

「……?」

「どんなに悲しいことがあっても、どんなに苦しいことがあっても、貴女の暖かさを忘れないでね」

 

 はて、さっぱり意味が分からない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九十五話

 昼頃を見計らい協会へ突撃、窓際の木漏れ日に当たっていた筋肉を確保。

 そして……

 

「筋肉……私を弟子にして。いや、弟子にしてください」

「断る」

「38……」

「筋肉……私を弟子にして。いや、弟子にして」

「断る」

「39……」

「筋肉……私を弟子にし」

「断る」

「40……もういい加減諦めたらどうですか? マスター」

「おう、本当にな……!? 待て、何故俺が諦めないといけないんだ」

「だって以前嘆いてたじゃないですか、助手になってくれるようなのがどこかにいないもんかって。ここ最近『崩壊』の発生数も増していますし……」

 

 助手。

 もちろん戦い方を教えてくれるのなら仕事の手伝いくらいしよう、きっとそれも経験になる。

 そうなれば必然、彼へ私のスキルについても教えることになるだろうが……きっと嫌なことはしないはず。

 

「うんうん、私ならお得。言うこと何でも聞く」

 

 後ろで何やら数えていた園崎さんがすっと横入りして来る。

 しかし彼女の説得も何のその、渋い顔で決して首を縦に振る様子がない。

 何もない私にポンっとお金を払ってくれたり、全くあてにならなかったとはいえ攻略情報を教えてくれたりと動いてくれた彼に似合わない行動。

 

 どうしたものか、これは頑として認めてくれなさそうだ。

 だが私にも教わりたいほど強い人といえば彼しかおらず、あまりここで譲歩はしたくない。

 仕方ない、次の一手を考えるか。

 

「わかった……」

「おう」

「勝手についていく」

 

 もし教えるのが苦手だったとしても、後ろについて戦っているのを見れば学べることはあるはず。

 それに気の良い筋肉のことだ、直に認めてくれるだろう。

 

 

 

 筋肉の朝は早い。

 まだ日も高く昇っていない頃、服の下からでも大胸筋をぴくぴくとさせながら電車を降り、静謐に包まれた街をゆっくり歩いて協会へとやってくる。

 

 都会じゃセミは夜でも鳴くらしいがここらじゃ決してそんなことはなく、薄暗く涼しいこの時間にはまだかすかに聞こえるのみ。

 こうしてブロックの裏で奴が来るのをじっと待っていようと、日差しに体が焼けることもない。

 

 そんなとき、視界の端で輝く何かを捉える。

 筋肉のスキンヘッドだ。

 

「む……こんな朝早くに奇遇」

「隠れてただけだろ」

「な……!? しょ、証拠がない。お前の発言に私の心は深く傷ついた、詫びとして弟子にすることを要求する」

「当たり屋みたいなこと言うなよ……ブロックの端からバットが見えてんだよ、もう少し隠す努力をしろ」

 

 なんと。

 まさか相棒(カリバー)が私の隠密行動を妨げていたとは、思わぬ伏兵であった。

 だが私は寛大な持ち主、一度の失敗で怒ることはない、うむ。

 

 私が相棒をなでなでしている間に筋肉は脇をすり抜け、すたすたと協会へと向かっていく。

 もちろんちょっとしてから私も気付き、今度は別に隠密する必要もないので後ろに張り付いている。

 

 その時ふと気付いたのだが、筋肉は足音が全くしない。

 軽い衣擦れとかすかにアスファルトのカスが蹴られる音だけ、どうやってるのかは謎だが特に意識をしているわけでもなく、その歩き方が完全に身についているようだ。

 これはきっと戦闘でも役に立つだろう、耳の良いモンスターなら足音で気付かれてしまうかもしれないし。

 

「こうか……?」

 

 見よう見まねの歩き方。靴底が地面へ擦れない様垂直に下ろし、ゆっくりと上げてみる。

 

 ダメだ。

 

 多少はマシになったがしかし、やはりはっきりと音が鳴ってしまった。

 物の少ないアスファルトの上ですらこれなのだから、きっと砂利の多い場所や落ち葉の上ではもっと派手に響いてしまうに違いないだろう。

 いや待て、そもそもそういった場所は出来る限り避けるのも対策の一つなのか?

 

 ううん、考えることが多くて頭が痛くなる。

 

「かかとから付けるんだよ、かかとからつま先にかけてぴったり地面に這わせてみろ」

「なるほど……こうか……!?」

 

 背後でいつの間にかにやついていた筋肉。

 

 おかしい、前を歩いていたはずなのに。

 気配のなさはともかく彼の指示は的確で、実際にかかとから足をつければ意識せず歩いていた時とは段違い、確かに足音はめっきり聞こえなくなった。

 だがこれは……普段使っていない筋肉に刺激があるようで、非常に足が攣りそうな予感がする。

 

「じゃあ俺は先に行くから、頑張れ」

「ちょっと……待ってああああああぁぁ?」

 

 攣った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九十六話

 燦燦と日の差し込む大きなガラス、革張りの椅子と高そうなピカピカの机、その前に備えられたテーブルとソファは来客用か。

 協会の奥にある執務室に私はいた。

 

 執務室と聞けばはっと身構えてしまう硬さがある。

 しかし探索者協会と言えど所詮は田舎町の支部、大事な執務があるとき以外は割といろんな人がここに入ってきては、筋肉と軽い雑談ついでにお茶菓子を食べたりしているようだ。

 実際ここ一週間でも毎日のように誰かがここへ訪れているし、土産と言わんばかりの適当な菓子を置いていく。

 

 そう、筋肉に弟子入りを断られてから一週間が経っている。

 最初の頑として弟子にしないという態度こそ見せないものの、未だにあちらから積極的に何かを教えようといった雰囲気はない。

 だがじっくりと観察してみればその一挙一動が全て為になる、これが探索者の中でも上位の実力を持つ(?)らしい男の動きか。

 

 コーヒーカップ片手に紙を捲っていた筋肉の視線がこちらに向く。

 

「……何か用か」

「押忍」

「押忍じゃないが」

 

 私の脇に抱えられたのは分厚い本、その名も『ハルキの! 究極ナビ!』、表紙には青い武器片手にこぶしを握り締めた男の写真、今売れに売れているようだ。

 この本によれば初心者、特に弟子は師匠への返事を全て『押忍!』で答えるべしと書いてある。

 

 この本はすごい。

 難しい漢字は全く使われておらず文字もそこまで詰まっていないので、読む作業が苦手な私でも内容を容易に理解できる。

 三千円はちょっと高いかなと思ったのだが買って正解だったと思う。本屋の角で山積みになっていたのはきっと沢山売れるからだろう、在庫も十分というわけだ。

 

「そこでこれでも食ってろ」

「お……ありがとう」

 

 机の中から取り出されたクッキーの小袋。

 ぽいと放られたそれを受け取りソファに腰掛ければ『いつも』の時間が始まった。

 

 紙を捲る音とクッキーを食む協奏曲、眠くなりそうなほどの弛緩した時間。

 

 本当はもっと積極的に声を掛けたいし、戦い方を教えてほしい。

 だが私が思っていたよりずっと彼の仕事は忙しそうで、よく見せていたニカっと快活な笑顔はどこへやら、額にしわを寄せ文字を読み、忙しなくページを捲る様を見ていれば気が引けた。

 

 分かってる、私のしてることはすっごい迷惑なことだって。

 思い立った直後はなんて名案、思い立てばすぐ行動よとばかりに突撃したが、こうやって何もできず待てば待つほど次第に頭は冷えていって……強くなりたいのは事実だけれど、すぐにでも謝って他に何か手を探した方がいいんじゃないかって、頭の端で冷静な自分が語りかけてくる。

 

 沈む。ゆっくりと、深くに。

 体の端からゆっくりと血が引いて行き、自分でも思考の坩堝へと囚われていくのが分かった。

 

 ああ、駄目だ駄目だ。

 お前はいっつもそうだ、考えなしに動いて他の人にまで迷惑をかけて、あまりに遅い後悔をする。

 だから人に嫌われる……だから……だから……

 

 

 

 ジリリリリリッ!

 

 

 

 

 その時、鼓膜を叩くスマホの着信音に意識がすくい上げられた。

 

「……!」

「剛力だ。ああ――またか。場所は?」

 

 そこからは暫しの遣り取り、電話を耳に当てた彼をぼうっと見続ける。

 

 時間にして一分ほど。

 静かにそれを置いた筋肉の眼光がこちらに刺さった。

 

「崩壊の兆候を察知したらしい、今から出るが……」

「うん」

 

 

「ちょっとばかし遠出になるがお前も来るか?」

 

 

「……いく」

 

 その言葉でにわかに体が熱くなる。

 別に弟子にするとかの話とはかかわりがないだろう、単なる気まぐれなのかもしれない、一応聞いてやるかくらいの可能性が高いだろう。

 それでも、それでも其処に居ていい、そんな風に言われてるような気がした。

 

 

 特に大掛かりな準備はいらない、こまごまとしたものもあれど全て五分後には終わった。

 本当に必要なものは『アイテムボックス』へ放り込んであるし、恐らく普段からこういった生活の彼が準備をしていないはずがない。

 

 フロントで椅子に座って作業をしていた手を振り二人協会を出、電車へと乗り込む。

 相変わらずガラガラの車内、空調でよく冷えた空気が火照った体を包んだ。

 

「これから向かうのはEランクダンジョン、名前は何だったか……名前が長いんだが『草木蔓延る……いや忘れちまったわ。ともかく植物系のモンスターが多い所だ」

「植物……燃やすの?」

 

 燃やすのなら得意だ、とは言っても魔法を使うわけではない……第一私は魔法を使えない。

 燃やすというより爆発だが、魔法は使えないが魔石を砕けば爆発のおまけで火は出る。

 

 だが私の疑問に筋肉は緩く首を振る。

 曰く植物にあまり火は効かないと、油分を多く含むものならまた別らしいが。

 

「物理だ。ぶん殴るかぶった切れば解決する」

 

 なるほどね、私が一番得意な奴じゃん。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九十七話

「人いないね」

「市街地でなけりゃそんなもんだ」

 

 そんな会話と共に降りたのは、さびれた小さな町。

 朝に出たとはいえ数時間電車に揺られてきたここは中央からも大分離れていて、住民であろう人々がぽつぽつと遠くで揺れるだけ。

 流石に駅の近くだけあって小さな店はいくつかあるものの、どれもあまり客が入っているようには見えない。

 私の町に勝るとも劣らない、なかなかの過疎具合だ。

 

「ちょっとメシ買ってくる、お前は?」

「ここで待ってる」

 

 彼を見送り店前のガードレールに腰掛け、足をぶらぶら。

 

 店へ吸い込まれる筋肉と、すれ違いざまにぎょっとした顔で彼を見つめつつ親子が現れた。

 

「みて、みて! すっげー!」

「こら、人を指で指さない!」

「いって! なんだよー! あはは!」

「何が面白いの!」

 

 親と子、二つの笑顔が横を抜ける。

 どこにでもあって、私にはなかった日常。

 

 ああ、いいなぁ。

 

 勝手に目が追ってしまう。

 どこか罪悪感すら感じる、私と私じゃない人の隔たり。

 私も……私は……

 

 

 

「ハルキっ!?」

 

 

 うすぼんやりと歪んでいた視界がパンっとはじけて、突然鮮明に変わった。

 

「……っ!」

 

 先ほどまで笑顔だったはずの母親が、目の奥にひりつくほど必死の形相を浮かべ手を伸ばしているのが、やけに記憶へ残る。

 

 手に持っていた卵のパックが緩やかに空を舞う。

 届かないのに、届いても意味がないのに、それでも子供を引き戻すために。

 

 きっと特に理由なんてない、ただなんとなく。

 そう、ただなんとなく道路へ飛び出し走り出したその子の身へ、話にならないほどの巨影が襲い掛かった。

 

 トラックだ。

 運転手がゆっくりと目を剥き、慌ててハンドルを切っているのが見える。

 

 間に合わない。

 意識の片隅で理解したと同時、無意識に体は動いて――

 

 

「――!『ステップ』!」

 

 どこまでも反発的なアスファルトに靴がめり込み、轟々と風が耳を打った。

 

 どうにか飛び込んで彼の服をつまみ、頭を守るように掻き抱く。

 

 ああ、脆いな。

 

 小さな子供を抱いて過ぎった感想はどこかな曖昧なもので、少しでも力を間違えば私自身が彼を抱き潰してしまうことになると理解した。

 まだ探索者になって半年も経っていないというのに、少し走れば息が上がってしまうような体だったのに、気が付けば私の身体は随分と変わってしまったようだ。

 

 どうにか抱きかかえられた刹那の安堵。

 だが直感で分かった、抑えきれない。

 相手はまだ小学校に通っているかどうかといった年齢、それでも私の体格では抑えきれない勢いにつんのめる。

 

 誰かの叫びに野良猫が飛び跳ね、道路わきの躑躅(つつじ)へと消えた。

 

 

 うむ、仕方ないな。

 

 

「ごめんね、ちょっと痛いよ」

 

 きっと未だ何が起こっているのかも分からないのだろう、宙を彷徨う彼の瞳は私の姿を捉えきれていない。

 

 目標は花壇、柔らかな……とはいっても枝が刺さるかもしれないけれど、まあ車にぶっ飛ばされるよりは多分マシだろう。

 魔石とか魔石とか、あと魔石とか、最近は割と物を投げてきたのでコントロールには自信がある、多分。

 うん、大丈夫大丈夫。

 

 ずっと酷使し続けてきたと靴底のゴムが悲鳴を上げる。

 こりゃ買い換えだね。

 

 出来る限り優しく、しかし轢かれぬよう迅速に。

 ふわりと宙へ少年を放り投げ――

 

 

「--ふぬっ! よしんごへぎょべっ!?」

 

 私は轢かれた。

 

 

 

 妙に騒がしい、店から一歩出た剛力の眉が跳ね上がった。

 

「なんだありゃ……」

 

 緑茶を喉奥に流し込み睨んだ先には無数の人だかり、どうやら道路をみて大騒ぎしているらしい。

 

 田舎で大騒ぎが起こるだなんて相応にして厄介ごとと決まっている、さっさとこの場を去るべきか。

 そう嘆息と共に連れてきたはずの少女を呼ぶが、はたしてどういったわけか、どこにもあの目立つ金髪が見当たらない。

 とはいえちょっとばかしずれてはいるが決して悪い子ではなく、こっちの話を無視して勝手にダンジョンへ向かうと思えないのだが。

 

 ここでは昼に向かって強まるばかりな初夏の日差しがスキンヘッドをじりじりと焼き付ける、早めにダンジョンへ潜りたいと首を捻って探す彼の耳へ周囲の声が届いた。

 

『轢かれた……飛び込んで……』

『誰か救急車……』

 

「ちょっとどいてくれ! はいちょっと失礼しますよ!」

 

 一般人と探索者では力が違う、ただでさえガタイのいい男にとってそれは一層のこと。

 野次馬として集っていたそれらを軽く押しのけ踏み入ってみればやはりというべきか、件の少女が倒れていた。

 少し離れたところには中型のトラックが止まっており、フロントがべっこりと凹んだそれを見るかぎり轢かれたようだ。

 

 外傷は特になし、か。

 剛力はそっと少女を抱きかかえ確認を終えると、安堵のため息とともに『アイテムボックス』から取り出した服で枕を作り少女を寝かしつける。

 

 勘違いをよくされるが、探索者と言えど基本的に人は人。

 窒息すればそのまま死に至るし、病に侵され引退するものも多い。あくまで物理的な耐久力などが大きく跳ね上がるだけで、構造自体は変化ないのだ。

 一度に強烈な衝撃を受ければ気絶をするのも至極当然、まあ大概の怪我はポーションを飲んで解決してしまうのだが。

 

 何となしに道路へ飛び出し轢かれた……いや、違うな。

 

 野次馬とはまた異なる雰囲気を纏った親子、何が起こったのかよく分かっていない子供の頭にはまだ青い葉っぱが突き刺さっており、親は親で結城へ何かすべきかと手を彷徨わせながらも少し不気味なものを見る目で眺めている。

 意識を失った結城の手には小さな布、色からしてどうやらあの子の服の一部が切れてしまったらしい。

 

 さて、どうしたものか。

 状況は何となくわかってきたものの、それ以上に現状をどうやってまとめるか頭が痛い。

 

 周囲を取り巻くまなざしは様々、心配、恐怖、しかし最も多いのは奇異の目線。

 どうあがいても無言の肉塊になるであろう少女が傷もなく気絶しているだけ、その状況に人々の興味は津々というわけだ。

 あくまで探索者は身近な職業というわけでもなく、一般人に受け入れられることのないまま社会へ定着してしまった弊害。

 そこには暴力を徹底的に毛嫌いし、異物を排除したがる根本的な性が未だに残っている。

 

 その時、少女の固く閉じられた瞼が揺れた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九十八話

「ん……?」

「起きたか」

 

 あれ……私なんで寝てたんだっけ……?

 

 ちょっと痛む首裏をそっと撫で、横に立っていた筋肉へ首をかしげる。

 頭も痛い気がする、けれど気のせいだといわれてしまえばその程度、まあモンスターの攻撃を受けたときと比べれば大したものじゃない。

 

「取りあえずこれ飲んどけ」

「んー? んあー」

 

 彼が差しだして来たのは血というには薄い、トマトジュースを三倍程度に薄めたらきっとこれくらいの色だといえる、小瓶に詰まったそれ。

 

 なんだこれ。

 そういえばさっき店に入っていた気がする、個人で作って売っているジュースか?

 

 言われるがままに飲み込めば鼻を衝くエキゾチックな吐き気、純粋にまずい。

 

「……あ、ああ! さっきの子! どう!?」

 

 じんわりとしみ込んだそれは曇った思考を洗い流し、少し前のことを明瞭に思い出させた。

 時間は先ほどから大して変わっていない、トラックだって離れたところに止まっているし、べっこりと凹んだあれはきっと私がぶつかった後だろう。

 歩くと少し足が震える、脳インドって奴かもしれない。

 

 見回せばさっきの少年が母親に抱かれてこちらを見ている、髪に小枝が突き刺さっているのはご愛敬。

 どれ、怪我がないかくらい聞いてやろうじゃないか。

 

「ねえ、その子大丈夫……」

 

 はた、と足が止まる。

 痺れてるわけでもない、折れてるわけでもない、さっき渡された……恐らくポーションのおかげで微かにあった体の不調も綺麗になくなっているのだから。

 じゃあなんでか、それは物理的な原因って訳じゃなく、目線を上に向ければ分かった。

 

 目だ。

 母親の目、異物を見るようなそれ。

 

 私はこの感覚を知っている。

 何度も何度も味わってきた、集団に馴染めない私を見る周りの目線だ。

 多くは私を嫌っているわけでもない、ただただ距離を取るだけ……それが一番、なによりも嫌な空気を纏っているのだ。

 

「本当にありがとうございました、お礼をさせていただきたいのでこちらまで連絡下さい」

「いや……その」

「本当に大丈夫ですので! では失礼します」

 

 行っちゃった……

 

 早口でまくし立て一枚の紙きれを私に押し付けると、何か言いたげな子供を引っ張り彼女はこの場から離れる。

 最低限やるべきことはやり、今すぐにこの場を離れたいということだろう。

 なんだろう、なんというか……

 

「本当に申し訳ありませんでしたァッ!」

 

 背後から襲い掛かる威勢のいい謝罪、脳内を回っていた考えが青空に吹き飛ぶ。

 

「ひょわあああ!? え? あぇ?」

 

 こ、こいつ誰だ……!?

 

「うええっと……」

「助けてくれたのが探索者の方で本当に良かった!! 今警察に通報したんで! どうか~……それでですねェッ! 一緒に……」

 

 ああ、さっきの運転手か。

 苦手だ、すごく苦手なタイプの人間だ。

 

 どこか漂う既視感、無駄に元気で死ぬほど近寄ってくるこの性格はどうにも慣れない。

 後ろに下がろうと前へ踏み込もうとぴったり張り付いて動けない、一体なんなんだこのマーク力は。

 

 めんどくさい……逃げよう。

 

「あーうあー……いや本当に……私は大丈夫だから! 元気! ちょーげんき!? き、筋肉! 行こ! じゃあそういうことで!」

「ん? ああ、悪いな兄ちゃん、急いでるから届け出は任せるわ。連絡あったらここに頼む」

 

 

 まずはこの町の協会支部へと向かい、ボロボロの服を着替えた後のこと。

 

「そろそろ靴も変えないとなぁ……」

 

 足に伝わるゴムの劣化し、違和感と共になる擦れた音に言葉が漏れる。

 ところどころ焦げやほつれも見えるスニーカーは、私が探索者になる前から履いてきたもので見るからにボロボロ、限界の一歩手前。

 戦う以上物の消耗が激しい、服は安いシャツとズボンで使い捨てに近い扱い――琉希と買いに行ったものはもちろんあるけれど、流石にそれをすぐ駄目になる戦いへ着て行こうとは思えないーーであったが、靴もやはり確実に襤褸くなっている。

 

 私のつぶやきを聞いた筋肉が、ふと話しかけてきた。

 

「探索者向けに靴や服を下ろしている店がある、興味があるなら調べてみろ」

 

 勿論迷宮の素材を扱う特注品になるから高くなるそうだが、なるほど、市販品を買って履くよりはそっちの方が戦闘に向いているだろうしいいかもしれない。

 服も何かいいのがないかな、ずっと味気のない服のままっていうのも寂しいし。

 ついでに琉希も連れて行ったらどうだろうか。どうせ彼女のことだ、以前二人で買い物行った時と同じように、大喜びであれこれ漁るに違いない。

 

 やはり長いこと探索者をやっている人間は情報量が違う、普段一人で戦う私では他の人から聞くこともないし、そもそもあまり他の人と交流もしないからありがたいことだ。

 けれど良いことを聞いたと上がる私の気分とは裏腹に、顎に手を当て考え込んだ筋肉。

 

 ただでさえいかつい顔なのにこの雰囲気、裏で何人か殺っているといわれても誰しもが頷いてしまうだろう。

 放置しようかなと思ったのだが師匠の悩みを聞くのも弟子の務め、ここはどーんと構えて聞いてやろうじゃないか。

 

「どしたの? おなか痛いの?」

「いや……お前は良かったのか、あれで」

 

 あれ? どれ?

 

 私が全く思い浮かんでいないことに気付いたのだろう、彼は苦虫を噛み潰したような顔で続ける。

 それは先ほどの事故、そして母親の態度についてだった。

 

 めっちゃ私関係じゃん。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九十九話

「んん……まあ、助かったんだから良いんじゃない?」

 

 引っかからないところがないとは言えないけれど、一切を許せないと怒り狂うほどでもない。

 慣れてるし。

 

「それがどうしたの?」

「いや、いいなら良いんだ。今回の仕事が終わったら飯奢ってやるよ、何が食いたい?」

 

 私の疑問を覆うように伝えられた言葉。

 別に深掘りするほど気になることでもなく、少し悪くなった空気に気付いていたので敢えて乗る。

 

 そうだな、食べてみたいけど一人では入りにくかったものと言えば……

 

「……ん、焼肉食べてみたい」

「おお、焼肉な。行きつけのがあるから行こうじゃねえか。そうと決まればさっさと終わらせよう、一仕事終わらせた後の食事程旨いものもない」

 

 普段の仏頂面がかすかに緩む、よっぽどなのだろう。

 そこそこ地位が高いであろう筋肉がおすすめするのだ、間違いない来るべき未来に私も心が躍ってきた。

 

 俄然地を踏む足に力が籠る。

 よし、頑張ろう。

 

 

 無数の人だかり、昼下がりの田舎町だというのに喧騒がとどまることを知らない。

 ぴょいと跳びあがれば遠くに見える警官の顔、コーンと貼られた立ち入り禁止のテープはまるで一大事件でも起こったかのよう。

 いや、ダンジョンの崩壊が起こるかもしれないという状況なのだから一大事件というのも間違いではないのだろう、

 

「立ち入らないで―! そこ、入らない!」

 

 大変そうだなぁ。

 

 探索者の扱いはあまりよろしいものではないが、好奇心は抑えられないようで、どうにか中に入って間近で観察したいと思う民衆が押し寄せては、それを警官たちが必死に抑えている形。

 崩壊を事前に察知できただけはあり、状況はあまり逼迫していなさそうだが、それでも危険は危険、警官たちの顔も随分と苛立っている様子。

 

「行くぞお嬢ちゃん」

 

 筋肉に呼ばれ後ろへ付いていく。

 

 一般人と比べて一回り大きな身長と、その引くくらいムキムキな肉体で押しのけられてしまえば、たとえ好奇心の高まった人であろうと道を開けざるを得ない。

 むしろ関心は一気に彼の方へ向かう。

 慣れているのだろう、気にした素振りもなくずかずか警官の下へ向かえば、彼らの顔へ一抹の緊張が走った。

 

 いくつか言葉を交わした後テープが持ち上げられ、彼らに催促されるがまま奥へ進む。

 むき出しの地面、どうやら突貫で整備されたようで所々に狩り残しが蔓延っていて、端に積まれた雑草から青臭さがツンと鼻を突く。

 

「植物系のモンスターとは戦った事あるか?」

「ない」

「そうか、じゃあ毒に気を付けろ。体調が少しでもおかしいと思ったら直ぐに言え」

 

 毒、毒か。

 おなかが空いて雑草をかじった時は暫く腹を下していたけれど、きっとそれとは比にならないのだろうな。

 

「毒と言っても種類は多岐にわたる、体に悪いものを大雑把に毒と纏めてるだけだからな。だが植物の毒は遅効性……利きが遅いものが多い。漫然として気が付いたときには手遅れになりやすいわけだ」

「ふむ……」

「だから小さな症状も見逃すな。特にお嬢ちゃんは体が小さい、毒の許容量も必然少なくなる上体に回るのも速いからな」

「おす!」

「押忍はやめろ、付いたぞ」

 

 いまいちよく分からなかったけど要するに体調が悪くなったら伝えろってことだろう、多分。

 

 たどり着いたダンジョンの入り口はツタで編まれた門、周囲には私の腰ほどまで伸びた木が何本買生えていて、地面もさほど踏み固められている様子がない。

 見たところこれは普段探索者があまり、いや、それどころか全く踏み入っていない。

 

 なるほど、ちょっと納得がいった。

 

 町の人々の様子、探索者を全く見慣れていなかったのはそういうことなのだろう。

 そもそもこの町には探索者が全くいない。元々はいたけれどいなくなった、最初からいなくなったのどちらかは分からないが。

 私の町では探索者がそこそこ定着している、筋肉の存在が大きいのかもしれない、おかげでそこまで偏見が強くない。

 

 これがここの空気ということだ、吸ってもあんまりおいしくないけど。

 

「準備はいいか?」

 

 気が付けば彼が扉に手をかけ、じっとこちらへ視線を注いでいた。

 慌てて『アイテムボックス』へ手を突っ込み、相棒(カリバー)をずるりと引っこ抜く。

 手に馴染む慣れた重さ、磨き抜かれた……磨いてもあんまり変わらないけど……つややかな表面が細長く私の顔を映す。

 

 相変わらず仏頂面だな、私。

 

「あい」

「よし、じゃあ行くぞ」

 

 軋んだ音を立てゆっくりと開かれる門。

 はたしてその奥にあったのは……



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百話

「うぇ……」

「あっちぃなぁ……」

 

 じめじめとした蒸し暑さ、どこかからか猛々しい唸り声が響く。

 視界と行く手を遮る無限の緑、しかし人工の灰色に慣れた私たちにとって何と目にやさしい光景だろう……と感動することはない。

 

 そう、ここはなんとかかんとかとかいう崩壊しかけのダンジョン内部。

 門の見た目から即ちそのまま植物系のモンスターが闊歩(?)する土地であり、内部環境自体が熱帯のジャングルさながらの様相を呈している。

 

 要するにめっちゃ蒸し暑いし周りに草木しかない、ダンジョン内部なので虫がいないことだけが救いかな。

 

「はぁ……」

「少し休むか、ほら」

 

 もう一時間は延々と戦いもなく歩いている。

 面白みもなくたまらず漏れた私のため息を聞き、気を利かせた筋肉が指さす先は丁度開けた土地で、どうぞここで休んでくださいといわんばかり。

 おあつらえ向きに大きな葉っぱ(・・・・・・)が二枚広がっているし、腰掛けるのにちょうどよさそうだ。

 

 青臭い匂いからかすかに漂う甘い香り、木々の隙間から漏れた風に乗せられ私を誘う。

 きっとこれはあそこに生えた黄色い花の物だろう、迷宮内にいるとは思えない平和そのもの。

 

「いいか、こういう開けた場所はまず警戒を怠るなよ。モンスター側もこちらを捕捉しやすい上、罠が仕掛けられている可能性を考慮し……」

「あー、つかれた……ァ!?」

 

 後ろで筋肉が何か言っている。

 目の前の大きな葉へ座ろうとしたその瞬間、

 

 

 ニチッ

 

 

 視界の暗転、ぷんと一層強く漂う甘い香り。

 

『ーーー!』

 

「は? え?」

 

 体が動かない。

 なにかみっちりとぬめらか(・・・・)なものに全身が包まれていて、その上ギリギリとゆっくり締め付けられる感触があった。

 真っ暗だしなんか肌はピリピリするし、挙句にくらくらとしてしまうほど濃厚な甘い匂い、こんなところにずっといたら頭がおかしくなりそうだ。

 

「うぁ……げぇふ……」

 

 まずい……呼吸、できなく……意識……

 

「きょ……『巨大化』……」

 

 只真っ直ぐに。

 

 掌から背後をすり抜け天を穿ち、私の身体を包み込み強固に閉じられた『ナニカ』を貫くカリバー。

 頭上から零れる光、ほんのわずかに緩んだ束縛と新鮮な空気を吸い込むと、ぼんやり靄のかかった思考が多少はクリアになった。

 

 やってくれたなクソ。

 

「『アイテムボックス』」

 

 空間が生まれ自由になった指先へ伝わる温かな感触。

 いったい何のモンスターかは知らない、だが魔石というだけで今は十分価値がある。

 全力で握り締めたその時、薄暗い小さな空間へ光が溢れ出した。

 砕ける音が手に伝わり、耳を劈き暴力的なまでの爆発音が耳の奥底へ雪崩れ込んでくる。

 

 爆破の一瞬広がった空間の真ん中、私は…… 

 

 

「ああああああ! うるさああああ!? 『ストライク』ッ!」

 

 

 全力でカリバーを振り回した。

 

 

「うおっ、出てきた」

「あ、筋肉」

 

 私を包んでいた草をげしげしと踏みつつ外へ抜け出すと、何やら身構えた筋肉の姿。

 曰く私を助け出そうとしていたようだが、まあこの程度私にかかれば簡単に対処できてしまうので何の問題もない、鳥取クローという物だ。

 

 ふふん、まあ余裕よよゆー。

 

――――――――――――――――

 

種族 バジリスクキラー

名前 イレイ

 

LV 1000

HP 5003/10024 MP 1021

物攻 1087 魔攻 3475

耐久 9085 俊敏 754

知力 43 運 11

 

――――――――――――――――

 

 それにしても私を包んでいた葉っぱ、どうやら一枚だけではなく何枚もが折り重なっていたらしい。

 モンスターではないかと思っていたのだがやはり、しかし今まで戦ってきたモンスターのように知的な行動をしてくるというわけでもなく、やはり植物というわけだろう。

 上の葉っぱはぐちゃぐちゃだというのに体力はいまだ半分以上残っていて、ここもやはり私の知っている植物同様、葉っぱが切り取られても根っこが残っていれば問題ないのか。

 レベルこそ低いがなかなか侮れないモンスターだ、多少レベルが高い程度であれば難なく食われてしまったかもしれない。 

 

 んー……ばじりすく……たしかイタリアンの奴に乗っかっている葉っぱだっけ。

 食用みたいな名前して随分とえぐい攻撃をしてくれたな、おらおら。

 

 

 残ったはっぱをげしげしと蹴っていると、筋肉が微妙な顔つきでこちらを見ていることに気付く。

 

 

「--いつもこんな無茶な事してるのか」

「ん? 何が?」

 

『合計、レベルが3上昇しました』

 

「……はぁ、取りあえず服着替えとけ」

 

 指摘されて下を見れば爆発の勢いでお腹のあたりの服が吹き飛んでしまったらしい。

 

 なにか顔を赤らめて言われたのならまた別の話だが、淡々と指摘されてしまえば私も特に反応することもない。

 まあ琉希のように普通の成長をしているのならともかく、私の身体を見てそんな反応をされても困るのだが。

 

 そんな感じで着替えた私と筋肉、そしてモンスターの居なくなったそこでしばしの休憩が始まった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百一話

「んぐ……んぐ……ぷはっ」

「ほら、塩飴だ。ミネラルや塩分の補給もしっかりしろ」

「ん、ありがと」

 

 カラリ、コロリ。

 軽やかな音と共に広がる酸味と甘み、そしてわずかな塩味が口内に残るお茶の苦みや渋みを覆っていく。

 塩飴という物は普段食べると妙に塩辛くおいしいと思わないのだが、こうやって運動した後にはこの酸味や塩味が心地よく感じてしまうのはなぜだろう。

 

 しばし無言で飴を転がし静かな休息。

 温い風ではあるが木々を抜けるそれが汗に吹き付け、多少なりとも清涼感を与えてくれるのが嬉しい。

 とはいえ……流石にずっと無言というのも寂しい。

 

 でも私そんな会話上手じゃないんだよなぁ。

 あのうるさい琉希が今は恋しい、彼女がいればきっとうまく話題をつないでくれただろうに。

 

 あ、そうだ。

 

「ねえ」

「なんだ、飴もっと欲しいのか?」

「もらう……じゃなくて、筋肉って探索者じゃなかったら何になってたの?」

「そうだな……教師にでもなっていたかもしれん」

「へえ……」

 

 筋肉が教師か……

 

 シャツやスーツがパッツパツになるほど鍛えられた筋肉、光る坊主頭、無駄にさわやかな笑み。

 

 うーん

 

「似合わないね!」

「やかましい。普段むすっとしてる癖にこんな時だけ笑顔になるんじゃない」

 

 ぺちんと額へ一撃。

 

「あだっ……えへ、ごめん」

「ったく……お前は随分と軽口を叩くようになったな。そんだけ余裕があるならもう十分だろ、行くぞ」

「えー」

 

 小型の椅子や散らかった雑貨、器具などが畳まれては彼の『アイテムボックス』へ収納されていく。

 流石は協会の関係者、レベルもそれ相応の物はあるようでみるみる吸い込まれていき、私のしょぼいそれとは比べ物にならないほどの量をすべて仕舞い込んでしまった。

 どうやら休息はここまでのようだ。

 

 本当はもっと喋っていたかったけど、そうこう言っていられる状況ではないのも理解できる。

 

「協会の情報によればここはEランクのダンジョン、確認されている最大レベルは700前後。しかし先ほどのモンスターは……」

「1000、だったね」

 

 Eランクは500から1000のレベルまでが目安であり、先ほどのモンスターはその上限ギリギリ。

 確かに過ぎてないとはいえ、このような何気ない場所にいる――その上能動的に動かないようなモンスターですら高レベルともなれば、恐らく全体のレベル上昇は既に始まっていると考えていいだろう。

 

 脳裏に過ぎる炎来の記憶、モンスターが共食いによって瞬く間にレベルが上がっていく姿。

 

 まだEランクだなんて暢気な事を言っていられない、あっという間に上昇は終わりすぐに本悪的な崩壊が始まってしまうだろう。

 それを食い止めるためには早いうちにボスを探して倒さねば。

 

「でもここすごい広いよ、迷っちゃうんじゃ」

「ボスエリアの方向は既に把握している、情報も提供されてるしな。それに道に迷ってもほら」

「あ……」

 

 彼の指さす先をしばし観察したのち、ぴんと来た。

 よく見てみれば私たちが通った後の草だけがよく踏みつぶされて、うっそうと木の茂る森の中でもはっきりと見える程の道となっている。

 私は筋肉の後についていっただけだから全く気が付かなかったが、しっかり踏むことで痕跡を残していたのだ。

 

 これなら多少時間を喰うことにはなるが戻ることは可能、たとえ迷っても分かっている場所から再スタートを切れる。

 

「本当はもう少し開けたルートがあるしこんな獣道通らないんだがな、相当遠回りになる。ここへ着けたのは正確に一直線でボスエリアへ進めた証左だ、数時間以内に決着をつけられそうだ」

「わかった」

 

 いつもこういうことやってるのかな……やってるんだろうな。

 目につかないほど自然に行っているということはそれだけ手馴れているということ、彼にとってこの行為は何も特別な事でなく至極当然な日常ということだ。

 きっと私が気付いていないだけで他の安全マージンも取っているに違いない。

 

 私も手伝うか。

 

「ふん、ふん」

「……突然ジャンプし出して何してんだお前、体力が有り余ってるのか?」

「なんで!? 草踏むの手伝ってあげてるんじゃん!」

 

 人が素直に感心したのに何たる言われよう、そんなに私が突然理由もなくジャンプをするような人間に思われてるのだろうか。

 

「ああ、お前は体が小さいから効率が悪い。無駄に体力を使う必要もないだろ、俺の後ろにいろ」

「ーーーっ!?」

 

 ひ、人がほんの、ほんのちょっとだけ気にしていることを……!

 見ておけよ、私は別に体が小さかろうとどうとでも出来るんだからな!

 

「もう! 『巨大化』! おおおおりゃっ! 『スカルクラッシュ』!」

 

 密林に響く重厚な衝撃波。

 アルミの巨木が開くのは一つの大きな道、芽生えたばかりの木も、背丈ほどある草も、なにもかも叩き潰してまっ平にしてしまう。

 

 ふっ、私にかかればこんなもんよ。

 

「あのなぁ、MPはなるべく温存して」

「どう!? どう!?」

「……ハァ。お嬢ちゃん、よく見ておけよ? 『アイテムボックス』」

 

 呆れた表情を愉快げに塗り替えた筋肉はぬるりと、一本の巨大な剣を取り出す。

 それは無骨そのもの。何か装飾があるわけでもなく、肉厚で鈍い輝きだけがかの大剣を飾っていた。

 

 でも、似合ってる。

 

 名前も知らないその武器は彼の生きざまそのものであった。

 ダンジョンに入ってからいつもの陽気な様子はどこへやら、常に真剣な表情を宿していた彼の顔がにやりと歪み叫んだ。

 まるで人間の本能、生物の衝動を開放するように。

 

「ぬぅッ! 『断絶剣』ッ!」

 

 暴風……!?

 

 草木が、髪が、世界そのものが巻き上げられる。

 たった一度、なんとなしに彼の振り下ろした大剣はいっそ理不尽なまでの暴力を撒きちらし、飛び出した衝撃波は一直線に深々と森を切り刻んで猛進していく。

 

 絶対強者。

 ああ、これが探索者の頂点に立つ存在なのか。

 私なんか到底追いつけていない、絶望的なまでに彼と私の力は差があるのだと嫌でも理解してしまう。

 

 そして最後には、一つの道が生まれていた。

 

「ふっ、俺の方がもっと長く切り開ける」

「……え!? それだけのために出したの!? 心狭っ!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百二話

 ダンジョンの環境は破壊されても勝手に治る。

 勿論壊された直後何事もなかったかのように復活するわけではないが、数日、或いは数週間、ふと気が付いたときには元通りになっているのだ。

 それを利用して産業に活用できないかも考えられているらしいが、内部の危険性などから未だ主流となることはない。

 

 と、まあそういうことは置いておき

 

「やり過ぎちゃったね……」

 

 そうつぶやいた私へさわやかな風が通り抜け、優しく頬を撫でていく。

 

 山の上の方で見る展望は絶景だ。

 普段私たちが見るような森とは様相が随分と異なり、青々とした木々はここから見ても巨大なものだと分かる上、にょろにょろとした謎の巨大な花があちこちに飛んで(・・・)いる。

 

 あれモンスターなんだろうなぁ。

 

 だが何よりよく目立つのは、ここまで続く一直線の巨大な破壊痕。

 

 そう、私と筋肉によって刻まれたものだ。

 最後らへんは『スキル累乗』までバシバシ使ってしまったのでMPが半分を切ってしまっている、まあモンスター自体がここは弱いのでそこまで問題ないけど。

 

 いや違う、本当はここまでするつもりなんてなかった。

 けどちょっと熱くなりすぎてしまったのだ、私は悪くない。

 元と言えば私が草をなぎ倒してあげたというのに、私よりレベルも年齢も上のくせして無駄に意地を張ってスキルを飛ばしたあいつの方が悪いのだ。

 

「だめだよ筋肉、ちょっとは自重しないとさ」

「なんでだよ! っと、低くしろ」

 

 軽く頭を押さえられ素直にしゃがむと、ヒュンと小さな風切り音。

 

 私の頭があった場所に彼の腕が伸ばされ握られていたのは、手のひらほどはあるだろう蛍光ブルーの()られた何か。

 かすかに甘い香りがする。

 

「あれか」

 

 目に見えぬほどの速度で振られた彼の腕、それから遅れるようにして破裂するような水音が響き、何かの塊が空から落ちる。

 

「モンスター?」

「ああ、花びらを細く撚って飛ばしてくるらしい。事前に聞いていた色とは違うが、レベルや種族が変わった影響だろう……まあそれはそうとして、このぶっ壊された森を誤魔化すいい案がある」

 

 ピン、とその太い人差し指を立たせ吊り上がる口角。

 下種い顔だ。顔面狂気と言っても過言ではなく近くで見れば子供は泣いてしまうに違いないこんな顔をするなんて、よほどとんでもない企みに違いない。

 そう、例えば……

 

「協会の人埋めちゃうの……?」

「埋めるわけあるか! これはボスが暴れたんだ、なかなか強大なやつだった」

「え?」

「これはボスが暴れたんだ、分かったか?」

 

 なるほど。

 

「よかった……まだ私は殺人犯にならないで済むんだ」

「ったく、アホな事を言うんじゃない。探索者が表でんなこと言ったら大事になるぞ」

「えへ……じゃあ行こ」

「おう」

 

 勿論この山に登って来たのはのんびり森を観察するためではない。

 このダンジョンにはいくつかこういった山があるのだが、そのうち一つの頂上丸々がボスエリアとして扱われており、ここはその限界ギリギリ。

 一歩踏み入れば抜け出すことは出来ない、生きるか死ぬかの戦いが始まってしまう。

 

 当然適正レベルでの話であり、私たちにとってはまあ大した敵ではないのだろうが。

 

「じゃあパーティ組むか」

 

 ずいと差し出された片手。

 ここのモンスターはレベルも低く互いに大したうまみはないのでパーティを組んでいなかったのだが、ボスエリアに入るとなれば別。

 そもそもパーティを組んでいなければ同時に入ることはできない上、筋肉が倒してしまえば彼は外へ転送されてしまい、私だけが置き去りだ。

 

 それはちょっと嫌だ、別に来た道をたどればいいのだけれど。

 

「あ、ちょっとまって」

 

 と、危ない。

 つい癖で他のスキルに掛けた後もすぐ『スキル累乗』を『経験値上昇』に戻してしまうのだが、他の人とパーティを組むのなら外しておく必要がある。

 まあ先ほどちょっと『累乗スカルクラッシュ』をパンパカ飛ばしたりしてしまった気がするが、互いに熱中してたし無数にあるスキルを把握しているとも思えないので大丈夫だろう……多分。

 

 別に低レベルのモンスターの経験値、彼からしたらするめのいかだだろうが何があるか分からない。

 それに協会の皆に怪しまれるのは嫌だ。

 

 そして数瞬後、彼に聞こえないよう小さく唱えスキルの変更は恙なく終わった。

 

 シダやつやつやの葉が足元を屯す今までの場所とは異なり、ここから見えるボスエリアはどうやら水辺のようでサラサラとかすかに水の流れる音がする。

 山なだけありちょっと高いというのもあって先ほどまでのじめじめ蒸し暑い環境から一転、清涼な風が時折吹くのも悪くない。

 

「行くぞ」

「うん」

 

 ついに私と筋肉、弟子(?)となってから初めての本格的な戦闘が目前へとやってきた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百三話

 涼しい。

 

 意気揚々と踏み込んだ水辺にはモンスターの影もなく、穏やかな水面にはバラのようにも見える小さな花と、私が親分ですとでも言いたげに揺れる親玉の蕾が一つ暢気に浮かんでいる。

 動くものは風に揺られる周囲の木々と木漏れ日だけ。

 そういえば水辺は常に風が吹くと聞いたことがある、きっとこの頬を撫でる風もそのおかげなのかもしれない。

 

 ともすれば絵画の一面として切り取られてもおかしくない、幻想的でのどかな風景だ。

 

「あれ絶対そうだよね」

 

 だが、私はなんとなく察していた……池のど真ん中にある私たちの身長を優に超すほどデカい花がただの風景ではなく、大方ここのボスであろうことは。

 

 だってこいつだけ一つだけ濃紺のすっごい禍々しい模様が花びらに描かれてるもん! めっちゃ怪しい! めっちゃ怪しいよアレ!

 

「『鑑定』」

 

――――――――――――――――

種族 パラ・ローゼルス

名前

 

LV 4000

HP 90321 MP 5066

物攻 26033 魔攻 36043

耐久 59087 俊敏 3021

知力 21000 運 11

――――――――――――――――

 

 見た目は巨大なバラの花、もう巨大薔薇でいいよね。

 

 レベルはEランクを軽々飛び越えDランクの中でも中堅程度、多くの探索者が命の危険からある程度稼げるE、Dランクより先に進まないことを考慮すれば、ボスとしてステータスの飛びぬけているこのモンスターを倒せるか怪しいだろう。

 崩壊寸前の炎来と比べれば当然見劣りするものの、気を抜ける相手ではない。

 

 ちらりと横へ視線を向ける。

 

 ここでは筋肉がリーダーだ。二人で一気に攻めるのか、彼一人に任せるべきなのか。

 暫し静寂の中で顎に手を当て目を固く閉じた後、彼は……その大剣をアイテムボックスへ仕舞ってしまった。

 

 

「行ってみろ」

「……あい、『ステップ』」

 

 ドンッ!

 

 爆発的な加速、限界までの肉薄。

 前へ前へと体を押し上げる馴染み切ったその動きは、のんびり揺蕩う巨大花の枕元へ驀進させていく。

 相手も何かが接近してきたのに音か、或いは振動で気付いたようでがく(・・)を震わせゆっくりと花開きだすが、ちょっとばかり気付くのが遅い。

 

 

 おはよう、そして――

 

 

「まずは一撃ッ! 『スカルクラッシュ』!」

 

 挨拶代わりの一撃を叩きこむ!

 

 そのまま花びらを叩き切れるかと思ったのだがそう上手くもいかないようで、肉厚なそれを一部千切り取った程度でカリバーの勢いは押し殺されてしまい、足場もなく宙にぶら下がる。

 我ながら中々綺麗な開幕の一発を入れられたと感じた……が、単純に威力不足であったようだ。

 その間にも花びらははらり、はらりと広がっていき、同時に激しい水音を立てて水面が遠ざかっていくのが見えた。

 

 浮かんで……!?

 何して来るか分からないし、暢気にここでぶら下がってもいられないか。

 

「よっと! 『ステップ』」

 

 ちょうどいい深紅の壁が目の前にあるので遠慮なく足を叩きつけ、カリバーを引っこ抜きつつ撤退。

 漸く地面へと降り立った私の頭上には不思議と威厳に満ち、何か物語の神殿や王城を象徴していると言われても頷いてしまう壮大な薔薇が一輪、幽雅に漂っていた。

 

 た、高い……やっちゃったなぁ。

 あんな高くに飛ぶなら飛び降りずずっと上に乗っかって殴っていれば良かった、完全に失敗じゃないか。

 

 くるり、くるりとまるで地べたを這いずる私を煽るかのように右へ左へ回転しては空を舞い、何かキラキラしたものを降らせる巨大薔薇。

 勿論降りてくる気配はない、無駄に煌びやかな見た目をしているくせに汚い作戦だ。

 私は帰って筋肉と焼肉に行くのだ。そちらがそのつもりならこちらから行くまで、幸いにして弾は近くにたくさんあるのだから。

 

 そう、この水辺に浮かぶ小さな花たちも大方お前のお仲間なんだろう。

 

 近くにあったそれをひとつ掴み上げ、びたーんと勢いよく地面に叩きつければ光へと変わっていきみゃはり花たちの色と同じ薄紅色の魔石が転がった。

 レベルは低そうだが十分だ、爆撃には使えるだろう。

 

「おらおら! 降りてこいこりゃ! 降りてこないと落とすぞ!」

 

 子気味良い音に合わせ砕けていく魔石たちは輝きを纏い、空中へと散らばって母親の下で爆発四散していく。

 一つ打てはもう一つ、無数にある花たちは兄弟が爆発する姿を目の当たりにしつつ逃げる様子もなく――もしかしたら意思がないのかもしれない、魔石はあるのに――私の手によってかき集められては叩き潰され魔石を遺して消える。

 いくら投げても魔石はそこらに浮かんでいるものだから気持ちがいい、無料でバッティングセンター気分なんてお得だ。

 

 気分は青春野球部、汗の代わりに池の水が吹き飛ぶ。

 次第に一つ一つでは物足りなくなってきたので、がさっと手に掴める分一気につかみ上げ頭上へ放り投げる。

 

「『巨大化』 ……んんんんんっ! っしょぉ!」

 

 太く長くなったカリバーによってまとめて空へかちあげられた魔石たち。

 勿論てんでズレた方向へ飛びかける魔石もあるのだが、他の爆発に巻き込まれることで連鎖的に反応していき、結局は巨大薔薇へとダメージを与えたり兄弟を爆散して新たな魔石が転がる。

 砕く快感、爆発の轟音。

 

 えへ、超気持ちいい。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百四話

 しばし爽快な爆撃ゲームを楽しんでいたのだが、

 

「あれ?」

 

 魔石の供給源(小さい花達)が尽きた。

 あれだけ一面に咲き誇っていたというのに、今では私の手によって無残に荒らされボロボロになったやつらが、モノ悲し気にいくつか浮かんだり転がったりしているだけだ。

 いうなれば心無い人によって踏みつけられた花畑、或いは連続植物倒壊事件とでも銘打たれそうな光景が広がっている。

 

 なんだろう……モンスターなはずなのに突然物凄い罪悪感が湧いてきた。

 あれ? 私悪くないよね? 生きてるかも分からないモンスターなんだよね?

 

 突如として心に湧いてきた良心の呵責、興奮が冷めふと冷静になってしまった人間というのは、どうしてこうも気づかなくていいことに気付いてしまうのだろうか。

 しかし私の都合などモンスターは気にせず……というよりは攻撃の手が止んだからというだけなのかもしれないが、ここにきて漸くゆっくり降下を始めた。

 

「『鑑定』」

 

――――――――――――――――

種族 パラ・ローゼルス

名前

 

LV 3000

HP 70273/90321 MP 3066/5066

物攻 26033 魔攻 36043

耐久 59087 俊敏 3021

知力 21000 運 11

――――――――――――――――

 

 ええっと、いち、に……2割くらい? 長々と派手にやった割りにはあんまりダメージ入ってないなぁ。

 いや踏みつけて死んでしまうほど弱いモンスターの魔石で二割削れたのだから、相当ダメージが入っている方なのかもしれない。

 まあ自分から降りてきてくれるならこちらも動きやすいけど。

 

 先ほどの手ごたえからして外の花びらに攻撃しても大した影響は与えられなさそう、か。

 それなら……

 

「よっと」

 

 丁度3メートル程度の高さまで降りてきたので、距離をつけ駆けて跳びあがる。

 直径は20メートルはあるかもしれない。足でしっかり上に立ってはっきりと感じるのはその大きさと、鼓動しているかのようにも感じられる振動。

 所々に散らばっている黄色いものは花粉だろうか、先ほどまき散らしていたものもこれなのだろう。それにしても流石の大きさだ、紅く肉厚な花弁はその私程度が飛び乗ってもびくともしない。

 

 この花で押し花作ってみたい、町のモニュメントに出来ないかな。 

 

 だが何故だろう、巨大薔薇は花弁の上で歩き回ろうと全く私を振り落とそうとしない、それどころか再度浮遊して愉快な空中旅行まで始める始末。

 こういう時は何か目論んでいるだろうことは既に経験済みだ、簡単に気を抜いていてはいけない。

 一番怪しいのは……花の真ん中、おしべとかめしべとかがあるところだろうか。

 

 実際既に状況は大きく動いていたし、モンスターによる攻撃は始まっていた……そう、注意がおろそかになった私の足元へと。

 

「ひゃ!?」

 

 引きこまれ……!?

 

 気付いたときには既に足首へ食い込む太く硬い黄金色の触手。それは花びらの隙間と隙間、私の横から巻き付いていた。

 足元を掬われた人を転がすのはなんと容易いことだろう。近くで見れば細かくやわらかな毛の生えた花びらは非常によく滑り、掴む場所のないまま無慈悲に体は引き摺られていく。

 一本、二本、三本……腕を、足を、胴体を動かせぬよう次々に襲い掛かってきては縛り付け、強烈な力で体を花の中央部へと牽引されてしまう。

 

 嘘、触られた感覚も、巻き付かれた衝撃だって全く感じなかった……!

 現に今だって……まさかこの花粉、麻痺的な成分が……!?

 

 遅い気付きだが既に体の半分は花の隙間へと入り込んでしまっていて、水に濡れたおかげもあって全身に纏わりつきやすくなった私の身体は既に黄金色へと染まってしまっていた。

 

「あっ、カリバー……!」

 

 挙句の果てには意識の隙を突き、右手に握り締めていたカリバーすら巻き取られ、花の中心へ放り投げられてしまう。

 

 くそ、体の感覚が……

 

 

 だんだん……なくな……って……

 

 

 

 

 

 

 

 ないけど問題ない、すごいよく動く。

 

「あれ?」

 

 ぶちっ

 

 ちょっと違和感があったので力を込めて右腕を曲げれば無慈悲に千切れる触手。その瞬間まさか千切れるとは思っていなかったのか、他の触手の動きもピタリと止まった。

 

 あれ? なんで? 普通こういうのって動けなくなるものなんじゃ……まあいいっか。

 よくよく考えれば私はレベルがこいつより相当高い、転ばされた時はビビったが落ち着いてみれば余裕をもって戦える相手だ。

 ちょっと慎重に考え過ぎたのかもしれない。

 

 感覚は麻痺しているのだが体は動く、考え方を変えれば痛みを感じないということで、これはある意味利点ですらあるのかもしれない。

 ぶちぶちと触手を千切りつつ外に出れないかと足をバタバタしてみるが、よく滑る表面の影響で逆に体は内側へと飲み込まれていく。

 一度下まで行ってしまって花びらの隙間から抜け出すしかないのだろうか……いや、待てよ。

 

 確か私が引きずり込まれたのって、花の中心近くだったよな。

 

「んしょ、よいしょ……っと」

 

 重く大きなそれを押しのけへしのけ進んでいく。触手が上下から私を捕まえようと巻き付いてくるのだが、無視して引っ張れば容易く千切れてしまうので何の障害にもならない。

 花弁は根元から外に向かって広がるはず、根元へ続く方向をたどって進んでいけば……

 

「やっぱり! よしよし、今日の私は冴えてる」

 

 想像通り、突如として広々とした空間が広がった。

 ど真ん中に突き出るのは巨大な柱と、それを囲うように突き出すいくつもの細いそれ。花の中心にたどり着いたのだ。

 そしてその根元にはもう、見るからに弱点ですよと言わんばかりのプルプル柔らかそうな部位。

 ついでにそのわきにはどうぞこれでお殴り下さいませと言わんばかりに、先ほど奪われてしまったカリバーが転がっている。

 

 これはサンドバッグにしてくださいってことだよね、間違いない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百五話

「どっ……こいしょっ!」

 

 ビクッ!

 

「よっこいしょぉっ!」

 

 ビクビクッ!

 

 ドラマー私によるソロリサイタルは大盛況だ。

 カリバーを激しく叩きつける度、薔薇君は歓喜に体を大きく震わせ謎の体液をまき散らして大喜び、私へ近づく触手たちもノリノリで七転八倒している。

 あまりにがいいものだからついついこちらも熱中してしまう、きっと彼らはこのために生まれたに違いない。

 

 だがまあ、これくらい殴っておけばそろそろ良いだろう。

 あまり『スキル累乗』による攻撃スキルは強烈だが、その分反動も激しいので一撃で仕留められる程度に削っておきたかった。

 

 呟きと共にスキルの対象は『スカルクラッシュ』へ、最期の一撃を放つための準備は整う。

 

 仄暗い静寂、私の吐息だけが朧げに空気を震わせる。

 

 

 

「ふぃ……これで決めえええっっとっっとぁ!?」

 

 

 

 想定外の変動。

 俄かに世界が猛烈に掻き乱され、まともに立っている事すら危うく膝をついてしまう。

 

 浮遊感、天地がひっくり返り薄暗かった世界が光に溢れた。

 残念ながらそう長く叩いていられるわけではないようで、突如として周囲が激しく上下し薔薇の外へと放り出されてしまったようだ。

 

「おう、大丈夫そうだな」

「あ、筋肉……?」

 

 背面から飛んできた声に振り向けば、いつの間にか取り出していた折り畳みの椅子に腰掛け、のんびりお菓子をつまんでいる筋肉。

 横にはペットボトルのお茶まで置いてある、完全にリラックス状態だ。

 崩壊しかけのダンジョン、さらに言えばボスエリアという戦いの地にあるまじき光景に唖然とする。

 

「まあ『鑑定』で状況は把握してたからな、危険そうなら助け出してたが……」

 

 問題はなかった、と。

 それでいいのか、私は本当にこれに指南してもらっていいのか、浮かびかかった疑問へ無理やり蓋を乗っけ押しつぶす。

 これはそう、信頼の証なのだ。この程度の敵には負けないという信頼、だから彼は動かなかったのだ。

 いや待て、思えば最初の頃からあいつ結構適当な奴だった気がするぞ……本当にこいつの弟子になって正解だったのだろうか……今からでも他の人の下に行った方が……

 

 いやいや、まだ戦いは終わっていない、無意識に渋く顰めてしまった顔へ冷静さを被せ前を向く。

 

 

――――――――――――――――

種族 パラ・ローゼルス

名前

 

LV 3000

HP 30223/90321 MP 1035/5066

 

――――――――――――――――

 

 ああ、くそやっぱり結構残ってる。

 

 私もあの薔薇も互いにどちらかと言えば耐久の方が優れている、レベル差は四倍ほどあれどボスであることもあって瀕死まで追い込むには足りなかったようだ。

 先ほどの『スカルクラッシュ』さえ叩き込めていればまた違ったものを、削りに熱中せず早々に切り上げて一発叩き込んでしまった方がよかったかもしれない。

 

―――――――――――――――――

 

結城 フォリア 15歳

 

LV 13344

HP 20446/26690 MP 56188/66725

 

―――――――――――――――――

 

 当然HP、MPともに私の方が有利。

 ……一気に攻めるか。

 

 

「よし……『ステ」

「おっと、待て待て」

 

 ブチっ

 

「いったぁ!? な、な、何すんの!?」

 

 『ステップ』で飛び出した背中に走る激痛。

 感覚が麻痺していたはずの身体にそれはあまりに強烈で、無意識のうちに出た涙と共に犯人を睨みつける。

 

「お前気付いてなかっただろ」

「え……なにそれ、雑草?」

「お前の身体に生えてるんだ、大方さっき植えつけられたんだろう」

 

 彼の手に握られていたのはひょろりと細長い植物の芽。

 しかしただの草ではないらしくつい数秒前まで青々としていたにも拘らずあっという間に萎び、色褪せ塵となって風に吹かれ消えてしまった。

 

 指摘に慌てて全身を見れば腕、肩、頭とあちこちに似たような青い芽がうぞうぞと蠢き犇めき、静かだがはっきりと目に見える速度で伸びていくことに気付く。

 

 気持ち悪……!

 

 あまりの悍ましさに半ば狼狽し引っこ抜くが、あちらこちらに生えていてすべてを取り除くのは難しい。 

 

 

「うええ、ちょっ、き、筋肉! 背中の取って!」

「注意不足だな、それに時間だ」

 

 パニック状態のまま涙目で抜こうと転がる私を背に、ここで遂に大剣を構える彼。

 

「『断絶剣』」

 

 刹那、轟と一陣の風が吹き荒れ、遅れてゆっくりと巨大薔薇が真っ二つにズレ落ちた。

 

 一撃。

 そこまで力んだ様子もない、なんとなしのたった一撃で決着はついた。

 

 戦いの地にあるまじき姿?

 違う。彼にとって戦いですらないのだから、必然力む必要もないのだ。

 

「あ……枯れた……」

 

 それと同時に私の身体を蠢いていた木の芽も綺麗さっぱり枯れ果ててしまった。

 どうやら本体が枯れることで種のこれも能力を失ったらしい。

 

 その大剣をゆっくりと虚空に差し込み素手になった男は、真っ白な歯を見せ私の頭に手を置きこういった。

 

「まあまあよくやった、65点といったところだな」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百六話

「うー……」

 

 ……悔しい。

 

「どうした、そんなに俺が倒したのが気に喰わんのか」

「そりゃそうでしょ! 何で倒しちゃったの!」

 

 いったい何の問題があるんだと言わんばかりの飄々とした顔。

 

 体力だって十分余裕があったしMPだって勿論、あの程度倒すのに何の問題もなかったはず。

 確かに全身へ植物が伸びていたのに少しパニックを起こしてしまったが、なにも途中で倒してしまうなんて……

 やっと良いところを見せられると思っていたのにこれか、本当に無様な姿だ。

 

「そんなに私……ダメだったのかな……」

「うえ!? 嘘だろ!? な、泣くなって!」

「泣いてない……!」

 

 ああ、まただ。

 またすぐにそうやってアタシは泣いて逃げようとする、現実を飲み込まずに流されてしまおうとする。

 そんなんじゃ状況は何も変わらないのに……だからお前は駄目なんだ。

 

「ほら泣くな泣くな、飴やるから」

 

 尖らせた口へカラリと甘味が転がった。

 

「んん……子ども扱いするな」

「ま、泣くほど悔しいがることは本気の証拠だ。良かったよ、お前がそれくらい本気で俺に嘆願してきたってのが分かってな」

「……髪ぐちゃぐちゃになるからやめて」

「ガハハ! 照れるな照れるな!」

 

 それからは私の不機嫌な声と、好き勝手に頭を撫でる筋肉の誤魔化すような笑い声だけが暫し続いた。 

 

「別にお前が倒しきれんとは思っていない、恐らくあの後一人でもなんとかなっただろうな」

 

 微妙な笑み表情を浮かべ筋肉は続ける。

 

「じゃあなんで!」

「まあ落ち着けって、こっちだって好きで横槍を入れた訳じゃない。俺はお前の師匠なわけだ……師匠ってのはちとむず痒いが、弟子の悪い点を矯正するのが役目だろ?」

「それってつまり……」

「ああ、お前の欠点がいくつか(・・・・)見えたから止めた」

 

 だからそう気に病むな、これから治していけば良いんだからな。

 そういって彼は白い歯を見せつけ笑った。

 

「そろそろ時間だ、戻るぞ」

 

 気付けば彼の身体はゆっくりと光が増していき、いつの間にか巨大薔薇の死骸も綺麗さっぱり消え失せていた。

 よく見ればボスの居たところには小さく光る黄色い小瓶と深緑に輝く魔石が転がっていて、そういえば今回は『経験値上昇』に『スキル累乗』を使っていなかったと思いだし慌てて拾い上げる。

 

 まだ心のもやもやは無くなった訳じゃない……けれどいつの間にか涙は引っ込んでいた。

 

 

 私たちがダンジョンから姿を現したその時、警戒を孕んだ突き刺さるような視線が交差し……

 

 

『うおおおおおお!』

 

 

 筋肉が右手を突き出した瞬間、歓声が爆発した。

 

 

 そこにいたのは武器を構えた人々、どうやらモンスターの氾濫に備えていたらしい。

 奥の方には一般人らしき人も見えるが果たしてその程度の距離になんの意味があるのだろう、もしモンスターが溢れ出したらあっという間に距離を詰められて殺されてしまうと思うのだが。

 

 崩壊寸前のダンジョンから何かが出て来た時、それは食い止めることが出来たか完全に崩壊が始まってしまったかの二択だ。

 私たちが無事に出てきたことで食い止めることが出来たと理解し、安堵と歓喜が極まったのだろう。

 

 その後は彼が人の群れに飲み込まれたり、まあ色々忙しない状況で指示しているのを私は横で眺めていた。

 たまに押し流されそうになるも足元を潜り抜け横に戻ってこられたのは、幸か不幸か私の身長が低いおかげだ。

 

 

「ところでその子は……?」

 

 

 心臓が跳ねる。 

 

 今まで横の筋肉の塊へ向いていたはずな無数の視線が、突如として一斉に私の方向へ飛び掛かってきた。

 人にこうやって見られるのは苦手だ。無意識に後ずさりし体を隠そうとするが、残念ながらここに何か隠れる場所はない。

 

「ご、誤魔化して……」

「ああこの子か。俺の弟子だよ、強いぞ」

「……ちょわっ!?」

「お弟子さんでしたか! 私~~~~の~~~でして、~~~……」

「うあ……えっと……その……」

 

 ただでさえまとまりきっていない感情の中に恥ずかしさやらなんやらが次々に乗っかり、話しかけられている内容が全く、一ミリも頭の中へ入ってこない。

 入った直後どこかへ流れていく気分だ。

 何!? なんて言ってるの!? ああもう無理!

 

「もう帰る!」

「あっちょっと……!」

「ちょっと恥ずかしがり屋でな、まあこれからよろしく頼むよ」

「はぁ……」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百七話

『かんぱーい!』

 

 店内に響く探索者達(・・・・)の声。

 あまりごちゃごちゃした飾などはなく、しかしそれでいて堅苦しいわけではない過ごしやすい……はずだった店は既に騒々しい雰囲気に飲み込まれていた。

 

「いやはや、なんかよく分かんないけどおめでとー!」

「ほーちゃんほーちゃん、あの子! アンタが拾った子がマスターの弟子になったお祝いよ!」

「そっかー! フォリアちゃんがかー! ……うええ!? マジで!?」

「キーくん、野菜も食べないとダメだよ」

「ガキじゃねえんだから姉貴はそんなこと気にしなくていいっつの! 好きに食わせてくれ!」

 

 本当は園崎姉弟だけ誘う予定だったのだが、それを横で聞いていた探索者が次から次へと伝言ゲームを行い、いつの間にか筋肉が店を貸し切りで焼肉を奢るという話になってしまった。

 

「横に張り付いて懇願したんでしょ? 君も勇気があるわぁ」

「あ、剣崎さん……あれ?」

 

 スススと横に座り込み、しれっと話しかけてきたのは剣崎さん。

 いやまて、この人大学の教授じゃなかったか、なんでこんなところにいるんだ。

 

「いやー、ちょっと剛力君と話したいことがあって協会を訪ねていたんだけどね。丁度いいからお邪魔させてもらってるわ! うーん、他人の金で食う肉は旨いっ! あっ、店員さん、この店で一番高い肉を持ってきて頂戴!」

 

 わはわはと愉快気に胸を揺らしぐいっとジョッキを煽る彼女、大分人としてダメな発言をしていたが聞き流しておく。

 

 そもそもこんな騒ぎになるとは思っていなかった、なんて言えない。

 私からすれば筋肉は気がよく身近にいる強い人程度の認識で、会う人会う人にこう、仰天するような反応をされるとは思ってもいなかった。

 

「まさか君があれの弟子になるなんて思ってもいなかったわ、奇妙な縁もあるものねぇ」

「え……?」

「私とアレ同じ研究室に所属してたのよ、それでその研究室の教授が」

 

 回顧しているのだろう、懐かし気に目を細め白衣の胸元をガサゴソと漁りだす彼女。

 あれー? 確かここら辺にあった気がするんだけどなぁ、間違って洗っちゃったんだっけと不穏な独り言が聞こえてくるも、突如ピタリと止まりにんまりと目が弧を描く。

 

「あったあった、ほらこれあ痛ァ!?」

 

 だがタイミングの悪いことに、件の男がやってきて彼女の後頭部を叩いた。

 

「おい剣崎、資料があるんならさっさと寄越せ。昔からお前は酔うとまともに言葉が通じなくなる」

「はぁ……ごめんねフォリアちゃん、詳しくはまた今度大学でってことで。いつ来るか教えてくれたらミルフィーユ用意しとくからさぁ。あーばっぐばっぐー」

 

 ……行ってしまった。

 

 何か伝えようとしていたようではあるが、話が主に彼女の中で完結しており、何が何だかさっぱり分からなかったぞ。

 まあ大分顔も赤くなっていたし大した内容ではないのだろうが。

 

 それにしても熱い。

 冷房は聞いているはずなのだが2、30人程度も集まってしまったようで、それ以上に人の熱気が凄まじい。

 

 水のお代わりほしいな、少し立ち上がりぐるりと当たりを見回したその時、わき腹をつつく何かに震える。

 

「フォリアちゃん、フォリアちゃん、ちょいちょい」

「ひょっ!? りゅ、琉希。来てたんだ」

 

 首元に紙のエプロンを巻き完璧に肉を食べる準備を整えた彼女が、しかし食事をするとは思えないほど絶望した表情を浮かべ背後に立っていた。

 

 一体何があったというのだろう。

 いつもは見ているこっちまで気の抜ける笑顔ばかりだというのに、もしかして何か嫌なことがあったのかもしれない。

 うん、精神的に何度か彼女には助けられたことがあるし、たまには私が相談に乗ってもいいだろう。

 

 彼女の横にはまだ中身の減っていない水を入れる奴(ピッチャー)もあったので、立ち話もなんだと私の横へ誘う。

 本当は筋肉が座る予定だったが、彼は彼であちこちで会話に混ざりつつ動き回っているので問題ない。

 

「ええ、そこで園崎さんと会ったので参加しました。ってその前に! 聞きましたよ……探索したんですか……? 私以外の人と……?」

「うん」

「うわあああん! フォリアちゃんのバカぁ! 私も他の人と探索しちゃいますよ!?」

「え……? 良いんじゃない……?」

「うわあああああああん!」

 

 風のように現れ、嵐のように

 

「君元気いいねぇ! この穂谷さんが肉を進呈してしんぜよう!」

「ははぁ! ありがたき幸せ!」

 

 去る前に、入り口付近で陣取っていた穂谷さんパーティが彼女を捕獲し、一緒に肉を焼き始めた。

 初対面のはずなのだが特に問題もなく和気藹々と会話を始める彼女たち、年齢差は多少あるが比較的少ない女性探索者同士、何か感じるものもあるのだろう。

 

 ……仲良さそうだし放置しておいてもいいか。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百八話

 もはや初陣を祝う会どころか唯の酒盛り場と化した店内。

 食べたいものも食べたし、周囲の人々は酔いが回ってまともな言葉も話せていない。見知った人が多いからまだだいぶましではあるが、それでも大人数で話して疲れたので、いい加減ホテルへ帰ろうと立ち上がった時だった。

 

「帰るのか?」

「うん、ごちそうさま」

 

 スキンヘッドの上から下まで茹蛸よろしく赤に染まった筋肉が話しかけてきた。

 

「そうか、これ土産の弁当だ。明日にでも食え」

「わ、ありがと」

 

 ずいと突き出された弁当箱をありがたく受け取る。

 持ち上げればずしりと伝わる確かな重さ、彼が出してくるのだから中身には期待していいのだろうか。

 

 ここのお肉は確かにおいしかった……といっても私はそこまであれこれと食べたこともないので、どこがどう良かったのかを上手く言うことはできない。美味しかった、それだけだ。

 いや、そもそも美味しかったのだが、あまり話したことのない人にバンバン話しかけられて正直しっかり味わえなかったというのも本当のところ。

 これなら一人でゆっくり楽しめるだろうし嬉しい。

 

「それと明後日……そうだな、午後に協会裏へ来い」

「え?」

「言っただろ? 訓練だよ訓練、ビシバシ行くから明日はしっかり休んでおくんだぞ」

「……! うん、じゃあお休み!」

 

 

 協会裏の練習場、その端に設置されたちゃちな休憩用の椅子に座り、机を挟んで私たちは対面していた。

 

「まずはなんで俺がこの前戦いを中断したか、だな」

 

 カラリ

 

 冷えた麦茶を一気に飲み干し筋肉が口を開く。

 

 まるで動物園の猛獣だ、正面にするとその膨張した筋肉の威圧感が一層凄まじいことになる。

 見慣れている私だから大丈夫だが、そんなことをしないと分かっていても一般人ならいつ首をねじ切られるか気が気でないのではないだろうか。

 

「話聴いてるか?」

「……も、もちろんダヨ?」

「ったく……いいか、もっかい聞くぞ。お前普段一人で戦ってるだろ」

「うん」

 

 事情を知っている琉希と時々戦うことはあれどその通り、私は基本的に一人で戦うことが多い。

 それは私だけに許されるレベルアップ速度の異常な仕組みを隠すため。別に他の人すべてを疑っているわけではない、ただ知られない方が良いに決まっているからだ。

 勿論最初のトラウマのせいで他の人と組むのが怖いのもほんのちょっとだけ、一ミリくらいはある。

 

 でも一人は危ない、当然そんなことわかっている。

 動けなくなれば誰も助けてくれない、生き延びなければ金だ力だと言えない探索では何よりも大きな欠点だ。

 筋肉だって勿論それがセオリーだと知っているだろうし……

 

「……やっぱり他の人と戦った方がいいって言うの?」

「いや、構わん。お前の戦い方はかなり三次元的、縦横無尽に動き回るからな。下手に他人と組んでも同士討ちを引き起こしかねん。それに……」

 

「お前、隠し事あるだろ」

「……!」

「カマかけてみたがやっぱりか。そう身構えるな、何かやろうとしてるならわざわざこんなこと言わんだろうが。ほら座れ」

 

 麦茶お代わりいるか?

 

 私の返答も聞かずじょぼじょぼ勝手にグラスへ麦茶の追加を注ぎだす彼。 

 人の秘密をカマかけで言い当てた割になんと適当な事か、悪びれる様子もなく座るよう諭されてしまえば渋々腰を下ろさざるを得ない。

 

 ストローで麦茶を吹き、納得いかない頬をぐにぐにと押し上げ睨む。

 

ふぁんふぇふぁふぁっふぁふぉ?(なんでわかったの)

「麦茶をぶくぶくするな、行儀悪いぞ。レベルアップ速度がまず第一に、最初の頃は少し速い程度だと思ってたんだがな、持ち込んでる魔石のランクが急激に上がり過ぎだ。その上崩壊した炎来で探索者になってまだ半年の人間が生き残っていたとなれば……」

 

 必然、ひっかるものはある、と。

 

「まあ安心しろ、気付いてるのはお前が探索者に志願してきたときから見ていた俺と園崎姉くらいだろう。あいつはあいつで隠し事があってな、お前のそれも言いふらさんだろ」

 

 普段受付であくびをしたりしている穏やかな園崎さんであるが、何か隠し事があるらしい。

 人は見かけによらないということなのだろうか、むしろ隠し事一つない人間の方が変なのか? 

 

 だがここで私の頭にピンとくるものがあった。

 

「それってもしかして本食べてたのと関係ある?」

 

 そう、以前私は偶然であるがそれを目撃したことがあった。

 本人はスキルだと言っていたが、思い返せばちょっと焦っていたようにも見えたのだが、気のせいではなかったというわけだ。

 

「なんだ、知ってたのか」

「うん、誰もいないからってここで食べてた」

「ああ……何度か注意したんだが、どうせ田舎の昼間協会に人なんて来ない。日向ぼっこしながら食べるのが最高なんですよなんて言ってたな……結局見られてるじゃねえか……他にも見られてねえだろうなあいつ……」

 

 先ほどの余裕綽々とした表情はどこへ行ったのやら、顔を覆い小さくつぶやく筋肉。

 気のせいか普段つややかなスキンヘッドすらしわがれているように見える、もしかしてあの人結構自由気ままにやっていたのでは。

 

「……まあそれだけならいいか。ともかく、お前も隠し事がある以上無理に他人と組む必要はない。だが一人なら一人で戦うなりの知識を持っておけ」

 

 と、若干ズレた会話の方向を本筋へ無理やり戻した筋肉によって、漸く講習(?)が始まった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百九話

「例えばだ、この前のダンジョンでお前飲み込まれてただろ? 他にも」

「うん」

 

 あれはびっくりした、まさかただのデカい葉っぱだと思っていたら突然挟まれてしまうのだから。

 ああいうのを何というのだったか……食事中植物……? ともかくレベルのわりに堅牢な体をしていたし、もし同レベルの相手だったら逃げ出すことはできなかったかもしれない。

 

 うむ、なかなか奴も強敵だった。

 

「何深く頷いてるんだ……? 確かにあれを一人で抜け出せた点は評価に値する。機転が利くのはいい、長所だ。だが『機転が利く』ことに頼りすぎるのは短所だ、そもそも『機転を利かせる』必要があるような状況に陥るな」

「……? どういうこと? もっとわかりやすく言ってほしい」

「……危険を避けろ、意識をもっと周りへ配れ。そもそも確認を怠らなければ飲み込まれることもなかったんだからな。魔石の爆発は――お前は確か魔法が使えないんだったか、それならなるべく危険な使い方をするな。体の傍で爆発させたりとかはやめろ」

 

 私を指さし言い切った彼は、はあ、と嘆息。

 

「戦い方が一々邪道過ぎるんだよ。結城、お前は自分の身体をもう少し労われ。どうしてそんなに死に急ぐ?」

「別に……死に急いでなんかない」

「いいや、死に急いでるな。お前は自分のことなんてどうなってもいいと思ってるよ、だから一々向こう見ずな方法ばかり選ぶんだ」

 

 そんな事絶対ない、言い切るのは簡単なはずだというのに、なぜか彼へはっきりと伝えることは出来なかった。

 酸素が足りなくなった金魚のようにパクパクと口を開けて、暫し筋肉を睨むも何も出ずうつむいてしまう。

 

 これじゃまるでその通りだ、何も言い返せませんって認めてるみたいで……

 

「兎も角、俺に指南されたいってんなら今後は俺の指示に従え」

「……分かった」

 

 結局私は彼の命令を受け入れるしかなかった。

 

 

「マスター、お説教もいいですけど今日することはソレだけじゃないですよね? 模擬戦もするとか言ってませんでしたっけ? あ、これ麦茶のお代わり置いときますね」

 

 重い空気を払うように現れた園崎さんは、なみなみと新しい麦茶の入ったピッチャーをでん、と置き、ばしばしと筋肉の背中を叩いた。

 

 フォリアちゃんにはこれもあげるわ、と差し出されたのはミカン入りの牛乳寒天。

 日陰になっているとはいえ決して涼しいとは言えない外、ひんやりと冷たいそれを口に含むとほろりと崩れ、甘酸っぱい味が口いっぱいに広がる。

 コンビニスイーツのように派手な甘さなどはない至極単純な出来、だがその味がすごくおいしい。

 

「おいしい、ありがとう」

「そう、よかったわ!」

「おい園崎、俺の分は?」

「え? ありませんよ? 残りは私が食べるので」

「……お前も後で説教な、覚悟しとけよ」

「ええ!? なんでですか!? 横暴ですよ、職権乱用です!」

 

 今すぐ持ってきますからちょっと待っててください!

 

 そう言い残し協会内へ走り去る園崎さん。

 その説教とやらはもしかして、先ほど私がもしかしてと尋ねてしまった、彼女が本を食べていたことについてだろうか。

 もしそうなら一寸可哀想なことをしてしまったかもしれない、言わなければよかった。

 

 彼女の背中を見送り天を仰ぐ筋肉。

 彼の顔には呆れや親しみなどの感情が幾重にも重なり、何とも表現しがたい表情になっている。

 

「ったく……昔は純粋で可愛かったのに、どうしてああなっちまったんだ」

「ねえ、模擬戦って?」

 

 そう、しれっと流されそうになっていたが園崎さんは気になることを言っていた。

 

 模擬戦、そのまんま受け取るなら私と彼が練習試合をするということ。

 だが模擬戦と言えば実力の拮抗している人が高め合うというイメージが強く、はっきり言って天と地の差があるであろう彼と私が戦おうと、それこそ一瞬で地面を舐めることになるのは想像に難くない。

 

「ああ、そういえばそうだった。やっぱり物を教えるのは実戦形式で体験した方が習得しやすいからな、一人一人に合った戦い方はあれど教えられることもある。戦いつつそれを指摘しようと思ってな」

「ああ、だから武器出せって言ってたんだ」

 

 そう、最初に出しておけと言われ、私たちの傍らにはカリバーや彼の大剣が縦掛けられていた。

 最初は彼自身模擬戦をするつもりだったのだろうが、あれこれ話して脱線を繰り返すことで、筋肉自身最初の目的を忘れてしまっていたようだ。

 

 私の問いかけに彼は頷き

 

「ああ。どうする、いけるか?」

「わかった、やる」

 

 もちろん私も彼の弟子になると志願した身、詳しく教えてくれるというのに断るわけがなかった。

 

 あと戦い方を否定されてちょっとムカついたところもある。

 私だってこれでずっと勝ってきたんだ、たとえ間違っているからと言って素直にすべてを飲み込めるわけがない。

 せめて一発は叩き込んでやる、これが私の戦い方だと少しは認めさせてやらなければ牛がのさばらない(・・・・・・・・)ってものだ。

 

 覚悟しろ筋肉、その艶ある頭をかち割ってやるからな。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百十話

 距離はおよそ5メートル、真上から灼熱の太陽光が照り付け、踏み固められ乾いた砂の上に立つのは筋肉と私だけの二人。

 肌の焦げる感覚が緊張感と共に肌へ伝う汗となる。

 

「そうだな、一発俺に攻撃を入れるかストップ宣言したら終わりにしよう」

 

 大剣を手に取ることもなく無手、なんなら片手をポケットに突っこんだまま彼が告げた。

 一発入れられるかだ条件だなんて完全に舐められてる、よそ見までして随分余裕綽々じゃないか。

 

 砂に手を当て(・・・・・・)、静かに目を瞑る。

 

 ピンと張った意識はしかしメトロノームのように揺れていた。

 いつ出る? いつ走る? 繰り返される思索は今だと叫び、けれど今出れば纏らない思考に絡めとられ足を縺れさせると理解している。

 

 落ち着け、整えろ。

 

 激しく揺れる感情の波は次第に静寂へ、浅い息は深くゆっくりとしたものへと移った。

 そうだ、それでいい……その感情で……

 

 

 

 ……行け!

 

 

 

「うおおお!」

 

 愚直なまでの猛進、見せかけの怒号。

 砂を巻き上げ、躊躇いもなく一直線にその元へ向かう姿に目を細める男、空気が揺らめき弛緩した僧帽筋がミシリと軋んだ。

 

 はったりだ。

 たとえ筋肉が油断しているとはいえ経験が違う、このまま傍へ足を運べば無慈悲に叩き潰されてしまうだろうと、そんなのは私にだってわかっている。

 ならば……

 

「『ステップ』!」

 

 彼の腕が届かぬ限界の距離、進行方向とは真逆へスキルの導きによって強制的に方向転換させられる私の身体。

 全身の骨が悲鳴を上げ、ピリリと走ったわずかな違和感を振り切り地面を大きく蹴り上げる。

 

 それは今までの勢い全てを殺し、私の身体を大空へかち上げた。

 風を突き抜けただただ高く、ここには腕どころか彼の大剣だって届きはしない。

 

「空中に足場はないぞ!」

 

 遠くなる地面で筋肉が叫んだ。

 

「かもね……!」

 

 すり足でその場から軽く身を逸らす彼。私の攻撃が当たらない距離、しかし確実に踏み込んで私を殴り飛ばせる所でしかと構えるつもりだ。

 だがここまでは想定通り。

 

 筋肉はさっき言ってたよね、機転を利かせる状況に立つなって。

 もしこのまま私が地面に降り立てば、きっと強烈な一撃を叩きこんでこういうはずだ。

 

『だから言っただろ、危険を避けろって』

 

 ……と。

 ならばあえてその状況を演じれば、必然的に彼の行動は絞られるはず。

 

「ヌゥッ!」

「おらっ! 食らえ!」

 

 そしてそこで裏を掻く!

 

 空中でばら蒔かれたのは拳一杯に握り締められた砂。

 全力で地面へ投げつけられたそれは激しい雨となり、私のことを目で追っていた筋肉の眼球へ襲い掛かる。

 

「ぐああーバカなー」

 

 その刺激は本能的な反射を無理やり引きずり出し、どんな存在でも首を横へ向けさせてしまう。

 やはりどんな高レベルであろうと目に砂が入れば体は動いてしまうもので、筋肉すらも抗うことはできずその太い首を大きく捻ってしまった。

 

 完璧だ、想像通り……いや、それ以上の成功に心が躍った。

 

 そう、走り出す直前にたっぷりと握りしめておいたのだよ!

 ぬはぬは! 想定外の目つぶしは痛かろう! 勝った!!

 

「しねえええええええええええ! 『スカルクラッシュ』!!!」

「お前マジか、あの演技で騙されちゃうのか」

 

 

 ガシッ

 

 

「ふあっ……!?」

「よっと」

 

 ポイッ

 

 空中で掴み上げられたカリバー、抗いようもない強烈な力で振り回され無慈悲に振り払われる私。

 見せつけ、煽るように高々と彼へ持ち上げられた相棒は、私が奪い返そうとジャンプするも、そのたび奪われないようサッと位置を変えられ弄ばれてしまう。

 

「か、返して……! あだっ」

「はいストップ。まず武器だけに固執するな、それと最後まで油断しない」

 

 おでこへ軽くカリバーをぶつけられ、無情にも告げられる終了の宣言。

 一撃を叩きこむどころかあっさり作戦の裏を掻かれ、挙句に武器まで奪われてしまう始末。

 淡々と指摘された短所は確かにその通りで、昂った精神の端にわずかに残った冷静な私が正しくだ、しかと頷く。

 

 思えばそもそもこれは私の欠点を見つめなおし強制してもらう指導、教えてもらった事なのだからそれを無下にする必要もない。

 ……勿論感情的に飲み込み難いものではあるけど、もっと強くなりたい、もっと力が欲しいといったのは私なのだから。

 

 くっ、次は殺す。

 

「ま、砂を使おうって考えは悪くないな」

「ふん……」

「それにしても死ねはないだろ」

「いやその……ちょっと興奮しちゃって……ごめん」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百十一話

 静かな密室。

 報酬はなく、しかし熱心に働くエアコンの無機質な送風音だけが絶え間なく響く。

 

 よく効かせた、ともすれば寒いとすら感じられる室温の中、よく洗われ心地よい香りのするシーツと布団に包まれ、蕩けた嗜好は目覚めと眠りの過渡に溺れる。

 誰しもが愛するはずの安らぎ、果たして自らそこを飛び出す人間なんているのだろうか……そう、私だってここから出るわけが……

 

 いたい

 

「んあ……」

 

 痛い

 

 そう、これはまるで全身をじっくり、よーく焼かれているように……豚の丸焼き、いつか食べてみたいな……痛い……燃える……いた、いたいたいたいたいたいたァッ!?

 

「いったぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 涙で視界がぼやける。

 吹き飛ばされた布団からは羽毛がまき散らされ、真っ白に染まった絨毯の上を無様に呻き転がる。

 

 何、何、何なになに何が起こってるの!?

 

 何度か体を焼かれた経験はあるがそのどれにも当たらない、耐えられないほどでもないが、しかし猛烈と言えるびりびりとした痛みは不快感が凄まじい。

 腕、足、そして顔。

 もだえる程に苦しみは増すばかり。すわ奇襲か、人の寝入りを襲うなど卑怯なり。

 

「な、なにが起こって……!?」

 

 全身の痛みをどうにか堪え、ベッド横へ備え付けられている鏡を覗き込む。

 そこに映っていたものは……

 

「ひ……

 

 

 

 

 

日焼けだ……」

 

 日焼けで真っ赤になった顔であった。

 

 

 

 

 

「すみません、適当にいいポーション二本くらいください」

「はいはい。おっと、結城ちゃんじゃないか。久し……ぶ……りっ!? うわっ!? どうしたんだい君全身真っ赤だけど!? うわうわうわぁ……え、ペイント?」

 

 眼鏡の奥にある小手川さんの瞳が何度も瞬く。

 先ほど自分でもびっくりしたが本当に全身真っ赤なのだ、以前の私とは姿が別次元なのだからそりゃ彼も驚くってものだろう。

 日焼けだと伝えれば繰り返し頷き、なるほどなるほど、確かに君肌白いもんねと、ようやく納得がいったようであった。

 

 探索者になる前は体力のなさもあって外に出て遊びまわることなんてなかった……友達もいなかったし……ので、ここまで酷い日焼けは初めてだ。

 だが不思議なことで、探索者になってからは随分外(?)で戦ってきたのにこんな風になったことはなかった。

 もしかしてダンジョン内にゆーぶい(?)なるものは存在しないのだろうか。

 

「じゃあ安いポーション飲んでみたらどうだい? 日焼けって要するに火傷の一種だからね、多分治るよ」

「え、ほんと!?」

「うんうん、多分。ちょっと待っててね、確か古いやつがここら辺に……」

 

 薄暗い店内、古手川さんが吊り下げられたランプを引っ張り、近くの箱をガサゴソと漁りだす。

 高いポーションは(彼の趣味で)ガラス張りの冷蔵庫へ、銭湯の牛乳よろしく整然と並べられているのだが、どうやら安いものや時間のたったものは相当雑に扱われているらしい。

 

 安物って言ったって数千円はするのに……なんて適当な……

 

「だってだれも買いに来ないしさぁ……たまーに一般人が売れって暴れるんだけど、売っても探索者以外には効かないしねぇ。はいこれ、お金は勝手に引かせてもらうから好きに飲んでよ」

「割引は?」

「んー……じゃんけんぽい!」

 

 突然叫ばれとっさに出したのはチョキ。

 そして件の彼の手のは……パー。

 

「えぇ……勝ったけど……?」

 

 唐突過ぎて何が何だか分からない。

 

「ありゃ、負けちゃったか、じゃあ半額にしといてあげるよ」

「ええ!? うわっ……っと」

 

 ぽんっと放り渡されたポーションは桜のように薄いピンク、質は決していいとは言えない品。

 けれどその薄さ故光を受けキラキラと輝いていて、これはこれでインテリアとして飾っておきたいようなかわいらしさがあった。

 

 イッキイッキ! と雑いコールにせかされぐいっと喉奥へ流し込む。

 とろりとなめらか、味はなく、しかし奇妙な『効く』確証を伴った不思議なその液体が体内へ滑り落ちた瞬間、視界内の真っ赤な両腕からさっと赤色が引く。

 効果てきめんだ。内心疑っていた私でも簡単するほどの効果、これはすごい。

 

 雑に割り引かれた割りにその効果の高さに目を丸くする私へ、彼は構うこともなくその裏事情を話し出す。

 

「誰も買いに来ないし正直叩き売りしても問題ないんだよね、僕も二日酔いの時は勝手に飲んでるし。ほら、協会って魔石の供給とかインフラ関連で相当儲かってるでしょ? 僕も本業あるしここ片手間みたいなもんだから」

 

 ほらこんな感じで。

 小瓶を取り出しキュポンと勝手に開き、ごくごくと飲んでこちらへ流し目。

 

「ね?」

「ね? じゃないけど。……って、本業?」

「そうそう。ここの奥工房なんだよ、協会から卸された素材で服とか靴作る……いわば職人? 的な?」

 

 なんで自分の仕事なのに疑問形なの……?

 

 まだ二度しかこの店を訪れていないがそのどちらでも本の虫であった彼。

 しかし決してここの店番だけが仕事というわけではなく、どうやら本業はほかにあったらしい。

 

 ん……? 何か今の話どっかで聞いたような……?

 

「あ! それってもしかして探索者向けの壊れない装備ってやつ?」

 

 脳裏に過ぎったのは昨日、筋肉と二人で崩壊を喰いとめにいった時交わした会話。

 いつかの機会に琉希と行こうと思っていたがまさかここだったとは。

 

 作ってもらおうかな……いやでもこの人に任せるのは……。

 

「そうそう、正確には壊れないってより壊れにくくて修復される、かな。専用装備って知ってる? 所持者本人が死ぬまで壊れない武器なんだけどね、それに近い仕組みなんだ」 

「へぇ……」

「とはいっても完全に消し飛ばされたりしたら流石に修復はできないよ。良くて半分くらいまでかなぁ、市販品よりは圧倒的に丈夫だから滅多にそこまで壊れることはないけど」

 

 ふふんと鼻を鳴らしドヤ顔。

 基本的にやる気のない人だと思っていたが自分が作るものには相当の自信があるらしく、今までで見たことがないほど彼の顔には誇りが宿っていた。

 先ほどまであった蟠りと躊躇いは彼の顔を見れば解けて消えた。

 

「じゃあ私のも作って、お願い」

「そういってくれると思ったよ。剛力さんから君の話は聞いてるんだ、よろしく頼むってね」

 

 さぁ、まずは靴の採寸を始めよう。

 

 彼の声と共に紐が引かれ、薄暗い店奥へ明かりがともった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百十二話

 ひんやりと冷たい板に足をつけ、彼の傷だらけな指先が宛がわれる。

 ニヨニヨとして緩んだ顔はどこへやら、真剣な面持ちであれこれと見たことのない機材を当て、頷いてはメモを連ねていく姿は職人そのものだ。

 

 感心している私へ彼の何気ない言葉が飛ぶ。

 

「君背も低ければ足も小さいね、本当に15?」

「手踏んでいい?」

「だめだめ……はい足の採寸終わり。服はどうする?」

 

 服、服か。

 

 協会に来る人たちの服装の多くは私服だ。

 最低レベルのGやEランクダンジョンならともかく、高レベルになれば現代の技術で作られた装備など、その上から切り裂かれたり叩き潰されたりしてしまう。

 運よくダンジョン内で装備を手に入れた人は装着しているのだが……今のところ私は何も手に入れてない。

 

「やっぱり服は変えた方が防御力とか上がるの?」

「いや? そこらの服と違って破れにくくはなるけど、どこまで行っても服は服だからね。ただダンジョン内でも他の人に裸を見られたくないだとか、女性には結構人気だよ」

 

「んん……じゃあいい。私基本的に一人だし」

「そうかい。それじゃあデザインはどうする?」

「デザインも……あんまり、靴とかそんなに買ったことないから分からないし……あっ!」

 

 今まで履いてきたお古のスニーカー。

 ほつれ、ところどころ焦げ、何なら底のゴムだって擦り切れてボロボロになってみすぼらしい姿。

 でもずっと使ってきた相棒の一つだ、愛着の一つや二つはある。

 

 うん、やっぱり慣れてる見た目に近い方が良いかな。

 

 これと似たように出来ない?

 指さし彼へ見せれば、メガネを押し上げ意外そうな顔つきをする古手川さん。

 

「随分使い込んだねぇだねぇ……安物でデザインは簡素、丈夫さだけが取り柄って感じだけど本当にいいのかい?」

「ずっと履いてきたから、これがいい」

「そうかい、了解したよ。そうだな……一週間後に取りに来てくれ」

 

 

「あい、それじゃ」

 

 少女が去る。金髪と、その年齢に見合わぬ小さな容姿が特徴的な子だ。

 表情のあまり現れない顔なのだが、その声色や動きから不思議とどんな感情を抱いているのかが伝わってくるのは、きっと彼女の魅力なのだろう。

 

 しかし随分と顔つきが変わった。

 

 以前であった少女はもっと切羽詰まっていたように見える。

 だがその也は随分と息をひそめ、年頃の少女相応の雰囲気が多少ついたように僕には思えた。

 

「それにしても、なんだか先生を思い出すなぁ」

 

 かつて何度かダンジョン内のフィールドワークのため、友人と共に護衛した人物の顔がふと浮かぶ。

 

 先生とはこの近くにある大学でダンジョンの研究を行っていた人物だ。

 その分野ではトップクラスの座についていたらしいが、生まれつきの気質だったのだろう、気さくで感情のよく出る、それと苦いものが苦手で子供のような人物だった。

 一度彼の家に出向いたことがあったのだがその大きさと、海外の人(・・・・)で元探索者だという奥さんの美人っぷりに息を呑んだのは記憶に新しい。

 

 彼が結婚してからのフィールドワークには彼女が護衛となっていたようで、緋色の双剣を腰に下げた彼女と白衣の先生が街中をぶらついているのを目にしたこともある。

  嫌味もなく、出会う人々とあいさつを交わす程度には好かれている、町の有名人物。

 

 

 

 

 順風満帆の人生、誰もがそう思っていた先生が……突然失踪を遂げた。

 

 

 

 

 その日はフィールドワークの予定だったらしいのだが、ダンジョンから帰って来たのは彼の奥さん一人。

 夫婦揃って明るく仲のいい人たちでまさか痴情の縺れだとも思えず、しかし帰って来た奥さんも

 

『違う、違うんだ』

 

 の一点張り。てんで話にならず、ダンジョン内ゆえ証拠も何もないので、モンスターに襲われてしまったのだろうと結論付けられ事件は一端の決着がついたらしい。

 結局いつの間にか彼女も町から姿を消し、子供が一人保護されたなんて話も流れてきたけど、どこまで行っても他人のことを人々が長いこと意識するわけもなく、二人の記憶は次第に風化していった。

 

 ちなみに彼の行っていた研究は一人の女性によって引き継がれ、彼女もまた特異な才能にのある人物らしく次々と新たな発見や発明をしているそうだ。

 

 

 キュルリ

 

 さびた椅子の軋む音が工房に響く。

 既に忘れかけていた記憶だというのに、小さな引き金ですべてが色鮮やかに蘇っていく。

 

 僕も歳かな……思い出に浸るなんてさ。

 

 

 

 

「なんだったかなぁ……たしか先生の名前って……結城(かなで)だったっけ。あれ? ……まさかね」

 

 だって証拠がないだろう、それに彼女へ僕の思い出を重ねてしまうのは彼女に失礼だ。

 開かれた記憶の扉へ過去を押し込み、温くなったコーヒーへ手を伸ばす。

 

 さて、お仕事しますか。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百十三話

 靴の注文をして一週間から少し……いや、さらに一週間ほど過ぎた後。

 

 前回にされた窓から熱風が突き抜け、部屋中を舐め去っていく。

 

「んへーあちゅい……なんで冷房壊れてるの……」

「なあ結城、アイス買ってきてくんね……?」

「やだ……ウニが買ってきてよ。私チョコミント」

「俺仕事中だぞ……うあー……」

 

 仕事って、受付に誰も来ないじゃん。

 

 灼熱に包まれた協会。

 連日の猛暑によってどうにか頑張っていたエアコンは完全に沈黙、今では熱風をひり出す悪夢の兵器となって止められている。

 エアコンが壊れたからなんだというのか、構わず燦燦と照り付ける太陽によってこのコンクリートの塊は熱を蓄えに蓄え、内部にいる存在を焼き尽くす地獄の窯と化していた。

 

 セミの大合唱は休むことを知らず、こちらの耳と頭がおかしくなるほどの音量で奏でられ続けている。

 果たして外に出た方が涼しいのか、それともこの蒸し暑い協会の中でだれている方がいいのか、それはだれにも分からない。

 

 この熱地獄、ただでさえ人の出入りが少ない昼間の協会であるが、人々はダンジョン内の方が涼しいといって引きこもりを始めた。

 普段は初心者がちらほらと足を運ぶ程度の花咲ダンジョンですら、春の気候だけあって過ごしやすくレベルも低いと人でごっちゃになっているそうだから大概だ。

 

「大体お前、崩壊なんて起こんねえときは全然起こらないんだから、ここに居たって時間の無駄だろ」

 

 少しでもと涼を求め、背中をぴったり金属の扉へ貼り付けたウニがほざく。

 

「だってさぁ……私がいない間に勝手に行っちゃうかもしれないじゃん」

 

 そう、私だって出来ることならダンジョンに行くか、ホテルに戻ってエアコンを効かせたい。

 だがもし私が協会にいない間にどこかで『ダンジョンの崩壊』が起こり、そして筋肉が一人で向かってしまったらと思うとここを離れるわけにはいかない。

 

「んあー……お前スマホとか持ってないのかよ、剛力さんだって連絡くらいしてくれるだろ」

「あるわけないじゃん……私住所不定だよ、親だって今どこにいるか分かんないのに……」

「ん……? お前確か協会預金は入ってるんだよな……? じゃあ多分契約できると思うぞ」

「え!? 嘘!?」

 

 

 自動ドアの奥、白を基調として清潔感を第一とした店内がお目見えする。

 『きゃりあ』なるものから本当は選ぶ必要があるらしいが、ここいらにそんなあれこれと選べるほど店があるわけでもなく、そもそも私もどこがいいのかなんてのが分かるわけもないので、最寄りの店へ足を運んだ。

 

 本当にここへ入っていいのか……?

 

 今まで関係ないと思っていた世界へ踏み入れ頼れるものがない、それだけで人はここまで心細く感じてしまう。

 夏の暑さと張り詰められた意識に汗ばんだ体が、空調の利いた涼しい風に包まれるのを感じながら踏み入れる店内は、今まで踏破してきたダンジョンに勝るとも劣らない緊張感があった。

 

「いらっしゃいませ! 新規の方ですね!」

 

 襲撃、店員。

 

 入り口付近できょろきょろとしていた私へ、笑顔の仮面をかぶった女性が切りかかる。

 

「うぇ!? えっと……その……そ、そう、新規契約で……」

 

 『新規契約』

 

 私がその四文字を口にした瞬間、にこやかな営業スマイルがいびつに歪んだようにも見えた。

 

 そうか、キャリアショップへ足を踏み入れた時点で、私と嗤う店員()、食うか食われるかの運命は動き出していたのだ。

 生存競争のゴングは既に鳴らされている、この獣を飼いならすか喉元を食い破られるかの二択を選ぶしかない。

 

 下がっていた眉がキリリと吊り上がる。

 相手は唯の人間じゃない、本能的に悟った体が臨戦態勢を取る。

 

「そうでしたか! では機種についてはどちらを?」

 

 きしゅ……? 機種!

 

 そうか、スマホを手に入れることばかり頭にいっていて、そもそも機種だなんだと選ばなくてはいけないことを忘れていた。

 だが機種なんてどれがいいのか全く分からないぞ……

 

 こちらからどうぞとパンフレットを差し出されたはいいが、そのどれもが似たような見た目、連綿と連なる聞いたことのない言葉によって飾られていてさっぱり何が何だか分からない。

 はて、他の人はこんなものを差し出されてこれがいい! だなんて決められるのだろうか? ちょっと不親切すぎる気すらするぞこれは。

 

「じゃ……じゃあこれ……」

「パイナップルの相棒シリーズ最新機種ですね!」

「う、うん……」

 

 帰りたい、もう帰りたい。

 

 しかし(店員さん)の追撃はとどまることを知らない。

 これが契約書だ、これは規約だと次から次へ紙が取り出されては机の前に並べられ、さあ読めと拷問まがいの行為を強いてきた。

 

 クーラーだけが静かに鳴り響く部屋へ紙擦れの音が混じる。

 

 ようやく読み終われば時計は既に開始から二時間が過ぎていて、しかし本当の戦いはまだ始まってすらいないことを私に思い知らさせた。

 ピカピカに磨かれた爪、それに挟まれて出されたのはいくつかの書類とペン。

 

 ニタァと彼女の笑みが深まる。

 

「ではこれへ住所と本人確認証明書を提出ください。健康保険証でいいですよ」

 

 来た……!

 

 今まで私がスマホを手に入れられなかった最大の壁。

 だが、だがウニの言葉を信じるなら、協会の預金に入っている人間は様々な登録が既になされており、これ一枚で個人証明などが行えるらしい。

 勿論月々の払落しも可能!

 

 いける!

 

「うえ……えへ、い、いえ、その、探索者やってて……家はないんですけど、親もいなくて……こっ、これ、許可証で」

「まあ! 探索者の方なんですね! まだお若いのに預金の登録もしてるなんてすばらしいです! 良かった、今年から探索者の方にお勧めの『わくわく冒険オプション』っていうものを始めたんですよ!」

 

「え? え? え?」

「この今からでも遅くないデビューオプションと合わせることでですね~」

 

『いいか、契約するときはオプション全部断れ。お前は間違いなく大量に押し切られて無駄に金を使うことになる、オプションはいらないって言いきれよ。分かったか?』

 

 ウニがここへ来る前念入りに押して来たことが脳裏を過ぎる。

 うぼじょん? おぶじょんを断る、一切を受けてはいけない、いけないんだ。

 でも、まずい……このままじゃ押し切られる……!

 

『お前なら行けるスウォム、俺という壁を乗り越えたお前に越えられない壁はないスウォム』

 

 先生……!

 

 そうだ、気張れよ私!

 今までいろんな苦難を乗り越えてきたじゃないか、この程度ズバッと言い切ってしまえ!

 

 言わないと!

 

 いうぞ! 私は言うぞ!

 

「あのッ!!!!」

 

 くそっ、声が裏返った!

 ためらうな、裏返ろうと関係ないだろ! 全部言い切れ! 吐き出せ!

 

オブジェクション(異論)はなしで!!!!」

「……? あっ、外国の方ですもんね! 日本語お上手ですね! はい、承知しました! ではお得なオプション全部つけておきますね!!」

「ハイ! お願いします!!!!」

 

 あれ?



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百十四話

 ちゃっちゃらー

 わたし は すまほをてにいれた!

 

 時刻は既に正午。

 バカみたいに暑くアスファルトの上は揺らめくほどだというのに、夏休みというのもあって子供たち(身長あんまり変わらない)が元気に横を駆け抜けていく。

 

 長かった、すごく長かった。

 初心者には不親切極まりのなくよく分からない長い単語を連ねられたり、いろいろ大きな敗北を喫したような気がしないでもないが、何はともあれようやくスマホを手に入れることが出来た。

 

 まだ現実感がない、本当にこれがすまほなのか……? スマホっぽいチョコとかじゃないよね……?

 

 契約中に充電してもらっていたスマホが映し出すのは、初期設定だというあぷりがいくつか、ネットカフェでも使っていた検索するやつが二つほど並んでいるだけの寂しい画面。

 テレビとかで映し出されるスマホの画面と比べればアイコンの数が一桁は足りない。

 ならば何か入れてみるかとストアを覗いてみたはいいものの、こういった類をしたことがあまりない私からすれば、どれもこれも意味の分からない物ばかりなので無言で閉じた。

 

 何はともあれほしかったものが手に入ったのだ。

 ほしいものが手に入れば持っているだけでうれしい、特に使う予定はなくとも。

 

「あ、ひまわり」

 

 わざとらしい電子的なシャッター音が鳴る。

 

 大輪をした黄色と黒のコントラストが青空に映える、初めて撮るにしては中々綺麗に撮れた写真だ。

 そういえばこの機種はカメラが三つもついていて上手い事調整してくれるとか言っていた気がする。見た目ちょっと気持ち悪いとか思っていたけど、割かし悪くない選択だったのか。

 はやく終わらせたくて適当に返事していたのがいい方向に転がったようだ、頷きすぎて首が痛い。

 

 うむうむ、お前なかなか気に入ったぞ。

 

 

 軋む入り口の扉を叩き開けると噴き出す熱風、うだるような暑さに溶けたウニがこちらを見る。

 

「ただいま!」

「お……結城か。結構早かったな、どうだった?」

「買えた! やるじゃんウニ! チョコミントあげる!」

「何様だお前は……ほら、SNSかメアド寄越せ」

 

 ちょいちょい。

 

 こちらへ渡せと差し出される腕、片手にはポケットから取り出したであろうスマホが握られている。

 

 

「……? なんで?」

 

 

 普通に初めてがこいつとの交換なんて嫌だ。

 

「おまっ、普段表情大して変えねえくせに、なんでこういう時だけそんな嫌そうな顔すんだよ!」

「いやだって……いやじゃん……」

「そこまで言うことないだろ! おらっ! 寄越せよ!」

 

 制服を翻らせ凄まじい形相で私のスマホを奪いにかかるウニ。

 海でもそもそと海藻を貪っていそうなあだ名にあるまじき勢い、全身からして確実に奪い取るという意思を感じる。

 

「やだ! お前に初めては渡さない!」

「いいだろ! 大体オレが教えてやらねえとお前スマホ永遠に買えなかったんだからな! 少しは年長を敬え!」

「やだー! たすけてー! ウニに初めてを奪われるーっ!」

「おまっ……! 人聞きの悪いこと言うな! ちょっと貰うだけだろ!」

 

 ビニール袋と重い中身が落ちる独特の乾いた衝突音。

 

『ん?』

 

「けんちゃん……今の話ほんまなんか……?」

「いぃっ!? あ、アズ……!?」

「え、誰?」

 

 入り口で唖然とした表情を浮かべていたのは、艶やかな黒髪をした一人の女性だった。

 年齢は私よりいくつか上、大学生くらいだろうか。

 

 彼女が取り落としたであろうビニールの中から炭酸のペットボトルが転がり、こつんとウニの爪先へぶつかり止まる。

 だが誰もこの状況に対応しきれず、拾い上げることすらためらわれてしまい動けない。 

 

 けん……確かウニの名前が鍵一(けんいち)だったか……どうやら反応からしても二人は顔見知りらしい。

 

 いつまで止まっているのか、動いていいのだろうか。

 沈黙のだるまさんが転んだを最初に辞めたのはウニ、慌てた様子で彼女の腕へ縋る。

 

「ちっ、違うんだよアズ! こいつが……待って! 帰らないで聞いてくれ!」

「……いけずやわぁ、手をつなぐのに熱心すぎ(さっさと手を放せ)やせぇへん? 鍵一はんはえらい懐の広いお方(誰でも構わず手を出す)やったんどすなぁ、子供にも優しい(ロリコン)なんて素敵やわぁ」

「ああああああ違う! 違うんだって! おい結城! お前もなんか言えよ!」

 

 よく分からんけどとりあえず乗っておくか……

 

「たっ、助けてお姉ちゃん。この人が、この人がぁ」

 

 ウニの知り合いらしき人の脚へひしりと抱き着く。

 見知らぬ人ではあるが彼の知り合いなら悪い人ではないだろうし、まあ大丈夫だろう。

 

「はぁ!? 糞みたいな演技で何言ってんのォ!?」

「鍵一はんえらい元気やなぁ、お外でも走り回ってきたらどうやろか?」

 

 

「なんや、冗談やったんか」

「最初からそう言ってるじゃねえか!」

「あ、あては最初から気付いとったで?」

「嘘つけ!」

 

 そこそこ楽しんだので勘違いを解くと、彼女は安堵したように相貌を崩し机に突っ伏した。

 

「ごめんなぁ。あて(・・)(たちばな) 亜都紗(あずさ)って言います、このツンツン頭の幼馴染なんよ」

 

 大通りの方で両親が古物商やっとるからよろしゅうな。

 

 古物商、何やら強そうな響きだ。

 それにこの大阪弁? 京都弁? もここらじゃあまりいない、かなり独特の雰囲気があった。

 

 互いに自己紹介を終え、さて、食事にでも行こうかと考えていた時。

 

「グーテンターく! 魔石の清算お願いしまーす! あとこれが拾ったアイテムで、あっ、これとこれも!」

 

 横をすり抜け、清算台へアイテムや魔石をどっさりと乗せていく一人の少女。

 また彼女の後ろを二人の女性がだべりながらついていった。

 

 このうだるような熱気の立ち込める昼間に協会へ訪れるとは珍しい。

 だがこの大量のアイテムを見れば頷けるという物、夜まで潜っていても全て拾い集めることが出来ないのだろう。

 数えきれないほどのモンスターを倒して来たのか、それとも単純に運が凄まじく良いのか……どちらにせよ素晴らしい稼ぎになることは間違いない。

 

「あー疲れたー! 歳かなぁ、紅葉あとで肩揉んでー」

「ああ、構わんぞほーちゃん。おい園崎弟、仕事の時間だ」

「ウイッス」

 

 こちらへ来いと顎でこき使われ、しかし慣れた様子でカウンターへと戻っていくウニ。

 だれであろうと呼ばれたら働かないといけないのだから大変だ。

 

 静かだな……さっきまで私の周りが一番五月蠅かったのに。

 

 一体どうしてしまったんだ。ちらりと横を見れば暫し前までの顔つきはどこへやら、橘さんは表情を崩しウニを見ていた。

 ただただ、じっと見ていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百十五話

「けんちゃん元気になったなぁ」

 

 無意識にたまらず零れてしまった、そんな様子でポツリと彼女がもらした。

 

「ウニのこと? 会った時からあんなんだったけど」

「昔ダンジョンで……なんて言うたらええんやろな、事件、かな? に巻き込まれてえらい塞込んでてなぁ」

「へぇ……ん? なんかそれ前聞いたような」

 

 既視感というか既聞感というべきか、ふと額にしわを寄せ記憶をめぐる。

 

 ダンジョンでウニがなんかあった、突然捕まってコンビニで語られたような気がするぞその話。

 確か……友達と調子に乗って乗り込んだら自分以外死んでしまったのだったか。

 春頃だったか、まだ仲良くなってもいないときにいきなり語りだしたものだから、何言ってんだこいつという感想しか浮かんでこなかったが。

 

 まあ……でも今なら分かる気もする。

 

 炎来で一人戦っていて分かった。

 誰かが自分が今やらなければ死んでしまうかもしれない。そう思うだけで指先が冷たくなって、まともに立っていられなくほど落ち着かないのに、もし自分のせいで見知った人が死んでしまったら。

 

 私だったらきっと自分を保っていられなくなる、きっともう立ち上がれない。

 

 本人たちだってまさかそんな危険だと思っていなかったのだろう。

 別にダンジョンだけじゃない、身近に使っているものだって使い方を誤ればあっけなく人は死んでしまう、どれだけ後悔してもその時にはもう遅い。

 だから私はそれを馬鹿だなんて笑えない。きっと私が何も知らないだけで、ちょっと間違えば死んでしまうようなことを私がしていない(・・・・・)とは言い切れないから。

 

「あら、もう他の人に話せるくらい整理ついたんやな。ほんで自殺だなんだって色々騒ぎ起こしたりしたところで剛力はんがあの子の顔張ってなぁ、『死んだ人間はもう何も体験も、話すことも、笑うことも泣くことも出来ねえ。本当に心の底から後悔してるのなら、罪も、奪った未来も、全部背負って生きろ』って」

 

 剛力はんってけんちゃんと美羽はんの親代わりしてたんやけど、普段陽気なくせしてあの時の表情はホンマに恐ろしかったわぁ、横で聞いててえらい腰抜けたんよ。 

 

 くすくすと手を当て笑う彼女。

 

「したら突然『オレ協会で働く! バカな奴がいたら止めてやる!』なんて言い出してなぁ。高校卒業してすぐここに入っちゃったんや。バカやろ? 普通知り合いが死んだようなものに近づかんって、真逆のことするとは思っとらんかったわ」

「あぁ、だから私に……いやそれにしたってバカじゃん。あったばっかの相手にそんなの察せないでしょ」

「やろ? 基本的にけんちゃんって短絡的なバカなんよ。見てるこっちが冷や冷やするもんやからな、もう少し考えて動いてほしいわぁ」

 

 ぐちぐちとウニの文句を言っているように見えたが、何故だか彼女の表情は随分と嬉し気だ。

 愚痴を吐き出せたのが嬉しいのか、かつて落ち込んでいた彼が元気になったのが嬉しいのか……それとももっと別の感情があるのか。

 もしかしたらすべてかもしれない。

 

 まだ彼女と出会って大した時間は経っていないが、それに付き合うことは嫌なものではなかった。

 まあ流石に毎日となると怯むが。

 

「ほなあてはけんちゃんの仕事が終わるまで近所散歩して来るわ。話に付き合ってくれたお礼や、あての店に来たらなんか割り引いたる」

 

 そう言い残し、ふらりと立ち上がった橘さんはふにゃりと頬を緩ませ手を振ると、パンプスをかつかつと鳴らしながら去っていった。

 

 

「何の話してたんですか?」

「んー……ひみつ」

「えー! 教えてくださいよー! ほっぺ引っ張りますよ!」

 

 もう引っ張ってるじゃん……

 

「ふふぁーふふぇーふふぉーふぇふぉー」

「ふざけないでください!」

 

理不尽だ。

 

「ふぉふぇふぉり……いつまで引っ張ってるの。それよりも、他の人と探索してるんだ……」

「ええ、この前の焼肉で仲良くなっちゃいまして! 夏の間一緒に戦わないかって誘われてですね!」

「そっか……」

 

 寂しくない……と言えば嘘になる。

 ずっと私とだけ組んでくれると思っていた。でも、あまり多くの人と組めない事情がある私と違って、琉希は別に他の人と組んでも問題はない……レベルアップに便利なスキルを持っていて、ユニークスキルも持っているだけ。

 

 だけって言うのもおかしいか、目立つ存在ではあるから。

 

 明るいし、誰とでもすぐ仲良くなれるし……私とは違う。

 だから、これでよかったの……かも……しれない。

 

「あれ? もしかしてもしかして妬いてますか?」

 

 ぬっ、少しうつむいた視界に突然顔が現れた。

 二やついた顔にイラっとする。

 

「は? 全然?」

「やだ、すっごく妬いてますよ! んふふ、自分は他の人と組んでおいて、私が他の人と組んだら嫉妬なんていけず(・・・)ですねフォリアちゃんはぁ! 今度また組みましょう!」

 

 気儘にこちらの頬をつつきだす琉希。

 一体何が嬉しいのだろうか、いつも緩み切っている表情が今日は一層ひどいことになっていることに彼女は気付いているのだろうか。

 

 あれこれ考えているのもめんどくさくなったので、隣は無視してポケットからスマホを取り出し弄る。

 

 あぷーり……何入れよう。

 やはりトークできる感じのアプリは絶対入れたいかな。確かさっきウニも交換しようだなんだいってきたやつは――これか、テレビでよく映ってるやつだしこれを入れておけば間違いないだろう、シェアナンバーワンって書かれてるし。

 ゲームは……まあ入れなくてもいいかな、数が多すぎてどれがいいのかもわからん。

 

 ダウンロードをしている間、気が付けば私の頬をいじる手は止まっていて、いつの間にか横の席に座り込んでいた琉希が肩を寄せていた。

 彼女は間抜けに口を開いたまま暫し固まり――はっ、と意識を戻す。

 

「スマホ買ったんですか!?」

「うん」

「ついに現代の利器を……!? じゃあ私のアカ登録しときますね!」

「あっ、勝手に……!」

 

 気が付けばひょいと上からつまみ上げられ、ぽちぽちと何か言い返す間もなく勝手に操作されてしまう。

 スマホが手に帰って来た時には時すでに遅し、真っ白であった画面に一つ、彼女のアホ面が満面のアカウントが登録されていた。

 ごてごてとハートだなんだと上に張り付いているのだが、これが目だ、頭だ、全く関係ないところだと、どう見ても適当につけた感満載で何とも言えない気の抜けた雰囲気に一役買っている。

 

 もう少しどうにかならなかったのだろうか。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百十六話

「へへ、私が一番ですね!」

「……ふん、もう少しまともなアイコンにすればいいのに」

「えー!? 何ですかその態度は!」

 

 こんないい感じなのに……!

 

 嘆きながら画面をつつく彼女のセンスは恐らく今後も理解できそうにない。

 この手の物に触れてこなかった私ですら微妙だと思うレベル、きっと今どき小学生でももう少しまともなデザインセンスをしているんじゃないだろうか。

 

「なぁオレにもくれよ」

「えー……」

 

 こいつの存在を忘れていた。

 一体何が彼をここまで駆り立てるのだろう。お前のアカウントをもらうまで張り付くぞと、聞く人によっては完全に不審者扱いで通報されても仕方ないレベルの発言をしながら私の前に陣取り、スマホを片手に握り締めるウニ。

 

 キモイ。

 

「お前……! 泉都ちゃん、こいつのアカ教えてくれ」

「いいですよ!」

「琉希!?」

 

 ついでに姉貴と剛力さんにも送っておくか。

 

 琉希から受け取った直後、ウニの独り言と共に勝手に拡散されていく私のアカウント。

 これが現代社会の闇か。本人の意思とは関わらず勝手に広まっていく、なんと恐ろしいのだろう。

 どうしてみんなはこんなやばいものを平然と扱えているのか、私には理解に苦しむ。

 

「やあ、随分と楽しそうじゃないか」

「みょっ!?」

 

 あーだこーだとスマホの使い方を教わっていたその時、突然背中を突かれ奇声が出てしまった。

 一体だれかと思えばそこにいたのは古手川さん、額に汗をかき片手に買い物袋を提げての登場だ。

 

 ギラリと真夏の日差しを反射するメガネ、ひくついた口角と不機嫌そうに顰められた眉。

 今までそう何度も話したことがあるわけではない、しかし大体あそこで本を読んでいたのでてっきり本の鞭(・・・)だとばかり思っていたのだが、外を出歩き、挙句に協会へ寄るなんて珍しいこともあるものだ。

 

 ふむ、一体協会に何の用だろうか。

 二週間前の靴の予約をしたときはもう少し明るいイメージ……二週間前……

 

「……あ゛っ」

 

 そう、今は嘗て彼の店を訪れ靴の注文をしてから既に二週間(・・・)が経過している。

 

『そうかい、了解したよ。そうだな……一週間後に取りに来てくれ』

 

 以前言われた言葉が去来しては何度も木霊する。

 うむ、完全に忘れてた。

 これ私が一週間待っても来ないから怒ってるんだ、頭から完全に吹き飛んでいたよ。

 

「まさか忘れてたわけないよね?」

「……そ、そげなことなかとよ?」

「……」

「……えへ、忘れてた」

 

 頬をつねられた。

 

 

「どうだい?」

 

 かかとからつま先へと手を這わせ、確かめるように触った古手川さんが尋ねる。

 私の足に嵌まっていたのは特に派手なところもない、白をベースとした革製のスニーカー。だがただのスニーカーではない、ダンジョン産の素材を使って作られた耐久性に優れている逸品だ。

 

「おお……ぴったり」

 

 勿論新品故だろう硬さこそ残っているが、大きさや足裏へぴったりと沿う感覚はオーダーメイドや調整をした結果完璧、むしろ新品でこの馴染み様はちょっと怖いくらい。

 寄付されたお古を使うことが多かったのですごい新鮮、前買ったものはあまり戦いで使えるものではなかったし。

 

 私だけの特注品、私だけの靴だ。

 

「よしよし。面ファスナー(俗にいうマジックテープ)と紐の両方を採用したから、激しく動き回ってもそう簡単には脱げないと思うよ。ただ一応調整してあるとはいえ、慣れてない状態で靴ズレとか起こるかもしれないんだけど……」

「あ、それなら私『活人剣』で治ると思う」

 

 かすり傷程度なら一撃で治してしまう活人剣。

 重症を負ってしまったとかならばともかく、靴擦れなど痛みを感じるより前に回復してしまうだろう。

 

「ふぅん、変わったスキル取ってるんだねぇ君。あとは成長とかでまた靴のサイズが変わってくるかもしれないんだけど……君なら大丈夫かな」

「手踏んでいい?」

「だめだめ。この黄金の手を踏もうだなんて、並大抵の心臓じゃ出来ないよ」

 

「あっそうだ。傷は使い続けていれば君の魔力を勝手に吸って修復してくれるけど、面ファスナーは糸くずとか絡まって結着力が落ちるから、時々爪楊枝で剥がしてあげてね」

「わかった」

 

 箱に入れていくかい?

 

 そう赤いリボンと小綺麗な箱を差し出されたが、別に誰かへプレゼントするわけでもないし、それになにより……

 

「ううん、履いていく」

「了解。じゃあこれ、前回忘れていったポーション」

 

 ガラス質の物がぶつかり合う高音と共に机の下から取り出されたのは、小瓶に詰まったあれ……あの紅い宝石……さふぁいあ? のように綺麗な赤い液体。

 ぬらりと輝きを湛えとろみで小瓶の裏へ張り付くその存在は、この世界に存在しなかった力を秘めている魔法の存在、ポーションだ。

 とはいっても品質は中程度なのだが。

 

 ああ、そういえば話の流れで靴の採寸をしたから受け取っていなかったか。

 

 ひょいと指の間へ挟み、並べられた三つ(・・)の小瓶をアイテムボックスへ放り込むと、礼と共に薄暗い扉を抜け外へ出る。

 

 まだ完全に熱気が落ち着いたわけではないが、斜めに差す日差しは次第に景色を琥珀色へ染めていく途中だ――直に辺りも昏くなるだろう。

 結構長くなってしまった、一からの手作りというのもあって調整という物は中々時間がかかる。

 

「ん-……ふぃ、つかれたぁ」

 

 戦っていたわけではないが今日は疲れた、主に精神的な面で。

 

 ぐい、と天へ両手と背筋を伸ばせばビリビリと痺れるような快感が通り抜け、無意識にため息がこぼれてしまった。

 折角手に入れた靴、ぜひとも動いてみたいところではあるが今はもう遅い。いつぞやのように急いで戦う必要もないし、今日はホテルに帰ってゆっくり休もう。

 

 夕暮れが私の影を伸ばす。

 親連れの子が横を駆け抜け、中学生だろうか、目の前で解散しバラバラの方向へ自転車を走らせる姿を横目に、ゆっくり土手を歩いた。

 

 ああ、私も帰る家があればいいのに。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百十七話

 時刻は午前九時。

 日によってじっくりと炙られ始めたアスファルトが熱を帯び、陽炎が熱気を示すように揺らめきだす時間帯。

 

 背中へずっしりとした久しい感覚を確かめつつ、後ろへ振り向けば筋肉が腕を組んで立っていた。

 

「じゃ、行ってくる」

「おう」

「崩壊止めに行くなら私も呼んでよ、絶対だからね」

「わーったわーった! 良いからさっさと行ってこい、くれぐれも前言ったことは守るようにな」

 

 一応これ持たせとくから、戦う前には読むこと。

 筋肉が念入りに繰り返し、最後にはこちらの手へメモまで握らせてきたのは、以前の練習試合で彼が私へ忠告してきたことだ。

 

 そう、今日私は協会へ籠ることをやめた。

 筋肉曰く、

 

『お前の戦闘の基本を教え込み、悪い癖を修正することはできる。だが、お前がどんな戦術で、どういう風に戦うか一から十までを決めることは俺にはできねえ。だから常に俺に張り付くんじゃなく探せ、ダンジョンに潜って自分で自分を見極めろ』

 

 というわけで、納得できるような出来ないような、もしかして体よく邪険にされているような気がしないでもないことを言われ、一人他のダンジョンへ潜ることになった。

 まあ言っていることは分かる。身長だって違う、レベルやスキルだって全く異なる人間の戦い方全てを指南できるなんて、そう優れた人はいないだろう。

 

 私は私の戦い方で、か。

 

 

「なに?」

「言い忘れたことがあった。ヤバそうだったら逃げろ、何もかも捨てて逃げろ。死んだら終わりだが生き残ればまた拾い直せるからな」

「りょ!」

「りょ! じゃねえよ、どっからそんな変な返事聞いてきた」

「え? 一木さんだけど」

 

 一木さんとは穂谷さんと共に探索を行っている人だ。

 ポニテできりっとした雰囲気の人なのだが酒を飲むとふにゃふにゃになるらしく、昨日靴を受け取った日の帰りに突然絡まれSNSを交換することになった。

 穂谷さんに助けてもらった時横にいたらしく、その話をしたりした時彼女が返して来たのが『りょ!』だ。

 

 この返事、今流行りっているらしい。

 私も流行りに乗らなくては、このスマホという機械のビックウェーブに。

 

「あんま変なこと吹き込まれても信じるなよ」

「りょ!」

「本当に人の話聴いてんのか?」

「りょ!」

 

 新たに手に入れた靴で地面をぐっと踏みつけ駆け出せば程よい反発、以前の劣化したゴム底とは比べ物にならないくらい走りやすい。

 ついつい楽しくなって宙返りしたり、高速で反復横跳びしたりと無駄なことを絡ませながら走ってしまう。

 

 これは戦うのが楽しみになって来たぞ、うおおお待ってろモンスター共!

 ちょああ! ちょああ!

 

「昨日テレビじゃ今は『り』だとか言ってた気がしたが、まあどうでもいいか。第一ダンジョン内だと電波通らねえのにどうやって連絡しろってんだ」

 

 筋肉が背後で呟いた悲しい事実も知らずに。

 

 

 カタン……コトン……

 

 電車は動き続ける。

 人を、未来を、多様な其々の思いを乗せて。

 今日も窓から見える蒼の塔は晴れ渡る空より蒼く、静かに佇んでいた。

 

「ふぃ……涼しい」

 

 どさりと重い音を立てて床へ卸されるリュック。

 私の動きに合わせ額に浮かぶ汗が零れ、人知れずシャツへ染み込む。

 

 適度な反発を持つ椅子へ腰を下ろし途中で買ったスポーツドリンクを一口喉奥へ流し込めば、甘酸っぱく少しだけしょっぱいそれが口内を満たした。

 ちょっと寒いくらいに効いた冷房が、日光とアスファルトから芯まで重ね焼きにされた身体をゆっくりと冷やしていく。

 

 今日も電車に乗る人は恐ろしく少ない。

 一人、二人……五人、スーツを着た人が大半なのは出社なのだろう、みな一様にスマホや新聞を覗き込んで熱心に何かを睨んでいた。

 きっと政治の動向とか株の変動とかを見ているのだろう、この前CMでそういう感じのことを言っていた。

 

 いつもならすることもなく、外を解け流されていく深緑をただ眼で追うだけの時間……だが今日は違う。

 ふふ、今日からは私も頭良さそうな人の仲間入りだ――そう、スマホがあるから!

 

「安心院重工が政府と民間でも扱える武器の新開発契約をしめ……むすび……? ふむふむ、なるほどね、うんうん」

 

 よく分からん。

 あ、メロン丸ごとアイス……!? でっちようかん!? う、う、うおさめ抹茶とわらびもちのソフト!? え、すっごいおいしそう。

 ところでうおさめ(宇治)抹茶ってなんだ、この目に痛いほど濃厚な緑色といいなんだか凄そうな響きだ。

 ほえ、台湾カステラ……? カステラは好きだ、甘くておいし

 

 ピイイィッ!

 

 鋭い警笛が耳を突き抜け、電子の世界へ旅立っていた私の思考を現世へ呼び戻す。

 首を捻れば既に閉じかけている扉。まずい、電車が出てしまう。

 

「や、やば……! 『ステップ』!」

 

 ポイッとスマホを投げ全力疾走、限界までも跳躍。

 リュックをひっつかみ閉じ行く扉をすり抜け、ギリギリのところで駅のホームへ飛び移ることに成功した。

 本来街中でこういったスキルをホイホイ使うことはあまりよろしくないのだが、今回は緊急事態なのでセーフだろう。セーフセーフ。

 

 ふぃ……さて、ここのダンジョンは……?

 

 ポケットへ手を突っ込むが、あの冷たく硬質で四角い無機物へ指が触れない。

 手に当たるのは飴の包みとレシート、それと切符だけだ。

 

 おかしい、確かここに突っ込んでいるはずなんだけど……あれ?

 さっきまで検索してアイスとか見てたのに、一体どこ……へ……!?

 

 ふと覗き込んだ電車の中には見慣れた銀のフォルム。

 次第に加速していきあっという間に見えなくなってしまったが、あれは間違いなく私の……スマホ……

 

 

 

 

「……あああああ! 待って! ストップ! とまってええええ!?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百十八話

 電車内へスマホを投げて放置してしまった事に気付いてから五秒、私の行動は迅速であった。

 

 切符を改札へ叩き込み扉が開くより速くジャンプ、人並を黒いあいつよりも素早く抜け去り駅を脱出。

 この時点で既に電車は遠く視界ギリギリ、豆粒ほどのそれは高速での移動を開始していた。

 

「いかめし一つください」

「まいどありっ!」

 

 まず入り口にいた出店からいかめし弁当を買う。

 運がいい、食べてみたかったんだこれ。

 

 普通の人ならここで諦めるだろう。

 冷えたいかめしを食らい、駅員へ話を伝え、無事それが戻ってくることを祈りながら帰宅し、いつ来るかも分からないお便りを暗い部屋で今か今かと待ちわび神へ希う(こいねが)に違いない。

 

 だが私は違う。

 

 ぽいっといかめしを『アイテムボックス』へ放り込み、天を仰いでゆっくりと深呼吸をすれば焦りは自然と消えた。

 次の駅までは電車の速度でおよそ10分、田舎特有の一直線に通った線路……当然人はいない。

 ならば答えは唯一つ。

 

「『ステップ』! 『ストライク』ゥ! 『ステェェップ』ゥ!」

 

 フルスロットルで駆けるしかないっ!

 

 

「はぁ……! はひ……! げほっ! はぁっ!」

 

 肺が苦しい……ひ、膝が震える……流石にきつかった……!

 

 ここは地上、モンスターなぞは当然いないが、それでもスキルをフルに使って走り続けるのはやばい……途中からは普通に走る羽目になった。

 だがおかげで圧倒的に早く先回りすることに成功したようで、ホームで五分ほど待ちスマホの回収に成功した。

 

 そして反対路線へと乗り込み、元の駅まで戻ってくるのに合計20分。

 無駄に時間を喰ってしまった、おなかすいた。

.

.

.

 

 

 

「いかめし一つください」

「あいよ! ……君さっきも来なかった?」

「いやその……今食べちゃって……」

 

 やはりというべきか、いかめしを売っているおじさんに指摘され、流石に私も恥ずかしさで赤面してしまう。

 最近食べても食べても食べたりないというか、満足感だとか満腹感が全く来ないのだ。

 あれだこれだと食べてもなんか違うというか……もっと食べるべきものがあるような気がしないでもない。

 

 はっ、まさかこれが成長期……!?

 そうか……そういうことだったのか……! ようやく私の身長が伸びる日が来た、そういうことなのか……!

 これはもっと食べるべきだな、うん。

 

「やっぱり五つください」

「五つね! 三千円丁度まいどあり!」

 

 

 今回向かうダンジョンは砂漠だ。

 

 おいおいあっつい外から逃げて入るのが砂漠ってアホなんか、そう思わないでもないが、そもそも私の町から一時間程度の距離で行けて、かつ今の私のレベル――1万程度の適正ダンジョンがここしかなかった。

 いや、もう一つあるっちゃあるのだが、そこはそこで雪原らしくどちらにせよ結構環境としてはきついものがある。

 

 砂漠は日本の夏よりカラっとして過ごしやすいって書いてあったし……大丈夫だよね?

 正確にはステップ気候だとか……ステップというのだからよく分からないがジャンプするのだろう、何がかは知らない。

 まあ塩飴と水はたっぷり買い込んでおいたし、食料もいかめしと、最悪最近食べてないが希望の実を拾って食べれば何とかなる。

 

「それにしても一万かぁ……いよいよだなぁ」

 

 適正レベル一万、それはCランクダンジョンという一種のボーダーラインへ足を掛けたということ。

 はっきり言って今回潜るダンジョンの情報はほとんどない。

 Cランク相応の実力があればわざわざDランクダンジョンで楽々金に困らず暮らしていける、それ故大半の人々はこれより先を攻略することは無くなるからだ。

 要するに情報を集める人も、情報を必要とする人が大きく減るため、現存するダンジョンを網羅することはほぼ不可能……大都市圏近くの物は流石に調査されているらしいけど。

 

 ダンジョンの崩壊だって低ランクの方がその頻度は多い(・・・・・・・)、崩壊時の危険性は分かっていてもコストだなんだと見過ごされている以上、現状はどうしようもない。

 

「リュックよし、靴紐も……よしっと」

 

 掌へ伝わる確かな感覚。

 

 マジックテープと靴ひもでガチガチに固められた靴は、それこそ足ごと切り飛ばされでもしない限り脱げることはないだろう安心感がある。

 服装はいつもの安物シャツとズボン。

 本当は薄く長い服装の方が日光を遮れていいらしいが、日焼けなら殴れば治る、汗をかいたら水を飲めばいいしそれより服装で少しでも速度が殺されてしまうのが一番いやだ。

 

 地面へ設置されたダンジョンへの扉は土や草に覆われ、まともに人が入っている形跡はない。

 一瞬カリバーで殴り飛ばせば土や草を全部吹き飛ばせるんじゃないか、とちょっと邪な考えが湧いてきたが、それ以上に扉が壊れたら大問題だとその考えを振り切り、しぶしぶ足で蹴っ飛ばして剥がしていく。

 

 しかし隙間に土が入り込んでいるようでなかなか持ち上がらない、これだから管理されていないダンジョンは嫌なのだ。

 

「ふぬぬっ……そりゃ!」

 

 細い金属の取っ手。

 全力で上に引っ張ればひしゃげてしまいそうなものだが不思議とそんなことはなく、ゆっくり、ゆっくり隙間が大きくなっていく。

 どうにか上まで持ち上げ開けると、入り口から噴き出すように乾いた空気と、叩きつけられた扉によって巻き上げられた土が眼を直撃した。

 

 

 

「……!? ああああめがあああぁぁぁ……」

 

 ドンッ! ガタガタガタッ!

 

 どんなにレベルが上がっても人間の構造は変わらない。

 目に物が入れば痛いし、呼吸を止めたら死ぬのだ。

 

 突然の痛みによろめき躓き、転がり、地下の通路へと私の身体が転げ落ちていく。

 そんな感じで私の『砂上の嘶き』攻略が始まった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百十九話

 地下へ潜ったら外だった、奇妙ではあるがダンジョンなら今さらのことなのでそこまで驚きもない。

 真っ蒼な空からは強烈な日光が照り付けてくるし、どこまでも白い砂や岩が転がり、あまり生物間は感じられない景色が延々と広がっている。

 

 今まで潜って来たダンジョンは案外日本にもありそうなものであったが、こういったどこまでも砂漠というのはあまり見かけない。毬栗如雨露だっけ、がある光景っちゃ光景と言えるだろう。

 

「お、サボテン」

 

 暫く散策したところ見つけたのは、銀色の針がギラリと太陽光を受け反射するサボテン。

 一般的なサボテンと言えば天高くへまっすぐに伸びていくものだが、面白いことにこのダンジョンのサボテンは地面を這うように成長するらしい。

 

 砂漠感すごい、本当に砂漠ってサボテン生えてるんだ。

 おお、針もすっごい鋭いし痛そうだなぁ。

 

 どれどれ、ちょっと触ってみようかと手を伸ばし、

 

『危険を避けろ、意識をもっと配れ』

 

 ……はっと意識を取り戻して腕を引っ込める。

 

 この前の密林へ潜った時注意を払わず葉っぱへ飛び乗り、丸呑みにされたのを思い出せ私。

 まあこの硬そうなサボテンがぐびゃぐびゃ動き出すとはちょっと思い難いが、あんまりあれこれ下手に触れるのも危険だ。

 小さな気配りが生き残るコツなのよ。

 

 突っつきたいところではあるがぐっと我慢、サボテン君を置き去りにして砂漠へ足を延ばす。

 のんびりとしている暇は……まあ有るけど、今のところモンスターも見当たらないし手探りで探索するのだから、時間は多ければ多いほどいい。

 

「あれ? こんなところにもサボテンが」

 

 気付けば足元にもサボテン。

 同じく銀色の針がびっしり生えていて、やはりこれも地面へ寝そべった変わった姿勢。

 

 さっきはなかった気がしたが……どうやらサボテンの群生地らしく、背後ですわ(・・)畑か、それともサボテンの村かとでも思うほど大量のやつら。

 一瞬何か動いたかと思ったが、やはりサボテンばかりでモンスターらしき影はない。

 

 ふむ……

 

 

「なんだ、気のせいか……と見せかけて振り返り!」

 

 背中をあえて見せて、ちょっとばかし走ってからのフェイント。

 さあ陰に隠れたその姿を見せてみろモンスター!

 

 

 

「さ、サボテンが動いちょる……!」

 

 

 

 うぞ……うぞ……

 

 てっきり砂の内側やサボテンの影に隠れていると思っていたのに、振り返って見てみればゆっくりとこちらへ伸びてくるサボテンの姿。

 移動しているのではない。根っこを伸ばし、普通の植物とは比にならないほどの速度で成長と枯死を繰り返して前へ進んでいるようだ……進んだ後にはからからに干からびた元の身体が転がっている。

 私が振り向いたことに気付いたらしく、ちょっとしてからピタッと成長を止めるがもう遅い。

 

「嘘じゃん……ふぉ!?」

 

 サボテン達が、突っ込んできた。

 

 それは先ほどとは比にならないほど馬鹿気た速度。

 車が道路を走るより速く、一般人ならあっという間に飲み込まれてしまうほどの勢いは、さして衰える気配もなくこちらまで一直線に進んでいる。

 

 モンスターだ……!

 このサボテン達はモンスターだったのだ……!

 

――――――――――――――――

 

種族 クリーピング・カクタス

名前 イルケア

 

LV 12000

HP 32771/33219 MP 9054

物攻 60357 魔攻 3475

耐久 5732 俊敏 42977

知力 9184 運 72

 

――――――――――――――――

 

「いぃ!? そんなのあり……!?」

 

 理解はできても納得はできない、だが納得しなくともモンスターは襲ってくる。

 

 逃げるか……それとも迎え撃つか……?

 逃げる場合厄介なのが私ほどではないとはいえ驚異的な速度、そう容易に振り切れるわけはなく、もし失敗したとなれば体力を消耗した上で大量のサボテンを相手することになる……か。

 レベルの高さは私と同程度、そんな状態で立ち向かうのは不安が残る。

 

 アイテムボックスから相棒(カリバー)をぬるりと引き抜き、覚悟に口を結ぶ。

 

「……迎え撃とう」

 

 早めに気付けて幸いであった、流石にあの針塗れの身体と熱い抱擁は避けたいし。

 

 突撃して来るならこちらも飛び込もう、背後から襲われるより何倍もましだ。

 間隙を縫い攻撃を加えつつ反対へ逃げる。幸い耐久は低い、そう何度も繰り返さずとも倒せるはず……!

 

 きりきり筋肉が引き締められ、足首が砂へとめり込んだ(・・・・・・・・・・・)

 

「『ステップ』……!?」

 

 なんだ……この違和感……!?

 

 今までの硬い地面とは全く違う、足が飲み込まれ力分散していく。

 走っているのに体が前へ進まない、過去とのすり合わせが上手くいかない、意識だけが前へ前へ進もうとするこの感覚。

 

 これは……ヤバい……!

 

 砂だ。

 今までの固められた地面と異なり個々の地面は砂と多少の岩だけ、ちょっとばかり力を加えられれば脆く崩れてしまう脆弱な地面は、大きく地面を蹴り飛ばす私の脚力に耐え切れない。

 このままじゃ姿勢を崩してサボテンの中へ突っ込んでしまう……!

 

「う……んんんんぁ! 『巨大化』ぃ!」

 

 無意識のうちに放っていたのは『巨大化』。

 だがその場でモンスターを倒すためじゃない、地面に、手を伸ばせば届いてしまうほど近くの足元へカリバーを捩じりこむため。

 

 睫毛一本の距離まで、砂粒一つ一つがしっかり見える程顔へ近付いていた砂が急激に離れていく。

 

 跳躍。

 

 棒高跳びの選手が手の棒一本で大空を舞うように、私も倒れる勢いを利用してカリバーを棒代わりに体を打ち上げた。

 伸びる、どこまでも伸びる。普通の棒なら自重だとかしなり(・・・)だとかで折れてしまうかもしれないが、専用武器ならば決して壊れない……サボテンの群れ全てを飛び越してしまえるほど伸ばしてしまおうと、何の問題もない。

 

 そして! 空からならどれだけのモンスターがいるかも丸わかり!

 数は18、群れ、しかも私一人を狙っていたため全てが一か所に固まっている!

 

「ピンチはチャンス! 『スキル累乗』対象変更、『スカルクラッシュ』ゥ!」

 

 ゆっくりと近づいてくる地面、だがもう先ほどと異なって高跳びする必要なんてない。

 巨大化したカリバーが風を、光を纏い嘶く。

 

「『スカルクラッシュ』! ゼアアアアアッ!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百二十話

「『スカルクラッシュ』! ゼアアアアッ!」

 

 鈍く狂暴な轟音が砂と共に撒き散らされた。

 

「ふょえ……」

 

 きっつぅ……

 

 砂で随分衝撃は吸収されたはずだが、それでも足腰へ昇る厭らしい痺れに吐息が零れた。

 脳天へ突き抜けた衝撃に意識がくらくらとする……けれどまだ戦いは終わっていない、霞む思考の中『スキル累乗』の対象を『ストライク』へと切り替える。

 

 粉々に砕けたサボテン達の中にはまだ傷一つなく、こちらへ方向転換しようと成長を始める者たちも見えた。

 着地の隙をついて襲い掛かるつもりだ。

 

 一直線に通る縦に伸びきったカリバーは、いくつかのサボテンをバラバラに打ち砕きつつ、しかしすべてを倒しきれたわけではない。

 当たり前だ。群れなしているということは広がっているということ、細い棒でそのすべてを一度に打ち据えることは不可能。

 群れの端をちょっとばかり叩きのめしたに過ぎない。

 

 だがそれでいい。いや、それがいい。

 この位置なら『薙ぎ払える』のだから。

 

「食らえ……!」

 

 立ち位置とは関係なく、スキルの導きによって体は強制的に適正な動きへ補正されていく。

 踏み込んだ右足を軸にぐるりと体を振り回し、力を反発するでもなく靴底は砂へめり込み続ける……

 

 大きく伸ばされたカリバーは非常に重くなる。

 もちろん今の私にはそれを軽々と持ち上げる力があるが、長く重くなったカリバーによって重心がずれてしまえば私の身体が勢いに浮かんでしまい、踏ん張ることも出来ず転んでしまう。

 

 しかしこの砂場なら話は別だ。

 

 大木が縦横無尽に根っこを張り巡らせてその巨体を支えるのと同じように、砂場の奥底へ回転と共に足をめり込ませれば……私の身体が振り回されることもないっ!

 

「うう……どっこいしょぉ! 『ストライク』っ! むんっ!」

 

 豪風一閃。

 

 短期間で酷使された結果、ブチブチと無言の悲鳴とでもいべき何かが引きちぎれては、食らいついた獲物から魔力を貪り即座に治癒が行われていく激痛と救済の連鎖。

 私の身体が壊れようと、敵が死んでいようが生きていようが関係ない。無慈悲の横薙ぎは犇めくサボテン達をすべて抉り、潰し、叩き潰していった。

 

 

「ほ……ふ……はぁ……はぁ……」

 

 スキルを『経験値上昇』へもどしつつ、汗を腕で拭う。

 

 久々に死を感じた。 

 できる限り集団戦は避けていたが、もしかしたらここの情報がいまいちはっきりしていないのは、大都市の近くでないという以上に、このサボテンの厄介さが関係しているのか。

 掌だって摩擦だろうがひどく痛い(・・・・・)、もしかしたら皮むけてるかもしれん。

 

 目元へ垂れていた汗を拭うように指先を這わせ……ピリッと走る鋭い痛みで反射的に振り払う。

 掌にはいつの間についたのか、拳程度の大きさになったサボテンが引っ付き……うぞうぞと根を伸ばし始めていた。

 

 寄生……!?

 

 ここまで小さくなったというのに、それでも命を絶やさずこのサボテンは私の身体へ根を張り生き延びようとしているらしい。

 

「くそっ!」

 

 力づくで剥ぎ取り何度も踏み潰せば、漸く死んだようで光へとその姿を変える。

 ここでこのダンジョンで初めて(・・・・・・・・・・・)レベルアップの音を耳にしたことに気付く。

 

 そう、今ここでようやく私はレベルアップしたのだ。

 本当ならあり得ない。このレベル帯だ、今までの経験からして一体当たり1000は上がってもおかしくないはずなのに。

 

『最後まで気を抜くな』

 

 それが指し示しているのは……まだ死んでいないということ!

 はっきり言って信じられない! こんなに粉々だというのにっ! けどそれしかありえないっ!

 

 地面には無数のサボテンだった残骸が転がっていた。

 二メートルほどある萎びてない部分は全てぐちゃぐちゃに叩き潰されて、大きくても私の頭ほどまでの大きさに分割されている。

 当然人間なら……いや、どんな強大なモンスターであろうと、ここまで砕かれれば決して生きているわけがない、今まで出会ったモンスターは全部そうであった。

 

 でもこのサボテンは生きている(・・・・・)

 ここまで徹底的に叩き潰されても、その破片は蠢き、根を伸ばし、周りの残骸を吸収して体を再生させ、着実に私を追いかける準備を始めている。

 

 絶対に逃がさない、執念のモンスター。

 

 こんなの……こんなの……!

 

「不死身じゃん……!」

 

――――――――――――――――

 

種族 クリーピング・カクタス

名前 ドーナ

 

LV 11000

HP 16884/30667 MP 8765

 

――――――――――――――――

 

 サボテンの体力が見る見るうちに回復していく、先ほどまで三桁に手を掛けていたはずなのに。

 

 先ほど見たものとは別個体らしいが、後ろで次々と再生をしているのが見えるあたり、こいつらはどいつも死んでいないということ。

 再生を塞ぐには焼くか、それとも凍らすか……どちらにせよ現状では勝てない、魔法を使えない私には。

 

『言い忘れたことがあった』

 

 分かってる。

 

『ヤバそうだったら』

「ヤバそうだったら……逃げる!」

 

 ドッ! ドッ! ドッ! ドッ!

 

 再生の終わりを見届けている暇なんてない。

 砂に飲み込まれ縺れる足を無理やりに引きずり出し、大股で必死こいて走り続けた。

 時に他のサボテンが背後の集団に加わるのも横目にしつつ、それでも走って、走って、走って……

 

 

 

「なんか萎びてる……?」

 

 ふと、サボテンとの距離がいつの間にか随分離れている事、そしてその表面がくすんで見えることに気付いた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百二十一話

「なんか萎びてる……?」

 

 

――――――――――――――――

 

種族 クリーピング・カクタス

名前 ドーナ

 

LV 11000

HP 2943/30667 MP 3543/8765

 

――――――――――――――――

 

 名前もレベルも同じ、先ほど『鑑定』で調べ上げた同一個体だ。

 だが艶のあった表面はいつの間にかしわの撚ったちりめん模様に、伸びる速度も先ほどほどではないようで、砂へ足とられつつ必死こいて逃げなくとも距離が取れるようになっている。

 

 回復していたHPも減ってる……なんで……? 

 味方同士で共食いならなぬ共吸収でもしているの……?

 

 同士討ちでもしているのかと思ったが様子が違う、もし同士討ちなら横にいる仲間に根っこを伸ばしているはずだが、少なくとも見える限りではそんなことはなく砂の上だけに根を這わせている。

 しかし走れば走るほど、進めば進むほどサボテン達はしわしわになっているように見えた。

 まるでそう、人間が全力で走れば疲れ、息を荒げるのが当然であるかのように。

 

 そうか、こいつらそれこそ命を燃やして移動しているんだ。

 当然だ。植物が伸びるのにどれだけのエネルギーを使うだろう、伸ばした分後ろから栄養を吸い取って足しにはしているようだが、それでも一切の消耗なく根を生やし体を成長させられるわけがない。

 つまり……

 

 MPとHPの両方を使い高速成長し集団で一気に仕留め、消耗した分を補うのがこいつらの狩り……!

