ガリアの魔王と商人聖女 (孤藤海)
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ガリア統一戦争
フェルディナンドを救う道


本作は拙作、ハルケギニアの商人聖女の続編になります。
ゼロの使い魔と本好きの下剋上の両方を知っていれば本作からでもある程度理解できるかもしれませんが、そうでないなら前作から読んだ方がよいかもしれません。

そして、あらためて注意事項として。
本作ではタバサがシャルロットを名乗り、ガリアの王権を得るため、そして維持するために虐殺や粛清など、あらゆる手段を用います。
そんなタバサは見たくない人は読まないことをお勧めします。




貴族院で四年生を過ごすために転移陣に乗ったわたし、ローゼマインは、心の中の密かな願いのせいでハルケギニアという場所に飛んでしまった。そうして、ハルケギニアで一年以上の長い時間を過ごした後にユルゲンシュミットへと帰還することができた。

 

けれど、驚くべきことにユルゲンシュミットでは、五日間しか経っていなかった。ひとまず時間の差異は時の女神ドレッファングーアの悪戯ということにして、わたしたちは貴族院四年生として生活を開始した。

 

というのも、今年は貴族院で奉納式を行うことになっていたりして、予定が詰まっていたためだ。わたしたちの不在はユルゲンシュミットでは五日間に過ぎなかったとしても、その五日が実に大きかったのだ。

 

そうして慌ただしく準備をして執り行った奉納式の後、わたしは始まりの庭で体を急成長をさせられた上にグルトリスハイトを取得することになってしまったのだ。そして、始まりの庭から帰還したところ、貴族院四年生は、もう終わってしまっていた。

 

ハルケギニアでの一年以上がユルゲンシュミットでは五日だったと思ったら、始まりの庭での一瞬はユルゲンシュミットでは季節一つ分だった。時間感覚の違いの目まぐるしさで今が一体、どのくらいの時期なのか、さっぱりわからなくなった。

 

ともかくグルトリスハイトから得た知識で、ゲオルギーネがエーレンフェストの礎を奪う方法の予想ができた。けれど、その直後にエーレンフェストの礎に至るための聖典の鍵は、すでにアーレンスバッハのものとすり替えられていたことが判明した。

 

そのせいで慌ただしく防衛の準備を行い、ゲオルギーネが攻めてきたときの対策会議を行っている中、わたしの頭に突如としてフェルディナンドの声が響いた。直後に見えたのは、アーレンスバッハの供給の間で、苦しそうに胸元を押さえて膝をついたフェルディナンドの姿だった。

 

フェルディナンドは名捧げ石の入った小さな籠をレティーツィアに渡すと、その場に体を投げ出す。座っていることもできない状態なのか、そのまま起き上がろうとしない。

 

そんなフェルディナンドの元にディートリンデが裾を長く引く銀の布のマントを身にまとって、ゆったりと歩いてくる。婚約者であるのに、ディートリンデにはフェルディナンドを心配している様子が全く見えない。

 

ディートリンデは自分がレオンツィオという者の手引きでグルトリスハイトを手に入れること、その際にフェルディナンドは不要だと宣言すると、何かの粉を投げつけた。ついにフェルディナンドはその場に伏したまま動かなくなった。けれど、まだ死んではいない。

 

だが、ディートリンデの暴挙はそれで終わらない。シュタープを封じる犯罪者用の手枷をフェルディナンドに取り付けると、手を引いて供給の魔法陣の上に置いた。ディートリンデが魔法陣の中心へ行き、魔力を流し込む。これで、供給の魔法陣が起動した。後は自分で手を退けるまで、魔力が魔法陣に流れ続けることになる。

 

大仕事を終えたように晴れ晴れとした顔でディートリンデが出ていっても魔法陣は止まらない。フェルディナンドの魔力を吸い込み、動き続ける。

 

ずっとディートリンデを睨んでいたフェルディナンドの薄い金の瞳から感情がすっと消え失せた。怒りも憎悪もなく、全てを諦めたように目が伏せられる。それと同時にわたしの視界は元の領主一族の会議の場に戻った。

 

わたしは早くフェルディナンドを助けに行きたい気持ちを抑えて、その場にいた皆に説明した。けれど、祖父のボニファティウスからは他領の供給の間で瀕死のフェルディナンドを助けることはできないこと、エーレンフェストの領主候補生はエーレンフェストの礎を守ることを優先するべきであるからと、諦めるように言われてしまった。

 

でも、わたしはエーレンフェストだけでなく、フェルディナンドも守ると約束したのだ。そう簡単に諦められるわけがない。

 

ボニファティウスは他領の供給の間に入る方法がないこと、アーレンスバッハに到着するまでにも日数がかかることから、今から助けに行っても間に合わないからと、更に諦めるように言ってくる。

 

「つまり、間に合うのであれば、助けに行っても良いのですか?」

 

そんなボニファティウスに、わたしは軽く威圧しながら問いかける。

 

「わたくしにとってはユルゲンシュミットよりエーレンフェスト、エーレンフェストよりそこに住む自分の身内の方が大事なのです」

 

「そこまで覚悟が決まっていて、救う当てがあるならば行けば良いではないか」

 

そのとき、わたしの背中を押してくれたのは、意外にもヴィルフリートだった。

 

「ありがとう存じます。それでは、まずはフェルディナンド様を助けてまいります」

 

「待て、ローゼマイン。中央へ行くことが決まっていても、まだ其方はエーレンフェストの領主候補生だ。エーレンフェストがアーレンスバッハに攻め込むことになるぞ!」

 

「安心してください。まずはアーレンスバッハに入ることなく、フェルディナンド様を助けてまいります」

 

「そんなことが可能なのか?」

 

「ええ、わたくしに考えがございます」

 

普通ならば、この方法は使えない。けれど、わたしの元にはフェルディナンドの名が刻まれた石がある。そして、わたしは遠く離れた場所にいる名を捧げられた者を、自分の元に引き寄せる魔法を知っている。

 

「では、わたくし、ちょっとフェルディナンド様を救ってまいりますね」

 

そう言ってわたしは領主一族の会議の場を出た。そして、すぐに側近たちを招集する。

 

「まずは隠し部屋に入ってまいります」

 

そこにはフェルディナンドの名捧げ石がある。それを染めるのが第一条件だ。

 

神殿の隠し部屋まで移動して、わたしはフェルディナンドの名捧げ石を染めた。その上でフェルディナンドを呼び出すための魔法、サモン・サーヴァントを使用してみようとした。けれど、サモン・サーヴァントは効力を発揮しない。おそらく、あれはハルケギニアに対象を呼ぶための魔法なのだろう。だったら、ハルケギニアに行けばいいだけだ。

 

「これよりわたくしはフェルディナンド様を救うために、ハルケギニアという場所に向かいます。そこで、フェルディナンド様を呼び寄せます」

 

部屋を出たところで言うと、ハルケギニアに向かったことがある側近たちはすぐに納得の表情を見せた。けれど、それには少し劣るものの他の側近たちもわけがわからないという表情ではない。

 

「もう少し困惑されるかと思っていたのですけど……」

 

「ローゼマイン様の不在の間に、ハルトムートからハルケギニアという場所のことも含めて色々と聞かされていましたので」

 

わたしが始まりの庭に行っていた間に、ハルトムートはハルケギニアでの出来事も、わたしが起こした奇跡として話していたらしい。話が早くて助かる反面、広がり続ける聖女伝説に頭痛がしてきた。

 

「ともかく、これからハルケギニアに向かいますので、わたくしに名を捧げた皆は同行してください」

 

どうせサモン・サーヴァントを使えば呼び出されるのだ。だったら、最初から一緒に来てもらっていたほうがいい。

 

「ローゼマイン、私も行くよ。自分の手の届かないところでやきもきするのは、もうたくさんだからね」

 

そう言って同行を申し出てきたのはコルネリウス兄様だ。確かにわたしの度重なる行方不明で、コルネリウス兄様には大変な心配をかけた。それに、ハルケギニアに転移したとき、どこに到着するかはわたしにもわからないのだ。

 

「わかりました。考えてみれば、転移先の状況がどのようになっているのか、わからないですから、成人している護衛騎士のコルネリウス、レオノーレ、アンゲリカはわたくしに同行していただきましょう」

 

「ローゼマイン様、ローゼマイン様の行動は何においても予想外のことが起こります。側仕えが一人だけでは不安なので、わたくしも同行いたします」

 

具体的な事例が多すぎてリーゼレータに反論できない。

 

「リーゼレータはハルケギニアで過ごした経験もありますからね。リーゼレータも同行していただきましょう」

 

ハルケギニアで過ごした経験のある七人に、更に三人の護衛騎士が加わるので、総勢は十名となる。気が付けば、随分と大所帯だ。

 

「オティーリエとベルティルデはゲオルギーネ様の侵略に備えて情報収集を怠らず、養母様やシャルロッテ、ブリュンヒルデと連携を取ってください」

 

「かしこまりました」

 

「ユーディットとフィリーネは神殿や下町を守ってください。グーテンベルク達はこれからも印刷業を広げるために欠かせません。ゲオルギーネ様を絶対に入れない。そのくらいの強い気持ちで神殿を、それから、エーレンフェストを守ってくださいませ」

 

「わかりました。神殿の守りに就きます」

 

二人に指示を出すと、わたしは最後に残っているダームエルを見つめた。

 

「ダームエルにしかできないことを命じます。わたくしにとって、エーレンフェストにおいて何よりも大事なものを守ってくださいませ」

 

それで、わたしの平民の家族を守ってほしいという願いは通じたようだ。

 

「いってらっしゃいませ、ローゼマイン様。御自分の心を守るためにも望みを偽らずに進み、必ずフェルディナンド様をお救いください。数多の神々の御加護がありますように」

 

「ありがとう存じます、ダームエル。貴方はわたくしにとって、やはり一番の騎士です」

 

これで全ての側近に指示を出し終えた。それぞれが慌ただしく準備を始める中、わたしも前回の経験を踏まえて持てる限りの魔術具を用意する。そんな中、わたしの元に養父様からのオルドナンツが届いた。

 

「ローゼマイン、エックハルトとユストクスがアーレンスバッハからエーレンフェストの貴族院寮に帰還した。其方がフェルディナンドを救出に行くと伝えたところ、二人も同行を希望したので連れていくがいい」

 

その連絡により、今回のハルケギニア行きの人数は十二人という当初に想定した以上の大人数となることが決定した。



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二度目の使い魔召喚

あたし、キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーが魔法学院で過ごす最後の夏季休暇が終わって一週間が過ぎた。今年の夏は初めて、あたしの隣に青髪の親友の姿が全くない夏季休暇だった。

 

それを寂しく思いながら、あたしは本来は二年生のときに行うはずの使い魔召喚の儀式に臨んでいた。再度の使い魔召喚に臨むことになったきっかけは友人のモンモランシーからの一言だった。

 

「結局、二年生のときに召喚したと思われていたローゼマインはキュルケの使い魔ではなかったんでしょう? だったら、もう一回、使い魔を召喚してみたら?」

 

そう言われてみると、魔法学院の同学年の中で、あたしだけが使い魔がいないという状況が気になってくる。そうして、あたしは二度目の召喚に臨むことになったのだ。

 

あたしの周囲には、友人であるルイズやサイト、ギーシュやモンモランシーやマリコルヌ。そして、教師であり恋人でもあるジャン・コルベールがいる。皆が固唾を飲んであたしの召喚を見つめている。その中に、最も仲が良かった親友が含まれていないことを少し寂しく思いつつ、あたしは召喚の呪文を唱えた。

 

召喚の鏡があたしの前に出現する。その瞬間、なぜか猛烈に嫌な予感がした。召喚対象が出てくる鏡に、なぜか強烈な既視感があるのだ。

 

「おや、キュルケ様ではございませんか。これは話が早くて助かります」

 

果たして、鏡から出てきたのは朱色の髪が印象的なローゼマインの狂信者、もとい忠臣であるハルトムートだった。

 

「どうしてハルトムートが出てくるのよ」

 

「詳しい事情はローゼマイン様が参られてから行います」

 

「ローゼマインがこっちに来るの!?」

 

頷いたハルトムートに詳細を聞く前に鏡から次の人が出てくる。次に鏡から出てきたのはマティアスだった。マティアスもあたしがいたことに驚いた表情を見せたものの、むしろ好都合というように頷いて場所を空けた。

 

続いてラウレンツが出てきたが、その次に出てきたのは、あたしの知らない明るい緑の髪の男性だった。マティアスたちと同じ鎧を着ていることから、おそらく騎士なのだろう。

 

前回の召喚の折にローゼマインが呼べたのは側近たちのうち半分ほどだと言っていた。彼はおそらくユルゲンシュミットに残っていた側近なのだろう。

 

「コルネリウス、説明は後で纏めて行います。あと、ここにいるのはローゼマイン様の友人ばかりです」

 

ハルトムートに頷くと、コルネリウスと呼ばれた騎士は鏡の横に立って周囲を警戒するように見回している。続いて出てきた葡萄色の髪の女性騎士にもハルトムートは同じ説明をしていた。

 

その後に出てきたのは男性騎士はコルネリウスの兄らしい。容姿を見たときから、もしかしてと思ったが、コルネリウスが兄上と呼んだことで確定した。

 

その次が灰色の髪の男性だ。この男性は四十歳くらいに見えた。ローゼマインの側近はあたしより若い人ばかりだったが、中には年長者もいたらしい。

 

「ねえ、ハルトムート、今度は一体、何人で来るのよ」

 

「ローゼマイン様を含めて十三名ですね」

 

今までに出てきたのは側近は七人。ということは、残り五人。

 

その後はクラリッサ、ローデリヒ、グレーティア、リーゼレータと知った顔が続く。そして最後にローゼマインの姉らしき女性が淡い水色の髪の美少女騎士と一緒に現れた。

 

「おや、またキュルケの前に出てきたのですね」

 

「え……もしかして、ローゼマイン本人……なの?」

 

「はい、わたくしはローゼマインです」

 

あたしを知っているような口調であったので確認すると、まさかの本人だった。

 

「一体、どうしたらそんなに急成長するのよ」

 

ハルトムートたち他の側近たちは、それほど姿は変わっていない。けれど、ローゼマインだけが異常な成長をしている。

 

元から美しい少女であったけど、今は子供らしい丸みを帯びていた顔が少しほっそりと輪郭を変え、玲瓏とした美しさへと変わっている。すんなりと伸びた指先にも子供の丸みはなく、しなやかさがあった。

 

背後の皆の様子を窺ってみると、サイトやギーシュなどの男性陣は、一様に美しく成長したローゼマインに見とれている。マリコルヌはともかく、サイトとギーシュは後でルイズとモンモランシーにお仕置きされないか心配になるほどの凝視具合だった。

 

「キュルケの疑問ももっともですが、今は時間がないのです。説明はのちほどさせていただきますので、まずはわたくしに召喚をさせてくださいませ」

 

わざわざ召喚しなくてもハルトムートたちと一緒に連れてくればよかったんじゃないの、と思ったが、口には出さなかった。そんな軽口は言えないほど、ローゼマインの表情が真剣だったからだ。

 

「皆様、突然の訪問でお騒がせして申し訳ございません。わたくしにとって大切な、家族同然の方がユルゲンシュミットで危機に陥っているのです。その方をサモン・サーヴァントを使って助けるために、わたくしはこちらに参りました」

 

そう説明したローゼマインは早速、サモン・サーヴァントの呪文を唱え始める。その姿をローゼマインの側近の皆が興味深そうに見つめている。考えてみれば、ローゼマインが召喚をする姿を見たことがあるのは、リーゼレータだけだった。

 

呪文が完成してローゼマインがサモン・サーヴァントを唱える。すぐにローゼマインの前には一枚の鏡が現れた。けれど、中からは誰も出てこない。

 

「やはり自力では動けないのですね」

 

そう言ったローゼマインは、なんと鏡の中に杖を突っ込んで、まずはヴァッシェンを使う。その後は、んっ、とかわいらしい声をかけて何かを引っ張り始めた。

 

「ローゼマイン、手伝わせてくれ」

 

「わかりました、エックハルト兄様、わたくしの体を引いてくださいませ」

 

「待ってくれ、ローゼマイン。それはレオノーレとアンゲリカに任せなさい」

 

そう言ってコルネリウスがエックハルトを止める。あたしもユルゲンシュミットの常識は聞いていたので、それがローゼマインのためだということは理解できた。

 

「コルネリウス、今はそんなことを言っている場合ではないだろう」

 

「兄上こそ、これは絶対に兄上がやらなくてはいけないことではないでしょう? ここはレオノーレたちに譲ればよいではありませんか」

 

「議論の時間がもったいないです。レオノーレ、アンゲリカ、手伝ってくださいませ」

 

兄弟の言い争いは、コルネリウスの意見が採り入れられていた。けれど、ローゼマインの表情は、明らかにどっちでもいいというものだ。

 

ともかく、二人の女性騎士の手を借りてローゼマインが鏡の中から何かを引っ張り出す。初めに見えたのは、片腕。そして、次第に全身が見えてくる。それは、薄い水色の髪の男性だった。けれど、その男性はぐったりとして全く動かない。

 

「ねえ、死んでないよね」

 

「ええ、大丈夫です。フェルディナンド様はまだ生きています」

 

そう言ったローゼマインはフェルディナンドと呼んだ男性に吸い口を当てて何かを飲ませていく。続けて癒しの魔法を連続でかけていた。

 

「次は解毒薬ですね」

 

周囲に確認を取り、ローゼマインは薬を染み込ませた布を口の中に入れる。少しして布を引き抜くと、今度は別の薬をスポイトのようなものを口の中に垂らた。その直後、男性は激しくむせ始める。ローゼマインは少し慌てながらも、苦しそうに咳き込む男性の様子を覗き込みながら背中をさする。

 

その次の瞬間、男性はローゼマインの腕を引いて組み敷くと、両手首の手枷の鎖で首を絞めようとした。誰も反応ができないほどの、意識不明の状態からの一瞬の行動だった。

 

「誰だ?」

 

「ローゼマインです!」

 

「……ローゼ、マイン?」

 

周囲が緊張する中、男性の問いかけにローゼマインが答える。すると、男性の緊張感が薄れた気がした。

 

「……あり得ぬ。ローゼマインはこのくらいの大きさだ」

 

そう言って男性が示したのは生まれたばかりの赤ん坊かと思えるくらいの大きさだ。

 

「あり得ぬってどういうことですか!? そんなぬいぐるみみたいな大きさだったこと、出会ってから今まで一度も……げふぅっ!?」

 

そして、その言葉に反論しようとしたローゼマインは自ら男性の鎖に突っ込み、勝手に負傷していた。

 

「……君は本当に馬鹿ではないか?」

 

「うぅっ……。さすがに今はちょっとだけそう思っています。ちゃんと自覚はあるので、そんなにしみじみとした口調で言わないでくださいませ」

 

ローゼマインと男性の会話は互いに信頼を感じさせるものだ。男性がローゼマインを組み敷いたときの緊張感は、すでにない。

 

「フェルディナンド様、ローゼマイン様と理解できたのなら、離れてください」

 

コルネリウスに言われた男性は、ゆっくりと体を起こすと、どさりと横に倒れるようにしてローゼマインの上から退いた。先ほどの俊敏な動きは全力を振り絞った結果であったようで、今はぐったりと体を横たえた状態だ。

 

「まだ体が自由に動かぬ。まずは解毒薬だ。薬を飲ませ終わったら、次はこの手枷を何とかしなさい。シュタープが使えぬのは不便で仕方がない」

 

言われたローゼマインは男性が指示するままに薬を準備して、飲ませていく。そうしてしばらくした頃、懸命な処置で体が回復してきたのか、男性が不思議そうにローゼマインに質問する。

 

「ところで、ここは何処だ? 私はアーレンスバッハの供給の間にいたはずなのに、なぜこのような場所にいる? なぜ君や私の側近たちがいる?」

 

「質問が多いですね。まず、ここはハルケギニアというユルゲンシュミットの外の世界で、フェルディナンド様がここにいるのは、わたくしが異国の魔術を使ったからです。側近たちがいるのも、わたくしの魔術によるものですね」

 

そう言われたフェルディナンドという男性は、無表情で黙ってしまった。

 

「ああ、久しぶりの処理落ちですね」

 

それに対してローゼマインは暢気な感想を言っていた。




フェルディナンドの治療はユストクスの入れない供給の間なのでローゼマインが治療を行ったもの。
それなら本来ならここではユストクスに任せるべきかとも思いましたが、せっかくのローゼマインとフェルディナンドの名場面なので、ここはローゼマインに治療をお願いすることに。


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サガミールの丘

かつて雪風のタバサと名乗っていたシャルロット・エレーヌ・オルレアンは、現ガリア王ジョゼフに対する反乱軍を指揮して、ガリア北部のサガミールの地で籠城戦を行っていた。籠城戦といっても、シャルロットが籠る場所には、高い城壁もなければ堅固な城門もない。あるのは川から引き込んだ長大な幅の堀の中に小高い丘があるだけだ。

 

その小高い丘の下に無数の坑道を掘り、地下に主要施設を設けてある。これは蜂起前に制空権がない状態で、どうすれば長期間の籠城が可能か、ローゼマインと話し合った結果の戦い方だ。ちなみに発案はローゼマインだったが、実際に頼りになったのはルイズの使い魔であるサイトだった。

 

サイトはなぜか地下に籠っての戦い方に詳しかった。そのサイトからの助言により、現在シャルロットが居住する指揮所の他に将兵たちの居住場所、物資保管庫に加え救護所や炊事場まで設けられ、更にそれら各所を結ぶ坑道が掘られた。

 

それらを行ったのは、土のメイジたちだ。シャルロットは旧オルレアン派の中でも特によく父に仕えてくれた者たちを密かに集め、その作業に当たらせた。並行して、水のメイジと火のメイジは秘薬の作成に全力を尽くしてもらった。

 

初めから籠城戦と決めていたため、キュルケの力も借りてサガミールには一年分の食料と水が運び込んである。そして、長い地下生活に対応するために、魔法のランプも大量に運び込んだ。

 

用いる旗は、ローゼマインのマントにあやかり黄色とした。そこにガリア王家の交差した二本の杖を描いた。

 

サガミールの丘に籠るのはシャルロットの檄に応えてくれた、バッソ・カステルモール、アルヌルフをはじめとした元ガリアの東薔薇騎士団の者たち、モローナ伯爵、シバー子爵、マヤーナ男爵、リョシューン男爵をはじめとした旧オルレアン派の忠臣たち一千五百。包囲するのはジョゼフの派遣した四万の大軍だ。

 

包囲軍は堀を作るときにも用いた広い川が流れる西を除いた三方に布陣した。南に総大将のサマリーノ公爵が率いる二万、東にクボー侯爵の一万、北にオーギャッツ侯爵の一万という布陣でサガミールの丘を包囲している。

 

包囲が完了した翌日、誘降の使者を堀の手前で追い返すと、ガリア軍はすぐに総攻撃を開始してきた。堀を渡ろうとしてくるガリア軍に対し、川沿いに作った壕から、すぐに魔法と銃撃と弓矢による迎撃が行われる。

 

サガミールの城兵たちの攻撃はガリア軍の前衛に甚大な被害を与えた。けれど、ガリア軍は大軍だ。倒しても倒してもすぐに後方から新たな敵がやってくる。倒しきれなかった敵兵たちは堀を埋め尽くす勢いで渡ってくる。

 

その最前線がいよいよ堀を渡り切ろうかというところで、シャルロットは岩に偽装された観測所の中から水の使い手リョシューンにオルドナンツを送った。リョシューンはすぐに籠城戦の前から大量に作成しておいたスリーピング・ポーションを堀に放出。同時にそれを媒介にしてスリープ・クラウドで辺りを包んだ。

 

水メイジたちの魔法により堀を渡っている途中で眠らされたガリア軍の将兵たちは悉くが溺死した。サガミールの堀がガリア軍の死体で埋まるほどの大勝利だった。

 

それから三日間は休戦となった。シャルロット側としても大量の死体は伝染病の原因ともなるし、ガリア側も遺体の回収を望んだからだ。堀から遺体を引き上げてガリア軍に向けて引き渡したりと、両軍はある程度の協力をした。

 

そうして、停戦期間が明けると再び攻囲軍による総攻撃が開始された。今度は堀を単純に渡ることはせず、土メイジを動員して堀に土橋を作って攻め寄せてきた。前線に出てきた土メイジを何人かは倒すことができたが、風メイジの護衛も付いていたため、倒しきれない。そうこうするうちにサガミールへと繋がる土橋が完成した。そこに包囲軍の兵士たちが殺到する。

 

今度も敵が渡り終えようというところで、城方は油の詰まった器を括り付けた矢を撃ち込んだ。同時に小さな袋も投げ込む。袋は土橋に落ちると、辺りに黄色い粉を撒き散らす。それはロマリアから輸入された火の秘薬である硫黄だった。

 

シャルロットの指示のもと、マヤーナ男爵をはじめとした火のメイジたちが着火の魔法を使う。その瞬間、ガリア軍の作った土橋の上で大爆発が起きた。

 

爆心地の敵が吹き飛ばされ、周囲の兵たちも事前の矢でばら撒かれた油に引火した炎に包まれる。火だるまになった兵が土橋から堀へと身を投げる。その上に城方は容赦なく矢玉を浴びせかける。

 

せっかく作った土橋で燃え上がる炎と、その中で焼け焦げていく友軍の姿を見て、寄せ手は戦意を失ったようだ。シャルロットたちは、二度目の総攻撃も耐えきったのだ。そして、それ以後は大兵力を押し出しての戦いではなく、搦め手からの戦いに移った。

 

まずは夜間にフライの魔法を使って堀を飛び越えてくる者が現れた。だが、サガミールの地には巧妙に偽装された多数の監視所が設けられている。坑道の入口も隠されており、何よりフライで飛来した少人数のメイジでは兵たちの詰所を落とすことは難しい。逆に坑道などを使って背後に回った城方の兵たちにより殲滅されていった。

 

与えられる被害と受ける被害の差。何より失われるのがメイジばかりという状況に、すぐに包囲軍はメイジによる夜襲を諦めたようだった。

 

続いて敵は堀の下を通る坑道を掘り、地下通路を使って城内への進入を果たそうとしてきた。実はこの方法は、地下を主要陣地とした城を建築すると決めたときから対策を考えていたことだった。

 

ガリアの派遣した軍ならば、多数のメイジが含まれている。ならば、手掘りなどという非効率な方法ではなく、必ず魔法を使って坑道を掘ってくるはずだ。現にシャルロットも多くの土メイジを動員することで短期間でサガミールの丘を要塞へと作り変えたのだから。

 

そのための対策として魔法探知装置を大量に購入し、搬送してすでに地下の各所に設置していた。その装置に反応があったと聞いた瞬間、シャルロットは火のメイジを現場に急行させた。

 

攻囲軍のメイジの使う魔法の反応が近づいてくる。そして、いよいよサガミールの地下施設へと到達するかという段で、地中に置いてあった大量の硫黄を触媒に、火の魔法で爆発を起こさせた。その爆音と地響きはサガミールの丘の逆側からでもはっきりと聞き取れるほどであり、坑道を掘っていたメイジたちは即死した。

 

更に城方は敵の作った坑道を逆に進み、敵陣に踊り入った。そして散々に暴れた後、坑道を埋めて城内に撤退した。

 

それ以後は、敵は兵糧攻めに方針を切り替えたようだった。元々、派遣されてきた三将は官僚寄りであり、敢闘精神には欠けるところがあった。加えて、三人は以前からのライバル関係であり、功を争っている間はよいが、それぞれの陣の被害が大きくなるに従い、逆に攻勢に出る役割を押し付け合うようになった。その結果、攻囲軍の被害を最も抑えられる方策を取ることに決まったのだろう。

 

元より、シャルロットたちの狙いは長期戦だ。そうして、ジョゼフの軍に屈せずに戦い続けることで、他の領主の呼応を誘う。それが元々の作戦なのだから。

 

ここまでは予定通り。けれど、それからが大変だった。

 

城が陥落する原因として無視できないのが内応者の存在だ。そして、その多くは長きに渡る籠城戦による精神的な疲労に起因している。それを防ぐためには、何より城内の将兵たちの士気を高く保つことが必要だ。

 

シャルロットは人付き合いが苦手だ。けれど、そんことは言っていられない。自分に対する忠誠心が、士気を高めるために何より重要だからだ。

 

敵が兵糧攻めの構えを見せる中、シャルロットは城内の各所を回り、積極的に兵たちに声をかけた。自分のことを話す必要はない。籠城戦の中、体調を崩してはいないか、食事や水は不足していないかを尋ね、自分のために戦ってくれていることに礼を言う。それほど多くを語らずとも、基本的には静かに話を聞いていれば、相手は大抵は満足してくれる。

 

そうして籠城戦が一か月を経過した頃、キュルケからシャルロットの母が目覚めたというオルドナンツを受け取った。生憎と期待したような完治には至らなかったようだが、前までのように人形を娘と間違えるようなことはなくなったようだ。

 

できることなら、母に会いにいきたい。けれど、シャルロットのために集い、命を懸けて戦ってくれている一千五百の将兵を見捨てるようなことはできない。

 

再会のときは、この戦に勝ったとき。そう誓ってシャルロットは地面の下での籠城戦を続けた。



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タバサを救う道

わたしが学院の外に作った白の建物は、まだそのままの状態で建っていた。その白の建物は前回わたしがハルケギニアに来たときの人数に合わせて作っているので、今の人数では完全に手狭だ。

 

貴族を狭い部屋に押し込めるのは好ましくない。そのため、普段なら学院の食堂を借りる方向などを考えただろう。けれど、今はフェルディナンドが本調子ではない。だから、狭いけれども、わたしの守りの魔術で守られた白の建物を会議場所として選んだ。

 

「君は、領主の目の届かない場所なのをよいことに、勝手に白の建物を作ったのだな」

 

「養父様の許可を取りようがなかったのですもの。仕方がないと思いませんか?」

 

実はもう一か所、作っているということは内緒にして、わたしはハルケギニア組の中ではキュルケだけを連れて、フェルディナンドを会議室の中に通した。そして、ハルケギニアの魔法や常識などを伝えつつ、これまでわたしたちが行ってきたことをフェルディナンドに説明する。

 

「君は、他国に行っても相変わらず問題ばかり起こしていたのか……」

 

「あら、わたくしなりに自重したとは思いませんか?」

 

「私が求めるレベルは、その程度ではない」

 

いつもながらフェルディナンドは手厳しい。けれど、離れていた期間が長いからか、今はその手厳しさすら懐かしい。

 

「叱られているというのに、何をにやけているのだ」

 

「フェルディナンド様が変わらずにいてくださったのが嬉しいのです」

 

「変わらないな、君も」

 

「ローゼマインも、ちゃんとそういう顔ができたのね。心配して損したわ」

 

フェルディナンドと二人、改めて再会を喜び合っていると、不意にそんなキュルケの声が聞こえてきた。

 

「キュルケ、何かございましたか?」

 

「いいえ、こっちの話よ。気にしないで」

 

「そういえば、タバサはどうしているのですか? 現状を教えてくださいませ」

 

そう言って教えてもらえた内容によると、わたしがユルゲンシュミットに帰還した直後から、タバサは蜂起の準備を始めたらしい。そうして、地下陣地の設計書を作り、籠城戦に必要な物資を揃えると、旧オルレアン派の中でも確実に味方になってくれそうな貴族だけを誘ってガリア王ジョゼフに反旗を翻した。

 

けれど、タバサの元に集った兵は僅かに一千五百。対するジョゼフは短期間に四万もの兵を招集し、タバサを討つために出発させた。

 

兵力差は歴然。そして、タバサはなぜか城壁もない、ただの丘に兵を配置した。タバサの反乱は一瞬のうちに鎮圧させる。ハルケギニアの多くの人がそう思ったという。けれども、予想に反してタバサが討たれたという報は一向に入らない。逆に伝わってくるのは丘を攻めたガリア王軍が多くの死傷者を出したというものばかり。

 

蜂起から早三か月。この間、ガリア軍を撃退し続けているタバサ改めシャルロットの声望が俄に高まっているという。

 

しかし、今のところ明確にタバサに味方してジョゼフに反旗を翻した領主はいない。なんといっても、未だジョゼフの軍事力は絶大で、サガミールの丘の攻略には失敗したものの、敗戦したわけではないのが大きいのだという。

 

「それでは、タバサはどうなるのですか?」

 

「食料などは一年分は運び込んだから、これから九か月は持ちこたえられると思う。けれど、それで事態が好転するかはわからないわね」

 

そう言ったキュルケは、サガミールの丘を包囲した将たちが猛将ではなく、大きな被害を出した二度の総攻撃の後は及び腰になってしまったのも、今となってみるとよくなかったと言った。攻撃を控えて包囲に徹せられては戦果をあげることも難しいからだ。

 

タバサ側が不利なままの膠着状態では、なかなか続こうという者が出ない。続く者が現れなければ、タバサの劣勢は覆せない。

 

「ある程度の勢力を持つ諸侯が、一人でも味方してくれると手はあるのだけど……」

 

「手がある、というのはどういうことですか?」

 

「攻囲戦が長期化するに従って、サガミールの丘の周辺には兵士たちを目当てにした市も立つようになっているの。そうなると、娯楽も求めるようになるってわけ。すでにキュントは各将の陣地で順番に公演を行っているわ」

 

元はアルビオンの情報を得るために組織された劇団キュントは、すでに立派な諜報組織となって各地の情報を集めているらしい。

 

「それで、各陣地を回っているうちに、ツェルプストー家お抱えメイジのエルザスが気付いたのだけど、丘の北側に布陣しているオーギャッツ侯爵は丘の前面に多くの兵を配置して、自らは丘から一番離れたところにいるみたいなの。もしも背後から奇襲をできたなら、面白いことになると思わない?」

 

面白いことになると言われても、わたしは軍事に関しては素人だ。わたしはすぐに白旗をあげてフェルディナンドの方を見た。

 

「君はタバサという友人の方に勝ってもらいたいと思っている、そういうことだな」

 

「はい、その通りです。もしもタバサが勝つための策があれば教えてくださいませ」

 

「私はこのハルケギニアという地の戦術には詳しくない。そのつもりで聞きなさい」

 

そう前置きをした上で、フェルディナンドはキュルケに両軍の布陣図を描かせる。

 

「しかし、上空からの攻撃を防ぐために地下に堅固で広大な陣地を構築するとは、なんとも大胆なことを考えるものだな」

 

「そちらはハルケギニアとはまた別の異国、日本の民であるサイトという者のいた地で発達した戦術なのです。夢のような国ということですよ」

 

そう伝えると、フェルディナンドはわたしの記憶を覗いたときに見た世界のことだと気づいたらしい。驚きに目を見張っていた。

 

「その別の世界のことも興味深いが、まずはこちらだな。なるほど、前線に多くの騎士たちを配置して、自分たちの陣の守りは手薄なのだな。確かにそれならば背後から奇襲を仕掛ければ一気に勝負を決められるかもしれぬな。しかし、それも味方してくれる者が現れなければ机上論なのだろう?」

 

「ええ、今まではそう思っていました。けれど、今は他に手段があると思っています」

 

「……なるほど、確かにそうか」

 

そう言った二人は、なぜかわたしの方を見ている。

 

「だが、危険ではないのか?」

 

「確かに、全く危険がないとは言えません。ですが、ハルケギニアの基本的事項として先ほどフェルディナンド様にお話しした通り、わたくしたちには騎獣がありません。すでに居ても意味が薄いと、ガリア王軍の空軍戦力は撤退しているようですので、失敗をしたとしても離脱は難しくないと思います」

 

「ならば、後はローゼマインの意思次第か」

 

そうして、またしても二人でわたしの方を見てくる。

 

「あの、先ほどからなぜ、わたくしの意思という話が出てくるのですか?」

 

「敵の本陣に君が兵を運ぶならば、奇襲が成功する可能性がでてくると言っているのだ」

 

確かにわたしの騎獣ならば百名近くを運ぶことができる。加えてフェルディナンドとわたしの側近たちがいれば、短時間にかなりの被害を与えられそうだ。

 

「それにしても、フェルディナンド様がわたくしが危険となるような手段を提案してくるのは珍しいですね」

 

「君のことだ。そのタバサという者がいよいよ危なくなったら、無茶をしてでも助けようとするのではないか? それよりは、状況が明確になっている今のうちに手を打っておいた方が、結局は危険が少ないのではないかと思ったのだ」

 

そう言いながら、じろりとわたしの方を見てくる。タバサは大切な友人だけど、物凄く成功率の低い賭けに打って出てまで助けるほど、わたしは無謀ではない。けれど、ある程度の成功率が見込まれるなら、騎獣で突入をしてしまう可能性を否定できない。

 

「さすがフェルディナンド様、わたくしのことをよくわかっておられますね」

 

「今回の非常識な私の救出方法で、改めて君を放置しては危険だと思い知らされたのだ」

 

急に異国の魔法に目覚めて異国に来たことも、そこの魔法を使ってフェルディナンドを異国に呼びつけたことも、自分でも非常識だと思ってはいるのだ。それだけに、わたしは何も反論できず、静かにアンゲリカの微笑みを浮かべる。

 

「ローゼマイン、それで誤魔化せると思わぬように」

 

けれど、それはアンゲリカのことも知っているフェルディナンドには通用するはずがない手段だった。



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タバサ救出部隊の結成

ローゼマインの騎獣を使えるようになったことで、少数でも敵の本陣への奇襲が可能となった。けれど、敵の前衛を無視できるという点で、普通の地上からの突入に比べて必要な人員が少なくなるものの、敵陣を制圧するためにはそれなりの人数が必要ということには変わりがない。あたしは今、その戦力をどう捻出するかで頭を悩ませていた。

 

「あたしとジャンは参加するとして、加えて戦力的な面でもサイトには協力してもらいたいところね。けれど、それだけだと全然足りないのよね」

 

「ルイズは虚無は使えないのですか?」

 

「ある程度は精神力が貯まっているんじゃないかとは思うけど、難しいわね。他の魔法なら誤魔化せても、虚無は誤魔化せない。さすがにガリアの内戦にトリステインの貴族が明確に介入するのは拙いでしょう?」

 

「確かにそうですね」

 

顔は隠せても魔法を誤魔化すのは難しい。それでも他の属性ならば個人の特定まではできないはずだけど、虚無だけはそうはいかない。

 

「人数が少ない分、なるべくメイジを多くしたいところだけど、それが難しいのよね」

 

傭兵メイジというものもいるにはいるが、多人数を揃えるというのは難しい。そして普通の貴族となると、他国の内戦への介入という理由により助力を得ることが難しくなる。

 

「あまり気は進まないんだけど、ギーシュに頼むしかないかしら」

 

「タバサのお母様を救出する際に助力くださったギーシュ様なら、確かに協力してくれるかもしれませんね」

 

「隊長のギーシュと、副隊長のサイトが参加してくれたら、他の水精霊騎士隊の皆も協力してくれる可能性が高まるしね」

 

ギーシュにしても、他の水精霊騎士隊の皆にしてもトリステインの貴族だ。本当は他国の内戦には関わらせるべきではないのかもしれない。けれど、この作戦はローゼマインの協力なくして成立しない。ローゼマインがいつユルゲンシュミットに戻ってしまうのかも、次にいつハルケギニアに来てくれるのかも、わからないのだ。

 

やるなら今しかない。だからあたしはローゼマインたちとの会議を終えるとすぐ、まずはルイズとサイトの元に向かった。

 

「あの女性はローゼマインなのよね。ローゼマインはどうやってあんなに成長したの?」

 

小柄で、どちらかといえば実年齢より下に見られることが多いルイズは、ローゼマインの成長の秘密が非常に気になっているようだ。

 

「ローゼマインは、神々の力で急成長をしたと言っていたわ」

 

「何じゃそりゃ」

 

サイトの感想はあたしの率直な感想でもあった。けれど、今はローゼマインの急成長に対する感想を話しに来たのではない。

 

「ローゼマインのことは置いておいて、彼女が来てくれたおかげでタバサに勝ちの目が出てきたわ」

 

「それはどういうこと?」

 

「ローゼマインの騎獣なら、敵の本陣に直接、多くの兵を送り込むことができる。頭さえ潰せば後は烏合の衆。サガミールの丘を囲む敵は撤退するはずよ」

 

「確かにローゼマインの騎獣があれば、空を飛べない俺やルイズでも一緒に敵の中央まで行くことができるな」

 

「そういうこと。それで、サイト、あたしたちに協力してくれないかしら」

 

サイトがルイズの方を見る。ルイズは迷うことなく頷いて返す。

 

「タバサのことは気になっていたんだ。タバサを助けるためなら協力するぜ」

 

「わたしもサイトと一緒に行くわ」

 

ルイズを連れていくかは悩みどころだったが、自ら行くと言ってくれた以上、断るという選択肢はない。

 

「けど、俺とルイズにキュルケだけじゃダメだろ。他に当てはあるのか?」

 

「ギーシュにお願いして、他にも水精霊騎士隊から募ろうと思っているわ」

 

「確かに、ギーシュならタバサを助けるためって言えば、協力してくれそうだな。それなら一緒にギーシュのところに行こうぜ」

 

そう言ってくれたサイトとルイズと、早速、ギーシュのところに向かう。ギーシュはよく水精霊騎士隊の皆が集っているサイトのゼロセンの格納庫にいた。その場には水精霊騎士隊の実務を担っているレイナールや、マリコルヌの他、モンモランシーもいた。皆で美しく成長したローゼマインのことを話していたようだ。

 

「ギーシュ、タバサを助けるために協力してくれないか?」

 

「どうしたんだ、急に。わかるように説明してくれ」

 

サイトに説明を任せるのは不安だったので、その後はあたしが引き取った。まずタバサを攻めている将の一人が背後への警戒を怠っていること。ローゼマインの騎獣ならば、そこに奇襲をしかけられるので、それに協力をしてほしいということを伝える。

 

「このままタバサが討たれるまで指を咥えて、ただ見ているだけなんて、騎士としてできないと思っていたんだ!」

 

「父の仇を討とうと頑張ってる女の子のためだ、ぼくはやるぞ! ぼくはっ!」

 

ギーシュとマリコルヌの他、数人が勇ましい声をあげた。

 

「でも……、やっぱり冷静に考えれば、そいつはできないよ。ぼくたちはもう、女王陛下の騎士なんだぜ? 好き勝手に動けるわけないじゃないか」

 

一方、レイナールは冷静に困難であることを指摘する。

 

「レイナールの言う通り、今回は他国の内戦への介入だから。一応、ガリア王ジョゼフのことはトリステインも敵だと思っているはずだから、勝てば称賛されるでしょうね。けれど負けたら厳しいことになる可能性が高いわ。そのための対策として顔は隠すことになる。だから名誉とは無縁の戦となるわね。得られるものがない戦いになるわけだから、今回は希望者だけでいいわ」

 

「わかった。そういうことで水精霊騎士隊の皆には話そう。けれど、いずれにせよ人数は不足するのではないか。僕がアルビオンで世話になった傭兵隊を紹介しようか?」

 

「アルビオンでってことは、実力はその目で確認できているってことよね。正直、メイジだけで最大だと百人くらいは乗れるというローゼマインの騎獣を埋めるのは難しいだろうと思ってたから、助かるわ」

 

「では、急いで連絡を取ってみよう」

 

兄に連絡を取るというギーシュにオルドナンツを貸し、相場の二倍の額を支払うという条件で緊急招集をかけてもらう。

 

「ところで、一つ質問をいいかい?」

 

「何かしら?」

 

「ミス・ローゼマインの側近に女性が増えていたようだけど、鎧をつけていたから、彼女たちも騎士なのだろう? ミス・ローゼマインが戦場に向かうのなら、彼女たちも同行するのではないのかと思うのだが、大丈夫なのかい?」

 

ギーシュが言っているのはレオノーレとアンゲリカという名の女性騎士のことだろう。二人ともギーシュが心配になるのも理解できる、とても戦場に立てるとは思えないような可憐な美少女だった。

 

「それについては、あたしも心配して聞いてみたんだけど、ローゼマインが言うには二人ともマティアスとラウレンツよりも強いって言ってたわ」

 

メイジも外見だけで実力を測ることは難しい。ユルゲンシュミットの騎士も接近戦も行うとはいえ、同様ということなのだろう。ギーシュも驚いたようだけど、それならば心配はいらないと納得したようだ。

 

ひとまずギーシュには水精霊騎士隊の皆を集めて参戦してくれるか意向の確認を頼んでおいた。その間にあたしはマチルダに向けてオルドナンツを送る。彼女はなんだかんだで荒事に慣れている。加えて彼女の巨大なゴーレムは戦力としてはもちろん、撤退する際の殿軍として最適だからだ。

 

そのマチルダからは諜報だけの約束だったはず、という文句が返ってきたが、重ねてお願いのオルドナンツを送ると、最終的には了承してくれた。ティファニアのアドバイスに従い、母親が平穏に生きられる場所を作るために戦っているタバサを助けたい、という部分を前面に出したことが奏功したようだ。とりあえず、マチルダは子供の頼みに弱い、と心の中のメモに記載しておく。

 

ちなみに当のティファニアについては留守番だ。彼女の忘却の魔法は乱戦に向かないし、何よりマチルダが戦場に立つなど許さない。

 

その後、集まった水精霊騎士隊からは三十名の参戦者を得られた。中心になるのは隊長のギーシュとマリコルヌ、そして大柄な力自慢のギムリ。それぞれが十名ずつの小隊の隊長として動くことになった。ちなみにサイトは副隊長ながらルイズの護衛を優先させなければならないことと、戦い方が他の水精霊騎士隊の皆と違いすぎるため別枠扱いだ。

 

学院からは他に補佐役としてモンモランシーも参加してくれることになった。ルイズも含めればメイジの総数は三十五人。それにサイトと、ギーシュが推薦してくれた傭兵隊が加わる。トライアングルクラスはあたしとジャンとマチルダだけで、ほとんどがドットメイジなのは不安材料だけど、人数はある程度、集まった。

 

あとはあたしたちがいかに要所を締めるかと、ローゼマインの護衛騎士たちがどのくらいの働きを見せてくれるかで勝負が決まる。あたしがタバサを助けるのだ。そんな強い思いを持って、あたしは急ピッチで戦いの準備を進めた。




護衛任務中は私語はしないため、可憐な美少女の一方は実際はただの脳筋だと発覚するのは当分後の話。


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サガミールの獅子

元ガリア東薔薇騎士団団長のバッソ・カステルモールは、その武勇で若くして騎士団長を任され、ガリアでは知らぬ花壇騎士はいないとまで言われていた。だが、カステルモールは元々は貧乏貴族の生まれで、とうてい騎士団に入れる身の上ではなかった。

 

そんなカステルモールが騎士団に入れたのは、今は亡きオルレアン公シャルルが、見込みがある、の一言で騎士団に引き立ててくれたからだ。その恩をカステルモールは今まで忘れたことはなかった。だからカステルモールは、恩人の娘であるシャルロットが名を奪われ、騎士団の汚れ仕事に従事させられている状況に忸怩たる思いを抱えていた。

 

それでも、カステルモールはガリア王ジョゼフに従順な態度を続けた。そうでなければ、ジョゼフは自分に忠実な者に騎士団長を交代させる。カステルモールの身分はオルレアン公シャルルに与えられたに等しい。シャルルが与えてくれた大切な身分をただジョゼフが気にいらないからという理由だけで捨てることはできない。

 

シャルロットの酷い扱いを耳にするたび、徐々にガリアから心が離れていくのを自覚しながら、それでもカステルモールは何もできずにいた。けれど、そんなカステルモールの元にマチルダと名乗る女がシャルロットからの密書を届けてきたのだ。

 

密書にはシャルルを暗殺したのがジョゼフであること。シャルルを暗殺して王位を簒奪したジョゼフに対して反旗を翻す予定であること。そしてカステルモールに決起の際には是非とも自分のことを助けてほしいと記してあった。

 

カステルモールにその誘いを断るという選択肢は考えられなかった。これまで心ならずもジョゼフに従ってきたのは、この日のためだったのだ。カステルモールはすぐに承諾する旨の返事を返すと、自分と心を同じくする八十名の精鋭騎士を率いてすぐに旧オルレアン領内のサガミールの丘へと駆けつけた。

 

サガミールの丘で待っていたのは、シャルロットが亡命先のトリステインで親交を深め、協力者となったというゲルマニアのフォン・ツェルプストー家の所属と名乗るエルザスと名乗る男だった。エルザスが見せてくれたのは、シャルロットが作成したという奇想天外な野戦築城の設計書だった。

 

これまで野戦築城といえば、あくまで攻城側が陣地への夜襲などを防ぐために、柵などで防御力をある程度まで高めるというものだった。それに比べて、エルザスが持ってきた案は何の防御施設もないただの丘に一年もの籠城に耐えうる城を作るというものだった。

 

あまりに常識から外れた案に、当然カステルモールも、なぜ既存の城を使わないのかと聞いた。すると、エルザスは既存の城では空からの攻撃に耐えきれないからだと言ってきた。いかにガリアの誇る両用艦隊といえど、城を完全に破壊するほどの攻撃力はない。けれど、空からの攻撃に、絶えず緊張し続けるという状況には変わりない。それでは、一年もの籠城は不可能だと言ってきたのだ。

 

それは、ある意味では道理だった。徐々に崩れていく城を見ていれば、完全に破壊されることはないといくら頭ではわかっていても、気持ちは弱気になる。それならば、初めから地下に堅固な陣地を構えた方がよいとエルザスは言った。

 

そうしてカステルモールたちは密かに地下陣地の構築を行うことになった。いよいよ憎きジョゼフに一泡と意気込んでいただけに拍子抜けの部分もあった。けれど、何もない丘に集めたのでは兵たちが動揺するため、特に忠誠心の高い者に、先に宿泊ができる場所を用意してもらいたいという意図を聞かされれば嫌とは言えない。

 

そうして防御施設をそっちのけで一千の兵が休めるだけの空間と、それらを繋ぐ通路を構築した。その間の必要物資はエルザスが手配した商人が届けてくれた。その際も近くの街道の木陰で休憩中の馬車から密かに降ろされ、地中に埋められた物資を夜間に回収するという念の入れようだった。

 

そして、カステルモールによる宿泊場所の完成の報を受けて、ついにシャルロットによるジョゼフ追討の檄が飛ばされた。同時にシャルロットがサガミールの丘に入ってくる。

 

「カステルモール、ただひらすらに穴を掘れという、貴族に対してあまりにも礼を失する命を受けてくれたこと、心より感謝いたします」

 

出迎えたカステルモールに対して、シャルロットはそう労いの言葉をかけてくれた。

 

「この後は急いで外堀を作ってしまいたい。敵が簡単に近づけないと思えば、兵たちはより安心できる。最初からわたしの檄に応えてくれる貴族はそれほど多くないと思う。ただでさえ少ない兵を減らしてしまうわけにはいかないから」

 

シャルロットはきちんと、簡単には裏切らない者と、状況によっては裏切る者がいることを把握していた。そして、その分類で自分たちは裏切らないものと信じてくれていることを、カステルモールは誇りに思う。

 

そしてカステルモールたちが今度は外堀を作成し終える頃にはシバー子爵やマヤーナ男爵が兵を率いて入城してきた。到着した兵たちの、ただの丘を見たときの不安そうな顔と、地下に広がる居住空間を見たときの驚きの顔は今でも思い出せば笑ってしまう。

 

それと同時に、カステルモールはシャルロットの筆頭護衛騎士というものに任じられた。兵が多く集まれば、中にはジョゼフによって放たれた刺客が紛れ込む余地が生じる。それを防ぐためにシャルロットの側に控え、その身を守るのが護衛騎士の役割ということだ。

 

カステルモールが最初は従者と紹介された女性が実は使い魔の韻竜であり、魔法で化けた姿であると知らされたのは、そのときのことだ。お世辞にも頭がよさそうには見えない女性をなぜ側に置いているのかと不思議だったが、それで理由に納得がいった。同時に護衛騎士とは主の秘密も守る存在なのだと、より身の引き締まる思いを抱いた。

 

その後、モローナ伯爵やリョシューン男爵も駆けつけてきて、いよいよジョゼフの軍との戦いが始まった。そこで力を発揮したのがシャルロットが持ち込んでいたオルドナンツというものだった。状況の確認が難しい地中の部隊同士だったが、このオルドナンツのおかげで緊密な連携を取ることができたのだ。

 

そして事前に用意していた大量の秘薬を使った罠で、二度の総攻撃を行ってきた敵に多大な損害を与えた。その際の指揮の手際は見事なもので、カステルモールはシャルロットに対する忠誠をより深くした。

 

その後の細々とした策略をやはり事前に用意していた策で打ち破ると、敵は丘を囲んだまま手を出してこなくなった。戦の状況が大きく変わった瞬間だった。

 

「カステルモール、わたしに将としての振る舞いを教えてほしい」

 

シャルロットがそうカステルモールに頼んできたのは、その直後だった。交戦がない中で、持久戦で兵の士気を保つためだとわかった。

 

考えてみれば、ジョゼフに汚れ役ばかりやらされたシャルロットは兵を指揮したことはおろか、誰かが兵を指揮するところを間近で見たこともないはずだ。わからないのも無理はない。大事なのはわからないことを認めてしっかりと教えを乞う姿勢だ。

 

「兵たちへの最初の声掛けはわたしが行います。殿下は皆が注目をしたのを見てから、事前に準備しておいた労いのお言葉をかけた後、軽く微笑んでいただければよろしいかと。最初はそこから初めて徐々にお言葉を増やしていきましょう」

 

シャルロットが人付き合いを苦手としていることは、短い付き合いのカステルモールにも理解ができていた。けれど、それも仕方のないことだろう。これまでジョゼフに睨まれていたシャルロットは、ガリア国内では迂闊に友人を作ることもできなかったのだから。

 

最初は本当に用意した一言を言うだけで精一杯だったシャルロットだが、毎日のように兵たちを激励するうちに徐々に慣れてきたようだ。先の戦いで武勲をあげていた兵に対して自ら称える言葉をかけるなど、徐々に将としての振る舞いもこなれてきた。

 

持久戦の最中もシャルロットの元にはエルザスとマチルダから敵情の連絡が届いている。外部から届けられる情報は敵軍の布陣といった貴重な情報も含まれていた。シャルロットは事前に丘を囲む敵から情報を得る手段も講じていたのだろう。

 

開戦前からサガミールの丘を要塞化していたことを含め、カステルモールだけでなく皆が現状がシャルロットの読み通りなのだと信じていた。だから、土の下で三か月もの持久戦に耐えることができたのだ。

 

「今夜、夜襲をかける」

 

そうしてある日、ついにカステルモールは外部から飛来してきたオルドナンツによる伝言を受け取ったシャルロットから反撃のときがきたことが告げられた。シャルロットによると、今夜、外にいる協力者がオーギャッツ侯爵の陣に攻撃を仕掛けるということだ。

 

「ならば我々は敵が浮足立ったところを狙い、東のクボー侯爵の陣を襲いましょう」

 

カステルモールの案はシャルロットに受け入れられた。待ちに待った反撃のときだ。皆がその日は早めに休息を取り、夜の訪れを待った。そして深夜、サガミールの丘に獅子が舞い降りた。



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サガミールの夜戦

キュルケをはじめとしたハルケギニアの皆と護衛役のレオノーレを乗せ、わたしは騎獣を空に飛び立たせた。わたしの周囲にはフェルディナンド、ハルトムート、ユストクスの三人に加えて、わたしの護衛騎士であるコルネリウス、アンゲリカ、マティアスとラウレンツ、更にハルトムートとクラリッサとリーゼレータもいる。グレーティアとローデリヒは完全に留守番なのに対し、リーゼレータだけはわたしの世話のため、途中までは同行だ。

 

ハルケギニア勢ではキュルケとコルベール、ルイズに平賀、他にギーシュが率いる三十人の水精霊騎士隊の皆が騎獣の中にいる。そこに途中でギーシュの紹介で雇い入れたニコラという傭兵が率いる五十名とマチルダを加えることになる。

 

ちなみにわたしの騎獣はニコラ率いる傭兵の銃兵隊が存分に力を発揮するために、銃眼だらけとなっている。戦闘となると、わたしのレッサーくんからは多数の銃口が突き出される形となるわけだ。キュルケからは移動要塞なんて言われたけど、わたしの騎獣は断じてそんなものではない。

 

けれど、ユルゲンシュミットでもわたしの騎獣は引っ越しトラックのような扱いをされていたりしたのだ。今更、新たな用途が加わっても誰も何も言ってくれない。

 

予定通り途中で二コラが率いる五十名を拾ってわたしはトリステインとガリアの国境に駆ける。そして国境近くの街でマチルダと合流した。

 

「え……本当にローゼマインなのかい?」

 

「はい、神々の力で成長いたしましたが、わたくしはローゼマインです」

 

「ティファニアを置いて急にユルゲンシュミットに帰還したと思えば、今度は急成長して帰ってくるって、なんなのさ。そもそも急に匿えと言ってきたと思えば、その足で偵察に向かわされ、ガリアの貴族への密使にされたかと思えば、今度は戦場に立てだなんて、いくらなんでも人使いが荒すぎるだろ」

 

元々マチルダは学院に教師として入り込んだ怪盗フーケであり、その後は牢に入れられたかと思えば脱獄を助けられてアルビオンの革命軍に身を投じた。そして神聖アルビオン崩壊後は追われる身として逃亡人生となった。と考えると本当に波乱万丈だね。

 

「マチルダ様には色々と労を尽くしていただき感謝しています」

 

とりあえず、わたしたちの行動に関しては、自分でも非常識であると自覚しているので、さらっと流して、わたしたちが不在の間にキュルケとタバサのために頑張ってくれたことの礼を言っておく。

 

「それで、わたしはどう動けばいいんだい?」

 

「詳しい話は、ハルトムートから説明させていただきますね」

 

今回の奇襲に関しては、主にフェルディナンドとハルトムートとコルベールによって立案された。だから、説明に関してもその三人が最適なのだ。けして、わたしの作戦理解が浅いために説明する自信がないわけではない。

 

「まずは私たちの目的ですが、タバサ様の籠るサガミールの丘の北側に布陣するガリア軍のオーギャッツ侯爵に夜襲を加え、侯爵を捕縛します」

 

オーギャッツ侯爵が率いる兵は一万。対してわたしたちは全員でも百名に満たない。だから大将を捕らえるか討ち取るかして混乱をさせるしかない。周辺に点在する天幕の兵が集まってくれば戦いは厳しくなるので、作戦の成否は時間との勝負だ。

 

「オーギャッツ侯爵の陣に到達してからですが、初手はフェルディナンド様が受け持たれます。続いてエックハルト、コルネリウス、アンゲリカの三人が続いて、中心部の敵を吹き飛ばし、更に周囲にユストクスとクラリッサと私の三人でありったけの魔術具をばらまいたところで、ローゼマイン様が騎獣を低空まで降ろします」

 

四人が全力の魔力攻撃で中心付近の敵を掃討し、更に文官たちが魔術具で周辺の敵に打撃を加える。そうして、ある程度の安全を確保してからがわたしの出番だ。これはわたしの参戦までは仕方がないとして、中心に降りるのは安全を確認できてからでないと駄目だと、フェルディナンドとコルネリウスが頑として譲らなかったためだ。

 

「ローゼマイン様が騎獣を降ろす直前に騎獣内からニコラの傭兵隊が一斉射を行います。その後はサイト殿とキュルケ様、コルベール様の三名と水精霊騎士隊でオーギャッツ侯爵の捕縛に向かいます。最初に攻撃したフェルディナンド様たちが魔力を回復している間のローゼマイン様の守りはマティアスとラウレンツ、そして騎獣の中から銃撃を行うニコラの傭兵隊に任せますので、細かい部分はレオノーレの指揮に従ってください」

 

「ねえ、わたしの役割が何もないんだけど」

 

「マチルダ様の役割は撤退時になります。サイト殿がオーギャッツ侯爵の捕縛に成功したとき、もしくは作戦の成功が難しくなったときに、ゴーレムでサイト殿たちがローゼマイン様の騎獣に撤退するまでの時間を稼いでいただきます」

 

一番、臨機応変さが期待される重要な役割にマチルダは顔を引きつらせる。

 

「ねえ、わたしも何も役割が振られていないんだけど」

 

そう言ってきたのはルイズだ。

 

「ルイズ様は作戦の進行状況を見てサガミールの丘のタバサ様にオルドナンツを送っていただきます」

 

ハルトムートがルイズに振った役割は、はっきり言って貴族なら誰でもいいものだ。少し気の毒には思うけど、敵の中央に降りて戦う以上、どうしても乱戦になることが予想される。仮に虚無が使えたとしても詠唱が長いルイズは戦いに参加させるのが難しいのだ。

 

「ん、サガミールの丘にオルドナンツを送るってことは、丘にいる連中も戦いに参加させるのかい?」

 

「ええ、こちらは戦力が足りないのですから、千五百もの兵力を遊ばせておく余裕はないでしょう?」

 

「それで、丘の連中はどう動くんだい?」

 

「二通りが考えられています。基本的にはオーギャッツ侯爵の陣への夜襲が成功したことを前提に、より多くの戦果を得るために東のクボー侯爵の陣を襲うことになります。けれど、オーギャッツ侯爵の捕縛に失敗した場合には、こちらに加勢してくる予定です」

 

ちなみにタバサは全軍で城外に打って出ることになっている。サガミールの丘はあくまで一時的に籠るための場所で、町などと隣接している場所ではないので、絶対に保持しなければならない場所ではない。留守を守る兵すら無駄と言っていた。

 

「とりあえず全体の動きはわかったよ」

 

マチルダがそう言ったことで、軍議は終了となった。今回の夜襲は完全に深夜に行われるため、わたしたちはこれから仮眠を取ることになっている。わたしはリーゼレータが整えてくれた部屋で仮眠を取った。

 

「ローゼマイン様、どうかご無理はなさいませんように」

 

そうして夜、わたしの髪を整えながらリーゼレータが心配そうに言ってくる。

 

「大丈夫ですよ、リーゼレータ。わたしの騎獣は銃弾も防げることは昼のテストで確認できているでしょう」

 

騎獣の中の安全度を確認するため、念のため騎獣に銃撃を行ってもらってハルケギニアの一般的な銃ではわたしの騎獣を破壊できないことは確認してある。

 

「それに、フェルディナンド様もいるのですもの。心配はいりませんよ」

 

それでもまだ心配そうなリーゼレータに見送られて、わたしは宿泊場所としていた町を飛び立った。星の煌めく夜空の下、わたしはフェルディナンドのマントを追って飛ぶ。ただそれだけで、わたしは懐かしさに涙が出そうになった。

 

今回はトリステインの王女であるアンリエッタもガリアを敵と認識していて、密かに手を回してくれている。おかげで、トリステインの国境警備の目を気にする必要がない。わたしたちは一気に国境を超えてガリア国内に入る。

 

闇の中を飛んでいると、遠く明かりが見えてきた。中央に暗闇があり、それを囲むように三方に篝火の明かりが点在しているのが見える。中央の暗闇がサガミールの丘なのだろうから、その周囲の篝火は攻囲軍のものだろう。

 

だったら、一番手前の篝火がオーギャッツ侯爵の軍のものかな。そんなふうに考えている間にフェルディナンドからのオルドナンツが飛んできた。

 

「ローゼマイン、準備はいいか?」

 

「はい、いつでも大丈夫ですよ、フェルディナンド様」

 

わたしがオルドナンツを返してすぐ、フェルディナンドが剣先に魔力を集め始めた。

 

「はああっ」

 

青白い火花を散らしながら、フェルディナンドの乗る獅子の騎獣がサガミールの丘へと落ちていく。サガミールの夜戦の始まりだった。



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オーギャッツ侯爵の陣

獅子の騎獣に跨ったフェルディナンドが一条の光となって落ちていく。直後、轟音が響いて大きな天幕一つが跡形もなく消し飛んだ。

 

続いてエックハルト、コルネリウス、アンゲリカの三人が剣に精神力を集めると地上へと落ちていく。三人の攻撃で三つの天幕が吹き飛んだ。その周囲にハルトムートとクラリッサ、ユストクスの三人がマジックアイテムで攻撃を加えていく。深夜の奇襲に敵陣が大混乱に陥っていることが、ローゼマインの騎獣の中から見ているあたしにもわかった。

 

「マティアス、ラウレンツ、下の安全を確保してください」

 

ローゼマインの騎獣に同乗しているレオノーレの指示を受けてマティアスとラウレンツが下に降りていく。あたしの目では確認できなかったけど、ローゼマインが言うには数人の兵がいて二人が排除しているらしい。少しして、二人から今なら安全だというオルドナンツがレオノーレの元に飛んできた。

 

レオノーレが頷き、ローゼマインが騎獣の高度を下げていく。地面に降り立ったら、敵将のオーギャッツ侯爵を捕縛するための戦いが始まる。あたしは腰のベルトに挟んだ予備の杖やローゼマインから譲られた回復薬というもの、そして、オーギャッツ侯爵を捕らえたときに使うように言われたマジックアイテムがあることを確認する。

 

ローゼマインが騎獣を地面に降ろし、入口を大きく開ける。それと同時にサイトが外へと飛び出した。

 

「サイトくん、突出しすぎては駄目だ」

 

あたしたちの走る速度はサイトには遠く及ばない。サイトに全力で進まれると、自然と距離が空いてしまうことになる。いくらサイトが魔法を吸収できるデルフリンガーを持っているとしても、囲まれることが危険なことには変わりがない。

 

水精霊騎士隊の皆とも一丸となって、あたしたちはオーギャッツ侯爵の天幕を捜す。場合によっては、すでにフェルディナンドたちの攻撃でオーギャッツ侯爵が死亡していることも考えられる。オーギャッツ侯爵が死亡していれば見つかるはずはないが、その場合は周囲の将兵たちに動揺が見られるはずなので気付けるはずという読みだ。

 

注意しなければならないのは、レオノーレから赤い光が放たれたときだ。それは撤退の合図だから、ローゼマインの騎獣の下に至急集まらなければならないと言われている。

 

撤退の合図が出されるのは、周囲の敵の様子からオーギャッツ侯爵が戦死している可能性が高いと考えられたとき。あるいは周囲に敵が集まりはじめており、これ以上は危険と判断されたとき。そのいずれかだ。

 

そのどちらの理由で撤退の判断がされたのかは、あたしたちにはわからない。だから、確実なのは、あたしたちの手でオーギャッツ侯爵を捕らえて、渡されているマジックアイテムで作戦の終了を知らせることなのだ。

 

あたしたちの前に立ちはだかる敵兵たちの中にはメイジらしき姿も見える。その敵の集団が、あたしたちを排除しようとしているのか、それとも足止めをしようとしているのか、それを見極めなければならない。

 

「やつらを通すな!」

 

そう思っていたところで、敵のメイジが重要な言葉を叫んだ。それは、敵の後ろに守らなければならない相手がいるということだ。

 

「なんとしても、ここを突破するぞ!」

 

ジャンも同じように考えたのか、敵集団の排除を指示する。

 

「敵のメイジは俺が受け持つ。皆はその他を頼む」

 

メイジの魔法に対して最も相性がよいサイトが敵の指揮官に向かって走っていく。暗闇の中では使いづらいと思ったのか、敵集団の中に銃兵はいない。

 

水精霊騎士隊の隊員はドットのメイジが多いため魔法戦闘技術は伸ばすのに限界がある。そのためギーシュたちは主にブレイドの魔法を使った近接戦を鍛えていた。相手に遠距離攻撃を行うものがいなければギーシュたちにとって、危険度はそれほど高くない。あたしはジャンと一緒に支援に回ることにして少し後方に下がる。

 

「三番隊、続けぇー!」

 

サイトの後に続いて敵集団に飛び込んだのは、ギムリが率いる小隊だった。元から接近戦を好んでいるギムリにとって、この場はもってこいの戦場なのだろう。

 

敵の隊長と思しきメイジが先頭を進むサイトに向かって火球を放つ。サイトはその火球をデルフリンガーで吸収すると、一気に敵の懐まで接近して杖を切り落とす。サイトは更に杖を失った敵メイジを柄で殴りつけて昏倒させた。

 

「全員、武器を捨てろ!」

 

倒れた敵メイジの首筋にデルフリンガーを押し当て、サイトが叫ぶ。サイトのことだから、おそらく本気で首を取ろうとは考えていないだろう。けれど、そんなことは敵兵は知る由もない。残った敵兵たちは顔を見合わせた後、武器を手から離す。

 

「マリコルヌ、ここの兵たちの武装解除を頼めるかい?」

 

「ああ、任せてくれ」

 

投降した兵たちのことはマリコルヌに任せて、あたしたちは奥へと進んでいく。その先には更に多くの兵たちが待ち構えていた。ざっと見て、五十人くらいはいる。そのうちメイジは二人だ。

 

「サイトくん、敵のメイジは任せてくれ」

 

そう言ったジャンが蛇のようにうねる炎を敵メイジに向かって放つ。炎の蛇は敵兵たちの間をすり抜け、敵メイジの持つ杖だけを焼き払った。自分たちの真横を通った炎の蛇に動揺する敵兵の隙を逃さず、サイトが敵兵の中に踊り入って打ち倒していく。

 

サイトの戦いぶりを見てギムリ、続いてギーシュが敵へと突撃する。敵の数はこちらの二倍ほどだが、こちらは全員が貴族だ。それに、敵方は戦いの中心になるはずだった貴族が戦闘能力を喪失していて、動揺が見られる。

 

ここでの局地戦では、勝つことができる。けれど、これと同じことをあと何回繰り返せるだろうか?

