剣士(無免許)と少女(元死体)と魔術師(竜人)と+1がクリア人数0のダンジョンに挑む話 (tmtm)
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プロローグ

 どこから話したものか。

 

 この大陸『ネフタリ』はかつて混沌のるつぼだった。あらゆる場所で戦火が巻き起こり、同種族、他種族を関係なく殺し合いが続いた。

惨憺たる時代。川は血で染まり、骸の山が至る所に積みあがった。

 だが、転機が訪れる。

 一人の英雄が現れたのだ。英雄は圧倒的な力を持ってすべての勢力を制圧し、大陸は一つの国家に統一された。

 帝国の誕生である。

 人間を中心としたこの国家が他種族から万全の信頼を得ていたわけではない。しかし、戦火が絶えなかったこの混沌の地において絶対的な力は一定の平和と安寧をもたらした。リンゴ一つと子供一人が交換されることもなくなり、パン一枚を巡っての殺し合いが起きなくなった。

 人間達は歓喜し他種族も――あの高飛車なエルフでさえも控えめな喜びに沸いた。英雄は賢人を全土より呼び寄せる。種族も地位も関係なく能力があるものは取り立てられ帝国は興隆しいった。

 理想的な治世。人々はこの繁栄が永遠のものだと錯覚した。

 

 変質しない理想はなく、腐敗しない権力は存在しない。

 

 英雄の死後、帝国は少しずつ、だが確実に腐敗していった。

 国家と民草を富ませるため特権を与えられた官吏達は己の私腹を肥やすために働くようになる。彼らはやがて貴族と呼ばれるようになった。

 人々が立ち上がることはなかった。どれだけ醜い権力闘争があろうとも自分たちとは無関係であるように思えたのだ。明日のパンには困らないし、高慢な兵士や貴族が街で威張り散らしても、自分より弱いものを見下し留飲を下げられるのだから。

 かつては自由だった職も多くが制度化された。職に就きたいものは帝国の定める学校へ通い免許を取る必要があった。魔物を退治する冒険者たちも自身らのギルドを作りその利権を守る。

 制度が出来てから免許を持たずに仕事を行うものは『モグリ』と呼ばれ蔑まれた。

 

 時は移り今から十五年前、帝都セントラルにてある事件が起こった。帝都の中央広場にて巨大なダンジョンが姿を現したのだ。帝都の中央にある魔物の巣を放置するなど威信に泥を塗るようなもの。

 

ダンジョンを踏破し魔物を一掃せよ。

 

皇帝の勅令が下る。さらには莫大な報奨金。貴族は功名心のため、冒険者は富のため迷宮に挑んだ。

 

 結果は、全滅。

 

 事態を重く見た帝国政府はダンジョンを封鎖。一定の力量がある者にのみ探索を許可する方針に変更。

 それから現在までダンジョンの踏破者は現れていない。

 やがて、帝国中である噂が流れ始める。

 ダンジョンの最深部にはあらゆる願いを叶える秘宝が隠されている。それこそが帝国政府が大金を出す理由だと。

 

 この物語は帝国の掃き溜め、港町『テベス・ベイ』から帝都『セントラル』へモグリの剣士が旅立つことにより始まりを告げる。



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前途多難
旅の始まり


 もう一度、確認をしておこう。

 ロバの胃で作られた水筒が三つ、木の皮みたいに硬い干し肉と味のしない乾パン、塩と香草、変な色したチーズ、木くずによく似た食感のビスケット、古木に火炎石の欠片、寝袋用の厚布、純度の高い消毒用蒸留酒、様々な効能を持つ薬草、大枚はたいて手に入れた低質な回復薬と解毒薬が三瓶ずつ。

 小さな背嚢に石と古木、厚布、食料、水類の順に突っ込んだ。余ったスペースに薬草を詰め込む。

 これで、準備は良い。必要なものは全てそろった。

 親父の形見の刀を握りしめる。

 黒ずんだ屋根の隙間から朝日が差し込み、俺が長年住んでいたスラム街に光が当たる。散乱したゴミとネズミ、違法魔法薬の空き瓶、汚れた土の上に体を横たえる痩せこけた老人。

 このスバラシキ故郷ともようやくおさらばだ。フードをかぶり荷物を肩に担ぐと、馬車が来ているであろう表通りへと足を向ける。

 去り際に振り向くこともなかった。見たいもんでもないしな。

 朝早いからか表通りに出ると人通りはまばらだった。こちらのほうがありがたい。”スラム暮らし”が来たとあっては中流サマが腹をすかしたグールみたいに騒ぐだろうしな。

 馬車は……あった。デカい教会の前で止まっている。俺は朝露が光る石畳を渡って小太りの御者に手を振った。

「帝都セントラルまで頼むよ」

 小太りはビクリと肩を震わせた。寝てやがったな。緊張した面持ちでこちらへ視線をくれるが、俺を見るなりすぐに胡散臭そうに顔をしかめた。

「……あんた、金は持ってんのか?」

「ああ、ちゃんとあるさ」

 答えを聞くなり小太りは鼻を鳴らす。エサを探す豚そっくりだ。

「へ~それはそれは! ”スラム暮らし”サマも裕福になったもんだ!」

 豚野郎が大げさに両手を広げる。こういった扱いは慣れているとはいえムカつく奴だ。

「ほら、これがそうだ」

「ハッ! なんだこの汚ねぇ紙切れ……」

 ピタリ、と動きが止まった。奴の顔から血の気が引いていく。

「で、馬車はいつ出るんだい? 御者サマ?」

 得も言われぬような表情でしばし俺を見つめた後、小さく「乗りな」という声。どっかで見たような目をしていた。どこだったっけか?

 ま、いいか。馬車に乗り込むとドアを閉めた。外は黒塗りの車体、中は赤くふかふかの絨毯。王様にでもなった気分だ。

「出してくれ」

 また豚がさっきと同じ表情でこっちを一瞥してきた。だが、すぐに前を向くと鞭を振り上げる。

 大きく車体が揺れ、馬車が走り出した。規則正しい馬の蹄の音と心地よい揺らぎが眠気を誘う。

 到着までひと眠りするとしよう。

 眠りにつく寸前になって過去の記憶がよみがえってきた。二月前、豚小屋掃除の仕事をした時。そうだ、あの御者の表情。

 屠殺場に送られる仲間を見るときの家畜の目そっくりだったんだ。

 

 気づけば俺は教会の中にいた。これは……夢。何回もこの光景は見てきた。

 見たくないと願っても。

 これは、子供のころの記憶。目の前には胸元まで布が掛けられた二つの遺体。周りの大人はハンカチを目に当てている。神父に促され遺体の前に。神父の服からは甘い匂いがした。香料だろうか? ゆっくりと胸元から布が取られていく。耳元で「最後の別れを」と囁かれる。布は首まで取り外されていた。傷も何もない。ここがベッドの上ならただ眠ってるだけのように見えるのに。そして、すべての布がとられる。

 心臓が金切り声を上げた。

 その遺体には顔がなかった。

 顔があるべき部分は真っ黒に塗りつぶされている。それは光を通さない洞穴。声にならない悲鳴を上げる俺の耳元。また、声が聞こえた。

「お前の両親だ」

 

 乱暴に窓を叩かれ飛び起きた。異常なリズムをで脈打つ心臓。全身が汗でびっしょりだ。窓の外は見慣れぬ街並み。目的地に着いたらしい。

 止まった馬車から降りるとまばゆい日差し。そして、前を向けば。

「これか……」

 両脇に立派な家々が立ち並ぶ大通りの先、ダンジョンがその大口を開けていた。通行人は慣れたものなのか、そこに何もなかったように通り過ぎていく。唯一足を止めたのは灰色のフードを被った旅人と思しき男だけ。アーチ状の口の前には検問所が設けられ兵士が立っている。近くにあるデカい建物が探索者の登録所か?

 あのダンジョン――莫大な懸賞金の掛けられた迷宮こそが目的地。このクソみたいな生活を変える唯一のチャンス。

 そして、両親の死の真相を知るための唯一の方法。

「なあ、あんた」

 上から御者の声が降ってくる。そういや代金がまだだったな。

「ああ、悪い。このまま検問所の前。そうだ、あのデカい建物のとこまで行ってくれ。俺を連れてきたっていえばたんまり金は受け取れる」

「あんた本当に……いや、何でもない」

 馬車とともにデカい建物の前へ。看板が出てる、やっぱりここが登録所か。ピカピカに磨かれたドアの前には大柄の兵士二人が守りを固めていた。馬車から降りた俺を見るなり兵士が槍を突き付けてくる。

「止まれ。何用だ」

 喉元に向けられた槍はピクリともしない。こいつは見せかけだけじゃなくちゃんとした腕利きらしい。俺は懐から招待状を取り出す。

「探索の希望者だ。招待状はここに」

 槍がどかされ、ひったくられるように紹介状を取られた。横にいた兵士に耳打ちするとオーブの光を俺の紹介状に当て始めた。真贋を確かめてるらしい。オーブを当てていた片割れが頷くと案内所のドアを開け、紹介状を返してくる。

「入れ」

「ああ……そうだ。後ろの御者に金を払ってやってくれ。テベス・ベイから来たんだ」

 兵士の一人が重そうな袋を持って馬車へと歩いていった。これで、大丈夫だろう。

 ドアの前で大きく深呼吸。スタートラインには立った。本当に重要なのはここから。

 この五年、両親の手掛かりと知ってからダンジョン探索についてあらゆる準備をしてきた。

 装備は何が必要か・探索中に気を付けること・どんな化け物が出るのか・対処法はどうするか。

 だが、なんといっても探索にとって最も重要なのはパーティーだ。

 まずは、仲間を見つけないと。

 意を決し、俺はドアをくぐった。



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期限は三日間!

この書状を持つ者に帝都迷宮を探索する許可を与える。

 ― 帝都剣術学院ないし帝国魔術院を上位十五%の成績で卒業したもの

 ― 冒険者ギルドにおいて帝国への貢献が十分と認められたもの

 ― 中程度以上の脅威と認定されている魔物を屠ったもの

 

 三番目の項のみ冒険者免許不要とする。この書状を持ったものは帝都セントラルの探索登録所まで来られたし。かかった路銀は機関が保証する。

 

 迷宮探索招待状 内務卿 アルフレッド・ヴァロワ

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 登録所に入ると内部は広かった。端から端までざっと五十メートルはありそうだ。向かって奥にはカウンター。それ以外の場所では質のいい木で作られたテーブルが所狭しと並べられ、色とりどりの食材が並んでいる。ぽつりぽつりと冒険者の姿が見える。思ったよりまばらだな。既にパーティーを作ってテーブルで作戦会議をする奴ら、隅っこで酒をすする奴、パーティーを組もうと話しかけまくってる奴。

 やはりというべきか騒がしい。そんな喧騒の中、目の前に獣人のメイドが現れる。燃えるような赤髪の間から可愛らしい狐耳。上品なアーモンド形の目と小さな口は品の良さを感じさせた。

「今日到着された方でしょうか?」

 一瞬、自分を呼ばれていると分からなかった。違法魔法薬の売人以外から丁寧な言葉遣いを受けたのは初めてだ。一呼吸遅れて頷く。

「こちらへ。迷宮探索についての説明を致します」

 くるりと後ろを向くと下半身に目が行った。可愛らしい尻尾がぴょこんと飛び出ている。さっさと歩き始めた彼女に置いて行かれないよう急いで後を追った。向かった先は奥のカウンター。向こう側では武装した兵士が目を光らせメイドが書類をまとめていた。

「お座りください」

 俺が椅子に腰掛けるとメイドが話を再開させる。事務的な固い声。

「本登録所の目的は迷宮に挑む探索者の方々をサポートすることです。ここに招待された方々は帝国の認可を受けた剣術・魔術学院を優秀な成績で卒業するかギルドから帝国への貢献が認められた方。もしくは……」

 ここで形のいい目が値踏みするように俺を眺めまわす。ここで言う学院ってのはバカ高い学費を払わなきゃ通えない教育機関だ。でもってギルドってのがその卒業生のたまり場。街や貴族、帝国を通した”まともな仕事”は全てこのギルドに割り振られる。スラム育ちの俺とは無縁の場所だ。

「無免許であっても中程度以上の魔物を屠れる実力を証明した方」

 わざわざこっちに紹介状を見せてきやがった。ご丁寧に三番目に丸が付けてある。

 世の中には”まともじゃない仕事”ってのがある。危険性はデカいが俺のようなモグリが生きていくにはこういった仕事を受けるしかない。何度死にかけたことか。

「登録所及び迷宮探査機関の創設者はヴァロワ家のアルフレッド卿ですが帝国政府の支援もあります。ここまではご存じですね?」

「ああ、もちろんだ」

 初耳だ。あるふれっど? 確か紹介状に名前があったような気がする。言われてみると聞き覚えがある様な気もする。

「迷宮解明にはすでに多数の冒険者の方々が参加されました……しかし最深部までの到達者は一人としていません。現在この迷宮の最深到達階層は第四階層。ここまでは地上と迷宮をつなぐポータルが置かれています」

「ポータル? 魔導転移球だっけか? 確か自由に地上と行き来できる装置の」

「はい、ポータルは地上と迷宮を繋ぐ装置です。一度使うと時間をおかねばならないという制約はありますが画期的なもので……ちなみにこの装置の開発にはアルフレッド卿も関わっております」

 それはそれは。アルフレッド卿ってのは魔術師でもあるのか。

「これは……貴方にとっては最も重要なことかと思います。帝国は探索者に惜しみない支援を行います…………ただしそれは実力のある者だけ」

 次の言葉は手に取るように分かる。この書状を手に入れるときもそうだった。

「力量を証明しろと? いいぜ。どっかの魔物の首でも届けりゃ良いか?」

 軽い冗談のつもりだったがメイドの鉄面皮はピクリともしない。可愛い顔が台無しだ。

「先ずは第三階層まで到達してください。パーティーは最低三人を集めて。それが出来なければここから去って頂きます」

「期限は三日間」

 メイドが最後の言葉をぴしゃりと言い放つ。役立たずに無駄飯食わせる気はないってことか。ただの金持ちの道楽じゃないみたいだ。

「ここには武具店と魔法店もありますが使えるのは第三階層到達者だけです」

「なあ、この迷宮の踏破者にはたんまりと賞金が出るって聞いたんだが……」

 右手を上げて首を横に振られる。ほんと愛想ないな。

「そういったお話も――」

「第三階層到達後に。だろ? 分かったよ」

 立ち上がろうとした俺にメイドが小さな白い石を手渡してきた。なんだこれは?

「迷宮の魔力に応じて反応する魔法石です。到達した階層がわかるようになっています……間違っても不正はしませんように。すぐにバレますよ」

 受け取った石を内ポケットへとしまう。メイドの話は今度こそ終わったようで貝殻みたいに喋らなくなった。

 さて、さっそく仲間探しだ。立ち上がると冒険者がたむろする場所へ足を向ける。ここからが本番。出来ることなら魔術師が居てくれるといいが……ただでさえ希少だ。そもそもこの中にいるという保証もない。

 探索日時から逆算する。探索にはどうあっても二日欲しい。仲間探しに当てられるのは一日が限界ってとこだろう。

 とりあえず近くの奴に声を掛けようとしたところ、中央で何かをはやし立てるような品のない声が上がった。目を向ければ人だかりができている。なんなんだ? 近くにいるデカい斧を持った男の肩を叩く。

「何かあったのかい?」

「ほらあそこ。あのローブ野郎も運がねえな。ダールベルク家の坊ちゃんに目を付けられるとは」

 テーブルにはローブを目深にかぶったチビが一人座っていた。その向かいから上等な赤服を着た金髪の大男が詰め寄っている。その後ろでは取り巻きと思われる数人がニヤついた笑みを浮かべていた。金髪が大げさにうでを振り上げる。

「さてさて、僕はそのローブを取ってくれと言ってるだけなんだ」

 嫌みったらしい声だ。チビのほうは椅子に腰かけたまま微動だにしない。肝が据わってんのか腰が抜けてるのか判別はつかなかった。

「気分じゃない」

 凛とした鈴のような声。女だったのか。たどたどしいが震えはない。共通語に慣れてない地方の出身か?

「なに、その麗しい顔を少し見せてくれるだけでいいんだ。僕が気に入れば……わかるだろ? ダールベルク家の長子である僕といるほうがご両親も喜ばれると思うよ」

 どこぞのドラ息子が女をひっかけてるってわけか。反吐が出る光景だが、今厄介ごとをしょい込むわけにはいかない。俺が踵を返そうとしたその時だった。

「親はもういない」

 足が止まる。汚いローブに奇妙な親近感が湧いてくる。

「おいおい! その歳で親なしってことはスラム育ちか?」

「ダールベルク家の使用人なんて大出世じゃねえか嬢ちゃん」

 取り巻きから上がるからかいの声。親なし、スラム育ち。自分の中で怒りがふつふつ煮えていくのが分かる。

「ひつようない。わたしはこのダンジョンの最深部へいく」

 静かな、だが決意のこもった声。一瞬の間をおいて取り巻きたちのバカ笑いがその余韻をかき消した。

 冷静になれと頭のどこかで警鐘が鳴らされる。だが、内側で燃えつつある炎に下品な声が燃料としてくべられていく。

「まあまあ君たち」

 金髪野郎が笑いをこらえつつ取り巻きを手で制す。

「彼女は学がないんだ。そうバカにするのは失礼というもの」

「まだ知らないのさ。スラム上がり風情がここを踏破するなんて不可能だってね!」

 俺の中で張っていた糸が音を立てて切れた。視線の端にはテーブル。その上には山盛りに置かれた卵。

 掴んで振りかぶり思い切り投げつける。

「ハッハッハッハ――」

 俺の投げた卵は吸い込まれるように金髪にぶち当たった。

 殻が破けどろりとした中身が絡みつく。

 水を打ったように辺りは静まり返った。声をあげる者は誰もいない。

「ヒュー命中だ! 色男、似合ってるぜ」

 響くのは俺の声だけ。誰もかれも青ざめた顔で凍り付いている。

 正面には頭から卵を垂らした大男の据わった眼。

 仲間集めはこの図体のデカい牛野郎をぶっ飛ばしてからだ。



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トラブル×パーティー結成

本学院では数々の名家のご子息も卒業されています。

ヴァロワ家、テーリンク家、ダールベルク家……等等。

ご子息は伝統と歴史ある帝国剣術学院でご学友たちと切磋琢磨し次代の帝国を担う人材になられることでしょう。

さて、本学院に対する寄付についてですがそちらは直接お会いしてお話ししましょう。

書面に残すべきお話ではありませんからね。

 

とある貴族に送られた学院案内の書状

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「さて、これはどういうことかな? 私がギルベルト・ダールベルクと知ってのことか」

怒りで震えた声。あの金髪ギルベルトっていうのか。

「ギルベルト? 図体がデカいだけの牡牛にゃもったいない名前だな」

ギルベルトの目がさらに怒りで燃え上がる。荒事は避けられそうにない。

別に構わんが。

こっちもそのつもりだ。

「その身なり……平民? いや、スラム育ちだな。ふん、下民が礼儀を知らなくても無理はないな」

あどけなさを残す顔に侮蔑が混じった。

奴が振り返ると取り巻きから引きつった笑い声が巻き起こる。

「そういうあんたは牛舎の生まれか?」

途端に空気が冷え込む。奴の顔は熟れたリンゴみたいに真っ赤だ。

周囲に目を走らせる。あるのは椅子とテーブル。他に上に乗せられた料理そして酒の入ったコップ。

奴は肩を怒らせ俺のすぐ前まで足を進めた。

既に間合い。精神を集中させる。

「まさか学院を出て始めての決闘が君のような無免許のモグリだとはね。言っておくが僕は剣術・拳闘の成績が学院でもトップ……」

「牛の中で一番だったのか? そいつはよかったな」

奴は爆発寸前、だがこれでいい。

経験上、冷静さを失ったやつほど脆いもんはない。

あとはもう一押しするだけ。

「かかってこいよ。ギルベルトおぼっちゃま」

その言葉が契機だった。

 

 突如ギルベルトが叫び声をあげた。怒りで歪んだ醜い顔。丸太のような腕が振り上げられる。

 まずはテーブルのコップ。それを掴むと中身の酒を奴の顔にぶっかけた。

「なっ!」

 視界を塞ぐ。虚を突かれ勢いは失われた。胸はがら空き。

 間髪入れず一歩踏み出すし、気合いと共に鳩尾を刀の鞘で突く。

 肉を抉る感覚が掌を伝った。

「ガッ!!」

 デカい体がうずくまる。すぐに奴の髪を掴むと思い切りテーブルへ叩きつけた。

 焼きたての鹿肉が吹っ飛んでいく。肉と木がぶつかる鈍い音が木霊した。

 二度、三度。もうほとんど抵抗はない。何かがつぶれるような嫌な感覚。

 四度目にはテーブルが二つに割れる。口と鼻から血を吹き出しギルベルトは後ろにぶっ倒れた。

 静寂。取り巻き共も顔面蒼白だ。

 ……流石にやりすぎか? 貴族に手を上げたなんてことが衛兵共に見つかるとまずい。

 後ろを向こうとしたその時。

「き、貴様!! と、とまれ」

 周囲から悲鳴。ゆっくりと体を反転させる。

 ギルベルトは口から血を滴らせつつ立ち上がっていた。両手には細身の長剣。それまで見ていた外野数人が尻もちをついて後ずさっていく。

「やめとけ。怪我するぞ」

「下等民が! 舐めやがって」

 一応構えは様になってるみたいだ。だが、ここで刃物沙汰はまずい。が、相手を落ち着けようにも聞く気配もない。

 

 斬るしかない。

 

 刀に手をかけた。

 深呼吸。

 気を静める。

 間合いは十分。

 あとは、機を見て抜くだけ。

「な、なんだ。その構えは!? おかしなま――」

 ――今!!

 一閃。

 金属音。

 手ごたえは十分。

 瞬きの間に刀は振り切られていた。

 すぐ後にカランと何かの落ちる音。

「ヒッ……」

 どこからともなく金床をひっかいたような悲鳴が聞こえた。長剣の取手から先は綺麗に無くなっている。なまくら一つ斬り落とすくらい造作もない。

 ギルベルトは腰から床に崩れ落ちる。

 俺が刀を鞘に戻そうとしたその時。

「こっちだ! いそげ!」

まず見えたのはローブ姿の男。その後ろから複数人の兵士も見える。騒ぎがデカすぎたか、兵士を呼ばれたようだ。

こりゃまずいな。何か言い訳を考えんと。

兵士の足音が大きくなってくる。ちょっと苦しいがここは……。俺は刀で床板に斬り込みを入れ素早く納刀。

衛兵が駆けつけるのと刀をしまうのはほぼ同時だった。

「何事だ! 冒険者同士での私闘は禁止だぞ!」

特別上等な装備をした兵士が怒鳴り声をあげた。そんなルール初めて聞いたぞ。あの狐メイド話を端折りやがったな。

「どうもこうも見たらわかるだろう」

俺は大仰に手を振りながらその兵士に近づいた。たちまち鋭い眼光が俺を睨み付けてくる。

「貴様か? 規則違反は即刻……しかもあれは、ダールベルク家の御子息か!?」

さっきまで口から泡を飛ばしてたのにギルベルトを見るなり青ざめやがった。どうもあいつは結構な家の出身らしい。

だからこそ、この手は使える。

「き、貴様……! こ、これがバレたらどうなるか……」

「あ? 何言ってんだ? どうなったかは見りゃ分かるだろ」

ここで言葉を止め全員を見回した。さっき斬り込みを入れた床を右手で指さす。

「こいつを見ろよ! 御子息はこの床板に足を取られて転んだのさ! 危ねえったらありゃしない」

兵士たちも互いに顔を見合わせこの“大惨事”に首を傾げている。

まあ、普通に考えりゃ転んだだけで鼻だの長剣だのが折れたりはしないが……ここは押し通すしかない。

「そ、そんな馬鹿な……」

「ここの奴らだってそれを見てるんだぜ。な! みんな!」

……涙が出そうなくらいの静けさだ。クソッ! そんな怯えた目をするんじゃない! こっちを見る兵士共の目も険しさを増す。後ろにいる兵士たちが互いに目配せをするのが見えた。

これは、まずい。実にまずい。

数人の兵士は剣の柄に手をかけている。どうする。ここは……。

「その光景なら吾輩も確かに見た」

低い、通った声だった。救世主は兵士を連れてきたあの男。薄汚いローブが天人の羽衣に見えてくる。俺に詰め寄っていた兵士が目ん玉をひん剥いてローブ男に振り返った。

「ま、まて。それは本当か? 嘘をつくと……」

「嘘? では貴殿はこう言いたいわけか?」

ローブの男が兵士に一歩近づいた。救世主は背がかなり高い。その脇ではようやく我に返ったのかギルベルトが立ち上がる。ふらついたところを取り巻きが急いで支えに入った。

「この――ダールベルク家の子息はどこの馬の骨とも分からん冒険者と戦い、不様に叩きのめされたと? そんなこと……」

「そんなわけない!! 私が……私があんなものに負けるなど!」

 ギルベルトが大声を張り上げる。一呼吸間をおいて取り巻き立ちもそれに倣った。兵士たちは俺に興味を無くしたようでギルベルトをなだめたりと、治癒師を呼んだりと大わらわだ。

ローブの男が音もなく近づいてくる辺りを見回すと俺の腕を引いた。

「ここに長居すべきではないと思うが」

ここは救世主の助言に従うべきだろう。だが、その前に。

 騒ぎの中心となっている兵士たちを迂回してローブの女まで近づき手を差し伸べる。近くで見ると体躯の小ささが良く分かる。まだ子供じゃないのか?

「おい、あんた。ここから離れよう」

 女は言葉もなく椅子を引くと俺の腕を取る。

 俺たち三人は騒ぎから遠いカウンター近くの壁まで忍び足で向かった。

 

「はー……しっかし危なかったぜ。なあ、あんた。助かったよ」

「貴殿は随分と無茶をする男だな。さっきの騒ぎで我らはここの運営側から目を付けられたようだ」

俺の右で壁にもたれかかるローブからくつくつと笑い声が聞こえる。確かにこのローブ男の言う通りだ。メイドを見れば目を逸らされるし兵士はあからさまに敵意を向けてくる。

「だが、嫌いじゃない」

男は顔を横に向けた。視線の先では折れた剣を兵士の一人が片付けている。

「それにしても大した腕だ。それは刀か? 使い手は少ないと聞く。まして剣を切り落とすなど……その技はどこで?」

「……親父さ。とはいっても俺がまだ子供の頃に死んじまったが」

男は小さく「すまない」と告げた。気にしなくてもいいんだが。

空気を変えたくて俺は努めて明るい声を出した。

「聞かせてくれないか? 名前を。俺はケイタだ。ああ、君もさ」

 左にいる女にも話を向ける。こいつらの名前も知らなかった。

「吾輩の名はアニモだ」

「私は……名前はない」

 ローブの男――アニモと俺は顔を見合わせる。妙な事を言う。どういうことだ?

 女は抑揚をまったく変えず言葉を続けた。

「私は、目指している。ダンジョンの最深部を。あなたたちはどう?」

「ああ、俺もだ。当然だな」

 アニモが感嘆の声を上げた。俺と女の顔を見比べてくる。

「ほう、これはこれは。踏破を目指す冒険者二人と親交を持てるとは。吾輩にも運が巡ってきたかな」

「どういう意味だ? ここにいるのは皆……」

 ローブの男は黙って首を横に振った。顔は未だ喧騒の真っただ中にある冒険者たちの方へ向けられる。

「一日観察して分かったことだが、この者たちの大半はダンジョンの踏破など考えてもいないよ。お前もさっき会っただろう。金持ち貴族の道楽・適当な階層を踏破し名を売る・または素材や財宝を売買し生計を立てる……思惑は様々だ。そもそも、前人未到のダンジョンを踏破しようなど命を投げ捨てるようなもの。普通の者は考えもしない――よほどの理由がない限りはな」

 アニモはせき込むと、掌を上に向ける。手は緑の鱗で覆われていた。リザードマンだったのか!

 こいつはツキが回ってきた。リザードマンの戦士は頼りになる。

 そう、考えた時、背の高いリザードマンは何かを呟いた。

 時を置かず奴の掌の上に小さな炎が灯る。

「!? あんた魔術師だったのか! 驚いたな」

 魔術師は大陸全土を見渡しても珍しい存在だ。なんたって魔術の才覚を持ってる奴が極めて稀だからな。どこに行っても重宝されるため明日も知れない職業に就く奴なんてほとんどいない。リザードマンとなればさらに希少――どころじゃないな、竜人の魔術師なんて聞いたこともない。

 なら、なおさら気になる。なぜこいつはこの探索に乗り出したんだ?

「魔法を操るリザードマンは私を除いては殆どいないだろうな……そしてこのダンジョンの踏破を考えているとすればなおさらだ。お互い疑問はあるだろうが、ここはこの三人で組むのが合理的ではないか? 出資者側から目を付けられているが、成果さえ出せば我らを認めざるおえまい」

 炎を消すとアニモは右手を前に出した。

「これで、三人そろった」

 名無しの女もその上に手を重ねる。ドキリとするくらい細くて白い指。

 俺もその上に掌を重ねた。

「やってやろうぜ。目指すは……」

「第三階層」

 女が小さな、しかしはっきりとした声で告げた。

 紆余曲折あった。疑問も多くある。だが、必要な人数はそろった。

 目指すは第三階層。



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光の中へ(1)

 探索者に対する扱いについて

 

 諸君も知っての通り最近は第三階層への到達者が出ていない。ヴァロワ公はより多くの優秀な探索者を募るためライセンスを持たない冒険者にも探索の許可を与えている。

 とはいえ浮浪者同然の者共を支援するなどゴブリンを餌付けするようなものだ。

 そこで冒険者ごとに対応を分けること。

 

 一つ、貴族出身者には最高の礼をもって接するように。多くはこのダンジョン探索に出資されている家の方だ。彼らはいずれ帝国の中心となる。もしかすると、元老院議員になられるお方もいるかもしれん。

 そんな方々の覚えが良くば……後は書かずとも分かるな?

 間違っても怪我をさせるなよ? 首が飛ぶぞ。文字通りにな。

 

 一つ、冒険者ギルドから来た者たちへは出来るだけの支援を行え。どんな魔物が出るか、階層ごとの特徴はなにか。魔道具等の支援は第三階層到達者からとなっているが、見込みがあるなら支援しろ。どうせ数は余っているし少しくらい問題ない。彼らが探索の主力だ。

 

 一つ、無免許のクソ共は即刻ダンジョンに放り込め。支援は適当でいいぞ。今のところ未帰還率は百パーセントだが問題ない。

 死体が街に転がるかダンジョンに転がるかの違いしかないからな。

 

 ダンジョン探索登録所職員への書置き

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「ダンジョンに入りたい。パーティーは俺たち三人だ」

 背に荷物を背負いこむとカウンター向こうで忙しそうに動き回るメイドに呼びかける。すると一人がこちらへ体を向けた。俺にダンジョンの説明をした狐の獣人だ。

「かしこまりました。ではこちらにどうぞ」

「何か契約書等に記載の必要はないのか?」

 アニモの声。驚きが混じっている。確かにこういう時は何か書いたりするもんじゃないのか? 冒険者ギルドの裏請負だって契約書――内容はお察しだ――くらい書くぞ。

「いえ、あなた方は結構です。その……」

 歯切れが悪い。初対面とはずいぶん違うな。頭に生えた狐耳もへたり込んでいる。

「おい、そりゃどういう」

「僕から説明しようか? スラム育ちクン」

 横からいけ好かない顔が飛び出してきた。これでもかと口を吊り上げこちらを見下ろしている。

「彼らも多忙だからね。彼らが無用な雑務を行わないように少々助言をしてあげたのさ」

「多忙だろうな。牡牛の尻を拭く仕事まで増えるんだから」

 ギルベルトがカウンターを叩くとそばにあったグラスが床に落ち派手に音を立てた。すぐ近くに座っていたドワーフがそそくさと逃げていく。

「口をわきまえろよ下民!」

「そもそも、どうしてお前がそんなことを決められる?」

 ギルベルトの折ってやった鼻も今じゃ綺麗に元通りになってる。治癒師だな。大した待遇だ。

「ダールベルク家はこの事業にも多額の出資をしていてね。その次期当主である僕が“助言”をするのは当然だろう」

「あ、あの」

 震えを帯びた高い声。目をやると胸いっぱいにポーションや魔道具を抱えた小柄な使用人がいた。荷物で顔が良く見えない。

「こ、こちらに出立される探索者の方がいらっしゃると聞いて……もう出られてしまいましたか?」

 荷物の隙間からふんわりとした栗色の髪にクリクリと丸い牝鹿のような目が見える。

「……君は僕の話を聞いてなかったのか? え?」

 ギルベルトがいら立ちに任せて手を振り払うと使用人が床に吹き飛ばされる。魔道具が宙を舞い、したたか腰を打ち付けた使用人の周りに散らばった。

「ビビ!」

 血相を変えた獣人がビビと呼ばれた使用人へ駆け寄った。周りの兵士は顔を見合わせるばかりで足に根っこが生えたみたいに動かない。

「ギルベルト様、申し訳ありません。この子には私からきつく言っておきます。ですから……」

「この僕の指示が聞けないものに何を言い聞かせると? このような者を置いておくのは経費の無駄だな」

 冷たい声が響き渡る。ギルベルトはいら立ちを隠そうともせず床を踏み鳴らした。ビビが握った服の裾には深い皺。瞳に浮かぶのは恐怖。

 ああいう目を見ると俺の子供時代を思い出す。カビの生えたパン一切れのために地べたを這いずり回った。

 ……世の中っていうのはどこも変わらないもんだ。

「おうビビ! ようやくか。待ちくたびれたぞ」

「貴様か……」

 ギルベルトが鋭い眼光を飛ばしてくる。下に目をやると不安そうな面持ちが二つ。

 この世界はどうにも理不尽なことが幅を利かせやすい。

「いやなに、ちょっとばかし魔道具の前借をしようかと思ってな。こいつを見せたら喜んで持ってきてくれたぞ」

 刀を鞘から抜き刀身を見せた。ギルベルトの顔にいやらしい笑いがこびり付く。

 だが、全部が全部捨てたもんじゃない。

 少なくともこの二人を見捨てるほど俺の心は死んじゃいない。

「脅しか。君の考えそうなことだ。通常、ダンジョン探索に向かうものへ最低限の補給品を渡すが……」

 奴を睨み付けると、目尻の下がったいやらしい視線が返ってきた。少なくともあの二人に対する興味は薄れたようだ。

「使用人を脅すような輩には不要だろう。そのまま供与品無しで向かってもらう」

 黄色い目が俺に目配せしてくる。この魔術師にも状況は分かったらしい。

「ご子息殿との話もまとまったようだな。長話もなんだ、探検に向かうとしよう。貴殿、案内してもらえるか」

 アニモが話を向けるとそれまで呆気にとられていた狐耳がすぐさま立ち上がった。ビビは青い顔をして散らばった魔道具をかき集めている。

「……ついてきてください」

 カウンターから出てきた狐耳は無表情のまま歩みを進める。切れ長の目が一瞬こちらを向いたがすぐに前に戻った。歩き出そうとした時、後ろから追いかけるように嘲る声が飛んでくる。

「残念だよ。君達が惨たらしく殺される様を見られなくてね」

 また卵でもぶつけてやろうか? 俺が周囲を探そうとすると、それまで沈黙を守っていた名無しの女がギルベルトへ振り返る。

 一瞬の間。

「それは出来ない。私を殺すことは不可能」

「ハッ! 下層民には鏡を見る習慣がないのか? 君のような華奢な女など……」

「あなたに理由を話す必要はない」

 ピシャリと言い切り前へ歩き出した。慌てて狐耳も動き出す。後を追おうとしたが、その前にどうしても気になってギルベルトの顔を拝む。

 奴は罠にかかった魚みたいに口をパクパク動かしていた。

 こいつは傑作だ。

 俺が噴き出すと隣でアニモも続く。卵より良い一発をお見舞いできたようだった。



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光の中へ(2)

 登録所の奥にある扉を開けると長い廊下が続いていた。壁という壁一面に魔法陣が描かれている。「監視か」と呟くアニモの声には呆れと驚きが混じっているようだった。幅は二人並んで歩くのが精いっぱい。俺と狐耳、アニモと名無しの女の組で向こう側へ渡っていく。

「あの……ありがとうございます」

 狐耳がよれた細糸のような声を出した。この廊下じゃなきゃ聞き逃したかもしれない。初対面付けていた鉄面皮はどこへやら。なんともやりにくい。

「まあ、その。大変だな。あんたらも」

「ごめんなさい」

 唐突な謝罪の言葉。何故か分からず言葉に詰まる。俺の様子を見ていたコウが苦笑いを浮かべた。

「初めて会った時、随分と冷たい対応をしてしまいました。」

「ああ、まあ。ああいう風にやれって言われてるんじゃないのかい?」

 狐耳が無言で横に振られる。

「あえて、ああいう対応をしてるんです。情が移らないように。迷宮に挑まれる皆さんは殆どが、そのまま……」

 俺は、なんて返したらいいか分からず口を閉じる。殺風景な廊下に四人の靴音だけが木霊していった。

 いくら歩いても景色は変わらない。

 いい加減問いただそうとした時、狐耳が立ち止まった。

「ここです」

 廊下の壁を向くとそこには扉が。気づかなかった。この魔法陣は目くらましでもあるのか?

 狐耳が鍵を開け外の光が差し込む。

 そこは大きな広場のようになっていた。小型の闘技場のようだ。周りは頑丈そうな柵で覆われている。何人か野次馬がいるな。広場の真ん中には人の頭ほどの球体が光を放ちながら浮いていた。あいつがポータルか。

 突如、柵の一部に群衆が集まりだした。喚き声がこっちまで響いてくる。しばしそれを傍観していたアニモが地面に唾を吐きかけた。

「おいおい、いったいどうし……」

「反吐が出る! あの者共は我らがどう死ぬかで賭けをしているのだ!」

 ぎょっとして視線を凝らすと中心にいる男が何かの紙を持っているのが見えた。「一日!」だの「グールの牙!」だのと声が風に流されてくる。

「品のないファンファーレだ」

「……申し訳ありません。以前は挑戦者を鼓舞するような場だったのですが」

「あんたのせいじゃない」

 表情を暗くした狐耳に声を掛け……なんて顔だ! 葬式だってもっとマシな表情するぞ。アニモも掛ける言葉が見当たらないらしく足元の小石を蹴り飛ばしている。

 野次馬共の喧しい声が流されてくる度に場の空気が重くなっていくのが分かった。なんとも、きまりが悪い。

 暗い沈黙の中、幼さの残る声が光明のように俺達に降り注ぐ。

「お姉ちゃん!」

 ビビが開いた扉から小さな袋を胸に抱えこちらに走ってきた。そそっかしいのか転びそうになったところを狐耳に抱きかかえられている。こいつらは姉妹だったのか?

「あ、ありがと、おねえちゃん……あ、あの! 冒険者さん!」

 ビビは立ち上がると大声を出した。どうも相手は俺らしい。両手でこれでもかと服の裾を握りしめている。

「あ、ありがとうございました! 僕、あのままだったらどうなってたか……そ、そうだ!これを」

 彼女は震える手で胸に持った袋を俺に手渡してきた。ちらと中身を見たアニモが小さな歓声を上げる。

「知性の神メティスに誓って! 驚いた! これは輝魔石か! こっちには爆砕石もある」

「えへへ、貴重そうなものだけ詰め込んできたんです。多くは持ってこられなかったけど……あっ大丈夫ですよ。数なんて記録してないので皆さんが持って行ってもバレません」

 アニモは子供のように表情を輝かせ袋の中を漁っている。この贈り物はしばらく預けておこう。俺はくすぐったそうにはにかんでいるビビへ目を向けた。

「ありがとうな、ビビ」

「あの、どうして僕を助けてくれたんですか? 冒険者さんにとって何の得もないですし……」

 雌鹿の瞳に不安の色が浮かんだ。ふわりとした栗色の髪がしきりに撫で付けられている。

 どうして、か。

 柵の外では住人達が俺たちの死にざまで賭けをして、目の前の子供はもう少しで生きる糧を失うところだった。残念だが、この世界は俺達のような人間にとってどうしても生きにくい。

「俺は下層の生まれだ。学だってない。でもな、だからといって自分が正しいと思ったことを曲げたくなんかない。小さな子がいけ好かない野郎に足蹴にされるのを見過ごすなんてまっぴらだ」

「……それに、死んだ親父とお袋もあの状況なら同じことをしたと思うしな」

 驚きからか身体を固くしているビビの頭を撫でる。気になっていたことだがやはり彼女に耳はない――この二人の関係も訳ありらしいな。アニモが夢中になって袋を物色する横で名無しの女もそれを覗き込んでいた。

「私からもお礼を。この子を助けてくださってありがとうございました。ただ、申し訳ありません。何も、お返しできるものが無くて……」

 深々と頭を下げる狐耳。なんとも居心地が悪い。なんと声を掛けたらいいか頭を悩ませているとあることに気づいた。そうだ、俺はこいつの名前も知らない。

「あんたの名前を教えてくれないか? 俺はケイタ」

「コウと申します」

「おお、失敬! 夢中になっていた。アニモだ。貴重な資源痛み入る」

「これは貴重なのね。感謝」

 始まりでもあり別れでもある挨拶を終えるとアニモはちらと扉に目をやりポータルへと近づいていった。

 兵士か……。監視に来やがったな。

 別れを惜しむ時間はないか。二人に手を振ろうと腕を上げたところ今日一番の悲壮な顔が目に入ってくる。ため息交じりの笑いが出てきた。どうも俺達はもう死んだものと思われているらしい。

「礼をしたいと言っていたな。一つ頼まれてくれないか?」

「は、はい! 私達に出来ることなら何なりと! 何か残したい言葉や……」

 黙ったまま首を横に振る。姉は不安と絶望が混じった瞳。妹は恐怖の中に希望の光が見て取れた。

「とびっきりの御馳走を用意しといてくれ。期待してる」

「任せてください! 僕もお姉ちゃんも料理は得意なんです」

 喜ぶビビが千切れそうなほど腕を振る横でコウはぽかんと口を開けている。彼女たちを残し俺もポータルへと近づいた。既にアニモが光る球体に手を当てている。

「帰ったらとびっきりの御馳走だ。腹が裂けるまで食べられるぞ」

 アニモが元々デカい口をさらに大きく広げ笑った。なかなか迫力がある。金持ちの家の壁にも飾れそうだ。

「腹を減らしてから帰還すべきだろうな。ポータルを起動した。もうすぐダンジョンだ」

 自然と刀に手が伸びた。

 難攻不落の迷宮へ足を踏み入れる時。

 じりじりと炙られるように緊張が広がっていく。名無しの女は変わらずだ。いつも通り。大した肝の太さだと感心する。

 苦笑いして俺が視線を外そうとした時だった。

 それまで、微動だにしなかった女がおもむろにフードを取った。

 まず目に入ったのがさらさらと揺れる長い銀髪。その下には宝石をはめ込んだかのように美しい灼眼が光る。肌の色は病的なまでに白かった。想像通りの無表情。突如取られたフードに驚きを現さないように努めつつ女に話を向ける。

「あんた肝が据わってるな。殺されることはないと啖呵を切るだけはある」

 女は何も言わずその赤い目をこちらに向けた。何を思ったのか俺の手腕を掴む。鳥肌が立つほど冷たい手だ。そしてあいつはそのまま。

 俺の手を自分の胸に押し付けた。

「は? お、お前何やって……!」

 薄いローブ越しにも伝わる柔らかな感覚。

 ドキリと心臓が高鳴った。

 混乱。悟られないよう呼吸を抑える。何考えてるんだこいつは? まずは、手を離して。

 ――ちょっとまて。妙だな。さっきから胸の鼓動が伝わってこない。まるで……

「私は殺されない。だって」

 ポータルから光の膜のようなものが生まれた。そいつはゆっくりとシャボン玉みたいに膨らんでいく。既にアニモの姿は見えない。

「もう、死んでるから」

 絞り出そうとした驚きの声は光の奔流にかき消されていった。



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第一階層(1)

 剣

 もっとも一般的な武具。帝国内で最も流通しているだろう。それだけに粗悪品も多い。

 聖剣・魔剣などと、うたい文句を付けたナマクラが裏路地にしょっちゅう捨てられている。そういった思いをしたくなければ正規の武具店で購入するといい。商工ギルドの看板が掲げられていればある程度の品質は担保される。

 

 槍

 堅実なつくりの武具。兵士達に配布されるのはもっぱらこれだ。訓練が無くとも長いリーチである程度戦える。冒険者にはそこそこ人気のようだ。武具店でも剣の脇にひっそりと置かれている。

 

 杖

 主に魔術師が使う。魔力の集中を助ける機能がある、らしい。基本的には木の棒に純度の高い魔力石をはめ込んだものだ。詳しい記述は魔術関連の書物に譲る。

 

 刀

 古い武具の一種、らしい。一度だけ見たことがあるがあんな細い刀身で何が出来るんだ? 料理器具にでもするのが正解だろう。帝国内での流通はほぼない。

 

 武器雑学よりの一説

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 周囲に溢れていた光が薄まっていく。残されたのは音もない暗闇。

「待っていろ。明かりを灯す」

 アニモが何かぶつぶつ呟くとすぐ近くで光が灯った。すると、徐々に光源が近づいてくる。五歩ほどの位置まで来て、ようやく緑色の鱗が分かるようになった。

「……貴殿らは何をしているんだ?」

 今の状況が頭に浮かんでくる。

 目の前には薄布のローブを羽織っただけの少女。その胸に手を伸ばす俺。

 控えめに言ってよろしくない。すぐに手を引っ込める。

「いや、まて。これはだな……その」

 何から説明したもんか。アニモの方は腕組みをして呆れと憐憫を足して二で割ったような表情をしてやがる……まてよ。

 そもそも、だ。この状況を作ったのはこの銀髪だったよな。

「お、おい! あんたから話してくれ。話がややこしくなる」

 俺が話を振ると迎えたのは無表情。

 しばしの間をおいてあいつは口を開いた。

「彼から質問があった。それに答えるため胸に触れさせた」

 話が下手か? イヤ、間違ってはいない。いないのだが最悪の方向に外している。

 アニモの視線が何より辛い。その憐れむような目は一番心に来る。

「いや、待て。こいつの話は違ってはいないんだがな、その」

「ケイタ、このようなことは言いたく――」

 ――鼻をつく異臭

アニモの声を遮るように手を上げた。訝し気な黄色い目。俺が刀に手をかけたのを見るとすぐに表情を真剣なものへと変える。

「魔物か?」

 自然と背中合わせになるよう向きを変える。実践慣れしてるな。

「この臭い……恐らくグールだろう」

 グール特有の死臭が辺りに漂っている。やがて銀髪も俺たちに倣い背中合わせになった。

 こいつ得物はないのか?

「まさかあんたも魔術師か? 武器は?」

「持っていない」

 細い光で確かではないがその表情はこの状況においてさえ変わっていないように思えた。

 地上での言葉が頭をよぎる。

 死体? そんなことあるのか?

 だが、確かめる余裕はない。

 近くを這いまわる音。耳障りな息遣い。かなり近づいてきた。

 アニモが小さく呪文を呟いた。後ろを見ればその手に魔方陣が浮かんでいる。

「目を覆え。光で奴らの目を潰してやる」

 目をつぶって片手で瞼を覆った。聞き覚えのない呪文を叫ぶアニモの声が聞こえる。

 あの銀髪は大丈夫か? そんな疑問が浮かんで間もなく。

 ――閃光

 目を覆ってもなお眩しい。光の暴風が吹き荒れる。その後、徐々に眩しさが消えていく。

 もう、手を外しても眩しさはない。

「もう大丈夫だぞ」

 アニモの声に従い。瞼を開く。辺りには光の粒のようなモノがまき散らされ昼のように明るい。このダンジョンは天井の低い洞窟のようだ。

 俺達から二十歩ほどの距離。

 いた。醜い灰色の肌に赤黒い目。不揃いの牙から涎が糸を引いている。

 グールだ。大きさは大人の半分ほど。数は三匹。分かった瞬間、体が動き出していた。

 脚に力を込める。突進。五歩で間合いに入った。醜悪な目がこちらを向き、一瞬目があう。

 一息に抜刀。

 細い棒を切ったような手ごたえ。

 灰色の頭が宙に舞った。遅れて血飛沫。

 後二匹。

 その隣にいるグールを睨み付ける。怯えた表情。もう、視力が戻ったか?

 間髪入れずに肩口から袈裟懸けに振り下ろす。

「ギッ……!」

 グールの叫びが最後まで続くことはなかった。痩せこけた体が真っ二つになり血だまりに横たわる。

 もう一匹はどこだ?

 周囲に気配はない。どこだ。後ろか?

 振り返るとそこには……なんだこれは?

 目に入ったのは壁際で尻もちをついたグール。その前に立つ銀髪。後ろで唖然と口を開けるアニモ。

 銀髪はグールへ近づくとその額に掌を当てた。グールの顔が歪む。あれは、恐れているのか。

 異様な、異常な光景だ。魔物がこんなに小さな少女を恐れるなど。

「そう、怖いの? でも、心配しなくていい」

 銀髪が発したのはまるで幼子をあやすような声。今までとは違う。爛々と光る灼眼がこの光景の異様さを際立たせる。

「な、なんと……」

 アニモのかすれ声。黄色の両眼が驚きで見開かれていた。

「嘘だろ……?」

 グールをよく観察すると明らかに小さくなっていた。

元々ろくな肉がついてる魔物じゃないが、今俺が見ているグールは骨に皮が張り付いているような状態だ。哀れになるほど頬がこけている。腕は小枝ほどの太さしか残っていない。

 少しの間をおいて赤黒い瞳から光が失われた。

 銀髪が腕を下ろした。なんだか、髪の艶が増しているような……。

「止まれ。聞かねばならんことがある」

 今までにない厳しい声が打ち付けられた。アニモだ…………っておいおい!

既に両手に魔方陣が浮かびその上で業火が踊っている!

「まてまて! なんだってんだ」

アニモの元へ駆ける。

頭を巡らせた。

まずはこのリザードマンを落ち着かせないと。

「知れたこと。こやつは死霊使いだ。生かしておけん」

 銀髪は慌てるそぶりもなくゆっくりとこちらを向いた。その大きな灼眼の目尻が緩やかに下がっている。

 ゾッとするほど冷たい微笑。

 張り詰めた空気の中、俺は灼眼を光らせる少女の次の言葉を待つしかなかった。



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第一階層(2)

 魔物

 人間・エルフ・ドワーフ・リザードマン・獣人に属さずこれらの種族に害をなす生き物の総称。

 基本的にはダンジョンや街道から外れた荒れ地に巣を作っているが一部、街へ出没する場合もある。

 ゴブリン・グール等の下等なものからハーピー等の危険な生き物まで種類は様々。

 魔物を殺した後には魔石という魔力を帯びた貴重な石が手に入る。

 

                                  帝国百科辞典

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「私は死霊使いじゃない」

 銀髪はしゃがみ込んで干からびたグールの肩口を人差し指で小突いている。触れた場所は砂のように崩れ細い腕がボタリと地面に落ちた。

「シラを切るな! 生命力を奪う死の魔術は禁忌だ! それを貴様は今使ったではないか!」

「なあ、魔術師さん? ちょっといいか?」

 烈火のような勢いで言葉を並べるリザードマンの肩に手を置く。口調の勢いそのままにこっちを睨みつけてきた。顔がおっかねえ。

「あー、俺もその死霊使い? に詳しいわけじゃないんだが……死霊使いってのは自分も死んでるのか?」

 水滴の落ちる音がやけに響いた。黄色い目が不規則に揺れている。

「は? いや、そんなことは、聞いたことないが……」

「それならこいつは死霊使いっていうのじゃないだろう。うん」

「動いてないからな、心臓。俺がさっき確かめた」

 小さなうめき声。ついでアニモの凹凸のある顔に様々な表情が浮かんでは消えていった。しばし自身の燃え盛る手と未だ死体をつついている銀髪を数度見比べる。やがてため息とともに手の炎は消えた。

「確かめさせてもらおう」

 アニモは銀髪の隣にしゃがむと首元へ手を伸ばした。脈をとってるのか。女の方は気にするでもなく死体遊びを続けている。もうグールの方は元が何だったのか分からないくらいボロボロだ。

「馬鹿な」という小さな悲鳴。

 次いで何かをつぶやく声。

 呟き? 嫌な予感。緑色の手には魔法陣が浮かんでる!

「まて! アニモ!」

 アニモの手を鷲掴みにすると怪訝な面持ちが出迎えてきた。その手には柔らかな白い光が浮かんでいる。

「あー、その。これは?」

「これは初歩的な探知魔法だ。生命体を感知できる。例えば、ほら」

 光がこちらに向けられる。すると手の中の光は赤色へ変わっていった。

「こんなふうに生命には赤色を示す。そうでないものには……」

 グールの残骸へ光を向けると色は白へと変わった。死んでる奴には反応しないみたいだ。

 光はゆっくりと銀髪へ向けられる。

 一呼吸待ってもその色に変化は訪れない。

「これは……一体どういうことだ」

 頭を抱える魔術師の傍ら銀髪が立ち上がった。ダンジョンの奥をまっすぐ指さしている。

「まずは進んだ方がいい。歩きながら話す」

 そう言うなりスタスタと先へ行ってしまう。俺は未だ頭を抱える緑色の肩を抱いて歩き出した。

 もちろん魔物の死体から魔石を頂くのは忘れなかったが。

 少し奥へ進むと急激に暗くなった。どうもさっきの魔法は効果の範囲が狭いらしい。

 前にいるはずの銀髪の姿が暗闇に沈んでいく。

「待て! 全く見えん……おい、アニモ」

 肩を揺さぶるとようやくアニモが頭から手を離した。何かを取り出すような音。ぼんやり光る石が暗闇にふんわりと浮かぶ。あれは、ビビがくれた魔道具か?

「輝魔石よ、我らを照らせ」

 小さな呟きの後、石は俺たちの頭上へと浮上していき煌々と輝きだした。

 こりゃ凄い。まるで小さな太陽だ。

 女は案外近くにいた。俺たちの様子にちょこんと首を傾げ手招きしてくる。俺が隣へ歩を進めると歩幅を合わせ彼女も歩き始める。

「で、聞かせてくれ。あんた何者なんだ? もったいぶるなよ。ここの魔術師の頭が割れちまう」

「私は元々死霊使いの……召喚物だった」

 光が照らした高さは小さな家の天井くらいで横は三人が手を広げても悠々通れるくらいあった。さっきグールに襲われた広間のような場所からは一本道。迷いはしないが逃げ道もない。

「召喚物? そりゃいったい……」

「傀儡だ。死霊使いは死体を自身の駒として使役する。人形遊びだよ」

 吐き捨てるようにアニモが答える。死霊使いってのはこの魔術師にかなり嫌われているらしい。それまで順調に歩いていた女が急に立ち止まった。

 顔だけをこちらに回す。険しい表情。細い銀の眉が眉間に寄せられていた。

「人形と呼ばれるのは嫌い。訂正してほしい」

 驚きだ。コイツが感情を見せるとは。初めてじゃないか? 隣を向けば俺と同じ気持ちであろう表情が浮かんでいる。

「いや……そうだな。すまなかった。謝罪する」

 険しい表情をそのままに銀髪は前を向いた。アニモはずぶ濡れになったネズミみたいに参っているようだった。閉塞感のある洞窟ってことを抜かしても空気が重い。

「名前が無いって言ってたのはそういうことだったのか」

「そう。私を召喚した者は名をくれなかった」

 微量。ほんの少しだが、あいつの声に残念そうな色が混じる。

「ん? まて、それじゃあんたは……その、操られてるのか? 死霊使いに?」

「違う。私がここにいるのは自分の意志。私の召還主は――死んだ」

「ありえん! そんなこと……! あっいや」

 突然の大声に今度は俺と銀髪が顔を見合わせる。アニモは「最後まで話を聞こう」と言うなり黙り込んだ。口は真一文字に結ばれている。女が話し終えるまで開くつもりはないらしい。

「召還主は意識が与えられたばかりの私に生活のための言葉や物の使い方を教えてくれた。毎日、毎日。この力も教わったもの」

 大きくカーブする道を進む。聞こえるのは女の声と足音、そして時折水滴が垂れる音だけ。

「召還主は……病気、だったと思う。多くの時間を寝床で過ごしていた」

 大きなカーブを抜けるとまた直線。代り映えのしない通路に感覚がマヒしてくる。時折耳を澄ましてみるが何の音も聞こえない。

「私は、あの人が死ぬ前に床へ呼ばれた。そして、何かの魔法をかけられた……何だったかは分からない。でも、魔法を唱えてその人は死んだ」

 岩だらけの壁に屈折した俺たち三人の影が歪む。少し先に開けた場所が見えた。また広間のような場所があるらしい。

「だが、どうして貴様……いや、貴殿はこのダンジョンへ? そもそも許可証が無ければ入れないはず」

「あの人が私に残した物の中に入っていた。私も目的があってこれに参加している」

「なんなんだ? その目的って」

 広間に出た。さっきの襲撃の例もある。壁際を進むよう二人に合図。低級の魔物といえど背後は取られたくない。

 丁度広間の真ん中付近で女の足が止まる。あいつはその大きな目で俺をひたと見据えた。

 灼眼の中央、自分の姿が映る。

 その目はこの暗闇にあってかがり火のような煌めきを放っていた。

「私は、命が欲しい」

 力強い言葉。気圧されるような威厳を纏っている。

「生きてみたい。胸の高鳴りを。燃えるような熱い血潮を感じてみたい」

「だから、目指す。最下層を。願いを叶える秘宝を」

 しばらく言葉が継げなかった。そんな目的想像もしてなかった。

 命が欲しいといったってコイツはもう自分の意志で動いていて……あ、でも心臓は止まってるか? しかし…………

 俺が思案にふけろうとした――その時。

「ケイタ! 上だ!」

 悲鳴に近い叫び。

 上? 首を向ける。

 目に入ったのは逆さまの醜悪な笑み。

 ゴブリン。不覚。天上を這っている。

 こちらに向けるのは湾曲した大爪。

 ……違う。向けているのは俺じゃなく。

 

 女の方だ。

 

 刀を……ダメだ! 間に合わない!