 

「でも――狩るのは私!」

 

 魔法を使う必要なんて最初からなかった、そんなことをしなくともこいつらは勝手に疲労し、体力を削り、私の前に首を垂れる。

 そして体力を限界まで使い切った奴らに私を諦めるという選択肢はない、ここで狩らなければ死んでしまうのだから。

 

 逃げてよかった、逃げなければこんな単純な事にも気付けなかっただろうから。

 

「フォリア船抜錨ぉ!!」

 

 遂には動くこともまともにできなくなったようで、次々と地へ伏せていくサボテンどもへ駆け寄り、カリバーを軽く叩きこんでいく。

 果たして……予想通りサボテンは再生もせず、光の粒へ姿を変えた。

 

 こいつらは確かにとんでもない強敵だ。

 バラバラに打ち砕かれても破片を吸収して瞬時に再生してしまうし、破片へ下手に触れてしまえばそこから寄生されてしまう、その上植物の癖に移動速度だって速いと来たもんだから手に負えない。

 だが……

 

『レベルが1135上昇しました』

「行ける……!」

 

 確かな手ごたえと勝利への確信。

 流石に炎天下を走り続けたせいで肩で息をしてしまうが、それ以上の喜びに心が躍る。

 まだ情報が足りない、流石に今のような戦い方では危険を伴うのであまりできないが、一体ずつ情報を集め対策を練りこめば実にいいレベル上げ相手になりそうだ。

 

 決めた、今日はこいつでレベルを上げよう。

 

『レベルが1047上昇しました』

 

 

 追ってきたサボテンのすべてを叩き潰し終え、走っている途中で見かけた岩陰に姿を隠していったん休憩。

 冷えた岩にぺったり背中を宛がい冷たい水を飲めば、何も入れていないはずな水の甘さと清涼感にため息が漏れる。

 

 日光に当たらなければ砂漠でもだいぶ暑さはマシかも……

 

 塩飴を舐めながら静かに目を閉じ全身に集中すると、酷使された太ももや肩、腕など節々がじんわりと熱を帯びていることに気付く。

 以前炎来でやけくそ気味に『スキル累乗』のレベルを上げてしまったせいだろう、今の『活人剣』ではダメージを補い切れていないらしい。

 そろそろスキルの調整もするか。

 

―――――――――――――――――

 

結城 フォリア 15歳

LV 20876

HP 41754 MP 104385

物攻 41759 魔攻 0

耐久 125267 俊敏 146147

知力 20876 運 1

 

 

SP 30880

スキル

 

スキル累乗 LV8

悪食 LV5

口下手 LV11

経験値上昇 LV6

鈍器 LV4

活人剣 LV11

ステップ LV1

アイテムボックス LV3

 

Σ∀しょウ 浸食率 2%

 

―――――――――――――――――

 

 うーむ、取りあえず反動を抑えるためにも『活人剣』は……20くらいまで上げてたいけど……

 計算苦手なんだよなぁ、電卓でも買った方が良いのだろうか。

 えーと、11と19を足して……8かけて……

 

 目の前にはちょうどいいことに砂がたくさんあるので、計算するのには困らない。

 サラサラと指で恐らくこれであっているだろうという単純な式を連ねていった結果は……

 

「12000!? んなぁー!」

 

 思わず頭を抱え転がってしまう。

 

 最低限の上昇量だというのに、これだけで現状のSPを四割も使ってしまうことに気が付いた。

 スキルのレベルが上がるほどにSPの要求量が増えること、そして10の数値を超えるたびさらに二倍だのとされてしまうことを知ってはいても、実際目にするとでは全く違う。

 おせちがからい。

 

 しかし嘆こうと地団駄を踏もうと結果は変わらない、必要なものは必要なのだ。

 泣く泣くSPを割り振り、無事『活人剣』のレベルは20となった。これで与えた20%のダメージは私の回復に当てられる、これでも反動に耐え切れないようならもう少し上げる必要があるが現状は保留。

 次のレベル1上げるだけで上げるだけで10000とかやってられん。

 

 せめてどのスキルを上げれば何が手に入るとかもっと分かればいいんだけど……情報が全然ないんだよね。

 

 ただでさえ危険を伴う探索者、スキルを冒険して取ろうという人も少なく、そもそも私のように数百倍の勢いでレベルを上げられる存在自体がまあ……多分いないだろう。

 それこそ『剣術』だとか一般的なスキルならある程度出回っているが、それでもスキルレベル20程度までが限界だ。

 ネットを見てどれを取った方が良いとか従っていた最初の頃と違って今の私は割と上位層ということらしい、あまり自分自身そんな認識はないけれど。

 

 つまり……この先どのスキルを取るかは自分で決めるしかないんだよねぇ……何とるか、それともレベルを上げるか……ひどく悩みどころだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百二十二話

 全身が日陰にいたはずだというのに、いつの間にか影からはみ出したカリバーの先が肉でも焼けてしまいそうなほど熱くなっていたことに気付き、慌てて場所を移動する。

 

「む……もう12時か」

 

 圏外のスマホは唯の時計にしかならないが、その無機質なデジタルの時計は12時から5分ばかり過ぎ去った時間を示していた。

 自分でも気づいていなかったが随分と長いこと考え込んでいたらしい。

 モンスターも基本的にこの太陽が照り付ける下で動き回るものは多くないらしく、現状あまり大きく動く影がないのは幸いだ。

 

 スキルの調整、そう一言に纏めてしまっても方向は色々ある。

 『ステップ』かあるいはそういった補助スキルを新たに獲得或いは伸ばす、新しい攻撃手段を手に入れる、全く未知のスキルの可能性を信じて確保するか。

 だが攻撃手段に関しては正直なところあまり考えていない、『スキル累乗』を使うなら十分現状で補え切れるわけだし、なによりこれ以上上げると反動で本当に体がもたない、死ぬ、冗談抜きで。

 

 と、なると補助だよね……どうしよ。

 やっぱり得意な事でも伸ばすべきかな……苦手なことを伸ばすよりそっちの方が良い気がする。

 うん、そうしよう。

 

 思考の整理が整えばあとはバシッとスキルを上げるだけ、今回上げるのは『ステップ』に決まりだ。

 今までさんざん使い倒してきて、このスキル程汎用性の高いものはないだろうと言い切れるほど便利なのは自分でも分かっている。

 まあ正直今でも一回使うと大体三メートル、いや、四メートルくらいは一気に飛べるのだが、最近レベルが上がっても大きく移動距離が伸びなくなってきた。

 そろそろレベルを上げてもいいころだろう。

 

 取りあえず20くらい上げるかな……む、SPが全然足らん……取りあえず10で我慢するか、これでも2250必要なの……!? はぁ……

 

『ステップがLV10へ上昇しました』

『スキル アクセラレーションを獲得しました』

 

「ちょわっ!? え? なんて?」

 

 全く何も聞かず適当にスキルをポチポチ上げていたので、突然全く聞きなれない言葉を差し込まれ心臓が跳ねた。

 

 あくせ……汗……?

 

 そういえばLV10になったのだから何らかのスキルを獲得してもおかしくはない、全く意識していなかったが。

 しかし言葉の意味がちょっとよく分からない、もう少し分かりやすい日本語で言ってほしい。

 

―――――――――――――――――

 

 アクセラレーション 習得条件:ステップ LV10

 

 消費MP 使用者のLV×使用時間(秒)

 意識と肉体の俊敏値参照による加速と影響の遮断

 

―――――――――――――――――

 

「???」

 

 んー……速くなる?

 うん、多分動くのがすっごく速くなる。秒数ごとにレベル分だけ消費なんてすっごい消費しそうだ、私ならMPが最大だとしても最大で五秒しかこのスキルを使えない。

 人間は五秒で一体何が出来るんだろう、私ならパスタを袋から出して沸騰したお湯に入れるくらいしか多分できないぞ。

 

 ま、使ってみるかな。

 

「えーっと、なんて言えばいいんだ――あくせられーーーしょん!」

 

 って叫ぶとか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何も起こらない。

 スキルは間違いなく発動している、何もしていないというのにステータスのMPはものすごい勢いで減って行っているからだ。

 その消費速度、体感からして一秒あたり50程度。だが何も起こらない。

 空は静かに蒼を湛え、雲は動くこともなく空を漂っている。

 

 はぁ……あっついなぁ、アイス食べたい。

 

 はて、無駄なスキルだったのかもしれんなコレは。

 まあ『ステップ』を取ったついでに生えてきたようなスキルなのだから、そこまで期待をしていたわけではないし、と、ふと額に浮かんだ汗を拭い払う。

 

 

 

 振り払った腕から直線状に砂が吹き飛んだ。

 

 

 

「は?」

 

 舞い散った砂の一粒一粒がゆっくり、ゆっくり、すべてに重しがかかっているかのようにちんたらと目の前を過ぎる。

 振り払った汗が水滴の形をして、ねっとり、ゆっくりと砂へ吸い込まれていく。

 全てがまるでスローモーション(・・・・・・・・)の動画でも見ているかのように遅い。

 

 なんだこれ……何が起こってるんだ……!?

 私以外の何もかもが遅い……!?

 

 違う、私自身が加速しているんだ。

 あり得ないがそうとしか言えない、スキルに書かれている通り意識と体が加速した世界にいる。

 何百倍にも引き延ばされてスロー再生をしている世界で、私だけがこの世界を普通に動き回ることが出来る。

 

 私だけが入れる世界。

 

「へ……へへ……!」

 

 すごい、凄い凄い!

 

 一歩踏み出せば突風が吹き荒れ、砂に大きな足跡が刻み込まれる。

 空中で拳を振り回せば無数のかまいたちが岩に斬撃を作り上げる。

 誰も私についてくることなんて出来ない、きっと筋肉の攻撃ですら今の私には亀以下のクソ雑魚に違いない。

 

 とんでもないスキルだ、これは。

 

 こんな速度で動き回れば本当は体がぐちゃぐちゃになってもおかしくない、いや、なって当然のはず。

 でも何も起こらない、風圧すら全くない。

 遮断されているんだ、基本的な風や地面を蹴った時の反動などその一切が。

 要するに何一つ遮るものが存在しない、この加速された世界で文字通り私は自由自在、今まで通りの動きをできる。

 

 だが『アクセラレーション』を使っていない人間からしたら、普段の私の数百倍の勢いで動き回っていることになる。

 最強だ、圧倒的だ、無敵だ。

 

「うおおお! さいきょー!」

 

 喉から思わず噴出した叫び、しかし興奮はとどまることを知らない。

 そして私は感情の赴くままに、ぴょんっと軽くジャンプをしてしまった(・・・・・・)

 

 ドバァァッ!

 

 砂粒を追い越し、風すらも切り裂き、本来跳びあがれる距離なんかとっくのとうに追い越し大空を舞う体。

 以前ステップで勢いを相殺し大ジャンプをかましたが、今はそれ以上の高さを余裕で飛んでいる。

 同じ力でも速度が出ている分すごい高さだ。

 

 まあこんだけ高く飛んでしまってもすぐに地面に……

 

 地面に……

 

 

 地面……

 

「--あれ、落ちない」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百二十三話

「あれ、落ちない……」

 

 空中で足を組み地面を見下ろすが、普段は数秒でたどり着けるそこのなんと遠いことだろうか。

 最初こそ面白かったがあまりに地面へ足がつかないのでだんだん飽きてきた。

 

 空中でゆっくりゆっくり減速していく体。

 大きくジャンプするときはこんな感じで確かに減速していくが、いつものそれより明らかに遅い。

 

 そうか、減速や落下速度もゆっくりになっているんだなコレは。

 基本的な動きや呼吸など、どういった原理かは知らないがこの加速した世界でもいつも通りの動きが出来るから気付かなかったが、私の力が作用しないところはどうしようもないのだ。

 跳びあがった時の速度は加速されているので当然圧倒的に早い、しかし減速や落下は基本重力に引かれるのを待つしかない、と。

 

 あれ、待てよ。今の私は普段の数倍の高さを飛んでいる、恐らくもう少し上まで飛ぶだろう。

 もし落ちる速度が自由落下に任せるとしたら、私が次に地面へ足をつけるのは相当先なのではないか? それこそスキルの効果時間が過ぎてしまう。

 今こそジャンプ時の衝撃などは『アクセラレーション』のおかげで遮断されているが、解除された素の状態で直にその衝撃を受けたら私は死ぬのでは? ミンチでは? 砂漠の上にフォリバーグが完成してしまうのでは?

 

「……あれ? 絶体絶命?」

 

 や、やばい……! どうしよう!?

 おち、おお、おちつけ私。思考の時間はたっぷりある、理論を導くにはまずは冷静さを保つべきだぞ、うん。

 最悪ぶつかっても下は砂、衝撃を吸収してくれるはずだし死にはしないはず。いやでも足は折れるのでは? 結局重症じゃん!

 

 仮に死ななかったとして、その衝撃をまともに受けたら気絶は免れないだろうし、こんな場所で盛大に音を上げて気絶している奴がいたとしよう。

 間違いなく周囲へその音や衝撃は響き渡り、モンスターたちはここで何かが起こったことを察し、なんならわらわら寄ってくる可能性だって高い。

 もしそんなところで足のひしゃげた人間がいたと仕様……私がモンスターならおいしく頂く、ぱっくんちょだ。

 

 どうあがいても結論は激痛、このままでは誰にも見られることなく間抜けな死を遂げることとなる。

 だめだめ、私はまだ死ねない。

 

 

 どうする……どうする……!?

 はっ、このスキルを解除すれば私の認識も元に戻り、魔力の消費をなくせるのでは!?

 

「えーっと、えーっと! どうやって『解除』すれば……あっ、戻ったァ!」

 

 果たして私がたまたま『解除』という言葉を口に出せたのは幸か不幸か、ぬか喜びはこの先の容易く予想できる絶望に塗りつぶされる。

 

「あ、サボテン」

 

 頂点から見た砂漠には、サボテンが何も語ることなく転がっていた。

 

 ふわっと内臓全てが風にでも巻き上げられるかのような、エレベーターが止まった時の強烈な感覚が全身を襲い、私の身体が最も高い位置に今いることを嫌にでも理解させる。

 

 もし解除されたとしよう。

 私の身体はどうなる? 結局落下速度をどうにもすることはできない、多少風の影響でマシになるだろうが、それでもふわっと着地できるほど抑えられるとは思えない。

 

 要するに落ちたらやばい現状は変わらない、というわけだ。

 

「あ

 あ

 あ

 あ

 あ

 あ

 あ

 あ

 あ

 あ

 ぁ

 ぁ

 ぁ

 ぁ

 ぁ

 ぁ

 ぁ

 ぁ

 ぁ

 ぁ

 :

 :

 :

 あっ! あくせられーーーーしょん!」

 

 とっさの判断でふわっと着地出来た……今度からジャンプするときはもう少し考えよう。

 

 

―――――――――――――――――

 

結城 フォリア 15歳

LV 20876

HP 38628/41754 MP 20382/104385

 

―――――――――――――――――

 

 想像以上にごっそりと減ってしまったMPを睨みつけ、ちょっとばかし『アクセラレーション』を使い過ぎたかとため息を吐く。

 

 何度か発動して分かったこと。

 まず私の身体は風などの抵抗を受け減速することはない。いや、多少の風はある。髪は走った時のようにたなびくし、服なども若干は後ろへ引かれるような感覚があった。

 正確に言うのなら、まさしく加速した世界でも普段通りの動きを再現できる……ということ。

 おそらく私の身体、そして身にまとう物だけが魔力で強化だか保護だかされているんじゃないだろうか、でなきゃ安物のシャツとかビリビリに破けてるだろうし。

 

 そして次に、私へかかる基本的なものがなくなったわけではないということ。

 重力は強くも小さくもなっていないし、空気はそこにある。あくまで私の知覚が加速しているだけなのだ、加速した世界でいつも通りの落下……他人から観測したら数百倍の勢いで落下したりすることはない。

 体感ではなく現実の時間で落下速度は決まる。

 

 これが本当に曲者なんだよねぇ。

 

 今まで戦ってきて何度かあったが、翼もなく自由に飛べない人間に空中というのは非常に不利な環境だ。

 落下速度をエンジン的なものでブーストするとかでもなければ、自由落下に任せて足が地に着くまで祈るしかない。

 現状は一旦解除し、落下直前でまた『アクセラレーション』を発動することでどうにかしているが、ただでさえ高く飛ぶことで落下時間も増えているので以前より大きな隙に鳴り得る点も忘れてはいけないだろう。

 

 きっとまだ気づけていない問題点があるはずだ、戦闘などできっと見つかるはず。

 何かをすればするほど山積みとなっていくそれはちょっと恐ろしい、あまり考えたくないし使わないという選択肢が脳裏でさっきから出たり入ったりしている。

 

 でもうーん……どうにか解決すればすっごい強くなれる気がするんだよねぇ……このじゃりじゃりロバ(・・・・・・・・)スキル。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百二十四話

 『アクセラレーション』を手に入れてから三時間ばかりたった頃、サボテンから逃げていたせいで道を見失ったためやみくもに走り回っていた時だった。

 

「うー入り口どこ……?」

 

 確か地下に降りてきて……石の扉を開いた気がする。

 砂漠の上にぽつんと何もない扉がおいてあるのだから簡単に見つかると思っていたのだが、砂の色も似たような白さなので全く見分けがつかない。

 

 失敗だったなぁ、完全に迷ったぞこれ……

 

 速度は落とさずちらりと後ろを向けば、サボテン達の群れが付いてきてた。

 あちこち走り回っていたせいで随分と大きな群れになってしまった、たしかこういうのをトレインというのだったか。

 どうやってこいつらは私を見つけているのかと思っていたのだが、どうやら目はない代わりに砂へ伝わる振動を感知しているらしく、大分離れたところからでもどんどん吸い寄せられてくるのだ。

 

 めんどい。

 

「『アクセラレーション』……ふぅ」

 

 どこか硬く感じる砂の上で座り込み息を整える。

 二リットルペットボトルの水を飲み干し、ぽいっとそこらに放置。

 地上ならともかくダンジョン内ならどうせそのうち魔力に分解されるのだ、世界中がやっていることを誰が咎めるだろう。

 

 ぐるりと群れの後ろへ回り込み、カリバーを空高く突き上げた。

 

「『巨大化』、『スカルクラッシュ』っ」

 

 銀と緑の水風船が連続して弾け飛び散る・

 真下にいたサボテン達は、まだ自分がぐちゃぐちゃに叩き潰されたことにすら気付いていないだろう。

 

「くぅ……!」

 

 伴って現れた腕のしびれと痛みに集中力が鈍り、即座に追ってくる回復で不快な感覚は拭い去られた。

 

 まるで硬いものを無理やり殴り飛ばしたかのような衝撃、無理に『スキル累乗』のレベルを上げる以前も『累乗ストライク』でこの程度衝撃を受けていた気がする。

 そういえば昔聞いたことがある、すごい高いところから落ちると水面がコンクリートみたいに硬く感じると。

 超高速で動き回り攻撃している現状、衝撃も尋常じゃないらしい……それこそ、『アクセラレーション』による保護すらも突き抜ける程に。

 

 ダメージもその分上がるので回復は問題ないが、この骨がずれ、何度もこすれ合う痛みは……正直吐きそうだ。

 

「『スキル累乗』対象変更、『ストライク』」

 

 しかしまあ、回復するなら実質ダメージは0だし危険はない。

 危険がないということは安全ということだ、安全にレベル上げが出来るのだからこれは間違っていない。

 ただこれを発動することでどれだけの衝撃があるのか、正直結構ビビってるので『スカルクラッシュ』ではなく『ストライク』で様子を見ることにした。

 

「ふぅ……よし、やるぞ……っしゃおらぁ! 『ストライク』……」

 

 

 何が起こった

 

 

 無茶苦茶だった。

 雷撃が全身を舐めつくすような、激流に放り込まれた1枚のちり紙のような、痛みすら感じることのない暴力が私の全身を叩き潰した。

 それを私は、ほんの一瞬も認識することすらできなかった。

 

 きゅう、と視界が暗幕へ覆われる。

 痛みすら感じない世界で、何も見えなくなってしまう。

 

 不味い……こんな状況で気を失ったら……!

 

 加速した世界で、私の意識すらもが置いて行かれる、指先が無数にぼやける。

 突っ込め、アイテムボックスへ。そしてポーションを飲め、でないと……

 

 

 

 これは、血?

 それとも……ポー……しょ……

 

 最後に見たのは、ぐちゃぐちゃに潰れた指先から滑り落ちた

 

 

 

 パキ

 

 

 

「あ、っぶな……ぁ! ぺっ」

 

 死ぬかと思ったぁ! もう駄目かと思ったぁ!?

 

 噛み砕かれた瓶がいたるところに突き刺さり、血まみれになった口内からポーションの瓶を吐き捨て、まっすぐに戻った指先をぺろりと舐める。

 すぐにのどの痛みも取れ唾ものみこめるようになった、そこそこいいやつを買ってきて正解だった。

 

 たまたま寝転んだ状態で取り落としたポーションが口の中に入ったから助かったものの、本日2度目の自分のスキルによる死を迎えるところであった。

 また私が死んでしまう、こいついっつも死にかけてんなとか言われてしまう。

 

 加速した世界での『累乗スキル』は危険だ、今回は運がよかったが多分次は助からない。

 一気に片づけられるかなと思ったが今回はやめだ、おとなしく普通のスキルだけ使ってサボテンの殲滅に従事しよう。

 

「くっそ……お前らマジで許さんからな」

 

 長距離の移動で萎び体力が減ったサボテンを見つけては怒りのままに蹴飛ばし、叩き潰し、もう一度叩き潰す。

 

「お客様のっ! 中にっ! お疲れのサボテン様はいらっしゃいませんかぁっ!?」

 

 バキッ! メキョッ! ドゴォ!

 

 まだ皮がピンっと張って生きのいい奴は残しておく。

 果たしてどれくらい殴れば死ぬか分からないし、こいつら殴っても砕けてしまうので、強力なスキルで殴れば必ず倒せるって訳ではないからだ。

 

「『解除』」

 

 加速世界が解除された瞬間、弱っていたサボテン達はほぼ同時に爆散し、砂漠の上に転がる小さな染みへとなり果てた。

 その中心で一人佇むのは私だけ。他のサボテン達は何が起こったのかも理解せず、突然ごっそりと消えた仲間に同様でもしているのか、ピタリと動きを止めた。

 

 植物特有の青臭い匂いが鼻を突き、風に掻き消される。

 

「……かっこいいな、私」

 

 いつの間にか肩にかかる程度まで伸びた金髪を風へ流し、つい呟いてしまった。

 

 私が動きを止めた瞬間、相手からしたら1秒も経っていない刹那に仲間が爆散して、目の前で追っていた敵がこっちのど真ん中で立っていたわけでしょ?

 超かっこいい、やってること完全にラスボスじゃん。

 すごいアホな理由で死にかけたけど、誰にも知られていないからセーフだ。

 

 良いじゃん、このスキル。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百二十五話

「『でせれーしょん』!」

 

『合計、レベルが6上昇しました』

 

 加速した世界から帰還した直後、背後に集まっていたサボテン達が爆散する。

 

 昨日の夜、『解除』だとちょっと安直すぎるんじゃないかと思い、ネットの翻訳を使って調べたのが『でせれーしょん』だ。

 予想通りめっちゃかっこいい、英単語使ってると頭良さそうに見えるよね。

 

―――――――――――――――――

 

結城 フォリア 15歳

LV 50678

HP 101358 MP 253395

物攻 101363 魔攻 0

耐久 304079 俊敏 354761

知力 50678 運 1

 

SP 76230

 

―――――――――――――――――

 

 うーん……

 

「強い!」

 

 相変わらずひどく偏ってはいるものの、知力や運を除き、最も低いHPですらちょっとした目標であった六桁を超えたことに熱いため息が漏れる。

 

 はじめはどうなるかと思ったが、あっという間にレベルは最初の三……いや、四倍くらいまで跳ね上がってしまった。

 流石にもうサボテンではレベルが上がらないようだが、僅か二日でこれなのだから十分だろう。

 

 そろそろ他の獲物を探そうかな……でも見かけるモンスターどいつも今の私のレベルより下なんだよね……

 

 半径数十メートルはあるであろう巨大なすり鉢状の巣を構えるクワガタムシみたいなやつ、ゴロゴロと転がって移動する全身とげだらけのドラゴンみたいなやつ、この二日で主に見かけたほかのモンスターはこの二種類だった。

 

 特に偽クワガタムシは危なかった。斜面が非常に急勾配となっていて、走れば走るほど崩れていく地面に絶望すら感じる程だ。

 結局自分から飛び掛かって『アクセラレーション』し、空中から何度もカリバーで串刺しにして事なきを得たのだが。

 ドラゴンみたいなやつは異様に硬く厄介な相手ではあったが、攻撃手段はあまり多様ではないようでさほど苦労することはなかった。

 間違って触れてしまった瞬間に手の水分が吸い取られ、見る間にしわしわになってしまった事には驚いたくらいだ。

 

 しかしこいつら、どっちもあまりいないのが難点だ。

 岩山などの目安を覚えてあちこち足を運んでみたはいいものの、特定の場所にいるわけでもなく、数も少ないのでレベル上げの対象としては向いていない。

 

「そろそろ帰るかぁ……欲しいものも出来たし」

 

 ここの町には協会がない、初日くたくたの身体を引き摺って町へ降り、いくつかの確保しておいた魔石を売り払おうとした時に分かったことだ。

 聞けば昔はあったらしいがあまりに探索者が訪れず、また新しくなろうという人も見つからなかったので撤退してしまったらしい。

 

 もしダンジョンが崩壊したらどうするつもりなのだろう。

 ふとそう思ったが、常に命を張る探索者になろうなんて人間がそもそもあまり多くない、ちっぽけな町一つを維持できないほど人手不足なのかもしれない。

 

 砂が吹き荒れ、強烈な太陽が照り付ける地下の砂漠。

 見慣れぬ環境ではあるが人とは不思議なもので、数日足を運んだだけだというのにこの過酷な世界へちょっとばかりの愛着が湧き、離れることに一抹の寂しさを感じる自分へ驚く。

 居た期間としては『炎来』の方が長かったが、あそこに潜っていた時は切羽詰まった状況に板挟みだったのもある。

 

 二日間『アクセラレーション』を使い倒して分かったことがあった。

 もしこれが上手くいけば空中での隙を潰すことも出来るかもしれない、戦術が大きく広がるのは間違いないだろう。

 

 小腹が空いたので、出る前に拾っておいた希望の実を服で砂を払って口へぽいぽいと放り込む。

 隙間に残っていたのだろう、不愉快なじゃりじゃりとした砂の触感と共に、マイルドな渋さと苦み、そしてかすかな甘さも感じた。

 あれ、久しぶりに食べたけどこれこんな美味しかったっけ。

 

「ん、もしもし筋肉?」

『おう、どうした』

「うん、五万くらいまで上がったから帰る」

 

 おっと、靴紐が解けておる。

 

『ごま……嘘だろ!?』

「えへ……ん、よしっと」

『おいおい……本当にとんでもないやつ拾っちまったなぁ……気をつけて帰ってこいよ』

「うん。すっごい強くなったからさ、今度模擬戦しよ。私勝っちゃうかも」

『ガハハ! そりゃまだ無理な話だな!』

 

 あっ、そうだ。

 お土産にいかめし買っていこう。

 

 

「ただいまー」

 

 ガラリ扉を開け、昼も間近な協会へ踏み込む。

 相変わらず静かで人は……と思いきや、今日ばかりはどういった事だろうか、両手の指でも足らないほどの探索者達でごった返していた。

 しかしその誰もがスマホや、備え付けで普段はBGM程度にしか扱われていないテレビへ体を向け、何かを食い入るように見つめている。

 

 え、怖い。

 なに? そんなにおいしそうなものでも特集してるの?

 

 あまりに異様な雰囲気で流石に怯んでしまい、さっさと換金を済ませたいので人々を押しのけへしのけ、カウンターで麦茶を飲んでいた園崎さんの下へ向かい、魔石を差し出しながら耳打ちをした。

 

「ど、どうしたの?」

「あ、フォリアちゃん。今ニュースでやってたのだけれど……」

 

 ロシアの『人類未踏破ライン』がね、崩壊したらしいわ

 

 その日は、やけにセミの鳴き声がうるさかった気がする。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百二十六話

 絶望という物は突然来るように感じる。

 例に出せばそれは無数にあり、人によって定義がまた大きく変動してしまうが、そのどれもは意識外からひょいとやってきては、私たちの心を酷く叩きのめしていくものだ。

 

 モンスターか人かに踏み潰され途絶える映像、絶え間なく響くサイレンと人々の悲鳴、騒音。

 暴虐の嵐とでもいえばいいのだろうか、映像に出てくるそれは荒々しく、あまりに早過ぎる攻撃は映像で捕え切れていないようで、モンスターが動いたかと思えば既に家が吹き飛んでいる。

 統一感もなく暴れる怪物たちに人々はなすすべもなく食いちぎられ、映像は絶え間なく切り替わり、最後には顔色の悪いキャスターの姿だけが映された。 

 

 まるで映画だ。

 いや、私は別に映画を嗜む高尚な趣味があるわけではないが、よく週末に流されている映画ではアメリカが定期的に滅びているのでそんなイメージを持ってしまったのかもしれない。

 

「え……めっちゃヤバくない……?」

 

 『人類未踏破』というのは未踏破だからそういわれるのだ。

 正確にはAの中でも上位のところは踏破されていないとはいえ、未踏破ラインのレベルは100万を平然と超え、今までのモンスターとは一線を画す絶望的な存在。

 数こそ片手で数えられるほどとはいえ、その一つ一つが普通のダンジョン崩壊とは比べ物にならない、一体だれがこの溢れ出したモンスターたちを倒すのだろう。

 

 『人類未踏破』だけじゃない、そもそも高ランクになるダンジョンの崩壊は少ない……A以上に関しては今までなかったはずだし、崩壊しないと言われていたじゃないか。

 だってもしそんなことが起こっていたら一大事だ、戦争で焼け野原なんて甘いものじゃない事態になっているし、もっと大騒ぎされているはずなのに。

 

 しかし彼女は焦った様子もなく、平然とした声音で返す。

 

「大丈夫よ、今日中……いや、明日(・・)には皆忘れてるわ」

「は?」

 

 いやいや、どう考えても今日明日で収まる話じゃないだろう。

 

 だが、本当にそれは突然なのだろうか。

 本当は小さく、小さく、誰にも気付かれない程度ではあるが、ずっと前からすべて動き出しているのではないだろうか。

 きっと私たちの世界に起こっていたこともずっと前からちょっとずつ起こっていて、しかし誰にも気付くことが出来なかっただけなのだろう。

 

 確かに気付ける人はいる。才能か、偶然か、或いはその両方かもしれないが、小さな違和感から答えを引っ張り出せる人間も当然存在するはずだ。

 だがたった一人に何ができるというのだろう。

 蟻が一秒後像に踏み潰されるのを理解したとして、運命がそう大きく変わるわけでもない。あまりにどうしようもない現実に諦めるしかないのだ。

 

 私に笑いかけた園崎さんの顔は、諦観に塗りつぶされていた。

 

 話は終わりだとばかりに本を取り出し、まるで私の声が聞こえないかのように振舞っては必死にページを捲る彼女。

 何度も何度も同じ行を指先でなぞる彼女の姿は、必死に冷静を保とうとしているようにしか見えなかった。

 その姿が痛ましくて、見ていられなくて、横をすり抜け筋肉の執務室へ向かう。

 

 園崎さんは、何も言わなかった。

 

 

「筋肉!」

「入る時くらいノックしろ」

「コンコン! 筋肉!」

「今しても遅いだろ。ロシアには行かんぞ」

 

 そこに座ってろ、冷蔵庫に水出しの緑茶入ってるぞ。

 

 私が入って来た時は丁度電話を切ったところであったらしく、一言二言会話を交わした直後にまた電話が鳴り響く。

 どうやら、というよりやはりというべきか忙しいらしい、内容は間違いなくロシアにあった『人類未踏破ライン』のダンジョンについてだろう。

 それならば帰ろうかと思ったが、しかし一つだけ聞かないといけないことが……

 

「え、ロシア行かないの?」

「陸路も空路も海路も全滅だからな。第一行ったところで殺されるだけだ、どうしようもない」

「でも!」

 

「なあ結城、人には出来ることと出来ないことがある……俺だって出来れば向かいたいさ、だが行ったところでもう遅い(・・・・・)んだよ」

 

 固く握り締められた拳から彼の足元へ、粘り気のある赤い雫が垂れた。

 

「……ごめん……なさい」

「ああ、気にするな。どうせ明日には忘れてるさ(・・・・・・)

 

 また、だ。

 その『明日までに忘れている』っていうのは、一体どういう意味なんだ。

 

 私の疑問へ蓋をするように電話が鳴り響く。

 一息置いた彼はそれを取り上げ、内容が想定外であったのだろう、大きく顔を顰め荒々しく怒鳴った。

 

「ああ!? D程度を食い止められなかっただぁ!? 人手が足りなかったって……分かった、今から行く!」

「ど、どうしたの!?」

「他のの管轄だったダンジョンが崩壊した、今から向かう」

「私も行く」

「……いや、お前は付いてくるな。今回は危険だからな」

 

 嘘だ。

 Dランクダンジョンなら『炎来』と同水準だ、ダチョウや蛾のレベルからして今の私には容易く倒せる程度のレベルだし、昨日電話でレベルの話をした筋肉に理解できないわけがない。

 規模は全く違うがアメリカのとこのDランクダンジョン、共通点は一緒で、何か情報を拾えるはず。

 

 きっと二人は何かを知っている。きっと私には……いや、私たちには知らされていない何かがあるはずなんだ。

 

 だから私は……



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百二十七話

 筋肉についてくるなと言われた後、私が訪れたのは古手川さんの店。

 『アクセラレーション』、いや、それだけに限らず空中での移動が大きく制限される現状を解決すべく、考えていたものを作ってもらうために足を運んだ。

 

「やあ、三日ぶりかな」

「うん……目悪くなるよ」

「もう悪いから問題ないさ」

 

 こちらへ気付いてメガネをくいっと押し上げる彼は、相変わらず薄暗い部屋に小さなライト一つで文庫本を開いていた。

 彼だって今起こってるこの大事件を知らないわけじゃないだろう、しかし何も言わない。それは彼自身が興味ないのか、それとも私の態度を見てあえて何も言わないのか、私には分からない。

 けれど普段と変わらない雰囲気にほっとする、きっと今はたとえコンビニであろうと日常はないだろうから。

 

 まあそこに座りなよとでもいうように、適当に足で椅子が差し出されたので有難く座り、大量に買い込んだいかめしの一つを机に添える。

 

「これお土産」

「ふむ……いかめしか。海にでも行ってきたのかな? 有難くいただくよ」

「うん」

 

 そういえばそうか、気付かなかったが海の近くだからこそ売っていたのか。

 

 はて、それなら今度琉希を誘って遊びに行こうかとも思ったが、私はあまり泳ぐのが得意でない。

 プールの授業では体が浮かばないのと、体力があまりにないのでちょっとばかり泳ぐのすら疲労困憊だったから。

 

 まあ今はそもそも海だなんだと言っていられる気分ではないのだけれど。

 

「それで用事は? ポーション……って訳でもなさそうだね」

「あ、ポーションも一つ、いや二つ貰う」

 

 いそいで作ってほしいものがある。

 私が口にした瞬間彼の目が光り、待っていましたとばかりに身を乗り出し口角を吊り上げた。

 ここからは顧客と職人で、一から十まで(顧客)の要望を聞き完璧に叶えるのだと、それが古手川さんの矜持なのだと表情から伝わってくる。

 

 しかしなかなかどういったことか、自分の中のイメージを十全に伝えるのは難しい。

 身振り手振りの肉体言語であれこれと、二、三分説明を繰り返した果て、ペンと紙を取り出しながら言った。

 

「ふむ、要するにかぎ縄みたいなものか」

「かき……あげ……?」

「ほら、見たことないかなぁ……忍者が塀とか登るときに投げてる、こんな感じで縄の先に錨みたいなのが付いてるやつ」

「あ! それそれ! それ欲しい!」

 

 サラサラと紙の上に描かれたそれはまさしく私の望んでいたもの。

 まさかあのアバウトな表現で完璧に脳内のイメージを再現してしまうとは、もしかしてこいつエスパーか?

 

「」

 

 しかし満足感のある私とは対照に古手川さんはどこか気がかりがあるようで、顎へ右手を添え眉をひそめ、何かを付け加える様に横へペンを走らせた。

 

「どしたの?」

「いやぁ、一応高レベルの探索者向けに編まれたロープは在庫あるんだけどねぇ、これ何に使うんだい? どこか登るとか?」

「ん、まあそんな感じ。移動中何かに投げて引っかけられたらって考えてる」

「あー、フックに関しては一般人向けの物しかないんだけど、多分君の目的で使うとすぐ曲がるか砕けるかすると思うんだよね」

 

 なるほど。

 

 考えてもいなかったが確かにその可能性は高い。

 彼には伝えていないが『アクセラレーション』中ならヨリ強烈な力がフックに加わるだろうし、そうなれば容易く壊れてしまうことはごく当然のことだった。

 

 これはもう少し考え直す必要があるか……?

 

 強力であるが、一方でただの攻撃スキルを使うだけでも反動が凄まじく、空中での移動に大きな制限がかかり、消費MPも尋常じゃない『アクセラレーション』は使う時をかなり選ぶ、云わば私の切り札ともいえるだろう。

 今までも『アクセラレーション』なんて使わなくても戦ってこれたのだし、このスキルにしては見なかったことにしてしまおうか。

 

 でも空中での移動手段は欲しい……魔法使えたらもっと出来ること変わっていたんだろうか、背後に魔法撃って反動で加速するとか。

 

「いや、でもやっぱり必要」

 

 ちょっと考えた結果やはり必要だなと、彼へ注文する。

 未完全なものを私へ出すことに抵抗があるのか、苦い顔つきで渋々と頷いた彼は暫し待つように私へ伝え、店の奥へと姿を消した。

 

 スマホの画面をちらりと覗けば、店に訪れてからまだ十分程度しか経っていない。

 筋肉といえど一切の準備なしで協会を出ることはできないし、昼時の電車なんて大した本数は通っていない……まだ充分追えるだろう。

 

「お待たせ。この程度ならオーダーメイドって言うほどの物じゃないから、今回は材料費だけにしとくよ。こんなので大金ふんだくるのも気持ちのいいものじゃない」

「うん、ちょっと急いでるから……」

 

 高い自覚はあったんだ……

 

「はいはい。後で引き落としておくから行っていいよ、こっちはポーションね。本当は結び方も教えときたいんだけど……」

 

 教えてる暇もないのかい? それならあとで『もやい結び』って調べてくれ、一つ目は結んでおいたから。

 

 ポーションと予備のカギを三つばかし、そしてカギを括りつけられたロープを受け取り、ぽいぽいと『アイテムボックス』へ放り込むと彼へ頭を下げる。

 

 その時、高速で移動する影が店の前を横切った。

 間違いない、筋肉だ。本気で走ればもっと速度が出るのだろうがここは外、あれが周囲を確認しつつ動ける程度の速さなのだろう。

 

 これなら私にもついていける。

 

「ふぃ……よし!」

 

 靴紐も万全、走って疲れたときようにポーションも追加で買った!

 あとは追うのみ!

 

 

 

 私はこの時の選択を後悔しているし、やってよかったとも思っている。

 この選択のおかげで失っていた大切なものを得られたが、一方で抗いようのない大きな渦へ巻き込まれざるを得なくなってしまったから。

 しらないと目を逸らし続けていればきっと、他の人々と同じように私は何も知らぬまま終わることが出来たし、背負わなくて済んだ。

 

 ただ一つだけ言えるのなら……現実は結構残酷だってことだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百二十八話

「フッ、フッ……」

「よっと……」

 

 走る、走る、走る。

 風を切り、路地を横切り、炎天下だろうと休むこともなく筋肉と(勝手に後ろをつける)私は走り続けた。

 学校のマラソンなんて可愛らしいものじゃない、車での出迎えを断って走ることを決めたのだから当然だ。勿論人とぶつかる危険も考慮してだろう、曲がり角等では多少減速するがここまでほぼ休みなしだった。

 

 車なら本来通れないであろう細い道も走破できるのは探索者の強みだ、最短距離でどこへでも迎える。

 勿論戦いの前に疲労することはなるべく避けたいし、大概は何らかの交通手段を使うことが多いけど、こういう緊急事態においてはその限りではない。

 

 走り続けている途中、丁度電車用の小さな橋が掛けられたトンネルへ差し掛かった時。

 

「ん?」

 

 やばっ……!

 

 人通りの少ない道の上、目の前の小さいトンネルで音が響いたのだろう、できるだけ消していたとはいえ後ろから続く私の足音に違和感を感じたのか、彼の太い首がぐるりと捻られた。

 

「『アクセラレーション』」

 

 もはや反射的な行動だった。

 こちらへ完全に振り向く前に小声で『アクセラレーション』を発動し、何か隠れられるものはないか右へ、左へと視線を向ける。

 

 草に飛び込むか? いや、草の揺れや動きで怪しまれるかも……あっ、橋でいいか。

 

 ぴょいと軽くとび、音の出ない様に側面のはみ出たボルトへ掴みぶら下がる。

 無ければ怪しまれることもなかったが、橋があったおかげで運よく姿を隠すことが出来たのは果たして幸なのか不幸なのか。

 

「『でせれーしょん』――ふぃ、危なかった」

「何が危なかったんだ?」

「筋肉の察しの良さでしょ。何を隠してるのか知らないけど、弟子である私には知る権利が……ちょわ!?」

 

 いったいいつの間にそこへいたのか、橋の端(・・・)に座り込んだ筋肉が私を上から見下ろしていた。

 彼は頭痛が痛い(・・・・・)といわんばかりの表情で額を抑え、何とも言えない微妙な表情のままこちらへ近寄ってくる。

 

 ここから逃げても遅いかな。

 流石にこれはもう無理だと観念して手をはなし、同じく道路に降り立った彼の下へ向かう。

 

「やっぱり勝手についてきてたか」

 

 完璧に姿を隠していたというのに。

 

「なんで分かったの」

「お前みたいな金髪が着いてきたら嫌でも気付くだろ、カーブミラーとかでも目立ってんだよ!」

 

 ビシッと刺された近くのカーブミラーには確かに、黒々としたアスファルトと正反対な私の金髪がよく映っていた。

 そ……

 

「そんな……!? そんなこと気付けるわけないじゃん!」

「大体明らかに納得いってない顔で協会飛び出せばだれだって察するわ。はあ……ったく、どうしたもんか」

 

 気付かれてしまったのなら仕方がない、ここは作戦ごり押しで行こう。

 

「今もモンスターに襲われてるんだから早く行こ!」

「お前が決めるなお前が」

 

 ぴんっと額を弾かれ、しかし諦めたように目元を覆い嘆息。

 

 私だって足手まといになるなら無理に行こうとは思わない。

 しかし元々今の私のレベルなら十分に対応できるダンジョンのはずなのだ、彼が隠しているナニカに関すること以外は。

 勿論単純な好奇心もあるが、それ以上に後味の悪い園崎さんの顔が張り付いて離れない。

 無理に聞き出すことも出来ず、けれど放置も出来ない複雑な気持ち。

 

 嫌だった。

 知っている人が何かを諦めるのを、辛い思いをしているのが目に見えて理解しているというのに、自分自身が何もせず放置するのが。

 だから知りたい。ちょっとでも、そこに何があるのかを、二人が何を知っていて隠そうとしているのかを。

 

「ふぉ」

 

 突然顔に衝撃が走る。

 筋肉の大きな両掌がこちらの頬をぶにりと潰し、顔を近づけながら言った。

 

「いいか、今から言う言葉をよく覚えておけ」

「ふぁい」

「お前と俺はこれからダンジョンに行く。崩壊したダンジョンじゃない、普通のダンジョンでお前の成長した実力を測るんだ」

「……ふぁ?」

 

 何言ってるの……?

 今から崩壊してしまったDランクダンジョンに行って、溢れたモンスターを処理するんじゃなかったのか……?

 もしかして髪の毛がないので夏の強烈な直射日光に焼かれてしまい、思考回路がちょっとあれになってしまったのだろうか。

 

 思えば彼はここまで一切の休息をなしで走って来た、疲れているのかもしれない。

 私は時々『アクセラレーション』で水分補給したり、ポーションをちびちびと飲んで休息を取っている。このスキル本当に便利だ。

 

 『アイテムボックス』から取り出したのはコンビニで買ってきた凍っているスポーツドリンク、手のひらほどのそれをタオルに包みぴたりと彼の額に当てる。

 これで冷やしつつ水分補給すれば少しはましになるだろう。

 

「あげる、急がないといけないのは分かるけどこっちまで体調崩したらだめだよ」

「……馬鹿にしてんのか?」

 

 良いから覚えておけ。

 一応もう一回言っておく、同じ文面を繰り返したあと彼はツン、と鼻を小突いた。

 

 『普通のダンジョンで私の実力を測る』……?

 はっきり言って意味が分からない。だがどうやら彼は大真面目にそれを言っているらしいというのは、その態度や表情から読み取れた。

 

 ふむ……これは世間一般で俗に板前だったか技前だったか、一人前とかいう奴だろうか。

 

 確かに私の見た目はまるで小学生だ、自分で言うのは大分抵抗があるが、悲しい現実は認めざるを得ない。

 それを崩壊したダンジョンへ連れて行くなど、見る人によっては確かに拒否感を掻き立てるかもしれないし、大騒ぎすることだってあり得る……のか?

 

 彼の言った謎の言葉の根拠をあれこれと考えるが、イマイチどれもビシッとこれだ! と思えるような理由が思い当たらない。

 まあ私ごときの考えでは思い当たらないような理由があるのだろう。それへ無理に鼻イルカ(・・・・)を立てる必要もない、連れて行ってくれるのなら私は満足だ。

 

「りょ!」

「『りょ』はやめろ『りょ』は。どうだ、あと20分くらい走れるか」

「余裕、早くいこ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百二十九話

間違えて130話投稿してました
申し訳ない


「ああ美羽か、今着いた。結城が着いてきちまってな……ああ、本人には覚える様に伝えた。そうだ、後で折り返すかもしれん」

 

 走り続けようやく辿り着いたのは四方を山で囲まれた町だった。

 

 木やコンクリートが燃える鼻の曲がるような臭い。

 きっと本来はごくありふれた町であったろうに、街路樹はへし折れ、家々は奇妙に(・・・)丸くがっぽり抉れ、道路は大きくひび割れていた。

 あちこちから火柱が上がり、未だにどこかからは絶叫や爆破音が響いてくる。

 

「酷い……」

 

 焼けたアスファルトを踏み、思わず漏れた言葉。

 

 正直大分気分が悪い。

 住んでいた人は全員逃げられたのだろうか、何も分からない。

 

「気を抜くなよ。市街地は物影が多い、モンスターがそこらに隠れている可能性もある」

「ん」

「ここからは俺の指示に従ってもらう。来いと言ったら絶対に来い、逃げろと言ったら徹底的に逃げろ」

 

 全力で駆けだし動き回ろうとした私をけん制する彼の声、大体動きは読まれているらしい。

 

 逸る気持ちはあるがここは従う。

 早歩き……とはいっても一般人からすれば走っているのと大して変わらぬ速度で町中を掛け、声掛けや家の中を覗いていくが、どうやらほとんどの人は避難し終わっているらしく、人影は見当たらない。

 町を大まかにぐるりも回った結果誰もいなかったので、恐らく皆町の外に逃げられたんじゃないか。

 

 よかった……町はいろいろ壊されてしまっているし家財など今後は大変かもしれないが、命さえあれば大体何とかなる。

 モンスターが遠くに逃げる前に討伐さえしてしまえば、今回はすぐに収束するだろう。

 

 それにしても変な町、ちょっと気味が悪い。

 

 明らかに物理的に破壊された痕以外にもなんといえばいいのか、町の風景がツギハギのようになっているのだ。

 家と家は三分の一程度の位置で全く違うデザインだし、建築物に限らず道のど真ん中だというのに電線が刺さっていたり……色々と無茶苦茶にも見える。

 もしかして町おこしの一環とかなのだろうか、今流行りの前衛的芸術……? 

 

 昔美術の教科書で見たピカソの絵を、町の風景に反映したらきっとこんな感じになるかもしれない。

 

「ねえ筋……肉……?」

 

 そう暢気に思っていた、横の彼が浮かべる表情を見るまでは。

 

「不味いな……大分進んでいる。お前ここに来るまでに一匹でもモンスターを見たか?」

 

 私が首を振り。彼の目元へ刻まれた深い皺がさらに寄る。

 

 そういえば見ていない。

 変だ、ダンジョンが崩壊したなら次から次へとモンスターが溢れるはず、それがここに来るまで一匹たりとも見かけていないというのはあまりに不可思議な話だ。

 

 他の探索者に倒された……とか……?

 

 でもそれならそれで変だ。

 ここに来るまで他の探索者なんて見かけなかった、さっきまで響いていたはずの戦闘音や悲鳴も気が付けばぴたりと止んでいて、町には空虚な静寂と私たちの上がった息だけが響いていた。

 いや待てよ、確か最初ここに来た時誰かの悲鳴が聞こえたような……

 

「――!」

 

『!』

 

 二人同時に振り向き頷く。

 

 悲鳴だ、消えてしまいそうなほど小さいのは相応に距離がある証拠。

 けれどこの静かな町にはよく響く、命の危機に喉から絞り出された大きな叫びだった。

 位置は……

 

「中心の方だな、行くぞ」

「私速いから先に行く」

「あ? 何言っ……」

「後で話す。『アクセラレーション』」

 

 どうせ本格的な戦いの時などには伝える必要がある、別にこのスキルなら隠す必要もないので遠慮はいらない。

 筋肉が疑問に振り向くよりも速く、既に私は私だけの世界へ踏み込んでいた。

 

 まず真っ先に大きく跳びあがり、しかし高く行きすぎぬよう屋根に捕まって勢いを殺しながら周囲を探った。

 『炎来』のあった都会と違って大きな建物が全くない、実に見晴らしがいいのは運がいい。

 歪な楕円形上に広がった町は恐らく元々森があった場所を切り開いて作ったのだろう、真ん中へ行くほどに家々が集まっていく分かりやすい形をしている。

 

 あれは……学校……?

 

 中心とはいえ離れているのではっきりとは見えない、しかし校内には人の影らしきものや、明らかにモンスターと分かる巨大な何かが見えた。

 目を凝らせばモンスターの足元にも服らしき鮮やかなものがちらついている、もしかしたら同業者(探索者)かもしれない。

 

「そっか……避難所……!」

 

 考えれば至極当然で、まず災害が起こって真っ先に行く場所といえば広い公園や学校、一般的に避難所指定されている場所だ。

 街の外に逃げた人もある程度はいるだろうが、残念ながら今回は全員そういうわけには行かなかったらしい。

 

 

「『解除』」

 

 

 長々と地面に足をつけるのを待つ必要もないので一旦解除。

 衝撃に落ち葉が舞い、顔の汗は地面へと滴り落ちた。

 

「――んだお前!?」

「学校が襲われてるみたい。『アクセラレーション』」

 

 間髪入れずに再発動。

 巻き上げられた砂は再び地へ落ちることも出来ず、風は私に追い抜かれる。

 

 ここから一直線に向かうなら……上か。

 普段ならともかく今は緊急事態、誰がモンスターと私による破壊痕の見分けを付けられるだろうか、きっとバレないばれない。

 急いで向かうのでその分は許してほしい、怒られたらおとなしくお金払おう。

 

 深呼吸。

 空気が胸を大きく膨らませ、やけに心拍が鼓膜を揺らすことに気付く。

 まるで何かのエンジンだ。ドッ、ドッ、ドッと何度も絶え間なく、もういけるぜと私へ語り掛けてくる。

 

 

「――――フッ!」

 

 

 地面がまるで砂のように柔らかい。

 アスファルトに舗装されたはずの地面がぐにゃりと抉れ、はじけ、背後へ置き去りになる。

 

 跳ぶ。

 

 ただ一直線に、この身一つで描かれたナナメ45度の放物線は曇り空に一筋の痕を残した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百三十話

「たっ……助けて……! 誰か、誰かぁっ!?」

 

 人々は目を逸らす。

 一人の女性が短剣を片手にモンスターへ立ち向かい、けれど全く至らないその力量故無慈悲に刈り取られるその瞬間から。

 そして次に狙われるのは、固まって室内に籠っている己たちだということから。

 

 しかし彼女も他の人を罵ることはできない。かつて己自身も横に居たものを見捨て、切り捨てたことがあった。

 

 最初は故意ではなかった、無謀にも気が大きくなり一段飛ばしのFランクダンジョンに潜ってしまった時に、悪魔的な考えと思いながらもついしてしまった。

 目立つ子だった。金髪の、何を考えているのかよく分からない、整っているからこそ不気味な無表情の少女。

 ただ偶々出会ったその小さな少女を、動きも遅く体力もない、どうしてダンジョンなんかに潜ろうと考えたのかと思うほどあまりに足手纏いな存在を、どうせ助けることは出来ないのだからと切りつけ肉壁にした。

 

 だが一度嵌まってしまった、誰かを踏み台にして生き延びようとする精神は決して歯止めが利かなかった。

 

 一度なら二度も、二度なら何度でも。

 何事もなければ外で別れることもあったが、ダンジョン内で危険へ直面すればためらいなく見捨ててきた。

 事情を知る者同士で行為を繰り返す度躊躇は無くなり、いつしかそれが当然の行為になった。

 いつか罰を受けるんじゃないか、いつか報いに後悔する日が来るんじゃないか。最初はそう思っていても、次第に心はピクリとも動じることなく、納豆へタレをかけるように至極当然のこととして心へ染み付いてしまった。

 

 悲鳴が耳に噛み付く。

 

 そしてついには同じことをしていた、仲間というにはあまりに歪な関係の二人すらも切り捨てた。

 互いに裏切るかもしれない、自分を捨てて先に行くかもしれないと勘繰り合っていた最中に、やられるくらいならと置いてきてしまった。

 だが結局仲間を置き去りにしてまで逃げてきたこの校舎にはモンスターが構えていて、丁度よく現れた哀れな己を食い破らんと、その鋭く尖った牙を剥いて笑っていた。

 

 女は気付いていないが、結局のところ自分がやってきたことと同じことが帰って来ただけのこと。

 そう、ただ切り捨てられる対象に、自分が当てはまる日が来ただけのこと。

 

 その時、どこかから人の声がした。

 若いというよりは幼い、少女の声だった。

 

『――!』

 

 モンスターも、短剣使いの動きもピタリと止まる。

 

 空から現れたそのちっぽけな黄金はまっすぐにモンスターへと向かい、豪速を保ったまま突き進み続け――

 

「――ぁぁぁぁあああああ! やばっあくっ、『アクセラレぶげぇっ!? ほぎょおおおっ!? ばべっ!?」

 

 着地に失敗した。

 

 

 とても痛い。

 カッコつけて空を飛んだはいいものの、『アクセラレーション』を解除した瞬間とんでもない風圧に顔だの、口だのが押し広げられてしまいパニックに陥った結果、着地の瞬間に再発動する余裕もなく地面と熱い抱擁を交わしてしまった。

 本当に何も見えなかった、これも新しく対策すべきことの一つだ。

 

 うっ、鼻擦りむいたみたい……ピリピリする。

 

「げほっ、げほっ! はあ……助けに来た、これ飲んでいいから」

 

 モンスターの牽制ついでにカリバーを振り回し、先ほどギリギリ遠くから見えていたであろう一人へ声をかける。

 

 うつむいていてよく顔は分からないがどうやら大学生程度の女一人、他に装備がない当たり短剣一本で戦っていたようだ。

 しかし満身創痍といった言葉が実によく似合う。手足についた深い切り傷や無数の擦り傷を見る限り、恐らく持ってあと一分……いや、私が落ちてこなければきっと今頃には死んでいたかもしれない。

 

 二人で暢気に走っていたら間に合わなかった。

 そう、私はこれを予見してあえて飛んだのだ。そしてモンスターに彼女が襲われる前、あえて、そう敢えて盛大に着地失敗することで注意を引き、作戦は予想通り無事成功した。

 

 うんうんあえて敢えて、いやー助かって良かった!

 

 彼女へ手持ちのポーションをひとつ投げ渡し後ろへ下がっているよう告げる。

 目の前のモンスター……大きさとしては10メートルほど、しかとみてみればなかなか強そうだ。

 屈強な太い四肢と太く鋭い棘の生えた尻尾、地に浅黒い腹を擦り付け二つに分かれた舌をチロチロと出す姿はさながらドラゴンといえるだろう。

 

 縦に割れた橙の瞳(・・・)がやけに鮮やかに私の記憶へこびりついた。

 

 たらりとドラゴンの口元から垂れた土が下の草に触れ、見る間にぐじゅぐじゅのでろでろになる。

 あれに触れたらやばそうだ。

 

 まあ私なら負けないけどね。

 なんたって今の私レベルはCランクダンジョンすら容易く踏破できる五万越え、聞けば今回崩壊したのはDランクでも下位のダンジョンというじゃないか。

 ふふ。どれどれ、ステータスを見せてくれたまえよ。

 

――――――――――――――――

 

種族 モロモルキングドラゴン

名前 シユマ

 

LV 38000

HP 198445 MP 73959

物攻 187395 魔攻 19381

耐久 280534 俊敏 70495

知力 39378 運 35

 

――――――――――――――――

 

 あ、負けそう。




元ネタコモドオオトカゲ(コモドドラゴン)なのでトカゲです


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百三十一話

 不気味な動きだ。

 くい、くい、と焦らす様に前後へ揺れながらチロチロ舌を出し、ゆっくりと進む歩き方は見ていてイライラする。

 単純に動く速度が遅いのかと思えばちょっと目を離した隙に、先ほどの動きは何だったのかと思えるほど機敏に走り寄ろうとしてくるから厄介だ。

 

 ともかく睨み合っていては戦いが進まない。

 互いにどんな攻撃をするのか観察しあっている途中、まずは一発叩き込んで反応を見てみよう。

 

 狙いは大きい分隙の見える脇、あそこなら鱗も少なそうだ。

 

「スゥ……ハッ!」

 

 深く空気を吸い込み、胸に溜まった空気を吐き出すのと同時に土がはじけ飛んだ。

 

 速い!

 

 その巨体にあるまじき速度で全身を回転させたトカゲは、鞭というにはあまりに太い尾を叩きつけ脇へ滑り込もうとした私を牽制する。

 たまらず『ステップ』で無理やり体を後退させ再び互いに硬直、さながら侍映画の睨み合いといえそうな静けさに周囲が沈んだ。

 

 スキルを使わずとも速度には相当の自信があったのだが、まさか速度へ反応した上で攻撃まで入れてくるとは。

 普段は遅くともやるときはやる男というわけだ、野球漫画でキャッチャーでもしてそうじゃないか。

 

 やるしかない。

 

 強固な鱗という鎧を身にまとったこの巨獣、見た目に則さぬ速度といい中々の強敵だ。

 出そうと思えばもう少し速度を出すことも出来るし、無理やり潜り込むことも可能だろうがあまりしたくない。

 先ほど口から洩れた毒や大きな体に巻き込まれて潰されでもしたら、逃げる手段ははっきり言って皆無だからだ。

 未だに完璧に慣れたとは言い難いスキルではあるし、まだ他のモンスターがいる可能性も考えればあまり切りたくなかったが、『アクセラレーション』を使わざるを得ない。

 

『シュ、シュ、シュ』

 

 黄色(・・)の瞳をぐりぐりと蠢かし、歪な笑いがトカゲの鼻から洩れる。

 私が攻めあぐねていることに気付いているのか、さあ出来るものなら殴ってみろと言わんばかりに腹を見せつけ、ぐるぐると私の周りを歩き始めた。

 

 舐めやがって、後悔させてやるからな。

 

「『アクセラレーション』」

 

 この先何があるか分からない、出来る限りMPを温存したい以上長く使っている余裕はない。

 試しに一撃を叩きこんで素早く撤退、与えたダメージを見つつ作戦を練り直す。

 

 まず狙うべきは最大の弱点、つまり目!

 

 加速した世界で反動を堪えられる程度かつ最高の威力を出す、それに最も適した攻撃は――

 

「はああっ! 『ストライク』っ!」

 

 走りながらスキルを使って叩きつける、私が探索者になってからずっとやっている戦い方!

 

 体に染みついたその動きは、しかし引き延ばされた時間の中で繰り出された速度は熾烈の一言、ただのスキルとも思えぬ突破力をもって縦に割れた瞳へ打ち付けられることとなる。

 

 本来柔らかく感じる瞳の感触でも、この勢いで叩きつけられれば抵抗自体が大きく上がりカチカチだ。

 けれどこちらの勢いだって負けてはいない。こちらからすればゆっくりと、向こう側からすればどうしようもない勢いでめり込んでいくカリバーが、その白く濁った(・・・・・)眼孔奥深くへと無理やり

 

 

 

「『解除』っ! はああああ……あ……な……はぁっ……!?」

 

 

 突きこまれることもなく弾き返された。

 想定外の結果に困惑することも出来ず、自分で生み出した勢いを止める暇もなく校舎のコンクリートへ背中を叩きつけられる。

 嫌な鈍い音が聞こえた気がした。

 

「うげ……ぇ……!?」

 

 全身の激痛を追い、とろみのある鉄臭い液体が鼻奥に広がる。

 立とうとするも膝に力が入らず、上なのか下なのか分からない。視界には半透明の赤い何かがはい回り、雑音すらも耳は捉えることが出来なくなっていた。

 

 不味い不味い不味い不味いっ!

 何が起こった? 何で弾き返された?

 なんで? 解除したから? そんなはずはない、解除したって私の身体の勢いは止まらないし、あの一撃なら間違いなく目玉くらい潰すことが出来た。

 

「ひっ」

 

 生臭い息が顔を潰す。

 

 頭上へ浮かぶのは私など一口で飲み込める巨大な咢。

 恐怖。けれど私が最も目を引かれたのはその牙でも、鋭い棘でもない、目だ。

 

 白い膜……!?

 

 瞬きをすることで入れ替わる瞳の色、鮮やかな橙色と薄ぼんやりとした黄色はその表面に何か薄く白い膜が掛けられることで変化しているらしい。

 これを瞬膜といい、モンスターに限らず地球でも目を守るために様々な動物が持っていることを知るのは少し先の話だ。

 

 背後は校舎、逃げ道はない。

 今さら立ち上がったところでこの妙に俊敏かつ敏いトカゲはすぐに反応して私の逃げ道を潰し、また甚振ることを再開するだろう。

 じりじり、押してもどうにもならない壁へ背中を必死に擦り付け、土を蹴り払い逃げようと画策する。

 

 だが当然どうしようもない。

 ああ、地獄へ続く大顎ががっぽりと開かれ、この小さな頭を……

 

「はん、ばーか。『巨大化』」

 

 メチッ

 

 咬み潰す前に、ナナメ下からにょきっと伸びたカリバーが顎をしかと打ち据え、勢い衰えず巨体をひっくり返した。

 もんどりうったトカゲは手足を激しく藻掻き立ち上がろうとしているが、その大きな体ではなかなか起き上がりにくいらしい。

 どうにか足が地面についたかと思えば丸みのある背中と重さですぐに仰向けへ戻ってしまい、無様に腹を見せて踊っているようにしか見えない。

 

 少し重くきつかったが背中が壁なのが助かった、カリバーを手に取りスッと立ち上がる。

 

 別に逃げようと思えば『アクセラレーション』で逃げられたが、それでは戦いが振出しに戻るどころか反撃を食らって怪我した私の不利だ。

 手元のカリバーと手足が下に向いているトカゲの姿を間近で観察して思いついた方法は、期待以上の大成功を収めてくれた。

 

 今の一発で痛みも少し引いた、そしてこれからの一撃で大体無くなる予定。

 

「さってと、お前可愛いお腹ががら空きだな?」

 

 土に塗れた白い鱗が赤く染まるまで、あと十秒。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百三十二話

「怪我大丈夫?」

「え、ええもう治ったわ。貴女からもらったポーションのおかげね」

 

 大丈夫だと手を突き出し、必死に私から離れようとする女性。

 しかし顔はうつむいているし、声は震え、腰も抜けてしまっているようでまともに立つことすらできていない。

 どう見ても大丈夫じゃない、何かを見られない様に隠しているようだ。

 

 もしかしたらまだ怪我しているのかも。

 

 今はトカゲ一匹で済んだがまだモンスターはいるはず。ボスを倒すまで現状が落ち着くことはないし、ちょっとした怪我も放置するのはあまり好ましくないだろう。

 せめて何か処置をして置いた方がよさそうだ、痛みで行動が鈍ったりするのも危険だし。

 幸いすぐ目の前が校舎となっていて、救急箱だとかなにか応急処置できるものも揃っているだろう、なんなら保健の先生に頼めばいい。

 

「もしかして顔怪我してる? ポーション一本じゃ足りなかった? ちょっと見せて」

「あっ、いやっ、本当に大丈夫……で……」

 

 無駄にこちらの手を抑えてくるがレベルが違う。

 さっと振り払って顔をくいっとこちらへ向かせ、前髪を払いのけた先にあった顔は―― 

 

「なっ、おっ、お前……!?」

 

 名前なんだっけ……!?

 

 ものすごい既視感のある顔だった。

 友人や知り合いなんて優しいものじゃない。私が探索者を志した時に声をかけてきた三人の一人、いつか顔面を殴ろうと当時は決意していた存在だ。

 

 やっぱり名前思い出せない!

 何だっけ……なんだっけ……おお、大麦若葉?

 

 暫し驚いている様に固まり必死に思い出そうと思っていたが、とんと出てきそうにない。

 半年前にちょろっと探索しただけの相手なんて名前をはっきり覚えているわけがない。腹の中にマグマのごとく滾っていた怒りも、日々の忙しさに飲み込まれて大分薄れてしまった。

 

 正直あの時より恐怖を覚えることも結構あったから、今思うとそこまで大したことじゃない気もしてくる。

 いや待て、殺されかけたのはやはり問題ではないだろうか。

 

「お前はおおむぎ」

「――やっぱり覚えているのよね。ええ、若葉よ、大西若葉」

 

 あ、そうそう、大西若葉!

 

 確かこいつに私は足を切りつけられ動けなくなり、オークにこの頭をカチ割られてしまったのだ。

 結果的に強力なスキルを手に入れることが出来たとはいえ、その行為自体が全て清算されるわけじゃない。

 

 あれ? なんかまたムカついてきたぞ?

 

「ごめんなさい!」

「ん?」

 

 思いもよらぬ会遇に結構困惑しつつも、そういえばと思い出してみればなかなかムカついてきたところで、突然彼女がその場に膝と頭を擦り付け謝り出した。

 

「本当に反省してる?」

「……ええ、本当に。自分でもどうしようもなく歯止めが利かないまま繰り返してきて、けどさっき校舎にいる人々から見捨てられて改めて突き付けられたわ」

 

 うつむいた彼女の頬から、手のひらに透明で小さな水滴が垂れた。

 

 心変わり、か? それとも何かされるのに怯えての演技?

 しれっと繰り返してたって吐いてるし。

 

 校舎へちらりと視線を向けると成程、彼女の言う通りこちらをずっと見ていたであろう人々が窓へ張り付いている。

 確かに誰も出てこなかった。彼女や、追って私が一人で戦っている人間がいるというのに、あんな近くで観察しておきながら声の一つすらも掛けなかった。

 

 別に助けが欲しかったわけでもないし、レベル三万はあるモンスターの前へ一般人がしゃしゃり出てきても困るのは事実だ。

 だがきっとそういった配慮なんかじゃ決してない。勝てるわけがないという恐怖に足がすくみ、しかし好奇心だけは隠しきれずに窓から覗いていたのだろう。

 

 よくあることだ。

 目の前で轢かれた人がいるというのにその惨劇写真や動画へ収めることに熱心で、誰一人としてその手に握られたスマホで救急車を呼びもせず、何か手当をするわけでもない。

 私が虐められていても、関係ない、巻き込まれるのが嫌だと何もせず背を向ける。

 

 見て見ぬふり。

 

 気持ち悪いが私にもそれを咎める権利はない、きっと気付いていないだけで無意識に似たようなことはしているから。

 罪じゃない、時としてそれはこの社会に生きる上で必要なことなのだ。

 

「そっか」

「ええ、本当に……いえ、謝っても許してもらえるとも思ってないわ。けれど言わせてもらいたい、ごめんなさい」

 

 再び地へ額を擦り付け、ピクリともせずその体制で土下座をし続ける大西。

 どうにも居心地が悪く、立たせようと軽く引っ張るがびくともしない、全身に根っこが生えたようだ。

 

 彼女はその体勢のまま太もものホルダーからすらりと一本の短剣を引き抜き、目の前の地面へ深々と突き刺した。

 

「なんならあなたの気が済むまでこの短剣でめった刺しにしてもいい、指を切れと言われたら切るわ。目でも、髪でも、両足でも何でも持って行ってもらって構わない」

 

 一気に吐き切るように伝えられた言葉からは、本当にそうされても構わないという意思が感じられた。

 

 確かにポーションを飲めば大概の傷は治る。だが欠損レベルまで直すならそれ相応の物が必要だ、その傷の前に並大抵な金額の物では痛み止め程度にしかならないだろう。 

 それに当然痛みだって伴う。どこまでレベルが上がったって私たちは人間だ、頑丈にはなっても骨が折れれば当然吐き気を催すほどの激痛だし、肉が抉れれば視界が点滅し思考が深紅に染まるほど苦しい。

 

 果たして手術で必ず治るから大丈夫だと言われて何人が、ギュインギュインとがなりたてるチェーンソーへ躊躇なく手足を突っ込めるか?

 

 彼女は知っている、やろうと思えば探索者はどんなことでも出来ることを。

 その上で私にやれと言っているのだ。

 

「でも!」

「ん?」

「――でも、どうか殺さないでください……! どうしても私にはやらなくてはいけないことがあります、いや、出来たんです!」

 

 ふむ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百三十三話

「やりたいことってのはもしかして……」

 

 本当に、あまりに遅すぎる後悔ね。でも生き延びてしまったからこそ気付いた、気付くことが出来たのかもしれないわ。

 

 全ては言わずとも伝わって来た。

 コクリと大麦若葉は顎を引き、膝の上で拳を固く握りしめる。

 

 そこまで言うのならもう十分だ、もう無駄にあれこれ言う必要もない。

 正直恨みもかすれてしまっているし、さっさと終わらせてしまおう。

 

「じゃあこれ口に含んで、まだ飲み込まないでね」

「ポーション? でももう傷は……いや、分かったわ……ふぉれふぇふぃふぃ(これで良い)?」

 

 パキ……

 

 口にポーションの小瓶を咥え、ちょっと間抜けな顔でこちらを見る大麦若葉。

 一体何をするのか、私が何をしようとしているのかさっぱり分からないが取りあえず従っておこうという顔だ。

 

 はっきり言ってしまうと私には彼女が、どうせ何もされないだろうという甘い考えの下『好きにしろ』といったのか、それとも心の底から構わないと願っているのか分からない。

 見た感じでは本当に思っていそうだが、人が嘘をついているかどうかの見分け方なんて知らないし、ひょっとしたら彼女の演技にあっさり騙されているだけなのかもしれない。

 苦手なのだ、場の空気だとか人の感情を読むのが昔から。

 

 気を付けても何度も騙されてきたし、何度も失敗してあとから後悔することばかり。

 だからどっちでもいい手段を選ぶ。

 

 正直結構私自身も覚悟がいるけど。

 

「目は瞑っておいた方が良い」

「え?」

 

 小さな忠告。

 私より断然レベルが低い相手、間違っても殺してしまわないよう細心の注意を払って拳を握る。

 

 怖い。

 モンスターじゃない、殴り合いの喧嘩でもない、さっき自分が守った人を、戦う気のない相手を前に力を振るうことへの忌避感。

 そうか、私は容易く誰かを殺してしまえる力を持っているんだなって、あまりに今更過ぎる認識が頭へべったりと張りついた。

 

「ふう――――ドラァッ!」

「ふげぇッ!? あ、ががっ、あひぃっ!?」

 

 彼女の下あごへ突き刺さる拳。

 

 歯が、顎骨が、メキミチと手の上で砕けていくのが伝わる。

 口や鼻から血を吹き大きくぶっ飛んでいく姿は、まるで扇風機の前に放り込まれた一枚のティッシュより哀れな姿。

 地面にぶつかり、二度、三度と転がった後、びくびくと激しい痙攣に手足を藻掻かせる。

 

 人を殴ってしまった。

 殴った衝撃で砕けたポーションがある、直に傷も完治するだろう。

 

 長いことムカつき、一度ははったおしてやろうと思っていた奴を殴ったというのに、不思議とこれっぽっちも清々しい気分にはならなかった。

 気に食わない相手ではあるが、人を平然と見捨てていたろくでもない相手ではあるが、痛みに顔を抑え悶える姿を見ても何一つ楽しくならない。

 それどころかイライラとした吐き出せない澱が胸に一層積もる、どこまでも最低最悪の気分だ。

 

 全然違うじゃないか。

 スマホの無料で読めるマンガじゃ、何もできない人を殴ることは最高にスカッとする行為だって笑いながら言っていたのに。

 また騙された。

 

 殺すのは簡単。

 あのトカゲに全く抵抗も出来ていなかった彼女、そもそも私とほぼ同時期に探索者となったとしたら、きっとレベルは1万すらも超えているか怪しいだろう。

 加速した世界で叩き潰して証拠を隠滅することなんて朝飯前だし、仮に彼女が死んだところで同じ探索者だ、モンスターにでもやられたのだと、誰も疑問に持つことすらなく彼女の存在は時の流れへ消えていくに違いない。

 

 だが。

 

「これは仲直りの握手の代わり、最初の件については全部ミミズに流す」

「ふげっ……ぎょぉ……」

「今はまだボスが倒されてないから校舎にいると良い。中に他のモンスターが侵入してきたりしたら抵抗するか私に電話して、番号は渡しておく。これから私と筋肉……一緒にここへ来た人がボス倒しに行くから」

 

 ってもまあ本人も既に理解しているだろうけど。

 既に短剣の装備を終え、校舎へ向かう準備をしている。

 

 どうやらさっき言ったことは嘘ではなかったようで、手を差し出しても怯える様子はなくまっすぐにこちらを見ていた。

 昔の私がそうだった。殴られるのが恐ろしくてその場しのぎの嘘を吐くとき、人は手を差し出されたりしたらびくっと震え構えてしまうものだ。

 

 勿論私にもう殴る意思はない。

 さっきの一撃で全部終わったし、大麦若葉自身終わったと理解したからこそ手が向かってきても、怯え構える必要がなかった。

 

 しなくちゃいけないことがある。

 

 そう彼女は言っていた、何をする気かははっきり断定できるわけではないが私でも何となくわかる。

 きっと自分がしたことを後悔しているのなら、間違ったことをしたと思っているのならするべきことはたった一つ、子供だって直ぐに思い出せること。

 

 ただ、思うとやるのとはまったく違う。

 自分が犯した罪を、そうだと認めて頭を下げることのなんと難しいことだろうか。

 罪が大きれば大きいほど、内心で認めていれば認めているほど、喉は引き攣り、目は現実を直視することから逸れようと逃げ惑う。

 

 もし彼女が本気で今までしたことを後悔し、贖罪をするというのなら私はそれを応援するし、手伝っても構わない。

 

「ん?」

 

 妙だ。

 喉に小骨が引っかかったような違和感。

 何か、何かを見逃している。それが何なのかが思い浮かばない。きっと大麦若葉についてのことなのに、彼女の何がこんなに引っかかるのかが分からない。

 

 何かが足りない……?

 

 疑問は大きく加速していく。

 小さな小骨はいつしか胸を貫く大きな杭に。冷や汗が次から次へと吹き上がり、心臓が五月蠅いほどに高鳴っている。

 

 ショートの黒髪を靡かせる彼女の両脇へ、妙に視線が誘導された。

 

「そうだっ、三人!」

「え? 誰の事?」

「居たでしょ! 私と一緒に探索した三人が! 貴女と、あと二人男が! チャラそうな奴が居たでしょ! あいつらはどこ!?」

「痛い痛い! 落ち着いて! 離して!」

 

 甲高い悲鳴にハッと意識を取り直し、いつの間にか強く握りしめてしまったらしい彼女の肩を離す。

 

 そうだ、いたはずだ。

 もう声や顔も、どんな装備だったかも覚えていないが確かにいたはずなんだ。

 まさか忘れたなんて言わせない。私をほっぽッて裏でレベル上げをしていたはずだし、最初からあの三人は一緒にいたのだから恐らく知り合いなのだろう。

 

 なのに何故。

 

「……ごめんなさい、本当に分からないの。私と貴方は二人でダンジョンに潜ったはずよ、そんな二人は覚えていないわ」

 

 何故か彼女は本当に、何一つ覚えていない(・・・・・・)といった顔つきで小首を傾げた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百三十四話

「……ごめんなさい、本当に分からないの。私と貴方は二人でダンジョンに潜ったはずよ、そんな二人は知らない(・・・・)わ」

 

 心底分からないといった表情を浮かべ、首を捻る彼女。

 むしろおまえは一体何を言っているのだと言わんばかりの態度で、なぜか聞いているこちらがおかしいかのように振舞いだした。

 

 何言ってるんだこいつ。

 

「あんまりバカにしてると怒る、もうポーションはないし今度は痛いと思う」

「正直に言ってるのに!?」

 

 すっとぼけている様には見えない、まさか本気で全部忘れているのか? とんだ薄情者じゃないか。

 見直し、一からのやり直しでも頑張るのかとちょっと応援していた自分がバカみたいだ。

 

 人の性格はそう簡単には変わらないのか。

 

「はぁ……もういい、貴女に少しでも期待した私がバカだった。校舎にでも行ってて、モンスターが出たら電話してくれればいいから」

 

 必死に違うと言い張るその姿すらこちらをコケにしているように見える。

 次第にもういい、面倒だという感情が上回ってきたため、どうせ何も言うつもりはないのならと、手を払い彼女を校舎へ行くよう促す。

 

 あまりに全く話がかみ合わないせいだろうか、先ほどから酷く頭痛(・・)がする。

 

 もしかしてさっきのパンチで頭おかしくなっちゃったとか……?

 

 ポーションで治ったと思ったけれど、脳みそに致命的なダメージでも入ってしまって記憶が飛んでしまったのかもしれない。

 もしそうだとしたら私のせいだ。連絡先は入手したし戦いが終わったら、一応ポーションでも渡しに行くべきだろうか。

 

 

「はぁ……」

 

 『県立鹿鳴(かなり)小学校』

 

 入り口に貼り付けられたご立派なプレートに書かれた、変わった名前を流し見しつつ、モヤモヤとした気分のまま敷地から出る。

 

 筋肉からの連絡はない。

 いい加減ここへ来るはずだと思うのだが、もしかしたら何かモンスターに手を焼いていてここへ近づけないのだろうか。

 彼ほどの存在が、果たして崩壊によってレベルが大きく上がっているとはいえ、Dランク程度のモンスターにそこまで時間をかけるとも思えないのだが。

 

 もしかしたら他の生存者と会って護衛でもしているのかも。

 

 その時、突然ポケットの中のスマホが軽快な曲を流した。

 筋肉かと思いいそいそと取り出してみれば、なんとさっき登録したばかりの大麦若葉からの連絡。

 

 何か忘れたものでもあったのだろうか。

 

「ん、もしもし」

『屋上にモンスターがっ!? 助けて!』

「――!?」

 

 はっと振り向けば1,2……4匹も。

 あちらこちらから顔を覗かせて、中には既に校舎の上まで登っているモノもいる。

 どうやら学校の周りに広がる森で姿が隠れていたらしい、鱗の色も灰色であまり目立たないのが迷彩にでもなったか。

 

 あのトカゲ、まだあんなに沢山いたの!?

 音なんて全くしなかった、普通あんな巨体が校舎の上まで登ろうと思ったら、結構な音がしてしかるべきなのに!

 一々入り口から階段を上ってなんてやっていられない、ちょっと危ないけど『アクセラレーション』で一気に上まで跳んでしまおう。

 

「『アクセ……もう! もしもし!?」

 

 しかし足に力を入れた瞬間、片手に握ったスマホがまた激しく震え出した。

 着信相手は筋肉。先ほどまでは早く電話してくれないか、なんて思っていた相手が、今はこんなに鬱陶しく感じてしまう。

 

 こんな時に連続して電話なんて!

 

「今忙しい! 学校にトカゲがいっぱい来る、はやくこっち来て!」

『こっちも大量のモンスターに追われてる、危険すぎて合流は出来ん!』

「筋肉ならこの程度のレベルすぐに倒せるでしょ! 一撃で行けるじゃん!」

『違う! 戦うな! 今すぐに逃げろッ!』

 

 逃げろだと?

 何バカなこと言ってるのだあの筋肉ハゲダルマは、この状況をほっぽっていられるほど私は暢気な人間じゃない。

 それとも私には倒せないと侮っているのか? 一匹や二匹程度、多少の負傷を覚悟すればどうとでもなる。

 

 トカゲはまだ大きく動いてはいない、フラフラとその場にとどまりあの不気味な動きを繰り返していた。

 しかし妙だ、目の錯覚か、それとも太陽に照らされているだけなのか。不思議と私から見て少し鱗が輝いている気がする。

 先ほどは何も魔法を使ってこなかったが、もしかしたらあの個体がたまたま使わなかっただけで、何か隠し玉を持っている可能性もあるか。

 

 早くいかないと。

 

 屋上に化け物が登っていることに気付いたのだろう、ここからでも聞こえる悲鳴と混乱の入り混じった金切り声が、急げ急げと心を掻き毟る。

 何も考えず三階から飛び降りて動けなくなる人、子供を抱いた人を突き倒す人、倒れた人を踏み潰し、怒鳴り、我先に学校から飛び出そうとして入り口で詰まっている姿はあまりに見ていられない。

 

 これじゃモンスターに殺される以前の問題だ。

 こぶしを握り締め、足の回転を限界まで早めながら顔の横にあるスマホへ叫ぶ。

 

「今校舎が大騒ぎになってるっ! 皆怖がってる、大麦一人じゃあれには勝てない!」

『この町に校舎は存在しない(・・・・・)ッ! 森の奥でもどこへでもいい、出来る限り遠くまで逃げろ!』

「はぁ!?」

 

 筋肉といい大麦といいさっきから何を言っているんだ本当に、意味不明すぎてこっちまで頭がどうにかなりそうだ。

 全く話がかみ合わない、今からインドに行って身振り手振りで会話した方がまだ話が通じる気がする。

 

 本当に支離滅裂な話を繰り返しているからか、だんだん先ほどより頭痛が酷くなってきた。

 

「話にならないし電話切るから! もう私一人で戦う! 筋肉今日ずっとへんだよ、脳みそに髪の毛でも絡んでるんじゃないの!? 何バカなこと言ってんの!? 今目の前にあるから言ってるんで……しょ……?」

 

 

 

 嘘……だよね……?

 

 

 

 確かにさっきまであったはずなのに、古ぼけてはいるけど立派な校舎が。

 所々落書きや泥に汚れてはいたけれど、突然どこかへぴょいっと飛んでいくわけもないはずなのに。

 

『おい結城! 結城聞こえてるか! おい!』

 

「なんにも……ない……?」

 

 校舎も、屋上へ上がっていたトカゲもいない。グラウンドも、鉄棒も、学校にあってしかるべきものが、染みや影の一つだって存在しなかった。

 小さな空間、小さな家一軒がギリギリ入るかどうかといった空き地。

 

 中心にただ一本のソメイヨシノだけが風に吹かれ、物悲し気に葉擦れを奏でていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百三十五話

「あれ……あれ……?」

『しっかりしろ結城! ぼさっとしてる余裕なんてない、早くその場から離れろ! モンスターと会っても無視するんだ、絶対に戦おうなんて思うんじゃねえぞ!』

 

 手を伸ばしても、確かにそこにあったはずのものは一切ない。

 確かめるように地面へ伸ばされた手からは、ざらりと湿った土が零れ落ちていくだけ。

 なにも触れない、何も感じない。あれだけいたはずの人も、無機質な人工物の欠片さえもそこには混じっていなかった。

 

 理解を拒む体が冷たい汗を零し、全身が仄暗い未知への恐怖に震える。

 

 何が起こっているの?

 

 私はなにか化かされてでもいるの?

 

 今見ているこれは何かの映像作品ではないの?

 

 今に誰かがぴょいと現れて、大きな看板を片手にドッキリだと嘲笑を浮かべるんじゃないのか。

 そう思っていたのに、無慈悲な時の流れは私一人を置き去りにして過ぎていくばかり。

 コンコン、ポンポンと狐や狸がひょっこり顔をのぞかせてくれた方が、まだ幾分か今よりましな気分になれる。

 

『大丈夫だったか結城!』

「き、筋肉……確かにあったの……! 今さっきまですぐ目の前にあったの、本当に、本当にちょっと目 を離しただけだったの……! なのに、なのに」

 

 震える手で異様に重いスマホを持ち上げ、やっとの思いで出した声は、自分でも笑ってしまうほどか細いものだった。

 

 彼が何か叫んでいる。

 何か言わないといけない、でも何を言えばいいの? 私が今見たものを言って、なるほどそうだったのかと誰が頷いてくれるの?

 

 ああ、ぐるぐるする。

 あたまいたい。

 

『おい人の話聞いてんのか! 今どこにいる! 拾いに――いや、いい。見つけた」

 

 おなかを掬い取るように差し込まれた、太く安心感のある腕。

 

「後で吐くかもしれねえけど許せ、有事だからな!」

 

 手を伸ばした先、ゆっくりと町が遠のいていく。

 

 トカゲ、とかげ、とかげ、とかげ。

 ぴかり、とかげ、ぴかり、光る、消える。

 

 人の住んでいた形跡が、とかげが輝くたびにがっぽりと抉れ、瞬きすらしていないというのにぴったりと合わさる。

 最初からそこにあったかのように、木と建造物のデッサンが狂ったかのような融合物がまた一つ生まれた。

 

 何度も、何度も。

 爆ぜ、消え、くっつく。

 

 まともな世界が歪んで、歪み同士がもっと歪む。

 町が消えていく、町のあった空間がどんどん縮んでいく。

 子供が塊の粘土から千切った後残りをまとめていくように、木も道路も建造物も関係ない、抉れた面と面がぴったりと合わさって、歪な融合物だけが遺された。

 

 堕ちる。

 

 モンスターが消えるたびに空間は削り取られていき、確かにあったはずの町が抉れ、一軒家程度の空間へと縮まっていって……

 

 意識が、堕ちる。

 

 

 そして何もなくなった。

 

 

 

「んぁ……」

 

 緩慢な回転を繰り返す天井のシーリングファン(なんか回ってる奴)、朝陽か夕陽か知らないが、橙色の柔らかな光が引き戸から差し込む。

 今まで体験したことのないほど柔らかく、暖かいのに寝苦しくはない布団とベッドの上質なシーツに包まれ、うつらうつら重い瞼を開いた。

 

 どこだ、ここ。

 

 ぼんやりとする頭を枕にうずめると。ほんの少しだけ鼻をくすぐる爽やかな香り。

 気持ちいい。

 身を包むもののどれもこれもが柔らかく、つややかで滑らかな病みつきの触感、何も考えずにずっと撫でていたい。

 

 染み一つない木製の天井、複雑な模様の欄間。

 全く記憶のない部屋、直感的に分かるというか、なんだかすごい高そうな香りがした。

 

 それに窓際に配置された椅子、そこに座らせられた謎の仏像がものすごい存在感を放っている。

 まるで今からでも動き出しそうというべきか、ものすごいマッシブな体が、はて、こんなに筋肉を全身へ纏った闘争力に溢れた仏像が存在していいのだろうかというべきか、そもそも何で何の変哲もない部屋にこんな異形の化け物が放置されれているのだというべきか……

 

 ――いや、待てよ?

 

 布団からゆっくりと起き上がり、そのうつむいた顔を横から覗くと……

 

「にょわ!? こっ、これきっ、筋肉じゃん……! な、ななっ、なんでこんなところいるの!?」

 

 筋肉だこれ!

 

「ん、ああ、起きたか。半日ずっと眠ってた気分はどうだ?」

 

 本人はどうやら居眠りをしていたらしく、私の声にハッと目を開けた。

 ついでに私自身、彼の強烈な存在感に意識は平常を取り戻し、同時にぼやけていた出来事の輪郭がはっきりと姿を取って思考へ蘇る。

 

「ここどこ」

「温泉街の近くにあったホテルだ、お前が突然気絶したんで運んできた」

「――!」

 

 温泉なんてのんびり浸かっている暇はない、焦燥感がうなじをちりちりと焼く。

 

 そうだ、寝ている場合じゃない。

 私は見たんだ、先ほどまで話していた存在が、先ほどまで目の前にあった物ががっぽりと消える瞬間を。

 ただ消えるだけじゃない、消えて一瞬できた空洞が丸で元からなかったかのように閉じるのも見た。

 

 どうあがいたってあり得るものじゃない。

 

「ね、ねえ! ダンジョンの崩壊は!? 学校は!? 大麦はどうなったの!?」

「何の話だ? 流石に俺でもお前の夢の内容をズバリ言い当てるのは無理だぞ、もう少しヒントをくれ」

 

 すっとぼける筋肉の顔が苛立たしい、もう少し柔和な顔になってから冗談は飛ばしてくれ。

 一体何を考えているのか、多くの人の命がかかっているってこの緊急事態で、よくもまあそんな態度を取れるものだ。

 

 枕元へ添えられていたスマホをひっつかみ、彼の顔へ画面をこれでもかと近づけ指さす。

 

「ち、違う! 筋肉の方こそ何言ってるの!? ほら、ここに大麦の電話番号だって……!」

「大麦って誰だよ、お前の友達か? 第一どこにもないじゃねえか」

 

 何もかもがちぐはぐだ、何を言っているのか本当に理解できない。

 

 言われるがままに画面へ顔を近づけ、二度、三度とスクロールを繰り返す。

 私は友達も少ないし、知り合いだってそう多くはない。

 彼女のアカウントだって、そう、簡単に見つかるはず。

 

「あ、あれ……? 確かに登録したはずなのに……」

 

 見つかるはず、だったのに。

 

 確かに互いに登録し電話をしたはずの彼女、しかしスマホのどこにも彼女の連絡先も、そして通信履歴すら残っていなかった。

 勿論スマホをシャカシャカ振ったり、ぺちぺち叩いても出てこない。

 

 あ、あれ? スマホ壊れちゃった?

 一応使うとき以外は『アイテムボックス』に放りこんであるし、戦闘の衝撃でってことはないはずなんだけど。

 

 筋肉が悪戯に消した……?

 まさか。ロックがかかっているし、一々そんなことをする人間じゃないのは私だってわかっている。

 思考と記憶が酷くずれている、それを自分自身理解しているからこその違和感が気持ち悪い。

 

 その後ひたすら思いつく限りにあれこれと調べてみたが、大麦若葉……いや、大西若葉についての情報は、私のスマホのどこにも残っていなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百三十六話

「体調の方は大丈夫か? 昨日は突然倒れたから驚いたぞ、知らず知らずに疲労が溜まっていたんだろう」

「うん……大丈夫」

 

 疲れて……いるのだろうか。

 自分で自分が分からない、私が見たものは全部夢だったの?

 

「本当は今日お前の実力を測りたかったんだが、あんまり調子も良くなさそうだし中止だな」

「あれ……? それって」

「どうした?」

 

 気の、せい?

 それって確か今回の崩壊を止めに向かう時に伝えられた言葉じゃ、いや、あれが私の夢だとしたら、実際言われた言葉が夢に偶然出てきただけ?

 

 記憶ではそんな予定ではなかったはずなのに、奇妙な既視感がそうだ、その予定だったのだと肯定する。

 私はどちらを、何を信じればいいのだろう、いくら考えても答えは出ない。

 

 ただゆるりと首を振り、彼に気にするなと伝える。

 

「最近戦ってばかりだったからな、俺も配慮が足らんかった。悪かったな」

 

 立てるか。

 

 突き出されたごつごつとした手のひらを、私は握ることしか出来なかった。

 

 

 窓の外、アスファルトが陽炎に揺らめく。

 流れる雲も、道を行く人々も変わらない、いつも通りの夏景色。

 

 手足を縛り付ける倦怠感に憑りつかれた身体を、協会の机へ枝垂れ掛からせ、何も考えることが出来ず目を瞑る。

 

 何だったんだろう。

 

「ノンカフェインの栄養剤だ、これ飲んだら今日は帰って休め」

 

 つい、と差し出されたビニール袋には茶色い小瓶とシュークリーム。

 どうやら近くのコンビニで買ってきたらしいそれを受け取り、急かされるままにバキリと小瓶の蓋を開ける。

 ツン、と鼻を衝く匂いに思わず顔をしかめ、悩んでいても中身が無くなるわけもないので一気に飲み干す。

 

 妙に甘ったるく、ぴりぴりとした辛みと苦みに体が火照った。

 美味しくはないが不味くもない。

 

「元気になったらまた顔出しな」

 

 筋肉の言葉に生返事を返し席を立つ。

 いつもなら何の気苦労もなくできていたことが、今日は妙に難しく感じた。

 

 

 炎天下の道路、ふらり、ふらり。

 スマホ片手の帰り道、纏まらぬ思考の迷路を彷徨い続ける。

 

『県立鹿鳴小学校』

 

 変わった名前だったのでよく覚えていたそれを検索へ打ち込み、何ページもスクロールを繰り返す。

 

 似たような地名、似たような地域、似たような地形。

 あれこれと思いつくままに調べ上げても、私の知っている『鹿鳴』はどこにも存在しなかった。

 本当に存在しないのだ、あそこは。

 

 握り締めた砂の感触も、大西の頬を殴った不快感も、人々が互いに押し合い踏みつけ逃げ惑う光景も、すべては熱中症が見せた幻だったのか。

 

 あり得ない。

 あんなにリアルで鮮明なものがあってたまるか、あれは間違いなく現実だった。

 そう言い切りたいのに、世界があれは幻だったのだと突き付けてくる。私の感覚だけが大きな流れから外れて、全てはお前の妄想だと嘲笑う。

 

 昨日私が見たと思っていたもの、そのどれもが存在しない。

 

 ニュースサイトにだってどこにも乗っていない、あんな町一つが壊滅するほどの出来事、決して報道されないはずがないのに。

 

 だってダンジョンの崩壊だぞ? 仮に人の犠牲がなかったとして、昨日見た限りではボロボロの建物だって多かった。

 今まで私は何度もそういうニュースを見てきた、崩壊して、なんとか協力によってボスが倒されて……

 

 どうやら本格的に私の頭はおかしくなりかけているのかもしれない。

 存在しない記憶を捏造して、あまつさえ他の人がおかしくなってしまったのだと思い込んでしまうなんて、相当ヤバいどころかもう手遅れレベルだ。

 

 苦手な文字を読む行為を終え、キリキリと痛む目元を軽く押さえ空を見る。

 

「はぁ……」

 

 気持ち悪い。

 もうどうしたらいいのか分からない、吐きそうだ。

 

「あ、そうだ」

 

 ニュース、ニュースといえば昨日同時に起こっていたロシアでのダンジョン崩壊。

 

 一体ロシアのどこで起こったのか見ていなかったけど、あの怯えと狂乱に包まれた空気は中々に、ただ見ているだけのこちらにも来るものがあった。

 あれは食い止められたのだろうか、見たいような、見たくないような複雑な気持ちで文字を打ち込む。

 

 きっとネット上はその話題で持ちきりだと思っていたが……今検索していた限りでは、その名前の欠片すらも見当たらなかった。

 

「うそぉ……?」

 

 タップ、タップ、スクロール。

 ない、ない、どこにも見当たらない。

 

 ロシアに関するニュースなんて、ニュースサイトのどこにも乗っていない。

 あれだけ大騒ぎになっていたはずなのに、並べられているのはロシアとどこが会談をしただとか、どこがなんちゃら国認定をしただとか、ちらっと見てふぅんと流してしまうようなものばかり。

 

 あれだけの問題があったら、トップは全部その話題に塗りつぶされてしまうはずなのに。

 どこにもない。

 私が間違っていた、そういうことなのだろう。

 

 検索画面に映し出されたかの国の形に一瞬違和感を覚えるが、自分の記憶を疑い始めた私にはそこまでじっくりと見る余裕がなかった。

 ただでさえ勉強から逃げた身だ、国其々の形なんて覚えていない。

 

 もっと長くて広い感じのイメージがあったが、ロシアって案外四角いし小さいな。

 右端はまるで何度もコップを被せて切り取ったみたいに丸い、滑らかな円の弧にも見える。

 

「んあー……疲れた」

 

 外だというのに随分と熱中してしまった。

 

 炎天下に照らされとめどなく汗の溢れる胸元をパタパタと仰ぎ、手と日光の熱を蓄えたスマホを『アイテムボックス』へ放り込む。

 どうあがいてもないものはない、間違った記憶は間違っている。

 飲み込むことのできない棘はまだ抜けることなく突き刺さっているが、私にそれを取り除く方法は思い浮かばない。

 

 いつか、気が付いたら抜けるのを待つしかない……のだろうか。

 

 ううん、帰ってシャワー浴びたら寝よ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百三十七話

「おい琉希、ユズ、次はどこ行くんだよ」

「私もう疲れたよー、なんでセラちゃんそんな元気なのー? 沢山買ったしもう今日は解散にしようよー」

「そうですねー……?」

 

 炎天下の中、三人の少女の(かしま)しい会話が響く。

 

 

 稲神(いながみ)セラと南条柚葉(なんじょうゆずは)は琉希の友人だ。

 性格は全く違うのだが高校に入ってすぐ、不思議と意気投合しよく付き合う仲となった。

 セラは少し荒っぽい性格だが気遣いが出来、柚葉は何にもとらわれない自由さが良い。

 

 ありゃ、あれは……?

 

 はてさて解散するかと悩んでいた泉都の瞳に、金髪の少女が店先に並ぶプラスチックのちゃちな椅子に腰かけているのが映る。

 彼女の顔はスマホに向かっているようで、どこか虚ろで焦点がはっきりしていない。

 

 あれはフォリアちゃんですね、間違いありません。

 それにしてもどこか……落ち込んでいるような……? いえ、落ち込んでいるというより、戸惑い……?

 

 泉都琉希は適当な性格だと思われがちだが、その実案外周りの感情などを機敏に察し動く人間だ。

 

 幼い頃から彼女は母の手一つで育てられた、よくある片親の家庭。

 母親はいつも明るく振舞っていたが、琉希が部屋から離れれば笑顔が剥がれ、その裏に暗いものを浮かべていることに気付いていた。

 だからだろう、突飛な子供の思考は斜め四十五度の放物線を描き、母親を明るくさせようと思いつく限りの変な行動へ駆り立てた。

 

 何もないところでわざと躓いてみたり、変な踊りを踊って見たり、雨の中をスライディングしながら歌ったり。

 今思えば躓くというのはハラハラさせただけではないかと思うが、当時は自分なりに出来ることをしていたつもりであった。

 そして最初は母のために振舞っていたものが自分の性格として定着し、今に至る。

 

 琉希としてはそれで誰かが笑ってくれればそれでいいし、小ばかにされるでもそれはそれで話題になるので問題はない。

 時としてその性格を嫌われることもあったが、今のところこれをやめるつもりは毛頭なかった。

 

 唯一の欠点といえば、ふざけて転ぶのを繰り返していると、何もないところで本当に躓いてしまいやすくなったことくらいだろう。

 

 あれはちょっと放っておけませんね……!

 

 熱い使命感が琉希の胸に宿る。

 

「あ゛、私用事が今できちゃいました!!」

 

 そう、暗い顔を浮かべた彼女へ絡みに行かないといけないという、とても大切な用事が。

 

「出来たんじゃなくて思い出しただろ、お前また誰かの約束すっぽかしたんじゃねえだろうな」

「ち、違いますよ!」

「どもってんじゃねえか」

 

 妙に厳しいセラの突っ込み。

 誰の約束破ったんだ? と追及を掛ける彼女のシャツをぴんと引っ張り、柚葉がつかれた、早く帰ろうと彼女を急かし始めた。

 

 偶然一致した二人の無駄な連携に、我が強いと自負するセラもたじたじとなってしまう。

 

「助かりました! ユズナイスです! 今度ゆず味のアイスを奢ってあげましょう!」

「私酸っぱいのきらいー、バターアイス食べたいー」

「何の話してんだよお前ら」

「琉希ちゃん早く行っちゃっていいよー、セラも帰ろー?」

「おいユズ服が伸びるだろうが! そんなガシガシ引っ張んじゃねえよ! わーったわーった! じゃあな琉希」

 

 ふぃ、なんとか撒くことが出来ましたね!

 

 

 タンブラーから響く、風鈴にも似た氷の崩れる音。

 

 気が付けば太陽の位置も随分とずれ、先ほどまで身を覆っていたパラソルの影が背後に回っていた。

 真夏の昼間に外で一人アイスティーを飲んでいるのは私ぐらいで、自分が何もせずぼうっとしていたことに気付いて、タンブラーの中身を一気に飲み干す。

 

「んーーっ」

 

 一気に冷たいものを飲み干したからか、キーンと締め付ける頭痛。

 

 このタンブラーという物はすごい。

 金属でできているのに、真夏の外にいても全く中身が融けないし、周りがびちゃびちゃになったりもしなかった。

 まるで魔法だ、一つ欲しい。

 

「あ、もう昼か」

 

 二時間も経ってたんだ……

 

 画面に映し出された時刻は記憶の時間から随分と跳んでいて、自分が全く面白いとも思っていないアプリのゲームを無意識に、延々と遊んでいたことに驚く。

 昨日筋肉に帰れと言われてからずっとこんな感じだ、もやもやとした気分とどう表せばいいのか分からない現状、記憶の齟齬もあって何をしたら良いのやら。

 

 突然何日か休めと言われても、何をしたらいいのか。

 

 昨日は結局何かすることも思い浮かばず、自分のステータスを眺めて何となくポチポチしてしまい、『アイテムボックス』のレベルを10まで上げてしまったところで慌てて閉じてしまった。

 

 することもないし、あてもなく町でも散策しようかと立ち上がった瞬間。

 

「おっすおっす! こんなところで奇遇ですねフォリアちゃん!」

「ぐべっ」

 

 大量の紙袋に押しつぶされた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百三十八話

「随分暇そうじゃないですか! あたしと一緒に遊ぼうぜお嬢ちゃん!」

 

 大量の紙袋を押しのけ顔を出した開口一番、あまりに唐突の誘いに困惑する。

 

 遊ぶ、か。

 

 正直そういう気分じゃない、自分が信じれず、暗闇の中で彷徨うような孤独感に押しつぶされそうだった。

 だがずっと暗い気持ちを引き摺っていても、現状なにもかわらないんだろうな、と、その程度のことは分かる。

 

 偶には気分転換も大事、なのかな。

 

「分かった、どこ行くの?」

「んーそうですね……あれ? 顔怪我してるんですか?」

「怪我?」

 

 ツンツンと頬を突かれるが、いったい何の話やら分からない。

 

 ほれ、ここですよと差し出された小さな鏡に映る、相変わらず愛想のない自分の顔。

 確かに目元に小さな黒い何か、といっても小指の爪ほどのサイズはある硬質な物体が張り付いていた。

 言われてみれば成程、かさぶたに見える。

 

 でも別に痛みとか感じなかったしなぁ、いつの間に出来たんだろう。

 普段自分の顔そんなに見ないから全く気付かなかったぞ。

 

 外れるかなと爪先で引っ張るが、先ほどまで何ともなかったのに、じんじんと痛みを放ちだし慌てて手を離す。

 

「あら、手も怪我してるんですね。もう少し自分の身体大切にしてくださいよ!」

「え? あ、本当だ……」

 

 彼女の言う通り、両腕の手のひらにも似たような瘡蓋が出来ていた。

 しかしこちらは妙に艶やかで無機質な、何かの結晶にも見える。

 その上結構大きい、なんで気付かなかったんだろうと自分でも結構驚きだ。

 

 彼女はおもむろに私の腕を取り、無駄にアルカイックなスマイルを浮かべる。

 

「ふっ……しょうがないですねぇ! 私の特別な魔法を使ってあげましょう! 『ヒール』!」

 

 あたたかな光が身体を包む、夏なので無駄に暑い。

 

 そういえば彼女は『回復魔法』を使えるんだった。

 とはいえ急いで治す必要があるわけでもないのに、わざわざ使わせてしまった事に一抹の罪悪感を覚える。

 

「ん、ありがと。でも別にこの程度の怪我、戦えばすぐ治るのに」

「まあまあ、暫くはダンジョン潜る予定もないので問題なしで……あれ?」

 

 治ってませんねぇ?

 

 疑問を抱えた声色と共に、彼女の細い指先が顔へ近づき……

 

「いだっ!? ちょっ、あんま弄らないで!」

「あ、ごめんなさい。なんなんでしょうねこれ?」

 

 頬の奥にまで染み込むような鋭い痛み。

 

 何でしょうと言われても私には分からない。

 私だって今さっき指摘されて気付いたのだ、医者でもないし。

 

 まあ弄らなければ痛みもないのだし、そのうち気付いたときには治っているんじゃないだろうか。

 

「うーん、そうですかね?」

「大丈夫だって。ね、早く行こ。この前会ったウニの幼馴染……橘さん? の店行きたい」

「あ、いいですねそれ!」

 

 そういえばこの前、シャワー浴びてた時腕にも似たようなのがあった気がするなぁ。

 

 

「でっか……」

「おお、ここが橘さんのお店……いつも通り過ぎてました」

 

 引き戸を鳴らし足を踏み込む。

 古物商には暗い部屋のイメージがあったのだが、来てみれば意外、結構照明はしっかりしていた。

 

「おっ、早速来てくれたんやなぁ。下らん物しかあらへんけど、まあゆっくりしていってや」

 

 カウンターへ退屈そうに腰掛けた橘さんが、丁度いいところに来たと言わんばかりの表情で手招きをする。

 

 しかし彼女へたどり着くまでがなかなか大変だ。

 妙に高そうな木彫りの何か分からない駒、大量の本や金属製の物体、変なお面に変な槍と、あちこちに触っていいのか分からないものが散らばっていて、歩くのも一苦労。

 第一変な物しかない。

 

 そこら辺の物に大した価値はないから、適当に持ち上げて山へ乗っけて行ってくれと言う橘さん。

 なんて適当なのだ、この店大丈夫か。

 

 えっさほいさ跨ぎ、どうしようもないものは彼女の言う通り山積みにしていくことで、どうにか置くまでの道を確保できた。

 

「なんか思ってたのと違う、もっと壺が並んでる物かと」

「随分とステレオタイプの古物商やなぁ。実際はこんなもんよ、個人経営のリサイクルショップ……的な?」

 

 ホンマに大事なものは裏に隠したるさかい、大丈夫やで。

 

「フォリアちゃん、見て見て」

 

 突然顔面アップで映し出された、1mはあろうかというレインボーなお面と槍。

 

「ホッ、ウホッ! エッサッサ!」

 

 お面を被ったまま不意に踊り、謎の民謡を歌いだす琉希。

 無駄に美声だった。

 

「ブフッ! ンナッハッハッハ! 君おもろいなぁ!」

「くふ……ん゛んっ。琉希、商品勝手に被るのはあんまり」

「ええよ。ほら、そこにも書いとるやろ? 『ご自由にお手に取ってご覧ください』って」

「いいの!?」

「どうせ二束三文やし。ほら、500円」

 

 琉希から一旦お面を受け取った橘さんは、ぺろりと裏の値札を見せつけいたずらに笑った。

 もう五年は店の脇に放置されていたらしく、よく見つけ出して来たな、とまた腹を抱える彼女。

 

「そういえばマサイ族とかテレビに出てる先住民って、狩りとか実際はほとんどしてないらしいですね。スマホバリバリに使ってるらしいです」

「そうなの!?」

「せやでー。そのお面もマサイ族の人が日本に来た時、知らん日本人なら売れるかなと思って自作したらしいんよ」

 

 琉希の言葉を肯定するように首を振る橘さん。

 古物商で埃をかぶっていたお面に遺された衝撃の事実は、私にまだ出会ったこともないマサイの人が結構下衆いという偏見を植え付けた。

 

 ちなみにこのお面は木彫りなのだが、廃材を拾ってきてペンキで塗ったようだ。

 

 どこからか椅子を引っ張り出して来た彼女は、そこに座ってええよとジェスチャー。

 その後暫し、実はマサイの人でも都会に出ている人は視力が普通だという話や、元の身体能力に優れる自然で暮らす彼らは、レベルアップでも身体能力が一般人より大幅に上がるという謎のマサイトークが繰り広げられた。

 

「あ! んー、ちょっと待っとき。とっておきのえらいおもろいお面見せたるわ」

 

 座っていた彼女が立ち上がり、店の奥へ姿を消す。

 

 はて、とっておきのお面とは?

 

 確か彼女は先ほど、本当に価値があるものを店の裏へ隠しているといっていた。

 わざわざとっておきと言って取りに行くくらいなのだから、この500円のお面よりは価値がある者なのだろうが……

 

「とっておきのお面……琉希はなんだと思う?」

「そりゃもう伝説のお面ですね! たぶん宝石とかすっごい付いてピカピカレインボーに輝いてるんじゃないですか」

 

 いや、流石にそれはないんじゃないかな。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百三十九話

「これやこれ!」

 

 しばらくして戻ってきた彼女が手に持っていたのは、紫色のひもで縛られた長方形の木箱、大きさとしては縦横2、30センチくらいだろうか。

 箱の大きさに比べ厚さは大したものではなく、私の親指程度あればいい方だ。

 

 丁寧に持ってきた割に、随分と軽い音を立てて机へ置かれた箱を覗くと、琉希がピンときた様子で口を開いた。

 

「ほう、これ桐の箱ですね」

 

 桐、実物は見たことなかったがこれがうわさに聞く高級木材か。

 なるほど、確か桐はとても軽いと聞くし、それならさっきの音も納得だ。

 

「んふふー、開けたら多分二人とも魂消るで?」

 

 彼女の口元はにんまりと弧を描いていたが、はて、この薄くて軽い箱に一体何が入っているのか。

 滅茶苦茶大きなものを持ってきたらどんなものが出てくるのかドキドキするかもしれないが、こんな小さいものでは割とたかが知れている。

 

 例えばそう、純金製のお面とか?

 でも結構軽そうだしなぁ、金って重いらしいし違う気がする。

 

「いくで? いっちゃうで?」

 

 なかなか焦らしてくれる橘さん。

 

 謎にテンションが上がり続けた彼女は、自分で焦らしておきながら私たちが何か言うのを待てなかったようで、早々に紐を解き箱を開けてしまった。

 そこまで彼女が意気揚々と持ってきた箱の中身は……

 

「じゃじゃーん!」

「――なにこれ」

「狐面ですね、能楽とかで使う奴ですよ」

 

 暗闇から現れた鮮やかな白と紅、小さな鈴で飾られた狐面。

 箱の中身は、彼女が後生大事に取り出すようには決して見えない、いたって普通のお面であった。

 

 確かに紅色の塗りは丁寧で、緻密な模様は素人目にも良い出来であるが、とっておきと言うにはあまりに特徴がない。

 しいて言えば所々に入った金色のアクセントが、ちょっとだけ高級感を漂わせているくらいだろう。

 

「実はこれ、ダンジョン内で拾った木で作られててな」

「拾った? 切ったじゃなくて?」

 

 切ったなら分かる。

 ダンジョンの木は切っても切っても生えてくるし、植林して切ってとするより断然楽だから。

 この桐の箱みたいに高級なものを除けば、現状流通している木材の、結構な割合がダンジョン産なんじゃないだろうか。

 

 私の疑問に待っていましたとばかりの頷き、彼女は椅子の上で足と腕を組んでこちらをビシッと指した。

 

「せや! 知り合いの職人がBダンジョンで倒したモンスターのドロップで出来てるんよこれ」

「え? 職人が倒したんですか?」

「素材は己の手で見極めてこそやって、同じモンスターからドロップしたものでもちょっとずつ質が違うらしくてなぁ。ってもあての知り合いやなくて親の方やから、ほとんど受け売りなんやけどな」

 

 職人がB級ダンジョン周回……いったいどんな化け物なのだろう。

 世の中にはまだ知らないことが多いらしい。

 

 勢いに乗った彼女の語りはとどまることを知らない。

 あれこれとこの朱色や金色、全部の素材もどこのダンジョンで取れたなんちゃらという話を繰り返し……

 

「それでな? 木で出来てるからかは知らんけど、こうやって光に当ててると……おっ、来た来た」

 

 話の途中、突然彼女が黙ったかと思うと、仮面が震え出した。

 

「え、なにこれ怖い」

「あの、橘さん、これ呪いのお面とか言いませんよね?」

 

 震えは揺れに、激しさは増すばかり。

 まあ見とき? とは彼女の言葉で、一体何が起こっているのか分からない私たちは、ただ彼女の言葉を信じ固唾をのんで見守るしかない。

 

 1分か、それとも数秒だったのか。

 時間の感覚が分からない異様な時間が過ぎ去った後。

 

「来たぁ!」

 

 ふわりと、突然お面が空を飛んだ。

 

「ふぁ!? しゅごい……」

「え、え、飛びましたけど!?」

 

 飛ぶといってもどっかへ飛んでいくわけではなく、机の上20センチほどを滞空しているだけ。

 しかし上や下へ手を差し込んでも何かに引っかかることもなく、風が起こっているわけでもない。

 軽く突いてもその場で微かに揺れるだけ、一旦手に取って机に押し付けてもまた浮き上がる。

 

 種も仕掛けもない、本当に空を飛んでいる。

 

「せやろ? 凄いやろ! これ浮くんよ!」

 

 最初は彼女の謎の興奮に引いていた私たちであったが、流石にこれには興奮を隠せない。

 マジで飛んでる、すげーというアホっぽい感想しか出てこなかった。

 

 そういえば以前あった安心院さんも空を飛んでいたが、あれは結構近くにいた私にも結構な風が来ていたし、この狐面のように風もなく浮くというのは……ああ、そういえばあの『炎来』で助けてくれたコートの人がそうだったか。

 

 ともかくなかなか見ないものだ。

 

「凄い、高そう」

 

 とっておきと言うだけはあった。

 ダンジョン産の素材を惜しげもなく使い作られた浮くお面、戦いにはあまり役に立ちそうにないが欲しい人はいるんじゃないだろうか。

 

「しかもこれ被るとなんかよく分からんけど目元に風が入ってこないんよ、睫毛が煽られへんのや」

「それはゴーグルで良いと思う」

「風除けだけのためにこのお面はちょっとレベルが高いですね」

 

 謎のゴーグル機能付きだった。

 それはともかく……

 

「これ売らないの?」

「最初は結構な値段で大々的に売り出したんやけど……常連はんに呪われそうだの不気味だの言われてなぁ、結局倉庫の裏で塩漬けにされとったのをあてがこの前見っけたんや」

 

 あれ? それってもしかして 

 

「不良在庫じゃん」

「ですねー」

「なっ、このいなりんのかわいらしさが分からへん奴らがあかんねん!」

 

 可愛くはないと思う、というか勝手に商品に『いなりん』なんて名前つけてるけどダメじゃないか。

 

 本人曰く毎日取り出しては飾り、被り、拭いているらしい。

 ものすごい気に入っているじゃないか、もうそれ売らずに自分で大事に持っておいとくべきだと思う。

 

 凄いやろ? 可愛いやろ? と自分の子供を自慢する勢いであった橘さんだが、ふと彼女の瞳に寂し気な光が零れた。

 何か置き去りにされたような、孤独を湛えているような、そんな顔だ。

 

「でもな、いなりん不良在庫なんよ……売れ残り過ぎると倉庫整理の時に捨てられちゃうんや……あても大切にしておきたいんやけど、あての部屋に多様なもの沢山あるから、いなりん置く場所がなくてなぁ……」

 

 やっぱり不良在庫なんじゃん。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百四十話

「これ、着けても外れ無くなったりしない?」

「するわけあらへんやろ! お客はんにへそないえらいもの売れへんわ!」

 

 ただ纏わりつくだけや、とは彼女の言葉。

 

 纏わりつくってのも大概怖い気がするが、要するに紐がなくても顔に被ったり、頭の横に着けておくことが出来るらしい。

 どんなに激しい動きをしても外れないそうで、確かにそれを聞くだけなら結構便利な気もする。

 具体的に何に使うかと言われたら困るが。

 

 外国人のダンサーとかに売ればいいんじゃないか。

 

「凄いやろ?」

「すごい」

「欲しくなったやろ?」

「ほし……いや、別にいらない」

 

 確かにダンジョンで動き回る時目に物が入ったり、風が吹きつけて前がまともに見えなくなる時もある。

 特に『アクセラレーション』を使った直後は顕著で、地面に大きく顔面を擦り付けたことも……ってあれ、これは夢の出来事だったんだっけ。

 やはりあれが夢だったとは未だに飲み込み難い、こんなに鮮明に覚えているなんて。 

 

 しかしふむ、あれ、このお面ちょっとほしくなってきた。

 いや待て落ち着け私、絶対いらない。無駄な物を買うとろくなことにならないぞ。

 

「それでな……これ買ってくれる人おらんかなぁってあては思うわけや。そう、ただ買ってくれるだけじゃない、大事に使ってくれる人をや」

 

 な? と、意味ありげに流し目をする橘さん。

 何となく言いたいことが分かって来た。

 

「琉希、帰ろ」

「ええ。面白いものを見せてもらいました、ではまた」

 

 帰ろうとした私たちの前に、いつの間にか席を立っていた彼女が立ちふさがる。

 足の踏みどころもないと思っていたが、店の主でもある彼女にとってはどうとでもなるらしい、無駄に動きが速い。

 もしかしてこの人来る人来る人にこれ売りつけようとしてるんじゃないだろうか、反応や行動がものすごい手馴れていた。

 

「まあまあ。ちょっと落ち着いてお茶でもしばこうや、和菓子も出すで?」

「フォリアちゃん気を付けてください、この人とんでもないゴミを売りつけようとしてますよ」

「いなりんはゴミちゃうわ!」

 

 あ、そこは本当に愛着持ってるんだ。

 

 しかしいくら宣伝されようと所詮は高級ゴーグルにしかならないお面。

 先ほどちょっと欲しいとは確かに思ったが、やはり購入しようと思えるほどのものではない。

 

 私たちがじりじりと入り口に近寄っていることに気付いたのか、橘さんはセールストークの勢いを少し緩め、新たな搦め手で来た。

 

「ホンマにいらんか? こないお洒落なモン持っとったら、きっと自信付くと思うけどなぁ」

「え、本当?」

 

 自信がつく……!?

 

「そらそうよ! 装飾品ってのは自分に箔をつけるために皆高くて変わったものを付けるんや。このお面をよーく見てみ? 誰も持ってなくて、しかも空まで飛ぶ。間違いなくオンリーワン、付けるだけでやる気と自信があふれてくること間違いナシや。あ、せやせや、このお面はダンジョンの素材で出来とるからな、頑丈な上、使用者が探索者なら魔力を吸って勝手に修復してくれるで!」

「た、確かに……!」

 

 さあ、つけてみるんやと差し出されたお面。

 半分くらい何を言っていたのか分からないが、ここまで自信満々に言われると妙な説得感がある。

 

 買うか? 買っちゃうか? どうあがいても粗大ごみのこれを私は買うべきなのか!?

 

「フォリアちゃん、乗せられてるけど正気に戻ってください。お面一つで自信が満ち溢れるは流石に無理ありますよ」

「そうかな……そうかも……」

 

 そうだ、冷静になれ私。

 口が上手い人間というのはどこにでもいる、彼女だってそう。

 超高級ゴーグルにしかならないこれを買っても、絶対明日には後悔しているはずだ。

 

 差し出しかけた手を引っ込め、しかし誘惑にまた惹かれてしまう。

 しばしの葛藤に業を煮やした橘さんは、席から立ち上がり店内を右へ左へ、戻って来た時には三つの物を握っていた。

 

「ほな、これも無料でつけたるわ。さっき結城はんが気に入ってたお面と槍、それと黄金のトーテムポールや!」

 

 彼女が差し出したのは先ほどの民族的な槍とお面。

 そしておそらく木製の、表面に塗料か金箔かで飾られた、1メートルほどの顔が連なった棒を差しだして来た。

 このゴージャスな棒はトーテムポールというらしい。

 

 どや? と問いかけられた琉希は、ぶるりと身を震わせ私の肩を鷲掴み

 

「フォリアちゃん、これ買いましょう! お金の半分は私が出すので!」

 

 

 蝉の合唱にカラスが割り入る。

 

「あのさ」

「なんですか?」

「私たち、完全に不審者だよね」

 

 夕暮れの町、槍を右手に、黄金のトーテムポールを抱えた女と、狐のお面を嵌めた女が並び立つ。

 どう見てもやばい奴らである。もし目の前からこんなのがあるいてきたら、私なら絶対道を迂回するだろう。

 

 茜色に染まった木が、今更気付いたのかと騒めく。

 

 黄金のトーテムポールと槍を、虹色に彩られた仮面の奥からじっと見つめ、無言で琉希はアイテムボックスへそれらを仕舞う。

 私同様謎の熱に浮かされていた彼女も、歩いているうちに冷静に戻ったのだろう、私の問いかけを聞き流し口を開いた。

 

「もう夕方ですねぇ」

「会ったの昼だからね」

 

 楽しかった。

 でも楽しかったからこそ、ふと冷静に戻ったこの瞬間が恐ろしい。

 

 不安が鎌首をもたげた。。

 目を逸らしていた不気味な記憶の欠如、世間の認識から取り残された恐怖が這い上がってくる。

 誰かに話したところで取り合ってくれない、自分ですら疑っているのだから、頭のおかしい奴だと思われるのがオチだ。

 

 隣の少女へ遠まわしに、出来る限り何気なく聞いた……つもりだけど、きっと今、私の声は震えている。

 

「琉希はさ、自分の記憶が信じられなくなった時どうする? 覚えていたものと実際の物が違う時、どうしたらいいと思う?」

「え……えーっと、そうですね。まあ普通確かめるんじゃないですかね?」

「確かめる……?」

 

 確かめる、一体何を?

 実際に存在しなかったのなら、それを確かめる方法なんてどこにもない。

 容易に変化する人の記憶だけではなく、決して消えることのない電子のデータすらも欠片たりとて残っていなかったのに、どうして確かめることが出来るだろうか。

 

 それが出来ないから、今こんな恐怖に犯されているというのに。

 

「ええ。まあ急いでて時間がないとかなら放置しますけど、なんで間違えたのか、何と勘違いしたのか、或いは見逃しているものが何なのか……すり合わせますね」

「あ……!」

 

 彼女の言葉を受けて、ピンと一本の糸が通った。

 

 私は、何かを見逃している……!?

 

 細い糸だ。

 容易く切れてしまうかもしれない糸だ、でも今、確かに私は思い出せた。

 慎重に手繰り寄せる必要がある、この大して賢くもない頭をしっかりと働かせて、神経を限界まで張り巡らせて。

 

「ごめん、用事が出来た」

「あ、もう帰るんですか? ご飯でも食べに行こうかと思ってたんですけど……」

 

 彼女にもう一度頭を下げる。

 きっと彼女に今日会わなければ、私はこの不気味な違和感を抱えたまま、結局自分では気づくことが出来ずにいた。

 

「琉希」

「はい?」

「ありがと」

 

 コンクリートを蹴飛ばし、闇へ飲み込まれる町を走り抜ける。

 知るんだ、見えなかったものを。

 

「あ、行っちゃった……ま、よく分かんないですけど……元気になったっぽいからヨシですね!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百四十一話

 部屋の照明の下、虚空へ手を突っ込み蠢く影。

 私だ。

 

 ホテルに戻った私はお面を顔の横にへばりつかせ、ひたすらアイテムボックスを漁った。

 何のモンスターかも分からない謎の魔石、この前の巨大な薔薇でドロップした謎の粉、ロープ、フック、謎の物が山盛り。

 

「んー……あっ」

 

 あてもなく『アイテムボックス』を漁り、手に握ったのは一つのポーション。

 まだ中身は満タンに詰まっていて、奥が透けるもののそこそこ濃い赤は高品質な証。

 

 その後はいくら漁ろうと、一本たりとて『アイテムボックス』の中からポーションは見つからなかった。

 

 机の上に置かれた小さな小瓶は、無機質の冷たい輝きを私へ送り続ける。

 何の変哲もない、探索者なら緊急事態に備えて数本は持っておくポーションだが、私の疑惑を確証に変えるにはあまりに大きな材料だ。

 

 私は数日前、そう、あの砂漠へ向かう前三つのポーションを購入した。

 そして『アクセラレーション』中の『スキル累乗』による攻撃を実験し、その強烈な反動に瀕死のダメージを受け意識を失いかける。

 しかしギリギリのところで『アイテムボックス』から取り出したポーションが口へ転がりこみ、幸運なことに噛み砕くことで九死に一生を得た。

 

 それだけしか使っていない、その前後でポーションを使っていない。

 残ったポーションは二つ(・・)あるはずなのだ、だが一つだ。

 流石に私にだってわかる、3引く1が1になるわけないってことくらいは。

 

 もし超天才の数学者や物理学者がいたら、いや、出来るかもしれない。なんとか効果だなんだなんて言い張るかもしれないが、残念ながら現状そんな高度な話はしていない。

 

 そして砂漠から帰ってきた後、古手川さんに頼み二つのポーションを追加で購入した。

 これは確かに確認している。ここへ帰ってくる前、店によって彼に直接聞いてきたので間違いない情報だ。

 

 この場合、余っているポーションは四つあるはず。

 だが一つだ。

 本来あるはずの、残り三本のポーションは一体どこへ行ってしまったのか。

 

 ここからは私の記憶だけに残っていて、世界には存在しない仮定の話になる。

 

 どこにも存在しないはずの『鹿鳴』へ向かった記憶が正しければ、私はここへ向かう道中、筋肉を追いかけるためにポーションで体力を回復しつつ移動した。

 まずこれで一本の消費。

 

 次に、筋肉から離れて『アクセラレーション』で跳躍し、トカゲに襲われかけていたボロボロの大麦へ一本手渡した。

 これで二本。

 

 最後。

 出会ったその女があの、私を置き去りにした大西だと気づき若干ムカつきつつも、人を殴ることを躊躇いまくる。

 大西の顔をぶん殴る時に、レベル差から死んでしまうかもしれないとビビった私は、彼女へポーションの小瓶を噛ませ、殴ると同時に砕けるようにすることで確実に治すチキン戦法を取った。

 これで合計……三本。

 

 ぴったりと適合する、記憶にも、実際に残っているものにも。

 

「やっぱり、あったんだ……!」

 

 手が震える。

 未知への恐怖なのか、あるいはどうしようもない絶望のせいなのか、それとも救えなかった自分自身への怒りなのかは分からない。

 

 私の記憶の中だけに存在する『鹿鳴』。

 いや、妄想の、記憶の中だけに存在すると思っていただけで、確かにあの町はあった。

 

 確かに、大西若葉は居た。

 

 

 ここは鹿鳴……いや、かつて鹿鳴があったはずの森。

 

 滑らかな断面で切断された小さなコンクリートの破片と、同じく滑らかな断面で接着している木の破片。

 子供用の小さな靴と変な形に抉れた積み木。

 この森には様々なものが本当に僅かに点在していて、ともすればゴミと見逃してしまうが、あの光景を見た後ではきっとバラバラの場所にあった物がくっついたのだと推測できる。

 

 森の真ん中だというのに、妙に開けたこの草原。

 訪れてみれば確かに私が見逃していた、そして知らぬ人が見れば気にも留めない、だが確かにここに町があった痕が残っていた。

 

「……私には、こんなものしか用意できない」

 

 柔らかな月光に照らされた、紫の花束が風に揺れる。

 アツモリソウというランの仲間だそうで、ここに来る前、小さな花屋で売っていたものを買ってきた。

 

 誰も覚えていない、誰もここに居た人たちのことを追悼することはない。

 

 ここで消えたのは、正直ろくでもない奴らだった。

 ダンジョンで調子に乗って高レベルの場所へ乗り込み、どうしようもなくなって人を切り捨てる奴。

 モンスターに襲われる恐怖からとはいえ、校庭でトカゲと対峙する大西を校舎の中から見下ろし、屋上へトカゲが登れば、目の前の小さな子供を足蹴にして学校の外へと逃げ惑う一般人。

 

 それでも、一切の痕跡もなく殺されていい存在じゃない……と、私は思う。

 犠牲になっていい犠牲なんて存在しないはずだ。

 

 きっとあの時、他の二人を覚えていないと言っていた大西は、本当に覚えていなかったのだ。

 既に二人は飲み込まれ、消滅していた。

 だから彼女は本当に私の言うことを理解できていなかった。

 

 私はこのことに気付いていなかったから、あいつは本当は改心していないのだと思っていたけれど、本当は……本当にやり直そうと思っていたのかもしれない。

 少し私の願望が混じっているかもしれないけど、私はそう思いたい。 

 

 人は変われる。

 どんな失敗をしても、どんな過ちを犯しても、本人にその気があれば。

 

 だがダンジョンの崩壊は無慈悲にすべてを飲み込む。

 やり残す機会も与えることなく、後悔する暇すら与えずに、後悔したという事実どころか、その人がいたという記憶すら奪って。

 

 私は今の今まで、ダンジョンの崩壊という物をあまりに甘く見過ぎていたのかもしれない。

 いや、私だけではない。

 この事実を知らない世界中の人々が、あまりに甘く見過ぎているのかもしれない。

 

 胸が苦しい、息が上手く吸えない。

 ダンジョンが崩壊して、すぐにボスを倒せなければそこら一体の存在も、人々の記憶が……そして世界中の記録までもが消えてしまうなんて、どうすればいいのか全く分からない。

 

「私、どうしたらいいんだろう……」

 

 正直未だに、この現実がしっくり来ていない。

 頭では理解しているのに、心が追い付かない。

 本当に消えたのか、実はやはり夢だったのか、どうしたらいいのか、この先どうなってしまうのか、次から次へと浮かび上がる疑惑が思考を押しつぶしていく。

 

 止めるには全てのダンジョンを壊せばいいのか? 方法は? 聞いたこともないし、調べても出てくることはないだろう。

 現状私が出来ることは、ただひたすらに崩壊の予兆があれば駆けつけ、必死に食い止めることだけ。

 でもその先は? この前のロシアのように、人類未踏破ラインが崩壊したら私に食い止めることはできない……いや、誰一人として止められる人なんていない。

 

 ああ、飲み込み切れぬほど注がれる毒に溺れてしまいそうだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百四十二話

 思考が巡る。

 考えれば考える程自分の失敗にへ目が行き、悪循環のループへと全身を引きずり込まれた。

 

 あの時どうすればよかったのだろう。

 あの学校にいる人を見捨てて町中を駆けずり回り、筋肉と共にボスを狙っていたらよかったのだろうか。

 私の目の前にいる人を助けたいというエゴのせいで、より多くの人を犠牲にしてしまったのだろうか。

 

 愚かで知識もない人間がしゃしゃり出た時、世の中の出来事は大抵ろくでもないことになる。

 贖罪に付き合う? 罪を認める? 本当に贖罪すべきは私だったではないか? 何も知らない人間が足を引っ張って、結局何もできずに誰かを犠牲にしてしまったお前こそが、本当に救いようもない人間じゃないのか?

 もう炎来での失敗を忘れたのか?

 

 全ては最初から手遅れだった。

 筋肉も言っていたじゃないか、人員が足りないせいで崩壊したんだと。

 

 じゃあ私があの時勝手についていき、足を引っ張らなければ助かっていたのかもしれないんじゃないか?

 全ては結果論、でも覆しようのない事実だ。

 

「くそ……」

 

 

 

 気が付くと月が真上へと昇っていた。

 

 あの思い出すだけで腹立たしい蚊の飛ぶ音が、呆然としていた私の意識の片隅を引っ掻き回し、ふと現実へと引き戻す。

 どうやら森の真ん中、小さな草原で私は暫く固まっていたらしい。

 

 考えを変える、か。

 私自身もダンジョンの崩壊によって巻き込まれて消えるところを、筋肉の機転によって運よく助かることが出来た。

 むしろこの幸運を喜ぼう。私一人でもこれに気付けて、何か対策を考えることが出来るのだから。

 

 彼が戦うなと言ってくれたから、あそこで死なずに済んだのだ。

 

 今は何も思い浮かばない。でも誰にも気付けないことに気付けたんだ、きっかけさえつかめればきっと対策はできる。

 そう、例えば筋肉やダンジョンの研究をしているという剣崎さん、そのほかにも世界中に強い人、えらい人はまだ沢山いる。

 ダンジョンについてはまだ知らないことばかり。たとえ小さな証言だろうと、子供の戯言だと一切を聞き入れないなんてありえない。

 

「よし、これと、これも持って帰ろう」

 

 草を掻き分け、地べたへ這いずり回る。

 

 滑らかに切り取られた石片、木々と融合した子供のおもちゃ。

 地面へ転がる歪な存在の証明をかき集め、砂や葉がくっついたまま次から次へとアイテムボックスへ放り込んでいく。

 

 小さなものでも証拠にはなる。

 一人でも偉い人が信じてくれれば、きっと、きっとどうにかなる。

 

「あれ……?」

 

 物を拾う手がふと止まった。

 

 そういえば何で筋肉はあの時戦うなと言ったんだ?

 そうだ、あの時も自分で考えたじゃないか。どうして彼ほど力のある人間が、レベル三万程度のモンスターから逃げ回っていた?

 何故わざわざ私と鹿鳴へ向かう時、ダンジョンの崩壊を食い止めるわけじゃなく、レベル上げの結果を見に行くだなんてわざわざ私に言って、覚えさせたのだ?

 なぜ私を連れて行こうとしなかった?

 

 

 なんで園崎さんはロシアの人類未踏破ラインダンジョンが崩壊するとき、明日には落ち着くと言い切れたのだ?

 

 

 まさか。

 

 ふと気付きかけた事実に、思わず蓋をしてしまう。

 だがそれは閉じきれなかった隙間から這い出し、私へと囁いた。

 

 これじゃまるで、最初から筋肉や園崎さんは、ダンジョンの崩壊によって最終的に何が起こるのを……

 

「あ……ふ……」

「何!?」

 

 草のざわめきに混じり、私は確かに小さな声を聴いた。

 

 動物か!? いや、でも確かに人間の声にも聞こえたような……

 もし本当に人だとしたら、こんな山奥の夜中にいる人だとしたら、それはきっと先日起こったダンジョン崩壊の犠牲者?

 

 あれからまだ二日しか経っていない。

 確か人は飲み食いなしで三日は生きていられるらしい、以前地震が起こった時のニュースで見た。

 生きている可能性は……あり得る。

 

「誰!? 誰かいるの!? いるなら何か合図を、音を出して!」

 

 声を張り走り回る。

 もし声が聞こえたのならそう遠くはない、かすれるようなそれは間違いなくすぐそばにいるはず。

 

 ああ、最低だ、私は。

 

 生きている人がいることに喜んでいる。

 自分のせいで多くの人が死んだかもしれないというのに、たった一人、偶然生き延びた人を助け出すことで、その後ろめたさから目を逸らそうとしている。

 

 一人でも救いたい。

 この苦しみが少しでもまぎれるのなら、罪悪感を少しでも薄めることが出来るなら。

 助けるから、助けて。

 

 右、左、周囲にはすくりと空へ伸びる木ばかり。

 木の裏にいるのかと回り込むが、人の影どころか小さな動物一匹とていない。

 

「気のせい……?」

 

 がくりと崩れ落ちる。

 

 幻聴だったのか。

 木の実か葉が落ちる音を、罪の意識から逃れるため私が、勝手に人の声だと解釈してしまったのだろうか。

 もしそうならば、必死に森の間を探し回る私の姿は、よほど滑稽な姿をしていただろう。

 

 臍の薄い皮膚を突き破った犬歯が、ぞりぞりと肉を撫で、噎せ返るほど口の中へ漂う錆臭さに悶える。

 噴き出すのはどこまでも自分本位で傲慢な己への苛立ち。

 

 背中を突き抜け、弱い風が草をなぎ倒していく。

 無様な私を嘲笑うように。

 だがしかし、一陣の風は、草に隠れていた人へ私を導くようにも見えた。

 

「あ……!?」

 

 図らずも声が零れる。

 

 フードから金髪を零し倒れていたその人は、夜空へ真夏の大三角形がくっきり見える程だというのに、分厚いコートを着込んでいた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百四十三話

 この人……もしかしてあの時の……!?

 

 脳裏に過ぎるのは一人の女性。

 炎来で死にかけた私を助けてくれた、冷たい声と目をしていたが優しい人だった。

 確か彼女も金髪で、こんなコートを着ていたはず。

 

 つい勢いに任せて彼女を起こそうと手を伸ばしかけ、冷静になれと止める。

 確か揺らしちゃダメなんだっけ……肩を叩いて、大声で確認が正しい方法だったか。

 

「大丈夫!? 聞こえてる!?」

「あ……あふ……」

 

 暗くてよく見えないが、意識が朦朧としているようで、結構大きな声を出しているはずな私の呼びかけにも曖昧。

 動きも緩慢でまともに話は出来そうにない、このままではまずそうだ。

 

 アイテムボックスから引っ張り出すのは、五本買った最後のポーション。

 小瓶の蓋を軽く押し開け、とろりと透き通った紅い液体が、月光の下露になった。

 

 もしこの人が『炎来』に居たあの人と同じなら、きっと同じ探索者……ポーションの効果もあるはず。

 仮に一般人だとしても特に意味はないだけで、害はない、はずだ。

 

 ポーションを飲ませるためコートの彼女を抱き起し……その軽さに目を剥く。

 

 まるで風船だ。

 彼女の身長は160か、或いはもう少しある。

 女性としては結構高身長な部類で、決してこんな軽さであって良い訳がないのに。

 

「飲める? ゆっくりでいいから……」

 

 ゆっくり、ゆっくり。

 逸る気を押さえつけ、慎重にその液体を口へ流し込む。

 元々大した量じゃない、でも今の彼女にはその一滴たりとて零す余裕はなかった。

 

 ガリガリだ。

 まともに食事なんてとっていないのだろうか、コートから見えた腕には肉なんて全然ついていない。

 もしかしてこのコートを着込んでいるのは寒いのか。こんな暑い夜なのに、まともに体温を維持すらできていないのか。

 

 どうにか液体を飲み干した彼女だったが、すぐにピクリとも動かなくなった。

 死んでしまったのかと一瞬心臓が跳ねたが、絶え間なく繰り返される安定した鼻息に気付き、すぐ胸をなでおろす。

 

 安心しただけかな。

 

「よっこいしょっと。今から町に行くから、寝てていいよ」

 

 背負われ寝ている人へ、聞こえもしない独り言を口から垂らす。

 

 どうしてこの人があそこにいたのか分からない。

 もしかしたら今回の崩壊に関わっているのか? それともやはりただの偶然?

 二回も偶然いいタイミングでダンジョンが崩壊する場所にいた、なんてあまりに出来過ぎていないか?  

 あ、でも私も『炎来』と『花咲』は偶然そのタイミングに居合わせたのか……じゃあ本当に偶然……?

 

 でも悪意があってなにかをする人じゃない……と、思う。

 倒れていた私を助けてくれた人だし、逃げろと忠告までしてくれたから。

 ともかく一度助けてもらったのだから、今度は私が助けよう。

 

 取りあえず容体は安定してるっぽいし、一旦私の町に連れて帰ってから病院に行った方が良いのかな。

 色々聞きたいこともあるし、町の総合病院の方が会いに行くにしても楽だし色々都合が効くよね。

 

 サクサクと雑草を踏みつけ、暗い森の中、月明かり明かりに誘われ進む。

 普通夜に森の中を歩くなんて自殺行為なのだろうが、町があった痕跡だろう、途中からはそこそこ整備された道が現れた。

 

 といってもそもそも、ここに来るまで通ってきた道なのだから、現れたというよりはたどり着いたの方が近いのかもしれないが。

 

 今日は色々あった、この小さい脳みそではあまりに処理しきれないほど。

 所謂キャパオーバーという奴だ、もう寝たい。

 

 

「極度の栄養失調による衰弱ですね、暫くは入院することになるかと。PPNを経てTPN、最終的には流動食と慣らしていくことになるでしょう」

「ふむ……なるほど……」

 

 蛍光灯に照らされたお医者さんのメガネがきらりと光った。

 

「意味が分からないので、もう少し分かりやすくお願いします」

「貴女のお母さんは全くまともな食事をせずボロボロの身体なので、入院して少しずつ、点滴から柔らかい食事と慣らしていきます」

「あい」

 

 実にわかりやすかった。

 

「じゃあ後はお願いできる、出来ますか? あ、そうだ。ついでに別にあの人母親じゃないです、拾っただけで」

「ん? あ、ああ、もう大丈夫です。彼女の容体は、私たちが責任をもって見るので」

 

 大丈夫だと胸を張られたので、あとはプロの人に任せることとする。

 あの調子では彼女、まともにお金を払う能力があるかも分からない……というか絶対ないだろう。

 入院費は私が立て替えるとして、今日はおさらばさせてもらうこととした。

 

 また後日見舞いに来た時には、いろいろと話せるといいな。

 

 それにしてもこれでようやく休める。

 あとは明日……今日浮かんだ一つの疑惑を確かめるだけ。

 もし彼が、筋肉が全てを知っていた上で全てを黙っていたというのなら、その時は……

 

 ああ、憂鬱だ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百四十四話

 午前五時。

 セミが目を覚まし恋の叫び声をあげる頃、私は協会の入り口に体育座りで伏せていた。

 

「うおっ!? 何でそんなところに座り込んでんだよ、びっくりするじゃねえか」

「……聞きたいことがある」

 

 鍵を開けようと鞄を探り、座った私を目撃した彼は素っ頓狂な声を上げ、いつも通りのおどけた振る舞いで声を掛けてきた。

 

「ダンジョンが崩壊した先、何が起こるの?」

「なにって……そりゃモンスターが溢れ出すさ。数えきれないほどの人が犠牲になる、だから俺たちが必死こいて動き回って止めてるんだろ?」

 

 私の質問に彼の顔は変わらない。

 いつも通り、張り付いた笑顔。

 

 あれも嘘、これも嘘、どれもこれもが嘘、嘘、嘘。

 何を信じたらいいのか分からない。

 虚構の真実に塗りつぶされた現実で、私は何を支えにしていけば良いのだろう。

 

「違う! 誤魔化さないで! 知ってるでしょ! 崩壊して……モンスターが溢れて……その先! その先にはっ! 消えるっ! 何もかもがっ!」

 

 お願いだ、否定してくれ。

 

 心は望んでいなくとも、既に盤面へ揃ったピースが伝えてくる真実。

 怒りのままシャツを固く握りしめた私へため息を吐き、渋い顔や悩んだ素振りをするが、口を開くことはない。

 

 静寂が支配する一瞬に、苛立ちが増していく。

 

「黙ってないでなんか言ってよ! 知ってたの!?」

 

 

「ああ、知っている」

 

 

 夏の暑さに噴き出した嫌な汗が頬を伝い、コンクリートへ吸い込まれていく。

 

 知っていた、知りたくなかった。

 ふつふつと湧き出す怒り。

 こんなの許されるわけがない。

 

「そうだ。この事実を知っているのは極少数。今連絡が付く(・・・・・・)のは俺と、どうして知ったのかは分からないがお前、あと二人だけだ」

 

 一度口を開いてみればもう遅く、彼は唯淡々と私へ己が知る真実を垂れ流し続ける。

 

 筋肉はずっと知っていて隠していたのか?

 一般人が知ればきっと怒り狂う。当然だ、ただ避難するだけでは何の意味もない、こんな危険な存在の近くでのうのうと暮らしていたのだから。

 どうせ消えるからばれないとでも思っていたのか? 人なんてどれだけ死のうと関係ないとでも思っていたのか?

 

 許せない。

 

「分かった、もういい」

 

 握り締めた拳を虚空に振り下ろし、苛立たしい雑音を吐き出すその口を閉じさせる。

 

 もう十分だ、これ以上は聞いていられない。

 

 証拠はもう十分録音した、ズボンのポケットに入れたこのスマホで。

 本当は動画で撮影しておきたかったのだが、彼はテレビにも出る程有名な人物、声だって知っている人も多い。

 あとは昨日拾ったものを見せつけてしまえば、違和感を辿って私の言葉を信じる人は出てくるはず。

 

 一人が信じれば次は二人、二人はさらに多くの人間を扇動する力になる。

 そうすればこの事実は覆しようのない真実となって、世間に……

 

「そのポケットに隠した物をどうするつもりだ?」

 

 背中を向け立ち上がった私の肩を、大きな掌が掴んだ。

 

 気付かれていた……!?

 力づくで奪う気か? あっさりと吐いたのは私を殺すつもりで……!?

 

「――!? っ、そっちがそのつもりなら、私にだってやる覚悟はある。これをネットに上げる、拾った証拠も、全て流す」

 

 いいさ、そっちがその気なら。

 私にはここから、きっと彼ですら追いつけない速度で移動する手段を持っている。

 全力で逃げて……

 

「それで?」

「私は絶対に事実を皆に知らせる、一度で信じてくれないなら二度、三度と。ダンジョンが崩壊した時に起こる本当のことを、協会が隠しているこの大きな問題を」

「それで?」

「は?」

 

 それで……?

 それでって、なにが……?

 

「それでどうなるんだ? お前のする行為は社会へ無闇に混乱を撒くだけだろう、その先に何をするつもりだ?」

「そ、それは……」

「公開した先のことを考えているのか? 仮にお前の言葉が信じられたとしよう、その先に起こることは一切誰も得をしない社会の混乱だ。どこにもない安住の地を求め、ダンジョンが崩壊する度に人々は逃げ惑い、よりダンジョンが少ない地を奪い取ろうと血が降ることになるだろうな。ただでさえ短いこの世界の未来をわざわざ縮めるつもりか?」

 

 私のせいで、戦争が……?

 ち、違う、そう簡単に戦争が起こるわけない。

 

「いいや、絶対に起こる。歴史上で人々が戦争をした根本には、自分たちの安寧を求める性がある。食料、環境、経済、人が求める物の基部にあるのは生きる上で安心で安全かどうかだ。この世界の消滅を知った人々が争わないわけがない」

「そ、そんなの分かんないじゃん。もしかしたら皆で協力して、崩壊を食い止めるとかダンジョンをなくす方法を探すことだって……」

「世界は善意だけで動いているわけじゃない!」

 

 そ、それじゃあ、筋肉が言いたいのは……!

 

「これを世間へ公表せずに黙ってろって言うの!? 皆このままじゃいつか死ぬのに、いつ死ぬかも分からないまま、何が起こるのか、何が起こったのかも知らないで死んで行けって言うの!?」

「知らない方が幸せなんだよ、これは。世間へ大々的に公表すれば本来失われなかった命すら失われる、お前にそれを背負う覚悟はあるか? やってから『こんなことになるなんて知らなかった』なんて言ってももう遅いぞ、虚構でも砂上でも、今ここにある平和を壊す覚悟はあるのか!?」

 

 私にその覚悟は無かった。

 そんなところまで頭が回らなかった。

 

 これはきっと私を欺くための方便なんだ。

 そう思いたいのに、私には反論することが出来ない

 

「それ……は……」

「それだけじゃない、お前にも注目が行く」

「私……?」

「そうだ。何故他の人間は誰一人気付くことが出来なかったのに、お前だけは気付くことが出来たのか? 能力研究の対象になるかもしれないし、引き金になったお前は大衆から遺恨の対象になる。加えてお前の特異な体質にも注目が行くだろう、その年齢で何故そこまでレベルの上昇が速いのかにな。そうなれば俺にも誤魔化すことは出来ん、一人で逃げられると思うのか?」

 

 そんなことって、ない。

 じゃあどうすればいいんだよ、私は。

 

 うつむいた隙を突き、握り締めていたスマホが奪い去られた。

 

「あっ……かっ、返して!」

「これを消したらな……ほら」

 

 やっぱり目的はデータを消すことだったのか!

 

 殴り飛ばしてやろうと拳が震え、しかし目の前に翳された手のひらが私の動きを遮った。

 

「まあ落ち着け、お前は頭の中でこれと決めたら他人の言葉を聞かないタイプだからな。行動力があるのはいいことだが、もう少し周りを見ろ」

 

 落ち着けだと? 無理に決まっている。

 

 結局どこまでも手詰まりな現状と焼け付くほど焦る心、自分が何もできないという無力感がこの身を襲っては折り重なっていく。

 目の前にやらなくちゃいけないことがあるのに、私はこのまま何もできないのか。

 

「こうなったら仕方がない、お前が変な行動起こしても困るし全て話そう。昼頃に俺の事務室へ来い、もう一人の重要人物を連れてくる……なに、お前も知ってる奴だ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百四十五話

「よく来た」

「……ずっと協会に居たけど」

「そう拗ねるな、俺達はこれから共犯者になるんだから」

 

 きっかり正午。

 落ち着かずに外へ出たり入ったりをしたのち、協会の奥へ足を運んだ私の目の前に現れた彼は、さあこちらへ来いとばかりに背を向け歩き出す。

 

 一瞬ついていくか躊躇ったが、今は少しでも情報が欲しい。

 あっという間に離れていく彼の後を慌てて追い、暗い廊下へ二人の足音が響いた。

 

「別にまだ信じた訳じゃない」

「信じてないなら態度や口に出すな、相手に警戒されるだけだぞ。そう肩肘張るんじゃない、落差に気が抜けるだけだからな」

「――っ、ふん」

 

 いつも通りの物言いが、心の隙間へ容易に染み込んできた。

 

 ともすれば一瞬で絆されてしまいそうになるが、ぐっとこらえて首を振る。

 彼の言っていることは何も間違っていない。だが相手は私より断然年上で、頭だって切れるだろう。

 全てを鵜呑みにするのはまだ早い。

 

 そう簡単に騙されてたまるか。

 

 

 ソファの上に寝転び、ぺらぺらと本を捲る彼女。

 高そうな木製のピカピカ光る机の上には、あまりに似つかわしくない安っぽいポテチの袋と、食べるためだろうか、突っ込まれた二本の箸が転がっていた。

 

「あ、マスター。戸棚にあったポテチ貰ってますよ。ところでコンソメ味ってないんですか、濃厚なタイプ。私うすしおあんまり好きじゃないって知ってますよね?」

「勝手に人の戸棚漁ってんじゃねえ、欠片零すな後で床掃除しとけよ」

「え……園崎さん?」

 

 だらけた姿でソファに陣取っていた彼女は、確かに彼が言った通り私がよく知った人物であった。

 ただしその背中に揺れる、蝙蝠のような羽を除いて。

 

「よっこいしょ。だから言ったじゃないですかマスター、絶対に気付いてるし素直に話した方が良いって」

「子供を巻き込むわけにはいかないだろ」

「でも私が初めて知った時はもっと幼い頃でしたよ?」

「口答えするんじゃない、お前は事情が事情だろうが」

 

 ソファからゆるりと立ち上がった彼女はピンっと背中を伸ばし、普段見ていた笑みを浮かべた。

 

「ね、ねえ……もしかして……」

「そうだ。彼女がこの世界で唯一崩壊による消滅の影響を受けずに、全ての記憶を保っておくことの出来る存在だ」

 

 

 

 最初にこの姉弟と出会ったのは15年前、俺がまだ一般の探索者としてダンジョンへ潜っていた時のことだった。

 

 

「子供……か?」

『□□□!』

『□□□□□……』

 

 二人が口にしているのは日本語でも、どうやら英語でもない謎の言語。

 

 Dランク、単なる階級で分ければ下層に位置するものの、ここに潜ることが出来れば生活に苦労しない程度の稼ぎがある。

 勿論一般人が足を踏み入れれば容易く屠られる水準だ、こんな子供が歩き回っていて無事なわけがない。

 

 一瞬モンスターかと疑ったが、しかし『鑑定』には年齢が表示されている。

 ダンジョンに闊歩するモンスターとは別の法則で生きている、間違いなく彼女達は『生物』だった。

 

「何言ってんのか分かんねえ……なんか羽生えてるし……」

 

 どうやら姉弟のようであったが、奇妙なことに姉の方には翼が生えており、残念ながら単なる人間ではないことは一目で理解できた

 取りあえずエネルギー源として買い溜めして菓子パンを差し出すと、姉は恐る恐る手を出し一口噛み付くと、大丈夫だと判断したようで弟へそれを差し出した。

 

 見知らぬ他人への恐怖心、それにこれほど幼いにも拘らず、口にするものへ警戒をしている……どうやら本格的にまともではないらしい。

 厄介ごとの匂いがしたがこれを無視するのも後味が悪い、放置した先の未来は大方モンスターに貪られて終わりなのは目に見えていた。

 

「取りあえず持ち帰るか……あ、こらこら逃げるんじゃねえよ! 味方だ味方! なんもしねえ……って伝わらねえのか! あーもうめんどくせえ! あっ、違う! お前らに怒鳴ったわけじゃ……はぁ……」

 

 本当に俺、こいつらの面倒見ないといけねえの? マジ? まだ誰かと結婚どころか、付き合うことすらまだなんだぞ?

