紫煙燻らせ迷宮へ (クセル)
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第一話

 迷宮都市オラリオ。

 地下迷宮、通称『ダンジョン』を保有している。と言うと語弊がある。正しくは『ダンジョン』の上に築き上げられた巨大都市。

 都市を、ひいてはダンジョンを管理する『ギルド』を中心に栄えるこの都市は、神々が初めて地に降り立った土地でもあったとされる。

 遠い昔────退屈で仕方の無かった神々は刺激を求めて地上に降り立った。

 様々な無駄を拵えながら、文化や営みを育む『人間(こども)達』に娯楽を見出した彼らは、全く思い通りにいかないこの下界(せかい)に大いに興奮し、のめり込んでいった。

 下界での永住を決めた神々は、万能の力たる『神の力(アルカナム)』の使用を制限し、自ら不自由さと不便さに囲まれて楽しく生きようと決めた。

 そんな神々が唯一地上で振るう事を許可された神の権能。神が与える力の一端『神の恩恵(ファルナ)』。

 それを授かる事で神による派閥である【神の眷属(ファミリア)】に加わる事になる。

 神々は恩恵を授けた眷属に対し、お金を稼いで貰ったり、色々なお願いをして下界での生活を樹立していく。身も蓋もない言い方をしてしまえば、【ファミリア】の構成員に養ってもらうという事でもある。

 こう語るとまるで人間を隷属させている様に感じられるかもしれない。しかし神々によって与えられる恩恵によってもたらされる利益は人々にとって無視できるものではない。

 一度『恩恵』を授かってしまえば、どんな人であっても下等な怪物程度であれば撃退できる力を得られる。

 故に、人々はこぞって神々の眷属になりたがり、千年の時を経た今となっては数多くの派閥がこの都市に軒を連ねていると言っていいだろう。

 無論、この都市に限らずこの下界には自らの【ファミリア】を国にまで押し上げる神すらも居るが。それでもオラリオこそ、神々が最も多く住まう土地でもある。

 

 

 

 そんな都市の一角。

「はぁ……」

 線の細い白髪の少年が力無く座り込み街の雑踏をぼんやりと眺めながら深い溜息を零していた。

 田舎から出てきたばかりの彼は冒険者志望としてこの都市を訪れ、【ファミリア】の入団を希望して各々の派閥を訪れ、門前払いを受けていた。それも、一つや二つではない。訪ねた派閥の数は両手両足の指の数を合わせても足りない。

 そうなる理由もその少年は理解できていた。

 有名な【ファミリア】であれば、人材も豊富で基本的に飽和しており、受け入れる余地が無い。中小規模の【ファミリア】ならば田舎者丸出しな少年より、多少なりとも戦闘技能や専門知識を持つ人材を優先するのは当たり前。

 残念なことに、少年が持ち得る知識はほんの僅かな農業知識と、農業でほんのり鍛えられたちっぽけな筋力のみ。戦闘なんぞ門外漢、加えて農業知識を何に活かせるというのだろうか。

「僕なんかじゃ……冒険者になれないのかな」

 このまま【ファミリア】を見つける事も出来ずに、冒険者になる事も叶わないのではないか、と不安に押し潰されかけながらも、縋る様に立ち上がった少年はもう一度だけと気力を振り絞って次の【ファミリア】を求めて歩き出そうとした、その時。

「おーい、そこの君ぃ。危ないから裏路地には行かない方が良いぜ?」

 声を掛けられた事で自身が歩き出そうとした先が裏路地に続く道だと気付きいて足を止め、少年が振り返った。テテテテと駆け寄ってくる少女の姿を見て、礼を口にする。

「あ、ありがとう……えっと、君は? こんな所で、迷子なのかな?」

「……迷子みたいな目をしているのはキミの方だろう?」

 首を傾げられ、下から見上げてくる少女の言葉に彼が怯む。

 対面する少女は紛れも無い美少女だった。背丈こそ少年よりも低いものの、艶のある漆黒の髪が耳を隠す程伸びていて、更に横にはツインテールが作られ腰まで届いている。丸い顔と丸い頬は幼い容姿を際立たせ、それに反する様に服の上からもわかる程に成熟した胸元に自然と視線が吸い寄せられる。

 円らな瞳は青みがかっており、その整い過ぎた容姿の中でも幻想的な雰囲気を醸し出していた。

 将来は絶世の美女である事が約束された、そんな美少女の登場に少年が身を強張らせていると。

「はぁ……初対面の子はいつもボクを子供扱いするんだ」

 若干不貞腐れた様に呟かれた言葉に彼はびくりと身を震わせ、まじまじと少女を見つめる。

 その()()()()()()姿()と、青みがかった幻想的な瞳。どちらも人間離れしたモノであり────そこで漸く、彼はその特徴的な特徴から可能性に気付く。

「あっ……も、もしかして……その、か、神様だったり……?」

 下界に住まうヒューマンや亜人(デミ・ヒューマン)、ダンジョンに住まう怪物(モンスター)とも異なる、一つ次元が違った存在。下界の者と違い、歳はとらず姿は変わらない。人知を超えた超越存在(デウスデア)

 少年が求める【ファミリア】を運営する、『神』だ。

「ふんっ、ようやく気付いたのかい。失礼しちゃうなぁ、まったくもう」

 揶揄う色の含まれた、不貞腐れた態度に彼は青褪めて謝罪を繰り返した。

 よもや神だとは思わずに失礼な真似をしてしまった、と何度も何度も頭を下げるその姿に、流石に揶揄い過ぎたかと女神は話を切り替える為にも彼について質問を飛ばした。

「あー、わかったわかった。少し揶揄っただけだよ。それよりも、キミはこんな所で何をしているんだい?」

「それは────」

 優し気に微笑む女神の姿に、彼が思わず今までの出来事を語っていく。

 冒険者を志望して迷宮都市を訪れた事。

 【ファミリア】に門前払いされ続けている事。

 出てきた田舎には帰れず、都市で居場所も作れず、途方に暮れていた事。

 情けなさに拙くなっていくその言葉を、女神はうんうんと静かに頷き、ただ聞いていた。

 一通り、少年の語りが終わると、女神は軽い調子で立ち上がってどこか白々しくも口を開く。

「あー、んんー……実は、丁度ボクは【ファミリア】の募集をやっていてね。ちょうど冒険者の構成員がもう一人欲しいなぁーなんて奇遇にも思っていてだね、その、うん、えーっと……」

 若干聞き苦しい様な風にも感じられる女神の言葉ではあったが、けれども少年は話を聞いた瞬間に女神に跳び付いた。此処を逃せば、次は無いという焦りもあったのかもしれない。

「入ります! 入らせてくださいっ!」

「……い、良いのかい? 本当に、ボクの【ファミリア】で?」

「いいです、全然大丈夫です! むしろ僕みたいな奴が入っても大丈夫ですか!?」

 其処からは早かった。互いに有頂天になった二人はさくさくと自己紹介を行い合う。

 線の細い白髪の少年の名はベル・クラネル。黒髪のツインテールの女神はヘスティア。

 女神の行きつけの本屋で恩恵を授けられ、ヘスティアに先導されて女神が住まう本拠(ホーム)へと足を進めるその途中、ふと彼女は思い出したかのようにベルの方へ振り返った。

「ああ、さっきも言ったと思うんだけど。ボクの【ファミリア】はキミが一人目って事になるんだけど。実は恩恵を授けた子はもう一人居るんだ」

「はい、先輩ですよね」

「え……あー、せ、先輩かなぁ? まあ、冒険者としては先輩だね。戦闘経験も豊富でダンジョンにガンガン潜ってる子さ」

「本当ですか!」

 戦闘経験豊富で迷宮探索も行っている先達の冒険者。

 女神が言うには【ファミリア】の構成員(メンバー)ではなく、恩恵を授けているだけの無所属(フリー)の冒険者であるらしい人物。

 ベルがその冒険者の姿を想像し胸を膨らましている間、ヘスティアは苦笑しながら告げる。

「初対面だと面食らうかもしれないけど、悪い子じゃないから仲良くしてあげてくれよ」

「…………?」

 ベルがどんな人物なのか想像が付かなくなり首を傾げながら歩いていると、ヘスティアがメインストリートを外れ、いかにもな細道を通っていく。その後を追えば、いつしか二人は袋小路へと辿り着いた。

 目の前に現れた建物にベルが僅かに目を見開き、ヘスティアは胸を張ってその建物を示す。

「ここがボクらの本拠(ホーム)さ」

「こ、ここが、ですか?」

 人気のない裏路地深くに立っているその建物は、端的に言ってうらぶれた教会であった。

 二階建てのその建物は崩れかかっていると言っていい。ところどころ石材が剥がれ落ちた外観からは気の遠くなる様な年月と、人々から忘れ去られた哀愁が漂っている様にも感じられる。

 正面玄関の真上、女神ヘスティアの頭上には全身をぼろぼろにして顔を半分失った女神像がベルを見下ろしていた。

「ほら、おいで」

 面食らうと言われた先輩冒険者よりも先に、この廃墟と言って差し支えないホームにベルが面食らっていると、ヘスティアは戸惑う事無く扉の無い玄関口を潜って奥へと進んで行く。

 ごくりと唾を飲み込み、ベルがその玄関口を潜った先は、想像通りの光景が広がっていた。

 屋内は外観に負けず劣らずの半壊模様。割れた床のタイルからは雑草が繁茂し、頭上の天上は大部分が崩れ落ちてごっそりとなくなっている。

 もはや反論の余地のない廃墟っぷりに、こんな所で女神が過ごしているのかと戦々恐々とするベルを他所に、ヘスティアは祭壇の奥に続く小部屋から彼を手招きした。

「安心したまえよベル君、この先に住んでるんだ」

「は、はぁ……」

 女神に先導されるままに進んだ小部屋には空っぽの本棚が並べられており、生活感は感じられない。

 本当に此処で合っているのかと不安に駆られていると、ガタンッと本棚の一つが一人でに動き出す。突然の出来事に身を強張らせるベルを他所に、ヘスティアはガタガタと軋む音を立てて動く本棚の向こう側を覗き込んで言葉を放った。

「ただいま」

「……ああ、ヘスティア様か。おかえり」

 すっと、本棚の隙間から顔を出したのは銀糸の様な髪を揺らす美少女であった。

 僅かに顔だけを本棚から出して女神とやり取りをしていた彼女は、ふとベルの方へと視線を向けると、あからさまに表情を険しくして眉間に皺を寄せる。

「……コイツ、誰?」

 目が合った瞬間、あからさまに歓迎されていない雰囲気を感じたベルは身を強張らせる。

 細い指先を本棚にかけ、険しい目付きで睨み付ける少女。手足は細く、華奢な印象を与える。そして何よりベルよりも背の低いヘスティアと比べても、更に低いその背丈。

 どう見ても幼い子供、幼女にしか見えない容姿の少女に睨まれベルが冷や汗を流す中、ヘスティアが喜色を浮かべて少女の手を引き、本棚の影から引っ張りだした。

「ああ、僕の初めての【ファミリア】さ! ベル君って言うんだぜ。ああ、ベル君、この子がさっき言ってた先輩冒険者さ、クロード・クローズ君だよ」

「えっ、こんな小さな子が!?」

 驚愕の余りにベルがまじまじとクロードを見つめると、彼女は眉間の皺を深くして呟く。

「……ああ、なるほど。つまりようやく【ファミリア】結成か。おめでと」

 ヘスティアの紹介を聞き、その少女が鋭くベルを睨んだ。何処か刺々しい雰囲気を隠しもしないクロードの姿に僅かに怯みながらも、少年は慌てて挨拶をした。

「は、初めまして! これから【ヘスティア・ファミリア】に所属する事になりました。ベル・クラネルです。よろしくお願いします!」

「ん」

 一言、唸る様な声を返すとクロードはそのままベルの横をすり抜けて、入れ替わる様に小部屋を出て行こうとする。すれ違う途中、彼女の体からほんのりと甘い煙の匂いが感じられ、ベルは小さく首を傾げる。

 それを見ていたヘスティアが眦を吊り上げて少女を追って出て行ってしまう。

 無愛想で嫌悪感を隠さない彼女の姿に頭を下げた姿勢のまま困惑していると、小部屋の外が姦しく騒ぐ声が響いてくるのがベルにも聞こえた。

「こらー! きちんと挨拶しないと駄目じゃないか!」

「えー、ヤダ、だってアイツも子ども扱いしてくんだろ」

「ちゃんと言い聞かせるから大丈夫だって、ほらちゃんと挨拶するんだ」

「放してくれよ、面倒臭いし、怠いし、()()刻み煙草切らしたから買ってこなきゃいけねぇんだよ」

「キミ、また本拠(ホーム)で煙管を吹かしてるのかい!? 煙たくなるからやめてくれって言ったじゃないか!」

「仕方ないだろ。()()()になってから煙管が無いと落ち着かないんだよ」

「中毒になってるじゃないかッ!?」

「それに、あの地下室に虫が湧かない様に煙焚く序だって」

「吸いたいだけだろう!」

 小部屋の外から聞こえるやり取りからベルがくみ取れた情報はいくつもあった。

 例えば、地下室という単語。空っぽの本棚の一つの奥から出てきた事から場所も察しが付くだろう。ベルがほんの僅かに覗き込めば確かに奥に続く地下室への階段が見て取れた。

 そしてもう一つ、あの少女が非常に男勝りな言葉遣いであり、一人称が『オレ』である事。容姿の整った美少女、線の細い華奢な少女が使うには不釣り合いな言葉遣いだ。

 抱いた違和感にベルが立ち尽くしていると、小部屋の入口から銀髪の少女を抱えた女神が戻ってくる。幼女と少女の境目ぐらいのヘスティアが、幼女と言って差し支えないクロードを抱えているのは何処か微笑ましい。

「……おい、なんか変な事考えてねぇだろうな」

「い、いや、別に」

 抱えられたまま睨みつけてくる少女に、ベルがどもりながらも答えた。

 その様子を見ていたヘスティアがクロードを下ろして脳天を小突く。

「こら、ちゃんと挨拶するんだ」

「…………はいはい、面倒臭いなぁ」

 気だるげな様子の少女は、改めて、と呟くとベルを真正面から見上げた。

「クロード・クローズだ。オレの事はあんま気にすんな。ただの居候みたいなモンだからな」

「えっと、よろしくお願いします。クローズ……さん?」

 明らかに自身よりも年下であろう少女だが、しかし冒険者としては先輩にあたる人物。どう呼ぶか迷ったベルが間をおいて疑問形で呟くと、クロードは眦を吊り上げて舌打ちを零した。

「チッ、コイツもじゃねえか。どいつもこいつも背丈が低いからって子供(ガキ)扱いしやがって!」

「まあまあ、よくある事じゃないか」

 地雷を踏み抜いたかとベルが慌てて頭を下げるも、少女は聞く耳持たずといった様子で出て行ってしまった。

 困った様に女神に視線を向けると、ヘスティアは苦笑しながら肩を竦める。

「気にしないで良いよ。あの子は少し気難しくてね。ただ、悪い子ではないから。それじゃあ改めて、この先の地下がボク達の住居さ」

 僅かな不安を感じながら、ベルは女神に導かれるままにその地下へと続く階段へと足を掛けた。

 

 


 

 

 屋根に空いた大穴から差し込む月明かりに照らされたなんとか原型を留めている祭壇。

 銀髪の幼い容姿の少女が膝の上に紙袋を抱え傍に煙草盆を置いたまま、ぼんやりと空を眺めていた。過ぎ去る時を噛み締めながら、彼女は徐に懐から煙管を取り出し、紙袋から出した刻み煙草を丸めて火皿に押し込んで吸い口を咥える。指先で雁首を撫でながら少女が口の中で呟きを零した。

【燃え上がれ、燻る戦火の残り火】

 ほんの些細な魔力が指先より溢れ、火の粉が溢れ、煙管に火を入れる。

 ゆっくりと長い時間をかけて口腔を煙で満たし、ゆっくりと吐き出す。数度繰り返した後、煙の途絶えた煙管を片手に、ぼんやりと星空を眺めた彼女は、静かに教会の内部に視線を流して溜息を零した。

「……異世界転移、いや転生? 死んでないから転移の方か? にしては、なんというか」

 慣れた手付きで灰を捨てた彼女は、自らが手にした煙管を眺めて更に溜息を繰り返す。

 彼女はこの世界の住民では無く、元はとあるゲームをプレイしていただけの重度のゲーマー。それも、もともとの世界に居た頃は男であったのだ。

 そんな彼女が如何にしてこの世界に辿り付いたのかと言えば、神の悪戯とでも言えば良いのだろうか。

「まさか、サービス終了の大型イベントで最後まで生き残ったら、異世界に飛ばされるとか聞いてねぇっての」

 彼女が前の世界でのめり込み、私生活が壊れる程にやり込んだ大型のVRオンラインゲーム。そのゲームのサービス終了が決まった際に行われた大型イベント。

 その内容を思い出した彼女は、忌々し気に足元を見て呟いた。

「世界に大穴が開き、怪物が溢れ返る。それらによって世界は滅び、ゲームは終わる、ね」

 全てのフィールドがイベントの対象。本来ならば安全地帯であるはずの街ですら怪物の進行によって滅ぼされていく、最期のイベント。

 突如として世界に現れた大穴。怪物が無限に湧き出るその穴からあふれ出た怪物が全てを壊していく。イベントの内容はシンプル。決められた防衛対象を守り続ける事。ただし、プレイヤーもNPCも、()()()()()()()()()

 世界に残された無数の『楔』を守り抜き、一分一秒でも長く世界を存続させる。それは即ち、サービス終了を遅らせる手段であった。

 難易度は難しい(ハード)なんてものではない。不可能(インポッシブル)という言葉がこれほど似合うイベントは他に無いだろう。何せ、攻略(クリア)される事なんて考えられていない、確定した破滅を齎すイベントだったのだから。

 全てのギルド、連合、国家が立ち上がって怪物の進行を止める。そうして集まったプレイヤー達は、けれども余りの怪物の物量を前に次々に倒れていった。一つの楔が破壊され、二つ目、三つ目と次々に陥落する人類の砦。

 そのさ中、彼女は一つのギルドを率いて楔の一つを守っていた。所属するプレイヤーの殆どが現実の生活を捨て、ゲームに時間を費やした廃人ばかり。そんな彼等であっても、守り切る事は出来なかった。

「……ああ、なぁ~んで、オレだけかなぁ」

 最後の一つ、彼が守ったその楔は世界の終わりを防ぐ最後の砦であった。数多くのプレイヤーが必死に守ろうとし、次々に倒れていき、遂には破壊されてしまう。

 煌々とした輝きが立ち昇る光景に、サービス終了に抗わんと立ち向かった廃人達が絶望に立ち尽くす中、終わった筈の最終目標が更新され、最期の依頼(クエスト)目標が示される。

 ────戦い抜け

 最後の一人のプレイヤーが力尽きるまで、サーバーを落とす事無く続ける。それはイコールで自身が死ななければこの世界(ゲーム)が終わらない事を示していた。

 残った数少ないプレイヤーの中から、戦意を残す者を搔き集めての抵抗。拠点を失い、道具の補充も利かない中、次々と仲間が倒れていく。それでも抗っていた彼の目標に一文だけ追記が加えられた。

 ────You're the last survivor.(あなたが最後の生存者です)

 その表示が出たのを見て、彼は戦った。既にサービス終了が決定付けられ、消えゆく世界だと知りながら。それでも諦めきれないと、戦って、戦って、戦って。

 瀕死に近い状態に陥り必死に逃げた。戦おうにももはや武具は耐久ゼロで破損状態。回復道具は全て使い果たし、魔力も残っていない。それでも一分一秒でも長くこの世界(ゲーム)を存続させようと抗い抜き。意識を失った。

 気が付くと其処は洞窟を思わせる場所。何処かもわからずに困惑し、同時にゲームのキャラクターになっている事に気付いた彼、今や彼女となったクロードは【ヘファイストス・ファミリア】の冒険者に救われた。

「はぁ、んで行く当ても無いし身寄りも無い。食い扶持にも困るだろうから女神ヘスティアの恩恵を受けて持ちつ持たれつで~って厄介払いされたんだよなぁ」

 上手く言い包められたと本人は感じているが、身分不明で身寄りも無い彼女がこのオラリオで確かな身分と、糧を得られる方法を与えられた事を思えば恩を感じるべき所である。

「それにしても、随分とまあ……慣れたなぁ」

 刻み煙草を丸め、火皿に押し込み、火を着け、ゆっくりと煙を口腔に満たし、吐く。

 吐き付けた煙が月明かりに照らされ虚空に消えゆくのを見つめ、溜息を零し、クロードは首を掻いた。

「元は煙管なんて吸わなかったんだけどなぁ」

 煙管どころか、紙煙草にすら手を付けた事が無かった前の世界の彼は、この世界に来た際にゲームのキャラクターになっていた。性別が変わった事に大きく驚きもあり、困惑もあったがそれ以上に驚いた事は多々あった。

 例えば、今彼女が吸っている煙管もその一つ。

 吸い方なんてこれっぽっちも知らないそれは、ゲーム内では『クロード・クローズ』と言う名のキャラクターの特徴的な趣味の一つとして設定されていたモノだ。あたかも数年前から吸っていた様に慣れた手付きで煙管を取り扱うのは、彼の趣味ではない。

「ふぅ、まあ、煙管(これ)無しとかもう考えられんけど」

 この世界にきてまだ一ヶ月も経ってはいない。ダンジョンと言う、どこか前世の『穴』を思い起こさせる地下迷宮に潜っては怪物を狩り、資金を得る。

 惰性で過ごしていた彼女は、思考を現実へと引っ張り戻して今日出会った白髪の少年の姿を脳裏に描いた。

「……ヘスティアの初の眷属、いや、自分で勧誘した眷属ねぇ」

 クロードはヘファイストスの元に拾われ、ぐーたらな女神を追い出す口実として恩恵を授かった彼女は、正式なヘスティアの眷属とは呼べない。

 少女は煙管の灰を捨てて月を見上げた。

「オレはなぁ、どうすりゃあ良いんだよ」

 可憐な容姿に見合わぬ口調で、月に問いかけた彼女は再度、紫煙をくゆらせた。




 煙草中毒(ヘビースモーカー)系TS幼女とかいうヘビー()な作品にしよう。ヘビースモーカーだけに

 ダンまち世界に紙巻煙草(世間一般におけるタバコ)は無いだろうし、煙管で良いよね。煙管ぷかぷか吸ってる幼女とか、どう?
 序に喧嘩煙管にしちゃおうかね。煙管で殴って、叩いて、ぶっ倒す系幼女。常に煙をモクモクさせてる系な感じ……。

 大丈夫か、この作品?


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第二話

「エイナ・チュールを探してるんだが」

「あっ、クロードちゃん。ちょっと待ってね、エイナー! クロードちゃんが来てるよー!」

 エイナ・チュールは手にしていた冊子から顔を上げ、声をかけてきていた同僚に視線を向けた。

 セミロングのブラウンな髪から覗くほっそりと尖った耳に澄んだ緑玉色(エメラルド)の瞳。細い体でギルドの制服である黒のスーツとパンツを着こなした彼女は、ダンジョンを運営管理する『ギルド』の窓口受付嬢の一人だ。

 仕事人然としながらも親しみやすいともっぱら評判の妙齢のヒューマンとエルフのハーフの女性。

 多くの冒険者がダンジョンにもぐり始める早朝の時刻。彼女は訪れるであろう冒険者の為に資料整理に勤しんでいた所であった彼女は、受付(カウンター)越しに少しだけ覗く銀髪に、誰が訪ねてきたのかを察した。

 つい一ヶ月程前、冒険者登録を行った新人冒険者。

 自分がダンジョン攻略アドバイザーになったというのに一切の相談に来ない少女。容姿は整っており、歳は不明。男勝りな口調と一人称が『オレ』という目立つ小人族(パルゥム)である。老若男女問わずに冒険者になれるとはいえ、冒険者としては不利なパルゥムという種族であるがゆえに余りいい顔は出来なかった。

 自身の担当している子というだけあり気に掛けていた彼女は、換金以外の用事でギルドに立ち寄らない彼女がようやく相談に来てくれたかと、頬を緩ませつつも気合を入れる。

相談役(アドバイザー)らしく力にならなきゃ)

 初めてギルドに訪れて冒険者登録した際にほんのりダンジョンについて聞いて以降は全く足を運ばなかった彼女が相談に来た。安否については換金に訪れていた事から無事なのは知っていたモノの、相談されなかった事に不安を抱いていた彼女は僅かに弾む足取りで受付に向かう。

「お待たせして申し訳ありません。クローズ氏、本日はどういったご用件でしょうか」

 眼鏡をかけ直して受付越しに背丈の低い少女を見下ろしながらも威圧しない様に頬を緩ませながら話す。

 そんなエイナの気遣いに対し不愉快そうに眉を顰めながらも、件の少女────クロード・クローズは銀の長髪を鬱陶し気に搔き上げると、右後方を指差した。

「今日はコイツの冒険者登録に来ただけだ」

 機嫌が悪そうだと一見してわかるクロードの右後ろ、僅かに肩を張った緊張した面持ちのヒューマンの少年が大きく頭を下げて挨拶を行った。

「よ、よろしくお願いします!」

「承知致しました。まずはお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」

 線の細い白髪の少年。何処か小動物染みた印象を抱かせる彼はまだ年端も行かない子供に見えた。

 本音を言うなれば冒険者になる事を引き留めたい気持ちはあれど、老若男女問わずになれる職業であるがゆえに、ギルドの受付嬢であるエイナは彼を引き留める事は出来ない。

「ベル・クラネルです!」

「はい、ではクラネル氏、此方の登録証明書への記載事項を記載してください」

 ガチガチに緊張した様子の少年に、緊張をほぐしてあげようと柔らかな笑みを浮かべて必要書類を差し出す。

 ダンジョンに出会いを求めて都市(オラリオ)を訪れた彼にとって、目の前の見目麗しい受付嬢との対話は非常に緊張するものであった。そんな彼女が柔らかな微笑みを向けてくれたとなれば、デレデレしてしまうのもまた必然だろう。

「あ、はい」

 対面したハーフエルフの美女の微笑みに釣られて笑みを浮かべるベル。そんな彼を他所にクロードは欠伸を噛み殺していた。

(はぁ……ヘスティア様の奴ぁ……なぁにが、ベル君の冒険者登録を手助けしてあげてくれ。だよ……さっさとダンジョンに行きたかったのになぁ)

 内心で面倒過ぎる、とデレデレする少年の横顔を見て隠れて舌打ちを零すクロードは、受付嬢に一つ一つ丁重に説明されながら書面を埋めていく少年の背を見た。

 親しみやすい態度で懇切丁寧に冒険者のあれこれの説明を受ける少年。二人が受付越しにやり取りする姿に自身は本当に付き添う必要があったのか、と少女は深い溜息を零した。

 

 


 

 

「ここがダンジョン一階層だ。出てくるのはゴブリンとコボルト、要するに雑魚だな」

 場所はダンジョン1階層。

 空を仰ぐことも出来ない天然の迷路。どこまでも途切れる事なく四方八方へと続く薄青色に染まった壁面と天井。一定間隔で整った地下迷宮は何処か人の手が入っている様にも感じられるが、れっきとした天然物。

 そんな迷宮の中を歩くクロードは後ろに付いてきている新米冒険者、それも今日初めて迷宮に潜り処女卒業中であるベルに簡単な説明を行っていた。

「チュールから説明があっただろうが、覚えてるよな?」

 彼女は手にした煙管を吹かしながらの探索である。ただし、その煙管は五〇C近い長さを持ち、太さも数Cはある。もはや煙管ではなく棍棒と表現するのに相応しい得物であった。

「うん、『冒険者は冒険しちゃいけない』だよね」

 少年の答えにクロードは一つ頷く。

 ────『冒険者は冒険しちゃいけない』────

 この台詞はエイナ・チュールが新米冒険者に必ず告げる言葉であり、同時に彼女の口癖でもあった。

 文字だけ見ると矛盾しているこの言葉は、要約すると『常に保険をかけて安全第一に』と言う意味になる。

「わかってりゃあ良い。無茶しても良い事なんか一つもねぇしな」

 前を歩く銀髪の少女を見て、少年がもどかし気に体を揺らす。

 ベルも神の恩恵(ファルナ)を受け取り、一端の冒険者になった──と本人は思っている──のだが、前を歩むクロードは少年よりも小柄な子供の様な体躯でありながら、先輩として忠実にベルの先導を行っていた。

 ベルと比べて一ヶ月程先輩とはいえ、容姿は可憐で幼げで、戦っている姿なんて想像も付かない彼女に守られる様に先導されるのは傍から見て男としては情けない。

(────とでも考えてんだろうなぁ。はぁ……だっる)

 どことなくそわそわした様子の少年をちらりとながし見たクロードは内心で舌打ちを繰り返す。明らかに容姿で舐められているという事に彼女の不快感の指数が上昇していく。

 そんな二人の内心等知らぬと言わんばかりに、迷宮の怪物は二人の前に姿を現した。

『ガアアアッ!』

 雄叫びと共に曲がり角から飛び掛かったのは犬頭のモンスター、コボルト。鋭い爪や牙を武器とする──クロード曰く雑魚──の怪物。

 飛び掛かった対象は、自身より小柄な銀髪の少女。鋭い爪を振り上げ、血気盛んに飛び掛かっていく。

 ベルが奇襲に気付いて目を見開く中、クロードは慌てふためくでもなく手にした煙管を振るい弾き飛ばした。

『キャインッ!?』

「わぁ!?」

「何驚いてんだよ。つか、気付いてなかったのか」

 予め怪物が潜んでいた事に気付いていたからこそのクロードの反撃。それに対し驚いたまま目を見開いて硬直していたベルは慌ててギルドから支給された新米用ナイフを鞘から引き抜いて構えた。

 余りにもお粗末な構え、しかも奇襲を受けてからたっぷり数秒かけての抜刀。クロードが呆れながら半眼でベルを睨み、直ぐに視線をコボルトに移した。

「まあいい、おまえは其処で見てろ。ったく、あんなの隠れてる内に入らねぇっつの」

 少年がどの程度()()()のかを確認する為にあえて見逃したお粗末な奇襲。たった一匹のコボルトは初撃の平打ちで打ち返され、痛みからか強打部を抑えて藻掻いている。

 そんなコボルトに対してクロードは一足飛びで近づくと、煙管ではなく腰の剣を引き抜き、眉間を一突き。切っ先が犬頭に突き刺さり、後頭部から突き抜けて貫通する。

 びくりびくりと痙攣を起こす怪物を足蹴にしながら剣を引き抜き、クロードは面倒臭そうに血を払った。彼女のその様は幼い容姿とはうらはらに戦闘は様になっていた。

「ったく……先が思いやられるぞ」

 クロードが振り向いて唖然とした表情のままのベルに告げた。

「お前、コレの剥ぎ取りやってみろ。練習だ、最悪魔石砕いても怒りゃしねぇよ」

「えっ?」

 返り血の一滴も浴びなかった彼女に告げられ、ベルは新米用ナイフを腰の鞘に戻すと、剥ぎ取り用の鋭利なナイフへと持ち替えて恐る恐るといった様子でその怪物の死体に刃を入れる。

「うわあっ」

 少年がナイフを突き入れると同時に血が噴き出し、生臭い血が撒き散らされる。ナイフや手に限らず、飛び散った血が軽装鎧にまで付着したのを見て怯み身を引いたからだろう、傷口がさらに大きく開きより多量の血が床を濡らしていく。

「……何ビビってんだよ。少し血が飛び散っただけだろうが」

 たかが血如きで、と吐き捨てかけた彼女はしばし考え込むと、徐に少年が手にした剥ぎ取り用のナイフを横から掴み奪い取る。

「良いか、下手にビビっても余計血が飛び散る。こういう時は一気にだな」

 ベルが切り込んだ傷に対し、大きく振り上げたナイフを一息に差し込んでコボルトの胸部の中心を探る。びちゃびちゃと飛び散る血に耐性の無い少年が青褪める中、少女は小さく輝く紫紺の欠片を摘出した。

 その紫紺の欠片は『魔石』と呼ばれ、怪物の『核』となる重要な代物だ。

「これが『魔石』だ。正確にはこの階層で取れるのは『魔石の欠片』だがな。んで、魔石を抜かれるか破壊されると怪物はこうなる」

 見ての通りだ、とクロードがコボルトの死体を指し示す。

 少年が見ている目の前でコボルトの死体は一気に色を失って灰色になっていく。その変化に驚く間にも、その体はほろほろと崩れ落ち、灰となる。そして最後には灰すらも虚空に消え、跡形も無く消えていった。

「この『魔石』が冒険者の主な収入源だ。他にも『ドロップアイテム』もあるっちゃあるが……今回は無しだな」

 肩を竦めてそう指摘すると、彼女は『魔石』を腰のポーチに放り込んでベルを伺った。

「大丈夫か? この程度で音を上げてるんじゃ、冒険者なんて無理だぞ」

「う、ううん、全然大丈夫」

 本音を言ってしまえば、飛び散ったねっとりとした血の赤色や匂いがだいぶきつい。しかし目の前の少女が平然そうにしているのに男である自分が情けない事は言えない、と奮起してベルは立ち上がった。

「……本当か? 無理すんなよ。まだ1階層だから最悪背負って運ぶが、これで5階層、6階層に行ってへたっても尻蹴っ飛ばしてでも自分で歩かせるからな」

 何処か威圧的な彼女の言葉にベルが首を竦める。

「ほら、準備出来たら次いくぞ……次はお前一人で戦わせるからな」

「うん」

 何処か厳しさを感じさせるクロードの言葉に頷くと、ベルは改めて五指で握りしめている小ぶりの短刀を見た。

 少年、ベル・クラネルは短刀使い。刀身二〇C程のナイフを得物とした冒険者。予備(スペア)武装は無い。

 少女、クロード・クローズは鈍器使い。喧嘩用の煙管をそのまま得物とした冒険者。予備(スペア)武装としてショートソードを腰の鞘に納めていた。

「何をぼさっとしてんだよ。ほら、いくぞ」

「あ、うん、ごめん」

 自身の獲物と、戦い慣れた様子のクロードの獲物を見比べていたベルは、急かす少女の言葉に慌てて頷く。

 既に歩き始めていた彼女に置いて行かれぬ様にと少年は足を進めた。

 

 


 

 

 魔石の存在、無限に続くと言われる迷宮、下層へ行くほどに強くなる怪物、階層ごとに異なる顔を見せる一面。全てをひっくるめてダンジョンには不思議で満ち溢れていた。

 下界(せかい)にたった一つしか存在していないこの地下迷宮は、神々が下界へと降臨する以前からこの世界に存在していたとされている。

 高名な迷宮学者が謳った一説によれば、この地下迷宮の最下層は地獄や魔界に繋がっているらしい。残念なことに、学者が謳うそれらが真実かどうかを確かめた人間は一人もいない。

 神々ならば真実を知っているのではないか、と神に問うてみれば。

『ダンジョンはダンジョンだろ。ダンジョンに他の何を求めてるんだよダンジョン』

 と神々の間では()()と笑われている返答が返ってくる事だろう。

 初めてダンジョンの話を聞いた者が最も驚く部分は『迷宮が生きている』という言葉だろう。

 字面だけで見れば勘違いする者も出てくるだろう。生々しい肉壁が襲ってきたり、階層毎に地形が変化する事も無い。それらを証明する証拠として、数多の冒険者が踏破して地図作成(マッピング)した階層の地図がギルドによって販売されている。

 とはいえ、ダンジョンは下層に下りれば下りる程、その面積は有り得ない程に大きくなっていく円錐形をしており、全てが完全に地図として網羅されている訳ではない。

 ダンジョンの説明で真っ先に言われる()()()()()とはつまり、迷宮は修復される事を指す。破壊されたダンジョンの構造は、時の経過と共に勝手に修復されていく。

 ダンジョンの基本構造を成している壁や天井、床等の材質は魔石の下位、あるいは上位の物質で形成されている可能性が高いと謳う学者が殆どである。しかし、実際の所はただ発生する現象の観測に成功しているだけであり、その構成がどのようなものなのか解析しきった学者は存在しない。

 付け加えると、魔石に近い性質の物質と言う事で迷宮の中は日の光が無くとも十二分に明るい。1階層に至っては天上部分が照明の様に燐光している事もあり、時間帯問わずに明々としている程だ。

 そしてもう一つ。迷宮と切っても切り離せないもの、それが怪物(モンスター)だ。

 彼の怪物達は『迷宮が産み落とす』。

 あたかも冗談の様な話ではあるが、実際にその光景を目にする冒険者は多い。付け加えれば、冒険者として活動を続けていれば嫌と言う程目にする現象である。数多くの冒険者が毎日の様に迷宮に潜り、怪物を狩っていても狩り尽くせないのはそれが理由であった。

 どのように生まれてくるのかといえば、まるで卵の殻を破り孵化する雛鳥の様に迷宮の壁から生まれる。そして、階層毎に生まれる怪物は決まっている。稀に生まれた階層から上下階層へと移動するモンスターも居るが、おおよそ階層毎に出現するモンスターの種類は固定されていると考えて良い。

 付け加えると、下層へ進めば進む程に出現する怪物は強くなる。

 そして、階層を繋ぐ地点(ポイント)は階段であったり長い下り坂であったり。不思議に満ちているとはいえ瞬間移動(ワープ)といった不可思議な現象は確認されていない。故にモンスターも冒険者もどちらも共通し、ダンジョン内では自らの足だけが頼りとなる。

 今でこそダンジョンから得られる利益が大きく絡んでいるギルドという機構も、元はダンジョンでしか怪物が生まれない事から、ダンジョンを管理する事でモンスターの脅威を減らすといった目的により太古から設立された経緯がある。

 とはいえ、ギルド設立以前に迷宮から外に出たモンスターによる被害がゼロになった訳ではない。彼の怪物達は長い時の中、子孫を残して地上にもほんの少数ながら存在しているのだ。

 そう、モンスターは生殖行動を可能としている。

 種の繁栄が十分に可能な数多の怪物を生み出すダンジョンは、神秘そのものといっても過言ではないだろう。

 

 

「はぁ……なぁにしてんだよ」

「うっ…………」

 その神秘そのもののダンジョンの一角。

 体色が緑色の怪物が行う威嚇行動を前に目も当てられない程に震え怯える少年が居た。その背後から呆れた様子でクロードが溜息を零す。

「ビビんな、神の恩恵(ファルナ)を貰った冒険者なんだから、ちょっとやそっとじゃ死なねぇよ」

「うう……」

 ガタガタと膝は笑い、手に握る短刀の切っ先はぶれっぶれ。そもそも構えの時点で腰の引けたへっぴり腰。本当に見ていられない程に怯えて狼狽したベルの姿は、恩恵を受けた冒険者としては落第点の有様だった。

「冗談だろ。迷宮最弱の雑魚モンスターだぞ」

 少年が相対しているモンスターは第1階層で出現する『ゴブリン』と言う名称のモンスター。人間の子供程度の体躯しかない緑色の肌をした怪物。『恩恵』を受けた冒険者なら素手でも倒せる雑魚だ。

 そんな雑魚を相手に怯える少年を呆れた様子で見ていたクロードが前途多難な新米冒険者指南に頭を悩ませる。

 後方で眉間を揉む少女を他所に、ベルは目の前の子鬼(ゴブリン)を前に喉を引き攣らせていた。

 幼少の頃、彼の少年は故郷にて現在相対しているそのモンスターによって危うく殺されかけた経験がある。それは深く少年の記憶に刻み付けられていた。要するに、目の前のモンスターは彼にとっては重度のトラウマを刻み込んだ因縁の相手ということだ。

『ギャギャッ!!』

 怯える少年と、奥で動かずに紫煙くゆらす少女。二人を交互に見ていたが、奥の少女に動く気配は無く、目の前の少年は怯えて動けないと見るや、彼の怪物は一気に少年に躍り掛かった。

『ガアアアァッ¡¡』

「ひっぃいいいっ!?』

 飛び掛かってきた怪物の姿にベルが恐怖し、目を固く閉じて短刀を振るう。

「あ、おい馬鹿、目を閉じんな!」

「ぐああっ!?」

『ギャギャギャッ!!』

 盲目にて放たれた一閃はゴブリンに掠りもせずに空振りし、盛大に姿勢を崩したベルに対し小鬼が殴りかかる。一撃、二撃と連続して殴られる少年は半狂乱状態のままに腕を我武者羅に振り回す。

「う、うわあああああああああっ」

『グギャッ!?』

 恩恵を受けた冒険者の一撃。例え目を瞑ったまま子供の様に腕を振り回しただけの一撃だったとしても、その拳はしかとゴブリンの腹に叩き付けられた。たったそれだけの事で、ゴブリンは吹き飛んでゴロゴロと転がっていく。

「あ……え? ぐぁっ!?」

「馬鹿か。目を閉じんな!」

 吹き飛んだゴブリンを見て唖然とするベル。幼少の頃に刻まれたトラウマ故の狂乱状態から一瞬で目覚め、呆然と己が成したであろう光景に見入っていると、後頭部を蹴り抜かれる。

 足を上げた姿勢のままのクロードは、振り向いて唖然としている少年を罵倒した。

「モンスターの前で目を閉じる間抜けが何処にいんだてめぇ。つか、さっさと立て、まだあのゴブリンは生きてんだぞ」

「え、あっ」

 少女の罵倒と指摘にようやく止まりかけていた思考が再開したベルが、慌てて立ち上がって短刀を構える。

 少年が見据える先には腹を抑えて憎々し気に己を見る幼少のトラウマの姿。しかし、最初の相対自と比べて落ち着く事が出来ていた。

(そうだ、僕は『恩恵』を貰ってるんだ……)

 勇気を出してもう一度、そんな風にベルが短刀を構えて突撃しようと膝を曲げ様とした所でクロードから指示が飛んだ。

「突撃じゃなくて迎え撃て。相手は余裕無くしてんだ、テメェはそれを余裕を持って迎え撃つんだよ」

「……うん」

 荒々しい激励の言葉にベルがしっかりと腰を落とし、短刀を構える。その間にも、ゴブリンは少年をただの獲物ではなくしかとした脅威と認識し、真っ直ぐ突っ込んで少年の息の根を止めんと動き出した。

 モンスター特有の荒々しい雄叫びを上げながら突っ込んでくるゴブリンの姿に、幼少の頃に刻まれたトラウマが再発しかけ、体が震えはじめる。余裕すらも消える寸前、少女の叱咤激励が飛んだ。

「落ち着け! 女神の恩恵を受けてんだから平気だ。目を閉じるなよ」

「うんっ」

 ベルが力強く返事を返し、目の前で跳躍して飛び掛かってくる怪物を見据える。

 先の様に恐怖で目を瞑るって我武者羅に振るうのではなく、しかと間合いを見極めての、雄叫び一閃。

「でぇやぁっ!!」

『ギャッ……ギャ……ァ……』

 振るわれた銀閃はしかと怪物の胸を捉え、そのまま両断する。

 幼少の頃に刻まれたトラウマ諸共、少年はそのゴブリンを切り裂いて見せた。

 怪物の死体を前に、血に濡れた短刀を手にしながらベルは呆然とその光景を目に刻みつけた。

「やった……? 僕が、倒した?」

 手に残る確かな手応え、そして咽返る血の匂い。目の前に倒れ伏す怪物の死体が先の戦いが夢や幻ではなく、想像でもない、現実で自身の手で為した事なのだと、ベルが実感して歓喜の声を上げる。

「やった! 僕の手でゴブリンを倒した!」

 いさみ喜びその躯へと歩み寄り、胸にナイフを突き立てて『魔石のかけら』を抉りだす。最初にあった忌避感は薄れ、喜びが勝る少年の手へと討伐の証は収まった。

「僕が、自分で仕留めた……」

 ぎゅっ、と握られた拳の中。爪程の大きさしかない小さなそれは余りにもちっぽけで、けれども自身のトラウマの克服を記念する一欠片。その喜びもひとしお。

「ねえ、クローズさん。僕、自分でゴブリンを────」

 喜色満面の笑みで振り返った先、あれやこれやと指示を出して怪物討伐までの道筋を立ててくれた少女は頭に手を当てて溜息を吐いていた。

(……? 何か間違えちゃった?)

 魔石も傷一つなくちゃんと回収できた。喜ぶべき場面なのに呆れた笑みを浮かべた少女の姿にベルが疑問を覚えて自身の行動を振り返る間。

 クロードは彼の背後を指差して呟く。

「周りをよく確認しろ。さもないと────」

『ガアアアァッ!!』

「う、うわぁあああああああああああ!?」

 いつの間にやら接近していたコボルトの奇襲に、少年は悲鳴を上げた。




 『豊穣の女主人』って喫煙可な店なのだろうか。
 次回か次々回あたりで例のベートイベントをやるはずなのですが、割と迷う。



 ※喧嘩煙管について。
 一言でいうと『武器としての煙管』。
 長さ40~50cmもあり、太さも数cmはある総鉄製の煙管で、羅宇(らう)を六角形にしたり、羅宇全体にいぼをつけたり、棍棒じみた加工がなされている為、攻撃力はそこそこ。
 ただ、中が空洞なので耐久は低め。壊れると吸えなくなる。




 感想沢山欲しいです。ください!


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第三話

 冒険者の間では『ルーム』という名称で呼ばれる正方形に開けたダンジョンの一角。

 四方八方を薄緑色の壁に囲まれた空間は、天上から落ちる燐光によって照らされていた。そんな空間に一人の少女が紫煙を燻らせながら、相対するモンスターを気だるげに睨んでいる。

「一応、対策はしてきたが、果たして効果あるかどうか」

 四本の足に二本の細い腕、大きな双眸。赤い体色をしたそのモンスターの姿ははどこか『蟻』を思わせる。

 殆どの者が想像するであろう蟻と異なる点は、その蟻のモンスターは人ほどの大きさを持つ事と、威嚇する様にくびれた腰を起点とし半身を起き上がらせている点。

 『キラーアント』。

 7階層まで到達した冒険者に立ち塞がる難敵。冒険者の間では6階層に出現する『ウォーシャドウ』と並んで『新米殺し』とも呼ばれるモンスターだ。

 その異名の謂れは、今まで相手にしてきた下級のモンスター達と比べ物にならない頑丈な甲殻、その鋭い爪による攻撃力。鎧の様に固い外皮に覆われた体躯に半端な攻撃は弾かれてしまうだけでなく、例え弾かれずとも甲殻の上から損傷(ダメージ)を与えるのは非常に難しい。加えて腕先には湾曲した歪な鉤爪。

 キラーアントにやられる1つ目のパターンは堅牢な防御を崩せない間に鋭い爪で致命傷を喰らうというシンプルなものだ。そして、それを知っていたとしても5階層までのモンスターに慣れ切った冒険者の多くが餌食となっている。

「はぁ、だっる」

『ギギッ』

 キチキチキチッ、と甲殻の擦れ合う独特な音を響かせ顎を鳴らすキラーアント。

 少女、クロードは紫煙を吹き巻いて口角を上げ、数歩の間合いを置いて相対する相手に一気に接近していく。

 手にしているのは喧嘩煙管。鈍器であるその武器は堅い甲殻の上から損傷(ダメージ)を与えるのに向いているだろう────ただし、それは『力』に優れた冒険者なら、の話であるが。

 左腕を大きく振りかぶるキラーアントに対し、振り下ろされるより前に小柄な体躯を生かして懐に飛び込んだクロードが煙管を両手で振り抜く。

 ガギンッ、と甲高い音を響かせて煙管は甲殻に弾かれた。力不足の彼女では鈍器である煙管を駆使しても損傷を与える事は叶わない。

「ああ、本当にだるいなオマエ」

 キラーアントの討伐方法は大まかにわけて二種類。一つ目は力任せに甲殻諸共砕き潰す方法。もう一つは甲殻の隙間を狙い柔らかな肉を抉る方法。

 後者は動き回るキラーアントの狭い甲殻の隙間を狙うのは駆け出し冒険者には難度が高く。前者はそこまでの力を発揮できる駆け出しは少ない事もあり、討伐難度はかなり高いのだ。

 大人になってもヒューマンの子供程度の背丈にしかならない小人族(パルゥム)は、その体格故に力に優れている訳ではない。当然、クロードもその一人。

『ギギギッ!』

 反撃として鉤爪を振るおうとするキラーアントだが、小柄なクロードはほぼ密着距離にまで潜り込んでおりそのままでは攻撃できない。故に、その顎で噛み砕かんと大口を開けて少女に噛み付こうとした。

 目の前に迫る怪物の顎。冒険者の頭部を容易く噛み砕くであろうその攻撃に対し、クロードは大きく飛び退く事で回避を選択する。小人族(パルゥム)という種族は小柄故に『力』が弱いが、小柄故に回避は得意だ。

 怪物は甲殻の擦れ合う不協和音を響かせてそのまま顎での追撃を行う。誘われる様に、導かれる様に少女の思惑通りの追撃を行った怪物に対し、クロードは口角を吊り上げながら煙管の吸い口を咥えて口内で詠唱する。

【肺腑は腐り、脳髄蕩ける────堕落齎す、紫煙の誘惑】

 大口開けて迫る怪物に対し、クロードは口腔に満ちた紫煙を吹き付ける。

 真正面から紫煙を浴びた怪物がぴたりと動きを止め、ギチギチギチッ、と震え出した。

「ふぅむ、使い勝手が悪いな」

 二、三歩と距離をとってキラーアントの動きを観察していた彼女は、徐に煙管を両手で振り上げ、怪物の頭部目掛けて振り下ろした。

 ズゴンッ、とキラーアントの頭部が地面にめり込み、頭部を守る硬殻が拉げ砕ける。先ほどまでの非力な少女の一撃とは思えない強烈な一撃。彼女の特殊な魔法による身体強化によってもたらされたものだ。

 罅割れた甲殻の隙間から緑色の体液を零しながらも、キラーアントはキチキチッ、と顎を鳴らしていた。

「……まだ生きてんのか。対策はしたが、大丈夫かコレ?」

 キラーアントはただ手強い難敵というだけではない。なんとこのモンスターは自身が危機的状況(ピンチ)に陥ると特殊な生理活性物質(フェロモン)を分泌し、周辺の同種のモンスターを呼び寄せる性質を持つ。

 故に、キラーアントによる犠牲者が出る2つ目のパターンは、長期戦に陥り数え切れないキラーアントに襲われる事になる事。

 完全に息の根を止めるに至らなかった事に慌てるでもなく、クロードは腰のショートソードを引き抜き、身動きの出来ないキラーアントの首元に突き立てる。甲殻の隙間を抜け、柔らかな肉を裂く感触と共にキラーアントの瞳から光が消える。

 完全に息の根を止めたキラーアントを前に、クロードは周囲を警戒しながら煙管に新たな刻み煙草を込めた。

 キラーアントの犠牲になる3つ目のパターンは、止めを刺し損ねたキラーアントによるフェロモンの過剰分泌による連戦。つい先ほど止めを刺し損ねたキラーアントによるフェロモン分泌は間違いなく引き起こされた事だろう、故に連戦に対し警戒しているのだ。

「…………」

 数分程耳を澄まして警戒していたクロードは、暫くして警戒を解いて深く息を吐いて肺に残る紫煙を吐き出した。

 本来ならば既にキラーアントに囲まれていてもおかしくない状況。しかし、彼女は特殊な対策を施して此度の探索を行っていた。

「効果有り、と……これで二〇匹目と」

 懐から取り出した革表紙の手帳に覚え書きを残し、キラーアントの死体から魔石回収作業に取り掛かった。

 依頼者は【ミアハ・ファミリア】のナァーザ・エリスイス。

 内容は特殊な混ぜ物をした煙草を利用したキラーアントのフェロモン対策。

 常日頃から刻み煙草等の嗜好品を密かに用意して貰っている礼として引き受けた冒険者依頼(クエスト)を行っていた所であった。

 もしこの新作が広まれば少しはキラーアントの犠牲者も減る事だろう。冒険者で煙草を嗜む者は少ないが、香を焚く感覚で使用するのであれば何の問題も無い。

 だが、それ以前にこの煙草は重大な問題を抱えている。

「価格に釣り合わないんだよなあ」

 フェロモン対策を行う為に用意された素材からして、価格はどれだけ安くても三〇分程度の効果時間で回復薬(ポーション)数本分の値段になる。

 駆け出し冒険者が欲しがるであろう効果の道具であり、キラーアントに慣れた冒険者には全く売れないであろう道具故に、肝心の駆け出し冒険者では手を出しにくい値段設定では意味が無い。

「まあ、ナァーザならなんとかすんだろ」

 クロードは煙管に火を入れる。混ざりものの入った刻み煙草の煙を口に含み、一気に吐き出して、呟いた。

「何より、クッソ不味い」

 舌がビリビリと痺れる様な感覚に陥る程のエグみを含んだ紫煙は、とてもではないが吸えたものではない。煙草に五月蠅い訳ではないクロードでもこの香味(フレーバー)は二度と御免だと思う程のモノだった。

「ったく、面倒だな」

 魔石を抜かれたキラーアントの灰山に煙管の灰を捨て、お気に入りの刻み煙草を煙管に詰め始めたクロードは、ふと灰の山が一人でに崩れたのに気付いた。

「んだ……?」

 風も無いのに小山がさらさらと崩れる事に本当に小さな違和感を抱いた彼女は、煙管に火を入れずにルーム内を見回した。

 四方八方、天上に床に至るまで薄緑色の空間にはルームとルームを繋げる通路が四方に伸びている。

「…………? 気のせいか?」

 感じた違和感を気のせいだったのだろうか、と首を傾げつつも思考の端に止めながらクロードは灰を捨てて新たな刻み煙草を煙管に詰める。

 そのさ中、つい半月前に冒険者になった駆け出しの少年の事を思い浮かべクロードは苦い表情を浮かべた。可愛い女の子と仲良くしたい、あわよくばいちゃいちゃしたい。といった邪まで青臭い考えを抱いた事を知り、その『可愛い女の子』の中に自身が含まれていた事を知ってしまったのだ。

 次の日、最低限の冒険者指南を文字通りに叩き込んでほっぽり出してしまった事もあり少し気掛かりだった。

「仕方無えな、帰りに様子見とくか」

 流石に死なれてしまえば寝覚めも悪くなる。それに女神に頼まれた事だ、とクロードが今日は早めに切り上げて地上に戻るかと地上に続く階段へと足を進めようとした所だった。

『ヴヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』

「ッ!?」

 突然、迷宮の奥から響いてくる怪物の咆哮。

 背筋に走る悪寒に舌打ちを零し、クロードはその場から駆け出した。

(嘘だろ、この階層であんな咆哮(こえ)なんか聞いた事ねえぞ!?)

 自身の知識に無い怪物の咆哮。少なくとも7階層までで出現するモンスターの中には先の咆哮を上げる種は存在しない。それどころか、下手をすると上層のモンスターでは無い可能性すら有り得る。

 特徴的な咆哮は、何処か牛の鳴き声を思わせる響きが混じっていた。

「……まさか、いや、そのまさかみたいだな」

 ドドドドドッ、と蹄が地面を蹴る複数の足音が後方より響いてくるのを認識したクロードが肩越しに振り返り見た光景。

 燐光降り注ぐ薄緑色の通路を数匹のモンスターが凄まじい速度で駆けてくる姿があった。

「────ミノタウロス!?」

 『ミノタウロス』。

 二Mを超える巨躯を持つ牛頭人体、筋骨隆々とした赤銅色の体皮を持つモンスター。Lv.2に区分されており本来の出現階層は16階層から17階層、つまり中層に出るはずの怪物だ。

 ギルドの区分分けとし1階層から12階層までを上層、13階層以降を中層と区分されており、中層以下の階層に出現する怪物は適性レベルに達していたとしても苦戦必須で、なおかつ数人(パーティ)で挑む事が前提条件とされている。

 更に最悪な情報として、ミノタウロスというモンスターは、熟練の冒険者でも避けて通る程の難敵。

 強靭な筋肉に阻まれるだけでなく、その力も洒落にならず。ある程度の知能も持ち合わせていると、相手にするのを躊躇わせるに十二分なステイタスを持っている。

 当然、Lv.1の冒険者では歯が立たない。

「くはっ、笑っちまうなぁ!?」

 一目散に逃げていく少女の背後、倍近い背丈の筋骨隆々とした怪物が迫る。

 圧倒的歩幅の違いだけではない、純粋なレベルと能力(ステイタス)差によって距離は瞬く間に詰められていく。

 普通に反撃を試みた所で意味が無いか、とクロードは煙管の吸い口を咥え、火を乏した。

【燃え上がれ、戦火の残り火】【肺腑は腐り、脳髄蕩ける────堕落齎す、紫煙の誘惑】

 どちらも短文詠唱によって発動する効力を持つ二つの魔法。

 片や着火し、特殊な効果を発動する付与魔法(エンチャント)。もう一つは紫煙を纏う自身への強化魔法(ステイタスブースト)と、紫煙を吸った敵対者に対しての異常魔法(アンチステイタス)。二つの側面を持つ特殊な魔法。

 強化された能力(ステイタス)を駆使し、一気に加速して引き剥がそうとして────ミノタウロスの蹄による一撃が背後に迫っているのに気付いて回避を試みる。

「うわあっ!?」

 回避は成功したものの、足元に着弾した一撃の衝撃に吹き飛ばされて少女のからだがごろごろと転がって、止まる。

 慌てて身を起こした彼女の前には、三匹のミノタウロス。

 少女は手元に煙管を引き寄せようとして、バギンッ、と鈍く響いた音に表情を強張らせた。

「あ────最悪だ」

 一歩、一歩と獲物を前に獰猛な笑みを浮かべるミノタウロスの足元。蹄によって無残に踏み砕かれた煙管があった。

 腰のショートソードを抜いた所でもはや無意味。自身の敏捷では逃げ切れない。もはやとれる手段はこれまでか、()()()()()()ならば諦めている所だろう。

「はぁ……本当に、最悪」

 羅宇を踏み砕かれた煙管の火皿から立ち上る細い紫煙。迫る筋骨隆々の巨躯。

 少女は手の平を立ち昇る微かな紫煙に向け、秘匿していた魔法の効果を発動せんとし────。

「どけえっ!!」

 牛頭が砕け散った。

 唖然とするクロードの眼前。迫っていた怪物の頭部が狼人(ウェアウルフ)の青年の蹴りで砕け散り、もう一匹は無数の剣閃が閃き一瞬で賽の目状に切り分けられた。

 金糸の様な髪を揺らす女剣士の早業。

「手間かけさせやがって!」

 残る一匹も瞬殺される光景に唖然とした表情のままのクロードを置き去りにし、狼人(ウェアウルフ)の青年とヒューマンの女剣士は駆けていく。

 一言、ごめん、と女剣士に告げられた事を僅かに認識し、嵐の様に去っていった二人の姿を反芻したクロードは呟く。

「【ロキ・ファミリア】の【剣姫】と【凶狼(ヴァナルガンド)】か……」

 都市最大派閥として知られる強豪派閥。幾度も深層遠征に繰り出して迷宮探索に力を入れている探索系派閥の一つにして、ほぼすべての冒険者が所属する事を夢見る【ファミリア】。

 都市の中で知らぬ者の居ない派閥の幹部。Lv.5に至った第一級冒険者だ。

「…………」

 残されたのは三体分のミノタウロスの死体。賽の目状に刻まれたもの、頭部が砕け散ったもの、真っ二つにされた上で鼻を蹴り潰されたもの。それに壊れた煙管と唖然とした少女。

 ほんの数秒間呆けた後、彼女は身を起こしてミノタウロスの死体を見てから二人の第一級冒険者が去っていった方向に視線を向ける。

「…………おい、おいおい、なんだ今の……つか、貰って良いのか? コレ?」

 死体にはまだ『魔石』が残っている事だろう。本来ならば他の冒険者が仕留めた獲物に手を出すのは礼儀がなっていない。しかし慌てた様子で去っていった二人が戻ってくる気配は無い。

(……煙管ぶっ壊されたし。戻ってこねえし、別に良いか)

 クロードはおもむろにナイフを取り出し、『魔石』の回収作業に入った。

 暫くの間、壊れた煙管の修理費が目の前の怪物から得られる収益で賄えるかうんうん唸りながら作業していた彼女は、ふと顔を上げた。

「……アイツは大丈夫なのか?」

 あの第一級冒険者達の慌てっぷりから、上層にはまだミノタウロスが残っていたのかもしれない。もしそれが更に上の階層へ行ったのであれば、と考えて首を横に振った。

(流石に、アイツの行動範囲の2、3階層にまではいかないだろ)

 

 


 

 

「はぁ? ミノタウロスに襲われたぁ? 5階層で?」

 ダンジョンを運営管理する『ギルド』の本部。そのロビーの一角に設けられた一室。ミノタウロスの死体から回収した『魔石』を含め、件の派閥に見つかる前に換金を終えたクロードは偶然にも気に掛けていた少年と再会していた。

 つい先ほどまでシャワーを浴びていたのか妙にさっぱりとしたベルと、対面に座るエイナを見つけた彼女が歩み寄って話を聞けば、自身同様にミノタウロスに襲われて危うい所で助けられたのだという。

「なあ、ベル……お前、人の話聞いてたか?」

「うぐっ……」

 てっきり2階層か3階層で探索しているのかと思えば、よりにもよって5階層にまで足を運んでいると聞かされて少女の目付きは冷め切り、少年の脳天に視線と言う名の槍を突き立てていた。

「そうだよベル君、私の言う事を聞かないどころか、クロードさんの言う事を聞かないなんて、キミの神経を疑っちゃうなぁ」

「うう……」

 美少女と美幼女、二人に責め立てられた少年の眦に涙が滲みそうになる。

 無論、此度の一件において悪いのが誰かと言われれば、自身の実力に見合わぬ階層に足を運んだ挙句に中層の怪物に襲われて危うく死に掛けた少年の方である。とはいえ、クロードの方にも駆け出し冒険者を半端に教育しただけでほっぽりだした事もある為、彼女にも僅かにだが非はあるだろうが。

「ったく、死ななかっただけ儲けもんだと思っとけ。良い経験になったろ」

「そうだよベル君。本当に幸運だったんだからね?」

 適当に肩を竦めて鼻で笑うクロードと、優しく諭す様に少年の鼻先を小突くエイナ。二人の女性の言葉に少年が力無く頷いた。

 ベル自身も、此度の一件は本当に幸運な出来事であったと自覚している。その幸運は助けられた事だけではなく、【剣姫】との出会いも含まれている辺り、懲りているのかいないのか。

「そういえば、クロードさんは平気だったの?」

「何がだよ」

「ミノタウロス。下の階層から来たんだよね?」

「あー…………」

 少年よりも少し深い階層で活動していたクロードもまた、ミノタウロスに出会ったのではないかとエイナが心配そうな表情を浮かべたのを見て、彼女は面倒そうに視線を逸らしてから呟いた。

「此処に居るのが何よりも証拠だろ」

「そっか」

 この場に居る事こそ、自身が無事であった証拠に他ならない。その答えはエイナの質問の意図からすると若干ズレていたものの、おおむね及第点の返答であった。

「あの、それで、ヴァレンシュタインさんの事を……」

 少年が恐る恐る切り出した事で二人の視線が彼に集まる。片や仕方が無いなぁと苦笑し、片や冷めて不機嫌そうな目を向けた。

「オレ、帰るわ。付き合ってらんねぇ」

「あ、クローズさん……」

 少年が抱いた恋心か何かは知らないが、傍から見ていて楽しいものではない、とクロードは話を切り上げる。

「先に帰ってステイタスの更新しとくから、オマエはその相談役(アドバイザー)に恋愛指南でも頼んどけよ」

 捨て台詞の様に吐き捨てると、彼女は壊れた煙管を担いでギルドを後にした。

 

 


 

 

 クロード・クローズ

 Lv.1

 力:E483→E489 耐久:F344→F345 器用:C632→C645 敏捷:D520→D534 魔力:B730→B742

 《魔法》

 魔法名【シーリングエンバー】

 詠唱式【()()がれ、(くすぶ)戦火(せんか)(のこ)()

 ・付与魔法(エンチャント)

 ・火属性

 ・感情の丈により効果向上

 

 魔法名【スモーキーコラプション】

 詠唱式【肺腑(はいふ)(くさ)り、脳髄(のうずい)(とろ)ける。堕落(もたら)す、紫煙(しえん)誘惑(ゆうわく)

 ・増強魔法(ステイタスブースト)

 ・異常魔法(アンチステイタス)

 

 魔法名【カプノス・スキーマ】

 詠唱式【()()()ちよ、(なんじ)()(あた)えられた()加護(かご)よ。戦場(せんじょう)()ちよ、(なんじ)()加護(のろい)(もたら)災厄(さいやく)よ】

 ・形状付与

 ・魔力消費特大

 

 《スキル》

 【灰山残火(アッシェ・フランメ)

 ・経験値(エクセリア)の超高補正

 ・感情(ほのお)が潰えぬ限り効果持続

 ・火属性への高耐性

 

 【煙霞痼疾(パラソムニア)

 ・『魔力』の高補正

 ・特定条件下における『魔法』の威力超高補正

 ・幻惑無効

 ・錯乱耐性

 

 

「冒険者になってから一ヶ月半でこれかぁ……前にも言ったけど、このスキルは黙っていた方が良いね」

 少女が着替えをしている横で、女神は準備してあった羊皮紙に更新したステイタスを書き写していた。

 ヘスティアの住処────現在は【ヘスティア・ファミリア】の本拠(ホーム)としてギルドにも正式に登録された、廃教会の隠し地下室。

 地下室とはかけ離れた生活臭に満ちた小部屋。人が暮らしていく分には十分な広さを持つその部屋で、少女は上半身を包むものが無い状態で女神の手元を覗き込んだ。

「散々言われたから知ってる。オレも面倒は御免被るからな」

 嫌々といった表情で女神の手元から羊皮紙を掠め取り、内容に目を通す。そんな彼女の色素の薄い背にはびっしりと黒い文字が見て取れた。それは神から『恩恵』を授かった証である。

 少女の背に刻まれている【ステイタス】──『神の恩恵(ファルナ)』。

 神の血(イコル)を媒介にして、神々が扱う文字【神聖文字(ヒエログリフ)】を刻む事で対象の能力を引き上げる。神々のみに許された力。

 地上の人間では認識出来ず、神々にのみ扱う事が出来る【経験値(エクセリア)】というものが存在する。

 それはいわゆる人間の歩んできた歴史の事であり、神々はその歴史の断片である『モンスターを倒した』や『強敵を討ち果たした』と言った一つの軌跡を引き抜き、成長の糧へと変える。

 つまるところ【経験値(エクセリア)】とは人々が成し遂げた事の質と量の値の事だ。

 神々はそれを見る事が出来るだけでなく、触れ、干渉し、眷属の背に刻まれた【神聖文字(ヒエログリフ)】を塗り替え、継ぎ足し、能力を向上させる。

「にしても、流石に上がりが悪くなってきたか」

「いや、十二分に上がってると思うけれどね」

 女神の言葉を聞きながら、少女は顎に手を当てて考え込む。

 渡された羊皮紙に刻まれた【ステイタス】。

 Lv.と五つの『基礎アビリティ』と、【器の昇格(ランクアップ)】の際に条件を満たしていれば習得できる『発展アビリティ』。そして《魔法》と《スキル》。

 『基礎アビリティ』の数値はそのアビリティに対する熟練度を現し、0~99がI、100~199がH、と基礎アビリティの熟練度と連動したS、A~Iまでの段階が表示されている。最大値は999であり、最大まで近づけば近づく程に伸びは悪くなっていく。

 Lv.は最も重要なステイタス。レベルが一つ上昇するだけで基礎アビリティの補正以上の強化が執行される。神々曰く『心身の()()』であり、冒険者の誰しもが【ランクアップ】を目指して日夜熟練度を上げんと冒険を続けている。

「……はぁ、力と耐久、もう少し伸びねえかな」

「十二分に高いじゃないか。一ヶ月半でこれならもう十分過ぎるよ」

 女神の言葉を聞いた少女は上着を羽織り、吐き捨てた。

「何処が、全然足りないっての」




 オリ主、クロード・クローズくんちゃんのステイタス公開。


 次回話で『豊穣の女主人』でベートさんのイベントに入ります。


 平日の空いた時間に少しずつ書き進めた『第二話』。土曜日にがっつりと『第三話』を書きました。
 圧倒的に時間あったのに『第三話』の方が苦労しましたね。
 魔法名、スキル名を決めるのに滅茶苦茶時間がかかっちゃったんです。頭がどうにかなりそうでした。

 【シーリングエンバー】→【封じられた残り火】
 【スモーキーコラプション】→【紫煙と堕落】
 【カプノス・スキーマ】→【煙と形状】
 【アッシュ・フランメ】→【灰と炎】
 【パラソムニア】→【睡眠時随伴症】

 我ながら、やっつけな名付けだなと思います。
 英語、ギリシャ語、ドイツ語のごちゃ混ぜですしね。


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第四話

「報告は以上。ぶっちゃけ今の単価じゃ売れんと思う。後、味が最悪だった」

「…………そう。また、失敗」

 手にした革表紙の手帳の内容を読み上げたクロードは、カウンター越しに対面している女性に小さな金属缶を差し出す。

 上衣が左腕が半袖、右腕長袖という左右非対称(アンバランス)な服。加えて右手には革製の手袋(グローブ)まで付けている。ロングスカートから伸びるふさふさの犬尻尾はどこかしょんぼりと垂れている。

 【ミアハ・ファミリア】所属の犬人の眷属、ナァーザ・エリスイス。

 クロードは彼女から受けた冒険者依頼(クエスト)の報告の為に裏路地を経た先にあるナァーザの所属する派閥の本拠(ホーム)『青の薬舗』へと足を運んでいた。

「んで、報酬はいつもの奴頼む」

「わかった」

 返事と共に棚の上に置かれていた木箱を下ろし、中に入っていた金属缶をカウンターの上に置く。

 クロードは缶を少し開けて中身を確認すると満足げに頷いて懐に仕舞った。

「……ねえ、大丈夫なの?」

 抑揚のない、間延びした犬人の問いかけにクロードは眉を顰める。

「何の話だ?」

「貴女に渡してるコレ、かなり中毒性が高いんだけど」

「ああ、んだよそんな話か。むしろ好都合だから気にすんな」

 手をひらひらとさせながらクロードは鼻で笑う。

 ナァーザから受け取ったソレは香味(フレーバー)として刻み煙草に混ぜる為の植物を乾燥させた物だ。一部の治療薬の材料として用いられる品であるが、依存性のある薬物の素材としても広く知られており医療系派閥以外の所有および使用は禁じられている特定禁制品であった。

「貴女のスキルについては聞いてるけど、止めるべきだと思う」

 クロードの持つスキル【煙霞痼疾(パラソムニア)】の効果の一つ。()()()()の発動条件は一つ、薬物依存状態である事が挙げられる。依存中の薬物の種類が増えれば増える程、魔法の威力は増大する事もあり彼女は積極的に薬物へと手を出していた。

「それをアンタが言うなよ。なら、アンタもあこぎな商売止めたらどうだ? むしろ、止めさせてやろうか?」

「う……」

 クロードが脅迫混じりに問いかけると、ナァーザの表情が強張る。

「安心しろよ。この話を誰にも広めないって言うなら、オレは気にしねえよ。薄めた回復薬(ポーション)をベルに売りつけてる事もな」

「…………」

 本来ならば医療系派閥以外の人物への譲渡や売渡などが禁じられている品を、無所属の少女に依頼報酬として引き渡す理由は、一つ。

 ナァーザはとある件についての弱味をクロードに握られているのだ。同時にクロードの弱味と言える違法行為についてナァーザも知っている為、互いに弱味を握り合っている関係ではあるが。

「ああ、他に何か必要な素材はあるか。上層の怪物なら割となんとかなるし」

「…………ううん、今は特に必要な素材は無い。また必要になったら依頼を出す」

 少し考え込んだ後に首を横に振ったナァーザの返答を聞き、クロードは肩を竦めると背を向けた。そんな彼女の背に、ナァーザは恐る恐る声をかける。

「何か、変わった事でもあったの?」

「……あん?」

「いや、なんかいつもより刺々しいし」

「あー……何かベルが……いや、良い。煙管ぶっ壊されて機嫌が悪いだけだよ」

 言いかけた言葉を飲み込み、クロードは改めて彼女に背を向けると、溜息を零しながら店を後にした。

 

 


 

 

 クロードは北東のメインストリートを憂鬱そうな表情で歩いていた。

 大通りの両脇に軒を連ねているのは、酒場や食事処ではなく工具や金属素材を取り扱う専門店ばかり。

 この通りは迷宮都市(オラリオ)における産業区画。利益の大本である魔石製品の生産を中心に様々な生産活動を行う派閥、無所属問わずに集まる区画だ。

「くっそ、だりぃな」

 巨大な市壁にほど近い都市の外周部、細い路地を幾度も曲がった先の小ぢんまりとした平屋作りの建物。

 屋根の上に伸びる煙突から細く煙が伸びているのを確認したクロードは深く溜息を零してから、背負った煙管の残骸の入った袋を見やる。

「修理費いくらかかるのやら」

 ミノタウロスから得た魔石の収益で賄えると良いな、と頭を掻いた彼女は無遠慮にその建物────鍛冶場の開けっ放しの戸を潜った。

「居るかー? 居るよな。修理を頼みに来たんだが」

「あ? ああ、クロードか」

 炎を思わせる真っ赤な短髪。中肉中背の着流しを着た青年が丁度打ち終わったであろう大剣の刃研ぎをする準備をしている所であった。

「ヴェルフ、煙管を修理してほしいんだが」

 【ヘファイストス・ファミリア】に所属する新米鍛冶師、ヴェルフ・クロッゾ。

 小人族(パルゥム)であり、突飛な要求をして他の鍛冶師に避けられていた彼女の依頼を受けた変わり者の鍛冶師。正確には生計がカツカツな状態のヴェルフが報酬の良い依頼に手を付けただけではあったが。

「相変わらずだな。『魔剣』はいらないのか?」

「いらねぇよ。煙管を作ってくれる変わり者がアンタしか居ないから頼ってるだけだっての」

 彼とクロードの関係はいたってシンプルだ。片や変わり物の武器を使う冒険者。片や売れない新米鍛冶師。

 彼女が求めた武器としての『煙管』の作成を依頼し、彼はその依頼を引き受けた。

「はぁ」

「溜息なんて吐くなよ。それよりも、これだ」

 彼が求めていた人物とは程遠いにせよ、自身の血筋の事を知ってなお『魔剣』を求めない稀有な人物としては一定の距離を置いて関りを持っている。しかし、彼女は『煙管を作ってくれる奴』を求めているのであって、彼の腕を買っている訳ではない辺りにもやもやとした感情を抱いてはいる。

 とはいえ、彼女の依頼の報酬はそれなりに高額だ。その分、技術も必要になる為、良い練習にはなっているが。

 クロードは彼の内心を知らぬと言わんばかりに鍛冶師に袋に包まれた煙管の残骸を見せる。

「──────おい」

「んだよ」

 羅宇を完全に踏み砕かれた煙管の残骸を見た鍛冶師の表情が凍り付いた。

 煙管の特性として羅宇の中身は空洞ではある。しかし戦闘にも耐えうる強度を保持出来る様に精一杯の工夫を凝らした一品であったそれは、少なくとも上層の怪物程度には破壊されない代物だという自負があった。だが、目の前に出されたその煙管はもはや手のつけようが無いほどに破壊されてしまっている。

「何があったんだよ!?」

「上層でミノタウロスに襲われた。んで、踏み潰された」

「はぁ!?」

 驚愕の表情を浮かべた彼にクロードが事の顛末を伝えていく。【ロキ・ファミリア】が失態を犯して上層にミノタウロスを連れ込んだ事。ギリギリで犠牲者こそ出なかったが、見ての通り犠牲となった『煙管』は存在する事。

「っつー訳だよ。修理頼んだ」

「……悪いがこりゃ無理だ」

「あん?」

 頭を掻いて煙管の残骸に手を伸ばしたヴェルフは、砕けた羅宇を見て呟く。

「一から作り直した方が早い」

「……いくらかかる?」

「やってみないとわからんが。そうだな、二五〇〇〇ヴァリスだな」

 鍛冶師の見立てた金額にクロードが眉間を揉む。

「今回のミノタウロスの魔石の報酬、三二〇〇ヴァリスだったから大赤字だな。ツケにしといてくれ」

 酷い大赤字である。もし【ロキ・ファミリア】を見かけたら文句言ってやる、とクロードが履き捨てる間にも、ヴェルフが眉を顰めつつも呟く。

「依頼を受けてくれたら少しはまけるが」

「その依頼を受けようにも得物がねぇんだが」

 主な獲物である煙管が壊れた今、代用武器がショートソードぐらいしかない。それでは心もとないと彼女が肩を竦める。

 ヴェルフは片目を閉じると壁に立てかけてあった数点の武器を指差した。

「あそこの奴、欲しけりゃ持ってって良いぞ」

「いくらだ?」

「売れ残りで戻ってきた奴だ。溶かして再利用しようかと思ってたが、次の武器が完成するまでの繋ぎとして使いたければ使ってやってくれ」

 彼の言葉を聞いたクロードは小さく肩を竦めると、立て掛けられている武器の検分を行い始める。

 その様子を見ていたヴェルフは溜息を飲み込んだ。

(見た目は整っちゃあいるが。言葉遣いはどうにかならんのか)

 

 


 

 

 夕刻。

 【ヘスティア・ファミリア】の正規団員であるベル・クラネルが迷宮探索から帰還し【ステイタス】の更新を行う間、クロードは上層の廃教会にて自身の財布の中身を覗いて深い溜息を零していた。