 緑の怪物はその凶器をまっすぐに向け一直線に銀髪へ落ちていく――



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第一階層(3)

 一直線に迫る大爪。

 咄嗟に体が動いていた。

「ぐっ……!」

 右腕に感じたのは焼けるような熱さ。ついで痛み。鮮血がこっちまで飛んでくる。

 突き飛ばした銀髪は無事だ。

 左手で刀を握る。

 だが、抜き終える前にゴブリンは壁に張り付き天井へ逃れていった。四匹も天井に張り付いてやがる。忌々しい!

 ひとまず片膝をついた。態勢を整えないと……。

「あなた、どうして……」

 銀髪は飛び起きると駆け寄ってくる。右腕にしがみついてきた。傷口を止血しようとしているのか? しかし、まずは上の対処が先だ。

 俺が天井の敵に対処する方法を思案していると目の前にはボロボロのローブが踊った。

「傷口が開く、無理に動くな。貴殿、ケイタを頼む」

 アニモが呪文の詠唱を始めると体を中心として地面に六芒星の魔法陣が現れた。

 青白い光があふれる。今までにない理力の集結。

 こちらから距離を取って様子を伺っていたゴブリン共もそれを感じ取ったようだ。猛烈な勢いで向かってくる。

「もう遅い」

 剣呑さを孕んだ響きと共にアニモが両手を上に向けた。

 掌の先から紅蓮の炎が立ち上り天井を舐めるように広がっていく。

 すげえ力だ。魔法は上に向けられてるのに下にいるこっちまで熱風がくる。

 炎に埋め尽くされてあっという間にゴブリン共の姿は見えなくなった。時間を置いて火だるまになった魔物が次々と落ちてくる。奴らが地面と衝突するたびに不快な音が耳に届いた。

 辺りには生き物の肉が焼ける臭い。体から力が抜ける。

「……驚きだよ。あんた何者だ? 俺も冒険者になって短くないがあれほどの魔法を使う魔術師は初めて見た」

 世辞じゃない。本当の事だった。

 元々魔術師自体が貴重な存在だ。だが、能力はピンキリ。俺が前に仕事で組んだ魔術師なんか偉そうな口を利いたが松明に毛が生えたような種火しか出せなかったぞ。

「すこし、やすもう」

 こちらを振り向いたアニモは息も絶え絶えにその場に座り込んだ。あれほどの術だ。体力の消耗も大きいのか。

 駆け寄ろうとしたが、動けなかった。原因へ顔を向ければ銀髪が右手にしがみついている。

「なあ、もう大丈夫だ。荷物に消毒と止血用の薬草があるからそれを……」

 背嚢に手を伸ばそうとするが小さな手に叩かれた。

「動かないで」

 表情は真剣だ。鼓動と共に血が噴き出す俺の腕を強く握りしめている。やがてあいつの目がうっすらと光を帯びた。

 赤い光。暗闇を照らす灯のような。

 傷口からじくじくとした痛みが消え、燃えるような熱さが広がる。

 ヒュッと息をのむ音が聞こえる。アニモだろう。だが無理もない。俺も目の前の“奇跡”に口をあんぐりと開けることしかできなかった。

 傷口がゆっくりとふさがっていく。

 小さな手からは淡い光。これは、治癒魔法?

「おまえ……」

 言いかけて言葉を止めた。どう見ても声は届いていない。

 蝋燭が半分燃えるくらいの時間がたって傷口が完全にふさがると、大きく息をついた銀髪は糸の切れた人形のようにガックリとこちらへ倒れ込んできた。

「大丈夫か!?」

 倒れないよう腕を回す。心配になるほど軽い。話す力も残って無いのか俺の問いに答えは返ってこなかった。

 足音に首を回すとアニモが小さな小瓶を手に持ち難しい顔をしていた。ややふらついているが、多少体力は戻ったらしい。

「それは?」

「マナの回復薬だ。貴殿」

 銀髪が僅かに首を上げる。

「はたして死人に効くかどうか……一口飲んでみるといい」

 あいつは震える細い腕を伸ばした。危なっかしくて見てられん。代わりに手を伸ばして小瓶を掴む。

「ほら、口を開けろ」

 開いた口に青い液体を僅かに垂らす。

 腕に衝撃。

 電流が走ったように飛び起きた銀髪は俺の手から小瓶をひったくると声を掛ける間もなく全て飲み干してしまった。

「おいしかった」

 端正な顔に微笑みが花咲いていた。とても可憐に見えなくもない。

 最も顔に俺の血がべったりと付いていなければの話だが。顎先から赤い液体が滴っているため血を飲み干したかのように見える。

「……正式に謝罪せねばな。貴殿は悪しき死霊使いなどではない。すまなかった」

 アニモが恭しく首を垂れる。どこぞの貴族みたいに様になっていた。もしかして結構いい所の生まれなのか?

 一方銀髪の方はとっくに飲み干した魔法薬の空き瓶を口の上で逆さまにして振っている。

「もう気にしていない」

 口が開いているせいでなんとも表情が読みにくいが本当に気にしていないようだ。

 一度体勢を整えた俺たちは再び前進を始めた。どうもこの階層は広間と通路で一本道になっているらしい。あれから何度か広間を通ったが、必ず魔物共が出てきやがった。

 ただ、この階層は小型ばかりだ。不意を突かれなければほぼ苦戦することはない。

「おい、あれを見ろ」

 何度目かもわからない広間に到着すると先に道はなかった。変わりに大きな空洞が口を開けそこから下へ階段が続いている。もう半日は歩いたか? 太陽が無くイマイチ時間の感覚がつかめないが。

「幸先良いな。これで第一階層は突破ってことか」

「油断すべきじゃない。魔物が……」

 周囲に目を走らせる。当然、天井にも。だが、動く影はない。

「用心に越したことはない。だがいったんここで休息を取るべきだろう」

 アニモの提案には俺も銀髪もすぐに頷いた。正直いろいろあってクタクタだ。三人とも担いでいた荷物を下ろす。口にこそしないがワクワクしているのは手に取るようにわかった。

 露営の準備などやることは多いが初めにやることは決まっている。

 こういった探索での数少ない“娯楽”お楽しみの食事といこう。



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第一階層(4)

 ダンジョンの探索においてまず念頭に置くべきは武器でも魔法でも薬でもない。

 食料と水である。

 冒険者を志す魔術師の多く(数は少ないが)が水魔法を習得していることからも、その重要さが伺える。

 とはいえ探索にトラブルはつきもの。水と食料の現地調達も当然視野に入れるべきだ。天井から垂れてくる雨水、岩等に群生する植物、幸運の女神フォルトゥーナが微笑んでくれれば湧き水を見つけられる場合さえある。ただしこういった場所には魔物も集まってきやすいため注意が必要だ。

 ああ、食料についてだが実はあまり心配いらない。

 ダンジョンにはチューチュー鳴く四本足の御馳走がそこら中にいるからね。

 『探索のススメ』R・ローズ著

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 おろした荷物から野営の準備。座り込んで中身を出す。

 水筒、乾パン、干し肉、チーズ、ビスケット。なけなしの金をはたいて手に入れた食料だ。お世辞にも豪勢とは言えないがな。

 乾パンに着いたごみを払った時、ふと店主と値段でずいぶんやり合ったのを思い出した。最近パンの値が随分と上がってたな……。

「おお、重畳重畳。旨そうだ」

 アニモが満足そうに喉を鳴らした。リザードマンは見るからに顎が丈夫そうだしな。俺としては新鮮な肉がいいんだが。

 後は古木と火炎石を用意すればいい。火を起こして、と考えていると肩に水滴が落ちてきた。なんだ?

「うおぉ!」

 水滴の元を追っていくとそこには銀髪の顔。生肉を前にしたワーウルフみたいな表情をしている。ちょっとまて、さっき垂れてきたのは涎かこれ?

「おいしそう」

「いや……食べる、というか食べられるのか?」

 アニモが俺の心の声をそのまま代弁してくれた。こいつ食えるのか? そもそも食う必要あるのか?

「食べ方は教わっている。問題ない」

 そういう問題じゃないんだが……期待に満ち溢れた瞳を見るとなんとも聞きずらい。

「そ、そうか」

 リザードマンも同じ気持ちだったみたいだ。まあ、唯一の楽しみは奪えんな。食料での分配で自滅するパーティーも多いと本にあった。ここは平等に分けるべきだろう。

 それよりさっきからこの辺りには旨そうな影が見え隠れしている。まずはそいつを捕まえよう。

「おい、あそこが見えるか?」

 俺が指さした先に銀髪が目を向ける。灼眼が右へ左へと揺れ、一点をとらえた。

「見つけたな? あれが旨いんだ。ちょっとばかし小骨はあるが火であぶってやると肉汁が口に溢れてくる」

 キラキラと瞳が輝いている。狙いをつけた猫みたいだ。

「よし、いけ! 取ってきたらお前に腹の旨い部分をやる」

 駆け出す所も猫みたいだった。姿勢を低くして広場の隅に突進していく。

 ふと、隣を見るとアニモが何とも言えないような顔でこちらを見つめている。

「ふーむ、これは」

 リザードマンが渋い顔をしていた。なんだ? ちゃんとこいつの分の鼠もいるのに。

 しばしの後、口角を吊り上げる。洞窟内にアニモの笑い声が響き渡った。

「アッハッハッハッハ! ケイタ! これは一本取られたぞ! ケッサクだ。ハハハハハ」

 膝をたたいて大笑いしている。どうしたんだ? 冗談なんて言ってないんだが。

「いや、しかし。四本足の御馳走とは! あんなもの食べられるはずなかろう!」

「え?」

 何言ってんだ? 贅沢品だぞ? 俺の疑問の声がダンジョンの空間に残される。

「え?」

 まったく同じ響きがアニモの口から流れ落ちていく。魂が抜けたような顔してやがるな。

 沈黙の時間が流れる。どちらからも声を発しない。

 なにか、とんでもない行き違いがある気がする。

 沈黙を破ったのは甲高い怒鳴り声だった。

「ヒャーッハッハハハ! おいテメエら! 動くなぁ!」

 声の方向に首を回す。

 銀髪と見たことのない男がいた。男は銀髪の後ろから首に半円状のナイフを押し付けている。銀髪の様子は……キョロキョロとせわしなく瞳を動かしてた。ありゃ四本足の飯を探してるな。

 緊張感は見受けられない。ナイフじゃ死にそうにない(もう死んでるし)もんな。

 細い指先は男の腕にしっかりと巻き付いていた。先の干からびたグールが脳裏に浮かぶ。

 かわいそうに。あの男は御愁傷様だ。アニモもそれを目にしたのだろう。すっかり男から興味をなくし俺に怯えた視線を向けている。

「ケイタ、吾輩の聞き間違えか? あのように四本足で走り回る不浄な生き物を食べるなど正気の沙汰ではない」

 俺も男の方へは背を向けてアニモに向きなおる。

「アニモ。初めはみんなそう言うんだ。だがな――」

「テメエら状況が分かってねえようだな……!」

 猛烈な怒気。男はぎらついた眼でこちらを睨みつけていた。男はナイフを持ちながら器用に懐へ手を突っ込む。引っ張り出した手には数珠のようにつながれた頭蓋骨。様々な種類がある。

「こいつが何か分かるか?」

「あー、家を飾るのにはちょっと使えそうにないな」

 男は苛立ちを抑えきれないように右足を踏み鳴らした。大きな傷の入った顔に皺が寄る。

「こいつはお前らみたいな冒険者と魔物の成れの果てだよ! え? これからお前らもこうなるんだ」

 銀髪の目が妖しく光りだした。グールを”吸い取った”時と同じだ。

「あー、その。なんだ女は離したほうがいいと思うぞ」

 俺の言葉を聞いて男は狂ったように笑い始めた。甲高い哄笑が無機質な壁に跳ね返る。

「おいおいおい! 今になってビビっても遅いぜ剣士サマよう!」

 お前のために言ってるんだが……。何を勘違いしたのか機嫌をよくした男は銀髪の腕にナイフを押し当て滑らせた。

「このカワイ子ちゃんからこんなに綺麗な血が……え?」

 ナイフを見た男の表情が固まる。刃先はまっさらなまま。血の一滴もついていない。

 続いてナイフがぱたりと地面に落ち、男の体も崩れ落ちた。生命力を吸い取り終わったらしい。

「お、おまえ……何者…………?」

 息も絶え絶えで顔は土気色。どう見ても長くない。

 男に近づき刀を首元に突きつける。こいつが死ぬ前に聞いておかなきゃならないことがある。

「誰に雇われた? ギルベルトか?」

 返事はない。男の弱い呼吸音だけが残された。

 装備に目を向けると精巧な鎖帷子に二振りのナイフ。足を守る上等な防護靴までしてやがる。肩から腰にかけられたベルトには様々な色の小瓶がつけられていた。

 この高価な装備はどう見ても普通の冒険者じゃない。

 だが、男が何かを答えることはなかった。大きく体を震わせた後、まったく動かなくなる。

「夕飯を探してくる」

 銀髪は既に興味を無くしたようで広場の奥へと足を向けた。アニモが進み出て男の荷物を物色し始める。

「紫の小瓶は毒だな。緑は回復薬……ここは魔物が出なかったがこやつが片付けたのだろう。装備も上等なものだ。ただの野盗ではない」

 大きく頷く。とりあえず使えそうなものを頂くとするか。

 鎖帷子・防護靴・ナイフ二振り・魔法薬が少々・なにかの紋章。こんなところか。

「こいつの正体は地上で調べてやろう。アニモ、この紋章見たことあるか?」

 鎖帷子の内側に縫い込んであった布を広げる。そこには赤い龍と禍々しいオーブが描かれていた。

「吾輩も覚えがない。貴殿の言うように地上で調査するのが賢明だ」

 予期せぬ侵入者はあったがこれで解決。ようやく飯にできる。俺も銀髪を手伝うべく広間の隅に向かっていった。



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第一階層(5)

「おっもうそんなに捕ったのか」

 俺が狩場に着くとホクホク顔の銀髪が出迎えてくれた。両腕で胸に何匹もの鼠を抱えている。獲物に動く気配はない。

「あの力。魔法? を使ったら簡単に捕れた」

 得意気に胸を張ると鼠が一匹床に落ちる。

「まずはそいつらを頂くとしようか」

 落ちた一匹を拾い上げると銀髪がぴょこぴょこ小走りで隣までやってきた。

「早く。早く」

「焦んなさんな。まずは処理だ」

 待ちきれない様子の銀髪を押しとどめ岩陰へ。早速ナイフが役立つとはな。皮を剥いで血を抜こうとしたが、殆ど血は残っていないようだった。あいつの力の影響だろうか? なんにせよ好都合だ。

 暫くして処理が終わると急かすように腕を引っ張られた。こいつもなかなか食い意地が張ってるな。俺は肉隗になった元鼠たちを引っ提げ、銀髪に引っ張られるようにアニモの元へ戻った。

 

 野営地では既に火が起こされていた。古木が並べられパチパチと音を立てている。こちらを振り向いたアニモが顔をしかめる。なんて面だ! ドブの水を飲みほしたってこうはならんぞ。

「信じがたい蛮行だ」

「そう言うなって! ほら見ろ! これなら元が鼠なんて分からないだろ」

 俺が御馳走の元をぶら下げると体を後ろに反らしやがった。

 まあいいさ。一度口にすれば分かるってもんだ。

 荷物から鉄串を取り出すと肉へ突き刺していく。横で見ていた銀髪も手伝ってくれた。二人でやるとあっという間に完成だ。

 火に照らされてぬらりと光るピンク色。二本をもって火にかざす。炎の揺らめきが肉を覆った。

「本気で食べる気か……?」

 緑の鱗に戦慄の表情がありありと浮かぶ。なんだよ、もっと醜悪な見た目のグールやゴブリン共を相手にしてもそんな顔してなかっただろうが。

 肉を火の上で回していくと、こんがりと焼けた色へ変わってきた。食欲を誘う香り。串の先にたまった肉汁が落ちる度に火が喜ぶように勢いを強くする。

 ポタリ、と何かが膝に落ちる。ん? これは前にもあったような……。

「……涎を垂らすのはやめとけよ」

「これは良くないこと? 勉強になった。気を付ける」

 俺のすぐ真横まで来ていた銀髪が涎をすすり上げた。その間も大きな灼眼が肉を捉えて離さない。そろそろ焼け具合もいいころだ。一本を火から離し塩をまぶす。

「ほら、もう食べられるぞ」

「いいの?」

「ああ、友情の印だ」

 感嘆の表情で肉にかぶりついていく銀髪。そんなに喜ばれるとこっちも嬉しくなる。

 それからもう一本にも塩をまぶして香草も付けてやる。胡椒も欲しかったが値が張るんだよな。

「ほら、焼けたぞ」

 アニモのこの世の終わりのような表情が火に照らされる。

「ケイタ、あのな」

「アニモ聞いてくれ」

 真剣な表情を作る。ここからは冗談じゃない。

「お前が登録所で俺を庇ってくれなかったらどうなっていたか分からない。お前には恩がある。だからこいつはお返しと……」

「お返しと?」

「友情の印ってやつだ」

 にっこり笑って串を手渡す。経験上人は笑顔で何かされると断りづらい。別に悪いことをしてるわけじゃないしな。

「……貴殿の心意気承知した。だから、まずは一口! 一口だ。まずはそれだけ頂こう」

 そういうと緑の瞼がぎゅと閉じられる。崖から飛び降りる前みたいだな……。

 手に持たれた肉はゆっくり、ゆっくりと大きな口に近づいていった。

 

 ◇◆◇◆

 

「このなめらかな舌ざわり、ついで噛むとほぐれていく柔らかな触感。上質な脂の旨味に薬味の香りも加わって実に美味だ……なんだ? その目は。何か言いたいことが?」

 あの竜人の魔術師は随分と鼠のディナーがお気に召したようだ。一口食べてからとんでもない勢いで食い尽くしやがった。自分が初め何を口走っていたかという記憶は都合よくなくなってるらしい。

「美味しかった」

 満腹になったのか銀髪は満足そうな顔で腹を撫でている。味は分かるのか? 見た目に似合わず結構な量を食うみたいだ。

 銀髪はおもむろに自身の荷物を漁り始める。そういやこいつは何を持ってるのか皆目見当がつかんな。しばらくしてあいつは口を縛ったデカい麻布の袋を取り出した。

 中から出てきたのは……なんだありゃ!

「や、ヤモリかそれは!?」

 アニモの声が裏返っていた。俺もこういう生き物は何度か見ている。だがこいつはデカすぎだ。大人の手二つ合わせたくらいデカい。何らかの加工されているのか真っ黒になって固まっている。あいつはそれを愛おしそうに見つめていた。

 丁度さっき食った肉を見つめるみたいに。

 俺も流石にこういうゲテモノを食ったことないんだが。

 言い知れない不安が腹の底にポタポタと水たまりを作っていく。

「持ってきた食料。あなたたちにもあげる」

 黒ヤモリを白い指がなでると、それに合わせて尻尾がプルプルと震える。今すぐ叫び声をあげたくなるくらい生々しい。

「私は今まで友達がいなかった」

 俺たちが絶句している傍らあいつは饒舌だった。はにかむような微笑みはとても可憐なのだがこの状況だと恐怖心を掻き立ててくる。

「あの人が読んでくれた本でしか知らなかったの。あなたたちと会ってどういうものか知ることができた。それにゴブリンからも守ってくれた。だから、これは助けてくれたお礼。それと」

「い、いやゴブリンのなんて気にしなくても……」

 あいつは近くまで来ると俺たちに黒ヤモリ(それも特大サイズだ)を差し出してきた。

「ゆ、友情の印……これで合ってる?」

 どこか気恥ずかしそうに告げる。幻想的なほどに可愛らしい光景だが目の前で存在を主張する黒い塊が意識を現実に引き戻した。

 笑顔で渡されると断りづらいというのは実に正しい。俺達はぷらぷら揺れる黒い物体を前に覚悟を決めるしかなかった。

 

 味についてとやかく言うのはやめておこう。これは友情の印だ。

 一つだけ言えることがあるなら……そうだな。これを食い終わった後、俺とアニモは銀髪の荷物に一切の食料を入れさせないと固く誓ったってことだ。



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第一階層~休息の時(1)~

「こんなもんでいいか」

 野営地の外周に簡単な防衛トラップを設置した。防衛トラップといっても当たると音の出る紐を張り巡らせただけだが。もう周囲に魔物の気配はないしこれで十分だろう。

 アニモも俺と同じことをしてるみたいだ。周囲の地面に何かを唱えると小さな魔法陣が地面に浮かび上がっていく。

「これは?」

「簡単な魔物除けだ。奴らが嫌う光を発することができる」

 アニモが手をかざすと魔法陣から青白い光の膜が伸びてきた。それは頭上を通り過ぎ野営地一帯をすっぽりと囲んでいく。

「これであの汚らしいグールやゴブリン共の顔を拝むこともあるまい」

 焚き火の近くにどっかりと腰を下ろした。ようやく体から力を抜ける。探索中常に力を入れていたからか体の節々が痛んだ。

 アニモは荷物から何かの本を開いた。

「何を読んでるんだ?」

「魔導書だ。我ら魔術師には必須のものだよ」

 頭上で光る魔輝石のおかげで本を読むにも苦労はなさそうだ。しかしなんで本なんか必要なんだ?

「魔法にはその魔導書? ってのが必要なのか?」

「ふむ」

 アニモは瞼を閉じて顔を上向けた。その様は何か言葉を選んでいるようにも昔を思い出しているようにも見える。

「魔法とは魔導書等によって得た知識を現実世界に出現させる技術だ。そのために必要なものこそ人体が持つマナと呼ばれるものだな」

「マナ?」

「魔法を使うための体力と思えばいい。体力の多いものほど沢山の距離を走れるようにマナの多いものほど多くの魔術を操ることができる」

 パチパチという音とともに火の粉がはじけ宙を舞った。俺の隣では銀髪がぼーっと炎を見つめている。

「魔術師は知識を燃やしそれを現世に出現させる。その魔法が強大であればあるほど消耗するマナは多い。また、知識とは燃やせば無くなってしまう。だから常に魔導書で補充する必要があるのだ」

「マナ……私にもある」

 それまで黙っていた銀髪が顔を上げた。ボロいローブから出た細い指で足元の小石を弄ぶ。

「召喚主は言ってた。私はマナで動いていると」

「ふーん。まあ、魔法? 使ってたしそんなもんなのか?」

 うめき声。火の向こう側を見ると魔術師が一人頭を抱えている。

「貴殿を疑うわけではない。しかしマナで動くなど……現状の魔道理論ではありえん」

「そういや召還主が死んだってこの銀髪が話した時もありえんって言ってたよな」

 アニモは重々しく頷いた。火に照らされた影が背後の壁にゆらゆらと踊る。

「ああ。通常、死霊使いが使役する死体は主の力が無くなれば元に戻る。彼らは操られただけで自我のようなモノは持たないからだ」

 ちらと黄色い目が小柄な少女を見据える。

「だが、貴殿はありとあらゆるものが違う。意志を持ち、物を食い、魔術を操る……これが一体どういうことかは吾輩には見当もつかん。そもそも生命を奪う闇の魔術も傷を癒す光の魔術も使えるのはごく一部の特殊な才のあるものだけなのだ。貴殿はいとも簡単に扱っていたがな」

「私も、分からない。あの力が魔術という名前であることも初めて知った」

 銀髪は手に持った小石を軽く投げ飛ばす。そのまま焚火の中に突っ込み火の粉がパッと宙を覆った。

「ま、この話はいったん置いておこう。博識な魔術師でも知らないんじゃどうしようもない。なんにせよ最深部を目指すって目的じゃ俺たちは同じなんだしな」

「実は一度聞いておこうと思っていた。ケイタ。貴殿は何故深部を目指す? この世で最も危険な、このダンジョンの底を。それに、そのような剣術を見たのも初めてだ。御父上から習ったと聞いたが」

 二人の顔がこちらを向いた。その表情に笑みは一切ない。

 ここは金が欲しい、って誤魔化しも通用しないな。

 いずれは話そうと思ってたことだ。早い方がいいだろう。

「この剣技の基礎は親父から習ったもんだ。まだ、幼いころに。だからどの流派だとかそういった細かいことは俺にも分からん。それと、俺の両親が死んだって話はしたよな?」

 アニモが小さく頷く。

「……実のところあまり記憶がないんだ。ある日突然、俺は教会みたいなところに連れていられた。そこで言われたんだ。親父とお袋が死んだって。台の上に乗せられた二つの顔のない死体がお前の両親だって。この記憶も曖昧だ。俺の過去は霧のなかさ」

「顔のない死体……」

 銀髪が息を飲むのが分かった。魔術師の方は腕組みをしている。

「今から五年前、年寄りの冒険者からこの帝都迷宮探索隊の名簿に俺の両親の名があったと聞いたんだ。場末の酒場でさ。あの飲んだくれの話が本当か嘘かは分からない。信憑性が無いのも分かってる。だが、だがな。それだけが手掛かりなんだ。両親につながる唯一の」

 地面にあった小石を投げる。壁に当たった小石が小さな反響を残して砕け散った。

「俺は真実が知りたい。親父とお袋は死んだのか、生きてるのか。そして、あの記憶は何なのか。本当は何か起こったのか」

「最深部の秘宝を手に入れればそれが分かるんじゃないかと思ってな。そして、もし、秘宝の力が本当なら」

 両親を生き返らせることも出来るんじゃないか? という言葉は喉の外には出ていかなかった。

 ゆらゆら揺れる明かりを見ていると、頭の中に馬車で見た夢の断片がちらつく。いまだに胸の底に膿をだす古傷。

 陰りを見せ始めた残り火が最後の輝きを見せるように一際大きくうねりをあげた。

 

 俺の話が終わってからは各々好きなように過ごしていた。アニモは魔導書を読みふけりその肩口から小さな少女が覗き込んでいる。俺の方は刀の手入れをしていた。

 ふと、魔術師が顔を上げる。

「もう休んだ方がいいだろう。睡眠をとり第二階層へと向かおう」

 分厚い魔導書が閉じられる。少し気になったことがあって俺は刀を置くと銀髪の方へ首を回した。

「そういや、お前は読まなくていいのか? 魔導書。魔法に必要なんだろ?」

「読んだことが無いから分からない」

「羨ましい限りだ……」

 腹の底から出たようなアニモの声に笑ってしまいそうになる。が、どうにか堪えた。流石に表情が真剣すぎる。今笑うとこっちに火球が飛んできかねない。

「魔輝石を弱めておこう。では、またあとでな」

 辺りが一気に暗くなる。今見える光は魔物除けのベールから出ているもの。満月の夜くらいか?

 アニモの方はとっくに寝袋に潜り込んでいた。あんだけ分厚い本だ眠くなるのも当然か。

「じゃあ俺達も寝るか……寝袋は?」

「いらない。地面で寝られる」

「そ、そう」

 逞しい、がそもそも寝る必要はあるんだろうか。

 銀髪が横になったのを確認すると俺も厚布にくるまった。マシにはなったがそれでも地面のごつごつした感触が伝わってくる。

 眠れるか不安に思いつつ俺は刀を胸に抱えて静かに瞼を閉じた。



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第一階層~休息の時(2)~

 目覚めは突然に訪れた。眠りについてからあまり時間が経っていないことは体感で分かる。

 ふわふわとしたものが顔の周りをくすぐっていた。

 いったい何が……。

「……ッ!」

 口から出かかった叫び声をどうにか喉元でこらえた。目を開くとその上には二つ並んだ赤い瞳。周りからは銀の髪が霧雨のように降り注いでいる。

「……何してんだ?」

「観察。暇だった」

 横から覗き込んでいた銀髪はすぐに体を起こした。俺はまた瞼を閉じて寝ようと……クソ、無理だ。さっきので目が覚めちまった。まだ心臓が早鐘のように脈打っている。

 体を起こして銀髪の隣に座る。周りは決して明るくないが頭上を覆うベールのお陰ですぐ隣の姿は分かった。

「とりあえず寝てるときに真上から見るのはやめてくれ。心臓が止まりかねん……これ、食べるか」

 俺は夕食からそのままになっていたビスケットを取ると一つ隣の少女へ手渡す。不格好な菓子モドキに目を移したあいつから小さな歓声が上がる。

「食べる」

 俺も一つ手に取り半分ほど口に含んだ。

 外はしんなり。中はボロボロ。腐らないようにかけまくった塩が嫌というほど口に広がる。

 保存食とはいえ酷い味だ。グールだって吐き出すぞ。

「あーどうだ? 味は、その。個性的かと思うが」

 あいつはまるでリスのようにちょこちょことビスケットを齧っていた。頬っぺたに食べカスが付いている。

「おいしい」

 腹の底から染み出したような声。嘘じゃなさそうだな。まったく羨ましい舌だ。

「お前ならテベス•ベイの地下だって暮らしていけそうだ」

 半分ほどまで齧ったあいつは、ふと口を止めこちらを見上げた。

「聞きたいことがある」

 相変わらず表情に変化は乏しい。だが、いたって真剣なことは雰囲気から分かった。

「なんだ?」

「私の言葉はおかしくない?」

 言葉? なんだろう? 少したどたどしいところはあるが別におかしなところはない。

「特にないと思うけど」

「私は、まだ話することに慣れていない。だから上手く話せていないことがあると思う。知らない事も言葉もたくさんある」

 年齢は十五ほどに見えるが実際の時間はもっと短いのだろうか。青白い光を受けてさらさら流れる銀の髪が月のような光を帯びている。

「分からないことは多い。だから教えてほしい。一番知りたいのに何も分からないことがある」

 こちらに向けられるのは純粋無垢な瞳。

 薄い唇から出た質問は唐突でシンプルで、思いもよらないものだった。

「生きるって何?」

 頭が真っ白になった。

 生きる?

 言葉を探そうにも空っぽの箱を逆さにしたように何も出てこない。

「私は……生きていない。だから教えてほしい。生きているあなたに。生きるとはどういうことなのか」

 生きるってなんだ? 真っ白になったまま頭で考えると、ふわふわした考えが浮かんでは消えていく。

 自分でものを食べたり動いたりすること? それはこいつもそうだ。

 考えたり話したりすることか? それもこいつは出来る。

 心臓が動いていること? 本当にそんなことか?

 

 思案から現実に戻ると迎えたのはあの混じりっ気のない灼眼。

 こいつはずっとこんなこと考えてたのか。

 ……取り繕うべきじゃない。思っていることを話そう。

 今自分に言える答えを。

「正直に言うと……分からない」

 銀髪は微動だにしない。

「お前にその質問をされた時、頭が真っ白になった。全然分からないのは俺も同じだよ」

 ビスケットを少しだけ齧る。塩の匂いがツンと鼻を通り抜ける。

 隣に目を移すとあいつの表情は不思議と柔らかくなっているように見えた。

「この疑問はずっと重かった。おなかの中に重りがぶら下がってるみたいに」

 銀髪は手を後ろにつくと上体をそらす。

「でも今は、ちょっと楽かも」

 しみじみ言い放つと残ったビスケットを口に放り込む幸せそうに噛み砕いていく。俺もそれに倣って残りを口へ。

 相も変わらずの味が口いっぱいに広がった。

「悪くないかもな、このビスケット」

「教えてほしいことはたくさんある。あなたは海を見たことある?」

 お次は海か。先生にでもなった気分だ。隣の生徒は手頃な教師を捕まえてか、声が少しだけ弾んでいる。

「ああ、海ならあるぞ。ただ……」

「本当! 教えて! 先が見えないくらい大きいと本にあった。他には見たこともないような生き物がたくさんいるとも」

 どうにも勉強熱心なようだ。まずいな。

 期待に満ちているこいつ(表情の変化は乏しいが)に浮浪者がたむろするテベス・ベイの港の光景を教えるのは気がひける。

「俺も港、あー船がたくさんあるところだ、そうだ。そう、港から見ただけなんだが、特に夕暮れの時なんか綺麗だぞ。青かった水が一斉にオレンジに変わるんだ。太陽が海の下にもぐる瞬間ひときわ強く光ってな」

 本当にきれいな光景なんだ。吐瀉物が浮かぶ港内部を除けばの話だが。

 隣の生徒は目をつぶって脱力しているようだった。海を想像してるんだろうか。

 こいつは内陸で過ごしてたのか? 気になるな。

「お前が見て面白かった風景なんてあるか?」

「ある」

 銀髪は体を投げ出すように後ろへ倒した。

「私が見たのは光る花」

「光る花?」

「そう。すごく、すごく綺麗だった」

 光る花……初めて聞いた。頭の中をひっくり返してもそんな花や薬草は出てこない。よほど珍しい場所に生えるものなのか?

「綺麗な光。まるで夜空の星が落ちてきてそのまま花に生まれ変わったように。それが辺り一面に広がってた。そよ風が吹くと花びらが一斉に舞い上がるの。周りが全部光で満たされて……」

 幸せそうに語っていたあいつの口が急に止まった。体を起こし伏せた顔に影ができる。

「綺麗で、きれいで……。憧れたんだ。あの光に」

 その影はあの灼眼さえも隠してしまうほど深い、深いものだった。

「私は持ってない生命の輝き、そのものだったから」

 それっきり会話は途切れた。

 静かな時間だけが俺たちの間に流れていった。かける言葉を探しても、湖面の月をすくったように指の間から逃げていく。

 やがて、ゆっくりとあいつは体を横たえた。

「もう、寝よう」

 俺も寝袋に包まる。瞼を閉じる前、あいつの横顔が目に入った。病的なまでに白く生気を感じない肌。あいつはそのまま顔をこちらへ向けた。

「さっきはありが……」

「なあ、俺も考えてみるよ」

 今、俺にできること。

 それはまだ悲しいくらいに少ない。

「え?」

「生きるって何って質問。あ! あんまり期待するなよ。俺は小難しい理屈をこねくり回す学者先生じゃないからな」

 まず出来そうなことから始めてみよう

 この質問魔の同行者に少しでも答えられるように。

「ビスケットみたいな気分」

 小鳥のさえずりのような声。表情はここからでは読めない。

妙なこと言い始めたな。なんだ? オークのクソみたいってことか?

「あー、そりゃどういう」

「悪くないってこと。あなたが言った」

 話は終わりとばかりにあいつは仰向けになり瞼を閉じた。そんなわけじゃないのに、なんだか一本取られたみたいだ。

 だけど、気分は悪くない。

 やがて、俺の瞼も銀髪の寝息に合わせどんどん重くなっていった。



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幕間

 覚醒。

 目を開けると代わり映えしない殺風景な岩の天井と強い光を放つ魔輝石が出迎えた。横では既にアニモが出発の準備を始めているようだ。

「起きたか。準備を整え第二階層へ向かうとしよう」

 寝袋から飛び出しリュックに押し込んだ。銀髪は……まだ寝てるみたいだ。起こすのは出発前でいいか、荷物もほとんどないしな。

 刀を腰に差したところでアニモがこっちへ近づいてきた。手には戦利品の鎖帷子。

「これは貴殿が身に着けたほうがいいだろう。気休め程度かもしれんが」

 少し考えて頷いた。理にかなってる。魔物どもと斬り合うのは俺だろうし、銀髪はサイズが合わない。ありがたく貰うとしよう。

 身に着けたうえで触れてみると少々の粗はあるが綺麗な金属の輪がきめ細やかに連なっていた。ワーウルフの爪なら一発くらい受け止めてくれるだろう。

「こっちの防護靴は魔術師のあんたが履くべきだな。靴底は獣皮。僅かだが消音効果もある」

 どれだけ効果があるかわからんがこの丸腰の魔術師には出来るだけ魔物を近づけたくない。アニモは小さく頷くとぼろぼろのサンダルを脱ぎ捨て防護靴へ履き替えた。

「それからこのナイフも一応持っててくれ。素手よりはましだ」

「もう一振りはどうする?」

「そっちはあの銀髪だな。剣の心得がないにせよ持ってたほうがいい」

 踵を返そうとしたアニモを呼び止める。ずっと気にかかっていたことを聞いてみたくなった。昨日の質問魔がうつったのかもしれない。

「あんたがこのダンジョンに挑む理由ってなんだ? それほどの腕前を持つ魔術師なら無免許だって食うには困らんだろうし……あー、まあ、嫌ならいいんだが」

 答えは返ってこなかった。

 代わりに向けられたのは探るような視線。

 黄色の瞳が細く絞られる。

「貴殿は確か死霊使いに関してほとんど何も知らなかったな」

「ああ、まあ。それがどうかしたのか?」

 やがてふっと表情が緩められた。だが、そこにはどこか悲しげな色がちらついている。

「吾輩の目的は実に単純だ。貴殿らよりも遥かにな」

「単純ね~。でもあんたが金や権力に舌なめずりする姿は思い浮かばないぜ」

「ハッハッ! 違う違う。もっと単純なのだよ」

 何度か首を振った後、動きが止まった。

 表情はない。剥製のように何も読めない外側だけがそこにあるようだった。

 ただ、瞳だけ。そこから発せられる光だけが異様な輝きを放っている。

 そして発せられた言葉は俺が予想と違っていて。

 だからこそ、その声は胸の深い場所までナイフのように切り裂いていった。

「一人、殺めたい者がいる。吾輩がここに挑むのはその者を殺すためだ。この手でな」

 

 ◇◆◇◆

 

 ――地上にて――――

 

 コウは日常の業務をこなす傍ら白く光る監視用の魔石に目を光らせていた。もし、彼らが次の階層へ進めば魔石は赤く変わるはず。

 ただ、もし魔石が失われていればその輝きは消える。命の灯火が消えるように。

 実のところ、期限が三日というのは殆ど形骸化したルールだった。だれも探索に乗り出した冒険者の残り時間など気にも留めないし記録もしない。

 その前に躯になるのが常だから。

 ケイタと名乗った冒険者たちが旅立ってからというもの何をしていても心ここにあらず。蝋燭で心をあぶられるような時間が続いていた。

「おい、そこの。こいつを処理しといてくれ」

 名も知らぬ兵士が紙の束を机に投げ捨てた。ここに来てからというもの衛兵たちが仕事をしているのを見たことはない。大体は椅子にふんぞり返っているか貴族に媚を売っているかだ。

「ようパチョ、調子はどうだい?」

「相も変わらずさ、レック」

 先程紙を投げてよこした兵士――パチョへ中年の兵士――――レックが話しかける。レックの方は酒の飲み過ぎなのか酷いダミ声だ。コウは彼らに背を向けると書類をまとめ始めた。

「しっかし最近来たあのバカには肝を冷やしたぜ。ダールベルク家のお坊ちゃんをぶちのめすとは」

 ケイタたちの話。

 コウは自身の耳が鋭く研ぎ澄まされるのを感じた。

「俺もドワーフの冒険者に聞いたんだがあのバカはダンジョンを踏破するつもりらしいぜ。今どきあんなのがいるとは」

 紙を広げるとそこに書かれていたのは名簿だった。ずっしりと胸の奥が重くなる。

 これは死亡者の名簿。ダンジョンに挑んだ者の成れの果て。彼らがこの世に残した最後の足跡。

「しっかし……十五年前ならまだしも今さらあのダンジョンをモノにする必要なんてあるか? そりゃ初めにアレが出てきたときは肝が冷えた。俺だって教会に駆け込んだくらいさ。でも、だ」

 話が止まった。コウが後ろに視線をやるとレックが体を折り曲げ咳き込んでいる。

「あー大丈夫だ。大丈夫。変な風邪でも貰ったか? で、だ。あれから十五年だぞ? 十五年。お偉いさんはやっきになってるが被害なんか何も出てない。俺たち下々の者にとっちゃ不細工なオブジェさ。なんだってあんな報償金が出てんだ? まさか例の『秘宝』か?」

 パチョはカウンターにおかれたコップ(中身は恐らくエールだろう)ぐいとあおった。

「さあな。『秘宝』ってのは眉唾だが……俺は下層に鉱石があると睨んでるぜ。金・ミスリル・アダマンタイト。鉱脈を当てりゃすげえ金になる。まあこっちも噂だがな」

 ただの世間話に戻ったようだ。これ以上聞く価値はない。死亡者の名にケイタ達がいないことを二度確認し、コウは奥へと続くドアに手をかけた。

「あ? おい、あれ。監視用の魔石だっけか? あれなんか変じゃないか?」

 心臓が異様なほど強く胸を叩いた。

 冷たい汗が背筋を下っていく。

 まさか、光を失った?

 それとも次へ進めた?

 期待と不安。相反する感情が胸の内側で渦を巻く。

 コウは片目だけを薄くあけ、カウンターに吊り下げられた魔石を視界に捉えた。

 全身から力が抜ける。

 腕に抱えていた書類が床に散らばった。

「おい! 何やって……あー、その、どうした?」

 声を荒げたパチョがこちらを見るなりその勢いを無くしたのが分かった。

 でもそんなものは気にならない。

 目に入るのは魔石だけ。

 赤く染まったその色が視界を、思考を、塗りつぶしていく。

「良かった、まだ、希望は……」

 コウの漏らしたつぶやきは誰の耳に入るでもなく登録所の喧騒の中で煙となって消えていった。

 

 にわかに慌ただしさを増すカウンターをギルベルトは苦々しい表情で眺めていた。どうもあの不浄な輩共は第二層へ進んだらしい。椅子に体を預けるとエールを一気に飲み干す。鼻を抜ける麦の香りと体がふわりと浮くような感覚。

 だが、喉元で引っ掛かる不快感を拭うことはできない。

「ハハハ……かような偶然もありますれば」

 声の元を睨みつける。揉み手をしながら近づいてきた痩せっぽちの顔が引きつる。

「確か君は三時間ももたずにグールの餌になると言ってなかったか? 奴等は二日と経たず第二階層へ進んだようだが」

 痩せっぽちは額の汗を拭いつつ肩を上下させている。汚い奴だ。

 奴は懐から汚い資料を引っ張り出した。各階層の情報が書かれたもの。それに目を走らせると引きつっていた顔ににやけた笑いが張り付いた。

「ヒヒッ! こりゃあいつらもおしまいだぁ。カワイソーに」

 喉を擦らしたような気色悪い笑い声。痩せた男は嬉々としてその紙をギルベルトの座るテーブルへ広げた。描かれていたのは恐ろしい魔物の姿と解説文。

 まさか、こんな化け物が第二層には生息しているのか?

 この魔物は見覚えがある。なんせ学院の図鑑で大々的に乗せられていた。

 なによりも教員も口酸っぱく言っていたのだ。

 極力戦おうとするな。可能な限り逃げろ、と。

 ギルベルトは自身の片口が吊り上がっていくのを感じた。



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第二階層

 グール

 最下級の魔物。灰色の体に痩せた四肢。街道を外れた森などで目にすることがあるだろう。主に旅人の死体を食らう。臆病なうえ力も弱い。いっぱしの剣の腕があるなら恐れることはない。野外演習ではもってこいだ。ただしそれは一対一なら話だ。多数を相手にするのは十分な経験を積んでからにすること。

 

 ゴブリン

 沼地や洞穴を棲みかとする。緑色の肌。人に近い骨格。こちらはグールより頭が回る。人間の子供と同程度の知能を持っているとの研究報告も。報告数は少ないが武器を操る個体もいるようだ。用心するように。

 

 ワーウルフ

 人狼と呼ばれることもある。知能は高くないが動きが俊敏で力も強い。爪と牙は特に危険度が高く、駆け出し冒険者の死亡例が後を絶たない。よほどの力自慢でもない限り遠距離から戦うべし。昨年、円卓会議にて貴族の学生はワーウルフ以上の危険度を持つ魔物との戦闘禁止令が出た。貴族出身の諸君は冒険者(二等ライセンス以上)の同行無しにこの魔物が出る場所へは行かないように。

 なおそれ以外の出身者はこの限りではない。平民出身者はこの魔物の討伐が学院の卒業試験である。貴族出身者には筆記試験を課す。

 

  魔物図鑑――帝国剣術院監修

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「ここが第二階層か。なんだか古い遺跡みたいだな」

 ぽっかりと口を開けていた第一階層の階段を降りると石材で作られた壁と床が姿を現した。真っ白な壁が上へ向かってどこまでも伸びている。魔輝石が照らす光も天井まで届いていない。

「一体どうやってこのような……しかもこれは大理石か」

 アニモが壁に手を置いた。まるで貴族の屋敷の壁みたいにツルツルだ。大人が十人横になって歩けそうなくらい壁同士は距離がある。

 銀髪がきょろきょろと頭を回してこっちを見上げてきた。

「どっちへ進む?」

 進める道は三つ。正面か左か右か。どの方向も見渡す限り大理石の壁が続いていた。光が届く二十歩先からは暗闇が広がっている。

「まずは右から回っていくか。ちょっと待ってろ」

 荷物から羊皮紙と羽ペンを取り出す。地図はダンジョン探索の必需品だ。しばし魔道具の袋を漁っていたアニモがため息をつく。

「『現世の地図』は入っていないようだ。少々伝統的ではあるが貴殿のやり方でいこう」

 右側の道を進んでいく。五分ほど歩いていくと壁が出てきた。またここで二手に分かれているらしい。俺が右手へ歩を進めると二人も黙ってついてきた。しばらくは先導することになりそうだ。

 ジグザグに折れ曲がる道を進んだ先、また壁に当たった。ここは行き止まりだ。

「こっちは何もなさそうだ。さっきの道を……」

「ちょっとまて」

 アニモが進み出ると壁のすぐ前まででて腕組みを始めた。寝床に入り込んだ虫を探しだすように壁中を見つめている。

「何かあるのか?」

「引っかかるな。この壁だけ色が違う」

 ハッとして周りの壁と見比べてみる。

 確かにそうだ。

 周りの壁は小麦粉でも塗りたくったみたいに真白なんだが、ここだけは、なんかこう、ちょっとくすんでいるように見えた。色は変わらないんだが……どこか、ぼやけてるというか。

「しっかし高そうな石だな。俺の街じゃこんな――」

 壁を叩こうと手を伸ばした時だった。

まるで霧でも押したように手応えがない。腕を見ると肘から先が壁に飲み込まれている!

 想いきり腕を引き抜く。

なんの抵抗もなくあっさり抜けたもんで勢い余って後ろへすっ転んだ。

「な、なんだこりゃ」

「なんと。幻覚か」

 魔術師の周りに六芒星の魔法陣が浮かぶ。両手から放たれる黄色の光をかざすと煙のように消えていった。

 急いで起き上がる。奥へ目を凝らすとそこには。

「おお! こりゃ水か!」

 隠し部屋のようになったその場所では前方と左側の岩肌が剥き出しになっていた。奥では小さな穴から水が湧き出している。周りにはコケがあるし毒もなさそうだ。

「あの光ってるのは何?」

 銀髪が左の岩を指さした。魔輝石の光を受けて明らかに他と異なる反射を見せている場所がある。

「おお! おお! なんという……」

 感嘆の声を漏らしつつ魔術師はその光へとふらふら近づいていく。俺の方はまず水を補給しようと奥へ歩を進めた。

「まて、アニモ」

 異音。

 後ろから。

 何かが来る。

 水のせせらぎとは明らかに異なる爪が何かをひっかく音。

 二人も気づいたようだ。アニモは手に炎を、銀髪はナイフを構える。

 俺も刀に手を置いた。

 ひっかき音に加え獣の臭いが辺りに漂う。

 やがて光が音の正体を映し出した。

 まず見えたのは薄青の獣毛に覆われた足。長い毛の隙間からは不潔な爪が伸びている。

 さらに奴が一歩近づく。

 今度は腕が見えた。こちらにも指に当たる部分から長く折れ曲がった爪。

 さらに一歩近づき全身が見えた。

 現れたのはオオカミの頭。大きな口からは鋭い牙が隙間なく並び涎が床へ糸を引いていた。顔の半分を占める口の上には血走った目。

 真っすぐにこちらを見据えている。

 人狼――ワーウルフだ。

 俺たちを捉えたのか身の毛もよだつような雄叫びを上げる。

そのまま一直線に突っ込んできた。

――標的は俺だ。



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第二階層(2)

 獣が迫ってくる。

 十歩の距離。まだだ。

 刀の鞘を握りなおす。

 あと五歩。まだ早い。

 息を止める。集中。

 敵は眼前。

 今!

 一息に抜刀。ワーウルフの腰目掛けて真一文字に刀を振りぬく。

 瞬間、獣の姿が消えた。

 ――上か!

 間髪入れず刃を返し真上に向かって薙ぎ払った。

「グウゥゥッ!」

 バランスを崩したワーウルフが地面に落ちる。

 思わず飛び出る舌打ち。手応えが弱かった。

 予想通り獣が飛び起きる。胸には斜めにつけられた刀傷。まだ浅い。

「炎よ!」

 左手より声。紅蓮の火球が放たれる。それは獣の足に当たると、たちまち身体中を炎で包んだ。

 冷たい壁に反響するおぞましい叫び声。

 火だるまとなった怪物は脱兎のごとく逃げ出した。

 それを見た銀髪が駆け出し――

「まてまて、ひとまずはあれで十分だ」

 こちらへ首を回した銀髪の眉間にシワがよっている。不満そうな顔。こいつそんなに血気盛んだったか?

 遠ざかっていく炎が暗闇の中へ消えるとアニモは片手の魔方陣を解いた。片腕に持ったナイフはそのままだ。

「あの獣は放っておいてもよかろう。手傷を負ったうえにあの炎だ。長くはあるまい。暗闇の中を追うのも危険だしな」

 そう言い残すと魔術師は先ほど不思議な輝きを反射した岩壁へ向かっていった。

 さて俺も……と、その前にいまだに口を尖らせている銀髪を宥めておくか。

「心配なのも分かる。だがまずは水を補給しよう」

「もう少しだった」

 まあ、確かに。だがここまで残念がることか?

 銀髪はワーウルフが消えていった暗闇をしばし見つめ。

 口にたまっていたであろう生唾を盛大に飲み込んだ。

「もう少しで、肉が」

「流石にワーウルフは食えないと思うぞ……」

 俺は未だ食材に対し執念を燃やす灼眼を放っておいて奥にある水場へと足を向けた。

 湧水を手ですくい毒素判別用の試験紙を付ける。しばらく待っても反応はない。毒はないようだ。煮沸の必要もなし。

 水筒を満たす間、周りを確認すると背の低い植物が群生していた。全体的に紫がかっていて頭には丸い花がついている。見たことない種類だが……アニモにも聞いてみるか。

 丸々と膨らんだ水筒と背の低い草を携え二人の元へ着くと、アニモがナイフを岩壁に突き立てていた。横では銀髪が体をもじもじさせながらその様子を眺めている。

「クソッ。硬いな……」

「あー、魔術師さん。ちょっといいか?」

 迷惑そうな顔だ。そんなに石を掘るのが楽しかったのか?

 俺は例の植物を目の前に突き出す。

「む、これは初めて見るな」

 アニモは壁から離れ魔輝石の近くへ寄った。すると眼下を何かの影が動く。

 銀髪だ。

 あいつは壁にとりつくとナイフを突き立てた。もしかしてずっとやりたかったのか?

「うーむ、どこか書物で見た覚えがある様な」

「俺はさっぱりだよ。地上じゃ見たことない」

「それはマギカ草」

 俺たちはいっせいに壁へ顔を向ける。正確にはそこで格闘するあいつに。草を持ったままアニモが銀髪へ歩み寄った。

「マギカ草、初めて聞く名だ」

「こういう暗がりでよく見る。マナが回復するからたまに食べてた。癖があるけどおいしい」

「へー、一つ食べてみたらどうだ?」

 紫色の草が魔術師の口の中へ運ばれた。しばし、咀嚼。

 次の瞬間体が大きく折れ曲がった。

「ガアアアアァ!」

「ど、どうした⁉」

 アニモは俺が差し出した水筒をひったくられるようにしてぶん取ると、口の上で逆さまにして浴びるように飲み干していった。ローブが水浸しだ。目も血走っていて恐ろしい形相になっている。

「なんて味だ! 錆びた鍋底だってこんなに酷くないぞ!」

 いら立ちが収まらないようでぶつぶつ言いながら湧水のある奥の壁へ。さらに何度か口を洗ってからようやく戻ってきた。

「酷い目にあった。味も酷いが風味も恐ろしい。グールの内臓だってあんな臭いはしないだろう」

「結構おいしいのに」

「で、どうだ? 味はともかくマナは?」

 味のレポートが始まる前に話題を変えよう。俺の言葉にアニモは右手を強く握りしめた。

「マナの回復効果は本物だ……だが二度と食べないぞ」

「まあまあ。一応非常用に取っておこう。銀髪なら使えるしな」

「あっ取れた!」

 銀髪の声と共に壁から石が落ち大きな音を立てた。魔術師はさっきまでの不機嫌そうな顔を消し去り、いそいそと石の元へ向かう。床から持ち上げられたそれが光に照らされた。

 黒い石だ。鉄鉱石だろうか? 仄かに青い光を放っているようにも見える。

「なんという幸運か! 鉱石の神ハデスに感謝せねば」

 俺と銀髪は顔を見合わせた。この汚い石ころがそんなに貴重な品には見えない。

「これってそんなに貴重なのか?」

「当然だ! この青い光。魔鉄が含まれている証拠だ」

 魔鉄。

 たしか魔力の源を含んだ鉄……とかなんとか書いてあった気がするな。

「質がいいとは言えないが貴重であることに変わりはない。まずは残りを集めよう」

 また、石が床に落ちる音が聞こえてきた。壁に目をやると夢中でナイフを突き立てている銀髪が目に入る。この作業がえらく気に入ったらしい。

「そうしよう。凄腕の採掘職人もいることだしな」

 鉱脈はそこまで大きなものではなかったようだ。五つの塊を壁から取り出したころにはすっかり輝きは消えていた。

 それぞれの荷物に魔鉄鉱石をしまい込む。

「貴重って言ったが何に使えるんだ?」

「用途は主に魔術用の道具だな。精神集中を助けてくれる。剣にしてもいいだろう、並の鉄など比べ物にならない強度が出る……どちらにせよ精錬する必要があるが」

 こいつが役立つのは地上に戻ってからみたいだ。水の補給を済ませ地上への土産も掘り出したところで俺たちは意気揚々と探索を再開させた。



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第二階層(3)

 鉄鉱石

 最も一般的な鉱石。ドワーフの領域ならそこらを掘れば見つかるだろう。価値は低いし、おまけに重い。これを拾うくらいなら死体でも漁った方がマシだね。

 

 銅鉱石

 珍しくない。とはいえ魔法薬の調合にも使える鉱石ではある。含有量が多い物なら確保を一考してもいい。ただしやたらと重い。

 

 銀・金鉱石

 なにか説明が必要かな? 見つけたら極力荷物に詰め込むべきだろう。一瞬でもキラリと光ったらすぐポケットへ。冒険者の基本だ。ハデスの寵愛を受け鉱脈を見つけられたら手っ取り早くこの職から足を洗えるぞ。

 

 魔鉄・魔鉄鉱石

 これは説明が必要だろう。見た目には普通の鉄鉱石と変わらないが、暗がりで僅かな光を灯す。

 もし暗がりで光る鉱石を見つけたらすぐに荷物にぶち込むんだ。

 なに?