 

 どうにか食い物で宥め透かした俺は二人を連れ、家へと連れて帰った。

 協会へ二人の報告をしようと思ったが、はたしてダンジョン内で見つかった人間そっくりの生物という存在が、今後まともな扱いをされるとも思えなかったからだ。

 

 その後は本当にいろいろとあった。親戚から名前を借りて戸籍の登録から始まり、どうにか二人の後見人としての立ち位置を確保した俺は、実質的な子育てに奔走することとなった。

 姉の方が奇妙な能力に目覚めたり、弟はちょっと力が強いだけだったり……今でも忘れられない出来事の連続。

 これだけならまあ、小説であるちょっと不思議な出会いと子育てとして終わっていただろう。

 

 しかしある日のことだ。

 

「ねえつよし、ブラジルきえちゃった」

「あ? ぶら……何の話だ?」

「ブラジルきえちゃったの、ちずがへんなの」

 

 必死に世界地図を指し、変だ、変だ、と訴えてくる美羽。

 はじめは子供にありがちな嘘や妄想、自己主張かと思い気にしていなかったが、それは成長しても続くこととなった。

 

「剛さん! また消えました! 今度はケニアの一部です!」

 

 小学生、中学生、成長する度に彼女は何度も訴えかけてくる。

 知能テストなどでもまるっきり正常、どうやらただ事ではないと理解した時、どうやら既に世界は滅びへ向かっていたらしい。

 

 ダンジョンの崩壊によって溢れたモンスターは、理屈は分からないがレベルに比例して周囲を消滅させる。

 存在が消えたものは記録の大半が消え、覚えていた者も多少の違和感を残して忘れる。

 奇妙なことだが消えたからといって、歴史が大きく変わり生活が一変するわけではない。人々に定着したものは消えるわけではないようで、別のルートを辿って同じものが生まれたことになるようだ。

 

 要するに元あった歴史へ雑に白で塗りつぶし、上から新しい歴史を書き換えたようなものだったのだ。

 記憶や記録はなくとも、現在が何か変わるわけではない。

 

 そして……

 

 

 そして世界で唯一それを覚えていられるのは、異世界から訪れた姉弟の姉、園崎美羽だけ。

 

 

 一年かけて集めた情報はたったこれだけ、あまりに少なすぎるもの。

 

 園崎美羽はあまりに孤独な世界で今まで過ごして来た。

 誰しもが異なる記憶で生きる中で、真実を忘れることが出来ないという、暗く、冷たい世界で。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百四十六話

「じゃ、じゃあ園崎さんって……異世界人なの!?」

「そういうことになるな。ただ正確には人となんかの種族のハーフらしい」

「まあ私も流石に小さすぎる頃の話だから、正直なところあんまり覚えていないんだけどね、単純な人間ではないみたい」

 

 普段は隠しているらしい羽をパタパタと動かす彼女。

 

 触らせてもらったが確かに暖かく、見えないように軽く抓れば痛みも感じていた。

 間違いなく本物だ。

 電気で動くちゃちなおもちゃでも、何か魔法的なあれの幻想でもない。

 

「異世界人の姉弟……しかもなんかが混じってる……」

「異物混入みたいな言い方やめて、物凄い体に悪そうじゃないの」

 

 筋肉の語った話はどれもこれも荒唐無稽なものばかりだった。

 いたって真面目な顔で私、人じゃないのと言われるとなんだか笑える。

 

 普通異世界人なんて言い出したら、まず真っ先に九割の人間はその人の頭を疑うだろう。

 はっきり言って正気じゃない。中二病か、ヤバい薬をやっているか、どちらにせよそれとなく距離を取るに違いない。

 

 だが、私はその存在を知っている。

 たった二度だけだが、一人の記憶を垣間見るような体験をしたことがあった。

 

 異世界が二つ、三つと無数にあるのか、或いは彼女の言う異世界と私の見たものが同一の物かは分からない。

 しかしその存在を今更疑う必要もないだろう。

 

「分かった、信じる」

「や、やけにあっさり信じるのね……」

 

 言い出した本人が困惑した口調とはこれ如何に。

 

「嘘なの?」

「いやいや、勿論本当よ? 私嘘なんてついたことないもの」

「それがもう嘘だろアホ」

 

 軽く小突かれる彼女。

 

 なるほど、ただの職場の上司というには距離が近いと感じていたが、筋肉が彼女たちを拾ったということならおかしいところはない。

 古道具屋の橘さんが言っていた話ともずれはないし、確かに育て親的な存在でもあるのだろう。

 

 恐らく筋肉の話は全部本当だ。

 何か話していないところ、隠しているところはあるかもしれないが、少なくとも口に出したところに綻びはない。

 

 彼は私が異世界の存在を知っているなんて分からないし、騙すのならこのあほらしい顔を大真面目に話すことはないと思う。

 少なくとも私ならまだありそうな話をする。

 普通仕事場の人間が異世界人だとか、彼女は人間じゃございませんなんて真顔で言うのは、右手に魔王が封印されているとか言っちゃう系の人以外には無理だ。

 

 信じよう。

 彼が何か悪意を持って動いているわけでもなく、私を誤魔化すために嘯いているわけではないと。

 

「そして彼女の能力が……結城、この広辞苑から好きなページを一枚切り取れ」

「は? あ、うん」

 

 筋肉によって本棚から無造作に引き抜かれた分厚い本、知らない人はいないであろう辞書の代名詞である広辞苑。

 ずいずいと手渡され受け取るも、紙にも拘らず腕へずっしりとくる重さに驚く。

 言われた通りガバリと適当に開いたページは、どうやら『な』について細かく書かれてるようだ。

 

 なんかこうも高そうな本を破るのは気が引けるなぁ。

 

 手のひらサイズの小さな本ですら500円もするのだ、こんな大きなもの一体いくらするのか、考えるだけでも恐ろしい。

 全く、本ってのはどうしてどれもこれも高いのだろう、値段を見るだけで買う気がうせる。

 まあ私は文字読むと頭痛くなるから、そもそも自主的に買うことなんてないけど。

 

「ぬーん……えい!」

「じゃあソレ、スマホで撮影しとけ。端から端までしっかりと入れろよ?」

 

 覚悟を決めてべりべりと切り取り机の上に乗せると、言われた通りにしっかり写真を撮る。

 

 大した時間はかからない、表と裏を合わせて2、30秒もあれば終わった。

 私が写真を撮り終わったのを確認した彼は紙片を拾い上げると、彼女の胸元へ押し付け頷く。

 

「よし、美羽」

「はい」

 

 紙を受け取った園崎さんは端からぺりぺりと切り取り、もっちゃもっちゃと口元へ運び始めた。

 

 確か彼女は本を食べられるのだったか。

 ここまでは大した驚きはない。初見であれば目を剥く光景だが既に知っているし、私は時々協会の裏で食べているのを見かけていた。

 

「彼女の能力はちょっと変わっていてな、戦いに使えるものではない。紙や葉っぱなどの媒体へ書かれている文章の内容によって味を感じ……」

 

 完全に食べ終わった園崎さんは、筋肉の机から紙を掴み無造作に放り投げると、目にもとまらぬ速度で空中へペンを走らせる。

 インクが跳ね、紙は繰り返し叩きつけられたように虚空を踊った。

 

「完全に記憶することが出来る、勿論アウトプット……別の紙面へ書くことも可能だ」

 

 最後、彼女の動きが止まったと同時に筋肉がそれをつまみ上げると、真っ白な紙は一体どこへ行ったのやら、見ているだけで頭が痛くなるほど連ねられた文字達。

 縦横大きさきっかり、整然と並んだ文字はまるで印刷されたようだ。

 

 恐らくそれを成し遂げたであろう彼女は口角と眉を吊り上げ、ふふんと鼻を鳴らした。

 

「どうかしら?」

「えーっと、綺麗に書くの早いね」

 

 メモ取る時とか困らなそう。

 

「そこ!? 内容よ内容、ほらさっき撮った画像と比べて!」

 

 ばしばしと紙を叩くので、なるほどそういうことかと合点がいく。

 小さな文字を拡大し、ちまちまと文字を確認。

 

 なす、なすか、なすかん、なすこん、なすなえ……

 

「おお、そのまんまだ」

 

 これは魂消た、一言一句間違わずに書かれている。

 もちろん彼女にじっくりと紙面を覚える時間なんてない、渡されてすぐに貪り始めたのだから。

 

「すごい」

「でしょ? 多分これ私の人間じゃない方の種族の特性なのよね。ちなみにもう少し食べれば本全体の内容も把握できるわ、全部食べる必要はないの」

 

 面白い能力だ。

 

「何か役に立ったことあるの?」

「テストでカンニっ、勉強で凄い役に立ったわね」

「最初は本が破けてるのを見つけていじめかと心配したんだがな、それでこいつの能力が発覚したんだ」

 

 能力発覚の経緯がしょうもなすぎる。

 

 子供の頃から本人は能力を自覚していたらしいが、筋肉が知ったのは割と最近らしい。

 勿論ウニも彼女の能力について話は付いているそうなのだが、彼には似た能力もなく、ちょっと力が強いだけの人間だそうだ。

 

「血の濃さじゃないかしら? ほら、私は翼あるじゃない? でもキーくんは何もないのよ」

「ふぅん……」

 

 異世界人ってのは変わってるんだなぁ。

 いや、でも異世界からしたらこの世界も変なものなんじゃないだろうか。

 

 と、異世界への興味は尽きないが、それ以上に私には気になっていることがあった。

 それは……

 

「ねえ、広辞苑ってどんな味するの?」

「そうね、面白みもなく真面目で素朴な……甘食(あましょく)ね。甘食って知ってる?」

「知らない、甘そうなのは分かるけど」

「もそもそぱっさぱさして口の中の水分をすべて持っていく、ホットケーキを乾かしたみたいなお菓子よ」

「まずそう……」

「これが牛乳と一緒に食べるとおいしいのよねぇ、今度見つけたら買ってきてあげるわ」

 

 広辞苑は甘食なるものの味がするらしい。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百四十七話

「それとこの黒目はカラコンよ。元々蒼なんだけど、日本じゃ結構目立つから……ほら」

 

 左目へ手をかざしたかと思えば、彼女の言う通り蒼い瞳が現れる。

 蒼い瞳と単に言っても大概は水色に近いものだが、かのじょのそれは海を思わせる程深い蒼。

 なかなかに神秘的で美しい。

 

「おお、綺麗」

「ありがと、貴女の金瞳(きんどう)も素敵ね」

 

 鏡で毎日見ているしあまりに当たり前すぎて、直に褒められると少しこそばゆい。

 

 それにしても身近な人が異世界人だった、というか人じゃなかった。

 ふむ。

 

「そういえば異世界から来たのに、体の構造とか変わんないの? 病気になりやすかったりだとか、いろいろ大変なことあったんじゃ」

 

 国を離れて暮らすだけでも、環境が合わなくてお腹を壊すなんて話があるくらいだ、世界単位での移動をした彼女たちが果たして、そのまま普通に暮らしていける物だろうか?

 そもそも『人』といったって、本当にそれはこの世界でも『人』の定義に当てはまるのか?

 というかなんか向こうの人には大丈夫だけど、こっちの人からしたらやばい病気とか持ってそう。

 

 あれ、近寄るのやめとこうかな。

 

「ちょ、ちょっと! じりじり離れないでよ!」

「ぬへー」

 

 後ずさりした私の肩を鬼気迫る顔で掴み、わさわさと揺さぶり始める彼女。

 

「安心しろ、こいつは基本的に間違いなく『人間』だ。そして異世界についてだが、どうやらこの地球に酷く酷似した環境だというのも間違いがない。いや、酷似しているというよりかは、大元は平行世界的存在であり、実質的に同じといっても過言ではない。唯一この世界と異なるのは、魔力をベースとした発展を遂げたところか」

「なるほどね……よく分かんないけど分かった」

 

 つまり大丈夫だということだろう、じゃあいいや。

 

 よく考えると、もし彼女がヤバい菌の塊だとして、周りの人がものすごい勢いで死んでいきそうだ。

 明らかにそんなの放置していられないし、町のど真ん中で暢気に受付なんてやっていられないだろう。

 そんな存在この世に生まれたことが罪だ、汚物は消毒するしかない。

 

 園崎さんが天然痘の擬人化ではないと分かったところで、話は彼女自身についてから、問題のダンジョン崩壊による消滅へと移行した。

 

「園崎さんが今まで唯一、そして私が二人目の知覚者らしいけど……条件ってなんなの?」

「分からん。今までは異世界の人ならざる血が濃く入っているのが理由だと思っていたんだが……」

「じゃ、じゃあ私も人外のハーフだったとか!?」

 

 驚きにバシッと机を叩き立ち上がってしまう、

 

 衝撃の展開だ、私人間じゃなかった。

 もしかして私も、彼女が本をむしゃむしゃ食べるのみたいに、なにか隠された能力とかあるのだろうか。

 しゃきーんと両腕が武器になっちゃうとか。

 

 深い思案の海へ沈みかけた私を、目の前へ否定するように突き出された彼の腕がすくい上げる。

 

「いや、それはない。お前が消滅を知覚したのごく最近だろ」

「あ、確かに……ってなんで筋肉が決めつけるの。もしかしたらずっと前から知覚は出来たけど、見逃してるだけかもしれないじゃん」

 

 一瞬認めかけるも、超能力の可能性を諦めきれず、負けじと反論した私。

 しかし片肘をつき横で聞いていた園崎さんが口を開くと、あっさりと覆されてしまう。

 

「それはないわね。私がこの世界に来てからおよそ7の『人類未踏破ライン』が崩壊し、地図そのものが大きく書き換わっているもの。世界地図なんてまともに見ていなくとも、普通だったら違和感を覚える程の変化な上、起こった当初は町やニュースで大騒ぎされるのよ? たぶん貴女も最近までは記憶の改変がされていたわ」

 

 すらすらと紙の上に描かれた二つの世界地図。

 一つはロシアのあたりがちょっと変だが私がよく知ったものだが、もう一つは今とはだいぶ違う。

 今よりずいぶんと全体的にギザギザしているし、滑らかな線なんてどこにもないうえ、これなら面積も二倍近く大きいんじゃないだろうか。

 

 なるほど、確かにここまで大きく変わっているのだとしたら、流石の私でも気付くだろう。

 それに私は確かに見た。町も、ニュースも、ネットだってロシアの『崩壊』で大騒ぎになる姿を、人々がモンスターに襲われる凄惨な光景を。

 正直今でも思い出すとあの悲鳴が脳裏を過ぎり、少し気分が悪くなる。

 

 忘れられるってのは、もしかしたら幸せなのかも。

 

 この情報に溢れた社会、たとえ私自身が電子製品に触れていなかったとしても、きっとどこからか必ず小耳にはさむはず。

 一切記憶にないってのはおかしい、どうやら私も最近までは『消滅』による記憶改変の影響を受けていたようだ。

 

「じゃあなんで私も覚えていられるの?」

「それは……分からん。何せ今まで記憶を保っていられるのは彼女だけで、共通点なんてものは調べることも出来なかったからな。俺達もてっきり、異形の血が濃く入っているのが理由だとばかり思っていたが……」

 

 どうやらそういうわけでもない、と。

 

 記憶が継続される理由さえ見つけることが出来れば、これは現状ほぼ手探りである私たちにとって大きな一歩となる。

 今まで見過ごして来たものに気付けるし、それが糸口となって全ての解決につながる可能性だって見えてくるだろう。

 

 普段の態度はどこへやら、一呼吸置きキリリと眉を引き締めた彼女は告げた。

 

「以前の大規模な消滅がおよそ一年前、フォリアちゃん、貴女はきっとこの一年以内になにか特異な体験をしているはずよ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百四十八話

「以前の大規模な消滅がおよそ一年前、フォリアちゃん、貴女はきっとこの一年以内になにか特異な体験をしているはずよ」

 

彼女の人差し指がビシッと私に向く。

 

 うーん、一年以内か。

 一年以内に変わったことがなかったかと言われれば、勿論ある。

 しかし特に探索者になってから半年、本当に色々なことがあったので、特定のどれだとかびしっと言い切れるかと言われれば、なかなか難しい。

 

 

 ふむ、こういう時は総当たりで行くべきだろう。

 最初から一つ一つ上げていくか。

 

「じゃあまず最初に……えーと、学校生活は普通……ではなかったけど、特異って程のことはなかったし、やっぱり探索者になってからかなぁ。その、なんというか……一回死んで生き返った」

「絶対それじゃねえか!」

「それ以外あり得ないわ!」

 

 さあ吐けと肩を掴まれ揺さぶられる。

 二人して間違いないと口をそろえるが、しかし私的にはちょっと違う気がしているのだ。

 

「でも私以外にも死んで生き返ったのもう一人知ってる。昨日あったばっかだけど、特にロシアの消滅について何も言ってこなかった。もし覚えてたら絶対なんか言ってくると思う」

 

 そう、泉都琉希。

 彼女も一度私の目の前で真っ二つになり、なんか復活していた人間の一人だ。

 

 思えばあの時琉希は下半身が生えてきたんだよね……もしそのシーン見てたらトラウマになっていたかもしれない。

 いや目の前で血まみれの真っ二つになったのも結構衝撃映像だったけどさ。

 う、あの黄色い脂肪の纏わりついた断面は……あああ、思い出すのやめとこ。

 

 勝手に思い出して気分の悪くなる私をよそに、筋肉は話を勝手に進めていく。

 

「ほう、他にもいたか。もう一人について今から連絡は取れるか? 確認するだけでもいいんだが、一応覚えていた上で周りには明るく振舞っている可能性はある」

「わかった」

 

 そうか、確かに彼女は出会ったときも虚勢を張っていた。

 感情がすぐ出てしまう私と比べそういったところは本当に強い、もしかしたら一人で悩んで解決するために頑張っている可能性もある。

 

 確かめる価値はある、か。

 

「もしもし、私だけど」

 

 電話をかけてから二度のコール、忙しいかと掛け直すことを考えるより前に、聞きなれた彼女のやかましい声がスピーカーから流れだした。

 

『ハローハロー! そちらから電話をかけてくるなんて珍しいですね! どうしました?』

「あーうん、えーっと……ロシアって知ってる?」

 

 単刀直入。

 問いかけた液晶の向こうで、少女が息を呑むのを感じた。

 

『うそ……もしかしてフォリアちゃん……!?』

「――っ!? 琉希もそうなの!? いつから!?」

 

 躊躇うような探り。

 心の中に隠していたものがズバリと言い当てられ、驚愕と混乱に何を言えばいいのか戸惑う様子。

 

 まさか、死んで生き返ることも条件の一つなのか!?

 もしそうだとしたら、園崎さんは一度向こうの世界か、或いはダンジョン内での復活を体験している……?

 

『実は丁度フォリアちゃんと出会うちょっと前から……今もそれについて考えていました。こんな偶然があるんですね、いや、まさか本当は偶然じゃないとしたら……』

 

 どもる言葉がじれったい。

 その探りは私も同じなのか確証もなく、しかし万が一にそうだとしたらという心の葛藤か。

 

 会いたい。

 あって話したい、一体どこまで覚えているのか、どこから覚えていないのか。

 

 スピーカーから僅かに聞こえる彼女の独り言、何が嘘でどれが誠か分からない琉希の悩みが、私と通話しているにもかかわらず忘れてしまうほど深いものなのを物語っている。

 一々探っり合うのももどかしく、私の物言いはストレートなものとなってしまった。

 

「いつ会える? できれば今すぐ会いたい、協会で待ってる」

『そう、ですね。偶然ではなく運命だったのかもしれません、フォリアちゃんと私の考えが一致するなんて。ええ、ロシアへマトリョーシカを買いに行くんですよね? いつ行くんです? 私も同行しましょう』

「切るね」

 

 行くわけないでしょアホ。

 

『え!? ちょっ、な、なんで!? 切らないでくだ』

 

 無駄に考えて損した。

 そして残念ながら彼女は関係がなさそうだ。

 

 固唾をのんで待っていた二人へ振り向き、緩やかに首を振る。

 

「やっぱり知らないって」

「そうか、これで記憶の保持については振り出しだな……この件については一旦保留にしておこう。何か気付いた点、忘れていた点があったらまた教えてくれ」

「あい」

 

 その後私がこの半年であったことをずらずらと並べていったのが、そのどれもが筋肉の確認してきたものと一致……要するに記憶保持とはかかわりのないものばかり。

 

「あとは……私レベルアップがめっちゃ早い、普通の百倍くらい」

「え、百倍!? すご……でも、それもまあ関係ないと思うわねぇ、私レベル1000もないもの」

「と、なるとやはり相も変わらず現状は平行線だなぁ。せめて記憶が保持できる条件さえわかれば、それから情報を広げていくことが出来るんだが……」

 

 皆空を仰ぎ、うつむく。

 国や島単位での消滅。文字で表せば数秒で終わる単純な出来事だが、現実はあまりに大きく、一個人や数人で解決するには手に余る。

 

 重い空気に耐え切れなくなった園崎さんが席を立ち、麦茶を入れてくると言い残した。

 

「――細々とした出来事はいろいろとあるが、俺達が調べたことはおおよそ話した。正直ここ二年ほどは話が全く進んでいなくてな、諦め気味だったんだよ。滅ぶなら何もしない方が幸せなんじゃねえか、ってな」

「……うん。でも仕方ないと思う、どうしようもなく出来ないことってあるし」

 

 台風、噴火、地震。

 人の手にはどうしようもない天災っていう物はやはり必ずあって、昔から人々はそれに抗うことは諦め流され、安全なところへ逃げ隠れ全てが過ぎ去るのを待った。

 一つの災害すら基本的には受け身な私たちが、星丸ごと、或いはそれより大きな範囲で起こっているかもしれないこれに立ち向かうなんて、私にすら無謀すぎる出来事だろうと分かる。

 世界の消滅、これも抗いようのない天災の一つで、私たちにはどうしようもないことなのかもしれない。

 

 少なくとも二人は出来る限りのことをやってきて、その上でどうしようもないと投げたのなら、誰がそれを咎められるだろうか。

 私も頭に血が行き過ぎて世間に公開するなんて怒鳴ったが、正直何が正解なのか分からない。

 立ち向かうべきなのか、諦めて『崩壊』が起こる度安全地へ逃げるべきなのか。

 

「はっきり言って現状俺達が出来ることは変わらん、これまで通りお前にはダンジョンの崩壊を食い止めることに協力してもらいたいんだが……」

「うん。それしか今の私には出来ないし……何もしないのも後味悪いから」

「すまん。本当はこんな事誰も巻き込みたくなかったんだが、お前みたいな小さい子は特に」

「元々自分から弟子になったんだし、別に大したことじゃない。それに私15、大人だよ。」

「子供さ、世間一般からしたらな。そして古今東西変わらず、大人は子供を守るものだ」

 

 離しながら勝手に人の頭をわしゃわしゃと撫で始めたので、ぺしっと払いのける。

 完全に子ども扱いだ、失礼な奴め。

 

「ただ……今まで一人しかいないと思っていた存在が、まさか二人いるとは思っていなかった。結城、お前の可能性は希望になるかもしれん」

「え?」

 

 思ってもいない言葉に耳を疑う。

 私の存在が希望?

 

「世間への公開については考えていないが、日本の探索者協会トップには話を通してみよう」

「それって……!?」

「ああ。もしかしたらお前以外にも探索者か、ひょっとしたら一般人の中にも覚えている人間がいるかもしれん。裏からそれを調べてる価値はある」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百四十九話

 一般的におよそ三十年前、ダンジョンは世界へ同時多発的に現れたと言われている。

 しかし正確にはダンジョンの先鋒とでも言うように真っ先に現れたのが『碧空』と名付けられた、空を貫く蒼の摩天楼だ。

 

 ガラスのような材質ではあるが決して砕けることもなく、宇宙からの観測結果では先端が不気味に消滅している謎の塔。

 連日あちこちで特集が組まれていたものの、結局しばらくすれば人々は興味を失い、一部の学者や政府などの調査を除き、謎は謎のまま暫く放置されることとなる。

 

 それから三年後、『碧空』に酷似した謎の塔があちこちへ突然現れるようになり、暫くして世界の各地へ現在『ダンジョン』と呼ばれる、奇妙な空間へつながる扉が生まれ出した。

 最初はスキルなども確認されておらず(・・・・・・・・)、物理的な戦いばかりであったが、いつしか人々はステータスの存在に気付き(・・・)、現在の世間にも知られているダンジョンシステムを獲得することとなる。

 

 新たな資源に移り行く世界、真っ先に動いた人間がいた。

 

「やあ剛力君、君がここに来るなんて珍しいね。私に何か話したいことがあるらしいが」

 

 ガラス張りから覗く蒼の塔。

 満ち溢れた輝きを背に立つ細い目をした彼は、現在の『探索者協会』を一人で作り上げた怪物。

 

「お久しぶりです、ダカールさん」

「『さん』なんて寂しいこと言わないでくれ、君と私の仲じゃないか」

 

 剛力が声をかけたのはあまりに若い、ともすれば二十代にも見える程の男。

 彼は今から二十年以上前から姿かたちが変わっていない、存在を知る人々からは吸血鬼だ妖怪だとはやし立てられている。

 

 はっきり言って探索者協会という物はあまりに荒のある組織だ。

 しかしこの存在が世界各地へ幅を利かせている理由は、ダンジョンという存在の出現による混乱のさなか、彼が迅速に各国の中枢へと食い込んだことで、迂闊に手出しをするにはあまりに影響力が大きくなってしまったため。

 

 極論彼の身に何かあれば、彼に恩義のある直属の探索者達が殺到し、地図から一国が消える。

 

 彼が言うには日本のオタク文化に嵌まっていたおかげで思いついたとのことだが、明らかにそれだけで現状を作り上げることは出来ない。

 常に物事の先手を打ち、未来を知っているかのような行動には舌を巻く。

 

「いやはや、こんな組織迂闊に作ってしまったせいで日々頭を悩ませているよ。全く勘弁してもらいたいものだ」

「ご冗談を、貴方ほど若々しい方もそうはいませんよ」

「そうかい? 嬉しいねぇ。日々の努力が実っているという物だ、実は去年からアルコールの類を控えていてねぇ」

 

 不意にダカールの姿がぶれ、一つの影が剛力の首元へと伸びた。

 剛力は飛んできたそれを軽く叩き落とすと、足元へ転がった長剣をちらりと見る。

 

「……いきなり物騒ですね、剣ですか。随分と大きな見た目ですが、その割には軽い」

「いやなに、これは現在安心院の所と共同で開発中の兵器でね、魔石を使用して起動させるんだ。女子供でも容易く扱え、君たちの言うレベル一万程度なら容易く屠ることが出来る。まさか三十年足らずでここまで到達してしまうとは、人の好奇心はつくづく恐ろしい」

 

 ちなみに組み替えることで銃にもなるらしい、一発試してみるかい?

 

 促されるまま拾い上げ、刃に手を添え軽く力を入れるも、彼の掌には傷一つ刻まれることもなかった。

 ダカールの言う通り一万程度の相手になら通じるのかもしれないが、それ以上の存在には全く通ることはなさそうだ。

 その上変形の代償というべきか衝撃もあまり得意ではないのだろう、鈍器として扱うにも不適合と。

 

 一個人として疼く物はあるが、今から話すことに比べれば大したものでもない。

 

「少し好奇心は刺激されますが、今はそれよりも大切な用事が」

「ああ、そうだったそうだった! もしかして君がわざわざ片田舎に引きこもっているのも、それが理由なのかな?」

 

 含みを持たせたダカールの言葉、しかし剛力も素直に全てを言うわけではない。

 

「――いえ、それとはまた別の話ですよ。端的に言えば、人類の……いや、この世界の危機かもしれないということです」

「ふ……ハハハ! 随分と大きく出たねぇ!」

 

 

「このことを把握しているのは?」

俺一人(・・・)だけですね。昨日実はロシアで『人類未踏破ライン』の崩壊がありましてね、その時初めて気付いたんですよ」

 

 剛力が告げたのは七割の真実。

 ダンジョンの崩壊によって起こる消滅、そして消滅の先にある記憶の書き換えだけ。

 

 フォリアと美羽の存在は限界まで隠す、たとえそれが組織のトップであろうと。

 組織の人間としては背信行為だが、二人の立場は非常に繊細であり、小さな綻びであっても容易く失われてしまう。

 真に必要であれば二人を紹介してもいいが、あえて危険な境遇へ晒す必要もなく、それならば力も地位もある己が盾になれば良い。

 

 あくまでリスクを背負うのは己だけ、それが剛力の選択であった。

 

 用件は済んだ剛力は冷え切った茶をぐいと飲み干し、ダカールへ首を下げると席を立った。

 今回の件についてはやはり内密、実態を本格的に解明するまで、組織のトップである彼が動くことはない……表では。

 

「それならば私は裏でその、記憶を保持しているかもしれない人間を探らせてみよう」

「助かりますダカールさん、今は貴方の力が最も得難いものかと」

「なに、私は常に世界のためを思って動いているんだ。世界を導き、救うのが使命であり運命だと思っている。そのためなら何でもするさ」

 

 首を下げ、部屋から立ち去る剛力。

 

「なるほどなぁ……人類全ての危機ねぇ、ふふ、困ったなぁ。本当に、これは困った」

 

 摩天楼を見上げ見開かれたダカールの瞳は、緋と翡翠色に染まっていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百五十話

 あれから一週間、私は相変わらず協会の椅子に座り、虚構の日常を垂れ流すテレビを見ていた。

 

 横で机に突っ伏し、こちらのお面(いなりん)を弄っているのは琉希。

 この前偶然彼女の考えと若干一致した事を話してしまったせいで、ロシアへの勧誘が止まらない。

 

「涼しいしロシア行きましょうよぉ、見るだけ! 見るだけですから! マトリョーシカ買わなくていいですから!」

「やだ、この前もこのお面買う羽目になったし、絶対向こう行ったらあれこれ買うの目に見えてる。そもそも私住所不定でパスポート持ってない」

「……えーっと、泳いでいくとかですかね?」

「どう考えても捕まるでしょ」

 

 琉希に引っ張られては、ゴムなぞ付いていないのにビヨンと勝手に元の場所へ戻るお面。

 結構な大金をはたいて買ったので、アイテムボックスに転がしておくことも勿体なく、結局いつも額の横へ付けることにした。

 

 悔しいことにこれ、結構目立つ大きさの割には勝手に動き、視界を遮らない様になっていて邪魔にならないのだ。

 どうやら私の魔力をほんのちょっとだけ使い思考を読むというか、意に従って移動するらしい。

 無駄な機能満載だ。

 

 会話が途切れ机に突っ伏した瞬間、ポケットの電話が激しいバイブレーションと共に、陽気でちんけな音楽を流し始めた。

 

 通知は不明、一体何処の誰か?

 疑問はマイクから吐き出された言葉で崩れる、以前彼女を運んだ病院からであった。

 

「え!? あの人が目を覚ました!?」

『ええ、はい。それでですね、彼女について一つ話しておきた』

「今から向かいます! それじゃ!」

 

 何か言っていた気がして電話の画面を見直すが、既に指は通話を切ってしまっていた。

 まあ何か必要なことがあれば向こうで聞けばいい、気を取り直してポケットへ仕舞い込むと席を立ちあがる。

 

 この時を待っていた。

 

 かつての礼を言いたいし、そして気になるのは彼女、以前にダンジョンの崩壊を事前に察知していた。

 もしかしたら何かダンジョンについて、世間一般より詳しく知っている可能性は大いにある。

 聞き出せれば僥倖、しかしそれ以上に私たちと協力してもらうことが出来れば、それは大きな戦力になるだろう。

 

 まあ結局のところ一番はただ話してみたいというだけなのだが。

 ちょっとした緊張に無意識でつばを飲み込む。

 

 何を話そう。まず最初にはお久しぶりですだろうか? いやでも私のこと忘れてたらどうしよう、誰だ貴様とか言われたらちょっと泣くかもしれない。

 いやまて、まずはお土産でも持って行って……ああでもまともに食事できないのか、噛まずに食べられるものならいいのかな。もう一回病院に電話をかけて何を持っていけば良いのか……いや忙しいだろうしそんなことを電話するのも……ネットで調べればいいのかな?

 

「――ぉーい、ドーブルィジェーニー(こんにちはー)! どうしたんです?」

 

 が、横の彼女が足の動きを止めさせた。

 

「え? ああ、この前ちょっと気絶してる人拾って病院に運んだんだけど、その人が目覚ましたって」

「はぁー……行き倒れって奴ですかね? 変わった人もいるんですねぇ」

「え……う、うん、そだね」

 

 私はなにも言わないぞ、言えば負けてしまう。

 

「暇なので私もついていっていいですか!?」

「別にそれくらい良いけど、面白いこと何にもないと思うよ?」

「面白いものはあるのではなく見つけるものですよ! 面白いと思えばそう、服の毛玉の形をスケッチするのだって最高の娯楽に成り得るのです」

「それは……深いね」

「ええ、東京海底谷より」

 

 しみじみと頷く、何が深いのかは分からない。

 

「やっぱり病院だし、何かお土産とか買っていった方が良いのかな?」

「そうですねぇ、倒れる程なら食べやすいものの方が良いかもしれません。王道は果物とかゼリーでしょうか?」

「ほんならあての馴染みに寄って行ってくれへんか? 暑すぎて人が寄らんらしくてなぁ、腕は間違いないから、な?」

「わ!? うぇ、橘さん……なんでここに」

 

 突然、後ろから私たちの肩へ腕を回し顔を突っ込んできたのは、私へゴミを売りつけた凄腕商人。

 

 どうやらウニに会いに来たらしい。

 夏休みということで大学もなく、しかし友人たちは何か用事が埋まっていたとは本人の談。

 また怪しいものでも売りつけられるのかとうんざりした私の頬を突き、しかししゅるしゅると目に見えて彼女の顔が曇る。

 

「そんな嫌そうな顔せんでもええやん……ちょっと傷ついたわ、いい和菓子屋紹介しようと思っただけやのに……」

 

 え、うそ、そんなに落ち込むの!?

 

 いつも飄々とした態度をとるものだから、他人の評価や感情などさほど気にしないタイプの人間だとばかり思っていたので、普段とは異なる想定外の反応に面食らう。

 まさかここまで落ち込みやすい人間だったとは、人は見かけや態度によらないものだ。

 

 とぼとぼ入口へ歩きだした彼女。

 

 何故だ、何故私がここまで罪悪感を覚えなくてはいけないんだ。

 元といえばゴミを売りつけた彼女が悪いはずなのに、なぜここまで強烈な罪悪感に苛まれなくてはいけないのだ。

 

「ええんや、あては唯良い店を広げたかっただけなんやけど……嫌がってる人へ無理に広めても、店の名に傷がつくだけやもんな……」

「わ、分かったって! その店で何か買っていくから!」

 

 肩を掴んで彼女を呼び止めると、にかっと白い歯が浮かんだ。

 

「おおきに!」

「フォリアちゃんちょろいですねー」

 

 くそ、また騙された。

 

 全てわかって準備していたらしく、胸元から取り出され机の上に置かれた簡易的な地図を見下ろし、そろそろ詐欺対策の教室にでも勉強しに行くかと悩む私であった。

 この人いつか痛い目見ないかな。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百五十一話

「おいおい、あの子そんなことしちまってたんかい!」

 

 額に手を当て驚く和菓子屋の店主。

 

 もしかして橘さんちの亜都紗(あずさ)ちゃんに紹介されたのか? と問いかけられたので、ここに来た経緯を話した結果、別に彼が悪くもないのに謝られてしまった。

 

「人が来ねえって愚痴ったら『あてに任せとき!』なんて飛び出しちまってよぉ、君たち悪かったなぁ」

「いやまあ、手土産も丁度欲しかったから大丈夫、です」

 

 それに本当に嫌ならここに来ていない。

 

 店主へ声をかけた後、二人で店の商品に目を送る。

 こういった店にはあまり入ったことがないのもあり、見たことのない和菓子も多い。

 羊羹のようにも見えるが、はて、この村雨とは一体何なのだろうか。

 

 和菓子って地味なイメージが強いけど、こうやって眺めると結構鮮やかだなぁ。

 

「綺麗ですね、宝石みたいです!」

 

 ただ基本は餡子って感じがする、もう少し酸味とかある物があるといいんだけど。

 

 しかし見ているだけでも楽しい。

 ちらりちらりと視線を泳がせていると、ふと目が止まったものが一つ。

 柔らかな見た目の多い和菓子の中でとりわけ目立っているのは、摺りガラスのように硬そうな表面のソレ。

 

「ん? これコハク糖だって。あれ? コハクって確か……」

「そう、琥珀ってのは宝石の一種なんだなぁ。ただ鉱石とはまた違う、むかーしの樹液が固まって化石になったものだけどよ。君たちも一つ食べてみるかい?」

「え、いいの?」

 

 小皿に出されたのは無色と黄色の入り混じった透明な結晶。

 つまめば指先に伝わってくる、石でも触っているかのように硬い感触。

 

 本当にこれは食べられるのだろうか?

 

 砂糖が固まっているのだろうか、サクサクとした表面ともちもちねっとりとした中身。

 しかしただ砂糖を固めただけではないのだろう。きつすぎない柑橘系の爽やかな香りと、ほんの少しの酸味がただ甘いだけでは終わらせない。

 飲み込んだ後も口の中に残るスーッとした感覚。氷のようで氷でない、冷たくないのに清涼感のある不思議な味だ。

 

「美味しい……」

「ミントとユズですかね? 見た目も」

「そうそう。本当は砂糖と寒天のシンプルな和菓子なんだけどね、人気のない店なりにいろいろ試行錯誤してんのさ」

 

 はー、なるほど。

 和菓子はどれも甘いだけかと思っていたけど、案外いろんな味を楽しめるんだなぁ。

 

 よく見ればこのゆず風味以外にも赤や黒っぽいものもあり、様々なフレーバーが用意されているようだ。

 これはいい。糖分の塊だからエネルギー源にも丁度いいし、たっぷり買い占めておけばダンジョン内でも良い息抜きになるだろう。

 

「これ気に入った。これとこれを一つ……いや、三つずつください」

「あ、あたしもゆず風味二つください! しそ味!? うーん……これも一つ!」

「あいよ!」

 

 お土産とは別に自分の楽しみも買ってしまった。

 ビニールと小袋がこすれ合う音、そして気になるのは……

 

「その、なにか……?」

 

 一体何が不満なのか、先ほど店主と会話してからずっと私の後頭部へ突き刺さり続ける視線。

 もしかして私が何か盗もうとしている様に見えるのだろうか?

 不味い、どうしよう、誤解だ、かっ、金ならある。

 

「いやいや大したことじゃあないんだけどね? 君のことどっかで見たことあるような気がしてね。どこだったかなぁ」

 

 しばし裏へ引っ込みわきに抱えてきたのは謎の大きなファイル、趣味で新聞の切り抜きをしているらしい。

 はらり、はらりと捲る度深い皺の刻まれる顔。

 ただ調べ物をしているというのに妙に厳めしい、職人という物はどうしてこう顔が怖いのか。

 

 この顔と夜に出会ったら腰を抜かすかもしれない。

 

「ああ、もしかして君たち二人共、近所にある花咲のダンジョン崩壊止めた子たちかい?」

「ふふ……そう、大体この子が一人で抑えました!」

「いやそんな胸張って言わんでも……琉希も頑張ってたと思うよ。えっと、よく分かりましたね?」

 

 彼が指さしたのは一枚の写真。

 どうやら一面に記載されていたらしいそれは、私と琉希がピースをしているものであった。

 

 う、これに写っている私、表情がなさすぎる。

 

「地方新聞で見たからよぉ、特に金髪の君はよう目立つ! 最近は他の街や県に行って剛力さんと戦ってるらしいじゃないの! 本当ありがとな、君たちのおかげで今も商売が出来てるからよ!」

「え……うん、えへ」

 

 突然褒められ何を言っていいのか分からず、適当な返事をしてしまった。

 

 は、恥ずかしい……!

 

「ダンジョンってのはどうにも無くすことできひんし、近くにあるってのは普段気にしとらんくとも、ちょっとした拍子に怖くなるでなぁ。近所に実力者がいるってのは安心感があるね!」

「実力者……私が……」

「今更何言ってるんですか!? フォリアちゃんゴリゴリのゴリ実力者ですよ!?」

 

 普通に生きていただけなので、思ってもいない方向からあれこれ言われてしまうと、一体どう返事をすればいいのか分からなくなってきた。

 

「探索者ってのは危険も多いし今はまだ偏見もあるけどな、君みたいな若い子を応援しとる人、わざわざ口には出さないけど多いと思うからね。おじさん戦うことも指導もなんも出来んけど、おまけならできるけん贔屓にしてくれよな!」

「結局店の宣伝じゃん……」

「そりゃ商売だからね! まあいいじゃないか、ほら! 新発売の融けないアイス! 葛で固めてあるんだ、これは頑張った二人へのおまけだよ!」

 

 すっと突き出されたのは中に小豆や果物が浮かんだアイス、半透明な見た目はかなり美しく、これは中々話題になりそうであると私にもわかった。

 

 

「いやー、フォリアちゃんと一緒にいるとお得ですね! 歩く無料引換券ですよ!」

 

 一つ、病人でも食べやすいと買った水羊羹の入った袋を揺らし、二人病院への道を歩く。

 日照りは強烈に肌を焼くほどだが、口元へ運んだアイスが身体を冷やし、生ぬるいと感じる夏の風もどこか心地がいい。

 確かに彼がうたった通り、こんな状況でもアイスはその四角い見た目を保ったまま、手のひらにちょっと雫が伝うだけだ。

 

 三度垂れそうになったそれを軽く舐めとり、しゃくしゃくと食べ進めていくと、甘く煮られた小豆やプチプチはじけるミカンの果汁が口の中に溢れ忙しい。

 

「なんか不思議な触感ですねぇ、葛使ってるんでしたっけ」

「うん、もちもちシャリシャリしてる」

 

 ただ一つ問題点は、美味しいのでわざわざじっくり味わおうと思うでもなければ、融け切る前に食べきってしまうだろうということだろう。

 これではもっと大きいのでもすぐに無くなってしまう。

 

 それにしても、応援してる人もいる、か。

 

 食べ終わった木の棒を咥え、無数の葉が揺れる空を見上げる。

 

 探索者になって何かをするとき、嫌な思いをすることは結構あった。

 でも思い返すと、結構それ以上にいいこともあった。

 それは物理的に良い思いをしたってことじゃなくて、誰かから感謝されたり、精神的な満足感に繋がることだ。

 

 轢かれかけた子を助けた時の親の態度はちょっとあれだったけど、運転手の人の態度は苦手なタイプではあったけど、嫌なものではなかった。

 和菓子屋の人もそう。偏見もあるけど、それを引っぺがして私自身の行為を見てくれる人も結構いるらしい。

 

 そっか、案外世の中ってのは嫌な人ばっかじゃないんだなぁ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百五十二話

 人も少なく静かな病棟、白で統一された壁が光を反射しまぶしい。

 時々点滴のようなものを手に付けたまますれ違う人もいるが、みなちょっと疲れた顔をしている。

 

 この雰囲気なんだか苦手だ。

 

 飲み込まれてしまいそうになる自分を隠す様に、スマホの画面へかじりついてスクロールを繰り返す。

 

「部屋はえーっと、304だったかな……あれ、違った。305-Aだって、なんでAなんだろ」

 

 自分の記憶力のなさには結構自信がある私、忘れぬようしっかりと写真を撮っておいたのが功を奏した。

 しかし同時に湧いた謎。

 横の案内板を見てみると、304だけでなく二階、一階どちらも4号室が5-Aで統一されている。

 

 私の疑問に答えたのは、横にいた琉希だった。

 

「4は死を連想させるので無いそうですよ、9とか13もない病院あるらしいです」

「はえー」

 

 そうか、病院だもんね。

 

 皆そういうのが好きだ。普段気にしてないようなふりをしていても、ちょっとしたことで気になってしまう。

 私も何かいいことがあればもっといいことがあると思うし、嫌なことがあればもっと嫌なことが続くと思ってしまうのは、きっと自分自身気にしてないふりをしつつ、どこか脳の片隅に意識が残っているからなのだろう。

 

「なんていうんだっけこういうの。げ、げ……下克上?」

「病院で戦国時代繰り広げないでください、ゲン担ぎですよ」

「そう、それ。琉希はなにかゲン担ぎするの?」

「私ですか? そうですね……ゲン担ぎって程のことでもないですが、大事なことがある日はお母さんが淹れてくれた、超甘ーいホットの紅茶を飲みますね」

「はー、なるほど。美味しい?」

「美味しいかはともかくとして砂糖とカフェインで滅茶苦茶目が覚めます、色々終わった後はすっごい疲れるんですけど」

 

 なんかそれ怖いな、やばいものでも入ってそうだ。

 

 くだらない会話を繰り広げつつ、漸く彼女の休む部屋へとたどり着いた。

 ドアノブへ躊躇いなく手を伸ばし、がらりと上げようと……したところで、ふと開けるのをやめる。

 

「まだ起きてるかな?」

 

 そう、彼女を拾った時、医療の知恵なんてない私でも分かるくらい細く、相当疲弊した状態であるのは間違いない。

 もし一時的に目を覚ましていたとして、既に眠っているのならあまり大きな音を立てるのも良くないのではないだろうか?

 

「衰弱した状態で目が覚めたなら、疲れて寝ている可能性はありよりのありですね」

「だよね……ちょっと覗いてみる?」

「ですね」

 

 幸いにして入り口はぬめぬめとした引き心地、引いても大きな音が立たない。

 ギリギリ覗ける程度の小さな隙間を開け、琉希と二人、右へ、左へと目を動かす。

 

 いた、きっとあの人だ。

 

 ぼうっと窓の外に揺れる葉桜を眺める彼女。

 少しだけ開いた窓の隙間から風が吹き、細い金髪が絡めとられなびく。

 どうやら心配とは裏腹にまだ眠っていないらしい。良かった、これなら少しは話をできるだろうか。

 

「なんというか……深夜の亡霊?」

「深窓の令嬢ですか?」

「そう、それ」

 

 どれどれ、じゃあちょっと入ってみようかな……!?

 

「おっと、貴女でしたか。お見舞いにいらっしゃったのですね」

「あ、この前の……はい、電話が来たので」

 

 丁度横から手を伸ばして来たのは、昨日コートの人を預けたお医者さんだ。

 空手だったか亀の手だったかをわきに抱え、メガネがきらりと蛍光灯の光を受け輝く。

 

 そういえば何かさっき電話で言おうとして切ってしまったんだった。

 ちょっと気まずい。

 

「詳しい話は病室でしましょう、先ほど話せなかったこともあるので」

「あ、はい。琉希」

「ほいほいっと、お邪魔します」

 

 開閉と足音に気付いた彼女が、ちらりとこちらを見る。

 顔に浮かべるのは柔和な笑みと弧を描いた優しい瞳。

 

 あ、あれ? なんか前見た時と顔つきが違うような……前はもっと怖い気がしたんだけど。

 

「なんか優しそうな感じの人ですね」

「う、うん」

 

 つばの嚥下音が病室に響く。

 

 こういうのは第一印象が大事だ。

 ビシッと、そう、びしっと一発決めてしまえばしめたもの、空気の流れを私のものにするのだ。

 やれフォリア、お前ならできる! 

 

「あっ、あっ、あのっ! ごきげんよう!?」

 

 やってしまった……くそっ、琉希の奴も笑ってないでなんか言ってよ!

 

 奇妙な沈黙が下り、部屋の空気が止まってしまった。

 医者の人も何か言ってくれ、どうにかこの空気を拭い去ってくれ。

 

「ぶふっ、痛っ!?」

「えーっと、ごきげんよう?」

 

 横でずっと笑っているアホのわき腹をつねると、彼女の声に意識を取り戻したコートの人がピクっと顔を動かし、私へ微妙な笑顔を向けた。

 恥ずかしい、どうしてよりによってそれを返してくるんだ。

 そこは普通にこんにちはかおはようだろう、それだけは乗らなくて良かったんだ。

 

 うつむいた私に琉希がこっそりと耳打ち。

 

「耳まで真っ赤ですよ」

「うるさい……!」

「えーアリアさん、先ほど話した通り、彼女が貴女を病院まで背負ってきてくれた子ですよ」

 

 その後医者の人とコートの人、もといアリアさんがいくつか会話を交わし、漸く私と彼女が直に話せる状態になった。

 

「あのっ、アリアさん! じっ、実は以前貴女に助けて貰って……お、覚えてます……?」

「えーっと、ごめんなさい、覚えてないわ」

「そっ、か……そうですよね、すみません」

 

 覚えていない、か。

 そうだよね。彼女にとってダンジョン内でちょっと出会った程度のこと、覚えていなくてもおかしくない。

 

 少し残念ではあるが、彼女の身体は見た目ほどひどい状態ではないらしく、割とすぐに退院できそうなのが幸いだ。

 いやまあ酷い状態ではあったのだが、彼女も探索者なだけあって体が相当丈夫らしく、回復速度が一般人のそれとは桁が違うらしい。

 なんならあと数日様子を見たら退院できるそうだから、流石に凄すぎないかと驚愕する。

 

「あーいや、そうじゃなくて……なんて言えばいいのかしら、その、ね」

「え?」

 

 何か言いにくそうなアリアさん。

 目をあちこちへ巡らせ、どもっては指先をうろつかせる。

 

 彼女の様子を見かねた医者の人が、ぎらりとメガネを光らせ口を開いた。

 

「私から説明させていただきます。彼女、アリアさんは現在、逆行性健忘の疑いがあります」

「ええっ!? 逆光聖剣棒!?」

 

 なんてことだ、まさか彼女がそんな強そうな病気だったなんて。

 

「あの、ところで逆光聖剣棒って何ですか?」

「一般的に言う記憶喪失ですね。見ての通り元々外国の方だそうですが、ここ数年の記憶がないようです」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百五十三話

「えー、それが……でして……なんですよ。そこで彼女のことなのですが、ここ最近のことをほとんど覚えていないということで」

「はあ」

「やはりそのですね、身近な方に暫くはしっかり付き添っていただきたいのが、こちらの正直なところでして」

「はい」

「連絡が付く方も他に見つからないとのことで、彼女を引き受けていただければ幸いなのですが」

「はえ」

「よろしいでしょうか?」

「はあ」

 

 ん?

 

「いやぁ良かった! 複雑な事情がおありのようで心配していたのですが、互いに憎からず思っているようでしたので切り出して正解でした! ではまた一週間後よろしくお願いします!」

 

 ハシっと両手を掴まれブンブン振り回すと、先生は私が引き留める暇もなく部屋から飛び出してしまった。

 唖然としたまま立ち尽くす私。

 

「は? 何が?」

 

 よく分からないので適当に聞き流していたが、なんかすごい大事なことを聞き流してしまった気がする。

 

「え? フォリアちゃんがあのアリアさんを預かるんですよね? 知り合いの方なんですよね?」

「何でそうなったの?」

「自分で頷いたんじゃないですか!」

 

 自分で頷いた……?

 

「え、嘘でしょ?」

 

 住所不定だぞ私。

 

 

「ってなっちゃってさぁ……ほとんど話したことない人と暮らすことになっちゃったし……どうしよ」

「なんでオレに話すのソレ? 今仕事中なんだけど」

「どうせ人来ないしいいじゃん、ウニだって暇でしょ」

「いやまあ暇だけどさぁ……」

 

 記憶喪失という、何かの物語でしか聞いたことのないような症状のアリアさん。

 彼女には恩もあるし、私も別に今はお金に困る生活なんてしていない、別に彼女の面倒を見るなんて大したことではない。

 聞きたいこともあるし、いつかは分からないが記憶が戻るまでなら構わないだろう。

 

 が、しかし一つ大きな問題があった。

 

「あの人の住む場所どうしよう……ホテルに住んでもらうとかかなぁ」

「よく分かんねえけど、一緒に住めば?」

「私家ないし……」

 

 ふむ……そろそろ良い時期なのかもしれない、のかなぁ。

 

 施設を出てから半年、今まで私はどこか家に住むということをしてこなかった。

 そもそも最初の頃は一気に払えるお金という物がなく、今では一人暮らしなどしても掃除などが面倒くさいし、洗濯などは頼めばしてくれたのが大きい。

 

 分かっている、このままではあまりよろしくないということは。

 

 借りたり、買ったり。

 何かを行う度求められる『住所』、『届け出』、行動に必ず付きまとう、住所不定という私の身の上は結構な足枷だ。

 住所に関わることを行う度突き刺さる隠しきれない奇異の視線は、人に変な目で見られるのを慣れている私だが、やはり気持ちのいいものではない。

 

「私、やっぱり家に住んだ方が良いのかなぁ」

「今更過ぎてなんも言えねえ……最初はオレたちの家に住ませるかって話もあったんだぞ」

「そうなの?」

 

 意外だ。

 そんな話も態度も一ミリも見せてこなかったぞ、本気で言っているのだろうか?

 

「そりゃ、お前みたいなのそこらでフラフラ歩いてたらヤバいだろ。ただすぐ強くなっちまってセキュリティガチガチのホテルに住み始めたから、まあいいかって話無くなったけどな。第一今のお前に手出したら大概が物理的にミンチになるだろうし」

「するわけないでしょ」

「たとえだアホ!」

 

 突然大きな声を上げ、ハシっと書類を叩きつけるウニ。

 たぶんカルシウムが足りてないんだと思う、可哀そうに。

 

「お、アホネコ」

 

 戯れていた私たちの雰囲気を感じ取ったのか、どこからか現れた黒猫が軽快に机へ飛び乗り、ふてぶてしい鳴き声を上げ丸くなった。

 首元に揺れるのは小さな鈴。私たちが選んで買ったのがちゃんとついている、なかなか似合っているじゃないか。

 

 どうやら近頃は手入れをしっかりされているらしく、なめらかで心地の良い毛皮に軽く手を這わせる。

 この自分が世界の中心とでも思っているネコ様は、私の腕へ一瞬目をやり、何もすることなく首を机へ横たえた。

  ネットで見た撫で方は正解のようだ。

 

 

「最近は変なデカい化け物の目撃情報あるからあんまり外出したくないんだけどな、こいついつの間にかフラッと出て行っちゃうんだよ」

 

 一瞬手元の猫が震えた気がした。

 

「なにそれ、ウニなりのギャグ?」

「夜の街とかダンジョン内とか、いろんな場所で目撃されてるんだってよ。見つけたら捕まえるか倒すかしておいてくれ」

 

 単なる田舎の都市伝説……って訳でもなさそうか。

 

 ちょっとした会話で出てきた話ではあるが、もし本当に噂話でとどまっているのならわざわざ倒せなんて言わないだろう。

 少なくともちょっと見かけたって訳ではなく、遭遇した人がいる……それも何人も。

 

「ふーん……モンスターなのかなぁ?」

 

 何となく呟いたが、これは正直はっきりNOといえる。

 もしモンスターなら一日か、それ以下か詳しいことはまだ分からないが、すぐに『消滅』するはずだ。

 それがダンジョンの崩壊と世界の消滅。

 

 例外の可能性、消滅しないモンスターも存在する。

 これも剛力たちは考えたことがあったらしいが、やはりこれもNOだろうと結論づいていた。

 

 『ダンジョンの崩壊』によって世界には大量の溢れたモンスターがいるはずだが、『野良モンスター』という物を見たことはない。

 今まで私は全て駆逐されていたのかと思っていたが、よくペットが逃げたなどというのでも大概が見つからないというのに、広大な場所へ逃げたモンスターすべてを倒しきれるわけがない。

 

 それなら相当数のモンスターが世界には存在していて、被害もとんでもないことになる……はずだが、『野良モンスター』の存在を確認した情報はどこにもなかった。

 未だ協会が見つけていないダンジョンは多く、そのうちの相当数は既に崩壊していることが間違いないにも拘らず、だ。

 

 これが示すのは単純。

 崩壊によって溢れたモンスターたちは、すべからく周囲を巻き込んで消滅しているということだ。

 

 よって数日間にわたって表れているこの謎生物Xはモンスターではない、別の何かということになる。

 

「違うんじゃねえの? モンスターなら人襲ってるだろうけど、すぐ逃げるらしいし」

「ふーむ……分かんない!」

「それな!」

 

 どうせ考えても分からない。

 

 会話が止まり手持無沙汰な手。ウニは下を向き何やら書き込んでいるし、こうなってしまえばちょっと話しかけにくい。

 釣り竿のようにまっすぐ張った猫の髭をびんびんと引っ張りつつ、彼へも愚痴を投げる。

 

「お前はどうおもう? 私、どっか住んだ方が良いのかなぁ?」

『ウ゛ニ゛ャっ』

「びゃあああ目があああ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百五十四話

 一週間。

 

 一度目を覚ました彼女は、まるで今まで足りなかった栄養素すべてを吸収するように、見る間に体を回復させてしまった。

 ガリガリであった腕は細いながらも多少の筋肉や脂肪に覆われ、致命的なまでの病人から結構窶れてる人くらいにまで戻っている。

 他人からしたら病人じゃないかと思うかもしれないが、最初の姿を知っている私からすれば、これはもう本当に驚異的な復活力だ。

 

 人間ってこんなにすぐ体治るもんなんだ……最初に会った時は塩掛けられたナメクジみたいにしわっしわだったのに……

 

「えっと、じゃあ一緒に帰る、りますか?」

「そ、そうね。よろしくお願いします」

 

 一週間、もちろん私も何もしなかったわけではない。

 家を借りるべきと至極当然の結論へたどり着いたのち、筋肉や園崎姉弟の力を借りつつも書類やモノをそろえ、どうにか協会近くのアパートを借りることに成功した。

 後は食器や雑貨、冷蔵庫などの家電など、ホテルにあったようなものを取りあえずそろえたのだが、なんだかんだで結構な費用と手間になり、正直今もかなり疲れている。

 

 ちなみに借りた部屋の間取りは2LDK、『LDK』の意味もここで始めて知った。

 

 あと人生で初めて印鑑を作ってしまった、結構高いものだ。

 何をするにも印鑑印鑑、なぜこんな不便なものを人々は重宝するのだろう、サインでよくない?

 100円の印鑑買って使おうとしたら怒られたし。

 

 ともかく結構な苦労をしつつ私は部屋を整えた。

 ホテルに帰りたい、何でもしてくれるホテルに戻りたい。

 

「その、敬語じゃなくていいわ。貴女もそっちの方が話しやすいでしょ?」

「あ、うん」

 

 今はもう懐かしき理想郷に飛んでいた意識を、横のアリアさんが引っ張り戻す。

 

 いかんいかん。

 私はともかく、ちょっとふっくらした死にかけのウナギみたいな状態のアリアさんがいる以上、彼女の記憶が戻るか一人でやっていけるようになるまでは私が面倒を見なければ。

 

 夏の日差しに立ち眩みを起こしたのか、空を見上げた瞬間ふらりと彼女の身体が傾く。

 

「おっとっと」

 

 女性としては身長の高い彼女。

 しかしまだ体が上手く動かないようで軽い中腰になっているのが幸いで、私でも横で支えることが出来る。

 

「あ……ごめんなさい」

「大丈夫、体調悪いなら体重こっちにかけて。私こう見えても力あるから」

 

 二人で力を合わせ、黒光りするアスファルトの上を、ゆっくり、ゆっくり歩いていく。

 目指すは遠く、借りたばかりの小さなアパート。

 

 八月もそろそろ終わる頃、私は久しぶりに誰かと暮らすことになった。

 

 

 買ったばかりの机の上、まだシールすら剥がれていないカップが並ぶ。

 注がれているものは白と黒の対比。彼女の好みがわからなかったので、とりあえず売っているインスタントコーヒーを適当に作った。

 私は勿論コーヒーなんて飲まないので牛乳だ。

 

 ちびちびと啜っては目くばせ、視線が交わったと思いきや外される。

 無言のやり取りを経て最初に切り出したのは私。

 

「その、じゃあまず自己紹介から。私結城フォリア、探索者してる」

「あら……結城……?」

「どうしたの?」

「い、いえ。貴女一人暮らしなの? 家族の方は?」

 

 まあそこ聞いてくるよね。

 明らかに入居したての家、そして二人分しかない椅子や器具。

 違和感しかないだろう。

 

 正直思い出したくないことばかりだ、ママのことは。

 覚えているのはいつも苛立ち、何かを叫んでは家から飛び出し、暫く帰ってこない日々。

 今は亡きおばあちゃんから貰った修学旅行費も、彼女に見つかって奪われてしまった。 

 

 何に使ったのかは知らないが、まあろくでもないことに消えたのだろう。

 

「今はどっちもどこにいるか知らない、だから気にしないでいい」

「あ……ごめんなさい」

「別に、もう結構前の話だし」

 

 気まずい沈黙。

 いきなり聞かれたせいで、つい本音のところが少しだけ出てしまった。

 

「んんっ、えー、私はアリア・アンジェリコよ。どうやら結婚して日本名もあるみたいだけれど、正直なところ全く覚えていないから元の名前ね」

 

 アリア・アンジェリコ。

 聞きなれない名前がいよいよもって、本当に彼女は外国の人なんだという実感がともる。

 

 彼女は出会った当初の印象とは異なり、とても穏やかに笑う人だった。

 もし記憶が戻ればまた性格が変わってしまうのかもしれないけれど、少なくとも今の彼女となら普通に暮らしていける気がする。

 

「どれくらいのこと覚えてるの?」

「子供の頃のはよく覚えているのよ。ただ最近になればなるほど穴あきが多くなって、ここ六年のことは真っ白って感じだわ」

 

 ここ六年、か。

 彼女の見た目からして結構若そうだし、六年間の記憶は相当大きな幅になりそうだが。

 

「はぇ、じゃあ日本に来てからのことは……」

「まあ、ほとんど覚えてないってことになるわね。言葉だけはしっかり覚えていられたみたいで助かったわ、これを不幸中の災害って日本では言うのよね!」

「うん」

 

 しかしそうか、そこまで記憶が無くなっているのなら、彼女のそれを辿って知り合いを探すのも難しいな。

 無理に記憶を思い出させようとしても、彼女に苦痛を味合わせることとなりそうだし、今はあれこれ手を打つより普通の生活を送るしかないだろう。

 

 牛乳を一気に飲み干し机にカップを置くと、なみなみと注がれた黒い液体がちゃぽんと揺れた。

 

 あれ、アリアさんコーヒー全然飲んでない。

 

「ところでせっかく淹れてもらって悪いのだけれど、私苦いもの苦手なの。紅茶かミルクと砂糖ってあるかしら?」

「わかった、ホットミルク入れてくるから待ってて」

 

 コーヒーが嫌いなんて分かっている人じゃないか、ますます仲良く暮らせそうだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百五十五話

「こっちがアリアさんの部屋。布団とかは用意したけど、小物とかはもう少し元気になったら買いに行こ」

「何から何まで本当にごめんなさい。入院費も貴女が負担してくれたのよね? いつか必ず返すわ」

「別に、お金の使い道なかったし」

 

 私も小物なんてあまり買ってこなかったし、部屋は飾り気もなく簡素なもの。

 彼女用の銀行口座も開設した方が良いのだろうか、きっと欲しいものもあるだろうし。

 

 彼女とゆっくり帰ってきてからあれこれと話していたせいだろう、随分と日も暮れてきてしまった。

 おなかすいた。

 

「そろそろご飯にする? しばらくは私が用意するから」

「ええ、ごめんなさいね。体調戻ったら家事くらいは私がするわ」

「無理しなくていい、これくらいなら私にもできるから」

 

 キッチンの下、戸棚の中へ詰め込まれているのはレトルトのおかゆ。

 私は料理なんて全くできないし――まあ肉に塩掛けて焼くくらいならできるけど――病人の彼女に手間暇をかけさせるのも問題だと、私がいないときでも簡単に食事できるよう買い込んできたものだ。

 ほかに私の食事用のカップ麺なども買い込んであるので、一緒に食事もできる。

 

 でろっとお椀へ注ぎ、ラップをしてレンジで二分。

 見た目的に梅干しも乗っけようか悩むが、あれは好き嫌いが分かれるしやめておこう。

 ちなみに私は嫌いだ。

 

「じゃあおかゆ、レトルトのなんだけど……」

「全然構わないわ、手軽なのが一番よね」

 

 木製のスプーンに彼女の細い指が絡み、持ち上げ……ようとして、がたっと取り落とす。

 しまったという顔をした彼女。震える指先から伝わってくるのは隠しきれなかった疲労感、相当無理をして話していたわけだ。

 

 どうしてこう、私は他人のそれに気が回らないのだろう。

 

 おかゆをティッシュで軽く拭い、彼女から匙とお椀を奪い去る。

 無理をさせたのなら、その分私がやるべきだろう。

 

 かき混ぜ、掬い取り、繰り返し息を吹く。

 すっかり湯気が消えたころ、恐る恐る差し出したそれを彼女はパクリと咥え、ゆっくりと嚥下した。

 

 

「ありがとう、凄くおいしいわ」

 

 さほど高くないレトルトのおかゆだ。

 大しておいしくもないだろうに、彼女はにっこりと笑った。

 

 

 日が暮れ、夜。

 

「夕飯ね、はいおかゆ」

 

 夕飯といっても何か特段変わるわけでもない。

 少し休んで体力が回復した彼女は、今度こそ一人で食事をとれるとお盆を受け取りほほ笑んだ。

 

「ありがとう、ありがたくいただくわ」

 

 私といえばアリアさんが食事中に何があるかも分からないので、シンプルに棚の下から取り出したカップ麺だ。

 匂いも結構きついので後で食べるつもりだったが、一緒に食べましょ? と言われてしまえば仕方がない。

 

 ずるずると横で他愛もない会話を交わしつつ、ゆっくりとした食事。

 

 そういえばアリアさんは外国人だが、ラーメンの啜る音とかはどう思っているのだろうか?

 ふと思った疑問を何気なく口にすると、確かに違和感はあるが、なんだか分からないけどそこまで気にならないわと首を捻る彼女。

 もしかしたら彼女が記憶を失う前に慣れていたのかもしれない。覚えていなくとも、心の奥には間違いなく日本で生きた記憶が残っているわけだ。

 

 翌朝。

 

「朝ごはんできたよ、おかゆ」

「まあ、早起きして作ってくれたのね?」

 

 昼は彼女が疲れて寝ていたので、飛んで夜。

 

「夕飯、ちょっと気分変えて小豆粥っての買ってきた」

「あ、はは……」

 

 朝。

 

「おはよ、卵粥あっためたよ」

 

 昼。

 

「中華がゆだって、おかゆだけでもいろんなバリエーションあるんだね」

「おかゆ」

「おか」

「お」

.

.

.

 

「どんなおかゆ食べたい? 在庫無くなったからいろんなの買ってくる予定だけど」

「おかゆ地獄!?」

 

 布団が舞い上がり、天高く立ち上がった彼女の目は血走っている。

 

 アリアさんが家にやってきてから一週間、彼女のなにかが壊れた。

 

「わ、結構元気出てきたね」

「そのね? もうだいぶ体も回復してきたし、普通のごはんでも食べようかなって思うの」

 

 突然大きな声を出すからびっくりした。

 

 ふむ、なるほど。

 確かに彼女がこの家に訪れてもう一週間。起きている時間もいつの間にか私と同じようになり、散歩へ繰り出すようになっていた。

 回復速度には驚くべきところがあるが、確かにこの調子なら普通のごはんとかも食べていいだろう。

 

「ごめん、気付けなかった。何か食べたいのあるなら注文する?」

 

 快方祝いだ、いいものを食べてもいいだろう。

 といってもあまり脂っこいものは良くないだろうし、頼むとしたら何がいいのだろうか?

 野菜多めのサンドイッチとか?

 

 スマホをぐりぐりスクロールして画面を睨む私へ、彼女が恐る恐る話しかけてきた。

 

「ね、ねえ、そういえばあなた普段何を食べてるのかしら?」

「え? えーっと、コンビニの弁当とか、カップ麺とか、出前とか、ダンジョンで拾ったものとか、あとはハンバーガーとかだけど」

 

 まあ外に出た時の大概がコンビニ弁当と二リットルの緑茶を買っていた。

 それで足りない分のカロリーはお菓子だとか、飴だとか、あとはスポーツドリンクなどで補っている。

 特に最近ハマっているのは塩羊羹。小さなパックに小分けになっている奴なのだが、お茶ともよく合うし、何とも言えないあまじょっぱさが後を引く。

 

 本当は依然安心院さんに貰った羊羹が忘れられないのだが、あれはちょっと日常に食べるには高すぎて、まあ買うことは普通にできるのだが気が引ける。

 

 私の食生活を聞いていたはずの彼女はいつの間にかうつむき、なにかぶつぶつと口から垂れ流したと思いきや、はっと突然見開いた瞳をこちらへ向けた。

 そしてわなわなと両手で顔を覆った直後、一気に両腕を伸ばして私の肩を掴み上げる。

 

 飢えた獣の眼光。

 

 なんだこれは。

 怖い。

 

「フォリアちゃん、一緒に買い物に行きましょう。今後家にいるときは私がご飯を作るわ」

「あ、うん」

 

 というわけで彼女との初めての外出は、なにか素敵な小物を買うだとか、どこかへ観光へ行くわけでもなく、私たちの食糧調達というなんともパッとしないものになった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百五十六話

 良い香りが横から漂ってくる。

 

「日本でもサンマルツァーノの缶詰が売っていてよかったわ! やっぱりスープにはこれじゃないと!」

「サンマ……?」

「ああ、トマトの品種よ」

 

 サンマはトマト……!?

 どういうことなんだ、哲学か? 海外の哲学は進んでるなぁ。

 

 新たなる言語の壁に悩む私は放っておいて、明るい声音で鍋を掻き混ぜるアリアさん。

 日本の台所に彼女の金髪は驚くほど似合っていなくて、逆にこれが正しい姿なのかもしれないと、つい深く考え込んでしまいそうになった。

 

 ここ数日話していて思ったのだが、彼女は時々謎の単語を発する。

 意味は分からないがどこかで聞いたことのある……ということすらなく、本当に謎なので反応に困るのだが、もしかして出身地の方の言葉なのだろうか?

 

 シンプルな真っ白の器へ注がれる、真っ赤で野菜たっぷりのスープ。

 トースターでカリカリに焼かれたバゲットは香ばしい香りを漂わせ、最後に氷でよく冷やされた紅茶が机にならbれられれば、ちょっと早いが昼食の完成だ。

 

 これはやばい、ちょっとヤバい。

 えもいえぬかぐわしい匂いに語彙力を失い、つい鼻を近づけ香りをかいでしまう。

 

 思わずお盆へ手をかけ、さあ早く食べようと運ぶ私へ彼女の手がたしなめる。

 

「まあまあ、仕上げに、ね?」

 

 しゃりしゃりと大根おろし器によって砕かれていく、薄い黄色をした四角い塊。

 表紙に掛かれている名前は……

 

「チーズ?」

「ペコリーノよ、羊のミルクで作ったチーズなの」

 

 そういえばさっき買っていたな。

 値段が高いと躊躇していたのを、私が気にしなくていいからと適当に買い物かごへ突っ込んだものだ。

 

 まあチーズなんてそんな一回でバカスカ使うものでもないし、ちょっといいモノを買うくらい大したことはない。

 

 ツンツンと尖ったフォルムをしていたチーズが、熱によって見る間にしんなり溶けていく。

 羊から作ったというチーズが、湯気に独特の甘い香りを付け足した。

 

「さ、食べましょ? とはいってもあまり重いものじゃないから、貴女には物足りないかもしれないけど……」

「大丈夫、足りなかったらその分食べればいい」

「そうね! たっぷり作ったから沢山お代わりしてほしいわ!」

 

 彼女に促されるまま早速一口、熱々のトマトスープを口へ流し込む。

 

 

「あ……」

 

 

 何だろう、この味。

 

 思い出せるようで、思い出したくない(・・・・・・・・)

 なんだか分からない感情が、つん、と鼻を刺した。

 

「舌に合わなかったかしら? ごめんなさい、記憶にある味付けだからもしかしたら、日本風のそれとはちょっと違うかもしれないわ」

 

 一口食べただけでうつむき止まった私を心配するように、アリアさんが私の器へ手を添える。

 

「いや……全然そんなことない。慣れないんだけどなんか懐かしいというか」

 

 素直な感想を告げ、奪われてたまるかと一口、また一口。

 バゲットを浸して頬張ると小麦の豊かな香りや香ばしさがスープに加わり、また一味違った顔をのぞかせる。

 そういえば他人に手料理を振舞ってもらうなんて久しぶりかもしれない。

 

 いつからだろう、私に向けて作られた料理を食べなくなったのは。

 いつからだろう、無差別な大衆向けの、纏めて作られた物ばかりを口にするようになったのは。

 

 こんなスープ、私がずっと小さい頃に食べた気がする。

 ママもパパもいて、普通の生活が普通で、いつも一緒にご飯を食べて。

 擦り切れた遠い記憶の中にだけある『美味しいスープ』、それが今私の前にあった。

 

 外食の舌が喜ぶような濃い味付けとはまた違う、じんわりと野菜のうまみを感じるトマトスープと、軽く焼かれたかりかりふわふわのバゲット。

 最後に振りかけられたチーズのおかげで、さっぱりとした野菜のスープがくっきりと纏り、確かな食べ応えが生まれていた。

 

 なんだか手が止まらない。

 この気持ちをどう例えればいいのか分からない、しみじみとする味といえばいいのだろうか。

 

 いや、もっと単純か。

 

 ああ、美味しいなぁ。

 

「いやいや、そこまで不味いなら無理しないでいいわ! 本当にごめんなさい、食事は出前でも頼みましょ!?」

 

 頬を拭うアリアさんの指、小さな雫が机に垂れた。

 

「あ、あれ? 何で私……」

 

 泣いてるんだろ。

 

「違う、違うの、美味しいの、に、止まらなくて……ごめっ……ん……」

 

 自分でも驚くほど熱い塊が頬を伝う。

 

 気付けば後は早くて、拭えば拭うほど溢れ出す大粒の涙。

 私の意志に全く従わない体、目や鼻は堪えられないほどの熱を帯び、喉が震えて声すらまともに出せない。

 

 あれ? あれ? 私どうしちゃったんだ、ただスープを食べているだけじゃん。

 言わないと、普通に振舞わないと、変に思われちゃう。

 

 このままじゃ変な奴だって、嫌われちゃう。

 

「……っ! うあ……なんでぇ……っ……」

 

 噛み締めた歯の隙間から零れた嗚咽。熱い奔流が次から次へ吹き出し、留まる暇すらなかった。

 名前すら分からない不気味な感情を飲み込めない、ただ壊れたバケツみたいに溢れ続けるナニカを持て余し、枯れはてるのを待ち呆然と座り込む。

 

 何も考えられなくなった私の後ろへ、いつの間にかアリアさんが回り込んでそっとしゃがむ。

 病み上がりな彼女の頼りなく、しかし温かな体が私を包み込み、鼓動がはっきりと伝わって来た。

 

「大丈夫、もう大丈夫だから、私が一緒にいてあげるわ」

「……っ、うん……」

 

 憐れんだのか、それともただの好意なのか、甘く囁かれた彼女の言葉に頷いてしまう。

 

 私の方がちゃんとしていないといけないのに。

 

 誰かに甘えてなんていられないのに。

 

 今日だけ、今だけはこのままでいたいと思ってしまった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百五十七話

 アリア(・・・)と出会ってから一か月と少し。

 あの日を境に私たちの距離は自分でも驚くほど縮まり、買い物など日々行うことを二人ですることが多くなった。

 

 一緒にいて心地が良い、それに服や食の好みがまるでぴったり気が合ってしまう。

 ごはんも美味しいし、控えないと、と考えていてもついつい甘えてしまう、そんな不思議な人がアリアだった。

 

 友達とも違う、なんと言い表せばいいのか分からない、今までに全く体験したことがない関係が心地いい。

 

 いつか、いつの日かアリアが記憶を取り戻したら、私との生活も終わってしまうのだろうか……本当にちょっとだけ、寂しく感じる。

 今は覚えていないだけでアリアにも大切な人がいて、もしかしたらその人は今も必死に彼女を探しているのかもしれない。

 たまたま拾っただけの私なんて、まあ別れた後も会うくらいはしてくれるかもしれないが、今みたいな生活は決して送れないのだろう。

 

「気が抜けてるぞ」

「いだっ!?」

 

 ちょっと考えた隙に後ろへ回ってた筋肉が、べしっと丸めた新聞紙を叩きつけてくる。

 

 彼との練習試合はおおよそ一週間に一度だけ。

 基本的に攻撃などのスキルは使わないし、ひたすら回避に徹底する筋肉へ一発でも入れられれば私の勝ち。

 シンプルであるがそれゆえに欠点が浮き彫りになるし、それを指摘されては次の戦いで気を付けるの繰り返しが続いていた。

 

 これは入っただろうという攻撃も、なぜかわかっていたかのようにしれっと避けられてしまう。

 後ろに目でもついているのか?

 

「んあー勝てないー!」

「そうそう勝たれても困るわ」

 

 ぽいっと投げ渡された真っ白なタオルに顔をうずめ、どうしようもない感情を吐き出す。

 ついでに胸や頬へ伝った汗を拭い、どっと土の上へ転がり天を見上げた。

 

 あ、服泥まみれになったらアリア困るかな……まあ許してくれるよね?

 

 この戦い、何よりもくっきりと浮かび上がってくるのはレベル差による反応速度などだろう。

 レベルが上がれば身体能力等が大幅に上がり、必然動体視力なども上がるわけだが、レベルも謎の彼は基本私の動きなんて蚊が飛んでるくらいにしか思えないはず。

 要するに九割見切られている。

 

 『アクセラレーション』さえ使ってしまえば、恐らく勝てる……が、それでは一方的すぎる戦いになる気もする。

 あくまでこれは私の欠点を見つける訓練、それでは意味がない。

 

「まだなんか持ってるって顔だな」

 

 突然差し込まれた、私の心中をぴったり当てる言葉にどきりと心臓が跳ねる。

 

 エスパーか?

 

「っ、まあね」

「使っていいぞソレ」

 

 適当に吐かれた言葉、これは流石の私もちょっとイラっとした。

 こっちは今まで筋肉を気遣って使わないようにしてあげていたのに、その本人がこの言いようとは。

 

「ふぅん……速過ぎて後悔しても知らないけど?」

「あーうん、もう分かった(・・・・・・)。いいから使ってみろって」

 

 片手をポケットに突っ込み棒立ちの舐めた態度に片眉が吊り上がる。

 アイテムボックスから取り出したスマホを起動し、動画撮影のモードにしてから手に握りこむ。

 額に着けた超高級ゴーグル、もとい狐のお面(いなりん)をしっかりと顔へ嵌め込み、本気で動き回る覚悟と準備は終わった。

 

 クールだ私、超冷感で行こう、常に冷え冷えジェルシートの心を忘れてはいけない。

 

「まだか?」

「……っ、ぶっ飛ばす。『アクセラレーション』!」

 

 地面がはじけ飛び、猛烈な勢いで宙を舞う砂粒が顔へ襲い掛かる。

 しかしお面をしている私には一切効かず、全てを弾き飛ばしながら練習場をぐるりと驀進し、筋肉の背後へとぴったり張り付いた。

 

 うーん……『アクセラレーション』状態で殴るのは互いに痛いだろうし、解除して脇腹でも突くか。

 

 脇の木へ起動しておいたスマホを仕掛け、ばっちり漏れなく動画を撮れるように角度を合わせる。

 

 驚愕にもんどりうつ筋肉を想像しついにやけた顔をしてしまう、今日は私の勝利記念日だ。

 うまく撮れたら琉希とかウニとかにも動画を送りつけよう、これはいいネタになるぞ。

 

「『解除』、ちょあ! ふっ、これが私の真の実力ってワケ。まあ私を怒らせた筋肉がわる……い……」

 

 何か、何かおかしい……?

 ばっちり合ってしまった(・・・・・・・)互いの目線に、拭ったはずの汗がたらりと垂れた。

 

 

 そうだ。何故後ろに回り込んだ私を、この速度についてこれないはずの彼が見ているんだ?

 

 

「……はぁ」

「ほげぇっ!?」

 

 本日二度目の脳天へ突き刺さる新聞紙。

 無事這いつくばる私。

 

「だから言ってるだろ、最後まで油断するなって。やるなら最後まで加速して殴り飛ばせ」

「な、な、なんで!? 何で分かったの!?」

「お前『ステップ』多用するだろ。昔の知り合いにお前と同じで『ステップ』持ってた奴がいてな、そろそろ『アクセラレーション』も獲得するかと思ってたんだよ。あと早過ぎて後悔とか何とか言ってるので確信した」

 

 そ、それってつまり……

 

「は、はあぁ!? じゃあ最初から分かってて煽ったの!?」

「まあそういうことになるな。それにお前なら俺へ手心を加えるだろうし、その場合後ろに回って驚かせるくらいはしてくるだろうと思ってた」

「んんんんんん!」

 

 完全に読まれてる!?

 

「ずるい! ズルじゃん! 知ってたならインチキじゃん!」

「ズルじゃない、知識も武器だ。大体今のはお前が無駄な手加減しなけりゃ一発入れられただろ」

「マスター、コーヒー淹れましたよー。今日のおやつはマリトッツォ……あら、これフォリアちゃんのスマホかしら?」

 

 練習終わりの合図、園崎さんの能天気な声が練習場に響く。

 渋々立ち上がると、私の移動するとき生まれた風で吹き飛ばされた机や椅子を元に戻し、三人顔を突き合わせて座る。

 

「ちょっと弛みすぎな気もするが、精神面では最近一気に改善したな。無理やり踏み込んだり、攻撃をねじ込んだりの無茶をしなくなった」

「そ、そう?」

「おう、本当本当。そうやって常に余裕をもって周りを見ろ、焦ってると大事なもの見逃すからな」

 

 よく分からないが、今の私はちょっと前の私よりなんだか違うらしい。

 原因は何だろう……最近会ったことといえばアリアと一緒に暮らすようになったことぐらいだ。

 

 まあいい方向に変わったのならいいかと、いそいそ園崎さんが持って来たパンへ手を伸ばす。

 ミルキーなホイップと甘酸っぱいイチゴのコントラスト。これはもう誰でも分かるほど間違いのないもので、ケーキが大の好物である私は一目見た時点で釘付けであった。

 

 いただきます、口を大きく開けた瞬間……

 

「フォリアちゃん、この動画貰っていい? 皆に見せたいわ」

「んー? よく分かんないけど好きにしていいよ」

 

 園崎さんの横やりが入り、早く食べたかった私は適当に返事をしてかぶりついた。

 

 このよく分かんないパンみたいなの、生クリームとかイチゴがたっぷり入ってて美味しい。

 名前なんだっけ、マトリックス?

 

 未体験で魅惑のパンへ夢中になっていた私は、己の失敗がくっきりと記されていたその動画が彼女の手に渡ることを止めることもなく、そのたっぷり挟み込まれた生クリームを堪能していた。

 これは美味しい、どこで売っているんだろう。

 

 パンを食べ終え紅茶を飲んだ後、そういえばさっき園崎さん何の話してたんだっけと一瞬思うも、まあ忘れるってことはどうでもいいことだとすぐに興味を失った。

 それよりあのパンを売っている店が知りたい、買って帰ればきっとアリアも喜ぶ。

 

 この後世界一高速のいたずら攻防戦として、動画がいつの間にか結構な再生数になっているを知るのは少しだけ後の話。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百五十八話

 秋の正午、突然響く軽快な音楽。

 

「おん?」

 

 どうやらそれは筋肉のスマホだったらしく、近くの木に掛けられていた小袋からそれを取り出した彼は、耳を当てながら何度か頷いた。

 

「どしたの?」

「すまん、ちょっと用事が出来た。フォリア、ちょっと地面均しといてくれ」

「ええ……めんどくさい……」

「俺の分も食っていいから、ほら」

 

 有無を言わさぬ笑顔と、同時ににゅっと伸びてくる腕。

 

 なんと汚い奴なんだろうか。

 べこべこに凹んだ地面を均す手伝いもせず、私の口へ無理やりマトリョシカみたいな名前のパンを押し込み、止める暇もなく走り去ってしまった。

 

「ねえ園崎さん」

「あ、私仕事があったんだったー忙しいなー」

「あああ! ずるい!」

 

 

「相変わらずきったねえ部屋だなぁ」

「ちょっと、勝手に弄らないでくれるか!? あああ、剛力君には分からないかもしれないが。全部私が分かるように置いてあったんだって!」

「だったら最初から綺麗に整頓しとけよ……」

 

 紙の山が散乱した研究室へ二人の声が響く。

 

 フォリアとの練習試合の後、剣崎に呼び出された剛力は彼女の研究室へ訪れていた。

 

「よっこいしょ」

「おい、全部どこに分かるか置いてるんじゃなかったのか」

「これもどこに置いたのか覚えているんだ!」

 

 机の上に重なる山を適当に持ち上げ、右へ左へと雑に重ねて言った彼女は軽く一息入れ、さあそこへ座れとばかりに椅子を引っ張り出して来た。

 剛力も慣れたもので、何度も繰り返された軽口を飛ばしながらどかりと腰掛け、客が来たんだからもてなしくらいしたらどうだと肩をすくめる。

 

「ほら、ウルティマックスコーヒー。沢山あるから好きに飲みたまえ」

 

 激甘だと界隈では有名なコーヒーを彼へ放り投げた彼女。

 プルタブを押しこまれる気の抜けた音に目を瞑ると、一転鋭い目つきを顔に浮かべ右手で顎肘をついた。

 

「ねえ、本当に話してしまったのかい? もう少し様子見することも出来たんじゃ……」

「お前があの人を心底嫌っているのは知っているさ。だがほとんど手詰まりの現状、あの人の力なしで前に進めるのは流石に無理だ。個人で集められる情報なんてたかが知れてる」

「私は正直あの男を信用していないんだわ、何度も言うけどね」

 

「完璧に追えてるわけじゃないけど、あの男が姿を消してる日が時々ある」

「そりゃ人間なんだから時々どこかへ出かけたりってのは普通にあるだろう」

「そうね。ただ……」

 

 唐突に体を縮めた剣崎は、机の下から何やらパソコンのモニターほどはある大掛かりな機械を取り出し、机の上へ手荒に乗せた。

 構造としては至極単純、下から強烈な光を当てることで、上に乗せた紙を透過させ、絵などを複製することが出来る仕組み。

 

 そう、一般的に言う……

 

「――これはトレース台……か? 絵とか描くときに使う奴だよな?」

「そう。漫画研究してる知り合いの教授からうば……借りてきたんだわ」

「後でちゃんと返してやれよ、菓子折りかなんかもちゃんと持って」

「あーうんうん、やるやる」

 

 絶対やらねえだろうなと剛力は思いつつも、突っ込めば話が進まなくなるのは目に見えていたのでぐっと唇を嚙み締める。

 剣崎はさらに机の引き出しへ鍵を突っ込み、何やら紙の束を取り出すと交互の二列へ並べ始めた。

 

 これは美羽君にメモしてもらった、『人類未踏破ライン』や、それに準ずるダンジョンが崩壊した日程。

 そしてこっちは現状可能な手段で調べ上げた、あの男……クレストの行動において空きのある日程。

 勿論すべてを追えた訳ではないのよ、全く関係ない日も混じっているでしょうね。

 

 剣崎が並べぺちぺちと叩くのは、薄い紙に印刷された二色のカレンダー。

 薄紅色の紙はダンジョンが崩壊した日、そして水色の紙はどうやらクレストの行動表を調べ上げ、どこにいるのかが分からなかった日のようだ。

 各月ごとに一枚ずつ彼女は丁寧に重ねていき、ぱちりとライトをつけた。

 

 各カレンダーにはいくつかの日程に丸が付けられており、下から照らされたそれらは薄い紙を突き抜け、丸の影だけがくっきり浮かび上がる。

 そして二つのカレンダーの影は……

 

「見ての通り、大規模な消滅が起こったタイミングは、全てあの男の後が追えない日と一致しているの」

「つまりクレストさんが『人類未踏破ライン』のダンジョン崩壊になにか関与している、と?」

「そうなるね。正確に言うなら『塔型』の『人類未踏破ライン』かな」

 

 ダンジョンには二種類ある。

 

 九割九分のダンジョンは小さな扉型であり、潜り抜けることで不思議な空間へたどり着くもの。

 しかし並みのものとは隔絶した難易度を誇るダンジョンだけは塔型をしている。最も身近な例が、フォリアのいる町からでも見ることの出来る蒼の塔……碧空だろう。

 あくまで水準としてレベル百万以上を人類未踏破ラインとして設定しているが、塔型のダンジョンはその中でもさらに飛びぬけてレベルが上がる。

 

 これはそもそも一般には周知されていない。

 そもそも百万レベルなんてのは世界に存在せず、百万だろうがニ百万だろうが大して変わらないのだから。

 

「仮に派手に動いたとして、人々の記憶からダンジョンが崩壊した事実は消える。ダンジョンによる世界の消滅を認識していないこの世界の人間では、誰一人として違和感を覚えることはない、って訳か」

 

 強引な仮説だ。

 

 しかし既に剛力は彼女の言葉を疑っていなかった。学生時代から長い付き合いのこの女は、くだらない嘘はついても嘘で人を陥れるようなことはしない人間であると知っていたから。

 むしろ気に食わない相手は正論で叩き潰してくるタイプの人間だ、正直普通に生活していたら関わり合いになりたくないタイプである。

 

「これに気付いたのはいつだ?」

「うん、一か月くらい前だったかな。あの澄ました笑顔が不愉快で仕方ないから、なんか弱み握れないかって時々探ってみたの」

「お前いい年こいて何やってんの?」

「知らないのか? 成果ってのは時として失敗などから偶発的に生まれる物なの。これをセレンディピティといって、現在君たちが日常生活で享受している物の多くにもこれが……」

 

 なぜ研究職へ付く人間というのは、こう蘊蓄を垂れ流したがるのか。

 剛力はそれへ適当に頷きながら、己の失敗に臍を噛んだ。

 

 せめてもう少し早く話してくれれば良かったんだが、それこそ見つけた日に直ぐ言ってくれればまだ変わったかもしれない。

 

「はぁ……勘弁してくれ」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百五十九話

「はぁ……勘弁してくれ、本当に」

「そう落ち込むことはない。相手はまだ君や私がこの事実に気付いているとは思っていないはずだ。しかし怪しまれる可能性を考慮して、今までとはまた行動を変えてくるだろう」

「不慣れな行動をすることでむしろそこに隙が生まれる。むしろクレストさんに話したのは、相手の出方を促す良い刺激になったかもしれないか」

 

 想像以上に大きい話になって来た。

 まさか自分の所属している組織のトップが、ダンジョンの崩壊について関わりを持っているとは。

 

 『人類未踏破ライン』の塔、スキルやステータスといった概念、これらは全て偶然並んだものが作り上げた自然現象と言うには無理がある。

 ダンジョンという存在そのものの裏に人間、或いはそれに準ずる知的生命体の影がちらついているのを、だれしもが気付きつつ口にすることはなかった。

 

 勿論彼が消滅について知っているのは確定だとして、けっして悪意を持って動いているだけとは限らない……が、剛力の報告した時にとぼけていたのは事実。

 良くも悪くも腹に一物抱えているだろう。

 

 語り終えた剣崎はガラ悪く机の上へ足を乗せると、段ボールの中からウルティマックスコーヒーを取り出し、だらけた態度で適当に飲み干し始めた。

 

「この部屋は防音仕様だし、カメラも全部切ってある……このことを知っているのは君と私だけ。どうする? これ以上の深入りは避けることも出来る」

「もし俺が見なかったことにしろと言ったら?」

「もし君が諦めるなら、この紙はシュレッダーにかけた後燃やして、他にもいろいろ纏めたこのデータが入ったUSBもデータを消した後物理的に破壊するわ」

 

 くるくるとホルダー付きのUSBを指先で弄びつつ、剛力へ軽い流し目。

 

 剣崎自身この話が相当まずい内容であることは理解していた。

 世界へ跨がる組織のトップがテロ組織的存在とかかわりがあるかもしれない、なんて冗談で言える話ではない。

 相手がどれだけの規模で動いていて、誰が信用できるのかすら分からず、なんなら今剛力に話すこと自体がかなりのリスクを背負っている。

 

 その上で話してきたことに喜ぶべきか、それとも巻き込まれたと憤慨するべきか。

 

「お前が開発したあのダンジョンが崩壊するか分かる奴あっただろ。あれはどこまで設置されてるんだ」

「世界各地の人類未踏破ラインには全て設置され、都市圏や人口の密集しているダンジョンの三割には既に供給が始まってるね」

「クレストさんの行動を追いつつ、未踏破ライン崩壊の兆候があったら電話してくれ。それまでに俺は用事を済ませておこう」

 

 彼女の細い指に絡まるホルダーを奪い取り、剛力はアイテムボックスへ放り込む。

 ため息とともに段ボールの中からウルティマックスコーヒーをひとつ取り出すと、苛立たし気に中身を一気に飲み干した。

 

「全く、お前は学生の頃からいつも俺に面倒事を持ってくる」

「まったくもって君という人間は、学生の頃からいつも私の悪巧みに乗ってくれるなぁ」

 

 

「フォリア、ここに座れ」

「は? ちょっ!? 筋肉!? 勝手に持ち上げないで! 蹴るよ!?」

「もう蹴ってるじゃねえか」

 

 筋肉との訓練があった翌日の朝、することもないのでふらふらっと協会へ訪れた私の脇を、突然掴み持ち上げた筋肉は、そのまま自分の部屋にある大きな椅子へと座らせてきた。

 

 部屋には園崎さん。朝早いだけはあり眠いようで、無言で目を瞑りお茶をすすっている。

 こそばゆさと妙な羞恥に苛立ち彼の足を蹴り続ける私へ、筋肉はいたって真面目な顔を向けた。

 

「お前に大切な話があります」

「きも、何で突然敬語なの?」

「……現在、いや、それどころか発足当時から探索者協会、特に日本支部は人材不足に喘いでいる。書類の扱いなんてものは後から覚えれば良い、それ故戦える奴なら誰でも引き入れたいわけだが」

「だから?」

 

 面倒事の匂いがする。

 具体的に言うなら昨日と同じ、仕事を押し付けられる匂いだ。

 

 ぴょいと腰を浮かび上がらせ逃げの体勢に入るも、うしろから座ってろとばかりに押さえつけられ、私の願いは儚く散っていった。

 つややかに磨かれた机の上へ、低い音を立てて積み重ねられていく紙の束。

 指を突っ込んだ隙間から溢れる小さな文字の羅列は、ちらりと見るだけでめまいがする。

 

 なんて恐ろしい量なんだ、こんなものを読んだら間違いなく頭がおかしくなって死んでしまうだろう。

 

 無数の絶望へ恐怖に総毛立つ私。

 しかし本当の絶望はまだ始まってすらいなかったのだと、続く筋肉の言葉に悟るまで大した時間は必要なかった。

 

「一か月でお前にはこれを覚えてもらう。本当はもう少しゆっくり出来たらいいんだが、今は時間がない」

「なにこれ?」

「支部長の職務内容や規定、ここらの協会関係者にその他色々だ。まあ関係者については覚えなくてもいいだろう」

 

 容量の少ない思考回路を埋め尽くすクエスチョンマークの群れ。

 

「なんで?」

「一週間後に大きな仕事が入ってな、暫くここを離れることになる。いつ帰ってこれるかも分からん、現状実力も間違いなくまあ人間性も……多分大丈夫なお前に任せることにした。大丈夫だ、大半の職務は美羽がやってくれる」

「――っ!? げほっ、ごほっ!? マスター!?」

 

 いきなり矛先の向いた園崎さんはお茶を撒きちらし、だんっ、と立ち上がる。

 汚い。

 

「美羽はこう見えても俺がいないとき雑務の大半を処理してるからな、押し付ければ渋々だが完璧にこなしてくれるはずだ」

 

 なぜか私たちが受ける前提で進んでいく話。

 あまりに唐突過ぎる。今までそんな話一回足りとてしたことなかったじゃないか、一体何が彼の心をここまで変えてしまったのだ。

 まさか脳みそが本気で筋肉に飲み込まれて、まともな思考能力すら奪われてしまったのだろうか。

 

 嫌だ、やめてくださいと吐き出された二人の抵抗を、彼は一ミリたりとて聞き入れず口を開き続けた。

 

「既にお前の顔はここらの関係者に周知されてるはずだ、今まで俺が連れまわしたしな。最初は完璧じゃなくていい、少しずつ慣れていくんだ。出来るか?」

「やだ」

「よし、出来そうだな」

「やだ!」

「そうですよマスター、横暴です! 突然こんなこと言われて出来る人間なんていませんよ、せめて本部から他の優秀な人を派遣してもらいましょう。私はそんな面倒な事したくありませんし」

「美羽。お前が帳簿を誤魔化してあれこれ甘味を買い込んでるの、身内みたいなもんだし見逃してやってる訳だが。もし本部からまじめな人が出貼ってきたら、お前どうなるんだろうな」

「マスター、後のことはすべて私にお任せください。完璧にこなして見せましょう」

「は!? 園崎さん!?」

 

 ほとんど逃げ道はなく、私のあれこれは決まってしまった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百六十話

「高校生活の勉強から逃げて探索者になったのに、今更こんなあれこれ覚えないといけないなんて……」

 

 突然の宣言から一週間。

 大量に積み重なれた書類の半数は既にはけ、残りの大半は雑多であまり覚える必要もないものばかりとなった。

 

 まあぶっちゃけ一割も覚えていないけど、今のところ見た内容も常識的な事ばかりで、一言一句覚える必要があるとも思えない。

 

 椅子の後ろに立つのは私の身を売った園崎さん。

 彼女が握るいくつかの書類こそが真に覚える必要のあるもので、口頭でのテストが不意に飛んでくる。

 

 しかしここ一週間、毎日毎日座ったり歩いたりしながら文字の羅列を読んでいるので、流石に飽きてきた。

 それは私だけではないようで、園崎さんと私の間には自然と会話が生まれる。

 

「ねえ、自分で言うのもあれだけど、こんな子供が支部長の席なんか座っていいの? 普通こういうのって結構年齢行ってる人が付くんじゃ」

「あら? 貴女ほど若くはないけど、大概の支部長は案外若い人が選出されるのよ?」

 

 彼女曰く、やはり年齢を取れば探索者といえど理想的に動き回ることは難しくなるらしく、担当地区の崩壊を止めに行く支部長はある程度の若さも求められるそうだ。

 その年齢平均して三十前半、若い人だと二十程度でもスカウトされるらしい。

 

 果たして若くして要職に就けるというのは幸か不幸か。

 しかしどこまでレベルが上がるか分からないダンジョンの崩壊、自ら足を運ぶ必要のあり、普段の行動にも拘束が生まれる支部長の座を喜ぶ人間は、多分そう多くはないんじゃないだろうか。

 それこそ自分の命なんてどうでもいい、誰も彼も助けたいなんて生まれつきの聖人だけだ。

 

 私は違う。

 死ぬのが怖くて仕方ないし、いつも自分勝手なことばっかり考えてる。

 でもそんな私なのに、なぜか消滅した世界の記憶が残ってしまって、見えない未来へのどうしようもない歯がゆさが心にささくれを作っていた。

 

 きっと筋肉がいきなり私にこんな事を押し付けてきたのは、この問題について何か掴んだからなのだろう。

 

 この一週間、考える時間だけはたっぷりとある中そう悟った。

 

 たしか協会の上の人に話すと言っていたし、その人が何か筋肉へ有益な情報を見つけて渡したのかもしれない。

 こんな大きな組織の上にいる人たちがこぞって情報を集めているんだ、絶対に希望は見つかるはず。

 

 頑張らないと。

 私なら彼が留守の間に起こった出来事を、一人でもこなせると思ったから任せられたのだから。

 筋肉が手掛かりから未知の事実を手繰り寄せるまで、何も心配せずに動き回れるように。

 

 窓の外に見えるイチョウが一つ、また一つと黄金色の葉を落とした。

 

「気分転換で外にでも出ましょうか」

 

 つい漏れた深いため息に、園崎さんが気を利かせる。

 

 穏やかな秋の昼、平穏な日常。

 認識の齟齬という薄氷の上に築かれたこの世界で、私は私に出来ることをやるしかない。

 

 

「くさい……」

 

 裏庭に出た瞬間鼻をストレートで殴り飛ばしてくる異臭、開幕五秒で私は外に出たことを後悔した。

 

「ぎんなん沢山落ちてるもの。掃除しても掃除しても落ちてくるの、面倒よねぇ、でも必要なのが困りものなのよ」

「え? 必要なのこれ?」

 

 イチョウの見た目は綺麗で好きだが、この強烈な臭いはいただけない。

 景観のためだけに植えられていると思っていたこの邪悪な存在、しかしそれ以外にも意味があったらしい。

 

 彼女は靴裏でぎんなんを蹴っ飛ばし、その匂いに顔をしかめる。

 

「残念ながら必要なの。イチョウの葉って水分たっぷりで木の中でも燃えにくくてね、延焼を防いで避難所になった協会を守る意味があるのよ」

「はぇ……ん? 避難所?」

 

 あれをみろと指さされた先に立つ看板には、確かに避難所の文字と、逃げる人型のマークが描かれた看板が突き立てられていた。

 

 普段適当な園崎さんだが、案外こういう真面目なことをしっかり覚えていたのだと少し感心する。

 多分書いてある紙を食べただけな気もするけど、まあいいだろう。

 

「あら? 習わなかったの? 協会って緊急時には一次避難所にもなるのよ」

「そうなの!?」

「実は幾層かの地下室がここにもあってね、地区にもよるけど、ここなら千人分んの一週間分の水と食料、布団や簡易トイレとかも置いてあるわね。……一週間分用意したところで、崩壊して一日か二日もあればここら辺消滅しちゃうんだけど」

 

 死んだ目をした彼女が鼻で笑った。

 

 私より長い間世界の消滅を見てきた彼女にとって、もしダンジョンが崩壊した場合、ボスが倒されるまで隠れようという現在の手段は滑稽で仕方ないだろう。

 隠れていようと表に居ようと、最後は変わらないのだから。

 

「……あー、えーっと、ぎんなん拾いでもしてみる?」

 

 二人余裕が生まれるとどうにも暗い話になっていけない。

 

 今までこの感情を誰にも正しく理解されなかった彼女。きっと、ようやく見つかった共有者である私へ、つい話してしまうのだろう。

 漠然とした不安に駆られる私へ投げられた提案を、空気の払拭もかねて乗っかることにした。

 

「あ、うん。確か食べられるんだよね?」

「そうそう。とれたては鮮やかな翡翠色でね、炙ったのを塩掛けるだけでもほくほくもっちりしてて美味しいのよ。はい、ビニール袋とビニール手袋」

 

 確かにこの実を素手で触れたらとんでもない匂いが染み付いてしまいそうだ…… 

 

「匂いだけじゃないわ、素手だとかぶれるのよこれ。軽い毒ね」

「え、なにそれこわい……」

 

 軽い脅しに怯む。

 

 そんなものを食べるの? なんて思っていたが、実際はこの柔らかく匂う実の中にある硬い種……のさらに中にある柔らかい部分を食べるらしい。

 なんて面倒な食べ物なんだ。

 バナナを見習ってほしい、三秒剥いたらもう美味しいんだぞ。

 

 靴で踏み転がし、種を取り出し、手袋でつまんでビニールへ放り込む。

 無心の作業は胸騒ぎを隠してくれる。感情を押さえつけるために始めた行為が、いつの間にか本気の遊びとして熱中してしまった。

 

 袋一杯に飴色の種が集まったことに気付き顔を上げると、協会の入り口から誰かが歩いてくることに気付く。

 

「おや、銀杏集めかい」

「あ、古手川さん。いつものですね?」

 

 くいっとメガネを上げ、彼がそうだと手を振る。

 

 普段ポーションや装備品の調整をしている彼が、わざわざ協会に出向くのを見るのはこれで二度目。

 ほとんどここに張り付いている私でこれなのだから、実は結構珍しい姿じゃないだろうか。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百六十一話

 ぎんなんを洗って干すために広げた後、三人で向かったのは協会の地下室であった。

 

「備品の管理?」

「そうそう。ポーションやなんやら色々あるからね、数の確認に使った分の補充、それと新しく必要なものがあればそれも注文するのさ」

 

 秋も深まった今、日も差さず暖房もない地下室は中々冷える。

 もう少しあったかい服装をして来ればよかったと、鳥肌の立った腕を擦りつつ辺りを見回し、冷たい灰色のコンクリートを睨みつけた。

 

 一つ一つ戸棚を覗いては籠を下ろし、膝を突きながら一つ、二つとポーションの数を数えていく。

 ポーションが終われば非常食の賞味期限、それが終わればまた次と結構やることが多い。

 

 それにしてもこんなにポーションがあると壮観だ。

 一つ一つが高いものの上、高品質なものも結構な数が揃えられていて、穏やかに光っている姿はついつい見とれてしまう。

 

「仮とはいえ貴女も協会の職員の一員になってるから、必要とあらば持ち出して使っていいわよ」

「ほんと!?」

 

 一つくらい欲しいなと思っていた所で、思いがけない嬉しい話に声のトーンが上がる。

 

 なんて太っ腹なのだ、流石協会儲かっているだけはある。

 今まで高くて最低限の分しか買ったり使ったりしたことがなかったが、好きにしていいならがっつり持っていてわしわし使ってやろう。

 

「ただし持って行った分は必ずここに書いてね、品質でアルファベットが振られてるから」

「わかった」

 

 彼女が指さすのは壁へ引っかけられたクリップボードとペン。

 確かに言う通り、挟まれた紙には使用したものの数などが書けるようになっているようで、ここ最近書かれたであろう文字も見えた。

 

「高品質なのはあんまり使わないで、高いから」

 

 うきうきと手を伸ばした私へ突き刺さる忠告。

 

 世知辛い。

 いくら協会といえど最も高いものをバカスカ使われるのは厳しいらしい、なんでこんなことだけは現実的なんだ。

 

「うーん……結構ごっそり減ってるねぇ、何に使ったんだい?」

 

 一人黙々と数を数えていた古手川さんが、メガネを手の甲で押し上げ呟いた。

 

「え? そんなはずないですって、最近は特に崩壊も起こってませんし」

 

 先ほど数をメモしてくれと言っていたクリップボードを取り上げ、ちらりと眺める園崎さん。

 直ぐにはたと視線が止まり、なるほどと彼女の首が頷いた。 

 

「ああ、一昨日にマスターが持って行ったみたいですね」

「剛力さんがかい? あの人がポーションを持ち出すなんて珍しいねぇ、よほどのことがないと必要ないだろう」

 

 筋肉がポーションを……?

 

「ねえ園崎さん、筋肉って協会の人と協力して、アレ(・・)について色々調べてるんだよね……?」

 

 ふと湧き出した不安。

 

 妙だ。

 経験、そしてレベル、共に圧倒的なものを持つ彼が、一体どうしてそんな大量のポーションを必要とするのだろう。

 調査をするにしたって今はまだ記憶の保持が出来る人間を探すだけなはず、彼がそこまでの重傷を何度も負うようなことが起こるなんてありえない。

 

 ……本当に彼は唯、協会の人と協力して人を探してるだけなのか?

 

 何か私たちには知らされていないような気がして、いやなものがお腹の中でぐるぐるする感覚に酔う。

 確かにダンジョンの崩壊と消滅は大変な災害だ。

 でもそれよりもっとヤバいことに、私たちには話せないことに彼は足を突っ込んでいるのではないだろうか、そんな気がしてならない。

 

「……ダンジョンの調査をしてるだけよ。きっとレベルの高い所に挑むから、予備で多めに持って行ったんだわ」

「そっか……そうだよね」

 

 表面上はもっともらしい彼女の言葉に、一時的な安心感が欲しくて同意してしまう。

 ため息を吐きそうになったその瞬間、ポケットから振動音と共に曲が流れだした。

 

「はい、もしもし」

 

 着信を受けたのは筋肉から預けられた電話、協会の関係者などと連絡を取るためのものだ。

 これが鳴った理由の候補はさほど無数にあるわけではない。

 

 市内で探索者が問題を起こしただとか、何らかの理由で関係者が私と会いたいだとか、あるいは……

 

「――崩壊の兆候あり、だって」

 

 協会の力は必要になった時くらいだろう。

 

「ランクはD、場所は隣町。私一人でも対処できると思う、駅の出口に迎えも来るらしいし行ってくる」

 

 思ったより手短に伝えられた指令は協会の本部からだ。

 相手側も私の名前を既に筋肉から聞いていたようで、私が出たことに何も驚かず淡々と詳細を伝えられた。

 

 これが私の初仕事……になるんだよね? いまいち自覚ないけど。

 

 そもそも職員扱いになっているのもさっき聞いたばかりなので、結構不思議な感覚だ。

 勿論それらへ異議があるわけではないが、あれこれと大掛かりなものを書いたり、或いは偉そうな人に任命されたわけでもないので、正直なところまだ現実感がない。

 

 まあ出来ることはするだけだ。

 

「あ、ちょっと待って頂戴」

 

 立ち上がった私へ園崎さんが制止を掛ける。

 

 しばし戸棚をあれこれ引いた彼女が引っ張り出して来たのは、アイボリーの大きなコートであった。

 

「ダッフルコート、支部長は協会からこれが支給されるのよ。色々書類とかカードもあるけど、緊急時の視認性を上げるためにね。マスターは暑いからって着ないの、ほとんど新品のままここに仕舞ってたけど丁度いいわ」

「まあ筋肉の威圧感ならこんなのなくても分かるんじゃないかな……」

 

 あいつは顔もCMとかで売れてるし、昔の私みたいにあまりテレビを見ていない人間でもなければ、多分誰でも一目見たらうおっ、筋肉だってなるんじゃないだろうか。

 それぐらい存在感のある人間だ。

 

 広げてみたところ袖には細長いなんかの葉っぱの模様、背中には複雑でよく分からないが……鳥、だよね……? そう、鳥っぽい謎の模様が描かれていて、一目見たらこれは間違えないだろうと頷ける。

 

「マスターと一緒に何度か出向いたとはいえ、貴女は小さいし信じてもらえないこともあると思うわ。一応これ着て行きなさい、多分役に立つと思うの」

「ありがと、ポーションも貰っていく」

 

 私が着るとほとんどロングコート同然だが、寒かったしそれならばと着させてもらう。

 動き回れるように固定するためだろうか、ベルトをぐるりと回してしっかりと結ぶことでどうにか着ることはできた。

 

 しかし肩や、二度折りたたんだとはいえ、袖の大きさが流石に段違いすぎるので、戦いのときには脱ぐことになりそうだ。

 

 雑にケースからポーションを掴み取ってアイテムボックスへ放り込む。

 見た目からして品質はさほど高いものではないし、ダンジョン内に囚われけがをした探索者がいたらと思うと、結構多めに持って行っても怒られないだろう。

 余った分は貰っても許される、なんと素晴らしいシステムだろうか。

 

「ええ、気を付けて」

 

 二人へ頷き一足先に地上へと帰還し、一気に駆け出す。

 

 崩壊まで恐らく半日ほど余裕はあるが、ダンジョン内で助けを待っている人がいるかもしれない。

 そう思うとのんびりはしていられなかった。

 

「あ、ポーション何本持って行ったか書いてないわ……」

「じゃあ数え直しだねぇ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百六十二話

 電車で揺られて二十分、私たちの町よりだいぶ綺麗で大きな駅にたどり着いた。

 

「えっと……あの人かな」

 

 改札には結構な数の人がいて、果たして誰が迎えの人なのか分からない。

 ……と思っていたのだが、なんか物凄い目力のある人がこっちへのそのそと歩いてきた。

 服装からしてもポッケの多く、普通の生活では使わないようなものをぶら下げているので、恐らくあの人が迎えの人なのだろう。

 

 こ、怖い……

 ぬべっとした半目から溢れる殺意、完全に何人か殺してる。

 本当にこの人で合ってるのだろうか、話しかけたら突然殺しに来たりしないよね?

 

「う……その、私はきん、剛力さんの代理で……ほら、コートも……」

「ちっす! 君が話に出てた子だろ、ちっちゃいし可愛いねぇ! コート似合ってるよ、これ終わったら俺とお茶しない? おすすめの猫カフェあるんだけど、俺奢っちゃうからさぁ!」

 

 

 呉島大悟、聞く気もないのに彼はそう名乗った。

 

 今回向かうのはランクも低く、なんかよく分からない謎の装置のおかげで崩壊の兆候を察知できたようで、急いで向かう必要はない。

 とはいえ何があるか分からない以上、普段のダンジョンの様子や、よく出てくるモンスターの特徴などを聞いておきたいのだが……

 

「取り残された人は?」

「いやぁ占いで今日は大凶って出ちゃってさぁ、あ、俺スキルで占い出来ちゃうのよ、君も占っちゃう? 運命占っちゃう? 絶対当たるけど悪いの出ても許してくれよなぁ!」

 

 キレそう。

 

 こいつ話がまともに通じない。

 聞いてもいないことペラペラしゃべり出すし、全くと言っていいほど私の話に返事をしてくれなかった。

 

「いやぁ海自クビになってから探索者やってたけど、本当にダンジョンって崩壊するんだなぁ! テレビだけの話と思ってたよ、やっば、マジヤッバ!」

「あのさ、ちょっと黙ってくれない?」

「かー! 厳しい! 結城先輩超厳しい! でも海自の教官の方が厳しかったね! 迫力が違うよ、正直指導中何度かちびったもんね!」

 

 言ってもこうだ、話にならない。

 結局ぺらぺらとしゃべる彼の言葉を聞き流しながら歩き続け、ようやく件のダンジョンへたどり着いた。

 

「あの、協会から来ました、剛力さんの代理で……結城です」

 

 テープ前に立つ警官に話しかけた瞬間、その場にいた人の無数の視線が私へと突き刺さった。

 警官も一瞬なんだこいつという目をしたものの、私の着ているコートを見てハッと意識を切り替えると、どうぞと黄色いテープを持ち上げ私を奥へ導く。

 園崎さんの言う通りだ、この協会のコートは、こと緊急の現場では無類の力を発揮してくれるようだ。

 

 ついでに呉島までついてきた、こいつもう帰ってほしい。

 

 立ち入り禁止のテープと、ぎりぎりのところで密着する無数の野次馬。

 以前の崩壊を筋肉と食い止めた時もそうだったが、何故危険だと言われているのにこう集まってくるのか。

 ダンジョンがいざ崩壊したらどうするつもりなのだろう、一般人なんてまともに逃げる余裕すらなく殺されてしまうのに。

 

「結城先輩かっこいいっすね! 顔知られてるって奴? もしかしてちっこいけど偉い感じなの? めちゃんこお近づきになりてぇ、俺にも権力下さい!」

 

 呉島のマシンガントークはとどまることを知らない。

 思ってもいないようなことを延々と話し続ける彼、きっと一割も内容があればいい方だろう。

 琉希の方がまだマシだ。

 

 しかしこんなんでも一応協会の関係者、つまみだしたり殴り飛ばすのは駄目だということくらい、流石の私にもわかる。

 

「この街って協会ありますよね? 支部長っていないんですか?」

「それがどうやら長いこといなかったようで……先月発覚したばかりで、まだ後任が決まっていないそうです」

 

 こんな大きな街で、支部長がいないなんて奇妙だ。

 ダンジョン崩壊を察知できる機器まで整っていて、私の住む町の数倍は規模があり、大きな駅まで整っているというのに。

 

 もしかして、あの先月の消滅に出向いていたのか……?

 

 あり得る。

 位置的にはこちらの方が近いし、確かあの時筋肉は電話先の相手に地区が違うなんて言っていた。

 

 見えていなかった事実に気付き、拳を固く握りしめる。

 

 名も知らぬ人、声も聞いたことのない支部長。きっとそんな風に、誰にも知られることなく消えて行った人が沢山いるのだろう。

 彼か、それとも彼女か分からないその人が守っていた街、今回だけだとしても私が引き継いで守る。

 

「分かりました、それなら……」

 

 えっと、まずこういう未然に崩壊を察知できた時は、どうするんだっけ。

 

 脳裏に浮かぶ分厚い本。

 ほとんどはまっさらであまり覚えきれていないが、ペラペラページを捲っていくことで、ぎりぎりこのことについては文字が浮かび上がって来た。

 そう、基本のマニュアル通りに行くなら……

 

「ダンジョン内に取り残された人は?」

「発覚が昼頃だったので、もしかしたら数人はいるかもしれません」

「――私が突入してボスを倒すので、何方か取り残された人をボス倒すまで護衛できる方いますか」

「じゃあ俺が立候補しちゃおうかなぁ~? 他にやりたい人いないよな? な? 結城先輩よろしくオネシャッス!」

「は?」

 

 本気で言ってんの?

 

 勘弁してほしい。

 たとえダンジョン内で別れるとはいえ、こいつが近くにいると考えるだけで気が滅入る。

 ただでさえよくしゃべる相手は苦手なのに。

 

「おっと、その前に……」

 

 空気が一瞬鋭く固まった。

 

 なんといえばいいのか分からない、しかし慣れた感覚。

 よく的中する嫌な予感(・・・・)というやつで、それは先ほどまでふざけた態度を取っていた呉島から漂ってきていた。

 

 所謂メイスというやつだ。

 

 表情も大して変えず、彼はさも当然のようにその大きな武器を振りかぶり、躊躇いなく私へまっすぐ振り下ろして来た。

 

「本当に先輩強いんすか……ぁ……?」

 

 だが遅い。

 恐らくわざとだ、一応当たらない様力を抜いているのだろう。

 

 正面から受け止めようとも思ったが、警官の人が驚いてこちらへ手を伸ばそうとしていたので、挟まれても大変だからと早めにメイスを叩き落とす。

 

「こんな時に何考えてるの? 邪魔するなら帰って、他の人に当たったらどうするの」

 

 苛立ちが募る。

 

「……おいおい、めっちゃ強いじゃねえか。こりゃ降りてきて正解だった、あんたの指示には全面的に従わせてもらいまっせ!」

 

 ニンマリと差し伸べられた彼の手。

 何一つ理解できないので、もう一度それを叩き落とし一人ダンジョンへ踏み入れる。

 

「あ、ちょ、先輩待ってくださいよ!」

 

 本当こいつなんなの?



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百六十三話

「俺サマの史上最高に可愛い妹、芽衣っていうんだけどさぁ、半年くらい前の話なんだけど、折角いい高校入ったってのに一か月でいきなりやめちまった訳。しかも次の日探索者になったって、なんで? ねえなんで? って聞いたらなんて言ったと思います先輩?」

「知らない」

「『強い女になる』ですってよ! ちょ、おま、マジで言うとんの? 強い女ってアマゾネスにでもなるつもりかよ! んでんで当時酒飲んでた俺サマはさぁ、おーやれやれ、やっちまえって言っちまった訳! びっくりしたよ、その後しばらくして忘れた頃本気で学校辞めてきたんだから!」

 

 どうやらこの酷く五月蠅いのの妹、私と年齢が同じようだが相当突っ切ってる人間のようだ。

 そしてこいつ相当妹が好きと見える。色々な方向へ向いていた秩序のない会話が、妹の話をし出してから途切れることない。

 

 最初はうるさくて仕方ないと思っていたが、ここまで突っ切っているとむしろラジオや音楽みたいなものとして割り切れる。

 

「しかも今日このタイミングでここに潜ったらしくてねぇ! まあ俺サマに似て超絶賢い妹ちゃんだから、やばかったらすぐ入り口に逃げてると思うんだけどよ!」

 

 湿り気を帯びた落ち葉、鮮やかな紅葉が映える美しい森。

 はたして外の季節が反映されているのかは分からないが、このダンジョンの季節も秋のようで、腰ほどある大きなキノコなどがあちこちに頭をのぞかせている。

 

 あれだけ大きなものだ、きっと食べ応えがあるだろう。

 キノコの毒はやばいと聞いたことがあるが、ポーションで誤魔化せるだろう……それにむしろ毒キノコの方が旨いらしいし。

 

 一つ、さらに欲張って二つ目を引っこ抜き、アイテムボックスへ無理やり押し込む。 

 これは丸焼きにしてバターとしょうゆをかけよう、毒がなかったらアリアにも食べさせるつもりだ。

 

「仕方ないから最強のお兄ちゃんが迎えに行こうとしたら、元職場のつてからの連絡でもっと強い人が来るって言うじゃない! したら来たのが先輩よ。おいおい冗談じゃないっすよ、こんな不愛想なちみっこに何が出来るんだ? 芽衣より小さいじゃないっすか! って誰だって考えると思いません?」

「殴っていい?」

「結城先輩が殴ったら俺サマ死んじゃいますよ! あいたた、あいたぁ! 突然全身が痛くなっちゃう!」

「まだなんもしてないでしょ」

 

 扉を潜り抜けた先、まず先を歩き始めたのは呉島であった。

 彼曰く少し離れたところに切り開かれたところがあり、恐らくそこに人が固まっているだろうと。

 

 あれこれとうるさい奴ではあるが、地元の探索者であることには間違いがないようで、森の地形にも詳しいのは少しだけ助かった。

 きっと私だけだとそこを見つけるのにも時間が必要であったし、そこらの手際は自ら立候補しただけはある。

 

「……! そのコート、もしかして……!」

 

 一人立ち上がり、叫ぶ。

 

「協会から派遣されました、怪我のある方は?」

「ぃーっす! 芽衣、お前の大好きなお兄ちゃんがやってまいりましたよ! 最高に素敵でイケメンでユーモアセンスもある至極のお兄ちゃんだぞー!」

 

 草の上に座り込み憔悴した人々の顔に、ぱっと小さく明かりがともる。

 人数としては……十二人、流石大きな街近くのダンジョンだけはある、結構な人数だ。

 

 皆大小の怪我を負って入るものの、ダンジョンのレベル上昇がまださほど進んでいないのだろう、どうにか協力してここまで生き残れたらしい。

 とはいえ人によってはざっくりと腕を抉られ、止血だけ無理やりしている……といった人もいる、早めに来れてよかった。

 

「芽衣ー! めいちゃーん!」

「いくつかポーション置いておくので怪我の酷い方から順に使って行ってください。品質もそこそこいい奴なんで足りると思います」

「おお、ありがたい……!」

「そっちの気絶してる奴から順に連れてこい、傷が深い!」

 

 先ほど真っ先に反応した男が指揮を執り、重症者から手当てが始まる。

 我先に怪我を治そうとひと悶着あるか構えていたが、こんな時でも冷静に振舞える人がいてよかった。

 皆文句ひとつ言わずに従っているのは、きっと彼のおかげで皆ここまで生き残ることが出来たのかもしれない。

 

 彼曰くこのダンジョンに潜っているのはこれでほぼ(・・)全員、毎日会うほどなのでみな顔見知りだそうだ。

 

 横でずっと叫んでいるアホのすねを蹴飛ばす。

 忙しい時なんだからちょっとくらい手伝ってもらいたい、何のためについてきたんだ。

 

「ちょっと、うるさいんだけど」

「め、い……? おい、芽衣! どこにいるんだ! ここに向かうって朝言ってただろ! そうだろ!?」

 

 叫ぶ呉島の声は震え、冷たさに固まっている。

 

「ん……?」 

 

 これは陽気なんかじゃない、焼け付くほどの焦りだ。

 直前までの溌溂とした彼の態度とは一転して、怒りや苛立ちの混じった力強い口調に私もあたりを見渡す。

 

 いない。

 彼の言う通りなら、私と同年代なはずの妹の姿がない。

 女性も二人いる……が、どちらももう二回りほど上の年齢。

 

 皆協力して怪我を治し、周囲の警戒をしている中、一人、頭皮の薄い人が落ち着かない様子で、忙しなく手の裏の何かをいじっている。

 呉島はのしのしとそちらへ近づき、無理やり手の中のそれを奪い取ると声を荒げた。

 

「これ……俺が芽衣の誕生日にあげたヘアピンだ、なんでテメエが持ってんだよ、あ?」

「そっ、それは……」

 

 蒼い宝石らしきもののついたヘアピン、確かに髪の薄い彼が持っているのは不自然だ。

 

 元々の顔つきの凶悪さもあり、修羅だとか、悪鬼羅刹の類にまで至った顔つきの彼。

 怯えるおじさんの襟をぎちぎちに握りしめ、首を絞める勢いで激しく揺さぶり、目に血を走らせ鼻息荒く怒鳴る。

 

「おいハゲ、最高に可愛い俺の妹知らねえっスかぁ!? ポニテの切れ長な目をした死ぬほど可愛い子だ、知ってるに決まってるよなぁ! こんなもん持っちまってよぉ!」

 

 傷の手当てをしていた人たちも、へらへらとしながら現れた彼のあまりの変貌に手を止め、固唾を飲んでそれを見守っている。

 苛立ちと不安の静寂の中、彼は渋々と口を開いた。

 

「そ、その子なら……その子ならここに来る前会って、モンスターに追われる中で囮になるって……お兄ちゃんが来るから、これを渡してくれと言われてだね……」

「オイテメェ、男のくせにそれ止めなかったのか!? 男のくせして自分より弱い子に助けてもらってブルブル縮こまってたのか!? アァ!?」

「そんっ、そんなこと言われても! 何か言う前に行ってしまったんだから仕方ない! 私の役目はこれをお兄さんに、君に渡すことでっ」

 

 見開かれた呉島の瞳が限界を超え、目の端から血が伝う。

 

「……っ! 芽衣がそんなこと言いだす前にお前が立ち向かえっつの、そんなんだからハゲんだよ! このっ」

 

 固く握り締められた彼の拳が弓なりに引かれ、突風を纏って正面へと解き放たれた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百六十四話

「やめなって。何しに来たの? その人殴るため?」

 

 勿論みすみす殴らせるわけもなく、下から手を伸ばしはしっと止めさせてもらう。

 

 多分おじさんと呉島の間には相当のレベル差がある。

 折角怪我もほとんどなく助かった人だというのに、こいつに殴らせて怪我や、或いは死んでしまっては後味が悪い。

 

「離してくれ、あんたには関係ない」

「関係ある、私たちの使命はこの人たちを保護して、ボスを倒しダンジョンの崩壊を食い止めること。妹さん助けたいならなおさらこんなことしてる暇ない」

 

「……っ。センパイ、じゃあ俺行かせてもらうんで」

「違う。貴方の仕事はここでこの人たちを守ること、そのためについてきてもらったのは分かってるはず」

 

 必死に振りほどこうとしているが、ちょっとこれだけは離せない。

 

「うるせえ! こんなっ、こんな自分勝手のハゲより芽衣の方が何倍も大事なんだよッ! たった一人の肉親なんだっ、頼むから離してくれ!」

 

 目を剥き、歯を食いしばり、激情を吐き出しながら懇願する彼。

 

 気持ちは分かる……なんて言わない、私にはそこまで守りたい唯一の肉親だとか、大切な存在なんていないから。

 しかし彼の感情の奔流は圧倒されるものがある。

 

 それでも私は彼を行かせようとは思えない。

 

「呉島、さん。レベルは?」

「一万七千だ! これだけあれば十分勝てるッ!」

「無理」

 

 やっぱり無理だ。

 私の手を振りほどけない時点でなんとなく察していたが、あまりにレベルが足りない。

 

 ダンジョンのレベル上昇速度は、ちょっと上がったかなぁ? 何てなまっちょろいものじゃない。

 それこそモンスター同士の共食いが起これば数倍に跳ね上がるし、3000ほどしかなかったダチョウのレベルが一万を一瞬で超えたのを私は見た。

 普通の探索者の百倍程度の成長をする私ですら、侵入当時適正レベルであったとして、そのレベル上昇へ追いつくことは厳しいほどだ。

 

 さらに炎来のボス、巨大な炎狼はそんなレベルじゃなかった。

 五万超えの怪物……しかも私が倒したのは、本体が分裂したうちの一匹で、外へ溢れた複数の奴もいた。

 もしあれを筋肉が倒していなければ、とんでもない被害になっていたに違いない。

 

 一万七千、その口ぶりからしてきっと、彼の年齢でそのレベルはそこそこ高いのだろう。

 しかしそれでは足りない、たとえボスでなくとも、複数のモンスターと出会えば蹂躙されるのは目に見えている。

 

 私のスキルが特殊だから格上や複数を一気に倒す事が可能なだけで、『スキル累乗』や『アクセラレーション』の使えない他の探索者が格上に立ち向かったところで、隔絶した防御力や体力を削りきるのは難しい。

 だから皆同じくらいのレベルで固まってチームを組むし、自分のレベルより上のダンジョンには潜らないし、なんなら格下ばかりを倒すのだ。

 

 第一彼は冷静を欠いてる。引き際すらまともに判断できないし、妹さんが見つかるまで進み続けるだろう。

 そんなの死にに行くだけだ。

 

「俺の妹は俺が守るッ! 元々俺一人でやるつもりだったんだ、あんたの力はいらない!」

「――ねえ、このままいけばきっと、いや、必ずあなたは死ぬ、私にはわかる」

 

 

 

「それでも無理やり行くつもりなら腕を折る、それでも駄目なら足を折る。死なせるくらいならここから動かさせない」

 

 こっそり『アクセラレーション』を発動させ、加速した世界で地面を思いっきり踏みつける。

 

 ダンッ!

 

 超加速された私の踏み付けは、半径1メートルほどある巨大なクレーターを作り、周囲に立つ人すらもその衝撃に気付き驚愕に目を剥いた。

 

 ぶっちゃけはったりだ。

 実際の所三倍ほどしかない彼と隔絶したレベル差を演出できる、自分が行くよりいいと思わせることが出来る。

 

「私には大事な人から任せられた使命がある。あの人がいない間崩壊を食い止めるって、安心して行動できるように出来る限りのことをするって使命が。だから今だけは私を信じて欲しい、妹さんも私の出来る限りをもって探すから」

「……分かった、後は任せる。」

「ありがとう」

 

 きっと妹さんはもう……それでも、ダンジョンにすべてが吸収される前に、彼女の遺品だけでも私が回収しようと思う。

 それが彼に任せられた私の仕事だから。

 

「じゃあ行くね、この人たち守るのは任せるから」

「ちょっと待ってくれ、芽衣は絶対に生きてるし、必ず助かる……ここに来る前そう占いに出たんだ。俺の占いは必ず当たる、そういうスキルなんだよ。今から芽衣がいる方向を占う」

 

 あ、さっき言ってたの本当の話だったんだ。

 

 しかし占い、か。

 たった二文字から漂ううさん臭さは何なのだろう、私の偏見かもしれないが。

 

 随分と冷静を取り戻した彼。

 きっとこれが素の喋りなのだろう、先ほどまでの苛立たしさしか感じない五月蠅さは、呉島の焦りや苛立ちを隠すためか。

 

「あんた何か棒とかないか?」

「私の武器ならあるけど」

 

 占いに必要なんだ、手を突き出し言われたのでカリバーを手渡す。

 

「バット……専用武器って奴か、初めて見たぜ。じゃあいくぞ」

 

 二度ほど表面を撫で、地面へとそれを立たせる呉島。

 

 占いとはいえスキル、その効果に興味がわかないと言えば嘘になる。

 彼がここまで間違いないと信用を置いているのだ、完全に信じるとまではいわなくとも、進む方向の指針にはなるかもしれない。

 

 すぅ、と彼が深く息を吸い込み、カリバーを握った手を開いて天へと突き出し、力強く絶叫した。

 

 

「『運命の道標』よッ! 俺に芽衣の居場所を教えてくれェッ!!!!!!」

 

 

 特に光るだとか、何か魔法陣が展開することもなく、ぽてっと倒れるバット。

 当然である。先っぽが少し丸まっているのだ、めり込ませでもしない限り倒れるに決まっている。

 

 呉島は私へカリバーを返すと、先ほど倒れた方向へ自信満々に指を差し、力強く宣言した。

 

「あっちだ」

「馬鹿にしてんの?」

 

 こいつ真剣な話してるのに本当にしょうもないな。

 妹が死にそうってときなのに薄情すぎる、こんな冗談で時間を使うなんて、本気で助けたいと思っているのか?

 

「信じてくれ、本当なんだ……この通りっ! 芽衣はこのバットが指す先に絶対いるっ! 今だけは俺を信じてくれッ!」

 

 ちょっと、いや、大分怒りが湧いてきた私の足へ縋りつき、彼は何度も土下座を繰り返した。

 本気だ、本気でこいつ今ので妹さんの方向が分かったと思っている

 

 なんか占いに出たから違いないって、ちょっとあれな宗教に嵌まってるみたいで怖いな。

 

 しかし私がさっき言ったことを返されてしまえば、信じるしかあるまい。

 どうせそれで見つからなければそこからぐるっと回っていけば良いだけだし。

 

「……分かった。『アクセラレーション』」

 

 風除けの狐の面(いなりん)を被り、後ろも振り返らず歩みを進める。

 

 歩きは駆け足へ、駆け足は疾走へ、疾走は驀進へ。

 草を蹴り、幹をへし折り、一陣の風となって森を駆け抜ける。

 

 この先にいるんだよね? 信じるぞ呉島。

 

 

 

 

「は……なんだよその速度、本当自信失うぜ……俺も小さい子に守られてるようなもんじゃねえか」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百六十五話

「これは……」

 

 何か大きなものが木を押し倒しながら進んだ破壊痕。

 それは呉島がカリバーを倒した方向、すなわち私の進行方向へまっすぐに伸びていた。

 

 おお……!

 

 感や偶然というにはあまりにぴったり、これには私も彼の占いがあながち完全な当てずっぽうではないと悟る。

 

 あのおじさんはモンスターの囮になったと言っていた。

 人の多く集まる入り口から離れている方向、確かにこれなら囮として完璧な行動だろう。

 そしてまず一つ目がぴったり一致した彼の占い曰く、彼の妹はまだ生きている、助かるらしい。

 

「んじゃ、占いを現実にしてみますか……!」

 

 絶対に当たる占いか……今度私の運勢とか占ってもらおうかな。

 

 

「でっか……!」

 

 破壊痕を追い続けた先、あまりに巨大な熊を見つけ驚愕する。

 

 四足歩行だというのに成人男性二人以上はある体高、全身を包む毛は一本一本が針のように鋭い。

 奴が追う先には……片足を根元近くから引きちぎられ、目を瞑りぐったりと木の根元で倒れる少女。

 

 本来は綺麗な黒髪であろうに、血と泥にまみれたその姿は悲惨その物。

 

 

「見つけた……!」

 

 あれはヤバイ、息があるとして瀕死も瀕死だ。

 というか本当に生きているのか、もう駄目じゃないか。

 

「『巨大化』! ほあああ」

 

 斜め横から熊のわき腹へ、『アクセラレーション』の勢いを纏ったまま、木の幹程巨大になったカリバーへ抱き着き全力の体当たりをぶちかます。

 

 速度だけでは足りない分を巨大化したカリバーで補う。

 咄嗟に行った作戦であったが幸い大成功、エネルギーは全て熊の身へと叩き込まれ、地面へ着地し『アクセラレーション』を解除した瞬間、熊の巨体はギャグマンガさながらの様相で木々を下敷きにしながらぶっ飛んでいった。

 

 これいいな、これから使お。

 

「おにい……ちゃん……?」

「違います」

 

 薄く開かれた眼は焦点が合わず、私の顔すら全く見えていない様子。

 しかし浅くながら胸は上下し、かすれ絞り出すようなものではあるが、確かに私に向かってしゃべった。

 

 深い安堵と歓喜。

 間に合わなかった……なんて後味の悪いものじゃない、ギリギリでも生きている。

 

「うち……がんばった……よ……みんな……まもって……」

「いや死なせないから。しっかりして、お兄さんが待ってるよ」

 

 言い切る前にゆっくり目を閉じる彼女。

 

 大慌てでアイテムボックスからポーション、それも最高品質のドラゴンブラッドを引っ張り出し、栓を歯で引っこ抜く。

 そしてなんか感動の死を遂げようとしている彼女の背中を支え、喉奥へ無理やりその赤黒くほのかに輝く薬を流しこんだ。

 

 

 どうだ……?

 

 

「……よしっ!」

 

 肉が盛り上がり、逆再生でもするように彼女の足が再生していく。

 

 死んだ人間にはポーションが効かない。

 逆に言えばポーションの効果が出るということはすなわち、なんとか生きているということ。

 

 全身のかすり傷も綺麗さっぱり無くなったところで彼女の睫毛が震えた。

 

「……小学生?」

 

 開口一番、きょとんとした顔で吐き出される言葉。

 私は大人なので決してこんなことで怒ったりはしないのだ。

 

「もう一度熊に食われる?」

「いやマジもうヤバかったんで勘弁してください」

 

 流石一番高いポーションなだけはある、もう普通の返答をできる程とは。

 

 全快した彼女はすくりと立ち上がると、ガチで助かりましたと頭を下げた。

 どうにかここまで木の裏に隠れたりと逃げてみたものの、鼻の良さ故かすぐにばれてしまい着実に距離を詰められたうえ、最後は足を爪で引っかかれてしまったらしい。

 

 それにしても身長高いな、頭二つ分くらい上だ。

 

「貴女が芽衣さん?」

「は、はい! ウチが芽衣です!」

「お兄さんの代わりに助けに来た、私は支部長代理の結城、結城フォリア」

 

 本人確認も済んだところで、一応怪我を負っていた彼女の体調を考慮して歩きながら元の道を進む。

 全力ならそこまででもないが今は長い道のりを歩くとやはり姉弟、彼女もしゃべるのが大好きなタイプらしく、最初こそ黙っていたもののそわそわとし出し、私へ話しかけてきた。

 

「小学生……って訳ではないんですよね。探索者って十五以上じゃないとなれないし……」

「そう、私はこう見えても結構な年齢」

「じゃ、じゃあ年齢とかって……きいても……?」

「十五」

「タメじゃん! 敬語使って損したわ! フォリアでいい? つかもうフォリでいいよね!」

「まだなんにも言ってない」

 

 こいつ、やっぱり人の話聞かないタイプか。

 兄妹でこんなところまで似るとは、話してて疲れるしなるべく関わりたくないタイプだ。

 

「ん? タメでそんな強いの!? やっば、フォリやっば!」

「まあ、私はいろいぶへぇっ!?」

「フォリィ!?」

 

 やられた。

 

 ぬっと後ろから現れた影は先ほどの熊。

 手の一つすらも下手な幹より太いそれが、まるでモグラたたきのように私を叩き潰して来たのだ。

 

『最後まで油断するな』

 

 以前言われた筋肉の言葉が刺さる。

 全てにおいて私は甘い。彼女をどうにか救えたという安心感から、モンスターへの警戒を怠っていた。

 

 今はたまたま手痛い一撃を与えた私へ攻撃してきたからいいものの、もし私ではなく芽衣の方に向かっていたら、きっと後悔してもしきれない。

 注意不足、本当に未熟だ。

 

 まだ筋肉のようには出来そうにないな。

 

「はぁ……『アクセラレーション』」

 

 反省のため息とともに加速し、叩き潰して来た足を押し返す。

 地面へめり込んだ足を引っこ抜き、手放してしまい地面へ転がったカリバーをしっかり握り締めると……

 

「『ストライク』! からの『スカルクラッシュ』!」

 

 かっ飛ばす。

 

 『スカルクラッシュ』の動きが終わる前に、『ステップ』で硬直を強引に誤魔化し後ろへ回り込み再度『ストライク』と『スカルクラッシュ』のお見舞い。

 『アクセラレーション』を解除した瞬間、熊は地面へ顔をめり込ませ、ゆっくりと光へ変わっていった。

 

『合計、レベルが2423上昇しました』

 

 おお、もしかしてこの熊結構レベル高かったんじゃないか。

 

 がっつりとレベルが上がったのは結構嬉しいことだが、つまりそれはダンジョン内のレベル上昇がかなり早まっているということ。

 まずは彼女を入口へと送り届けた後さっさとボスを倒さねば、下手したら雑魚モンスターに彼ら全員が殺されてしまうかもしれない。

 

「帰ろ、お兄さん待ってるよ……ねえ、聞いてる?」

「……超パない……クールガールじゃん……」

 

 しかし私は早く戻りたいというのに、肝心の本人の意識がどこか遠くへ向かっていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百六十六話

「ちっす兄貴! 芽衣ちゃん無事に帰還しました! いえーい! ピースピース! 心配した? ねえ心配した!?」

「うぇーい! 占い通り生きて帰って来たなぁ? お兄ちゃんは全部知っていたので何一つ心配しませんでしたー!」

『ウエーイ!』

 

 生きて帰ったことに涙を流し感動の再開と思いきや、互いにうざいノリでハイタッチ。

 人はピンチの時に本性が出るというが、二人のそれはすぐに隠れてしまった。

 

 こいつら兄妹間でも普段はこんなノリなのか、生きてて疲れないのかな。

 いつもあれならまだいいんだけど。

 

「呉島、貴方にもう一度占ってほしいことがある」

 

 しかし彼らにのんびりじゃれ合ってもらう暇はない。

 このダンジョンの崩壊は既に相当進んでいる、それは先ほどの熊を倒して分かった……レベルが相当上昇していたからだ。

 

 それに元気な振りをしているが芽衣は結構疲弊していて、ここまで来るのに少し時間がかかってしまった。

 当然だ、間違いなく勝てない絶望的な全力疾走の果て、足を引きちぎられ血を垂れ流し、絶望の淵に沈んでいたのだから。

 ここまで来るまでも無理やり歩くのが限界であった、恐らく精神面で相当参っているだろう。

 

 ダンジョンが崩壊すれば確かにここに居る人たちは外に出ることが出来るかもしれない。

 しかし結局モンスターが外に出てしまえば大規模な消滅が起こる、少なくとも外にある街は消滅するし、ここに居る皆も消える。

 

「……ボスはどこにいるのか、私はどこへ向かえば出会えるのかを」

 

 一刻の猶予もない。

 恐らくボスエリアから解き放たれたボスの下へまっすぐ進み、速攻で叩き潰しかない。

 

「『運命の道標』よッ! 俺に……」

 

 先ほどの儀式を行い始めた呉島へ、妹から無慈悲なヤジが飛んだ。

 

「兄貴、時間ねえんだからはやくしろよなー!」

「あれいらないんだ……」

「ノリ悪ぃなぁ、なんかビシッと凄いことしねえと映えねえだろ? これ飲みの場でやるとめちゃんこ受けるんだけどなぁ」

 

 彼がパッと手放したカリバーは、倒れることすらなく地面へすっくり立っている。

 めり込んでいるのか倒れる気配がない、変な呪文を唱えながら地面へ叩きつけるからだろう。

 

「力みすぎ。今は急いでるんだから変なことやめて」

「いや、このバット神バランスで立ってるっぽくない? なくなくない? ヤバ、奇跡じゃん。写真とろ、フォリも一緒に入ろうぜー」

 

 肩を抱かれ引っ張りこまれると、ほっぼ無理やり芽衣と写真を撮らされた。

 いつの間に私はこいつと仲良くなったのだろうか、まだ会ってから一時間くらいしか経っていないのに。

 

 渋々カリバーへ手を伸ばした呉島だったが、触れた瞬間ハッと顔を上に上げ―― 

 

「違う……スキルは発動してる……ッ! 上だ……上から来るんだよッ!」

 

 

 その瞬間、空が漆黒に染まった。

 

 

「……っ!? 『アクセラレーション』っ!」

 

 二人の身体を引っ張り、影の先の先まで逃げる。

 

 

 ドンッ!

 

 

「なんだあれ……触手!?」

 

 冗談みたいな振動、ダンジョン内にあるまじき地震にふらつき、芽衣が尻もちをついた。

 

 てらてらと輝く蛍光オレンジの触手。

 だがそれらはまるでスライムか何かのように地面へ張り付き、激しい水蒸気を上げ暴れまわっていた。

 

 だがなんだ、あれは。

 

 触手を生み出した本体は、その鮮やかな色と裏腹に全身真っ黒。

 そしてその大きさも半端じゃない。

 触手一本一本も私の腕ほどあるというのに、本体の太さはまるでそれが紐か何かにしか思えないほど、高さに関して言えばちいさなビル程はある。

 

 そんな化物が触手で体を支え、まるで木のようにそそり立っている。

 

「植物……なの……?」

 

 枝もなく、葉もない。

 しかし世界樹のそれだと言われても納得するほど極太の幹だけが天を衝く、黒とオレンジの不気味なコントラストとサイズに目と頭がどうにかなりそうだ。

 

「あれキュビエ器官っぽくない?」

「ああ、既視感あると思ったらそれだ、めっちゃキュビってるわ。ほんじゃあいつはナマコってことか、ダンジョンのナマコって空飛ぶんだなぁ! めっちゃウケるわ」

「なまこ……あれが? 嘘でしょ?」

 

 なまこってあれだよね、海に転がってるらしいアレ。

 

 いや、今はあれの正体がなんだとかより……

 

「そうだ……っ、皆! 生きてる!?」

「全員無事だ!」

 

 返ってきた声は皆の無事を伝えるもの。

 

 良かった。

 咄嗟に横に居た二人を助けたのはいいものの、向こうの皆については気にする余裕がなかった。

 場所的に恐らく大丈夫だとは思ったものの、こうやって声を聴かないとなかなか安心することはできない。

 

 世界樹……もといデカナマコの動きは基本的に単調かつ緩慢、触手をウニウニと蠢かせゆっくりと倒れると、地面を這うようにこちらへ向かってきた。

 勿論緩慢とはいえその巨体、本体がいくら遅かろうと移動速度自体は相当なものだ。

 

 しかしあれを倒せば今は終わる、自分から来てくれたのなら『アクセラレーション』も使わないで済むし、MPを温存できただけでもありがたい。

 

「呉島」

『ウィーッス!』

「あ、二人とも呉島なんだっけ……まあいいや、二人共、みんな連れて入口まで逃げて」

「先輩はどうするんスか?」

 

 呉島……いや、兄の大悟が私へ問いかけてきた。

 

「言ったでしょ。私には使命がある。大事な人から任せられた使命、あの人の代わりにダンジョン崩壊を食い止める使命が」

 

 ここからが本命だ。

 筋肉、剛力剛の代理として戦いを託された、結城フォリアとして初めての戦いの。

 

 

「それにしても、あれどこ殴ればいいのやら……」

 

 ズズ、ズズとおなかの底に響く低音を響かせ這うナマコ。

 

 動物なら頭、目、分かりやすい弱点がどこかにあったし、大きなモンスターならそこを起点として殴ることが王道だ……と、訓練中に筋肉が言っていた。

 

 しかしナマコの目とは? ナマコの頭とは? どっちが頭でどっちがお尻なのかすら分からない。

 そもそも頭を殴ったとしてアレに脳みそなんてものが存在するのか?

 

「まあ取りあえず一発殴ってみるか」

 

 幸いあのサイズなら外すということはない。

 

 カリバーを天高くつき上げ、地面を固く踏み締めた私。

 

「『巨大化』っ!」

 

 太さはそのままに、ただただ長く。

 中途半端な長さでは大した威力にならない、叩き切ってやると思えるほどの長さが必要だ。

 

「よし……行ける」

 

 サイズは丁度奴を輪切りに分割して有り余るほど。

 

「『スキル累乗』対象変更、『スカルクラッシュ』 よっ……こいしょぉ!」

 

 ああ、これちょっとまずいな。

 

 ここまで長くしたカリバーを『累乗スカルクラッシュ』で振るったことがなかったが、メシ、ミキと聞いたことのない音を立て痛みが走る肩に、これ振るいきった後が一番ヤバいんじゃないかと今更気付いた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百六十七話

 間違いなく叩き込んだ、そう思った。

 

 黒い肉へ確かにカリバーはめり込んだ。その感覚は慣れた、強烈な一撃を叩きこめた時の手ごたえ。

 そう思ったのに。

 

「は?」

 

 肉を潰し進んでいたカリバーが、突然止まった。

 衝撃を吸収し和らげたわけでもない、いきなり肉全てが硬質化したのだ。

 

 その時、今まで前進しようとしていたエネルギーはどこへ向かうだろうか。

 答えは単純……カリバーそのものが弾き返され、衝撃は全て私の身体へ。

 

 無意識のうちに捻った首が、左手に握られこちらへ戻って来たカリバーを避ける。

 しかし体まではどうにもならない、いつもは頼もしく思える相棒の一撃が、鎖骨へ食らいつき、鉛筆を折るかのようにへし折っていった。

 

「げぇ……っ! あ……が……?」

 

 地がはじけ飛び、この身が激しく叩きつけられる。

 

 衝撃は耐えがたいもので、つい肩をかばおうとした右手。

 しかし私の肩に触れたのは、右手の平で……

 

 あ、あれ? みぎてって、こんなにかんせつたくさんあったっけ?

 

「あ、あああああ! はひ……ひんじゃう……ぽー……しょ……」

 

 いたい、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいいいっ!

 のまないと、くすりのまないとしんじゃう……だりぇかたしゅけて……!

 

 口の箸から唾液が漏れた。

 痛みに吐き気と涙が止まらない、私の意志なぞどうでもいいと、体が勝手に生理的な行動を起こす。

 

 死。

 

 絶対的な恐怖に震え、無理やり動かしている左手から取り落としたポーション。

 生存本能が地を這い、地べたを這いずって土を飲み込み、瓶ごと噛み砕く。

 

 普段は飄々としようとしても、ギリギリまで平然と振舞っていても、死まで数秒となった今、私はなんと生き汚い生物なのだろう。

 

 私はまだ死にたくなかった。

 こんなに自分に価値がないと思っているのに、あんなに別に死んでもいいなんて言っていたのに、本当に死にたくない。

 

「くふ……ぅ……はぁ、はぁっ! くそっ」

 

 痛みが引き、ようやく冷静が戻ったころ、白かったコートは己の血とのたうった泥にまみれ、赤黒く汚らしい物体と化していた。

 

「はぁ……はぁ……っく……はぁっ」

 

 やられた。

 同レベルのモンスターですら容易く屠るこの一撃、たとえいくら耐久の高い私であれ、無防備に受けてこれを耐えることは厳しい。

 必殺ではあるが、今のように跳ね返されれば私自身を潰す諸刃の剣。

 

 もし頭で受けていたら……っ

 

 浮かんだ予想の未来に血が引く。

 

「冷静に……れいせいにならないと……っ」

 

 今のままでは勝てない、攻撃が通用しない。

 

 たまたまそこに転がっていた希望の実を無自覚に握り締め、鼻をくすぐる心地いい香りにたまらず噛み砕く。

 ダンジョンや私に襲い掛かる現実とは真逆の甘い(・・)味、なんと幸せな味だろう。

 

 一回酷い怪我を負ったからだろう、今まで募っていた不安が一気に噴き出す。

 

 私は幸せになれればよかったのに、そのために探索者になったのに。

 こんなつらくて苦しいことを知るためじゃない、背負うためじゃないのに。

 豪遊なんてものじゃない、普通の生活、普通の幸せが欲しかっただけなのに。

 美味しいものを食べて、お古じゃない好きな物を着て、友達と何かをして、いつかパパや、ママと――

 

「ああああああッ!」

 

 私の頭を叩きつけられた巨木が激しい音を立てへし折れる。

 

 違う、今考えるべきなのはそんな(・・・)くだらない事じゃない。

 あいつを倒して、ダンジョンの崩壊を食い止めて、皆を助けること。

 余計なことは考えるな。あの体の内部へどうにかして攻撃を通す手段を考えるんだ。

 

 これは、自分で選んだ未来だろ。

 フォリア、お前が戦うって決めたんだ。

 溢れるモンスターという絶望、世界の消滅という悪夢の災害、筋肉や園崎さん、協会の人たちと食い止めるって決めたんだろ。

 

 そんなのをどうにかしようとしてるんだ……

 

「――こんなところで止まってられない……!」

 

 頬に垂れた涙を覆う狐の面。

 

 これは隠しているんじゃない、ただ高速移動するのに必要なだけだ。

 私は戦う。力をつけ、必要となるその日に振るうために。

 

――――――――――――――――

 

種族 ゲイズ・ロイディア

名前 

 

LV 61000

HP 998275/1028476 MP 281173/302851

物攻 210384 魔攻 172562

耐久 220841 俊敏 48926

知力 308321 運 22

 

――――――――――――――――

 

「はは……ひゃくまん、行っちゃったかぁ」

 

 何か少しでも情報を漁れないかと発動した『鑑定』しかし遂に大台へ乗ったナマコのHPに心が折れる音がした。

 渾身の一撃もまともに通っていない、たったの四万弱。

 そもそも着地の衝撃によるダメージも合わせれば、私の攻撃はほとんど0に近いのかもしれない。

 

 下から天を仰いでも答えは見つかりそうにない、か。

 あ、そうだ。

 

「ん……よし、いけそう」

 

 そういえばこの前かぎ縄を作ってもらったのを思い出し、アイテムボックスから引きずり出す。

 手のひら大の大きなフックは十分な重みがあり、ブンブンと振り回せば安定して回転してくれた。

 

「『アクセラレーション』、ほっ!」

 

 思い切りぶん投げ、軽く引っ張った瞬間手に伝わるしっかりとした瞬間。

 表皮はやはり柔らかいらしい。鋭く尖ったフックの先がナマコの表面へぶっ刺さり、ピンっと紐が張る。

 

 加えて『アクセラレーション』のおかげで相手の動きはもはや止まって見える、背中の上によじ登るのは大して難しいものではなかった。

 

「どうにか乗っかることはできたけど……」

 

 デカすぎる。

 

 上り終え、改めて思う。

 不気味なテカリを湛えた、まるで分厚いゴムのようなナマコの体表。

 ひどく揺れて不安定な立ち台ではあるが、滑りにくい表面のおかげで気を付けていれば振り落とされることはない。

 

 しかし表面の弾力と内部の硬度、二つを併せ持ったこいつにどうやって攻撃を通せばいいのか、全く思いつかないぞ。

 

 少しでも弱点はないのか、ぬめらかな表面に顔を当て探る。

 

 どこか一つでも弱いところが見つけられればいいのだ。

 そうすれば高速で近付き攻撃を叩きこんでのヒット&アウェイ、私の攻撃力ならそう何度も繰り返さなくて済む。

 というか何度も繰り返してはいけない、そんな余裕はないのだから。

 

 ぐっ、ぐっ、と押し込む度感じる奥の硬さ。

 体表には特に弱点などないのだろうか? やはり前か後ろ、どっちか忘れたがキャビア器官だったかキュウリ器官だったかを叩くしかなさそう……でもあれ着地してすぐに仕舞われちゃったしなぁ。

 

 その時、手元に今までと異なる感覚が伝わって来た。

 

「お、ここ柔らか……ぁ?」

 

 グリグリと日光を受け輝く光彩。

 

「なっ、これはっ、目……!?」

 

 瞬間、今までなかったはずの無数の瞳が黒い表面へ一斉に花開き、ぐりん、とこちらを見つめた。

 

 ああ、なんかヤバいの開いちゃったかな。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百六十八話

 きゅう、と瞳孔が縮む。

 ひゅう、と私の喉が息を吐き捨てた。

 

「……っ! 『ステップ』っ」

 

 ぞっとするような感覚に従い唱えた無意識のスキル発動、それが私の命を助けたのだと理解するのにそう長い時間はいらなかった。

 地面へ飛び降りながら見たのは、先ほどまで私が立っていた場所の皮膚が一瞬盛り上がり、直後無数の天を衝くほど長い針に覆われる光景。

 

 もし一秒でも反応が遅れたら頭から足まで串刺しだった。

 

 ただちょっと頑丈でちんたら地面を這っているだけじゃない、あれには明確に敵を殺す殺意がある。

 たとえその巨体の上であろうとそれは決して安息の地ではない、むしろ登って来た私こそが間抜けだったのだ。

 自分から処刑場に飛び込んでいたなんて笑いごとにもならない。

 

 見られている。

 泡立つ皮膚の感覚。人々の注目を浴びるなんて気持ちのいいものじゃない、これは殺意と悪意に満ちたモンスターの意志そのものだ。

 

 幾千、幾万の全身へ広がる瞳が、幾ら逃げようと私を追い続ける。

 無数の視線を潜り抜けた先に広がる新たな視線は、このモンスターに死角がないのだと、どこに逃げようと必ず追い続けるらしい。

 

「死角のない視覚、なんちゃって」

 

 走って木の裏に隠れたところで、現状のどうしようもなさに頭を抱える。

 

 困った、あれはちょっと強すぎる。

 長距離からカリバーを伸ばして叩くのは反動があるので駄目、アクセラレーションで殴るのも結局殴るものからの衝撃がその分大きくなり反動があるのでダメ、接近すると串刺し。

 

「魔法、使いたいなぁ……ほんと」

 

 こんな時筋肉ならどうするのだろう。

 何となくだが、針の攻撃とかも関係なく近づいて殴り飛ばしたり、切り飛ばしたりしている気がする。

 

「おっと」

 

 顔のすぐそばに延びてきた針が木を貫く。

 10メートルほどだろうか、思ったより接近を許してしまった事に内心舌を打ち、小走りで森の奥へと歩みを進める。

 

 ずらしていなかったら顔が吹き飛んでいた、接近に気が付けないなんて少し考え過ぎたか。

 

「『ステップ』……『ステップ』……」

 

 右、左、腹の横、後ろ。

 観察を兼ね周囲を動き回る度、このナマコは針を伸ばし必ず私の隙を突こうと攻撃を仕掛けてくる。

 それにしても目が多すぎてキモイ、せめてぐりんぐりん動かすのをやめろ。

 

 周りをぐるぐるぐるぐる、どんな速度で動き回ろうと無数にある目が必ず追ってくる。

 一度補足した相手は決して逃がさない執念、巨体である故に全力の私の逃走には追い付くことが出来ないが、そもそもこいつを倒さない限り何も終わらない私にとって何の意味もなさない。

 

「ん?」

 

 ふと、正面に立った時違和感に気付いた。

 

 格上と戦う時、真正面に立つということは基本的に悪手だ。

 私たちだって横より前にいる敵の方が攻撃しやすく、当然大体のモンスターだって正面に立たれた方が攻撃を当てやすい。

 もはや真正面に立たない立ち回りというのは呼吸をするのと同じことで、半年以上戦ってきた私にもそれは身についている。

 

 常に敵の右か左、必ず顔と顔を直線で合わないように凌ぐ。

 だから気付くことが出来なかった。

 

「ふぅ」

 

 ズ……ズズ……

 

 再度真正面に立った瞬間、今までとは比べ物にならないほどの勢いで這い寄り始めるデカナマコ。

 血走った無数の瞳は限界まで見開かれたままこちらを向き、ナマコの口……口って言っていいのかあれ……多分口がぐっぽりと漆黒の穴を見せつけてきた。

 

 てらてらとした数知れない触手が口内で蠢く。

 キュウリ器官だかキャビア器官だか知らないが、あれの一本一本すらもとんでもない力があるのだろう……最初落ちて来た時、この巨体をこれらで支えていたのだから。

 真正面に立つなんて自殺行為だ。こんなのに絡まれてしまえば力を出す余裕もなく絡みつかれ、縛られ、引きちぎられ、食いつくされる。

 

 なら諦めた? もうだめだと食い殺されるために近寄った?