「暫くは節約しなきゃ不味いな」

 主に刻み煙草の質を落とすしかないか。とクロードが悲し気に目を伏せる。

 非戦闘用の煙管を口に咥えるだけで火も着けずに揺らす。上下に揺れる煙管の先端を視線で追っていると、奥の小部屋から外套(コート)を羽織った女神が姿を現した。

「ん? 更新終わったのか?」

「ああ、クロード君か。ボクはバイトの打ち上げがあるからベル君の事を頼んだよ」

 何処か機嫌の悪そうな様子の女神は一方的に告げるとスタスタと歩いて行ってしまった。半口を開けたまま呆然とヘスティアを見送ったクロードは首を傾げる。

「今日の納金が少な過ぎたか?」

 恩恵を授かる対価として稼ぎの一部をヘスティアに納めている。しかし、今日は迷宮には一切足を運ばずに依頼の件や壊れた煙管の修理を頼みに行ったりと一日かけて所要を済ませていた上、修理費がかさむ事もあり今日の納金額は非常に少なかった。

 それに関しては女神にもしかと説明を行い納得してもらったはずだが、とクロードが首を傾げているとまたしても小部屋の扉が開かれる。

「あ……っ」

「うん? どしたよ?」

 僅かな灯りが差し込む廃教会の祭壇。腰掛けているのは荒々しい口調で喋る端麗な少女。

 小さな背丈に見合わぬ慣れた手付きで煙管を振るい、現れた少年を前に小首を傾げる。口調さえ丁重であればどこかの国のお姫様と言われても納得してしまいそうな容姿。それが差し込む夕日に照らされて燃える様な赤い輝きを宿した銀糸がさらりと流れ、まるで灼熱を宿した様な少女の姿にベルは一瞬だけ見惚れた。

「おい、何呆けてんだ?」

 クロードの訝し気な視線を向けられたベルは跳ねた心臓を誤魔化す様に口を開いた。

「な、なんでもない! そ、それよりも神様の機嫌が悪かったみたいなんだけど、何か知らない?」

「あー、まあ心当たりが無い事も無いが……そっちは何か心当たりは無いのか?」

「ううん、僕には全然見当も付かないや」

 本当に心当たりが無さそうに首を傾げる少年の姿を見て、クロードは肩を竦めると祭壇から立ち上がる。

「んで、晩飯はどうする。何か作るか?」

 女神が居ない間、食事はどうするかなとクロードが腕組をして考え込んでいると、少年が口を開いた。

「あ、その事なんだけど────」

 

 


 

 

 西の空に沈む日が残す紅い光に代わり、蒼い宵闇と薄らと輝く満月が街を見下ろしている。

 人の往来が絶えないメインストリートを歩むベルの背を、煙管を咥えて付き従うクロードは周囲の酒場を見やって軽く溜息を零した。

「んで、オマエの言ってた『店』ってのは何処だ?」

 早朝、早めに本拠(ホーム)を出た少年はとある店の店員と約束を交わしたのだという。今晩の夕食はその店でとる、と。軽はずみな約束をしかと守ろうとする少年の純粋さに呆れながらも、今宵の夕食は奢りだと聞いたクロードは渡りに船と意気揚々と彼に付き従っていた。

「えっと……た、確かこの辺りのはずなんだけど……」

 人気の少ない早朝と比べ、圧倒的に人の往来の激しいメインストリート。すっかり夜の顔に変わったその往来を見やって少年は僅かに心躍る光景に圧倒されていた。

 何処からか響く弦楽器や管楽器による大衆的な演奏。酒の入った冒険者達の豪快な笑い声。大胆な格好で客引きをする獣人も居れば、それよりも際どい恰好のアマゾネス一行が周囲の目線を気にせずに闊歩している。

 喧騒の隙間を抜けながら件の店を探す少年に対し、クロードは僅かに方眉を上げた。

「店の名前は?」

「えっと、確か『豊穣の女主人』だったかな?」

 店名を聞いた途端、クロードは咥えていた煙管の吸い口をガリッと噛んで表情を歪める。店を探す為にきょろきょろと見回しながら答えたベルは、背後で渋い表情を浮かべるクロードに気付かなかった。

「よりにもよって……」

「あっ、あった」

 予想が外れてくれ、と心の中で願うクロードを他所に少年はようやく見つけた目的の店へと歩んでいく。

 オラリオでよく見かける石造りの建物。二階建ての奥行きのあるカフェテラス付きのその店は、周りにある酒場よりも大きい様に見える。

 開け放たれた入口からは、カウンターの中で酒や料理を振る舞う恰幅の良いドワーフの女性。そして僅かに見える厨房では猫の獣人、猫人(キャットピープル)の少女達が働き回り、給仕をしている者達もウェイトレスばかり。

 店の業務員(スタッフ)が全員女性だった。

「うっ……」

 軒先から店内を覗いたベルが僅かに怯んだのを見て、クロードが肩を竦める。

 艶めかしい店では全くないのだが、見目麗しい女性ばかりが働くこの店は女性に免疫の少ない少年にとって難易度の高い店であるという事だろう。普段から接している女神は神であるし、少女は口調からして少女として見る事が少ないのも相まって、ベルはこの店に入るのが難しかった。

 尻込みしているベルをテラスの客からの視線が刺さる。

「……はぁ、何してんだよ。さっさといけ」

 尻を引っ叩かれたベルが驚愕混じりに一歩踏み出す。あわあわと店内に一歩踏み入れたベルを見て周囲の客の視線が一瞬集まるが、直ぐに喧騒を取り戻した。

 訝し気なエルフの視線にベルが硬直していると、少年の名を呼ぶ声が響いた。

「ベルさんっ」

「あっ、シルさんっ」

 店の制服らしい白いブラウスに膝下まで丈のある若草色のジャンパースカート。その上に長めのサロンエプロン。光沢の乏しい鈍色の髪は後頭部でお団子にまとめ、そこから尻尾の垂れたポニーテールの亜種。同色の瞳は喜色に彩られ、少年の下へやや駆け足で駆けてくる少女。

 その姿を見た瞬間、クロードは額を覆って溜息を零した。

 シル・フローヴァ、『豊穣の女主人』という店で働くバイトの少女。以前訪れた事のあるこの店だったのか、とクロードが嘆いていると気付いたシルが彼女を見て目を丸くした。

「クロードさん、珍しいですね」

「今日は普通に食事に来ただけだ。煙管は吸わねぇよ」

「え、前に来た事あるの?」

 ベルがクロードに問いかけるも、彼女は肩を竦めてシルを見やった。

「立ち話もなんだ、さっさと入って飯食おうぜ。この店、飯と酒は美味いんだ」

「えっと……?」

 僅かに棘のある物言いに戸惑うベルを他所に、シルは笑顔を浮かべて店内に声を張り上げた。

「お客様、二名はいりまーす!」

 少女の張り上げた声にベルが驚く間にも、シルは彼の手を取って奥へと案内していく。その背を見やり、ややあってからクロードも二人の後を追って店内へと足を踏み入れた。

 

 

 

「あんたがシルのお客さんかい。そっちは久しぶりだねぇ、元気でやってたかい」

 店内の隅、カウンターの角の部分、背後には壁があり他の席と比べて落ち着いて食事がとりやすい一角へと案内されて直ぐ、カウンターの向こう側から恰幅の良いドワーフの女将が二人に話しかけてきた。

「あ、はい。そうなりますね」

「……ああ、久しぶり」

「クロードの知り合いだったのかい。だったら先に言ってくれれば良かったのに」

 豪快な笑顔と共にドンッと置かれた並々と醸造酒(エール)の注がれたジョッキが二人分置かれる。

「別に報告する義務なんかねぇだろ」

「相変わらず口が悪いねえ」

 出された醸造酒(エール)に口をつけてそっぽを向くクロードを他所に、ドワーフの女将はベルに視線を向けた。

「それにしても、冒険者にしては可愛い顔してるねえ!」

 無遠慮とも言える女将の指摘に、ベルは柄にもなく、半ば暗い視線をぶつけた。彼自身にも自覚がある事もあって、その手の話題は避ける傾向にあった。

「何でもアタシ達に悲鳴を上げさせるほど大食漢なんだそうじゃないか! じゃんじゃん料理を出すから、じゃんじゃん金を使ってってくれよぉ!」

 豪快に笑いながら告げられた言葉に、ジョッキを手にしていたベルが度肝を抜かれて目を見開いた。バッと背後を振り返ると、目が合ったシルはすっと目を逸らした。

 ベルが大慌てで口を開く。

「ちょっと、僕いつから大食漢になったんですか!?」

「えへへ」

 ちょこんと舌を出して誤魔化す様に笑う可愛らしいシルの姿に一瞬だけベルが動きを止めるも、直ぐに突っ込みを入れる。

「えへへ、じゃないですよ!? 僕、絶対に大食いなんてしませんからね!」

 うちは貧乏なのだから、そんな大食いなんてしている余裕は無い。とベルが捲し立てる。

 その言葉を聞いたシルが額に手を当てて何処か棒読みで呟く。

「ああ、朝ごはんを食べられなかった所為で力が出ないー……」

「汚いですよ!?」

 二人のやり取りを見ていたクロードは少年(ベル)少女(シル)のやり取りの大まかな内容を予測して大きく溜息を零した。

「シル、先に言っとくが駆け出しの出せる金額は高が知れてんだから、あんま期待すんなよ」

「ふふっ、わかってますよ~。ちょっと奮発してくれるだけで良いんですよ。ごゆっくりしてくださいね」

 苦言に対しシルは笑顔で対応すると、忙しそうな給仕の悲鳴が上がるフロアへと足を運んでいった。

 どこか憮然とした様子のベルが「ちょっと、ね……」と呟くと、ふとクロードを見てジトリとした半眼を向ける。

「んだよ」

「えっと、人にたかる気満々の人が此処にも居たなって」

「ほぉ、言う様になったなぁ?」

 奢るって言ったのはお前だぞ、とクロードが鼻で笑いメニューを手にする。

 ベルも同様に酒場にしては丁寧に用意されたメニューを開き、料理の内容よりもその値段設定を見て目を見開いた。

「パ、パスタ三〇〇ヴァリスゥッ!? こ、こっちのはご、五〇〇ヴァリス……!!」

 冒険者向けに販売されている回復薬(ポーション)と同じ値段の料理に少年が戦慄しているさ中、クロードが女将を呼び止めていた。

「ミア母ちゃんやい。この今日のオススメってなんだ?」

港街(メレン)で上がった質の良い魚があってね。素揚げして餡かけにしたもんだよ。頼むかい?」

「おう、それ頼むわ。後、醸造酒(エール)追加」

 ぎょっとした表情を浮かべてベルが少女を見るも、彼女は気にした様子も無く二杯目の醸造酒(エール)に口を付けている。

 ごく普通にお腹を満たす程度ならば五〇ヴァリスもあれば十分な所を、ぼったくる様な価格設定にベルが驚愕しながらも、クロードの注文したものの値段を見て戦慄する。

 『本日のオススメ』八五〇ヴァリス。

 『醸造酒(エール)』二〇〇ヴァリス。

 酒は二杯目と言う事で合計金額は一二五〇ヴァリス。

 今日の少年の稼ぎは非常に良かった事もあり四四〇〇ヴァリスだが────横に居る少女の無遠慮な頼み方から足りるか不安が少年の中でむくむくと膨れ上がっていく。

「あ、あのぉ……今日は、その……」

「普段より儲かったから奢りって言ったのはベル、オマエだからな?」

「うっ……」

 確かに言った。少し避けられている先輩冒険者に今までのお礼も兼ねて、今日の稼ぎが多かったこともあって少年は少し見栄を張った────訂正、かなり見栄を張った。

「で、アンタは何を頼むんだい?」

「えっと……パ、パスタをお願いします……」

 本格的に大丈夫なのか、とベルが焦りながらも無難で最も価格の安いパスタを注文する。

 注文してから料理が来るまでは非常に早く、目の前に置かれた山盛りのパスタは確かに金額に見合った量と言えるだろう。ただ、少し多くないかと少年が顔を引き攣らせる横で、クロードが黙々と料理を口に運び、酒を呷った。

「ぷっはぁ……うっし、ミア母ちゃん、もう一杯ー!」

「ク、クローズさん!?」

 これ以上頼まれると本当に不味いとベルが慌てるが彼女はニヤり、と笑みを浮かべた。

「無駄に見栄を張るとこうなるっていう授業料だ。っつー訳だ、今日はガンガン飲むからな」

 見栄を張った少年に対し、容赦なく酒を追加していく少女。

 その細く小さな体の何処に入っていくのか、クロードは料理に食らい付いていく。見栄なんか張らなければ良かったと後悔を抱くも既に手遅れ。

 ベルはパスタを口にしながら横で酒を呷るクロードを見て完全に青褪めていた。




 【ロキ・ファミリア】との邂逅まであと少し。

 感想などあれば是非にお願いします。


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第五話

 『豊穣の女主人』と言う店は、女将であるミア・グランドが一代で築き上げた店だ。

 かつては冒険者だった彼女は主神の赦しを得て【ファミリア】から半脱退状態でこの店を切り盛りしている。従業員たちは全員女性。中には訳ありな者も何人か混じってはいるが、全てを気前よく受け入れてくれるミアの存在もあり、この店は非常に明るい雰囲気を纏っている。

 注文を取りに来た店員にちょっかいを掛けるドワーフに対し、慣れた風にあしらうヒューマンのウェイトレス。提供された料理に満足そうに舌鼓を打つエルフも居れば、卓をくっつけてお祭り騒ぎのヒューマン達も居る。

 そんな店内には見た目は幼い少女がジョッキを掲げて客に混じり大笑していた。

「んでよぉ、ゴブリン倒して良い気になって後ろからコボルトに襲われちまってなぁ!?」

 他の【ファミリア】の4人組のパーティの冒険者の席に交じってクロードが酒の肴を提供する。

「おいおい、大丈夫だったのか? その新人」

「あっはっは、悲鳴上げて転げ回って土塗れだよ、怪我は無かったけどな!」

 いつの間にやら他のテーブルに座っていた客と意気投合して酒を呷る銀髪の先輩冒険者の姿に、少年は赤面しながら顔を覆い隠していた。

 恥ずかしいやら情けないやら。笑い話として語られる内容に嘘が一つも無く事実である所為で彼女の口を強引に閉じると言った選択肢を少年の中から消し去ってしまっている。

「あ~、居るよなあ、そういう新人」

「あるある。ウチの【ファミリア】の新米も同じ事やらかしてたぜ」

「まあ、悲鳴上げて転げ回りはすれど、逃げ出したりしなかったからマシだがな」

「おっ、その新米見所あるな」

 一人のドワーフが酒を呷ってクロードの話す『件の新米冒険者』をほんのりと褒める。

 びくりとベルがほんのり顔を上げれば、他の冒険者達もうんうんと頷く仕草をしていた。何処か認められたような気分になったベルはほんのりと羞恥が緩まる。

 そんなタイミングで、ベルの横にふわりとシルが腰掛けた。

「どうです、楽しまれてます?」

「シルさん……圧倒されてます。クローズさんは凄く楽しんでるみたいですけどね」

「ふふふ、ごめんなさい。私の今夜のお給金も期待できそうです」

 鈴の鳴る様な店員の笑みに釣られ、あはは、と乾いた笑みを浮かべた少年は自らの懐のヴァリスの重みを確かめて目を逸らす。馬鹿みたいに飲み食いするクロードのおかげで、かなりギリギリになりそうだ、とベルが顔を引き攣らせていた。

 そんな少年の横、クロードが居なくなり空いていた席にシルが腰掛ける。

「店の方は良いんですか?」

「給仕の方は十分に間に合ってますので」

 シルがカウンター越しに女将に確認をとれば、女将は大きな鍋をかき混ぜながら頷いて応える。それを聞いたシルが改めて少年の方に向き直った。

「このお店、冒険者さん達に人気があって結構儲かってるんですよ。お給金も良いですし」

「……シルさんって、お金が好きな人だったりします?」

 今朝の事、ベルは朝食を抜いてダンジョンへ向かっていたさ中に目の前のシルと出会った。その際にシルがお腹を空かしていたベルに自分のお弁当を差し出したのだ。お弁当の礼は、この店で夕食をとって欲しいというモノであって。

 今朝の一件で売り込んだかのようなシルの様子にお金が好きな人かとベルが猜疑的な視線を向ける。

「ジョークですよジョーク、それに……この店には色んな人が集まるから……」

 シルはそういうとカウンターから顔を上げて店内を見回した。

 つられてベルが視線を巡らせれば、嫌でも視界に入るのは容姿だけは端麗ながら、ドワーフの様に豪快に酒を呷る幼女の姿。僅かに顔を引き攣らせたベルが彼女から視線を外す横で、シルが呟く。

「この店には沢山の人が集まるんです。沢山の人が居ると、色んな発見があって……私、目を輝かせてしまうんです」

 瞳を細めて店内を眺める彼女の横顔に見惚れたベルが、思わずシルを見つめてしまう。それに気付いたシルが咳払いをすると、言葉を続ける。

「とにかく、そういう事なんです。知らない人と触れ合うのが、ちょっと趣味になってきているというか……その、心が疼いてしまうんです」

「……結構凄い事言うんですね。でも、それはわかる様な気がします」

 シルの趣味にベルがほんのりと理解を示した所で、ふとベルは腰を叩かれて視線を下に向ける。

「えっと、クローズさん?」

 腰の辺りを叩いていたのは、何処か据わった目をしたクロードであった。

「うす、少し一服してくる。シル、今度から喫煙可にしてくれってミア母ちゃんに言っといてくれよ」

「それは無理ですよ。諦めて外で一服してください」

 何処か不貞腐れた様子で火の着いていない煙管を咥えてふらふらと千鳥足気味に外へ向かう彼女の様子にベルが心配そうに立ち上がりかけ、シルが微笑んだ。

「大丈夫ですよ。クロードさんは酔ってもしっかりした方ですし」

「そうですか」

 シルに勧められて再度椅子に腰を落とした所で、ベルはふと気になった事を口にした。

「シルさんってクローズさんの事知ってるんですか?」

「はい、時々この店に顔を出してますよ。ただ、毎回『喫煙席は無いのか』って文句言ってますけどね」

 三度の飯より煙管を吹かしてる姿をよく見るクロードのらしい文句にベルが苦笑いしていると、突然、どっと十数人規模の団体客が入店してくる。

 店員に案内されて席に向かう種族がてんで統一されていない集団を見て、店内に居た客たちがにわかにざわめきだす。

「おい、えれえ上玉じゃねえか」

「馬鹿、徽章(エンブレム)をよく見ろ【ロキ・ファミリア】だぞ」

「あれが巨人殺しの【ファミリア】か……」

「第一級冒険者のオールスターじゃねえか」

「噂のあの娘が【剣姫】か……」

 迷宮都市に住まう者なら知らぬ者の居ない大派閥。

 そんな【ファミリア】の幹部である第一級冒険者が勢揃いして現れた光景に客達がどよめき、その様子を伺う。そして、少年もまた跳ね上がった心臓を抑えてカウンターを見つめていた。

 つい先日、ミノタウロスに襲われ死に掛けた際に助けに来てくれた命の恩人。己が憧れた相手、それが突然にこんな形での再会する事なんてベルには予測できるはずもない。

 そんな客たちの好奇の視線などとうに慣れた言わんばかりに【ロキ・ファミリア】の冒険者達は案内された席に着くと、運ばれてきた酒と料理を囲んで朱色の髪を揺らした人物が立ち上がる。

 見る者に黄昏を連想させる朱色の髪、細めがちな瞳。その端麗な顔立ちには子らが無事帰還した事を喜ぶ神の色が見て取れる────彼女こそが、【ロキ・ファミリア】の主神ロキであった。

「ダンジョン遠征ご苦労さん! 今日は宴や! 飲めぇ!!」

 主神の音頭を皮切りに、次々にジョッキを打ち付け合う。

 そんな中、大派閥の幹部であり第一級冒険者として注目集めている女剣士、【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインは店内を見回した。常日頃から街中を歩く度に彼女が感じている好奇の視線とは異なる真っ直ぐで嫌味の無い視線の正体が気になったのだ。

「ほら、アイズも食べなってー」

「あの、アイズさん、これも美味しいですよ」

「どうしたのよアイズ、視線なんて何時もの事でしょうに」

「えっと、うん。そうだよね」

 だが、仲間から声を掛けられてしまい発見するには至らない。

 そんな大派閥の中に居る金髪の少女に見惚れ、眺め続けていた少年にシルが気を使って囁く。

「【ロキ・ファミリア】さんは、ウチのお得意さんなんです。彼等の主神であるロキ様に、私達の店がいたく気に入られてしまって」

 この店に来れば憧れの人と会える確率が高まる。そんな風にベルはシルの言葉を言葉を胸に刻んでいた。

「そういえばさー、さっき入口で煙管吹かしてた子いたじゃん?」

「ん? ああ、居たわね、銀髪の、それがどうしたのよティオナ」

「なんかすっごい恨めし気にこっち見てたし、気になってさー」

「別に気にしなくて良いでしょ。やっかみなんていつもの事よ。それより団長、つぎます。どうぞ」

「ああ、ありがとう、ティオネ。だけどさっきから僕は尋常じゃないペースでお酒を飲まされているんだけれどね。僕を酔い潰した後、どうする気だい?」

「ふふっ、他意なんかありません。ささっ、もう一杯どうぞ」

「本当にぶれねえな、この女……」

 騒ぎ合う仲間達に囲まれて、飲め飲めと勧められる酒に微苦笑を浮かべたり、隣の席の元気のいい女性と会話したり、小動物の様な仕草で口元をナプキンで拭いたり。

 少年の視線はただ【剣姫】一人に注がれていた。傍から見ればストーカー紛いな行為ではあるが。

 そして、視線をほんのりと気にしていたアイズは騒ぐ仲間達に囲まれていつしかその視線の事は忘れてしまう。

 ふと、ロキを中心に遠征の話題で盛り上がる【ロキ・ファミリア】の席で一際大きな声があがった。

「そうだ、アイズ! あの話をしてやれよ!」

「あの話……?」

 件の【剣姫】から二席離れた斜向かいに座る獣人の青年。

 整った顔立ちは美形と呼んでも差し支えなく、それでいて男らしさも兼ね備えた獣人だ。

「あれだって、帰る途中で逃したミノタウロス! 最後の一匹、お前が5階層で始末しただろ! そんで、ほれ、あん時居たトマト野郎!」

 彼の言葉を聞いた少年の心臓が、先とは全く違う意味で跳ねる。

 先までの熱に浮かされた様子から、一瞬で血の気が引いた表情で青褪めるベルの様子にシルが心配そうに彼の肩を叩くが、彼にはそれに構う余裕など微塵もありはしない。

「ミノタウロスって、17階層で襲い掛かってきて返り討ちにしたら、集団ですぐ逃げ出していった?」

「それそれ! 奇跡みてぇにどんどん上層に上っていきやがってよっ、俺達泡食って追いかけてったやつ! こっちは帰りの途中で疲れてたってのによ~」

 深層まで『遠征』に向かっていた【ロキ・ファミリア】。

 帰路の際に遭遇(エンカウント)したミノタウロスの集団。

 それを仕留め損ねて上層、5階層へと追い詰めた際。

 アイズ・ヴァレンシュタインが仕留めた。

 その場に居たのは────

「それでよ、いたんだよ。いかにもひょろくせえ冒険者(ガキ)が!」

 あの場に居たのは、今まさにカウンターで羞恥に燃える少年、ベル・クラネルだった。

「ほんとざまぁねえよな。ったく、泣き喚くぐらいだったら最初から冒険者になんかなるんじゃねえっての。ドン引きだぜ、なぁアイズ?」

 カウンターに伏せ、羞恥と悔しさに全身を焼かれる感覚に囚われている少年など、獣人の青年は露知らず。ただただ、酒の肴として嘲笑を続ける。

「抱腹もんだったぜ、兎みたいに壁際に追い詰められちまってよぉ! 可哀想なぐらい震え上がっちまって、顔引き攣らせてやんの!」

「ふむぅ? それでその冒険者、どうしたん? 助かったん?」

「アイズが間一髪ってところでミノを細切れにしてやったよ、なっ?」

 青年の問いかけに、アイズは自身にもわからぬ心のささくれの原因を自問自答していた。

「それでそいつ、あのくっせー牛の血を全身に浴びて……真っ赤なトマトみたいになっちまったんだよ! くくくっ、ひーっ、腹痛えぇ……」

 店内の片隅で耳を塞ぐことも出来ずにベルがその嘲笑を聞き続ける。

 限界まで握り締められた拳は、爪が食い込み血を滴らせていた。

 

 


 

 

 月明かりに照らされた銀糸の髪の美しさは、纏う紫煙で煤けた色を映す。

 テラス席の手摺に腰掛けたクロードは、丁度半開きの窓から聞こえる嘲笑の声を聞きながら煙管を吹かしていた。

「あーあ……中にベル残してきちまったよ」

 ふぅ、と紫煙をたっぷりと吐き捨てて内部に響く嘲笑の渦に彼女は不愉快そうな表情を浮かべ、店内の片隅で震える白髪の少年の姿を窓からちらりと見ると、煙管に新たな刻み煙草を詰めて火を灯した。

「さぁて、どうなるかねぇ」

 店内から聞こえる【ロキ・ファミリア】のやり取り。

 クロードは酒が不味くなるような唾棄の言葉を止めどなく吐き続ける獣人の青年の言葉に耳を傾けた。

『────弱くて、軟弱で、救えない、気持ちだけが空回りしてる雑魚野郎に、お前の隣に立つ資格なんてありはしねえ。他ならないお前がそれを認めねえ』

 全く持って止まる気配は無い。だからといってクロードは其れを止める気も無い。そも不相応な憧憬を抱いた少年の心を守ろう等という気等、彼女には微塵も無いのだから。

 

『雑魚じゃあ、アイズ・ヴァレンシュタインに見合わねえ』

 

 言い切った。それを聞き届けると同時に煙管を吹かして入口を見る。

「ベルさんっ!」

 バンッと勢い良く扉が開き、白い影が街を駆けていく。その後ろをシルが必死に追いかけていく姿をぼんやりと見届けていると、店内から遅れて飛び出す人影が現れる。

「…………」

 出てきた金髪の女剣士を見て、ひゅぅ、と口笛を零すとクロードは彼女の背越しに見える少年の背を見て肩を竦める。

「ったく、面倒な事してくれやがってよ。んで、酒も不味くなるし最悪だ」

 女剣士を追って店から出てきて彼女にセクハラかまして朱色の女神がビンタされているのを尻目に、クロードは煙管に刻み煙草を詰めながら店内へと足を踏み入れた。

 視界に飛び込んできたのは今まさに取っ組み合いの喧嘩を始めそうな眉目秀麗なエルフと、件の獣人の青年の二人と、それを見守る者達の輪であった。

「……おい、テメェら」

 静かに、けれども不機嫌そうなクロードの呼び掛けに今まさに始まろうとしていたやり取りが動きを止める。

「ああ? 誰だてめえ? ぎゃあぎゃあ喚くんじゃねえよ」

「すまないが、少し待っていてくれないだろうか。ベートを縛り上げる所だ」

「うるせぇ糞犬にエルフ、こちとら機嫌が悪ぃんだよ」

 バリバリと無造作に頭を掻いて二人を睨むクロード。

 唐突に乱入し、第一級冒険者同士のやり取りを横から止めた彼女に対し【ロキ・ファミリア】の冒険者達の視線が集まった。獣人の青年、ベート・ローガが口が過ぎた事は事実であるが他派閥、ましてや大派閥のトラブルに首を突っ込む真似をする者に奇異な視線が集まる。

「ああ、糞。まずは礼だな。礼を言いに来たんだよ」

「……はぁ? 何言ってんだこの小娘(ガキ)が、引っ込んでろ!」

「ベート、口を閉じろ」

 横槍を入れられて不機嫌さを隠しもせず、どころか殺気立ったベートの睨みに対し、エルフの女性が口を挟む。途端に声をかけたはずのクロードを置き去りに、エルフの女性は獣人の青年を縄で縛り上げ始める。相当な実力者であろう獣人の青年を、瞬く間に縄で縛り上げていく。

 クロードは深く溜息を吐くと、頬を抑えて店内へと入ってくる派閥の主神を見やった。

「そこの朱神(あかがみ)、ちと話がある」

「なんやウチの事か……って、おー可愛い子やん、ウチを慰め────って煙たいな!?」

 声をかけてきた銀髪の幼女、それもロキ好みの美幼女の姿に眷属にあしらわれて傷心のロキが抱き着こうとし、抱き着く寸前に大きく飛び退いた。

 彼女から漂う僅かに甘い煙の香りにロキが彼女をまじまじと見つめ、入り口で恨みがまし気に睨んできていた少女だと理解すると片目を閉じた。

「なんや?」

「テメェらに色々と礼を言いたかったからな。」

「礼やと?」

 ────神々は、地上の人間が付く嘘を見抜く事が出来る。

 故に、眼の前の少女が言った言葉が半分嘘で半分本当の事だと気付いたロキが頭を掻き、椅子に縛り上げられて固定されたベートと、それを囲む眷属達を見やった。

「まず、何の礼か聞かせてくれへん?」

「そうだね、僕もそれは聞かせてほしいかな」

 朱色の女神との間に、するりと金髪の少年が割り込む。背丈は子供程だが、纏う雰囲気は大人のそれ。

 クロード・クローズと同種族であり、成長してもヒューマンの子供程度の背丈にまで成長しない小人族(パルゥム)と言う種族の男性。それも【ロキ・ファミリア】の団長である人物。

「ひゅ~、【勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナ様じゃん。かっこい~」

 何処かひょうひょうと、ふざけた様子でクロードが茶化すと、途端に周囲の【ロキ・ファミリア】の面々の目付きが変わる。

 奇異の視線は警戒に、一部は殺気立つまでに至った視線を浴びながら、クロードは肩を竦める。

「いんやぁ? おたく等が逃がしてくれたミノタウロスに襲われてよぉ。そこの【剣姫】と【凶狼(ヴァナルガンド)】に助けられたんだわ」

「……キミが件の冒険者……ではなさそうだけれどね」

「ああ? ああ、あのトマト野郎な、アレはオレじゃねえよ」

 手を振って否定しながら、クロードは懐に納めた煙管を取り出して口に咥える。

 その様子を見ていたロキが『ダウナー系オレっ娘萌えー』と喚くのをそれとなく無視し、フィンは彼女の要件について当たりを付けていた。

 おおよそミノタウロスに襲われた事に対する文句でも言いたかったのだろう、と。

「ああ、その件は申し訳なかった」

「んぁ? ああ、その件は別にどうでも良いんだわ。残った死体から魔石剥いで換金したしな」

 何処か話がズレているかのような感覚にフィンが目を細める。クロードは何か誤魔化すというよりは、何処かズレた話題から何かを言いたげにしている様子だ。

「それだけかい?」

「んな訳ねえだろ。もういくつか礼を言わせろよ」

 あからさまに礼を言いに来た態度ではない。むしろ文句を言いに来たと言われた方が納得できそうな彼女の口ぶりにフィンがほんの少し面倒臭さを覚え始めた。

「そうかい。申し訳ないけど単刀直入に言ってくれないかな」

「ん? ああ、礼ってのは、オレの後輩を【剣姫】が助けてくれた事だよ」

「…………ロキ」

「嘘やないみやたいやで」

 単刀直入に用件を言って欲しい。そう頼んだところ返ってきた言葉にフィンが『嘘』ではないかと主神に確認をとるも、主神もそれが嘘ではないと言い切る。

 だが他にも何かある、とフィンが僅かに警戒するさ中、クロードは煙管に火を入れた。

「ふぅ、んでよぉ、俺の後輩がなぁ? 今日稼ぎが良かったらしいんだわ」

「……それは、僕達に何か関係が?」

「ああ、ある。滅茶苦茶ある。聞く気は無いってか?」

 やたら迂遠な言い回しに加えて、フィンの目から見て目の前のクロードの瞳孔が開ききった様な瞳は何処か常人離れした印象を受け、同時に考えが読めずに不気味な印象を抱かせる。

 ────それこそ、狂人染みた雰囲気を纏っている少女と言い切ってもいいかもしれない。

「まあ、聞けよ。テメェらが逃がしたミノタウロスに得物踏み潰されちまってなぁ。作り直すのにン万ヴァリスだとよ。残ってた死体の魔石じゃ足りねえでやんの」

「なるほど、武装の損失を埋めて欲しい訳かい?」

「別に? この件は文句言いたいだけだ」

 店内の注目を一身に浴びている彼女の物言いに、周囲の客が奇異の視線を向ける。共に酒を飲んでいた者達も不気味なものを見る様な視線を彼女に向けていた。

「んで、少し節制しないとな、って思ってた矢先に、だ。後輩が稼ぎ良くて今日は奢りって言ってくれてよ」

「…………」

 嫌な絡み方をしてくる少女に、フィンは表情を変えずに対応する。

 元はと言えば自身の派閥がダンジョンでミノタウロスを上層にまで逃がしてしまった事が発端といえる。それを無下にするのは流石に派閥の体裁的な問題があった。

「んでなぁ、さっきまで楽しく酒飲めてたんだわ。テメェ等がトマト野郎の話題出した所為で酒が不味くなっちまったんだよ」

「……それは、悪かったね」

 後ろで椅子に縛られて轡までかまされたベート・ローガがうーうーと喚くも、彼女はちらりとそちらを見てから、向かい合うフィンに笑みを見せた。

「ああ、ウチの後輩が逃げちまうぐらいには酒が不味くなってなぁ……ああ、そうだ忘れねえうちに、本命の礼を言わせろよ」

 唐突に目の前のフィンから視線を外し、クロードは紫煙を吐きながら唖然とした様子の【剣姫】を見上げた。

「ウチの後輩を血塗れのトマト野郎にしてくれて、ありがとよ。しかも酒の肴として扱ってくれるなんてまあ、ウチの後輩がガチ泣きして喜ぶ事してくれやがってなぁ? どんな礼すりゃあ良いんだ、こういう時ってのはよ」

 開き切った瞳孔で【剣姫】を真正面に捉えた彼女の放った言葉に、周囲に居た者が凍り付く。

 【ロキ・ファミリア】が起こした不手際による被害を受け、挙句の果てに酒の肴として嘲笑された。それも、本人が居る目の前で。

「まさか、さっき逃げたのはもしかして……」

「おうおう、その通りだ。ウチの後輩が逃げちまってよ。せっかくの美味い酒が台無しだぞ」

 紫煙を燻らせ、クロード・クローズが口元を歪める。

「っつー訳だ。色々と()()()()()()()

 バツが悪そうに視線を逸らす【ロキ・ファミリア】の面々。加えて、奇異の視線を向けていた客達も彼女の奇怪な言動の真意が『侮辱された後輩冒険者を庇う為』だと知り同情の視線を向ける。

「それは、申し訳ない事をした。すまない」

 自らの派閥の行いが起こした事によって彼女と件の冒険者に傷を残した事に気付いたフィンが即座に頭を下げる。

「この店での飲食代は全て此方が出そう。加えて武装の新調費用も此方で」

「いらねェ」

 即答。

 頭を下げたフィンに対し、クロードは既に背を向けていた。

「金はいらねェよ。言いたい事は全部言ったし、飯代は明日持ってくる。得物が壊れたのは俺の自己責任。テメェ等の所為で酒も煙管も不味くなったのは事実だが、それ以上要求する気はねぇ」

 嵐の様に【ロキ・ファミリア】の宴会を荒らすだけ荒らすと、煙管を吹かして立ち去っていく銀髪の少女の姿に全員が唖然としていた。

 そんな中、今まで成り行きを見守っていた女将が声を上げた。

「────クロード、金は明日までに持ってきな」

「わーったよ。たく、今日も飯も酒も美味かった。後は店内で喫煙可だったら最高だよ」

「何があろうが店内は禁煙だよ。今のは見逃すけど今度やったら摘まみ出すからね」

「はぁ、一服の為に一々外出るのだりぃんだよなぁ……まあ、また来るわ」

 振り返る事無く、ひらひらと手を手を振ってクロードは店の外へ出た。

 

 


 

 

「待って」

 店を出てすぐを左手側に曲がった直後、声を掛けられてクロードは足を止めた。

「んー? んで、【剣姫】様はなんで追ってきたんだ? まだ礼を言われたりないか?」

「……ち、違う」

 まだ店の前であり、テラスから奇異の視線が向けられているのを感じたクロードが面倒そうに頭を掻いて振り返る。

「なあ、アンタの楽しい宴を邪魔したのは謝るからよ。闇討ちなんて真似は控えちゃあくんねえかな?」

「ち、違います。闇討ちなんか、しません」

「ああ? じゃあ何の用だよ」

 これ以上関わる気は一切無い。言いたい事を言うだけ言ったから帰らせろ、と刺々しく拒絶するクロード。

 アイズはちらちらとクロードが去る方とは真逆の方向に視線を向けて、少し悩んでから問いかけた。

「あの、あの子は、あっちに行きましたよ」

「……あん?」

 アイズが指差した先、ダンジョンのある中心部に聳え立つ巨塔を見やったクロードは肩を竦めた。

「知らねえよ」

「…………、行かないんですか」

 奇怪な言動こそすれど、仲間想いの冒険者。アイズが彼女に抱いた印象はそんなものだった。だが、返答は予想外のものだった。

「だから、なんでオレが行かなきゃいけねぇんだよ。もう夜だぞ? 良い子は寝る時間ってな」

「仲間、じゃないんですか?」

「ああ? 後輩冒険者だな」

「迎えに行ってあげないんですか?」

「なんで?」

 ごく普通に、気だるげに紫煙を燻らせた彼女の言葉にアイズは僅かながらに衝撃を受けながらも、返した。

「あの子、あのままだと……」

 防具も無しに迷宮に向かう。それは確信に近いものだった。だから、あのままだと危ない。けれど自分では追えないから、追う事が出来なかったから。仲間である彼女に追って欲しい、とアイズがクロードを見つめると、彼女は鼻で笑った。

「防具も無しにダンジョンに行くアホの事なんざ知るかよ」

「…………」

「ったく、話はそれだけかよ。じゃあな」

 吐き捨てる様に告げると、紫煙にくすんだ銀髪をなびかせて、彼女はベルと真反対の方向へと足を進めた。

 

 

「アイツが死ぬか生きるか、選ぶのはアイツだろうに。他人がぎゃあぎゃあ口出しすんなっての」




 『薬物中毒キチガイダウナー系ヘビースモーカーTS幼女』
 属性を並べると酷いですね。

 こんな作品ですが一気にお気に入り増えて胃が痛くなってきますね。この後の展開、どうしよう。いやほんとに……こんなに伸びるとは思わなかったんです。出来心だったんです。


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第六話

 黒い靄に視界を埋め尽くされた闇の中。

 どちらが前で、どちらが後ろなのか。それどころか上も下もわからぬ暗雲の中で、酷い頭痛と吐き気を抑えながらクロードが一歩、また一歩と足を動かしていた。

 必死の表情で机にしがみ付く様に楽譜を書き上げている男の後ろ姿がクロードの視界の端を過ぎる。

 一瞬だけ過ぎ去っていく光景に舌打ちを零しながら、また一歩、彼女は踏み出した。その一歩が踏み出される度に、男の後ろ姿がクロードの視界の端を過ぎ去っては消えていく。

 竹刀を振るい続ける姿、ピアノの前に座る姿、学術書を読み漁る姿、どれも必死の形相で打ち込む狂気的な背中ばかり。全ての背中が同一人物。周囲は闇、たった一人で抗う姿にクロードは鼻で嗤う。

「糞、クソ、マジでなんもかんもクソだわ」

 どれだけ必死に楽譜を書いても陳腐だと切り捨てられ。どれだけ竹刀を振るい続けても兄の振るう一閃に届かない。学問に打ち込めば自身の頭の出来の悪さをまじまじと見せつけられる。

 努力の末に手にしたものは何もなく。積み上げてきた努力は全て無駄。『才能が無かった』の一言で今までの全てが無に帰す。

 残された世界(ゲーム)は砂上の楼閣よりも脆く、儚いただの虚像。

 積み上げてきた努力に意味等無く。ともすれば、才能無き者に期待等するだけ無駄と言うもの。それでも何かに急かされる様に、何かから逃げる様に辛く苦しい道を────努力を積み上げていく。

 進むのが億劫になる程に、前も後ろも、上も下もわからない道をクロードはただ歩み続ける。

(────ああ、夢だなこれ)

 突然、ともすれば自身の置かれた状況を理解した彼女は途端に足を止めた。今までの歩みに意味が無かった事に気付いて、夢の中だというのに全身を蝕む様な疲労感を味わった彼女は振り返った。

「クソ、クソクソ、何もかんもクソ過ぎる。1%の才能と99%の努力? 笑わせんなよ。殆どの人間(クソ)には1%の才能すらネェんだよ」

 クロードの背後。背中合わせの様に立つ男。脂ぎって汚れた髪、落ちくぼんだ眼孔は暗く、しかし瞳は濁りながらも爛々と歪な輝きを宿している。噛み癖なのか右手の爪をガリガリと噛み続けながら怨嗟の言葉を吐き続ける口元には無数の切り傷。 

 彼が左手に握らせたVRゲーム用のヘッドアクセサリーに視線を向けたクロードが呟く。

「クソなのは知ってる。才能が無かったのも知ってる。努力が全部無駄だったのも知ってる。んで、残ったモンが無かったのはご愁傷様」

 彼女は男の手にした機器をさっと奪い取り、嗤った。

「なあ、お前は俺だ、もう知ってんだろ。努力が必ず報われるなんてありえないって」

 機器を足元に放り、小さな革靴(ブーツ)の踵で踏み潰した。呆気なく、破片すら残さず世界(ゲーム)で為した偉業の数々は踏み潰され、消滅した。

 クロードの言葉を聞いた男が、爛々と暗闇の中で異常な輝きを宿す瞳を彼女に向けた。

「────せ、返せ!」

 子供程の背丈しかない少女の両肩を掴み、男が髪を振り乱して狂いだす。返せ、返せと泣き喚く。

 耳朶を打つ不快な感触にクロードが眉を顰めながらも、されるがままに男に揺さぶられ続ける。

「なあ、良いよな。ゲーム、最高だわ」

 現実ではありえない。努力が報われない事は無い。

 ただの数字の羅列とはいえ、能力値(ステイタス)という形で可視化された努力の形が目に見える。それだけで十分で、それでは不十分だ。

 どれだけそのゲーム(世界)で努力を重ねた所で、それはサーバーが停止すると同時に消滅する虚構(世界)の代物。それでも、それしか縋る物が無かったから、彼は狂う程にそれに執着する。

(我ながら、気持ち悪い奴だよなぁ……)

 揺さぶられる不快感を抱きながら、クロードはただ落ちくぼんだ眼孔の奥に光る狂気の光を見続けていた。

 

 

 

「こら、こんな所で寝たら風邪を引くだろう」

 ガクガクと揺さぶられたクロードは薄らと瞼を持ち上げ、夢の世界から脱した事を知った。

 自身の両肩を掴む女神の顔を見やってから、ややあって周囲を見回す。やや薄暗い廃教会の外周、崩れた屋根の残骸を撤去してそのまま放置され、雑草が繁茂している廃材の山の陰だ。

 昨晩の出来事を反芻していたクロードは、帰宅途中で中毒症状が発症して幻覚が見え始めた辺りで本拠に帰還する事を諦め、適当に薬を服用してから人攫い等に遭わぬ様に隠れられそうな所に身を捻じ込んで目を閉じた事を思い出した。

「あー……」

 昨日の内にいくつか薬を服用したおかげか、幻覚症状も幻聴も無い。気分こそ最悪だが体調は悪くない自身の体に触れると、クロードは不快そうな表情を隠しもせずに女神の両手を振り払った。

「オレとアンタの関係は、利害の一致のみ。慣れ合う必要は無いはずだろ」

「そうは言ってもだね、そんな所で寝てたらいくら恩恵があっても体調を崩すし……それに、キミは確かにボクの【ファミリア】には所属していない。けれどもボクが恩恵を授けた眷属(こども)に違いは無いんだから」

「はぁ……」

 どこか心配そうに覗き込んでくる恩恵を授けてくれた女神、ヘスティアの瞳を濁った瞳で見やったクロードは、これ見よがしな溜息を零して肩を竦める。

「はいはい、わぁーったよ。たく、今度からちゃんと宿に泊まりますとも、お気遣いドーモ」

「むぅ……」

 全く応える気の無いクロードの姿に女神は眉間を揉んだ。

 ヘスティアとクロードの出会いは、一ヶ月ほど前にまで遡る────

 

 


 

 

「うぇええっ! で、出て行ってくれだって!? いきなりどうしたんだいヘファイストスッ!?」

 その日、ヘスティアは何時も通りに柔らかなベッドに沈み込みながら本を読んでいた。そんな日常は額に青筋を浮かべた()友の登場で砕け散る。

「あら、聞こえなかったかしら────出て行って頂戴。地上に降りてから毎日毎日、ぐーたらしていて自立する気も無い様な女神の世話には疲れたわ」

「じ、自立する気ならあるさ! ただ、ちょっと……ちょ~っとだけ、ボクのお眼鏡に適う人間()が居ないだけさ!」

 必死に言い返すヘスティアに()友は眼帯に覆われていない片目を半眼にして呟く。

「いつもいつも、同じ事を言って……貴女の生活費、誰が出してると思っているのかしら?」

「ヘ、ヘファイストスじゃないのかい……?」

「違うわ」

「へ?」

「私の眷属(こども)達よ。あの子達が稼いでくれたお金よ。()友のよしみで面倒を見てあげていたけれど、もう限界だわ」

「そ、そんなぁ!?」

 どうにかしてこの生活を続けようと必死に縋るヘスティアに、完全に聞く耳を持たないヘファイストス。さも当然の成り行きで、このままでは無一文で放り出されてしまう。と青褪め始めた所で、扉をノックする音が響き渡った。

「おお、主神様よ。こんな所に居たのか」

 ずかずかと入ってきた人物に対し、ヘスティアが知っている事は身の丈170(セルチ)にも届く長身で、極東式の赤い袴と、上半身はさらしのみと、火に晒される鍛冶師であるにも関わらず肌を極端に露出している変人。極東出身のヒューマンと大陸のドワーフの間に生まれた『ハーフドワーフ』。

 そして神友(ヘファイストス)の【ファミリア】の団長である事。

「あら、椿じゃない。どうしたのかしら?」

「いんやぁ、ダンジョンで試し切りをしていたら拾い物をしてな」

「拾い物?」

 話の矛先が逸れて幸運だ、とヘスティアが椿に詰め寄る。あわよくばこのまま強制退去の話を有耶無耶にしようとする女神に対し、ヘファイストスが眉間を揉みながら椿に視線を向けた。

「うむ、これなんだが────」

 ずいっ、と差し出されたソレを見て二人の女神は目を見開いた。

 くすんだ銀色の髪には固まった血が付着している。衣類は煤けた色をしており、所々血に汚れ、切れ込みや焼け焦げ穴が空いている。手首に巻かれた紐の先には半ば程で圧し折れた煙管の残骸。腰には空っぽの鞘。

 意識は無いのか首根っこを掴まれた状態でぐったりとしている人物。

 背丈はどうみても115(セルチ)にすら届かない、幼い少女の冒険者だった。

「わわっ、ち、治療しないとっ!」

 服に染みている赤黒い血を見たヘスティアが大慌てで回復薬(ポーション)をヘファイストスにせがむ横で、鍛冶神はヘスティアを抑えて腰に手を当て、椿を見やった。

「落ち着きなさいヘスティア、既に治療済みよ。それよりも椿、その子がどうしたの?」

 椿曰く、20階層で試し切りの為のモンスターを探しているさ中に倒れているところを偶然見つけたとの事。

 それだけなら安全階層(セーフティーポイント)である18階層に送り届けてお終い、と言う話だったのだが。

「こやつ、恩恵を持ってないみたいなんだ」

「……何ですって?」

 恩恵が無い。そう言いながら椿が少女の背中を女神に見せる。

 背中を覆っていた筈の衣類はばっさりと斜めに裂かれており、多量の血が付着していたがそれよりも目を引いたのは彼女の真っ白な背中。神の恩恵が刻まれているならば最低限映されるはずの徽章(エンブレム)すらない。

「主神を失った……いや、それなら薄らとステイタスが見えるはず……」

 ぶつぶつと呟きながらヘファイストスが考え込む横から、ヘスティアが袖を引いて質問を飛ばした。

「なあ、ヘファイストス。恩恵が無いと何か問題なのかい?」

「……貴女ねぇ、人の話を聞いてたかしら?」

 本来、ダンジョンに挑むのであれば神の恩恵(ファルナ)を受けるのが常識。

 上層の力の弱い怪物ならまだしも、中層以下の怪物相手に恩恵無しで挑むのは命知らずの所業だ。そして、彼女が見つかったのは20階層。中層域だ。

「つまり、彼女は恩恵も無しに20階層まで行ったのかい?」

「さあね、他の冒険者に連れて行ってもらったとかも有り得なくはないけど……」

 どのみち、彼女の素性がわからない以上どうにもならない。とヘファイストスが眉間を揉んだ。

「……というか、ギルドに差し出しておけば良かったでしょうに、どうして連れ帰ってきたのかしら?」

「うむ、それなんだがな────これを見てくれ」

 少女を担いだ椿は、腰から小ぶりの剣を取り出して主神に差し出した。それを横から見ていたヘスティアには何が何だかよくわからないが、とにかく覗き込んでその剣を見やった。

「これは……?」

「…………凄いわね。何この剣」

「ヘファイストス?」

 その剣の刀身を見やった途端、ヘファイストスの瞳の色が変わる。神友を叱りに来た表情でも、眷属を前にした表情でも無く、鍛冶神としての表情でその剣をつぶさに見やる。

「…………誰の作品かしら。こんな剣を打つ子、私は知らないわ」

「何? 当てが外れたな……主神様ならわかるかと思ったのだが」

「何の話だい? 何の変哲もない剣にしか見えないけれど」

 横から無知なヘスティアが横槍を入れた事で、鍛冶神と鍛冶師の二人は互いに視線を交わすと肩を竦めた。

「まあ、鍛冶の事など知らぬ女神様にはわからんだろう。この剣の凄さが」

 鍛冶を極めんとする者なら気にならぬ等有り得ない。とすら言い切った椿は剣を主神に引き渡して口を開いた。

「と言う訳だ」

「……どういう訳なんだい?」

「はぁ……この剣の作成者が知りたい。心当たりが無いから私に聞いて、駄目ならその子から直接聞きたい、と……?」

「うむ」

 大業な仕草で頷く眷属の姿に主神が溜息を零した所で、呻き声が響いた。

「うぐっ……ぁ……」

 意識を取り戻したらしい少女が椿に担がれたまま身を捩りだす。それに気付いた椿がゆっくりと彼女をベッドに下ろす。血がベッドに付いたのをみたヘスティアが青褪める横で、ヘファイストスは「どうせ貴女が洗う訳じゃないから良いでしょう」と呟く中、少女がゆっくりと顔を上げた。

 灰色の瞳────否、本来は深紅の色を宿す所が、濁り切った事によって灰色に見える瞳だ。瞳の奥には元来の色らしい紅色が微かに見える。ともすれば灰山に燻る炎を思わせる色をしている。

 何処か焦点の合っていなかった少女の視点が、ぱっと定まると目を見開いて周囲を見回し始めた。

「────ッ!? 何処だ此処ッ!?」

「落ち着け。お前さんはダンジョンで倒れておったんだ。手前が助けたんだが覚えてないか?」

「は? ダンジョン……助け……? 他に生きてる奴が居たのか? じゃあ、此処は……街は全部潰れたはずだが? ギルド拠点(ハウス)か?」

 意識を取り戻した彼女は矢継ぎ早に質問を飛ばし続け、暫くすると顔を覆って笑いだした。

「くはっ、なんだこりゃ。悪い夢か? おいおい、もしかして死んだのか?」

「ふむ、何を言っておるのか知らんし興味も無いが。それよりもこの剣の作成者を────」

「椿、ちょっと今は止めなさい」

 暫くの間放心状態でヘスティアのベッドを血塗れにしてくれた彼女は、その後ヘファイストスに連れられて別室へと行った。

 それから数日後、ヘファイストスと策謀した彼女によって住み慣れた部屋から連れ出され、なし崩し的に恩恵を授る事となる。

 

 


 

 

(────ボク、クロード君の事、何も知らないな)

 彼女はヘスティアとの間に結んだ契約────恩恵を授ける代わりに、一定のお金をヘスティアに納める────事については欠かさずに履行している。それ以外については何を話そうとしても煙に巻かれて話し合う機会は訪れなかった。

 口調が荒く無愛想な部分はあれど、決して悪い子ではない。というのはヘスティアにも理解できるが、逆に言えばそれ以上は知らない。

『ああ? オレの事を知りたいだぁ? その前に【ファミリア】の団員探しでもしろよ。オレの事を知るよりそっちの方が建設的だろ?』

『ほら、今週分の金だ……は? 金は良いから代わりにオレの事を? なあ、無駄遣いして食事代削ってる女神が何言ってんだよ』

『腹空かせてんだろ。飯ぐらい食っとけよ、ほれこれでも食え』

『煙管が好きなのかって? さぁな、無いと落ち着かねェし、癖だよ癖、それ以外の何でもねェ』

 過去に投げ返された言葉を思い返しながら、妙なところで寝ていた眷属が大きく伸びをしていたヘスティアは、ふと周囲を見回して首を傾げた。

「所で、ベル君は何処だい? 一緒に居たんだろう?」

 つい昨日、初めての自身の【ファミリア】の眷属()が何処とも知れぬ馬の骨の影響を受けた事にへそを曲げ、バイトの飲み会へと顔を出していたヘスティアは、帰った際にがらんとした静けさに満ちた本拠(ホーム)を見て憤慨した。

 きっと、クロード君が良からぬ店にベル君を連れて行ったんだ、とぷんぷんと怒ってからふて寝する為にベッドに潜り込み、十時、十一時、十二時、と時間が経てど帰らぬ二人にいよいよ怒りよりも危機感が勝った。

 片や自由奔放で気ままに紫煙を燻らせる少女。片や純粋で真っ直ぐな少年。

 少女の方は自身の事に構うな、とうっとうし気にヘスティアを煙に巻くがそれでも大事な子という事に変わりはない。

 昨晩、ベルにきつい事を言ってしまった所為で愛想を尽かされたのか。それともベルを慰める為にクロードが一肌脱いでいるのか。────後者については絶対に無いが。

 流石に心配になった彼女は、飛び起きて近隣を探しに行っていた。目立つ白髪も、くすんだ銀髪もどちらも見つけられず、一縷の望みをかけて廃教会へと戻ってきた彼女が見たのは入口横の廃材の陰の所で足を投げ出して眠っているクロードだった。

 ただ、白髪の少年の姿は見えない。だからこそ、ヘスティアは事情を知っていそうなクロードにそれとなく訊ねてみた。

 その問いかけに、クロードは眉間に深々と皺を寄せると服に付いていた虫を摘まみとって投げ捨てながら呟く。

「さぁ? 死んだんじゃネ?」

 何処かおどけた様子の彼女の姿にヘスティアが不審そうな表情を浮かべる。

「一応、恩恵を授けた子が生きてるのか死んでるのかぐらいはわかるから、ベル君が生きてるのはわかるんだけど……何かあったのかい?」

 昨日、ヘスティアがかなり冷たい態度でベルとわかれてしまった事をほんのりと後悔しはじめた所で、クロードは僅かに目を見開いて驚き、小声で呟く。

「恩恵授けてると生死がわかるのか……面倒臭ェな

「うん? クロード君?」

「あー、はいはい。ベル君な、ベル君……帰ってねェのか?」

「ああ、そうなんだ」

 ヘスティアの言葉を聞いたクロードが、面倒臭そうに頭をガシガシと掻き、吐き捨てる。

「護身用のナイフ一本、防具無しで夜のダンジョンに行った。帰ってきてねェって事はマジで死んだんじゃね、とオレは思ってるがね」

「────な、なんだって!?」

 少女が吐き捨てた台詞を聞いた女神は、自身の子が無謀な事をしでかした事に気付いて青褪める。

 いくら恩恵を受けているとはいえ、駆け出しも駆け出しな少年が防具も無しで迷宮に潜る。自殺行為に他ならない、浅慮、愚行、どんな言葉を重ねても足りない様な愚かな行為だ。

「な、なんで止めなかったんだい!?」

「あァ? 止めて聞くタマじゃねェだろ」

 そもそも、止められた程度で止まるならダンジョンの入口で怖気づいて引き返す。それが出来ない程に頭に血が上っているのなら────

「オレじゃあ止めらんねェ。オレって非力だし」 

「じゃ、じゃあせめて迎えに……」

 言いかけた所でヘスティアは慌てて口を塞いだ。

 護身用の武器だけで防具も無く迷宮に足を運ぶことがどれほど無謀な事か。当然、クロードも護身用の武器はあれど防具は外していたはずだろう。それでも追え、等とは口が裂けても言えなかった。

「ごめん、じゃあ今からで良いからベル君を探すのを手伝ってくれないかな」

「はぁ~、だっる。今月の支払いから天引きで良いか?」

 面倒臭そうに服の裾を払ったクロードが欠伸を零して捜索に加わる事を決め、一度準備にと地下室に向かおうとした、その時。

「神様……? クローズさんも、何、してるんですか?」

 細道からふらふらとした足取りの少年が姿を現した。僅かに驚いた表情をしながらも、今にも倒れそうな彼は鈍重な足取りで二人へと歩み寄ろうとする。

「ベル君ッ!? その怪我は……キミは何て無茶を、そんな恰好で夜通しダンジョンに潜るなんて!」

「……はぇー、死んでなかったのか」

 女神は血相を変えてベルに駆け寄り、彼の傷の具合を見て息を呑んだ。

 上半身の質素な薄い私服は破れ、肌は青黒く変色している。更に酷いのは下半身、跳ね上げた泥で完全に変色しているパンツは裾がボロボロで、何より目につくのは右膝の部分に刻まれた三本線の裂傷。まるで爪で切られた様なそれは、間違いなく迷宮の怪物にやられたものだろう。

「……どうしてそんな無茶をしたんだい? そんな自暴自棄みたいなまね、君らしくないじゃないか」

「…………」

 暗い雰囲気の少年を叱る気を失った女神が諭す様な声音で問いかける。しかし、ベルは口を開かなかった。

 その横で、クックック、とクロードが肩を揺らして笑う。

「自分の口で言うのは辛ェよな。オレが代わりに全部ぶっちゃけてやろうか?」

「ッ……!」

 揶揄う様な言葉を放つ少女を、少年が射殺さんばかりに睨んだ。口にせずとも、あの話はするな、と目が雄弁に語っている。

 そんな瞳に見つめられたクロードは肩を竦め、煙管に火を入れて一息吸ってから口を開く。

「好きになった女の前で侮辱されちまったんだよなァ?」

「クローズさん、黙ってください」

 一部を暴露された少年が鋭くクロードを睨み付けて唸る様に呟く。

「おいおい、怒ってんのか? 悔しいのかよ。呆れてモノも言えなくなっちまうじゃねェか!」

「クローズさん……!」

 自然と、少年の手が腰の短刀に伸びる。それ以上口を開くなら、実力行使で黙らせる。と。

 疲労で朦朧とした意識の中、少年の触れられたくない逆鱗に無遠慮に触れ続けるクロードは鼻で嗤うと、煽る様な言葉を紫煙と共に吐き付けた。

「情けないよなァ。言い返す事も出来なくて、無謀な事してスゲェって言われたかったのか? オマエ、スゲェよ、本気(マジ)でスゲェよ。テメェみてぇな死にたがりの馬鹿野郎、他に居ねェよ!」

「…………ッッッ!!」

「駄目だベル君!」

 制止する女神を振り切り、負傷した片足を庇いながら少年が掴みかかる。

 流石に短刀を抜く様な愚行はしない。しかしそれでも煽る少女を黙らせんと突撃を仕掛けた。

「がっ!?」

「はい、一発~」

「ベル君!?」

 突き出された腕に対し自身から内側へと入り込む事で回避するのとほぼ同時、顎下目掛けて放たれた小さな拳が少年の顎を打ち上げる。

 夜通し戦闘し続け限界を迎えていた体に、止めとも言える一撃が加えられガクンッと姿勢が崩れた。其処に、クロードは容赦なく追撃を加える。

 倒れてくる少年の腹に膝を叩き込み、少年の体がくの字に折れ、肺腑の中身を一気に吐き出さされる。

「げほっ、ぐっ、ごほっごほっ」

「ふぅ、ほらどうしたよ、立たねェのか?」

 無くなった空気を求めて息を吸おうともがく少年の顔目掛けて紫煙を吹きかけ、咽させたクロードは彼の白髪を掴もうと手を伸ばして。

「止めるんだ」

「…………」

 女神に制止されて動きを止めた。

 ぜぇぜぇ、と荒い息を吐く少年と、鋭く自身を睨む女神を見やり、クロードは肩を竦める。

「オレは要望通りに、女神様に詳細を教えただけだぜ? それでその小僧(ガキ)が勝手にキレて襲ってきたから返り討ちにした。他に何かあんのか?」

 自身は何も悪くない。そう言い捨てると、煙管に残った燃え残りの灰を振るい落として二人に背を向けた。

 朝靄がかかる裏路地に入る直前、振り返ったクロードは心配そうにヘスティアに支えられるベルの背に言葉を投げかける。

「お前が生きてんのは運が良かっただけだ。コレに懲りたら無茶なんてすんじゃねェぞ、勘違い野郎」

 新たに火を着けた煙管を吹かし、クロードは早朝の街へと姿を消した。




 新年あけましておめでとうございます。
 今年一年、更新頑張っていきます。

 もう幸先の悪い出だしに作者の胃痛がヤバい。
 奇をてらう様な展開にしようかな、と色々とキチガイ染みた行動をとらせてますが、滑りそうですね。滑りますね。確実に。

 オリ主なりにベル君に無茶すんなよーって伝えて…………。
 煽る必要割と無いですね。


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第七話

 小さな手が『Closed』と札がかかっている扉を無遠慮に開ける。

 カランカランと鳴り響くドアベルの音を聞きながらクロードは『豊穣の女主人』の扉を潜った。

「申し訳ありません、お客様。当店はまだ準備中です。時間を改めて起こしに……」

「まだミャー達の店はやってニャいのニャ!」

 店内でテーブルクロスをかけていた二人の店員が即座に反応して彼女の姿を視認し、一瞬目をぱちくりさせると納得した様に小さく吐息を零した。

 眉目秀麗なエルフ、天真爛漫な猫人(キャットピープル)。絵に書いた様な美の付く少女達は慣れた様に肩を竦める。

「ニャんだ、クロードじゃニャいか。クロエに何か用ニャ?」

「クローズさんですが。本日はどういったご用件でしょうか。クロエならルノアと買い出しで居ませんが」

 クロードはくすんだ銀髪を搔き上げながら半眼で声をかけてきた二人を見やって溜息を零す。

「お前等がオレに抱いてる印象ってどうなんだよ。なんで真っ先にクロエの名前が出てくんだよ。あの毛並みも腹も真っ黒な奴には用はねェよ。今日は」

「ニャに? クロエに用の無いクロードはクロードじゃニャいニャ!」

 クロードが散々の言い草で肩を竦めると天真爛漫な店員は盛大に驚いた表情を浮かべて大袈裟に驚きだす。

「貴方は黙っていてください」

「ぶニャ!?」

「失礼しました。でしたらどのようなご用件でしょうか?」

 恩恵を受けて五感等も強化されているはずの冒険者ですら視認できない速度で猫人を沈黙させた長い耳を持つウェイトレスの姿に動じる事もなく、クロードは懐からヴァリスの詰まった袋を取り出し揺らす。

「ミア母ちゃん呼んでくれ」

「……ツケですか」

「ツケだよ」

 昨日の奴だ、と面倒臭そうに答えた少女を見下ろし、エルフの店員が目を見開いて驚愕の表情を浮かべた。

「まさか、貴女が払いに来るとは……」

「おい、オレの事なんだと思ってんだ」

「いえ、てっきりあの白髪の少年に支払わせるのかと」

 店員が抱く自身に対する印象が最悪だと言う現実に、不愉快な表情を隠しもせずにクロードは彼女を追い払う様に手をひらひらと振った。

「ああ、もう良い。さっさとミア母ちゃん出せ」

「畏まりました。少しお待ちください」

 獣人の少女の襟首を掴んでズルズルと引き摺って奥へと消えていくエルフの少女。その背を見ていたクロードは手持無沙汰に煙管を咥えて揺らす。

 クロードが火どころか刻み煙草すら入っていない煙管を咥えたまま、窓から差し込む陽光に目を細めていると。

「クロード、アンタが払いに来るなんてね。珍しくリューがおかしな冗談を言ってるのかと疑ったけど、違うみたいだね」

 ぬぅ、とカウンターバーの奥の扉を開けて出てきた女将が開口一番に冗談を零す。その冗談を聞いたクロードは無言で懐から刻み煙草を納めた小箱を取り出して少量の刻み煙草を取り出し、火皿に押し込んだ。

「なあ、アンタらの店での俺に対する評価が酷過ぎて一服してェんだが」

「もし火を着けてみな。アタシの得物(スコップ)が轟き叫ぶよ」

 ドワーフの中でも一層大きい、小人族のクロードからすれば巨人と呼んでも差し支えない程の背丈のある女将の脅しの言葉に、銀髪を指に絡めたクロードは苦々し気に咥えた煙管を静かに口元から離すと、腰のポーチに納めた。

「はぁ、くっそ。イライラするわ」

「煙草を止めたら良いのさ。それより支払いだったね。アンタ、金なんかあったのかい?」

「あ? ねェよ。仕方ねェから幾つか煙草を卸してやったんだよ」

 昨日の今日で支払いの用意が出来なかった為、いくつか独自に調合していた煙草を商店に卸したのだ。無論、正規品ではない事もあり、商店側もクロード側も見つかれば罰則(ペナルティ)を科される事となるだろう。

「……アンタ、禁制品を売りさばいてるとギルドに取っ捕まるよ」

「禁制品じゃねェって、ちょっとした香味(フレーバー)だよ。死ぬほど癖になる、ね」

 冗談めかしながらヴァリスの詰まった袋を差し出す少女を見下ろし、女将は呆れの視線をぶつけながらもその袋を受け取らずに首を横に振った。

「いらないよ」

「はァ? おいおい、そりゃどういう意味だ? もしかしてタダ飯食わせてくれんのかよ」

 最高だなァ、今日もたらふく飲み食いさせてくれんのか、と喜色を浮かべたクロードは、次に放たれた女将の言葉に口を閉ざした。

「────アンタ達の飲み食い分は【ロキ・ファミリア】がもう支払ってくれたよ」

 ミアは黙り込んだ小人の眼前にたっぷりと多めのヴァリスが詰まった袋をカウンター裏から取り出して差し出した。

 少女の差し出すなけなしのヴァリス袋がちっぽけに見える程に多量の硬貨(ヴァリス)の詰まったソレを見て、暫くしてクロードは絞り出す様に呟いた。

「……アァ?」

 怒気を含む返事に、女将は「そりゃそうなるだろうね」と肩を竦める。

「そりゃァ、どういう意味だ?」

「あの場では拒否したみたいだけどね。それでは申し訳ないって事で勝手に支払っていったよ。伝言も頼まれててね、損失した武具の費用は自分達に請求してくれ、だとさ」

「………………」

 澱み切り、瞳孔が開き切った少女の目を真っ直ぐから見下ろしてたミアは溜息を飲み込んだ。

 件の【ファミリア】の言い分もわからなくはない。しかしクロードの性格を知るミアに言わせれば悪手も悪手。

 普通の冒険者なら大派閥が「損失を補う」等と口にしたのであれば真っ先に跳び付いて吸い尽くせるだけ吸い尽くそうとするだろう。だが、残念な事にクロードの場合はそうはならない。

「……ンのクソ派閥。ふざけやがって」

 眉間に青筋浮かべた彼女は震える手で【ロキ・ファミリア】が置いて行った金を女将の手から引っ手繰ると、代わりに自身の持っていた小袋を投げ渡す。

「足りんだろ」

「……ああ、十分だね」

 中身を検めて飲み食い分の金額がしっかりと入っているのを確認したミアの返事を聞くと、クロードはずっしりと重いヴァリスの袋を指し示し、眉間に青筋を浮かべたまま問いかける。

「んで、これは一ヴァリスたりとも触ってネェんだろ?」

「ああ、受け取った時のまま。手は付けて無いよ」

「オッケー」

 腰のポーチから煙管を取り出したクロードは、ミアに断りを入れる事なく火を入れて紫煙を燻らす。女将が僅かに眉を顰めるのを見やりながらも、彼女は獰猛に裂けた様な笑みを浮かべて問うた。

「【ロキ・ファミリア(クソ派閥)】って、何処行きゃ会えるンだ?」

 

 


 

 

 都市北部、北の目抜き通りから外れた街路沿いにクロードが目指すべき建物はある。

 周辺の建物に比べて群を抜いて高い建造物群。

 赤銅色の高層の塔が槍衾の様に密集し、まるで燃え上がる炎にも見える非常に特徴的な外観を持つ建物。最も高い中央塔の先端には『道化師(トリックスター)』の旗が立ち、陽光を浴びてその存在を知らしめていた。

 その名も『黄昏(たそがれ)の館』。

 所有しているのは、『道化師(トリックスター)』『巨人殺し』等、いくつもの異名を持つ【ロキ・ファミリア】だ。

 数多くの第一級冒険者を率いる、都市有数の強豪派閥。

 そんな派閥の本拠(ホーム)の前、モクモクと過剰に紫煙を燻らせた銀髪の少女がゆらゆらと真っ直ぐ歩んでいた。

 足取りはふらふらと安定せず、瞳孔の開き切った瞳が乱れた髪の隙間から覗く。美しい筈の銀髪は紫煙にくすんで色褪せて見える。幽鬼の様な足取りでクロードはその館の街路沿いに面する門の前に立った。

「ここかァ……」

 ケタケタと肩を揺らして彼女が嗤っていると、声をかける者が居た。

「我々の【ファミリア】に、何か用か?」

 閉じられた門の左右、男女の団員、門兵の片方がクロードに問いかけたのだ。

「ア? あ、ァ?」

 声をかけられ、ようやくその存在に気付いたクロードは手にした煙管を咥えて紫煙で肺を満たして気分を落ち着けてから、その門兵を見上げた。

「ああ、テメェ、何処の【ファミリア】だ?」

「……何?」

 明らかに常識を逸した様子の少女の姿に門兵があからさまに表情を曇らせる。紫煙を燻らせているのもそうだが、傍から見れば完全に薬物中毒に陥った異常者そのもの。

 そんな小人族の少女が袋を背負って【ファミリア】の本拠(ホーム)前に現れたのだ。しかも都市内で知らぬ者が居ない【ロキ・ファミリア】の本拠前で門兵をしている団員に対し、何処の派閥だ、等とズレた質問まで飛ばす始末。

「はぁ、中毒者か。『ダイダロス通り』ならあっちだぞ。此処は【ロキ・ファミリア】の本拠(ホーム)だ」

 貧民街として機能している『ダイダロス通り』の方を指差して示しつつ、小人族の少女に門兵の男性は表情を険しくしていた。

 【ロキ・ファミリア】はいくつもの派閥から目の上のたん瘤として疎まれている。直接的な危害を加える真似をする派閥こそないが、嫌がらせ等は稀に良くある。故に、目の前の少女も同じ様にロキ派閥の活躍を妬んだ者だろう、と警戒しているのだ。

 対するクロードは目を見開き、口元をニィッと釣り上げると背負っていた袋を門兵に差し出した。

「これ、返しに来た」

「……何?」

「テメェらが勝手に置いて行った荷物だよ。邪魔だからさっさと受け取れ、此処まで運んできてやったんだ、泣いて喜んで床でも舐めろよクソ派閥」

 敵意剥き出しで言い放たれた言葉に門兵は一瞬で警戒心を引き上げ、飛び退いて距離を取るのと同時に護身用の武器に手を伸ばす。少し離れた位置で様子を伺っていたもう一人の女性門兵も同様に武器に手を伸ばしていた。

 それを見たクロードは煙管を吸って顔を伏せ、紫煙を吐き捨てると顔を上げた。

「オイ、そりゃァ、どういう意味だ? まさかわざわざ荷物返しに来てヤッたってのに、武器を向ける気かヨ」

 こりゃァ、傑作、ケッサクだ。とクロードは差し出していた袋を背負い直し、煙管の吸い口をガリィッと噛んだ。

「今すぐ、テメェらの主神か団長を出せ。意味も理解出来ねェ下っ端じゃァ、ちっとも話になんネェ」

 澱んだ目で二人を見据え、クロードが苛立たし気に呟き、対する門兵は警戒しながらも問う。

「何処の【ファミリア】の者だ」

「あァ? 【ファミリア】になんぞ所属してねェよ」

 無所属、そう聞いた門兵があからさまに警戒を引き上げた。遂には男性団員は護身用の剣を鞘から抜き放つ。

 所属先を答える気の無い返答、明らかに挑発している。と受け取った彼の反応に間違いは無いだろう。

 残念な事に彼女の答えに嘘は無い。無いのだが喧嘩腰の態度に問題がある。しかし、クロードはそれを正す気なんぞ微塵も無く、剣を抜いた団員を見ると口を真一文字に引き結んだ。

 つい先ほどまで浮かべていた敵意が一瞬で消え去り、瞳孔の開き切った瞳で向けられた剣の切っ先を捉える。

「……怖気づいたか?」

 勢いや気概が衰えた事に気付いた団員の一言に、クロードは大袋を地面に落とす。ジャラリッと硬質な金属が擦れ合う音が響いた事に団員が眉を顰める間にも、

 小さく首を傾げたクロードは燃え残った煙草と灰を捨て、新たに取り出した刻み煙草を煙管に詰め始める。

 突然の行動に警戒し、間合いを計る為に男性団員がすり足で距離を取りつつもう一人の女性団員に異常を知らせる様に声も無くアイコンタクトで告げる。

 彼女が現れてから既に数分は経っているし、異常に気付いた何人かが既に団長たちに知らせている事だろうが、一応と言う事で女性団員が本拠に駆けていく。

 その間に、ふぅ、と少女が大きく紫煙を立ち昇らせた。その視線は変わらずに剣の切っ先に向けられたままで、腰の剣に手を伸ばす気配も無い。

「どういう積りだ」

「オレはなァ……ただ、()()()()()だけなんだよなァ」

 足元に落とした袋に少女が視線を向ける。自然と、相対していた男性団員もそれに気を取られ────瞬間、少女の足がその袋を蹴り上げた。

「なっ、これ────」

 慌てて防御姿勢をとる彼は見た。恩恵の無い者が放ったとは思えない威力をもって天高く蹴り上げられた袋が弾け、中身をぶちまける光景を。

 金額としては一〇〇〇〇〇ヴァリスに届きうる様な量の硬貨。陽光によってギラギラと輝き目を晦ませたのも一瞬。直ぐに重力に囚われたその硬貨は大地へと降り注ぐ。

 目を晦まされた男性団員が目を腕で庇う間に、頭上から降り注ぐ多量の硬貨の雨が体を打つ。一つ一つは大した威力は無く、冒険者からすれば特に問題はない、はずの奇襲。

 それは一瞬で石畳の大地へと降り注ぎ、鼓膜を揺さぶり聴覚を潰した。ジャラジャラジャラ、と過剰な音で耳を潰された彼が今度は耳を塞ごうとして────目の前に迫った少女の姿を見つけた。

「────ッ!?」

 驚愕もつかの間、少女は一気に紫煙を男性団員の顔に吹き付ける。

 その奇襲に対し彼は顔に吹き付けられる煙に慌てる事無く、迫った少女に剣を差し向けた。

 伊達に最強派閥に所属している訳ではない。彼もLv.2に到達している冒険者。この程度ならば捌ける、と少女を打ち払わんとして、動きが鈍る。

「な、ァッ!?」

 一瞬で体に纏わりつく倦怠感と疲労感。振るおうとした剣の軌跡は滅茶苦茶になり、少女がほんの少し身を反らしただけで空を切った。男性団員の体の自由が利かなくなる、処か視界がぐにゃりと歪み平衡感覚が狂いだす。

 膝を突いて乱れた呼吸を整えようとする男性団員を見下ろし、散らばったヴァリス硬貨を見やりながらクロードは肩を竦めた。

「文字通り、金に目が眩む様な門番ってどうなんだ? なァ、フィン・ディムナ様よォ?」

 挑発気味に声をかけた先は門の奥、館から駆けてきたフィン・ディムナだ。彼の背後には数人の団員。全員が武装し抜き身の武器を手にして敵意を漲らせている。

 事情を知らない団員達が殺気立つ。事情を知っている者達も団長達の厚意であった食事代を用立てた事に対し、喧嘩を売る様な形で()()に来た事に良い顔はしない。

 敵意を剥き出しに少女を睨む彼らに、団長のフィンは手で控える様に指示を出す。

 周囲を見回した金髪の団長は、深く溜息を吐いて膝を突く男性団員を見やってからくすんだ銀髪の少女に視線を向けた。

「これは、どういう状況か教えて貰えるかな。それと、彼に何をしたのかも教えてくれると助かる」

「あァ? 見りゃわかんだろ。金返しに来てやったら、テメェの教育が行き届いてネェ下っ端が先走って剣抜きやがったから鎮圧してやったんだよ」

 街路に散らばったヴァリス硬貨に膝を突く門兵の団員。その中央でケタケタと嗤うクロードが煙管に残った灰を捨て、フィンを鋭く睨み付けた。

「勝手に金払って、ソレで貸しを作った積りかァ? 随分と身勝手な事しやがってまァ? ンだよ、そんなに宴を滅茶苦茶にされたのが気に食わなかったカ?」

「……そういう積りは無かったんだけれどね。素直に受け取って貰えればそれで済んだ話だと思うよ」

 あの場で受け取らなかったとはいえ、後から請求されても困る。と【ロキ・ファミリア】が気を利かせた結果、それが裏目に出て襲撃紛いな事をされるとは思うはずもない。

「アァ? おいおい、ウケるー。メッチャウケるわ。(はらわた)捩れて死にそうだ」

 ケタケタと腹を抱えて嗤い、わざわざ下から見上げる様にフィンを睨み付けて呟く。

「そこの門兵(クズ)()()()()()()()()()()()()それで()()()()だロ?」

 少女の皮肉に、フィンが笑みを浮かべる。端的に言えば、相当『イイ性格』をしている彼女の相手に疲れたのだ。

 対するクロードの方は悪びれた様子は微塵も無く、ただ口元を歪めて告げる。

「オレは言ったはずだ。必要無い、ってなァ?」

 勝手な事してんじゃねェ、クソ勇者様ァ。等と煽ると煙管を吹かして足元に散らばる硬貨を示した。

「コレは返す。せいぜい這い蹲って集めろヨ」

 言いたい放題、やりたい放題やりつくした彼女がそのまま何事も無かった様に去ろうとした所で、気付く。

 振り返った先、街路を塞ぐ様に【ロキ・ファミリア】の団員が展開している。ちらり、と肩越しにフィンを見たクロードは肩を竦めた。

「返すモンは返したゼ? その転がってんのは暫くすりゃあ元通りだ。んで、他に何か用かよ。オレは今からダンジョンに行かなきゃいけねェんだけど?」

「捻くれてるのはわかった。出来れば穏便に済ませてくれないものかな?」

「穏便にぃ?」

 取り囲んで逃げられない様に包囲しながら穏便もクソもあるか、と少女が吐き捨て、散らばる硬貨の一つを爪先で蹴り上げ、掴み取った。

「んで、なんだよ」

「前は聞けなかったからね。所属派閥と主神の名を教えてくれないかな」

 此処まで事を大きくした冒険者に対してこれ以上話しても意味が無い。これは主神同士で話し合いをする必要がある、とフィンが所属派閥を問う。

 対するクロードは面倒臭そうに頭を掻くと、ピンッ、と硬貨を弾いて真上に飛ばした。

 数人がそのヴァリス硬貨の行方を視線で追うも、フィンは真っ直ぐにクロードを見据えたまま視線を外す事はない。

 この隙を突いて逃げる気か、と警戒心を強める彼らを他所に、落ちてきた硬貨を手の甲で器用に受け止めた彼女はそれを見て呟く。

「さっきも答えたっての。裏、か……無所属だよ」

「……無所属?」

「あァ、嘘じゃねェよ」

 【ファミリア】には所属していない。その言葉を聞いた【ロキ・ファミリア】の面々はあからさまに嘘だと、フィンが止めていなければ直ぐにでも彼女を黙らせていたであろう程に殺気立つ。

「嘘、ではなさそうだね」

「嘘なんか吐いてねェよ」

「じゃあ、キミが恩恵を受けている神の名を教えてくれないかい」

 二度目の質問に対し、クロードは再度硬貨を弾きあげる。その行動に何の意味があるのか、と見つめられながら、同じように硬貨を手の甲で受け止めて確認し、少女は肩を竦めた。

「表だな。じゃあ教えねェ」

「──────」

 少女の放った言葉に、団員達も察した。解答するか否かを『コイントス』で決めている、と。

「ふざけてるのかい?」

「はっはっは、ふざけて無きゃこんな事しねェよ」

 真面目に答える気なんぞ無い、そう断言して硬貨を構えたクロードは告げる。

「後一回、運が良けれりゃ答えてやる。これ以上拘束するってんなら、暴れてやる」

 ま、万に一つも勝てないだろうけどな、と自身が敗北する事を見越した上で挑発するクロードに対し、フィンは深い溜息を零した。

「はぁ、キミの名前を教えてくれないかな。これが最後の質問だ」

「アァ……?」

 もう疲れたとでも言いたげなフィンの言葉にクロードはコインを弾いた。

 

 


 

 

「クロード・クローズ、ね」

「団長、良かったんですか?」

「相手にするだけ無駄だよ。他の子にも伝えてくれ、彼女には関わらない様に、って」

 嵐が過ぎ去った後の『黄昏の館』。

 唐突に現れて騒ぎを起こすだけ起こし、そして去っていった少女に対する【ファミリア】の対応を指示していたフィンは団員が出て行ったのを見送り、眉間を揉んだ。

「ああ、捻くれ者の相手は大変だね」

「せやなー。ひっどい性格の子やったな」

 ケラケラと軽い笑いを零す主神の顔を見やったフィンは、小さく溜息を零す。

「まさかあそこまで捻くれてるとはね。あの場では随分と酔っていた様子だったから、酔いが覚めたら改めて文句を言いに来るかも、と思っていたんだけれど」

「まさか、代わりに払ったったらガチギレされる。なんてウチにも予想できんわ」

 あんまりにも予想外過ぎて空中廊下から見下ろして爆笑していた。と零すロキの姿にフィンは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

 笑い種にされた本人がその場に居て、連れだった少女から強烈な皮肉をぶつけられて【ファミリア】の恥を大きく晒す羽目になった挙句。謝罪を受け入れて貰えなかった事。

 これに関しては酒に酔っていた勢いの可能性が高い。故に、後から冷静になってみれば、と考え直した相手が請求してくる可能性を考えて────結果、余計な事するな、とブチギレた訳だが。

「相手に落ち度が無いのがまた、ね」

「まあ、態度はすこぶる悪いし、ウチの【ファミリア】に泥塗られたんは思う所はあるけどなー。言っとる事は正論やし」

 『冒険者は自己責任』『ダンジョンに潜る以上、何にせよ自業自得』というのは冒険者の暗黙の了解だ。

 彼女の言い分はほぼ正論。それを加害者が振り回せば暴論ではあるが、被害者側の彼女が口にする分には正論として通ってしまう。

「に、しても随分と無関心な子やったなぁ」

 最低限の矜持はあるが、無気力無関心。そのくせ皮肉だけは一丁前。

 もしこの場で自分達が彼女を取り押さえた所で、彼女は応えないだろう。というのがフィンには理解できた。興味が無いのだ、それなのに矜持は持っており、それが傷付いた時は動く。

 周囲との軋轢に視線を向けない。完全な問題児(トラブルメーカー)。何処か仲間内に居る狼人(ウェアウルフ)の青年に似ながらも、根本的な部分で異なる。

 そんな人物だった。

「ま、あの娘が無所属だったのはある意味助かったかな」

「それどころか、神が動くのも止めるって言っとったな」

 無所属でなおかつ、恩恵を授けた神にも文句は言わせない。と彼女自身が言い切った。

 自身を山車にして派閥抗争なんぞ起こすなんてされれば恩恵を授けた神だろうが見限る。と。

 面倒事は大嫌い。面倒見ていた後輩が【ファミリア】に所属はしているが、ソイツが文句を言う場合も主神共々自身がなんとかする。とクロードは断言した。

 彼女が何を思ってそんな行動をしているのかはは今の所は不明だが。それ以上にフィンとロキは気にしている点があった。

「……それで、彼女が扱っていたであろう魔法またはスキルについてだけど」

「《耐異常》を持っとらんとはいえLv.2を行動不能にする……か~。呪詛(カース)では無さそうなんが厄介やな」

 動きのキレや速度からLv.1であるはずの少女が、格上のLv.2の冒険者を行動不能に陥らせた。その事に関して本人の話を聞いてもピンとこない。

「あの煙、ってのはないやろな」

「彼女が自身で吸引している煙に毒物、っていうのは考え辛いね」

 冒険者すら麻痺させる毒が無い訳ではない。しかし、彼女はそれを自身で吸っているのだ。予め解毒剤を服用していた、とも思えるが。

「無いだろうね。あの場に残った煙にそういった麻痺毒があるならLv.1の団員が痺れてもおかしくはないし。やはり魔法かスキルだろう」

「はぁ~……なあ、フィン」

「なんだい、ロキ」

 間延びした様なロキの言葉にほんの少し嫌な予感を感じながらも、フィンは主神を見やった。

「あの子、勧誘してもええ?」

「……今は止めておくべきだと思う」

 少なくとも、今は【ロキ・ファミリア】の団員達からの彼女への心情は最悪。

 同時に彼女から【ロキ・ファミリア】への心情も最悪。

 この状況で勧誘なんぞすれば、万が一にでも所属する事になった際に軋轢が酷い事になる。

「えー、あの子面白いやん。ちょいとけむいのが難点やけど、可愛えしなー。駄目ぇ?」

「できれば止めて欲しいね」




 よし、超絶捻くれキャラとして動かそう。最初はツンツンネジネジだけど好感度を稼げば少しだけ素直になってくれる……ヤクデレ? 中毒デレ?