 

今回、消費した精神力はたいしたことはない。けれど、走り回って敵と接近戦を繰り返すたびに水精霊騎士隊の皆は確実に疲労している。元から魔法面に不安があるから接近戦を鍛えたのが水精霊騎士隊だ。疲労しては力を発揮することは難しい。

 

焦るあたしを嘲笑うように前からまた別の一団が迫ってくる。けれど、あたしたちが戦闘態勢を取る直前に、敵の上に大きな影が覆い被さった。

 

「第一小隊! てえーッ!」

 

声が聞こえたと思った次の瞬間には銃撃音が響き、こちらへと走ってきていた敵兵たちが倒れる。見上げると、ローゼマインの騎獣が敵兵の右上空に位置していた。

 

「第二小隊! てぇーッ!」

 

続いての一斉射で更に兵たちが撃ち倒される。夜間で上空までは篝火の明かりが届かないこともあり、ローゼマインの騎獣の接近に全く気付かなかった。それは敵も同じだったようで、急な敵の接近と浴びせられた銃撃に驚いた敵は慌てて逃げ出していく。

 

「敵の動きから敵将のおおよその位置を予測しました。その場所までローゼマイン様の騎獣でお運びしますので、騎獣の上に乗ってください」

 

レオノーレからのオルドナンツを聞いているうちにもローゼマインが騎獣の高度を下げてくる。騎獣が降りきるまえにサイトはあたしたちには真似できない身体能力で、騎獣の上へと飛び上がっていた。

 

「あたしたちもフライで上に乗るわよ」

 

この戦いは時間との勝負だと作戦前に何度も言われた。時間を少しでも節約するために、あたしはギーシュたちに声をかける。

 

「ギムリ、僕たちはサイトと一緒に行く。きみはマリコルヌの援護に向かってくれ」

 

少し離れたところで兵たちの武装解除をしているマリコルヌを今から回収していたら、かなりの時間のロスになる。かといって、たった十名を敵中に置いていくというのも不安がある。そう考えての采配だろう。

 

「では、わたしも残ることにしよう」

 

そう言ったジャンはアルビオンの貴族から、あたしを助けてくれたときと同じ顔つきをしていた。これは任せないわけにはいかないだろう。

 

結局、ジャンはギムリの隊と一緒に残ることになり、ギーシュの隊だけがローゼマインの騎獣の上へと飛び乗る。すぐにローゼマインが騎獣を高速で飛行させ始めた。ローゼマインの騎獣の左右には、もはや見慣れたマティアスとラウレンツの騎獣がいる。他の側近たちは広範に散って敵の注意がローゼマインに向かわないように陽動をしているようだ。二人の騎獣に守られながら、ローゼマインの騎獣が闇の中を飛ぶ。

 

「正面に見える天幕です」

 

レオノーレがそう言うや否や、サイトがローゼマインの騎獣から飛び降りる。あたしも慌ててサイトの後を追い、少し遅れてギーシュたちも続く。前に立ちはだかる兵を蹴散らし、サイトは天幕に接近する。

 

「おのれ、ここは通さぬぞ!」

 

けれど、その前に一人の貴族が立ち塞がる。そのメイジは無数の氷の槍を作り出し、一斉にサイトに向けて撃ち出してきた。サイトのデルフリンガーが魔法を吸収できるのは触れている部分だけ。つまり、この相手との相性はよくない。

 

「だったら、ここがあたしの出番でしょ」

 

これまで取っておいた精神力。それを使うのは今しかない。

 

ありったけの精神力を注ぎ込んだ炎の竜巻を作り出し、氷の槍へとぶつける。あたしの炎は敵メイジの氷の槍を燃やし尽くした。けれど、相手の実力もさるもの。できたのはそこまでで、敵メイジに打撃を与えるには及ばない。

 

「十分だぜ、キュルケ」

 

けれど、氷の槍を一掃したことで、サイトが敵メイジに突進する時間は稼げた。敵メイジが次の詠唱を行うより早く、サイトは敵の懐に入り込み、腹に剣の柄を叩き込んだ。崩れ落ちる敵には目もくれず、サイトは天幕の中に突入する。

 

「ギーシュ、外のことはお願い」

 

そう頼んで天幕に入ったあたしが見たのは、サイトに杖を斬られて震えあがっている小太りの覇気のない貴族の姿だった。

 

「お前、本当にオーギャッツ侯爵なんだな?」

 

そう問うサイトの質問にも、こくこくと声もなく頷くのみだ。

 

「思った以上に、たいしたことない貴族が指揮官をやっていたみたいね」

 

「なんでもいいよ。とりあえずこいつを人質として連れて行こう」

 

あまりのあっけなさに、サイトも拍子抜けしたような顔で、そう言った。




昨日投稿するつもりが忘れて本日に。
前作のときから、通算では何度目か。
我ながら、なぜこうも懲りずに忘れるのか。


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反撃

元ガリア東薔薇騎士団の副団長アルヌルフは、現在はシャルロットを王に戴く北ガリア王国の副騎士団長と立場を変えている。けれど、北ガリア王国は、まだ名前だけの存在で、実態としてはただのガリア王国に対する地方の反乱組織にすぎない。

 

多くの人は北ガリア王国は早晩、消滅すると思っていたことだろう。だが、シャルロットの巧みな策により三ヶ月が経過して尚、敵にサガミールの丘への進入を許していない。そして今宵、シャルロットが必ず訪れると言っていた外からの援軍がついに現れた。

 

北の空に剣先に青白い光を纏った一頭の獅子が現れたと思うと、流星のように地上へと落下していった。その少し後には、同じような光を纏った三頭の獣が地上へと続く。

 

「シャルロット様、あれは……」

 

「あれこそ我らを助けるために異国より馳せ参じてくれた騎士! 我らはこれより彼らの奇襲により混乱せし東のクボーの陣を急襲する! すでにこの戦での我らの勝利は約束されている! 雑兵首には目もくれず、貴族首のみ狙いに行け! 喇叭を鳴らせ! 喊声をあげよ! 皆の者、出陣!」

 

敵に囲まれた丘で過ごした日々が、今、ようやく実を結ぼうとしているのだ。皆が一斉に鬨の声をあげる。

 

「氷橋をかけよ!」

 

シャルロットが叫ぶと同時に、昼のうちに作っておいた氷のブロックが風の魔法で運ばれていく。氷には綱を通すための楔が打ち込まれており、堀に浮かべると同時に身軽な兵が綱を渡して固定していく。

 

「皆の者! かかれぇーっ!」

 

シャルロットが杖を振り下ろすと同時に、北ガリア王国の将兵たちが一斉にクボーの陣へと襲い掛かる。

 

「アルヌルフ、私はシャルロット殿下の護衛につく。前線の指揮は任せるぞ!」

 

「お任せください、カステルモール様!」

 

声の限り叫んでいたシャルロットは今はカステルモールの後ろで水筒に口をつけている。アルヌルフも自らの主が今のような絶叫を苦手としていることは気付いていた。それでも、今は必要なときだと己の役目を果たしたのだ。ならば、ここから先はアルヌルフの役目だ。

 

「駆け抜けよ! 貴族という貴族を討ち取ってしまえ!」

 

既に堀を渡り切ろうとしている先陣を追いかけ、アルヌルフは氷橋を渡る。今宵の先陣はシャルロットに味方してくれた中では最上位の貴族であるモローナ伯爵だ。モローナは爵位だけでなく戦の指揮でも優れていることは、この三ヶ月の戦いの中で知っている。

 

サガミールの丘から一番近いところにあったクボーの陣の兵たちは、深夜にも関わらず、早くも天幕から飛び出してきている。けれど彼らはこちらに向かってくるのではなく、味方の陣の方へと後退を開始した。北のオーギャッツ侯爵の陣が奇襲を受けたことは、クボーの陣にいる見張りも気づいたことだろう。その直後に城から用意万端の兵たちが出陣してくるのだ。こちらが万全の容易で夜襲に及んでいることに気付いたのだろう。

 

戦歴が長くなれば、自然と戦場での鼻がきくようになる。特に意識としては指揮官の保護対象外である傭兵ともなれば、なおさらのことだ。

 

負け戦で頑張りすぎて命を落とすとという行為は傭兵にとって論理的な行動ではない。命あっての物種。ひとときの主のために重大な怪我を負ってしまっては、その後、傭兵として稼ぐことができなくなってしまう。

 

だから、傭兵たちは速やかな後退を選択した。確かにこちらは万全の準備を整えてから出陣している。けれど、そこまでだ。

 

おそらく傭兵隊が恐れたのはオーギャッツ侯爵の陣と同様、クボー侯爵の陣も背後から襲撃を受けること。そうなれば頼みの援軍は来ず、傭兵隊は全滅となる。そのような危険な賭けに命を懸けるようなことはできない。もっとも今回に限っては、それは杞憂だが。

 

最前線の傭兵隊があっけなく後退したことで、その後方に位置していた部隊も恐慌状態に陥った。歴戦の傭兵隊があっさりと後退したことの衝撃は、敵わないという思いに繋がり、雑兵から算を乱して逃げ出し始めた。

 

「逃げるな! 逃げる者はわたしの炎に焼き尽くされると思え!」

 

叫んでいる貴族に向かってアルヌルフは岩の槍を投げつけた。槍は見事に貴族の体を貫いた。それを見て、辛うじて踏みとどまっていた兵たちも我先にと逃げ始める。

 

混乱が混乱を呼び、クボーの陣の兵たちは総崩れになった。こうなると、貴族たちも撤退を躊躇わなくなる。元よりクボーの陣にいる貴族のほとんどは、クボーに仕えているわけではなく、ジョゼフの命でクボーに陣に加わっているだけだ。命をかけてクボーのために戦う義理はない。

 

このままならクボーを討ち取ることができるのではないか。そう考えていたアルヌルフの頭上に影が差す。見ると、風竜に乗ったシャルロットだった。シャルロットの後ろには護衛役としてカステルモールも同乗している。

 

「クボーはすでに逃走を始めている。今から追いつくのは無理だ。アルヌルフは残敵の掃討に移れ!」

 

カステルモールからオルドナンツによる指示を受け、アルヌルフは近くにいたシバー子爵に向けて、部下たちを残敵の掃討に移させるよう指示をする。その際にも貴族を優先して狙うように言うことも忘れない。

 

この戦いが終わったら、速やかに北ガリア王国の勢力を広げるための戦いを始めなければならない。そのとき、貴族がどのくらい残っているかで、ジョゼフが次の軍を遣わすまでにどれだけ版図を広げられるかが決まる。

 

「マヤーナ男爵は北に逃げた敵を追え! リョシューン男爵は南からサマリーノ公爵が救援に来ないか警戒せよ!」

 

両将に指示を出し、アルヌルフ自身はモローナ伯爵の隊と一緒に、クボーの陣にいた中でも最大の兵力を有したギャダー子爵を狙う。ギャダーの力を大きく削いでおけば、今はとり逃したクボーを降すことも容易くなる。

 

「北のオーギャッツ侯爵の陣を攻撃した協力者からオルドナンツが届いた。協力者たちはオーギャッツ侯爵を生け捕りとすることに成功したということだ」

 

ギャダー子爵の兵たちを蹴散らしていく中でカステルモールから続報が届いた。同じ連絡を受け取ったのだろう。黄色の布を巻いた北ガリア王国の兵たちがあげる歓声が聞こえてくる。

 

「北に布陣していたオーギャッツ侯爵は我らの手の者によって捕虜となった。其方らの指揮官であるクボー侯爵もすでに自らの領土に逃げ帰った。この戦はすでに終わりだ。指揮官と共に投降すれば命までは取らぬ」

 

シャルロットが叫ぶ声が遠く聞こえてくる。南で援軍に備えているリョシューン男爵からサマリーノ公爵の軍がこちらに向かっているというオルドナンツも届いていない。ひとまず、今夜の勝ち戦は確定したとみてよいだろう。

 

捕虜としたオーギャッツ侯爵と、今回の夜襲で手痛い打撃を受けたはずのクボー侯爵の所領を併合できれば、シャルロットの動員兵力は三千を超える。それだけだとガリア王家の動員力には遠く及ばないが、今宵の勝利は心は寄せていても実際に離反には踏み切ることができなかった旧オルレアン公派を呼び込むには十分なはずだ。

 

その兵力をもって近隣の制圧を進めればジョゼフに反感を持っている者からも離反者がでてくるはずだ。そのとき、北ガリア王国は他国からも認められる王朝となる。そうなればガリアの地にはシャルロットの北朝とジョゼフの南朝の二つの王朝が誕生することになる。そこから繰り広げられるのは、ガリア統一のための戦いだ。

 

今、自分はそんな大きな歴史の第一歩を作ろうとしているのだ。齢はすでに五十へと差し掛かろうというアルヌルフの体に、これまでに感じたことのない高揚感が満ちてくる。

 

「進め! 我らの手でシャルロット殿下に天下を!」

 

叫びながら、アルヌルフは杖を抜き、殿軍として残ったギャダー子爵の旗下の部隊に切り込みを行った。



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タバサとの合流

平賀が捕らえたオーギャッツ侯爵を騎獣の後部座席に放り込んでもらい、わたしは皆を回収してサガミールの丘を目指す。北に展開していた諸侯の軍は、オーギャッツ侯爵が捕らえられたと知ると、各々、撤退を開始している。

 

ギーシュは追撃をしなくてよいのか聞いてきたけど、この場での勝利はもはや動かない。それなら、無益な血を流す必要もない。それに、わたしにとって重要なのは戦果よりも側近たちや水精霊騎士隊の皆に犠牲者が出ないことだ。

 

フェルディナンドや側近たちの騎獣に囲まれて飛んでいると、東に布陣するクボー侯爵の陣も大きく動揺しているのが見えた。外縁部の部隊はすでに思い思いに逃げ散っていて、中央の部隊もそれに続こうとしているようだ。

 

その中を猛烈な勢いで切り裂いていく一団がいる。その一団が掲げている旗は黄色。事前にタバサから黄色の旗を掲げていると聞いていたので、あれがサガミールの丘から出撃したタバサの率いる兵たちなのだろう。

 

「ローゼマイン様、こちらに魔獣が向かってきます」

 

レオノーレに言われて見ると、風竜がこちらに向かって飛んできていた。

 

「あれは、わたくしたちが助けようとしているタバサの使い魔、シルフィードです。皆に攻撃をしないように伝えてくださいませ」

 

「アンゲリカ、その魔獣は味方のものです。攻撃してはなりません」

 

さすがはレオノーレ。皆と言っていても、わたしが誰を頭に思い浮かべたか、しっかりとわかっている。レオノーレは、まずは危険人物であるアンゲリカを制止して、その後で皆にオルドナンツを飛ばしていた。

 

ハルトムートが先に立って風竜の元に向かった。そうして少し話した後、わたしたちの方へと先導するように飛んでくる。その途中でシルフィードが急に停止した。

 

既に視力を強化したわたしの肉眼は風竜の上にいるタバサと後ろにいる男性の姿が確認できている。タバサにも、わたしの姿が見えてくる頃だと思うけど、どうしたのだろうか。考えているうちに戸惑いを見せながらもシルフィードが近寄ってくる。

 

「本当にローゼマイン?」

 

「ええ、わたくしはローゼマインです。ハルトムートからわたくしの姿が成長したことを聞いていなかったのですか?」

 

「聞いていた。けれど、ハルトムートが大げさに言っているだけだと思った」

 

言われてみれば、納得の理由だった。これは普段のハルトムートが悪い。

 

「きゅい! 本当に驚いたのね!」

 

「こんなところで、しゃべっちゃだめ」

 

驚きのあまりか、人の言葉を解する風韻竜であるシルフィードが思わず感想を言ってしまい、タバサに窘められていた。

 

「三ヶ月もの間、地中での持久戦を行っていたと聞いて心配していましたが、ご健勝なようで安心しました」

 

「これも、ローゼマインとサイトのおかげ」

 

地下に陣地を築いてはどうかと最初に言ったのはわたしだけど、実践的なアドバイスをしたのは、ほとんどが平賀だ。わたしは感謝されるには値しないと思うけど、今はそんなことを議論しているときではないだろう。

 

「タバサが率いている隊の状況はいかがですか?」

 

「その前に、わたしは今はシャルロットと名乗っている。タバサという名前はジョゼフがわたしの名前を奪い、代わりに与えた名前ということになっているから、他の皆の前では使わない方がいいと思う」

 

今となっては楽しい思い出も多く、愛着のある名となっているけど、特に旧オルレアン公派にとっては、複雑な感情を抱く者もいると説明され、わたしたちは頷いた。

 

「まずはシャルロットの知らない者たちを紹介しますね。こちらが元エーレンフェストの領主候補生であったフェルディナンド様。わたくしの保護者で、家族同然の方なのです」

 

そう言って紹介したフェルディナンドは、久しぶりに見る社交用のきらきらした笑顔を浮かべている。

 

「お初にお目にかかります。ローゼマインの保護者のフェルディナンドと申します。火の神ライデンシャフトの威光輝く良き日、神々のお導きによる出会いに、祝福を祈ることをお許しください」

 

タバサ、この笑顔に騙されちゃダメだからね。この人、内面は悪辣で腹黒だからね。

 

無論、そんなことは言えるはずもなく、わたしはフェルディナンドとタバサが初対面の挨拶を交わすのを黙って見ていた。その後のエックハルトとユストクスの紹介は二人の主であるフェルディナンドにお任せする。

 

「前回ハルケギニアに来たときにはいなかった、わたくしの側近たちも紹介いたしますね。コルネリウス、レオノーレ、アンゲリカです。そろそろわたくしたちも移動したほうがいいでしょうから、正式な挨拶は省略いたしますね」

 

敵に幻獣の部隊はないようだけど、いつまでもこんなところで固まっていたら危険なことには変わりはない。わたしたちはサガミールの丘に移動した。

 

サガミールの丘の周辺にはすでに敵の姿はなかった。南に布陣していたサマリーノ公爵の陣には誰も攻撃は仕掛けていないはずだけど、オーギャッツ侯爵とクボー侯爵が敗れたのを見て、いち早く撤退したようだ。

 

「ここにいる者たちが北に布陣していたオーギャッツ侯爵を生け捕りにした、わたしの協力者たちだ。サガミールの丘に舞い降りた獅子を称えよ」

 

すでにサガミールの丘に戻ってきているわずかの兵たちが一斉に歓声をあげた。それを受けているサガミールの獅子、フェルディナンドは頭痛をこらえるような顔だ。けれども、士気を高めるためであるというのもわかっているか、特に制止することはない。

 

「ローゼマイン、フェルディナンド、中に案内する。その前に、わたしも護衛騎士を紹介しておく。元東薔薇騎士団団長のバッソ・カステルモール」

 

「シャルロット殿下の護衛騎士を拝命しております。バッソ・カステルモールです。以後、お見知りおきください」

 

続けてタバサはサガミールの丘に戻っていたマノーアとクリステルという名の二人の女性護衛騎士を紹介してくれる。そんなタバサの紹介に反応したのはキュルケだった。

 

「タバサも護衛騎士を置くことにしたのね」

 

「わたしも所属していた北花壇騎士団をはじめ、ガリアには優秀な刺客が多い。これから先は常にそれらの刺客を警戒しなければならない。就寝中などに周囲を警戒してくれる騎士は絶対に必要だから」

 

「タバサが信頼できる騎士を得られていたようで安心したわ」

 

まるでタバサの母親であるかのように安心した笑みを見せたキュルケに話しかけてきたのは護衛であるカステルモールだった。

 

「お話し中に申し訳ございません。もしや、貴女様がキュルケ様ですか?」

 

「ええ、そうよ」

 

「でしたら、一言、お礼を申し上げさせてください。貴女様が遣わしてくださったマチルダ殿とエルザス殿のもたらしてくれた物資と情報のおかげで、私たちはここまで戦うことができました」

 

カステルモールは、本来ならば魔法学院の友人という関係であるキュルケではなく、亡きオルレアン公に恩がある自分たちがシャルロットを迎えるために手を回さなければならなかった、と続けた。

 

「カステルモール殿はガリアの貴族なのですから、自由に動けないのも当然でしょう。わたしとは立場が異なりますわ」

 

「それでも、我らがすべきことを全てやっていただいたキュルケ様にはいくら感謝しても足りません」

 

「でしたら、わたしにもお礼を言わせてください。わたしの友人を助けていただいて、ありがとうございます」

 

キュルケが言うと、カステルモールは感極まったような顔で一礼していた。

 

「そろそろ移動しようと思うけど、いい?」

 

「はっ、私事で皆様の足を止めてしまい、申し訳ございませんでした」

 

すっきりとした顔のカステルモールと一緒に、わたしたちはサガミールの丘の地下にある会議室に入った。会議室でわたしたちは互いのこれまでの状況を伝え合う。

 

「ローゼマインは非常識」

 

ついにタバサにまで、そんな結論を出されてしまった。一方でタバサは少しばかり羨ましそうにも見える。同世代に比べて小柄なタバサは、育成の神アーンヴァックスの加護を望んでいるのだろう。同じ悩みを抱えていたわたしにはわかる。

 

わたしたちが話をしている間にも、続々とオルドナンツが飛んできて、戦況を伝えてくる。それに対しては、カステルモールが指示を返していく。

 

「深追いは危険ですので、アルヌルフには帰還命令を出しておきました」

 

つまり、戦はそろそろ終わるということだろう。側近たちにも水精霊騎士隊の皆にも死者なく、無事に戦いを終えられたことにわたしは安堵の息を吐いたのだった。




原作との差異:三ヶ月もの間、穴の中での籠城戦を繰り広げた結果、原作に比べてタバサの家臣団が充実。


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戦後処理

出陣していた将兵たちが帰還するのを待ってタバサが行ったのは、あたしたちが捕虜としていたオーギャッツ侯爵の処刑だった。苦労して捕虜としたオーギャッツ侯爵をあっさり処刑すると決めたことにサイトは少しだけ複雑そうな顔を見せていた。

 

けれど、サガミールの丘から出陣していた兵たちの、全身に返り血を浴びながらも晴れやかな顔は、地中に三ヶ月も閉じ込められていたことの鬱憤を雄弁に語っていた。その鬱憤をぶつける相手が必要なこと、その相手が捕虜とした中で最高位のオーギャッツ侯爵に向かうことは誰の目にも明らかだった。

 

そして、その日は休息に当てたタバサは、翌日にはオーギャッツ侯爵の領土に軍を進めて城を陥落させ、侯爵の妻子を捕らえた。そして、妻子四人をタバサは間髪入れずに処刑してしまった。

 

「奥さんと子供まで殺す必要はあったのか?」

 

オーギャッツ侯爵本人を処刑するのは仕方がないと認めたサイトも、これには少し戸惑いの表情を浮かべていた。

 

「旧オルレアン公派の皆は、先祖代々の領地も国から支給される禄も捨てて、サガミールの丘に集まってくれた。それに報いるにはオーギャッツ侯爵の領土をすべて分配しても到底、足りない。それに、この後のこともある。ジョゼフに付いている諸侯に降伏を促すためにも最後まで抵抗した場合には相応の結果になることを示すしかない」

 

おそらく、その決定はカステルモールやアルヌルフとも相談して決められたことなのだろう。二人はタバサの後ろで頷いていた。

 

「あたしはオーギャッツ侯爵の家族の処刑は、当然のことだと思うわ。オーギャッツ侯爵の家族を許したとして、彼女たちは夫や父親を殺したシャルロットのことを許すことはないでしょうね。それなら敵に忠実な貴族を四人増やしてしまうだけだもの」

 

「やりすぎてしまえば、却って敵を作ってしまったり、国内を混乱させてしまうことにもなりますけど、かといって明確に自分の命を狙っている者がいるのも、安心できませんもの。難しいところですね」

 

王族であるローゼマインは似たような悩みを持っていた経験があるようだ。その言葉には納得させられるだけの実感が籠っていた。あたしとローゼマインがタバサを庇う発言をすると、サイトも納得まではいかないものの理解の表情を見せてくれた。

 

「この後はクボー侯爵の領地に攻め入ることになる。夜襲を受けた際、前線の将兵を置いて逃走したクボーは信望を失っている。援軍に来る諸侯はいないし、明らかな負け戦に協力する傭兵隊もいないけど、それでも領民は動員されれば従わざるをえない。けれど、その際に降伏すれば命は助けると申し入れれば、おそらくクボーは受け入れると思う。それは先んじてオーギャッツ侯爵の一族が全員処刑されたのを見ているから」

 

クボーとて貴族だ。どれだけ薄れていようと、いざとなれば命を捨てる覚悟も持っているだろう。だから、拙いのは腹をくくって最後の抵抗をされることだ。家族の命というのは、自棄を起こさせないためには格好の材料だ。

 

「たった四人の命でクボー領に暮らす多くの民の命を守ることができる。オーギャッツ侯爵の家族には悪いけど、やらない理由はない」

 

人を守るために、人を殺す。矛盾するようだけど、それを実行しなければならない立場に、タバサは立ってしまった。

 

タバサはサガミールの丘に駆けつけてくれた皆に、オーギャッツ侯爵の領土すべてを分割して与えた。といっても、具体的に領土を分け与えたわけではなく、広さを示しただけだ。タバサたちはこれからすぐにクボー侯爵の領土に攻め入り、そこで新たな領地を得る予定なので、今の時点では従軍している皆が領地に入っている暇はないのだ。

 

「オーギャッツ侯爵の領土の慰撫はマヤーナに任せる。他の皆はクボー侯爵の領土に攻め入り、短期で侯爵の城を降伏させる」

 

そう方針を決めた後、タバサはローゼマインの方を見た。

 

「今回は本当に助かった。けれど、これ以上、ローゼマインを巻き込むわけにはいかない。ローゼマインはもうユルゲンシュミットに帰ったほうがいいと思う」

 

「お心遣い、ありがとう存じます。けれど、シャルロットはわたくしにとっても大事なお友達ですから、せめて怪我人の治療などの後方支援くらいはさせてくださいませ」

 

「ローゼマインが治療を行ってくれるなら、本当に助かる」

 

ローゼマインの治療はハルケギニアの水魔法のように秘薬が必要ない。その上、一度に大勢を癒すことができるのだ。協力してくれると、非常に助かるだろう。

 

「ルイズたちは、これ以上はここにいない方がいい。次の戦は勝ち戦だから、心配せずに今はトリステインに戻って」

 

「わたしたちも、と言いたいところだけど、確かにトリステインが態度を明らかにしていない状態で、明確にタバ……じゃない、シャルロットに味方するのも拙いわね」

 

ルイズがそう判断したこともあり、トリステイン組は帰国をすることになった。サイトは人間が相手だと上手く斬ることができない。それは戦場では命取りになりかねない。ルイズの判断には、おそらくそのような理由もあっただろう。

 

「キュルケはどうする?」

 

「あたしはもう、シャルロットにどっぷりと肩入れをしちゃってるからね、今更、誤魔化しきれるものじゃないでしょ」

 

「わかった。キュルケ、わたしと一緒に来てほしい」

 

「ええ、もちろんよ」

 

そんなわけで、クボー侯爵の領土への出陣の際には、あたしとローゼマインも従軍することになった。先陣にモローナ伯爵、第二陣にリョシューン男爵、その後にタバサとあたしやローゼマインがいる本軍。最後尾をシバー子爵が固めるという布陣だ。

 

ちなみにタバサの使い魔であるシルフィードは今はアルヌルフを背に乗せ、上空で周囲の警戒に当たっている。シルフィード自身は、背に乗るのはタバサがよいと言っていたが、大将が一人で空にいるのは安全面でもよくないということで、今のような状態となった。

 

サガミールの丘での勝利とオーギャッツ侯爵領の併合により、タバサの率いる軍の士気は旺盛。更に軍内には元東薔薇騎士団に所属していた多数の高位メイジがいる。

 

対するクボー侯爵が率いるのは、数こそ一千ほどであるものの、参陣していた諸侯が逃げ帰ったことにより、メイジは皆無といってよく。平民たちにしても領民をかき集めたもので、士気も練度も低い。

 

「クボー侯爵、この戦、其方に勝ち目はない。おとなしく軍を解体して投降すれば一族含めて命を助け、生活できるだけの扶持も与えよう。だが、このまま我らと一戦するとなれば、一族皆がオーギャッツ侯爵と同様の末路を迎えることとなろう。返答や如何に!」

 

目一杯の威厳をこめて、タバサが発した言葉を乗せてオルドナンツが飛び立った。それを受け取ったクボー侯爵の陣に動揺が走るのが、ここからでも見えた。今や領民たちの思いは、クボー侯爵の投降で一致しているはずだ。侯爵にそれを押し返せるだけの統率力があるかが試される。

 

見つめる先、クボー侯爵の陣の兵たちが中央に道を作り始めた。そこを怯えた様子で歩いてくるのは一人の壮年の貴族だ。

 

「シャルロット、あれがクボー侯爵で間違いないの?」

 

「わたしもクボー侯爵の顔は直接は見たことがない」

 

「じゃあ、どうするの?」

 

「カステルモール、お願い」

 

「はっ!」

 

タバサもクボー侯爵の顔は知らないようで、結局はカステルモールに任せていた。元東薔薇騎士団を率いていたというカステルモールの部下にならクボー侯爵の顔を知っている者がいるかもしれない。

 

カステルモールは一人の部下を呼ぶと、一緒に隊の前方へと馬を走らせた。そして出てきた男性にディテクトマジックを使用して魔法で姿を変えたものでないことを確認した上で拘束し、タバサの前へと連れてきた。

 

「シャルロット殿下、確かにクボー侯爵でございます。侯爵は殿下に降伏の意志を示しています」

 

「よく決断してくれました、クボー侯爵。領地は接収させてもらいますが、悪いようにはいたしません。また、わたくしの軍に従軍して功をあげたなら、相応の地位を新たに授けることもいたしましょう」

 

「寛大な処置を感謝いたします」

 

腹の中ではどう思っているかはわからないが、クボー侯爵はそう言ってタバサに頭を下げた。そんなクボー侯爵にタバサは旧オルレアン領の外れに小さな屋敷と、シュバリエ五人分の扶持を与えたのだった。



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南北朝の動乱

オーギャッツ侯爵とクボー侯爵の領土を併合したシャルロットは、三千の軍勢を率いてサマリーノ公爵の領土へと侵攻を開始した。サマリーノ公爵もサガミールの丘での敗戦により信望を失い、近隣の諸侯や傭兵隊からは半ば見捨てられている。動員できる兵力は領民兵ばかりで二千程度にすぎない。シャルロットたちの陣営には高位メイジと精兵の多いことを考えても負ける要素はない。

 

とはいえ、油断するわけにはいかない。サマリーノ公爵たちも圧倒的な兵力差から、負けるわけがないと慢心した結果、大敗北を喫したのだ。自分たちが同じ過ちを犯すようでは、よい笑い者というものだ。

 

クボー侯爵領に進軍したときのように、シャルロットの護衛騎士であるアルヌルフを使い魔のシルフィードに乗せ、上空から周辺を見張らせて慎重に軍を進める。加えて上空からの目だけでは不安なので、同時に斥候も放って敵の姿を捜させている。

 

だが、領内に入ってしばらく進んでもサマリーノ公爵の兵の姿は見えない。もしや援軍が来るまで籠城するつもりだろうか。そうなると、面倒だ。そんなことを考えていると、斥候の一人が慌てた様子で戻ってきた。

 

「シャルロット殿下、どうやらサマリーノ公爵は城を捨てて逃亡したようです」

 

「それは確かなの?」

 

「はっ、複数の住民が、南へと逃れていくサマリーノ公爵の一行の姿を目撃しておりました。おそらく間違いないかと」

 

どうやらサマリーノ公爵は、勝ち目がないと見て逃亡をしたらしい。公爵はサガミールの丘でも他の陣営を助けるでもなく、早々に退却をしていた。そのような人物に総大将を任せるなど、ジョゼフは人を見る目はないようだ。

 

ともかく、広大な公爵領を一日もかけず、しかも一滴の血も流さずに手に入れられるのは嬉しい誤算だと喜んだ。しかし、万事がそう都合よくいくはずもなかった。

 

サマリーノ公爵の城は確かに無人だった。しかし、城に入ったところで公爵に仕えていた貴族たちの一部が、ガナーノ子爵を盟主としてシャルロットたちに徹底抗戦の構えを見せているという報が入る。ガナーノ子爵たちの動向も気になるが、それよりもオーギャッツ侯爵やクボー侯爵、サマリーノ公爵の領土に対しての正式な領土割も必要な時期だ。

 

シャルロットは本隊と別に、モローナ伯爵、シバー子爵、マヤーナ男爵、リョシューン男爵に隊を率いらせ、それぞれに別行動を取らせることにした。ただ、これまでが地面の下で戦ってきたことで軍旗が全く足らない。仕方なく、旗はそれぞれの隊が別の色を用いることにした。ひとまず五色備えと号して物資不足を隠して各地に軍を派遣する。

 

抵抗を続けるガナーノ子爵たちに対しては、モローナ伯爵の赤の軍旗の隊に副将としてアルヌルフと一千の兵を預けて討伐に当たらせることにした。シバー子爵の黒の軍旗の隊は八百を率いて東に、マヤーナ男爵の白の軍旗の隊は六百を率いて北西に、リョシューン男爵の青の軍旗の隊は六百を率いて南西に向かう。シャルロットたちは元サマリーノ公爵の本城に残って内政の立て直しと周辺諸侯への調略を行う。

 

調略にはローゼマインとキュルケたちも協力してくれている。やっているのは、皆で文を書いては諸侯に送りつけるということだ。オルドナンツを使わないのは、返ってくるかわからないのに、大量のオルドナンツを使うほどの余裕はないからだ。

 

ソワッソン男爵など、かつてのシャルロットを知る者たちも駆けつけてくれたとはいえ、現時点でのシャルロットが動員できる兵力は五千ほど。総兵力が二十万に迫ろうかというほどのジョゼフの兵力とは雲泥の差だ。さすがに全軍は動かせないにせよ、次の戦いでは更に数を増やして十万近くの軍勢を派遣されてもおかしくない。それを避けるためにも敵の切り崩しは必須だった。

 

サガミールの丘での劇的な勝利から少し、盛んな勝利の喧伝と、実際に逃げ帰った者たちからの口伝ての内容に感化されたのか、ちらほらとシャルロットに味方してくれる諸侯が現れ始める。しかし、まだまだ戦力比では圧倒的に負けている。そんな中、劇的に戦況を変えうる報告が届いた。それは、ロマリアの教皇ヴィットーリオが北ガリア王朝をガリアの正統な王朝であると認める声明を発したのだ。

 

これに応じたのがロマリアとガリアをつないでいる“虎街道”のガリア側の入り口を擁するフォンサルダーニャ侯爵だった。フォンサルダーニャ侯爵は前年、領地の一部を王政府に召し上げられたことに対して深い恨みを抱いていたのだ。長年ロマリアとの国境を守ってきた名門フォンサルダーニャ侯爵家の反乱は、王都より離れた地で不遇をかこち、ジョゼフに思うところのあるガリア南西部の諸侯を北朝方に味方させる原動力となった。

 

これによりガリア南西部は本拠から遠く離れた場所にありながら、北朝方の一大拠点となった。シャルロットとしても、打倒南朝の気勢を削がれないためにも、この地の維持は絶対に必要なことだった。

 

幸いにしてトリステイン領からゲルマニア領を通り、ロマリア経由でガリア南西部の北朝勢力に合流することは難しくない。シャルロットはガリア南西部のカルカソンヌへの援軍としてリョシューン男爵を派遣することを決定すると、サマリーノ公爵の城に蓄えられていた財宝類を全て売り払った。それを財源にロマリアで雇い入れた一千の傭兵隊と元東薔薇騎士団から選抜した十名が差し当ってのリョシューンの手勢だ。

 

リョシューンはフォンサルダーニャ侯爵と合流すると、平民の傭兵が主体の軍勢ながらガリア南部の南朝方の有力諸侯であるチギック侯爵の軍を撃破。その後もガリア南部で南朝方の諸侯を次々と破って北朝方のカルカソンヌ支配を盤石なものにした。

 

その頃には旧サマリーノ公爵領の南部で頑強な抵抗を続けていたガナーノ子爵たちの拠点の陥落の報告がアルヌルフとモローナ伯爵から届くようになった。それは南朝方からの離反を更に加速させた。

 

相変わらず中央はジョゼフががっちり押さえていて、最大動員兵力では未だ差をあけられたままであるものの、辺境ではシャルロットの北朝とジョゼフの南朝方に別れて熾烈な抗争を繰り広げている。戦いの中では多くの平民たちが命を落とし、また家や田畑を焼かれていることだろう。

 

多くの人たちが命を落とす原因となったシャルロットの蜂起は国のためではなく、ただ自分の母のためだ。そんなことで他者に命を捧げさせている。そのことへの罪悪感は強いが、けれども今更引くこともできないのだ。

 

ここで手を休めるということはシャルロット自身のみならず、カステルモールをはじめとした元東薔薇騎士団の皆、そしてモローナなどの旧オルレアン公派の諸侯たちの破滅を意味する。シャルロットのために命を投げ出す覚悟でサガミールの丘に馳せ参じた者たちを守ることは、シャルロットの義務だ。

 

ジョゼフが近隣の混乱を収束させる方法を取るか、直属の軍団の兵力の差を生かすために一気にシャルロットの首を狙ってくるか、今のところは読み切れていない。けれど、脅威なのは後者の方だ。シャルロットの味方は各地に分散しており、一気の決戦では不利になることが予想される。そして、それならばジョゼフは後者を狙ってくるだろう。

 

世間では無能王などと呼ばれているジョゼフだが、無能なのは魔法だけ。頭脳は極めて明晰だというのが、シャルロットの見立てだった。そうでなければ、多くの貴族から侮られながら今のような絶大な勢力を維持することなどはできない。

 

今すべきことは、各地でなるべく多くの諸侯を蜂起させ、大兵力をシャルロットの方へ向けさせないことである。けれど、ジョゼフはそれに気を取られてシャルロットのことを放置してしまうような愚かな人間だろうかという不安は強い。

 

そして、その不安は的中した。ガリアで名将と名高いギノクース伯爵、ニッダー伯爵の両将が六万もの兵力で出陣の準備を行っているという報告が入ったのだ。シャルロットはすぐにリョシューンを呼び戻すオルドナンツを送るとともに周辺諸侯に参陣を促した。

 

次の戦はガリア統一のための戦いの趨勢を決する戦いとなるだろう。シャルロットが敗れれば、もちろん終わり。けれど、ジョゼフの側も現在の手勢の半分近くを出陣させる以上、敗れれば一気に劣勢となることは避けられない。

 

シャルロットの元に集まった兵は旧オーギャッツ領、クボー領、サマリーノ領の兵たちと周辺諸侯たちを合わせて一万ほど。ほんの少し前までわずか千五百であったことから考えると急成長だが、六万の大軍と野戦で戦うにはあまりにも兵力差が大きい。

 

軍議では、先の戦いのように籠城をしてはどうかという声もあがった。けれど、下手に人数が多くなっているために、今度は陣地の構築も容易ではない。何より、城に籠っている間に諸侯が各個撃破されると拙い。元より寄せ集めのシャルロットたちは、たちまちのうちに瓦解してしまうだろう。

 

不利でもなんでも、野戦で破るしかないのだ。しかし、こうすれば勝つことができるという策などない。それでも活路を見出すべくローゼマインが連れてきたフェルディナンドやカステルモールたち東薔薇騎士団の者たちと、シャルロットは連日の軍議を重ねた。



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逆転の策

「ローゼマイン、君はいつまでこちらに滞在するつもりだ」

 

ある日、日課のようになっているタバサとの軍議に向かう前に、わたしは盗聴防止の魔術具を握らされた上でフェルディナンドから尋ねられた。

 

「ユルゲンシュミットのことなら問題ないと思います。こちらで季節一つ分を過ごしたとしても、ユルゲンシュミットでは一日程度しか経っていないはずです。世界扉の魔法には、どうやらそのような効果があるようです」

 

「話を逸らさないように。私はいつまでこの争いに関わるつもりなのかと聞いている」

 

「正直に言って、迷っています。ですけど、次の戦いが終わるまでは、少なくともタバサを手助けしたいと思っています」

 

次の戦いは一万で六万の敵にぶつかることになる。戦のことには詳しくないわたしでも、はっきり言って勝負にならないことはわかる。

 

「厳しい戦いであればこそ、君の身にも危険が及ぶ可能性が高くなる。そのことは理解できているのだろう?」

 

「ですけど、わたくしがいれば最悪、世界扉でタバサだけでもユルゲンシュミットに逃がすことができるではありませんか。激しい戦いが予想されるからこそ、わたくしはタバサの近くにいたいのです」

 

タバサはなるべく多くの側近たちを助けたいと思うだろうけど、わたしは自分の側近たちとタバサまでが最優先だ。タバサの側近については余裕があれば、という程度までしか思い入れはない。

 

「君の望みはわかった。だが、私にとって最優先はローゼマインの安全だ。本当に危険だと思えばシャルロット様を置いてでも帰還してもらうが、よいな?」

 

「はい、フェルディナンド様がそこまで危険だと判断するということは本当に危ないのだと思います。それならば、側近たちのためにも、わたくしは帰還します」

 

「それならば、よい」

 

タバサと側近たちでは、わたしが守らねばならないのは側近たちの方だ。他国の友人と自分の側近では、側近を優先させなければならないことくらいは、わたしにもわかる。

 

ひとまず話を終えて、わたしたちはタバサの元に向かった。そうして今日も、なんとか勝利に結びつく策がないかの話し合いを始める。

 

「少しでも敵の攻撃の勢いを削ぐために、トーナミ川の川岸に陣を築いて、渡河してくる敵を叩く。やはり、これしかありません」

 

カステルモールの言葉に反論する声はない。他の手も色々と考えられたのだが、この案が最善と昨日までの会議でも決まっていた。けれども、この作戦で決定となっていないのは、この案でも完敗がそれなりに抵抗したものの敗戦になるくらいしか期待できないためだ。このままでは、敗北は避けられない。

 

「シャルロット殿下、ただいまトリステインからオルドナンツが届きました。トリステイン魔法学院から、有志が殿下のために援軍に来てくださるようです」

 

アルヌルフが伝えてきた情報にタバサは微妙な表情になった。助力自体は嬉しいのだろうけど、敗色濃厚な戦に魔法学院の皆を巻き込みたくないという思いも強いのだろう。おそらく有志とはルイズやギーシュたちだろう。

 

「シャルロット様、危険だと言ったところで彼らは翻意はしないでしょう。それよりも彼らが加わることで何か打てる手がないか考えてみませんか?」

 

「加わることで打てる手と言っても、人数としては最大でも五十人くらい。戦況に影響するような手が打てるとは思えない」

 

確かに六万の敵と戦うのに五十人の味方が増えたところで何も変わらないだろう。けれども、それは普通の貴族なら、の話だ。

 

「もしも彼女たちが来てくれたならば、少しは打てる手があるのではありませんか?」

 

わたしが頭に思い浮かべているのはルイズとティファニアだ。二人の虚無はガリア軍にはない彼女たちだけの武器だ。

 

「打てる手……」

 

呟いたタバサと一緒に、わたしも考える。二人が使える虚無の魔法は、あれから増えていなければルイズのエクスプロージョン、ディスペル、イリュージョンそしてティファニアの忘却の四種類。

 

このうちのエクスプロージョンなら大兵力を一気に倒せる可能性がある。けれど、ルイズにそれだけの魔力が貯まっているとは思えない。あるいはフェルディナンドの激マズ回復薬を飲めば使えるようになるかもしれないけど、こちらで試したことのある回復薬での回復量はせいぜい一日休んだ程度の量までだ。一か月、あるいは一年単位の魔力を回復させようとしたときに、どのような副作用がでるかわからない。

 

それにエクスプロージョンでなぎ倒すというのは、リスクも大きい。アルビオンとの戦いのように船に搭載された風石を消滅させた上で火をつけて不時着させるというのは、確かに大きな戦果だったけれど、騒ぎは限定的だった。それは、エクスプロージョンでの直接の死者はほとんどいなかったためだ。

 

アルビオン軍を壊滅させたのは、あくまでトリステイン軍の突撃だ。だから逆転の原因を作ったといっても周囲の抱いた感触は、皆で勝ち取ったというものだった。けれど、もしもエクスプロージョンで直接ガリア軍を薙ぎ払ったらどうなるか。

 

自らの魔法で夥しい死者をだしたとき、ルイズが平常心を保てるとは思わない。むしろ、それで何も感じなかったら、そちらの方が問題だと思う。

 

そして、一瞬のうちに数万の兵を焼き殺す大量破壊魔術を目にした味方の心境はどうか。称賛に繋がってもルイズは生きにくくなるだろう。それならましな方であり、もしも恐怖に繋がったらどうなるだろうか。

 

今は味方と思ってくれている北朝方のガリアの諸侯も、今のうちに殺しておくべきと主張してくる者もでてくるだろう。そして、それを退ければ、シャルロットと諸侯の間に隙間風が吹くことになってしまう。

 

虚無の魔法はあまりに強力すぎる。誤ればルイズを死に追いやってしまうことになりかねない。相手に強い警戒心を抱かせすぎてしまうと、ろくなことにならないことを、わたしはフェルディナンドの一件で学んだのだ。

 

となると、残るのはディスペルとイリュージョン、そして忘却。この三つは魔法が直接、被害を与えるわけではないところも都合がよい。けれど、逆を言えばそのまま使っても大軍を前にはあまり効果を発揮しないということだ。

 

「要所は魔法で安定させた崩れやすい石の城を作って、機をみてディスペルで魔法を無効化させる、というだけじゃ被害は限定的だし……」

 

「ローゼマイン、考えを纏めているにしては悪辣な策を口からこぼすのでない」

 

わたしが必死で考えていると、フェルディナンドから注意をされた。

 

「それならば、フェルディナンド様も何か考えてくださいませ」

 

「といっても、私はそれぞれの魔術を見たことがない」

 

「イリュージョンはわたくしも見たことはございませんよ。ただ、それを使った偽の兵で敵を誘導したことで、難しい上陸戦が被害なしで行えたと聞いただけです」

 

「ふむ、偽の兵が作れるのなら、存在する兵を存在しないように見せることもできるのか? それならば有効な奇襲が行えると思うが……」

 

「それでいこう」

 

そう言ったのはタバサだった。

 

「けれど、いくら姿を隠せるとしても、数の違いは明らかです。敵に態勢を立て直されたら厳しくなるのではありませんか?」

 

「兵の姿を消すだけならば、そうなると思う。けれど、他の策と組み合わせれば、この上なく強力な手段になりうる」

 

「どうやら、シャルロット様には何か案がある様子ですね。お聞かせいただいても?」

 

そうフェルディナンドが言うと、タバサはわたしたち二人と護衛騎士のエックハルトとコルネリウス。そして自身の護衛のカステルモール、アルヌルフ、ソワッソン、マノーア、クリステル、作戦参謀に任命したオーギュストとエドゥアルドを除き、部屋から出るように言った。

 

「この策が決まれば、おそらく勝てる。だからこそ、敵側に漏洩することがないよう、事は慎重に運ばなければいけない」

 

そう言って、タバサは思いついた策をわたしたちに話し始めた。



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新式銃と改良

一度、ゲルマニアに戻っていたあたしは、タバサに必要な物資を満載したオストラント号で再びガリアへと飛んでいる。オストラント号に積まれているのは、様々な軍需物資。その中でも目を引くのが新式の銃が整然と並べられた木箱だ。

 

威力と射程を大幅に向上させるライフリングの技術自体は、少し前からハルケギニアでも知られていた。けれど、冶金技術の遅れと平民の武力向上を嫌う貴族たちの反発もあり、あまり積極的に取り入れられてこなかった。

 

魔法が王道、武器は邪道、それがハルケギニアの貴族の一般的な考えだ。けれど、あたしたちはアルビオン軍が魔法学院を襲撃した事件で熟練の銃兵はメイジにも対抗できうることを実際に目にした。

 

だから、戦力不足のタバサの一助になればと、タバサが蜂起の準備を進める裏で改良型の銃の生産を始めていたのだ。ローゼマインの再訪が急であったため、先のサガミールの丘での戦いには間に合わなかったが、次の戦には絶対に間に合わせてみせる。

 

「しかし、貿易船のつもりが、今ではすっかり戦のための輸送船か……」

 

「ごめんなさい、ジャン。貴方の望みと全く違う使い方をさせてしまって……」

 

「いや、不本意なのは確かだが、わたしも教え子のことはできる限り手助けしてやりたいと思っているのだ。不本意であっても嫌ではない」

 

「ありがとう、ジャン」

 

話しているところに、すっと白いオルドナンツが飛んできた。

 

「シャルロットです。さきほどルイズたちがトリステインから到着しました」

 

「キュルケよ。こちらも明日には到着できるわ」

 

そう吹き込んで、オルドナンツを返す。

 

「また皆が戦場に立つことになるのか……」

 

「望む未来を掴むためとはいえ、心配よね」

 

呟いたジャンの言葉には苦い響きが強い。タバサを見捨てるという選択を選ばない皆のことは誇らしくもある。けれど心配も強いのはあたしも同じだ。

 

「タバサや魔法学院の皆のためにも、あたしたちはできることをしましょう。差し当たり、先にあたしは仮眠を取るわ。六時間後に交代しましょう」

 

オストラント号はトライアングルクラスのメイジがいなければ、本来の性能を発揮できない。最速でガリアに到着しようと思えば、あたしかジャンが精神力を注ぎ続ける必要があるのだ。

 

「わかった。ここはわたしに任せてキュルケは先に休んでくれ」

 

ジャンに言われて、あたしは先に船室で仮眠を取った。その後、六時間後には予定通りに交代をして、そのまた六時間後には交代。そうして翌日の昼過ぎにはガリアのタバサの元へと到着した。

 

タバサはトーナミ川の畔の野戦陣地にいた。ここで敵を迎え撃つためにできるだけの防衛設備を築いているということだ。

 

「シャルロット、元気にしてた?」

 

「うん、キュルケが来てくれて嬉しい」

 

「シャルロットに手紙を預かっているわ。後で読むといいわ」

 

あたしが預かってきたのは、タバサの母が書いた娘を案じる手紙だ。タバサの母は精神状態こそ落ち着いたものの、まだタバサのことを娘とは認識できない。手紙もどこかにいる娘の身を案じるもので、タバサのことを案じて書いたものではない。あたしが持ってきたのは、そんなタバサの母が書いた手紙の中で、今のタバサの状態に合った一通だ。

 

この手紙は、タバサに母の治療が実態より順調だという錯覚を起こさせ、後でがっかりさせることになるかもしれない。けれど、元よりタバサはいつ死んでもおかしくない戦いに身を投じているのだ。この戦いを生き抜くための力になるのなら、錯覚でもなんでも利用してしまうつもりだ。

 

「手紙は後でゆっくり読んでもらうとして、まずは新式銃の試し打ちが必要でしょ。早く降ろしてしまいましょう」

 

新しい銃は、射程と威力だけでなく、当然ながら射撃時の感覚も弾道も違う。これまでと同じ感覚で撃っては狙ったところには飛ばない。

 

敵は大軍なので正確な狙いなど必要ないかもしれないが、どこに飛んでいっているのかわからないまま撃つのでは、銃兵たちも不安だろう。やはりそれなりには射撃練習をしていた方がよいだろう。

 

タバサがアルヌルフを呼んで熟練の銃兵を連れてくるように言う。そしてアルヌルフが銃兵隊を率いる貴族にオルドナンツを飛ばしている間にルイズ、サイト、ギーシュの三人が天幕の中から出てきていた。

 

「ゲルマニアから来たにしては早かったじゃない」

 

「一刻も早く新式銃を届けるために急いだからね。おかげでかなり疲れたわ。銃兵たちの試し撃ちの感想を聞いたら、悪いけど少し休ませてもらうわ」

 

「へえ、新しい銃ってどんななんだ?」

 

「そういえば、サイトなら銃も扱えるんだったわね。じゃあ、確認してみてくれる?」

 

ガンダールヴであるサイトなら、武器なら何でも上手く扱えるはずだ。あたしは降ろしたばかりの木箱から新式銃を手渡してサイトに渡した。思った通り、サイトは説明をせずとも銃を撃ち、更には的にも命中させた。

 

「どうかしら?」

 

「うーん、撃ってみたはいいけど、そういえば俺って従来型の銃を撃ったことないんだよな。だから、違いとかはわからん」

 

「何よ、それじゃ駄目じゃないの」

 

よくよく考えてみれば、サイトはガンダールヴの力でがらくたのような銃でも使いこなせるのだがら、ある意味、物の正統な価値を計るには不適当だった。あたしがそう考えていると、サイトは慌てたように言葉を足してくる。

 

「そういえば、ハルケギニアの銃って着剣はできないんだな」

 

「着剣ってなに?」

 

「銃の先に短剣を付けられるようにするって言えばわかりやすいかな。銃兵が敵に接近されても戦えるようにするのが目的だな」

 

「キュルケ」

 

タバサに言われて、あたしはすぐにジャンを呼んだ。そうして錬金を使って銃に小さな溝を作り、短剣にも細工をして取り付けられるようにしてもらった。すると、それまでは銃であったものが槍のような形状に変わった。

 

「これなら、銃兵の護衛に槍兵を置かなくてもよくなるかもしれない」

 

銃兵は乱戦に弱い。特に今回、タバサ側は小勢であるため、敵に囲まれるような展開になる可能性が高い。それだけに銃兵をどう運用するか悩ましかったのだろう。

 

「これで銃兵の戦闘能力が上がりそうね。けど、それだけじゃ苦戦は免れないわね。何か策はあるの?」

 

「考えている」

 

そう言ったタバサがルイズの方に視線を向けた。

 

「あたしはこれから、シャルロットの策のためにここを離れることになるの」

 

「ルイズが? どんな策なの?」

 

「情報漏洩を防ぐために誰にも策の内容は言っちゃダメって言われてるの」

 

口ではそう言っているが、顔はぜひ聞いてくれと言っている。けれど、あたしはルイズに聞くことはやめておいた。

 

タバサがルイズの虚無を使うことにしたのなら、それは戦の趨勢を左右するものなのだろう。仮に失敗すればタバサだけでなく、タバサに味方したトリステインの皆やガリアの貴族たちの命も失われる可能性が高い。そんな大事な秘密は興味本位で聞いてよいことではない。

 

「ルイズ、シャルロットが秘密と言ったのなら、それは貴族の誓いをもって守らなければならないものよ。どれだけ誇らしくても絶対に誰にも言っては駄目よ」

 

「それくらい、わかってるわよ」

 

まあ、こうやって釘をさしておけば、ルイズも簡単に誰かに話さないだろう。もし仮に話しそうになってもサイトが止めてくれるはずだ。

 

そうこうしているうちに、アルヌルフが頼んでいた銃兵を連れてやってきた。その銃兵が試し撃ちをした感想は、射撃の感覚がかなり違うために、すぐに狙った場所に撃つことは難しい。けれども、それを補って余りある射程と威力があるため、敵集団に向けて撃つのには適している、というものだった。新式銃が戦に仕えると聞いて、あたしたちは早速、更なる性能向上のため新式銃に着剣ができるように改造を施していった。

 

その翌日には準備を整えた南朝方の六万の兵がリュティスを発ったという連絡がタバサの陣へと届いた。戦いは間近に迫っている。



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陣地構築

ガリア北朝を率いるシャルロットと名を変えたタバサの元に、義勇軍として参陣をしたギーシュは敵軍の接近の報が届く中、忙しく働いていた。といっても、到着から今日までのギーシュの働きは、予想していたような、水精霊騎士隊を率いての貴族として華々しい戦果をあげるというものではなかった。

 

到着後、最初にギーシュが取り組んだのは、敵軍の渡河予想地点の対岸に土塁を築くことだった。築いたのは渡河予想地点の南北二リーグにも渡る長大な土塁で、土メイジは総動員、平民もほとんどが駆り出され、毎日のように真っ黒になって築き上げた。

 

そして、その後は敵の攻撃が集中すると予想される、川が敵側に湾曲している地点の対岸から二百メイルほど内に、第一防衛線が破られた後に籠る第二防衛線を築き始めた。上陸してきた敵を効率的に射撃ができるよう嵩上げされた土地の上に更に土塁を築いていく。

 

「貴族にこんなことばかりさせて、ガリアの貴族がシャルロット殿下に不満を持たないのでしょうか?」

 

不安になったギーシュが聞いたところ、答えてくれたのは率先して働いていた古参の貴族だった。

 

「我々がサガミールの丘で二十倍以上の敵と戦うことができたのは、シャルロット殿下の指示の元、入念な準備を行っていたからだ。もしもあのときに手を抜いていたならば、私は今日、ここに立ってはいないだろうな」

 

実感の籠ったその言葉に、新参の貴族が作業を厭うことができない理由を知った。そうして今日も今日とて土木仕事を終え、ギーシュは自分たちの天幕へと戻っていく。

 

「皆様、今日も大変な作業を手伝っていただき、ありがとう存じます。ヴァッシェンをいたしますので、息を止めてくださいませ」

 

天幕の少し手前でギーシュたち水精霊騎士隊所属の土メイジたちを出迎えてくれたのは、ローゼマインの側仕えのリーゼレータだった。その後はローゼマインが土木作業中に小さな傷などを負った皆を水の魔法で癒してくれるのだ。

 

「ギーシュ様はお怪我はございますか」

 

「軽傷だけど、念のためお願いしてもいいかい」

 

「もちろんです。ローゼマイン様の前へどうぞ」

 

怪我の有無を聞いてきたリーゼレータに、作業の後半にわざと地面にこすりつけてできた傷を見せて、ギーシュはローゼマインの前に向かう。

 

「ギーシュ様は毎日、とても頑張ってくれていると聞いています。ありがとう存じます」

 

ローゼマインは夏の間に、信じられないほどの成長をして子供から美しい少女へと成長した。更にその両脇に控える護衛騎士のレオノーレとアンゲリカも、とても戦場に立つ者とは信じられないような美しい少女たちだ。

 

「ギーシュ様にルングシュメールの癒しを」

 

ローゼマインが持つ杖から緑の光があふれ、ギーシュの傷を癒してくれる。美少女に自分の傷を癒してもらう。それは何物にも代えがたいギーシュの心の癒しだ。

 

「それにしても、ギーシュ様は随分と同じような怪我を負われるのですね」

 

三人の美少女を眺めながら傷を癒してもらっていると、不意にレオノーレがそんなことを言ってきた。

 

「ああ、どうにもそそっかしいみたいで、同じような土木作業で同じような怪我を負ってしまうんだよ」

 

「そうですか。さすがに何度も同じ怪我をするというのは、注意力が足りなすぎると言わざるをえませんね。ローゼマイン様、ギーシュ様が次に同じような怪我をなさったときには、治療をしていただく必要はないと存じます」

 

「レオノーレ、けれど、シャルロット様のために働く中での怪我なのですから、治療くらいは構わないと思うのですけど……」

 

「いいえ、その必要はございません。リーゼレータとグレーティアにもそのように伝えておきます。ギーシュ様も、それで構いませんよね」

 

「ああ、ローゼマインに治療してもらえるから、多少の怪我は大丈夫と思って注意力が散漫になりすぎていたみたいだ。明日からは怪我しないように気を付けるよ」

 

そう言えば昨日も、レオノーレはやけにギーシュの怪我の状態を見つめていたような気がする。騎士だというレオノーレはギーシュの怪我が故意によるものだということに気が付いたのだろう。

 

もしもローゼマインたち三人に囲まれたいという邪な思いを叶えるために、わざと怪我をして、挙句の果てに精神力を使わせていたと知られれば、何事に関してもローゼマインが第一であるハルトムートにどのような目にあわされるかわからない。ここは潔く諦めるべきだ。

 

「おかえり、ギーシュ。ちょっとこっちにきてくれる?」

 

泣く泣く心の癒しを放棄して自分の天幕へと戻ると、そこにはなぜかモンモランシーが待っていた。

 

「モンモランシー、急にどうしたんだい?」

 

「あなたが、ローゼマインに迷惑をかけているって聞いたものだから」

 

「だ、誰がそんなことを……?」

 

レオノーレとは、さっき別れたばかりだ。モンモランシーに怪我のことを話す時間はないはずだ。

 

「貴方が作業が終わる頃になると、なぜか手を地面にこすりつけるような動きをしていると教えてくれた人がいるのよ」

 

もしやレオノーレも、その何者かによる情報で気が付いたのだろうか。いや、それならば、先にリーゼレータに話が通されて事前に治療の列から排除されることになったはず。ということは、レオノーレとは別件ということだろうか。

 

そんなことを考えていると、天幕の外からこちらを覗く影があることに気が付いた。顔はよく見えなかったが、小太りのその体系には見覚えがあった。

 

「マリコルヌゥ、きみかあぁあ!」

 

「うるさい、黙れ!」

 

ギーシュの叫びは腹に突き刺さったモンモランシーの拳によって封じられた。

 

「さすがモンモランシー、ギムリにも勝る素晴らしい力……」

 

「何でも褒めればいいってわけじゃないのよ」

 

「はい、そのとおりです」

 

その後、ギーシュはたっぷりとお説教をされ、今後はローゼマインの元に行くことを禁じられた。無論、モンモランシーの拳を受けて痛む腹についても例外ではない。

 

そうして翌日も、作業を手伝ってくれる愛すべき使い魔ヴェルダンデと一緒に、魔法で黙々と土塁を構築していく。そうして真面目に働きだすと、ふと気づくことがあった。

 

「なんだか陣地にいる兵たちが減っている気がするのだが……」

 

その呟きに答えてくれたのは水精霊騎士隊の実務担当者レイナールだった。

 

「ここに全戦力を張り付けておくわけにはいかないだろう。敵は多勢だ。あるいは三千くらいの別動隊を組織して密かに上流側を渡らせ、戦の最中に背後から攻撃させる、なんてことも造作もない。周辺に監視のための小部隊を派遣しているみたいだよ」

 

「そうなのか。気付かなかった」

 

「ギーシュはもう少し、周囲の状況を見た方がいいね。水精霊騎士隊の隊長はギーシュなんだから」

 

「無論、周囲の状況くらい見てるさ。だけど、周囲を見渡すと、どうしても女の子の姿ばかりが目に入ってしまうんだから、仕方ないじゃないか」

 

「へえ、そうなの。じゃあ、そんな余裕すらなくしてあげなくちゃいけないみたいね」

 

冷たい声音に振り替えると、全身から冷気を放つモンモランシーがいた。

 

「いや、今のはものの例えというか……」

 

「へえ、どういうことを例えると、女の子の姿ばかりが目に入るということになるのか教えてほしいものね」

 

「それは……軍事機密を守るための隠語とか?」

 

「詳しい話は天幕の中でゆっくりと聞かせてもらいましょうか」

 

モンモランシーの手がギーシュの耳へと伸びる。

 

「痛い、痛いよ、モンモランシー。僕の耳がエルフになってしまうよ」

 

「そうなれば、貴方の性格も矯正されるかもしれないわね」

 

「頼むから、僕の話を聞いてくれ、モンモランシー」

 

「だから、これから天幕の中でゆっくりと聞かせてもらうって言ってるじゃない」

 

ギーシュは何とか助けてもらおうとレイナールに手を伸ばす。けれど、レイナールがその手を掴んでくれることはなかった。

 

ガリア王軍が間近に迫っている中、ギーシュは敵の大軍より遥かに手強い相手に、絶望的な戦いとはどういうものかということを教わったのだった。




偶然ですが、新年最初にはふさわしい箸休め回になりました。
次回はいよいよトーナミ川の戦いが開戦。


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トーナミ川の戦い

秋の半ば過ぎ、北朝と南朝の両軍がトーナミ川の両岸に布陣を終えた。川の東に布陣するのがタバサの北朝方。北から赤色の旗のモローナ伯爵の二千五百、黄色の旗のタバサの四千、黒色の旗のシバー子爵の一千五百という布陣だ。激戦が予想される中央には多くの兵を置いて、逆に地形の関係で守りやすい南はやや兵数は少なめとなっている。

 

他に白色の旗のマヤーナ男爵と青色の旗のリョシューン男爵がそれぞれ一千を率いて伏兵として川の上流と下流に潜んでいる。両隊は策の成立と同時に敵軍への攻撃を開始する予定だけど、ごく一部の将を除いて、その存在すら明らかにしていない。

 

対するジョゼフの南朝方は前面にギノクース伯爵、少し離れた後方にニッダー伯爵という布陣だ。ギノクース伯爵の軍は三隊に分かれているように見えるという報告があがってきている。両伯爵の布陣から、ニッダー伯爵の軍は後詰でギノクース伯爵が前線を全面的に受け持つと予想されている。

 

南朝方は兵数で圧倒的に優位に立つ。下手に兵を分けて各個撃破される危険を冒すより、ギノクース伯爵が攻め立て、北朝方の陣を崩した後にニッダー伯爵が攻めるという正攻法を選択したようだった。

 

そんな一大決戦におけるわたしたちの役割は、あくまで後方支援。タバサと一緒に本陣に待機して、負傷者の治療に当たることだ。けれど、不足している空戦戦力を補うため、そして偵察のためにコルネリウス、マティアス、ラウレンツの三人は騎獣で上空に待機して敵軍の動きをオルドナンツで知らせてもらうことになっている。

 

わたしたち以外では、ルイズと平賀は策を成すためにマヤーナ男爵と行動をともにしており、キュルケとコルベールは魔法力を買われて本隊の前線にいる。友人であるキュルケや戦いを嫌うコルベールを前線に配置することに対してタバサは終始、申し訳なさそうにしていたが、南朝方は前線のギノクース伯爵だけで三万にもなる。

 

キュルケとコルベールは二人とも後方支援の魔法は得意ではない。ただでさえ厳しい戦いにトライアングルクラスの二人を後方に配置する余裕はなかったのだ。

 

魔法学院所属の水精霊騎士隊の皆はギーシュとレイナールがわたしたちと本陣で待機。他の皆は前線の各地に散らばって本陣との連絡役を担うことになっている。水精霊騎士隊の皆は魔法力はそれほど高くないことと、最前線で敵と戦うことをなるべく避けるためのタバサの措置だ。

 

そうして、両軍の布陣が完了した日の夜、早速、敵の夜襲があったという連絡があった。ただし、タバサたちも前線に夜間も警戒を緩めないように通達してあったため、無事に敵を撃退することができたということだ。

 

本格的な戦いが始まったのは翌日の早朝。南朝方にも本格的な空戦戦力はないのを確認して、わたしもフェルディナンドやエックハルト、レオノーレやアンゲリカと一緒に空に上がって戦の状況を確認する。

 

南朝方の最前線にいるのは厚い盾を持った兵たちだ。背後にメイジを隠しながら川の手前まで前進してくる。

 

敵の盾が銃撃を警戒してのものなのは明らかだった。けれど、それは従来の銃を想定したものでしかなかった。ゲルマニアの新式銃を持った北朝方の銃撃は盾を貫通して後ろの兵たちを撃ち抜いた。予想外の威力に、敵の前線が乱れた。

 

けれど、すぐに敵は態勢を立て直す。今度は大きな土のゴーレムを前面に押し出し、川へと迫ってくる。それを迎え撃つのは、これを予測して待ち構えていた北朝方の高位メイジによる魔法だ。その中にはキュルケのものと思われる巨大な炎の球もあった。

 

ゴーレムを破壊されながらも、敵は前進を続ける。その先頭に立っているのはメイジと思われる者たちだ。その目的は川に向けてのディテクトマジックだ。

 

南朝方もサガミールの丘でタバサがスリーピングポーションを流したことは知っているということだろう。その対策として川辺にメイジを配置して魔法使用の気配がないか確認することにしたのだろう。

 

メイジを守るために立ち止まったゴーレムの横を、歩兵たちが駆け抜けていく。そのまま水量の下がっている川を渡って北朝方の陣地へと迫る。北朝方の各陣地から猛烈な射撃が行われるが、南朝方は数を頼みに倒れた味方の兵の遺体を超えて襲い掛かっていく。

 

「ローゼマイン、そろそろ本陣へ戻ろう」

 

遠目でも人の命が次々と失われているのがわかる。フェルディナンドはわたしを気遣い、タバサの天幕に戻るように言ってくれた。

 

「わたくしは、見ておく必要があると思うのです」

 

わたしは召喚をすることでフェルディナンドの命を助けたけど、それは本当の意味でのフェルディナンドの救出とはならない。一度目のユルゲンシュミットへの帰還のとき、わたしたちは皆で同じ場所に戻るのではなくて、召喚時にいた場所に戻った。そこから考えると、ユルゲンシュミットに帰還したときにフェルディナンドが戻されるのはアーレンスバッハの供給の間なのだ。いくらフェルディナンドでも一人でできることは少ない。

 

結局、わたしたちが助けに行かない限り、フェルディナンドは供給の間から出ることはできないのだ。だから、わたしはアーレンスバッハに攻め込まなければならない。それは少なからず犠牲が出る可能性が高い。その意味をわたしは知らないといけない。

 

事前に集中攻撃が予想された地点が、予想通り敵の猛攻に晒されている。第一防衛線を放棄して第二防衛線まで後退するのは時間の問題だろう。

 

「ローゼマイン、そろそろ時間だ」

 

「はい、戻りましょう。フェルディナンド様」

 

第一防衛線から後退した兵たちの中には負傷兵も含まれているだろう。その人たちをわたしは癒さないといけない。

 

予想通り、わたしたちが天幕に入って少しして、猛攻を受けていた地点に第一防衛線の放棄を指示するオルドナンツが飛び立った。その頃になると、他の地点からも第二防衛線への後退の許可を願うオルドナンツが続々と飛び込んでくる。タバサはカステルモールと相談しながら、許可を出したり、現状維持の命令を出していく。

 

「こちら黄一六番陣地、これ以上は支えきれません。第二防衛線まで後退の許可を」

 

そんな中、緊迫感のある声を吹き込まれたオルドナンツが飛び込んできた。声の主は黄一六番陣地に配置された水精霊騎士隊二年生のクリストフという生徒だ。

 

「カステルモール、許可を出していい?」

 

「お待ちください。今、一六番陣地が後退すれば一五番と一七番陣地が敵に囲まれてしまいます。先に一五番と一七番陣地に第二防衛線までの後退の指示を。その間、一六番陣地は死守してもらうよりありません」

 

「わかった」

 

タバサが顔を向けられたギーシュが代わってオルドナンツに魔力を込める。タバサがそこに後退不許可のメッセージを吹き込むと、ギーシュが杖を振る。

 

「こちら黄一六番陣地、死傷者多数、これ以上は持ちません」

 

「まだ第一七陣地の後退が完了していません」

 

「シャルロットです。黄一六番陣地、周辺の味方の後退が完了していません。あと少しだけ陣地を死守してください」

 

苦しそうに首を振ったカステルモールを見て、タバサが再び死守を命じる。タバサの拳は強く握りしめられ、閉じられた掌からは血が滴っている。気持ちとしては撤退を許可してあげたいはずだ。けれど、それをしては他の者が死んでしまう。

 

それから少しして第一七陣地から後退完了のオルドナンツが届いた。タバサが弾かれたように顔をあげる。

 

「ギーシュ」

 

タバサに声を掛けられる前から、すでにギーシュはオルドナンツの魔石に魔力を込め始めていた。

 

「シャルロットです。黄第一六番陣地、よく頑張ってくれました。第二防衛線まで後退してください」

 

吹き込み終えるが早いか、ギーシュが杖を振った。けれど、オルドナンツはギーシュの腕にとまったままだ。

 

「どうした! 飛べ! 飛べよっ!」

 

ギーシュが何度も杖を振るが、オルドナンツは飛び立たない。それが意味していることは、ギーシュがオルドナンツを飛ばそうとしている相手、クリストフが亡くなっているということだ。