 

 いや、違う。

 

「正面には、やっぱり針ないんだね」

 

 繰り返し耳元を掠める(・・・・・・)細長い針。

 何度も何度も伸ばし、縮め、私を貫こうと暴れまわる。

 

 しかし私には届かない。

 ただ無意味に背後の巨木が、大量に開けられた指ほどの穴によって自重に耐えることが出来なくなり、悲鳴を掻き立てゆっくり折れた。

 

 そう、この棘は口の周りにだけは配置されていないのだ。

 正確に言うとちょっと下の方には生えているのだが、体の曲線によってまっすぐ伸ばそうと土へ埋まってしまう。

 動き回っていた時、一瞬だけ針の攻撃が止む瞬間に違和感を覚え、何度も何度も周囲を動き回ってあぶりだすことが出来た。

 

 今までの戦いとは真逆、首(?)の動きに合わせ常に真正面を取り続ける。

 私の身体の小ささも相まってこれなら針に当たることはほとんどない、ちょっと当たりそうなのも軽く体を捩じるだけで済む。

 

 ついぞ針で串刺しにすることは無理と悟ったのだろう、一層のこと這い寄る速度を進めるナマコ。

 踏み潰すつもりか、それとも丸呑みにするつもりか、どちらにせよ素直に食らってしまえばただ事ではない。

 

 怖い。

 

 近寄れば近寄るほど振動はより一層激しいものとなる。

 トラックに轢かれた時なんて比にならない恐怖だ、足が勝手に逃げようと踵が引ける。

 

 まっすぐ正面に構えたカリバー、震えぬよう密着させた脇から生ぬるい汗が垂れた。

 

 

「あっ」

 

 

 一際大きく開いた口から音を立て、何かの液体に濡れる触手たちが殺到する。

 

「『巨大化』ァッ!」

 

 その時、初めてナマコが天高く慟哭した。

 

 ナマコの口内にカリバーが挿入された瞬間、MPの限りを注ぎ込んで行った巨大化。

 それは内臓も、今にも飛び出そうとしていた触手すらも潰し、まるでいかめしパンパンに詰め込まれたもち米のように彼の中を埋め尽くした。

 

 しかし彼が突進していた時の勢いがなくなるわけでもなく、口の際の際にいた私へ巨大質量と速度の合わさったエネルギーが襲い掛かり、足先が地面へとめり込んでいく。

 

『――――――――――――ッ!!!』

「っつ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あああああっ!」

 

 無数の骨が子気味良い音を立て折れるのが聞こえた。

 

 しかし勢いは止まらない。

 カリバーを握る……いや、もはやただ引っかかっているだけの私はそのまま延々と押し続けられ、恐ろしく長く感じる時間の後、漸く止まった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百六十九話

 肉塊が転がる。

 相応の大きな音を立て、古臭いブリキのおもちゃのように、ただただその場で左右へ、ぐる、ぐる、と。

 

 人々はそれを見守るしかない。

 あまりに大きく強大な相手、隔絶したレベル差の己が攻撃しようと、人が蚊に刺された程度のダメージしか与えられないと知っているから。

 

 まあそもそも私が近寄るなって言ってるんだけど。

 

「フォリっちヤバない? あれどうすんの?」

 

 寝っ転がる私の横で体育座りをしていた芽衣が、動けないナマコを指を指す。

 

 轟音が止み、どうやら戦いが終わったと思った探索者達。

 しかし入り口の扉は相変わらず固く閉ざされたまま、協会からの使者、要するに私が負けたのではないかと恐る恐るこちらを偵察しに来た彼らが見たのは、巨大なカリバーが貫通してちくわのようになったナマコの姿であった。

 

 とどめを刺したいけど、ちょっとキツイ。

 

 私は『巨大化』でMPを使い切ったせいで非常に気持ちが悪いので、正面で寝転んでいる。

 吐きそう……というか二回くらい吐いた。

 

――――――――――――――――

 

種族 ゲイズ・ロイディア

名前 

 

LV 71000

HP 22345/1028476 MP 23412/302851

 

――――――――――――――――

 

そろそろ倒せそうだなぁ。

 

 頭から尻まで自分の半分ほどある太い棒が貫通して、しかも死ぬことがなく軽く身じろぎしかできない。

 自分でやっておいてあれだが、これ拷問じゃないのか?

 

「あー……よっこいしょ」

 

 くらくらする頭を押さえ立ち上がる。

 

 ダンジョン内は外よりMPの回復が速い。

 数分休憩してはカリバーに触れ、追い『巨大化』でじりじりと直径を変えてダメージを与える。

 

 いや、私も分かっている。

 ちょっとずつ体の中の棒が太くなっていき、ゆっくり死へ向かうなんて酷過ぎると。

 しかしこうするしかないのだ。横から近寄り少しでも殴ろうとしたのだが、やはり針を伸ばしてきて必死に抵抗するものだから、すぐに楽にさせてやることも出来ない。

 

「『巨大化』……お?」

 

 遂にその時が来た。

 

 電子レンジに放り込まれたソーセージがはじけるように、軽快な音を立てパンパンに詰まった黒い表面へ白銀の稲妻が走る。

 一度切れてしまったナマコの身体は、その弾力のある体表もあって止まることなく切れ目が大きくなって、自重から低い音を立て地面へとずり落ちた。

 

 ついでに弾けて吹っ飛んでくるなんとか器官が、私とついでに近くにいた芽衣の頭へ降り注ぐ。

 

『レベルが合計7022上昇しました』

 

 はあ、やっと終わった……

 

 

 静寂、緊張。

 鬼が出るか蛇が出るか、なんならもっと恐ろしい怪物が飛び出してくるのか分からないダンジョン。

 入り口で支給品の銃を握りしめた男は、くだらない正義感で警官になったことを今になって後悔した。

 

 己だけではない、他の横に並ぶ者たちもみな一様に顔を引くつかせ、手足は震えている。

 

 怖いのだ、この奥に閉じ込められた怪物が。

 訓練としてある程度のレベルを上げてきた、武器の扱いも覚えた、緊急時の連携等も叩き込まれた。

 

 だが、それが何になる?

 

 超越した力の前に矮小な存在の結束など無意味だ。

 怪物を打ち滅ぼすのは怪物のみ、若しこの扉が砕かれ中からモンスターが溢れた時、ここに集まった者たちは壁にすらならずに蹂躙されるだろう。

 

 しかし崩壊を食い止めに入ったのは僅かに少女と若い男が一人。

 

 唯の人身御供だ、時代遅れの野蛮な風習と変わらないだろう。

 こういう時のための協会じゃないのか、国から多大な支援を受けているはずの組織が、一体どうしてそんなことをしたのか理解できない。

 

 その上この街にあった支部には支部長が長年不在であったなどと、あまりに笑えない話だ。

 

「剛力さんはどこに行ったんだよ……! あの人がいればすぐに終わるんだろ!? きっと今日来るのはあの人だって話だったろ、どうしてガキ一人なんだよ!? 俺達に死ねって言ってんのか!」

「そこ! 静かにしろっ!」

 

 誰かが震える声を絞り出した。

 

 未だ予防策の見つからぬこの災害、食い止める手段は唯一つ……、一般的にボスと呼ばれるモンスターを倒すのみ。

 何故ボスを倒すと収まるのか、何故ダンジョンの崩壊が起こるのか、理由は分からずとも人々はそれを行うことでしか安息を得ることが出来なかった。

 

 そこで必要となるものは、兆候や崩壊などが実際に起こった時即座に動くことの出来る戦力。

 軍や編成とはまた異なる強力な『個』だ。

 

 実力者として協会に支部長を任命され、日頃ダンジョンの崩壊を食い止めるものの中にも知名度という物は存在する。

 年季、実力の三点において抜きんでており、日常生活の雑な点はともかく、少なくとも戦いや犠牲者などにおいては常に真摯であろうとする剛力、メディアへの露出もあり彼の名を知る者は多い。

 

 少なくともこの近くには彼が居り、有事の際には必ず姿を見せる。

 鍛え抜かれた体を持つ絶対的な守護者、それが戦場へ駆り出される者たちの心の支えであった。

 

「もう俺、逃げてえよ……」

 

 一度噴き出した不安や恐怖という物は、それ以上の希望で拭い去られるその時まで決して消えない。

 誰かが吐き出した動揺がさざ波となって周囲へ伝播し、人々の息を浅く、動悸を過剰に掻き立てていく。

 

「不味いですね……」

 

 現場の指揮を任せられていた者が焦りに顎を撫でた。

 

 銃口を突き付けられたままいつ引き金が引かれるとも分からずただ待つだけのこの時間は、戦いに慣れていない者たちの心を酷く擦り減らしている。

 あと一つ、何か一つ切欠さえあれば全ては崩壊する。

 

 所謂集団パニックという奴だ。

 

 目の前に差し迫り、しかしいつ起こるかも分からないダンジョンの崩壊。

 ここから逃げ出せば自分だけは助かることが出来る、しかし逃げるには周りの存在が邪魔となる……止められるか、或いは他の者も逃げ出せば自分を阻む壁となる。

 

 その時、石で出来た扉が軋んだ。

 

 緊張が走る。

 

 或る者は背後を振り返った。

 或る者は前の者の背中に手を当てた。

 また或る者は手元の引き金に指を掛けた。

 

 来る、何かが来る。

 扉の奥から来る。

 

 ひゅう、と、誰かの喉が鳴った。 

 

 

「ダンジョンの崩壊とめ、鎮圧した……ました」

 

 

 最初に見えたのは小さな頭、金を編んだように輝く細い髪。

 扉が開き、奥から現れたのは……白いコートを黒く染めた一人の少女であった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百七十話

 泣く者、天を仰ぐ者、叫ぶ者、抱き合う者。

 ダンジョン前の広場で繰り広げられる表現は多岐にわたれど、それらすべてがが意味する感情は唯一つ。

 

 喜び。

 

 明日を生きることが出来る幸せ、ただそれだけだ。

 積み重なる問題はあれど、少なくとも今の私は目の前の課題をひとつ終わらすことが出来た、今はそれだけに喜びたい。

 

 そして戦いが終わった私が、真っ先に電話を掛けたのは……

 

「ちょっと危なかったけど何とか倒せた」

『ああ、今ちょうどその情報が届いた。行方不明者ゼロ、死者ゼロ……文句なしの満点だな! よくやった!』

「そ、そう?」

 

 電話の奥で彼が頷く衣擦れの音が聞こえる。

 

『ああそうだ、メディアや人へもっと顔を売っておけ。お前の力は特異で注目を集める、だが周囲へそれ以上の存在感を示せばそれが力から目を逸らすことも可能だ』

「どういうこと?」

『要するに大衆へお前が強くて皆を守ってくれるって思わせれば、なんで強いのかなんて誰も気にしなくなるってことだ。むしろおまえの強さを必要とすればするほど、大衆はお前を守るようになるだろう』

「なるほど……」

 

 よく分からないが、このままレベルのことを隠し続けることは、私の行動すべてについて回る足かせとなる。

 勿論全部をぺらぺら話す訳には行かないが、ちょっとでも隠す必要がなくなるというのは大きな前進だ。

 

 が、一つ大きな問題が。

 

「でも顔を売るって……どうしたらいいのか分かんない……」

 

 そう、自慢ではないが、私は滅茶苦茶愛想が悪いと自負している。

 学校では何もしてないのに話したこともない人に嫌われていることもあった、多分人とまともに付き合うことが出来ない呪いでもかかっているんじゃないか。

 

『いつも通りにすればいい。いつも通り、お前のやりたいことをすればいい。お前の性格と見た目ならそれで十二分に目立てるさ』

「それって髪の色と身長で目立つって言ってる?」

『分かってるじゃないか、まあそれ以外の意味もあるがな』

「む……」

 

 まあいいや、この話はあまり突きすぎても私にダメージが行くだけな気がする。

 

「ねえ、そろそろ帰ってこないの? やっぱり私だけじゃ……」

『――悪い、こればかりはどうしても。B以上の案件に関しては俺の方に連絡が回るようになっている、だが数の多いD以下はお前に任せたい』

「そっか……うん、分かった。頑張る」

 

 それじゃあ、また。

 

 電話を切り、さあ帰宅……とはならない。

 ダンジョンの崩壊こそ阻止することが出来たが、協会で学んだこと曰くこれで終わりではないのだ。

 

 崩壊そのものは終わってもダンジョン内に存在するモンスターのレベル、これは上昇したままとなっている。

 放置しておいても次第にレベルが下がっていくようなのだが、当然倒してしまった方が速く終わる。

 すべて倒す必要はない、しかし高レベルのモンスターが減れば減るほど、残った高レベルモンスターのレベル減少速度は上がるので出来る限りは倒しておきたい。

 

 魔石という貴重なエネルギーの供給源であるダンジョン、協会からしても、そして協会を支援する国としてもダンジョンの探索再開は出来る限り円滑に行いたいもの。

 つまり普段ここで戦っている人のために、レベルの上がったモンスターを倒してしまうのも私の仕事の内というわけだ。

 

 今後のためレベルを上げておきたい、大変ではあるが私にも理がある仕事ではある。

 

 電話を切った私へ、一人、二人とスーツを着た人たちが集まって来た。

 

「あの、琵琶日報の者ですが、少しお時間を頂いても?」

「うん……あ、はい」

 

 ペンと手帳を抱えた彼女。どこかで聞いたことあるようなその新聞の名前、きっと地方新聞という奴だろう。

 なんだかあまり現実感がないというか、なんちゃら新聞だと言われてもこう、私がそういうのに映るってのがあまりしっくりと来ない。

 ちょっと疲れてもいたので何となく頷いてしまったのだが、しかしここで頷いたことそれを私はひどく後悔することになる。

 

「あ、結城さん! 私は~」

「名刺を~」

「お初にお目にかかり~」

「は? え? ちょ、ちょっともへぇ!?」

 

 一体何処へ隠れていたのか、獲物を見つけた記者たちがわらわらと集まってきて、いつの間にか周りを取り囲まれてしまった。

 堰を切って溢れ出す質問。

 

 な、なにがおこって……!?

 

「支部長代理と伺いましたが、先日のダンジョン崩壊において貴女の姿を……」

「その強さの理由とは!?」

「年齢は!?」

「信念などなにか~」

 

「あ、うぇ、えへ、その、ですね……」

 

 ヤバい、めっちゃぐいぐい聞いてくる。

 

 嫌な目つきではない、しかし好奇心にあふれたそれは新人への期待、もとい新しく面白いものを見つけた好奇の目線。

 慣れない人の目線が集中する感覚、しかも今は緊急事態からようやく脱したところで、結構心的疲労も募っている。

 

 逃げたい……が、

 

『顔を売っておけよ』

 

 筋肉に言われたことは守らなくてはいけない、しかしこのまま流されるままに返事をしていたら、面白おかしく書かれてしまうに決まっている。

 ビシッと、そう、びしっと一発決めて逃げよう。

 

 どうせ新聞に書かれるといったって端っこの方にちみっと乗っかるくらいだろうし。

 

「あのっ!」

『……っ!』

 

 緊張で甲高く裏返った声。

 自分で自分がこんな声を出したのかと驚くが、それ以上に、先ほどまでぼそぼそとしゃべっていた私が甲高い声を上げたことで記者の人たちが力強く目を見開いたことに動揺する。

 

 怖……どうしよう……どうしよう……

 

 愛想、そう、あいそを振りまくのだ。

 愛想、愛想ってなんだ? 愛想を振りまくってどうすればいいんだ……?

 いや違う、いつも通り振舞えばいいのだ、いつも通り……いつも通り……? 分からない、いつも通りって何通り?

 待て待て待て、落ち着け。よし、要するに私が思うことを言えばいいんだよね? 素直にドストレートに言ってしまえばいいんだよね?

 

「あの……頑張るので、応援よろしくお願いします。あとダンジョンが崩壊する予報が出たら避難してくださいって書いてもらえませんか、危ないので」

 

 よしっ! 言ってやったぞ!! 私は言ってやったぞ!!!

 

 前々から思っていたのだ、なんでこいつらダンジョン崩壊するって言ってるのに暢気に見物なんてしてるんだって。

 まあ避難したところでモンスターが溢れ出して、即座にボスを倒すことが出来なければ周囲ごと消えてしまうとはいえ、少なくとも避難しておけば溢れたモンスターに食い殺されることはない。

 

 きっと崩壊と言っても以前の私みたいにあまり現実感がないのだろう。

 それでも避難してほしい、全くの無駄って訳じゃないのだから。

 

 と、本音を話したのはいいが、どうにもあたりが静寂に包みこまれてしまった。

 唖然としているというか、汽車の人たちがどうにもぽかんとした表情をしていて、これはちょっと不味いぞと私でも気付く。

 

 背中に冷や汗が流れた。

 

 なんか変なことを知ってしまったのだろうか、それとも上からの言い様でイラっとさせてしまったのかも……

 よし、逃げよう。

 

「じゃ、じゃあ! 私まだダンジョンの処理が残ってるので!」

「あっ、ちょっと……! 最後に写真を撮っても?」

「うぇ!? しゃ、写真ですか……?」

 

 まさかの写真と来た。

 新聞の端っこの方に書かれるだけだと思っていたのに、もしかして結構場所を取ってくれる感じなのだろうか。

 

 いくつか並ぶカメラ。三脚まで取り出す人もいて、想像以上の大掛かりな話に私の心臓は鳴りっぱなしだ。

 緊張に手が湿る。

 

 ふと、レンズの奥にある記者の人の目線が交わった。

 緩く吊り上がった口角、暖か……とまではいかないものの、そこそこ生ぬるい空気。

 それは私がずっと恐れていた、探索者という並外れた存在(バケモノ)を見る目とは全く違っていて……

 

「えへ……ぴーす」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百七十一話

「うん、今日中には帰れると思う」

『そう、本当に頑張ったわね。じゃあ御馳走の準備しておかないと! 何か食べたいものなんてあるかしら?』

「んーじゃあお肉」

『もう少し具体的に言ってもらいたいわ……』

「じゃあ牛」

『えーっと……貴女の期待に沿えるよう頑張るわ』

 

 まあ確かに牛肉だけとはちょっとアバウトだったかなと思わないでもないが、アリアならきっとおいしいものを作ってくれるだろう。

 

「そういえばお金足りる?」

 

 ここに向かう前、アリアには生活費としていくらか渡して来た。

 結構余裕はあると思うがしかし彼女も欲しいものがあれこれと出てくるだろう、もっと渡した方が良かったかと結構気がかりであったのだ。

 

 しかし彼女の返答は、思いもしないものであった。

 

『実はパートを始めたの、一週間分は前払いしてもらったから平気よ。貴女ばっかりにお金頼るのも心苦しいし、ね?』

「そんな気使わなくてもいいのに、家事もやってもらってるし」

『気晴らしにもなるし気にしないで、気の合う人とも出会えたし楽しいわ』

 

 そう、か。

 娯楽と言えばテレビ一台しかない部屋、体が弱っていたとはいえ退屈極まりなかっただろう。

 

 自分の気の回らなさに落ち込む。

 

「うん、分かった。アリアが楽しいならいいと思う」

 

 

 電話をしてから半日、ボロイ見た目のアパートを前にして漸く帰って来たことに安堵する。

 秋も深まった今、夕方とはいえ周囲は大分暗いものとなっていて、窓の隙間から洩れる部屋の明かりはなんだか落ち着く。

 

「ただいま……アリア?」

 

 ドアノブを捩じりドアを開け……隙間から零れる声に私は違和感を覚えた。

 

 何か騒がしい。

 

 そんなはずはない、だってこの家にいるのはアリア一人なのだから。

 音が鳴るものだってテレビ位で、数人がぺちゃくちゃとしゃべっているようなことが起こるのはあり得ないのだ。

 

「『アイテムボックス』」

 

 ――泥棒か?

 

 『アイテムボックス』からカリバーを引き摺り出し、勢いよくドアを蹴って部屋へ飛び込む。

 

「アリ……あ……」

「そこでうちは思ったわけ、ああ、この子を勝手に目標にしようって」

「な、なんとお熱いことで……! あ、フォリアちゃんじゃないですか、おっすおっ」

「フォリア! おかえりなさい!」

 

 パタン

 

 ドアを閉じ外の冷たい空気を吸うと、スン、と心が冷静になる。

 

「なんか……変なのが見えた気が……」

 

 見たことある二人の少女が、なぜかアリアと机を囲って楽しげに話していた。

 

 疲れてるのかな。

 まあ一週間しっかり休憩をはさんでいたし格下相手とはいえ、戦い続けてきたわけだし当然か。

 

 こんな時は美味しいものを食べて寝るに限る。

 アリアも腕を振るってくれると言っていたし、きっと沢山食べて寝れば明日にはすっきり治っているはずだ 、うん。

 

 さっき見たのはきっと幻覚だ、奥にあるテレビの映像を勘違いしてしまったのだろう。

 だってそうだろう、家の場所なんて二人に一度も教えたことないのに、どうして私の家に琉希や芽衣がいるんだ。

 これは見間違い、目の誤認識に違いない。

 

 震える手でゆっくりドアを開く。

 

「フォリアちゃんおっすおっす!」

「うえーい、おじゃましてまーっす!」

 

 見間違いじゃなかった。

 

 今日は外でご飯食べよう、久しぶりにウニの友人のラーメン屋でも探しに行こうかな。

 そっと再度ドアを閉じ……ようとして、内側から伸びてきた二人の腕に手を掴まれ、渋々中へ足を踏み込む。

 

「何で二人が……?」

 

 至極当然なはずの私の疑問に答えたのは、ニコニコと純粋に嬉しそうな笑みを浮かべたアリアだった。

 

「実はパートで仲良くなった方が泉都さんのお母さんでね? 昨日おうちにお邪魔したら偶然再会したのよ」

 

 そうか、確かにアリアは一度私と琉希がお見舞いにいった時病院で会っている。

 彼女の母親と仲良くなったという偶然、しかしそれなら今日ここに居るのもあり得るだろう。

 

 納得と何とも言えないこの感情に口を窄める。

 

 しかし平然とポテチを食べているもう一人、つい一週間前に助けたばかりの彼女については別だ。

 

「二人共貴女の友達だって言ってたから誘ったんだけど……」

「琉希はともかく芽衣は会って一週間しか経ってないし、そもそも一日しか話してない」

「あ、そうそう、芽衣さんは一昨日隣に越して来たのよ」

「うえーい」

「は? え?」

 

 こ、越して来た……?

 

「大体越して来たって、芽衣はお兄さんと暮らしてるんじゃなかったの」

「いやぁ、確かに元々一緒に暮らしてたんだけどさぁ……正直兄貴めっちゃウザかったんだよね、何するにしても超小言うるさいし。嫌いじゃないよ? 仲いいよ? でもそれとこれとは別だよねー」

「あぁ……」

「ここ来る前めっちゃ泣いてて笑ったわぁ、警察まで呼ばれたし。マジウケる」

 

 けらけら笑いながらポテチをつまむ彼女であるが、その言いようからして結構壮絶な事件が起こったんじゃないだろうか。

 

 確かに、入り口近くに彼女がいないと気付いたときの彼の取り乱しようは凄かった。

 普段のノリは軽いが少なくとも彼女を想う心は本物、一緒に暮らせなくなるとなればその反応もまあ予想できる。

 

「最終的にフォリっちの近くに住むって言ったら渋々諦めてくれた」

「なんで?」

「家の場所は協会支部に連絡して直接感謝の礼がしたいって言ったら、サクッと受付のお姉さんが教えてくれたんだよねー」

「なんで?」

 

 何してんの園崎さん。

 

 ずっと立っているのもなんなので琉希の横に座る。

 そういえば椅子二つしかなかったはずなのに……と思いきや、どうやらこの二つは琉希が持ち込んだらしい。

 『アイテムボックス』をいつの間にか彼女も習得していたようで、どさどさと机の上に積まれるお菓子やゲーム機器。

 

 こいつ、今日遊ぶ気満々できたのか。

 

 手早くそれらをテレビにつないだ彼女は、私の両手を挟むように握り締め

 

「あたしは感動しました……フォリアちゃん同年代の人と絡んでるの全く見たことなかったので、もしかしてあたし以外友達いないのかなって……まああたしだけが独占するのも悪くないんですけど」

「フォリっち……うちをそんな数少ない大切な友達だと思ってくれて……!? 愛してくれて……ありがとう!!!」

「私は何も言ってない」

 

 片手で瞼を抑え涙を流す迫真の演技をしながらも、ひょいひょいお菓子を食う手は止まらない芽衣。

 ぐいぐい来る二人に対しあまりしゃべるのが得意ではない私一人、状況は絶望的であった。

 

 駄目だ、話の流れが全て二人に持って行かれる。

 こいつら今日はこの家で完全に遊ぶ気だ、というか芽衣に関しては隣に越してくるまでしてるし。

 そう私が悟るまでさほど時間は必要なかった。

 

「ああ……うん……もういいや、アリア、取りあえずご飯にしよ」

 

 そして私は考えるのをやめた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百七十二話

「アリアさんだっけ? めっちゃごはん美味かったわ!」

「拾った方と暮らすなんて不思議な生活ですけど、案外うまくやれてるみたいですね」

「ん、アリアは気使い過ぎてむしろこっちの方が悪い気がしてくる」

 

 食費だなんだと理由をつけて渡しているが、困ったことに何か私物を買おうってそぶりを見せない。

 何なら余計なお金を渡しても苦笑いをしながらやんわりと返されてしまう。

 勿論消耗品だとかの必要なものは買っているようではあるが、それにしたって欲がなさすぎるんじゃないだろうか。

 

 もっと私を頼って……いや、もしかしたらお金を渡せば、ずっと一緒にいてくれると思っているのかもしれない。

 私にはなにもない。お金だけだ、お金とモンスターを倒せる暴力だけがある。

 

 何をしたらアリアはずっと一緒にいてくれるのだろう、何を言ったらそばにいてくれるのだろう。

 どうしたらいいのか全然分からない。

 前はあれだけ欲しいと、あれば幸せになれると思っていたお金が今は使い切れないほどあるのに、どう考えてもそれで彼女を抑えきることが出来ない気がして。

 

 私は贅沢を知ってしまったみたいだ、一緒に誰かがいてくれる贅沢を。

 

 いつかいなくなるのに。

 最初からその予定だった。体が治って、元気になって、一人で彼女が暮らしていけるようになったら別れる。

 きっと彼女がパートなんて始めたからだろう、病院から帰った時は当然だと思っていた未来が、今はこんなに考えたくない。

 

「はろーはろー! えにぼでぃほーむ?」

「わっ!?」

 

 ツンツンこめかみを突く琉希の指。

 

「意識大気圏に飛んでましたよ?」

「二人共いつ帰るのかなって考えてた」

「やーんつれない! この! この! まだ大切な用事が済んでないですよ!」

「え……まだ居座る気なの?」

「イヒヒ、腹ごしらえも済んだらすることは一つっしょ!」

 

 バシバシと芽衣が叩くそれは琉希が持って来た、据え置き型の新型ゲーム機であった。

 

 

 私が操作するのは強そうなムキムキの男。

 しかし芽衣によって操られる、ふざけた髪型をした金髪の男によって一方的に嬲られ、無慈悲に地面へと叩きつけられる。

 

「フォリっち、ざっこぉ!」

「ふぬぬ……っ! も一回っ! もう一回だけっ! もう操作覚えたから!」

 

 くそ、こっちは初心者だぞ。

 しゃがんでるだけの癖近寄った瞬間ぼこぼこにされるこの理不尽、近づかないと殴れないでしょ普通!

 

 なんなら菓子を食いながら余裕の表情すら浮かべる彼女。

 初心者の私程度何をしていてもボコれるという余裕、腹立たしいことに私の攻撃はこれっぽっちとて届いておらず、その余裕の顔をどうこうすることもできない。

 

 悔しい、こんな一方的に負けるなんて。

 だめだこんなの認められるわけがない、せめて一勝をもぎ取るまで……!

 

「え、次は私の番で……」

「琉希はこれでも食べててっ!」

 

 横からコントローラーへ手を伸ばす彼女の口へ、崩壊を止めたお礼だと見知らぬおばあちゃんに手渡された大福をねじ込む。

 唇を尖らせながらそれを食べる彼女。しかしその中身と味に気付いてからは頬を緩ませ、ゆっくり味わい始めた。

 

「あ……これ中にイチゴとクリームも入ってますね……フォリアちゃん、これまだあります?」

「箱で貰ったから好きに食べてて!」

「あ、ウチも一つもらうわ。はいフォリっち」

 

 なぜか芽衣によって私の口にもねじ込まれる大福。

 

「ウチさ、本当はもうちょっと知りたかっただけなんだよ。おんなじくらいの年齢であんだけ強い子が、普段何考えてどんな生活してるのかさ。でも話してみたら普通の女の子だった」

 

 彼女は汚れた手を布巾で拭いた後、私へそれを手渡しつつそう口を開いた。

 ちょっと何を言っているのか分からなかったので私も手を拭き、芽衣が油断している隙に戦闘開始のボタンを連打し急速接近、さっきソフトのケースに入っていた説明書を見て覚えたコンボを叩きこむ。

 

「……ふん。一撃貰った!!!!!!」

 

 行け筋肉!

 お前の筋肉はひょろい金髪を叩き潰すためにあるんだ! やれ! 倒せ!

 

「フォリっちあとでSNSのアカ交換しない? はいウチの勝ち~」

 

 しかし私のムキムキ男は一切の操作も効かず、空中で連続コンボを叩きこまれて無慈悲に散っていった。

 

「……やだ」

「え? 今の流れで断っちゃう? 今完璧に友情生まれる流れだったじゃん? じゃん? 友情ボンドでメイクフレンズだったじゃん?」

 

 長々としゃべりながらしれっとこっちをぼこぼこにするような奴と、どうしてアカウント交換しなくちゃいけないんだ。

 

 その時、突如として持ち上げられる私の右手。

 琉希によって操られたそれはスマホの指紋認証へと押し付けれ、無機質な輝きをともすスマホの画面がロックを解除されてしまった事を示していた。

 

「あ、これフォリアちゃんのスマホです」

 

 勿論ただ解除しただけじゃない。

 解除されたスマホを琉希は芽衣へ恭しく手渡し、よくやった、褒美だとクリーム大福を授かって平服をしていた。

 

 いやそれ私が貰ってきたやつだし!

 

「琉希!?」

「センチめっちゃ有能! んじゃ勝手に登録しちゃうね」

「え、センチってあたしなんですか? そんな国際単位系遵守しそうなのがあだ名なんですか?」

 

 裏切者(琉希)が満面の笑みを浮かべ私の耳元で囁いた。

 

「お友達増えて良かったですね」

「……別に、欲しくなんてないし」

 

 スマホを胸に抱きしめ嘯く。

 片意地に彼女のアイコンをぐっと押し込んで現れた削除の文字、こんなものいらないと指を重ね――そのまま画面を落とす。

 

 別に惜しくなったわけじゃない、消す必要もないだけだ。

 こんなものあってもなくても変わらない、だから消さないだけなのだ。

 

「うーん、それにしても二人プレイ用のゲームばっかり持って来たのは失敗でしたね……フォリアちゃんだけと遊ぶつもりだったので」

「うちウーノ持ってるけど?」

 

 得意げに流し目をした芽衣、慣れた手つきで分厚い箱からカードを取り出し混ぜ始める。

 黒と赤で描かれた特徴的な裏面は世界中誰でも一度は見たことがあるし、遊んだことがあるであろう有名なカードゲーム。

 

「おお、芽衣ちゃんナイスです!」

 

 軽快な指パッチンと共に琉希が同意、格ゲーでは永遠に勝てそうにない私もこれに乗る。

 

 ウーノか。

 小学生の頃ちょっとだけ混ぜてもらってやったことがある、色か数字を合わせてカードを出すだけのルールだし、これなら私でも勝てる気がするぞ。

 

 よし、これでいこう。

 今度は勝つ!

.

.

.

 

「う、ウノ! ウーノ!!」

 

 芽衣の手札は2、琉希は3、対する私の手札は……赤の3一枚のみ。

 

「くふ……勝った」

「うーん、あたしは2ドロー三枚出しますね」

「そんじゃウチはドロー4、色は赤ね。はいフォリっちのターン」

「……ほ、ほぉぉぉ……!?」

 

 

 あ、あれ? わたしのてふだ、こんなにたくさんあったっけ?

 

 

「もっ、もう一回! もう一回勝負! 次は勝つ!」

 

 この戦い、絶対に負けられない……!

.

.

.

 

 

「皆、そろそろ寝るか帰るかした方が……」

 

 短針と長針が仲良く天を指す頃、未だに煌々と明かりを零すリビングへアリアが足を運ぶ。

 

 先ほどまで楽し気な笑い声が零れていた。

 日々戦いに打ち込む彼女を年頃の少女然とさせてくれる貴重な友人、その貴重な時間を邪魔したくはないものではあったが、ここまで夜遅くなってしまうのも明日が大変だ。

 

 しかし中を軽く伺った彼女は小さく嘆息し、家にある布団の数を脳内で数えつつ電話の下へ向かった。

 

「もしもし、泉都さん? そうなの、琉希ちゃん今日はこっちに泊まってもらってもいいかしら? 明日は学校もないのよね?」

 

 仲良く肩を並べ寝息を立てる三人。

 一人は会ったばかりとこの子は言い張っていたが、決してそうは見えない。

 いや、たとえ会話や会った回数が数える程であっても、ここまで馴染んでいればそれが――

 

 真ん中にいるフォリアが息苦しそうに身をよじるが、横の二人に抱き着かれ諦めたように芽衣へと首を倒した。

 

「そう、皆寝ちゃって。友達同士で遊び疲れちゃったみたい」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百七十三話

 翌日の朝。

 アリアお手製のベーコンエッグとパン、サラダにオニオンスープというシンプルかつ王道の食事を終えた琉希と芽衣は、満足げに家を去っていった。

 

「まったく、掃除くらいしてから帰って欲しい」

 

 そう、私が惨状に気付き言い出す前に。

 

 散らばった菓子のゴミ、零れた食べカス、しっちゃかめっちゃかになったリビングの様子は中々に酷い。

 いったいこれを片付けるのが誰かと言えば、同然この家の家主である私たちなわけで。

 

 痛む頭を抑える私へアリアが笑顔で肩をすくめた。

 

「まあまあ、楽しめたみたいだしいいんじゃないかしら?」

「別に……勝手に押し寄せてきただけだし」

 

 ちょっと広くて寂しいかもと思っていたこの賃貸が、たった二人が遊びに来ただけで窮屈に感じてしまった。

 そして去った今、以前は感じなかった不思議な空虚感を強く意識してしまう。

 

 また皆集まるならソファとかも欲しい、かも。

 椅子も買った方が良いよね……ゲームにも手を出してみようかな。

 

 ふと考え事をしていたからかもしれない、壁へ掛けられていたアリアの小さなポーチへ手が引っかかり、中身を床へばら蒔いてしまった。

 

「あ、ごめん。私が拾っとくから掃除しといて」

「い、いや、私がやるわ! 自分の鞄だもの!」

 

 いそいそとポーチの中身を集め入れていく彼女。

 

 中身、といってもみたところ大したものはない。

 折りたたまれた古そうな紙、透けたところから見る限り地図だろうか? それといくつかのカード、財布、小袋……どれもそこらへんにありそうなものばかり。

 

 そういえば彼女の記憶のカギ、この中に無いのかな。

 

 派手なところもなく地味、しかし結構頑丈なつくりをしているようであまりほつれなどもない、堅実な彼女の性格を示しているようにも見える。

 確かこのポーチは彼女を山で拾った時持っていたものだ、これから何か情報が手に入ればいいのだが。

 

「いいって、私が落としたんだからさ」

 

 一緒にしゃがんで拾い集めていく。

 どうやらカードケースの蓋が衝撃で空いてしまったらしい、一枚一枚落ちたカードを差し込んでいく途中、はたと指先が止まる。

 

 古ぼけたカードだった。

 恐らく発行されてから大分時間がたっているのだろう、プラスチックに印刷された文字は随分とかすれているし、カードの端っこは何かにぶつけたのか小さく欠けてしまっている。

 

「ん……ほけ……ん……保険証?」

「それはっ!」

「あ……」

 

 今まで聞いたことがない、アリアの本当に焦り裏返った声。

 驚いた隙を突いて私の手から奪い去られるカード。

 

 でも私はしっかりと見た。

 

 見てしまった(・・・・)

 

「っ! ちがっ、これはっ、違うのっ!」

「……っ、ね、ねえ……いまの……って……」

 

 

 掠れながらも、消えかけながらも、確かに『結城 アリア』と書かれた名前を。

 

 同じ苗字、同じ瞳の色、全てが同じ。

 まるで、親子のように。

 

「アリアは……知ってたの……?」

「そう、ね」

「知っててずっと黙ってたの……!?」

 

 慣れないはずなのに懐かしい味。

 似通った容姿。

 不思議と落ち着いてしまう隣。

 あり得ない。相手は元々体を弱らせていた人間、出会ったばかりの私が決して甘えたりなんてするはずがないのに。

 

 彼女の声は優しくて、見知らぬ相手とは思えぬほど心地がいいもので。

 

 本当は、どこか私も気付いていたのかもしれない。

 本能的なところで、理論ではなく心で……それでも他人のようにふるまっていたのは、失った時が恐ろしかったから。

 目を逸らし続けていた、今を楽しむためだけに。

 

 一度ほつれた糸は、決して元の姿を取り戻せないというのに。

 

「フォリアちゃん……」

「っ! 寄るなっ!」

 

 伸ばされた手を払いのける。

 奥でアリアは傷付いたような顔をしていて、その表情が一層私の感情を引っ掻き回した。

 

 

 

 

 どうすればよかったのか、どう答えればよかったのか分からない。

 でも、きっともう見なかったことには出来ない、いつか必ず口に出してしまうだろう。

 今まで通りにいかないことだけは分かって、壁に干された協会のコートだけを手に家を出た。

 

 走って、走って、走って走って、でに目的地もなく延々と足を動かすなんて無理なことで……気が付いたら私は協会の前に居た。

 

 この一か月で見知った何人かの探索者、受付で何やら書類を整備しているウニ、皆を無視して奥へと進む。

 そんな私なのに、それでも明るく挨拶をしてくるみんなの声が、自分の感情が何なのかすら言うことの出来ないみじめな私の背中に刺さった。

 

 何も聞きたくない、だれとも関わりたくない。

 

「はぁっ、くそ、くそっ!」

 

 上がった息で目指したのは執務室、今の私に残された唯一の場所。

 

 見えない目線が怖くて、聞こえない声が五月蠅くて、カーテンも、扉の鍵も全部閉じる。

 いつものんびり座って、部屋へ行き交う人の話を聞いていた椅子へ腰かけているのに、これっぽっちも落ち着くことが出来なくて、真っ暗な部屋の端っこに座り込んだ。

 

「どうしたらいいのか……もうわかんないよ……」

 

 恐ろしく冷えた指先で顔を覆う。

 

 記憶の中にだけある恐ろしく冷たい瞳、一か月間触れ合ってきた優しく暖かい目線。

 全くの同一人物が私へ注いできた両極端の感情は、幾ら思い返したところで全く嚙み合ってくれない。

 でも、もっと昔、全てが狂う前のママは、きっと今のアリアと同じ表情をして、同じ態度で私に接してくれていた。

 

 きっと大人な心を持っていたら、彼女のすべてを許してまた一から始めて行こうと言い出せるのだろう。

 でも私には出来ない。

 彼女が全てを思い出した時、今と同じ態度で私に接してくれると、絶対的な確信をもって言い切れないから。

 

 怖い。

 怖くて怖くて仕方がない。

 もう一度裏切られたら、もう一度捨てられたら、もう一度……

 

『お前は私の子供なんかじゃないッ!』

「……っ!」

 

 恐怖からコートの中で抱きしめた二の腕へ、爪が食い込み血が流れた。

 

 脳裏へこびりついたママの言葉、別れる前の最後の言葉。

 忘れて、でもそのたびに思い出して、耳を塞いでも目を瞑っても、ふとした拍子にあの時の映像と声が流れ続ける。

 

 最初に捨てたのはママの方だ。

 だから今度は、裏切られる前に、捨てられる前に

 

「――私が、捨てるんだ」

 

 でもなぜか口にした途端、胸が酷く苦しくなる。

 鼻の奥がつんと痛くなって、肩が震えて……生ぬるいナニカに濡れる顔を、無理やり膝へとうずめた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百七十四話

 なんだか、暖かい。

 

 ふと気が付いたとき感じたのは、柔らかい毛玉が太ももへぴったりと張り付く感覚だった。

 

「ねこ……?」

 

 鍵も閉めたはずなのにいったいどこから入って来たのだろう。

 

 挨拶代わりに、くぁ、と暢気な欠伸をする黒猫は、音のしない首の鈴を揺らして前足で顔の掃除を始めた。

 なんだか無性に物の暖かさが恋しくて、気儘で横暴な隣人をそっと抱き上げると、体を捩らせつつも仕方ないというように胸元へうずまってくる。

 

「くさ……」

『ニ゛ィ』

 

 微かに鼻を突く獣臭。

 思わず漏れてしまった言葉の返答として頬をなぞる爪、だが今はそれが心地よかった。

 

「猫も犬も別に風呂に入れる必要ないからな、まあ偶に拭いてやるくらいでいいのさ」

 

 そうか、ここの鍵を開けられる人間なんて数えられる程度しかいない。

 

 一か月ほど所有者が離れていた革張りの椅子が、本来の重みに喜びの軋みを上げる。

 彼はいつもと変わらない姿で、いつも通り片手をあげ私へと笑った。

 

「筋肉……」

「おう、久しぶり」

 

 

「どうせ一日何も食ってないんだろ。ほら、おにぎりとお茶」

「おなかへってない……」

「それでも食っとけ、今すぐじゃなくていいから」

 

 コンビニ袋にいくつも詰まったそれを私の傍らに置いた筋肉、そのまま横で胡坐をかいておにぎりをひとつ掴み上げた。

 

「よっこらせっと。何があったんだ? 出張先で誰かに暴言でも浴びせられたか?」

「……そういうの、よくあるの?」

 

 今回の戦いではそんな事はなかった。

 

 手に取ったそれを二口で食べきった彼はお茶を半分ほど一気に飲み干し、岩のように硬く太い腕で口元を拭って小さなため息を吐く。

 

「もちろんある、数えきれないほどな。どうしてもっと早く来てくれなかったんだ、どうして息子は、娘は、父は、母は死んだんだってな」

「そっか……筋肉は死んだ人の名前全員覚えてるのに、頑張ってるこっちの気持ちなんて分かんないんだ」

 

 他人に責任を押し付けるほうは楽だ。

 自分でも何かできたのかもしれないのに、他にも何かすべきことがあったのかもしれないのに、全部相手が悪いと言えばすべてが済むのだから。

 

「みんな必死に生きてたんだよ、死ぬのなんて望んじゃいない。だから死んだ後に名前を覚えるなんてのは、ただの俺のエゴに過ぎないんだよ」

「エゴ……」

「自己満足、利己的ってことだ」

 

 そんなわけない。

 

 妬みを買って、恨みを背負って、それでも他人のために命を懸けて戦い続ける。

 一体どれだけの人がそんなことできるだろう。

 そして、それを顔色一つ変えずに出来る人間を、どうして利己的な人だと罵ることが出来るだろうか。

 

 罵る人たちの方が何倍も、何十倍も利己的で自己満足に満ちた人間じゃないか。

 

「人と人ってのはどこまで行っても他人同士だからなぁ、どんなに必死に戦っても全部伝わる訳じゃない。第一伝わったからっても、それを他人が飲み込めるかもまた別の話だ」

「……結局他人の好き勝手で変わるなら意味ないじゃん」

「意味ないように見えてもやるんだよ、続けてりゃいつか意味は見つかる。でも何もしなけりゃ答えなんて永遠に見つからん、だからお前も何があったのか取りあえず話してみろ」

 

 誰かに話すことに何かの意味があるのなら……

 

「ママ、見つかったんだ」

「――っ! アリアさんがか!?」

「あれ、ママのこと話したっけ……? まあそう、アリア、私の……」

 

 大切な(大嫌いな)家族。

 

 偶然拾った女性、成り行きで一緒に暮らすこととなったこの一か月が、探索者になってから……いや、パパが居なくなって、全てが変わったあの日から今までで一番幸せだった。

 

「思い出したくなかった、ずっと名前なんて記憶から消してた。でも名前なんか憶えてなくても分かっちゃったんだ……私のママなんだって」

「そう、か。それでどうしたらいいのか分からなくなって、この部屋で引き籠ってたんだな」

 

 薄暗かった部屋も、今は彼によって明かりが付けられている。

 

「そうか、記憶喪失で……」

 

 私の話を聞き終わった筋肉は顎を軽く撫で、あまりにあっさりとした答えを返して来た。

 

「まあそういうことなら暫くは顔合わせなくていいんじゃねえの?」

「……普通仲直りしろとかいうもんじゃないの?」

「今顔合わせたってお前が飲み込み切れてないなら意味ねえだろ。一日でも、二日でも、一か月でも、好きなだけ顔合わせなくていいさ」

 

 飲み込み、切れるのだろうか。

 

 あの日から六年……いや、もう七年になる。

 大して生きていない私の人生だけど、少なくともこの七年は私の生きてきた時間の半分を占めていて、その間これっぽっちも飲み込めなかった。

 七年かけて飲み込めなかったものを、この先飲み込み、乗り越えていくことが出来るとは到底思えない。

 

 怖い。

 怖くて怖くて仕方ない。

 

 一度思い出してしまえば、彼女の瞳に虚空の憎悪を想起してしまう。

 乗り越えることの出来ない今、再度対峙した時私はきっとあの目に恐怖してしまう。

 そして突き刺すだろう、言葉の刃を、六年間心の奥底に埋めていた怒りの牙を。

 

 今のアリアにとっては関係のないこと。

 それでも、わたしは……

 

「結局私も、誰かのせいにしてる側の人間なんだね」

 

 そう、私も全てをアリアのせいにして目を逸らしてる。

 六年間、なぜ彼女が私を拒絶したのか、何があったのか、全てから目を逸らして責任を彼女に押し付けた。

 単純に私のことが憎いのか? なにかそうせざるを得ない理由があったのか?

 

 きっとそこには何かがあった。納得できるかは別として、ママが私のことを捨てた理由があった。

 でも見えない答えを受け入れる自信がなくて、正面から受け止めることを逃げているに過ぎない。

 

「ただまあ、一つ言えることがあるとすれば」

「え……?」

「さっきも言っただろ? 怒りでも何でもいい、心の底からの本音で相手にぶつけなきゃ永遠に分かり合えないぞ。私はこうなんだ、お前はどうなんだって直接言葉で殴り合って、それで漸く理解が始まるってもんだ」

 

 本音で話すことが常に最良の結果を出すわけじゃない。

 醜い所をさらけ出した言葉は立派な武器だ、相手の心を延々と傷付けることになりえる。

 

 それでも、それを理解した上で殴り合わないと理解できないなんて……

 

「――筋肉らしい、脳筋理論だね」

「そうか?」

「そうだよ」

 

 その一歩を踏み出せる人はそうそういない。

 たとえ壊れかけの関係でも、砕け散る未来が見えたとしても、その一歩を踏み出すくらいなら後回しにするのが大半の人だ。

 

「後回しにするのはいつでもどれだけでも出来る、ただ先延ばしにした結果なにもできないってことも当然起こる。それなら機会があったらぶつかっていった方が、きっと後悔は少ないんじゃねえかな」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百七十五話

「後回しにするのはいつでもどれだけでも出来る、ただ先延ばしにした結果なにもできないってことも当然起こる。それなら機会があったらぶつかっていった方が、きっと後悔は少ないんじゃねえかな」

 

 後悔の少ない選択。

 言葉で表せば単純なことだが、それをできるのはきっと

 

「――筋肉は強いからそんなこと言えるんだよ、そんなの普通は無理」

「かもな。ま、人生何があるか分からん、やるならなるべく早めにやっとけ」

 

 私宛に買ってきたといったおにぎりの半分ほどを食いつくした筋肉。

 彼はフィルムをわしゃわしゃと集めて『アイテムボックス』へ放り込むと、私の頭を一撫でして立ち上がり大きくあくびをした。

 

 音もなく入口へと足を運ぶその背中に投げかけるのは、あまりに早過ぎる出会いの終わりについて。

 

「もう行くの……?」

「ああ、もう少しで掴めそうなんだ。今度会う時までにはお母さんと仲直りしとけよ?」

 

 黒い小さな手帳を軽く揺らすと、筋肉は振り返ることなく部屋を出て行ってしまった。

 

 彼なりの発破はどこまでいっても雑なところが見え隠れしていて、はっきり言ってあまりあてにならない。

 一体何歳なのかは知らないが、少なくとも私の倍は生きてきた筋肉。

 その間に乗り越えてきたもの、背負ってきたものは当然比べ物にならない量で、それがきっと彼の強さの一端なのだろう。

 

 まだアリアと顔を合わせて話すことは出来そうにない。

 

 何を言えばいいのだろう、何をすればいいのだろう。

 長い間をかけて固まった淀みを流すには、もう少しだけ時間が必要だった。

 

「三個か……もう少し欲しいな」

 

 軽快な音を立てて剥かれたフィルムから漂う磯の香り。

 パリッと乾いた濃緑の海苔と白のご飯が作り出すコントラスト、シンプルながらも、暫く食事をとっていなかった私には猛烈に食欲を掻き立てるものであった。

 

「……うわ、梅干しじゃん……梅干し嫌いなんだけど……」

 

 まあ、たまにはいいか。

 

 

 いつの間にか傍らに立っていた園崎さん。

 彼女が机の端に置いたのはまだ温かな夕食、冷めないようにぴっちりとラップがされている。

 

「はい夕食、あまり根詰め過ぎないようにね」

「分かってるって」

 

 机の横に並んでいるこの本は協会の規則や緊急時の対応、その他もろもろダンジョンと戦闘に関わるもの。

 雑務は園崎さんへ、そして戦闘に関しては私が筋肉の代わりに受ける。

 単純な役割分担であるが、その手のものが酷く苦手な私にとって本当にありがたいものだ。

 

 今の私は人生で最も本の類を読んでいるかもしれない。

 

 以前、そして今回追加で一週間かけ、漸く完璧に覚えたそれらを積み重ねていく。

 結局ダンジョンの崩壊という物を対処するためには、生半可な複数の探索者を投入するより、高レベル高機動の一人を投入して収束を狙う方が良い……これが現状の基本的な作戦であった。

 

 つまりどういうことかと言うと、一人で突撃してサクッと終わらせて帰る、ということ。

 その後の書類に関しては、モンスターの特徴などの報告こそ私が書く必要があるが、それ以外は全部園崎さんに放り投げれば済むのでとても楽だ。

 

 なんか園崎さんに雑務投げすぎて悪い気もするが、彼女は数十センチある紙の山を数分で処理してしまえるので多分大丈夫。

 この前能力を見せてくれた時みたいに紙を舞わせ、シャカシャカあっという間に書き込んで終わらせてしまうのだ。

 

 それどうやってるのと聞いたがはぐらかされたので、多分自分でも詳しく説明できないのだろう。

 

 謎の焼き魚を突く私へ、園崎さんが眉を顰める。

 

「もう一週間もここに泊まってるみたいだけど……」

「あー……うん」

 

 そう、あれから一週間たってもまだ私は覚悟を決めれずにいた。

 

 流石に一週間も経てば多少は落ち着くというもので、もう悲しみに涙を流したりはしない……が、しかし前に踏み出せるかと言えば別だ。

 むしろ日に日に踏み出す足は重くなっていって、今日はいいかな、そんな気分じゃない、まあ今日もいいでしょと後ろ向きな気持ちにすらなっていった。

 

 きっとアリアに会った時、私は最低な言葉を吐き出す。

 抑えようのない感情の噴出、耐えがたい激情の奔流に自分自身飲み込まれてしまう、そう確信できる何かがお腹の奥底で渦巻いている。

 そしてそんな私へアリアは文句を言わず、しかしあの悲し気な瞳で見るのだろう。

 

 私を捨てたのはママ、でも私を捨てたママは今のアリアじゃない。

 偶然の再開から一緒に暮らすようになった優しいアリアは多分、私がずっと求めていた遠い記憶の中にあるママの姿。

 でももし記憶を思い出してしまったら、優しいアリアは私を捨てたママになってしまう。

 

 でもそれだけじゃない。

 

 全て彼女のせいにして、捨てられたのだからと恨みそこで足踏みしている私も、いつか前に踏み出さないといけない日が来る。

 七年間先延ばしにしてきたことを、どうして私を捨てて行ってしまったのかを聞かないといけない。

 聞かないと、私は永遠に前へ進めない。

 

 結局答えはもう出ている、だがその一歩を踏み出す勇気が私にはなかった。

 

「あ……ごちそうさま」

 

 硬質な音を立て箸とお椀がぶつかり、手に持つ茶碗の軽さに驚く。

 

 上の空で食べていたごはんはいつの間にか空っぽになっていた。

 嫌なことを考えていても、食欲だけはいっちょ前にあるのだから自分の食い意地に呆れる。

 

 食事は好きだ、特に甘いものを食べていると嫌なことを忘れられる……と思っていたのに、本当に大切なことは、食べながらでも考えてしまうというのは結構大きな発見だ。

 

「はいお粗末様、じゃあ皿は片付けちゃうから歯磨いて寝なさいよね」

 

 お盆をひょいと持ち上げ園崎さんが去っていく。

 

 彼女はここ一週間毎日私へ食事を作り運んでくれる。

 夜はこうやって私がご飯を食べたのを確信し、洗い物と共に仕事が終わったと帰路に就く。

 頼んでもいないのに本当に有難いことだ、いつかこのお礼は必ずしたい。

 

 ふと、よく磨かれたフローリングには似つかわしくない、こじゃれたハンカチが落ちていることに気付く。

 私はこういったものを持っていないし、当然筋肉がこういうのを持っているわけないだろう。

 持っていたら気持ち悪い。馬鹿にはしないけどちょっと距離とっちゃうかもしれない。

 

 となれば所有者たりえる人は一人、つい今しがたこの部屋を去ったばかりの園崎さんだろう。

 

「ま、この程度じゃ大したことないけど」

 

 ついでにコンビニに寄って彼女に甘いものでも奢ろう。

 ハンカチを軽く折りたたんでポケットへ仕舞い、私は色々お世話になっている女性の後を追った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百七十六話

「今日もあっという間に完食しちゃいましたよ」

「そう……こんなこと任せてごめんなさいね」

 

 東から満月の昇り始める頃、美羽は入り口で空を見上げていたアリアへお盆を手渡した。

 

 美羽が彼女と出会ったのは一週間前、フォリアが執務室から姿を現す一時間ほど前のことだ。

 その容姿からして親しんだ少女の関係者であることは間違いなく、せっかくだから会ってみては? とういう美羽の言葉へ気不味そうな表情を浮かべるアリアの姿から美羽はおおよそを察した。

 

 時々顔を見せる少女の過去を鑑みれば間違いなく毒親と言われる類の存在。

 一年近く交流を深めれば情も沸くというもので、目の前の女性を追い返すことも考えた美羽であったが、しかしどうやら様子がおかしい。

 その手の存在にありがちである独善的で身勝手な態度、それが見当たらないものだから困った。

 

 仕方なしに話を聞けば想像以上に複雑な家庭事情。

 危うくいろいろ巻き込まれてしまいそうなところを、取りあえず憂慮から顔を蒼くしている彼女にフォリアの様子と食事を届けることを了承することで、何とか回避することに成功した。

 

 流石に気儘な美羽と言えど、他人の家庭事情へ踏み入ることは厳しいものがあったのだ。

 

「記憶を無くす前の私は、一体あの子に何をしたのかしら……」

 

 美羽がその場を去るのを見送ったアリアは、お盆を傍らに置き、ベンチの上で深々とため息を吐く。

 

 この一週間幾度となく繰り返された自問自答。しかしいくら悩めど記憶が戻ってくるわけもなく、あの子の部屋でも掃除しましょうと帰路に就こうとしたその時。

 

「アリア……」

 

 互いに想定外の会遇は突然に起こった。

 

 

 何でアリアがここに……!?

 

 壁際で園崎さんとの会話を眺めていた私は、彼女がその場から去った後でつい言葉を零してしまった。

 

 冬も近い透き通った空気に加え静かな夜の町はよく声が響く。

 吹けば消えてしまうような音量であったにもかかわらず、私のつぶやきは彼女に届いてしまったようで、アリアは壁裏に隠れる私へ驚いたように目線を向けた。

 

 

「ねえアリア、教えて。全部覚えてて、それを隠して私と暮らしてたの……?」

 

 目を瞑り、緩やかに首を振る彼女。

 

 あくまで未だに何一つ覚えていない、と言いたいらしい。

 私にそれが真実か確認する手段はない。所詮人の記憶は個人に由来するものであり、客観的に有無を確かめることなんて出来ないのだから。

 

「ごめんなさい……記憶はまだ戻っていなくて、でもこれからはっ!」

「これからってなに……? ここに来るまでの今までをアリアは捨ててきたのに、捨てた本人がこれからって言うの?」

 

 いや、もし彼女が全てを思い出していたのなら、わざわざ私へ構うことなんてない。

 ここに訪れるわけもなく、わざわざ私のためにご飯を作ってくれるなんて夢のまた夢だ。

 あの人が私のために何かをしてくれるなんてあり得ない、だからきっと彼女は本当に何も覚えていない。

 

「ずっと待ってたんだよ? いつかまた戻ってきてくれるのかなって、でも帰ってこなかったのはママの方なの!」

 

 違う。

 

 私が言いたいのはこんな事じゃない。

 こんな事じゃないはずなのに、記憶の奔流は意思を裏切って好き勝手に口から溢れ出してしまう。

 

 まるで壊れた蛇口だ。

 七年間塞がれ続けた喉は今までのうっ憤をまさに今晴らすべきだと、澱んだ澱を含む泥水として、鋭い刃となって彼女を傷つけていくのが分かった。

 

「ごめんなさい……」

「なんでアリアが謝るの? アリアは何も覚えてないんだよね、なのになんでアリアが謝るの? 理由もなく理解もせずただ謝ったの? 怖いから謝っただけの言葉に何の意味もないよね? それともママは本当は全部覚えてて私にまた嘘ついたの? ねえ、どうして謝ったの? そんな言葉のどこに価値があるのか私に教えてよ」

 

 言葉は暴力だ。

 私はその意味を知っているはずなのに、他の誰でもないままの言葉で知ったはずなのに。

 

 また、私はこの人の心を傷つけた。

 また、私は自分のために何かをしてくれた人を傷つけた。

 また、私は自分のためだけに突き放した。

 

「パパが居なくなってから、ママはずっと家に帰って来なくなった。帰ってきても話してくれなくて、うるさいって怒鳴ってさ。今更帰って来たいって、一緒に暮らしたいってさ……そんなのあんまりだよ」

 

 違う。

 

「一回私のこと壁に叩きつけたこともあったよね、行かないでって足に抱き着いてみた時のこと。まさかそこまで飛ぶなんて分かってなかったみたいで、随分びっくりしてすぐ家から飛び出して行っちゃったっけ? あれで肩凄い腫れたんだ、保健室の先生にこっそり何日か湿布貰ってたんだよ?」

 

 これじゃない。

 

「ごはん、全然作ってくれなかったよね。朝ごはん事務の人から菓子パン貰ってたんだ、クラスの皆がまだ寝てる時間に学校に行ってさ。でも夕ご飯はなかったからお水一杯飲んだりしてさ」

 

 もっと大事な、伝えたいことがあったはずなのに。

 

「おばあちゃんから貰った修学旅行費、全部持って行っちゃったよね? 確かに私は友達少なかったけど、これでも結構楽しみにしてたんだよ?」

 

 もっと単純なことのはずなのに。

 

 言葉と共に頬を濡らす。

 これは怒り? それとも悲しみ? それとももっと他の感情?

 頭を埋め尽くす疑問が疑問を生み出す悪循環。

 

 自分が作り出した感情の海に藻掻き、溺れ、狂おしいまでの吐き気と激情がまた自分を海の底へ引きずり込む。

 

「もっといっぱいあるんだよアリア、貴女が私にしてきた事がさ! なのに記憶を無くしたから、全部忘れたから一からって、ふざけんなよ……そんなのあんまりにも身勝手すぎるッ! なんで! なんで私を捨てたんだよ! ねえママ!」

 

 彼女からの返答は無言。

 

 存在しない記憶、自身の行為、私が語るそれが真実かどうかを確かめる手段なんてアリアにはない。

 しかし目の前で怒り狂う人間がいればそれを否定するのなんて到底不可能だ。

 立場としては弱い記憶を失った彼女を、私はどこかそれを理解した上で責め立てている、自分の感情に任せて好き勝手に振るっている。

 

 救いようがないのはどっちだ、身勝手なのはこっちだ。

 

「ごめんなさい……全部私が悪いの、最低の母親よね……何一つ覚えてないなんて、貴女が怒るのも当然だわ」

 

 違う。

 私は、私が本当に言いたいのは……!

 

「ずっと寂しかった……」

 

 ――私はただ、もっとずっと一緒に居たかっただけ。

 

「私はただアリアとっ、普通に暮らせればよかったのにっ……どうして……どうして……アリアが私のママなの!? なんで昔と同じに振舞ってくれないの!? もっと私を嫌って、憎んで、怒鳴ってよ! なんでそんなに優しくするの……これじゃ、恨めない……っ」

 

 ずっと嫌な親であってくれれば、間違いになんて気付かずに済んだ。

 気儘に暴力をふるってくれれば、怒鳴ってくれれば、私はただ最低な親の元に生まれた子供でいられた。

 

 でもアリアはずっと優しかった。

 後から気付いても塗りつぶせないほど心地のいい記憶、それは彼女を一方的に恨むにはあまりに暖かすぎるものだった。

 

 だから気付いてしまった。

 

 あの時少しでも話を聞けていればまた違ったんじゃないか?

 いきなり変わってしまったママに、一人残った家族の私だけでも話を聞いてあげることが出来たら、最低だと突き放さなければまた違う未来を歩めていたんじゃないのかって。

 ただ指をくわえてあの人が去るのを眺めていた私に、今のすべてを恨む資格なんてない。

 

「ねえ、家に戻りましょ」

「……無理だよ、糸が切れちゃったんだ」

「切れたらまた結べばいいだけよ」

 

 また、アリアは手を伸ばしてくる。

 

 ママが切った糸。

 それをアリアは結び直そうとして、今度は私が切ってしまった。

 醜い感情をぶつけてしまったこの私に、アリアの差し出した手を握ることなんて出来ない。

 

 いつもそうだ。

 きっと自分が気付けていないだけ。結局一番悪いのは私、最後の最後を押し込んでいるのは私。

 

「ママが自分で切ったの、私が結ぶのを諦めたの」

「自分で切ったからこそ、私達が結び直さないといけないわ」

 

 なのになんで、皆私に手を差し伸べるんだ。

 ここ最近出会った人みんなそう。

 払っても払っても皆笑って、諦める私に頑張ろうと言い切ってしまう。

 

 こんなの振り払えるわけない。

 

「今度切ったら、絶対に許せない(・・・・)

 

 私はもう一度だけ、自分とママを信じていいのだろうか。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百七十七話

 剛力は自他共に認める巨体の持ち主だ。

 その身長およそ二メートル。加えて鋼のような筋肉を全身に纏う彼の容姿は端的に言って恐ろしく、小さな子供は鬼が来たと泣くほど。

 

 筋骨隆々、一目見たら二度と忘れることのないであろう剛力の特徴的な容姿は、はっきり言って何かを探りまわるのには全くといっていいほど適性がない。

 

 しかし長年の戦闘経験から培われた特有の勘やスキルは、身体の差以上になかなか得難いものがある。

 そして基本的に大雑把な性格をしているものの時として妙な細かさを見せる彼は、案外探偵の真似事をするのに向いていた。

 

「妙だな……今日はもう帰るはずだが……」

 

 ゆるりとした動きで部屋から離れる男。

 彼が扉を閉めたことを確認し、剛力は音もなく床へと降り立つ。

 

 一般的に尾行を行う場合、二人から三人によるチームで行動をすることが多い。

 人数が増えれば連絡等の手間が多くなるのは勿論、尾行を一人で行う場合、尾行対象へ追われていることを感づかれてしまう可能性がある為だ。

 しかしながら姿そのものを消してしまえるような人物がいるのなら、体力の問題等あるとはいえ、圧倒的に効率的なのも真であった。

 

 天井の一角に腕力と脚力で張り付き、スキルで姿や音を隠してダカールの様子をうかがっていた剛力。

 

 一か月の調査からおおよそのルーティンは割り出されている。

 時として要人との会談などからずれ(・・)が生まれることもあったが、派手な招宴へ好んで赴くわけでもなく、淡々と日々の職務をこなしては、定時に帰宅する姿へ疑いを掛けるべき点はない。

 

 強いて言えば普段貼り付けている胡散臭い笑顔を、人がいない間でも崩すことがなかったのは驚いた。

 もはやあれが彼の『無表情』となっているのかもしれない。

 

 だが、今日の行動は、剛力の知る普段のそれから逸脱していた。

 

 時針は既に七を過ぎ八へ差し掛かっている。

 夜遅くの会談かと思いきや、その割には秘書の姿が見当たらない。ダカールの服装もタイを解いたラフなもので、執務ならともかく、要人と会うためにはあまりに不適切であった。

 

「鞄は……持ち出してねえな」

 

 ひょいと机の下を覗き込んだ剛力、しかし不可解な状況に眉を寄せた。

 

 帰宅かと思ったがどうやらそういうわけでもなく、しかし書類は全て几帳面にファイルへ閉じて仕舞われている。

 ダカールがファイルを仕舞うのは帰宅時のみ、噛み合わぬ行動はいよいよもって怪しい。

 しかしおおよその動きこそ把握したとはいえ、所詮は一か月程度の短期間、決して全てを理解したとは言い難い。

 

 まあ、付いていくしかねえよな。

 

 剛力は扉へ向かう……ことはなく、踵を鳴らし(・・・・・・)壁をスキルですり抜け、先に部屋を出たダカールの背を追った。

 

 

 ゆるゆると彼が歩いて行った先は、協会本部から随分離れた海辺であった。

 

 

 

「やあクラリス、二か月ぶりだね」

「□□□□□□□□」

「おっと、長い間こっちにいたせいでつい忘れてしまうんだ」

 

 奇妙な光景であった。

 何もない所から不気味な光が溢れ、ふと気付いたときには妙齢の女性が立っていた。

 

 この世界において、少なくとも剛力の知る限りでは、ダンジョンの扉を除いてよくある『テレポート魔法』の類は確認されていない。

 ユニークスキルの中には存在するのかもしれないが、少なくとも、複数の人間が扱えたという報告を見た記憶はなかった。

 

 チョコレートのように深いブラウンの肌と、対照的なまでに色のない白の髪、羽織るローブは瑠璃を思わせる濃紺。

 ともすれば何かの仮装のようにも思える出で立ちをした女性だが、しかし服に着られることもなく悠然としている。

 

 微かに燐光を残した地面。

 複雑な文様によって彩られるそれから彼女が姿を現した以上、どうやらあれは転移することの出来る魔法陣らしい。

 

 だが女性の話す言葉は剛力に聞き覚えのないものであり、何を言っているのかさっぱり分からない。

 

 そういえば昔に覚えた『翻訳』があったな……

 

 大まかな意味を理解することが出来るスキルなのだが、しかし話すことはできない。

 海外への出張時に使えるかと思ったが、結局会話の練習は必須であり、習得するために多少役に立ったものの長いことお蔵入りしていたスキル。

 まさか今になって使うことになるとは。

 

 壁抜けといいもう使わないと思っていたスキルが、偵察を始めてから意外なところで活躍する。

 

「俺もまだまだ学ぶべきことがあるのかもしれんなぁ」

 

 支部長の座についてから久しく感じていなかった感覚にひとりごちる。

 常に自分を律しているつもりであったが、それでも慢心というものがあったのかもしれない。

 

「……はい、クレスト(・・・・)さま」

「ああ、そんなに拗ねないでくれ。君の拙い言葉で頑張って話す可愛い姿が見たかっただけなんだよ!」

「そ、そんな……恥ずかしいです」

 

 一体俺は何を見せつけられているんだ……

 

 胸元の小型カメラを起動し動画と音声を記録しながら、剛力は壁の影でこの先どうするか逡巡した。

 

 突如として普段と異なる行動を始めたダカールであったが、この奇妙な会話から察するに、彼女とは随分気心の知れた仲らしい。

 密会とはいえ仲睦まじい男女であり、流石にそこまで監視するのは気が引ける。

 

 あくまで剣崎がダカールに掛けたのはあまりに根拠の薄い疑惑であり、私的な情事まで観察する必要はない。

 

 しかしどこか無感情であったダカールが、恋人らしき人物とはいえあだ名か偽名か分からぬが、『クレスト(頂上)』などと呼ばせているとは、人は案外様々な顔を持っているものだ。

 

 しかし一応ダカールと深い関係を持つ者、容姿、名、姿等のメモを手帳へ記し、剛力はその場から離れ……

 

「それで、アストロリアの様子はどうなんだい?」

「――っ!?」

 

 ダカールの口から飛び出した想定外の言葉に、ピタリと足を止めた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百七十八話

「それで、アストロリアの様子はどうなんだい?」

「――っ!?」

 

 アストロリア。

 それはダンジョン内のモンスターがドロップした物から散見する、数ある国名の一つだ。

 歴史上のどの点を置いても存在しない奇妙な国家、これこそが根強い人気を誇る、ダンジョンが異世界由来の存在……異世界起源説と呼ばれるものの根拠の一つになる。

 

 剛力自身その説について耳にしたことはあり、なにより偶然出会った姉弟が恐らく異世界から来たという奇妙な経験をしているため、表立っての支持こそしていないものの、異世界の存在については確信していた。

 

 しかしこの二人については誰にも話していない。

 それは当然ダカール相手であろうと例外ではなく、二人の存在はいくら調べようと親戚の子、果ては拾い子という情報にまでしかたどり着くことはできないだろう。

 

 しかしどういうわけだろう?

 まるで目の前で話す二人はアストロリアが、異世界に存在するとされる王国がまるで実在し、今現れた女性がまるで先ほどまでそこにいたかのような口ぶりだ。

 

 気が付けば剛力は自分の顎を撫で、二人の会話を聞き入っていた。

 

 己の知るダカールは冗談を口にすることはあっても、決して空想を現実のように語る人間ではなかったはずだ。

 いわば異世界の存在は一般的に、古代核戦争やムー大陸などと同じオカルトの類、一笑に付す都市伝説。

 そういった類へ熱中しがちな小学生や中学生ならまだしも、それを真剣な顔で額を突き合わせ話す人間というのは、変人奇人の類として大衆から距離を取られかねない。

 

「そうか、皆元気にしているか、素晴らしいことだ。こっちの話だがロシアの幻魔天楼は無事消滅したよ、ご苦労様」

「いえ、全てはクレスト様のお力あってのこと」

 

 奇妙な会話は続く。

 今まで聞いたことのない名前の存在が次から次へと現れ、先日一部が崩壊し消滅したと美羽から伝え聞いた、ロシアの存在までもが会話に出てきた。

 

 深まる疑惑。

 

 世界の消滅については美羽や己などの協力者を除き、知る者がいない……それが共通認識のはずだ。

 当然以前クレストへ相談した時も彼は驚いた素振りを(多少は)しており、やはり彼も聞き覚えがないのだとばかり思っていた。

 だが今の口ぶり、無事消滅したの言い様は、まるで観測していたかのようではないか。

 

 それが出来るのは世界の消滅を認識することが出来る人間だけのはずなのに。

 

「ただ、認識した人物が一人」

「……剛力ですか」

「ああ、また(・・)彼だったよ。カナリア君も結城君も六年前……ああいや、もう七年になるのかな? 七年前に処分したはずなのに、今度は自力で気付いてしまったらしい」

 

 唐突に飛び出す己や、見知った人物の苗字。

 

「なにっ……!?」

 

 流石に剛力と言えどこれには驚愕せざるを得なかった。

 

 『また』、とは一体どういうことだ? これではまるで、以前も己がダンジョンの消滅について気付き、何か行動を起こしていたみたいではないか。

 そんな事実は存在しない。

 いや、確かに一人でダンジョンの崩壊について調べ回っては居たが、それについてとはまた様子が違う。

 

 それに結城とは。

 

 剛力の脳裏を過ぎるのは知識こそ未熟そのものではあるが、良く頭の回る少女……ではない。

 七年前と言えばかつて己が師事した大学教授、結城奏(ゆうき かなで)の失踪事件があった頃ではないか?

 

 今も交流のある大学の同期であり研究者の剣崎、彼女が現在研究している内容の基礎を作り上げたのも彼だ。

 いわば未知の魔法技術を解析し、現代の物とした先駆者がかの人物であり、魔石がエネルギー源として広く活用されるように至ったのも奏の功績が大きい。

 研究者の例に漏れず変人奇人の類ではあったが、決して人を不快にするような人間ではなく、どちらかと言えば愛される狂人とでもいうべき存在。

 

 そして彼もまた、世界の消滅を知る者の一人であった。

 美羽から話を聞き調査を始め数日、一人の力では現状を打開するのは不可能だと悟った剛力は、己が知る現状最も『ダンジョン』というものを知る人物……つまり結城奏と、その元で研究を行っている剣崎を頼った。

 

 そう、剣崎、園崎、そして剛力。

 新たに加わったフォリアを合わせて四人しかいない協力者たちも、かつてはもう幾人かいた……はずであった。

 結城の名の下秘密裏に集まった同志たちは皆、何らかの分野に秀でた専門家。

 しかしダンジョンに関わる人間というもの、特に協会の支部長として所属するものは常に危険と隣り合わせであり、志半ばで若くして命を散らす者も多い。

 

 やはりというべきか、エキスパートであっても些細なことで命を散らすのが戦いの世界。

 義務や好奇心からモンスターという化け物へ立ち向かう協力者たちも、やはりダンジョン内外で命を落とし、或いは失踪を遂げるものが出てくる。

 

 結城教授もその一人……だと、この日まで思っていた。

 

 奥さんのアリアさんも協力者であったが、時として奇怪なことわざを口に出す彼女は、結城教授と日本に住む為、僅か一年で日本語を習得するほど熱意のあった人物なのだ。

 噂されている様な痴情の縺れなどあり得ないほど仲の良かった二人、恐らくダンジョン内で想定外のモンスターに襲われ、アリアさんは心を病んでしまったのだろう。

 

 それが剣崎と剛力の出した結論。

 

「だがこれは……まるで……」

 

 かの人物が姿を消したのは、ダカールが手回しした故のようではないか。

 

 港の明かりに照らされ朗々と話すダカールの顔に、曇りや良心の呵責などはない。

 まるでここ最近の天気など日常的な会話をするように、至極当然といった表情でつらつらと謳う彼。

 そしてクラリスと呼ばれた彼女も決して困惑せず、そう、彼女にとっても周知の事実であり、何か言う必要もないといった様子で頷いている。

 

 事実なのだ。

 結城奏が姿を消した事件は、ダカールとクラリス……あるいはその関係者によって行われたというのが、この二人にとって当然の事実、議論するにも値しない自明の理。

 

 仮に結城奏の裏の顔が冷酷無比なシリアルキラーであり、苦渋の決断だが混乱を招かぬよう裏で手を回したとでも言うのなら、歯を食いしばり仕方のなかったことだと頷くだろう。

 しかし二人の様子からはそういったことは読み取れない。

 

『結城奏を処分したにもかかわらず剛力が気付いた』

 

 言い換えれば彼らは何か碌でもないことを企み、剛力に『世界の消滅』が気取られぬよう前もって裏から彼を殺したのだ。

 何故彼らが己に世界の消滅を気取られぬよう動いているのか、何故彼らがそもそも認識できているのか、そしてカナリアなる人物は一体何者なのか、疑問は尽きない。

 

 だがはっきり言えることが一つだけあった。

 

 ダカールとクラリスは、この二人は、間違いなくろくでもない存在の部類に入る。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百七十九話

 ギリリと拳が握られる。

 

 その怒りは不気味な会話を繰り広げる二人だけではない、己自身へも向かっていた。

 

 初め出会ったときは、どこか二人と似た雰囲気を持つ少女だと思っていた。

 しかし今日隣で笑う人物が、明日には物言わぬ屍となっている世界、それが探索者という、自由を得た代償として背後で死神が肩に手を掛ける仕事。

 死にに行くようなことを止めることあっても、一から十まで一人一人全ての面倒を見ることなどできない。

 

 死ぬか、或いは相応の恐怖を受け探索者なぞやっていられないと逃げるか。

 剛力はどちらにせよ長くはもたないと考えていた。

 

 冷酷に思われるかもしれない、だが探索者になるということはそういう事だ。

 特殊な技術や経験なく就くことが出来、誰しも大金を手にする機会が与えられるには、相応の危険と犠牲が求められる。

 ただそれだけの事。

 

 しかし少女は当初の予想を覆し、長らく探索者を続けることとなる。

 どうやら孤児院から出てきて以降住む家もなく、ネットカフェで寝泊まりをしているらしいと聞いたとき、鍵一が彼女を保護したらどうかと切り出して来たのには驚いた。

 わずか数日で彼女と対話を終え、前日まで拒絶されていたにも拘らず、次の日には知人程度の関係を築いたとのこと。

 

 一見すると極度の人見知りだが、接してみればひどく素直であり、恐らく元来の物である人懐っこさが顔を覗かせる。

 はっきり言って歪な精神構造は、きっと時として彼女が零す複雑な家庭状況によって作り上げられたものだろう。

 

 六年前父親が消え、母親の性格が豹変した。

 憎々しげに語る内容は剛力にとって苗字からしても思い当たることがあり、だが切り出すことは今日まで出来ずにいる。

 

 そして先日遂に、長らく抱いていた疑問が真実へと変わった。

 ついアリアの名前を出してしまった剛力へ、彼女は『自分の母』だと頷いたのだ。

 

 これでも多様な経験を経て、滅多なことでは動揺しないと自負している。

 しかし今しがた突き付けられた真実には、久しく感じていなかった感情を掻き立てられた。

 

 突如として姿を消した奏、彼はどうやら剛力へ何かの真実を隠すため、目の前の二人によって口封じをされてしまったらしい。

 詳しい理由は未だに不明なところが多く、疑問点は尽きることなく噴出する。

 だがしかし、少なくとも己が奏やアリアを巻き込まなければ、あの少女はまだ幸せな道を歩めたのではないか。

 わざわざ探索者になるという過酷な道を歩む必要もなく、少女が少女として振舞うことの出来る平穏な日々を暮らすことが出来ただろう。

 

 知る必要のない真実を押し付け、重要な仕事を押し付け、更には彼女の両親が消えた遠因すらも己が理由だったとは。

 彼女には謝るべきことがまた一つ出来てしまった。師匠というにはあまりに情けない現状へ剛力は自重げに笑い、メモ帳へ書き込む手を止めカメラを仕舞った。

 

 先ほどまでの物騒な話とは一転して、二人はたわいのない日常事を交わしている。

 人気の少ない夜の港、加えて異世界の言語故他者に知られる恐れもないと気を抜いているのだろう、ここで全てを聞いている剛力がいることには欠片も気付いていない。

 

 剣崎へ手渡す物的証拠は揃った。

 相手にも悟られていない現状は大きなアドバンテージ、先だって情報の収集と攻勢を掛けることが出来れば、例え相手の裏に巨大な影が蠢いていようと手段はある。

 

 ――しかしもしすべてを話せば、フォリアには嫌われてしまうだろうか。

 

 剛力の心に訪れる一抹の寂寥感。

 誰しも他者から好んで嫌われたいものなどいない。剛力も当然人の子であり、師として慕ってくる少女から憎まれてしまうことが心地いい訳もない。

 しかし全ては己の行動から導かれた現状。むしろ真実を知った彼女が怒り、探索者を辞め剛力の下から去ればそれはそれで良いことなのかもしれない。

 

 子供が命を懸けて戦う世界なぞ碌なものではない、親元で笑っているのが一番だ……なんて、Dランク以下とはいえ、ダンジョン崩壊の処理を押し付けている自分が言うことではないか。

 

 情けない己へ呆れながら立ち上がり周囲を見渡す。

 

 儚く命を落とす協力者たち、何の情報もつかむことの出来なかった数年――しかし無力感に呻き諦観に支配される日々は終わった。

 戦いだ。

 真の戦いは今から始まる。何も知ることなく世界から消えて行った人々、欲からダカールの手に掛けられた者、全ての無念を果たす為、自分の些細な感情へ構っている暇はない。

 

「クレスト様、後ろへ!」

 

 誰かが息を呑んだ。

 

 突然叫んだクラリスの声に驚き、コンテナの後ろから小さな影が転がり出る。

 

 少年だ。

 メガネをかけた、まだ中学生にも至らないであろう少年がコンテナの影に隠れ、二人の話を聞いていたらしい。

 

 意味も分からず、しかし不穏な雰囲気を察したらしく、慌てて背を向け逃げ出そうとする彼。

 しかしクラリスがどこからか取り出した巨大な杖で地面を突くと、コンクリートから巨大な根が這い出して、あっという間に彼の全身を絡め縛ってしまった。

 

「子供だよ。こんな夜遅くに、きっと塾からの帰宅なのだろうね」

「通りすがるならまだしも、じっと話を聞いていたなんて……何があるか分かりません、消しましょう」

 

 目の前で繰り広げられる奇怪な言語での対話。

 

 未だに彼は何が起こったのか分からず目を白黒させ、両手を縛り付ける何かを外そうともがいている。

 しかし会話の内容を理解してしまえる(・・・・)にとって、不穏では済まされない会話に足が縛り付けられた。

 

「君は相変わらず心配性だねぇ。私としては別に殺す必要もないと思うけどね、何話してるか理解も出来ないだろうからさ。ただ、君がどうしても気になるというのなら……まあ、好きにすればいいんじゃないかな?」

 

 ダカールは大げさに手を広げ、まるでステージに立つミュージカル俳優が観客へ拍手を希うように叫んだ。

 

「どうせこの世界には80億、おおっと、今は25億だったかな? どちらにせよ数えきれないほど人間がいるんだから、一人位減ったって誰も気にしやしないさ!」

「クレスト様、あまり叫ぶとまた人が来るかもしれません」

「おっとすまない。普段物静かなことばかりしているとね、時としてこう叫びたくなってしまうものなんだ」

 

 ――見捨てろ。

 今自分が前に出れば全ての優位点が失われかねない。

 今までさんざん多くの探索者達を見送ってきたじゃないか。圧倒的死亡率を誇り、大概その先に待つのは絶望だけだと分かっていながら、彼らを止めずに見送ってきたのは剛力自身。

 

「では先月試作品の完成した概念戎具(がいねんじゅうぐ)の一つ、モロモアスの実験も兼ねてみましょう」

「おお、漸く出来たのかい!」

 

 どこからか小さな黒い石ころらしきものを取り出し、ダカールの手へと乗せるカナリア。

 彼は街灯へ翳し、しばし石の内部で乱反射する虹の輝きを堪能すると、満面の笑みを浮かべ少年の下へと歩いて行った。

 

「た……たすけて……!」

「すまないね、少年。君には消えて貰わないといけないんだ……でも大丈夫、君の死ぬ姿は最期まで私が見届けよう。だから悲しむ必要はない、人生で一番悲しいのは誰にも知られず死ぬことだからねぇ」

 

 少年にも伝わるよう日本語を使い、ダカールは優しい声色で彼の頬を撫でた。

 

 ダンジョンが完全に崩壊し、街へモンスターが溢れたことが何度かあった。

 だが、きっと救うことも出来たはずの命がまだいるにも限らず、剛力は世界の消滅から自分の身を守るため逃げたことが何度もある。

 

 今さら少年一人見捨てたところで背負う罪の重さは大して変わらないだろう。

 それよりも多くの人数を救うため、今は彼を見捨ててここを立ち去り、情報を皆の下へ持ち帰らなくてはいけない。

 後悔はその後ですればいいじゃないか。

 

「これをしっかり握っておくんだよ……ふ、はっはっは! そもそもこんな状況じゃ握るなんて無理だったか、これは失敬! 私のハンカチに包んで手に結んでおいてあげよう、これなら握らずともしっかり持って置けるからね!」

 

 震える喉から絞り出される声、必死に藻掻き突き出される腕。

 全てを理解しているわけではないだろう。ただ少なくとも自分が悪いわけでもなく、ちょっとした好奇心で異国の会話を聞いていただけで、理不尽にも殺されそうになっている事だけは彼にも理解できているはずだ。

 

 彼は今、誰かに知られることもなく、唾棄すべき悪意によって世界から忘れ去られようとしている。

 

 ――俺は、また誰かを……っ!

 

 躊躇いは、あった。

 きっと後悔するだろうという確信もあった。

 

「ぱ……パパ! ママッ! 誰かァッ! たっ、助けてェっ!」

 

 

「うおおおおおッ! ダカァァァァァルッ!」

 

 

 だが剛力には、魂の叫びを見捨てることはできなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百八十話

 夜の港に漢の叫び声が響いた。

 

「うおおおおおッ! ダカァァァァァルッ!」

 

 冷たい潮風が吹き荒れる中、剛力が『アイテムボックス』から取り出したのは名もなき大剣。

 彼の巨体すらも凌ぐ無骨な武器を担ぎ上げた剛力は、目にもとまらぬ速度で少年の身体を縛るものを切り裂くと、彼の腕に巻き付けられたハンカチを二人の下へ放り投げた。

 

 唐突に表れた影へ驚愕する二人。

 しかし即座にクラリスはダカールの前へ身を滑り込ませ、二人の全身を覆いこむように結界を張り巡らせた。

 

 地面へと転がる少年を片手でがっしり受け止めた剛力。

 そのままダカールから大きく距離を取るように地を蹴り飛ばし、二人の姿が指ほどの大きさに見える程の間隔を取り、小脇に抱えた彼へ視線を落とす。

 

 ずり落ちた眼鏡と乱れた髪。

 腰が抜け息も荒く地面へとへたり込む姿は哀憫を誘うが、見たところ怪我はなく、これならば走って逃げられそうであった。

 

「おい、立てるか……っ!」

 

 クラリスが手にした杖で地面を二度突き、展開された魔法陣から何かを射出する。

 

 不吉な予感。

 

 戦いの中で積み重ねていった経験こそが感になる。

 それは決して当てずっぽうなどではなく、空気や状況などから脳が判断する、言葉に表すことが出来ないだけの確かな裏付けであると剛力は考えていた。

 事実『予感』を信じ幾度となく命を拾ってきた。そしてその予感が言っている、あの投げられた物は余程のものであると。

 

 弧を描きこちらへ向かってくるナニカ。

 建物の影から飛び出し一瞬月明かりに照らされたのは、先ほどの不気味な虹色を零す黒く小さな石ころ。

 

 もしあれが爆弾の類であるのなら、下手に武器などで迎撃した場合、後ろの少年にまで衝撃が及びかねない。

 剛力自身に耐えられようと彼を救うことが出来なければ何の意味もない、彼を救うためわざわざ飛び出して来たのだから。

 試作というからには数はさほど揃えておらず、加えて恐らくあれはスイッチ式、でなければ先ほど剛力に投げ返された時反応しているはず。

 

 ――ならば……!

 

「うおおおオオッ!」

 

 全身の筋肉を(しな)らせ、飢えたケダモノのようにただ一直線に。

 空を舞う石ころへ飛び掛かった剛力は、右腕でしかと握り締め全身で覆うように胸元へ手繰り寄せた。

 

 かつて剛力は実験のため、いくつかの兵器を直接身に受けたことがある。

 結果は悉くが無効。化学、生物、爆弾から火砲の類までそのほとんどが彼の身に傷一つつけることなく、反応兵器などの極端な破壊力を持つ物を除けば、個人へ向けることの出来る既存の兵器(・・・・・)では無効化できないとの太鼓判が付いた。

 

 仮に未知の技術が詰め込まれているとはいえ、この身を吹き飛ばし少年まで害することはできないだろう。

 

 そう、甘い考えを浮かべた剛力を嘲る様に、月明かりに照らされダカールがニタリと嗤った。

 

「これは……っ!?」

 

 初めに感じた(・・・)ことは、何も感じない(・・・・・・)ということであった。

 

 痛覚や触覚、たとえその身に傷がつかないとはいえ、剛力の身体構造が人間である限り、外的なものに対して必ずなんらかの反応はある。

 だがしかし今己の身体には衝撃やコンクリートの焼ける臭い、轟音……いや、それどころか物を掴む感覚(・・・・・・)すらも感じえなかった。

 

 世界から遮断されていた瞳を見開き地面を睨むと、そこに広がっていたのは虚無。

 魔石を中心として展開されるナニカが痛みすらなく、瞬く間に自身の右腕を分解と消滅の連続反応によって砕き、飲み込み、塵一つ残さず消し去る姿。

 

「何……ッ!? これはっ、爆弾なんて甘いもんじゃあ……!?」

 

 衝撃や熱で破壊するのではない、正に世界から消し去る兵器。

 未知の技術だが、などと侮っていた。これは決して石ころなどと呼んでいい代物ではない、既存の兵器など輪ゴム鉄砲と大差ないと笑えるほどの存在。

 

 決断は一瞬であった。

 

 目を剥く速度で分解と消滅を繰り返す己の右手。

 放っておけば数秒で己が身すらもを食らいつくすのは目に見えており、それを避けるための選択肢は唯一つしかない。

 

 鉄塊が空気を切り裂き雄々しく啼き叫ぶ。

 

 飛び散る鮮血、重なる絶叫。

 

 剣を叩きつけた衝撃で立ち上がった剛力は、空中で今なお浮かび消滅の範囲を広げる魔石の中心へ狙いを定め、肘から綺麗に寸断された己の右腕を全力で蹴り飛ばした。

 

 それは世界でも有数の力を持つ男から繰り出される蹴撃。

 強烈なエネルギーを付与された彼の右腕は錐揉み、消し去られるより速く魔石の下へとたどり着き、共に海上方向へと吹き飛んでいく。

 

 海すら飲み込み、見る間に不可視の消滅範囲を広げ海面を大きく抉り取る謎の兵器。

 

 吹き荒ぶ潮風の中後ろの少年へ今すぐ逃げるように伝え、傷口に手を当てながらそのあまりの威力に剛力は唇を固く噛み締めた。

 

「で、も……」

 

 少年は躊躇うように手を出し、震える視線は逃げ出していいものかと逡巡している。

 

「クソ、気にするなっての……知らないかもしれんが俺は最強なんだよ、邪魔だからさっさと消えろ!」

 

 ちょっと強く睨みつけ声を荒げた程度だが少年は息を呑み、呼吸も忘れて走り出す。

 

 自分で言いながらその逃げっぷりに傷付きついたのだろう、悲し気な瞳をした剛力は『アイテムボックス』からポーションを取り出し、バシャバシャと乱雑に傷口へ注いで眉をしかめた。

 

 痛みが消え盛り上がる肉。

 違和感からか普段より一層額の皺を寄せ集めた剛力は、彼の姿が全く見えなくなったことを確認するとすっくりと立ち上がり、遠くで高みの見物とでも言わんばかりに腕を組むダカールへ鋭い視線を向ける。

 

 剛力は怒りに歪む顔へ冷静を保つための笑みを張り付けると、再生しかけの右腕を地面へ擦りつけ、掬い上げる様に大剣の柄を掴み上げた。

 

「おう、随分余裕に待ってくれたみたいじゃねえか……!?」

 

 しかし柄は彼の右手をすり抜ける。

 いや、すり抜けたのではない、そもそも(・・・・)握ることすら出来ていなかった。

 

「な、に……っ!?」

 

 虚を突かれたようにすべての表情を失い、ただぽかんと口を開く彼。

 目を落とせば、途中まで再生しようとした雰囲気を纏わせていたはずだというのに、腕は肘から先を再生させることなく、まるでここで完了だとばかりに断面へ皮を張り始めている。

 

 そして終ぞ前腕、そして手のひらを再生させることなく肉や骨の蠢きは終わり、煙を微かに揺らめかせ変化が止まった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百八十一話

「な、に……っ!?」

 

 終ぞ前腕は復元されることなく、ぴったりと肘の断面へ張り付いた皮。

 探索者として長い剛力ですら、かつて一度たりとて経験したことのない出来事に激しく精神を揺さぶられるが、今のままでは攻撃もまともに出来ないだろうと無事な左手で大剣を掴み上げると、力強い跳躍でコンテナの上へと非難を試みる。

 

 ダンジョン内へ足を踏み入れステータスを獲得していない一般人であったなら、確かにポーションの効果は発揮しない。

 しかし確かにポーションは効果を発揮していた。盛り上がる肉や伸びていく骨、そしてすでに塞がれてしまった腕の断面からしても、それは間違いのないことだと確信できた。

 

 当然だと思っていたことが覆される。

 ありがちではあるがしかし想定外でもあった、相手が理外の存在であることを考慮すべきであった。

 

 相手は世界にダンジョンが現れてから数十年跋扈していた怪物。

 着々と力を蓄え一切の外敵を許してこなかったからこそ、今、剛力の目の前に立ち塞がっており、その一挙一動を決して侮ってはいけない相手であった。

 この腕を失った事はその代償ということにしておこう。

 

 剛力は一人天を仰ぐダカールを見下ろし、想像以上に己が相手を知らないことへため息を吐いた。

 

「やあ、怖い目で睨まないでくれ。君はいつも(・・・)そうだな。追い詰めても常に冷静、死地の中でも必ず活を見つけ出し我々を出し抜く。だから三度も(・・・)やり直す羽目になった」

 

 状況に似つかわしくない満面の笑み、演技がかった素振りで硬く拳を握りしめ、剛力の知らぬその苦節を朗々と語り出すダカール。

 

 出し抜く? やり直す?

 ダカールの語る出来事は悉くが、少なくとも剛力の覚えている範囲には存在しないもの。

 空想か、それともどこか狂っているのか、しかし一切を切り捨てるにはあまりに彼の発言、行動に狂気的なまでの執着を感じ、そこから生じた妙な説得力が次の行動を躊躇わせた。

 

 次第に海風が強く吹き荒れ、波が激しく唸り出す。

 

 剛力は相手がどんな手段を持っているのか分からず、ダカールは剛力の実力を恐れ自ずから近づこうとはしない。

 互いに互いの次を探り、言葉で相手を煽りたて、生まれる隙から食い破ろうと目をぎらつかせていた。

 

「何であんな所にいたんだい? ああ、言わなくても当てて見せよう、クイズは得意でね。どこから知ったのかは分からないが私を疑って周囲を探っていた、そんなところだろう?」

「アンタが間抜けすぎただけでな、俺一人でも全部分かっちまったよ。次からはもう少し慎重に動くんだな」

「いいや、次はないさ剛力君。右腕を失って体のバランスが崩れている、今の君はまともに動くのも難しいだろう? 三度失敗した、千載一遇のこのチャンスを逃すわけにはいかないんだよ」

 

 ――また、か。

 

 三度、三度と随分と三にご執心のダカール。

 しかし剛力がダカールの調査を始めたのは一か月前であり、当然その間は常に身を隠し、彼と交戦や、そもそも敵対的な行動を仕掛けたことはない。

 先ほどの少年との一件がなければそもそも今ダカールと交戦することすら存在しえず、本来であれば今頃情報を持ち帰り剣崎とコーヒーの一杯でも飲み交わしていただろう。

 

 しかし相手は常に受け身、仕掛けるならこちらからか。

 

「『断絶……剣』ッ!」

「その技は既に見た(・・・・)

 

 大ぶりの一撃。

 飛翔する斬撃は確かに軌道などを読みやすいものではあるが、剛力の繰り出すそれはあまりの速度から、発動を見てからの回避自体まともに出来るものではない。

 

 しかしダカールは易々と避けてみせた。

 

「それも、何度も見た(・・・・・)!」

 

 フェイントを入れるタイミング、足技、剣を地面に突き刺しての接近格闘術。

 モンスターに使うことは滅多になく、剛力自身遥か昔に習得したのを思い出しながらの戦術にも拘らず、その悉くが余裕をもって躱される。

 

 不慣れとはいえ音速で飛ぶ巨石を叩き落とし、軽い投石でモンスターを叩き落とすような怪物的身体能力を誇る男の繰り出す技、実際の所知覚すら厳しいはずなのだ。

 しかしまるで慣れたゲーマーが、キャラやモンスターの一挙一動から技の予知を行い、事前に無意識で避けてしまうように、ダカールは剛力の繰り出す攻撃を全て避けてしまった。

 

「一体どうなってやがる……!?」

「無駄! 無意味! 無価値ッ! 君の動き、癖、技は何度も、何度も、何度も何度もこの身に受けてきたんだよッ! 全て知っているッ! 私は君を殺すためだけに対抗法を練り続けてきたのだよ、右腕を失った君に敗北を喫する道理はないッ!」

 

 一振り、二振り。

 

 振るう速度、刃の切れ味、技術、そのどれをとっても、その短剣が剛力を傷つける程の物とは思えないにも関わらず、ダカールが刃を振り回す度全身へ紅い刻印が増えていく。

 

 久しく感じていなかった神経の刺激、命へ迫る脅威から生み出された精神の高ぶり。

 思考が赤黒く狭まっていく感覚に危機感を感じた。

 

「クソ……それも概念戎具(がいねんじゅうぐ)って奴か……っ!?」

「ご想像にっ、お任せしよう! 真偽の認識に君の未来は左右されないからね!」

「そうかい! そりゃ丁寧にどうも!」

 

 防戦一方に見せかけた(・・・・・)戦い、興奮によって突き動かされたダカールの刃は勢いを増していく。

 

 沈黙と称するにはあまりに姦しい同意ではあるが、どうやらかの刃も概念戎具なる武器のようだ。

 

 概ね分かってきた。

 先ほどの理不尽な消滅と再生の阻害、明らかに通用しないはずの刃が肉へ食い込む不可解、共通するのは既知を覆す性能。

 ダンジョンの崩壊による世界の消滅にも似たそれは、なるほど、『概念』を破壊する『戎具(兵器)』と冠されるのに相応しい力を持っているのだろう。

 

 何故か彼は剛力へ異常なまでの殺意と執着心を持っている。

 その上、手の内の凡そを知り、全て防いでしまうのだから手が追えない。

 一体いつ己がダカールを怒らせたのか皆目見当がつかない、つい最近まで随分と良好な関係を築いていたつもりであったのだが、何が彼をそこまで駆り立てるのか?

 

「ほら、ほらほらっ! どうした! どんどん後ずさっているじゃあないか! 海にでも逃げるつもりかい!?」

 

 だが、ダカールの短剣術には練度がない。

 異常なまでに技を避けるの技術水準との乖離は、恐らく彼が剛力の技を避けることばかりに重きを置き、短剣術を鍛え切ることが出来なかった証左かもしれない。

 

 序盤にいくつか食らってしまった傷こそあるものの、彼の興奮も合わさった未熟な技術は全て単調な機動を描き始めている。

 その上この短剣、己の肉体を切ることは出来ようと金属の寸断は出来ないらしく、その実、最初の物を除けば剛力の身へ届いたものは零に近かった。

 

 

「ハァッ!」

 

 

 耳をも(つんざ)き、遠くの街に眠る人々が飛び起きるほどの轟音が響いた。

 

 

 対人戦で扱うには派手過ぎる踏み付け。

 半径十数メートルに渡って巨大なクレーターが生み出され、コンテナは衝撃波を受け金属質の悲鳴を掻き鳴らし、土、コンクリートの破片が盛大に飛び散る。

 

「何度言ったら分かるんだい! 無駄なんだよ! 右だッ!」

 

 しかしこれすらも跳躍し、易々と避けるダカール。

 衝撃波を受け流し平然と着地した彼は、嬉々とした笑顔を浮かべ横へ短剣を振り回した。

 

 狙いは丁度剛力の首が来る位置。

 遂に訪れた確殺の機会。渾身の一撃は必ず隙を生み出し、そこには弱点が曝け出されることとなる。

 

 勝ちを確信したダカールは目を細め、恍惚の感情に表情金を吊り上げた。

 

 が、しかし――

 

「な……っ!?」

 

 そこに、想定していた巨体は存在せず、衝撃によって地面から外れたであろう街灯が回転し、恐ろしい勢いで突っ込んでくる姿であった。

 

 想定外の物に腰を抜かし、慌てて地べたへ這いつくばるダカール。

 凄まじい暴風が彼の頭上を撫でた直後、巨影が全身を覆った。

 

 満月の下、二足がバランスを取りにくく動きにくいのなら三肢で、と獣の如く地を這い駆け抜けた剛力。

 ダカールの背後へ跳びあがった彼は、口にくわえた大剣を左手で握り直し――

 

「後ろだよ。これは知らねえだろ? 今考えたからよーく見とけ、ボケが」

「な、あぁ!?」

 

 己の名を絶叫する彼の右肩からコンクリートの上まで、一息に叩き斬り捨てた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百八十二話

 アリア……いや、ママと一応の会話を終え数日。

 どこかが崩壊したとの連絡もなく、色々心の整理などもあって協会へは足を運んでいなかったのだが、久しぶりに顔を出してみれば驚いたことに、寂れた協会に似つかわしくない大量の人。

 

 合計十人くらいだろうか、老若男女問わず皆見たことない顔。

 しかも何故か私の顔を見た瞬間押し寄せてきて、恐怖に変な声を上げて執務室へ引き籠ってしまった。

 

 後からウニに話を聞いてみれば、どうやら以前私が載った新聞記事を見て興味を持った人たちらしく、要するに探索者を志願しに来たらしい。

 ここ数日こういった人がどんどん来るようで、あっという間にこの支部における既存の登録者人数を上回ったとのこと。

 

 そして探索者の人数が増えるということは必然、事務処理の量も圧倒的に増えるということ。

 今まで園崎姉弟の二人で十分回せていた協会内部の仕事であったが、流石にここまで増えてしまえばキャパオーバー、急遽私までもが参加し夜まで処理する羽目に。

 

「なるべく早めに新しい子入れたいわ……二人位かしら」

「姉貴、ぼやいてないで早くソレ終わらせてくれよ」

 

 園崎姉弟の会話が響く執務室。

 人物の登録が終われば今度は本部へ送る、今日買い取った魔石の品質や数等の書類……やることが多い。

 

 そしてこれが終わってもまだ帰れないのだ。

 

 今のところ新しく入った人たちはそれぞれ、ペアやトリオなど気の合う人同士でチームを組み戦っているようで特に問題はない。

 しかしきっと何かの壁に当たる時はあるだろうし、もしそれが私と同じようなものであったならきっと力に慣れるはずだと、色々思い出して書き出しパンフレットにする予定がある。

 まあ私もまだ初めて一年経ってないし何様だと言われるかもしれないが、私の経験はなくとも筋肉から聞いたこまごまとした知識などは知っておいて損はないはずだ。

 

「おなかすいたなぁ……」

 

 時計の針が指し示す時刻は午後の七時、おなかも減ってくる時間帯。

 

 しかしここ二、三日、以前は毎日違うものを出してきてくれたママが、朝食も夕食も全く同じものを出してくるようになったのはちょっと困った。

 調べたら海外では毎日似通ったものを食べるのは普通らしく、もしかして記憶が戻りつつあるのではと、小さな期待が芽生えたのも事実。

 

「フォリアちゃん、これ確認お願いね」

 

 園崎さんがぱさっと机の上に紙束を突き出す。

 

「分かった……ん?」

 

 紙を捲る音が部屋に響いた。

 

 一行読んでの違和感。

 二行読んでの既視感。

 三行読んで疑惑は確信に変わる。

 

 これは……

 

「――またおんなじの混じってる、昨日と一昨日も見た(・・・・・・・・・)奴じゃんこれ」

「あ、あら……? 一応今日届いた書類のはずなんだけど……目を通してるならまあいいわ、ごめんなさいね」

「まあいいけど、気を付けてよ」

 

 口も態度も性格も軽いが一応優秀なはずの園崎さんが、こうやって同じミスをするなんて結構珍しいかもしれない。

 ウニは黙々と作業をしているが額にしわが寄っているし、皆口に出さないだけで疲れてるのかも。

 

「一端休憩にする? なんか注文しようか?」

「良いわね! 経費で落とすから良いもの食べましょ!」

「また勝手に経費で落として、剛力さんに怒られても知らねえぞ……」

 

 顔を上に向け目元をぐりぐりと押しながら、ウニが呆れたようにつぶやいた。

 まるで俺は違うと言わんばかり。

 

「じゃあウニは食べないの?」

「いや食う」

 

 真面目ぶっておきながら、彼はしれっとこの前皆で行った焼肉屋の弁当、それも一番高い奴の名前を挙げた。

 せこい奴だ。

 今度筋肉が経費について言って来たら全部こいつのせいにしてやろう。

 

 机の上に置かれていたスマホへ手を伸ばした瞬間、丁度電話が軽快な音楽と共にバイブレーションを上げた。

 

「お、筋肉からだ」

「あら? マスターがこんな時間に電話なんて珍しいわね、そもそも電話自体あんまり使わない人なのだけれど……」

 

 そう、琉希や芽衣は割とバシバシSNSでメッセージを送ってきたり、或いは電話を掛けてきたりと騒がしいのだが、逆に筋肉はあまり電話を掛けてこない。

 今まで電話をしたのは数回、それもほとんど私側から何か報告をする時くらいで、彼からの電話と言えば昨日ダンジョンの崩壊を止めた時にかかってきたものくらいだろう。

 

 そういえばこの前、もう少しで掴めそうだなんて言っていた気がする。

 もしかして何かすごいことを掴んだりとか……?

 

「もしもし?」

『――ああ、フォリアか』

「!? あ、うん、そうだけど」

 

 今まで結城とばかり呼ばれていたので、いきなり名前を呼ばれ目を丸くする。

 

 しかし雑音がすごい。

 風の音か……いや、波の音? 結構荒々しく叩きつけられる波の音が、スマホのすぴーからでもはっきり聞こえる。

 そのせいか分からないが、普段結構音量大きめの彼の声が妙に小さい、ぼそぼそ喋っているような気すらした。

 

『どうだ……お母さんとは、仲直り出来たか……?』

「――うん、なんとか。まだ記憶は戻らないみたいだけど、もし戻ったら色々話そうって約束したんだ」

『そうか……そりゃよかった。親子ってのは、憎もうと死のうと……切れねえ縁があるからな……仲が良いに越したことはない』

「そうなんだけどさ、やっぱりママの記憶が戻らない方が良いかな、なんて思っちゃう時もあるよ」

 

 今のアリアと前のママを重ねることはやめた。

 彼女は彼女で何も知らず、しかし母親として私と暮らすことを選んでくれたのだから。

 しかし記憶が戻ってしまった時、果たして彼女に拒絶されてしまってもさらに踏み込めるのか、それは正直分からない。

 

 勿論踏み込むつもりではある。

 踏み込むつもりではあるが大概にしてこういう時考えていたことを、いざという時実行できるかどうかは言い切ることが出来ない。

 要するに覚悟は決めていても、消えない恐怖心はどうしようもなく存在するってだけなのだが。

 

 人の手に負い切れるのか分からない災害、押し寄せる探索者志望の人たちへの、元と言えば自分の行動から彼らがこの道へ足を踏み入れたのだという責任感、行先の見えない自分自身の家庭事情。

 最近色々積み重なって結構苦しさを感じてはいる。

 

 ふとした瞬間叫びたくなるような閉塞感、でも見渡せば筋肉や園崎さん、必死に自分の出来ることを頑張っている人がいる……

 

「だからまあ、私は出来る限り頑張るよ」

「そうか……」

 

 マイクの奥、筋肉がふっと笑ったのが聞こえる。

 

 

『――すまない、全部俺が悪かったんだ』

 

 

 そして、耳を押し付けじっとこらしても、風で掠れ消え入るほど小さな声で彼が呟いた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百八十三話

「え?」

 

 唐突の謝罪。

 意味も分からず脳裏に疑問が浮かぶ。

 

『……すまん、全部話す余裕がない。何も遺せない俺を恨んでくれ』

「いや恨んでって……そんなことするわけないじゃん。どしたのいきなり」

 

 普段も雑なところがある筋肉だが、今日は殊更話が良く飛んでいる。

 いや、話が飛んでいるというよりは、言いたいことが多すぎてうまく考えがまとまっていないというべきだろうか。

 

 ちらっと横を見ると二人が不安げな顔でこちらを見ているが、私にもよく分からないので首を捻っておく。

 

 だが一つだけ共通していることは、どうやら何か謝りたいことがあるらしい。

 話題のどれにも共通する彼の感情は罪悪感。私にはあずかり知れぬところで何か掴み、そしてなにか謝りたいことが出来たのは間違いがなさそうだ、

 

「ねえ、もうちょっと落ち着いて話してよ。何が言いたいのか分からないって」

『――すまん、これだけ聞いてくれ。もしお前が戦う勇気を持ってくれるなら……』

 

 本当に私へこれを言っていいのだろうか。

 

 そんな雰囲気で一瞬躊躇した筋肉であったが、遂に口を開いたと思えば電話を切られてしまった。

 

「あ、切れちゃった……掛け直す?」

「向こうから切ったなら迷惑になるかもしれないわ、また後で掛けましょ」

「ん、分かった」

 

 話したいことあるなら帰ってきて話してくれればいいのに、私だって話したいこと沢山あるんだからさ。

 

 

 ――伝えきれなかったか。

 

 フォリアの電話を切り、剛力は最後に残った(・・・・・・)左腕で額を揉み、潮風に侵食されボロボロになったトタン屋根の隙間に覗く月を眺めた。

 

 何が起こっているのか自分でも理解できず、未だに思考の混乱が収まらない。

 しかし声を消し息を潜めても、一直線にこちらへ向かってくる死神の足音だけはしっかりと聞こえた。

 

 ダカールと女の会話を聞いていた時、偶然少年が彼らの会話を聞いていた所までは、確かに己の四肢は残っていたはず。

 しかし飛び出した瞬間、突如として自分の右腕、そして左右の足すらもが消え去り、その断面はまるで最初から何もなかったかのように肉と皮にぴったり覆われてしまっていた。

 

 予備動作すらない驚愕すべき魔法。

 

 いや、もしかしたら既に仕込まれていたのかもしれない。

 少年を放り出し、悠然とこちらへ歩いてきたダカールとクラリスの顔には笑みが張り付いており、まるで知っていたとばかりの態度で話しかけてきたのだから。

 

 しかし隙を突き残った左腕で大剣を投げつけ、ダカールの脇へ深々と傷を負わせることに成功、その間にどうにかこの倉庫裏にまで這い逃げることはできた。

 幸いにして消滅した四肢に痛みはない、しかし左腕しかないこの状態では流石に……

 

「やあ、剛力君」

 

 相変わらず胡散臭い笑みを浮かべたダカールがコツコツと足音を立て、クラリスを連れて廃屋へ踏み込んできた。

 破れた服の奥には鍛えられた腹斜筋が垣間見え、残念ながら決死で剛力が付けた傷も、綺麗さっぱりと完治してしまっているらしい。

 

 普段自分が何気なく使っているポーション、しかし敵に使われるとここまで面倒なものであったとは。

 探索者に限るとはいえ、どんな傷でも完治してしまう驚異のアイテムに今更感嘆する。

 

「……おう、さっき腹を掻っ捌いてやったから、随分と血が沢山出てすっきりしたみたいだな」

「いやはや、瀉血なんて時代遅れの事私の世界でもしないさ。しかしそうだな、二度ほど……いや、今回のと合わせて今日は三度も(・・・・・・)君に手術してもらったおかげか、中々に爽快な気分だよ」

「そりゃどうも。俺にアンタに褒められるほどの才能があるなんて、執刀医でも目指してみるのも悪くねえな」

 

 眉を顰め口角を吊り上げる剛力。

 肩をすくめほほ笑むダカール。

 

 一旦静寂を保った二人の間、先に口を開いたのはやはりダカールであった。

 

「最初は右腕(・・)を」

「あ……?」

「今度は左足を、そしてその次には右足を奪ったんだよ。その度にああ、これは間違いなく勝ったなと確信したんだ」

「何の話かさっぱり分かんねえな」

「君の事だよ。しかしその度に君は驚くべき方法で私を切り伏せて見せた、はっきり言って異常だよ。超常の力を持った悍ましい怪物が人間社会に隠れて暮らしている、恐ろしいねぇ」

 

 人を怪物と嘲り罵る化物。

 

「おいおい、あんまり褒めないでくれ。生憎と俺は人間の心を持っていてね、人助けがしたくてたまらねえんだわ。知らねえのか? 昔から化物の心を持った人間と優しい心を持った化物なら。化物の方が愛されキャラになるってよ。アンタ日本文化好きだとかほざいてただろ、日本の昔話くらい読むべきだな」

「……だが剛力君、君はどこまでも甘い。一撃で私を仕留めていればそんな哀れな姿にならずに済んだのに、一々手加減をして殺さなかった。尋問でもするつもりだったのかな? だから私に時を戻す(・・・・)余裕を与えてしまった」

 

 飛来する石片がダカールの頬を擦る。

 

「無視しないでくれよ、寂しいじゃねえか」

「減らず口に悪戯じみた攻撃、最後の悪あがきという奴かい? みじめだね」

 

 壁に寄り掛かった彼の左腕が消え、再度小さな石ころが空を舞った。

 しかし勇ましく力強かったかつてとは異なり、踏ん張りなども効かぬ状態での速度はあまりに弱弱しく、軽く避けたダカールの背後へ積まれていた廃材の奥に軽い物音を立てて消えてしまう。

 

 もはや今の彼にダカールを倒す手段は何一つ残されていない。

 いや、もしその腕へ首を差し出せばへし折られてしまうかもしれないが、少なくとも剛力の前で朗々と語っている男にそのつもりは毛頭なかった。

 

「哀れだね。四度も真実に近づき、唯一私に刃を向けた君の最期がこれとは……まあ君に協力しうる国や組織を消したのは私なんだけどね、アッハッハ!」

 

 ダカールとクラリスは飛んでいった石の方向へ首を傾げ、その時、剛力の左腕が胸の内側で何か動いた。

 

 

 最後、瓦礫すらもまともに無くなり地面を彷徨った剛力の腕がペンを、ポケットの硬貨を、そして小さな黒い手帳(・・・・・・・)を投げつける。

 

「誰かへこのことを話したのかな? もしかして他の協力者がまだ蔓延っているのかな? だが私に肉薄しうる実力者は既に全て消え、最後にして最強である鉾の君もここで潰える。世界の記憶は全て狭間(・・)に追放され、誰も真実を知る者は居なくなる……」

 

 胸元から取り出された小さな魔石。

 剛力の腕を、足を、巻き戻される前の時間で消し去った凶悪な概念戎具。

 しかし剛力はその存在を知らない。

 いや、すべて忘れてしまった。

 

「私の勝ちだ、剛力。大丈夫、君が消える様は私がしっかりと見ておいてあげよう。誰にも覚えられず消えるのは何より悲しいことだからねぇ」

 

 消えた足元へ転がってきたそれへ、訝し気に目を細める剛力へダカールは笑いかけると、胸元から取り出した小さなスイッチを、ゆっくりと押し込み……

 

.

.

.

 

 

 

「ふ、フフ……アッハッハッハッハ! さあクラリス、これで全ての懸念は消えた! もう世界の消滅に気付く者も、私へ楯突く実力者も全て消えた! 元の世界に戻って作業を一気に進めようじゃないか!」

「はい、クレスト様」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百八十四話

「……ん?」

 

 一瞬、何かが全身をまさぐるような不気味な感覚が走った。

 

「どうした」

「あーいや、なんか今ぞわっとしたような……してないような……」

「風邪か? 今日はもう帰った方が良いんじゃないか」

「ピザ食べたら帰る、食べるまで帰れない」

「食い意地張りすぎだろ……」

 

 デリバリーを注文してからすでに一時間ほど。

 どうやら店が混んでいるようで中々届かない。スマホでバイクの位置を確認したもののまだ商品を受け取ってすらいないようだ、これではまだしばらく時間がかかりそうでため息が出る。

 

 一度気が抜けてしまえば仕事をする気にもなれず、退屈を紛らわすためテレビをつけたが、相変わらず(・・・・・)いつも通りのくだらないニュースやバラエティばかり。

 こちらの食欲をむやみに掻き立てる番組を見て、何も食べることが出来ない現状に口を窄め電源を落とす。

 

 空腹に机へ突っ伏す私へ、園崎さんが思い出したように人差し指を立てた。

 

「あ、そろそろ電話しなおしてみたらどうかしら?」

「確かに、もう一時間経つし丁度いいかも」

 

 タップ、タップ&スクロール。

 上や下へと行ったり来たりするいくつかの電話番号たち。

 私には電話番号を交換する知り合いなんてたかが知れているので、決して数が多すぎてどこに行ってしまったのか、なんて悩む必要はないはずなのだが――

 

 ふむ……

 

「……電話番号消えちゃってる」

 

 何度見返してもリストに存在しない『筋肉』の二文字。

 つい一時間前まであったはずの電話番号が、今では影も形も見当たらない。

 

 あれ? 操作間違えたかな?

 もしかしたらポケットの中で勝手に反応しちゃったのかもしれない。

 電源落とすの忘れてると偶にあるんだよね、なんか画面タッチしまくって変なアプリ起動しちゃってるとき。

 

 よりによってこのタイミングでこんな的確にやってしまうとは、全く私もついていないというほかない。

 

「何してんのよ、適当ねぇ……じゃあ私が掛けるわ、しょうがないわね! 偶には私が年上だということを理解して敬いなさいよ!」

「なんで電話番号ごときでそんな偉そうなの?」

 

 眉を吊り上げ腕を組み、やけに尊大な態度で園崎さんがスマホを取り出す。

 意気揚々と画面をいじり出した彼女であったが、次第に忙しなく指と目を上下させ始めた。

 

「あ、あら、あらら? ちょ、ちょっと待ってね! 今見つけるから!」

「園崎さんも私と同じじゃん。あー、電話番号覚えておけばよかった……」

「キー君! スマホ貸して! マスターに電話かけるから!」

 

 

「――えーっと、あのさ姉貴。マスターって誰の事言ってんの?」

 

 

 私たちが皆目見当もつかないといった表情を浮かべ、わざとらしく頬を掻くウニ。

 あまりのつまらなさに凍る空気にも気付かず、続けざまにぼやける姿は道化の一言に尽きる。

 一瞬で雰囲気が最悪になってしまった。

 

 うわ出た、滑りまくってるのも分からないでこういうこと言うタイプかこいつ。

 

「本当そういうの良いから、めっちゃ滑ってるよ。さっさとスマホ渡して。筋肉に電話かけるんだから」

「だから筋肉って誰だよ!」

「はあ!? いい加減にしてよ、脳みそまでウニと入れ替わったの? 筋肉は筋肉でしょ、剛力だよ!」

「そんな名前もあだ名も筋肉ニズム溢れた奴、俺の知り合いに一人も居ねえよ!」

 

 いつものノリで突っ込んでくるウニ。

 しかし流石にこの発言には私も、姉である園崎さんですらドン引き。

 

 滑り倒している事にも分からず言葉を重ねるのは流石にもう見ていられない。

 

「うっわ……最低……きも……」

「キー君……流石にそれはないわ。いくらマスターが細々としたことを気にしないとはいえ、育ての親で相手にそれは……」

「はぁ? え? マジで何言ってんの?」

 

 とぼけにとぼけを重ね、失敗に失敗を重ねる。

 これ以上は見ていられないというか、なんかだんだん苛立ちを超えてムカついてきた。 

 お調子者といえば聞こえはいいが、やっていることはひな壇のつまらない芸人と変わらない。

 

 もしかしたらウニ自身も疲労で頭がおかしくなってしまったのかもしれない……なってしまったのかもしれないが、それを私たちが付き合う道理もないだろう。

 

 それに元々私はあまり大騒ぎするのが得意じゃない。

 連日にわたる書類の整理もあって疲れているし、ウニの死ぬほどつまらない演技に乗る気にもなれず、机を軽く叩いて立ち上がった。

 

「いい加減にしてよ。はあ……もういいや、帰る。ウニの死ぬほど詰まらないギャグで萎えた、後の処理はウニ一人でやっといて」

「私もちょっとこれは許せないわ……キー君、私の分も仕事やっておいてね……ニヒヒ」

 

 

「なんなんだよ二人共、意味不明なこと言いやがって……」

 

 意味不明な事を言い散らかされた上、フォリアに怒鳴りつけられた鍵一が苛立たし気にソファへ腰を掛けた。

 

 顔つきこそやはりさほど変わっていないが、先ほどの声音は大分本気の物。

 なんなら叩きつけた手のひらの後に机が凹んでしまっているし、どうやら随分と怒らせてしまったらしいというのは鍵一にもわかったが、一体何がそこまで彼女を怒らせてしまったのかがさっぱり分からない。

 

 ガラスのポットからキャンディをひとつつまみ上げ、ゆっくり口内で転がしながら天井を見上げ思案する。

 

「剛力……剛力ねぇ……どっかで聞いたことあるようなないような……」

 

 確かにどこか懐かしいような、それでいて最近も聞いたことがあるような気もしてきた。

 しかし考えれば考える程(・・・・・・・・)どこか遠くへ行ってしまうような、いや、もう実は聞いたことがないような気すらしてくる。

 

 健一はやはり覚えてないな、と自分の正しさに頷き、ソファの上に寝転がった。

 

 肩を怒らせ立ち上がるフォリアと、いたずらな笑みを浮かべその後に続く自身の姉……

 

「――あれ? いま姉貴笑ってなかった? もしかして俺仕事押し付けられたんじゃね?」

 

『出前屋でーす』

 

 ハッと意識が戻った。

 

「うーっす、今行きます!」

 

 注文した三人の内既に二人は去ってしまったが、今更注文の品が届いてしまったらしい。

 目尻に浮かぶ涙(・・・・・・・)を拭い立ち上がった鍵一であったが、財布を取り出したところで大変なことに気付いてしまった。

 皆経費から落ちると好き勝手に頼んだが、主にそういったのを計算しているのは美羽……そして本人は今ここにおらず……

 

「あれ、もしかしてこれ経費で落ちないやつ? 俺自分で金払わないといけないの? ……まさかそんなことないよな?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百八十五話

「マスターが帰ってくるまで良く磨いておかないと!」

 

 ここ毎日、赤子が覚えたての言葉を繰り返す様に、園崎さんはその言葉ばかりを口にしていた。

 

.

.

.

 

 最初に気付いたのは私からだ。

 

 印鑑が消えている。

 既に筋肉が確認をしたはずの書類だ、分類されていたはずのそれが何故か机の上に置かれていて、日付がもうギリギリだと催促するウニに首を傾げた。

 

「いやだから、支部長代理のお前が()さねえと出せねえじゃん。ここ支部長いねえんだからさ」

 

 昨日だだ滑りしたそのネタを、今日になってもまだ続けるのかとため息が出た。

 そんなんだからお前はウニなんだ、たまにはカニに位なってみろと背中を叩いてやりたいほどだ。

 

 しかしどうにも退く様子がない。

 

 仕方なしに、黒く重厚な筋肉用の机に仕舞っておいた印鑑を取り出そうと椅子をずらし、鍵を捻ったところでふと、存在すべきものが存在しない違和感に吐きそうになった。

 

 小物がないのだ。

 当然この机は元々私の物ではない。筋肉のペンだとか小物が色々と入っていたし、私はあくまで代理としてここに座って、隙間に物を置かせてもらっているに過ぎない。

 鍵を持っているのは私だけ、鍵が壊されているわけもなく、はて、それならそこそこたっぷり入っていたはずのそれらは、一体何処に行ってしまったのだろうか?

 

 しかしまあ、筋肉がどっかで何かをする必要があって持ち出したのだと思ってその時はスルーした。

 

 

「あれ、このプロテインデザイン変わったんだ……」

 

 コンビニ行った時だった。

 

 書類整備に疲れたし皆に差し入れついでに甘いものでも買い込もうと、ふらふらコンビニの中を歩き回っていたら、小さな違和感がまた喉に引っかかる。

 それは昔ポーションだと思って買ったプロテイン。筋肉が広告に出ていて、うお、あいつCMに出るくらい知名度あるんだなんてちょっと驚愕した覚えもあるアレ。

 

 確か端っこの方に筋肉いたと思ったんだけどなぁ……

 

 なにせ半年前のことだ。

 もしかしたら気のせいだったかもしれないけど、なんだか知り合いの姿が消えているのはもの寂しい。

 もしかして在庫に前のデザインの奴まだあるのかも、と店員さんへ聞いてみたが……

 

「いやぁ、別にデザイン変わってないんじゃないっすかね」

「そう……ですか……」

 

 と、あまり詳しくない人らしくにべもなく返されてしまった。

 悲しいが所詮はパッケージがちょっと変わった程度。わざわざ延々とそれについて聞き出すのも迷惑がかかると、シュークリームやフルーツサンドを買い占め、その日はおとなしくコンビニを後にした。

 

 

 違和感は重なっていった。

 

 筋肉について書かれていたネットの記事が消えた。

 言及していたブログだとか、スレだとか、或いは小さな呟きすら跡形なく綺麗さっぱりと。

 最強の人物として間違いなく挙げられていたはずなのに、どこにもない。

 

 どれも一つ一つは薄く、反対側に広がる日常が透けて見えてしまうほど。

 でも一つ一つ丁寧に重ねていくと、くっきり、はっきりとどうしようもない現実が浮かび上がってしまって、私たちはそれから目を逸らしていいのか、それともしっかり見つめるべきなのか決めあぐねていた。

 

 それでも世界は回り続けていた。

 たった一人が消えたところでなんてことないというように、筋肉が受け持っていた分のBやA級ダンジョンは崩壊し、それも防ぎようのない災害だったとレポーターが絶望に叫び、そして次の日には何もないように日常へ戻る。

 

 本当にそれは日常なのか? それは私にも分からない。

 多分日常を偽る非日常なのだろうと思うが、今世界に存在するニ十数億人にとっては、昨日と何も変わらないように感じるだろうし、皆の認識がそうだと訴えるのならきっとそれは日常なのだろう。

 

 消えた、消えた、また消えた。

 あれもこれもどれもそれも、あの人が戦ってきた証拠は消えた。

 あの人が必死に守っていた人たちが、土地が、記憶が、ダンジョンの崩壊によって消えた。

 あの人が守りたいと、もっと守るために協力してほしいと叫んできた痕跡が、何一つ、欠片すら残さずに消えてしまった。

 

 全部全部消えて行く。

 たった一人が消えただけで、ここまであっけなく状況は悪化していくのかと目を剥くほど、誰も察知することが出来ない世界の変貌は確実に起こっている。

 少なくともこの日本では、筋肉がいなくなってから恐ろしいほど変わってしまった。

 

「ね、ねえ、園崎さん……」

「……やめて」

 

 筋肉はきっと、世界の消滅に巻き込まれて死んだ。

 

 きっともう取り返しはつかない。

 今世界最強と呼ばれている人ですらレベルは六十万らしい。筋肉のレベルはついぞ知ることはなかったけど、その人の名前が上がらなかったのだから、そこには圧倒的な差があったのだろう。

 

「もう、筋肉は……」

 

 ――いない。

 

 はっきり言って私にもあまり現実感がない。

 

 五万レベルを超す、今の私ですら一対一、頑張っても一体二くらいが限界のモンスターを数匹相手にして、一瞬でかっ飛ばして勝ってしまったような人だ。

 弟子になると勝手に張り付いてから本気になった姿を見たことはないけど、常に余裕に溢れ、怪我一つ負うことなくモンスターをはったおす姿を知っていれば、あの人が死んでしまうとは決して納得が出来るものではなかった。

 

 今にもひょっこりと現れ

 

「よっ」

 

 なんて右手をひらひらしながら、適当な挨拶をして白い歯を見せてくれる、そんな気がずっとしている。

 

「フォリアちゃんに……一年もあの人と付き合っていないアンタに何がわかるの!? 好きな食べ物すら知らないくせに、どうして死んだって言い切れるの!? 私はずっと見てきた、ずっとずっと子供の頃から傍で見てきた! 怪我して、苦しんで、何度も何度も倒れて、それでも人のためにって立ち上がってここまで戦ってきたのを横でずっと見てきたの! その私が死んでないって言ってるんだから死んでるわけない! そう簡単に、何も言わずに死ぬはずがないの!」

 

 興奮のまま私の肩を握りしめ絶叫した、彼女の瞳孔は開き切っていた。

 

「ごめん……そうだよね、帰ってくるよね」

 

 私がそう頷くと、園崎さんは雑巾を片手に執務室を後にする。

 彼女のことを心配したウニやその幼馴染の橘さんが彼女を休めるよう言ってくるが、私もそういって彼女を止めても勝手にやってくるのだ。

 レベルもそこそこあり下手に閉じ込めても飛び出してくるので、どうしようもなく今はやりたいようにやらせるしかない。

 

 ウニは筋肉の事を覚えていない。

 アホネコも覚えていない。

 時々執務室に乱入してきて、菓子を貪りながら筋肉と雑談をしていた探索者の人たちも、誰ももう何も覚えていない。

 

 でも、ふと手を伸ばしたり、何もいない場所で身振りをしては、自分が何をしているのか分かっていない顔をして首を捻る。

 笑顔で部屋に乱入してきては、何しに来たんだっけと私に聞く。

 

『知らないよ』

 

 私がそういうと皆笑って、いやーごめんねと扉を閉じ帰っていく。

 

 確かにそこにいた。

 皆が完全にまるで何もなかったかのように振舞ってくれたら、私ももう少し楽だったのかもしれない。

 でも必ずみんなの心の中には大小彼の存在が根付いていて、忘れているはずなのにかつてのまま振舞い、私に絶対忘れさせない、常に想起させてやると囁いてくる。

 

 私が座るには大きすぎる革張りの椅子。

 靴を脱ぎ三角座りで太ももに顔を埋めると、どうしようもない感情が溢れ出して来た。

 

「私だってどうしたらいいのか分かんないよ……」

 

 筋肉は強い。それに何かするたび豆知識だとか、経験から来る色々なことを教えてくれた。

 

 強くて頭のいい奴が、組織と協力して世界の消滅に立ち向かう。

 

 私ごときが何かできると思ってもいないし、そんなすごい奴らが手を組んで対策するって言ってるんだから、きっともう大丈夫だと思っていた。

 私はその間筋肉が防いでいたダンジョンの崩壊を出来る分肩代わりして、そうすればあっという間に解決してしまうと信じていたのに。

 

 何も言わずに消えてしまった。

 

 手掛かりは何一つなく、私たちに出来ることもなにもない。

 筋肉ですらどうしようもなかったダンジョンの崩壊と消滅、経験も知識もない私たちで一体どうやって対処できるというのか。

 この先待つのはただ世界の消滅を目の当たりにしながら、根本的な解決方法も分からず、ただひたすら発生したダンジョンの崩壊を食い止めるだけ。

 

「いっつも俺に任せとけば大丈夫みたいな態度取ってたくせに……」

 

 やっぱり筋肉は嘘つきじゃないか。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百八十六話

 筋肉が消え、どうしようもなく世界が終わりへと向かっていく。

 格好よくここで私が全てを背負う、世界を救ってやるなんて言い切れるなら良いが、今のところ私にはどうにもできそうにない。

 

「私が頑張らないと……」

 

 夜のとばりが落ちた道、コンビニ袋を握りしめて呟いた。

 

 彼が消えた日から数日。

 今日も近所にあるFランクダンジョンの崩壊を手早く片付け、彼がいつも戦いの後に伝えていた言葉を猿真似した。

 

『もっと探索者が増えて欲しい、そして皆の身を守るため素早い避難を』

 

 でも私は知っている、この言葉がどんなに空虚なものかを。

 

 Aや人類未踏破ラインの一つでも崩壊してしまえば、たとえどんな素晴らしい人物が語り、鼓舞し、戦おうと圧倒的な力の前にねじ伏され、溢れ出したモンスターによって国一つ容易く消えてしまう。

 いや、Aだけじゃない。BだろうがCだろうが崩壊してしまえば現状この国、或いはこの世界にいる探索者に抵抗するすべなんてない。

 

 きっと昔はもっと強い人がいたのだろう、でも皆巻き込まれて消えてしまった。

 筋肉のようにあっさりと、誰にも知られることなく。

 

 現状協会が出す戦術は『最も強い者を向かわせ、迅速な収束を図る』という、単純明快なもの。

 一見素晴らしく効果的だし、実際世界の消滅を知らない人からすればその悉くが成功、100%の解決を図っているのだろう。

 

 だが知ってしまった今、それはどれだけ時間が残されているかもわからぬ中、失敗した瞬間にどんな強い人物ですら必ず死んでしまう悪意の時限式爆弾に感じられる。

 

 でも戦うしかない。

 それでもまだこの世界には無数に人がいて、何も知らずに毎日を必死に生きている。

 どうせ無駄なのにと頭の片隅で叫ぶ私をねじ伏せて、抗いようのない終わりが遠くでちらつくのに怯えて、それでも、もう少しだけ未来が見たくてダンジョンへ足を運ぶ。

 

 そういえばネットカフェに泊まっていた時、サメ映画をいくつか見たことがあった。

 空を飛んだり地面を泳いだり首が三つくらいあったり、サメについて深く考えさせられる作品が多かったが、大体なんか凄そうな博士が最初に危険を叫ぶのだ。

 

 周りから狂人扱いされ、それでも危険を伝え続ける。

 

 あの博士はもの凄い勇気があったんだな、と、今更しみじみと考えてしまった。

 私もちょっと探りついでに以前ウニへ話してみたが、本気で頭がおかしい人を見る目で、今日は帰った方が良いなんて言われてしまった事がある。

 知り合いだからあの程度の反応だったが、もし民衆へ叫んでも誰も信じてくれないだろうし、間違いなく無駄だと理解できた。

 

「あはは……はぁ……」

 

 誰もおらず、モノ寂し気に佇む街灯が照らす薄暗い帰り道、人目がないとはいえついてしまったため息を切って歩く。

 

 サメ映画なんて凄まじく下らない内容をしていて、誰でも笑う明るいことを思い出そうとしても、結局全部今私の背中に乗っかる重しへと繋がって行ってしまう。

 

 ようやく見えてきた古い建造物。

 軋む階段を踏み付け歩きたどり着いた我が家には、まだ新しい、小さな木製のネームプレートが掛けられていた。

 

「ただいま」

「ああ……お帰りなさい……」

「無理しないで寝てて。ママの分のおかゆ買ってきたし、私の分はカップ麺で済ますから」

「ごめんなさいね……」

「元気になったらまたおいしいの作ってよ、今の分までさ」

 

 寝込んでいたママが無理に私を迎えようとしてくるので、軽く手を振って制止する。

 

 そう、悪いことは重なるというべきか、ママの体調がここ数日悪化している。

 だるくあまり活発に動けないようで、ちょっと前までは元気にあちこち行ったりしていたのに、今は食事をして寝るのがやっと。

 私もなるべく彼女の横についていてあげたいのだが、今日ばかりは流石にダンジョンの崩壊が起こりそうということで、仕方なしに家を離れていた。

 

 家に帰ってくると物が動かされていたり(・・・・・・・・・・)、どこか動いた様子はあるのだが、しかし本人には記憶がないらしい。

 多分お手御洗いだとかフラフラしてぶつかってしまったのだろう。

 

 お医者さんに連れて行ったが原因も分からず、恐らく環境やストレスなどから来る疲労じゃないかとのこと。

 

 きっと表には出していないが、この前の一件で相当彼女に負担を掛けてしまったのだろう。

 私のせいだ。私がもっと早く口にしていれば、ずっと気付いていて見ないふりをしてきたからだ。

 

「ん……? 何だこの匂い……」

 

 レトルトのパックをお湯に放り込んでいた時、ほんのわずかに漂う甘い匂いに気付いた。

 多分鼻が詰まっていたら分からない。でもなんだか頭をじん、と痺れさせるというか、そのつもりはなくても妙に魅かれるような匂いだ。

 

 家の中かと思ったがそんなわけがない。

 やけに気を引くのが気持ち悪くて換気扇を回し、キッチンの横についている窓を開いた瞬間、わずかではあるがその匂いが強くなる。

 

 これは……

 

「外かな……?」

 

 お香という奴だろうか。

 この手の物はあまり使ったことがないが、もしかしたら隣に住む芽衣が炊いているのかもしれない。

 

 

 ドンッ!

 

 

「ひゃああ!?」

 

 ひょいと外を覗いた瞬間、突如としてやってきた爆音と衝撃波。

 完全に気が抜けていた私は情けない声を上げ、驚愕に思い切り首をはね上げてしまった。

 

 がっぽりと凹むアルミのサッシ、砕けるガラス。

 

 なんてことだ、まだここに入ってから半年も経っていないのに、早速とんでもなく大きな破壊をしてしまった。

 明日謝ってお金払いに行かないと……

 

 ちょっとだけ痛む頭をさすりながら、一体何が起こったのかともう一度外を覗く。

 

「車……? え、事故とか?」

 

 街灯の下、真っ黒で大きな何かが崩れたブロック塀の中に埋まっている。

 サイズは丁度近くに停車されている小型の乗用車程度。一瞬は車かと思ったが、よくよく見て見れば全体的に丸みを帯びていて有機的だ。

 一体なんだあれは。

 

 辺り一帯も騒音に気付いたのか、暗くなっていた窓などに明かりがともったり、遠くでちらちらとライトか何かが揺れ始めた。

 何があったのか分からないが直に人が集まってくるだろう。

 

「ごめん、ちょっと見てくるね」

「ええ……気を付けて」

 

 まあちょっとした野次馬精神という奴だ。

 事故で人が車の中にいるとかなら、多分私がいた方がいいだろうし。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百八十七話

「あ、フォリっちじゃん。やほやほ」

 

 辺りに漂う甘い匂い(・・・・・・・・・)の中二階から飛び降りた横、背伸びをしてスマホで激写をしていた芽衣が手を振る。

 

 騒然とする夜の市街地。

 一体何処から現れたんだと思うほどの人だかりが既にできており、壁を囲んでぐるりと円形上の、人による壁すら形成されてしまっている。

 

「芽衣も見に来てたんだ」

「そりゃね、家の前でこんなのあったら野次馬精神モリモリの森山直二朗でしょ! 記念で一緒に写真とる?」

 

 人の来ないうちに既に随分と撮っていたらしい。

 拡大して見せてもらった写真の中には真っ白の牙、何か爪のようなものも見える。

 

 やはりこれは車なんかじゃなく生物、詳しいことは分からないが一般的に猛獣と言われる類の存在ではないだろうか?

 今のところはピクリとも動かず、もしかしたら気絶か何かをしているのかもしれないが……もしモンスターなら早く処理しないと消滅が起こるかもしれない。

 

「いや……撮ってどうすんの?」

「当然SNSに上げるよ! これはいいね稼げるに違いないじゃん!」

「じゃあパスで。あんまり人に見られるの好きじゃないし……」

「ちぇー、ノリ悪いぞ! でもウチ一人で撮っちゃうから、撮っちゃうから!! いえーい!」

 

 勝手に気を取り直して自撮りを始めた彼女。

 

「にしてもすごい匂いだね……頭痛くなってくる」

「どしたの? 蓄膿症?」

「いや違うけど……まあいいや、私ちょっと止めてくるね」

 

 更に人がどんどん塊になっていく中へ飛び込み、右へ左へぐいぐい体を押し込む……が……

 

「人が多すぎて……んく、困ったな……」

 

 冬なのに蒸し暑い。

 いかんせんおしくらまんじゅう状態とでもいえばいいのか、一人を掻き分ければ横から二人ほど横入りして来る状態。

 もっと力で押しのけたらいいのだろうが、あまり強くやり過ぎて誰かが転んだりしてしまうと、多分目も当てられないことになりそうだ。

 

 困ったな……

 

「わ、ちょ……あびゃー」

 

 結局ちょっと気を抜いた隙に人だかりからはじき出されてしまった。

 

「しょうがないなぁ……」

 

 『アイテムボックス』から引っ張り出した白のコートを、わざとらしく広げて着込む。

 

 本来彼のコートであるが、今は長らく協会の倉庫に放置されていた物を着ている扱いらしい。

 来ている名目は変わっても、これは数少ない遺された彼の痕跡と言っていいだろう。

 

 本当は目立って恥ずかしいから町中ではあんまり着たくないけど……四の五の言ってる暇もないよね。

 

「すみません、協会の者です。熊とかモンスターかもしれないので、もう少し下がっていてください。あー、道も開けてください!」

 

 薄暗い夜でも少しの光で目立つ白いコートは効果てきめん。

 荒仕事と言えば協会くらいの偏見もあって、私の姿に気付いた人からどんどん退いていき、また熱心に見物する人を小突くなどしてその場からどかせてくれた。

 

 遠巻きに人々が眺める中、『アイテムボックス』から取り出したカリバー片手にゆっくりと近づく。

 

 うーん、やっぱり警察呼んだ方が良いのかな。

 取りあえずすぐ抑えられる距離には入れたし、ここなら他の人に飛び掛かるより前に私が動くことはできる。

 

 後ろで眺める人たちに振り向き、緊急通報を頼もうとした瞬間であった。

 

『おおっ!?』

 

 どよめきが起こった。

 

 先ほどまで微動だにしなかった黒い塊が大きく黄色い瞳を見開き、ぴくぴくと鼻……らしき部分を蠢かせている。

 右へ左で、匂いを嗅ぎ何かを探しているようにも見えたそれは、一人目前に立つ私を見つけた瞬間、真っ黒な瞳孔をキュウ、と縦長に狭め……

 

「ああ……これはちょっと、町中に居ちゃダメな奴だ」

 

 一直線に私へ飛び掛かってきた。

 

 街灯に煌めく爪。

 

 真っ直ぐに私の頭上へ振り下ろされた巨大な前腕。

 カリバーを横に構え受け止めるが、凄まじい衝撃にコンクリートがひび割れ、破片が飛び散った。

 

「私がモンスターは対処するので皆さん逃げて! 芽衣! 人の避難誘導お願い!」

「うィっす! 協会の方は安全だ! 落ち着いて逃げろおおおおおおおおおおお! キャー! キャー! ウチについてきてこおおおおおい!! ひゃっほおおおおお! こっちだぞおおおおお!」

 

 どこかふざけているようにも感じる芽衣の誘導。

 しかし彼女が叫び、先行して走ることにより流れが生まれたようで、皆そこまで焦ることなくまとまって奥へと逃げていく。

 

「よっ……こいしょお!」

 

 誰もいない道の奥へ獣ごとカリバーを薙ぎ払う。

 奴は恐ろしいほど身軽に空中を舞い、何事もなかったかのようにコンクリートの上へと着地した。

 

 この力、速度、間違いなく野生の動物ではないだろう。

 もしモンスターだとしたら手早く処理をしなくては、『消滅』が起こってしまえば私にもどうしようもない。

 だが一つ引っかかるところがあった。

 

『ミ゛ィ!』

 

「くっ、『ステップ』」

 

 再度飛び掛かってきた獣。

 空を舞う奴の腹を潜り抜け、いつ消滅が起こるのか冷や冷やしながら距離を取る。

 

 もしこいつがダンジョンから逃げ出したモンスターだとしたら、何故先ほど人を襲わなかった?

 そもそもダンジョンから逃げ出したのなら他にも無数にモンスターがいるはず、一体そいつらはどこへ行ったのか。

 喧騒は先ほどいた人々以外から聞こえなかった。もし町中にモンスターが溢れていたら消滅が起こるとはいえ、その前に誰も騒がないのは異常だ。

 

「よっ、はっ!」

 

 足元を刈り取る前腕、上へ避けた私を叩き潰そうと振られる尻尾。

 跳ね、転がり、時にはカリバーで防いでは距離を取り続ける。

 

 勢いも力も野生の動物と比べれば圧倒的だ。

 だが今まで戦ってきたモンスターと並べるのなら、レベルは数千あればいい所だろう。

 勿論それでも一般人からしてみれば脅威以外の何物でもなく、今も暴れまわる度にその爪が電柱やコンクリート、アスファルトに深い痕を残していた。

 

『ふ゛に゛ゃ゛っ!』

 

 目の前に振り下ろされた爪を紙一重で避ける。

 

 だが、何か違和感があった。

 何かは分からない、口で言えない違和感だ。

 得体のしれない気持ち悪さ、それが私の攻撃を躊躇わせていた。

 

 これは……何かを知っている……?

 

 私は何かを知っているはず。

 こんな黒くて小型車くらいある巨大な毛玉、今までどこでも見たことなんてないはず、一度見たら絶対に忘れないはず。

 でも私はこいつを知っている。

 

「……だめだ、思い出せない」

 

 鳴き声らしきものを聞くたび、何かと噛み合いそうな一瞬がすれ違っていく。

 

 爪を避け、尻尾を避け、相手の間合いを避ける。

 攻撃を避ける度私たちは場所をゆっくりと移動していき、最後にたどり着いたのは、明かりも消え物静かな協会の前であった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百八十八話

 戦いは未だ決着の気配すらなかった。

 

 違和感や消滅の可能性から基本的に距離を取り続ける私、異常な行動を繰り返す黒い獣。

 特に獣の動きは不気味だった。

 妙に連続で攻撃を仕掛けてきたかと思えば、突然ピタッと攻撃を止め何かをうかがうようにこちらをじっと見つめ、首を振り、無秩序に暴れ出す。

 

 てんで共通点のない行動。

 

 それに今まであってきたモンスターはそのどれもが攻撃的であり、常に私たちを狩るという殺意に溢れていた。

 この黒い獣にはそれがない。殺意というには足りず、しかし友好的には程遠い。

 何かを企んでいる……そんな気はするが何がしたいのかはさっぱりだ。

 

 激しく首を振り呻く獣。

 この動きはまるで……

 

「……苦しんでる?」

 

 私のつぶやきへ呼応するように、一瞬、獣の動きが止まったようにも見えた。

 

『――!』

「くっ」

 

 いや、きっと気のせいだろう。

 

 隙を突いての猛襲がまた始まった。

 距離を詰めてはやみくもに振られる爪、時々こちらの頬を掠るがやはりダメージは薄く、見切れる程度の物なので大概は余裕をもって避けることが出来る。

 

 だがあまり近づきすぎるのも恐ろしいので、牽制に軽く横薙ぎをしたのが失敗であった。

 

「おいっ、協会に近づくなって! こっち来い!」

 

 全身バネさながらの盛大なジャンプ。

 漆黒の影となって跳びあがった先、奴が着地したのは協会の屋根だ。

 

 鋭い手足の爪が屋根に食い込み、小さな破片が飛び散る。

 体中の毛を逆立たせ激しく唸った獣は屋根の上を走り回るが、その度に私の掌より大きい穴がどんどん開いていき、あっという間に見るも無残な見た目へと変わっていく。

 

 所詮は獣、人の言葉なんて分かるはずがないし、奴にとってはただ屋根を歩いているだけに過ぎない。

 しかし私たちの場所がこうも無邪気に壊されていくは不愉快で、つい叫んでしまった。

 

「おい! それ以上壊すなら本気で倒すぞ! おい!」

 

 ぴん、と張った尻尾が雲に隠れた月の下、ピクリと揺れる。

 

 やっぱり、私の言葉分かる……!?

 もしかしてちゃんと話せば、なんで私を襲ったりしたのか分かり合えるかも。

 

 そう、思えたのに。

 奴はまるで躊躇って(・・・・・・・)いるかのように身を一瞬引き、しかし獣は盛大に協会へと飛び掛かると、その切れ味鋭い爪で外壁を切り裂いていった。

 

「……っ!? やめろ! そこに触るな! 壊すなッ!」

 

 脳の神経一本一本が焼き切れそうなほどの憤怒。

 

 こいつ、分かっててやりやがった。

 私の言葉を、意味を理解して、その上で……っ!

 

「そこは私の、私たちの大切な場所なんだッ! お前ごときが触れていい場所じゃないッ!」

 

 激昂に任せた跳び蹴り。

 互いにもみくちゃになって地面へ降り立ち、今度は間髪入れずに私から攻撃を仕掛ける。

 興奮からつい大降りになるこちらの攻撃だが、速度、パワーどちらをとっても私が上。

 大逃げから距離を取ろうとするも、全力で襲い掛かるこちらを避け続けるのは不可能だと悟ったのか、獣は賭けの攻勢に出た。

 

 反転してこちらへ前足を伸ばし、鋭い牙を剥いて襲い掛かってきたのだ。

 

 絶対に許さない。

 お前が正面から戦うつもりなら、真正面から叩き潰してやる。

 

 

「え?」

 

 交わる瞬間、獣の爪が力を失ったように見えた。

 

 だがもう遅い。

 既に全力で振られてしまったスイングはあまりに高速で、ちょっと気付いたからと力を抜いたところで、圧倒的なレベル差の前にはさほどの効果もなかった。

 

 柔らかな頭蓋骨を叩き潰す感覚。

 

 重い水音を立てて吹き飛ばされる獣の肉体が、二度、三度と激しく地面へ叩きつけられ転がる。

 完膚なきまでの致命的な一撃。びくびくと跳ねる巨体、しかし最後にはどうしようもなく力を失い、ゆっくりとその肉体は色を失い、端からじわじわ光の粒へと変わっていく。

 

 もしなんちゃらなら、と色々と残念だが仕方ない。

 それにしても色々変な奴ではあったが、やっぱりモンスターではあったらしい。

 しかしいったいどこから現れたのか、明日一から調べないといけないなんて、今から面倒すぎて頭が痛いなぁ。

 

 のそのそとモンスターが倒れた元へ寄って行った時、丁度空が晴れる。

 真ん丸の満月が柔らかな明かりを周囲へ撒き、当然モンスターがいた場所にもその光は届いた。

 

 

「え……なんで……?」

 

 

 だが、そこにあったのは、消えかけの巨大なモンスターの死骸でも、ましてや素敵なドロップアイテムでもなかった。

 

 

『ミ゛ィ……』

「なに……これ……」

 

 猫だ。

 

 頭から血を流す一匹の黒猫が、傷だらけの身体をコンクリートの上に横たえ、力なく喉を鳴らす。

 彼女(・・)の首元には真っ赤な首輪と、小さな音のしない鈴(・・・・・・・・・)だけが付けられていた。

 

「え……え……? ねこ……なんで……」

 

 手から滑り落ちたカリバーが、甲高い金属音をまき散らす。

 

 なんでねこが?

 だってあそこにいたのはモンスターで、それならモンスターにまきこまれた? でも猫が怪我してるのは頭で、いや、それはきっと偶然同じ場所を怪我しただけで……

 ありえない、ありえない、そんなの絶対ありえない。

 

 信じがたい結論ばかりが脳内を埋め尽くした。

 

 真っ黄色の瞳、ピンとはった尻尾、鳴き声。

 獣には欠片さえ猫特有の可愛らしさはなかったが、姿かたちの一部を切り取ってみれば、確かに彼女と似た部分をいくつも持っていた。

 だが、この結論では……まるで……

 

 突拍子もない考えを誤魔化すため、震える右手を伸ばす。

 だが地面に横たわる彼女は首を捻ると、最期まで冷たい態度で鼻を鳴らすと、弱弱しく手のひらを引っ掻き……ゆっくりと力尽きた。

 

「あ、ああ……! まって……やめて……」

 

 その小さな身が色を失う。

 

 先ほどまで動いていたはずなのに、何も言わず小さな砂粒の塊となって空気へ溶けていく。

 

 飛んでいかないように胸へ手繰り寄せ、泣き、叫び、何度も掻き抱いた。

 

 だが、その度により小さな粒へと変わった彼女は、生前私を惑わせたように、腕や指の隙間からするりと抜けてしまう。

 私の掌に残ったのは、音の鳴らぬ鈴付きの首輪と、小指の爪ほどしかない、冷たい光を湛える黒い石だけだった。

 

「ちっ、ちがう……私は……私はっ、なんだよこれ……なん……なんだよ……意味わかんないよ、なんなんだよこれ!?」

 

 私の叫びに応えてくれる人は、誰一人とて存在しなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百八十九話

 三日前に起こった怪事件は、偶然ダンジョンから逃げ出したモンスターが暴れたが、支部長代理である私の手によって対処されたことになった。

 しかし崩壊がどこかで起こったわけでもなく、ただ一匹だけダンジョンからモンスターが逃げ出すというのは滅多にない事件であり、原因の究明のために今なお街には数人の学者や護衛の探索者が出歩いている。

 

 大きく穴の開き、その場しのぎのビニールシートで覆われた屋根。

 壊れた協会の修理も流石に数日で終わらせることは出来ない。一か月か二か月か、正確な日程は兎も角、暫くの間はこのまま過ごすしかないだろう。

 

 お前が殺した。

 

 筋肉が拾ってきた猫を、どこまでも自由な猫として振舞ってきた彼女を、私がこの手で殺した。 

 

 寝ても覚めても思い出す。

 今までさんざんモンスターを倒して来たというのに、たった一匹の猫を手に掛けただけで、あの感触、衝撃が手にこびりついているような気すらする。

 探索者が嬉々として自分のためにモンスターを殺す、粗暴で野蛮な仕事だという人々に私の姿を見せたら、きっと何をいまさらと嘲笑するだろう。

 

「――、おい、結城!」

「ひっ……」

 

 突然の声に耳元を塞ぐ。

 

「違うっ、私はっ……」

 

 屋根に空いた穴のせいか肌寒い部屋。しかしやけに滲んだ汗が、丸めた背中を伝っていく。

 

 お前が殺した。

 

 仕方がなかった。

 人を襲い、物を壊す。

 たとえ普段の性格とはかけ離れたものでも、私に知る由もないナニカがあったとしても、街の人を守るのが私の仕事だから!

 だから、だから、だから全部仕方がなかった!

 こんなことになるなんて分からなかった! こんな、こんな……っ!

 

「何言ってんだよ……お前最近大丈夫か? 体調悪いなら帰れって」

「う……に……?」

 

 前髪の隙間から覗いたのは、額にしわを寄せた彼。

 

「はぁっ……んくっ、だっ、大丈夫! 大丈夫だから! ちょっとお腹空いたなぁって!」

「お前、それは……」

「ご飯買ってくる! ウニは私の分も書類整理しといて!」

 

 窓際、日向に残された小さなクッション。

 あの猫が時々日向ぼっこをしていたそこへ寝っ転がる存在はいない。今も、そしてこれからこの協会へ訪れることもない。

 

 お前(わたし)が殺した。

 

 もし、私があの猫を殺したと知ったら、皆なんて言うのだろう。

 仕方なかったと慰める? 悲しい事故と泣く?