 親友の遺品があって入らない? 明日の分のパンが入ってる? まずはそのゴミを地面に捨ててこのありがたい鉱石を入れてから考えるといい。こいつは金以上の高値で売れる。親友にはその金で立派な墓を建て、その横で極上のワインでも飲むといい。

 魔術関連の本には魔力源が~とウンチクが書かれているが僕ら冒険者にとって大事なのは金になることさ。

 

  『探索のススメ』R・ローズ著

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 教会の鐘が二つ鳴るくらいの時間を歩いたところで俺たちは立ち止まった。地図はようやく形になってきている。確証はないがこの階層は正四角形のようだった。

「さて、東側……東と言っていいか分からんが、こちら側の探索は終わったと見ていいだろう。次は西だ」

 アニモが羊皮紙の右側に描かれた地図を指さした。肩口のローブが破れて肌が見えている。ついさっき襲ってきたワーウルフにやられたものだ。

 もっとも、そいつはそこの角で消し炭になっているが。

「もう少し歩いたら何か食べたい」

 銀髪が腹をさすりながら地図を眺めている。こいつの力も強烈なのだがワーウルフ相手だと相性が至極悪い。いまはほとんど荷物持ちのようになっている。

「それじゃあ西側? に行くか。また鉱石でも見つかるといいんだがな」

 そう告げて俺は曲がり角から顔を出し――すぐ体を引っ込めた。

「どうした?」

 アニモの右手に魔方陣を浮かび上がる。俺は二人に近づくように合図し声を潜めた。

「最悪だ、マイコニドがいる」

 マイコニド。

 きのこに手と足が生えたような魔物だ。力も大したことないし魔法を使うわけでもない。何なら子供だって踏みつぶせるだろう。

 だがそれは奴が毒を持ってなければの話。

 コイツの毒は恐ろしい。前に一度デカい闘牛がこいつに触れて五十を数える前に泡を吹いたのを見たことがある。百を数える前に死んじまった。

 さらに厄介なのは毒を胞子にして飛ばせるってとこだ。飛ばせる距離は長くないがお近づきになりたいような輩じゃない。

「マイコニドはどっちに向かっていた? こちらに気づかれたか?」

 黄色い瞳が通路の角を睨み付ける。魔物の名を聞いてからはナイフをしまい両手に魔方陣を構えていた。

「一瞬だったが止まっているように見えた。気づかれてはいないと思いたい」

 荷物を漁る。貴重品を入れる場所に……あった。

 小型の黄色い瓶が三つ。一瓶につき十日分の食費を要求された時は行商人の頭をカチ割ってやろうかと思ったが……今は感謝してやらないでもないな。

 一瓶をアニモへ手渡す。

「解毒薬だ。一つ持っておけ」

 受け取ると黄色い目が丸くなった。口をあんぐり開けている。失礼じゃないか?

「かたじけない。これは……かなり高価ではないか? 銀貨二枚はくだらないだろう」

「当たりだ、よく分かったな。値切りに値切って銀貨二枚だった。まったく十日分の食費を使うとは」

「聞き間違えか? 十日? 貴殿は普段どんな食事をしてるんだ?」

 まるで雨に打たれた野良犬を見るような目つきでこっちを見てきやがる。失礼な奴だ。銀髪にも渡して……どこ行った? 姿が見えない。

「あれ? あいつはどこだ」

「まさか」

 俺たちは顔を見合わせた。何時からいない?

 いやな予感が首筋をかすめる。ここは一本道だ。向かうとすれば一か所。

 マイコニドがいるあの通路だ。

 意を決し角から身を乗り出し見えた光景に俺たちは言葉を失った。

「おいバカ! そいつを放せ! 死にたいのか⁉」

 あろうことか銀髪がマイコニドを鷲掴みにしている! きょとんとした表情のまま、あいつはこっちを振り向いて。

 マイコニドの足をむしり取った。

「え?」

 開いた口が塞がらない。隣の魔術師は顎が外れんばかりに大口を開けている。間抜け面をさらしてる俺達をおいて銀髪はきのこの足を口へ運んだ。

 マイコニドの方も耳障りな叫びをあげながら紫色の毒素を振りまいているが捕食者の方はどこ吹く風だ。見る見るうちに両手両足をむしり取られ喰いつくされる。

 最後にきのこの傘の部分を食いちぎられた頃マイコニドから一切の音が消えた。

「お、おい。なんともないのか?」

「え? なにが?」

 獲物を平らげ満足そうなあいつに話しかけるが要領を得ない返事。ようやく顎が元に戻ったアニモも遠巻きに語り掛ける。

「マイコニドの毒は極めて危険だ。貴殿なんともないのか?」

「なんとも……あ、ごめん。食べたかった?今度死体があったら私の力で甦らせる」

俺たちは首をちぎれんばかりに横に振った。

 本当に何んともなさそうだ。ピンピンしてる。どうもコイツの体は毒を受け付けないみたいだ。元死体だから当然っちゃ当然なのか? 今度からこういった手合いは全部こいつに任せよう。

「なんにせよ助かった。またあの魔物が出てきたら頼むぞ」

「あれ魔物なの? 歩くキノコじゃなくて?」

「そういうのを魔物っていうんだよ」

 

 それからは嘘みたいに順調だった。マイコニドには銀髪、ワーウルフには俺とアニモ。どちらが来ても問題ない。地図もほとんどは埋まっている。俺たちはあの湧水が出る場所まで戻り休息を取っていた。

「地図を見る限り第三階層への道はここだな。空白がある」

 この階層の中央部は壁で覆われていた。ぐるりと全周周ったが入り口はない。

「恐らく道が隠されているのだろう。丁度この隠し部屋を見つけた時のように」

 アニモが魔法薬を飲みながら答えた。これで消耗したマナも回復するだろう。その横では銀髪があの紫の草を口いっぱいに頬張っている。

「さて、食べ終えたら向かうとしよう。この階層の主の元へな」

 主という言葉を聞き体に力が入る。ダンジョンの主を越えなければ先へは進めない。

 銀髪が静かにナイフを構えた。俺とアニモも無言で頷き荷物を背負う。

 まず向かうのは降りてきた場所だ。そこの壁から、しらみつぶしに調べていこう。

 

「ん? 何か音がする」

 第二階層の入り口まで戻った頃、灼眼が鋭くなった。それから少しして俺にも音が聞こえてくる。通路をひっかく音と獣のような呼吸音。

 暗がりから顔を出したのは胸に切り傷のあるワーウルフ。

「まさか斬り損ねたワーウルフか? 良く生きてたな」

 俺が刀を構えるとそいつは中央とこの場所を隔てる壁へと飛び込み。

 姿を消した。

「隠し通路はここか」

 魔術師の両手に魔方陣。銀髪の顔も心なしか強張って見える。

「誘いかもしれん。用心せねば」

 足音を殺しつつ隠し通路を進む。通路は狭い空洞のようになっていた。今までと変わらない。

 だが、通路を抜けた時、景色は一変した。

 それまでの規則的な通路は消え去り円形の広場が顔を出す。まるで闘技場だ。ここは壁沿いにかがり火が焚かれているようで、うっすらと遠くも見通せた。地面は土のように見える。なぜかやけに壁が黒い。振り返って確かめようとした時、足元で何か小枝を踏み潰したような音が聞こえた。

「一体な……」

 足元に注意してようやく正体が分かった。

 白骨だ。おそらく人間の物。

「この壁の色は……血だ。幾重にも浴びせられ変色したと見える」

「ねえ、あれ。おかしい、何かが」

 細い指が闘技場の中央へ向けられた。

 中央にいるのはワーウルフだ。胸に切り傷のある。

 様子がおかしい。

 キャンキャンと吠えながら何かを威嚇している。少なくとも俺達じゃない。あいつはこっちには目もくれてなかった。どうして上を見てるんだ? 何もないはずの暗闇を。

 じわじわと不安が胸の底から湧き上がってくる。

 その時だった。

 鋭い風切り音。上からだ。

「伏せろ!」

 叫ぶのと同時に耳を貫く轟音。

 地響きが腹の底を揺らす。

 中央には土煙。

 巻き起こる煙の中からかぼちゃくらいの大きさのものが転がってくる。

 それは俺の足元で止まった。

 首だ。

 ワーウルフは目を見開いたまま絶命していた。

「おい、あれは……」

 震えの混じったアニモの声。

 前が見えるようになると異形の怪物がそこにいた。

 体はかろうじてヒトの形をとどめている。だが、デカい。少なくとも高さはアニモの二倍はある。

 まず目を引いたのは両腕。肘から先が巨大な赤い翼になっていた。まるで巨鳥の翼だけ人間の肘に無理やりくっつけたみたいに。膝から下は鷹をそのまま人間大にしたような脚。分厚い鉤爪がワーウルフの胴体をチーズみたいに切り裂いていた。

 上半身の胸から上だけは美しい女のようになっている。まん丸の目玉が先ほど仕留めた獲物をねめつけていた。問題は口だ。

 顔の半分を占めるそれは旨そうにワーウルフを骨ごと噛み砕いている。無数の牙が動く度に鮮血が辺りに飛び散っていた。

 間違いない。ハーピーだ。

 それも、信じられないくらいデカい個体。

 奴の視線がゆっくりとこちらへ向く。その瞳がゆっくりと細められた。

 翼がゆったりと広げられる。飛び立とうとしているのだ。

 次の獲物――俺達を喰うために。



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第二階層の主(1)

 あのダンジョンは異常です。内部の魔物は他の地域で出るそれとは凶暴性がまるで違う。特に各階層を統べる魔物――我々討伐隊は『主』と呼称しています、の力は想像を絶するものがある。

 我らが遭遇した主はハーピーでした。

 ハーピーはただでさえ危険な生き物です。小さな集落が、かの魔物一匹に滅ぼされるという話は年に数回出ております。

 しかしながら、あのダンジョンに出てくるハーピーはそれらの比ではありません。我らとてハーピーを狩った経験はあります。

 しかし、アレは、あまりにも、強すぎました。

 足にある巨大な鉤爪は鉄の重層鎧を容易く切り裂き、その翼は帝国軍で正規採用されている剣を、同行した魔術師の炎や風でさえ簡単に弾き返します。そもそも体躯が人の三倍近くあるハーピーなど見たことがありますか? 一人、また一人と食い殺されていって……あのロバートまでですよ。まだ、酒の味も知らない年です。

 閣下、我ら討伐隊にあの化け物を殺す術はございません。

 確かに貴重な資源が多々あることは認めます。しかし、危険すぎるのです。

 直ちにダンジョンを封鎖、魔術省の協力を仰ぎ魔物共の生態・特徴・弱点等の調査より始めるべきです。

 これ以上、帝国の若き血を無駄に流すことが無いように。

 

 帝国陸軍 帝都迷宮討伐隊隊長の手紙より

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「貫け!」

 アニモの手から走る青い閃光。

 飛び出したのは紅蓮の矢。

 魔法の切先は唸りを上げて怪物へと突っ込んでいく。

 着弾する直前、ハーピーが翼を交差させた。

 直後、轟音。

 小規模な爆炎が巻き起こりハーピーの全身を包んだ。

 熱風がここまで届いている。

 僅かな間その姿をとどめていた炎が消え去り怪物の姿が再び現れた。

「なんだあれは……?」

 最初、どでかい球体が地面に落ちているように見えた。

 ハーピーは翼を交差させぐるりと全身に巻き付けているようだった。翼から生えた赤い羽根が一様に模様を作り巨大な卵みたいな見た目をしている。

 動きは無い。

「なんだ? 誘ってるのか?」

 刀を肩に担ぐように構える。そっちが来ないならこっちからだ。

あの爆炎を受けてもなお無傷。

今までの魔物とは明らかに格が違う。飲み込んだ唾が音をたてず腹の底に落ちていった。

「用心しろよ」

 ぺろりと緑の唇を赤い舌が舐めた。僅かに口が震えている。

 刀を担いだまま俺は駆け出した。迷いを振りきるように。

 初めはゆっくりと。

 次に小走り。

 間合いを測る。あと三十歩。

 加速、

 地面を強く蹴った。全身に力を込める。

 周囲を確認。奴が動く気配はない。

 岩みたいにじっとしたままだ。

 担いだ刀をさらに反らす。

 間合いに入った。

「オラァ!」

 気合いと共に振り下ろす。

 刃は目の前の赤い羽根に吸い込まれ、

 残響、

 火花、

 鈍い手のしびれ。

 目の前には行き先を失った刀身と無傷の翼。

 切れ目ひとつ入ってない。

 どっと嫌な汗が全身から溢れ出した。

 直感、何かが来る。

 体を後ろへ投げ出す。

 その瞬間、猛烈な勢いで赤い壁が向かってきた。

 正面全てを襲う衝撃。

 全身をバカでかい鞭で打たれたような痺れ。

 体が宙に浮く。目の前には真っ暗闇。

 一つ、

 二つ、

 ここで自分が仰向けで宙にいると自覚。

 三つ、

 三まで数えた時、背中に痛烈な衝撃。息が止まった。

 首を回してようやく自分が地面に叩きつけられたのが分かった。

 上体を起こす。手に痺れ、指先に感覚が戻らない。

「ケイタ!」

 銀髪だ。

 彼女に起こされてようやく呼吸が再開される。回復魔法をつかってくれたのか?

 思い切りせき込んだ、土埃が辺りに舞っている。

 次いで巨大な翼が動く音。

 ハーピーは悠然と暗闇の中へと消えていった。

「助かった。もう立てる。大丈夫だ」

 奴は上空へ消えた。なぜだ? どう見ても奴の方が優勢だ。なぜ逃げ……違う、逃げたわけじゃない。

 と、なると考えられるのは。

「二人とも走れ!」

 アニモの絶叫。視線の先は、

 俺たちの上空。

 銀髪の手を引き死に物狂いで駆け出す。

 一つ、

 耳に風切り音。

 二つ、

 三つ、

 轟音、地響き。すぐ後ろだ。

 振り返れば土埃の切れ目から顔を出す赤い翼。

 反転。化け物めがけて斬りかかる、が。

「キイイィイイイ!」

 ハーピーは上空へ舞い上がる。もう刀は届かない。クソ! 図体のわりにすばしっこい。

 俺と銀髪はまずアニモの場所へ駆ける。あいつは白骨が折り重なった壁際にいた。宙に浮いた魔輝石をさらに高い場所へ移動させている。

「どうする? 策を練らないと……」

 魔術師は暗闇を旋回しているであろうハーピーをねめつけたまま鋭く言葉を吐いた。

「吾輩に考えがある、時間を稼げるか?」



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第二階層の主(2)

 時間稼ぎ?

 疑問符が頭に浮かぶのに合わせて下から青白い光が立ち上るのが見えた。

 足元に目を移すと白骨の下から魔法陣が浮かんでいる。それも強い光だ、第一階層の時よりもはるかに。

天を覆ったあの炎が脳裏をかすめる。

「ようし、まかせろ……だが速いとこ頼むぜ」

 俺は奴をおびき寄せるためアニモから壁伝いに離れて行く。足を動かすたびに地面に散らばった骨が乾いた音を立てていた。

 注意を引くため刀で壁を打ち鳴らそうとした、その時。

「ケイタ! 上だ!」

 アニモの声。

 脇目も振らずに駆け出した。

 突如、ガクンと視界が下がる。体のバランスを保てない。

 下の白骨だ、足を取られた。

 殆ど四つん這いのまま刀を立て飛び込む。

 顔に固い何かが当たるのと同時に背後で轟音が響いた。

 すぐに立ち上がる。血の味、唇を切ったか。

 化け物は悠然と顔を上げるとこちらを見下ろすようにして再び上空へと舞い上がっていった。

 そういえば、銀髪はどこだ?

 周囲を鋭く見渡す。俺についてきたわけじゃない。アニモの近くにもいない。

 ……いた。丁度この広間に入ってきた場所の近くだ。何かを抱えているように見える。

 だが、キッチリ確認する暇はなかった。

 上に首を回すと暗闇に何かが反射する。

 頭の中に浮かぶのは奴の分厚い鉤爪。

 それに貫かれる幻想を振り払うように俺は再び駆け出した。

 

 あれから、どれだけ化け物を躱しただろうか。息が上がってきた。呼吸をするたびに視界がゆらゆらと動き大玉となった汗が顎の先から滴り落ちた。

 それにしても妙だ、どうしてハーピーは俺だけを狙う? 特別な動きや音を出しているわけじゃない。そもそもハーピーは魔鳥類、目は良くないはず。

 なぜ俺の居場所が分かるんだ?

 風切り音。

 タイミングを計り地面に飛び込む。土が口に入ったところで地響きが伝わって来た。

 土を吐き出し周囲を見渡す。

 ここは広間の中央か。この辺りは骨がほとんど見当たらない。

 なぜだ? 壁沿いは死体が山になっているのに?

「ケイタ! もういいぞ!」

 アニモの声。かなり離れているここからでも、その体が青白い光に包まれているのが分かった。

 俺は中央を抜け青白い光を目指す。あと五十歩。

 後ろを確認。

 ハーピーの姿。飛び立っていない。

 ただ、じっとこちらを見下ろしている。丁度、鷹が野ネズミに狙いを定めた時のように。

 だが、奴は追ってこなかった。まさか、策に気づかれたか?

 どうにかアニモの元へたどり着いた。膝に手をつき呼吸を整える。かなり足にきてるな……少し走るとすぐ息が上がる。

「よく時間を稼いでくれた」

 こちらを見ないまま、魔術師は告げた。黄色い目は化け物へと貼り付けられている。

「あのクソ鳥、急に動きを止めやがった。まさか気づかれたか」

「分からん。ハーピーにそんな知性は無いはずだが……魔法を撃つのにあやつを近くまで引き寄せねば」

 どうも何かをぶっぱなす類いではないらしい。そういうことなら奴をおびき寄せてやる。投げるのに手頃な石をさがそうと俺が身をかがめた時だった。

「来たぞ!」

 顔を上げる。ハーピーを目でとらえた。奴は空中、地表すれすれを滑空している。

 真っすぐこっちに来る。

 腰を下げ戦闘態勢。

 抜刀し両手で構える。

「すげえ勢いだ……大丈夫だよな?」

「見てろ、消し炭にしてやる」

 頭で三つ数える前に奴は十歩先まで来ていた。

 九歩先、

 八歩先、

 七歩、もう奴の表情までわかる。

 ここでアニモはそれまで掲げていた両手を地面に叩きつけた。

 魔法陣は地上を滑るように前へ。

 ハーピーの直下に到達。

 青い光が奴の顔を映し出し、斜めに曲げられた口が写し出される。

 刃を押し当てられたような悪寒が背中に走った。

 光が、消えた。次の瞬間。

 火柱が天まで伸び、虚空を焼き尽くした。

「す、すげえ……」

 人間二人がすっぽり入れるほどの火柱が猛烈な勢いで天へと昇っていった。この呪われた闘技場を赤い光が塗りつぶす。

 だから、初めは分からなかった。

 火柱の後ろに巨大な赤い翼が血濡れの大鎌のように浮かび上がっていることに。

 魔法を躱された。

 あの翼の高さ、ハーピーは飛んでいない。

 奴は大きく翼を後ろへ引いている。

 風を起こす気だ。風向きは……。

 その意図、

 起こる未来が頭の中に暗い地図を描く。

「クソッ! アニモ!」

 魔術師を抱えるように腕に抱き地面へ。

 恐ろしい熱風が襲ってきたのはそのあとすぐだった。

「グッ……!」

 背中に直接火を押し当てられたような感覚が襲う。目の前には紅蓮の景色。首を下げ、どうにか頭への炎の直撃は免れた。

 炎が引いてすぐ腰と右足に猛烈な痛みが走る。

 だが、まずは虫の息になった魔術師が先だ。

「おい! 大丈夫か! すぐ回復薬……」

 見たところ外傷は少ない。少々鱗が焼けただれているが、それだけだ。なら何故……?

そういや、第一階層でも似たようなことが。

 まさか、マナか?

 青い小瓶を探す。ローブを探ると胸の近くにそれはあった。蓋を投げ捨て口に液体を注ぎ込む。

「っぷ! はぁはぁ……恩に着る。命を救われたな」

既にハーピーは体勢を整えているはず。

 すぐ、ここから逃げねば。

 俺は飛び起きアニモの手を引き。

 膝から崩れ落ちた。

 足に目をやると短剣が二本、足と腰に深々と刺さり血が滴っている。さっきの熱風と共に飛ばされて来たのか?

「これは……! いかん! すぐに回復薬を」

 赤い液体を喉に流し込む。傷口が焼けるように熱い。

「キイィィイイ!」

 化け物の鳴き声。奴は翼を上に……まずい! こっちに滑空する気だ。

 まだ、足に力が入らない。

 覚悟を決めるか。足を止めて斬り結ぶしかない。

 俺が遺言を考えつつ刀に手を伸ばす寸前、地の底から湧きあがるような獣の雄たけびが木霊する。

 ガクリとハーピーがバランスを崩した。

 何があった?

 奴は首を後ろへ回している。背中に何かいるのか。

 ハーピーは奇声をあげると、狂ったように地面へ体を叩きつけ始めた。

 奴がわずかに体をひねらせたとき、一瞬“それ”が見える。

 ワーウルフだ。

 だが、通常とは様子が違う。瞳が爛々と紅く輝き体中から黒い靄のようなものが見える。

 紅く光る瞳はもう一組あった。

 銀髪だ。五歩ほどの距離で両手をハーピー――いや、ワーウルフへ向けている。

 そして、氷のように冷たい銀髪の声がこの空間に響き渡った。

「喰らいつけ……!」

 獣の大きな唸り声。

 ハーピーの腹から血飛沫が舞う。

 一瞬遅れて怪物の絶叫が石壁に反響した。



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第二階層の主(3)

 狂乱。

 ハーピーは全身をところかまわず叩きつける。

 土、

 岩、

 冒険者たちの骨や装備が暗闇にぶちまけられた。

 巨体に押しつぶされつつも、ワーウルフは離れない。

 腕がもげ、

 頭がつぶれ、

 体が歪な形になっても、

 その牙を柔らかな肌に突き立てる。

 一際大きく怪鳥の鳴き声が響き、翼がはためいた。

 猛烈な勢いでハーピーが上空へと昇っていく。

「まずい! 力が、届かない……」

 やがて、グチャリと水分を含んだ音が暗闇に響いた。擦り切れた雑巾のようなワーウルフの残骸が、暗い地面に残される。

 銀髪は糸が切れたように動かなくなった。

 ぺたりと座り込み肩で息をしている。

 あれは……マナ切れか!

 どうする。

 まだ傷は塞がってない。

 あいつを背負って逃げるのは無理だ。

 何か手は?

 目の前には白い壁。

 手に持った刀が鋭く光った。

 俺はつんのめりながら壁へ突進する。

「待て! 何を……? まだ傷が…………」

 なんとか壁までたどり着く。これでいい。

 俺は左手に持った刀を振り上げ、

 力一杯打ち付けた。

 火花、

 鈍い残響。

「こっちだ化け物!」

 耳に全神経を集中。

 奴の風切り音を聞き逃せば命はない。

 一つ、

 二つ、

 まだ来ない。

 三つ。

 異変、

 感じたのは視界。目の端で何かが鋭く煌めいた。

 反射的に飛び込む。

 ダメだ! 距離がでない。

 一瞬遅れて、体を震えが襲った。

「……え?」

 十歩先で土埃が上がる。ハーピーは何かに鋭い爪を突き立てていた。

 壁際の松明にそれが写し出される。

 あれは……重層鎧か?

 奴が暴れたときに散らばったものの一つ。

 みるみる内に鎧はズタズタに引き裂かれ、鉄の破片へと解体されていく。

 どういうことだ?

 奴は近くで動きを止めた銀髪を無視し、

 壁を打ち鳴らした俺を無視し、

 遥か昔に屠った死体を襲った。

 ……いや、違う。死体じゃない、重層鎧を襲ったんだ。

 壁際に積まれた骨の山、中央だけ少ない死体、暗闇から何故か狙われた俺。

 頭に閃光が走った。

「アニモ! 消せ! 魔耀石だ! はやく!」

「は? なにを……」

「奴が反応してたのは光だ! 俺たちじゃない!」

 小さな太陽から光がまたたくまに消え去り、周囲を闇の衣が包んだ。ハーピーは鎧を解体し終えたようで、首をまわし次の獲物を探している。

 俺は出来るだけ音を立てないよう忍び足で中央部へ向かった。銀髪の隣まで来ると灼眼がぐるりとこちらに向けられる。

「うご、けない。マギカ、草……」

 薄暗くて分かりにくいが、小さな手にはあの草が握られているようだ。俺があいつの口元までもっていくと、銀髪はもしゃもしゃと腹ペコのロバみたいに食い始めた。

 すっかり飲み込むと飛び起きて周囲を睨み付ける。

「助かった。あの鳥は?」

「大丈夫、俺たちなんて見えてない」

 俺は振り返りアニモへこっちに来るよう合図を送る。何度か迷っていたようだが、あさっての方向で怪物の地響きがするとこちらへ早足で向かってきた。

「これはどういうことだ? ハーピーは何故……」

「あいつが飛びついてるものを見てみろ」

 壁際、松明に照らされハーピーが映し出される。周りに散らばるのは武具の破片。

「……まさかあの鳥は剣と鎧に反応してる?」

 灼眼が細められる。手に持っていたナイフを地面へ投げ捨てた。アニモもそれへ続く。

「正確には光の反射だ。俺をやたらと狙ってたわけも分かった」

 鎖帷子を脱ぎ捨てる。軽くて気に入ってたが背に腹はかえられん。

「これで一息付けそうだ。しかし、どうすればあの固い翼を破れるやら……」

 炎が照らすハーピーの巨大な影が石壁に映されている。

 奴の翼は脅威だ。剣も炎も通用しない。

「あの鳥、翼以外は強くない」

 ワーウルフの牙が思い起こされる。恐らく人の形をした部分の強度は俺たちと変わらないはずだ。

「なあ、あの……ワーウルフを操った魔法? はまた使えないのか」

 アニモは顔をしかめているが、この状況だ。禁忌だろうが使えるものは使わないと。

 だが、俺の願いもむなしく銀髪は首を横に振った。

「あの力は消耗が激しい。離れていると使えないし、マナが足りない」

「……まずいな、もう魔法薬はないぞ」

「待て、音が消えた」

 全員の視線がハーピーへ集中する。

 奴はもう暴れていなかった。

 また、あの構えだ。翼を全身に巻き付けている。

「俺たちが姿を消したと分かったら誘い込みか。嫌になるほど頭の回る化け物だ」

「攻撃の好機であることには違いない。しかし有効な方法は……」

 剣でも炎でも通じない。となると……。

 そんな時、目の端に映った小さな手から漆黒の靄があふれ出た。

 まさかグールを干からびさせたあの魔法を使う気か?

「手ならある」

 そう言い残すと銀髪は俺たちの答えも待たず化け物へ向かっていく。慌てたようにアニモが小さな肩を手でつかんだ。

「まて、それは流石に危険すぎる」

「ほかに方法はない」

 銀髪がずんずんハーピーへ近づいていく傍ら魔術師は荷物に手を突っ込み中を探し始めた。

「これは爆破用の魔石に……こっちは火炎石? ええいクソ! これでは時間がかかりすぎる」

 かけようとした声を引っ込める。今は待つことしかできない。

 銀髪が怪物へ近づいていく。

 自分が立てる息づかいだけが虚空に残された。

 細腕が伸ばされ、

 翼に触れる。

「キイィイイイ!」

 その瞬間。

 狂ったように叫びをあげた怪物が翼を振るう。

 まるで小石を蹴飛ばしたように銀髪の体が浮き。

 壁にしたたか叩きつけられた。

「アニモ! 援護してくれ!」

 脚に力をいれる。

 傷口から血が吹き出すのがわかった。

 銀髪まで三十歩、

 名も知らぬ神に幸運を祈り、俺は駆け出した。



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第二階層の主(4)

 すぐ横から火球が矢のような速さで飛んでいく。

 ……良くないな。今までの炎より一回り小さい。アニモのマナもギリギリらしい。

 あと二十歩。

 足がもつれる。思った以上に進まない。

 炸裂した火球が小さな音をたてて弾けた。ハーピーはどこ吹く風だ。

 まだこちらにもアニモにも顔が向けられてない。

 吹っ飛ばした銀髪へ向け、ゆっくりと歩みを進めている。

 銀髪は……だめだ、壁に体を預けたままピクリともしない。

 奴と銀髪の距離はもう十歩をきっている。

 間に合わない。

 地面に目を向ける。足元に転がっていたのは短刀。

 これしかない。

 俺は足を止めた。

 短刀の柄を掴んで助走。

 全身を反らして思い切りハーピーに投げつけた。

 苦し紛れ。時間が稼げればいい。

 大きく弧を描いた短剣。

 ハーピーの黒眼がこちらに。よし。食いついた

 奴は翼を緩やかに薙いで短剣を叩き落とす。

 動きが緩慢。普段しない動作は鈍重なのか?

 ハーピーがこちらへ向かってくる。ゆっくりと。この距離ならあの鳥目でも獲物が分かるらしい。

 覚悟を決めるしかない。飛び立たれたらおしまいだ。

 姿勢を低くし軽く走る。まだ、速度は出さない。

 奴の翼は両脇に広がったままだ。

 残り、十五歩。

 ここで一気に足に力を込める。

 飛ぶように駆け奴の懐へ。

 両脇から翼が閉まり始めた。

 一息に刀を平行に構え思い切り突き立てる。

 残響、

 火花、

 手に残る鈍い痺れ。

 間に合わなかった。

 間一髪、あの距離では相手の方が速い。

 反射的に横へ回り込む。

 直後、全身に衝撃。

 またも、翼で打たれた。

 今度は体の深い部分まで感覚が消える。

 一つ、二つ。

 背中に衝撃、骨がきしみを上げる。

 目の前にはハーピー。

 後ろは壁みたいだ。

 せき込むと強い血の味が口に残った。

「だい、じょうぶ? どうして、こ、こに?」

 途切れ途切れの声がすぐ隣から聞こえてくる。

 "幸運にも"目的地めがけて飛ばされたらしい。探し人が隣人になっていた。

 銀髪の体に目を向けると打ち付けたのか左腕があらぬ方向に折れ曲がっている。大きな裂傷もあるようだ。

「ああ、親切な化け物に歩く手間を省いてもらってな。その、左手は……大丈夫か?」

「しばらくそのままにしてれば治る……その時間があればだけど」

 先ほどより強い咳が出た。呼吸の度にヒューヒューと空気が漏れるような音が聞こえる。

 目の前には醜い化け物。

 “ちょっとばかし”きつい状況だ。

「あの力を使うのに時間が足りなかった。せめて、十を数える時間触れていられたら」

 口惜しげな声。

 体が動くのに、後どのくらいかかる?

 奴は、もう五歩先だ。

 ほとんど残っていない感覚を頼りに刀を握ろうとした、

 その時だった。

 突如、目の端を光が横切る。

「キイィ!」

 点のような光は俺達を通り過ぎ遠く離れた壁を、正確にはそこに積み重なっている亡骸を照らし出した。

 飛翔、

 俊敏な動き。

 あの爪で体が引き裂かれることを覚悟する。

 目を閉じるが……その時は訪れなかった。

 遠くで地響き。

 化け物は再び亡骸に夢中になっている。

 俺達が呆然と眺めていると目の端に汚いローブが映った。

「手酷くやられたな……これを、最後の一本だ」

 アニモから回復薬の小瓶を受け取り一気にあおる。全身の感覚が戻ってくるのと同時に凄まじい痛みが走った。あばら骨が数本折れてるみたいだ。手を借りてどうにか立ち上がる。ミシミシと背骨が不吉な音を立てた。

「その腕は……」

「大丈夫、時間が経てば治る」

 銀髪の腕からは黒い血液のようなものが流れ出していた。しかし、さっきと比べると多少傷がましになっているようにも見える。

「まったく羨ましい限りだ、少し体を交換してくれないか?」

「……回復してるのはあの鳥も同じ。腹の傷がかなり薄くなってるのが見えた。手を打たないと」

 胸にのしかかっていた重りがさらに水を吸ったようだった。沈みかけの船で台風にあったような気分だ。

 誰も言葉を発しない。聞こえるのは化け物が何かを引き裂く音だけ。

「貴殿らの持っている魔道具をすべて見せてくれ。試したいことがある」

 アニモは俺の荷物から(銀髪は特に魔道具を持っていない)安物の火炎石を取り出した。

 焚火の道具なんか取り出してどうする気だ?

 気づけばもう片方の手にはごつごつした小さな岩を持っている。薄暗闇の中で淡く発光しているのが分かった。

「よし! いいぞ、これさえあれば後は……」

「待て待て! 話が見えん。その光ってるのはなんだ?」

「爆砕石だ。凝縮された爆発を起こすことができる。本来は採掘や探索に邪魔な岩盤を破壊するために使うのだが……」

 これは、ビビのくれたアイテムのひとつか。

 黄色い目が紅い怪鳥へと注がれる。鱗に覆われた喉が大きく上下するのが分かった。

「ハーピーの習性を利用すればこいつの爆発に巻き込むことが出来るかもしれん。最も起爆まで時間がかかるが……」

「名案だ。早いとこあの化け物を吹っ飛ばしてやろう」

 俺たちは早速壁際に即席の罠を仕掛けることにした。

 砕いた火炎石を地面に敷き詰め、その上に爆砕石を置く。共鳴するように二つの石がかすかに震えた。

「可能なら触媒となる高質な鉄があるといいのだが、もう道具は……」

「そういえば」

 そう言うなり銀髪は折れた腕をかばうようにして中央へと走っていった。その間にもアニモは爆砕石を中心として環状に魔法陣を仕掛けていく。

 ほぼ魔法陣が周囲を覆ったころ、銀髪が何かを引きずって戻って来た。

「これ」

 鎖帷子だ。そういや脱ぎ捨てたのを忘れてた。戻って来た銀髪を見るなりアニモは満足そうに喉を鳴らした。

「いいぞ! これなら石の力をさらに引き出せるだろう。遺体の鎧は劣化していて使い物にならなかったからな」

 俺はというとアニモが準備をする間、魔輝石の光を遠くの壁に当て続けていた。あの化け物は疲れを知らないようで暴れまわっている。

 銀髪の言ったとおりだ。

 奴に光が当たった際に腹を見たが、ほぼ傷はふさがっている。厄介な回復力だ。

「魔方陣よし、触媒よし。準備は終わった、離れるぞ」

 罠から最も離れた壁へ向かう。一歩足を動かすと体の芯に痛みが走った。

 体力も限界に近い。

 アニモと銀髪も疲れの色を隠せていない。マナも枯渇してるんだろう。

 向かい側まで着くと俺は壁を背に寄りかかった。銀髪も何故かそれに倣う。

「さて、魔耀石だ。ハーピーを罠まで誘導してくれ」

両手を地面へ付けながらアニモがこちらに顔を向けた。

少しだけ不安はあったが光を罠に向けると化け物は子供のように飛び付いてくれた。魔方陣の光で後ろ姿が照らされる。

 アニモがなにか呟くと青白い光が一際輝き、

 そして消えた。

 衝撃に備え姿勢を低くする。

 一つ、

 二つ、

 何も起こらない。

「なあ、もう、その、魔方は撃ったんだよな?」

 三つ、

 四つ、

「この術式は時間がかかる……にしてもおそ――」

 突如、周囲の空気が鳴動する。

 続いて腹の底を揺らす衝撃。

 稲妻のような閃光が瞬いた。

 遅れて爆音。

 光の奔流。

 天を衝く爆炎が怪物を包んだ。

 生き物が作り出したとは思えない、神秘的とも言える破壊の力。

 雷神が怒り狂ったようなその光景を前に、俺はただ口を開けることしかできなかった。

 

 やがて、光と炎が収まり視界が戻ってくる。アニモが魔耀石を起動すると周囲が明るくなった。

 初めに確認できたのは、もうもうと立ち昇る黒煙。

 次に半壊した石壁。

 そして、

 その中に浮かぶ紅い翼。

「冗談だろ?」

 怒りに満ちた怪物の絶叫が木霊した。



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第二階層の主(5)

 まさか、無傷?

 残り火に照らされた化け物の影が薄気味悪いほど静かに俺たちの足元まで迫っていた。

 重さを増した絶望に刀を落としかけた時、目の端にゆらりと白い指が浮かび上がった。

「……あれを見て!」

 急ぎアニモが魔輝石を向けた。

 奴の体に光が当たる。

 映し出されたその姿は、あきらかに以前と違っていた。

 爆炎が直撃したのか左の翼はボロボロだ。羽が抜け落ちて虫食いのようになっている。胴体の左半分も赤黒く変色していた。あの頑丈な脚も一部が砕けている。

 半面、右の翼は健在。タフな野郎だ。

 だが、好機に変わりはない。

 俺たちは顔を見合わせると奴との距離を縮めていく。

 三十歩、

 奴の姿が大きくなると威嚇するような声が飛んできた。

 しかし、それだけ。飛び立つことはない。

 左の翼が使えないのは明らかだ。

 さらに足を速める。

 二十歩の距離、

 ここまで迫ったところで奴は右の翼を体に巻き付けた。

 即座にアニモが魔法陣を展開するが、弱弱しい光はたちまち消えてしまった。

「いかん……もうマナがないか」

「まさか……あの鳥は傷が治るのを待ってる?」

 銀髪の不吉な予測に冷たい何かが腹の底で飛沫を立てた。

 あの翼をどうにかして奴に一撃を叩き込む必要がある。

 それも、早急に。

 このまま斬りかかるか?

 相手は手負い。

 今なら撃ち抜けるかもしれない。

 この、刀なら。

 ……待て、冷静に。

 深呼吸をすると胸が酷く痛んだ。

 手負いなのはこちらも同じ。おまけに純粋な膂力じゃ奴の方が上だ。

 次にあの翼を受けたら体が持つとはとても思えん。

 考えろ。

 俺が使える手は何がある。

 周りに利用できるものは。

 奴の習性はなんだ。

 周囲に転がっていた冒険者の残骸が足に当たる。

 そういえば奴はあの時……。

 その時、ある一つの考えが頭に浮かんだ。

 沈んでいた宝箱が何かの拍子で海原に現れるように。

 俺は急ぎ二人を手招きすると小声で耳打ちする。

 話が終わるなりリザードマンの口がポカンと開いた。

「そんな方法で……いや、しかし理屈の上では…………」

 二呼吸もするうちに、うなり声が止まった。手の中には魔輝石。やってくれる気になったみたいだ。

 それぞれ、持ち場に着く。

 事を始める前にお互い顔を見合わせた。

 あいつら酷い様だ。誰のモノかもわからない血糊で二人ともべったり厚化粧している。

 流石に知らせてやった方がいいか。

「お前ら酷い面だぞ。血で化粧でもしたみたいだ」

「貴殿らは一度鏡を見た方がいいな。泥でも食べたようだ」

「あなた達、凄く汚れてる。元の色が分からないくらい」

 ……話を聞く限り俺もなかなか酷い有り様なようだ。

 三人揃って音をたてず吹き出した。

 ひとしきり、空気を出しきった俺は怪物に体を向ける。

 胸が突き刺されたように痛む。まだ、動いていないのに。

 残された時間は多くないらしい。

 強い光が後ろから差し込んだ。

 アニモだ。

 両足に力を込める。

 次の瞬間、風を切る鋭い音。

 刃は既に怪物の一歩手前。

 翼上部で光を受けて煌めき、衝突する。

 残響、

 火花、

 一緒、遅れて紅い翼が薙ぎ払われた。

 鼻先を掠める猛烈な風。

 そして、

 銀髪の投げたナイフだけが虚空に吹き飛ばされた。

 狙いが当たった。

 上空めがけて翼を動かした奴の態勢が崩れる。

 一瞬の、隙。

「ケイタ! 走れ!」

 ――駆ける、駆ける。

 あらん限りの力を振り絞った。

 残り、十五歩。

 まだ、奴はこちらに気づいていない。

 醜い口を開けっぱなしで持ち主のいないナイフの行方を呆然と眺めている。

 残り、十二。

 慌てた怪物が翼を戻そうと藻搔いている。

 残り、九。

 片側のつぶれた両眼が俺を捉えた。

 直後、目映い閃光。

 顔を照らされた奴は仰け反る。

 残り、六。

 刀に手をかける。

 奴はようやく体制を整えた。

 が、もう遅い。

 残り、二。

 間合いに入った。

 首は届かない。

 なら。

 抜刀、

 一閃。

 確かな、手応え。

 最後に視界に捉えたの恐怖で歪んだ怪物の顔。

「ギイィイイイィィ!」

 地面を揺らす重い音。

 そして、暖かな何かが上から雨のように降り注ぐ。

 血の臭い。

 刀を下げたまま、振り返る。

 片翼を落とされたハーピーは肩口から鮮血を撒き散らしつつ、苦痛にのたうち周っていた。

 出血は留まる気配を見せない。

「流石に腕を切り落とされると治せないみたいだな」

 刀を構えた。

 次で、決める。

 そして、一歩踏み出した時。

 視界がグラリと揺れ、沈む。

 両膝が地面に落ちた。

 猛烈な咳と共に意識が飛びそうな痛みが走る。

 ボタボタと自身の血が顎の先から滴り落ちた。

 クソッ! こんなところで……。

 いくら念じても錆びついたように体が言うことを聞かない。

 ふと、気づくと上空から降っていた雨がやんでいる。

 嫌な予感。

 心を抑えつつ顔を前へ。

 あの化け物は、もう暴れていなかった。

 吹き出す血を止めようともせず、こちらをねめつけている。

 手負いの俺を。

 そして、一歩こちらに歩みだした。

 視線の先にはあの分厚い鉤爪。

 体をよじって後ろへ下がる。

 距離が広がらない。

 やがて、手に硬い何かが当たった。

 これは骨か?

 さらに後ろへ。

 出血は続いているが奴がくたばる気配はない。

 なんてタフな……

 そんな考えが頭に浮かんだ時、

 背中に何かが当たる。

 壁だ。

 ここが、終点。

 奴は目の前。

 肌は青白くなり。潰れていた目玉は何処かで落としたのか無くなっている。

 しかし、止まらない。

 奴が脚をあげた。

 爪先を真っ直ぐにこちらへ向けている。

 狙いは俺の頭。

 体が、動かない。

 咄嗟に目をつぶる。

 そして、

 ズシリと重い音が後頭部に響いた。

 

 ……まだ、生きている?

 片目を開けると俺のすぐ横の壁に鉤爪は突き刺さっていた。

 視線を戻すと奴の残された目玉も白目を向いている。

 ゆっくりと、奴の体が傾き音をたてて崩れ落ちた。

 その様をじっくりと見た訳じゃない。

 俺の目は"奴が立っていた場所"へ向けられていた。

 そこに居たのは銀髪。

 折れていない手からはあの魔法、黒い靄。

「まに、あっ、た」

 息を切らしながらそれだけ告げると、糸が切れたように地面へと倒れ込む。

 魔耀石の光を浴びて星のように耀くあいつの髪色を最後にぷっつりと意識が途絶えた。



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その名を呼んで

「あ、起きた」

 目を覚ますとすぐ前には白い肌と紅い瞳。

 顔をくすぐる銀色の髪を掻き分け上体を起こす。胸の痛みはかなりマシになっていた。視線を落とすと白い包帯が胸に巻かれている。

「これは……」

「気づいたか、応急処置をしておいた……やや非文明的ではあるが」

 少し遠くでハーピーの翼を引き摺りながらアニモがこちらに顔を向ける。愛すべき博識な魔術師は医学の知識もあるらしい。

「貴殿の持っていた薬草を使わせてもらった。多少は痛みが引くと思うが本格的な治療を終えるまで無理は禁物だ」

「助かったよ。お前がいなきゃあのオークの鼻クソみたいな草を生で口に詰め込むはめになってた」

 視線を銀髪へと移す。泥だの血だのと張り付いていて顔はなかなか楽しい色合いになっている。あらぬ方向に曲がっていた腕は殆ど元通りになっているように見えた。

「ありがとうな。もう少しで串刺しにされるとこだった」

 表情を変えないまま、あいつは小さく頷いた。アニモが翼を落とすと、巻き起こった風がローブの袖を揺らす。

「あなたが囮になって力を使う時間が稼げた」

「囮になった訳じゃないんだが……」

 立ち上がると軽く目眩。だが、目をつぶり三つ数えるとグラつきが収まっていく。胸だけじゃなく脚、というより全身に疲労と痛みはあるが動けないほどじゃない。

 すぐ近くにはアニモが運んでくれたハーピーの死体が置かれていた。白目を向いた本体の上に翼が無造作に投げられている。

「さて、地上に戻るとしよう。あの壁を抜けたところにポータルがあった」

「賛成だ。ところでこのデカブツだが」

 俺が顎で死体をさすと盛大なため息が返ってくる。まだ何も言ってないんだが。

「魔術師として不本意ながら我輩が本体を持っていこう、貴殿は翼を頼むぞ」

 悪いとは思ったがそうさせてもらおう。またいつ骨が軋んでもおかしくない。

 アニモは怪物の本体を引きずりながらブツクサ文句を言っている。魔道の矜持がどうこう言ってたが、魔術師ってのは力仕事を服役か何かだとでも思ってんのか?

 翼を持とうと屈んだ時、紅い瞳と目が合った。

 立ち上がる気配はない。

「動けない」

 俺が問いかける前に答えが投げつけられた。

「え?」

 口は動くみたいだが。それにもう怪我だって治っているように……。

「マナ切れか」

 後ろから納得したような声が飛んできた。確かにこいつはマナで動くとかなんとか言ってたような。

 ちょっと待てよ。

 アニモはあのデカブツの本体を持ってる。いくら竜人と呼ばれるリザードマンでも流石に一杯一杯だろう。

 と、なるとこいつを運べる奴は一人しかいない。

「え?」

 俺の声は受け止めるものもないまま白骨の隙間に転がり落ちていった。

 

「ケイタ」

「なんだ?」

「もう少し揺れないように歩いて」

 ……大したご身分だ。とはいえ窮地を救ってもらった手前何も言えん。

 あいつはそこら中を眺めてるようで背中の上でモゾモゾと動いている。しかも「おお~」だのと感嘆の声まで聞こえるオマケ付きだ。

 何か腑に落ちない。

「あ! ケイタ! あそこ!」

「……分かった。すぐ向かうから髪を引っ張るのはやめてくれ。そいつは手綱じゃない」

 乗り手に従って壁際に向かう。少しの間背中がモゾモゾ動いたあと「もういい」とお許しの声を頂戴した。

 アニモの後に続き前へ。あの闘技場のような広間を出ると一本道が続いていた。そのつきあたりにポータルがあるそうだ。

 そんな折、目の前に小さな花が現れる。支えるのは小さな手。あいつはこれを取っていたのか。

 ……ちょっと待て、こいつ動けるんじゃないのか?

「この花は?」

「名前は知らない」

 少し間を置いて手が引っ込められる。次は本当に動けないのか問い詰めて……。

「だから好き。私と同じだから」

 それは消える直前のロウソクみたいな声だった。口にしようとした問いは水をかけられた焚き火のように消えていく。

 それからは、無言。聞こえるのは足音と死体を引きずる音だけ。すっかり背中もおとなしくなった。

 静かになったらなったでどうも居心地が悪い。確かに名前がないことは気にしてたからな。

 やがて、周りの壁が苔むしてくる。そして、つきあたりの壁際に浮かぶ球体が目に入った。

 ポータルだ。

「起動してくる。少し待て」

 アニモが手をかざすと一段と眩しくなったようだ。

 脇に目を移すとさらさらとあいつの髪が肩にかかっていた。ポータルから降り注ぐから光がそれに当たって、宝石みたいに輝いている。

 脳裏をよぎるのは昨晩、あいつの口から聞かされた言葉。ずっと胸の内で消化できなかったもの。

 

『綺麗で、きれいで……。憧れたんだ。あの光に』

『私は持ってない生命の輝き、そのものだったから』

 

 次によぎったのは気を失う前、目に焼き付いたこの銀髪。

 夜空に瞬くようなあの光。

「なあ、こういうのはガラじゃないんだが」

 背中から小さな動き。

「ちょっと思い付いたことがあるんだ。まあ、その、気に入らなかったら聞かなかったことにしてもらいたい、いいか?」

「なに?」

 果たしてこれが正しいことなのかは分からない。ただ、あんな声を聞かされてそのままじゃいたくない。

「名前さ。なんというかお前にいい名前を思い付いて……」

「名前……どんな?」

 大きく背中が動く。俺もどうしてか緊張して、軽く咳払いした後に唾を飲み込んだ。

「ヒカリ」

「え?」

「名前だよ。ヒカリ。あーいや、気に入るかは分からないけど」

 しばらく、答えは返ってこなかった。

 ……気に入らなかったか? 段々とポータルの膜が広がり始める。

「どうして? どうしてヒカリ?」

 小鳥が餌をせっつくような早口。お気に召さない訳じゃないらしい。背中は急かすように小刻みに動いている。

「あの化け物との戦いで、俺が最後に見たのがお前の髪だった。もう死んだと覚悟を決めた後だ。あの色はまるで星明かりかと思ったよ」

 再び、無言。俺の肩に置かれた手に力が込められる。

「だからヒカリ……なあ、俺は昨日話してくれた花を見た訳じゃない。だけど俺にとって今まで見た中で一番綺麗だったのはお前の光なんだ」

 ポータルの膜がいよいよ広がってきた。後ろからは馴染ませるように名前を呟く響き。

 まるで初めて玩具をもらった子供みたいな声だ。

「で、感触はどうだい?」

 肩を掴む手に一層強い力が加わる。ちらと後ろに目をやると満開の花を咲かせたあいつの顔。

 返ってきた答えはシンプルだった。

「悪くない」

 その後すぐ、俺たちは溢れる光の奔流に飲み込まれていった。



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回り出す歯車
帰還


 ポータルのまばゆい光が収まっていくのにつれ周囲の色が戻ってくる。出発地点と同じ、あの広場だ。柵の外では数人の子供が驚いたような顔でこちらを凝視していた。その足元にはさっきまで使っていたであろう棒きれが落ちている。

「えーと、これからどうすりゃいいんだっけか?」

 背中からは「分からない」という返事。アニモは顎に手を当てると軽く唸り声をあげた。

「いったんあの受付まで戻るか? しかしこのハーピーの死体をもっていくのは……」

 突如、ドアがとんでもない勢いで開け放たれた。留め金が吹っ飛びそうだ。そこから飛び出してきたのはメイドと数人の兵士。メイドのほうはすごい速さで駆けてくる。あれは……コウだ。

「皆さん……! まさか本当に、よくご無事で…………!」

 涙目で声を詰まらせたコウはハンカチを取り出すと上品に目元をぬぐった。

 帰還兵にでもなった気分だ。一呼吸遅れて兵士たちもやってきた。皆、俺たちとハーピーの死体を見比べて一様に驚きの表情を浮かべている。

「ケイタさん! そんな! 血が!」

「え?」

 視線を下げたコウが口に手を当てている。

 変だな?

 まだ怪我は痛むが出血はもうないはず。そう思い下に顔を向けるとどす黒い血だまりが目に入った。

 足元だけじゃなく辺り一帯が汚れている。そういえばなんだか血生臭いような。

「あっ」

 ポータルの下に目を移すと原因が分かった。

 ハーピーだ。

 アニモはなかなか情熱的にアレを運んだらしい。

 取れかけの首から湧き水みたいに血が流れ出ている。

「ち、治癒師を! 急いで!」

 噛みつくような剣幕に一人の兵士が慌てて駆け出して行く。俺は制止しようと伸ばしかけた手をそのままひっこめた。まあ、怪我していることに変わりはない。ここは王様みたいな待遇を受けさせてもらおう。

「さ、もう大丈夫だろ。下ろすぞ」

「……分かった」

 なんとも不機嫌そうな声が返ってきた。膝をかがめると背中に反動。その直後体が軽くなった。銀……いや、ヒカリはそのままハーピーの死体まで小走りで向かい、血が流れる首を突っつき始めた。

 ……普通に動けるじゃないか。まあ、もういいか。

「ケイタさん! まずはこの回復薬を」

 コウがメイド服のポケットに手を伸ばす。ガラス瓶の細い口が太陽の光を鈍く反射した。

 その時。

 ――風切り音。

 咄嗟、コウを抱き寄せる。

「えっ! きゃっ」

 ふわりとリズの花の香が鼻をかすめた。

 直後、瓶が割れる音。

 そして、目の前を何かが横切った。

 その先に目を向ける。

「これは……石?」

「あやつら……!」

 怒気を隠そうともせずアニモが片足を踏み鳴らした。荒げた鼻息からは湯気が出てきそうだ。いつの間にかヒカリも俺たちのそばに戻っている。

 黄色い目の先に柵。その向こう側では人だかりができていた。風に乗って怒号が聞こえてくる。

「金返しやがれー! !」

「とっとと死んじまえ浮浪者が! !」

「お前らのせいでいくら損したと思ってんだ! !」

 それを聞いてようやく意味が分かった。怒りの前に呆れが心を占める。あいつらは俺達で賭けをしてたクソ共だな。

 流石にこの事態は前代未聞なのか兵士たちも豪華な槍の横でバカ面下げて突っ立っていた。

 俺は槍の柄を軽く蹴飛ばしてやる。槍の一部が兵士の足の脛に当たり、ようやくバカ面が直ったようだ。

「おい、あんたら。あの馬鹿どもを止めてやれ。ウチの魔術師はキレると何するか分からんぞ。このハーピーを焼いた炎だ。今ぶっ放されたら帝国史に名が残るほどの大火になりかねん……絞首台に行きたくは無いだろ?」

 兵士二人が顔を見合わせると柵に向かってすっ飛んでいく。途中、投石が当たったのか兵士からも怒号が上がった。

「あ、あの」

「あ、その、すまん」

 胸元からの声。抱き寄せた手を放すとコウの方はぷいと向こうを向いてしまった。

「い、いえ。ありがとうございます」

 彼女の小声を最後に会話が切れる。なんだか気まずい。助けを求めようにもアニモは石を投げた野次馬を射殺さんばかりに睨んでいるし、ヒカリはまた憐れなハーピーとの遊戯に戻っている。

 ありがたいことにそれからすぐ治癒師が到着してくれた。中年の男だ。てっぺんが見事に禿げ上がった頭と立派な口ひげを蓄え、医療の女神サルースの描かれた純白の装束を着ている。

「怪我人は君だな」

 俺の胸に巻かれた包帯目にするや否や掌に緑の魔法陣を展開して俺の体に向ける。胸が燃えるように熱くなったかと思うと倦怠感や痛みがあっという間に引いていった。

 すげえ腕だ。テベス・ベイにいた“ヤブ治癒師”はなんでもない打撲ひとつ治すのに半日はかかってたぞ。

 しばらくして魔法陣の光が消えた。痛みもない。今すぐスキップでもしたい気分だ。

「あんた凄い腕だな! ありがとうよ先生。これでもうなんとも……」

 礼のついでに肩を回そうとしたところ、両肩を治癒師の手でがっしりと掴まれる。

 レンガみたいに固い掌だ。

 小さな片メガネの内側から刺すような光。

「何をしとるか! 君はさっきまで肋骨が折れてたんだぞ。おまけに肺までやられてた。痛みは取ったが骨が完全に結合するのに数日はかかる。とにかく今日は安静にすること! いいね! ?」

 嵐のようにまくしたてられて俺は玩具の人形みたいに首を縦に振るしかなかった。俺の必死な上下運動が伝わったのか、ようやく両脇のレンガが退き圧力から解放される。

「あっ、で、では皆様こちらへ。第二階層を突破したパーティーには別の場所が割り当てられます」

 慌てたようにコウが告げた。髪をしきりに撫でつけてつつ俺達を急かす。

「あー、そのこいつはどうしたら……」

 ハーピーの死体を指さすと、向こうから新しい兵士が荷車を転がしてきた。どうも運ぶのはこいつらがやってくれるらしい。

 最初とはずいぶんと待遇が変わるもんだ。

「あっ」

 ドアの近くまで来たところでヒカリが声を上げた。

 ギルベルトだ。

 苦虫をかみつぶしたような表情で俺たちの帰還を心の底から歓迎してくれている。

「よう、出迎え御苦労」

 ギル公の額に青筋が浮かんだ。その様子が伝わったのか、奴の後ろにいる痩せっぽちから滝のような汗を流れだす。

「……調子に乗るなよ」

 俺達を庇うようにコウが前へ出た。シャンと背を伸ばし毅然と目の前の貴族を見据える

「分かっておられるとは思いますが第二階層を突破し、力量を示したパーティーには権利が付与され安全も保障されます。これはアルフレッド閣下のご意志……」

「分かっている!」

 アルフレッドの名を聞くなり奴は道を開けた。

 奴はさらにあらんかぎりに口を斜めにしている。よくそんなに顔を歪められるもんだ。道化師にでも弟子入りする気か?

 それはそれとして、だ。

 確かめなきゃいけないことがある。脳裏に浮かぶのは第一階層のあの男。

「よう、コスい真似をしてくれたがお前さんの子飼いも案外大したことなかったぜ」

「何を言っている……? まさかお前か?」

 ギルベルトが後ろを振り向くと痩せっぽちが顔を真っ青に染め上げた。千切れる寸前くらいに細い首を横に振っている。

 妙な反応だ。

 シラを切ってるようにも見えん。

 俺達を襲ったあの男はギルベルトの差し金じゃないのか?

「ケイタ、ここは収めろ。真相がどうであれ、この者たちから情報は聞き出せないだろう」

 アニモの耳打ちに小さく頷く。仕方ない、ここは見逃そう。

 ギルベルトに問い詰められる痩せっぽちを横目に俺はコウの後へと続いた。

 ドアをくぐり来るときに見た長廊下へ出る。廊下を軋ませる傍ら俺はアニモへ顔を近づけた。

「どういうことだ? 奴らじゃないのか? そこらの冒険者が持ってるような装備じゃなかったぞ」

「ふむ、第一階層は一本道だった。あとから追っ手を差し向けたなら何処かで鉢合わせするはず……いやもしかすると抜け道が? それなら奴はシラを切っているか若しくは…………ダメた。後程考えよう。答えは出まい。あの紋章も分かっていないしな」

 赤竜とオーブの紋章か……何にせよ今ある情報では埒が明かない。

 頭に引っかかる謎を引っぺがし、俺とアニモは先を行くヒカリとコウに追いつくべく歩む速度を上げた。



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帝都迷宮対策本部

 長廊下を通り抜け冒険者がごった返す酒場じみた場所まで戻ってきた。俺達がドアから入るなり時間を凍らせたみたいに音が消える。

  

 ボードゲームで賭けをしている人間、弓を磨いているエルフ、鬣を自慢している獣人。みんな幽霊でも見たかのように目ん玉をひん剥いてた。

  

 唯一時の流れに従っているのはカウンターのドワーフが注いでいるエールだけだ。コップから泡を立てて溢れてやがる、もったいない。

  

 それらの視線から逃れるようにコウが開けたカウンター内部のドアに俺たちは駆け込んだ。

  

 ドアが閉まるなりアニモが両ひざに手をつく。どうしたんだ?