 

「黄第一六番陣地の壊滅状態と判断する。カステルモール、第二防衛線の援護に向かわせるとしたら、どの部隊になる?」

 

「第二四小隊です」

 

「第二四小隊、黄二六番陣地に向かえ」

 

代わりのメッセージが吹き込まれたオルドナンツを、ギーシュが力なく飛ばす。激しい戦いに多くの死傷者が出ているのだと、嫌でも実感をさせられた瞬間だった。



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キュルケの戦い

あたしは第二防衛線の土塁の裏でローゼマインから譲られた回復薬というものを飲んでいた。あたしの役目は第一防衛線で最初に繰り出されるメイジを精神力が尽きるまで迎撃した後は第二防衛線まで後退。その後は第一防衛線から撤退してくる味方を援護するために精神力が尽きるまで魔法を使い、今度は背後の平原の第三防衛線に逃れて、そこでまた回復薬を使って味方の後退を援護するというものだ。

 

第一防衛線からの後退を敗走に繋げないための重要な役目であると同時に、あたしが戦死する確率を下げるための采配でもあるのだろう。タバサからはジャンも同じような役目をお願いされていた。

 

これ以上は防ぎきれないと判断したのだろう。第一防衛線から兵たちがあたしのいる第二防衛線まで駆けてくる。その最後尾にいるのは、その陣地の守備隊長でもあったメイジだ。そのメイジは最後尾でブレイドの魔法を杖に纏わせ、迫りくる南朝方の兵たちを次々と切り伏せていた。

 

だけど、多勢に無勢。少し後には押し寄せる敵兵の波の中に飲み込まれ、その姿は見えなくなる。

 

「けれども、貴方が稼いだ時間のおかげで、多くの兵たちが第二防衛線まで後退ができたわ。貴方の死は、けして無駄にはしないわ」

 

昂る気持ちが、あたしの魔法の威力をあげてくれる。負傷しているのか、逃れてくる足の遅い一人の兵へと襲い掛からんとする敵兵に向けてあたしはファイアー・ボールを放つ。

 

「早く土塁の裏まで入ってしまいなさい」

 

先に土塁の中に戻ってきた兵たちの援護射撃を受けながら、負傷した兵は土塁の前まで進んでくる。そこまで戻ってきたら、後は他の兵たちが襟首を掴んで三人がかりで引っ張り込んでいた。

 

「一人で本陣まで帰れる? 悪いけど、後送させるだけの余裕はないわよ」

 

「大丈夫です。一人で戻りますので、私のことは気になさらないでください」

 

「他の皆も今のうちに水を飲んでおきなさい。全力で使わないと大軍の足止めはなんかできないから、あたしの魔法は長くは続かないわよ」

 

そう兵たちに伝えて、あたしはすぐに呪文の詠唱に入る。せめて水を飲んで、息を整えるくらいの時間は稼いでみせる。

 

フレイム・ウォールの呪文を唱えて先頭を切って突っ込んでこようとした勇敢な兵たちを纏めて焼き払う。けれど、それでも敵兵は怯むことなく後から後からやってくる。それなりに広い範囲にフレイム・ウォールを使ったため、あたしもだいぶ精神力を消耗した。

 

仕方がない。少し早いけど、最小の精神力で最大の効果を発揮するための方法を取るしかない。

 

あたしは魔法の使用をやめ、敵兵が接近してくるのを待った。そうして、ちょうど第二防衛線の土塁まで五十メイルくらいまで迫ったところで、速度を緩めたファイアー・ボールを敵の集団の中に放り込んだ。

 

低速で迫ってくる炎の球を見て、敵兵が慌てて回避行動を取る。炎の球は誰にも当たらずに地面に落ちた。

 

次の瞬間、地面が派手に爆発し、付近の兵たちが吹き飛ばされる。爆発の原因は地面に埋めてあった火薬と火の秘薬の硫黄によるものだ。あたしたちは第一防衛線が突破されることを前提に、事前に罠を仕掛けておいたのだ。

 

即死した者はまだ幸せであっただろう。吹き飛ばされた自らの足を手に持ち、周囲に助けを求めている者の痛みや恐怖は想像することすら難しい。

 

タバサの戦術は徹底的に弱者の戦術だ。華々しい戦果とは無縁。ただただ泥臭く、少しでも敵に出血を強いて、少しずつ自らが優位に立つようにする。タバサが目指すのは勝利という結果だけ。過程には目もくれない。

 

新式銃の射程内で苦しむ重傷を負った兵たちに向けては、北朝方の銃兵たちは攻撃をしない。放っておいても無害の相手に構っている余裕はないため、戦闘能力のない兵は無視を指示されているためだ。

 

けれど、それは建前だ。自分の力だけでは後退できない兵を救出しようとすれば、複数人の力が必要だ。タバサの狙いは敵に負傷者を救出のための人員を割かせることにある。

 

最初の川ではディテクトマジックを使うメイジがいた。だから、罠はないと信じて兵たちは進むことができた。けれど、ここにはいない。もしも他にも罠があってはと兵たちの足が止まった。

 

「足を止めるな! 進まねば私が討つ!」

 

指揮官であろう貴族に杖を突きつけられ、兵たちが仕方なく前進を開始する。これ以上の罠はない。あたしの残りの精神力では多くの兵を討つことは難しい。ならば、残りの精神力で最大の戦果をあげる。

 

呪文を唱えて長距離射撃に適した魔法、フレイム・アローを放つ。魔法で放たれた炎の矢は狙いを過たず貴族の胸に突き立った。

 

「しばらく足止めを任せるわよ」

 

指揮官である貴族が倒れたことで、敵の最前線の兵たちが動揺した。その隙にあたしは背後の平原の第三防衛線まで後退して回復薬を飲むことにする。

 

「はっ、第三防衛線でお会いしましょう」

 

この場の指揮官である彼は笑顔を見せてくれたが、第三防衛線で再会できる確率は五割というところだろう。それをわかっていながら、あたしはこの場を離れて第三防衛線という名の、ただの平原に小規模の塹壕を掘った場所へと後退を始める。

 

ローゼマインから渡された回復薬というものは、精神力だけでなく体力も回復させてくれる。だからあたしは全力で走り、飛び込むように塹壕の中に隠れて回復薬を飲む。

 

第二防衛線からは絶え間なく銃撃の音が聞こえてくる。やがて、ぱらぱらと腕や足を押さえた兵たちが第二防衛線から、こちらへと駆けてくる。遠目でも徐々に銃に着剣して土塁から身を乗り出すようにして突き出している姿が増えている。

 

逆に背後からは百名ほどの集団がこちらに向かってくる。これは平原で敵を食い止めるために繰り出された予備兵力だ。

 

この第三防衛線が最終防衛線でもある。ここを突破されたら、あとはタバサがいる本陣は目と鼻の先だ。絶対にここは突破されるわけにはいかない。他の第三防衛線が交戦状態になるまで、なんとしても敵を食い止めなければならない。

 

といっても、あたしのやることは変わらない。第二防衛線から後退してくる味方を援護するために魔法を使いまくり、精神力が切れたら本陣の中に後退して、後は味方の頑張りを祈るのみだ。

 

ローゼマインは、薬の使いすぎは体にもよくないからと、二本しか回復薬を持たせてはくれなかった。ハルケギニアには存在しない精神力回復の薬は、二本だけでも十分にありがたいのは確かだけど、戦況を考えると全く足りない。

 

第二防衛線の戦況は徐々に南朝方が優位となっている。北朝方の兵士たちが土塁の防衛を諦めて、第三防衛線へと後退を始めてくる。その背を追いかけてくる敵兵に向けて、あたしはファイアー・ボールの魔法をぶつけていく。

 

まだ一度も戦争を経験してなかったときに考えていたような、誇りに満ちた貴族の戦いなどというものはここにはない。あるのは、単に貴族も平民も泥臭く互いの命を散らしあう、どこまでも不毛な殺し合いだ。

 

徐々に後退してくる兵が少なくなってきて、最後の一人があたしたちの戦列に逃げ込み終えた。けれど、その中に第三防衛線での合流を約束した第二防衛線の指揮官の顔はない。部下を一人でも逃がすため最後まで踏みとどまったか、それとも防衛戦の最中に討たれてしまったか。

 

「どちらにせよ、あたしはあたしにできることをするだけね」

 

残り少ない精神力を振り絞ってフレイム・ウォールで敵の足を止める。

 

「打ち止めよ。後は任せるわね」

 

これ以上、ここにいてもできることはない。薄情なようだけど、ここまでだ。銃声を背後に聞きながら、あたしは本陣へと後退する。

 

「早くタバサの策が実行され、成功しますように」

 

タバサの策は、敵をある程度、引き込んでから発動される。敵はまだ所定の位置まで到達しないのだろうか。それを確認するためにも、あたしは本陣へ急ぐ。

 

あたしが背後に轟音を聞いたのは、ちょうど本陣へと足を踏み入れる頃だった。



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ガリアの忠臣

南朝の先鋒を受け持ったギノクース伯爵は、ここまで慎重に軍を進めてきた。自身の先鋒だけで兵力は三万。北朝方の三倍の兵力がある。戦場は広大であり、兵力の差を存分に生かすことができる。となると、怖いのは奇襲だけ。

 

数は少ないとはいえ、この軍にも竜兵はいるので入念に偵察を行ったが、周辺に伏兵の気配はなかった。もっとも、南側だけはそれなりに大きな森があり、その中だけは伏兵の存在を否定できないということだった。

 

けれど、それならば南の森の様子を警戒させる部隊を置いておけばいいだけだ。予測ができている伏兵は、脅威度は高くはないのだから。

 

先のサガミールの丘での生き残りから話を聞いて、事前に北朝方が取ると思われる戦法の分析を行った。今回の戦場で気を付けねばならないのは、川と敵陣の中の平原だ。川にはスリーピングポーションを流される可能性があり、平原には硫黄が埋められている可能性があるというのがギノクースの見立てだった。

 

予想に反して川には何の仕掛けもなかった。けれど、予想外のことは起きた。それは北朝方の兵の持つ銃の威力が予想以上に高かったことだ。おかげで川を渡りきるまでに余計な出血を強いられてしまった。

 

そして続いての誤算も、やはり銃兵に関することだった。北朝方の銃兵は銃の先に刃物を取り付けて槍のようにして使ってきた。北朝方は槍兵の数が非常に少なかったので、接近さえしてしまえば圧倒できると考えていたが、その目論見が崩れた。

 

けれど、それは大勢に影響を与えるものではない。事前の予想より兵の損害が僅かに多く、時間も要することになったが、数を生かして川岸の陣を突破した。

 

その後の第二陣の攻略前には懸念していた硫黄を使った罠による損害を受けたが、それでも第二陣の攻略までの死傷者は一千五百人弱。すでに北朝側に防衛陣地は塹壕だけしか残っておらず、後は平原で押しつぶせばギノクースたちの勝利だ。

 

そう信じて先鋒が平原で待ち構える敵の銃撃を潜り抜け、接敵しようとした頃、唐突に先ほど渡り終えた川の方から轟音が聞こえてきた。振り返ると、後方に見える川が茶色の濁流に変わっていた。

 

兵たちが次々と流れに飲み込まれて姿を消していく。メイジたちはフライの呪文で逃れることができたようだが、平民の兵たちはひとたまりもないようだった。

 

ギノクースの率いる兵たちは三万と大軍だ。先頭は敵の第三陣に襲い掛かろうという頃であったが、全体としてはようやく中央が川を渡り切った頃だった。これは敵が地中に罠を仕掛けていることを想定し、一度に大きな被害を受けないように散兵的な運用をしていたことも影響していた。いずれにせよ、中央やや後方に現れた濁流は先軍の一万近い兵と後詰のニッダー伯爵の率いる三万を対岸に残し、ギノクースたちを北朝方に孤立させた。

 

「ギノクース様、北に突如として敵兵が出現いたしました」

 

急降下してきた竜兵に告げられ、ギノクースは急いで竜に飛び乗って上昇させた。見ると、確かに北から青の旗を掲げた一団が迫ってきていた。

 

けれど、それ以上に驚いたのは上流に巨大な堰が現れていたことだ。濁流は上流でその堰を切ったものによることは明らかだ。

 

「どういうことだ! 私はあのような物の存在の報告は受けていないぞ!」

 

「わかりません。私も直前まで堰の存在を確認できていませんでした。本当に急に現れたようにしか思えないのです」

 

思わず怒鳴ったギノクースに、竜兵は困惑しきった様子で言ってくる。確かに、この竜兵だけでなく複数名による偵察は行われている。そして、そのいずれからも堰の存在は報告されていない。

 

「水の魔法で霧などを作って隠蔽していたのか?」

 

「視認しにくい場所があれば、そのように報告しています」

 

「確かにそうか……いや、今は堰の存在を隠蔽していた方法を論じている場合ではないな。すぐに左翼側に私を降ろせ!」

 

背後の味方が濁流に押し流された。そして、北からは数は多くないものの新手が迫ってきている。そして、南朝方の将兵の動揺を逃さず、これまで迎撃の姿勢を取っていた北朝方の兵たちが逆襲に転じている。

 

このままでは南朝方が負ける。それを食い止めるためにはギノクースが直接、指揮を執るしかない。

 

「我らの策は成れり! この戦は我らの勝ちぞ! 皆の者、進め! 勝ちを逃すな!」

 

左翼側に降り立ったギノクースの耳にシャルロットの大音声が聞こえてくる。通常ではありえない声の響き方だ。何か特別な魔法かマジックアイテムを使ったのだろうか。

 

「いずれにしても厄介な!」

 

劣勢となったことは、南朝方の誰もが自覚している。そこに敵の総大将の勝ち名乗りが聞こえてくれば、動揺するなという方が無理というものだ。

 

「踏み留まれ! 水の流れなど、長くは続かぬ! 数は我らの方が多いのだ! しかと心を保って戦えば、ニッダー伯爵の軍が渡河して救援にきてくれよう! どの道、我らに逃げ道はないのだ!」

 

正確には今のところ南から敵は迫っていない。けれど、おそらく南は最も向かっては駄目な方角だ。

 

南の森は伏兵の可能性が考えられてきた場所だ。そして、その伏兵は当初のように存在が予測されたときと同じ危険度ではない。北と東から敵に押し込まれ、西の退路を断たれた状態での南からの敵の新手は、敗北を決定的にするのに十分すぎる。声を枯らし、ギノクースは北から迫る青の旗と東から押し込んでくる赤の旗の部隊との戦いを督戦する。

 

「川の水が引いてきているぞ!」

 

その甲斐があってか、なんとか敵の攻撃を防いでいる間に背後の川の水量が渡河前の状況に戻ってきていた。対岸から南朝方の兵たちが救援に向かってくる。傷を負っているこちら側の岸にいる兵たちが味方の中に逃げ込もうと川に飛び込んだ。

 

けれど、そこでギノクースは気付いた。北から攻撃してくる青の旗の部隊がけして水辺に近づこうとしないことに。

 

「まだだ! 第二派があるぞ! 川には近づくな!」

 

ギノクースが言い終わる前に再び轟音が川上から迫ってくる。濁流は慌てて川から離れようとする兵たちを飲み込み、姿を見えなくしていく。ようやく来ると思っていた援軍が目の前で消えていく姿を見て、南朝方の兵たちの顔に絶望が広がった。

 

もはやギノクースをもってしても、敵のいない唯一の方角である南側への敗走を止めることはできなかった。そして、予想していた通り、逃げようとした先の森から白い旗を掲げた兵たちが姿を現した。

 

「ここで踏みとどまれ! まだ我らは負けていないぞ!」

 

ギノクースがいくら声を枯らそうとも、三方向からの激しい銃撃から何とか逃れようと、まだ水量の多い川へと身を投じていく兵たちを止めることはできなかった。そして、多くの兵たちが、流れに身を飲まれて姿を消した。どんどんと数が減っていく味方を見た南朝方の兵たちの戦意は風前の灯火だ。

 

それに、もう一度、水が引いたところで、おそらく対岸の味方が川に入ってくることはないだろう。すでに逆転の目がないのは明らかだった。

 

「これより我らは敵総大将のシャルロットの陣に突撃を仕掛ける! ガリア王軍の意地を示さんとする者は我に続け!」

 

「応! ガリアの花壇騎士の意地! 叛徒どもに思い知らせてやりましょうぞ!」

 

ギノクースの呼びかけに応じたのは七十三名の貴族たち。一丸となって黄の旗を掲げる敵の本陣部隊に向けて突撃を開始する。

 

最初に受けたのは北朝方の銃兵による猛烈な銃撃だった。それは風と土のメイジによる防御魔法で受け止めた。大半はそれで受け止めることができたが、端にいたメイジ三人が足に銃弾を受けて脱落した。

 

負傷したメイジには悪いが、どうせ全員が死ぬことになるのだ。足を止めることなく前進を続け、敵中に踊り入った。雲霞のごとく攻め寄せてくる敵兵を、ギノクースはブレイドの魔法を纏わせた杖で切り伏せていく。

 

こちらは全員がメイジだ。雑兵どもに遅れはとらない。

 

けれど、無傷とはいかない。これまでの戦いで精神力を消費してしまった者も多い。そうした者から一人、また一人と倒れていき、気付くと五十六名まで減っていた。

 

「そこまでだ、ギノクース殿」

 

そして、そこに最悪な相手が精鋭部隊を率いて現れる。もっともギノクースたちは、ここまでに派手に暴れたのだ。これも無理ないことだ。

 

「いずれ手合わせしたいと思っていたのだ。カステルモール殿、いざ、尋常に勝負!」

 

自分が知る中でも最高に近いメイジに向けてギノクースは残る力を振り絞り、最後の突撃を開始した。



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戦いが終わって

前衛部隊が壊滅的な打撃を受けたのを見て、南朝方の総大将ニッダー伯爵が兵たちを撤退させた。なので、わたしも側近たちと行動を開始する。

 

負傷者が多いのは当然ながら前線のはずだ。わたしはフェルディナンドに先導される形で騎獣を使って前線へと飛ぶ。

 

空に上がると、今回の勝利をもたらしてくれた巨大な堰がよく見えた。それらは土メイジたちが作り上げて、ルイズがイリュージョンの魔法で存在を隠蔽してくれたものだ。

 

ルイズのイリュージョンは、前は存在しない軍勢を作って敵を誘導したようだけど、今回は存在する堰と、その中に詰める一千名の兵たちを隠すことに使われた。当然ながら、堰を隠せる規模でのイリュージョンを、ずっと使い続けて魔力が持つはずがない。

 

そのため普段は水メイジの霧を使って隠して、ここぞというときだけイリュージョンを使うことにしたと聞いている。それでも、かなりの回数のイリュージョンを使わざるをえなかったルイズは、昨日の段階で回復薬のにおいを体から漂わせて疲れ切った顔をしていた。きっと今頃はぐったりとして眠っているのではないだろうか。

 

「ルイズには改めて良く効く回復薬を使わせてあげる必要がありますね」

 

「ローゼマイン様、良く効く回復薬というのは、あの回復薬のことでしょうか? 恐れながらやめておいた方がよろしいかと」

 

「けど、レオノーレ。あの薬なら魔力と一緒に疲労も回復できますよ」

 

「それでも、あの回復薬は感謝されないと存じます」

 

フェルディナンドの激マズ回復薬は確かに味は酷い。けれど、効果はそのマイナスを上回ると思うのだけど、なぜか皆には不評なのだ。

 

とはいえ、ルイズのことはひとまず後回しだ。わたしは負傷兵を癒すために騎獣を前線に降ろす。顔を知らない者たちの中に降り立つわけで、さすがに護衛騎士たちも警戒している。わたしはフェルディナンド、エックハルトとユストクスの他、コルネリウス、レオノーレ、アンゲリカ、マティアスとラウレンツにハルトムートとクラリッサにも囲まれた状態で皆を癒すためにフリュートレーネの杖を出した。

 

「周囲に投降していない南朝方の兵たちはいませんね」

 

わたしのフリュートレーネの杖での癒しは敵味方関係なく範囲内の者に無差別に降り注いでしまう。まだ諦めていない敵の傷を癒しては大変なので、レオノーレとマティアスに確認を取ってから、わたしは祝詞を唱え始める。

 

「水の女神フリュートレーネの眷属たる癒しの女神ルングシュメールよ、我の祈りを聞き届け、聖なる力を与え給え。戦いに傷つきし者たちを癒す力を我が手に。御身に捧ぐは聖なる調べ。至上の波紋を投げかけて、清らかなる御加護を賜わらん」

 

杖の魔石から緑の光が溢れて周囲に降り注ぐ。それにより、それまで体を横たえていた者たちも起き上がることができるようになった。

 

「次は自力で動けない者たちを、こちらまで運んでください。この後は別の場所に移動しなければなりません。急いで!」

 

怪我が治った者たちに指示を出して、未だ癒しを受けられていない者たちを周囲に集めてもらう。そうして、もう一度、癒しをかけた。

 

「次の場所に向かいましょう。フェルディナンド様、他に戦闘が激しかった場所はどちらですか?」

 

「そんなに急ぐのではない。どちらにせよ、全てを回ることはできないのだ。それは君も気づいているのではないか?」

 

この戦いに参加した北朝の兵士は一万人にもなる。その全ての人を癒そうとしたのでは、魔力がいくらあっても足りない。

 

「けれど、早く回れば重症の方が命を落とさずとも済むではありませんか。同じ人数を癒すのであれば、早い方がよいでしょう?」

 

「それでは君が体調を崩してしまうではないか」

 

「フェルディナンド様、わたくし、これでも随分と丈夫になったのですよ。仮に今日、魔力を使い果たす勢いで使ったとしても回復薬を飲めば、二日ほど寝込めば回復します」

 

「それは丈夫になったとは言わないだろう」

 

フェルディナンドは呆れたように言うけど、コルネリウスを除けば、今の側近たちを含めてもわたしが虚弱だった頃のことを一番よく知っているのはフェルディナンドのはずだ。だったら、わたしが丈夫になったことに、もっと同意をしてくれてもいいと思う。

 

「ともかく、早く次の場所に急ぎましょう」

 

「顔色が優れなくなったら移動をやめる。そのつもりでいなさい」

 

消極的ながらフェルディナンドの同意を得られたので、わたしたちは騎獣で次の場所に向かった。味方の兵の中に降り立つと、そこにも大勢の負傷兵たちの姿が見えた。

 

ここでもレオノーレとマティアスに敵兵がいないことを確認の上でフリュートレーネの杖で癒しをかける。一通りの癒しを与えた上で重症者を運んできてもらうのも同じだ。けれども、これでは一か所に時間がかかり過ぎる。

 

「各陣地、一人くらいはメイジがいるのですよね? でしたらギーシュに連絡を取ってもらい、予めオルドナンツを送って重症者も含めて負傷者を集めておいてもらいましょう」

 

「けれど、我々がどこに行くのかをギーシュ様はご存知ないのでは?」

 

「それでしたら、まずはギーシュに負傷者が多い部隊の情報を集めてもらいましょう。そろそろ、そのくらいの余裕はあるのではないですか?」

 

わたしたちが騎獣で飛び立った頃はまだ各地で戦闘が続いている様子だったし、戦闘中でない陣地も未だ混乱状況にあった。けれど、今なら少しは状況が改善しているはずだ。

 

「わかりました。そのように伝えます」

 

マティアスがオルドナンツを飛ばすのを横目に、わたしたちは次の場所に向かう準備を始める。おそらく情報収集を頼んでも、すぐに情報が集まるということはないだろう。それに実は最も被害が甚大で、癒しを必要としている場所の方が、皆に余裕がなくて情報が集まらないということも考えられる。

 

とにかく、できるだけのことをするしかない。一人でも死者が減るようにと癒しをかけて、その後はギーシュから得た情報も元に治療を行っていく。けれど、わたしが到着する前に息を引き取ってしまう人は大勢いる。それ以前に、戦いの中で遥か高みへと上がってしまった人も多い。

 

わたしが行くことができなかった場所でも、きっと多くの人が亡くなってしまったことだろう。そう思ってしまったのは、何か所目かに降り立った場所でクリストフの亡骸を見てしまったからかもしれない。

 

クリストフという名前を聞いても誰なのか、わからなかった。けれど、顔を見れば親しくはなくても知った顔だとわかった。

 

参戦した北朝方の将兵一万のうち、死者は一割近く。一千人に迫るほどだった。

 

特に第一防衛線に配置されていた将兵については、どこの陣でも甚大な被害が出ていた。計略の存在は一部の将にしか知らせていなかったし、あまり簡単に引いては敵に計略の存在を気取られる可能性があるということで、どの陣もぎりぎりまでの防戦を行わせた。その結果が膨大な死者数だ。

 

わたしたちが本陣に帰ると、大勝利だったにも関わらずタバサはあまり嬉しそうでない。今日の勝利のために多くの命が散っていったこと。そして、それをさせたのが自分であることをタバサが一番、実感しているからだろう。

 

他にギーシュの表情も晴れない。その表情は水精霊騎士隊の新たな犠牲者が判明したと雄弁に語っていた。

 

「マキシムも戦死をしたと、さきほど報告が入った」

 

「そう……ですか」

 

魔法学院の生徒と、タバサに味方した北朝方の貴族、もっと言えば戦いに参加した平民たちの間の命に軽重はないはずだ。けれど、やはり顔を知っている人には死んでほしくないと思ってしまう。

 

そして、命を失ったのは無論、北朝方だけではない。トーナミ川の戦いで敗戦した南朝方の将兵にはもっと多くの犠牲が出たことだろう。

 

タバサとジョゼフの戦いは、すでにどうにも止められない段階に入っている。避けられない戦いがあることは、ユルゲンシュミットではエーレンフェストがアーレンスバッハに攻め込まれようとしていることからも明らかだ。

 

けれど、何とか早く終戦を迎えることはできないものか。わたしはどうしても、そう考えてしまうのだった。



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キュルケの帰陣

激しい戦いにも終わりが見え、あたしはオルドナンツを取り出した。オルドナンツを送る相手は勿論、愛しのジャンだ。けれども、魔石に精神力を込めてメッセージも吹き込んだものの、ジャンに向けて飛ばす勇気が持てない。

 

今回の戦いは、非常に激しいものだった。撤退のタイミングをほんの少しだけ間違えてしまっただけで、ジャンであっても無事では済まない。或いは上手く撤退の判断ができない水精霊騎士隊の生徒を助けるために死地に飛び込んでしまう可能性もある。

 

もしもオルドナンツが飛び立たなかったら。その思いが、杖の動きを止める。サイトの行方がわからなくなったときのルイズも、このような思いだったのだろうか。

 

「あのとき近くにいなくてよかったかもしれないわね。下手したら、そのときの言葉が自分に帰ってきていたところだったわ」

 

一人ごちで、今度こそ思い切ってオルドナンツを飛ばそうとしたところで、あたしの前に白い鳥が舞い降りてくる。

 

「コルベールだ。ミス・ツェルプストー、無事でいるか?」

 

オルドナンツの口からジャンの言葉が紡がれたことで、あたしは愛する人の無事を知ることができた。

 

「ジャン、あたしのことはキュルケと呼んでと、一体、何度言ったらわかってくださるのかしら」

 

これで十分、あたしは元気だとジャンに伝わるはずだ。あたしは今度は何の躊躇いもなくオルドナンツを飛ばす。そうして一息つくと、周囲を見る余裕もでてくる。

 

あたしの周囲では投降した敵兵の武装解除を進めている者と、負傷者の救護をしている者との大きく二つの集団に分かれている。そのうち武装解除をしている側に加わるのは論外だ。精神力の切れた女のメイジなど、敵の人質にされないよう味方に余計な気を使わせるだけだ。では救護をしている側に加わればよいかというと、そちらについても微妙だ。水の秘薬もなく、精神力のないあたしは、単なる医療知識ゼロの役立たずだからだ。

 

「それでもギムリくらいの体格があれば負傷者を運んだりできるだろうけど、あたしではたいして役に立ちそうにないわね」

 

結論としては、ここにいても何もできることはない。それならば本陣のタバサと今後のことについて話し合っておく方がまだしも有益だろう。

 

そう考えて歩き出したのだけど、如何せん本陣と言っても広い上に土塁などもあり、歩きにくい。元気なときであれば、それほど苦にならなかったかもしれないけど、激しい戦いの中で走り回っては魔法を使い、精神力がなくなれば薬で無理やり回復するということを繰り返したのだ。これから中心部まで歩くと考えるだけで億劫だ。

 

「ローゼマインの側近に騎獣で迎えにきてもらう……というのはいくら何でも怒られるだろうしね。主にハルトムートに」

 

相手は貴族なのだ。疲れたから迎えにきてというのは同じハルケギニアの貴族相手でも相当に失礼な振る舞いだ。さすがに、それをやってみるつもりはない。

 

疲れた体でのろのろと歩いていると、不意に上空に影が差した。見上げると、背にタバサの女性筆頭護衛騎士であるマノーアを乗せたシルフィードがいた。上から白い鳥が飛んできてキュルケの腕に降り立った。

 

「キュルケ殿、シャルロット殿下がお呼びです。背にお乗りください」

 

「助かります。マノーア殿」

 

オルドナンツを返してほどなく、シルフィードがあたしの前に降りてくる。

 

「きゅい。キュルケ、無事でよかったのね」

 

「ありがと、シルフィード。けど、あまり喋っちゃタバサに叱られるんじゃないの?」

 

「きゅい。ここにいるのは許可を得た人だけだからいいのね」

 

タバサは護衛騎士にはシルフィードのことは伝えていると言っていた。今のタバサは護衛騎士を側から離さないようにしているため、そうでなければシルフィードの生活に支障がでるためだろう。

 

シルフィードの背に乗って、あたしはタバサの待つ本陣の中心に飛んだ。徒歩では二十分以上はかかりそうな道程も、シルフィードならば一瞬だ。

 

「では、私は引き続き哨戒をしていますので」

 

そう言って、あたしを降ろすとすぐにマノーアは再び空へと飛び立った。シルフィードもマノーアも戦いの最中からずっと飛びっぱなしで頭が下がる。

 

「戻ったわよ」

 

言いながら天幕の中に入ると、六倍の敵に対して大勝利を収めたというのに、表情の晴れないタバサやローゼマインたち、そしてギーシュの姿があった。ジャンの姿はまだない。

 

「クリストフとマキシムへのオルドナンツが飛び立たなかったのです」

 

目でローゼマインに尋ねると、理由を説明してくれた。

 

「そう……激しい戦いだったものね」

 

ジャンでさえ、無事であるか心配になる戦いだったのだ。未だ学生である水精霊騎士隊の中に犠牲がでることは十分に予測できたことだった。

 

「それで、あたしを呼んだということは何かあったの?」

 

「ニッダー伯爵が王都に向けて撤退をしたと報告が入った。なので、これからは再び周囲の制圧戦に移ることになる。けれど、その前にこの戦いで散った将兵たちに弔慰金を支払っておきたいのだけれど、今は持ち合わせが少ない」

 

「なるほど、投降した敵兵から接収した武具はあるけど、それは今後の戦いに使うことになるだろうしね。それで、まずはフォン・ツェルプストーに借財をしたいというわけね」

 

「戦いでも多大な労を負ってもらったばかりで申し訳ないけど、ロマリアからの借財となると少し時間がかかる」

 

フォン・ツェルプストーは半ば北朝の御用商人のようになっている。浮沈はタバサとともにあると言えるくらいの状況だから利子などの条件面も大甘だけど、ロマリアはそうもいかない。一回ごとに条件を詰めることになるので早急に金銭が欲しい場合は頼りにくい。

 

「自軍の将兵に報いるのは当然として投降した敵方の負傷者も放置するわけにはいかないでしょ。そちらはどうなの?」

 

「今のところは推測になるけど、敵方の捕虜は七千人くらいにはなりそう。そのうち重傷者は一千人ほど、軽傷者は三千人くらいになりそう」

 

「それだけの捕虜を抱えるとなると、逆に動きが制限されない?」

 

死傷者がいるため、現在の北朝方の兵は一万を切っているだろう。はっきり言って七千の捕虜は抱えるには過分だ。

 

「わかってる。だから、領主に徴収された領民兵たちは解放するつもり。その他、傭兵たちについては問題のない傭兵団は逆にこちらで雇い入れようと思う」

 

戦闘力の低い領民兵たちは仮にまた向かってきても、さしたる脅威ではないと判断してのものだろう。傭兵については、敵に内通の危険性もあるが、そのあたりはガリア国内の内情に明るいカステルモールたちの知識で選別を行うのだろう。

 

「投降をしたのが七千人くらいとして、敵方の被害はどのくらいと見積もっているの?」

 

「死傷者は一万人ほどというのが、マノーアとカステルモールの見立て」

 

自軍が一万人なのだから、敵の被害はそれと同規模ということになる。やはり今回の戦いは大勝利といえるだろう。

 

「それだけの被害なら、敵の士気は著しく下がっているでしょうから、近隣諸侯の中からは鞍替えを願い出てくる者も増えてくるんじゃない?」

 

「そう祈っている」

 

そう言ったタバサの表情は硬い。

 

「何か気になることでもあるの?」

 

「ジョゼフが擁する中でも有力な戦力が、サガミールの丘での緒戦以後、戦場に出てきていない。それが気になっている」

 

「それってなんなの?」

 

「ガリアが誇るバイラテラル・フロッテ」

 

ガリアの両用艦隊は百二十余隻もの規模を誇るハルケギニアで最大の艦隊だ。それに対して、こちら側の艦は味方した諸侯が有する艦をかき集めても十隻を用意するのがせいぜいだろう。有力諸侯といっても個人で艦を擁するような家は限られるので、こればかりは簡単に差は埋まらない。

 

「確かに、あれに対抗するのは難しいわね」

 

「近隣の制圧を進めると同時に、早急に対策を練らねばならない」

 

今回の戦いで、それなりの数の諸侯が鞍替えをしてくるだろう。そうなると、地上戦力では北朝は南朝と拮抗する勢力になる。けれど、両用艦隊に地上軍が蹂躙されれば、これまでの苦労もすべて水泡に帰す。

 

「次もまだまだ正念場だってことね」

 

今回の勝利に気をよくしている場合ではない。あたしは改めて気を引き締めた。



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ガリアの狂王

今は南朝と呼ばれているガリア王国の首都、リュティス。

 

ロマリアの教皇に“狂王”、今は北朝の女王であるシャルロットからは“簒奪者”と呼ばれている南朝の王ジョゼフが、どこまでも美しい庭で辺りを睥睨していた。ジョゼフが立つのは、季節折々の花々で咲き乱れるヴェルサルテイルでも一番の花壇、南薔薇花壇だ。

 

ジョゼフにとって、長らくソリティアとこの花壇の散策だけが、退屈な日々の孤独の慰めであった。国中の庭師たちが、贅と技術の粋を集めて作った二キロ平方メイルほどの土地に、数万本もの色とりどりのバラが植えられた地上の楽園。この薔薇園に投じた巨費は小国を一つ経営できるほどにもなる。

 

「まこと、見事な薔薇園ですわ」

 

ジョゼフの隣で一人の女性が感嘆の声をあげている。

 

「どうして、この薔薇園をお造りになられたんですの?」

 

「壊すためだ」

 

「まあ! また、ご冗談を!」

 

「冗談? ああ、そうだな。そう聞こえるだろう」

 

誰もジョゼフの心を理解してはくれない。唯一、ジョゼフの心の端に触れた自らの使い魔であるシェフィールドとも連絡は途絶えた。けれど、それすらも少し残念というだけで心を痛めるには及ばない。

 

「陛下に質問がございます。陛下は、わたくしを愛してくださいますの?」

 

「当たり前だ」

 

「そうならば、もっと優しくしてくださいまし。愛する殿方に邪険に扱われるのは我慢できませんわ」

 

そう言ってさめざめと泣く女をジョゼフは驚きをもって見つめた。

 

「余を愛していると言ったのか? それは真か? この無能王を? 国内外からそしられ、姪からは簒奪者と罵倒される余を、あなたは愛していると言ったのか?」

 

「はい。なぜそのように驚くのですか」

 

「あなたは金と地位が目当てなのだと思っていた」

 

そういうと、女はさらに涙をこぼした。

 

「わたくしは、たとえ陛下が平民だろうが物乞いだろうが、変わらずお慕い申し上げます。わたくしは、陛下がガリアの王だから愛したのではありませぬ」

 

「では、なぜ愛したのだ?」

 

「陛下が寂しいお方だからです。世界の富を集める王でありながら、ひとりぼっちであるからです。わたくしは、そんな陛下のお心を癒したいのです。差し出がましい女だとお思いにならないでくださいませ。それが愛するということなのですから……」

 

「あなたは優しい人だな。余はあなたを愛そうと思う」

 

そう言うと、ジョゼフは恍惚とした表情を浮かべた女の胸に短剣を突き立てた。ゆっくりと刃を引き抜くと、女が地面に崩れ落ちた。

 

ジョゼフは倒れた女には見向きもせず、そばに置かせていた壷の油をぶちまけた。火打ち石を用いて火を放つと、手塩にかけて育てた薔薇園は瞬く間に燃え上がった。

 

「余を愛すると言ってくれたものを殺しても、大切にしてきた薔薇園を焼いても、やはり胸は痛まぬな」

 

弟を殺して以来、ジョゼフの心の中は空虚なままだ。最後に心を震わせた弟の死。そのときと同じように、何か大切なものを失えば再び心が震えてくれるのではないかと思ったのだが、今回も無駄であったようだ。

 

ジョゼフは炎に背を向けてしばらく歩く。そうしてテーブルに置かれた伝声用の鉄管を取り上げた。風魔法が付与された、声を遠くに伝えるためのガリアならではの魔道具だ。

 

「両用艦隊司令に繋げ」

 

すぐに、王都に参内させていた両用艦隊の海軍大将に繋げられる。管の向こうの提督に、ジョゼフは短く命令した。

 

「両用艦隊、軍港サン・マロンより出港せよ。目標は北朝を名乗る反逆者どもだ」

 

「了解しました」

 

管をテーブルに叩き付けるようにして、ジョゼフを通信を終える。両用艦隊は薔薇園に負けず劣らずの巨費を投じて作り上げたハルケギニアで最強の艦隊だ。

 

その艦隊を先のトーナミ川の戦いに投入しなかったのは、必勝の戦など面白くないという実にくだらない理由だ。そもそも、その前のサガミールの丘での戦いにおいてもつまらぬ司令を派遣し、攻略にてこずっても更迭をしなかったのも、同じく僅かながらシャルロットに勝利の目を残すためだった。シャルロットは今のジョゼフにとって大切な娯楽。簡単に潰えてもらっては面白くない。

 

九割がた勝利というジョゼフの見立てを打ち破ってくるのが面白い。ただそれだけのくだらない理由のために、僅かな敗北の目を残し、掛け金として民の命を投じる。それもすべてはジョゼフの心にある、どうしようもない渇きを満たしたいという思いからだ。

 

「ああ、おれは人間だ。どこまでも俗な人間だ。なのに愛していると言ってくれた人間をこの手にかけても、この胸は痛まぬのだ。神よ! なぜおれに力を与えた? 皮肉な力を与えたものだ! “虚無”! まるでおれの心のようだ! “虚無”! ああ、ああ、それはまるでおれ自身じゃないか!」

 

いっそのこと人間らしい感情を望む心すら残っていなかったならば、ジョゼフはこれほどまでに苦しむこともなかった。喜びも悲しみも奪っておきながら、それを渇望する心だけは残すのだ。ジョゼフが神を憎み、ロマリアを潰そうとまで考えたのも無理なからぬことではないだろうか。

 

「ああ、おれの心は空虚だ。腐った魚の浮き袋だ。中には何も詰まっていない。からっぽのからっぽだ。愛しさも、喜びも、悲しみも、憎しみすらもない。シャルル、ああシャルル。お前をこの手にかけたときより、俺の心は震えんのだよ。まるで油が切れて、錆びついた時計のようだよ。自ら時を刻めず、ただ流れ行く時間を見つめることしかできぬガラクタだ」

 

ジョゼフは天を仰いだ。その頃になって、燃え盛る花壇に気づいた衛士たちが大騒ぎを始めた。火を消せ、宮殿に燃え移ったら大事だ、との声が響き渡っている。しかし、ジョゼフはまったく意に介さない。

 

「さあ行くぞ、シャルル。お前の娘を倒しに。さあ行こうシャルル。あらゆる美徳と栄光に唾を吐きかけるために。すべての人の営みを終わらせるために。どうだろう。そのときこそおれの心は涙を流すだろうか。哀しみにこの手は震えるだろうか。しでかした罪の大きさに、おれは悲しむことができるだろうか。取り返しのつかない出来事に、後悔するだろうか」

 

ジョゼフは笑った。天使のように、無邪気に笑った。

 

「シャルル、おれは人だ。人だから、人として涙を流したいのだ」

 

「父上!」

 

一人で悦に入っていたところを大声で邪魔し、近づいてきたのは、娘であり、王女であるイザベラだった。王族ゆかりの長い青髪をなびかせ、つかつかとジョゼフの元に歩いてくる。その顔は蒼白にゆがんでいる。

 

「いったい、何があったというのですか? この火事は何事です!」

 

「興味が失せた玩具を処分していただけだ」

 

「今や国の半分が北朝に寝返っているというのに、父上は一体、何をしているのです」

 

「国の半分が寝返った、か。それがどうした?」

 

煩さそうに言うと、イザベラの瞳に恐怖が宿った。愚かな娘はようやくジョゼフが化け物であることに気付いたようだ。

 

「ち、父上のおっしゃることが、まったく理解できませぬ! 王国がなくなりそうじゃありませんか! わたくしはどうなるのですか!」

 

「知ったことか。気に入らぬなら国を出て行け」

 

「……いったい、父上はなにをお考えなのですか?」

 

「去れ。お前を見ていると、自分を見ているようでイヤになる」

 

逃げるように去っていく娘を見送り、ジョゼフは再び笑みを浮かべた。

 

「さあ、シャルロット、両用艦隊を破って見せろ。そのときこそ、お前のために用意した、真の絶望を見せてやろう。お前の母の心を奪った憎き仇の作り出した絶望を見たとき、お前はどんな顔を見せてくれる? 俺にどんな感情を抱かせてくれる?」

 

ジョゼフの視線の先には、ヴェルサルテイルの端にある礼拝堂がある。そこにいるのは、シャルロットの宿敵たるエルフのビダーシャルだ。そこでビダーシャルが作り出したものを脳裏に浮かべ、ジョゼフは再び哄笑を始めた。



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騎獣の魔石

わたしのところにタバサがやってきたのは、トーナミ川での戦いが終わってすぐのことだった。会議場となった天幕の中にはわたしとフェルディナンドと側近たちの他、タバサの側近たちもいるので、なかなかに窮屈な状態だ。

 

「図々しいお願いになるのは承知の上で頼みたい。騎獣というものを作るための魔石を提供してもらうことはできないだろうか」

 

「理由を聞かせていただいても?」

 

「南朝には両用艦隊というハルケギニアで最強の艦隊がある。今のところ緒戦以後、前線には出てきていないけど、地上戦力ではすでに我々の方が上回っている。となると、次こそは出てくると考えた方がいい。けれど、艦を急に建造することも、幻獣を急に増やすことも難しい。騎獣は我々が両用艦隊に対抗できる唯一の方法になる」

 

「騎獣はわたくしたちの国の貴族なら誰もが持っているものですが、簡単に数を用意できるものでもないのです。少し考えさせてくださいませ」

 

「一方的に援助を申し出ているのだから、無理なら断ってくれたらいい。それでも、わたしにはローゼマインの力に頼るこの方法しか思いつかなかった。先の戦いもルイズの魔法とローゼマインの回復薬が頼みだったし、情けない限りだと思っている」

 

そう言ったタバサは自嘲気味の笑みを残して会議場を出て行った。わたしは早速、盗聴防止の魔術具を使いなおしてフェルディナンドたちと相談を始める。

 

「フェルディナンド様、まずは前提を確認させてくださいませ。こちらの材料で騎獣用の魔石は用意することができますか?」

 

「君が前回、残してくれた資料を確認した限りだが、おそらくは可能だ。その上で確認をするが、君はユルゲンシュミットを危険に晒す可能性を冒してでも彼女を助けたいか?」

 

万が一、ハルケギニアとユルゲンシュミットで争いになった場合、ユルゲンシュミット側はかなりの苦戦を強いられることが予想される。何といっても、ハルケギニア側は数万の兵を動員するノウハウがあるのに対して、ユルゲンシュミット側は戦いは貴族だけが行うものであるという前提なので千人という規模の指揮すら、誰も取ったことがない。

 

そして、ユルゲンシュミットとハルケギニアでは総合的な文明レベルはハルケギニアの方が上だ。平民同士の戦いとなった場合、銃を持つハルケギニアの兵たちに、剣や槍がせいぜいのユルゲンシュミットの平民たちが勝てる見込みはない。

 

特に空を飛べる船と大砲が出てきたら、ユルゲンシュミットの平民はパニックになることだろう。両者の総合力は相当の差があるといわざるをえない。

 

そんな中、ユルゲンシュミット側の数少ない有利な点が騎獣と回復薬だ。ハルケギニアには幻獣がいるとはいえ、ごく限られた貴族が使用するにすぎない。全員が騎獣を持つという機動力の差と、全身鎧と回復薬による持久力の差がユルゲンシュミット側の有利点だ。

 

そのため全体で見たら押されていても、敵の本陣を急襲して指揮官を叩くという戦い方で善戦ができると思う。ハルケギニアに騎獣の魔石が出回るというのは、数少ない優位な点を自ら放棄することに他ならない。

 

無論、タバサたちがユルゲンシュミットに攻めてくるとは思っていない。けれど、数世代後になれば、どうなるかはわからない。いくら考えなしと言われているわたしでも、数世代後のユルゲンシュミットの人々の危険は無視できない。

 

「ユルゲンシュミットを危険に晒すことはできません。その前提は守った上で、タバサのためにできることはどこまでになるでしょうか?」

 

「君は前回こちらに来た際に、シャルロット様に素材を魔石化する手段と、素材を調合することを覚えさせてしまったと言ったな。それが致命的だな」

 

ハルケギニアの貴族は、素材を魔石化するということを試したことがない。当然、その素材を元に調合をするという考えもない。そのため、魔石を供与したとして、それを自分たちで再現することは、まず不可能だろう。

 

けれど、タバサはその両者を知っている。更に今回は材料をタバサに提供してもらうことになる。一応、ハルケギニアには調合のときに使用する魔術具の混ぜ棒がないので、すぐに成功することはないはずだ。けれど、それは逆に言えば調合用の混ぜ棒の作成にさえ成功してしまえば、後は時間の問題ということだ。そうなるとユルゲンシュミットにとっては無視できない脅威になると、フェルディナンドは言った。

 

「何かハルケギニアでも有効な契約魔術のようなものはないでしょうか?」

 

「有効かどうか確証はないが、試す価値はある方法ならある」

 

「それはどのような方法なのですか?」

 

「光の女神の冠を使って神々と契約を交わすのだ」

 

光の女神の神具である冠を被っての神々へ誓いを立てれば、逃れようのない契約になるだろう。けれど、それもユルゲンシュミットに限ってのことだ。

 

「ハルケギニアでも神々と契約はできるのでしょうか?」

 

「実際のところはわからぬ。だが、それらしく見えれば十分に効果はあるのではないか? まさか、どうなるかわからぬものを自分の身で試してみる馬鹿はおらぬであろう」

 

確かに、よほどの喫緊の問題でも起きない限り、自分の体がどうなるかわからないという賭けをしてまで魔石化や調合を試してみようとは思わないだろう。

 

「それならば、わたくしがこれまでに教えてしまった知識を他者に伝達することを防ぐこともできますね」

 

「そうだな。ちなみに魔石化と調合を知っているのはシャルロット様だけか?」

 

「う……キュルケもその場にいましたので、だいたい知っています」

 

わたしが言うと、フェルディナンドが軽く顔を顰めた。まったく、君は。という心の声が聞こえてくるようだ。

 

「それならば、キュルケにも誓約を行ってもらいなさい。それを条件に騎獣の魔石五十個を提供する。それでどうだ?」

 

「キュルケまで巻き込むことは気が進みませんが、一度でも使えば騎獣はオルドナンツ以上に便利なものと認識されるでしょうから、情報流出を防ぐためには仕方がないですね」

 

馬車を使えば何日もかかるところにも騎獣ならば一日かからずに到着することができる。体の弱いわたしにとって騎獣はなくてはならないものだ。

 

「それでは、まずはわたくしがキュルケとタバサに説明いたしますね」

 

「ああ、そちらはローゼマインに任せよう。私はすぐに調合の準備にかからねばならぬ」

 

「フェルディナンド様、魔力は足りますか?」

 

「ユストクスとハルトムートに補佐をさせるので問題ない」

 

魔力量だけならクラリッサも候補だろうけど、クラリッサはフェルディナンドと調合をしたことがない。フェルディナンドの調合は高度な技術の詰め合わせで、初見の人が加わるのは難しい。今回は短期間で作成をするのだろうから、クラリッサよりも勝手がわかっている二人を選んだのだろう。

 

「ところで、騎獣の魔石が五十個では北朝の貴族に配るには足りませんよね。人選はどのようにすべきか、タバサへのアドバイスなどはございますか?」

 

「騎獣を使えば余分に魔力を使うことになる。まずはトライアングル以上を優先すべきだろう。後は空を飛ぶ船を相手にするのならば、火の魔術が得意な者がいいだろうな」

 

フェルディナンドがオストラント号を思い出すようにして言ったことは適確だと思う。ハルケギニアの船は風石を使って浮かぶが、進行方向を定めるのには、まだ帆の力に頼る部分が多い。それを燃やせば、少なくとも目的地に真っ直ぐ進む力は失われる。

 

その後、わたしはキュルケとタバサにフェルディナンドと考えた条件を提示した。わたしが出した条件は二人を信用していないとも受け取られかねないものだったけど、将来までユルゲンシュミットの安全を確保するためだという説明を受け入れてくれた。

 

こうしてタバサは早速、五十個の騎獣の魔石を配る騎士の選別を始めた。一方、キュルケの方も何か準備をしているようだった。



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空戦の準備

先日、あたしはタバサと一緒にローゼマインの作った光の女神の冠というものを被り、神々と誓約を行った。内容は、ユルゲンシュミットの人々を将来に渡って守るために素材の魔石化と、魔石を調合によって作成することを誰にも教えない、というものだ。

 

理由までつけるなんて何とも迂遠な誓約だと思った。けれど、ユルゲンシュミットで信じられている神々というものは人の理とは違う世界で生きているらしい。ただ素材の魔石化の方法を話さないというだけだと、神々が興味を示してくれない可能性もあるということだった。そのように聞くと、改めてユルゲンシュミットの神々と始祖ブリミルとでは違いが大きいと思い知らされる。

 

ともかく、ローゼマインと誓約を交わしたことによってタバサには五十個の騎獣の魔石が提供された。タバサはそれを、トライアングルクラス以上の中で攻撃担当の火のメイジと防御担当の風のメイジを中心に配布した。

 

ちなみにタバサ自身は高ランクの風メイジだけど騎獣の魔石は受け取らなかった。理由は単純で、シルフィードという空戦のできる使い魔がいるためだ。

 

あたしとジャンは正確には北朝の貴族ではないけど、これまでの関係と属性が火であるということで騎獣の魔石が配布された。ちなみに、マチルダも北朝の貴族でなく、かつ土のメイジであるのも関わらず、例外的に騎獣の魔石が配布された。通常、土メイジは空戦に不向きだが、マチルダは錬金の名手ということで対艦攻撃力を有すると判断された。

 

あたしたちが魔石を配られてまずやったことは、魔石を自分の精神力で染めるということだ。精神力が少ないと魔石を染めきることも大変ということが、騎獣の魔石を配布する対象をトライアングルクラス以上とした理由のようだ。初日の課題は魔石を自分の精神力で染めることまでだったけど、半数以上の貴族が染めきることができなかった。

 

その後は染めることに成功した者と、まだ染めきっていない者に別れて、染めることに成功したあたしたちは、魔石の形を変える練習が始まった。普通に考えれば石が形を変えるわけはないのだけど、これはローゼマインたちが騎獣を使うところを見ていればイメージすること自体は難しくはない。

 

まずは魔石に精神力を注いで徐々に大きくしていく。自分の頭くらいまで大きくしたら、今度は魔石を床に置いて、手を離した状態で精神力を注ぐように言われた。けれど、これがなかなかの難敵だった。

 

まずあたしたちは、手から離れたものに対して精神力を流すということをやってみたことがない。そのため、どうやったらできるのかがわからないのだ。ローゼマインはできないと思えば失敗するので、できると信じることが大切だと言っていたが、根拠なくできると信じることは難しい。

 

この問題で突破口となったのはマチルダの成功だった。マチルダは離れたところにいるゴーレムに対しても形を変えたり、崩したりといったことができる。そのときのように最初に魔法を使ったときに作成した精神力を注ぐための管を、切ってしまうのではなく薄く残しておくと、手を放しても精神力を注ぐことができると言っていた。

 

言われてみれば、あたしもフレイム・ボールを放った後で軌道を変えている。そのときの感覚を応用すればいいのかもしれない。そう考えて試してみたところ、無事に床に置いた魔石の大きさを変えることができた。

 

その後は形を変える訓練だ。丸い魔石を三角錐にしてみたり、直方体にしたり、星形にしたりとしていく。そうした訓練を何種類か行うと、いよいよ魔石を自分の考えた騎獣の姿に変えることになった。

 

「キュルケはどのような騎獣にしようと思っているのだ?」

 

「あたしが考える騎獣はこれよ。ジャンも同じものにするのよ」

 

ジャンに聞かれたあたしは、蛇に翼がついた空想上の魔物であるケツァルコアトルの絵を紙に書いてみせる。この騎獣はジャンの二つ名である“炎蛇”から発想を得たものだ。

 

「ええと……もう少し一般的な生き物にしないか?」

 

「い、や。あたしとジャンの騎獣だもの。二人だけの特別なものがいいわ」

 

結局、随分と渋ったものの、ジャンはあたしの提案を受け入れてくれた。そうして、あたしとジャンだけの特別な騎獣が誕生したのだ。

 

その後は連日のように作った騎獣での飛行訓練を行った。実戦では敵の大砲を回避しながら魔法の射程範囲まで接近する必要があるのだ。急旋回や急降下を行いながら狙った的に魔法を当てる訓練を行う。

 

騎獣はただ飛ぶだけでも精神力を消耗する。もしも空の上で精神力を消耗しきってしまえば、待っているのは墜落死だ。そのため、低空に騎獣を浮かべつつ魔法を使い続けて自分の精神力の限界を知るということも試した。

 

ちなみにローゼマインたちからは回復薬も提供された。それを一度、飲んでみて自分の精神力がどのくらい回復するかということも試している。ちなみに実戦で皆に配布される回復薬は一人につき二本だ。

 

普通の貴族は、騎獣での戦闘訓練に明け暮れていればよかった。けれども、あたしは訓練だけをしているわけにはいかない。ローゼマインから譲られた魔石で作った騎獣部隊はわずか五十騎。それだけでは百二十隻にもなる両用艦隊を破るには戦力不足だ。それに両用艦隊に所属する竜兵の部隊もいる。艦に対しては圧倒的な機動力の差を誇る騎獣も、相手が竜ではそう簡単にはいかない。

 

あたしたちが目をつけたのは、トリステインに所属するクルデンホルフ大公家の有するハルケギニア最強の竜騎士団、空中装甲騎士団だ。先のトーナミ川でのイリュージョンの魔法によってルイズ、ひいてはトリステインが北朝方で参戦しているとガリア側は認識している。こうなっては、もはや北朝の敗北はトリステインにとっても許容できない。

 

北朝が敗れることになれば、次にジョゼフに狙われるのはトリステインの可能性が高い。それはトリステインにとっては悪夢だ。仮にガリアがトリステインに宣戦布告してきたとして、ゲルマニアは味方してはくれないだろう。ロマリアは味方してくれるかもしれないが、距離の問題で連携は難しい。

 

そうなると今のうちに共同戦線を張った方が得策だ。幸いにして、ロマリアが北朝を支持する声明は、すでに出されている。トリステインにしても、クルデンホルフ大公家にしてもブリミル教徒である以上、参戦の名分は立つ。

 

北朝敗北後に単独でジョゼフと戦う危険性を考えれば、腹を決めて本格的に北朝側で参戦して欲しい。あたしたちはルイズを仲介に、そうトリステインに要請をかけた。南朝打倒後のことを考えると、ロマリア軍をガリア領内に入れるのは避けたいが、国力的にもガリアに手を出す余裕などないトリステインならなんの問題もない。

 

ロマリア教皇、ヴィットーリオは他国の軍はガリア国内に入れないという先のタバサの言を引き合いに批判をしてくるだろうが、トリステインの貴族はすでにこの戦いにしっかりと参戦してしまっている。加えて、トリステインではガリアに影響を及ぼせないことも理由に出せば何とか乗り切れるだろう。

 

トリステインについては、女王アンリエッタとはすでに旧知の間であり、これまでも戦の状況を連絡していたこともあり、説得は比較的容易だった。けれど、問題は実際に兵を派遣させられるクルデンホルフ大公家だった。

 

当然ながら、なぜクルデンホルフがトリステインの貴族が北朝に立って参戦した不始末の尻拭いをせねばならないのかと反発してきた。けれど、現実として今なら北朝と連携して戦うことができる両用艦隊に、北朝が敗北後は空中装甲騎士団は単独で戦わねばならなくなる。今なら両用艦隊は北朝の空軍が受け持つので、空中装甲騎士団は敵の竜を牽制するだけで済むから人的被害は最小で済む。そう言ってクルデンホルフを説得した。

 

結局、トリステインからの後押しもあって、クルデンホルフの空中装甲騎士団の援軍を得ることができた。それから間もなく、両用艦隊が軍港サン・マロンを出港したという緊急のオルドナンツがエルザスよりもたらされた。

 

ハルケギニアはおろかユルゲンシュミットでも発生したことのない騎獣対艦隊という、かつてない形の空中戦が始まろうとしていた。



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経験のない空戦

両用艦隊旗艦『シャルル・オルレアン』号の上甲板で、艦隊司令のクラヴィル卿は、長い艦隊勤務で日焼けした顔で艦隊の前方を見つめていた。『シャルル・オルレアン』号の周辺には合計百二十五隻にもなる両用艦隊が散開して進軍をしている。

 

これは、かつてアルビオン艦隊を壊滅させたトリステインの強力なメイジが、北朝方に立ち参戦している可能性が高いという情報によるものだ。仮にその強力な魔法を受けたとしても、艦隊の被害を戦闘継続可能な範囲に抑える。そのための布陣だ。

 

北朝方も艦を集めているとは聞いているが、その総数は多くて二十隻程度だろうと予想されている。加えて、艦も小さければ装甲も貧弱だという。それなら敵に接敵してから密集隊形に変更しても勝利は手堅い。

 

クラヴィル卿は自身を優秀な人間であるとは思っていない。自分より優秀な人間たちが政治に興味を抱き、内紛に巻き込まれて自滅したことにより艦隊司令に就くことになった凡人だというのがクラヴィル卿の自己評価だった。

 

この地位は自分には不相応なのではないか。そんな疑問が頭に浮かんだことも一度や二度ではない。それでも、ただただ忠実に命令を実行し、幾度もの戦いを経験した。両用艦隊というハルケギニア最強の艦隊の力が大きいながらも提督としての名声も得た。

 

凡人であるのだから、求められた最低限の成果は着実に上げる。そう心に誓っての長年の経験で考えても、この戦いの勝ちは固い。それでも油断はしない。凡人に慢心などしている余裕などはないはずだから。

 

「前方に敵艦隊を発見!」

 

だから、その報告を聞いて前方に向けた遠眼鏡の先に見えたのが、十隻ばかりの小型艦ばかりであったときも、けして一気に押しつぶせとは命じなかった。

 

「囮の可能性もある。第二戦隊より十隻を差し向けて様子を見よ!」

 

同じ艦数であっても、性能は両用艦隊の方が上だ。だから、これは敵を倒すには十分な戦力のはずだった。けれど、続いての報告はそんなクラヴィル卿の予想を覆すものだった。

 

「第二戦隊旗艦、一等戦艦ロレーヌより発光信号、敵艦よりクルデンホルフ大公家の空中装甲騎士団の発艦を確認」

 

「何だと!」

 

前衛艦の旗艦の役割を担うロレーヌが暗幕の中で魔法のランプを使って送ってきた信号によると、敵はハルケギニア最強の竜騎士団とも言われる空中装甲騎士団ということだ。

 

「見間違いでないか確認せよと送れ!」

 

確かにトリステインの強力なメイジが北朝方で参戦しているという情報はあった。けれどもクルデンホルフ大公家が参戦するほど、トリステインがどっぷりと北朝方に味方しているという情報はなかった。

 

「確かにクルデンホルフ大公家の黄色の竜の紋章を確認との返答あり」

 

事ここに至っては信じるよりないようだ。空中装甲騎士団が敵方にいるとなれば、いかに両用艦隊であっても十隻では危険だ。

 

「第二戦隊全艦および第三戦隊で当たれ!」

 

第二戦隊と第三戦隊を合わせれば艦数は四十隻。それならば敵がクルデンホルフ大公家の空中装甲騎士団であろうとも優位に戦いを進められるはずだ。少し驚きはしたが、空中装甲騎士団であろうと両用艦隊を破ることはできない。

 

「なればこそ、妙だな。クルデンホルフ……このような明らかな負け戦に加勢してくるほど愚かではないはずだ」

 

何かある。けれど、それが何かわからぬのでは、手の打ちようがない。

 

第二戦隊と第三戦隊の四十隻が敵艦に接近していく。そうして先頭の艦が敵艦を射程に収めようかというとき、雲の間から何かが飛び出てきた。

 

「何だ、あれは?」

 

なにがしかの幻獣に見える。けれど、クラヴィル卿も見たことのない幻獣たちであった。そして幻獣たちの騎手の持つ剣は見たこともないほどの輝きを放っていた。高位から落ちるようにして幻獣四騎が艦隊に突入していく。その直後、クラヴィル卿の元まで轟音が聞こえてきた。計四隻の艦のマストが音を立てて倒れる。

 

「被害状況は確認できるか!」

 

「損害が発生した艦は、第二戦隊旗艦、一等戦艦ロレーヌ。第二戦隊、防空巡洋艦アルマ、第三戦隊旗艦、二等戦艦ブルゴーニュ。第三戦隊、巡洋艦アンリ。いずれも航行不能の様子で徐々に高度を下げています」

 

被害を受けたのはいずれも主力艦ばかりだ。この時点でも大損害だ。しかも被害はその程度では済みそうもない。続くようにして雲間からは五十以上の幻獣が飛び出してきている。その幻獣たちは、先の幻獣と同じようにクラヴィル卿の見たことのないものも多い。

 

「北朝方にそれだけの幻獣がいるという情報はなかった。それに、私が見たことのない幻獣たちとは……。奴らは一体、どこから湧いてきたのだ?」

 

得体の知れない敵というのは恐ろしいものだ。けれど、ここから第二戦隊と第三戦隊の戦いを見守っているわけにはいかない。今もマストを巨大な火球に包まれて一隻が、炎の蛇に帆を焼き尽くされた一隻が高度を下げていっている。

 

「第二戦隊、防空巡洋艦ヴァレリー。第二戦隊、巡洋艦ルイ。戦列から離脱。他に第二戦隊、駆逐艦リヨン。第二戦隊、駆逐艦ニース。第二戦隊、駆逐艦モンペリエ。第三戦隊、駆逐艦レンヌ。第三戦隊、駆逐艦ランスで火災が発生している模様」

 

「第二、第三戦隊の対空戦闘はどうなっている!」

 

「艦載砲はすべて散弾を装填して応射はしているようです。更に各艦のメイジも魔法で応戦している模様ですが、有効打になっていないようです」

 

その報告を聞いてクラヴィル卿も遠眼鏡を使って戦況ではなく幻獣を観察してみた。

 

「何だ、あの動きは?」

 

敵の操る幻獣はおよそ生物とは思えない動きをしていた。何せ、何の予備動作もなく急に方向を変えるのだ。

 

それはあり得ないことだった。竜であれペガサスであれ、進行方向を変える際には何らかの前兆があるものだ。クラヴィル卿たちはそれを見て敵の動きを読む。経験から学んだ敵の挙動と現実の乖離が、両用艦隊各艦の命中率を極端に下げているのだろう。

 

動きの違いに急に慣れろというのは無理な話だ。対抗するには命中率の低さを補えるだけの濃密な射撃しかない。両用艦隊とて全艦が戦列艦ではない。中には戦闘力の低い輸送艦も含まれている。それらの護衛のほとんどを前線に進ませる采配となるが、ここは決断すべきときだ。

 

「各戦隊に手旗信号。これより我らは第二、第三艦隊の救援に向かう。我が第一戦隊は中央を防空巡洋艦を先頭にした二列従陣で敵幻獣部隊に突入する。第四戦隊は右翼。第五戦隊は左翼を進ませろ!」

 

「了解しました」

 

「本艦の位置は防空巡洋艦ジャンヌの後だ!」

 

「司令、それでは我が艦も危険ではありませんか?」

 

そう尋ねてきたのは、艦隊参謀のリュジニャン子爵だった。指揮官先頭は士気をあげるには有効だが、勝ち戦で無用に旗艦を失う危険を冒す必要はなく、これまでクラヴィル卿は使用してこなかった。未だ戦力としては南朝方が優勢なはずだ。けれど、今は拮抗した戦とみて指揮を執るべきだ。

 

「第二、第三戦隊が被害甚大であることは艦隊の皆が見ていよう。その状況で我らが後方に座していたのでは、皆が更に不安になる。危険は承知だ。覚悟を決めよ!」

 

「はっ!」

 

「よし、各艦に伝達。我に続け!」

 

クラヴィル卿の号令に従い、両用艦隊の全艦が苦戦中の第二、第三戦隊を救うために前進を開始した。しかし、その直後、敵艦隊に動きが見えた。

 

「敵艦隊、単横陣で前進を開始!」

 

見ていれば、それはわかる。問題は、敵艦隊の意図だ。

 

艦砲というものは、舷側に多く配置されている。正面からの撃ち合いでは、双方ともに被害を与えることが難しくなる。それを避けるために回頭すれば救援に向かう足は大幅に鈍ることになる。それを狙っているのというのが一つの可能性だ。

 

そしてもう一つ。怖い可能性として敵が艦を捨てるという手も考えられる。

 

トリステインはアルビオンとの戦いで小型艦を火船として用いて、アルビオンの大型艦を沈めたという。状況としてはその場面に似ている。下手に舷側を晒してそこに突入をされれば被害は甚大になる。

 

「進路そのまま! 反航戦にて敵を屠る!」

 

クラヴィル卿の指示はそのまま旗流信号にて第一戦隊の各艦に伝達された。




三次元の艦隊戦がよくわからず、通常の海戦のような描写に。


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艦隊戦を眺め見て

両用艦隊が虚無の魔法を恐れて散開して進軍してきているのは、途中の街で公演にかこつけて情報収集をしていた劇団キュントによって、伝えられていた。だからわたしたちは、集めた船のうち十隻だけを空に浮かべて、そこに空中装甲騎士団に乗ってもらった。こうすれば、敵は三十隻から四十隻という北朝の騎獣部隊にとって最適な艦数を寄越してくるという参謀オーギュストの読みの元の策だった。

 

南朝方は自分たちが圧倒的に有利に立っていると認識している。そう考えていれば、わざわざセオリーを外して動くようなことはしない。特に両用艦隊の指令は忠実に任務を果たすタイプだと分析されているのだから、尚更だ。

 

結果的に今のところは想定した通りに進んでいる。空中装甲騎士団に注意を引き付けてからの雲の中から飛び出したフェルディナンド、エックハルト、コルネリウス、アンゲリカの全力攻撃も、その後の北朝の貴族たちによる奇襲も綺麗に決まった。

 

それもこれも、北朝に幻獣部隊はいないと敵方が認識していたことが大きい。そうでなければ、もう少し注意を払っていたはずだ。

 

さて、最初の奇襲によって敵艦を十隻以上を沈めることができたけれど、さすがにそれだけでは終わらない。前衛艦隊を助けようと、後方から本隊が前進を開始している。単横陣のまま前進を開始した北朝艦隊にまったく怯む様子はなく、敵艦隊は前進を続ける。

 

この時代の艦は舷側に大砲を搭載している。そのため、効果的に砲撃をしようと思えば、敵艦に対して横向きにならなければならない。それをしないということは、敵は北朝の艦隊を時間稼ぎ目的か、火船であると読んだのだろう。けれど、それはどちらも外れだ。

 

北朝の艦隊から、円筒状の物体が発射される。コルベールが開発した魔法探知誘導弾だ。“空飛ぶヘビくん”という締まらない名前ながら、先端に取り付けられた魔法探知装置を発信しながら、ロケット推進による高速力で敵を討つという高性能の武器だ。問題は敵味方の識別能力がないので、近くに騎獣がいると、そちらに飛んで行ってしまうということだけど、今のように騎獣から離れたところで撃つには問題ない。

 

発射された得体の知れない物体に、咄嗟に敵艦に乗船しているメイジたちが魔法を使おうとしている。けれど、その魔法の使用こそが“空飛ぶヘビくん”の標的となる。

 

防御に成功した者もいるようだが、失敗した者もいるのだろう。小さな爆発が起きている気がする。表現が微妙になってしまうのは、“空飛ぶヘビくん”が直撃したらどうなってしまうのかが怖くて視力強化を打ち切ったためだ。表彰式での襲撃者やダールドルフ子爵夫人のような惨劇は、さすがに見たくない。

 

今回の戦いを見越して“空飛ぶヘビくん”は艦首に集中的に搭載されている。次々と繰り出される攻撃を見て敵艦隊も北朝方の攻撃手段は艦首に集中していると気づいたようだ。

 

艦首に攻撃手段がある艦と、艦首方向には大砲の数が少ない艦が正面から撃ち合ったのでは、どうあっても不利だ。ここにきて敵艦隊は回頭を開始した。舷側に取りつけられた大砲で一気に北朝の艦を沈めるつもりなのだろう。無論、そう行動してくるであろうことは、こちらも百も承知だ。

 

「再生と死を司る命の神エーヴィリーベよ。側に仕える眷属たる十二の神よ。我の祈りを聞き届け、聖なる力を与え給え。我がゲドゥルリーヒを奪おうとする者より、ゲドゥルリーヒを守る力を我が手に」

 

両用艦隊が回頭を終えるのを待って北朝の艦に乗っているわたしの側近、ハルトムート、マティアス、ラウレンツの三人が祝詞を唱え始める。

 