 でも、もし心の奥底で私を軽蔑していたら、あいつがやったんだと憎しみの目で睨みつけられてしまったら、それも恐ろしくて誰にも言えずにいた。

 

 結局ここでも自己保身。

 いっつもそう、何かをしても、なにかがあっても、全部怖くて仕方がなくて、逃げ出して。

 

 今日も私は後ろを見るのが恐ろしくて、振り返ることもせずに協会から離れた。

 

 

『体調悪いから帰る』

『元気になるまで無理に来る必要ないぞ、もともとお前は事務仕事する必要ないんだからな。お大事に』

 

 SNSの淡々としたやり取り。

 

 あの抉れた地面を、壊れた屋根を見る度にフラッシュバックする夜の出来事。

 一体彼女が何故あんなことをしたのか、私に分かることはほとんどないまま、ただただ鬱屈として悍ましい感覚だけが何度も蘇る。

 結局協会には戻ることが出来ず、そのまま帰路についてしまった。

 

 何かを食べないといけない。

 でも何かを意気揚々と噛む気すら起きない、当然コンビニで手が伸びるのはゼリー飲料ばかり。

 

 今倒れる訳には行かない。

 私が倒れたら、ダンジョンが近くで崩壊した時に対処できる人間が限られている。

 筋肉がいない今、私が代理として戦わないといけないのに、もっと力をつけないといけないのに。

 

 でも……本当に私みたいな存在が戦う意味なんてあるのだろうか。

 

 皆を守りたい、なんて言葉はいくらでもいえる。

 でも私はずっとずっと死ぬのが怖くて、今でも死にかける度に嫌な気持ちになって、誰かのために全てを捨てるなんて決断は出来なかった。

 誰も必死に守れなくて、強いから大丈夫だとどこか依存していた相手を失って。

 

 そしてついに、私は見知った存在すら……手に掛けて……っ

 

「うっ……」

 

 つん、と酸っぱい臭いがせり上がってくる。

 

「げぇっ…………けほっ……っ、はぁっ、はぁっ……うぅ、ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 だが電柱に縋りつき、痙攣する胃の中身をひっくり返しても、出てくるものは何一つない。

 当然だ、何もまともに食べていないのだから。

 痛みの一つでもあれば傷付く自分に酔うことも出来たかもしれない。だが無駄に頑丈になってしまったこの体を胃酸が焼くこともなく、ただ無駄に垂れ流された唾液が口角を伝うだけであった。

 

 一度心から力が抜けてしまった時、二度目に立つことがなんと難しいことだろう。

 

 いつもの帰り道、何度も通ってきた路上。

 当然のこととして繰り返して来た、『歩く』という行為が、たまらなく辛くて、たまらなく苦しくて、震える膝を虚脱感に苛まれる腕で壁を伝ってやっと出来た。

 

 今自分がどんな顔をして、どんな声を上げて、どんな体勢なのかもあやふや。

 もはや思考と肉体が完全に乖離してしまっている。今起こっていることが全てどこか遠くで起こっていて、実は私は全て夢で見ているだけで……もしそうならどれだけよかったのだろう。

 

 でも、恐ろしいほど長い道のりを歩いて、やっと見えてきた家、私の家、私たちだけの家。

 ここだけは怖くない。

 ここだけはだいじょうぶ、ママはいつもやさしい、わたしはだからだいじょうぶ。

 

「まま……」

 

 そう思っていたのに。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百九十話

 ようやくたどり着いた家の前、荒っぽい音に顔を上げる。

 

「まま……」

 

 昨日までまともに動くことすら出来なかったはずの彼女が、荒々しい足音を立てアパートの階段を駆け下りた。

 

 その表情は今までのようにゆったりとしたものではなく、遠目からでも分かるほど鬼気迫ったもの。

 苛立ちはそのまま体の動きにも映し出されていて、普段見せてくれていた繊細さ、優しさなどどこにもない。

 

 一体何があったのだろう……?

 

 ずんずんとこちらへ一直線に進む彼女の下へ、私もフラフラと寄っていく。

 なにか大変なことがあったのなら、私も協力をして……

 

「ねえ、どうした……!?」

 

 だが、伸ばした手に触れるどころか、私に話しかけることもなく彼女はすり抜けて行ってしまった。

 

「え……?」

 

 ありえない。

 だって、こんな目の前にいたんだぞ?

 それを何もなかったかのように歩いて、無視して、過ぎ去っていくなんて……まるで赤の他人みたいで。

 

 呆然とした時間は何秒だったのだろう。

 あっという間に私から距離を開けていく彼女の背中を、息切れする身体で何度も転び、必死に追いかけた。

 転び、妙にふらつくのが気持ち悪いが、それ以上に今話さなければいけないような気がして、たった十数メートルの距離を必死に走った。

 

「ママ、まって……っ!」

 

 何度目かの転倒と共に右のブーツへ手がかかり、絶対に逃がさないように全身で抱き着く。

 

「ねえっ、無視しないでっ! どうしたの……!?」

 

 激しい舌打ち。

 私を見下す彼女の目は恐ろしく冷たいもので。

 

 

「邪魔だ、離せ。第一私は貴様の母親なぞではない」

 

 

 私の大嫌いな言葉を、いとも容易く吐き出して見せた。

 

 

「……っ!? もしかしてっ、記憶が戻ったの……!?」

 

 私の言葉に彼女は何一つ返さず、淡々と私を振りほどくため足を振った。

 

 嫌だ、やめて、そんなこと言わないで。

 胸が苦しい、今すぐにでも耳を抑えて叫びたい。

 でもまだあきらめない。

 

 一緒に話すって約束したから、あきらめたくない。

 

「約束覚えてるでしょ!? お話っ、お話ししよ? 私ちゃんと聞くから、だからっ!?」

「知らん」

 

 どこまでも昏く冷たい声音。

 

 足を振る程度では離れないと分かったのか、今度は私の側頭部を蹴り始める彼女。

 最初はどこか躊躇いがあったのだろう。しかし私のレベルが無駄に高く大した効果がないと分かると、その力は次第に強烈なものになっていき、最後にはアスファルトが欠けて飛び散るほどのものにまでなった。

 

 何度も、何度も、何度も何度も。

 

 頭でダメならお腹を、顔を。

 脳みそが揺さぶられ、体中に鈍くしかし激しい痛みが走り、口の中に鉄臭さが充満する。

 それでもわたしは、ぜったいにはなさなかった。

 

 ママは、アリアはきっと話せばわかってくれる。

 だっていままでアリアは私にやさしくしてくれて、ぜったい話すって約束したんだ。

 アリアだけはわたしをすてない、筋肉みたいに勝手にどこかにいかない、ねこみたいにいきなり変になったりしない。

 

「はなし……してよぉ、やくそくしたのに……なんで……?」

「私はそんなこと覚えとらん、くどいぞ」

 

 けど、やっぱり伸ばした手は踏み潰されて。

 

 

 

 もういやだ。

 

 

 

「なに……?」

「やだ……やだ、もうやだ、もうやだ! もうぜんぶやだっ! どうしてわたしを置いていくの? なんでみんな何も言ってくれないの!?」

 

 私はただ、普通の幸せが欲しかっただけなのに。

 どうしてこんな事ばっかりわたしに起こるの!? どうしていやなことばっかりわたしに回ってくるの!?

 みんなずるいよ! 普通の家族がいて、普通に毎日を過ごして、普通に生きれて!

 なんでっ、なんで私はただママと一緒に暮らせればよかっただけなのに、ママもいなくなっちゃうの!?

 

 ずっと頑張ったのに、やっと一緒に暮らせると思ったのに、はなそうとしたのに、約束したのに!

 

 もう無理だ、限界だ、頑張っても無駄なんだ、何をしたって何の価値もないし何の見返りもない。

 どうせいくら戦ったってそんなのつま楊枝より価値のないゴミ未満のどうしようもなく歪でっ、そうだ、どうせ私がいくら頑張ったところで今生きる人たちにとっては何をしているのか一切理解することの出来ない、認識すら曖昧で存在しえない無駄な行為なんだ。

 どうせ誰にも認められない努力をどうして頑張る必要があるんだ、どうせだれも喜んでくれない戦いに何の価値があるんだ、どうせだれも私へ何もしてくれないのに、どうせ、どうせどうせどうせどうせどうせどうせ!

 

 限界だった。

 

 今さら誰かにどう思われるだとか、周囲の目を気にして躊躇うなんて余裕はなかった。

 無様で汚らしく涙とよだれを垂らして、赤黒くなった手で力いっぱいにブーツに抱き着いて、ゆさぶって、愚図って、暴れて、叫んで、泣いて、泣いて、泣いて、泣き叫んで――

 

「きっ、きかない! 何も言わない! 何もしないからおいていかないで……っ!」

「……っ」

 

 なりふり構わない私を見た冷たい目の中に、何か小さな迷いが生まれた……そんな気がしたのに。

 

 

「あ……」

 

 

 鋭い閃光が背後で起こった。

 

 どこか焦げ臭いような、酸っぱいような、生臭くも感じる臭い。

 最初に感じたそれが、私の膝から出ているんだと分かったのは、衝撃に吹き飛ばされた身体が地面に叩きつけられた時だった。

 

「あ、ああ、あああああああああああっ!? あ、あしっ、あしっ、ああああっ!?」

「――同じことを言わせるな、私は貴様の母親ではないと言っている。第一貴様に時間を割いている余裕はない」

 

 痛みはない。

 ただ伝わってくるのは、人の足が二つ無くなると、ここまで体は軽くなるのだということだけ。

 道路上に弾けた私の肉や血が、停滞する雷によって蒸発し焼け焦げていく。断面は既に黒く焼け焦げ、頬を垂れる何かすらも沸騰と蒸発を繰り返した。

 

 続けざまにおなかへ撃たれた小さな雷撃が下半身の筋肉を痙攣させ、腕にも及ぶそれは私に這いずる余裕も、彼女へ何かを伝えようとする舌も、思考すらも奪っていく。

 

 動かないと、掴まないと、ママが行っちゃう。

 いやだ、わたしをおいていかないで。

 

「二度と付いてくるなんて思うなよ」

 

 最後に見たのは、彼女が私へ何か小瓶の中身を振りかける一瞬だけ。

 

「なんで……なんでこうなるんだよ……」

 

 もういやだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百九十一話

 12月も終わりという頃、冬休みに突入した琉希は今後の予定を無数に脳裏へ浮かべながら、久しぶりに探索者協会の扉の前へ立っていた。

 理由は単純、ここで同年代ながら必死に戦っている少女を、一年に一度の日くらいとパーティに誘うためだ。

 

 実は何度か友人達にクリスマスパーティーへ誘われたはいいが、ふと思いうかんだのは恐らく当日一人でいるであろう母の姿に、つい先約があるとそれらを断ってしまった。

 母は昔から豪胆な性格で、恐らく言えば行って来いと笑い飛ばすかもしれないが、しかし家に一人置いておくのは後味が悪い。

 誰かとの交流を熱心にするタイプの人でもないが、そういえばパートで気の合う人が出来たと言っていた。

 それが何の偶然か、自身の友人でもあるフォリアが偶然拾い同棲している女性であり、その上実は彼女の母親であったらしいのだから神の気まぐれとは恐ろしいものだ。

 

 母親だったとSNSのメッセージでしれっと打ち明けられた時には、スマホを取り落し数分叫んでしまったほど。

 随分と確執があったように思えたが、しかしなんだかんだで上手く行っているようだから良いかと気を取り直した。

 

 そして今日、それなら彼女の母親と自分の母、そしておそらく隣に住むであろう芽衣も呼びパーティでもすれば、まあいい感じに寂しくなる人もいないんじゃないかと、単純かつ安直な考えで探索者協会の扉を叩いた琉希。

 

「えっ、フォリアちゃん一週間も休んでるんですか!?」

 

 が、しかしまさかの事態に遭遇する。

 肝心の彼女が一週間休んでいるという。

 鍵一曰く、休む前の数日は兎にも角にもひどい顔色、食事もまともにとれていない様子であったと。

 

 風にたなびくビニールシートの騒々しい音が響く部屋の中、眉をぐいぐいと寄せて鍵一が唸る。

 

「あー……うん、なんか連絡付かなくてさ。一応病欠ってことにしてるんだけどな。今んとこ近所で崩壊も起こってないし問題はないんだけど、やっぱ心配なのはあるわけよ」

 

 一週間連絡もなく休む、これは一大事だ。

 病気か、はたまた別の何かがあったのか。そういえば今週はメッセージを送っていないと試しに送ってみたが、既読すらつく気配がない。

 普段は、それこそ忙しい時を除けば割とすぐに返信が帰ってくる彼女。なるほど、確かにこれはちょっとばかり怪しい気配がする。

 

 事情を言い切った後、ちらりとこちらを見て何かを期待する鍵一。

 

「え、もしかしてそれって私が行く的なアトモスフィア(雰囲気)なんですか?」

「センチがナイスタイミングで来てくれて助かった! いやーナイスナイス!」

 

 横で黙々と書類を片付けていた芽衣が笑った。

 探索者希望が一気に増えたこと、そしてフォリアに限らず美羽までもが今は上の空であり、使い物にならないと急遽一時的な助っ人として雇われたらしい。

 

「ちょっと待ってください、芽衣ちゃんお隣さんなんですよね? そこは芽衣ちゃんがバシッと決めてくるべきでは?」

 

 当然のように全てを琉希へ押し付けようとする芽衣へ、腕を組みツンと唇を尖らせて琉希が抗議する。

 やっぱりそういうよね、と芽衣は痛いところを突かれたかのように頬を掻き、目を右往左往させたのち、机に突っ伏して両手を合わせた。

 

「いや、そのさ……ちょっとガチで雰囲気ヤバそうだったから、流石にウチには話しかけられないというか……この前見かけたんだけど、死んだ目で大量のお菓子抱えてたから怖かった……おねがい! 頼んだ!」

 

 彼女が見た時にはコンビニで売っているようなお菓子の袋と、ケーキの箱をいくつも抱えていたらしい。

 それだけならば随分と幸せそうな光景に思えるが、口角を引くつかせて語る彼女の様子を見る限り、残念ながらそういう顔つきではないようだ。

 

 曰くこの世の終わりだったと。

 

「え、なんですかそれ怖っ、え? どういう状況なんです?」

「あと、前は結構聞こえてたアリアさん、だっけ? との会話とか全然聞こえなくてさぁ、結構ヤバヤバなんじゃね? みたいな? 近所で色々聞いた感じ喧嘩でもしたんじゃねって思うわけ」

「ほう……喧嘩ですか」

 フォリアとアリア。

 口調は随分と異なれど、二人共あまり激しく自己主張をするタイプではなかったはず。

 フォリアに関しては時々意地を張ることもあるが、その二人が喧嘩、それも近所で噂になるほどの物をするとはあまり想像できるものではない。

 

 

 思ってもいなかった言葉に顎へ手を当て、芽衣に話の続きを促す琉希。

 うん、と頷き

 

「まあ見てる人いなかったから分からんけどね。この前の夜変なモンスターとフォリっち戦ってたんだけど、なんか道の真ん中にそれとは別の知らない穴新しく空いてたし、多分あれその跡じゃないかなって思うわけ。ウチまだ弱いからさ、仲裁とか入っても余波で死にそうだし」

 

 と情けないのか、それとも実力をわきまえているのか分からないようなことを言い、ぐわーっとおどけて両手を上げる芽衣。

 

 そういえば深夜の街が騒然とした事件があった。

 およそ一週間前、突如として現れた不気味な黒いモンスター。

 見ての通りボロボロになった協会に穴をあけた犯人だというが、そのモンスターを倒したのが近くに居合わせた少女だったというのは、結構あちこちでも話題になっている。

 芽衣の口ぶりでは、どうやらそれを倒したのはフォリアであったらしい。

 

 日付にいくらかの隔たりがある、が、鍵一の話も合わせればおおよその日付は合う。

 果たしてこれは偶然か。どちらにせよ彼女の精神状態がまともでないのは明らか、ついでに家庭状況も悪化していそうな予感がする。

 

 ――ちょっと話を聞くほどに心配ですし、あたしも気になるので見に行きましょうかね……?

 

「まあそうですね、そんな喧嘩なら私が仲裁して入ってみるのも悪くないでしょう! お任せください!」

 

 せっかくの楽しいクリスマスパーティ。

 味わうならより多く、より楽しい感情で過ごしたいもの。勿論それは自分や家族だけではなく、今までかかわった人皆がそうだ。

 当然フォリアはその輪の中でも大分身内に近い所にいるわけで、大切な友人をほっぽっては置けないと、琉希は深く頷き胸を力強く叩くと、衝撃に耐え切れず激しく咳をした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百九十二話

 フォリアの住むアパートへ訪れた琉希。

 意気揚々とインターホンを鳴らすも返事はなく、これはまさかと玄関の取っ手を引いてみれば……

 

「空いてませんね……」

 

 やはりというべきか、抵抗だけが帰ってきた。

 

 これは……留守でしょうか?

 

 いくつかの窓から中の様子を伺うも、中は薄暗くカーテンの隙間から見える範囲に動く物はない。

 一見して留守、一旦引くべきにも思える。

 が、しかし

 

「うーん、誰もいないなら帰りましょうかねぇ……」

 

 と、扉に耳を当てたままわざとらしくつぶやいた瞬間、中で何かが崩れる小さな物音がしたのを琉希は聞き逃しはしなかった。

 

 彼女は、フォリアは間違いなくここに居る。

 理由は未だ分からないが、暗い部屋の中何かに埋もれ、一人引き籠っているようだ。

 

 人は得てして誰かに会いたくない、一人で何もせず静かにしていたいという時がある。

 だがしかし本人の思うがまま一人にしておく、というのが必ずしも正しい対処ではないことは多い。

 結局のところ、ストレスの原因となるものを無くさなければ問題は解決せず、大概の場合一人では解決できないからこそ抱え、暗く塞込んでしまうからだ。

 

 この状況で家の中に飛び込むのは中々躊躇われるものがあったが、琉希には何となく、話を聞いた方が良い気がすると勘が囁いていたので、数秒の逡巡の後、勢いにすべてを任せて飛び込むことに決めた。

 

「うーん……まあ最悪謝ればいいでしょう。『覇天七星宝剣』」

 

 琉希が扉に手を掛けた瞬間、ガチャリという解錠音と共に、扉から感じていた抵抗感が消え失せる。

 

 彼女のユニークスキルは、ありとあらゆるものを七つまで専用武器として登録、自由自在に操ることが出来るというもの。

 

 しかし『一つの物』というのは非常に曖昧だ。

 

 例えば家の中にある一冊の本をひとつの物としよう。当然その本の内部に挟まれたページたちも本の一部であり、琉希がその気になれば操り、ページの一枚一枚を捲ることすら出来る。

 しかし家そのものも視点を変えれば『一つの物』として定義することが出来るし、その場合、家の中にある本も、本の中にあるページ同様、家を構成する無数のパーツの一部として定義可能であり、やはり自由自在に操ることが出来た。

 

 即ち、『一つの物』とは琉希の認識に――とはいえ限界や条件もあるようで、意思が有り抵抗する生物は当然不可、操ることの出来る重さやサイズはスキルのレベルに比例する――すべて依存するということが分かっている。

 

 夏休みの間、穂谷のチームへ一時的に加入しみっちりとレベル上げ、またその後もほどほどに戦いを続け、いつの間にか琉希はどれほどの大きさを『一つの物』として認識できるのか、自分でも分からないほどに成長していた。

 ただ一つ言えることは、少なくともこのアパート一つを支配下に置くことは容易いということだけ。

 

「おじゃましまーす……」

 

 暗い。

 

 はじめに思った感想は至極単純なものであった。

 以前来た時にはセンサー付きの物だと記憶しているが、今日はスイッチから電気が消されているらしい。

 その上小さな窓すらカーテンが閉められており、部屋に入る明かりは隙間から零れる微かなものばかり。

 

 なるほど、道理で外から中の様子をまともに見ることが出来ないわけだ。

 どこか自分自身、廃墟の探索でもしている気分になっているのだろうか。どうにも明かりをつけるが躊躇われ、スマホのライトで周囲を照らしながら琉希はゆっくりと足を進めていった。

 

 玄関に並ぶのは少女の小さな足にしか入らない白のスニーカー、高かったと自慢気に放していたもの。

 それだけだ。仲良く並んでいたはずの成人向けのブーツはそこになく、残念ながらやはりアリアは今家を離れているらしい。

 トイレ、キッチン、念のため開けて確認するも、当然そこに人はいない。

 

 琉希は軋む短い廊下を進み、フォリアや芽衣と共に遊んだリビングの扉へ遂に手を掛けた。

 

「んん、これは……お菓子の袋ですかね……?」

 

 アルミ蒸着の菓子袋達がこすれ合う派手な音に、ついびくりと身を震えさせる。

 拾い上げてみれば見慣れた物。チョコレート菓子の一種で、サクサクとした生地に染みたチョコレートが人気のロングセラー商品だ。

 

 しかし一つや二つじゃない。

 資格や三角、丸型。種類を問わず、この小さなリビングに無数の菓子袋や、コンビニのスイーツであろうプラスチック容器が転がり、互いに積み重なって甘ったるい臭いを発している。

 偶々なのだろうか? どうでもいいことなのだろうが目につく限りどれも甘いものばかり、お菓子を大量に買い込んでいたと聞いていたのだが、ポテチなどの塩辛いお菓子が見当たらない。

 

 肝心のフォリアちゃんは一体何処に?

 

 周囲を見回して目を凝らし……いた。

 別に足音を消したり、或いは扉を静かに開けたわけでもない琉希、フォリアにも誰かが入ってきたであろうことは分かっているはずなのだが、少なくとも今は無視することに決めたらしい。

 暗い部屋の隅で布団にくるまり、黙々と何か……いや、きっと買いだめした甘いお菓子だろう、を食べているようだ。

 

「フォリアちゃん」

「……っ!」

 

 照明をつけ声を掛けた瞬間、演技らしく見える程大きく彼女の身体が震えた。

 一瞬動きが止まり何か話してくれるかと思ったのだが、結局彼女は沈黙を選んだようで、袋を漁り、菓子を噛み砕く音だけがまた部屋に広がる。

 

 彼女の様子はどう見ても尋常じゃない。

 誰かに苦しみや悲しみを訴えるわけでもなく、一人で抱えることにした少女は不安、恐怖、動揺、単純な言葉では表せないほどの暗い感情を抱え、自分自身どうしようもなく食に逃げている。

 少なくとも喧嘩などと可愛らしいものではない。

 

「フォリアちゃん、お話しませんか?」

 

 ちょっとこれは……手に負えないかもしれませんね。

 

 そう片隅では思いながらも、琉希はたまらず声をかけてしまった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百九十三話

「えーっと……えい」

 

 フォリアの菓子を取り上げる。

 ここ一週間まさかまともに寝ていないのだろうか、フォリアは赤く腫れ、濃い隈が刻まれた顔を微かにこちらに向け、琉希が菓子袋を返すつもりがないと判断したらしく、無言で虚空から新たな菓子袋を取り出し、モソモソと口へ放り込み始めた。

 二度、三度と繰り返してもすることは変わらず、結局十数回繰り返して漸く彼女の手持ちは尽きたようだ。

 

 大量の菓子を買い込んでいたというのも嘘ではないらしい。

 

 何はともあれこれでちょっとは話す気になっただろうか。

 流石に一切を無視というのは何とも悲しく、布団の中からゆっくりと出てきた彼女に琉希は軽く笑い話しかけた。

 

「あのですね、ちょっとくらいお話をですね」

「……かえして」

 

 緩慢な動きで琉希の下へ寄ってきた彼女は、そ小柄な体からは想像できないほど凄まじい力でこちらの腕を握り、本気で菓子を奪い返そうと躍起になっている。

 その顔は普段大きな表情変化などしないフォリアからは想像できないほど壮絶なもので、何も知らぬものが見れば卒倒するほどだろう。

 

 あっ、腕折られそう。

 

 内心ちょっと話せばうまくいくかな、なんて思っていた琉希もこれには尻込み。

 まともに話にならなそうだと判断し、どうにか彼女の両腕を振りほどくと後退、少し遠巻きに様子を眺めることに決めた。

 

「……食べないと」

「え?」

 

 消えるほどか細い声。

 

「食べないと……もっとあまいの食べないと……幸せになれない……食べないと、早く食べないと……っ!」

「い、いや、甘いものだけじゃなくて幸せなことはいっぱいあると思いますよ?」

「あまい物はわたしのしあわせ(・・・・)なの……っ、ママもパパも笑ってた、だから甘いものは幸せなのっ! 食べないと……はやく食べないと無くなっちゃう……っ! もうとらないで! はやくかえしてっ!」

 

 少女を成す最も根本的なもの、それは幼き頃に失った家族への渇望。

 家族で机を囲み、甘味へ舌鼓を打つというありふれていて、しかし長らく経験していないもの。

 食という原始的な欲求とかつて経験した普遍的な幸福の記憶、二つの因果関係が長年の鬱積によって無秩序に掻き混ぜられた結果がこれだ。

 

 彼女は菓子を食べていたのではない。

 かすれる程昔に経験した、家族でケーキを食べるという普遍的な幸せ、甘い菓子を食べることでその幸福な記憶の残滓を必死にかき集めていた。

 苦痛と絶望に満ちた現実を諦め、甘美な思い出に浸ることで心の痛みから目を逸らすことに決めたのだ。

 

「何も知らないくせに……何も知らないくせに好き勝手言うのやめて! もういいの! 私がいくら好きにしようと私の勝手、琉希には関係ない!」

「……っ! 体壊しちゃいますよ! 将来病気になっても良いんですか!? 後アリアさんはどこに行ったんですか!」

 

 ただの家族喧嘩などではないことは流石に琉希でも分かった。

 もっと一人の手では余るもの。いや、果たしてそこへ他人が介在していいのか、はっきりとNOとは言えないが、関係ないとほっぽることも出来ない何かがそこにある。

 

 琉希の声にフォリアは目を見開くと、じわりとまた涙が浮かぶ。

 そしてしばらくシャワーすら浴びていないのだろう、本来の輝きを失いぐちゃぐちゃになった頭へ両手を当て、行く当てのなくなった感情を床へと吐き出した。

 

「ママは……アリアは出て行った……」

「はぇ?」

「私はあの人の子供じゃないんだって、あの人は私の親じゃないんだって……そう言って出て行った……!」

 

 次第に強くなる口調。

 

「もうやだ……! もうやだ! もういやなの! どうせみんな死んじゃうんだよ、筋肉だって死んじゃったのに私だけで戦うなんて無理なんだよ! もういいでしょ! どうせ死ぬなら好きにさせてよ! いらない! 苦しくなるものなんて要らない! 最期まで好きにやらせてよ!」

 彼女の話す内容は何も知らない琉希からすれば支離滅裂ともいえる内容だ。

 一体誰の事を言っているのか分からないが、その誰かが死んだ? なんて物騒にもほどがある。

 彼女の事だし、恐らく探索者の誰かの事を言っているのだろうが、まるで当てはまる人が思い浮かばない。

 

 とにかくその筋肉? なる人物の死と彼女の母との喧嘩が重なり、彼女は随分と焦燥し自暴自棄になってしまったようだ。

 人の死はどうしようもないが、せめて精神的支柱である母親との和解が出来れば、彼女の精神を多少なりとも安定させることが出来るとは思うのだが……

 

「そんなこと……言わないでくださいよ。アリアさんのことなら、もう一度やり直すことくらい……」

「うるさい……うるさいうるさいっ! 琉希は知らないんだから幸せだよね、知らないからそんなこと言えるんだよね! 私の苦しみなんて知らないくせに、のうのうと日常を過ごしてるくせに! わたしはっ、私はただ普通に生きれればよかったのに……もう何もしたくない、なにかしたらまた嫌なことが起きるに決まってる! どうせ何したって世界無くなっちゃうなら、最後まで好きにした方が良いじゃん! ねえそうでしょ!?」

 

 先ほどからどうせ死ぬだの世界が無くなるだの、なんだか壮大な内容になってきたことに額を抑える琉希。

 

 はて、いきなり中二病にでも目覚めたのかと思ったが、その割にはあまりに切羽が詰まりすぎている。

 果たして本当に世界の危機とやらが迫っているのかは分からない。もしかしたら彼女は本当にそれに立ち向かっていて、無理だと全部を放り投げてしまった……のかもしれない。

 世界だなんだはまあ取りあえず置いておいて、今はそんな事より大事なことがある。

 

「私が言ってるのはっ、フォリアちゃんの大切なお母さんがどっか行っちゃうかもしれないのに、貴女は誰に助けを求めるでもなくそうやってじめじめ暗い部屋でキノコ栽培してるのかって聞いてるんですよ! ええ!? エノキ農家にでもなるつもりなんですかぁ!? 世界なんて救わなくてもいいですけどねぇ! 貴女の本当にかけがえのない物だけは、誰かの力を借りても絶対に手放しちゃダメなんじゃないですか!?」

「うるさい! あんなのっ、あんなの私のママじゃないっ! 私の大切なものじゃない! 本人が言ったんじゃん、私の親じゃないって! もういい! なにもいらない! 私は一人が好きなの! 一人でいたいの!」

「本っ当にそれでいいんですか! この二か月、あの人と過ごして貴女は、アリアさんがそういうことを言う人だって思っていたんですか!? 貴女が家族を信じないで誰が信じるんですか、きっと理由があるに違いありません!」

「知らない! 記憶失ってた人間なんだからどうとだって変化するでしょ! アリアはそういう人だったの、私を捨てて何とも思わない人間だったの!」

 

 一体何処から取り出しているのだろうか、ボロボロと大粒の涙を流して叫ぶフォリア。

 

「そんなわけないじゃないですか! 記憶が消えようとなんだろうと、人のど真ん中にある性格なんて大して変わりません! 大体本当に気にしてないならこんな引き籠らないんですよ、貴女だってどうにも信じれなくて、割り切ることも出来なくて鬱々としていたんじゃないんですか!?」

「二か月で何が分かるっていうの!? 人の心なんてそんな簡単に分かるものじゃない!」

「分かりますっ! 私は貴女とあった時から分かりましたよ! 優しい子なんだって!」

「じゃあ琉希の目は腐ってるね! 私は他人なんてどうでもよくて仕方ない自己中心的な人間だから!」

「いーや、違いますね! 貴女が自分をそうだとそうだと思っていても、私が思う貴女が違うから違います!」

 

 もはや互いに意地の張り合いだ、そこに理論や正当性なんてものは存在しない。

 

 最初は冷静に振舞おうとしていたが、彼女の強烈な感情に当てられ、ふと気付けば自分自身支離滅裂なことを叫んでいることに気付く琉希。

 しかし湯だった頭は既に冷静な行動をかなぐり捨てていた。

 

 少女を背にすくりと立ち上がり足音荒く入口へ向かう琉希の背中に、叫んだことで若干興奮が落ち着き、一人になることの恐怖を思い出したフォリアが呟く。

 

「どこいくの……!」

「アリアさんを探します。美人ですし金髪で凄い目立ちますからね、SNSで情報を募れば明日には行く方向とかおおよその特定は出来ます。あとは私が説得して連れ戻しますから、貴女はそこでじめじめとチコリやウドの軟白栽培でもして、私が帰ってくるのを待っていればいいんです! ただし帰ってきたら必ず仲直りしてくださいね!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百九十四話

『一週間前に友人の母が失踪しました。』

 

 この文面から始まる投稿の最後に添えられた写真は、以前彼女の家で芽衣と共に遊んだとき撮った写真の一部だ。

 偶々背後にアリアのポーチが映りこんでおり、勝手にフォリアの顔を晒すことは躊躇われた琉希は、苦肉の策ではあるが特徴として一つ上げた。

 

「これは……多分違いますね、日付からして乖離があります」

 

 自室でコピーし、テープでつなぎ合わせた路線図にバツを入れながらひとり呟く琉希。

 

 情報は瞬く間に拡散され、琉希の使い捨てアカウントには大量のコメントが寄せられた。

 しかし当然そのすべてが正しいとは限らない。日付、発見した場所等地図へメモを繰り返していく地道な作業の始まりだ。

 

 恐らくアリアはこの街にはいない。

 フォリアとの諍いを見ていた人間こそ存在しないものの、幸い以前寄った和菓子屋など、彼女が早足で駅の方向へ歩いていく様子は複数人から寄せられている。

 移動手段はほぼ電車だと想定していいだろう。

 フォリアからの生活費などもあるとはいえ、家をほぼ無策で飛び出しているであろう以上無限に金が使えるわけではない、タクシーなどを使うことはほとんどないはずだ。

 

 まず一週間前、恐らくフォリアが協会に顔を見せなくなった日が起点となる。

 この日の発見情報の真偽判定は簡単だ。最寄りの駅の路線と各駅までの時間、いくつかの物を組み合わせても行動できる距離には限りがあるだろう。

 多めに見積もってもそれに引っかからないものは全て切り捨てていき、恐らく一日目は隣の県にまで足を運んだだろうと睨みが付けられた。

 

 後は似たような作業の繰り返しだ。

 時間こそかかるものの単純な作業……のはずであった。

 

「消えた……?」

 

 しかし四日目、彼女の足取りが途切れた。

 山奥にある田舎の町だ。恐ろしく何もない緑一色、強いて言えば近くにダムとB級ダンジョンが一つ放置されていることくらいだろう。

 

 そもそもこの方法は賭けの面が強い。

 金髪の容姿端麗な20代に見える女性、滅多にいるわけではないが一切いないとも切り捨てられない、目を引く容姿とはいえ相当曖昧な根拠だけでの捜索だ。

 途中で全く別の人物の情報と入れ違いになる、そもそもが偽の情報であった、条件はともかくとして簡単に途切れてもおかしくはない。

 

 どうやらこのルートは偽の情報であった可能性が高そうだ。

 

『琉希ー、飯の時間だぞー』

「……っ、ちょっと休みましょう」

 

 一つのルートを探るのにも時間がかかる。

 下から自身の名を呼ぶ母の声に集中が途切れた琉希は、彼女へ軽く返事をすると席から立った。

 

 

 大量の千切りキャベツ、唐揚げ、なめこの味噌汁、気持ち程度の漬物、そして真っ白なご飯。

 いっそ清々しいまでに男らしい、母の性格を表すような夕食が始まったのは午後七時の事だった。

 

 黙々と食事を頬張る母の前でちみちみとなめこをつつき、琉希は彼女にどう伝えるか悩み、取りあえずと口を開く。

 

「えーっと、お母さん」

「なんだ、唐揚げまずかったか? マヨネーズでも付けて食え」

 

 琉希の言葉を遮り、ぶちゅぶちゅと音を立て唐揚げに振りかけられる大量のマヨネーズ。

 

 真っ白に染まった油の塊をご飯の上に乗せながら、話をどう切り出すか悩む琉希。

 結局うまい良い訳が思い浮かばず、ここは素直に話してしまおうと腹をくくる。

 

「あのですね、あたし暫く家を離れたいんですけど」

「どこに行くんだい? あと唐揚げのお代わりいるか?」

「いります。アリアさんが居なくなってしまってですね、彼女のお子さんがあたしの友人でして……」

 

 わさわさと山盛りにされる唐揚げ。

 年頃の少女がこう唐揚げを大量に貪るのもどうかと思うのだが、探索者という動き回ることをしているとどうにもカロリーの消費が激しく、なんなら部活動をしている同世代よりも食欲旺盛な琉希。

 レベルが上がると体の色々と活発になるのか、探索者になってから肌の調子もいいので、ここは特に抗うこともなく熱々の肉塊を頬張る。

 

 少女が唐揚げを堪能しているその時、彼女の母は濃く入れた熱い茶を一気に飲み干し、熱い息を漏らした。

 

「そうか、アリアの記憶戻ったんだな」

 

 アリアと彼女は同じパートに従事している。

 記憶を失ったことは一大事であったが、そのこと自体は彼女自身気にしておらず、何か問題が起きた場合に備え周囲にも周知していた。

 当然親しくしていた彼女が知らないはずもなく、友人の失踪と彼女の抱える、蘇ったであろう記憶に思いを馳せているようだ。

 

「はい。それで友達と彼女が喧嘩して家を飛び出したらしく、それを探しに行こうかと思っているのですが……」

「そうか……その子は泣いてたか?」

「え?」

 

 いきなり飛んできた内容に首を捻る琉希。

 

 彼女にとっての友人はアリアであり、フォリアについては何度か琉希が話に出していた程度。

 あまり友人らしい友人と交流しているのを見たことがなく、数少ないといってもいい友人のアリアについて何か聞かれるとばかり思っていたので、まさかフォリアについて聞かれるとは想定していなかった。

 

 彼女は二杯目の粉茶を入れながら、スプーンを琉希に向けぐるぐると回しながら顔をしかめる。

 

「フォリアちゃんだっけ? アリアが前作業中に言ってたんだよ、娘に酷いことしたってな。随分と思い悩んでた気がするんだが、また泣かせたのか?」

「そう、ですね……ほんの少しだけ」

 

 『ほんの少しだけ』

 

 そう単純に言うのは引っかかるものがある。

 命の恩人ともいうべき大切な友人が心を病み、一人抱え、引き籠るほどの状態になるなんて尋常じゃない。

 それを引き起こした原因の一つが彼女だというのなら、たとえそれが何度か出会い、親しくしてくれた人物だとしても良い印象を持つのは難しいだろう。

 

 しかし彼女は母の友人でもある。

 それ故あまり酷く言うことも躊躇われた。

 

 しかし彼女の母はその様子を見て感じるものがあったのか、頬を掻きながらため息を吐く。

 

「別にアタシ相手だからって隠さんで良い、泣いてたんだな? 子供に苦労かけさせたり泣かせる親なんて最低だからな、しっかり殴ってこいよ」

 

 しかし自分で言った言葉にしっくりこなかったようで、首を捻りながら

 

「……まあ、あんたに探索者なんてやらせてるアタシが言えることじゃないか」

 

 と席に着いた。

 

「い、いえ、あたしが勝手にやってることですので! それに素敵な出会いもしましたし!」

 

 一回死にましたけど。

 

 まあ、あれは不幸が重なっただけなので、ノーカンだろう。

 ともかく母の承諾も得られたので、これで憂いはそもそもアリアがどこに行ってしまったのかということだけだろう。

 

 琉希は温くなった緑茶を一気に煽ると机にコップを置き、母へごちそうさまでした、と伝え二階に戻った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百九十五話

 朝……と言っても時刻は十一時、既に昼に差し掛かっている。

 

 机の上に置かれラップされていた朝食を食べ終えた琉希。

 部屋に戻って着替えなどを『アイテムボックス』に押し込み、さてそろそろ行こうかと玄関へ向かった彼女が、母親の声によって足を止める。

 

「あーほら待ちな、これ持ってき」

「こ、これは……?」

 

 ドンッ!

 

 彼女がえっちらおっちら運び、重そうに机へ置いたそれは、水筒というにはあまりに大きすぎた。

 大きく、長く、重く、そして太すぎた。

 それは正に、部活動などで使うあのタンクだった。

 

「熱い紅茶、甘いぞ」

「ああ……なるほど」

 

 ついでと言わんばかりに紙コップの束とスプーン、三つの袋入りクリーミングパウダー、しかも動物性のちょっと高めな奴を横にどさどさと置く彼女に、漸く納得がいった琉希。

 

 何か大事があると、琉希の母は必ず強烈に甘い紅茶を作る。

 受験の時、入学式や卒業式の朝、何かにつけて出されるこの強烈に甘い紅茶は、大量に入った砂糖の力もあって物凄い力が湧く。

 普段はコップ一杯なのだが……きっとこれは、彼女なりのエールなのだろう。

 

「琉希」

「はい?」

 

 全て『アイテムボックス』へ放り込み、家を出ようとする琉希へ玄関から母の声がかかった。

 振り向いてみれば彼女はやはりいつも通りに頬を掻き、何を言えばいいのかと視線を彷徨わせる。

 結局あまりいい言葉が見つからなかったようで、胸元から取り出した電子タバコを片手に口を開いた。

 

「あー、その、なんだ。……そのタンク結構高かったから必ず持って(・・・・・)帰ってこいよ(・・・・・・)

「……はい! 行ってきます!」

 

 

 昨日の夜遅くまで情報を精査したが、結局絞れたルートは三つ。

 まず一つが真っ先に見つかった、ダンジョンとダムしかない山奥。

 そして残りの二つは人の多い他県の指定都市と、ここから電車を乗り継いで一日以内に行ける街。

 

 可能性が高いのは後ろの二つだ。

 彼女が何を求めて動き回っているのかは分からないが、人の目的というものは当然、山奥より人が多くいる場所に存在することが多いだろう。

 必然琉希の選択は……

 

「――街の方から攻めていきますかね」

 

 昨日スマホにまとめた情報をちらっと確認しつつ、ひとり呟く。

 

 フォリアへ連れて帰ると啖呵を切った手前、琉希は下手に戻るつもりはなかった。

 しかし情報が曖昧過ぎる以上三か所の地点にたどり着いたところで、アリアを連れ戻せる可能性は実際のところかなり低い。

 

「琉希……」

 

 駅へたどり着いた琉希の下へ、消え入りそうなほど小さな声が投げかけられる。

 

 声の主は……いた。

 改札の横、今どき時代遅れな緑の公衆電話。小さな机の下に、更に小さくなって三角座りを決め込んでいる少女が一人。

 

「おや、フォリアちゃんじゃないですか! 見送りですか?」

「だめ……行ったらきっと殺される」

 

 恐ろしく暗い目だ。

 一人家に引き籠っていた彼女がきっと勇気を出し、どうにかここまでやってきて言いたかったことが、琉希を止めること。

 本気で彼女は、琉希がもしアリアと出会えば殺されると思っている。

 

 アリアは短いながらも母として慕い、あそこまで懐いていた相手だ。

 その相手に殺されると確信を持って言える程の出来事があったなどとは、あまり考えたくないことだが事実なのだろう。

 

「まぁさか! そうホイホイ現代日本で人が殺されてたら問題ですよ!」

 

 だが琉希はあえておどけた。

 

「琉希は何も分かってないッ!」

「ひょ!?」

 

 突然の怒声。

 びくりと肩を震わせる琉希に、勢いよく立ち上がったフォリアは肩を怒らせて立ち上がり、唇を噛み締め訴えた。

 

「死んだんだよ……死んでるんだよ……! 沢山……っ、皆が知らないだけでッ! 人は簡単に死ぬの! 理不尽に! 何も遺さないで!」

 

 これは……アリアさんとは別の話ですかね……?

 

 感情から溢れ出したフォリアの言葉に繋がりはない。

 近所の協会支部長となってから、フォリアは随分と忙しそうにしていた。

 もしかしたら彼女は何か辛いものを見て、抱えてきたのかもしれない。

 

 人は簡単に死ぬ、それは探索者になってから痛感したこと。

 一度死んだ、だがそれだけじゃない。誰も口には出さないだけで、昨日挨拶をした人が次の日から姿を現さないなんて日常茶飯事だ。

 運よく何かを持ち帰ってもらえれば幸い、大概は誰かに見つかることもなくダンジョンに吸収され、世間では『行方不明者』として処理される。

 

 琉希も既に何人かそういった人物を見てきた。

 

「……よく分かんないんですけど、まあ確かに死ぬ可能性は無きにしも非ずですね」

「それにママは私でも抵抗できなかった、一撃で足を吹き飛ばされたっ! 琉希に勝てるわけない! だからっ!」

 

 仮に戦闘になったとしたら、確かにフォリアの言う通り負ける可能性が高いだろう。

 琉希のユニークスキルは特殊だ。万物を支配下に置くことが出来る、だがしかし圧倒的なレベル差を覆すことの出来る力ではない。

 そもそも彼女自身の能力が後衛型の支援特化であり、直接の戦闘にはあまり向いていない。

 

 夏の間みっちり戦ったとはいえレベルは一万。

 日々戦い、加えてユニークスキルのおかげで恐らく琉希より断然レベルの高いであろうフォリアが抵抗できなかったのであれば、琉希には手も足も出せないだろう。

 だが……

 

「――だとしても、今の私にとっては死ぬより、貴女を放置する方が辛いんです。友人が、命の恩人が病むほど苦しんでるのに、頑張れだの乗り越えられるだの、根拠もない応援だけするなんて無理ですよ。出来ることがあるならやりたい、ただそれだけなんです」

 

 きっとあれこれと深く考えれば動きが止まってしまう。

 もし死ねば、もし何か起これば、足を止める理由を考えようと思えば、大学ノート一冊程度簡単に埋めることが出来てしまうだろう。

 

 だから琉希は考えるのを辞めた。

 

 単純だ。

 友達が困ってるから出来ることをやる。

 自分の背中を押せる、馬鹿で安直な理由が一つあればいい。

 

「……私も行く」

「はい?」

「私も行く。これは全部私から始まったこと、私の家族の事……私の手で解決しないと」

 

 彼女はボロボロの服で琉希に縋りつき訴えた。

 間近に寄ってきた彼女に琉希は額に眉を寄せ、軽く押しのける。

 

 目元に刻まれた濃い隈、寝不足から精彩を欠いた動き、それに栄養バランスの崩れた食事を一週間してきたのだ、万全の力を出せるはずもない。

 若し戦闘が起こったとして、彼女を連れて行くのはただ殺すために連れて行くのと変わらない。

 

「いや、でもフォリアちゃん……そんな状態では無理ですよ」

「無理じゃない! もし一人で行くなら琉希の足を折るッ!」

「なんでぇ!?」

 

 突如ぶち込まれた琉希の骨をへし折る宣言。

 ボロボロの風体ではあるが、ギラギラと目だけを輝かせ、ゆっくりと『アイテムボックス』から愛用しているバットを取り出す様は、間違いなく彼女が本気で()ると伝えていた。

 

「わ、分かりました……一緒に行きましょう。ええ、はい。ただその……言い辛いんですけど……」

 

 先ほど彼女が近づいて来た時から思っていたことがある。

 今は冬、なのだが……

 

「……なに?」

「まずお風呂入って服着替えません? 臭いです」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百九十六話

「候補は三つあります。ただアリアさんの目的が分からないので、どこから攻めるか結構決めあぐねてるんですよね」

 

 風呂から上がり着替えた私の前に差し出されたスマホには、琉希の言う通り三つの目的地について書かれていた。

 

 そのどれもが金髪の女性についての目撃情報があり、様々な情報をつなぎ合わせた結果たどり着いた場所らしい。

 三点のそれぞれに特徴があり、順当に行くなら人の多い場所から攻めていくのが王道だろう。

 実際琉希もそのつもりだったようで、人口の多い地点から順にマークが付けられている。

 

 だが一度、私は行き倒れたアリアを拾う前に出会ったことがある。

 

「ダンジョン……」

「はい?」

 

 それは炎来ダンジョン。

 

「……あの人と前にあったの、ダンジョンだった。倒れてるのを拾った時も、消えたダンジョンの近くだった」

 

 偶然かもしれない。

 偶々ダンジョンに寄っていた時に出会っただけかもしれない。

 

「消えた……ですか?」

「ああ……いや、兎も角ダンジョンの近くで二回も会ってる。お金目的かもしれないけど、最初に会った時魔石の回収してなかったから……それになんでか分かんないけど、ダンジョンの崩壊察知してるみたいだった」

 

 対策もなく突撃した私を一方的に倒した蛾、もう駄目だと思った時彼女が現れ、それこそ瞬殺と言える速度で倒してしまった。

 あの時のアリアはとても焦り、それこそ心底苛立っていたように思える。

 

 もし本当に時間がない人間が、わざわざダンジョンに立ち寄るようなことをするだろうか?

 食事を全くとらず栄養不足になるほどの人物だ。彼女が執着する『ナニカ』はよほどアリアにとって、そう、私なんかよりも断然重要なことで、彼女がそれをすることに憑りつかれているとしたら……ダンジョンなんてわざわざ寄る必要なんてないはず。

 

「ふむ……崩壊についての検知システムについては今年だったか開発、試験していると記事を見たことがあります……ですが大掛かりな機材を複数個所に設置してのシステム、個人で運用できるようなものではないと思いますが」

「……私も最初は冗談かと思った。でもなんかすごい説得感があって、不安で待ってみたら結局実際に崩壊が起こった」

 

 私もダンジョンの崩壊を察知するものについては知っている。

 これもやはり『炎来』で私を助けに来てくれた警官の二人、安心院さんと伊達さんから少しだけきいたものだ。

 それこそ当日に配備されたばかりでまだ詳しいことを本人たちも知らないらしく、伊達さんが持っていた計器が突然鳴り出して急行してきたと言っていた。

 

 そう、もしママがダンジョンの崩壊についてその道具を使っていたとしたら、日付に齟齬が生まれる。

 研究に金をつぎ込んでいる国から最新鋭の機器を受け取った彼らですら当日だった。どうして一般人であるママが、その計器を事前に持つことが出来るだろうか。

 

 もしママがそんな機材を持っていたとしてもおかしいし、別の方法で察知していたとしてもやはりおかしい。

 

「アリアさんはなにかダンジョンについて、世間一般よりも熟知してそうな雰囲気はありそうですね」

「……違う。きっとママの目的はダンジョンそのもの……多分。ダンジョンに何かあるんだと思う」

 

 それしか結論はない。

 血の繋がりなんて言っても、結局私がママについて知っていることはあまりに少なかった。

 

「となると可能性が低いと切ってたんですが……どうやら候補の内、ここが今のところ彼女の目的地として一番確率高そうですねぇ」

 

 彼女がスマホで開いたマップに映されていたのは、情報が候補の一つとしてあげられていた場所と一致する、ダムとダンジョンしかない山奥。

 

「ただ問題があって……」

「問題?」

 

 山奥でまともに道路もないとなれば、交通の問題だろうか。

 見たところダムへ向かうための道が細く確保されているだけにしか見えない。

 

「ええ、ここ『沈黙の雪原』って言うんですけど、Bランクダンジョンみたいなんです。場所が場所なんで調査もまともにされてませんし、名前の通り中は雪に埋もれて移動も一苦労なのが予想できます。それにフォリアちゃんレベル今いくつくらいです?」

「……六万くらい」

「ですよねぇ……あたし今一万くらいなんですけど、Bの最低が十万なので圧倒的にレベルが足りません。きっと内部に行けばもっと上のレベルのモンスターもいるでしょうし、相当厳しい戦いになると思います」

 

 平然と言ってのける彼女。

 

 レベル差は二倍ほど。

 いや、琉希に関して言えば二倍どころか十倍を超える、厳しいなんて甘い話ではない。

 下手したら不意を突いて飛んできた攻撃に対処することも出来ず、一方的に蹂躙されて終わる可能性が高い。

 

 しかし彼女は選択肢を私に預けた。

 あまりに重い。もう誰も死なせたくないのに、私はこの選択肢を選ぶしか道がない。

 

「どうしますか?」

「……行くしかない、終わらせるために。でも琉希は」

「行きますよ、最初からその予定でしたから」

「……ごめん」

 

 あえなく一人で行く選択肢は潰されてしまった。

 きっと私が一人で行こうとしても、どうにかして這ってくるのだろう。

 先ほど私が一人で行かせないよう止めたように、何かにつけて付いて来ようとするのだろう。

 

 ママと会って、話をしたところで何が変わるというのか私には分からない。

 いや、内心何の意味もないと思っている。

 ママは私に真実を言うつもりなんて一ミリもないのだ。だから私の足を潰してまで出て行ったし、約束を無視した。

 

 私自身が解決手段なんて何一つ思いついていないのに、友人を巻き込んでしまった事実が酷く苦しかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百九十七話

 枯草など、辺り一面に茶色が蔓延り、全く整備されていないのが分かる扉。

 やはりというべきか、山奥入ったダム近くのB級ダンジョンは立地、難易度などの点から全く人の手が入っていないのが分かる。

 きっとここが崩壊しダムごと消えたところで、誰一人として犠牲者が生まれることはないのだろう。

 

 ダムが無くなったらそれはそれで大変なことになりそうだけど。

 

 だが奇妙な点があった。

 恐らく長年植物が栄枯したせいだろう、扉の下の方は土に埋まっていて、下から人差し指ほどの高さにコケが生えていた形跡(・・)がある。

 

 そう、形跡だ。

 今は下の部分まで落ち葉や土がどかされていて、押せば普通に開くだろう。

 扉が開くよう綺麗にどかされた痕、そこらに広がる落ち葉と色の異なるそれらは、間違いなくここ数日のもの。

 

 いた。

 

 長年封を閉ざされてきた、日本でも一部のみしか生きて帰れないこのダンジョンに、ごく最近誰かが足を踏み入れた跡がある。

 

 ここへ来たのはほぼ賭けであった。

 琉希がたった一晩で調べ上げた三つの候補はどれも彼女が向かいうるもので、その中であえて確率の低いここを選んだのは、ただ私の経験と勘が囁いていたから。

 時間が経つほど彼女の足取りを追うことは難しくなる。それでも握った選択肢は、どうやら正解だったらしい。

 

 既に彼女がここを発ってしまった可能性もある。

 だが少なくとも、行先不明な幻影の背中を追いここを離れるより、この『沈黙の雪原』を捜索した方が可能性はあるだろう。

 

「フォリアちゃん……今なら引き返せますよ」

「……琉希、ビビってんの?」

「は、はあ? まさか! 超余裕ですし!?」

 

 コートの袖から覗く彼女の指先は先ほどから、何かを誤魔化す様に何度も指同士をこすり合わせている。

 だがきっと、私たちが感じている恐怖は同じようで別の物。

 

 本当に彼女がいるのか、彼女がいて話すことが出来たとして、私に何が出来るのか。

 無駄だ、無理だ、意味なんてない、もう進みたくない……心の中で震える私は、そんな幼稚で情けない雑言ばかり叫んでいる。

 

 どれだけ科学や魔法が発達しようと台風や地震を抑えられないように、ダンジョンの崩壊と消滅は淡々と起こり続けて、きっといつかは世界そのものが消えてしまうのだろう。

 そしてそのいつかは一年だとか十年だとか、そんなのんびり構えていられるほど先じゃなくて、もう聞くのも恐ろしいほど間近まで迫っているのだろう。

 

 どちらが幸せなのだろう。

 いつ死ぬのか分かっている私と、いつ死ぬのか分からない皆。

 直前まで恐怖を感じないと言えば皆が幸せな気もするし、その時までに覚悟を決めれる私の方が幸せな気もする。

 

 ……いや、結局どっちも変わらないのだろう。

 長く少しずつ味わうか、一瞬で全てを詰め込まれるか。

 皆、目の前に置かれた、『絶望』という毒で満たされた杯を拾い上げ、最期には飲み干さなくてはいけないのは変わらないのだ。

 

 だが、私は一つだけ皆より幸せだと言えることがある。

 その時が来るまでに『後悔』を残さないよう動ける、あれやこれをやっておけば良かったと思うことを、事前に終わらせておける。

 

 筋肉は死んだ。

 アホネコは私が殺した。

 ママは何も言わず家を出た。

 

 だからもう後悔したくない。

 死んだアホネコや筋肉はこの世におらず、もうなにも言葉を掛けることは出来ないけれど、ママだけはまだ生きている。

 会って話すことが出来る。

 

 緊張で手は恐ろしいほどに濡れているというのに、少し黙っただけで乾いて張り付いてしまった唇を舌でなぞり、私は前を向いた。

 

「……開けるよ」

「はい、大丈夫です」

 

 二人目を合わせ頷き、石で出来た扉の真ん中へ手を当て、ぐっと力を籠める。

 

『せーのっ……!』

 

 重い。

 きっと雪が向こう側で張り付いているのだろう。ポキピキと氷が砕ける音と共に抵抗が小さくなり、ゆっくりと扉が開かれていく。

 

 漸く開いた小さな隙間へ二人体を滑り込ませる。

 

 縺れる様に中へ転がり込んだ私たち。

 やはりというべきか、雪に埋もれた体を起こすため共に手を取り、どうにか立ち上がる。

 

「こっ、これは……っ!?」

「おぉ……?」

 

 一歩踏み出した私の、目の前に広がっていた景色は――

 

『さっ……寒っ!?』

 

 顔面すら張り付くほどの暴風雪であった。

 

 

「どうしましょう……」

「どうしようもないでしょ……雪止むまで待つ?」

 

 薄暗く狭い空間の中、二人の声が響く。

 

 しばらく雪の中を行軍したはいいものの、暴風によって視界一面が白に染まっていて何も見えない。

 その上服の隙間から無理やり入り込んでくる風は恐ろしく冷たいもので、体中にカイロを滑り込ませているはずなのに震える程寒く、凄まじい勢いで私たちの体力を削っていった。

 

 結局、このまま無闇に歩いていても、何の意味もないだろうという琉希の提案で、カリバーを雪へ突き立て巨大化させることで、私たち二人が座って入れるほどの穴を作り出し中へ滑り込むことになった。

 押し固められた雪は結構頑丈なようで、寄っかかる程度ではびくともしない。

 

 一応何があるか分からないから持って来たと琉希が取り出した、巨大なビニールシートで屋根を作ったその竪穴は即興の物とは思えないほど快適だ。

 体に叩きつけられる風がないだけでここまで楽になるとは。

 

 地面に敷いたビニールシートの上、肩を寄せ天を見上げる。

 吹き続ける風はビニールシートの下からでも分かるほどの音を響かせ、空気を入れるためあえてずらした隙間から見える空は、買ったばかりのキャンバスのように無機質で冷たい表情だった。

 

 しかし何といえばいいのだろう、こうやって時間が出来ると話すことがない。

 いや、きっといつもの私たちならいくらでも話すことが生まれてくるのだろうが、鬱々とした気持ちが積み重なっている今、何を話せばいいのか分からなくなってきた。

 

 こんな危ない場所に琉希連れてきて、私本当に何やってるんだろ。

 

 そんな私の手に、一つの紙コップが手渡される。

 

「これどうぞ!」

「え?」

 

 中になみなみと注がれていたのは、琥珀色の若干とろみを持った熱い液体だった。

 ほとんど準備もせず家を飛び出し、道中のコンビニで弁当を買い占めた私とは対照に、彼女はしっかりと準備をしてきたようだ。

 

 紅茶特有のえもいえぬ甘く爽やかな香りが漂い、知らず知らず凝り固まっていた額が緩むのが自分でも分かった。

 

「ぐいっと!」

「お酒じゃないんだから……んじゃ……っ!?」

 

 温かな紅茶だと思っていた私の身体が、衝撃にバカみたいに飛び跳ねる。

 喉が焼ける。

 強烈なその感覚は脳裏をぞりぞりと絶え間なくこすっては、ごくわずか、それこそ小指の爪の白い所くらいほんのちょっとの渋みや苦みが、一応これが紅茶なんだとアピールをして消えた。

 

 口内を占める驚愕すべき感覚。

 これが甘みだと理解したのは、口をつけてから数秒後であった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百九十八話

「凄いねこれ」

「凄いですよね、それ」

 

 両手をあっためるようにカップを覆い、深い琥珀色のそれをちみちみ啜る。

 

 普通の紅茶と比べても相当濃く煮だされそれに、とろみがつき、喉が焼け付くほど大量に入れられた砂糖。

 こんなのを飲むなんて冗談かと思ったが、一口含むだけで分かる、口内へ溢れる爽やかで芳醇な茶葉の香りに驚く。

 

 美味しい、信じられないことに。

 

 きっと同量の砂糖を入れられた水ではそうはいかない。

 濃く煮だされたことで、素では飲めないほど抽出されている渋み、苦み、雑味が不思議と心地いいのだ。

 ここ最近睡眠もまともにとれていなかった体に、それでも今だけは頑張ろうという活力が漲り、新たな一歩を踏み出そうという気力に満ち満ちていく。

 

 まあ外だいぶましになってきたとはいえ吹雪は相変わらずで、まともに一歩踏み出すなんて出来ないんだけど。

 

「ふぁ……」

 

 だが飲み干してみれば緊張が緩んだせいか、この冷たい氷の穴の中だというのに眠くなってきた。

 

「少し目でも瞑ってたらどうですか? 」

「雪山で寝ると死ぬって聞いたことあるけど……」

「低体温症にならなければ大丈夫ですよ。十五分くらいですかねぇ、カフェインが効くまで時間かかりますし」

 

 こちらへどうぞ。

 

 そう琉希が肩を貸してくれたので、それに甘えて寄り掛かる。

 

「じゃあちょっとだけ……」

 

 暴風とビニールシートが揺れる騒音が、今日の私の子守歌。

 体重を背中と横に預けることで、必然視線は上に。

 

 心地が良いものではないが……なんだか久しぶりに……

 

 

「あ」

 

 

 偶然見た天井では真ん丸の紅い瞳が浮かび、こちらをじっと覗いていた。

 

 

 『アクセラレーション』で琉希を抱え穴を飛び出した瞬間、横で小さなトラックほどある巨大な体が跳びあがり、頭から私たちの居た場所に飛び込むのが見えた。

 

「え? あれ?」

「琉希、モンスターモンスター。戦うよ」

「あ、はい」

 

 小脇に抱えられた彼女がいきなり外に放り出されたことで困惑している。

 スキルの効果で強化されている私はともかく、かなりの勢いで飛び出したので衝撃が心配だったが、一応力を抑えて飛んだのでそこまで問題はなかったらしい。

 

「ちょっと首が痛いです……」

「ごめん、いきなりだったから何も言えなくて……」

「あ、いえいえ、大丈夫ですよ! 『ヒール』……ほら!」

 

 自分に回復魔法をかけながら力こぶを作り(出来てない)、問題ないアピールを欠かさない彼女。

 しかし戦闘となればそうふざけ合うことも出来ない。地面に降りた琉希も真正面へ構え、モンスターの様子を確認しだした。

 

 私たちを仕留められなかったことを悔いているのか、それとも今から食いつぶすとの宣言か。

 ゆっくり雪の中から埋もれた上半身を引き摺り出したそいつは、ぶるりと体を震わせ天へ(あめ)く。

 

 しかしそれにしても美しい、雪の化身だと言われれば納得してしまう姿だ。

 そのモンスターはまるで全身雪のように真っ白で、見るからに柔らかな毛で覆われ優美な曲線を描き、加えて巨大な二つに分かれた尻尾を持っている……狐、に見える。

 今の今命を狙われていたというのにちょっと魅惑されてしまうほどだ、雪の中でゆっくりこちらへ間合いを詰める姿は、絵画から切り取ったように神秘的だった。

 

 まあ凄いかっこいいけど要するにデカくて白い狐だ、雪狐とかでいいだろう。

 

――――――――――――――――

 

種族 ベラティ・マナジリアウルペス

名前 ウハル

LV 210000

HP 302934 MP 394583

物攻 1193847 魔攻 304822

耐久 329452 俊敏 802837

知力 602847 運 61

 

――――――――――――――――

 

 だが私と琉希、共にモンスターのレベルを見て固まった。

 

 二十万。

 それは最初覚悟していた十万を軽く飛び越え、想定していたがあまり考えたくなかったレベルだ。

 

「後衛お願い」

「了解です」

 

 レベル差からして琉希は一撃でも食らえばおしまいだ。

 ここは私が表に出て戦い、少なくともある程度ダメージを耐えられるほどレベルが上がるまで、琉希には後衛に徹してもらう。

 

「おおおッ!」

 

 斜めへ全力疾走。

 獲物とばかり思っていたこちらが逃げるようにも見え苛立ったのか、不機嫌そうに甲高い鳴き声を上げあちらも駆け寄ってきた。

 爆音を上げ纏わりつく雪を弾き飛ばし、四足歩行の安定した動きで突進してくる姿はさながら重戦車だ。

 いや、重戦車なんて余裕で叩き潰してしまうほどの怪物を前にすれば、その表現も適切とは言えないか。

 

 速い……! でもこれくらいならっ!

 

 私を追い正面を取った雪狐。

 黒々とした口を開けこちらを噛み砕こうとした瞬間、

 

 

「――『アクセラレーション』」

 

 

 すれ違いざまに『アクセラレーション』を発動し、その鼻先へ『スカルクラッシュ』を叩きこむ。

 

「くっそ……!」

 

 硬すぎる……っ!

 

 柔らかな毛皮の下には分厚く頑丈な頭蓋骨がある。

 弱点であろう鼻であろうとそれは変わらず、恐ろしいほどの反動に視界が揺れ、鼻奥に鉄さび臭さが広がった。

 

 三食に点滅する視界で、ゆっくりと雪の中に顔が沈んでいく狐を睨みつけ、フラフラと後ろへ逃げる。

 

 『アクセラレーション』中の攻撃は一撃必殺だ。

 だが相手が硬ければ硬いほど加速した世界では私の身体に反動がかかり、隔絶したレベルでその影響は顕著なものとなる。

 相手のレベルが高すぎてまともにダメージを与えられなかったのだろう、『活人剣』の効果もほぼなく、ただ攻撃を食らわせただけで私は割と限界だ。

 

 

「『解除』……琉希!」

「はい!」

 

 背後に声を掛けた瞬間、スッと痛みが引く。

 

 一方的に攻撃を叩き込めたと思ったが、下の雪に衝撃を随分と吸われてしまったのだろう。

 わずかに口から血を零した狐は平然と立ち上がり軽く頭を振ると、一層不機嫌な鳴き声を上げ牙を剥いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百九十九話

「くそ……!」

 

 乱れ突きもかくやと言わんばかりに、次から次へ繰り出される一方的な攻撃。

 牙で、爪で、尾で。

 時として混じる咆哮は魔法の発動に関係しているようで、恐ろしいほど正確に私の前へ蒼のクリスタルが生まれたかと思うと、即座に起爆し雪ごと一帯を吹き飛ばした。

 

 一撃食らえばおしまい。

 吹雪は収まってきたとはいえ周囲は極寒だ。にも拘らずもう服の中は汗でぐちゃぐちゃで、やりたいことをやると恐怖を忘れたつもりでも、精神は極度に緊張を強いられているのだと嫌でも分からされる。

 

 致命的な一撃を受けそうになるも、なんとか回避に専念することで、『アクセラレーション』の併用もあり、今のところはどうにか交わすことが出来ている。

 だがそれだけ。

 こちらの攻撃はまともにダメージが入ることもなく、どうにかスキルによって回避しているに過ぎない今の状況は戦闘ではない、ただの狩りだ。

 

 それに全てを避けられるわけではない。

 掠り、足を打たれ、爆発の衝撃に脳が揺さぶられ視界がくらむ。

 チクチクと体を削られていく痛みは、たとえ回復魔法で治ろうと確実に私の集中力を蝕んでいった。

 

「フォリアちゃん! 『ヒール』!」

「ありが――っ!」

 

 ぐらりと足元が揺れた。

 

 新雪のこすれ合うような感覚ではない。

 もっと何か角ばっていて、硬質で、立つのに酷く向いていない不安定な物体。

 

 雪に埋もれた中、かすかに覗いたそれは蒼く(・・)輝いていた。

 

「な……あ……っ!?」

 

 やられた。

 これは先ほどから雪狐が発動している、魔法の前兆ともいうべきクリスタルだ。

 見渡せば所々穴が開いている。恐らくあの一か所一か所に同じようなものが埋め込まれていて、私はまんまと誘導されたらしい。

 

 視界の奥で、奴が一層勢いをつけこちらへ駆け寄るのが見えた。

 

 

 耳を劈く爆音。

 

  

 破れかぶれの跳躍は、一瞬だけ私に逃げる猶予を与えた。

 だが、目の前で広がった凍て付く爆発はあっという間に私へ追いつき、純白のコートごとこの身を叩きのめしていく。

 肉体を凍て付かせ、指から粉々に衝撃が破壊していく様を見ながらも、痛覚すら冷気に侵食されたことで感じないことに、どこか冷静な私が観察していた。

 

 

「け……ふ……」

「ひ……『ヒール』!」

 

 

 一発目は凍り付いた肉体部を、二発目は全身の傷を、三度目は失われた指を。

 

 空を舞う私へ連続して撃たれた魔法が、即座に肉体を再生していく。

 だがそれに意味はない。

 

 この広い雪原には。何もなかった。

 木も、岩も、とっかかりとしてどうこうできるものが何一つなく、ただ一面に雪が広がるのみ。

 自由落下の永遠にも思える刹那、私はその時を待つ以外出来ることはない。

 赤黒くどこまでも深い喉がこちらへゆっくり近づいてくるのを、ぼんやりと眺めるだけ。

 

 カリバーを伸ばして地面に突き立てる? 

 いや、既に横から牙を剥き飛び掛かっている狐がいる、間に合わない。

 

「フォリアちゃん!」

「――っ!」

 

 彼女が叫んだ瞬間、私の目の前にちゃぶ台程はある岩が現れた。

 

 そうか、琉希の『何とかかんとか(覇天七星宝)剣』……!

 

 それはありとあらゆるものを専用武器として登録し、好きな位置に出し入れし、操作することの出来るユニークスキル。

 目の前の岩は、まるで私に蹴ってくれと言わんばかりだ。

 

「ぜあァッ!」

 

 ガチィッ!

 

 岩を蹴飛ばし横へ跳んだ瞬間、後ろ髪の数センチ後ろ、硬質な何かがぶつかり合う音に背筋が凍った。

 

「琉希!」

「なんでしょう!?」

「今の感じで!」

「了解です!」

 

 地面に降り立ち彼女へ合図を送る。

 

 私以外私の動きを捉えられなくなる都合上、彼女の支援を受けるタイミングでは『アクセラレーション』を使えない。

 だがこの立体的な機動、特にこの平面を主とする雪原では圧倒的な優位性を作り出す。

 

 それからは圧倒的だった。

 

 飛び掛かってきたら蹴ることでそれより速く地面へ降り立ち、噛み付いてきたら目前で立ちふさがる。

 適切なタイミングで生み出される琉希の足場は、捕まり、蹴り、時には盾としてありとあらゆる面で私の回避を支えてくれた

 防ぐのに精いっぱいだった攻撃は余裕をもって避けることが出来るようになり、目が慣れてきたことでかすり傷自体も減った。

 

 だが攻めあぐねているのは変わらずだ。

 何度かすれ違いざま、或いは隙を突いて『アクセラレーション』で攻撃を仕掛けてみたものの、まともに通った気配がない。

 

 鼻は駄目だ、狭くて狙いにくい上に骨が硬い。

 背中も分厚い毛におおわれ、加えてその下にはがっちりとした背骨が構えている。

 ならば狙うべきは……

 

「琉希、おなか狙う!」

「いえすまむ!」

 

 琉希が出す二つの岩の間を跳び、舞い、捕まり落ちる。

 空中を主とした二人による協力による立体機動と、大して効くことのないスキルによるヒット&アウェイ。

 時として琉希の方向へ意識が逸れることもあるが、その時は鼻先を狙って『アクセラレーション』の一撃を叩きこみ、ダメージこそさほどでもないものの、こちらへしっかり意識を向けさせる。

 

 雪狐は巨体であるがその重さ故沈むのだろう、周囲を満遍なく覆う雪に体の半分ほどは埋まっており、弱点である腹を狙うのは容易ではない。

 

「上に出して!」

「はい!」

 

 交互に出される岩を跳び、天へ駆け上がる。

 だが狐も馬鹿じゃない。後を追うように岩へ飛び乗り、琉希の手で消されるより速く跳んでは私の後を追ってきた。

 

 五メートル、十メートル、みるみる遠ざかっていく地面。

 圧倒的レベル差と、奴自体俊敏さに重きを置くモンスターなだけあり、次第に私たちの距離は縮まっていく。

 顔一つ、牙一つ、薄皮一枚。

 ついてはまだ届かないとばかりに苛立ち、足元で激しく鳴る牙へ恐怖を覚えながらも、ただひたすら岩を上り続け……

 

 遂にその時が来た。

 

「……ッ!」

 

 次の岩が現れない。

 

 圏外だ。

 琉希のスキルがこれより先には届かない。

 

 悟った獣が岩の上に着地し、全身の力を四肢へみなぎらせるのが分かった。

 ぶるりと毛皮の下で震え撓る筋肉。

 

 そしてついに……力が解き放たれた。

 

 

『ヴォウッ!!』

 

 

 雪より白い牙から、だらりとよだれが垂れる。

 瞳が、追い詰めた獲物を屠る喜びで、嗜虐的にきゅうと縮んだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百話

 思い付きだった。

 

 『累乗スカルクラッシュ』の衝撃は、現状あまりに大きすぎてまともに耐えることが出来ない。

 それは『アクセラレーション』中のスキル使用すら軽く上回るもので、ポーションを口に含んでなお瀕死の傷を負うほどだ。

 

「待ってたよ、この時をさ」

 

 私が岩から飛び降りたと同時に、下の、雪狐が跳躍に使用した岩が消えた。

 

 支えを失い、ゆっくり重力に引かれる私の体。

 がばりと開いた口が遂に、おなかへぴったり差し掛かり……

 

「『アクセラレーション』!」

 

 急速に近づいていたモンスターが、まるで空中にぴったり固定されてしまったかのように固まる。

 

 深呼吸。

 

「堕ち……ろっ! 『スカルクラッシュ』!」

 

 反動でこちらの身体が浮かび上がると共に、殴りつけた狐の頭がゆっくり、ゆっくりと下に向かって曲がっていく。

 

 地面とは異なり、空中では私を支える足場がない。

 つまり、普段体を蝕む反動のエネルギーは、回転など別のベクトルへ変わる。

 

 要するに……

 

「よっと。『スキル累乗』対象変更、『スカルクラッシュ』」

 

 上へ浮かび上がった私の身体は、いつもと異なり酷い手傷を負うこともなく、琉希によって生み出された岩の裏側へ着地した。

 

「『解除』」

 

 その瞬間、まるで見えない壁にぶつかったかのように雪狐はのけぞり、腹を晒しながら凄まじい勢いで地面に向かってすっ飛んでいく。

 

 だが指をくわえてそれを見ているだけではない。

 こちらも背後の岩を蹴って飛び出すと、地面に向かって高速の落下へ興じた。

 

「琉希ぃぃぃ! 今すぐ『リジェネ』撃ってええええ!」

 

 必死の叫び。

 彼女が実際に聞いているのか、動いてくれるのかはもう見ない。

 轟々と風の音が耳元で唸る。

 切るように冷たい空気がコートの内側へ潜り込み、全身の服が煽られ暴れ出した。

 

 迫る地面。

 先に叩きつけられた雪狐が雪を巻き上げ、無様に腹を晒して突き刺さっているのが見えた。

 

 もしこのまま落ちる勢いと共に、『累乗スカルクラッシュ』を使ったとしよう。

 その時、私はスキルそのもの反動と地面へ衝突する衝撃、加えてあの硬い敵を殴った時の反動によって死ぬだろう。

 だがやらなければいけない。

 

 これは賭けだ、だが決して分の悪いものではない。

 その上、上手くいけば……『累乗スカルクラッシュ』の反動は、大幅に抑え込むことが出来る。

 

 視界の端から飛んできた輝きが身を包み込み、痛みがかすかに引いたのが分かった。

 

 

 

「ぉ

オッ! あっ、やば、『スカルクラッシュ』『アクセラレーション』!」

 

 

 

 

 力尽きた狐がゆっくり消えて行く。

 

『レベルが合計15382上昇しました』

 

 こういう表現は不思議な気分だが、まあ雪に出来たクレーターとでもいうべきなのだろう。

 私の背丈など軽く飛び越える程積み重なっていた雪が吹き飛び、黒々とした地面の上に私たちは立っていた。

 

「凄い攻撃でしたね……」

「まああれ使ったら死ぬからね」

「頭大丈夫ですか? いや、それより生きてるじゃないですか!」

「うん」

 

 ぺたぺたと二の腕などを触られながら、想像以上に上手くいったことに安堵する。

 

 『累乗ストライク』、そして『累乗スカルクラッシュ』。

 当然スカルクラッシュの方が強力な武器ではあるが、縦方向の攻撃は使い勝手が悪く、そして何より衝撃のきつさから今まであまり使ってこなかった。

 

 もし『アクセラレーション』中に累乗スキルを使ったら? この答えは簡単で、まあ死ぬ。

 なら、もし『累乗スカルクラッシュ』を使う途中で『アクセラレーション』を使ったら?

 

 雪狐との戦いの中でふと思いついたのだ。

 

 『アクセラレーション』は私の認識からすれば世界が遅くなるだけだが、その実体は私の認識や肉体自体を大幅に強化し、超高速で動いているに過ぎない。

 超高速での行動を耐えられるほどに強化された肉体……その状態なら『累乗スカルクラッシュ』の衝撃を最大限抑えることが出来るのではないか、と。

 

 今まで『アクセラレーション』は高速での移動か、攻撃力を高める手段としか思っていなかった私には、これは目からうろことでもいうべきものであった。

 非加速状態で『累乗スカルクラッシュ』を撃った場合、『アクセラレーション』を発動しても当然速度はそのままだ。

 勿論モンスターに当たるまでの時間で多少速度が上がるかもしれないが、所詮十数センチの距離、大した加速にはならない。

 

 どちらにせよ現状ではじり貧だ。

 ダメージはさほど与えられていないし、琉希の回復魔法だって無限に使えるわけではない。

 何度も殴り続ければ勝てるだろうが、こちらの疲労は恐ろしい勢いで溜まっていくし、今後の戦いを考慮するのなら出来る限り素早い決着をつけるしかなかった。

 

 そして予想は現実になった。

 琉希の『リジェネレート』、『アクセラレーション』に寄る強化、そして『活人剣』による回復によって、私は今も全くダメージを負うことなくぴんぴんしている。

 

「琉希」

「はい?」

「もう大丈夫」

 

 実際こちらが傷一つないと分かり安心したのだろう、今度は周囲の層になり圧縮された雪をなぞり、氷みたいですねとつぶやいていた彼女が振り返る。

 

 一撃だ。

 腹という骨もなく内臓に近い弱点とはいえ、一撃でレベル二十万を超えた雪狐を屠った。

 

 これは希望だ。

 圧倒的にレベルが上の存在でも倒しうる、新たなる武器だ。

 まあ『アクセラレーション』と『累乗スカルクラッシュ』の両方を使うので、MPの消費が激しく無限に使えるわけではないが。

 

 もし、ママとの戦闘になったとしても……っ。

 

「行こう、他のモンスターも探そう」

「ですね!」

 

 ともかく、せめて二十万レベルにたどり着くまでは、このダブル使用で一気に駆け抜けよう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百一話

 慣れない雪原、己のレベルをはるかに上回る強敵相手との戦闘は相当の体力を使う。

 今は荒れ狂っていた風も随分と落ち着いたので、モンスターの接近を視認できるということもあって、二人雪の上でシートを敷き休憩していた。

 

 休憩中、食べ物を食べながらとなれば必然口が軽くなる。

 しかし、やはり最も話題になるのは戦闘方法の事だろう。

 

 現状私たちは互いに欠点を補う戦闘を行っているが、共闘自体は相当久しぶりだ。

 当然今日まで何もしてこなかったわけもなく、新たなスキル、発見、様々な経験を通して戦術を構築してきた。

 互いのスキルを知り、戦いを知り、活用する。この難所を乗り越えるにはそれが必要だ。

 

 先ほど私の新たな発見も伝えたが、今度は彼女のスキルについてが話題に上がった。

 

「そういえばさ」

「はい、なんでしょう?」

「琉希のスキルってどこにでも武器出せるじゃん、相手のモンスターの体内にそれ出したりとか出来ないの?」

 

 ぺちぺちと横に立つ岩を叩く。

 

 私のユニークスキルが一点突破の特化型とすれば、彼女のそれは圧倒的な万能型。

 数百メートル先ですらほぼ正確に物を召喚する精密性、さらにその全ては専用武器としての不壊性を持つ。

 ちょっと残酷な発想かもしれないが、この岩や鉄パイプなんて体内に召喚してしまえばきっと強力な攻撃になると思う。

 

「あー……最初の頃チェーンソーとかで試したんですけど」

「うわ……」

 

 体内で、チェーンソー……うわ。

 

 彼女は顎に指を当て、私よりヤバイ考えをしれっと口にした。

 

「え、なんであたし引かれてるんですか!? んん……まあともかく、あんまりレベルが高い相手には出来ないんですよ。なんか抵抗されているというか、こう、ぐいっと押し戻される感じで」

 

 どこまで押し込もうとしても限界があり、それ以上はどうしようもない様だ。

 

 私にもスキルの攻撃に反動がある様に、彼女のスキルも何でもかんでも出来るわけではない、と。

 現実はおせちがからい。

 

「基本的に抑える力とかもレベルとか私のステータス依存みたいなんですよね。最初はモンスターを箱に閉じ込めた後水に沈めて倒せるかなって思ったんですけど、強い敵だと蓋押し返されて逃げられちゃうんです」

「なんというかさ……発想が全体的にえぐくない?」

 

 身振り手振りで説明する様子は日常的だが、内容が一々壮絶なのはどうにかならないのか。

 完全に考えがマッドな奴だ、後衛とかヒーラーが持っていい発想ではないと思う。

 

 

「なんで穴の中の私たちの場所ばれたんだろ……」

 

 ずっと疑問に思っていた。

 

 確かにあの穴は急ごしらえの避難所だ、完璧な装備だったとは言えない。

 だが私たちの隠れる穴はビニールで覆われ、その上には雪が積もっていた。

 あの狐と戦っているとき、奴は穴をあけて爆弾を埋め込んでいたわけだが、真っ白な世界では穴や隙間だとは全く目立たない。

 

 ましてや当時外はそこそこ風が吹き荒れ、巻き上げられた雪で視界は最悪だったはず。

 正確に場所を探し当てるなんて難しいんじゃないだろうか。

 

「多分耳だと思います」

「耳?」

「狐って犬の仲間で耳良いんですけど、寒い所の狐って雪の中に穴を掘ってる動物の位置を音で聞き分けて狩るんです。モンスターも似たような性質を持っていたとしたら……」

「なるほど……」

 

 穴の中で会話していた私たち。

 風の音とはまた別、甲高い人間の声なら聞き分けも可能……なのかもしれない。

 いや、それにしても良すぎる気がするけど、たしかにそれなら辻褄が合う。

 

 ん? ちょっと待てよ。

 

 ここでふと、いいアイディアが浮かび上がってきた。

 もしあの狐がそうやって狩りをしているというのなら、雪の中にもモンスターがいるんじゃないか。

 しかも狩られているということはつまり、狐よりレベルが低いということ。

 

 一見ナイスアイデアに思えたこれであったが、彼女は首を振って拒否した。

 

「いえ、狐を狩りましょう」

「え……でも狐に狩られてるモンスターなら、もっと弱くて狩りやすいんじゃないの?」

 

 それに経験上だが、一つのダンジョン内で比較的レベルが低い敵は、強敵に比べてやはり数が多い。

 勿論強い方が一回でのレベル上昇は大きいが、この広い雪原であの狐を探すのはちょっと一苦労だろう。

 

「雪の中から探す方が大変ですし、戦闘も結構制限されるんじゃないでしょうか?」

「あー、確かに」

 

 なるほど、確かにそれもそうだ。

 雪の上にいる狐と、雪の中にいる道のモンスター。

 戦いやすいのは当然雪の上だ。足元は不安定だが今はその心配もないし、雪の中は生き埋めになる可能性だってある。

 

 一人だったら気付かず行動して氷像になっていたかもしれない。

 

 頷いた私へ、琉希は自信満々な顔を浮かべ、なにやら『アイテムボックス』をガサガサと漁り始めた。

 

「それよりあの狐の耳の良さを逆に利用しましょう!」

 

 そういって自信満々に彼女が取り出したのは、ケースに色々なものがついたスマホであった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百二話

 沈黙の銀世界。

 

『――♪』

 

 微かだが静寂を破る様に流れ出したのは、流行りのポップな電子音。

 ありがちな歌詞、ありがちなメロディ。しかし陳腐だからこそ馴染みやすく、広い世代で人気が出るのだろうか。

 その下らない歌詞が三度繰り返された頃、遠方から音源に向かって立つ雪煙と共に巨影が姿を現した。

 

 雪狐だ。

 

 走ってはふと止まり、まるで人が何か疑問にでも思う時のように小首を傾げる。

 だが人が首を捻る事とは性質が異なり、雪狐のそれは疑問を表すのではなく特定の意。

 右と左、優れた聴力を十全に活用することで音の発生位置を特定し、狩るための技術だ。

 

 甲高い女性の声はたとえ雪の奥深くからでも広域に響く。

 

 一見すれば周囲と見た目も変わらないが、ほんのわずかにこんもりと盛り上がった場所があった。

 その一メートル、いや二メートルほど下から音が聞こえる。

 

 雪の中でもはっきり分かるほど、深紅の瞳がきゅうと狭められた。

 いつもの狩りだ。深い雪の下に穴を掘り、ここなら安全だと気を抜いた獲物に食いつくだけ。

 ただそれだけ。

 

 位置、深度、野生の勘は恐ろしいほどの精度で全てを察知してしまった(・・・・・・)狐が、雪を強く踏み込み……跳躍した。

 

 高い。

 不安定な足場もものともせず空を舞い、一本の槍と化した身体が雪へ深々と突き刺さる。

 獲物を狩る為の正確無比な一撃。

 

 遂に、人の指より太く、並みの剣先より鋭い牙が雪を抉り、雪の奥にいるはずの音源(・・)へ噛み付いた。

 

 

「行ってください」

「うい」

 

 

 その瞬間、上空から小さな影が純白の背中へ跳んだ。

 だが雪の奥に顔を突っ込み、何か硬いものを必死に噛み付いている雪狐が知る由もない。

 

 墜ちる。

 

 何かが風に煽られる音が大きくなり、漸くなにかが近づいてきていると察したのだろう、ゆっくりと雪の中から頭を引っこ抜いた雪狐。

 だがここらに己と敵となるようなものなど全くおらず、それ故逃げるつもりもなかった余裕が仇になった。

 

 

「『スカルクラッシュ』……っ、『アクセラレーション』!」

 

 

 耳奥に突き刺さる衝突音。

 

 剥き出しの後頭部にカリバーがめり込み、首の骨ごと何もかもをへし折っていく。

 獣が地面へ突っ伏すより速く振り抜かれた棒。

 軌道に沿って生まれた暴風が雪をえぐり取り、新たにクレーターを生み出す。

 

 ぐりんと目を剥き、モノクロに点滅する視界で雪狐が見たのは、己の毛皮に似た白いコートを羽織る、普段の獲物より断然小さな二本足の怪物であった。

 

 

『レベルが合計7028上昇しました』

 

「倒したよ」

「了解でーす」

 

 岩に乗り空から降りてきた琉希へ、ポイッと地面に転がっていたスマホを投げ渡す。

 彼女はそれを受け取ると、渋い顔をして纏わりついた涎をハンカチで拭い、ふぅ、と息を零した。

 

 弱点を狙わなくてはまともにダメージを与えられなかったのも過去の話、とはいえ時間にしてみれば僅か二時間ほど前だが。

 狐を狩る度跳ね上がるレベルとステータス、そして二種類のスキルによる連携は既にレベル二十万を超すモンスターであろうと、骨の上から叩き潰し容易く屠れる程度にまで成長した。

 

 琉希のスキルで破壊されなくなったスマホを雪に埋め、大音量で音楽を流す。

 その間私たちは岩に乗っかって上空に上がり、モンスターがやってくるまで息を潜めて待つ。

 最初聞いたときはまさかそう上手くいくのかと思ったが、上空は想像以上に風が強く、吐息などが紛れてしまうのは盲点だった。

 

 そしてホイホイ寄って来た狐を空から襲撃する。

 わざわざ広範囲を探索し動き回る狐を探さなくとも自分から寄ってくるのだから、こんなに簡単な狩もない。

 しいて言えば空は下よりも滅茶苦茶寒いのと、一度戦闘をする度大きな音が鳴ってしまうので近くの狐は逃げてしまうらしく、また別の場所で行わなければならないということだろう。

 

 

「『ステータス』」

 

―――――――――――――――――

 

結城 フォリア 15歳

LV 102834

HP 205670 MP 514175

物攻 205675 魔攻 0

耐久 617015 俊敏 719853

 

知力 29678 運 1

 

 

SP 180530

 

―――――――――――――――――

 

「大分レベルも上がってきましたね、あたし八万超えました」

「うん……でも上昇量も落ちて来た」

 

 二人厳しい顔で頷く。

 

 ニ十万レベルのモンスターだ、当然今でも一匹を倒すだけでの上昇量はすさまじいものがあるし、決して遅いなんて言えるものではない。

 私たち以外の人が聞けば耳を疑うだろう。たった一匹を倒すだけで一万だのとレベルが上がるなんて、それでも遅いなんて贅沢を言うなと。

 

 だが今の私たちには、それでももどかし(・・・・)かった。

 

 恐らくアリアはここに居る。

 しかしわざわざ中に入ったということは、目的を果たしいつかそこから離れるということでもある。

 勿論出来る限りダンジョンの入り口から距離を取らないようにしているし、人影が向かったかどうか見過ごさぬよう二人で監視してはいた。

 だがこうやってレベルを上げている間にもアリアは何かを進め、作業の終了に向かっているだろう。

 

 そろそろ、より高いレベルの敵を探す……?

 いや、もしこの狐が捕食者だとしたら、このダンジョンで最も強い雑魚はこいつらの可能性が高い。

 

「琉希、そろそろ……あれ? それ……」

「え? あっ、これは……」

 

 そろそろママを探そう、そう言おうと振り向いたときだった。

 

 彼女のベージュ色をしたコートが赤く染まっている。

 胸元から、ほんのわずかだがじんわりと、奥から何かが湧き出している。

 

 私が指を指したことで気付いたのだろう、ボタンを外し、ちらりと中へ視線を向けた彼女は不思議そうに小首を傾げた。

 

「あー、なにか怪我しちゃったみたいです」

 

 痛みなどはほとんどないのだろう、自分でもよく分かっていない様子だ。

 

「大丈夫?」

「ええ、もう黒い瘡蓋(・・・・)付いてるみたいですし、多分ちょっと剥がれちゃったんじゃないでしょうか! それにほら! 『ヒール』、ね?」

 

 相変わらず自信に溢れた顔で回復魔法を撃った彼女は、コートを再び着込むと、むん、と胸を張り、ふにゃっと笑った。

 

 きっと戦っている間にあらぬ方向へ飛んだ氷の欠片などがぶつかったのだろう。

 戦っているときは興奮が酷く、私自身多少の擦り傷などはあまり痛みを感じなくなる。

 

「そういうのなんだっけ、エンドウマメ?」

「エンドルフィンですか?」

「そう、それ」

 

 まあそういうので痛みを感じないだけだろう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百三話

「よし、準備はいい?」

「はい、そっちも大丈夫ですか?」

 

 琉希の問いに右手を上げることで答える。

 

 レベル上げを続けるのか、或いはアリアを探すのか。

 どちらにも利点があり同時に欠点も存在するが、今はやはり第一の目標を優先するべきだろう。

 

 即ちアリアの捜索。

 

 ダンジョン内で彼女が何かをしている、そう仮定した場合に立ち寄るであろう場所の候補は少ない。

 例えば特定のダンジョンにのみ足を運んでいるならばまた別だが、いくつものダンジョンをめぐっているとすれば、ここでなければとダメと言えるような場所が目的ではないだろう。

 全てのダンジョンに共通し、特異的な場所……つまりボスエリアがアリアの目的だと想像できる。

 

「な、何!?」

 

 突如、遠くの空が激しく輝きだした。

 

 多少は凹凸が確認できたはずの雪面。

 しかしその強烈な光によって影すらも消し去られてしまい、天も地も、何もかもが光に染まってしまった。

 

 新たなモンスターの襲撃か!?

 

 そう思い、背を合わせ無言で構えていた私たち。

 しかししばらくすると輝きにも慣れ、周囲を見回す余裕が生まれてくる。

 

「……なんですかねあれ?」

 

 初めに声を上げたのは琉希であった。

 彼女が構えていた方向の空へ、途方もない大きさの輝きが浮かんでいた。

 

「んー……? 魔法陣、的な?」

 

 自分でも魔法陣とは言ったが、複数の円形が重なっている様にも見えただけで、それが明確に魔方陣だと言い切れる自信はない。

 真っ白な空に真っ白な魔法陣とは、幾ら眩く輝いていようと見づらいにもほどがある。

 

 ぐぐっと目を細め空を眺めるがイマイチどんなものなのか理解できない、ただ魔法陣っぽいなーという適当な感想だけであった。

 

 うーん、なんだか点滅しているような……いや、ちょっとずつ光が強くなって……?

 

「……っ! フォリアちゃん! 顔を伏せて――」

「ほお゛っ!?」

 

 極光が天を突いた。

 ついでにガン見していた私の網膜も突いた。

 

「あびゃあああああああめがあああああああああ!?」

「ひ……『ヒール』!?」

 

 強烈な光は例え目を閉じていても貫いてくると知ったのは、視力が回復する一分後の話であった。

 

.

.

.

 

「あー……」

「どうですか?」

「うん、もう大丈夫」

 

 強烈な光で目を焼かれた痛みが未だに残っているような気すらする。

 

「あれ、多分そう(・・)だよね」

「ええ。一応モンスターの技かもしれませんけど……」

 

 うっすらと考えていたことだが、琉希もそうだと頷くのならほぼ間違いないだろう。

 

 ダンジョン内でモンスター同士が争い、捕食をしている可能性はある。

 だがあれだけの巨大な魔法陣、いきなり空に浮かび上がったあれが狩りに使われたとするのなら、それは雪狐以上の強敵だ。

 いや、そもそもそれだけ強いのならあんなもの使わなくたって普通に狩れるだろう。

 

「方向は……あっちか」

 

 そんなものを使う必要がある可能性を持っている存在なんて、ただひとりだけだ。

 アリア。

 ママがあそこにいる、何かをしようとしていた。

 

 未だ空に残り続ける燐光。

 しかし既に事は為し終えたのだろう、先ほどまでの燦爛たる輝きは落ち着き、空に浮かぶ魔法陣自体もゆっくりと崩れ落ち始めている。

 

「行こう」

「はい」

 

 流石の私でもあれを見て、ああ、アリアも作業を頑張っているんだなぁ、なんて暢気な感想を浮かべることはできない。

 天を占める程デカい魔法陣だ、どう考えてもあれを作るためにアリアはここへ足を運んだのだろう。

 要するにあの魔法陣が完成したということは、彼女の作業自体が終わった、目的を完遂したということに他ならない。

 

 最終的にアリアもこのダンジョンから出るというのなら、入り口に待ち構えることも作戦の一つだろう。

 しかし入り口近くで出会うということは、彼女に逃げる道を与えるということでもある。

 彼女からすれば私たちとわざわざ話す必要がない以上、上手く誤魔化し一瞬の隙をついて外に出てしまえば、空間が制限されたこの狭いダンジョンと異なり、どこに行ったかなどを追うのはほぼ不可能。

 

 この先に存在する彼女の目的すら分からないのだ。

 ここに来て場所を突き止めたのですら運だったのに、その先の特定なんて出来るわけがないだろう。

 

 ここで全てを終わらせるしかない。

 

 ふと、雪と凍て付く外気に冷え切っているはずの掌が、やけに濡れていることに気付いた。

 

 またか。

 また私はこんなところにまで来て、覚悟も決められないのか。

 

 小さく唇の端を噛むと、じんわりと鉄さびの香りが広がった。

 

 ここまで冷静を保ってこれたのは、まだレベルが足りないと、戦いでレベルを上げなくてはいけないと誤魔化せたから。

 いよいよ対面するとなって、私は今更恐怖を覚えたのだ。

 

 それでも進むしかない、もうここまで来てしまったのだから。

 全ては……

 

「後悔を無くすために……」

「何か言いました?」

「ううん、いこ」

 

 

 一直線に歩き続けた。

 雪を掻き分け、雪を掻き分け、というか雪以外掻き分けるものもなかった。

 

 歩くといっても十万レベルの探索者だ、雪程度大してなかったものとして歩き続けられるし、そもそもの速度が並ではない。

 あっという間に私たちの背後には、雪へ深々とした跡が刻まれていった。

 

 互いに声をかけ、振り返り、方向を間違えぬよう自分たちの跡を振り返る。

 

 指を立て、雪の跡がまっすぐに刻まれているのを確認しながら歩いた先、真っ白な世界にポツンと小さな濃緑色が生まれた。

 それは歩き続ける度次第に大きくなり、緻密なその外見も確認できるほどまでに近づいた頃。

 

 森というには木々が少ない、ちょっとした林だ。

 無数の木々が乱立する隙間、しかしそれだけではなく、かすかな光が溢れていることに気付く。

 

「――なにかいる……!」

「フォリアちゃん、準備を」

 

 その光は大小二つ(・・)の人影を浮かび上がらせ、ゆっくりと大きな影が倒れるのすらもはっきりと見えた。

 

 歩みが加速していく。

 逸る気持ちが抑えきれない、もっと早く、はやく、そこに行かないといけないような気がして。

 木々に覆われた森の地面は雪が薄く、先ほどまでの動きにくさはどこへやら、私たちの歩調はもはや唯の疾走へ変わっていた。

 

 なんだよ、これ……

 

 深々と刻まれた無数に走る何かの跡、燐光を残しゆっくりと点滅をしている。

 

 円の中心に二人。

 一人はコートを着込み、力なく倒れる金髪の女性。

 そしてもう一人は同じく金髪を風に舞わせ、無言で立ち尽くす少女であった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百四話

 地面に転がったママの周りには無数の魔石が転がり、その大半は魔力を搾り取られたのだろう、さらさらと塵になって空気に溶けていく。

 

「ママ!? ねえどうしたの!?」

 

 私が叫び、地に倒れ伏す彼女へ駆け寄った瞬間、少女は酷く驚いた様子で飛び跳ね距離を取ると、木の裏に隠れ、訝し気な表情でこちらを覗いた。

 

「なんだ貴様か。しつこいな(・・・・・)

 

 しかし少女は私の顔を見て何か納得するように頷き、きっと目つきも鋭く睨みつける。

 

 こちとらコートや服を着込み、全身にカイロを貼り付け漸くまともに闊歩できるというのに、彼女はベージュ色の、薄いワンピース一枚、その上裸足で平然としていた。

 雪と風の吹き荒れる極寒の地だ、たとえ木が多少それらを防いでくれるといったって限度がある。

 

 何か警戒しているのだろう、ちらちらと木の影から現れては周囲を見回し、すぐに身を隠す彼女。

 私と似た色、しかし腰ほどまである金髪の隙間から、一般的な人のそれと比べ長い耳が覗く。

 

 こいつ……どこかで見たことがあるような……?

 それにこの喋り方は何か、どこか引っかかりがある。

 

「お前は誰だ! ママに何をした!?」

「……アリアはもう要らん。貴様が来たのなら運ぶ手間も省けた、もう持って帰っていいぞ。私にはまだすることがある」

 

 持って帰れ……?

 人の母親を……まるで道具みたいに……!

 

 うっとおし気に手をひらひらと振る彼女。

 そこに、私の質問などへ答えようなどという意思は爪の先ほどもなく、早く私たちと別れたいという意思だけがあった。

 

「何様のつもりだよお前……!」

 

 間違いない、こいつは何か知っている。

 

 そもそも数年、或いは十年以上人が全く立ち寄っていなかったであろうダンジョンで、同じタイミングで同じ場所にいるなんてのがもう怪しさを醸し出している。

 間違いなくこいつはママと一緒にここへ入り、何かをしていた。

 先ほどの巨大な魔法陣もこいつが絡んでいるに違いない。

 

 いや待て、もう要らない(・・・・・・)……?

 

 もし協力していたのなら、その口ぶりは妙だ。

 これではまるで……ママを何か利用していたみたいじゃないか。

 

 カリバーを握る手に力が籠る。

 

「フォリアちゃん」

「なに!?」

 

 その時、後ろから手首を掴み、琉希が私に声を掛けてきた。

 

「冷静に行きましょう」

「――っ、……わかっ……てる……」

 

 冷静、今必要なのは冷静だ。

 

 ママ一人が何かを企んでいたとばかり思っていたが、まさか見たこともない(・・・・・・・)相手が出てくるとは。

 彼女は一体何者なのか、ママの豹変と何か関わりがあるのか、気絶している彼女の代わりにそれを聞きだす必要がある。

 

 激情を抑える様に黙り込んだ私の代わりに、琉希が前に出て声を張った。

 

「貴女の名前や目的を教えてください、アリアさんに何か手を出したんですか?」

「私が貴様らに言って何か利点があるのか? 無いだろ? 敵か味方も分からんような相手に時間をかけて、わざわざペラペラ事情を話すような蒙昧がいるか? もう少し考えて喋ったらどうだ間抜け。まあ、貴様は見るからに頭の緩そうな顔をしているから、そんなことも分からないんだろうがな」

「フォリアちゃん、あいつぶっ殺しましょう」

「え!?」

 

 こちらに振り向いた琉希は、表情こそいつもと変わらない笑顔ながら、口角がとてもひくついていた。

 

「ん゛んっ、何も話すつもりはないんですね?」

「何度言ったら分かる? それとも一からバカ丁寧に説明しないと理解できないのか?」

「琉希、無駄。何も言うつもりないと思う」

 

 気を取り直し彼女に話しかける琉希だが、最初から警戒しこちらに全く近寄ってこないあたり、彼女には最初から、私たちとやり取りするつもりなど毛頭ないのだろう。

 事実、少女の右手は微かに光を帯びており、こちらが何かを仕掛けた瞬間攻撃をかまそうというのは目に見えていた。

 

「まずはボコそう」

「……ですね」

 

 にじり寄る私と、ゆっくり後ろに下がる琉希。

 

 話を聞かないなら、話をしたくなるくらいまで殴る。

 かつてなら兎も角今の私に躊躇いはない。ママを利用し、何か下らないことを企んでいるような人間、幾らでも殴り倒してやる。

 

「……時間がないと言っているんだがな。だがその未熟で軽率な行動、アレ(・・)の仲間ではないらしい」

 

 私たちのレベルは年齢と比べはっきり言って隔絶した差がある。

 それ故か油断しているのだろう、少女は呆れたように首を振ると漸く木の裏からゆっくり姿を現した。

 

 そしてゆっくりと手を上げ……

 

「殺しはせん」

「――《アクセラレーション》!」

 

 

 振り下ろされる瞬間、彼女の動きが止まった。

 

 

 彼女の指先が指す先は私。

 恐らく武器を持つ私を優先して潰そうとしたのだろうが、今回はのんびり受けるつもりもない。

 

 彼女の背後に回り込み、『アクセラレーション』を解除する。

 

「……ごめん、ちょっと痛いよっ! 『ストライク』!」

 

 無防備な背後で、足元を狙っての横薙ぎ。

 

 強化を一切していない一撃だが、そもそも今の私はレベル10万を超える探索者。

 大岩を砕き、トラック程度なら吹き飛ばせるであろうこの攻撃、様子見としてはちょっと派手で過剰ですらある。

 

 音より速く背後に回り込み、風を切っての一撃。

 後ろに回ったことにすら気付いていない少女、これは貰ったと思った瞬間。

 

「――え?」

「強いな、年齢に似つかわしくない」

 

 激しい衝突音。

 

 何故か彼女は振りむいており、カリバーを素手で掴み上げ平然としていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百五話

「くっ、離せ!」

「青いな。力だけで経験が足りない、端的に言って未熟で歪だ」

 

 押しても引いてもびくともしない、とんでもない力でカリバーが掴まれてしまっている。

 私と見た目の年齢も大して変わらないのに、圧倒的なレベル差が彼女との間にはあった。

 

 集中しすぎていたのだろう。

 視界の端で、彼女の片手がゆっくりと伸びてきていることにようやく気付く。

 

 思い出せ。そう、こういう時は……

 

『武器だけに』

「――固執しないっ!」

 

 脳内で蘇る彼の声。

 過去の記憶に従ってカリバーを手放し、ついでに少女の顎を蹴り上げ後退。

 

 その瞬間、轟音を響かせ私の居た場所に雷撃が落ちた。

 

「あぶなっ!?」

「ふむ……案外聡いか」

「生憎とっ、素晴らしい師匠が私にはいるからねっ!」

 

 だが一発で当てられるとは考えていなかったのだろう。

 左右へランダムにステップを踏みながら高速で走り回る度、一瞬前に私がいた場所がはじけ飛ぶ。

 

 雷撃そのものは恐ろしく速く、目で追うことなんて出来そうにない。

 加えてその恐ろしい威力。かつて体験し、先ほどカリバーを掴まれた力から鑑みて、恐らく今の私ですら一発食らってしまえばアウトだ。

 しかし全て直線であり、彼女の腕からまっすぐにしか飛ばないのが幸いだ。

 

 時々恐ろしいほど正確に私の進行先へ雷撃が飛ぶが、その度琉希によって生み出された岩が盾代わりとなって防ぐ。

 流石のアシストだ。

 

 しばらく逃げ回っていると、ふと雷撃の音が消えたことに気付く。

 どうやらいったん打ち止めのようで、私もその隙を突いて琉希の下へ舞い戻る。

 

「ごめん、取られちゃった」

「鉄パイプならありますよ」

「ん、それでいいや。ありがと」

 

 彼女が『アイテムボックス』から取り出した一本の鉄パイプ。

 スキルの拡張性から様々なものを入れているのだろう、グリップなど握りやすさこそ劣るものの、今はカリバーの代わりに振れるものがあるだけでありがたい。

 

 軽く力を籠めるも歪みすらしない。彼女のスキルで強化されているので頑丈だ、これならいける。

 

「やはり奇妙だ、貴様らは年齢の割に魔力が多すぎる」

「私からすればこんな寒い中、裸足に服一枚のお前の方が変だけどね」

 

 見ていて寒々しいにもほどがある。

 

 しかし腹立たしいことだが、彼女にとって私たちの事は敵ですらないのだろう。

 視線は右へ左へ、そして独り言にしてはあまりに大きい呟きと共に、しかし私たちの質問には一切答えないまま、少女は私のカリバーを適当に振り回しながら思案に沈み込んでいた。

 

 少し動き回ったせいなのか、はたまた別の理由からか額に汗が垂れる。

 

 はっきり言ってこいつ強すぎる。

 ちょっと攻撃を与えて縛るだとか、手加減だとかなんて言っていられる状況ではない。

 

 反撃の意志はあっても本格的に攻撃してくるつもりがないのなら、これは一旦撤退するのも選択肢に入れるべきか。

 

「私はそういう風には創っていない(・・・・・・)はず……まさかアレがなにか仕掛けて……? おい貴様、負荷(・・)はどうした?」

「ふか……?」

 

 思考と共にあちこちへ彷徨っていた彼女の目線が、突如として私たちへ突き刺さる。

 

 ふか、ふかってなんだ。

 まさかフカヒレのフカじゃないだろう、いきなりサメが出てくるのはB級映画だけで十分だ。

 

 何を言っているのかさっぱり分からない。

 彼女の中で巡り、完結した問いをいきなり私たちに投げかけられたところで、それに完璧な返答を返せるのはエスパーだけだろう。

 もし会話する意思が有るというのなら、一から説明くらいしてくれたっていいじゃないか。

 

「ふん……気が変わった、直接見た方が早い」

 

 しかし残念ながら説明より己の目で確かめることを選んだらしい。

 

 何を言っているのかと私が眉をひそめた瞬間、一直線に空を舞い(・・・・)、猛烈な勢いでこちらへ飛び込んでくる少女。

 

 来る……!

 

 握り慣れぬ鉄パイプを正面に構え、浅く息を吐き出す。

 覚悟を決めたなんて言った手前恥ずかしいことだが、正直気圧されてしまっていた。

 

 小さい体であるが凄まじい威圧感だ。

 今まで全く動くことのなかった少女、圧倒的に力の差がある彼女が自発的に攻撃を仕掛ける。

 その飛翔は速さに自信のある私ですらもはや影としか捉えられず、ほとんど反応することも出来ず、ただこの身に襲い掛かってくるであろう衝撃に構えることが限界であった。

 

 

「ぐぅっ……!?」

「琉希!?」

 

 

 だが、想定して居たそれは来なかった。

 

 背後から響く苦悶の声に振り向く。

 

 浮かんだまま琉希を掴み上げ、彼女のコートを引っ張る少女。

 琉希も岩やチェーンソーを操り必死にぶつけるが、そのどれもがまるで当たってすらいないように弾き返されている。

 

 やられた。

 目的は最初からアタッカーの私ではなく後衛である琉希か……!

 

「お前……っ! 『アクセラレーション』!」

 

 不味い……!

 

 

 

 しかしあと一歩のところまで近づいた瞬間。

 

「ふん。所詮魔術の体系すら理解していない貴様らが、この私に勝てるわけないだろう」

 

 無数の光輝く魔法陣が少女の背後から展開される。

 

 こんなもの……嘘でしょ……?

 

 魔法なんて使えないし、使っているところだってこんなに無数の魔法陣が折り重なり、一枚の巨大な魔法陣を形成しているのなんて見たことがない。

 いっそ芸術的とすら言える、緻密な文字と幾何学によって描かれた極光の芸術品。

 

 圧倒的だった。

 そして同時に理解した。彼女は理外に存在する怪物なのだと、私たちが歯向かってはいけない存在なのだと。

 

 決して誰も介入することの出来ないはず(・・)の加速した世界。

 しかし彼女は琉希を手放し、地面に叩き落される(・・・・・・・・・)彼女を気にする素振りもなくこちらに振り向くと、呆れたように顔をしかめた。

 

「――!? は」

「貴様が遅いだけだ」

 

 

 加速した世界で声が伝わる訳がない。

 信じがたいことだが、私のスキルは発動した瞬間に打ち消されてしまったらしい。

 

 それに気づいたのは、お腹へ恐ろしい勢いでカリバーが叩きつけられ、めり込み、吹き飛び、いくつもの木へ叩きつけられへし折り、力なく地面へ転がった後だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百六話

 恐ろしい勢いで吹き飛び、力なく地面に倒れ伏す金髪の少女。

 

 気道ごと押さえつけられていた琉希。

 新鮮な空気を求め喘ぎ、焦点の合わない視界で叫び、必死に手を伸ばす。

 

「けほ……フォリ……ちゃ……!」

「言っただろう、殺しはせんと。生きてるよ」

 

 琉希の振るった腕から連続して光が飛び出し、地に伏せピクリともしないフォリアの身体へ溶け込んでいく。

 回復魔法が拡散せず彼女の身体に取り込まれていくあたり、敵の言葉を信じるのもしゃくではあるが、どうやら確かにフォリアは生きていることは間違いがなかった。

 

 己にも魔法を投げ、震える膝へ無理やり力を籠め、目の前に立つ少女の皮を被った怪物へ意味もない戦闘態勢を示す琉希。

 

「貴女の目的は何ですか!」

「またそれか、二度同じ問答を繰り返す趣味はない。それより他人に質問をするなら、ちょっとくらいはこちらの質問に答えたらどうなんだ? ん? 貴様らの技術と乖離したその魔力、どうやって手に入れた?」

「……魔力とは、一体何のことを指しているかにもよりますね」

 

 先ほどから気になっていたが、目の前に立つ彼女は殺意がない。

 それは絶対的な力の差からいつでも捻り潰すことが出来るという余裕の表れか、それとも別の目的があるのか。

 それは先ほど吹き飛ばされた彼女からしても把握できることだ。

 

 支援に特化している琉希には岩などを操る物理攻撃しか持ちえず、それが通用しない相手には元よりフォリアが居なければ勝ち目などない。

 今琉希に出来ることは、出来るだけ情報を引き出すことのみ。

 

「勘が悪いのか? それとも分かっていてすっとぼけているのか? レベルだよレベル、貴様らのレベルは私の創り上げた(・・・・・・・)システムから反している」

「それですよ! さっきから! その口調、まるで貴女の言い振りは……」

 

 その先を口にするのは躊躇われた。

 

 そんな言葉、今どき小学生だって口にしない。

 続く言葉は恐ろしく幼稚であり壮大、それを躊躇いなく口にするような人間は間違いなく奇人変人の烙 印を押されるだろう。

 あり得ない。

 

 深い嘆息が森に響く。

 

「……まあいいか、これくらいなら。そうだ、貴様の考えている通り……」

 

 しかし琉希の予想は裏切られる。

 

「ダンジョンシステムの基礎(・・)は私が構築した。いわば生みの親、創造主というわけだな」

 

 これが事実なのだと、彼女はとんでもない虚言を、さも当然というかのように眉一つ動かさず言い切ってのけた。

 

 

「そ、そんな大法螺……騙されません……」

 

 

「貴様を騙して私に何か利点でもあるのか? 聞かれたから教えてやったのに、どうしてそう素直に人の言葉を受け取らないのか、私には理解に苦しむね」

 

 ぺちぺちとフォリアから奪い取ったカリバーを手で弄び、不思議そうに首を捻る少女。

 

 

「そんなことはどうでもいい。それより貴様らの力についてだよ」

「――っ!?」

 

 瞬間、確かに距離を取っていたはずの距離がゼロにまで縮まる。

 

 フォリアほどしかない身長、琉希を仰ぎ見る様な体勢、端正な顔立ちはともすれば可愛らしいと顔がほころぶものだろう。

 しかしこの鼻と鼻が触れ合うような近さで、琉希は恐怖以外に覚えるものはなかった。

 

 一体何が彼女の気を引いたのかは分からない。

 しかしこの知的欲求に突き動かされたであろう怪物を、酷く刺激してしまった自分の何かを強く呪った。

 

「確かめさせてもらうぞ、身体の隅々までな」

 

 金を纏った少女の瞳が見開かれる。

 

 抵抗は出来なかった。

 いや、暴れようと手足を動かそうとするも、手足の先に発生した魔法陣からまるで見えない糸でも飛び出しているかのような抵抗があり、激しく暴れる度に酷い虚脱感に襲われてしまう。

 

 腕や足などの衣類を剥かれ、小さな手で確かめる様に触られる。

 なぞり、握り、時には爪先で引っかかれた。生殺与奪の一切を赤の他人に委ね、なすがままにされることの恐怖は一言では表すことが出来ない。

 

 まだ目的すら果たしていないというのに。

 

「――っ!」

 

 最後、コートの上から滲む血に意識が向いた少女。

 人差し指で軽くなぞり、それがまだ乾ききっておらず、今しがた流れたばかりであることに気付いた彼女は、軽く鼻を鳴らしてボタンを外していった。

 

「やはり……」

 

 ポツリと漏れる言葉。

 

 そして胸の谷間に輝く、黒い結晶(・・)へ軽く爪を立てると、同時に伝わってきた鋭い痛みで顔を歪める琉希の顔をじっと眺め、予想通りの物があったとばかりに頷いた。

 

 サイズは丁度親指の爪ほどだろうか。

 突けば痛みが身体に伝わり、性質からしても一見大きな瘡蓋に見える奇妙な塊。

 事実、琉希とフォリアはそれら(・・・)を、よく分からないがただの瘡蓋として扱っていた。

 

「まだ魔力の蓄積が浅い、出来たのはごく最近だな」

「な、にを……はなして……くだ……」

「まあ知らんだろうな。私はそもそも、これが出ないように創ったのだから」

 

 質問とその返答は全て少女の中で完結していた。

 琉希の疑問は彼女にとってわざわざ答える価値のない物であり、一切の説明もないまま事だけが進んでいく。

 

「だが貴様は幸運だ、発症(・・)する前に私と出会えたのだからな。五体投地してその僥倖を噛み締めていいぞ」

 

 そして琉希の胸元へ手を当てたまま少女は、尊大な笑みを浮かべ無数の魔法陣を展開した。

 

 輝きに飲み込まれる二人。

 琉希の呻き、叫び、苦痛に喘ぐ声が木々の間へ響き渡った。

.

.

.

 

 

 強烈な煌きが収まった後、少女の手には黒々とした魔石(・・)が一つ握られ、琉希の身体は地面へゆっくりと崩れ落ちた。

 

 なにもかもが抜き取られた脱力感。

 激痛と何が起こっているのかすら理解できない絶望に精神は酷く摩耗し、焦点の合わない視界が目の前に立つ少女の裸足だけを映している。

 絶叫に焼け付いた喉はもはやまともに声を上げることすら難しい。ただ、掠れた虫の息だけがむなしく零れるだけであった。

 

「終わったぞ」

 

 しかしその苦痛を味合わせた少女は顔色一つ変えずに宙を浮かび、手元でいつの間にか握っていた魔石を弄び、なにかぶつぶつと独り言を呟くのみ。

 しかし観察でも終わったのか、それをワンピースのポケットへ仕舞い込むと、おもむろに周囲を見回しては一点へ視線を定めた。

 

「次はあっちだな」

 

 その先に居たのはフォリア。

 傷が多少はふさがったのだろう、しかし痛みから素早い行動も出来ず、ゆっくりと立ち上がる為に震える彼女。

 

「――っ、いかせ……な……っ、『覇天……!?」

 

 沸き上がる激情。

 せめて逃げる一瞬だけでも稼ごうと、不透明な思考の中使い慣れた物を投げようと腕を振るう琉希。

 

 だが、地に崩れ落ちた彼女が背後の虚空から取り出した巨岩は、まるで支えることが出来なかったかのように一直線に落ち、使用者であるはずな彼女の両足を叩き潰した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百七話

「ああああああああああああッ!?」

 

 琉希の肉、神経、骨格、両足が重さ数トンはある岩によって磨り潰される。

 絶え間ない電気信号の瞬きは思考を赤のアラート一色に染め、もはや感じているのが痛みであるのかすら理解できないまま、ただ上半身だけが壊れた人形のように暴れ狂っていた。

 

 普段は何気なく動かしまわっていた物体。

 だが、たとえそれが落ちたところで本来、今の琉希にとっては多少の重量感は感じても、ここまで身動きすら取れないことがあるはずがない。

 

 まるで一般人だ。

 七万というレベルアップの恩恵が一切なかったことになり、ダンジョンで戦ったことのない人間のように、圧倒的質量の前に手も足も出すことが出来なかった。

 

「やっと静かになったか……」

 

 うっとおしそうに琉希の叫びを聞き続けていた少女は、彼女が気絶したとみると岩を蹴り飛ばし、虚空から取り出した輝く(・・)ポーションをジャバジャバと適当にぶっかけ背を向ける。

 

 関心がない、とでもいえばいいのだろうか。

 彼女にとって気を引いたのはその力の根源と代償であり、数瞬前に会話を交わした琉希自身への興味は存在しなかった。

 

 

「さて、今度は貴様だな」

 

 冷たい目をした金髪の少女が私の前に立つ。

 

 逃げることは出来なかった。

 まだ琉希が倒れている、それにママだって……そして何より『アクセラレーション』で背後に回ったにもかかわらず、平然と受け止められたあの反応速度。

 上手く逃げ延びられる気がしなかった。

 

「お前……琉希になにを……っ」

 

 彼女に会話を交わす気がない以上意味のないことだと分かっていても、疑問を投げかけてしまう。

 

 ぼやける視界の中、私には琉希があの岩を操れていないように見えた。

 あり得ない。ここまで来るのにあれだけ自由自在に扱っていたものだ、第一彼女のレベルならちょっと上から岩が落ちて来たからと言って、あんな叫び、遠目から見ても痛々しいほどに苦しむはずがない。

 

「私が何かを言った所で貴様は信じるのか? どうせ疑うだろう? 歩み寄る気のない相手と無駄に時間をかける必要なんてないと思わないか?」

 

 やはり、望むような返答は返って来なかった。

 

 今度は私なのだろう。

 先ほど琉希へ何かをしたように、めんどくさそうにこちらへ手を伸ばしてくる少女。

 地面を転がり少女の射線上から離れようと試みるも、あっさり魔法陣によって束縛され空間に貼り付けられる。

 

「顔だけかと思ったが……」

 

 ピリピリとした小さく、しかしどこか神経を抉るような鋭い痛みに顔が歪む。

 

 両目尻にある小さな瘡蓋を弄りながら、少女が小さくつぶやいた。

 その顔には自分の興味を引くものを見つけ、何か熱中しているような感情さえ浮かんでいる。

 

「大きいな。複数箇所への顕在か……相当進行してるな」

「はっ、はな……せ……!」

「私は掴んでおらんよ、なんて言葉遊びがそんなに好きか? む、太ももにもか……いや、結晶の大きさからして腕から先に出たのかこれは……?」

 

 コートを掴み上げ、捲り、身体のあちこちを弄られる不快感。

 何より彼女が何を考えているのか分からない苛立ち、恐怖が綯い交ぜに襲ってくる。

 しかし両手両足を固定されてしまえばそう大きく動き回ることも出来ず、最後には諦め、静かに彼女のそれを受け入れるしかなかった。

 

「本当は疲れるしあまりやりたくないんだが。まあ貴様には色々と迷惑をかけたようだからな、ほんの詫びだ。なに、礼はいらん」

「ふざ……っ」

 

 何も説明されることすらなく、一方的に告げられる言葉。

 

 遂にその時が来た。

 両腕が操られ前へ突き出されると、彼女の両腕が輝き魔法陣が展開される。

 

 一つ一つはそう大きくない、Mサイズのピザ程度だ。だがそれが円形や立体など様々な形で組み合わさり、最終的に描かれた魔法陣の大きさはもはや壮観というほかない。

 そして同時に、私と目の前の少女の間にあるどうしようもない力の差というものを再度突き付けられた。

 

 ――まだ何も出来てないのに……!

 

 こんなことをされるために来たわけじゃないのに。

 なにしてももう駄目だって分かってても、最後にこれだけはって、やっとの思いでここまで来たのに……!

 

 輝きが一層のこと強烈になり、視界の何もかもが白で塗りつぶされていく。

 同時に何か(・・)が無理やり引き剥がされる、暴力的なまでの痛み、吐きそうなほどの脱力感、精神そのものが変異するかのような苦しみが全身を襲った。

 

 

 苦しい、痛い。

 でも、そんなことより……ッ!

 

 

 

 前に突き出させられながらも硬く握りしめた拳の中で、ピキ、と小さく罅の入る音が鳴った。

 

 それは目の前の少女に吹き飛ばされた時、地面を転がりながらも掴み取った魔石。

 彼女があの極光を生み出すために使ったであろう残骸。

 

 私より強い奴がわざわざ使っていた魔石なら、それは間違いなく相当の品質。

 中に蓄えた魔力も膨大なものなはずで、必然、生まれる爆発は彼女の喉元に届くかもしれない……!

 

 一旦罅が入ってしまえばあとは早かった。

 大して力の入らない手でもあっという間にそれは広がっていって、小さな欠片がボロボロと指の隙間から零れていく。

 

「おい、何握ってるんだ。見せてみろ」

 

 魔法陣の光が薄れ、何をしたかったのか分からないものの、彼女の緊張が緩んだのが分かった。

 ゆっくりと近づく彼女に向って震える膝で走り、どうにもならない感情を叫ぶ。

 

 破れかぶれだ。

 どうせ効かない、それでも一撃を叩きこみたい、ただそれだけ。

 

「ばっ……!?」

 

 私の握るものが何か気付き、初めて少女の表情が変わった。

 

「ァァァァァァァァァああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!」

 

 そして、熱が指先から零れ……

 

 

 

「くそっ、どうしてこうなるんだよ……!」

 

 そこに、フォリアの姿はなく、吹き飛んだ雪とむき出しになった地面を染める、肉と血、そして彼女のコートや靴だけが転がる凄惨な光景だけが広がってきた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百八話

 なにがおこったの。

 

『希望の実の特殊効果による、レベル10以下の復活判定が行われます』

 

 生きてる、わたしは?

 

『失敗』

 

 しんだ?

 

『失敗』

 

 もう、いいのか、どうしたら、わかんないよ。

 

『失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗……』

 

 ぱぱ、まま……

 

『成功』

 

 

 いくらがんばっても、なにしても、みんなきえちゃうのに。

 

 

『レベルの復旧を開始します』

『魔力配分の最適化を実行』

『スキル累乗の対象を経験値上昇へ変更』

『レベルが合計、2582902上昇しました』

 

『名称……未定義。カナリアの記憶より名称、魔蝕と定義。以降ステータスへの記載を統一』

 

 

「どうしてこうなるんだよ……!」

 

 ポツリと少女が呟く。

 彼女のワンピースは弾け飛んだ臓物と肉片で赤く染まり、ここまで決して動揺を示してこなかった顔には、初めて焦りの表情が浮かんで

 

 フォリアによる決死の爆破は、少女に傷一つ与えることはなかった。

 所詮は使い終わった後の魔石。たとえ元々彼女に届きうる魔力があったとして、既に中身の大半は消費されている。

 

 しかしフォリアにとっては違う。

 小さな爆発と言っても元が強大な魔力を秘めた魔石のものだ、琉希同様、一般人程度まで力が衰えていたフォリアにとって、それは致命的な一撃になりえた。

 

「ああもうっ! 漸く肉体の再生が出来たってのに、次から次へと! くそっ、魔蝕への対症術式は無駄になるが急いで蘇生を……っ!?」

 

 フォリアから取り出した魔石を地面へ置き、彼女の肉片を集め出す少女。

 未だ生ぬるい血の滴るそれを拾い集めては、細かなものは雪ごとかき集め、一か所へ山を作り上げていく。

 

「……っ!? 一体何が……!?」

 

 だが、彼女の手がピタリと止まった。

 

 肉片が震えている。

 無念の叫び? まさか、物言わぬ肉塊に恨みつらみ、感情などというものは存在しない。

 

 やがて一か所に寄せられた血肉は、まるで逆再生するかのように結合を始め、それでもなお飛び散り足りない部分へ、無数の光が集まって新たに補われる。

 時間にしてたった数十秒。燦然たる輝きに包まれたまま、少女は生まれたての姿で地に伏せていた。

 

「む、貴様あの実(・・・)を食っていたのか……! 良かった、死んだかと思ったぞ……! ああいや、死んでたんだがな」

 

 嬉々とした表情を浮かべ、未だ寝転び、目を固く瞑った彼女の肩をバシバシと叩く少女。

 だが、その顔もあっという間に曇った。

 

 フォリアに集まる光の粒が、耐えるどころか増している。

 

 肉体の再生は完了している、同時にフォリアの初期化されたレベルも元に戻ったはず。ならばこの膨大な魔力は何故集まってきているのか。

 

 それは偶然が絡み合った、神による悪戯とでもいうべきものであった。

 初期化されたレベルの復旧、それは空になった体内へ魔力を取り入れる、実質的に『レベルアップ』と同じ過程を踏む事象。

 再生されたフォリアの肉体はレベルの復旧をレベルアップと認識、『スキル累乗』と『経験値上昇』によってその吸収量は爆発的に増加。

 そして魔力の供給源はダンジョンそのもの、普段モンスターを狩る時のように魔石の魔力を抜き切れば終わりともならず、限度がほぼないと言って良いだろう。

 

「う、うううあああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!?」

「お、おい! 何が起こってんだよ!? まっ、魔蝕……っ、何故だ!? 不味い不味い不味い不味い不味い不味い……ッ!?」

 

 だが少女はダンジョンシステムについて詳しくとも、フォリア個人の力については当然把握していなかった。

 ただ、先ほど同様に魔方陣を展開し、彼女へ集まる魔力を拡散させんと奮励するも、更に集まる膨大な魔力によってその魔法陣は打ち砕かれ、共に体内へ吸収されてしまった。

 

 目を見開き、血管を浮かび上がらせ叫ぶフォリア。

 

 漆黒の尾が生える。柔らかく見え、その実鋭い毛におおわれた巨大な尾が。

 腕が変異する。その矮躯に似つかわしくない巨大な、無数の黒々と輝く鱗に覆われ、甲には巨大な結晶が生えた竜の腕へと。

 瞳孔は縦に裂け、頬には涙の痕にも見える痣が。

 

 少女の奮闘むなしく、フォリアの体の節々が変異していく。

 だがその変化に指向性はなく、怪物達の四肢を千切っては乱雑に継ぎ接ぎしたように、どこまでも歪で悪趣味な、悍ましい姿であった。

 

 手の尽くし様もなく呆然としていた少女であったが、目の前の存在だけではなく、背後からもうめき声が聞こえてきたことに気付き意識を取り戻す。

 

 琉希だ。

 パーティ契約を結ぶことで魔力の供給がつながってしまった彼女もまた、本人であるフォリアほどではないとはいえ、流れ込んできた魔力に苦しんでいた。

 

「おい貴様! 目を覚ませ! さっさとパーティ契約を解除しろ!」

 

 抜き取った魔力を上回る魔力が流れ込み、消えたはずの結晶が新たに胸元へ発生した。

 あっという間にそれは大きく、濃い色へ変化していくのを見ながら、少女は必死に琉希の顔を叩いて意識の覚醒を促す。

 

「な……に……」

「こっ、この私の言う通りにしないと痛いことするぞ!?」

 

 脳内に絶え間なく響き続けるレベルアップの声。

 何かが流れ込み、心臓を圧迫するかのような苦しみと、息をする度走る鋭い痛み、吐き気、眩暈。

 混乱と苦痛の二重苦は琉希の思考を掻き乱し、この耐え難い苦悶から逃れられるならばなんでもいいと、自覚と無自覚の合間を行き来する認識でパーティを解除した。

 

 ようやく解放され、しかし即座に感覚が消えるわけもなく、えずき、胃の中を地面に吐き出す琉希。

 だがそんな彼女を気遣っている時間も惜しいと、少女はその肩を力強く握りしめ叫ぶ。

 

「良いかよく聞け! アリアを連れてさっさとここから逃げろ! 詳しいことは後でせ」

『ア゛ア゛ッ!』

 

 獣の唸り。

 視界を横切る巨腕。

 ゴミのように吹き飛ばされ、轟音と共に何度も地面へと衝突し、視界の端へ消える少女。

 

 

「……へ?」

 

 

 理性を失った怪物を目の前に、琉希は小さく疑問を漏らす事しかできなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百九話

「え……?」

 

 琉希は驚愕した。

 

 先ほど圧倒的な力を振るい、己とフォリアを打ちのめした金髪の少女。

 しかし彼女の声で目を覚ませば、突然現れた怪物によって為す術もなく一方的に蹂躙されていた。

 

 もはや己の目にはその一挙一動の速度についていくことも出来ず、攻防については何も見えていない。

 だが時々呻き、叫び、直後に姿を消す怪物と、同時に空中でボールのように吹き飛ばされる彼女の姿を見れば、きっとあの異形が何かをしていることは容易に想像できた。

 

 ここまで出会ってきたモンスターは様々な姿を持っていたものの、そのどれもがしっかりとした姿の軸を持っていた。

 しかし今目の前に立つ怪物はどうだろう。歪んだパッチワークは生物として異形であり、モンスターとしても常軌を逸している。

 それはあまりに絶対的な存在で、こんなB級のダンジョンに存在してはいけない、狂気と暴力の化身であった。

 

「……っ、今がチャンスですね! フォリアちゃん! アリアさんを連れて逃げましょう!」

 

 しかし裏返せばこれは運が良いとも言える。

 本来の目的はアリアと出会い、フォリアと本心を聞き出すこと。

 間違いなく関係者である彼女から話を聞き出せないのは痛いが、何故か興味を持たれ、逃げることすら叶わなかった先ほどと比べれば、彼女が怪物に襲われこちらに何も出来ない現状は何倍も幸運であった。

 

 怪物が肉を打つ水音が響き渡る森に、琉希の呼び声も加わる。

 

 アリアは丁度、琉希の右手数メートルの位置で寝転んでおり、後はフォリアさえ戻ってくれば逃げられるのだ。

 そう、思っていたのに。

 

「え……?」

 

 琉希は視界の端で、赤と黒のコントラストが広がっているのに気付いてしまった。

 

 木々の表皮にへばり付く肉片、滴り、凍り付き始めた血。

 吹き飛ばされた雪とべっこり凹んだ……いや、吹き飛ばされた地面は、明らかにただならぬ事態の起こった証。

 

 そして何より、その中心に転がる靴と、元はアイボリーであったダッフルコートが、一体そこで何が起こったのかを表していた。

 

「くふ……っ!」

「ひっ!?」

 

 唖然としていた琉希の横へ、恐ろしい勢いで叩きつけられた少女。

 雪や土が激しく飛び散り彼女にも降り注ぐが、それを気にしていられない程、現状あまりに琉希は無力であった。

 

 圧倒的レベル差においても致命的なものだけは避けていたのか、しかし全身を深々と刻む傷、そして無数の打撃によって作り出された打撲傷は重傷という言葉が軽く思える程。

 

「おい貴様……ポーション持ってないか……?」

 

 恐怖に歪んだ顔が琉希へ向く。

 あの尊大な少女はどこへやら、今の彼女は一見先ほどと態度は変わっていないように見え、内心の恐怖が全て筒抜けになっている。

 

「はっ……はいっ!」

 

 彼女のあまりに無様で哀れな姿は先ほどの少女と似ても似つかないもので、つい数分前まで敵であった彼女へ、つい緊急用のポーションを差し出してしまう琉希。

 

 彼女が未だに握っていたカリバーを漸く手放し、震える手でつかんだそれを嚥下した直後。

 

『シャアッ!』

 

 再び、横から現れた巨腕によって吹き飛ばされる。

 

 その一撃に、躊躇いや手加減などというものはなかった。

 全てが殺意の塊、全てが必殺。

 破壊衝動のまま振るわれた暴力と理不尽は、再生を始めた少女の身体を再び破壊の渦へ叩き落す。

 

 吹き飛ばされた彼女の口から溢れた、血痕とポーションが琉希の頭へ降り注いだ。

 

「ひ……!」

 

 情けなく漏れた琉希の悲鳴に気付き、怪物の瞳が地に座り込む彼女を睥睨した。

 地面に転がってたカリバーを掴み上げると、金髪の少女へ振るわれたの同様、無造作な暴力が掲げられる。

 そして、その巨腕に似合わぬ小さな金属の塊を、目にもとまらぬ速度で振り下ろし……

 

 

 その姿は全く異なっていれど、琉希には見慣れたフォームをしていた。

 

 

「フォリア……ちゃん……?」

 

 

 頭上でピタリと止まるカリバー。

 

 フォームだけではない。

 鬣のように見えた長い頭髪も、よく見れば彼女のソレ同様細く、滑らかで美しい。

 瞳も縦に割れているが、太陽のように輝く金瞳はそのままだ。

 

 そして何より鱗などが所々生えている物の、感情を多弁に伝えるその顔つきはさほど変わっていなかった。

 異形になろうとも、歪められようとも、決して消えない彼女の本質がそこにはあった。

 

 混沌に飲み込まれていた瞳へ、一筋の理性が宿る。

 

『りゅ……キ……?』

「うそ……ですよね……? なんで、そんな体……!?」

 

 掠れた声。

 だが間違いなく琉希の声に反応し、狂気に飲まれた彼女の心に秩序が生まれる。

 何が起こったのかは理解できない。だが、間違いなく目の前にいるのはフォリアであった。

 崩れそうな心を必死にかき集め、壊れそうな精神を必死につなぎ止め、耐え難い現実を乗り越えるため琉希と共にここまで足を運んだ、一人の少女であった。

 

 恐怖を乗り越えようと、互いに震える腕が伸ばされ……その巨腕に合わぬ優しい力で、琉希の細腕が弾き飛ばされる。

 

 絶叫。

 

 何かを恐れ、怯み、酷く苦しんだ様子で頭を押さえ、暴れ狂うフォリア。

 悶え苦しむ彼女は近づこうとする琉希へ寄るなと怒鳴り、ただ逃げる様に絶叫した。

 

 そしてその動きすらも遂に止まる。

 再び宿ったのは、感情を捨て、沸き上がる獣の衝動に身を委ねた狩人の瞳。

 

 ギリリと激しくカリバーが握られる音が鼓膜を揺らす。

 

 言葉はもう届かなかった。

 琉希がいくら彼女の名を叫ぼうともう体が止まることなく、天に高く突き上げられた腕はすさまじい力を籠められ、筋肉が激しく収斂している。

 それでも、恐怖に腰が抜け力の入らない膝を擦り、フォリアへ抱き着かんと地を這う琉希。

 

 だが彼女の努力を嘲笑うよう、再度巨腕が振り下ろされ――

 

「お……い……、貴様、琉希とか言ったな……長くは……持たん、逃げるぞ……!」

 

 今度は無数の魔法陣が怪物の四肢を縛り付ける。

 それは琉希やフォリアへ先ほど放たれた元の同質のもの。しかしながら多重構造によって強化された術式は、かつてのそれとは比べ物にならない程強固な物。

 

 気絶したまま浮かべられるアリアと共に、ボロボロの姿で脇腹を抑えた少女が立っていた。

 

 ピシ、ピシと絶え間なく響く音。

 圧倒的な力によって魔法陣は目に見えて歪んでいく。彼女の言う通り、これは長くは持たないだろう。

 

「でっ、でも……!?」

「今貴様に何が出来る!? お前ごときゴミのように蹂躙されて終わりだッ! 身の程を知れ雑魚!」

「なっ、危険なダンジョンにフォリアちゃん一人置いていくなんて出来ません!」

「現実を見ろ愚鈍! あの怪物を倒せるモンスターなぞ、このダンジョンに存在するわけがないだろうがっ!」

 

 怪物の身体が変異した。

 即座に破壊できないと悟ったのか、それとも偶然かは分からないが、彼女の背中から突き出すように生えてきたのは、黒く巨大な翼。

 唖然とする暇もなく無数の羽根が突き出し、銃弾もかくやというほど降り注ぐ。

 

 少女は不可視の壁で三人を守りながら叫んだ。

 

「くっ……分かったか! 今のあいつに理性なぞ存在しない! 後で色々話してやるから行くぞ!」

 

 従うしかなかった。

 彼女の言う通り現状を解決する手段はなく、少なくとも訳アリの少女は何かを知っている。

 今ここで何もできず死ぬくらいなら、解決方法を彼女から聞き出すしかない。

 

 琉希は走った。

 二人で踏み込んだ扉の下へと、共に出ると誓った入口へと。

 感情のままにあの怪物へ飛び掛かれたらどれだけ楽な事だっただろう、冷静な自分が恨めしかった。

 

「――っ、必ず、必ず戻ってきますから……!」

 

 逃げる途中、フォリアの靴とコートを拾い集め、少女を置き去りにして痛む心を誤魔化す様に、琉希は小さく呟いた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百十話

 命からがらダンジョンから逃げ出した琉希と名も知らぬ少女、そして未だ意識を失ったままのアリアを抱え、近く、とは言っても、ダンジョンからは大分距離があるが、にあるホテルを借りることになった。

 少女曰く、アリアは魔力を失い衰弱しているが命に別状はないとのことで、取りあえずはとベッドで寝かせている。

 

 机を挟み椅子に座った少女二人。

 

 ダンジョン内では姦しく語っていた金髪の彼女であるが、一転、ここに来るまでの道すがら、そして席に座ってからの三十分余り、まったく口を開くことがなかった。

 ただただ気まずそうに視線を彷徨わせるのみ。

 

「――いい加減何か話したらどうですか?」

 

 琉希の言葉を受け肩を震わす彼女。

 パクパクと口を開き慌てふためくが、何かいいことを思いついたかのように顔がほころぶ。

 

「……お茶!」

 

 それは自身の名でも、或いは事情でもない。

 ただの催促。

 

 ごくわずかな時間しかフォリアと会話を交わすことは出来なかった。だが彼女の苦しみようは生半可なものではなく、無駄な時間は微かですら惜しい。

 何暢気な事を言っているのだと、内心相当切羽詰まって苛立っていた琉希にとって、これはかなり神経にくる言葉であった。

 

「は?」

 

 出会い自体が良いものどころか最悪の部類であり、そもそもの性格が壊滅的に相性が悪いのだろう。

 滅多に他人へ怒ることのない琉希であったが、この少女の物言いや行動は一々しゃくに触り、状況が状況でなければ手が出ていた。

 

「わっ、私は客人だぞ、お茶くらい出すのが礼儀じゃないのか?」

「……分かりました」

 

 だが腹立たしいことこの上ないが、彼女は現状唯一の何かを知る人物。

 彼女と同行していたであろうアリアも何かしらを知っている可能性はあるが、極度の衰弱というからには今すぐ起こし、何かを聞き出すというのも難しい。

 

 渋々『アイテムボックス』から取り出した件の激甘紅茶を紙コップに注ぎ、荒々しく彼女の前に叩きつける琉希。

 少女は想像以上に早く出てきたことに目を剥き、しかし取り繕うようにふてぶてしい顔を貼り付け足を組むと、ぶつぶつ文句を垂れながら紙コップの中身を一気に(・・・)飲み干した。

 

「ふ、ふん、あるなら最初から出せば……っ!?」

 

 紅茶の霧が生まれた。

 

「あ゛っ、なっ、なっ、なんだこれは!? 甘痛い!? 殺す気か貴様!?」

「ちゃんとお茶出しましたよね? 早く私の質問に答えてください。貴女は何者で、何が目的で、フォリアちゃんに何をしたんですかっ!」

 

 少女の袖をつかむ琉希。

 

 少女はフォリアと同程度の身長と体形、当然相応に軽く、加えてフォリアから逆流してきた魔力によってレベルも元に戻った琉希にとって、それを掴み上げることは造作でもないことであった。

 彼女は苦しそうに(・・・・・)琉希の手を叩き、下ろす様に叫ぶ。

 

 何かに気付いた琉希の目がきゅう、と細くなった。

 

「ふぅ……あー、腹が減ってきたなぁ! こう、がっつりとしたものが食いたいなぁ!」

 

 地に足をつけ安堵した少女がキッと目線を鋭くし、琉希へ再び胸を張り大声を上げる。

 

「……そうですか」

「なっ、なんだその目は! こっ、このっ、この私に文句があるのか!?」

 

 琉希の目線に気付き一瞬怯むも、しかし彼女は喚くことを止めはしなかった。

 そう、それはまるで何か知られることを恐れ、無理やり張る虚勢のように。

 

「……一々作っている暇もないので買ってきます、牛丼で良いですね?」

「ああ」

.

.

.

 

 

「どうぞ」

「なんだ、温泉卵はないのか? そうだな、後何か汁物でも用意してくれ」

 

 わがままな催促は続く。

 

「遅い! もう食い終わってしまったぞ!」

「どうぞ」

「まったくあっつああぁっ!?」

 

 沸騰寸前のお湯を頭からぶっかけられた少女。

 至極当然のように熱さに悶えるも、頭から低品質なポーションを掛けられ痛みが落ち着いたところで、ふと上を見上げ、自分を睨みつける目に気付く。

 

「ほう……熱いですか……やはり貴女、随分と力を消耗しているみたいですね?」

「……っ!」

 

 普段自分達が戦うモンスターは熱を吹き、何かを焼き尽くすほどのモンスターだ。

 それに耐えられるのだから、当然高レベルの探索者達が熱湯程度で火傷することはない。

 一定以上の温度になるとあまり感じなくなると言えばいいのか、実際の温度と感覚の温度が乖離していくのだ、勿論さらに高温になればまた別の話ではあるが。

 

 琉希たちを圧倒するほどの存在、熱湯に耐えられないわけがない。

 それに先ほど持ち上げた時も抵抗するに出来ていなかった。戦いで力を使い果たしたのだろう、見た目相応の力しか今の彼女には宿っていないようであった。

 

「どうやら私でも勝てそうですね。話す気がないなら無いで構いませんけど……それ相応の対応は覚悟してもらいます」

「待て、そのペンチはなんだ!?」

 

 琉希はそのスキルの特性上、『アイテムボックス』を優先的に拡張し、様々なものを仕舞い込んでいた。

 彼女はそれを手の内で弄びつつ、少女が机に叩きつけた指を眺めた。

 

「爪を剥ぎます。拷問はしたことないんですけど……」

「拷問したことある奴がホイホイいてたまるか! わ、分かったよ……言えばいいんだろ言えば……だからソレは仕舞ってくれ! くぱくぱ動かすな!」

「いやですね、拷問なんて冗談に決まってます。最初から素直に言えばいいんですよ。フォリアちゃんの治し方をさっさと吐いてください」

 

 対面に座り顔を背けた少女が、ちらりと琉希の顔を伺う。

 

「きっ、聞いても、おっ、怒るなよ!」

「……分かりました」

 

 ここまで言い渋るのは要するに、相応に言いにくい内容ということ。

 

 ダンジョンを創ったという彼女の言葉が果たして真実かはともかくとして、少なくとも実力は確固たるものがあった。

 恐らく現状世界最強と言われているレベル六十万なぞ目ではないほどに。

 スキルやダンジョンに関係するものの造詣も深く、その言葉には確然たる重みが宿る。

 

 その彼女ですら口を噤もうと必死になることなど大方予想がつく。

 そう――

 

「――端的に言ってしまえば……あの子を治す手段はない」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百十一話

「ぐええええ!? お、怒らないって言っただろ!?」

 

 もはや当然のように首元へ伸びる腕。

 

「怒ってません! 治療方法はないんですか!? そもそもあの病気? の名前は! 原因は! 全部吐けッ!」

「分かったから! ぜっ、全部言うから首を絞めるのをやめろ! 死んじゃうだろ!?」

 

 地面に足が着く安堵感(二度目)に胸をなでおろし、今度はもう掴まれんとばかりに席へ座り椅子を引くと、少女は疲れたように机へ崩れた。

 

「はぁ……貴様もう少し温和になった方が良いぞ。あと何か書く物あるか」

 

 備え付けられていたポットからお湯を注ぎ、粉茶を作りながら少女は愚痴を吐く。

 そしてコップの中身を一口啜るとため息を零し、漸く彼女は本題を切り出す気になったようで、琉希から受け取ったホワイトボードと水性ペンを握った。

 

「薄々勘付いているかもしれないが、私はこの世界の人間ではない。とある世界から……まあ色々とあってここに来た、後でそのことも説明する予定だがな」

「ああ、やっぱりその耳……」

 

 ツンと尖り、ぴくぴくと動く長い耳。

 気になってはいたものの取りあえずスルーしていた琉希であったが、肯定の言葉に漸く納得がいった。

 

「あの病気はこの世界には元々存在しないものでな、私の世界でも滅多に患者はおらずあまり知られた物でもない。病名はそうだな……貴様らの言語に当てはめるなら『ましょく』と、私はそう呼んでいる」

 

 水性ペンの擦り付けられる甲高い音を立てながら彼女が書き記したのは『魔蝕』の二文字。

 

 魔に蝕まれる。

 実に単純であったが、琉希も目の当たりにした症状を言い表しているだろう。

 少なくとも知る限りでは何の変哲もない少女が歪で背徳的な姿へ変化するのは、魔力に蝕まれていると言える。

 

「はっきり言ってしまえば元々、ダンジョンシステムは、魔蝕を防止、抑制するために創り上げられた物なのだ」

「……ちょっとよく分かりませんね。今までの話を聞く限り、ダンジョンとあの病気に関係があるとは思えません。第一探索者の皆が魔蝕でしたっけ? になったら大問題じゃないですか、でも今のところフォリアちゃん以外にそんな話聞いたことありません」

「抑制するために創ったのだから当たり前じゃないか、むしろこれまでは上手く行っていた証だ」

 

 確かに彼女の言葉正しい。

 魔蝕を抑えるためにダンジョンを創り、目論見通り今まで症例が一つもないのは感嘆に値すべきことだろう。

 彼女が何かを隠していない、という前提があればの話だが。

 

 嘘の上手い人間であるようには見えない。

 だが全てを偽っている可能性は否定できず、一方で何の情報も持たない己にとって真偽の判断など不可能。

 結局のところは話を聞く以外に選択肢はなかった。

 

「とは言えさて、どう纏めるべきか……そもそもダンジョンを創ることになった理由など、私の事情もあって色々と複雑でな」

「あの、一ついいですか?」

「なんだ、もう音を上げたのか? まだ面倒な所など話してすらいないというのに、もう少し頭を使う練習をした方が良いぞ。うむ、水平思考の遊びなんてどうあだだだだっ!?」

 

 飛び出すアームロック、琉希の背中を叩き叫ぶ少女。

 

「一々人を煽らないと生きていけない人間なんですか貴方は。名前ですよ名前、貴女の名前も分からないのは不便で仕方ないです」

「煽る……? 私はあくまで真実と改善点をだな……まあいい。うむ、確かに自己紹介がまだであったな」

 

 腰ほどまである見事な金髪を手で翻し、意気揚々とした表情で腕を組む少女。

 

「我が名はカナリア。とある世界で学者として活動していた結果、今はその尻拭いをしている者だ。ちなみに言っておくが、ループの時間も合わせて合計年齢は七十八だ、間違いなく貴様より年上だからもっと敬えよ!」

 

 ビシッと琉希の顔へ指を突きつけ、鼻息荒く告げた彼女の頬にビンタが飛んだことは言うまでもない。

 

 

「まず何故ダンジョンを創ることになったか、ということから始めようか」

「ええ、お願いします」

 

 鼻にティッシュを詰めながらカナリアは語り出した。

 

「まず前提条件として、私の世界と貴様らの世界は非常に近い位置に存在する」

「物理的な距離で……って訳ではないんですよね」

「うむ、貴様らでも分かりやすい言葉で言うのなら、魔力的、或いは次元的にとでも言えばいいのだろうか。イメージとしては地球などの星がひとつの世界ならば、宇宙空間すべてが次元の狭間だ。だが我々の世界はどうやら他の世界と比べてもごく近くにあるようでな、互いに影響されやすい」

「えっ、他にも世界ってあるんですか? あと次元の狭間っていうのは……?」

 

 次から次へと新たな言葉が出てくることで、琉希の思考が絡まっていく。

 

「他の世界についての観測は出来ていない。だが少なくとも、私の推論からすれば間違いなく存在するというだけだ。問題は次元の狭間についてだな……これは端的に言えば狂い渦巻く膨大な魔力だ。だが性質がちょっと面倒でな……貴様らは簡易魔術……いや、『スキル』を使っているな?」

「え、ええ。回復魔法だとか、私も使えますよ」

 

 一体一般的に使われているスキルと、その荒れ狂う膨大な魔力のどこに関係があるのか。

 

「不思議だと思わないか? 毎回同じような効果を得られることを、身体が勝手に理想的な動きをしてくれることに。野球選手ですら毎回理想的な投球をできないというのに、どうして訓練を積んでもいない貴様らが出来るのか?」

「野球知ってるんですね……まあ、確かに。でもゲームだってそうですし、そういうものなのだとばかり……」

「私はこの世界にもう二十四年もいるんだぞ、野球くらい知っている。要するに貴様らは理想的な動きが出来るんじゃない、理想的な動きをその体に再現している(・・・・・・)に過ぎない、ということだ」

 

 彼女はホワイトボードに立体的な人間を描……こうとして無理だと悟ったのか、棒人間を二つ描いた。

 片方には英雄、片方には凡人の文字。

 更に二つの棒人間を矢印で繋げ、転写と書き記した。

 

「かつて存在した人物の技、或いは経験の蓄積によって理想的だと思われる動き、或いは魔法陣を再現する。これによって理論上は誰でも魔法を発動したり、最高の攻撃を再現させる。さらに魔力的な補助を加えることで、その攻撃力などを強化することが出来る……これが貴様ら使うスキルの正体だ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百十二話

「なんとなく言っていることは分かりました。要するに完璧な動きをなぞっているからスキルはぶれなく、毎回ほぼ同じ効果を得られる、と。数値で表記できるのもそういうことだったんですね」

「まあステータスの表記などは、貴様らの記憶によって創り上げられた目安に近いがな」

「えっ、私たちの記憶……ですか?」

 

 いまいちピンとこない琉希。

 

 記憶というものは酷く曖昧な概念だ。

 少なくとも琉希の知る限りでは、記憶とは人々の都合によって簡単に左右される上、そんな魔力的に関係しているなんて話も聞いたことがない。

 

 だがカナリアは琉希の言葉へ深々と頷くと、ホワイトボードのイラストを消し、文字や下手くそ極まりない絵を描きながら新たに説明を始めた。

 

「うむ。ダンジョンシステムを創ったとはいえ、当然だが、私一人で細部まで完璧に突き詰めることは不可能だ。そこで私はまずは基礎を創り上げ、とある方法で細部まで手を加える方法を思いついた」

「……確かに。世界を覆いつくすシステムなんて、神様でもなければ一人で創り上げるのは無理ですよね」

「神なぞおらん、少なくとも私たちの認識できる場所にはな。例えば貴様らの名前だ。あくまでこの世界で、各個体の認識のために使われているに過ぎないわけだが、何故ダンジョンにまで認識されているのか。加えて何故魔力だけでモンスターの形を取るのか。そして先ほども言った、『理想的な動き』の大元。いや、それどころか我々異世界の人間と、貴様らの形が似通っていることもこれに関係してくる」

 

 異世界人。

 そういった(・・・・・)設定の作品が溢れる現代、さして疑問には思わないが、彼女の言う通り全く別の環境であってしかるべきな二つの世界で、互いの構造がほぼ同一というのは奇妙なことだ。

 『世界』から見ればたった一つの小さな星ですら、環境によって多種多様な進化を行っているというのに、どうして『魔力』なんてある世界とこの世界、各知的生命体が同じ姿へ至ったのか。

 

 そこには収斂進化などという単純な言葉では片づけられない、いわば世界の禁忌的な仕組みがあった。

 

「魔力は記録、記憶を蓄えるんだよ。この性質こそがダンジョンシステム、果ては世界そのものの根幹を成している」

「はい? き、記録ですか……? そんなSDカードみたいなこと言われましても……」

「記憶と言っても貴様が思っているであろう、昨日何を食べたかなどというものだけではない。起こった事実、変化、概念、認識など、総合的な事象全てを『記憶』と称しているに過ぎん。私たちの世界は魔力に宿る『記憶』に従い進化、変化を遂げてきた。空気中に魔力のある我々の世界と、皆無と言ってもいいこの世界、異なる環境で生物が似たような姿、性質へ進化を遂げたのも、魔力に宿る記憶によってある程度指向性が定まっていたからだろう」

 

 要するに設計図が元々あり、各世界はその設計図に従いちょっとずつアレンジを加えながらつくられていった、と。

 

「ダンジョンの創造に手を掛けた時、これはあくまで私の仮説に過ぎなかった。色々あって調べていた時、偶然思いついたまま放置していたのだ。だが事実上手く行った。モンスターの行動や人々を補助するスキル、様々なものを創り上げる時、貴様らの世界にある『ゲーム』の記憶や、各世界の空想、実在問わず、多種多様な生物の姿などを魔力の記憶から吸い上げ、私一人では創るのなんて不可能だと思われた『ダンジョンシステム』の構築を成し遂げたのだ。名前の認識なども魔力に宿る記憶から、貴様らの名前などを読み取り反映しているに過ぎない」

「なんというか……壮大な話ですね」

 

 まさか世界の創造まで話が飛ぶとは思ってもいなかった琉希は、そんな感想しか漏らすことが出来なかった。

 

 だがふと気付く。

 元々設計図があったというのなら、その設計図……即ち、本来の記憶を創り上げた世界が存在するはずではないのか、と。

 

「もしかして別の世界が存在するというのも……」

「そうだ。我々の世界と貴様の世界、どちらが先に生まれたかは分からんが……少なくとも、先に生まれた方へ魔力的に影響を与えた、『人間』の存在する異世界が存在する、というわけだ。だが認識は出来ん。次元的に距離が空きすぎているのか、私には観測すらできなかった」

 

 ここでカナリアはすっかり冷めてしまったお茶を一口含み、何か菓子はないのかと催促を始めた。

 彼女の顔面に饅頭を叩きつけながら、琉希は顎を撫でる。

 

 即興の作り話にしては実によく出来ていた。

 気になる点はいくつも存在するが、少なくとも彼女がダンジョンを創り上げたということは、あながち嘘ではないだろう、ということも理解した。

 

 だがいくつか、これだけは奇妙で見逃せない事実がある。

 

「――大体わかりました。でもダンジョンを創るための魔力や、そこまでしてダンジョンを創った意味は何ですか? 先ほどは魔蝕と関係していると言っていましたが……」

「うむ……やっぱりそこ気になるよな? あんま言いたくないんだが……」

 

 先ほどまでの凛とした顔で説明していた姿はどこへやら、何かを恥じる様に視線を彷徨わせる。

 そして、まるで琉希に、『そこまで言い辛いのなら言わなくていいですよ』と、優しくスルーしてもらえることを期待するようにちらりと流し目を送った。

 しかし琉希もはいそうですか、とは言えない。目の前のエルフの数百倍大事な友人の命がかかっているのだ、キリキリ吐いてもらいたいところである。

 

 無言で顔をガン見していると、その視線に気づいて肩を震わせ、渋々と口を開いた。

 

「……実はあちらの世界でも、一般的に、次元の狭間の存在については知られていない。存在の初観測をしたのは私だが、研究結果を公表せずに情報をすべて破棄した……つもり(・・・)であった」

 

 膨大な魔力の存在、それはいくら汲み上げようとも尽きぬ膨大なエネルギー源であり、人類の求めてやまない存在だろう。

 だが未だ発展途上であり未熟な人類にとっては同時に、災厄を生み出す混沌そのものでもあった。

 

 人知れず情報を破棄カナリア。しかし友と慕っていたはずの幼馴染である、クラリスによってすべて暴かれ、その禁忌は時の王『クレスト』へ奏上されてしまった。

 

「――その結果、私の与り知らぬうちに研究は進み、次元の狭間から魔力を組み上げるための、大掛かりな建造物が創り上げられた。情報を様々な方法で得た各国も動き、あちらの世界には塔が乱立した。見た目は蒼く美しい、天まで届く巨大な塔だ。名前はそうだな……クレストは『魔天楼』と呼んでいた」

 

 そう言って彼女が指差したのは、このホテルからでも微かに見える巨大な塔。

 『人類未踏破ライン』である『天蓋』ダンジョンであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百十三話

「……? あれは唯のダンジョンでは? そもそも異世界で魔力を組み上げてるのなら、わざわざこの世界に塔を建てる必要はないはずですし」

 

 天蓋と言えばよく知られたダンジョンだ。

 三十年ほど前、世界各地に似たようなものも多く出現したが、その中でもとりわけ真っ先に生まれたのが天蓋。

 壮麗な蒼の塔は見た目も美しく、その非現実的な存在の人気は相当なもの。

 特に夜は暗闇の中、ほんのり輝いており殊更派手だ。

 

 ネットに、いや、メディアに触れたことのある人間ならば、一度はその写真を見たことがあるだろう。

 

「うむ、貴様の言う通りあれの本体は私の世界に存在する。先ほど言っただろう、ごく近くに存在する我々の世界は互いに影響されやすい、と」

「あー確かに言っていましたね」

 

 恐らく影響されやすいというのも、魔力的にということなのだろうとは思う。

 しかし今までスキルなどはあれど、基本的には物理こそが全ての世界で生きてきた琉希にとって、魔力的にと言われてもイマイチぴんと来ない。

 

「魔天楼は言ってしまえば世界そのものに穴をあけ、狭間から無理やり魔力を組み上げているのだ。当然負担は凄まじいものになる。そうだな、二枚の重なった硝子板が二つの世界だとしようか、ここに上からドリルで穴をあけたらどうなると思う?」

「え? そりゃ当然貫通……ああ、そういうことですか」

 

 職人技などというものは置いておくとして、重なっているのなら当然ドリルは両方を貫き、反対側から飛び出す。

 あちらの世界から世界の枠組みを超えた巨大な塔が突き出し、次元の狭間を超え、同時にこちらの世界にも影響を与えるというわけだ。

 あれだけの大きな存在、こちらの世界へ影響を与えないよう微調整など出来るわけもない。

 

 ようやく納得がいった琉希へ頷き、カナリアはさらに続けた。

 

「正確に言うとあれは本物ではなく、映し出された幻影とでもいうべきだな。あちらの世界に大穴をあけた影響でこちらの世界にも大穴が開き、そこから溢れる魔力が向こうの塔の形を取っているのだ」

「なるほど……ん? でもあれダンジョンなんですよね? その話聞く限り色々噛み合わない気がするんですけど……何か嘘ついてないです?」

「ついとらん! どうしてそう貴様は私に態度が悪いんだ、慇懃無礼にもほどがあるだろ!? 私は超偉くて凄いんだからな!」

「そういう態度のせいじゃないですかね?」

 

 魔力、そして世界についての学識については、短い時間ながら言葉を交わした琉希にも理解できるほど深く、素晴らしいものがある。

 だが一方で、その傲慢不遜かつ垣間見える性格は、本当に彼女が七十年以上の時を生きてきたのか疑問に思うほどだ。

 

 先ほど友人に裏切られ、と言っていたものの、もしかしたらこの性格や物言いがその友人を狂気に駆らせたのではないのかと琉希は睨んでいた。

 

「まあいい、話を戻すぞ! いいな!?」

「さっさとしてください」

「……くっ。知っている通り世界各地にはあの塔が点在しているだろう。要するに我が世界の各国が魔天楼を創り上げ狭間からくみ上げているわけだが……世界に穴をあけるという行為はそう単純なものではない。仮に一本ならば無視できる程度でも、それが集中して何十と建てられれば、決して無視できるものでは済まない」

 

 世界各地へ点在する塔。

 観光名所として扱われてすらいる場所が、まさかそこまで凶悪なものであったとは、琉希の想像を凌駕していた。

 

「あちらの世界では当然、影響を考慮して対策しているだろう。しかしこちらの世界はどうだ? 当たり前だが対策など打てるわけがない、そもそもその存在も、そして知識すらもないのだからな。延々と硝子板へ雑に新たな穴が開けられていく。保護もなく穴を雑に開けられるのだ、最後には……」

 

 言い淀むカナリア。

 

「最後には、周囲へ取り巻く魔力の圧に耐えきれず潰れ砕かれ、世界ごと次元の狭間に取り込まれ、元の魔力へと還元されてしまうだろう」

「な……!?」

「だがそれ以前に問題があった。ひび割れているのだ、小さい穴だって無数に空いている」

 

 琉希が驚愕する暇もなく、彼女は言葉を続けていく。

 

「もしかして、狭間の魔力が溢れる……とかですか?」

「だろ!? そう思うよな!? やっぱり貴様もそう思うよなぁ!?」

「え……はい」

 

 当然の予想だった。いわば穴の開いた船、海に浮かべれば水が侵入してくるようなもの。

 琉希自身ぱっと思いつくものであったので、カナリアが何故唐突にいきなりテンション高く叫んだのか理解できなかった。

 

「うむ、うむ! 本題に入るぞ! 魔蝕という病気についてだ。まずあの病気の発症条件に付いて話そう、ダンジョンについてはその後だ」

 

 そしてついに始まった、未知の病気である『魔蝕』の概要。

 

「自分の許容量を超える膨大な魔力を、ごく短期間に取り入れることで第一段階は始まるんだ。許容量というのはまあ、体内にある魔力の数倍から数十倍程度だな。これは本人の資質などでかなり上下するので、はっきりとどれぐらいとはは言い辛い」

「ふむ……それってつまり、私たちで言う経験値ってことですか?」

「ああ、確かそういう風に表記されてるんだったか。そうだ、だがこの状態ではまだ発症しない。身体が魔力を排出しようと変化し、しかし体内の魔力と結合しているため切り離すことが出来ず、体表に黒い魔石の塊を生み出す」

 

 そう言って彼女がポケットから取り出したものは、最初の出会いと戦いで、琉希を拘束しながら何かの魔法を唱えた時に握っていた、小さな魔石であった。

 

「まさか……」

 

 琉希の背中に嫌な汗が流れる。

 

 体の表面に黒い魔石の塊? 短期間に膨大な魔力(経験値)を取り入れる?