  

「コウ殿、不躾だが魔法薬を譲ってもらえないか? かなり疲弊していてな。私とこっちの……」

  

 アニモはヒカリの方を見て言葉を濁す。そうだった、まだ名前のことを話してなかったな。

 言葉を受けて小さな少女は得意げな表情を浮かべた。どこか自慢げだ。

  

「ヒカリ」

「え?」魔術師の声が一段高くなった。

「あー、アニモ。そいつの名前はヒカリだ……というかそうなった。ダンジョンから帰る途中、その、色々あって」

  

 しばし鼻の穴と口を洞窟みたいに広げていたアニモだったが、俺とヒカリを何度も交互に見やってから喉を上下に動かした。

  

 どうにかこの状況を飲み込んだようだ。

  

「こ、この件は後で聞こう。で、だ。コウ殿、どうか我らに分けてもらえないだろうか? 少々歩くのがつらくなってきた」

  

 よく見ると額に脂汗が滲んでいる。どうもマナが極端に減ると体力にもかなり悪影響を与えるようだ。

  

 同じくヒカリを見て目を丸くしていたコウだったがすぐに表情を微笑みへと変えた。

  

「もちろんです。少々お待ち……」

「はい! どうぞ。アニモさん」

  

 聞き覚えのある声と共に青い瓶が眼下から生えてくる。手の主は……ビビだ。腕には杖などの魔道具が詰め込まれた袋をぶら下げている。

  

「恩に着る!」

「ビビ、お前の魔道具には世話になった。おかげで生きて帰れたよ」

「ケイタさん! そ、そんな……えへへ」

  

 礼もほどほどにアニモは魔法薬を一気に飲み干した。いつの間にかビビから魔法薬を受け取っていたヒカリもそれに続く。

  

「ありがとう、おいしかった」

「ビビ殿、助かったぞ。味は……人それぞれだな」

  

 そう言うとアニモは尻尾で床を軽く叩いた。二人とも心なしか目に輝きが戻ったように思える。ビビは小走りでコウの隣まで行くと伏し目がちにほほ笑んだ。

  

 それから俺達はまず体の汚れを落とすため、右手にある洗い場へと案内された(かなり控えめな表現でコウに体の臭い等について諭された)。

  

 驚いたことに個室で洗い場があるらしい。しかも脱衣所までだ!

  

 肌と同化するほどにまで馴染んだ布切れを脱ぎ捨て石張りの洗い場へ入る。中は俺が両手を広げて余るくらいの広さだった。

  

 しかし、水がない。

  

 首をひねっていると突如“雨が降ってきた”。

  

「え?」

  

 見上げれば天井には水色の四角い石が浮かんでいる。どうもここからこの水は落ちているようだ。しかも温かいしハーブの様に良い匂いもする。試しに体を擦ってみると見る見るうちに血や泥が落ちていった。落ちた汚れが角の排水溝まで黒い線を作っている。特殊な水なのか目に入っても痛みはなかった。

  

 体中の汚れを落として脱衣所へのドアを開けると目に飛び込んできたのは緑色の丸い物体。

  

 触ってみると水を貯めたヤギの胃袋みたいな感触。少し遅れて緑が赤に変わると熱風が噴き出してきた。あっという間に全身が乾いていく。

  

 信じられん……こんなものまであるのか。

  

 髪に手を当てても濡れなくなった頃、風が収まり胃袋モドキは天井にまでふわふわと上がっていった。

  

 部屋の隅に用意されていた紺色の簡素な服と靴を身に着ける。良質な麻布の感触が肌になじみ、仄かにリズの花の香りがした。

  

 脱衣所から出ると俺と同じような服が目に入る。二人共既に準備を終えたようだ。

  

「おお、見違えたぞ。ダンジョンにいる時は酷いありさまだったからな」

  

 アニモが来ているのは濃い赤の服だった。例の水で汚れが落ちたのか鱗が光沢を出していた。

  

「あの雨を降らせる石は初めて見た」

  

 ヒカリは黒。白い肌と銀髪が良く映えている。俺が口を開くよりも先にコウとビビがやってきた。ビビは荷物を運び終えたのか手ぶらになっている。

  

「では皆さんこちらへ……」

「あれ? そういやあの小さな魔法石はいいのか? あれで確かめるとか言ってたような……」

  

 口に出して思い出した。あの魔石は確か布切れの内ポケットに……まさか捨てられたか?内心焦っている俺の前でコウは手のひらを上に向けた。乗っているのは三つの魔石。

  

 色は紫へと変わっている。

  

「回収させていただきました。これは第二階層最深部にあるポータルに触れると色が変わる仕組みなんです」

  

 アニモが短く感嘆の声を上げた。表情を見るにどうも魔術的に卓越した作りらしい。ヒカリの方は気の抜けた表情でボケっとしていた。多分俺と同じような気持ちだろう、興味なさそうだ。

  

「改めて皆さんを登録所……いえ、帝都迷宮対策本部へご案内します。こちらは第二階層突破者のみが訪れることのできる場所です」

  

 体温が一段上がったような高揚。いよいよここからがダンジョン攻略の本番ってところか。ただ、“入門編”であのハーピーが出て来るってのはルーキーにはキツ過ぎるシゴキだったが。

  

 コウが紫の魔石をかざすと部屋の中央にポータルが現れた。こんな仕掛けが……アニモはいよいよ子供のように目を輝かせている。

  

 コウがポータルを起動させるとすぐ、視界は光で覆われていった。



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新たな出会い~ガロク~

 光が収まるとまず目に入ったのは頑丈そうな石壁。真四角の部屋のようだ。所狭しと様々な模様の魔法陣が描かれ淡く発光していた。赤・青・黄色・緑。色合いも大きさも異なる。書いてあるミミズがのたくったような文字もそれぞれ別の種類なのはどことなく分かった。

「……これは全て罠か。どれもこれも極めて凶悪なものだ」

「凶悪?」

 アニモの視線が鋭くなる。

「あっちの青い術式は<氷槍>だ。指定された者に文字通り氷の槍を降らせる。術者によっても異なるが……この術式の見事さから計るに重層鎧すらいとも簡単に引き裂く威力だろう。<土流>・<火槌>・<風刃>もあるな」

 おおよそ名前で想像はつくが間違っても受け手にはなりたくないものばかりだ。俺たちの様子を見かねてか慌てたようにコウが口を出す。

「このトラップは侵入者、もっと言うと魔物への対策用です。ポータルを伝い魔物が地表に出てきた時のため。とはいっても今まで一度としてそんな事態になったことはありません」

「そういやポータルは大丈夫なのか? そりゃゴブリンだのグールだのがあれを使えないのは俺にも分かるが」

 ダンジョンで気になっていたことを聞いてみる。確か一番深くまで行った奴は第四階層だったな。

 高位の魔物になるとポータルを利用されることもあるんじゃないのか?

「詳しい仕組みは分からないのですがアルフレッド様曰くダンジョンの魔物は使えないようになっているとのことでした」

「あれほど高名な魔術師だ。それも可能だろう」

 目をつぶったままアニモが二度三度頷いた。そんなもんなのか?

 コウが壁に魔石を近づけると重々しい音を立てて石壁がスライドしていきく。彼女に続いて外へ出ると傾いた太陽に照らされた豪勢な建物があった。

 正面には純白の馬鹿デカイ扉。トロルだって通れそうだ。扉もそうだが建物自体も広い。テベス・ベイの浮浪者全員敷き詰めてもまだ余りそうなくらいだ。三角屋根に見えるずんぐりとした煙突からはもうもうと煙が出ている。この建物内には鍛冶屋も入っているらしい。

 屋敷の壁は継ぎ目が無かった。近づいて触ってみる。不思議な感触、土と石の中間みたいな触り心地だ。煉瓦や大理石とは異なる素材が使われているらしい。

「こりゃいったい……」

 首を捻っていると、すぐとなりで緑色の手が見えた。小さな唸り声が聞こえる。

「これはコンクリートか!」

「コンクリート?」

「火山灰に石灰、さらに岩と海水を混ぜた物だ……近年開発された建築材だな。幸運だ、一度見てみたかった」

 うっとりとした表情でアニモはそのコンクリートとやらを撫で回している。事情を知らない奴が見ると違法魔法薬の常習者に間違えられそうだ。

 コウとビビに促され建物内へ。入ってみると丸い支柱が等間隔で並べられ通路のようになっていた。

 一際大きな中央と思われる支柱の近くで周りを見渡す。壁を見る限り一階は四つのエリアに区切られているようだ。俺が迷子みたいに辺りを物色していたことに気づいたコウが苦笑しながら向かって右側に手を伸ばした。

「一階には皆様をサポートする四つの施設があります。こちらには武具を作成する鍛冶師、魔道具や一部の防具を作成する仕立て屋」

 次に左側に手を伸ばす。

「こちらには魔法書を執筆する魔法書作家、魔法薬等のポーションなどを調合する錬金術師がいます。案内することもできますがどうしますか? まだ夕飯まで時間もありますし」

 ここで珍しくヒカリが小さく歓声を上げた。こいつが口に入れるもの以外に興味を示すなんて初めて見たな。

「どうしたんだ?」

「錬金術師は黒ヤモリを使うんだよね?」

 やっぱり食い物の事か……事情を知らない二人はぽかんと口を開けている。“耐性のない奴”が聞いたら卒倒しかねん。この件はうやむやにしておこう。

「うーんどうだろうな? そ、そうだ、コウ。ちょっと施設を案内してもらえるか? これから世話になるし顔見せくらいはしておきたい……そうだな、まずは鍛冶場から行こう」

 強引に話を変えて鍛冶場の方に向かわせる。ホッとアニモが息をついたのが分かった。

 木張りになっている床を踏みしめ建物の右手へ。近づくにつれ鉄を溶かす独特の臭いが立ち込めてきた。

 鍛冶場の場所はすぐわかった。壁の一部がその付近だけ煤けている。ドアを開くと立ち昇る炎の前で鍛冶師が作業をしていた。

 内部は飾り気がなく簡素なつくり。床は地面になっていて埋め込み式の火床があるようだった。ずんぐりむっくりの鍛冶師が手押し式のフイゴを押すたびに炉から火が上がる。真っ赤に焼けた鉄をヤットコで取り出し、年季の入った槌が打ち据えると火の粉が辺り一面に飛び散った。何かのリズムを取るように槌が打たれ、また炉に戻される。

 その動作に淀みはない。かなり腕の立つ鍛冶師であることは間違いなさそうだ。

 しばらく見とれていると打ち終わったのか形の整った長剣を水桶につっこみ中央の椅子へ腰かけた。

 と、ここで鍛冶師はこっちに目を向けた。ようやく気付いたようだ。顔は全部毛むくじゃら。顔から髭が生えたというより髭の上に顔が乗っかっているような印象を受ける。

 ドワーフだ。鍛冶師にはうってつけの種族。しかし、鍛冶師のドワーフが山を離れるとは珍しい。



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新たな出会い~ガロク~(2)

 テーブル上のコップを持ちつつ体を左右に揺らしながらこっちへ歩いてきた。ポケットがいくつも付いた作業着を身に着けている。足も腕も太くて短い。背は俺の胸の高さ、ヒカリと同じか少し高いくらいに見える。

「あんたらは……」モゾモゾと髭がうごめき、槌を地面に打ちおろしたような声が這い出てくる。

「ガロクさん。こちらが新たに第二階層を突破した方々です。ケイタさん、アニモさん、そして……ヒカリさん」

「おうおう! そうかそうか! 新しい金……客ときたら歓迎しなくちゃなんねえな」

 豪快に笑いながらコップの中身を一息に飲み干す。四分の一くらいは髭を伝って床に落ちてるんじゃないか? 一呼吸おいてガマガエルの鳴き声みたいなゲップが続く。

「おっとすまねえ。ちょいとあのつまらん仕事を片付けちまうよ」

 そう言うとガロクは水桶に入れられていた長剣を研ぎ始めた。後からついていくと炉から出る熱気がこっちまで伝わってくる。

「こいつはタタラ法か。あんた北の<剣山脈>出身か?」

 剣を研いでいた手が止まる。こちらに向けられた毛むくじゃらの中には驚きの表情。

「ほう! 俺達の製鉄法を知ってるたぁ驚きだ! ん? そりゃ刀か。良ければちょいと見せてくれんか」

 俺が渡した刀を鞘から引き抜く。その刃を見た瞬間、突然ガロクは立ち上がった。その拍子にさっきまで研いでいた剣が地面に落ちる。

「こいつぁ見事な刃文だ。光の加減が違う。使われてるのはテール鋼か? こんな業物を見られるとはツイてるぜ。ウルカヌスにビールの一杯でも捧げんとな」

「あー、鍛治の神様もいいんだが……大丈夫なのか、そっちの剣」

 ガロクの方は刀に夢中のようだ。落ちた剣には見向きもしない。髭からポタポタ垂れるビールだったものが長剣に当り跳ね返っている。

「ん? ああ、このくず鉄か。心配いらん。貴族からの依頼でな、どうせ屋敷に飾られるだけだ」

 光に当ててみたり水をかけてみたりしてたガロクだが、少しの間唸った後、刀を返してきた。口髭でいまいちわからないが満足したようだ。

「良い刀だ。俺が言うんだから間違いねぇ。恐らくだがテール鋼に魔鉄が少量使われている」

「そりゃよかったよ。ドワーフの鍛冶師に褒められるなら親父も喜ぶ、形見なんだ」

 ガロクばつぶらな瞳をぱちくりさせて軽く咳払いした。そんな鍛治師を見てるとやはり疑問が頭をよぎる。これだけ腕が良けりゃ仕事には困らないハズだが。

 疑問の答えが出る前にアニモもこっちに歩み寄ってきた。片手にはダンジョンで採掘した鉱石を持っている。

「ガロク殿といったか、お初にお目にかかる。アニモだ」

 魔術師が手を差し出すとガロクは一呼吸遅れてその手を握った。俺もそうだったがリザードマンがこれだけ丁寧な言葉遣いをして驚かない奴は少数だろう。

「この鉱石はダンジョンで採掘したものだ。製錬して武具に変えてもらえないだろうか」

 鉱石を渡されるなりドワーフは小さな眼鏡をかけると穴が開くほど見つめ始めた。おもむろに槌を持つと軽く鉱石に打ち付ける。パッと青い火花が散った。

「驚いたな……確かに質は良くない。しかしこいつは紛れもなく魔鉄だ。第二階層でこんなもんが見つかるとはな」

「ケイタ、この魔鉄は吾輩に使わせてくれないか? 作りたいものがあってな」

「そりゃ構わないが」

 俺としてもこいつの使い道がイマイチ分からない。こいつを掘ったときアニモは何て言ってたかな。

「ガロク殿、杖を二振り作って欲しい。吾輩と、こっちにいるヒカリにだ」

 ガロクは机の上に出された鉱石を眺め大きく頷いた。顔には笑みが浮かんでいる。

「あんた魔術師だったのか! もちろん引き受けるさ! 金になるしお互い損もしない。とびっきりの物を作ってやるよ。確かユグドルの若木があったな」

 金、の一言で背筋が凍った。俺は殆ど一文無し、そして我が愛すべきパーティーの面々にしたってお世辞にも重たい財布を持ってるとは思えない。

「あ、いや、ちょっと待ってくれ。金なんだが、今持ち合わせが……」

「え? お金は大丈夫ですよ。武具の作成にかかる費用は全て本部から出されます」

 きょとんとした表情でビビが告げた。細い首を傾けるとふわりとした栗色の髪が垂れさがる。

「か、金なしでも良いのか……?」

「ガッハハハハ! そういうことだ! 心配せずに置いておきな。ついでにあんたの刀も研いでおいてやろう。心配すんな! 代金は貴族サマ持ちだからよ!」

 鳴る程、俄然やる気をみなぎらせた太腕を見るに、どうも打った本数によってこの鍛冶師の収入も増えるらしい。仕事熱心な鍛冶師は早速次の金になる仕事に取り掛かるべく炉の炎を焚き始めていた。

「なあ、ガロク。一つ聞きたいことがあるんだが……いいか?」

「おう! なんだ?」炉から目を離さずにドワーフが答える。

「あんたどうして<剣山脈>から帝都まで出てきたんだ? その腕があれば故郷でも安泰だろうに」

 するとガロクはフイゴから手を放し顔だけをこちらへ向けた。ニヤッと笑うその口からはキラキラと輝く金色の歯が見え隠れしている。

「金だ!! 決まってんだろ! ガッハハハハハ……」

 なんともドワーフらしい理由に肩の力が抜ける。この鍛冶師と長時間いっしょにいるとこっちが疲れてきそうだ。

 俺はビビに手を引かれ次の仕立て屋へと向かった。



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新たな出会い~バロン~

 鍛冶場を後にした俺は手を首に当て大きく伸ばした。なんだか凝った気がする。

「なんというか、職人っていうのは変わり者が多いのか?」

「み、皆さんいい方々ですよ……た、ただ少し特徴的な方々が多くて」

 廊下に出た俺達はそのまま向かいの部屋の前に立った。ここも仕立て屋があるとすぐに分かった。なんせ洒落た文字で『仕立て屋』と書いてある。その横には……『秘密のアトリエ』? なんだこれは。さらにドアノブの周りは様々な絹織物で飾り付けられていた。

 ドアを開けると思わずまず壁に目を奪われる。こりゃ凄い。どこもかしこも服、服、服。布の洪水だ。帝国中央で見られる一般的なベスト・砂漠地方で見られる頭まですっぽりと覆ったカンドゥーラ・動きやすく急所を守れる南部の軽装鎧と種類も様々だ。

 近くにあった一着に手を触れる。白を基調とした厚手のコート。北部の服か? 触って三つも数えないうちに掌から汗が出てきた。

 驚きだ、こんなに優秀な防寒着見たことないぞ。

「それは火喰い鳥の羽毛を空蜘蛛の糸で包んだものさ。デザインは北部の民族衣装を参考にしている。伝統的なのはいいけれどちょっぴり退屈だね」

 部屋の奥から役者のように芝居がかった声。ごった返す服の波間をぬい一際よく目立つ紫色がこっちに近づいてくる。手首にはキラキラと光輝くフリル、胸元が大きく開いた貫頭衣 (こっちもキラキラだ)、それを着てるのはライオン頭の獣人だった。体躯はかなりデカい。俺より頭三つは高そうだ。

 近くで見ると衣装の煌めきで目がチカチカしてきた。大道芸人だってあれと比べりゃ慎ましやかな淑女みたいなもんだ。

「バロンさん、こちらが第二階層を突破した方々です。ケイタさん、アニモさん、ヒカリさん」

 バロンと呼ばれた純白のライオン頭が顎に手を当てる。気取ったポーズだ。よく見りゃ髪の毛 (タテガミと言うべきなのか)もオイルか何かを塗りたくってるようで針みたいに天を向いている。いざ暗くなってもアレに火を付けりゃ蝋燭みたいに燃えてしばらく明かりには困らないだろう。

「風の便りで聞いているよ。ふふっ燃えるじゃないか」

 いかん、蝋燭の下りが声に出てたか。

「入場早々の乱闘! そして集う選ばれし仲間達! 地上に残したメイドとのロマンス! ああ! 戯曲には最高じゃないか!!」

 タテガミどころじゃなかったな。頭の内側にまで蝋が詰まってるようだ。登録所での騒ぎが随分曲解されて伝わってるな……涙を流さんばかりに盛り上がっている情熱家の目の前で手を振ってやる。

「あー、バロンだったかな? ちょっといいかい? いくつか訂正……」

「ああ! なんたるや! 《魔鳥狩り》よ。謙遜することはない。この街に着いてからの君の行動は舞台の中央に立つにふさわしいものだ!」

「いや謙遜じゃ……ちょっと待ってくれ。なんだその呼び名は」

 俺からの問いかけには答えず、バロンはステップを踏むようにアニモの前に躍り出た。文字通り踊るように移動している。図体のわりに動きのキレが妙に良い。

「ふむ、君こそが《異端なる魔炎》。一度その炎を宿せば帝都すら焼き尽くすと聞いている。竜人ながら魔道を極めんとするとは面白い是非話を聞かせてくれ」

 アニモは顎がその機能を放棄したようで、大口を開けたままバロンと熱い握手を交わしている。まだ辛うじて意識はあるようだ。

「そして君だ。謎の美しき少女。冒険者ギルドや帝都の情報局ですら、その素性を知らないとは驚きだ。そうだな、君の二つ名は……」

 またも顎に手を当てる気取ったポーズをバロンが取った。ヒカリの方は自分の二つ名が気になるのか、前のめりで握りしめた両手を肩口まで上げている。

「そう! 《白銀の焔》はどうだろう!」

「おお~! カッコいい!」

 灼眼を輝かせるヒカリを前にバロンは誇らしげに胸を張った。なんだこれは。俺が二の句を告げないでいると、突如後ろのドアが開き、白い布が被せられた何かが台車で運ばれてくる。

 あのハーピーの死体か。

 形状から察するに斬り落とした翼の部分だろう。運んできた兵士が布を一気に引きはがした。ハーピーの腕から先が露になる。

「ヒッ!」

「え?」

 短い悲鳴の方向を見るとバロンが体を縮こまらせ(それでも俺よりでかいが)ガタガタ震えていた。

「お、おい大丈夫!?」

 こちらからの呼びかけに答える様子はない。バロンは歯の音の合わない様子で何かをうわ言のように呟いている。

「ち……血…………」

「え、血?」

「す、すぐ布をかけてくれ! わ、私は血が苦手なんだ!」

 俺が振り返ると既にコウが動いてくれていた。手慣れた様子でハーピーの腕に残った血を拭き取っていく。その後、腕の断面にアニモが手を当てると肉の焼ける臭いと共に細い煙が出た。血が出ないよう処理してくれたらしい。

 ヒカリから涎を啜る音がするが、聞かなかったことにする。

「さあ、もう大丈夫だ」

 恐る恐るといった様子でバロンがこちらに振り向いた。血が無くなっているのが分かったのか緊張を解いたようだ。

 生肉を喜んで貪ってそうな外見なのに分からないもんだ。

「情けない姿を見せてしまったね……」

 すっかり気落ちした様子だ。なんだか服の煌めきまで辛気臭くなってくる。何でここの職人はこう極端なんだ?

「苦手なもんは誰にでもあるさ……所でこいつを使って俺達に防具を作って欲しいんだが」

 俺の言葉にバロンは一度奥に下がると分厚い羊皮紙と羽ペンを手に戻ってきた。猛烈な勢いで羊皮紙の上をペンが走る。あっという間に描きあげたものを見せられた時、俺は愕然とした。

 俺達の防具の図面だ。こんなに早くできるもんなのか?

「ふむ、とりあえず服のデッサンをしてみた。君たちの体躯なら十二分にこのハーピーの羽で賄えるだろう」

「も、もうできたのか!?」

 魔法のような早業に魔術師も舌を巻いているようだ。バロンは優雅に首を振ると真っ赤な羽に真剣なまなざしを向けた。

「これはあくまでプロトタイプだよ。君たちの体躯、素材の能力、防具とした際の特性など考えるべきことはまだまだある」

 すらすらと述べられる言葉に俺の中に作られつつあったバロン像が壊れていく。腕の方は一級品のようだ。仕立て屋は羽を一枚抜き取ると何かを呟いた。すると手に魔方陣が浮かび白い光があふれ出す。魔法も使えたのか!

「ふむ、素晴らしい性質だ。斬撃に耐えうる強度に加え魔法への耐性まである。おっと、不躾だがここで失礼するよこの逸材の活かし方を考えないとね」

 そう言うなりバロンはとっとと奥へと消えて行ってしまった。出てくる様子はない。コウの方を見ると苦笑いと共に部屋の外へと促された。小舟で嵐を乗り越えた時のような疲れが両肩にのしかかる。

 俺達は仕立て屋を後にして次の部屋へと向かった。



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新たな出会い~クイン~

 人間

 やたらと数だけは多い新顔。貴族共は無駄に高慢で平民は卑屈。自分達は大陸の覇者だと勘違いしているのが滑稽だ。中には各方面で"そこそこの"能力を発揮する者もいるが、当然エルフには及ばないだろう。

 

 ドワーフ

 山に住むちんちくりん。美意識というものは坑道に置き忘れたらしい。ドワーフエールというヤギの小便みたいなビールを好んで飲むバカ舌。ただし工芸品に鍛治師の腕、頑強な戦士には一定の評価を与えざるを得ない。

 

 竜人 (リザードマン)

 エルフ・妖精族と並ぶ古の三種族の一つ。

 極めて過酷な戦士社会で生まれ落ちたその時から選別が始まる。幼少から鍛え抜かれた戦士たちの力量は大陸随一だろう。精鋭の力には竜を祖先に持つという伝説も真実味を帯びるほどだ。一方で戦士以外の職に就くものは殆どいない。魔法にも適正はないようだ。

 

 妖精族

 大陸でもっとも古いと考えられる種族。齢が千歳を越える者もいる! (エルフや人間の寿命は長くて百程度だ)無尽蔵の魔力を有し強大な力を持つという。ただし、戦いの記録はほぼ残っていない。大陸南西部の<黒の森>深部に殆どの個体が住んでいる。

 

 エルフ

 神々に最も愛された種族だろう。剣・魔法・弓、どれをとっても優れた能力を発揮する。我が種族ながら誇らしい。帝都の貴族や腕利きの冒険者にも同胞の名が並んでいる。

 今最も喜ばしいニュースはヒュパティアだろう。かのアルフレッド・ヴァロワと並ぶ成績を魔法学術院で修めた神童は、我らの優秀さを示す何よりの証拠だ!

 

『大陸の種族解説(エルフ向け)』 エルナンド・シャロン

 ――――――――――――――――――

 

「ほう、ここが魔法書作家の部屋か」

 待ちきれない様子のアニモがドアの前に立っている。すぐにでも部屋と熱烈なキスを出来そうなくらい距離が近い。ドア前には『魔法書あり』とだけ小さな文字で書かれていた。

「はい、こちらはクイン・アードレスト=スタンリトルセペダさんの部屋……書斎ですね。帝都でも有名な――」

「なんと! あの高名なスタンリトルセペダ殿か!」

 アニモの尻尾が陽気なリズムで床を叩き始めた。舌を噛みそうな名前だが、かなりの有名人らしい。

 待ちきれなくなった魔術師が先陣を切って部屋へ足を踏み入れると驚きの声が上がった。

「な、なんなのだこの部屋は!」

 まず目に入ったのは林立する青々とした木々だ。足元の床や壁も根や枝が張り巡らされていて元の色は分からない。天井だった思われる場所には枝が這いまわり、人の頭ほどもある葉っぱが垂れ下がっている。

 それらを掻き分け奥へと進むと開けた場所へ出た。木の枝が折り重なって出来たベッドで小柄な女性が仰向けで寝息をたてている。木のコブを器用に枕にしているみたいだ。

 風貌は珍しい。

 髪は凪いだ海のように鮮やかな青色、それが腰まで伸びている。身に着けているのは緑色のワンピースだけ。スカートの部分がギザギザになっている。こんな服初めて見たぞ。顔立ちは子供のように幼い。横に長い瞼のすぐ上を細眉がすらりと通り、小さな鼻の下には桃色の唇がちょこんと乗っかっていた。

 だが、一番に目を引くのは背中から両側に二枚ずつ飛び出した透明な羽だ。これはもしかすると……。

「スタンリトルセペダ殿は妖精族だったか……驚きだ。我輩も初めて見る」

 噂には聞いたことがあった。森の奥に住む強大な魔力を持つ謎の多い種族。

 だが、目の前の子供にそんな力があるとは思えない。

「おや、おやおや」

 薄羽の少女が眠そうに片目を擦りつつ上体を起こした。半開きの瞼から見える瞳の色も髪と同じ色だった。

「お客さんですか~これはこれはようこそ。どうしましょ、深空樹を煎じたスープでも……」

「クインさん、こちらは第二階層を突破したパーティーの方々です。ケイタさん、アニモさん、ヒカリさん」

 しばし呆けていたクインだったが少しして状況が飲み込めてきたのか瞼がほんの少し上がった。

「ああ~そうか。そうでしたそうでした」

 一度大きく伸びをした後、ふわりとクインの体が宙に浮いた。ぎょっとして羽を見るが全く動いていない。

「あらあら、ビックリさせてしまいましたか。今はあんまり羽使ってないんですよね~魔法に頼ってしまって」

 俺の視線に気づいたのかクインに間延びした声色で告げられた。横からは「流石だ」と感心したようなアニモのつぶやきが聞こえてくる。どうも体を浮かすのはある程度難しい魔法みたいだ。

「スタンリトルセペダ殿は風の使い手であられたか……全ての系統の魔術書を書かれていたので気になっていました」

「クインでいいですよ~。一通りの四大元素の魔法は使えますね~ちょっとだけ火は苦手なのですが、他はそれなりです」

 ……ちょっと待て。さらっと言ってたが四系統の魔法を使える奴なんて初めて聞いたぞ。二系統も操れれば学院の教師になれるって話じゃなかったか?

「ああ、そうでした。冒険者ということは魔術書ですかね~ええと、確かここら辺に」

 クインが近くに幹に触れると木がぐにゃりと曲がった。倉庫みたいに空間があるようだ。彼女は豪快に体を突っ込みいくつかの本を引っ張り出している。

「はいはい、ではまずこちらを。ある程度必要なものは入って……おお! 貴方は竜人でしたか。珍しい…………私の記憶でも竜人の魔術師というのはいません」

「あ、ありがとうございます。あ、あの……クイン殿、その、は、羽が」

 適当に突っ込んだせいか左側の羽が一枚取れかけている。痛みは無いのだろうか? クインはぷらぷらついている羽に気づき。

 無造作にそれを毟り取った。

 後ろからビビの小さな悲鳴が上がる。

「これすぐ取れちゃうんですよね。ん? あらあら、そんな顔なさらなくても大丈夫ですよ~。またすぐ生えてきますから……おや? あなたこれ食べてみますか?」

 嫌な予感。

 いつの間にかクインのすぐ隣まで来ていたヒカリがぶんぶんと首を縦に振る。この提案はクインの耳に涎をすする音が聞こえたんだろう。

「お、おい流石にそれは……」

「私も食べたことはないのですが大丈夫ですよ。以前……二百年位前だったかな、子供にあげた時も何ともなかったですし」

 俺が次の言葉を告げる前にバリバリという音が聞こえてきた。アニモの眉間にしわが寄る。いつの間にか俺の背中を掴んでいたビビが横から様子をうかがっている。

「ど、どんな味?」

「パリパリして美味しい!」

 ヒカリは何を思ったのか羽をぱっきり折ると片方 (小さい方だ)をビビに差し出してきた。

 なんだ? 食べろってことか?

 ビビも何を思ったのか羽の切れ端を受け取った。後ろ手に見える瞳は期待でキラキラと光っている。

 なんだ? 食べる気なのか?

 ビビはおずおずと透明な羽を口へと伸ばし、噛み砕いた。

 バリバリと小気味いい租借音が木霊する。

「あっ美味しい」

 木々に覆われた本部の一室、そこでは妖精の体の一部だったものに少女たちが食らいつくという微笑ましく猟奇的な光景が繰り広げられていた。

 ……アニモとコウが居ねえ。逃げやがったな。

 俺は二人が食べ終わるのを待ってクインに礼を告げると部屋の外へと足を向けた。



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新たな出会い~アラベル~

 部屋から出るとアニモとコウの笑顔が出迎えてくれた。子供の嘘よりわかりやすい作り笑いだ。

「おお、もどったか。さ、早速次へ……分かった、分かったからそんな目でこっちを見るな。その、吾輩はああいった猟奇的な場面が苦手なのだ」

 俺の視線をうけアニモが嫌そうに手を払う。寝る間際に群がってくる羽虫を追い払う仕草そっくりだ。

「では、次の部屋へ行きましょう」

 コウが先導して次の部屋へ案内を始めた。足音が静かな廊下に響く。

 やけに速足だな。

 そういやあの場から一足先にいなくなったのはアニモだけじゃなく……。

「着きました」

 早口にメイドが告げた。既に手はドアにかかっている。毅然とした表情からは有無を言わせない雰囲気が漂っていた。

「なあ、あの時どうし……」

「さ、どうぞ」

 気が利くメイドは望んでもいないのに恭しい仕草でドアを開けた。含みを持たせて視線を送ってもどこ吹く風で受け流される。

 まったくイイ性格してやがる。

 軽くため息をついてドアをくぐると鼻を突く刺激臭が僅かに立ち込めた。壁に沿って無機質な棚が陸軍の隊列のように並んでいる。覗き込んでみると、見たこともない植物の根っこや、ガラス瓶に入れられた生き物の体の一部、真緑の液体などが敷き詰められていた。

「ほう、これはバロメの根だな。三日月の夜にしか取れない貴重品だ。それにこっちはバジリスクの喉袋、あの緑は体液か? 猛毒故、取り出すのは至難の業なのだが……」

 どうも只ならない物が入っているらしい。

 奥に目を移すと分厚そうな作業台。

 底が丸かったり三角だったりのガラス瓶がいくつも並んでいる。

 台の向こう側にはやたら大きな三角帽子と真っ黒なローブ姿の人物が、台の上で白く痩せた手をせわしなく動かしていた。

 作業に夢中のようで俺達が来たことには気づいていない。

 声を掛けようかと伸ばした腕を横から伸びた小さな手に掴まれた。

 (ま、待ってください……! アラベルさんは、その、ちょっとだけ人見知りなので慎重に声を掛けないと)

 ビビが小声で耳打ちしてくれた。人見知りったって話しかけるのを躊躇する程なのか?

 ビビは俺たちより一歩前に出ると軽く咳ばらいを始めた。どうも声の音量を調整しているらしい。グリフォンだってここまでデリケートじゃないだろに。

「アラベルさん、アラベルさん!」

 二度目の呼びかけで気づいたのかビクリと黒ローブが震えた。油切れのぜんまいみたいな動きで顔がこちらに向けられる。

 女だ。まだ二十もいかないだろう。顔の半分ほどもあるデカい眼鏡をかけている。

「あっ、ビビちゃん。ごめんね、きづ……」

 後ろの俺たちに気づいたらしい。アラベルの動きがピタリと止まり、紫の瞳が恐怖の色を写しだした。

 小さな悲鳴。

 彼女の姿はたちまち机の下に消えていった。三角帽子の先だけがぴょこんと台の上に出ている。

「だ、大丈夫ですよ! この方々は第二階層に到着されて……」

 コウが俺たちの紹介をしてくれるがきちんと伝わっているかは疑わしい。恐る恐るといった様子で帽子がせりあがってくる。二つの瞳がなんとか台より高くあったところで動きが止まった。

「あ、あ、あの……ご、ごめんなさい。し、師匠はい、今お出かけ中で」

 師匠? 俺が顔を向けるとビビが小さく頷いた。

「あ、アラベルさんには師匠がいるんです。キルケさんという方なんですが」

「ふむ……錬金術に詳しくはないが名前に聞き覚えはあるな」

 アニモは知っているようだ。その道では有名人なのか? 俺が視線をむけると弟子から再び小さな悲鳴が上がった。ビビから放たれる冷たい視線が肌に突き刺さる。

 いやまて、俺は何もしてないんだが。

「あー、その」

「ヒッ……! ご、ごめんなさい! ごめんなさい! わ、わわ私ひ、ひ人と話すの苦手で…………ごめんなさい!」

 まいったな……これじゃまともに会話できないぞ。

 頭を悩ませていると背後からドアが開く音。

 台車と共に一人の兵士が小走りで白い布が被せられた何かを運んでくる。

 この光景、前にも見たな。

 兵士は白布を引っぺがすと小走りで部屋を出ていった。

 当然あったのはハーピーの“残りの部分”だ。ダンジョンでアニモが運んだ際、負担がかかったからか首と胴体が千切れている。他の部分も焼けただれてたり、斬った断面がそのままだったりと上品とは言えない仕上がりだ。

 こんなゲテモノを繊細な錬金術師に見せたら大事故になるのは目に見えている。

 急いで隠し――

「あれ? もしかして新しい錬金のそざ……」

 ……大変残念だが、事故は防げなかった。



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新たな出会い~アラベル(2)~

 身を乗り出したアラベルの瞳から光が消えている。視線の先には未だ血の滴るハーピーの残骸。

 聞こえるのはヒカリの欠伸だけ。

 しばらく待ってみても錬金術師は再稼働しない。

 気でも失ったか?

 肩でも揺ってやろうかと一歩踏み出し――

 ガクリと視界が揺れた。

 眼下には伸びた腕。胸を捕まれている。

「うおぉ! ?」

 猛烈な勢いで台に引き寄せられる。

 眼前には血走った紫の瞳。

 眼鏡の縁が頬に当たるほど距離が近い。

「それ、見せてもらっていいですか?」

 底冷えのするような抑揚のない声に全身が総毛立つ。指された指の先には上品とは言い難い表情で血を流すハーピーの頭があった。

「こ、このハーピーの頭? か、かな?」

 上擦る声。アナベルの目は完全に据わっている。アニモが俺に頭を手渡すと風のような早さで後ろへ下がっていった。

 ちらりとハーピーの表情が見える。

 左目は落ちていてもう片方は白目。ギザギザの歯が滅茶苦茶に生えている口からは毒々しい紫の舌がだらりと垂れ下がっている。

 何をする気だ……?

 彼女はその頭を引き寄せると両手で抱えるように持った。離された胸が少し軽くなる。

 そして。

「はぅ~~~」

 アラベルは猛烈な勢いでハーピーに頬擦りを始めた。恍惚の表情で悩ましげな吐息を吐き出している。

 頭の奥底に眠っている根元的な恐怖が鎌首をもたげた。

「はぁ~~これは、これはこれは! あのクイーンハーピーですか! ?」

 火でも起こせそうなくらいに頬を擦りつけるもんだから顔やローブに血がベッタリついていった。青白い肌には嫌というほど良く目立っている。

「とっても! とぉ~~っても貴重な素材なんですよ! 特に……はっ! いけない!」

 ようやく我に返ったのかと期待したが、その期待はすぐに裏切られた。何を思ったか大きなガラス瓶を頭の下に置く。

 そして、両手を首にかけ。

 雑巾でも絞るように思いきり締め上げた。

 牛の乳みたいにハーピーの血が噴き出す。

 後ろでアニモが思いきりえずく音が聞こえた。

「イィ~ヒッヒッヒ! さぁ沢山出しましょうねぇ~!」

 地の底から響いてきそうな笑い声。水音に混じってボトリと重たい音が聞こえた。

 血に染まったアラベルは満面の笑みでハーピーの頭だったモノを弄んでいる。子供の頃読んだ絵本に出てくる魔女そっくりだ。

 絵本との違いは魔女を倒してくれる勇者サマが居ないこと。

「いい子いい子~もうちょっと出るかな~」

 悪夢のような光景から目を反らすと隣でヒカリの姿が目に入った。あろうことか目を輝かせている。こいつにはこの惨劇が大道芸人の火吹き芸にでも見えてんのか?

 それから、しばらくの間、狂気じみた笑い声と背筋の凍るような水音との共演は続いた。

 

 魔女が最後の一滴を搾り終えた時、ようやく地獄が終わりを告げた。どこもかしこも真っ赤に模様替えと相成っている。我に返ったのかアラベルの顔から血の気が引いていった。

「あ、あ、あ、ま、またやっちゃった……あぁ~」

 目の前にいるのは気弱な少女。先ほどまでの異様な雰囲気は立ち消えている。グズりながら頭を抱えるその姿には先程の魔女の面影はない。

 だからどうしてこう極端なんだ?

「わ、私いつもこうなんです……夢中になると、周りが見えなくなっちゃって。他の人怖がらせちゃって…………」

 子供が見たら間違いなく一生の思い出になりそうな光景だった。俺もしばらくは夢に出てきそうだ。

 隣で話を聞いていたヒカリが小首を傾げる。

「え? 面白かったよ?」

 ヒカリの言葉を受け紫の瞳が大きくなった。

「怖くなんかない」

「まあ、その。夢中になれるものがあるのは……いいこと、だと思う」

 俺もヒカリに合わせて声をかける。嘘は……言っていないはずだ。

 アラベルの台に置いた手が小刻みに震えていた。クスリ切れとかじゃないだろうな?

「皆さん……! 嬉しい…………!」

 感極まった様子で彼女は……ん? 皆さん?

 肩越しに後ろを見ると驚くべきことに三人ともしっかりその場に残っていた。

 というよりこれは……。

 コウとビビは互いに抱き合うような格好で完全に固まっている。ワーウルフの群れに囲まれた旅人のような表情をしていた。目の前で手を振ってみたが応答はない。

 ただ、これでも隣の魔術師よりはマシだ。

 アニモは直立不動のまま白目を剥いていた。巡礼を終えた苦行僧みたいな面してやがる。どこぞの神殿に安置しておけばたんまりお布施が頂けそうだ。

 これ以上アラベルの“錬金術”を見続けるのは難しそうだ。なんとか部屋の外に出る言い訳を……。

「あ、あの、それと……すいません。勝手に貴重な材料を取ってしまって。お使いになられますか?」

 彼女は血がなみなみ注がれたガラス瓶をこちらに差し出してきた。ぷかぷかと何か塊が浮いているように見える。

「い、いや! 大丈夫! 全然! 全部使ってくれていい! というか全部やるよ!」

 俺の言葉を聞いて彼女の口が大きく歪む。どうもこれは笑みを浮かべているようだ。

「ふ、ヒヒッ! あ、ありがとうございます」

 まるで赤子でも撫でるかのような手つきで変わり果てたハーピーを撫でる。危ない薬でもキメたような表情。

 背筋に冷たいものが流れ落ちた。

「あ、あの、もし良かったらなんですが……?」

「な、なんです……か?」

 体をもじもじとくねらせながらアラベルは顔を赤くしていた。おそらく俺の顔は真っ青になっているだろう。

 彼女はどこからか細長い金属製の棒を取り出した。スプーンを引き延ばしたような形だ。

 なんだろう、ひどく嫌な予感がする。

「良かったら採取を見ていきませんか? こう、鼻からこの棒をいれて、ゆっくり掻き出すとハーピーの脳み……」

「いいや結構だ‼大丈夫! ありがとう! こ、これから予定があるんで……またな!」

 俺はアラベルの声をかき消すように叫ぶと残りの全員を引きずって部屋の外へ駆け出していった。



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宿舎

 地獄のような錬金部屋から這い出してきた俺たちは本部中央でようやく立ち止まった。各々が柱に手をついて息を整えている。

「で、では紹介も終わりましたし食事にしましょうか」

 コウは未だに顔色が青みがかっているようだった。頭についた狐耳もへたっている。

 突然、ぐいと腕を引っ張られた。

 視線を下げると栗色のふわふわ髪がピョコピョコ跳び跳ねている。

「えへへ~早くいきましょう! 僕、料理には結構自信あるんですよ!」

「そりゃ楽しみだ! 名コックの夕食が食べられるならダンジョンで死にかけたのも報われる」

 隣で話を聞いていたヒカリの鼻がピクリと動く。飯に関しては犬並みに感覚が鋭くなるな……。

 冒険者御用達の食堂もあるそうなのだが、そっちは今度にしてコウとビビの部屋にお邪魔することにした。

 コウが奥の壁にある頑丈そうな扉をあけると、赤い光が目に差し込んできた。手で目の前を覆いながら扉をくぐる。

 そして、俺たちパーティー三人は固まった。

 まるで、貴族のために作られた豪著なホテルみたいだ、と頭に浮かぶ。

 まず現れたのは気取った螺旋階段。画家が描いたかのように規則正しいリズムで二階まで続いている。金がかかってそうな木張りの壁からは金で出来たキャンドルスタンド。その先には宝石みたいに磨かれた魔輝石が置かれている。壁に沿っていくつものドアがある、この作りは二階も同じだろう。巨人でも歩けそうなくらい高い天井付近にはいくつもの窓が設けられており、そこから真っ赤な陽光と暗青色の空が顔を覗かせていた。

「すげえな……大使にでもなった気分だ」

「我輩もここまで上質な宿舎は初めて見る」

「宿舎ってなに?」

 目の前の光景に見とれていると目の端で何かが動いた。

 コウだ。

 一番近い左側のドアから手招きしている。あそこが二人の部屋になっているらしい。部屋のドアをくぐった時、ヒカリが「広い」と漏らす声が聞こえた。

 入ってすぐ目に入ったのは十人は顔を合わせられそうなテーブル。椅子が六つも並べられている。茶会でも開くのか?

 右手の壁際には質の良さそうなベッド二つ。見間違いじゃない。正真正銘のベッドだ。近くには顔が写りそうなくらいピカピカのガラス窓まで用意されていた。

 左手には調理場のようなものがあった。鍋をかける器具と一段下がった薪置き場が見える。だが、肝心の薪が見当たらない。どうやって火を起こすのか疑問に思っていると近くの桶に水に入った火炎石を見つけた。あれで火を起こすのか。

 少しすると胸いっぱいに荷物を抱えたビビがドアから入ってきた。駆け寄って顔の前を覆っていた荷物を持つ。中身はぎっしりと詰め込まれたパン。ほかの袋には色とりどりの野菜に肉まである。

「ケイタさん、ありがとうございます! ウリスのお肉が入っていたので貰ってきました」

「ウリスの肉⁉高級品じゃないか、そんなもの買って大丈夫なのか……?」

 聞けば食材は自由に取り出していいらしい。どこで手に入るのかは後で見せて貰うことにしよう。コウとビビは調理場に消えたので俺たち三人は豪華な椅子に座って待つことにした。手伝おうとしても断られたしな。

「肉も野菜もとれたてみたいだったぜ。まるで魔法だな」

「ふむ、確かに。それは魔法によるものだろう」

 俺は冗談のつもりで言ったんだが、どうしたことか魔術師は腕組みして唸っている。

「水と風の魔術を合わせれば氷を作ることができる。食材保存用の魔道具も作られていることだしな」

「そんなもんがあるのか?」

「北部では違うかもしれないが我らリザードマンの住む南方では一般的な設備だよ。冷風を倉庫に送り込み食材が傷むのを防ぐのだ。魔法嫌いの"愛すべき"我が種族もこの魔道具だけは手放そうとしない」

 アニモが口をゆがめる。『愛すべき』の部分にはあいつが今まで見せたことのないような皮肉が込められてるようだった。

 そういえば、出自について詳しく聞かせてもらったことはなかった。戦士社会であるリザードマンの中で魔術師を志すなど生半可な覚悟じゃできないはずだ。

 この疑問をぶつけようと開きかけた口だったが、声を出す前に閉じることにした。食事前に聞くような話でもない。

 俺が背もたれに身を預けると肉の焼ける香ばしい匂いが漂ってきた。向かいの席の椅子が引かれビビの顔がテーブルの上に飛び出してくる。

「えへへ。あとは焼けるまで待つだけです。そうだ、皆さんのお話聞かせていただけませんか? ダンジョンでの冒険譚。僕、そういう話が大好きなんです」



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アルフレッド・ヴァロワ

 帝国にはただ一つ、太陽を家紋にすることを許された家がある。

 それこそがヴァロワ家だ。

 帝国の成立後、綺羅星のごとく優秀な人物を排出してきた当家だが、その中でも一番高く光る星こそアルフレッド・ヴァロワであるといえる。

 若かりし時分よりその才気を発揮し、歴代最優秀の成績で貴族院 (魔法魔術学院・剣術学院の前身)を卒業。軍才も目覚ましく陸軍の士官候補生時代にその卓越した指揮でもって反動派を散々に打ち破った《燕平原の戦い》は有名だろう。

 他にも《竜の丘会戦》や《獅子の迷宮の踏破》等、挙げてきた軍功・武功は数限りない。解説を入れていくと一冊の辞書ができてしまうだろう。

 魔術部門でもその貢献は多大だ。風と水の魔術を融合させた《冷気晶》は南方の食文化に革命的な変化をもたらし、《現世の地図》や《ポータル》はダンジョン探索の必需品となっている。

 あのエルフですらアルフレッド・ヴァロワの功績に異議を唱える者はいない。

 通常であれば隠居を考える年齢となった今でもその力は健在であり、現在は内務卿として帝国の発展に携わっている。

 一騎当千の戦士であり、民草を喜ばせる善政を行う政治家であり、十倍の敵を撃ち破る軍略家。

 この人物こそ『英雄』の名を冠するに相応しい人物と言えるだろう。

 彼は正に帝国の光なのだ。

 

『帝国の英雄列伝』S・ポンセ著

 ――――――――――――――――

 

 射し込んだ陽光で目が覚めた。昨日窓を覆うのを忘れたみたいだ。隣には未だ目を閉じたままのヒカリの姿がある。起きるのが早すぎたか。

 ベッドから飛び起きて軽く体を動かしても痛みはない。むしろ軽いくらいに感じる。

 あの治癒師とは仲良くしておいた方が良さそうだ。

 その時、ドアの外で足音がした。

 ビビだろうか?

 外に出て一階に目を向けると見覚えのない人物の姿があった。

 白髪、腰には一振りの長剣。

 何かを探しているのか辺りを見回している。

 ここに来られるってことは冒険者か? もしくは職員?

「おーい、何か探し物かい?」

 俺の声に気づいた白髪はこっちに向かってぶんぶんと大きく手を振った。満面の笑みを浮かべているように見える。少なくとも怪しい人物じゃなさそうだ。階段を下り、顔がちゃんと見えるようになると初老の男であると分かった。

「おお! 君はもしかして……」

 男はまるで珍しい動物と出会ったかのように俺をいたる方向から観察した後、目じりに皺を寄せ破顔した。鷹のように鋭い形をした目には青い瞳があり、そこには柔和な光が浮かんでいる。

「ふむ、ふむふむ! コウの知らせ通りだ。君が……」

 ここで男は言葉を止めると軽く咳払いをして身に着けた服を正した。遠目からは分からなかったが、身に着けている緑の服はかなり分厚い。防護用の素材が埋め込まれているのだろうか?

「あっケイタさん……」

 そんな時、後ろから声が投げかけられた。ビビだ。

 途中で止まった声を奇妙に思って後ろを振り返ると、あんぐりと口を開けたまま固まっている。

 その視線は俺たち、正確には白髪の男へと向けられていた。

「あ、アルフレッド様!?」

「ビビか! 見違えたぞ。また背が伸びたか?」

 アルフレッド?

 聞き覚えがある。頭の中に沈んでいる記憶の海に両手を突っ込んでみると一枚の紙切れが浮かんできた。

「もしかして、紹介状に書いてあった……」

「ああ、そうだった。アレには私の名が書かれていたな」

 そうだ、確か内務卿アルフレッド・ヴァロワ。

 内務卿っていえば政府の要職じゃなかったか?

「どうしたのだ? 客人か?」

 俺たちの声を聴いたのか、欠伸を噛み殺しながらのそのそとアニモがやってきた。頭には柔らかそうな三角帽子 (先っちょに綿みたいのがついている)を被っている。あいつはアルフレッドに目を向けると体の動きを止め、冗談みたいな速度で目をしばたたかせた。

「き、貴殿は……まさか」

「アニモさん、こちらはアルフレッド・ヴァロワ様です」

 瞬間、アニモが目にも止まらない速さで片膝をついた。地面とキスでもするんじゃないかというほど深々と頭を下げている。

「お初にお目にかかります。小生は……」

 アルフレッドは言葉の途中で首を振ると両腕を前に突き出した。腹一杯になった後、大皿をテーブルに出された時にする行動に似ている。

「分かった! 分かったから膝をつくのはやめてくれ! そう堅苦しくされては息が詰まってしまう」

 アルフレッドは心の底からにじみ出てきたようなため息を吐き出すとアニモの両肩を持って真っすぐ立たせた。立たされた側は目を白黒させている。

「君がアニモ君だね。竜人族の魔術師を見るのは初めてだ。ぜひ今度話を聞かせておくれ。当然、堅苦しくない普通の格好でな」

 突如、背後で派手な音が響いた。

「アルフレッド様!?」

 ビビの隣まで来ていたコウがピタリと固まっていた。足元にはナイフやフォークが散乱している。音の正体はこいつか。

「コウか! 驚くことはないだろう。君が手紙をくれたんじゃないか」アルフレッドはその鉤鼻を人差し指で掻いた。

「こ、こちらにお見えにならずとも呼んでくだされば……」

「そんなことをしていたら取り次ぎで三日はかかってしまうよ。役人とは恐ろしいものだ。物事をやたら難しくするのを自分の仕事だと思っている。それよりも自分の目で見ることができて良かった」

 ここでアルフレッドは俺へ目を向けた。がっしりと両肩を掴まれる。吸い込まれそうなほど澄んだ瞳は見るものを惹き付けるような光を湛えていた。

「君たちには期待しているぞ」

「あ、ありがとう……ございます。えーと、アルフレッド、様」

 俺の言葉を聞いて老人は片手を頭に当てた。子供が苦いお菓子でも貰ったみたいに顔をしかめている。

「『様』なんてつけずとも……」

 アルフレッドの言葉は最後まで聞こえなかった。

 遮ったのは鐘の音。

 丁度八つ打ち鳴らされると音は止まった。

「む、いかんな……もう会議の時間か」

 アルフレッドは名残惜しげに何度か俺たちに視線を寄越したが、最後にはため息をついて足を出口へと向けた。

「私は仕事に向かわねばならん。君たち、夜にまた来るからその時話をさせてくれ。その時はもう一人の仲間を入れてな」

 足早に去っていく老人の姿を俺たちはただ呆然と見送っていた。

 やっと動けるようになったのは、だらけた格好のヒカリが腹を鳴らして階段を降りてきてからだった。



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大神殿

「さあ! 早く行くとしよう! 一度は見てみたかったのだ」

 灰色のローブに袖を通したアニモが俺たちを急かしていた。スキップでも始めそうだ。

「そんなに凄いところなの?」

 話を聞いていたヒカリも目を輝かせていた。ウズウズと体が小刻みに動いている。

「この世のものとは思えない光景だぞ! 帝都に来たのなら一度は大神殿を見なければ……とあらゆる本にも書いてある」

 内務卿殿と夜に待ち合わせをした俺たちはその時間まで街に出てみることにした。俺も心が浮ついている。テベス・ベイ以外の街を見るのは初めてだ。両脇を衛兵が固める門を抜けると背の高い建物が軒を連ねる路地へと出た。

 驚いたな。

 ここは街はずれと聞かされていたが整理された林みたいに行儀よく家が連なっている。獣人の子供が笑いながら俺たちの間を通り抜けていった。

「こんなに人がいたのか……」

 まだ朝も早いはずだが開かれた店の前には小さな人だかりが出来ていた。四角い顔をした商人が黄色い果実を両手に持ち大声を張り上げている。

「さあさあ! こちらが南方から直送された大地の恵みだ! この色を見てくれ。まさに黄色いダイヤ! こいつを食べなきゃ元気になれないよ。この魅惑の果実がなんとたったの二十五ジェイムだ!」

「果物たった一つに銅貨二十五枚も? あの商人イカレてんのか?」

 俺のつぶやきが消える前にその露店には果実を求める客が殺到していた。山と積まれていた果実が瞬く間に銅貨へと変わっていく。

「なかなか強気の値段だが帝都の人間にとっては普通のようだな。どうだ、我らも一つ食してみないか? 魔石の交換で懐も温かいことだし」

 第三階層到達者の特典としてダンジョンの魔物を討伐して得た魔石は換金出来るようで、持っているものはすべて金に換えてもらった。

 対価は驚きの金貨七枚と銀貨二十枚。

 今までの仕事じゃ信じられないくらいの稼ぎだ。これだけありゃ馬付きで立派な馬車が買える。

「……あっそうだ。二十五ジェイムってどのくらい?」

 恍惚の表情で黄色い果実を見つめていたヒカリが、ふと思いついたようにつぶやいた。アニモが店主とやり取りしているが灼眼は黄色い果実を捉え続けている。

「俺たちが本部で受け取った金貨があるだろ? あれ一枚が銀貨なら六十枚分。銅貨なら四千枚分の価値がある」

 長いまつ毛に覆われた大きな目が喜びで見開かれる。どうも全額使ってあの果実を買った場面を想像しているらしい。

「それぞれ金貨がソト、銀貨がザガース、銅貨がジェイムという単位で呼ばれている。大体七ソトも出せば馬付きの馬車が買えるくらいの価値はあるぞ」

「馬車……? 昨日食べたウリスならどのくらい買える?」

「うーん、あの肉は俺もよく値段がわからないが……まあしばらくは三人で食いまくっても大丈夫なくらいは買えるんじゃないか?」

 そうこうしているうちにアニモが果実を抱えながら戻ってきた。ずいぶん多いな、六つもある。

「いやはや、なかなか商売上手な商人でな。ついつい多めに買ってしまった。値引きもしてくれるということだったし」

 まずはさっきから待ちきれないように飛び跳ねているヒカリに果実を二つ渡してやると自分の分を受け取った。ふんわりと柔らかな触り心地で見た目以上に重量感がある。このまま食べられるようなので早速、口へ運んでみた。

 一口かじると爽やかな香りと共に飛び切り甘い果汁があふれ出してきた。果肉もふわふわ舌触りがよく呑み込みやすい。かじった跡を見てみると黄色い皮の内側には白色の柔らかな果肉が陽光を照り返している。

「旨いな。この果物は初めて食べたぞ」

「うん、おいしい」

「これはカトラの実だ。南部の湿地帯でよく見られる果実だな」

 カトラを食べながら歩みを進めていくと大通りに出た。標識には《ローズ通り》とある。

 まず広さに驚かされる。馬車が四台は悠々通れそうな道幅だ。両脇には露店が敷き詰められ物売りたちの声がそこかしこで叫ばれている。人間・エルフ・ドワーフ・獣人・リザードマン。様々な種族でごった返していた。

「確か聞いた話だとこっちのはずだ」

 人の波を縫ってどうにか進んでいく。カトラの実を食べ終え、しつこい客引きをあしらいつつ角を曲がった時、アニモが突然足を止めた。

「おい、いったい……」

 次の言葉は出てこなかった。

 道の向こうに姿を現したのは天を衝くような巨大な柱。それが何本も伸び、空を覆う屋根を支えている。さらに正面には巨大な鷹の石像が鎮座していた。雄々しい翼を伸ばし、今にも羽ばたかんとしている。

「なんという……あれはユピテルか! 神々を現世に顕現させた程の出来栄えだと聞いていたが噂以上だ」

 巨大な鷹の姿をした最高神ユピテルの両脇には半人半魚の姿をした逞しい男神と長弓を引く美しい女神の石像が佇んでいる。

「これ……いくつあるの?」

 石像を見上げたままヒカリがつぶやいた。その口はぽかんと開きっぱなしになっている。

「大神殿には主神である十二柱が祭られているそうだ」

 近づいていくとますますその大きさが分かってくる。あの石像が人間だとしたら俺たちはネズミみたいな大きさだろう。あんまりにも大きいんで、すぐ近くでは首をいっぱいに上向けないと全身が視界に収まらなかった。周りには俺たちと同じようにポカンと上を見上げてる奴らでいっぱいだ。

「食べ物」

 食べ物?