「御身に捧ぐは不屈の想い。最上の想いを賛美し、不撓の御加護を賜らん。敵を寄せ付けぬ御身が力を与え給え」

 

祝詞を唱え終えて三人がエーヴィリーベの剣を振るうと、雪と氷でできた冬の主の眷属達が現れ、敵艦に向かって駆けていく。秋が深まっているとはいえ、未だエーヴィリーベの季節でないため、数が少なく力もやや弱いが、それでも二十匹くらいはいる。

 

急に現れた見知らぬ魔獣の襲撃に両用艦隊が動揺しているのがわかる。その間に魔力を使い果たした三人を、同じ船に乗っていたクラリッサ、ユストクス、ローデリヒが回収してわたしのところまで戻ってくる。

 

はっきり言って、エーヴィリーベの剣による魔獣の召喚よりは、魔術具を使って攻撃した方が魔力の面では効率的だ。それでもエーヴィリーベの剣を使ったのは、敵を一時的にでも混乱をさせるためだ。

 

敵艦が魔獣に気を取られているうちに北朝の艦は急速に両用艦隊へと接近する。そして、敵艦の射程に入るかというところで、僅かな艦の乗員たちは自らの艦に火を放った。南朝が警戒したとおり、北朝の艦は火船として使うことが想定されていたのだ。

 

艦に火を放ったのは、騎獣が与えられなかったライン以下のクラスの貴族たちだ。彼らはぎりぎりまで操艦をした後はフライの魔法を使って地上に帰還することになっている。

 

こちらの艦に舷側を向けていた両用艦隊が回避運動を取りながら、北朝の艦へと砲撃を行う。けれども、このような戦いを想定していた北朝の艦は前面にだけは装甲を追加して耐久力を上げている。そう簡単に沈みはしない。十隻の火船は回避しきれなかった南朝の艦、三隻の舷側に衝角を食い込ませて炎に包みこんだ。

 

魔獣への対処と火船に対する回避運動のために、両用艦隊は完全に足を止めた。その間に北朝の騎獣部隊は主力艦を失い、対空防御力を低下させた小型艦艇群に対して攻撃を繰り返し、次々と沈めていく。

 

「ローゼマイン様、そろそろ潮時だと思われます」

 

レオノーレのオルドナンツを受けたわたしは、作戦終了を告げる赤い光をシュタープから打ち出した。一度は混乱の中にあった両用艦隊の主力部隊も、冬の主の眷属を片付けて再び救援に向かう態勢に入っている。もう少し頑張れば敵の前衛艦隊を全滅まで追い込めそうだけど、ここで無理をして高位のメイジを失う方が痛い。

 

わたしの放った赤い光を見たタバサはすぐにシルフィードをこちらへと飛ばしてくる。その後に続くのはタバサの護衛騎士をはじめとした北朝の幻獣部隊だ。自らの主が撤退を始めれば、他の貴族たちも撤退を開始せざるを得ない。攻撃を打ち切り撤退を開始する。

 

騎獣部隊が後退するのを見て、敵の竜部隊と交戦していた空中装甲騎士団も撤退を開始する。敵の竜部隊の追撃はない。騎獣部隊と空中装甲騎士団の両者を相手にしては勝ち目はないからだろう。

 

元より艦と騎獣では速度差は大きい。騎獣部隊は悠々と撤退をする。敵艦隊から離れると、わたしたちは戦果と被害を確認するために、すぐにタバサの元に集まった。

 

「敵艦の被害は三十五隻、味方の被害は騎獣部隊では四名」

 

敵の前衛艦隊四十隻のうち、最後まで戦闘行為を行っていたのが三十二隻。それに火船の攻撃で三隻が沈んだ。その結果の三十五隻という戦果だけど、その中には被害が軽微なうちに戦列から離れた艦もいるかもしれない。実際のところはそれよりやや少ないと見ていた方がいいだろう。それでも大勝利なのは間違いない。

 

最初の一撃の後すぐに戦場を離脱したわたしの護衛騎士たち、わたしと親しいキュルケやコルベールは無事だった。一方で、犠牲となった味方の四騎のうちにはタバサの女性護衛騎士の中では筆頭の地位にあったマノーアの名前もあった。今のタバサには女性の護衛騎士は少ない。そのような中であったので、マノーアの顔はわたしも知っている。

 

マノーアは一人だけ風竜という見慣れた幻獣を操るタバサに敵の目が向かぬよう、積極的に敵艦の近くを飛行していたことが災いして流れ弾を受けてしまったらしい。タバサが口惜しそうとな顔をしている。

 

いかに上手く戦おうと、犠牲の出るのは仕方のないことだとわかっている。けれど、それでも知った顔がいなくなるというのは悲しい。

 

「敵の被害は甚大だけど、まだ足りない。次の戦、今夜の夜戦で勝負をつける!」

 

いかに側近に被害が出ようと、もはやタバサは止まることができない。けれど、わたしは敵であれ味方であれ、これ以上、人が死ぬところは見ていたくない。次の夜戦が終わったらユルゲンシュミットに帰還しよう。密かにそんなことを考えながら、わたしはタバサの決意を深刻な表情を作って聞いていた。



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夜襲

タバサを討つために進軍していた両用艦隊に奇襲を加え、あたしたちは大きな被害を与えることができた。けれど、被害が大きいとはいえ、未だ勝利を確定させるものではない。両用艦隊に打ち勝ったと言うためには、今一度、敵に攻撃を加える必要があった。

 

もっとも、一度の攻撃で敵に完勝とはいかないことは事前に予想できていたことだ。そのために昼の戦いの時点で、夜襲を行うことは周知されていた。敵艦隊も当然、夜襲のことは警戒しているはずだ。けれど、敵軍はまだ騎獣の特性については知らないはず。そうであるならば、隙を突く手段はある。

 

まず、あたしたち奇襲部隊はローゼマインの騎獣に乗って、敵艦隊の近くまで移動する。ローゼマインの騎獣は翼がない上に形を自在に変えられるので、細長い形にすれば森の中でも駆けることができるのだ。

 

これがまず、普通の幻獣にはできないことだ。そして、幻獣は騎獣のように任意に出し入れなどできない。だから、艦への奇襲部隊が森の中を進んでくるとは誰も考えない。そこが、あたしたちにとっては格好の狙いどころとなったわけだ。

 

ローゼマインの騎獣は夜の森の中を静かに駆け抜け、上空に待機している艦隊が見える場所まできた。そこであたしたちはローゼマインの騎獣から降りて各々の騎獣を出す。

 

あたしたちは黒のローブを纏い、更に騎獣にも黒い布を纏わせていく。ちなみに、これは騎獣だからこそできることだ。生物であれば、前が見えなくなることに拒否感があるため、いくら目の部分を空けても、頭まですっぽりと布に覆うことはできない。それに、翼などのデリケートな箇所を布で覆うことも嫌がられて、できないだろう。その点、騎獣ならばそもそも意思が存在しないのだから、何をしようとも何の問題もない。

 

ちなみにタバサのシルフィードは韻竜であるので、ローゼマインの騎獣に同乗し、降りてから竜の姿に変わるということもできる。けれど、それを行おうと思えば幻獣部隊全員に自分の使い魔の正体を明かすことになる。加えて、やはり生物である以上、竜の姿のときに全身を布で覆うわけにはいかない。そんなわけで、今回はタバサは留守番だ。作戦に参加するのは騎獣を持つあたしたち四十六騎と、ローゼマインと側近たちだけだ。

 

奇襲の初手は、錬金をある程度の威力で使えるメイジを中心とした部隊による艦底部への攻撃となる。けれど、基本的に錬金は土メイジが得意としている呪文だ。空の上では土魔法は効果が薄いということで、騎獣を与えられたメイジに土メイジは少ない。そのために、この任務に従事するのはマチルダをはじめとしたわずか四騎だけとなったのだ。

 

この四騎が低空から騎獣を上昇させ、敵の攻撃が届かない艦底部に取り付き、錬金で船にダメージを与える。それを皮切りにあたしたち他の属性の貴族たちが一気に敵艦の上空にまで移動して昼と同じようにマストを攻撃することになる。

 

「大きな艦はローゼマインたちに任せてしまっていいのよね?」

 

「ええ、一撃の威力では、わたくしの護衛騎士の方が上ですもの」

 

ハルケギニアの系統魔法は一部を除き、ユルゲンシュミットの騎士の全力攻撃に比べ威力で劣る。だから、大型艦はローゼマインの護衛騎士たちに任せた方が効率的なのだ。

 

「それでは、作戦を開始する!」

 

今夜の指揮官であるカステルモールの声に従い、下から攻撃を加える四騎が離れていく。あたしやジャンは、上から攻撃を加える四十二騎とローゼマインたち十一騎の計五十三騎で本隊を形成する。

 

ちなみにローゼマインたちは下から四騎が攻撃を加えるのと、ほぼ同時に上空から攻撃を仕掛け、そのまま戦場から離脱することになっている。それ以上の滞在はローゼマインが危険だと言ってフェルディナンドが了承しなかったのだ。

 

そのローゼマインは攻撃は行わずにクラリッサとともに上空に留まり、他の護衛騎士たちとハルトムートとユストクスが攻撃を終えた直後に皆に祝福を送り、敵艦から少し離れたところを地上まで降りて、そのまま森の中に身を隠すことになっている。

 

ローゼマインの祝福は身体能力や精神力を強化してくれるけど、その光は闇の中では非常に目立つという欠点がある。一応、窓を閉めた状態で小規模に制御しきった状態での祝福ならば光は外に漏れないとローゼマインは言っていた。けれど、これから攻撃という気持ちが高ぶった状態では制御しきる自信がないということだったので、敵に攻撃が発覚するまでは使うのは控えてもらうことにしたのだ。

 

あたしたちは皆で騎獣に乗って空へと上がる。二つの月の明かりに照らされて位置が発覚しないよう、カステルモールが作った小型の雲の中に隠れて高度を徐々に上げていく。

 

「フェルディナンド様はあの大型の艦を。第四戦隊の旗艦である二等戦艦ミストラルです。エックハルト様はその手前の艦を。第四戦隊の防空巡洋艦ウラガンです」

 

雲の中でアルヌルフがおぼろげな艦影から敵艦の名を把握して、ローゼマインの側近たちの攻撃目標を決めていく。そのうち、敵艦隊に動きが見えた。

 

「敵艦隊のうちでも低位にいる艦が高度を下げた! 味方の攻撃成功と判断する!」

 

カステルモールの言葉と同時に剣に青白い光を纏ってフェルディナンドたちが飛び出していく。敵が奇襲に驚いているうちにフェルディナンドたちは次々と敵艦に強力な攻撃を打ち込んでいく。

 

「二等戦艦ミストラル、防空巡洋艦ウラガン、防空巡洋艦フードル、巡洋艦ガルニエ、巡洋艦シロッコ、駆逐艦ニーム、駆逐艦ヴィルールバンヌの撃沈を確認。さすがですな」

 

フェルディナンドたちの攻撃はメインマストを的確に破壊し、敵艦の航行能力を喪失させていく。更にハルトムートとユストクスの撒いたマジックアイテムも敵艦に火災を発生させたようだ。

 

「武勇の神アングリーフ、狩猟の神シュラーゲツィール、疾風の女神シュタイフェリーゼ、忍耐の女神ドゥルトゼッツェン、幸運の女神グライフェシャーンよ、我の祈りを聞き届け、聖なる力を与え給え。皆がゲドゥルリーヒの元に戻るための力を我等に」

 

直後、あたしたちの元にローゼマインの祝福の光が降り注いできた。

 

「ここからが本番だ。異国の者の力にばかり頼ってはおられぬ。我らの主を守るのは我らの役目だ。全騎、攻撃を開始せよ!」

 

カステルモールの号令の下、旗艦を失って混乱している敵の第四戦隊に向けて突撃を敢行する。敵もすでに昼の戦いで普通の幻獣とは異なることは理解しているはずだが、月明かりのみでは有効な射撃を行うことは昼の迎撃よりも更に困難なはずだ。

 

目標の定まらない敵艦隊に対して、あたしは昼間と同じように急降下からの魔法攻撃を行い、敵艦の帆を燃やしていく。上手くいけば、このまま敵艦隊を壊滅させられるかもしれない。そんなふうに楽観的に考えていたときだった。

 

大砲の発砲音が聞こえたと同時に、あたしの頬に熱が走った。それとほぼ同時に、あたしの右斜め前を飛んでいた騎獣が唐突に消えた。騎獣が消えたことで乗っていた騎士も地上へと落ちていく。

 

いや、順番が逆だ。乗っていた騎士が撃たれたことで精神力が供給できなくなって騎獣が消えてしまったのだ。

 

そして、その出来事で、敵があたしたちを視認できないのと同じように、あたしたちも敵の射撃の前兆に気付きにくいのだと理解した。あるいは次の瞬間には、あたしも撃たれたと気づく間もなく命を落としているかもしれないのだ。それは、恐ろしいことだった。

 

あたしは今、死ぬわけにはいかない。あたしが死ねばジャンが悲しむ。そして、タバサも。マノーアの死にもタバサは心を痛めていた。あたしが死ねば、それより強い悲しみをタバサに与えることになる。

 

あたしが攻撃に恐怖感を抱いていると、不意に上空に向けて黄色い光が昇っていくのが見えた。それは次の攻撃を終了次第、各自戦場を離脱という合図だ。

 

あたしは騎獣を上昇させると、精神力を注ぎ込んでいく。今までより早く突入し、早く敵艦の射程から逃れる。念じながら精神力を注ぎ、真っ逆さまに落ちていく。目を開けているのすら辛い風圧の中、懸命に杖を伸ばして敵艦に向けてフレイムボールの魔法を放つ。

 

巨大な炎の球は、帆を逸れて甲板に落ちた。恐怖と過剰なスピードで、攻撃が逸れたのだ。それでも甲板では火災が発生し、服に火がついた兵が転げまわっている。艦の中は混乱しており、対空射撃どころではなさそうだ。

 

その艦は、あたしの後で降りてきた貴族の魔法により沈められた。結果的にサポートの役目は果たせた格好だけど、あたしが恐怖に負けて攻撃をしくじったことは自分が一番、よくわかっている。非常に苦い気持ちを抱え、あたしは帰路につくことになった。

 

この夜襲で両用艦隊の第四戦隊に壊滅的打撃を与えることができたようだ。その代償として、あたしたちは三騎を失うことになった。



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慰霊祭

両用艦隊への夜襲を成功させたシャルロットは、艦隊司令のクラヴィル卿に向けて降伏勧告を行った。先日の昼と夜の戦いで計五十四隻もの戦列艦を戦闘不能に追い込まれ、戦力を半減させていたクラヴィル卿は降伏を受け入れた。

 

両用艦隊は総数こそ百二十五隻だが、中には当然、輸送艦なども含まれている。実際の戦闘艦は九十八隻。すでに両用艦隊はその半数以上を失っていたのだ。

 

さて、両用艦隊を降伏させたのはいいとして、シャルロットを悩ませたのは、その扱いだ。すぐにでも動かせる艦が四十四隻。簡単な修理により飛行が可能になる艦は三十五隻。一月もすれば、両用艦隊は七十九隻まで回復してしまう。

 

クラヴィル卿はジョゼフに強い忠誠心は持っていない。けれど、シャルロットに心を寄せているとも思えないのだ。戦局を左右する存在として、とてつもない厚遇を約束されたときに裏切らないという保証はない。

 

結局、クラヴィル卿はしばらく拘束の上、損傷艦の修理も見合わせることになった。両用艦隊の敗北の報を聞き、北朝側への鞍替えは更に増えている。今では七割の貴族が北朝方だ。これなら降伏した両用艦隊を戦力として使わずともジョゼフに勝利は可能だ。ならば、信用のならない軍を無理に使うことはない。

 

そんな折にローゼマインから、ユルゲンシュミットにそろそろ帰国しようと思うと告げられた。まだジョゼフの勢力は健在。加えてジョゼフの虚無が未知数だ。万が一のときを考えると、ローゼマインがいてくれると心強い。けれど、ローゼマインたちはシャルロットの戦いに参戦する義務はない。加えて参戦で得られる利益も何一つない。そんなローゼマインたちを引き留めることはできない。

 

何はともあれ、これまでの礼は言わなければならない。シャルロットはすぐに側近たちとともにローゼマインの天幕を訪れた。

 

「シャルロット様、まだ戦が終わったわけではないのに心苦しいですが、わたくしたちの領地であるエーレンフェストも、それほど余裕のある状況ではないのです。この辺りで一度、帰国しようと思います」

 

「ローゼマインは何の見返りもなしにわたしに力を貸してくれた。ローゼマインたちがいなければ、サガミールでの戦いでの勝利も、両用艦隊を打ち破ることもできなかった。何も心苦しく思うことなんてない」

 

キュルケにしてもローゼマインにしても、単にリスクしかないのにシャルロットに力を貸してくれた。そのローゼマインに心苦しいなどと言われてしまうと、シャルロットの方が心苦しくなってしまう。

 

「そう言ってくださると助かります。わたくしたちは明日にでもユルゲンシュミットに帰国しようと思いますので、わたくしたちの使っていた天幕の後始末などはシャルロット様にお願いしてもよろしいでしょうか」

 

「そのくらい、お安い御用。けれど、帰国の前に一つだけ、厚かましいお願いを聞いてくれると嬉しい」

 

「なんでしょうか?」

 

「今回の戦いで亡くなった敵味方の全ての将兵のために、慰霊祭を行いたい。ローゼマインにはトリステインで行った鎮魂の儀式を執り行ってもらいたいと思っている」

 

ウェールズを送るときにローゼマインが執り行った死者を悼む儀式は非常に幻想的で美しいものだった。失われた戦友たちを幻想的な儀式で送れば、両用艦隊の将兵たちも少しはシャルロットに心を寄せてくれるかもしれない。それに、仮にそうした実利面がなくとも、これまでシャルロットのために力を尽くしてくれた護衛騎士のマノーアたちに、できることはやってあげたい。

 

「死者を送る儀式でしたら、わたくしも喜んで協力させてもらいます」

 

「ありがとう。これで、少しでもわたしのせいで亡くなった人たちに報いることができたらいいのだけど……」

 

そもそもシャルロットがジョゼフに対して戦を仕掛けたりしなければ、彼らが命を失うこともなかったのだ。母が安全に暮らせるガリアを得るためにジョゼフに対して戦を仕掛けたこと自体は後悔していない。けれど、正しいことをしたとも思えないのだ。

 

慰霊祭はその日の夜に執り行われることになった。ローゼマインが忙しく準備をする中、シャルロットもメイジにオルドナンツを送って北朝の兵、降伏した両用艦隊の兵を問わず儀式に参加するよう指示をする。

 

そうしてローゼマインが儀式の準備を行っている間にも、シャルロットは自分の天幕に戻って書類仕事をしていく。今は両用艦隊の敗北が伝わった直後だ。北朝方への鞍替えを望む南朝の貴族の取次ぎを北朝の貴族からのオルドナンツはひっきりなしに飛んでくる。

 

「慰霊祭の間は、わたしは少し離れていた方がいいかもしれない」

 

「鎮魂の祈りを邪魔してしまうと、反感を買ってしまうかもしれません。自ら声を発しなければ、盗聴防止の魔術具をお借りしておけば儀式の邪魔をせずにすむでしょうから」

 

カステルモールも同意してくれたため、慰霊祭ではシャルロットは最初の挨拶の後は少し離れた場所で見守ることになった。声さえ聞こえなければ、オルドナンツが飛んでいようとも、参列者たちもさして気にしないだろう。

 

「アルヌルフ、そのような形で参列するということでローゼマインの側近と調整して」

 

そう言ってアルヌルフを送り出し、再び書類仕事を再開した。未だ勝利したわけではない現時点でも、隣の領主より自分の戦功の方が高い、などとアピールするかのような報告書が届けられている。この調子だと、ジョゼフに勝った後には頭の痛いことになりそうだ。

 

いや、今はまだ勝った後のことを考えている場合ではない。ジョゼフの虚無は未だ未知数なのだ。とんでもない隠し玉があることも考えて、万全の態勢で挑まなければ。

 

シャルロットは気を引き締めると、カステルモールとも相談しながら返書をしたためていく。そのうちに慰霊祭の時間になったので会場に移動する。シャルロットが到着したときには、すでに多くの将兵が集まっていた。慰霊祭を行うとは伝えてあったが、内容がどのようなものかまでは知らせていない。皆が不思議そうな顔をしているのが印象的だった。

 

「わたしたちは共に自らが仕える主のために戦い、結果として先の戦いでは多くの命が失われた。けれど、一度は仕える主の違いにより敵味方に分かれたとはいえ、元は同じガリアの民。だから、今日は双方の将兵のために慰霊の儀式を執り行う」

 

シャルロットが慰霊祭の開催を宣言すると、ローゼマインがアンゲリカとレオノーレと一緒に壇上に上がってくる。ゆったりとした神官のような衣装を纏った二人は、見目の美しさもあって、傍目には護衛とは思われないだろう。壇の中央付近まで進むと、ローゼマインはシュタープを光らせてゆっくりと頭上に掲げた。

 

「これからわたくしが唱えるのは死者を送るための祝詞です。貴族の皆さまは杖の先に精神力を集めるようにして掲げてください。平民の皆さまは亡くなってしまった方を思いながら真摯に祈りを捧げてくださいませ。それでは、ゆっくりと祝詞を唱えますので、わたくしの言葉を復唱してくださいませ」

 

そうして一度、言葉を切って、ローゼマインは祝詞を唱え始める。

 

「高く亭亭たる大空を司る、最高神は闇と光の夫婦神よ」

 

聞いたことのない言葉に戸惑いながらも、皆がローゼマインの言葉の復唱を始める。

 

「我等の祈りを聞き届け、はるか高みに向かった者達へ、御身の祝福を与え給え。御身に捧ぐは弔いの歌。最上の御加護を、不帰の客へ」

 

祝詞を唱え終わると同時に貴族たちの杖から金と黒の光が飛び出した。二色の光は夜闇を照らしながら渦巻くように天へと昇っていく。その光は、さながら死者の魂を天へと導いてくれているように感じられた。

 

見ると、祈りを捧げている人たちの中には涙を流している者も多い。皆、静かに今は隣にいない誰かを悼んでいる。このような思いを抱く者が少しでも少なく済むように、早く戦を終わらせなければならない。そして、戦が終わった後には平穏な世を。それが戦を始めた者の責任だろう。

 

もう二度と、戦で泣く者がいない。そんなガリアを作らねばならない。シャルロットはそう強く心に誓った。



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ユルゲンシュミットへの帰還

慰霊祭の翌日、わたしたちは早朝からユルゲンシュミットへと帰還するための準備を始める。まずは簡単に身支度を整えると、男性の側近たちとの最終確認のために会議室へと向かった。そうして目に入ったのは、酷く疲れた顔をしたローデリヒだった。

 

「ローデリヒ、何かございましたか?」

 

「いえ、少し寝不足なだけです」

 

ローデリヒの言葉に、マティアスとラウレンツが気の毒そうな視線を向けている。そしてもう一人、視線が向けられている側近がいた。ハルトムートだ。

 

「コルネリウス、ローデリヒが疲れている理由に心当たりがありませんか?」

 

ハルトムートが関係しているとすれば中級貴族の側近たちでは言いにくいこともあるだろう。そう判断してわたしはコルネリウスに話を向けた。

 

「昨日のローゼマイン様の慰霊祭を見た後、ハルトムートが非常に興奮していまして、しばらくの間はクラリッサと二人で勝手に盛り上がっていたようですが、夜も遅くなってきたのでクラリッサが自分の天幕が戻った後は……」

 

「同じ文官であり話すことも多いローデリヒが捕まった、ということですか? 昨日の儀式が大規模なものになったのは、わたくしの力というわけではないのに?」

 

「私から言えるのは、ハルトムートはローゼマイン様の神々しさをずっと語っていたということだけです」

 

昨日の慰霊祭は非常に大規模な儀式になった。けれど、それは大勢のハルケギニアの貴族に加えて更に大勢の平民が参加していたためだ。貴族が多いのはもちろん、平民も微弱だが魔力を持っているのは、ハルケギニアも変わらない。結果的に奉納される魔力も多くなり、儀式も大規模になった。それをハルトムートが理解できないとも思えないのだけど。

 

「それで、コルネリウス兄様はハルトムートを止めなかったのですか?」

 

「興奮したハルトムートが簡単に止まらないのはローゼマイン様の方がよくご存知ではありませんか?」

 

つまり昨日のハルトムートはコルネリウスでも止められないほどの興奮だったということだろう。そういえば、昨日は儀式後にクラリッサの姿を見ていない。それはわたしの前に出せないとリーゼレータが判断した結果ではないだろうか。それでクラリッサが話し相手を求めてハルトムートの元に向かったとすれば……あれ、もしかしてわたしのせい?

 

「それならば、フェルディナンド様の力を借りるとか……」

 

領主候補生で、神官長の仕事も指導していたフェルディナンドならハルトムートを止められるはずだ。けれど、コルネリウスはゆっくりと首を振った。

 

「エックハルト兄上がそのようなことでフェルディナンド様の手を煩わせることを許すと思うかい?」

 

何事につけてフェルディナンドが第一のエックハルトは、ローデリヒの睡眠時間のためでは取次ぎをしてはくれないだろう。いや、そもそもが仕事漬けが普通のフェルディナンドのことだ。たった一晩の不眠くらい何事もない、とか判断してしまいそうな気がする。

 

「ハルトムート、一人で興奮するのは大目に見ますけど、他の側近の健康に支障をきたすような行動は慎んでくださいませ」

 

「以後、気を付けます」

 

フェルディナンドをはじめとして、わたしが健康面にはうるさいことを知っているためだろう。ハルトムートは神妙な顔で謝罪をした。

 

「ローゼマイン様も、今日が最後の機会だから読みかけの本を読み上げるのだと、なかなか寝台に入ろうとしない、ということは慎んでくださいませ」

 

と、そこでリーゼレータから痛い指摘が入った。

 

「け、けれど、ハルトムートのお話しはユルゲンシュミットに帰還してからでもできますが、ハルケギニアの本はユルゲンシュミットに持ち帰るべきではない以上、こちらで読み上げるしかないではありませんか」

 

「わたくしは、ローゼマイン様の生活面の乱れについて申し上げているのです」

 

「ローゼマイン、君は昨日も側仕えの手を煩わせていたのか……」

 

「フェルディナンド様も、今日が最後だからと言って遅くまでハルケギニアの素材の研究をなさっていたようですが?」

 

フェルディナンドが呆れたように言ってくるが、そこでユストクスから指摘が加わる。

 

「お二人とも、一度、リヒャルダ様に叱っていただかないといけないでしょうか?」

 

似た者同士の主に手を焼いている側仕え同士、リーゼレータとユストクスが妙な相談をし始めてしまっている。

 

「それにしても、フェルディナンド様は特に体調を整えておかなければならないのに、何をしているのですか」

 

前回、ユルゲンシュミットに帰還したときには、それぞれがハルケギニアに召喚されたときにいた場所に帰っていた。つまり、わたしたちはエーレンフェストへと帰れるのに対して、フェルディナンドはアーレンスバッハの供給の間に帰るということだ。わたしたちもすぐに助けに行くつもりだけど、ある程度の時間は必要だ。

 

「私はアーレンスバッハに戻ったところで、しばらくできることはない。それに対して君はダンケルフェルガーとの交渉などで忙しいのではないか? 君の方がよほど体調を整えておくべきだろう」

 

わたしたちだけではアーレンスバッハに攻め込んでフェルディナンドを救出するのは不可能だ。だからわたしは、ダンケルフェルガーに援軍を頼むことにしたのだ。そのための手段は、すでに考えてあるけど、丈夫になったとはいえ虚弱なわたしの方が体調を整えておくべきというのは、反論ができない。

 

「ともかく、今はハルケギニアの皆に挨拶をしにいきませんか?」

 

状況不利を見て提案すると、フェルディナンドも何か言いたげな顔をしながら同意をしてくれたので、タバサの天幕に移動する。中にはすでにタバサの他、キュルケやコルベールが待っていた。

 

「準備は順調?」

 

「はい、今のところ問題は発生していません」

 

「そう、よかった」

 

タバサとしては、わたしたちが帰還しないほうが戦力的には助かるはずだ。それなのに、問題が発生していないという報告に心からの笑みを浮かべてくれる。それだけでタバサを助けに来てよかったと思える。

 

「ユルゲンシュミットでは、ローゼマインも大変な戦いが待っているんでしょ? 大丈夫なの?」

 

ユルゲンシュミットでの情勢は詳しくは話していないものの、キュルケは瀕死の状態のフェルディナンドを見ている。戻った後には平穏な日々が待っているとは思っていないようだ。

 

「厳しい交渉と、厳しい戦いが待っているのは間違いありません。ですが、わたくしは自分の大切なものを守るために戦うと決めています」

 

「うん、わたしも自分の大切なもののために戦う」

 

「わたしもよ」

 

タバサとキュルケが続けて頷く。当初は母親のために蜂起したタバサだけど、今は自分のために戦ってくれる皆のために戦おうとしている。

 

「わたしも生徒たちのために再び杖を取ろうと思う」

 

そう言ったコルベールは覚悟を決めた目をしていた。戦えば必ず人が死ぬ。基本的に戦うことは、正しいとは言えないだろう。けれど、自分の守りたいもののためには戦わなければいけない。戦いは辛いことではあるけど、それでもわたしたちは自分の大切なものを失うことの方が耐えられないのだから。

 

「ローゼマイン、わたしの戦いはもう少し時間がかかると思う。ローゼマインたちが落ち着いたら、遊びに来て」

 

「ええ、必ずまた参りますね。わたくしたちが持っているものでユルゲンシュミットに戻れば補充ができるものは残していきますので活用してください」

 

「ありがとう。大切に使わせてもらう」

 

簡単に再会を約して、わたしたちはタバサの天幕から自分たちの天幕に戻った。そうすると今度はフェルディナンドとの少しの間の別れだ。

 

「フェルディナンド様、わたくしが絶対に助けに行きますので、しばらくの間は供給の間でおとなしくしておいてくださいね」

 

「心配せずとも、たった一人でアーレンスバッハで暴れるほど、私は愚かではない」

 

「フェルディナンド様、どうかご無事で」

 

「エックハルトも、そう心配するでない。むしろ其方の方が無茶をしそうで心配だ」

 

「エックハルト兄様のことは、わたくしがしっかり見張っておきますので心配しなくてもよいですよ」

 

いつの間にかエックハルトの心配に変わっていた会話を終えて、わたしはシュタープを出した。

 

「さあ、皆、ユルゲンシュミットに帰りますよ。戻ったら、すぐにまたフェルディナンド様を助けるために走り回ることになります。覚悟はよいですか」

 

「はっ!」

 

側近たちの声が揃ったところで、わたしは世界扉を使ってユルゲンシュミットへの門を開いた。




ガリア継承戦争編、残二話。


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ジョゼフとの決戦

ローゼマインが帰還してから一週間後、タバサは各地の諸侯の軍と合流して南朝の王都であるリュティスへと向けて進軍を開始した。南朝方の諸侯を牽制するために各地に部隊を残しながらも、総数は五万にもなっている。

 

対する南朝方のジョゼフの元に残った兵は二万ほど。幾度も圧倒的な不利を覆してきて、歴代最高の戦上手とまで称されているタバサの前に、メイジはともかく平民の兵たちの士気は低いらしい。

 

次の戦で必ずジョゼフの首を挙げる。そう宣言してタバサは北朝の五色備えを総動員してリュティスへと迫った。布陣は前衛部隊として北からマヤーナ子爵の白備え、モローナ侯爵の赤備え、リョシューン子爵の青備え。その後に中軍としてタバサの黄備え、最後尾に後方警戒するシバー伯爵の黒備えが続いている。

 

あたしはジャンやマチルダと一緒にタバサの側に控えている。今日の戦はあたしたちを危険に晒すことなく終わらせるとタバサは言っていた。勝利のために捨てなければならなかったとはいえ、未だガリアの趨勢を決める戦はガリアの人間の手で行うべきという気持ちは強いのだろう。

 

「シャルロット殿下、前方に敵軍の姿を確認いたしました。旗印を見る限り、敵の前衛部隊の大将はニッダー伯爵。その後にジョゼフの本隊が続いている模様です」

 

高度を下げてきたシルフィードの上には、今日は女性護衛騎士のクリステルがいる。そのクリステルからの報告を聞いたタバサの顔が強張る。

 

「最後まで王宮に閉じこもったままかとも思っていましたが、ようやく自ら軍を率いる気になったようですな」

 

「ジョゼフはただの無能王ではない。十分に注意しなければならない」

 

北朝の首脳部の間ではジョゼフが虚無の担い手であることは共有されている。あるいはジョゼフがルイズ並みに強力な魔法を使える可能性もあるのだ。そうなればジョゼフの首を挙げるどころではなくなる。

 

とはいえ、ここまで来て進軍の足を緩めるわけにはいかない。まずはジョゼフの軍の動きに注意しながら、敵前衛のニッダー伯爵の軍を破らねばならない。

 

「クリステル、ジョゼフの軍の動きから目を離さないように。あと、できればジョゼフがどこにいるのか位置を把握してほしい。ただし無理は禁物」

 

シルフィードもタバサにとっては大切な存在だ。ジョゼフの位置を探ろうと無理をしてシルフィードが傷つくような事態は避けたいのだろう。

 

「心得ています。ご心配なく」

 

そんなタバサの思いは護衛騎士ならば当然、知っている。クリステルからは苦笑交じりのオルドナンツが戻ってきていた。

 

ほどなく南朝の前衛のモローナ侯爵と北朝の前衛のニッダー伯爵の軍が戦闘に突入する。モローナ公爵の兵は一万二千、ニッダー伯爵の兵は一万。両将の兵力だけならば、ほぼ互角。ただし、北朝側には両翼にマヤーナ子爵とリョシューン子爵の部隊が控えている。

 

しばらく両軍の間で激戦が繰り広げられていたが、やがてマヤーナとリョシューンの両子爵の軍も戦闘に加わると、南朝方ははっきりと劣勢になった。ニッダー伯爵の軍は耐え切れず、ずるずると後退を始めている。

 

味方は圧倒的に優勢。けれど、タバサの顔に笑顔はなく、むしろ表情は緊迫の度合いを増していた。

 

「おかしい。なぜジョゼフの本隊は全く動かない?」

 

その理由は、前衛部隊のニッダー伯爵の軍の苦戦にも関わらず、後方のジョゼフの本隊に全く動きが見えないことだ。何か策があるのか。そう疑わざるを得ないけど、明確に何かがあるわけでもないのに前線に後退を指示するわけにはいかない。

 

事態を見守っているうちに、予想はいい意味で裏切られる。前線より指揮官のニッダー伯爵を討ち取ったという報が届いたのだ。

 

「もしや単に何も策が思い浮かばないため、静観しているしかなかったのでしょうか?」

 

カステルモールがそう言ったとき、太陽が落ちたかと思うような鮮烈な光が平原の中に現れた。すぐに護衛騎士たちがタバサを取り囲んだ。

 

「何だ!? 何事が起った!?」

 

カステルモールが杖を片手に声を張り上げる。しかし、周囲からは答えの声はない。

 

あまりの光にあたしも少しの間、視界が真っ白に染まっていた。けれど、少しずつ視力が戻ってくる。

 

「何よ、これは……」

 

けれど、戻った視力が捕らえた目の前の光景が現実だとは、とても思えない。

 

「馬鹿な……」

 

同じくカステルモールも言葉を失っていた。あたしたちの前にはモローナ侯爵の率いていた一万二千もの兵たちがいて、更に潰走を始めていたとはいえ、一万もの南朝方の兵たちもいたはずだ。その兵たちが忽然と姿を消していた。

 

いや、正確に言えば兵たちがいた名残は残っている。あちこちに転がる黒焦げの人形のような物たち。それは強烈な炎で焼かれた、少し前まで人であったものなのだろう。その証拠に少し離れていたマヤーナ子爵とリョシューン子爵の両軍には火傷を負って苦しんでいる兵たちの姿が見えている。

 

「まさか、これがジョゼフの虚無の魔法なの……」

 

戦慄を隠し切れない声でタバサが呟く。けれど、本当にそうなのだろうか?

 

「ねえ、それは少しおかしくない? こんなに強力な魔法が使えるんだったら、もっと早くに使っておくべきじゃないの?」

 

すでに両軍は乱戦状態にあった。その状況で使ったので、ニッダー伯爵の軍の兵たちも全滅させてしまっているのだ。もっと早く、モローナ侯爵の部隊とぶつかる直前に北朝方の兵たちだけが犠牲になるように放っていたら、味方は総崩れになり、この戦はジョゼフの勝利に終わっただろう。

 

「なるほど、そちらの女が言っていることは正しいな。だが、それでは面白みがない」

 

唐突に後方から聞こえてきた声に慌てて振り向くと、そこには青髪の偉丈夫がいた。

 

「ジョゼフ!」

 

カステルモールの叫びで、相手がタバサの宿敵であるジョゼフだとわかった。

 

「面白みがないってのはどういうこと?」

 

一体、どうやって自分たちの背後に忍び寄ったのか。その理由を考える時間がほしいのもあり、あたしは尋ねてみる。

 

「可愛い姪は、おれの手で討たねば面白くないではないか」

 

「させるか!」

 

叫んだカステルモールがアイス・スピアーの魔法を放った。しかし、魔法が撃ち込まれた先に、すでにジョゼフの姿はなかった。

 

「カステルモール、おれはお前をただ頭を下げるしかない、おべっかつかいだと思っていた。おれは実に、人を見る目というものが欠けているな」

 

その声はあたしの右から聞こえてきた。見ると、ジョゼフは今度はそちらにいた。

 

「偏在? いや、違うわね。偏在なら魔法が当たってから消える。けれど、ジョゼフは魔法が当たる前に消えていたように見えたわ」

 

「そちらのお嬢さんはなかなか慧眼だな。この呪文は“加速”というのだ。虚無の一つだ」

 

予想外に答えを言われて、あたしは却って戸惑った。真実なのか、あたしたちを惑わせるための偽りか判断がつかない。

 

「あら、そんなこと、あたしたちに教えてしまっていいのかしら?」

 

「知ったところで、何もできはしまい。希望の中でこそ、絶望はより深く輝くのだ。さあ、俺に絶望を見せてくれ」

 

そう言い終わると同時に、再びジョゼフの姿が消える。

 

「ぐっ……」

 

直後、あたしの左側から呻き声が聞こえた。見ると、タバサの護衛騎士のアリスが左脇腹を押さえてうずくまっていた。自分たちの気付かぬうちに仲間が負傷させられたのを見て、アルヌルフ、ソワッソン、フランソワといった他のタバサの護衛騎士が杖を片手に警戒を高める。

 

それでジョゼフの言葉の意味を理解した。単純に早い相手にはどんな魔法も命中させることはできない。タバサの護衛騎士たちが懸命に魔法を放っているが、スクウェアクラスのカステルモールの魔法でさえ、かすりもしない。

 

「そろそろ終わりにさせてもらおう」

 

そう言ったジョゼフの姿が消える。周囲を見回したあたしが見たのは、タバサの背後に立つジョゼフの姿だった。タバサの首をめがけて、ジョゼフが短剣を振り下ろすのが、あたしの目には、やけにゆっくりとした動きで見えた。



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ガリア統一

周囲の反応で、シャルロットは自分の背後にジョゼフがいることを悟った。加速という虚無の魔法を知ったときから、シャルロットは射出を行う魔法をジョゼフに命中させることを諦め、ひたすらブレイドの魔法の準備に集中していた。

 

ジョゼフが杖の範囲内に入ってくれば、間髪入れずに刺し貫く。そのためのブレイドの魔法を構築しつつ、周囲の音と気配を探る。シャルロットとジョゼフの攻撃では、ジョゼフの方が圧倒的に早いだろう。だが、そんなことは関係ない。今の自分にできる最善がそれだと信じて、ひたすら精神を集中する。

 

そうしてジョゼフの気配に気づいた瞬間、シャルロットはその身を反転させブレイドの魔法を纏わせた杖を振り抜いた。けれど、それより早く、ジョゼフの振り下ろす短剣が自分の首に当たるのをシャルロットはその目で確認した。

 

シャルロットの首から鮮血は散らなかった。短剣は首に当たったところで動きを止めており、代わりにシャルロットの手首に巻き付けられていたお守りが弾け飛んだ。そして、その直後、ブレイドの魔法を纏ったシャルロットの杖が、ジョゼフの胸を貫いた。ジョゼフがよろめき、二歩、三歩と下がった後、仰向けに倒れた。

 

「今のは……何だ?」

 

「異国の友人がくれたマジックアイテム。わたしの身を守ってくれるもの」

 

「そうか……友人か……友人の差で負けるのなら、それは仕方がないな」

 

冷静に考えれば、あの危険な虚無の魔法でシャルロットを道連れする可能性などを考えて一刻も早く止めを刺すべきだ。けれど、なぜかジョゼフにはそんなつもりは全くないということがわかってしまったのだ。

 

ジョゼフが友人と過ごしているという場面を、シャルロットは見たことがない。側に侍る佞臣はいても、忠言をくれる臣も相談のできる誰かもジョゼフにはいなかった。

 

「わたしには、わたしのために命を懸けてくれる多くの友人がいた。だから、わたしはここまで戦ってこれた」

 

キュルケもローゼマインも、ルイズとサイトも、ギーシュやモンモランシーにしても何の得もないばかりか、むしろ国から追われる立場になるかもしれなくとも、シャルロットのために戦ってくれた。そして、今はカステルモールやアルヌルフ、クリステル、モローナたちなど、多くの忠臣がシャルロットを支えてくれている。

 

「ジョゼフ、この戦いはわたしの勝ち」

 

「ああ、そうだな。俺の負けだ」

 

ジョゼフの声は妙に清々しく聞こえた。その声を聞いて、初めてジョゼフが今まで正気ではなかったことを悟った。

 

「最後に何か言い残すことは?」

 

「そうだな、お前の母のことだが、ベルサルテイルの礼拝堂に一人のエルフがいる。お前は顔を覚えているはずだ。そいつに、俺からの最後の命令だと言って、薬を調合させろ。それで母の心は元に戻るはずだ」

 

「イザベラに対しては何かない?」

 

「ないな」

 

「わかった。カステルモール、一息に止めを」

 

シャルロットが命じるとカステルモールは素早くジョゼフの傍らに移動して、その首を落とした。

 

「南朝の王、ジョゼフは死んだ。南朝の兵たちは武器を捨てよ。投降した者については命までは取らぬ。あくまでも抵抗するのなら、容赦はしない!」

 

シャルロットがそう叫ぶと、同じ言葉を吹き込んだオルドナンツが前線に向けて一斉に放たれた。これで突然の大魔法により動揺している味方も落ち着くだろう。

 

「ジョゼフの虚無で多くの負傷兵が出たはず。わたしの守りは護衛騎士だけでいい。後方のシバー伯爵の軍は前線の救援に向かわせて」

 

そう指示をして、その日の進軍は停止して、まずは負傷兵たちの救助に全力を尽くすことになった。そうして迎えた日没後の軍議で、南朝方の兵は大半が投降をしたと報告がされる。続いて、リュティスに残っていたジョゼフの娘であるイザベラが降伏の意を伝えてきたという報告も届いた。ここまでは吉報といえた。

 

吉報もあれば凶報もあった。それは、これまで北朝の主力を成してくれていた五色備えの筆頭、モローナ侯爵が戦死していたというものだった。また、シャルロットの率いてきた五万のうち、実に一万近くがジョゼフの虚無で戦死したということだった。しかも、そのうちには名も判別できぬ黒焦げの死体が多くあるということだった。

 

「貴族はともかく平民は誰が戦死したのか確認するのも難しそうですね」

 

貴族については、シャルロットの方でも誰が参戦しているのか把握できている。けれど、貴族に従っていた兵たちや貴族に雇われた兵などは、部隊ごと全滅していれば、誰が戦場にいたのかすら、はっきりとしない。

 

「ともかく五色備えは維持しなければならない。アルヌルフ、引き受けてもらえる?」

 

「モローナ侯爵の代わりができるとは思えませんが、全力を尽くさせてもらいます」

 

「引き受けてくれたこと、感謝する。それではアルヌルフ伯爵、現時点をもってわたしの護衛騎士を解任する。以後は赤備えの再建に力を尽くしてほしい」

 

「かしこまりました」

 

モローナ侯爵はガリアでも屈指の戦上手だった。はっきり言って後任は誰でも苦労することになるだろう。年長のアルヌルフの経験は護衛騎士としても心強かったが、大軍を率いるとなると彼以上の適任は思い浮かばなかったのだから仕方がない。

 

翌日、未だ負傷者の手当てと救助が終了していないシバー、マヤーナ、リョシューンの各隊は城外に残し、直属の軍のみを率いてシャルロットはリュティスへと入った。イザベラはガリア王族が暮らすベルサルテイル宮殿前で、大臣たちとシャルロットを待っていた。

 

「イザベラ、まずはリュティスの街に住む多くの民を巻き込んだ戦をすることなく、潔く降伏してくれたことを感謝する」

 

「父の仇に感謝してもらう筋合いはございません。わたしは正統なるガリアの最後の王族としての務めを果たしたまでです。さあ、どうぞ父にしたように娘のわたしも、その呪われた魔法でヴァルハラへと送ってください」

 

「その覚悟は見事。だが、そう死に急ぐこともあるまい。其方の処分は後に決定するゆえ、しばらく城の一角で謹慎しておられよ」

 

イザベラたちを配下に任せてシャルロットはベルサルテイル宮殿に入った。まず向かうのは母の心を元に戻すための薬を作れるというビダーシャルの元だ。そのビダーシャルはジョゼフの命令だと伝えると、あっさりと薬を作ることを約束してくれた。

 

「あなたはなぜ、ジョゼフに協力をしていた?」

 

「我の望みは、我らの聖地に悪魔の末裔が近づくことを防ぐこと。ジョゼフはそれを約束してくれていた」

 

あまりにも簡単な条件に、しばしシャルロットは言葉を失った。

 

「そんな簡単な条件なら、わたしも引き続き協力できる」

 

「どういうことだ?」

 

「教皇のエルフとの戦いにガリアは協力をするつもりはない。ガリアの民を無意味な戦で散らすようなことは、わたしにとっても許容できないこと。わたしはジョゼフのように虚無を使うことはできないけど、ガリアには虚無の担い手にとっては絶対に必要な指輪と始祖の秘宝がある。それを教皇には渡さないと、わたしは誓おう」

 

ジョゼフが持っていた土のルビーは回収している。そして、元はアルビオンに伝わっていた風のルビーもガリアが回収している可能性が高い。同じく始祖の秘宝も最低一つ、上手くいけばアルビオンの秘宝もすでに入手済だろう。

 

「その見返りに、お前は何を求める?」

 

「ガリアを豊かにするためにエルフの知恵をわたしに貸してほしい。ガリアが強ければ強いほど、教皇は影響力を発揮しにくくなる。そうなれば、教皇もエルフの土地への遠征を諦めざるを得なくなる」

 

「……いいだろう。嘘か真かしばらく様子を見させてもらおう」

 

ビダーシャルと話を終えると、シャルロットはそのままカステルモールたちと会議室へと入った。

 

「殿下……いえ、陛下、あのような怪しいエルフを信用してよろしいのですか?」

 

「信用はしない。けれど、利害が一致しているのも確か。教皇という共通の敵がいる間は協力関係を築けると思う。ジョゼフができたのだから、わたしにできない理由はない。それよりも、わたしはイザベラを味方に引き込みたいと思う」

 

「イザベラを!? 御父上の仇の娘ではありませんか!? しかも、イザベラにとっても陛下は父親の仇です。とても味方に引き込めるとは思いません」

 

カステルモールは常識的な人間だ。だからエルフに対しては理由はなくとも反感を抱いている。けれど、イザベラに対する反応はエルフ以上だった。

 

「そうでもない。イザベラとジョゼフの間に親子と言えるだけの交流はなかった。ジョゼフは娘に対して愛情を持っていなかったし、イザベラの方も父親という響きに親近感は覚えていても、真に愛情までは持っていないと思う」

 

「それはそうかもしれませんが、しかし、なぜ危険を冒してまでイザベラを味方に引き込まねばならないのですか?」

 

「わたしには、何かがあったときに後を継いでくれる親族がいない。今の状態ではわたしに何かが起きたとき、後継者の座を巡って争いが起きてしまう」

 

「ですが、それでは陛下が危険です」

 

「危険は承知。それよりも、わたしはガリアの安定を取る」

 

もしもシャルロットがジョゼフとの戦いを始めなければ、昨日の戦いでの一万五千もの死者も、その前の両用艦隊の死者も、トーナミ川での死者も、シャルロットの知らないところで起こった北朝の貴族と南朝の貴族の戦いでの死者もなかったのだ。多くの死を生んだシャルロットには、これ以上ガリアの民を無駄に死なせない義務がある。

 

側近の同意を取り付けたシャルロットはすぐにイザベラを呼び、力を貸してほしいと伝えた。話し合いは多少は難航したものの、イザベラは最後には協力を約束してくれた。

 

他にもキュルケとコルベールを勧誘してガリアに移籍してもらった。そして様々な任を担ってくれていたマチルダも正式にガリアで登用することになった。キュルケについては相談役として側に控えてもらい、コルベールとマチルダは再編したアカデミーの所長と副所長に就いてもらった。

 

こうしてシャルロットは南北に別れたガリアを統一し、女王としての道を歩み始めた。




今後の章割り
・第二章 ロマリアの謀略(9話)
・第三章 宗教戦争(18話)
・第四章 変わるガリア(6話)
・終章  エピローグ(3話)

一応、最後まで書き終えていますが、誤字チェックや推敲の時間を十分に取るために今後も週三回投稿と考えています。


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ロマリアとの対立
アウブ就任後の再訪問


ユルゲンシュミットに戻ったわたしは、まずはフェルディナンド救出のための助力を得るためにダンケルフェルガーと交渉し、共にアーレンスバッハに攻め込んだ。けれど、予想外にアーレンスバッハの貴族による迎撃はなく、代わりに暴れていたランツェナーヴェの者たちと戦うことになった。

 

わたしは神殿でアーレンスバッハの礎を自分の魔力で染め、アウブ・アーレンスバッハとなり、城に移動して晴れて供給の間からフェルディナンドを救出した。そうしたら、なぜか叱られてしまった。

 

救出の方法については事前に詳しく相談していなかったけど、フェルディナンドの想定ではアウブを捕らえて供給の間を開けさせるというものだったらしい。手っ取り早く中に入るためにアウブになるというのは、想定外だったようだ。君とは細かすぎるくらいに確認をしなければならないと再認識した、とまで言われてしまった。

 

ともかくアウブとなった以上はアーレンスバッハを荒らしていたランツェナーヴェの者たちを見過ごすことはできない。わたしはフェルディナンドと共にランツェナーヴェの掃討と国境門の閉鎖を行いながら、ランツェナーヴェにさらわれた貴族たちを救出した。

 

その後はゲオルギーネの後を追ってアーレンスバッハとダンケルフェルガーの騎士団と一緒にエーレンフェストの救援に向かった。結果、エーレンフェストの礎は守り切ることができたけど、激しい戦いの中で命を落とし、魔石に変わってしまった人を多く見たことで、わたしはすっかり魔石恐怖症になってしまったのだ。

 

それでも戦いは終わらない。ゲオルギーネがエーレンフェストを狙ったのに対して娘のディートリンデはユルゲンシュミットのツェントの座を狙い、ランツェナーヴェの者たちを貴族院に引き入れていたためだ。わたしたちは、ツェントの座を狙うランツェナーヴェの次期王であるジェルヴァージオと戦うことになった。

 

その戦いの最中、わたしは女神様を体に降臨させた。自分でも意味がわからないけど元神であるエアヴェルミーンとフェルディナンドの戦いの最中に神様に助けを求めたら、そうなってしまったのだ。そして、わたしは大切な家族に関する記憶を失うことになった。

 

結局、その後に行われたツェントレースなるもので、フェルディナンドが魔王ぶりを全開にしてジェルヴァージオを退けることに成功した。それで戦い自体は終わった。けれども、わたしの危機はそこからが本番だった。

 

ユルゲンシュミットの魔力不足を解決するため一代限りの魔術具のグルトリスハイトをエグランティーヌに渡す際に、神々がわたしに祝福を与えすぎてしまったのだ。結果、人には過ぎたるほどの神の魔力は、わたしの体を蝕むことになってしまった。わたしは一時的に国の礎を自分の魔力で染め、更にフェルディナンドの助力を得てなんとか神々の魔力を消費し、その中で家族の記憶も取り戻すことができたのだ。

 

そうしてわたしは未成年ながらアーレンスバッハを元にした新領地、アレキサンドリアのアウブに就任し、エントヴィッケルンで街を作り直した。そして、フェルディナンドと婚約をし、その補佐の元アレキサンドリアのアウブとして歩き始めた。

 

わたしはフェルディナンドに補佐をされ、無事にアウブとしての領主会議を終えた。それから少しして落ち着いたころ、わたしはフェルディナンドに切り出した。

 

「少し時間ができたので、タバサがどうなったのか様子を見てこようと思うのですが、よろしいですか?」

 

「明日は一日、休日ということにしてあるから、少しくらいなら問題はあるまい。しかし、今のアレキサンドリアには私たち以外にはレティーツィア様しか領主一族がいない。緊急時にティーツィア様しかいないというのは拙いので私は一緒には行けぬ。私の目の届かない所に行かれるのは不安なので、できれば行ってほしくないと思っているが……」

 

「大丈夫ですよ。今度は争いには関わりませんから」

 

「そう言っていても、君のことだ。何か予想外のことが起きるような気がしてならない」

 

そう言われてしまうと、否定することは難しい。何せここしばらくの間の出来事はわたしにとっても予想外のことばかりだったからだ。

 

「もしも何か相談しなければならないことが起きた時には、必ず一度、フェルディナンド様に相談するために帰還いたしますから……」

 

「必ず帰還して相談するのだな? いきなり呼びつけて何か知恵を貸してくれ、というようなことは言わないな?」

 

「お約束いたします」

 

いかに緊急時だとしても、サモン・サーヴァントで呼び出すほど、わたしは非常識ではないつもりだ。けれど、どうにもフェルディナンドには信用されていないようだ。

 

「わかった、それならばハルケギニアに行くことを許可しよう。ただし、念のため護衛騎士としてエックハルトも連れていけ。こちらはシュトラールがいればよい」

 

シュトラールはアーレンスバッハ時代からフェルディナンドに仕えてくれていた護衛騎士だ。エックハルト兄様には少し劣るとはいえ、フェルディナンドの信頼は厚い。

 

「それではわたくしが連れていくのは、側仕えはリーゼレータとグレーティア。護衛騎士はコルネリウス、レオノーレ、アンゲリカ、マティアス、ラウレンツ、エックハルト。文官はハルトムート、クラリッサ、ローデリヒというわけですね」

 

相変わらず、わたしが移動すると大所帯になるけど、これは諦めるしかないだろう。念のためできるだけの魔術具を持ち、わたしは世界扉の呪文を唱えた。

 

「それでは、今回も私が最初に向かわせていただきます」

 

そう言ってハルトムートが扉を潜りかけ、頭を突っ込んだところで体を戻した。

 

「何かございましたか?」

 

「いいえ、今回もキュルケ様の前でしたので、少し驚いただけです」

 

「またキュルケの前なのですか。まあ、話が早くて助かると思うことにしましょう」

 

キュルケのところに向かうのであれば気は楽だ。女性の前に向かうということで順番を変更してレオノーレ、アンゲリカを先頭に順番に扉を潜ってもらう。側近が全員移動をするまでは、わたしは魔術を使い続けなければならないのだ。

 

「それでは、行ってまいります、フェルディナンド様」

 

「ああ、先ほどは急に呼ぶことのないようにと言ったが、危険と思う場面になれば、ためらうことなく私を呼びなさい」

 

「わかりました」

 

フェルディナンドと微笑みを交わして、わたしはハルケギニアへの門を潜った。

 

「本当に、急に来るんだから……」

 

そう言ったキュルケの周囲には、先に転移した側近たちがほとんどいない。どうやら部屋の大きさがわたしたち全員が入るには小さすぎたようだ。部屋に入り切れない側近たちは廊下に出されている。

 

つまりキュルケは部屋で休んでいたら急にハルトムートが現れ、その後は次々と転移してくる側近たちの交通整理をする羽目になったということだろうか。うわー、迷惑。

 

「先触れもなく急な訪いとなったこと申し訳なく思います」

 

「いいわよ。それより、しばらくぶりだけど、フェルディナンドの救出は成功したってことでいいのよね。今日は一緒でないみたいだけど」

 

「はい、フェルディナンド様の救出は無事に成功しました。フェルディナンド様が一緒でないのは、わたくしがアウブになってしまったので、執務ができる者が二人とも領地を離れるわけにはいかなかったからですね」

 

「え? アウブって領主って意味だったわよね。どうしてローゼマインがアウブに就任しているの?」

 

「話せば長くなるのですけど……」

 

わたしはユルゲンシュミットに帰還してからこれまでのことを簡単に説明した。

 

「わけがわからないわね」

 

けれど、折角のわたしの説明に対するキュルケの反応は額に手を当てて首を振るというものだった。まあ、自分でもわけがわからない展開だったのだから、キュルケの反応も仕方のないことだ。

 

「今度はハルケギニアのことを聞かせてくださいませ。タバサは元気にしていますか?」

 

「元気にはしているわ。けれど、ちょっと問題が起きているところだけどね」

 

そう前置してキュルケはここ数か月の間にハルケギニアで起きたこと、そして、今現在、ガリアで起きている問題について話し始めた。



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ロマリアの謀略

ジョゼフを破り、イザベラを降してリュティスに入ったタバサは、これより三日以内に投降すれば命は助けるが、以後は一切の降伏を認めないという触れを出した。もはや勝ち目はないと見た多くの貴族は投降をしたが、三家だけ、あくまで抵抗を続けた貴族もいた。

 

タバサはそれら三家の領地にシバー侯爵、マヤーナ伯爵、リョシューン伯爵の三将にそれぞれ一万の兵を与えて、いずれの貴族の城も二日とかからずに攻略した。その際には城にいるものは貴族だけでなく平民の使用人たち、果ては犬猫に至るまで悉くの誅殺をした。あくまで逆らう者には容赦はしないというタバサからの強烈なメッセージだった。

 

こうしてガリアを統一したタバサは新政権の樹立に取り掛かった。軍事に関しては五色備えを率いてきた各将軍がそのまま要職に就くことになったが、政治に関してはそうもいかない。城勤めをしていた者は最後まで南朝に仕えた者も多かったが、執務を円滑に回すためには彼らを登用するしかなかったのだ。その結果、城内の危険度が増したため、護衛騎士を増員せざるをえなくなった。

 

その一方、イザベラはタバサに仕えることを了承してくれた。彼女はタバサの母とも面識があったようで、今はタバサ親子やあたしたちと一緒に食事も取る重臣になっている。

 

そうして新たな体制を整えたタバサだったが、全てが思い通りにはいかなかった。その筆頭が補佐兼連絡役としてロマリアから送り込まれた助祭枢機卿バリベリニ卿だ。

 

モデルとなったのはトリステインのマザリーニだ。今回の統一戦争を戦い抜くにあたりタバサはロマリアから大量の借財をせざるを得なかった。トリステインにならってガリアでも是非にとのロマリアの要請を断り切れなかったのだ。

 

ロマリアはいずれ聖戦のために、ガリアに協力を要請してくる。四の四が揃わないからといって、あのロマリアが諦めるとは思えない。伝説の力が失われたのならば、現実の力を集めて、野望を実現するに違いない。その現実の力に一番適しているのが、大国ガリアの軍であることは、まず間違いないことだった。

 

この前の戦では多くの将兵が亡くなった。彼らはタバサとジョゼフというガリア王族の内紛に巻き込まれたようなものだ。もう二度と、無意味な戦でガリアの民の命を散らせるようなことはしない。タバサがそう誓っていたことを、あたしは知っている。

 

その誓いを守るために、タバサは多用してはならないと封じていた手段を解禁することにした。それはティファニアの忘却の魔法を使って相手の秘密を聞き出すという手段だ。

 

タバサは密かにトリステインからティファニアを呼び寄せると、バリベリニ卿の信仰心と忠誠心を忘却させた。そうして尋問をした結果、得られたのは恐ろしい計画だった。実はタバサには双子の妹がおり、その妹が生きているということだった。しかも、そのタバサの双子の妹は、虚無の担い手である可能性が高いという。

 

ジョゼットという名のタバサの妹がいるのは、セント・マルガリタ修道院という場所で、そこでは様々な事情でガリア国内で生きていけない者たちがひっそりと暮らしているということだった。そのジョゼットを修道院から連れ出してタバサの替え玉にして、ガリア自体をロマリアの傀儡国家とする。それがロマリアの計画だった。

 

「教皇はガリア全ての民を己が野望のための捨て石にするつもりか」

 

バリベリニ卿の言葉を聞いたタバサは見たこともないほどの怒りを見せていた。ガリアの民を守る、それは先の統一戦争を経た今のタバサが何よりも優先していることだ。

 

ジョゼットが王位に就くということはガリアの民がロマリアの野望のために好きなように扱うことができるようになるということ。それは絶対に許容できないことだ。

 

「始祖の降臨祭の前にバリベリニの手引きにより進入したジュリオがわたしを誘拐。そして偽りの王として、わたしの双子の妹であるジョゼットを立てる。それがロマリアの立てた計画」

 

タバサはすぐにあたし、ジャン、マチルダ、イザベラ、カステルモール、クリステル、旧オルレアン派の文官ジェローム、モルガンの八人だけを集めた会議を行った。ジェロームとモルガンはリュティスに入ってから知ったが、城の様子を密かにカステルモールたちに流し続けてくれていた忠臣らしい。そして、八人だけにロマリアの計画を知らせての対策会議を始めた。

 

「しかし、よく妹君の件が今まで発覚しませんでしたな。双子で、入れ替えを行うつもりだということは容姿は大変似ているのでしょうに」

 

タバサからバリベリニ卿の計画を聞いたジェロームが不思議そうに首を傾げる。

 

「どうやらセント・マルガリタ修道院では出自を隠すため容姿を変えるマジックアイテムが使われているらしい。急いで兵を送って現物を一つ、取り寄せてみたけど、本当に別人のようになった。あれならわたしとの血のつながりなど、誰も想像すらしないと思う。逆に言えば、そのようなマジックアイテムを使わねばならないほど似ている可能性は高い」

 

「いかに見た目が似ていても、サガミールの丘での長き籠城戦の折から陛下にお仕えしてきた我らが、姿が似ているだけの別人と入れ替わっていることに気が付かぬと、ロマリアは本気で思っているのか?」

 

一方、武官であるカステルモールは静かに怒りに震えていた。

 

「陛下の妹君は修道院で暮らしているということ。ガリア統一戦争を戦い抜き、今は執務に励まれている陛下の代わりができると考えるほど、ロマリアも馬鹿ではありますまい。それでも、陛下の身柄さえ押さえておけば、我らは反抗できぬと考えているのでしょう」

 

「ジェロームの言う方法ともう一つ、ロマリアはわたしの母にジョゼットをわたしだと認めさせるつもりでいる」

 

ガリア王族にとって双子は禁忌。産まれた子が双子ならどちらかは殺されるのが習わし。けれど、タバサの母は双子の妹の方を殺すことができなかった。だから、人目の届かぬところに送ることによって命を助けたのだという。

 

「産まれたばかりの子を殺せなかった母上が、目の前に現れた行き別れた娘を殺すことになる選択ができるとは思えない。だから、予め皆には伝えておく。もしもわたしが誘拐されるようなことがあれば、そのときは速やかにジョゼットを殺害してイザベラを王位に就けてほしい。何があろうとロマリアにガリアの実権を握られることだけは阻止せよ」

 

「陛下を誘拐など、我らが絶対に許しはしません!」

 

「ありがとう、クリステル。だけど、虚無の力はわたしたちでは計れない。特にロマリアの教皇ヴィットーリオの虚無は移動系だという。わたしだけをどこか別の場所に飛ばしてしまう魔法もないとは言い切れない」

 

実際に虚無の魔法、加速を使ったジョゼフの攻撃からカステルモールはタバサを守ることができなかった。けれど、それは心配ないはずだ。

 

「もしもそんな便利な魔法があるのなら危険を冒してジュリオは進入なんかしてこないでしょ? 少なくともジュリオに接近さえさせなければ、問題はないはずよ」

 

あたしが言うと、皆も対ジュリオに絞って対策を考え始めた。

 

「ヴィンダールヴであるジュリオの竜を操る技術はかなりのものだとルイズから聞いた。だから、勝負は彼が竜から降りてわたしの部屋に入ってくるときだと思う」

 

「でしたら、室内には必ず三人以上の女性騎士を待機させるようにいたしましょう」

 

「それなら、しばらくはあたしも同じ部屋で寝ることにするわ。あたしなら、トリステインにいる頃、何度か一緒に寝たこともあるから大丈夫でしょ」

 

「いや、キュルケは一緒に寝ないでほしい」

 

意外な言葉にあたしは目をしばたたいた。

 

「理由を聞いてもいい?」

 

「わたしはキュルケのことは見捨てたくない」

 

それは自分の護衛騎士たちはいざとなれば切り捨てるということだろう。非常なようだけど、王が自分を守る騎士を気にしすぎたら、騎士の方も王を守りにくい。

 

「そう、それなら仕方がないわね」

 

あたしがいると、むしろ余計な気を回さねばならないようなら逆効果だ。あたしは今回の護衛からは身を引くことにした。

 

「大丈夫、手は考えてある。これを使えば敵を欺ける。だから、キュルケは何があろうとわたしを助けにはこないこと」

 

タバサが見せたのはセント・マルガリタ修道院で使われていたという、姿を変えることができるというマジックアイテムだった。そうしてタバサはあたしたちにだけ計画を話してくれたのだ。

 

あたしの話をそこまで聞いたローゼマインはすっかり厳しい顔つきになっていた。空気を変えるために、あたしは敢えて明るい声で言った。

 

「そういうわけで、今はローゼマインたちはタバサには会わせられないわ。ジュリオを警戒させちゃうからね。たぶん、一両日中には動きがあると思うから。それまではアカデミーの中で本でも読んで過ごしていてくれる?」

 

あたしの提案は、ローゼマインに大変に喜ばれた。地位が上がっても、本狂いはどうやらそう簡単には治らないらしい。



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ブリミル教徒の護衛騎士

リリアンは護衛を増員する必要があると説明を受け、新たに女王シャルロットに任命された護衛騎士だった。リリアンの主な任務はシャルロットの身辺警護だ。今日のリリアンは遅番であるので、護衛任務の始まりはシャルロットの夕食後から始まる。

 

「では、夜間の警備はお願いいたします」

 

「お任せください」

 

女性騎士の中では筆頭とされているクリステルから引継ぎを受け、今日のリリアンの護衛任務が始まる。

 

「入浴を済ませる。扉の前の警護はお願い」

 

そう言ってシャルロットは専用の浴場へと消えていく。同行するのは着替えと入浴の補助をする側仕えという役割の二人の少女、シモーヌとミシェルだけだ。同じ役割を担う二人の同僚の騎士と扉の前で待つこと少し、入浴を終えてリリアンたちの前に出てきた三人の少女の中にシャルロットの姿はない。

 

側仕えの二人と一緒に出てきたのは、地味な赤茶色の髪に黒い瞳の少女だ。丸めの鼻に、頬にはそばかすの痕。どう見ても高貴な身分には見えない。

 

父親譲りの長身である文官モルガンの娘のミシェルはもちろん、同じ小柄な体でも、文官ジェロームの娘であるシモーヌの方が艶のある豪奢な金髪をなびかせる様が、よほど高貴な身分に見せている。けれど、その地味な見た目の少女こそがマジックアイテムで姿を変えたシャルロットだというのだ。心なしか自信なさげに見える少女は普段のシャルロットとはあまりに落差があり、初めは俄かには信じることができなかったほどだ。

 

シャルロットは襲撃者を警戒して夜間は姿を変えたまま過ごす。そうして翌日の朝、側仕えの少女たちがやってきて身支度を整える段までは、その地味な容姿で過ごす。そうしておけば、仮に賊が手練れで護衛騎士が敗北しても、シャルロットはすでに逃亡したと思わせることができるという算段というわけだ。

 

だから賊が襲ってきたときリリアンたちは、あくまで非戦闘員を逃がすという風を装い、シャルロットを連れ出さないといけないと言われていた。その身を盾として逃がすのではなく、先に立って手を引くようにしろと。

 

入浴を終えたシャルロットが豪華な天幕付きの寝台の中に消える。地味な見た目の赤茶色の髪の少女には、あまりにも不釣り合いな光景は何度見ても慣れそうにはない。

 

不寝番の護衛というのは重要ではあるが退屈なものだ。何もおきない夜は、うっかりすると居眠りをしてしまいそうになってしまう。もっとも退屈であれば退屈であるだけ何の異常もないということで、良いことなのだ。そして、今日のリリアンの護衛任務は退屈なものとならなかった。

 

深夜、カツンと何かが窓に当たる音がする。リリアンともう一人の護衛、アリスが天幕の前で警戒を続け、残った一人が窓へと近づいていく。その次の瞬間、パン、という乾いた音が響いて窓に近づいた騎士が崩れ落ちた。

 

「賊だ! わたしは賊を迎撃する! リリアンは非戦闘員を避難させろ!」

 

アリスの声を聞いたリリアンは天幕の中に潜り込み、地味な顔の少女の手を握った。

 

「さあ、早く! こちらに!」

 

まだ寝ぼけまなこの少女を引っ張り出す。アリスは謎の攻撃を行った敵を警戒して天幕を風の膜で覆っていた。すでに天幕の中は無人だが、シャルロットがまだ中にいると見せかけるための行動だ。

 

一方のリリアンは少女の手を引いて廊下へと出た。そこで少女が懐から小ぶりな杖を取り出した。普段のシャルロットが持つ杖は特徴的過ぎて目立ってしまう。加えて普通の使用人はメイジではないので杖など持っていない。もっともシャルロットの側仕えは二人とも旧オルレアン家に仕えていた家の娘なので貴族であり、杖を持っていても不思議ではないのだが、それでも不審感をできるだけ消すために廊下に出るまで杖をしまっていたのだ。

 

「カステルモール殿のところに向かうのが一番、安全だと思いますが、敵もそれは知っているはず。待ち伏せをされている可能性もありますので、そちらは避けて礼拝堂に向かいます。エルフは忌まわしき敵ですが、番犬として使うなら申し分ありません」