 全てに酷く心当たりがあった。

 

「そうだ、貴様の胸にあるのも同様だな。だがこの状態なら、ゆっくりと時間を掛ければ自分の物と馴染み、無害で取り入れることすら出来る。だが繰り返し、あるいは圧倒的に上回るほどの量だとそうはいかない、排出なぞ間に合わん。こうなるとじわじわと味覚、嗅覚などが変化していく。人間としての機能が記憶に塗りつぶされることでゆっくり失われ、新たな生物として作り替えられていくのだ」

 

 魔蝕の発症は主に環境的要因が大きい。

 

 短期間に膨大な魔力を体内へ取り入れるということは、そう簡単に出来るものではない。

 当然普通に生きているだけならばまず起こりえず、即ち、普段から高濃度の魔力が渦巻く環境へ足を運ばなければ、前提条件に至ることすらないだろう。

 

 そういった特異な生活環境が原因なのだ。

 まず発症例が見つかることはないし、魔法に関わっていようとこの病気の存在を知らない人物が九割、いや、それ以上かもしれない。

 カナリア自身この病気の存在を知ったのは、次元の狭間を発見してから多種多様な文献へ手を付けた結果、偶然目にしただけの事であった。

 

「魔力には記憶が宿ると言ったな? 自分を形作る魔力、それがギリギリまで自分としての形を保ってくれるわけだが……限界を超えたら最後、一気に変化が進み、肉体は無茶苦茶に再構成される。自分以外の魔力から引き出された記憶が、指向性も定まらぬまま肉体を変化させていった結果、魔力を糧とし、意識すらも塗りつぶされ、あるがままに暴れる狂気の怪物だけが残る」

 

 folia、原義は『狂気』。

 しかし舞曲としては長い時を掛け変化した結果、瀟洒で落ち着いた曲調となった。

 偶然ではあるが皮肉なことに、気弱で静かな少女は、その名と真逆の変化をしてしまった事となる。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百十四話

「世界の罅から魔力が溢れ出せば、魔法が存在せず体内の魔力量も少ない私たちではあっという間に発症してしまう、ってことですか?」

「そうだ。そしてここで登場するのが……ダンジョンシステム」

 

 遂に出てきた。

 世界を覆う未知の存在であるダンジョン。制作者であると名乗る彼女の意図が、そしてその構造が。

 

 ダンジョンという存在を一言で表せる人間は存在しないだろう。

 内部には豊富な資源、エネルギー源となる魔石、そして力。

 しかし一方で崩壊時、レベルの跳ね上がった怪物たちが外に溢れ出し、多くの人々が犠牲になっていると聞く。

 

 二面性を持つこの存在、単純なものではない。

 

「基本的な構造は単純だ。まず罅割れから魔力が溢れぬよう、狭間側から新たな壁を作り出すよう働きかけた。だが荒れ狂う膨大な魔力は、ちょっとした流れの変化でも強烈な圧力の変化を生み出す。作り出した壁はこれに耐え切れず、いつかは砕けてしまうだろう」

「それって結局魔力が溢れ出してしまうのでは……あとそれってもしかして、ダンジョンの崩壊ですか」

 

 彼女の言う『壁』がダンジョンの事ならば、その壁が砕けるとは即ちダンジョンの崩壊だろう。

 琉希は以前ネットの記事で、ダンジョンは崩壊時に魔力を放出すると見たことがあった。それを利用し未然にダンジョンの崩壊を察知する仕組みを作り上げたとも聞いたが、カナリアの言葉は確かにその事実と合致するものがある。

 

 琉希の言葉に頷き、カナリアはさらに続けた。

 

「そうだ、するとやはりお前の言った事態が起こる。これを抑えるためには、崩壊しても耐えられるほどの魔力量を体内へ蓄える必要がある。……まあ最終的に世界は壊れてしまうんだが、少なくとも死までの時間を長引かせることはできるだろう。それが幸か不幸かは置いておいて、な」

 

 フォリアと共闘した時の経験が、琉希の脳裏へ蘇る。

 

 それは彼女の『スキル累乗』、そして互いの『経験値上昇』が絡み合った結果、魔石の中に存在する魔力量が極度に減っていた事実。

 しばしの実験の結果、恐らく『経験値』と呼ばれている物の正体が魔力であること、そして『経験値上昇』によって魔力を吸い続けた結果、魔石すらドロップしなくなることを確認していた。

 

 これはフォリアとだからこそ出来た実験。

 その特異なスキルで魔力をごっそり吸い上げなければこの事実は確認できず、やはりこれも彼女がダンジョンの製作者であるという話を補強している。 

 

「体内へ魔力を蓄える……レベルアップのことですね」

「うん? よく分かったな。だが単純に置いておくだけでは、危険な場所として放置されるだけだ。そこで貴様ら人類の好奇心をこれでもかと刺激し、中で魔力が起こらない程度に魔力を取り入れさせる方法が必要だった」

 

 この世界にはダンジョンでなくとも、人類が足を踏み入れていない自然環境はごまんとある。

 多くはレベルの上がった探索者によって踏破されてきたが、もし人々がダンジョンには手を出さないと決めていたのなら、その自然環境にダンジョンが仲間入りしていただろう。

 

「世界の記憶を見て試行錯誤していた私だったが、そんな時目にしたのが、貴様らの創り出す『ゲーム』であった。幸い魔力はふんだんにあり、興味を引くための資源はいくらでも創り出せる。後は誰かが中に入ってしまえば、情報の拡散によってあっという間に世界へその存在は知れ渡るだろう」

 

 カナリアが相変わらずよく分からない落書きを描きながら、琉希へ振り向きため息を吐く。

 

「ダンジョンがゲームみたいだと思ったことがあるかもしれないが、まあ実際その通りだよ。無限にあふれる資源、戦えば戦うほど身につく力。ゲームという概念は貴様らに馴染みが深く、強烈な好奇心を煽るのに最高の素材だった」

 

 それは人類誰しもが思っていたこと。

 ステータス、スキル、素材、魔石、どれもこれもまるでゲームだ、と。

 少なくとも火山の噴火や台風のように、ぽっと出の自然環境が創り出せるようなものではない。

 

 そして薄々気づいていた。ダンジョンという存在の裏に見え隠れする、人類と同等か、或いはそれ以上の知性を持った存在に。

 

「そして生まれたのが『ダンジョンシステム』、ちなみにこの『ダンジョンシステム』という名も、貴様らの記憶から肖ったものだぞ。いわばこれは世界の崩壊、そして人類が直面しうる大災害『魔蝕』を食い止めるための、一時的な救済システムだとも言える」

 

 数分前までは間抜けなエルフにしか見えなかったカナリアが、今の琉希にはげに恐ろしい存在のようにも感じられた。

 それは滅びに抗う救世の英雄か、それとも世界を意のままに操る悪魔の研究者か。

 

 自身の創り出したものを朗々と語っていた彼女であったが、ふと、顔に暗い影が落ちた。

 

「だが一つ誤算があった」

「誤算、ですか……?」

 

 琉希の喉が鳴る。

 

「ああ。穴が開いた後本来は魔力が溢れるものだと思っていたのだが、事実は逆で、多少魔力が溢れた後に、周囲の物質ごと全て引きずり込んで穴が塞がってしまうんだ。これは魔天楼による副次的な効果だと言える。あれは魔力をゴリゴリ吸っているからな、穴が開いたことでそこが脆くなり、こちらの世界も一緒に吸い込まれてしまうのだろう」

 

 いやあれは本当予想外だったわ、ダンジョンシステム完成させちゃったからもう手出し出来んし……

 

 やけくそにでもなったのか、あっけからんと言ってのける彼女は、やはり間抜けなエルフであった。

 

「とんでもない災害じゃないですか!? でもそんな不思議な現象がダンジョンの崩壊で起こるなんて、全く聞いたことないんですけど……」

「うむ。物質が引きこまれると同時に、その物質とつながりのある魔力も同時に引きずり込まれてしまうんだ。当然魔力には記憶も付随する、つまりその物質についての記憶なども全て飲み込まれ、消えてしまうというわけだな」

「じゃ、じゃあ、ダンジョンが崩壊して人や場所が消えても、誰も覚えていられない……?」

「それどころか、記憶に限らず記録なども全て消える。次元の狭間より濃度の高い魔力を持つ、あるいは魔力同士の結着が飛びぬけて強い場合などを除き、崩壊によって消滅した物の記憶を保っておく手段はほぼ無い。千切れ微かに残った記憶に違和感を覚えることはあっても、全貌を思い出すことは不可能だ」

 

 もしそれが本当ならば、なんと恐ろしいことだろう。

 

 どれだけ愛そうと、どれだけ憎もうと、どれだけの感情を心に抱いていても、無慈悲に消し去られてしまうなんて。

 いやむしろ忘れられるだけマシなのかもしれない。

 皆が忘れる中、全てを覚えたまま、誰かが、何かが無くなった世界で日常を過ごすなんて……耐えられないだろう。

 

 琉希の目の前にいる少女(七十八歳)はその語りからして、きっと全てを覚えているのだろう。

 そのあまりに過酷な道を行く孤独の観測者に、琉希は憐れみすら覚えた。

 

「そもそも世界が滅びる原因を見つけ、新たな災害の形を生み出してしまったのは他の誰でもない、私自身の失敗だ。好きに責めてくれて構わない、まあ私は謝らんがな」

「……一応、理由を聞いても?」

「意味がないからだ。私が謝って誰かが救われるか? 一人一人世界中の人間へ五体投地の旅をして皆が許すか? 無駄だな。だから私は私に出来ることをするだけだよ。これまでも、これからもな」

 

 そういって水性ペンを置いた彼女は、自分の罪を既に受け入れ、長い贖罪の旅を続けてきた者の顔をしていた……少なくとも琉希にはそう見えた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百十五話

「でも出来ることって何ですか? ダンジョンシステムは今も動いていますし、その魔天楼? っていうのも動いてるんですよね? こっちの世界から出来ることなんてたかが知れてると思うんですけど……」

「……私の目標は、この次元の穴を修復し、世界を復元させることだ。そのためにとある男を殺す必要がある……詳しくは言えん、貴様の身も危うくなるかもしれんからな」

 

 これだけは駄目だと言われてしまえば、琉希も無理に聞き出すことはできない。

 そもそも彼女の目的に関しては、好奇心こそ刺激されても、琉希の目的であるフォリアの救助には関係がないからだ。

 

 ――まあ助けてくれって言われたら考えますけど……

 

「全て私が原因なんだよ。私があんなものを見つけなければ、好奇心で研究しなければこんなことは起こらなかった。だから私が、私の手で全てを終わらせる……そのために今日まで生きてきた」

「貴女……案外悲しい人だったんですね」

 

 きっと何か一つでも食い違っていたのなら、彼女はこんな終わりかけの世界で腐る人物ではなかったのだろう。

 

 彼女が命を懸け創り上げたダンジョンシステムも、事情が事情故功罪の二面を持っている物の、本来はもっと素晴らしいものになっていたはずだ。

 上手く行けば今人類が抱える問題の九割以上解決できるかもしれない。それだけのことをしてのける人物が自分の罪とも言えぬ罪を背負い、仄暗い決心を胸に生きているとは、何と悲しいことだろう。

 

 うつむく彼女の背後に回り、ゆっくりと頭に手を触れる琉希。

 その感覚にびくりと体を震わせるカナリアであったが、想像していた物とは違っていたのだろう、そのまま彼女の腕を受け入れるように力を抜いた。

 

「……怒らないんだな。あと一言余計だぞ」

「技術や知識はあくまで存在する物、それに善悪なんてありませんよ。貴女の知識は確かに大災害を引き起こした原因かもしれませんが、それを悪用した人は恨んでも貴女を恨むことはできません」

「そう、か……」

 

 これ以上話題に触れることも憚れ、二人の間に流れる沈黙を破ったのは琉希であった。

 

「ところで一ついいですか?」

「なんだ?」

「貴女嘘ついてますよね? さっき魔蝕を治す方法はないって言ってましたけど、本当は知ってますよね」

 

 琉希の口から飛び出した言葉は、疑問ではなく断定。

 確信をもってカナリアへと問いただしているのは、その真っ直ぐな目を見ても明らかだ。

 

 確かに第一段階、即ち体表に魔力の結晶が出ている状態でも、魔力を取り入れないようにしたうえで安静にすれば、じきに吸収されてしまうのだろう。

 だがそれ以外にも治療法はある。

 彼女はそれを知っている上で口を噤んだと、琉希は確信していた。

 

「外から入った魔力が体内で悪さをしているなら、それを無理やり引っ張り出せばいいんです。体内の魔力をすべて抜き取ってしまえば肉体の変化は止まりますし、その後はいくらでも治療できるはず。実際貴女が私たちに出会った時、説明もなしに私へそれ(・・)してましたよね?」

「いや、しかし肉体の変異が起こってしまっているからな」

「それも嘘ですね」

 

 先ほどの説明中、彼女は肉体の変異については語っていたものの、『戻せない』とは一言も発してない。

 確かに嘘を吐くことは苦手であろう彼女。しかし多種多様な知識量には圧倒されるものがあり、当然それを使いこなすのに頭が回らないわけもない。

 

 嘘を吐くのが苦手なのなら、元から言わない。

 ただしすべての真実を語るわけではなく、言いにくい所は隠してしまえばいい、というわけだ。

 

「体内の魔力が抵抗できない程外部の魔力が増えて、その結果肉体の変異が起こったとするのなら……元々の物である体内の魔力が、外部の魔力と馴染み切ってしまう前に、外部からの魔力をすべて抜き去ってしまえば、体内の魔力に存在する記憶から、元の姿へ肉体の再変異が起こるのでは?」

 

 当然現代社会を生きてきた琉希には、彼女の世界における魔法的な知識など皆無。

 しかし先ほどカナリアが語った話に嘘などが含まれないのなら、この理論に間違いはないはず。

 確信にも近い予想だ。

 

 じっと目線を向けてきた琉希を誤魔化すことなどできないと悟ったのか、カナリアは小さくため息を吐き、ゆっくりと頷いた。

 

「――ああ、貴様の言う通りだ。フォリアもだが案外貴様らは聡いな」

「それなら……!」

 

 希望が見えた。

 

 予想は正しかった。

 何故彼女が出来ないなどと嘘をついたのは理解できないが、やはりフォリアの治療方法はあった。

 

「それで、その治療をするのは誰なんだ?」

 

 喜ぶ琉希へ投げかけられた疑問。

 

「え? それは勿論、方法を知っている貴女が……」

「無理だ、私には出来ない」

 

 それは琉希の予想に反していた答えであった。

 

 確かにカナリアは琉希へ、魔力を無理やり絞り出すことで魔蝕の初期段階、体表に現れた魔石を消し去ってみせた。

 それは琉希自身確かに体験した物であったし、てっきりフォリアにもそれを施せば治せるとばかり思っていた。

 

 しかし彼女は出来ないと首を振る。

 こんな矛盾した話があるだろうか。いきなりすべて忘れてしまったのか?

 

 

「な、何言ってるんですか!? やってたじゃないですか!」

 

 先ほどまで撫でていた頭を両手でつかみ、激しく振り叫ぶ琉希。

 

「もうやったんだよ」

 

 しかし彼女はふざけた態度を取るでもなく、ただ淡々と語るだけであった。

 

「私は確かに、あの子へ治療をしたんだ。だが何を勘違いしたのか魔石を拾っていたみたいでな、魔力を抜き取った後、事前に砕いた魔石ごと爆散した」

「は!? 爆散って……は!? え!? フォリアちゃん殺したんですか? 殺しますよ?」

「わっ、私は悪くないだろ! いたたたっ!? いたぁっ!? 頭を離せ馬鹿! 殺す気か貴様!? それに死んだけど生き返った!」

 

 治療、即ち体内の魔力をすっかり抜き去ってしまうこと。

 その結果は単純。レベルが即ち体内の魔力量というのなら、魔力が空っぽになったらレベルもゼロになる。

 

 ――そうか……! フォリアちゃんは確か、あのヤバイ味の実、き、き、黄な粉の実? とかいうのを常食してましたね……!

 

 死んだと言われて焦った琉希であったが、ふと思い出したその事実に冷静になる。

 それにちょっとごつごつとした姿へ変わってしまったとはいえ、琉希は確かにフォリアが行き、動き回っていたのをその目で見ていた。

 

 カナリアの言葉などで焦り過ぎていたのだろう。

 胸をなでおろしつつ、手の内の金髪をパッと離す琉希。

 

「だが奇妙なことが起こったんだ。ただ生き返り、空っぽになった魔力がまた吸収されて元通りになるだけかとばかり思っていたのだが……何故か魔力の吸収が収まらず、元の数百倍にまで増えてしまったのだ。抑えることも出来ずあっという間に『魔蝕』が発症してしまってな……お前何か知らないか?」

「……っ!?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百十六話

「それ……の、何が問題なんですか……」

 

 どもりながらどうにか聞き返す琉希。

 

 はっきり言ってしまえば、彼女には思い当たる節があった。

 というよりは魔力を一気に吸い上げる方法など、フォリアのユニークスキル以外には有り得ないだろう。

 

 だがカナリアにそれを話していいものなのか。

 

 彼女の言葉に嘘はないかもしれないが、恣意的に様々な情報を隠していることも真実だ。

 現にフォリアの治療法について矛盾を突き話さなければ、彼女は『治療できない』の一点張りで話を切っていただろう。

 もしかしたらそれは単純に、治療できないと言い切ってしまうことで下手に希望を持たせず、仕方ないことなのだと琉希に諦めさせようという、彼女なりの下手くそな心遣いだったのかもしれない。

 

 思い悩む琉希へ苛立ったのか、机をバシバシ叩きながらカナリアが吠える。

 

「問題も問題、大問題だろ! 私はダンジョンシステムをそんな風につくった覚えはない! あんな動きありえんぞ!」

「貴女が創ったのは基礎の基礎。残りは進化に任せていたのなら、貴女が理解しえない挙動を起こす可能性も大いにあるはずでは?」

「ダンジョンシステムの根本にある概念は魔蝕の予防だ! こんな魔力が大量に流入するような構造、たとえ途中で出来たとしても見逃すわけないだろ!」

「う……で、でも」

 

 食い下がる琉希の前へ掌を突き出し、疑惑を抱いたカナリアの瞳が細くなった。

 

「なんか貴様怪しいな……何か知ってるだろ?」

 

 鋭い。

 他人の感情の機微は興味を持たず全く理解しないくせに、こういった自分の気を引く挙動には恐ろしく鋭い。

 

 しばし口を噤んでいた琉希であったが、カナリアは相も変わらず偉そうに椅子へふんぞり返ると、左の人差し指で机を叩きながら琉希を脅した。

 

「黙っててもいいがあの子を救いたいなら大人しく言うんだな」

「なっ……」

「貴様の言う治療法は発症者の魔力を上回らなければ出来ん、無理やり引っ張り出すのだから当然だ。数百倍にまで跳ね上がったあの子の魔力量は、既に全快時の私を圧倒的に上回っている。無理なものは無理だ」

 

 

 

「私の手で治療することは不可能だ、他の方法を探すしかない。それには多方面から考える必要があるし、少しでも気になることは知っておきたいのだ」

 

 葛藤はあった。

 

 フォリアのユニークスキルは強大なものだ、悪用しようと思えばいくらでも思い浮かぶほどに。

 それ故彼女にはなるべく誰にも話さないように、と言い含め、現状でも恐らく数人しか彼女の力について知らない。

 

 その約束を、言い含めた自分自身が破らなくてはいけないのか。

 しかも顔の知れた友人などではない、出会って数時間しか経っていない、このエルフっぽいナニカに。

 

 酷く悩ましい問題ではあったが、それ以上に現状は重いもので、琉希には結局話す以外に道がないというのも理解は出来ていた。

 

.

.

.

 

 

「ユニークスキル、か」

「……はい。すごい力だって思ってたんですけど、こんな副作用があるなんて思っていなくて。あの……ユニークスキルも貴女の創り出したダンジョンシステムなら、どうしてこんな力が……?」

 

 先ほどから彼女は未知であるということを主張していた。

 だがユニークスキルはユニークスキルで、やはりダンジョンシステムに関連するもののはず。

 

 これまで快調に説明していた、ダンジョンの製作者を名乗る彼女が、さっぱり理解していないというのも奇妙な話だ。

 

「ああ、それは私の作ったものでもない……というか誰かが関与して出来たものではないからな」

 

 その答えは単純であり、しかし同時に複雑な事情でもあった。

 

「魔力には様々な性質がある。全てを語るには時間が足りんが、記憶の蓄積も所詮はそのうちの一つに過ぎない。その中には一つ、人の体内で様々な波形を取るということだ」

「波形、ですか……?」

「うむ。魔法とはエネルギーを様々な形へ変化させた結果であるが、それ以外にも直接体内から放出したり、素の形で発現させる方法も存在するのだ。その場合波形の影響をもろに受ける、つまり他の誰とも異なるオンリーワンの魔法が発動する。発動と言っても体質として現れたり、様々な形がある点は一般魔法、つまりスキルとも大して変わらんがな」

 

 発動の過程は兎も角として、要するに『ユニークスキル』の名の通り、人それぞれに宿る固有の魔法というわけだ。 

 

「なるほど、それがユニークスキルなんですね」

「ああ、本来の名は固有魔法と言う。とは言え訓練なしだからな、本来ならもっと自由に扱えるものだが、基本的には暴走などの可能性も考慮し動作などをかなり制限している。詳しいことは調べなければ分からぬが、その特徴を聞く限りあの子は魔力との親和性や、それに付随する体内での操作能力が異常なほどに長けているようだな」

 

 そして降りる沈黙。

 

 彼女の思考を邪魔せぬよう琉希も黙りこくっていたが、ゆっくりとカナリアが顔を上げたことに気付くと、祈るような目線を彼女へ向けた。

 

「しかしふむ……あんな言い様で聞いて悪いが、あまり役に立ちそうにないぞ」

 

 しかし帰ってきた言葉は無慈悲。

 その知識をもってしても思いつかないという、残酷な台詞であった。

 

「そうですか……助ける手段が一つもないなんて……っ!」

 

 ――あたしのせいだ。

 あたしがあの時、無理やり母親に会いに行こうなんて誘ったから……無理にレベル上げなんてしなければ発症しなかったのに……っ!

 

 自分へ怒ればいいのか、現状を悲しめばいいのか。

 琉希は感情のまま顔を覆い拳を固く握りしめると、ぶち、ぶちと指に絡まった前髪が千切れる音にすら気付かなかった。

 

 やはり無理にでも彼女を置いていけば良かったのだ。

 そうすればこんな事にはならなかったはずなのに……!

 

「ん……そうだな」

 

 しかし自分が零した言葉に身動ぎし、目線をスッと逸らしたのを琉希は視界の端で捕らえていた。

 

「……何か隠してますねっ!?」

「し、しらん! 知らんったら知らん! ぜんぜん知らん! 超知らん!」

 

 必死に否定をしているものの、その目はあちこちへ泳ぎ、演技と言うにはもはやわざとらしさすら感じてしまうほど。

 もしかしてわざとやってるのか? 本当は話したくて仕方ないのか?

 

 やはりこのエルフ、まだ話していないことがあった。

 

 しかし知らぬ存ぜぬの一点張り。

 再び椅子から立ち上がり、彼女の元へ歩み寄る琉希に震えながらも、今回ばかりは決して話そうとしなかった。

 

「たっ、頼む、これだけは使えんのだ! お前があの子を救いたいのは分かる、私もいくらでも手伝おう! だがこれだけは駄目なのだっ!」

「……分かりました。そう涙目にならないでくださいよ、そこまで言う人から無理に聞き出したり、取り上げたりはしません」

 

 結局目の端に涙を浮かべ、絶対に無理だと言われてしまえば琉希に出来ることはなかった。

 

 それが何なのかは分からないが、無理やり奪うことも出来るのだろう。

 しかし彼女の叡智は捨てがたいものであり、今下手に遺恨を生み出すくらいなら、協力して新たな道を捜索したほうが良い。

 フォリア自身そんな方法で助けられても、心優しい彼女なら喜ばないだろう。

 

「ほ、本当か!? 殴って奪ったりしないか!?」

「しませんよ! 私を一体なんだと思ってるんですか!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百十七話

 笑みを浮かべた琉希に、胸をなでおろし安堵するカナリア。

 

「あ、一つ思いついたんですけど」

 

 そんな彼女へ投げかけられた質問。

 

「同じかそれ以上の魔力がなければ引っこ抜くことが出来ないなら、本人に抜かせるってのはどうなんでしょうか?」

「ふむ……」

 

 腕を組み黙り込むカナリア。

 

「成程、その考えはなかったな」

 

 ぽつりと呟く。

 

 素人ながら、いや、素人だからこその発想に目を剥く彼女。

 

 自然に快癒しない病気なのならば、外部から手を加えるしかない。

 そんな風に、カナリア自身いつの間にか凝り固まっていた観念を打ち崩す、全く新しいベクトルでの試み。

 

「自己で治療できるようにするか……今まで他者からの治療手段ばかり考えてきたからな、うむ、新たな着眼点じゃないか」

「それじゃあ……!」

「本人の意識がなければできない可能性は高いが、それなら可能性はあるかもしれん。一週間くれ、私も全力を尽くしてみよう」

 

 颯爽と立ち上がるカナリア。

 

 幸いにして、魔法陣の起動時に使わなかった魔石はまだ在庫があった。

 後は理論を組み立て、新たに作り出した魔法式を転写した物質を創り上げるだけ。

 最大効率を保つため適度な休息を挟む必要はあるものの、一週間、いや早ければそれよりいくばくか短い日数でも、十分に作ることが出来るだろう。

 

 フォリアの記憶が完全に塗りつぶされるまであとどれだけあるのか。

 のんびりしている暇はないものの、しかし時間には余裕があった。

 

 文字を浮かべることが出来るとはいえ、一から理論を構築するには膨大な式の連立が必要になる。

 広い場所を求め外を飛び出そうとしたカナリアであったが、ふと浮かんだ疑問に振り返り、琉希へ首を傾げた。

 

「だが何故そこまで助けようと必死になる? 友人とは言え、所詮は他人だろう」

 

 彼女には、かつて友と慕っていた幼馴染に裏切られたことがあった。

 

 生来の性格から、友と呼べる相手が皆無に近いカナリアにとって、その経験は唯一にして無二、絶対の記憶ともいえるもの。

 友人というものの間隔が歪んでしまうのも無理はない。

 

「あたしのせいなんです……戦いたくないって言ってたフォリアちゃんを焚きつけたの……やった方が良いって、大事なものを手放すなって……」

 

 深い後悔の吐露と共に、膝の上で服の裾を握りしめる琉希。

 

 どうすれば正解であったのか、それは未だに分からない。

 親に捨てられた彼女を、その内忘れるさと諭すだけでいるべきであったのか、こうやって追いに来るべきであったお、或いはまた別の選択肢があったのか。

 

 しかし、まあなんかうまいこと運ぶだろうと思っていた行為が、まさか友人の異形化という結果を招くとは予想だにしていなかったのは事実だ。

 そして同時に、結果的にではあるが彼女を、より辛い現実へ進む最後の一押しをしてしまった事も、やはり事実であった。

 

「結局それは発症を早めるだけで、もしあのまま放置していれば戦わずに済んで、そのまま魔力が吸収されてたかもしれないのに……!」

「……本人の性質上、ダンジョンと関与する限り永遠に発症のリスクはある。それにあそこまで進行していたなら、発症はそう遠くない未来だっただろう」

 

 いつか来る未来が今だったこと。

 

 カナリアなりの慰めであったが、琉希には届かない。

 

「あたし、フォリアちゃんにダンジョンで助けてもらったことあるんです。私だけじゃなくて色んな場所でいろんな人が、必死に戦うフォリアちゃんに助けてもらってると思います。絶対辛いのに、それでも頑張って……」

 

 SNSでのチャット、現実での会話。

 彼女は大概にして何かしらの問題を一人で抱え、解決しようとその身を削り続けていたことを、琉希は察していた。

 自分だって恵まれた立場なわけではない。むしろ大概の道行く人々より辛い日々を過ごしながら、それでも誰かに手を差し伸べる。

 

 並大抵の人間が出来ることではない。

 

「誰かを助けるためにずっと必死で戦ってきたのに、最期は母親に見捨てられて、こんな人も来ないところで化け物になって、記憶も失って……誰にも助けてもらえないで……そんなのあんまりすぎます」

 

 正直者が馬鹿を見る? 賢く立ち回った者が得をする?

 

 ありがちで、実際現実でもありふれた事実。

 確かに危険を上手く避けるのが正しいのかもしれない、誰かのために戦うなんて、正義なんて陳腐な言葉で武器を振るうなんて愚かなのかもしれない。

 

 しかし、それでも必死に歩いてきた彼女が、報われることもなく朽ち果てていくのなら、助けてもらった癖してこのまま見捨てるくらいなら、愚かでも、彼女に殺されてでも、最期まで彼女を助けたいと思ってしまった。

 

「え? アリアって自分の子超好きだろ? 見捨てたのか?」

「え?」

 

 そんな、カナリアの気の抜けた声を聴くまでは。

 

「いや、アリアとは二十四……ああー、いや、十八年ほどの付き合いがあるが、ことあるごとに自分の子供自慢するくらいだし、嫌うなんてあり得ないと思うが」

 

 くびをひねりながら語る彼女。

 その様子に嘘をついているような素振りはない。心の底から疑問に思っているようで、眉をぎゅっと寄せている。

 

 事情があるとは確かに思っていたが、こうもあっさり言われてしまうと気が抜けてしまう琉希。

 

 喜ばしいことであるはずにも拘らず、なぜか今度は琉希が、アリアの悪逆的な性格の可能性について後押しを始めてしまう始末であった。

 

「で、でも……フォリアちゃんは泣いてましたし、芽衣ちゃんもそういう感じのこと言ってましたよ。やっぱり……」

「そうか……以外だな……」

 

 しかし十八年とは驚くほど長い間柄だ。

 

 平然と語られたその年月に、やはり彼女はエルフなのだと再度驚く琉希。

 見た目の幼さからは想像できないが、その知識、そして節々から零れるそういった言葉に、隔絶した年齢差を感じてしまう。

 

 だがやはりカナリアの知るアリアも、琉希自身の知る彼女とさしたる差はなかったらしい。

 

 そう言えばカナリアはアリアと一緒に居た。

 もしかしたらその目的こそが、アリアが豹変した要因の一つなのではないのかと微かに引っかかった琉希。

 

「『貴様は私の子ではない!』なんて、ちょっとあまりにも酷い言い方ですよね。でも今まで話してて優しい人だと感じていたので、やっぱり事情があるんだと思ってここまで会いに来たんです」

 

 と、探りに話してみた所……

 

「ひょ?」

 

 甲高いその声に思わず首を上げる。

 

 そこにあったのは今日だけでも何度か見てきた彼女の驚く顔であったが、今回は一層のこと間抜けな面構えであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百十八話

「また貴女が関係してるんですか……?」

 

 琉希は額に手を当て天を仰いだ。

 

 ダンジョンの製作者であるという彼女の言葉は、もう疑うべくもない事実なのだろう。

 フォリアの姿を変異させてしまった事も、話を聞く限りでは故意ではない。

 

 正直のところ琉希には、今までの話でもうお腹いっぱいを通り越し、はち切れてしまいそうなほどであったのに、まだ何か大事そうな話が出てくるというのは勘弁してもらいたかった。

 様々な功罪があると言えど、流石にひどすぎる。

 

「なんでそんな目するんだ、まだ何も言ってないだろ!」

 

 はっと意識を取り戻す琉希。

 

「いやもう大体予想着きました……どうせ犯人は貴女なんですね? さっさと全部吐いてください」

 

 知らず知らずのうちにきつくなっていた目つきを治す様に目元をもみほぐし、手を振って彼女へ話の続きを促す。

 放置することも出来たが、流石にここまで言われて一切聞かないというのも収まりが悪い。

 

「……その、ソレ言ったの私だ」

 

 衝撃的、なはずの事実ではあるが、今の琉希にはそれを正面から受け止める気力すらなかった。

 

「本人は気付いていないだろうが、ちょっと事情で六年間アリアの体内に居たんだ。私が体内に居る影響で彼女の意識はかなり不安定でな、意識が沈んでいる間に私は様々な準備をしていたんだ」

「寄生虫ですか? 準備ってアリアさんの体を乗っ取る?」

「きせっ!? 違う、事故だ! 私だってこんな事したくなかった!」

 

 続けて語るカナリア。

 

 六年前、事情により再び狭間へと囚われたカナリア。

 しかし何度か(・・・)既に狭間から抜け出していた彼女にとって、それは面倒ではあったが手馴れてもいる事であった。

 

 数日かけ再びこの世界へ舞い戻るため、空間に穴をあけ飛び出すことに成功……事件はそこで起こった。

 

 何故かそこにいるはずのない人物たちが居たのだ。

 それが奏とアリア。フォリアの両親でもあり、カナリアと未来で出会うはずの二人。

 

「……いるはずのない? 未来で出会う? ちょっと何言ってるのか分かんないんですけど……」

 

 ここで琉希が話を遮る。

 

 アリアとは十八年来の友人と言っていたのに、六年前にまだ出会っていなかったというのは奇妙な話であった。

 

「あー……まあともかく誰もいないと思っていたんだが、飛び出した先に二人がいたんだ。色々事情が複雑なんだ」

 

 カナリアは胡乱な目を向け、その複雑な事情とやらを口にはせずに話を再開した。

 

 当時、カナリアの肉体は狭間の膨大な魔力にもまれ、完全に消滅していた。

 魔力と精神だけの不安定な状態。そんな時、漸くこじ開けた狭間の真ん前に何故か二人が居り、カナリアはアリアの肉体へ誤って飛び込んでしまい、同時に奏は狭間へと飲み込まれてしまった……

 

「……奏さんはどうなったんですか?」

「分からぬ。あいつもあいつで中々頭が切れる、生きてる可能性もあるだろうが……」

「そうですか……そして貴女はアリアさんの身体に、と」

 

 そうだ、と深く頷き、再び緑茶を呷るカナリア。

 

「勝手に体を乗っ取って動かすって、人間大のロイコクロリディウムとかハリガネムシじゃないですか……寄生虫……」

 

 そしてぼそっと吐き出された琉希の言葉に噴き出した。

 

「けほっ、んん! 故意じゃない! それに今はこうやってしっかり分離出来ただろ! 私もすべきことがあったから大分時間はかかったがな、ちゃんと考えてはいたんだ!」

「諸悪の根源が何ほざいてるんですか。貴女がもっと気を付けていればこんな事にはなりませんでしたよね?」

「なっ、そこまで言うことないだろ!?」

 

 偉そうに胸を張るカナリアの頭を(はた)く琉希。

 

 これで漸く納得がいったと頷く琉希。

 アリアは全く悪くなく、この社交性ゼロ、配慮ゼロの傍若無人エルフが全ての原因であったと。

 

 言われてみれば納得する話だ。

 その行動も別にフォリアを傷つけるためでも何でもなく、本当にただ邪魔だったから、ただ五月蠅かったから、素直に本音を叩きつけたのだろう。

 私の娘ではない、と言うのもまんまだ。確かにフォリアはカナリアの娘ではない、間違ったことは何一つ言っておらず、彼女に悪意や悪気というものもないのだろう。

 

 だが……

 

「言葉が足りないんですよ言葉が! もっと他人と向き合ってください、人間失格飛び越えて論外ですよ!?」

「事実なんだから仕方ないだろ! 世界が崩壊している今、たとえそれがアリアの子であろうとも構っている暇などないのだ! 正直今だって相当時間を割いているのだぞ!」

「エスパーでなければそんなこと理解できません!」

「子供にこんな事情話したところで理解できるか! それに一応家を出るとき、子供を置いていくと警察にはちゃんと電話したからな!」

 

 カナリアは他人への興味を一切持たない。

 それが生来の物かは定かではないが、結果として人は彼女との付き合いを避けるようになり、より他者から距離を取る生活を生み出し、一層のことカナリアの社交性は退化していった。

 群れる生き物の人間であるにもかかわらず、彼女の才能がそれを可能にしてしまった。

 

 そんなある日彼女の両親が死んだ。

 

 数少ない、カナリアをカナリアとして見る人たちだ。後は一名、幼馴染である一人の女性だけ。

 そしてのちに幼馴染にすら裏切られるのだから、この時点で彼女は天涯孤独の身になったと言っても過言ではないだろう。

 

 彼女は研究へ没頭した。

 心配し食事を差し出す人も、眠りこけた彼女へ布団を手渡す人も、もう誰一人として存在しない。

 或る種自分という殻に閉じこもってしまっていた、とでもいうべきか。

 

 これまでもうっすらと見えていた悪循環が、遂に表面化したのはこの頃だ。

 

「ふん……家族など下らん物に囚われているなど子供だな!」

 

 再び胸を張ったカナリアの顔へ、琉希の拳が突き刺さる。

 

「なぁ!?」

「二日です」

「おま!? ――な、なにがだ……?」

 

 再び文句を言おうと肩を怒らせるカナリア。

 しかし何か言ったらまた殴られると察した彼女は、抵抗せず琉希の言葉を待った。

 

「二日以内にフォリアちゃんを治す奴作ってください。大丈夫です、回復魔法かけ続けてあげるので、休憩も睡眠も必要ありませんよ」

 

 にっこりと優しい笑顔で伝えられる、悪魔のような言葉。

 カナリアの長い二日が始まった瞬間であった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百十九話

『私は誰だ』

 

 雪の中を歩いている間、ずっと疑問が頭を過ぎっていた。

 

 何か大事なことをしに来た気もするし、ただ彷徨っているだけな気もする。

 すごく大事なものを守りたい気もするし、既にその大事なものは無くなってしまった気もする。

 

『ボクは誰だ』

 

 でもなんだか、もう全部投げてもいい気もする。

 だって何が何だか分からないけど、どうせこの先にはまともな未来なんて存在していない気がするから。

 

 体中がいたい。

 殴られているような、抉られているような、何か大事なものが失われているような。

 

 こんな変な腕じゃなかったはずなんだけど、じゃあどんな腕だったのかって言われたら思い出せない。

 俺の小さな体だと……あれ? 何で小さいなんて思ったんだろう、木なんて倒せるくらい大きいのにね。

 

『あ……』

 

 爪でつまんでいた小さな瓶の中にある、黄色い粉が尽きた。

 振っても出てこない、わずかな滓が雪の中に舞う。

 

 誰かと、どこかで拾った気がするそれは、舐めている間だけは痛みを忘れられた。

 誰だっけ。

 強かった気がする。大きな武器を振って、一緒だと楽しかった気もする。

 

『あ、きつねだぁ』

 

 ずっとずっと遠く、背後を歩いていた小さな獲物の音を聞き、真後ろ(・・・)へ首を捻り捕捉する。

 

 たべないと。

 

 

『魔石を集めてきてほしい、ですか?』

『うむ。手持ちはあるのだが、やはり多ければ多いほどいいからな』

 

 カナリアに告げられた場所は、三人の借りているホテルからほど近いダンジョン。

 レベルも格下であり、戦闘能力が比較的低い琉希でも、一人で十分に対応できるモンスターばかりであった。

 

 広い草原が主体となったダンジョン。

 サクサクと落ち葉を踏んでは、持ち込んだ岩を叩きつけモンスターを捻り潰していく琉希。

 

 ずんずんと歩みを進めていく中、ふと地面へ視線を向けた彼女の足が止まった。

 

「おや……」

 

 目に飛び込んできたのは少女が何故か好んでいた、ダンジョンとあらばどこでも落ちている奇妙な果実。

 コロンと小さく、誰でも一口で食べてしまえるほど。

 栄養やカロリーも豊富で、ダンジョン内で遭難した時に食物が尽きても、これで食いつないで行ける不思議な存在。

 しかし人が不快に思う感覚を存分に詰め込んだ味は、それこそ命の危機が掛かっていなければ食べようと思わないと噂されている。

 

 かつて、隠された恩恵を与った時は、噂に違わぬその味に、もう二度と口にすまいと心に誓ったものだが……

 

「一応、集めておきましょうか」

 

 琉希はそう呟き、『アイテムボックス』へ新たな希望の実を詰め込んでいった。

 

 

「綺麗……」

 

 ホテルの前へ戻ってきた琉希が目撃したのは、空いっぱいへ浮かぶ、輝く道の文字列たち。

 それはカナリアを中心として渦巻いており、かつてどこかで見たイルミネーションなどとは比べ物にならない程、不思議な煌きを宿した美しい光景であった。

 

「事前にちょっと作っていたものを流用したのだ、二日どころか一日もいらんかったな。ふっ、まあこれが天才たる所以よ」

 

 しかしその感動も、自信満々に鼻を鳴らす彼女の言葉に露と消える。

 

「もう少し謙虚になったらどうですか」

「事実を言ったまでだ」

 

 彼女への突っ込みももはや慣れたもの。

 琉希自身、あれ、なんか自分のキャラクターと色々と違わないか、と思うところはあるものの、それ以上に息をつかせないほどに吐き出される突っ込みどころが、琉希を突っ込み役の仕事へ縛り付けていた。

 

 事前に手渡しておいた千円札を自販機へ押し込みながら、琉希へ、先ほどまでカナリアの立っていた、文字の中心へ魔石を置くように指示する彼女。

 カナリアはその魔石を、足で雑に位置調整しながら缶を開け、中身を一気に飲み干した。

 

 周囲に甘ったるい香料の匂いが漂う。

 

「ふぃー、やはりドクトールペッパーは美味いな! 貴様らの作り出した発明の中で一二を争うくらいだ、誇っていいぞ!」

「私それ嫌いなんですけど……」

「なっ、お前味覚大丈夫か!? この知的な香り漂う至高の飲み物を!? 嫌い!?」

 

 なぜそこまでドクトールペッパーへこだわりを持つのか分からず、妙な執着に困惑する琉希。

 清涼飲用水と言うのは時として妙な狂信者を生み出すものだが、どうやら目の前の駄目エルフも完全に魅了されてしまったうちの一人だったらしい。

 そういえば異世界にジュースが存在するのか、普段の生活はどんなものなのか、といったこともふと疑問に浮かび興味を引かれたが、そんな事より重要なことがあると首を振る琉希。

 

 二本目のジュースを購入し、今度はゆっくり飲み干す彼女へ本題を話す様催促をする。

 

「む、ちょっと待ってろ……これでよし、っと」

「ひゃぁ!?」

 

 規則正しく魔石を並べ終えた彼女が、無造作に爪先で地面を叩いた瞬間、宙を舞っていた無数の文字が一点へ収束を始めた。

 スキルなどという紛い物ではない、一から全てを組み上げ、思うがままに世界を改変する真の『魔法』。

 

 光の奔流は加速していき、そのあまりの眩い輝きに目を覆ってしまった琉希が目を開いた時には……

 

 カナリアの腕には、三つの真っ赤な腕輪が握られていた。

 

「うむ、魔力は足りたようだな。それにしても……ひゃぁ!? ってお前なんだ今の声! 恥ずかしくないのか!? あは、アハハハだだだあだっ!?」

「……さっさとそれの説明してください」

 

 アームロックを極められたカナリアは、琉希へ関節技を解除するように訴える。

 

 渋る琉希。

 しかしこのままでは話が進まないと、仕方なしに解かれた腕に一応の回復魔法を、何とも雑に投げられながら彼女は説明を開始した。

 

「この腕輪で魔法を発動すれば、発動者の前に光の魔法陣が形成される。その中に踏み入った者が、発動者の魔力量に応じて体内の魔力を引き抜かれることになる」

「あれ? と言うことはこれ、他人から治療を施すことも出来るんですか?」

 

 琉希の質問へ深々と頷くカナリア。

 

「うむ、そっちの方が汎用性が高いからな」

 

 そういって管の中身へ口をつける彼女へ、琉希がおずおずと話を切り出した。

 

「あの……私にも一つもらえますか?」

「ああ、最初からそのつもりだ。実はこの治療法、時間が経つと体内に魔力が戻ってしまってな。その代わり以前よりは貯まる量が減るから、繰り返し施術をすることで許容値にまで戻すのだ」

 

 ダメもとでのお願いであったが、あっさりと手渡されて拍子抜けする琉希。

 もしこれがダメならば、カナリアから魔蝕を抑える魔法を習おうと思っていたばかりに、これは嬉しい誤算と言えるだろう。

 

 ――これで、もし駄目だった時でも……

 

「発動は魔法の基礎が分からぬ貴様でも分かりやすい様に、声と動作で出来るようになっている」

「あ、それはわざわざありがとうございます。お礼に飴いりますか?」

「子供か! だがいる! んぐ……腕輪を片手で抑えながら、『リアライズ』って言えば発動するようになってるから、『アイテムボックス』にでも仕舞っといて今後定期的に使うようにな」

 

 

 

「なるほど……有難うございます」

「ああ。ふぅ……流石に疲れた……少し休ませてくれ。そうしたら出発しよう」

 

 そういってホテル内へのそのそと戻っていく彼女。

 

「おっと……」

 

 カナリアを見送る琉希であったが、不快な浮遊感とおぼつかぬ足元に、思わず膝をついてしまう。

 

 ざらりとしたアスファルトが頬に触れた。

 

 実際機能するかはともかくとして、漸く完成した希望の光。

 しかしこれを完成させるまでに丸一日、そしてカナリアに出会うまでも戦闘の連続であり、緊張が緩んだせいか一気に疲労感が現れたらしい。

 

「あたしも……ちょっと休みましょうか……」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百二十話

 琉希とカナリアは、昏々と眠り続けた。

 夢も見ず、寝言も漏らさず、死んだかと思えるほど寝続けた。

 そして明くる日の朝、ホテルの従業員が溜まらず引き攣った笑いを浮かべる程にビュッフェスタイルの食事を平らげ、部屋へと舞い戻った。

 

 アリアは相変わらず微かな寝息を立て、身じろぎ一つせずに眠っている。

 

 もしここに戻ってこなければ、彼女はどうなってしまうのだろうか。

 そんな疑問が琉希の心にも去来するが、しかし頭を振って暗い考えを払いのける。

 

 今は唯、助け出すことだけに集中していればいい。

 かつて彼女が己を助けたように、今度は己が彼女を助けるだけなのだから、それ以上何を考える必要があるというのだろうか。

 隙を見せれば心を埋め尽くす不安に飲み込まれないよう、そうやって唱え続けるのが精一杯であった。

 

 と、真面目なことを考えている琉希の傍らで、カナリアが虚空から魔石を引っ張り出し、机の上に山ほど積み上げ始めた。

 その姿はまるで小学生が無闇に山にしたがる様子と重なっており、再び張り始めた琉希の緊張の糸が、容易く引きちぎられてしまう。

 

「なにしてるんですか?」

「うむ、これはな……」

 

 ひょいと山の上から一つ魔石をつまみ上げ、何か魔法陣を展開する彼女。

 

 その瞬間、魔石が何か靄のようなものをゆっくりと吐き出し、黒色のそれが、端から蒼へ染まっていった。

 宝石にも炙ったり日の光を当てることで色が変わるものが存在するが、そのどれにも値しない、魔石らしいと言えばらしい変化だ。

 

 興味津々に眺めていた琉希を尻目に、彼女は徐にそれを飲み込んで見せた。

 

 琉希の笑顔が一気に引き攣る。

 

「魔力の補給だよ。体内から生成される分では間に合わんからな、こうやって純化した物を直接取り入れるのだ」

「な、なにやってるんですか貴女!? ぺっしなさい! ぺって! 病気になりますよ!?」

 

 後頭部をべしべしと叩く琉希の腕を軽々と払いのけ(・・・・・・・)、カナリアはため息を吐いた。

 

「犬か! 魔蝕にはならん、魔力に蓄積された記憶や波長などを取り除いたり均一化したものだからな。今は純粋なるエネルギーの塊だ」

「そ、そうなんですか……?」

 

 お前も一つ食べてみるか?

 

 カナリアに爛々と輝く蒼の魔石を差し出されるも、流石に無機物(?)を平然と飲み込む勇気はなく、丁寧に断る琉希。

 残念そうな表情を浮かべる彼女であったが、まあ無理強いはせんさと呟き、残った魔石も全て純化した上で飲み込んでいってしまった。

 

 ――金髪の子はゲテモノ食いの性でもあるんですかね?

 

 そんなことを片隅で考えながらカナリアの食事を眺めていた琉希へ、カナリアの冷めた目が突き刺さる。

 それはカナリアが幾度となく浮かべてきた、どこか感情などを投げ捨て、全て客観的に確認し、動こうとする観測者の瞳。

 

 琉希の身体に緊張が走る。

 

「事前に言っておく。今回の魔道具は、はっきり言って急ごしらえ、完成とは程遠い質の物だ。当然フォリアを必ず助けられる、などと言い切ることは出来ん」

「ええ、ばっちり分かってますよ」

 

 重々しい口調で語られた内容は、既に幾度となくカナリアが口にしていたこと。

 

 今のフォリアの状況は、カナリアの考慮していなかった事情が重なりに重なった結果、偶々運悪く起こってしまった事故である。

 ともすれば言い訳がましく聞こえる話であるが、確かに聞いてみればその通りであり、琉希にはそれを今更さらに責める必要はなかった。

 

「……本当に分かっているのか知らんが、もし駄目だったなら諦めろ。そしてその上で決意しろ」

 

 だが思ってもいなかった言葉が飛び出し、首を捻る琉希。

 

「決意、ですか?」

「そうだ、あの子を殺す決意だ」

「はぁ!? 私が? フォリアちゃんを? 何バカなこと言ってるんですか!?」

 

 治せなかったからと言って殺すとは、あまりに物騒すぎる話であった。

 

 今治せなくともその内治せるかもしれない、誰かが画期的な治療方法を思いつくかもしれない。

 その可能性を全てかなぐり捨て殺すというのは、フォリアが琉希にとっての命の恩人であり、友人であるという点を外したとしても、まず思い浮かばない選択肢だ。

 

 ないない、それだけはあり得ません。

 

 必死に首を振る琉希へ、カナリアは淡々と語りかける。

 

「私だって本意ではない、だがあれを放置するのは猶の事不味いだろう。あれはダンジョンシステムによって一から生み出されたモンスターではない、従ってダンジョンが崩壊しても、他のモンスターのように消滅するわけではないのだ」

 

 フォリアは怪物になった。

 意識を失い、体内へ巡る無数の生物の記憶によって、本能のままに暴れ、貪る怪物に。

 

 だがモンスターではない。

 肉体の変異こそすれど、食事の対象が魔力になろうとも、彼女は何処まで行っても『生物』であった。

 

「……だからなんだっていうのですか」

「誰も止めることの出来ない怪物が解き放たれるぞ。分かるだろ、音速を容易く超えて動き回り、そこらの建造物などカスのように叩き潰せる化物なんだ。どれだけの人が死ぬと思う?」

 

 カナリアには基本的に他人を気遣うような心はないが、一般的な善悪の観念は理解しているし、様々な要因で怪物へ変わってしまった彼女を憐れむ程度の人間性は持ち合わせている。

 しかし彼女を放置した場合、きっと大勢の人間が苦しみ悶えることになるということも、当然予想していた。

 

 ――確かトロッコ問題と言うのだったか。ふん、確かにこれは気分が悪くなるな。

 

 かつてどこかの雑誌で見た内容を思い返し、不機嫌そうに鼻を鳴らす彼女。

 

「……だっ、第一私たちに倒せるわけないじゃないですか。貴女ですらタコ殴りだったんですよ?」

「いいや、できるさ。次元に小さな穴をあければな」

 

 それはダンジョンの崩壊における消滅を、人為的に起こすということであった。

 

 穴を開けることで生み出される引力は、たとえそれがどれだけ巨大な建造物や広大な土地であっても、一定範囲に存在するのなら無慈悲に吸い取ってしまう。

 それはフォリアとて同じこと。

 もし次元の狭間より魔力密度の高い存在になれば分からないが、少なくとも今の彼女であれば、この世界から消し去ることは決して不可能なことではない。

 

「約束しろ、どうにもならないならフォリアを殺す、と。でなければ私はここを発たん」

 

 まっすぐな瞳が琉希へ突き刺さる。

 

 飲み込むにも飲み込み切れず、彷徨う視線と指先。

 やはり今のはうそだったと、そう言ってくれるのを期待するような目線を琉希は向けるが、カナリアは微動だにすることはなかった。

 

 時たま見せたおふざけなどではない、どうしようもない事実。

 

「――分かりました、私が諦めたら(・・・・・・)それをやってください」

「それでいい。何、気にする必要はない、罪は私が背負ってやろう。今更一人や二人殺したところで大して変わらんからな」

 

 ダンジョンへ顔を向けたカナリアの背後、琉希は『アイテムボックス』から取り出した希望の実をひとつ口へ放り込み、以前感じ取れなかった微かな甘みに顔をしかめた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百二十一話

「よし、じゃあ手筈通りに行くぞ」

「はい」

 

 頷きを確認したカナリアの手によって、古寂びた扉がゆっくりと開かれる。

 

 手筈とは言っても中身は単純、カナリアがその身で攻撃を防いでいる間に琉希が声をかけ、フォリアが意識を取り戻したと同時に腕輪で魔法を発動させるというだけ。

 そもそもフォリアが意識を取り戻さなければ成功しない、確実性から遠く離れた内容だ。

 

 だがやるしかない。

 

 一瞬の暗転、肌を凍て付かせるほどの暴風が二人を襲う……

 

「――って、これは……」

「寒くないだろ」

 

 確かめる様にカナリアが雪を掴み、軽く握り締める。

 

 鼻や指先から痛みすら感じる程であったかつてのそれ。

 しかし琉希は彼女の言う通り、冷たい所か快適な暖かさすら今は感じていた。

 どうやら彼女が以前ワンピース一枚で動き回っていた理由がこれらしい。

 

 琉希はいそいそとコートや重ね着の靴下、服などを脱ぎ『アイテムボックス』へ放り込むと、ぐるぐると肩を回した。

 高レベルになれば力は圧倒的に増すが、かといって厚着をしてもいつも通りの動きを完璧にこなせるわけではない。

 無意識に力をセーブしてしまったり、或いは引っ掛かりに気を取られてしまったり、やはり軽装の方が動きやすいのは事実であった。

 

「便利ですね、習いたいくらいです」

「これが終わったらな」

 

 そういってカナリアがあごをしゃくりあげた先には、白と黒の歪なコントラストが広がっていた。

 

.

.

.

 

 

「……おらんな」

「ええ。それどころかモンスターの影すらありません」

 

 しばしの探索を終え、互いに声を潜めての会話を行う二人。

 

 雪には大穴が開き地面が露に、木々はへし折れ、一体は何か爆撃でもあったのかと思ってしまうほど、見渡す限りに凄惨な光景が広がっていた。

 しかしモンスターの影も、怪物へ身を変えた彼女の姿も見当たらない。

 

「それにしてもこれは……」

「あの子だろうな」

 

 それ以外ないと言われれば黙るしかない。

 破壊痕に雪はさほど降り積もっておらず、ましてや逐一修復されるはずのダンジョン内でここまでの痕を残すというのは、それこそつい数時間以内に破壊活動が行われたということ。

 覚悟はしていた。だがしかしごく短期間で、視界に入るほぼすべてがここまで広大な雪原が壊滅してしまうとは。

 

 琉希の背中に冷たいものが走る。

 

 レベル六万、いや、フォリアから逆流してきた魔力のせいで多少押しあがって七万ほど。

 技術や経験、足りないものはいくらでもあるとはいえ、その力は自体は本物であり、一介の高校生が持ち合わせるには過ぎたものだ。

 しかし己がいくら束になろうとも太刀打ちできない存在、怪物を超える怪物の前に立たなくてはいけない事実。

 

 ――これは……下手したら呼びかけ云々以前に死ぬかもしれませんね……

 

「しかし埒が明かないな。延々探すのも体力を使うだけだ、こちらから仕掛けるか」

 

 そういってカナリアが取り出したのは小さな魔石。

 彼女はそれを指先で磨り潰すと、頭上へ力強く放り投げた。

 

 微かな閃光、追って爆音。

 

 奇しくもその作戦は、フォリアと琉希がこの『沈黙の雪原』へ訪れた時に取った物と似ていた。

 

 魔石としては低級、或いは魔力を著しく失っていたそれの起こした空気の振動は、爆弾として扱うにはあまりに弱弱しいものだ。

 しかし怪物を呼び寄せる撒き餌としては十二分に活躍した。

 

 鈍い音が響く。

 初めは魔石の爆発による振動が最後の一押しになって、木々に積もった雪を落としたのだと思った。

 

 だがすぐに違うと分かった。

 

 理性を失い荒ぶる怪物の、横隔膜を震わせるような足音。

 だがそれは決して思うままに暴れ狂っているわけではない。音を聞きつけ、こちらへ一直線に向かってきているのだと、次第に大きくなる足音から嫌でも理解出来た。

 

 視界の端にすっくりと立つ巨木が、まるで鉛筆でもへし折るかのように千切れ吹き飛ぶ。

 

 

 ド

 

 ドド

 

 ドドドドドドドッ!

 

 

「来るぞ! ぼさっとしてるんじゃない!」

 

 カナリアの声にハッと意識を取り戻し、巨岩を構える琉希。

 同時に上空から巨大な影が無数に(・・・)降り注ぐ。

 

「あ、れ……?」

 

 しかしそれらを弾き飛ばした琉希は、あまりの反動の軽さに首を傾げた。

 カナリアを一方的に叩きのめす怪物の攻撃は、決して琉希に耐えきれるものではない。

 勿論岩を挟んで衝撃を抑えることはできるが、それでも打ち消しきれなかった反動に潰されたり、吹き飛ばされることが想定されているのだから。

 

 琉希の違和感を肯定するように、次々と地面へ突き刺さる雪狐達。

 だがそれらは首や顔、腹などの急所の悉くを一撃で叩き潰された、つい今しがた殺されたばかりの死骸であった。

 

「――『金剛身』ッ!」

 

 思考すらなく絶叫するように発動したスキル。

 姿の見えぬ怪物を恐れ飛び出さず、岩の下で隠れることを選んだ琉希であったが、その無意識の選択が彼女の命を救った。

 

 

 ドンッ!

 

 

 それは黄金の体毛に覆われていた。

 狐や狼のような肉食生物の姿を基調とし、しかし骨格に合わぬ翼や、まるで籠手でもしているかのように四肢を覆う漆黒の鱗、仮面のように頭部を覆う純白の装甲と、その隙間からは鋭く生えそろった牙と縦に割れた瞳が爛々と輝く。

 

 そして何より特徴的なのは後脚と比べても大きく発達した前脚だろう。

 うろこに覆われた腕は太く、しかし鋭い爪を備えているが、それ以上に目につくのが両手の甲へ生えた巨大な黒の結晶だ。

 

「随分と立派な体になったようだな」

 

 カナリアの声に大きな耳がピクリと反応した。

 

 その瞳に宿るのはこの姿へ変わってしまった恨みか、怒りか、それとも虚無か。

 黄金の瞳がぎろりと地面を這いまわり、己の爪よりちっぽけなカナリアを補足したと同時に、口へ加えていた雪狐の首が噛み千切られる。

 

 

『オオオオオオォォォォォッ!!!!!!』

 

 

 力なく地に伏せ、周囲に転がった狐たちの死骸がゆっくりと光の粒へと変わっていく中、元少女の怪物は赤黒い口をガバリと開け、久遠の先にすら響く遠吠えを上げた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百二十二話

 だらりと垂れる涎、雪を踏みめり込む四肢。

 

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』

 

 

 冗談のような攻撃であった。

 怪物が動いたかと思えば、次から次へとカナリアの立つ場所へ大穴が開いていき、天地がひっくり返ったかのように雪と土砂が舞う。

 

 強化魔法の連続使用によって感知能力を跳ね上げているカナリアであるが、その息をつかせぬ怒涛の連撃の前には、反撃や声を掛けるどころか避けるので精いっぱいであった。

 

「くっ……前より強くなってるな、面倒なことに」

 

 上空を舞いごちるカナリア。

 しかしどれだけ高く飛ぼうと安全なわけではない。空を飛ぶことは叶わないものの、その強靭な脚力で跳躍、そして翼で滑空してきた怪物が恐ろしいほど正確な追尾でカナリアの首元を狙ってくるからだ。

 その度さらに上空へ逃げ、いつどこからやってくるか分からない恐怖に怯えることとなる。

 

 ほんの掠った程度であった。

 しかし彫刻刀に抉られたようにも見える傷を軽く撫で、カナリアは想像以上に魔力を蓄えたフォリアの攻撃に冷や汗を垂らした。

 

 先ほど大量に投げられた狐の死骸を鑑みる限り、どうやらこの数日でたらふくモンスターを貪ったようだ。

 下手をしたら狭間の魔力濃度を超えているかもしれず、もしこれ以上魔力を溜められたら、狭間に追放することすら叶わないかもしれない。

 

「くそっ、こんなことに時間を取られている暇はないというのに……!」

 

 苛立たし気に宙を浮かんでいたカナリアであったが、これではまだ相手の動きを想定しやすい地上の方がマシだと悟り、フォリアの跳躍に合わせ地面へと舞い戻った。

 それとほぼ同時に、地面へめり込んだ巨岩がゆっくりと浮かび上がる。

 

 琉希だ。

 

 もし岩の外へ飛び出していればついでと言わんばかりに首を斬り飛ばされていただろうが、運よくその場に留まり、『金剛身』で守りに特化することで、着地の衝撃に軽く意識を飛ばされるだけで助かった。

 

「おい貴様! 生きてるか!」

「なん……とか……『ヒール』」

 

 飛んできた光にカナリアの頬が修復される。

 軽い脳震盪からか焦点の定まっていなかった琉希の目に、回復魔法の助けも借りて光が宿るのを確認した彼女はこっくりと頷き、事前に伝えていた通りのことを伝えた。

 

「よし! アレを助けたいなら叫べ! 名前や記憶を刺激するような呼びかけだ、意識を取り戻すようなことを全力で挙げろ!」

 

 

「フォリアちゃん! フォリアちゃん私です! 聞こえますか! 約束通り治す方法を……!」

 

 無意識の本能で横へ跳ねた彼女。同時に、彼女の身体ほどある巨大な爪が雪原を抉った。

 そして攻撃を避けたと思えばまた叫び出す。何度も何度も、届いているかすら分からぬ過去の記憶を、共に笑いあった思い出を。

 

 それは理性を失った怪物にとって、初めて感じるひどく目障りな存在でもあった。

 ただの不愉快な鳴き声、そのはずなのに何故か悲しく、懐かしく、戻りたいとすら思ってしまう何かがその鳴き声には有った。

 目の前を跳び回る一匹とは異なりその動作は緩慢、今まで食い荒らして来た狐とさほど変わらぬ矮小な存在であり、そう必死に追う必要もないはずであるにもかかわらず何故か目が離せない。

 

「ぐぅ……っ! 『覇天七星宝剣』!」

 

 カナリアとてすべての攻撃を抑えきれるわけではない。

 時として彼女の脇をすり抜けたその爪は、琉希にとって避け切れぬ軌道を描くこともあったが、彼女は三重、四重に重ねた巨岩によって衝撃を緩和し、命からがら逃げ延びてはまたすぐに叫んだ。

 

「治す方法をっ、治す方法を見つけてきました! 起きてください! そんなの貴女がしたいことじゃないでしょう!?」

 

 腕輪を握りしめ振り回す彼女。

 少なくとも知る限りこれが最後の希望なのだ、当然必死にもなろう。

 

 黒髪と深紅の腕輪は白に染まった雪の中でもよく目立った。

 獲物がどこにいるか一目で分かる。こんなに喜ばしいことはないはずだが、やはり本能にも近い違和感が怪物に全力で叩き潰させることを躊躇わせていた。

 

「もっと楽しいこと、したいことがあるでしょう!? 美味しいものいっぱい食べたいって言ってたじゃないですか! そこのエルフなんかより美味しいものっ、世の中にいっぱい溢れてますよっ! フォリアちゃん、聞いてくださいフォリアちゃんっ!」

「おいその説得はおかしいだろ!?」

 

 だがそれより先へ進むことはなかった。

 

 違和感を感じ、躊躇い、その気になれば捻り潰せる相手に戸惑っている雰囲気こそあれど、確固たる知性を取り戻す気配がない。

 数日前から一層魔力を取り入れ意識の浸食が進んでいるのだ。

 

「もう無理だ! 下がれ! こいつを殺すッ!」

 

 カナリアもいい加減限界であった。

 真正面に立ちひたすら攻撃を受け流すことは酷く精神を疲弊させる。もろに食らえば死にかねない攻撃を、後々発動させる魔法のために最小限の消費で耐える必要がある事実が、なおの事彼女を苛立たせた。

 

「――まだですっ!」

「いくらやったってもう貴様の声は届かないんだよ! こっちだってそろそろ限界なんだ!」

 

 悲鳴にも似た絶叫。

 

 カナリアにはすべきことがあった。

 過去との決別、罪の清算。三度の時間を失敗し続けた今、もう一度やり直せるような余裕などこの世界に存在しない。

 

 こんなところで時間を食ったり、果てには死ぬなど最悪以外の何物でもない。

 

「なら貴女は下がっていてください! 私が一人でやりますっ!」

 

 だからもう終わりにしよう。

 

 カナリアが言外に伝えた内容も、琉希によってばっさり切り捨てられる。

 いや、切り捨てるというより、そもそもその選択肢が存在していないのだから、意識すらしていないというべきか。

 

「……勝手にしろ! 貴様が死んだら速攻であいつを殺してやる、生き返った後で文句言うなよ!」

 

 苛立たし気に後ろへ飛ぶカナリア。

 圧倒的存在である怪物からすればさしたる差はないものの、一応とばかりに強化魔法を飛ばしてくれたのは、彼女に残る唯一の良心か。

 

 届いているのかすら分からぬ声を上げ、覚えているかすら分からぬ思い出を語る。

 

 混沌とした怪物に宿る無自覚の手加減と、勘にすら及ばぬ曖昧な感覚を頼りとした、終わりの見えない戦いの始まりであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百二十三話

「……勝手にしろ! 貴様が死んだら速攻であいつを殺してやる、生き返った後で文句言うなよ!」

 

 カナリアが背後へ回った瞬間、琉希へ一直線に巨腕の一撃が見舞われた。

 普段通りならばきっと避けられなかった一振りであったが、想像以上に目で追えていることに琉希自身も驚きつつ、間一髪のところで地面へ転がる。

 

 ――これなら……!

 

 二撃は既に振られていた。

 しかし琉希はそれも岩に張り付き空へ逃げると、今度は自分で交互に出す岩の上を跳び回り、再びフォリアへの呼びかけを再開した。

 

「貴女は何かをする度毎回嫌なことがある、無駄なことをするくらいなら何もしたくないって泣いてましたけどっ、それは本当にただ嫌な事だけが起こっていたんでしょうかっ!?」

 

「自分について調べたことありますか! ネットの記事や新聞は!? そりゃ有名人と比べたら劣るかもしれませんけど、着実に、確実にあなたを応援する人は増えてるんです! 貴女に助けられて、感謝して、応援してる人がどんどん増えてるんですよ!」

 

 日々迫りくる事に追われていた彼女。

 なんならスマホという一般的に普及している利器すら、半年前ほどに漸く手に入れた彼女にとって、エゴサーチなどと言う行為はまず思い浮かびすらしないのだろう。

 

 だが琉希とて一般的な女子高生。

 少なくとも自分は親友と思っている相手がそういったサイトに掲載されれば、ついつい調べてしまうものだし、なんなら他の友人にあたしはこの子の知り合いなんだぞと写真を見せびらかし自慢すらしていた。

 

 勿論掲載された記事や、それにつくコメントが全て好意的なものではない。

 穿った偏見、探索者という戦闘へ従事する職業への侮蔑、本人の容姿への野次。

 いくら社会綺麗な外面の寛容を掲げようとも、相容れない相手へ拒絶感を覚える人種は少なからず存在し、時として彼らは冷酷な言葉を吐き付ける。

 

 だがそんなのは一部だ。

 

 騒がしくがなり立てる少数の裏には、きっとそれ以上に、たとえ積極的に言葉には出さなくとも、応援し続けている人たちがいる。

 彼らは常日頃から隠し持った感情を口にしているわけではない。もしかしたら忙しない日常の中で、応援していたという事実すら忘れてしまっている、一見すれば全くの他人と見分けのつかない人々なのかもしれない。

 だが一度話してみれば直ぐに思い出し、歩み寄ってくれるはずだ。

 

 そしてフォリアは、きっとそういう人と出会ったことがある。

 

「無駄じゃない! 貴女のしてきたことは何一つ無駄じゃなかった! 一見ただ状況が悪くなったようにしか見えなくても、きっと一歩ずつ前に進んできたんです! だからこんなところで死なないでくださいっ、こんなくだらないことで……こんな状態でッ!」

 

 フォリアしか知らない真実がある。

 他人には絶対に口に出来ない、信じてもらうことすら出来ない話がある。

 

 そんな、うんざりするような現実に直接立ち向かうには、社会的な力もない彼らの声は非力かもしれない。

 だがその声には力がある。

 前を向き、歩み、背中を押すための確かな力が。

 

 怪物は何も口にしなかった。

 爬虫類然とした無機質な瞳で、ただ淡々と腕を振るい、地を切り裂き、乱雑に大穴を開けていくだけ。

 

「……ぐぅっ……!」

 

 怪物の背丈からすれば軽く爪が引っかかった程度ではあるが、その程度でも琉希のわき腹はがっぽりと抉り取られ、雪の上には汚い深紅の花が咲いた。

 石ころのように吹き飛ばされ、何度も地面を転がり、それでも回復魔法を何度も飛ばして、ふらふらとゾンビのように立ち上がる。

 

「アリ……ア……さんだって……貴女を待ってるはず……なんです……! 寝たままだけど……ずっと……ずっと会いたがってるはずなんです……!」

 

 内臓が傷付いたのか、口内を噛み千切ってしまったのか、ぶわりと広がる鉄さびの匂いに琉希の意識が飛びかけた。

 しかし地面へ靴を擦り付け、目前に立つ少女(・・)の瞳を見据えると、ジグザグと這うように地面を走り抜ける。

 

 彼女の心に最早目前へ迫る死や、圧倒的な存在である異形へ立ち向かう恐怖はなかった。

 

 怪物を前に恐怖が凍り付いた? 失敗した時を考えていない、ただ愚かなだけ?

 そんなことはどうでもいい。

 

 恐れようと、怯えようと、あるいは奮起しようと、きっと己がすることは何一つ変わらないのから。

 

「アリアさんだけじゃない……和菓子屋のおじさんだって、協会の人たちだって、芽衣ちゃんだって……」

 

 跳躍。

 

 だが届かない。

 跳びあがった彼女の目を追いフォリアが立ち上がり、剛腕を真横へ振り払った。

 

「私だって……っ!」

 

 苦し紛れだろうか、琉希を遮るように召喚された岩は、当然のように容易く殴り飛ばされる。

 暴虐と言うほかない圧倒的な一撃は、岩の奥に隠れた琉希すらも叩き潰し……

 

「いっぱい、いっぱい居るんですよ、貴女を待ってる人が……っ!」

 

 ――いや、違う。

 

 琉希は生きていた。

 フォリアの視界からは遮られて見えなかったが、もう一枚の岩、その頂点に左手で捕まり足をかけ、右手でフォリアのカリバーを握り締めていた。

 

 彼女は一瞬姿が隠れた隙で自身へ『リジェネレート』を何重にもかけると、己へ襲い掛かるであろう衝撃に備え歯を食いしばった。

 

 剛力で殴り飛ばされた岩が、恐ろしい勢いで琉希のいる岩、その下半分へ衝突する。

 

 野性的なシーソーだ。

 

 膨大な質量を持った岩が恐ろしいほどの速度によって射出され、更にそのエネルギー全てが琉希の身体へ集中する。

 骨がへし折れ、血反吐を吐き、意識が飛びかけた。

 

 慣れない負荷、最近慣れた死にかける感覚。

 

 だがその度に己へ課した回復魔法と、短な時間では話しきれないほど大きく熱い感情が意識を叩き起こし、一層のことカリバーを握る掌へ力がみなぎった。

 継続して発動する回復魔法の輝きが、彼女の背中を追う軌跡となる。

 

 ギリリと、固く握られたグリップが叫びをあげた。

 

 

「だからっ、目を覚ませよ! 結城フォリアあああああああああああああああああああああアァァァァアァッ!!!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百二十四話

「だからっ、目を覚ませよ! 結城フォリアあああああああああああああああああああああアァァァァアァッ!!!」

 

 それは、正しく迅雷の如き一撃であった。

 

 琉希自身では生み出すことの出来ない、そしてそれは怪物にとっても避け切れないほどの速度でもある。

 真っ直ぐ、ただ真っ直ぐに空気を裂き、肉食獣の如く狭い額のど真ん中へ、鋭く突き刺さった。

 

 だが相手は巨大な怪物。

 数十センチしかない子供向けバット、人にしてみれば爪楊枝程度の先端がめり込んだところで、本来決して致命傷にはなり得ない。

 

 しかし……

 

「くふぅ……っ、はぁっ……はぁっ……!」

 

 ガラス玉のように無機質な爬虫類の瞳へ、一つの小さな光が灯る。

 焦点も合わず、ただ目の前の物を潰そうと睥睨していた瞳が、今はしっかりとした意思を持って蠢いていた。

 

『あ……』

 

 そしてその瞳は、鼻先で転がっていた少女へと吸い寄せられる。

 

『わたシ……は……』

 

 ひどくしわがれ、ともすれば雑音と勘違いしてしまうかもしれない、本来の少女のそれとはかけ離れた声が響く。

 

 物理的な衝撃によって意識が覚醒したのか、はたまた慣れ親しんだ相棒の衝撃がキーになったのか、琉希の叫びが届いたのか。

 真実の究明にはあまりに時間が足りない、しかし琉希にとってそれは然したる必要性も感じなかった。

 

 執念が届いた、それだけでいい。

 

 状況に戸惑ったまま、しかし顔の上にいる琉希へ掌を差し出し、地面へそっと降ろすフォリア。

 琉希の元へ寄って来たカナリアの顔には、唖然とした表情が張り付いたまま変わらない。

 

「嘘だろ……?」

「嘘な訳……ないじゃないですか……嘘な訳……!」

 

 のそりと、フォリアの巨大な顔が地面へ座り込んだ琉希の元へ近づく。

 確認するようにきょろきょろと縦に裂けた目が蠢き、やはり色々理解が及ばず首を捻る彼女。

 

 生暖かい息が前髪を撫でる、しかし生臭くはない。

 魔力を糧として生きる生物へ再構築された彼女の肉体は、細菌などがそもそも存在していないからだ。

 それは匂いに苦しまないと言えば素晴らしいことにも思えるが、地球上に存在する『生物』とかかけ離れてしまったという事実を、一層琉希へ伝えることにもなっていた。

 

『――リュうキ?』

「やっぱり……記憶が戻ったんですね……! ちゃんと名前や思い出全部覚えてますか!? トマトが実は食虫植物であるという事実はっ!?」

 

 

『エ、そうナの……? いやそれヨりこれ……腕ガ……皆ちっちャい……』

 

 偶然ではなかった。

 鳴き声が偶々そう聞こえたわけでもなく、彼女は間違いなく、彼女の意思によって言語を操っている。

 質問に対して困惑をしっかり表せる事実に、琉希の鼻の奥がツンと痛くなった。

 

 しかしありがちな少女よろしく感動に噎び泣き、喜びを空へ叫ぶような猶予はなかった。

 いつ彼女が自我を喪失するか分からず、再び失えばまた戻せるかなど誰にも分からない。

 迅速に予定をこなす必要がる。

 

 いそいそと一旦『アイテムボックス』へ仕舞い込んでいた腕輪を取り出す琉希へ、未だ状況の飲み込めていないフォリアは首を捻る。

 

「いきなりすぎて何を言っているのか分からないかもしれません! でも今から言うことをやってください! お願いします!」

『え……ア……うん』

 

 フォリアからすれば唐突も唐突。

 しかし周囲の破壊され尽くした様子、疲労困憊した琉希と、その後ろで驚愕したままなあの(・・)金髪の少女から、状況の異常さには気付いていた。

 

「この腕輪を触りながら叫ぶんです! リアライズって! さあ!」

 

 ずいずいと突き出された深紅の腕輪。

 

 目を細め、それが一体何なのかと確かめるフォリア。

 状況は恐ろしく理解できないが、切羽詰まった表情で渡されれば、持ち前の状況に流される性格が発揮され、おずおずと爪を伸ばした。

 

「これで……やっと……!」

 

 彼女が手にした瞬間、人並のサイズであった腕輪が大きく広がる。

 

 そんな機能があったのかと驚愕し振り向く琉希へ、カナリアが深々と頷く。

 どうやら多くの人へ対応するため、彼女が予め機能を付けておいたらしい。

 

 フォリアが腕輪へ腕を通すのを見ながら、雪の上へパサリと寝転がる琉希。

 その視界に映る肉食獣のような怪物は下手な木などよりも大きく、多様な姿の入り混じった恐ろしい姿をしていて、しかし大切な友人。

 

 手を伸ばせば撫でられるほどしかなかった背丈の少女が、今はこれだけ大きくなってしまった、主に物理的に。

 偶然の重なり、不幸の連続。フォリアの家へ訪れてから一週間に満たない旅であったが、恐ろしいほど長く感じる冬休みであった。

 しかしこの腕輪による魔法で、少女の身体は無事元に戻る。

 

 彼女の憂いは晴れた。

 アリアも悪意があったわけではなく、むしろどこぞのアホエルフの犠牲者でしかなかった。

 『魔蝕』は時間をかけて治す必要があるし、その治療過程で、以前感じたような恐ろしいほどの苦痛を伴うことは気が重くなる。

 

 それでもいつも通りの日常に戻れると、琉希は信じてやまなかった。

 

 何も考えず、普通の明日が来ると思える日常。

 友達とゲームをしたり、ショッピングモールでワイワイとウィンドウショッピングをしたり、電話で下らないことを話したり、夜更かしをして昼頃に目が覚めるような日々。

 

 退屈で、普通で、それが何よりも素晴らしい。

 恐怖に震えながら武器を取らなくていい。友人の変貌してしまった姿に嘆くこともない。理解しがたい異世界の事情や、どうしようもない現実にもだえ苦しむ必要もない。

 

 ありふれた日々へ戻れる。

 

『リアらいズ』

 

 

 そう、これでやっと……

 

 やっと……

 

 

 

 終わると思ったのに。

 

 

「なん……で……?」

 

 

 想像していた眩い輝きは欠片も起こらず、怪物は怪物のままだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百二十五話

「こ、壊れちゃってるのかもしれません! こっちをどうぞ!」

 

 折角感動的な記憶の復活をしたにもかかわらず、治すための腕輪が壊れていたとは。

 

 フォリア用とは別に手渡されていた、自分用の腕輪を『アイテムボックス』から引っ張り上げ、再びフォリアへ手渡す琉希。

 これもすんなりと受け取ってくれたフォリアは腕輪を付け替え、低く唸るような声で魔法の起動を試みる。

 

 が……

 

 何も起こらない。

 

『ダメ……みたイだよ……』

 

 爪先でそっと琉希の手へと腕輪を戻すフォリア。

 それをやっとの力で握り締めた琉希であったが、己の思考とは裏腹に、がくがくと震える膝を抑えることが出来なかった。

 

 この二日、苦しかった。

 それは肉体的な疲労という面もあるが、それ以上に、迫りくる期限の分からない時間制限、そして己が一押しをしてしまったという精神的な抑圧が何よりも大きかった。

 

 それでもどうにか不眠不休で這いずり、魔石を集め、腕輪の完成まで漕ぎつけられたのは、それをすればきっと治るという希望があったからだ。

 自分の事を天才と称し、事実その名に足りる力を示して来たエルフが、恐らく行けると頷いたからだ。

 

 だがなんだこの結末は。

 上手く行きかけて、しかし失敗ならまだ理解出来よう。

 しかし違う。上手く行くどころか、魔法陣の出現、或いは眩しいほどの輝きすら起きないではないか。

 

 ふつふつと彼女の心に沸き上がる激情。

 

 希望を見せて半殺し?

 それにやっと意識を取り戻したフォリアはどうする。このまま何も出来ず指をくわえて、彼女が正気を失う姿をじっくりと観察してろとでもいうのか。

 

 知らず知らずのうちに腕輪をきつく握りしめてしまった琉希であるが、しかし腕輪は壊れない。

 天才の手によって構築された魔道具は、少なくとも耐久面においては優秀らしい。

 

「なんで……おい駄目エルフ! 何ですかこのポンコツゴミ魔道具は!? 全然動かないじゃないですか! もしかして『リアライズ』とは別……の……」

 

 唐突に生まれた派手な煌き。

 

「これ……は……」

「ああ……やはり、か。私の理論に欠けはない、少なくとも一般的な条件においてはな」

 

 それは琉希の握り締めた腕輪から続いている、無数の円や文字が重なった魔法陣であった。

 煌めき、ゆっくりと回転する様は、さあ飛び込めと言わんばかり。

 

 カナリアは軽く鼻を鳴らし琉希の背後から近づくと、魔法陣の一点を指先で突き破壊してしまう。

 そしてフォリアへサクサクと近づいていくと、どこか憐れむような眼を彼女へ向けた。

 

「やはりって……なんですか……!? 最初から出来ないと分かっていてこんなものを作ったんですか!? ねえ! そうじゃないって言うなら、今すぐ何が起こってるのか説明してくださいよ!」

「もう少しボリュームを下げてくれ、壊れたスピーカーか貴様は。それともなんだ、わざとやってるのか? 姦しく騒ぎ立てて私の鼓膜を破壊するのが目的なのか?」

 

 心底五月蠅そうに目を細め耳を抑えた彼女。

 

「貴様、確かそいつは魔法が使えないと言っていたな、魔攻が零なのだと。魔力が存在しないならともかく、ダンジョンシステムへ身を委ね、レベルアップを重ねているのならそれはまずあり得ない。体内に魔力を取り入れているのだから、スキルは絶対に使えるはずだ」

 

 

 

「なら何故か。ダンジョンシステムに欠陥はない、少なくとも個人だけが被害を被るような欠陥はな。ならば起こった事象の原因は必然的に、個々人の体質が絡んでくるだろう」

 

 世界に欠陥は存在しない。

 より正確にいうのなら、欠陥が生まれようとも、世界はそれを修正する力が生まれる。

 次元に穴が開けば勝手に塞ごうと力が働き、どうしようもないほど大きいものならば、一つの世界を擦り潰し均一化を図る。

 

 世界に宿る記憶から作り出されたダンジョンシステムも同じだ。

 

 ならば理由はやはりフォリア自身にある。

 

「単純にそいつは自分で魔力を体外へ放出できない体質なんだよ。魔力そのものの結着が強すぎて、他者からの補助なしでは放出できんのだ。体内で魔力を巡らす系統のスキルなら扱えるがな」

 

 確かに自分の力で体内の魔力を抜き取れば、理論上は誰でも自分一人で『魔蝕』を治療できるだろう。

 だがフォリアはそもそもの前提として、自分の力で体内の魔力を抜き取ることが出来ない。

 

 それが一切の利点を孕まないと言えば嘘になる。

 体内で魔力の結着が強いということは即ち、非常に自分の意志の影響を受けやすいと言える。

 即ち一般人と比べ操作能力が高い。魔攻が0という極端な例であれば、それこそ体内の魔力一切を完璧に、自由に操れるということだ。

 

 何らかの補助を用意し放出の手助けさえできるようになれば、それこそ無二の逸材としてかつて名を馳せたカナリアすら、魔法の発動面では上回る可能性すらある。

 

「そんな……じゃあ……」

 

 だが、そうはいかなかった。

 この最悪な状況で、最悪な面のみが目立ってしまった。

 

 一言でいえば不幸な出来事だったのだろう。

 誰かを責められるわけではない。全ては偶然であり、こんなことを予想できる人間なんていないさと、きっと話を聞いた人なら慰めるような、不幸な物語。

 

「腕輪は自身で魔法を発動させる補助にすぎん。フォリア以上に魔力を持つ存在が今この場に居ない以上、これ以上私たちに出来ることはない」

 

「話を聞いた時点で薄々気づいてはいたんだがな、まあやってみなければ分からんこともあるし、取りあえず作っては見たんだよ。残念ながら予想を上回ることはなかったが」

 

 そう語る彼女の顔は能面のように固まっていて、本心でどう思っているのかを窺い知ることはできない。

 

「ふ……ふざけるなっ! 天才ならどうにかして見せてくださいよ、この程度余裕だって治してください! ねえ! ダンジョンを創るくらい天才なんでしょ……!? やって……くださいよ……どうして……」

 

 カナリアのワンピースをひっつかみ、犬歯を剥いて吠える琉希。

 

「言っただろ、私は私に出来ることをやっただけだ。時間も道具も魔力も足らない中で、私は出来ることを全てこなした。結論は変わらん、この腕輪(・・・・)での治療は不可能だ」

 

 しかしカナリアは顔色一つ変えなかった。

 ただただ淡々と、感情を消した顔で残酷な事実を語り続ける。

 フォリアが怪物と化してから二日で嫌と言うほど見てきた、観測者としてのカナリアが一切の偏見を排除し告げる顔。

 

 無理だった、全ては無駄であった。

 

『――ねえ』

 

 フォリアがカナリアへ話しかける。

 それに対して淡々と返答するカナリア。フォリアの肉体はどうなったのか、どうして自分たちがここにいるのか、そしてこの先フォリアはどうなるのか。

 

 驚愕の事実に目を剥き、戸惑うフォリア。

 しかし暫く経ってから軽く頷き、再び会話を交わす二人。

 その間カリ、カリ、と、何かをかじる音が微かに響くのを、顔を突き合わせ熱心に話していた二人は気付かなった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百二十六話

『ねえ、よく分かんナいんだけど……私死ヌかんじ?』

「ああ。直に貴様の意識は失われ、本能のままに暴れる怪物へ戻る。もしダンジョンから出れば大量の人を殺すだろう。放置するわけにもいかん、その前に私がこの世界から消滅させるつもりだ」

 

 相も変わらず本来伝えにくいであろう話すら、いともたやすく淡々と話すカナリア。

 

『そウ……なんだ……』

 

 現実感のない話にどう反応を返せばいいのかとフォリアは首を捻る。

 

 ちらりと彼女の瞳が、俯く琉希へと向かった。

 

 なぜ己と敵対していた金髪の少女が琉希と手を組んでいるのか、それはきっと手を組まざるを得ない理由があったのだろう。

 そしてこの破壊された痕、不気味に変異した己の腕、全身へこびりついた泥や雪、あの瞬間から抜け落ちた記憶。

 

 つまりはそういうことなのだろう。

 理由も分からないが、随分と変な姿になって暴れていた己を止めようと、二人は必死に何かをしていたのだ。

 ……そしてそれはあえなく失敗に終わった、と。

 

 先ほどまで必死に腕輪を渡そうとしていた琉希であったが、今は何一つ口を開くことはない。

 きっと彼女もこうなることを理解していたから、己が殺される前に成し遂げようとしていたのだろう。

 

『その消滅っテ、ダンジョンの崩壊と同じ?』

「……っ! そうか、お前は知っていたのだな。いや、貴様の性質を鑑みれば当然であったか」

 

 驚いたように目を見開いたカナリアであったが、フォリアの言葉を肯定するように深々と頷く。

 

「ああ、その通りだ。世界から貴様の記憶は消える」

 

 死ぬ、なんと現実感のない言葉だろう。

 寝起きのようにぼんやりとした脳内で、フォリアはふと思った。

 

 確かに己は何度も死にかけ、その度に死と生の実感を覚えてきた。

 それはほとんどが強大なモンスター相手のことであり、痛み、苦しみ、様々な絶望を前にしたからこそ、死を意識出来たのだ。

 

 しかし今はどうか。

 

 確かに、傷を負っていないにもかかわらず全身を包む痛覚、倦怠感はあった。

 しかし決してそれは死を意識するほどの物ではなく、その上己に死をもたらすのは目の前に輝く小さな魔法陣だというのだから、いよいよもって自覚しろと言う方が難しい。

 

 だがしかし仕方のないことなのだろう。

 少なくともこちらは友人だと思っている琉希が、目前に立つ金髪の少女の言葉を否定しないということは、きっと本当にどうしようもないことなのだ。

 

 その時、全く遠くの事に感じていた『死』が、微かだが、フォリアの中で確かな形となって表れた。

 

『わか……タ……いいよ、私を殺シテ……』

 

 仕方がない、当然の事。

 そう、いつも通り、これは避けようのないこと。

 虐められていた自分にも悪い所がある様に、この世界に迫る絶望のように、全ては神様が決めた、どうしようもない運命なのだ。

 

 ゆっくりと雪を踏み締める音を聞きながら、フォリアは固く歯を食いしばった。

 

 死ぬ。

 私は死ぬ。

 何も分からないけど、何も出来なくて、よく分からない輝きで、死ぬ。

 死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ。

 

「案ずるな、苦しみはない……しかし恐れるなと言うのも無理か」

 

 苦笑いと共にフォリアへ伸ばしたカナリアの掌へ、眩いほどの輝きが集まっていく。

 フォリアはぼやける視界でその光をじっと見つめながら……地面へ爪を食いこませ、微かに後退りをするも、がくがくと震えながらゆっくりと地面へ座り込んだ。

 

「いくぞ……」

 

 伸びていく腕は、フォリアの顔へとゆっくり、ゆっくり近づいていき……

 

 

「何勝手に、二人で話終わらせようとしてるんですか……?」

 

 

 地面から飛び出して来た巨大な岩に阻まれた。

 

「本人がこれで良いと言ってるんだ、お前がどうこう言える話ではない」

 

 カナリアの返答と共に岩が消え、そこには空中から飛び降り仁王立ちする琉希の姿があった。

 顔に浮かべるのは激情。

 目を見開き、ギリリと歯を鳴らして吠える琉希へ、カナリアは表情を消した顔で答える。

 

 これは全て事前に話して置いた通りで、それは琉希にも承諾させていた話。

 約束を破るのか? と眉をひそめたカナリアは、しかし続く琉希の言葉に対する返答を持っていなかった。

 

「貴女にはフォリアちゃんが本当にそれでいいって納得してるように見えるんですか!?」

「……っ」

 

 零れる涙、怯えるような後退り、地面を握る様に食い込む太い爪。

 他人について興味を持たず意識を割かないカナリアでも、魔法をかけるためにごく至近距離にまで近づけば、フォリアの本意など嫌でも理解できる。

 

「ずっと死にたくないって言ってた人が、十六の子が、いきなり死ねなんて言われて、本気で、自分の意志で頷くわけない……! 貴女だって! 本当は殺したくないから私に協力してくれたんですよね!? 誰も納得してないんですよ……誰も、ここに居る誰一人として! 誰もこれで良いなんて全く思ってないのに、なんでそうやって流しちゃうんですか!?」

 

 病気の直接的な解決方法もなく、幾ら言葉を交わそうと意味はない。

 しかし同時に、必死に平然を振舞うフォリアに気付いてしまったが故、カナリアには琉希へ返す言葉を即座には思い浮かべられなかった。

 

 だからカナリアは黙った。

 黙ってゆっくりと前に歩みを進めた。

 

 感情を捨て、合理性の下に、粛々と作業(・・)を進めるために。

 

「この子は絶対に殺させません……私がどうにか……!?」

 

 純化した魔石によって魔力が回復した今、カナリアに琉希は力で及ばない。

 しかし両腕を広げ必死に叫び、首を振る琉希であったが、ふと背後に違和感を感じ振り返る。

 

『あ、あ、あ、あ、うぁ……』

 

 焦点を失い激しく動き回る瞳。意味不明な羅列を零す、息の荒い口元。

 

 嫌な予感が二人の背筋を伝う。

 

「大丈夫ですか、ねえ!?」

『あ、あああああアアアアア!? わ、わ、わ、わた、わたししししシシシシ』

「フォリアちゃん!? フォリアちゃんしっかりしてください! ねえ!?」

 

 再び始まった精神の崩壊。

 フォリアも琉希へ何かを伝えようと必死になっているが、喘ぎ、悶え、痙攣を始めた彼女の喉はまともに言語を吐き出すことすらままならない。

 

 フォリアの顔へ縋りつき何度も呼びかける琉希であったが、次第にフォリアの肉体は勝手に動き出し、小さな琉希の肉体は容易く弾き飛ばされた。

 

「時間切れだ、これ以上はもう! おい暴れるなっ!?」

「うるさい触るなっ! やめろ! 忘れるな! 忘れるなっ! 貴女は結城フォリアなんです! こんなところで死ぬような人間じゃない!」

 

 自分より小さなカナリアへ羽交い絞めにされながらも、必死に地面を這い、暴走する怪物の元へ近寄ろうと叫ぶ琉希。

 抑えるのも面倒だと思ったのだろう、彼女の四肢は生み出された光の輪によって拘束されていき、遂には声を上げることしか出来なくなった。

 

『き、り、りゅき、りゅうき、わた、わタ、わたしは……私を……わたしを……わ、た、シは……』

「やめろ! 言うな! 違う! 違う! あたしはこんなのっ、こんなの絶対に嫌!」

 

 狂い悶えることによって生み出される騒音の中、二人の声は、耳をすませば確かに聞こえた。

 

 『殺して』、『死にたい』、『もういいよ』、『後はお願い』。

 きっと、フォリアが発するであろう言葉は容易に想像できて……

 

『――助……けて……!』

 

 

 しかし、実際の物とはかけ離れていた。

 

 我慢と強がりで幾重にも隠された、本当に小さな本音。

 恐ろしくか細く、紙擦れの些細な音ですら消えてしまいそうでも、その声は確かに琉希へ届いた。

 

「――っ!」

 

 目を剥いた琉希の視界で、怪物の肉体は、怪物としての振る舞いを思い出していく。

 牙を剥き、爪で抉り、その瞳は無機質で、しかし野性的で粗暴な欲望に満たされる。

 

「わかり……ました……」

「……それでいい」

 

 ピタリと暴れるのをやめ、頷いた琉希へ安堵のため息を漏らし魔法陣を消すカナリア。

 再びフォリアを消滅させようと魔法陣を編み直す彼女であったが、何故か(・・・)諦めたはずの琉希が正面へ立ち、視界を遮ったことに不満の声を上げる。

 

 しかし妙であった。

 その顔は悲壮や怒りに塗れているわけでもなく、何故か妙な決意に満ちているように見える。

 

 その手に握られていたのは、使えないと今しがた結論を下したばかりの、真っ赤に輝く腕輪。

 

 嫌な予感が走った。

 

「やっぱり、いっぱい拾ってきて正解でした」

「おい貴様……一体何を……!?」

 

 『アイテムボックス』から何かをつまみ、口の中へ放り込み琉希が呟く。

 

 友人が死ぬとなって自棄になった? それにしては冷静すぎる。

 それにいっぱい拾ってきた? 何を? どこから?

 

 疑問がわき出したカナリアであったが、一つ一つ食べるのが面倒になった琉希が一気に握り締め、零れ落ちたそれ(・・)をみて全てを察した。

 

 希望の実だ。

 

「まさか……」

「――『リアライズ』」

 

 噴き出す閃光。

 己の目の前に生み出された魔法陣へ、琉希は躊躇いなく足を踏み入れ……

 

 

 ――同時に、空中から生み出された巨岩は支える力を失い、下にいた琉希を叩き潰した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百二十七話

 空中から生み出された巨岩は支える力を失い、下にいた琉希を叩き潰した。

 

 さしたる勢いをつけたわけでもなく、当然飛び散るものはない。

 しかし数トンを優に超える巨大質量の圧潰だ。レベルが初期化され肉体の強化を失った人間が脳天から受け無事なわけもなく、骨は粉みじんに、内臓の悉くは体内で磨り潰された。

 

「嘘だろ、頭おかしいだろ……普通思いついてもそんな事せんぞ」

 

 カナリアが小さく呟くと同時に琉希を押しつぶしたはずの岩が、ゆっくりと浮かび上がる。

 

「――私は本気ですよ」

 

 爛々と覚悟に染まった目を光らせ、ふらりと立ち上がる琉希の姿。

 

 フォリアは最悪の噛み合いを繰り返したことで、レベルが急激に上昇、魔蝕を発症するに至った。

 そのレベルは推定ですら三百を超え、人類の到達し得るレベルをはるかに超えている。

 彼女の生まれ持った性質によってカナリアの腕輪による自己治療は不可能であり、彼女を超えるレベルへ到達した人類が存在しないのだから、琉希とカナリアに出来ることはない。

 

「どれぐらい上がりましたかね……『鑑定』」

 

―――――――――――

 

泉都 琉希

LV 125922

 

HP 755543 MP 629618

物攻 503652 魔攻 629622

耐久 125929 俊敏 125928

知力 377769 運 99

 

―――――――――――

 

「七万から十二万ですか……我ながら凄まじい上がりようですね、ですが……」

 

 一直線にこちらへ駆け出す怪物。

 恐ろしいほどの速度ではあるが、先ほどと比べどこか遅く感じることに気付く琉希。

 

 いや、遅いのではない。

 レベルの上昇に従い引き上げられた動体視力が、フォリアの速度に完璧ではないながらも追えているのだ。

 

「『リアライズ』!」

 

 地上では決して目にかかれない巨躯のモンスターが、雪煙を上げ爆走してくるのだ、怖くないわけもない。

 しかし彼女はふと気を抜けば零れそうになる怯えを押し殺し、冷静に輝く魔法陣を正面へ展開し、即座にその場から跳び距離を取った。

 

 だが本当に、琉希に出来ることはもうないのだろうか?

 結論から言えば違う。

 

 『スキル累乗』による極端な加速こそあれど、フォリアが死から蘇った時、急激にレベルが上昇した原因は『経験値上昇』だ。

 一時的に体内から魔力を排出されたことでレベルは初期化、つまり一となった。

 そのまま死を迎えることによって、希望の実による復活判定が行われ、肉体の復元と同時にレベルは元の数値へ戻るよう肉体が魔力を吸収する。

 『魔力の吸収』とは即ち『経験値の獲得』であり、やはりダンジョンの認識はそれを経験値と認識、吸収する量に『経験値上昇』が噛み合わさり、本来の数値より高いレベルにまで引き上げられてしまう。

 

 単純に言ってしまえば、腕輪によってレベルが初期化された状態で死に、復活した時、本人が『経験値上昇』を持っていれば誰でもレベルは上昇してしまうのだ。

 

 そして復活による体内魔力の増加量は、その仕組みから加算ではなく乗算。

 一度目の復活によって本来の魔力量の五倍になれば、次はその五倍が初期値となり、更に五倍になる。

 

「全然足りてないみたいですね」

 

 琉希の生み出した魔法陣であったが、怪物の体当たりによってあえなく砕け散ってしまう。

 

 たとえ二倍近いレベルになろうと所詮は十二万。

 怪物の肉体を支配する膨大な魔力を引き摺り出すには、非力と言うほかないほど微細な力しか生み出すことが出来なかった。

 

 しかしたった一度で彼女に届くなどと言う甘い考えは、流石の琉希と言えども持ち合わせていなかった。

 一度でダメなら二度、二度でダメなら三度。繰り返せば正解の回数は確実に分かるものなのだから、何を恐れる必要があるだろう。

 

 『スキル累乗』がなくとも、フォリアのレベルに追いつくことは決して不可能なことではない。

 

 仮に剛力がこの世に生存しており、『経験値上昇』を何らかの理由で獲得した上、フォリアを助けようとこの方法を試したのなら、きっと二人共無事生還することが出来ただろう。

 それは彼が十数年間着実に体内の魔力を蓄えてきたことにより、魔蝕を発症することもなく健全に器が育ち、無理やり膨大な魔力を取り入れても耐えられるようになっているからだ。

 

「フォリアちゃんのレベルも見えませんし……どれくらいまで上げればいいのか……」

 

 魔力に宿る記憶から本来ありとあらゆるものを見通す『鑑定』。

 勿論それではあまりに悪用し放題だということで、必要最低限の性能以外はダンジョン創造時カナリアの手によって制限されているものの、現状ですらその利便性は周知の事実であり、琉希も当然今まで多用してきた。

 

 だが、いま彼女の視界に映る怪物のステータスは目まぐるしく変化しており、一秒たりとて同じ数値を映すことがない。

 

 多様な記憶が入り混じり、未だ不安定な状態である彼女は、現在進行形で肉体の変異が進んでいる。

 常時変化し続けるものをいくら読み取ろうとしたところで、確固たる数値として表すことが出来ないのだ。

 

「仕方ないですね……『リアライズ!』」

 

 魔法陣へ飛び込んだ瞬間、彼女の前進を包む恐ろしいほどの激痛と倦怠感。

 

「……ぎ、ぃ…………!?」

 

 胸を抑えふらりとしゃがみこんだ彼女に、漆黒の影が落ちる。

 

 ぼたりと頭を包み込む巨大な涎。

 無機質な瞳はぎょろりと、地べたへ這いつくばる少女を睥睨し……無慈悲に巨腕が振り下ろされた。

 

『アアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァッ!!!』

 

.

.

.

 

 

『ア゛ぁ……?』

 

 ぶちりと、地面へ叩きつけられたトマトになったはずの少女が、再び平然と立ち上がり岩を構える。

 

「あまり、『経験値上昇』のレベルを上げすぎるのは不味そうですね……」

 

 繰り返す死と絶望の中、しかし奇妙なほど冷静な思考で琉希はひとりごちた。

 

 所詮一年に満たない程度しか戦ってこなかった琉希。フォリアよりはゆっくりと魔力を吸収し、器をゆっくりと引き延ばして来たものの、膨大な魔力を受け入れるにはあまりにちっぽけすぎる。

 己も魔蝕を発症させ意識を失うか、それともその前にフォリアの魔力を上回り、己ともども治療するか。

 

 『経験値上昇』を上げてしまえばもっと早く彼女を助けられるのかもしれない。

 しかし上げすぎてしまえば、己が制御を掛ける暇もなく意識を失い、また新たな怪物が生まれるだけで終わってしまう。

 

「おいもうやめろ! 早く戻ってこい!」

 

 遠くで琉希に叫ぶカナリアは動こうにも動けない。

 

 もしフォリアのターゲットになれば魔力の消費は避けられず、そうなればフォリアを消滅させることは出来なくなる。

 いや、もしかしたら彼女の事だから、戻って来いと叫んでいる今既に、怪物へ変化した琉希も同時に消滅させる手段を考えているのかもしれない。

 

 琉希だって死ぬのは怖い、はずだった。

 しかし……

 

『――助けて……!』

 

「あんなこと言われて、無視できる人なんていませんよ……ねっ! とぉ!」

 

 一度は圧殺した少女を再び殺さんと、深紅に染まった巨腕が再び降られる。

 しかし今度は余裕をもって跳び回避した琉希が、怪物の死角を突いて背後に回り込み、輝く魔法陣を叩きつけた。

 

 しかし、やはり砕ける。

 まだ届かない。

 

 背後の彼女へ気付いた怪物は巨大な尾の叩きつけ、翼による追撃を次々と繰り出し、暴風と共に地面へ深々とした破壊痕を刻み付けていく。

 跳ね、駆け、どうしようもなく差し迫った攻撃も岩を背に当て直撃を避ける琉希。

 

 心を埋め尽くすのは、『助ける』、ただそれだけの、絶対の意思。

 

 再び『リアライズ』を唱えようと怪物の隙を伺う琉希の胸元が赤く染まり、何か尖った物が内側から彼女の服をゆっくりと押し上げた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百二十八話

「『リアライズ』」

 

 殺させない。

 

「『リアライズ』ッ!」

 

 絶対に……!

 

「『リア……っ、『リアライズ』ッ!」

 

 だから……!

 

「――治れよおおおおおおオォォォォォォォォっ!!」

 

.

.

.

 

 何度目かの魔法陣は、怪物の手で無慈悲に砕かれる。

 ガラスのようにキラキラと輝く欠片と共に殴り飛ばされた琉希は、五度地面にたたきつけられた後、遠方の地面へ仰向けに転がった。

 

 死からの復活は肉体のダメージを完全に回復させる。

 しかし連続の死と極限状態での攻防に精神は酷く削られ、十五やそこらの少女が耐えるにはあまりに重すぎるもの。

 

 顔に塗れているものはもはや涙か唾液か、はたまた別の体液なのか。

 乾き、髪と共に頬へこびりついた何かを爪先でこそげおとしながら、のろのろと琉希は立ち上がった。

 

「やられ……ちゃいましたねぇ……」

 

 探索者向けの破れにくい服を着てきたとはいえ、流石に数百を超える怪物に何度も蹂躙されれば布切れと変わらない。

 紅く染まり破けた胸元から突き出す黒々とした結晶を撫で、後何度なら己の肉体が持つのかと思考を巡らすも、どちらにせよその時まで分からないと諦めた。

 

 今の魔法陣は何かが違った。

 今まではそもそも怪物が触れるだけで砕け散っていたが、今回のは何かを吸い上げるような挙動を微かにした後、怪物のその手で砕かれてしまった。

 

 確かに魔力を抜き取ることが出来たのだ。

 全体からすれば一パーセントにも満たない微小な量だが、間違いなく魔力を抜き出し、怪物を少女に戻すための希望を見せた。

 

 のそのそとこちらへ歩いてくる(・・・・・)怪物を、揺れ、霞み、朦朧とした視界で捉えていたが、再び右の腕輪へ手を伸ばそうと試みるも、奇妙な力に縛られたようでピクリとも動かない。

 

「これ以上は無理だ! 貴様の身体は本当に今限界のギリギリなんだよ! 後少しでも魔力が入れば身体が持たん、貴様も発症するぞ!?」

 

 カナリアだ。

 

 見慣れた輝く魔法陣が空中へ展開され、これ以上の行動はさせまいと琉希の四肢を縛り付けていた。

 繰り返し彼女は琉希の無茶を食い止めんと手を尽くしていたが、悉くを無視、或いは回避され、遂に実力行使に出たのだ。

 

「自分の腕を見てみろ!」

「……っ、これは……」

 

 カナリアの言葉に釣られ右手へ視線を移した琉希は、その不気味な光景に、自分の腕ながら絶句した。

 

 何かが飛び出す様に手の甲を突き破り、しかしそれは幻影のようにすぐ消えてしまう。

 まるで中から溢れ出しそうになる何かを必死に抑え、体の表面が揺らいでいるようだ。

 

「緩衝の限界だ、それ以上は一気に進むぞ。自分の名前は憶えているか? 家族は? 何をしに来た? あそこにいるのが誰か、全て答えられるか?」

「そんなの……」

 

 当然だ。

 

 自信をもって答えようとしたものの、ピタリと口の動きが止まる。

 

 意識するまでもない基本的な知識、たとえ寝ぼけていてもその程度をこたえられない人間などいない。

 しかし目の前に立つ金髪の少女の通り、諳んじて当然の事実すらいくつか抜けがあり、即座に出すことが出来なかった。

 

 ぱくぱくと口が動くばかりで、出すべき返答は虚空に消える。

 

「お前はよくやったよ……ああ、こんな方法で治そうなんて普通は思いついてもやらん。この私ですら正直頭がおかしいと思うぞ。きっとあの子の魂も救われるだろうさ」

「……誰かを助けるって、こんなに苦しいことだったんですね。あたし、全然、何も知らなかった。友達だなんて口では言っても、何をして、どう考えているのかしっかり見てなかったのかもしれません」

 

 琉希の語りに合わせ、カナリアの束縛魔法陣が奇妙な点滅を始めた。

 本来なら常に光を振りまき相手を縛り付ける魔法だ、当然彼女にこんな挙動を仕込んだ覚えはない。

 

「フォリアちゃん、ずっとこんな苦しいのを続けてきたんですよ。探索者を嫌って、馬鹿にする人も多いのに、ダンジョンが崩壊した時だけ都合よく助けてなんて言う人もいるのに、それでも黙って戦ってきたんです……」

 

 慌てて魔法陣へ手を伸ばし直接の操作を試みるカナリアであったが、己の掌から生み出されたはずの輝きは言うことを聞かず、次第に無数の罅が入っていくのを、手の施しようもなく見ることしか出来ない。

 

 それは魔法の掌握……いや、支配と言うべきか。

 

 魔力が物質へ転位し世界を創り上げたのならば、己のユニークスキルで魔法すらも支配することが出来るのでは。

 数日前琉希へ魔法や世界の構造について詳しく説明してしまったが故に、カナリアによる拘束は土壇場の思い付きでひっくり返されてしまった。

 

「辛くて苦しくて……それでも頑張ってきた人の最期がこれ!? 誰かのために必死で戦った人がっ、誰にも忘れ去られるなんておかしいっ、そんなの絶対間違ってる……!」

「そんなのは……そんなこと私にだって分かっているッ!」

「分かってるなら! 分かってるなら後はやるだけでしょう!?」

「分かっていても出来ないことだってある!」

 

 理想論は聞こえがいい。

 

「貴女がそうでもあたしはやりますっ! 誰か、何かのために、進んで犠牲になる必要なんてない……! そんな綺麗(・・)な終わり方なんて誰も求めてない! フォリアちゃんは生きるんです! ずっとずっと生きて、好きなことを好きなだけして、笑って、しわくちゃのおばあちゃんになるまでっ!」

 

 足が棒になるどころか、地面に根付いてしまったのかと錯覚するほどの重さ。

 しかし、それでも一歩、一歩と、ナメクジが這うより緩慢ながらも怪物の元へ彼女は歩いていく。

 

「あと一回なんですよ……あと一回、あと一回だけでもできれば届くんです……!」

「その一回が無理なんだ! 限界なんだよっ! どうして分かってくれないんだ!?」

 

 もはやカナリアの魔法でも彼女を止めることは出来なかった。

 

 無数の魔法陣は片っ端から琉希の手で砕かれていく。

 カナリアの膨大な魔力をつぎ込もうと、生と死の繰り返しによってその身に余る魔力を獲得した琉希の方が、既に総量で上回っていた。

 消耗戦では絶対に勝てない、しかし短期戦でも押し込めない。

 

 最後、魔力の尽きた(・・・・・・)カナリアは琉希の足に縋りつき、無理やりにでも動きを止めようと試みたが、やはり彼女は歩み続けた。

 

 

「分かってても……無理でも……それでもあたしは……っ!」

 

 

 歩いて、歩いて、歩き続けた先。

 混乱と疲労に埋め尽くされた思考では、何故か怪物が襲ってこないことに疑問を覚えることすら出来ず、漸く琉希は怪物の元へたどり着いた。

 

『……琉希』

「――っ! フォリアちゃ……!?」

 

 濁った低音が鼓膜を叩く。

 

 はっと顔を上げた先、わずかに理性が残った瞳で、怪物が少女の顔を覗き込んでいた。

 先ほど琉希の手によってほんの僅かだが魔力が抜き取られたことで、一時的に本能を理性で抑制できるようになったのだ。

 

 びく、びくと、恐らく無意識なのだろう、勝手に動き回る爪先。

 興奮に染まった息は連続して短く吐き出され、その巨大な尾や翼は忙しなく蠢き、羽ばたく。

 

 意志とは別に動き回る彼女の身体が、この小さな安息もすぐに消え去ることを暗示している。

 

 だがそれでも、少しの時間でも意識が戻った。

 たまらず琉希は両腕をそっと伸ばし……

 

『……ごめん、無理さセて』

 

 彼女は、ぶちり、と腕輪ごと琉希の右腕を噛み千切った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百二十九話

 ぶちりと噛み千切られた琉希の右腕。

 

 連続する極限状態での戦闘は絶え間ない傷を肉体に刻み込み、痛覚は溢れるほど湧き出した脳内物質に誤魔化されている。

 とした痛み、しかしそこに腕を失ったという現実感は存在しなかった。

 

 ただ怪物の口元で、ぶらり、ぶらりと力もなく揺れる己の腕を眺めるだけ。

 

 遂に正気すらも狂気に染まったのか? いや、違う。

 

『あ……ごめン、上手く調整出来ナくて……腕まで切っちゃっタ……』

 

 本気でその意図はなかったのだろう。

 心底悪そうな声音で語るフォリアは、噛み千切った琉希の腕をそっと地面へ置くと、その前脚でみちみちと体重をかけ始めた。

 

 べきり。

 

 作るのに多大な苦労を掛けた深紅の腕輪が、笑ってしまうほど軽い音を立てて砕け散る。

 

「なん……で……?」

 

 琉希が切り口を抑え回復魔法をかけながら、混乱する思考の中絞り出せたのは僅か三文字ばかり。

 

 あの腕輪さえあれば、あと一回だけでも『リアライズ』をすれば、きっと彼女を助けることが出来たのに。

 意識を一度手放す前、フォリアも腕輪の力について多少は聞いていたのだから、自分が助かるため必死に守ることはあっても、こんな意志を持って破壊するなどあり得ない。

 

 出血も収まり、無事な片手で『アイテムボックス』から予備かつ、本来己が今後使う予定であった腕輪を取り出すも、今度は巨大な尾を起用に振り回し琉希の手から弾き飛ばしてしまう。

 腕輪が転がった先はやはりフォリア。

 

 再び響く破砕音。

 

 地面へ広がる深紅の欠片をフォリアは悲し気な瞳で眺め、声に後悔をにじませる。

 

『私が助けテ、なんて言ったかラ無理させちゃったンだよね。だから、ごめン』

「――! もしか……して……っ」

 

 その言葉でフォリアの意図は全て琉希へ伝わった。

 

『……これ以上やったら、琉希も戻れナくなっちゃうよ。そんナの私はやだ、だからもウいい』

「やってみなきゃ……やってみなきゃ分からないじゃないですかっ!? あたしはまだまだいけると思いますよっ、だからっ」

 

 食って掛かり足元へ進もうとする彼女を、フォリアはそっと翼で押し戻す。

 

 たった数メートル、いつもならなんてことはない距離。

 しかし疲労困憊状態の琉希にとってそれは驚くほど遠く、然したる力も込められていないであろうフォリアの翼すら、その体に押し返す力は残っていなかった。

 

『分かるンだ、なんというか……匂い? みたイなので、琉希はもウこれ以上耐えられナいって』

 

 肉体の変容、それは決して容姿だけに限らない。

 生物の生存を補助するために嗅覚や味覚がしたのならば、魔力を糧とする生命体へ変貌を遂げた彼女の感覚も、当然相応の移ろいを見せる。

 

 既にフォリアの嗅覚は揮発性物質への反応から、魔力を鋭敏に嗅ぎ取る新たな器官としての変容を始めていた。

 

 そしてその嗅覚が伝えている。

 琉希の身体に限界まで詰め込まれた魔力は今にも決壊せんと渦巻いており、わずかにでも新たなものを注ぎ込んでしまえば瞬く間に全てが書き換わってしまうと。

 

 時として動物の特性は、識者ですら説明がつかないほど鋭い察知能力を発揮するが、きっと彼女の嗅覚もその類だろう。

 無数の記憶が暴走の果てに組み上げた怪物の肉体は、やはりどこまでも生物的であった。

 

『嬉しカった、ずっと不安だっタから。探索者ニなっテから仲良くしてくれてる人増えたケド、皆本当は私のコと嫌ってるんじゃナいかなって、鬱陶しく思われテないかなって。私空気読めなイみたいで、学校だと良ク虐められてたカラ……』

「違う……誰もそんなこと思ってない! そんなのあり得ないっ! 協会の二人(・・)だって、本当に貴女の事を思ってるんです……! 死んだら誰にも会えないんですよ!? 誰にも……っ、私だって忘れて……そんな寂しいことがあって良いわけない……!」

 

 そこに剛力が含まれていないことにフォリアは、軽く目を細め悲し気な雰囲気を浮かべるも、すぐに再び頬を吊り上げた。

 

『私だってイヤだ!! 寂しくて……悲しクて……消えた私って……どうなっちゃうのカなってすごイ怖くって……っ、でもっ!』

 

 小さな沈黙。

 

『それよりも、皆を殺しちゃうかもしれない方がずっと怖イ! 優シくしてくれタみんなを、皆の大事な人を、その大事な人を、誰かが悲しクなるような誰かを殺しちゃウ方が、ずっと、ズっと嫌だなって……!』

 

 

 

『――だから私を殺して、琉希だけにしか言えナいよ、こんなの』

 

 

「……っ! なんでっ!? こうならないようにっ、頑張ったのにっ、まだ、貴女に助けて貰ったお返しすら出来てないのにっ、なんで……!」

『ごめん、最期にこんなノ押し付けテ。早速友達失格かモ』

 

 話し終えた彼女はそれ以上何かを言うつもりはないようで、そっと目を瞑るとその場に伏せた。

 

「理解できん……何故他人の貴様らが、家族ですらない相手にそこまで心を砕くのか」

 

 頬に手を当て、心底不思議そうな表情を滲ませたカナリアが、俯き、座り込んだ琉希の元へ宙を浮かびやって来る。

 しかし、琉希は彼女へ何かを言うことすら出来ず、ただ、食い縛った歯の隙間へとめどなく入り込んでくる、堪らなく苦い塩味を飲み込むので精いっぱいであった。

 

 死にたくない、それはフォリアの願い。

 だが同時に誰かを傷つけたくない、誰かへ手を掛けたくもない。それもまた、彼女の心の底からの願い。

 

 生物としての本能と一人の人間としての理念がせめぎ、揺れ動き、悩んだ末の結論を、再び切り捨てることは琉希には出来なかった。

 先ほどの諦めからくる選択ではない。

 彼女の心の底からの願いは、切り捨ててはいけないものだから。

 

「やれ」

 

 カナリアは虚空へ手を突っ込むと、すらりと巨大な深紅の剣を取り出し、ざくりと斜めに地面へ突き刺した。

 

 全長おおよそ二メートルほど。

 巨大な結晶から雑に削り出したかのように荒々しい凹凸、そしてその表面から作り出されるオパールのような極彩色の輝きを放っている。

 

 もし、こんな場所ではなく、然るべき博物館等で目にしたのならきっと、誰もがその美しさに見惚れるだろう。

 だが今の琉希にはその剣が、どこか退廃的で、吐き気を催すほど不気味な、絶望の具現に見えて仕方なかった。

 

「この……悪魔……」

 

 なんて無様な姿だろう。

 

 なんて愚かな姿だろう。

 

 口だけ。

 彼女は見知らぬ人々を何人も、何人も助けてきたというのに、自分は友人の命一つすら救えない。

 

 手に握り締めた刃の柄は重く、恐ろしく冷たいもので……

 

 駆けだした琉希に、真正面から受けると覚悟を決めたフォリアは、面を上げ、しかと動きを見据える。

 そして薄く牙を剥き、ここを切れとばかりに首を天へ高く突き上げ……

 

 

「――ぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああっ!」

 

 

 だが、最初にフォリアが感じたのは小さく、温かな感覚であった。

 

 琉希だ。

 その首筋へ蓄えられた柔らかな毛へ、涙や汚れでどろどろになった顔をうずめている。

 その手に刃は握られていない。

 

『琉……キ……?』

「……ごめんなさい。あたしにはっ、貴女を殺してのうのうと生きるなんて耐えられない……だからっ、それなら……いっそ……!」

 

 走る途中、琉希が投げ捨てた深紅の剣がひとりでに宙を舞う。

 輝く刃は凛、と天に延び、緩慢ながらしっかりと、己を操る少女の背中へ狙いを定めた。

 

 

「――これなら貴女も、きっと寂しくないですね」

 

 

.

.

.

 

 

 

 

 

「本当に理解し難い……私の知る友情とは全く違うじゃないか」

 

 カナリアが呟く目線の先には、全身から結晶が消え去り(・・・・・・・)、重なる様に眠りへ落ちた二人の少女の姿があった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百三十話

「んぁ……?」

 

 ぱちりと目が覚めた。

 

 なんだかよく分からないが凄い解放感だ。

 そう、言うなればプチっとプリンのお尻にある突起をへし折り、ぷりんと中身が完璧に出たかのようなすっきりとした感覚。

 あれ? この感覚をいつでも体験できるプチっとプリンってすごい商品なのでは?

 

 ふむ……ん?

 

「あれ……手が……?」

 

 ふと自分が出した声にも違和感を覚える。

 

 ぼんやりとした記憶の中、私は恐ろしい姿になっていた。

 自分の背丈なんて超えているはずの木が笑ってしまうほど小さくて、あの雪狐を何匹も一度に切り裂いて、妙に何もかもが敵に見えて……

 

 ――夢、だったのかな。

 

 琉希を殺した。

 小さな声で必死に叫ぶ彼女を、何度もこの手で叩き潰した。

 私は掌にべったりと張り付いた紅い液体を見て、どこか愉快な気持ちにすらなって、そのうっとおしく感じた存在を必死に狙った。

 

 あの時、確かに私は怪物(・・)だった。

 妙に現実を伴った記憶の中で、確かにそれだけは覚えている。

 

「――起きたか」

「……っ、おま……え……!」

 

 見覚えのある金髪、しかしそれはママではなかった。

 ピン、と尖った耳、私と近い目線、正面へ広がるどこか偉そうな顔つき。

 

 この人……いや、こいつは……!

 

「『アクセラ……』」

「戻りましたよー! タクシーの予約出来ました、後三十分くらいで……あ! おはようございますフォリアちゃん!」

 

 がばりと開いた扉の向こう、琉希のいつも変わらない明るい声音、笑顔があった。

 

「まあ積もる話はあるにしても、もう少し落ち着ける場所に移動してからにしようではないか」

「あ……うん」

 

 妙な虚脱感。

 怒り、衝動、一瞬で沸き上がった恐ろしいほどの感情は、沸き上がった時と同じく、唐突かつ一瞬にして消え去った。

 

 琉希が何も言わない。

 それに考えれば、何かをするつもりなら私が寝ている間にしているだろう。

 頭や感情は正直追いつかないが、今は下手に襲い掛かるより話した方が良いかもしれない。

 

.

.

.

 

 今となってはどこか懐かしく感じてしまう、小さなアパートのリビング。

 寝ているママをベッドへ寝かし、温かな紅茶を淹れた後からカナリアと琉希の話は始まった。

 

「――ってことがありまして」

 

 琉希から語られたのは、私が意識を失い……いや、怪物となり果ててから二日間の出来事、そして金髪のこの人……カナリアについてであった。

 

 ダンジョンシステムという概念、『魔蝕』なる病気、どれをとっても頭が痛くなるほど厄介で、どうしようもないほど複雑だ。

 あと大体私の家庭環境が悪いのはこの人のせいでもあると。

 

 しかし琉希の言葉に心底憤慨した顔で、カナリアがバシバシと机を叩く。

 

「まて! わざとではないんだ、全ては偶然が重なった故の悲劇なんだよ!」

「諸悪の根源が何言ってるんですか……ああフォリアちゃん、この人の話は真面目に聞かなくていいですよ。特に人格面で若干破綻しているところがあるので」

「私は至って正常だっ!」

「寝てるママに悪いから机叩くのやめて」

 

 正直のところ彼女については……かなり複雑だった。

 

 あの冷たい瞳、とげとげしい言葉は今でも恐ろしいほど脳裏にこびり付いているし、思い出すだけでも息が詰まる。

 正しくトラウマとでもいうべきものだ。

 それにあの日から私の人生は大きく変わり、嫌な事、辛いこと、苦しいことが何度も何度も何度も何度もあって、その度にそばにいてくれたら、また会えたらと思っていた。

 

 いや、率直に言えば許せないのだろう、私は。

 でも怨み言をずっと吐くのはなんだか嫌な気持ちになって、だから口に出すことは躊躇われて、もやもやした気持ちが胸に渦巻いている。

 

 だがそもそも、彼女がママの体内へ入ってしまったのは不幸な事故であり、更に私の病気、魔蝕なるものを食い止めてくれたのも彼女であったらしい。

 

 琉希のアイデアで急ごしらえした深紅の腕輪。

 しかし私の身体にはそれも効かず、どうしようもなくなったあの時カナリアが琉希へ手渡したのは、私を殺すためではなく、治すための剣であった。

 

 そしてその剣は彼女にとって絶対に変えようのない、本当に大切なものであったらしく、それを語ることすら嫌気がさすようで、口にする度に眉をひそめている。

 

「おかげで六年の研究は全て無駄になった……もうおしまいだ……」

「創り直したりは……」

「無理だ! む! り! 材料が足らん時間が足らん何もかもが足らん!!」

 

 やはりばしばしと叩かれる机。

 

「あの剣って一体何だったんです?」

 

 琉希の質問に私も頷く。

 

 ぼんやりと覚えているが、見た目は大きな紅い結晶から削り出されたような剣であった。

 確かに綺麗だったのかもしれないが、そこまで彼女が執着し、心底絶望する理由も分からない。

 

「あれは……魔天楼、即ちあそこに突っ立つ蒼の塔と全く同じ構造で、それを限界まで小型にしたものだ。突き刺した先から魔力を無理やり引きずり出すことが出来る」

 

 私たちの肉体を同時に貫いた深紅の剣。

 それは二つに分断され、私と琉希の体内へ完全に融合、体内の魔力を常時汲み上げることで『魔蝕』の発症を食い止めることに成功した。

 

 魔蝕に関して苦しむことは恐らくないとは彼女の言葉。

 

「はぇ……よく分かんないけどすごそうだね」

「そう! 超天才の私が苦労の末創り上げたんだぞ、超凄いに決まってるだろ!」

 

 なんだろうこの人、凄いんだろうけどなんか素直に凄いって言いにくい。

 そして琉希が言った意味が何となく分かった。

 

 この人に悪意はないのだろう。

 だから恨もうにも恨めない。あれだけの事があり、恨めしさが積もりに積もってるのに、どうにも最後まで感情が沸き上がらない。

 

「これで話すべきことは終わった。アリアの肉体には魔法をかけてある、目が覚めるまでそっとしておいてやれば直に元の生活へ戻れるだろう。体内の魔力は私の肉体の再構成に使ったから、レベル等はリセットされてしまっているがな」

 

 そしてママに関しても気にすることはないと彼女は言った。

 

 彼女が目を覚ました時記憶が戻っているかは定かではないものの、きっともどっていたとしても私たちの関係は変わらないと。

 本当かどうかなんて分からない。

 それでもまあ、これまでのアリア(・・・)を見る限りきっとそうなのだろう。

 

「そっか……ありがとう。琉希も、凄い大変だったでしょ」

 

 二人へ頭を下げる。

 

 彼女が過去に私達へした行為は兎も角として、私と琉希の命の恩人であるという事実は変わらない。

 こうやって意識を保っていられるのは

 その点に関しては心から感謝していた。

 

「ふん……」

「まあ私は結果から言えば何もできなかったんですけどね……」

 

 沈黙。

 

 しかしちらりとカナリアは窓の外を覗くと椅子を立ち、何も言わずに扉へ手を掛けた。

 何も持たず、白いワンピース一枚。

 

「あ……」

 

 何と彼女に声を掛ければ良いのか分からない。

 きっとそれは彼女の方も同じで、私にしたことを一切気にしていないというわけではないのだろう。

 先ほど話す度、気まずそうに私の方を視線を向けていたのを見ればわかる。

 

 何か行動するときあまり相手の心情などを考えていないようだが、しかし気付いてしまえば無視はできない。

 やはり、きっとこの人は悪人ではないのだろう、多分。

 

「ちょいちょい! どこ行くんですか!」

 

 しかしそのワンピースの裾をがっしりと掴む腕、琉希だ。

 

「用事が終わったんだからここに居る意味もないだろう」

 

 うっとおし気に払おうとするも力の差から勝てないと気付き、渋々聞き返すカナリア。

 

「二人共……分かってませんね! 明日は何の日だと思ってるんですか!?」

 

 明日……?

 

 私と同じ金色の瞳が訝し気にこちらを見る。

 貴様何か分かるのかと、多分彼女はそう言いたいのだろう。

 

 いや、私を見られても分からないんだけど。

 

「クリスマスですよクリスマス! イブですけど! 折角皆無事に帰って来られたんです、ケーキとかチキン焼いて盛大にパーティしましょう!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百三十一話

 何度も言うが、正直私はカナリアについてはかなり複雑な心境だ。

 

 彼女が居なければ私とママはこんな酷い勘違いをせずに済んだ。

 しかし彼女がいたことで助かった命はきっと多い。ダンジョンシステムはダムみたいなもので、次元の穴に蓋をすることで崩壊までの時間を稼げたのは間違いのない事実。

 ダンジョンシステムがなければ、きっとこの世界は三十年前に、何一つ立ち向かう術すらなくぺっちゃんこになっていたのだろうから。

 

 それに私や琉希の魔蝕を、絶対に変えの利かないものを使ってまで治してくれた。

 

 彼女ほどの人間でもどうしようもないというのだ、きっと件の剣というのは本当にとんでもない価値があり、私がどうこうしようと再び手に入れることは一生できないほどの物なのだろう。

 それを使った上、私たちへ何かを要求することがないというところから、やはり彼女は少なくとも悪人ではないのだと、頭では理解できる。

 

 ぐちゃぐちゃだった。

 

 化け物になっていた時の記憶は、若干もや(・・)がかかってるけど思い出したし、それまで、つまりママへ出会うための旅をする間、そして彼女に雷撃を撃たれた時の絶望感は今でも軽い吐き気がする。

 それがこんな、こんな変な人の、変な思考によって起こされていたのだ。

 本人曰くあれは付いてきて危険な目に合わないよう、一応気を使っていたのだという。

 

 本当に意味が分からない、死んだらどうするつもりだったのだろう。

 ちょっとやり過ぎて焦ったとか笑ってたけど、本気で死にかけたこちらからすれば一ミリも笑えない。

 

 いつぞやの筋肉に適当なアドバイスを受け死にかけた、先生との初ボス戦を思い出す。

 

 そう、私はかなり悩んでいた。

 彼女にどう反応すべきなのか、どう会話し、今後どうするべきなのか。

 

 しかし、あれこれ考えていたものは、この買い物によって踏ん切りがついた。

 いや、踏ん切りがついたというのはおかしいか。

 

 正確にいうのなら、なんというか……その……まあもうどうでもいいかなって。

 真面目に考えている私がバカみたいだってことだ。

 

 

「どうしてこの私がクリスマスなぞという、顔すら知らない異世界の聖人の降臨日なぞを祝わなければならぬのだ……」

 

 北風吹く外とは一転し、少し汗ばむほど暖かいスーパーの中、ワンピース一枚でぶつぶつとカナリアが不満を漏らす。

 時々すれ違う人もおり、そんな服装に奇異の目線を向けられるも、彼女は全く気付く様子がない。

 

「その割には詳しくない?」

 

 本人がその態度なのだ、私たちも、もはや彼女がそういう服装であることに疑問を持たず、代わりに引っかかってしまうのはもっとどうでもいいことばかり。

 

 異世界人を名乗り、長い髪に隠れているとはいえ長い耳を持つ彼女。

 それに私を助けてくれた技術や知識からもはや疑うべくもなく、そんな彼女が地球の歴史に詳しいというのも不思議なものだ。

 

 まさかサンタさんの大ファンって訳でもないだろうし……

 

「生きるということは学ぶということ。過去の失敗から再び過ちを犯さぬよう、己が生きる場所の歴史を知るのは当然のことだ。まあ私は神などという曖昧な存在は信じないがな! 世界を変えるのが神ならば、むしろ私の方が神と言っても過言ではないだろう!」

「ケーキに何乗せましょうか?」

「私イチゴが良い、あとモモ」

 

 上にイチゴを飾るのは譲れないとして、中に色んなフルーツを挟む方が食べていて楽しい。

 以前一度食べたショートケーキがそういうものだった。

 あれはショートケーキと言えばイチゴという、私の偏見を打ち砕く驚愕すべき出来事だったよ。

 

 ハウス栽培の物だろう、クリスマスフェアだと銘打たれパックに詰め込められた、つやつや輝くイチゴの甘酸っぱい香りに頬が緩む。

 まるで赤い宝石だ。

 琉希曰く、私たちに取り込まれた紅い剣も凄い綺麗なものだったらしいが、私的にはこっちの方が何倍も良い。

 

「おい、無視するな! 貴様らが聞いてきたんだろうが!」

 

 ぷんすか憤慨しずんずんとカートへ歩み寄るカナリア。

 しかし途中でぴたりと足を止め、なにか炭酸飲料を何本もわさっと抱き上げ、ひょいと籠の中を覗き込むと……何故か眉をひそめた。

 

「ふむ……栄養価が偏っているな。卵と小麦粉、砂糖にクリーム……ビタミンと食物繊維が足らん、タンパク質ももう少し補っておこう。おい、納豆と葉物野菜も買いに行くぞ」

「なに言ってんの?」

 

 ケーキに納豆? 葉物野菜?

 

 そしてぶちぶち文句を言いながらも、しれっと大量に買い物かごへ入れてきたのはドクトルペッパーだ。

 健康を語る人間がジュースを大量に買い込むとはちゃんちゃらおかしい話ではないだろうか。

 

「なにって……ただ体に良いケーキを作るだけだが?」

 

 当然の顔をして戻って来た異常な返答。

 

 ……あれ? 私がおかしいのかな……? 私がおかしいのかもしれない……あれ? え?

 ケーキってサラダだっけ……? いや、サラダに納豆もおかしい気がするんだけど、もしかして流行っているのかな。

 

「そうかな……そうかも……」

「フォリアちゃんしっかりしてください! ケークサレならともかく、甘いケーキに普通野菜や納豆は入れません!」

「……! だっ、だよね!」

 

 琉希に必死の形相で肩を振られ、漸く正気に戻る私。

 

 異世界ではもしかしたらケーキに納豆や野菜を合わせるのが常識なのかもしれないが、少なくともこの日本では変わった逸品と受け取られるだろう。

 

「栄養が伴わなければ料理とは言えん。安心しろ、貴様らのような子供で何も考えていない間抜けでも、しっかりと栄養を確保できるように指示してやろう。普段は料理などしないんだがな、まあ理論通りに行けば余裕だろう」

 

 何故か自信満々に胸を張る彼女。

 

 食に無頓着というレベルではない。

 もしかしてママの身体の中にいるときも、こんな変なものばっかり食べていたのだろうか。

 いや、恐ろしく瘦せ細っていた体からして、もしかしたらまともに食べてすらいないのかもしれない。

 

 料理なんてさっぱり出来ない私ですらヤバいと分かることを、さも当然のように話す彼女へ戦慄する私たち。

 

「味が伴ってないんだけど」

「貴女この前ジュース飲んでましたよね?」

「頭を使った分糖質を確保しただけだ。今回は食事だからな、しっかりとした……」

 

 何故か狂った理論を再び語り始めるカナリア。

 

「フォリアちゃん、この人絶対に目を離さないでくださいね」

「うん」

 

 この人はだめだ。

 

 家庭関係の嫌悪感だとか、様々な感情を超越し本能的に感じる、放置したらなんかやばいという感覚に突き動かされ、その右手首をがっちりと握りしめる。

 多分ちょっと目を離したらなにかする。

 

「む、お、おい! 離せ! 私はいたっ、いたたたたッ!? 今は魔力がないから身体強化が出来んのだ! もっと優しく……おい! 分かった! 分かったよ! せめて手を繋ぐようにしてくれっ! 手首が粉砕するっ!?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百三十二話

「食材沢山買ったのはいいとして……私料理できないんだけど」

「私に任せろ!」

「そうですね、あたしもあんまり得意な方ではないので……」

 

 三人の姦しい会話と共に、カツカツと鳴り響く金属の階段を登る音。

 

 あれこれと会話が弾むのは良いことだが、弾み過ぎた結果、物を買い過ぎた気がする。

 私は当然として、琉希もそこまで色々と料理できるようではなく、カナリアに関しては話にならない。

 はて一体だれがこれを料理するのか……?

 

 ピザでも注文してケーキは買ってくればよかったのでは、と今更ながら気付いてしまうも、家を出る前は興奮していたので後の祭りだ。

 

 賃貸というのもありそこまで広い家ではないが、一応調理道具や電子製品の類は一通りそろえてある。

 どうにか検索を駆使して料理していくしかない。

 まあお湯沸かす奴以外ほとんど使ったことないけど。

 

「ん?」

「どうしたんですか?」

 

 鍵を開ける瞬間、違和感に首を捻る。

 

 扉の端、はめ込まれた摺りガラスの奥に明かりが見えた。

 奇妙だ。

 家にいるのは、昏々と眠り続けるママしかいないはずなのに。

 

「いや、部屋の電気が付いてるみたいで……」

 

 電気消し忘れたっけ?

 

 耳を突く甲高い軋みと共に開けられた入り口。

 廊下の奥、丸見えになったリビングの椅子に無言で腰掛ける彼女は――

 

「ママ……!?」

「フォリアちゃん……」

 

 困ったような笑みを浮かべる彼女は、いつ起きるのかも分からず、しかしきっと今日は目を覚まさないのだろうと思っていたママだった。

 

 

「ちょっと貴女はあたしと一緒に外で待ちましょうね」

「は? 何故だ? 寒さを抑えるために魔力あんまり使いたくないし、早く中に入るべきだろ……おい引っ張るな!」

 

 気を使った二人……いや、一人と、ついでに無理やり引っ張られていくもう一人は、にぎやかに話しながら外へ出た。

 室内にいるのは私たち親子だけ。

 

 何を話せばいいのだろう。

 

 なんだか一対一で話すのが恐ろしく久しぶりな気がして、良い話題が思い浮かばない。

 前は、仲直りをしたあの日からはこんな意識したことなんてなかった。

 目を合わせれば勝手に口が開いて、なんでも話せたのに。 

 

「も、もう体調はいいの……?」

「ええ、なんだか妙に調子がよくて。不思議ね、ちょっと前まであんなに体が動かなかったのに……」

 

 ようやく絞り出せた言葉はありがちなもの。

 

 彼女も何から話せばいいのか悩んでいたのだろう、その話題に乗って笑みを浮かべ、もう大丈夫よと力こぶを作る。

 

 しかし会話が続かない。

 結局すぐにぴったりと会話は途切れ、私たちの間には再び、目を合わせることすら気まずい空気だけが流れ出す。

 そして一分か、或いは数秒だったかもしれない、沈黙に堪え切れなくなったママは逸らしていた目を真っ直ぐにこちらへ向け、遂に話を切り出した。

 

「――全部、思い出したの」

 

 息を呑む。

 

 思い出さなければいい、それは前までの話。

 冷たかった『アリア』は『カナリア』で、私の記憶にうっすらと残る楽しい家族の記憶は、決して偽物ではなかった。

 思い出しても何一つ変わらない。彼女はずっと優しいだろう、幸せなあの頃と同じはずで。

 

 頭ではわかっている。

 でも、冬だというのに掌は妙に湿っているし、喉は急激に乾いてきた。

 

 大丈夫だ、大丈夫。

 そんな事より、私には言うべきことが……

 

「六年前、奏さんとダンジョンに調査へ出るまでの全部を。私たちが家族として普通に暮らして来た日々を」

 

 ママは一度話し出したら、もう止まらなかった。

 

「覚えてるかしら。中庭で(かなで)さん……貴女のパパが作った椅子に座ってね、日曜日にはよく皆でドルチェを食べたのよ?」

 

 きっとそれは、私にとって当然の事だった。

 

 普通の家族で、普通に暮らして、普通に仲が良くて。

 今なら分かる、それはきっと普通ではなかった。

 

 過去の自分が羨ましくて仕方ない。

 そして同時に、ほとんど覚えていない、ぼんやりと覚えているあの光景はきっとそれだったのだと、しっかり覚えていない自分が憎かった。

 二度と手に入らないのにどうして覚えていないんだ、と、遅すぎる後悔だけが胸に募っていく。

 

「ティラミスやパンナコッタも良く手作りしたものだけれど、貴女はいっつも奏さんが買ってきたショートケーキにばかり夢中になってね、私としては少し嫉妬してたわ」

 

 知らなかった。

 何も知らなかった。

 私は何一つとして、家族の事も、心情も、記憶も、なにもかもを知らなかった。

 

 知らないのに、でも、ママが目を細め話す記憶を私は覚えている。

 だから……こんなに苦しい。

 

 机の上で知らず知らずのうちに、指先が赤黒くなるほどに力を込めていた両手が、いきなり掬い上げられる。

 

「楽しいことは覚えているのに、フォリア、貴女の苦しみを私は何一つ支えてあげられなかった。母親の癖に貴女の大切な六年間に、私は何もしてあげることが出来なかった。記憶を失って、なんて良い訳は出来ないわ。恨むのも当然よ」

「ちが……っ!? 私は恨んでなんかない! 私は……私はただ……」

 

 また、一緒に住めればそれでよかった。

 

 でもその言葉は言えない。

 

 ママはずっとママだった。

 記憶を失っても優しくて、一緒に居れば安心して。私のために色々してくれて、拒絶した私を受け入れてくれて。

 

 けど私は、また(・・)裏切った。

 ママと約束したことをすぐ忘れて、カナリアの言葉を鵜吞みにして、ママが先に裏切ったんだって全部押し付けて、自分で確認することすらせずに耳を塞いだ。

 

 良い訳は出来ない? それは私の言うべきことだ。

 

 琉希に言われなければ、あの時彼女が無理にでも動かなければきっと私は今でもこの家に引き籠っていた。

 私は間違った。

 また、間違った選択肢を選んだ。

 家族だの、信じるだのなんだのと綺麗事を吐いておきながら、結局私は何処までも最低の屑じゃないか。

 

「私は……ママを信じれなかった。琉希が背中を押してくれなかったら、こうやって会えなかった。だから私は……」

 

 私に、ママともう一度暮らしたいなんて言う権利はない。

 

 そしてまた気付く。

 こういう言い方をすればきっとママは許してくれるんだろうって。

 きっとあなたは悪くないって、私が悪いのよって。ママの優しい心を利用して許してもらって、またのうのうと家族として暮らせてしまう。

 

 最低だ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百三十三話

「良いのよ」

 

 優しい笑み。

 そこに私が彼女との約束を破ったことを非難するような感情は、これっぽっちとして含まれていない。

 

 ほら、やっぱり。

 ママは優しいからそうやって許してくれる。

 こんなずるい喋り方ですら、ママにとっては意識するまでもないことで、当然のように受け入れてくれる。

 

 予想通りの反応に喉の奥が苦しくなった。

 もっと考えていれば、この反応は口に出さずとも予想できる。

 善意や感謝を利用しているようなものじゃないか。

 

「だからっ! 私は琉希が言わなければ信じないで無視してたんだよ!? あれだけ言ったのに、結局ママを信じ切れないでっ!」

「六年も会ってなかったのよ? 数か月暮らした程度で完全に信じ切れるわけないわ」

 

 赤の他人ならそれでよかったのだろう。

 見知らぬ人間と数か月程度の付き合いで、いろいろあったけど上手いこと落ち着いたのならばきっと、終わりよければよしと頷ける。

 

 でもこれは違う。

 

 言ったんだ、もう一度信じるって。

 その結果がこれ。

 結局家族だなんだなんて言いながら、私は心の奥底で信じ切れていなかった。

 私よりママと接してる時間の短い琉希が分かっていたことを、私は何一つとして分かっていなかった。

 

「違う! だから……私はまた間違えた……きっともっと間違える、また同じようなことをする! ごめん……ごめんなさい……っ」

 

 今度は目の端が熱くなる。

 

 泣けばもっと許されると思ってるのか?

 違う。

 泣いてママの憐れみを引けば、もっと優しい言葉をかけてもらえると思ってるのか?