 ヒカリが指さした方向へ首を向ける。半人半魚の姿をした石像の足元には俺の二倍はありそうな魚が横たわっていた。

「供物だな。船乗りたちは特に信心深い……ヒカリ。先に言っておくがあれは神々に捧げられたものだ。吾輩たちは食べられないぞ」

 聖像の脇を抜け階段を上ると神殿の内部へ入った。中央に大きなかがり火が焚かれているだけで他には何もない。火の前では何人もの僧侶が祈りをささげているようだった。

「しっかしデカい像だな。こんなに凄いのは初めて見た。神殿の中は何にも無いみたいだが」

「うむうむ。大きいだけでなく作りも精巧だ。ネプトゥヌスのヒレを見たか? まるで本物みたいだったぞ」

 俺が石像に興味を出した様子を見たアニモはゴキゲンのようだった。鼻歌を歌いながら石像をまじまじと眺めている。俺も賢明な魔術師に倣って聖像とやらを見てみることにした。

 目の前にあったのは長い髪をした細身の女神を模った石像だった。足元の石は波打っていて着ているスカートの風にたなびく様子が表されている。

 見事なもんだ。ガロクやバロンならこういうのも作れるのだろうか?

「このクソガキ! ナメやがって!」

 そんなおり、怒号が耳に飛び込んできた。声の方向に目を向けると階段下で人だかりが出来ていた。野次馬が壁になっていて中心で何が起こっているのか分からない。

「……ヒカリの姿が見えんな」

 周囲を見回していたアニモは小さくため息をついた。いつの間にかウチのクソガキ殿が居なくなっている。

 あの場所へ急いだほうがよさそうだ。

 階段を駆け下りると人の波にぶち当る。強引に野次馬をかき分けていくと、なんとか中心部まで出ることが出来た。

 嫌な予感が当たった。ヒカリだ。

 だがそれだけじゃない。

 ヒカリは頭に黄色い頭巾をかけた少女と向き合っていた。頭巾の子はパンを満載にした籠を腕に下げ、カタカタと小刻みに震えている。そこから三歩ほど離れた場所にはガラの悪い男が二人肩を怒らせていた。

 腰には鈍い光を放つ小汚い短剣。

 男の一人、痩せた方が口を開く。その目が見据えているのはパンを持った子の方だ。

「お前はダリアの店の子供か。分かってるとは思うがここら一帯はダノン商会の縄張りだ。退いてもらおう」

「ねえ、はやくそのパン頂戴」

 ヒカリは男二人の声を無視して頭巾の子に語り掛けている。どうも籠の中のパンにご執心らしい。

「この赤目のクソガキ……!」

 二人組の片割れ、小太りの男が顔を真っ赤にして唾を飛ばす。さっきの怒号もこの男からだろう。状況をみていたアニモが渋い顔をしながら首を振った。

「早く止めねばな。神殿を血で染めるなど不敬にも程がある」

「そうしよう。ウチのクソガキ殿を止めないとユピテルの供物に男のミイラが二体加わることになる」

 俺は男に語り掛けるべく睨みあう四人の間に割って入った。



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裏路地へ

「なんだてめえらは!」

 俺がにこやかな作り笑いを浮かべると小太りの怒声がお出迎えしてくれた。どうも仲良くやろうってつもりはないらしい。潰れた団子鼻の上にある亀裂のような目がぎらついている。

「そう興奮しないでくれよ。そっちの子供……あー、銀髪の方の連れでな」

 痩せた方が小太りを手で制しこちらに歩み寄ってきた。特徴のない顔は無表情で内心が読み取りにくい。

「冒険者か?」

「そんなところさ。一旗揚げようと思ってね」

 訝しげな視線の先は俺の刀。ピクリと奴の右手が動いた。後ろで話を聞いていた小太りが俺たちをじろじろと眺めまわし、鼻を鳴らした。

「冒険者だぁ? 怪しいとこだぜ。そっちのリザードマンは丸腰でガキまで連れた冒険者なんざ聞いたことねえ。その剣だって妙ちくりんだしな」

「それじゃあ俺もあんたらの着こなしを見習うかな。腰から下げたその果物ナイフ、似合ってるぜ。リンゴの皮剥きにはぴったりだ」

 途端に団子鼻の方が気色ばんだ。今にもナイフに手をかけんとしている。特徴のない方は冷静なままだ。確認するように俺たち三人を何度も眺めまわしている。

「もういい! とっととそっちのガキをこっちに渡しな! 憲兵に突き出してやる!」

 振り返ると丁度、頭巾の姿が目に入った。瞳に薄い膜を張り、震える指でヒカリの袖を掴んでいる。

 視線を感じた方向へ首を回すと黄色い瞳と目が合った。アニモは何も言わず小さく頷き団子鼻の真ん前まで近づいた。背の高い竜人に気圧されて男たちが後ずさる。

「憲兵とは穏やかではないな。まだ子供だ、そこまでする必要はないのではないか?」

「さ、下がれ! 丸腰の癖しやがって……」

 アニモは深いため息をつくと男の前で手のひらを上向けた。まもなく小さな魔法陣が手のひらに現れ、青い炎が燃え上がる。その火を見た小太りは魔物でも見たかのような勢いで飛びのいた。

「ま、魔術師だと……」

「あいにく吾輩は剣だの槍だのといった原始的な武具は持ち合わせていないのだ。ああ、それとだな」

 炎は丸みを帯び子供の頭ほどの大きさがある火球へと変わっていた。

「丸腰のことを気にかけてくれるのはうれしいが心配無用だよ。ゴロツキ風情なら瞬きする間に白骨に出来るからな」

 底冷えするような声に男たちは色を失った。痩せた男は震える唇で何かをボソボソつぶやいている。

「竜人の魔術師、刀を持った剣士、銀髪の子供……こいつら、まさか《迷宮帰り》か!」

 迷宮帰り?

 聞き覚えのないその言葉を端として群衆にざわめきが伝播していく。目を輝かせる者、奇異の目を向ける者、怯えたように顔をそらす者と反応は様々だ。

「迷宮帰りってなに?」隣に来ていたヒカリが首を傾ける。

「さあ……」

「これでは観光どころではないな。その子を連れて一旦ここから離れよう」

 アニモは踵を返すと頭巾の子の背を押した。

 俺とヒカリも男たちに背を向けようとした、瞬間。

 目の端で鈍い光が瞬いた。

 団子鼻。右手にナイフ。

 刃先は、こっちを向いている。

 こちらは半身。距離は三歩。

 届く間合い。

「そこを動く……」

 丹田に力を込め一気に抜刀した。

 振りぬいた腕に残る僅かな感触。

 刃身が地に落ちる音が耳に残される。

「悪いがリンゴを持ってなくてね。皮むきはまた今度頼むよ」

 丁度神殿にある石像のように動かなくなった男二人を置いて俺たちは人ごみの中へと分け入っていった。

 

「あっ、えっと、こっちです」

 男たちを撒いた俺たちは頭巾の子に先導される形で裏路地を進んでいた。角を曲がるたびに家の壁と道が汚くなっていく。通行人もガラが大変よろしくない。さっきなんて壁に寄り掛かった骸骨のような男がこっちを睨んできやがった。

「ああ、懐かしい感じだな。テベス・ベイとよく似てるよ」

「ああいう死体みたいな人がいっぱいいるの?」

 ヒカリが興味深そうに例の男を眺めている。死霊術の材料? に丁度いいんだろうか?

「それはもう沢山いるぞ。死体と違ってうーうー唸るが」

「私が呼び戻した死体も、うーうー唸るけど」

「ありゃ死体というか……いやまあ確かにそうだが」

 先を行く頭巾の子供の隣を歩いていたアニモが憤慨したような顔でこちらを振り返った。大げさな身振りで頭巾の子へ手を向けている。

「もう少し文明的な世間話はできないか? 少なくとも子供が怯えることのないような話を」

 脇から頭巾の子を覗き込んでみると血を抜かれたみたいに頬が青ざめていた。よく見ると肩も震えている。冷静にさっきの会話を振り返ると強盗か何かに見られかねん。

「あ、あの……」

 久しぶりに頭巾の子が口を開いた。上ずった声が割れた石畳の上に落ちていく。

「み、皆さんあの帝都迷宮から戻られたんですよね? あの男の人が《迷宮帰り》って」

「それは多分俺たちのことだな。で、その迷宮帰りってのはなんなんだい?」

 その子はちらちらとこっちの顔色をうかがいながら唇を震わせた。パッチリとした目は今にも涙がこぼれそうなくらい潤んでいる。

「昨日、迷宮から戻ってきた冒険者がいるって噂になってたんです。で、でも生きて帰ってこられるわけがないから死霊使いに手駒にされたんだろうって……」

「なんという侮蔑だ‼」

 アニモの声が雷のように鳴り響く。頭巾の子供は猫みたいに飛び跳ねてヒカリの後ろへと身を隠した。魔術師はあたふたと慌てながら困ったような顔をこちらに向けてくる。

「あーなんだ。少なくとも俺たちは手駒なんかじゃない。ほら、そこのヒカリだってよく食べるしな。死体なら食べないだろ?」

 自称『元』死体は食欲旺盛のようだが。

 俺の言葉に少し緊張を解いたのか子供はヒカリの後ろからちょこんと顔をのぞかせた。

「そうですよね……うん。ちょっと、私の家に寄っていきませんか? 助けてくれたお礼を。何もないですがパンならありま」

「行く!」

 言うや否やヒカリは少女の手を取ってさっさと歩きだした。少し二人が離れてからアニモは小さなため息を漏らす。

「死霊使いと聞くとどうしてもな」

 子供の扱いに慣れたやつはここにはいないらしい。俺は頭一つ高い背中を押しつつ先を行く二人を追った。



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ガザニアを夕日に染めて(1)

 狭い路地に張ったクモの巣を払いつつ進むと開けた場所に出た。ここだけは空気もどこか澄んでいるように感じる。

 左手に一際ボロボロの家屋が見える。

 こりゃひどいな。

 まず木で出来た外装は所々腐っているようでまともに建っているのが不思議なくらいだ。ドアだと思われる部分には元々取っ手の役割をしていた部品がぶら下がっている。せりだした屋根の部分を見上げると真っ青な空が顔を覗かせていた。

 人というより亡霊の住処だ。突風が吹いたらぺしゃんこになっちまうだろう。

「おいおい凄い家があるぞ」

「驚いたな……こんなに古い型のものは珍しいぞ」

「ボロボロ。本で読んだ幽霊屋敷みたい」

 三々五々感想を述べる俺たちを尻目に頭巾の子はずんずん件の幽霊屋敷へ向かっていく。心なしか一段と肩を落としているようだ。

 なんとなく嫌な予感がよぎる。

 隣に目をやると赤と黄色の瞳とかち合った。

「あの……ここです。私の家」

 今にも消え入りそうな声が俺たちの間に落ちていく。しばしの沈黙のあと、アニモが震えた声を絞り出した。

「いや、これは……とても趣がある家屋だ。歴史を感じる」

「あ、ああ。そうだな。なんていうか……その、良い感じだ」

「幽霊が住んでて楽しそう」

 三分の二はまともなフォローができていなかったが頭巾の子は少し気を持ち直したみたいだ。彼女が取れかけの取手を器用に使ってドアを開けると、ふわりと香ばしい小麦の匂いが通り抜けた。

「あっ、そうだ。遅れたんですけど私、ミミっていいます。さ、どうぞ」

 簡単なお互いの自己紹介の後に入った家の中は外装から想像していたほど壊滅的な状態じゃなかった。少なくとも人が住むに問題ない清潔さだ。テベス・ベイだったら上のほうだろう。

 おまけに木枠の窓辺には見たこともない花も置いてある。上等なもんだ。

「なんだ、中は随分綺麗じゃないか」

「えっ⁉」

 あろうことかミミがぎょっとした顔でこっちを振り返ってきた。綺麗な赤髪が口に入っているがそれも気にならないようだ。

「ああ、ごめんなさい。そんなこと言われたのは初めてなもので」

「そうか? 俺のいた街じゃこのくらいならちょっとした高級店だぜ」

 途端に上機嫌になったミミは俺たちへテーブルに着くよう言い残し店の奥へと消えていった。しっかりした背もたれ付きの椅子に座り周りを見渡してみる。内部はこざっぱりとている。木目がそのままの壁に少し黒ずんだ窓、俺たちが座ったのと同じ四人掛けのテーブルが四つ店内に並んでいる。多少年季は入っているが腐った部分も蜘蛛の巣もない。

「なかなかいいところだな」

 念入りに椅子を払っていたアニモがようやく座ると何とも言えない表情を向けてきた。

「一度貴殿が育った環境を詳しく聞いてみたいよ。修行僧の真似事でもしていたのか」

「これがごく普通さ。ヒカリもそう思うだろ?」

 俺が話を向けるとヒカリは半開きの目で小さくあくびをした。裏路地でつけたのか髪にはクモの巣が引っ付いている。

「私が居たところよりは……あっ」

 ヒカリの視線を追って奥に目を向けると、パンの敷き詰められた大皿を持ったミミの姿があった。彼女は慣れた様子で大皿をテーブルに置くとヒカリの喉が鳴った。

「どうぞ。こんなお礼しかできませんが」

「いやいや、代金は払おう。皿の分は全てもらうよ。いくらになるだろうか?」

 ミミはブラウンの瞳を何度もぱちくりさせ、口を開きかけたが最後には伏し目がちに小さく頷いた。

「その、そうしていただけるとすごく助かります。最近、小麦の値段が上がって材料を手に入れるのも難しくて……」

 テベス・ベイで食料を調達した時のことが思い返される。あの時、露店のオヤジも同じようなこと言ってたな。

「その話は俺も元いた街で聞いたな。帝都でもそうなのかい?」

「ええ。どこに行っても高くなっていて。詳しくは分からないんですが」

 少しばかり首をひねった。小麦が不作なんて話は聞かないのに妙なことだ。

 頭に浮かんだ疑問は隣からのバリバリという小気味いい音に霧散していった。ヒカリがカリカリに焼き上げられたパンを豪快に口へ突っ込んでいる。しかし旨そうによく食べる。髪といわず服といわずパンのカスが新しい模様みたいに引っ付いていた。

 というかもう二つ目じゃなかったか?

「うふふ、おいしい?」

「おいしい」

 テーブルにこぼれている食べカスを見てもミミは嫌な顔ひとつせずヒカリの傍らで満面の笑みを浮かべていた。こうやって二人並んでいると仲の良い姉妹みたいだ。

「ヒカリちゃんは美味しそうに食べるね」

 食べカスを取ったり世話を焼いている姿を見ると保護者に見えなくもないが。

 全部をヒカリに取られる前に俺とアニモもパンへと手を伸ばした。

 

「いやはやこのパンは実に美味だ。南方にいる時はこれほどのものは食べられなかった」

 手に持っていた一切れを口に放り込むとアニモは満足そうに腹をさすった。多すぎるように思えた昼食も今やきれいさっぱり無くなっている。

「おお、お客かい?」

 しわがれた声と共に少し腰の曲がった老婆が奥から姿を見せた。灰色の頭巾から白髪となった髪が飛び出している。

「おばあちゃん!」

 ヒカリの髪形をいじっていたミミが先ほど現れた老婆へ駆け寄っていく。残されたヒカリの方は髪が頭上で爆発したような髪型へと変貌していた。本人は気にしてなさそうだが。

 そんな中、突如老婆が咳き込みはじめた。何かを引っ掻くような音は彼女の喉からだろうか。

 暫くしてなんとか咳きが止まる。背中を撫でていたミミの瞳には不安の色が浮かんでいた。

「まさか……」

 その様子を見ていたアニモはその目を鋭くし立ち上がると、ミミと老婆へ向け近づいていった。



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ガザニアを夕日に染めて(2)

「少し診せてもらえるかな?」

 目の前に現れた大柄なリザードマンに老婆の肩がビクリと震える。ミミはその震えを静めるように背中をさすっていた。

「おばあちゃん、大丈夫だよ。この人たち私が広場で危なかった時も助けてくれたし」

「ミミ! まさか大神殿へ行ったのかい! ?」

 脳裏にチンピラ共とのやり取りが浮かぶ。もしかして、この婆さんがそうか。

「あんたもしかしてダリアかい? ダノン商会ってチンピラ共が言ってた」

「ああ、クソ! あの玉無し共!」

 炉に火炎石を放り込んだみたいに婆さんが激高した。「クソッカス」だの「ミミに触れたら殺す」だのと穏やかじゃない。早いとこなだめないとアニモの診療前に天へ召されそうだ。

「だ、大丈夫だよ! おばあちゃん! 危なかったけどこの人たちが助けてくれて……」

 助けた、というと少々語弊がある。原因の半分以上はチンピラを煽ってたあの時の客にあるだろうしな。

 ……とはいえ本人にその自覚はないらしい。なんせ俺の隣で満足そうに胸を張っているんだから。

「おお、そうなのかい! あんたらが! ありがたや……」

 今度は熱心に拝みだした。まだ神々の元へ行くつもりはないんだが。

「あーダリア殿、でいいのかな? ぶしつけでなければ少々体を診させてくれ。時間はかからない」

「その魔術師は医学の知識もあるんだ。診てもらった方がいいぜ」

 俺たちの言葉にダリアは一層祈りを深くした。正直こんなに頭を下げられると居心地が悪くて仕方がない。俺は診察をアニモに任せヒカリとミミの元へ足を向けた。

「マイコニド!? ヒカリちゃんそんなに危険な魔物と戦ってたの!?」

「え? ただのキノコだったけど」

「へー、そうだったんだ? おばあちゃんからは絶対に近づくなって言われてたんだけど」

 ダンジョンでの話をしているようだ。しっかしヒカリを基準にすると色々と危険な知識を植え付けられかねん。

「あー、ミミ。マイコニドには絶対近づいちゃだめだぞ。ヒカリは、その、少々特殊でな」

「へ? ああ、やっぱり危険ですよね」

 それから少しの時間ダンジョン内での話をしていたが、やがて内容はヒカリの服装や髪へと移っていった。ミミは戦いや探索より銀髪の少女への興味が強いようだ。

「ヒカリちゃんの髪いいな~キラキラしてて髪飾りも似合いそう」

「伸ばさないの?」

 ミミは頭巾の上からその赤い髪をゆっくりと撫で、小さく息をつく。

「パンをこねる時に邪魔になるからね、あんまり伸ばさないようにしてるの」

「パン! !うん! それならそのままがいい。似合ってる」

「もー、ヒカリちゃんったら」

 何度も強く頷くヒカリの姿に頭巾頭がクスクスと揺れた。パッチリとした瞼の上で赤髪が踊っている。

 アニモの方へ首を向けるとダリアと話し込む姿が見えた。こちらに背を向けていて表情は分からない。

 少し間をおいてアニモがこちらを振り返り、手招きしてきた。黄色い目は少し険しくなっているようだった。

「終わったのか?」

「まあな。とにかく今は安静にすることだ」

 それを聞いたダリアは憤慨したように鼻を鳴らした。

「ちょいと先生! 私が寝てちゃ明日のおまんまは食いっぱぐれだよ!」

 なんとなくアニモが眉間にしわを寄せていた理由が分かった。理由であるダリアは俺の体をマジマジと見つめ「ふーむ」だの「悪かない」だのと呟いている。

「あー、俺がどうかしたかい?」

「ふうむ、悪くないね。あんたは頑丈そうだし生地作りもすぐ覚えそうだ。ただ婿に来るならまず……」

「まてまてまて」

 立ち眩みを起こしそうだ。まさかこの短時間でボケちまったわけじゃないよな? アニモの野郎はくつくつと喉で笑いをかみ殺している。

「俺は別に嫁探しをしてるわけじゃない。ただの冒険者だよ。しかもミミはまだ子供だろう」

「そうなのかい? 仲よさそうに話すもんだからてっきり……私があの子くらいの年には嫁に行く子も多かったんだけどねぇ」

 話してたのはほとんどヒカリだが……。

 ダリアは椅子に腰を下ろすと窓辺へと顔を向けた。皺が幾重にも重なった顔に浮かぶ瞳には深い寂しさが見て取れる。

「昔とは変わっちまったよ。色々とねぇ。街が石畳に覆われてから人の心も冷たくなっちまったみたいだ。変わらないのはあの窓辺に咲くガザニアくらいなもんさ」

 しばし、沈黙。

 煌びやかな帝都の中に取り残された暗い裏路地。欠けたレンガの中に咲くガザニアは真昼の陽光の中にあっても控えめだった。

「時に。おせっかいだろうけど」

 ダリアは声を落としその眼を俺に向けてきた。

「帝都迷宮だけはやめときな。知ってるだろうがあそこに行くのは自分から棺桶に入るようなもんだ……先生の護衛だとか見回りだとか、真っ当な仕事で身を立てるのが一番さ。丁度今のあんたみたいにね」

 どうも俺は彼女の中だとアニモに雇われた護衛になってたらしい。誤解を解くため竜人のセンセイからダリアに説明してもらった。

 アニモが冒険者だと知った時は「魔術師が冒険者になるとは世も末」と嘆いていたが、俺たちが第二階層を抜けたことを知ると驚愕の表情を浮かべた。

 棺桶の中身がいきなり起き上がったのを見つけたような驚きようだ。

「たまげたよ……あんたらが《迷宮帰り》とは。しかし三人組ってことは少し前の奴等とは別かねぇ」

 "少し前の奴等"? アニモと目を見合わせる。

「我らの他にも最近第三階層に到達したパーティーがいるのかな?」

「ああ、先生方より少し前にいたんだよ。四人組。ただ、もう冒険者は廃業するって話をしてるらしいよ……まあ、噂だがね」

 はじめて聞く話だ。丁度良い。今日の夜、内務卿殿に聞いてみるとしよう。

 ダリアがまた俺の方に値踏みするような目を向けてきた。何かをぶつぶつと言った後、大きく頷く。

 ああ、クソ。嫌な予感しかしない。

「なあアンタ! そこまで行ったならもう将来安泰だ! これから外っ面だけ着飾った棒切れみたいな女が言い寄ってくるだろうが、そんなの相手にしちゃいけないよ。そうだね、丁度ウチのミミみたいに器量がよくて出るとこもで……」

 ふと、気温が下がったような気がして後ろを見ると器量良しの姿があった。赤髪に負けないくらい顔を染めて沸騰した鍋みたいにプルプル震えている。

「良くお聞き! 今ならあんな別嬪な嫁だけじゃなく腕利きの……」

「おばあちゃん! !」

 ミミの大声が破裂する。ダリアは演説に夢中でミミに気づいてなかったのか飛び上がるほどに驚いていた。

 心臓が止まったりしないだろうな?

「もー! もー! そういうことしないでっていつも言ってるでしょ! 誰彼構わず変なこと言って……」

「何言ってんだい! 私だってそこそこ見込みのある奴にしか声をかけないよ!」

 聞き慣れない笑い声。

 不思議に思って振り返るとヒカリがこっちを見てにんまりとほくそ笑んでいた。唇がプルプルと震えていて、片眉が吊り上がっている。

 妙に腹立たしい表情だ。

「……なんだ?」

 あいつはその表情のままこっちを指差してきた。

「そこそこ」

「はっ倒すぞ」

 ヒカリの野郎は腹立つ顔をますます歪めて笑ってやがる。ミミの方も盛り上がってきたようでアニモが宥めるのに四苦八苦しているようだ。

 裏路地にあるボロ家。窓際に置かれたガザニアは賑やかな声のなか、その影を伸ばしていった。



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ガザニアを夕日に染めて(3)

 エイミー。状況は思っていた以上に悪い。もう倉庫は空っぽだ。これはウチだけじゃない。あのセッケの家でさえもう卸す食べ物は無いという話だった。

 信じられるか? あのがめつい狼頭が商品を切らすなんて今まで一度だってなかった。一度だって、だ。

 少なくとも、もうこの辺り一帯からは買い付けられる場所は残っていないと見ていい。

 いや、ここら一帯どころじゃない。もしかすると地区全体で……。

 私も知りうる限りあらゆる場所の畑を見て回ったが、全てもぬけの殻だった。まるで一斉にどこかへ逃げ出したみたいにね。

 金目のものも一緒にな。唯一見つけたのは底に穴が開いた黒鍋くらいだ。

 エイミー。

 私は北のホロベルクへ向かう。あの地域ではジャガイモの栽培を始めたと以前小耳に挟んだんだ。どうもこの情報をここらの商人は握っていないらしい。

 つまり、そういうことさ。

 今の状況は厳しい。だが、これは上手くいけば大変な儲け話になるぞ! いいかい? この手紙は誰にも話しちゃいけないよ。

 私がなぜ居ないのか聞かれたら遠くに住む友人の見舞いだとでも言っておいてくれ。

 春には帝都で売り出したい。少なくとも鷹の月までには戻るよ。ジャガイモは重かろうがドワーフが飼ってるイノシシを輸送に使えば問題ないだろう。

 留守を任せる。信頼しているよ。

 

 とある行商人の置手紙

 ――――――――――――――――

 

「あの、あの、色々とほんとに……! お、おばあちゃんは決して悪い人じゃ!」

「心配無用だ。ダリア殿が、その、愉快な方だということはよく分かったよ」

 ずいぶんと長居してしまったようで、外に出たとき裏路地は赤く染まっていた。外で走り回っていた子供たちが三々五々家の中へ戻っていく。

 コウたちが心配しているかもしれない。俺たちもそろそろ帰らないとな。

「うん、楽しかった……そこそこ。ふふっ」

 ……約一名井戸に叩き落したい奴もいるが。

「また明日の昼過ぎにでも来るとしよう。ダリア殿から頼まれ事もあるしな」

 アニモの言葉を聞いたミミの顔に花が咲いた。ヒカリの手を取り、また来てねとブンブン振り回している。

 にしてもアニモは何時そんな約束したんだ?

「ヒカリちゃ~ん! !また来てね~!!」

 千切れそうなくらい両手を振るミミ。彼女の影が延びていく帰り道を、俺たちは来たときよりも小さな歩幅で歩み出した。

 

「おおー! !」

 夕食の席、今日あった出来事を話しているとビビが歓声をあげた。ちょうど大神殿前でチンピラのナイフを切り落としたところだ。サーカスの花形でも前にしたような表情で見つめられるとむず痒い。

 ただ、裏路地にあるパン屋のくだりになるとビビとコウは視線を落とした。

「大神殿の周辺は特に商会の見回りが厳しくなってきたと聞きます。背景に貴族間の縄張り争いがあるとか」

「ダノン商会ってのを知ってるか? 俺たちに……いや、俺たち『が』か? ちょっかいかけてきた奴らなんだが」

 コウは人参を口へ運ぶとフォークを皿へ置いた。流れるような所作には気品が感じられる。

「あまり、いい噂は聞きません。最近勢力を伸ばしてきた商工ギルドだったかと」

「貴殿は街のことについて随分と博識だな」

 アニモは子供の拳ほどの大きさがある実まで赤い果実 (竜甘って名前だったかな)をわざわざナイフで切り分けてから口へ運んでいる。その立派な顎なら竜甘の三つや四つ丸飲みに出来そうなもんだが……リザードマンってのは意外に上品なのか?

「仕事柄、色々な情報が向こうからやってくるんですよ……こちらが望まなくても」

「ねえねえ! それからどうしたの!? 悪い奴らは?」

 待ちきれないといった様子でビビが腰を浮かせてきた。ふわふわの髪に肉汁が付きそうだったんでどけてやる。コウからの注意が入ると口を尖らせ席に戻っていった。

「ビビ、食事中にそのような振る舞いはすべきじゃないわ」

 俺はその言葉を聞いて思わず右に目を移す。皿に取った肉を豪快に喰い千切っている銀髪が目に入った。それは獲物を仕留めた熊が肉を貪る姿を思わせる。

 元死体? とはいえ最低限人間らしい食事方法を教えてやるべきか?

「ビビ、特になんにもないぞ。それからミミとその場を離れたんだ。流石に街中で腕一本斬り飛ばす訳には……」

 背後のドアをノックする音。扉が開く重い音に振り返ってみると、そこには内務卿の姿があった。

 背中から椅子を引く音。アニモが早足でアルフレッドの元へ向かっていく

「少し、お話が」

 アニモは顔を近づけると小さく口を動かした。声は聞こえない。

 次の瞬間、内務卿の鷹のような目が一段と険しくなった。

 なんだ? 何を話したってんだ?

 それから少しの間、二人は小声で言葉を交わしていた。時折、アニモが目をつぶって首を横に振る。

 俺の視線に気づいたアルフレッドは表情を元に戻すと、アニモを連れこちらに近づいてきた。

「いや、すまんな。内緒話のようになってしまった……アニモ君、さっきの話はこの二人に」

「後程話します」

「そうか」

 一瞬浮かんだ哀しみの色を消し去るようにアルフレッドは目を閉じる。間もなく開けたまなこにはもう何の色も見て取れなかった。

「さて、皆から話を聞きたかったのだが、またすぐ帝都を出なければならなくなった。まったく詫びのしようもない」

「いえ、こうしてお会いできるだけでも光栄……おい、ヒカリ」

 声を掛けられてようやくヒカリが顔を上げた。髪や口の周りには肉の油がべっとりとくっついている。

 目を輝かせる内務卿とは対照的にアニモは頭痛を堪えるように頭を抱えた。

「食事は後に出来んか?」

「ヒカリさん、こちらはアルフレッド様です」

 コウが助け舟を出すがヒカリのほうは乗船するつもりはないらしい。じっと白髪の老人を見つめた後、俺の方へ視線をよこした。

「知ってる人?」

「ああ、大陸に住んでる奴なら知ってると思うぞ。まあ。ここにそうじゃない奴もいるが」

 俺たちの会話を聞いていたアルフレッドは耐えきれなくなったように大きな声で笑いだした。豪快な声が響き渡る。

「はっはっは! すまんすまん。ふーむ君の不思議な魔法についても聞いてみたかった。無詠唱での魔術とは……」

「アルフレッド様」

 低い声。

 扉の向こうから頭まで甲冑を着込んだ大柄な騎士が顔を覗かせている。どうも出発が迫っているようだ。

 アルフレッドは肺の空気をすべて吐き出すように大きなため息をついた。

「すまないな、もう時間だ……時に一つ頼みを聞いてくれないか? 実は、一人パーティーに加えてほしい人物がいるのだ。君たちにとっても悪い話じゃないぞ。腕前は保証する」

 顔を見合わせる。これからさらに深層へ潜ることを考えると腕利きの加入はありがたい。

「信頼には足る人物であるとも付け加えておこう」

「こちらとしてもありがたい話。まして貴殿の頼みとあれば断る道理はありません」

 恭しくアニモが頭を下げるとアルフレッドは肩の力を抜いた。皴が多い顔に穏やかな笑みを浮かべている。

 しかし、気になる点もある。

「内務卿、それだけ腕利きなら引く手あまただったのでは? どうして俺達に」

「……その人物は君たちの前に第二階層を突破したパーティーの生き残りでね。ダンジョンの先へ進むと言って聞かないのだ。まあ、多少気は強いが悪人じゃない」

 嫌な予感が心の隅に引っかかる。それだけの腕を持ちながら声が掛からないなんてのはよっぽどの曲者だ。さっきから気になってたが内務卿殿がこっちに目を合わせようとしない。

 詳しく聞き出そうと俺が声を上げる前にアルフレッドは短く別れの挨拶を残し甲冑騎士と共に消えてしまった。二人の姿が消えて直ぐ、アニモが口を開く。

「如何様な人物なのだ? コウ殿はご存じか?」

「いえ、私も詳しくは……確か、目深にフードを被っていて姿もあまり」

 ダリアが話してた生き残りか。これは明日にでも彼女に聞いてみるとしよう。

 ダリアで思い出した。あの時、何を話してたんだ。

「さて、だ。アニモ、さっき内務卿殿としてた内緒話は何なんだ? 話してくれよ」

 アニモは考え込むように唸った後、目を伏せた。少なくとも愉快な話じゃないらしい。ヒカリもフォークを置くとその目が鋭くなる。

「ダリア殿のことだ」

「ダリアだって? おいおい、さすがにパン屋の婆さんについて内務卿に話すことは無いだろ」

 何が、どうしたってんだ。俺達の様子を見てかビビが不安そうに背を丸めている。コウは何か察しがついたのか、目線を下げていた。

 大きなため息。

 しばし目をつぶった後、アニモは意を決したように次の言葉を吐き出した。

「結論から言おう。ダリア殿は長くない。持って一週間だろう」

 誰が、落としたのか。

 陶器の割れる音を最後に部屋は重苦しい沈黙の中へと落ちていった。



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ガザニアを夕日に染めて(4)

「……今日はダンジョンについての追加説明をしようとしていたのですが、また後日にしましょう」

 コウの言葉を最後に俺たちはずぶ濡れの布切れみたいに立ち上がると、無言でその場を後にした。言いようのない息苦しさが蛇のように付きまとう。小さく音を鳴らす階段が昨日よりも長く感じられた。

「では、また明日だな。今日は――」

「なあ、アニモ。ダリアの病気ってのは一体何なんだ?」

 ピタリ、と魔術師の動きが止まった。朧げな魔法の光が険しい横顔を冷たく照らし出す。

「吾輩も一度だけ南方でこの症例を見たことがあってな。あれは不治の病だ。原因も治療法も全ては闇の中にある」

 重々しい声を聞くほどに体温が急激に下がっていく。指先は氷のように冷え切っていた。

「魔法も薬も受け付けんのだ。症状も幅広くて……唯一共通しているのは死後全身が灰色へと変色するということだけ」

 アニモは表情を歪めるとかぶりを振った。

「ゆえにこの病は《灰死病》と呼ばれている」

 そのまま、アニモは別れも告げずにくるりと背を向け自身の部屋へと戻っていった。力なく閉められたドアの向こうから尻尾を引きずる音が聞こえてくる

 暗い気持ちのまま振り返るとだらりと首を下げるヒカリの姿があった。銀髪が滝みたいに広がっていて表情は伺えない。

「た……ん…………ても…………れ……いい」

「ヒカリ?」

 すきま風みたいな囁き声が俺の耳に入り込んだ。だが、内容までは定かではない。

 俺の声を聞いて細い肩がビクりと脈をうった。

「どうしたんだ?」

「……なんでもない」

 歯切れの悪い答え。あの話を聞かされた後じゃ無理もないか?

 やり切れない気分なのは俺も同じだ。だが、なんの知識もない俺たちじゃ……。

 いや、知識があれば問題ないのか。

「ヒカリ」

 短く声を出す。零れそうなほど赤い瞳がこっちに向けられた。

「ちょっとばかしアテがある。行ってみないか?」

 

 ドアを開けると中はやけに暗かった。濃い薬品の匂いが鼻をつく。奥の方からは何かを擂り潰すような音。棚から顔を出すと、とんがり帽子が机の上に置かれた魔輝石に照らされていた。

「アラベル、ちょっといいか」

 出来るだけ刺激しないように話しかけたつもりだったのだが、錬金術師は尾を踏まれた猫みたいに飛びあがった。

「ヒッ‼」

 恐怖に染まった瞳が暗い室内に浮かぶ。

 ……理不尽じゃないか? どう見たってこんな暗い部屋で錬金術をしている女の方が恐ろしいだろう。

「あー、その、だな。ちょっと今日は助けてほしいことがあってきたんだ」

 棚の影に隠れてしまった彼女が顔だけをのぞかせる。そこらの野生動物より警戒心が強いのにこいつはよく生活できてるな。

「実は……」

 俺が今日あった事のあらましを語り始めると彼女は少しずつ棚の影から出てきてくれた。ミミやダリアとの出会いについて話す場面では、心なしか顔も柔らかくなったように感じた。

 だが、ダリアの抱えた病名を告げると表情が一変する。

「《灰死病》……また出るなんて」

「この病気はあんた方、魔術師の間では有名なのか?」

 アラベルはゆっくりと首を横に振った。

「私たちのように、国家に所属する一部の魔術師・錬金術師には知らされているんです。数は少ないけれど、原因不明の奇病があると」

「……治らないの?」

 呟くようなヒカリの声。薄明りの中でもその唇がきつく結ばれているのが分かる。

 しかし、どうしてアニモはこの病気を知ってたんだ? 元国家魔術師……なわけないよな。

「そう、聞いています。不治の病だと。初めてこの病の記録が出たのはおおよそ十年以上前だそうですが、治療に成功した例は……」

 蝋燭が燃え尽きるようにアラベルの声が消えていく。俺の心のどこかにあった『もしかしたら』という淡い期待と共に。

 一時の沈黙が場に残された。

「なあ――」

 俺が声をかけようとしたとき、小さなうめき声が耳をかすめる。

 グラリとアラベルの体が傾いていた。

 急ぎ、肩を掴む。

「あ、ごめんなさい。ちょっと、ぼーっとしてて」

 それからも彼女はフラフラと振り子のように体を揺らしている。

「ごはん食べた?」

 ヒカリが机から体を乗り出してアラベルを覗き込んだ。机の上にある不可思議な形をしたガラス瓶がガチャガチャ音を立てる。

「食べましたよ。たしか、昨日……一昨日だったかな?」

 耄碌した老人みたいなことを言い始めた。

 フラフラになっても実験用のガラスが床に落ちないよう整えているあたり筋金入りだ。

 しかし、このまま放っておいて餓死させるわけにもいかん。

 ……確かコウから食堂があるって聞いたな。

 ヒカリと二人でアラベルを引っ張るようにして部屋から引きずり出す。腕を引っ張ったが折れそうなくらいに細い、まともに飯もとってないのか?

 本部の中央まで来ると食堂の場所はすぐ分かった。扉の近くから旨そうな匂いが漏れ出ている。

 肘で扉を開くとカウンターの奥に恰幅の良い女性が見えた。年は四十くらいだろうか。大人一人入りそうなくらいデカい大釜をかき回している。

 女性はこちらに気づくと空いている手で手招きしてきた。

「おやまあこんな時間に! さあさあ! お入んなさい」

 彼女は俺たちが席に着く前に(正確に言うとアラベルは俺たちが座らせた)皿を用意しだした。

「あら、アラベル! あんたまたご飯すっぽかしたでしょ! こんなに痩せちゃって……」

「あ、あれ? シエナさん? 私いつの間に」

 しかし声がデカいな……。話も好きみたいだが手の方も止まらない。

 燃え盛るかまどに鉄鍋を置き手際よく切り分けた食材を放り込んでいくと、質のいい油とニンニクの焼ける香ばしい匂いが鼻孔をくすぐった

「しっかし……ん? そうだ、あんた方は」

「私はヒカリ。こっちはケイタ」

 普段ではありえないような反応の良さでヒカリがシエナに答えた。身を乗り出してカウンター向こうの鍋の中身を見つめている。

「ああ! 噂の新顔かい! どんなイカツイ野郎かと思ったらずいぶんと可愛いらしい子が出てきたじゃないか!」

 ひとしきり大声で笑った後、小さなツボからとろみのある琥珀色の液体を鍋に入れ始めた。甘酸っぱい匂いが辺りに立ち込めこっちの腹まで減ってくる。

「今はあり合わせしかないけれど、とりあえずこいつを食べていきな」

 そう言うと俺たち三人の前に先ほどの料理を取り分けてくれた。小魚が泳げそうなくらいデカい皿だ。特にアラベルの分はてんこ盛りになっている。

「あ、あのシエナさん? わ、わたしこんなに食べられ……」

「ああ! そうだったそうだった」

 シエナは後ろの棚から分厚いパンを織り出すと俺たちに渡していった。これまたアラベルのパンは厚みが二倍はある。手で持つのも大変そうだ。

「パンを忘れてたよ。さあ、たんとおあがり! おかわりはいくらでも作ってあげるからね!」

 もう夕食は食べてきたんだが……手を付けないのも悪い。俺はフォークで皿の中身を刺し、一つ頂く。

 こいつはジャガイモだ。表面はカリカリに焼かれていて小気味いい歯ごたえがする。中身はホクホク。こいつが甘酸っぱいソースと実によく合っていた。

 後を引くニンニクの香りも食欲を引き立てるのに一役買っている。

「う、うまい」

「あっはっは! そう言ってくれると嬉しいねえ。みんなこうやって食べてくれるとさ」

 いつの間にか背後に回っていたシエナが豪快に笑った。ヒカリは黙々と皿の中身を口に詰め込んでいるし、アラベルの方も雛鳥みたいにちょこちょこと食べ進めているようだ。

「しっかしアラベルはもったいないよ! こんなに可愛く産んでもらったんだから、もう少し肉をつけなきゃ。あたしくらいが丁度いいってもんさ」

 しかしここの女将は恵まれた体格をしている。満杯のビール樽に丸太を四本差したらちょうどシエナのような体躯になるだろう。

「が、がんばります……そうだ、ケイタさん。ダリアさんの件ですが」

 アラベルはフォークを置くと真剣なまなざしをこちらに向けてきた。俺も背筋が伸びる。

「正直、出来ることは殆どありません。けど、私に一つお薬を作らせてください」

「それは、ありがたい……が、いいのか? 少なくともあの人は…………」

「お金はいりません。錬金術は元々実利を求めて始められた学問です。でも」

 アラベルは言葉を切ると俺から目をそらし視線を下げた。膝の上に置かれた手が強く握られる。

「ううん、私がしたいんです。こんな私でも何か、出来ることを。そうしたら……」

 そこまで言ってアラベルは口をつぐんだ。「何でもない」と小声でつぶやいてから慌てたようにパンを口に詰め込んでいく。

 心なしか白い肌に赤みがさしたようだった。

「何か……あったのかい?」今までとは違い、声を潜めたシエナが俺に耳打ちしてきた。

「ああ、少しな」

 事のあらましをシエナへ伝える。自然と、俺も小声になっていた。

「病気は治せんが、せめて……っておいおい」

 シエナの頬に雫が跡を引いていた。まんまるの目から大粒の涙が流れ落ちてくる。

 彼女は頭を下げると、自身の額から肩、胸まで六芒星を描くように右手でなぞった。

「泣かせてくれるじゃないか……! そのおばあちゃんも喜ぶと思うよ」

「シエナ、さっきの、そのまじないみたいなのは……」

 シエナはハッとした様子で涙をぬぐった。

「あれは、まあ、神へのお祈りだよ。こう見えても信心深いのさ、あたしはね」

「こんな殺風景な場所に料理も上手い上に敬虔な女将がいるなんて驚きだよ」

「まあ!!」

 シエナは嬉しそうに顔をほころばせるとその太い右腕を振り上げ。

 俺の背中に振り下ろしてきた。

 ずしりと内臓にまで振動が伝わる。

「う゛っ」

「もう! いやだよあんた! あたしを口説こうなんて十年早いさね!」

 そんなつもりは……てか背中が痛てぇ。ゴブリンくらいなら素手で絞め殺せるんじゃないのか?

 カラカラ笑うシエナと、心配そうに俺の方を覗き込んでくるアラベル。柔らかな光が照らす食堂の共に時間はゆっくりと過ぎていく。心に立ち込めていた霧が少し晴れたように思えた。少しだけ、明るくなったように。

 ただ、一つだけ。

 口数を減らしたヒカリの事だけは、心の隅に切れ味の悪いナイフのように残り続けていた。



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ガザニアを夕日に染めて(5)

 翌日、俺たちが朝食を終えたころアラベルが小走りで駆けつけてきた。

「ま、間に合った……こ、こちら…………を」

 細長いガラス瓶に入れられた赤い液体を渡された。黒いコルクで蓋をされている。

「だ、大丈夫かい? ……まさか寝てないのか?」

 よくよく見ると大きな目の下に深い隈が出来ていた。足取りもかなり怪しい。

「あと、この……手紙、だり、あ」

 俺に手紙を押し付けると、いよいよ瞼が閉じ始めた。アラベルの様子を見ていたコウが立ち上がると慣れた様子で彼女の手を引いていった。寝室まで連れて行くのだろう。

「ケイタ、それは……」

「薬だよ。昨日アラベルに作ってもらったんだ」

 アニモは小さく頷くと袋から小瓶を取り出した。魔法薬が入っていたのと同じもの。こちらは緑色だ。

「吾輩も作ってもらっていたのだよ。フリオ殿にな」

「フリオ?」聞いたことのない名だ。

「ダンジョンから戻ったおり、傷を癒してくれた治癒師がいただろう」

 あの腕のいいおっさんか。こいつはよく効きそうだ。アニモは手の中にある小瓶をしばし見つめた後、真剣な目でこちらに視線をよこした。

「さて、行くとしよう」

 

 裏通りに佇むあばら家は相変わらず静かだった。にぎやかな表通りとはまるで別世界だ。

 呼び鈴もついていないドアを叩くと小さな足音に続いて勢いよくドアが開けられる。

「待ってましたよ! さあさあ入って!」

 飛び出してきたミミは俺たちの姿を見るなり満面の笑みを浮かべた。ヒカリの手を取って中へと戻っていく。俺とアニモもそのあとに続いた。

 ダリアは窓辺にいた。

 ガザニアのそばでミミとヒカリの様子に目を細めている。俺とアニモも彼女と同じテーブルに着くことにした。

「ダリア殿、薬だ」

 アニモが小瓶を、俺が細長いガラス瓶を、彼女に渡す。ダリアは皺くちゃの両手を合わせると深く頭を下げた。

「ありがたやありがたや。しかし、あんたまで持ってきてくれるとはね」

 とんだお人よしだ、と呟いて小さく笑う。近くで聞くとその息遣いの最中にも嫌な音が混じっているのが分かった。

「それから、こいつもだ。これを作ってくれた錬金術師があんた宛に」

 アラベルの手紙も渡す。ちらりと文へ向いたその目が大きく見開かれた。

「……驚いたねぇ、まったく。何か礼をしてやりたいけど渡せるものが無くてね」

「気になさんな。このあばら家から何かを取ろうなんて盗賊だって考えやしないさ」

 近くのテーブルからヒカリとミミの楽しそうな声が聞こえてくる。ヒカリの方の表情はあまり動いていないが喜んでいそうなのは伝わってきた。

 ――ヒカリちゃんて肌綺麗でいいな~お人形さんみたい

 ――それは……

 俺は小さく咳払いするとダリアへ目を向けた。

「なあ、話してるのか? 体のこと。あの子にさ」

 ――あれ? ヒカリちゃんどうしたの?

 ――人形と呼ばれるのは、嫌い

 ダリアは二人の子供に目を向けたままテーブルに肘を乗せ両手を組むと、その上に顎を乗せた。

「いんや、話していない。というより、話せなくてね」

 ――どうして? 言われてみたいのに~

 ――人形も、苦手だし。何も話さないところとか

 ――え⁉人形はそういうものだよ! ヒカリちゃんたらもう、ふふっ

 無邪気に笑うミミの姿。心の隅にあった「話した方がいい」なんて言葉は口を伝う前に霧散していった。

 その直後、アニモとダリアが立ち上がった。聞いてみると薬の用法を伝えるらしい。後を追おうとしたミミをダリアが制した。

「今日はあたしの方で仕込みもやっておくよ。お前はここにいなさい」

 二人が奥へ消えるとミミが俺に手招きしてくる。ダリアのことが気になるのか何度か奥へと視線を向けていたが、俺が目の前に来ると深々と頭を下げた。

「ありがとうございます。おばあちゃんのために、私……」

「まてまて! やめてくれ! 俺は何もしちゃいない。まずあの薬は知り合いの錬金術師が作ったもんだしな」

 悪さをしてるわけじゃないがどうにも後ろめたい。言葉には表せないわだかまりが胸の内にたまっているようだった。

「このことについてはヒカリも相当心配してたんだ。昨日なんかも二人で錬金術師のとこに行ったんだよ」

「ヒカリちゃん……」

 ミミの声が潤みを帯びる。ヒカリもまた俺と同じように彼女の視線から目を逸らした。パン屋の娘はそれを照れ隠しと取ったのかヒカリに抱き着いている。

「そういえば、おばあさんが仕込みって言ってたけどあれは何?」幾分か窮屈そうにヒカリが口を開いた。

「ああ、パンの仕込みだよ。いつもは私がやってるんだ、と言っても殆ど売れないからあんまり作らなくてもいいんだけれど」ミミが寂し気に応じる。

 パンか。作り物を食べたことしかないな。以前小麦から作ろうとしたら、奇怪な物質を食うハメになったな。

「へー凄いじゃないか。俺が以前作ろうとしたら全くできなかったぞ」

 ミミは顔を弛緩させるとくすぐったそうに体をもぞもぞ動かし始めた。

「え、へへ。結構体力も使うんです。ふるい分けも難しいけれどこねる時が大変で――」

 こうして誰かに仕事の大変さを話す機会も無かったのだろう。何時もより早口で話すミミはとても楽しそうだった。

 蝋燭が半分になるくらいの時間がたった後、ミミは恥ずかしそうに口ごもった。

「あっ! わ、私ばっかりごめんなさい」

「いやいや、職人から作り方を教えてもらってよかったよ」

「うん、面白かった」

 ヒカリは実に心地よさそうに話を聞いていた。恐らく頭の中ではこんがり焼きあがったパンが山のように出来上がっているんだろう。

「そういえば、ヒカリちゃんって冒険者なんだよね? 一体どうやって戦うの? 何も持ってないみたいだし」

 ミミはちらと俺の刀に目を移して首を傾げた。ダンジョンに潜る前を思い出す。俺も初めはそれが疑問だったな。

 第一階層で早々にその疑問は晴れたが。

「私の力は……」

 ヒカリは両手を上に向けた。右手には黒い靄、左手には神々しい光。ミミは目を丸くしている。

 そういえば、アニモのと違って魔法陣は現れてない。そういうもんなのか?

「え……まさか、ヒカリも魔術師さん? しかもこれって――」

 その時だった。

 何かに耐えるかのようなうめき声。随分と苦しそうな。

 方向は店の奥。

 ダリアがいる場所。

「おばあちゃん!」

 血相を変え奥へ向かうミミと共に俺達は駆け出した。



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ガザニアを夕日に染めて(6)

 この卒業を持って諸君らは栄えある我らの同胞、錬金術会の一員となる。まずはこのめでたき日に乾杯しようではないか。

 ……結構、結構。

 毎年この時期になると楽しみで仕方がない。今年もまた実に優秀な生徒たちが会員となってくれた。ワインもすすむというものだ。

 我らこそが帝国において最も古い会であり知性を導く唯一無二の存在だ。魔術協会などという思い上がりどもではなくな。

 ヒュパティア君が魔術協会入りを希望しているなどとデマを流すものもいるが全く違う。彼女はどちらにも属さず貴族院所属となった。本音では錬金術会に属したいと考えていたのだろうが、魔術協会に『配慮』したのだろう。まったく忌々しい。

 さて、錬金術会で開発された様々な薬品・素材は今や帝国を支えているといっても過言ではない。

 体の傷を癒すポーション、一時的な能力の向上薬、有害・有益な植物をまとめた図鑑、さらには新たな素材。特にコンクリートの発明は実に素晴らしいものだった。外枠を作り中に流し込むだけで極めて強固な防壁となるし成型も容易。消石灰・水・砂・割石、これだけの材料で作ることが出来るのも素晴らしい。

 ……帝都迷宮本部には例外的に外枠に防護用の魔方陣も組み合わされているが、まあ主役は我らであり魔方陣などというのふざけたラクガキは保険にすぎん。

 諸君らも重々承知とは思うが我らの崇高なる目的は『真理の探究』だ。常日頃から研究に励むようにな。

 まだ若い諸君らでは難しいかもしれないが、『例の物質』について僅かでも進展があればすぐ割り当てられた地区の上級会員に報告するように。物事を知らん馬鹿どもは荒唐無稽と笑うが、我々の能力を結集させれば十分可能だと私は信じている。

まかり間違っても魔術協会に先を越されてはならんぞ。

 諸君らに知識の神、メティスの加護があらんことを。

 

 錬金術会の会合スピーチより抜粋

 ―――――――――――――――――――

 

 ドアを破るようにして開けた。

 視界が揺れる。

「おばあちゃん!」

 金切り声をあげたミミが駆け込んだ先、ダリアがいた。

 椅子に腰かけ、薬瓶を片手にむせ返っている。

「こ……」

 息も絶え絶え。頭巾頭が縋りつくようにダリアに抱き着いた。

「どうしたの? おばあちゃん? 大丈夫? どこか痛いの? ねえ……」

「な……に…………」

 皺の刻まれた指が自身の胸を強く握る。少しの間固まったのち、ダリアはようやく顔を上げ、血走った目で叫んだ。

「なんって苦いんだこいつは‼」

「え?」

 口を半開きにしたミミが呆けている。口の端から魂が流れてきそうな表情だ。

「生まれてこの方ここまで不味いもんは初めてだよ‼馬の肝だってここまでじゃないさ!」

「ダリア殿、薬とは得てしてそんなものだ」

 まくしたてる老婆にアニモが呆れたような表情を浮かべた。恐らくだが今まで薬なんて見たこともなかったんだろう。

 俺の方も肩から力が抜けたみたいだ。

 しっかし人騒がせな。

 そんな時、隣にいたヒカリが無言のまま後ずさった。

 なんだ?