 一応、オリ主の背景としては、前世で優秀な兄達に囲まれた才能の無い末っ子。って感じにしようかなと思ってます。
 才能の無さを嘆きはすれど、兄達を恨んではいない子。


 えっと、この後に『怪物祭(モンスターフィリア)』でしょう? 『シルバーバック』とのたた……かう?
 フレイヤ様がどう動くか、ですかねぇ。

 もしくは別箇所で怪物退治に奔走してもよさそう。手伝ったから金クレってせびる感じで。
 金が無きゃ武器も煙草も買えないんですよ……。


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第八話

 闇の緞帳がおりるのを阻む煌々とした魔石灯の明かりに満ちた都市。

 夜を迎えてなお、喧騒途絶えぬ世界で唯一の迷宮都市、オラリオ。

 点々数多の光をちりばめる都市の中でも、ソレはとりわけ異彩を放っていた。むしろ奇怪極まっていた。

 白い塀に囲まれただけのだだっ広い敷地の中、胡坐をかいてデンと座る象の頭を持つ巨人像。

 宵闇を拒む様にライトアップされたその像の大きさは三〇Мは下らない。威風堂々と胸を張るその像を見た者に少し変わった感情を抱かせる事で有名であった。

 誰しもが一度は驚愕するであろう事実だろうが、この像は立派な建造物なのである。

 浅黒い肌に引き締まった肉体を持つイケメンの神ガネーシャが、これまで貯めていた【ファミリア】の資産を投じて建造した巨大施設。

 【ガネーシャ・ファミリア】の本拠(ホーム)、『アイアムガネーシャ』である。

 なお構成員の間では大変不評らしく、彼等は泣く泣くこの建造物に出入りしているそうな。ちなみに、入り口は像の股間部分である。

『ガネーシャさん何やってんすか』

『ガネーシャさんマジパネェっす』

 貴族然とした正装に身を包んだ人並み外れた美丈夫達、人ではない神達が笑いながら股間を潜っていく。本日開かれているガネーシャ主催の『神の宴』の来賓たちだ。

 神の気紛れさを示す様に、『神の宴』に決められた主催者、日程等は存在しない。宴をしたいと思った神が招集をかけ、参加したい者だけが参加するといった代物だ。

「本日はよく集まってくれた皆の者! 俺がガネーシャである! 今回の宴もこれほどの同郷者に出席して頂きガネーシャ超感激! 愛してるぞお前達! さて積もる話もあるが、今年も例年通り三日後にフィリア祭を────」

 外観とは裏腹に、落ち着いた雰囲気の内装の大広間。

 設けられた壇上(ステージ)の上で像のモデルとなった人物、ガネーシャが馬鹿でかい肉声で挨拶を行っていた。周囲の神々はいつもの事の様に聞き流し、雑談に興じている。

 立食パーティーの形式をとられた会場には、純白の被覆布(テーブルクロス)がかけられた元卓には色取り取りの料理が置かれている。靴音が頻りに響く大広間には忙しなく動き回る給仕に加えて、壁際には楽隊が待機している姿も見える。

 人で溢れんばかりとなっている会場には都市内に居を構える殆どの神達が集っていた。

 『神の宴』は主催者の【ファミリア】の規模によって決まる。それはつまり此度の主催者であるガネーシャの【ファミリア】が都市の中でも有数の指折り派閥である事を示していた。

 そして、招待状が配られた神の人柱の中にヘスティアの姿もあった。

「むっ! 給仕君、踏み台を持ってきてくれ。早く!」

「は、はいっ!」

 騒めき途絶えやまぬ会場の一角、ヘスティアは【ガネーシャ・ファミリア】の構成員が務める給仕を呼びつけて多種多様な料理と格闘を繰り広げていた。

 彼女の背丈では奥の方の料理に手が届かないのだ。

「(さっ! さっ! さっ!)」

「………………」

 持参していた容器(タッパー)に日持ちしそうな料理を詰め込んでいく女神。それを見せ付けられる給仕の青年は何とも言えない表情を浮かべていた。

 立食形式(タダメシ)という事でこの女神に『遠慮』という言葉は存在しない。彼女の派閥はこの場に居る神の中でも飛びぬけて貧乏な【ファミリア】だ。眷属の負担を少しでも減らせるのであれば、自らの体面がどうなろうが知った事ではない。そんな意気込みで卑しい行為にすら手を染めている。

 よくよく見てみれば、ヘスティアの衣装は豪奢なモノではないどころか、ドレスですらない。少しフォーマルな格好で誤魔化してはいるが普段着そのままであった。

『あれ、ロリ巨乳きてんじゃん』

『ていうか生きてたのか』

『いや、あいつ北の商店街でバイト頑張ってるぞ。露店で客に頭撫でられてた』

『さ・す・がロリ神……!!』

 当然と言えば当然の事として、ヘスティアの行為は非常に目立っていた。

 そして、本人は注目を浴びた事を気にする事も無くその行為を続けていく。どうせ馬鹿にされているのだし、気にする事等無い、と無駄な開き直りすらした今の女神は無敵だった。

 口の中にも料理を詰め込みながら、容器(タッパー)を満たす、そんな彼女に声をかける者が居た。

「何やってんのよ、あんた……」

「むぐ? むっ!」

 脱力したかのような声をかけてきた相手に振り返り、ヘスティアは喜色を浮かべた。

 燃える様な赤い髪に深紅のドレス。顔の右半分を覆う黒色の皮布、それでも片目の奥には秘めた意志の強さを感じさせる。

 かつてヘスティアが大いに世話になっていた女神。

「ヘファイストス!」

「ええ、久しぶりねヘスティア。元気そうでなにより。……もっとましな姿を見せてくれたら、私はもっと嬉しかったんだけど」

 一つの溜息を零すとともに天井を仰ぎ見るヘファイストス。そんな彼女にヘスティアが駆け寄っていく。

「いやぁ良かった、やっぱり来たんだね。ここに来て正解だったよ」

「何よ、言っとくけどお金はもう一ヴァリスも貸さないからね」

「し、失敬なっ!」

 友好的なヘスティアに対し、ヘファイストスは非友好的な目付きで辛辣な事を言い放つ。それも当然の事だろう、クロードと出会う以前に散々世話になっていたのだから。

 クロードというお伴を連れて追い出されて以降も幾度も『働く場所が無い』だとか『雨を凌げる場所が無い』だとか泣きついては、そのたびにヘファイストスを困らせた前科を持っている。お伴のクロードの方は最低限の住処として廃材の山に住みつこうとしていたのも相まって目に余った女神が最低限の手配りをする羽目になった。

 ヘスティアが独自に成し遂げた事といえば、ベルを眷属にした事ぐらい。

 実はこのヘスティア、眷属の前では大人ぶっているが一人では何もできない不器量(ダメダメ)な女神だったりする。

「ボクがそんな事する神に見えるかい! そりゃヘファイストスには何度も手を貸してもらったけど、今はおかげで何とかやっていけてる! 今のボクは()友の懐を食いあさる様な浅ましい真似なんかするもんかっ!」

「どの口が言うのかしら。たった今、タダ飯を食いあさっていたじゃない」

「うっ……いや、これは、どうせ余るんだし……粗末に捨てるぐらいならボクが有効利用してあげようかなー、なんて……」

「ほーほー、立派じゃない。そのケチ臭い精神。わたしゃあ、あんたのそんな姿に感動して涙が止まらないわよ」

「ぐぬぅ……」

 聞き苦しい言い訳に皮肉を返されたヘスティアが悔し気に唸る。

 そんなさ中、靴を鳴らす楚々とした音が、ヘファイストスの背後から近づいた。

「ふふ……相変わらず仲が良いのね」

「え……フ、フレイヤっ?」

 二人のやり取りに交ざったその神は、容姿の優れた神の中でも群を抜いていた。一線を画している、と言っても差し支えない。

 黄金律という概念が抽出されたようなプロポーション、そして相貌は後光を発するが如く凛々しく。

 周囲の男神達も『魅了』された様に視線を奪い去る。文字通り『美』を司る女神。

 美の神フレイヤ。

 そして、この都市最強の派閥の主神。

「ど、どうしてここに……」

「さっきそこで会ったのよ。それで一緒に会場を回ってるの」

「お邪魔だったかしら、ヘスティア?」

 フレイヤに代わり答えるヘファイストス。それを聞いたヘスティアの眉間に皺が寄るのを見た美の女神は悪戯っぽい微笑みを浮かべて揶揄う様に問いかけた。

「そんな事はないけど……ボクは君のこと苦手なんだ」

「あら、貴女のそういうところ、私は好きよ」

 『美の神』に共通して、食えない性格をしている者が多い。それも、ほかの神が霞む程に。

 故に、ヘスティアは素直にソレが苦手な事を告げるが、フレイヤは気分を害した様子もなく楽し気に返す。それがヘスティアにしてみれば『苦手』な要因なのだが、それを知っていてやっている節も見受けられる。

 故に、程度はあれど関わりたくない。というのがヘスティアの本音だ。

「おーい! ファーイたーん、フレイヤー、ドチビー!」

「……もっとも、君なんかよりずっっと大嫌いヤツが、ボクには居るんだけどねっ!」

「あら、それは穏やかじゃないわね」

 品良く微笑むフレイヤから視線を外したヘスティアの視界には、大きく手を振って近づいてくる女神の姿が映った。

 朱色の髪と朱色の瞳。細身の黒いドレスを着こなした女神。

「あっ、ロキ」

「何しに来たんだよ、君は……」

「なんや、理由がなきゃ来ちゃあかんのか? 『今宵は宴じゃー!』っていうノリやろ? むしろ理由探す方が無粋っちゅうもんや。はぁ、マジで空気読めてへんよ、このドチビ」

「…………! …………!!」

「凄い顔になってるわよ。ヘスティア」

 この迷宮都市にフレイヤに次ぐ大派閥の主神。ロキだ。

 ヘスティアに言わせれば『敵』の一言で全ての説明が付く相手でもあるが。

「本当に久しぶりね、ロキ。ヘスティアやフレイヤにも会えたし、今日は珍しい事尽くしだわ」

「あー、確かに久しぶりやなぁ」

「そういえばロキ、貴女の所の眷属が問題を起こしたって噂になってるみたいだけれど、何があったのか聞いても良いかしら?」

 ふと呟いたフレイヤの言葉にロキが方眉を下げてむっとした表情を浮かべる。

「あー、もしかして酒場で下級冒険者虚仮にした話か?」

「そうそう。相手を半殺しにして路地裏に捨てた挙句、報復にやってきた子を始末して下水に流した、って噂されてるわよ?」

 上位派閥であり、他派閥から目の上の瘤として疎まれる事のある【ロキ・ファミリア】に対する悪意ある噂話の広がりにロキは面倒そうに口をへの字に曲げる。

「ロキ、いくらなんでもやり過ぎだろう」

「ドチビは黙っとり。そもそウチの子は一切手は出しとらん。相手がキレて本拠(ホーム)まで殴り込みにきたんは事実やけど」

 ロキは面倒そうに頭を掻きながら事実を述べていく。

 事の発端はとある酒場で酔った眷属の一人がダンジョンで出会った駆け出し冒険者を貶した事が始まり。その場に偶然本人が居てその話を聞いてしまう。そして逃げてしまった、と。

 問題はその駆け出し冒険者に同行していた人物だ。

「その場で文句言いに来たんはええんやけどな。こっちから謝罪を受け取らんかったんや」

「……謝罪を、受け取らなかった?」

「『冒険者やから迷宮での出来事は自業自得』言うてなあ、文句言うだけ言って去ってったんよ」

 それで済んだのであれば【ロキ・ファミリア】の面子に泥がかぶっただけで、話は其処まで。しかし話は其処で終わらなかった。

「その場ではツケって事にしとったからなぁ。代わりに食事代だけは払ったったんよ。そしたら、やで? 本拠(ホーム)まで出向いてきて支払った分のヴァリス全額返金してきおったんや」

「はぁ……? その子、だいぶ変わった子ね」

 一般的な冒険者なら幸運だと喜ぶ所を、わざわざ返金しに行く辺りが徹底している。随分と変わり者だな、という印象を抱いたヘスティアだった。しかしロキの次の一言で表情を強張らせた。

「せや、一応聞いとくけどクロード・クローズって名前の子、知らん? さっきのウチに殴り込みに来た子なんやけど」

「うぇっ!?」

「ちょっとヘスティア、あなた……」

「私は知らないけれど、そっちの二人は知っているみたいね」

 フレイヤが微笑と共に焦りだしたヘスティアと、額に手を当てて溜息を零したヘファイストスを見やる。

「何や、知っとるんか? せやったらウチに全部吐けや」

「な、ななな、何にも知らないよ! ボク、知らない!」

「怪し過ぎるわ!」

 どもりながらも全力で首を横に振るヘスティアに、ロキが詰め寄る。その様子を見ていたヘファイストスが溜息交じりに問いを投げかけた。

「ロキはその子をどうする積りかしら」

「あん? 決まっとるやろ」

 女神ロキは拳を力強く握り締めながら、声高らかに答えた。

「勧誘や!」

「……はぁ!?」

「フィンは止めて欲しいみたいやけど、あんな面白い子を放置は出来ん! しかも無所属(フリー)やぞ、無所属(フリー)。【ファミリア】に所属しとらんのやったらさっさとウチの子にしてまうのが一番やろ!」

 僅かながらに興奮した様に捲し立てるロキの様子にヘファイストスがなるほど、と呟いてヘスティアを見やった。

「あなた、クロードをさっさと【ファミリア】に所属させないとこのままロキに取られるわよ」

「駄目に決まってるだろ!?」

「あん? なんや、あの子ドチビの恩恵受けとるんか!?」

 やれ直ぐにウチに寄越せ、そんなの絶対に駄目だとロキとヘスティアの問答が始まった横でフレイヤはヘファイストスに問いかけた。

「その、クロード・クローズってどんな子なのかしら?」

「ん? あー……悪い子ではないのだけれど、頑固、というか拘りのある子ね」

 絶対に譲らない一線、というものを持ち合わせており、其処だけは何があろうが譲らない。そしてその一線を越える者が居たら誰であろうと叩き潰そうとする。

「へぇ……少し、興味があるわね。男の子?」

「違うわ、女の子よ」

「ふぅん」

「……フレイヤ、あなたが男女問わずなのは知ってるけれど、あの子は止めて欲しいわね」

「あら? どうして」

「ヘスティアの生命線になってるから」

 クロードが居なくなると【ヘスティア・ファミリア】の財政面が一気に不味い事になる。主にヘスティアの散財癖の所為なのだが。

「あら、それを決めるのはその子本人でしょう?」

「……まあ、その通りなんだけど」

「せやろ! フレイヤもそう思うやろ! せやからドチビ、さっさとクロードたんをウチに寄越しぃや!」

「駄目だって言ってるだろ! あの子は【ファミリア】の所属は拒んではいるけどボクが恩恵を授けてるんだ! 絶対に渡さないぞ!」

「はんっ、ドチビはほんまアホやなぁ。【ファミリア】に所属しとらんのやったら関係無いやろ? 何を主神(おや)面しとんのや」

「ぐぬぅ……」

 ロキの正論を前にヘスティアが悔し気に唸る。

 【ファミリア】に正式に所属していない以上。クロードの扱いは『無所属(フリー)の冒険者』である。

 本来ならば【ファミリア】に所属している眷属に対し勧誘や引き抜きを行えばトラブルの原因にしかならないが、それが無所属(フリー)なら話が変わる。

 どの派閥にも所属していない以上、彼女を誰が勧誘しようがだれも文句は言えない。それこそ先に勧誘に成功して【ファミリア】に所属させた者勝ちだ。

「んで、クロードたんは何処に住んどるんや」

「誰が言うもんかっ!」

「はいはい、其処までにしなさい」

 ぱんぱん、と手を叩いたヘファイストスが二人の問答を止める。

 周囲の神々がヘスティアとロキの問答に聞き耳を立てているのに気付き、ロキは口を閉ざした。

「まあええわ。自力で見つけて勧誘したる」

「むむぅ」

「止めなさい、ヘスティア。そもそもあなたが何時まで経っても【ファミリア】に所属する様に説得できてないのが悪いのでしょう」

「だってぇ、それはぁ……クロード君がぁ……」

 ()友の正論を前にヘスティアが項垂れる。

 これまで幾度か【ファミリア】への正式加入についてクロード本人と相談はしてきた。しかし彼女は一向に首を縦に振らない処か、その話となると途端に不機嫌になって話を聞かなくなる。

 他の神に目を付けられる前に、と幾度も忠告をしていたヘファイストスも此度の一件については我関せずと肩を竦めた。

「それで、事情はわかったけれどその虚仮にされた駆け出しの子は大丈夫だったの?」

「ああ、そっちは知らんわ。まあ、可哀想やとは思うけど、冒険者やしその程度で折れるんやったら其処までやろ」

「まあ、わからなくはないけれど」

「ロキの言う通りだわ。その程度で折れるなら、ね」

 たかが他の冒険者に貶された程度で折れるぐらいなら、別の事で簡単に折れて冒険者を止めるだろう。と何処か突き放した様なロキの物言いにヘファイストスは僅かに納得する。その横に居たフレイヤは何処か意味深に言葉を零す。

 そのやり取りを聞いていたヘスティアはふと思い出していた。

 クロードの一件。それに付随するベルの行動。

「あーっ!」

「なんやドチビ、いきなりでかい声あげて」

「どっちもロキのせいじゃないか!?」

「はぁ?」

 自身の愛しい眷属であるベルに憧憬を抱かせ、それを挫いてダンジョンに向かわせた真犯人。

 どちらもロキの眷属が原因。ヘスティアがむむぅとロキを睨むと、負けじとロキも睨み返す。

 会えば喧嘩、話の途中にも喧嘩、何があっても喧嘩、と犬猿の仲である事を示す様な二人のやりとりにヘファイストスは溜息を零し、フレイヤは楽し気に笑みを浮かべた。

「あら、相変わらず仲が良いわね」

『『何処がっ!?』』

 

 


 

 

「もう一声、なんとかなんねぇか?」

「ならねェよ」

 カウンターに座る店主らしき男は、おかしな真似をしない様に鷹の様な目付きで店内の客を威圧している。その顔に刻まれた無数の傷が、荒事に慣れているという証でもあった。

 換気不十分なためか酒場の天井付近には雲のように濃い紫煙が揺蕩っていた。長い年月を感じさせる程に染みついた煙の臭い、そして薄汚れた魔石灯から放たれる弱々しい光は紫煙によって遮られ、ただでさえ暗い店内にはあちこちに闇が揺蕩う。

 その闇の中の一角、くすんだ銀髪の幼い少女が煙管を吹かしながら対面の席に座る男を睨んでいた。

 商人然とした衣類を身に纏う、この酒場に似つかわしくない男。当然、少女であるクロードもその酒場には不釣り合いな容姿をしているが、誰も気に留める様子はない。

「なぁ、頼むぜ」

「はぁ……今朝、少し卸しただろ。あれじゃ足りんのか?」

「いやぁ、それが……」

 言い淀む男は、クロードが懇意にしている商人の一人だ。

 彼女が独自に調合した香味(フレーバー)の煙草をこっそりと一部の客に売り渡している。そんな彼が街中でいきなり声をかけてきたため、場末の怪しい酒場に足を運んだのだ。

 そんなクロードは不機嫌そうな表情を隠しもせずに煙管を吹かす。

「あァ? さっさとゲロっちまえ。回りくどいのは嫌いなんだよ」

「あ、はは……実は大口の取引がきたんだよ」

「大口ぃ?」

 胡乱気な視線を投げかけたクロードは、傍に置かれた灰鉢に灰を捨てて刻み煙草を詰め直し始める。不機嫌さを隠しもしない彼女を前に男は愛想笑いを浮かべながら手もみをして話しだす。

 クロードが卸す『煙草』は、僅か一ヶ月程度の期間でマニアの間では知らぬ者が居ない程の有名な品として知られる様になった。『一服するだけで天国に行った気になれる』だの『これ以上の煙草は無い』だの、絶賛する者が後を絶たない。

 ただ、クロード本人しか調合法(レシピ)を知らず。卸す量もかなり制限している事から入手困難な希少品として高騰していた。

 なお、クロードはただ『スキルの効果を効率的に引き出す為のモノ』として作成したモノであり、要するに『戦闘用煙草』として使っていたモノを小遣い稼ぎ代わりに少しだけ換金していただけだ。ここまで人気が出るとは本人にも予想外である。

 そんな代物をとある富豪が手にした事によって此度の呼び出しがかかった、との事。

「アー、つまり、アレか? 富豪様が『たくさん』欲してる、と?」

「まあ、そんなところだ」

「無理に決まってんだろ。アホか」

 クロードが吐き捨てると、商人は焦った様に視線を彷徨わせて頼み込む。

「頼むぜ。もう引き受けちまったんだよ!」

「あのなぁ、なんで量産しないかわかるか?」

「素材の問題ならこっちが解決する。なんなら調合法(レシピ)に相応の金も出す! 頼むぜ」

「はぁ……一つ確認させろ。その富豪様、どれだけ買ってった?」

「全部だよ。買い占めていったんだ」

 男の返答にクロードは煙管の吸い口を咥えたまま動きを止め、静かに火を着けて紫煙を肺一杯に吸い込んだ後、静かに息を吐く。

「……なあ、オレ、ちゃんと忠告しなかったか?」

「あ、ああ、一人の客に一服分だけ、だろ。でもあの一箱で五〇〇〇〇〇だぞ」

「ぁー……五〇〇〇〇〇かぁ。オマエの所に卸した時、一箱で三〇〇〇〇が、五〇〇〇〇〇なぁ」

 そりゃあ、乗っちまっても仕方ないかぁ、とクロードが溜息を零して懐を漁る。

調合法(レシピ)は残念ながら教えられん。素材は教えてやってもいいが、分量は自分で探せ」

 懐から取り出した紙切れを無造作に商人に投げ渡す。彼は折りたたまれた紙切れを覗き見ると満足げに頷いた。

「材料さえわかればこっちのもんだ」

「……分量間違えると一発でイッちまうから気を付けろよ?」

 文字通り、天国に行けるからな。と忠告を零したクロードは溜息交じりに懐から金属製の小箱を取り出して卓に置いた。

「前回分含め、コレで四〇。買うか、買わな────」

「買った!」

 半ば被せる様に言葉を告げ、商人は慌てた様に懐から誓約書を取り出すと手早く書き連ねていく。

「これを後で俺の店に持ってきてくれ」

「……まあ、確かに」

 血判を押し、支払いを行う事を誓約した紙切れを受け取ったクロードを尻目に、商人は喜色満面の笑みを浮かべたまま金属の小箱を懐に納めて酒場を出て行く。

 それを見送ったクロードは紫煙で乾いた瞳を瞬かせながら、誓約書をちらりと見やり、寂しくなってしまった懐を漁って深い溜息を零した。

「あー、クソ……完全に在庫ゼロだぞ」

 金に目が眩んだ事は否定しまい。むしろ一気に借金の返済可能な金額+で色々と設備も整えられそうな金額に跳び付いてしまった。

 ただ、問題があるとするならばクロード自身の分まで全部売り払ってしまった事だろう。アレはスキルの効果を飛躍的に高める事の出来る特殊な『クスリ』だった。

「……暫く、ダンジョンは控えるか」

 定期的にナァーザから少量の素材を分けて貰っているとはいえ、つい数日前に受け取って更に追加で、となると主神のミアハが訝しむ。もしミアハに事が露呈すれば連鎖的にギルドにまで嗅ぎ付けられかねない。

 それは避けるべきだ、とクロードはさみしくなった懐に手を突っ込んだまま、紫煙と共に溜息を零した。

「暫くは普通の煙草にするか」




 未所属(フリー)という扱いなので勧誘しても問題無いはず。

 フレイヤ様の魅了、クロードに効く? 薬中で効かない?
 魅了が効かない程に重度の薬物中毒化していくのも一考かなと思ってます。


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第九話

「あ……」

「んぁ……?」

 ダンジョン入り口付近、『始まりの道』と呼ばれる横幅が広い1階層の大通路を抜けるさ中、白髪の少年は銀髪の少女の姿を認めて思わず声を上げた。

 対し、銀髪の少女、クロードは気だるげな仕草で大荷物となった背嚢越しに少年、ベルを見やる。

「ああ、ベルか」

 唐突に声を上げた人物が誰かを確認すると、クロードは何事も無かったかのように大通路を進み始める。

 数日前に本拠で叩き伏せられてから姿を見せなかった少女の姿に思うところがあった少年は直ぐに駆け足でその後を追う。

「クローズさん」

「…………んだよ」

 横並びになった少年の方に視線をやるでもなく、終わりの近づいた大通路の先にある大穴を見やるクロード。

 その平然とした様子にほんの少しだけ気概を削がれながらも、ベルは礼を口にした。

「あの、ありがとうございました」

「……? 頭でも打ったか?」

 礼を言われた瞬間、クロードは足を止めてベルを見やるや否や、大きく首を傾げた。

 数日前に手酷く叩き伏せた事は記憶に新しく、苦手意識を抱かれているだろう事を予想していたクロードの考えから大きく外れた第一声に彼女は胡散臭いモノを見る目で彼を見やった。

「あ、えっと……豊穣の女主人での食事代、払って貰っちゃったので……」

「ああ、気にすんナ」

 膨れ上がった背嚢を背負い直したクロードは肩を竦めて大穴の方へと足を進めていく。ベルもまた、彼女に並んでその大穴へと向かいはじめた。

 ふと、ベルはクロードから漂う煙の臭いが普段と違う事に気付いて彼女を見やる。

「クローズさん」

「んだよ」

「えっと、煙草、変えました?」

「あァ、少しな」

 混ぜが荒くて酷い出来だが、無いよりマシだろうといくつか用意した煙草(モノ)を試してた、と軽い調子で呟かれた言葉の意味を理解出来ずにベルは首を傾げる。

「は、はぁ……」

「おこちゃまには早ぇよ」

 縦の高さ、直径はおおよそ10М(メドル)程の円筒形の大穴。それは地上へと続いているモノだ。その円周には緩やかな階段が設けられており、大きな螺旋を描いている。

 複数の冒険者パーティがその銀色の階段を上っていく様に、二人もそれに倣う様に進んで行く。

「あの、手伝いましょうか……?」

 少年自身もダンジョンで手に入れたドロップ品等で一杯になった背嚢を背負っている。対して少女の背負うそれは少年のそれの数倍以上膨れ上がっており、少女の歩みを重くさせているのは目に見えていた。

 ほんの少し気を使った少年の言葉に対し、少女は溜息を零すと肩を竦めて応えた。

「いらねェ。何度もこの階段上り下りしてる新米が気を遣うな、だるい」

 すげなく拒否されたベルが驚愕して彼女の顔を伺う。クロードの言う通り、一日に三度、四度とこの階段を上り下りしていた。理由は、戦利品がいっぱいになり、換金する必要が出てくるからだ。

「知ってたんですか……?」

「知ってるもクソも、お前、未だにギルド支給のセットの背嚢だろ。入る量なんかたかが知れてるだろ」

 それこそ専門職(サポーター)でも雇わない限り、荷物問題は常々ついて回る。その辺りを解消できておらず単独でダンジョンに赴く少年の行動等、予測するまでも無い。とクロードは肩を竦めた。

 一方的にだが少年が気まずげな雰囲気になった辺りで二人が最後の階段をまたぐと、其処にはとてつもなく広い大広間が広がっていた。

 ダンジョン直上に建造された白亜の巨塔『バベル』、その地下一階部分だ。

 千人規模の冒険者を収容できるのではないかという程の広さを誇るこの場所は、すぐ下に怪物の坩堝があるとは思えない程に高貴で神殿めいた造りをしていた。

 僅かに張り詰めていた緊張感を解す様に息をする横で、クロードは背負っている背嚢を背負い直しながら足を止めずにベルを一瞥してつぶやく。

「其処で止まると邪魔だろ。後ろ、つっかえてんぞ」

「え、あっ、ごめんなさい」

 いつの間にか後続の冒険者が階段を上り切った地点で息を吐いていた少年を煩わし気に見ているのに気付いたベルが慌ててその場を退いて壁際へと移動していく。

 クロードが壁際で背嚢を下ろし、中身を漁る横にまでベルが歩んだ所で彼の気を引くものが視界の端に映る。

「……あれは?」

「あん? ああ、カーゴだな」

 箱型で底面に車輪が取り付けてある荷物運搬用の収納箱。大規模な遠征をおこなう際、予備の武器、戦利品、道具等を納めて使用する物だ。

「何処かの派閥が遠征にでもいくのかな」

「あァ? 違ぇよ。ありゃモンスター運んでんだよ」

 朧げに覚えていたカーゴの知識を引っ張り出した少年の予測をクロードが面倒くさそうに切って捨てる。そして、彼女の言葉を肯定するかのようにそのカーゴが、ガタゴトッ、と揺れた。

 内側に居る何かが暴れる様な箱の揺れ方に少年がぎょっと目を剥く。

「え? モンスター? ダンジョンの?」

「もうすぐ『フィリア祭』らしいしな」

 箱の中から『ウウゥ』とモンスターらしき唸り声まで聞こえた事で確信を得たベルの言葉にクロードは呆れつつも背嚢の中身を整理しなおして背負い直した。

「えっと、その『フィリア祭』って……?」

「【ガネーシャ・ファミリア】が主催となって行うお祭りだな。なんでも闘技場を貸し切って【ファミリア】きっての調教師(テイマー)がモンスターを調服(テイム)するのを見世物にするらしいな」

 今年は他国の貴族連中も物珍しさから見に来るって噂もある、と付け加えたクロードは溜息交じりに肩を竦める。

 

 


 

 

 自然とクロードと別れた後、ギルドでの換金を済ませた後、道すがらであった主神を除いて唯一親交のある神から回復薬(ポーション)を受け取ったベルは一人、武具関連を取り扱うお店の前へと足を運んでいた。

 暇を見つけてはこの辺りにやってきては陳列窓(ショーウィンドウ)に張り付き、並べられた武具へと羨望の視線を向けていた。

 武具店が並ぶストリートの中でも二回りは大きい武具店。重厚な扉の上には『Ήφαιστος』の文字列(ロゴタイプ)

 【神聖文字(ヒエログリフ)】にも似た奇怪な文字列は、世界的に有名な【ファミリア】を示す記号だ。

 ここは【ヘファイストス・ファミリア】の店舗。

 第一級冒険者が手にするのに相応しい一級品の武装が並ぶ其処に、今日も今日とて訪れていた彼は純白の刀身に魔石灯(しょうめい)装置の光を照り返す短剣を見やる為に訪れていた。

「絶対に買えないんだけどね」

 いつもの場所、昨日と同じ陳列窓(ショーウィンドウ)の前に辿り着いて中を見やる。

 エメラルドグリーンの剣身を交差させる双剣、銀の輝きを宿したバスタードソード、金の装飾が施されたレイピア。どれもこれもが一級品。そして値段も相応だった。

 その中でも彼が毎日訪れては内心『欲しいなぁ……』と呟いていた短剣もそこに並んで────。

「あれ……?」

 いない。

 つい昨日も眺めていたはずの其処には、宝石を散りばめた小箱の中心に傾いて突き立っており、その白銀の刀身が宝箱の中身だと言わんばかりの輝きをやどす。それだけではない、研ぎ澄まされた刃は美しいだけではなく其処らの長剣にも劣らぬ武器だと見る者に理解させる。

 その白銀の短剣のあったはずの所には小箱のみ。そこにちょこんと載せられた『販売済み』の文字。

「あは、は……はぁ」

 憧れの【剣姫】を追いかけていれば、いずれ一級の武器に触れる機会がくるのではないか、と淡い想像をしていた少年は深い溜息を零すと陳列窓(ショーウィンドウ)から離れてとぼとぼと歩みはじめる。

 売れて当然といえば当然。しかし思うところが無い訳ではない、とベルが意気消沈しながら歩んでいると、武具店と武具店の隙間、路地裏からクロードが出てくる姿が見えた。

「あれ、クローズさん……?」

「んぁ……どしたよこんな所で。お前さんが手にするのにゃあ不相応な武具しかねェだろうに」 

 つい先ほど、バベルで別れた時よりも上機嫌そうな彼女は、背負っていた大きな背嚢に代わって大きな喧嘩煙管を背負っていた。

 金属製で頑丈な作り、飾り気は一切ない特殊武装。

 小柄な彼女が背負うにはいささか大きく感じるそれを背負いながら、これまた普通の煙管を咥えて紫煙を燻らせていた彼女の、遠慮容赦の無い言葉にベルはほんの少し表情を強張らせた。

 ただでさえ自身が未だにギルド支給の武具一式を使用しているのに対し、眼の前の少女はあろうことか特注(オーダーメイド)の一品を振り回しているのだ。多少の劣等感を抱いても仕方が無い。

「ま、まあ……そうですね。僕の収入じゃあちょっと、厳しいです」

 歯切れの悪い返答にクロードは僅かに首を傾げるも、直ぐに問いかけを放った。

「所で、ヘスティア様はいるか? ちとステイタスの更新がしてェんだが」

「神様なら、二日前に友人のパーティに出席するって言って出て行ってから姿を見てませんけど……」

「あん? ……なら良いか」

 ほんの少し考え込んだクロードは一人頷くとふと思い出した様に少年に告げる。

「ああ、そうだ、『フィリア祭』で露天が沢山出るだろうが、露天の武器を格安で買う、なんて馬鹿な事すんなよ」

 露店の武器は都市外製の鋳造品が多く、質はすこぶる悪い、とクロードは注意をするだけすると、返事も聞かずに別の路地へと入っていった。

 

 


 

 

「────で、言っておくけど、ちゃんと対価は払うのよ。何十年何百年かかっても、絶対にこのツケは返済しなさい」

 丸一日、ヘファイストスの前で極東に伝わる(タケミカヅチ曰く)『これをすれば何をしたって許され、何を頼んでも許される最終奥義』を披露して自身の眷属に武器を作って欲しいと懇願してきた神友の頼み。

 眷属、ベル・クラネルについての頼みを承諾はした。しかしヘスティアはもう一人、恩恵を授けた者が居る。

 そちらの方は【ファミリア】には所属して貰えず、距離を置かれている状態である事は『神の宴』の際にもヘファイストスも聞いた。

 ベル・クラネルに新しい武具を作ってあげたい。その子の力に成ってあげたい。その願いを聞き届け、動くに足る理由だと頷いた彼女は、もう一人のクロードの方はどうするのか、と親友に問う。

「クロードの方はどうするのかしら」

「どうって……ボクはあの子に何をしてあげればいいのか……」

 急に自信を無くした様に俯くヘスティアの姿に、ヘファイストスは軽く溜息を零した。

「クロード本人に話は聞いたの?」

「ううん、あの子、自分の事となると全く話してくれないんだ。いつもはぐらかされてしまうんだよ」

 ヘスティアの言葉を聞き、ヘファイストスは静かに腕組をしながら片目を閉じた。

 クロード・クローズ。

 銀の長髪を紫煙で鈍く曇らせて灰色に染まった様な小人族。歳の頃は15、16程だろうと思われる少女。

 彼女の経歴についてヘファイストスはほんのりと彼女の口から聞いた事がある。正確に言えば、彼女が椿に拾われて保護されたその日にある程度身の上を聞いた、というだけの話ではあるが。

「あの子の経歴、というか……まあ、少しだけ。私が知っているだけの事は話してあげるわ」

「良いのかい?」

「別に口止めはされていないもの。ただし」

 立ち上がったヘスティアの鼻先に指を突き付け、ヘファイストスは鋭い視線を向けて告げた。

「ヘスティア、説得するのは貴女だからね」

 あくまで、情報をほんの少し分け与えるだけ。説得するのはヘスティア本人でなければ意味が無い。

「わかってるさ!」

 威勢良く答えたヘスティアの姿に、ヘファイストスは鍛冶の準備をしながらも知る限りの情報を語っていく。

 

 


 

 

 紫煙を燻らせながら路地裏をずんずんと進んでいたクロードは、新調した武装用の煙管の調子を確かめる様に滑り止めの巻かれた柄をにぎにぎしながら上機嫌だった。

「いやぁ、ヴェルフの依頼も運ぶの大変だった以外には問題無かったし、楽勝だったなぁ」

 気を使って上層の採掘地点からの鉱物採取依頼を出してくれた新米鍛冶師の依頼をさくっと片付け、帰りにベルに女神不在である事を聞いた彼女は自らが宿をとっている酒場の入り口を見上げ、表情を暗くした。

 場所は迷宮都市外周部、市壁前。日当りの悪いその店の宿価格は日当り500ヴァリスと格安だった。

 何より、この宿をとる客の殆どが脛に傷を持つ者ばかり。

 店主の牛人(カウズ)のおっさんも、過去には闇派閥(イヴィルス)幹部()()()等と噂が流れる程度には荒れている。

「うぃーっす……」

 ギシィッ、と軋む音を立て、建付けの悪い扉を開けた先には無数の小樽の腰掛けと、大樽に板木を渡しただけの質素どころかギリギリ酒場としての体裁を保てているかどうか首を傾げる程の店内が見て取れる。

 カウンターも何処か手作り、というよりは後付けでやっつけ仕事をした様な出来。

 そんなカウンターの内側で左目を覆う様に額から顎にかけて傷を負った隻眼の牛人(カウズ)が無言でグラスを磨いている姿があった。

 かの牛人は残った隻眼でクロードをみやると、無言でカウンターをトントン、と叩く。

怪物祭(モンスターフィリア)が良く見える部屋を頼む」

 必要分のヴァリス硬貨を置くと、一言も喋らない店主は代わりに錆び付いた鍵を置いた。

 それを受け取ったクロードは何も言わずに二階へと通じる階段へと足をかける。

 軋む音を立て、不十分な魔石灯(しょうめい)によって薄暗く不気味に照らされた廊下の端。三階の一室がクロードの宿として与えられた部屋だった。

「いつも通り、小汚ねェ部屋だな」

 普通の成人男性であれば手狭に感じるであろうその部屋も、子供程度の背丈しかないクロードからすれば十分な広さを持つ部屋として機能する。

 室内にあるのは軋む音を立てるベッドにデスク、それとチェストの三点のみ。食事は別料金。何より店主は一言も喋らず余計な詮索をしてこないのが最高、というのがこの宿を利用する客の声だった。

 臨時収入で金が入ったとはいえ、いきなり上質な部屋に変える等といった目立つ行動をとれば周囲に怪しまれるし、余計な詮索を受ける。特にこの都市で密かに販売される『クロードの煙草』を欲する者に嗅ぎ付けられると面倒事になるのは確実。故に、クロードは格安でなおかつ脛に傷を持つ者が多いこの宿を利用するのだ。

「さて、色々仕入れたし試すかねぇ」

 背負った新しい得物をベッドに立て掛けると、徐に収納箱(チェスト)を開いて中を確認する。

 中に入っていたのは薬研(やげん)やすり鉢やすりこ木等、調合に必要な道具一式に加えて、各種乾燥させた薬草類に乾燥茸、後は幾種類かの木の実。それに加えて乾燥させた虫の死骸やイモリの黒焼き等。主に回復薬(ポーション)等の素材が入っている。

 加えて、いくつかはギルドが取引を禁じている違法品も交じっていた。

「ほぅ、ふぅむ……良い質だな」

 件の商人の男の店に顔を出した際、報酬金の一部の代わりにこの宿のこの部屋の収納箱(チェスト)にいくつか素材と調合道具を入れておく様に頼んでおいたのだ。

 ────ただ、問題があるとするならば。

「……ああ、やっぱアレは無いか」

 乾燥させた薬草類の束をいくつか取り出して確認したクロードが深い溜息を零す。

 【ミアハ・ファミリア】のナァーザから密かに仕入れていた件の香草が無い。

 医療系派閥以外の取り扱いが厳重に禁じられているだけあって、一般的な商人でしかないあの男性では入手できなかったらしい。代わりに手紙が入っている事を確認したクロードはその紙を破り捨てる。

「ったく……」

 魔石コンロを取り出し、小鍋に水筒から水を満たすと火にかけ、その横にとりだした薬研に複数の薬草を放り込んでいく。

 作るのは一般的な冒険者が扱う回復薬(ポーション)。と良く似た物品。

 ギルドからは使用どころか所有すら禁じられた代物。正確には回復薬(ポーション)である事に変わりはないのだが、酷く高い中毒性を持っているいくつかの素材を調合したモノだ。

 一度使用すると、定期的に使用しなくては禁断症状が現れ始める重度の中毒症状を引き起こす違法薬物だ。

「いやぁ、何処の世界でも考える事は一緒だわな」

 自らの店の回復薬(ポーション)の売り上げを増やす為に、中毒性のある薬物を混ぜて売る。そうする事で再購入者(リピーター)を増やす。等という違法行為に手を染めた派閥の作り出した違法回復薬(ポーション)

 当然と言えば当然だが、その派閥は使用者が異常を訴えていくつかの医療派閥が調査を行った結果、中毒性のある薬物を混ぜてあった事が判明してギルドから重い罰則(ペナルティ)を課された。

「まあ、それでも使いたがる奴が居るから調合法(レシピ)がちょこちょこ出回ってんだろうなァ」

 その回復薬(ポーション)も悪い事ばかりではない。

 ギルドが禁じるだけあってそれなりの中毒性があるが、それ以上に使用時に得られる万能感は冒険中の恐怖心や緊張を解し、ダンジョン内で心休まる暇のない冒険者にほんの束の間の開放感を与える事が出来る。

 要するに、精神安定剤としての効能が期待できた。────が、中毒性の高さからやはり禁じられているのだが。

 独り言をブツブツと呟きながら、手早く薬草をすり潰し、序に中毒性のある茸や木の実等もすり潰して小鍋の中に放り込んでいく。

「うんと中毒性を高めるか」

 彼女が偶然手にした調合法(レシピ)は獣人でもよほど鋭い者でなければ中毒性に気付けない程に薄められたモノだ。

 しかし、今回彼女が作りたいモノは中毒性を更に高め、より強い中毒症状が出る状態の代物。

回復薬(ポーション)としても機能しつつ、キマる薬が良いな」

 迷宮内で感じる恐怖心や緊張感をブッとばし、開放感と万能感でキマッた状態に陥る。

 負傷し精神的に追い詰められた状況から精神を解き放ち、通常以上の身体能力(スペック)を叩き出す。

 これほど自分向けの回復薬(ポーション)なんぞ他に存在しない。

「クヒッ……良いねェ、こりゃキマるだろ」

 自然と漏れる奇笑を押し殺しながら、クロードは薬研でゴリゴリと素材を粉末状に加工しては弱火でコトコト煮込む鍋に放り込んでいく。

 一般的に出回る市販品に比べ、何処か澱んだ色合いをした鍋の中身に、沸き立つ湯気の香りを嗅いだ彼女は僅かにくらりと揺れ、頭を振った。

「……ヤベ、流石にヤり過ぎたか。少し薄めないと不味いなこりゃ」

 普段使いの『混ぜ物煙草』が無い以上、代用品の『違法回復薬』でも作るかといくつか用意していたクロードは、小鍋の中に薄める為の液体を注ぎながらふと周囲を見回した。

 敷かれた敷物に座り込んで怪しい薬物を調合するその姿は、彼女の元となった架空(ゲーム)人物(キャラクター)とよく似ている。

「……………………はぁ」

 『魔法使い』を目指した少女は魔法使いが通う学園に席を置き、日夜勉学に励んでいた。

 周りの者達が次々に『魔法使い』として開花していく中、少女は十年経とうとも、二十年経とうとも、日夜休みなく努力を積み上げ続けてもその才は開花する事は無かった。

 何十年も学園に通い続け、いつか『魔法使い』になる事を夢見た彼女は────遂には学費の支払いが追い付かず、学園を追い出されてしまう。

 嘆き悲しんだ彼女は、それ以降も『魔法使い』を目指して日夜努力を積み重ねた。それでも兆しは見えてこない。絶望しながらも努力を続ける彼女には、残念なことに『魔法使い』として最も大切な『魔力』が無かった。

 魔力の無い少女は、いつしか女になり、老婆になり、それでも諦めきれずに努力を続けていく。

 ────そんな彼女に一つの天啓が舞い降りる。

 正規の道で『魔法使い』になれないのなら、外法に身を染めてしまえば良い。と

「…………」

 一般的に禁じられた薬草、薬物、道具、呪具、禁忌、何をしてもいい。どんなものでもいい、魔力を高め、『魔法使い』になれるのであれば、どんな外法にも身を染めよう。

 老婆となって狂った彼女は、国が禁じたモノに片っ端から手を出した。

 聖獣の血を啜ろう。

 魔人の心臓を貪ろう。

 邪神に貢物を捧げよう。

 徐々に熱狂(エスカレート)したその行為の末、彼女は『魔女』になった。

「はぁ、うっし」

 いくつかの試験管に分けた『違法回復薬(ポーション)』を満足げに見やり、クロードは其れを丁重にポーチに納めていく。残った素材も使い切る為に作業を再開しながら、懐かしそうに目を細めた。

 架空(ゲーム)の世界において、『クロード・クローズ』とはとある職業のイメージキャラクターの事であり、その職業名は『紫煙の魔女』。

 転職条件はいくつもあり、転職難易度はかなり高い。

 『カルマ値が悪性である事』

 『薬師の職業Lv.80以上』

 『技師の職業Lv.50以上』

 『狂信者の職業Lv.50以上』

 『崇拝する神が邪神系統である事』

 『邪神に供物を一〇〇回以上捧げている事』

 『フレンドリストが空白である事』

 以上の条件ならば殆どのプレイヤーが達成可能であり、そこまで難易度は高くはない。しかし残る一つの条件は『魔法・魔術を習得していない事』だ。

 特に初心者指南(チュートリアル)に『火の魔法基礎』を習得する事がある為、知らぬ初心者が条件を達成できなくなり、この職に転職できなくなる事は多い。

 加えて魔法・魔術縛りの場合、『薬師』『技師』は職業技能の『調合』や『工学』等の作成技能で経験値を得られるが、『狂信者』は特殊な経験値取得法の為かなり厳しい道を辿る事になる。

 ────『狂信者』の経験値を得る方法は、他のプレイヤーを殺害し邪神に『供物』として捧げる事のみ。

 『狂信者』は通常の『無職(ノービス)』にすら能力値(ステイタス)が劣る。それ故に攻撃魔法の威力に強化が入っているのだが、その魔法を使用できない。

 故に、非戦闘職のプレイヤーが街から出た所を運よく奇襲して倒さなくては経験値を得られない、と苦行そのものと言える積み重ねの末にようやくたどり着ける特殊職業────要するに縛りプレイを楽しんだ奇人、変人が使用する職である。

「はぁ……さてと、残りで作れるのは……酩酊薬と、昏睡薬か……ふぅむ」

 職業特製として、一般職であると連続使用で中毒症状が発症する『液薬』や、弱化(デバフ)のかかる『香』等の一部アイテムの中毒や弱化(デバフ)強化(バフ)に変換するものが挙げられる。

 加えて独自調合する事の出来る限定薬物等ですさまじい強化(バフ)を得たうえで、専用魔法を使用して圧倒的な火力を叩き出す事が出来る職業。

 使用するアイテムや状況によっては他の職では出せない上限値(カンスト)ダメージすら連続で叩きだせる玄人向けだった。クロードは前世、その職業で供物集め(プレイヤーキラー)行為に励んでいた訳だが。

「酩酊薬で良いか。流石に昏睡はきついしな」

 本来ならば既一〇〇年以上の時を生きる老婆であるはずの『クロード・クローズ』が自らの身にいくつもの誓約を課しながらわざわざ幼い少女の姿をしている理由は一つ。

 小柄な体躯の方が少量の薬物でより重度の中毒症状に至れるから。であった。




 ゲームの方の『クロード・クローズ』こと『紫煙の魔女』について。
 本来ならば代償(ペナルティ)となる弱化も全て強化に変換されるので、『一定時間〇〇上昇、〇〇低下』の様な弱化(デバフ)が付いて回る一部薬を躊躇なく使える。
 加えて一定範囲に敵味方問わずに弱化(デバフ)を振り撒く『毒煙』系統の道具で自己強化できる為、敵に弱化(デバフ)、自身には強化(バフ)と有利な戦場を作りやすい。
 使用すると全ステイタスに大幅な弱化(デバフ)がかかる一発ネタ用のアイテムが超強化薬になったりする。


 ゲーム的には外法に身を染めてるので、根本的にカルマ値は悪性固定。善性にはなれない。見かけたら100%プレイヤーキラーなやつ。


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第一〇話

 わいわい、と楽し気な大声が溢れ返る大通り。

 時刻は朝の九時を過ぎた頃。普段なら殆どの冒険者は迷宮に、市民は各々の仕事に掛かり切りであるはずの都市は今やお祭り一色に染め上げられていた。

 リボンや鮮やかな花などで飾り付けられ日常に比べ鮮やかになった通りのど真ん中や隅には、数え切れない程の出店が立ち並び、香ばしい匂いや何かを焼く音を振り撒いている。

 頭上を見上げれば紐に通された色取り取りの旗が風に靡いていた。旗の紋様は【ガネーシャ・ファミリア】を示す象頭に、モンスターを示す凶悪そうな獅子の影絵(シルエット)

 空から降り注ぐ陽光は今日という日を祝う様でもあった。

「…………」

 そんな雑踏の片隅、眼の下に薄らと隈を作り恨めし気に陽気な太陽を見上げた銀髪の少女が居た。

 興に乗って昨日の昼から一睡もする事なく調合をし続けていた彼女には弾んで聞こえるはずの雑踏が奏でる足音すらも憎らしい。 

 今日は【ガネーシャ・ファミリア】主催の怪物祭(モンスターフィリア)。都市外からも物珍しさから足を運ぶ物好き達も合わさって、普段以上の活気に包まれた都市の光景に少女、クロードは溜息と共に紫煙を吐き捨てる。

 そんな彼女の横、贔屓にしている商人の男が大声を上げて売り込みをしていた。

「新商品だよー! そこのお兄さん、どうだいこの煙草! 一服分だけ試しに吸ってみな、アンタも直ぐに虜さ!」

 声に誘われて愛煙家らしき者達が彼の差し出す試供品を一服し、即座に購入を決めて財布の紐を緩めていく。

 多額の利益をすさまじい速度で上げていく商人の男を見やり、クロードは肩を竦めた。

 クロードが与えた素材一覧(リスト)からたった一晩で配合の分量を割り出した男の──正確には彼のお抱えの調合師──には呆れながら、クロードは渡された煙草を吸って呟く。

「なんかエグいな、これ」

「あー、やっぱそう思うか? 材料はあれであってるんだよな? っと、後は任せる」

 雇っているらしい売り子の少女に出店を任せると 彼はクロードの横にあった木箱に腰掛ける。

「あってる。だが、これは……混ぜ過ぎだな」

「量が多かったか?」

「いや、()()が多すぎ。もっとさくっとふわっと軽めに混ぜないといかん」

 まあ、これでも十分にイケるが、と煙管に残った煙草を吸いきると、傍に置かれた灰鉢に灰を捨てた。

「んで、コレ作るのに何人潰れたんだよ」

「二五。ダイダロス通りの貧民で試したが、ありゃヤバいな」

「……酷ェ事しやがんな」

 調合した試作品は、迷宮都市の貧民街として知られるダイダロス通りに住まう貧民を使って試した、と悪びれる様子もなく告げる男にクロードが半眼を向ける。

「酷いも何も、あんな臭っせぇ貧民街でのさばって飢え死にしそうな奴らにとっちゃ救いだろ」

 天国にまでブッ飛べる薬でキモチイイままイけたんだから。と呟く。

「ギルドに引っかかったらどうすんだよ」

 いくらなんでも同時期に死者が多数出ればギルドも腰を上げる。そうなれば彼も逃げ続けられまい。芋づる式に自身にまで辿り着かれるのは御免だ、とクロードが警鐘を放つ。

「安心しろ。あそこじゃあ薬物中毒な(ラリってる)奴なんか珍しく無い」

 管理しているらしき神も居るが、アレもとある神様が黙らせてて見て見ぬふり。ギルドだってまともに調べたりなんかしない。バレる事なんて万が一にもありえない。

 そんな風に嘯いた彼の言葉にクロードは僅かに眉間に皺を寄せる。

「あの貧民街の神様っていやぁ、ペニア様だったか……? 」

「おうおう、『手垢に塗れた汚いお金を置いていけ~』だなんて嘯くババアだよ」

 吐き捨てられる言葉の内には煮詰められた様な苛立ちが見て取れる。

「なぁにが『富は精神を堕落させる。豊かさは体から労働を奪う』だ糞女神が。さっさとくたばって天界に帰りゃ良いんだよ」

 『貧窮』の女神ペニア。神々からも毛嫌いされている女神であり、富を蓄える富豪や商人なんかからも大いに嫌われ唾棄される程の女神であった。

 当然、眼の前の商人の男もその女神を毛嫌いしている。事ある事に『金寄越せ』『飯寄越せ』『貧乏になれ』と遠回しに説教紛いな事をされれば人によっては不愉快にもなろう。

「あの糞女神様はどうにも煙草はヤらない性質なんだよなぁ。クソ、優しい優しいディオニュソス様に酒なんて贅沢品恵んで貰ってる癖に」

「ははぁ……」

 こりゃあ、根深そうだ。とクロードは視線を僅かに逸らした。

 実はクロード、過去にペニアに恵みを分けて貰った経験がある。冒険者として回復薬(ポーション)や武具代等でまともな食事にありつけるのが難しかった成り立てほやほやの頃だ。

 空腹で腹を鳴らしながら街を散策していた彼女の前に現れ、少しのヴァリスを握らせてくれたのだ。

「まあ、嫌うのはわかるが其処まで言ってやるな」

 商人の男はかの女神ペニアを毛嫌いしているが、クロードは嫌うどころか好感を抱いている。故にほんの少し庇う様な呟きを零した。

「はん、あの女神の事を好いてるのは貧困な奴らだけさ。そもそも、貧困を脱しようとする努力すらせずに貧困に喘ぐ奴らの何がエラいんだか……『貧窮』だけ見て中身を見もしない屑女神だよ」

 自分には才能が無い。なんて嘆いてできるはずの努力すらせずに貧困に喘ぎ、女神の救いの手に縋り続ける『ダイダロス通り』の愚図共にはお似合いな女神さ、と商人の男が鼻で嗤う。

「俺もお前も、その()()()()()()()()をして這いずり上がってるんだっての」

 たとえギルドが禁ずる方法だったとしても、足りない才能を補う為にそれらに手を染めるのだ。それすらせずに才能の無さを理由に努力を止めて底辺で這い蹲る屑共と違い、男も、そしてクロードもどちらも非合法に手を染めてでも、足りないモノを埋めようとしているだけだ。

「だろ?」

 それを聞いたクロードは僅かに口元を引き締め、肯定した。

「同感だ」

 僅かに固い返事を聞いた商人の男がほんの少し首を傾げるも、クロードは肩を竦めて誤魔化した。

 それ以上の追求は無駄だと感じたのか、それとも話を変える為か商人の男は笑みを深めて問う。

「んで、新作は? その腰の回復薬(ポーション)か? それとも懐の缶か?」

「おいおい、オレが常に新作を用意してると思うなヨ。なんか出店で大々的に売ってんの見かけたから様子見に来ただけだっての」

「おう、だがその回復薬(ポーション)はアレだろ? 俺が渡した調合法(レシピ)のやつだろ」

「……いや、少し改良した奴だよ」

「なあ、一口くれねぇか?」

 頼み込む様に両手を合わせる男に、クロードは溜息交じりに試験管に収まったそれを渡した。

「へぇ、なんか少し澱んでんな。それに……色が濃い。おう、こりゃあ匂いだけでキマっちまいそうだな」

「だろ? ちなみに、薄めて飲まないとヤバい奴だ」

「…………」

 コルク栓を外して香りを嗅いでいた男が付け加えられた言葉に表情を強張らせ、無言で栓を戻した。

「……どういう意味だ?」

「一瞬でキマるぜ? だが、その後に激しい頭痛と幻聴が聞こえる事だろうよ」

 この大通りの雑踏を十倍ぐらいに濃縮した音を奏でる合唱団(オーケストラ)を頭の中に専属で雇える。と冗談めかして告げるクロードに試験管を返した男は両手で身を抱いて震えあがる。

「おお、こわっ。相変わらずヤバいもん作ってるヤバい奴だな」

「そのヤバいもんを売り回ってるお前もヤバい奴だろ」

 互いに苦笑を零し合う。どちらも危ない道を全力で駆けている者同士なのは変わりない。

「んで、希釈液か?」

「ああ、今あるか?」

「……悪いな、今は無いなぁ。倉庫にはあるだろうが、今すぐいるか?」

「いや、明日までに用意してくれ。それにしても……」

 まさか自身の独自(オリジナル)調合法(レシピ)を一晩で九割近い再現度のモノを完成させ、挙句に量産して怪物祭(モンスターフィリア)の出店で売り出すとは思わなかった。とクロードは溜息を零す。

「つか、ここまで堂々としてて大丈夫なのか?」

「問題無い。ほら、来たぞ」

 商人の男が示した先、店員の少女に声をかけるギルド職員の男性の姿があった。彼は手元の資料を覗き込みながら少女と一言二言交わすと、少女から手の平に収まる小箱をこっそりと受け取ると確認用紙に署名(サイン)を書き込んで次の出店へと足を運んでいった。

「……おいおい、買収済みかよ」

「はっはっは、こういうのは得意でね」

 出店の管理、監視を行っているらしいギルド職員までしっかりと買収を済ませる等、完璧な根回しにクロードは半眼で商人を見やって呟く。

「オマエ、まさか……」

 自分に調合法(レシピ)を聞く以前から計画していたのか、とクロードが胡乱気な視線を向けると男は慌てた様に両手を上げた。

「待て待て、この場所を売り場にしたのは前々からだし。他の売り物を出す積りだったのを急遽変更しただけだ」

 それに、分け前だってしっかり払うって約束したろ。と腕の良い違法薬師(クロード)の反感を買わぬ様に言い繕う商人の男。

 そんな彼にクロードは懐から取り出した金属缶を差し出して告げる。

「これに入るだけ。とりあえずクレ」

「ああ、希釈液の他に必要なモノがあれば言ってくれ、いつもの宿に届けさせるよ」

「了解」

 金属缶に煙草を詰めて貰い、受け取るとクロードは壁に預けていた背を離した。

「行くのか?」

「ああ、面倒な女神様が見えちまったんだ」

「あの糞女神か?」

「そっちじゃねェよ」

 クロードの視線の先、雑踏の中を少年と上機嫌なツインテールの女神の姿があった。

 クリームたっぷりの焼き菓子で女神が「あーん」と食べさせようとしている女神と、それに動揺して視線を彷徨わせ、結果としてクロードを見つけて目を見開いていたのだ。

「ほほぉん、あの白髪のお前がホの字の奴か? ──あいたっ」

「今度そのネタを口にしてみろ。今度は足が捥げるまで蹴るぞ」

 揶揄う商人の足を軽く蹴り上げたクロードは片手を上げると、金属缶を懐に納めて少年の下へ向かう。

「む、何だベル君、ボクの食べかけたものは口に出来ないって言うのかい?」

「い、いえっ!? そういうことじゃなくて、そのっ……そっ、それよりもクローズさんが居ますよ! ほら!」

 歩んでくるクロードを見たベルが慌てて彼女を指差して示す。その様子に女神は僅かに機嫌を悪くした様に膨れる。

「まさか、ボクとデートしてるさ中に他の女の子の話をするなんて。キミは本当にもう……あいたっ」

 ぽすんっ、と膨れた女神の後頭部に軽い衝撃が走る。

 クレープを手に振り返ったヘスティアが見たのは、半眼で呆れ返ったクロードの姿だった。

「クロード君! クロード君じゃないか! キミはこういったお祭りには微塵も興味が無いと思っていたけど、見に来てたのかい?」

「よう、ヘスティアにベル。とりあえず移動しろ、そこの店主の視線が痛い」

 クロードに示され、ベルが振り向くとクレープ屋の店主が生暖かい視線を少年に向けていた。

 傍から見れば女神といちゃついてる所に嫉妬した少女が割り込んだ様にしか見えない事に気付いたベルが表情を強張らせる。その様子に店主が、ぐっ、と親指を立てて少年に笑いかけた。

「いやっ、ちがっ、そういうのじゃ……」

「ベル君、ほら行こうじゃないか! 勿論、クロード君もね!」

「はぁ……ダンジョンに行く積りなんだが……って、聞いてねぇし」

 ともすると何処か壊れた様な上機嫌さで二人の手をとった女神に先導され、ベルは困った様な笑みを浮かべ、クロードは不機嫌そうに口をとがらせた。

 

 


 

 

「────んで、ヘスティアはわかるがベルはどうしてお祭りに? ダンジョンに行ってるもんだと思ってたんだがね」

 闘技場から響く大歓声が外にまで響き渡っており、中で行われる調教(テイム)劇がよほど激しい事を知らせる闘技場周囲。

 楽し気な女神に振り回されて歩き回っているうちに辿り付いた最も混雑している地域に疲れた様なクロードの問いかけに、ベルは、はっ、と思い出した様に小さなガマ口財布を取り出した。

「そうだ、僕、シルさんに財布を届ける様にお願いされてて!」

「……? あのシルが? わざわざ財布を?」

 抜け目無いシルが、財布を忘れる? そんな事が有り得るのか。と普段のシルとの付き合いから首を傾げるクロードを他所に女神が小さく首を傾げる。

「誰だいそれ?」

「はい、酒場の女の子なんですけど、財布を忘れてお祭りに出かけちゃったみたいで────」

 テンションが高すぎて話を聞いてくれなかった女神がようやく話を聞いてくれるとあってベルがしっかりと説明しようとして、途端にヘスティアは不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。

 数日間ヘファイストスの所で頼み込み、ようやく頼みの品が出来て向かった先、眷属二人と出会いお祭りを回れる奇跡的な出来事があって浮かれ切った女神が一気に現実に引き戻された様に半眼でベルを見上げる。

「まぁた、女の子かいベル君」

「え? いや、あの神様、何か勘違いしてませんか?」

 人に頼まれただけです。とベルがあわあわと言い訳を重ねているのを尻目に、クロードは買った串焼き肉を頬張り────響き渡った悲鳴に目を見張った。

「え、悲鳴?」

「なんだいなんだい? 何があったんだい?」

 遠くから響き渡る悲鳴に人々が一瞬立ち尽くし、何があったのかと悲鳴の聞こえた方向へと視線を向ける。

 丁度、ベル達の視線を塞ぐ様に大荷物を載せた馬車が立ち往生していた為、三人には何が起きているのかはわからなかった。

『ガァアアアアアッ!』

「ひぃっ!?」

 大荷物を載せた馬車の荷台が弾け飛ぶ。載せられていた瑞々しい青果が宙に舞い、甘い香りを場に満たす。

 危うく引き潰される寸前だった馬が嘶き、御者だった男が転げ落ち────人々に悲鳴を上げさせる原因が現れてベルとヘスティアが凍り付いた。

「な……モ、モンスター?」

「どうして、こんな街中に……」

「……【燃え上がれ、戦火の残り火】

 全身に真っ白な体毛を生やしている。ごつい体付きの中で異常に隆起した両肩と両腕が目立ち、銀の頭髪が背中に流れ尻尾の様に伸びている。

 『シルバーバック』。

 余りにも突然の出来事に人々は凍り付いて動きを止めていた。

 腰を抜かす者、青褪めて口を覆う者、頬を抓る者、呆けて口を空けたまま見上げる者。そんな中に交じる女神と少年を他所に、一人の小人族が詠唱を唱え煙管に火を入れながら叫ぶ。

「呆けてんな市民(クソ)共ォ! 全員、逃げろぉおおおおおっ!!」

 その警鐘を皮切りに、呆けていた市民達が絶叫を上げて散り散りに逃げていく。それを尻目に叫ぶと同時に駆け出した少女は、左手に普通の煙管を、右手に喧嘩煙管を握り締めシルバーバックへと突っ込んでいく。

 叫び飛び出してきた小柄な少女に対し、シルバーバックは腕を振るった。

 ガコンッ、と拘束具と喧嘩煙管がぶつかり合い火花が散る。

 周囲の邪魔な市民をどかす為に叫んだ所為で奇襲として成立せず、呆気なく防がれた事に舌打ちを零しながらクロードは悪態を付く。

「クソッ、【ガネーシャ・ファミリア】は何してやがんだ!」

 拘束具が付いたままという事はつまり、この『シルバーバック』は怪物祭(モンスターフィリア)の見世物として地上に連れてこられたモンスターと言う事になる。

 本来ならば厳重に檻に閉じ込められ、万が一にでも脱走なんて出来ない様にしているはずのそれが街中に現れるなんぞあってはならない。

 とはいえ、ある意味この怪物は運が無い。見える範囲に武装した冒険者が居たのだから。

「クローズさんっ!」

 自身の名を呼ぶ声に振り返ったクロードは逃げずに女神と共に立ち尽くす少年を見やり、苛立たし気に吐き捨てた。

「ぼ、僕も……た、たたか……」

「うるせぇ糞餓鬼が、ブルって動けねぇ足手纏い庇う余裕なんかねェんだよ! わかったらさっさと逃げろ!」

 明らかに狼狽して足を震わせ動けない様子の少年。一応、彼もダンジョンに行く気だったのか防具もしっかりと身に着け武装はしているが、とてもではないが戦えそうな雰囲気ではない。

 ヘスティアに視線を向け、クロードは告げる。

「さっさとその兎連れて逃げろ!」

「……わかった、クロード君、気を付けるんだよ!」

 彼女の実力からして、目の前のモンスターに遅れはとらないだろうとヘスティアがベルの手を取り、背を向ける。

『ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』

 凄まじい大咆哮。

 背を向けて逃げようとした女神を見たシルバーバックは、咆哮に怯んだクロードを飛び越えてベルとヘスティア目掛けて突っ込んでいく。

「えっ?」

「……神様!」

 間一髪、少年が女神を抱えて飛び退いた瞬間。数舜前まで二人が居た空間をモンスターの巨躯が押し潰した。

 飛び散る瓦礫片に紛れて転がる二人を見て、クロードは目を見張る。

(嘘だろ、オレじゃなくて二人を狙った? ────有り得ねェ!)