 違う。

 ズルい奴だ、お前は。

 

 溢れる程湧き出す自己嫌悪。

 否定しようと必死に考えれば考える程、自分の中で自分を責める声が大きくなっていく。

 

「――それでいいの」

 

 でも、やっぱり帰ってくるのは肯定の言葉で。

 俯いた私の背中へ、そっと覆いかぶさる暖かみにまた涙が溢れ出した。

 

 もっと怒り狂って罵ってくれればいいのに。

 それなら、ああ、やっぱり私は悪い奴なんだと納得がいくし、もっと自分を責められるのに。

 どれだけ言葉を重ねてもママは絶対私を怒ってくれない、許してしまう。

 

 なのに……疑って、裏切った相手に慰められて、それが心のどこかで嬉しく堪らなくて。 

 

「いつも正しい選択なんて出来ないわ。貴女だけじゃない。私だって、いつもこれが間違いないって胸を張って、何でも堂々と出来るわけじゃないの。もしかしたら、些細な事で魔が差してしまうかもしれないし、焦りから盲目的になることもあるかもしれない」

 

 甘えた心が彼女の言葉を聞き続ける。

 

「ねえ、フォリアちゃん。ママを助けてくれた事後悔してるかしら?」

「し……してない! 絶対にしない!」

 

 これだけは本当の言葉。 

 

 家族の真実、魔蝕という病気、そして複雑な感情を抱かざるを得ないものの、カナリアとの出会いは間違いなく大切なものだった。

 それに……ママとこうやって話せて、本当に嬉しい。

 

 もう、二度と話せないと思ってた。

 全ては六年前の焼き直しで、どうせ何をしても世界が終わるのなら、真実を知ろうと無駄に戦う必要ないなんて思っていた。

 でもこうやって知ってしまえば、やっぱりやってよかったと感じる。

 

「いつも一人で正しい選択が出来るわけじゃない、後悔しない未来を掴めるわけじゃない。でもフォリアちゃん、結局貴女は悩んで、苦しんで、それでも一番いいって思える選択を出来たのよね?」

「うん……」

 

「でもっ! でも……それでみんなに迷惑かけるかもしれないし……」

「フォリアちゃんはもし友達が一人で苦しんでいたら、凄く心配にならないかしら? 一人で抱えてる方が時として迷惑になることもあるのよ?」

「……っ」

 

 ママの言葉はどれもこれも誰かに言われたことのある、或いはひどく心当たりのあるものばかりで、一言一言が胸に突き刺さった。

 

 言われたことがあるなら、心当たりがあるのなら何故変えてこなかったのかと言われてしまえば、言い返せる言葉はない。

 分かっていても変えられなかった。

 その通りだと頷けても、何かが起こる度に目の前の事でいっぱいいっぱいになって、他の所まで意識が回らなかっただけ。

 

「それに、日本にはこういうコトワザがあるわ、三人集まってもんじゃを作る、と。一人では美味しいもんじゃを作れなくても、皆で力を合わせれば最高のもんじゃが出来るのよ」

「三人集まれば……もんじゃ……」

 

 一人では出来なくても、他の人とならできる。

 

「だから友達や周りにいる人を大切にしなさい、そして辛かったらなんでも相談しなさい。フォリアちゃんがその人たちに本気で向かい続けたのなら、必ず貴女の助けになってくれるはずだから」

 

 琉希が居なければ、ここまでたどり着くことは出来なかった。

 いや、琉希だけじゃない。

 今まで私はずっと悩んで、それでも一人で答えが見つからなくて、その度に誰かが助けてくれた。

 

 本当に私は、誰かを頼っていいのだろうか。

 

「今回の琉希ちゃんみたいに、ね?」

 

 そうしてママは、窓の端からひょっこりとこちらを覗きこんでいた二人へ、入ってくるよう促し優しく微笑んだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百三十四話

「だからバレるって言っただろ!」

「貴女だって興味津々に見てたじゃないですか!」

「私は良いんだよ!」

 

 どたばたと足音を立て部屋の中に入ってくる二人。

 私は全く気が付かなかったのだが、どうやら気を使って外へ出たものの話が気になった結果、窓から覗きこんで耳を澄ましていたらしい。

 

 う……全部聞かれてたのかな……

 

 先ほど感情的に声を荒げてしまったばかりなので、それが聞かれてたとなると少し恥ずかしい。

 

「それと失敗はね、何度でもしていいの。一度の失敗で治せないなら、二度、三度と繰り返してちょっとずつ治せばいい。同じ失敗をしないなんて、生きてる限り無理なのよ。でも自罰的になるのは駄目。自分が悪いって抱え込むのはタダの思考停止、或る意味楽かもしれないけど前には進めなくなるわ」

 

 再び席に着いたママの言葉に首を捻る。

 

 失敗してもいいってのが分からない。

 間違えたら怒られるものじゃないのか、少なくとも今まではそうだった。

 

「貴女なりに考えて行動しなさい。自分が悪いで終わるんじゃなくて、失敗したのならその先をどうするのかしっかり考えるの。そしてさっきも言った通りダメなら誰かを頼る。自分を助けてくれるような、信頼の出来る人をね」

 

 そうして再び琉希たちへ流し目を送るママ。

 

 また、私は許されてしまった。

 

 いつも通り(・・・・・)俯き、しかしハッと前を向く。

 違う、これじゃない。

 いつも通り終わっては駄目なんだと、今一つ納得の行っていなかったママの言葉が、この時ピリリと背筋を撫でた。

 

 そうか……こういうことだったのか……

 

 全てを飲み込み切れたわけではない。

 でも今、私は既に何かを掴んでいた。

 

 机を挟んだ対面、優しい笑みを浮かべるママ。

 彼女は、私の顔つきが変わったことで一層柔らかな笑みを深めると、今度は勝手に緑茶を入れ始めたカナリアへ振り返った。

 

「それとカナリアさん」

「む……なんだ?」

 

 机の端、蔦で編まれた籠の中からひょいとお饅頭を取り上げ、勝手に頬張っているカナリアが眉を顰める。

 

 おかしい。

 この人昨日今日出会ったばかりなはずなのに、なんでこんなにくつろいでるんだ。

 下手したら先ほどの私より何倍もリラックスしてるんだけど。

 

「フォリアちゃんをお願いします。博識な貴女なら、きっとこの子の支えになってくれるはずだから。その代わりと言ってはなんだけど、ここで一緒に住みましょう?」

「はぁ!?」

「ママ!?」

 

 思ってもみなかったことに、私も、そしてカナリア自身も素っ頓狂な声を上げる。

 

「何でこの私が手助けせねばならぬのだっ! 私にはすることがだな……」

 

 激しく机を叩き異議を唱えるカナリア。

 

「ついつい口が過ぎてしまうのかもしれないけれど、貴女もたまには素直に話すのも大切じゃないかしら? 独り言で後悔するくらいなら、ね?」

 

 しかし彼女へ耳を貸す様に手を振ったママがなにかを囁いた瞬間、カナリアの表情が目に見えて変わった。

 

「い……っ!? ま、まさか貴様……私が表に出ていた時の記憶が……全て……」

「お願いね? それで色々相殺ってことにするわ」

 

 いたずらな笑みを浮かべたママへ、何か言いたげな相好で口を開いては閉じるカナリアであったが、結局何かを言い返すことも出来ずに項垂れると、見るからに渋々な様子で頷いた。

 なんだか分からないが、カナリアは我が家に住むことが決まってしまったらしい。

 

 複雑な心境に口がへの字になる。

 てっきり今日パーティが終わったら別れるとばかり思っていたし、関係が関係だからだ。

 

 でも、多分彼女の人間性は、憎しみへ至るほどひどいものではない。

 それにきっとカナリアは行く当てがない。

 心配だ。一応良心はあるらしき彼女だが、そもそも思考回路がなんか普通からかけ離れているので、とんでもないことをしでかして逮捕とかされてそうで。

 

 一応は命の恩人を次見るのが、手錠を付けられてるテレビの速報とか笑えない。

 

 そんなの突拍子もない考えだと思うだろう。

 でもわずか一日ばかし彼女と付き合っただけなはずの私には、手錠を付けられて喚きながら警察署へ送られていく彼女の姿が、結構ありありと想像できた。

 

 それに、当然私もカナリアに思うところがあるとはいえ、一番の被害者はママだ。

 六年間自分の身体を乗っ取られ、様々な関係を壊され、パパも偶然とはいえ彼女のせいで……いや、きっと生きていると思いたいが、少なくとも今ここに居ないのは彼女のせい。

 

 それでもきっと許すつもりなのだろう。

 

 ならば私はこれ以上恨むことはしない。

 私が私の失敗を許して次へと意識を向けるのなら、誰かの失敗もやはり許すべきだから。

 

「それにしても……何の話したんだろ」

「さぁ?」

 

 カナリアとママの話している内容が小さすぎて聞こえなかった私たちは、焦ったように

 

「おい! 分かったから誰にも話すなよ!」

 

 とママへ怒鳴るカナリアの態度に首を捻った。

 

 

 

「さあこれで難しいお話は終わり! ところで今日はクリスマスなのよね、さっきテレビつけてびっくりしたわ!」

 

 にこやかな笑顔、ぱちりと合わさった両手。

 

「あっ、そうなんですよ! さっきまで皆で買い物に行ってたんです!」

「うん。でもちょっと買い過ぎたかも……」

 

 思い出した私たちによって、『アイテムボックス』から取り出され机の上に並べられた丸鶏、小麦粉やバター、野菜や果物、フルーツ缶やジュースのペットボトル。

 最初は一つ一つ並べていったが、次第に隙間が無くなり上へ重ねていくことに。

 大量の食材は恐らく今日中に消費しきることは出来ないのだろうな、とこうやって目前にして今更ながらに察する。

 

 まるで山だ。

 

 想像以上に色々なものを買い過ぎてしまった事に気付き、一人苦笑する。

 どうやら私はカナリアやママの事へ考えている一方で、同時に随分とクリスマスパーティというものに浮かれていたらしい。

 

「他にお友達は呼ぶのかしら?」

 

 ママの言葉に一人、脳裏に思い出す彼女。

 

 私が引き籠っている間協会の仕事を手伝ったり、そもそも琉希が私の家にやって来た理由は、彼女が琉希に話を伝えてくれたかららしい。

 これも誰かに相談する、か。

 自分に出来ないことがあるのなら、出来るかもしれない人、協力してくれる人に声を掛ける。

 

 私も見習わないと。

 

「……芽衣も、呼ぼうかな」

「五人……時間は四時間くらいかしら……?」

 

 時計をちらりと見た後、ママは食材を冷蔵庫の中へ入れるよう私たちへ伝えると、にっこりと笑みを浮かべた。

 

「じゃあ琉希ちゃん、この量を調理するのも大変だし、貴女のお母さんも呼んでもらえるかしら? 折角だし盛大なクリスマスパーティにするわよ!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百三十五話

 ピンポーンとレトロな電子音。

 

「あ、あたしのお母さんです!」

 

 ゲームでもしようかとテレビの前に集まり、あれこれ話していた琉希の顔に笑顔が灯る。

 

 まだ電話をかけてから十分ほど。

 想像以上に早くやってきてくれたことに驚くが、まあ早いに越したことはない。

 

 あたしが出迎えてきますね!

 

 足取りも軽やかに立ち上がった彼女を見送り……

 

『ひょ!?』

 

 玄関から響いた素っ頓狂な声に、横で煎餅を貪っていたカナリアと顔を合わせた。

 

.

.

.

 

「漸く連絡をしてきたと思ったら……」

 

 強く握り締められ、わなわなと震える右腕。

 ぴくぴくと怒りに痙攣する眉、猛虎の如き形相に歪んだ顔。

 

 悲鳴に慌てて玄関へ向かってみれば、そこに居たのは一人の女性。

 いや、きっと琉希の母なのだろう。

 棒キャンディーを口にくわえたまま恐ろしい顔で琉希の肩を掴む彼女は、口調などは随分異なれど、雰囲気が妙に似ていて、直感で理解できた。

 

 ヤバい。

 

 そんな顔つきで、壁の裏へ隠れ覗く私たちへ目線を寄越す琉希であったが、すぐに目の前へ怒る人物へ視線を戻さざるを得なかった。

 直後に彼女が怒鳴ったからである。

 

「友達の家でパーティするから料理手伝ってって、このスカポンタンッ!」

 

 がつりと振り下ろされる拳。

 

 結構な勢いに見えたが、相応にレベルの上がってしまった琉希は、たとえ魔蝕の治療中とはいえ平然としている。

 日常で負う程度の傷や衝撃ではもはや何も感じないのだ。

 むしろ殴った琉希の母の方が顔を歪め拳を撫でていた。

 

「くっ……無駄に硬くなって……クソいてぇ……」

「あはは……ごめんなさい……えーっと、回復魔法使います?」

 

 響いているのか、それとも全く響いてないのやら、説教した立場にも拘らず何故か回復魔法をかけるかと心配される始末。

 

 そもそも本人が連絡をしなかったせいなのだが、一体だれに似たのやら。

 琉希の母は額を抑え首を振り、手をひらひらと振る。

 

「あんたのせいなんだけどね……あーいらないいらない、この程度で使うんじゃない全く」

 

 そして一歩後ろに下がってから琉希の身体へくまなく目をやると、どうやら目に見える怪我はない様だと安堵のため息を漏らした。

 

「いくらアタシが行って来いって言ったとはいえ、せめて一日ごとに連絡しろ!」

「うっす、すみませんでした」

 

 一通り琉希を叱った彼女は腰に手を当てると、漸く奥に居た私たちへ気付いたらしい。

 こちらへ来るよう手を振った。

 

「ったく……まあアリアも戻ったみたいだし、君がフォリアちゃんなんだろ?」

「いや、私はカナリアだが? 何だ貴様、馴れ馴れしいぞ」

 

 しかしなにか勘違いしたようで、好奇心から近寄っていったカナリアに挨拶を始めてしまった。

 カナリアもカナリアで胸の前で腕を組むと、相も変わらず不敵な顔つきで否定をする。

 

 初めての人だし、そんな積極的に話に行くのはちょっと気が引けるけど……琉希のママなんだし、カナリアを放置するのもダメだよね……

 

「フォリアは私」

 

 部屋の奥から現れた私を見てきょとんとした顔。

 

「金髪だから間違えたわ! すまんすまん、よろしくなフォリアちゃん! このバカ娘の母親で椿(つばき)だ、名前は好きに呼んでくれ」

「あ……うん、椿さん。よろしく……です」

 

 おずおずと手を差し出せば力強い握手が帰って来た。

 同時に先ほどまで硬かった彼女の顔つきは快活な笑みに代わり、明るい笑い声も同時に上がる。

 

 そして話し声を聞きつけたのだろう、キッチンからひょっこりと顔を覗かせたママが現れ、琉希のママに奥へ来るよう親し気に声を掛けた。

 

「アリアとフォリアちゃんとの関係も戻ったみたいだし、雨降って地固まるって奴だね! それに免じて今回は許してやるわ!」

「た……助かりました……」

 

 胸をなでおろす琉希。

 

 

 

「話は聞いてる、クリスマスパーティするんだろ? まあアタシとアリアに任せときな、これでも昔は調理場で包丁握っていたんだ」

 

 腕を捲り上げて笑う彼女はやはり娘に似て、とても明るい人だった。

 

 

 ママと椿さんが仲良さげに奥へ消えた直後、閉じようと手を掛けた玄関へ飛び込んできた少女がいた。

 

「ちーっす、芽衣ちゃんただいま参上!」

 

 いえーいぴーすぴーすと気の抜けるブイの字を作りながら靴を脱ぐ彼女。

 こんな連続して呼んだ人が訪れるとは、偶然とはいえ忙しない。

 

「いやー、実はさっきからいたんだけどね……」

 

 ぽりぽりと頬を掻く彼女。

 

「いつ頃から?」

「センチが殴られてる辺りかな!」

 

 ぜんぜん『ただいま参上』じゃなかった。

 

「なんかよく分からんけどフォリっち無事でよかったわ!」

「あ……そういえば芽衣が琉希に伝えてくれたんだよね、ありがとう。本当に助かった」

 

 元々琉希がうちに突撃してきたのは、芽衣が私とママ(の中にいるカナリア)との一件について雰囲気を察し、琉希に話してくれたからだ。

 もし彼女が何も言わなければ、きっと私は今でも家に引き籠っていた。

 

 考えようによれば、芽衣が琉希に話した事でまた複雑な事件が起こったともいえるのだが、まあ敢えてそういったことをほじくる必要もないだろう。

 それに結果から言えば最高だったわけだし。

 

「いやー、まあウチも死にかけた時助けて貰ったからさ、これで相殺ってことで!」

 

 ぱちりとウィンクを飛ばした後、彼女は背負っていた鞄を床に降ろし漁ると、何かを掲げにっこりと笑った。

 

「ゲーム機とコントローラー持って来たから皆でやろ!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百三十六話

「ねえフォリっち……あの子誰?」

 

 困惑した顔で芽衣が背後をちらりと見る。

 

 そこに居たのはカナリア。

 ソファへごろりと横になり煎餅をかじり、時々思い出したかのようにストローからジュースを吸い上げている。

 完全に初対面の芽衣がいるにもかかわらず挨拶はなし、相変わらず傍若無人を極めていた。

 

「なんだ琉希、そんなのも倒せないのか! 反応が遅れているぞ! あ、ほら、またやられとる!」

「うるさいですね……」

 

 あ、首極められてる。 

 

「あー……」

 

 どうしたものか口籠る。

 

 カナリアと私の関係は複雑だ。

 何を話してもいいのか、何を話してはいけないのか、まずそこから考えなくてはいけない。

 それに彼女が悪人ではないのは間違いないとしても、今後カナリアと私たちの目標が一致するとも限らないのだ。

 

 私はただ、皆と一緒に居られるのならそれで良い。

 ダンジョンシステムと世界の消滅についてカナリアは果たしてどう思っているのか。

 どうしようもなく手が付けられず、このまま死を待つしか方法がないのか。

 それともなにか対策があり、実は彼女は裏で手を回しているのか。

 それとも……これはあまり考えたくないが、カナリアが実はダンジョンの崩壊と世界の消滅を、何らかの方法で悪用しているのか。

 

 カナリアは私たちに何も話してくれない。

 

 たった一つだけ、琉希曰く、彼女には倒さなければいけない男がいると、カナリアは彼を殺すために今日まで生きてきたと。

 何故その人を殺さなければいけないのか、その先に何があるのか、何一つとして不明。

 

「なんだ貴様らじっと見て、煎餅はやらんぞ。これは私の物だからな!」

 

 煎餅の袋へ手を突っ込むのをやめじろりとこちらを睨み、つんと顔を逸らすカナリア。 

 まあ敵になる云々については多分大丈夫な気がしてきた。

 

 ともかく芽衣に真実を話すのは無しだ。

 そもそも芽衣は私や琉希と違ってレベルも圧倒的に低いし、出会ってまだ数か月も経っていない。

 もし本格的に巻き込まれてしまった時、彼女は真っ先に死ぬだろう。

 

 ママの言う通り一人で抱え込まないというのは大事かもしれないが、節操なしに巻き込むのはまた別の話である。

 

「あ、もしかして親戚の人? 髪色とか金髪だし!」

「そ……そう! 事情で一緒に暮らすことになってさ」

「もしかしてアリアさんと喧嘩してたのって……」

「うん、あの人とちょっと色々あって。でも今はもう大丈夫、多分良い人ではあるから」

 

 どう説明した物かと悩んでいたものの、何かを勘違いした芽衣の発言にこれ幸いと乗る。

 

 そういえばカナリアも金髪だし成程、確かに最初から親戚ってことにしておけばよかった。

 エルフの異世界人というイメージが先行していたせいで、こう、ぱっと思い浮かばなかったのだ。

 

 とはいえ肩より高い所で切っている私と異なり、カナリアは随分と髪が長い。

 いくらエルフの長い耳をしているとはいえ、腰ほどまである長い金髪が彼女の耳を……

 

「複雑な事情って奴やね……んじゃ詳しく聞くのはやめとくわ」

「おい、煎餅無くなったんだが。あとドクトルペッパー」

 

 み……

 

 耳が見えとる……!

 

 煎餅を食べ終わった後、あくびをしながら髪を掻き上げた彼女。

 同時に髪の奥へ隠されていた長い耳がピン、と現れ、ぴくぴくと激しく主張を始めた。

 

 背中に冷や汗が流れる。

 

 しかし私の慌てた様子に異変を感じた琉希は、カナリアの頭をみて全てを察すると……

 

「あんまり食べ過ぎると太りますよ」

「ふぁべっ」

 

 スパンと頭を叩いた。

 

 ちょっと荒っぽい気もするけど……まあ隠れたのでヨシとしておこう。

 もう少し彼女には自分の正体を隠すことを意識してもらいたい。

 

「どしたん?」

「い、いや……何でもない」

 

 安堵のため息を漏らした私を心配そうにのぞき込む芽衣。

 大丈夫だと頷けば彼女も笑みを浮かべ……

 

「折角だしちょっと話してくるよ、仲良くなりたいしさ」

 

 と、コントローラーをカーペットの上に置き、何か言う暇もなくカナリアの元へ歩いて行った。

 

「ウチは芽衣、呉島芽衣。よろしくねカナっち!」

「カナ……? おい、もしかしてソレ私のあだ名か?」

 

 差し出された右手を訝し気に見る彼女。

 

 大丈夫かな……?

 

「え? いかんかった?」

「いや、好きに呼べ。しかし、ふっ……あだ名、か」

 

 何か起こるかもしれない。

 そんな私の心配に反して案外すんなりと手を握り、ニヒルな笑みを浮かべ何かを思い返す様に目を瞑る彼女。

 

 心配で立ち上がってしまった私へ芽衣は、大丈夫だと親指を立てる。

 

「カナっちって中二病っしょ? ウチの学校にもこういうタイプ居たから任せときなって!」

 

 にっと犬歯をみせ笑うと……

 

「超天才カナっち最強! ふーふー!」

「中々分かってるではないか! フォリアも琉希も何故か私の扱いが悪いからな、貴様は見どころのある奴だ! フゥーーーハハハハハッ!」

 

 なんとカナリアを手懐けてしまった。

 

 なるほど。

 ああやってカナリアには対処すればいいのか、勉強になる。

 

「マジ!? スキルじゃない魔法使えるの!?」

「うむ! この私にかかれば多少の事象を捻じ曲げることなど容易いぞ! 魔力さえあればだがな!」

「ウチにも今度教えてよ! パスタを一分で茹でる魔法とか!」

「うむ! うむ! 私に任せろ、貴様になら何でも教えてやるぞ!」

 

 どうなるかと思った二人の出会いだけれど芽衣は会話が相当に上手いようで、あっという間にカナリアと仲良くなってしまった。

 さっきまで退屈そうにゲーム画面を見てヤジを飛ばしていたカナリアも、彼女と弾む会話にいつの間にか自然な笑みを浮かべている。

 

 これで私は……

 

「今日は勝つよ」

「おっ、やっと乗ってきましたねフォリアちゃん」

 

 安心してゲームができる。

 

 前回ぼこぼこのぼこにされてしまった私だが、様々な体験をして精神的に多分成長した。

 勝てる。

 なんだか行ける気がする、多分これは勝利待ったなしだ。

 

 意気揚々とコントローラーを握ったその時。

 

「あーお前ら、料理はアタシ達がやっちまうが、クリーム泡立てたりケーキ飾りつけるくらいはやるか?」

 

 丁度現れた琉希の母、椿さんによって試合は遮られてしまった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百三十七話

 ハンドミキサーが猛烈な勢いで生クリームを掻き混ぜていく。

 先ほどまではとろりとした液体であったそれも、空気を抱き込みあっという間に立体的な構造を作り上げ、数分もかからずに私の知る『生クリーム』へと変化してしまった。

 

「もういいんじゃない?」

 

 放っておけばいくらでも生クリームを泡立て続けそうだったので、カナリアの肩を叩いて制止する。

 

 ほんのりと香る甘い乳製品の香りに、ごくりと誰かの喉が鳴った。

 

 ボウルいっぱいに入っているふわふわとしたそれは正しく夢のような存在で、もうこれだけで舐めてしまいたいような気がする。

 きっとスプーンいっぱいにすくって口の中に放り込めば、それだけで幸せになれることは間違いない。

 

 四人の視線が交差した。

 

 ここはリビング、キッチンから死角になっている。

 スプーンだって机の上にある入れ物へ沢山入れられているし、きっとひとり一口食べたってこれだけの量だ、ばれやしないだろう。

 

『やるか』

 

 そして全員の意思が一つになった。

 

.

.

.

 

 

 ばれないように一人ティースプーン 一杯。

 とはいえ皆一杯でも出来るだけたっぷり食べようという魂胆だろう、それぞれ思うがままの方法でこんもりとスプーンへ盛ろうと悪戦苦闘している。

 

 なんて意地汚い奴らなんだ。

 

 私は裏にクリームをへばり付けようと、スプーンを器へ擦り付けながら、呆れてため息を漏らした。

 

『いただきまーす』

 

 それぞれ思うがままに掬い終わり、遂にその時が来た。

 こんもりと盛られた乳白色のそれを、ゆっくりと口の中へ押し込み……

 

 ん?

 

 じゃりりとした奇妙な食感、しかし何より気になったのはもっと別の物で。

 

「――ねえこれ、砂糖足りな」

「甘っ!? 砂糖も融け残ってますし、貴女一体どれだけ砂糖入れたんですか!?」

「あはは! 昔食べたアメリカのお菓子並みだよこれ!」

「何言っている! 砂糖はケチらずたっぷり入れるべきだろう!」

 

 口の中に広がる無味の、ねっとりとした物質。

 鼻腔を擽るはずのミルクの甘ったるい香りすら、今の私にはわざとらしく感じてしまう。

 思っていた物とはかけ離れた感覚。

 

 気のせいじゃない。

 繰り返し、繰り返し、何度も何度も口内を舌で拭っては『その味』を確かめんと味覚に集中するも、やはりだめ。

 

 掌からすり落ちそうになってしまった金属を慌てて掴み、再びボウルの中へ差し込む。

 

「ちょっ、フォリっち!? アリアさんに怒られるよ!?」

「……っ、あぐっ!」

「お、おい貴様! ずるいぞ!」

 

 カナリアが何か言いながら勝手にクリームを食べ始めたが、私にとってそんなことを気にする余裕はなかった。

 

 ない。

 

 ない。

 

 

 何も感じない(・・・・・・)……!

 

 

 皆が言う歯の融けそうな甘みも、乳脂肪の舌に張り付くようなコクも、スプーンの血にも似た鉄の味も、何一つ感じない。

 味のしないガム? そんな生易しいものじゃない。

 空気ですらまだ味があった、完全なる虚無だ。

 

 ずん、と何かに引きずり込まれるような、足が恐ろしく重くて、胸が苦しくなるような感覚に苛まれる。

 

 

「ふ、ふふ……あは」

 

 終わったと思った。

 

 魔蝕なんて恐ろしい病気に知らず知らず蝕まれて、ママは恐ろしい存在に戻って、私自身化け物になって。

 でもそれは幸せへ至るための苦境に過ぎない。

 最後には友達の力で全て解決できて、カナリアとの出会いと共に真実は明らかになって、私の身体も完全に元に戻った。

 

 そう思っていたのに。

 

「ど、どうしたんですか?」

 

 笑い声をあげ、すぐぴったりと止まってしまった私へみんなの視線が突き刺さる。

 

 全てが最後は上手く行くなんて、やっぱりそんな都合のいいことはない。

 いや、むしろ生きているだけで私は幸せなのだろう。

 

 目玉焼きが決して元の卵へは戻らないように、一度変異してしまった私の肉体はもう元の『人間』に戻ることは出来ないのだと、本能的に理解できてしまった。

 

「ひ……」

 

 笑わないと。

 ひとりでに零れた涙もそのままに、頬を無理やり吊り上げる。

 

 今は幸せなパーティの準備中なんだ。

 今はまだその時じゃない。いや、きっとそんな時なんて来てはいけない。

 だからこれはなかったこと(・・・・・・)にしよう。

 

「久しぶりにちゃんとしたの食べたから、なんか安心しちゃって……あはは……」

 

 ああ。

 

 ぶつりと千切れた頬の肉から何か生暖かいものが零れるが、やはりそこに何かを感じることはない。

 先ほど舐めたスプーン同様の錆臭い香りだけが鼻奥へ押し寄せ、しかしそれ以外の感覚に意識が逸らすことも出来ず、嗅覚へ集中してしまい、妙な陶酔感に思考が揺れた。

 

「フォリっちびっくりさせんなよー!」

「ごめんごめん。カナリア、冷蔵庫にもう一個パックあるから持ってきて。砂糖入れないで泡立ててこれと合わせよ」

「む……何故私が……」

 

 

 こんなになるならもっと美味しいもの食べておけばよかった。

 そうすればこんなに何も感じない舌へ怒りも、悲しみも感じずに済んだのかもしれないのに。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百三十八話

 異常は味覚だけではなかった。

 

 何も感じないのだ、味覚を失ったことに。

 

 勿論ショックではある。

 無味の物質をただ噛み砕くだけの作業は途轍もない虚無感があるし、食べていて楽しくないのならと箸やスプーンを放り投げたくなる気分だ。

 

 しかし味を感じないことには何も思わない。

 ああ、無くなってしまったのだという漠然とした認知、そして無くなってしまったのなら致し方なしと、自分でも驚くほどすんなり諦めてしまえる。

 

 あれ、私ってこんなに食べること興味なかったっけ……?

 

「それでは僭越ながらあたしが、無事帰って来られたこととクリスマスを祝って……」

「おい、さっさとしろ」

 

 琉希がこほんと咳払いをして立ちあがったが、横に居たカナリアにせっつかれて眉をひそめる。

 しかし長々とするのも待ちきれないだろう、そんな様子でジュースの注がれたグラスを掲げ……

 

「はぁ……まあいいです、乾杯!」

『かんぱーい!』

 

 軽くグラスたちがぶつかり合い、軽快な音を立てた。

 

 しゅわしゅわと弾ける黒い炭酸、しかし付随するはずの甘みや酸味は何もない。

 氷の冷たさだけが口内を満たし、何も味のしない爽やかな香りのする液体を嚥下する。

 

 つまらない。

 

 大好きだったはずのママのスープが机に並ぶ。

 しかしスプーンを手にしてもかつての高揚感は何処にもない。熱々の液体を掬っては口の中に掻きこむが、結局温度が変わっただけで炭酸と何ら変わりはなかった。

 

「フォリアちゃん、おいしいかしら?」

「うん、おいしい」

 

 虚無、虚無、虚無。

 まるで食欲が湧かない。

 何を目の前にしても、かぐわしいはずの香りを胸に一杯吸い込んでも、決して食べたいという欲望がでてこない。

 

 言うなれば地面に転がる石ころや、部屋の隅に溜まってしまった埃だ。

 ちょっと目を惹くかもしれないけれど、決してそれをおいしそうだとか、どれ一口と手を伸ばす気になれない。

 

 このパリッと皮の焼き上がったチキンを掴み、ソースにディップしてから柔らかな肉を口いっぱいに頬張れば、きっと幸せになれるぞと記憶は呼びかける。

 そうだ、その通りだと手に取り食んでみるも、匂いつきの消しゴムや粘土でも噛んでいるかのような感覚に支配され口が止まった。

 

 どうして私は……今までこんなものを食べていられたんだ?

 

「やっぱアリアさんの料理はおいしいですね!」

「琉希、それアンタのお母さんが作った奴だぞ」

「えっ!?」

 

 甘みが分からない。

 塩味が分からない。

 苦みが分からない。

 酸味が分からない。

 油のこってりとしたコクも、お肉やじっくり焼かれた野菜のうまみも、胡椒のピリリとした刺激的な辛さも、何一つ感じない。

 

 頬張れば頬張るほど、私の記憶の中に存在していた『味』が消えて行く。

 

 でも、何も感じない。

 

 食事をするときの高揚感も、お腹いっぱい食べた時の幸福感も、そして味を感じないことに対する絶望もそこにはない。

 絶望がないからこそ絶望する。

 

 ならば今まで私が食べていたものはなんだったのか?

 おいしいと思ったものは?

 不味いと思ったものは?

 

 思い返すためにフォークを動かした。

 サラダに掛けられていたフライドオニオンを掻きこんだし、カリカリに炒められたベーコンを噛み締めた。

 でも、やっぱり分からなくて。

 

 皆が美味しいと笑顔で話し合う中、私は理解の出来ない『味』を褒め称え、皆に合わせて料理の素晴らしさを説いた。

 それは人間の中に馴染もうと、化け物が見よう見まねで振舞っているようで。

 

 

 これではまるで――

 

 

 じわじわと競り上がってくる恐怖と孤独感。

 しかしそれは味を感じないからではない。皆と私の距離がどんなにあがいても、勝手に離れていく絶望から。

 

「ごめん、ちょっと食べ過ぎた。外いってくる」

「はいはい、ケーキまでには帰ってきてね」

 

 ママの言葉には何も返せなかった。

 

「おいアリア、紅茶を一杯くれ。紙コップに熱いストレートをだ」

 

 そして私の後を追うように、いそいそと立ち上がったカナリアにも気付かなかった。

 

 

 全て終わったと思ったのに。

 

 変質してしまった私の身体が、またいつか私は怪物になってしまうのではないのか、という恐怖を煽る。

 いや、もしかしたら私の精神は既に変わり果てていて、今はまだ気付いていないだけなのかもしれない。

 

 ベンチに座り俯く私へ、街灯から伸びる一本の影が差し掛かった。

 

「カナリア……」

「飲め」

 

 不愛想に突き出された物を月明かりに照らすと、紙コップの中へ注がれていたのは濃い琥珀色。

 手から伝わるのは温かさ、そして漂う茶葉の爽やかな香り。

 

 紅茶だ。

 

 ちらりと上を見るが彼女は無言で私を見つめていて、恐らくこれを飲まなければ話が進まないのだろうということは容易く予想が出来た。

 気は進まないが、渋々言われるがままに一口含めば、じゃりりと口の中に広がる何かの感覚。

 コップの底で揺蕩う透明な欠片がじんわりと溶け出し、紅茶の中で不思議な靄を生み出している。

 

「ありがと。おいしい……」

「味感じないんだろ」

 

 あまりに直球な言葉で目を瞑る。

 

「は? 何の話?」

「そんなたっぷりと塩を入れた紅茶を飲んでよく言う」

「……っ!?」

 

 無茶苦茶だ、だが一番単純でもある。

 

 カップの底へ融け残るほどの塩を溶かした紅茶を口にして、平然としているなんてあり得ない。

 普通ならえずく。仮に耐えられたとして、怒ったり、何かしらのアクションを起こす。

 

 少なくとも『おいしい』、なんて絶対に口にしないだろう。

 

 もはや隠すことは出来なかった。

 掌の中で握り締められた紙コップから紅茶が溢れ、頬を零れる何かと共に、コンクリートの上へと垂れていく。

 

「治るのかな……」

「知らん。魔蝕に関しては実例が少なすぎて私にもどう転ぶか予想できん、一か月も経たずに元へ戻るかもしれんし、或いは一生治らん可能性や、或いはさらに他の部位も悪化する場合だってあるかもしれん」

 

 カナリアとは、出会ってからまだわずか一日だ。

 

 でもきっと、彼女が淡々と口にする言葉は、つまりそれが真実なのだろう。

 そしてそれは私自身が本能的に察していることとも、憎らしいほどぴったり一致していた。

 

「皆は分かってるものが私には分からない……皆美味しいって言ってるのに、私には何が美味しいのかさっぱりで……食べるの好きだったはずなんだよ、私。でも全然食べる気になれない、美味しそうなはずなのに全然美味しくない……」

 

 これじゃまるで――人間ゴッコじゃないか。

 

「食べれば食べる程『味』が分かんなくなっちゃって……その内また、何もかも分からなくなっちゃうんじゃないかって……!」

 

 これからまた、私の身体は何かを失う。

 次は触覚か、視覚か、嗅覚か、一体何が無くなるのか分からないのに、間違いなくなくなるって分かってしまう。

 いつなのかすら分からないのに、その日が来るのだけは間違いがなくて。

 

「また私の身体が元に戻っちゃうんじゃないかって……あの姿になって……っ!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百三十九話

「……貴様が再び『魔蝕』を発症し、意識を失うことはないだろう。ただ人間としての部位はどうしても影響を受ける、探索者として戦うのならなおさらだ」

 

 ワタシの横へ腰を掛け、ぷしゅりと炭酸飲料のプルタブを押し込む彼女。

 

「詳しい説明はしても分からんだろうから省くとして、貴様は特殊過ぎて体内の魔力と馴染ませるのはあの剣を持っても限界、あるいは処理能力を超えている」

 

 もしもっと早く出会い、事態を察することが出来たのなら、また事情は変わっていたのかもしれない。

 しかし互いに許容量を超えた上での出来事は全てが突貫工事であり、当然調査や検査などを行う余裕はなかった。

 

「いわば『魔蝕』が発症する直前の状態が続くことになる。意識を失うことは無いが、最終的に貴様は完全に人間ではなくなり、魔力を糧とする新たな生物へ肉体が再構築されるだろう」

 

 その果てにどのような姿になるのか、それを今予想することは難しい。

 

 ベルクマンの法則というものが存在する。

 例えば灼熱の地なら、体温を逃がすために小型化する。

 一方で極寒の地ならば、体温を保持するための巨大化などといった、恒温動物で普遍的に言える法則だ。

 

 すなわち全ての進化には理由がある。

 姿や形、その性質などは魔力による記憶の影響を受けれども、一切環境とは切り離されるのかと言えば、当然異なるだろう。

 しかし魔蝕による変化は進化とはまた異なる、非常に極端なものだ。

 

 それ故カナリアにすら予想が出来ない。

 

「恐ろしいか、自分の身体が変わっていくのが」

 

 淡々とした問。

 彼女にとっては予想できる未来を話しただけでも、私にとってそれは口にすることすら吐き気がする内容だ。

 

 どこへ投げればいいのかも分からない恐怖の感情は、当然カナリアへと向かっていった。

 

「怖いに……っ、怖いに決まってるでしょ!? どうなるか分かんないんだよ!? しかも人間じゃなくなるって……!」

 

 もし私が、あの姿になってしまったとして。

 カナリアの言う通り心はそのままであったとして。

 

 私を受け入れてくれる人なんているんだろうか。

 

 見た目の大して変わらない探索者ですら、世間では化物扱いで嫌われているのに。

 人と同じ言葉を話し、しかし見目は全く異なり、強大な力を振るう存在なんて恐怖の対象でしかない。

 

「……なあ、人間ってなんだろうな」

「は?」

 

 しかし頭を抱えた私へ、カナリアは全く意味の分からない話を始めた。

 

「まあ確かに生物学的には人間じゃなくなるんだがな。例えば貴様、右手を失った人間がいたとして、そいつは人間か?」

「……当たり前でしょ」

 

 眉を顰める。

 

 腕の一本が無くなったからと言って、その人が変わるわけでもない。

 当然人だ。

 

「ならば四肢全てはどうだ? 内臓は? この世界では生命維持装置なしに生きれぬとして、そいつらは人か?」

「当たり前でしょ! 何が言いたいの!?」

 

 事故で、あるいは病気で体の一部を失う人は当然いる。

 しかしその程度で人間でなくなるなんて、極端にもほどがある考え私は持っていない。

 いや、世間一般的に考えても、そもそもそんな極端な考えを肯定する人はいないだろう。

 

 矢継ぎ早に繰り出されるカナリアの質問。

 

「ならば『人』とはなんだ? 肉体のどこが無くなっても人だというのなら、何をもって人だと言えるんだ?」

「人……?」

 

 最後の問いかけは、やはり意味の分からないものであった。

 

 人の定義……というわけではないのだろう。

 そんな頭の良さそうなこと、今まで考えたこともなかった。

 人は人、それ以上に何があるというのだろう。

 

「私はな、人とはつまり、希望を持っているかどうかだと思う」

 

 完全に思考が停止した私へ、カナリアはこのまま待っていても話が進まないと察したのだろう、続きを切り出した。 

 

「人類がここまで発展したのは、希望を持っていたからだ。それは明日を生きるためかもしれないし、もっと先、何年、何十年、何百年も先を見据えていたのかもしれん。一人一人、己の人生で見出(みいだ)す希望は違う。だが少なくとも、何か望みを叶えたいと(こいねが)ったからこそ発展できたのだ」

 

 再び缶へ口を付ける彼女。

 

「何も考えず生きるのなら植物と同じだ、刹那を生きるのは野生の動物に等しい。人間は未来の希望を見て道を明らかにし、己の意思で進んできたからこそ、ここまで発展してきたのだと思うのだよ。無論植物や動物が悪いわけではないが、明らかな隔たりがそこには存在する」

 

 それは異世界でも変わらない。

 集い、何世代にも渡って知識を継承し、それで満足せず一層のこと洗練させていく。

 それが繰り返された結果こそが『人類』の科学、あるいは魔術と言われる叡智の結晶。

 

 人類が人類たり得る根拠は、魔力によって決定付けられた肉体の有無ではない。

 思考と前進、人類のすべてはそこにあるとカナリアは考えていた。

 

「なあ結城フォリア、お前の希望はなんだ? お前がお前として生きていくための希望を教えてくれ」

「……分かんない」

 

 彼女の問いかけを私なりに考えてみても、すぐに思い当たる訳もなく首を振る。

 

 いきなりそんなこと言われても、なら私の希望はどうこうですなんて言えるわけがない。

 第一私の希望? 私はただ生きてきただけだ。

 探索者だってお金がないからなっただけ。そんな大それた夢など持っていない。

 

「たとえ貴様の力が特殊で、常人と比べ異常ともいえる成長をしてきたとしよう。だが本当にそれだけか?」

 

 しかし私が首を振っているにもかかわらず、彼女は話を続けた。

 

「そこまでレベルを上げなくとも、この現代社会で生きるのには十分な力があったはず。Dランクのダンジョンでも並みの稼ぎ以上はあるのだからな。ならば何故貴様は更なる力を求めた? 何のために力を欲した?」

 

 月明かりの下、缶をクシャリと握りつぶしたカナリアが立ち上がる。

 

「既に貴様は知っているはずだ、自分が何故戦ってきたのか、何故そこまでレベルを上げてきたのか。それこそが貴様の希望なのだろう……どんな内容なのかは知らんがな」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百四十話

 カナリアと共に家へ戻った後、二時間ばかりしてパーティはつつがなく終わった。

 

 元々味覚を失ってしまった事に対しては、さほど恐怖を覚えていなかった。

 これは、あまりの衝撃に理解すら拒んでいるのか、あるいは私の心が既に変化してしまったからなのかは分からない。

 しかし今、この状況においては喜ばしいことである。

 そして相変わらず錆びついた表情筋も相まって、私の異常は誰にも気付かれてはいないようだった。

 

 味のないスポンジを平らげ、色と匂いのついた白湯を飲み干し、食器を運んではゴミを片付ける。

 コーヒーなんて泥水みたいなものだと思っていたけど、これじゃ泥水もコーヒーも紅茶も変わらない。

 最初に芽衣が、次に琉希とそのママである椿が帰路に就き、時計の針が頂点を刺す頃には、先ほどまでの喧騒が嘘だったかのような静寂が部屋に降りていた。

 

 歯を磨き、シャワーを浴び、既に寝息を立てていたママの隣のベットへごろりと寝そべって窓の外を覗く。

 

『何のために力を欲した?』

 

 流石に三人目のベッドなど用意しておらず、今はソファで寝ている彼女の言葉が脳裏へ木霊す。

 

 私が戦っていた理由は、お金だ。

 少なくとも最初はそうだった。

 

 孤児院を出て、勉強が嫌だったので後攻には行かず工場で働くも、人の目線などが嫌になって抜け出した。

 

 半ばやけくそだったのかもしれない。

 普段あまり食べていなかったケーキを好きなだけ貪って、気が付けば財布の中は空っぽ。

 お賃金など飛び出して来たものだから、好き勝手したらあっという間に無くなってしまうのなんて当然のことだ。

 

 そして探索者になった。

 本当はコンビニバイトでもしようかと思っていたが、そもそも体力が壊滅的であった私は、まずは少しは体力を付けようと思ってこの世界に足を踏み入れた。

 

 そこからは、まあいろいろとあった。

 死んだし、死にかけたし、死にかけてる人も何人も助けた。

 

 文字通り必死だった。

 未来なんて見通せない。

 ただ目の前にあるものにいっぱいいっぱいで、でも出来ることだけをし続けてきた一年だった。

 

 そして……ここまで来て……

 

 

『貴様の希望を教えてくれ』

 

 

 私の希望?

 私の希望ってなんだ?

 

 そう、カナリアの言う通り……レベルなんて上げなくても……私は十分稼げる力があったはず……だ。

 Dランクダンジョンで戦えるのなら……週に数回戦うだけで……一人で暮らすには十分すぎる稼ぎ……だから……必死に潜る必要なんてない。

 

 じゃあなんで私は……戦ってきた……?

 何でわざわざ……死ぬかもしれないところに……自分から飛び込んで……?

 

 

 それは……きっと……

 

 

.

.

.

 

 

「昨日は楽しかったわ。また皆とああやって集まれたらいいわね」

「うん。年末年始でもいいかも」

「おいフォリア、醤油くれ」

 

 カナリアへ、押すと出る醤油のボトルを手渡し、ソーセージとご飯を掻きこむ。

 普段はおかずを食べるための添え物位なイメージの白米だったが、こうやって味覚を無くしてみると、ああ、案外ちゃんと味があったんだなと思ってしまう。

 

 果たして今の私に食事をとる意味はあるのか、と言われれば、分からないと返すしかない。

 どこがどれだけ変化しているか、なんて体を細かく検査しなければいけないし、どうせいつか変わってしまうのなら今検査する意味なんてないから。

 

 なら何故食べるのか。

 単純だ、きっと食べなければママが心配する。

 

「ごちそうさま、おいしかった」

 

 立ち上がり、食器を流しへ重ねていく。

 

「あ、フォリアちゃん! 今日って時間空いてるかしら?」

 

 さて、今日は何をしようかと宙を彷徨っていた思考が、ママによって捕まえられた。

 

「え? あ、うん。暫く出てなかったし、協会に顔出そうかと思ったんだけど……」

 

 私が勝手に協会をサボり始めて一週間、いや、二週間くらいだろうか。

 そもそもさほど重要な仕事は任されていないが、流石の私と言えどそこまでバックレてしまうのは駄目だと分かる。

 協会は年中人手不足とはいえ、それにかまけてクビにはならないと胡坐を掻くのはいけない。

 

 一応昨日の夜の時点でウニには連絡をした。

 崩壊の兆候があれば構わず連絡をしてくれとも伝えたし、これで多分大丈夫なはず。

 それに芽衣も今は協会で書類整備の手伝いをしているらしく、彼女からも当然話はいくだろう。

 

 それに……正直あそこへ顔を出すのは憂鬱だ。

 あそこは楽しい記憶があり過ぎる(・・・・・)

 それにきっと園崎さんだってまだ立ち直っていないだろう、電話越しのウニの反応からしてもそれは明らかだった。

 

「どこか行くの? 買い物?」

 

 理由を作れるのならどこでもいい。

 

 カナリアがこの家に住むと決まったのは良いものの、元々『アリア』と二人暮らしする前提で色々と物を買い集めていたので、食器や寝具、足りないものはいくらでもある。

 仕事も大事だが、これはこれでとても大事なことだ。そういうことにしておきたい。

 

 私の言葉に反応したカナリアが、ちらりとこちらへ視線を向ける。

 ママは軽く目を開き、二度頷いた。

 

「あっ、それも勿論しないといけないんだけど……その、ね……」

 

 どうにも言い出しそうにどもる彼女。

 あまり見たことがない、苦虫を嚙み潰したかのような表情を浮かべ、壁に掛けられていた小さなポーチを掴み上げる。

 

 買い物じゃない……?

 

 ポーチを漁り、ピタリと止まる細腕。

 それは握れは隠せてしまえるほど細長い、金属の輝きを湛えていて……

 

「おうちの様子、見に行かないかしら?」

 

 銀色の小さな鍵であった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百四十一話

「おうちの様子、見に行かないかしら?」

 

 唐突な話に困惑する。

 

 当然『行こう』というのだから、今私たちが居るこのアパートの事ではないのだろう。

 しかし、私に『おうち』などと呼べる場所は、そう多くはない。

 このアパート、その前に借りていたホテルの部屋、ネットカフェ、そして……六年前まで私たちが住んでいたはずの家だ。

 

 

 分厚い雲に覆われた空の下、三人で歩く。

 

 ママ……と、放っておくと何をするか分からないので一応カナリアも引き連れてやってきたのは、かつて出会った剣崎さんという人、彼女の働いている大学からほど近い場所。

 私の家は、普段住んでいる町からさほど遠くない所にあったようだ。

 私自身正直場所をあまり覚えていなかったので、思ったよりあっさりついてしまった事に困惑している。

 

「なんか感想とかないのか」

「そんなこと言われても……大きい?」

「何故疑問形なんだ……?」

 

 いや、大きな家なのは間違いがない。

 入り口には柵もあったし、家の扉にたどり着くまでもちょっと距離があった。

 庭は荒れ果てているけど全体的に大きいし、白くてきれいな家だと……思う。

 

 しかし、正直私がこの家の事で覚えている事なんて、暗い部屋でママ……もとい彼女に乗り移ったカナリアを待っていることぐらいだ。

 来る道中でなんだか見たことがあるようなないような、掠れかけのデジャブに遭遇したものの、それくらい。

 

 彼女自身相当久しぶりだからなのだろうか、恐る恐る近づいたママが、ゆっくりと扉へ手を掛ける。

 そして金属片を鍵穴へ近づけ……

 

「あ、あら? 鍵が開かないわ……?」

 

 が、開かない。

 

 彼女が鍵穴へ何度合わせようとも、その銀色の金属片が中へ入る様子はない。

 見た所そもそも鍵穴の形すら違うので、いくら努力しようとも開けることはできないだろう。

 

「鍵を間違っているんじゃないか」

「そんなはずは……それに、これ以外の鍵は持ってないわ」

 

 カナリアの言葉にポーチを再び漁るママであったが、当然新たな鍵が湧いてくるわけもない。

 

「なら壊してしまえばいいだろう、どうせ所有者はアリアか奏なのだからな。おい、やれ、フォリア」

「やらないけど?」

 

 なんで私が壊す前提なんだ。

 

「鍵がそもそも変わってるみたいねぇ……」

 

 ドアへはめ込まれた金色の鍵口を撫でたママが呟く。

 どうやらこの六年間で、いつの間にか誰かがこの家の鍵を取り換えてしまったらしい。

 

「ちょっと周り見てくる」

「危ないことはしないでね」

 

 どこかから入り込めるかと思い家をぐるりと回ってみるも、どの部屋もぴっちり閉められている。

 一階からではダメなのなら、二階からと屋根へ飛び移った瞬間、

 

 

「ちょ、ちょちょっとぉ!? 人の家に何してるの!?」

 

 

 素っ頓狂な叫びが鼓膜を突いた。

 

「ちょあ!?」

 

 誰!? 何!?

 

 驚きのあまり体はピンと硬直し、ずるりと、とっかかりへ掛けていた足元が滑る。

 浮遊感と共に響く誰かの叫び。

 

 大きな家なだけあって相応に屋根も高く、どんよりと曇った空が遠ざかっていく。

 

 そして……

 

「……よっとぉ!」

 

 着地。

 

 一滴たりとて零れていない汗を拭い、ぺしぺしとズボンに付いた土埃を払う。

 

 こちとら数十メートル上空まで跳びあがって攻撃したり、なんなら数百m先まで跳躍したりしている探索者だ。

 いきなり声を掛けられてちょっとびっくりしたけど、流石にこの程度でどうこうする様な体はしていない。

 

「んー?」

 

 それにしても、一体誰があんな変な声を上げたのだろう。

 ママではないし、当然カナリアがあんな声を上げるわけもない。

 

 周囲を軽く見まわしたが、どうやら家の脇庭(?)へ落ちてしまったようだ。

 先ほどの声の主が誰かは分からないが、取りあえずママやカナリアにも話を聞こうとしたその時。

 

「も、もしかして……フォリアちゃん?」

「え?」

 

 息を切らして正面から走って来たのは一人の女性。

 

 次第に大きくなる顔が既視感を刺激し、すぐにはっと思い出す。

 そこにいたのは……かつてケーキを奢ったりしてくれた、近くの大学で教授をしている剣崎さんであった。

 

 

 剣崎さんと出会ってから三十分ほど後。

 

 そのまま玄関まで二人で戻ったものの、ママを見た瞬間にぴたりと剣崎さんの動きが止まった。

 驚きに見開かれた瞳、言葉を出そうにも詰まる口。

 

「久しぶりね、真帆ちゃん」

「あ、あ、あぁっ!?」

 

 声を掛けられた直後、まるで早送りのように鍵を取り出し、ぐいぐいと私たちの背を押して家の中へ入る様に促す剣崎さん。

 どうやら彼女が今この家を管理しているらしい。

 

 どうしたものかとママへ視線を送ってみると、帰って来たのは頷き。

 ならばと促されるままに家へ入りリビングにまで案内され、剣崎さんがお茶を忙しなく用意し終えてから、漸く話が始まった。

 

「まさかアリアさんとまたこうやって会えるとは……!」

「真帆ちゃんも、今は教授にまでなったって凄いわぁ! 六年で頑張ったのねぇ」

「い、いえ! 私はただ先生の後釜に居座ってしまっただけでして……先生の遺して資料を食いつぶしているにすぎません」

 

 ママの手を涙目で撫でながら、隙あらば頭を下げている剣崎さん。

 大学の教授として何度か会った事のある彼女とは異なり、これは……親しみ、だろうか。

 まるで古くからの知り合いと話すかのような雰囲気がある。

 

 話についていけない。

 

 次から次へ飛び出す、聞いたことのない単語の応酬、このままでは全く話が進まないまま日が暮れてしまいそうだ。

 二人の親し気な会話に果たして割り込んでいいのか。かなり躊躇われるものはあったが、しかしらちが明かないと悟った私は……

 

「け、剣崎さんとママって何か関係あるの……?」

 

 無理やり割り入ることにした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百四十二話

「ああ、真帆ちゃんは奏さん……貴女のパパの教え子なのよ」

「うぇ!?」

「髪色を見てまさかとは思ってたんだけれど……本当にアリアさんのお娘さんだったとは……!」

 

 ちょっと待っててね。

 

 その一言と共に部屋の奥へ消えた剣崎さんが持って来たのは、一枚の小さな写真。

 

「これが私でこっちはアリアさん……」

「本当だ……」

 

 写真に映っているのは研究所の中なのかもしれない。

 積み重なった書類や、奥に見える化学っぽい感じの機材がなんか、こう、そんな雰囲気を醸し出していた。

 

 彼女が指差す二人の女性は確かに、加齢などの変化はあるものの間違いなくママと剣崎さん本人だ。

 そしてその真ん中で白衣に手を突っ込み、ふんぞりかえっている人が……

 

「え、これパパなの?」

「先生はちょっと……変わっている人だったから」

「あっ、そうなんだ……」

 

 え、私のパパ変わってる人だったの!?

 

 六年越しに知った父の真実に驚愕する。

 おぼろげながら残っている記憶には少なくとも、世間一般で言われる普通の父親だった気がするのだが……もしかしたら記憶違いだったのかもしれない。

 

 まあ今となっては会って確認することも出来ないのだが、なんかほぼ初めて聞く他人からの評価が、ちょっと変わっている人だったなんてショッキングではあった。

 

 パパに関して私が知っていることはほぼ無い。

 冷血、無関心と言われるかもしれないが、今まで興味を抱いたことも、数えられるほどしかなかった。

 だがこうやって話を聞いてみれば、不思議ともっと話を聞いてみたいと思ってしまう。

 

「なんか写真偏ってるね」

 

 無意識にもっと話を聞き出そうとしたのかもしれない。

 ふと気になったことをひとつ、剣崎さんへ投げかける。

 

 普通写真と言ったら、皆が真ん中に集まって取るはずなのだが、剣崎さんが出したその写真は少しばかり違っていた。

 妙に全員右へ偏っているのだ。

 大体人が二人、よほど体の大きい男性(・・・・・・・・・・)なら一人でも足りるかもしれない程度の空き。

 

「あー……なんでだったかしら」

 

 もしかしたらもう一人、誰かと一緒に撮る予定だったのかもしれないわね。

 

 首を捻って話す彼女自身曖昧な記憶らしく、どうやらあまり詳しいことを聞くのは望めそうにない。

 

 そして再び始まった他愛のない会話。

 この六年、私のパパが消えてからの事、全てを話すことは出来ないものの、ママが病気に罹っていた(カナリアに寄生されて)ことなど。

 そして私が今は協会で支部長の代理をしている事を話すと、剣崎さんは目を丸くして驚いていた。

 

「それにしても、フォリアちゃんが真帆ちゃんと面識があることに驚いたわぁ」

「あ、うん……えーっと」

 

 あー……やっぱり……きちゃったぁ……!

 

 なるべくその話を触れないようにしていたのだが、やはり飛んできたママの言葉に心臓が縮みあがった。

 

 あの時私が探していた三人は、全員ダンジョンの崩壊によって私以外の記憶から消え去っている。

 勿論私は覚えているが、忘れてしまっている人たちの記憶がどう変化するのかまでは、私にも知ることが出来ない。

 つまり、下手に口を出すと齟齬が生まれる。

 

「人探しで少しありまして、残念ながら力にはなれなかったのですが……」

「まあ、忙しい中ごめんなさいね」

「いや、その後に見つけられたから大丈夫。あの時はありがとう」

 

 剣崎さんがすぐに口を開いてくれたので、上手く便乗して話を区切らせる。

 

「でもなんでママとパパの家に剣崎さんが住んでたの?」

 

 私が口にした瞬間、空気がピンと張ったのが分かった。

 

 まさか剣崎さんが勝手に居座っているわけではない、それは流石に私にだってわかる。

 ならば当然何か事情があるはず。

 そう、口に出しにくく、しかし私たちがここに来た以上は話さざるを得ない事情が。

 

「実は……この家は売りに出されていたのです」

 

 そして、彼女が苦々しい顔つきで語った話は、私にも無関係ではない事情があった。

 

 六年前、私のパパはダンジョン内で死亡したとみなされ、その後近くのダンジョン崩壊と同時にママが失踪したため、二人は危難失踪……つまり災害で死んだのだろうと認定。

 それならば本来、私がこの家の所有者になっているはずらしいのだが……

 

「多分親戚の方に上手く言いくるめられて、全部取られちゃったんでしょうねぇ。六年前って……フォリアちゃん小学三年生でしょ?」

 

 というわけで、全ては私のせいであった。

 

「そっか……」

 

 戦いの苦しみとはまた違う、自分への苦々しい苛立ちが昇って来た。

 

「ごめんなさい……」

「いいのよ、また一から集めていけば」

 

 この家に執着をしているわけではない。

 

 しかし、時々部屋を見回しては悲しそうな色を浮かべるママの目を見て、後少しでもあの時考えていれば、なにか対策をしていればこんな事にはならなかったのではないか。

 こんなものを見なくて済んだのではないか。

 

 そう思わざるを得なかった。

 

 いきなり身体を乗っ取られ、ふと気が付いたら全てを失っていたママの、胸に抱える気持ち全てを理解することは私には出来ない。

 でも何かは出来たはずなのだ。

 

 にもかかわらず、一番怒るべきママに慰められている自分が苛立たしくて仕方ない。

 

「偶然見かけて大急ぎで私が落としたのですが、家財は既にほぼ全て売り払われてしまっていたようで……一階のグランドピアノだけは買い手がつかなかったようなのですが……アリアさん、申し訳ありません……!」

「真帆ちゃんは何も悪くないの、むしろ家だけでも残っていて嬉しいわ」

 

 後悔に俯いた私と無言で籠に盛られた菓子を貪るカナリアを横に、二人の話は進んでいく。

 

「アリアさんがその気なら、今からでも手続きを……」

「そうなったら真帆ちゃんの住む場所無くなっちゃうでしょう?」

「いえ、私はその気ならば研究室に寝泊まりしても全く問題が」

 

 このまま全てを置いて家を飛び出しそうな剣崎さんへ、ママの手が伸びる。

 

「いいのいいの、今は別の場所に住んでいるから。今日はただ何か使えるものがないか取りに来ただけだから……何もないなら仕方ないわ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百四十三話

「――何もないなら仕方ないわ」

 

 何もない。

 そう、この家には何もない。

 

 ママの話に出ていた、庭の机や椅子も、きっとこの広い家に置かれていたであろう調度品も、何もかもが売り払われてしまっている。

 家そのものだって確かに思い出の場所ではあるが、やはりそこに様々な私物があるからこその思い出。

 そのほとんどが売り払われてしまった今、この家は思い出のほとんどを失った空虚な箱だ。

 

 帰ろう。

 そう思っていた。

 

「あるぞ」

『えっ?』

 

 お菓子を貪っていたカナリアが手を止め、私たちへ話すまでは。

 

 

 ピアノのある部屋に通してくれ。

 

 カナリアの言葉に頷いた剣崎さんが私たちを導いたのは、一つの広い部屋であった。

 真正面には大きな窓がはめ込まれていて、そこから見える荒れ果てた庭が何とも物悲しい雰囲気を醸し出している。

 そして部屋の端、窓から離れた場所へぽつねんと置かれた大きなピアノは、カバーにも随分と埃が積もっており、相当の期間放置されているのが分かった。

 

「おお……」

 

 うーん、よく分かんないけどすごい。

 高そう。

 

 グランドピアノという奴なのだろう。

 幾ばくかの年月を放置され、埃に塗れようとも失わぬ重厚な輝きに皆息を呑む。

 

 無意識のうちにカバーを外し蓋を押し上げる。

 奥に仕舞い込まれていた白と黒の鍵盤は埃一つない綺麗なものだ。

 不思議と、どこかから湧き出すもの懐かしさに突き動かされて鍵盤を押し込んでみれば勝手に、指先がまるで覚えていたかのように動き回る。

 

「ふむ、貴様ピアノ弾けたのか」

「いや……なんかこれだけ覚えてる」

 

 カナリアが感心したように頷くも、生憎とそういうわけではないので首を振る。

 

 他に何か弾けるのかと言われば、即座に無理だと答えるだろう。

 いわばお箸を使ったり、自転車を漕いだりする様なものだ。

 体が勝手に覚えてそれをしているだけで、どうやっているのかなどの原理は分からない。

 

 そもそもこれ何の曲なんだ。

 

「金平糖の精の踊り、ですか」

 

 曲に思い当たるところがあったのだろう、剣崎さんが呟いた言葉にママが頷く。

 

「ええ。奏さんが使ってた携帯の着信音がこれだったの、それでフォリアちゃんも影響されてよく弾いていたわ」

 

 なんと。

 

 顔すら知らぬ、いや、顔だけは知ったばかりなパパとの話をまた一つ知ってしまった。

 金平糖の精の踊りか。

 中々美味しそうな名前じゃないか。

 

「でもなんか音変だね」

 

 ポロンポロンと叩かれた鍵盤から溢れるメロディだが、妙に引っかかる。

 微かな記憶にぴったりと合う音もあれば、どこか高い、あるいは微妙に低い音が流れて、脱力や肩透かし感を受けてしまう時もあった。

 

 要するになんか思ってたのと違う。

 合っているようで合っていない、歯がゆくも気持ち悪くもある感覚に戸惑う。

 

「六年間埃をかぶってたみたいだから、調律しないとだめねぇ。オーバーホールも必要かもしれないわ」

「そっか……楽器って整備も大変だね」

 

 何とも言えない気持ちになりながら蓋を閉じる。

 

 ふと弾いてしまったが、今の目的はこのピアノではない。

 

「それで、この部屋になにがあるの? 確かにピアノはあるけど……」

「うむ。そのピアノの下だ」

 

 ピアノの下を指差した彼女に従い、真っ先にしゃがんだ剣崎さんへ続いて、私たちも床に目を凝らす。

 しばらく皆で床をなぞったり、目を凝らしたりとしていた所、真っ先に調べ始めた剣崎さんが、少しトーンの上がった声で私たちへ振り向いた。

 

「ああ、本当だ。アリアさん、ここ確かにフローリングが少しずれてますよ」

「まあ本当だわ……なんでこんな場所に……?」

 

 親指の爪ほどしかない小さなくぼみ。

 そしてそこから始まっている細い線は、人一人が余裕で入れる程度の四角い枠となっていた。

 

「私がやる」

 

 かりかりと何度か指を往復させ、爪がようやく引っかかる。

 見た目と違って結構な抵抗感と重み、一般人ならこれを開ける前に爪が剥がれてしまうかもしれないほどのそれを、ぐいっと引き上げた。

 

 同時にむわっと広がる土の臭い。

 外気より冷たいんじゃないかと思うほどの冷気が溢れ出し、つい顔を背けてしまう。

 

「地下室だよ。奏は男のロマンだと言っていた」

 

 いきなり現れた黒々とした地下へと続く階段に、驚愕から目を白黒させる私たち。

 

「驚いたわ……まさかこんなのがあるとは……」

 

 そしてこの地下室についてはママすら知らなかったようで、六年越しの驚きに口を覆っていた。

 

 ん……? なんでここをカナリアが知ってるんだ……?

 パパとずっと一緒に居たはずのママですら知らないこの地下室の存在を、カナリアはどうやって知ったんだ……?

 

 『次元の狭間』から飛び出し、同時にパパが狭間へと取りこまれてしまったとするのなら、パパと話す時間なんてなかったはずだ。

 ママですら知らない地下室だぞ。そんなのを、ごくわずかの、それこそすれ違う程度の彼女に教えるわけがない。

 そんな秘密を教えるのは、よほど仲が良くなった相手だろう。

 

 一体、カナリアは何処でこの地下室の存在を知ったんだ……!?

 

 それにこれだけじゃない。

 カナリアは琉希に、『アリアとは長い付き合いの友人だった』と語っていたらしい。

 その時はそんなものかと流した、だがそんなのあり得ない。

 

 だって、カナリアは六年前に漸く次元の狭間から飛び出して来たのだ。

 本人がそう語っているのだからこれは間違いがない。それまで彼女はダンジョンシステムの構築、修正、そして次元の狭間から抜け出すための魔術を汲み上げていたらしい。

 

 やはり、六年前から以前にカナリアは、パパとママに知り合うことなんて出来るわけがない。

 

 矛盾している。

 カナリアは多分、凄い頭のいい人間……もといエルフだ。

 そんな、私ですら違和感を抱くような矛盾、つまり嘘を堂々と言うだろうか。

 

 笑ってしまうほど嘘を吐くのが下手くそなこのエルフが……

 

「ちょっとどけ。あとそこの窓開けてこい」

「あ、うん」

 

 脳裏を過ぎった疑問を打ち消す彼女の声。

 

 カナリアが手を軽く振ると、埃やチリが風に舞って地下室から溢れ出し、私が押し開けた窓から外へと流れていく。

 

 魔法。

 スキルとは似ているようで、随分と自由度が高い彼女の魔法は、その一つ一つの動作すらをも好きに操ることが出来る。

 凄く便利だ。

 

「ほら、さっさと行くぞ」

 

 黒々とした地下室へ飲み込まれていく三人を見ながら、私は……



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百四十四話

 階段を下りた先にあったのは、重厚そうな金属の扉。

 

 これはもしかして鍵が必要なのではないか。

 

 そう思ったのもつかの間、カナリアが指先から謎のビームを出し、私が何かを言う間もなく鍵を焼き切ってしまった。

 

「どうせ鍵持ってないだろ」

 

 とは彼女の談。

 

 地下室の存在を誰も知らなかったのだから、鍵も持っていないのは当然と言うべきなのだが、それにしたって自由にもほどがある。

 

『うっ……』

 

 誰かがくしゃみをした。

 

 扉を開けた瞬間、一層のこと強くなる埃と土の臭い。

 長いこと溜まり続けた湿気がカビを繁殖させ、これは中々強烈なものだ。

 このままあまり長時間いたら病気になってしまうかもしれない。

 

 横にあった換気扇のスイッチを押し、カナリアの魔法で外の空気と完全に入れ替えたところで、漸く呼吸ができるようになった。

 

「六年間ほとんど人の手が入っていなかったから、どうしても湿気が籠ってしまってるみたいね……」

 

 ママが階段の上から差し込む僅かな光を頼りに壁を伝い、ぱちぱちと照明のスイッチを押し込んでいく。

 

 瞬いては消える蛍光灯たち。

 しかしすべてが全て駄目になっている、というわけではないらしく、いくつかは煌々とした灯りをともしてくれた。

 

「おお……本がいっぱい」

「湿気の溜まりやすい地下室に書斎を作るとは、やはり私には男のロマンとやらが理解できん。本が傷んでしまうのにな」

「先生はそういう人ですから……」

 

 地下室というからには相当狭い場所だと思い込んでいたが、一面の本、本、本。

 これはもはや小さな図書館とでもいうべきだろう。

 ちょっと本の中身を覗いてみたのだが、その大半が日本語ではなくよく分からない外国語ばかり。

 しかも英語だけじゃない、確認できるだけでも四つ、五つと見れば見る程外国語の種類が増えていくほどだ。

 

 うーん、よく分かんないけど凄い。

 私なんて英語すら相当怪しいんだけど。

 

 そして土を思わせるカビの臭いはするものの、思ったより本はカビに覆われていない。

 数冊に一冊ほど、端っこが変色している本がある程度だろう。

 ひどい臭いは長年空気の行き来がなかったせいが主な原因のようだ。

 

「ダンジョン関連はまだ歴史が浅いから細別されてないの。幅広く扱う必要があるからどうしても資料が多くなっちゃうのよね、研究室にはこの十倍以上本があるわ」

「十倍!?」

 

 想像も出来ないほどの文字量に立ち眩みすらしてしまう。

 

 勿論すべての内容を覚えているわけではないのだろうが、それでもこれだけの言語を理解し、本を読み解いて研究をするというのは私には理解が及ばない。

 しかし剣崎さんも、そして何故かこの部屋を知っていたカナリアも、そしてママですら然したる驚きもなく受け止めているということは、割と普通な事なのだろう。

 

 研究者ってすごいな。

 

「除湿器があったわ、まだちゃんと稼働するみたい」

 

 ウィーンと激しく鳴り響く機械音と共に、どこかへ姿を隠していたママが戻って来た。

 

 探索、といってもこの地下室に存在するものは本棚と本ばかり。

 必然的に沈黙が厳しくなり、研究者としてのパパを知っていたであろう剣崎さんへ私の質問が多くなる。

 

「パパってどんな研究してたの?」

「先生は特に魔道具についての研究に傾倒していたわ。魔道具を作った異世界が存在するとして、道具の構造などから異世界に存在する知的生命体の身体構造や環境、行動などを予測していたの。」

「そうなんだ……」

 

 異世界人すぐそこにおる。

 

「少なくとも現在出回っている魔道具から、異世界の知的生命体は私たちと似た手足を持ち、二足で立ち上がり、衣服などを着こなす……所謂異世界人ともいえる生活様式だったと予想していたわね。これは異世界間における収斂(しゅうれん)進化とも言えるわ」

「へえ」

 

 多分大体合っとる。

 

 そこで本開いてはうんうんと頷いているエルフをチラ見しながら、語りに熱の乗り出した剣崎さんの解説に耳を傾ける。

 

「ただし、個々の力に然したる差がない我々と比べて、魔法の存在が大きく社会に関わっているのも間違いない。個人に依存する社会ならば、普遍的な技術の発展も遅いんじゃないかしら。現代では廃れたものの、かの世界では未だに王国制が敷かれているかもしれないわね」

「そうなの?」

「うむ、大体合っている」

 

 こそこそとカナリアに聞いてみると、こくりと頷く彼女。

 

 なんと異世界人のお墨付きだ。

 剣崎さんの語るパパの研究は難しい所が多いが、どうやら相当鋭いところまで当たっているらしい。

 

「しかし力のない人間がただ流されるままに生きているわけではない。大人数で協力することで、天才すらも超える技術の研究は常に行われてきた。そうだな、確かに絶対的な存在がいないわけではないが、決して支配されるだけでもなかったぞ」

「あの……さっきから気になっていたんだけど、この子は?」

 

 どうするか。

 

 私の視線にカナリアは頷き

 

「大丈夫だ、剣崎は信用できる、私はそれを知っている(・・・・・・・・)

 

 と力強い返答。

 そして相変わらず薄いワンピースをばさりと翻すと、偉そうに腕を組み、キリリとした顔つきで宣言した。

 

「我が名はカナリア! 異世界より来たりし天才学者だ!」

「あっ……そうなんだぁ……」

「うむ!」

「日本語上手ね、どこの国から来たの?」

「アストロリア王国だ!」

「良く知ってるわね、でもそれは異世界にある国の名前でしょ? フォリアちゃんの親戚だとしたら、やっぱりアリアさんと同じイタリアかしら?」

「だからアストロリア王国だと言ってるだろ!」

 

 さくっと宣言を流されてしまい、だんだんと地団駄を踏むカナリア。

 

 まあそうホイホイ目の前にいる人間が異世界人だなんて信じるわけないよね。

 私だって色々な事情が重なった上で彼女と出会ってなければ、きっとつまらないジョークだと思って流していただろう。

 

 それにあまりカナリアが異世界人であると伝えるのも良いことではないだろう。

 勿論剣崎さんを疑っているわけではない、カナリア本人が構わないと言っているにしても、一体今後何が起こるかなんて誰にも分からないのだから。

 リスクは減らしておくに限る。

 

 というわけで、剣崎さんにカナリアは私の親戚だという設定を伝え、やはりとしたり顔で彼女は頷いた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百四十五話

 いくつかの本棚を超えた部屋の奥底にそれはあった。

 

 机だ。

 いくつかの開かれたままの本、ガラスで出来た棒のようなもの、それにこれはインクが入っていた瓶だろうか……乾燥しきっているが。

 

「どうやら先生はここで作業をしていたみたいだわ」

 

 はらりと机の真ん中にあった本を捲り上げ、剣崎さんがぽつりとつぶやく。

 その本は、今まで目にしてきた印刷された文字とは異なり、人手によって描かれた文字やよく分からない円などが無数に描かれていた。

 

「へえ……なんかすごいアナログなんだね。論文ってみんなこんな風なの?」

 

 どうやらパパは今どき手書きで本を書いていたらしい。

 しかも鉛筆やボールペンではなく、このガラスの棒……ガラスで出来たペンとでも言えばいいのか、先っぽにいくつか筋の入ったこれで書いた跡がある。

 

 本に所々記された文字は、かくかくとしているが決して見にくいわけではない、まっすぐだ。

 

「いえ、奏さんは論文をラップトップ……ノートパソコンで打ってたわ。これは……きっと個人的に書いていたものね」

「ふむ……アリアさん、それなら私は少し上に戻っています、皆さんでそれについては好きにしてください」

 

 個人的なもの、にピクリと反応した剣崎さんが背を向ける。

 

「あら、別に気を使わなくてもいいのよ? 貴女だって奏さんの教え子だもの」

「いえ、まだ私には仕事もありますから。ここを出るときに声さえかけて下されば問題ありません」

 

 とのことで、まあ随分とがっつり気を使わせてしまった。

 

「悪いことしちゃったね」

「ええ。後で何かお礼でも買いに行きましょうか」

「おいちょっと待て、このインクただのインクではないな。相当量の魔力が練り込まれているぞ」

 

 そして相変わらず自由なカナリアが、机の上にあったインクを弄りながら小さく叫んだ。

 

 彼女が瓶からこそいだインクを軽く舐め、ぐりぐりとこねくり回すと、次第にぼんやりとした青い光が指先へ灯る。

 確かに、ただのインクではなさそうだ。

 

「ならそのインクで描かれているこの本は、一体何のために作られたのかしら」

「確かに……趣味とか?」

 

 ママによってぺらぺらと捲られていく本のページ。

 しかしどのページも中途半端なイメージがぬぐえない。

 半円、よく分からない記号、端っこだけに描かれた文字。ページを捲れば捲るほどに現れる図形は全て異なるもので、どうにも本としての体裁を成していないように見える。

 

 なんか綺麗な落書きみたい。

 

 まさかパパがこんな立派な部屋と机で、そんな下らないことに勤しんでいたとは思いたくない。

 

「ふむ……ん? これはまさか……ちょっと貸せ!」

 

 激しい紙擦れの音と共に何度も行き来する彼女の視線。

 

「多重魔法陣……!」

「なにそれ」

 

 なんか勝手に驚愕し、勝手に納得して頷くカナリア。

 

 彼女には容易く理解できるのかもしれないが、当然私たちにはさっぱり理解できないので早く説明するようせっつく。

 するとカナリアは何処かから紙とボールペンを取り出し、各ページに描かれている図形だけを抜き取って紙へ記した。

 

 初めは円の四分の一ほどを。

 次に交差する十字を。

 彼女がボールペンを紙の上へ走らせるほどに、本に描かれていた図形が露わになっていく。

 

「なるほど、確かにこれ全部重ねると……魔法陣なのかしら?」

 

 そう、ママの言う通り、この本には何故かバラバラになった魔法陣が描かれていた。

 

「貴様ら魔法の学がこれっぽっちもない人間でも理解できるように分かりやすく説明してやろう」

 

 例えば、同じ場所に文字を重ねてしまうと、魔法を発動した時文字や図形が干渉して打ち消し合ってしまうことがあるらしい。

 多重魔法陣は立体的な構造を作ることで内部での干渉を軽減し、一般的な魔法陣と比べ圧倒的な効率と範囲の魔法を操ることが出来る……とはカナリアの談。

 

 よくわからん。

 まあ多分超すごい魔法陣ってことで良いだろう。

 

「カナリアちゃん、これどういう魔法が発動するのか分かるかしら?」

「ふむ……間違いなくこれだ、という確証があるわけではないが、もしかしたら……」

 

 魔法陣を構築している文字は、大半がよく分からない、ミミズがのたくったような変なやつだ。

 だが一方で、全体からしたらごく一部ではあるものの、何故か日本語が所々で出現している。

 

 そしてその中には、パパの名前である奏の一文字もあった。

 

「これは……固有魔法かもしれん。いや、貴様らに分かりやすく言うと、これはもしかしたら奏のユニークスキルを再現するための魔法陣かもしれんぞ」

「えっ」

「奏さんの……!?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百四十六話

「これは……固有魔法かもしれん。いや、貴様らに分かりやすく言うと、これはもしかしたら奏のユニークスキルを再現するための魔法陣かもしれんぞ」

「えっ」

「奏さんの……!?」

 

 ユニークスキルってオンリーワンだからユニークスキルなんじゃないのか。

 

 私は勿論の事、ママですらも聞いたことがないようで目を真ん丸にしている。

 

「体内に存在する魔力の波長が一人一人異なるからこそ、固有魔法というものは多種多様な姿を取る。恐ろしいほど繊細な調整が必要だが、一切真似できないというわけではない……理論上は」

 

 とのことで、絶対にありえないというわけではないようだ。

 しかしカナリアが理論上というほどだ、そうホイホイ書き上げられるものではないのだろう。

 

 机の上に置かれていた本の厚さは、おおよそ私の人差し指ほどはあるだろうか。

 本はよく分からない、何か赤茶色の皮で覆われていて、やはりこの表紙にも複雑な模様などが描かれている。

 

 見るからに高そうではあるが、この本一冊にそんなすごい技術的なものが詰まっているとは……

 

「パパのユニークスキルってなんだったの?」

「奏さんのスキルは……『復元』よ。どんな姿に破壊されてしまったものでも、元の姿へ戻すことが出来たの」

 

 強そう……なんだが、イマイチはっきりとしない説明だ。

 

「元の姿ってすごい適当な気がするんだけど」

 

 元の姿って言ってもいろいろある。

 例えば割り箸は元々木から出来ているけど、その前に当然木材としての加工もされているだろう。

 なんなら木と言ったって木の芽、そこから成長した姿、常にずっと同じ姿であったわけではないだろうし。

 

 私の疑問にママは深々とと頷き、

 

「そうね。どこまで戻すかはあの人の思うがままだったわ……最初知った時は私も耳を疑ったもの」

「わぁ……」

「とはいっても当然MP量の枷はあったし、スキルレベルでおおよそ戻せる時間は決まっていたわ」

「あ、そうなんだ」

 

 流石に神の如く何もかも好きに戻せる、というわけではないらしい。

 

「恐らく枷を嫌ったのだろうな。ダンジョンの構造に疑問を持ち、何故スキルがこうも制限が多いのかと疑問に思えば、当然枷を外す方法を模索するはずだ。この本はダンジョンシステムを介さずに魔法を発動する方法として書いていたのだろう」

「きっと学者としての性ね……」

 

 しかしそれにしたって革命的な発明だ、こうやって地下室で個人的に作っていたというのなら、世間に公表するつもりはなかったのだろうけれど。

 

「ふむ」

 

 何処かから取り出した紙をおもむろに破り捨てたカナリアがパパの本へ手をかざすと、ぼんやりとした暖かい光がページの隙間から溢れ出す。

 

 復元の魔法だ。

 

 しかし思っていた物とは異なり、破り捨てられた紙が修復を終える前に光が消えてしまった。

 紙の切れ目があったところは所々はくっついている物の、破れて毛羽だったところも半分ほど残っており、まるで雑に作られた切り取り線だ。

 これでは元通りとは言えないだろう。

 

「この本はまだ未完成だ、進行度はおおよそ半分程度だろう。いわば上巻とでもいうべきだな」

 

 私の責任ではあるが、完成品を見られないのが残念で仕方ない。

 

 そういってカナリアはすまないと頭を下げたが、彼女の肩を叩いて顔を上げるように伝える。

 

 ママの身体を好き勝手扱っていた件については、個人的にちょっともやっとするものが残っているものの、一番最初、彼女が次元の狭間から飛び出した時に起こった衝突については、私たちも完全な事故だと思っているし責めるつもりはない。

 

 それにしても……こうやって知れば知るほど、私のパパはどれだけすごい人だったのかと気が遠くなる。

 

 協会の仕事を手伝うようになって知ったが、剣崎さんもああ見えて結構すごい人だ。

 ダンジョンの崩壊、その予兆を検知する機器の配備が始まっているのだが、大元を発表したのは剣崎さんだとこの前見たネットニュースに書いてあった。

 そして今剣崎さんが発表しているそれらの基礎にあるのはパパの研究なのだ。

 顔すらも覚えていなかったパパが、私はずっと気付いていなかったけれど、今の私たちの何気ない生活を支えるような発明をしていた。

 

 ずっと知らなかった、興味を持つ余裕すらなかった。

 パパやママを時として恨んだこともあった、最低な冷たい人たちだって。

 どうして何もしてくれなかったんだって、いきなりいなくなっちゃったんだって、どうして私を一人にしたんだって。

 

 でも違った。

 

「そっか……そっかぁ……」

 

 私のパパは、言葉ではいい表せないほどすごい人だった。

 私のママは、誰よりも私の事を考えてくれる優しい人だった。

 

 都合のいい人間だと、他の人が私を見たら嘲笑うだろうか。

 だがそれでも、私は、家族を知った。

 尊敬すべき、家族を。

 

「……フォリアちゃん、この本とガラスペンは貴女が持っていなさい」

「えっ、でも……」

 

 机の上から本とペンを持ち上げたママが、笑顔でそっとこちらに手渡してくる。

 

 これはパパの唯一と言って良い形見だ。

 何もかもを売り飛ばされてしまったこの家で、誰にも知られない地下室だからこそ残っていた物。

 専門の学術書なども確かにあるが、どう考えもそれらとは釣り合わないほど、私たち家族には価値があるものだ。

 

「私たちは貴女の大事な時に何もしてあげられなかったわ。一緒に笑って、苦しんで、泣いてあげることも出来なかった。それでもずっと私も、貴女のパパだってずっとフォリアちゃんを想っていたはず。そしてこれからも、ずっと貴女の事を想ってるわ。だからフォリアちゃんにはこれを大切にして、忘れないで欲しいの」

「でも、それじゃママはパパのものが……っ」

 

 せめて本かペンだけでも。

 

 どうにか手渡そうと差し出すも、優しく押し返されてしまう。

 

「私は良いのよ、奏さんとの思い出があるもの」

 

 そういってママは、そっと笑った。

 

 

「うん……うん……! 大切にする……絶対に……っ」

 

 

 もう二度と忘れない、家族の思い。

 もう、絶対になくさせない。

 

 本を抱きしめた体が震える。

 それは慣れ親しんだ恐怖か? 家族が死んだ悲しみ? いや、違う。

 

 覚悟。

 

「――教えてカナリア」

 

 ずっと悩んでた、私はこの先どうすればいいんだろうって。

 

 最初に力を手に入れた時も、その後も、戦う度にどうしたらいいのか分からなくて、ずっとずっと悩んでいた。

 何かを知る度に息苦しくなって、耳を塞ぎたくなって、もう何も知らないって投げ出したかった。

 

 そして諦めた。

 

 人が消えた。

 町が消えた。

 国が消えた。

 遂にはどうしようもなく抗いがたい絶望を知ってしまって、誰も気付いていないからこそ余計に苦しかった。

 こんな災害どうしようもないんだから、どうせ死ぬんだから何したって無駄だって投げ出そうとした。

 

 

「貴女が隠している全てを……崩壊で消えるこの世界を救う方法を、貴女なら分かるはず」

 

 

 でも、だめだ。

 

 私は諦めきれない。

 何もかもがこのまま消えて行くのを、何もせず見ていることなんて出来ない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百四十六話

「これは……固有魔法かもしれん。いや、貴様らに分かりやすく言うと、これはもしかしたら奏のユニークスキルを再現するための魔法陣かもしれんぞ」

「えっ」

「奏さんの……!?」

 

 ユニークスキルってオンリーワンだからユニークスキルなんじゃないのか。

 

 私は勿論の事、ママですらも聞いたことがないようで目を真ん丸にしている。

 

「体内に存在する魔力の波長が一人一人異なるからこそ、固有魔法というものは多種多様な姿を取る。恐ろしいほど繊細な調整が必要だが、一切真似できないというわけではない……理論上は」

 

 とのことで、絶対にありえないというわけではないようだ。

 しかしカナリアが理論上というほどだ、そうホイホイ書き上げられるものではないのだろう。

 

 机の上に置かれていた本の厚さは、おおよそ私の人差し指ほどはあるだろうか。

 本はよく分からない、何か赤茶色の皮で覆われていて、やはりこの表紙にも複雑な模様などが描かれている。

 

 見るからに高そうではあるが、この本一冊にそんなすごい技術的なものが詰まっているとは……

 

「パパのユニークスキルってなんだったの?」

「奏さんのスキルは……『復元』よ。どんな姿に破壊されてしまったものでも、元の姿へ戻すことが出来たの」

 

 強そう……なんだが、イマイチはっきりとしない説明だ。

 

「元の姿ってすごい適当な気がするんだけど」

 

 元の姿って言ってもいろいろある。

 例えば割り箸は元々木から出来ているけど、その前に当然木材としての加工もされているだろう。

 なんなら木と言ったって木の芽、そこから成長した姿、常にずっと同じ姿であったわけではないだろうし。

 

 私の疑問にママは深々とと頷き、

 

「そうね。どこまで戻すかはあの人の思うがままだったわ……最初知った時は私も耳を疑ったもの」

「わぁ……」

「とはいっても当然MP量の枷はあったし、スキルレベルでおおよそ戻せる時間は決まっていたわ」

「あ、そうなんだ」

 

 流石に神の如く何もかも好きに戻せる、というわけではないらしい。

 

「恐らく枷を嫌ったのだろうな。ダンジョンの構造に疑問を持ち、何故スキルがこうも制限が多いのかと疑問に思えば、当然枷を外す方法を模索するはずだ。この本はダンジョンシステムを介さずに魔法を発動する方法として書いていたのだろう」

「きっと学者としての性ね……」

 

 しかしそれにしたって革命的な発明だ、こうやって地下室で個人的に作っていたというのなら、世間に公表するつもりはなかったのだろうけれど。

 

「ふむ」

 

 何処かから取り出した紙をおもむろに破り捨てたカナリアがパパの本へ手をかざすと、ぼんやりとした暖かい光がページの隙間から溢れ出す。

 

 復元の魔法だ。

 

 しかし思っていた物とは異なり、破り捨てられた紙が修復を終える前に光が消えてしまった。

 紙の切れ目があったところは所々はくっついている物の、破れて毛羽だったところも半分ほど残っており、まるで雑に作られた切り取り線だ。

 これでは元通りとは言えないだろう。

 

「この本はまだ未完成だ、進行度はおおよそ半分程度だろう。いわば上巻とでもいうべきだな」

 

 私の責任ではあるが、完成品を見られないのが残念で仕方ない。

 

 そういってカナリアはすまないと頭を下げたが、彼女の肩を叩いて顔を上げるように伝える。

 

 ママの身体を好き勝手扱っていた件については、個人的にちょっともやっとするものが残っているものの、一番最初、彼女が次元の狭間から飛び出した時に起こった衝突については、私たちも完全な事故だと思っているし責めるつもりはない。

 

 それにしても……こうやって知れば知るほど、私のパパはどれだけすごい人だったのかと気が遠くなる。

 

 協会の仕事を手伝うようになって知ったが、剣崎さんもああ見えて結構すごい人だ。

 ダンジョンの崩壊、その予兆を検知する機器の配備が始まっているのだが、大元を発表したのは剣崎さんだとこの前見たネットニュースに書いてあった。

 そして今剣崎さんが発表しているそれらの基礎にあるのはパパの研究なのだ。

 顔すらも覚えていなかったパパが、私はずっと気付いていなかったけれど、今の私たちの何気ない生活を支えるような発明をしていた。

 

 ずっと知らなかった、興味を持つ余裕すらなかった。

 パパやママを時として恨んだこともあった、最低な冷たい人たちだって。

 どうして何もしてくれなかったんだって、いきなりいなくなっちゃったんだって、どうして私を一人にしたんだって。

 

 でも違った。

 

「そっか……そっかぁ……」

 

 私のパパは、言葉ではいい表せないほどすごい人だった。

 私のママは、誰よりも私の事を考えてくれる優しい人だった。

 

 都合のいい人間だと、他の人が私を見たら嘲笑うだろうか。

 だがそれでも、私は、家族を知った。

 尊敬すべき、家族を。

 

「……フォリアちゃん、この本とガラスペンは貴女が持っていなさい」

「えっ、でも……」

 

 机の上から本とペンを持ち上げたママが、笑顔でそっとこちらに手渡してくる。

 

 これはパパの唯一と言って良い形見だ。

 何もかもを売り飛ばされてしまったこの家で、誰にも知られない地下室だからこそ残っていた物。

 専門の学術書なども確かにあるが、どう考えもそれらとは釣り合わないほど、私たち家族には価値があるものだ。

 

「私たちは貴女の大事な時に何もしてあげられなかったわ。一緒に笑って、苦しんで、泣いてあげることも出来なかった。それでもずっと私も、貴女のパパだってずっとフォリアちゃんを想っていたはず。そしてこれからも、ずっと貴女の事を想ってるわ。だからフォリアちゃんにはこれを大切にして、忘れないで欲しいの」

「でも、それじゃママはパパのものが……っ」

 

 せめて本かペンだけでも。

 

 どうにか手渡そうと差し出すも、優しく押し返されてしまう。

 

「私は良いのよ、奏さんとの思い出があるもの」

 

 そういってママは、そっと笑った。

 

 

「うん……うん……! 大切にする……絶対に……っ」

 

 

 もう二度と忘れない、家族の思い。

 もう、絶対になくさせない。

 

 本を抱きしめた体が震える。

 それは慣れ親しんだ恐怖か? 家族が死んだ悲しみ? いや、違う。

 

 覚悟。

 

「――教えてカナリア」

 

 ずっと悩んでた、私はこの先どうすればいいんだろうって。

 

 最初に力を手に入れた時も、その後も、戦う度にどうしたらいいのか分からなくて、ずっとずっと悩んでいた。

 何かを知る度に息苦しくなって、耳を塞ぎたくなって、もう何も知らないって投げ出したかった。

 

 そして諦めた。

 

 人が消えた。

 町が消えた。

 国が消えた。

 遂にはどうしようもなく抗いがたい絶望を知ってしまって、誰も気付いていないからこそ余計に苦しかった。

 こんな災害どうしようもないんだから、どうせ死ぬんだから何したって無駄だって投げ出そうとした。

 

 

「貴女が隠している全てを……崩壊で消えるこの世界を救う方法を、貴女なら分かるはず」

 

 

 でも、だめだ。

 

 私は諦めきれない。

 何もかもがこのまま消えて行くのを、何もせず見ていることなんて出来ない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百四十七話

「貴女が隠している全てを……崩壊で消えるこの世界を救う方法を、貴女なら分かるはず」

 

 沈黙。

 

「――何を言っているのかさっぱりだ」

 

 漸く口を開いた彼女の言葉にやはり、私の確信は一層増していく。

 

 彼女は出来ないことを出来ないと、相手の心情を気にせずはっきり言うタイプだ。

 意図的な無視は、彼女が私の求める答えを知っていると言っているようなものだ。

 

 どうした物かと言わんばかりに、カナリアの視線がママへ向いた。

 

「ごめんママ、ちょっとこの部屋から離れてくれる?」

「フォリアちゃん、危ないことは……」

 

 その先を彼女が口にする前に、手のひらを掴んで首を振る。

 

「ごめん――もう、やるって決めたから」

 

 心配をかけてしまうのは分かる、私の戦いを聞いて苦しませてしまうのかもしれない。

 それでも、今私たちの前にある問題は、決して無視や放置をできるものではない。

 

 放置すれば私の大切な全てが無くなる。

 守るなら戦わないとだめだ、たとえそこに何があっても。

 

「ずっと疑問に思ってた、貴女の変なところを」

 

 変な所と言っても彼女の性格な料理の発想ではない。そっちは変な所しかないから当然だが、ここでいう変なところは彼女の発言や行動の事だ。

 一見すると、カナリアの発言や行動は矛盾に満ちている。

 

 カナリアとママは、こうやって彼女が肉体を再生させるまで出会ったことがなかったはずなのは、ママからの発言で分かっている。

 しかし一方で、何故か妙に私たちの元家に詳しかったり、パパがひそかに作っていたこの地下室の存在を知っていた。

 

 これは六年間ママの身体に入っていた彼女には、決して知り得ないはずの情報だ。

 

 そして剣崎さんについても何か知っているようで、やはり『こいつは信頼できる』と謎の自信を持っている。

 

 最初は全てで任せ、あるいは異世界から来た彼女なのだから日本語が下手だったり、時々変な口調になってもおかしくないと流していた。

 でもそれでは説明できない証拠が積み重なっていって、それはもう見逃せないほど大きくなってしまっている。

 

 ――もし、カナリアの言葉がすべて真実だとしたら?

 

 それが私の行きついた考え。

 一件すべて矛盾している話がすべて真実で、カナリアは何一つ嘘や演技をしていないとしたら。

 彼女は真実を語っていて、性格や行動、人間関係なども全て本当に知っているのだとしたら。

 

 私は知っている。

 他の誰もが忘れてしまうけれども、確かに世界に存在していた真実があることを。

 そしてそれは笑ってしまうほど簡単に、皆の記憶から消え去ってしまうことを。

 

「――ダンジョンの崩壊か、他に原因があるのかは分からない。けどママも、私も、誰も彼もが忘れてしまっているけど、貴女だけは知っている過去がある……違う?」

 

 知っているはずなのに知らない。

 そんな条件を成り立たせることが出来るのなんて、それくらいしかないだろう。

 

 腕を組み黙りこくるカナリア。

 

「本当に、聡いな貴様は。ああ、そうだ。おおよそ貴様の言う通りだとも」

 

 雑音が一切無い、互いの小さな呼吸音だけが響く地下室で彼女の目を見つめ続けると、カナリアは音を上げ渋々頷いた。

 

「だが聞いてどうする? 全て私の演技かもしれないし、貴様を都合よく利用するかもしれんぞ」

 

 彼女の言う通りだ。

 もしかしたらこうやって心配しているのも、いい人のような素振りをしてこちらの疑いを晴らし、上手く操るためかもしれない。

 一つを疑えばもう一つ、そしてもう一つと、次から次へ疑問は湧き出してしまう。

 

「この地下室の存在を知ってるってことはパパが貴女を信頼していて、だからこそ話したんだと思う。出会ったばかりのカナリアを完全に信じることはできないかもしれないけど、私はパパが信じたカナリアを信じる」

 

 疑うことは簡単だ、だがそれに何の意味がある?

 

 私はこの世界を救いたい。

 なにもかもが理不尽に壊されて、忘れて、何も知ることなくすべてが消えて行ってしまうこの世界を。

 騙されてようが利用されていようが構わない、それより今目の前にある可能性を捨てるほうが何倍も恐ろしい。 

 

 あと単純に命がけで魔蝕治してくれたし、多分良い人だろうとも思っている。

 

「だから教えて。皆を、この世界を救う方法を」

 

 別に命を粗末に投げ捨てるわけじゃない。

 投げやりに、自分なんか死んでもいいと思っているわけでもない。

 

 死ぬのは怖い、今だって当然だ。

 だがそれ以上に失うのが恐ろしいものが、私はこの一年で想像以上にたくさん出来てしまった、ただそれだけのこと。

 

 カナリアの肩をがしりと握りしめる。

 真偽に関わらず、何かを言うまで絶対に逃がすつもりはない。

 

「分かった分かった、痛いから離せ」

 

 ぺちぺちと払いのけられる私の手。

 

「私はこの六年間を三度繰り返している。とある男を殺すために多くの人間や組織、そして国を巻き込み、三度失敗したからだ」

「……それ、確か魔蝕を治すあの武器の説明の時にも、似たようなこと言ってたって琉希に聞いたんだけど」

 

 私の魔蝕を治した深紅の剣。

 あれはカナリアが恐ろしく出し渋っており、最後の最後に初めて存在を明かしたらしい。

 

 深紅の剣は世界各地に存在する、次元の狭間から魔力を汲み上げるための蒼い塔――あれはその幻影のようなものらしいが――それを手のひら大にまで小さく改良した物。

 当然効果も同じく、突き刺した場所から魔力を吸い上げるものだと聞いている。

 

「あの剣は本来、相手の魔力を無理やり全て引き摺り剥がし、一切の魔法を封じるために創ったのだ。かの男の魔法を確実に封じるためにな。その男の名前は……」

 

 誰かの嚥下音が鼓膜を打つ。

 

「――男の名前はクレスト。この世界ではダカールと名乗り、探索者協会の会長としても顔の知れている、異世界の国王だよ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百四十八話

「――男の名前はクレスト。この世界ではダカールと名乗り、探索者協会の会長としても顔の知れている、異世界の国王だよ」

「ちょっと待って、私はダンジョンの崩壊と消滅をどうにかする方法を聞いてるの」

 

 ダカールさんについては知っている、以前支部長代理として働くため書類へかじりついていた時、当然目にしている。

 協会を真っ先に作った人で、三十年くらい年を取っていないとも言われる若い見た目の男性だった。

 

 しかし彼とダンジョンの崩壊に、一体何の関係があるというのか?

 それに異世界の王? それもあまりに突拍子もない話じゃないか?

 

「もし人類未踏破ラインの崩壊が、人為的に起こされているとしたら?」

「……っ!?」

 

 だが、睨みつける様に細めた瞳で語る、彼女の言葉は信じがたいもので。

 

 意味がない。

 わざわざダンジョンの崩壊なんて起こして、この世界を消滅させる価値は?

 

 わざわざ手間暇をかけて消し去るより、そこにある資源などを使った方が何倍もいいじゃないか。

 

 食って掛かる私の目の前へ広がるカナリアの掌。

 話は終わっていない、落ち着いて聞けと彼女は肩をすくめた。

 

「人類未踏破ラインの蒼の塔、あれは元々異世界に存在する、次元の狭間から魔力を汲み上げるための巨大な装置であるとは話したな?」

 

 頷き。

 

 仮にそれを私以外の人類が知ったとして、きっと放置するだろう。

 外部から解析するにはあまりに巨大で、内部には人類の最高レベルですらゴミのように屠られる怪物がたっぷり詰まっているのだから。

 モンスターが中から溢れる兆候もないとあれば、静観するのが一番だ。

 

 そう、私は思っていた。

 あの日、海外に存在する『人類未踏破ライン』が崩壊し、人々が混乱、恐怖、絶望の中で死に行く様を見るまでは。

 

「狭間の存在を最初に観測したのは私だ、データだって纏めていた。廃棄したはずのそれを回収した奴らは、当然その膨大な魔力を利用するためにあの塔を作り上げた。魔天楼のパイオニアとも言えるだろう、そしてそのアストロリア王国の国王こそがクレストであった」

 

 カナリアを陥れたのも、やはりクレストだったと。

 どこかで見たような話を口にし、彼女は顔をしかめた。

 

「無限に湧くエネルギー源は生活を豊かにする。比較的巨邦ではあるものの、世界で群雄割拠する一国に過ぎなかった祖国は、その時から軍事力、生活水準、なにもかもが飛躍的な成長を遂げた」

 

 異世界では魔石が土地などから産出する。

 時として強大なモンスターを打ち倒し手に入れることもあるが、やはりそれは無限に湧きだすわけではない。

 供給の限られたもので研究を行うのはどうしても制限がかかる。

 

 だが、狭間と魔天楼を手に入れたかの国は、なにもかもを自由に行えた。

 膨大な魔力を扱う研究の前に、多少の技術差などは然したる影響を与えない。

 他国との差は絶対的なものとなりつつあった。

 

「だが当然他国とて何もせず見ているわけもない。金を握らせたのか脅したのか、兎も角魔天楼の構造等の情報を仕入れた諸外国も、アストロリアの脅威に対抗すべく次々に魔天楼を創り上げていった」

 

 初め、人類未踏破ラインの蒼い塔は一本だけであった。

 その後次々に蒼い塔が現れ、ほぼ同時多発的にその他のダンジョンたちも発生したと言われている。

 

 今、真実が明らかにされた。

 

 全ては異世界の国々による開発競争、その影響をこの世界は受けていたに過ぎなかった。

 こちらの世界などみじんも気にせず雑に魔天楼を突き刺し続けた結果、一切の保護を行っていないこちらの世界は穴と罅割れだらけになり、それをどうにか塞ぐためカナリアが『ダンジョンシステム』を創り上げたのだ。

 

 最悪過ぎる事実に握り締めた手のひらで、ぷつりと何かが切れる。

 

「じゃあ……こんなボロボロになった私たちの世界は、ただ他の世界の争いの影響を受けてるだけってこと……!?」

 

 数えきれないほど多くの人が死んだ。

 あれだけたくさん学校の校舎に逃げていた人も、ほんの数秒目を離した隙に、何かを言うことすら出来ず消えて。

 筋肉だって、ダンジョンの崩壊に巻き込まれて死んでしまった。

 

 何もかも消えてしまっているようで、やっぱりその人たちが確かにそこにいた痕跡はあって、悲しむ人がいて。

 

 全てはただ、巻き込まれただけ……?

 これっぽっちも関係のない国々の醜い争いを受けて、なにか自業自得な面があるわけでもなく、ただ悪影響の面だけを押し付けられて死んだ……?

 

「最、悪だ……」

「まだ話は終わっていない」

 

 もう十分だ。

 

 眩暈がしそうになる現実に吐き気が止まらない。

 

 どこまで行っても人の醜い欲望じゃないか。

 異世界だろうと関係ない。いや、むしろ無限の資源なんて恐ろしいもののせいで、こちらの世界ですら聞いたことがないほど大規模の、底なしの欲望だ。

 これ以上何があるって言うんだ。

 

 しかしカナリアは、知りたいと言ったのは貴様だろうと眉を潜め、やはり淡々と彼女が知る事実の続きを話し始めた。

 

「最初の頃、アストロリア王国は、他国が魔天楼を築き上げていることに気が付かなかった。他国もばれぬよう必死で隠していたからな。しかしクレストが行った一つの行為で、奴は全てを知ってしまった」

 

 それは時をおよそ三十年ほど前にさかのぼる。

 

「この世界を訪れたのだ」

 

 もし世界の消滅が、小さなダンジョンの崩壊による消滅だけで進行していたのなら、きっとこの世界はあと何十年、いや、何百年も猶予があった。

 しかしかの男の来訪はその猶予を何十分の一にも縮めてしまった。

 

「好奇心だったのかもしれん、詳しくは知らん。だが奴は狭間を超えこの世界に訪れた。そして目にしてしまったのだよ、誰にも隠されていない、世界各地に突き刺さった蒼の塔を」

 

 初めてこの世界に降り立ったクレストが抱いた感情は、憤怒であった。

 

 あちらの世界では必死に魔天楼を隠していても、こちらの世界にはまるっきりすべてが映り込んでいる。

 要するにクレストは出し抜かれたのだ。

 圧倒的な軍事力や生産性を手に入れ、他国との優位性を確固たるものにしたと驕っていたにも拘らず、自分の知らぬ間に諸外国が己の国の寝首を掻くため、虎視眈々と牙を磨いていることに気付いた故に。

 

「なあフォリア。もし自分だけの最強武器だと思っていたものを、他人も持っていた場合どうする? 力を振りかざして暴れ回っていたのに、もしかしたら自分がやられてしまうかもしれないと悟った時、どういった対策を打つ?」

 

 カナリアの質問、その答えは簡単だ。

 

 鍛える。

 負けそうなら、負けないように鍛えるしかないだろう。

 

「それもありだな、だがもっと短絡的な答えだ」

 

 しかし自信をもって出した私の答えは、彼女そっけなく却下される。

 そしてカナリアは腕を組みため息を漏らした。

 

「ぶっ壊すんだよ、他人のをな。そうすれば自分がオンリーワンになれる」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百四十九話

「ぶっ壊すって……」

 

 まさか蒼の塔を?

 冗談としか思えない、あまりに極端すぎる話だ。

 

 いや、言いたいことは分かる。

 交渉だとかであの塔を他の国が停止するわけない。話を聞く限りでは、それこそ各国の命綱というのすら甘いほどの価値があるのだから。

 ならばあれこれと手を回すより、ぶっ壊すの確かに一番簡単だ。

 

 だがどう考えてもそんなことを、他の国がはいそうですかと許すわけがない。

 

「大真面目だよ。そして魔天楼が世界に空けた穴を制御する魔力は、次元の狭間から供給されるもので補われている。もしこれが丸ごと稼働を止めたらどうなると思う?」

 

 カナリアの質問に首を捻る。

 

 色々と難しい構造などがあの塔にはやっぱり組み込まれているのだろうが、めっちゃ大きいけど基本は当然建造物だ。

 

「魔力を失ったら……まあ、ただ大きな塔なんじゃない?」

「そうだ、ただの建造物と変わらん。そこに残るのはデカいだけの建造物と、世界に影響を与える程巨大な穴だ」

 

 穴……あっ。

 

 そうだ、魔天楼はさっきも言っていた通り、世界に穴を開けて狭間から魔力を汲み上げている。

 保護の魔法が尽きても当然がっぽり空いた穴はそのままで、そしたらおこることは……?

 

「穴って……もしかして……ダンジョンの崩壊と同じなんじゃ」

 

 消滅。

 

 カナリアがコクリと頷く。

 

「もし破壊されたことを他国が気付けば、非難は避けられん。それこそ無限のエネルギーで人類が全滅するまで行われる、血反吐を吐きながら続ける、終わりの見えないマラソンが始まっていただろうな」

 

 だが、そのマラソンは幸か不幸か起こらなかった。

 

「貴様の言う通り、ダンジョンの崩壊と同様の事が起こった。つまり、魔天楼を中心としておおよそ一国程度の範囲が丸ごと消え去り、人々の記憶にすら一切の記憶は残らなかったのだ」

 

 そこまで大きな穴だ、ダンジョンシステムですらどうこうするのは不可能に近い。

 範囲内にいた人間は、ほぼすべて逃げることすら叶わず犠牲になったと考えていいだろう。

 何人が死んだのか……いや、死すら生ぬるい、一切の生きていた証すら消え去ってしまったのか、考えたくない。

 

 もし魔天楼を建築していたのがアストロリアだけだったのなら、この問題は起こらなかった。

 複数の魔天楼が局所的に魔力を吸い上げていたからこそ、罅割れが砕けた時に強烈な吸い上げが起こり、世界の消滅が発生するからだ。

 

 皮肉なことだがアストロリアに抵抗するため創り上げた魔天楼が、アストロリアの罪を全て消してしまったということになる。

 

 そして同時に、異世界で魔天楼が消えたことにより、こちらの世界にも大きな影響が表れた。

 こちらの世界に現れていた魔天楼の影、『人類未踏破ライン』が崩壊したのだ。

 本体が消えたからこちらも消えた。文字にしてしまえばとても単純な話であるが、引き起こされた被害はそんな甘いものではない。

 

 大量の、人類には手出しすら出来ない強大なモンスターが溢れ、人々に絶望と恐怖をまき散らし、最後には全て消し去られてしまう。

 救いなんて一ミリも存在しない、何も言えないほど理不尽な犠牲だ。

 

「私がこの世界へ漸く脱出することが出来たのは、今から六年前の話だ」

 

 ダンジョンシステムを完成させた後、試行錯誤の末彼女が最初に現れたのは、やはりダンジョン内であった。

 出口すら分からず彷徨っていた彼女と出会ったのが、アリアと奏……つまり私の両親であったらしい。

 

 異世界の人間などというのは何とも信じがたい話であったが、カナリアの操る魔法は異常の一言、それは最先端の研究者であるパパなら猶更の事理解できてしまう。

 それから色々あったが、最終的に彼女たちは探索者協会(・・・・・)の協力もあり、国家をまたぐ巨大な組織を作り上げた。

 

 全ては魔天楼の崩壊、その原因を突き止めるため。

 

 そう、その時点でカナリア達は魔天楼の崩壊、その原因を知らず、探索者協会に協力を要請した時点で全ては失敗していたのだ。

 探索者協会のトップはダカール……全ての元凶であるアストロリア王国の国王、クレストなのだから。

 

「そして、私たちが創り上げた組織、その拠点は消え去った……幻魔天楼の崩壊によって」

 

 偶然ではない。

 

 クレストからすれば、当然あれこれと探り、放置していれば自分の元へ届くであろう国際組織など目ざわりにもほどがある。

 組織は様々な研究のため、魔天楼の近くに拠点を築き上げていた。

 

 それからは早かった。

 組織に協力していた各国に立つ幻魔天楼、その本体である魔天楼を中心にクレストは破壊活動をつづけた。

 まるでカナリアに、抵抗でもすれば何もかもこうやって消し去ってやるぞと見せつけるかのように。

 

「全てを知った時には遅く、最後に残った人間は少なかった。剛力剛という日本人、そしてアリアや奏、剣崎といった最初期のメンバーが数人、それと剛力が支部長を務めていた支部に所属する探索者くらいだった」

「ご……それって筋肉じゃない!?」

 

 筋肉筋肉言ってたからあいつの名前よく覚えてないけど、たしかそんな名前だったはずだ。

 

「きん……? 何言ってるのか分からん」

 

 しかし私の疑問を軽く無視して、カナリアは何処かから缶入りの炭酸ジュースを取り出し一気に飲み干した。

 

「けふ……端的に言うと私たちは失敗した。主に剛力がクレストをボコボコのボコにしたが、隠し持っているであろう情報を聞き出すために生け捕りにしたんだ。そして……」

 

 怒りのままにぐしゃりと握りつぶされる缶。

 

「もはや生きているだけの状況ですら、奴は奥の手を残していた。六年だ、六年間、奴の魔法によって全ての時を戻された」

 

 だが、六年間時の戻されたこの世界に、魔天楼の崩壊によって消えた国、土地、人々は存在しなかった。

 

 全ては振り出しに戻った。

 ただ、可能性の芽だけをぶちぶちと引っこ抜かれた上で、取れる手段も希望も恐ろしく制限された上での、カナリアのやり直しが始まった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百五十話

 時を戻す、と言っても、全ての状況が初期化されたわけではない。

 むしろ積極的に協力してくれる国家の多くが消滅した上、それらの大半は先進国であったため、事態はより深刻な方へ進んだと言って良いだろう。

 

 そしてカナリアは再び協力を仰いだ。

 

 一週目の世界で生き残った、間違いのない協力者を。

 そして二度目の世界で出会った人々を。

 三度目の世界では多くの実力者が犠牲になっており、新たに出会うことなどほぼできなかったものの、生き残った者たちを募って戦い抜いた。

 

「何度も作戦を変えた、だが奴も間抜けではない。己の国で進めた研究、この世界の無知な人々、ありとあらゆる手で私たちの手をかいくぐっては、完全に仕留めることが出来ず時を戻された」

 

 そもそもかの世界はあれだけの塔を築き上げ、制御できるほど魔法に対しての研究が進んでいる。

 数の優位などない。

 

 三回、六年の時を戻され、そして今が四週目。

 

「組織を作り上げても無駄だ、そんな気は三週目の途中からしていた。組織が大きければ大きいほど、強力な人間を集えば集うほど、クレストの目につきやすくなる。こちらも対策を散々講じてはいるものの、一方的に異世界から魔天楼を崩壊させ、こちらを消滅させることの出来る奴にとってはゴミ以下の悪足掻きに過ぎない」

 

 低く軋んだ音が地下室に響く。

 

 パパの椅子に座り込んだ彼女は両手で顔を覆い、絞り出すように吐き出した。

 

「今まで通り、定期的に魔天楼が破壊されていったのなら、あと一本か二本砕かれた時この世界は消滅する。そもそも罅割れは元通りに治っているわけではない、消滅と共に潰れて無理やり閉じられている状態だ。局地的に穴を開けられては閉じているのだから、当然脆弱性は増す」

 

 私の思い描いていた終焉は、この家からでも見える巨大な青の塔、『碧空』が崩壊することで日本ごと消え去ってしまうというもの。

 だが真実は、日本が消えてしまうなんて甘っちょろいものではなく、もっと広大なものであった。

 

「この週が最後なのだ。もう失敗は許されない、今までの週のように無駄にすることはできない」

「カナリア……」

 

 全てが無駄だったとは、私は思わない。

 

 きっと一週目や二週目、三週目で立ち上がった人たちが居たからこそ、今私たちはこうやって生きることが出来ている。

 もし恐怖に負けてクレストと戦うことを諦めていたら、きっと四週分、つまり二十四年もこの世界は残っていなかっただろう。

 名前も声も性格も知らない人たちの犠牲があったからこそ、こうやって私は意識をもって歩き回れている。

 

 だが、きっと今の彼女にそのことを言っても無駄なのだろう。

 

「そのために私は組織を作り上げることを止め、深紅の剣を創り上げた」

 

 深紅の剣は見た目こそ小さいものの、魔天楼と同じ構造をしている。

 即ち差し込んだ存在から無理やり魔力を吸い上げる、巨大な汲み上げ機とも言えるだろう。

 

「そういうことだったんだ……カナリアはこれで、クレストの魔法を……」

「ああ……剛力という男に手渡すつもりだった。奴はそこそこ話が通じる人間だ、証拠さえ見せつけてしまえば私情を捨てて動く」

 

 私の体質が特殊だからこそ特に害がないが、本来この剣を突き刺された上でフル稼働した場合、その存在は魔力の一切を抜き取られるだろう。

 すなわち、それは魔法の封印でもある。

 

 ことあるごとに彼女は終わりだ、と呟いていた。

 ああ、確かにこうやって話を聞いてみると、なるほど、確かに終わりだ。

 二度と創り出すことの出来ない剣を使ってしまった時点で、この週で組織を創り上げていなかった彼女に、クレストへ抵抗する術は存在しない。

 

 だが彼女の作戦は、もっと前の時点で失敗していたと言えるだろう。

 いや、失敗というのは私にとっても、あまり聞いていて心地の良いものではない。

 彼はそのレベルから、広い範囲でダンジョンの崩壊を食い止めていたし、なにより、何も知らずに過ごす日々はとても平和で……っ。

 

 彼の死はそれだけ私に……いや、私たちには大きなものであった。

 

 

「筋肉は……剛力は死んだよ」

 

 

 鼻で笑う声が響いた。

 しかしそれは次第に大きくなり、くつくつと喉を鳴らす笑いに代わる。

 

「貴様、嘘が下手くそだな! 頭が凝り固まった聖職者でも、もう少しまともなものを考える頭があるぞ! まあ? この私を元気付けようと下らない冗談を必死に考えたのであろう点は評価をくれてやってもいいが? ちょいとばかし安直が過ぎるな! もう少し表情筋と脳みそを鍛えた方が良いぞ!」

 

 うざ。

 

 どうやらカナリアは暗い雰囲気に耐え切れなくなった私が、下らない冗談を飛ばしたと考えたようだ。

 キリリと、無駄にキメ顔で口早に語り出した彼女へ、『アイテムボックス』から取り出したスマホを叩きつける。

 

 私がいくら説明しようとも彼女は納得しない、自分の目で確認してもらった方が良いだろう。

 

「くふふ……フゥーッハッハッハッハッハッハァ!」

「――っ!?」

 

 しかし私のスマホを暫く弄った彼女は、突然奇声を上げて笑い始めた。

 

「電波が通じん!」

 

 そう、ここは地下室。

 ガチガチのコンクリートで囲まれたここでは、スマホの電波など通すわけもない。

 その上何故かカナリアはドヤ顔、椅子にふんぞり返っている。

 

 謎の敗北感が私を襲う。

 

「……取りあえず大体の話は分かったし、外出ようか」

 

 パパの分厚い本とガラスのペンを『アイテムボックス』へそっと置き、椅子へふんぞり返る彼女の手を引いた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百五十一話

 地下室を出ると、剣崎さんとママはケーキをつついてお茶会をしていた。

 私たちも参加しないかと誘われたものの残念ながら今はその時ではない。用事があるからカナリアと協会へ向かうと告げ、忙しなく家を後にする。

 

 どこか座って話せる場所を。

 

 寒空の元、しばらく協会方面へと歩いている途中で見つけた公園、その端に拵えられたベンチに腰を掛ける。

 

「……貴様の話は……残念ながら嘘ではないようだ」

 

 ぎょろぎょろと、この数日の中でも初めて見る必死な形相でスマホを握りしめていた彼女であったが、脱力気味にぽいと私のスマホをこちらへ投げ渡して呟いた。

 

「特定個人の力に頼る作戦は、その一人が失われた途端に一切が瓦解する。分かっている、それは分かっていたが……信じられん……」

 

 ふらりと後ろへ倒れ込む体。

 放置されて勝手に繁殖しているのだろう。冬にしては毒々しい、真っ赤な花を咲かせたアロエの中へ寝っ転がった彼女は、苛立たし気にため息を漏らした。

 

 クレストにすら筋肉を殺すのはそうやすやすと出来ることではなかった。

 

 最初に世界へ現れた人類未踏破ラインのダンジョンは日本に存在する『碧空』、ここからでも見える巨大な青の塔だ。

 つまり、碧空の本体はクレストたち……アストロリア王国の築き上げた魔天楼。

 今までの組織のように、魔天楼を破壊して超広範囲の消滅を狙うことは不可能であった。それをしてしまえば、そもそもクレストたちの王国まで消し去ってしまうのだから。

 

 飛び道具の大半は効かない。

 実力の高さなどから直接暗殺、というのも非常に難しい。

 決戦の日まで剛力が死ぬことは、まず有り得ないと彼女は確信していた。

 

「奴は私よりはカスだが、そこそこ頭が回る。事実と情報さえ突き出してしまえば、そこに信頼がなくとも間違いなく力を貸してくれる」

 

 それゆえカナリアは、クレストの監視が付いているであろう剛力に敢えて接近せず、ただ一人で準備を終わらせた。

 最後の最後、全てはその時のために。

 

 だが……

 

「そうか……私は最初から全て失敗していたんだな。ああ……」

 

 頭を抱え、引っかかった髪すら気に留めず固く握り締められた拳。

 音を立て千切れる彼女の前髪。

 

 両手に覆われたカナリアの顔は、こちらからは伺えない。

 

「筋肉の死因は……」

「ダンジョンの崩壊だろう、ここまで存在一切が消えているとなればそれ以外には有り得ない」

 

 虚ろな瞳に、横に植えられた枝垂れ柳の枝と曇り空が映る。

 

「ああ……終わった、終わった……全ては無駄だった……ふふ、思えば私の行動はどれもこれも裏目に出てばかり、最初から無理だったのかもしれんな……」

「勝手に終わらせないで」

 

 なんか勝手に終わり感を出し始めたカナリアの頬をべちべちと何度も張り倒す。

 

「痛いからやめろ。貴様、自分のレベルを少しは自覚したらどうだ」

「貴女は諦めても私は諦めてない」

 

 思考停止したわけではない、努力を諦めたわけでもない。

 だが彼女の持つ知識は、努力だとか、試行錯誤だとかでは絶対に埋めきれないほどの価値がある……多分。

 

 勝手に諦められるのは非常に困るのだ。

 

「二十一年だ……音もなく、光すら失せた、気が狂いそうになる晦冥(かいめい)の中で、一人魔法陣と向き合った、ダンジョンシステムを作るためだけに! 何度も気が狂いそうになった。本当に意味があるのか、完成はするのか、完成しても遅いんじゃないか、人々に受け入れてもらえるのか! 一切の確証もないまま、少し気を抜けば霧散してしまう魔力の中で、どうにか創り出した果実で命を繋いで! 二十四年だ、何もかもを雑に剥ぎ取られた上で、その度に手札がごっそりと減る中、新たな可能性を四度も一から積み上げ直して! なあ、お前に何が分かるんだよ!」

 

 発狂。

 そう、正に彼女の様子は発狂という言葉がぴったりであった。

 

 限界だったのだろう。

 いくら精神が強靭な彼女と言えど、耐え切れないこともある。

 時として、他者から見れば案外あっさり、ぽっきりと折れてしまうことも当然。だがそれはあくまで他人の視点だからで、実際には度重なる苦悩の末に起こったことなのだろう。

 

「何も分からない!」

 

 だが、私に彼女の苦悩は分からない。

 私はカナリアじゃないし、カナリアは私じゃない。 

 

「……っ、な、ならば!」

「カナリアの苦悩は私は貴女じゃないから何も分からないけど、ここで諦めたら本当に全部無駄になる! あったこともないけど、いっぱいの国が必死に戦って、いっぱいの人が必死に繋いでここまで来たなら、たとえ私たちしかいなくても戦わないとダメでしょ!」

 

 きっと、もっといい言葉があるのだろう。

 弱っている彼女へ伝えるには、あまりに鋭い棘がある言葉かもしれない。

 

 もしかしたら私自身焦ってしまっているのかもしれない。あまりに壮大すぎる話、しかし見なかったことにするには、私と深く関わりがあるこの問題に。

 

「ああ……」

 

 空を仰ぐ。

 

「ああ……そんな事、分かっている……」

 

 言われずとも。

 

 奥歯を噛み締めたカナリアの頬は濡れていた。

 

「一つ気掛かりな点がある、剛力の死についてだ。奴は消滅についても知識があるはず、園崎美羽に話を聞いているからな」

「私も最初は園崎さんから聞いた」

 

 そこまでも知っているのか。

 

 私は若干の驚きに目を見開くも、しかし同時に彼女の言葉へ同意した。

 

「消滅が起こっていると気付いたら、即座にその場から離れるだろう。奴はまず自分が助からなければ救える人間も救えないと理解している、そんな人間がダンジョンの崩壊に巻き込まれて死ぬとは……やはり考えられん」

 

 その点は私たちも気になっていた。

 

 そもそも私は初めてダンジョンの崩壊と消滅が起こった時、筋肉の手によって助けられている。

 カナリアの言う通り、筋肉は消滅の察知をしたとき即座に撤退をしているのだ。

 

 それに死の前、筋肉は変な行動をしていた。

 協会からの仕事だと言っていたが、それにしては何処かこそこそ(・・・・)と姿を隠すような動き。

 今思えば妙な点だが、それ以上にいきなり任された協会の仕事や、自分の周りで起こっていたことに気が向いていてそこまで意識していなかった。

 

「分かった」

 

 いい加減、園崎さんとも話をしなくてはいけない。

 

 筋肉の死は耐え難いものだ。

 だがこのままでは前に進めない、そして進めないまま終わってしまう。

 

 充電マークの紅く点滅するスマホをタップし、見慣れた電話番号を開く。

 

『おう』

「あ、もしかしてウニ?」

『そんな海辺で見つけたみたいな言い方するんじゃねえよ!』

 

 

 

「今から協会に行くから、園崎さん執務室に呼んどいて」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百五十二話

 ドアノブを軽く捻る。

 

 開かれたカーテン、よく磨かれた重厚な机、その上に添えられたシクラメンの小鉢が瑞々しい薄紅で彩る。

 一か月の時をして一切の変化がないこの部屋に彼女は立っていた。

 

「ごめん、遅れた」

 

 返事はない。

 

 ゴミ一つないカーペットを踏み締め奥へ。

 彼女の目前、私が腰掛けるには随分と大きな椅子へ腰を掛け、暫く目にすらしていなかった協会のコートへ腕を通す。

 

 つい零れたのは小さいため息。

 

 まったく、本当に、私が着るには大きすぎる。

 

「この一、二週間で色んなことがあった。全部を話すのはちょっと時間が足りないけど、正直私ですら信じられないことがいっぱい」

 

 魔蝕、ダンジョンシステム、魔天楼、異世界の国々による争い。

 正直なことを言ってしまえば、その全てを完璧に私が理解しているか、というと怪しい所がある。

 大体どれもこれも一々スケールが大きすぎるのだ、もっと単純な話にしてもらいたい。

 

 ――だが、めんどくさいからと言って投げ捨てるには、あまりに多くの人や物が犠牲になり過ぎた。

 

「アストロリア王国」

「……!?」

 

 私のつぶやきにびくりと彼女の身体が震え、今日初めて目が合う。

 

 アストロリアは異世界に存在するかもしれない国として、ダンジョン関連に詳しい人なら耳にしたことがある国名の一つだ。

 だが、彼女の反応はそういった、聞いたことがある程度の扱いではない。

 

 深いトラウマ……なのだろう。

 

「やっぱり、憶えてるんだ」

「……夢で、時々見るの」

 

 カナリア曰く、園崎姉弟はアストロリア王国の研究による犠牲者らしい。

 

 勿論予想だ。しかし園崎さんのダンジョンシステムを介さない魔法の発動、ウニの身体能力の高さ、そして筋肉の証言を聞いていた私は納得した。

 何人犠牲になったのかは分からない。もしかしたら何百人、何千人と犠牲になった上で、偶々生き残ってこの世界にやって来たのかもしれない。

 

 子供の記憶はあいまいだ。

 それでも、苦痛の記憶に関連して、何度も耳にした自分の国の名前なら憶えているかもしれない、そう思ってカマを掛けた。

 

「私がこの一週間で知ったことの一つに、異世界とこの世界の関係がある」

 

 漸く聞く気になった彼女がこちらに視線を向けた。

 

「ストレートに言うけど、ダンジョンの崩壊とか消滅は全部『アストロリア』を含む異世界の国々が大きく関連している」

「……俄かには信じがたいわ。貴女は探索者になってから一年も経っていない、それに崩壊の真実を知ったのだってごく最近。いったいどうやって知ったというの?」

 

 予想通りの言葉に頷く。

 

「カナリア」

 

 扉を雑に足で動かし、だるそうに入ってくる彼女。

 

 気持ちは分かる。

 ついさっき色々と知り、脱力感からイマイチやる気にならないのも分かるのだが、せめて扉くらいは普通に開けてほしい。

 

 執務用の机とは別に置かれた、面会等に使われる机の元にたどり着いたカナリアは、どかりと雑に腰を掛けた。

 

 彼女の身の上、能力、そして体験してきた二十四年間の話。

 全てを話すには時間が足りないものの、ここへ足を運ぶ時、前もって相談していた主要な点を園崎さんへ伝える。

 

 しかし五分ほどの説明を聞いた彼女は、胡乱な目でカナリアを見下ろした。

 

「その自称エルフちゃんが嘘を吐いている可能性は?」

「カナリアの話は大半が難しすぎるけど、私が知っている情報も中にはあった。そして良い点、悪い点全てが私の知っているそれと同じだった」

 

 この反応は予想通りだ。

 

「正直に言わせてもらうわ。ぽっと出てきて全部知ってます、なんてちょっと都合が良すぎるのよ」

 

 カナリアは私からすれば、それこそ人生に深くかかわっている人間だが、彼女からしてみればカナリアはいきなり現れた存在。

 流石にいきなり納得してもらえるとは思っていない。

 

「カナリアから聞いた話はどれも信じられないものだけど、中には私が知っていることがいくつかあった」

 

 嘘を吐くとき、本当のことを少し混ぜると相手が信じやすいと聞いたことがある。

 最初はカナリアがそういった手法を用いているのかと疑っていた。しかし、私の知っていることの悉くが彼女の証言と一致している、というのなら、流石に信じざるを得ないだろう。

 

 いくら彼女が賢かろうが、私がどこまでどれを理解しているかなど知りようがないのだから。

 

 完全にランダムな知識のすべてが一致しているのだ、嘘は混じっていないか、それこそ本当に言い辛いごく少量だけと思っていいはず。

 

「ふむ……」

 

 しかしなおも納得がいかない様子の園崎さんを見たカナリアが立ち上がり、私に任せろと頷いた。

 

「それならば……そうだな。貴様経費を随分とちょろまかして高級店のチョコセットなどを買っていたが、今回もまだやっているのか?」

「ふぁあ!?」

 

 あっ、この前筋肉に言われてた奴だ……。

 

 未来は、現在の小さな変化で大きく変わってしまう。カナリア曰くバタフライエフェクトというらしい。

 クレストが魔天楼の破壊以外で大きく動かないのも、有利に働く既知の未来から大きく逸脱させないためだ……とカナリアが言っていた。よく分からん。

 

 まあつまり、カナリアに関係している人や、その接触で人生が大きく変わった私のような人間でなければ、大体この六年間は、かつての三週と同じ行動をするらしい。

 

「廃棄処分する予備のポーションを何本かパチって、水で薄めて肌に塗るのもまだやってるのか? あと多分二か月くらい前から、高校の頃のクラスの優男がちょくちょく電話してくるしれんが、それ詐欺だから気を付けた方が良いぞ」

「ちょ、え!? 何でそこまで知って……!? 」

 

 ……なんか今の話は聞かなかったことにしよう。

 世界を救うのだ、軽犯罪は見逃してもいいだろう、うん。

 昔養護施設に来たゲーム好きの卒院生の人も、勇者がタンスを漁っていいのは世界を救うからだって言ってたし。

 

 取りあえずクラスの人については後で通報するように促しておこう。

 

「兎も角、カナリアの知識は替えが効かないのは分かってくれたと思う。きっとこの世界の誰よりダンジョンについて詳しいし、協力を仰ぐ価値がある」

「ええ……」

 

 園崎さんはしんみりした顔をしているが、正直もうなんかさっきまでの張り詰めていた感覚がない。

 

「私は筋肉のしていたことを引き継ぐよ。この協会を守るとかじゃない、崩壊の原因を……全てを終わらせる」

「……!」

 

 そう、全てだ。

 パパや筋肉、そして今まで死んでいった人や消えた国、今を生きる私たちは、それらすべての犠牲の上に成り立っている。

 そして、期限はもう僅か。私たちの代わりに戦ってくれる人や、次の希望だなんて言っている余裕はない。

 

 全て、無かったことにしてはいけない。

 

「もう一から組織を作ったり、人を見極めてる時間なんてない。だから私は、私が信じたいと思う人に協力してもらいたい。園崎さん……力を貸して」

 

 伸ばした手は……人肌の温もりに包まれた。

 

マスター(・・・・)……この力が役立つのなら、何でも……!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百五十三話

 はっきり言おう。

 私たちは筋肉の死について疑っているものの、調べた結果無駄に終わる可能性もある。

 なんたって根拠はなく、ただ彼がそう簡単に死ぬわけないという思い込みだけで行動しているのだ。

 

「何故奴の記憶が世界から消えているか、だな。順当に考えるのなら、ダンジョンの崩壊が関わっているのだろうが……当日やその以前で貴様らが一体何をしていたのか、何か特異なことが起こっていなかったか、覚えている限りで良いから言え」

 

 カナリアが額を抑え、目を瞑って尋ねてきた。

 

「あの日は……一週間くらい前から協会の登録者がすごい増えて、私とウニと園崎さんで書類の整理をしてた……だよね?」

「ええ。最近はあの時登録した人達で大盛況みたいね……私はキー君に頼ってあまり表に立ってないから、詳しいことは分からないけれど」

 

 ダンジョンの崩壊を食い止めた時、テレビなどでの露出が少しあったからだろう。

 この協会支部が位置しているのは小さな町にも関わらず、ひっきりなしに訪れる新たな登録者達は、今まで通りの人数では処理が追い付かないほどであった。

 

「私はそのちょっと前に支部長代理になったんだ。力を隠すのも限界があるし、それなら支部長代理としてある程度の地位に就いた方が自分を守れるって。それと同時に筋肉は協会を開けることが多くなって……なんかをすごい調べてた、後もうちょっとで分かるんだって」

 

 まだ登録から一か月くらいだろうか。

 あの頃私が書いた初心者向けの紙もそこそこ役に立っているらしい。やはり誰しも躓く場所はあるし、夜に苦労して書いた甲斐がある。

 

「ふむ……警報はどうだった? テレビなどは?」

「流石にテレビの内容までは覚えてないかな……」

 

 確かあの時書類の整備を一旦区切って、私たちはピザを注文した。

 なんか美味しそうなテレビ番組をやっていて、ピザが届かないから見ているのが辛くて電源をオフにした気がするくらいか。

 

「それよ! ダンジョンの崩壊が起こったら、避難のためにテレビで報道されるはず。少なくともその時にダンジョンの崩壊は起こっていなかったわ!」

 

 机に掌を打ち付けて園崎さんが叫んだ。

 

「ならば可能性は……奴が死んだのは、人気のない森奥などに存在するダンジョンか」

「いや、それはないと思う。近くに町のないダンジョンは基本放置されてるから」

 

 人員が足りないのだ。

 それ故協会が主に出張るのは村、街、都市など人が多く住んでいる場所近くのダンジョンに限る。

 

 カナリアと出会うために侵入した、ダム近くのダンジョンを思い出す。

 あそこも放置されて長い、随分と入り口近くにゴミなどが溜まっていた。

 

 そういえば森など人気のない場所で崩壊したダンジョンはどうなるのか、そんなことを考えたこともあったが、こうやって色々知った今では成程、放置してもモンスターが町などに現れることはないのだろう。

 どうせ消えてしまうのだから。

 人々がその事実を知っていたわけではない。しかし長い間目に見える実害がなかったのだから、放置されるのも当然か。

 

「それで、その前に筋肉から電話がかかって来たんだけど、向こうが話してる途中で切れちゃったんだよね。なんか忙しいのかと思って、後から電話かけようとスマホ見たら番号が消えてて……」

 

 彼が調べていたことの内容は分からない。ただ、園崎さんが中学生くらいの頃からダンジョンの崩壊と消滅について調べていたようだし、きっとあの時調べていたのもそれに関連する内容なのだろう。

 何かを掴めたのか、それとも志半ばで終わったのか……今となっては私に知るすべはない。

 

 それはたったの一時間程度で起こった。

 感動的な死でもなく、何か大きな物事が起こったわけでもない。その瞬間に立ち会うことすら出来ず、あっけなく人が一人消えてしまった。

 

 確か、あの時筋肉が話していた内容は……

 

「ママと仲直りは出来たかって聞かれて……その後に謝られた」

 

『何も残せない俺を恨んでくれ、それでも戦う勇気があるなら……』

 

 何かを告げようとしていたのに、その電話は途中で切られてしまった。

 今こうやって思い返せば、まるで彼の言葉は遺言であった。

 どうしようもない、生き残るにはあまりに手遅れな状態へ陥ってしまい、最後の最後に私へ電話を掛けてきたのだとしたら……

 

「多分この時にモンスターが襲ってきたんだと思う」

 

 ひどくざらざらとした通話だった。

 スピーカーから届く波の音と聞いた彼の言葉が、まさか最期になるなんて。

 

 内心気付いていた。

 筋肉はどこか危険な場所に飛び込んでいるんじゃないかって。ほんのちょっとだけ、私が落ち込んでいるときに零した彼の近況は、明らかに安全な事をしている様子ではなかった。

 

「――いや、違う。今の話で分かった、奴はダンジョンの崩壊で死んだわけではない」

 

 客用の椅子へ座り込んだカナリアは、目を見開いた。

 

 彼女は拳を握りしめ、心底苛立ったように歯をギリリと噛み締める。

 

「もしモンスターにいきなり襲われたら、電話をわざわざ切る余裕なんてないだろう。それにモンスターの消滅に巻き込まれたわけでもない、もしそうなら『通話を切る』のではなく、そもそも着信相手が消える。つまり通話が無かったことになるだろう? そして発言からして、奴はその時点で死を悟っていた……」

「それなら、筋肉はわざと電話を切った? 話すら途中で切らなくてはいけなかった……」

 

 嫌な予感に、冬にも拘らずジワリと汗が滲んだ。

 

「それじゃ……まるでマスターは……」

「ああ」

 

 頷き。

 

「話し声が聞こえないようにした、通話先を知られたくなかった、もしくは追ってくる誰かから隠した……どちらにせよ、誰かに何かを知られないように電話を切った、ということになるな」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百五十四話

 やっぱり筋肉は誰かに殺されたんだ……!

 

 そう焦る心を、どこか冷静な自分が押し留めた。

 

 確かに、こうやって情報を一つ一つ合わせていくと、筋肉が誰かに殺されたかのように見える。

 でも誰が、どうやって? 彼を殺すのなんて、そう簡単に出来ることではない。

 事実、カナリアと戦っていた過去の筋肉は、三度ともクレストの討伐に成功しているのだから。

 

「大雑把な点はあったが、奴はそれほど恨まれる性格をしていたわけでもない。となればやはり……」

「クレストに殺されたに決まってるわ!」

 

 カナリアの言葉へ追随し、園崎さんが叫んで机を殴った。

 

「私もそう思う……」

 

 筋肉は滅茶苦茶強い。

 レベルもそうだが、一緒にダンジョンに潜った時、次から次へと出てくる生きるための知識など、様々なレベルで高水準なものがあった。

 

 たとえ彼を恨んでいたとして、一般人や普通の探索者が殺そうと行動に移すのはあまり考えられない。

 成功にまで導ける存在など猶更。限られたごく一部の存在たりえる、その上彼を心底憎んでいる存在などクレスト以外にはいないだろう。

 

 だがなんだこの違和感は。

 私たちは何か一つ見落としている。決して見落としてはならぬ一点を、何かとても大事な何かを。

 

 必死にそれを考えていた時、突如として地面が小さく揺れ出した。

 

 

『……っ!?』

 

 

 爆音。

 ポケットの中で地震の警戒アラートが鳴り響く。

 

「な、なに!?」

「デカいぞ!」

 

 まるで天地がひっくり返ったかのような、激しい上下左右への揺れと凄まじい地響き。

 机は吹っ飛び、壁などに飾られたものは地面へと叩きつけられる。

 壁がピシバシと嫌な音を立て罅割れた。

 

 どちらにせよ壊れるか……

 

「『ストライク』! 二人は訓練所に避難してて、私はウニたち回収して来るから!」

 

 執務室の横、訓練所が見える壁を殴って吹き飛ばす。

 カナリアが頷き魔法陣を展開したと同時、『アクセラレーション』を発動して部屋を飛び出した。

 

 加速した世界に地面の揺れなど存在しない。

 扉を叩き開け、机の下に隠れていた芽衣や、窓を開けようと駆け出したウニを確保し、『アクセラレーション』を解く。

 

「今窓あ……け……!?」

「え!? ちょ、何!? 何なの!? フォリっち!?」

「二人共舌噛まないでね」

 

 芽衣が困惑した様子で問いを投げてくるが、何が起こってるのかなど私にも分からない。

 ただ一つ分かることがある。避難所としての側面もある協会がこれほどダメージを負っているということは、並大抵な災害ではないということ。

 このまま中にいたら私やカナリア以外はぺっちゃんこだろう。

 

 幸か不幸か、跳ね上がったレベルがこの救出に一役を買った。

 蹴り一つで壁を弾き飛ばし、手を振り払えば風圧で前の物が吹き飛んでいく。

 ちょっと二人が反動で参ってしまったが、こんな状況なので許してもらいたい。

 

 屋根をぶち抜き訓練場へ着地。

 

 周りを見回せば、ぞろぞろと協会内へたむろしていた探索者が、そして必死に逃げてくる一般人の姿もあった。

 

「二人とも怪我してない?」

「めちゃんこ首痛いっす……」

「おい結城! 地震は揺れが収まってから逃げろって学校で習っただろ!」

 

 ウニは無視して、痛いと泣く芽衣の首へそっとポーションを塗る。

 ついでに余った分のポーションはウニの口へ。

 

「ごめん……正直私もパニックだった」

 

 かなり抑えていたつもりだったが、これでもまだダメか。

 

 芽衣は探索者だ。私と違ってスキルの恩恵がないからレベルは低いが、それでも一般人より遥かに耐久力の面で優れている。

 彼女ですら怪我をしてしまうのなら、探索者ではない一般人相手にはもっと気を使わなければならない。

 

 流石に一度にレベルが上がり過ぎたせいで調整がうまく効かないか。

 

 しかし身体能力について、今はどうこうしている暇がない。

 忙しくなる。

 

 再び『アクセラレーション』を発動し協会の中へ飛び込む。

 中の様子は(私が破壊し)ボロボロになった壁や、地震の衝撃でへし折れた柱など酷い有様だ。

 鍵束、どうにか生き残っていたノートパソコン、電源、電話、街の地図などその他もろもろ必要なものをぽいぽいと『アイテムボックス』へ放り込む。

 

 こういう時にやるべきことは、あの勉強漬けの日々で完全に覚えた。

 思い出そうと必死にならなくとも全て暗唱できるほどだ。

 

 再び協会を飛び出し道具をシートの上に広げたところで、非難してきた人々の不安げな瞳が私へ突き刺さる。

 視界の端でどこかから上がった火事の煙がちらついた。

 

 カナリアへ地下室への鍵束を投げ渡し、見えやすいように協会の屋根へと上って大声を上げる。

 

「協会支部長代理の結城です!」

 

 自信だ。

 こういう時、指揮を執る人間が不安だと、それは人々へも伝わっていく。

 私に従えば大丈夫だと冷静に、自信をもって指示すればいい。

 

 羽織った協会のコートをばさりとたなびかせ、ゆっくり、はっきりと伝わる様に大声で話す。

 

「協会には非常時に備え、ある程度の備蓄などが準備されています! これより支給等の準備を進めるので、手伝える方は……芽衣とウニ!」

「……こういう時くらい本名で呼べよ」

「こちらの……頭が尖った人の元に集まってください! 探索者の方は全員私の元へ!」

 

 ウニウニ言い過ぎて名前を忘れたので、いい感じに誤魔化して呼ぶ。

 

「協会職員の園崎鍵一です! 怪我人はあちらの美羽へ!」

 

 咄嗟の役割分担であったが、どうにか上手いこと別れることが出来た。

 

 ウニと芽衣はそこそこ身体能力が高いので避難所の準備を。

 ポーションが効かない一般人のけが人の手当ては園崎さんが。

 

「電気が繋がったぞ!」

「うん、じゃあ電話とパソコン繋いで。カナリアは情報収集と電話の受け手お願い」

「うむ。これは無線だ、恐らくこの町の内側程度なら通じる」

 

 指示が終わった丁度その時、地下室からコンセントを引いてきたカナリアが飛び出した。

 彼女が大ぶりのトランシーバーをごとりと手渡してくる、業務用の大型無線機だ。

 

 同時に小型の、数百m程度まで電波が通じるものが大量、これは後で探索者に手渡そう。

 

 未だ協会本部からは何の連絡もなかった。

 ネットの回線も、電話もパンク状態でまともに通じそうになく、この巨大な地震の被害や程度すら確認で来ていない。

 

 先ほど私が部屋から持ち出した各支部に置かれている電話、あれは一般で使われている物とは別回線なので、普通の物と違って繋がらないってことはないはずなのだが……ちんたらと連絡を待っている暇はない。

 町から上がる煙や焦げ臭い香り、火事が起こっている。

 次々に上がるサイレンが、警察や消防が既に動き回っていることを知らせるものの、ここまで大きく、一斉に起こってしまっては対処しきれないだろう。

 

 私の支持で集まったのは五十人ほどの探索者達。

 その中には穂谷さんなど、かつてお世話になった人もちらほらと見える。

 

「魔法、特に回復と水関係の物を使える人は右に! 戦闘系の身体能力に優れている人は左へ! 攻撃的な魔法を使える方は右へ集まってください! これより、右から順にA、B、C班と呼び分けることにします!」

 

 声が震える。

 

 果たしてこれが的確な指示なのか、次はどうすればいいのかと様々な思考が脳裏を過ぎり、パニックになりそうだ。

 しかし筋肉のいない今、ここでのトップは私。

 泣きつける誰かなどいない、むしろ私が泣きつかれる側の人間なのだ。

 

 兎も角、私の出来ることをするしかない。

 

 焦る視界の端で、七つの蒼い塔(・・・・・・)がちらついた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百五十五話

「A班は水魔法使いと回復魔法使いで二人一組、消防隊の回りきれない場所の消防に回ってもらいます。でB班、近接系の方は三人一組で怪我人の救出と運搬を。C班、攻撃魔法組は協会の仕事を手伝ってもらいます。その他、ユニークスキル等で他の役割を担える方は私へ連絡を」

 

 個人で素早く動き回れる探索者は、もちろんレベルによっての差はあるもののとても小回りが利く。

 消防と警察が手を回せない場所であろうとも、その優れた身体能力ならば容易に踏み込むことが出来る。

 まあ正直に言ってしまうとマニュアル通りのチーム分けなんだけど。

 

 C班が訓練所の奥へ駆けていく。

 

 避難者も手伝っているとはいえ、大型のテントなどを貼ることを考えれば物足りない。

 地震程度では怪我をせず、魔法使いタイプのステータスをしていても、一般人とは比べ物にならない探索者は百人力だ。

 彼らが向かって数秒、すぐに歓声が上がった。

 

「カナリア、消防や警察との連絡は?」

「うむ。私が音頭を取ろう、無線を配れ」

 

 組み分けたチームへ一つずつ無線と地図を配ったと同時、カナリアが拡声器を片手に声を張る。

 

「聞け! これより私が無線で貴様らへの指示を出す! A班所属の魔法使いは右から数字の1、2、3を、B班はギリシア文字のα、β、γと割り振っていく! 各自自分のチーム番号を覚えろ……よし、ではこれより救助活動を開始する、散開!」

 

 威勢のいい声と共に探索者達が分かれていく。

 即興でカナリアを中心に据えたが、やはり彼女は自分で言うだけあって頭がいい。てきぱきと細かいチーム分けなどを終え、あっという間に行動を開始してしまった。

 

 よし、まずはこれで良いだろう。

 

「貴様はどうするつもりだ」

「私は他の人とレベルがかけ離れてる、誰かと行動しても足枷にしかならない。私一人で行動するつもり」

「そうか。全てを解明するにはあまりに時間が足りぬ、だが……」

 

 ぐい、と彼女が顎をしゃくった。

 

 町を大きく超えたさらに先、天を突く巨大な蒼の塔『碧空』。

 

「ん……? あれは……!?」

 

 見慣れているはずの塔に起こった不気味な変化に目を疑う。

 

 巨大な花だ。

 巨大な蒼の花が開くかのように、ゆっくりと碧空の周囲を舞う六つの蒼い塔。

 ふわり、ふわりと漂っては、時々奇妙な無数の線による交わりを周囲へ発散し、再び浮遊を再開する。

 

 苦痛に呻き、恐怖に人々の叫び声が木霊するこの町、いや、日本各地とは裏腹に、かの大輪は不気味なほど優雅であった。

 

「これは、プレートや断層による一般的な地震ではない……想像以上に時間が残されていなかったようだ、準備しておけ」

 

 

 地震が止まって二時間。

 漸く繋がった協会本部からの連絡曰く、震源はカナリアの予想通り碧空。しかしながら普通の地震とは異なり、震源からいくら離れた場所であっても震度が全く変わらなかったらしい。

 出来るのなら今すぐにでもあちらへ飛び出したいところだが、怪我人が想像以上に多くて困った。

 

「よっと……」

「あ、ありがとうございますっ!」

 

 倒壊した家屋の下、手足を潰された女性を、コンクリートを弾き飛ばして救い出す。

 横で必死に助けようと無理やり掘っていたのだろう、指先が真っ赤に染まった男性が何度も頭を下げる。

 

 ひどい有様だ。

 足には鉄の棒が突き刺さり、顔色は当然良いものでもない。

 自分の身体は結構抉れた肉だったり、黄色い脂肪だったり見慣れている物だが、痛みに顔を歪める他人のそれはまた別物であった。

 

 苦しむ顔が見ていられず少し顔を背けてしまう。

 

 探索者以外にポーションは効かない。

 協会の箱からいくらか持ちだして来たのが余っているにもかかわらず、こういう時に使えないことが苛立たしい。

 

『B班のαが一番近い、今から向かわせる。貴様は次の地点へ移動しろ』

「分かった」

 

 地図を広げ次の場所を探すが、そういえばその前に言うことがあったと思い出す。

 

 以前支部長代理になる時読んだ本に、緊急時の救助方法などが書かれていた。

 その中の一文で、手足などが重いものに潰されたまま……大体二時間ぐらいだったかな? の人を助け出すと、なんか老廃物的なのがグワーッと流れて体調が悪化したり、死んでしまうことがあるとあった。

 

 えーっと、確か名前は……

 

「なんだっけ……クラ……クラ……クラッカー症候群? ビスケットだっけ?」

『クラッシュ症候群、だ』

「そう、それ。クラッシュ症候群って言って、二時間以上挟まれているとなんかいきなり体調が悪くなることがあるらしいので、避難所に着いたら必ず救急隊員さんに挟まれてた事を伝えてください」

 

 男性がコクコクと頷いたのを確認し、その場を離脱。

 崩れた家の屋根を伝って高速移動を開始する。

 

 本当に、酷い有様だ。

 この世の終わりをキャンバスへ叩きつけてみれば、きっとこういうものが描かれるのだろう。

 地震の原因が原因なので、津波などが起こらないことだけが救いかもしれない。

 

 昨日までは……いや、つい数時間前までは普通の、大して目を惹く物もない町だったのに……残骸、残骸、残骸。

 さっきまで家だったものが辺り一面に転がり、もはや地図すら大して役に立たないような無残な姿になっている。

 どうにか一部残った道路や構造物から地図と照らし合わせ移動するしかない。

 

 琉希は、ママや剣崎さんは無事だろうか。

 

 分かっている。

 探索者だろうと一般人だろうと、救助活動などに参加している人のほとんどが個人の感情を捨て、大多数の救助を優先しているのだ。

 

 指揮を執っている私が私事を優先しては全てが崩壊する。

 

『よし、そこから小学校のコートは見えるか?』

「うん」

『それの……』

 

 魔蝕でモンスターになってから妙に鋭敏になった、無線とは逆の耳が何かを聞き取った。

 風鳴やサイレンの音に混じる、どこかで聞いたことのある声。

 

「ちょっと待って、何か……」

 

 ――聞こえる。

 

 声の主はすぐに表れた、なんかこげ茶色で冗談みたいに大きく平たい物と一緒に。

 琉希だ、こちらからでも見える程ブンブン手を振っている。

 

「おーい、フォリアちゃーん!」

「琉希……なにそれ」

「ん? ああこれですか?」

 

 琉希の後ろには彼女の母親である椿さんや私のママ、剣崎さんに見知らぬ人と色々乗っかっていたが、それより彼女たちが乗っかっている謎の物体の方が気になって仕方ない。

 厚さは大体長いコップ一個分くらい、長さはもう測りきれない。数件の家を覆ってなお余るほどのとんでもない面積だ。

 その表面には草が生えてるし、蟻がてくてく歩いてるし、石が転がっている。

 

 彼女はぺちぺちと床を叩き、目の前に生えてたたんぽぽを引っこ抜いてにっこり満面の笑みを浮かべた。

 

「地面です。SP限界までユニークスキルに突っ込んでみたら、なんか範囲指定で何でも持ち上げられるようになったので、ちょっと大きめに切り取って移動式の床にしてみました。本当はもっと出来るんですけど、抉っても大丈夫そうな場所が無かったので……」

「そうなんだ……」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百五十六話

「良かった……皆怪我はないんだ……」

 

 感動の再開、というには数時間程度しか経っていないものの、多少の砂ぼこりに服を汚しつつ怪我一つないママや剣崎さんの姿に胸をなでおろす。

 剣崎さんはフィールドワークでダンジョンに潜ったりしているし多少は身体が頑丈なのかもしれないが、ママはこの前の出来事でレベルが初期化されている。

 見た目通りの一般人、もし何かに潰されでもしたらひとたまりもないだろう。

 

 それにしても、二人はあの館にいたはずなのだが、琉希はよく二人と出会えたものだ。

 私だって場所を知ったのは今日の朝だったのに……

 

「いやぁ、地震の直後から友達の家を回っては回収してたんですけど……」

「アタシが頼んだのさ。電話はパンク状態だけどSNSならギリギリ送信できたから、どうにか場所を聞いてね」

 

 琉希の母、椿さんがママの肩を抱き、ニカリと白い歯を見せた。

 

 どうやら偶然拾ったというわけではなく、わざわざ迎えに行ってくれたらしい。

 

 ともかくみんな無事でよかった。

 この二時間程度で何人も救助をしてきたが、中には酷い怪我で見ていられないほどの人もいた。

 ポーションがあるのに何の役にも立たないのが一々歯がゆい。

 

「フォリアちゃんは中々酷い有様ですね……」

「ん……ああ」

 

 こちらの茶色や赤に汚れたコートをみて琉希が呟く。

 

 最初こそ一応汚れないように気を付けていたものの、結局次から次へと情報が入ってくればそんなことを気にする余裕も無くなった。

 始まって三十分くらいだろうか。ふと時計を見たその時点で、今と大して変わらぬ惨状になっていたのは。

 

「琉希も、皆避難所に運んだら手伝ってくれる? その力ならもっと効率的に動けると思う」

「ええ、勿論!」

 

 

『今しがた琉希が来た、すぐに貴様と合流するだろう』

「うん……ん?」

 

 地震は津波の方が恐ろしい。

 よく言われる言葉ではあったが、どうやらあまりに大きすぎるものの前にはあまり通用する話ではないようだ。

 

 ゴロゴロと、人のこぶし大から私ほどまで様々に転がるコンクリートの塊を軽く飛び越え、なるべく救急車などが向かいにくい場所を優先して移動する中、ふと、ボロボロの町中に似つかわしくないものを捉えて足が止まる。

 

「これは……」

 

 扉だ、その高さ成人男性を軽く超える程度。

 石なのか、それとも金属なのかすら分からないが、周囲の建造物は多かれ少なかれどこか崩れているにもかかわらず、その扉だけは日光を受け新品の如く艶やかな輝きを放っている。

 まるで、今しがた出来たかのように。

 

『どうした』

「町の真ん中にダンジョンの扉がある……こんなところにはなかったはずなのに」

『ふむ……やはりあの変化の影響が各地に出ているとみるべきか』

 

 カナリアのあまり聞きたくない考察をスルーして門をペタペタ弄る。

 間違いなく見慣れたダンジョンの扉だ。

 

 しかしこのまま何もせず放置、というわけにもいかないだろう。

 

 一目でダンジョンだと分かるし、誰かが勘違いして入るなんてあり得ない……とは思うが、何があるか分からないのも事実。

 内部の調査をしている暇もないし、もし内部のレベルが高ければ、それこそ何か勘違いして入った瞬間一般人なら死ぬことだってあるだろう。

 

「ただいま到着!」

 

 空から落ちて来た彼女がすたりと真横へ着地した。

 

「琉希、いきなりだけどこれ埋められる?」

「大丈夫ですよー」

 

 一瞥してそれが何か理解したのだろう、ぐっと親指を突き出す琉希。

 彼女がトントン、と地面をつつくと、レンガほどのサイズになった地面が次から次へと扉を覆い、あっという間に周囲を覆ってしまった。

 

 土で出来たかまくらみたいだ。

 

 あいにくとここら辺では雪がさほど積もらないので本物を見たことがなく、初めて見るのがこんな茶色いものであることに少し悲しみを覚える。

 とはいえ今降られても避難所が大変なことになるので勘弁してほしいのだが、むしろ雪があまり降らない方が今は幸せか。

 

 ああ、寒さ対策もどうにかしないと……水は魔法使いの人がいるから良いとして、食料は……ダンジョンで食べられそうなのを確保するか。考えることがいっぱいで頭が痛い。

 

「ダンジョンの崩壊は流石に抑えきれませんが、誰かが間違って入ることはないと思います」

「ありがとう。カナリア、扉が発生した地点は……」

 

 今はこんなことしか出来ないが、後で細かい調査もしないといけない。

 

 カナリアにダンジョンの位置を伝えている最中、無線越しの彼女の注意が逸れた。

 暫く頷き何かをやり取りする声、漸く帰って来た彼女の返事は……

 

『どうやら他の班も同じくダンジョンの扉を見つけたようだ』

「そっか……やっぱり……」

 

 ダンジョンは世界各地に点在する次元の罅が元になっている、それを塞ぐための覆いとも言えるだろう。

 つまり世界に罅が多く入れば入るほど、限界が近づけば近づくほど、ダンジョンの数も増えていく。

 

 異世界で各国が蒼の塔、魔天楼を次々に建て始めた二十七年前に、こちらの世界でも各地にダンジョンが大量に発生した。

 それ以降、それこそいきなり町の中にダンジョンが生まれるなんて、滅多にあることではなかったのだが……偶然、ではないか。

 

 つい零れたため息に、横から飛んできた心配げな視線。

 へらりと、動きもしない表情筋を稼働して誤魔化す。

 

『北海道でダンジョンが崩壊か!?』

『超常震災、日本各地で震度七を超える大災害』

『震源特定不可、気象庁大混乱!』

 

 ちらりと見たスマホのニュースサイトはひっきりなしに新たな記事が貼られては流れ、各地の混乱が露わになっている。

 この調子では記事を書いている人だって被害にあっているだろうに、仕事熱心な事だ。

 

 彼らの努力をありがたく思いつつスクロールするが、打ち込まれているコメントはどれも混乱と苛立ちに満ちたものばかり。

 こちらはあまり何か拾える情報もなさそうか。

 

 スマホの電源を押し込み、右へ振り向く。

 

 探索者達の協力もあって想像以上に早く救助は進んでいる、上手く行けば今日中にも倒壊した家や怪我人などを運び終えられるだろう。

 

「次の場所、ついでにダンジョンを塞ぐのも一緒にやっちゃおう」

「はい!」

 

 私たちは瓦礫を飛び越え、無線に耳を澄ませながら駆け出した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百五十七話

 ほう、と声を漏らすと、真っ白な吐息があっという間に掻き消された。

 

「風強いね」

 

 高台に上り周囲を見回しながら、叩きつける様に吹く風と塵に目を細める。

 

 こうやって静止している今は比較的マシだが、なによりもあちこちへ移動しているときに最も意識してしまう。

 久しぶりなので忘れていたが、細かいゴミが目をビシバシ殴りつけてくるので滅茶苦茶痛い。

 冬なので乾燥もひどい、目薬ほしい。

 

「なんか物足らない気がするんだよね……」

 

 何か便利な奴があった気がしないような、するような。

 こめかみあたりを撫でていると、ふと横に居た彼女が『アイテムボックス』をがさごそと漁り始め……

 

「あ、そうそう。これ渡すの忘れてました」

 

 ぽん、と手渡された白いお面。

 赤、黒、金が彩るそのお面は、買った時こそ随分無駄な散財だと後悔したものの、餡の下の餅な活躍をしてくれているにくい(・・・)奴。

 

「い……いなりん……!」

 

 こ、これや……! 私に足りなかったのはこれや!