 すり足で前から距離を取っている。

 妙に思ってヒカリの視線を追うと理由が分かった。俺もゆっくり後ろへ下がる。

 ダリアの横で呆けていたはずのミミが尋常ではない雰囲気をまとっていた。

 ゴロゴロと轟音を鳴らす黒雲のような黒いオーラが目に見えそうだ。

「あれ? どうしたんだいミミ? あ! あれだろ! どっかで良い男でもひっかけ……」

 ダリアがウイットに富みすぎた冗談を口走ろうとした矢先、ミミの雷が落ちた。

 

「もー! もー! 私本当に心配したんだからね‼それをあんなにふざけて――」

「わかった。分かったよもう」

「ま、まあその辺で……」

 いまだプリプリ怒っていたミミだが、アニモの取りなしもあってようやく矛を収めたようだ。

まあ、彼女が怒りを沈めるまでに蝋燭が二本は燃えそうなくらい時間はたっているが。

解放されたダリアがよたよたとこちらのテーブルに戻ってきた。

「酷い目にあった」

「半分は自業自得じゃないか?」

 向こうのテーブルではヒカリとアニモがミミの話に耳を傾けている。パンつくりの詳しい講習でもしてるんだろうか。

「確かミミはもう店の仕事を任せられるんだろ? あの歳で大したもんだよ」

 談笑中の三人を見つめるダリアの目が一際柔らかくなった。楽しくて仕方がないといった様子で小さく笑う。

「大したもん? それどころじゃないさ。あの子は天才だよ。ずっとパンを作ってきたあたしが言うんだ、間違いない」

「ふっふふ。そうかいそうかい」

 俺が小さく笑うとむっとした表情が追いかけてきた。急いで片手をひらひらと横に振る。

「ああ、違う違う。あの子の器量を疑うわけじゃない。ただ、親ってのは自分の子や孫が可愛くてしょうがないんだと思ってな」

 ダリアはミミたちとは反対側、窓辺に体を向けた。ガラスが作る光の枠の中でガザニアの花が一枚、ひらりと舞い落ちる。

「あの子はね、私の本当の孫じゃないんだ」

 何かを思い出すようにダリアは自身の爪をじっと見つめた。深く皺が刻まれた頬にガザニアの木漏れ日がまだら模様を作る。

「ちょっと昔ばなしでもしようか」

 背もたれに深く身を預けた彼女は虚空を見つめていた。

 小さなため息。

 そして静かに瞼が閉じられる。

「あたしの出身は帝都さ。家は靴屋だった。こんなこと言いたかないが、ろくでもないところでね。父親は年中酔っぱらって手を挙げてくるわ母親はカルトに夢中で実の娘に天罰が下るだのなんだのとほざいてくるわで酷いもんだった。こういうとこの子供は雷から逃れるように家を飛び出すもんさ、あたしも例外なく同じでね。一人で暮らし始めたのは、まだ十六、七の頃だった」

 深い悲しみを帯びたブラウンの瞳がミミに注がれる。あの頭巾の子もそのくらいの年だろう。家を出た頃の自身と重ねているのだろうか。

「生きていくためにどんな仕事でもやった。昼の大通りじゃ言えないようなこともね。下らない小悪党の出来上がりさ。当然、衛兵の世話になったのも一度や二度じゃない。何度も捕まって娑婆に出てはつまらないことで牢に戻されての日々。あたしはそのうち生きるのが心底嫌になってね。気が付いたら南にある大橋の上にいた。そこから飛び降りて、全部ケジメをつけようとしたのさ」

 静かな声だった。このテーブルだけ過去という湖の底に沈んだみたいに周囲の雑音が泡となって消えていく。

「そん時、後ろからレンガみたいな手に肩を掴まれてね。振り返ったら仏頂面の爺さんがいた。そいつは何も言わず私を家まで連れて帰ってね。焼きたてのパンを食わせてくれた。あの爺さんによく似た、何にも混ぜてない、何の面白みもないパンさ……こいつがね、まあ旨かった。あの岩みたいな男からどうやったらこんなものが生まれるんだって不思議だったよ。まるで口の中で天使が踊っているようだった。そいつを食べていると、なぜだか、涙があふれてきてね。胸にたまってた汚いもんが全部流れ落ちていくようだった。それからすぐ、爺さんに頼み込んだんだ。パンのつくり方を教えてくれってね。

 それから毎日、工房に立ち続けたよ。そうしている間は自分が生きているってことが実感できたんだ。毎日毎日、ずっと小麦粉をこね続けた。それが毎週、月、年と続いてようやく私は人並みに生活できていることに気づいたんだ。浮いた話もあった。こう見えても若いころは看板娘だなんて言われて結構声もかかってたんだよ? でもさ、なぜだかそんな気分にはなれなかった。今のままで十分だって、そう、思えたんだ。私が四十を過ぎたころあの頑固な爺が倒れた。ほうぼう駆け回って医者に薬師にと診てもらったが、みんな口をそろえて『寿命だ』って。今際の際、私は礼を言うべきだったんだろう。でもね、気が動転して何を言ったらいいか分かんなくてね。『どうして私を拾ったんだ』なんて可愛げのないことを聞いたんだ。おかしいだろう? そしたらあの男は普段そんな顔しないくせに不器用に笑ってさ。

『お前が娘に見えた』ってそう言ったきり目を覚まさなかった。これが私の大事な大事なお師匠様との最期の会話だ。

 それから、私は店を継いだ。あんた方が可愛い孫を送ってくれたこの店を。このまま、この場所で死んでいくのも悪くない。私には過ぎた待遇だって思ってた。

 ……今から十年前になるかね。雪の積もる寒い夜だった。パンを配達していたら遅くなってね。南にある大橋、魔輝石のすぐ下でうずくまってるミミを見つけたんだ。まだ子供さ、五歳か六歳くらい。着の身着のまま飛び出したんだろう、冬とは思えない薄着でね。あの子の腕には…………」

 ダリアはハッとしたように口をつぐんだ。目を開き背もたれから体を起こすと肩をすくめる。

「いや、忘れとくれ。どうしてもあの子が私の若いころに重なってね。身寄りも……ないようなんでこっちで引き取ったのさ。忌々しいダノンの糞共がいなきゃあの子にもっと色々残してやれるんだが――」

「おばちゃーん! そろそろ良さそう! ちょっと来てー!」

 遠くからミミの声。隣のテーブルに目をやるが三人とも居なくなっていた。どこいったんだ?

「竈だろう。そろそろ昼だ。恩人方にとびっきりのパンを食わせてやるよ」

 くつくつと笑ってダリアが立ち上がる。倒れないよう背中を支えた。

「なあ、確かミミに店を任せてるんだよな? 竈からパンを出すくらい一人でできるんじゃないか?」

「体がなまっちまうからね。少しだけでも動いておきたいのさ」

 それから、昼をごちそうになり夕方になると俺たちは二人の元を後にした。心なしか朝よりも顔色の良くなっているダリアを見て昨日よりも軽い足取りで帰路へと着いた。

 

 あれから数日後。

 懸念だったダリアの容態だったが、信じられないことに日毎に良くなっていた。

 はじめは立つとふらついていたが、次の日にははっきりとした足取りで歩けるようになり。

 その翌日には何かを引っ掻くような音もしなくなった。咳き込む姿も見ていない。

 この前なんてドデカい鉄鍋を振り回してネズミを追いかけていたとミミが嬉しそうに話していた。そのことを治癒師おっさん――フリオに話したら椅子から転げ落ちるほど驚いていたっけ。

 体が動くようになってから、ダリアは殆どの時間をミミと厨房で過ごしているようだった。

「よっ、と」ミミが豪快にパン生地を広げる……ああ見えてえらく力が強いな。

「そうだ。生地が傷まないように。それからパン種は……うんうん。もう少し少なくてもいいかね」

 ダリアが元気にミミへ指示を飛ばしているのを見て隣の魔術師は幽霊にでも会ったかのように固まっていた。

「信じられん。ここまでの回復、通常では……」

「ん? ヒカリその手はどうしたんだ?」

 俺が声をかけると、ヒカリは指先に布がぐるぐる巻かれた手を後ろに回した。顔は真っすぐ。パンをこねる二人を穴が開くほど見つめている。

「……これは、なんでもない」

 このところ、ちょくちょくダリアとヒカリが二人で奥へ行くのを見かける。ダリアがやけに嬉しそうだったがあれは――

「さあさあ、これでよしだ後は私が焼いておくから大丈夫だよ」

 ダリアはカラカラと笑い、竈にパンをくべていった。それに呼応するかのように中の火が音を立てて燃え盛る。

 俺は、心のどこかで信じ始めていた。

「ヒカリちゃん! 行こ行こ! 今日はヒカリちゃんの家の話聞かせてよ」

 もしかしたら、何か、奇跡が起こったんじゃないかって。

「我らもいったん戻るとしようか」

 もしかしたら、逆境の中生きる老人を哀れんだ神々が慈悲を与えたんじゃないかって。

「ああ」

 そう、思いたかったんだ。



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ガザニアを夕日に染めて(7)

「ヒカリちゃん洞窟で暮らしてたの!?」

 生い立ちを聞いたのだろう、ミミは椅子を前にして呆然と立ち尽くしていた。対する相手の方は、さも当然とばかりに椅子へ体を預けている。

「そう、私は……あ、座っていいよ」

「お前が言うことじゃないだろ」

 ヒカリが洞窟での記憶を話し始める。死霊術のところに差し掛かった時アニモに目線をやったが、死霊術に対してただならぬ忌避感を持つこの魔術師の表情は変わっていなかった。

「なんだ?」

「死霊術のとこで話を止めるかと思ったが、そうでもなかったんでな」

 大きなため息。

 凸凹のテーブルをじっと見つめる黄色い目が風に吹かれたランタンのように揺れる。

「死霊術に関する研究等は未だ明確に法で禁じられているわけではない。残念ながらな」

 また、大きなため息。「まったく理解に苦しむ」と隙間風みたいな声が残された。

 魔術師の重い音に続いて、なんとも可愛らしい悲鳴が響いてきた。女の子が大げさに驚いて見せる時に使うような声色。出所はミミのようだ。

「もーヒカリちゃんたら! ネズミなんて食べられるわけないじゃない! ふふっ真面目な顔して冗談言うもんだからおかしくって」

 最近帝都に出てようやく知ったのだが、どうもこの辺りでは四本足のご馳走は食卓に並ぶべきではない存在のようだ。ミミはヒカリの『冗談』が気に入ったらしくカラカラと笑っている。

 椅子の下から床を叩く小さな音が聞こえる。俺と同じく居心地の悪くなったアニモが尻尾を揺らしているようだった。

 話は洞窟での日常へと移っていく。あいつが生まれた場所。これは俺もあまり聞いたことがない。どんなだか興味あるな。

「ほとんどの時間を一人で過ごしていた。たまに、あの人が来て魔法や言葉を教えてくれたけど」

「あの人って?」

 ちらとヒカリがこちらを一瞥した。

 一瞬の間をおいて薄い唇が開かれる。

「私を呼び出した人、召喚主」

「ヒカリちゃん、何言って……」

「私は、元々死体だった」

 ミミは困ったように俺とアニモへ交互に視線を送る。冗談か何かだと思ったのだろう。しかし、俺たちの様子に表情がこわばっていく。

「も、もしかして、ヒカリちゃんて、おばけ?」

「ヒカリは霊魂や幽霊の類ではない。それは吾輩が保証しよう」

「そうだよね……あんなにおいしそうにご飯も食べてたし」

「これについちゃ俺たちも良く分かってないんだ」

 肩をすくめてみせる。本人だってちゃんと覚えてるわけじゃないだろう。しばらく固まっていたミミだったが、鳥の雛みたいに何度も小さく頷きつつヒカリの言葉を飲み込んでいるようだった。

「私は、一人でいる時に良く洞窟の死体を操っていた。この力……魔法の練習でもあったし、何より寂しさが誤魔化せたから」

「ヒカリちゃん……」

 この話は、初めて聞く。

 とつとつと言葉を紡ぐヒカリから感情は読み取れない。工房で量産されたお面みたいに味気のない表情だった。

 こいつは実際どのくらいの期間を一人で過ごしていたんだろう。

 そして、何を考えたんだろう。ふと、そんな疑問が泡のように浮かんで消えた。

「死は終わりじゃない。また、そこから始めることもできる」

「どんな感じなの? その、死んだ、何か、操るって」

 頭巾の下で悲しみと驚きが入り混じった表情を浮かぶ。

 ヒカリは小さく首を振った。だが、その灼眼は真っ直ぐにパン屋の娘へ向けられている。

「いい気分じゃない。結局は、入れ物だけが残るの。何も語らない偽物の置物が。でも、形だけでも残せたら、違うから」

 巻き起こった風が窓を揺らした。竜の月に吹く特有の春風も何故だかいまは空寒く感じられた。

「ミミ、あなたは?」

「え?」

「子供の頃、聞いてみたい」

 ヒカリの問いにミミは顔を歪めた。無理やり引きはがされそうになったカサブタを守るように右腕を抱いている。

 思い出されるのはダリアの話。

 大好きな『おばあちゃん』と出会う前のミミの生活が愉快だったとはとても思えない。

「ダリアとは普段何してるんだ? あの婆さんなら暇さえあれば花嫁修業でもさせられそうだが」

 俺の声を聞いたミミは一瞬の間をおいて、いつもより大きめな声で笑った。冗談っぽく俺を咎めるように腰に手を当てる。

「もー! そんなことないです! ああ見えて……あっ、でも、最近。あの、変なこと聞いてもいいですか?」

「え?」

「おばあちゃん、体のことで何か言ってませんでした?」

 ピンと糸が張ったように空気が張り詰めた。

 妙に息苦しい。

 動揺を悟られないよう努めていつも通りの声色を絞り出す。

「なんで、そんなことを?」

「おばあちゃん、このごろ、なんだか気にかかること言ってきて。『幸せになってくれ』だとか『これなら一人でも大丈夫だ』とか、それで、私、少し不安に」

 しばし考え込んでいたミミだったが俺達の顔を見て作り笑いを浮かべた。

「ごめんなさい、そんな怖い顔させちゃって。でも、大丈夫ですよね。だって、あんなに元気に!」

「……遅い」

 一段と低い、唸るようなアニモの声がミミの言葉を遮った。

 黄色い目は奥の扉をにらんでいる。

 残った三人で顔を見合わせた。

 ダリアがまだ戻っていない。

「きっと火の具合が気にくわないから粘ってるのさ」

 気休めにもならない俺の言葉が乾いた空気の中で響く。答えるやつは居なかった。

 早足で厨房へと向かう。淀んだ水滴のように滴り落ちる嫌な予感。

 ドアを開け、短い廊下を右へ。そのまま竈のある厨房へと駆け込む。

 ダリアの姿が、ない。

 どこだ? どこに……。

「おばあちゃん‼」

 悲鳴にも似たミミの絶叫。

 彼女が掛けていく先に、床へうつぶせに倒れたダリアの姿があった。真っ白な髪が打ち捨てられたように床へ広がっている。

「ケイタ! ベッドまで運ぶぞ!」

 アニモと二人で体を持ちベッドまで運ぶ。

 足首を掴むと肉なんてほとんど残っていない皮と骨の感触が手に広がる。

 恐ろしく軽い。

 ミミとヒカリが広げていたベッドにダリアを横たえる。

 呼吸が弱弱しい。何とか息をしているのが分かるくらいだ。

「……これは」

 手に魔方陣を浮かべたアニモが悲しそうな顔で首を横に振る。

 その様を見ていたミミに絶望の色が浮かんだ。

「うそ……うそだよね?」

「生命の輝きが弱っている。色も殆ど白に近い」

 アニモの手から出ているのは迷宮で見たあの光だ。

 俺に当てた時と違ってその色は殆ど白に近いピンクになっていた。

「やだ、やだやだ! どうして⁉そんな……」

「ミミ……いるのかい?」

 ダリアが目を開いた。ブラウンの瞳が宙をさまよう。

「ここ! ここにいるよ! おばあちゃん!」

 震える小さな手が皴だらけの手を掴む。

 アニモが何かに気づき、ベッド脇へ向かう。手を伸ばした先には一通の手紙。

 あれは、アラベルの。

「錬金術師の先生に礼を言っておくれ。その赤い薬のおかげでベッドに寝たままボロ雑巾みたいに死なずにすんだよ。多少、寿命が縮んだってね」

 しばし手紙を読んでいたアニモは小さなため息と共に手紙を折りたたみ、元の場所へともどす。

「おばあちゃん? 死なないよね? え、やだ。だって、わたし、おばあちゃんがいなくなったら……」

「ミミや、よく聞いておくれ」

 首を動かすのも辛いのか、ダリアはゆっくりとミミ、そして俺達を見回していく。

 最後の挨拶だとでも言わんばかりに。

「あたしは、どっちにしろもう助からなかった。分かってたんだ。でも、お前にそれを言う勇気が無くて……。この人たちは私にお前と過ごせる最後の時間をくれたんだ」

 ミミの両眼から玉のような涙が零れ落ちる。

 大粒の雫がダリアの手からベッドへと落ち、新たな模様を形作っていく。

「お前のこれからも、考えてあるんだよ。あたしが死んだらこの枕もとを……」

 言いかけでダリアが急にむせこんだ。

 咳と共に飛び出した鮮血が彼女の衣服にどす黒い染みを作る。

「おばあちゃん! ああ、かみさま……」

「ミミ、お前がどう思っていたかは分からない。でも、身寄りのいないかった私は、お前を本当の家族だと思っていた。お前こそが私の生きる道標だったんだ」

 ダリアの呼吸がさらに弱くなっていった。

 燃え尽きる直前の蝋燭の火を思わせる微かな揺らめき。

「あんた方も世話になった。特に、嬢ちゃん。どうか、この子のいい友達で居ておくれ」

「おばあちゃん……どうして? 寿命を縮める薬を飲んでまで伝えたいことがあったの? 教えて? わたし、なんだって!」

 顔をくしゃくしゃに歪め震えるミミの頭をダリアの手がゆっくりと撫でた。

 それまで苦しそうだったダリアがにっこりとほほ笑む。

 それは、まるで。

「違うよミミ。そうじゃない。これはあたしの我儘だ」

 全ての苦痛から解放されたような笑顔だった。

「お前と一緒に居たかったんだ。あたしはパンしか知らないから。娘であるおまえと、いっしょ――」

 ミミの頭を撫でていた手がだらりと垂れ下がる。

 安らかな顔。

 ダリアはもう、動かなかった。

 声にならない嗚咽。

 ミミはダリアの遺体に顔を埋めたまま小刻みに震えている。

 俺自身、状況が飲み込めない。さっきまで、あんなに元気だったダリアがどうして。この老婆が何かしたとでもいうのか?

 俺が唇を強く噛みしめようとして。

 その時だった。

 眼の端で銀髪が揺れる。

 ダリアのそばまで来たヒカリが彼女に両手をかざした。

 何をする気だ?

「死は終わりじゃない」

 黒い靄が両手から湧き出してくる。

 これは、ダンジョンでワーウルフを操ったときと同じ。

「まて! ヒカリ! ダメだ!」アニモが叫ぶ。

「このままじゃ、ミミは一人になってしまう。だから……」

 黒い靄がその濃さを増した。ダリアの体を滑るように包んでいく。

 顔から首、そして腰のあたりまで来た時。

「やめて」

 聞いたことが無いような低い、ミミの声。

 顔を伏せた彼女が幽鬼のような雰囲気を纏いゆらりと立ち上がる。

 黒い靄の浸食が一時、止んだ。

「どうして! 今なら、まだ」

「やめて」

 明確な、拒絶。ヒカリの顔が苦悶に歪んだ。

「ヒカリ、やめろ。ミミだって言ってるだろ、さあ……」

「だって! 私は! ミミの――」

 ミミが顔を上げた。

 既に涙は止まっている。

 瞳が。

 決意と怒りと悲しみが望まぬ融合を果たして同居したような瞳がヒカリを射抜いていた。

「やめて。おばあちゃんは、あなたの人形じゃない」

 ピタリと、靄が止まる。

 腰から首、顔。ヒカリの手の中へ魔法の霧は戻っていった。

「ごめん」

 俯いたまま、ヒカリはとぼとぼと歩き出した。おぼつかない足取りで寝室を出ていく。

「おい! まて! どこに……」

 言葉の途中で、右肩に緑の手が乗せられた。魔術師は黙って首を横に振る。

「今は……」

 俺が再び視線を戻したときには、あいつの姿は部屋から無くなっていた。

 見えなくなったヒカリの後姿から意識を引きはがし、ダリアへと目を移す。

 死した彼女の皮膚は既に灰色へと変わっていた。

「灰死病……」

 そんな時、ベッドから垂れさがった腕が目に入った。

 せめて、これくらいは。

 そいつを元に戻そうと掴んだ瞬間。

 崩れ落ちる砂のようにダリアの手が消えていった。

「なっ! これは!」

 俺もミミも徐々に崩れて消えていくダリアの姿を見ているしかできなかった。

 砂で作られた城が波に削られていくように彼女の姿はベッドから完全に消える。

「これが、灰死病だ。何も残さぬ悪魔の病」

 そこには飾らないボロ着と血の付いたシーツだけが残されていた。

 

「ミミ……」

「大丈夫、だいじょうぶ。すこし、落ち着きました」

 弔われる者の消えた葬儀を終えると、日は没しようとしていた。ミミの焦燥ぶりは見ていられないほどだった。

「本当にいいのか? もし遠慮してるなら……」

「ありがとう。本当に。でも、大丈夫です」

 寝床の余ってる本部に誘ったが、それは固辞された。暇さえあれば丸みを帯びた目は主のいないベッドを追っている。

 ……すぐに、割り切れるものでもないだろう。

 ミミが右腕をまくる。

 そこには見るに堪えないような火傷の跡があった。一つや二つじゃない。

 何かに耐えるように彼女は左手でそれをなぞる。

「そいつは」

「……多分もう知ってますよね? 私達は血の繋がった家族じゃないんです」

 もう一度細指が火傷後をなぞる。

 それは何かに蓋をするようにも、思い出すようにも見えた。

「本当の両親、生きてるんです。でも、酷い人たちで。私は子供の頃からあの人達に……もう殺されるって思って命からがら飛び出した先で、おばあちゃんに拾われたんです。あれは、雪の降る寒い夜だったな」

 右手が震え始めた。左手はそれを抑えるように袖を元に戻す。

 だが、凍えたように震えが止まることはない。

「今でも、火を見るとあの時のことを思い出しちゃって……だから、火を使えなかったんです。あ、はは…………失格ですよね、こんなパン屋」

 真っ赤な光に導かれるように彼女は窓際へ。

 その傍らには花弁を赤く染めたガザニアの花。

「無くなっちゃった。私の生きる道標、友達まで……おばあちゃん」

 湿りを帯びた声。愛する者のいなくなった花弁に哀しみの雨が降り注ぐ。

 夕日に染まったガザニアは何も語らず、ただ時間だけが過ぎ去っていった。



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きっと、明日降る雨は(1)

 唸りをあげる雷光が空を切り裂いた。

 暗く没しつつある見慣れた街並み。

 小汚ない神殿。

 吐瀉物まみれの地面。

 顔を伏せ、互いに牽制しつつ足早に去っていく通行人。

 俺は雨に体を打たせるまま立ちすくむしかなかった。

 衛兵が酒焼けした声でがなり立てているが、誰も振り向きやしない。その声の一部にはどうにか後悔の色を僅かばかり感じとることができる。

 ああ、まただ。

 何か、靄がかかったみたいに。その、衛兵の顔も真っ黒に塗りつぶされている。

 俺は、せめて、理由だけでもと、あいつに近づいて……。

 

「ケイタ、起きろ」

 ここで、目が覚めた。足元に視線を写すと心配そうにこちらを見つめるアニモの姿がある。

「よくない夢か?」

「ああ、まぁ……たまにあるんだよ。顔が黒く塗りつぶされた奴が出てきてな」

 軽い調子で言ってみるが、魔術師の眉間に刻まれた険は取れそうにもなかった。この夢の話をするとアニモはいつも険しい顔をする。

 戸棚を開けると、綺麗に折り畳まれた服が色別に並べられている。舞踏会にでも出られそうな服を避けて手軽な黒のシャツを手に取った。ボタンつきの服はどうにも合わない。

「……ヒカリの様子はどうだ?」懐から出した小さな本を眺めながらアニモが口を開く。

 あれも魔道書なのだろうか。

「悪い意味で変わり無いな。もう二日になるが篭りっきりだ」

 ミミの元より帰ってからというもの、ヒカリは殆ど外に出ていない。一応飯の時間だけは見るので飢え死に(もう死んでるが)することはないだろうが。

「ミミの方は?」

「少しは落ち着いたようだが、気落ちした様子は変わらない。唯一の家族を失ったのだ、仕方あるまい。ヒカリのことも気に病んでいるようだった」

 ぽつぽつと、雨が屋根を叩く音が響く。窓へと目を向けると灰色の空が徐々に歪んでいった。

「ミミは行くと思うか? 孤児院にさ」

 ダリアが娘へ残した選択肢は孤児院へ向かうことだった。

 ミミの器量が良いのは間違いない。なんせあの歳で店を切り盛りしてるんだ。パン作りだって楽じゃあない。話を聞いてみると大人だって根をあげるような仕事をこなしてる。

 だが、だ。

 あの子はまだ子供。たった一人であの商会の奴等と渡り合うのは無茶だろう。

「……合理的な判断ではあるな」

 後ろ向きな肯定をしたアニモが憂鬱そうに窓へ顔を向ける。雨は強さを増し、隣の屋根さえ見えないほどだった。

 あいつは窓から俺に視線を移すと勢いよく立ち上がる。その瞳はなんだかいつもより暗く見えた。

「そろそろガロクが杖をこしらえている頃だろう。様子を見に行ってみないか?」

 

 鍛冶場のドアを開けると、鍋でも盛大に焦がしたような灰色の煙が充満していた。不思議と息苦しくはない。それどころか、ここには似つかわしくない良い匂いまで立ち込めていた。以前、南方で嗅いだヒノキの匂いに似ている。相変わらずテーブルには武具が散らばっていた。

 キラリとテーブルの上で何かが鋭く反射する。

 あれはレイピアか?

 明らかに他の剣とは出来が違う。

「おう! 丁度良いときに来たな! 魔術師先生の得物はバッチリ仕上がったぜ」

 もうもうと沸き出す煙の向こうから髭面が顔を出す。満面の笑みの下には半透明の球体の付いた小振りな杖があった。

「おお……! おお…………! なんとなんと!」

 初めて帝都のパレードを見た子供のように目を輝かせたアニモが恭しく杖を両手で受けとる。両手で杖を持ち、何かを呟くと紫色の火球が浮かび上がった。

「なかなか苦労したぜ。あの魔鉄は純度が大層悪くてな。ちょいと一手間必要だった。まずは鉄の部分だけをこいつで削ぎ落として魔素を集めたんだ」顎手にもった鎚を撫でながらガロクが自慢げに笑った。

 火球は小さい。

 しかし、ドキリと心臓が跳ねた。

 こいつは、今までのアニモの魔法よりも強烈なもんだ。

 魔法が全然使えない俺にでも分かる。ずいぶん離れてるのに仄かな熱を嫌がおうにも感じられた。

「魔素を丹念に集めて結晶化させたのがその半透明の球っころさ。贅沢なもんだ。あんたらが持ってきた鉱石全部使って出来たのが猫の頭くらいしかない魔導球なんだからよ」

 紫の炎は尾を引きながらアニモの体をくるくる回り始めた。

 こんな曲芸みたいなことも出来るのか?

「だが、それだけあってモノが違うぜ。そいつを支えるためにユグドルの中でも特に上質な若木を使わなきゃならんかった……半端な木だとそこで煙を立ててる燃えカスみたいになっちまうからな」

 炉を覗いてみると真っ黒になった棒が幾重にも重なって煙をたてていた。匂いの正体はこいつか。

 アニモの回りを回っていた炎が突然、絨毯みたいに広がって魔術師を包みこむ。

「そいつなら魔法を手足みたいに使えるハズだ。とはいえ、範囲は広くない。その杖を目一杯伸ばした先くらいが限度だろう」

 紫の炎は再び小さな球体になると緑の手のひらへと戻っていった。喜びを表すように太い尻尾が三度床を打ち鳴らす。

「素晴らしい……実に卓越した技術だ。これほどの杖が手に入るとは思わなんだ。帝都の魔法商でも早々置いてないだろう」

 ガロクはボリボリと髭を掻くと隣のジョッキを一気に飲み干した。さっきより顔の締まりが無くなっている。まんざらでもないらしい。

「まあ、そんじょそこらでお目にかかれるもんじゃなかろうな……おや、もう居なくなっちまった。あんたら次の階からさっきの冒険者と組むんだろ?」

 後ろを振り返る。

 だが、人影は見当たらない。

 まて、"もう居なくなった"?

「ガロク、さっきまで誰かいたのか?」

「ああ、お前さんが杖を弄ってる間に得物、レイピアを持っていったぜ。例の生き残りさ」

 全く、分からなかった。

 俺も気を張っていた訳じゃない。

 それでも、だ。

 五歩の距離まで近づかれて全く気づかなかった。

 ぞくりと、蛇のように悪寒が背中を通り抜ける。

「……これから言うことはただの独り言だ」

 ガロクが天井から垂れ下がるロープを引っ張ると、カラカラと何かが動く音と共に高戸へ木の板が降ろされた。

「あの生き残り、ちょいと気を付けた方が良いかもしれん」

 雨音は遠ざかり、炉の明かりがぼうっと人魂のように浮かび上がった。パチパチと音を立てる残り火が暗い部屋に響く。

「奴の話がどうにも妙でよ。あいつは第二階層から戻ったとき、傷を負ってたらしいんだ。そりゃあ他の冒険者がくたばるような激戦だ。無理もねぇ。ただ、その傷ってのが」

 ガロクはこちらに顔を寄せると一層声を下げた。

「刀傷らしいんだよ」

 隙間から雷光が瞬いた。二呼吸ほど間を置いて、石臼を引いたような雷鳴が聞こえてくる。

「本人は黙して答えず。問いただそうにも相手は数少ない第二階層突破者サマだ。疑いを向けるわけにもいかず、うやむやに。だそうだ。噂だがな」

「つまり……貴殿は、あの冒険者が仲間殺」

「おっと、そこまで。話は終わりだ」

 太い腕が再びロープを引くと高戸が開いた。部屋は明るさを取り戻したが、下がった体温はそのままだった。

「おいおい、なんて面してやがる。今のはあくまで噂だ。刀傷ってのも今となっちゃ本当にあったかも分からん。仮にあったとしてもハーピーがいる場所はそこら中に武具が散乱してるんだろ?」

 ハーピーとの死闘が頭によぎった。確かにあの足場は大量の武具が散乱していて、俺もそのうちの一つが刺さったっけか。

「ありがとうよ。少なくとも奴に油断はしないでおく。寝首をかかれたらたまったもんじゃない……しっかし、あんたどうしてそんなことを俺達に?」

 もう酒樽の近くまで移動していたガロクは豪快にジョッキを飲み干すとニヤリと笑ってみせる。見事に磨きあげられた金歯が炉の光をキラキラと反射していた。

「決まってんだろ! お前さん方は太客になってくれそうなんだからな。え? これからたんまり金を生んでくれそうなお得意サマにゃあ死んで欲しくないのよ! ガッハッハッハッ!」



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きっと、明日降る雨は(2)

「どう思う? あの守銭奴の話」

 鍛冶場を出た俺たちは市場を歩いていた。ダンジョン探索に必要なものを揃えるためだ。人の波 (人間以外も大勢いるが)をかき分けて使えそうなものを物色する。相変わらずの雨だがいくつもの露店で人だかりができていた。みんな俺たちと同じく雨除のコートを羽織っている。

「あくまで噂だ。だが、用心を怠るのは避けるべきだろう。ところで探索に必要な備品を揃えると言っていたが何を取り揃えるつもりだ? 魔道具や薬品なら本部にあるのでは?」

「雑品だな。食料と水は潜る前に用意するとして、ロープ、ピッケル、ショベル、薬草、包帯……とまあ色々だな。だが、何より欲しいのはこいつらを大量に保存できる入れ物だ」

 薬草一束を値切ろうと粘っている狼頭を押しのけて足を進める。奴は迷惑そうにこっちを一瞥したが、すぐに値段交渉へ意識を切り替えたようだった。

「大量のアイテムを携帯出来るようにするならマジックボックスだな」

「オークの胃を使った物なら軽くて頑丈――マジック……なんだって?」

 思わず足を止めちまった。背中にぶつかった小柄な男が小声で文句を言うが、隣にいるのがリザードマンだと気づくと足早に去っていった。

「マジックボックスだ。質はともかくテベス・ベイにもそのくらいはあるだろう……あるよな?」

 俺の表情を観察していた黄色い瞳に痩せ細ったロバを前にしたかのような憐みが浮かんだ。

 歩みを緩めると急に優しい声色になりゆっくりと話し始める。なんか腹立つな。

「……マジックボックスは魔力の込められたポーチでな。こいつは変わり種で、元々は空間移転魔法開発の副産物として生まれたものだ」

「くうかんいて……へぇ?」

 舌を噛みそうな単語が飛び出して俺は顔をしかめた。それを見ていたアニモの瞳がキラキラ輝き始める。

「まてまて、順番に話そう。有名な話だが空間移転魔法はその有用性ゆえ古くから夢の魔法と囁かれてきた。多くの魔術師が挑んだが、当初その理論を構築することさえ叶わなかった」

 どうもこの魔術師は俺の顔が魔術の深淵を追い求める苦学生か何かに見えたらしい。次から次へと早口で話が飛び出してくる。

 よくもまあこんな小難しい話を財宝でも見つけたみたいに話せるもんだ。

「だが、先達はあきらめなかった。試行錯誤を繰り返し、どうにか空間移転魔法の理論を打ち立てたのだ」

 見たこともない武具・色とりどりの布・様々な形をした果実。こいつらに目もくれず魔法の歴史について講義するリザードマンは大陸中探しても目の前にいる一人だけだろう。時たますれ違う通行人がこの奇妙な竜人に目を見開くが、すぐに喧騒の中へ消えていった。

「じゃあそのくうかん……ナントカという魔法はできたのか?」

「……結果から言うとその理論は大失敗だった。呪文を唱えた高名な魔術師はあっという間に虚空に消えていったという話だ。本人の両腕を忘れ形見にな。そこで、魔術師たちは魔法という形をあきらめ魔道具という形で実用できないかと考えたのだ」

「物騒な魔法だ。俺は金を積まれてもやりたかないぜ」

 アニモの口が半開きになった。研ぎ澄まされた立派な牙が鈍く光っている。

「何を言う。我らはポータルという空間移転魔法の魔道具を使っているではないか」

 小さなうめき声が自分の喉から這い出ていく。いわれてみりゃそうだ。今まで何の気なし見ていた小さな球体が曰く付きの呪物みたいに思えてきた。

 今度あの光に入るときは腕をきっちり体につけておこうと人知れず心に刻み込む。

「ポータルの理論は内務卿が構築したものだがな。魔術師たちは空間を移動するという理論を応用して空間を押し広げるという魔道具、マジックボックスを作り出したのだ」

 俺は黙って深く頷いた。これ以上口を挟むと地獄のような魔法理論とやらの講義が開講しかねない。そうなったらあっという間に瞼に重りがつけられてしまう。

 それから黙々と歩いていると、目の前に白壁の建物が姿を現した。珍しい色つきのガラス窓が使われている。マジックボックスの話からアニモの先導に任せていたが、目的の店はここらしい。

 建物の入り口は大理石の階段の上にあった。長方形の真っ暗闇が口を開けている。中心には紫色の六芒星が描かれていた。

「防衛用の魔法陣だ。心配いらん、敵意が無ければ反応しない」

「ここは?」

「魔法店だな。ここならマジックボックスも取り揃えているだろう」

 白い階段を上るとアニモは躊躇なく魔法陣の浮かぶ暗闇へ足を踏み入れていく。

 大丈夫か? なんて声をかける前にあいつの体はすっぽりと闇に覆われてしまった。

 後に続こうとした足が止まる。本当に大丈夫だろうな? 両腕の吹っ飛んだ魔術師の話が頭の中で反響する。

 しばし、この化け物の口みたいな暗闇に足を踏み入れるか躊躇していると、リザードマンの頭が飛び出してきた。

「どうした?」

「あ、ああ。今いく」

 剥製みたいだな――という言葉を飲み込み、俺は覚悟を決めて闇の中へと身を投げた。

 入ってみると……なんでもなかった。あの暗闇は随分薄いみたいで半歩もあれば通り抜けてしまえるようだ。振り返って手で暗闇をすくってみると、黒い煙のようなものが掌の上を漂った。

「お客様、どうなされましたか?」

 ねっとりとした口調が背後から聞こえる。

 振り向くが誰もいない。

 おかしい、すぐ近くで聞こえたのに。

「おいおい、まさか魔法店の店主ってのは透明になれるのか?」

「ケイタ、下だ」

 下?

 首を曲げると目に入るのはピカピカに磨かれた大理石。置かれている壺やらランタンやらの小物も高級そうだ。

 だが、目に映ったのはそれだけじゃなかった。

「うお!?」

 細い紫色の触手の先に付いた子供の掌ほどある目玉がプルプル震えている。目玉から触手をたどっていくと見たこともない生き物? がいた。

 何とも形容しがたい。強いて言うならデカい卵に短い手足をくっつけて、天辺から触手付きの目玉を伸ばしたような形をしている。卵と触手部分は紫色でやたらと弾力がありそうな質感だ。卵自体は俺の腰の大きさだが、触手まで入れると首くらいの高さになる。

「ケイタ、何してるんだ? もしかしてイードを見るのは初めてか?」不思議そうにアニモが首を傾げた。

「イード?」

 アニモが言うにはイードというのは南方に住む種族……らしい。

 芸術・建築・魔法に深い知識を持つ……とか。

 芸術家として有名な人物も輩出している……など。

 話してくれるのはありがたいが、正直見た目のインパクトが強すぎて話が右耳から左へ抜けていく。

「お見受けしたところお客様は剣士様ですかな? 大変申し上げにくいのですが、手前共の店では勇猛なる冒険者へお役に立てるものは……」

 見た目に似合わず良く通る低い声だった。言葉使いこそやけに丁寧だが、言外に歓迎とは正反対の感情が見え隠れしている。

 ゆらゆら揺れる目玉が俺の足元から頭の先まで舐めるように凝視しているのを見るに、文無しのはぐれ冒険者が雨をしのぎに来たと思っているようだ。

「店主殿、我らはこの店に用があって来たのだ。マジックボックスを調達しようと思ってな」

 ビクリと跳ねた目玉が目にもとまらぬ速さでアニモへ向けられる。

 凄い動きだ。ダンジョンの暗がりでこいつが出てきたら刀を抜かない自信がない。

「これはこれは。大変お目が高い。しかし、当店のマジックボックスは――もちろん他の品もですが、一級品のみを取り扱っております。つきまして……」

 さっきから卵の天辺がもぞもぞ動いているんで覗き込んでみると、真っすぐに切れ目が入っていた。奴がしゃべるたびに切れ目がぐにゃぐにゃ動く。ここが『口』になっているらしい。

 手足付き卵の言葉を聞いたアニモは気まずそうに片側の牙をむき出しにした。腰に下げた包みを掌に載せる。

 あれは金を入れてた袋か?

「そうだった! 店主殿、持ち合わせの大半が金貨なのだがこの店で取り扱っているだろうか?」

 ……普段金貨なんて使わないからうっかりしてたな。たいていの店じゃ銅貨と銀貨しか扱ってない。金貨なんて庶民は普通手にしないからな。使うのはもっぱら貴族共だ。

 やたらうるさかったイードの店主は金貨を見るなり殻を閉じたように黙り込んでしまった。ピタリと止まった双眸の黒目がグンと大きくなり白目部分は血走っている。卵の天辺はワナワナ震えているようだった。

 何か怒らせるようなことしただろうか?

 俺がその疑問を口にするか迷っていると突然、キビキビした声が張り上げられた。

「ロザリー! アマンダ! お客様――いや、”大切なお客様”だ! もてなしの準備を!」



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きっと、明日降る雨は(3)

 えっと、ごめんよ。生徒の皆には悪いけど、実を言うとかなり混乱してる。

 こんな大勢の前で話せってのならもっと前から……え? あぁ、はいよ。分かった。小言はここまでにしとく。

 よし、土魔法の有用性について話せ、だったね。

 土系統と聞いて皆どう思ったかな?

 地味? 弱そう? ピンとこない?

 多分みんなの印象はこんなとこだろうけど実際は全然違う。

 一言で言うなら『潰しが効く』……これじゃ伝わらないか。そうだ、「何でも使える」系統さ。

 君達、今日の昼は何を食べたかな? きっと……あっ! そうだ! コカトリスの丸焼きはまだあるのかい? 思い出すな~。僕の友達がね、『俺はなんでも食べられる』って大見得切ってさ、なんとあのコカトリス爪を…………え? 関係ない話をするな? あー、分かったよ。ちゃんと話す。

 君達も毎日何かしら食べてるだろ? 玉葱、オクラ、キャベツ、リンゴ、誕生日ならウリクのステーキとかね。

 こいつらが何から生まれるか知ってるかい?

 土さ。

 ウリクだってなんだって結局土から生まれる植物を食べて育つんだ。知っての通り作物の収穫高はいかに多くの魔力を土と水に込められるかで決まる。

 帝都だけを見てもこれだけの人数がいる。帝国全土の胃を満たすには魔力を持った大量の土、ひいては魔術師が必要なんだ。それも一年中さ。

 一度学んじゃえば君達がお爺さんお婆さんになるまで重宝されるってこと。

 何より今は帝国から土系統の履修に褒賞金も出てるしね。

 うん? 何々? 戦闘にはどうなのかって? まだ非戦闘の話が終わった訳じゃないんだけど、まあいいか。君達くらいの歳ならそっちの方が楽しいだろうしね。

 土魔法にも様々な攻撃方法があるけど、なんといっても目玉はゴーレムの使役だね。

 魔力を込めた土人形と純度の高い魔石、あとは魔法理論を理解すればどんな言う事でも聞く不死身の戦士の出来上がりだ。

 え? こいつが強いのかって?

 剣で切られようが槍で刺されようがビクともしない。

 火であぶられてもへっちゃら。

 痛いの痒いの文句を言わず最後まで命令を完遂する。

 最高さ。

 この前も通りかかった森でオーク共に襲われた時にね、僕のゴーレムがあっという間に奴らをやっつけたんだ。瞬きする間にどんどん数が減っていったよ。

 え? どうやったのかって? 勿論ぺしゃんこにしたんだ。あの太い足でさ。

 言ったろ?

『潰しが効く』ってね。

 

 魔術学院、履修系統選択前の特別講義にて

 ――――――――――――――――――――――――

 

 店主はこちらに視線を戻すと作り笑いのようなもの(顔がどこにあたるのか判別がつかないので推測だが)を浮かべつつ、揉み手をしながら触手を動かしこちらを覗き込んできた。

「申し遅れました。私、店主のスターツと申しま……ああ! 私としたことが。さあさあお客様! そちらのきたな――伝統的な雨避けを私めにお渡しください。今日は雨の中お疲れ様でございました。商談はさておき、ごゆるりとおくつろぎください」

 猫が甘えたような声が聞こえたかと思うと店主の手がするりと伸びて、器用に俺とアニモのコートを受け取った。腕が体の三倍くらいには伸びている。

「さあこちらへ」

 スターツに続き奥へと進む。入ってみて初めて分かったが廊下も直線じゃなく腹痛を起こした蛇みたいに曲がりくねっていた。廊下には不規則に切れ目があり、そこが商品を置く部屋となっているようだ。気になって覗き込むと、中央に大きな檻が置かれていた。その中では子供くらいの大きさをした土人形が剣と槍で死闘を繰り広げている。

「ケイタ、どうした?」

「いや……あれ…………」

「あれ? ああ、簡易的なゴーレムだな。店の防衛用かもしれん」

 ごーれむ? 初めて聞くぞ。俺の表情を見て、アニモは思案するように顎を撫でた。

「ふむ、ケイタ、貴殿がゴーレムという呼称に疑問を持つのもわかる。その定義はなかなか難しいものだ。人型でなければならないと考える学派。木、土、鉄、等一部の材質以外認めない学派。込められた魔石の質により決定されるとする学派。どの論も一定の……」

「まてまて、俺は――」

「お客様~どうかまずは奥へ、気になるものがありましたら私共がお持ちいたします」

 廊下からの声を聞いた俺たちは一旦話をやめてあの卵についていくことにした。どうもこの店は壁も大人しく真っすぐなっているつもりはないらしい。そこかしこで壁がせり出していて身をかがめないと奥へはたどり着けなかった。あのイードはというと体がスライムみたいにぐにゃりと曲がって難所をいとも簡単に通り抜けていた。反対に一番苦戦していたのはアニモだ。俺より頭二つはデカいもんだから通路が狭くなる度に小さな呻き声と何かがぶつかる音が聞こえてくる。ようやく、最奥までたどり着いた頃に魔術師は肩で息をしていた。

「申し訳ありません、イードの建築職人は実用性よりも芸術性を重んじるきらいがありましてな。さあさあ、こちらの椅子でおくつろぎを、すぐ商品を持ってまいります」

 商談の場は、俺の人生で初めて見る種類の部屋だった。まず部屋の形が星形になっている。角の部分に窓が設けられていたが、あんなに細くちゃ開け閉めするのでも大変そうだ。内壁は溶けた蝋みたいに天井から床にかけて緩やかな曲線を描いているが、刀の鞘で叩いてみると硬い音が帰って来た。大理石みたいだ。

 床には馬が踏んでも音が消えそうな分厚い真っ赤な絨毯。中央には酔っぱらいが設計したみたいに不規則な形をした机がおいてある。

 普通なのは真っ白な椅子だけだ。形はまともな背もたれ椅子に腰を下ろすと身体中が沈みこんだ!

 一瞬、心臓が跳ね上がったものの慣れてみると案外心地良い。体に返ってくる感触もふわふわしていて、自分の数倍ある犬に腰を下ろしたような気分だった。

「イードの美的センスは独特だな……時にケイタ、今朝見ていた夢にも例の黒い靄が出たのか?」

「独特というか……まあ、そうだな、うん。え? ああ、夢か。そうだ、なんでか顔が分からないんだよな」

 アニモは黙ったまま腕組みをする。最近分かったがこれはリザードマン流の話の先を促す仕草らしい。

 店主がすぐ戻る気配もない。少しだけ、昔話と洒落こもう。

「夢、というよりは過去の思い出さ。俺がガキの頃、テベス・ベイに新しい神官がやってきたんだ。今でも思い出せるよ。短く切られた淡い青髪、ふっくらした鼻に糸みたいに細い目とでっかい口。子供の俺からすると見上げるほどの大男だった。こいつがまた熱心な神官でな。前任は違法魔法薬をがぶ飲みしながら神々との交信を試みるような野郎だったから違いに驚いたもんだ。はじめはみんな警戒して近づかなかったんだが、そいつは俺たち子供にパンをくれてな。それが知れ渡ってからは大人気さ。あの神官――カルロはことあるごとに言ってたよ『この街を変えなきゃいけない』ってな。寝てるとき以外は裏路地に繰り出して俺たちや浮浪者に施しや、薬草を使った治療をしてくれた。文字も教えてくれたんだ、俺が最低限の読み書きと薬草の知識を覚えられたのはカルロのおかげだ」

 窓に打ち付ける雨音が、また一段と大きくなった。空から降る黒い雫の群れはあの日を思い出させる。

「あいつは、いい奴だった。いつも乾パンと飲み水を分けてくれたし、どれだけ俺たちの物覚えが悪くても声を荒げることすらなかったんだ。しかも、あいつが街に来てからは俺たちの生活が良くなっていったんだ。日に数枚のパンが支給されるようになったし、泥か人か分からなくなるくらい汚れた子供は無料で湯屋へ行けるようになった。だが、不器用な奴だった。何か間違った事があったらそれを放っておけなかったんだ。そういった幼い正義感ってのは誰しもが、生きていく中で折り合いをつけてくもんだがカルロは違ってな」

「……カルロ殿に何かあったのか?」

 アニモが右目をあけると、黄色の瞳が迷うように揺れた。俺が話を続けようと口を開きかけた時、目の端に特徴的なシルエットが映る。スターツが戻って来たのかと顔を向けたが、そこにいたのは別のイードだった。それも二人いる。

「お客様、本日はご来店頂きましてまことに……きゃっ」

 ピンク色のイードが俺を見るなりもじもじと体をくねらせ始めた。触手の先についた目玉は床に伏せられつつも、ちらちらこっちを覗き見ている。咲き始めた蕾のような可憐さがある若い女の声だった。

「アマンダ、お客様に失礼よ。いった……あら、あらあら」

 後ろにいた紫色のイードはアマンダと呼んだピンクの腕に手を乗せつつこちらに流し目を送ってきた。こっちのはやや低く、ハスキーで気だるげな色を帯びる妙齢の女の声だ。こいつらの手足や胴体も店主と同じくぶよぶよの皮で覆われている。頑丈そうだ。

「ごめんなさい、ロザリー。でも、あまりに素敵な殿方……あっ」

 言葉を途中で切ったアマンダは黙りこむと、体の色をより濃く染め上げていく。彼女? はそれから手早くポットとカップを手配すると部屋の外へと小走りで去っていった。

「お待たせ致しました。お客様にピッタリの商品を見繕ってきました……それにしてもお客様は罪なオトコですな」

 店主は椅子に座るなり俺の方へ意味ありげに囁いてきた。紫のイードは店主の横に立ち、バチンと音が出そうな程見事なウインクを送ってくる。

「いや、罪って……俺はそんな」

「マッタク何を仰います! アマンダは自慢の看板娘でしてな。あの子に言い寄る男も沢山居るのですよ。貰った恋文を全部集めたら私の背丈より高くなってしまうほどです」

「ふふっ、あの子のお客様を見る目ったら……私も久しぶりに体が熱くなっちゃったわ」

 そんな別嬪さんから素敵だなんて言われたら普通、刀の稽古も手につかないくらい浮かれるに違いない。ただ、なぜか目の前にいるイードの姿を見ていると、長年の修行を終えた聖人のように心は平穏そのものだった。

 何一つ浮かれない。

 全く、だ。

「店主殿、そろそろマジックボックスを見せてもらいたいのだがよろしいか?」

 頼れる竜の末裔がテーブルに置かれた小さなポーチを指差した。さっきまで驚愕の表情を俺に向けていたが、気持ちを切り替えたらしい。流石だ。

「……イードの美的感覚は独特だな」

 聞こえてきた小声について、このトカゲの亜種を問いただしたいところだったが、店主がマジックボックスを手に取ったのを見て矛を納める。

「おっとこれは失礼……こちらが当店で取り扱うベーシックなタイプのマジックボックスになります」

 目の前に出てきたのはなんの変哲もない革製のポーチだった。リンゴを五個も入れたら一杯になりそうな大きさだ。肩と腰に回して繋ぐためのベルトと金具がついている。どんな凄い見た目なのかと期待していたがこれは拍子抜けだ。

 店主はおもむろに椅子から降りるとポーチを開いた。自分が座っていた椅子を掴みポーチの入り口に近づけると、椅子がグニャリと曲がった。

「え?」

 俺の間抜けた声が終わる前に吸い込まれるように背もたれ付きの椅子はポーチの中へと消えていった。あの椅子、俺の胸くらいの大きさはあったぞ。

「驚いたな……」

「ふむ、力は本物だ。店主殿、このポーチはこれで容量は満杯かな?」

 店主は少し考えた後、小さく頷いた。

「もう少しは……と言いたいところですがこのあたりでやめておいた方がよろしいでしょう。破けては元も子もありません。とはいえこれだけあれば片手じゃ持てないくらいの鉱石が十五個は入りますよ」

 店主の口調は今までになく真剣な響きだった。実験に失敗した魔術師の話が思い返される。

「お客様に危険が及ぶ心配はありませんのでご安心を」

「ケイタ、どう思う?」

 俺はまず主人からポーチを実際に体に着けてもらうことにした。金具を止めるとずっしりと重さが肩にかかる。

 ポーチについているベルトはかなり長い。俺だけじゃなくアニモやヒカリにも装着できるだろう。

 何度かその場で飛んだ後、一息に抜刀する。

 イードたちの息をのむ音が一呼吸遅れて聞こえた。

 感触だが……ふむ、こいつはなかなか悪くない。大きさもがさばらないし、ポーチが丁度、背中に来るようになっていて動きの邪魔にならないつくりになっている。

「アニモ、こいつはいいぞ。ポーチの大きさもいい具合だし、何より動きを阻害しない」

 納刀しつ店主へ向きなおった。体を回すとベルトが肩に食い込む。大きさは圧縮されても重さはそのままらしい。

「なあ、他にはどんなのがあるんだ?」

「様々な種類を取り揃えてございます。部屋に据え置くことを目的にした収納用、馬や大鷹に括り付けることを目的とした輸送用など……しかし、お客様が興味を惹かれるものと致しましては重量軽減と時間遅滞の魔術を用いたものになるでしょうか。重量軽減は文字通り、時間遅滞は食料等の腐敗を防げます」

 こいつは驚きだ! 重量軽減もだが、ダンジョン内で生の食材を食べられるのは何物にも代えられない魅力がある。

 迷宮での晩餐会に胸を躍らせていると、店主の声が申し訳なさそうに降りかかってきた。

「ですが、先ほどお伝えした魔術を用いた商品は基本的に貴族の方々が使うことを想定しておりまして……大変お値段が、その。金貨十枚からのご案内となっております」

「十枚!?」

 一瞬目クラがした。十ソトもあれば小さな家が建てられそうだ。

「お客様が現在手にしていらっしゃる物であれば一つ金貨二枚となります」

 こいつもこいつでポーチにしちゃ、べらぼうに高いんだがさっきの話の衝撃が大きくて安く感じてしまう。

「ポーチの大きさによって値段は変わるのだろうか?」

「変わります。いかにマジックポーチといえども元の大きさが大きいほど多くのものを入れられますから。お客様さえよろしければ体に合った大きさのものをご用意いたしますが如何ですか?」

 確かに値は張る。だが、さらなる深層じゃ貴重なものを拾えるかもしれん。持ち込める回復薬だって生命線だ。何より死闘の後に魔石が持ちきれません、って事態を防げるのが一番大きい。ここは多少無理してでも買っておくべきだろう。

 俺が頷くとアニモもそれに続く。それを見た店主はうきうきした様子を隠すこともなく商品を探しに消えていった。

 結局俺たちが注文したのは大中小、三つの携帯用マジックボックスだった。値段は全部で金貨五ソトと十ザガース。

「実に賢い買い物です」とホクホクした様子でオウムのように繰り返す店主の声とアマンダの熱い視線を背に俺とアニモは雨の中へと踏み出していった。



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きっと、明日降る雨は(4)

 目深にかぶったフードの先からとめどなく雨粒が流れ落ちていく。

 イードの店を後にしてから雑品を揃えるべく商店を回っていたが、こいつが思いのほか苦労した。行く先々で冒険者免許の提示を求められて門前払い。さっきのところなんて俺たちの名前を聞いただけで慌てたように追い出そうとしてくる始末だ。

 店主を問い詰めたところダールベルク家を敵に回せないだの、ダノン商会に逆らえないだのと泣きながら訴えてきやがった。

「この街の商人はどうなってんだ? まるで俺たちが疫病神みたいじゃないか」

「まるで吾輩たちが厄介者ではないかのような言い方だな」

 露店の隙間を進んでいくと、むわっと湿り気を帯びた獣の臭いが鼻の奥に広がった。近くに肉屋があるようだ。臭いの方へ背伸びしてみると、俺の腕より長い毛を全身から生やした四つ足の生き物が競りにかけられているようだった。

「あのイードは金貨を見た途端、餌をもらった野良犬みたいに態度を変えやがったが今思うと取引に応じるだけマシだったな」

「イードたちは独自の流通網を持っているのやもしれん……単純に金に目がくらんだ可能性もあるが」

 四つ足の競りには熱が入ってきたようで怒号に近い声が流れてくる。幾人かの通行人も興味をひかれたのか立ち止まり、即席の見世物の行く末に目を向けていた。

「ケイタ、そういえば貴殿の話の続きを聞きたいのだが……」

 アニモの方もすっかり足を止めて怒号の元を興味深そうに眺めていた。他の奴らより頭二つは背が高いので見やすそうだ。

 イードの店での話か、どこまで話したっけかな。

「えーと、たしか? カルロが……、そうだ、カルロが来て生活が楽になったところだったな。あいつ世の中の間違ったことを放っておけない奴だったよ。あいつが就任の挨拶でなんて言ったか分かるか? 『神の名のもとに、この街の不正を一掃したい』って言ったんだ。俺は驚いた、テベス・ベイから不正を取り除くってのは海を真水にするって言ってるようなもんなんだから…………だが、あいつが来て実際に生活は変わった。暮らせるようになったんだ、人間らしくな。真っ当に暮らしてる奴らからしたら大したことに見えないかもしれない。それでも俺達にとってあいつは救世主みたいだったんだ」

 競りの方はかなり絞られてきた。四つ足の周りを覆っていた人の輪が解けていく。吊り上がっていく値段を前に未だ手を挙げているのは十人程度だ。

「だが、俺たちの救世主様はそれで満足しなかった。あいつは神殿やスラムだけじゃなく様々な場所を嗅ぎまわっていたらしい。何をって? 賄賂の証拠さ。あの街じゃ衛兵から役人まで呼吸をするように小銭を受け取っていることは誰だって知ってたからな。俺たちも最初は度が過ぎる衛兵長あたりを告発する気なのかと思っていた」

 どよめきが起こり、遅れてパラパラと小さな拍手が聞こえてきた。

 競りの決着がついたみたいだ。大柄な人間の男が満足そうに四つ足の首から伸びる鎖を腕に巻き付けていた。見世物は終わりみたいだ。

 人の群れに押し出されるように俺たちは再び足を動かし始めた。

「そいつが違ってな。あいつが狙ってたのは親玉、帝都から派遣されてる街の総督だったんだ。イカレてるだろ? これなら違法魔法薬で神の御許へトンで行こうとしてた前任の方がまだまともだ。カルロは俺たちに文字を教えながらいっつも言ってたよ。『一番目には最も大事な部分を変えなきゃならない、そうしなきゃ何も良くならない』ってさ」

 しばし進むと露店の数も減ってきて辺りが開けてきた。薄汚いローブを羽織った男が水たまりに両膝を地面につけ天を仰いで何かを叫んでいる。救世主がどうたらこうたら喚いているみたいだ。新手のカルトか?