 本来ならば攻撃しようとしたクロードに意識(ヘイト)が向いて他に視線をやるなんてありえない。

 新米では相手にならない強さとはいえ、上層に出現し、頭が回るタイプのモンスターではない。目の前の敵から叩き潰そうとする単調な獣染みた行動をとるはずの怪物が、攻撃者(クロード)ではなく逃亡者(ベルとヘスティア)を狙うのは有り得ない。

「────こりゃあ、【ガネーシャ・ファミリア】を後でとっちめねェとな」

 調教(テイム)されている。

 本来ならば有り得ないその行動は、調教(テイム)によって教え込まれたモノの可能性が非常に高い。  

 彼の神、ガネーシャは自らを【群衆の主】を名乗っており、その在り方は善神そのもの。他の神を嵌める様なやり方は絶対にしないと言える。つまり他の神が何かしでかしたか、【ガネーシャ・ファミリア】を貶める為の行為か。

 どちらにせよ、彼女の行動に変化はない。

「此処で潰すッ!!」

 きょろきょろ、と呑気に舞い上がる土煙に紛れたベルとヘスティアの二人を探すシルバーバックの背中目掛け、クロードが喧嘩煙管を振るおうとし────

「クロード君っ、危ない!」

 ────女神の放った警告に身を引く。

「んぁっ!?」

 最後の踏み込みを留め、横っ飛びに跳んだ瞬間。少女の居た空間に、ザンッ、と鋭い空を切る音が響く。

 飛び退いて人気の消えた大通りの端に転がったクロードが顔を上げると、其処には別種のモンスターの姿があった。

 姿形は牡鹿によく似ている。しかし決定的に違うのは、雄々しく生えた角が鋭い刃となっている所だろう。二回り程大きいその目は爛々と真っ赤に染まり、クロードを真っ直ぐ見据えて前足で地面を蹴っていた。

「────嘘だろ、中層のモンスターじゃねェか」

 『ソードスタッグ』剣の様に鋭い角を備えた牡鹿のモンスター。出現階層は中層。

 視線をやれば、彼のモンスターが通ってきたであろう通りにあったモノは片っ端から切断されて転がっている。それこそ、木組みの屋台から、鋼鉄製の魔石灯まで。その切れ味がどれほど鋭いのかを物語っていた。

 そんな中層の怪物がクロードを標的と捉えて嘶いている。

 突然現れた乱入者を他所に、シルバーバックはヘスティアを狙って手を伸ばしており、ベルが慌てて女神を抱えて逃げ出していく。

 最初に攻撃を加えたはずのクロードの事など頭に無いのか、そのまま二人を追っていく雄猿を他所に、クロードは溢れ返る冷や汗を零しながら牡鹿と対峙した。

「くはっ……ヤベェ……このモンスターはヤベェ」

 防具とか以前に、あの剣角に触れただけで叩き斬られる。だったらシルバーバックの方がはるかにマシだし、そもそもシルバーバックならまだしも、中層の怪物なんて相手にしていられない。

 ダンジョン内で人目が無いならまだしも、街中で遠くから観戦してる(バカ)まで居る所で奥の手も切れない。

「……あァ、クソ過ぎるだろ」

 他の冒険者は応援に来ないのか、と大通りの中央で紫煙を燻らせたクロードは、直ぐに諦めた様に溜息を零し、横っ飛びに飛び退いた。

 ギャリギャリギャリィイイイッッ、と剣角の先で地面を削りながら突っ込んできた牡鹿の突進を回避しながら、横っ腹を殴ろうとするが攻撃距離(リーチ)が圧倒的に足りない。

 クロードが手を伸ばして喧嘩煙管が届く限界の範囲(リーチ)ですら、剣角の範囲(リーチ)内である。回避の為に距離をとっていたのでは攻撃が出来ない。

「──クソッ!」

 二度、三度と大きく円を描いて突進を繰り返し続けるソードスタッグに対し、クロードは回避するので手一杯だ。

 能力(ステイタス)と体格さえあれば真正面から受け止めて叩き潰す所だが、彼女にはそんなものはない。

 回避し続けてもジリ貧である事に加え、ベルを追って行ったシルバーバックも彼女からすれば気掛かりの一つだった。

 もし、もしも、だ。万が一にでも少年が女神を守り切れず、命を落とす事があれば。

 少年が死んだのなら、運が悪かったな、と鼻で笑うだけで済む。しかし女神が死んだのであれば────それはつまりクロードの恩恵が無効化される事を意味する。

 全身全霊で回避を繰り返してようやく生き残っている状況で恩恵を失うなんて、考えたくも無い事だった。

「……クソ過ぎ、マジで、クソだなこのっ!」

 やり過ごそうにも、大通りから外れた下手な細道では剣角の回避すらままならずに切り刻まれてお陀仏。大通りでは能力(ステイタス)差から逃げる事も出来ない。

 故に、彼女に出来るのは女神が死なない事を祈りながら救援を待つ事のみで────

(糞喰らえってんだ)

 吐き捨てた。

 心の底から、自身の考えを唾棄する。

 能力(ステイタス)が足りない。状況が悪く魔法やスキルが使えない。運に見放された。

 そんなちんけな理由で、自らの置かれた状況を打開しようともしない。そんな腐った人間(クズ)に堕ちる事など、彼女には耐え難い拷問にも等しい事だった。

「くはっ、見てろよ神々(クソ)共」

 大きく息を吸い、何度目かの突進攻撃に対しクロードは地を蹴った。木組みの屋台を足掛かりにして大通りの左右の店の壁を蹴り、更に高く。そのすぐ真下を、モンスターの剣角が抉る。

 真下を駆け抜けたソードスタッグは即座に反転し、中空から落下中のクロードを標的に定めた。

 ただ落ちる事しか出来ない彼女は、次の攻撃は回避できない。

【肺腑は腐り、脳髄蕩ける────堕落齎す、紫煙の誘惑】

 落下しながらの詠唱。加えて一瞬だけ喧嘩煙管から手を放して腰のポーチから回復薬(ポーション)────薄めていない濃度の濃い方────を取り出し飲み干し、懐から取り出した金属缶の中身を一気にぶちまけ、着火。

 迫る剣角を前にクロードは多量の紫煙を纏いながら獰猛に嗤い、中空に舞う喧嘩煙管を両手で引っ掴んだ。

 紫煙をソードスタッグの剣角が切り裂き、彼女の身体を切り刻まんとした瞬間────クロードが両手に持った煙管を全力で振るう。

「これでも、喰らってろぉおおおおおおおおおおおおっ!」

 喧嘩煙管と剣角が真正面からぶつかり合い、甲高い音色を響かせた。

 ミシリッ、と軋む音が響き、次の瞬間には剣角が圧し折れ、牡鹿の巨躯が押し返される。

 飛び散る剣角の破片を他所に、大きく後ろに弾かれたクロードはその勢いのままに転がりながら大きく怯んだソードスタッグを睨み、詠唱を唱える。

【此の世に満ちよ、汝等に与えられた火の加護よ────戦場に満ちよ、汝等の加護(のろい)が齎す災厄よ】

 転がりきった所で、満ちた魔力を周囲に散った煙に向ける。

 怯みはしたし、剣角の片方を圧し折られた。それでも戦意を漲らせたままのソードスタッグは残された片方の剣角で切り刻まんと、三度目の突進を────出来なかった。

 牡鹿が足を進めんとするが、動けない。

 風に流されてしまいそうな程に頼りない紫煙が、まるで堅牢な拘束具を思わせる程の拘束力を持って牡鹿を抑え込んでいた。

「くはっ……ああ、糞……鼻血が出やがる」

 ボタボタッ、とクロードは鼻から血を零しながら牙を剥く様な、獣を思わせる様な笑みを浮かべて牡鹿を真正面から見やった。

 灰に染まった瞳の奥、燻る炎を思わせる深紅の色が浮かび上がる。燃え残った火の光に、牡鹿は何を想ったのか怯えた様に後退ろうとする。しかし、紫煙の拘束は解かれていない。

「おいおい、ビビんなよ……それでもモンスターか?」

 鼻血を袖で拭い、それでも溢れてくる血をクロードが舐め、右手を牡鹿に差し向けた。

 瞬間、周囲でただ揺蕩うだけの紫煙が形を変えていく。

 鋭く尖った杭だ。一度刺されば抜けなくなるように、大きなかえしのついたそれらが数え切れない程の数が切っ先を牡鹿に向け、全方位から囲んでいる。

 怯えて恐怖した様に身をくねらせ、拘束から脱しようとする牡鹿。

 クロードはそんな様子を気にするでもなく、開いた手を、閉じる。

 瞬間、その動きに反応した様に無数の杭が一斉に牡鹿目掛けて飛来した。瞬く間に刺さる所が無くなる程に杭を突き込まれ、針の筵ならぬ杭の筵状態だ。

「終わった、か」

 鼻血を拭いながら彼女が魔法を解くと、紫煙で形作られていた無数の杭は空に溶ける様に消えていく。

 穴だらけの原型を留めない肉の塊を前に、クロードは軽く息を吐いた。

「ああ、クソッ、鼻血が止まらねェぞ。こんな副作用は想定外だな……」




 オクスリ過剰摂取の副作用で鼻血ブシャー。

 加えて、この後中毒症状の幻覚とか幻聴とかで気が狂っちゃ────元から狂ってますね。なら問題ありません。

 なにも、もんだい、ない。いいね?


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第一一話

 本来ならば人で溢れ返っているはずの大通り。

 突然のモンスターの出現によってほとんどの市民が逃げ出し、今や怪物が刻んだ破壊の痕跡がいくつか残るのみとなっている。

 そんな通りの中央で小人族(パルゥム)の少女は溢れ出てくる鼻血を抑えて顔色を真っ青にしていた。

「ああ、ヤバい……」

 血が止まらない。加えて頭痛が彼女の脳内を搔き乱して視界が揺れ始める。

 ぐらり、と姿勢を崩しかけながらも、袖を真っ赤に染めたクロードは聞こえる咆哮に嗤いを零した。

「くひっ、おいおい……まぁだ、怪物の咆哮(こえ)が聞こえんぞ……」

 ついさっき格上の『ソードスタッグ』を()()()に変えたばかりだというのに、と少女は、ぜぇ、ぜぇ、と荒い息を零して顔を上げ────表情を強張らせた。

 彼女が使用したのは瞬間的にイイ気分にさせる代わり、重度の中毒症状によって幻聴と頭痛を誘発する自作薬物の作用を持つ回復薬(ポーション)だ。それの副作用か鼻血が出ていた彼女は、てっきり今なお聞こえ続けていたモンスターの咆哮は幻覚だろう、と思っていた。

 しかし、それは違う。

「あ、ははっ……おい、おいおい……追加注文した、記憶はねェんだけどな」

 血塗れの袖で垂れてきた鼻血を拭い、大通りを我が物顔で歩む異形達を見上げたクロードは、引き攣る頬を強引に釣り上げ、腰のポーチをまさぐる。

 一匹は『トロール』。巨人のモンスターで知性は低いものの、その巨体から繰り出される攻撃は並の冒険者を防具諸共拉げ壊すのに十二分な威力を持っている。

 もう一匹は『バグベアー』。熊のような見た目をした大型級モンスター。野生動物としての熊の危険性を鑑みれば説明されずともわかる程の危険性を持つうえ、その両腕には鋭い大爪が備えられている。

「二匹、どころか……こうなると、もっと沢山逃げてんだろォな」

 口角を吊り上げたクロードは薬の効果が切れる前に、と煙管に煙草を入れようとポーチを漁り続け、その口角が徐々につり下がっていく。

 口をへの字に曲げたクロードは、完全に自身を標的と定めて速度を速める二匹のモンスターを前にし、呟いた。

「……さっきので使い切ったわ」

 既に『紫煙』は風に攫われてその場に無い。そして触媒であり紫煙の発生源として使用するはずの煙草も全て使い切った。残っているのは違法回復薬(ポーション)が数本と、治療用の包帯や止血剤等のみ。

 舌打ちを零した彼女は、このまま立ち向かっても打つ手が無いと即座に身を翻そうとして────微かに響いた声に足を止めた。

『────逃げても、良いんだぞ?』

 ぐるんっ、と声の聞こえた方向へと視線を巡らせる。

 周囲に立ち並ぶ建物の二階、もしくは三階から聞こえたと思しき声にクロードは視線を上げて探し回る。

(誰だ…………何処だ…………何処に、居やがる!)

 奥歯を強く噛み締め、口内に流れ込んだ血を吐き捨て、クロードは声の主を探そうとして────ズンッ、と石畳を力強く踏み付ける音を聞いた。

「────ぁ?」

『ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』

 雄叫びと共に毛むくじゃらの巨腕を振り下ろそうとする『バグベアー』。

 自身が先ほど聞いた()がただの幻聴だと気付きながら、クロードは即座に身を投げ出しながら煙管を盾にし、弾き飛ばされる。

 ごすんっ、と鈍い音と共に、小さな体が呆気なく吹き飛ばされて大通り中央に設置されていたいくつかの露店を蹴散らしながら飛んでいく。

 壺や工芸品等が並べられていたらしい露店の商品陳列棚に突っ込んだクロードは、覆い被さっていた天幕の布地を払い除け、残骸の中から這い出た。

「ぐっ、ぁ……はぁ、ぜぇ……あぁ、糞……」

 腕に刺さった金属片を見やり、クロードは自身を攻撃した熊のモンスターを見やる。

 彼の怪物は得物が仕留め切れていない事に腹を立てたのか、咆哮を上げてクロードを真っ直ぐ見据えていた。その後ろ、トロールは露店の商売道具として置かれていたであろう魔石焜炉を両手で持ち上げていた。「おい……待て、んな……クソッ!」

 モンスターの腕力による全力投球。

 クロードが慌てて飛び退いた瞬間、魔石焜炉が露店に叩き込まれ────炎上。

 火を止めずに店主が逃げていたのか、それとも熱せられていた焜炉が他の可燃性物質に反応したのか、一瞬で大通り中央に炎が立ち込める。

「あぁ、痛ェな……クソ、クソッ!」

 炎に煽られながらも回避した先、待ち構える様に巨腕を振り上げた熊顔にクロードは得物を構えようとして────握って居た筈の得物が無いことに気付いた。

 それどころか、右腕が肘の辺りからぶらぶらと頼りなさげに揺れている。

「や、べぇ……!」

 彼女が気付かぬ間に、彼女の腕は折れていたのだ。そう、最初にバグベアーから放たれた一撃を防御した、あの時にはすでに。

 回避ではなく防御を選んでしまった。故に、クロードは今更回避行動はとれない。

 クロードが身に着けている軽装では、巨爪を防ぐこと等不可能だろう。故に、詰み。

「──────」

 もはや他にとれる行動の無いクロードは、優しく響く声を聞いた。

『誰もキミを責めないさ。そんな努力なんかやめて、好きに生きればいいんだ』

 何処までも優しく、気を使った様な、声。腑抜けた、気持ちの悪い、父親の声だ。

(五月蠅ェ……)

 幻聴であり、彼女にとっての走馬灯が駆け抜けていく。

 優しい、と言えば聞こえはいい。実際の所は婿養子として母の家に名を連ねただけの凡人で、居所が無いせいで気弱に育っただけの腑抜け。

 子供に無理をさせようとしない、良い父親だった。と言えば聞こえは良い。実際には『才能が無かった』と全てを諦めて養ってもらってる紐。

 そんな実父が、毎日の様に優しく()()を諭す。『キミには才能が無いんだ』と。

 カッ、と体の内側から発火した様な熱が溢れ返る。身を焦がし、心を焦がし、魂を焦がす。全てを焼き尽くさんばかりの怒りと憎悪。

 無駄だから、才能が無いから、そんな風に諦めて腑抜けた笑みを浮かべるあの父親に。

(あァ、クソ過ぎんだヨ……どいつも、こいつも)

 そして何より。

(頑張って、努力して、外法にまで身を染めて……この程度なのかよ)

 大きく振りかぶられた巨腕、自身の体を引き裂くであろう大爪を見やり、クロードは少しでも致命傷を避けようと努力を続ける。

 顔と胸を庇い、致命傷を避ける。運が良ければ救援が間に合って、運が良ければちょっと体を齧られるだけで済んで────()()()()()()

(────じゃあ、死んだ方がマシだな)

 結局、最後に生き残る奴は。運の良い奴だった。

 兄達にはクロードには無い溢れんばかりの才能があった。だが死んだ。糞程くだらない、陳腐な理由で命を落とした。そして、才能の無い凡人(クズ)だけが生き残った。

(そうだよ、いま、みたいに)

 刃が閃き、振り下ろされるはずだった巨腕がくるくると宙を舞う。

 クロードには知覚できない程の速度で突然に割り込んだ誰が、銀の射線を走らせる。

 呆気なく、バグベアーの腕は切り飛ばされた。そして、すかさず放たれた剣尖が熊のモンスターの胸を貫く。

 瞬く間に灰が舞い散る中、クロードは姿勢を崩して石畳に転げ、顔を上げる。

 その時には既に、もう一匹のトロールは灰塵となって風に乗って舞っていた。

(また……死に、損ねたか)

 瞬く間に、ほんの一瞬の間に、自身では手も足もでなかった怪物は。一人の冒険者によって瞬殺された。呆気なく、余韻も残さず、あたかも端からそんなモンスター等存在しなかったかのように、金髪の少女はとんっ、と石畳に軽い音を立てて降り立った。

「……大丈夫ですか?」

 金の長髪をたなびかせ、振り返った【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインの問いかけに、クロードは軽く息を吐いて折れた腕を上げた。

「これが大丈夫に見えるなら、大丈夫なんだろうよ」

 皮肉気に呟かれた言葉を聞いたアイズが、直ぐに応急処置をしようと足を踏み出しかけ、止まった。

 遠くから悲鳴と怒号が響いている。逃げ遅れた市民がモンスターに追われているのだと察し、目の前の怪我人か市民、どちらを優先すべきか判断に迷うアイズ。そんな彼女にクロードは肩を竦めた。

「行けよ、オレはこう見えても冒険者だぜ? 腕一本折れただけの軽傷さ」

「……でも、血塗れですよ」

「優先すべきは冒険者よりも市民だろ」

 きっぱりと告げたクロードは立ち上がり、折れた腕の位置を調整しながら歩き出す。

「何処に行くんですか?」

「あァ? 市民救出に行く様にでも見えるか? これ以上は御免だね。【剣姫】様も来た事だし、邪魔者は帰る事にすんだヨ」

 肩を竦めたクロードは折れた腕を抑えながらふらふらと悲鳴の上がった方向とは反対へと歩んでいく。途中、圧し折れて転がった煙管に視線をやって、深く溜息を零している。

 その背を見たアイズは、直ぐに反転して悲鳴の上がった方向へと全速力で駆け出した。

 

 


 

 

 闘技場施設の直近にてクロードは治療を受けながらギルト職員から質問を投げかけられていた。

「それで、モンスターを倒した、と?」

「アァ、だからそう言ってんだろォ?」

 腕が折れたまま現場を離れようとしていたクロードは、運悪くモンスターを探し回っていた冒険者に発見されて保護されたのだ。

 傍から見れば片腕が折れ、血塗れの状態は保護するに値する状況故に仕方が無いだろう。だが、クロードとしては直ぐにでも白髪の少年と女神を追わなくてはいけない状況であったのだ。

 それ故に解放を望んだものの、いくらなんでもその怪我をほうってはおけない。自分達が対応する、と引き留められている。

「んで、白髪の新米冒険者と女神様は見つかったのか?」

「いや、まだそういった報告は上がっていないが」

「だったら、さっさと治療を終わらせろ。テメェら薄ノロ派閥がモンスター逃がした所為でこちとら大怪我なうえ、恩恵くれた女神様がぶっ殺される寸前なんだぞ!」

 荒い口調で吠えるクロードに対し、彼女を保護し治療院まで連れてきて様子を見ていた冒険者が表情を歪ませる。

「【ガネーシャ・ファミリア】を『薄ノロ派閥』だと!」

「アァ? モンスター逃がして市民に迷惑かけといて、何が『群衆の主』だ、嗤わせんなよ。テメェ等が薄ノロじゃなかったら、何だってんだ? どんな理由がありゃあ、他派閥の女神の(ケツ)追っかける様な発情猿を逃がすってんだ?」

 挑発的、というよりはもはや喧嘩腰で件の派閥、【ガネーシャ・ファミリア】の構成員である冒険者に声を張り上げるクロード。

 彼らが逃がしたモンスターに殺されかけ、挙句直ぐにでも追わなければ危ない状況に女神があるというのに怪我人は大人しくしていろ、と抑えられて動けない。

 まるで自作自演(マッチポンプ)の様な状況に彼女の苛立ちは最高潮に達しようとしていた。

 派閥を侮辱されて顔を赤くした冒険者が我慢ならない、と彼女に詰め寄ろうとしてギルド職員に抑えられている。

「お、落ち着いてください! それに、貴女もあまり挑発的な事を言わないでください!」

「退け! その無礼な小娘を黙らせろ!」

「あっはっは、無礼だなんだって吠える前に、さっさと自分達で逃がしたモンスターを自分達で始末しろ。自分のケツも拭けねェ【ファミリア】の癖に一丁前に吠えんなよ。一匹はオレが仕留めてやったんだろォがよ!」

 むしろ感謝して足でも舐めろ、とクロードが挑発し、激昂した冒険者の男が剣を抜きかけた所で、声が響いた。

「ああ、相変わらず口わっるいなぁ~」

 気の抜けた様な笑みを浮かべて現れたのは緋色の髪をした女神。

 つい先ほど、逃走したモンスターの鎮圧に協力した【ロキ・ファミリア】の主神、ロキだ。

「アァ? ロキか、何か用かよ」

「いやぁ~、いくらんでもガネーシャん所に喧嘩売るんは止めといた方がええって忠告しに来たんやで?」

 周囲に聞こえる程の大声のやり取りに聞き覚えのあったロキが様子を見に来たのだ。

「おい、ロキ、こいつら黙らせろ。テメェ等には貸しがあんだろ、手ェ貸せ。オレはさっさと行かなきゃいけねェんだよ」

 相当苛立っているのだろう、大派閥の主神を顎で使う様な言動にギルド職員が青褪めた。

 都市最大派閥の【ガネーシャ・ファミリア】に対し『薄ノロ派閥』等と侮辱し、都市最強派閥の【ロキ・ファミリア】の主神を顎で使う。冗談にしても酷い。

「んな事言われてもなぁ~……」

 対し、ロキの方は青褪めるギルド職員に軽く目配せをし、ガネーシャの眷属に声をかけた。

「この子の事はウチに任せてくれへん?」

「いくら協力に応じてくれたロキ派閥の主神の頼みでもできません。こいつは【ガネーシャ・ファミリア】を侮辱した」

「あァ? 侮辱ゥ? 事実の間違いだろォが、ンな事もわかんねェのか。本物(マジモン)の薄ノロじゃねェか」

「こいつ……っ!」

 もはや抑えるのも限界か、とギルド職員が白目を剥きかけ、ロキが大きく手を叩いた。

「はい、すとーっぷ。二人とも止めえや。特にクロード。今はウチの子らがモンスター探しに出て行ってくれとるから大丈────」

「五月蠅ェんだよ、黙れ!」

 宥めようとするロキの声を掻き消す様に、クロードが吠えた。

 ロキが眉を顰め、ガネーシャの眷属を留める。

「あー、こりゃあ……はあ~。とりあえず落ち着きいや。今の所、怪我人はぜ……アンタ一人やし。他に怪我人はおらん。ドチビも無事やろ」

「怪我人がゼロ? はっ、テメェが仕組んだのか? ()()()()()()()()()()()()()()?」

 濁った瞳でロキを見据え、クロードがショートソードの柄に手をかける。苛立ちは限界を迎えかけ、今すぐにでも爆発しそうな程に膨れ上がった怒気にロキは表情を引き締めた。

「まず、ウチは何もしとらん。せやけど、この騒ぎが何か仕組まれとるかもしらん、とは思っとる。情報も欲しいし、何があったんか教えてくれへん?」

「……オレを無視しやがった」

「無視?」

 わなわなと震えたクロードが苛立たし気にガネーシャの眷属を睨みつける。

調教(テイム)済みじゃなきゃ説明が付かねェよなァ? モンスターの習性を知り尽くした【調教師集団(ガネーシャ・ファミリア)】ならよォ?」

 爆発寸前の状態で抑え込んでいるクロードの睨み付けを受けて、睨み返すガネーシャの眷属。彼も頭に血が上って話を理解できていないらしい。

 しかし、クロードの話を聞いたロキはおおよそ察しがついた。そして、クロードが激昂しかけている理由も察した。

 要するにクロードは、この騒ぎは【ガネーシャ・ファミリア】が意図して起こした事じゃないのか。それに巻き込まれたのではないか、と勘繰り、キレている。

 そして口の悪さが祟って、ガネーシャの眷属をキレさせている。その結果、話が大きく拗れている訳だ。

「はぁ~、クロードたんは口の悪さ直した方がええよ~?」

「あァ?」

「んで、そっちも、とりあえずここはウチの顔に免じて今は引いてくれへん?」

「しかし!」

「頼むわほんま。それに、ウチとデートする予定やったアイズたん働かせといて、ここでガネーシャん所の子が問答しとるっちゅうんやったら……なぁ?」

 激昂していたガネーシャの眷属が一瞬で青褪め、正気に戻る。

 自身の派閥が起こした問題を放っておいて侮辱された事に対処する暇があるのに、他派閥の眷属を働かせる積りか、と。

「……っ、そこのお前、後で覚えていろよ!」

「テメェこそ忘れんなよ。武器の修理費と治療費、テメェらに請求するからな」

 最後まで挑発を止めようともしないクロードに対し、男は咄嗟に言い返しかけ、ロキに笑顔を向けられて舌打ちを零すとその場を去っていく。

「あの、ありがとうございます。神ロキ」

「ええよ、それよりこの子の相手はウチがするから他の応援行ったってえな」

「はい」

 一触即発の状況で青褪めていたギルド職員もロキに礼を告げると、他の所で職員に助けを求めてやってきた市民の対応の方へと駆け出していく。

 その様子を見ていたロキが振り返り、クロードの方へ視線を向けると。

「って、何やってんねん」

「あァ? さっさと、女神探しに行くんだよ。文句あんのか?」

 折れた右腕に添え木を着け高位回復薬(ポーション)をぶっかけただけの簡易な治療しかしていないクロードは、何事も無かった様に血塗れのまま女神を捜索に行こうとする彼女にロキは溜息を零しかけた。

「その怪我で動くんは良くないで」

「はっ、五月蠅ェな。どいつもこいつも……本当に、五月蠅い」

 ギリリッ、と奥歯を噛み締めたクロードが五月蠅い、五月蠅いと呟きながらふらふらと歩いていこうとする。

 半ば呆れながらもロキはそれに続こうとし、突然足を止めたクロードを見て首を傾げた。

「どしたん? 行くんやないん?」

「………………」

 クロードがじっと見つめる先を見やり、ロキは眉を顰めた。

『娘がっ、娘が居ないんです!? この騒ぎで逸れてしまって……』

『落ち着いてください。ご息女の特徴を教えてください……』

 混乱をきたす市民を誘導している様子のギルド職員達の方へと視線を向けている事に気付いたロキは、ほんの少し首を傾げる。

 先までの激昂寸前な様子から打って変わって、今のクロードは凪いだ様に大人しい。だが、その奥に凄まじい熱量が秘められているのは察しがつく。一体、彼女が何を見てそんな風になったのか察しがつかずにロキが眉を顰める横で、クロードは一点を見つめていた。

 ギルド職員に詰め寄っている男達が居た。

『俺の露店がモンスターに潰されちまったじゃねえか!』

『どうしてくれんだ、稼ぎがパァだぞ!』

『お、落ち着いてください。この件に関しては騒ぎが落ち着き次第、補填の方を……』

 声を張り上げて文句を叫ぶ露店商人達にギルド職員がわたわたと対応している。

 その様子を見ていたクロードは、何も言わずにそちらに足を向け、進んで行く。それを見たロキは荒事になるかもしれないと危惧して周囲の冒険者に視線を巡らせるが、この場にはロキの眷属は一人も居ない。加えて、戦力になりそうな冒険者はほぼ出払っており、残っているのは非戦闘員のギルド職員等ばかり。

 クロードが爆発したら不味いな~、とロキが表情を険しくした。

 そんな女神の思惑等知った事ではない、とクロードは大声でギルド職員に詰め寄る男達を無視して通り過ぎ、その奥、座り込んで頭を抱えている者達の方へ近づいていく。

「んぁ……? なんや?」

 喚く者たちに突っかかるのかと思えばそうでも無いのか、とロキが安堵しかけ、すぐに表情を強張らせた。

 あろうことか、クロードは頭を抱えて座り込んでいた集団の前で足を止めたのだ。

「あ、あかんかも知らんなぁ~」

 【ガネーシャ・ファミリア】への侮辱に関しては、彼女自身が逃走したモンスターと戦闘を行って負傷していた事もあり、性格的に仕方ないと庇おうとは思う。しかし、流石に市民に対して手を出すのは庇えない。

 止めようと足を進めるロキの前で、クロードは彼らを見下し、口を開いた。

「あァ、悪かったなァ? テメェらの露店潰しちまってヨォ? こちとら、【剣姫】様と違って強くもなんともねェ、ただの雑魚冒険者なんだわ。あんなクソデカなモンスター相手にチビっちまうぐれぇのな」

「な、なんだお前……」

「なんだって、謝りにきてやったんだろォが」

 後ろから見ていたロキが思わず吹き出しかける。少なくとも、謝りにきた者の態度ではない。上から目線で見下ろす彼女に対し、露店商人らしき男達は完全に怯んでいる。

 彼女が血塗れなのもそうだし、あの場で咄嗟に市民を逃がして彼らを庇った冒険者だから、というのもあるだろう。しかし、だとすると彼女が彼らに『謝る』理由がわからない、とロキが首を傾げる間に、クロードはへらへらと嗤いだした。

「オレみたいな糞雑魚冒険者が勝手に搔き乱した所為で、アンタ等の露店潰れちまってさァ? 悪かったよ」

「ま、待てよ。別にそこまで言ってないだろ」

「あァ? 『【剣姫】みたいにさっさと倒してくれれば俺の露店は潰れなかったのに』なんて文句垂れて何言ってんだ? どいつもこいつも文句ばっか一丁前に垂れ流しやがる。生まれ立ての赤ん坊かっての」

 男達が言い返そうと立ち上がるのを、クロードは見向きもしない。

 その様子に彼等も頭に来たのか立ち上がり、彼女を睨み付けた。

 ただでさえ混乱している市民を更に混乱させようとしているクロードの行動に、ギルド職員が青褪め、その中のハーフエルフの女性が慌てて彼女を止めんと飛び出してくる。

「待ってください。落ち着いて、クローズ氏も今は言葉を謹んで……」

「あァ? んだよ、エイナかよ」

 反省の色を見せないクロードと怒りの色を宿した露店商人達に挟まれたエイナがどちらから宥めるべきか、と視線を彷徨わせる間に、血がこびりついた銀髪を揺らしたクロードが懐から煙管を取り出し、口に咥えた。

「まァ、いいわ。今度からソイツ等がモンスターに襲われてても、オレは真っ先に逃げる事にするヨ。なんたって、ソイツ等は【剣姫】様に助けて欲しかったみたいだしなァ」

 オレみたいな糞雑魚冒険者が出しゃばり過ぎたワ、と吐き捨てると、エイナの制止を無視し、クロードは駆け出した。

 残った露店商人達にエイナが一言二言告げ、直ぐに別の対応に追われてぱたぱたと駆けていく。

 ロキは残った露店商人達が零す愚痴に僅かに耳を傾け、納得した後に肩を竦めた。

「そりゃあ、クロードもキレるかぁ……」

 

 


 

 

『【剣姫】はサクッと片付けてくれたのに、あの冒険者ときたら……』

『あの冒険者がもっと早く仕留めてくれれば……』

 人通りの少ない路地を駆けるクロードの鼓膜には、先の商人がぼやいた愚痴がこびりつき、反響していた。

 やけに苛立つ。異常な程に自身の沸点が低くなっており、喧嘩っ早くなっているのを自覚できる。加えて、幻聴が耐えやまず響き続け、彼女の精神を犯していた。

「クソ、クソ……【剣姫】みたいに? 出来る訳ねェだろ」

 冒険者として活動しはじめて早2カ月と少し。ランクアップすらしていない駆け出し冒険者の彼女に求めるのは酷と言える要求。────露店を潰された彼らからすれば、知った事ではないが。誰しも、その立場に立てば文句を零すに決まっている。彼女にも、それが理解できる。

「……るさいな」

 聞こえる。彼女の鼓膜にこびり付いて離れない台詞の数々が。

『あの天才音楽家の弟さん? 是非とも聞かせて欲しいわ』

『へぇ、この子があの剣道で優勝したアイツの弟か。一本、勝負してみようぜ?』

『あの人の弟なら、これぐらいわかるわよね?』

 無駄に重たい期待の言葉。期待されている、兄達の様な活躍を、兄達の様な天才性を、皆が期待するのだ。

『……えっと、とても、独創的だと思うわ』

『なんだ、アイツの弟だっていうからもっと強いと思ったんだけど、この程度か』

『こんな事もわからないの? 本当にあの人の弟?』

 何故、何故、何故。その期待に応えられない。何故、その期待に沿えない。

 努力を重ねても、何をしても、その期待に掠りもしない。何故、どうして?

「五月蠅い、五月蠅い!」

 楽器が奏でる不協和音が、竹刀を素振りする音が、本の頁を捲る音が、ペンを走らせる音が、耳にこびり付いて離れない。

 耳障りで、不愉快な音が途絶えない。薬の副作用だといのは、彼女にも理解できる。だが、耐えられるかどうかは別だ。

「五月蠅いなァ!?」

 人通りの無い裏路地、置かれていた木箱を蹴り砕いたクロードは、荒い息を吐きながら一歩を踏み出す。

 重い期待の数々。応えられないそれらは重く、苦しく、何より応えられない自分自身に苛立つ。そして、そして────。

『キミには才能が無かったんだよ』

 目を見開いたクロードは、煙管の吸い口を噛み砕いた。

 破片が唇に刺さり、血が零れ落ちる。黒ずみはじめた血塗れの首元に新たな赤色を付け加えながら、吸い口を噛み砕いた煙管を投げ捨てる。

「五月蠅ェんだよ」

 誰もかれもが、最後にはこう言うのだ。『才能が無かった』と。

「黙れよ」

 『才能が無かった』。と、都合の良い言い訳の様にそんな事を口にする。そんな者達の大半が────。

「くひっ、嗤えるよなァ……」

 引き攣ったような笑みを浮かべ、クロードは顔を上げた。

 目の前にはよじれた様な通路、壁から不自然に飛び出した正方形の部屋、入り混じる無数の階段。ともすれば騙し絵(トロンプ・ルイユ)と言われても納得しそうな程の雑然とした街が広がっていた。

 未だに鼓膜にこびり付いて離れない雑多な音にクロードは肩を揺らしながら、その奥から聞こえる僅かな戦闘音に耳を傾けた。

「……あァ、其処か」

 都市の貧民層が暮らす複雑怪奇な領域。都市設計をした奇人の名を称されたその場所は、『ダイダロス通り』。

 一度入れば二度と出てこられないとすら言われ、そして納得してしまえるだけの複雑怪奇な区画だ。

 その奥、微かにモンスターの咆哮が聞こえる。少なくとも、幻聴に囚われているクロードの耳には届いている。

「くひっ、こっちか……」

 まるでそこに住まう者達の様に、一切迷う事なく音の発生源に複雑怪奇な軌道を進んで行く。

 徐々に近づく戦闘音に、クロードは最後に残ったショートソードの柄を強く握り締め、音の出処らしき場所に近づく。

 大きな三軒の家に囲まれた袋小路。場所は特定できている。

 故に、クロードは迷わずその場へと突入しようとし────足を止めた。

 本来ならば白いはずの『シルバーバック』の背中が見えた。それは、灰色に染まっていた。

 つい先ほどまで激しい攻防があったのか、周囲には瓦礫が散見されるのに、モンスターは時を止めたかのように動かない。

 遂には、時を止めていたモンスターの体が、ボロリ、と崩れ落ちる。瞬く間にその体は灰となり、風に攫われて消えていく。

「……ンだよ、他に冒険者が居たのか」

 慌てて来て損した、とクロードがぼやこうとして────モンスターの陰に存在していた人物を見て息を詰まらせた。

 カランッ、と一本のナイフが石畳に転がり落ちる。

「………………」

 そして、歓声が響き渡った。

 隠れていたであろう市民達が顔を出し、口々に()()冒険者を褒め称える声が響き渡る。

 ぞろぞろと市民達が姿を現すのを他所に、呆然とその場面を見ていたクロードは、一人の男に声をかけた。

「おい、アンタ……ここに、シルバーバック、来ただロ?」

「ああ、アンタ冒険者かい。遅かったね、あの子が一撃で仕留めちまったよ! って、アンタ血塗れじゃないか、大丈夫なのか!?」

「あァ、治療済み。慌てて追ってきた、だけ……だヨ」

 白髪で、赤眼で、兎っぽい見た目の少年が『シルバーバック』を相手に、()()()仕留めた、と。

 誰もかれもが褒め称える中、人混みに埋もれたクロードは、口角を吊り上げて嗤っていた。

「くはっ……オマエ、ソッチ側なのか」




 一つ連絡事項。

 誤字修正下さった方々、誠にありがとうございます。

 ですが、幾人か誤解された方がいらっしゃった様ですので一つ連絡の方させていただきます。

 クロードのフルネームは『クロード・クローズ』です。

 そしてベルはクロードの事を家名(クローズ)の方で呼んでいます。

 そのため、ベルの台詞に関しては『クローズさん』という呼び方は間違いではないので報告の方は必要ありません。

 同じ報告が幾度も来ていました為、周知して頂けると助かります。


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第一二話

「ななぁかぁいそぉ~?」

「は、はひぃっ!?」

 その瞬間、ベルの絶頂期は終わりを迎えた。

 本日7階層の探索を終えたベルは、女神から贈られたナイフの存在もあり、つい先ほど上機嫌にギルドへと凱旋した。戦利品を換金し終えた彼は、自身のアドバイザーでもあるエイナの下へ顔を出すがてら、近況報告をと意気揚々に足を運んだのだが────到着階層を7階層まで増やしたと告げたのが運の尽き。

「キィミィはっ! 私の言った事全然わかってないじゃない!! 5階層を超えた上に7階層!? 迂闊にも程があるよ!」

「ごごごごごごごめんなさいっ!」

 ダンッ! と両手を机に叩き付けたハーフエルフの受付嬢。彼女の緑玉色(エメラルド)の瞳は鋭く、射竦められた少年は蛇に睨まれた蛙よろしく動きを止められた。

 エイナが怒る理由は一つ、ベルが身の程を弁えずに到達階層をホイホイと増やしたことだ。彼女の持論でいうなら『冒険』を冒した事、それを責めているのである。

「一週間ちょっと前、ミノタウロスに殺されかけていたのは誰だったかな!?」

「僕ですっ!?」

「じゃあ何でキミは下層に降りる真似をしているの! 痛い目に遭ってもわからないのかな、ベル君は!」

 受付嬢の怒涛の叱り付けにベルはただごめんなさいぃ、と情けなく首を竦める。

 彼女にしてみれば心の底から彼の為を思っての叱咤であり、ベルという少年に死んで欲しくない一心で心を鬼にしているのだが。

 そも、冒険者に成って半月の未熟な新米(ひよっこ)が、5階層以降に進出するのは自殺行為に等しい。

 5階層から、ダンジョンの傾向が様変わりして難易度がグンと上昇する。一週間と少し前にクロードが足を踏み入れ、本日ベルが足を運んでいた7階層でいえば、キラーアントが仲間を呼べばそこで終わり。コボルトやゴブリン、ダンジョンリザードの群れとは訳が違う。一人(ソロ)ならあっという間に蟻のモンスターに食い荒らされてしまう。

「キミは危機感が足りない! そもそも、クロードちゃんの言う事をちゃんと聞いているの!? もしクロードちゃんの話を聞いた上でそんな危機感が足りないのなら、心構えの強制に加えて、徹底的にダンジョンの恐ろしさを叩き込んであげる!!」

 ひぃっ、と情けない声が少年の口から零れ落ちる。

 エイナ・チュールという人物が行う()()は非常にスパルタな事で知られており、そしてそれを知るのはベルも例外ではなかった。

 しかし、そのスパルタな指導は決して苦しいだけではなく、しかと指導を受けた冒険者の糧となり役に立つ。のだが、その特訓まがいの教授を快諾できる者は非常に少ない。そして、ベルも例外ではない。

「ま、待ってくださいっ!? そのっ、僕っ、クローズさんからお墨付きも貰いましたし!」

「クローズ氏がお墨付き、なんてどの口が言うのかな……」

 数日前の怪物祭(モンスターフィリア)で引き起こされたモンスター逃走事件。

 収束するまでに被害者はたった一人。偶然逃走したモンスターと鉢合わせして市民を逃がす為に応戦した無所属(フリー)の冒険者であるクロード・クローズのみだった。

 彼女に対しては【ガネーシャ・ファミリア】から感謝と謝罪の言葉と共に、彼女が被った損失額の全額補償が約束される事になった。────口外はされていないが、あの逃げ出したモンスターの行動に『違和感があった』事などもある為、口止め料も含まれているだろうが。

 そして、エイナの知るクロード・クローズという人物は、決して甘い人物ではない。むしろ、ストイックに努力を重ねながら情報収集を欠かさない人物であり、人を見る目はそれなりにある。それに加えて市民を逃がさんと真っ先にモンスターの応戦を開始する程には善人であり────それらすべての良い要素をぶち壊し打ち消す程に捻くれた冒険者だ。

 その彼女、クロード・クローズに面倒を見て貰っていたベル・クラネルも彼女の性格はそれなりに知っているはずだ、とエイナは目を細めた。

「え、いや、クローズさんのお墨付きは本当ですってっ!」

 ジトッ、と嘘を吐いたのではないかと疑いの視線を向けてくるハーフエルフの受付嬢に少年が慌てて弁解しようと周囲を見回し、気付いた。

 丁度、彼が後ろを振り返った先に、欠伸交じりに片腕に包帯を巻いた銀髪の小人族(パルゥム)の少女が入口を潜っている姿があった。

「ク、クローズさんっ! た、助けてください!?」

「あん……?」

「クロード、知り合いか?」

 エイナの追及を避ける為にも即座に助けを求めた少年の言葉はしかと彼女に届いた。

 煙草の香りが染みついたコートの裾を揺らし、銀髪を適当に束ねて背中に喧嘩煙管を背負った冒険者。そんな彼女の横には長身に極東の着流しを着た、赤髪の青年の姿もあり、彼はクロードに何事かを耳打ちしている。

「あ、え……?」

「知り合い、前に言った新米のペーペー、()()()奴だよ」

「ほぉ、あいつが。ま、良い。俺は外で待ってるからな」

 小さくやり取りをしたクロードは小さく手を振って赤髪の青年を見送る。その姿にベルが僅かに頬を引き攣らせ、不味いタイミングで話しかけてしまったのだろうか、と焦りはじめた。

 そんな彼の心情等知った事ではないクロードは、コートの内側から普通の煙管を取り出して口に咥えながら、ベルの傍にまでやってきてからエイナを見上げた。

「んで、どしたよ……オレは専属鍛冶師からの冒険者依頼(クエスト)で忙しいんだが?」

「ご、ごめん……」

「はぁ、えっとね。ベル君が到達階層を7階層まで伸ばしたの。クローズ氏ならばそれがどれほど危険で無茶な行為かわかると思うんですが」

 本来ならば、冒険者になってたかだか一ヶ月程度の少年が足を運ぶには過ぎた階層への進行。それがどれほど無茶な行為かについて、先輩冒険者として教えてあげて欲しい、と受付嬢は煙管を咥えた小人に促す。

「ほー、オマエ、もう7階層か。早ぇえな」

「え、あ、うん」

「クローズ氏! ベル君がこのまま無茶を重ねて一大事になったらどうするつもりなんですか!?」

 余りにも適当なクロードの返しに、エイナが再度両手で机を叩く。

 そんな彼女の剣幕を目にしたクロードは眉を顰め、肩を竦める。

「大丈夫だろ。少なくとも、オレなんかが口出しするまでも無いだろうしな」

「クローズ氏?」

「ああ、わかったわかった。問題無ぇよ、コイツならな」

 鋭く睨まれて尚、適当に返すクロードの姿にエイナの眦が徐々に吊り上がっていく。後輩を導くべき先輩冒険者としての立場があるにも関わらず、導こうという気が一切無い。それがエイナの琴線に触れた。

 怒髪天を突くと言わんばかりにエイナが口を開く寸前、クロードは煙管に火を入れて彼女を真っ直ぐ見やった。

「現にベルは怪我一つ無く帰ってきてる。しかも仕留めた獲物の数も相当だろ?」

 ベルの腰を、腰のポーチをとんっ、と軽く小突きながらクロードは口角を吊り上げてエイナを見据える。

「たっぷり詰まったヴァリス硬貨。コイツは今回、かなり稼いできたみたいじゃねェか。ゴブリンやコボルトみてェな()()じゃねェな。キラーアントは狩ったんだろ? それも一匹や二匹じゃなくてな」

「あ、うん。僕、キラーアントを何匹も倒しましたよ!」

 少年を庇う様にクロードは肩を竦め、それに続く様にベルが弁解を述べる。

 確かに筋は通っているかもしれない。実力は足りている、とクロードが言う様にそれは本当かもしれない。が、しかし。

「アビリティ評価Hがやっとの冒険者が、7階層なんて危険過ぎる」

 きっぱりとエイナが告げた言葉にベルが目を瞬かせ、クロードの眉間に深く皺が寄る。

 誰が見ても不機嫌そうなクロードは、紫煙を口腔に満たしてから口をへの字に曲げた。

「ああ、そうだよナァ……」

「あの、実は僕の【ステイタス】、アビリティがいくつかEにまで上がったんですよ!」

「E……?」

 エイナが口にしたアビリティ評価H、というのは何もあてずっぽう等ではない。半月という時間幅(スパン)で冒険者が達する事のできる打倒な能力ラインが、得意不得意関係無しにHなのだ。それも、かなり腕の良い冒険者の話である。

「そ、そんな出任せ言ったって、騙される訳……」

「本当です本当なんです! なんかこの頃伸び盛りっていうか、とにかく熟練度の上がり方が凄いんです!」

 Gだったらもう出来過ぎで、F以上ともなれば……()()()()()()()()()

 これが冒険者になる以前に闘いの心得を持っていたらしいクロードの様な人物が口にしたのであれば、エイナは眉を顰めはすれど、疑う事なんて無かった。

 しかし、眼の前の少年は元農民。戦い方なんてからっきしで、言い方は悪いがファミリア探しに難航する程でしかないのだ。だが────。

「嘘は、吐いてないみたいね」

「はいっ!」

 エイナは目の前の少年が嘘を吐いている様には見えなかった。

 故に、自然とその視線をクロードの方に向けて、再度問いかける。

「本当に?」

「知らん」

「え?」

 即答だった。

 迷う事等無くクロードは言い切った。その答えにエイナは僅かに怯みかけ、直ぐに思い直す。

 派閥の在り方や方針次第ではあるが、中には同派閥の団員同士でも互いの【ステイタス】を見せ合わない場合も多い。

 更に加えると、クロードの場合は【ファミリア】に所属していない無所属(フリー)の状態の冒険者である。主神はベルと同じヘスティアであったとしても、【ファミリア】に所属する眷属と、所属していない眷属間で【ステイタス】のやり取りをするなんてありえない事だ。

 つまり、クロードがベルのステイタスについて知らないのは何ら不思議な事ではない。

「あ、ああ……そうよね。クローズ氏が知ってるはずないものね……」

 難しい顔になり、むむむむ、と唸りだすエイナは考え込みだした。

「だロ?」

 何処かお道化た様子で煙管を吹かした彼女は、肩を竦めると目を細めてベルを見やった。

「オレはもう行くからな」

「え、ああ、うん。呼び止めてごめんなさい」

「あァ、気にすんナ」

 肩を竦めて気さくそうに許しの言葉を口にするクロードに対し、ベルは違和感を抱きながらも彼女を見送る。

 口元に指を当てて考え込むエイナに視線を戻したベルは、再度去っていくクロードの背を見やって、首を小さく傾げた。

 彼女との付き合いは長い方ではないが、フィリア祭の以前と以後でベルに対する態度がだいぶ変化したのは少年にも察する事は出来た。

 だが、残念なことにその原因までは察する事が出来ずにいたのだが。

 

 


 

 

「よう、悪いな。終わったぞ」

「おう」

 ギルドのすぐ横、柱の一つに背を預けていた赤髪の青年に声をかけたクロードは、彼と並んでメインストリートを外れて裏路地を歩み始めた。

 薄く汚れた裏路地に視線を向けながらぼんやりと歩を進めるクロードに、赤髪の青年、ヴェルフは彼女の横顔を見やって口を開いた。

「なぁ、あのベル・クラネルって奴の事、嫌いなのか?」

「……なんでそう思ったよ」

「あー……」

 問いに問いで返されたヴェルフは僅かに頭を掻くと、答え辛そうに言い淀む。

「なんというか、な」

 知り合いに会ったというのに、目が一切笑っていなかった。なら、まだよかった。

 その瞳は紫煙に満たされて奥底が見えない。澄み渡ったとは程遠いにせよ、ある程度はその瞳の奥に燻る感情が読み取れたはずの彼女の瞳が、彼を前にすると一瞬で曇る。紫煙に満ち、感情を一切読み取れなくなる。

 その隠された感情がどういったものなのか想像が付かないヴェルフは肩を竦めた。

「質問に質問で返すのはどうかと思うぜ?」

「じゃあ、聞くな」

 きっぱりと、拒絶する言葉を吐き捨てられた青年は僅かに片眉を下げ、溜息を飲み込んだ。

 付き合い辛い人物だとは思うが、金払いは良い。

「んで、今回も武器を壊した、と」

「文句あるか?」

 ギッ、と視線が刃物であれば間違いなく眉間を貫いていたであろう程の鋭い眼力で睨まれたヴェルフが慌てて両手を上げて降参の意を示した。

「まてまて、別に今回のは怒ったりしねえって」

 今回、彼女が武器である喧嘩煙管を破損した理由は怪物祭(モンスターフィリア)のさ中に逃げ出した中層域に出現するモンスターとの戦闘を行った為、である。

 本来ならば逃げるべき敵を前に戦った理由は、無力な市民を逃がす為。そんな冒険者として難しくも当然である行動の結果、武器が壊れた事を責める気等ヴェルフには無い。

「むしろ、悪かったな。もっと頑丈に作ってやれなくて」

「……別に、お前は悪くねェだろ。Lv.1の鍛冶師にしちゃあよくやってる」

 気にした様子も無いクロードの言葉にヴェルフが申し訳なさそうに眦を下げ、話題を変えるべく口を開いた。

「それより、クロードは冒険者としてしっかりと市民を守る、とはな」

 少し意外だった、と冗談交じりにヴェルフが揶揄いの言葉を放つ。対するクロードは思いっきり嫌悪感を示す様に表情を歪め、苦虫を噛み潰した様に吐き捨てた。

「誰が好き好んでンな事するか」

 その場に居て戦えそうなのが自分しか居なかった。ならば自分が戦わなくては誰が戦うというのか。他の誰かが戦って、守ってくれるのか? もしそうやって守りもせずに逃げ出して、誰か無関係な市民が命を落としたとしたら、誰が責められる?

「【ガネーシャ・ファミリア】だろ?」

 逃がしたのも、管理不届きだったのも、全て怪物祭(モンスターフィリア)の運行管理を行っていた【ガネーシャ・ファミリア】の責任だ。

 当然、此度の一件で出た都市への被害全てに対してかの大派閥が全責任をとって賠償金を支払っている。加えて、貢献と同時に負傷し武装の損失まで出した無所属(フリー)のクロードに対しても手厚い補償を行っている。

 責められるべきは【ガネーシャ・ファミリア】だ。それに間違いは無い。

 無い、が。

「オレだよ」

「はぁ? いや、駆け出し冒険者が中層のモンスターから逃げても誰も何も言わないだろ。もし『戦え』なんて言う奴が居たら、そりゃあキチガイだ」

「言ったのが、冒険者なら、な」

 文句を言うのは市民だ。と付け加えたクロードは周囲を見やって更に不機嫌そうに眉を顰める。

「あの場で戦えそうなぐらい武装してたのは、オレか……ベルだけだったよ」

 ダンジョンに行く積りで準備万全だったが、道中に女の子に頼み事をされて予定変更して武器や防具を身に纏ったまま祭りの中を彷徨っていたベル・クラネルと、ダンジョンで武器の試しに行く予定を立てながら道中見かけた知り合いに声をかけて予定を変更したクロード・クローズ。

 周囲の市民はきっと、こう思うだろう。

 恩恵も、武具も無い自分達を差し置いて真っ先に逃げ出したあの冒険者は誰だ、と。

「そりゃぁ……」

 事情を知った後でもきっと言うに違いない。それでも恩恵を受けていて、武装していたのなら、市民より先に逃げて良い筈が無い。と

「自分勝手で、都合の良い意見だロ?」

 なんも知識も学もない市民なんてそんな無責任で勝手な事な愚痴を正論の様に振り回す。だからこそ、そんな愚痴を呟かせる隙を見せない方が良い。

「ま、あの場で死に物狂いで戦ってやっても、市民は『【剣姫】の様にさっさと倒してくれりゃあ』なんて愚痴を零しやがる。反吐が出るね」

「…………」

 反論を返そうと口を開きかけたヴェルフは、小さく息を吐いた。

 クロードと言う人物が、相当に捻くれているのは既に知っている。だからこそ彼女がそんな捻くれた言い方をするのも理解でき、同時に反論に対しても酷く捻くれた物言いで反論を返すのだろう、と先を読んでしまったのだ。

 そんな彼の心情を察するどころか察しようともしないクロードは、足元に転がった汚れた情報誌を拾い上げると、その情報誌をそのままヴェルフに差し出した。

「ほれ、オラリオの市民の声特集だとよ」

「……クロードってこういうのも読むんだな」

 意外そうにつぶやきながら受け取ったヴェルフは、見出しとしてでかでかと書かれたタイトルを見て表情を険しくする。

「こりゃあ、酷いな」

「だろ?」

 常日頃から都市の警邏等も行い、平穏なオラリオを維持し続けている警察の様な行動をしている【ガネーシャ・ファミリア】が引き起こした怪物祭(モンスターフィリア)における見世物であったモンスターの逃走事件。

 それに関する市民の声、と称されたモノがいくつも集められた雑誌は見ていて楽しいモノではない。

 例えば、今後怪物祭(モンスターフィリア)を開くのは止めるべきだ。といった軽いモノもあれば、不平不満を述べるモノ、派閥を中傷するモノまで多種多様に上る。

 ぱらり、ぱらりと雑誌を捲りながら歩みを進めていたヴェルフはとある頁の見出しを見て足を止めた。

「……闘技場東部、銀髪の小人が特殊な魔法を使用して中層域の怪物を撃破。その小人の特徴から上級冒険者ではないのではないか、と推測されており……おい、クロード」

「知ってる」

 ヴェルフが慌てた様にクロードに声をかけようとした所で、薄暗い裏路地を塞ぐ様に人だかりができている事に気付く。

 丁度、クロードとヴェルフの進行方向。二人の進行を封鎖する様に立ち塞がる人────その者達を見たヴェルフは表情を強張らせた。

「クロード、あれ……」

「面倒臭ェ神々だ事だ」

 封鎖する様に立ち塞がる多種多様な美形達と、その背後に控える柄の悪い冒険者達。その特徴的な特徴と、僅かに彼等から感じらせる神聖な雰囲気から、彼らを神々と認識するのには十二分だった。

「見つけたぁあああああああああああああ!!」

「クロードたん見っけたお!」

 情報誌を手にしていたヴェルフを他所に、神々の生垣はクロードに詰め寄りだす。

「先手必勝ぉ! 無所属(フリー)って聞いたけど、是非ウチの派閥にどう?」

「あっ、てめっ!? 必死過ぎんだろ! 節度を保てよ弱小派閥!」

「有象無象どもはひっこんでろ! クロード・クローズ、こっちに来い! お前は俺のハートを射抜いた天使だ!」

 神々に詰め寄られて面倒臭そうに紫煙を燻らすクロードの後ろ、ヴェルフが手にした情報誌には件の銀髪の冒険者がいかにしてモンスターを倒したのか────煙を杭の様な形状に変化させ、格上のモンスターを滅多刺しにして撃破したと────詳細に書かれた頁に加え。

 その冒険者の素性、無所属(フリー)の冒険者でLv.1、冒険者になって1ヵ月半程度であるクロード・クローズである、と完全に記載されていた。

「無所属、なら……仕方ないか」

 滅茶苦茶に勧誘を受けているクロードを前にし、ヴェルフは気の毒そうに彼女の背を見やる。

 派閥に所属していればまだもう少しマシだったであろう神々の勧誘に対し、クロードは死ぬほど面倒臭そうに紫煙を吐いた。

「失せろ」

「キャァーッ、何そのクールな声、最っ高!」

「男が黄色い悲鳴あげんなキモイだろ」

「蔑む瞳が俺の心に火を着けた! 女王様と呼ばせてください!」

「何をさせる気だ」

 たった一言、心の底からの拒絶の言葉に神々は意に介した様子もなく群がり続ける。

 彼女が派閥に所属していない以上、()()()()()()使()()()()()()()()()()()。恩恵を授けた主神が出張って来ようと、『派閥に所属させない方が悪い』と振る舞えるのだから。

「ねぇ、どんな魔法なの? 俺にだけこっそり教えてよ」

「抜け駆けすんな! ここは平等に全員にだね」

「レア魔法(マジック)? レア魔法(マジック)? やっぱレア魔法(マジック)だよね!? だって聞いた事ない効果だし!」

「もしよければその服脱いでくれない? 上半身だけで良いからさ。お金も弾んじゃうよ?」

「お巡りさんコイツです」

 クロードが嫌悪を示しながらも煙管を吹かし、その頬がひくひくっ、と痙攣し始める。

「其処を退け貴様ら! その小人族(パルゥム)は我が派閥へと入るのだ!」

 一際大きな声と共に人垣が強引に断ち割られる。

 数人の眷属を引き連れた神がクロードを見下ろし、ふんっ、と鼻を鳴らした。

 クロードを取り囲む様に眷属達が展開するのを面倒臭そうに見やっていたクロードは、視線をその神の頭上に向けながら紫煙を吐いた。

「クロード・クローズ。迎えに来てやったぞ。さぁ、我が派閥へ入るが良い」

 高慢そうに告げられた神の言葉に周囲の神々が悔し気に歯噛みする様子から察するにこの場に集まった神々の中では最も勢力の大きな派閥だろう。

 まるで断られるとは思っても居ないその言葉にクロードは僅かに眉を顰めると、紫煙で肺を満たして、その男神の顔を見上げて告げた。

「断る。失せろ」

 口元から言葉とともに紫煙を零した彼女の言葉に、男神が不愉快そうに表情を歪めた。

「断られてやんの」「だっせぇー」「なあ、次、俺に勧誘させろよ!」

「黙れぃ!」

 好き勝手騒ぎ出す周囲の神々を一括し、黙らせるとその男神はクロードを見下ろした。

「何故断る?」

「あァ? わざわざ理由説明しなきゃいけねェの?」

 質問に対し質問で返す、と完全に舐め切った態度に機嫌を損ねたのか神の眉間に青筋が浮かぶ。その様子を巻き込まれない様に少し離れた位置に避難して見ていたヴェルフは表情を強張らせた。

 断るにせよ、断り方というものがあるのだが、彼女はそんなものを気にした様子はない。

「我の質問に答えよ。何故、断る?」

「あァ? 同じ質問を何度もするからだよ」

 もはや答える気も無い、と神でなくとも適当に返しましたと言う返答を返したクロードに対し、周囲の神々はクスクスと笑いだす。小声で聞こえる様に揶揄いの言葉を放つ神々を睨みつけた男神は、クロードを見やり、表情を歪めた。

 彼女はそんな男神の様子など知らぬと言わんばかりに背を向けて歩き出していた。

「待て! クロード・クローズ、汝は以前に我が派閥へと入団希望とし訪れていたであろう!」

 神が大声で放ったその言葉にクロードが足を止め、周囲の神々が目を見開いて驚愕する。当然、聞いていたヴェルフも目を見開いていた。

「なっ!? コイツの派閥に入団希望してたのか!?」

「なんでだクロードたん! コイツの派閥行っても良い事ないぞ!?」

 以前に入団希望していた事を暴露した神は再度、クロードの方を見やり質問を飛ばした。

「もう一度、問おう。何故、我が派閥への勧誘を断る? 以前は我が派閥への入団を望んでいたではないか?」

 足を止めていたクロードは、不愉快そうに彼へと振り返り、告げた。

「逆に聞いてやる。一度入団を断られた派閥に、なんで今更行かなきゃいけねェんだよ」

 これ以上語る事はない、とクロードが背を向けた所で、男神は静かに腕組をし、呟く。

「ふむ、ならば力づくでも我が派閥へと入団してもらうしかないな」

 周囲の神々が慌てた様に距離を取り、同時に連れていた眷属をクロード確保に向かわせようと各々の神々が眷属に指示を出そうとし始める。

 相手が派閥に所属していたのなら、強引な手段は派閥同士のトラブルの元となる為決して行えない。神の恩恵を授かっていない市民を強引に勧誘すればギルドが動く。

 しかし、無所属(フリー)の冒険者ならば何でもあり。恩恵を授かった冒険者という立場でありながら、後ろ盾である【ファミリア】が無いのだから当然。

 故に、殆どの神が自前の眷属をこの場に連れてきている。他の派閥を出し抜き、クロード・クローズを自派閥へと引き込むために。

「クロード!」

「下がってろ鍛冶師」

 ヴェルフの声に不機嫌そうに返したクロードは、灰を捨てて新たな刻み煙草を火皿に込めていた。

「本当に、面倒臭ェな……」

 常日頃ならば【ガネーシャ・ファミリア】が治安維持として見回りをしており、こんな手段はとれない。だが、今は怪物祭(モンスターフィリア)の事件が後を引き摺っており、彼の派閥は動きが鈍い。

 そんな状況下で無防備にレア魔法(マジック)を使用した無所属(フリー)の冒険者がいれば当然の出来事と言えるだろう。

「本当に、面倒……臭ェ」

 苛立った様に籠った声を放ったクロードは、マッチで火を着けながら自身を取り囲む冒険者達を見やった。

「なァ、オレァ、今……機嫌が悪ィんだわ。加減、しネぇぞ?」

 左手を喧嘩煙管に添え、右手に持った煙管の紫煙を燻らす。

 漂う紫煙の香りに冒険者達が身構えた所で、彼女はヴェルフに視線を向け、呟いた。

「っつー訳だ、わりィ。依頼の話は明日にしてクれ。今日はもう帰レ」

 裏路地を微かに照らしていた夕日が市壁に遮られ、闇が増していく。加えて、紫煙が風通りの悪い路地に揺蕩い始める。

 徐々に視界が悪くなる中、ぼっ、と赤い煙管の火だけが浮かび上がっていった。




 ベルの才能への嫉妬で彼に危害を加えたり、距離を取ったり……いや、距離はとりますが、完全に近寄らないとか無視するとかはしません。
 ただ、距離感が()()()()のは確かですが。


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第一三話

 魔石灯の灯りに照らされたベッドに身を投げ出し、天井をぼんやりと見つめていた女神は、ふと時計を見やって身を起こした。

 【ヘスティア・ファミリア】が本拠としている廃教会の隠し部屋。

 女神ヘスティアは掛け持ち中のバイトでくたくたな体に鞭を打って衣装棚(クローゼット)の下段から箱を取り出し、ソファーに腰掛けて膝の上に箱を置いた。

「クロード君に、かぁ……」

 彼女の眷属は二人。うち一人は正式な【ファミリア】の団員として登録した少年。もう一人は恩恵を授けただけで【ファミリア】には所属していない未所属(フリー)の少女。

 ()友から聞いた少女の話を聞いた上で、ヘスティアは彼女に正式に眷属になって貰いたいと強く思い始めていた。

 しかし、普段から紫煙燻らせる彼女はその話になると、煙に巻く様に話を逸らし始める。

 更に加えて、クロードとベルの関係があまり芳しくない。

 ────理由ははっきりとわかる。だが、それにどう対処すれば良いのかなんて女神には思い付かなかった。

「…………」

 ヘスティアが箱を開けて中を見やる。

 その箱の中には精巧な細工の施された煙管が納められていた。

 それはクロード・クローズという少女が【ヘファイストス・ファミリア】に保護された際、壊れていた彼女の持ち物の一つだった物だ。

 女神ヘファイストスはそんな彼女の持っていた煙管を修繕しヘスティアへと渡していたのだ。

 今日こそしっかりと話し合って、【ファミリア】の一員になって欲しい、と意気込んだヘスティアは箱を卓の上に置いて、階段を下りてくる足音に耳を傾けた。

「噂をすれば……よしっ」

 頬を叩き、気合十分と女神が立ち上がって眷属を出迎える。

「おかえ──────」

 開いた扉から現れた目的の人物を見やったヘスティアは表情を強張らせて固まる。

 丈の長く収納用のポケットがいくつもあるロングコートに、厚底のブーツ。煙で燻された様にくすんだ銀髪に、残り火を連想させる赤が混じる灰の瞳。背丈の低い小人族(パルゥム)の少女は、体中、至る所を負傷していた。

 裂傷、切り傷、打撲痕、数えればキリがない程にズタボロにされており。酷いのは額からの出血、右目が流れる血で塞がれ、顔の半分が赤く染まる程の状態。

「……よォ、ちっとばカし、ヘマこいたわ」

 軽く片手をあげ、いつもの様に軽口を叩いたクロードは、負傷していた足を引き摺る様に室内に足を踏み入れると、そのままぱたりと床に倒れ伏した。

「ク、クロード君ッ!? い、いったい何が! 待ってくれ、直ぐに治療を!」

 大慌てで治療用の道具を棚から出そうと振り返ろうとし、がしりと足を掴まれたヘスティアがつんのめる。

 足を掴んでいたのは、負傷したクロードだった。

「なァ、ヘスティア様よォ……」

「クロード君、いったん放してくれ。直ぐに治療を……ミアハにも連絡しないと!」

「そういうのァ、イらん。先に、ステイタスの更新してくれ」

 足を掴み女神を見上げ放たれたその言葉にヘスティアが言葉を失う。

「なァ、ステイタスの、更新。頼むぜ」

「……いや、治療が先だ」

 ヘスティアが毅然とした態度を示すと、クロードは僅かに眉を顰めて自身の頬を伝う血が床にぽたり、ぽたりと垂れるのを見て息を吐いた。

「……悪い、治療してくれ」

 すんなりと従う彼女の様子に女神は一瞬だけ彼女を見やり、頭を振って治療用の薬や包帯などを取り出した。

 倒れていた彼女をソファーに座らせ、怪我の度合いを確認していく。額の傷は見た目こそ激しい出血を伴い重傷にも見えたものの、傷そのものはかなり軽い。一番深い傷は左腕に刻まれた裂傷だが、此方は回復薬(ポーション)を使用したのか出血は止まっている。

 血を拭い、消毒をし、包帯を巻く。ヘスティアが首元に出来た青黒い痣に軟膏を塗りながら、口を開いた。

「何が、あったんだい?」

「他の派閥に勧誘された」

 クロードが眉を顰めながらも答える。その言葉を聞いたヘスティアは、目を見開いて口を閉ざした。

 怪物祭(モンスターフィリア)で一躍有名になった件についてはヘスティアも知っている。そして、此度の一件で何があったのかをおおよそ察してしまったのだ。

「……ごめんよ」

「何の話だよ」

「もっと早くに、こう言うべきだったんだ」

 彼女が負傷した原因。過激な勧誘を受けた理由は、ひとえに彼女が無所属(フリー)という立場を貫いているからだ。【ファミリア】という後ろ盾がない彼女に対し、他の神々がどんな行動に出るかなど、神々の事を知っている女神ならばすぐに察する事が出来た。

 だからこそ、フィリア祭が終わった直後に直ぐ彼女を【ヘスティア・ファミリア】の正式団員として迎えるべきだったのだ。

 だが、彼女の事情をヘファイストスから聞いたヘスティアは、誘いの言葉を口にしにくかった。

「クロード君、キミは……【ファミリア】、いや、集団に所属する事が嫌いなのは、ヘファイストスに聞いたよ」

「…………あァ、別に気にしねェよ」

 クロード・クローズという人物は、かつて天才を謳われた兄達に囲まれて育った。そして、彼女にも彼らと同じ家名が与えられていた。

 だからこそ、だろう。彼女には兄達と同じ天才性を求められた。それは彼女の祖父、祖母、母親、親戚から向けられる期待であり、彼女への呪縛だ。

 兄達の様に秀でた才能を求められ、けれども彼女には期待に応えられるだけの才は無かった。

 家名という呪いに囚われ、期待と言う重責を背負わされ、必死に努力して────彼女は身体を壊した。

「キミが無茶をする理由もわかる。けれど、ボクはそんな事は気にしない」

「そうだな。アンタが優しい事は知ってるよ」

 不愉快そうに、不機嫌そうに、眉を顰めたクロードが丁重に痛みを与えない様に治療をしていたヘスティアの手から軟膏を奪うと、無造作に痣に塗りたくり始める。

 痛みに眉を顰めながら、クロードは続けた。

「あァ、アンタは優しい。だから気にもしないだろうな。オレが才能の無い人間(クズ)でも、な」

 クロードは自嘲する様に口元を吊り上げ、懐から罅割れた煙管を取り出して吸い口を咥える。

 マッチを取り出して火を着けようとした所で、クロードは動きを止めた。本拠での喫煙は幾度も注意されており、また止められるだろうとマッチを仕舞おうとして、彼女の手からマッチが優しく奪われる。

「……良いのかよ」

「今日だけ、特別さ。それに、無くなったら無くなったで、寂しいものだからね」

 女神が丁重にマッチを擦り、火を火皿に近づける。クロードが僅かに眉を顰めながら、火を貰う。

 静かに、丁重に紫煙で肺を満たし、一服する。

「……火ィ着けんの、下手糞だな」

 女神の善意にケチを付けると、もう一度深く煙を吸う。静かに紫煙を燻らせながら、クロードは続けた。

「優しい優しい女神様は気にもしねェだろうがな。」他の者達は違う。

 ぼんやりと天井を見上げる瞳に映っているのは、きっと今この瞬間ではない。彼女がかつて見聞きしてきた、期待と重責の嵐だろう。

「アンタが認めても、他の奴らが認めねェんだよ」

「そんな事は無い」

「あるね」

 わかりやすい例で言えば、【ロキ・ファミリア】。かの有名な派閥に所属する冒険者だったとしよう。

 そこに所属している冒険者は、常に期待を背負う事になるだろう。かの有名な派閥の冒険者なら、きっとさぞ強い事だろう。かの有名な【勇者(ブレイバー)】の率いる派閥に所属するからには、相応の強さを持っているに違いない。

 そう謳われる中、その期待に満たない冒険者が居たら、どう言われるだろうか?