 

本当に忌々しい。まさか神と始祖の敵であるエルフと同じ場所で過ごすことになるとは。とはいえ、そのおかげでリリアンは任を果たせるのだから、悪いことばかりではない。

 

「礼拝堂に向かうのなら外に出なくてはなりません。それは危険なのではなくて?」

 

「シャルロット陛下、今は安全な場所など、どこにもございません。むしろ安全に見える場所の方が危険に満ちていて、危険に見える場所こそが敵の裏をかけて安全ということもございます。なに、外に出るといっても一瞬だけです。仮に敵に見つかったとしても礼拝堂に駆けこんでしまえばこちらのものです」

 

今は少しでも時間が惜しい。強引にでも手を引き、礼拝堂への道へと踏み出した。そうして半ばほどまで進んだ頃、上空に月光を遮る影が差した。ジュリオの駆る風竜アズーロだ。アズーロは急降下してリリアンたちの前に降り立った。

 

少女が杖を向け、ジュリオに魔法攻撃を仕掛けようとする。シャルロットはスクウェアのメイジだ。一方のジュリオはメイジではない。リリアンが手を出さなければシャルロットが勝利する。だから、リリアンは背後から、少女の顔にスリーピング・ポーションをしみこませた布を押し当てた。

 

「リリアン……貴女、裏切ったのね」

 

「裏切ったのは陛下の方ではありませんか。エルフと手を組むなど、神と始祖への裏切りも甚だしい」

 

小柄な体が地面に崩れ落ちる。同年代の少女たちと比べても軽い体をリリアンは難なく抱え上げた。

 

「ジュリオ殿、さあ早く、シャルロットめを」

 

「かたじけない、リリアン殿」

 

そうして、少女の体がリリアンからジュリオの手に渡される直前、二人の間を鋭い氷の槍が通り過ぎた。

 

「そこまでだリリアン!」

 

声の主はシャルロットの筆頭護衛騎士、カステルモールだった。他にも十人ほどの騎士が現れてリリアンたちを取り囲む。

 

「それ以上、近づけば陛下を殺します」

 

言いながら、リリアンは短刀を少女の首筋に突きつける。

 

「安心してください。手出しをしてこなければ陛下の身の安全は保障します」

 

カステルモールに、シャルロットを見捨てることはできない。そのはずだった。けれど、そう言った直後に氷の槍が上空から降り注いでアズーロの翼を撃ち抜いた。速度に優れる風竜のアズーロだが、地面に降りた状態ではスクウェアクラスのメイジの魔法を回避するほどの力は出せない。

 

手負いのアズーロに更に複数の騎士からの魔法が浴びせられた。アズーロが地面に崩れ落ち、その弾みでジュリオが投げ出された。

 

「カステルモール! 陛下の命が惜しくないのか!」

 

「陛下の命は惜しい。けれど、それよりも大事なことがあるのだ」

 

カステルモールがアイス・スピアーをリリアンに向けて放つ。予想外の事態に、リリアンは身を躱すことができなかった。肩と腿の他、胸にも強い痛みが走った。その場に倒れ伏したリリアンは自分の傷を確認して、致命傷と判断した。

 

では、少女の方はどうだろうか。軽く目を向けると、すでに事切れているようだった。

 

カステルモールにはシャルロットを見捨てることなどできない。それが、この計画の前提だった。

 

けれど、ガリアにはまだイザベラという王族もいる。まさか自分の知らない間にイザベラを王位に就けるような陰謀が進められていたのだろうか。だとすれば、リリアンはまんまと何者かの思惑に乗ってしまったということになる。

 

「その者には聞きたいことがある。殺さぬようにしろ!」

 

声が聞こえた方に視線を向けると、サーベルを弾かれたジュリオが護衛騎士たちに取り押さえられていた。ジュリオは剣も達者だが、竜を失った状態で手練れ揃いの護衛騎士たちを相手にするのは、さすがに無理だったのだろう。

 

「ガリアを神と始祖の敵にしてしまうとは、無念」

 

「歪んだ正義感が道を過たせたか。その罪は命で償え、リリアン」

 

冷たく言い放ったカステルモールがリリアンに向けてブレイドの魔法を纏わせた杖を振り下ろしてくる。それがリリアンの見た最後の光景だった。



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身代わり

ヴェルサルテイル宮殿に賊が侵入したという連絡を受けて、わたしは部屋に側仕えと文官たちを残してキュルケと一緒にタバサの元に向かう。

 

「心配しなくても、タバサはちゃんと手を打っているわ。あたしたちは逆にタバサの迷惑にならないように注意しましょう」

 

そう言ったキュルケは、ヴェルサルテイルの中にはタバサを快く思わない者もいて、それらの者の裏切りを注意しなければならないと続けた。

 

「それなら、わたくしのシュツェーリアの盾を使えば害意を持つ者を判別することができますけど」

 

「そうね。今後のことを考えたら、良かったら使ってくれると助かるわ」

 

「それでしたら、なぜ襲撃が起こる前に実行しておかなかったのですか?」

 

「大規模にローゼマインの風の盾を使えば、どうしたって人の噂に上ってしまうわ。もしもローゼマインが力を貸していると知ったら、ロマリアは今回の襲撃を見送り、しばらく息を潜めていたでしょうね。それはそれで時間は稼げるけど、できればローゼマインはいるけれどもロマリアはそれを知らないって状況が一番、都合がよかったから」

 

今がもっとも都合がよい。そう判断してタバサたちは襲撃を防ぐのでなく、呼び込むことを選んだらしい。

 

「タバサは危険を冒してでも、ロマリアが襲撃をしてきたという事実が欲しかったということなのですね」

 

「どんな手を使っても、ガリアが聖地奪回に巻き込まれることだけは避ける。その考えを強くさせることが、ローゼマインが帰ってから起こったのよ」

 

そう言ってキュルケは、ジョゼフを討ち取った戦いで起きた謎の大規模爆発はエルフの技術で作られた火石というものを用いたもので、たった一つの火石で両軍合わせて二万近い死傷者が出たということを語った。

 

「あれを見れば、エルフとは戦っては駄目だという気持ちにもなるわ」

 

ロマリアは放置しておけば、あの手この手でタバサを害そうとするだろう。それを防ぐためにはロマリアに攻め込み、ヴィットーリオを退位させるしかない。けれど、よほどの大義名分がなければ、ロマリアに攻め込むなんてことはできない。

 

「今のタバサにとって第一はガリアを守ること。そのためには、どのような犠牲も許容するつもりでいるわ。どのような犠牲でも……ね」

 

キュルケの言葉に、どこか不穏な響きを感じながら、わたしたちはタバサの姿を求めて宮殿内を駆け回る。そうして、ついに礼拝堂らしき建物の前に集まる大勢の人を見かけた。

 

「シャルロット様はご無事ですか?」

 

唐突に現れたわたしたちに、その場にいた何人かが杖を向けてきた。

 

「よせ、この方たちは陛下のご友人だ」

 

けれど、すぐにカステルモールが制してくれたため、事なきを得た。カステルモールの他にもクリステルなど、何人かは知った顔がある。

 

他に知った顔ではヴィンダールヴだと言っていたジュリオが多くの騎士により地面に押さえつけられていて、その側には一頭の竜が息絶えている。そして、見知らぬ少女と女性騎士が氷の槍を受けて倒れている。

 

「ローゼマイン様、拘束をより確実にするためにジュリオ殿をシュタープで縛り上げていただいてよろしいですか?」

 

一応、ロープでは縛っているようだが、それだけでは何かマジックアイテムでも使えば逃げられるだろう。わたしはシュタープを紐状にしてジュリオを縛り上げた。

 

「恐れ入ります。状況の説明はミス・ウエストウッドが来てからでよろしいですか?」

 

カステルモールが言うには、すでにオルドナンツを飛ばしているらしい。わたしに否を言う権利などないので、黙って頷いておく。そのまましばらく待っていると、耳が隠れる帽子を被ったティファニアが護衛騎士二人に守られてやってきた。

 

「ミス・ウエストウッド、そこにいるジュリオ殿にバリベリニ卿と同じ魔法を使っていただけますか?」

 

同じ魔法というのは、バリベリニ卿という人と同じようにロマリアと教皇に対する忠誠心とブリミル教への信仰心を忘却させてほしいということだろう。ティファニアの魔法は、その人にとって何よりも大切な記憶や感情を奪うことができる恐ろしい魔法だ。おそらく、ほとんどの者にはティファニアの魔法のことは秘されているのだろう。

 

ティファニアが小声で詠唱しながら杖の先をジュリオに向ける。ティファニアの魔法を簡単にだが知っているジュリオは何とか逃れようとするが、シュタープでの拘束はわたしの魔力を上回らないと逃れられない。ジュリオには無理だ。

 

詠唱が完成して忘却の魔法がジュリオにかけられる。ジュリオの体から力が抜けたのを見て一人の少女が前に出てきた。豪奢な金髪の小柄の少女は、倒れている赤茶色の髪の少女の前に膝をついた。

 

「シモーヌ、貴女の忠誠は生涯、忘れません」

 

そう言いながら、赤茶色の髪の少女の首から聖具を外す。その瞬間、倒れた少女の赤茶色の髪が豪奢な金髪に変わった。それは、ちょうど倒れた少女の傍らに膝をついている少女と全く同じ顔だ。その次の瞬間には膝をついていた少女の顔がタバサのものになった。

 

「フェイス・チェンジという魔法よ。ちなみに、倒れた少女がつけていた聖具にも同じ魔法が付与されていたの」

 

「どういうことですか?」

 

「タバサは敵の目を欺くためにフェイス・チェンジの魔法が付与された聖具を付けていたことになっていた。けれど、実際に聖具をつけていたのは側仕えのシモーヌで、タバサ自身はフェイス・チェンジの魔法を使ってシモーヌの顔に変わっていたの」

 

それはシモーヌという側仕えは、味方の中に混じっている裏切り者をあぶりだすために囮となったということだろう。そして、タバサの身代わりになって襲撃を受けて命を落とすことになった。

 

「タバサも辛いでしょうね」

 

わたしは幸いにして自分の側近を失ったことはない。けれど、フェルディナンドはかつて自分の側近であったハイデマリーを失っている。そのことは今でも自分の力不足として苦い記憶として残っている様子だ。護衛騎士たちを失ったレティーツィアの様子を思い返しても、長い時間をともに過ごしてきた側近を失うことは辛いことに違いない。

 

「そうね。けれど、タバサは辛いとは言えないでしょうね」

 

先を促すように見ると、キュルケは感情を消した顔で正面を見つめたまた続ける。

 

「本当はね、もう少しシモーヌの安全に配慮した方法もあったのよ。けれど、それよりもあたしたちは、ジュリオの確実に捕縛することを選んだ。あたしたちがシモーヌを殺したも同然なの」

 

「それほどまでジュリオの捕縛にこだわったのはなぜですか?」

 

「バリベリニ卿はタバサを挿げ替えることまでしか知らなかった。その後の予定は、ごく限られた人にしか知らされていないと思う。あたしたちはジュリオをその一人だと睨んでいるわ」

 

そうでなければ、トリステイン訪問時に聖地奪還の計画を伝えたとき、同室させるとは思えない。そうキュルケは言った。

 

「教皇がなぜ聖地奪回にこだわるのか。今回の計画が失敗したときにはどうするつもりであったのか。それらを聞き出した上で、あたしたちはその内容をハルケギニア全土に公表し、それを糾弾して教皇に退位を求める」

 

ハルケギニアでは教皇は形式的とはいえ、各国の王より上の地位にある。その教皇に退位を求めるなど、前代未聞なのではないだろうか。

 

「ロマリア側の反発は、かなりのものになるのではありませんか?」

 

「そんなことは承知の上よ。初めから要求が拒否されることを前提に武力でロマリアに要求を飲ませるつもりだもの」

 

「各国は賛同してくれるでしょうか?」

 

「トリステインは交渉次第でしょうね。ガリアはヴィットーリオを退位させた後、次の教皇として現トリステイン宰相のマザリーニを推すつもりだから。そうなるとトリステインにも利は大きいんじゃないかしら。ゲルマニアについては、あたしの腕の見せ所ね」

 

少なくともブリミル教を信仰する各国すべてを敵に回すということはないようだ。

 

「それでも、激しい戦いになるのでしょうね」

 

ガリアとロマリアの戦いとなれば、双方に多大な犠牲が出るのだろう。けれど、ロマリアが聖戦を諦めない限り、その戦いは避けられない。

 

「とりあえず、タバサの無事は確認できたわ。タバサはこれからジュリオの取り調べがあるだろうから、あたしたちは一度、部屋に戻りましょう」

 

そう促され、あたしたちは元の部屋へと戻ることにした。




ティファニアを便利に使いすぎと少し自省


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教皇の狙いとシャルロットの決意

ジュリオを捕らえた翌日の夜、あたしとジャンはローゼマインたちと一緒にタバサから呼び出された。部屋の中にいたのは護衛役のカステルモールとクリステルだけ。イザベラなどとは先に情報共有がされているとして、ティファニアやマチルダがいないことが、これから話されることの深刻さを窺わせた。

 

「これから話すことは俄かには信じられないかもしれない。けれど、少なくともジュリオは真実だと信じている内容だから」

 

そう前置きをしたタバサが語るには、ハルケギニアの地下には大量の風石が眠っていて、地中で徐々に“精霊の力”の結晶化が進んだ風石は、数万年に一度、地面を持ち上げ始めるということらしい。浮き上がった大地は、徐々に風石を消費して、再び地に還る。アルビオン大陸は、かつての“大隆起”の名残なのだそうだ。

 

そして肝心の今回の大隆起の範囲はハルケギニアの五割の土地にも及ぶとロマリアは試算している。そうタバサは言った。

 

「それで、ロマリアは新たな土地としてエルフが支配している聖地の奪還を目指していたというわけ?」

 

「それは少し違う。ロマリアは確かに聖地の奪還を目指しているけど、それはエルフが支配している地の話ではない」

 

「じゃあ、どこの奪還を目指しているっていうのよ」

 

そう問いかけると、タバサはローゼマインの方を見た。

 

「ロマリアが目指す聖地とは始祖ブリミルの故郷。それはサイトの故郷でもある。教皇は、ハルケギニアで聖地と呼ばれている場所から世界扉の魔法を使ってサイトの故郷に武力侵攻をするつもり」

 

あまりに予想外の言葉の連続に、正直、あたしは理解が追いついていない。けれど、あたしの混乱を置き去りに、タバサはローゼマインに確信的な問いを放つ。

 

「ローゼマインはサイトの故郷のことを夢で見て知っていると言っていた。だからこそ聞きたい。ハルケギニアの軍勢がサイトの故郷に侵攻したとして勝算はある?」

 

「タバサもサイトが飛行機械を操ってアルビオンの竜騎士たちを何騎も倒したという話は聞いているでしょう? けれど、あの飛行機械はわたくしが見た夢の中ではすでに全く使われていないものなのです。最新式の飛行機械にはサイトが使った飛行機械を、たとえ百機集められたとして、勝てないでしょう。その最新式の飛行機械を、サイトの故郷は何百機と保有しています。そして、破壊の杖も歩兵が当たり前のように装備しています」

 

破壊の杖の威力は、マチルダのゴーレムと戦ったときに、あたしも目にしている。防御に優れた風や土のメイジであっても、防げる威力ではない。あれを皆が普通に持っているなら、いくらメイジを揃えても勝ち目はないだろう。

 

「つまり、破壊の杖を簡単に防げる魔法がなく、精鋭竜騎士がサイトの使った旧式の飛行機械に敗北しているようなハルケギニアの軍勢では、サイトの故郷の軍の相手にもならないということ?」

 

タバサの問いかけに、ローゼマインは笑みを深めた。否定がないということは、タバサが言った推察のとおりということだろう。

 

「実はサイトにも昨夜のうちにオルドナンツで問い合わせをかけた。サイトの答えも、飛行機械にせよ、他の武器にせよ、同じゴーレムでもギーシュのものとマチルダのものくらいの差があると言っていた」

 

どうやらタバサは、事前にサイトからも情報を集めていたようだ。

 

「最後の質問、ローゼマインはエルフとサイトの故郷ではどちらの軍が強いと思う?」

 

「わたくしが接したエルフはビダーシャルと名乗った方だけですので、正確な意見ではありません。それでもよろしいですか?」

 

「構わない」

 

「おそらくタバサは、サイトからすでに答えを聞いているのではありませんか? わたくしの答えもサイトと同じです」

 

「わかった。考えるまでもないってことだね」

 

それは、エルフでもサイトの故郷の軍には勝てないということだろう。

 

「これではっきりした。ロマリアの聖戦は絶対に認めるわけにはいかない。ハルケギニアを滅亡から救うため、わたしは教皇を討つ!」

 

色々と明らかなったことはあるけれど、方針は変わらない。むしろ、戦おうとしている相手がより拙い対象となった以上、戦いを避ける必要性はより高まったと言えるだろう。

 

「けれど、教皇との戦いとは別に、大隆起には対応しなきゃいけないわけでしょ。それに対してはどうするつもり?」

 

土地の半分が失われるなら、食糧不足は深刻になるはずだ。よほど上手くやらない限り、自らの土地を失う貴族と、失わない貴族との間で私闘が繰り返されることになる。

 

「ひとまずエルフに技術供与を持ちかけるつもり」

 

「けれど、エルフだって簡単に技術供与はしてくれないんじゃないの?」

 

「それに対しては、それなりに大きな見返りを与えることを考えている。上手くいけば教皇の戦意も削ぐことができるかもしれない。もっとも、悪くすれば戦意を超えて憎悪を抱かせてしまうこともあるのだけど」

 

「その大きな見返りって?」

 

「ガリアが保有する始祖の秘宝のうち、土のルビーと始祖の香炉をエルフに譲渡しようと思う」

 

あまりに思い切った手段に驚いた。確かにエルフは虚無の担い手が聖地に向かうことを恐れていた。自分たちで始祖の秘宝を管理できるのなら、その脅威度はかなり低減されるだろう。

 

「けれど、それだとあたしたちは虚無というエルフに対する切り札を失うことになる。大隆起によって数を減らした人とエルフが戦うことになった場合、それは深刻な事態を引き起こさないかしら」

 

「その可能性もある。けれど、それ以上に虚無があることによって余計な争いが引き起こされる可能性の方が深刻だと思う」

 

「虚無によって引き起こされる争い?」

 

「虚無の担い手はブリミル教徒には神聖なものと扱われる。けれど、わたしには虚無の担い手としての資質と為政者としての資質は無関係に見える」

 

確かに虚無の担い手、ルイズ、ティファニア、ジョゼフ、ジョゼット、ヴィットーリオのうち、ルイズ、ティファニアは性格的に為政者向きではなく、ジョゼフも能力はともかく人格的には問題がある。ジョゼットに関しては能力等は未知数ながら、産まれてこのかた修道院から出たことがない人間に政治ができるわけがない。そうなると為政者向きなのは五人中一人だけ。虚無の担い手を神聖視するのが危険というのはわからなくない。

 

「今、新たにガリア国内に騒乱の種など必要ない。どこから現れるかわからない虚無など、わたしの治世にとっては無用どころか害悪なものでしかない。この機会に虚無には再び伝説に返ってもらう」

 

あたしが思ったことより数段、踏み込んだ内容に思わず息を飲んだ。確かに虚無の使えないタバサにとって虚無は脅威にしかならない。

 

けれど、従来までのタバサだったら、ここまで踏み込みはしなかったはずだ。何か心境を変化させるようなことが起こったのだろうか。そう考えたところで、虚無を伝説に返すということの意味に思い至った。

 

「シャルロット様、ジョゼットはどうするつもり?」

 

「ジュリオたちと一緒に処刑する」

 

「処刑? けれど、ジュリオにしてもジョゼットにしても、殺してしまったら力が他の人に移るんじゃないの? それよりはシェフィールドのように記憶を奪って拘束しておいた方がいいんじゃない?」

 

「その手はわたしも考えた。けれど、ロマリアがガリアに手を出そうとしたのは教皇の命だということを印象付けるためには、バリベリニだけでは足りない。教皇の腹心と認識されているジュリオがどうしても必要になる。そして、教皇がガリア王の入れ替れを狙ったという主張を補強するために、わたしと同じ顔のジョゼットも。ガリアがロマリアに戦を仕掛けるためには、どうしても二人とも外せなかった」

 

ジョゼットを見れば、タバサの母は我が子だと気づくだろう。そして、自分の子供どうしが命を奪い合ったのだという事実も。それはタバサも避けたかったに違いない。

 

「わかったわ、タバサ。……辛かったわね」

 

「わたしは自分たちのために十万以上の人間の命を捧げさせた。今更、二人増えるくらいで為すべきことを為すのに悩みなどしない」

 

「悩む、悩まないということと、辛い、辛くないということは別物でしょう」

 

「ええ、そのとおりです。側近たちには吐露できない言葉もわたくしたちには話してくださいませ」

 

そう言ってローゼマインが盗聴防止の魔術具を使用した。その中でタバサは、自分の母にティファニアの魔法でジョゼットのことを忘れてもらうことを、方向性は違えど母の心を操るというジョゼフと同じ行いをしようとしていることの苦悩を、あたしたちに教えてくれたのだった。



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処刑

始祖の降臨祭の最終日、その日の午後から罪人の処刑を行うと市中に告知した日の午前中に、シャルロットはジョゼットを居並ぶ家臣たちの前に引き立てた。

 

「さて、わたしの妹を騙った大罪人ジョゼット、今日の午後、其方はロマリアの神官二人とともに処刑される予定となっている。ただ、調べの中では其方もロマリアの二人に騙されただけではないかとの疑いも残っている。最後に弁明の機会を与えよう」

 

「わたしが陛下の妹であるかどうかは、わかりません。わたしはお兄さまにそう聞かされただけだから」

 

「ほう、ならば其方はロマリアの神官の言葉を信じただけで、自分からわたしの妹を名乗るつもりはなかったということか? ならば、どのような根拠をもってそのような世迷言を信じたというのだ?」

 

「根拠なんて必要ないわ。お兄さまが言うことなら、わたしはどんなことでも信じるわ」

 

ジョゼットの取り調べを担当したジェロームが予想した通りの答えに、シャルロットは内心で笑みを浮かべる。

 

「驚いたな。其方は王族の一員であると聞かされたのだろう。仮にも自らを王族の一員と名乗りながらロマリアの神官の言を何の疑いもなく信じたというのか? 其方にとって王族の誇りとはその程度のものなのか?」

 

「わたしはずっと修道院で育ったのだから、王族の誇りと言われてもわからないわ」

 

「そうか。ただ顔が似ているだけで担がれた修道女に多くを期待したわたしが馬鹿だったようだ。それで、其方は自らの助命嘆願をしないのか?」

 

「お兄さまがいない世界になんて、生きていても仕方がないわ」

 

「そうか……」

 

どこまでも純真無垢。殺すには忍びないという思いもある。だが、純粋に他国の人間を信奉する人間など、ガリアにとって害悪でしかない。シャルロットの母親が悲しむという肉親への情さえ無視すれば、この女を殺す利は多く、記憶を奪って助ける利は皆無だ。

 

仮にジョゼットがシャルロットの実の妹であることが後に発覚しても問題ない。すでにジョゼットがガリアの王としての資質に著しく欠けることは、この場の皆が目にしている。ジョゼフがシャルルを殺害したことが簒奪だとそしられるのは、劣った兄が優れた弟を殺害したからだ。優れた姉が愚かな妹を殺害するのは簒奪ではない。

 

「では最後に一つだけ、其方の希望を問おう。其方はジュリオより先に死にたいか、後で死にたいか?」

 

「……それでは、後で死なせてください」

 

「ほう、少しでも生き長らえたいか?」

 

「いいえ、お兄さまより先に死んだら、死を迎えるお兄様にお祈りを捧げることができませんから」

 

王族として格の違いを見せつけるつもりが、今回は失敗した。ジョゼットは、ただ純粋にジュリオのことだけを思っている。

 

何かが違えば、自分にもこのように一途に誰かのことだけを考える未来があったのだろうか。一瞬だけ考えて、もはや意味のないことだと、シャルロットは自ら否定した。

 

サガミールの丘で蜂起をしてからリュティス入城を果たすまでには、シャルロットの周囲からも多くの人の命が失われた。それ以上に、報告で戦死を知った名しかしらない貴族は多く、兵たちの中には何度か見かけていた顔がいつの間にか見えなくなった者も多い。

 

色恋に心を奪われるなど、戦いの中で失われた姿、消えていった名、忘れられゆく顔に申し訳がたたない。リュティスを目前に無念の死を遂げることになったモローナ、戦いの中で散った護衛騎士のマノーア、シャルロットの身代わりとなり殉職したシモーヌ、トーナミ川で散った水精霊騎士隊のクリストフやマキシム。そして、その他の多くの将兵たち。彼らの命を無駄にしないことはシャルロットに課された最低限の責任だ。

 

「其方の望みは理解した。それでは、処刑はバリベリニ卿、ジュリオ、ジョゼットの順で執り行うこととする。……引き立てよ!」

 

ジョゼットが兵たちによって連れ出される。それを見送ったシャルロットは私室に戻り、午後の処刑に備える。

 

「いよいよですな」

 

カステルモールの言葉に静かに頷く。午後の処刑の場で、シャルロットはロマリアに戦を挑む可能性に言及する。ここで民たちの理解を得られなければ、シャルロットのガリア統治は大きく動揺することになる。

 

「さて、行くとするか」

 

「はっ、私も背後に控えて御身の安全をお守りしております」

 

「頼りにしている」

 

カステルモールとクリステルを左右に従え、シャルロットは王城前の広場を見下ろせるバルコニーへと進み出る。王城の前庭の三台の断頭台には、右からジョゼット、ジュリオ、バリベリニがすでに台に固定されている。シャルロットは一度、深呼吸をすると声を増幅する魔術具を手にした。

 

「偉大なる始祖の降臨せし目出たき祭りの最終日、始祖を称えるべきロマリアの神官をこのように処刑せねばならぬことを、余は悲しく思う。しかし、この者たちはロマリアの現教皇ヴィットーリオの命を受け、このガリアの領土と民を簒奪せんとした。よって、余はこの者たちを、今日ここで処刑する」

 

広場の民たちの間から、どよめきの声が上がる。それは、降臨祭の最終日にロマリアの神官を処刑するという言葉に対するものか、それともロマリアがガリアの領土と民を簒奪しようとしたという言葉に対するものか、ここからではわからない。

 

「まず皆の右手にいるバリベリニはロマリア出身ではあるが、ガリアに仕えて両国の橋渡しをするために助祭枢機卿の地位を与えられた。しかるに、この者は地位をガリアのために利用しようとはせず、あくまで教皇の命で動き、ついには王宮に教皇の側近たるジュリオの侵入を手引きした。これは重大なる売国といえよう」

 

そこまで言うと、シャルロットは視線を中央に移した。

 

「中央にいるジュリオ・チェザーレは教皇の側近にして、余を誘拐して皆の左手にいる余と似た顔の修道女との入れ替えを行うことでガリアの簒奪を計った大罪人である。皆もこの者の名には聞き覚えがあろう。かつてロマリアがガリアの半分を支配した大王の名を教皇より与えられた、まさにロマリアの野心の化身である」

 

明確に民の間に動揺が広がっている。ここからが肝心だ。

 

「そして、皆の左手にいる者がロマリアより傍系王族であると騙され、分不相応にもガリアの王の地位を望んだ、余と似た顔を持ちし愚かな修道女である。いかにロマリアより虚言を弄されたといえ、王の地位を望んだは己の野心のためであり、同情の余地はない」

 

ジョゼットは民たちに知られた存在ではない。さらりと糾弾して本題に入る。

 

「この者たちの行動の発端は全てが教皇の野心である。そのような者に教皇の座についている資格はない。よって、余はロマリアに対して現教皇ヴィットーリオの退位と、その身柄の引き渡しを求める。余はロマリアが賢明な判断を行ってくれるものと信じているが、もしも要求を拒絶するようなことがあれば、余は軍を率いてロマリアへと侵攻し、強制的に教皇ヴィットーリオを退位させることも辞さぬ」

 

どよめきが広場を埋め尽くした。ここにいる者たちも多くはブリミル教徒。急にロマリアと戦うと言われても受け入れきれないだろう。

 

「ここガリアはつい先日まで戦の中にあった。ようやく平和な日々が訪れたというのに再び皆に辛い思いをさせることを、心苦しく思う。しかし、ロマリアが余を除こうと考えた理由はこのガリアを併合し、しかる後にエルフとの聖戦を行うという腹づもりゆえ。始祖の教えを曲解し、今の人々を踏みにじって教義のみを守らんとする今のロマリアを放置していては、ガリアに真に平穏な日々が訪れることはない」

 

エルフとの聖戦の用意と聞いて人々の動揺は更に深まった。過去、エルフとの戦いでどれだけの被害を受けているのかは平民でも知っている。

 

「余は、けして諸君らを聖戦の尖兵になどさせぬと約束しよう。願わくば、ロマリアが己のことのみを考えた行いを反省し、次は賢明な教皇を選定してくれることを祈る。ロマリアよ、ヴィットーリオよ、我らはけして其方らに唯々諾々と従うことはせぬ。我らの意思、しかと見届けよ!」

 

言いながら、腕を振り下ろした。その瞬間、バリベリニ卿の頭上の刃が落下した。一拍の間を置いて、続いてジュリオが、そして最後にジョゼットに刃が降ろされる。

 

「ロマリアにこの者たちの首を送り付けよ! そして我らの覚悟を示せ!」

 

そうしてシャルロットは自らの妹の処刑を締めくくった。けれど、これで終わりではない。この後にはティファニアに、母に対してジョゼットに関する記憶を消去する魔法を使ってもらわねばならない。

 

憂鬱な気持ちのままシャルロットは母の離宮へと足を進める。その途中にティファニアが待っていた。

 

「シャルロット様、本当によいのですね?」

 

「ええ、これ以上、母に辛い思いはさせられないから。感謝する、ティファニア」

 

「え?」

 

「もしもティファニアがいなかったら、わたしは母の心を操る薬をビダーシャルに頼まねばならないかもしれなかった」

 

酷く苦しむだけなら、心などないほうが幸せなのかもしれない。

 

「母を苦しめた薬を、今度はわたしが飲ませることにならなくて済んだ。だから、わたしはティファニアに感謝している」

 

ティファニアにそれだけ言うと、シャルロットは妹の記憶を母から完全に消すために母の部屋に足を進めた。



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ハルケギニアを救う道

タバサがロマリアにヴィットーリオの退位を要求してから、一週間が過ぎた。ガリアの要求は二日後にはロマリアに届いたはずだけど、今のところ返答はないようだ。

 

教皇の退位という重大事であるだけにロマリアもすぐには結論を出せないのは確かだ。けれども、タバサはロマリアがガリアの要求を受け入れることはないと考えて、すでに戦の準備を始めている。

 

ヴィットーリオはブリミル教の教皇だけあり、虚無を特別視している。それこそ虚無の担い手であればジョゼットでもガリアの民に受け入れられると考えるほどに。そんな教皇にとっては地球への侵攻こそがハルケギニアを救う道なのだろう。だからこそ、ハルケギニアの未来を考えればガリアの要求を受け入れることなどありえない。

 

地球への侵攻がハルケギニアを救う道と考えているヴィットーリオと、地球への侵攻はハルケギニアの破滅への道と考えているタバサが和解することはありえない。互いの考えのどちらが正しいのかは、実際に地球に侵攻をしないと確かめようがないのだから。

 

今のタバサの第一目標は地球への侵攻という破滅への道を免れるため、ヴィットーリオを退位させてマザリーニを即位させることだけど、それだけでハルケギニアを救うことにはならない。そもそもヴィットーリオが地球侵攻を考えるきっかけとなった大隆起を乗り越える必要がある。

 

わたしは次の戦には関わるつもりはない。けれど、大隆起を皆で乗り越えるということに対してはできるだけの協力をしたいと思う。だからわたしは、タバサにユルゲンシュミットに帰還するというオルドナンツを飛ばした。

 

「ローゼマイン、ユルゲンシュミットに帰還すると聞いた。確かに今の状況では旧交を温めることも読書を楽しむことも難しい」

 

せっかく来てくれたのに、今回はろくにもてなしもできなかったと、わたしの部屋を訪ねてきたタバサが申し訳なさそうに言う。

 

「新しい国を作り始めたばかりですもの。シャルロット様がお忙しいのは当然です。お気になさらないでください。それに、わたくしは退屈だから帰還するわけではありません。わたくしなりに、できることがしたいと考えたから帰還をするのです」

 

「それは、今の状況に対する策があるということ?」

 

「ええ、実際にどのくらい有効かはわかりませんが……」

 

「その策はどのようなものなの?」

 

「わたくしたちの国には祈念式という神事がございます。その神事は魔力を込めた聖杯を使って土地を魔力で満たす儀式で、それを行うのと行わないのでは収穫量が目に見えて変わるのです」

 

わたしが言うと、タバサだけでなく、側近のカステルモールやクリステルも勢いよく顔をあげた。

 

「土地の収穫量が増えれば、残った土地で養える人数が増える。その方法は是非とも教えてほしい」

 

「教えることは構いませんが、その神事には聖杯という神具が必要になります。神具はそう簡単に用意をすることができませんので、少しお時間をいただくことになります」

 

「時間がかかるのは仕方がない。それより、作成に時間がかかるということは、素材も貴重なものが必要なのではないの? わたしたちは対価として何を用意すればいい?」

 

「ハルケギニアには大量の風石が埋蔵されているのですよね。でしたら、それを譲ってくださいませ」

 

ランツェナーヴェの侵攻とその後のエーレンフェスト、貴族院での戦いの中では多くの貴族が命を落とし、あるいは罪人として裁かれることになった。アレキサンドリアの貴族の数はアーレンスバッハ時代に比べて随分と減っている。

 

アレキサンドリアだけではない。ユルゲンシュミットは全体的に魔力不足だった。それを解決するために、大量の魔力が詰まった風石は非常に魅力的だ。しかも、ハルケギニア側にとっては処分に困っているほどなので、わたしたちに譲渡しても困ることはない。

 

ハルケギニアから風石を譲ってもらい、それを使って大々的に祈念式を行い、大量の農作物を収穫して、余った分はハルケギニアに輸出する。その代価として、また風石を譲ってもらって、とすれば立派な貿易が成立する。幸いにもアレキサンドリアの国境門はしばらく開くつもりはなかったのだ。ハルケギニアと繋いでしまっても何の問題もない。

 

そして、いずれは風石だけでなく、ユルゲンシュミットよりも遥かに膨大な蔵書数を有するハルケギニアから本を輸入すれば、わたしの図書館は一気に蔵書で一杯になる。なんと素晴らしい計画だろうか。

 

「ロマリアの言っていることが本当なら、風石自体は大量に埋蔵されているはず。けれど、あまりに地中深くだと採掘するのは難しい。だから、すぐに渡すことはできない」

 

「すぐでなくとも構いません。わたくしたちも聖杯を作るのには時間がかかりますし、仮に聖杯を作ったとしてもハルケギニアではユルゲンシュミットと同じ効果は発揮してくれないかもしれません」

 

「そうかもしれない。けれど、他のマジックアイテムは、ローゼマインの説明と変わらない効果を発揮してくれた。だから、その神事というものにも期待をしたい。風石については、次にローゼマインが来るまでには代価として引き渡せるように準備しておく」

 

「風石の採掘が本格化するまでは他のものでもよいのですよ」

 

風石自体はハルケギニアではありふれたものだ。けれど、戦を控えた状況では風石の価値は高まっているはず。ガリアでは再建した両用艦隊のためにも使用しなければいけないはずなので、当面は他のものでも仕方がない。例えば本とか。

 

「わかった。風石が用意できなかったら、他に価値が高いものを用意しておく」

 

タバサはハルケギニアに行った直後からのわたしを知っている。その中でわたしたちがユルゲンシュミットでは珍しいとか、見たことがないとか言ったものについても把握している。そういったものから選んでくれるなら、わたしたちにとって悪い取引とはならないはずだ。

 

「時の女神 ドレッファングーアの本日の糸紡ぎはとても円滑に行われたようですね。それでは再びお目見えできることを楽しみにしています」

 

わたしがそう切り出すと、タバサはもう一度、お礼の言葉を残して部屋を去った。一方、わたしたちはアンゲリカを除いた側近を総動員してユルゲンシュミットへの帰還の準備を始める。ちなみにアンゲリカは部屋で静かに読書をするわたしの護衛だ。

 

わたしが準備を手伝うことはリーゼレータやグレーティアが許してくれないし、念のため誰か一人はわたしの護衛に残さないといけない。加えてアンゲリカは帰還準備には役に立たないどころか動かれると邪魔になるという理由での配役だ。

 

果たして本当にアンゲリカはわたしの護衛なのだろうか。わたしがアンゲリカのお目付け役の間違いではないだろうか。

 

「放っておくと面倒を起こす二人を、ああやって隔離すると仕事が捗るのだな。なるほど、レオノーレはあの二人のことをよくわかっている」

 

そんなことを考えていたところ、ふとそんな不穏な言葉が聞こえてきた。言葉の主はわたしとアンゲリカのことをよく知るエックハルト兄様だ。

 

まさかわたしがアンゲリカの同類と思われているとは思わなかった。確かに少し前のわたしなら書類仕事以外の手伝いは体力面での問題により早々に脱落して逆に側仕えの手を煩わせることになった。けど、今はそんなことはないのに。

 

そう反論したい気持ちもあれど、わたしがうろうろすると側近たちの手を止めてしまうのもまた事実。わたしはエックハルト兄様の言葉を聞こえなかったふりをして、そのまま読書を進めた。けれど、それはけして読書の魅力が側近に異議を唱えることに勝ったというわけではない。

 

そうして、わたしはハルケギニアの皆と夕食を一緒に取った後、無事にフェルディナンドが待つアレキサンドリアへと帰還を果たしたのだった。



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トリステインとの交渉

あたしはガリアの特使としてトリステインの王宮を訪れていた。目的は来るロマリアとの戦いにトリステインを味方に引き入れることだ。仮にそちらに失敗しても、マザリーニを次期教皇として担ぐことだけは認めてもらわねばならない。

 

案内された王宮内にはアンリエッタとマザリーニの他、護衛のアニエス。そしてルイズとサイトもいた。あたしは未だジャンを害そうとしたアニエスを許してはいないが、今はそのような感情を見せないようにする。

 

「ご無沙汰しております、アンリエッタ様。まずはガリア統一戦争の折にクルデンホルフ大公家へのお口添えのお礼を申し上げます」

 

「ジョゼフはわたくしたちにとっても放置できない相手でしたから。それより本日の来訪はそのときのお礼ではないのではありませんか?」

 

「そのとおりです。アンリエッタ様もルイズから報告は受けていると存じますが、ロマリアの教皇ヴィットーリオはサイトの故郷に軍事侵攻を企図しています。その際の勝算についてですが、わたくしたちの見立てでは皆無と見ています」

 

「そもそも、なぜ教皇聖下はサイト殿の故郷への侵攻など考えたのでしょうか? いくら聖地を取り戻すことが大事なこととはいえ、サイト殿がタルブで使った飛行機械より遥かに強力なものを多数擁する国に戦を仕掛けることが無謀なことであると、わからない方ではないでしょうに……」

 

「これから話すことは、他言しないようにしてください。ルイズも、サイトも」

 

あたしたちは大隆起の件についてはルイズに伝えていなかった。それは、さすがに早々にその事実が広がると、教皇が懸念していたパニック状態となるおそれがあるからだ。あたしはその秘密にしていた大隆起の話をトリステインの皆に伝える。

 

「まさか……そのようなことが……。それは真実なのですか?」

 

「真実であるかはわかりません。ですが、教皇の側近であったジュリオは真実であると信じていました。真実であると仮定した上で調査をしていくべきだと存じます」

 

「それで教皇聖下はサイト殿の故郷に侵攻することでハルケギニアの民を救おうとされたのですね」

 

「ハルケギニアの民が皆で生き残るというヴィットーリオの思い自体は理解できないものではありません。ですが、ヴィットーリオは聖地の奪還という甘美な響きと虚無という伝説の力に酔いしれて、彼我の戦力を冷静に分析するという、当たり前のことを忘れています。わたくしたちはヴィットーリオの妄想のためにハルケギニアに滅亡の道を進ませるわけにはまいりません」

 

トリステインがロマリア側につくというのは最悪のケースだ。絶対にそのような事態にはならないように釘をさしておく。

 

「アンリエッタ様も、シャルロット陛下の降臨祭の日の演説の内容について聞き及んでおられるでしょう? わたくしたちはロマリアの方針には反対してもロマリアへの侵攻までは考えていませんでした。ですが、ロマリアは我が国に謀略を仕掛けてきました」

 

そうして、こちらも他言無用と前置きしてから、事前には知らせていなかった処刑をされたジョゼットがタバサの双子の妹であること、ジョゼットが虚無の担い手である可能性があったことを伝えた。

 

「ルイズ、これは貴女にとっても他人事ではないわ。ロマリアはアンリエッタ様に反感を持つ貴族を巻き込んで、貴女を女王の位に就けようとした可能性もあった。トリステインがそのような謀略に巻き込まれなかったのは、単にルイズがヴィットーリオの聖戦に反対をしていた、より御しにくい相手だったからよ」

 

一方のジョゼットはそうではなかった。ジョゼットはジュリオに盲目的な恋心を抱かされており、ロマリアはそれを利用して傀儡にできた。そう伝えると、アンリエッタは不快そうに眉をひそめた。

 

アンリエッタはかつてアルビオンにウェールズへの恋心を利用された。そのときのことが思い出されたのだろう。

 

「これがわたくしたちが把握している全てです。これらを前提に、ガリアはハルケギニアを滅亡に導くヴィットーリオの野望を砕くためにロマリアに侵攻します。トリステインには、何卒、宰相のマザリーニ様をロマリアの新教皇へのご推挙をお認めいただきたく、本日は参上仕りました」

 

最善はトリステインがガリア側に立って参戦してくれることだが、今の感触ではそこまで要求をすべきではないだろう。

 

「その前に一つだけ聞かせてください。その大隆起というものに対して、ガリアはどのように対処をされるつもりですか?」

 

「特別なことは何も」

 

「何も、というのは?」

 

「ロマリアの考えているような、夢物語のような解決策はどこにもないでしょう。でしたら、残る土地を特定し、そこを開墾して人が住める場所に、あるいは農地にする。それでも賄いきれない民については、非情な決断もやむを得ません」

 

アンリエッタが息を飲んだのがわかった。おそらく自国の民で同じことをしなければならない可能性を考えたのだろう。だけど、聖戦も手を下すのが自らでなく敵というだけで、結局は同じことなのだ。

 

おそらくトリステインはそこまで追い込まれない。結果的にだが、アルビオン戦役ですでに大隆起を終えているアルビオンに広大な土地を得ているためだ。けれど、ガリアはそうはいかない。

 

「いただいたお話しについては、マザリーニともよく相談をしてからお返事をします。今日のところはひとまず、ルイズと旧交を温めてはいかが?」

 

「せっかくのお言葉ですが、わたくしは本日は魔法学院に立ち寄って、そちらの友人と食事をしようと思っています。ルイズとサイトについては、むしろアンリエッタ様の相談の場に同席された方がよいのではありませんか?」

 

ロマリアは虚無をサイトの故郷に侵攻するときの戦力の要と考えている。トリステインが道を選ぶとき、二人の意向は無視できないはずだ。

 

「わかりました。二人には王宮に残ってもらうことにします」

 

「それがよいでしょう。それでは、色よいお返事を期待しておりますわ」

 

ロマリアはトリステインに対して、隠し事を重ねている。それに対してガリアは知っていることは全て話したと言ってよい。隠したのはロマリアの地にガリアの民を入植させるということくらいだが、それは計画の一つであり、しかも未来の話だ。

 

トリステインの今の印象としてはロマリアとガリアではガリアの方が上のはずだ。後はそれを信じるしかない。

 

ヴィットーリオは頭は回るようだが、一つだけ大きな欠点がある。それは他人を信用することができないという点だ。ヴィットーリオはあくまで自分が高みに立ち、人を操ることで自分の望む結果を得ようとする。その際に騙された者の気持ちなどは考えない。

 

最早、ガリアの首脳部の中ではヴィットーリオは信用に値しない人物であるということで認識は一致している。今後、どのような提案をヴィットーリオが持ち込んだとて、ガリアが受け入れることはない。それらは全てヴィットーリオが自ら招いた不信感の結果だ。

 

トーナミ川での戦いの折、同じ陣の中で杖や銃剣を振るい、散っていった者たちの顔を、あたしは今でも忘れていない。彼らの懸命の戦いと死をもって勝ち取ったガリアの王位を掠め取ろうとしたロマリアのことは、あたしも許すことはできない。

 

それは、タバサも同じはずだ。少し前までタバサの右後ろに立っていたマノーアは両用艦隊との戦いで散って、そこにはクリステルが立つようになった。そして軍議では右側の最前列に座り、合戦では主力を率いたモローナはジョゼフの火石によって遺体も発見されないままアルヌルフに交代を余儀なくされた。多大な犠牲の上に勝ち取った玉座を簡単に明け渡すことなどできない。

 

何よりロマリアが余計な野心を抱かなければ、ジョゼットが死ぬこともなかった。母親のために懸命に材料を集めてユレーヴェを作ったタバサは、ビダーシャルの作った薬により、ようやく以前の親子の関係を取り戻した。今回のジョゼットの死と、それに対応するためのティファニアの忘却の魔法は、再び二人の間に暗い影を落とした。

 

ヴィットーリオは捕らえた上で、その身柄はエルフとの交渉材料とする。それがガリアの定めた方針だ。

 

それを果たすため、あたしも全力を尽くす。覚悟を改めながら、あたしは騎獣を出して、魔法学院へと飛行を始めた。



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ガリアの魔王

イザベラは自らが率いる北花壇騎士団所属の騎士六名と、東薔薇騎士団から借り受けた五十名と一緒に、リュティスの西三百リーグの位置にある森の中に潜んでいた。イザベラの目的は、近くここを通るガリア南西部の雄、フォンサルダーニャ侯爵を討つことだ。

 

フォンサルダーニャ侯爵は比較的早期にジョゼフからシャルロット側に鞍替えをした諸侯の一人だ。けれど、その心はシャルロットよりもロマリアにある。フォンサルダーニャ侯爵がシャルロット側に転じたのは、ジョゼフに恨みがあったことと、何よりロマリアの影響が大きい。自身が保有する北花壇騎士団の密偵からの情報、そして潜入させたイザベラ子飼いの“地下水”からの情報により、イザベラを含めたガリア首脳部はそう判断した。

 

他の諸侯ならば、捨て置くこともできただろう。けれど、フォンサルダーニャ侯爵の領地はロマリアとガリアをつなぐ“虎街道”のガリア側にある。

 

“虎街道”は左右を切り立った崖に挟まれている谷底に幅数十メイルの細長い街道が、火竜山脈を南北に突き破るように、直線で十数リーグも続く要衝。もしもガリア軍が谷を抜けた後でフォンサルダーニャ侯爵が裏切り、谷を封鎖したら全滅は必至だ。

 

フォンサルダーニャ侯爵が明確にガリアを裏切るという確証まではない。だが、仮に裏切りが発生すれば、一気に敗戦となりかねない。その危険性は無視をできず、ガリア首脳部はフォンサルダーニャ侯爵の処断を決断した。

 

方法としてはロマリアとの和睦の可能性について意見を聞くという建前で侯爵の呼び出しを行い、その途中で刺客をもって誅殺するという原始的なもの。その後は謀反の疑いにより処刑ということで公表される。

 

一応、命を奪う方法の他、王宮まで呼び寄せた後で、ティファニアの忘却の魔法で信仰心を忘れさせるという案もないではなかった。それならば、フォンサルダーニャ侯爵と妻子や護衛の命、そして領民たちの命も失われることはない。けれども、忘却の魔法で相手の重要な記憶や思いを忘却させると、どうしても言動が不自然になってしまう。

 

その後、すぐに処断するつもりならば構わないが、忘却を使った後に家族の元に返せば、言動の不自然さは顕著になる。王宮に呼び出されて、帰ってきたら別人のようになっていたとなれば、何やら怪しい薬でも使われたのではないかという憶測が立つ可能性は高い。

 

ただでさえ、シャルロットはジョゼフの薬で母の心を壊されたことがある。その話は公にこそされていないが、知っている者は知っているのだ。同じような手段を取ったのではないかと噂になることは避けられない。

 

誅殺されるというのは恐ろしいことだが、誰にでもわかる行為でもある。それよりも誰にもわからないうちに心を壊されることこそ、人は恐れる。フォンサルダーニャ侯爵に忘却を使用することは短期的には利が大きいかもしれないが、長期的に見れば重大な禍根を残すことになりかねない。

 

そのような経緯から、イザベラはこの地でフォンサルダーニャ侯爵のことを待ち構えている。他にガリア南西部で戦っていたこともあり、地理に明るいリョシューン伯爵が青備えの精鋭三千騎を率いて密かにフォンサルダーニャ侯爵の領地へと進軍している。

 

イザベラがフォンサルダーニャ侯爵一行を討ち果たしたなら、即座にオルドナンツを飛ばす。そして、リョシューン伯爵は間髪置かずにフォンサルダーニャ侯爵の領地へと攻め込んで残った一族を討ち果たす。それがイザベラたちの計画だ。

 

その計画を現実のものとするためには竜籠でリュティスまで来てもらうと困る。そのためリュティスへの道中に領地を持ち、フォンサルダーニャ侯爵と親交のある貴族を抱き込んで、侯爵夫婦に加えて長男夫婦を宴に招待をしてもらった。

 

宴への参加となれば、衣装も侍女も用意しなければならない。そうなると人数や荷物を積めない竜籠は不向きだ。フォンサルダーニャ侯爵は狙い通り馬車を手配して招待をしてくれた貴族の邸宅へと向かったいる。

 

潜伏を続けることしばし、偵察のため先行している騎士からフォンサルダーニャ侯爵の馬車を確認したというオルドナンツが届く。それを受けてイザベラは全軍に攻撃用意の指示を出した。

 

具体的な作戦としては火のメイジが前方に火柱を立て、まずは馬車の足を止める。それと同時に背後への道を騎士が塞ぎ、しかる後に森の中から一斉射を行って護衛を減らし、最後は切り込みを行って掃討を行うという流れだ。

 

全軍が攻撃準備を整える中、フォンサルダーニャ侯爵一行の四輌の馬車がイザベラたちの前へと迫ってくる。護衛の数は二十名でメイジらしき者は八名。侯爵と長男夫婦の移動ということで護衛はそれなりに厳重だ。

 

だが、ここにいるのは精鋭のメイジばかり五十名。戦力としては十分。

 

イザベラが静かに腕を真上に上げ、振り下ろす。それを合図に侯爵一行の馬車の前方に火の魔法が放たれた。

 

「敵襲!」

 

侯爵の護衛たちが即座に動き出した。それなりに経験を積んでいる者たちであることが、迅速な対応から窺えた。けれど、こちらはそれ以上の精鋭部隊。手はず通り侯爵一行の馬車の後方を押さえて逃走を防ぐと、森の中から魔法を放っていく。

 

「メイジ!? しかも、こんなに大勢だと!?」

 

森の中から飛来する魔法の多さに警備隊長と思しき者が驚愕の声をあげる。その間にも護衛は次々と討たれていく。

 

「これはシャルロット陛下の手勢の仕業か!」

 

そんな中、突如として馬車の扉が開き、中から出てきたフォンサルダーニャ侯爵が叫んだ。さすがに野盗を偽装するには戦力が過剰過ぎたかもしれない。この間にも馬車の中では親交のある貴族へのオルドナンツが準備されているかもしれない。

 

このままシャルロットが暗殺を行ったと広められるのは拙い。仕方なくイザベラは森の中から姿を見せた。

 

「これはイザベラ様、一体、どういうことですか? この私がなぜこのような襲撃を受けねばならないのですか?」

 

「それは侯爵が一番ご存知なのではありませんか?」

 

「そのような心当たりなどないから尋ねています。かの継承戦争の折、私が南部諸侯の誰よりも早くシャルロット陛下の元に馳せ参じた忠臣であったことは、イザベラ様もご存知なのではありませんか?」

 

「侯爵は自らを忠臣と自称しましたが、それならば、なぜロマリアと頻繁に連絡を取っておられるのでしょう? 直近だと、確か三日前でしたか?」

 

そう尋ねるとフォンサルダーニャ侯爵の顔色が変わった。“地下水”からの情報で、文のやり取りを行っていることまではイザベラも掴んでいる。ただ、文の内容までは把握できていない。だから、これは一つの賭けだったが、どうやら文の内容はガリアにとっては都合の悪いものであったようだ。

 

「侯爵、大人しく捕縛されるのならば、この場での命は保証しましょう。手向かうならば、謀反の罪でこの場で処断します」

 

「おのれ、神を軽んじる大罪人の一族め! 簡単に私を討てると思うな!」

 

「侯爵を討ち取れ!」

 

フォンサルダーニャ侯爵が杖を掴み、詠唱を開始するのと同時にイザベラは護衛に囲まれたまま森の中へと退く。逆に東薔薇騎士団の騎士たちは一斉にフォンサルダーニャ侯爵の一行へと襲い掛かった。

 

元より数も練度もこちらが圧倒的に上。フォンサルダーニャ侯爵は奮戦したが、妻と長男夫婦とともに怨嗟の声を残して討ち取られた。

 

「リョシューン伯爵、神の背を覗かんとする者は神罰を受けられました」

 

予め決めてあったフォンサルダーニャ侯爵の暗殺の成功を知らせるオルドナンツを送り、イザベラは騎士たちに侯爵のみ首を取り、他は森の地中深くに埋めるよう指示を出す。結果的に誅殺することにはなったが、フォンサルダーニャ侯爵個人に恨みはない。せめて侯爵の家族や部下の遺体が魔獣などに荒らされることを防ぐための手段だった。

 

その作業を見守っていると、リョシューン伯爵からフォンサルダーニャ侯爵の館を襲撃して一族の悉くを討ち果たしたという知らせが届いた。シャルロットがガリアの魔王と恐れられ始めたのは、このときからだった。



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宗教戦争
四度目のハルケギニア


前回のハルケギニア訪問から季節が一つ過ぎた。アーレンスバッハの猛烈な暑さもようやく和らぎ、過ごしやすくなってきた中、わたしはフェルディナンドと一緒に作成した小聖杯三個を手に、再びハルケギニアを訪れようとしていた。

 

ユルゲンシュミットで過ごしている期間については、ハルケギニアと時の流れはほぼ同じくらい。前回の訪問時が始祖の降臨祭の時期であったため、ハルケギニアはもうじき春ということ。つまり祈念式の季節だ。もしもハルケギニアでも祈念式ができて、それで収穫量が上がるながら、大隆起後に生き残れる人は増えるはず。そして、無用な争いで命を失う人を減らすことにもなる。

 

大勢の人の命がかかっているということで、今回もフェルディナンドは肩入れしすぎだと苦言を呈しつつもハルケギニアに行くことを認めてくれた。危険は絶対に避けるようにと言い含められ、エックハルト兄様も連れていくよう言われたのも前回と同じだ。

 

少し違ったのは、祈念式が終わったら、少しゆっくりしてからユルゲンシュミットに帰還すればいいと言ってくれたことだ。ハルケギニアで数日休んでも、ユルゲンシュミットでは鐘半分の時間も過ぎていない。だから、この機にハルケギニアで疲れを取り、少し読書などを楽しんできてもいいと。

 

おそらく慣れない暑さの中でアウブとしての仕事を頑張ったご褒美なのだろう。相変わらずフェルディナンドはわかりにくいけれども、優しい。だから、わたしは帰還したらすぐにフェルディナンドの執務をお手伝いができるように、しっかりと休息を取って帰ってきますね、と言ったのだ。

 

「君は考え違いをしている。そもそも、これは君の執務で、それを私が手伝っているのだ。発言には気を付けなさい」

 

なのに、わたしの言葉に対して返ってきたのは、お小言だった。確かにフェルディナンドがアウブであるかの発言で迂闊だったとは思う。でも、そのときにわたしたちの周囲にいたのはエーレンフェスト時代からの側近たちだったのだ。少しくらい大目に見てくれてもいいと思う。けれど、その思いもしっかりフェルディナンドには見透かされていた。

 

「迂闊な君が他の者の前でもそのような発言をしないよう注意したということがわからぬわけではあるまい」

 

そして、哀れわたしのほっぺが犠牲になった。フェルディナンドこそ、アウブのほっぺを気軽につねる癖はやめた方がいいと思う。もっとも、フェルディナンドの場合は見せてはいけない者たちの前でうっかりミスなんてしないのだろうけど。

 

ともかくわたしは小聖杯を持って四度目となるハルケギニア訪問を行うことになった。同行してくれる側近は前回と同じ、側仕えがリーゼレータとグレーティア。護衛騎士としてエックハルト、コルネリウス、レオノーレ、アンゲリカ、マティアス、ラウレンツ。文官がハルトムート、クラリッサ、ローデリヒだ。

 

「それではフェルディナンド様、行ってまいります」

 

「絶対に危険なことには首を突っ込まないように」

 

「何度も同じことを言わなくてもわかっていますよ」

 

「何度も同じことを言っておかねば、君は同じような失敗をするではないか。実際、それに近い者に心当たりもあることだしな」

 

王族に関わるなと何度も言われていたにもかかわらず、どっぷりと関わりを持つことになった。そして結局は国の礎をかけての貴族院の戦いにも参加することになったという前科があるだけに反論はできない。けれど、近い者というのはおそらくユストクスのことではないだろうか。それはわたしでなくフェルディナンド自身で処理してほしい。

 

「わかっています。だからフェルディナンド様はエックハルト兄様をわたくしに付けるのでしょう?」

 

だから心配はしなくていい、と伝えたのだが、なぜかフェルディナンドは更に心配そうな顔になった。

 

「なぜか、エックハルトを付けた方がより危険な気がしてきた」

 

エックハルト兄様はフェルディナンドのためとなると、割と暴走する傾向がある。けれど、フェルディナンドがいない状況なら大丈夫だと思う。

 

「前回も争いには関わらなかったではありませんか。だから、今回も大丈夫ですよ」

 

「前回と今回では情勢が異なる可能性が高いことは君も理解しているだろう?」

 

前回の訪問のときは、タバサがガリアの統一を果たしていると予想される中だった。それに対して今回はロマリアとの開戦間近か、開戦直後かというタイミングだ。危険度は今回の方が大幅に上だろう。

 

「大丈夫です。基本的には祈念式だけを行う予定ですから。それすらも危険と思えばすぐにユルゲンシュミットへと帰還します」

 

「その言葉、忘れないように」

 

フェルディナンドから長い注意を受けて、わたしはハルケギニアへの世界扉を開く。今回は最初に扉を潜るのはレオノーレだ。先頭をレオノーレにしたのは、前回までの訪問で高確率でキュルケの前に出ると予想されるためだ。

 

レオノーレの後はハルトムート、コルネリウス、エックハルト、マティアス、ラウレンツ、リーゼレータとグレーティア、ローデリヒと続く。わたしはそれから少し遅れてアンゲリカとクラリッサに挟まれる形で最後に世界扉を潜る。

 

わたしたちの前にいたのは、予想通りキュルケだった。ただし、城とは明らかに違う木の壁に囲まれた部屋の中だった。

 

「久しぶりですね、キュルケ。こちらはどちらですか?」

 

「先触れの方法なんてないから仕方ないんだけど、いつもながら急ね。ここは両用艦隊の旗艦『シャルル・オルレアン』号の中よ」

 

「両用艦隊の旗艦の中の一室なのですか?」

 

キュルケがハルケギニア最強と言われた両用艦隊の旗艦の一室にいる。それは、出陣中ということではないだろうか。

 

「ローゼマインが予想した通りよ。今、両用艦隊はロマリア艦隊と決戦に臨むために南下しているところよ」

 

「それは、拙いところに来てしまいましたか」

 

「そうでもないわ。ロマリア艦隊との接敵まではまだ時間があるから。ローゼマインたちはガリアで祈念式というものをしてくれるためにこちらに来たのよね。それなら一人、騎士をつけるから、その騎士の案内でリュティスへと向かうといいわ」

 

そう言ったキュルケはオルドナンツで一人の騎士を呼びだした。わたしも見覚えのある顔だ。確か両用艦隊に攻撃を加えるために騎獣を使えるようになった、タバサの護衛騎士の中でも信任の厚い騎士だったと思う。

 

「フランソワ、ローゼマインたちをリュティスまで護衛してくれる? リュティスに着いたらイザベラのところに案内してあげて」

 

「かしこまりました」

 

フランソワと呼ばれた騎士が答えるのを聞いたキュルケは、わたしたちに向き直る。

 

「本来なら、陛下が祈念式のやり方を教わるのが一番だと思うけど、陛下もすでに出陣が間近に迫っているの。陛下が急遽、自身の出陣を止めたとなれば兵たちに動揺が走るから今回は留守を守るイザベラに教えてもらえるかしら。そうしたら、来年はイザベラにやり方を教えてもらうこともできると思うから」

 

「わかりました。けれど、シャルロット様に相談もせずに、そのような大事なことを決めてもよいのですか?」

 

「あら、陛下とはちゃんと相談してあるわよ。艦隊が出港する前にね」

 

驚いて視線を向けると、キュルケは悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべる。

 

「ローゼマインならきっと祈念式に間に合うように聖杯というものを作ってきてくれると思っていたわ。だから、ローゼマインがきたらどうするか、ちゃんと陛下とは話を詰めていたってわけ」

 

「キュルケの用意のよさに驚きました」

 

「ローゼマインに対する信頼と言ってほしいわね」

 

ともかく、それならば予めキュルケたちが考えた通りに動けばいいだろう。

 

「リュティスまでの護衛、よろしくお願いしますね、フランソワ様」

 

「お任せください」

 

「イザベラにはあたしからもオルドナンツを送っておくわ」

 

「ええ、お願いします」

 

このまま船に乗っていてはリュティスは遠くなるばかりだ。幸い、ユルゲンシュミットで食事は済ませてきたので、すぐに出発しても問題ない。

 

わたしたちは早々にキュルケに別れの挨拶をしてフランソワと一緒にリュティスへと飛び立った。



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艦隊戦

ガリアとロマリアをつなぐ“虎街道”は左右を切り立った崖に挟まれた幅数十メイルの細長い街道だ。当然ながら展開できる兵力は限られ、守るに易く、攻めるに難い要衝だ。正攻法では双方に多大な犠牲を生む消耗戦になるのは目に見えている。

 

だから、あたしたちは虎街道を空軍戦力を用いて突破することにした。道幅が狭いということは、退避する場所も限られるということだ。空からの砲撃に虎街道は強くない。

 

けれど、ロマリア側もそんなことは百も承知だ。ロマリア側も艦隊を虎街道上空に展開してきた。艦数は四十隻ほど。再建された両用艦隊の戦闘艦は八十隻ほどだから艦数では半分ほどに過ぎない。けれど、ロマリア側は親造の艦が多く士気も旺盛。更にはロマリアには独自の空軍戦力としてペガサス部隊がある。

 

ガリアの各艦には対空装備として“空飛ぶヘビくん”が装備されている。これでペガサス隊に対する防衛力はかなり高まっている。

 

それでも、あたしたちの騎獣部隊に手痛い打撃を受けた記憶は両用艦隊の皆にとっては新しいものらしく、緊張感は強い。既存部隊であるペガサス部隊への対応訓練は両用艦隊も行っていると聞いてはいるが、ガリアとロマリアはこれまでは同盟国であったため、実際の交戦経験はないのだ。その緊張感がどのように作用するかも不明だ。

 

総じて見れば、やや有利ではあるものの油断はならない戦い。それがガリア首脳部がこの戦いに対して下した評価だ。

 

そうした評価に基づき、あたしは軍監として旗艦シャルル・オルレアンに乗り込んでいる。他にジャンも同様の役職で第二戦隊の旗艦ロレーヌに乗艦している。他にいざとなれば戦闘に参戦できる騎獣持ちの貴族は、ほとんどが艦に乗り込んでいる。

 

「キュルケ殿、あと三十分で虎街道上空に差し掛かります。上甲板までお越しください」

 

「ありがとう、ヴィレール少尉、すぐに向かいます」

 

部屋の扉を叩いた士官にそう答えて、キュルケは上甲板に上がった。甲板上の指揮所には艦隊司令のクラヴィル卿の他、艦隊参謀のリュジニャン子爵、シャルル・オルレアン付きとしてキュルケと一緒に派遣されたソワッソン男爵がいた。

 

「キュルケ殿、偵察に出た風竜からの報告によると、ロマリア艦隊は予想通り虎街道上空に単縦陣で布陣しているようです。我らは艦数の差を生かして同じ単縦陣にて反航戦での戦いを挑みますが、それでよろしいですか?」

 

「わたくしは艦隊戦に詳しいわけではございません。わたくしの役職については飾りのものと考えて、単なる騎獣持ちの戦力の一人と考えてくださって構いません。実際の戦闘に関してはクラヴィル卿にお任せいたしますわ」

 

「私に関しても同様にお考えいただいて結構」

 

「わかりました。では、主に敵のペガサス部隊に取り付かれそうなときにはお力をお借りさせていただきます」

 

クラヴィル卿がそう答えたところで、あたしはソワッソン男爵と一緒に少し離れる。両国の艦隊の間で遠距離での砲撃戦が行われている間は、指揮所にいても邪魔になるだけだ。

 

「敵のペガサス部隊が接近してきた場合には、まずは私が向かいます。キュルケ殿はしばらくは出撃を控えていてください」

 

「わかりました」

 

そもそも多くの艦が“空飛ぶヘビくん”を発射している中では騎獣で飛ぶことはできない。それでも敵が艦の近くまで接近してきた場合には出撃した方がいいはずだ。それでも、あたしの騎獣での出陣をなるべく見合わせろという指示はタバサの意向をくんだものだろう。ここで断るのはソワッソンに迷惑となるだけだ。

 

あたしたちが話している間にもガリアとロマリアの両国の艦隊の距離は詰まってくる。ガリア側は第二戦隊を先頭に第一戦隊、第三戦隊の順で従陣を組み、敵艦隊に砲撃戦を仕掛ける。第四戦隊は多数のペガサス部隊を擁するロマリアの奇襲を警戒して非戦闘艦の護衛に残すため戦闘には不参加だ。

 

接敵を前にガリア艦隊からは竜騎士隊が、ロマリア艦隊からはペガサス部隊が飛び立ち、互いを牽制しあう。そしてついに、第二戦隊の先頭を進む防空巡洋艦アルマが敵の空軍部隊に対して“空飛ぶヘビくん”を発射。続いて、通常の散弾を用いて対空射撃を開始した。

 

見たことのない兵器で仲間二騎が撃ち落とされたのを見て、ロマリアのペガサス部隊は距離を取った。アルマの空けた敵空軍の穴を進み、第二戦隊の各艦が次々に砲撃を開始する。両艦隊の間で砲弾が飛び交い、被弾した艦が進路を変えて離脱を図る。ガリア艦隊からも六隻が黒煙を上げて戦場から離脱した。双方ともに今は目の前の敵に忙しいため、離脱した艦は放置して目の前の敵に集中している。

 

「本艦隊も間もなく敵艦隊を射程に収めます」

 

「全艦、砲戦準備!」

 

クラヴィル卿が声を張り上げると、マストに旗流信号が掲げられ、旗艦の命令が各艦に伝えられる。艦の皆に緊張感が満ちるのがわかった。『シャルル・オルレアン』の率いる第一戦隊において、旗艦は防空巡洋艦ジャンヌに続く二番手。比較的射程の短いジャンヌに対してシャルル・オルレアンは長大な砲を多数、配備している。ジャンヌは対ペガサス隊に集中するため、砲撃はシャルル・オルレアンから開始される。

 

「砲撃開始!」

 

クラヴィル卿の指示の元、シャルル・オルレアンが砲撃を行った。轟音とともに艦が右側に大きく傾いた。

 

「艦の態勢、戻せ! 次弾装填! 装填後は準備が整い次第、一斉射撃! 砲甲板の各砲術士官は連携を取って砲撃のタイミングを合わせよ!」

 

クラヴィル卿が叫ぶ間にもロマリア艦隊からも砲撃が返される。

 

「ロマリア艦隊は本艦に砲撃を集中させている模様!」

 

次から次へと飛来してくる砲弾に、リュジニャンが悲鳴のような声を上げる。さすがに旗艦だけあり、大型の上に多くの風メイジが防御魔法を唱えているが、それでも船首近くの砲甲板と船尾下部に被弾をしていた。

 

「本艦はそう簡単には沈まん! シャルル・オルレアンに攻撃が集中するなら好都合! 各艦は本艦を囮に全力で攻撃を加え、敵艦隊を撃滅せよ! 三度も無様な戦をすることは許されんと思え!」

 

クラヴィル卿が言った無様な戦の一度目と二度目はあたしたちとの戦いのことだろう。もしもここで戦力的に優位にありながらロマリア艦隊に負けるということは巨費をかけて建造された両用艦隊が張子の虎であったと言っているに等しい。両用艦隊各員の本戦にかける思いは想像以上に強かったようだ。

 

あたしも風魔法は苦手ながら艦の防衛に参加する。その間にも第一戦隊に所属する各艦はロマリア艦隊に向けて猛烈な射撃を加える。第一戦隊の各艦は反撃を考慮せず、できる限り接近しての射撃を試みる。

 

たまらずロマリア艦隊の各艦が他の艦に狙いを移すと、今度はシャルル・オルレアンが射撃を開始する。一隻単位ならオルドナンツを使って素早く命令を伝えられるガリアに対し、ロマリアは旗流信号か発行信号しか命令伝達手段がない。即応力ではガリア艦隊が圧倒的に優位だ。

 

やがて艦隊の先頭を進んでいた第二戦隊のアルマから回頭開始というオルドナンツが届いた。どうやら第二戦隊はロマリア艦隊の最後尾の艦まで進むことができたようだ。これから第二戦隊は敵艦を追いかけての同航戦に入る。今のところ、第二戦隊の旗艦ロレーヌが撃沈されたという連絡はない。

 

きっとジャンは大丈夫だ。それより今は自分のことだ。ジャンのことに気を取られている間にシャルル・オルレアンが直撃弾を受けて、あたしが戦死なんてことになれば、ジャンは絶対に気に病んでしまう。魔法学院の生徒たちが亡くなったときもジャンは気に病んでいたのだ。同じような思いはさせない。

 

「ええい、いつまでも鬱陶しい!」

 