「実を言うと、俺達も初めは本気にしなかった。総督だぜ? 言ってみりゃ帝国そのものに宣戦布告するようなもんだ……けどな、あいつは、カルロは本気だった。ある、そうだな。ちょうど、今日みたいに酷い雨の日だった。真っ黒なローブを羽織ったカルロが俺たちの所に駆けてきて言ったんだ『証拠をつかんだ』って。あんなに興奮した様子のカルロを見るのは初めてだったよ」

 通りを二つか三つ横切っただけだが、景観が一変していた。活気づいてい露店の姿はなくなり、代わりに物陰から数人の男が手招きしている。フードが目深を目深にかぶっていて顔は分からない。ボロきれからのぞく腕は骨に皮だけを張り付けたみたいに痩せこけていた。

 おおよそ違法魔法薬かなんかの売人だろう。

 手が自然と刀に添えられる。

「あいつは、夕方になる前に街を立つと言ってた。帝都へ向かうと。あそこで暮らしていて、初めて心が弾んだよ。俺が覚えている中で初めての体験だった、明日、世界そのものが変わるんじゃないかって期待で自分じゃ抑えられないくらい手が震えてたんだ。手だけじゃない。体中の震えが、止まらなかった」

「ねえねえ兄ちゃん」

 幼い声。

 視線を落とすと二人の少年がいた。二人ともぼろぼろの服を着ている。靴はないようだ。

 一人はニコニコと笑顔だったが、もう一人ぶすくれて仮面を被ったように無表情。

 表情豊かな方が一歩前に出る。

「兄ちゃん兄ちゃん、僕たちの絵を見ていってよ」

「何? 絵?」

 少年が一本抜けている歯の隙間から、ちろりと薄い舌を出して見せた。

 風貌を見たところ、育ちは俺と同じだろう。どことなく、親近感が湧いた。ただ、俺と同じような境遇なら絵画なんてろくに見たこともないかと思うが……。

 そんなことを考えていると、子供は自身の後ろを指さした。

「あれは……おっと」

 後ろから走ってきた子供がアニモにぶつかったが、二人とも、そんなこと気にもならなかった。

 指の先にある建物の壁一面に妖艶な笑みを浮かべた薄着の美女が描かれていた。繊細なタッチで立体的。こちらを見つめる目なんて本物が埋め込まれているみたいだ。そこらに描かれているラクガキとはわけが違う。

 こいつらが描いたのか? あれを?

「驚いたな。あれは貴殿が描いたのか?」

 アニモが声を出した時、すでに二人の子供はこちらに背を向けて走り出していた。

 水しぶきを飛ばしながら凄い勢いで遠ざかっていく。

 一体何だったんだ?

 てっきり、小銭でも要求するのかと思っていたが。

 何か不快な違和感が頭の中に積みあがっていく。

「ふうむ、あれだけのものを描けるのなら一枚描いてもらってもよかったな。あの身なりではあるし、少しくらい金を……」

 ふとした呟きに嫌な予感が脳の中で亀裂のように走る。

 思い出されるのは少し前にアニモにぶつかったガキ。

「アニモ、金はあるか? 袋だ」

「は? 金? ちゃんとここに……ん?」

 鱗に覆われた手がゆっくりと自身の腰に伸ばされコートの裾をまくった。

 無い。

 無い!

 俺達の金が入った袋は影も形も無くなっている!

「あのクソガキ共!」

 毒づくと同時に思い切り地面を蹴りだした。散った水しぶきが顔にまでかかる。

 前方を確認。

 視界の端であのガキが右手の横道へ入ったのを捉える。

 さらに姿勢を低くして加速する。苛立ちがそのまま足に乗り移ったみたいだ。

 横道へ曲がる際に首を回し後ろを確認。

 アニモは出遅れたが何とかついてきているようだった。

 横道は細くゴミが散乱していた。

 周囲を確認。

 見つけた。

 左手に三人組の子供。やっぱりぶつかったあいつもグルだったか。

 ガキどもがまき散らしたゴミを飛び越え距離を詰める。

 まあ三十歩はあるか?

 奴らは三つ先の十字路をまた右手へ。

 軒から滴り落ちる雨を振り払う。もう顔が分かるまで近づいた。

 奴らは二つ先をまた左へ。一見すればどこも同じような道なのに迷いがない。どこかねぐらがあるのか?

 さらに強く石畳を蹴り上げる。

 角を曲がった瞬間、右手から影。

 角材。

 認識した瞬間、刀は抜かれていた。

 足から頭の先へ刀を持ち上げるように薙ぎ払う。

 熟れたチーズにナイフを入れるように角材は真っ二つに割れて俺の両脇へ落ちていった。

 俺が通路の先へ目を向けると三人の姿。

 狼を見た羊みたいな顔だ。

 腕に目を走らせる、金を持っているのは歯抜けのガキ。

 俺が走り出すと、奴らは弾かれたように通路の先へ走り出した。

 四つ先を左へ。

 そうやって、裏路地を巡るうち俺は足を止めた。

 ようやく、追い詰めた。

 奴らが逃げ込んだ先は袋小路。

 大人が十人ほど集まれそうな四角形の広場のような場所が見える。

 ここがあのクソガキ共のねぐらか?

 近づく前に周囲の壁を確認。立てかけたあるものは無い。

 地面にも特に何かを仕掛けているわけでもなさそうだ。

 一歩ずつ、ゆっくりと近づいていく。あいつら覚悟しとけよ。

 俺が広間に足を踏み入れた瞬間、雨粒の中に何かが瞬いた。

 抜刀。

 光を斬りつけると、何かが落ちて乾いた音を立てる。

 落ちた何かを拾い上げる。これは、針か?

 舌打ちの音に顔を前へ向けると、そこに居たのはさっきの三人組の子供と背の低い髭面の男。

 男の身長はほとんど子供と変わらない。右手には細長い筒。

 吹き矢を使う種族なんてチルカくらいしかいない。

 あの盗賊野郎め。どうりで手が込んでると思った。

 髭面のチルカは俺を睨め付けると唾を地面に吐き出した。

「ったくしつけえ野郎だ! 金だけで勘弁してやろうと思ったが……ここまで来たからには身ぐるみ剥がせてもらうぜ!」



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きっと、明日降る雨は(5)

 君たちは北方にそびえる剣山脈を訪れたことはあるかな?

 峻険な山脈が折り重なるこの地にはドワーフとチルカの大部分が住んでいる。ドワーフは帝都でもよく見る存在だがチルカたちの姿を見ることは少ないだろう。

 チルカはドワーフをさらに小柄にしたような体格だ。ずんぐりむっくりで首も腕も足も太い。そのくせ指先だけは器用なんだ。

 この種族は一風変わった価値観を持っている。

 詐欺師みたいに良い言い方をするなら類稀なる平等と博愛の精神を持ち、同じ境遇の者を見捨てず、常日頃から社会の格差是正に人生をかけ取り組む種族。

 平たく言うと種族の半分近くが盗賊だ。年がら年中金持ちから何かをくすねようと目を光らせている。

 どうにも彼らの遵法精神はエルフの慎み深さ並みに薄っぺらいらしく野盗の下っ端には必ずと言っていいほどこいつらがいる。

 ああ、いい所だってあるぞ。彼らの手先の器用さはドワーフをも凌ぎ伝説的な魔道具職人となるものや高名な美術家もいる。まあ、ごく一部だが。

 膂力が低いため戦士として名を残したものは少ないが、坑道や洞窟などの狭い場所では彼らが伝統的に使う吹き矢が大きな脅威となるだろう。

 吹き矢と言ったって甘く見ないほうがいい。先端には多くの場合、体の動きを止める毒が塗られている。そいつを使い動けなくなった獲物から金品をはぎ取るのがあの盗人どものやり方さ。

 もしかするとここまで読んで僕が彼らに良い印象を持っていないと思う人がいるかもしれない。

 神々に誓って言うが僕は個人の感情で一定の種族を悪く言ったりしない。

 本当だ。信じてほしい。

 

 まったくの余談となるがお気に入りの羽ペンを無くしたんだ。剣山脈のチルカが運営する宿屋に滞在しているときにね。

 幸運なことに宿屋では一本だけ羽ペンが売られていてね。これがまた僕が無くしたものにそっくりだったんだ。以前つけた傷の位置まで同じだったからね。

 君たちが北方への旅を計画しているなら一つアドバイスを。あの地へ行くなら切れ味鋭い剣よりも頑強な鎧よりも大切なものがある。

 錠前だ。

 

『北方の種族』R・ローズ著

 ――――――――――――――――――――――――――――――

 太指が細い吹き矢筒をくるくると器用に回す。ずんぐりした鼻の上に乗せられた半円型の目からは剣呑な光が垣間見えた。

「おいチビ、とっとと盗んだもんを返せ。今なら半殺しで許してやる」

「黙れ人間。この猿野郎が」

 周囲に目を走らせる。

 四方が白い壁に囲まれた袋小路。壁の高さは俺の二倍はあり、いたるところに大人の腕程の大きさの穴が開いている。

 なんのためだ?

 出入り口は一つで俺が塞いでいる。こいつらに逃げ道はない。

 だが、チルカの野郎にガキ共も逃げ出そうとするそぶり一つ見えない。顔を寄せあい四人はこちらを伺っている。

 次の瞬間、男が何か短く声を出す。四人ともクモの巣を散らすように駆け出し……違う、壁に向かってるんだ。

 右の壁に子供二人、左にはチルカと子供一人。

 奴等は飛び込むようにして左右の壁の穴へ消えていった。

 まさか壁の裏に裏道があるのか?

 俺が奴らを追い壁へ駆け出す。穴の中に――ダメだ! 小さくて入れない。

 そんな時、目の端で何かが動いた。

 俺の頭よりはるか上、

 小さな顔と短い吹き矢筒。

 咄嗟に身を翻し壁から離れると石と金属がぶつかる小さな音が雨音に混じる。

 まて、こっちから出るってことは――

 抜刀。

 体をひねり逆の壁に対し半身の体勢。

 俺に向かって一直線に向かってくる矢を叩き落とす。

 忌々しそうな舌打ちが聞こえた後、髭面が穴にひっこっで行くのが見えた。

 ここは奴らのねぐらであると同時にお手製の砦にもなっているらしい。子供とチルカだけが通れるあの壁の穴は自分たちで開けたんだろう。

 横穴はかなり長いようだ。奥まで光が届いておらず様子がうかがえない。

 先ほど地面に落とした矢を拾い上げる。

 吹き矢筒を密閉するための風受けには獣の体毛が使われていた。矢の先端には緑色の何かが塗られている。

 毒か?

 耳を澄ませると両壁からくぐもった足音。木の軋む音に続いてガキの一人が上の穴から顔を出した。

 目が合うと汚れた顔が驚きに歪む。

 慌てて吹き矢を射かけてくるが、矢はふらふらと三歩以上離れた場所に落ちていった。ガキはすぐに顔を引っ込めるとまたくぐもった足音が聞こえてくる。

 壁の向こうじゃ木板何かで足場を組んでいるようだ。

 落ちた矢を拾い上げる。こちらにも先端に何かが塗られている。作りも同じ。

 やり方はあのチルカが仕込んだんだろう。

 再び奴髭面の姿が現れ、俺は身を翻す。

 すぐに仕掛けてくると思ったが、奴は吹き矢筒を口から離し俺を睨みつけていた。

「その動き、どこで覚えた?」

「さあな」

 この状況は少しばかし分が悪い。こっちから手は届かないが奴らの矢だけはこっちに届く。

 話を引き延ばすか? どうにか手を……

 まて。

 奴は何故話しかけてきた?

 陽動か?

 両壁に目を走らせるが人影はない。

「この辺りのギルドで仕込む動きじゃねぇ。何者だ」

「あいにく俺はここだと厄介者でな。店ですら門前払いのモグリを冒険者ギルドが加入させると思うか?」

 男は鼻を鳴らすと苛立ったように筒を握りしめる。

「ハッ! ドワーフ仕込みの刀と金貨入りの袋を持ったモグリなんぞ聞いたことがねえ。傭兵崩れの貴族の犬ってのが関の山か? どうだ、ええ?」

 奴の言葉にはどこか挑発めいた響きがあった。

 妙だ。

 何故このタイミングで煽る?

「どうしたよ! 図星か? お前が野垂れ死んでも涙一つ流さん飼い主のために尻尾振って奉公たぁ立派なもんだ」

 軒から垂れる雨水のように次々と嘲りの言葉が髭面から流れ出ていく。

 おかしい。注意を引こうとしているのか?

 奴から一歩距離をとった。

 両壁に不審な動きがないか注意を巡らせる。

 だが、白い壁はその中に誰もいないかのように静かに雨音の中へと沈んでいた。

「――今だ!」

 男が鋭く叫んだ。

 直感。

 咄嗟に体を伏せる。

 頭のすぐ上を風切り音が過ぎていった。

 首を横に向ける。

 子供だ。

 出入り口付近の壁の穴。

 俺が気を取られている隙に移動したのか。

 顔を正面へ。

 まずい。もうチルカは筒を口に当てていた。

 立ち上がる時間はない。

 この体勢で矢を弾けるのか?

 冷たい雨粒が耳の裏をなぞりながら滑り落ちていく。

 奴の体が、わずかに膨らんだ。

 撃ってくる。

 俺が刀を目の前に掲げた時。

 突如、目がグニャリと捻じ曲がった。

 放たれた矢が俺のを通り過ぎ明後日の方向へ飛んで行く。

「まさかチルカが裏で手を引いていたとはな」

 聞きなれた低い声。紫炎を周囲に浮かべたアニモが俺に手を差し伸べてきた。

「助かったぜ」

 アニモの手を取り立ち上がる。壁の上から顔を出す子供は青い顔をして体を震わせているようだった。

「ど、どどうしよう親分! ま、ま魔法使いまで来ちまったよ!」

「落ち着けニコラス! あんなもん当たったってちょっとやけどするだけだ!」

 あいつ自分を親分なんて呼ばせてたのか? チルカは言葉の内容こそ威勢がいいものの、声からは狼狽を感じ取ることができた。

「しかしアニモ、今のはどうやったんだ? 目の前の景色が粘土細工みたいに曲がったんだが」

「それはこれだ」

 コツコツと杖が地面をたたく。すると朧げな紫炎が折れたとを取り囲むように立ち上り周りの景色を捻じ曲げた。

「炎を応用した幻影。奴らからは炎のたゆたう壁だけが見えているだろう。吾輩たちがどこにいるかは分かるまい」

 狙いをつけられないためか矢も飛んでこない。

 形勢は五分ってところか? お互い、お手製の壁の内側で相手の出方をうかがっている。

 穴は深く手じゃ届かない。刀を使ってもいいが……流石に盗人とはいえ斬るのは寝覚めが悪い。どうやって奴らを引きずり出したもんか。

「ならば、吾輩の魔法で……」

 アニモはその手に青白い炎を浮かべた。小さいが隣にいる俺まで熱が伝わってくる。

「まてまて! そんなもん撃ったらこの辺り一帯が灰になっちまう」

 慌ててアニモの肩を掴んだ。俺の慌てようを見て、デカイ口を曲がニヤリと曲がる。悪ガキが何かを思い付いたような表情だった。

「ふーむ、そうか。ケイタ。少し試してみよう。ちょっとした"悪戯"をな」



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きっと、明日降る雨は(6)

 アニモが手を上げると俺たちの周りを覆っていた紫炎がかき消えていく。視界が戻るなり白壁の一番上に陣取っていたチルカが吹き矢を咥えた。

「まてまて」

 笑顔を浮かべ手を振りながら壁に近づく。

 五歩の距離まで来たところで足を止めた。

「一時休戦としないか? いやなに、大陸の平和について語り合おうかと思ったんだが」

 返答はない。

 かなり警戒しているようだ。ぼさぼさ髪の隙間から覗くぎょろりとした目玉がせわしなく動いている。

 ぶつぶつとアニモが何かを呟くのが聞こえた。

 呪文の詠唱か。

「おいおいどうした? さっきまで気を違えた犬みたいに吠えてたろ?」

 アニモから気をそらすよう大声を出すが、チルカの方は気にするそぶりも見せない。

 迷子になったように動いていた奴の目玉がアニモを見据えピタリと止まった。

 射かける気か?

 俺は刀に右手を置いた。

「おい! 何してやがる!」

 地面に大きな魔法陣が浮かぶやいなやダミ声が降ってきた。チルカは歯を剥き出しにしてこちらをねめつけていた。ニコラスと呼ばれた子供は顔面蒼白だ。

 魔術師は怒号を無視し詠唱を続ける。

 やがて、青白い魔法陣の光が眩しいくらいに強くなった。

「このトカゲ野郎! ナメた――」

 魔法陣の光が蝋燭を吹き消したように消える。

 緑色の手が高々と掲げられ。

 パチン。

 と指が鳴らされた。

 決して強く鳴らした訳じゃない。だが、トロルの足音並みに大きなその音はヤマビコのように反響しながら二呼吸の間ずっと頭の中で響き続けていた。

 直後。

 不意にパッと視界が赤々とした光に照らされた。白い壁も、子供も、チルカも夕日を浴びたように赤く濡れている。

 照らされた二人の顔に表情はなかった。目の焦点が合っていない。

 まるでドラゴンの群れでも見たかのようだ。

 その視線の先を追って俺も振り向き……口をあんぐりとあけた。

 背後の壁は大惨事になっていた。

 火、火、火。

 壁全体を包むかのように炎が踊っている。

 壁の穴からは時折、間欠泉のように火柱が吹き出し、壁の表面では火の玉が尾を引きながら跳ね回っていた。

 アニモは困ったように腕を広げて肩をすくめる。持っている杖の球体からは紫の光が溢れていた。

「いやはや、ここまでとは……少々やり過ぎたかもしれん」

「やりすぎたって……おいおい」

 雨中にあっても火は衰えることを知らずますます勢いを増していく。バチバチと音を立てる火の粉が水たまりに落ちていった。

「アニモ、流石にこれはまず――」

「――クワラ! キーネ!」

 背中から叫び声と何かが落ちる音。

 振り返るとチルカが地面にいた。一気に飛び降りたらしい。悲壮な表情を浮かべ壁に向かって足を引きずりつつ飛び跳ねるように駆け出した。

 着地で足を痛めたか?

 向かう先は炎の壁。

 このままじゃ丸焦げだ。

 俺はすぐに駆け出して短い腕を羽交い絞めにした。

「何しやがる!」

「やめろ! 死ぬ気か! ?」

 次の瞬間、一際勢いの付いた火柱が壁の穴から噴き出す。

 火の向きは真っすぐこっち。

 奴を引き倒すように地面へ身を投げた。

 すぐ上を赤々とした光が宙を泳ぐように通り過ぎていく。

 顔を上げると、すぐ近くにアニモが立っていた。

 あいつは腰からロープを取り出すとチルカの両手首に巻き付け縛り上げた。

 あの炎を見ても怖くないのか? それとも、術者には当たらないようになっているんだろうか?

 強い力で縛ったようで髭に囲まれた口から牛が出産するときのようなうめき声が漏れ出てくる。

「おいおい、流石にこいつはやりすぎじゃないか?」

「ん? ケイタ、貴殿まさか……」

「うおおおおお!」

 甲高い叫び声が俺たちの会話を断ち切った。

 声の主はニコラス。

 地面に放置されていた汚いバケツを拾うと一気に走り出した。

 炎と目と鼻の先で止まり中身を一気にぶちまける。

 バケツの水が炎に吸い込まれるのと同時に短い叫び声が上がった。

「冷めてぇ! 何すんだ!」

 冷たい? どういうことだ?

 立ち尽くす俺たちの前で炎が一際大きく揺らめき、

 子供二人がひょっこりと顔を出した。地面に転がるチルカが大きく息を呑んだのが分かった。

 俺たちの前で奇跡を見せつけている子供は涼しい顔だ。メラメラ燃える火が首を撫でても、火柱が全身を包んでも動じる気配はない。

 どうしたもんかとアニモへ顔を向けると、あいつはおもむろに右手を掲げ。

 パチン。

 と指を鳴らした。

 すると、さっきまで音をたてて燃え盛っていた炎が煙のように消えていく。

 魔術師は腰に手を当て大きく息を吐き出した。

「さ、遊びは終わりだ。出てきなさい」

 

 俺とアニモは壁に囲まれた広場で雨に打たれていた。

 目の前にいるのは手足を縛られたチルカとバツが悪そうに座り込む三人の子供。

「やれやれ、中身を使いこまれる前に取り戻せて何よりだ」

 鱗に覆われた手が中身の詰まった袋をジャラジャラと揺らした。幸い金は無事だったようだ。

「で、だ。貴様らは一体どういった関係なんだ? 誘拐か? それとも……」

 貴様呼びとは驚きだ。なかなかにお怒りらしい。

「違う! 親分が誘拐なんかするもんか!」

 頭一つ高い子供――ニコラスだ、が我慢ならないといった様子で詰め寄ってきた。湯屋にも行けないのか、家畜にも似たすえた臭いが漂ってくる。

「あー、いいかな? 僕らはさ、拾われたんだ、親分に」歯が抜けている子供――クワラ、が口を開いた。

「拾われた? こいつが慈善事業をするようには見えないが」

「三人とも捨てられたんだ。食べるものがないって……キーネはちょっと違うけど」

 アニモは居心地悪そうに咳払いすると、ずりずりと尻尾を地面にこすりつけ始めた。キーネは俺たちと初めて会った時から変わらず一言も発していない。俯いて、雨水の流れる石畳の溝を見つめていた。

「僕は行く宛もなくってこの辺をうろついてたんだ。これからどうしようって。そんな時、拾われたんだ。親分……ゴトルに」

 あのチルカ――ゴトルは目をつぶったままなにも言葉を発しなかった。裏道沿いにある家の扉が開かれ、鷲鼻の老婆が顔を出す。しばし、こちらを伺っていたが、興味を失ったのかうんざりした顔で家の中へ戻っていった。

「そして、教えてもらったんだ。ここで生き残る方法を……あんたらにやったようなやり方をね」

「子供に盗みを教えるとは! なんたる……!」

 アニモが歯を剥き出しにして両手足を縛られた小男を睨み付ける。奥行きのある顎からはギラギラした牙がずらりと並んでいる。

 ゴトルは黄色の瞳を受けて体を起こすと大袈裟に鼻を鳴らした。

「ハッ! 脳ミソが鱗で出来てるお前にゃ分からんだろうが、ここで生きていくにはこれが一番"紳士的"な方法だ。誰も殺して無いんだぜ? 良心的な市民だって表彰して貰いたいね」

「法を犯した不届き者が! 恥を知れ!」

 いきり立つ高い肩にゆっくりと手を乗せた。険しい表情そのままに振り向いたアニモだったが、俺の顔を見るうちに、やや顔を和らげる。

 まずは、話を全部聞きたい。

「良く聞きな。俺たちだって好きでこんなシノギやってんじゃねぇ。だがな、やるしかねえんだ。御国が飯の配給を打ち切ったんだからな! なにか? 俺たちに死ねってか? 座ったまんま死ぬか牢屋にぶちこまれるかってんなら俺はブタ箱を選ぶね」

 食料の配給が打ち切られた? 初めて聞く話だ。掃きだめのテベス・ベイだってパンくらいは配ってたはず。

「帝国の支援が……? 帝都で? そんな馬鹿な…………だが、仮にそうであったとしても職を探し」

 困惑した様子のアニモが口をもごつかせると、今度はゴトルの方が歯を剥いた。黄色い前歯が憎らしげに揺れている。

「職? 職だって! 俺だってな! 何度もやろうとした! 生まれてこのかた喋りと手先をずっと鍛えてきたんだ。帝都で一旗挙げるためにな。だがどうだ? どこもかしこも話すら聞こうとしない。俺の顔を見るなり門前払いだ。『チルカはサーカスに相応しくない』『盗人のチルカに与える職はない』ってな! だからお望み通り盗人になってやったのさ!」

 冷たい雨音の中、ゴトルの荒い息が俺たちの間に残された。しばし、目を瞑っていた魔術師は瞼をカッと見開いた。

「成る程、自身には酌量の余地がある、と。そう言いたいわけか」

「しかし」

 固く握られた杖が振られ、ゴトルの目の前でピタリと止まった。子供達から小さな悲鳴が上がる。

「法を犯した事実に変わりはない。償いはしてもらう」

「好きにしな。どうせ三月も牢屋で過ごせば出てこれる」

 ……こいつを牢屋に送ったところで何も変わらない。出てきても変わらず盗みを繰り返すことになるだけだ。

「キーネ、やめろ」

 縛られたままのチルカが小さく呻いた。

 俯いたままキーネがアニモとゴトルの間に割って入り大きく手を横に広げていた。

 怖いのだろう。口をいっぱいに結んで小刻みに体を震わせている。

 小さな姿を捉えた黄色の瞳が迷うように揺れた。

「アニモ、牢屋に叩き込んでも無駄だ。こいつがお嬢様みたいにおしとやかに反省すると思うか?」

「ケイタ、ちょっとこい」

 アニモはゴトルたちから離れた場所まで俺の腕を引いた。鋭い視線を縛られたチルカに向けつつ大きなため息をついた。

「あの盗人が本当のことを話している保証はどこにもない……仮に真実を話しているとしてもそれで罪が消えるわけでもなかろう」

「何も牢屋にぶち込むのだけが罪を償う方法じゃない。それに、子供だって奴を慕ってる。見ればわかるだろう」

「あの子たちは孤児院へ連れていくべきだ。そこでなら真っ当な、後ろ指をさされることのない生活を送れる」

 頭をかきむしる。どうしても、子供たちがテベス・ベイにいた頃の自分と重なる。

「待て、まだ、何か方法が……」

「まさか、あの子らには盗賊の真似事をして暮らせというのか? 罪を重ね、他人の物を奪いながら生きることが正しい道だと?」

「そんなこと言ってない!」

 喉から出た声の荒々しさに自分で驚いてしまった。

 目を丸くするアニモに弁解しようとしたが、その前に鱗に覆われた手で制される。

「ケイタ。気持ちはわかる。だが、この子らのためにも為すべきことを為さねばならん」

 そう言うとアニモは入り口付近の壁にもたれかかった。

 俺が納得するまで待っているつもりのようだ。

 頭を巡らせる。

 一体、どうするべきだ。

 テベス・ベイでの経験上、親代わりとなる人間が皆無の子供が生きていくのはかなり難しい。

 この子たちはゴトルを慕ってはいる。

 だが、奴は盗人だ。他に収入がない限り足を洗うつもりもないだろう。

 そして、ゆくゆくはこの子供たちも……。

 チルカの噂やこいつの風貌を見る限り、まっとうな仕事を得るのは海面をすくって真珠を掴むくらい難しいだろう。

 心配そうにゴトルの手首をさする子供たちが目に入る。

 こいつを牢に入れ子供たちを孤児院へ届けることが本当に正しいのか?

 思案をやめ、首を上げると目の前にキーネがいた。

 相変わらずの仏頂面だが、敵意は感じられない。

「あー、なんだ。お前もなかなか度胸があるな。リザードマンと張り合えるなら将来立派な戦士になれるんじゃないか?」

 目の前の表情が変わることはなかった。

 子供が喜びそうな事を言ったつもりなんだが。

 俺たちの様子を見つめていたクワラがひょいと横から首を出してきた。

「あー。キーネは喋らないんだ」

「喋らない?」

「そ、何も話さないから俺たちも理由は知らない」

 逆側からもニコラスが顔を出してきた。この距離で見て初めてブラウンの頭髪であることに気づいた。今はすすけて黒になっている。

「でもさ、絵はすっげえ上手いんだぜ! あんたも見ただろ?」

 ニコラスの言葉に首をかしげる。絵なんて見たことあったか?

「あの壁の絵だよ。良く分かんないけど綺麗な女の人の絵があると男は立ち止まるからって親分が……」

「待て、あの絵はお前が描いたのか?」

 仏頂面が僅かにほころび、控えめに上下した。

 驚きだ。あんなに上手い絵を子供が。

 その時、雨雲を切り裂く光芒のようにある考えが頭をよぎった。

 ひょっとしたら、上手くいくかもしれない。

 断片として散りばめられた情報が頭の中でパズルを形作っていく。

「なあ、キーネ。お前どんな絵でも描けるのか?」

「こいつはどんなのでもお手のもんさ」

 ニコラスが自慢げに言うとキーネの肩をバンバンと叩く。

 叩かれた方も満更でもない様子だ。

 腕利きの絵師にあのチルカの弁舌。

 これなら。

「なるほどな、それなら……」

「あー言っとくけど絵は売れないよ。俺たちもやろうとしたけど金を出して買う奴なんていない」クワラがつまらなさそうにつぶやく。

「いーや。俺の考えは絵を売ることじゃない。絵を使うのさ」

 俺は雨に打たれていたアニモを大声で呼ぶとゴトルの前で座り込む。

 根無し草のチルカは呆気にとられて髭に覆われた口を開けっ放しにしていた。

「さて、ゴトル。一つ考えがあるんだが……のってみるか?」



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きっと、明日降る雨は(7)

 五日後、俺とアニモは街の東を流れる川の橋で空を見上げていた。街の外れ近いこの辺りは道も広々として中心部のように通行人と肩がぶつかることもなかった。背の低い同じような間取りの家が並ぶ街並みの上では相変わらず分厚い鉛色の雲が垂れ込めている。隣の魔術師はこのところかじりつくように本を読んでいる。あの妖精から受け取った本の魔法を『頭に入れる』のに時間がかかる……らしい。せせらぎの音に交じって何かが飛び込む水音。魚でも跳ねたのだろうか。

「おお! アニキ!」

 丸められた大量の羊皮紙を抱えたゴトルが大手を振ってこっちまで駆けこんできた。顔の半分を埋めていた藪のような口髭は綺麗に刈り取られ青の残る地肌が露になっている。くたびれた緑のキャスケットを斜めにかぶり、服はボタン付きの赤シャツと、なかなか様になっている。

「アニモ先生! へへっこの度はどうも」

「……変われば変わるものだ。トカゲだの何だのと言われたのが遠い昔のようだな」

「確か俺は猿の親類だったな」

「へえ! アニキたちにそんな事言うなんて不埒な輩もいたもんです」

 アニモが呆れの混じったため息を吐き出すと同時に元気のいい足音が三つ近づいてきた。あの時の少年三人だ。

 皆、上等な白シャツに青のズボンを身に着けている。

「にいちゃん! 見に来てくれたの?」

 ニコラスの青い瞳がきらりと輝いた。笑うたびに汚れの落とされたブラウンの髪がふわふわと揺れる。

「もうすぐ始まるからさ、待っといてくれよ」

 クワラが腰に手を当てて胸を張った。口をよく見ると抜けている前歯に小さな白が見える。新しい歯が生え始めたようだ。

 腕を引かれ、目を向けるとキーネがこっちを見つめていた。目の付近まで伸びていた前髪はバッサリと切られ、細い目が笑っている。

「ところで……金なんだが、もう少し待ってくれねぇかい? 今ようやく――」

「ゴトル」

 俺とアニモは同時に手で話を遮った。

 恐らく言おうとしていることは同じだろう。

「こっちはいい。まずはよく食べて、それから……盗んだ相手のところへ金を返してこい。さもないとこの魔術師が頭から噛みつくぞ」

「……我輩はそのように非文明的なことはしない」

 五月蝿い蝿でも追い払うように尻尾が二度地面を叩いた。不機嫌そうな音とは反対にアニモの表情は穏やかだ。

「ああ、神々よ」

 ゴトルは両手をしっちゃかめっちゃかにくねらせた後、両手の指を胸の前で組んだ。

 多分だが、祈りを捧げていたのだろう。

「あんた方は俺たちの救世主だな……裏路地の薬中が喚いてる偽もんじゃなく本物の、だ。しかし、本当にいいのか? この羊皮紙だって結構な額だったし」

「チルカが祈る姿を見られたんだぜ? 安いもんだ」

「今のが……チルカ族の祈りの方法か? 普段からあのようなやり方を? 定期的に祈りを捧げるのか? どの神に祈るんだ?」

 ぐいと緑の頭が前に出た。見慣れない個性的な作法はこいつの知的好奇心をいたく刺激したらしい。

「あー……いや、先生には悪いんだけどよ、俺が祈ったのは生涯二度目だ。前回は博打の大勝負でさ」

「親分親分! もうお客が来たよ!」

 ニコラスが腕を引くとゴトルは大慌てで来た道を引き返していった。向こうでは残りの二人が準備を始めている。

 餌を取り損ねたカエルみたいな目をしているアニモの肩を二度叩いて、俺もあいつらの商いに目を向けた。気づけば二十人近い子供が集まっていた。同じくらいの大人――恐らく親だろう、も話に花を咲かせている。

「さあさあ! お待たせしました!」

 ゴトルが声を張り上げると周囲に集まっていた小さな瞳がきらりと光りを帯びた。脇に構えていたニコラスたちが小さな木製の筒を両手に持ち胸の前に構えた。

「これより血沸き肉躍る冒険譚が始まります! ただ、その前に……」

 ニコラスたちが前へ出ると幾人かの子供たちが一斉に後ろを向いた。苦笑いした親が筒に銅貨を入れていく。

 何人かは小遣いを持たされているようで前列にいる子は自分で木箱へ手を伸ばしていた。

「ああ旦那様! 今日もお髭がばっちり決まっております! 奥方様のお召し物も素晴らしい! あっし……私は目の前に天使が降り立ったのかと思いました」

 ゴトルの口上が何か琴線に触れたのか子供たちが一斉に笑い出す。その間に金の回収を終えた二人は筒を置き丸められた羊皮紙を子供たちに向け広げ始めた。

 すべて広げると横は子供の身長、縦はその半分くらいの大きさ。

 羊皮紙の中では銀髪の下で赤い目を光らせる少女と杖をふるうリザードマンの姿、そしておどろおどろしい化け物が描かれている。

「さてさて、それじゃあ昨日の続きを。迷宮へと足を踏み入れた一行の前に現れたのはこの世のものとは思えないほど恐ろしい怪物たちだった! 恐ろしいうねり声をあげ襲い掛かる……」

「いやはや、こんな方法があったとはな。これは……何と呼ぶべきかな? 絵を使った読み聞かせ。いや芝居か?」

 あの時、俺がゴトルに提案したのは、奴の話術とキーネの絵を合わせた見世物だった。基本はゴトルの話術で話を進め、印象的な場面で絵を見せていく。字が読めない子供でも絵と声なら心を動かすんじゃないかと思っていた。

 まさかこんなに盛況になるとは予想外だったが。

「話の題材にも丁度いいのがあったしな。あの迷宮なら冒険譚には事欠かない」

 これで、あいつらもあの暮らしからおさらばできるだろう。小さな達成感と共に、首を上向ける。鈍色に覆われたあの日と変わらない空。

 子供のころの記憶がぶりかえす。

 良いものも、悪いものも。

 良い記憶は。

 カルロ。

 俺はあいつのが話してくれるおとぎ話を、一番楽しみにしてたっけか。

「今日はここまで」と言うあいつにすがり付いて続きをねだり、随分困らせた。

 そして、悪い記憶もまたあいつのことだ。

 俺のなかに芽生えた小さな感覚が音もなく萎んでいくのが分かった。

「ふふっ、こんな調子で裏路地を歩けば帝都から犯罪者が居なくなるかもしれんな」

 それがアニモの冗談だってことは分かってた。

 本気でそんなこと考えてないって。

 軽口に乗るべきだってことも。

「変わらないよ、何も」

 でも、その時の俺は癇癪を起こした子供みたいにそれを否定したくなったんだ。

 視線を下げる。

 緩やかに流れる水面は空の色をそのまま写しているようだった。

「そういえば、まだだったな。昔話。続きをしようか」

 そよ風が一陣。

 無数の波紋が水面にささくれを刻み付けていく。

「カルロが街を発ったのは夕方だった。忘れもしない。ひどい嵐だったからな。しばし、あいつともお別れかと思ってたんだが……再会は思ってたより早く訪れた。最悪の形で」

 また、甦る。光景。

 暗く没しつつある見慣れた街並み。

 小汚ない神殿。

 吐瀉物まみれの地面。

 顔を伏せ、互いに牽制しつつ足早に去っていく通行人。

「あいつは次の日の朝に見つかった。テベス・ベイのど真ん中。ゴミと吐瀉物にまみれた地面の上、両足の膝から下がズタズタに裂かれ、頭は何かでカチ割られていた。カルロが見つけた『秘密』ってのは想像以上のものだったらしい。殺されたんだよ。それをバラされたら困るやつらから」

 調査も、裁判も無くあいつは"事故"ってことになった。カルロの死体から目を背けて衛兵が、そう喚いていた。

「あの時、俺は学んだよ。世の中の仕組みって奴は何も、変わらないんだって」

「ケイタ、それは……?」

 アニモは俺の手の中にある小さなひし形の石に顔を近づける。

「これはあいつの形見、だな。あの路上で見つけたんだ。握られた手の中にこいつがあったよ」

「まさか……」

「いや、こいつはカルロが街に来た時から持ってた首飾りだ。あいつが探し当てた証拠じゃない」

 ゴトルたちに目を移す。詰めかけた子供たちはすっかり夢中になっているようで、身を乗り出すようにして羊皮紙に描かれた冒険劇を見つめている。物語も佳境に入ったようだ。

「アニモ、何も変わらない。ゴトルやキーネは偶然、金になる技量を持っていた。だが、全員がそうじゃない。食うに食えずどうしようもない奴なんていくらでもいる。すぐ、近くにな。そいつら全員をどうこうするなんて出来やしない。一人や二人救えたとしても、全体は変わらない。変わらないんだ」

 カルロが死んでから、またテベス・ベイは元のゴミ溜めへと戻っていった。

 変わらない、変えられなかった。もし、今あの場所にいたら俺は……。

 突如、割れんばかりの拍手がまき起こった。物語が一段落したらしい。続きをとせがむ子供たちをゴトルが必死になだめている。

「さて、貴殿が話してくれたのだ。我輩もひとつ昔話をしようか」

 アニモは橋のへりから身を乗り出した。くすんでいた川面に一滴の色が加わる。何故かあいつの顔は微笑んでいるようだった。

「師に拾われたときの事だ。あの時……子供だった我輩は死にかけで森の外れに倒れていたらしい。藁葺きの寝具で目覚めたときに、そう聞かされた。我が師はそれから掌に呼び出した小さな炎で蝋燭を灯していた。それでな、起きてすぐ我輩が何と言ったと思う? 見ず知らずのリザードマンの子を救った人間の恩人に対してだ」

 くつくつと笑いだしたアニモは自嘲したように息を吐き出した。だが、その表情に曇りは一点も見当たらない。

「魔法を教えて欲しい、全てを変えてしまえるくらいの、力が欲しい。我輩はそう言ったのだ。まずは恩人に礼をするなりあるだろうに……子供の頃の話とはいえ我ながら呆れてしまう。すると、我が師はにっこりと、胸まである白髭を揺らして笑われてな。こう言ったんだ」

「『どんなに強大な魔法も全てを変えてしまうような力もいきなり生まれるわけではない。全ては小さな蝋燭を灯すところから始まる』そして、我輩に細い蝋燭と分厚い本を手渡してきた。あの時、藁葺きの上、魔術師としての……いや、我輩の、人生が始まったんだ」

 ポツリと水滴が橋板を叩く。水面に吸い込まれる無数の滴が色のない面を揺るがしていく。

「そして、我輩の目をじっと、あの水晶のように澄んだ瞳で見据えて言われた。『真に偉大な行いとは強大な力を持つことでも、それを行使する事でもない。内に眠る真の心に従った行動こそが偉大なことなのだ』と。我輩の心に刻まれた言葉だ」

 アニモの、その師の言葉が、胸の内にふわりと広がっていく。

 頭にこびり付いて離れない遠い記憶の幻影が僅かに薄らいだような気がした。

 ふと、ゴトルたちへ目を向けると皆、あの場からは退散したようで近くの家の軒下で雨を凌いでいた。

 だが、男の子が一人遅れてしまったのか隙間の埋まった軒を前に右往左往している。

「我々が行ったことは、決して世界そのものを変えてしまうほど大それたことではないし、かつての英雄譚のように誰しもがうらやむ偉業でもない。だが」

 ゴトルが手を伸ばし、男の子を持ち上げると肩車した。子供たちはみな、笑顔で何かを言い合いながら二人を列に加える。別の軒に入った親もそんな光景を穏やかに見守っているようだった。

「ほんの少し、そう。少しだけ明るくなったんじゃないか? 蝋燭一本分くらいはな」

 小さく笑った魔術師はまっすぐ軒下の光景を見つめている。

 全身ずぶ濡れになった俺はどうしてだか、この雨が長く続くようひし形の石へ祈りを込めていた



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戦闘準備(1)

 見知ったドアを開くと薬剤の香りがツンと鼻を通り抜けた。

 瓶で一杯の棚を通り抜けると、黒い三角帽子が二つ見える。今日はアラベルだけじゃないらしい。

「おや、客人かな?」

 やや高い、老人の声。大きな赤鼻に小さな眼鏡を乗せた爺さんがこちらに視線をくれてきた。

 皺に囲まれた三角形の眼を珍しそうにぱちくりさせている。

「ああ、えーと初めまして。俺は最近ここに来た者で……」

「おーおー! 君が噂の刀使いか! この子から話は聞いているよ」

 俺の腰にちらりと顔を向け、老人は合点したように頷いた。

「そりゃあ話が早い……ですね。俺はケイタ」

「キルケだ。キルケ・タクロ」

 手を差し出され一瞬遅れて握手を交わした。確か……アラベルのお師匠だったか? こういった出会いで初めてまともな握手を交わした気がする。

 アラベルへ視線を向けると、彼女は小さなすり鉢で何かを一心不乱に混ぜ合わせていた。

「すごい集中力だろ? まったくこうなると何度話しかけても返事一つ帰ってこん」

 小刻みに揺れる三角帽子を前にキルケは目じりを下げた。

「この子の才能は神々から与えられたものだ」

「才能?」

 キルケはその皺をますます深くすると嬉々として目を輝かせる。孫を自慢する祖父のようだ。

「情熱だよ。この子の胸の内には情熱という枯れることのない泉が常に湧き出ている。錬金術の研究というのは地道なものでな。新発明という華々しい成果の裏では失敗が山のように重なっている。泥臭く、労が多くて益が少ない仕事だ。この子よりも優れた閃きや知識を持った研究者は幾人もいるが、私は情熱こそが何よりも大きな才能だと思うんだ」

 情熱、か。老人の声に初対面での出来事が思い起こされる。今目の前で真剣な表情で研究に取り組む彼女とあの狂気じみた迫力を見せた彼女はコインの表裏なのだろうか。

 そんなことを考えていると、アラベルが大きく息をついた。一段落着いたらしい 。

 彼女が顔を上げ、眼が合った、途端ビクリと肩を震わせる。

「ヒッ……あっ、いつの間に」

「うん? ケイタ君は少し前から来ておったぞ」

「そ、そうだったんですか」

 キルケが苦笑しつつ助け舟を出してくれた。 毎度来るたびに叫び声をあげられそうになるのはどうにかならないだろうか。アラベルは体と顔を俺から反らしてチラチラと視線だけを当ててくる。

 渡すものだけ渡して、退散した方がいいだろう。

「今日は礼を渡しに来ただけだ。すぐ出ていくよ」

「あっ! いえ! その出て行って欲しいってわけじゃ、え? 礼?」

 首を傾けた彼女にフリルの付いた小さな赤いリボンを手渡す。この前の買い出しで見つけた品だ。牛頭の商人が言うには帝都で流行っているスタイル……だそうだ。

「薬の件だよ。あの薬のお陰でダリアは最後の望みを叶えられた」

 横を伺うとキルケは小さく頷いていた。アラベルから話は聞いているようだ。

 リボンを受け取った弟子は一呼吸の間きょとんとした後、目を白黒させた。

「い、いや。お礼なんてもらうほどのことは……」

「してくれたよ。あー、あれかな? もし、いやだったら」

 俺が言いかけたところでアラベルは帽子が取れそうなくらい首を大きく横に振った。嫌というわけじゃないらしい。

 助けを求めるような弟子からの視線を受けたキルケは胸まで伸びた顎髭をゆったりと撫でた。

「何を迷うことがある」

「でも、錬金術は真実を探求し人々のために……」

「善意を受け取るのと真実の探求は相反する事ではないよ」

 そう言い終わるとキルケは鼻歌を歌いながら紫の幹と紅色の葉を持つ植物が入った瓶を布で磨き始めた。判断はアラベルに任せるらしい。

 紫の瞳がリボンと俺の顔を何回か彷徨ってから俺の顔で止まった。

「お、お受けします。すいません。こういったことは初めてで」

「あ、ああ」

 まさか薬の礼を渡すのに一悶着あるとは思わなかったが、どうにか受け取ってもらうことが出来た。俺が踵を返す前にアラベルが浮かれたような声を出す。

「それじゃあ着けてみてもいいですか?」

 俺が頷く前に白い指がリボンを大きく広げていた。

 足を止めて長い頭髪へ視線をうつす。

 あの紅色は深紫の髪によく似合うだろう。

 と、思っていると彼女は三角形の瓶を持ち注ぎ口に深紅のリボンを巻き付け始めた。

 丹念に角度を調整した後、満足げに頷く。

「うん! 似合ってる」

「……アラベルや、その、なんというか、その贈り物はな」

 目を見開いたキルケが慌てて止めようとするのを手で制した。

 こう来るとは想像していなかったが、こっちの方が彼女らしい。

「ああ、似合ってる。俺も丁度合うんじゃないかって思ったんだ」

 そう言って笑うと、アラベルもつられ控えめに体を揺らす。

 深紅の映える透明な瓶に三人の異なる表情が混ぜ合わされるように反射していた。



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戦闘準備(2)

 アラベルの部屋から俺たちの部屋がある広間まで戻ると、何やら言い争うような声に出迎えられた。険しい顔で立ち塞がるアニモを前に四角い帽子を被った男が肩を縮ませている。

「死体がなかった? 我輩達が嘘の報告をしたとでも?」

「そうではございません。しかし、実際にその、あなた方を襲ったという男の死体はどこにも……も、もちろん疑ってなどおりません! 恐らく、魔物に荒らされたかと」

 第一階層で俺達を襲ったあの男のことを話しているらしい。調査結果が出たのだろうか。

 口を挟むのは一旦やめ、四角帽子の男の後ろで腕組みをする。

「そ、それに、迷宮の管理体制は完璧です! 侵入経路は塞がれて何人たりとも足を踏み入れることなど出来ません」

 この辺りの話はコウの言うこととも合致する。別経路からの侵入は考えにくい、と。

 なら、何故あのナイフ男は待ち伏せが出来たんだ?

「考えにくかろうと迷宮の探索者を付け狙う者が現れたのは確かだ。ならば!」

「大変申し上げにくいのですが、この度の調査は打ち切るように達しが……その、出資者から出ておりまして、我々ではどうすることも」

 几帳面に折り畳んだハンカチで帽子の男は顔をぬぐった。四角い眼鏡がずり落ちる度、震える手で位置を整えている。

 俺たちの報告ははぐれ冒険者の戯れ事だと思われたらしい。

 しかし、死体がないというのはどういうことだ?

 グール共なら食い荒らした跡が残るはずだが……?

 暫く頭を悩ませるが答えは出そうにない。軽く頭をふってビクビクと肩を震わせる男に目を向ける。

 こいつに問い詰めるのも可愛そうだ。

 俺が首を横に降るとアニモがガックリと肩を落とした。

「その件はもういいさ。で、だ。代わりと言っちゃなんだが一つ頼みごとが」

「リーチとカーラ、ですか?」

 思わず体が前のめりになる。

 見ず知らずの男から両親の名を聞くことになるとは思いもしなかった。

「その件はお付きの使用人から承っております。皆様のお知り合いの方でしょうか?」

 お付きの使用人?

 そんなの居ないが……まさかコウとビビのことか?

「十五年前の捜索隊につきまして私めも調査を進めております。しかしながら、何分、その当時は混乱の最中でして、資料がまとまっておりません。未だ有力な情報は……こ、これからも調査は続けますゆえ」

 言葉を濁した男の声に心の中で立ち上がりかけた期待がしゃがみこんだ。

 俺も本部に居るときは名簿にかじりついているものの、両親の名を見つけることはできていなかった。

 唯一の手がかりは、この帝都迷宮だけ。

 何故か、両親との記憶だけは思い出せなかった。

 頭の底をさらって子供の頃の記憶を探そうとしても暗い靄が手にこびりつくだけだった。

「資料を見直す」と言い残し、そそくさと出ていった男と入れ替わるようにコウが俺たちの方に歩み寄ってきた。

 話しかけようと右手を上げるが、ふいと横を向かれてしまう。なんだってんだ?

「おはようございます。アニモさんと……ケイタ、さん」

 ……妙に声色に棘があるな。

 不思議に思いアニモの方を向くがこちらからも目をそらされた。

「時に、ケイタさん。少し小耳に挟んだのですが、良くない話を」

 そう言うとコウは体を斜めに向け、腕組みをした。強く握られた服の裾に皺が寄り、腰からゆらりと垂れた尻尾は不機嫌そうに揺れている。

「あー、その一体なにかな? 怒らせるようなことはしてな」

「私は別に構わないのですが、初めて店で会った娘に鼻の下を伸ばすのはどうかと思いますよ。まあ一般の? 探索者なら? そういった低俗な真似をしても問題ないのでしょうが? あなたはもうアルフレッド閣下にも目通りしたのですし、こういった不潔な行動は慎むようになされた方がよろしいかと。私は構わないのですが」

 鼻息荒く早口で言い切られた。形の良い唇がへの字に曲がっている。

 しかし、鼻の下を伸ばしていた? あの時、俺と一緒にいたのは一人しかいない。

 ぐるりと首をリザードマンの方へ回す。随分認識に齟齬があるみたいだ。

 俺の圧を受けてアニモは頭を撫でまわした。

「あー、その、コウ殿。あれはだな、少々吾輩のユーモアが混じった言い方になってしまったが、実際こやつは毅然とした態度で……」

「ユーモア? 私はちっとも面白くなんか! それにどうせデレデレしてたんでしょう!」

「あ、いや、吾輩たちが向かった店というのはイードの魔法店でな」

 その言葉を聞いた瞬間、切先のように鋭かったコウの目が嘘みたいに丸みを帯びた。俺とアニモへ交互に首を回し「あっ」と小さなつぶやきを漏らした。

「もう~イヤだわケイタさんたら。ウフフ」

 誰だこいつは?

 さっきとは打って変わり猫をあやすような声で俺の肩を何度もたたいてくる。あまりの変わりように俺とアニモはあんぐりと口を開けるしかなかった。

 しばしウフフという人工的な笑い声と俺の肩を叩く音が続いた後、コウが小さく咳払いした。顔はいつもの表情へ戻っている。

「失礼しました……あっ! そうだ! クインさんがお二方を呼ばれていましたよ?」

「え? いや、あの」

 俺が何か返す前にちょこんと頭を下げるとあの狐はさっさと自分の部屋へ戻ってしまった。お付きの使用人とかいう気になる単語を聞いてみたかったんだが。

 ぽつんと残された俺達は顔を見合わせた。

「あの狐、したたかというかなんというか……アニモ、俺が鼻の下なんか伸ばしてたか?」

「いやはや、悪かった。冗談として話したのだが、思いの外コウ殿が、その、勢いが凄くてな、冗談ともいえず、な」

 なんとなくその時の光景が頭に浮かんできた。大きなため息が出るが、この小さくなっている竜人を責めるのも気が引ける。俺はアニモの肩を叩いてゆっくりとクインの元へ歩みだした。

 

 魔法書作家の部屋に入ると壁と床を覆う樹木に出迎えられる。足下に伸びた木の根や天井からぶら下がる蔦を避けながら進むと、片翼の妖精が宙に浮かんでいた。

 近づくと寝息が聞こえてくる。雲みたいにふわふわと浮かんでいるのに羽は全く動いていない。

 魔法でも使ってるのか?

 アニモが起こそうと手を近づけると、顔の半分ほどまである大きな目を覆う瞼がゆっくりと開いた。

「ああ、おはようございます~」

「あ、ああ。おはよう、ございます」

 クインは大きく伸びをすると上体を起こし、宙に"腰掛けた"。

「そうそう、確か、第三階層へ進まれるんでしたよね、えーと」

「私がアニモ、こちらはケイタです」

 アニモの声を聞いた妖精がポンと膝を打つ。

「そうでしたそうでした。いやね、最近名前を覚えるのが……と、まあ、そんな事は置いといて。ちょっとお二人の力量を見てみましょうか」

 クインの言葉に面食らう。てっきり魔法かなにかの講座かと思ってた。

 だが、事前に力を計ってくれるなら願ってもないことだ。

 クインは細い三本指をちょいちょいと動かした。近くに来いって事らしい。困り顔で近づいたアニモの額に三本指が触れると青白い光がパッと瞬いた。

 料理の味を確かめるコックみたいに唸ったクインが今度は俺に手招きをする。同様に俺の額に手を当てるが……今度はなんの反応もない。

「ふむふむ、成る程成る程」

「何か分かったのかい?」

 深く深く頷いて彼女は薄く笑った。

 眼の殆どを占める吸い込まれそうな黒目がこちらに向けられる。

 そして、まるで、世間話でもするみたいに穏やかな声でこう告げた。

「ケイタ、でしたね? 貴方は第三階層へ赴けば死ぬでしょう。このままなら、ね」



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戦闘準備(3)

 ミミ

 

 上体を跳ね上げると酷い動悸が襲ってきた。

 眠りの余韻など存在しないかのように。

 荒い呼吸。

 私の意思を無視して暴れまわる心臓が悲鳴を上げる。

 木枠から漏れる光を見る限り、どうにか朝までは目を覚まさないですんだらしい。

 胸に手を当て、楽しかった時の記憶を心の中に浮かべる。幼いころから続けてきた心を守る癖。さっきまで頭を覆っていたであろう暗い夢を思い出さなくてすむように。

 鈍く疼く火傷の跡には気づかないふりをして。

 中には怖いという人もいたけれど、私にとってのおばあちゃんはよく笑う優しい人だった。私にとって、楽しい記憶とは彼女との日々。

 二人でパンを作って、小さな鍋に入れた夕食を分け合って、些細なことで喧嘩して、またすぐ仲直りして、寝付けない私のために一緒に寝てくれて、嫌な夢を見て涙を流して目覚めた私を抱きしめてくれた。

 動悸が少しずつ収まり、視界が定まってくる。

 ようやく一息ついて見えたのはすっかり冷たくなった隣の寝床。

 もう、大切な人はいないという現実を否応なしに突き付けてくる。

 ふらつきながら立ち上がって台所へ。昨日、ウェヌス水道から汲んでおいた水で顔を洗うと少しだけ気分がましになったような気がした。

 木桶に張られた水面が揺れ、差し込まれた光が瞬いた。その輝きは私の友人――友人だった彼女の髪色を思い起こさせる。

 ひょんなことから知り合ったあの三人と過ごした時間は決して長くはなかった。けれど、その存在は私の心の奥で深く根を張っている。

 私に否定されたあの時の悲しそうな表情が浮かぶたびに後悔がぐるぐると頭の中を走りまわりズキズキと胸が軋む。

 ヒカリちゃんがやろうとしたことはどうしても受け入れられるものじゃなかった。

 でも、もし。

 何か、別の言い方をしたら。

 彼女が身の上話をした時、彼女がしようとすることに気づいていたら。

 何か変わっただろうか。

 後悔に身を焦がしても、小川に流してしまった宝石のようにあの時の時間は返ってきてはくれない。

 あれから何度も、仲間の二人が訪ねてきてくれた。私を気にかけてくれたんだろう。

 そこで、ヒカリちゃんが塞ぎこんでいることを聞いた。毎日部屋を訪ねても、あまり外へ出てこないと。

 あの子は私のことをどんな風に思ってるんだろうか、私と会ったとしたら何を思うんだろうか?

 悲しみ? それとも怒り? なんて声をかけたらいいかもわからない。

 そう、分からない。

 私は、迷子なんだ。

 粉雪が舞うあの冬の日、命からがら橋まで逃げた時と何も変わらない。

 今もこうして一人、震えるだけ。

 もうあの時のように私に道標を与えてくれる人は訪れないだろう。

 何かに助けを求めるように私は窓際に来ていた。目の前には陽光を浴びたガザニアの花。

 そっと、花弁を撫でてもガザニアはその身をゆらりと遊ばせるだけ。

 私は、この物言わぬ同居人をただただ見つめていることしかできなかった。

 

 ◆◇◆◇

 

「そりゃあ……穏やかじゃないな」

 目の前で宙に腰かけた妖精は試すような視線をこちらに向けている。「このままじゃ死ぬ」とはずいぶんと刺激的なお言葉だ。

「ケイタ、恐らくクイン殿は、その、比喩的な表現で……」

「いいえ、そのまんまの意味です」

 言葉を失ったアニモは何とも言えないような表情で俺とクインへ交互に視線を送る。俺たちが黙り込んだ後、妖精はゆっくりと口を開いた。

「とはいえ、技量が無いわけでは無し。今日一日貰えれば戦えるように特訓してあげましょう」

「そりゃ本当に! 願ってもないことだ」

 特訓! 噂に名高き妖精族から教えを得られるとはまたとない幸運だ。俺がクインへ答えを返すと俺の腕が引っ張られた。その先では恐怖に満ちた表情のアニモが飛沫を飛ばす犬のように首を振っている。

「まてまてまて! 知らんのか!? 妖精族の特訓は――」

「はいはい~。ではではご指導いたしましょう。ケイタさんどうぞこちらへ」

 さっきアニモが何か言いかけたが、クインの声に遮られて聞こえなかった。

 にっこりと笑みを浮かべるクインとは対照的にアニモは……なんて顔だ、誰かの葬式か?