「『あの冒険者は本当に【ロキ・ファミリア】の冒険者か?』ってな」

 期待に満たない者に対し、彼等は失望する事だろう。図々しくも、身勝手に、彼等民衆は口にするだろう。たとえ主神が認めても、陰口はついて回る。

「それは、その通りかもしれない」

「だろォ?」

 口角を吊り上げてケタケタと嗤おうとし、咽る。

 ゲホゲホッ、と激しく咽る彼女の背をさすりながら、ヘスティアは口を開く。

「確かに、あの無にゅ……ロキの所なら、そういった陰口はあると思うけど」

 無論、明確にロキの前や本人に聞こえる場所で口にされる事はないだろう。主神ロキが見出した眷属に堂々とケチを付ける、なんて真似は市民はしない。しない、が……見えない所ではそんな心無い言葉が付いて回るのは想像に易い。

「だからな、嫌なんだよ」

 そんな見えない所で好き勝手、無遠慮に陰口を叩く奴が居るという状況に耐えられない。自身が努力をして這い上がっているというのに、その『努力』には目も向けず、ただ身勝手に思った言葉が紡がれる。

 不愉快極まりない。そんな想いをするぐらいなら、身勝手に振る舞う。

「期待なんかいらねェんだよ。信頼なんかいらねェンだよ」

 期待するな。重過ぎて、潰れそうだ。

 信頼するな。絡み付いて、動けなくなる。

 クロード・クローズという人物は、期待に応えられない程度の才しか持たない人間(クズ)だ。

 クロード・クローズという人物は、信頼に応えられない程度の能力しか持たない人間(クズ)だ。

「だからよォ、ヘスティア。止めてくれ」

 契約に基づいて動いてやる。自分が『出来る』と思った範囲ならば、応えてやる。無駄に重い期待も、信頼もいらない。重くて、絡み付いて、潰れて死ぬから。

 必死にそれらに応え続けていてもいつか綻んで、最後には期待と信頼に潰されて死ぬ。

「オレァ……その程度の人間(クズ)だからよォ……」

 自嘲する様にクツクツと嗤い、燃え尽きた煙草の灰を、灰壺に捨てた。

 無造作に、用済みとでもいう様に捨てられた灰山を見やったクロードに、ヘスティアは笑顔を向けた。

「ボクを見てごらんよ!」

「……あン?」

「眷属に養われる不器量(ダメダメ)な女神さ!」

 唐突に自身を卑下し始めた女神に対し、クロードは訝し気な視線を送る。

「ベル君の前ではしっかり者ぶってるけど、キミは知ってるだろう? ボクは駄目な女神なんだ!」

「……知ってるよ」

 罅割れた煙管を弄びながら、クロードは肩を竦めた。

 目の前の女神がどれほど不器量(ダメダメ)なのかは既に知っている。

「そんな不器量(ダメダメ)な女神の眷属じゃあ駄目かい?」

 他の派閥から向けられるのは哀れみと嘲笑。期待なんて向けられるはずもない弱小派閥。そも、眷属数1人なんて派閥として見られるかどうかすら怪しい。

 そんな小さな派閥なら、彼女がしている重責なんかとは無縁だ、とヘスティアが彼女に手を差し伸べた。

「だから、ボクの眷属になってください」

「…………」

 真剣な表情で、クロードを真っ直ぐ見つめる女神の姿に、彼女は。

「嫌だね」

 一言、眉間に皺を寄せ、はっきりと明瞭な声で応えた。今までの様に、煙に巻く様な言葉を弄して遠回しに断るのではなく、はっきりと、明確に、拒絶の意を示した。

 ヘスティアが僅かに表情を歪ませ、震える手を差し伸べたまま、口を開く。

「理由を、聞いてもいいかな」

 若干震える声で呟かれた言葉に、クロードは新たな煙草を火皿に込めようとして────パキッ、と軽い音を立てて罅割れた煙管が壊れた。

 壊れた煙管を手にしたまま、彼女は溜息を零し、用を成さなくなったソレを灰壺に放り込んだ。

 灰に壊れた煙管が突き立つ。

「今はまだ気付いてる奴は少ねェだろォな」

 女神を真っ直ぐ見やり、轟々と燃え上がる炎を灰の瞳の奥に燻らせながら、クロードは告げた。

「ベル・クラネルは強くなる」

「それは…………」

「女神なら、知ってンだろ」

 冒険者ベル・クラネルという少年の特異性について。女神は必ず知っている。己が眷属の事を知らぬ等とは言わせない。

 強い語調でそう告げたクロードが上着を脱ぎ捨て、ベッドにうつぶせに寝転んだ。

「ステイタスの更新」

「……わかった」

 横暴な態度の彼女に女神が従いだす。ステイタスの更新の為に針や羊皮紙を用意しながら、女神は小さな背を見やった。

「……クロード君、確かにベル君は」

 才能がある。とは違う、才能が芽生えた。今まで無かったはずのソレを手にした。だからこそ、彼はこれからもっともっと高く高く、飛翔していくことだろう。それは女神にも想像が付く。

 だが、そういう意味ではクロード・クローズという少女も同様だ。

「キミも、同じスキルがある」

「……だろォな」

 薄々、想像が付いていたクロードは驚くでもなく女神が放った秘匿すべき情報を聞き流す。

「だから────」

「だから、オレも強くなれるってか?」

「少なくともボクはそう考えるよ」

 ヘスティアは細心の注意を払って慎重に言葉を選ぶ。

 もしここで『そう思っている』等と口にすれば、それは彼女への『期待』となってしまう。言葉一つで、普通の人であれば気にも留めない様な言葉一つで、彼女は重責を感じ、深く傷つく。

 口調や態度は荒々しくとも、クロード・クローズという人物は『馬鹿』が付く程の真面目な性格をしている事を、ヘスティアは知っていた。

 そして、それ以上に深く根を張っている事情があるのも、知っていた。

「そうだな、普通の冒険者なら格上のLv.2を相手にしたら負けるもんなァ」

「……何だって?」

「今回の相手、Lv.2が交じってやがったんだよ」

 その言葉にヘスティアは目を見開き、表情を強張らせながら血を彼女の背に垂らした。

 レベルが一つ違うだけで、冒険者の力量は段違いに変わる。Lv.1がLv.2の冒険者を相手にするなんて不可能。そう言いきってしまえる程に差が出る。

 そんな彼女がLv.2の上級冒険者を相手にしてきて、帰還した。負傷こそしていたものの、怪我の度合いはヘスティアが治療できる程度の軽いものばかり。

 嘘じゃないかと疑いを持って然るべき彼女の言葉は、けれどもヘスティアが神だからこそ嘘ではない事がわかった。

「……勝った、のかい?」

「あァ、全員のしてやったよ」

 冒険者になって僅か二ヶ月程度の下級冒険者が、Lv.2とはいえ上級冒険者をのした。その嘘ととられても仕方のない言葉を聞きながら、彼女の背に浮かび上がったステイタスを読み取った女神は、完全に表情を固まらせた。

「……【ランクアップ】、できる状態になってる」

「はッ、だろォな。鹿の化物倒してギリギリ足りなかった分、いっきに稼げたんだろォよ」

 


 

 クロード・クローズ

 Lv.1

 力:D535→C642 耐久:F386→E495 器用:B723→B770 敏捷:C640→B734 魔力:A880→S914

 

 ※《狩人》 《薬師》 《耐異常》 《逆境》 習得可

 

 《魔法》

 魔法名【シーリングエンバー】

 詠唱式【()()がれ、(くす)ぶる戦火(せんか)()こり()

 ・付与魔法(エンチャント)

 ・火属性

 ・感情の丈により効果向上

 

 魔法名【スモーキーコラプション】

 詠唱式【肺腑(はいふ)(くさ)り、脳髄(のうずい)(とろ)ける。堕落(だらく)(もた)らす、紫煙(しえん)誘惑(ゆうわく)

 ・増強魔法(ステイタスブースト)

 ・異常魔法(アンチステイタス)

 

 魔法名【カプノス・スキーマ】

 詠唱式【()()()ちよ、(なんじ)()(あた)えられた()加護(かご)よ。戦場(せんじょう)()ちよ、(なんじ)()加護(のろい)(もたら)災厄(さいやく)よ】

 ・形状付与

 ・魔力消費特大

 

 《スキル》

 

 【灰山残火(アッシェ・フランメ)

 ・経験値(エクセリア)の超高補正

 ・感情のほのおが潰えぬ限り効果持続

 ・火属性への高耐性

 

 【煙霞痼疾(パラソムニア)

 ・『魔力』の高補正

 ・特定条件下における『魔法』の威力超高補正

 ・幻惑無効

 ・錯乱耐性

 

 


 

 つい先日、クロード・クローズという少女は怪物祭(モンスターフィリア)の日に起きた怪物脱走事件(世間一般ではそう言われている)によって逃げ出したモンスター。

 それも中層域に出現する『ソードスタッグ』と戦闘し、勝利している。

 件のモンスターのギルドによる区分分けはLv.2相当。あの怪物に見事勝利したクロードは、けれども【ランクアップ】に必要な量の偉業、特殊な経験値(エクセリア)が不足していた。

 だが、今回。クロードの言葉が正しければ、強引な勧誘をおこなってきたLv.2の上級冒険者を撃退した事で偉業が必要の量に達したのだろう。

 だが、冒険者になってからたった二ヶ月の少女が【ランクアップ】するのは普通は有り得ない。

 有り得ない、が実際に目の前に居る。そしてそれを成した。

 彼女が自身を痛めつける様な手段を以てしてでもその道を駆け上ががろうとしているのを知るヘスティアは、彼女の【ステイタス】を写し取りながら告げる。

「クロード君、やっぱりキミには才能がある」

 対するクロードはクツクツと、肩を震わせた。

「クハッ、ハハッ、なァ? そう、思うのか?」

 写し取り終わった羊皮紙を引っ手繰る様に奪い、目を通した彼女は口を引き結んでヘスティアを見やった。

「今すぐ、【ランクアップ】してくれ。発展アビリティは……《逆境》だな」

「え……あ、あぁ、うん。わかったよ」

 寝ころんだままの彼女の背に、ヘスティアはもう一度指を這わせ始める。

 彼女がどれほどの無茶を繰り返したのか、その過程でどれだけ身体に悪影響が出る行為をしてきたのか。それを想像して身を震わせた女神は、目を見開いてその考えに辿り付いた。

「ま、さか……」

「ンだよ」

「クロード君、キミ、は…………」

 不機嫌そうなクロードの唸る様な返事を聞いたヘスティアが、静かに指を動かし続ける。

「……やっぱり、ボクの眷属になる気は」

「無い」

 きっぱりとした返事だった。誤魔化す事もせず、はっきりと拒絶したクロードは女神の手が止まったのを確認すると、呟く。

「【ランクアップ】出来たのか?」

「え? あぁ、うん。終わったよ……」

 クロードの上から退いて様子を伺う女神を他所に、クロードは自身の手を見つめ、握ったり開いたりを繰り返す。

「……本当に、コレで強くなったのか?」

「安心してくれ。キミという『器』は確実に高次の段階に移った。キミ自身が自覚できていないだけで、スイッチが入れば今までとは比べ物にならない動きが出来るはずさ」

「そうか」

 女神の説明を聞き終わるや否や、彼女は脱ぎ捨ててあった上着を手早く身に着けていく。その間に後片付けをしていたヘスティアは、包帯の切れ端を拾い上げるながら口を開く。

「クロード君」

「ンだよ」

「……キミには、才能があるんだよ」

「それがどうしたよ」

 才能は確実にある。

 この都市で最速で【ランクアップ】を果たした【剣姫】であったとしても、一年を要した。

 それをたったの二ヶ月という最速記録を叩き出したのだから、彼女には間違いなく才能がある。その理由ともいえる『スキル』の事をヘスティアは知っている。

「クロード君、もう一度お願いするよ。ボクの眷属になってください」

「ンだよ、珍しくクドイな」

 面倒臭そうにボロボロになったコートを羽織ったクロードがヘスティアを見やる。

「これから先、キミは間違いなく神々に狙われる。そうなったとき、【ファミリア】に所属していないキミは非常に不利だ」

 クロード・クローズ勧誘の為に中小派閥がこぞって集い、冒険者を嗾けてでも自身の派閥に引き入れようと動いた。

 珍しい魔法を持っている。たったそれだけの理由でそうなった。それが、最速記録まで叩き出せばどうなるのか。

 断言できる。無所属の彼女を狙う派閥が増える。それこそ、都市全ての派閥が彼女の身柄を手にしようと動くに決まっている。

 何せ後ろ盾が無い。手を出しても文句を言われない。本人がどれほど拒絶しようが、神々からすれば知った事ではない。

「キミの為でもあるんだ。だから……」

 せめて【ヘスティア・ファミリア】に所属すればヘスティアが口出し出来る。

「非力かもしれない。それこそ、何にもしてあげられないかもしれない。でも、それでもボクは、キミに恩を感じているんだ」

 ヘファイストスに追い出されて以降、なんだかんだ言いながらも自身の面倒を見てくれたクロードには感謝している。だからこそ、力になってあげたいと思っている。それはヘスティアの本心だった。

「だから、お願いします。ボクの眷属になってください」

 ヘファイストスに付きまとって頼み込む際にも使用した奥義。神タケミカヅチが教えてくれた秘儀。土下座をしながら頼み込む女神の姿に、クロードは肩を竦めた。

「断る」

「……今後、色んな派閥に狙われてもかい?」

 間違いなく狙われる。有効な後ろ盾を持たない鴨でしかないのだから当然。それを良しとするのはヘスティアの性格上出来ない。

 だからこそ必死に手を伸ばそうとする女神に対し、クロードは呆れた様な溜息を零した。

「はぁ……なァ、アンタさ、自分に出来る事と出来ない事も区別できんの?」

 女神ヘスティアが率いる派閥【ヘスティア・ファミリア】。

 規模は眷属一人の極小派閥。否、派閥と呼ぶのもおこがましい程度の、形だけの代物。

 そんな派閥が後ろ盾になるか、と問われれば。

「鼻で嗤われんだろ」

 意味が無い。

 【ヘスティア・ファミリア】に所属した所で女神が懸念する他派閥からの勧誘は止まらない。どころか、下手をすれば────。

「派閥そのものをぶっ潰してでも手に入れようとする(バカ)が出てくんだろ」

 クロードが所属する派閥を潰してでも手に入れようとする神は、必ず現れる。そうなれば、たった二人の冒険者では太刀打ちなんて出来る筈が無い。

 むしろ。

「オマエはアイツを守る事でも考えてろよ」

 ベル・クラネル一人を守れば良い。

「オレは自分の身の振り方ぐらい、自分で決められる。それに、自分のケツぐらい自分で拭ける」

 今はまだ誰も気付いていないだけで、ベル・クラネルは今後強くなる。だからこそ、女神が目を向けるべきはベル・クラネルという少年だ。

「なァ、()()()()()より才能のあるアイツの事を気に掛けてやれよ」

「……クロード君、キミは、やっぱり」

 自身の才と、ベルの才を比べてしまったのかい。その言葉が女神の口から零れ落る。

「あァ、その通りだよ」

 さも当然という様に肩を竦めたクロードが、口角を吊り上げて女神を見上げた。

「なァ、冒険者になって一ヶ月ちょっとの子供(ガキ)が、『シルバーバック』と戦って勝てるか?」

 普通なら不可能だ。

 一般的な冒険者の成長速度から考えて、冒険者に成って空一ヶ月程度の人物が『シルバーバック』を討伐する事は不可能。出来る訳が無い。

 だが、ベル・クラネルは出来た。

「クロード君、キミも出来たじゃないか」

 咄嗟のヘスティアの反論。それは事実だった。

 クロード・クローズという冒険者は、冒険者になって一ヶ月足らずで到達階層を十階まで増やした。当然、シルバーバックとも戦闘し、勝利している。

 その指摘をされた彼女は、口をへの字に曲げて、眉を顰めた。

「……あァ、そうだな」

 自身の歩んできた道の事だ、彼女自身が良く知っている。

 普通なら、一ヶ月程度じゃあ『シルバーバック』なんて倒せるはずがない。

 ベル・クラネルはそれを成し遂げた。

 クロード・クローズもそれを成し遂げている。

「だが、オレはアイツとは違ェんだよなァ」

「違う、って……」

「違う。はっきりと、明確に、アイツとオレは違うんだよ」

 期間だけ見れば、一ヶ月で『シルバーバック』を討伐した。という実績は同じだろう。

 だが実際には過程が異なる。

「……違い過ぎんだよ」

 ベル・クラネルは正道を歩んでいる。ひたむきな努力と、真っ直ぐな意志を持って。

 クロード・クローズは外道を歩んでいる。狂う程の努力と、捻じ曲がった意思を持って。

「才能? 何処がだよ」

 ベル・クラネルとクロード・クローズに同じだけの才能があったのなら。同じ手段で、同じ努力量で、同じ結果が出せるはずだ。

 だが、実際には────。

「……いや、止めようぜ。この話、無駄だわ」

 言葉を切り、不機嫌さを前面に押し出したクロードは懐から財布を取り出して放り投げる。

「襲ってきた馬鹿共から毟った金だよ。治療と更新ありがとな」

 手を伸ばしかけたヘスティアは、けれども呼び止める事は出来ず、足元に落ちた財布に視線を落とした。

 暫くの間、黙っていたヘスティアは、とっくの昔に出て行ったクロードに対して、呟きを零した。

「キミが、人一倍、努力してるのは知ってるさ」

 誰よりも……ベル・クラネルよりも多くの努力を重ね、強くなろうとしているのを知っている。

 一ヶ月。そう、一ヶ月。

 クロード・クローズが冒険者になっての一ヶ月。

 ベル・クラネルが冒険者になっての一ヶ月。

 最初の一日目から『スキル』を得て努力をひたすらに繰り返して成長し続けたクロード・クローズは、『一ヶ月』で『シルバーバック』を討伐出来る様になった。

 最初の半月は普通の冒険者として、残りの半月は異常な速度で成長したベル・クラネルもまた、『一ヶ月』で『シルバーバック』の討伐を成した。

 一ヶ月間、元から持ち得た戦闘経験と『スキル』を駆使して『努力』を重ねたクロードと、戦闘経験が全くない状態から『スキル』を得た半月の間に一気に成長したベル。

 そこにどれほどの()()()()があるのだろう。




 違法改造しまくった車で常に最高速度で駆け抜けたクロード。

 未改造のままの車で普通に加速していただけのベル。

 それだけの差があったはずなのに、同じ地点を同じ速度(期間)で突破されたクロードの気持ち。


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第一四話

 ギルドは朝からがやがやとした喧騒に包まれていた。

 朝から正午までの間、広いロビーには数多くの冒険者が訪れる。ダンジョン探索の前に担当官の下で今後の打ち合わせをする者も居れば、見目麗しい受付嬢を軟派する者等も居るが、今日は更に人が多い。

 彼らの目的は今朝更新されたばかりの巨大掲示板の情報だ。

 商業系派閥の新商品発表告知からドロップアイテム買取依頼に始まり、【ファミリア】間の勢力状況、更にダンジョン内での希少種(レアモンスター)の目撃情報など、ギルドが収集し掲示されている精度の高い情報や依頼書などは、冒険者にとって欠かす事は出来ない。

 明日の運命を左右する、または明日の千金になるやもしれぬ情報収集は冒険者達が抜かる事はない。

 それに加えて、数日前に発生した【ガネーシャ・ファミリア】の不手際によるモンスター脱走事件の被害を受けた露店商や、本当に全ての逃げたモンスターを討伐できたのかの問い合わせを目的とした不安がる市民なども訪れており、掲示板更新日と重なって日頃以上の喧騒に満ちている。

「エイナ~、弟君とのデート、どうだったの~?」

「こら、職務中。話しかけてこない」

 窓口で腰掛けていたエイナは、隣から耳打ちしてきた同僚のミィシャを軽く注意した。

 ミィシャの言う通り、本日はいつにも増して多くの人がギルドに押しかけてきている。エイナやミィシャ、他の受付嬢も何かと対応に追われており、忙しさに拍車がかかっていた。先ほどまで市民の問い合わせに対応していたエイナも、今ようやく小休止を得た所だ。

 普段なら多少は相手にされていたであろう見目麗しい受付嬢への軟派なども、今日に限っては全く相手にされずに追い払われる程に忙しい。

「にしてもさ、今日は人が多いよね」

「仕方ないよ。フィリア祭の事もあるし」

「それもあるし、仕方ないんだけど。でも、極めつけはやっぱり、あのエイナが担当してる無所属(フリー)の子だよね」

「……うん、そうみたい」

 エイナが掲示板の前に群がる集団に視線を向けると、其処には見目の整った者達の一団が居た。傍から見ても人非ざる者と察する事が出来る彼らはオラリオに居を置く【ファミリア】の主神達だった。

『中層のモンスター倒してたあの冒険者。冒険者になって二ヶ月のLv.1ってマジかよ』

『しかも無所属だってよ! こりゃ勧誘するしかねぇな!』

『冒険者になって二ヶ月かぁ。是非ウチの派閥に欲しいねぇ』

『何処に住んでるのかの情報はないのかしら?』

 騒めく神々が真剣に見ているのは、つい先日あったモンスター脱走事件についての詳細だった。

 脱走したモンスターの数、種類から、どのモンスターをどこの派閥の冒険者が討伐せしめたのか。不安がる市民向けに安全である事を知らせる為のモノであるその一面の一番上部。

 脱走数11に対し、討伐数9匹、ほぼ全てのモンスターを片付けた第一級冒険者【剣姫】の名と【ロキ・ファミリア】の情報が書かれている。

 その下、下級冒険者として名が挙がっているのがクロード・クローズ。街中での遭遇戦に対し、完全な格上であった中層のモンスター相手に一歩も引かずに対応し、討伐せしめた人物の詳細が書かれていた。

 所属派閥無し。年齢17歳、冒険者経歴二ヶ月。討伐モンスター名称『ソードスタッグ』。

「ねぇ、エイナ。やっぱクロードちゃんに派閥紹介した方が良くない?」

「……それは、そうなんだけどね」

 一般的な冒険者の場合、【ファミリア】に所属する事で恩恵を授かる事になる。そのため、都市内においては無所属(フリー)の冒険者は比較的珍しい。都市外で恩恵を受けずに冒険者を続けている者も居るが、ここオラリオのダンジョンにおいては恩恵を授かる事が前提である。

 【ファミリア】に所属する利点は何と言っても派閥に所属する事によって同派閥の冒険者と繋がりが出来る事だろう。他にも名声が高い派閥であれば積極的に依頼を任せられ、先輩冒険者からの教導が受けられる。

 無論、利点ばかりではなく欠点も無くはない。

 派閥の主神次第ではあるが、神々同士の諍いから抗争に巻き込まれる事になるだろうし、悪名高い派閥の名を背負ってしまえば同類として周囲から警戒を受ける事になる。

 それを踏まえた上で、エイナやミィシャ、他の受付嬢も口を揃えて言うだろう。【ファミリア】に所属するべきだ、と。

 無所属(フリー)の冒険者として登録されているクロードは、ギルドに定期的に税を納める事で様々な冒険者向けのサービス各種を利用している。税に関してもきっちりと支払いができているし、冒険者としても相応の実力もあるだろう。

 だが、問題は後ろ盾が無い事によって派閥の勧誘合戦に巻き込まれる事だ。

「一応、クローズ氏向けに紹介できそうな派閥はリストアップしてみたんだけど……」

「わぁお、献身的だね~。男の子だったら惚れちゃうよ~」

 にへら、と冗談を口にするミィシャに肩を竦めつつも、エイナは手元に用意してあったクロード向けの派閥一覧を見て深く溜息を零した。

「それが、あの子、口が悪いっていうか……」

「確かに、柄が悪いよね」

 つい数日前の事件においても、不安がる市民相手に喧嘩腰の荒い言葉遣いで接していた事はエイナの記憶に新しい。

 荒くれ者が多い冒険者の中で舐められない為なのか、新人冒険者の中には威圧的に振る舞う者も居たりする。大抵は同派閥に所属している先輩冒険者に締められて大人しくなるのだが。

「う~ん、どうだろう。クローズ氏はそっちではないと思うんだけど」

 クロードの場合、ただ舐められない為にあえて粗暴な振る舞いをしているのかといえば、そうではない様にエイナは感じていた。何と言えばいいのか彼女にもわからないが、あえて言うならば。

「何かに、怯えてる……かなぁ」

 口にしてみてもしっくりとこないその感想にエイナ自身首を傾げていると、こつんっと軽く受付窓口が叩かれた。

「あっ、ミィシャ直ぐに戻りなさい」

 人が来たのだと察したエイナが慌てて同僚を追い払い、カウンターの向こう側に居る人物へと視線を向けた。

 其処にはカウンター越しに茶色のフードの頭頂部だけが見えていた。顔は確認できないが、エイナが立ち上がってカウンター越しに見える相手を覗き込む。

 頭の先からすっぽりとフーデットローブに身を包んだ子供の様な小柄な人物だった。

「本日はどのようなご用件でしょうか」

 子供だろうか、と微笑んでその人物を見やったエイナは、フードをほんの少し持ち上げてその下から鋭い眼光で睨み付けてきた灰色の瞳に怯んだ。

「よォ、エイナ。ちょいと手続きにきたんだが」

「あ……クローズ氏、えっと……」

 身を隠す様にフードを被っていた人物が件のクロード・クローズであった事に気付いたエイナが慌てて周囲を確認する。

 怪しい恰好ではあるが、彼女が身を隠す理由は想像に易い。現在最も目立っているであろう無所属(フリー)の冒険者である彼女が堂々と顔を晒せば騒ぎになりかねないと判断したエイナは咳ばらいをすると席に腰掛け直した。

 横に居るミィシャは態度を改めたエイナに首を傾げつつ、気になったのかフードの中を伺う様にそれとなくクロードに視線を投げかける。

 そんな彼女らの行動に反応するでも無いクロードは、口元を吊り上げてエイナを見やって告げた。

「あァ、Lv.2になったから報告にな」

「……はい?」

「うわぁ、凄いじゃない。おめでとうございます!」

 何でもない様に告げられた内容にエイナが固まる中、横で聞いていたミィシャがその報告を聞いて称賛の言葉を贈る。

 【ランクアップ】に至るのがどれほど難しいかを知っているギルド職員だからこそ、報告に来た冒険者に称賛を贈るのは当たり前。そして、ギルドは【ランクアップ】した冒険者の情報を集め、巨大掲示板に掲示したりもするのだ。

 当然、【ランクアップ】の報告に来た件の人物からどんなモンスターをどれだけ倒したのかなどの聞き出しを行うのだが。

 普段ならテキパキと準備を進めるはずのエイナが完全に固まっているのを見て、ミィシャは軽く彼女を小突いた。

「ちょっとエイナ、その子待ってるよ?」

「あ、えっと……クローズ氏もその様な冗談を仰るのですね」

「え? クローズ氏? って、この子クロードちゃんなの?」

 思わず、と言った様子でエイナが笑顔を浮かべて対応するのを聞き、ミィシャがフードの人物を見下ろした。

 クロード・クローズ。冒険者になってたった2ヶ月である。そんな彼女が【ランクアップ】した、等と言った所で冗談にしか聞こえないのは当然の事だろう。

「……はァ? ンな詰まんねぇ冗談なんか言わねェよ」

 ぶしつけな視線を送るミィシャを一睨みすると、クロードは吐き捨てる様に告げた。

 その言葉を聞いたエイナが表情を強張らせる。彼女、クロードはそれなりに捻くれた物言いをする事が多いが、嘘や冗談を口にする事はそう多くは無い事をエイナは良く知っている。それにクロードもそんな冗談は口にしないだろう。

 気を取り直したエイナは小さく咳ばらいをして笑顔を浮かべる。

「もう一度、お願いします」

「Lv.2になった」

「誰が?」

「オレが」

「……いつ?」

「つい二日前」

「…………冗談じゃなくて?」

 横で聞いていたミィシャが、クロードが返答する度にばっと顔をそちらに向けた。

 対応しているエイナは笑顔のまま問いを投げかけ続け、クロードはフードの舌で不機嫌そうに眉を顰めて苛立った様に低い声で唸る。

「冗談じゃねェよ」

「……ごめんなさい。最後に質問良いでしょうか?」

「あァ? 早くしろ」

「冒険者として活動を始めて、どれぐらい経ちましたか?」

「二ヶ月」

 即答だった。

 返事を聞いたエイナが凍り付いたまま動きを止める。

 不機嫌そうな雰囲気を撒き散らすパルゥムと、笑顔を浮かべたまま硬直したハーフエルフ。

 窓口で列を成そうとしていた冒険者達から怪訝そうな視線を向けられる。

 石像と化したミィシャを横に置いたまま膠着する事少し。

 エイナは椅子から立ち上がり、爆発し────。

 ガンッ、と勢いよくカウンターを叩かれて慌てて口を噤んだ。

「おい、さっさとしろよ」

 苛立ってます、と全身から苛立ちを撒き散らすクロードを見やり、エイナは慌てて口を開いた。

「も、申し訳ございません! こちらへどうぞ!」

 

 


 

 

「ごめんなさい」

 目の前で頭を下げるエイナを他所に、フードを取り払ったクロードは気だるげに煙管に火を入れた。

 場所はギルド本部ロビー、面談用ボックス。一対一で使用するには少し広めのこの部屋は、確認のとれていない情報のやり取りを行ったり、他の冒険者に情報を渡さない様にギルドとのやり取りを行う為に作られた場所である。

 内装こそ質素ながら、防音対策は完璧であり、他の者に聞かせられない相談をギルド職員に行えるのだ。

「あ、あの~……一応、ここ、禁煙だから」

「あァ? だったらさっさと終わらせてくれよ」

 数分前、危うくエイナが爆発してクロードの【ランクアップ】情報があの場に居た全員に知られる寸前だった。

 苛立ったクロードがカウンターを叩かなければ、本当にあの場で暴露しかけていた事にエイナが耳まで赤くしながらも、てきぱきと書類を用意していく。

 クロードの方は苛立ちからか普段よりも早いペースで紫煙を燻らせていく。個室内が薄らと紫煙に満たされ始め、制服や部屋に匂いが残っちゃうな、とエイナが溜息を零した。

「それで、クローズ氏。もう一度確認の方だけ……」

「あァ?」

「あ、いえ。本当に最終確認ですので」

 再三に及ぶ確認にクロードがエイナを睨み、慌てて彼女は両手を振った。

「……ったく、本当だよ」

「はい、わかりました」

 怒りが静まったのか、紫煙をたっぷり吸って落ち着いたのか態度を軟化させたクロードに安堵しつつ、エイナは内心で焦っていた。

(かかった時間が、短すぎるし。それに……このままだと……)

 Lv.2への到達期間が二ヶ月というのは異例の最短記録だ。たとえ誰が口にしたとしても冗談としかとられないほどには。

 Lv.の上昇には『偉業』────格上の相手を打破するなどして、より【上位】の経験値(エクセリア)を獲得する事が不可欠だ。そこまで思い至ったエイナは気付いた。

(あぁ、そうだよね。中層のモンスターを倒した……実績は、あるんだ)

 神々や一部の市民など、街中で現れたモンスターと冒険者がやり合うのを安全地帯から眺めていた者達が口を揃えて証言していた。クロード・クローズという冒険者が完全な格上である『ソードスタッグ』を討伐せしめた。と。

 ただでさえ注目を集めている冒険者が、『二ヶ月』という最短記録の更新。

 そうでなくとも珍しい魔法を使うと噂され、既に顔を隠してギルドを訪れなくてはならない程になっているクロードは、今後更に神々の標的として狙われる事になるだろう事は想像に易い。

 ましてや派閥に所属していない無所属(フリー)ともなれば……。

 神々の強引な勧誘に翻弄されているクロードの姿を想像して身を震わせたエイナは、いち早く派閥への所属を促さなくてはと内心で決意しつつ、仕事を終わらせるべくクロードの対面で書類を広げた。

「んで、何すりゃあいいんだ?」

「はい、ではこれまでの冒険者の活動記録の方を教えて頂ければ、と」

 まっさらな羊皮紙と羽ペンを手にしたエイナに、クロードは眉を顰めながら渋々と言った様子で答え始めた。

 莫大な利益を生む魔石の回収効率を上げる為、冒険者の質の向上を目的とし、ギルドは各【ファミリア】や冒険者などに不都合が生じない程度の範囲で情報を公開する。

 異例の【ランクアップ】を実現させたクロードの場合は、その【経験値(エクセリア)】の傾向が焦点となってくる。今回エイナが聞きだした活動記録は、名前を伏せられて他の者達の目に晒される事だろう。

 要は『彼・彼女の成長を参考にして他の冒険者もどんどん強くなってください』という事だ。

 冒険者の質が向上すれば冒険者の犠牲が減る事にも繋がる。こればかりはクロードの不機嫌さを前にしてもエイナは引く事はない。

 クロードの機嫌を損なわぬ様に、私事を犯さない様に、といくつかの事に細心の注意を払いながら彼女が辿った冒険の軌跡を聞きだし、羊皮紙に綴っていく。

 そして、数日前のフィリア祭の際の話へと至った所でエイナは羽根ペンを止めた。

「街中で【ガネーシャ・ファミリア】が管理していたはずの『ソードスタッグ』と遭遇、これを撃破」

 しっかりと記載し、確認する様にクロードへと視線を移した彼女は頷いた。

「どうやって倒したのか気になるけど、この『ソードスタッグ』撃破が【ランクアップ】に繋がったのね」

 聞き出した軌跡を聞いた限りでは、かなりの無茶を繰り返しているのがわかる。どれもこれも、一歩間違えば死にかねない様な行動ばかり。

 冒険者になって三日後には五階層。半月で七階層、一ヶ月足らずで十階層にまで足を運ぶ等。恩恵を授かる以前の経験についても聞いておくべきだろうな、とエイナが口を開こうとして、遮られた。

「いや、『ソードスタッグ』から得られた【経験値(エクセリア)】じゃ【ランクアップ】にまで届かなかったぞ」

「え?」

 そこで冒険の軌跡が終わりだと思っていたエイナが面くらい、同時に疑問を覚えた。

 誰が見ても『ソードスタッグ』、中層域に出没するLv.2級に分類されるモンスターの撃破による【ランクアップ】だと思うだろう。なのに彼女は『届かなかった』と口にしたのだ。

 では、何がきっかけでLv.2に至ったのか。

「あァ、裏路地でしつこく勧誘してきた【ファミリア】のLv.2の冒険者を何人かのしたんだよ」

「──────え?」

 何気なしに言われた台詞にエイナが羽ペンを取り落とした。

 エイナは彼女、クロードがフィリア祭で一躍有名になり、無所属(フリー)故に強引な勧誘を受けるかもしれないと危惧して派閥への所属を勧めようとしていたのだが、既に神々は行動を起こした後。

 それも、都市内の裏路地で強襲するという形で行われていたと知らされたエイナは痛む頭を押さえ、唸った。

 この冒険記録を開示するのか。『都市内で強引な勧誘をしてきた上級冒険者と交戦。これを撃破』と。

 そんな情報を記載すればただでさえ荒くれ者が多い冒険者の印象が更に悪くなる。加えて、クロード本人の評判にも関わってくるだろう。

 落ち着かせるように息をついたエイナは、落ちていた羽ペンを拾い上げてその一文を羊皮紙の末端に付け加え、俯いた。

「もう終わりだよ。もういいか?」

「待って」

 話は終わりだろ、とクロードが灰を携帯灰皿に放り込んで立ち上がった所で、エイナは慌てて呼び止めた。

「ンだよ」

「クローズ氏は【ファミリア】への所属予定はありますか」

 エイナ個人としては直ぐにでもある程度の規模のある派閥へと所属するべきだと勧めたい。

 フィリア祭の一件で【ロキ・ファミリア】の主神ロキと交流がある事も知っている身としては、彼女の特異性から他の神々のちょっかいを撥ね退けられるであろうロキの下へ行くのも良いだろう。

 このまま無所属(フリー)で活動を続けるのは、とてもではないが推奨できない。

「ねェよ」

「……何処にも?」

「ったりめぇだろ。派閥に所属しても良い事なんざ何一つねェし」

 吐き捨てる様に呟かれた言葉にエイナは表情を暗くした。

「えっと、派閥に所属すれば派閥の繋がりでパーティも組みやすいし。もし怪我をした時とか、ダンジョンに行けなかった日とかでも派閥の方から多少の助けがあったりするよ。それに、名声のある派閥ならそれだけで依頼を回して貰いやすいし」

 エイナはなんとかクロードが派閥に持つ悪印象を改善しようと利点を説明していく。

 そんな彼女の言葉を聞いたパルゥムは、舌打ちを零すとハーフエルフを見上げた。

「なァ、オレ、言ったよな」

「えっと……?」

「糞みてェな勧誘してきた『冒険者』を()()()って」

 彼女の言わんとする事を察せずにエイナが困惑していると、クロードは面談用ボックスの入口の扉に手をかけ、口を開いた。

「糞みてェな神様ン所で、糞みてェな仕事やらされるなんて御免被るね」

 気になった冒険者を自分の眷属にする為に襲撃する。そんな汚れ仕事までさせられている様を見せられて神の意のままに動きを制限される【ファミリア】に所属したい。なんて思う訳が無い。

 ましてや、自分なんかが入れば足を引っ張る馬鹿が必ず出る。派閥に所属なんてすれば規模によっては他派閥からちょっかいかけられ面倒事に繋がる。

 じゃあ大きな派閥に所属すればいいかといえば、そうはならない。

「【ロキ・ファミリア】の冒険者、なんて肩書はいらねェよ」

 そんな大層な肩書を背負わされてしまったら、重た過ぎて潰れちまう。

無所属(フリー)で自由気ままに、邪魔な奴が居たら適当に追い払うかのすか、オレのやりたい様にやらせろよ面倒だな」

「でも……」

「襲ってきた奴を返り討ちにすんのも不味いのか? 襲ってくる奴が悪ィんだろォよ。文句言われる筋合いはネェよ」

 もし今後も強引な勧誘があれば、相応の対応をする。

 相手が格上だろうが関係ない、気に入らないなら抵抗する。

 期待なんていらない。信用なんてされなくて良い。

「好きに生き、好きに死なせろ」

 吐き捨てる様に告げられた言葉に、エイナは立ち上がって彼女の肩を掴んだ。

「……ンだよ。文句でもあんのか?」

 肩越しに振り返り睨む彼女に、大きく息を吸ったエイナは口を開いた。

「忘れないで、貴女が死んだら、悲しむ人は必ず居るから」

 

 


 

 

「よォ」

 耳を澄まさずとも聞こえる金属の打撃音。数多くの鍛冶師(スミス)の工房が集まった工業地帯の一角。

 開けっ放しだったヴェルフ・クロッゾの工房の戸を潜ったクロードは真剣な表情で砥ぎ作業をしているの背中を見て、肩を竦めた。

「悪ぃ、邪魔したか?」

「いや、丁度キリがついた所だ」

 砥石と剣を台に置き、額から滴る汗を拭ったヴェルフはクロードを見やってから、目を伏せた。

「大丈夫だったのか?」

 数日前、クロードが強引な勧誘を退ける為に上級冒険者相手に乱闘を起こした際、ヴェルフは彼女を置いて身を引いた。

 【ヘファイストス・ファミリア】の団員である彼が他派閥の勧誘合戦に口出しをするのは不味い。だからこそ直ぐに帰れ、とクロードが言い放ち────それでも見捨てられないと武器を抜こうとした彼を、クロードは容赦なくのした。

 気絶させて近場に転がしておき、事が終わってから叩き起こした。

「そりゃあこっちの台詞だ。クロードこそ大丈夫だったのかよ」

 クロードに殴られ気絶させられ、叩き起こされてみれば血塗れで半笑いの少女が目の前に居たのだ。

 その場で別れた、というよりはクロードが付いてくるならぶっ飛ばす。とヴェルフを脅して一人で帰っていったわけで。

「見ての通り、ちぃとばかし包帯が残っちゃいるが。問題ねェよ」

 一人で無茶させない様に手を貸そうとしてもすげなく振り払われる。どころか容赦なく武器を振るってくるのだからたまらない。

 無論、彼女なりに理由があっての事だというのはヴェルフにも理解はできる。

 彼が手出しすれば無用な争いになるし、その発端が自分となるのが嫌だったのだろう。だが、負傷した状態で治療すら拒むのは行き過ぎている。とヴェルフは感じていた。

「はぁ、まあ無事なら良いが。それで、何の用だ?」

「一応、謝罪にな。あと、ダンジョンに潜るから手伝ってクレって言ってたろ。もし気が変わってなけりゃ予定立てるって話だよ」

 肩を竦めたクロードの様子を見て、ヴェルフは軽く溜息を零した。

「クロード、お前って奴は……」

 破天荒で捻くれ者。そのくせ妙なところで律義で真面目。しかも常識的な対応をすれば振る舞いや言動こそ荒々しいものの、割と常識的に返してくる。

 一言では言い表せない程に滅茶苦茶な性格をしている彼女に呆れたヴェルフは肩を竦めた。

「こっちも一緒にダンジョンに潜ってくれるならありがたい限りだ」

「報酬はきっちりもらうがな」

「ああ、煙管の新調だったな。後二~三日で完成する。今度は前のより頑丈に作ってるから期待してくれていいぞ」

 自信満々に答えたヴェルフを見やり、クロードは眉を顰める。

「……あァ、適当に期待しといてやる」

 微妙な反応を返されたヴェルフは小さく肩を竦めてから工房の片隅に置かれていた椅子を引っ張り出して腰掛けた。

 互いに用事のある日を避けつつ、ダンジョンに行ける日付の予定を立てていくさ中、ふとクロードが神妙な表情で呟いた。

「ヴェルフ」

「どうした? この日は不味かったか?」

「いや、そっちじゃねェよ」

 僅かに言い淀む様に口を噤む彼女にヴェルフが首を傾げていると、小さく問いが投げかけられる。

「なァ、もしオレが死んだらオマエは悲しくなるのか?」

「はぁ……?」

 いきなりの質問にヴェルフが呆気にとられる。彼女の性格的になされるはずもない様な問いに困惑した彼は、溜息交じりに応えた。

「そりゃあ、知り合いが死んだら悲しいだろ」

 当たり前だろ、とヴェルフが返事を投げかけると、クロードは視線を逸らして煙管を取り出した。

「ふぅん……」

「いや、自分で聞いといて全っ然興味無さそうだな」

 生返事を返されたヴェルフが思わず突っ込み、直ぐに彼女の横顔を見て、呟く。

「何かあったのか?」

「別に」

 誤魔化す様に窓の外へと視線を向けるクロードに、ヴェルフは立ち上がった。

「なあ、本当に何があったんだよ。悩みがあるなら聞くぜ?」

「オレが死んだら悲しむ奴が居るらしい」

 何処か上の空で呟かれた言葉にヴェルフは首を傾げた。

「いや、当然だろ。俺だってそうだ」

 胸を張って返された彼の言葉を聞いたクロードは、面倒臭そうに眉を顰め、吐き捨てる。

「ンだよ、そういうの面倒臭ェから止めろよ」

 『死んだら悲しむ』というのは、つまり『死んで欲しくない』という事だろう。人に想われているというのは良い事のはずだが、クロードは不満そうに呟いた。

「ソレ、身勝手な期待や信頼と何が違ェんだ?」




 『死んだら悲しむ人が居る』と言う台詞を聞いて、不愉快な気分になるのはクロード君ちゃんぐらいでしょう。
 本当に捻くれた性格してます。




 パソコンが絶賛不調中で昨日に投稿できませんでした。申し訳ない。

 Windows10の自動更新プログラムをインストールした所、音量が『67』になって滅茶苦茶五月蠅かったから、下げたら音が出なくなった。
 何を言っているのかわからないと思うが、俺も何が起きたのかわからなかった。
 色んなサイト巡って原因特定しようとしてもわからず、昨日一日ずっと音が出なくなったパソコンとにらめっこする羽目に。

 復元ポイントから自動更新前に戻して、そこから更新プログラムインストール。すると全く同じ不調が出る。
 音量を常に『5』に設定していたはずなのに、勝手に『67』になってしまう。
 音量を上げ下げすると音が消える。音が出なくなる。
 何も触らなければ音は出る。音量調整するとアウト。何が原因かもわからない。

 音量67でイヤホン使ったら鼓膜破れる。冗談抜きで鼓膜に甚大なダメージ受けた。鼓膜破れてるっぽい、一ヶ月程度で治るみたいだけど。


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第一五話

「ん、ベルか」

「あ、クローズさん。おはようございます……」

 冒険者がダンジョンに潜る前の合流地として使われる事から早朝から数多の冒険者が集まる中央広場(セントラルパーク)

 冒険者の流れに乗って歩いていたベルは、噴水の縁に腰掛けるクロードを見つけて挨拶をした。

「……オマエ、防具変えたんだな」

「はいっ、エイナさんと一緒に」

 ベルは黒地のインナーとパンツに鉄色のライトアーマーを纏い、左腕に緑玉色(エメラルド)の輝きを放つプロテクターを付けている。

 新米装備から脱したであろう彼の姿を見やったクロードは、煙の臭いが染みついたコートの襟元を摘まんで眉を顰め、肩を竦めた。

「ハァ、んで、オレに何か用か?」

「えっと、特には……見かけたんで挨拶をって」

「オレなんかに構って時間無駄にしてねェで、さっさとダンジョン行ってきたら良いだろ」

 腰掛けたままベルを見上げて半眼で突き放つ様な事を告げるクロードに、ベルは困った様に頬を掻いてどうにか会話を続けられないかを模索した。

「あー、えっと……クロードさんはダンジョンに行かないんですか?」

 クロードの方も普段着兼探索用の戦闘衣(バトルクロス)外套(コート)を身に着け、直ぐそばに特殊武器の喧嘩用煙管が立て掛けられている事からダンジョンに潜るのだろう事は丸わかりだ。

「……ハァ? 見てわかんだろ。人待ってんだよ」

「え?」

「パーティ組んで潜んだよ。オマエもそろそろ単独(ソロ)じゃなくて他の冒険者と組んでみろ」

 単独(ソロ)だと限界が来るぞ、と投げ槍に追い払おうとするクロード。

「えっと、だったらクローズさんと一緒に……」

「…………」

 パーティを組ませて貰えないか、と口にしようとしたベルはすぐに口を閉じた。

 眉を顰め、深く、とても深く溜息を吐いたクロードは煙管の吸い口を咥えてベルから視線を逸らす。

「オレ()()()と組んでも良い事なんかネェぞ」

 やる気の無い冒険者なんかに付き合ってだらだらダンジョン潜るぐらいなら、もっと良いパーティメンバーを見つけろ。とベルを追い払う様に手を振って告げる。

「おい、あれ……間違いない。クロード・クローズだ」

「本当かよ。って、白髪のガキに軟派されてんのかアレ」

 耳に入った言葉にベルが振り返ると、数人の冒険者が立ち止まって自分達を見ている事に気付いた。

 あのフィリア祭の際に魔法を披露した事で有名人となったクロードに注目が集まり、自然と他の者達も彼女へと視線を送り始める。

 その中から大斧を背負ったヒューマンの大男が歩み出てくる。彼の後ろに数人の冒険者が続き、ベルとクロードを見やり声をかけた。

「なあ、あんたクロード・クローズだろ」

 少年の装備を一瞥し、駆け出しかとベルを無視した彼の問いかけにクロードはあからさまに不愉快そうに眉を顰める。

「……あァ、そうだが? アンタは?」

「俺は【パルジャニヤ・ファミリア】所属の【砕斧】だが、どうだ? 俺達のパーティに入らないか?」

 彼の名乗りを聞いたベルが思わず目を見開いて後退る。

 冒険者は【ランクアップ】した際に神々から『二つ名』を貰い受ける。それはつまり、二つ名を持っている彼が上級冒険者である証なのだ。

 そして彼の後ろに続く者達も同一のエンブレムが外套や鎧、盾等に刻まれているのが確認できる。全員が同じ派閥に所属している冒険者だというのは一目瞭然であった。あの一件を聞いて有名になった彼女を勧誘する目的なのは明白だ。

「ハァ、断る」

「……そうか、そっちのガキと組んでるのか?」

 二つ名を聞いて驚いている少年の方を見やって問いかけるその男に、クロードは目を細めると立ち上がって荷物に手をかけた。

「ンな訳ねェだろ。それよりベル、さっさと行け」

 あからさまにこの場からベルを遠ざけようとするクロードに反論しようとし、大男に見下ろされて怯んで言葉を詰まらせる。

 言外に『場違いな駆け出しは失せろ』と威圧的な雰囲気を撒き散らす男を見て、このまま去るのは不味いのではないかと感じ始めた所でクロードが煙管に火を入れた。

「ハァ、どいつもこいつも人の話を聞かねェな……おい、【砕斧】だったか?」

「ああ、それで? パーティに加わってくれるのか? あんたの魔法なら大歓迎なんだが」

「断る。何度も言わせるな、テメェのその耳は飾りか? タッパばっかでけェ癖に耳はまともに聞こえねェみてェだなァ? アァ?」

 紫煙と共に少女の口から飛び出したのはドスのきいた低い声。不機嫌さを隠しもしない彼女の言葉に大男は僅かに怯み、不愉快そうに鼻を鳴らす。

「はんっ、せっかく誘ってやったのに、なんつう態度だよ全く」

「余計なお世話どうも、さっさと失せろ」

 捨て台詞と共に去っていく一団に皮肉交じりの罵倒を返した少女は煙管の火皿を少年に突き付ける。

「オマエもだよ、ンなとこで油売ってても強くなんかなれねェんだぞ」

 キツイ言い方ではあるが、彼女の言う事は間違いではない。同じパーティを組もうにもそもそも彼女にその気が無い以上、勧誘目的でこの場に居続けるのは完全に無駄。

 関係改善をしようとしていた少年は、改善処か改悪になったのでは、と不安になりながらも項垂れながらクロードに別れを告げた。

「……あの、じゃあ、僕ダンジョンに行くんで」

「あァ、気ィつけろよ……ま、オレが言わなくてもわかってるだろォがな」

 何処か皮肉気ながらも注意喚起してきた彼女の言葉を聞いたベルは、そっぽを向いて紫煙を燻らせる彼女を見た。

「クローズさんも、気を付けて!」

「……あァ」

 ぶっきらぼうではあるが、しっかりと返事をしてくれたのを見て気を取り直したベルは、冒険者の流れに乗ってバベルに向かっていく。その背を見送ったクロードは軽く溜息を吐くと、また近づいてきた別の一団を見て溜息を零した。

「面倒臭ェ」

 

 


 

 

「悪い、遅れた」

 両手を合わせて頭を下げる赤髪の鍛冶師を引き連れながらダンジョンを歩いていたクロードは軽く肩を竦めた。

「こっちこそ悪いな、もっと集合場所考えりゃ良かったよ」

 本日、二人はヴェルフの目的である素材採取兼上位の経験値(エクセリア)を目的としたダンジョン探索の為にパーティを組んで行動していた。

 壊れたり破損したりしたクロードの武器修繕の為に色々と手を焼いていたヴェルフが遅れて集合場所に着くと、中央広場(セントラルパーク)の噴水の周りに人混みが出来ていた。その中心、噴水に腰掛けて声をかけてくる冒険者を片っ端から『断る』『失せろ』と追い払っていたのがクロードであった。

 人混みから微かに見えた赤髪を見たクロードは、荷物を纏めて背負ってそのままダンジョンに向かったのだ。その後を追い、ダンジョンに入ってから合流した二人は目的の素材が取れる階層まで一気に降りる為に最短距離を移動している。

「有名になると面倒なんだな」

「オマエも、『魔剣のクロッゾ』として有名なんだろ?」

 肩を竦めて揶揄するクロードの言葉に、ヴェルフは眉を顰めた。

 『クロッゾ』とは一昔前、とある王家に『魔剣』を献上する事で貴族の地位を得た、名門鍛冶師の一族だ。一族の鍛冶師全員が『魔剣』を打つ事ができ、なおかつその威力は破格であったとされている。

 知らぬ者の居ない程の名門鍛冶師一族であったが、ある日突然『魔剣』が打てなくなってしまい、終いには没落してしまった。

 そんな没落貴族である『クロッゾ』だが、『魔剣』を打つ事が出来る鍛冶師が現れた。それがヴェルフ・クロッゾ。

 クロードと共に行動している彼こそが、『海を焼き払った』とすら謳われる『クロッゾの魔剣』を打つ事が出来ると言われている鍛冶師なのだ。

「俺の場合はヘファイストス様の眷属だから手出ししてくる奴はほとんどいないが、お前の場合は違うだろ」

 有名で希少、ともなれば間違いなく神々からちょっかいをかけられるだろうが。ヴェルフの場合は所属派閥が都市最高峰の鍛冶系派閥である事もあって、下手にちょっかいをかければどうなるかが火を見るよりも明らかである事から手出しされる事はほとんどないと言っていい。

 しかしクロードの場合は今朝の一件から鑑みても無所属(フリー)という手出し自由な時点でかなり不味い。

「なあ、どっかの派閥に腰を落ち着ける気は無いのか?」

 だというのに本人ときたら。

「ねェよ」

 面倒臭そうに吐き捨てるのみ。

 本当に面倒に思っているのか言葉は刺々しく荒々しい。そんな彼女の様子に打つ手無し、とヴェルフは肩を竦めた。実はヴェルフは主神のヘファイストスからそれとなくクロードに派閥所属を勧める様に仰せつかっていたものの、彼女の反応からして不可能だと判断したのだ。

「っと、モンスターだな」

 無警戒に歩いているだけに見えたクロードが即座に喧嘩煙管とショートソードを抜いて構える。

 遅れてヴェルフが大刀を抜いた所で、脇道からモンスターが顔を出した。額から鋭い角が生えた兎の小型モンスター。『ニードルラビット』だ。数は三匹。

 『ニードルラビット』は既に気配か物音で二人の存在に気付いていたのか、姿が見えると同時に駆け出す。

 真っ直ぐ、一直線に額の角を突き出しながら突っ込んでくるモンスターにヴェルフが嫌そうに表情を歪める。得物が大型であるヴェルフにとって小型でなおかつ高速で突っ込んでくるそのモンスターは不得手に分類される。無論、易々とやられるつもりはないが、手こずってしまうのは仕方が無い。

「ああ、小さい奴は苦手なんだがなぁ!」

「じゃあ下がってろ」

 面倒そうにヴェルフの前に躍り出たクロードが、真っ直ぐ直進してくるモンスターに対し、同じく真っ直ぐ突っ込んでいく。

 先頭の一匹に対して喧嘩煙管の無造作な一閃が見舞われる。クロードが放った一撃でぐちゃりと無慈悲に挽肉(ミンチ)になり、続く二匹はまとめて喧嘩煙管の餌食となった。

「速ぇ……」

 瞬く間も無く三匹のモンスターを片付けた姿を見たヴェルフが大刀を構えたまま呆然と呟く。

 手分けして挽肉(ミンチ)になった死体から魔石を剥ぎ取っているさ中、ふとヴェルフはクロードに問いかけた。

「なあ、クロード」

「どした、ドロップアイテムか?」

「いや、そうじゃなくてな。おまえってそんなに速かったか?」

 前、鉱石採掘目的で行動を共にした時よりも圧倒的に速くなっている彼女の動きに気付いたヴェルフが問いかけると、クロードはニヤりと肩越しに振り返って笑みを浮かべた。

「見ろ、『ニードルラビットの鋭角』だ」

「……いや、答えになってないんだが」

 目的の素材を手にして上機嫌そうなクロードに突っ込みを入れる。

 クロードが上機嫌そうなのは最近は珍しい。特にミノタウロスに襲われて得物を壊されて以降はなんだかんだと不運続きで良い事がさっぱりなかったのか、仏頂面か無表情かのどちらかが多かった。それが珍しくヴェルフも頬を緩ませるが、さきの速度の差への追及を緩める気は無い。

「なあ、速くなってるだろ。何があったんだよ」

「【ランクアップ】しただけだよ」

「ほー、【ランクアップ】か。なるほど、それなら納得だな」

 しれっと返された返答を聞きながら魔石を抜き取り、ポーチへと放り込んだヴェルフはうんうんと頷いて、ふと首を傾げた。

「……待て、そりゃあおかしいだろ」

「何がだ?」

 魔石とドロップアイテムを分けてポーチに仕舞ったクロードが歩き出したのを見て、それに続いて歩きながら青年は自身の知る彼女の経歴を思い浮かべた。

 冒険者になってからまだ二ヶ月。その筈である少女を見やる。

「クロード、冒険者になってから二ヶ月だったよな?」

「おう」

 一ヶ月で10階層まで足を運んべる程の実力があるのは確かではあるのだが、いくらなんでも【ランクアップ】は法螺が過ぎるのではないか、とヴェルフが呟くと、クロードが面倒そうに肩を竦めた。

「誰もかれもがそう言うわな」

 つい昨日ギルドへと【ランクアップ】の報告と手続きを済ませたばかりであり、ギルド発表がまだである以上、信じる者は殆ど居ないのは仕方が無いと言える。

 クロード本人もその辺りは納得しているのか、ヴェルフに説明を納得させようとはせずにそのまま放置していた。

 

 


 

 

「たったの一三〇〇〇ヴァリス!? ふざけるなっ、あんたの目は節穴か!」

「馬鹿野郎、何年この仕事で食ってきたと思ってるんだ! 俺の目が狂ってるわけねえだろ!」

 ふと聞こえた乱暴な怒声にヴェルフが何事かと視線を向け、クロードが面倒臭そうに溜息を零した。

 ダンジョンから帰還した二人は必要分の素材を分けて換金所へと持ち込み、査定待ちをしている所であった。そんな二人のすぐ横で金額に文句をつけている冒険者が居るのだ。

 換金所スペースのカウンターにしがみ付いて執拗に騒ぎ立てる冒険者。

 ギルド職員達も注意するのではなく関わらない様に距離をとっており、慣れた様子で対応している様子から既に何度もこのやり取りをしてきた事が伺える。

「あいつは……」

 別段、換金所での口論は珍しいものではない。命を掛金(チップ)に日々ダンジョンに潜る冒険者からすれば、多かれ少なかれ期待を抱くのは仕方のない事。予想していた金額より低い額で引き取られれば、声高らかにして食ってかかるだろう、割りに合ってない、と。

「馬っ鹿馬鹿しいよな、勝手に期待に胸膨らませて、パンッて弾けたらキレるんだもんよォ」

 すぐ横で口論を交わす冒険者を見て不機嫌さを増したクロードが鑑定待ちの札を弄びながら皮肉気に呟く。

「おい」

 件の冒険者に聞こえたら不味いだろうが、とヴェルフが小声で注意するが、クロードは呆れた様に肩を竦めるのみ。そんな二人のやり取りが聞こえないのか────否、そんなやり取りが耳に入らない程に冒険者は怒声を響かせているのだ。

「ドロップアイテムもちゃんと勘定に入れたのか!? なぁ、もう一度確かめてみろ! ほらっ、これだけの、これだけのはずが……っ!」

 唾を飛ばして査定員に掴み掛る寸前にまで至る鬼気迫る状態を見て、ヴェルフがほんの少し距離を取る様に下がり、クロードが眉を顰める。

「……中毒だな」

「中毒?」

「ああ、酒か煙草か知らねェが、よっぽどキクんだろォよ」

 周囲に呆れや軽蔑の視線を向けられても執拗に職員に迫り、必死に引き取り金額を引き上げようとしているその様子を見た少女は懐から煙管を取り出し、吸い口を咥えた。

「どんだけキマってんだありゃ、ほんとヤバそうな薬ヤってんだろォなァ?」

 ケタケタと楽し気にそのやり取りを見ていたクロードは、ふとその冒険者が身に着けている装備に描かれたエンブレムを見て口を閉ざした。

 それは三日月と(さかずき)のエンブレム、【ソーマ・ファミリア】に所属している事を示すモノだ。

「……あぁ、なるほど、マジでヤバいもんキメてんのな」

 その男が所属している派閥から、彼が何を思って金に執着しているのかに気付いたクロードは呆れと軽蔑の視線を向けた。

 【ソーマ・ファミリア】の主神が作っている『(ソーマ)』。それを一口味わってしまえばもう後戻りはできない。下手な薬物の様に精神に異常をきたすような事こそないものの、その強烈な依存性は薬物とほぼ変わりない危険性を持っている。商人の男から聞いたそんな話を思い出したクロードは顎に手を当てて考え込みだした。

「何か知って……」

「査定番号183番の方、査定が終了いたしました」

「おう」

 自分達の査定が終わった事に気付いたヴェルフがカウンターで金額を確認して受け取る間、クロードはじっと【ソーマ・ファミリア】の冒険者を見つめていた。

「くそっ、こんなんじゃあ……これだけなんかじゃあ……っ!」 

 ギルド職員からこれ以上騒ぐと罰則(ペナルティ)を与える、と脅されてようやく静かになった彼は、両手で頭を抱えて呻きながら出口へと向かってふらふらと歩いていく。

(……よっぽど、その『酒』が欲しい訳か)

 気が狂ってる、そう言われても不思議では無い程の狂乱っぷりを見やっていたクロードは、ニィッと口元を吊り上げて金額を確認していたヴェルフの背を叩いた。

「おっと、危ないな。って、どうしたんだ?」

「悪ィ、先帰るわ。金は、預かっといてくれ」

「は?」

 ヴェルフが振り返った時には既にフロアからクロードは姿を消していた。

 

 


 

 

「それで……その【ソーマ・ファミリア】の『酒』が欲しい、と?」

 日も暮れて夕闇に包まれた都市の一角。北のメインストリートに面した商会の店舗。

 三階建ての建物の二階部分、応接室に通されたクロードの問いに、商人の男は困った様に茶髪を弄る。

「あァ、あの派閥の団員を見るに、殆どソレに首っ丈なんだろォよ」

 その高い中毒性を利用すれば、今以上にスキルによる薬物強化(ドーピング)が可能となる。そうなれば今以上に無理をする事が出来る様になるし、何より────

(ベルに()()()()()()前に、もっと差を開けておきたい)

 手札はいくつあっても困らない。むしろ多く用意しておかなくては落ち着かない。とクロードが男を見やると、彼は溜息を零して窓の外を見つめた。

「そこらで買えるだろ。なんなら下で売ってるからそこで買えば────」

「アレ違うだろ」

 【ソーマ・ファミリア】が誇る主神が作り上げた酒、『神酒(ソーマ)』。

 かの派閥の眷属達が血眼になって金を搔き集める理由は一つ。その酒を得る為だ。

 一定期間ごとに集金を行い、必要金額を派閥に納めた者にはほんの少しの『ソーマ』を与える。そのあまりにも美味な酒を求めて、眷属達は多額の金を派閥に納めているのだ。

 クロードも幾度か飲んだ事はある。市場に出回っているモノだけだが。

 だが、市販されている『ソーマ』はお世辞にもあそこまで熱狂する程の魅力も中毒性も無い。確かに美味い、他の酒が不味くなるほどに美味い、がそれだけだ。

 故に、【ソーマ・ファミリア】の団員達があそこまで血眼になる理由が理解できなかったのだが、一つの仮説を立てたのだ。

「市販の酒、あれよりもっと良い酒があんだろ?」

 市場に出回っているのはランク落ちか、失敗作か。どちらにせよ、あれ以上のモノが存在するのは間違いない。彼の派閥の団員達を酔い狂わせる程の最高峰の酒がある。そんな確信を持った問いに、商人の男はやれやれと参った様に両手を上げた。

「参ったよ、その通りだ」

「ほぅ、んで、手に入るか?」

 問いかけに彼はうーん、と唸ってから一つ指を立てた。

「まず、市場に出回ってるのは『失敗作』だ。『完成品』は出回ってない……って事になってるね」

 出回っていない事に()()()()()、ということはつまり。

「あの派閥の団長、【酒守(ガンダルヴァ)】ザニス・ルストラっていう奴が秘密裏に都市外のお貴族様に売ってるんだよ」

 当然、露呈した日には愉快な事になるに違いない情報だった。

 貴族様、と聞いたクロードが火の無い煙管を咥えたまま考え込み、男を見やる。

「その貴族様ってェーと?」

「クロード、アンタの煙草をまとめ買いしていったあのお貴族様もお得意様だぜ?」

「ほほぅ、良い事を聞いたな」

 ニィッ、と愉し気な笑みを浮かべると、卓に置かれた小箱を掴んで刻み煙草を煙管に詰め始める。その様子を見た商人は困った様に頬を掻き、燐寸(マッチ)をクロードに投げ渡す。

 少女が火を着け、一服してる間に、男は棚からいくつかの目録を取り出し、卓に広げた。

「交渉はこっちでしても良い」

「話が早くて助かるな、んで何が欲しい訳だ?」

「勿論、【ランクアップ】した秘密だ」

 微笑みながら言い放たれた要求にクロードは動きを止め、目を見開くと感心した様に吐息を零した。

「ほぉ、流石、耳が早いな」

「だろ?」

 悪戯っぽく笑う姿は何処かあどけなく子供っぽさを感じさせるが、その中身は歴戦の商人。若いながらに数多の貴族や商会と繋がりを持ち、合法非合法問わずに貪欲に稼ぐ姿勢を持つ腹黒い人物、それが彼だ。

 ギルドが未だに発表しておらず、ほんの一握りの人達しか知らないはずのクロード・クローズの【ランクアップ】の情報をいち早く察知している事に感心しながらも、クロードは紫煙を燻らせる。

「……よく考えたらオマエってギルド職員とパイプあんじゃん」

「あ、バレちった?」

「はっ、よく言うぜ」

 肩を竦めて灰皿に灰を捨て、新しく刻み煙草を詰めながら少女が呟く。

「数は指定できるか」

「量次第だな、結構値が張るぜ?」

 クロードの前に羊皮紙と羽ペンを置いて、商人の男も同じ様に煙管に刻み煙草を詰め始める。

「ふぅん……まあ、とりあえずポーション瓶で五本分ぐらい欲しいな」

 空き容器に『完成品のソーマ』を詰めておき、必要時に直ぐに使用できるようにしておきたい。と隠しもせずに告げたクロードを見て、商人の男は大笑いした。

「はっはっは、おいおい、探索中に酒でキメるって、正気かよ」

「キマってる時のオレ、凄ェ強ェぞ」

 格上の『ソードスタッグ』も潰せた。と実績を強調しながら、クロードは羊皮紙に自らの【ランクアップ】に至った秘密をつらつらと書き連ね始めた。

 その羊皮紙を覗き込んだ男は、ほほぅ、と感心した様に目を細めると、眉を顰めた。

「なるほど、なるほど……コレ、同じ事すれば他の冒険者も【ランクアップ】出来る訳だな?」

「ああ」

 書き終わった羊皮紙を商人の男に投げ渡し、羽ペンを卓の上に転がしたクロードがケタケタと嗤う。

 対面に座っていた男は煙管に火を入れ、咽込みながら羊皮紙を見やった。

「ごほっ、ごほっ……やっぱ、良さがわからんな」

「無理に吸うなよ、勿体無いから余るならこっちに寄越せ」

 火の着いたままの煙管を受け取り、吸い口に口を着けた所で商人の男は揶揄う様にクロードの口元を指差した。

「間接キッスだな」

「……ふぅ、間接キスぐらいカワイイもんだろ。なんなら注射器の回し打ちでもしてやろォか?」

「おいおい、面白くないなぁ」

 生娘みたいな反応を期待したのに、と茶目っ気を全開にした男の言葉に、クロードは、そんな初心な反応じゃなくて悪かったな、と鼻で笑い返した。

「それよりも……これは……確かに、これだけやれば【ランクアップ】はすぐだろうな」

 相当無茶な予定表(スケジュール)を書き込まれた羊皮紙を見やり、商人の男が呟く。

「スキルがある上で、これをこなして二ヶ月か」

 経験値(エクセリア)の超高補正がある上で、無茶を繰り返した結果の『二ヶ月での【ランクアップ】』だ。

 一般的冒険者ならとっくの昔に死んでいてもおかしくない様な行動を繰り返した結果なのだから、呆れてものも言えない。

「こりゃあ、クロードを相手に『ズルい』なんて言える訳無いわなぁ」

「ンなもん、嫉妬する馬鹿共に理解出来る訳ないだろ」

 たとえクロードと同じ魔法やスキルを得たとして、同じように無茶を繰り返して【ランクアップ】できる冒険者がどれほどいるだろうか。

 少なくとも、半数以上が死ぬのは想像に易い。特に薬物使用時の精神不安をどう鎮めるかが問題となってくるだろう。クロード本人は、気合と根性等と冗談めかして言うが、実際には強い意志が無ければ不可能。

「……少なくとも、俺には無理だなぁ」

 商人の男は呆れながらも対面で紫煙を燻らせる少女を見やった。




 完成品の『ソーマ』をキメたクロードくんちゃんはどれぐらい強くなるんでしょうか。

 それと、『商人の男』の名前も決めておいた方が今後やりやすいかな、と思ってます。名前は……やんわりと、テキトウに、それっぽく決めておきます。


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第一六話

 空を覆う色が、夜の蒼闇に染まる頃。

 西のメインストリートから外れた場末の酒場は仕事を終えた職人、迷宮探索から帰還した冒険者でごった返していた。

 古びた木造の狭い店内には、粗末な装備を身に着けた冒険者が大半を占めており、乱暴な言葉や下品な笑い声、けして上品とは言い難い言葉がしきりに飛び交う。

 ダンジョンの稼ぎも良くない割に妙にプライドばかり高い荒くれ者が安酒を求めて集まる酒場だけはある、と眉を顰めながら最低品質で値段相応の味の酒に口をつけていたクロードは肩を寄せてくる女神を見やって溜息を飲み込んだ。

「……ンで、どうしたよ女神様ァよぉ」

「どうしたもこうしたも! ベル君が、ベル君が浮気をしていたんだ!」

 ダンッ、と飲み干した空のグラスを樽に渡した板材の机に叩き付けるヘスティア。

「浮気、とは穏やかではないな。ベルがその様な事をする光景を、私は想像出来ん」

 穏やかで丁重な口調で言葉を紡ぐ美男、ミアハがヘスティアの言葉を相槌を打ちながら自分の意見を口にする。彼の着用するぼろぼろのくたびれた灰色のローブは違和感なく古びた酒場に溶け込んでいる。

「浮気、浮気ねぇ……あのベルにそんな大それた事が出来んのかねぇ」

 半ば呆れながらも口当たりの悪い安酒に眉をひくつかせ、低く不機嫌な声色で吐き捨てる小人族の少女、クロード。彼女が身に纏う煙の匂いが染みついたコートと、手にした安っぽい煙管もこの酒場に上手く溶け込み、退廃的な雰囲気を醸し出していた。

「いいや、ボクはこの目で見たんだ! 店員君、お酒のお代わりを!」

 事の始まりはつい半刻ほど前の事。【ステイタス】の更新の為に教会の隠し戸へと向かっていたクロードは、偶然にもメインストリートでふらふらと歩く女神を見つけ、声をかけた。彼女に気付いた女神は振り返ると同時にクロードの肩を掴むと『付き合ってくれ!』と問答無用で彼女を引き摺っていったのだ。

 何事かと困惑する小人族を他所に、大通りで偶然出会ったらしき神友(ミアハ)も捕まえると、女神は近場の酒場に足を運んで自棄酒に付き合わされる事となったのだ。

「……はぁ、面倒臭ェな」

「まぁまぁ、そう言ってやるな。恩恵を与えてくれている女神の愚痴だ、聞いてやってもバチは当たらんよ」

 次々に酒を呷り続ける女神に肩を組まれてぐいぐいと揺れ動く彼女に翻弄されながら煙管を吹かしていたクロードの心底うんざりした様な言葉に、男神が苦笑しながらも宥める。

 ヘスティアとミアハの関係は、共に下も下────底辺も底辺の【ファミリア】の主神同士、同じ身分という事で親交が深いのだ。回復薬(ポーション)の製造、販売を行う【ミアハ・ファミリア】を【ヘスティア・ファミリア】が懇意にしており、両派閥の団員も気心知れている────と両主神は思っている。

(……実際には犬女(ナァーザ)の奴、(ベル)をカモ扱いしてんだけどなぁ)

 内心でボソリと呟きつつ、急な女神の自棄酒に嫌な顔一つせずに付き合う美男を見やったクロードは、深く溜息を零した。

「んで、何があったんだよ」

 自身の分として出されていた安酒を女神の方に押しやり、口当たりの悪いソレの処理を任せつつもクロードが問いかける。

「ベル君が女の子と手を繋いでいたんだ! これはもう真っ黒も真っ黒じゃないか!」

 女神の口から飛び出した台詞を聞いたクロードは、無言で紫煙で肺を満たして一息つく。

「ベルにはベルの事情、それなりの付き合いもあるのだろう。黒と決めつけるのは早計に感じるが……そもそも、夫婦でも恋人ですらない者達が浮気云々と語るのもおかしいであろう」

 美男が正論を述べるも、女神は追加で運ばれてきた安酒を呷っており全く聞いていない。

 今日は荒れているな、と群青の髪を掻いた男神と、くすんだ銀髪の少女が視線を交わし合い、互いに溜息を零す。

「くそぅ! そもそも一体なんなんだあの子は!? ベル君はボクのモノなんだぞぉ!」

「これこれ。その発言はいくら主神といえども横暴というものだ。ベルは誰のモノでもない」

「わかってるさ、そのくらい! ただ言ってみただけさ! いいや、言ってみたかっただけさ!」

「もう酔っているのか」

「おうともさ!」

 酔っていなきゃやってられるか、と次々にグラスを空けていく女神は、抱き寄せていたクロードをようやく解放する。呆れつつも自身の酒のつまみとして頼んでいた野菜スティックをそれとなく手元に確保して齧っていたミアハは、ヘスティアから解放されて席を移動したクロードを見やる。

 何処か虚ろに、ベル君ベル君、と呟きながら安酒を浴びる様に飲むヘスティアを見やっていた。

「クロード、何か悩みがあるなら私で良ければ聞くが」

「ンぁ……別に、悩みなんて一つもねェよ」

 嘘だ、と神でなくとも見抜けそうな程の彼女の様子を見たミアハは、対面の席で次々に酒を追加注文しては呷っていくヘスティアを一瞥してから、彼女と向き直った。

「嘘だろう。ほれ、話してみなさい」

「……話しても解決する事じゃねェからいい」

「解決はせずとも話す事で少しは楽になる」

 押し付ける様な厚かましさを微塵も感じさせない低い声色に、クロードが僅かに口元を震わせてミアハを鋭く睨み付けた。

 不機嫌そうに、けれども意を決した様に彼女が口を開こうとして────

「うぅっ……」

 すっかり顔を赤くした女神が嗚咽を漏らした事で二人の視線がヘスティアに移る。目尻に涙をたっぷりとこさえ、今にも決壊しそうなダムを彷彿とさせる。美男と少女が同時に不味い、と感じ顔を引き攣らせ、女神が叫ぶ。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!! ベル君ベル君ベル君ベルくーんっ! お願いだからボクの前からいなくならないでおくれ────!!」

「こ、これ!? 声がでかいぞヘスティア!」

 周囲の喧騒を一瞬で散らす程の特大の号泣にミアハが慌て、クロードが頭痛を堪える様に額に手を当てた。他の客たちの視線という視線がヘスティアに集まる。

「君が笑っていてくれればボクは下水道に住み着いたって良いぜ!? それくらい君の事が好きなんだ! ぶっちゃけ同じベッドで寝たいんだギュウギュウしたいんだ君の胸にぐりぐり顔を押し当てたいんだー!! キミが微笑んでくれればボクはパン三個はいけるんだー!」

 周囲の視線も何のその、自身が胸に秘めた思いをぶちまける女神の姿に流石のミアハですらもドン引きし、クロードは他人事の様に紫煙を燻らせている。

「愛してるよベルくーんっ!! ……えへへぇ、一度でいいからベル君への想いをぶちまけてみたかったんだー! ふふぅ、すっきりー」

 本当にすっきりした様にふにゃふにゃと緩み切った笑顔を浮かべる女神を他所に、ミアハとクロードの二人が勘定を進めていく。

「当人が居なくてよかったな。クロード、勘定だが良いか?」

「あァ、金は出すわ」

 クロードが自身の財布から金を出し、ついでに女神の懐に手を突っ込んで財布を取り出し、表情を消した。

「どうした?」

「……この酔っ払い、二〇ヴァリスしか持ってねェぞ」

 女神の懐から出てきた財布にはじゃが丸君一つぶんのお金すら入っていない。到底、彼女の飲んだ分の金など出せる筈もなく、クロードは無言で彼女の懐に財布を突っ込むと、自身の財布から足りない分を取り出した。

「クロード君も、ボクに懐いてくれないしぃ。クロードく~ん、ボクの【ファミリア】に入っておくれよぉ~」

「だぁぁぁっ、鬱陶しい!」

 泣いたり笑ったり、酩酊状態でころころと表情を変えながら抱き着いてくる女神に、クロードが鬱陶し気に引き剥がそうとする。

 その様子にやれやれと呟きながらも、ミアハはクロードと共に甲斐甲斐しく酩酊女神(べべれけ)を介抱しながら帰路についた。

「ミアハー、クロードくーん、支払いはどうしたんだーい?」

 ミアハの所有物である商品(アイテム)を積んでいた四輪の手押し車に積まれた女神は、酔っ払い特有の間延びした問いかけに美男は苦笑し、少女は溜息を零す。

「うむ、私とクロードで割り勘にした」

「おいおい水臭いなー。こういう時はボクも入れての割り勘だろー?」

「おまえ、自分の所持金が二〇ヴァリスしか無いの忘れてんだろ」

 酔っ払いの相手しても仕方ないか、とクロードが肩を竦める。その時、ぐいっとコートの裾を引かれてつんのめった。

「っぶねぇ、んだよ!」

「クロードくぅん……ボクの【ファミリア】にぃ~」

 ミアハによって乳母車の様に運ばれる女神が、手押し車の上から手を伸ばしてコートの裾を掴んでいる事に気付き、舌打ちを零しかけて既に寝惚けた様子の女神を見て頬を引き攣らせた。

「……ったく、危ないから放せっての」

「クロード」

「んだよ、ミアハ様」

 面倒臭そうに答えるクロードを見て、ミアハは手押し車に乗せられた女神を見やり、一つ頷いた。

「そなたは何か悩んでいたのだろう。出来れば聞かせて貰えぬか?」

 コートの裾を掴まれたまま、苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべた少女に、美男は優しく問いかける。僅かに口を開きかけ、それでも閉ざしたクロードは親指で横道を示した。

 光に溢れた大通りから一つ外れた通り。ぽつぽつと大通りに比べると数の少ない街灯型の魔石灯の灯りに照らされながら歩んでいく。

 クロードの後を手押し車を押しながら進んでいたミアハは、静かに口を開く。

「そなたはヘスティアの事が嫌いか?」

「……別に、嫌いじゃねェよ。面倒だとは思うが」

 本当に面倒だ、と自身のコートの裾を掴む女神の手を引き剥がすと、手押し車に乗せられた女神を覗き込んだ。

「ふむ」

 覗き込むのを止め、懐から煙管を取り出して口に咥えたのを見やったミアハはしばし考え込み、呟く。

「もしや、()()()()()を恐れているのか?」

「……………………」

 その問いかけに答える事はなく、クロードはミアハを一瞥すると煙管に火を入れた。

 問いに対し、ほんの一瞬だけ表情を強張らせた彼女を見たミアハは、静かに言葉を続ける。

「沈黙は肯定ととるが」

「……神様ってのは、本当に相手にすんの面倒臭ェよな」

 鎌をかける様に問う男神の言葉に少女は紫煙と共に言葉を吐き捨てた。

 しばしの間、手押し車の奏でる乾いた車輪の音と、二人分の足音が薄暗い路地に響く。遠く離れた光に溢れる大通りから微かに耳に届く喧騒に耳を傾けていたクロードが、肩を竦めた。

「そもそもよォ、愛ってのは何だ? この女神みたく面倒に構ってくる事か?」

 手押し車の上で心地よさそうに眠る女神を指差し、先の光景の事を示す。

 眷属(ベル)に対し過剰ともとれる愛情を注ごうとする女神の姿には、確かに友としてのミアハですらもドン引きではある。しかし、ヘスティアが本気でベルを愛している事には理解を示すし、それに。

「ヘスティアはクロード、そなたの事も愛しているぞ」

 事実、ミアハは幾度かヘスティアからクロードの事に関しての相談事を受けていた。

 心開こうとしない彼女にどうすれば良いのか、と。真剣に、クロードの事を想っての相談。ヘスティアが彼女を想っている事に嘘偽りはない。

「……面倒だろ、そういうの」

 心底呆れた様にクロードが吐き捨てる。

「オレはな、面倒なのは嫌いなんだよ」

 その呟きを聞いたミアハは、彼女が酷く怯えている様に見えた。

 

 


 

 

 それは怪物祭の数日前の事だ。

 鍛冶神が手際よく準備を進める傍らにヘファイストスがクロード・クローズについて知っている事を語っていく。

「あの子があれだけ歪んだ性格をしているのは、育った環境が悪かったんでしょうね」

 そして同時に、運も悪かった、とも鍛冶神が続ける。

「彼女には三人の兄が居て、あの子が末っ子だったそうよ」

 それぞれ、彼女の兄達には秀でた部分があった。それは剣術であったり、学術であったり、芸術であったり。三人とも優れた才能を持ち、開花させていたのだという。

「もしかして、クロード君はその兄達に嫉妬して……?」

 兄達への嫉妬心から歪んでしまったのだろうか、とヘスティアが唸る。それをヘファイストスは否定した。

「違うみたいよ、少なくともクロード自身は兄達に対して嫉妬はしていなかったみたいよ」

「嫉妬してなかった?」

「むしろ、兄達とは仲が良かったみたいね」

 クロードの口から語られる兄の話はどれも誇らしげであり、そこに嫉妬等の暗い感情は見て取れなかった。

「じゃあ、なんで……?」

「……母親や周囲が原因みたい」

 クロードの親は、どうやら平等に子供を愛する事をしなかったらしい。常に優秀な兄達と比べて一歩劣るクロードに対する親からの評価は、とても厳しいモノだった。

「兄達の様な優秀な子を望まれていたみたいだけど、クロードにはそれが無かった」

 最初の頃こそ()()()()()期待され、彼女自身もそれに応えようと努力を重ねていた。

 しかし、彼女の努力は実らない────否、実ってはいたのだ。ただし、その実った成果は親や周囲が期待する基準に届かなかっただけで。

「期待に応えられなかったあの子を、彼女の親は幽閉したみたいよ」

「────幽閉?」

「そう、一族の恥、としてだって」

 彼女が名を連ねた一族。その中でも秀でた才能を持つ三人の兄は歓迎の言葉と共に迎え入れられ、求められる期待に沿えなかったクロードは一人、屋敷に幽閉されていた。

 外聞を気にしてか、直接的な危害こそ加えられていない。しかし、彼女は幽閉され、あたかもそんな人物は存在しない様に扱われる。

 居ない、居ない。何処にも居ない、()()()()()()

「専用の屋敷が与えられて、其処から一歩も出られない様に警備まで配置されていたみたいね」

 兄達の様な何かを持たなければ、存在する事すら許されない。

「唯一、というか兄達だけはクロードの事を気に掛けていたみたいだけど」

 幽閉されているクロードの元へ足繁く通っては、彼女の努力に協力を惜しまない。自分達に出来る事ならば、と献身的に彼女の為に動いてくれる末っ子想いの兄達だった、と。

 しかし、それも長くは続かない。不慮の事故で兄達は死に、彼女が一人残された。

「兄弟が死んだあとはもっと酷かったみたいね」

 死んでしまった兄達に代わり、クロードが穴を埋める事を期待された。

 一度は捨てた彼女を拾い上げた母親、ひいては一族は優秀だった兄達と同じ結果を求め、それに応えるべくクロードは努力を重ねていく。

「クロード君の父親は何をしていたんだい?」

 ヘスティアの問いかけに、ヘファイストスは僅かに眉を顰めると槌を金床に置いた。

「……同じように幽閉されていたみたいね」

「何だって?」

 他の家から婿養子として迎え入れられた父親は、いわゆる種馬としての扱いしかされていなかった。

 彼の家が求めたのはより良い遺伝子。彼の一族の血と子を成した際、最も優れた子が産まれる可能性の高い遺伝子を持った男性。それが彼女の父親であり、それ以外の役割を与えられてはいない。

 子を成して以降、彼は屋敷に幽閉されていた。

「クロードは父親が死ぬ程嫌いだったみたいね」

 そして、彼は幽閉されている事に文句一つ無かった。

 屋敷の外に出る事が出来ない以外は、特に不自由のない暮らしが出来る。食事や娯楽は常に与えられ、何もしなくても屋敷の管理や自身の世話をしてくれる使用人だっている。それに彼は文句はなく、大人しく幽閉される事を選んでいたらしい。

「対して、クロードは背負わされた期待に応えようとしていたみたい」

 何でも良い、秀でた何かを証明する事で母親に、一族に認めさせようと努力を積み重ねていた。学術、武術、芸術、とにかく何でもだ。何か、何か一つ、秀でた才さえ証明する事が出来れば。

 その異常な程の期待という重圧の中、彼女はまさに()()()努力を繰り返した。

「ヘスティア、信じられないかもしれないけれど、クロードはダンジョンで目覚める以前は────」

 それこそ、体が()()()()()()()を繰り返し続けたのだ。

 

 ────半身不随でベッドから出られない身体だったらしいわ。

 

 


 

 

「ぬぁぁぁぁぁっ……!」

 ()友との会話を夢に見ていた女神が目を覚ますと、脳内に響き渡る荘厳な鐘の音と、頭痛が彼女に襲い掛かった。

 ベッドの上で仰向けになるヘスティアは、悶えながら呻き声を発した。なんとか周囲を見回した彼女は、見慣れた天井を見てここがホームだと気付く。ついでに壁にかけられた時計から朝だという事にも。

 ミアハとクロードを巻き込んだ自棄酒から一夜明け、ヘスティアは完璧な二日酔いに陥っていた。

「だ、大丈夫ですか、神様?」

「ただの飲み過ぎだろォよ、ったく、神が酒に呑まれてどうすんだっての」

 ベッドの傍にいたのはベルで、ヘスティアの視界からは見えないがクロードの声も聞こえる事から彼女もホームに居るらしい。

 水の入ったグラスを片手に心配そうにヘスティアを見つめるベルに、ヘスティアは声をかけた。

「す、すまない、ベル君、こんな見苦しいところを……」

「いえ、そんな。……えっと、昨日、ミアハ様とクローズさんにも聞きましたけど、やっぱり?」

「……ああ、どうやら飲み過ぎたみたいだ」

 寝たままの姿勢で水を軽く飲ませて貰い、渋面を作る女神。

 昨日、女神を届けたミアハは「()()()()()()()()()。僅かでもいい、構ってやってくれ」と意味深な台詞をベルに残していったらしい。それと、今後暇なときで良いから話をしたい、とも。

(何も思い出せない……)

 女神の記憶から、昨日の事は綺麗さっぱり抜け落ちていた。そんなあやふやな状態で二日酔いする程に酒を飲んだ原因もわからない上、更に酩酊状態だった自分がどんな痴態を晒し、どんな事を口走ったのか、神友(しんゆう)の言い残した意味深な言葉からヘスティアは強烈な不安を覚える。

 そんな中、呆れた様な溜息を零しながらもベッドに近づいてくる人影があった。

「酒飲むンなら、量決めて飲め、馬鹿みてェにガバガバ飲みやがって」

「ク、クロード君……」

 そういえば、と薄ら微かに残る記憶からクロードも居た様な、居なかった様なと女神が首を傾げるさ中、彼女は手にしていた果物をナイフで細かく切り、欠片を片手にベッドに近づいて無造作に女神の口に捻じ込む。