苦手な風魔法で参加していたものの、あたしの防御への貢献なんて微々たるもの。それよりも得意の火魔法を使った方がいい。そう判断して敵艦に向けて巨大な火球を飛ばす。距離が離れすぎて、さすがに後から軌道を変化させることはできない。命中弾となることはないだろうけど、回避のために回頭を行って、それで狙いがずれてくれれば十分。

 

「あたしは、ここで死ぬわけにはいかないのよ」

 

トーナミ川で精神力不足を助けてくれた回復薬はない。それでも敵艦隊とはすでに半数以上とすれ違っているのだ。ここからなら、もってくれるはずだ。ガリア統一戦では何度も精神力が空になるまで魔法を使ったのだ。おかげで自分の限界はわかっている。

 

それからあたしは、敵艦に向けて精神力の続く限り火魔法を放ち続けた。



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空戦の終了

元トリステイン魔法学院の教師、今はガリアのアカデミーの所長を務めるコルベールは両用艦隊第二戦隊の旗艦ロレーヌの上甲板でじっと戦況を見守っていた。第二戦隊の先頭を進む防空巡洋艦アルマはすでに回頭を始め、ロマリア艦隊の後を追おうとしている。もう少しすると、ロレーヌも回頭してその後を追うことになる。

 

ロマリア艦隊との戦いにおいて、ロレーヌはそれほど敵艦に接近をしなかった。第二戦隊の先頭付近に配された艦は比較的小型の艦が多く、大型のロレーヌなら少し離れても敵艦からは近く見えるという計算の元だった。

 

艦長の判断通り、ロレーヌは比較的多くの砲弾を撃ち込まれたものの、被弾は一発のみ。航行には支障がない範囲だった。

 

けれども、それはあくまで艦自体の戦闘能力に関してのもの。砲弾が直撃した付近には弾に押しつぶされて口から血を吐き、息絶えた水兵の姿が見える。助かりそうな負傷者は艦内に運び込まれ、今は水メイジの治療を受けているはずだ。

 

コルベールは戦が嫌いだった。コルベールは、かつてトリステインで魔法研究所実験小隊の隊長として多くの人を殺めた。その反省から、二度と自らの炎を破壊のためには用いぬと誓った。けれど、情勢はそれを許してくれなかった。

 

教え子であるタバサは母親のためにガリアと戦う道を選び、今はコルベールにとっても大切な存在であるキュルケは、友のために共に立ち上がった。その二人を見捨てることなど、コルベールにはできなかった。

 

コルベールは再び戦場に立ち、多くの人を手にかけた。けれど、それでも守りたい者たちを守りきることなどできない。事はすでに少人数での小競り合いではなく、万を超える者たちが命を奪い合う事態に突入していた。そんな中ではいかなトライアングルのメイジであるコルベールでも、戦場全体に影響を及ぼすことはできない。

 

コルベールに迷いがなくなったのは、トーナミ川での戦いだ。あの戦いでは、同じ陣で戦う者たちが大勢、命を落とした。コルベールはまだ敵を焼くことに若干の躊躇いがあったことと、味方の被害を減らすことを第一にするという目的のため、敵を焼き殺すより広範囲の者に火傷を負わせる魔法を多用した。

 

そのときに命を落とさずとも、重い火傷は後から人を死に向かわせることがある。何より、コルベールがついた北朝は、その後で川の堰を切って多くの敵兵を押し流した。負傷者たちがそれから逃れられなかった可能性は高い。

 

結局、コルベールがやったことは単なる自己満足にすぎなかった。けれど、自分の卑しさを自覚したのは、そのときではない。

 

トーナミ川の戦いでは魔法学院から参戦したコルベールの生徒たちからも犠牲が出た。クリストフとマキシム。二人とも正義感に溢れる貴族だった。その二人の死を知ったとき、コルベールは確かに悲しんだ。

 

けれど、心のどこかでは同時に思っていたのだ。死んだのがキュルケでなくてよかったと。それを自覚した瞬間から、コルベールは全ての躊躇いを捨てることに決めたのだ。

 

コルベールは今、かつてないほど死を恐れている。一番はキュルケの死だ。彼女が自分を残して死んだ場合というのは、考えたくない。次に恐れているのは、自分の死だ。自分が死ねば、きっとキュルケは悲しむ。彼女のそのような姿は見たくなかった。

 

戦場の様相は、すでに敵に対して情けをかけられる状況ではなくなっている。一人の力では何かを為すことはできない。けれど、一人の力でも、自分が助かる道を少し広げるくらいのことはできる。

 

この戦いでは、もはや手加減などしない。力が振るえるときがきたら、自分は炎蛇と化し、容赦なく敵を屠ろう。

 

ロレーヌが回頭を終えた。それと同時にロマリア艦隊の陣形が崩れ始めた。ガリア艦隊は愚直な単縦陣で反航戦を仕掛けると見せかけて、第三戦隊は敵艦隊の前方を横切るような航路を取ることになっていた。

 

今頃、これまでの戦いで傷ついたロマリア艦隊の先頭艦は無傷のガリア第三戦隊の集中攻撃を受けていることだろう。その砲撃から逃れようと、敵艦隊は進路を変えようとしているのだ。第一戦隊の役目は、それを許さず各個撃破することだ。

 

ロレーヌはロマリア側の不利を見て、艦隊から一時離脱を図ろうとする敵二等戦艦に狙いを定めた。舳先を真っ直ぐに敵に向けて一気に接近を図る。“空飛ぶヘビくん”で艦の前方に攻撃ができるロレーヌと違い、敵艦は艦尾の敵に有効な反撃ができていない。

 

たまらず敵艦は回頭しての砲撃戦を試みてきた。その間にもロレーヌは急速に敵艦へと接近している。

 

「コルベール殿、お願いいたす」

 

敵艦が回頭を終え、砲撃を開始しようかというタイミングで戦隊付の参謀から言われる。その声に静かに頷き、コルベールは敵艦の砲台に被せるようにフレイム・ウォールの魔法を唱えた。

 

砲台の奥、火だるまになった水兵たちが、もがき苦しむ姿が見える。それはコルベールが作り出した地獄だ。そして、真の地獄は、その後に訪れることになる。敵艦の砲台の反撃能力を封じたロレーヌは回頭して舷側を向けると、一斉に砲撃を開始した。

 

ロレーヌが敵艦に接近したのは、コルベールの魔法が届く距離に入るため。そして魔法で敵艦の砲撃を封じている間に、一気に敵艦を撃沈に追い込むためだ。自分より大きな戦艦を相手に、比較的近い距離から砲撃を受けた敵艦の状況は悲惨というよりなかった。

 

マストは倒れ、甲板にも舷側にも大穴が開いている。艦上には、あちこちに負傷者や死者が転がっている。それでも砲撃は止むことはない。まだ艦内に貴族が残っていて、反撃をしてこないとは限らないからだ。ロレーヌが砲撃を止めたのは、敵艦が炎に包まれて地上へと落下を始めてからだった。

 

敵艦の火災の程度はかなり激しい。艦内の生き残りは、メイジならば燃え盛る艦から逃れることも可能だろうが、平民は地上に降りる前に焼死するか、自ら艦の外に飛び降りて墜落死するかしか選べないだろう。

 

もうあの艦の者たちに助かる道はない。以前の自分ならば、せめて苦しまぬようにと命を奪う魔法を使ったかもしれない。けれど、今はそれよりも精神力の温存の方を選ぶ。

 

戦闘力を失った敵艦は放置して、ロレーヌは損傷した巡洋艦に標的に定めた。回頭して敵艦を追いかける艦の上甲板上でコルベールは次に使う魔法の詠唱を始める。ロレーヌは砲撃を行いながら敵艦に接近していく。敵艦は他艦との戦闘で損傷しているらしく、満足な反撃が行えていない。ただただ短期間で沈めるために、コルベールは魔法を敵艦に放ち、艦内に地獄を作り出す。

 

短時間で敵艦を沈めたものの、結果的にロレーヌが行った敵艦への攻撃は、それが最後となった。ロマリア艦隊はガリア艦隊の攻撃を受けて、散り散りになっており、後は各艦での追撃戦になったためだ。

 

一等戦艦であり、巨体のロレーヌは足はやや遅い。全力で逃げる快速の艦に追いすがることは諦めて損傷を受けた艦の支援に向かった。そこには、同じくロマリア艦隊の追撃戦には加わらなかった旗艦シャルル・オルレアンの姿もあった。

 

しかし、シャルル・オルレアンはロレーヌに比べて損傷が大きい。一応、沈む心配はせずともよさそうだが、甲板上には大きな穴が三つも見える。一応、上甲板には損傷は見られないため、キュルケは無事だと思うが、最初は肝が冷えた。

 

「第一戦隊軍監のキュルケです。コルベール殿、第二戦隊の損傷艦はどの程度ですか?」

 

そこに第二戦隊の損傷を尋ねるオルドナンツが飛来した。声の主はキュルケだ。おそらく軍監としての質問以外に自分の安否確認の意味もあるのだろう。

 

「第二戦隊軍艦のコルベールだ。第二戦隊で確認できている沈没艦は駆逐艦モントルイユ、駆逐艦アンティーブだ」

 

自分に怪我はない。そう伝わるようにコルベールは胸を張り、力を込めて声を吹き込む。それが伝わったのか、次にキュルケから届いた了解の声を運んでくれたオルドナンツは安堵の響きがあった。

 

この一戦でロマリア艦隊は半壊状態となり、情勢不利と見たロマリア軍の地上軍は虎街道から撤退した。一方、ガリア艦隊も五隻の沈没艦と、多数の損傷艦を出すことになった。結局、ガリア艦隊は敵艦隊牽制のための四十隻あまりを残し、大半は修理のために帰国することになる。

 

この戦いを機に戦場は地上へと移ろうとしていた。



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ハルケギニアでの奉納式

わたしたちがリュティスに着いた頃には、事前にキュルケから聞いていた通り、タバサはすでに軍を率いてロマリアへと向かっていた。そのため、わたしたちは留守を預かっているイザベラの前にいる。ひとまず到着の挨拶をして、まずは祈念式を行うための前段階となる奉納式を執り行うのは明後日にすることなどが決められた。その後は現在のハルケギニアの状況を聞くためにお茶会となった。

 

「ローゼマイン様、祈念式を行っていただけること、シャルロット様に代わってお礼を申し上げます。正直に言うと、ガリアに限らず、大隆起後の情勢はかなり厳しくなることが予想されますので」

 

「ハルケギニアの皆さまには、大隆起のお話はどこまで伝えられているのですか?」

 

「ガリアについては主要諸侯には話をしています。事が起こってから、隠していたと言われることは避けたいですから。他国に関しては、トリステインとゲルマニアには王族には情報提供をしています。そこから、どの範囲まで話が伝わっているかは、各国の王族を始めとした首脳部の判断次第ですね」

 

「大隆起に関して、ハルケギニアの皆さんがパニック状態とはなっていませんか?」

 

「今のところ、大きな騒ぎとはなっていません。広く一般にまでは話が伝わらぬようにしていますし、そもそも諸侯についても半信半疑といった具合ですからね」

 

急に自分たちのいる大地が空に浮き上がると言われても、にわかには信じられないのも無理はない。だからこそ、一度目の隆起の後が心配になる。

 

「最終的にはハルケギニアの半分が空に浮き上がる。そうなると、住める場所なども半分になってしまうのでしょうから、深刻ですね」

 

そう言ったわたしに、イザベラは沈痛な表情で首を横に振る。

 

「半分では済まないでしょうね」

 

「え?」

 

「一番、案じていることは川が途中で寸断されてしまうような事態です。そうでなくとも重大な地下水脈が分断をされてしまうこともあるかもしれません。そうなると、これまで町であった場所が、住むことが難しい場所となることも考えられます」

 

大地が浮き上がった場合、そこに残されるのは大きな穴となるのだろうか。そうなると、そこに流れ込んでしまった水は利用するのが難しくなるだろう。土魔法などで堤防などを築いて流れを変えるとしても、前と同じ流れに戻すまで迂回させるのは、かなりの手間と時間を要することになるだろう。

 

「わたくしが考えた以上に、事態は深刻ということですね」

 

「それでも、一度に全部というわけではなく、年数をかけて徐々にであると予想されていることが救いですね。今は大河の周辺の地下を集中して調査をしているところです」

 

一度に大量の水が失われることは、町が浮き上がる以上に多くの人に影響を受ける可能性が高いと見ての決定だろう。ロマリアとの戦いの準備を進める一方で、タバサはきちんと後のことも考えていたようだ。

 

今はわたしもアウブとなったので少しはわかるけど、国というものは維持するだけでも大変なのだ。そんな中、難局に挑んでいるタバサには頭が下がる。

 

ひとまず今のところ仕入れておきたかった情報は得られた。わたしたちはイザベラの前を辞して奉納式の準備に取り掛かる。

 

といっても、実際に準備を取り仕切るのはハルトムートで、わたしはグレーティアの準備してくれたお茶を飲みながら側近たちを見守っているだけだ。わたしは現在も神殿長なのだが、儀式の準備については以前はフェルディナンド、二年前からはハルトムートと神官長に任せきりで、ほとんど把握をしていないのだ。

 

ここにはハルトムートの手足となって働いてくれるフランたちがいない。文官として儀式の大まかな流れを理解しているのもローデリヒだけだ。リーゼレータとグレーティアとクラリッサは神殿にいなかったし、護衛騎士たちもわたしの側にいたのでハルトムートや灰色神官たちが行っていた準備については把握していない。それはエックハルト兄様についても同様だ。

 

ハルトムートはローデリヒに加えて、わたしの身の回りの品を揃えるために女性の側近であるレオノーレとクラリッサとリーゼレータ、そしてマティアスとラウレンツまでもを上手く使って儀式の準備を整えている。ちなみに、わたしは準備には加わらない。わたしが準備に加わると、側近たちが気を遣ってしまうからだ。けしてわたしが役立たずだからとか、そういう理由ではない。

 

わたしたちの儀式の準備の様子は、ガリアの文官モルガン、ジェローム、アルフォンス、ブリジットの四人がメモを取りながら見守っている。わたしたちが祈念式のために必要な準備を見せることができるのは、今回が最初で最後になってしまう可能性が高い。四人ともハルトムートの説明を真剣に聞いている。

 

「それにしても、レオノーレは側仕えの仕事さえできそうですね」

 

そのような中、暢気な声をあげたのはアンゲリカだ。わたしの荷物の用意は筆頭側仕えのリーゼレータが指揮を執っている。けれど、レオノーレはリーゼレータの指揮がなくとも準備を行うことができそうに見える。レオノーレは騎士としても個人戦の他、指揮も執れて、領地対抗戦の折には文官の仕事も手伝えるほど多才だ。リーゼレータの指揮があっても邪魔にしかならないアンゲリカには信じられない技能だろう。

 

側近たちの働きにより、無事に奉納式の準備は整った。そして訪れた奉納式の日、わたしはイザベラと四人の文官と一緒に祭壇を設けた小部屋へと向かう。

 

小部屋には祭壇が設置され、神具が飾られ、持ち込んだ三個の小聖杯が並んでいる。両側の壁際には篝火のように火が焚かれていて、それが部屋を暖めていた。祭壇の前まで進んだわたしは跪き、祭壇へと続く赤い布に手を当てる。

 

わたしの後にイザベラとモルガン、アルフォンスとブリジットの四人も赤い布に手を付いた。ジェロームはやや魔力が低いということで今回は魔力の奉納は見合わせ、記録に専念するということだ。

 

「我は世界を創り給いし神々に祈りと感謝を捧げる者なり」

 

祈りの言葉はすでに紙に書き写され、イザベラたちに渡されている。三人とも祝詞を間違えることなく復唱する。

 

「高く亭亭たる大空を司る最高神は闇と光の夫婦神。広く浩浩たる大地を司る、五柱の大神。水の女神フリュートレーネ。火の神ライデンシャフト。風の女神シュツェーリア。土の女神ゲドゥルリーヒ。命の神エーヴィリーベ。息づく全ての生命に恩恵を与えし神々に敬意を表し、その尊い神力の恩恵に報い奉らんことを」

 

祈りの文句を口にするうちに、するりと自分の中から魔力が流れていく。魔力を吸った赤い布がキラキラと光り、魔力が光の波となって祭壇の方へと流れていく。

 

イザベラたちハルケギニアの貴族は物に魔力を流すという経験に乏しい。勢いよく魔力を流し過ぎて気絶させてしまわないように慎重に少しずつ魔力を流す。

 

「そこまでです」

 

ハルトムートに言われて、わたしは魔力を流すのを止めた。小聖杯二個くらいなら、本来ならわたし一人でも大丈夫だ。慣れればイザベラたちでも一度で満たせるくらいの量だと思うが、最初はヴィルフリートやシャルロッテも非常に疲れた様子を見せていた。慣れない作業であることを考慮して、ハルトムートには早めに止めるように言っておいたのだ。

 

「イザベラ様、こちらの二個の小聖杯の残りはわたくしたちで執り行いますので、イザベラ様たちは休憩なさっていてください。最後の一つはイザベラ様たちだけで満たしてみてくださいませ」

 

イザベラたちが赤い布の上から下がると、わたしは残りの小聖杯に魔力を一気に注ぎ込んだ。少しずつ繊細に魔力を注ぐより、一気に叩き付けるように魔力を流す方が得意なのは相変わらずだ。

 

「イザベラ様、癒しと変化をもたらす水の女神フリュートレーネと側に仕える眷属たる十二の女神によって、土の女神ゲドゥルリーヒには新たな命を育む力が与えられました。広く浩浩たる大地に在る万物が水の女神フリュートレーネの貴色で満たされますことを心より願っております」

 

「ありがとうございます」

 

わたしが差し出した聖杯を受け取ったイザベラの引きつった表情を見て、わたしは小聖杯の受け渡しのときの決まり文句を教えていなかったのを思い出したのだった。




四人はガリア文官の主要人物
内務卿モルガン
財務卿ジェローム
外務卿アルフォンス
法務卿ブリジット


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エイザーンの焼き討ち

ロマリア艦隊を破ったあたしたちは、タバサが率いる十二万の本隊と合流してロマリア国内への侵攻を開始した。“虎街道”のロマリア側の最前線は水上都市アクレイアだ。

 

石と土砂を使って埋め立てられたいくつもの人工島が組み合わさってできたその都市は、町の中を細い水路がめぐり、まるで迷路さながらである。地上からでは攻めにくい都市だが、両用艦隊を擁するガリアにとっては逆に攻めやすい場所となる。ロマリア側もそれは承知していて、早々に本隊を撤退させていた。

 

ロマリア軍の本隊は撤退し、残すは街が抱える僅かな兵たちのみとなった。アクレイア市側に勝ち目はないのは明白だった。

 

それでも、アクレイアの市長のレッツォニコ卿と、フェラーリ大司教は投降を拒否した。彼らは敬虔なブリミル教徒。教皇が聖戦を宣言したガリア相手に降ることはできないという理屈だった。

 

アクレイアは信仰厚い民が多いと言われている。民の無用な反乱を牽制するために、改めてこの戦は教皇が領土的な野心を持ったことによって引き起こされた戦いであり、現在はトリステインで宰相の地位にある元教皇候補で能力的にも人物的にも優れたマザリーニが後継の座に就くことによって、戦は平和的に終えることができると喧伝もした。

 

それでもレッツォニコ卿と、フェラーリ大司教は頑として首を縦には振らない。このまま街を長々と包囲していてロマリア軍が引き返してきては面倒だ。結局、ガリア軍は両用艦隊の砲撃をもって二人の立て籠もった聖ルティア聖堂を砲撃し、瓦礫に変えた。

 

結果的に、その行動は裏目に出たのかもしれない。表立った暴動などこそ起こらなかったものの、アクレイアの民のガリアを憎む思いは強いものが感じられた。アクレイアは虎街道の入口に位置している。アクレイアで乱が勃発すれば、たちまち補給線が途絶する。

 

補給線を守るため、タバサは両用艦隊をアクレイアに駐留させることにした。空軍の援護は惜しいが、アクレイアは迷路のような街だ。地上軍だけでは民の暴発を押さえられるか不安があったためだ。

 

アクレイアからロマリアへは南南西に三百リーグ。一気に進むには遠い。

 

タバサは都市ロマリアに向かう中継点としてアクレイアの南三十リーグにあるロマリア西部における主要都市エイザーンに向かった。エイザーンも敬虔なブリミル教徒が非常に多い都市だ。ここでも市長及び大司教は投降を拒んで聖堂に立て籠もった。

 

アクレイアでは両用艦隊を用いて聖堂を直接、攻略したガリア軍だったが、ここでは地上軍で攻略を行うよりない。けれど、聖堂が包囲されるのを住人たちが黙って見過ごすとは思えない。そして、両用艦隊からの砲撃を警戒して一度は軍を退いていたロマリア軍もガリア軍がエイザーンを包囲するのを見て、軍を進めてきている。

 

このままでは、背後に潜在的な民兵を多く抱えた都市を置いた状態で、ロマリア軍と一戦ということになる。それはあまりにも不利だ。ここに来て、タバサはこの戦の趨勢を大きく左右する軍議を行うことを決めた。議題は市民への犠牲を厭わぬ攻撃をエイザーンに対して仕掛けるか否かだ。

 

「皆、忌憚のない意見を言ってほしい」

 

軍議の場にいるのはタバサの他、あたしとジャン、カステルモール、クリステル、そしてガリアの主力を為す五色備えを率いるアルヌルフ、シバー、マヤーナ、リョシューン。参謀のオーギュストとエドゥアルドの計十一名。その他にタバサの護衛のためにフランソワとソワッソンがいるが、彼らは原則として発言はしないことになっている。

 

「エイザーンの攻略に時間をかけられません。アクレイアで経験したように、教皇を信奉する者たちは、こちらがいくら慈悲をかけようとしてもそれを拒み、結果的に教会や聖堂に被害が出れば、それを批難する。これ以上、手心など不要と存じます」

 

強硬な意見を主張したのはカステルモールだ。彼はタバサの側で、あたしたちが苦心してひねり出した譲歩案をロマリアの市長や司教が一蹴するのを何度も見ている。それゆえの怒りが根底にあるようだった。

 

「カステルモール殿のお気持ちは理解できるが、ここでエイザーンに対して強硬な手段を取れば、逆にロマリア軍の士気を上げるだけになる恐れがあります。ここは粘り強く懐柔をしていくべきではあるまいか」

 

逆に穏健的な手段を主張したのは、参謀のエドゥアルドだった。

 

「懐柔? それはいかほどの時間をかければ成し遂げられる? 講和なら時間はかからないが、懐柔ではどれほどの時間が必要になる? そして、ロマリア軍が救出に来てくれると信じているエイザーンが簡単に懐柔されると? 時間の無駄であろう」

 

一方、同じ参謀でもオーギュストは強硬策に賛成の意を示した。

 

「ここは一度、アクレイアに退いて彼の地の支配を万全にすればどうでしょう? 我らが神の敵でないことを示せばエイザーンの者たちも考えを改めるでしょうし、そうなれば両用艦隊を使うこともできます」

 

そう言ったのはクリステルだ。

 

「いや、そう簡単にはいかぬでしょう。ロマリアが軍を解いていない以上、アクレイアに軍を留めるしかないが、十二万もの大軍を維持するのは容易ではない」

 

そう指摘したのはアルヌルフだった。他の五色備えを率いる将であるシバー、マヤーナ、リョシューンの三名も強硬策に賛成した。

 

「大軍の維持が難しいのはロマリアも同じでしょう。ましてやロマリアは都市国家の連合。長期滞陣となれば足並みに乱れも生じましょう」

 

ジャンは本当にどちらかが滅ぶしかない戦いに発展することを危惧して穏健策に賛意を示した。今のところ強硬派が六、穏健派が三だ。

 

「わたくしは、エイザーンがあくまで抵抗を示す以上、力攻めもやむなしと考えます。わたくしたちとロマリアが相容れないのは、すでにわかっていたことではありませんか」

 

あたしたちがいくら譲歩しようと、教皇ヴィットーリオは考えを変えることはない。実際に会って話をしたあたしは、そのことがわかってしまう。そうなると、穏健策では解決ができないと思ってしまうのだ。

 

無論、そうならない方がいいとは思っている。それは、タバサも同じはずだ。けれども、そうならないようにするための策が思い浮かばない。無策のまま、ただ感情だけで結論をだすことはできない。

 

「皆の意見はわかった。私の心は決まった。」

 

そう言ったタバサは一度、静かに目を閉じた。

 

「明日より、エイザーンに総攻撃を仕掛ける。その際には男も女も、老人も子供も、悉くを殺し尽くせ! 一人たちとも生かして外には出すな!」

 

「陛下! それはあまりにも!」

 

「エドゥアルド、其方は恭順の姿勢を示したエイザーンの者たちが、教皇ヴィットーリオが率いる軍が迫った瞬間に民兵に変わらぬと言えるか? また戦火の中で街から逃げ出した者たちは次にどこに向かうと思う?」

 

エイザーンは教会や聖堂が多い街だ。そこで行われる施しを目当てに、アルビオンをはじめとした各地から多くの流民たちが流れ込んでいる。彼らが足を向けるのは次なる戦場となりそうな西や南ではなく、北のアクレイア、そしてその先のガリアだろう。

 

「ハルケギニアはただでさえ大隆起後には深刻な食糧不足に見舞われることが確実視されている。多くの住人が流入すれば、ただでさえ元の住民と軋轢が生じるものだ。現下の状況での流民の流入は、社会不安の元にしかならぬ」

 

非情なことを言っていることはタバサも自覚しているだろう。けれど、タバサが優先しなければならないのはガリアの民だ。奇しくもそれは、以前、ヴィットーリオが発言した言葉そのままでもある。

 

かくして、エイザーンへの攻撃は敢行された。十二万の大軍は街に対して徹底的な破壊を加えた。

 

街を焼かないように遠慮しながらよりも、全てを灰燼に帰す勢いの方が、攻撃側としては、よほどやりやすい。アクレイア、エイザーンと大した戦力を持たないにも関わらず信仰を理由に投降を拒んで、無用な抵抗をするロマリアにガリアの者たちも苛立っていた。

 

結果、攻撃は命令通りの苛烈なものになった。男は殺され、女も子供も一部を除いて容赦なく殺し尽くされた。後は略奪と放火が行われ、エイザーンは三日三晩もの間、炎に包まれて二万もの命が失われた。

 

到着前にエイザーンが陥落したのを知ったロマリアは再び軍を退いた。けれど、後退する道中、教皇ヴィットーリオは改めて全軍に、始祖と神の僕として、邪悪なガリアを打倒するまで聖戦を止めることはしないと宣言した。

 

立て続けに聖堂を焼かれた敬虔なブリミル教徒たちは、その宣言に熱狂したという。それは味方が死に絶えるか、敵を殲滅するか終わらない、落としどころのない狂気の戦が本格的に始まるのだということを意味していた。



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大隆起による膠着

エイザーンを落としたガリア軍だったが、その直後からロマリアとの戦線は膠着状態に陥った。というのも、いよいよ憂慮されていた大隆起の最初の一回が発生したためだ。

 

場所はアクレイアからも視認できる火竜山脈の一角。その光景を見たアクレイアの民の中には、これこそ神の怒りと言いだす者もいた。もしもそのとき、教皇がそれを肯定するような声明を出していたら、ガリアはあるいは一度、アクレイアから軍を退かなければならなくなったかもしれない。けれど、そのような声明は出されなかった。

 

その場のことしか考えないなら、声明を出した方がよかっただろう。だが、隆起が神の怒りでないことなどは、ヴィットーリオの方がよく知っている。安易にそのような声明を出してしまって、今度はロマリア国内で隆起が発生してしまえば、逆に致命傷になってしまう。そのような博打には出られなかったのだろう。

 

ともかくガリア軍はエイザーンに籠って情報収集に励むことになった。一方、ロマリア側もガリアが得意の野戦築城術を用いてエイザーン周辺の防備を固めたのと、ガリア同様に大隆起という事象に対して民たちの動揺を抑えることが必要になった。

 

大隆起が起きたのは人里離れた山の中であったため、人的な被害はなかった。けれども、山の一部が失われたことにより川や水脈にどのような影響が発生したのかは全く読めない。周辺の情報収集は急務だった。大隆起の第一報が届いてすぐに、シャルロットはイザベラにオルドナンツを送って調査を命じた。

 

それと並んで、今のうちにトリステインとゲルマニアに使者を送ることにした。ブリミル教徒との対立が先鋭化している現状では、旗頭として出馬をさせたマザリーニを派遣したトリステイン国内でも対立が発生しているおそれがある。関与を促した者として、まずは謝罪しておくべきだ。

 

「キュルケ、トリステインとゲルマニアへの使者を頼みたい。これは今後のロマリアとの戦の趨勢を左右する大事な任務になるけど、行ってくれる?」

 

ロマリアが大人しく軍を退いたのは、ブリミル教徒が圧倒的な支持を受けている現在のハルケギニアでは、ガリアが聖堂をいくつも焼いたという事実は、他国から義勇軍が駆けつけるのに十分という読みもあるためだろう。ただでさえガリアは軍を駐留させておくだけで国力の消耗を強いられる長距離遠征の中にある。黙っていては、時間はロマリア側に味方する。両国の貴族がロマリアに味方しないような調略は必須だ。

 

「任せておいて。ガリアを勝利に導くため、全力を尽くすわ」

 

「わたしたちの中で、トリステインのアンリエッタともゲルマニアのアルブレヒト三世とも交渉を行えるのはキュルケだけ。わたしたちの命運、キュルケに委ねる」

 

「ちょっと、あまりプレッシャーをかけないでよ」

 

キュルケの言葉にシャルロットと、同じ場にいる参謀のオーギュストとエドゥアルドが笑い声をあげる。

 

「コルベール、キュルケのことをよろしく頼む。トリステインとゲルマニアの両国に、無事に送り届けてほしい」

 

「わかりました。キュルケのことはお任せください」

 

今回の両国の訪問にはオストラント号を用いる。オストラント号が最大船速を出すには、この二人が適任だ。けれど、もう一つ言えば、次の戦にはさすがに二人を出陣させたくないという思いもあった。

 

ガリア軍十二万に対してロマリア側の兵力も十万近くになると予想されている。これは、多くの義勇兵たちも参戦してくるという予測の元に出された数値だ。

 

兵の装備と個々の実力と練度の高さ、加えて兵を率いる将たちはガリア統一戦争を戦い抜いた猛者たちが揃っている。兵の数にそれほど差がなくとも、純粋な戦力だけならガリア軍は正面衝突では負けようがないように思える。

 

けれど、ガリアの民もまたブリミル教徒たちだ。国の王の入れ替えを図るなどという教皇の暴挙に怒りを見せる者もいれば、信じる神の指導者に対して刃を向けることに迷いを抱える者もいる。その意味で士気は旺盛であるとは言い難い。

 

一方のロマリア側は戦意旺盛で、ガリア許すまじという強い気持ちを持っている。義勇軍の割合が多いため、指揮命令系統は怪しいものだが、正面の敵と戦うという限りにおいては比類なき戦闘力を見せることも予想される。

 

ひとたび指揮を乱せれば烏合の衆と化す可能性も高いが、地形などは地元のロマリア側の方がよく理解している。ロマリアの裏をかく奇襲が可能かと言われると、難しいと言わざるをえない。

 

死をも恐れぬ狂信者たちを正面から打ち破るのは難しい。最終的には策を用いて敵を崩すことになる。けれど、策を為すためには最初は敵と正面から激突することになる可能性が高い。お互いに、ただ相手を殺すためだけに刃を、杖を振り合う。そのような狂気の戦場には自分たちだけで十分だ。

 

「じゃあ、早速、出発するわね。シャルロット陛下、ご武運を」

 

そう言ってキュルケとコルベールはまずはトリステインへと出発した。その後ろ姿を見送るとシャルロットは軍議の場に移動する。

 

軍議の参加者は、護衛騎士のカステルモール、クリステル、五色備えを率いるアルヌルフ、マヤーナ、シバー、リョシューン、参謀のオーギュストとエドゥアルドの八人だ。

 

「さて、時間はある。今のうちに打っておける手はなにかないか?」

 

シャルロットはガリア統一戦争では幾多の罠を使ってジョゼフの軍を破った。そのことはロマリアも知っている上に、時間が経つごとにガリアは遠征の負担の重みが増してくる。住民のいないエイザーンはすでに急ぎ奪還をしなければならない場所でなく、アクレイアについてはガリア本国が近すぎ、攻めるのは怖い。ロマリア側からエイザーンやアクレイアに攻撃を仕掛けてくることは考えにくい。事態を打開するのはガリア側になる。

 

もたもたしていたら不利になるとはいえ、エイザーンの攻略中のように早く決断をしなければ敵に背後を突かれるという焦燥感はない。現状を明確にするためシャルロットは敢えて、時間はある、という表現を使った。

 

「その通りですね。今のうちにやれることをやっておきましょう」

 

オーギュストの言葉はシャルロットの意を汲んだものだ。

 

「ひとまず陛下がキュルケ殿に託された策が成った場合と果たせなかった場合の二通りを考えなければなりませんな」

 

「その場合は、我らの働き次第なのでしょうが、その前に戦場はどこになると想定されているのでしょう?」

 

言ったエドゥアルドに対して、シバーが戦場の想定を尋ねてくる。シバーの部隊は次の戦では先鋒を任されることが、ほぼ決定している。陣立てを考えるためにも先に戦場の状況を把握しておきたいのだろう。

 

「キュルケ殿からの連絡を待ち、我らはエイザーンを発ち、ロマリアの街へと進軍を開始いたします。ロマリア側が我らを待ち受ける場所は、十万の兵を展開するに適した、さほど広くはない平原であると予想されます」

 

「ロマリアの軍勢は寄せ集め。初めに持ち場を決めて、後は正面の敵と戦うのみというのが望ましいですからね。さすれば、戦場と想定されるのは……」

 

オーギュストの言葉を受けて、リョシューンが地図上に指を滑らせる。

 

「ここ、ガセキ平原……ですかな」

 

ガセキ平原は小山に挟まれた盆地の中にある平野であり、そこは十万のロマリア側が布陣するのにちょうど良い広さだ。南北の小山には一定の別働隊は置けるものの、中央の十万近い大軍に打撃を与えられるほどではなく、ロマリア側が望む正面からの戦いにはもってこいの場所だ。

 

「迂回して他の道を進むことは?」

 

ロマリアの注文通りの進軍は癪だ。そう言ったマヤーナに対してはオーギュストが静かに首を振る。

 

「迂回して進んでいる間にロマリア軍にエイザーンを攻められれば、我らは敵地にて孤立することになります」

 

十二万の大軍を動かすには確かな補給線が必要だ。それが断たれれば大軍であればあるほど、たちまちのうちに瓦解する。

 

「では、この地の決戦で勝利するために、我らは策を練らねばならぬというわけですな」

 

「その通り。我らがこれから打つ手は全て、ガセキ平原での決戦でロマリア軍に勝利するための布石となろう」

 

アルヌルフの言葉を受けて、シャルロットは改めて軍議の方向を皆に示した。



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ハルケギニアの祈念式

イザベラたちと一緒に満たした小聖杯を持って、わたしたちはガリアが設定した祈念式の会場へと向かっている。先日、火竜山脈で一度目の隆起が発生したという連絡を受けた。それを受けてイザベラは土魔法に長けたマチルダを隊長とした調査隊を出発させている。イザベラ本人も祈念式が終わり次第、現地に向かうことになっている。

 

今回の祈念式は延期も検討されたが、わたしがハルケギニアにいられる時間は簡単には伸ばせないと、イザベラは隆起が発生した場所の調査より祈念式を優先してくれた。わたしとしては、その期待になるべく応えたい。

 

祈念式を執り行うのはわたしとイザベラとブリジットだ。モルガンは儀式自体には参加せず、ハルトムートの解説のもとメモを取ることに専念する。ちなみにジェロームは留守役としてリュティスに残り、アルフォンスは外務卿としてトリステインに向かった。

 

「奉納式で小聖杯に満たした魔力を、祈念式で土地に満たすのです。魔力に満たされた土地は農作物の収穫量が増えます。このことはイザベラ様はご存知だと思いますけど、現地の人たちにはどこまで知らされているのでしょうか?」

 

「今のところは土地の収穫量を上げるための試作のマジックアイテムと説明をしています。ハルケギニアでも土壌改善の魔法がありますので、その方が理解が早いと思いましたので。それに、ローゼマイン様も懸念をされたようにユルゲンシュミットでは効果を発揮しても、ハルケギニアでは思うような成果が得られないこともありますので」

 

そう答えたイザベラにモルガンが補足を加える。

 

「仮に祈念式を行ったことで逆に収穫量が下がるような事態となった場合には、ガリア王家でその低下分を補填することを約束しています。ひとまずは三箇所ですから、イザベラ様もローゼマイン様も気楽に取り組まれてください」

 

その後はブリジットが今回の三箇所を選定した理由、比較検証を行うための類似の土地などについて説明をしてくれた。三箇所はそれぞれ主に育てている作物も違うらしい。それらを通して、祈念式の効果がすべての農作物に均一に現れるものなのか、それとも品種等によって違いが出るのかも調べるつもりのようだ。

 

「わたくしのアレキサンドリアはまだ祈念式による農作物ごとの収穫量の差異の情報はないのですけど、実家のエーレンフェストなら、それらの情報も持っているはずです。次回、こちらに来るまでに、わたくしの方でも調べておきます」

 

アレキサンドリアの前身のアーレンスバッハは魔力不足が酷い状態だった。その後は女神様の魔力を用いて一気に土地に魔力を満たした。そのような特殊な事情のある土地との比較となるので、アレキサンドリアの収穫量の情報は当てにならない可能性もある。それよりもエーレンフェストの方が的確な情報を持っているはずだ。

 

幸い、エーレンフェストにはわたしの側近の文官であるフィリーネがいる。彼女に調べてもらえばいいだろう。国外に内政の情報を流すことにもなるが、身内には甘い部分もある養父のジルヴェスターならばアレキサンドリアの来年の収穫量の予測の参考にするためと言えば、拒絶はされないと思う。

 

そのような打ち合わせをしているうちに、祈念式の会場に到着した。ちなみに今回は裾の長い神殿長の儀式服ではないので、普通に歩いて設けられてある舞台に向かう。

 

「癒しと変化をもたらす水の女神フリュートレーネよ。側に仕える眷属たる十二の女神よ。命の神エーヴィリーベより解放されし御身が妹、土の女神ゲドゥルリーヒに新たな命を育む力を与え給え。御身に捧ぐは命喜ぶ歓喜の歌。祈りと感謝を捧げて清らかなる御加護を賜わらん。広く浩浩たる大地に在る万物を御身が貴色で満たし給え」

 

祝詞を唱えながら、小聖杯の中に満ちる緑に光る液体をたらす。地面の黒が少し濃さを増した気がするけど、それほど大きな変化ではない。

 

「最終的な結果は収穫期を待ってみなければわかりませんけど、ここではあまり大きな変化はないかもしれませんね」

 

「イザベラ様はこの結果を予想されていたのですか?」

 

「はい、ここはガリアでも有数の穀倉地帯の一角なのです。元から土地は肥えていましたし、増加するにしても限度はあるのではないかと予想されていました」

 

いくら魔力を注いだとしても、その植物の限度までしか成長しない。人の背丈ほどが最高の植物が大木になることはないのだ。

 

「それでは、これから回る先は痩せている土地もあるということですか?」

 

「はい、効果を最も測りたいのは、その場所ですね。では、次に回る場所は中間の場所ということですか?」

 

「そうです」

 

「では、次の祈念式はイザベラ様が執り行ってみてはいかがでしょうか? すでに小聖杯に魔力は満たされていますので、祈念式自体にはそれほど魔力は必要ありません」

 

実際にはそれなりに魔力は必要になるが、イザベラも二度目の魔力の奉納の際には最初に比べて随分とスムーズになっていた。今度は一人でも大丈夫なのではないだろうか。

 

「確かにローゼマイン様に見ていただいている状態で行える祈念式は今回が最後になるかもしれません。わたしの方こそ、お願いさせていただいてよろしいでしょうか?」

 

「はい、何か問題がないか、しかと隣で見させていただきますね」

 

そう約束して、次の祈念式の場に向かった。次の祈念式の会場の農村は、確かに先の農村に比べて足元の土がぱさついているように見えた。

 

「本来の祈念式では暗唱をするのですけど、今回はこちらのメモを見ながら祝詞を唱えていただければ良いでしょう」

 

わたしが手渡したメモを見ながら、イザベラが祝詞を唱える。よく考えてみれば、ここはユルゲンシュミットではないので祝詞は必要ないかもしれないけど、さすがに祝詞の有無と効果までは今回の検証対象とはしない方がいいだろう。

 

祝詞を唱えたイザベラが小聖杯の中に満ちた緑の液体を大地に垂らす。すると、これまで水気が少なかった地面は黒く色を変えた。今回は変化が目に見えたこともあり、同じ舞台の上に立っているブリジットも目を見開いている。

 

「やはり元の土地の状況が悪いほど、効果も大きいようですね。正確な評価は収穫まで待つ必要がありますけど、なるべく土地が痩せているところを優先した方がいいのかもしれませんね」

 

とりあえず、そう評価をして最後の祈念式の会場へと向かった。そこでは、比較実験を優先してわたし一人で祈念式を執り行った。そこでは少しひび割れたような土が見る間に色を変えて、薄っすらと下草すら生えさせていた。

 

そして、そこで儀式の様子に興奮してしまったハルトムートとクラリッサが余計なことを言った。二人はわたしの土地再生の儀式のことを口にしてしまったのだ。

 

「それは一体、どのような儀式なのですか?」

 

そうすると、当然ながらどうやって収穫量を上げたらよいか、悩んでいるイザベラたちは興味を持つ。

 

「わたくしたちの国には、土地の魔力を奪ってしまう魔獣がいるのです。そういった魔獣により荒らされてしまった土地を再生するための儀式なのです」

 

仕方なくわたしは儀式のことを説明する。そうすれば見てみたいと思うのが人情というものだろう。結局、わたしは魔力消費も大きく、普段はそう使うものではないと前置きをした上で披露することになってしまった。

 

わたしたちは痩せた土地が多い村でも、更に外れに位置している荒れ地に移動した。そこでシュタープをフリュートレーネの杖に変える。

 

「癒しと変化をもたらす水の女神フリュートレーネよ、側に仕える眷属たる十二の女神よ、我の祈りを聞き届け、聖なる力を与え給え。魔に属するものの手により、傷つけられし御身が妹、土の女神ゲドゥルリーヒを癒す力を我が手に。御身に捧ぐは聖なる調べ。至上の波紋を投げかけて、清らかなる御加護を賜わらん。我が望むところまで御身が貴色で満たし給え」

 

祝詞を唱えて荒れ地に杖をつくと、はめ込まれた大きな緑色の魔石が強い光を放る。魔力が渦巻き、わたしを中心に風が起こった。黒い土の部分が音を立てるような勢いで広がり、見る見るうちに新緑が芽生えて広がり、伸びていく。それを見ていたイザベラ、モルガン、ブリジットから驚きの声が上がる。

 

普段の再生の儀式では草が足首丈くらいまで伸びるまで魔力を注ぐが、今回の場所はできれば農地にしたいはず。あまり多くの草は邪魔になるだろう。わたしは魔力を注ぐのを早めに切り上げた。

 

「このような感じです。イザベラ様」

 

儀式を終えた土地を見てイザベラたちが目を輝かせている。

 

「この儀式があれば、急速に農地を広げることができるでしょう。けれど、この儀式を多用して農地を広げるという行為はユルゲンシュミットでも行われていません。その意味をよく考えてくださいませ」

 

わたしはひとまず、消費魔力が多すぎて何度も行える儀式ではないことを改めて釘をさすことになった。それもこれもハルトムート夫婦のせいである。

 

儀式を行うとき、予め二人にはしっかり釘を刺しておかなけらばならない。そう誓いを新たにした祈念式だった。



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トリステインとの交渉

オストラント号であたしはトリステインの王宮へと降り立った。出迎えには、学院での馴染みであるルイズとサイトの他、グリフォン隊の隊長フルーランスが出てきてくれている。そのルイズとサイトの顔にはどこか硬さが感じられた。

 

「随分と大変なことをしでかしたみたいじゃない」

 

あたしが近づくなり、ルイズが小声でそう言ってくる。ルイズも敬虔なブリミル教徒だ。エイザーンでの虐殺の話を聞き及べば、複雑な気持ちを抱くのも無理はない。

 

「詳しい話は女王陛下の前でさせてもらうわ。貴女たちも同席するんでしょ」

 

ルイズが頷いたので、あたしとジャンは三人に案内されて、まずはアンリエッタの元に向かう。部屋の中で待っていたのは、アンリエッタと護衛のアニエスの二人だけ。二人の表情もルイズと同様に険しい。

 

「まずはアンリエッタ陛下にお詫びを申し上げます。力ならずマザリーニ卿にブリミル教徒の敵という印象を持たせてしまいました。それによりトリステインにも大変なご迷惑をおかけしたことと存じます」

 

「わたくしはガリアは、あくまで教皇聖下によるサイト殿の故郷に対しての侵攻と、それによるハルケギニアが甚大な被害を被るのを防ぐためにロマリアに侵攻したものと承知していました。けれど、その認識は誤っていたようですね」

 

「いいえ、アンリエッタ陛下のご認識は誤っていません。わたくしたちガリアは、今でも教皇ヴィットーリオの無茶な聖戦を止める最小限の戦いを行っているつもりです」

 

「それではなぜ、エイザーンで街全てを焦土と化すような残虐な戦を行ったのですか!」

 

アンリエッタの言葉に続いてアニエスが刺すような視線をジャンに向ける。アニエスの頭に浮かんでいるのは、ジャンに焼かれたという自らの故郷だろう。

 

「わたくしたちも無意味な犠牲は望みません。ですが、教皇ヴィットーリオはガリアに向けて聖戦を宣言いたしました。それにより敬虔なブリミル教徒が多い街では、何があろうともガリアを認めないという者たちが現れました。絶対に降伏を拒むものが多数潜む街を背後に抱えて、いつ補給が途切れるかわからぬと言う中で、わたくしたちはどうやってロマリア軍と戦えばよいのでしょうか?」

 

あたしの問いにアンリエッタが答えに窮した様子を見せた。アンリエッタはアルビオンへの侵攻を通して兵站を維持することの困難さを知っている。

 

「他に道はなかったのかよ」

 

そんな中、口を開いたのはサイトだった。正義感の強い彼のことだ。どうしても街の住人を殺害するという選択は受け入れられないのだろう。

 

「なかったわね。正確に言うならば、他の道は受け入れられなかったという方が正しいわ。サイトなら、水精霊騎士隊全員が命を捨てて時間を稼げば、見ず知らずの街の住人五十人を助けられると言われたら、水精霊騎士隊の皆に命を捨てさせる?」

 

そう言えばサイトも苦しそうな表情を浮かべる。トーナミ川での戦いで水精霊騎士隊はクリストフとマキシムを失っている。彼もすでに勢いだけで答えられていた昔とは違う。

 

「誤解していただきたくないのは、此度のエイザーンが徹底抗戦をするように煽ったのは教皇ヴィットーリオです。それにより、わたくしたちの和睦交渉は無に帰しました。結果としてわたくしたちはエイザーンを徹底的に破壊するしかなくなりました」

 

アンリエッタたちからは、最初のときのような険は感じない。けれど、納得をしてもらえたとは言い難い。

 

「アンリエッタ陛下、ここからはあくまでわたくしたちの予測です。それをご承知の上でお話をお聞きくださいますか?」

 

「……聞きましょう」

 

「此度の戦を通して教皇ヴィットーリオは何があろうとサイト殿の故郷への侵攻を思い留まることはないと、わたくしたちは実感しました。それは、もしもロマリアが我らガリアに勝利した暁には、トリステインもその尖兵として破滅的な戦いに民を投じることになるということです」

 

「それは、ガリアに味方をしなければ、そのような事態になるという脅しですか?」

 

「脅しなど、とんでもございません。わたくしはあくまでロマリアが取りそうな行動の予測を述べたまでにございます。けれど、それはアンリエッタ様も感じていたことではありませんか? 我が国を強引な手で聖戦に巻き込もうとしておいて、トリステインには不干渉を貫いてくれると考えていているわけではございませんでしょう?」

 

あたしの問いかけに、アンリエッタが黙り込んだ。マザリーニがガリアから新教皇として担がれている以上、トリステインは自ずと親ガリアと見られる。それを覆すためにはガリアと手を切り、ロマリアに味方するよりないが、果たしてそれでも聖戦に巻き込まれるのを防ぐことができるかどうか。あたしの読みでは、それは否だ。

 

「それで、ガリアはトリステインに何を望むのですか?」

 

「単刀直入に申し上げます。ロマリア教皇ヴィットーリオを非難する声明を出し、その上でガリア側で参戦をしていただきたく存じます」

 

「結局、トリステインも戦に巻き込まれるということではありあませんか!」

 

「その通りです。ですが、我らとて戦う気がなかったものをサイト殿の故郷との戦を防ぐために兵を挙げざるをえませんでした。これはハルケギニアを守るための戦。トリステインも無関係ではいられません」

 

ガリアと一緒にロマリアの無謀な聖戦を防ぐために戦うか、ロマリアと一緒に聖戦の完遂を目指して戦うか。いずれにしてもトリステインも戦からは逃れられない。

 

「教皇聖下はハルケギニアの人同士が争うことは我慢がならないとおっしゃっていました。それなのに、どうしてこのようなことに……」

 

「アンリエッタ陛下、教皇ヴィットーリオのハルケギニアの人同士が争わぬようにしたいという思いは偽りではないでしょう。ですが、教皇にとってはそれ以上に、聖地を取り戻すということが重要なのです。そのためならば、いくら血が流れようとも必要な犠牲であると割り切っているのでしょう」

 

ヴィットーリオが聖地奪回にこだわらなければ、ガリアは来るべき大隆起に備えて内政に全力を注げた。もっとも、エルフの技術を得るためならば始祖の秘宝を引き渡すことも視野に入れるタバサと虚無を神聖なものと考えるヴィットーリオでは、いずれは敵対することになっただろうけど。

 

「話はわかりました。ですが、トリステインの貴族はロマリアの方に心を寄せている者の方が多いです。もっとも、心は寄せても実際にロマリアに駆けつける者はほとんどいないようですけど。いずれにせよ、トリステインとしてガリアに味方をすることはできません。できるのは中立を宣言することまでです」

 

「トリステインとロマリアは国境を接しているわけではないですから、元より援軍を得られるとは考えていませんでした。敵に回らないのなら、それで十分です」

 

「そうですか。それと、貴国に一つだけ申し出があります」

 

そう言ったアンリエッタがあたしに強い視線を向けた。

 

「何でしょうか?」

 

あたしも腹に力を込めて応じる。

 

「ガリアが本当に積極的に非道なことを行っていないのか、教皇聖下がどのような行動を取っているのか、わたくしは見極めなければならないと思っています。シャルロット陛下の側に我が国の監視を置いていただくことはできますか?」

 

「わたくしたちからお願いいたしたいくらいです。シャルロット陛下のお傍でロマリアの行動を見ていただければ、我が国に対する疑いも晴れると存じます」

 

「わかりました。それでは、ルイズ、サイト、行ってくれますか?」

 

「お任せください、陛下。シャルロット様と教皇聖下の行動、しかと見届けて参ります」

 

「ありがとう、ルイズ。護衛には水精霊騎士隊を何名か付けましょう」

 

ルイズがアンリエッタが話をしている間に、サイトがあたしの方へと近づいてくる。

 

「本当に犠牲は避けられないのか、しっかりと確認させてもらうぞ」

 

そう言ったサイトの目には、あたしたちへの疑いが窺えた。

 

「ええ、少なくともあたしたちが、逆らうならば殺してしまえ、とか安易な考えて事に及んではいないことは確認できると思うわ。けれど、きれいごとだけでは戦いに勝つことはできない。皆を助けようとして皆で死んでは意味がない。時には囮として兵たちを使い潰すこともあるから、それだけは覚悟していて」

 

「それは、トーナミ川での戦いの件で、少しだけどわかったよ」

 

トーナミ川での戦いで、クリストフは撤退を許可されないまま戦死をしてしまった。けれども、それは隣の陣の者たちの撤退の時間を稼ぐためだった。クリストフを撤退させれば、代わりに他の者が死んでいた。その苦しい判断の場面の話はサイトもギーシュから聞いたのだろう。

 

「勝利を重ねても、誇らしい気持ちよりも苦い気持ちばかりが増していくわね」

 

あたしの言葉にサイトは静かに頷いていた。



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ガセキ平原の戦い

ついにガリア王シャルロットが十二万の軍をエイザーンの街から出立させた。その報告を受け取った教皇ヴィットーリオは、各国からの義勇軍も得て十万に達したロマリア軍をガセキ平原へと進めた。

 

ガリアもまた、東に軍を進めガセキ平原へと達する。ガリア軍の先遣隊はモーリー侯爵が率いる一万とバヤコワカ侯爵が率いる一万の計二万。ガセキ平原に入ったモーリー侯爵はナングー山に、バヤコワカ侯爵はツマオ山に陣を敷いた。

 

ロマリア軍の中には先に到着した両侯爵の軍に先制攻撃を仕掛けることを主張する者もいたが、ヴィットーリオはそれを却下した。両侯爵ともヴィットーリオに対して内応を約束する使者を遣わしてくれている。特にバヤコワカ侯爵の陣には親ロマリアの貴族が多く参加していることから内応の約束は確度が高い。

 

実際に戦が始まればバヤコワカ侯爵の一万はロマリア軍と共にシャルロットが率いる本軍十万に攻撃を仕掛けてくれることだろう。ただし、それで戦が大幅に有利になるとは考えない方がいい。

 

シャルロットもおそらくはバヤコワカ侯爵の裏切りを予想している。だから本隊から切り離して主戦場と予想される地点より前にあるツマオ山に陣を敷かせたのだろうから。

 

そして翌フェオの月、ヘイムダルの週、虚無の曜日にシャルロットはガセキ平原の西にあるサオサ山に陣を敷いた。その報告を受けたヴィットーリオは翌日の決戦を予測し、夕刻、皆の前で改めて士気を高揚するために演説を行うことにした。

 

「ガリアの異端どもは、エルフと手を組み、我らの殲滅を企図しています。わたくしは始祖と神の僕として、この戦で必ずや勝利を掴むと約束いたしましょう」

 

ガリア王シャルロットは、おそらく虚無を少しだけ便利な魔法としか考えていない。始祖の秘宝にしても虚無を習得するための道具というくらいの認識だろう。だから二度と取り戻せぬ始祖の秘宝を簡単にエルフに差し出してしまえる。

 

勝利を確実にするため、シャルロットが始祖の秘宝をエルフに引き渡したという情報を公表するか、ヴィットーリオは悩んだ。しかし、結局は見送ることになった。情報に対しての信憑性が確認しきれなかったのだ。

 

そもそもシャルロットが引き渡したのは自国が管理していたものではなく、アルビオンが管理していた風のルビーと始祖のオルゴールと聞く。しかし、ガリアがアルビオンの始祖の秘宝を接収していたということ自体が憶測にすぎない。信仰心は人により、かなりの差がある。ヴィットーリオが言えば何でも信じてくれる者たちばかりではないのだ。

 

ともかく、いくら交渉を重ねようとシャルロットが始祖の使命を果たすことはないことだけは確実だ。シャルロットが見ているのは今だけであり、そして全てを与えてくれている神のことを一顧だにしない。そんな者とは並んで歩くことはできない。

 

ガリアさえ制圧できればトリステインは聖戦への参加を拒むことはできない。他の国が全て参戦を表明すればゲルマニアも参戦を拒めない。ガリアさえ倒せばハルケギニアの全ての人に始祖の福音を与えることができるのだ。だからこそ、負けられない。

 

そして翌、ユルの曜日、ガリア軍十万は早朝から進軍を開始した。ガリア軍の前衛は中央に黒備えのシバー侯爵の一万七千、右翼に青備えのリョシューン伯爵の一万四千、左翼に白備えのマヤーナ伯爵の一万三千の計四万四千だ。

 

シバー侯爵はガリア王家の執事とも称されるほど文武に秀でた将。リョシューン伯爵はガリア統一戦争の際には南部で九つの州を制した名将。マヤーナ伯爵もガリア全軍の六分の一にも及ぶ兵力を率いて六分一殿とまで称された優れた将だ。

 

それに加えて遊撃隊としてビゼーン子爵の七千とアウグスト子爵の六千、ギョーブ子爵の五千が控える。中軍にはシャルロットが黄備えの本軍二万を率いて、後詰めにアルヌルフ伯爵が赤備え一万八千を率いて控えているようだ。

 

対するロマリア軍は教皇ヴィットーリオが三万を率いてガセキ平原東のモバリーク山に陣を敷いた。前衛はアリエステ修道騎士団の六千、アヴェルーザ修道騎士団の五千、オルビ修道騎士団の五千、ヴェッキオ修道騎士団の四千、アスコーリ修道騎士団の四千、ロヴイル修道騎士団の四千、ティボーリ混成連隊の三千、ヴェットラル混成連隊の三千、ブラローレ混成連隊の三千の計三万七千が務める。

 

第二陣にはバッソモーリ修道騎士団の四千、オッジャ修道騎士団の四千、ポルデーネ混成連隊の三千、ファーティマ混成連隊の三千、カザルーヴォ混成連隊の三千、コレーニョ混成連隊の三千の計二万。第三陣にはガララーテ修道騎士団の四千、ロンバード混成連隊の三千、リヴォリー混成連隊の三千、スカンディ混成連隊の三千の計一万三千。

 

都市国家であるロマリアはどうしても一隊の規模は少なくなる。大規模な軍を指揮官と参謀で動かすガリアに対して小回りはきくが、連携には課題が残る。けれど、そこに関してはヴィットーリオは口を出すつもりはない。

 

自分はあくまで教皇。軍の指揮に関しては修道騎士たちの領分。自分は万能の人間だなどと自惚れるつもりはない。

 

ヴィットーリオが見守る中、夜明けと共に進軍してくるガリア軍に対して、前衛の指揮官であるアリエステ修道騎士団のカルロの陣から喇叭の音が響く。それを受けてロマリア軍も前進を開始した。

 

そうして両軍が激突する直前、ツマオ山に陣を敷いていたバヤコワカ侯爵が山を下り始めた。その進む先はガリア軍の右翼のリョシューン伯爵。ロマリアにとっては予定通りの裏切りだ。対するガリア軍はすぐにギョーブ子爵の隊が迎撃に向かい、すぐに軍が崩壊することはなかったが、全軍に動揺が走ったように見えた。

 

ナングー山のモーリー侯爵は傍観に徹しており、平原内での兵力ではガリア軍十万に対してロマリアは十一万。兵力で優位に立っているのに加えて聖戦の遂行に燃えるロマリア軍は猛烈な勢いでガリア軍の前衛に攻めかかっている。

 

最初に均衡が崩れたのはガリア軍の右翼側だった。ロマリアに寝返ったバヤコワカ侯爵の率いる一万をギョーブ子爵は五千でよく抑えていたが、ついに耐えきれなくなったのだ。ガリアはそこにアウグスト子爵の六千を向かわせた。

 

続いてガリア軍左翼のマヤーナ伯爵の軍がアヴェルーザ修道騎士団、アスコーリ修道騎士団、ヴェットラル混成連隊に徐々に押さえ始めた。ガリアはそこに最後の予備戦力であるビゼーン子爵の七千を援軍に向かわせた。

 

元のマヤーナ伯爵の一万三千にビゼーン子爵の七千が加わったことで今度はロマリアが押され始める。けれど、それもロマリアの第二陣が加わることで手当ては済んだ。

 

まだシャルロットの本軍二万と、後詰めとしてアルヌルフ伯爵の一万八千が控えているものの、全体的にはロマリア優位だ。それをシャルロットもわかっているのだろう。後詰のアルヌルフ伯爵が前進を開始し、逆に前衛は徐々に後退を始めた。間もなくアリエステ修道騎士団長カルロの陣から飛び立ったペガサスがヴィットーリオの元にやってくる。

 

「カルロ・クリスティアーノ・トロンボンティーノより教皇聖下にお願いを賜って参上いたしました」

 

「申してください」

 

「教皇聖下におかれましては、全軍の士気高揚のために本陣をモバリーク山より前線に移していただきたいとのことです」

 

カルロが有効だと言うのなら、ヴィットーリオとしては従うのみだ。

 

「わかりました。どこに向かえばよいでしょう」

 

「第三陣のガララーテ修道騎士団の本陣跡であれば守りも固く、ちょうど良いと思われると伺っております」

 

「カルロの願いを聞き届けましょう。そうお伝えください」

 

そう伝えて使者を返すと、ヴィットーリオはすぐにカルロ指定のガララーテ修道騎士団の本陣跡に移動した。その間にもアヴェルーザ修道騎士団やオルビ修道騎士団から戦果を誇る連絡が届いている。

 

「これは、切り札を切る必要はなさそうですね」

 

ヴィットーリオは静かに笑みを浮かべた。



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敗戦の報

祈念式を終えたわたしたちは、イザベラと一緒に大隆起が発生した火竜山脈の調査に赴いていた。現地ではすでにマチルダがガリアのアカデミーに所属するメイジを率いて調査を実施しているはずなので、まずはその調査団に合流することにする。

 

「リーゼレータです。マチルダ様、現地付近に到着しました。ロートを打ち上げますので、見えたなら方向を指示してくださいませ」

 

リーゼレータがオルドナンツを飛ばしてから少し待ってレオノーレがロートを上空に打ち上げる。赤い光が上空に昇って少し、マチルダからのオルドナンツが帰ってくる。

 

「マチルダだ。太陽を基準に右に四十五度の方向だよ」

 

レオノーレが指示してくれた方向に飛んでいくと、すぐにマチルダの騎獣が見えた。そちらに向けて飛んでいると、上空に何かがあるのが見えた。

 

それは山脈の一部だった。事前に聞いていた通りではあるけど、本当に山の一部が空を飛んでいるというのは壮観だった。その中で、大地を持ち上げる風石が淡い輝きを見せている。わたしは麗乃時代の記憶にある空に浮かぶお城の話を思い出して微かに興奮すら覚えていたけど、この地に生きる人たちにとっては一大事なのだ。務めて顔に出さないようにした。

 

「あれが大隆起が起こった後の大地の姿なのですね。あそこで生息していた生物は生存ができているのでしょうか?」

 

「さあね。今のところはそこまで調査の手を回す余裕はないよ。まずはあっちの調査が優先なものでね」

 

そう言ってマチルダが示した先には、大きく抉れた大地があった。元は大地が続いてはずの場所は急斜面になっていて、そこに水が流れ込んでいるのが見える。

 

「火竜山脈の地下を流れる水脈の一つを断っちまったみたいだね。元通りにすることは難しいけど、何とかガリア側を流れる川に合流させられないか検討させているところだよ」

 

削り取られた大地は広大だ。その中の一筋の流れなので遠目からではたいした量に見えないけれど、実際には無視できない水量なのだろう。

 

「削られた土地の状況を近づいて確認してもよろしいですか?」

 

「ああ、別に構わないよ。減るもんじゃないからね」

 

マチルダの許可を得て、わたしは騎獣を穴の上に移動させた。ただの穴なので危険はないと思うけど、先にコルネリウスとハルトムートが近づいてみている。少し地表を確認した二人が危険はないと許可をしてくれたので、わたしは地面の近くまで騎獣を降ろした。

 

抉られた後の大地は平らではなく、随分とデコボコとしていた。鋭角になっている場所も多いことから、おそらく巨大な風石の結晶があった上の部分が空に持ち上がったのだろう。だから、浮き上がった大地の下部は風石の結晶が見える。

 

「あそこからなら、容易に風石の採掘ができそうですね」

 

「いや、空に浮かんでいる大地から、どうやって採掘をするのさ」

 

言われてみれば騎獣でもなければ採掘は難しそうだ。それかいっそ、逆さまになった船でも作ってみる? けど、どうやって作ったらいいのか、わからない。

 

「とりあえず、空に浮かんだ山脈の方も見てみたいですね」

 

地面の方は単に浮かび上がった風石に引っ張られただけという印象で、特に変わった部分が見られなかった。得られる情報が少ないと見たわたしたちは、マチルダの許可をもらい、騎獣に乗って上空の山脈に近づいていく。

 

「ローゼマイン、念のため風の盾を張っておいてくれないか?」

 

もうじき空に浮かぶ山脈の真下に入ろうかというところでコルネリウスが言ってきた。落石くらいなら騎獣の防御力だけで十分だと思うけど、それで護衛騎士たちが安心できるのなら、シュツェーリアの盾を使うくらいは構わない。わたしは盾を張った状態で山脈の下部に見えている風石に近づいていく。

 

「ハルトムート、あそこに見えている風石を採取することはできそうですか?」

 

「お任せください」

 

ハルトムートはクラリッサを呼ぶと、二人で風石の結晶に近づいていく。そうして風石に手を振れるとメッサーで欠片を削り取って戻ってくる。

 

「どうぞ、お納めください、ローゼマイン様」

 

窓越しに手渡してくれた風石に軽く魔力を流してみる。反発はなかなかに強く、それなりに高い魔力が籠っているのがわかる。

 

「これは、なかなかに良質な魔力が籠っているようですね」

 

大地を持ち上げるほどの力を秘めているのなら、魔力量も多いだろうと思ったけど、予想以上の魔力が籠っている。わたしはリーゼレータに空の魔石を貸してもらい、そちらに魔力を移してみた。わたしの感情が高ぶったときに使うためのものであるため、それなりに大きい魔石だったけど、ハルトムートが手渡してくれた掌に乗るくらいの大きさで十分に染め上げることができた。染まった魔石の色は濃い黄色だ。

 

「元が風石だけあって、風の属性のみのようですね。ローデリヒも試してみてください」

 

ハルトムートから新しい風石の欠片を取ってきてもらい、ローデリヒでも魔力の移動ができるか試してもらう。結果としては少し苦労はしたけど魔力の移動はできた。ローデリヒの魔力は元は中級貴族としては低めだったけど、今はわたしの教えた魔力圧縮に励んだおかげで平均的な中級貴族よりもやや高いくらいになっているはず。つまり、上級貴族なら魔力の移動も比較的容易に行えるということだ。

 

「これくらい魔力があるならば、ユルゲンシュミットとの貿易が行えれば魔力的には随分と助かりますね。欲を言えば、もっと多様な属性が欲しいところですけど」

 

他の可能性として、含まれている魔力が、もっと大幅に低ければ風石の魔力を他に逃がすことで大隆起を防げた可能性もあった。けれど、掌の上に乗るくらいの大きさで中級貴族では苦戦するようなら、そのような手は使えない。

 

仮に風石の魔力を使って大規模な儀式を行うにしても、とてもではないが巨大な風石の魔力を使い切ることはできない。ひとまず大隆起を抑える方法はないものと考えるよりなさそうだ。

 

大陸の底部から出て、空に浮かぶ山脈の上に回る。すると、山の中腹に所在なげに佇んでいるサラマンダーの姿が見えた。

 

「なんだか元気がないように見えますね」

 

「空に浮かんだことで急に気温が下がったはずだからね。サラマンダーも急な気温の変化に戸惑っているのかもしれないね」

 

マチルダの感想に頷きながら、わたしはサラマンダーは恒温動物なのか変温動物なのか考えていた。トカゲっぽい見た目からは変温動物に見えるけど、それなら尻尾の炎で体温が大変なことになりそうだ。それはおいておくとして、すぐに生物が死滅するほどの影響はないようだ。それなら、ひとまず人を残したまま空に浮かばれても救出はできそうだ。

 

けれど、変化した環境下でいつまで動植物が生息していられるかは限らない。アルビオンでは人が生活をしていられるのだから、植物の種類次第では人も生活できると思っていたけど、それは机上論なのかもしれない。

 

そんなことを考えていると、一羽のオルドナンツが飛んできた。オルドナンツはイザベラの腕に止まった。

 

「イザベラ様、シャルロット様の軍がガセキ平原の戦いにて敗北、アルヌルフ伯爵の軍を殿軍に後退を開始しているようです」

 

その声の主はイザベラがタバサの軍に同行させた北薔薇花壇騎士だと言う。

 

「シャルロット様が心配です。イザベラ様、もしよろしければシャルロット様の様子を見に向かいましょうか?」

 

わたしたちの人数では戦局には影響を与えることはできない。せいぜいタバサを救出して逃げ帰るくらいだ。それでも、タバサの命を救うくらいはできるかもしれない。

 

「お願いできますか、ローゼマイン様」

 

「ローゼマイン様、様子を見に向かうのは構いませんが、わたくしかコルネリウスが危険と判断したら、すぐに引き返すとお約束ください」

 

「わかっています、レオノーレ」

 

レオノーレにそう釘を刺されたけれど、最初から不許可とは言われなかった。

 

「ローゼマイン、ガセキ平原の場所はわかっているのかい?」

 

「マチルダ様はガセキ平原の場所をご存知なのですか?」

 

「ああ、ロマリアには少しの間、滞在していたことがあるからね」

 

「では、案内をお願いできますか?」

 

「ああ、任せときな」

 

わたしは周囲を飛んでいる護衛騎士たちにオルドナンツを飛ばすと、騎獣を南西に向けて飛ばし始めた。



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ゲルマニアへの参戦要求

トリステインでの交渉を終えたあたしとジャンは、オストラント号をルイズたちに使わせて、騎獣にてゲルマニア首都ヴィンドボナに向かった。事前に両親を通してガリアの女王シャルロットの使者として訪問すると連絡を取っていたこともあり、到着の翌日には、あたしたちは無事に皇帝アルブレヒト三世の目通りを得ることができた。

 

「皇帝陛下、本日はガリアとゲルマニアの交渉の場を整えていただきましたこと、お礼を申し上げます」

 

「ツェルプストー家の娘、キュルケであったな。して、ガリア王シャルロット殿の使者として参ったと聞いているが、用件はいかに?」

 

「単刀直入に申し上げます。我らガリアと手を組み、ロマリアを滅ぼした後、彼の地を分割統治いたしませんか?」

 

「味方せよと申してくるであろうことは予想していたが、随分と大きく出たな。ガリアは現トリステインの宰相マザリーニを新たな教皇として擁立することを目指しているのではなかったか? 滅亡させた後に分割統治とは随分と喧伝している内容と異なろう」

 

ゲルマニアはハルケギニアでは唯一、始祖の血を引かない皇帝を戴く国だ。それゆえに他国に比べて教皇の影響力は大きくない。そこに目をつけての援軍要請は、おそらく皇帝の頭にもあっただろう。けれど、ガリアがブリミル教の総本山たるロマリアを滅亡させようとしているとまでは考えていなかったようだ。