「それじゃあ今日はこっちで世話になるよ。ああ、アニモ。先に帰ってまたヒカリの様子を見てくれないか?」

 ヒカリには毎日何度も声をかけてはいるのだが、気のない返事が返ってくるだけだった。相変わらず部屋の外にはあまり出てこないし、信じがたいことに食欲すら無いようだ。市場で見つけた珍しい果実を持って行ったが「いらない」と突き返された。どうも、部屋の中で何かをしてるみたいなんだが、中に入れてくれない。

「ケイタ、ヒカリの様子なら既に今朝見て……いや、分かった。それから、その、なんだ」

 アニモは俺に背を向け僅かに首を後ろへ傾けた。

「幸運を祈る」

「え?」

 足早に去っていく魔導士の尻尾はすぐ木陰に隠れて見えなくなっていった。

 幸運を祈る? まるで戦争でも始まるみたいだ。

 アニモの言葉の意味するところを考えようとしたとき、上下から樹木が煙のように湧き出て俺の十歩前に壁のように立ちはだかった。

 驚いて首を回すと四方に樹木の壁が形作られている。

 壁同士の距離は三十歩ほど。即席の闘技場みたいだ。

 その中心でクインが俺を手招きしていた。

「さてさて、ではさっそく始めましょうか。まずは刀をこちらへ」

 樹木に覆われた天井から蔦で出来た受け皿が降りてくる。ここに刀を載せろってことか。

 俺が刀を預けると入れ替わるようにまっすぐに伸びた木の枝が落ちてきた。長さは丁度さっき預けた刀と同じくらい。握ってみると樫のように硬かった。

 クインの方も俺と同じように真っすぐに伸びた木の枝を三本指で支えるように握っていた。大きさは俺のものより二回りは小さいが、彼女の身長と同じくらいの長さがある。

 妖精の特訓と聞いて魔法か何かを使うもんだと勝手に思ってたが、これはまるで模擬剣を握っているようだ。

「あー、ええと、その、特訓っていうのは木の枝を使うのですか? なにか、こう、魔法とか、マナ? とかを使ったりは?」

「マナ? 剣の特訓なのですからそりゃ剣を使いますよ」

 クインはふわふわと浮いたまま半身となり、木刀を真っすぐこちらへ向けてきた。握っているというよりは剣が三本指に引っ付いているように見える。

「内容は?」

「当然、実戦形式です。遠慮せず打ち込んでも構いません。できるなら、ですが」

 いよいよ、か。

 木刀を両手で支え右足を引く。

 構えは中段。

 まずは様子を見るべきか? 妖精を相手取るのは初めてだ。

 クインは宙で緩やかに上下する以外に動きはない。

 距離はまだ間合いの外。

 一歩詰め寄るか?

 その考えが頭によぎった瞬間

 クインの姿が消えた。

「えっ? ――グゥッ!」

 頭のてっぺんから足の先にまで衝撃が走り抜ける。

 視界がガクリと垂れ目から火花が散った。

 遅れて痛烈な痛みが頭に広がる。

 打たれた、頭上から。

 妖精の足が地に降り立ったのが見え、続けて緑髪を垂らしたクインが覗き込んでくる。

「起きられます?」

 木刀を支えにしてどうにか体を起こす。それを見ていたクインはにっこりと笑みを浮かべた。

「よしよし、その意気です」

 さっきのは、なんだ? 目じゃ全く追えなかった。

 魔法? それとも単純な速さ?

 鉛でもぶら下げられたみたいに頭が重い。

 今度は重心を落とし木刀を強く握った。

 まずは初動を見切らねば。

 クインの動きに意識をすべて集中させる。

 妖精は地に足をつけて木刀を肩に担いでいた。

 動く気配はない。

 さらに集中。

 ひとつ、

 ふたつ。

 クインの姿が、消えた。

 直感、下。

 首を回した瞬間、体の芯を揺るがす衝撃が走る。

 息が、止まる。

 視線の先では俺の鳩尾に木刀を突き立てる三本指。

 ふと、意識を手放しそうになった時、淡い光が視界を包んだ。

「おお、大丈夫ですか? すぐに治療できますから心配なさらないでください」

 頭と胸が焼けるように熱くなったかと思うと、たちまち痛みが引いていった。

 治療が終わるとクインは再び距離を取り、ふわりと宙に浮いた。

「ご心配なさらず。あなた方の生涯は短い。回復や休息のような無駄な時間に浪費なんてさせませんから、安心して特訓に励んでくださいね」

 この声は真っすぐで、善意に満ちていて、まるで治癒師が患者にかける言葉のように慈愛に満ちていた。

 ……これはもしかすると今日一日、あの木刀で休む暇もなくぶちのめされ続けるのか?

 脳裏をよぎるのは猛烈な勢いで首を振るアニモの姿。

 俺はブルリと背中を震わせ、全身の力を込め木刀を構えた。



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戦闘準備(4)

 妖精族に関する書物は実のところあまり多くはない。彼女らの住まう《黒の森》の最深部に到達した者がほとんどいないからだ。

 唯一、最深部に到達したと公式記録に残されているのは帝国建立の英雄アントニウスのみ。

 その英雄殿も妖精達の里についての記録をまったく残しておらず、その様子は謎に包まれている。帝国建立の際、妖精族の長、ティルクルを招いたとの記述があることからその関係性は浅くはないと思うが……。

 謎が多い種族と言えば必ず話題に出るのが同地域に住むダークエルフ達だ。この種族についても多くを知る者はいない。同種であるエルフ達ですらまともな親交は無いようで生活様式や社会構造すら知られていないのだ。

 彼らの多くが帝国の隠密部隊に所属しているとの噂もあるが、あくまで憶測の域を出ない。

 話を妖精族に戻す。彼女らはおおむね他種族に対して好意的に接してくる。大災厄の時代、行き倒れた子供たちが保護を受けていたという伝承が数多く残されたのもこの時代だ。

 余談だが、名作『竜の谷の冒険譚』もこの出来事をモチーフにしている。

 そんな彼女らだが……気まぐれに力を授けるという名目で特訓に誘ってくることがある。

 結論から言おう、絶対にやめておいた方がいい。

 永い時を生きるこの種族の持つ力は多くの他種族よりも圧倒的に強い。彼女らにとっては軽く流しているつもりでも、こっちにとってはトロルの渾身の一撃を受けているような衝撃が襲ってくる。あんな馬鹿力で打たれたらどんな我慢強い奴だって悲鳴を上げるさ。おまけに! 彼女らの魔力は膨大でいっぱしの治癒師が失神するほどの治癒魔法を一日中かけ続けることさえ可能だ。

 つまり、彼女らとの特訓を行うということは圧倒的な暴力で一日中ぶちのめされ続けるということになる。

 皮膚が裂けても、肉が切れても、骨が折れても、苦悶の表情を浮かべても、悲痛な叫びをあげても、絶望しても。彼女らが与えると心に決めた技能を習得するまで絶対に終わらない。

 痛みを与えることが技能習得の最短経路だとか何とか言ってたがこっちとしてはたまったもんじゃないよ。

 僕はもう二度とやらない。

 絶対に、だ。

 

『帝国の種族 (全種族版)』 R・ローズ著

 

 

 朦朧とした意識の端に白い光が浮かぶ。

 これで、何度目だ?

 百回を超したくらいから数えるのをやめてしまった。クインの魔法で傷はあっという間に癒えるものの心理的・肉体的な疲労が重しみたいに積み重なっていく。

「さて、いきます」

 いつの間にか治療が終わっていたようだ。五十回目を超えたくらいから治癒の光に包まれる一時だけが心の休まる時間となっていた。

 最も、クインの腕が良すぎるためか一瞬でその時間も過ぎ去ってしまう。

 憩いの時間を無くした俺はどうにか木刀をクインへ向けた。

 もう力が入らない。

 だらりと下がった剣先がゆらゆらと揺れている。

 意識だけは相手に集中。

 上からか、下からか。

 力が抜けた体の中で、精神だけが研ぎ澄まされていく。

 無心。

 熱に浮かされたような浮遊感。

 周囲の音がぷっつりと切れた。

 自分の呼吸音だけが耳の中で反響する。

「え?」

 クインが体を右に流すのが見えた。まるで演武でもしているかのようにゆったりとした緩慢な動き。

 なんだ、これは。

 混乱。

 集中が乱れる。

 周囲の音が聞こえた瞬間、クインの姿は消えていた。

 右!

 咄嗟に木刀を右へ差し向けると鈍い音が木霊する。

 鈍い手の痺れ。

「あら? あらあらあら」

 初めに聞こえたのは気の抜けた声。次いで驚きと喜びが混じったようなクインの表情が浮かぶ。その一撃をぎりぎりで受け止めた俺の剣は下に叩き落されている。

 初めて、クインの一撃を止められた。止められたんだ。

 安堵からか、疲れからか、グラリと視界が傾く。

 足から崩れ落ちそうになった時、暖かな感覚が左肩を包んだ。首を回すと、俺の肩を支えるクインの姿があった。

「もう日も高くなりました。少々休憩としましょうか」

 

 せりだした木のコブに腰かけると、体の底からどっと疲れがわき出してきた。クインは木の枝を幾重にも螺旋にして作ったようなコップを二つ持ち、俺の隣に腰かける(腰かけるといっても宙に、だが)。

「さあどうぞ、治癒魔法じゃ傷は治せても疲労はとれませんから」

 渡されたコップにはなみなみと黄色い液体が満たされている。鼻を近づけると貴族に出す蜂蜜酒のように上品な香りがした。口中からにわかに溢れてきた唾を飲み込む。

 そういや、朝から何も食べてなかった。腹の中がストンと広がったような空腹感に襲われる。

「じゃあ、いただきます」

 コップを傾け口に液体を流し込む。途端に柑橘類の甘い香りが口、鼻、胸の奥にまで暴風雨のように広がった。次いで楽園で掬い取られた蜂蜜のような旨味が口中に広がり、思考が止まる。味わいを楽しもうにも早く飲み込もうとする本能に逆らえない。一気に飲み込むと、甘さの残り香が喉の奥をくすぐりながら腹の中に落ちていく。

 それからすぐ、口と腹から発せられる渇望に従い俺はコップの中身を飲み干していった。

「お口に合いましたか?」

「こんなに、旨いのは、初めてだ! いったいこれは……」

 すっかり中身を飲み干した俺がクインへ目を移すと、彼女の後ろでなにかが動くのがわかった。首を伸ばすとクインの半分ほどしかない何者かがひょこひょこ歩いている。

「え?」

 あれは……木だ。比喩だとかじゃなく小さな木が五本に分かれた根っこを足がわりにして動いている。

 そいつは俺とクインの近くまで来ると葉が生い茂る枝をこっちに伸ばしてきた。クインが俺のコップを取り伸ばされた枝に載せると歩く木はくるりと回って離れていった。

「あの、動いてるそれは、どういう……」

「え? そりゃ木ですよ?」

 クインは当然のように言い放った後、俺の顔を見て合点したとばかりに膝を打った。

「ああ! そうでした。この子は<黒の森>出身なんです。こっちの植物は出歩いたりしない子たちでしたね」

 <黒の森>じゃこういったことは普通なのか?

 夜な夜なああいう若木? が集まったり?

 歩く木々が大勢集まり輪になって踊る絵面を思い浮かべようとしたがうまく想像できなかった。

「あなたは帝都の出身で?」

「いえ、俺は……テベス・ベイです」

 正直自分の出身を話すときは胸の裏側を爪で引っかかれるように嫌な感触が残る。顔をしかめられるかと思ってクインの様子をうかがっていたが、彼女は小さく頷いただけだった。

「ああ、成程。あの辺りはまだ木々が残っていますからね。帝都ではすっかり見なくなりました。致し方ないことですが」

 緑色の大きな瞳に底知れない影が一瞬よぎる。

 言われてみればそうだ。帝都に来てからというもの大木どころか草一本見たことがない。今まで気にしなかったが考えてみるとおかしいような……。

「時に、さっきの立ち合いでは何か掴めましたか?」

 クインの問いかけに、さっきまで頭に渦巻いていた疑問は煙のように消えていった。

 このことは、後で考えればいいか。

 それよりもまず、確かめたいことがある。

「ああ、クイ……いや、師匠の動きが一瞬だけ見えました。不思議な、感覚で。ところで、その、聞きたいことがあります。その、この訓練は、何を会得するのが目的なんでしょう」

 息つく暇もなくぶちのめされ続けるこの地獄の特訓の目的は聞いておきたい。口惜しいが実力差がありすぎて剣技の修練になっている気がしないんだ。

 歩く木が俺のコップを苔の上に置くと、すぐ上で枝をしならせ始めた。

「ふーむ。そうですね、いいですか? ケイタ。贈り物というのは受け取るその時まで内緒にされた方が喜びも大きくなるもの。その時まで内密にするのが作法といってもいい……ま、そういうことです」

 そう言うと小さな師匠は誇らしげに胸を張った。

 一体そういうことがどういうことなのかは良く分からなかったが、習得してのお楽しみということらしい。歩く木が気になって目を移すと奴がしならせた枝から黄色い蜜のような液体がポタポタとコップに注がれていく。

 仄かに甘い香りが漂ってきた。

 もしかしてさっき俺が飲んだのはこいつの絞り汁なのか?

「さて! 続きと行きましょう。もうおなかも膨れたでしょうし」

「いや、まだ何も食べて……」

 言いかけて、すでに空腹感がなくなっていることに気づいた。空腹感どころか、テーブルいっぱいの料理を平らげた後のような満腹感がある。あの絞り汁はえらく精がつくらしい。

「師匠、あと一つだけ。どうして、俺に特訓を?」

 このことはずっと気になっていた。俺とクインは一度顔合わせしただけだ。魔導書を書いてもらっているアニモならまだわかるが、接点が殆どない俺に稽古をつける理由が思い当たらない。

「それは……」

 クインは何かを言いかけて、言葉を止める。唇へ人差し指を当て、いたずらっぽく俺に微笑みかけた。

「妖精の気まぐれ、ということにしておきましょう。さ、始めますよ」



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戦闘準備(5)

 あれから、クインとの打ち合いは続いた。

 慣れというのは凄いもので稀にクインの太刀筋を僅かばかりではあるが捉えることもできるようになってきている。初めのころは目で追うことすらできていなかったから、十分な進歩だろう。

 ……まあ、『打ち合い』といってもクインが一方的に打ち込んでくるだけだし、大抵は俺が床で伸びることになるんだが。

 クインの動きが止まって見えるような現象はあれ以降も何度か起こっていた。時間がゆっくりと流れるように感じる原因は何もつかめないままだ。

 時間は過ぎ植物の間から色を濃くした日の光が差し込むようになっていた。

「さて、少し様になってきたかもしれませんね」

 クインの木刀がゆっくりとこちらを向けられ、俺の顔の位置でピタリと止まった。

 来る。

 集中。

 頭を空にして動きだけを見る。

 音が、消えた。

 クインが姿勢を低くした。

 跳躍。

 真っすぐこっちに向かってくる。

 まだ、集中は切れていない。

 残り五歩の距離。

 時間が遅くなったような感覚。

 全てが遅く見える。

 残り、四。

 木刀を下段へ。

 眼前に迫る脅威を睨み付ける。

 三歩。間合い。

 渾身の力を込めて木刀をカチあげた。

 手に、かすかな感覚。

 遅れて鈍く乾いた音が木霊する。

 目の前には大きな目をぱちくりさせるクインの姿。腕に目を移すと何も握られていなかった。

 得物はどこに?

 俺が疑問を頭に浮かべた時、茶色の屑が視界を覆った。

 掌を上向けて集めてみると……これは、木屑だ。もしやと思い俺の木刀に目を移すと手で握った場所から先が抉れたように消えている。

 お互いの木刀が文字通り木端微塵になったらしい。

「悪くない悪くない。ケイタ、少し……おっと」

 クインの声が遠くに聞こえたかと思うと足から力が抜けていった。倒れる寸前で先の丸まった三本指に支えられる。

 少しの間支えられると足に力が入るようになった。

「あ、ありが、とう。なあ、さっきのは一体……」

「頃合い、ですかね。ケイタ、先ほどの感覚・力の強化は『闘気』によるものです」

 とうき? 初めて聞く。クインはふわりと浮き上がり宙で腰かけた。

「これは、あなたの持つ活力そのものを力へと変換する戦闘技術です。闘気を使った後、あなたが倒れた理由はこれですね」

 言われてみると、この力を使った直後はえらく体が重かった。活力が何を指しているかは良く分からないが、強力な力であることに違いはない。

「ああ、ありがとう師匠。こいつは凄い。しかし、使いすぎると動けなくなるっていうのはまずいな」

「ん? 何言ってるんです?」

 クインは眉を顰め、ぐいと顔を近づけてきた。何か、間違った事でも言ったか?

「この力を許容量以上使えば当然死にますよ」

「え?」

「”え”ではありません。活力は生命力とも言えます。使い果たせば死は必然。第一、何のリスクもなく力を得られるわけ無いでしょう」

 両手を腰に当てたクインがグイと首を突き出して捲し立ててくる。じりじりと後退した俺は足元の根に引っ掛かり尻もちをついた。

 確かに、あのクインの一撃を弾けるような力は魅力的だが、いくら何でも死にかけてまで使いたくは……。

「それから! 一回や二回出来ただけで闘気を身につけられたわけじゃありません! まったくもう! これはミッチリ鍛える必要がありそうですね」

 ……どうも踏んじゃいけないスイッチを踏み抜いたみたいだ。そっと後ろに目をやるが、クソ! そうだ。壁に囲まれていたのを忘れてた。これじゃ逃げられん。

 うなだれていると大木の影からあの動く木が近づいてきた。幹をしならせて俺の顔を覗き込む (相手の顔が無いので雰囲気では、だが)と枝で二度俺の肩を軽く叩いて大木の裏へと消えていった。

「さ、ビートからの慰めも受けたことですし再開しましょう」

 座り込む俺を引きずるように立たせたクインは俺の隣で腕組みしたまま顎で構えるよう合図した。今日体に植え付けられた癖で身構えるが、彼女は俺と対峙せず隣で腕組みをしていた。

「あー、あの。始めるんじゃ?」

「おや、ぶたれるのがお好みですか?」

 ゾッとして蛇を見かけた猫みたいに飛び退いた。俺の様子を見て、妖精は苦笑しつつヒラヒラと手を横に振る。

「冗談です。ほら、こっち来てください」

 大丈夫だろうか。すり足でクインとの距離を詰めていく。いつでも後方へ飛び退けるようにしていたが、様子を伺う限り動く気配はなかった。

 下では歩く木――ビートがコップを大量に並べてあの蜂蜜のような液体を次々注いでいる。こっちにまであの甘い香りが微かに漂ってくる。

「さて、覚えたてのあなたでは闘気を全身に漲らせるとあっという間に活力は枯渇します。それこそ、二・三度瞬きをする間に消えてなくなるでしょう」

 クインはふわりと俺と同じ高さまで浮き上がった。緑色の瞳の中に息を呑む俺の姿が映る。

「闘気をコントロールせねばなりません。全身ではなく目だけに闘気を集中させるのです」

「目だけって……そりゃどうやって」

「体中の力を目に吸い上げるようイメージしてください。大丈夫、これはすぐ出来るようになります」

 言われるがまま瞼を閉じ、目に力を吸い上げるようイメージする。

 キンと耳が鳴り、音が消えた。

 ゆっくり目を開くと目の前にはビートの姿がある。腕から滴り落ちる蜂蜜モドキがゆっくりとコップへ落ちていくのが分かった。

 一滴一滴まで手に取るように分かる。

 時間が蜘蛛の巣に絡めとられたみたいに動きがゆっくりと流れていた。

 これで、いいのだろうか?

 俺がクインに尋ねようと首を動かすが……ゆっくりとしか動かない!

 感覚だけが強化されて自分の動きも遅く見えるのか?

 まて。

 変だ。

 辺りが暗い。日が沈んだ?

 ついさっきまで日が差し込んでいたはずなのに。

 体を動かそうとして手足の感覚が殆ど無くなっていることに気付く。

 体の末端が、まるで氷になったかのように冷たい。

 俺は――

「そこまで!」

 クインの鋭い声。

 我に返った。

 酷く、呼吸が荒い。心臓が風に揺られた蝋燭のように鼓動する。

 後ろに倒れ組むと目の前に蜂蜜モドキが満タンになったコップがあった。

 啜るようにその水面へ口を伸ばす。

 甘い、味。

 液体が喉元を通り抜けると自分の呼吸音以外が聞こえるようになった。横から心配そうに眉を下げたクインが覗き込んでいる。

「あの感覚、分かりましたか? 目の前が暗くなり手足が凍えたのならそこが限界です。さあ樹液を、黒の森に住む木々の樹液は活力の源ですからゆっくり飲んでください」

 さらにもう一口。

 頭が溶けるような甘みが口に広がり全身の感覚が戻ってくる。指先の冷えも無くなったようだ。

 俺の息が整ったところでクインは俺の肩を掴んで引っ張り上げてきた。

「じゃ、もう一回行きましょうか」

「へ?」

「”へ”じゃなくもう一回。この限界の感覚を体に叩き込む必要があります。ん? ああ、大丈夫。樹液ならビートが作ってくれますよ」

 不意に足をつつかれた。

 首を回すとビートがすぐそばまで来ている。あいつはポンとおれのケツを軽くつついた後、樹液絞りへと戻っていった。

「ふふっ。礼はいらない、だそうです」

「えっ! ビートは喋れるんですか」

「ええ。人間には分からないかも知れませんが、植物だっておしゃべりですよ? ……とと、さあ! 時間は有限です。早速始めましょう」

 ……どうしてもやらなきゃいけないのか? はじめは周りの壁が闘技場か何かのように見えたが今じゃ牢屋にしか感じられない。

 ニコニコと混じりっ気のない笑顔を浮かべる妖精の表情に背筋を凍らせつつ俺は集中を高めていった。



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戦闘準備(6)

「最後におさらいといきましょう」

 クインが短く呪文を詠唱すると草の生い茂る床が湖面のように波打ち、俺の三倍はありそうな巨大な丸い岩が浮かんできた。

 木刀に手をかける。

 集中。

 耳が体に埋め込まれたかのように自分の呼吸音が大きくなり、右腕が焼けるように熱くなった。

 一、二。

 抜刀。

 三を数え終わる前に刀は抜き切られる。

 ピシ、という小さな音と共に真っすぐな線が岩に入るとたちまち二つに分かれた。切り口は鏡のように滑らかになっている。

「よろしい。次」

 クインがふわりと浮き上がり大木の枝に腰かけた。俺の二倍はありそうな高さだ。

 呼吸を整える。

 目線を上げ、数歩下がった。

 集中。

 一、二。

 体をかがめ右足に全体重を乗せて思い切り飛び上がる。

 グンと頭に抵抗がかかる。

 視界がみるみるうちに上昇する。

 弓矢にでもなった気分だ。

 枝を超えたところで上昇は止まり、今度は下降していく。

 一、二、三。

 着地。

 後ろに受け身を取って衝撃を和らげる。

 何度か、深呼吸。

 良かった、今回はどこの骨も折れていないらしい。

「さて、こんなところでしょう」

 はるか上空からクインの声が降ってきた。魂を削ぎ落とされるようなこの地獄もようやく終えられるらしい。

 あれから一生分死にかけてようやくこの力の限界を学ぶことが出来た。

 今俺がこの力を宿せる場所は目、右腕、右足。この三つ。

 この力は武具にも纏わせられるようで木で出来た刀でも岩ごと叩き切ることもできる。

 半面、物の運搬などの全身を使うものには使えなかった。あくまで体の一部のみが強化されるようだ。

 時間は十を数える間。

 それだけが一日に闘気で体の一部を強化できる時間だ。それが僅かでも過ぎれば、文字通り瞬く間に神々の御許へ召されることになる。

 訓練を終えた安堵感から力が抜けてそのまま寝転がった。天井まで隙間なく這いまわる蔦の一本が降りてきて俺の横に刀をそっと置いた。

 黒の森もこんな場所なのだろうか?

「まだまだヒヨッ子ですが、ひとまずはここまで。あとは実戦で鍛えるしかありません。強敵と戦い、死線を越えねば真の成長とはもたらされないものです」

 いつの間に、降りてきたのか。視界の上からクインの頭が逆さまに生えてきた。さらさらとした髪が垂れてきてくすぐったいがもう腕を動かす気力はない。

「しかし、師匠はどこでこんな力を?」

「これは古い時代に作られた戦闘技法です。元々は護身の手段として私たち妖精があなた達、定命の種族に伝えたもの」

 クインはじっと俺に目を合わせてきた。

「かつて<災厄の時代>と呼ばれた頃、この大陸は地獄の底にありました。痩せた果実と命一つが等価とされ、鳥の声ではなく生ける者の悲鳴で目を覚ましました。幾重にも捻じ曲がった怨嗟の念が地に満ちた時代です。私たちは、全ての種族を守ろうとしました。特に、弱きものを。持たぬものが、魔法を扱えず力も無い者が生き残る手段に使えるようこの技術を作り出したのです」

 俺を覗き込んだ翠眼に薄い膜が張ったように見える。クインの声は普段の親しみやすい声ではなく、水底に佇む名前の消えた墓標のように静かで沈んだ声だった。

「……この技術は私たちの望みとは異なる使われ方をしました。闘争と戦争です。生き残るためにと作ったこの力は憎き相手を殺すために振るわれたのです。平地、山地、森、街、あるいは家の中で。力を得た弱き者たちは、明日を生きることよりも昨日の怨嗟を晴らそうとしました。あなたがこの力を知らないのも無理はない。私たちは伝えることをやめたのです。悲しみと破壊を生み出すこの力を」

 災厄の時代。俺にとってその言葉はおとぎ話のようなものだった。

 酒場の飲んだくれでさえ冗談でも口にはしない話だ。誰だって知識として知ってはいる。だが、俺は……いや、みんなそうだろう。その時代のことはどこか、とても現実味のある虚構であるかのように思えて仕方なかったんだ。

 世界の外にあるかのような遠いその時代が、クインの言葉でにわかに色を帯びた気がした。

 喉元に集まった冷たい汗が不快な感覚を残して流れ落ちていく。

「なら、その、どうして俺にそんな力を」

 しばし、考え込むようなそぶりを見せた後、クインは口角を上げウインクして見せた。

「そりゃ、あなたがこの力を使って何か悪さしても私がすぐとっちめられますからね……と、冗談はおいといて。とある知り合いから話を聞く限り、あなたがこの力を悪用するとは思えなかったから」

「知り合い? でも、俺のことを知ってる奴なんて……」

 クインの顔が視界から消えた。彼女の姿を追いかけて体を起こすと海で一日中サメに追いかけられた後のような疲労感が全身を包んだ。

「実を言うと、今回の件もその子に頼まれたんですよ」

 こちらに背を向け大木の幹をゆっくりと撫でた彼女は振り返ることなく言葉をつづけた。

「その子は、大切な人があなた方に大変良くしてもらったと言っていました」

 誰だ? 皆目見当がつかない。

 この街に来て知り合ったのだって多くはない。親しくしている相手なら両手で足りるくらいだが、クインと面識のある相手なんて……。

 俺の疑問をよそにクインは足元のビートを抱き抱えこっちに体を向けた。

「普段の行いというものは、どこかで誰かが見ているものです。うらぶれた小さな店の窓辺で佇む物静かな植物だって例外じゃありません」

 ふと、ある光景が脳裏をよぎる。裏道に忘れ去られたような小さなパン屋。その窓辺で寡黙に咲く花がふわりと揺れた気がした。

「ねえ、聞いて」

 彼女の手は止まっていた。大木の隣で佇むその背中がいつもより小さく見える。

「本当に大切なことはどんなふうに生まれたかじゃないの。どうやって生きていくのか。それがだけよ。この力だってそう。どうやって使うかが大事なの。でもね、寿命の短い多くの種族はそのことに気づかないまま生涯を終えてしまう。ケイタ、この力を正しく使ってね。誰かを守るために生まれたはずの力が、破壊のためだけに使われて終わるのは悲しいから」

 語り終えるとクインはこちらを向いた。はじめは分からなかったが、クインの足元でビートが両枝を上げている。丁度抱っこをせがむ子供のようだ。

 小さな笑い声と共に胸に抱かれたビートは満足そうに体を揺らしている。少しして俺に気づいたのかグイと腕(枝だが)を突きだしてきた。

「ふふっ。幸運を、ですって」

「ああ、ありがとう。ビート。それにクイン、貴方にも……無駄にはしないよ。その気持ち」

 クインの髪が僅かに揺れた。

 一瞬の間をおいて静かな声が夕暮れに溶けていく。

「私からも幸運を、ケイタ。どうか……いや、そうね。また、会いましょう」

 夕陽で赤く染まった部屋のなか、クインの手が小さく振られる。彼女の表情は、逆光となった影に覆われて伺い知ることは出来なかった。



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二つの月

 クインの部屋をでた俺は一路、アニモ達の元へと向かった。

 見慣れた広間につくとアニモとヒカリが大柄な騎士と話しているのが見える。俺が近づくと全身鎧の騎士がこちらを一瞥してきた。顔を覆う鉄仮面もピカピカでマントまでつけてやがる。ゴリッパなことだ。

「以上だ。アルフレッド様はお忙しい。遅れることの無いように……貴様らのような浮浪者に何を期待されているのか私には理解できんがな」

 仮面の中からでもわかるほど大きく鼻を鳴らした鉄塊は見下すように顔を傾けた。俺たちに対する貴族の平均的な対応と言っていい。教科書的だ。

「承りました。では明日に」

 アニモは軽く会釈すると右腕を緩やかに出口へと差し向けた。こちらも素晴らしく教科書的な対応だ。意図を翻訳すると『一緒の空気を吸いたくないからとっとと失せろ』となる。

 デカブツが後ろを向いた後、ヒカリが小首をかしげた。

「恥ずかしいの?」

「は?」

 呆けた声に続いて重い金具の音が広間に木霊する。まだこちらを向いてはいないものの、鉄塊が纏う雰囲気は馬上で引かれた弓のように剣呑さを帯びた。

「貴様……愚弄するか。ゴミの分際で!」

「なんでそんなお面で顔隠してるの?」

 甲冑の指先がピクリと動いてすぐ固まった。低い唸り声の後、腕組みをして考え込む。

「よいか、これは儀礼用の正装だ。伝統的にエクイテス階級の者は職務中この鎧を着ける」

 どうも歳端もいかない少女の無邪気な疑問だと捉えたらしい。先程の物々しい雰囲気は消えている。

 俺も刀へ伸ばしていた指を気づかれないように元に戻した。

「貴様らのような輩が知らんのも無理はない。だが、臣民たるもの礼節については常に……」

「うんわかった」

「貴様、本当に……」

 ヒカリの空返事に鉄塊が色めき立つ。そんな時、腕組みをしたアニモがポンと手を打った。

「そうでしたそうでした。そういえば貴殿の来る少し前、鎧姿の方が走って行かれましたぞ。詳しくは聞き取れませんでしたが……確か、王という言葉が聞こえたような」

 アニモの話を聞いた鉄塊がビクリと上体を引き起こした。

「な、なに⁉︎貴様! 何故それを早く……ああっ! もういい!」

 踵を返した全身鎧はマントをたなびかせドアから消えていく。

 俺はその足音が完全に消えてから胸に溜め込んでいた息を吐き出した。隣で腰に手を当てているヒカリに顔を向ける。

「まったくお前と居ると退屈しないよ。内務卿殿が来るってだけの知らせが一歩間違えれば血を見ることになってた……ところでアニモ、アレのお仲間を見たってのは本当か? こんな所に奴らが来るとは思えんが」

「いやなに。昼時に試作の鎧モドキを着たガロクを見かけた、というのを少々抽象的に言っただけだ。嘘はついてないぞ。ふらつきながら『俺はドワーフの王だ』と喚いてたからな。呂律が回ってなかったのは伝えていないが」

 思わず口角が吊り上がる。傑作だ。あの高慢チキにはこんくらいが丁度いいだろう。

 アニモは軽く咳払いすると俺の肩を叩いてきた。

「それにしてもよくぞ無事に戻ったものだ。ケイタ。廃人にされたんじゃないかと気を揉んでいたぞ」

「笑えないよ……ん? ヒカリ、どこ行くんだ?」

 一人でドアへと向かうヒカリ。俺が首を傾げるとアニモが「ああ、そうだ」と頷いた。

「バロン殿から知らせがあってな。防具が出来たそうだ」

 

 相変わらず人のいない本部の廊下を横に並んで進む。ガロクの部屋に近づくと牛の鳴き声みたいなイビキが聞こえてきた。バロンの部屋まで聞こえるんじゃないかこれ。

「ヒカリ、あー、その、なんだ。調子はどうだ?」

 隣を歩む銀の頭髪に目を向けた。さらさらと波打つ髪の間からのぞく横顔は以前と変わらないように見える。

「うん、まあ」

 空返事なのか、”まあまあ”という意図なのか判断に困る。木を叩く音。アニモがバロンの戸をノックしてるんだろう。

 それから少ししてヒカリは再び口を開いた。

「まあ、一応、出来たから」

「え? できた? できたって何が?」

 首を捻る。ヒカリは何かをしていたのか? ずっと部屋から出てこなかったが……。俺が足を止め視線を向けるとヒカリはふいと顔を背けた。

「言えない」

 そう言い残しアニモが開けたドアから逃げるように中へ入っていった。ドアを開ける際、掛けられた左手の人差し指に布が巻かれている。

 確か、あれは以前にも見たことがある。ダリアの店だったか? あの時は指全部に巻いていたような……? コウ達なら何か知ってるのだろうか、今度聞いてみてもいいかもしれない。

 ただ、今は考えても答えは出そうにない。俺も二人に続いてバロンの部屋へ向かった。

「お、来たね。バッチリ仕上がっているよ」

 芝居がかった仕草でライオン頭が華麗な礼をした。相変わらずたてがみは油のようなものが塗りたくられてツンツンだ。

 大きな長机の上に白を基調とした三着の防護具が置かれている。デカイのがアニモの、中くらいが俺、小さいのがヒカリのだろう。

「バロン殿、これは見事な—どう作ったのか説明頂いても?」

 アニモは防護服を手に取って留め具やら表面を指でなぞっている。恐らくどんな素材や技法を用いたか知りたいんだろう。

 ヒカリの方は感嘆の声をあげて防護服を広げていた。ローブか簡素な服しか着て来なかったからな。感激するのもわかる。あいつはおもむろに手に取った服を長机に置き。

 何を思ったのか自分の服に手を付けめくり上げようとした。細い背中が半分程露わになったところで咄嗟にあいつの腕を降ろさせる。

「おい待て、どうした」

「え? 着替えようかと」

 お前こそどうしたと言わんばかりの目を向けてくる。あっちのトカゲとツンツンは幸いというべきかこちらに気付いてはいないようだった。俺はヒカリに防護服を持たせると人目の届かない店の奥に押し込んだ。

「とりあえずここで着替えてから出て来てくれ」

「なんで?」

「それは……なんでもだ」

 なんとかヒカリに言い聞かせて長机の前に戻ると、既にバロンによる即席の講義は始まっているようだった。俺も早速自分に用意された防護服を手に取る。

 初めて見るタイプの防具だ。姿形は普段身につける服とほぼ同じ。だが全体が硬い鱗のようなもので覆われている。だが、軽い上に伸縮性もあるようで蜘蛛の糸のようによく伸びた。鱗が離れた隙間からは赤い何かが見え隠れしている。

「君たちが持ち込んだハーピーをふんだんに使わせてもらったよ。外側には脚部の硬い鱗、これは空蜘蛛の糸で縫い合わせている。よく伸びるだろ? また、中間部に羽を挟んだんだ。内側にはハーピーの皮膚を使っているから着け心地もいいはずだよ。斬撃、打撃にも強いし内部の羽のお陰で魔法に対してもある程度の抵抗力が期待できる」

「こりゃ……驚いたな。下手な騎士の鎧より頑丈そうだ。しかも軽い。あ、ところで血を見るのがダメだと言ってたがこれは平気なのか?」

 俺の言葉にバロンは素っ頓狂な声を上げるとぶんぶんと顔を横に振った。あれだけ激しくしているのにたてがみは全く形を変えない。

「やめてくれ! 僕が解体なんてできるわけないだろう! こういった素材の……”分解”については専門の職人がいるから彼らに渡すのさ」

 そうか、じゃあこの防護服も元は、と想像しようとしてやめた。自分から夕食の食欲をなくさせたくはない。

 この服はそのまま身に着けられるようになっているらしく頭から上着とズボンをはき替えた。屈伸したり、飛んだり跳ねたりしても全くきつさがない。元から身に着けていたようによく馴染む。

「ピッタリだ! 信じられん、凄え腕だ」

「そのくらいなんでもないさ」と話す言葉とは裏腹に純白の胸が高らかに張られていた。

 何度か曲げ伸ばしして分かったが、肩、肘、膝の関節部には特に厚く鱗が使われているらしく軽く床にぶつけてみても全く痛みは感じない。もしかすると胸や腹の部分も厚くなってるのか?

 そうこうしているとバロンがおもむろにこの場に不釣り合いな大剣を手に持っていた。アニモの身長くらいある大物だ。

「さて、サイズは大丈夫なようだね。今回のは自信作なんだ。どれくらい頑丈なのかは……実際に見てもらうのがいいかな」



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二つの月(2)

 憧れる職については人それぞれ異なるだろうが、つきたくない職についてはおおむね意見が一致するだろう。

 そう、冒険者だ。

 多くは勘違いしているが、彼らは初めから鼻つまみ者だったわけではない。元々はあこがれの職業だったのだ。

 帝国の黎明期、戦乱の傷がまだ癒えぬ頃。大地を覆っていたのは死肉を喰らい、夥しいまでに数を増やした魔物どもだった。驚くべきことに帝都の大動脈である<アウレリウス街道> (当時の名は塩の道)の付近にまで魔物の巣が作られていた。

 この状況を打破せんと辣腕を振るったのが他ならぬ建国の英雄アウレリウスだ。

 それまでの経験から大軍を差し向けると姿を消くらます習性を熟知していた彼は全土から招集した戦士たちに小集団を組ませ、魔物の駆逐を開始した。この小集団こそが冒険者の始まりだ。彼らは未開の地に一番に赴き、魔物を駆逐し、世界を広げる役割を担った。今日における帝国の発展は彼らの貢献なしにはありえなかっただろう。

 余談ではあるが、この時アウレリウス帝自らが各地に赴き魔物の駆逐をしていたそうだ。剣の一薙ぎで十数の(資料によっては数十)の魔物を屠ったとある。多少誇張して書かれてはいるのだろうが、それを加味してもこの英雄は恐るべき力を持っていたようだ。やはり『聖印』の力というのはこの筆者のような凡夫には計り知れないものなのだろう。

 だが、悲しいかな。時代は下り、冒険者の仕事は変質していった。

 魔物の巣が人の住む領域から遠ざかるにつれ、その脅威も薄くなっていった。魔物が完全に居なくなったわけじゃない。だが、黎明期に比べればその損害は『運の悪い事故』程度まで激減した。

 人間・エルフ・ドワーフ・竜人。人と名の付く生き物は争いをやめることはない。外に敵が居なくなれば今度は内側で闘争を繰り返すようになる。

 魔物が減りその力を余すこととなった冒険者たちは帝国内部の抗争にその力を費やすようになった。

 表向き、あるいは日の当たらないところで。

 それに伴い、かつてはその高潔さを称えられた彼らも堕落の道を転がり落ちていった。

 職業が制度化されるとその傾向はさらに強くなった。制度から弾かれた者が最後に食い扶持を求めたのがこの職だったからだ。その結果、犯罪者と大差ないような集団が生まれしまった。

 無論、中には真っ当な冒険者もいる。盗みを犯さず、定価で物を買い、浮浪者とは違った身なりをした冒険者が。最もそれは道に落ちた石ころに金鉱石が混じっているのを期待するようなものだけれどね。

 

『冒険者の成り立ち』

 ―――――――――――――――――――――

 

 バロンは部屋の端に設置された鍛錬用の案山子に防護服をかぶせた。案山子は太い鉄の棒で床下に固定されているようでちょっとやそっとじゃ動きそうにない。

「あーバロン? その、大丈夫か? いきなりそんな大剣でぶった斬るってのは……」

「心配ないさ。強度については加工中に確かめてあるよ」

 俺の心配をよそにバロンは大剣を上段に構えた。姿勢も綺麗で様になっている、どこかで習ったのだろうか?

 一時の間をおいて高々と掲げられた剣が振り下ろされた。

 耳障りな残響と何かの破壊音。わずかに遅れて床に剣の先が落ちているのが目に映った。防護服を外された案山子には傷一つ付いていない。

「おお〜」

 いつの間にか着替えを終えたヒカリが隣でパチパチと拍手していた。この防護服は外からだと細かい鉄板を組み合わせた鎧のようにも見える。黒で統一された色にヒカリの白い肌と銀の頭髪がよく映えていた。

「しかしこれは……驚きだな。この軽さでこれだけの強度があるとは」

「元々魔鳥類の鱗は重さの割に頑強でね。とはいえ、これほどまでの一品はそうそうお目にかかれないけれど」

 目をぱちくりさせるアニモに白いタテガミが頷く。頑丈さもそうだが、この獣人の剣筋も俺にとって驚きだった。破損部を見る限り質のいい剣というわけじゃ無いが、あれだけ強く振るには相応の修練がいる。

「あんた剣も相当の腕だな。どこで稽古を?」

 俺の言葉にバロンは一瞬言葉に詰まった。それから少し困ったような顔で肩をすくめる。

「まあ、幼いころ少しね……さあ! 君たちもやってみてくれ。ただし、店を壊さない程度にね」

 それからしばしの間、俺とアニモが代わる代わる案山子に魔法と武具を打ち付け続けた。アニモが数発、小さな火球をぶつけたが驚くことに焦げ後一つ付いていない。外殻にあたる鱗もそうだが、それを繋ぎ止める部分にもダメージはなさそうだった。

 俺も用意されていた大槌と槍を案山子に打ちつけたが、どちらもバロンの大剣と同じ末路を辿った。

 小さな歓声の元を辿るとヒカリが腕組みをして大仰に頷いている。軍のお偉いさんにでもなったつもりなんだろうか?

 それからバロンの腕前を称えていたんだが、牛の鳴き声みたいな音が会話を止めた。

「おいおい、ここまで聞こえてくんのか? ドワーフの王様のイビキはさ」

 くすくすと笑い出したアニモとヒカリの二人とは対照的にバロンはマギカ草を飲み込んだように顔をしかめた。

「まったく、あのドワーフ。ああいった輩がいると僕たちの品位にまでケチがつけられてしまう。アレが何か美しさに心を動かすところが想像出来ないよ。今夜からは双子の月が浮かぶがそれすら見上げたこともないだろう」

 アニモと顔を見合わせた。どうもこの向かいの二人はあまり相性が良く無いらしい。二人の性格を考えると無理もないか。

「そういえば、本部お抱えの職人はどういう基準で選ばれているのかな?」

 重さを増した空気を察したのかアニモが話題を変えた。ドワーフの王から話題が移ったからかバロンの眉間に刻まれた皺がふっと消える。

「僕自身も正式に聞かされた訳じゃない。だが、噂だとアルフレッド閣下直々に選ばれたとかなんとか……多分他の貴族の子飼いが入ることを嫌ったんじゃないかな? 無論、閣下の目に留まるには相応の技量は必須さ」

 武具や薬は魔物の討伐・探索において生死に直結する。ここをきちんと抑えてくれるのはありがたい限りだ。今まで見た限り、ここにいる職人の技量は相当のもんだしな。

 バロンは壁に体を預けると、遠い目をした。

「あの方には感謝してもしたりない。僕はここに来る前はロクな生活が出来なくてね」

「まさか! あんたくらいの腕があるなら金に苦労はしないだろう」

 俺も全ての武具屋を見た訳じゃないが、この稼業をしていてこれだけ質のいい防具は見た事がない。バロンは相変わらず遠くを見つめるような目で自嘲するように笑った。

「色々あってね……まあ、それにしても今は厳しい時代だ。この仕事を始めてわかったよ。実際はコネや立場が重視されるのに、表向きは技量を重視するようなことを言う。常に何かに役立つことを求められ続ければ誰の心も疲弊するさ」

 今までに無いくらい沈んだ表情だった。普段の立ち振る舞いを見る限り、どこか良い家の出かとばかり思っていたが……。

 そんな時、唐突に低い場所から固い声が発せられた。

「……役に立たなければ意味はないの?」

 ヒカリだ。言葉こそ普段通りだったが、俺は何故か焦りのようなものを感じる。

「うーん、悲しいことだけどね。ちゃんと客の望むものを用意できないと厳しいね」

 ヒカリは苛立ったように体を小刻みに動かした。細い銀髪が鎧の上を不規則にのたうつ。

「でも……」

「役に立たないものを渡してしまうと、必要とされなくなってしまうんだ。こっちとしては致命的さ」

 ヒカリが息を飲むのがわかった。揺れる瞳を隠すように下がる目線。「そう」と消え入りそうな声だけが残される。

 なぜ、こんなことを聞く?

 ここ最近のヒカリの不可解な言動が頭に浮かんでは消えていく。

 指にまかれた布。

 部屋から出てこなかったこと。

 そして、このバロンへの質問。

 俺が散らばる点をつなぎとめようとした時、アニモの声がそれを阻んだ。

「ではバロン殿、この防護服は謹んで頂こう」

 恭しく礼をした竜人は俺たちの方へ振り返ると長い舌で口の周りを湿らせ、ゆっくりと噛み締めるように告げた。

「武具・道具も揃った。第三階層へ進む時はもうすぐだ」



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二つの月(3)

「――こちらが第三階層についての報告書です」

 コウの固い声。渡された羊皮紙の一枚目に目を止めたアニモが顔を上げた。

「疑うわけではない。しかし、これは、本当に魔物がいるのか? これはすでに……」

「冒険者、そして調査隊からも同じ証言が出ています。間違いありません」

 肩越しに覗いてみると目の玉が飛び出るような魔物の名が書いてあった。

「アズボル? さすがにこいつは見間違いだろ? 昔話に出てくる怪物だ」

 俺の期待を込めた言葉は首を横に振るコウに静かに否定される。壁に掲げられた魔輝石が床に伸びる俺たちの影を揺らめかせた。

「知っての通り、この魔物はアウレリウス帝の手によって葬られました。しかし、証言に加え持ち帰られた戦利品からも第三階層の主はアズボルであると結論づけられています」

 アズボル。

 誰だって知っている大昔にいた魔物だ。全身を重層鎧で覆い人の身の丈ほどもある大剣を扱う魔族の騎士。

 そいつは大陸の東部に居座り当時開拓を進めていた帝国にとって大きな脅威となっていた。討伐に送り込まれた名だたる猛者を幾人も屠り、その亡骸で築いた王座に鎮座していたそうだ。そんな中、アウレリウスは自らアズボルの討伐に乗り出し、我らが英雄は瞬く間にこれを駆逐してしまった……ってのが昔話のあらすじだ。

「この階層に挑んだ冒険者はこの十五年間で千組にも達します。しかし、第三階層を突破し第四階層に到達したのは十五組。挑んだ冒険者の殆どがこの迷宮が出来てから五年間に集中しています。このころは貴族たちから多額の支援もありましたから」

「突破した冒険者がいるのなら、もうその魔物は殺されているんじゃないの?」

 それまで黙って話を聞いていたヒカリが首を傾げた。言われて俺も気づいたがこれは第二階層もそうだった。今まで突破者がいるのになぜ主はいるのか。

「その……なぜか、ということは分かっていないのですが、この迷宮において主は”甦る”ようなのです。一度突破しても、日を置けばまた何事もなかったかのように」

 甦る? そんな馬鹿な、と口にしかけて声を止めた。俺のすぐ隣に甦ったという奴が一人いる。しかし、ハーピーにしろあんな化け物をそんな簡単によみがえらせることなんて……。

「なあ、コウ。あんな化け物をよみがえらせるなんてそんなこと何が……いや、誰が――」

「それには私が答えよう」

 低く、よく通る声。

 ドアに目を向けると内務卿がそこに立っていた。後ろにはゴテゴテした甲冑をつけた護衛、そして全身を黒いローブで包んだ奴もいる。鷲鼻の老人を目にしたアニモが背を正したのが分かった。

「楽にしておくれ。まずはケイタ君の疑問に答える前にこちらの……ローブ姿の新人について紹介しておこう」

 黒ローブは音もなく広間を横切ると壁を背にもたれかかる。その様子を追っていた甲冑が鼻を鳴らすのが聞こえてきた。この態度から察するに奴は俺たちのお仲間らしい。

「マキだ」

 黒ローブから女の声がした。やや低い声。どう聞いても情報が不足しているがそれきり奴は火を消した竈みたいに黙りこんでしまった。その様子を見たアルフレドは肩をすくめる。

「あー……少々、個性的だが力量は本物だ。なにせ彼女の種族は――」

「私の情報は自分から後で伝えます内務卿」

 マキが鋭く言い放つ。言葉遣いこそ一応丁寧に聞こえるよう取り繕ってはいるが有無を言わせぬ口調だった。

 甲冑の殺気が一段と強くなるがどこ吹く風で身動ぎひとつしない。肝が据わってるのかイカレてるのか判断に困る。

 一瞬、アルフレッドの目尻に安堵の色が浮かんだように見えた。

 ん? 安堵だって? まさかこれ厄介な問題児を押し付けられたんじゃないだろうな?

 俺が問い詰めようかと思案するよりも前に鷹の目が鋭くなる。

「さて、次は本題に入ろう。君たちをここに呼んだ理由でもありケイタ君の疑問にも答えることになる帝都迷宮についての話だ。この迷宮が出現して以来、私は多くの時間をこのダンジョンの解明に費やしてきた。その成り立ちを調べれば調べるほどこの迷宮の異質さは際立っていった」

 アルフレッドの声は今までにない圧があった。俺達を見渡すその顔は険しい。

「知っての通り通常のダンジョンは魔力の流れが澱む場所に魔物達が集まり形成される、というのが現在の最も有力な理論だ。山中に放棄された砦や僻地にある洞窟が迷宮化することが多い経験則から得られたものだな。この世界を循環する膨大な魔力の一部が”溜り”、空間さえも捻じ曲げて魔境を作ってしまう。とはいえ、これらは民に恵みももたらしている。魔力に浸された鉱物・植物は希少な鉱石・薬草となり、魔物からとれる高純度の魔石は帝国の生活基盤にとって欠かせないものだ……このあたりは知っているね?」

「ぜんぜん」

 にわかに緊張感の張りつめた空間にあって不釣り合いなほどのんきな声。

 発生源はすぐ隣。ウチの問題児がぽかんと口を開けている。後ろに控える騎士の鎧がピクリと動いた。

「……ヒカリ、せめて『よく知りません』と言ってくれ」

 アニモが口の端をひきつらせながら囁くが当の本人は軽く首を傾げるだけだ。

 ここで後ろの護衛が進み出てアルフレッドに何かを耳打ちする。鷹の目を持つ老人は頭を掻きながら小さく咳払いした。

「話がそれてしまったな。帝都はこの大陸で最も魔力の流れが安定した場所に建てられた都市だ。そんな場所に通常なら迷宮は絶対誕生しない。いや、"自然には"と言った方がいいかな。結論を言うならこの迷宮は人為的に作られたものだ」

「そんなバカな! ダンジョンを作り出すなど人の魔力ではとても……」

「それが起こってしまったのだ。現に君たちも実際に中に入ったようにそこに存在している」

 アニモのかすれ声が張り詰めた空気をさらに鋭くさせる。この魔術師の狼狽ぶりからみるに、迷宮をこしらえるってのはとんでもない力が必要らしい。質問を挟もうかと目を向けたアルフレッドの瞳には、口を開くことを躊躇させるほどの圧迫感と剣呑な光が宿っていた。

「私はこの迷宮が誕生した十五年前からこの原因を調査し続けてきた。帝国に抵抗を続ける地下組織・カルト教団・魔術学院を卒業後消息不明なもの……あらゆる情報を精査した結果、一人の男の名前が残ったのだ」

「バルディオス」

 その表情に明確な憎悪。

 そして、哀愁が浮かぶ。

「帝国魔術学院を首席で卒業し、将来を渇望されていた男だ。元々、恵まれた出身ではなかったがその才覚はずば抜けていた。四代元素の魔術をすべて操る器用さに無尽蔵ともいえる魔力。私も長く生きたがあれほど才能に恵まれた者は見たことが無い。だが、あらゆる魔術分野の中でことさら狂気的にのめり込んだ分野がある」

 言葉を切ったアルフレッドが宙をにらむ。生唾を飲み込んだのか甲冑姿の騎士が身動ぎした。

「死霊術だ」

 アルフレッドは何かに耐えるように顔をしかめた。過去に思いをはせているのか宙を見つめる姿にはどこか哀愁が漂う。

「彼は永遠の命という誘惑にとり憑かれていた。卒業後、魔術学院の教員となった彼はその天才的な頭脳で次々に革新的な理論を発表していった。帝国の魔術理論は彼が行った一年の研究で三十年進んだと言われるほどだ。しかし、帝国が死霊術を正式な教科から外すという決定を下した後、突如として彼はその姿を消した。私が彼の名を再び耳にするのはそれから三年後になる。皇帝直属の隠密部隊より帝国の崩壊という誇大妄想にとり憑かれたカルト組織<紅い月>の情報がもたらされた。これは帝都迷宮が出現してすぐの事だ」

 老人の深いため息が木霊する。他に聞こえるのは甲冑が奏でる耳障りな不協和音だけだ。

「組織を追っていた私はついにその拠点の一つを突き止めた。乗り込み、構成員を尋問しようとしたが彼らは口を割る前に皆自刃した

 ――『バルディオス万歳』と叫んでな。残された羊皮紙の一部から驚くべき物が発見された。帝都迷宮の内部についての書置きだ。当時、誰も到達していなかった第三階層のね。君たちに渡した羊皮紙も彼らが残した物の一部だよ」

 ここまで言い切って内務卿は深い溜息を吐いた。

「バルディオス……彼は実に才能にあふれていたよ。だが、同時に危うさもあった。幼少期の経験からだろうか、時に破滅的ともいえる考え方をすることもあったんだ。だが、級友と触れ合い愛する者が出来てその心の闇も消せたと…………私は自惚れていた。本当の心の底を見通せていなかったんだ」

「随分、その、バルディオスに詳しいように聞こえますが……」

 アニモの控えめな声にアルフレッドは自嘲気味に笑った。薄い明りが顔に刻まれた皴に深い陰を作り出す。

「そうだろうな。彼を魔術学院で教えたのは私なのだから。多くの時間を共にした。恐らく各階層の主たちもバルディオスが甦らせているのだろう。いや、甦らせるというより創り出すという表現が正しいかもしれないな」

 それきり音が消えた。氷の中に放り込まれたかのような静けさ。誰も、声を上げなかった。

 帝国の英雄の教え子が帝国を破壊しようとしている? そんな事言われても信じられない。俺には十にも届かない子供が寝言で呟くような絵空事のように思えた。

「すぐには信じられないだろう。事実、貴族たちの多くは<紅い月>についての報告を『考えすぎ』だの『陰謀論』だのと鼻で笑っている。だが、途方もない力を持つ死霊術師が我等の足元で恐ろしい考えを実行しようとしていることは事実だ。信じてほしい。実際、既に少しずつ影響も出始めているんだ」

 三人して顔を突き合わせた。話の内容を理解しようにも、思考が指の間からするりとすり抜けてしまう。帝国の破壊をもくろむ死霊術師、現実とは思えない単語がふわふわと頭の中を宙ぶらりんで浮いているようだった。

「つまり、この対策本部の最終的な目的はバルディオスを倒すことであると?」

「その通りだ。アニモ君」

「あなたも探索に参加したら?」

 俺は呆気に取られて発言主 (当然こんなこと言うのはヒカリしかいない)へ目を向けた。アニモに至っては額に冷や汗が浮かんでいる。

「貴様……!」

 後ろに控えていた全身鎧が怒気と共に腰に下げた大剣へ手を伸ばす。しかし彼が歩き出す前にアルフレッドその人が手で制した。

「彼女の疑問はもっともだろう。私も可能であれば自ら赴きたいところだよ。しかし、だ。この迷宮には厄介な封印が施されていてな。どのような方法を使ったのか分からないが聖印持ちだけはこの迷宮に足を踏み入れることができないのだ。この封印を解除するため数多の手を打ってはいるが……」

 アルフレッドは右手の甲を押さえつけるように左手でつかんだ。指の隙間から星形の痣のようなものが見え隠れしている。

「”せいいん”ってなに?」ヒカリが俺の腕を引っ張ってくる。

「後で教えるから今は大人しくしとこうぜ。このままだとアニモが心労で気絶しそうだ」

 背後で控えていた騎士の一人が何かアルフレッドに耳打ちした。年老いた顔に苦々しそうな表情が浮かぶ。

「もう時間か! ううむ……君たち。先ほど伝えたことがこの迷宮について分かっていることだ。もし何か新たな発見があればすぐに知らせてくれ。コウにに伝えてくれればいい」

 言うや否やアルフレッドは騎士を伴い足早に部屋を出ていった。姿が消えて直ぐ黒ローブの女、マキがこっちにゆっくりと近づいてきた。

 否応なしに体に力が入る。奴は慌てることなくゆったりと俺達を見渡した。その奥できらりと青い光が瞬く。

「さて、お偉いさんの長話もようやく終わった。次へ進むために必要な準備をするぞ」



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