「むぐぅっ!? す、酸っぱぁ~い!?」

 一欠けらとはいえ、非常に強い酸味のある果物、檸檬らしきものを捻じ込まれて悶えるヘスティアを他所に、クロードはベルにも一欠けら差し出す。

「食うか?」

「えっと……ぼ、僕は遠慮しておきますね」

 断ったベルを一瞥すると、クロードは手にしていた果肉を自身で口にした。見ていたベルは思わず唾を飲み込むが、クロード自身は何でも無いようにテーブルに置かれた器から半分に切られた檸檬を手に取り、齧りつく。

 見ているだけで口内に唾液が溢れ返る姿にベルが視線を逸らし、ヘスティアが上体を起こした。

「大丈夫ですか、神様?」

「うん、あの酸味が効いたよ」

 完全に復帰とは言えずとも、ある程度治った、と空元気の様子で答えると、ヘスティアはソファーにどっかりと腰掛けるクロードを見て首を傾げた。

「ところで、クロード君はなんで此処に?」

「……はぁ、昨日泊めさせて貰ったんだよ」

 ヘスティアを送り届けた後、ミアハと共に帰ろうとしたクロードは、ミアハとベルに説得されてこの教会の隠し部屋に泊まる事になったのだ。

「そっか、すまないね、クロード君」

「別に、オレはもう帰るが文句はあるか?」

「いや、無いよ。本当にありがとう」

 適当に食っとけ、と果物が入った籠をテーブルに載せたクロードは手早く荷物を纏めて立ち上がる。

 その背中に手を伸ばしかけ、ヘスティアは言葉に詰まった。ヘファイストスから聞いた彼女の話、それに対してどう接するのが正解なのか。

 期待されて、応えられなくて捨てられた。その後、また拾い上げられて、今度こそ応えようとして、壊れた。そして、最後には……。

「クロード君、また……いつでも来てくれていいからね」

「…………」

 軽く手を振ると、クロードは階段を上がっていった。

 

 


 

 

「良い報せと悪い報せ?」

 昼下がり、商館の応接室で紫煙を燻らせていたクロードは首を傾げた。対面していた商人の男はテーブルの上に『ソーマ』を置いて告げた。

「ああ、良い報せと悪い報せ、どっちから聞きたい?」

「そりゃあ、良い報せだ……って、コレが『完成品』の酒か?」

 卓に置かれた『ソーマ』を見たクロードの問いかけに、商人の男は大きく頷いた。

「ああ、これが完成品の酒らしい」

「ほー……開けていいか?」

「もうアンタのモンだ、好きにしてくれ」

 良い報せの方は完成品のソーマが早くも手に入った事。

 早速、栓を抜いて香りを嗅いだ所で、クロードは目を見開いて感嘆の声を上げた。

「おォ、こりゃァ……香りだけでも最高だな」

 酒に似つかわしくない甘い香りを漂わせるソレを、グラスに僅かに注いで煽る。

 舌全体を痺れさせる様な強烈な甘みは、けれどもしつこさは一切ない。滑らかな口溶けと共に、香りが鼻腔を抜けていく。後味まで爽やかで、余韻だけで意識が朦朧とし、体の隅々に染み渡る様に幸福感に満たされていく。

「ふぅ……なぁるほど、なるほど」

 味わい終えたクロードは栓を戻し、片目を閉じて商人の男を見やった。

「んで、悪い報せは?」

「あの貴族様、口が軽かったみたいで他の貴族様からも問い合わせ殺到中」

「……何?」

 最初に彼が取引していた貴族に、クロードの作り上げた煙草を売り渡したのは良いモノの、その後、かの貴族はあろう事かその煙草を他の貴族連中に自慢してしまったらしい。

「なら、お前ン所で作ってる奴を適当に卸してやれば……」

「それがな、あの貴族共、無駄に舌が肥えてやがんのか俺のお抱えの薬師共の奴じゃ物足りんとかほざきやがるんだよ」

「……おい、待て」

 商人の男が開発した煙草はそれなりに再現されていると開発者(クロード)自身感じている。それでも件の貴族連中は()()()()()()と注文を付けてきている、と。それはつまり。

「と言う訳で、悪い、開発者が誰かの問い合わせが殺到してんのよ」

 非常に申し訳なさそうに両手を合わせて懇願してくる男に姿に、クロードが頬を引き攣らせる。

「待て、まだ正体はバレて無いんだな?」

「一応、な?」

 一応、未だにクロード・クローズという人物が件の煙草の開発者である事は貴族連中に気付かれてはいないが、彼等もお抱えの薬師として開発者の身柄を欲しているとの事。

 つまり、今後はクロードの周囲を嗅ぎ回る者が増えるという事を意味していた。

「……面倒臭ェな、おい」

「はっはっは、どのみちギルドが【ランクアップ】の件を発表すれば一躍有名人だろ」

「それとこれとは話が別だろ」

 特に貴族連中は金にモノを言わせて何をしでかすかわかったものではない。見つける為にあれやこれややらかされてる間に、ギルドが嗅ぎ付けてくれば面倒事どころか、下手をすれば牢獄行きだ。

「はぁ……んで、手は?」

「一応、尽くす積りではあるが……死ぬときは一緒にな?」

「おまえを殺してから死ぬ事にするわ」




 アニメ版しか見ていない人にとって『ソーマ(完成品)』って超ヤバい代物、って印象なんだと思いますが。
 原作の方では『禁断症状は無く』、『依存症状は酷くない』。らしいです。


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第一七話

 西のメインストリート沿いに立つ一際大きな建物。

 『豊穣の女主人』の扉にかけられた『Closed』の札を無視し、クロードはドアを開けて中を覗き込んだ。

「うーっす、誰か居るか?」

 開店前の店内では多種多様な種族の少女達が開店に向けての準備を行っている。

 そんな中、一人のヒューマンの少女がクロードに気が付いて作業の手を止めた。

「クロードじゃん、おはよう。まだお店はやってないんだけど、何か用?」

「ベルの代わりにこれを返しに来たんだよ」

 クロードが手にしていたのは空のバスケット。

 最近、ベルはシル・フローヴァというこの酒場の店員の少女から手作りのランチを貰うのが日課になっていた。理由は良くわからないが、周囲がそうなる様に煽動したとの事。

 普段ならば食べ終わった空の容器を夜にはベル自身が返しにくるのだが、昨日は主神(ヘスティア)が酩酊状態で帰宅し、今朝もまた面倒を見ていたために昨日の内に返す事が出来なかった。

 そして、一晩泊めて貰った礼にと、少年に代わりクロードがそのバスケットを返しに来たのである。

「ベル……? ああ、あの白髪の」

 一瞬考え込んだ後、誰の事を指しているのか気付いた少女がぽんと手を打つ。

「何でクロードが返しに来たの?」

 純粋に疑問に思ったのか首を傾げて問いかけてくる少女にクロードが返事を返そうとした所で、「くしゅん!」と、店内に可愛らしいくしゃみの音が響き渡った。

 音の出処である少女にその場に居た全員の視線が向けられると、件の少女は口元に手を当てた姿勢で一瞬硬直し、その後頬が赤みを帯びる。

 彼女、シルは更に頬を赤らめると、顔をうつむきがちにした。

「シル、風邪ですか?」

「う、ううん。平気、大丈夫だから」

 真っ先に駆け寄って体調を心配するエルフに、シルは頬を染めたまま苦笑いを返した。

 ぱたぱたと振るわれる両手に合わせて、お団子から垂れた尻尾の様な薄鈍色の髪が揺れる。

「誰かがシルの事を噂してるんじゃニャいか?」

「だったら答えは明白……ニュフフ、あの冒険者の少年ニャ」

「……怒るよ、クロエ?」

 黒毛のキャットピープルから揶揄われ、シルが僅かに眉を吊り上げる。

 クロエと呼ばれた少女は笑みを浮かべたまま流し目を送る。あさつまえ、開店準備を進めながらも尻尾は愉快愉快と言わんばかりにゆらゆらと揺れていた。

 全く堪えた様子の無いクロエを見たシルが深い溜息を零す。

「いつもは空にニャったらシルの愛情弁当を持って帰って来るのにニャー」

「せっかくシルが店を早く上がって、少年を探しに行ったっていうのにニャー」

「探しには行ってません!」

 開店準備に向けてテーブルを移動させながらの同僚の乱れうち。珍しい事にシルが揶揄われる側に回っているのに気付いたクロードは、対応してくれた少女を見やってバスケットを差し出す。

「ほれ」

「クロード、悪いんだけどもう少し預かってて」

 シルをいじれる良い機会だと笑みを零してヒューマンの少女の揶揄いの輪に交じっていく。その姿を見送ったクロードは、扉に取り付けられていたドアベルが外されているのを見て、足元に転がった工具を見やった。

 どうやらドアベルの修理を行っていたらしく、丁度ドアベルが取り外されておりクロードの入店には対応した少女以外が気付いていない様子だ。

「……何してんだか」

 シルの周囲を囲む様に動き回りながら揶揄う店員たちと、揶揄われて顔を赤くするシル。珍しくはあるか、とクロードは足元の工具を手に取った。

 長居する気は全くないが、少し前に女将が取り決めた店内禁煙の()を破った事から少しは贖罪がてら手伝いでもするか、と手を動かす気になったのだ。

「シル、大丈夫です。クラネルさんはシルの想いを等閑にする人ではない。きっと、昨日はたまたまダンジョンからの帰りが遅くなったのでしょう」

「リュー、その言い方は少し違って……ううん、もういいうよ」

 シルは遂に項垂れて諦めた。生真面目なエルフにさえ揶揄われては──否、天然混じりの彼女からは冗談や揶揄いの色が見て取れない、本気で言っている様子だ。揶揄っている者達よりも質が悪いのかもしれない。

「ダンジョンでくたばった、ニャんてことはニャいのかニャ?」

「ちょっとアーニャ、それ不謹慎! あの冒険者がシルを置いて居なくなる筈ないって!」

「私もう、疲れちゃったよ……」

 止まる気配のない揶揄いの言葉にシルが額に手を当てて天井を仰ぐ。

「シル、気を確かに。クラネルさんは無事です」

「いや、リュー、そうじゃなくて……」

 真面目と天然が合わさったエルフの励ましの言葉に返す言葉を失うシル。

「リューの言う通りニャ。あの少年が死ぬ筈ニャいニャ。と言うか死んで欲しくニャいニャ。もし死んでしまったら、ミャーは胸が張り裂けるかもしれニャいニャ……」

 クロエと呼ばれた獣人の少女が大袈裟に胸を押さえて悲壮に暮れる。

 その様子を見た者達が、ざわ、と喧騒に包まれる。

 『まさか……』『クロエまで……』と少女達のささやきが店内に広がりはじめ────カランカラン、と涼やかなドアベルの音が響き渡った。

「いらっしゃいませー……あれ?」

 反射的に声をかけたシルが首を傾げると、入り口ではドアを揺すってドアベルの調子を確かめているクロードの姿があった。

「ク、クロードさん?」

「ん? ああ、このドアベル、直しといたぞ。ミア母ちゃんには今度良い酒を振る舞ってくれって伝えといてくれ」

 適当に手を振って工具箱に工具を放り込んで蓋を閉じ、その上に空のバスケットを乗せる。

 既に立ち去る気満々の彼女が扉に手をかけた所で、彼女の両足が浮いた。左右から彼女を拘束しているのはキャットピープルの獣人二人。

「良い所に来たニャ」

「あの少年はどうしたのか聞かせるニャ」

 小人族(パルゥム)であるクロードは左右から持ち上げられては抵抗も出来ない。上級冒険者に至ったはずなのに抵抗する事も出来ない事に溜息を零しつつ、クロードはされるがままに店内の中央、シルの前に連行された。

「ンで、何の用だよ」

「それはこっちの台詞なんですけど……」

 事情を知らないシルが首を傾げる。その様子にクロードは眉を痙攣させながら煙管を取り出し、口に咥えて────横から伸びた手が彼女の咥えた煙管を奪い去った。

「店内禁煙となっております」

「……ンだよ、お堅いエルフだな」

「まあまあ、それよりクロードさん、何をしに来たんですか?」

 バチバチィッ、と火花を散らし合うのを、シルが宥める。

「はぁ、ベルの代わりに空の弁当返しに来たんだよ」

 クロードの放った言葉に、店員たちがざわざわっ、とどよめきだした。

「ニャ、ニャんて事ニャ……」

「まさか、本当にダンジョンで……?」

「……クロードさん、クラネルさんは何処で?」

 仰々しく驚く獣人やヒューマンを他所に、真剣なまなざしを向けるエルフ。冗談が通じなさそう、というよりは頭が固すぎるエルフにクロードは眉間を揉んだ。

 流石に大げさでは、とシルが首を傾げ、発言していなかったクロエに視線を向けると────この世の終わりの様な表情をした猫人の姿があった。

「ちょっと、クロエ!?」

「少年はかけがえのニャい存在だったニャ……そう、代わりニャんて何処にもいニャい……」

 何処か上の空で紡がれる声に皆の視線が集まる。まさかそこまで少年の事を想っていたのか、と同情の視線が彼女に注がれる中、クロードは楽し気に揺れるクロエの尻尾を見て溜息を零した。

「もう良いニャ。あの少年がいニャいのニャら、ミャーは暴露(カミングアウト)するのニャ」

「な、なにを?」

「ミャーは……あの少年のぷりっとした形の良い未成熟なお尻に、興奮を覚えずにはいられニャかったのニャ……」

「………………」

 同情的な視線を送っていた者達からの視線が、温かなものから冷たいものへと急激に変化していく。

「あの薄手のパンツの(ニャか)に青い果実が詰まっていると妄想する度にっ、卑猥ニャ劣情がミャーを焦がしてっ……!」

 本当に劣情を抱いているのか、腰をくねらせて息を荒くする獣人の姿に店員たちがドン引きした様に一歩後ずさり、至近距離に居たクロードは無言で彼女から距離をとった。

「ミャーは、ミャーはッ…………フーッ! フーッ!」

「………………」

 その目は獣の目であった。きっと今この場に件の少年、ベルが居たのであれば、彼女はその理性の鎖から本能の獣を解き放ち、直ぐに少年の美尻に顔を埋めるなり嘗め回すなり、自らの劣情を満たさんとする事は想像に易い。

 そして、身内から青少年に対する性的暴行の罪を引き起こしかねない状態に置かれた店員たちの行動は早かった。

「あ、ちょっ……痛っ、ごめっ、ゆ、許し……ぁ!」

 止めろ止めろ、とクロエを掴んで床に引き摺り倒し、どうにか正気を取り戻させようと群がる店員たち。

 冗談なのか本気なのか……劣情云々に関しては本気なのだろう彼女の言葉に、酒場『豊穣の女主人』朝から騒がしさに包まれていた。

「おい、馬鹿娘共ぉ! 遊んでないでさっさと働きなァ!」

 捗っていない開店準備を見かねた女将のミアが奥の扉から声を轟かせた。

 一斉に肩を揺らした少女達は素早く自身に与えられた仕事に戻る。「ったく」と、顔を覗かせるドワーフが肩を竦めると、一人の小人族が彼女の方に歩んでくる姿があった。

「なんだい、クロードじゃないか」

「久しぶりだな、弁当返しに来がてら、ドアベル直しといてやったぞ」

 だから今晩飲みに来た時、良い酒を出せ、と臆す事無く告げた彼女のを見下ろし、ミアが笑みを浮かべる。

「任せな。ただし、何度も言うけど店内は禁煙だよ」

 喫煙癖のある自身に対する忠告に苦い表情を浮かべたクロードは片手を振ると、ドアから離れた。

「おっと……ぁ!」

 テーブルを並び替えている店員たちを躱して店外へ出ようとしていた拍子に、椅子を引っ掻け転倒させてしまう。ガタンッ、と椅子が倒れると同時に床に一冊の本が投げ出された。

「まっず……って、なんだこの本?」

「クロードさん、怪我はないですか?」

「この程度で怪我する程やわじゃねェよ……というか、この本なんだ?」

 倒れていた椅子を起こしてクロードの様子を確認するシルに対し、クロードは椅子から落ちたらしい白い表紙で題名の書かれていない本をシルに差し出した。

「これって……」

「誰かの落とし物?」「ニャんだニャんだ?」「どうかしたのニャ?」

 クロードの差し出す本をシルの背から覗き込む様に、店員たちが顔を出す。仕事の手が止まっている事にクロードが奥の扉をちらりと見やってから、肩を竦めた。

 怒られるのは自分じゃないし、と。

「ミャーは本を読むほど博識(インテリ)じゃニャいのニャ」「右に同じくニャ」

 猫人(バカ)二人の言葉にクロードは「だろうな」と言われるまでもなく察していた事に頷く。

「お前らが本なんて読まんのは周知の事実だ。言われるまでもない」

「「ぶっ殺してえニャ」」

 同時にクロードの両頬に手を伸ばして頬を摘まもうとする猫人二人。クロードはうっとうし気に手で払った。

「シル、どうしたのですか?」

「ここに本があったらしくて…………みんなのものじゃないみたいだし、お客様の忘れ物、かな?」

「うーん、昨日そんなの置いてあったかなぁ?」

「ハイハイ、ルノアの勘違い勘違い、ニャ」

 記憶を探る様にヒューマンの少女が呟くと、猫人が即座に否定に入る。

「客の忘れ物じゃニャかったら誰かが忍び込んで置いて行ったとでも言うつもりかニャ? ぷっぷー(あニャ)だらけの推理過ぎてゲロ吐きそうニャ」

「これだから浅学の阿呆は困ったもんニャ……」

「うっわー、ぶっ殺してぇー」

「本も読めない猫人が人の事を浅学だなんて笑えんだろうに。つか、ルノアの方はもっと言葉選べよ、揚げ足取り放題だろ」

「ニャにおう、ミャーは本が()()()()んじゃニャいニャ。()()()()だけニャ! アーニャと一緒にしニャいで欲しいニャ」

「ニャッ、クロエ、それはどういう意味ニャ」

「そのままの意味ニャ」

 フシャーフシャー、と縄張り争いしている猫の様な威嚇音を響かせながら猫人の二人が睨み合う。

「ンだよ、発情期か? もうそんな季節だったとは知らなかったな」

「あー、クロード。この二人は年中発情期みたいなもんよ、いつもやってるし」

 ブチッ、と猫人二人から何かが切れる音が響く。

「久々にキレちまったニャ」「前々から思ってたニャ。おミャーらの態度が気に入らニャいニャ」

 普段から似た様なやり取りは何度もあれど、クロードという燃料を更に追加するといつも以上にヒートアップする。それを知っているシルとリューは背後のやり取りを無視して本を観察し始めた。

 どこか古めかしい紙の匂いのする、真っ白に塗装された分厚い本だった。

 表紙には出鱈目な幾何学模様が刻まれ、題名(タイトル)は記されていない。

 どこかで見た事がある何かと似ている、とリューが口を開こうとした所で横合いから小さな手が伸び、シルの手から本をすっと奪い去った。

「あっ……」

「表紙に何も書かれてねェなら、さっさと目次なりなんなりをだな……」

 店員たちに火と油を注いでおいてそ知らぬ顔で抜け出してきたクロードの姿にリューとシルが呆れつつも、本を開いて中を検分した彼女を見やる。

「何が書いてあるんですか?」

「あの、それは読まない方が良いと思いますが」

 もしかしたら、という想像でしかないが、リューの想像が合っているのなら読むべきではない。そう告げるも既に彼女は本を開き────渋い表情を浮かべた。

「……えっと、クロードさん?」

自伝・鏡よ鏡、世界で一番美しい魔法少女は私ッ ~番外・目指せマジックマスター編~

「はい?」

 最初の一頁目を見ながら呟き、目元を揉むんだクロードは深く、とても深く溜息を零した。

「何だコレ、ひっでェな」

 初っ端から漂う地雷題名(タイトル)。開いた瞬間に分かる、『読まない方が良い』という雰囲気(オーラ)。もうこれ以上ページを捲る気力を奪い去られたクロードが本を閉じた。

「意味わかんねェ」

 本をシルに返すと、クロードはギャーニャー騒ぐ少女達を一瞥してから、肩を竦めた。

「んじゃ、オレは帰るわ。今晩また来るけどな」

「あ、はい。お待ちしております」

 ぺこり、と頭を下げるシルに見送られ、クロードが店を出てすぐにミアの怒声が響き渡った。

「何べん同じ事言わすんだい! それとも言っただけじゃあわからないって!? よぅし、アタシが直接アンタ達の体に教え込んであげようじゃないか!」

 浴びせられる怒声、そして刻まれた過去の経験から少女達は皆震えあがる。この女将は、やる、と言ったらやるのだ。

「ま、待つニャ、母ちゃんっ。これはクロードの所為ニャ!」

「こ、これはクロード、そう! クロードの所為だから!?」

「そうニャ! アイツ、火に油注いできたんだニャ!」

「んんぅ? クロードぉ?」

 咄嗟に事の原因を擦り付ける少女達。ミアの視線がクロードを探す様に店内へと向けられるのを見て、自身たちの保身が出来たとほっと一息つこうとして。

「クロードなんか居ないじゃないか。はぁ、妙な言い訳なんかして」

 クロエ、アーニャ、ルノアの三人はぎょっとした表情を浮かべて店内を見回す。

 つい先ほど、熱狂していくやり取りの中で油をドバドバ注いでいた煙の香りを纏った小人族の姿は綺麗さっぱり消えていた。

「あ、アイツ……」「言いたい放題言うだけ言って……」「逃げやがったニャ……」

「で、言い訳はそれだけかい?」

 コキッ、コキッ、と拳を鳴らしながら一歩、また一歩と近づく女将の姿に少女達は震えあがった。

 

 


 

 

 大通りをとぼとぼ歩きながら、クロードは煙管を吹かしていた、

 ふぅ、と息を吐く度に紫煙が風に乗せられて消えていく。灰を煙で満たす度、自分の爪先から脳天に至るまでの血流が増加し、薄暗かった視界がすぅーっと明るくなる。

「ぁー……ダルいな」

 数日以内、ということは明日か明後日にでも【ランクアップ】の情報がギルドより発信される事になるだろう。それを前に一つでも多くの手札を、と『神酒(ソーマ)』に手を出したのは記憶に新しい。

 ソーマ以外にも多種多様な薬物を取り寄せ、合成して自作の薬物を幾種類か作成、自身の体を使った臨床実験も交えて行っていたのだ。

 その中にいくつか、洒落にならない依存症状が出てしまったものがある。

「吸ってねェと落ち着かない。ならマシだったんだがな」

 大通りを外れ、一つ外れた細道へと入っていく。

 上を見上げれば煉瓦造りの家によって切り取られた空も、細道の名に恥じない程に細い。

 お粗末に設置されたゴミ捨て場に集る黒猫の真ん丸な金色の目を向けてくる。それだけの事だというのに感情が爆発した様な苛立ちに見舞われ、クロードはたっぷりと吸い込んだ紫煙を黒猫たちに吹き掛けて追い散らした。

「はっはー、猫風情が……はァ、何してんだか」

 にゃーん、と散っていく黒猫の姿を澱んだ目で見やったクロードは、自嘲の笑みを浮かべると、更に歩みを進めた。

 迷宮(ダンジョン)よりも迷宮らしい複雑な道を慣れた様に歩き、角をいくつも曲がっていく。後をつけてくる者達の視線を感じながらも、面倒臭そうに紫煙を燻らせて目的の建物に辿り着き、見上げた。

 木材だけで作られた一軒家。視線を上げれば擦れて読めなくなった看板が斜めに引っかかっている。まるで老舗か、そうでなければ古臭い、店舗だ。

 ドアを開ければ、『豊穣の女主人』の澄んだ鐘の音と比較するのもおこがましい枯れ果てた鐘の音が申し訳程度に響く。

「おや、初めてのお客さんかな?」

 白い髭を生やした赤く染まった帽子を被ったノームが情報誌から顔を上げ、クロードを見やって口を開いた。

 『ノームの万屋』。

 店主の名前はボム・コーンウォール。

 自我が薄いとされる『精霊』の中でもはっきりとした人格を持っており、器用な手先と眼の良さを用いて万屋を営み、迷宮都市(オラリオ)の生活に溶け込む風変わりな精霊だ。

 彼が営む『ノームの万屋』は店に持ち込まれる品を鑑定し、安く仕入れて高く売る。という質素なものだが、それでも客足が途絶えずに店が続けられているのは彼が持つ鑑定眼が本物だからだろう。

「鑑定かい? それとも探し物でもあるかい?」

「煙管が欲しい。あるか?」

「煙管かい。少し待っておくれ、確か倉庫に……」

 いくつかの商品を取り出してきてカウンターに並べる。

 飾り彫りのされた木箱に納められた高級そうな品から、一目で使い古されたと分かる骨董品まで、様々な種類の煙管が並べられ、クロードはいくつかを手にとって確認していく。

「ところで、なんじゃがな」

「ンだよ」

「その煙管、お嬢さんが使うのかね?」

「そうだが?」

 世間話として投げかけられる問いに対し、クロードは生返事を返していく。

 まともに会話する気の無さそうな様子にノームの店主はふむ、と一つ息を吐くと、棚から小箱を取り出してカウンターに置いた。

「お嬢さんや」

「ン? それも煙管か?」

 投げかけられた声に反応して店主の出した小箱を見やり、クロードは眉を顰める。

 煙管の大きさはさまざまとはいえ、店主が取り出した小箱は余りにも小さすぎる。分解して納めたとしても、羅宇が短すぎて使い物にならない。もしくは、羅宇だけ別に用意するものか、とクロードが小箱を見た。

「お嬢さんが吸っとるソレは身体に悪い」

「……あァ、ソレ煙草か」

 一言目に発せられた言葉にクロードは溜息を零した。

 この手の良い意味でも悪い意味でも察しの良い様な店主が取り扱う商品は質が良い。それは観察眼に優れている事の証明である事が多いからだ。

 そして、こういった観察眼に優れた者と対面すると面倒臭い。何故なら知られたくない事まで察してくれるからだ。

「あえて悪いモン吸ってんだよ」

「しかしのう、あんまりにも酷いもんでな。ジジイ、ちょっと心配になってなあ」

 それに顔色も悪い、とカウンター横に置かれた鏡を指差すノームの店主。

 つられて鏡を覗き込んだクロードは、自身の顔を見て苦い表情を浮かべた。

「ひっでェ顔だな。誰だコイツ」

「お嬢さんの顔が映っとるはずなんじゃが」

 血色が以前に比べて悪いな、自分ですら察する事が出来る程に顔色の悪い鏡に映る姿を見て、クロードは溜息を零して煙管の検分に戻った。

「これだな。いくらになる?」

「ほう、これか。そうじゃなあ……二五〇〇〇ヴァリスでどうじゃ?」

「まあ、良いか」

 少しばかり値が張るが、それなりに高品質な品である事に間違いは無い。

 彼女が今使用している煙管はかなり傷んでいる。ダンジョン内で使用していたのが原因だが。

 普段ダンジョン内で武装として持ち歩いている戦闘用煙管はあくまで戦闘用であって煙管としては下も下。喫煙用の煙管を持ち歩きたくなるのだが、喫煙中にモンスターと接敵(エンカウント)し、泣く泣く投げ捨てて、戦闘後に回収するといった乱暴な扱いをする事が稀に良くある。

 結果として、彼女が普段から喫煙用に持ち歩く煙管は非常に破損率が高い。そんな乱暴な扱いにも耐えそうな程に頑丈で、それでいて見てくれも悪くない煙管とくれば値が張るのも当然だろう。

 しっかりと金額通りの支払いを終え、クロードが商品を受け取ってコートの内側に仕舞おうとした所で、カウンターに置かれた小箱を差し出されて動きを止めた。

「ンだこれ」

「おまけとして受け取ってくれんかのう」

「……はぁ」

 面倒臭そうに小箱を少し開け、中を見やったクロードは目を見張った。

「……おい、爺さん、アンタこれ」

「お嬢さんが吸っとるもんよりは良いもんじゃと思うんだがなあ」

 小箱の中には煙管用の刻み煙草。それもかなり質の良い代物だ。

 雑に刻まれた量産品なんかとは比べ物にならない、一目見てわかる程に丁重に、かつ繊細に刻まれた煙草は、僅かに漂う香りだけで品質を見抜ける程の品だ。

 少なくとも、クロードが普段から嗜む様な安価で粗悪な刻み煙草を一〇〇倍の量を用意してようやくこの小箱の分の価値になるだろうか。

「はぁ、こりゃあ受け取れんよ」

「しっかし、お前さん、それは体に悪すぎるじゃろ」

 クロードの懐を指差して告げるノームの店主。その言葉を聞いたクロードは不機嫌そうに眉を顰め、僅かに目を見開いて店主の背後の棚を見上げた。

 その棚の一つ、クロードが売った煙草の小箱が置いてある。

「……アンタ、その煙草、何処で?」

「お、これか? どうやら取り扱いに規制のかかった薬草類を使用した煙草らしく、一般の商人では取り扱ってくれないからとここに投げ売りした冒険者が居ったんじゃよ」

 お前さんも、その煙草吸っとるじゃろ、と突かれたクロードは僅かに表情を歪め、舌打ちを零した。

「……はぁ、知らん間に一気に蔓延ってんなァ」

 少し()()()()煙草なだけなのに、簡単にドはまりして堕ちる奴が多い。と愚痴を告げると、ノームの店主を見やった。

「アンタ、()()()()()だろ」

「何の事やら」

 すっ呆ける様な返答にクロードは僅かに眉を寄せ、店の外に視線を走らせてから囁くように呟く。

「そういやァ、最近、手癖の悪い小人族(パルゥム)の女が居るらしィな」

「おおう、儂もその噂は聞いておるよ。時にはパーティ丸ごと出し抜かれとるそうじゃないか」

「なら知ってんだろ。その被害にあった品についても、な?」

 ちらり、とクロードがこれ見よがしに奥の倉庫に視線を向ける。

 ノームの店主は髭を撫でながら首を傾げた。

「はて、何のことやら」

「ま、惚けるなら別に構やしないが……爺さん、アンタも碌な事してねェだろ」

 例えば、そう、最近の盗難事件の被害の品と同じ品々を鑑定してきたり、とか。

「ま、話はこの辺で良いか。煙管サンキューな……それと、その煙草いらなきゃさっさと処分しとけ」

「確かに、体にも悪いモンじゃし処分しておくのが正解じゃろうな」

 




 リリルカの事情? 酒に溺れた? 冒険者に足蹴にされた? 自分には冒険者としての才能がない? んなもん知るか、死ね。

 を地でいきそうなオリ主なんですが、リリと接触するの不味いですよねー。


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第一八話

「おーい、邪魔するぞ……って……何してんだ、コイツ」

 恩恵を授けてくれた女神に【ステイタス】の更新を頼む為、【ヘスティア・ファミリア】のホームである『教会の隠し部屋』を訪れたクロードは、テーブルに突っ伏して眠りこけている少年の姿を見つけた。

 時刻は午後七時。昼寝にしては妙に深く眠っているらしい少年を観察し終えると、クロードはテーブルの上にお金(ヴァリス)の詰まった袋を勢いよくドンッ、と置く。

「ぁ……れ、クローズ、さん?」

「んな変な所で寝るんじゃなくて、せめてソファーで寝ろよ」

 寝惚け眼を擦りながら顔を上げたベルを見やり、彼が枕代わりにしていた本を見つけたクロードはほんの少し眉を顰めた。

 どこか古めかしい紙の匂いのする、真っ白に塗装された分厚い本。表紙には出鱈目な幾何学模様が刻まれ、題名(タイトル)は記されていない。その本に彼女は少し心当たりがあった。

(……豊穣の女主人の忘れ物?)

「ベル、ソレ、お前の忘れ物だったのか?」

 少年の持ち物としては考えにくいその本。ましてや初っ端から地雷臭が漂うそれの持ち主が彼だとは考えていないクロードの質問に、ベルは首を横に振った。

「いえ、僕のじゃないんですけど、シルさんが減る物でも無いから良ければ読んでくださいって」

「……あぁ……ぁ~、そうか」

 半眼でベルを伺い、嘘は吐いてないだろうな、と察したクロードが頭を掻く。

 シルが突飛な行動に出る時には相応な理由がある。そこそこの付き合いでシルの計算高い行動をいくつか見てきたクロードは、何か理由があってベルにその本を読ませたのだろうな、と口を閉ざした。

 ベルの方はまるで白昼夢でも見ていたかのように戸惑いがちに本を閉じる。

「あの、クローズさんは何をしに……?」

 テーブルに置かれた袋を見てから、ベルはクロードを伺う。

 本音を言ってしまうと、ベルはクロードが苦手になっていた。

 小柄でヒューマンの子供の様にも見える小人族(パルゥム)という種族ながら、性格は何処か嫌味っぽい皮肉家。だが、決して非情な人間でもない。

 真っ直ぐ真面目に動いている内は非常に頼りになるが、後ろめたい事や曲がった事なんかを見咎めると途端に冷淡な反応に変わる。

 ベルは自身が彼女から毛嫌いされ始めた頃の原因も察しが付くし、その理由にも大いに納得が出来ていた。命賭けの冒険者という立場にありながら、感情的に動いた事や、呆れられても仕方のない夢等。

 ────それでも、彼女から冷淡な対応をされて苦手意識を抱くのは仕方のない事だろう。

「【ステイタス】の更新だよ」

 対するクロードの方は、ベルが僅かに怯えているのも気にする様子はない。

 ベルに対して思う所は多々あれど、今この場でそれを理不尽にぶつけても利が無い上、時間の無駄にしかならないからだ。

「ヘスティアは……噂をすれば、か」

 クロードが無遠慮にソファーに腰掛けた所で、階段をテンポ良く駆け下りてくる音が響く。

「たっだいま~!」

「おかえりなさい、神様」

「おう、邪魔してんぞ」

 意気揚々と扉を開けて入室してきた女神に挨拶をしつつ、ベルがヘスティアが手にしていた荷物を受け取った。

「ベル君、帰りにちょっと買い物してきたんだ。それとクロード君、いらっしゃい。【ステイタス】の更新かい?」

「まあな」

 クロードがソファーに腰掛けたまま肩を竦め、ヘスティアが着替える為にクローゼットの方に向かおうとして、テーブルの上に置きっぱなしの本を見て首を傾げた。

「その本、クロード君のかい?」

「いや、オレのじゃねェよ」

「ふん? じゃあ、ベル君が買ってくる訳ないだろうし、どうしたんだいそれ?」

 ヘスティアが買ってきた日用品を棚に仕舞っていた少年が僅かに肩を落としながら呟く。

「そう断言されちゃうとちょっと悲しいですけど……ちょっと知り合いの方に借りたんです」

「ベルのやつ、読書なんて慣れない事した所為で眠気に負けてテーブルに突っ伏して寝てたぞ」

 揶揄う様な響きでクロードがクツクツと笑う。

 確かにベルは読書は余りしないし、事実として今回は途中から寝こけていたのか記憶が曖昧であり、否定する要素はない。

「はは、可愛いね。ベル君のお茶目が姿が見れなくて残念だったよ」

 クロード君より早く帰ってくるんだった、と女神が冗談を零す。

 どちらも悪意が混じっていない純粋な揶揄いだと分かるも、それでも気恥ずかしさを覚えたベルは頬を掻いた。

「お茶目って……」

「ははっ、じゃあボクは着替えと、クロード君の更新だけやっちゃおうかな。その後、夕食だね」

「あ、じゃあ僕、上で待ってますね」

 女神の着替えと、一応【ファミリア】外の冒険者の更新に気を使ってベルが部屋を出ていく。

「クロード君も夕食がまだなら、一緒にどうだい?」

 ベルが出て行ったのを見て、着替えながらヘスティアが問いかける。

 クロードはソファーに上着を脱ぎ捨ててベッドに寝転びながら、肩を竦めた。

「別に、腹は減ってねェし。ああ、金は置いといたぞ」

「うん、テーブルの上のだよね」

 ベル君が稼いできたにしてはかなり多い量だから直ぐにわかったよ。とテーブルの上のヴァリスの詰まった袋を見た女神は、着替えを終えてベッドに近づいた。

「クロード君、ボクの【ファミリア】に────」

「断る。それに、明日以降、オレの周りは暫く五月蠅くなるぞ」

 つい今日の昼過ぎ頃、遂に【ランクアップ】した冒険者としてクロードの名がギルドの掲示板に上がった。それを見た冒険者、神問わずに騒ぎになっていたのはヘスティアも知っている。

 【ヘファイストス・ファミリア】の日雇い(バイト)として働いているさ中に騒ぎ立てる声が店内に響き、その後ヘファイストスから呼び出しがかかって色々と質問されたのは記憶に新しい。

 加えて、帰りに立ち寄った店先でも人々が口々にクロードの事を噂していたのは、ついさっきの事だ。

「……うん、わかってる。わかってるんだ、だから」

 

『クロード・クローズって知ってるか?』

『あのフィリア祭で活躍した冒険者だろ?』

『今日、ギルドの掲示板でそのクロード・クローズが【ランクアップ】したって掲示されてたんだ』

『おお、おめでたい事じゃないか』

『それがなぁ……』

 

 期間、二ヶ月。

 【剣姫】の一年を抜いての最速記録。

 冒険者は口々に言う。何かの間違い、偽りの記録、小細工をした等。密かに囁かれる陰口の数々は自分の事ではないというのに女神の心に刺さった。

「クロード君、お願いだからボクの【ファミリア】に……」

 本当ならヘスティアはあの場で言い返したかった。

 彼女はそんな子ではない。と、ただ努力をしているだけだ、と。自らの身を試みない程に、過激で過剰な努力を繰り返し続けて、その『偉業』を成し遂げたんだ。と。

 けれど、それは出来ない。

 クロード・クローズという人物が、【ファミリア】に所属していない無所属(フリー)の冒険者だから。

 心配そうに声をかけてきた女神の言葉を聞いたクロードは、ベッドにうつ伏せに寝転んだまま、肩越しに振り返った。

「……早く、更新してくれ」

「クロード君……」

「はぁ、くどい。頼むから、今日はもう疲れたんだよ」

 日暮れ頃、ダンジョン上がりで収穫品の査定の為にギルドを訪れたクロードを出迎えたのは、数え切れない程の冒険者と神々。

 所属派閥はあるか、という神の質問に『無所属だ』と答えた瞬間から始まった勧誘合戦。

 苦労してギルドに入って査定を終え、ヴァリスを受け取った後は────延々とかくれんぼ(ハイド・アンド・シーク)

 初っ端から強引な手段をとってくる者も多くいて、街中で戦闘(ドンパチ)すら起きる始末。

 そして、ようやく冒険者や神々を、文字通りに煙に巻いてこの隠し部屋に辿り着いた。

「勧誘の言葉なんか、聞きたかねェよ」

 うんざりだ、と耳を塞ぐ彼女を見たヘスティアは、僅かに手を震わせ、クロードの背に跨った。

「ごめん」

「……更新、頼む」

 本当に疲れ切った様子の彼女を見て、ヘスティアは更新をしようと針で指に傷をつけようとして、気付いた。

(……クロード君、こんなに、痩せてたっけ?)

 元からして子供の様な体躯であったクロードだが、流石にやせ細る程では無かった。少なくともヘスティアの今までの記憶では、肋骨が浮き出る程では無かったはずだ。

 しかし、今のクロードは薄らと肋骨が浮き、全体的に細い。折れそうな華奢な体躯、というよりは不健康そうな印象を受ける痩せ方をしている。

 髪も────以前から濁った銀髪だったが────色艶が褪せて見える。それに、枝毛も多く、櫛を通した形跡も見られない。

「クロード君、最近、ちゃんと食べてるかい?」

 異常な痩せ方をしているクロードの背に血を垂らし、彼女の【ステイタス】の数値が変動していくのを見やりながら問いかける。

 その問いに、答えが返ってこない。

「……クロード君?」

 張り詰めていた雰囲気が霧散し、どこか力無く倒れる彼女を見てヘスティアが目を見開き、大慌てで彼女を仰向けに寝かせ────すぅ、と僅かに聞こえる寝息を聞いて、はぁぁああ、と深く溜息を零した。

「ああ、びっくりした……」

 いきなり、何の前触れもなくいきなり眠りだした彼女を見て、ヘスティアはむっとした表情を浮かべてクロードの小さな頬を軽く摘まんだ。

「もう、どうして君はそんなに……」

 素直じゃないんだ、と言いかけた女神は、静かに彼女をうつ伏せに戻すと【ステイタス】の更新を再開した。

 

 


 

 クロード・クローズ

 Lv.2

 力:H108→H169 耐久:I82→H102 器用:H162→G201 敏捷:H149→H180 魔力:H198→G260

 《逆境I》

 

 《魔法》

 魔法名【シーリングエンバー】

 詠唱式【()()がれ、(くす)ぶる戦火(せんか)()こり()

 ・付与魔法(エンチャント)

 ・火属性

 ・感情の丈により効果向上

 

 魔法名【スモーキーコラプション】

 詠唱式【肺腑(はいふ)(くさ)り、脳髄(のうずい)(とろ)ける。堕落(だらく)(もた)らす、紫煙(しえん)誘惑(ゆうわく)

 ・増強魔法(ステイタスブースト)

 ・異常魔法(アンチステイタス)

 

 魔法名【カプノス・スキーマ】

 詠唱式【()()()ちよ、(なんじ)()(あた)えられた()加護(かご)よ。戦場(せんじょう)()ちよ、(なんじ)()加護(のろい)(もたら)災厄(さいやく)よ】

 ・形状付与

 ・魔力消費特大

 

 《スキル》

 

 【灰山残火(アッシェ・フランメ)

 ・経験値(エクセリア)の超高補正

 ・感情のほのおが潰えぬ限り効果持続

 ・火属性への高耐性

 

 【煙霞痼疾(パラソムニア)

 ・『魔力』の高補正

 ・特定条件下における『魔法』の威力超高補正

 ・幻惑無効

 ・錯乱耐性

 

 【死灰復燃(カタプレキシー)

 ・自動発動(パッシブトリガー)

 ・情動刺激の複製および復元

 ・ステイタスへの超々々補正

 


 

「……新しいスキル、か」

 完璧に更新を終え、羊皮紙にクロードの【ステイタス】を書き写した女神は、一度羊皮紙をテーブルに置いてから、眠りこけているクロードに服を着せていく。

 新たに発現したスキルもそうだが、トータル200オーバーというアビリティ上昇値も目を引く。

「魔法3つにスキルも3つ目かぁ……」

 一般的な冒険者は魔法を一つ、二つ使えればパーティ内で引っ張りだこ。三つ使えるなんて知れ渡った日には……。

 ただでさえ『二ヶ月』等という常識を逸した最短記録を叩き出した上、魔法を3つも使いこなし、加えてスキルまで揃い踏み。挙句の果てに派閥に所属していない無所属(フリー)の冒険者。

 神々がこぞって狙うのも当然といえば、当然だ。

 そして、本人は誰かに『期待される事』に恐怖し、派閥という集団に属する事を嫌う。その上で、自らを高める為の手段は一切選ばない。身を滅ぼしかねない様な努力すらも繰り返す。

 女神が頭を痛める要素が詰め込まれ過ぎている。

「それにしても……情動刺激、複製に復元ね」

 ソファーに投げ出されたクロードのコートに手を伸ばしつつ、彼女に発現したスキルについて予測を立てようとした所で、カタンッ、とコートのポケットから何かが零れ落ちた。

「っと、しまった……」

 慌てて拾い上げたソレは金属缶。薄らと漂う煙草の香りに、彼女が愛煙している銘柄の物だと察したヘスティアは溜息交じりにポケットにそれを戻した。

「煙草はあんまり体に良くないからやめて欲しいんだけどなぁ」

 良くはない。なんなら吸わない方が良い。健康を害するだけで百害あって一利なし。そんな煙草であるが、彼女の持つスキル、【パラソムニア】の『特定条件下』というのが喫煙時であるとクロードが断言しており、止めるに止められない。

 喫煙しながらの魔法の威力は比較にならない程に強力なのは女神も知っている。

「……はぁ、それよりも新しいスキルだよ。うん」

 クロードのコートを衣類掛けに掛けておいたヘスティアは、羊皮紙に書き込まれた共通語(コイネー)で記された文字に目を通す。

「【カタプレキシー】……自動発動(パッシブ・トリガー)って事は、意図せず発動する事もあるのか」

 手動発動(アクティブ・トリガー)連鎖発動(チェイン・トリガー)のスキルと比べると、任意で発動したいタイミングで使えない代わりに、強力な効果である事が多い。

 手動発動(アクティブ・トリガー)は文字通り、スキル所有者が任意のタイミングで発動させる事が出来るスキル。

 連鎖発動(チェイン・トリガー)は特定の条件、状況を満たすと連鎖的に発動するスキル。女戦士(アマゾネス)等が持つ【バーサーク】等、怒りを抱いたり、損傷(ダメージ)を受けたりすると連鎖して効果が発動し始めたりするモノ。

 そして、自動発動(パッシブ・トリガー)は発動タイミングが読めない。無論、ある程度の法則性は見いだせるだろうが、意図して使用するには癖が多い事が挙げられる。

 そして、今回クロードに発動した【カタプレキシー】の効果は『・ステイタスの超々々高補正』、つまり一度発動すれば効果終了まで凄まじいステイタス補正を得られる────それだけなら、破格のスキルだが。

「情動刺激の複製および復元……」

 情動刺激、簡単に言い直せば『感情の昂ぶり』を複製し、復元する効果だ。

 問題は、複製、復元される『感情の昂ぶり』がどんなものなのかがわからない事だ。

 大まかに分けて感情を喜怒哀楽の四種類に仕分けたとして、喜や楽の正の感情ならば良い事だろう。だがもし複製、復元される感情が負の感情、怒や哀だとすれば。

「………………」

 ────ある意味で、狂戦士(バーサーカー)の生誕、だろう。

 彼女、クロード・クローズが習得してしまった【カタプレキシー】とは、彼女の意志を無視して感情が暴走するスキルだと言える。

 今までも幾度か感情の昂ぶりによって問題を起こした事のある彼女が、今後は更なるトラブルを産み落としかねない。

「うわぁ……」

 都市最大派閥(ロキ・ファミリア)に真っ向から喧嘩を売りに行く。

 勧誘してきた派閥の冒険者を片っ端から叩き潰す。

 文句や愚痴を零す市民に躊躇なく皮肉を吐き掛ける。

 今までの事ですら割とギリギリな線をいっていた彼女の問題行動がこのスキルでどう変化してしまうのか。

「……寝顔は可愛いのになぁ」

 ベッドに寝かされた少女を見て、顔にかかる髪をそっとどけて寝顔をを覗き込む。

 ここ最近はほぼ常時不機嫌そうに吊り上げられてキツイ印象を受ける目元の険がとれれば、非常に整った──小人族(パルゥム)故に幼さの残る──顔立ちが拝める。

 少年も含め、やはり人間(こども)の寝顔は延々と眺めていられる。と微笑み、暫し考え込んだヘスティアは、しかし直ぐに考える事をやめた。

「ああもう、ベル君を呼ぼう! 夕食の準備だ! 今日はクロード君にも泊まって貰うとして」

 ここまでぐっすり寝ている彼女を起こすのも忍びない。と女神はクロードに優しく布団をかけた。

「明日以降ヘファイストスに……」

 相談しよう。と真っ先に思い付いた(しん)友の姿に縋ろうとして、止めた。

 クロードの件で幾度も鍛冶神には迷惑をかけている。今回も相談したい、等とヘスティアが縋り付いた日には、自身で面倒を見たい。といった言葉すら嘘になってしまいかねない。

「……うん、よし、ミアハにしよう」

 ステイタスやスキルの相談。口の堅い彼ならば信用できる。加えて、医神であるミアハならば、クロードが止められない重度の喫煙をどうにか緩和できる策を思い付くかもしれない。

 ついでに、つい最近、記憶が無くなるまで酩酊する程に飲み明かした際に何か変な事を口走っていないかの確認もしよう、と決意したヘスティアは、ようやくベルを呼びに行くためにベッドを離れようとして──ぐいっ、と服の裾を引かれてつんのめった。

「おっ……と?」

 服をベッドに引っ掛けてしまったか、と少し慌てて引っ張られた個所を見やり、女神はクロードを伺った。服の裾を小さな手が掴んでいる。

「クロード君……寝惚けてるのかな?」

 掴まれた服の裾を見て、困った様に苦笑した女神が優しくその手を払おうとして────がばりっ、と起き上がったクロードに腕を掴まれた。

「うわっ、お、起きてたのかい? 今日はもう疲れてるみたいだし泊まって────えっと、クロード君?」

 真っ直ぐ向かい合い、鼻先が触れ合う程の距離にある少女の目を見た女神が凍り付いた。

 深い、深い、穴。ドロドロに濁った汚泥を煮詰めて凝縮した様な感情が混ざり合い、喜怒哀楽という四種類のどれにも分類できない様な感情の色を宿した瞳だ。

 その瞳には驚いた表情の女神の姿が映ってはいる。しかし、彼女はヘスティアを見ていない。

 ぼそり、と濁った瞳のまま、クロードの口から言葉が零れ落ちた。

 

 ────期待外れだ、なんて言うぐらいなら。最初から()()()()()()()()()

 

「ッッ…………!」

 

 ────捨てるぐらいなら、最初からオレなんて()()()()()()()()()()()

 

「クロード君、落ち着いてくれ」

 痛む程に強く腕を握り締めてくる少女に、穏やかに声をかける。

 暫く、五分か、十分か、ともすれば一時間以上そうしていたかのような錯覚をしてしまいそうな程に不安な時間が経ち、少女がベッドに倒れ伏す。

「…………」

 掴まれていた女神の腕にはくっきりと赤い跡が残っており、僅かな指先の痺れが残っていた。

 彼女の口から吐き出されたその言葉の意味を、女神は(しん)友から僅かに聞いた。聞いてはいた、しかし、それが何処まで彼女を蝕んでいるのかは想像でしかなかった。

 スキル、という形で反映されるのだからかなり根深いというのは想像できた。しかし、此処まで濁り澱んでいるだなんて想像も出来ない。

 

 


 

 

「────神様、腕、どうしたんですか?」

「へ?」

 ソファにうつ伏せに寝転んだベルの背に跨った所で、少年はついに女神の腕に巻かれたスカーフついて質問を口にした。

「あー、えーっと、これはぁ……」

 言い淀む様にあわあわと言葉を濁す女神を見て、質問してはいけなかった事だろうか、と少年が首をかしげる。

 クロードの【ステイタス】更新の為に外に出て、いつも以上に時間がかかっている事に疑問を覚えてはいたが、それでも律義に呼ばれるまで待っていたベルが部屋に戻った時には女神は腕にスカーフを巻いていた。

 その後、疲れ切っているから起こさないであげてくれ、とヘスティアに頼まれてベッドを占拠しているクロードを他所に、夕食の準備をし、夕食をとり、かわるがわるシャワーを浴びて、ステイタスの更新をする為にベッドを使おうとして、クロードに占拠されている事から代わりにソファーを使う事になって。

 その段に至っても女神は頑なにスカーフを外そうとしない。疑問を覚えないはずが無かった。

「そう、ファッション、ファッションだよ、ベル君!」

 後は寝るだけだというのに着飾りをするのだろうか、と少年が疑問を口にするより前に女神はベルの背をぐいぐいと押してソファーに押し付けた。

「ほら、更新するから動かないでくれ。針を持ってるから危ないだろう?」

「あ、ごめんなさい。神様」

 注意されて大人しくソファーに寝転ぶ。その間にも何かを誤魔化す様に聞こえる女神の鼻歌に僅かに疑問を覚えつつも、ベルはソファーから微かに見えるベッドを見やった。

 女神がシャワーを浴びている間、つい出来心で覗き込んだクロードの顔は、普段の気難しい表情ではないのも相まって綺麗に見えた。思わず少年の心臓が跳ねる程に。

(クローズさんって、意外ときれ……いや、意外となんて言ったら失礼だよね)

 内心でそう呟きつつも更新の続きを待つ。

「か、神様……僕の熟練度の伸び、変わりませんか?」

「……ああ、変わらないよ。絶好調、と言わんばかりの伸びさ」

 また怒ってる、とベルはほんの少し気落ちしながらも今回の更新でも破格の伸びを見せる熟練度に喜びと疑問が半々に交じり合った感情を抱いていた。

「まあ、流石にこれまで通りとまではいかないけど……」

「それでも、破格、なんですよね?」

 【ステイタス】の基礎アビリティの最高ランクはS。上限に迫るにつれて熟練度の上昇値も大幅に落ちる────のが一般的だが、ベルの場合はSに近づいてほんの少し熟練度の上昇は落ちた。落ちた、が止まらない。

 成長効率が落ちた、というよりは変化をきたさずに順調にステイタスが伸びている。

 何処か不機嫌そうな女神の表情を見やり、ベルは小さな違いを見つけた。

 普段なら愚痴をぶつぶつと呟く女神は、今まで通りに不機嫌そうではあっても、愚痴を呟かない。何処か思い悩んだ様に少年の【ステイタス】が書かれた羊皮紙を見つめている。

「…………」

「……神様?」

「……うん? ああ、何でもないよ」

 誤魔化す様に呟かれた言葉に、また誤魔化された、とベルが気落ちする。

 何か隠し事をされるのは余りいい気分がしないけれど、詮索するのもどうかと思っていると、ヘスティアが慌てた様に笑顔を零した。

「ああ、ベル君。ほら大丈夫だって、いつもみたいに伸びてるし何なら魔法だって発げ────え? 魔法?」

 羊皮紙をひらひらと振っていた女神が目をひん剥いて羊皮紙に穴が空きそうな程に凝視し始める。

 少年が呆気にとられつつも、気になる台詞(フレーズ)を女神が口にしたのを聞き逃さなかった。

「あの、神様? 今、魔法が発現したって言いかけませんでした?」

「…………てる」

「へ?」

 ちょっとの期待と、揶揄られているのだろうというかという疑問を抱いた少年の問いに、女神はとんでもない返答を返した。

「ベル君、キミ……魔法が発現してるよ」

「へ……?」

「うん、魔法だ。間違いない!」

「……ほ、本当に?」

「本当さ、ほら!」

 女神流の冗談の類かと疑う少年の眼前に、【ステイタス】の記された羊皮紙を突き出される。

 其処には、確かに記されていた。

 少年が夢にまで見ていた『魔法』が確かに書かれている。

「……ほ、本当だ」

 

 《魔法》

 【ファイア・ボルト】

 ・速攻魔法

 

「かっ、神様……魔法っ、魔法ですよ……!? 僕、魔法が使える様になりました……!!」

「うん、わかってる。おめでとう」

 少年が手放しで喜んでいるのを微笑ましげに見つつも、ヘスティアはベッドの方に視線を流した。

「……うん、ベル君。本当に良かったね」

「はい、神様!!」

「…………うん、本当に、はぁ」

 今後、クロードとの間に出来るかもしれない溝、そして可愛い眷属が何処の馬の骨ともしれぬヴァレン何某への憧憬で成長を続けるのも含め、ヘスティアは強烈な胃痛に襲われていた。




 スキル名をもう少し考えて付ければ良かったな、と今更ながらに後悔。

 【アッシェ・フランメ】を、【パラソムニア】や【カタプレキシー】と同じ系で名前付ければ良かったなぁ。


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第一九話

 廃教会の隠し部屋。

 仕事に疲れ切った女神が眠りに落ちたのを確認した少年は静かにシーツを押し退け、ソファーから立ち上がった。

「すいません、神様」

 申し訳程度に熟睡する女神に謝罪の言葉を零したベルは、こそこそと音を立てないように慎重に着替えていく。

 つい一時間ほど前の【ステイタス】の更新の際、少年は念願だった『魔法』を習得した。

 通常、魔法とは『詠唱』を経てから魔法を発動させるものである。これは冒険者でなくとも誰でも知っている常識だ。そして、魔法の発動には魔法毎に固定された呪文を術者の口で紡ぐ必要がある。

 『詠唱』という手順で砲身を作り上げ、それが完成した時になってようやく砲弾が装填される。そして、魔法名を唱える事で撃鉄が振り下ろされ、魔法が放たれる。おおよそのイメージはこんなものだろうか。

 『詠唱』が長ければ長い程、大きな砲身が出来上がり、当然大きな砲弾を装填できる。つまり詠唱の長さが魔法の威力に直結すると言っても過言ではない。では、『詠唱』が短いのはただの欠点(デメリット)かというとそんなことはない。

 『詠唱』にかかる時間が短いという事は、発動までにかかる時間が短く済むという意味でもある。

 悠長に詠唱を待ってくれる怪物なんて居るはずもない。短文詠唱による速射可能な魔法というのは意外と冒険者の需要を満たしていると言える。当然、大派閥ともなれば前衛壁役(ウォール)による魔法詠唱の時間稼ぎなども行われる事もあって、派閥が大きければ大きい程、長文詠唱の魔法を求められる事も多い。

 専属魔術師等は基本的に長文詠唱を覚えている事が前提であるとも言われる所以だ。

 そして、少年が習得した魔法には本来ならば《魔法スロット》に表示されるはずの詠唱文が存在しなかった。発動の足掛かりすら無い事に少年が不安を覚えた際、女神は自身の意見を告げた。

『ベル君の魔法には『詠唱』がいらないのかもしれない。威力の程はわからないにせよ、詠唱はノータイム。まさしく『速攻魔法』で間違っていない』

 あくまでも推測でしかない為、実際に魔法を使用して確かめない事には始まらない。とはいえ、女神はこう続けた。

()()ダンジョンで試し撃ちしてくると良い』

 女神が言った台詞は何ら間違っていない。むしろ正しい。

 既に日も暮れて夜も遅い。夜のダンジョンの恐ろしさを過去に経験したのだから、今からダンジョンに行って試し撃ちするのがどれほど危険な行為なのかも理解はできている。

 ────出来ては、いるのだ。

(やっぱり、僕……今すぐ使ってみたいです!)

 しかし、念願の魔法を手に入れた事で浮かれ、とても寝付けそうにない少年はやはり我慢出来るはずもない。

 装備一式の詰まったポーチを担ぎ、ベルが階段に足をかけた瞬間────女神の声が響いた。

「うぅ……許してくれ、じゃが丸くん……」

「っ……!?」

 階段の一段目に足をかけたままベルが硬直していると、更に女神の声が響く。

「ヘファイストスが、揚げたてです!!」

 あまりにも支離滅裂な内容に硬直していたベルは、ゆっくりと振り返る。

 むにゃむにゃ、とありきたりな寝言を漏らしながら熟睡しているヘスティアを見やり、先の言葉がただの寝言だったのだと理解した所で、少年は大きく肩をなでおろした。

「はぁ……びっくりした」

 胸をなでおろし、少年が階段をゆっくり、音を立てないように登っていく。

 一階部分に出て、装備一式を身に着けていくさ中、ガゴッ、と隠し戸の開く音が響く。今度こそ女神が目を覚ましてしまっただろうか、とベルが身を隠そうとして奥から出てきた人物を見て動きを止めた。

「ク、クローズさん……?」

「あァ? ……ベルか、ンな時間にどしたよ。女神に隠れてシコってんのか?」

 つい先ほどまで女神のベッドに同伴し、熟睡していたはずのくすんだ銀髪の小人族。左手で目を擦りながら隠し戸から出て来て少年の姿を見止めるや否や、右手で卑猥なジェスチャーをして揶揄う様にクスクスと笑う。

「ち、違いますよ!?」

 見知った少女から告げられた台詞の意味を、その卑猥なジェスチャーからおぼろげにも察した少年が小声で声を荒げて否定する。

「まあまあ、お前も一丁前に男だったって事だろ」

 気にせずヤッちまえよ、と揶揄う様な調子でクロードが呟きながら懐から取り出した煙管に刻み煙草を詰め始める。

「だから、違いますって!」

「あァ? あんな乳のでっけぇ女神様と一つ屋根の下、おちおち抜いてらんねェだろ。オレの事ァ、気にすんな。少し一服するだけだ」

 ベルの方を気にする事も無く、煙管に火を入れて紫煙を燻らせる。

 一方的に初心な少年を揶揄うだけ揶揄って、本人は平然としているのを見たベルは頬を引き攣らせて視線を逸らした。

 ただでさえ苦手意識があるというのに、揶揄い方が親父臭い。その癖、見た目だけは美少女だから質が悪い。

 抜けた天井から差し込む月明かりに照らされ、紫煙を燻らせるクロードという少女は、一枚の絵画に描かれていても不思議では無い程に美しかった。漂う紫煙を纏い、くすんだ銀髪が月明かりに鈍く輝く。その姿は何処か幻想的で、それでいて退廃的な魅力を纏っている。

 思わずベルが見惚れていると、ニィ、と口元を釣り上げたクロードが少年に長し目を送った。

「ンだよ、オレをオカズにしてェのか? 高ぇぞ?」

「だから、違いますって!」

「ほぉん、必死こいて否定してっけどよぉ。だったら、なンでこんな時間にこそこそしてんだよ」

 告げられた当然の疑問にベルは怯んだ。

 馬鹿正直に『魔法を覚えたんですけど、明日の探索まで待ちきれなくて今からダンジョンで試し撃ちしてきます!』なんて彼女に告げればどうなるのか。

 クロード・クローズという冒険者が毛嫌いしそうな行動だと気付いてしまったのだ。

「あの……えっと……」

「……今からダンジョンか?」

「ぁ……」

 どうにか言い訳を紡ごうともたつく間に、クロードは少年が身に着けている途中だった防具一式に視線を向けて呟いた。

 既に感づかれている。そして、そうであればこの後自身に降りかかるのは軽蔑と罵倒だとベルが視線を落とすと、クロードが口を開いた。

「気ィ付けろよ」

「────え?」

 がばり、と顔を上げて壇に腰掛けて紫煙を燻らせる少女を見やる。

 軽蔑と罵倒が混じった皮肉が返されるかと思えば、一言だけ、それも身を案じるかの様な台詞だった。声色も、皮肉っぽさは微塵も混じっておらず、純粋に身を案じる様な響きが少年にも感じ取れた。

「えっと……怒らないんですか?」

「怒る? 誰が? オマエが? あァ? オレが、オマエを?」

 問われた内容を噛み締める様に反芻しながら灰を捨てると、クロードは新たな刻み煙草を詰めながら片目を閉じる。

「なんで?」

「え?」

「何で、オレがお前を怒るんだ?」

 質問に質問で返された。言葉には珍しく皮肉が混じっていない。純粋な疑問を投げかけられて少年は慌てた様に言葉を紡いだ。

「えっと、いつものクローズさんなら、怒るかなって……」

「あァ、オレが怒る理由が無ェな」

 新たな煙草に火を入れた少女の言葉に少年が驚いていると、クロードは口元に笑みを浮かべて呟いた。

「もたもたしてると、女神が起きてくるかもだぞ」

「あっ……」

 こっそり抜け出してダンジョンに行こうとしている事を思い出し、クロードを伺いながらもベルは急ぎ装備を身に着けていく。

 彼女が自身の行動を咎めるでも皮肉を言うでもなく見送る事に違和感を感じつつも準備を進めていく。

「ごほっ、ゲホッゲホッ」

「クローズさん、大丈夫ですか?」

 腰にポーチとナイフを下げた所で、壇上の少女が苦し気に咳込んだ。

 心配そうにベルが問いかけると、クロードは片手で口元を抑えて煙管を持った手で少年を制しながら息を整えはじめた。

「大丈夫だ。少し咽ただけだ」

 気にすんな、と繰り返し告げた少女は追い払う様に手を振る。

「ほら、夜は短ェんだ。さっさと行ってさっさと帰ってこい」

 じゃないと女神に勘付かれるぞ、と肩で笑う。

「えっと……その……い、いってきます」

「……ン」

 ひらひらと、少年の方には視線を送らずに手を振るクロード。

 その姿を見たベルは、音を立てないように廃教会を出て、ダンジョンに真っ直ぐ向かって行った。どこか後ろ髪を引かれる様な感覚を覚えながらも。

 

 


 

 

「……魔法、魔法を覚えたってなァ」

 廃教会の一階部分。

 抜けた天井の大穴から差し込む月明かりを受けながら紫煙を燻らせていたクロードは大きく眉を顰めながらも薄らと耳に残っていた女神と少年のやり取りを思い出していた。

 【ステイタス】の更新目的で女神の元を訪れたのは良いものの、最近の不健康な生活の所為か所々意識が飛ぶ事がままある。

 そんな夢現(ゆめうつつ)の状態で聞いた、幻聴の(たぐい)かもしれないと思っていた『ベル・クラネルが魔法を習得した』という話。それが現実だったのだろう、と察してしまったクロードは静かに自身の手を覗き込んだ。

 月明かりに照らされる彼女の掌から、赤が滴る。

「…………相乗効果ってのはスゲェもんだ」

 昼間、【ランクアップ】の情報が張り出された直後に現れた勧誘目的の神々に冒険者。彼らを煙に巻くために存分に使用した物達の数々。

 普段使いしていた『煙草』。

 商人の男から極秘に受け取った『神酒』。

 そしてフィリア祭の際に原液のまま使用して酷い目にあった『回復薬』。

 今でも調整を繰り返す『煙草』もそうだが、原液使用の危険性の高さからしっかりと希釈液で薄めた『回復薬』に合わせて、『神酒』まで使用したのが悪かったのか、未だに副作用の頭痛が止まない。

 紫煙をたっぷり肺に満たし、時折激しく咽せた。

「はぁ……はぁ……糞、酷ェな」

 肺腑に紫煙が染み渡ると頭痛が和らぎ、咽込む度に頭痛がぶり返す。

 まるで拷問を受けているかのような気分にすら陥りかけたクロードは、灰を捨て、吸い口を咥えた。

 煙草すら詰められていない煙管を咥えながら、ぶり返してくる頭痛と幻聴、そして重たくなってきた瞼を強引に抉じ開けて空を見上げた。

「あァ……だっるい」

 今眠ったら過去最高の悪夢が見られる。だから眠りたくない。しかしここ最近の騒がしさや秘蔵の品々の乱用によってボロボロになったクロードの身体は即座の休息を求めている。

 体が小さい分、少量の薬物で簡単に壊れる。少し匙加減を間違えただけでこの副作用の数々。

「……そうだよ、魔法、魔法を覚えたって言ってただろ」

 数々の薬の相乗効果によって増幅された副作用の一つ、頭の中に響く大鐘楼(グラインド・ベル)の音に眉を顰めながら、クロードは懐を漁って刻み煙草の入った金属缶を取り出し、手で弄ぶ。

 今、彼女が考えたいのは副作用の軽減でも、頭痛の原因撲滅でもない。

 つい先ほどほんの少し会話した少年についてだ。

「魔法、魔法なァ……」

 ベル・クラネルは才能に満ち溢れている────否、彼に才能らしい才能は無かった。

 出会った当初、彼には才能と呼べる物なんて無かった。少なくともクロードにはそう見えたし、それでも頑張ろう、と意気込む少年はそれなりに好感が持てた。あのままやる気に満ちたまま、折れる事なく努力を重ねていくのなら────きっと、クロードは彼の事を好きになれた。

 否、今の彼の事もそこまで嫌いではない。

 むしろ、嫌悪か好感かでいえば、間違いなく好感を持っている。そう断言できる。

 そう、嫌いでは、無いのだ。

 嫌いではない、ただ────。

「嫉妬、しちまうよなァ」

 狂おしい程に、自身では制御できない感情が渦巻き、燃え上がる。

 自分はこれだけ努力しているのに。自分を此処まで追い詰めて、壊して、それでも追い抜かれそうになっている。

 才能が無かった筈の少年は、いかなる方法かで才能を開花させて一足飛びでクロードが駆け抜けた道を駆け上がってくる。

 他の有象無象や才ある冒険者達。ともすれば最速記録を持っていた【剣姫】ですら足元に及ばない程の速度を以てして駆け抜けた筈の、その道を。

 代償に数多くのモノを犠牲にしてすら駆け抜けてきたその道を、少年は軽々と、代償の支払いも無く駆けあがってくる。

 焦燥感と嫉妬心に気が狂いそうになる。

 薬物の副作用で情緒不安定になっている所に、最悪の爆弾が投下された。必死に飲み込み、抑え込み、蓋をして────いつか弾けそうになる。

 今ですら、そのどす黒く醜い感情が言葉として口から零れそうになっていて。

「いっそ────」

 自身の口から零れ落ちそうになった言葉を飲み込むと、クロードは足元に転がしていたショートソードの柄を掴んだ。

 鞘に収まったままのそれを大きく振りかぶって────自身の頭部に振り下ろす。

 鈍い打撃音と共に大きくよろめき、其処に繰り返し鈍器を叩きつける。二度、三度と。

「くっはー……痛ってぇ……」

 額が裂け、血を流しながら鞘から剣を抜き放つ。

 磨き上げられた刀身に自身の顔を映した少女は、顔を鮮血で染めながら獰猛に嗤う。

「次、ンな糞みてェな事を口にしようとしたら。その舌引き千切るぞ」

 自身に言い聞かせる様に、固く胸に刻む様に、言葉を紡いだクロードは鞘に剣を納める。

 いつの間にか転がり落ちていた煙管を懐に納め、ポーチから包帯を取り出して適当に裂けた額からの出血を止血し、荷物を手早くまとめる。

「……あァ、糞だな」

 誰に向けられたものでもない口汚い罵りの言葉を呪詛の様に吐き捨てながら、クロード・クローズは廃教会を出た。

 月と星に見下ろされた迷宮都市。その中央に聳え立つ白亜の塔を見上げ、少女は更なる罵りの言葉を紡ぐ。

「糞野郎が、てめェみてェな奴は一秒でも早くくたばるのがお似合いだ」

 呪詛の様に紡がれるその言葉は、決して他者に向けられたものではない。

「なんでてめェ(オレ)はまだ死んでねェんだよ」

 呪詛を向けるべき対象はベル・クラネルではない。

「……アァ、オレも、兄さん達みたいな、才能が、欲しかったよ」

 

 


 

 

「……この匂いは」

「どうしたの、リヴェリア?」

 二人の冒険者が5階層に足を踏み入れた。

 ただし、4階層から下りてきたのではなく、6階層から上がってきて、だ。

 二人の冒険者、アイズとリヴェリアは深層域の37階層からおおよそ三日ほどの時間をかけて帰路についているさ中だ。帰路の途中には四六時中モンスターの襲撃を受けていたはずだというのに、二人の顔色に疲労は無い。

 上層、それも残り少しまで辿り着いた彼女らにとって残す帰路は無いも同然と言った所で、リヴェリアが足と止めた。

 アイズもつられて足を止め、慕うエルフの言葉から匂いを嗅ぎとろうと鼻をならす。

「…………? 煙草の、匂い?」

「ふむ、珍しいな。この時間にも冒険者が居るとは」

 ダンジョンに長く潜っていたとはいえ、体内時計でおおよその現在時刻を計っていた二人は現在時刻が夜遅いのを察している。

 夜遅くにダンジョンに挑む物はよほどの物好きだろう。ましてや探索中に煙草なんて吹かすのは珍しい。

 リヴェリアが僅かに眉を顰めるさ中、何処かで嗅いだ事のある香りに記憶を探りながら歩き始めたアイズが「あっ」と呟きを零す。

「どうした?」

「人が倒れてる」

「モンスターにやられたか」

 アイズが足を踏み入れたルームの中央に冒険者が一人倒れていた。周囲には無数のモンスターの躯。鈍器の様な物で頭部を潰されたモノもあれば、急所を鋭利な刃物で切り裂かれたものまで多種多様な死骸が転がっていた。

 そして、血の匂いを覆い隠す様に微かに煙草の匂いが染みついている。

 まるで行き倒れの様に倒れ伏すその人物に二人は近づいていく。

「外傷は無し、治療および解毒の必要性も皆無……典型的な精神疲弊(マインドダウン)だな」

 後先考えずに魔法を使ったのだろう。と屈みこんで診察したリヴェリアが呆気なく結論を出した。

 それと同時に、僅かに周囲を見回した彼女は更に眉を顰めた。

(……周囲のモンスターの傷は魔法にしては不自然だな)

 物理的な魔法も数多いとはいえ、周囲のモンスターに付けられた傷は打撃と斬撃、二種類存在する。それも、打撃は力任せに、斬撃は的確に、どちらも特徴的な傷だ。

(打撃痕が魔法だとして……残りは、剣……? しかし、この冒険者の武装はナイフ。だとすると違和感が残るな)

 力任せに叩き潰されたモンスターの死体は魔法によるものだとして、急所を的確に切り裂いたのはナイフ。なるほど、と説明が付く用に感じられる。

 しかし、リヴェリアは微かな違和感を抱いていた。

 いくつかモンスターの死体、首をざっくりと裂かれたモノの傷口がどうみても少年の腰にある得物ではつけようが無い程に深い。付け加えて、この場に漂う煙草の香り。

 記憶の中にある酒場で出会った印象深い冒険者の姿がどうしても頭から離れない。そんな風にリヴェリアが考え込んでいると、アイズが呟きを漏らした。

「この子、あの時の……」

「何だ、知り合いかアイズ?」

「ううん、直接話した事はないけど……あの酒場で、逃げちゃった子だと思う」

「ああ、クロード・クローズの後輩か……」

 つい先日起きた酒場でのいざこざ。

 しかも後日に更に本拠に顔を出して大事にまで発展しかけた傍迷惑な冒険者。その、後輩。

 元の原因が自身の派閥に所属している幹部の一人が『ミノタウロスに追いかけ回された腰抜け』等と揶揄嘲弄を放ったのが原因であるため、強く責められないのだが。

 加えて、今この場に居る冒険者は何の非も無い。その先輩であるクロード・クローズは問題児であったとしても、発端は自分達にある。

 リヴェリアは諫める側に居たとはいえ、あの場で本人が居た事を知らず、直ぐに止めなかった事を反省している。加えて、あのいざこざの際にクロードに対して初見時に『無礼な冒険者』という身も蓋も無い評価を下した事を後悔もした。

 そして、リヴェリア以上にあの件を引き摺っているのがアイズだった。

「リヴェリア。私、この子に償いがしたい」

「……言いようは他にあるだろう」

 硬すぎる、と溜息を吐くリヴェリア。そんな彼女とは対照的に二、三度瞬いたアイズは首を傾げる。

 何もわかっていない様子の少女に、リヴェリアは何も言わないことにした。

「まぁ、この場を助けるのは当然の礼儀として……」

 素直に頷くアイズを隣に、リヴェリアは屈んだ姿勢のまま少年を一瞥して周囲に気を配った。

 部屋の入口、微かに響く舌打ちの音を聞き留めたリヴェリアは、白髪の少年が暫く目を覚まさないである事を確認すると、ちらりと少女を横目で見やった。

「……アイズ、今から言う事をこの少年にしてやれ。()()ならそれで十分だ」

「何?」

 リヴェリアはその償いの内容を少し大きめに、ルームに響き渡る程度の声量で簡素に伝えた。

「そんな大きな声じゃなくても聞こえるよ?」

「ああ、気にするな」

 違和感に勘付いたアイズが首を傾げるも、すぐに意識は少年の方に向いた。よほどあの一件を引き摺っていた事が伺える少女の様子にリヴェリアが吐息を零し、視線をルームから伸びる通路の一つに向ける。

「……そんなことでいいの?」

「ん、ああ、確証はないがな。だが、この場を守ってもやるんだ。それ以上つくす義理もないだろう。……それに、お前ならば喜ばない男は居ないだろう」

「よく、わからないよ……」

 困った様に眉を寄せる少女に苦笑しつつも、リヴェリアが立ち上がった。

「私は戻る。残っていても邪魔になるだけだろう。けじめをつけたいのなら、二人きりで行え」

「うん。ありがとう、リヴェリア」

 ああ、と相槌を返したリヴェリアはその場を後にする。

 モンスターの存在など端から心配していなかった。だが、引っ掛かりを覚えたリヴェリアは気配を微かに感じた通路の方へと足を進める。

「……あっちの方が、近いと思うけど」

 最短路とは違う通路の方へ足を向けるエルフの背を見たアイズは首を傾げた。

 

 


 

 

「居るのだろう?」

 暫く通路を進んだ先、アイズと少年には話が聞こえない程度の距離が離れたと判断した所でリヴェリアは一人、声を上げた。

 誰か居る、と確信して呟かれた声に皮肉っぽい返事が返ってくる。

「あァ、流石第一級冒険者様だ事、隠れてたンだがなァ」

 横通路から姿を現したのはくすんだ銀の長髪をガシガシと掻く小人族の少女。数日前に豊穣の女主人でトラブルを起こし、その後に本拠にまで殴り込みに来て、フィン・ディムナから関わるな、とすら言い切られた無所属の冒険者。