 

「当初は我らガリアも教皇のみの交代で矛を収めようと考えていました。けれど、ロマリアは我らに徹底抗戦の構えを崩しませんでした。それならば、力でもって制圧することを目指すこともやむを得ないと思いませんか?」

 

「我らであっても、ロマリアを制圧するとなれば動揺する貴族が多かろう。ましてやガリアではなお難しいであろうに、よくぞそのような決断ができたな」

 

「逆に言えばそのような決断も支持されるほどには此度のロマリアは酷いということです。陛下もお聞き及びになっているかと思いますが、ロマリアは大隆起というハルケギニアの一大事を秘匿し、身勝手に他国の王のすげ替えまで企みました。我らの被害などは目もくれずに聖地奪回のみを目指すのは、所詮彼らが為政者でなく坊主であることを示しています。そろそろ坊主に権力を持たせておくという危険を排除しておくべきではありませんか?」

 

「そこまでロマリアをこき下ろすとは、ガリアは本気でロマリアを滅ぼす気のようだな」

 

アルブレヒト三世は改めて驚きの表情を見せる。その姿に、あたしは内心で焦りを覚えていた。はっきり言ってトリステインとの交渉は失敗をしても、多少、戦局が不利になるかもという程度の影響だった。けれど、今回のゲルマニアとの交渉の失敗はガリアにとって大幅な戦略の見直しが迫られる。

 

「陛下、先にもお伝えした通り、ロマリアは虚無を頼りに遠き国に戦争を仕掛けようとしています。もしも我らガリアがロマリアに併合されることになれば、そのときはゲルマニアも聖戦に巻き込まれることは必至です。そのとき、陛下は今のように落ち着いた毎日を過ごすことができるとお思いですか?」

 

「と言うと?」

 

「ゲルマニアは始祖の血を引かぬ国です。そのためハルケギニアの各国からはどうしても下に見られていました。しかし、それは名目的なもので、実力では劣るものではございませんでした。けれど、教皇の手により虚無が復活したとき、果たしてこれまでと同じでいられるでしょうか?」

 

始祖の血という問題は、ゲルマニアではどうすることもできない問題だった。歴史の浅い国ということを差し引いても、軽い扱いをゲルマニアはずっと受け続けていた。ゲルマニアの皇帝ほど、ただ古いだけの国の王が自らの方が偉いと振る舞うことの理不尽さを我慢させられてきた人はいないはずだ。

 

「ロマリアやトリステインを力では凌駕しているからこそ、陛下は形だけと自らを納得させて、時に他のハルケギニアの国の風下に立つ振る舞いも行うことができました。ですが、国の力でも他国に敵わぬとなれば、ゲルマニアは何を誇りにハルケギニアで生きてゆけばよいのでしょうか? 他の国がすべて虚無を持つ者が頂に立ったとき、陛下のゲルマニア統治は影響を受けずにいられるでしょうか?」

 

「だから、ガリアに手を貸せというのか?」

 

「その通りです。虚無を何より神聖なものと考えている教皇ヴィットーリオが統べる世は、ゲルマニアにとって非常に行きにくい世となるでしょう。でしたら、同じ虚無を持たぬ者が統べるガリアと手を組み、虚無を排除することがゲルマニアにとっても望ましい世と言えるのではないでしょうか?」

 

「ぬう……」

 

アルブレヒト三世は迷っている。あと一押しだ。

 

「それに、今ならばロマリア侵攻は非常に容易いものになりますよ。なにせロマリアは全軍でガリアを迎え撃つ構えを取っています。東部に展開されているのは盗賊などに対抗するための僅かな兵のみ。おそらく二万も兵を送れば無人の野を行くが如き快進撃でロマリアの都まで攻め入ることができましょう。そこで得た領土は大隆起で国内が動揺した折に陛下のお力になることと存じます」

 

大隆起はハルケギニアの各国の王にとって非常に頭の痛い問題だ。直轄領が大幅に削られることになれば、王の力が弱体化することになる。かといって諸侯の領土が削られて貴族同士が争うことになることも困る。

 

そんなとき、新しく領土を得ているというのは大変に心強い。王の直轄地として自らの力を高めて、その力を生かして国を統治することも、新たに得た領土を貴族たちに下賜することで求心力を高めるのこともできる。

 

「陛下、今を除いては、容易に広大な領地を得られるという好機は、二度と訪れるものではございませんよ」

 

虚無を至上のものとする大国が出現することを防ぐことも、容易に領土を得ることができるのも今を置いてない。それはアルブレヒト三世にも理解できるはずだ。

 

「わかった。我らゲルマニアはガリアとともにロマリアに侵攻をすることとしよう」

 

「ご決心いただけたこと、我らの王に代わってお礼を申し上げます」

 

「我らは我らの都合で動くのだ。礼など不要」

 

「それでも結果として、わたくしたちの助けとなるのですから、お礼だけは言わせてくださいませ」

 

その後は具体的な出兵の日程について話を行う。ゲルマニア軍が国境を超える日付に合わせてガリアはロマリアとの決戦に臨むことになるためだ。結果、ヘイムダルの週のユルの曜日にロマリア領内に進攻を始めることに決まった。

 

それからゲルマニアは急ピッチで出兵の準備に取り掛かった。情報漏洩を防ぐため多くの諸侯に参陣を促すことはできない。侵攻軍は皇帝の親衛軍を中心に編成される。そのため侵攻軍の兵力は三万に過ぎない。それでも最低限の守備兵しか置いていないロマリア東部の都市を落とすことくらいなら造作もない。

 

そして、その防備の弱い都市を落とされるのがロマリアにとっては致命傷になる。ガリアと違い、ロマリアは都市国家の性質が強い。死を恐れぬとされている聖戦に参加している戦士たちであれど、故郷を失うという恐怖は、また別物だ。自らの街が危険に晒されていると知ったとき、なお教皇の陣に留まる者がどれだけいるか。

 

東部の諸都市の兵たちが撤退を開始すれば、参陣している西部の諸都市の兵たちも不安になる。自分たちだけが戦うという貧乏籤を引きたくないというのは誰もが同じだ。

 

そうして迎えたヘイムダルの週の虚無の曜日、翌日の侵攻開始を前に国境付近の街にてゲルマニア軍は休息を取った。そこであたしたちは皇帝に帰国の挨拶をして、ジャンと一緒に騎獣で飛び立つ。

 

ここにきてゲルマニアが侵攻を思い留まるということは考えにくい。それならば、一刻も早くタバサの元に戻りたい。なぜだか妙に胸騒ぎがしたのだ。

 

「無事でいてよ、タバサ」

 

そう呟いて、あたしは騎獣に精神力を流し込んだ。



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形勢逆転

新式銃を集中配備の上、温存されていたアルヌルフ率いる赤備えの働きもあり、ガリア軍はガセキ平原からの撤退を果たすことができた。カステルモールが後退しながらロマリア軍と戦っていると、そのうちに敵軍に乱れが生じたのが見て取れた。

 

「陛下、アヴェルーザ修道騎士団、オッジャ修道騎士団、ヴェットラル混成連隊が後退を開始したようです」

 

前線からのオルドナンツを受け取ったカステルモールは笑みを浮かべてシャルロットへと報告を行った。後退を始めたのは、いずれもガリア東部を拠点とする都市を拠点とする部隊だ。おそらくゲルマニアが国境を超えたことが伝わったのだろう。

 

「全軍、反転! 逆襲を開始する」

 

シャルロットの指示に従い、本陣の部隊が反転する。黒、白、青の各備えは緒戦で前線に立っている。それからの後退しながらの戦いでは赤備えが前線に立った。従って、これからの戦いではシャルロットの黄備えが前線に立って各隊を引っ張ることになる。

 

ほどなく一度はロマリアに降ってみせたモーリー侯爵より、これよりバヤコワカ侯爵に攻撃を仕掛けるというオルドナンツも届く。モーリー侯爵は初めから策があることは伝えており、策が成った暁には再度、ガリアに寝返るよう伝えた上でロマリアに降らせた。

 

ロマリア軍の中では、いち早く後退を始めた各隊に続いてそれに近い東部の各都市から出陣している部隊が後退を開始した。そこからは雪崩を打ったように後退が始まった。

 

タイミングから考えてゲルマニアがガリアに呼応して戦争に参加してきたのは明白だ。大国ゲルマニアの軍に襲われれば自らの故郷が危ない。そして、そう考えた都市の部隊が撤退しては、今度はガリア軍を抑えられない。いくら聖戦を豪語していても、隣が撤退を開始すれば、自分も続きたくなるのが人情だ。

 

「見よ! 敵はすでに逃げ腰ぞ! この戦、我らの勝ちだ! 敵兵を蹴散らし、穢れし教皇の首を落とせ! さすれば、この無益な戦も終わりぞ!」

 

シャルロットの声に背を押され、総崩れになったロマリア軍を黄備えが切り裂いていく。この戦いで大きな損害を与えられれば、もはやロマリアに、ガリアとゲルマニアの両面作戦を行えるほどの戦力はない。

 

ここでこの戦いを終わらせる。そう決意を新たに、けれど勝ち戦でこそ油断せぬように控えていたカステルモールの目に、不意に一匹の風竜の姿が飛び込んできた。その風竜は迎撃するために飛び立ったシャルロットの直掩の竜騎士隊を蹴散らし、真っ直ぐにこちらへと向かってくる。

 

「ワルド!?」

 

シャルロットが驚きの声をあげる。誰なのか尋ねると、元トリステインのグリフォン隊の隊長でスクウェアクラスのメイジだということだった。ワルドはトリステインを裏切ってアルビオンに寝返ったが、アルビオン崩壊後は行方不明となっていたらしい。

 

「あの動き、俺がゼロ戦で戦ったときと段違いだ。竜が違うとしても、あんなに動きが変わるものなのか!?」

 

シャルロットのトリステインの学友であるサイトの驚きの声に、頭に浮かぶ言葉がある。まさかという思いは強い。けれども、もしもその通りであったら大変な事態だ。

 

「クリステル、ソワッソン、フランソワ、アリス、シャルロット様のことは頼んだ!」

 

騎獣を出して、カステルモールはワルドの元に飛ぶ。ワルドもカステルモールのことを認識したようで、ライトニング・クラウドで迎撃してくる。カステルモールも同じ魔法で迎撃を行った。二人の軍杖から伸びた雷光が空中で火花を散らす。両者の魔法の威力はほぼ互角。その事実で二人は互いを油断のならない相手と認識した。

 

ワルドは騎乗する風竜に鞭を打ち急上昇をする。カステルモールも騎獣に精神力を込め、それを追う。すると、今度は急に反転して急降下でカステルモールへと向かってくる。しかも反転した竜はすでにブレスの準備を整えていた。

 

風竜から伸びてくる炎を、左旋回で回避する。しかし、逃れた先でカステルモールが目にしたのは、ワルドの放ったウィンディ・アイシクルだった。すでに氷の槍は目前。回避は不可能だ。

 

「かあっ!」

 

避けられないなら打ち払うのみ。気合とともにエア・ニードルを纏わせた軍杖を振りぬき、カステルモールは自らに当たると思われた氷の槍を切り裂いた。騎獣には何本か氷の槍が突き刺さったが、騎獣は生物ではないため、実質的な被害はない。

 

「貴様! ヴィンダールヴだな!」

 

急上昇から反転しての急降下。しかも、その機動の最中にブレスの準備までする。このように竜を思い通りにできる者など、カステルモールは見たことがない。

 

「いかにも。わたしは伝説の虚無の一翼たる、ヴィンダールヴだ! 伝説の虚無の力を得しスクウェアメイジの力、しかと思い知れ!」

 

「何が伝説の虚無の力だ! 借り物の力で吠えるな!」

 

叫びながら騎獣に精神力を込めて突進するも、ワルドは風竜を操って距離を取る。風竜と騎獣を比べると、小回りでは騎獣の方が優れるものの、速度では風竜の方が上だ。そして、一番重要な点。それは、持久力で圧倒的に不利という点だ。

 

騎獣は普通に飛ばしているだけで精神力を消費する。最高速度で飛行するとなれば、その消費は更に上がる。カステルモールが勝利するには短期決戦に持ち込むしかない。ここにきてカステルモールは切り札を用いることを決意した。

 

ワルドの竜から一度、距離を取ってその間に風の魔法を準備する。騎獣の欠点が持久力ならば、騎獣の利点は頑丈さだ。元が石であるので固い上に、真っ二つでもされない限りは、飛行を続けることができる。そのため回避を最小にした無理攻めも行うことができる。その差異はすでにワルドも認識していることだろう。

 

カステルモールが放ったエア・カッターを回避するため、ワルドが風竜の首を巡らせた瞬間を狙い、ある呪文を唱える。そしてワルドの竜がカステルモールの方へと向き直ったところを狙い、騎獣を突撃させる。

 

ワルドが迎撃のために選択したのはライトニング・クラウド。カステルモールが軍杖に纏わせていた魔法も、同じライトニング・クラウドだ。両者の魔法が拮抗する間に更に距離を詰める。

 

このまま騎獣での体当たりが成立するかと思えたとき、ワルドの竜が急に前転のような行動を取った。カステルモールに襲い来るのは、丸太のように太い竜の尾だ。

 

ワルドの乗竜の挙動は、自然界では到底、ありえないものだった。それゆえ全く予想などできなかった。これは避けきれない。突進していたカステルモールと騎獣は、ワルドの風竜の尾の一撃によって消滅する。そして、それと同時に、死角となる位置からカステルモールはワルドに向かって突撃した。

 

「私は騎獣に乗った偏在を生み出す方法を身につけた。生身の竜を扱う貴様には真似できまい!」

 

分身体ともいえる偏在だが、自分以外の偏在を作り出すということは、未だかつて誰も成功していない。けれど、騎獣は己の精神力で作り出すものだ。カステルモールは密かに特訓を重ねて騎獣に乗った偏在を作ることに成功した。

 

騎獣に乗った偏在など想定をしていなかったようで、ワルドは無防備な姿を晒している。カステルモールは騎獣に全力で精神力を注ぎ込み、軍杖に纏ったエア・ニードルでワルドの体を貫いた。

 

その瞬間、ワルドの体が掻き消えた。代わりに竜の側面から別のワルドが姿を見せた。

 

「確かに私には竜の偏在を作ることはできないな。だが、そんなものは必要か?」

 

ワルドは風竜の手綱に足を引っ掛けて側面に姿を隠し、竜の上には偏在を配置していたらしい。そのような方法を、カステルモールは考えてもみなかった。

 

己の偏在でいかに相手を欺くかということばかりを考えていて、相手の偏在にいかに騙されないかということに注意を払うのを忘れていた。致命的な失策だ。これでは、このような結果になるのも必然というものか。

 

カステルモールの体をワルドの軍杖が貫いていく。狙いを過たず、しっかりと急所を貫いている。もう自分は助からない。カステルモールはそのことを理解した。

 

シャルロットの元に駆けつけてから今日までの数々の戦いが走馬灯のように駆け巡る。それはカステルモールの人生の中では、ごく短い期間。だけども濃密で、最も充実した期間だった。その充実した人生を与えてくれたシャルロットのためにも、何としてもこの敵だけは葬らなければならない。

 

「見事だ。だが、ただでは死なぬぞ」

 

カステルモールは最後の力を振り絞り、軍杖にエア・ニードルを纏わせ直した。



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襲撃者

火竜山脈を飛び立ったわたしたちは、イザベラ配下の北薔薇花壇騎士のオルドナンツから伝えられたガリア軍の現在地へと急行した。けれど、その場所にはガリア軍の姿はおろかロマリア軍の姿もなかった。

 

「もしや予想外の大敗を喫し、総崩れとなったということでしょうか?」

 

「いえ、それならば、その報告が届いているはずです」

 

わたしが漏らした一言をイザベラが即座に否定する。確かに事態が悪化したならば、その報告がなされているはずだ。ならば、事実は逆で、予想外に事態が好転したが、そのために忙しくなって報告が後回しになっているということだろうか。そう考えていたところに白い鳥が飛来してきた。

 

オルドナンツが伝えてきた内容は、直前にわたしが予想したとおり。キュルケが見事に策を成し遂げ、ゲルマニアがロマリアの国境を超えるとともにロマリアに宣戦布告。それによりロマリアは総崩れになってガリアはそこを追撃中だということだった。

 

「わたくしたちが向かう必要はなくなりましたが、イザベラ様、どういたしましょう?」

 

「もしもご迷惑でなければ、せっかくここまで来たのですから、シャルロット様に戦勝のお祝いを申し上げたいと思います。それに、此度の戦勝で大隆起に対する方針にも何らかの変化があるかもしれませんから」

 

「両軍ともに歩兵が多いですから、騎獣ならすぐに追いつけます。それに、いくら勝ち戦といえども、直前までは押されていたわけですから、負傷者も多いはずです。わたくしもお役に立てると存じますので、支援に向かうことにいたしましょう」

 

イザベラと相談した結果、わたしたちは予定通りタバサに合流することにした。そうしてガリア軍を追いかけ、その最後尾、それから少しして黄色の旗を掲げたタバサの率いる軍が見えてきたところで上空で激しく戦う影があるのに気が付いた。

 

一方はタバサの護衛騎士のカステルモール。そして、もう一人は……。

 

「あれは……まさかワルドですか!?」

 

「その方はローゼマイン様が知っている方なのですか?」

 

最初に召喚されたときには同行していなかったレオノーレの質問には、騎獣の後部座席にいるリーゼレータが説明をしてくれた。その中で、マティアスとラウレンツだけでなく、ハルトムートやクラリッサにサガミールでともに戦った平賀も力を合わせて撃退したという話をしたことで、レオノーレも油断がならない相手だと認識したようだ。いつでもわたしの騎獣から飛び出せるよう自らの騎獣の魔石を手に握りしめる。

 

「それにしても、あの竜の動きは凄まじいですね」

 

タバサのシルフィードを始め、風竜はそれなりの数を目にしてきた。けれど、あれほどの鋭い動きを行える竜は見たことがない。と、そこで一つの嫌な可能性に思い当たる。使い魔が高みに上がると、再召喚が可能になる。ということは、ジュリオが処刑されたことで教皇はヴィンダールヴが再召喚が可能になったということだ。もしもスクウェアメイジであるワルドがヴィンダールヴとなれば、それはかなり拙いのではないだろうか。

 

二人の争いを横目に、わたしたちは急いでタバサの元に駆けつける。わたしたちに気が付いたタバサだったけど、軽く驚きを見せた後はすぐに視線はカステルモールに戻った。あるいはハルトムートあたりなら失礼だと憤慨するかも、とも思ったけど、さすがにそれほど空気が読めない行動はしなかった。

 

タバサと一緒に見つめる先、相変わらずカステルモールは劣勢を強いられている。タバサの護衛騎士たちが一様に加勢に向かいたそうな姿を見せているけど、二人の攻防があまりにレベルが高く、割って入るのは難しいようだ。

 

そして、ついにカステルモールがワルドの軍杖によって貫かれる。その直後、上空で眩い閃光が走った。光に焼かれていた目が視力を取り戻したとき、そこにはカステルモールの姿もワルドの姿もなかった。

 

「シャルロット様、カステルモールは……」

 

「ローゼマイン様、キュルケ様です」

 

わたしが尋ねようとしたところで、レオノーレから声をかけられた。見ると、こちらに向けてキュルケとコルベールの騎獣が飛んできていた。どうやら、ゲルマニア軍の出発を見届けた後はタバサとの合流を目指したようだ。わたしたちがいることに少し驚きの表情を見せたけど、それに触れることすらなく、騎獣から降りるなり、キュルケは飛びつくようにしてタバサに聞く。

 

「シャルロット、さっきの光は何なの!? なんだかジョゼフが使った火石に似ていたように見えたけど!?」

 

「キュルケの予想であってる。あれは火石の光。カステルモールはいざという時には刺し違えても相手を倒すと、自分の精神力でも砕ける大きさの火石の破片をペンダントの中に入れて持ち歩いていた。おそらく、最後の力を使ってそれを砕いた」

 

それはワルドを道連れに自爆をしたということだろうか。

 

「そんな! 他に方法はなかったのかよ……」

 

堪らずそう漏らしたのは平賀だ。ワルドには平賀の方こそ多大な因縁があった。今回は空中戦ということでカステルモールの戦いを見守ることしかできなかったのだろう。平賀の表情には、その無念さが滲み出ている。

 

「カステルモールとて、本当に使うつもりはなかったと思う。自分よりも強い者は、そうはいない。あくまでもお守りだと言っていたのに……。いや、わたしがワルドを見つけて飛び出そうとしたカステルモールを止めて、他の護衛騎士たちと一緒にシルフィードで参戦していれば……」

 

「シャルロット様、今のシャルロット様は守られることが仕事です。一緒に戦うというのは、逆に護衛騎士たちの負担になりますよ」

 

タバサはわたしのように弱くない。或いは加勢するのも有効かもしれないと思いつつも、今は心の負担を軽減するためにタバサの言を否定する。わたしの言葉を聞いたタバサは薄く目を閉じて深呼吸をする。そうして再び目を開いたときには、強い光を宿していた。

 

「ロマリア軍への追撃を再開する! 皆の者、カステルモールの死を無駄にするな!」

 

上空での激しい戦いに足を止めていたガリア軍が、敗走するロマリア軍への追撃を開始した。それを見届け、タバサが言う。

 

「わたしは少し休みたい」

 

カステルモールは、サガミール以来の一番の腹心だった。そのカステルモールを失ったのだから、タバサの心労は大きいだろう。

 

「シャルロット様、休憩なさるのでしたら、わたくしの騎獣を使いますか? 窓を閉めれば外を気にせずお休みになることができますよ」

 

タバサは火竜山脈での採取などの際にわたしの騎獣に泊まったことがある。

 

「ありがとう、お願いしても……」

 

「お待ちください、ローゼマイン様!」

 

そう叫んだのはアンゲリカだった。これが他の者だったら、外聞的な何かによる進言かと思ったことだろう。けれど、ことアンゲリカに限っては、そのような理由で口を挟んでくることはない。

 

アンゲリカが声をあげるとき。それは何かしらの危険を感じ取ったときだ。他の側近の皆も同じように感じ取ったのか、一斉に警戒態勢を取る。

 

「アンゲリカ、何があったのですか?」

 

「明確に何とは言えないのですが、どうにも嫌な感じがするのです」

 

ルイズのイリュージョンのような姿を隠す魔法だろうか。詳細はわからないけど、隠蔽の魔法が使われているのならば、方法はあるかもしれない。

 

「光の女神の眷属たる助言の女神アンハルトゥングよ。隠蔽の神フェアベルッケンに隠されし者を示し給え」

 

光の魔法陣が上空へ上がっていき、地面へと降りてくる。そこには一見すると、何もないように見えた。けれど、そこには何かがあるはずだ。

 

わたしは薄くした魔力を魔法陣が示した場所へと伸ばしてみる。幸いなことに、今はわたしたちやキュルケ、コルベールにルイズと平賀の他にはタバサの護衛騎士たちくらいしかいない。そして誰も魔法は使用していない。不自然に魔力を感じたら、それが原因だ。

 

思い切って魔力を伸ばしていると、魔法陣が示した地面の下に妙な感覚があった。どうやら敵は地中に潜んでいるようだ。

 

「皆、敵は地中です!」

 

わたしの言葉と同時に、地面の下から四人の男女が飛び出してきた。

 

「もう少し気付かれずに近づけるかと思ったんだけどね。彼女がシャルロット様に協力していると聞く異国の王族かな」

 

そう言いながら肩を竦めるのは、十歳ほどにしか見えない少年だ。他は大柄な男と、少年と少女。成人ばかりのタバサの護衛騎士たちに比べると随分と幼いが、わたしたちに臆した様子は見られない。

 

「あれは、元素の兄弟!」

 

「知っているのですか、イザベラ様」

 

「姿を消していた元北薔薇花壇騎士の者です。汚れ仕事に関しては一度も失敗したことがない手練れの騎士たちです」

 

このタイミングで現れるのだ。帰参を願ってのものではないだろう。一難去ったところでまた一難。ワルドに続いての刺客に、わたしの護衛騎士たちだけでなく、タバサの護衛騎士たちが警戒を強めた。



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元素の兄弟

元素の兄弟と呼ばれた者たちは四人、いずれも油断がならない雰囲気だ。一方、タバサの護衛に付いている騎士たちは、クリステル、アリス、ソワッソン、フランソワの四人。いずれもトライアングルのメイジだけど、相手は手練れだという話なので少し不安も残る。

 

「ローゼマイン、回復薬を譲ってもらっていいかしら?」

 

あたしはここまで来るためにだいぶ精神力を使用してしまった。このまま戦闘に突入するのは拙い。

 

「リーゼレータ、グレーティア、キュルケとコルベール先生に回復薬をお譲りして」

 

警戒を強めるタバサの護衛騎士やルイズ、サイト、そしてローゼマインの護衛騎士たちの間を抜けてローゼマインの騎獣の後部座席にいる側仕えの二人から回復薬を受け取る。

 

「皆様はロマリアよりシャルロット様を害するよう命じられたということでしょうか? ご覧になっていただければわかる通り、四人で命を果たすのは難しいと存じます。ここは引いていただけないでしょうか?」

 

ローゼマインの言ったとおり、こちら側はあたしとジャンに、ルイズとサイト、タバサと護衛騎士が四人、ローゼマインの護衛騎士が騎獣の中で待機するはずのレオノーレを除いても、マティアス、ラウレンツ、アンゲリカ、エックハルト、コルネリウスと五人。それにマチルダとハルトムートとクラリッサもいる。人数的にはこちらが圧倒的に有利だ。

 

「生憎とその申し出は受けられませんね」

 

そう答えたのは、子供にしか見えない外見の少年だ。子供の意地とは思えない、冷静な声音だった。その態度は不気味だけど、ここにいるのはトライアングル以上のメイジばかりだということには気づいていないはず。きっと大丈夫だ。そう自分に言い聞かせる。

 

「なあ、シュヴァリエ・ヒリゴイールってのは、どいつだ?」

 

「たぶん、俺だ」

 

「じゃあ、ぼくはきみとの戦いを所望する」

 

「もう、ドゥドゥー兄さまったら」

 

少女の言葉でサイトに戦いを挑んだハンサムと言っていい少年がドゥドゥーという名前だとわかった。ドゥドゥーに指名されたサイトはデルフリンガーを手に前に出る。

 

「やれやれ、じゃあ俺は本命をいただくとするか」

 

「クリステル様、シャルロット様の護衛でしたら、わたくしたちが引き受けます。複数人で当たってくださいませ」

 

「ローゼマイン様、かたじけなく存じます。アリス、シャルロット様の護衛をお任せします。ソワッソン、フランソワ、行きますよ」

 

「待ちな、クリステル。あたしも一緒に戦うよ」

 

「お願いします、マチルダ殿」

 

大柄な男がタバサの方へと足を踏み出したのを見て、タバサの護衛騎士三人とマチルダが立ち塞がるように前に出る。

 

「じゃあ、お嬢さんの相手はあたしたちがしてあげようかしら」

 

それを見て、あたしはジャンと一緒に少女の方へと足を向ける。残った子供については、エックハルトがアンゲリカと一緒に対応に向かうのが見える。子供相手でも全く容赦がなさそうな二人が向かうのは安心すべきなのか、心配すべきなのか。

 

「わたしの相手はあなたたちってことね。そうそう、わたしの名前はジャネットよ。それにしてもあなたたち、随分と年齢の離れた組み合わせね」

 

そう言ったジャネットは、ひだをふんだんに使った黒と白の綺麗な衣装の上にレースで編まれたケープを纏っている。およそ戦いには向かなそうな衣装だ。

 

「年齢差なんて真実の愛の前には何の障害にもならないものよ」

 

「あ、そういう組み合わせだったのね。正直、わたしには理解ができないわね」

 

「好きに言ってたらいいわ」

 

まずは小手調べとしてフレイム・ボールを投げつける。ジャネットはアイス・ウォールであたしの魔法を難なく防いだ。あたしの魔法はジャネットのアイス・ウォールにわずかにひびを入れただけ。そこからわかることは、ジャネットの方があたしよりも魔法力が高いということだ。

 

「あなたたち、どうしてイザベラの元を離れたの? 今からでもロマリアからガリアに寝返らない?」

 

「さすがに仕事の途中で裏切ったら信用をなくすでしょ」

 

「あら、傭兵として生きていくのなら信用は必要でも、ガリアの騎士として生きていくのならば、そんなものは不要ではなくて?」

 

「生憎だけと、わたしたちの行動はダミアン兄さんが決めているの」

 

ジャネットは積極的にこちらに攻めてくる様子はない。なので聞いてみたところ、この四人の要は子供に見える少年ということだった。

 

「じゃあ、あの子に聞いてみる……というのは難しそうね」

 

ダミアンはエックハルトとアンゲリカに攻め立てられ防戦一方という様子で、話ができる状態ではない。あの二人はエーレンフェストでも戦闘力は屈指だと言っていた。その二人を相手にして戦いになっているのだから、ダミアンも相当に強い。けれど、ローゼマインはまだ四人の騎士を温存している。最終的な勝敗は明らかだ。

 

シャルロットに向かった大柄な男もソワッソンとフランソワが交互に攻め、クリステルが援護を行っている。更に隙あらばマチルダが相手の動きを阻害するように土魔法を使い、自由を奪っている。大柄な男はシャルロットの護衛騎士の連携の前に、はっきりと劣性だと言っていいだろう。

 

気になるのはサイトたちで、タバサ側で唯一、ドゥドゥーを相手に苦戦している。けれど、ここにはサイトの不利を黙って見ていられない予備戦力がある。

 

「ラウレンツ、サイトを援護してくださいませ」

 

唯一、押されていたサイトの所にも援軍が向かった。これで、あたしたちの優位は揺るがないはずだ。

 

「あなたの判断で、投降をした方がいいんじゃないの?」

 

「残念だけど、それはできないのよ!」

 

他の三人がそれぞれ劣勢なのを目にして、ようやくジャネットも本気で攻めてくる気になったようだ。ウォーター・カッターをあたしに向けて撃ってきた。警戒を解かず魔法の準備をしていたジャンの炎の蛇が、ジャネットの魔法を飲み込んで消滅させる。その間にあたしは、フレイム・ストームをジャネットに向けて放った。

 

あたしたちに向かって攻撃魔法を使った直後のジャネットは、防御魔法が使えない。なんとか、あたしの魔法に飲まれる直前にウォーター・シールドを使ったけど、そんなものでは、たっぷりと精神力を注ぎ込んだ、あたしの魔法は防げない。

 

炎の渦に飲み込まれて、ジャネットの体が宙に浮く。魔法の効果が消えて地面に足をついたときには、かわいらしかったジャネットの衣装はぼろぼろになり、覗く肌は火傷でただれていた。

 

ジャネットの火傷は重く、勝敗はついたかに見えた。けれど、ジャネットが自らの火傷を負った肌の上に掌を当てて治癒魔法を使うと、酷い傷がみるみる治っていく。ジャネットは水の秘薬を使用したようには見えない。それなのに驚くべき回復力だ。

 

「あなた、本当に人間なの?」

 

「さあ、どうかしらね」

 

魔法の回復力が高いのか、それとも本人の治癒力が高いのか。いずれにしても先ほどの火傷は常人なら、戦闘継続は不可能という怪我だった。それなのに、こんなにあっさりと戦闘力を回復されたのでは堪らない。

 

そして、どうやら驚異的な継戦能力や回復能力を持っているのは、ジャネットだけではないようだ。アンゲリカの剣に左の脇腹を切り裂かれたダミアンも、傷を掌で抑えて治癒魔法を使いながら戦闘を継続している。

 

「皆、こいつらの治癒力は尋常じゃないわ。普通の人にとっての致命傷を与えたとしても、油断しちゃ駄目よ!」

 

あたしの忠告を受け取った皆が承知の声を返してくる。特に相手の命を奪うことを良しとしないサイトには今の忠告は絶対に届けなければいけない声だった。

 

サイトとラウレンツはこれまでも何度か共闘してきた。お互い相手の呼吸は掴めているのだろう。サイトが攻撃を行い、ラウレンツが援護するという連携で、先ほどまでとは逆にドゥドゥーを押している。

 

大柄な男に対応しているクリステルたち四人も前衛に近接戦を得意とするフランソワ、中衛に手数の多いソワッソン、後衛に万能型のクリステルと更には妨害役のマチルダという連携で、戦いを圧倒的に有利に進めている。二人が苦戦しているのを見て、ダミアンが忌々しげに舌打ちした。

 

「このまま戦い続けても不利だ。ジャック、ドゥドゥー、ジャネット、退くぞ!」

 

「なっ……待ってくれよ。ぼくはまだ……」

 

反論をしかけたドゥドゥーは油断していたわけではなかった。サイトからも、ラウレンツからも視線は外していなかった。けれど、それまで黙って精神を集中させていたルイズのことを意識の内に入れていなかった。そのルイズの魔法がドゥドゥーのわずかな隙を狙って叩き込まれた。

 

吹き飛ばされたドゥドゥーにサイトがすかさず駆け寄って切り裂いた。サイトらしいというか、あたしの注意にもかかわらず致命傷とならないように切られていたが、ラウレンツがシュタープを紐状にして縛っていたので問題ないだろう。

 

そして、ドゥドゥーが捕らわれたのを見て足を止めた大柄な男には、それまで後ろに控えていたマティアスが飛び掛かっていた。それは受け止めていたものの、ソワッソンが風の刃を飛ばし、クリステルが水の刃で切りつけるに及び、ついに膝をつく。

 

「ジャック!」

 

ダミアンの叫びを聞いて大柄な男が懸命に顔をあげた。そこにフランソワがブレイドを纏わせた軍杖を振り切った。ジャックの頭が宙を舞い、血しぶきがあがる。

 

「ジャック兄さま!」

 

「よせ、ジャネット! ここは退くんだ!」

 

ダミアンに窘められジャネットが後退する。一応、フレイム・ボールを撃ってみたけれど、それは予想通り防がれた。

 

「深追いは必要はありません」

 

ローゼマインの声でアンゲリカとエックハルトは追撃を中止したようだ。強敵の元素の兄弟を相手に一人を討ち取り、一人を捕縛できたなら上出来だろう。そう判断して、あたしたちもジャネットを追うことはしなかった。




当初はタバサ側にも被害が出る予定でしたが、カステルモールが死んだ後では大して印象にも残らない無駄死にと判断して戦力差で押し切る方針に変更。
スクウェア1人、トライアル7人、ルイズにサイトにローゼマイン一行と明らかな過剰戦力の前に、割を食って見せ場を失った元素の兄弟。


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ヴィットーリオの覚悟

ゲルマニアの宣戦布告と、それに動揺した東部を拠点とした部隊の撤退によるガセキ平原での敗北により、ヴィットーリオは窮地に陥っていた。なんとかロマリア皇国連合の中心、“宗教庁”へと戻ることができたが、兵の数は半分以下に減った。敗北以上にゲルマニアの侵攻を聞いて、自分たちの街に戻ってしまった部隊が多いことが影響したものだ。

 

「カルロ、状況を教えてください」

 

敗戦の後の撤退の中だ。当然ながら身なりを整えることさえ難しかった。けれども、宗教庁に戻ったからには、いつまでもそのような姿でいるわけにはいかない。余計に皆の不安を煽ることになるためだ。そのため実利はないと知りつつ、ヴィットーリオはまずは身なりを整えてからカルロに質問した。

 

「ガセキ平原でのガリア軍の追撃によって、ヴェッキオ修道騎士団、ティボーリ混成連隊、ブラローレ混成連隊が壊滅。アヴェルーザ修道騎士団、オッジャ修道騎士団、ガララーテ修道騎士団、ヴェットラル混成連隊、カザルーヴォ混成連隊、ロンバード混成連隊はそれぞれの街に撤退。そして……」

 

「カルロ、細かな各隊の状況の報告は不要です。わたくしの手元に残った兵はいかほどになりますか?」

 

「聖下の親衛軍が二万、わたくしのアリエステ修道騎士団が五千、バッソモーリ修道騎士団が三千、コレーニョ混成連隊が二千、スカンディ混成連隊が二千、リヴォリー混成連隊が二千で、計三万四千です」

 

十万いた兵が三分の一に減っている。西のガリア軍は未だ十万を超える大軍、加えて東にはゲルマニアがいる。ヴィットーリオが檄を飛ばせば民兵を募ることができることはできるだろうが、それでも五万が限界だろう。

 

民兵を加えても兵力はガリアの半分。しかも、その民兵たちとガリアの正規軍とでは戦闘力は比べるべくもない。加えてヴィンダールヴのワルドも失った。今のままではロマリア側の戦力不足は否めない。

 

「わたくしはこれより、ヴィンダールヴを召喚します。わたくしたちが、この戦いに勝利するには何としても強い力を持つヴィンダールヴが必要です」

 

ワルドの母は、大隆起の件を知っていた。いや、知ってしまった。それゆえに事実に耐え切れずに心を壊してしまった。その母の様子を知っていたワルドは、“聖地”には大隆起を防ぐための始祖の残した魔法装置があり、何としてもそこを目指す必要があるという偽りを簡単に信じた。そうして、それに命を懸けてくれた。

 

ジュリオにしても、ワルドにしても非凡な才の持ち主だった。けれど、すべての使い魔がそうであるとは限らない。ヴィンダールヴは幻獣を上手く扱えるようになるだけで、戦闘力をあげる効果はそれほどないのだ。

 

「わたくしたちは、何としても始祖から課された使命を果たさねばなりません。それこそがハルケギニアの民を救う唯一の道です。大義を果たすためには、小を切らねばならぬこともあります。カルロ、この言葉の意味がわかりますね」

 

ヴィットーリオの言葉に、カルロが静かに頷いた。

 

「よろしい。それでは、始めましょう」

 

すでに三度目となるサモン・サーヴァントの魔法をヴィットーリオは唱える。詠唱が終わると、ヴィットーリオの前には、すでに見慣れた鏡が現れた。

 

現れたのは、ヴィットーリオもよく知る少女だった。その少女はヴィットーリオの命ならば疑うことなく従ってくれる。忠誠心という面では全く問題がない。

 

「ミケラ、あなたでしたか。あなたのわたくしに対する忠誠は疑いようがないものです」

 

そこまで言ったヴィットーリオは、ちらりとカルロの方を見た。カルロはわかっていることを示すように静かに頷いた。

 

「けれど、あなたではヴィンダールヴは少し荷が勝ちすぎというものでしょう。あなたではトライアングルクラス以上のメイジが複数護衛に付いたシャルロットに近づくことすら難しいでしょう」

 

ヴィットーリオがそこまで言ったとき、カルロがブレイドを纏わせた軍杖でミケラの胸を貫いた。サモン・サーヴァントは使い魔が死なない限り再召喚はできない。だから、呼び出した使い魔が力不足な場合は、その使い魔を処分するしかないのだ。

 

「ヴィンダールヴとして呼び出されなければ、ミケラが死ぬこともなかったのに。始祖もむごいことをなさいますな」

 

「カルロ、ヴィンダールヴを選んだのは始祖かもしれませんが、ミケラを大義のための犠牲にすると決めたのはわたくしです。そこは受け止めなければなりませんよ」

 

「はっ、申し訳ございませんでした」

 

頭を下げるカルロを責める資格はヴィットーリオにはない。使い魔が力不足だった場合に殺害を命じたのはヴィットーリオだ。ミケラを殺したことも、ジュリオを失ったことも、ワルドを死なせた責任も、すべてヴィットーリオが負うべきものだ。

 

これまでの戦いで、もっとロマリアが優位に立てていれば、このような無茶な方法で力のある使い魔を選ぶ必要もなかった。それは、大隆起というハルケギニアに混乱を齎す情報をガリアが手にし、更にそれを公表することを読めなかったヴィットーリオの失策だ。加えて、始祖の血を引かぬゲルマニアの劣等感を読み切れなかったことも。

 

この数か月間、ヴィットーリオは多くの過ちを犯した。その結果、多くの人を死に追いやることになってしまった。けれど、それでも過ぎた過去の過ちを悔いて己の足を止めることはできない。

 

このまま大隆起が進めば、ハルケギニアには戦乱の嵐が吹き荒れることになる。強い国、強い者が弱い国、弱い者からすべてを奪う。そのような地獄のような世が訪れることだろう。それを防ぐためには、聖地を取り戻す以外に道はない。

 

けれど、ガリア王シャルロットはその気はないようだ。シャルロットは力でガリアの王位を奪い取った人間。ガリアの力を頼みに弱者を踏みにじることに何の躊躇いも持たない者なのだろう。それは、これまでのガリアの戦い方でも感じ取れる。

 

「ジョゼフが危険な人間であったことは間違いがありません。ですが、代わりに王位に就けた者が同じような危険性を秘めた者だとは……わたくしの判断ミスですね」

 

ジョゼフもシャルロットも、どちらも殺しておかねばならかなったのだ。その性質を読み切って、両者を倒せる手を打っておけば。それが悔やまれてならない。

 

「けれど、その後悔の反省を行うことも今ではありませんね。今はとにかくハルケギニアを救うために、何としてもこの戦いに勝利せねば」

 

トリステインのルイズも、アルビオンのティファニアも始祖を軽んじるシャルロットに付いた。そして、新たなガリアの虚無の担い手は不明のまま。ブリミルが使命を託した者たちの中で、命を果たそうとしているのはヴィットーリオだけだ。

 

何としても、わたくしが始祖ブリミルの使命を果たす。そして、ハルケギニアを平和に導いて見せる。

 

決意を新たにサモン・サーヴァントを唱える。詠唱が終わると同時に、ヴィットーリオの背後から感嘆の声が上がった。背後に立ったカルロの目の前には光り輝く鏡がある。それはカルロがヴィットーリオの使い魔に選ばれた証だった。

 

「カルロは神の教えをよく理解しているだけでなく、トライアングルクラスのメイジです。そして、ペガサスの扱いにも長けている。わたくしにとって、これ以上ない使い魔ですね。さあ、カルロ、その鏡を潜ってわたくしとともに伝説を紡いでください」

 

その言葉はヴィットーリオの本心だった。カルロならば、能力の面でも忠誠心の面でも、ヴィンダールヴとして申し分ない。カルロが恭しく礼をしてから鏡を潜り、ヴィットーリオの前へと現れる。

 

「始祖ブリミルよ、あなたを敬わぬ者たちを討ち、あなたの悲願を果たすための力をこの者に与えてください」

 

ヴィットーリオは真摯に始祖に祈りながらカルロにヴィンダールヴの力を与えた。



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闇の神の祝詞

ゲルマニア軍の宣戦布告に合わせて逆襲に転じたガリア軍がロマリアに勝利したのを見届けて、わたしたちは再び大隆起が発生した火竜山脈の調査に戻った。タバサの危機ということで思わず飛び出したけれど、本来ならハルケギニアの勢力争いに、わたしたちは関わるべきではないのだ。

 

わたしたちが行うべきなのはハルケギニアの人々が少しでも多く生き残るための手助け。そちらに全力を注ぐつもりで火竜山脈に騎獣を降ろした。そこにはイザベラに代わって現地入りしていた内務卿のモルガンと一緒に、懐かしい人が待っていた。

 

「……久しぶりですね、ローゼマイン様?」

 

「エレオノール様、時の女神ドレッファングーアの糸は交わり、こうしてお目見えすることが叶いましたことを嬉しく存じます」

 

久しぶりに会ったルイズの姉、エレオノールはわたしの姿を見て驚きを隠せない様子だ。最近は以前のわたしの姿しか知らない人もだいぶ減ってきたので、久しぶりの反応だ。

 

「エレオノール様はトリステインのアカデミーの“土”の首席研究員を務めており、地中に眠る“風石”の鉱脈を捜す魔法装置を開発されたのです」

 

モルガンの紹介によると、エレオノールが開発したのはミミズに似た装置だった。先端から土を取り込み、後ろから排出する仕組みらしい。

 

「こちらの装置は、通常の品から大幅に性能を上げた特注品で、ほぼ一リーグの深さまで掘り進んで“風石”を探ることができるのです」

 

「その代わり、何人ものメイジが、絶えず“遠隔操作”の呪文を唱え続ける必要があるのですけどね」

 

モルガンの褒め言葉にエレオノールは面映ゆそうな表情を見せていた。エレオノールは意外と褒め言葉には弱いのかもしれない。

 

「トリステインはメイジの比率は高い国だけど、人口ではガリアとは比べ物にならないですから。ガリアは優秀なメイジが多いから、わたしとしても勉強になります」

 

事前のロマリアの調査で、この火竜山脈の地下には、まだ多くの“風石”が眠っていることがわかっていると聞いている。技術の改良という面では有無がわからない場所よりも、あるとわかっている場所の方が向いている。今はガリアのアカデミーも協力して魔法装置の改良に励んでいるということだ。

 

「魔法装置で調査を行った結果は出ているのですか?」

 

「結果は出たわ。残念ながら、悪い方でね」

 

「どのような結果だったのですか?」

 

「巨大な“風石”の鉱脈は見つかったわ。地中八百メイルの地点でね」

 

ハルケギニアの一メイルは、ほぼ地球の一メートルだったはずだ。それで、マチルダが悪い結果と言った理由がよくわかった。地中八百メートル地点まで穴を掘るだけでも困難なことなのに、それに加えて“風石”の搬出が可能なだけの坑道を作るということは、いくら土メイジがいるハルケギニアでも不可能に近いのだろう。

 

「空の魔石に魔力を移すということは難しいことは実験済だし、他に魔力を効率的に吸い出す方法となると……」

 

何となく呟いてみた言葉だったけど、魔力を吸い出すという言葉で思い浮かんだ光景があった。それは、旧アーレンスバッハの貴族が黒の呪文を使ってエーレンフェストから魔力を奪っていた光景だ。

 

けれど、黒の呪文はユルゲンシュミットでも危険だという理由で特定の領地しか使用を許されていなかった。そして、わたしは実際にその危険性をこの目で見た。けれど、風石から魔力を奪うという点においては、危険だからと頭から否定してしまうには魅力的すぎる方法だった。

 

「黒の呪文は無理でも闇の神の祝福を与える祝詞なら……。それなら魔力は神々に奉納されるだけだから、他領からの略奪などには使われないし……」

 

わたしはコルネリウス、レオノーレ、ハルトムートとクラリッサの四人を集めて思いついた方法を伝えてみた。

 

「ひとまず、有効かどうか試してみられてはいかがですか?」

 

ハルトムートの言うことはもっともだ。闇の神の祝詞を伝えてよいかは簡単に答えが出せない一方、風石に対して効果があるかは騎獣で飛んでいけば簡単に確認ができる。ならば簡単に済む方から確かめてみればいい。

 

「それでは黒の呪文を知っているエックハルト、コルネリウス、アンゲリカ、マティアス、ラウレンツの五人はわたくしと来てくださいませ」

 

「ローゼマイン様、なぜ私は連れていってくださらないのでしょう?」

 

「黒の呪文が一部の領地にしか使用を許可されていないように、闇の神の祝詞もあまり多くの人には伝えない方が良いと判断したからです。ハルトムートは騎士ではないので、今回は控えてくださいませ」

 

わたしはそう伝えたのだけど、結局は結果を観察して記録する者が必要だということで、祝詞が聞こえない距離まで同行することになってしまった。本当にハルトムートは口が上手くて困る。

 

浮遊した火竜山脈の一部は、前よりは離れたとはいえ、未だ視認範囲にある。わたしはそこまで飛んで闇の神の祝詞を唱える。

 

「高く亭亭たる大空を司る、最高神たる闇の神よ。世界を作りし、万物の父よ。我の祈りを聞き届け、聖なる力を与え給え。魔から力を奪い取る御身の祝福を我が武器に。御身に捧ぐは全ての魔力。輪から外れし魔を払う、御身が御加護を賜らん。この地にある命に一時の安らぎを与え給え」

 

護衛騎士の皆にも復唱をしてもらって、黒の武器に変えてもらう。まずはそれで風石を切りつけてもらうと、切りつけた場所の風石は、くすんだ色に変わった。

 

「レオノーレ、手持ちの魔石の中で最も大きな石を当てて魔力を移してみて、どの程度まで染まるか試してくださいませ」

 

レオノーレが試してみたが、くすんだ色となった場所からは、ほとんど魔力を移すことはできなかった。これで闇の神の祝詞が風石に有効だということは確認できた。次の問題は闇の神の祝詞をハルケギニアに教えることができるかどうかだ。わたしは一度、側近たちの元に戻って、全員に相談をすることにした。

 

「ユルゲンシュミットのように、闇の神の祝詞を改良して黒の呪文を作り出す可能性はないだろうか?」

 

そう言って、まずは懸念を示したのはコルネリウスだ。

 

「そもそも誰がどのように闇の神の祝詞を黒の呪文へと改変したのかは、わたくしにもわかりません。ですので可能性を否定することはできませんが、わたくしでも思いつかないような闇の神の祝詞の改変をこのハルケギニアの皆が、簡単にできるとは思えません」

 

「ハルトムートとクラリッサはどう思いますか?」

 

レオノーレはハルケギニアで過ごした期間が短い。ハルケギニアの皆が祝詞の変更を行える可能性があるのかの判断がつかないのだろう。

 

「私が知る限り、最も可能性が高いのはコルベール様ですね。ですが、彼ならば理由を説明すれば改変の可能性を低下させることができるでしょう。問題は、彼と同程度の知識を持つ者がどれくらいいるか、ですね」

 

「コルベール先生は、ハルケギニアでも稀に見る研究者だと思いますよ。それは他の先生方からの評価でハルトムートも知っているでしょう?」

 

「では、そういうことです」

 

つまりは、黒の祝詞から黒の呪文を作り出される可能性は限りなく低いということだ。

 

「コルネリウスの懸念はわかりますが、ハルケギニアの皆を救うため、わたくしは黒の祝詞を教えたいと思います」

 

「わかった。けれど、教える相手はくれぐれも限定してくれ」

 

闇の神の祝詞を使えば、わたしの風の盾も突破することが可能になる。コルネリウスが危惧するのは当然のことだ。

 

「わかっています。タバサたちに教えるのは、わたくしたちがハルケギニアを離れるときとすることにしましょう」

 

いくら闇の神の祝詞を伝えたところで、風石が巨大であれば力を大幅に削ることは容易なことではないし、地中深くにある場合はたどり着くことが難関となる。それ以前に、各地に埋没している風石を探り当てるというのが難しい。

 

これから先、ハルケギニアからは多くの土地が失われることになる。追い詰められたとき、ユルゲンシュミットの土地は魅力的に映るようになる可能性は捨てきれない。これから先、簡単にハルケギニアを訪れるのは控えた方がいいかもしれない。

 

けれど、それならそれでいい。もう訪れることができなくとも、わたしに良くしてくれた人たちには幸せになってほしい。そのためにできるだけのことを残してあげたい。また身内認定した者に甘いと言われるかもしれないけど、わたしはそう考えてしまうのだ。



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最後の抵抗

ガセキ平原の戦いに勝利したあたしたちだったけど、すぐにヴィットーリオを討ち取るために宗教庁に向けて進軍をすることはできなかった。最初は敗走に見せかけて撤退をしていたので、そこでの負傷者も多かったし、何よりヴィットーリオが再召喚していると思われるヴィンダールヴと動員されるであろう民兵たちへの備えも必要だった。

 

死を恐れぬ狂信者というものは実力以上に怖い相手だ。ただし、怖いのは接近がされてからであり、練度がものを言う遠距離戦で圧倒すれば問題はない。あたしは開戦後も製造を続けていたゲルマニア銃をはじめとした兵器類を追加でガリアから届けさせた。

 

無論、ゲルマニア銃が届くまで無為に時間を過ごしていたわけではない。ロマリアに所属する都市でも信仰心には差があり、エイザーンのように絶対に降伏などしないという場所もあれば、勝ち目がないなら降伏やむなしという都市もある。

 

タバサはアルヌルフ、シバー、マヤーナ、リョシューンの四将にそれぞれの手勢を率いらせて、現実路線を取る各都市を降伏させていった。ひとまず武装解除として銃砲を接収しておけば、メイジや近接武器だけの軍勢なら今のガリア軍なら恐れるに足りない。

 

こうして後方の安全を着々と固めた後、ビゼーン、アウグスト、ギョーブの三人の子爵にそれぞれ一万の兵を預けて各地の備えとした。万全の態勢を整えたタバサの率いるガリア本軍七万は、ついにヴィットーリオを討ち取るために宗教庁に向けて進軍を開始した。

 

「民兵たちには高度な連携は望むべくもありません。ですが、カルロの率いるアリエステ修道騎士団やバッソモーリ修道騎士団の聖堂騎士たちは油断のできぬ相手です。彼らの奇襲には十分注意が必要と思われます」

 

それが、参謀エドゥアルドの見解だった。そのため、今回は中央軍の前面にアルヌルフの赤備え、右にマヤーナの白備え、左にリョシューンの青備え、後方にシバーの黒備えを置くという方円の陣での進軍を行っている。ちなみにあたしやジャンはタバサの隣で前の元素の兄弟たちのような暗殺者の襲撃に備えるのが役割だ。

 

「前方にロマリア軍を発見。数はおよそ五万」

 

やがて騎獣で前方の偵察を行っていた騎士からオルドナンツが飛んでくる。

 

「アリエステ修道騎士団、バッソモーリ修道騎士団の聖堂騎士たちがその中にいるか確認せよ」

 

タバサの指示を受けて参謀オーギュストがオルドナンツを飛ばす。少しして中軍後方から竜騎士たちが飛び立った。

 

竜騎士たちが敵軍の上空に近づいていく。すると、ロマリア側からもペガサス部隊が飛び立った。ペガサス部隊から魔法が放たれ、竜騎士たちは追い散らされる。三騎ほど逃げ切れずに撃ち落されたように見えた。

 

「讃美歌詠唱を確認。聖堂騎士たちの所属する修道騎士団であると推察されます」

 

貴重な竜騎士を用いた偵察により修道騎士団は前方の軍の中にいると確認された。仮にいくらかは伏兵として潜んでいようと、少数ならば跳ね返すことは容易いので、これで差し当たっての脅威は前方の軍のみということになった。

 

「マヤーナとリョシューンの隊に前進を指示せよ」

 

敵が前面に戦力を集中してくるなら、こちらも前面に戦力を集めるのみ。エドゥアルドがオルドナンツを送って両隊を前進させる。

 

「我が軍の前衛部隊と敵前衛部隊が交戦を開始。敵の炎の竜を作る魔法によりわが軍の前衛部隊に若干の被害が出ている模様」

 

「聖堂騎士たちの讃美歌詠唱、“第一楽章”始祖の目覚め、でしょうな。難しい分、威力の高い合体魔法ゆえ我が軍のメイジでも完全に防ぎきることは難しかったのでしょう」

 

前線からのオルドナンツを受け取ったオーギュストが苦々しげに言ってくる。聖堂騎士たちの讃美歌詠唱はガセキ平原の戦いの折にもガリア軍の前衛部隊に被害を与えていた。それだけに本戦までに対策を考えてはみた。けれど、純粋な魔法技術の高さによる攻撃であるため、強力なメイジを揃えるという正攻法くらいしか有効な対策というものが存在しなかったのだ。けれど、それができれば苦労はしない。

 

結局はある程度の被害を許容するということしかできなかった。讃美歌詠唱は強力なだけに何発かしか打てない。補充がしやすい平民を半ば見捨てる格好になるが、メイジたちには自分の身を守ることを優先してもらうことにした。

 

戦は最初のうちは、ややガリア不利で進行した。けれど、徐々に数とゲルマニア銃を配備した平民部隊の差でガリアが押し込むようになってくる。

 

「そろそろ敵軍が動く頃だと思われます」

 

今のままだとロマリアは敗北する。ヴィットーリオがこのまま手をこまねいているとは思えない。今まで動きがないヴィンダールヴが動くならそろそろのはずだ。

 

「ロマリアのペガサス部隊が本陣に向けて突入の動きあり」

 

その報告通り、敵軍はガセキ平原のときのようにタバサを狙ってヴィンダールヴが含まれると思われるペガサス隊を繰り出してきた。ただし、そのときとは違って単独でなく部隊での攻撃を企図してきた。前のときはヴィンダールヴの存在を予想していなかったのに対して、今回は予測して護衛を厚く置いているだろうから、妥当な判断といえよう。

 

「けれど、甘かったわね」

 

個人であろうと、部隊であろうと関係ない。あたしたちは空からの攻撃全般に対する備えを行ってきたのだから。ジャンがタバサの後方の荷馬車に向かい、かけられていた布を取り払った。そこにあったのは、地上配備型の“空飛ぶヘビくん”だ。

 

“空飛ぶヘビくん”が搭載された荷馬車は一台だけではない。タバサの周辺だけでも十二発の“空飛ぶヘビくん”が搭載された荷馬車が四台。中軍では合計十四台の“空飛ぶヘビくん”の発射台が配備されている。

 

まずはガリア軍のメイジにより迎撃のための魔法攻撃が行われる。そして、ロマリア軍がそれを魔法で防ごうとしたところで、中軍の前線に配備された“空飛ぶヘビくん”がペガサス部隊に向けて発射された。ロマリア自慢のペガサス部隊だが、防御魔法の反応を捉え追尾してくる “空飛ぶヘビくん”からは逃れきれずに次々と撃ち落されていく。

 

その中でも華麗にペガサスを操り、粘る一騎が見えた。それはヴィットーリオからも信頼が厚いカルロだった。カルロのペガサスの機動から、彼が新しいヴィンダールヴだと当たりをつけることができた。

 

「アリエステ修道騎士団長のカルロをペガサスから落とすことができたら殺すな! 何としてでも生け捕りとせよ!」

 

クリステルがタバサの護衛騎士たちに命じる。ヴィンダールヴは余裕があれば生け捕りとしなければ、また新たなヴィンダールヴを呼ばれてしまう。それを避けるためには生け捕りとしなければならない。そして、生け捕りとできたならば、その後は手がある。

 

あたしたちがガリア本国から追加で運んできたのはゲルマニア銃だけではない。次こそはヴィンダールヴを生け捕りとし、その後は安定的に捕虜とするためティファニアも呼び寄せていたのだ。

 

多くの犠牲を出したカルロの部隊は、四騎まで数を減らしながらも外縁部の部隊を突破してタバサの付近まで近づいてきた。けれど、そこでタバサの護衛騎士たちと、四十八発の“空飛ぶヘビくん”による一斉攻撃が加えられる。さしものヴィンダールヴも、逃れる場所のないほどの濃密な弾幕の前では意味をなさない。

 

羽を撃ち抜かれたカルロのペガサスが大地に落ちていく。カルロ自体はフライの魔法で地面への激突は避けたが、そのときには、ヴィンダールヴ対策として編成したソワッソン率いる四人のトライアングルクラスのメイジによる分隊が確保に向かっていた。

 

カルロ自身も優れたメイジであることは確かだ。けれども、連携の相性も含めて選抜された腕利きのトライアングルメイジ四人を相手にできるほどではない。激しく抵抗をしたようだが、ソワッソンの風の刃で負傷したところにスリープクラウドをかけられ、生け捕りとされていた。

 

「各修道騎士団の主要騎士は討ち取りました。ロマリア軍の各隊は徐々に戦意を失い後退を始めています」

 

捕らえたカルロをティファニアの元に移送している間にも、前線部隊からは吉報を告げるオルドナンツが飛ばされてくる。戦意旺盛だったロマリア軍だったが、攻めている間は徐々に後退をしながら執拗に銃撃を繰り返し続けたガリアの銃兵隊の前に犠牲ばかりを積み上げ、そのうちに戦意を失ったらしい。

 

ロマリア軍の精鋭たる聖堂騎士たちも、多くをすでに討ち取ったと聞いている。この戦場で勝利を収めれば、ロマリア軍に挽回は不可能だ。

 

あたしは、短くも苦しかったロマリアとの戦いの間近に迫っていることを感じていた。



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宗教戦争の終結

ロマリア軍を打ち破り、宗教庁を包囲したシャルロットは改めてロマリア連合皇国に対して現教皇ヴィットーリオの身柄を引き渡した上での無条件降伏を求めた。今回は最後通牒として、拒否をした場合は、ブリミル教に関するすべての権限をロマリアから剥奪すると脅した。

 

自らを“聖なる国”などと呼称してはいるが、一部には腐敗した貴族もとい聖職者がいるのは他国と変わらない。すべての権限が奪い取られると聞けば、ヴィットーリオの身柄など喜んで差し出す者も少なくない。加えて、ヴィットーリオに対する忠誠心や信仰心が高い者は、すでに一連の戦いの中で戦死している。その考えのとおり、降伏する旨の返答があり、ほどなく縄で縛られたヴィットーリオが門から姿を見せた。

 

「教皇聖下、ようやくお目にかかることができましたな」

 

「異教に染まりし王よ、わたくしの懸念したとおり、ブリミル教徒同士を争わせ、始祖を蔑ろにできて満足ですか?」

 

「何を言っておられるのかわかりませんね。わたしはただ教皇聖下の夢想に付き合わされた挙句、滅びの道を進むことを防いだだけですが?」

 

「始祖の御心を理解せぬ者に何を言っても無駄なようですね」

 

「現実が見えぬ者には何を言っても無駄なようですね」

 

わかっていたことだが、ヴィットーリオとは優先するものが違いすぎる。けれど、違うように見えて実はヴィットーリオと自分とは、自らの優先するもの以外のためならば他を捨てられるという点で近いことは、シャルロットも自覚していた。

 

最も違うのはサイトの故郷との戦いに勝てるか勝てないか。もっと言えば復活した虚無の力に対する評価の違いにすぎない。

 

始祖を過剰に神聖視しているヴィットーリオは虚無があれば何もかも解決すると考えている節がある。虚無があればサイトとの故郷にも勝てる。虚無があれば単に姿が似ただけのジョゼットでも国を治められる。そんなふうに考えている。

 

けれど、シャルロットはガリア統一戦争の中で虚無が確かに強力であること以上に、虚無があろうと、それだけで物事が決まるわけではないと理解した。同時に、そのような歪んだ考えを持つ者が現れるという虚無の危険性も認識した。

 

虚無は本人の政治的資質に関係なく得ることができる。けれども、虚無に夢を見る者はそうは考えず、虚無を持つ者ならばすべてが解決すると考えてしまう。

 

ロマリアを降して宗教庁に入ったシャルロットはヴィットーリオを監禁し、教皇の地位から解任した。同時にマザリーニを教皇の地位に就け、ヴィットーリオに対する忠誠心の高かった地方の司教たちを解任させた。

 

とはいえ、それだけですべてのブリミル教徒がガリアに従順になるわけではない。現時点ではロマリアの中でも元教皇のヴィットーリオをあくまで崇める者と、力を持ったガリアに恭順をしている者が混じっている。そのような状況を鑑みて、シャルロットはすべての異端審問権を一時的に停止すると宣言した。

 

教派の異なる者たちがいる状況での異端審問は誰でも避けたい。この宣言は概ね好意的に受け取られた。

 

けれど、無論、シャルロットは単に民のためだけにこの政策を行ったのではない。異端審問権を停止したのは、国家の意志によらない刑罰を停止すること、そして宗教勢力の政治力を弱めることも目的としている。

 

その他にも、シャルロットは矢継ぎ早に宗教庁の改革を行った。そうなれば、必然的に従前の勢力からは反発も出る。けれど、その反発は最小限のものだった。ヴィットーリオの統治に強く共感するものたちは、多くが教皇を守るために散っていたためだ。

 

ちなみにシャルロットが宗教庁改革を行っている間、ヴィットーリオはティファニアの魔法により呪文を忘却した上で監禁をしておいた。元素の兄弟の生き残り二人による奪還も警戒していたが、そこまでの義理はないのか現れなかった。

 

そして、今日はついにヴィットーリオの処遇を行う日だ。ヴィットーリオは久しぶりに暗い地下の牢から出されてシャルロットの前に引き出されてきた。

 

「教皇聖下、逃亡を防ぐためとはいえ、不自由な生活を送らせて申し訳なく思います」

 

「よくぞ、そのような心にもないことを言えますね」

 

「心にもないことを言うというのは聖下がお得意とされていたことではありませんか」

 

「わたくしはハルケギニアのためという根幹に関しては一度たりとも偽りを言ったことはございません」

 

「その程度でよいのでしたら、わたしとてガリアの民たちのためという根幹に対しては偽りを申したことはございませんとも」

 

シャルロットを睨みつけてくるヴィットーリオは、眼光こそ以前のままであるが、体は痩せ衰え、自らの足では歩くことさえできていない。

 

「教皇聖下の処遇についてですが、こちらの者に引き渡すこととなりました」

 

シャルロットの言葉と同時に、隣に控えさせていたローブを纏った人物がフードを取る。現れたのは長い耳。エルフのビダーシャルだった。

 

「ついに異教徒と手を結んでいることを隠さなくなりましたか」

 

「普段は隠していますよ。けれど、ご自身の身柄を引き受ける者が誰であるかくらい、お知りになりたいでしょう?」

 

「わたくしの身柄をエルフに引き渡してどうするつもりですか?」

 

「エルフは虚無の復活を望んでいないようなのです。教皇聖下の身柄を抑えておけば、聖下がお亡くなりになるまでは、エルフは虚無の復活を確実に阻止ができる。ソワッソン、聖下を死なせるな!」

 

狙いを話す以上、一番警戒をすべきは自害されることだ。もう話ができなくなることは惜しくはあるが、まずは自害を防ぐために布を噛ませる。

 

「聖下の身柄はエルフの手に預けられます。また、火のルビーについても同様です。これで将来に渡ってエルフは虚無の復活を防ぐことができる」

 

ヴィットーリオは、憎悪に満ちた瞳で見つめてくるが、そんなことでは響かない。この教皇の余計な手出しで、シャルロットは多くの者を失ったのだから。

 

「本当によいのだな?」

 

「構わない」

 

ビダーシャルの問いにシャルロットは頷き返す。これからビダーシャルの手により調合された秘薬によってヴィットーリオの心は消される。同じことはティファニアの魔法により行うこともできた。しかし、カルロの記憶を完全に消したのにに対し、ヴィットーリオは魔法に関する記憶のみを消させた。それはエルフのティファニアに対する警戒心を高めないためだ。

 

ビダーシャルが魔法で体の自由を奪ったヴィットーリオに薬を飲ませる。少し苦し気な姿を見せたヴィットーリオだったが、少し後には安らかな顔で眠りについた。

 

「では、この者の身柄はいただいていくぞ。見返りは乾燥に強い植物の種子とその生育に関する知識の伝授で間違いないな?」

 

「ええ、それで構わない」

 

これから大隆起が起これば、これまでのように水が手に入らぬ場所は多くなる。そのような場所に住むものが、これまで通りの作物を植えることを望めば、水を求めて熾烈な争いが起こることになりかねない。

 

そのためには、事前に水の量が減っても命を繋ぐことはできることを示し、実感もしてもらうことが必要になる。まずは、これまで作物が育たなかった場所でも収穫が可能な作物を、乾燥地帯に住むエルフから手に入れる。

 

「それにしても、ブリミルとやらはお前たちにとって重要なのではなかったか?」

 

「あなたは大体、想像がついているのではないか? わたしの統治に始祖ブリミルは不要。ガリアの地は神ではなく人の手によって統治を為す」

 

虚無にしても神にしても、これまでシャルロットの何の助けにもならなかった。厳密に言えば虚無には随分と世話になっているが、それはルイズとティファニアの二人との個人的な繋がりの世話になっているだけだ。確率で言えばジョゼフ、ジョゼット、ヴィットーリオと三人が敵に回った虚無は、シャルロットにとって何の頼みにもならない。

 

シャルロットは虚無の復活の可能性を限りなく下げ、代償としてエルフとの協力関係を築いた。次はハルケギニアに大きく根を張るブリミル教の力を削ぐ。

 

その目標に向けてシャルロットは歩み始めた。



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虚無なき王としての対策

教皇ヴィットーリオをエルフに引き渡してマザリーニを新教皇に据えたタバサが帰国するのを待ち、わたしはガリア首脳部に闇の神の祝詞を開示した。それを使えば効率的に風石の魔力を減少させることができると聞いて、タバサたちは俄かに浮き立っていた。

 

「それを使えば、生き延びられる人が大幅に増えるかもしれない」

 

「けれど、祝詞を唱えた後で風石に触れないと大きな効果は得られません。風石は地中深くに眠っていることが多いようですので、魔力を減少させるにしても簡単なことではありませんよ」

 

「致命的な場所の隆起を防げるだけでも、効果は大きい」

 

大きな町の地下や重要な穀倉地帯を潤す河川がある場所など、重要箇所の喪失を防止することができれば、養える民の数は大きく増える。わたしたちも、それは把握しているためにユルゲンシュミットにとっては、ややマイナスの闇の神の祝詞を教えることを選んだ。

 

「ところで、ローゼマインたちにとっては風石はあると助かるものであるということは変わらない?」

 

「ええ、風石はいわば魔力の塊のようなもの。あれば、ユルゲンシュミットにとっては助かります」

 

「ならば、採掘した風石と食料とで交易をしてほしい」

 

「比率にもよりますが、そのお話でしたらお受けできると存じます」

 

風石があれば、効率的に祈念式を執り行うことができる。それで収穫量が増加した分の農作物の一部をハルケギニアに譲るのは、双方にとって利のある取引だ。

 

「詳しい話はモルガンやジェローム、ブリジットも交えて話すとして、まずは闇の神の祝詞というものを試してみることはできる?」

 

「ええ、可能です。地中の風石は接近が難しいので、最初に空に浮かんだ火竜山脈の一部ではいかかでしょう?」

 

「それでいい。わたしの護衛騎士で騎獣を持っている者を中心に遠征組を編成する」

 

タバサはすぐに周囲の護衛騎士と話をして、クリステル、ソワッソンとフランソワの三人を護衛に選んだ。他に騎獣を持っているということでマチルダをも同行メンバーの一人だ。ガリアの上空からトリステインに向かって移動している大地にわたしたちは向かう。

 

「皆様、武器を手にした状態で復唱をしてくださいませ」

 

わたしの声にタバサの護衛騎士たちが軍杖を引き抜く。

 

「高く亭亭たる大空を司る、最高神たる闇の神よ。世界を作りし、万物の父よ。我の祈りを聞き届け、聖なる力を与え給え」

 

祝詞自体はハルトムートが木札にしたためて全員に配布している。けれど、わたしの祝詞の調子を聞き逃さないようにしながら、復唱をしている。民の命がかかっているため、皆が本当に真剣だ。

 

「魔から力を奪い取る御身の祝福を我が武器に。御身に捧ぐは全ての魔力。輪から外れし魔を払う、御身が御加護を賜らん。この地にある命に一時の安らぎを与え給え」

 