 

 どこかから飛んできた電波を受信してしまうほどの感動。

 

「靴とかコートは必要だったのですぐ思い出せたんですけど、これだけうっかり忘れてまして」

「おお……ありがと」

 

 かぽりと顔に嵌めればなんというフィット感。

 紐無しで張り付くこの感覚に最初は呪われたお面かとも思っていたが……うむ、これで良し。

 

 警察や消防との連携が上手く行っていった結果、現状救出が遅れたことによる死者はゼロ。

 もし夜ならばこうはいかなかっただろう。

 

「地震が起こったのが午前でよかった、不幸中の災害だね」

「大惨事じゃないですか、不幸中の幸いですよ」

 

 

 救助もひと段落着いた夕暮れ近く。

 大概の人は救い終えたとはいえ、木材などで酷い傷を負ってしまった人は探索者の領分から、警察や消防の領分になる。

 下手に無理やり動かして傷が悪化すれば、助かるものも助からないからだ。

 

 あくまで私たちは私たちに出来る分をするだけ。

 勿論向こうから申請があれば駆けつけるものの、以前出会った警察官のあじ……あじなんとかさんだってある程度はレベルが高かったように、その能力は決して探索者に劣るわけではない。

 探索者側は探索者側で、避難所の設営に追われていた。

 

「こっちもお願い!」

「ん」

 

 誰かが声を張り上げる。

 

 ごろりとこちらへ転がって来たドラム缶を受け取り、びすびすと人差し指を突き立て穴を開けていく。

 これがなかなかどうして軽快で気持ちいい、猫が障子へ飛び込むのもきっとこれに似た快楽があるのだろう。

 

 まだ日が上がっている今なら問題はないだろう。

 だが夜は冷える。探索者の炎は攻撃用で一時的なもの、延々と熱を撒くために付けている余裕は流石にない。

 このドラム缶へぺこぺこ指で穴を開けたり、下の方を四角く千切り取っているのは、夜の暖をとるための焚火を作るためだ。

 

 この町における避難所は三か所に分かれていた。

 剣崎さんの大学、近くの小学校、そして協会。

 ここ協会ではおおよそ千人、一週間分の準備がある……とされているが、被害の範囲が大きすぎてそれですら足らない。

 

 普通の災害ならば家のほぼすべてが倒壊するなどあり得ないのだ。

 だが今回の大地震は、一応は避難所として建築された側面もある協会すら――私による影響もほんのちょっと、そう、ほんのちょっとだけあるとはいえ――半ば倒壊している。

 大半の建造物はボロボロで住むことすらままならない、町に住むほぼすべての住人が三か所の避難所へ集まっているとなれば、流石に足りるものも足りなくなる。

 

 布団が足りない、食料が足りない、水は探索者がいるから確保可能だとして……病気の人もきっと出てくるし怪我人用などの薬も足らない、トイレやお風呂もどうしたものか。

 今はまだ地震への恐怖から騒ぐ人もいないが、当然電気なども止まってしまっている今後その手の人も出てくるだろう。

 

「店長の方々からちょうど話がついて、衣類や毛布は倒壊した店の中から確保できそうよ」

「え……? そっか、よかった」

 

 適度に追い詰められれば活躍してくれる園崎さんが、指示を出す前に動いてくれたらしい。

 

 頭を悩ますことが多々あるが一つ一つ潰していくしかない、か。

 これだけ広範囲に大災害が広がっているのならば、国や県からの協力は期待できないだろう。動くのなら人口の多い大都市圏、田舎の町など後回しに決まっている。

 

「日本だけではない、世界各地で大騒動らしいぞ。次元全体からすればちっぽけでも、我々からすれば途方もない範囲に衝撃波が伝ったのだろう」

 

 そんなもの滅多に起こるわけがない、やはり人工的に起こされたと考えていいだろうな。

 

 これでは都市部の復興すら怪しい、相当の長期戦になりそうだ。

 カナリアの結論に思わず目を瞑る。

 

 いや……もしこの震災が人工的に起こされたものだとして、もう一度起きたらどうなる?

 一度目でダンジョンが無数に生まれる程世界に傷が付けられたのだとしたら……二度目にその傷たちは……やめよう。

 

 正直今日は現実感が無さ過ぎた。

 突然の強烈な地震、あっという間に崩れ去ってしまったいつもの景色。

 ともかく目の前の事態をどうにかせねばと、半ば思考停止で這いずり回り、一息ついたところで思考が回り出し、じわり、と陰鬱な気分が首をもたげる。

 

 昏い方向へ進みそうになった思考、唇を軽く噛み締め前を向く。

 

「土の魔法使える人にトイレとお風呂の形は作ってもらって、汚物は毎日ダンジョン内に捨てては新しく作り直すとかですかね。運ぶのは私がしますよ」

「え、いいの? じゃあお願い」

 

 琉希のスキルの特性上触れることはないとはいえ汚物の処理、けっして心地の良いものではないだろう。

 しかし自ら申し出てくれるのならそれ以上有難いものはない。

 

 彼女の提案に有難く頷き、端っこが歪んだホワイトボードへ書き込んでいく。

 

 ダンジョン内で物を放置すると消滅する。

 様々な仕組みを知った今、恐らく全て魔力へ戻っているのだろうと予想できる。確か現代のゴミ処理もそのようにされていたはずだし、今は私たちも利用するべきか。

 

 折角町中に出てきたダンジョンだ、もっと有効利用してやる。

 そう、例えば食べ物を温めたり、暖を取るための燃料としてとか。

 

「薪は人を二度温める、か。なら乾いた落ち葉も拾ってきてくれ、生木は火が付きにくい。煤もひどいんだが……まあ今はどうこう言ってられねえか」

 

 あまり会話に混じらず黙々と作業を進めていたウニが、ふと思い出したかのように口をはさんできた。

 

「ウニ詳しいね」

「あー……なんでだろうな。昔、誰かに聞いた気がするんだが……忘れちまったな」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百五十八話

 カナリアによって打ち上げられた魔法の輝きが、煌々とテントの下を照らす。

 その下に並んでいるのは私、園崎姉弟、魔法関連の識者としてカナリア、そして偶然こちらへ避難してきた何人かの町内会の役員の人など。

 皆忘れているもののきっと筋肉が手回ししてくれたおかげだろう。どうやら地震前から事前に情報が出回っていたらしく、私の姿を見て軽い驚きはするものの、しっかりと話を聞いてくれた。

 

「協会からの連絡が恐ろしく少ない、一斉送信のものすらまばらだ。自治体や国は動いているようだが」

「大学と小学校の方は水が足らないらしいわ」

「明日崩れた店から在庫を引っ張り上げる予定だけど……それでも食料足りねえぞ」

 

 情報を纏めていたカナリアや園崎姉弟が次々に声を上げる。

 

「じゃあ大学と小学校の方には水の魔法使える人三人と戦闘向きの人四人ずつ、あと一応回復魔法使える人も一人。なるべく希望する人から集めて」

 

 毎日は流石に負担になるとして、それでも二日か三日に一度は他の避難所でも問題がないかの連絡もつけたいか。

 

 この震災で一番の幸運は、回復魔法ならば怪我人にも効くことだろう。

 カナリア曰く、ポーションは体内の魔力に宿る記憶からの再生、回復魔法は身体の治癒能力を引き上げる。

 二つは過程が異なり、ゆえに回復魔法ならば探索者でなくとも効果がある……らしい……?

 

 まあ効くならなんでもよし。

 

「連絡に関しては後で考えるとして、一番は食料だね……」

 

 五分ほど時間があったので数キロ先までぐるりと走り回ってみたが、道路も無残なものであった。

 盛り上がり、削れ、砕け、道路というにはあまりに茶色の面積が大きすぎる場所、崩れた橋、どこもかしこも原型をとどめていない。

 

 勉強は苦手だが流石に私だってここまで道路があれな状態じゃ、流通だってままならないのは分かっている。

 

 今この避難所にいるのは二千人と少し、本来の許容量の二倍だ。

 水は魔法でどうにかなるにしても、こうも流通がボロボロになってしまっては、どこかから食料を調達する……というのも難しい。

 確かに探索者なら『アイテムボックス』で多少は多く運べるものの、一体何度往復することになるやら。いや、そもそもその調達先すらここまでの地震でボロボロになってしまえば怪しい。

 

「これもダンジョン内で……最悪希望の実かな」

「わしらにそんなものを食わせようとするのか!」

 

 私が口にした瞬間、今まで静観していた壮齢の人がいきり立つ。

 しかしそんな彼の前へ手を広げ制したのは、馬場さんという一人の老人であった。

 

「わしが話そう、君は配給の手伝いを」

 

 彼の名は馬場、町内会の役員らしいが、過去に探索者としても登録していたことがあったらしい。

 相談役として避難者の中から募ったところ彼は町内会の中でも比較的落ち着いた性格であり、協会や探索者にも詳しいということで、周囲の推薦もあってここに座っている。

 

 ほんの少量で一日分の栄養やカロリーを補え、かつどこのダンジョンで、いくらでも採取できるあれはうってつけだろう。

 しかし馬場さんが苦々しい顔で首を振った。

 

「味……しかしそれ以上に未知の存在を口にしたくはない、といったところでしょうな」

「でも若い人には実を、老人には普通の非常食を、なんて出来ないわ。絶対に不満が溜まるもの」

 

 ダンジョンの存在自体、この世界に現れてからまだ三十年しかたっていない。

 若ければ若いほど、生まれた時から存在するそれに比較的馴染んでいて拒否感などは覚えないが、歳を取っている人ほどやはり忌避することが多い様だ。

 

 今は小さな不満でも、それが溜まって行けば些細な事で爆発しかねない。

 しかし食料の不足はどうしようもないものだ。

 

「ええ、ええ、分かっております。しかし初めから全て置き換えれば反発は抑えきれない、明日から一食ずつ置き換えていけばなんとかなるかもしれませぬ。あとはどうにか話を付けるしかないでしょう、わしがそれは担いましょうぞ」

「え、いいの……良いんですか?」

「敬語は結構、無理に使って意思の疎通が出来なければ意味がない。なに、老人というのは同調圧力に弱いもの、理解の早い者から説得していけば自ずと頑固者も頷きましょう」

 

 明日は朝食だけ、明後日は朝と昼を、以降は支援物資などの状況を加味しながら三食全てを置き換える。

 しかしあまり硬いものはわしも苦手でね、どうにかして頂けないか?

 

 肩をすくめる馬場さんへ、その点に関しても一応考えていたのでコクリと頷く。

 

「砕いてから丸めて、飲み込みやすいように小さく成型するとか……固められなかったら粉にして水で流すしかないね」

「飲んだら腹いっぱいになる薬、か。まるで近未来ディストピアの飯だな」

 

 誰もが思っても口にしなかったことを平然としゃべり、嫌そうに顔を歪めるウニ。

 園崎さんが彼の背中を突くなりしたのだろう、すぐにその顔は痛みで一層のこと歪んだ。

 

 たっぷり水を使える、材木もダンジョンから集められるから暖も取れる。

 比較的マシな環境は整えられているのかもしれないが、それでも私たちの頭を悩ませる物事が多すぎた。

 毛布も流石に足りなかったので、分厚いものとはいえ二人で一枚を共用している人だっている。ドラム缶の焚火は良い交流の場になっているものの、地面からの冷気をどうこうできるわけではない。

 

「精神面も不安ですな。故意ではないのかもしれませぬが、他の県や地域の情報を吹聴して不安を煽る者もおるようで……あまり動かないこともあって鬱々とした考えが巡ってしまうようですな」

「そういった奴らは作業を手伝わせればいいだろう、運動はストレス発散の基礎と言える。ついでに参加自由のラジオ体操でも実施したらどうだ?」

「ほう……妙案ですのお嬢さん」

「私は七十八だ、貴様よりも年上だぞ。敬え」

「はっはっは!」

「おい爺貴様何笑っている! 何がおかしい! おい!」

 

 年齢はカナリアの方が上らしいが、どうにもおじいちゃんと孫娘にしか見えない二人をちらりと見ながら思考を巡らせる。

 

 地震が起こった今日こそ、支部長代理である私が指揮を取ったものの、やはりどうしても見た目による影響が大きかった。

 特に普段協会と関わっていない人は猶更……せめてもう少し身長が高ければいいのだが、この小学生並みな体はどうしようもない。

 

 どうやらこの馬場さん、相当名を知られている人でもあるようだ。

 先ほど食って掛かった人も、彼の言葉にはすんなり頷きこの場を去った。

 正直知識不足や気配りが完璧にできているとは自分でも思っていないし、経験豊富そうな彼に任せる方が説得力も増すだろう。

 

 いきなりで悪いが、と馬場さんに頼み込んでみれば快い返事。

 

「しかし、それだけではなさそうかな?」

 

 気付かれたか、首を捻る彼に頷く。

 

 無数に現れたダンジョン、蒼の塔の不気味な変化、そして協会からの連絡も少ない。

 当然怪しい、確認するしかないだろう。

 それに道路の状態や他の避難所、人々の動き、加えて出来ることなら自治体の倉庫などへ向かい、非常食の確保だってしたいところ。

 

 瓦礫の山だろうが何だろうが容易く踏破できる、高レベルの探索者こそが一番向いているだろう。

 

「二人を信じてるから。私は……明日の朝から協会本部に行こうと思う、カナリアも大丈夫?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百五十九話

 あくる午前七時。

 近くに海があるのかもしれない、かすかに潮風の生臭い香りが漂う道を行く。

 昨日の夜に様子見がてら近くのダンジョンへ潜り拾い集めていた実を齧りながら、ペットボトルの水を一気に飲み干す。

 

 私の舌が久しく感じていなかった感覚、加えてその味が甘みであることに歓喜した。

 

「かりんとうみたい」

 

 前までは少し甘いくらいだったのに……

 

「糖質が進化の過程で生物の必要なエネルギー源として扱われ、『甘味』として好まれるように認識されるようになったのなら、魔力の味を貴様が好ましいと思うことも必然だろう」

「……?」

「体に必要なものは美味いんだよ」

 

 必要なものだと言いながら一瞬で自分の発言と矛盾した態度を取る彼女。

 味に顔をしかめながら、彼女もぽいぽいと実を噛み砕き無理やり飲み干していく。

 

「はぁ……今更これをまた食うようになるとは」

「やっぱりカナリアがこれつくったんだ」

 

 それはダンジョン由来なのだから当然なのだが、今まで気になりつつも聞けていなかったこと。

 その豊富な栄養からモンスターの餌にでもなっているのかと思ったが、それにしては食べている瞬間などを目撃したこともない。

 

 しかしどうやらダンジョンと直接な関係があるわけではないらしい。

 それは彼女が狭間に落とされた時の事。

 

「暗闇にずっといるとな、時間も分からないし意識がぼんやりして来るんだよ。しかし周りは濃密な魔力、ちょっとでも気を抜けば自分の一切があっという間に分解される……」

 

 無意識なのか、暗い面持ちで語る彼女の指先で磨り潰され、粉状になって風に流される希望の実。

 

「自我と記憶の保護、認識の定着、肉体の復元。手軽な食事による精神の安定と同時に色々と盛り込んだものだ。手元へ生み出されるよう魔法式を組み立てておいたのだが、どういう訳かダンジョンにまで組み込まれてしまった」

 

 なんか凄い並べたてているけど、要するに偶然か。

 

 元々この実は彼女が研究の合間に研究していた、飢饉等への対策の一つらしい。

 研究の合間に研究とは。

 休めば? と思わなくもないが、どうにも暇が出来てしまえば落ち着かないとかカナリアの談。

 

 そして手元にあったそれを基礎として、色々盛り込んだ結果生まれたのがこれ。

 

「でもわざわざ不味くしなくても良かったじゃん」

「クソ不味いと生きてるって気がするだろ?」

「……さあ?」

 

 心当たりはあるがあえて頷かなかった。

 彼女が最初から美味しく作ってくれれば、昨日わざわざあんなやり取りをしないでも済んだかもしれないからだ。

 

 不意に降りる沈黙。

 足裏を伝うごつごつとしたコンクリートの刺激、絶え間なく流れ込む視界の惨状は嫌でも思考を現実へ戻す。

 

 予想通りというべきか、翌朝から協会本部へ向かって歩いてみたものの、景色は私の町と大して変わらぬ様子であった。

 原因とも言えるあの蒼の塔の根元に協会本部があるので、たとえ道路が無残に破壊され、電柱が根元からへし折れていようと道には迷わないのは果たして幸か不幸か。

 

 道路の状態があまりに悪いせいか、救急車ではなく人の手によって運ばれる痛ましい傷を負った人々。

 避難所も埋まりきっているせいなのか、崩れた家の前で瓦礫から道具を引っ張り出して雨露をしのいでいる人もいた。

 

 イライラする。

 私には何も出来ない。物語のようにすごい魔法で食べ物を生やしたりは出来ないし、家を作ったりもできない。

 

 せめて回復魔法が使えたら、水を出せていたら、せめて、せめて、せめて……。

 

 正直地震でもあまり物理的に身の危険を感じることはなかった。棚が倒れてきても骨折なんてしないし、巨大な岩が落ちてきても死ぬわけではない。

 しかし何かできないことが一つ分かる度、何とも言い難い無力感に襲われる。

 

「カナリア」

「おい……またか」

 

 無機物の残骸を超える中、まだ朝早くにも関わらず人が集まり忙しなく動き回っている一角があった。

 屈んで覗き込んだ瓦礫の奥へ声をかける人、上から数人で鉄筋を持ち上げようと試みる人。

 

 ひょいひょいと地面を飛び越え、息を荒げて休んでいる人へ話しかける。

 

「大丈夫ですか」

「ああ、奥に挟まれてる人がいてね……君、誰か手の空いてる人をもっと呼んできてくれないか?」

 

 真冬の朝にも拘らず額からたらりと伝う汗。

 石片で切れたのだろう、ボロボロの軍手をした壮齢の男性は疲れた声でそう言った。

 

「私探索者なんで手伝います」

「おい貴様、私たちも急いでるの理解してるよな? 新手のナメクジにでもなるつもりなのか?」

 

 ぐちぐちと足元の石ころを蹴り飛ばす彼女を無視し、小さな塊から順にぽいぽいと弾いていく。

 暫くちらちらとこちらを見ていた彼女だったが……

 

「く……遅い!」

 

 最後には光を纏い、魔法を使ってがれきを浮かべ始めた。

 

「おい」

「ん」

 

 小さなものは一度に操れる彼女が、柱など大きなものは私が。

 二人で動けばものの数分で除去された家。

 奥にはうつ伏せで横たわった女性が……いや、胸元に私より小さい子を抱えていた。

 

 抱えられていた子は見た所怪我がないものの、女性の方は酷いものだ。

 砕けたガラスや木片が突き刺さり真っ赤に染まった背中、太ももに突き刺さった鉄の棒、犬のように絶え間なく行われる浅い呼吸が痛々しい。

 

「――もう、大丈夫だから」

 

 返事はない。

 

 ただコクリとゆっくり頷き、彼女は意識を失った。

 

「おい、さっさと担架を持ってこい! なに暢気に見ている間抜け共!」

 

 途中から混じるだけ邪魔になると気付きぼんやり眺めていた人たちが、カナリアの言葉ではっと動き出す。

 

 鉄筋という奴なのだろう、彼女の足に突き刺さっている凸凹とした鉄の棒は、所々にコンクリートがへばり付いている。

 足に刺さった物は下手に抜くと危ないらしいので、軽く端っこを千切ったあたりで、忙しなく担架を抱えた人たちが駆け寄って来た。

 

 担がれ運ばれる二人を見送っていると、先ほどのおじさんが紙コップのお茶を手渡して来た。

 

「ありがとう……こんな状況で重機も入れられないし本当に助かったよ」

「うん。でも他の探索者は?」

 

 蒼の塔はすぐそこに見える。

 本部はあの根元に存在するわけだし、この程度なら数万レベル程度の探索者が一人が二人いればすぐ片付くはず。

 しかしどういったわけか、時々出会うこういった瓦礫の撤去をしている人はどれも一般人に見えた。

 

 たまたま出会ったのが全てそうだった、というのは無理があるだろう。

 

「それが……本部は今空っぽらしくてね……」

 

 空っぽ、とは一体どういう訳か。

 

 私とカナリアは顔を見合わせた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百六十話

 本部で起こったことは非常に単純であり、しかし同時に不可解な事であった。

 

 おじさんが言った事まるきりそのまま、特に比喩などもなく、文字通り本部には人が一人とていないそうだ。

 昨日の昼頃だったか、とある企業の人が本部へ訪ねたそうだが、奇妙なことに人気がない。

 

 これだけの大事が起こっているのだ。協会がいくら騒がしくなることはあっても、人っ子一人いないというのはあまりに異常な事態。

 ネットを繋げる層が今は限られているので遠くまで、とはいかないものの、ここいらに住む人は大概その話を耳にしているようだ。

 

「本部大半の人間がクレストの関係者であったのか、それとも消されたか……」

 

 どちらにせよこの世界には既にいない。

 

 あまりに現実感がなく、しかしどうしようもないほど納得できてしまうことが腹立たしい。

 

「それじゃあ救助活動とかも難しいんじゃ……」

「いや、近くに海自の船が止まってるんだ、昨日の夜についたんだったかな。ここら辺は今日から本格的に動けるよ」

「そっか……よかった」

 

 ちょうどその頃、遠くから瓦礫を超えて迷彩服の集団が走ってくるのが見えた。

 一糸乱れぬ……とはいかぬものの、その動きはてきぱきと素早く統一の取れているもの。

 

 勿論毎日のようにダンジョンへ潜っている人と比べれば低いが、肉体系の公務についている人だってダンジョン内である程度の訓練は積んでいる。

 それに、札名は最大でも片手程度の人数でしか組まない探索者とは異なり、大人数での行動を見据えて訓練している彼らの連携は今こそ輝くものだ。

 

「行こうカナリア、ここはもう大丈夫」

 

 

「にしてもこれならば本部に行こうと意味がなさそうだな」

「取りあえず見にいこう、後は出来る限り備蓄の食糧持って帰るくらいかな」

 

 空っぽの本部、当然何かの情報を残しておいてくれているわけもないのだろう。

 とはいえここまで来て何もしないで帰る、とは出来ない。

 

 ここに来る前、カナリアと見たウェブ上のマップを思い出す。

 

 えっと、確か近くで備蓄用の倉庫があったはず。

 私たち二人でどれだけ持ち帰られるかは分からないが、『アイテムボックス』に魔法にとフル活用で行けば全員の一食分くらいなら持てるかもしれない。

 

 街から塔の根元――にある協会本部――へ歩く中、ふと周囲に木々が増えたことに気付く。

 それは次第に密度を増し、どうやら行く先には小さな林が広がっているらしいことも分かった。

 

「あ、この先海なんじゃない?」

「うむ、これは防砂林だな」

 

 一陣の風がぶわりと突き抜け、横の林が大きく揺れ動く。

 木々の隙間から僅かに見えたのはコンクリートに覆われた岸やいくつかのコンテナ、そして広がる灰色の海。

 飛びぬけて綺麗な光景とは言えないものの、しかしこんな時でも海というワードだけで少し心が躍ってしまうのは仕方がないことだろう。

 

 海と地震と言えば津波が出てくるのは日本人の性かもしれないが、先ほど歩いた街中が海水に濡れていた様子はない。

 やはりニュースで見た通り海中を震源としていないから起こらなかったのか、もしくはすごい小さなものだったのだろう。

 

 協会本部の逃げ去ったこの街でもし巨大な津波なぞ襲ってきたら、本当にどうしようもないほどの被害が広がっていただろう……まあ、今も大概かもしれないが。

 

「風すごいね」

「まあ直に凪ぐだろ」

 

 どうせどこの道を行ってもあちこちボロボロだし、歩きやすさに差があるわけではない。それならば少しでも気分がよくなるだろう場所を歩こうと、自然、足は海の方向へ向かう。

 靴の下は砕けたアスファルトから砕けたコンクリートへ。しかし大半はひびが入っているだけで。思ったよりマシな状況であった。

 

 ごうごうと騒がしい風の音、そしてそれに掻き立てられた海が白波と共に『波音』を並べる。

 無言で歩くと思い出すのがあの日の電話だ。

 

 ああ、そういえばあの時もすごいうるさくて、筋肉の声がよく聞こえなかった。

 あれが最後なんてこれっぽっちも思わなかった。わらってしまうほどあっけなく、また会えると思っていた相手が消える空虚さ。

 

 あの時筋肉は何を謝りたかった? どうして最期私に電話をした? 誰から隠したかった?

 聴きたいことは何一つ聴くことも出来ず、何を調べていたのかすらも分からないけど、あの時もう少し話を聞き出したり止めたりしていれば……

 

 駄目だとはわかっているが、暗く沈み込む思考と共に視線も下を向く。

 

「……きっと筋肉が今いたら、もっとうまく動いてるんだろうね」

「死んだ人間がいたらなどと言っていたら永遠に話が進まんぞ。居ないなりにやるしかないだろう」

「そうだけどさ……」

 

 コンクリートの小さな破片を蹴り飛ばしたところ、転がる破片が横に長い引っ掛かりにぶつかって妙な方向へ飛んでいった。

 

 なんかここ変だ。

 

 私の手のひら大だろうか、綺麗に一直線を描くコンクリートの中でここだけが奇妙に突き出している。

 そしてその先端から飛び出した線は、周囲の状況からして罅割れのようにも見えるが、それにしてはあまりに綺麗すぎる。

 

 こんなぴったり真っ直ぐな直線、自然にできた罅割れであり得るのか?

 

 ふと『アイテムボックス』からひっぱりだしたスマホを宛がうが、やはりブレ一つない罅割れは奇妙で仕方がない。

 周囲を見回したところ、これと似たような線がいくつかあちこちに存在していることに気付く。

 

 二、三……四かな。

 

「これなんだろ」

「いたずらかなんかだろ」

 

 だがその線に共通点はない。

 つくられている距離がぴったり同じならば何か理由があると判断できるが、長さ、場所、どれもが違う。

 

「カナ……リア……」

「繰り返すが」

「違う!」

 

 ぞっとするような冷たい吐き気、じりじりと焼け付くような焦り。

 気付いているようで気付いていない、いや、本当に気付いていいのかと後頭部が熱くなった。

 

 私はこれを……見たことがある。

 

 初めてこの目でダンジョンの崩壊と消滅を見た次の日。

 あまりの非現実さ、そして筋肉自身がそんなことはあり得ないと否定し誤魔化されそうになったあの日だ。

 自分を信じれず、現実を信じれず、しかし記憶のままに来た道を歩いて森の奥へ潜った。

 

 まるで靴や岩が滑らかに切り裂かれ、断面をぴったり合わせたかのような風景。

 様々な物が決して自然ではありえないような状況、歪な積み木のようにくっつけられた状況はぞっとするほど不気味なものであったが……これはあれとよく似ていた。

 

 何も知らない人が見れば気付かなかっただろう。

 だが、これは間違いない。

 

 そしてこの痕跡が示す事実はただ一つ。

 

「ここで……消滅が起こった……」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百六十一話

「ここで……消滅が起こった……」

 

 自然とこぼれ出た言葉。

 

 信じ難いがしかしそうとしか言えない。

 これは間違いなく、ダンジョンの崩壊が起こった後食い止められず消滅が起こった時に出来る痕跡だ。

 

「馬鹿な……こんなデカい街の近くで崩壊が起こる訳が無いだろう、協会がすぐそこにあるんだぞ」

「でもこれは間違いなく消滅の痕跡、カナリアも分かるでしょ」

 

 地面の直線を指差せば、ぐいと口篭もる彼女。

 

 他の部分は滑らかな直線にも拘らず、こんなゆがみのでっぱりが一つだけある、なんて普通じゃあり得ないだろう。

 しかしこの妙な形に飛び出したコンクリートのでっぱりも、がっぽり空いた空間を塞ぐために出来た歪みだと考えれば頷ける。

 

 激しい波しぶき、消滅の痕跡。

 二つの情報が指し示す状況は、あの時の電話から聞こえたものとひどく合致している。

 

 そしてここは……

 

 ふと上を向けば、『碧空』を中心に展開した同色のナニカが、ふわり、ふわりと緩慢に蠢いていた。

 そしてその近くには、勿論『碧空』と比べれば勿論ちんけなものではあるが、しかし現代社会の建造物としては稀に見る程の巨大なビルが聳え立っている。

 

 協会本部。

 今はものけのからだと話を聞いていたが、しかし向こう側が妙に騒がしい。

 もしかしたらかの入り口付近には助けを求める人が集まっているのかもしれない、そのトップが全ての元凶だとも知らずに。

 

「筋肉を殺せる人間なんてそう沢山はいない。仮にその実力があったとして、殺す理由がある人間なんて更に限られてくる……」

 

 筋肉は何を追っていた?

 その全てを知ることはできないかもしれない。だが彼は長年消滅について追っていたと、本人自身が言っていた。

 わざわざ私に、スキルの強さもあって身を守る立場を確保させるためという理由もあるにせよ、支部長の責務を負担させてまで調べたかったこととは。

 

 彼がそこまで必死に、このチャンスは逃せないと調べることなんて……やはり崩壊に関係することなのではないのか。

 そして情報を手繰る中、ついに見つけた――いや、見つけてしまったのだとしたら。

 

 証拠なんて何一つない。拡大解釈を並べ立てた妄想にも近いかもしれない。『もしかしたら』を繋ぎ合わせた拙い推理はあいまいな根拠にばかり縋りついていて、下手したら真実なんてフルーツ系炭酸飲料の果汁くらいほんのちょっとしか含まれていない可能性だって大いにあり得る。

 だが、現状のストレスから知らず知らずのうちに私自身がとち狂ったと決めつけるには、どれもこれもどうしようもなくぴったりと合ってしまう。

 

 街の様子は至って普通だ。

 いや、いたって普通というのはまた違って悲惨な状況ではあるのだが、ダンジョンの崩壊によってどこかが消滅し、歪に修正された痕跡はなかった。

 消滅は直線によって構成された非常に特徴的な痕跡を残す、見逃すことはない。

 

「やっぱり筋肉はここでやられたんだと思う……」

 

 だが、この街にあまりにも被害が少ないのは気掛かりだ。

 

 仮にこの広い街の中にダンジョンがあったとしたら被害は当然大きくなるだろうし、クレストが直接関係していない探索者や組織によって食い止められるだろう。

 第一あちらだって崩壊のきっかけは作ることが出来ても、消滅はその仕組みからして防ぎようがない。

 自分が巻き込まれる危険性を考えればしっかり管理するのではないか。

 

 軽く地面の縦線をなぞり、立ち上がって周囲を見回す。

 

 本当は整然と並んでいたのだろう。だが様々な色のコンテナは今、雑に崩れ、倒れ、散乱している。

 奥にある作業場らしき場所も若干崩れかかっており、やはりここも地震の影響が見受けられた。

 

「ちょっと君たち止まりなさい!」

『……っ!?』

 

 突如として割り込んできた男性の声にびくりと震える。

 

 別になにか悪いことをしているわけでもないものの、誰かに窘められれば、バツが悪く感じてしまうのも人間の性。

 逃げてしまえば早いという感情と、しかしまだここで調べたい気持ちが拮抗して、その間に彼はこちらまで近寄ってきてしまった。

 

「あー君たち、見ての通りここはめちゃんこ危険だから……ぺちゃんこに潰されて死んじまうぞ」

 

 迷彩服とヘルメット、無地の長ズボン。

 性格か、それとも疲労からか声はだれているものの、しかし見なかったことにもせずわざわざ注意しに来るところに本来の性格が見える。

 

 そういえば先ほどのおじさんは海自が来たと言っていた、きっと彼はそうなのだろう。

 

「いや、私たちは別に遊んでいるわけじゃ……」

「……ん?」

 

 彼の面倒気に横へ引かれていた口が、きゅっと引き絞られた。

 じろり、じろりとこちらを眺め直す視線に身を捩ると、男は納得したかのように繰り返し頷く。

 

「パイセンじゃないっすか!」

「なんだ貴様の知り合いか」

「いや……知らない」

「えーっ、そりゃないっすよ! オレオレ、俺サマですって!」

 

 そのまま近寄って来た彼は、なんとしゃがみこんで肩まで組んできた。

 なんと恐ろしき、公務員にあるまじき市民への距離感だろうか。

 

 ぺちぺちと肩へ食い込む指先を弾いていくと、どうやら本当に私が自分の事を気付いていないと見たのか、彼がヘンテコに顔を歪めた。

 

「あ……これならわかるかな?」

 

 どうしたもんかと呟いた彼は、ぐいと被っていたヘルメットを押し上げて小脇に抱える。

 そして現れたのは、公務員にあるまじき染め上げられた茶髪と、どこか人を食ったかのような笑み。

 

 どこかで見たことがある気がしないでもない。

 はて、一体何処だったか。

 

「ちっす。ウチの妹は元気にしてます? 一応無事だってメッセージは来たんですけどね」

 

 うえーいと適当な掛け声(?)が、記憶の中の人間と一致した。

 芽衣の兄。以前ダンジョンの崩壊に無理やりついてきた、本部からの使者として協力したことのある人だ。

 

「あ……呉島か。うん、芽衣なら炊き出しで……なにそれ、コスプレ?」

 

 言動こそちょっと……いや、大分軽い感じではあるものの、彼は彼なりに中々家族の事を想っている人間だ。

 

 図らずの再開に驚きつつ、何より気になるその服装について質問を飛ばす。

 

「あーっと、言った気がしたんすけどね。元々海自で働いてたんスよ、そもそも協会の仕事も海自の時のつてでしてね。それでこんな大事が起こったんで、まあ人手が足らんと速攻で呼び戻されてこのざまっすわ」

 

 ぶらぶらと手を振って疲労のアピールを始める呉島。

 本来ならばあり得ないのかもしれないが、今は一人でも協力が欲しいとほぼ強制の動員だったようだ。

 そして今は見回り中、と。

 

 中々彼も大変だったようだ。

 

「本部からの連絡無視したらなんか本部も崩壊しちゃってますし、いやほんとウケる。ヤバくないっすか? コントかよ、状況はもっと混沌なんスけど」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百六十二話

 どこもかしこも人手が足らない、か。

 彼曰く昨日も実は別の場所で作業をしていたらしいので、睡眠以外ほぼフル稼働なのが現状のようだ。

 

「呉島、あなたの力を借りたい」

 

 そんな状態でモノを頼むのもちょっと悪い気がするが、こちらはこちらで結構急がなくてはならない事情を抱えている。

 それに彼の力はなんとも使い勝手が良い。

 

 そこまで時間を取るつもりはなかったのだが、しかし彼は嫌そうに口を曲げた。

 

「うえええ……勘弁してくださいよ、キナ臭過ぎて協会とは正直今関わりたくないんスわ。それにほら、海自の仕事あるんで」

「……?」

 

 何の話をしてるんだ……?

 

「勘違いしてるんだろ」

「ああ、そういうのじゃなくて、貴方のユニークスキルでちょっと調べたいことがあるだけ」

「はあ……」

 

 だるそうに背中を掻く彼を見てカナリアが、どうにも信用できないといった表情を浮かべる。

 

「ふむ……知り合いなのは分かったが、こいつの力はそんなに優れたものなのか?」

「占いなんだ、凄いよく当たる」

 

 以前出会ったときに彼の力を一度見せてもらったが、確かに差す方向へ走ってみれば芽衣がいた。

 もしかしたら偶然そちらにいただけかもしれない。しかし長年使ってきたという彼の言葉、そして芽衣本人からもやはり似たような話が出てきたのでそこそこ信用は置けるのじゃないだろうか。

 

「占いィ? 貴様そんなもの信じてるのかぁ? あんなものありがちな事や、相手が望む言葉を適当に投げかけるだけのインチキだろ。所詮は貴様も思春期にも満たないちんちくりんだな!」

 

 外見的にちんちくりん度の変わらぬカナリアだが、何故か小馬鹿にした顔で煽ってくる。

 

「占いは信じてないけど、呉島のは予知とかそういうのに近いから」

「パイセンも初めての時は結構散々な物言いだったじゃん……そんじゃちょっとだけ証明でも」

 

 おもむろに『アイテムボックス』を漁り財布を取り出すと、小銭入れを覗き込む呉島。

 しかしどうやら想像とは少しばかり中身が違ったらしく、小さく舌打ちをしながら中身をつまみ上げていった。

 

「あー五枚しかないか……まあいいっしょ。この桜の絵が描かれている方が表、百円玉の数字が書いてある方が表。これの表がYES裏がNOとして……」

 

 一枚ずつ親指で弾いていった。

 

 軽い金属音を立てて空を舞う百円玉たち。

 はずみ、転がり、回転してはその速度を緩め、漸く止まった彼らは……全て桜の模様、つまり表を示していた。

 

 偶然のようにも見えるそれにカナリアは少しばかり目を見開きながらも、腕を組んで鼻を鳴らした。

 

「……全部表だな」

「今俺は一つ占ったんスよ、アンタが今後(・・)死ぬかって。同じ占いを連続して五回、全部YESなんすわ」

「はぁ!? 貴様失礼過ぎないか!? 常識に欠けてるぞ!」

 

 常識に欠けたエルフが常識を語り地団駄を踏んだ。

 

 そう、なんかいまいち彼のスキルは派手なエフェクトがない。

 はたから見たらコインを適当に投げて偶然全部表を向いたようにしか見えないし、一応理解しているはずの私ですら、あれ、本当にスキル発動してるのかな? みたいな疑問が湧いてくる。

 

「まあまあ、人ってのは必ず死にますから。つまりYES以外に選択肢はない占いなんですって」

「三十二の一なら十分にあり得る! 偶然全部表になっただけかもしれないだろ! 第一後からならいくらでも言える、話にならん!」

「んじゃもう一回同じ質問で」

 

 再び空を舞うコインたち、そして至極当然だと言わんばかりにすべてが表を示す。

 

「……偶然二回とも全部のコインがなっただけかもしれないだろ?」

「んじゃさらにもう一回」

 

 五つのコインは……やはり全て桜の模様をこちらへきらりと向けた。

 

 信じがたいものを見るかのようにカナリアの顔が歪んだ。

 彼の手から百円を奪い取って弄り回すも、先ほどいきなり頼んでみせたのだから当然仕掛けなどもない。 

 しかしそれにしても、スキル以外の魔法を使えない私たちからすれば、奇妙きわまりない術をこね回しているというのに、こんなことでそこまで驚くことについ笑ってしまう。

 

 ユニークスキルは人によって本当に多種多様、彼女にとっても未知の物が多いというのは本当らしい。

 

「だから言ってるじゃないっすか、この世界誰だって最後は死ぬんですって……おっと」

 

 百円玉たちを掌で軽く投げ弄ぶ彼であったが、一枚だけがポロリと零れ落ちた。

 『100』の文字が朝日に照らされるそれを拾い上げて投げてやると、彼は落とした照れ隠しからか大げさな手振りで受け取った。

 

「センパイあざっす! それでそっちの子はもう一回やる? やっちゃう? 何回でもやっちゃうよ?」

「……くぁ~~っ! 分かった分かった! 認める! もういらん! 死ねバカ!」

 

 

「さて俺サマの力信じて貰ったところで……一体何を探してるんです?」

「人……いや、遺品かな」

 

 壁にもたれかかった呉島の目がきゅうと細まる。

 

「条件は『剛力剛(ごうりきつよし)』、そして……『遺品』」

「……了解」

 

 彼は無言でカリバーを受けると、地面へ擦るように先端を押し付けた。

 

「あんま遅いと怒られるんで十分だけっスよ」

「ありがとう」

「まあ、芽衣の礼っすわ」

 

 筋肉は死んだ。

 世界中のどこにも彼の情報はなく、もはやそれを疑う必要はない。

 間違いなく死んでいる、殺されたのだ。

 

 だが同時に、私はまだ心のどこかで信じ切れていなかった。

 いや、私だけではない。園崎さんも、そしてカナリアも、彼の存在を知っていてなお、ああ、本当に死んでしまったのだとすんなり信じ込める人間はいないのではないか。

 しかし今私が立つここは、地面に刻まれた痕跡、スピーカー越しから聞いた音、そしてそれ以前に知っていた情報とぴったり一致している。

 

 遺品なんて持っていた所で何が変わるわけでもない。

 そもそもここに存在しているかも怪しいのだから、無駄に時間を食う可能性だってある。

 

 もしかしたら私は、彼の死を飲み込めるような証拠を求めているのかもしれない。

 ああ、本当に死んでしまったのだと。諦めて他の道を探せる何かを探しているのかもしれない。

 

「お願い」

「遺品は……」

 

 パッ、と彼の手がグリップから離され――



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百六十三話

 少しずつ消滅の痕跡が消え、まるっきり無くなったところで呉島の足がぴたりと止まった。

 

「ここっすね」

 

 からりとカリバーが倒れ込む。

 ようやくたどり着いたのは、海の近くにある倉庫のような場所であった。

 

「うわ、ボロボロ……」

「海辺の建造物だ。つくられて時間も相当経っているようだし、元々耐久力が相当落ちていたのだろう」

 

 つくられてからの時間もそうだが、これはそもそも使われてすらいなかったのではないだろうか。

 所々の壁は地震の影響か、それとも元からなのか崩れ落ち、トタン屋根は錆びついて日光が差し込んでいるし、落ち葉やゴミが端っこの方に積もっている。

 もう使われることもないであろうプラスチックの箱が悲し気にひっくり返っている。

 

 いくら海の近くにあって錆びやすいと言っても、これは酷過ぎるだろう。

 地震でぺっちゃんこになっていないのが奇跡だ。

 

「そろそろ時間なんで戻りますわ、すんません! あっちで備蓄食品の頒布してるんでもしよかったらどうぞ。団体名義ならある程度の量まとめて貰えるはずなんで」

 

 腕時計を睨みながら呉島が背を向けた。

 

「呉島」

 

 振り向いた彼へ、ぽいと『アイテムボックス』から取り出した深紅の小瓶を投げ渡す。

 

「ありがとう」

 

 握り締めた彼の手から小さな輝きが零れる。

 

 ポーションの中でも一番高い奴だ、地下の在庫から予備に数本貰ってきた。

 忙しい中手伝ってくれたし、こうやって市民のため必死に働いている彼になら渡すのも惜しくはない。

 それに話が本当なら、本来彼らの力になるはずの探索者は、ここら一帯にほとんど残っていない可能性がある。必然的に負担は大きくなるだろう。

 

「うおぉ……流石支部長。どうも、仲間内で薄めて飲みますわ」

「代理だけどね。そっちも頑張って」

 

 そしてくるりと背を向け、岸辺の見回りへと戻ろう……とした彼であったが、ピタリと足を止め、再びこちらを振り向いた。

 

「ああ……協会は空っぽなんスけど、何やら契約締結してた安心院重工の使者が居座ってるみたいっすよ。協会関係者だと思われたら絡まれるかもしれないんで、もし行く気なら気を付けてください」

 

 そういうと、今度は本当に背を向け立ち去った。

 

 

「これはどうだ?」

「見たことない」

 

 何処かから飛んできたゴミと共に、コンクリートの塊が雑に背後へ放られる。

 

 彼のスキルが反応した。『剛力剛』、そして『遺品』という条件で絞られた場所がここ。

 それはつまり、やはりここが筋肉の死んだ場所でもあるということ。

 

 ここには何かがある。

 彼の遺した何かが絶対にあって、しかしそれが何なのかが分からない。

 

「……どこだ」

 

 腕を止め、ぐるりと倉庫の中を見回す。

 

 途中で切られた電話、カナリア曰く誰かの追跡から逃れていた……つまり、ここで身を隠していた可能性が高い。

 しかしその場所がばれ、恐らく電話を切った直後に彼は死亡した。

 

 わざわざ電話先がバレない様にしたというのは、その時点で筋肉は瀕死の傷を負っていた……?

 

 そもそも筋肉が死ななければ電話は取られない、つまり取られる可能性があると思うような状況。

 そして彼はあの時、普段からは信じられないが、どこか弱弱しいことを口にしていた。

 

 無意識のうちに耳へ指を這わせ、あの時聞いた言葉を思い出す。

 

『――すまない、全部俺が悪かったんだ』

 

 とても小さな声だった。

 海風の強烈な音に掻き消されてしまいそうなほど、か細く弱々しい独白。

 普段の筋肉は絶対にそんなことを言わない。

 

 弱り、瀕死の状態……ここで隠れるなら、一体何処に身を潜めるべき?

 私なら……

 

 私なら、きっと入り口近くの隅っこへと座るだろう。

 入り口から入って来た相手の姿も確認できるし、高レベルのモンスター相手には脆いとはいえ壁が盾代わりにもなる。

 

「なんかここだけ物少ないね」

 

 奥の方が当然風で吹き飛ばされてゴミが溜まりやすいとはいえ、今私が立つ一角は、横の同じ場所より明らかにゴミや石ころが少なかった。

 

 ふと違和感から隅の壁へ手を伸ばし……

 

「――ここ、は……!?」

 

 違和感に手を引っ込める。

 

 まあ例外もあるかもしれないが、基本的に建築物の端というのは壁と壁が直角に交わっているはずだ。

 私の目の前にあるこの隅も、一瞥しただけではそのように見える。

 

 だが……

 

「違う……!」

 

 再び手を押し当ててみればわかる。

 この隅、直角より一層角が小さい。人差し指と薬指が中指へきつく押し付けられてしまうほどに。

 長方形の探索許可証を押し付ければ、その一角の異常さはなおのこと明らかになった。

 

 残りの三方へ駆け出し許可証を押し付けるも、やはりこの一角だけが異常に歪んでいる。

 いや、正確にいうのなら建物の長方形が、この一角の角度を小さくすることで、それに合わせる様に残りの隅も歪んでいるようだ。

 

 はっと足元を見た。

 そこに刻まれていたのはやはり、まっすぐに引かれたどこか人工的にも見える線。

 それは間違いなく、消滅が起こった痕で。

 

「ここ……だ……」

 

 背中に冷たいものと、同時にお腹の奥底からふつふつと沸き上がるナニカ。

 それは嘗て、初めて世界の消滅を理解したあの瞬間にも似ている、苛立ちや虚無感のごちゃ混ぜになった感情。

 

「ここで……」

 

 ――見つけた……見つけてしまった。

 

 不愉快な歯ぎしりの音と共に物理と何かが千切れ、渇いた口の中に慣れた錆の臭いが広がる。

 

 足に力が入らない。

 そのまま壁を背に座り込むと、対面に積もったゴミが目に入る。

 

 石ころ、小さなゴミ、何かの破片。

 目立って多いものはすべて片手で握れるほどのサイズ。

 

「おい、なに休んで……どうした」

「――カナリア、あそこ探して」

 

 顔をしかめてこちらへ寄って来たカナリアへ、対面の隅を指差す。

 

 あそこの前に転がっている物はどれも、疲労困憊でも投げることが出来る程度の物ばかり。

 そしてもう一方の入り口に近い隅には小石などが転がっているのに、こちらはやけに綺麗。

 勿論消滅に巻き込まれて消えた可能性もあるが……もし、そうではないとすれば。

 

 ここに座っていた誰かが手あたり次第に投げたとしたら。

 

 ――私の予想が正しければ。

 

「む……これは」

 

 奥の方へカナリアが手を振り払うと、魔法陣と共に粗大ごみが宙へ浮かび上がる。

 そして軽く上下に振り回されたゴミたちの隙間からポロリと零れ落ちた何かを彼女は拾い上げて、こちらへと掲げて見せた。

 

 子供の手のひらでも十分に乗せられるほど小さな、黒いナニカ。

 いや……

 

「――手帳だ、これはどうだ?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百六十四話

「ああ、言わんでもいい。これなんだな」

 

 何も返せない。

 

 彼女の手の上ではらり、はらりと白紙のページが捲られていく。

 偶々か故意にか、手帳はトタンの壊れていない端の方ギリギリに投げ込まれており、一部が濡れた痕こそ残っているものの、中は比較的綺麗に保たれていた。

 

「何も残っていない……当然か。これが残っているだけでも幸運というべきかもしれん」

 

 しかし彼が命を懸けて集めていたであろう記録は、そこに何一つない。

 無常すぎる現実に唇を噛む。

 

「む……? おい、これは何か分かるか」

 

 カナリアの指先が小さな紙面を押しては捲っていく中、最後の最後に突如として文字が現れた。

 

『これを拾った方はお手数ですが――』

 

 続く文字は私たちが所属する支部の住所。

 

「女の人……かな、文字が丸っこいし」

 

 しかし読みやすい文字でもある。

 あまり筆跡がどうこう言えるほど詳しいわけではないが、文字の印象からそんなイメージを抱いた。

 

「ふむ……」

 

 カナリアが顎に手を当てる。

 

「園崎、か?」

「可能性は高いと思う」

 

 やはりかとの頷き。

 

 私と彼女の意見が一致した。

 手帳の最後に書かれている文字は恐らく園崎さんの物であろう。

 

 本人がダンジョンの崩壊に巻き込まれて消滅したとき、同時にその記録や所持品……特に小物の類は消えてしまう。

 勿論すべてが消えるわけではないし、特に土地などの大きな物は当然一部が削られようと大半は残る。

 その条件は……

 

「内部に含まれる魔力の量と他人の記憶、かもしれん。魔力は当然比重に値するとして、複雑に他者の記憶が絡み合うほど、狭間からの引力に対抗できるのかもしれん」

 

 カナリア曰く、こういうことらしい。

 

 つまりそもそもの魔力が大きければ当然引きずり込まれにくいし、同時に他の記憶などと関わり繋がっているのなら、それが物に絡み付いて吸い込まれぬよう抵抗する。

 この手帳に書き込まれていたであろう本人の文字は消えているが、消滅には当然巻き込まれていない園崎さんの文字が残り、それに引きずられる形でこの手帳自体の消滅……あるいは位置の移動が防がれたのかもしれない。

 さらにいうのならそれも所詮は魔力の側面にすぎず、また他の条件などが複雑に絡んでもいるようだ。

 

 まあ詳しい話は兎も角として、筋肉自身も完璧な理解こそ出来ていないものの、近しい認識があったのだろう。

 それは全て……

 

「長年の経験って奴だろう、本人からしても神頼みに近いものだったのだろうがな」

 

 ほら、貴様が探そうと言ったんだから持っておけ。

 

 ぽん、と放られたその小さな手帳を、そっと『アイテムボックス』へ仕舞いこむ。

 人の死、その証明というにはあまりに軽すぎる紙の束は、静かに虚空へと溶けていった。

 

 これは園崎姉弟に渡そう。

 ウニは忘れてしまっているが、しかし彼にとっても、筋肉の存在は決して小さなものではなかったはずだから。

 

「……どうする、帰るか?」

 

 すくりと立ち上がったカナリアが視線を寄越すも、首を振って断る。

 

 個人的には今すぐにでも帰り、この小さな手帳と共に静かな場所で考え事でもしたい気分だ。

 喉につっかえるような、深い所から湧き上がる感情に自然と息が深くなる。少しでも気を抜いたら零れてしまいそうな何か。

 

「ごはんも持って帰らないといけないし、協会の方も見たい」

「先ほどの男が面倒事に絡まれると言っていたが?」

「カナリアだって気になるでしょ? それにもしかしたら何か情報が手に入るかもしれないし」

 

 小さな手帳だ、しかし何もなかった先ほどまでと比べればこの発見はあまりに大きい。

 

 恐らく敵は崩壊による消滅や時を戻す力で、想像以上に慢心しているんじゃないだろうか。

 この手帳だってそうだ。筋肉という存在を倒したからとはいえ、本当に最高の警戒をしているのなら小さな動き一つだって見逃さないだろう。

 その力は強大だが、同時に慢心をも生み出している。

 

 この『碧空』の変化と合わせて、本部の人間が影も形もなく失せてしまったのは相当に計画的な行動だったのだろうし、足を運んでも無駄になる可能性は高い。

 しかし何か掴めるかもしれないのなら、出来る限り確認はしておきたかった。

 

 ――絶対に止めないといけない。

 

 いつの間にか勝手に震え出した手を、コートのポケットへ押し込む。

 硬く握り締めようと合わせた指先がぬるりと滑った。

 

 死ぬ、死ぬ、私が戦わないと、皆死ぬ。

 勘違いや思い込みじゃない、全て現実。

 これは、カナリアの手で創り上げられた深紅の剣を消費してしまった私の責任で……そしてなにより、私の大切な人を、物を、場所を守りたい、私の選んだ道でもある。

 

「ふん……ならさっさと行くぞ、戻ってからもまだまだすることはあるんだからな」

 

 

「チームAは入り口を爆破後突入、Bは同時に二階の扉から……」

「帰るか」

「うん」

 

 ヤバい。

 なんかサングラス掛けた人がずらりと本部の入り口にいっぱいいる。

 全員何かよく分からない武器と防具を付け、一糸乱れぬ姿で並ぶ姿は並みの状況ではない。

 

 たとえば強化プラスチックの盾があったとして、レベルが万を超えた人間の前には紙に等しい。

 私もそうだが、それ故容易に手に入る防具などはあまり意味をなさないし、基本的にはダンジョン内で手に入れた武器や壊れない専用武器による防御、そして何より回避がメインになる。

 当然訓練された人間はレベル上げも行っているし、彼らもそうなのだろう。

 

 要するに、そんなレベルの人間がわざわざ防具を付けているということは、レベルに見合った意味があるということ。

 そして彼らは全く同じものを付けている、つまり専用やダンジョン内で落ちた装備ではなく量産品。

 

 多分あの人たちは国の人間だ。

 

 一般的に出回ってはいないものの、当然魔法の研究が進められる中でそういった武器や防具が作られているし、時としてそういった人々が映る映像は見たことがあった。

 協会の中を探りたいとはいえ、ちょっと彼らの前で行動をするのは気が引ける。

 

 うーん……、これは夜中辺りにもう一回来ようかな。

 

 その時、突如として背後から肩を叩かれた。

 

「っ!?」

「あら、そのコート……貴女協会関係者ですの? 丁度いいですわね、少しばかり話……を……?」

 

 女性だ。

 変わった口調に、くるりと巻かれた艶やかな黒髪。

 

 彼女がこちらの顔を見て、はっと目を見開く。

 

「あらあらあらあらあら! 久しぶりですわね! 話は聞いてますわよ、代理とはいえ素晴らしいことですわ! それに少し雰囲気変わりまして?」

 

 どこかで聞いたことのあるような声に、はてと首を捻る。

 

 そう、それは半年ほど前の事だった。

 当時は知る由もなかったが、ママの身体を操るカナリアの言葉を聞き、半信半疑ながらも崩壊を止めようと奮闘した一週間。

 しかし当然と言えば当然、あっという間に跳ね上がってしまったモンスターのレベルに追いつけず、あわや死にかけた時助けに来てくれた人が二人いた。

 

 目の前に立つ彼女はそのうちの一人、警察官の……

 

「あ……あじたまさん……?」

「惜しい! 半分だけあってますわね!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百六十五話

 安心院と名乗る彼女に、ああ、確かにそんな名前だったと思い出す。

 半年ぶりの出会いであったが、相も変わらず変わった口調に巻かれた髪が何とも特徴的だ。

 

 彼女の瞳が、横で退屈そうに蒼の塔を見上げていたカナリアへ向いた。

 

「ところでそちらの子は……」

「ああ、この人は親戚のカナリア。偶々日本に来てた時こんな地震に会っちゃって」

 

 以前決めた通りの設定を告げる。

 本当に髪の色が同じで助かった、彼女の身の上を正確に伝えるにはあまりに情報が多すぎる。

 

 すると安心院さんは軽く身をかがめ、面倒そうに眉をひそめたカナリアの顔を覗き込み、軽い笑みを浮かべた。

 

「ごきげんよう、安心院(あじむ)麗華(れいか)ですわ。海外にもこの妙な地震は伝播しているようなので、地震の対策が進んでる日本にいてまだ幸せだったかもしれませんわね!」

「貴様、この惨状を見てよくそんなことが言えるな。ご自慢の地震対策とやらはカスほども効果がなかったようだが」

「手厳しいですわね、でもおっしゃる通りですわ。しかし対策とは耐震だけに限りませんの、備蓄や素早い復旧作業もありますのよ? 既に都市部ではライフラインの復旧が済んでいる場所もありますわ」

 

 思ったよりしっかりとした返事が返ってきたからか、何か言い返そうと口を開きかけるもカナリアは不機嫌そうに口を閉じた。

 

 事実、昨日の夜は比較的ネットに繋げやすかったのだが、今朝方にかけて再び急激に繋がりにくくなった。

 人口の多い場所で電気が復旧したことで、人々が一斉にネットへ繋ぎ出したのだろうとは馬場さんの談。

 

 その時、コートの内側からちらりと見えた布地が、私服のものであることに違和感を覚える。

 あそこに立つサングラスの集団が国の人だとしたら、てっきり安心院さんもアレに協力していたのだとばかり思っていた体。

 

「そういえば安心院さん、警察の服じゃないんだ」

 

 すると彼女はぱちくりと目を瞬かせ、少し恥ずかしそうに笑った。

 

「ええ、実はあの後すぐ辞めてしまいましたの」

「え!?」

 

 まさかの話に思わず声が出る。

 

 伊達さんだったか。

 無精ひげを生やした人だったが、あの人と安心院さんは案外仲が良さそうに見えた。

 そこまで不満がある様にも思えなかったが……やはり案外辛いことも多いのだろうか。

 

 すると彼女はこちらの顔を見ていやいやと、何か嫌なことがあって辞めたわけではないのですわ、と顔の前で手を振った。

 

(わたくし)家族……その中でも特にお兄様が嫌になって、あれこれ投げ捨て警官になったのですけれど、ああやって世間を見る中でふと、これはただの逃げではないかと気が付きまして」

「へぇ」

 

 逃げ、か。

 私的には家が嫌で出ていったのならそれはそれでいいと思うのだが、どうやら彼女はまた別の考えを持ったらしい。

 

「警官になるということ自体は、当然、市民を守りたいという心からの思いでしたわ。けれど人は生まれつき使える手札が決まっていて、私は幸運なことにかなり良いものを抱えていますの。本当に市民を守りたいと思うなら、それをわざわざ捨てるなんて愚かなのではないのか、と」

 

 強い人だ。

 面と向かって話してみればお兄様も案外大したことのない方でしたわ、とにこやかに話す彼女を見て、ふとそう思った。

 

 一度逃げると、次直面した時はもっと怖くなる。

 人にはどうしても勝てない物が存在すると思うし、私は決してそれが悪いことだとは思わないが、それでもなお対峙しようとした安心院さんは本当にすごい。

 

「それで実家に戻って、私財を少しばかり研究や開発の支援につぎ込みましたの」

「ふぅん……よく分かんないけど、それで一体何を作ろうと?」

 

 待っていましたとばかりに彼女の瞳が輝く。

 

「協会との連携による新たな武器の開発ですわ。力のない方でも扱え、崩壊という大災害にも立ち向かえるような武器を作ろうと、様々な機関との連携による開発を進めていますの」

 

 自分の事業を語りたくて仕方なかったのだろう、物凄い早口でウキウキと語り出す安心院さん。

 

 しかしここで口を挟んできたのがカナリアだ。

 彼女は両手を固く握りしめ、額にしわを寄せて安心院さんへと尋ねた。

 

「崩壊のモンスターに立ち向かえるということは、既存の兵器と比べても圧倒的な破壊力があるということだ。貴様はその危険性を……」

「ええ、勿論理解していますわ」

 

 安心院さんの視線が足元を向く。

 しかしそれは極僅かな時間で、カナリアの瞳を見つめる彼女の顔に曇りの一切は無かった。

 

「けれど圧倒的に探索者の数が足りない今、それ以上に必要性がある……それ故に国も重い腰を上げた。勿論安全装置に関しても、本体以上に手間暇をかけて研究していますの」

 

 もし、一週目から三週目の人々が生きていたら……もしかしたら、現状にも対処しきれたのかもしれない。

 だがそれは、実際には存在しない可能性の話。

 そしてカナリアは、決して本人に責任があるわけではないが、責任の一端があると彼女なりの苦悩を抱えている。

 口にはしないものの、過去の話を聞くたび節々から漏れる本音で私には分かった。

 

 戦わなければ、彼らの犠牲が無ければ今はなかった。

 しかし彼らの犠牲が無ければ、今をどうにかできたのかもしれない。

 

 複雑な心境、それ故カナリアは絞り出すような声でなおも続ける。

 

「生半可な好奇心はいつか、周囲をも殺すことになるぞ。そして苦しみ続ける、延々と……」

「人々に座して死を待てと、貴女はそう言いたいのかしら?」

「ちっ、違う! だが!」

 

 安心院さんの話す武器についての考えは、どこかカナリアの語る『ダンジョンシステム』や、かつて創ったという組織の概念にも似ていた。

 最初の構想とは離れているらしいし詳しいことは知らないが、ダンジョンシステムのおかげで仮にダンジョンが崩壊してもどうにか消滅を食い止めることは可能だ。

 

 だが、結局この世界は緩やかな死へ向かっている。

 

 人の手が届かない場所ではやはり消滅が起こっているし、クレストによる魔天楼……人類未踏破ラインの崩壊は現状手の施しようがない。

 

 戦うしか、ない。

 

 考えただけでも手が震える。

 レベルは低くとも、経験なんて私と比べ物にならない人がきっと沢山いて、クレストを止めるため必死に戦ったはずなのだ。

 けれどやはり届かなくて、そんな奴に私が勝てるのかって。

 唯一の切り札は失われてしまっていて、それでも戦うしかない現状が怖い。

 

 でも、そう、戦うしかない。

 生きるためには、戦うしかない。

 ダンジョンシステムも、組織も、私やカナリアも、そして安心院さんが開発を援助したというその武器も、根本にあるものは変わらない。

 

「貴女の憂慮も当然……けれど、どうか、どうか私たちを信じていただけないかしら。この武器は決して人を傷つけるための物ではない、誰かの幸せを守るためのものだと」

「……っ」

 

 今度こそ、カナリアは何も言うことが出来なかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百六十六話

 カナリアが黙った後、少し気まずそうにしながらも安心院さんが取り出したのは、一丁の拳銃……というには少し大きな銃であった。

 

「そしてこれが件のARM(アーム)1、ベースは警官へ支給される拳銃ですの。追尾機能、純化機構を省略し威力の向上、対象の認識による誤射の防止……これは発射装置とも絡んでいるので、外すことはほぼ不可能ですわ。それに魔法式の暗号化による解析の阻害、それと一般人が使う可能性を考慮して、使用者の身体能力向上も可能ですのよ!」

「はえー」

 

 色んな便利機能が満載だ。

 

「そしてここが着脱可能で……現地でも素早い組み立てが……」

「うん、うん」

「なんとさらに……で! その上……ですわっ!」

 

 ぴかぴかしててつよそう。

 

 途中から何を言っているのかさっぱり理解が出来なくなったので、私は頷くだけの機械になった。

 最初は落ち着いた口調であったがどんどん早口になっていくあたり、彼女がこれにどれほど入れ込んでいるかが分かる。

 

 基本探索者は自前の武器と自分の身体、それにスキルだけで戦う。

 けれどこの、安心院さんたちが作ったという銃は随分と様々な能力が盛られているらしい。

 驚いたことに弾はなく、魔石によって動かすことが可能なようで、現地でいくらでも弾を補給できるというのは便利なものだ。

 加えて追尾機能や誤射の防止、身体能力まで上げるというのだから非の打ち所がない。

 

 なるほど、安全面にも配慮しているというのは嘘じゃないようだ。

 

 だがどんな敵でも倒せるというわけではなく、内部へ装填する魔石の限界から、おおよそ五万程度までのモンスターをギリギリ倒すのが限界らしい。

 安全装置を詰め込んだ結果性能が落ちてしまったのだと安心院さんは残念そうに語ったが、それでもDランクまでの崩壊に一般人程度の力でも対処が可能というのは凄まじい性能だ。

 

 ふと、かつて安心院さんと対峙した炎狼を思い出す。

 

 以前にも何度か死を感じたことがあったが、あのモンスターはことさら恐ろしいものがあった。

 そういえば外に出たら、あいつら複数体を筋肉が薙ぎ飛ばしてたんだっけ……。

 確かあいつらのレベルがが五万くらいだったはず。

 

「本来はもっと説明などに期間を掛けるつもりでしたが、現状手が足りず崩壊が起こる可能性を考慮し。既に各協会支部への手配が進んでいますわ。ここらなら恐らく今日中に届くでしょう。管理は各支部長へ委託、加えて毎晩の報告が義務付けられますわ」

「えっ」

 

 口調も落ち着きやっと終わったかと思いきや、最後に特大の爆弾を投げ込まれた。

 

「これ……私が管理するの……?」

「支給されるのは二丁だけなので、そこまで手間にはならないと思いますわよ」

 

 いやぁ……今でも割といっぱいいっぱいなのに、こんなの管理してくれなんてちょっと勘弁してほしい。

 そりゃ勿論この武器自体は凄いものだし、ダンジョンが無数に生まれた今、どれが崩壊するか分からないのだから必要だろうという考えは分かる。

 しかしそれにしても管理の手間が掛かり過ぎる。彼女曰く発信機もついているし、まず紛失することはないらしいが……

 

「面倒なら管理は私がやってやろう、この世界で開発された魔道具というのにも興味が湧いた」

「……壊さないでよ?」

「多分な」

 

 ということで、本人たっての希望で管理はカナリアに全て放り投げられた。

 

「それと、決して『アイテムボックス』の中に入れて一日以上放置しないでくださる?」

「え? なんで?」

「簡単に言うと爆発しますわ。違法で持ち運ばれる可能性を考慮して、発信機と共に様々な機能が盛り込まれていますの」

 

 想像以上に盛り込まれていて苦笑いしかでなかった。

 

 

「それで、あの人たちは……」

 

 ちらっとあちらに視線を向けると、サングラスの人がピクリと反応してこちらを振り向く。

 怖い。

 

「まあ大方察しているとは思いますが、国の組織に所属する皆さんですわ」

 

 私たちの意見を肯定するように頷く安心院さん。

 

 彼女がここに居たのは偶然……ではなく、この何とかとかいう銃を支部へ届けるため本部に足を運ぶ前、会社のトップへ国からの連絡があったらしい。

 事態の報告を逐一行うため彼女もついてきたとのこと。

 

「私も先ほど知ったばかりなのですが、どうやら一昨日の昼頃に協会本部が隠していた情報を諜報部隊が掴んだようですわね」

「情報?」

「ええ……あまり口にするのは憚られますが、非人道的な研究だそうで。まだ完全に解析が終わったわけではないものの……」

 

 思わず息を呑んだ。

 

 彼女が口を噤む先の言葉は、もはや聞かずとも分かった。

 人体実験だ。あちらの世界でもどうやら行っていたらしいとはカナリアに聞いていたが、それに飽き足らずこちらでも同様の事を行っていたらしい。

 

 直接見たわけではないものの、酷い嫌悪感が奥底から湧き上がるのが分かった。

 今までの事で散々理解していたつもりだが、相手は本当に、人を人と思っていないらしい。

 

「でも、そんな事私たちに話してもいいの? 私たちも協会側の人間だし、もしかしたら関係してるかもしれないじゃん」

「いえ、それはありませんわ。見ての通り本部はものけの殻、そしてなにより……その情報、本部のコンピューターから意図的に漏らされたようですの。犯人は間違いなく内部の、それも会長であるダカールに近しい人物」

 

 国の人が情報を拾い集め始めたのが一昨日の昼頃、地震が起こったのも一昨日の昼頃、そしてほぼ同時に彼らの姿はどこにも見当たらなくなった。

 

「要するにそれって……」

「クレ、いや、ダカールの指示だろう。二度と戻ってくることもないと、こちらを煽るような挑発行為。どこまでも人を虚仮にしたやつだ」

 

 まるで捕まえられるのなら捕まえてみろとでも言うような、悪趣味にもほどがある行動。

 協会からの連絡が遅いのも当然だ。恐らく私たちが昨日見た指示などは、全て事前に打ち込まれて定時に送信されるよう予約されていただけのものなのだから。

 

「……許せない」

 

 苛立ちのままに足を地面へ叩きつけると、一斉に周囲の人の目がこちらへ向き、少しだけ冷静になる。

 サングラスの人達までこっちを見ている。

 

「安心院さん、ありがとう。カナリア、食料貰って早く帰ろう」

 

 自分でも恐ろしく感じるほどの硬い声だった。

 

 きっと、先ほどの手帳だけでも相当なものが溜まっていたのだろう。

 頭はぼんやりとした熱に包まれていて、しかしコートの中に入れた指先は驚くほど冷えている。

 

 ――ここに居たら、どうにかなってしまいそうだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百六十七話

 安心院さんと分かれ、本部の傍を離れたその後。

 

 冷静になった頃、ふと見上げたところにいたのが自衛隊の人々だった。

 そこで行われていたのが食料の配布。さらに再び呉島と出会ったのだが、普段のふざけた態度が丸きり消え、真面目な態度でモノを配っていたのがどこか面白かった。

 

 とはいえ受け取れた食糧はおおよそ千人の一日分、はっきり言って全く足りない。

 さらにそこから人数比で分け、この街にある三か所の避難所へ配分するとなれば……はっきり言って、焼き芋に蜜だ。

 

 しかしないよりはましということで、どうにか各避難所へ配り終えた後のこと。

 

「それで、これが……」

「そう、なのね……」

 

 深夜も会議をすることがあるため、避難所である協会からは僅かばかり離れた、大きな仮設屋根の下に私たちはいた。

 

 机の上へ静かに置かれた、黒く小さな手帳。

 暫く無言で眺めていた園崎さんであったが、軽くつばを飲み込むと漸く掴み上げた。

 

 はらり、はらりと捲られていく無数ののページ、しかしそこに文字はない。

 しかし彼女は目を逸らさなかった。そこにある文字を読むかのように、紙の上へ瞳を巡らせた。

 

「ああ……あの時書いた文字だわ……」

 

 そして、ついに彼女の目の動きがピタリと止まった。

 最後の一ページ。まっさらな横の罫線だけが印刷された中、やはりあの文字は彼女の手によって記されたのだと知る。

 

「おい、園崎美羽。その手帳を食って書魔の力を使え」

 

 しかしこの雰囲気をものともせず、あまりな物言いをするエルフが一人。

 園崎さんはあまりに唐突過ぎる提案に驚き、ぱっと机の上へ手帳を放ってしまった。

 当然だ、出来るわけない。

 

「カナリア」

「早くしろ、幾ら嘆いたところで死者は戻ってこないぞ」

「カナリアッ!」

 

 流石にこれは駄目だ。

 あまりにずけずけとした物言いは、傷付いている人間にとっていっそ殺人的なほどの傷を与えるということを、カナリアは理解していない。

 

 無理にでも黙らせようと手を伸ばすも、予想していたかのように弾かれる。

 彼女は私の方へちらりと目をやると、しかし口を動かすことを止めなかった。

 

「貴様には話していなかった、魔力の無数にある性質の一つだ。『収束』、同じ記憶を蓄積した魔力は引かれ合い、結合する。先ほど言ったな、記憶が複雑に絡み合うほど物の消滅は抑えられる、と。逆に言えば他の記憶が絡んでいなければ、収束し、繋がって狭間の引力に根こそぎ持って行かれる」

 

 彼女が園崎さんへ催促したのは何か理由がある、そんなことは分かっている。

 いや、ここまで話されてしまえば、私にすら彼女の目的なんて容易に想像できた。

 

「なあ、この手帳には何が書かれていたと思う?」

「……筋肉が集めてきた情報、だよ。多分」

 

 園崎さんは変わった力を持っている。ユニークスキルとはまた別の物で、子供の頃からある能力らしい。

 本や紙などを口にすることで、そこに書かれていた内容などを完全に把握する力。彼女の生い立ちを考えれば、恐らく異世界の種族――カナリアが先ほど言っていた『書魔』とやらがそうなのだろう――特有の力だそうだ。

 

「もしかしたらここには何かの情報が書かれていたのかもしれないし、なにもないかもしれん。しかし見なければ、無駄かどうかすら判断することはできない。フォリアも既に気付いてるだろう」

 

 私は……私は、この時点でカナリアの言葉に飲み込まれていた。

 

 分かっている、それが理性的に考えれば一番正しい行動なのだと。

 この緊急事態が重なった現状で、情だとか、気持ちだなんてものを考えている暇はない。そんなことをしていたら間に合わなくなってしまうかもしれない。

 

 喉からひゅう、と小さな吐息だけが零れる。

 

 正しさとは常に変わるもの。

 そして今、本当に正しい行動とは、状況を打開するために冷静で的確な行動を選ばなくてはいけないんだって。

 

「そして私たちに確認する術はない、書魔である貴様を除いてな」

 

 カナリアの、どこか睨んでいるようにも見える目つきの悪い瞳が、園崎さんの顔を捉えた。

 

「私がごく一瞬だけ、狭間に穴を開ける。とても小さく、ダンジョンにすらなり得ないほどの穴だ。しかし先ほど言った『収束』の性質、そして貴様の力を使えば……もしかしたら、狭間の魔力から記憶を引きずり出し、そこに書かれていた内容を明らかにすることが出来るかもしれん」

 

 カナリアの言葉はすべて正しい。

 目的を達成するために、状況を打開するために、一番正しい行動をとり続けている。

 きっと私には出来ない。

 

「なあ、園崎美羽。貴様、剛力の仇を取りたくはないか? あいつが必死に集めた情報を知りたくはないか? あいつが情報を集めていたのは、きっと現状を打開するためだろう? 貴様がここで首を振らなければ、奴の行動は全て無駄になるぞ」

 

 だが、これ以上園崎さんに悲しい思いはさせたくない。

 

「園崎さん……無理しなくていいよ。それは筋肉が残した最期の遺物だから、無理に食べなくていい。きっと食べたら園崎さんはもっと悲しくなる、もっと苦しくなる、だからカナリアの話は無視していい。その情報が無くても、私がどうにかしてみせるから」

「フォリアちゃん……」

 

 そっと手帳を拾い上げ、彼女の手のひらへ乗せる。

 

 自信はない。

 しかしやらなくてはならない。それが、今まで生かされた私のすべきことだから。

 

 だが園崎さんはそれをどこかへ仕舞うでもなく、何故か食い入るように見つめだす。

 

「私には戦う力がないわ。あの人みたいに強くないし、カナリアさんのように魔法を扱えるわけでもない」

 

 小さく言葉を紡いでいく度、少しずつ、彼女の声が、手帳を握るその手が震え始めた。

 目の端へ見る見るうちに水滴が溜まっていく。

 

「……でも、ねえ、役に立ちたいわ。全部が全部を理解しているわけではないけど、貴女達が私たちを守るために必死になってるのも分かるの。だから……」

「……っ!」

 

 無言で見ていたカナリアの身体が、ぼう、と微かに発光を始める。

 同時に生み出された無数の魔法陣が周囲一帯を駆け巡り、静かに風を生み出す。

 

 そして最後、合わせて十は間違いなく超えているだろうという巨大な魔法陣達が一点へ重なり、ガラスが砕けた時のそれにも似た、不快な音が周囲へと響き渡った。

 

「始めろ」

 

 頭上に深紅の輝きが生まれる。

 開けられた穴は小さくとも間違いなく世界が悲鳴を上げているのだと、本能的に悟ることが出来た。

 

 しかし園崎さんは周囲の状況へ全く意識を向けず、慎重に、確実に、何一つ情報を漏らさぬよう味わっている。

 

 

「ああ、苦いわ……凄く苦い。きっとカビね、海辺に捨て置かれていたのだから当然だわ」

 

 

 ボロボロと大粒の涙を流しながら、一枚一枚千切っては口に運ぶ彼女へ、私は何も声を掛けられなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百六十八話

「……っ」

 

 目を見開いた直後、カナリアの作り出した小さな歪みが消えた。

 しかしその奥にある漆黒を垣間見た私は鳥肌が止まらず、くらりと、どこか酔いにも似た吐き気に襲われている。

 

 イメージをするのなら、崖や展望台から下を覗き込んだ時のような、しかしそんなものとは比べ物にならないほど底が見えない。

 深淵、とでも言えばいいのだろうか。人によってはそこに神を感じ、誰しもが絶対不可侵の領域だと本能的に悟るだろう。

 

「あれが……狭間……」

「ん? ああ、見たのか」

 

 魔力が世界を創ったというのなら、膨大な魔力が渦巻く狭間は全ての根源。

 なるほど、カナリアの言葉が理解できた。

 

「あまり直視すると飲み込まれるぞ。特に貴様は魔力と結合しやすい体質だからな、最悪自我が潰れる」

「……魔蝕と同じってこと?」

「まあそうだな。だが量が違う、あれは無数の世界の記憶が全て渦巻いている。僅かばかりなら麻薬にも似た神秘体験で済むがな」

 

 そんな神秘体験は嫌だ。不思議な体験をするなら綺麗な湖でとかにしてほしい。

 

 顔をしかめたのと同時、園崎さんの動きがピタリと止まった。

 彼女の手の上には、内部のページが全て千切り取られ、背中の部分と表紙の黒い部分だけが残った手帳。

 

 どうやら全て終わったようだ。

 

「紙とペンを」

「……はい」

 

 紙の山を手渡すと、園崎さんはそれを頭上へと放り投げた。

 彼女の指が紫電の如く走りまわり、空中を踊る紙たちへ無数の文字が記されていく。

 

 以前はもはや目で捉えることすら出来なかったが、なるほど、こうやって書かれていたのか。

 これはこれで一種の曲芸にも似ていて、探索者協会で働かなくとも、この力があれば彼女は何処へでもやっていけるだろうと思わせる。

 わざわざそこまで飛びぬけた報酬が支払われるわけでもない受付などやっていたのは、きっと……

 

「は?」

 

 地面へ広がった紙を一枚拾い上げ、ちらりと眺めたカナリアが不思議そうな声を上げた。

 

「なんだこれは」

 

 口をへの字に曲げた彼女が私たちへ紙を突き出す。

 これは……

 

「――いたずら書き?」

 

 私たちが見たのは、何とも真っ黒な誌面であった。

 

 文字の上に文字が重なり、更に様々な図形が書き込まれている。

 コピーした紙の上に、更に別のコピーを繰り返したように重なり、ずれ、もはやまともに読むことは叶わない。

 

 これはひどい。

 

 冬の夜にも拘らず背中に汗が伝う。

 

 園崎さんが泣きながら遺品を使って書き上げたのが、まさかこんな赤ちゃんが作った絵のようにぐちゃぐちゃの物だとは、ちょっと、その、やばい。

 え、どうしよ。園崎さんこれ真面目にやったんだよね? 本気だよね?

 

「おい園崎美羽、これはなんだ。この私を馬鹿にしてるのか? この状況で良い度胸じゃないか」

「私は視た通りに書いたわ。手帳に書かれていた文字を拡大し、この紙の上にそのまま書き写した。間違いなく」

 

 本気だったかぁ……!

 

 いたって真剣な顔の彼女からスッ、と目を逸らし、足元の紙を一枚拾い上げて眺めた。

 

 どう見たってなんかのいたずらか、暇つぶしに上からあれこれ書きまくっただけのように見える。

 しかし筋肉が消えた場所と手帳があった場所は直線的で、更に距離も離れていた。間違いなく、彼はこれが何かの役に立つかもしれないと、そう思って放り投げ隠したに違いない。

 彼が死に際に、無駄だけどとりあえず投げておこうだなんて考えられないし……意味があるはず。

 

 

 

 うーん、これは……『魔』かな、その上に『ク』、次の文字は『法』と点『レ』……あ。

 

「これ落書きじゃないよ、ほら。ここは『魔法陣』、こっちは……『クレスト』」

 

 直後、カナリアの手で紙が奪い取られた。

 じろり、じろりと紙の上を行き来する瞳。

 暫くしてから彼女は空を見上げ目を閉じ、とんとんと指先で机を叩きながら口を開いた。

 

「なるほどな……もしかしたら、戦闘前後で何度か時を戻されたのかもしれん」

 

 つまり、時を戻される度手帳の文字は消える。そしては当然それを察知することが出来ないわけだから、その上にまた新たな文字を書きこんでいく。

 時を戻されたことで行動がほんの少し変わり、書き込む文字も当然変化していくので、結果……

 

「えーっと……もう少し協力してもらえる?」

 

 結局のところ文字や図形が無数に重なっていて、さっぱり読むことが出来ない。

 間違いなく意味のある文がここには書かれていたし、何やら重要そうなものもいっぱいあるらしい。

 どうやら魔法陣らしきものも描かれているが、これも重なっていてもはや黒く太い円にしか見えなかった。

 

 解読に時間がかかりそうだなぁ……

 

 

「ふぃー、疲れましたねぇ」

 

 琉希が倒れたコンクリートの壁へ寝転がる。

 遠くの空では小さな星が輝きを始め、烏たちが騒がしく鳴きながら遠くへと消えて行った。

 

 あれから三日。

 警戒していた蒼の塔は未だに沈黙を続け、町は町で震災後の片付けに勤しんでいる。

 

 いくら探索者の力が一般人と比べ離れていようとも、数が少なすぎてそう簡単に片付けが終わる訳もなく、怪我の少ない人が中心に、出来ることから行う日々。

 正直身体はくたくただ。

 

 そんな中、琉希がふと、避難所の方へ顔を向けた。

 

「なんかあっちの方が騒がしいですね」

「ああ、あれは……」

 

.

.

.

 

 

「はいはい押さないで! 子供が先だよ、皆の分もあるから落ち着いて!」

 

 中心にいるのは一人の、少し太った男性だ。

 小豆のどこか青臭く、しかし甘い香りをまき散らし、人々が押し合いへし合いしつつも列になって並んでいた。

 

「あれは?」

「前会った和菓子屋の人覚えてる? ママの病院に行く途中の。崩れた在庫倉庫の中にまだ小豆と砂糖が残ってたらしくてさ」

 

 周りの瓦礫に人々は座り込み、顔をほころばせ紙コップの中身を啜っている。

 陰鬱な雰囲気が立ち込めていた避難所であったが、わずかながらもプロの技術が詰まった甘味に舌鼓を打ち、少しだけ明るい雰囲気と人の話し声がここにはあった。

 

 そう、今日は年末。

 昨日の夜、突然彼が会議の中にやって来たのは驚いたが、なんとこの状況で甘味を振舞い人々を励ましたいとの申し出があり、今朝から仕込んでいたのだ。

 本人曰く本当は甘酒と言いたかったそうだが、残念ながらこめこうじ? とやらが手に入らなかったらしい。

 

「そうですか……あの人も生きていたんですね、よかった」

「うん」

 

 希望の実による食料不足の補いは未だに続いており、現状は夕食だけが炊き出しになっている。

 これでみんなのストレスが少しでも和らいでくれたらいいのだが。

 

「琉希ちゃんお疲れ様」

「ママ!」

「フォリアちゃんもお疲れ様。お汁粉ここに置いとくわね、私は炊き出しの方に行ってるわ」

 

 ことり、と机の上に小さな紙コップの中には、少しだけ薄いお汁粉が注がれていた。

 

 味はしないが、それでも味わいようはある。

 舌触り、香り……まあ、味を感じられないせいでどれもはっきりしないけど。

 まるで探索者になったばかりの頃のようだ、あの時もケーキの甘みに思いを馳せていたような気がする。

 

「あの……」

「どうしたの?」

 

 飲み干しコップを置き立った直後、琉希がおずおずと声をかけてくる。

 

「……いえ、何でもありません」

 

 しかし彼女は何か目を巡らせた後、伏せ、静かに首を振った。

 

 何かを我慢する様なその態度に少し後ろ髪を引かれたが、しかしそれも気のせいだと思い、部屋を出る。

 今晩もあの手帳の中身を解析しないといけないからだ。

 

 さて、園崎さんはどこへやら。

 

 ふらりと部屋を出た後ろ姿をじっと見つめる琉希に、私は気付かなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百六十九話

 三日かけ、ようやく日本語と魔法陣らしきものを分けることが完了した。

 魔法陣はあちらの世界の文字によって構成されているらしいのだが、筋肉自体には当然その知識がないため、こう、うろ覚えというか、見てくれだけを真似した形になっていることだ。

 

 分かりやすく言えば日本語を知らない外国人が書いたひらがなに近い。

 『み』と『お』の見分けがついていないようで、魔法陣の上から日本語を消した上、間違っている文字をカナリアが直すという二重の手間がかかった。

 

 なんて厄介なスキルなんだ……!

 

 戦う前から高度な情報戦が仕掛けられているとは思いもしなかった。 

 

 そしてついに分離された式を一枚の紙へ園崎さんが再び写し、カナリアの手に渡されたところなのだが……

 

「ふむ……」

 

 口をへの字に曲げ、彼女がランプに紙を掲げる。

 

「ふむむ……」

 

 俯き睨む。

 

「んー……?」

 

 最後には紙を両手でつかみ、老眼の人さながらに近づけ、遠ざけ、眉をひそめた。

 確かに彼女は自称七十八の老婆的年齢とは言え、まさか本当に老眼になってしまったわけでもあるまい。

 

「ねえ、早くしてくれない?」

「ふはは、まあ焦るな焦るな。世の中には段取りという言葉がある、全ては順番通りに行ったほうが上手く行くというものだ。そして勇み足は須らく進行を滞らせる」

 

 上の空で煙に巻くような言葉をずらずらと口にし、再び魔法陣へかじりつく彼女。

 机の上に新たな紙を並べてはなにか書き始め、しかしすぐに手が止まってしまうあたり、どうにも万事うまく行ったわけではないらしい。

 

「この魔法陣の基礎理論は私が作ったものだ、魔力の消費が多すぎて捨て置いたのだがな。だが……あまりにこねくり回され過ぎて、少し……」

「難しくて分からないのね」

 

 あまりにストレートすぎる園崎さんの投げかけに、彼女は長い耳をピン、と立たせ、顔を赤くして怒鳴った。

 

「はぁ!? 分かるが!? 私に分からないものとか少ししかないんだが! これは多重魔法陣なんだ! 本来数層に分けて描かれるものが一つになっているから、元通りバラバラの層に分けるのがちょっと大変なだけだ! 私にかかればすぐに解析できるっ!」

 

 うるさい。

 第一実際出来てないじゃん。

 

「落ち着いて、興奮しないで。それより基礎理論って」

「転移だ。ここまで複雑なものとなると膨大な魔力が必要になる、それこそ魔天楼による供給レベルのな。恐らく内容は……あちらの世界とこちらの世界を繋ぐ超大規模での転移魔法。どうやら私の家の中をも随分と荒らされたらしい」

 

 ぷんすかと自分の家を荒らされたことに酷く腹を立てている様子。

 

 しかしそんなどうでもいいことより、もっと気になることを彼女は口にした。

 

「転移……!? それってもしかして」

「ああ。解析して反転させれば、こちらからあちらの世界へ直接乗り込むことが出来る。魔力は幻魔天楼、碧空を利用すればどうとでもなるだろうな」

 

 筋肉が書き写した魔法陣の正体。それは、異世界をこちらを繋ぐ転移の魔法であった。

 

「クレストがこちらの世界から旅立ったと知った時、正直どうやって奴を誘いだそうかと思っていた。だが、これさえあれば……剛力め、とんでもないものを遺してくれたものだ」

 

 にやりとカナリアが笑う。

 小さな手帳から引っ張り出された記憶は、どうやら想像以上に価値があるものだったらしい。

 

 しれっと、筋肉の手帳が無ければ割と詰んでいたようなことも話しているが、まあ何とかなったから敢えて聞き流してあげよう。

 

 

「なるほど、それが貴女達の目的ですか」

『……っ!?』

 

 

 その時、三人しかいないはずのこの仮設屋根で、また新たな人の声が響いた。

 私たちの身体がぴりりと警戒に固まる。

 

 直後、崩れた部分が撤去され、壁だけが残った家の裏から、一人の少女がゆっくりと歩いてきた。

 

「……っ!? って、なんだ……琉希か……」

 

 電球一つで保たれた明かりに照らされる彼女の表情がどこか硬いことに気付きつつ、しかし慣れ親しんだ人物であったことに胸をなでおろす。

 

 いつ彼女に切り出すか、それに関してはずっと考えていた。

 

 そのスキル、そして私との相性、また偶然とはいえ魔蝕から跳びぬけたレベルになった琉希の力は、現状知る限りで私を除いて最大戦力とも言える。

 きっと今の彼女なら、スキルに頼らず魔法を自在に操るカナリアとも対等に戦えるだろう。

 

 今、か。

 

 神の悪戯にも似た、偶然の一致。

 魔法陣の正体を知ることが出来、そして琉希がここにやってきてくれたのは、最悪でもあり最高のタイミングでもある。

 彼女に話すなら、今しかない。

 

「実はね……」

 

 筋肉の遺した魔法陣。

 それは異世界へ直接乗り込むことが出来る、現状を打開するための新たな、そして唯一の希望だった。

 

 やっぱりあいつは凄い奴だ。

 最後の最後まであきらめず、こうやって私たちに希望をつないでくれた。

 まあ、私は最初に会った時から分かっていたけどね。

 

 そして私は琉希にすべてを話した。

 

 碧空の変化と、世界へのダメージ。次あの衝撃が来れば、きっとこの周囲に生まれたすべてのダンジョンが一気に崩壊し、最悪の状態へといたることを。

 もはや一からあれこれ準備だなんだとやっている暇はなく、止められるのは状況を理解している私たちしかいないことを。

 

 手短、数分程度の話を聞き終えた琉希が瞼を閉じ、ゆっくりと頷く。

 

「ええ、分かっています」

「琉希……!」

「私はそこの駄ルフに話をある程度聞いていますから、フォリアちゃんにこうやって話してもらわなくとも、ある程度察していました。そして貴女が、こうやって私に協力してくれないかと言ってくれることも」

 

『私を頼ってほしい』

 

 前に琉希が私に言った事だ。

 

 ……正直、私個人の考えとしては、こんな危険な戦いに琉希を巻き込みたくはない。

 ただでさえ私とママ、そしてカナリアの関係に彼女を巻き込んでしまった事で、魔蝕や魔天楼という問題に琉希は関わらざるを得なかった。

 もう、彼女には、普通の女子高生として生きてもらいたい。

 

 でも同時に、一緒に戦った時の安心感は大きなもので。

 きっと彼女と戦うことが出来るのなら、どんな問題でも乗り越えられるような気がしたから。

 

「だから、断ります。いえ、貴女をそんな戦いへ行かせる訳にはいかない」

「え……」

 

 だから。

 そんなことを言われるなんて、思いもしなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百七十話

「え……と、止めに来た……?」

 

 思ってもいなかった発言が飛び出してきたことで、思わず聞き返してしまった。

 

 きっとこれは何か勘違いしてるに違いない。

 私が琉希とカナリアに救われてからというものの、カナリアは私の家に住んでいる。当然琉希は私が魔蝕になった間しかカナリアと話していないわけで、知っている情報量にも差があるはず。

 一から説明すれば分かってくれるだろう。

 

「あ、ああ! 琉希はまだ細かい事情知らないもんね。実は……!」

「突然増えたダンジョン。普通の地震からすればまず有り得ない、世界で同時多発的に起こった大震災。そして駄ルフが魔天楼と呼ぶ、まあ私たちにとっての『人類未踏破ライン』の唐突な変化。まあ前提の話を聞入れいれば大体わかりますよ。二十七年前の物と同じかそれ以上の何かが起こっている」

 

 あ、あれ? 思ったよりちゃんとわかってる……?

 

 二十七年前、当然私たちは生まれていない。

 しかし当時は相当な騒ぎだったのは勿論分かっているし、生活の様々な物が一変した。電化製品は続々とエネルギー源を魔力へ移したし、その流れは今も続いている。

 

 革新と混乱、当時を単純に表すのならこの五文字になるだろう。

 

「……琉希の言う通り、私たちはあれを止めに行く。あれを動かしている人を倒して止める」

 

 しかし、今起こっている混乱は当時と似ているようで全く異なる。

 

 当時が革新だとしたら今は崩壊。急速に築き上げられた魔力による社会が、全ての起源を知る者の手によって一気に崩壊を始めた。

 クレスト。彼と彼の統治する王国の振る舞いはあまりに一方的で、暴力的なまでの被害をこちらの世界へ振りまいている。

 

「全く口にしないので、てっきりこの件には関わらないのかと思っていました」

「……本当は地震があった日からずっと動いてた」

「みたいですね。何日か観察してたので知ってます」

 

 琉希の顔にいつものような表情はない。

 淡々と語っているが、しかし何かを堪えるような怒りの感情を感じる。

 けれど彼女が何を求めているのかが分からなくて、無言で見つめていたところ、いきなり琉希はおもむろに拍手を始めた。

 

「世界を救うために、数少ない味方を伴って戦いに行く。英雄的で素晴らしい行為ですね」

「おい、こいつなんか怒ってないか」

「怒ってません、貴女は黙るか永遠に黙るかしていてください」

「絶対怒ってるだろ!」

 

 カナリアの前、地面がボコリと抉れる。

 直後、土くれが意志を持ったかのように宙を舞い、恐ろしく的確にカナリアの顔を狙って空を舞った。

 

 きっと琉希のスキルで操られたのだろう。

 渋そうに顔を歪めたカナリアがそれを払いのけ、横でどう口を挟もうかと眺めていた園崎さんの手を引っ張った。

 

「うおっ。おい園崎美羽、なんかここに居るとヤバそうだしちょっと逃げるぞ」

「えっ!? ちょっ……フォリアちゃん、続きは明日しましょう!」

「明日もっと面倒な状況になってなければいいがな……」

 

 ちらりとこちらを見た彼女へ頷く。

 今はちょっと話していられないし、琉希を沈めてからでなければ何も出来ない。

 

「……相手の規模は?」

「え……?」

 

 ぽつりと投げかけられた一つの質問。

 

「必ず倒せる手段は? 相手の手の内は? 倒したとしてあの塔自体を止められる保証は? 止めたところで世界の崩壊が止まると言い切れますか?」

 

 いや、一つではない。それの直後、次から次へと琉希の口から飛んできた質問は、どれも私には答えようがないもので。

 

「それは……」

 

 たまらずどもってしまった。

 

「はい、そうです。ないですね。その上、『倒す』の意味分かって言ってます?」

「それは勿論」

「殺すんですよ、人間を。駄ルフの話からして二十四年、いえ、塔が出来る前からですからざっと六十年でしょうか。ずっと蔓延って来たその相手はモンスターなんか比べ物にならないほど狡猾で、残酷で、悪意に満ちています」

 

 殺す。

 そう、私はほとんど話したこともない人間を、これから殺そうとしている。

 

 ……きっと、たまらないほど不愉快で、永遠に忘れられない体験になるだろう。

 クレスト、筋肉を殺した人。カナリアから奪った情報で魔天楼を作り上げ、世界に罅を入れ、そして今更に何かをしている。

 私にとって、いや、この世界の人にとって彼は憎むべき対象なのだろう。

 

 コートの内側に入れていた両手を握りしめる。

 

 ……私は彼を許せない。身勝手で、一方的で、理不尽な行動で多くの人を殺した彼を。

 けれど同時に、何故こんなことをするのか、という純粋な疑問もあった。ただ人の心がないだけなのか、それとも何か理由があるのか……きっと、他の人からしたらあまりに甘いと言われてしまうような考えだろう。

 

 俯く私へ降り注ぐ視線を感じる。

 

「でも、きっとそんな人間でも、貴女は殺す直前に躊躇する。相手の家族、身辺、生まれ、行動、何故そういった行動に至ったのか、思わなくていい思いやりに腕が止まる」

「……っ!?」

 

 心臓が跳ねる。

 

 思考を読んだかのような彼女の言葉に驚き視線を上げると、彼女は呆れたようなため息を吐いて首を振った。

 

「ほら、今もきっと考えてた。それで相手も貴女の素直さに付け込み、哀れみを乞うような行動すらしてくるかもしれない」

「りゅ、琉希は思い込み強すぎだって!」

 

 恐ろしいほど細かく、しかしどこか自分自身納得してしまいそうな彼女の言葉を、上擦った声で無理やりにも掻き消す。

 しかし完全な沈黙が下りることもなく、彼女は続けた。

 

「そして、貴女は殺される。躊躇って、隙を見せて、最後には殺される。甘さ、優しさ、どう表現するのでも構いませんけどね」

 

 愕然とした。

 未来における自分の死を告げたのが、まさか琉希だとは思わなかったから。

 

「――私、実はすごい利己的な人間なんです。フォリアちゃんは私の事を優しいって言いますけど、本当は自分と、自分の周りの人間さえ幸せならそれでいいんです。だからきっと、私が貴女なら躊躇しない」

 

 そうして彼女は、今日初めてにっこりと笑った。

 

「でも、そんな私だから分かるんです。貴女は絶対に人を殺せない。モンスターのようにシステム染みた、ゲームの中を思わせる存在でもない、呼吸する生身の人間を殺すのは無理ですよ。そして、そこに至るまでの道も、きっと苦しみに満ちている」

 

 彼女の身体がふわりと浮かんだ。

 

 魔法? いや、魔法は魔法でもカナリアの扱うものとは違う、彼女独自のユニークスキルだ。

 薄暗い中でもよく見てみれば分かる。彼女の足元には薄い紙が一枚宙に固定されていて、しかし決して壊れない床の役目を果たしていた。

 

「だから止めるんです。貴女が苦しむと分かっていて、失敗すると分かっていてその道を歩むのを、みすみす眺めているわけにはいかない」

 

 まさか、琉希は私と戦おうとしてるの……?



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百七十一話

 ツカツカと、静かな月明かりの元、砕けた道なき道を行く。

 ひっくり返った家やコンクリートは次第に姿を失って、枯れた草が微かな風に揺られ物悲し気に葉擦れの音を立てる暗い草原が姿を現した。

 

 思えばこの一年、私を取り巻く何もかもが変わった。

 お金もなくて、家族もいなくて、家もなくて、友達もいなくて。それでも目の前の事を必死にやって、気が付けば欲しかったものが全て手に入っていた。

 

 嫌なことはいっぱいあった。戦って、死んで、何度も死にかけて。

 そして、良いこともいっぱいあった。いい人に出会えて、いい体験をして、ここまでこれたのはきっと、私の運がよかったから。

 運良く良い人と出会えたからこそ、私は今を生きていられる。

 

「私は幸せだった、この一年」

「ならその幸せを噛み締めていればいいでしょう! どうしてその幸せから離れて、わざわざ危険な道を行こうとするんですか!」

 

 普通の暮らしをして、普通に生きて、普通に楽しい毎日を送る。

 それで済むなら……私も、それが一番だと思う。

 

 でも、残念ながら現実は安穏と生きる道を選ばせてくれなくて、まあ、思い通りに行かないのも人生なのかな。

 

 惜しい。

 思い出を失うのが惜しい。ママを失うのが惜しい。今まで出会った人を失うのが惜しい。惜しい、惜しい、惜しい。

 あれも、これも、嫌な思い出も、いい思い出も、全てが全て今までの経験で、その一切がゴミ屑みたいに消え去るのが惜しい。

 勿論そこには琉希もいて。

 

「だから守る、この幸せを。誰かが繋いできた今を、私を救ってくれた幸せを守る。わざわざ離れてるんじゃない、その危険な道の先に私の幸せはあるから」

「……っ」

 

 この道に、分岐や退路はない。

 

「琉希、ごめん。戦うなって言うのは守れそうにないし。琉希は戦いたくないなら戦わなくていい。でもこの戦いは避けられないから、見なかったことには出来ないから、誰かじゃなくて私がやるよ」

 

 思えば琉希には苦しい役目を任せてしまった。

 カナリアと私の関係から始まる、異世界や魔蝕、そしてダンジョンシステムなどの複雑な問題を知り、きっと彼女なりの苦悩などもあったのだろう。

 

 私に危ないからと止めてくれるのは嬉しい。

 でも、ならはいそうですかとやめることはもう無理だ。私が私の考えで決めたこれを覆すことは、私ですら出来ないから。

 

「ええ、きっと貴女ならそう言うと思ってました。でもその選択肢、あたしには受け入れられません。だから……」

「……やっぱり、こうなるか」

 

 そして、私が戦うと誓っている限り、琉希の願いが叶うことはない。

 

 地面が揺れる。

 宙を舞う草や飛び散る土の独特な香りと共に、地面から巨大な壁がせり上がって来た。

 

 いや……これはまさか……剣!?

 

 その高さは、そこらの木を軽く超えていた。

 その上、大の大人が二人手を広げても足りない幅広さは、その即興で作られた剣を壁と勘違いしてしまうほど。

 さながら土で創り上げられた巨人の剣。

 

 しかし土と侮ることなかれ、彼女のユニークスキルに操られる万物は不壊となる。

 薄い紙切れは鉄をも切り裂く鋭利な刃に、そこらで売られている下敷きすら絶対の盾へ早変わりだ。

 

 さらに恐ろしいのはそれが次々に、合計六本もが地面から生えてくると、翼でも生えているのかと思うほど自由に宙を舞い、ぴったり空に浮かぶ彼女の傍らへと待機したことだ。

 

「だから、貴女が諦めるまで止め続けます。あたしは本気で行きますよ」

 

 嘘でしょ……

 

 いつの間にあの膨大な質量を操れるようになっていたのか。

 

 

「くぅ……っ!」

 

 

「」

 

 

「戦わないと守れない、背負わないとダメならなんでも背負ってみせる!」

 

「貴女が苦しむ必要なんてない!」

 

「私以外に誰がやるの!?」

 

 

「誰かがやるに決まってる!」

 

「誰かがやるんじゃない! 誰かがもうやって、私たちはこの今までずっと守られてきた! だから、誰かに守られるのは終わりで、私が皆を守る番なの!」

 

「確証もない希望に縋りついて失敗したら!?」

 

「確実な未来なんてない!」

 

「なら貴女が行く道が正解だとも限らない!」

「失敗が怖いから皆に死ねって言うの!?」

 

「そこに貴女自身を労わる心がない! そんなの間違ってる! 自分から死にに行くなんて狂ってる!」

「狂った程度でみんなを守れるならどれだけ狂っても構わない!」

 

「だからぁ……そうやって! 自分を捨てて! そういうのがダメだって言ってるんですよ! ずっと、ずっと、死ぬのが嫌だって言ってる人間が、どうしてそうやって苦しい道に踏み込むんですか!」

 

「戦わないとみんなが死んじゃう! 琉希の言う通り戦わなかったとして、結局皆が死ぬなら何の意味もない!」

「そんなことは分かってる!」

 

 無茶苦茶だ……

 

「琉希の言うこと無茶苦茶だよ!」

「人の心が一言で表せるわけないでしょう!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百七十一話

 ツカツカと、静かな月明かりの元、砕けた道なき道を行く。

 ひっくり返った家やコンクリートは次第に姿を失って、枯れた草が微かな風に揺られ物悲し気に葉擦れの音を立てる暗い草原が姿を現した。

 

 思えばこの一年、私を取り巻く何もかもが変わった。

 お金もなくて、家族もいなくて、家もなくて、友達もいなくて。それでも目の前の事を必死にやって、気が付けば欲しかったものが全て手に入っていた。

 

 嫌なことはいっぱいあった。戦って、死んで、何度も死にかけて。

 そして、良いこともいっぱいあった。いい人に出会えて、いい体験をして、ここまでこれたのはきっと、私の運がよかったから。

 運良く良い人と出会えたからこそ、私は今を生きていられる。

 

「私は幸せだった、この一年」

「ならその幸せを噛み締めていればいいでしょう! どうしてその幸せから離れて、わざわざ危険な道を行こうとするんですか!」

 

 普通の暮らしをして、普通に生きて、普通に楽しい毎日を送る。

 それで済むなら……私も、それが一番だと思う。

 

 でも、残念ながら現実は安穏と生きる道を選ばせてくれなくて、まあ、思い通りに行かないのも人生なのかな。

 

 惜しい。

 思い出を失うのが惜しい。ママを失うのが惜しい。今まで出会った人を失うのが惜しい。惜しい、惜しい、惜しい。

 あれも、これも、嫌な思い出も、いい思い出も、全てが全て今までの経験で、その一切がゴミ屑みたいに消え去るのが惜しい。

 勿論そこには琉希もいて。

 

「だから守る、この幸せを。誰かが繋いできた今を、私を救ってくれた幸せを守る。わざわざ離れてるんじゃない、その危険な道の先に私の幸せはあるから」

「……っ」

 

 この道に、分岐や退路はない。

 

「琉希、ごめん。戦うなって言うのは守れそうにないし。琉希は戦いたくないなら戦わなくていい。でもこの戦いは避けられないから、見なかったことには出来ないから、誰かじゃなくて私がやるよ」

 

 思えば琉希には苦しい役目を任せてしまった。

 カナリアと私の関係から始まる、異世界や魔蝕、そしてダンジョンシステムなどの複雑な問題を知り、きっと彼女なりの苦悩などもあったのだろう。

 

 私に危ないからと止めてくれるのは嬉しい。

 でも、ならはいそうですかとやめることはもう無理だ。私が私の考えで決めたこれを覆すことは、私ですら出来ないから。

 

「ええ、きっと貴女ならそう言うと思ってました。でもその選択肢、あたしには受け入れられません。だから……」

「……やっぱり、こうなるか」

 

 そして、私が戦うと誓っている限り、琉希の願いが叶うことはない。

 

 地面が揺れる。

 宙を舞う草や飛び散る土の独特な香りと共に、地面から巨大な壁がせり上がって来た。

 

 いや……これはまさか……剣!?

 

 その高さは、そこらの木を軽く超えていた。

 その上、大の大人が二人手を広げても足りない幅広さは、その即興で作られた剣を壁と勘違いしてしまうほど。

 さながら土で創り上げられた巨人の剣。

 

 しかし土と侮ることなかれ、彼女のユニークスキルに操られる万物は不壊となる。

 薄い紙切れは鉄をも切り裂く鋭利な刃に、そこらで売られている下敷きすら絶対の盾へ早変わりだ。

 

 さらに恐ろしいのはそれが次々に、合計六本もが地面から生えてくると、翼でも生えているのかと思うほど自由に宙を舞い、ぴったり空に浮かぶ彼女の傍らへと待機したことだ。

 

「だから、貴女が諦めるまで止め続けます。あたしは本気で行きますよ」

 

 嘘でしょ……

 

 いつの間にあの膨大な質量を操れるようになっていたのか。

 

 

「くぅ……っ!」

 

 

「」

 

 

「戦わないと守れない、背負わないとダメならなんでも背負ってみせる!」

 

「貴女が苦しむ必要なんてない!」

 

「私以外に誰がやるの!?」

 

 

「誰かがやるに決まってる!」

 

「誰かがやるんじゃない! 誰かがもうやって、私たちはこの今までずっと守られてきた! だから、誰かに守られるのは終わりで、私が皆を守る番なの!」

 

「確証もない希望に縋りついて失敗したら!?」

 

「確実な未来なんてない!」

 

「なら貴女が行く道が正解だとも限らない!」

「失敗が怖いから皆に死ねって言うの!?」

 

「そこに貴女自身を労わる心がない! そんなの間違ってる! 自分から死にに行くなんて狂ってる!」

「狂った程度でみんなを守れるならどれだけ狂っても構わない!」

 

「だからぁ……そうやって! 自分を捨てて! そういうのがダメだって言ってるんですよ! ずっと、ずっと、死ぬのが嫌だって言ってる人間が、どうしてそうやって苦しい道に踏み込むんですか!」

 

「戦わないとみんなが死んじゃう! 琉希の言う通り戦わなかったとして、結局皆が死ぬなら何の意味もない!」

「そんなことは分かってる!」

 

 無茶苦茶だ……

 

「琉希の言うこと無茶苦茶だよ!」

「人の心が一言で表せるわけないでしょう!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百七十二話

 轟音と共に弾き飛ばされた土剣。

 激しい地響きを掻き立て、草原でまばらに立つ木々を叩き切り捨て、土を飛び散らせてけたたましく転がる。

 

 かつて目にした超巨大なボスモンスターにすら匹敵するこの惨状、まさか一人の女子高生がやったとは思わないだろう。

 

「酷い環境破壊だと思わない!?」

「貴女の大っ好きなダンジョンのおかげでっ! 現代では自然が増えましたからっ! 少しくらい切っても怒られませんよっ!」

 

 いやぁ、増えたからって壊していいものでもないと思うけど。

 

 琉希の操る剣達が暴れ回るほど、同時に起こる風が勢いよくバチバチと土や小石を巻き上げ、瞼やコートの下に隠された腕を叩く。

 時間が経つほどに風の勢い、そして巻き上げられるものの大きさは酷くなるばかり。さながら小さな台風というべきか。

 人が起こすにはあまりに大きすぎる空気の流れは、もはや風というより小さな嵐、新たな災害の形にも似ていた。

 

 目の渇き、小さなゴミが入った瞬間の反射的な瞬き、刺激で不意に零れる涙。

 味覚を失い、人としての道を外れ始めたらしい私であるが、残念ながらこういったところは未だに変わらないらしい。

 

「……本当、病気ってのはなるもんじゃないよね」

 

 流石の私も目を開けることすら叶わなず、たまらず指先でお面を弾き被り、面の下に伝う涙を拭って独り言ちる。

 

 大切な知り合い、物、存在、場所。 本当に、大事にしたい人やもの、都合の悪いものばかりが無くなっていく。

 どうせ無くなるなら痛みや苦しみの感情、記憶の方が良いのに、そっちは何故かずっと残るのだから厄介だ。

 

 

 ばちりと開いた視界、巨大な影が身体を覆う。

 鋭さなどもはや意味をなさない。剣を象った巨大な質量が、ただこちらを潰そうと垂直に襲い掛かって来た。

 

 

「『アクセラレーション』……」

 

 

 世界が色を失う。

 風の音、自分の息遣い、揺れる草すら消え果た世界で、しかし巨剣だけは動きが分かるほどの速度を保っている。

 

 だが、私には届かない。

 

「――『スカルクラッシュ』ッ!」

 

 苦しい。

 

 まず一本目。

 

 刃からすれば爪楊枝ほどの長さしかないカリバーが、その進行方向を容易く捻じ曲げる。

 反動から背後の地面が吹き飛び、勢いを消しきれないカリバーがごっそりと足元の土をえぐり取った。

 

「貴女が苦しむ必要なんてない!」

「私以外に誰がやるの!」

 

 悲しい。

 

 二本目。

 背後にぴったりと姿を隠していたものが、一本目を上空へ弾いた瞬間に牙を剥く。

 

「誰かがやるに決まってる!」

「この先に誰かがやるんじゃない! 繰り返しの中で誰かが戦い続けて、私たちはずっと守られてきた! そんな私に今は一番の力がある! だから誰かに守られるのは終わりで、私が皆を守る番なの!」

 

 こんなことは言いたくない。

 本心。

 

 三本。

 四本。

 

 さながら巨大なハサミ。

 上空左右からの挟撃。

 

「『ストライク』! 『ステ……っ」

 

 ぶつり、と、一瞬左手の力が抜けた。

 

 痛みはない。

 慣れた感覚だ。興奮で痛みを感じないのか、痛みを感じないほどの重傷なのか。

 だがどちらでも構わない。

 

「――ステップ』っ! 『ストライク』ッ!」

 

 スキルの導きが無理やりに中断され、人が自然には出来ようもない不気味な動きで全身が蠢く。

 くるりくるりと体を独楽にして回り、双撃をもって叩き落す。

 

「確証もない希望に縋りついて失敗したら!?」

「確実な未来なんてない! 今までの人達だってそう! 成功するかの確信もないまま、それでも生きるために戦い続けてきた!」

 

 だが、ここまでしても彼女の目に宿る炎は揺るがない。

 ギラギラと月の光を反射する黒い瞳に、一瞬だけ紅いものが見え……

 

「貴女が行く道が正解だとも限らない!」

 

 だが、はっきりと観察をする暇もなく、琉希が空中を蹴り飛ばしながら近寄って来た。

 

「じゃあ失敗が怖いから、これが正解とも限らないから、私は何もしないしこのまま皆に死ねって言うの!? モンスターに噛み千切られて! 叩き潰されて! 消滅で誰からも何もかも忘れて去られてっ!   あの苦しみを皆に押し付けるの!?」

「そんなことは言ってない!」

「そう……っ、いうことでしょ!」

 

 でも言わないといけない。

 その度悲し気に歪む彼女の顔を見て、もっと悲しくなる。

 

 五本。

 

 限界まで彼女が近寄ってきた瞬間、目前に現れた新たな土剣。

 だが彼女のスキルを何度も間近で見てきた私には、その攻撃も届かない。

 

 受け流し、刃とカリバーがこすれ合う最中に彼女とすれ違う。

 

「なんで分かってくれないんですか!」

「分かってる! 琉希の言いたいことは分かってる! それでも、これが私のしたい事なの!」

 

 最後の一撃すらも、やはり容易く叩き落とす。

 

「そこに貴女自身を労わる心がない! そんなの間違ってる! 自分から死にに行くなんて狂ってる!」

「狂った程度でみんなを守れるならどれだけ狂っても構わない!」

 

 戦いたいわけじゃない。

 殺したいわけじゃない。

 死にたいわけじゃない。

 狂いたいわけじゃない。

 

 クレストという人とは話した事がない。

 もしかしたら彼には彼なりの正義があって、魔天楼を創り上げたのにも理由があるのかもしれない。

 苦肉の策でこんなことをしているのかもしれない。琉希の言う通りだ、彼には彼なりの正義があるのかもしれない。

 全部仮定の話で、でももしそれが合っていたのならと思うと、胸が苦しくなる。どっちを選べばいいのかって、頭が熱くなる。

 

 だが今この世界に住む人からすれば、この前起こった地震は変であるものの、自然現象でしかない。

 魔法に触れて三十年。ダンジョンシステムから魔道具に触れているとはいえ、異世界の知識と比べれば赤子のようなもの。

 先の地震、その原因を突き止めるには知識が少なすぎる。どうあがいても突き止め、そして解決することは不可能だ。

 

 分からない。

 なんでかの人がそんなことをやっているのか、その真意なんて分からないけど、一つだけ分かることはある。

 

 ――全てを止められるのは誰?

 

「こんなに苦しい……こんなに痛い……っ。でも、私の大事なもの全部を守るには、私がこの手で戦うしかないの。だから迷ってなんかいられない、琉希の願いは聞けない!」

 

 私が戦うのを諦めたら、その瞬間にこの世界は終わる。

 何も知らない人達が、物が、動物が、世界が、何も知らないまま、理不尽に全て潰されて終わる。

 

 全てを止められるのは、私だけだ。

 傲慢な考えでも何でもない、それ以外に選択肢なんてない。

 

「だからっ……そうやって! 自分を捨てて! そういうのがダメだって言ってるんですよ! ずっと、ずっと、死ぬのが嫌だって言ってる人間が、どうしてそうやって苦しい道に踏み込むんですか!」

「戦わないとみんなが死んじゃう! 琉希の言う通り戦わなかったとして、結局皆が死ぬなら何の意味もない!」

「そんなことは分かってる!」

 

 無茶苦茶だ……

 

「琉希の言うこと無茶苦茶だよ!」

「人の心が一言で表せるわけないでしょう!」

 

 今までのように一撃一撃、大振りながらも確実な攻撃とはかけ離れていた。

 次から次へ石礫のように地面からこぶし大の土がほじくり返され、弾丸のように打ち出されていく。

 

 背後で、弾き返した土にぶつかった木が弾けとんだ。

 

「かもしれない! かもしれない! そればっかり! どれもこれもが現実的じゃない! あの駄ルフが語る、何もかもが仮定ばかりの夢幻に囚われてっ!」

 

 絶叫と共に、今までで最も大きな剣が地面から競り上がって来た。

 彼女の背後に生えた木すらもが、ミニチュアの偽物に見える。

 

 豪、と風が吹いた。

 

『強いやつが理想を語らないと』

「力のある人が夢を語らなくて」

 

 琉希の振り上げた大剣に、かの幻影が重なる。

 大剣だ。だがそれを操る人はもう、この世界にはいない。

 

 いつだっけ、これを聞いたのは。

 遠い昔のようにも感じるけど、きっと最近だ。

 

『誰も理想なんて言えなくなっちまうだろ』

「誰が夢を語るのっ!」

 

 そうか、そういうことだったんだな。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百七十三話

 息が切れる。

 絶え間ない衝撃に晒された腕が痺れ、震え、しくしくと痛む。

 

「くっ……これ以上は……っ」

 

 琉希は剣術系のスキルを持っていない。

 元々後衛の支援に特化していたし、『魔蝕』によって上がったレベル分のスキルポイントを、彼女のユニークスキルに注ぎ込んだと前言っていた。

 

 だがレベル差を埋める莫大な質量による連撃、一瞬でも気を抜けば容易く吹き飛ばされてしまいそうになる。

 全てを受け止めると一度も避けずに打ち返して来たが、流石に限界が見えてきた。

 

 それにこの打ち合い、返す度に凄まじい音が鳴り響く。

 どうにか人の少ない場所、戦える場所として町から離れてはみたものの、これではきっと避難所にいる人たちにも音が聞こえているはずだ。

 ただでさえ災害に良いとは言えない生活環境、ストレスや不安が溜まっている現状、これ以上の刺激は避けたい。

 

 ――やるしかないのか……?

 

 分かっている。琉希の言う言葉は全部私のために言っているんだって。

 一言一言話される度に、もうこれ以上は言わないでくれと耳を塞ぎたくなる。

 耳が痛くて、胸が苦しくて、それでもやらなくちゃいけないから……私のために戦っている彼女を打ちのめさなくてはいけないことを、どうしても躊躇ってしまう。

 

 だが……

 

「――っ!?」

 

 小さな悲鳴。

 

 刃が、落ちた。

 

 ぼろり、ぼろり。

 一本一本が操り糸を切り取られたかのように地面へ突き刺さり、土くれへと姿を戻す。

 

 そして最後、宙を浮く彼女の身体すらもが、ふらりとよろめいた。

 

「琉希っ!」

「『……星宝剣』……」

 

 だが、地面に崩れた彼女は、それでも止まらなかった。

 小刻みに震えながら立ち上がった彼女。しかしただ立ち上がっただけではない、黒々とした何かを右手へ携えている。

 

 小さな、小さな剣だ。

 今までの剣を模した質量兵器でもない、ただの、少女の身体からしても小さな剣。

 

「……っ!」

 

 速い……!

 

 どうみても先ほど空中から落ちた彼女の様子は尋常じゃなかった。

 限界だ。体の限界、能力の限界、精神の限界。幾ら大量の質量を動かせるとはいえ、あれだけ精密に、複数の物を同時になんてやはり無理があった。

 

 なのに速い……!

 

 先ほどとは打って変わって小さな剣を一本握りしめた彼女は、私ですら驚くほどの速度でこちらへ駆けよってくる。

 抉れた地面を蹴り飛ばし、涙を流して。

 

 痛みか? 苦しみか? それとも……悲しみか?

 

「もうっ、もういいでしょ……もういいでしょっ!」

「まだ……貴女が諦めてない……っ!」

 

 頭上、刃が閃いた。

 

 拙い一撃だ。

 

 はっきり言って私の実力がレベルに釣り合っているかと言われれば、きっと全く足りないだろう。

 だが一年の間、ほぼ毎日戦ってきた。ずっと命懸けだ。だからわかる、琉希と私の間にもレベル以前にやはり実力の差があると。

 

 当然だ、彼女は普段高校に通っているし、私みたいに延々戦っている余裕なんてない。

 それに剣なんてまともに使ったことがないのが分かる。刃が斜めのまま、力任せで垂直に叩き込まれる。

 なのにこんなにオモ(・・)い。

 

 何度も、何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も振り下ろされた。

 全部、全部、全部、全部全部全部全部受け止めた。

 

 飛び散った土が口の中に入り込み、噛み締める度にじゃりりと泥臭い。

 だがその中に嗅ぎなれていて、しかし今は相応しくないものが入り混じっていた。

 紅く、鉄さび臭いこれは……

 

「――血っ!?」

 

 頬に飛沫が跳ねる。

 コートに深紅の模様が浮かぶ。

 

 だが、私の身体には刃の一つすら通っていない。

 さすれば血の出た大元は……

 

「琉希、目から血が……! 口も……!?」

 

 月を背に攻撃を続ける彼女であったが、ちらりと月光に垣間見えたその胸元は紅く染まっていた。

 

 目の両端から彼女が力む度に、とくり、とくりと血が零れる。

 ギリリと限界を超え噛み締められた歯は紅く濡れ、血の泡が口角にへばり付いては勢いに剥がれ、宙で弾けた。

 

 さながら鬼。

 しかし心に抱くのは、私に対する思いやり。

 痛々しく、そこまでして私を止めようとする彼女の思いに、何も返せないことが苦しい。

 

「フォリアちゃんは……凄い……! 強くて、スキルもあって、怖くても誰かを守りたいと戦うことを決めてっ! でも貴女がこの先進む道はっ、そうやって……必要だからと見知らぬ人すら殺す道! あたし一人すら殺せない貴女がどうして進めるっ!」

 

 どれだけ覚悟をしたと言ったって、ふと緩むことはある。

 

「この避難所に来てからアリアさん、ずっと貴女の方見てるんです……! 止めたいんだって、何も言わなくても分かる……っ! やっと会えたのに、やっと家族に戻れたのに、なのにっ、なのにっ!」

 

 弱い心が囁く。

 戦わなくていいんじゃないかって、終わりのその時まで幸せに過ごした方がいいんじゃないかって。

 

「皆気付いてる……っ、皆、みんな貴女の周りにいる人は気付いてるっ! 貴女が何か危ないことをしようとしてるんじゃないかって、それが自分たちのためなんだってっ! 気遣って、苦しんで……っ!」

 

 言葉が突き刺さる。

 

 そうか、皆を心配させているのか私は。

 情けないな。

 

「――ろ、……めろ……らめろ……あきらめろっ! 諦めろっ! あきら……めろ……っ!」

 

 血の涙と共に、繰り返し振り下ろされる刃。

 

 剛力は、筋肉はいつも笑っていた。

 白い歯を見せ、最強を体現していた。

 

 あの人は強かった。

 力もそうだが、心が強かった。

 人の死を真正面から背負い、名を覚え、それでも堂々と戦い続けられるその心こそが、彼が最強であれた理由なのだ。

 

 そしてそんな人だからこそ皆に信頼されていたし、きっと彼なら大丈夫だと任せられていたのだろう。

 

「ごめんね……」

 

 私はきっと、その領域にまで至っていない。

 何もかもを任せられるような大きな存在になるには、どうやらまだ時間がかかりそうだ。

 

 振り下ろされる途中、カリバーを放り投げ琉希を抱く。

 

 もはや剣を握ることすら限界だったのだろう。

 手首を軽く握った瞬間、琉希の手からはあっけなく剣が転がり落ちる。

 

「いやだ……いかないで……いかな……い……」

 

 子供のようにぐずり泣き始めた琉希の顎を、ピン、と軽く指先で弾けば、彼女の意識は容易く飛んだ。

 

 本来ならこうはいかない。しかし極限の状態を気力で動かしていた琉希は、剣を取り落した時点でもはや心が折れていた。

 私を絶対に説得できないのだと、理解してしまっていた。

 

『力がある人間が夢や理想を語らなければ、一体誰が語るのか』

 

 ようやくわかった、その言葉の意味が。

 そして気付いた、その言葉を口にするためには、どれだけの物を背負わないといけないのかも。

 

 でも、その覚悟は……

 

「……出来てるよ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

276話

「――ふむ、なるほどな」

 

 瓦礫の道を歩く中、私の話を無言で聞いていたカナリアが静かに頷いた。

 

 この一年間、私は不思議な体験をしてきたものだが、その中の一つに奇妙な記憶のような、立体映像のようなものを見たことがある。

 触れることは出来ず、風を感じることもない。しかし好きな場所で好きな方向から覗くことができる、現代の技術ではまず有り得ない不思議な体験だった。

 

 そしてその映像の中で見たのがカナリアだ。

 今と同じくらいうるさく喚きながら捕まって、なんかすごい虐められていたのが印象的だった。

 

 思えば確かあそこに肌の黒い女の人や、偉そうな人もいた。

 きっと彼らがカナリアの言うクレスト、そしてクラリスさんなのだろう。そしてやはり彼女の話していた情報と、そこまでかけ離れた点があるわけでもない。

 嘘はなかった。もしかしたら見えなかった場所での裏話などがあるのかもしれないが、分かる限りで彼女は素直に情報を私へ伝えてくれたのだろう。

 

「『鑑定』は記憶から望む情報を引きずり出す魔法だ。まあ流石にこの世界では汎用性があり過ぎるから、基本的には大量の制限がかかっているがな」

「そうなの?」

 

 今まで戦っている間制限などで不便に感じたことは無かったので彼女の言葉に驚く。

 

「もし掛けなかったら暗証番号などといったものの一切は無駄になるだろう」

「……まあ確かに」

 

 戦いならば目の前の敵性を持ったモンスター、もしくは目の前で会話している相手。

 どこまでを読み取り、何処からは表示しないかの制限は案外厳しく、人ならば名前や年齢程度しか基本は知ることが出来ないらしい。

 

 そういえば人に『鑑定』を使ったことは無かったな。

 ふとした思い付きに過去の記憶がまた蘇った。

 

 初めて協会に来た時には園崎さんや筋肉が私に使ったのは覚えているが、直後に他人へ許可なく使うのはよろしくないと言われて、無意識にずっと従っていたのかもしれない。

 まあ年齢や名前だけとはいえ個人情報だ、勝手に知られて嫌う人も多いだろうし使わなくとも何の問題もないか。

 

「だが貴様の体質が体質だからな。本来は弾かれてしまう情報すらをも引き出してしまったのかもしれん」

 

 文字で伝えるより、当然映像の方が情報量としては上だ。

 当然本来ならそうならぬよう弾かれてしまうそうだが、私の魔力とやけに馴染みやすいこの体質が、弾かれてしまうはずの記憶を見せてしまった、と。

 

「累乗……つまり重ね合わせ、それに他の魔力とも異常なまでの親和性を誇る肉体……本来の力は固有魔法の重ね合わせ、か? 他者同士では例え阿吽の呼吸であっても必ず生まれる誤差、しかし本人ならその擦り合わせも不可能ではないはず。無数の魔力の性質を体内に記録することさえ出来れば、本人が死によって永久に失われる固有魔法、その全てを保存し、任意のタイミングによる起動の可能性すら秘めているかもしれん。ああ、そうだ。無限に近い組み合わせは果て無き創造を可能にし、森羅万象の創造とは即ち――」

 

 なるほどなぁ、とほんのちょっとばかり考えたその間に、カナリアは私を軽く上回る思考の海へと沈んでいた。

 ぶつぶつ足元の石ころを蹴り飛ばし唱える内容は、断片からどうやら私について考えているとまでは理解できるものの、その他の大半がまるで意味が分からない。

 

「ねえ。ねえってば、ねえ」

「叩くな! 聞こえている!」

「でも反応なかったし……」

「意図的に無視していただけだ! うむ、実に興味深い。思考を巡らすほどに好奇心が湧き出て留まらん、時間があったら貴様の体質を徹底的に調べ上げていた所だ」

 

 わざと無視したなら猶更酷いだろう。

 

「あげる、元はカナリアのだし」

 

 カナリアに琉希を浮かべて貰っている間に、『アイテムボックス』から取り出した今は亡き猫の黒い首輪を彼女へ手渡す。

 この首輪は以前見た映像で、縛られていたカナリアが付けていたものだったが、同時にかつて協会で買われていた猫の首輪でもあった。

 ……私がこの手で殺した、一匹の猫の首輪だ。

 

 今思えばあれも魔蝕によって変貌してしまったのだろう。

 魔蝕の存在を知らなかった当時からすれば何が起こっているのかまるで分らなかったが、多くの事を知ってしまった今、原因は容易に想像できる。

 最初は偶然だった。

 一体何を思ったのか勝手に飲み込まれ、吐き出させることすら出来ず、しかし体調に変化も無かったので流してしまった。

 

 ……もし、もっと早くカナリアと会っていたら、助けられたのかもしれないのに。

 いや、それ以前の話だ。私がもっと気を付けていれば、魔石を摂取することすらなかったはず。

 私のせいで……死んだ。私が殺した。魔石さえ食べなければあんな姿にならずに済んで、今も生きていて、避難所で暢気に寝ていたのかもしれないのに。

 戦わず抑え込めばよかった? 殺さずともどこかに閉じ込めていれば殺さずに済んだ……?

 

 知ったのは、戦った後だった。

 小さな車ほどあった巨体は一瞬で縮み、見慣れた姿が地面に伏せていることに気が付いた時にはもう遅かった。

 無常に風へ巻かれ塵になる姿へ、私は何も出来ず地べたに這いずるだけで……自分で殺した様なものなのに、この瞬間まで忘れているとはなんと冷たい人間なのか。

 

 思えば思うほど、彼女が感じていたであろう痛みや苦しみに息が詰まる。

 もしかしたらあの時私の前に現れたのは、苦しくて、助けを求めて……? それを私は、この手で叩き潰して――

 

「いらん! 何が悲しくてそんなものを持っていなくてはいけないのだ! 馬鹿にしとるのか貴様!」

「……っ!」

「そ、そんなに驚かなくてもいいだろう! なんだその目は!」

 

 カナリアの思索を咎めた直後だというのに、どうやら今度は私が沈み込んでしまったらしい。

 

「なんでもない。じゃあこっち」

「む……こんなものまで持っていたのか」

 

 思いを振り払うよう雑に状況を誤魔化し、今度は木で出来たペンダントを押し付ける。

 このペンダントもやはりカナリアが身に着けていたものだが、しかし処刑の時には失われていた奴。

 普段使いとして彼女が愛用していた物だと『鑑定』には書かれていた。

 

 過ぎたものはどうしようもない……変えられない。

 そんなことは望んでいないだろう、あいつはただ生きたかっただけ。私がいくらどう考えようと、幾ら後悔しても、その感情はあいつにとってカリカリ一粒分の価値すらない。

 だが、どうしようもないほどに陳腐で、思考を停止したような醜いエゴに塗れ、苛立たしい言葉だが、私はあいつの分以上に生きるしかない。

 

 私は、それ以外にどうすべきか知らないから。

 

「こちらは受け取っておこう」

 

 こちらに関しては特に嫌な記憶もないのだろう、すんなりと受け取り首元へ垂らす彼女。

 素朴で派手な飾りもない、そこいらで数百円も払えば売っていそうな小細工ではあるが、カナリア自身もシンプルなワンピースをずっと着ているのもありよく似合っていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百七十五話

 倒れた琉希の口元へ小瓶を添える。

 中に詰まった深紅の液体は光を通さないほどに濃く、しかし月明かりとはまた別の、液体そのものがキラキラと輝きを纏っていた。

 

 ちょっとずつだ。

 一口、いや、半口。喉に引っかからず、変に気管の方へ入らないよう少しずつ口元に注いだ。

 煌めく液体がその喉を潤していく度、彼女の瞳の端からこぼれていた血が止まり、必要以上に剣を固く握りしめていたからだろう、擦り切れた掌の傷が消えていく。

 

 もしかしたら見えないところなどまだ傷があるかもしれないが、ここまで回復すればおおよその問題は無視できる。

 

「よかった……」

 

 流石一番高い奴、抜群の効き目である。

 

「んー……勿体ない」

 

 小瓶に余った分を行儀悪く舐めとりながら、琉希を抱き上げる。

 

 実のところ、協会に蓄えられていたポーションの大半は、先の地震で半分近くが砕け無駄になってしまっていた。

 そしてその在庫を搬入している古手川さんの所でも、やはり多くが地震で互いにぶつかり合ったり、あるいは落ちた衝撃で砕けるなどしていたようで……更に本部はものけの殻な惨状、実のところポーションは割と不足気味なのだ。

 

 一滴足りとて無駄には出来ない。

 

 いわゆるお姫様抱っこという奴で、気絶した琉希を抱きかかえた私の耳に、何者かが歩いてくる音が聞こえた。

 暫く待ち、暗闇から現れたのは出会ったばかりで、しかし見慣れた不機嫌そうな顔。

 

「カナリア……」

「凄まじい騒音だったぞ、ダンジョンの崩壊じゃないかと騒ぐ奴らをなだめるのが手間だった。業腹ではあるが、私より年下の馬場が上手く治めおったがな」

 

 ぶちぶちといつも通りの傲慢な物言いに笑い、しかしどうにか零したそれもすぐに枯れた。

 

「……琉希泣いてたよ。やめろって、戦うなって……でも私は無理やり押し切った」

 

 押し切った。そう、私は無理やりに通した。

 きっと琉希はまだ納得していない、ただ私に勝てないから意見を通しきれなかっただけで。

 

 合ってる……はず。

 皆を守るためには誰かが戦うしかない。その誰かは今まで私たちを守ってきてくれた人で、既にこの世界には存在しない人。

 だから、次は私の番。今まで守られてきた私がこれだけの力を手に入れたんだから、今度は私が皆を守る番。

 

 私の選択は間違いないはずなのに、苦しい。

 

「これじゃ嫌われちゃうかも」

「生憎と私は既に嫌われている。貴様を危険へ駆り出す存在だからな、番犬にはさぞ不愉快な存在だろう」

 

 ここで生半可な同意や慰めでないことにやはり笑ってしまう。

 

「こいつの力はどうだった?」

「凄かった。凄い強かった。レベル差はあるはずなのに、全部受け止めるのは正直ギリギリだった」

「……ま、それだけ止めたかったのだろうな」

 

 そんなの……分かってる、分かりきってる。

 

 彼女の攻撃を一つ一つ打ち返す度、次に伝わる悲しみが大きくなるのを感じた。

 どうしようもないのに、どうしても止められない。返されれば返されるほど、それを受け止めきれず、もっと大きな力で返そうとする苦しみ。

 言葉以上に言葉であり続ける琉希の感情は、彼女の感情だけではない、私の周りにいる人が思っている言葉を表現していた。

 

 私は一つの事をやるとどうにも他のが見えなくなるタチなのもある。

 だが私から一歩離れた場所から『私』を見ている人だからこそ、きっと、私では気付けないほどの他人から向いている視線に気付いていたのだろう。

 

「……カナリア。魔法陣の解読にまで、あとどれだけの時間がかかる?」

 

 ああ、嫌だなぁ。

 

 皆が私を心配している。

 状況からすれば酷い考えだが、それに私は喜んでしまっている。

 私が大切だと思っている人たちは私の勘違いではなくて、その人たちも私の事を大切に思ってくれているのが分かってしまったから。

 

 同時にその皆を心配させてしまっているという悲しみ、そして喜んでしまっている自分への嫌悪感にうんざりする。

 

 早く、全てを終わらせるんだ。

 ずっと続いた悲しみも、苦しみも、私が全て終わらせる。

 

「長くて二日だ」

「え!? 早くない!?」

 

 だがしんみりとした考えも、想像以上にその時が近いと知って吹き飛んだ。

 

 一枚の紙ぺらから魔法陣を取り上げるだけでも三日掛かったのだ。

 カナリア曰くあの魔法陣は一枚に見えて、実際の所複数のそれが重なってできているらしい。

 一体それが何層になるのかは分からないが、世界を飛び越える魔法だ、単純なものでは決してないだろうし、相応の時間がかかるとばかり思っていた。

 

「貴様らが消えた後に手帳の文字を解読してな、現れた場所、光の色、人物、全て書かれていた。欠損箇所も多く難航するはずだったが、そのおかげで作業が一気に進んだよ」

「人物……?」

 

 妙だ。

 筋肉は恐らくクレストという人と戦った。その時にメモに取られたのがあの魔法陣なのだから、当然魔法の発動者は……

 

「あの魔法陣って、クレストって人が使ったんじゃないの?」

「ああ、起動者はクラリス。私の古き友人で……同じ研究者だった女だ。あいつは中々に優れていてな、私も高く評価していた……」

 

 ふと目を細め、どこか遠くへ思いを巡らせるカナリア。

 

 普段人を小馬鹿にするのが常の……いや、本人からすればそのつもりはないのかもしれないが……カナリアからすれば、『高く評価していた』なんてめったに聞けない言葉だ。

 

「同じ文章を書くでも止めや跳ねなど筆跡に差が出る様に、同じ効果の魔法陣でも組み合わせに癖が出る。クラリスの事は子供の頃から知っているからな、起動者が奴であって良かった」

 

 どうやらクラリスさんとやらはクレストと仲が良いらしい。

 異世界の王様と聞いて一人でこちらの世界に訪れているのかと思いきや、どうやらそのクラリスさんを始め、彼に付き従っている人も多いとみた。

 

 そういえばカナリアもそうだけど、このクラリスさんって人もなんか引っかかるなぁ。

 どっかで聞いたことがあるような、顔も見たことがあるような……はて、何処だったか。

 

 町、というよりは元町の廃墟、すなわち避難所へ向かう中、話すこともないのでカナリアに続きをせっつく。

 

「ふぅん……クラリスさんか……どんな人だったの?」

「うむ、奴はダークエルフという種族でな。とは言ってもエルフと大して変わらん、肌は黒、身長が高く発育が良いだけ。そうだな、この世界における白人と黒人の関係に近いかもしれん」

「へぇ……」

「古い友人と言ったな、正確に言うのなら幼馴染という奴だ。家が隣同士でな、学科から研究までほぼ同じような道を通り、私としては良い競争相手であった。恐ろしく真面目な奴で、昨日理解していなかったことも次の日になればある程度履修を終えていたよ」

 

 ふぅん……幼馴染なんだ……ぁ? 

 

 その瞬間脳みそが震える感覚を知った。。

 一つの事に気付いた瞬間、芋づる式に沸き上がる記憶が激しく思考を刺激し、これまで体験した不思議な思い出が鮮明に蘇った。

 

「アッ!!!」

 

 思い……出した!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百七十六話

「にしても変だよね、私が見る映像全部カナリア関係の奴だけだし。他の物に鑑定使っても何も起こらないんだよ」

 

 何も起こらない、というのは語弊がある。

 実際にそのものの説明などは視ることができるし、モンスターならステータスを確認できた。

 しかしながらこの首輪や首飾りなどとは異なり、決して映像が映ることはない。

 

 思い出にでも浸っていたのだろうか? 首飾りを指先で弄んでいたカナリアが、少し気の抜けた声で私の疑問に答えた。

 

「あ? ああ……貴様は覚えていないだろうが、過去の世界で私と貴様は一応顔を知った相手だからな」

「え!? そうなの!?」

 

「考えてもみろ、私は貴様の両親と長年協力関係にいたわけだ。加えてアリアや奏……貴様の父親の人伝を利用していたのだぞ。貴様の事を知っていてもおかしくはないだろう」

「なるほど……」

「とはいえ過去の世界では貴様は探索者ではなかったからな。あくまで顔を見たり、少し話した程度だ。『目標』の達成からすればはっきり言って、取るに足らない塵芥だった」

 

 親しくはない、知人というにしてもあまりに関係の薄い、まさに面識があるという言葉がぴったりの関係だったらしい。

 

 彼女の言う目標とは即ちクレストを倒す事。

 確かに、私はこんな特異なユニークスキルを持っているからこそ半年でのレベリングが可能であったが、一般的にここまで一年であげるのはまず不可能だろう。

 何らかの方法で『経験値上昇』を手に入れていたとしても、それこそ琉希のような狂った方法を取らない限りは。

 

 私自身お金に困っていたり体力が足りないという問題が無ければ、わざわざ探索者になることなんてなかった。

 家族が普通にいるかこの世界なら猶更だろう。

 

 なるほど、確かにクレストを倒す目的の前に、過去の私は取るに足らない存在だと言える。

 

「ねえ、私どんな人だった?」

 

 それはそうとして、今とは別の生活環境で育った私という存在に興味が引かれた。

 

 ママがいて、パパがいて、きっと高校にも通ってたのかな。

 剣崎さんが住んでいたあの家で、こんな地震が無ければママの言う通り、休日にお庭で机を出してお茶会でもして……現実はボロボロの町でお菓子の味も分からない体になったわけだけど。

 

 が、そんな事より聞き捨てならない話が飛び出して来た。

「今とは別物だったぞ、口数も多いし表情も豊かだった。後はそうだな……もう少し身長や胸は発育していたな」

「へぇ……え!? 身長高かったの!? どれくらい!?」

 

 私の身長が高かった!? それってつまり……身長が高かったって事!?

 

 この協会のコートを羽織るようになってからは随分と減った――とは言っても、コートの存在を知らない公共の施設などでは、やはり小学生扱いされる――ものの、特に探索者になる前の私はこの身長に長らく悩まされてきた。

 

 まず前の物が見えない。つま先立ちをしても見えない、ジャンプをしても見えない。

 結局人の隙間を潜り抜けて前列に行くしかないわけだ。

 更に他人から小学生だのいや中学生になったばっかりだなどと言われるが、その時点でもう中学の卒業間近であったり……まあ、虐められたり。

 

 理由も内容も下らない話だ。

 色々体験した今からすれば大したことだとも思わないけど、当時は同じクラスの子からのそれに随分と苦しまされた。

 

「アリアと変わらんほどだったはず。この国では高身長と言われる程度だな、過去の世界で私が出会ったのも丁度今頃だった」

 

 むかむかしてきた。

 

 ママの剣に関しては本人が許すと言っている以上許したが、つまりそれは普通に暮らせていれば、私の身長はもっと高かったということじゃないか。

 せめて理由を詳しく説明してくれたり、あんな別れ方じゃなければ私はご飯をちゃんと食べてたし、明るく過ごせた。

 そうならせめてもう少し身長が伸びていた。そうに違いない、いや、絶対そうだ。

 

「カナリア」

「なんだ」

「殴っていい?」

「駄目だが?」

 

 駄目か。

 

 まあ仕方ない、過ぎたことだ。

 今の私に出来ることは……なんだ? 牛乳でも飲めばいいのかな? でも味も分かんないし、変化した身体で牛乳を飲んでも意味があるのか?

 いや、その前に流通が止まっている。牛乳を飲むにしてもどこで買えばいいのか分からない。保存食の中に赤ちゃん用の粉ミルクはあったが、赤ちゃんに回すから勝手に飲めないし……私の身勝手な理由で飲むなんて許されない。

 

 それにしても……

 

「私とは別の私か……世界の時が戻る前とか何してたんだろ」

 

 住む環境が違う。

 付き合う相手が違う。

 何もかもが違う世界で、しかし同じ存在として生まれ育った『私』。

 

 身長は高く、口数は多いし、表情は豊か。

 それはもはや私と言って良いのか、私の名を冠した別人な気もするが、それはそれでどんな人間だったのか気になる。

 

 そして……今の私のように戦っているパパやママを見て、一体『私』は何を思って、何をしていたんだろう。

 何も気付いていなかったのか? 気付いていて、それでも触れなかったのか? それとも何か行動を起こしたのだろうか?

 六年前の今、つまり時を戻される直前で、私はどう過ごしていたのだろう。

 

「ん? あぁ……」

 

 そんな話を聞けば当然沸いてくるであろう質問に、しかしカナリアは要領を得ない返事を返した。

 まるでどう表現すればいいのか困ったかのように顔を一瞬強張らせ、だが一瞬後にはそれが見間違えだと言わんばかりにふい、とそっぽを向く彼女。

 

「知らん、遊んでたか寝てたんじゃないか?」

「遊んでたか寝てたって……」

 

 なんかすごいバカっぽい。

 嘘でしょ? 前の世界の私そんなアホっぽい感じなの? いや確かに今の私はそんなに頭良くないけど、前の私もそんな、そんな世界の危機を前にして遊ぶか寝てるかしてる感じだったの?

 え、やだ。すごいやだ。せめてパパとママの帰りをはらはらしながら待ってるとかにして欲しい。

 

「二日後の夜、最終調整を兼ねた打ち合わせを行い、三日後の明朝に出発する……やるべきことは終わらせておけよ」

「ちょ……うそ、本当に私そんな感じの人間だったの?」

「知らんと言ったら知らん! 適当に言っただけの物を真に受けるな!」

 

 あまりな言われように困惑する私を置いて、カナリアはずんずんと離れていってしまう。

 

「ねえ! 打ち合わせって、私たち二人しかいないじゃん」

「それ以外にも一つすることがある。今後を左右する問題だからな、しっかり調整(・・)しておきたい」

 

 じゃあお休み。

 

 有無を言わさずカナリアは空をふわりと舞い上がると、こちらの返事すら待たず、あっという間に町の方向へ飛び去ってしまう。

 暗い道の上、意識を失った琉希を抱いたまま、疲労困憊した身体を引き摺り歩く私は、他人から見ればなんとも物悲しい影を纏っていただろう。

 

 ……せめて琉希だけでも連れて行って、先に寝かせてくれればよかったのに。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二百七十七話

 朝日が瓦礫の山から顔を覗かせる。

 透き通った冬の空気は太陽の輝きを隅々へ行き渡らせ、瞼すら通り抜ける眩い輝きに意識が引き上げられた。

 

 もぞもぞと段ボールの上に敷かれた寝袋から這いあがる。

 

「くぁ……」

 

 眠い。

 

 連日の救助活動や復旧作業、手帳解読に、昨晩はあまり気の進まない戦闘もあった。

 時にはストレスからか暴れ出す人もいるし、小さな諍いは耐えることがなく、あちらこちらへと走り回っては連絡を聞いて更に他の場所へ回る日々。

 中々に抜けきらない疲労があくびを催す。

 

 しかし、基本的に避難所にいる皆が一丸となって協力し小さなことから進めている今、私ばかりが疲れたからと寝るわけにもいかない。

 特にえーっと……そう、馬場さん。彼は一見好々爺だがしっかりとした人で、積極的に先頭にたっての指揮をしてくれている。

 彼が居なければここは酷い有様になっていただろう。

 

 これがかの有名なべっこう飴より甲州地鶏か。

 

「おっす……おやすみ」

「あー今日はウニが夜番だったんだ、おつかれ」

 

 私が起きたのとほぼ同時に、ウニが自分の寝袋へ潜り込んだ。

 

 悲しい話だが、在庫などを保存している倉庫代わりの場所へ夜中に侵入しようとする人はいる。

 見つかればすぐに諦める人もいれば、暴力に訴える人も……まあ、いる。

 だが町……いや、国中世界中がこんな状態だ、彼らを避難所から放り出してしまえばまともな生活は遅れないだろう。

 

 そんな時、ウニの一般人と比べれば抜けた力がちょうどいい。

 本人曰く子供の頃から筋力があったそうだが、当然彼はその力との付き合い方に慣れているし、誰かを怪我させずに取り押さえることが出来る。

 結局のところ生活状況が改善されなければ結論を先延ばしにしているに過ぎないが、明るい話題もだんだんと聞くようになってきたので、決してこのまま希望がないわけではない。

 

 実のところ空から、もしくは見知らぬ探索者が、あるいはボロボロの道でも走り回れる車が、だんだんとここいらにも訪れては、食料や消耗品を配給してくれている。

 国はまだ死んでいない。少しずつだが、確実に現状は改善されていた。

 

 ふらふらと外へ歩いていけば、どうにも懐かしさを覚える良い香りが微かに漂っていることに気付き、ぼんやりと匂いのする方へ足を進める。

 

「あっママ、おはよ」

「おはようフォリアちゃん」

 

 ママを含めおおよそ三十人程度だろうか。あっ、琉希のママもいる。

 多分主婦の人なのだろう、皆が包丁などの調理器具片手に忙しなく動き回り、真ん中にいくつも並んだ大きな寸胴の鍋からは、えもいえぬ良い香りが漂っていた。

 

 朝食の準備だ。

 

 紙コップとおにぎりを小さなお盆に乗せこちらへやって来たママへ手を振ると、彼女はずい、と笑顔でそれを手渡して来た。

 コップの中は……茶色いスープだ。細切れではあるものの、野菜のようなものが随分とたっぷり浮かんでいて、一体何処からこれらを貰ったのかと首をひねる。

 

「お味噌汁?」

「そう! 昨日の夜にお米とドライのお野菜がいっぱい届いたのよ! ほら、避難所のご飯って糖質多めでしょ? 折角だから朝食はこれであったかいお味噌汁にしましょうって決まったの!」

 

 嬉しそうに語るママへなるほどと頷く。

 

 避難所のご飯はやはり手間などを多くは掛けていられず、さらに保存のきくものがメインとあって、どうしても炭水化物に偏りがちであった。

 よく周りの人の顔を見てみれば、普段は何処か陰鬱な雰囲気が漂ってしまうにも拘らず、確かに今日ばかりは笑顔が多い。

 皆一味変わった食事に飢えているのだろう。 これは希望だ。徐々に復旧を始めついには遠方から届いた食料、きっと涙が出るくらい美味しいのだろう。

 

 それに味はしないが成程、寝起きの身体に暖かく、こうやってよく噛むようなご飯は目が覚めて丁度いい。

 

「おい! 飯!」

「おはようございまーっす!」

「あらあら、カナリアちゃんに芽衣ちゃんもおはよう」

 

 調理風景を眺めながらゆっくりと食事をしていると、次から次へ見知った顔が姿を現し始めた。

 目をこすりあくびをする者、鼻歌でも歌いそうなほどにゴキゲンな者、不遜な顔つきで椅子の真ん中に居座るエルフ。人によって顔つきは異なるものの、みな一様に芳しい香りに誘われてここへ訪れたことは変わらない。

 

 しかし食事を終わってぐるりと辺りを見回せば、一人だけ妙に落ち着いた雰囲気ですくりと背筋を立て、急須を横に何かを啜っている人がいた。

 

「馬場さんおはよう。もうご飯食べたんだ、早いね」

「ほっほ、年寄とは早起きしてしまうものなんですよ」

 

 よく見てみれば彼の手には渋い見た目の湯呑が一つ。

 覗けば並々と注がれた薄琥珀の液体が熱い湯気を振りまき、少しだけ甘く香ばしい香りを振りまいている。

 

 ちなみに湯呑も急須も彼の手持ちらしい。

 地震で砕けなかったのかと思ったが、そういえば彼も元探索者、『アイテムボックス』を持っていてもおかしくはない……いや、当然だろう。

 

「近くの林にチャノキが生えていましてね、恐らく茶畑から種が逃げてきたものでしょう。昨日の休憩時間につくったのですよ、俗にいう冬番茶ですな……まあほうじ茶に近いかもしれませぬが」

 

 一杯どうですかな?

 

 とニコニコ差し出されたので、ありがたく紙コップで一杯貰う。

 

「良い香り……抹茶みたい」

 

 まあ抹茶を飲んだことはないのだが。

 ケーキなどに掛かっている抹茶みたいな香りが強い、ティーバッグなどとははっきり違うと分かる。

 

「そうでしょうそうでしょう。手作りならではの香りのよさ、手前ながらこの味は中々市販品でもお目にかかれませんよ」

 

 素直に出た言葉だったが嬉しそうに顔をほころばせた彼。

 今は亡くなってしまったが話しやすく朗らかで優しい性格が、私が小学生の頃まで生きていたおばあちゃんにも似ていて、なんだか懐かしい気持ちになる。

 

 とはいえ日常的な会話だけを続けているわけにもいかない。

 楽しいおしゃべりは時間を忘れてしまうものだが、その忘れ去られた時間で出来ることも多いからだ。

 

「なにか足りないものとか、昨日今日で出てきた問題とかある?」

「実が足りませんな。昨晩に支援物資が届きましたが、日本各地がこうなってしまったとあれば必然的に総数の不足が見込まれますのでね。安定供給にはまだほど遠い、希望の実の在庫を出来るだけ増やしておきたいところですな」

「なるほど……」 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。