「キミだろう。彼を守っていたのは」

「…………そうだが?」

 リヴェリアの質問に対し、クロードは少しの間をおいて返事を返した。

 ほんの少し考え込んでから返された返答に、リヴェリアは僅かに眉を顰める。

「……本当に、クロード・クローズか?」

「あァ? そりゃァどういう意味だ?」

 思わず呟いてしまったエルフの言葉を聞いた小人族が声を低くして唸る。

 相手が懐から煙管を取り出し、火をつけたのを見やったリヴェリアは即座に謝罪を口にした。

「すまない。聞いていた印象とは違った反応だったものでな」

「ふぅん」

 興味無さげに紫煙を燻らせ始めた少女を前に、リヴェリアは仲間から聞いた印象とは違うと感じていた。

 フィン曰く、最低限の矜持を持ち、それ以外には無気力無関心。

 アイズ曰く、一人でまともな防具を身に着ける事無く護身用のナイフ一本でダンジョンに向かってしまった後輩冒険者を助けに行く素振りすら見せずに帰った冷淡な人物。

 リヴェリアが最初に抱いた彼女への印象は『無礼で下賤な冒険者』。そして、事情を知った後に抱いた印象は『後輩の為に動く情に厚い人物』。

 そして、今の印象は『精神疲弊(マインドダウン)した後輩冒険者を陰ながら守る人物』である。

 どうにもクロード・クローズという冒険者の人物像が安定しない。

「ンで? わざわざオレを呼び付けたのはンだよ」

「少し気になってな。むしろ、此方に何か言いたい事があるのではないか?」

 わざわざ姿を見せたのだから、とリヴェリアが懐疑的な視線を送るのとは対照的に、クロードは気楽そうに肩を竦めた。

「あァ、礼が言いたくてな。さっきの【剣姫】にも伝えといてくれ。ありがとよ」

 酒場で見た時よりも柔らかで、皮肉っぽさが一切ない、純粋な礼の言葉。

 彼女に抱いた印象がまた崩れた、とリヴェリアが眉間を揉む。

「あ、ああ、どういたしまして」

「ま、オレからはこんぐらいだ。あのままアイツのお守りしてたらぶっ倒れてたしな」

 煙管を吹かしながら地上へと歩んでいくクロードを見やり、リヴェリアは自然と彼女に続いて歩いていく。二人とも、目的地は地上であり、最短路は同じ。

 途中、モンスターが数匹顔を出すも、クロードが動くより前にリヴェリアが杖で殴り倒していく。その様子をクロードが口笛を吹いて冷やかす。

「ひゅ~、流石第一級冒険者様だぁ~」

「……あまり冷やかすな」

 苦言を呈するも、クロード本人は応える気はないらしい。

 暫くの間、モンスターの悲鳴とクロードの冷やかし、そして二人分の足音のみが響く。

「……一つ聞きたいのだが」

 一階層から地上へと続く螺旋階段が見えてきた頃になって、リヴェリアは気になっていた事を問いかけた。

「体調が悪いのか? 顔色が良くないが」

「……気にすんなよ」

 オレの体調なんか、アンタにゃ関係ないだろ。とクロードが鼻で笑う。

「そうか……ふむ……」

「ンだよ」

「いや、なんでもない」

 バベルを出てすぐの所で、二人は足を止めた。

「色々とすまなかったな。あの馬鹿者がそしるのを直ぐに止めずに」

「あァ、気にすんな。むしろありがとよ、地上まで護衛してくれて」

 へらへらと軽い調子の笑みを浮かべて礼を言ったクロードは、()()()()()()()()別れを告げて去っていく。

 その背を見ていたリヴェリアは顎に手を当てて考え込み、吐息を零した。

「捻くれ者、というには随分と変な奴だ」

 




 できるならば、感想の方よろしくお願いします。


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第二〇話

 夕暮れに染まる北西メインストリート。

 ギルド本部が設置されている大通りとあって、冒険者関連の店舗が大通りの殆どを占めており、巨大な商店が軒を連ねている為か、屋台や露店等は殆ど姿を見ない。

 冒険者が良く利用する商店が数多くある事に加えて、完全武装した冒険者の集団がすれ違える程の余裕のある道幅もあってか、この大通りには冒険者で溢れ返っていた。

 界隈の者達はこのメインストリートを『冒険者通り』等と呼ぶこともある。

 そんな大通りを草臥れた様子で喧嘩煙管を担いで歩く小人族の姿があった。染みつく様な煙の臭いを漂わせながら歩み、近づくだけで紫煙の香りで一瞬目を奪われ、煙たげに眉を顰められている。

 本人は周囲の冒険者達が自身を避ける中、草臥れた様子で大通りの中央を歩んでいた。

「……ねむ、眠い」

 時折欠伸を漏らして首を鳴らし、腰のポーチに突っ込んである紙切れを触って感触を確かめる。

 普段なら大通りではなく細道等を顔を隠して歩んで神々の勧誘を避ける様に動いていた。だが、今日は珍しく大通りを誰に憚るでもなく歩んでいた。

 そんなクロード・クローズを見て周囲の冒険者達は一様に彼女を見やるとひそひそと声を潜めて囁き合う。

『おい、あれ、クロード・クローズじゃないか?』

『本当だ。確か【ランクアップ】したって……』

『二ヶ月だろ? 嘘じゃないのか?』

『だが、ギルドが発表してるしなぁ』

 つい昨日、ギルドの巨大掲示板に張り出された情報。

 【剣姫】の最速記録を抜いて、たった二ヶ月でLv.1からLv.2への【ランクアップ】を果たした冒険者が現れた。それがクロード・クローズという名の人物である事。

 所属派閥無しの無所属(フリー)の冒険者。恩恵を与えた神の名は女神ヘスティア。

 ヘスティアと言えば都市では無名も無名、そも派閥は存在していても規模も小さく目にも止まらない程度の底辺派閥。加えて時折見かける彼女は日夜バイトに勤しんで生活に余裕が見えない。

 そんな情報から、事情を知らぬ者達は、生活に余裕のない女神が恩恵を与え、対価として金銭を受け取っている。という噂をまことしやかに囁き合う。

 周囲の冒険者達が一様にクロードを避け、様子を伺っているのを鬱陶しく感じながら、本人は喧嘩煙管を担ぎながら、通常の煙管を吹かす。

「ンで、いつまでついてくる積りだよ」

 紫煙を吐き捨てながら、クロードは背後に問いかけた。

「なんや冷たいなぁー、ま、その冷たいんも良いんやけどな!」

「すまないな、ロキが迷惑をかけて」

 彼女の問いかけにへらへらと笑顔で答える朱色の神。そんな女神に頭を抑えながら付き従うエルフの女性。

 容姿に優れたエルフの中でも際立った美しさを誇る人物であり、数多のエルフから敬われる高貴な血族。そんな人物が従う神と言えば、都市内で知らぬ者のいない派閥の主神だ。

「はぁ……だりぃ」

「なんや、ウチらのおかげでトラブル避けられとるんやろ? 虫よけと思っときゃええやん」

 彼女らこそ、普段ならこそこそと面倒事を避ける為に脇道や細道、裏道等を使い分けている彼女が珍しく大通りを歩んでいる理由だった。

 怪物祭(モンスターフィリア)での活躍故に数多くの派閥に勧誘され、いくつものトラブルを起こした事も記憶に新しく、加えて此度の【ランクアップ】の一報によって一躍有名人へと至った彼女を他の神々が放っておくはずはない。ないのだが、今の彼女に声をかける愚かな神は居ない。

 都市有数の強豪派閥である【ロキ・ファミリア】の主神と、その派閥の副団長が共に歩んでいるさ中に、無粋にも声をかけて勧誘なんて真似等、出来る筈が無いからだ。

「虫よけ、ねぇ……オレからしたらアンタ等も虫の一匹な訳だが?」

 鬱陶し気に強豪派閥の主神と副団長をあしらおうとするクロード。

 周囲の冒険者達の中に交じっていたエルフ達が彼女に突き刺す様な殺気を向け、クロードは其れを草臥れた様子で無視する。

「そこのエルフの王族様の所為で視線が痛ェんだよ。どうしてくれんだ」

「それはすまない」

「いやいや、ウチらが居らんかったら視線だけや済まんやろ」

 それこそ、遠巻きにクロードを見つめる無数の神々から送られる興味津々といった様子の視線が、次の瞬間には道を歩む事もままならない程の生垣となって襲い来るに違いない。とロキが笑う。

 クロードと二人が出会ったのはほんの偶然だ。

 先日の探索で道具(アイテム)を切らした事から、買い出しに出かけようとしたリヴェリアに主神がどうしても、と強請って同行してきて、『冒険者通り』に歩みを進めた所で、脇道からクロードが出てきたのだ。

 その時のクロードは運悪く裏通りで神々に捕捉されて逃げているさ中であった。中にはLv.3の追跡者も交じっており、とても逃げ切れなかった。そんな折にばったりとロキとリヴェリアの二人に遭遇してしまった。

 クロードの背後から執拗に追いかけていた集団が現れ、事情を悟ったリヴェリアが彼女の逃走を邪魔せぬ様に退こうとして────ロキがクロードに声をかけてしまった。

 強豪派閥、それも並大抵の派閥では太刀打ちできない派閥の主神が一言。失せろ、と告げてクロードを追う一団を追い払ってしまったのだ。

「なぁなぁ、感謝してウチの派閥入ってくれへん?」

「五月蠅ェな、入らねェって言ってんだろ」

 ロキも勧誘してくるのは他の神々と同じではある。あるのだが、他の神々と違って実力行使をする気はないらしく、脅迫まがいな勧誘もしてこない。ともすれば、良心的な勧誘の言葉にとどまっている辺り、強引な手段すらとって勧誘とは名ばかりの襲撃をしてくる神々と比べたら鬱陶しい以外の害はない。

 付け加えると、もしクロードがロキから離れたら、その瞬間から再度神々が殺到する事間違いなし。離れる方が面倒臭い事になるのは想像に易いだろう。

「せやったら、どうやってあんな短期間で【ランクアップ】したん? ウチにこっそり教えてぇ~」

 クロードの周囲をちょろちょろ動き回って強請る神の姿にリヴェリアが小さく溜息を零すが、そんな彼女も【ランクアップ】までの所要期間『二ヶ月』については気になっている。

 昨日はダンジョンに潜ってから夜遅くに帰還した事もあって、昨日発表された情報を手にしたのは今朝。冒険者として気になるのは当然の事だった。

「はぁ、経歴にかんしちゃギルドに嘘偽りなく報告したっつの。【ランクアップ】に至った軌跡はギルドでまとめられてるンだからそっちに行けよ」

 クロードの言葉の通り、名こそ伏せられているだろうが、【ランクアップ】に至るまでに戦ったモンスターの種類、数や成した『偉業』についてはギルドで閲覧できる書類として記録されており、誰でも好きに閲覧できる。

 編集も既に終わっており、ギルドに申請すればいつでも見れる。加えて、『二ヶ月』等という短期間で【ランクアップ】に至った冒険者等、クロードを措いて他に居らず、調べるのは非常に容易だ。

「そっちは神が群がってまともに閲覧できへんて」

 誰でも自由に閲覧できる。という事は皆がこぞって見ようとするわけで。

 アイズ・ヴァレンシュタインが初めて【ランクアップ】した時も閲覧する事を目的にギルドに人が殺到していたのだ。そして、今回はその比ではない。

 フィンが気になったのか見に行こうとしていたらしいが、閲覧申請欄を見て取りやめる程だ。

「はぁ……ったく、面倒臭ぇ」

「ロキ、しつこいぞ」

「なんや、リヴェリアも気になっとるやろ~」

「気にはなるが、本人が話す気が無いのなら何度聞いても無駄だろう」

 二人のやり取りを他所に、クロードは適当な道具屋(アイテムショップ)を見つけて足を向けた。

 ごつごつとした加工石で構成された二階建ての店舗。店名は『リーテイル』。

「オレはこの店に入る。アンタ等も目的があったんだろ、そっちに行けよ」

「……いや、すまないが、私もこの店に用がある」

「おっ、なんや運命の赤い糸でも繋がっとるんか」

 適当に選んだ店がまさかリヴェリアの目的の店だとは思わず、クロードが苦い表情を浮かべ、溜息を零した。

「はぁ……まあこの店で良いか」

「ほな行こか」

 半ば諦めながらクロードは店の戸を潜る。

 店内中央を陣取る様に、硝子よりはるかに強度の増したクリスタルケースが並んでいる。背の高いそれらの陳列棚を一瞥したクロードは目的の品を探して歩き出す。

 その様子を伺っていたリヴェリアは首を横に振ると、自分の目的を果たす為に消耗品の置かれた棚に歩み寄った。ロキはニマニマとした様子でクロードの後ろについていく。

「オレと来ても面白いもんはねェっての」

「リヴェリアと居るより面白そうやったし」

 そうかよ、と吐き捨てると、クロードは棚を見上げた。

 丸底フラスコの底に溜まる青い液体は回復薬(ポーション)。緑色で細い試験管に入っている物は解毒薬。洒落た造形(デザイン)のボトルに入った万能薬(エリクサー)……同じ回復薬(ポーション)や解毒薬、万能薬(エリクサー)でも、それぞれ丸底フラスコであったり、三角フラスコであったり、細い試験管もあれば、小瓶もある。造形(デザイン)もそれぞれ異なり、数多の商業系の【ファミリア】が製造したものを仕入れているのが伺える。

 この手の道具屋(アイテムショップ)は【ファミリア】が作成した商品ならば殆どのモノを取り扱っている事が多い。加えて、『冒険者通り』に面する敷地を勝ち取るだけあって冒険者からの評判は高く、品揃えも多い。

「んで、クロードたんは何を買いに来たん?」

「その~たん、ってのやめてくんね?」

 オレは萌えキャラになった積りは無い。と切り捨てつつ、クロードが足を向けたのは空の瓶や金属缶等、保存用の容器が並べられた一角だった。

 幾つかを手に取り、小突いたり軽く叩いたりして耐久を確かめていく。

「……質が安定しねェな」

 彼女の前世の世界、それも極東の島国では一定の基準を満たさなければならない、等と品質に厳しかった事もあって、よほど悪質な店か、外国の品でもなければ粗悪品と出会う事は少ない。しかし今世、この迷宮都市(オラリオ)では全ての品々が手作り品。それなりに質は確保されてはいるのだが、それでも粗悪品の割合は非常に多い。

 前世の様に自動工程(オートメーション)化によって安定した質の物を作る訳ではなく、一つ一つが職人による手作りだから仕方ないのだが。

「ま、これにしとくか。一ダース……いや、三ダースぐらい買い溜めとくか」

「ほぉん、クロードたん、自分で回復薬(ポーション)とか作るん?」

 手にしたのはコルク栓付きの小瓶。いくつも並べられたその品が他に比べて質が安定していると判断したクロードがそれを買う為に店員に声をかけようとし、ロキに問われて眉を顰めた。

「まあ、そんなとこだ。独自(オリジナル)のな」

「ほぉ……ま、ええけど」

 違法な薬草類を使用した依存性抜群の違法薬物の数々を保存する為の瓶です。なんて馬鹿正直に言えず、適当に誤魔化すクロードだが、ロキは僅かに目を細めてその言葉を聞いていた。

 視線が交じり合い、見つめ合う事数秒間。即座に駆けてきた店員に声をかけられ、二人は視線を外した。

「こちらの商品を、三ダースですか……?」

「ああ、請求は『グラニエ商会』の方に頼む。えっと、証書は……っと、コレだ」

 ポーチから取り出した証書を見せ、商品を『グラニエ商会』の方に輸送する様にと注文を付けると、他にもいくつかの金属缶も同様に買い付けていく。

 まるで商人の様なやり取りをし始めたクロードの姿にロキは目を真ん丸に開いていた。

「うっし、後は……そうだな、保存食が減ってたか」

食料雑貨(グロサリー)は彼方に」

 店員に片手を上げて応えたクロードが、緑両雑貨(グロサリー)と矢印で表示される店の隅へと歩み出す。その後ろにロキが続きながら、口を開いた。

「その『グラニエ商会』ってのはクロードたんの後ろ盾かなんかなん?」

「お得意様なだけだよ。まあ、色々と世話にはなってるが」

 違法品のやり取り等で世話になっている商人の男、テランス・グラニエの管理する商会である。後ろ盾、という程ではないにせよ贔屓にしているのは間違いない。

「贔屓にしとるっちゅうなら、なんでそっちで買わんのや?」

「あのば……テランスの奴がな」

 本来ならば空瓶にせよ保存容器にせよ、どれも一言頼めば用意してくれるのだが。普段から出入りしていた事が既に噂として流れていたのか神々の出待ちが多くみられた。その集団を避ける為にも一時的に別の商店を利用する事に決めた。

 序に、件の煙草の作成者を探る密偵から身を隠す為、暫くは別の商会を通じての買い物となったのだ。

「有名になり過ぎて店が混んでて相手出来ないから、暫く別の店で買ってくれってな」

「ほー、金まで出してくれるんか。エラい好待遇やな」

 訝しむ様子のロキを見やり、クロードは面倒臭そうな表情を浮かべる。

 馬鹿正直に後ろ暗い繋がりがあるから、互いに切っても切れない関係です。とは言えないし、言おうとも思ってはいない。だが、怪しまれたままでは痛い腹を探られかねない。

冒険者依頼(クエスト)を何度も受けてるからな」

 これも貸しとして今後冒険者依頼(クエスト)を頼んでくるだろ、とクロードは肩を竦めた。

 その言葉を聞いたロキは生返事を返すと、笑みを浮かべたまま考え込む。

 クロード・クローズという人物についてロキが知る情報は少ない。というかほとんどない。

 外面的な所で言えば、やる気が無さそう。とか口が悪い、とか色々と知れる部分はある。それでも話してみると案外話が通じるし、冗談にも応じてくれる。

 内面的には絶対的な矜持(プライド)と信念を持っている。そしてそれ以外には微塵も興味を示さない。自身の身の安全もそっちのけで、矜持と信念を貫く人物といった所だろう。

 ロキはおおよそクロード・クローズという人物像を描いて納得して頷く。

「なんや、機嫌がええんやな」

「別に、そうでもないが」

 世間話の様に言葉をぶつけると、ごく普通の対応が返ってくる。

 なんとも言い難いが、他者との距離感の取り方が非常に特徴的だ。人によっては付き合い易いと思うだろうし、人によってはとっつきにくい、ともとられかねない。

 言葉遣いこそ荒いが、普通に会話する事は出来る。ただ、彼女が機嫌を損ねる様な内容だと皮肉と罵倒が混じり始める、といった具合か。

「そか」

 つい今朝リヴェリアから聞いた話では体調が悪そうだったらしいが、今のクロードはそんな風には見えない。多少やつれ気味に見えはするが、神々の強引な勧誘から逃げていて疲れている、と言われれば納得できる程度。

 違和感を覚えつつも、ロキは唸る。

 是非、なんとしても、勧誘したい。とっつきにくく皮肉交じりで口も悪い。だが根っこの部分を見ると、本当に欲しくなってしまう。見ていて楽しい、というのもそうだが、ベート・ローガと似ている部分も愛おしく見えてくる。見えてくる、が。

「ま、ウチに来る気は無いんやろ?」

「何度言えばわかるんだ? ちゃんと耳ついてんのかよ。断るっつってんだろ」

 派閥勧誘を匂わせると、途端に皮肉交じりの言葉が返ってくる。流石にしつこ過ぎたか、とロキが両手を上げて降参を示した。

「すまんすまん、で、後は何を買うんや」

「はぁ……エルフのとこ戻りゃ良いだろ」

 投げ槍気味に返しながら、クロードは食料雑貨の中でも保存の利く探索中に使用する物が多く並べられた棚を見上げた。

 肉や魚の塩漬けや燻製、干した物。ジャムやコンポート等の糖蔵。ピクルス等の酢漬。水分を少なめにした硬パン等。

 長期間の探索に向けた保存用の食品が並ぶ一角を見ていたクロードがいくつかの保存食を買い漁る。

「ロキ、そこの堅パン、三つとってくれ」

「ほいほい~、これでええんか?」

「ありがとな」

 一週間分近い量を籠に放り込んで勘定をしようとクロードが店員の元へ向かおうとした所で、棚を挟んだ反対側から鈍い打撃音が響いた。

「なんや? えらい痛そうな音がしたなぁ」

「どっかの誰かが足でもぶつけたんだろ。小指だったら洒落になんねェな」

 冗談めかして肩を竦めるクロードを見て、感情の移り変わりが激しいなぁ、とロキが頭を掻いた所で、棚の向こうから女性の声が響いた。

『リ、リヴェリア様ッ!?』

 棚を挟んでも聞こえる程の声量。その声に聞き覚えの合ったクロードは眉を顰め、ロキはまたかぁ、と肩を竦めた。

 エルフの中でも王族の高貴な血を引くハイエルフであるリヴェリアは、他のエルフと出会うと大抵が同様の反応をされるのだ。

「エイナか」

「エイナ? クロードの知り合いなん?」

「ギルドの受付嬢。俺の担当アドバイザーだな、まあ、あんまり利用してないが」

 二人が棚を回り込むと、エイナがリヴェリアに頭を下げている光景が目に入ってきた。

 棚にはケースがかけられており、中には無数の酒類が並べられている。それも安酒ではなくそれなりの高級酒ばかり。

「エルフ様は真昼間から酒漁りったぁ良い御身分だなぁ」

「なんや、リヴェリアもお酒飲みたかったんかぁ、ウチも丁度お酒欲しくてなぁ~」

「クロードか、違う。エイナを見かけたから声をかけただけでだ。それとロキ、今日は酒は買わんからな」

 なぁんでやぁ、とロキがリヴェリアに泣きつくのを他所に、クロードはエイナを見やる。

「ンで、糞真面目なアンタがこんな所で何してんだ?」

「あっ、えっと……ちょっとお酒について調べてて」

 エイナは自分が担当しているベル・クラネルと言う少年が雇ったサポーターの所属派閥が悪名高いとは言い過ぎだが、余り良くない噂の流れる【ソーマ・ファミリア】の眷属だった事もあり、彼の派閥について調べていたのだ。その中で、【ソーマ・ファミリア】が市場に卸しているお酒が気になり、調べていたら母の知り合いであり、幼い頃に数度会った事のあるリヴェリア様とばったり、といった流れである。

 とはいえ、ギルド職員が一派閥について探りを入れている、等といらぬ噂が流れれば面倒事になる。それを避けるべく濁した言い方をしたエイナにロキは目を細めた。

「ほう、その酒か。私の【ファミリア】でも愛飲している者が多いな」

「ソーマやぁ! なあママぁ、買ってぇ」

「……無論、コレも愛飲している」

 甘えた様な声で強請り始めるロキに呆れたリヴェリアが溜息を零し、エイナが苦笑いを浮かべる。

 エイナが言う『ソーマ』は他の酒に比べてボトルには飾り気が無く質素であり、中身も無色透明。何も知らなければ美味しそうには見えない品である。そして、その商品に付けられた値札の金額は。

 六〇〇〇〇ヴァリス。

 比較的相場の高い冒険者専用の道具(アイテム)や装備品に匹敵、もしくはそれ以上とも言える額だ。

「……なんでエイナがソーマについて調べてんだよ」

「え?」

 目つきを鋭くして腰のポーチを無意識に抑えたクロードの言葉にエイナが怯む。

 もしや自分がソーマを使っている件について感づかれたか、と警戒するクロードを他所にエイナは慌てた様に言い訳を口にした。

「ええと、友人にこのお酒を勧められたんだけど、あの【ソーマ・ファミリア】のお酒と聞いて偏見があって……」

 苦しい言い訳だ、とクロードが警戒心を引き上げる。

 事情を知らないリヴェリアとロキは、警戒しはじめたクロードの様子に僅かに首を傾げる。

「それで、エイナ。お前は何が知りたいんだ?」

「ああ、はい。このお酒を嗜んでいる方で、依存症とか、少し普通じゃない症状を引き起こしている方とか、いますか?」

「私には酒飲みなどみな普通ではない様に見えるが……常識を逸した素振りを見せる者はいないな」

 リヴェリアの返事を聞いたエイナが考え込み、ロキはリヴェリアの服を引いて買って買ってと小声でせがむ。

 クロードは警戒し過ぎたか、と溜息を零した。

「馬鹿かよ、ンな依存性が出かねない様な完成品は普通は外に流さねェだろ」

「え?」

「外に流れんのは依存性も無い処かただの美味い酒だ」

 悪目立ちしているというのに、わかりやすいその原因を外に出す訳がないだろ。とクロードは吐き捨てると、酒の置いてある棚からそこそこの値段の葡萄酒を取り出し、籠に放り込んだ。

「ンじゃ、オレは帰るわ」

「あっ、クロードちゃん」

「ンだよ」

 咄嗟に呼び止めたエイナは暫し躊躇した後、口を開いた。

「ベル君の事なんだけど……最近、サポーターを雇ったみたいで……」

「……ああ、そういう。それならどうなろうがアイツの責任だろ」

 大まかに事情は察した、とクロードは肩を竦め会計の為に店員の下へを歩んでいく。

 その背を見ていたリヴェリアが顎に手を当てて考え込み、ロキをちらりと見やる。

「ロキ、その酒を買ってやろう」

「え!? 買ってくれるん!」

「条件はあるがな」

 条件ってなんや! と問うロキからエイナへと視線を移したリヴェリアは、片目を閉じた。

「エイナに【ソーマ・ファミリア】の事情を話してやれ。それが条件だ」

「ええで!」

「えぇ!? あの、良いのでしょうか……?」

 突然話を振られたエイナが驚く。

 その様子にリヴェリアは小さく肩を竦めると、口を開いた。

「今の話からおおよそ推測したのだがな。お前に手を貸した方が良いと判断しただけだ」

 【ソーマ・ファミリア】の『酒』について調べるエイナ。

 ベルという少年が雇ったサポーター。

 おおよその情報から、そのサポーターの所属派閥が【ソーマ・ファミリア】であり、件の冒険者の事を案じて調べている。といった所だと推測出来たのだ。

 

 


 

 

 都市外周部、市壁前の宿屋。

 クロードは自室として借り受けた部屋に荷物を運び込んでから、武装を壁に立てかける。

「はぁ……晩飯にするか」

 保存食として買いあさった堅パンを齧りながら、収納箱から調合道具を取り出して床に並べていく。

 序に、不足していた空瓶が補充されているのを確認していたクロードは、頼んでいない荷物まで入っているのに気付いて手を止めた。

「ンだ、これ?」

 この宿の三階の一室。クロードがグラニエ商会に依頼した物品等が定期的に補充される取引部屋の意味合いが強いこの部屋で、頼んでも居ない荷物が入っているのは不自然だった。

 警戒しながら、袋に包まれたそれを取り出してテーブルに置く。しげしげと観察してから、その布の塊に添えられた手紙に手を伸ばした。

 内容を軽く読み上げ、差出人の名を見た少女は呆れて溜息を零す。

「…………、はぁ、余計なお世話だっての」

 手紙の差出人はテランス・グラニエ。

 内容は『食事が偏ってそうなので、おまけを送りました』。

 改めて袋の中身を見やると、保存容器(タッパー)に詰められた数種類の調理済みの食品。

 数日前から購入していた物がおおよそ保存食ばかりだと知っていた彼からの贈り物だろう。妙なところで気を利かせやがって、とクロードは呆れつつも保存容器を開けて匂いを嗅ぐ。

「毒、なんて真似はしないか」

 後で食おう、と適当にテーブルに置いたまま、他の小瓶等を取り出していく。

 注文通りの品がしっかりと入っているのを確認し、調理法(レシピ)の書かれた紙切れを引っ張り出す。

「これと、これだな、後……これも」

 材料を揃え、並べててから薬研に材料を放り込み、ゴリゴリと擦りはじめた。

 つい昨晩、酷い副作用に襲われていた彼女は、それの対応策を編み出した。編み出した、というと語弊があるかもしれない。

 現在出ている症状に対しての対症療法を繰り返すのだ。当然、考え無しに薬を飲めばいらぬ相互作用で症状の悪化や、別の症状が出る事も考えられる。

 しかし、何もせずに居るより薬漬けにした方がなにかと都合がいい、とクロードは幾種類かの解毒剤モドキを調合して服用した。

 臨床実験なんて糞喰らえ、と自身の体で試した彼女はいくつか問題が出たモノの、体調はおおよそ回復──誤魔化しがきく程度に落ち着いた。

「まさかなぁ、小便が青色になるのは想定外だったが」

 おおよそ人体から排出されるのを想像できないような蛍光色の青色の液体が出てきた時、流石のクロードも目を疑ったが。




 お気に入り3000件突破しました。登録してくれた方々、ありがとうございます。

 この作品は『戦争遊戯』まで続けるつもりです。

 当然の事ながら、今後もクロードくんちゃんは数多の原作キャラに皮肉や罵倒を繰り返すアンチ行為が続く事が予測されます。

 特に戦争遊戯辺りでは【アポロン・ファミリア】への皮肉煽り罵倒のオンパレード(になる予定)です。

 それでもよければ応援、感想、評価などよろしくおねがいします。


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第二一話

 薄霧が立ち込めている。

 朝靄を思わせる様に視界を白く滲ませる薄霧だ。

 場所は、ダンジョン10階層。

 ルームは広く、天井までの高さは一〇М(メドル)にも届かんほどの広さを持ち、ルーム同士を繋ぐ通路は短い。

 木色の壁面は苔むしており、地面には短い草が生えて一見すれば草原にも見えなくはない。

 この特色は8~9階層にも類似しており、違う点は薄霧。朝靄を思わせるソレだった。

 その薄霧に包まれた階層。何も知らなければ地上の草原と見紛うそのルームの中で、霧の中に赤い火を灯して歩む小人族(パルゥム)の姿があった。

「……ったく、誰だァ? ンな所で血肉なんか使った馬鹿野郎は?」

 不機嫌そうにルーム内に転がっている血肉、モンスターをおびき寄せる為の撒き餌の痕跡を睨む。

 場所は10階層に入ってそう深くもないルームの一つ。中央付近には『迷宮の武器庫(ランドフォーム)』らしい一М(メドル)から二М(メドル)程の枯れ木が立ち並び、数本は引き抜かれて天然武装(ネイチャーウェポン)に変化したであろう無骨な棍棒が転がっている。

「使われたのはだいぶ前か……んで、尚且つドロップ品は未回収、ったぁ……何処の馬鹿だよ」

 薄霧の中、微かに見える躯の方へと歩み寄ったクロードは、鋭利な刃物で一閃されて即死したであろうオークを観察して首を傾げた。

 ルーム内に見える痕跡を纏めると、以下の通りだった。

 一つ目、血肉の使用の痕跡。

 二つ目、モンスターが『迷宮の武器庫(ランドフォーム)』を使用して天然武装(ネイチャーウェポン)が複数。

 三つ目、集まったであろうモンスターは圧倒的実力を持つ冒険者に一掃された。

 四つ目、冒険者の死体は一欠けらも無い。

「……はぁ、何処かの馬鹿が無茶して喰われて、んで上級冒険者が後片付けした、か?」

 薄霧の中に広がっている惨状からクロードが予測できる事はそう多くはない。

 まず一組目の冒険者達がオーク狩りの為に血肉を使用し、全滅。それを見つけた上級冒険者がオークを掃討、その後、冒険者達の死体だけを回収して撤収した。

「無いな」

 即座に考え付いた推理を全否定した。

 9階層以前の階層から、10階層へを降りたつ冒険者は必ずギルドの専属アドバイザーか、先輩冒険者から強く注意を受ける。何故ならば、10階層からはモンスターだけでなくダンジョンそのものの地形効果(ギミック)が冒険者を苦しめるのだ。

 その一つが視界を悪化させている薄霧。

 そしてもう一つが『迷宮の武器庫(ランドフォーム)』だ。

 一見すればただの背景にしか見えない木や岩、植物であるそれらは、モンスターが手にした瞬間に変貌を遂げる。枝葉が失われた枯れ木は無骨な棍棒へ、ごつごつした大岩は重厚な大斧へ、咲き乱れる巨花の花弁は鋭利な短剣へ、巨木に絡み付く蔦は一本の槍へ。

 ダンジョンが持つ厄介な特性の一つ。この生きているダンジョンが、モンスター達へ与える天然武装(ネイチャーウェポン)。それこそがここ10階層から初めて見られる地形効果(ギミック)であり、武装したモンスターという今までにない難敵を生み出す代物。

「『迷宮の武器庫(ランドフォーム)』が壊された形跡もねェんだしなぁ」

 破壊されても地形が修復される様に、モンスターが壁面から生み出される様に、『迷宮の武器庫(ネイチャーウェポン)』もまた、修復される。だからこそ、破壊しても修復されてしまうから手間を惜しんで────なんてありえない。

 撒き餌である血肉を使ってモンスターをおびき寄せるなんて真似をするならば、付近にある『迷宮の武器庫(ランドフォーム)』は片っ端から破壊しておき、少しでもモンスターが強化される事を防ぐのは常識であり、よほどの狂人か間抜けでなければ撒き餌を使う前に破壊しておく。

 だが、今クロードが見ている痕跡群にはその形跡が見られない。

「……何がしたかったんだかなぁ」

 まるで、誰かが嵌められたようにも見える、と口の中で呟きを零した。

 『迷宮の武器庫(ネイチャーウェポン)』を破壊するより前にモンスターと接敵。前衛として戦いに出た冒険者を置いて血肉を撒き散らして逃走。────どこぞに聞いた事のあるやり口にクロードは盛大に眉を顰めた。

「…………流石に、死んだか?」

 最近、目覚ましい成長を見せる少年がきな臭い派閥に所属するサポーターを雇ったらしい。

 そのサポーターは獣人の子供で、背丈や髪色等の特徴は、時折話題に上がる手癖の悪い小人族(パルゥム)に類似していた。

 もしかしたら、この場で嵌められたのはベル・クラネルではないか。助けに入った冒険者が居たのは確かで、件の人物の死体こそ残っていないが、命を落として躯だけは駆け付けた冒険者が地上に連れ帰った可能性はゼロではない。

「……はっ、馬鹿馬鹿しい」

 女神ヘスティアにはしっかりとクロードから注意はしておいた。

 ベル・クラネル本人と会うのは控えはしたが、女神から遠回しの忠告がベルに告げられた筈であり、それを聞いた上でそのサポーターと関わり続けて罠に嵌められたのだとしたら、クロードからすれば手の施しようのない状態だった、としかいえない。

「とりあえず、魔石は剥いどくか」

 ベルがどうなったのかは二の次。今この場で気に病んでも仕方が無いと切り捨てると、クロードは懐から剥ぎ取り用のナイフを取り出してオークの首無し死体に突き入れた。

 暫し無言で魔石を剥いでいたクロードは、この場にある両手両足の指の数を超える死体を見回して舌打ちを零した。

「よっぽど急いでたのか、それとも興味が無かったのか。剥ぎ取りを迷ってすらいなさそうだな」

 その場にある首無し死体の数、そして残された灰山の数。倒されたモンスターの数は少なく見積もってもおおよそ四八匹。その殆どが魔石もドロップアイテムもそのまま放置されているのだ。

 余程急いでいたか、そもそもこの程度の雑魚から得られる魔石の価値なんかに食指が動かない程の実力と到達階層を持つ冒険者であったのは間違いない。

 残されているオークの死体はどれも首を一閃か、心臓を一突き。反撃も許されずに、どころかこのオーク達は自らの命を奪い去ったであろう下手人の顔すら見ていない可能性が有り得る。

 一体、どれほどの手練れの冒険者が救援に駆け付けたというのだろうか。

 鋭利な刃で一閃された首無し死体の一つを見つめたクロードは、ふと最近会った第一級冒険者を脳裏に思い描いた。

「……【剣姫】か? これ、やったの」

 クロードの記憶の中にこのオークの首無し死体と重なる光景があった。

 上層で遭遇(エンカウント)したミノタウロス。それが一瞬にして切り刻まれた光景がありありと金髪の女剣士の姿が脳裏に描かれ────クロードは唾を吐き捨てた。

 

 


 

 

 結果だけを述べると、ベル・クラネルは生きていて、件の小人族(パルゥム)は死亡していたらしい。

 前者は自身の目で確かめ、後者はお得意様の冒険者様が話していた内容からの推測だ、とテランスから手紙で教えて貰った情報から知った事だ。

 クロード自身が感じた事と言えば、前者については『魔法を得て更に加速した』であり、後者については『知るか、ンなもん』で()()()

 つい先ほどまでは。

「……死んだ、じゃねェだろォが。生きてんじゃねェかあのガキ」

 冒険者よりも一般市民の方が多く、冒険者の間で顔が売れに売れまくっているクロードにしてみれば他の通りに比べて()()()()と言える北のメインストリートを顔を隠す様にフードを目深に被って早足で通り抜けようとしていた時の事だった。

 カフェから聞こえる姦しいやり取りに思わず耳を奪われた。

 その姦しさは男の取り合い。キャンキャンと吠えたてる様なモノではなく、バチバチと火花を散らすやり取りだった。それだけならクロードは足を止める事なんてするはずもない。だが、その時聞こえた声の片割れは彼女の知り合い────彼女に恩恵を授けている主神に声だったのだ。

「────()()()ベル君が世話になっていたようだね」

「いえいえこちらこそ。()()()()()()()()ベル様には、いつも良くしてもらっていますから」

「「………………」」

 姦しくも刺々しいそのやり取りに視線を向けたクロードの視界に飛び込んできたのは、片や幼女、片や幼女。

 いじらしくも可愛い幼い外見の幼女二人が────片方は身体の一部が幼女とは程遠いが────白髪の少年の両手をとって睨み合い、火花を散らす光景だった。

 もはや呆れてものも言えない。片方は自らの主神。

 ベル・クラネルを溺愛する幼女女神。片や見知らぬ子供、だが最近の噂と出来事、そしてベルの底抜けの優しさから誰なのか察する事は容易い。

 もし、もしもこの時にクロードが武装していたのであれば。間違いなくベルの腕に抱き着いていた茶髪の小人族の脳天をカチ割り、その中身を大通りにぶちまけてやっていた事だろう。

 厚顔無恥にも騙して罠に嵌めた相手の腕を抱き寄せ、姦しく喧しい男の取り合いに興じる? 冗談も大概にしろ、とクロードは内心で吠え立て、直ぐにその場を後にした。

「あァー、気持ち悪ィ奴だよ……ったく、次顔見たらぶっ殺しちまいそうだ」

 ここ数日は大人しく新薬の開発を止め、既存の薬物のみでダンジョンに潜っていた為、慣れた副作用のおかげか苛立ちは少なく済んでいたというのに、あの光景の所為で苛立ちが増した、と無意識に懐から煙管を取り出そうとして、周囲の人々から向けられた視線に気付いたクロードは無言で煙管を懐に納めた。

 クロード・クローズという冒険者の特徴はほぼすべての都市の住民に知れ渡っていると言っても過言ではない。

 最短記録を大幅に塗り替えた、フィリア祭で活躍した冒険者。それも人前で盛大に魔法までぶちかましている。

 特徴的特徴、それはくすんだ銀髪であったり、整った顔立ちであったり、いくつもある。が、その中でやはり目につきやすいのは煙管。喫煙している事だろう。

 小人族でありながら人前で堂々と煙管を吹かすのは珍しい。ましてや普段から呼吸する様に煙を吹かしているのはクロードぐらいだ。故に、煙管を手にした小人族というだけで変に注目を集める。

「……あぁ、ムカつく」

 大通りで目立てば面倒臭い。間違いなく鬱陶しい勧誘が待っている事は目に見えているのだから、苛立ちを抑えるべく吸おうとしていた煙管も直ぐに仕舞う。

 吸えない理由は大いに理解も出来るし、自身も分かっていて即座に吸うのをとりやめる。だが、吸いたいのに吸えないという不満を抑える事なんぞ出来る筈が無い。

「面倒臭ェんだよなァ」

 普段なら苛立ちを紫煙と共に吐き捨てて、中空に消え去るのを見送る。しかし今日は言葉と共に虚しく人々の放つ雑踏に掻き消されるのを感じ取る。

 普段と違う、更に煙管を吸えない。苛立ちを抑えるべく懐から煙草代わりに燻製肉を取り出してガジガジと齧りだしたクロードは、その小さな体躯から異常な圧を放ちながら細道を抜けていく。

 一般人であっても気付くそれを、冒険者達が気付かない筈が無い。

 北西のメインストリート、冒険者で溢れ返った『冒険者通り』に出た外套姿の小人族は自然と注目を集めていた。

「おい、あれ、クロード・クローズじゃないか?」

「あの最短記録のか? 勧誘に行こうかな。主神に頼まれてんだし」

「馬鹿止めとけ、裏路地で潰された上級冒険者の話、聞いただろ」

「あれ、絶対クロード・クローズだよな……?」

 パーティと思しき集団が迷宮探索の為の買い出しの途中ですれ違った人物に視線を奪われて直ぐに逸らして去っていく。

「なぁ、アンタ、最近最短記録叩き出したクロード・クロー……」

 冒険者の一人がクロードに話しかけた瞬間、ギッ、と槍の突きと見紛わん様な眼光を以てして睨まれた彼は表情をこわばらせて両手を空高く上げて硬直した。

 苛立ちが最高潮に達しかけているクロードは、周囲から向けられる遠慮の無い視線に更に頬を痙攣させ、額に青筋を浮かべながら固く筋張っている燻製肉をギチリ、と噛み千切っる。

「何か用か? 勧誘か? ぶっ潰すぞ」

「っ、な、なんでもない!」

 ギザギザに噛み千切り取られた燻製肉が、ほんの一瞬だけナイフに見える程の威圧に声をかけた冒険者は悲鳴を零しかけながら反転して転がる様に逃げていく。

 その背を見送ったクロードは残った燻製肉を再度咥えなおすと、広い大通りの先にある万神殿(パンテオン)を見やった。

 正午を過ぎた中途半端な時間。ほとんどの冒険者がダンジョンに潜っているこの時間帯はギルドは非常に空いている。故に、姿を隠して訪問しやすい、とこの時間に訪れようとしていたクロードは背負っていた袋を担ぎ直すと、見知った受付嬢の姿を探す。

 込み合う程の冒険者は居ないにせよ、苛立った様子の同業者が入ってきた事で余計な注目を浴びて更に苛立ちを募らせていたクロードは、目的の受付嬢の姿を見つけ、同時に会いたくもない人物と視線がカチ合ってしまった。

「……【剣姫】かよ」

「クロード・クローズ……さん」

「え? あ、クローズ氏……」

 冒険者依頼(クエスト)を受け、その依頼に必要なドロップ品を納品しに足を運んでいたクロードが訪ねようとしていたハーフエルフの受付嬢には先客がいた。

 美しい金髪に、陶磁器の様な肌を持つ美人剣士。第一級冒険者の【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインその人だった。

「チッ、時間を改めるか」

「待って」

「ンだよ」

 有名人と目が合った瞬間に嫌そうな表情を浮かべて回れ右をした瞬間。その人物から待ったがかけられる。

 クロードは即応する様に苛立った様子を隠しもせずに肩越しに振り返った。

「あの、貴女に聞きたい事が────」

「オレは【剣姫】様みてェなお人に話す事なんざありゃしねェよ」

 言い終わるより前に、その言葉に被せる様にして強引に話を終わらせる。

 何よりクロードが最悪だと感じているのは、今のやり取りで周囲に居た少ない数の冒険者達が自分の正体に辿り着いている事だろう。軽く依頼品の納品と報酬の受け取りを、なんて考えていた過去の自分をぶちのめしてやりたい気分に染まっていた。

 そんな取り付く島もないクロードの様子に、アイズは僅かに眉尻を下げる。

 どうすればそんなに早く強くなれるのか。自分をして一年かかったLv.2へと至る偉業を、如何にして成したのか。自分が強くなるためにもその秘密を知りたい、と思っていたアイズからすれば、非常に困った状態と言える。

 自身がいかに会話が苦手なのかはおおよそ理解している。そして、対話を成さんとしている相手はよりにもよってフィンですら『関わらない方が良い』と匙を投げる程のコミュ障────主神(ロキ)曰く、クロードの様な人物をそう言うらしい────である。

 まともな対話なんぞ端から期待は出来ない。だからと言って諦められない、とアイズはなんとか彼女との会話を成立させんと口を開こうとして、なんと口にすればいいのかわからずに僅かに唇を歪めて固まった。

 対するクロードの方は既に自分の正体が周囲に露呈した事によって開き直っていた。此処まで来て引き下がって後日報告、なんて七面倒臭い。ましてや冒険者依頼(クエスト)の期限だってある。

 【剣姫】が受付から離れたらそこで手続きする、と決め込んだ彼女はフードを取り払って不機嫌そうな表情で早くしろ、とアイズを促す。

 周囲の冒険者も押し黙り、固唾を飲んで都市有数の第一級冒険者と話題沸騰中の問題児の様子を伺っていた。

 そんな時だった。

「エイナさーん、話したい事がー…………あれ?」

「ベ、ベル君……」

 急ぎ駆け足気味に入ってきた白髪の少年が凍り付くロビーの様子に気付いた時には既に遅い。

 クロードが一方的に【剣姫】を睨み場を硬直させていた場に入り込んだ異物。空気が読めなかった、というよりは急ぎ過ぎて空気に気付かなかった哀れな兎が、【剣姫】とクロードの視線を奪った。

 エイナがあちゃー、と額を抑え、アイズが僅かに目を見開き、クロードは吐瀉物(ゲテモノ)でも見たかのように鼻先に皺を寄せる。

 三者三様の反応の中、ベルの方も頭が真っ白になっていた。

「──────」

 当然の事と言えるだろう。

 数日前、派閥に所属してはいないものの同じ主神から恩恵を賜っていた先輩冒険者が、前代未聞の最高速で【ランクアップ】を果たしていた、と知り、それを知ってから話す処か顔を合わせても居ない先輩冒険者がそこに居て。

 なおかつ、自身が恋焦がれて憧れて、憧憬の相手である第一級冒険者【剣姫】が居たのだから。

 もしこれがクロード一人なら、怯えながらも話をしにいっただろう。だが【剣姫】まで居ては無理だった。彼の頭の中は完全に真っ白に染まり上がっていた────なお恐ろしいのは、そんな状態でありながら、体に放たれた命令は『逃走』の二文字の所だろうか。

 表情をこわばらせたそのまま、白髪の少年の体が回れ右をした。

 その様子を見たクロードは眉を顰め、アイズは彼の不自然な様子に「え」と小さく零し、エイナはベルの唐突な行動に目を見開いた。

「ベ、ベル君!? 待ちなさい!」

 駆け出した。

 凍り付く空気の中に飛び出してきた兎は脱兎の如く、駆け出したのだ。

 背を向けて、一目散にギルドのロビーを飛び出していく。

 それを見たエイナが思わず引き留めんと声を張り上げ、彼女の同僚達は少年の行動に理解を示した。

 こんな修羅場なら誰だって逃げる。自分達だって受付嬢の仕事が無ければ直ぐに逃げたい。そう思う一同を他所に、クロードは舌打ちを零し、アイズは一陣の風となって彼を追った。

「……はぁ、おいエイナ、行ってやれ」

「え?」

「其処の受付嬢、テメェ代わりに対応しろ。冒険者依頼(クエスト)の納品と報告だ」

 外から聞こえる情けない悲鳴、それが途絶えると同時に親指で外を示したクロードはすぐ横で暇そうにしていたヒューマンの受付嬢の長台に持ち込んだ納品対象のドロップアイテムが入った背嚢を叩きつける様にして置いた。

「エ、エイナ~」

「ミィシャ、手続きの仕方はわかるでしょう……?」

「そんなぁ」

 背丈も低く顔立ちも整っていて可愛らしいはずなのに、そのすこぶる悪い目付きで全て台無しな少女の対応を本人から押し付けられた同僚の情けない悲鳴を、エイナは合掌と共に見送って長台の内側から出てベルの後を追った。

 目つきが悪い、というか機嫌も悪そうなクロードを見てびくびくしながら対応した受付嬢は、いつ爆発するのかわからない爆弾の様な少女を前に半泣きのまま冒険者依頼(クエスト)の達成手続きを進め始めた。

 

 


 

 

「オッタル。あの子、また強くなったわ」

「重畳、ですか」

「ええ」

 迷宮の真上に築かれた摩天楼施設(バベル)。その最上階。

 銀髪の女神はワイングラスを手に取りながら、選りすぐりの従者と話題に興じていた。

「見違えたわ。【ステイタス】がどうこうじゃないの。魔法という切っ掛けを手に入れただけで、あの子の輝きは一層鮮やかになった……私の目には器が洗練された様に見えたわ」

 テーブルの上にある魔石灯の光が蝋燭の様に揺れる。その光にグラスをかざし、水面に反射する光を眺める。

 照らされる若い白ワインには色の深みは無い。勿論、味わいも。

 フレイヤは、その透いた色合いを楽しむ様に瞳を細めて眺め、グラスに口付けた。

「……もう一名、名をクロード・クローズ、でしたか。其方の方は?」

 従者に問われ、フレイヤは静かに若い白ワインの入ったグラスをテーブルに置き、深く、余りにも深すぎて赤では無く黒色に見える赤ワインの入ったグラスを取り上げた。

「そうね……目を凝らしているのだけれど、まだ見えないわ」

 年代物の赤ワインは、深紅、ともすれば黒に近い色合いに僅かにゆらゆらと頼りない蝋燭の様な光が揺れ、芳醇な香りが鼻腔を擽り、舌を湿らせる程口に含めばそれだけで酔いしれそうな程の味わいを醸し出す。

 ともすれば、直ぐに舌が馬鹿になってしまいそうな程に、芳醇で、それでいて癖が強過ぎる。

「此処まで見通せないのは珍しい。それでいて、しっかりと強くなっていっているわ」

 ────否、強くなる。とは少し違うのかもしれない。

「どちらにも共通しているのは、輝きを邪魔する淀みがある。ベル・クラネルの方はわかりにくいけれど、クロード・クローズの色合いはそれが全て」

 ベル・クラネルにもクロード・クローズにも、どちらにも足る器はある。けれど芯が足りない。否、芯そのものはある、でもそれが曇っているのがベルで、曇りそのものがクロード。

「そうね、オッタル、貴方はどう思う?」

「どちらについてでしょうか」

「どっちも」

 フレイヤが振り返り意見を求めた。まるで何のことも無いような質問の様に投げかけられた問いに、巌の様な獣人は暫し口を引き結び、考え込む。

「因縁かと」

「因縁……?」

「前者、ベル・クラネルに関しては、ですが。フレイヤ様がお話してくださった、その者とミノタウロスの因縁……払拭できない過去の汚点が、本人の預かり知らない場所で棘となり、苛んでいるのかもしれません」

 オッタルの語った内容は、あくまで想像に過ぎない。その想像も、フレイヤが聞かせた話からのものであり、女神が聞かせたその話も、直接ベルの口から聞いた事はなく、あくまでそれらしい話が耳に入っただけ。

 そして問題はもう一人の方。

「では、クロード・クローズはどうかしら」

「……嫉妬と羨望、そして反発、いえ、反抗と言えばいいのでしょうか」

「反抗、ねえ」

 女神が求める問いに答えんと必死に考え込む従者に愛おしさを感じつつも、女神はほんの少し、ほんの一瞬だけ見え隠れしている件の冒険者の事を脳裏に思い描いた。

 反抗的な態度。

 相手が誰であれ、態度を変えない。

 格上の上級冒険者複数相手でも、都市有数の大派閥である【ロキ・ファミリア】が相手でも、自らの態度を改める事は無い。

 それはきっと、美の女神である自分の前でも変わらない。そんな確信すら有りそうな程に。

「私には見えなかったわ」

 ベル・クラネルの様に透き通っていて、ほんの少しの翳りすらもわかる様な状態ではない。

 全てが淀み、染みつく煙によって不明瞭な部分ばかりが目立つ。そのくせ、問題児そのものの行動を貫いて反省する気が全くない。

「オッタル。貴方には、クロード・クローズはどう見えたのかしら?」

「はい、私には彼の人物は────誰よりも()()()()()()を持つ様に見えます」

 従者の言葉を聞いたフレイヤが、静かに赤ワインで唇を湿らす。

 鼻腔を擽る芳醇な香りに、僅かに舌先に触れる深い味わい。ほんの小さな灯りではまともな色合いすら見えぬ黒に染まった様な赤ワイン。

「真っ直ぐな、芯。ロキもヘファイストスも、ヘスティアでさえ()()()()と言ったのに?」

 名だたる神達が、口をそろえて『歪んだ子だ』と言い切るその人物に対し。武人は『真っ直ぐな芯を持つ』と言った。

「興味深いわ」

 フレイヤは二つのグラスを並べてテーブルに置いた。

 弱々しい光の中で、透いた色合いを見せる若い白ワインと、深い色合いながら、あまりにも深すぎて黒にも見える熟成された赤ワイン。

 二つのグラスに揺れる水面に映った微かな光を目にしたフレイヤは口元に笑みを浮かべる。

「そう、そういう事」

 弱々しい蝋燭の様な光如きでは、この深く染まった赤ワインの色合い等、見通せるはずもない。

「なら、オッタル。今度のあの子への働きかけ、貴方に任せるわ」

 並べられた二つのグラスの内、若い白ワインのグラスをオッタルに差し出す。

「……して、もう一人の方は?」

「手出し無用。ただし、邪魔する様ならば、貴方なりに()()()()ちょうだい」

 深い色合いを持つワインを楽しむには、相応の光量が必要である。そして、揺らさなくては真なる色合いを見る事など出来やしない。

 存分な光量は近くに()()。残る必要な事は、揺らす事。

「……潰してしまうかもしれませんが」

「構わないわ。それに、それで潰れるのなら、その程度だったという事でしょう?」

 その深く染まった色は、どんな色合いを見せるのか。想像に頬を緩ませる女神に、従者は深く頭を下げた。

「お望みとあらば」




 クロードくんちゃんの精神が潰れるのが先か、肉体が耐えられなくなるのが先か。
 チキンレース……楽しく、なってきましたね。


 戦争遊戯編で終わらせる、と言ってましたが。
 フリュネを皮肉ったり煽ったりさせたい欲がほんの少しだけあったりなかったり。ただ問題は、フリュネの性格だと『不細工が嫉妬してるよぅ~』で済んじゃいそうなんですよね。あの図太い神経は見習いたくなります。


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第二二話

 空は薄らとした闇の帳に包まれており、所々には刺す様な冷気が漂う。

 市壁のすぐそばの古ぼけた宿から小さな人物が朝霧に包まれた路地へと姿を現した。

 背嚢を背負い、目深にフードを被ったその人物は、億劫そうな仕草で煙管に火を入れ、頭を振って懐を漁る。

 喧嘩煙管に大き目の背嚢。全身をすっぽり覆い隠す外套で身分を隠した冒険者、クロード・クローズが懐から取り出した懐中時計を見てみれば、短針は四の数字に届くか否かといった所。

「四時、少し前か……荷物を届けて、ンで、ダンジョンだな」

 昨日届いた素材から作成した薬物の副作用を中和する薬の入った小瓶を取り出して古びた街頭型の魔石灯から零れ落ちる頼りない光にかざす。

 淡い桃色の色合いをした液薬。現状、自身の身体に摂取した薬物を中和し、副作用を軽減してくれる薬だ。代償として別の副作用の症状が出るが、せいぜいが色覚異常が出る程度。

 日常生活においても意識して活動すれば傍から見ても違和感は軽微で済む。

 身体の不規則な痙攣、幻覚、幻聴、更にはパニック症候群の様な副作用が出て、周囲から薬物使用を疑われた結果、ギルドの調査が入る。等と言った事になれば冒険者活動を続ける事すら危うい。それを考えれば少し見た景色の色彩が滅茶苦茶になっている程度ならば相応な事が無ければ問題はない。

「ふぅ……さて、テランスのとこに行くか」

 早朝も早朝、世間一般では早すぎる時間ではあるが、クロードが懇意にしているグラニエ商会は合法非合法問わずに様々な取引をしている。その中でも非合法側に分類できる彼女との取引の時間は堂々と真昼から行うか、人々が浅い夢を見ている早朝の時刻に行われる。

 彼女が中和剤の序に作成したいくつかの薬物。使用する事で一時的に強烈な快楽や爽快感を得られるそれらを輸送しようと彼女は歩き出した。

 人通りは全くない街並み。時折駆け抜ける風は冷たく、外套の上から肌を刺す様な冷気を感じさせる。加えて都市を包むしんとした静寂がその寒さをより一層際立たせる。

 日が出てくればまだマシなのに、と駆け抜ける風に眉を顰めたクロードが市壁の上を見上げ────足を止めた。

「……ん?」

 ガキンッ、キンッ、ドゴッ、と金属同士の打ち合う音がしたかと思えば、次の瞬間には鎧諸共肉を穿つ鈍い音が市壁の上から響いてくるのが、彼女の聴覚に届く。

 未だに市壁近くの宿は静寂に包まれており、この時間にわざわざ暴れる様な行動をとる者等居るはずもない。だというのに、聞こえた戦闘音にクロードは武装に手を伸ばして警戒心を露わにした。

「ンな時間から何処の馬鹿だ……」

 こんな都市外周部の市壁近くで戦闘。そんな事をするのは後ろめたい様な奴か、よほどの馬鹿か。どちらにせよ、わざわざこんな早朝からこそこそと隠れて戦闘に興じる時点で、後ろめたい事をしています、と白状している様なものではあるが。

「はぁ……しゃあねェな」

 聞いてしまったものは仕方ない。とクロードは市壁を登る階段横の物陰に背嚢を置き、音を立てないように市壁を登り始めた。

 もし、これが何らかのトラブルだったとして。例えば力の無い市民が市壁上に引っ張り出されて暴行を加えられてる、等の事態だったら────加害者をひっ捕らえて脅せば体のいい下っ端としてコキ使える。

 テランス・グラニエという商人の男は、ギルドに知られればただでは済まない犯罪行為をしていた無法者兼冒険者という肩書の者達を脅しては配下に加えている。と言っても、ギルドから匿う代わりに非合法な仕事をやってもらう関係ではあるが。

 クロードの場合は、彼女が使用する薬物が違法品だった事と、その違法薬が売れる品で会った事もあって互いに取引を始めた訳だが。

「さぁて、何処の馬鹿だァ」

 風向きからして下手に煙管を吹かすと見つかる可能性がある、と火の着いたままの刻み煙草を捨て、念入りに革靴(ブーツ)で踏み消す。

 暫く階段を上った後、市壁の上、それなりの広さを持つ空間を階段の傍に伏せたまま少女が覗き込んだ。

「────あれ、は……【剣姫】に、ベル……?」

 其処に居たのは白髪の少年と、金髪の少女。

 片や少年が手にしているのは抜き身の短剣。片や少女が手にしているのは剣の鞘。

 ズタボロになった白髪の少年が手にした短剣で必死に【剣姫】が放つ猛攻を防ぎ────【剣姫】、アイズが攻撃を放ちながら口を開いた。

「デタラメに動いたらダメ」

「ッ…………!」

「空間を上手く使えるよう、立ち位置をいつも考えて」

「はいっ!」

 それは、荒くれ者が行う様な私刑(リンチ)ではなかった。

 それは、非合法な者達が行う様な暗殺ではなかった。

 それは、それは────青くさい理想を語っていた少年が、はるか先を歩んでいた筈の第一級冒険者から鍛錬を受けている光景だった。

「────ハッ、笑える」

 懐から煙管を取り出したクロードは、火の灯らぬ煙管を咥え、暫く呆然とその鍛錬の様子を虚ろな目で見つめていた。

 

 


 

 

 ふらり、ふらり、と俯いたまま体を揺らし、吐き出す紫煙は重苦しい。

 市壁の上で【剣姫】が二つ名すら持たない新米(ルーキー)────彼を新米(ルーキー)などと呼ぶのにクロードは抵抗感を覚えていたが────に鍛錬を行う光景を目にしてから暫くして、クロードは市壁を下りると、隠しておいた背嚢を背負い直して改めて目的地へと向かって足を進めていた。

「………………」

 溜息代わりに紫煙を零し、クロードは胡乱気な視線を二人が鍛錬しているであろう市壁の方角に向け、直ぐに視線を落とした。

 戦闘の手ほどきされていたのは【ヘスティア・ファミリア】唯一の団員、ベル・クラネル。

 戦闘の手ほどきをしていたのは【ロキ・ファミリア】が誇る第一級冒険者【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン。

 他派閥の団員に戦闘の手ほどきを求める等、常識知らずにも程がある。ましてや、【ヘスティア・ファミリア】だなんて名も知られていない新興派閥も良い所。それが、都市有数の大派閥である【ロキ・ファミリア】の、それも幹部であり第一級冒険者である【剣姫】から手ほどきを受ける────。

 主神(かみ)主神(かみ)同士が懇意にしているのならばまだわかる。だが、ロキとヘスティアが犬猿の仲なのは神々の中では有名な話であり、今回は全くの無関係。

 この話を聞いた者達は口を揃えて『身の程を知れ』と叫ぶことだろう。

(────そう、身の程を知れ……身の程を、な)

 話を聞けば、きっとそう口にする。クロード自身とて、もし話を耳にしていただけならば、迷わず同じことを口にするだろう。だが、そんな事は口に出来なかった。

(なんつー、()()()

 無意識に煙管の吸い口を強く噛み締めたクロードは、紫煙を吐いて気を落ち着ける。

 彼女が二人の訓練を見たのはほんの三〇分程度の短時間だ。そう、たった、の三〇分だ。

 最初は、一方的に少年が打ち据えられ、【剣姫】は膝を突いたり、倒れたりした彼に剣の鞘を突き付けては「たてる?」と問いかける。少年は打ち据えられた痛みを堪えて懸命に立ち上がり、抵抗を試みた。

 そのたびに、繰り返し、幾度も、少年は【剣姫】が持つ鞘に打ち据えられ、そして立ち上がった。

 並の冒険者ならば泣き言をほざいて逃げ出す様な、荒々しい鍛錬を、少年は折れる事無く続けていたのだ。

(────身の程を知れ、か)

 それだけなら、()()()()()()()()()()、彼女は『諦めの悪い奴』と鼻で笑えたのだ。だが、違った。

 最初の五分、次の一〇分、そしてクロードが立ち去る寸前の三〇分。その全てを見ていたクロードにはわかった。わかって、しまった。

(たった三〇分如きで、あんだけ()()()のか……)

 クロード・クローズという冒険者は、この世界に生まれ落ちる前から仮想現実の世界で戦い続けてきていた。

 相手はモンスター、人問わない。彼女の活動領域(テリトリー)に足を踏み入れた者達は無差別に襲撃し、その全てを撃破してきた。だが、そんな彼女も最初からそこまで強かった訳ではない。

 そのゲームにおける上限値(カンスト)までにおおよそ五年。さらにそこから対人や対異形における戦闘技術を手にするまでに、そこから更に五年()()

 此度、知らぬ間にこの世界に来ていたクロード・クローズと言う人物は、前世で()()()に鍛え上げた戦闘技術を用いる事で、この世界における最短記録(レコードホルダー)を打ち抜いたのだ。

(【剣姫】が、一年……あの速度だと、ベルは……どんだけになるんだ?)

 この世界において【ランクアップ】の最短記録、そして最年少記録は現在の所は【剣姫】が持つ所要期間一年、そして年齢は7歳だ。彼女が冒険者になったのは6歳の頃。

 クロード・クローズは所要期間二ヶ月。冒険者になったのは二ヶ月前からではあるが────前世における戦闘経験を含めれば、所要期間は十年と二ヶ月。技術のみの持越しである事を加味しても、五年分の経験と二ヶ月。

 そして、ベル・クラネルという少年が冒険者になったのは、つい一ヶ月ほど前。冒険者としての戦闘技術を学び始めたのは、一ヶ月前。

 クロード・クローズは知っている。嫌という程、知ってしまっている。

 ────新米も新米だった少年に付きっ切りでダンジョンに行っていたのが、彼女なのだから。

「あぁ、そうだよ。オレが()()()んだもんなァ」

 ガリガリと頭皮を掻き毟り、つい一か月前の記憶を掘り起こしたクロードは奥歯を噛み締めた。

 あの頃の少年と、今の少年の動きを比べたらどうだ。その歴然とした差は。たった一ヶ月で見違えた、どころの話では()()

「あぁ、何だ、あの速さは」

 早い、速い、なんという速度だ。

 三〇分前にはただ反応も出来ずに打ち据えられていただけの少年は、三〇分には攻撃を予測して防ごうとしていた。実際に防ぐことが出来ず、打ち据えられていたとしても、たった三〇分如きで攻撃を防ごうという動きを身に付けていた。

 どんなスパルタ教育だったとしても、一朝一夕では身に付かないはずの技術や心構えであるはずのそれらを、あの少年は三〇分足らずで身に付けようとしていた。

 あの後、立ち去ってしまってその後の顛末をクロードは知らない。だが、わかる。

「ヤバい、ヤバいヤバい」

 追い抜かれる。比喩抜きに、冗談でもなんでもなく、クロード・クローズという冒険者はベル・クラネルという冒険者に大差をつけて抜かれる。そして、一度抜かれてしまえば()()()()()()()()()

 噛み跡の付いた煙管を咥えたまま、懐から淡い桃色の液薬の入った小瓶を取り出し、見つめる。

 

 ────こんなに、頑張ってるのに。どうして? どうしてボクは、兄さん達みたいに……。

 

 薬物の中和による副作用の軽減。それはつまり、クロードの持つ【スキル】の効果の弱化も意味する。

 強い副作用が出れば、その分【ステイタス】が増強(ブースト)される。故に、副作用が弱くなれば弱化する。だが、酷い副作用はそれだけで戦闘どころか日常生活にすら異常をきたす。

「……どうすればいい。オレは、どうすればいい?」

 強い副作用を持つ薬を服用し、中和せずにダンジョンに潜る。自身よりもはるかに強いモンスターを倒す事で、上質な【経験値(エクセリア)】を得る事が出来る。そうすれば、【ステイタス】を早くに極める事が出来る。同時に、死ぬ可能性は非常に高い。

 中和剤を使用して、多少の弱化を受けてでも安定してモンスターを倒し続ける。時間こそかかるだろうが、死の危険からは遠ざかり、安全に戦う事が出来る。

「あァ、そうだよなァ……オレみてェに、才能のねェ奴にャァ、選択肢なんかありゃしネェんだよ」

 才能の無い者に、選択権なんてある筈が無い。

 彼女が、彼だった頃からずっとそうであった様に、目の前に出される選択肢の幅は狭く、目標を成す為に選べる選択肢は常に一つしかない。

 

 


 

 

「今日はまた、荒れてんなぁ」

 グラニエ商会店舗、二階応接室。

 いくつかの品の良い調度品の置かれた室内には男と少女。

 片や寝癖の着いた頭に薄青色で袖の長い寝間着(パジャマ)を着た寝起きのヒューマンの男。片や荒れた銀髪の間からギラつく眼光と威圧感を放つ小人族(パルゥム)の少女。

「………………」

「ちょっとさぁ、寝起きドッキリにしても鼻血垂らした破落戸の顔はびっくりしちゃうんだけどな」

 無言を貫くクロードを相手に、テランスは寝間着(パジャマ)の袖を揺らしてテーブルの上に置かれた小瓶を手に取り、しげしげと眺める。そのさ中、刺激しない様にクロードの方を伺うのも忘れない。

 本来ならば今日の取引は下に居る下っ端が対応するはずだったのだが、訪ねてきたクロードが『テランスを出せ』と言い放ち、下っ端だった彼の部下の歯を四本程圧し折ってくれたため、急遽彼が飛び起きてきたのだ。

「黙ってたらわかんないぜ?」

「……ああ、悪い」

 ボソリ、と少女の口から言葉が零れ落ちる。

 全く悪びれた様子の無い謝罪の言葉にテランスは肩を竦め、小瓶をテーブルの上の箱の中に戻して対面のソファーに腰掛けた。

「んで、今日は何が欲しいんだ?」

 瞬間、商人の男の空気が変わった。

 薄青色の寝間着(パジャマ)姿で気の抜ける格好とは思えない程に表情を引き締め、普段の様な商人然とした服装の時と差の無い雰囲気を纏い、それに違和感を感じさせない人間性(カリスマ)を見せ付ける。

 そんな彼を前に、クロードはゆっくりと、くっきりと歯形が刻まれた煙管の吸い口を唇から離し、ギラつく瞳を真っ直ぐ彼に向けた。

「18階層までの地図、用意してくれ」

「ほほぉう……18階層までの、地図かぁ」

 少し待ってろ、と男は立ち上がり、部屋の外で待機していた顔の腫れあがった部下に一言告げると、クロードの背後からソファーの背凭れに凭れ掛かる様に耳を寄せた。

「んで、今日はどうした。死ぬ気か?」

 最短でLv.2へと至った取引相手(しんゆう)が、普通なら考えられない様な行動に出ようとしている。

 中層からはパーティを組んでの攻略が一般的。ともすれば常識と言われている中、特定のパーティを組んでいるという噂が微塵も無い冒険者が、それも【ランクアップ】から一ヶ月も経っていない人物が中層の18階層までの地図を寄越せ、等と強請ってきたのだ。

 テランスが自殺願望でもあるのか、と問うのは当然のことだった。

「別に、ちょっと18階層の綺麗な景色を見たくなっただけだ。綺麗なんだろ?」

「おおう、まさかお前が18階層の絶景を見にいきたいだなんてなぁ」

 透明な青い輝きを宿すクリスタル。形状も様々な青水晶が森の至る所に点在し、神秘的で幻想的な雰囲気を醸し出す森を抜けると、そこに広がる大自然。

 地上でもそうそうお目にかかれない様な緑一色に覆われた、雄大と言うにふさわしい大草原。

 思わず喉を鳴らしてしまいそうな程に水面は鮮やかな紺碧に彩られる湖。その中央には『リヴィラの街』がある島。

 大草原の真ん中に聳え立つ巨大樹。その高く高く頭を伸ばす樹木につられて上を見上げてみれば、天上を覆い尽くした光り輝く水晶群。中央には太陽を思わせる白水晶が、その周囲には空を思わせる蒼水晶が。

 その階層は、冒険者の間ではこう呼ばれる。

「『迷宮の楽園(アンダーリゾート)」とな?」

 音吐朗々に語られる内容にクロードは僅かに眉を顰めると、耳元に口を寄せていたテランスの方に視線を向ける。

 至近距離から見つめ合う事数秒。威圧感を霧散させたクロードが呆れ気味に口を開いた。

「オマエ、ダンジョンになんざ入った事もねェ癖によくもまぁ、ンな朗々と嘘八百並べ立てれんな」

「ハッハッハ、嘘八百だなんて失礼だな。ちゃんと冒険者達から聞いた話から()()()()()()迷宮の楽園(アンダーリゾート)」の話をしてやってるんじゃないか」

 モンスターの坩堝たる迷宮に足を踏み入れるなんて、荒くれ者の冒険者がやる事であって、自分みたいな商人の仕事ではない。と冗談めかして肩を竦めると、テランスは荒れた銀髪に手櫛を通す。

「止めろ、気色悪い」

「おっと、悪い悪い」

 男の手を振り払い、悪びれた様子の無い謝罪を耳にしたクロードは舌打ちを零しかけ、呑み込んだ。

 早朝から押しかけ、下っ端を押し退けて頭を呼び付けた自身の態度が何処にも褒められる所が無い、どころか非難轟々であろう事が想像に易い態度だと気付き、無言で懐からお金(ヴァリス)の詰まった袋をテーブルに置いた。

「いや、別に金をとろうなんて思っちゃいないさ。ただ、落ち着いたか?」

 置かれたヴァリスの袋を無視したテランスは、少女が手にした煙管の火皿に丁重に刻み煙草を詰め、火を灯す。

「……あァ、ちったぁ、マシになったわ」

 一服し、紫煙を吐き出したクロードは落ち着いた様子で溜息を零す。

「いや本当にびっくりしたぜ? いきなり部下が顔面血だらけで起こしに来やがったんだからな」

「悪かったっての」

「ま、あの馬鹿、商品ちょろまかしてやがったから別に良いんだが」

 程よい薬になっただろ、とへらへら笑って気にしていないと主張(アピール)する彼に、クロードは紫煙を吐き捨て、口を開いた。

「……んで、オレが自殺願望者か否かって話だが」

「どっちだ? いや、割と真面目な話、お前一人で中層に行くと死ぬと思うんだが」

 まるで心配している、とでも言う様に真剣な表情で問いかけてくる男に、クロードは面倒臭そうに表情を歪める。

「なァ、心配してんのか?」

「ああ、勿論」

 その返事を聞いた瞬間、クロードは表情を歪める。

「心配、怠いな」

「おいおい、心配されるのが嫌いか? だとしたら諦めろよ」

「面倒なんだよ」

 誰かに無事を祈られるだけでも面倒臭い、と少女が紫煙と共に吐き捨てるのを、商人の男はクスクスと肩で笑った。

「ああ、心配で心配で堪らないぜ。なんたって、大口の取引相手が死んじまったら、俺だって大損だからなぁ」

「……ンだよ、心配って()()()の心配か」

 彼の言う()()はクロードの生死に関して、ではなく。クロードが死んだ事によって得られる筈だった利益が得られなくなる事について、である。

 クロードの危惧する様な内容でないのを察した彼女は溜息を零し、肩を竦めた。

「安心しろ、易々と死ぬ気はねェよ」

「ほぉん……で、今回は何があったよ?」

 適当な返事を返しながらも、探る様に目を輝かせるテランスの姿にクロードは少し考え込み、真っ直ぐに視線を交わした。

「なあ、才能って、どうやったら手に入るモンなんだ?」

「………………はぁ?」

 至極真面目な表情で問いかけてきた質問を聞き、たっぷり数秒経ってから、テランスは呆れた様に言葉を零した。

「なあ、才能っつーのは母親の腹ン中で受け取るもんだぜ? 後から手に入れる、だなんて普通は無理だって」

「……普通は、な」

 才能というものは産まれる以前に手にするモノであって、後から手にする事は有り得ない。普通ならば。

 だが、クロードの知る人物の中に、明らかに後から才能、資質を開花させた────否、手に入れた者が居る。

神の恩恵(ファルナ)でどうこう、っていうのは?」

「聞いた事無いな。少なくとも前例は無い、が────可能性はゼロじゃないだろうなぁ」

 人間(こども)に可能性を与える神が血と共に授ける恩恵(ファルナ)

 神ですら予測できない成長の可能性。神にとっての未知である恩恵ならばあるいは可能なのだろう、とテランスは呟く。

 クロードは煙管に残った煙草を一気に吸う様に紫煙で肺を満たす。

「まあ、そうだな。こういう言い方はあれだが、後から才能を手にした奴ってのは……()()()()()()()()()()()()()()()って事なんじゃねぇの?」

 ぼやく様に呟かれたテランスの言葉に、クロードは息を詰まらせ、少しして肺を満たしていた紫煙を吐き出した。

「そりゃあ……そうかもな」

 ベル・クラネルが最初は才能が無さそうに見えていたのはただの思い違い。否、実際に冒険者としての才能は無かった、あるいはそこまで高くは無かったのかもしれない。

 だが、彼には別の才能があった。そう、()()()()()()()()()()が、あったのかもしれない。

「……それって、つまりは────」

 ────才能の無いクロード・クローズ(オレ)がどれほど頑張っても無意味という事ではないのか。

「ハッ、笑える。本当に、笑える話だよなァ」

 ケタケタと、背凭れに身を預けて天井を見上げたクロードが笑う。

 乾いた笑いが響く中、おずおずとしたノックの音が響いたのに気付いたテランスは立ち上がり、扉を開けて部下が持ってきた地図等を受け取った。

「んで、クロード、お前は笑ってるだけで良いのか?」

 受け取った資料に目を通しながら、茶化す様に男が問いかける。

「ハハハッ、冗談。笑ってるだけで才能が手に入るならいくらでも笑ってやる」

「だが、そうじゃない」

「ああ……」

 商人の男が机の上に広げた地図を覗き込んだクロードは、灰に燻る炎を燃え上がらせる様に瞳の奥に紅色を燻らせる。

「たとえ、何も残らなかったとしても、()()()()()なんて真っ平御免だね」

 目指すは18階層。

 ベル・クラネルが駆け足で追いつく前に、自身は更なる先へと進む。

 いつか追い付かれ、追い抜かれる事になったとしても、それまでは先に駆け抜けてしまえばいい。

 後ろから猛然と迫る者に構う暇があるのなら、少しでも前へ。

 追い付かれる日は、存外近いのかもしれない。




 今の所、考えている本作の終着点について。
 【ヘスティア・ファミリア】と打ち解ける『ハッピーエンド』。
 何も残せず、何も成せず、悔いしか残らない『バッドエンド』。
 周囲がどうあれ本人は満足できている『メリーバッドエンド』。

 作者個人としてはメリバが一番好きです。

 ただ、戦争遊戯編、イシュタル編、の後も続けるのなら、打ち解けるか最低限ぶっ壊れた価値観を完全に打ち崩さないとですね。


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第二三話

 薄汚れた銀髪の少女が、罅割れた喧嘩煙管を引き摺りながら歩いていた。

 煙の香りが染み付いたコートは血と泥で汚れ、銀髪には乾いた血と泥が飛び散り、羽織っていた『火精霊の護布(サラマンダーウール)』は焦げ付いた痕跡が残されているのが伺える。

 さらに、腰の鞘には捻じ曲がり納まりきらなくなったショートソードが数本の髪を束ねた紐で括り付けられており、満身創痍だった。

「糞が……」

 身に着けたコートの内側に着込んでいた軽装鎧には数え切れない傷が刻まれ、加えて露出した肌にはいくつかの切傷が伺えた。なにより目につくのは、右頬から顎にかけてに刻まれた裂傷だ。

 傷口は生乾きの血がこびりつき、未だに血がしたたり落ちる程の大きな負傷具合。

 場所は上層。つい先ほどまで18階層を目指して中層に挑んでいて────連戦に次ぐ連戦で前に進むどころか押し返されて呆気なく撤退を余儀なくされた所であった。

 

 

 はじまりは、ベル・クラネルが【剣姫】に鍛錬して貰っている光景を目にしたことをきっかけだ。

 それ以降、早期に到達階層を増やし、18階層へと到達する事を目標に掲げたクロードは、即座に準備を開始した。

 数日かけて体調(コンディション)を整え、道具類も念入りに準備を行い。ヴェルフに無茶を言って武装も新調した。その間に、ベルと【剣姫】の訓練の期間が一週間であり、その次の日には【ロキ・ファミリア】が再度、『遠征』に向かうという情報を得たクロードは、即座に挑戦する日程を彼の派閥の遠征前日に早めた。

 ダンジョン内での噂も念入りに搔き集め、念入りな準備も行い、前日にはしっかり休息をとり。

 予定通りにダンジョンに潜ったクロードは、順調に上層を下りた。そして、彼女が12階層と13階層を繋ぐ連絡路に辿り着いたのはおおよそ昼過ぎ頃。

 四半刻程の休息の後、彼女は13階層。中層域に突入した。

 至る所に灰色の岩石が転がり、床、壁、天井、全てが岩盤で形成されており、空気は僅かな湿り気を帯びている。何も知らなければ、山腹に存在する洞窟だ、と言われれば信じてしまいそうな雰囲気の迷宮だ。