祝詞を唱え終えると、それぞれが手にしている杖が黒く変色した。元から愛用の杖が大型のタバサや軍杖を使う護衛騎士たちはともかく、手持ちの杖が小型のマチルダは少し扱いにくそうにしている。

 

「これで風石に触れると、触れた個所の魔力を神々に奉納することができるのです」

 

「神々に奉納?」

 

ブリミル教では始祖ブリミルに魔力を奉納などということはしない。そのためタバサは魔力を奉納するということに対して、イメージが難しいようだ。

 

「ともかく、試してみるのが一番だと思います。この手前の辺りは、わたくしたちが以前、試していてすでに魔力が減っているので奥の方で試すとよいと思いますよ」

 

ひとまずは奪った魔力は自分のものにできるわけではないとわかれば十分なはず。わたしがそう言うと、タバサたちは騎獣で奥に向かい、頭上に見える風石を杖で突く。

 

「風石の色が少し変わった?」

 

「溜められていた魔力が減少したのです」

 

原理は理解できていないようだけど、風石の色が変わるという見た目の変化と、魔力が減少したという事実がわかれば、それで十分らしい。上空の風石の状況の確認は切り上げて、地上でマチルダと今後の展望の話し合いを始める。

 

「ローゼマインの闇の神の祝詞で局所的にでも大隆起の被害を減少させられる方法が見つかったことにより、打てる手が広がった。そして、トリステインのエレオノール殿による魔法装置の改良により地中深くの風石も発見することができるようになった」

 

これまでは大隆起の発生が予見できても、打てる手は予め地上の人を避難させたりという被害軽減策に限られた。そして、明日かもしれないが、ひょっとしたら十年くらいは大丈夫かもしれないというアバウトな予測では、避難させるにも苦労が予想された。

 

けれど、闇の神の祝詞を使って風石の力を減少させることができるなら、地上の人を避難させた後で貴族で処置を行うことができるようになる。仮に風石の力を減少させきれなくとも、平民を避難させておけば被害は少なくなるし、上手く力を減少させきれれば、それは貴族の手柄となる。

 

いくら力を尽くしても、ハルケギニアの全ての地の風石の力を減らすことはできないだろう。けれど、被害軽減のために尽力する姿を見せれば、犠牲に対する反発も最小限にできるはずだ。

 

「まずは重要地点の地下の調査を行い、安全な地と危険な地の判別を行う。マチルダはすぐに準備に取り掛かってほしい」

 

「わかった。すぐにアカデミーにオルドナンツを送るよ」

 

「ローゼマイン、盗聴防止の魔術具を使ってもらえる?」

 

マチルダが退出すると、タバサはわたしに対してそう言ってくる。どこか思い詰めたような表情のタバサに、わたしは無言で頷いてリーゼレータに振り返る。リーゼレータがすぐにわたしに魔術具を手渡してくれた。

 

「ローゼマインが教えてくれた祈念式を、わたしの統治のために利用させてもらいたい」

 

「祈念式を行えば、自然と領民は領主に感謝をすることになりますが、それは統治に利用とは言いませんよね。タバサは何をしようと考えているのですか?」

 

「わたしは祈念式をブリミル教に代わる宗教儀式の一環として行うことを考えている」

 

「それはブリミル教を弾圧するということですか?」

 

わたしが聞くと、タバサが静かに頷いた。祈念式を特定の宗教の行事とすれば、その宗教は農村では特に強みを発揮するだろう。収穫量は農村の生活に直結する。現世利益があるというのは、おそらくハルケギニアでも強い。

 

「シャルロットはブリミル教を恨んでいるのですか?」

 

「恨んでいる……確かにそうかもしれない。虚無に目覚める前のジョゼフは、それなりに安定した統治を行っていた。ジョゼフがハルケギニアに混乱をもたらすような行動を行い始めた時期とシェフィールドが目撃され始めた時期は一致している。となると、虚無に目覚めたことがジョゼフに何らかの影響を与えた可能性は高い。ヴィットーリオも、虚無に目覚めなければ、あれほど狂信的な行動は取らなかったと思う」

 

ガリア統一戦争以来、タバサはずっと虚無の担い手と戦い続けていた。それがブリミル教自体への不信感に繋がったのかもしれない。

 

「何より、ブリミル教が現在の教義を変えない限り、エルフは聖地を奪った敵となる。それに科学技術をはじめとした新しいものを異端とする考えも、ハルケギニアの発展を阻害するものだと思う。何より、平民たちまで戦に駆り立てる聖戦は危険」

 

タバサの頭にあるのは、ロマリア軍に参加して散った多くの民兵たちだろう。ガリア内での戦いでも多くの領民兵が犠牲になったが、彼らは領主に率いられて参加していた。けれど、ロマリアでは普段は戦いとは無縁の生活をしている人たちが自ら進んで戦いの場に赴いて、ガリア軍のゲルマニア銃の前に何もできずに散っていった。そのような行為を是とするのは許容できないのだろう。

 

それに平賀やティファニアのことも考えているに違いない。二人ともブリミル教の教義の中では虐げられる立場だ。

 

何よりのリスクが、ジョゼット亡き後もタバサもイザベラも虚無に目覚める気配がないことだ。それはつまり、人知れず新たな虚無の担い手がガリアに誕生している可能性があるということだ。総合的に考えれば、タバサがブリミル教に対して否定的になってしまうのも頷ける。

 

「わかりました。シャルロットが強圧的に改宗を迫るのでなければ認めましょう」

 

ブリミル教徒には罰を与えるとかではなく、新しい宗教の行事として祈念式を組み込み、そこでの利益で緩やかに改宗を迫るなら、無用な犠牲は出ないはずだ。結局、わたしはそう考えて祈念式を新しい宗教に組み込むことを認めたのだった。



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戦後交渉

「あの子ったら、またとんでもないことを思いつくものね」

 

タバサからブリミル教の力を弱めるために祈念式を使うという案をオルドナンツで受け取ったあたしの感想は、関心とも呆れともつかないものとなった。

 

「彼女の力となったものを考えると、無理もないことかもしれないが……保守的な者たちとの対立が激しくならないか少し心配ではあるな」

 

あたしの隣で同じオルドナンツを聞いていたジャンが心配そうに言う。

 

「平民であるサイトに、平民の戦闘力を向上させるあたしのゲルマニア銃、ジャンの研究、ハーフエルフであるティファニア。あの子の周りにはブリミル教が都合の悪い者が多すぎるのよね」

 

ロマリアとの戦いで勝利を掴むことができたのは、ジャンの開発した“空飛ぶヘビくん”によりロマリア自慢のペガサス部隊を封じることができたことと、基本性能の底上げの上で着剣ができるようにしたゲルマニア銃を装備した平民の戦闘力の差が大きい。そのいずれもブリミル教から見れば異端ともいえるものだ。

 

「けれど、おそらくそれだけじゃないわね」

 

タバサが目指しているのは、おそらくハルケギニア史上例のない強力な中央集権国家だ。タバサはローゼマインから闇の神の祝詞というものを教わり、それにより風石の力を弱められるようになったと言っていた。けれど、諸侯が治める領土のすべてを大隆起から救うことはできない。領土を失う諸侯はどうやっても発生する。

 

諸侯の合議制の組織では、その際の問題には対処ができない可能性がある。困窮するのは土地を失った領主のみで、その他の諸侯からすれば、土地を失ったもののために土地や金銭を拠出するというのは自らにとっては不利益でしかない。

 

最も拙いのはその不利益を防ごうと力の弱い者が強い者の庇護を求めることだ。そうなると派閥争いが激化することは避けられず、最悪の場合は軍閥化してしまうことも考えられる。そのためには王家が強い力を持つしかない。

 

祈念式を儀式に組み込んだ新しい宗教を作り、それを王家が管理することは、中央集権国家を作ることに大きな力となる。祈念式の対象から外すということで反抗的な諸侯に実質的な罰を与えることができるからだ。加えて新しい宗教が力を持てば、潜在的な敵対勢力であるブリミル教の力を弱めることもできる。

 

「とはいえ、いくら宗教と権力は切っても切れない関係とはいえ、ここまで権力と関わりが強い宗教も、そうはなかったでしょうね」

 

まるでガリアが新しいロマリアになろうとしているようだ。敬虔なブリミル教徒を中心に反発は相当なものになるだろう。

 

「とはいえ、当面の混乱を収めるためには、ある程度の強権は必要だろう。わたしたちがすべきことは、力を手にしたシャルロット様が変わってしまわれないように折に触れて諫めていくことだろうな」

 

「そうね、あの子には変わってほしくないからね」

 

ロマリアとの戦いであたしがやったことは、自分の祖国を他国に侵略させることだ。そのせいでロマリアでは多くの人が犠牲になった。

 

あたしも、タバサも、そしてサイトのためにと思って結果的に“空飛ぶヘビくん”という兵器を開発してしまったジャンも、イリュージョンの魔法により隠した堤で洪水を起こしたルイズも、人格に対する殺人に等しい魔法を使ったティファニアも、協力という形で数々のマジックアイテムを提供したローゼマインも、皆が等しく罪人だ。それを自覚して、あたしたちは生きていかないといけないのだろう。

 

「そうは思っても、実際にやることは国同士の利益の取り合いなんだけどね」

 

あたしたちは今、ロマリアの宗教庁に滞在している。目的はゲルマニア皇帝アルブレヒト三世と新教皇に就任したマザリーニとの三者で敗戦国となったロマリアの領土割をするためだ。あたしは若輩者ながらゲルマニアの対ロマリア戦への参戦交渉を成功させた功績をもって今回の交渉の責任者に選ばれた。補佐役はジャンと外務卿のアルフォンスと財務卿のジェロームだ。

 

とはいえ、いきなり三者で話をするつもりはない。まずは敗戦国となったロマリアにどこまでの仕置きを行うか、先にゲルマニアと話を詰めるておくことにしている。ロマリアの抵抗を封じるための措置だ。

 

「まずロマリアの領土はヴァッチカーン地区のみとしようと思います」

 

そう伝えるとアルブレヒト三世は唖然とした表情をした。

 

「所属する都市の全てに加えて、首都までほとんど取り上げようというのか? さすがにそれは欲が深すぎるのではないか?」

 

「強欲と言われるのは覚悟の上です。けれど、これから先のことを考えたら我が国も貴国も領土は多く必要なのではありませんか? それに強い者の傘下に降らねばならないのは、実はロマリアの方だと思うのです。今のロマリアには、故郷を失うとわかって混乱が起きたときに鎮める力はないのですから」

 

そう言うと、アルブレヒト三世は難しい顔をして唸り声をあげた。ロマリア領内で混乱が起きれば、ロマリアから奪取したゲルマニアの領土も無風ではいられない。

 

「領土が広ければ広いだけ、やりくりを行う余地は増えます。我が国は特に多大な出血を強いられたので、相応のものをいただけねば困ります。その結果、中途半端な領土しか残されぬのでは、ロマリアも困りましょう。それに今を置いてブリミル教の中心を自称して勝手な異端審問権を振りかざすロマリアを潰せる好機はございませんよ」

 

「結局は最後が本音なのであろう。まったく、トリステインの王女といい、近頃の女子は恐ろしいな」

 

「お褒めにあずかり光栄ですわ。では我が国と貴国の領土の割合ですが、我が国が七、貴国が三ではいかがでしょうか?」

 

「ほう、我がゲルマニアはロマリアが全軍をガリアに向けた隙を突いたため、戦いらしき戦いは行っておらぬが、それなのに三割もいただいてよいのか?」

 

「はい、その代わりに、我が国が割譲を受けた旧ロマリアの土地で何か変事があった折には是非とも援軍をお願いいたしたいのです。無論、我が国も同じようにいたします。ロマリアは難しき土地ですので、その方がお互い、安心でございましょう?」

 

「確かにな。わかった。その条件を飲もう」

 

こうして事前にゲルマニアとロマリアへの要求事項を詰めて、あたしたちは三国による本交渉に臨んだ。

 

「ロマリアの領土はヴァッチカーン地区のみ。その他は全て接収……これほどの仕打ちを行うなど、正気ですか!?」

 

ガリアとゲルマニアからの要求として伝えると、マザリーニは最初に驚愕、続いて激しい怒りを見せた。

 

「無論、正気ですわ。此度の戦い、ロマリアの各都市は出陣した部隊が壊滅的な被害を受けたところもあれば、ほとんど無傷なところもございます。それは即ち、今後の各都市の力の差となりましょう。もしも力の強い都市の土地が大隆起で失われるとわかった場合、その都市の者はどのような行動に出ると思いますか? そのような行動に出ようとしているということがわかったとき、マザリーニ様は止めることができますか?」

 

それなりに長期に渡りロマリアを離れていて、新教皇になったばかりにのマザリーニには大兵力を動員できるだけの力はない。

 

「無論、今後マザリーニ様がロマリア内に確固たる地盤を築くことができたならば、管理を預からせていただいた土地も徐々に返還いたしましょう。そうなれば自然と、各都市の中でロマリアに所属したいという声は高まるでしょう。わたくしたちも、そのような都市を力で押さえつけるようなことを行うつもりはございません」

 

「それでも必要とあらば、ガリアは街を焼いてでも土地を守るのではないですか?」

 

「そのような可能性は否定しませんが、やるならロマリアが力を失っている今のうちに実行してしまいますわ」

 

「一つでも都市を焼けば、他の都市でも大規模な反乱が起きよう。そのような消耗戦に突入することはガリアとて望んでいまい。それゆえ懐柔の時間を欲しているのでしょう?」

 

「その可能性は否定いたしませんわ。そうなると、マザリーニ様が宗教庁を掌握して各都市の民の心を掴むのが先か、わたくしたちが民の心を掴むのか先かという勝負となりますね。けれど、その勝負はブリミル教の教皇という立場を得ているマザリーニ様の方が有利なのではありませんか? マザリーニ様が力を持って統治を行ってくだされば、わたくしたちは手を引くしかなくなりますので」

 

あたしの言葉には一つ、嘘がある。ガリアは来年にでもロマリアの各地で祈念式を行い、新しい宗教の布教を始める。ロマリアの各都市は流浪の民の流入により慢性的に食糧不足となっていることが多い。痩せた土地を肥えさせ、食料を増産させることができれば、少なくともそういった者たちからは圧倒的な支持を得られる。新宗教の支持者が増えれば、もはやロマリアに復帰を望むことはできない。

 

「……わかりました。どちらにせよ、今のわたしには抗うための力がない。今はその条件を飲みましょう」

 

そう答えたマザリーニに、あたしは邪悪なものとならないようにして、懸命に浮かべた笑みを向けた。



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エルフの街

ガリアの内務卿モルガンはエルフ領である自由都市『エウメウス』を訪れていた。案内役はガリアに滞在していたエルフのビダーシャルだ。

 

街の外から見える港湾には、船のマストが何本も見える。ちょうど東西の接する地点にあるため、排他的なエルフの都市の中では唯一、ハルケギニアや、ロバ・アル・カリイエとの交易も盛んに行われているとは聞いていたが、その情報は間違いではなかったようだ。

 

街は頑丈そうな石造りの市壁に囲われている。この市壁は、何百年も前に、ハルケギニアの軍隊と争った名残のようだ。その市壁に設けらえた、大きな門の前で、ラクダに荷を積んだ商人たちが列をなしている。

 

エルフだけでなく、人間の姿も多い。ぱっと見では人間の街と言われても信じそうだ。

 

「話には聞いていましたが、本当にエルフと交易を行っているのですね」

 

見聞を広げるため、そしてエルフに異心があったときのため、一時的にシャルロットの護衛騎士の任を解かれ、同行しているソワッソンに言われてモルガンは頷いた。モルガンとて元々はブリミル教徒だ。その教義はそれなりに信じてもいた。

 

それもあってエルフに良い感情は抱いていなかった。実際、接してみたビダーシャルは明らかに自分たちを見下しており、その思いはかえって強くなった。けれど、繰り返し接しているうちに、言い方はともかくビダーシャルは偽りは言わないということはわかってきて、鼻持ちならないが信頼はできる相手と認識を改めた。

 

その心の変化を読み取ったのか、シャルロットはモルガンをビダーシャルが元教皇であるヴィットーリオをエルフ領まで連行する際の同行者に指名した。モルガンの役割は、このままエルフの国ネフテスの首都、アディールまで赴き、ヴィットーリオの身柄と引き換えに植物の種子やエルフのマジックアイテムを受け取ることだ。

 

加えて言うならば、その道中でできるだけ多くの技術や知識に触れて、それをガリアに持ち帰ることもモルガンの役割だ。そのために軍資金は多めに持たされて、珍しいと思うものはなるべく購入するように命じられている。

 

にぎやかな活気に満ちるエウメウスの大通りをモルガンは両脇の露店を見ながら歩く。工芸品や金属細工、宝石などの他、食品なども様々な物が並んでいるが、露店を出しているのは人間の商人ばかりだ。ハルケギニアで見ないような品は見当たらない。

 

「今晩の宿泊地は、この町の施療院だ」

 

そう言ってビダーシャルは、モルガンたちを通りの集まる広場に連れていく。そこには白い漆喰の塗られた二階建ての建物があった。看板にはなにか植物の葉のような模様が描かれている。

 

施療院の中に入ると、むわっとした妙な匂いが鼻をついた。どうやら、お香のようなものを焚いているらしい。建物の中は見かけよりも広く、たくさんのベッドが整然と並んでいる。ベッドはあまり埋まっていないようだ。

 

ビダーシャルが入り口にかかっている呼び鈴を鳴らすと、すぐに若い女のエルフが出てくる。つり上った切れ長の瞳で、ビダーシャルと同じ金髪を無造作に切りそろえている。

 

「叔父さま!」

 

「ルクシャナ、どうしてこのような所にいる?」

 

声を出したエルフの娘に、ビダーシャルは困惑した様子で答える。

 

「わたしが蛮人にすぅううううううっごく興味を持っていることは、叔父さまも知っているでしょう? 待ちきれずに来ちゃった」

 

「仕方がないな。客人がた、この娘はルクシャナと言い、わたしの姪だ。ルクシャナ、彼らのことを蛮人と呼ぶのは失礼に当たる。客人と呼ぶようにしなさい」

 

「さすが叔父さま、もうすっかり蛮人……じゃなかった客人の文化に詳しいのね」

 

何やら妙な感心の仕方をしているが、どうやらこの娘は人間の文化に関心を持っているようだ。そして、見た感じあまり警戒心は高くない。

 

「初めまして、ルクシャナ様。わたくしはガリアの内務卿を仰せつかっているモルガンと申します。こちらは従者のソワッソン。以後、お見知りおきください」

 

「わたしはルクシャナっていうの。よろしくね。ね、叔父さま、今日はもう用事はないのでしょう? わたし、客人に質問をさせてもらってもいいかしら?」

 

「客人がた、よろしいか?」

 

「はい。わたくしたちとしてもエルフの方と交流の仕方を学ぶ絶好の機会ですから」

 

「なら、お願いする。わたしは先に下がるが、何か用事があれば呼ぶといい」

 

そう言ってビダーシャルは席を外す。好都合だ。

 

「じゃあ、早速いいかしら、あなたたちって普段は何を食べているの?」

 

「そうですね。主食といえばパンになりますが、逆にエルフの皆さまは普段は何を召し上がられているのですか。そちらを教えていただければ違いを効率良くお教えできます」

 

そうしてモルガンはルクシャナの質問に答えながら逆にエルフの生活習慣を聞き出していく。ソワッソンは二人から少し離れたところで即席の文官となり、ルクシャナから聞き出した内容を必死に記録していく。

 

ルクシャナの質問は住居の見取り図から家具のかたちなどの生活習慣から、王政に関すること、農業、工業、商業等の社会構造まで多岐にわたった。モルガンは逆にエルフの国であるネフテスについて同様の情報を得ることができた。

 

「ソワッソン、長々とよく記録を取ってくれたな」

 

「いえ、モルガン様こそ、エルフの娘から巧みに情報を得る手腕、感服いたしました」

 

ようやく満足したルクシャナに解放されたときには深夜になっていたが、モルガンの心は充実感に満ちていた。それはソワッソンも同じであったようだ。

 

モルガンが話した情報はビダーシャルならば、それなりに知っている内容のものばかり。話してしまっても何か不利益があるとは考えられない。逆にルクシャナの口から得られた情報は、謎に包まれたエルフの国の実態を知る貴重な情報となろう。

 

「この情報は一刻も早くシャルロット陛下にお伝えせねばならぬ。今から二人で複写して三通としてからリュティスへと送ろうぞ」

 

「承知しました」

 

ソワッソンと二人で睡眠時間を削り、文をしたためた。そのうちの二通は伝書フクロウを使い、一通は密かに後を追わせていた北薔薇花壇騎士に渡した。

 

モルガンはビダーシャルについては、それなりに信用はできると思っているが、エルフ全体を信用はしていない。ヴィットーリオさえ手に入れば、用は済んだとばかりに抹殺される可能性も考えている。そのため道中で手に入れた情報は複数の手段をもって頻繁にガリアに報告することとしている。

 

シャルロットはエルフたちには虚無の担い手、始祖の秘宝、四つの指輪のいずれか一つでも欠けたら虚無は得られないと伝えている。けれど、シャルロットはいずれかが欠けても、それで即座に虚無が失われるわけではないとも言っていた。詳細はモルガンたち側近にも秘されているが、おそらく何らかの抜け道があるのだろう。

 

慎重なシャルロットは当然、最悪の事態を考えている。ヴィットーリオの身柄を預けることになれば、虚無の一部とヴィンダールヴは失われる。けれど、それで永久に虚無が失われるわけではないというのがモルガンの予測だ。

 

もっとも、シャルロットが虚無の可能性を完全に消さないのは、あくまでエルフ側から攻め込んでくる等の不測の事態を想定しているためで、なるべくなら消えておいてもらいたいというのが本音だ。モルガンにしてもシャルロット以外の者が急に虚無を得たから自らが民を率いるなどと宣言したら、即座に刺客を放つだろう。

 

ガリアはブリミルに統治されるのではなく、シャルロットと自分たちが統治する。それが国の中枢に立つ者としての矜持だ。

 

いずれにせよ今のモルガンの任務は、少しでもハルケギニアを発展させるためにエルフの持つ技術を少しでもガリアに届けることだ。そのために、今はまず睡眠だ。何せ明日もまた移動なのだから。

 

新たな国にわずかばかり心が浮き立つのを感じながら、モルガンはハルケギニアとは少し感触の違うエルフの国のベッドに潜り込んだ。



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交易品の選定

闇の神の祝詞を教えたわたしたちは、そろそろユルゲンシュミットに帰還をすることにした。その前にわたしはタバサに案内され、城の一室を訪れていた。

 

部屋の中には、多種多様な品々が置かれている。まずは大量の風石。そしてハルケギニアでは広く使われているマジックアイテム。金細工や銀細工などの装飾品。これらは、来年以降のユルゲンシュミットとの交易を見据えての交易品のサンプルだ。

 

このサンプルの価値をじっくりと確認をして、アレキサンドリア側からは食料を輸出することになっている。ハルケギニアの今後の食糧不足に備えて、嗜好品よりも多くの人のお腹を満たせるものを優先して見繕うつもりだ。

 

「他に水を浄化するための魔術具もあるとは聞いていますけど、ハルトムートは作り方を知っていますか?」

 

「知ってはいますが、あれは大量の魔力を必要とします。いかにハルケギニアがメイジの数が多いとはいっても、使用を続けるのは厳しいのではないでしょうか?」

 

「大隆起は今すぐに起きるわけではありません。発生するまでに浄化の魔術具を改良する時間はあるのではないでかしら?」

 

エーレンフェストでエントヴィッケルンを行う際にも、消費魔力の大きさの問題で、浄化の魔術具は設置することがなかった。けれど、ハルケギニアの今後を考えれば、これまでは飲み水にできなかった水が飲めるようになると対応の幅が広がるはずだ。

 

「わかりました。アレキサンドリアに戻りましたら、わたしも研究を行ってみます」

 

「ハルトムートは他にたくさん仕事があるでしょう? 研究はローデリヒに命じますので、ハルトムートはアレキサンドリアのための仕事に専念してくださいませ」

 

水を浄化する魔術具はアレキサンドリアにとっては、それほど必要なものではない。上級貴族でアレキサンドリアの治世に深くかかわるハルトムートに任せる仕事ではない。たまにローデリヒの研究を見てアドバイスをしてもらえれば十分だ。

 

「こちらなどは他国と高価で取引できるのではないでしょうか?」

 

水を浄化する魔術具は今後の課題として、ひとまず目の前の品の中でわたしが目を留めたのは、繊細な細工が施された金の指輪だ。ガリアの高い技術力が見て取れる品と言えるのではないだろうか。けれど、それを見たクラリッサはゆっくりと首を横に振った。

 

「それほどの細工がなされた品であれば、身につけられるのは上級貴族くらいです。ですが、上級貴族であれば何の魔力も込められていない、細工だけの指輪を身につけることはないと存じます」

 

そうだった。ユルゲンシュミットではただの細工だけの指輪をつけることはない。せめて魔石が取り付けられる造りであれば手はあったと思うけど、これでは購買層の好みとは合わない。それでは売り物にならない。

 

「やはり一番の候補は風石になりますね」

 

魔力が込められた風石はアレキサンドリアでも間違いなく有用なものだ。それにガリア側では余っているのだ。有効活用といえるだろう。

 

「ローデリヒの言う通り、一番の候補は風石なのは間違いないでしょう。けれど、せっかくサンプルとして持ち帰って良いと言われているのですから、可能性があるものは持ち帰り、フェルディナンドとも相談いたしましょう」

 

そうして購買層と合わないものや、ユルゲンシュミットの方が優れたものが存在するものを除いて対象を選定していく。ちなみにわたしが目に留めた金の指輪は購買層に合わないとして除外された。わたしが魔石の有無に無頓着なのは、いつもフェルディナンドが装飾品に大量の魔石を使うため、魔石を足すことを考えなくなったからではないだろうか。

 

「ローゼマイン様は魔術具以外のほとんどのものに関して、価値を見極めるのが得意ではありませんか」

 

わたしが少し落ち込んでいるのに気付いたリーゼレータがすかさずフォローしてくれるけど、魔法の国のアウブをしているのに魔術具としての価値がわからないのは問題なのではないだろうか。

 

「ローゼマイン様、私やクラリッサが翻訳する必要があるという問題はありますが、こちらの国の本を持ち帰るというのはいかがでしょうか? この国の平民の技術力には目を見張るものがございます。ユルゲンシュミットの平民に伝授することができれば、他国に対して優位に立てる産業となると存じます」

 

「よい案です、ハルトムート」

 

ハルトムートに本と言われて、俄然やる気が出てきた。本が自分たちにとって大事な知識を授けてくれるものだと知れば、職人たちの識字率も向上するかもしれない。それは、わたしが目指す図書館都市に相応しい姿ではないだろうか。

 

「それでは、ローゼマイン様はそちらの椅子にお座りになってグレーティアが渡す本を簡単に確認してアレキサンドリアに必要な物を選んでいただけませんか? その間に私たちはその他の物を確認しておきますので」

 

「わかりました、ハルトムート。任せておいてくださいませ」

 

腕まくりする勢いで、わたしは椅子へと向かう。

 

「ローゼマイン様が楽しんでいらっしゃるのはよいことなのでしょうけど、これほど簡単にハルトムートに操られてよいのでしょうか?」

 

その途中、リーゼレータがぽそりと呟いた。それで、わたしは文官たちが品物の価値を確かめる間の厄介払いをされたことに気が付いた。とはいえ、今更、自分の言葉を撤回して文官たちの輪に加わっても気を使わせるだけの気もする。

 

仕方なく、わたしは各品物を選んだ理由は後で聞き取ることにして、本の選定を行うことにした。グレーティアから渡される本の内容を簡単に確認していき、数冊の本を持ち帰ることにしたところで次の本が手渡されなくなった。

 

「ローゼマイン様、そろそろ休憩にいたしましょう」

 

リーゼレータに言われて振り返ると、あらかた品定めは終わったようで、二十種類ばかりの品が一角に集められていた。

 

「そちらの品がユルゲンシュミットに持ち帰る品ということでよいですか?」

 

「はい」

 

「持ち帰り方はどうしましょう? わたくしの騎獣を使いますか?」

 

「この程度なら、ローゼマイン様のお手を煩わせずとも、騎士たちが手分けすれば持つことはできるでしょう」

 

頷いたハルトムートに聞くと、そのように回答がされた。確かに荷物の量はそれほど多くはない。男性の騎士だけで持ち帰ることができそうだ。

 

「それでは今回は騎士の皆に任せるとしましょうか。それでは、シャルロット様に持ち帰る物の報告いたしましょう」

 

持ち帰る物が決まったら呼んでほしいとタバサからは言われていた。そのため、連絡のためにリーゼレータにオルドナンツを送ってもらい、わたしは椅子に座って待つ。少しすると、タバサがキュルケを伴ってやってきた。持ち帰る物の報告はハルトムートに任せて、わたしはキュルケと話をすることにする。

 

「次に会えるのは来年になるのかしら」

 

「それくらいになるでしょうね。本来、アウブが他国に向かうのは感心されることではございませんから。次は国境門を開いての正式な取引となるでしょう」

 

「あたしたちはいいとして、長く取引を続けようと思えば、そのような方式を取るしかないでしょうね」

 

今はまだ、わたしたちの間で個人的な交換などが行われてきただけだ。けれど、これから大量の風石を輸入して、代わりに大量の食糧を輸出しようと思えば、国と国との関係になる。互いに自国の文官たちに買いたたかれていると言われないように、個人的に親しい関係にあるとは知らせない方がよい。

 

「心配せずとも、ユルゲンシュミットでもランツェナーヴェという国からの使節が到着した折には歓迎の宴などを行っておりました。そのような場で会うことはできます」

 

「ええ、あたしは可能でしょうね。けれど、それだとシャルロットとはもう会えなくなるということじゃない?」

 

わたしとタバサはアウブと女王という立場。使節を送る側と受ける側であり、自らが使節団の一員に参加することはないかもしれない。

 

「そうですね。今宵はシャルロットとしっかりと話しておくことにします」

 

わたしはキュルケにそう伝えてタバサの元に足を進めた。



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ローゼマインの帰還

あたしたちは城の広間でユルゲンシュミットに帰還するローゼマインたちの見送りをしていた。ユルゲンシュミットに帰還するための門はローゼマインの魔法で維持することになるため、術者のローゼマインが門を潜るときは護衛のレオノーレと二人だけになる。そのため見送りは、あたしたちも最小限にしている。

 

具体的にはあたしとジャンとティファニア。タバサは護衛をクリステルとソワッソンの二人だけにしている。

 

「それじゃあ、ローゼマイン。元気でね」

 

「ええ、キュルケやシャルロット様も、今後は大変だと思いますが、体には気を付けてくださいませ」

 

「安心して。シャルロットが働き過ぎないように、あたしがしっかり見張っておくから」

 

「それならば安心ですね」

 

そう言って笑みを浮かべたローゼマインがいよいよ世界扉の呪文を唱えた。そうして作り上げた門を今回はグレーティアから順番に潜っていく。少しでも先に戻り、ローゼマインを迎える準備をするのだそうだ。側近たちが順番に鏡のような門の中を潜っていき、残すはローゼマインとレオノーレだけとなった。

 

「それではキュルケ、また会えるのを楽しみにさせていただきますね」

 

「ええ、待っているわね」

 

あたしの言葉に笑みを浮かべたローゼマインが鏡の門の中に消えていく。

 

「行っちゃったわね」

 

「うん」

 

タバサと交わす短い言葉。それを機にあたしは気持ちを切り替える。

 

「さあ、仕事をしなくっちゃね。エルフの方から何かしら反応はあった?」

 

「ビダーシャルからはネフテスとしては対応をするつもりはないと言われた。一方で、わたしたちが手を打つこともエウメウス内に抑えるならば黙認してくれるみたい」

 

「自分たちのことだっていうのに、日和ったものよね。それで、タバサとしては放置をするつもりはないのでしょう?」

 

「うん、ソワッソン、皆を呼んで」

 

タバサに言われたソワッソンが側近たちに向けるオルドナンツにメッセージを吹き込み始める。その間に政治には関わっていないティファニアは席を外す。ティファニアは先日、ロマリアとの戦いで親を亡くした孤児たちのための孤児院の院長に就任したので、今日はそこで執務に励むのだろう。

 

長い時間を共に過ごせば、孤児たちにティファニアの心は伝わるはず。そうすれば、彼女がエルフの血を引くことなど、気にも留めなくなるはずだ。そうしてエルフに対する偏見のない子供が育てば、隔意なくエルフと交渉ができる文官に育ってくれるかもしれない。

 

とはいえ、ティファニアを見て夢を見過ぎるとビダーシャルのようなエルフに会ったときに面食らうかもしれない。このあたりは、難しいところだ。

 

「ティファニアには、もう二度と虚無を使わずに済む人生を送ってもらえればいいわね」

 

「いや、ティファニアは虚無を使ってもいいと思う」

 

「それはなぜ?」

 

「孤児の中には忘れたほうが幸せになれる記憶を持ってしまっている子もいるはず。乱用は問題だけど、忘れた方が幸せになれるのなら、それは選択肢の一つとすべき」

 

「なるほど、そういう考えもあるわね」

 

タバサの母は、実の娘同士が殺し合いをしたという記憶を失っているから、今は穏やかな日常を送っている。タバサの言っていることは、あながち間違いではないだろう。そう考えていると徐々に側近たち集まってきた。

 

部屋の中にいるのは、タバサ、あたし、ジャン、クリステルとソワッソン、アルヌルフ、モローナ、シバー、マヤーナ、オーギュスト、エドゥアルド、モルガン、ジェロームという主に軍事面を相談するときの面々に加えて外務卿アルフォンスが加わっている。これは軍事行動を行う場所が影響している。

 

「さて、皆も概要は知っていると思うけど、エルフの国ネフテスをモルガンが訪れた際に知己を得たエルフからの情報により、エルフの国も一枚岩ではなく『鉄血団結党』という過激派がいることが判明した。そして此度、潜入させていた北薔薇花壇騎士とエルフの協力者であるアリィーという者からの情報で『鉄血団結党』がエウメウスの街で破壊活動を行う可能性が高いことが判明した」

 

そこまで言ったタバサは皆を見回した。これからタバサが言うことは、かつてタバサ自身が否定した教皇の行動に類するものだ。それだけに口に出すのは覚悟が必要なのだろう。

 

「エウメウスは我らにとって貴重なエルフとの交易地となりうる地。その機能を喪失させる行為は看過できない。彼の地はエルフの土地ゆえ本来ならエルフが対処すべきことだが、残念なことにエルフたちにその気はないようだ。そこで甚だ遺憾ながら、我らは我らの権益を守るためにエウメウスに対して軍事行動を行うことにする」

 

「シャルロット様、そのようなことをしてはエルフの国との大きな戦になるのではありませんか?」

 

「ジェローム、心配せずともエルフたちは同胞に対して過激な行動はできぬが、一方で自らと主張に隔たりがある者が独善的な行動に出た結果、敵に討たれることはやむなきことと考えているようだ。実際、エルフからは黙認すると回答を得ている。それで間違いないな、アルフォンス」

 

「はっ、確かに、そのように回答を得ております」

 

モルガンから情報を得てすぐに、タバサはアルフォンスをネフテスに派遣し、知己を得ていたルクシャナとアリィー、そしてビダーシャルを通じてネフテスの統領テュリュークと交渉をさせた。結果として得られたのが、自ら鉄血団結党の粛清は行わないまでも、あたしたちが軍事行動により彼らを討伐することの黙認だ。

 

「罠という可能性はありませんか?」

 

「限りなく低い。わざわざ回りくどい手を打って我らと敵対する意味がわからない」

 

慎重派のエドゥアルドの指摘をタバサは即座に却下した。その可能性は事前に検討して、実際にエルフと接したモルガンとアルフォンスによって可能性は低いと断じられた。

 

「しかし、そもそもエルフどもに勝利はできるのですか?」

 

そう疑問を呈してきたのはリョシューンだ。

 

「ローゼマインから教わった闇の神の祝詞を使えば勝てる。あの祝詞を使った武器を使うことで、その場所の精霊の力とやらを失わせることができる。通常の会戦では勝てずとも、テュリュークが軍事行動を黙認してくれる今回なら、エルフの軍の到着前にエウメウス周辺の精霊の力を極端に低下させることで、エルフは先住魔法を使えなくなる」

 

闇の神の祝詞を使ったとしても、対象が風石の一部にすぎなくとも、一瞬で精霊の力を消すことはできない。ましてや、土地という広い場所に対して行うには相当の時間がかかる。加えて、自分のいる場所周辺にしか効果がないので、使用できるといっても待ち伏せに限定される。だが、今回はその限定的な条件を満たしている。

 

「おそらくテュリュークは我らの力を侮っている。だから、鉄血団結党に軽く灸をすえる程度の気持ちで許可をした。我らは、交易地を守るとともに、ここで我らの力を示し、もってエルフと対等の関係での交渉を行えるように持っていく」

 

戦争は外交の手段とはいうけど、今回は正にそれを地でいく行動だ。今はエルフたちは虚無さえ復活させなければ、人間相手ならどうにでもなると思っている。仕掛け込みだとしてもタバサはそれを覆そうとしている。

 

その警戒心がエルフとの関係をどのように変化させていくことになるのか。それは、あたしにもわからない。だが、虚無の担い手を差し出すという手段は、自国の民を他国に差し出すという行為である以上、何度も取れる手ではない。タバサは今のような一方的に見下されるという関係は、近く破綻することになると考えている。

 

今のところ、エルフとは生活圏が重なっていない。だから、ブリミル教の教義さえ抜きにすれば、双方ともに潜在的には敵ではないのだ。双方が適度な緊張感を持ちつつも、関係を築くことは不可能ではないはずだ。

 

「アルヌルフ、元東薔薇騎士団の副団長としての経歴を持つ其方に此度の特殊作戦の指揮を任せたい。各隊から選抜した精鋭騎士をもってエルフの過激派を掃討せよ」

 

「このアルヌルフ、しかと承りましてございます」

 

タバサからの命を受けたアルヌルフは、神妙な顔つきで頭を下げた。



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ネフテスとの国交

シャルロットはベルサルテイル宮殿でアルヌルフから送られてきた自由都市エウメウスにおけるエルフの過激派である鉄血団結党の殲滅成功という報告を聞いた。事前に予測していたとおり、闇の神の祝詞を使って土地の力を目一杯まで奪った状態ではエルフは力を発揮できなかったようで、一方的な殲滅だったと言っていた。

 

「ブリジット、エウメウスに住んでいたエルフには手を出していないことを、アルヌルフに改めて確認を取って」

 

アルヌルフには事前に、元からエウメウスに住んでいたエルフには手を出さないように厳命をしていた。けれど、人とエルフは長きに渡り対立関係にあった。今ならエルフに勝てるという妙な高揚感から暴走をしない者がいないとも限らない。

 

その場合、相手から指摘されてから答えるのと、先に作戦中に手違いがあったと謝罪するのでは印象が全く違う。隠蔽が可能な範囲なら隠すのも策の一つだが、隠せない事実なら先に詳らかにするに限る。

 

そう思ってブリジットに尋ねたのだが、さすがにアルヌルフだ。初歩的な手抜かりなどはなかったようで、ブリジットからはすぐに期待以上の返答があった。

 

「アルヌルフからは、街に入ろうとした一団以外には手を出していないと報告を受けています。エルフのアリィーにもその場にいてもらい、確認をしてもらってから攻撃を仕掛けたということです」

 

「それならばいい」

 

アルヌルフがそこまで確認を取り、なおエウメウスのエルフに被害があったと言ってくるのなら、それはエルフ側の謀略の可能性が高いということだ。もしもそのような態度に出るのなら、エウメウス周辺の土地の力が弱まっているこの機に、速やかに武力制圧をした後にエルフと断交するまでのこと。

 

エルフ側の技術を得ることができなくなるという点では痛いが、元よりエルフとは対立していたのだ。それを考えれば大きなマイナスではない。加えて、エルフを出し抜いて土地を奪ったとなればハルケギニアでの名声を得られる。寿命の長いエルフは、一度、関係を築ければ長く維持できるという点を加味すれば、総合的には良好な関係を築いた方が得だと思うが、対立も絶対に忌避すべきものではない。

 

「さすがにアルヌルフ殿ですね」

 

シャルロットがかなり黒いことを考えているとは知らず、ブリジットは素直な感想を返してくる。

 

「アルヌルフに預けたのはガリアでも選りすぐりの精鋭たち。主の意を汲んだ行動くらい、できないようでは困る」

 

そうは言っても、普段ならできることができなくなるのが戦場というものだ。きちんと普段と変わらぬ行動を取れた騎士たちも、率いたアルヌルフも称賛に値する。

 

「ブリジット、至急、アルフォンスをネフテスに派遣してほしい。テュリュークには先に伝えていた以上の軍事行動を取っていないことしっかりと念押しするように」

 

アルフォンスはネフテスと速やかに交渉に移れるよう、エルフの地に近いアーハンブラ城にいる。彼にはすぐにも旅立ってもらわねばならない。

 

勝てるわけがないと侮っていた人間がエルフを一方的に殲滅したのだ。此度の一報は驚きをもって受け止められるだろう。それがエルフの態度を変えるか否か。この後の対応については、それを確認してからとなる。

 

ひとまず重要なのはアルヌルフたちをエウメウスから引き上げさせるか否か。エルフを刺激しないという意味では引き上げる方がよいが、エウメウス占領を考えたら、そのまま駐屯させた方がよい。とはいえ、これは迷う必要のないことだ。

 

「ブリジット、アルヌルフに撤退命令を」

 

エウメウスに軍を進出させるのは鉄血団結党に対応するためとテュリュークには説明をした。それを破ってしまってはエルフとの友好関係を築くこと自体が困難になる。最悪を考えることは必要だが、誠実さもまた必要なことだろう。一方で楔は打ち込んでおく。

 

「ただし、撤退前にはエウメウス周辺の土地の力を最大限、減少させておいて。名目は追撃を防ぐため、ということで」

 

ひとまず、これでエルフ対応は一段落。次の策はアルフォンスからの交渉経過が届いてからでいいだろう。シャルロットはブリジットからモルガンに視線を移す。

 

「旧ロマリアで隆起が発生したと聞いたけど、被害状況は?」

 

「発生したのは小規模な村の周辺でした。地下の風石埋蔵量も未調査の地域でもありましたので、人的な被害も少数ですが出ています。現在、旧ロマリアが保有していた艦を用いて取り残された民の救助に当たっています」

 

「その村は生活に足るだけの糧は得られる状況にある?」

 

「現在、そこまでの情報はありません。調査を行い、判明次第、ご報告いたします」

 

「わかった。税の減免などの措置は、調査結果が出てから考えよう」

 

これから先、各地の状況は厳しくなっていくことはあっても、改善していくことはない。旧ロマリアということも考えて、あまり厳しい措置にはできないが、かといって継続不可能な甘い対応では今後に差し障る。と、そこで思い浮かぶことがあった。

 

「モルガン、その村について主要な農地の場所と、教会の位置を調べておくよう言って」

 

「農地と教会の位置ですか? 理由を伺っても?」

 

「その村の農地のうちで、教会から最も離れている場所の近くにユルゲン教の教会を建て、そこで祈念式を執り行う」

 

ローゼマインから教わった祈念式を核に据えた新宗教、ユルゲン教を旧ロマリアで布教するのは難しい。けれど、ここで教会から離れた場所で祈念式を行い、ユルゲン教の教会付近では収穫量が多いという明確なデータがあれば潮目が変わるかもしれない。

 

「しかし、それでは村内に対立が生まれませんか?」

 

「多少の対立はやむをえない。それよりもブリミル教の力を弱めてロマリア再興の機運が盛り上がらぬようにできることの方が大きい」

 

かつて一大都市国家を形成していたブリミル教は、今はヴァッチカーン地区のみを治めるのみ。更に異端審問権など、かつて有していた多くの権限を失っている。ブリミル教への信仰心を失わぬ以上、それらに対するガリアへの反感は消えない。そのためのユルゲン教だ。緊急時だろうと利用させてもらう。

 

「けれど、小さな村に聖杯を用いるのは惜しゅうございますな」

 

「純粋な効果としては惜しいが、旧ロマリア国内に楔を打ち込めるのは大きい」

 

聖杯に精神力を満たすことはシャルロットをはじめとしたハルケギニアのメイジにもできるが、聖杯を作ることはユルゲンシュミットでしかできない。風石と交換で入手を進めるにしても、しばらくの間は数量不足となるのは明白だ。そのため、小さな村ではなく穀倉地帯に使うのが正しい。

 

けれど、未だロマリア時代に思いを寄せる者たちを恭順させ、基盤を固めることも急務なのだ。何せ、大規模な内乱など起きようものなら、せっかくの内政策も無に帰すおそれがあるのだから。

 

「しかし、もしも来年、聖杯が手に入らなかったときはどうなさいますか?」

 

「そのときは、建てた教会は変わった形の倉庫とでもするしかない」

 

ローゼマインのことは信用しているが、ユルゲンシュミットで大きな問題が発生しないとは限らない。そうした場合、ガリアとの約束は反故にされることもありうる。

 

その後、少しして村の被害はそれほど大きなものではないと判明した。直接、農地に被害を受けた者のみ、土地の面積に応じて三年間の税の免除を与えることで、村に対する措置は終えることができた。

 

そして、その頃にはアルヌルフが帰国し、アルフォンスからも交渉の第一報が届けられた。やはりエルフ側は鉄血団結党の敗北を予想していなかったようだが、言質を与えてくれたのはテュリューク側だ。アルフォンスはそれを盾に押し切ってくれた。

 

こうしてガリアはハルケギニアでは初めて、エルフとの交易を国家として開始した。それと同時に、ロマリアが溜め込んでいたサイトの国の物品の解析を進め、ガリアは技術大国としての道を歩み始めたのだった。




本編の時間軸の物語は終了。
残りは後日談。


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後日談
ハルケギニアからの交易船


わたしはアレキサンドリアの国境門の上でガリアからやってきた船を見つめていた。

 

「母上、あれがハルケギニアという場所のガリアという国の船なのですね」

 

「そうですよ、レオンハルト」

 

長男のレオンハルトはわたしの話す色々な物語を聞いて育ってきた。その物語の中にはハルケギニアで集めたものもあったので、秋の終わりにやってくるガリアの交易船にも興味津々だったのだ。

 

けれど、ユルゲンシュミットでは洗礼式を終えるまでは城の外には出ることはできない。さすがのわたしも、そのルールを破るわけにはいかず、レオンハルトは今年の春の洗礼式を心待ちにしていたのだ。

 

レオンハルトと話しながらも、ガリアの船からは目を離さない。そうして、三隻目の交易船が通過したのを確認すると、わたしはすぐに国境門を閉じた。これはフェルディナンド救出時のランツェナーヴェの侵攻を反省材料にして、国境門を開けっぱなしにすることを止めて、一度にユルゲンシュミットを訪れる人数も制限したことによるものだ。

 

「母上、あの船は空は飛ばないのですよね」

 

「ええ、ユルゲンシュミットを訪れる船は飛行できないものに限ると、ガリアとは約束をしていますからね」

 

「いつか、空に多くの島が浮かんでいて、その間を空飛ぶ船が行き交っているという光景を見てみたいです」

 

「アレキサンドリアの外になりますから、それはさすがに成人後になるでしょうね」

 

通常は特別な用事がない限りは未成年は街の外に出ることはできない。レオンハルトは神殿の神事で外出をするが、他は青色神官や巫女の見習いくらいのものだ。アウブの子が率先して決まりを破らせるわけにはいかない。

 

「けれど、母上は未成年の頃から何度もハルケギニアを訪れていたとハルトムートから聞いていますが?」

 

「あれは事故と、まだハルケギニアの存在がユルゲンシュミットに知られていなかったという特殊事情によるものです。そもそも今はシュタープを得るのも成人前なのです。以前と同じようにはいきませんよ。フェルディナンドもわたくしと同じ意見です」

 

レオンハルトからずるいと言われたときのためにフェルディナンドと一緒に十分に対策は練ってきた。そして、フェルディナンドが同意見だと言えば、レオンハルトは一度は引き下がってくれる。フェルディナンドがたいへん厳しい教師なのは自分の子供が相手でも変わらず、わたしたちは自然と、厳しい父親と優しい母親という役割分担となっている。

 

もっとも、側近たちによると、レオンハルトならできます、と言って大量の課題を積み上げていくわたしは、フェルディナンドとは少し方向性が違うだけの、やはり厳しい母親に見えるという話だった。けれど、わたしが積んでいく課題は子育てでは先輩であるクラリッサの子供ができた量だ。上級貴族の子供ができた課題くらいは領主候補生としてできないと後で困ることになる。わたしは、けして闇雲に課題を積み上げているわけではないのだ。

 

「わかりました。城に戻りましたら、まずは父上と話をさせていただきます」

 

エーレンフェストから連れてきた側近の中では最も出産の早かったのがクラリッサで、その関係でレオンハルトの世話も手伝ってもらった。そのせいかレオンハルトは手を変え品を変えて何度でも挑むというダンケルフェルガー的な精神を持ってしまった。

 

とはいえ、子供が用意した理屈に簡単に敗北する魔王様ではない。これまでの戦績で勝利はわずかに一度、対する敗北の数は三桁に達するほどだ。

 

「フェルディナンドとお話をするのはよいですが、それはガリアの者が帰国してからにするのですよ。しばらくはフェルディナンドも忙しくなるはずですから」

 

国境門を閉じたわたしは、次に境界門を開きながらレオンハルトに釘をさす。以前のわたしほどではないけれど、レオンハルトも何かに夢中になると周りが見えなくなるという傾向があるのだ。

 

三隻の船が通過するのを見て、今度は境界門を閉じる。そうすれば、後は騎獣を使って先に城に帰り、ガリアの使者を歓迎する宴の準備の最終確認だ。わたしよりも側仕えたちの方が細かい部分にも気が付くので、わたしの確認などなくとも問題は起きないと思うけれど、責任の所在という意味でわたしの確認は必要なのだ。

 

わたしが騎獣を出し、後部座席にレオンハルトが乗り込む。そうして城に戻ろうとしたところで、ガリアの船から白い鳥が飛んでくるのに気が付いた。

 

「キュルケです。今年から使節団に復帰することになりました。後でお会いできるのを楽しみにしています」

 

三度、繰り返して魔石に戻ったオルドナンツをわたしはシュタープで叩く。

 

「ローゼマインです。しばらくは取引に関する話で忙しいと思うので、少し落ち着く頃にお茶会をいたしましょう。詳しくはグレーティアと相談してくださいませ」

 

そう吹き込んでオルドナンツを飛ばす。すると、レオンハルトが横から聞いてきた。

 

「キュルケというと、ハルケギニアで最も母上と関係が深い方の名前でしたか?」

 

「そうですね。何か繋がりのようなものができたようで、わたくしが魔術でハルケギニアに向かうと、必ずキュルケの元に着いてしまうのです」

 

そのキュルケだが、ここ三年ばかりは会っていない。使者としてユルゲンシュミットを訪れると、一週間程度は滞在することになる。そのため出産後、しばらくは使節団に加わることは控えると聞いていた。

 

これが訪問先がハルケギニアの方だったら、子連れで訪問をして、交渉の間だけ誰かに見ていてもらうということもできた。実際、キュルケからはそのような打診も受けた。けれど、ユルゲンシュミットでは洗礼式前の子供は外に出さないもの。ランツェナーヴェも子供を連れてアーレンスバッハを訪問していなかったので、控えてもらうよりなかった。

 

ちなみにキュルケは出産だけでなく、結婚自体もわたしより後だった。わたしが帰って少ししてから徐々にハルケギニアでの隆起する土地が増加し、キュルケもコルベールも、その対応のために奔走することになったためだ。

 

けれども、ここ最近はようやく落ち着き始めているという。それは、最重要地点だけでも闇の神の祝詞により死守をすることができたこと、そして、何よりハルケギニアの人々も徐々に大隆起に対する耐性ができたためだ。大隆起は明らかに異常事態だけど、それも頻発すれば日常になるということだろう。

 

もっとも、人々が大隆起を日常と受け止めることができたのは、タバサたちの事前の準備と尽力が大きい。タバサはそれまで軍港サン・マロンに駐留させていた両用艦隊を各地に分散配置した。そうして、大隆起が発生した場所に急行して人命救助に当たらせたのだ。それに加えて、両用艦隊所属の輸送艦も支援物資の輸送に投入した。そうしたタバサの姿勢も、風石の発見された地域からの移住を受け入れる人が増えることに寄与したという。

 

もう一つ、タバサの目指していたブリミル教の弱体化も順調に進んでいるようだ。新宗教の命名にユルゲンシュミットから一部を取ってユルゲン教と名付けたのはどうかと思うけれど、収穫量を増加させるという農民から見れば奇跡とも言える宗教行事を武器に、農村からブリミル教の教会を駆逐しているという。加えて旧ロマリアが聖地からの物として溜め込んでいた品を解析し、急激に技術力を上げているということだ。

 

後の楽しみが一つ増えたわたしは、意気揚々と騎獣を城へと向かわせる。その途中でふとガリアの船を見下ろすと、甲板の上に立っている赤い髪の女性が見えた。見間違うことなきキュルケだ。

 

わたしは少しだけ騎獣を左右に揺らしてキュルケへの応答とし、皆がわたしの戻りを待つ城への道を急いだ。



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近況報告

「久しぶりに見ると、本当に壮観ね」

 

見上げるような大きな門が誰の手も借りずに開いて、閉じる。その光景を見るのも三年ぶりだ。あたしはここ二年は生まれたばかりの子供の側を長期間、離れることになるのが忍びなくてユルゲンシュミットへの使節団から外れていた。けれど、娘も二歳になり乳離れも順調に進んだこともあって、子供はジャンに預けて使節団に復帰することにしたのだ。

 

「これがローゼマイン様から聞いていたユルゲンシュミットなのですね」

 

「へえ、なかなか良さそうな所じゃないか」

 

あたしの隣でそう呟いたのは今年、使節団に初参加となるティファニアとマチルダだ。

 

「もうじき、院長先生がおっしゃっていたローゼマイン様にお会いできるのですね」

 

ティファニアの隣には一人の少年がいる。彼は現在十五歳とハルケギニアではまだ未成年だが、聡明で将来有望ということで、見聞を広めるために文官見習いとして同行させた。ティファニアのことを院長と呼ぶように彼は元孤児だ。

 

ティファニアとマチルダの使節団参加は、実はこの少年こそが原因だったりする。あたしが少年に使節団参加を打診したところ、少年を心配したティファニアが自分も同行すると言いだし、更にティファニアを心配したマチルダもついてきてしまったのだ。

 

「ティファニアはともかく、マチルダはいい加減、子離れしなさいよ」

 

ティファニアだってとっくに、いい大人だ。いくら初めてのユルゲンシュミット訪問とはいえ、保護者が同伴するのは異常だ。

 

「うるさいね、あんたも娘がもう少し大きくなったらわかるようになるよ」

 

「そうかしらね? 今の時点でガリアで留守番させて異国に行けるんだから、あたしは大丈夫だと思うけどね」

 

「今は放っておいても、たいして遠くに行きはしないからね。そのうち自由に動き回るようになれば、少しは考えも変わるよ」

 

「考えは変わるかもしれないけど、さすがに成人する頃にはいくら心配でも同行したりするのは控えるくらいの分別はあるつもりよ」

 

「ローゼマインの元にいくんじゃなければ、こんなに心配はしないよ。ローゼマインのところに行くと、いつの間にか急展開で立場が変わるから心配しているんだよ」

 

今度はマチルダの考えを笑うことはできなかった。ティファニアにしてもマチルダにしてもローゼマインと関わるようになってからの諸々により今の立場になっている。

 

「さすがにアウブに就任してからは、わけがわからない事態は起きてないから、今度は大丈夫じゃないかと思うんだけど……」

 

あたしにとっては使節団参加は初めてのことではない。例年、特に問題はなく交易を終えることができていた。ローゼマインがアウブに就任して年月を経るにつれ、ハルケギニアの風石を用いてアレキサンドリアは収穫量を増やしていると聞いている。

 

そのおかげで食料の値段も安くなっているということでガリアは多くの食料を持ち帰ることができているのだ。今年も特に何の問題もなく終わるはず。

 

一抹の不安はあったが、ローゼマインの治めるアレキサンドリアの城に入るときも、その後の宴でも特に何の問題も起きなかった。宴の席では久しぶりに会ったグレーティアからローゼマインが少人数でのお茶会をしたがっていると伝えられ、三日後に日程を設定してもらい、そこにティファニアとマチルダも連れていくことになった。

 

ちなみにお茶会には文官見習いの少年は不参加とした。ティファニアは、いてもらってもいいのに、とか言っていたが、一般的な少年にとって一回りは年上の女ばかりのお茶会の席など、参加を許されたとして苦行にしかならないだろう。

 

ガリアの使節団との交渉に対応するのは、昔から変わらずハルトムートとローデリヒだ。二人はハルケギニアの言語も理解できることもあり、ガリアの第一回の使節団の頃より責任者として働いている。

 

そのハルトムートが交渉の席で気になることを言っていた。それは、アレキサンドリアで改良が行われていた、水を浄化するためのマジックアイテムが実用に耐えられる精神力の消費量に抑えられるようになったという情報だった。

 

「概ねトライアングルクラスのメイジ一人で、六十トンの泥水を浄化することができます。風石五百キロにつき一つでいかがですか?」

 

今のところガリアでは深刻な飲み水の汚染は起きていない。けれど、それは祈念式に水も浄化する作用があるためだ。けれど、ゲルマニアでは深刻というほどではないが、若干の飲み水の不足が発生していると聞いている。ゲルマニアになら高く売れるかもしれない。

 

「そうね、それなら二つもらおうかしら」

 

一つはガリアのアカデミーで性能などの研究に、もう一つはフォン・ツェルプストー家に送ってゲルマニアでの需要を確認してもらうことにしよう。ちなみに、その場にはマチルダも同席していたが、彼女の顔は若干、引きつっていた。

 

ユルゲンシュミットで購入した珍しいマジックアイテムは基本的にアカデミーに送られている。このマジックアイテムもアカデミーに送られると理解できたためだろう。

 

そうしたマチルダにとってはあまり嬉しくはない出来事はありつつ、今回も交渉は順調に進んで、今年の交易量は延べ四十五隻と決まった。そうして交易に関する交渉を終えた翌日には、無事にローゼマインとのお茶会が開催された。

 

「久しぶりですね、キュルケ。お嬢さんは大きくなりましたか?」

 

「ええ、ローゼマインの子供に比べれば随分と小さいと思うけどね。レオンハルトって名前だったわよね。今日はいないの?」

 

「洗礼式を終えただけだと、普通は他国の使節の前に姿を見せることはありません。それでも本人がどうしてもと言えば、こっそり参加してもらうことも考えたのですけど、さすがに女性ばかりのお茶会は嫌みたいです」

 

ローゼマインは、ユルゲンシュミットでは女性の集まりに男性が混じることは皆無だと言っていた。それでは、いくら参加していいと言われても尻込みしてしまうのも無理はない。レオンハルトと顔を合わせるのは、彼の成人近くまで待つしかなさそうだ。

 

「それで、ハルケギニアの皆の様子はどうですか?」

 

「ルイズとサイトの話とモンモランシーとギーシュの二組の話はローゼマインも知っているわよね?」

 

「ええ、二組とも無事に結婚まで行って、ルイズは女の子二人を、モンモランシーは男の子を出産したと聞いています」

 

「その続報だけど、ルイズが三人目の子供を出産したと聞いたわ。今度は男の子だったという話よ」

 

「まあ、そうなのですね」

 

ルイズとサイトは宗教戦争が終わって間もなく、式を挙げた。その頃はガリアが併合したロマリアの統治に非常に忙しくしていたこともあり、あたしたちにも事後報告だった。それから少ししてモンモランシーとギーシュも、相変わらずのギーシュの浮気性に多少の紆余曲折を経つつも、無事に結婚まで至った。

 

と、その話をしている中でローゼマインの視線がティファニアとマチルダに向いた。その目は、二人の話も聞いてみたいと雄弁に語っていた。

 

「ローゼマイン、この二人には恋の話を聞いては駄目よ」

 

「ティファニアは、やはり難しいのですか?」

 

「そうですね。わたしの場合、やはり相手が難しいですから」

 

ハーフエルフであるティファニアは、人間からもエルフからも異種族として見られてしまう。エルフとの垣根も前に比べれば低くなったとはいえ、まだ恋愛までは難しい。エルフ側についてはより顕著で、エルフ側が人間をやや見下す傾向は改善しきれていないこともあり、人間相手よりも更に難しい。

 

「マチルダについては……」

 

「わたしが誰かと結婚をするのは、ティファニアが誰かと一緒になった後だよ」

 

「マチルダ。強がらないで、素直に相手がいないって言えばいいじゃないの」

 

「相手がいないわけじゃないのは、あんたも知ってるでしょ」

 

「マチルダがダメ男を拾っては真人間にして世に戻して、その後は疎遠になるっていう謎の行動を繰り返していることは知っているわ」

 

さすがのローゼマインも、なんとも言えない微妙な表情をしている。それを多少なりとも知っているティファニアも同様だ。

 

「わ、わたしのことは別にいいだろ。ほら、それよりルイズの姉のエレオノールの話でもしたらいいじゃないか」

 

「何かあったのですか?」

 

マチルダが逸らした話にローゼマインはしっかりと乗っかった。マチルダの話を深堀りしても、ろくな物が出てこないのは明白だ。あたしもそこに乗っかるのに異存はない。

 

女だけでのお茶会はこうして恋愛話と子育ての話をメインに進んでいった。



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ガリアの女王

一年前にシャルロットから禅譲を受けたガリアの女王イザベラは本日はユルゲン教の総本山たる大神殿を訪れていた。大神殿は小聖杯を保管するという特殊事情から、容易には近づけない場所としてセント・マルガリタ修道院を改修して設けられた。

 

まだ新しいということもあるが、汚れ一つない清潔な大神殿の中をイザベラは護衛騎士クリステルとアリスの二人だけを連れて進んでいく。そうして奥まで進むとユルゲン教では最高神とされている水の女神の像の前で一人の若い女性が跪いていた。

 

「神殿長、ご無沙汰しております」

 

そう言って、イザベラは神殿長の前で膝をついた。

 

「陛下、ただの神殿長に対して簡単に膝をつくものではありません」

 

言いながら、若き神殿長が振り返る。神殿長の外見は黒髪にあまり高くない鼻。はっきりといって、非常に地味な見た目だ。けれど、隠し切れない気品が溢れていた。

 

「申し訳ございません。ですが、ユルゲン教の大司教として収穫高を上げ、ガリアの民の命を守ってくださっている神殿長に敬意を示したとて問題にする者はいないでしょう」

 

「その言い方からすると、ユルゲン教の布教はより進んでいるということ?」

 

「ええ、この一年ほどでも、さらにユルゲン教の布教は進んでいます。年々、大隆起が進む中でガリアが持ちこたえているのはユルゲン教の祈念式のおかげだという話は広がりを見せています」

 

小聖杯のないゲルマニアの苦境はガリアの民の耳にも入るようになってきている。その一方でガリアの民は従来と変わらない生活を続けられており、生活を維持してくれているユルゲン教の祈念式の貢献度も知られるようになっている。

 

「これもすべてシャルロット様が即位中になされたことの成果です」

 

二年前、女王シャルロットはユルゲン教に対して異端だと発言したブリミル教の司教を処刑し、その司教のいた教会を破却するという強硬策を用いた。それを機に絶対権力者である女王の不興を買ったと判断されたブリミル教は更に勢力を減じることになった。一方で、その出来事は敬虔なブリミル教徒たちの反発を強めることになった。

 

すでにユルゲン教の名声は揺るぎないものになっていた。そのまま強硬姿勢を続けても、最終的にはブリミル教徒を抑え込むことができただろう。

 

けれど、シャルロットの強硬策はブリミル教の一件だけではなかった。強力な中央集権国家を作るために、中央に対して反抗的な貴族に対して改易や爵位剥奪も多用した。強権的な手法を多用するシャルロットに密かに反発を募らせる者も多かった。それを感じ取っていたシャルロットは燻る不満を解消するための手としてイザベラへの禅譲を敢行した。

 

イザベラは禅譲を受けた後、シャルロットに破却された教会の再建を支援し、改易をされた貴族の爵位を戻し、新たに扶持を与えた。けれど、それは最初からみれば、教会は再建のための資金の一部を支援したのみで、ブリミル教は勢力を減じている中で多額の費用を支出することになった。改易をされた貴族は爵位を取り戻し、生活の扶持も得られたが、領地を取り戻したわけではない。結果としてはマイナスにしかなっていない。

 

それでもイザベラが感謝されたのは、シャルロットの強権的な手法に、ある意味では慣れてしまったからだ。だから、イザベラの手法が穏健に見える。しかし、実際はトリステインなどに比べるとよほど強い措置を取っている。

 

もっとも、トリステインが酷い混乱状態に陥っていないのは、ひとえに旧アルビオンを併合することになったことが大きい。アルビオンの再興を諦め、ゲルマニアと分割しながらでもトリステインの領地とすることを決定した瞬間から、トリステインは自由が利くようになった。なにせ、アルビオンに得た領土はトリステイン本土よりも広大なのだ。大隆起で所領を失った貴族に代替地を与えることにも苦労しない。

 

トリステインはハルケギニアで唯一、大きな変革を経ずして大隆起という存亡の危機を乗り切ろうとしている。けれど、それがトリステインにとって幸せなことなのかは、正直に言ってイザベラにはわからない。

 

ガリアだけでなくゲルマニアも大きく変わろうとしている。都市国家という成り立ちもあり、これまでは諸侯の力が強かったゲルマニアも今は皇帝の権力を強化している最中だ。アルビオンから得た土地を利用しているのはトリステインと同様だが、ゲルマニアは販売という形を取り、代わりに多額の金銭を得て、それを利用して王家の力を強めている。

 

そこにはガリアでも中枢にいるキュルケの実家のツェルプストー家も大きく関わっているという。ちなみに当初はあったキュルケの二心を疑う声は、今やすっかり消えている。

 

そんな中、トリステインだけが時代の流れに取り残されている。ガリアはエルフの技術を導入することにより、平民が扱える技術が向上している。ゲルマニアは魔法力もだが、それよりも金銭を人より多く稼ぐ力を持つ者が評価されるようになり、結果として平民の地位は更に向上することになった。

 

それに対して、トリステインだけは伝統的な魔法こそが至上という考えから脱却ができていない。平民出身のサイトやアニエスといった者たちも登用されてはいるが、肝心の政治の中枢にある者たちの意識がついていっていない。それも、これまで通りの方法でなんとかなったという悪い意味での成功体験ができてしまったからだ。

 

「クリステルとアリスも変わりはない?」

 

「はい、あまりに何事もなさすぎて少し護衛の腕が鈍ってはいないかと心配しているほどでございます」

 

イザベラが変革に苦しんでいるアンリエッタとルイズの姿を思い出している間に、神殿長はイザベラの背後の騎士たちに声をかけていた。シャルロットが退位を決めたとき、引き続きシャルロットに仕え続けることを希望する側近は多かった。けれど、シャルロットは側近のほとんどを、イザベラに引き継がせた。

 

シャルロットが連れていったのは、側仕えのミシェルと、何かしらの問題を抱えていて、やや使いづらい護衛騎士たちのみ。例えば戦闘力は申し分ないのだが、政治的な考えは苦手で宮中では使いづらい騎士とか、逆に戦闘力に若干の不安があり、衛兵よりはましだけど、自分の側に置くのがこの一人では不安、という騎士とかだ。

 

むしろ何か問題がある方が忠誠心が強いようで、それらの騎士は今もシャルロットの近くで働いている。彼女たちには政権中枢から離れることなど何でもないことのようだ。

 

「これはイザベラ様、ようこそお越しくださいました」

 

そこに奥から一人の女性が現れる。穏やかな笑みを浮かべた神殿長と同じ黒髪の初老の女性にイザベラは神殿長にしたのと同じように跪く。

 

「お久しぶりです、神官長」

 

「あら、ガリアの女王がただの神官長に簡単に跪くものではありませんよ」

 

「そのお言葉、神殿長からもいただいてしまいました」

 

「まあ、では、そろそろ改めないといけませんわね」

 

そう言って神官長はクスクスと笑う。

 

「それより今晩の夕食は共にできるお時間はあるのかしら?」

 

「ええ、問題ないよう、ちゃんと時間は空けております」

 

「では、夕食の時間を楽しみにさせていただきますね」

 

そう言って神官長は夕飯の支度を確認するためだろう、厨房のある方に向かう。

 

「神殿長は本日のお勤めは終わりですか?」

 

「いや、もう少し残っている」

 

「それでしたら、わたしにも手伝わせてください。わたしとてガリアの女王。少しは国民のために汗をかかねば」

 

そう言って神殿長の隣に並んで跪く。

 

「我は世界を創り給いし神々に祈りと感謝を捧げる者なり」

 

いつかローゼマインという異国の女王から教わった祝詞を神殿長とともに唱える。

 

「高く亭亭たる大空を司る、最高神は闇と光の夫婦神。広く浩浩たる大地を司る、五柱の大神。水の女神フリュートレーネ。火の神ライデンシャフト。風の女神シュツェーリア。土の女神ゲドゥルリーヒ。命の神エーヴィリーベ。息づく全ての生命に恩恵を与えし神々に敬意を表し、その尊い神力の恩恵に報い奉らんことを」

 

祝詞を唱え終えると、小聖杯に向かって精神力が流れていく。

 

「陛下のおかげで早く終わった。強力に感謝する」

 

「いいえ、先にも言ったように、わたしはガリアの女王なのですから、民のために汗をかくのは当然のことです」

 

神殿長は就任してから、ずっとこのような辺鄙な、多くの民からは知られていない場所で、ひたすら国のために精神力を使い続けている。

 

「神殿長も陛下も、こちらで休憩になさってください」

 

厨房から戻ってきた神官長に言われたイザベラは軽い声で、はい、と答えて、お揃いの聖具を身につけた二人とともに歩き始めた。




何はともあれ完結です。
長いことお付き合いいただきありがとうございました。

完結しても、達成感などがないのが大量ストックを抱えて投稿している弊害ですね。
一定ペースで投稿という点では優れていると思うのですが、今後はどうするか。

豊家も恩顧も全て葬っておかなければ主人公たちは安康を得られまいと、終盤に大量殺戮を開始するのは私の悪い癖。
間違った親心で葬られたキャラ達のファンの方には申し訳ない。


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