 感慨に耽るでもなく、クロードは真っ直ぐ一直線に14階層に進むべく足を進め、長い通路を抜けた先のルームに出た所でモンスターと接敵(エンカウント)した。

 敵の数は4体。種別は黒犬(ヘルハウンド)

 『放火魔(バスカヴィル)』の異名を持つ、犬型のモンスター。中層のモンスター故に身体能力は勿論上層のモンスターに比べて高いが、それ以上に警戒しなければならないのはその口から放たれる火炎攻撃だ。

 並の防具ならばいともたやすく融解させるほどの熱量を持つ高威力の炎攻撃。黒犬(ヘルハウンド)の群れに遭遇し、一斉砲火を喰らってしまえば、僅かな灰しか残らない。

 それこそ、13階層での冒険者の死因の最上位に位置するのがこの火炎攻撃だ。【ランクアップ】を果たし、パーティを組んだ状態であっても、この炎の前に焼き尽くされる事は珍しくはない。

 

 ────当たり前だが、死因の最上位に位置するその炎には対策も存在する。

 

 『精霊の護布』。

 精霊たちが自らの魔力を編み込み、加護を宿した特別な装備品だ。

 元々、【スキル】によってそれなりの火耐性を持ってはいたが、その耐性が何処まで通用するか不明だったために念のため用意した逸品『火精霊の護布(サラマンダーウール)』。

 火の精霊(サラマンダー)が加護を与えたその護布は、強大な『火耐性』を与える効果を持つ。それこそ、上級鍛冶師が作り出す耐性持ちの装備品すら容易に超える効果が、軽量な布地で得られる品だ。

 十全の対策を行ったクロードの初戦闘はすんなりと終わりを迎えた。

 鋭い牙で噛み砕かんとした黒犬(ヘルハウンド)はカウンター気味に放った大振りの一撃で首の骨を圧し折り、飛び掛かってきた個体は下に潜り込みショートソードで腹を掻っ捌き、火炎攻撃を放とうとした個体は放つ直前に重い一撃を頭部に叩き込んで口を閉じさせ、体の内側から爆炎を撒き散らして即死。

 残る一匹は怖気づいたのか逃げようとして、クロードが蹴り飛ばした灰色の岩が直撃して足を負傷し逃げ切れずにその胴体を叩き潰されて死んだ。

 呆気ない、この調子ならば余裕ではないか。と紫煙を燻らせたクロードは、次の瞬間には口を閉ざす事になった。

 ひょっこり、と通路の奥から顔を出したのは、知り合いに良く似たモンスターだった。

 白い毛並みに赤い目。長い耳をぴょこぴょこ揺らしてふさふさ尻尾。そして額には鋭い一角を生やしており、後ろ脚で地面に立つ、ヒューマンの子供程の背丈の兎型のモンスター。

 『アルミラージ』。

 クロードはその容姿に息をのみ、脳裏に少年の姿を思い描き────獰猛に嗤った。

 溜まっていた欝憤を、気兼ねなくぶつける事が出来る都合の良い怪物(サンドバック)を見つけた、と。

 手近にあった岩を砕き、片手で扱える小型の石斧(トマホーク)を装備し、クロードを引き裂かんと群がるも、彼女はこれを軽く一蹴した。

 魔法によって彼女が周囲に漂わせる紫煙は、彼女自身の【ステイタス】を増強し、彼女を除く全ての者から力を奪う。自らが狩場へと飛び込んだ哀れな兎達は、黒犬(ヘルハウンド)同様に潰され、引き裂かれ、無残にバラバラのぐちゃぐちゃな亡骸を其処らに撒き散らす事となった。

 そこまでは、順調だった。()()()()()

 魔石の剥ぎ取りもそこそこに、奥へと進む通路に足を踏み入れた彼女を待っていたのは、連戦に次ぐ連戦。

 一度の戦いで相手どる数も、最初こそ三匹、四匹だったのが。気が付けば十匹単位の群れが現れ。激化していく戦闘の音に誘われる様に更に多数の群れが彼女を狙い、気が付けば四〇を超える大群との戦闘を行っていた。

 最初こそ自身を強化し、他者を弱体化させる紫煙を纏い、戦闘を続けていたものの、次第に魔力が磨り減り、持ち込んだ煙草類もみるみるうちに損耗していく。気が付けば手持ちの煙草は半分を切り────その時点で彼女は悟った。

 彼女が到達したのは14階層の途中まで。その時点で中層突入から四時間が経過しており、さらに道具類の半数を損耗。魔力も大きく消耗しており、どう考えても18階層にまで持たない事は明白だった。

 モンスターの出現頻度(ペース)が高い。否、高すぎる。

 更に一匹一匹の身体能力も洒落にならず、常に全力を以て相手どらなければ直ぐにでも自身が彼等の餌になるのが容易く想像できる。

 このまま進むのか、それとも戻って仕切り直すのか────クロードは、選ばざるを得なかった。

 

 

「糞がァッ!?」

 中層の洗礼を浴び、情けない撤退を余儀なくされたクロードは荒れていた。

 用意していた道具や装備品の大半を損耗し、回復薬(ポーション)は全て使い切っている。

 テランスにも言われていたが、明日には【ロキ・ファミリア】が『遠征』に向かう。その時に合わせて行動していれば、もっと楽に進めたかもしれないが、彼女自身がそんな方法を頑なに認めなかった。

 第一級冒険者が露払いの様にモンスターを散らした後を悠々と進む。だなんて方法で進んで何の意味があるのか、と。

 妙な意地を張った結果がこれだ。

 余りにも惨めで、今すぐにでも自らの喉を掻き切ってしまいたい衝動が止めどなく溢れ返り、クロードは幾度も捻じ曲がったショートソードに手をかけ、その度に自らを抑え込んでいた。

 むしろ、彼女は誇るべきだろう。

 たった一人、パーティを組まずに14階層まで足を踏み入れ、大きく損耗しボロボロの状態になったとはいえ、見事帰還してみせたのだ。それも他の冒険者の助けを一切借りる事無く。だ。

 並の冒険者ならばまず間違いなく死んでいたであろう行動をしてもなお、死ななかった幸運は────ある意味で彼女にとっては悪運だっただろう。

 あの時点で死んでいれば諦めも付いた。だが死なずに上層にまで帰ってこれてしまった。そして、きっと自分は地上にまで帰れてしまうのだろう。とクロード自身も薄々勘付いている。

 ともすれば、呪いの様に。

「くはっ……笑っちまうなぁ……ほんとに、笑えるゼ」

 前世でも、クロードの運の無さは折り紙付きだった。どれほど望んでも才能は無かったし、どれほど望んだ所で()()()()()()()()

 ケタケタと、哄笑を響かせながらダンジョンを歩く彼女に、数匹のモンスターが躍り掛かり────クロードは罅の入った煙管を振るって弾き飛ばした。

「はっはっはっは、笑えるなァ……なァ? 殺しに来たんだろ? ンな甘っちょろい奇襲なんぞで、オレを殺せるとでも思ったかヨ」

 殺したいのなら十倍は持ってこい。と言葉が通じるかもわからない怪物に吠え、止めを刺していく。

 最後の一匹、怯えた様に足を引き摺って逃げようとするゴブリンの足を圧し折り、両腕をへしゃげたショートソードで切り落とす。四肢を破壊されたゴブリンの頭に足をかけ、嗜虐的な笑みを浮かべたクロードは、怯えた様に震えるゴブリンの頭部に少しずつ重圧をかけながら、呟いた。

「オマエさん、次生まれてくるときは、もうちったァ……マシな才能がありゃイいなァ」

 そうすりゃあ、こんな死に方せずに済んだんだ。と金属が仕込まれたブーツと硬い床の間に圧迫(プレス)されたゴブリンが響かせるか細い悲鳴に答える様に、力を加える。

 ゴシャリ、と頭骨が砕けたソレは呆気なく潰れた。

「ハッハー、きったねェじゃねェかよォ」

 潰れたゴブリンの頭部を床に擦り付ける。

 パキパキと砕けた頭骨の欠片を砕き潰す感触。プチプチと繊維を千切る様な音。血と脳髄と骨片を念入りに地面に捻じ込み、その場に染み付けていく。

 念入りに、恨みを晴らす様に、欝憤を晴らす様に。

「これに懲りたら、次は力量差を考えて襲え、糞モンスターが」

 唾を吐き捨て、爪先で地面を蹴ってブーツに張り付いた脳漿を散らす。

「まぁ、テメェに次があるかは知らねェがな」

 もし運悪く、運良く次があったら、その時は今の経験を十全に活かせば良い。オレは運悪く次があった。終わりたいのにまだ続けられる。

 前世で散々味わい尽くした無力感。その感覚はいつ味わっても、色褪せずに脳髄に焼き付いている癖に、慣れて色褪せる事も、忘却に薄れていくことも無い。

 いつまで経っても、その無力感は内側から溢れ返ってくる。

 クロード・クローズが前世で努力の限りを尽くし、半身不随に至るまでに焼かれ続けた焦燥感。

 誰にも期待されない────否、()()()()()()()()()存在を知っていた彼は、止まれない。

 彼の父親は、居た。何の変化も無い、人に期待される事も想われる事も無い、ただの屋敷の中で微笑みを浮かべ、()()()()()生きていた。

 存在しているのに、存在しない。存在している事を認知されない。

 居るのに、居ない。

 

 ────三人の兄達は幾度もの称賛を浴び。一歩劣る彼は侮蔑と罵倒が贈られた。

 

 母親やその周囲の者達に褒められた事など無い。けれど三人の兄だけは褒めてくれた。だが、彼等は死んだ。居なくなった。

 存在を認めてくれた兄達は消えた。残ったのは存在を認めてくれない親族だけ。

「ハッハッハ、ハァ……」

 哄笑を途切れさせ、溜息を零して肩を落とす。

 クロードは、疲れ切っていた。

 数えきれないモンスターとの連戦。薬物の過剰摂取。中毒症状による幻聴、幻覚の数々。

 彼女の周囲には幾人もの人が歩んでいる。それは彼女だけにしか見えない、ただの幻。

 使用人の服を着た女中がルームの片隅でひそひそと声を潜めて話している。

 

『あれ、誰かしら?』

『ああ、()()()らしいわ。ただ、出来が悪くて奥様は四人目だなんて()()()()って仰っているみたいですけど』

『まあ、でも()()四人目なんですよね?』

『まあね、三人目まではすんなり()()()()けれど、四人目はお目こぼしの結果らしいわよ』

『そういえば、最初は何人居たんでしたっけ?』

『八人だったと思うけれど』

『半分しか残されなかったんですね────』

 

 前世でクロードが本家を訪れた際に囁かれていた女中達の話し声。彼女らがその時に浮かべていた表情は、哀れみか、それとも、嘲笑か。今のクロードにはソレがわからない。

 一つわかる事は、幻覚が見せる女中達の表情はどれも歪みに歪んだ嘲笑が張り付いており。自身の心を酷く搔き乱すという事だけだ。

 だから、幻覚を相手にするだけ無駄だ。そう言い聞かせて足を進めるほかない。

 

『ねぇ、聞いた? また四番目の子、駄目だったみたいよ?』

『またぁ? 懲りないわね。とっとと旦那様みたいに屋敷に籠ればいいのに』

『ちょっと貴方達! お坊ちゃま、お帰りなさいませ』

 

 クロードの前を遮る様に立っていた薄らと靄の様に漂う人影が、慌てた様子で頭を下げて道を空ける。

 

『そういえば、この前まで五人目のお子様がいらっしゃった様な気がするのですが、何処にいらっしゃるのでしょうか? 姿を見ませんが』

『この前、四人に()()()ばかりでしょう? 五番目の彼は才無しという事で別館の方へ行ったわよ。まあ、もう少ししたら三人に()()んでしょうけど』

『四番目の方、そんなに成績が悪いのでしょうか……?』

『さぁ、常に上位一〇位以内を維持(キープ)は出来てるみたいだけれど……ほら、奥様が仰っていたでしょう? ()()()()()()()()()()()()って』

 

 若い教育係が年配の教育係から常識を吹き込まれている。

 一位以外に意味が無い。二番目、三番目? その順位に何の意味がある? 二番目以下は全部存在価値の無い塵屑だ。何せ、一番は代わりが居ないが、二番目は代わりが居る。

 何者にも代えられない一番にこそ意味がある。それ以外に意味はない。

 才能と結果だけを重視した彼の母の言う言葉には絶対の正しさがあった。実際、彼女の言ったそれらは正しい。

 不動の一位を保ち続けた兄達の死後、彼等の代わりに一位を獲得した者達は彼らの代わりにはなれない。二番目だった者が、繰り上がって一番になった()()。一番を超えた訳ではない。

 

「……鬱陶しい」

 

 ガシガシと乱暴に髪を掻き毟る。

 こびり付いた血と乾いた泥がパラパラと零れ落ち、クロードは爛々と鈍い輝きを宿した瞳で通路の先に広がるルームを見た。

 絶え間なく続く幻聴に気が狂いそうだ、と心の中で呟き、即座に自身でそれを否定した。気が狂いそう、ではない。とっくの昔に狂ってる。

 目の前に見える光景も幻覚か、それとも現実か。今のクロードには判断が出来ない程に。

 

 


 

 

 その日、悍婦達は主神(めがみ)からの命令を受けてとある冒険者の襲撃を行う予定になっていた。

 ここ一週間ほど、主神と敵対している派閥──正確に言うと、彼女らの主神だけに留まらず、数多くの女神が嫉妬して敵対している──【フレイヤ・ファミリア】への嫌がらせの一環であった。

 どんな理由かは不明だが、たった一人でのこのことダンジョン探索に赴いた怨敵の派閥の団員。絶好の襲撃機会だと主神(めがみ)が判断するのは早かった。

 そんな主神(かみ)に仕えている女戦士達もまた、それを好機ととらえて襲撃する事に賛同した。

 作戦内容は、オッタルが手に入れた成果を横取りする事。フレイヤが何をオッタルに頼んでいるのかはわからないが、その成果をまるまる横取りすればあの女神の鼻を明かせるはずだ。

 そして、戦意滾らせる女戦士(アマゾネス)達を率いてのこのこと張っていた上層に顔を出した冒険者の前に立ち塞がったのは、【イシュタル・ファミリア】が誇る『戦闘娼婦(バーベラ)』達だ。

「フリュネか」

「ゲゲゲゲッ、オッタルじゃないかぁ~。17階層で一人でこそこそ何かしていたらしいじゃないかぁ」

「貴様には関係の無い事だ。失せろ」

「その後ろのカーゴに成果が詰まってるんだろぉ~? アタイにおくれよぅ~」

 襲撃対象は、【フレイヤ・ファミリア】の団長。Lv7、都市最強の冒険者。【猛者(おうじゃ)】オッタル。優に二М(メドル)を軽く超える偉丈夫だ。

 対するは【イシュタル・ファミリア】団長。Lv.5、【男殺し(アンドロクトノス)】フリュネ・ジャミール。一言で言えばヒキガエルの筋肉塊。更に幹部Lv.3【麗傑(アンティアネイラ)】アイシャ・ベルカと、それに率いられる多数の戦闘娼婦(バーベラ)達。

 圧倒的な数の差で囲み、オッタルにねちっこい声をかけるフリュネも含め、イシュタルの眷属達は油断なく彼の様子をうかがっていた。

 主神の命令で襲撃に来たものの、そう易々と倒せる相手ではない。どころか、下手を打てば何も出来ずに返り討ちだ。とはいえ、此度の襲撃に関して【イシュタル・ファミリア】に秘策も存在する。

 既にその秘策は使用されており、フリュネは身体に光粒の輝きが舞っている。

(ま、この程度で勝てる相手なら苦労しないけどね)

 この襲撃計画が上手くいくとは思っていないアイシャが内心呟きを零し、今まさにフリュネがオッタルに躍り掛からんとした、その瞬間だった。

「あァ? ンだこりゃ……光るヒキガエルの化物と都市最強が戦ってやがる。その周りにゃあ、ンだよ踊り子か娼婦か、あんまり変なモン見せんじゃねェっての」

 ルームに響いたのは場違いな幼い少女の声だった。

 オッタルを待ち伏せしていた方とは別の入口から、ボロボロで死に掛けの幼い銀髪の冒険者が現れたのだ。

 片手には煙管を持ち、もう片方の手には大きな喧嘩煙管。肩に担いだそれをゆらゆらと揺らして胡乱気な目をその場に居る者達に向ける人物。

 そんな彼女の事を、アイシャ達は知っていた。

 最近、一躍有名になった小人族(パルゥム)怪物祭(モンスター・フィリア)の時に市民を守る為に魔法を行使した無所属(フリー)の冒険者。そして、二ヶ月というぶっ飛んだ短期間で【ランクアップ】を果たし、神々からその身柄を追われている少女だった。

「クロード・クローズか」

「ゲゲゲゲッ! 失せな小娘ぇ、アタイ達は忙しいんだよぉ」

 ボロボロなクロードを見やったオッタルは目を細め、フリュネは鬱陶し気に追い払おうとする。

「あァ……テメェ等に構ってる余裕なんぞねェんだっての」

 フリュネ達がオッタルを待ち伏せしていたのは、階層同士を結ぶ連絡路を最短距離で結んだ経路上にあるルームの一つだった。当然、最短経路であるそのルームは数多くの冒険者が通る事になる為、普通ならそんな場所を襲撃場所に選んだりはしない。

 だが、今は普通ではない。

 時刻は既に夜中と言ってもよく、こんな時間にダンジョンに潜る物好きは殆ど居ないはずだった。だというのに、フリュネ達の前に現れたクロード・クローズはそんなもの好きの一人だった訳だ。

「ったく、通るからソコ退け売女共。ンな薄暗い地面の下で盛ってんじゃねェぞ」

 クロードの放った皮肉交じりの煽り言葉に戦闘娼婦(バーベラ)の幾人かが眉を顰める。

「売女とは言ってくれるねぇ」

「ちょっと他より早く【ランクアップ】したからって良い気になり過ぎじゃない?」

 クスクスと嘲笑を零し、幾人かは()()()彼女の歩む先に立ち塞がった。

 その様子にオッタルは興味深げにクロードの様子を観察しようとし、フリュネはそれを隙と見て仕掛ける。

 瞬く間に打ち合いに発展する二人のやり取りに、アイシャは表情を歪ませて声を張り上げた。

「ああ、ったく。アンタ達、遊ぶのは控えめにな。フリュネの援護するよ!」

 大派閥同士の抗争に首を突っ込んだ挙句、挑発なんかかましたクロードに数人の戦闘娼婦(バーベラ)を差し向け、残る全員でオッタルに群がる。

 連携してオッタルを封じ込めようとするアイシャの判断は、指揮官として何一つ間違った行動はしていない。

 Lv.2でもそれなりに戦闘を経験して【ステイタス】も高くそれでいて、オッタルとの戦闘時には足手纏いにしかならない為、戦闘への参加ではなく道具や武装の輸送等の為に連れてこられた一部の戦闘娼婦(バーベラ)をクロードに差し向けたのだ。

 

 

 

 Lv.2の者達では到底知覚できない第一級冒険者同士の次元の異なる闘いを尻目に、同伴しつつも戦闘への参加を許可されなかった者達が、思慮の無い挑発を放った間抜けの前に立ち塞がる。

「さっきは何て言ってたっけ、売女がどうとか言ってたよね」

「おいおい、舐めてくれるじゃねえか」

 幼げなアマゾネスに、背の高いアマゾネス。二人の女戦士を前にし、クロードはバリバリと頭を掻いてから、口内で呟く。

「ンだよ、現実かよ……あんなヒキガエルみてェなキチガイ染みた人類(ヤツ)が実在するなんてフツー想わねェだろ」

 常人離れしたフリュネ・ジャミールの容姿に、あろうことか現実とは思わずに挑発をかましたクロードは立ち塞がる二人の女戦士を見やり、目を細めた。

「退け、こちとら疲れてンだよ」

「挑発しといてそれはないんじゃない?」

「おいおい、調子に乗り過ぎだろ」

 既に戦闘態勢らしき二人を見やったクロードは、溜息を零すと、火の入ったままの煙管を投げた。

 くるくる、と中空をとんでいくソレに二人が気をとられる隙に、クロードは詠唱を囁く。

【燃え上がれ、戦火の残り火】

 短文詠唱。

 素早く詠唱を終えたクロードは、腰にぶら下がっていたへしゃげたショートソードと、担いでいた喧嘩煙管を引き抜いた。遅れて、女戦士が駆け出す。

 互いに間合いの外。

 女戦士の武器はそれぞれ長剣と大剣。対するクロードはショートソードと喧嘩煙管の異種構成の二刀流。

 駆けてくる女戦士に対し、クロードは動かずに詠唱を始めた。

【肺腑は腐り、脳髄蕩ける──】

「舐めてるね!」

「そのまま叩きのめされなぁ!!」

 敵が迫る眼前での詠唱。まさに舐め腐った態度ともとれるクロードのその行動に対し、二人は遠慮や躊躇するはずもない。ましてや、魔法はその効果によってはは起死回生の一手に成り得る。

 下手に発動させるより、発動させる前に叩き潰す。対魔術師相手の戦闘での常套手段(セオリー)を守ろうとする二人の女戦士は、同時にクロードを間合いに納めると、同時に武器を振り抜く。

「────って、えぇ!?」

「────なっ¡?」

 金属同士のぶつかり合う硬質な音色と共に、女戦士の驚愕の声が響く。

 クロードが行った事は非常に単純。長剣をショートソードで、大剣を喧嘩煙管で受け止めた。ただそれだけだった。

「詠唱中にも動けるの!?」

「嘘だろ!?」

 本来、詠唱とは非常に強い集中力を要する。

 一般的な魔術師は、詠唱中はとにかく詠唱に集中し、他の行動をとれるはずがない。だが、クロードは詠唱しながら二人の攻撃を受け止めてみせた────だけではない。

【──堕落齎す、紫煙の誘惑】

 ギャリギャリギャリィ、と金属同士のけたたましい擦過音を響かせながら、クロードは二人の攻撃をいなした。防御よりもより高い技術と、集中力を要するはずの受け流しを完璧にこなしてみせたのだ。

 防がれるだなんて微塵も考えていなかった二人の力み切った攻撃は綺麗にいなされ、がら空きに胴を晒す。

「ギャンギャン五月蠅ェぞ盛った雌猫共がァッ!!」

「ごぶっ!?」「ぎゃんっ!?」

 同時に、二人を叩き飛ばした。

 

 

 

 片膝を突くフリュネと、それを見下すオッタル。

 周囲に居るアイシャ率いる戦闘娼婦(バーベラ)達も既に満身創痍。端から見えていた勝負ではあったものの、余りにも圧倒的な差にアイシャが舌打ちしようとした所で、二人のアマゾネスが彼等の前に投げ出された。

 驚愕の表情を浮かべた戦闘娼婦(バーベラ)の視線がクロードの方に向く。

「なぁ!? 何してんだレナ! 相手は【ランクアップ】したてだろ!?」

「ま、待って、あの子並行詠唱できるみたい!?」

「はぁ?」

 気に掛ける程ではない乱入者。そんな認識であったクロード・クローズという冒険者に戦闘娼婦(バーベラ)達が警戒し、戦闘の手を止めていたオッタルはクツクツと肩を揺らすクロードを見据え、眉を顰めた。

「……やはり、真っ直ぐな芯を持つ、か」

 真っ直ぐ、余りにも真っ直ぐ過ぎる。

 誰しもが世間体や在り方、社会的な立場等を考慮して少しずつ、少しずつ自らが抱え持つ芯を歪め、曲げ、自らが納得できる形に収めて生活している。

 そんな中、世間体や社会的な立場等を一切考慮せず、自らが持つ芯をひたすらに貫き続ける。クロード・クローズという人物はそんな人物だ。

「くはっ……ンで、まだヤんのか?」

 襲撃してきた二人を撥ね退けたとはいえ、消耗している事に変わりはないのだろう。それでも、仕掛けてくるなら全力で抗ってやる、と言わんばかりにギラギラとした輝きを放つ瞳を女戦士達に向けるクロード。

 そんな彼女を見やったアイシャが眉を顰め、戦闘娼婦(バーベラ)達がオッタルを警戒しつつもクロードに警戒心を向け始める。

 フリュネだけはオッタルだけを睨み付けておりみていない。

「ハッ、行きな。そもそもアンタの事なんか興味もないからね」

「……おいおい、襲ってきといてその言い草は何だよ」

「挑発したのはアンタだろ? それより、まだヤるのかい?」

 やるなら、アンタを潰す。とアイシャがオッタルに警戒心を向けつつも呟くと、クロードはニィッ、と口元を吊り上げて、嗤った。

「愉快に(ケツ)振って誘ってくんのはありがてェが、今は疲れてンだよ、別の機会にな」

 片手をあげ、クロードは無遠慮に派閥抗争が行われているさ中であるルームの中央を横断していく。大派閥同士に挟まれば無所属(フリー)の冒険者がどうなるかなど、語るまでもない。

 だというのに、本人は至って変わりない。いっそ感心してしまいそうな程に、我を通している。

 クロードがルームを横断する間、秘策が解けて片膝を突くフリュネと、悠々と構えるオッタルが睨み合う。不自然な休戦状態が続き、クロードが片手を上げてルームから出て行った。

 暫し微妙な沈黙が続く中、フリュネが何とか立ち上がって武器を構えようとした、そんなさ中だった。

 ガタリッ、とカーゴが動く音が響く。

 オッタルが視線を向けると其処には、三人の冒険者がオッタルが運んでいたカーゴを運んでいく様子が見て取れる。フリュネ達との戦闘やクロードの観察等をこなしていたが故に、オッタルが運んでいたカーゴを横取りしようとした冒険者に気付かなかったのだ。

「貴様ら!」

「ヤバッ、逃げるぞ!」

 慌てた様子でガタゴトと大きな音を立てながらカーゴを引いていく冒険者を見やり、オッタルが取り戻すべく踏み出そうとして────アイシャの号令が響いた。

「オッタルを足止めするよ! フリュネ!」

「五月蠅いねぇ! アタイに指図するんじゃないよぉ~!?」

 【イシュタル・ファミリア】の目的は、最良であれば成果の横取り。最悪でもフレイヤの目的を達成させない事。

 オッタルが運んでいたのが何であれ、フレイヤの元へ届かなければ最悪でも目的は達成できる。女神の嫉妬の炎の勢いを少しでも緩ませる事が出来る。故に、どこぞの冒険者がオッタルの荷物を盗んで行ったのは彼女たちにとっては渡りに船だった。

 彼らが逃げ切るまで、戦闘娼婦(バーベラ)達は全力でオッタルを足止めしはじめる。




 【イシュタル・ファミリア】と因縁をつけておこう……こうする事でイシュタル編もやるよっていうアピールになる可能性があったりするかもしれなかったりしたらいいなぁ?


 しれっとソロで14階層まで行って帰ってきてますが、割と死に掛けてたりはしてます。


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第二四話

 木色をした壁面、背の低い草花が繁茂する広い空間。フロアの端にあった木の陰に身を横たえていた銀髪の少女が、身動ぎをして身を起こした。

 暫しの間、寝惚け眼で周囲を見回していた彼女は、頭を掻こうとして銀髪にこびり付いていた乾いた血に気付いて動きを止める。

「ンァ……なんだ、ここ……」

 若干の困惑と、混乱をしていた彼女は次第に蘇ってくる記憶に断片から、自身の身に起きた事を察した。

 【イシュタル・ファミリア】と【フレイヤ・ファミリア】の抗争を尻目に地上を目指していた彼女は階層の片隅、広間の隅の木の陰で休息をとる積りだったのだ。

 だが、度重なる薬物の乱用、そして大派閥同士の抗争に首を突っ込み、藪蛇を突いて女戦士二人と交戦。これを撃退するも、彼女自身の体力の限界が近かった。故にか、ほんの少し、数分だけ身を休める積りが盛大に意識を失って気絶に近い状態で倒れていた。

 それも、彼女が取り出した歪んで閉じなくなった懐中時計の時刻から察するにほぼ半日近く、である。

「……はぁ、なンつー悪運だよ」

 迷宮内で単独行動しているさ中に昏倒。

 岩陰に身を隠す様にしていたとはいえ、意識の無い無防備な状態で、半日の時を過ごした。

 運が悪ければ──否、普通ならばモンスターに見つかって八つ裂きになるはずだ。だが、彼女は運良く、ある意味運悪く昏倒中にモンスターに見つかる事も無く目を覚ました。

 とんでもない悪運(幸運)の持ち主だ。

「死んどけよ、クソが」

 自らに向けた呪詛を呟き、乾いて固まった血によって草花が絡む髪の毛を鬱陶し気に払うと、罅の入った喧嘩煙管を担ぎ直した。

 半日も眠っていて無傷。モンスターに見つからなかった等有り得ない事のはずだ。そんな事は容易に想像できる。大派閥二つの抗争によって周辺のモンスターが一掃されていたのだろうか。

「ンな筈ねェだろ」

 自らが考えた安易な推測を全否定して、周囲を見回した。

「何処だ、ここ」

 確認する様に言葉として口に出し、そこでようやく彼女は自身がダンジョンの何処に居るのか把握していないのに気付いた。

 周囲の風景やダンジョンの特徴から、上層。それも薄霧も出ていない事から9階層だという察しはつくが、9階層の何処に居るのかがわからない。

 懐から地図が描かれた紙を取り出し、血で真っ黒に染まったそれを見たクロードは舌打ちを零すと、破り捨てた。

 どの道、地図を見て現在位置がわかる訳ではない。ダンジョン内では方位磁針が役に立たない為、自らの位置を割り出す事が出来ないのだ。

 ダンジョン内で迷子になった場合どうするのか。それは至って簡単。

「他の冒険者、探すか」

 時刻は少し早めではあるが、この時刻ならば他の冒険者も居るだろう。とクロードは歩み始める。

 他の冒険者が今の自身を見たらどう思うか。間違いなく、ヘマこいて死に掛けた間抜けの冒険者、としか思われないだろう。

 中層に挑み、18階層を目指し、失敗して満身創痍で地上を目指す間抜け。もし叶うならば、こんな姿を誰かに見せたいなんて思わない。だが、今は恥を忍んででも他の冒険者に助けを求めなくては、死んでしまう。

「……あー、死にてェ」

 死にたい。死にたい。死んでくれ。終わりが来て欲しい。終わりたい、終わって欲しい。

 ふとした瞬間に湧き上がってくる自殺衝動に呟きが零れ落ちた。死にたい、もう疲れた。終わりたい。

 通路を進むクロードは、疲れ切った表情で周囲を警戒し、頬に刻まれた裂傷を撫でた。

「なァンで、死なネェンだよ」

 いっそ、死にたい。何度も、繰り返された言葉が心を埋め尽くす。それでいながら、体は自然と這いずる様にでも前に進んでいく。

 精神は研ぎ澄まされ、いつモンスターに襲われても大丈夫な様に。

 腰に括り付けられたへしゃげたショートソードも、罅割れて煙管としての機能が失われた喧嘩煙管も、どちらも即座に抜き放って反撃できるように。

 死にたい、死にたい、と繰り返す。けれども死ねない。否、死ぬことを赦さない。

 才能に満ち溢れ、明るい未来が約束されていた兄達が、呆気なくその未来を閉ざされたのだ。

 クロード・クローズは知っている。彼女の前世は知っている。

 兄達には才能があり、自身には才能が無かった事を。

 クロード・クローズは知っている。彼女の前世は知り尽くしていた。

 兄達は才能がある()()()()()()。その才能に見合う程の努力を重ね、相応しい能力を身に着けた。

 才能に胡坐をかいていた訳ではない。彼らは其れに見合った努力も重ね、そしてその才能に見合った能力を得たのだ。能力を得る為に、努力を重ねたのだ。

 誰よりも近い距離で、それを見ていたクロード・クローズは知っている。

「…………」

 兄達が注いでくれる愛情は本物で、彼等が重ねた努力も本物で、そこに確かな才能が添えられて、彼等は完璧で誰からも尊敬される頂点に登り詰めた。

 ──もし彼等が才能に胡坐をかき、努力を欠いた人物達だったら。クロード・クローズは、彼女は前世でそこまで歪む事は無かっただろう。

 だが、彼等は胡坐をかく事も無かったし、努力を欠かさなかった。

 そして、クロードは決して認めたくはないし、それを認めるぐらいなら自身の胸を切り開いて心臓を引き摺りだしても良いと断言するだろうが──彼の、彼等の父親は、才能に満ち溢れていた。

 何をさせても完璧。どんな小さな失敗もしない。神童ともてはやされ、兄達が得意とする学術、武術、芸術、どの分野でも父親であった男は完璧にこなして見せた。

 それは、当たり前の事でもある。男は、数多くの候補者から選び出された、才能を持つ人物だったのだから。

 ──だというのに。

 あの男は、()()()()()()()

 兄達が努力を重ねている間に、彼はただ屋敷でのんびりとしていた。

 兄達が成果を上げている間に、彼はただ屋敷で無為な時間を過ごした。

 あの男は兄達が積み上げていく功績の数々を、見ていただけだ。

 何もしない。彼はただ、与えられた屋敷で、種馬として子を作るだけ。

 クロード・クローズは知っている。

 あの屋敷で、父親であった男はクロードに幾度も声をかけた。

 無理だから諦めた方が良い、と。

 キミに才能は無いから、と。

 彼の父親は一目見ただけで、クロード・クローズ、彼には才能が無い事を見抜いた。

 クロード・クローズには認められない。

 動けるのに、努力できるのに、何もせずに腐った時間を過ごす事を認める訳にはいかない。

 兄達が妬ましい、羨ましい。自分にも才能が有ればよかったのに。そんな風に兄達に嫉妬を抱いた事だってある。だが、それ以上にクロードを苛んだのは、まぎれもない父親だろう。

 才能がある癖に、努力をしない。

 才能がある癖に、それを腐らせている。

 それなのに、あの父親はへらへら笑っていた。

「……はっ、嗤える」

 才能もあり、努力もした兄達は死んだ。

 才能がなく、努力をした自分は半身不随。

 才能があり、なにもしなかった父親は平穏無事。

「才能、使わねェんだったら、オレに全部クレよ、クソ親父────あ?」

 吐き捨て、出口のわからない迷宮を彷徨うクロードは、次のルームに足を踏み入れた所で、そこに冒険者の姿を認めた。

 軽装(ライトアーマー)に着替えている白髪の少年と、彼にプロテクターと小短剣を差し出す小人族の少女。

「ク、クローズさん……」

「この人が、ベル様の先輩ですか」

 驚愕した様子のベルと、彼の反応から知り合いかと問う少女。

 クロードにとって、ベル・クラネルは複雑な想いを向ける相手だった。

 兄達の様に、才能に胡坐をかくのではない。それに見合う努力を重ね、強くなっていっている。

 自らが駆け抜けた道を呆気なく踏み越えていくその才能には、狂おしい程の嫉妬心を抱かせ、その才能に胡坐をかかずに努力する姿に兄達の後ろ姿を見た。

 嫉妬してしまいそうな程の才能に、尊敬できる努力する姿。相反する二つが同居する彼に対し、クロードは大きく息を吸って、飛び出しそうな罵倒の言葉を溜息として消化した。

「ダンジョンでお着換えったァ、余裕だな」

「え、あっ、こ、これには事情があって!? っていうか、クローズさん、その怪我!」

「あァ? 気にすんな、少しヘマしただけだ」

 慌てた様子のベルの反応に眉を顰め、クロードは二度、三度と溜息を零してから、小人族の少女を睨んだ。

 二人の親し気なやり取りに口出しを控えるべきだろうと空気を呼んでいた小人族の少女、リリルカ・アーデは、ベルの知り合いらしい人物に睨まれて怯む。

 リリルカは自分を睨み付けてきている人物の事は知っていた。都市内でも一躍有名になった人物であったし、何より恩義のあるヘスティアのもう一人の眷属──【ファミリア】には所属していないが──である。知らないはずがない。

 彼女の性格について、リリルカは女神からいくつか話を聞いている。そして、睨まれる理由も薄らと察する事が出来た。

「リリ、クローズさんの怪我、見てあげてくれない?」

「お任せください」

 恩人のベル・クラネル。

 そんな彼が冒険者になった当初、ほんの少しの期間だけ世話になっていたという先輩冒険者。女神からももし見かけたら頼む、と言われていた事もあって、リリは怪我をした彼女を治療しようと近づいた。

「初めまして。リリルカ・アーデと────」

「薄汚ねェ寄生虫の名前なんざ知りたくもないね」

「っ────!?」

 唐突な罵倒交じりの皮肉。

 其処に含まれる侮蔑と軽蔑に、リリルカが僅かに表情を強張らせ、僅かに俯いて大きなバックパックを置き、中から回復薬(ポーション)や包帯等を取り出した。

「治療しますので、怪我を見せてください」

「あァ?」

 罵倒に対して叛骨的な反応を帰すでもなく、治療を続行しようとしたリリルカに対し、クロードは大きく口元を歪め、吐き捨てた。

「オレに媚び売ればベルともっとお近づきになれるってか? 出しにしようとすんなよ気持ち悪い」

「怪我を見せてください」

 皮肉交じりの言葉にリリはただ同じ言葉を反した。

 頑なな様子にクロードは眉を顰め、後ろではらはらした様子で見ているベルを見やると、リリルカに顔を近づけた。鼻先同士が触れ合うかどうかという程の距離で瞳を覗き込み、クロードは口元を歪める。

「カモとして殺そうとした奴に助けられて媚びて、薄汚くて気持ち悪すぎるぞ、オマエ。生きてて恥ずかしく無いのかよ」

 鋭く研ぎ澄まされた刃が、リリルカの心の柔らかな部分を大きく抉った。余りの鋭さに、斬られた事に気付かず、遅れていた理解が追い付いてきた所で、リリルカは口を引き結んで真っ直ぐクロードを見つめた。

「恥ずかしいですよ」

「は?」

「だから、これからは恥ずかしくない生き方をしようと思ったんです」

 ぴしゃり、と皮肉交じりの罵倒を封じ込めたリリルカは、徐に回復薬(ポーション)を染み込ませた布でクロードの頬を拭った。

 痛みで表情を歪めたクロードは、真っ直ぐな目で見つめてくるリリルカを見やると、捨て台詞の様に呟いて身を任せる。

「はん、オレだったら恥ずかし過ぎてとっくの昔に首括って死んでるね」

「リリはそれでも決めましたから」

 皮肉に対し、固い決意の言葉で対応するリリ。

 何を言っても無駄か、とクロードが完全に口を閉ざしたのを皮切りに、ベルはほっと一息ついた。

 リリルカ・アーデという少女は非常に複雑な立ち位置の人物だ。それは所属が【ソーマ・ファミリア】でありながら半脱退状態である事とか、過去に盗みを働いていた事とか、色々とあるが。なにより彼女自身が気にしていたのは、騙して殺そうとした相手であるベル・クラネルに命を救われ、挙句その後もこうしてサポーターとして雇われている事だった。

 女神の慈悲で活動している今、リリルカは女神からクロードについての話を聞かされていた。

『良いかい。クロード君はキミの事を絶対に好きにならない。毛嫌いして罵倒して皮肉の嵐が吹き荒れるだろう。あの子は言葉を選ばない。いや、的確に選んでくるかな。心の一番柔らかい所を躊躇なく刺し貫いてくる。痛いし、苦しいだろう。だけど、勘違いしちゃあいけない、あの子が口にするのは何処までも事実だ。否定のしようがない、事実なんだよ』

 リリルカにとって、クロードが放つ言葉の刃は痛く苦しい。そして同時に清々しいまでに事実だった。否定する要素が何処にも無い。正論という名の暴論。言葉の暴力。

 それは、いかなる者にも慈心を恵む、嘆願の庇護者であった女神が見せた悲し気な一面が告げた通りだった。

『キミが今後彼女に会った時、あの子の言葉を聞いた時、耐えれない。なんて弱音を吐くんじゃない。キミは心を入れ替えると誓った。ならばその事実を飲み込んでみせろ』

 今まで犯してきた行動の数々は消えて無くならない。

 その事実をただ突き付けているだけ。クロード・クローズという冒険者の放つ言葉はしかとした真実と共に添えられた皮肉だ。少なくとも、それに反論する事なんて出来ない。否、してはいけない。

 真実のみで構成された、無慈悲な刃は鋭い。それは自己嫌悪を抱く者に酷く突き刺さる。蓋をして、隠して、見ない様にしていた自分の汚い部分を抉りだして見せ付けてくるモノだ。

 それを、他ならないリリルカ・アーデ自身が否定する事は許されない。

「……気持ち悪い奴だ」

「…………」

 大半の者が反発し、即座に否定しようとする皮肉交じりの罵倒を真っ直ぐ受け止め、そしてそれでも行動を変えないリリルカの姿に、クロードは皮肉でもなんでもなく、本心の言葉を呟く。

 そんな様子を見ていたベルが大きく息を吐く。

 元々、リリルカとクロードの二人はいつか会わせる積りではあった。ヘスティア様が言い出した事であるが、リリルカもそれに賛同してクロードの都合の良い日を探そうとしていたのだけれど。

 クロード・クローズの【ランクアップ】、それも最短記録を大幅に塗り替えるソレによって彼女の都合が付かなくなった。故に、会わせる予定が遅れに遅れていたのだ。

 ベルも、まさかダンジョン内で会う事になるとは思ってもみなかったが。

 少なくとも、クロードがいきなりリリルカを半殺し──下手するとそのまま息の根を止める──等という事にならなくて一安心である。

「あの、クローズさん」

「……ンだよ、オレを笑いたいってか、良いぜ? 聞けよ」

 話しかけたベルの返答を聞く間でもなく、クロードは自らが仕出かした失敗を口にした。

 【ランクアップ】してからそう期間もおかずに、18階層到達の目標達成の為に準備を進め、見事に失敗して命からがら逃げてきた間抜けだ、と己が事だというのに嘲笑と皮肉すら交えて。

「ほら、おっかしいだろ? なんつー間抜けっぷりだ、嗤っちまうよなァ」

「ソロで、中層に?」

 皮肉と罵倒を受け止めてなお、平常心を保っていたリリルカでさえ呆気にとられる程の凶行。それらに本当なのか、と疑わし気な視線を向けてしまうほどだ。

 そしてベルはといえば、その話を聞いていなかった。

「……何か、おかしくないですか?」

「あァ? おかしい? オレの頭がカ?」

「いや、そうじゃなくて、モンスターの数が少なすぎません?」

 もはや嗤うしかないと自らの愚行を皮肉交じりに嘲笑していたクロードは、少年の言葉を聞いて眉を顰め──直ぐに目を見開いた。

 クロードにも少年の言った違和感に心当たりがある。死に掛けの状態で9階層に辿り着き、小休止の積りがそのまま昏倒していたクロードが、半日経過してもモンスターに襲われていない。

 ベルと小人族に出会うまで、思考の海に溺れながら歩き回っていたというのにモンスターと遭遇(エンカウント)すらしていない。

 通常なら有り得ない事だった。

「おい、お前等、今日は帰れ、今すぐ────チッ」

 クロードが警告を放とうとした瞬間だった。

『────ヴ────ォ』

 ベルが表情を強張らせ、動きを止めた。そんな様子を見たリリルカが目を丸くして驚き、クロードは武器を引き抜き、詠唱を始める。

【燻る戦火の残り火】

 フロアに通じているのは二つの通路。

 片方はクロードが歩んできた方向で、もう片方はベルとリリルカが進んできた方向。

 音の発生源は、後者。ベルとリリルカが歩んできた通路の先から、何かが来る。

「おい、ベル……クソ、役に立ちゃしねェ。おい糞小人(パルゥム)、テメェ、ベルを連れてけ」

「え?」

 さっさと連れて逃げろ、と、何もしていないのに呼吸が乱れ指が震えるベルを指差したクロードの姿にリリルカが困惑する。

 それはベルの異常もそうだし、非友好的な態度であったはずのクロードがまるで守ろうとする様に動いた事も困惑を加速させる。

「何を仰っているのですか」

「あそこに居るだろ、察しろ」

 何かが居る、というのはリリルカにもわかった。だがその上で、ベルを連れて逃げろ、と言った彼女の言葉をリリルカは上手く認識できなかった。

 クロード・クローズはLv.2の上級冒険者。並の状況ならば上層で彼女が負ける事は無い。通常時ならばリリは迷わず指示に従っただろう。だが、今は違う。

「その怪我で戦うおつもりですか!?」

 怪我の治療をしたリリルカだからこそわかる。いつから闘い続けていたのか、数多くの掠り傷に切り傷、打撲痕が刻まれている彼女は間違いなく満身創痍。戦える状況ではない。

 それならばLv.1とはいえ、万全の状態のベルに戦って貰った方が良い。そう考えても不思議ではない。

 通路の奥からそのモンスターが現れるまでは。

『…………ヴゥゥ』

 牛頭人身体、赤銅色の怪物。

「はっ、あのモンスター見て同じ事が言えんならな」

「な……なんで9階層にミノタウロスが」

 中層で出現するはずの強敵、ミノタウロスが姿を現したのだ。

「一ヶ月前の潰し残し、な訳ネェわな」

 つい一ヶ月ほど前に【ロキ・ファミリア】が上層にミノタウロスを逃走させる大失態を犯した。その時の生き残りという線は有り得ない。

 だとすると、何が原因だろうか、とクロードは片目を閉じ、煙管に火を入れた。

「ま、どっちでも良いか」

 自分だけにしか見えない幻覚ならば、適当に誤魔化してこの場を去る。だが、ベルとリリルカの反応から通路の奥から歩んできた怪物が幻覚でもなんでもなく本物だと認識したクロードが、得物をソレに向けた。

「はっ、大剣なんか持っちまって……糞、何処の差し金だテメェ」

 天然武装(ネイチャーウェポン)ではない、冒険者が持つ様な銀の大剣を持つミノタウロスに問いかけるも、明確な返答は無い。

『オオオオオオオオオオオオオオオオオッ!』

 代わりに、ミノタウロスは弾丸になった。

 恐ろしい速度で広間を突っ切り、距離を一瞬の内に詰めていく。対し、クロードも同じ様に前に出た。

 互いに前進し、己が得物の間合いに入った瞬間。狂牛は的確に大剣を片手で袈裟に振り下ろした。対し、小さな少女は両手で逆袈裟に振り上げ、真っ向から打ち合う──風に見せかけて受け流す。

 轟音と共に欠片が飛び散る。呆気なく、砕けた煙管の破片がキラキラと舞い散った。

 怪物が誇る怪力を前に、少女が扱う小手先の技術は何の意味も持たない。濁流を前に小枝一本でどうにかできるはずがないのだ。

 小柄な体躯で無茶をしたクロードは姿勢を崩し、対するミノタウロスは悠然と、()()を放った。

「っぶねぇな!?」

 ギリギリの回避。

 崩れた姿勢をそのままに、振り抜かれる蹴りから身を引いたクロードは()()()()()を揺らしながら右手でへしゃげたショートソードを構えた。

 回避には成功した。だが、ほんの少し掠めた。左腕を、ミノタウロスの蹴りが、掠めた。それだけで()()()

 元から満身創痍だったとはいえ、たった一撃、それもほぼ回避に成功して掠っただけの一撃で骨折。そして、クロードの攻撃で損傷らしい損傷は与えられていない。

 そして、ミノタウロスの攻撃は其処で終わらない。

 大力に物を言わせて、大剣を片腕で振るう。

 濁流の如き猛攻の前に、小柄な体躯を活かした回避で懐に潜り込み、ショートソードを振るい──表皮を浅く斬るにとどまった。

 掠り傷。損傷と呼べる程の傷は与えられない。彼女が持つショートソードでは、到底斬れるはずもない。ましてや、壊れかけの剣なんぞ──折れて当然。

「ぐっ────!?」

『ヴォオオオオオオオオオッ!』

 放った斬撃がミノタウロスの膝に命中し、クロードの剣が折れる。酷使されていたソレは、強靭なモンスターの体皮に掠り傷を負わせてその使命を終えた。そして、ミノタウロスの反撃の膝蹴りがクロードを直撃。

 ゼロ距離で大砲でも撃ち込まれたかの様に少女の体は吹き飛び、フロア端の壁面に激突。ガラガラと音を立てて瓦礫に埋もれてしまった。

「ぁ……ぁ…………」

「ベル様!! ベル様ぁ!」

 眼前で繰り広げられた戦闘。

 否、戦闘とも呼べない、蹂躙に少年は恐怖に震えていた。

 先輩冒険者、それもつい先日、最短記録を大幅に塗り替えた先輩冒険者だ。そんな彼女が──負傷していたとはいえ──呆気なくやられた。

 Lv.2だった彼女に倒せない相手を、Lv.1の自分が相手取る。出来る筈が無い。

 恐怖に縛られた身体は震え上がり、それでも少年は《バゼラード》を握った。

 

 


 

 

 ズンッ、と響いた振動を感じ取ったクロードは、僅かに目を開けた。

 眼前に広がったのは、美しいエルフの女性の横顔だ。

「……リヴェリア・リヨス・アールヴか」

「目を、覚ましたか」

 折れた腕に添え木があてられ、いくつかの傷に手当てがされている。そう認識した瞬間に駆け抜ける鈍痛にクロードは身を捩り、響いた爆音に痛みを堪えてそちらを見た。

 思わず目を見開く様な光景が広がっていた。

 【ロキ・ファミリア】の第一級冒険者がそろい踏み。

 【勇者(ブレイバー)】【九魔姫(ナインヘル)】【剣姫】【怒蛇(ヨルムガンド)】【大切断(アマゾン)】【凶狼(ヴァナルガンド)】。

 揃いも揃って、何を見ているか。その先に広がる光景に、クロードは完全に言葉を失った。

 

 ()()()()()

 

 つい一ヶ月前には駆け出しだった少年が、つい先ほどまで恐怖に震えて木偶に成り果てていた少年が、戦っていた。

「は、はは……なんだ、ありゃ」

 自身が持てる技量を以て挑み、呆気なく蹴散らされたミノタウロスを相手に、少年が互角の死闘を繰り広げている。

 それを第一級冒険者、才能を持つ者達が魅入られた様に見つめている。

 自身を治療していたらしいリヴェリアですら、すぐに視線をベルと怪物が繰り広げる死闘に奪われていた。

「…………」

 誰もが、彼を見ている。

 ベル・クラネルを見ている。

 非才の身ながら努力を重ね、外法にすら手を染め、死に物狂いで進もうとする自分ではなく。

 才能を開花させ、努力をし、正道を歩む少年を見ている。

「……あァ、クソだわ」

 才能が欲しかった。

 兄達の様に、ベル・クラネルの様に、並ぶ第一級冒険者達の様な、才能が欲しかった。

 ただ、才能を持っただけの者達ならば、クロードはきっとただ嫉妬するだけで良かったはずだ。そのはずなのに、クロードが見た彼らは誰もかれもが相応の努力をしていた。

 兄達も当然の事、ベル・クラネルとて普通なら折れる様な鍛錬を積んで強くなっていった。そこには、嫉妬してしまいそうな程の才能の差が確かにある。

「──────」

 だが、彼は、彼等は相応の努力の下にその才能を開花させていった。

 兄達しかり、ベルしかり。

 故に、嫉妬に狂う事だけは出来ない。

 今なおミノタウロスと死闘を演じ、けれども攻めきれずに徐々に不利になっていく少年を見据える。

「手詰まりか」

「決めつけるのはまだ早い……と言いたいところだけど」

 勝ち筋が無い。

 リヴェリアとフィンが冷徹なまでに観察し、叩き出した答えは正鵠を射ていた。

 だが、負けるとは、クロードには思えない。ここで負けて、それで終わり程度の人物ならば、もっともっと早くに諦めるか、死ぬかのどちらかだ。

 いっそ、ただ嫉妬し、八つ当たり出来る様な薄汚い相手だったら良かった。だが現実は違う。どこまでも真っ直ぐに、自らが持ち得る才能を磨き上げて駆け上がる。

 自分の様な見せかけの能力や悪運に生かされているだけではない。

 

 ────()()

 

「ファイアボルトォオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」

 爆散。

『───────ッッ!?』

 少年が放った止めの一撃により、上半身が粉々に弾け飛んだ。

 誰しもが暫しの間言葉を失ってその光景を目に焼き付ける。

 文字通り死力を尽くした少年が、物語のワンシーンを切り抜いた様に、一体の彫刻を化しているのを見て、【ロキ・ファミリア】の面々が遅れてざわめきだした。

 それらを見やったクロードは、身を起こすと、懐から煙管を取り出した。攻撃が直撃していたせいか、羅宇が折れ曲がったそれを見てから、吸い口を咥える。

 立ったまま気絶したベル・クラネルの【ステイタス】を覗き込む【九魔姫】と【剣姫】、そんな二人から内容を聞こうと注目する他の面々。

 彼らの視界に写るのは、ベル・クラネルという本物。

 付け焼刃で張りぼてで、誤魔化した才能で突き進むクロード・クローズではない。

 彼らの目に、映らない。()()()()()()()

「……羨ましいねェ」

 応急処置は終わっているが、体の節々が痛む。だが、それ以上に胸が痛い。




 クロードくんちゃんの二つ名考えなきゃです。

 【煙狂(インピュア)】とか【紫煙(エセリアル)】とか……。
 中二(ちから)が試されますね。

 面倒になったら【サンドリエ】にしよう。

 意味はフランス語で灰皿……。


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第二五話

 清々しい日差しが降り注ぐ大通り。

 それを見下ろす石造りの建物の三階客室の窓から風が室内に流れ込み、燻る紫煙を攫っていった。

「よお、お目覚めかい。お姫様」

「姫、なんて(ガラ)じゃねェっつの」

 客室の扉をノックも無しに開け放ち中に入ってきたのは、茶髪を揺らした商人の男、テランスだ。

 彼はベッドで半身を起こして煙管を吹かす少女の下へ、お盆を手にずかずかと近づいていく。僅かに吹き込む風に舞う紫煙をものともせず、手にしたお盆を恭しく片膝を突いて差し出した。

「どうぞ、お口に合えばと」

 深底の皿にたっぷりと入った粥を差し出されたクロードは、不機嫌そうな表情を浮かべて両手をテランスに示した。

「この手で食えってか」

「煙管は吸ってる癖に、食わせろとはまあ」

 クロードの両手は包帯が巻かれ、左腕に至っては固定具が装着されている。

 それだけに留まらない。彼女は全身に包帯を巻き、綿紗(ガーゼ)が体の至る所に張り付けられている様子が見て取れる。まさに重傷人と言った様子であった。

 そんな彼女の横暴な態度にテランスは肩を竦めると、サイドデスクにお盆を置き、代わりに(スプーン)を手に取った。

「食わせてやっから大人しくしろよ?」

「暴れる気力もねェよ」

「煙管吸う気力はある癖に」

 珍しく本当に気だるげな様子で返された返事に、テランスは片目を閉じると、丁重に息を吹きかけて粥を冷ます仕草をしてから、それをクロードの口元に差し出した。

「おら、食え」

「んむ……味が薄い」

「病人に濃い味付けのもん食わせられる訳ないだろ」

 文句を言うなら残りは捨てるぞ、とテランスが脅し、クロードは捨てるぐらいなら食わせろ、と気を使わない会話を交わしながらも、テランスは小鳥に食事を与える様にクロードに粥を与え、クロードは親鳥から餌を貰う雛の様に粥を食らう。

 暫くして、空になった皿をサイドデスクに置いたテランスは、クロードの頭の先から爪先までを見やってから、鼻を摘まんだ。

「んで、今回は手酷い失敗、か」

 クロードがここ『グラニエ商会』に保護されたのはおおよそ三日間前。

 あの日、ベル・クラネルと狂牛(ミノタウロス)の死闘を見届けた後、クロードは【ロキ・ファミリア】の申し出た助け舟を拒否し自力で地上まで帰還した。

 帰還してすぐ、ズタボロの状態で地上に出たのは良いものの、片腕骨折で応急処置のみがされた状態で街中をうろ付くのは不味い。ただでさえ強引な手段の勧誘が多い中、抵抗する力を失った彼女を見れば、どうなるかは火を見るよりも明らかだろう。

 出来る限り人目に付かない様にしたいが、負傷状態の冒険者がバベルを出れば目立つ。どうするかとクロードが痛む身体を引き摺っている所を、テランスが保護。

 正確には摩天楼施設(バベル)内部の医療施設に医療品を届けに来ていたテランスが、クロードを発見し、木箱に詰め込んで商会本拠まで運んできたのだ。

「運が良かったよなぁ。俺が居なかったらどうなってた事か」

「感謝してるっつの……暫くは無償奉仕してやる」

「その前に療養しろ」

 未だに怪我が癒えきらぬ少女の頭頂部を、男は軽く叩いた。

 クロードは不愉快そうに叩かれた頭を押さえ、紫煙をテランスに吹き掛ける。

「冒険者だぞ、この程度、怪我の内に入らねェっつの。高位回復薬(ハイポーション)でもありゃすぐにでも────」

「薬物の使い過ぎで高位回復薬(ハイポーション)なんか飲ませらんねぇよ」

 クロードという少女は常日頃から幾種類かの薬物を摂取していた。そのいくつかは医療用にも使われる事もある薬草類から作られる物もある。

 他にも多種多様なモノを使用していたが、その中には注意せねばならないものもいくつか存在する。

 例えば、解毒薬に含まれる成分と反応を起こして猛毒になる成分の含まれている液薬や、いくつかの調合法(レシピ)に含まれる薬草の成分と過剰反応を引き起こして高熱が出る粉末等。

 当然、高位回復薬(ハイポーション)の成分と反応を起こして致命的な症状が出てしまう種類の物もあった。

 そして今回、18階層を目指すに当たってクロードは手持ちの薬物のほぼ全てを使っている。その薬物が身体に残存している状態で、手持ちの回復薬(ポーション)をがぶ飲みして、今や彼女の体内は薬物漬け状態。無論、相互反応に気を使った回復薬(ポーション)ではあったが、いくらなんでも短期間での使用量が異常に過ぎる。

 そこに追加で高位回復薬(ハイポーション)万能薬(エリクサー)なんぞ追加投入すれば、それが止めの劇薬となりかねない。よって、彼女の治療には原始的な軟膏のみしか使われていない。

 唯一許されている煙管は、痛み止めの意味合いが強い。

「お前さん、自分の顔色がどうなってんのか鏡見てみろよ」

 テランスは部屋の隅に置かれた姿見をクロードの前に持ってきて彼女の姿を映した。

 全身包帯塗れ。左腕には折れた骨を固定する為の固定具、右頬に刻まれた裂傷を隠す様に顔にも包帯を巻かれ、僅かに覗く肌は土気色。唇は真っ蒼で、眼の瞳孔は何処かズレた所を見続けている。

 動いて、食事をとり、喋っていなければ死体と言われても納得してしまえそうな程の状態だとテランスは断言できる。

 そんな自身の姿を映した鏡をぼーっと見ていたクロードは、鏡を見て肩を竦めた。

「生きてんだから問題ねェだろ」

「っか~~~、クロード、お前ときたら……」

 深い溜息を吐いたテランスは、茶髪をガシガシと掻きあげて片目を閉じてクロードを見やった。

「とりあえず、数日は大人しくしとけよ」

「はっはっは、冗談だろ? 三日だぜ? 三日も休んだんだ、もう十分だろ」

 これだ、とテランスは肩を竦める。

 昨日も、その前の日も、『もう十分だ』と言ってはダンジョンに潜りたがる。

 彼女が此処まで焦り狂う気持ちは理解できるが、だからといってテランスは彼女を外に出す気なんぞ一切ない。というかそもそもそれが出来るならクロードはテランスを殴り飛ばしてでもここを出ていく。それが()()()()()()次点で、彼女がどんな状態なのかはおおよそ察しがつくはずだ。

 折れた骨は繋がりかけ。体中に残った傷跡は塞がりはしたが下手に動けば傷が開きかねない。身体に残存する薬物は全く抜け切れておらず、時折幻覚を見ているのか反応が怪しい時もしばしば。

「ともかく、せめて明日までは大人しくしててくれよ」

「……けっ」

 やさぐれた様子で、決して手放す気は無いらしい煙管を吹かし始めたクロードを見やると、テランスは空になった食器を持って部屋を出た。

 食器を使用人に任せ、直ぐに執務室に戻った彼は、テーブルに置かれた報告書を手に取る。

「ベル・クラネルの方は普通に目覚めて、帰宅済みか……冒険者っつーか、神の恩恵(ファルナ)とやらはよっぽどだな。死闘がたった二日で治っちまうたぁ……」

 狂牛(ミノタウロス)と死闘。これを撃破した少年はバベルの治療室で二日程、深い眠りについており。その後は本拠に戻っての休養。主神は今朝早くに『神会(デナトゥス)』に出席して居らず。それ以降、本拠に誰かが出入りした形跡は無し。

 クロード・クローズが此処まで狂った理由。というべきか、彼女が狂気的な行動に走り出した間接的な原因の少年の動向が書かれた羊皮紙を丸めてテーブルの隅に追いやると、テランスはゆっくりとした動作で息を吐いた。

「明日には動けるだろうなぁ」

 明日にはクロードは何事も無かったかの様に活動を再開するだろう。今までの付き合いからそう予測した彼は、活動に必要な物資や武具等の新調費用の再計算をしはじめた。

 暫く、羽ペンが羊皮紙を走り抜ける音が響く中、ふとテランスの視線が卓の端に置かれた紙山に止まる。

「……ああ、ギルドからの横流し品、そういやまだ見て無かったか」

 ギルド職員がまとめた【ランクアップ】した冒険者の資料。

 その中にあったベル・クラネルという少年のそれを引っこ抜いて中身を眺める。

 前日に【ランクアップ】し、ギリギリに作成された物だからか、全くと言っていい程内容が無い資料に、テランスは顎に手を当てて考え込み始めた。

 ベル・クラネルという少年について、テランス・グラニエは何も知らない。

 少々込み入った事情を持ち、いくつかのヤバい取引も受け持っているとはいえ、テランスはあくまでも一介の商人に過ぎない。

 別にクロードの事を擁護する訳でも、ベルの事を批難する訳でも無いし、そんな事をする権利なんか持ち合わせてはいないが、それでもテランスは言いたい。

「その才能さ、皆で仲良く分ける事とか出来んもんなんかね」

 

 


 

 

 ────月夜に見守られた都市。

 今宵も数多く冒険者が集い、酒と飯を楽しむ『豊穣の女主人』にて、とある冒険者が【ランクアップ】祝いとして祝賀会を開いていた。

 周囲の冒険者がちらちらとそんな彼の様子を伺い、観察している様子が見受けられる。

「【リトル・ルーキー】?」

 今日の昼に発表された『神会(デナトゥス)』で決まった称号(ふたつな)を聞かされた獣人(シアンスロープ)の少女は、小さく小首を傾げながらその二つ名を口にする。

 料理が運ばれてくるまでのほんの少しの間。ジョッキのエールをちびちび口にしながら反応を待つ少年を前に、少女はえっと、うーんと、と可愛らしく小首をかしげ、本音を告げた。

「地味ですね」

「だよねぇ。神様は無難で良いって言ってくれたんだけどさぁ」

 とある冒険者──つい二日前、9階層に突発的に出現したミノタウロスを撃破し、見事【ランクアップ】を──それも、一ヶ月半という最短記録を叩き出してみせた少年がテーブルに伏せてぐちぐちと文句を零す。

 神々が集い行われる神々の会議。神々が神意をぶつけ合い、厳かな雰囲気の元に粛々と進められた──と少年は思っている──『神会(デナトゥス)』にて決定された【ランクアップ】した冒険者に贈られる称号。

 女神は酷く喜んでいたその二つ名は、少年にとって酷く味気ない普通過ぎる代物であった。

 地上の子供達と神々の感性に大きな違いはない。それは神々が下界の文化を享受している所からもわかる通りで、超越存在(デウスデア)だからといって人知を超えた感覚を有している等、そういった感受性の齟齬は殆どない。

 逆にごく一部、違いはある。それが命名の感覚(センス)だ。

 神がおかしいのか、地上の子が愚かなのか。

 神々が前衛的過ぎるのか、地上の子の時代が追い付いていないのか。

 真偽は明かされてはいないが、子供達が目を輝かせ興奮する裏で、神々が悶絶する『痛恨の名』は存在しうる。

 少年の想像上の神会(デナトゥス)と、実物は全く異なり。

 地上で余裕が出来たために、地上ですら暇を持て余した神々が時折集まって雑談をしていたのが、徐々に参加する神々が増え、ただの雑談が最新情報を交換する場となり、最終的には地上の子への命名を行う催し(イベント)が行われる場に変化していったものだ。

 参加条件は【ファミリア】に上級冒険者となった眷属が一名以上所属している事。上級冒険者、つまり【ランクアップ】を果たし、Lv.2以上になった眷属が居れば参加条件を満たしている事になる。

 女神ヘスティアが参加したのは、眷属であったベル・クラネルの【ランクアップ】に加え、一応恩恵を授けているクロード・クローズの【ランクアップ】も含まれていた。

 神会(デナトゥス)における、命名式において新参の神々の扱いは大抵()()

 上位の【ファミリア】を率いる格上の神々が、進んで新人嬲りを始めるのだ。子供は喜ぶが、主神は地獄を見る。そんな絶叫を上げて格下の【ファミリア】の主神がバッタバッタと倒れていく中、無難な二つ名を勝ち取る事が出来た女神は相当に運が良かった。

 その気持ちは、残念な事に眷属に伝わっては居ない様子だが。

「私は好きですよ、【リトル・ルーキー】」

「【ランクアップ】おめでとうございます。クラネルさん」

 項垂れる少年に優しく声をかけたのは、『豊穣の女主人』の店員、ヒューマンの少女のシルだ。今回の祝賀会を開く事になったのも彼女が発端である。

「シルさん。それにリューさんも」

 シルと共にエルフの店員も、お盆に載せられた料理の数々をテーブルに並べていく。

 対面に座っていたリリが背筋を伸ばす中、料理の配膳を終えた二人はおもむろにベルとリリが座る席に合流してきた。

「あの、シルさん達はお店の方は……」

「私達を貸してやるから存分に笑って飲め、とミア母さんからの伝言です。後、金を使えと」

 恐る恐る訊ねた問いに、落ち着いた声でリューに答えられた少年は苦笑した。

 少年がカウンターの奥に視線を向ければ、女将であるドワーフが、不敵に笑いながら手をぱっぱっと振っている姿があった。

「では、改めまして、クラネルさん。音頭をどうぞ」

「え、ああ、それじゃあ、乾杯!」

 少年の音頭に合わせてそれぞれのグラスを打ち付け合う。

 少年の【ランクアップ】を周囲が誉めちぎり、それに照れた反応を少年が返す。そんなやり取りが暫く続いた後、終始、水のみを飲んでいたリューがおもむろに口を開いた。

「ところで、クラネルさん。最近、クロードさんの姿を見ませんが、何かありましたか?」

「え? クロードさんですか……?」

 リューの問いにベルはジョッキをテーブルに置いて困った様に口を閉ざす。

 ベルが最後にクロードと会ったのは三日前。丁度ミノタウロスと死闘を繰り広げたその日である。

 あの日、9階層を訪れた際に違和感を感じ、武装を整えようとしていた所に偶然出会った。その時点で酷い負傷状態だったというのに、その後に現れたミノタウロスと交戦しようとしてそのまま一撃で戦闘離脱。

 話によれば駆け付けた【ロキ・ファミリア】によって応急処置はして貰ったとは聞いたものの、その後についてベルは知らないのだ。

「えっと、僕もその後の事はちょっとわかんなくて……リリは何か知ってる?」

「……あの銀髪の冒険者様の事ですよね。ベル様の先輩、とかいう」

 何処か棘のあるリリルカの言い方にシルとリューが首を傾げ、ベルが冷や汗を流す。

 ベルはあの狂牛との闘いの印象が強くて忘れかけていたが、あの時の初対面だったリリルカとクロードの会話は相当ギスギスしていた。

 事情を知らないシルとリューが首を傾げる中、リリルカは溜息を吐くと口を開いた。

「リリもあの時は朦朧としていましたから、詳細は覚えていませんが……確か、自力で帰れる。とか言って救援を拒んでいた様な……?」

「クロードさんが大怪我していたんですよね。それも9階層で?」

 シルが不思議そうに首を傾げると、リューが唸る。

「そのミノタウロスをクロードさんが連れてきた、のは有り得ませんね。確かに【ランクアップ】したクロードさんでは9階層のモンスターにそこまでやられる事は無いと思います。ですが、ミノタウロスの出現階層まで彼女が降りるのは難しいでしょうし」

 リューの推測を耳にしながら、ベルは思い出していた。

 あの時、クロードは自身が中層に挑んで呆気なく返り討ちに遭い、這う這うの体で帰還しようとしていた、と自らを嘲笑していた事を。

「そういえば、クロードさんは一人で中層に潜って、倒しきれなくて戻ってきたって言ってた様な……」

 様子も少しおかしかった様な、とベルが首を傾げていると、リューさんは僅かに目を見開き、珍しく驚いたような声色を上げた。

「まさか、彼女は一人で中層に挑んだ、と? 何をしているんですか、彼女は……」

「んー、確かに最近のクロードさん、ちょっと焦ってましたけど」

 命を落としたりしていないだろうか、とシルさんが心配そうに口にするのを聞いたベルが慌てて答えた。

「あ、いえ。生きてるみたいです。神様も言ってましたし」

 神は恩恵授けた眷属の生死はわかる。そして、恩恵を授けている女神は、クロードは死んでいないと断言していた。それはそれとして、行方そのものまではわからない様子ではあったが。

「そうですか。怪我していた、というなら心配ですね」

「クロードさんは沢山お金を落してくれてましたし、居なくなられると寂しいです」

「シルさん、それってお給料が減るから、って理由じゃないですよね……」

「もう、ベルさん。私だって心配しているんですよ!」

 私怒ってます、という様に可愛らしく怒りを表現するシルに、少年は謝罪の言葉を口にしながらも、普段から冗談めかしてお金に関して口にしているからそう思ったんだけどな、と心の中で呟いた。

「ところで、クラネルさん。今後はどうする予定なのですか?」

「…………?」

「貴方達の動向が、私はいささか気になっています」

 話を変える様にリューに問いかけられたベルは、苦みばかりで美味さを感じ去られないエールをちびりと口に含んでから、明日の予定を答えた。

「えーと、取りあえず明日は、リリと一緒に装備品を揃えに行こうと思っています。防具とか一杯壊れちゃいましたんで……」

「いえ、そうではなく。今後の予定についてお聞きしたいのです」

「今後の、予定?」

「はい、どの様にダンジョンを攻略していくのか、について」

 真剣な表情で問いかけられた事に少年が唸り、相棒でもあるサポーターの少女と視線を交わしから口を開いた。

「ひとまず、11階層で今の体の調子を確かめようと思っています。もしそこで攻略が簡単に進みそうだったら、12階層まで足を延ばすつもりです」

「ええ、それが賢明でしょう」

 おおよそ、少年が問いかけてくる彼女が自身の心配をしてくれているのだと察し始めた所で、彼女は切り出した。

「差し出がましい事を言うようですが……中層へ潜るのは止めておいた方が良い。貴方達の状況を見るに、少なからず私はそう思います」

「つまりリュー様は、ベル様とリリでは中層のモンスターに太刀打ちできないと、そうお考えなのですか? クロード・クローズ様がいかに御強い冒険者かリリは存じ上げませんが、ミノタウロスと一騎打ちで勝ち得たベル様なら問題無いと思いますが」

 少年と自身、どちらも軽視されたと感じたのかリリルカが強い語調で反論を述べると、リューは変わらぬ落ち着いた声色で返した。

「そこまで言うつもりはありません。ですが、上層と中層は違う」

 真剣そのものの眼差しで告げるリューの言葉にベルとリリルカの二人は息を呑む。

「各個人の能力の問題ではなく、()()()()()()()()()()()()()。中層とはそういう場所です。クロードさんは能力で言えばクラネルさんを上回っている。負傷状態でなければ、ミノタウロスはクロードさんが倒していたでしょう。ですが、そんな彼女ですら単独(ソロ)で挑めばどうなるか、既に貴方はその目で見た筈だ」

 少年は、告げられたその言葉と、記憶の中で自身の愚かな行動を嘲笑する少女の姿が浮かんだ事でより強くその言葉の意味を受け止めた。

 冒険者を始めてすぐ、先輩としてダンジョンに同行し、いくつもの助言をくれていた彼女の強さはおおよそにだが理解できる。【剣姫】の特訓を受け、【ランクアップ】で追いついた今でも、ベルには自身がクロードを上回っているとは考えにくかった。

「リュー様は、クローズ様の事を良く評価しているのですね」

「ええ、彼女の実力は確かだ。確かに口も悪い、態度も悪い、極めつけには煙臭いと良い所が全く無い様に思えますが、実力は確かなのです」

 リリルカの問いに包み隠さず答えたリューの返事を聞き、リリルカは大きく眉を顰めてぶつくさと文句を零す。

「確かに、実力は文句無しだとは思いますが……」

 性格が最悪だ、と初対面の悪印象を引き摺るリリルカに、ベルが苦笑する。

「それでは、僕達はどうすればいいんでしょうか」

「貴方達はパーティを増やすべきだ」

 昔冒険者だった経験者(リュー)に助言を乞うと、彼女は隠す事なく告げた。

 ダンジョン攻略の三人一組(スリーマンセル)が基本とされている。少なくともギルドが推奨している事に間違いない。

 三人一組とは、攻撃、防御、支援の連携が機能する体系である。

 現在のベルとリリルカの二人パーティに、一人冒険者が加わるだけで個人の力が大きく上昇するよりも、はるかに有意義になるのだ。

「でも、リュー? ベルさんとリリさんだけなら、逃げ出す事は簡単なんじゃないの? 人数が多いと逃げ遅れる人も出てくるんじゃあ?」

「シルの言う事も一理ありますが。逃走を図るという事は、既に追い込まれた後という意味です。最初から窮地に立つ事を考えるより、その局面に遭遇しない事を考えた方が建設的だ」

 ましてや、クロード程の実力者が全力逃走に切り替えた上で這う這うの体で9階層まで辿り着いた。という時点で『逃走する状況』に陥ることが致命的である事は想像に易い。

 過去、冒険者だった経験者(かのじょ)の語る内容は、どれも説得力に満ちた内容である。

「万全を期すべきです。貴方達は少なくともあと一人、仲間と呼べる者を見つけた方が良い」

 リューの言った事に大いに納得したベルは、隣にいたリリルカの頷きを見やって考え込み始める。

 仲間を増やす重要性は理解した。それは大いに納得できる説得力のあるものではあった、だが肝心の仲間になってくれそうな人物が居ない。否、正確には居なくはないが、想像できない。

「クロードさんを誘ってみるってのはどうでしょう! ねね、ベルさん、どうです?」

 妙案だと言わんばかりに告げるシルの言葉に、ベルは困った様な笑みを零す。

 彼も真っ先に考えたのだ。先輩冒険者であり、同主神から恩恵を授かっている冒険者。実力も十二分にあり、知らぬ仲でもない。

 口の悪さに加え、言葉を選ばない所等、苦手な所があるが、それを差し引いても勧誘の考慮に値する事は間違いない。

 ベルが戸惑いがちにリリルカを伺うと、彼女もおおよそ少年の考えを読んでいたのか渋い表情を浮かべながらも頷いた。

「リリは、構わないと思います。確かに、ちょっと、多少……いえ、物凄くあのお方は口が悪いです。リリもあまり良い方ではないと自覚していますが、あの方は少し、いえ滅茶苦茶度が過ぎていますが、実力は確かですから」

 実力は確か、という言葉にベルも大いに頷ける。

 少年や女神、昔冒険者だったリュー等も認める様に、彼女、クロード・クローズは実力は確かだ。

 言動が少々、いやかなり暴力的に思える部分はあれど、おおよそは包み隠さない直球なだけで嘘が何一つない。ある意味性質が悪いが、他に勧誘できそうな冒険者は目の前に居る訳ありそうなリューに、モンスターに心傷(トラウマ)を抱えた犬人(シアンスロープ)ぐらい。

 後、知り合い、と呼べる様な冒険者は存在しないのだから。

「うーん……仲間になってくれそうな冒険者の知り合いが……」

 他に居たら、あえてクロードを誘う理由はない。

 逆に、他に居ないのであればクロードを誘わない理由がない。

「と、とりあえず明日、装備を買いに行ってから、クロードさんに会えたら……って形で」

 迷いに迷った末、少年が出した答えは明日の自分に丸投げする事であった。




 エピソード・リューのグラン・カジノ編にね、クロードが居たら楽しそうだなって。テランス君が居るし、彼繋がりでカジノに行くの難しくなさそうだし。
 でもそれやるとリューさんの場面をぶち壊しに行きそうで、ゾクゾクする。


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第二六話

 鍛冶師、ヴェルフ・クロッゾは不機嫌だった。

 鍛冶師としての腕は経営陣に評価されているが、実際の店頭では粗末な扱いを受けたりしている事もそうだし。一度は購入された商品を返品されたりもそうだ。加えて、【ファミリア】の同僚達が陰険である事も彼が不機嫌である理由の一つだろう。

 ただ今日に限っては、また別の理由がいくつも存在した。今朝、中層に挑む等と滅茶苦茶な事を口にして武装を揃えさせた無茶しがちな冒険者が姿を見せた際に、失敗して死に掛けた挙句に、中層に挑む為に新調した武装を全て破砕させていた事──は実は気にしていない。どちらかといえば、体中に消えぬ傷跡を残していながらも、未だに18階層到達を諦めている気配の無い事に対してご立腹である。

 それに加えて、新作の軽装を店頭に並べようと『バベル』八階にある、【ヘファイストス・ファミリア】の店舗を訪れたのはいいものの、指定された展示場所が店舗の隅の端っこ、それこそ周囲には売れ残りばかりが集まる一角を指定されたのだ。

「だから、なんでいつもいつも端っこにっ! 俺に恨みでもあるのかよ!」

「別に恨みなんかない。アンタにゃあ専属の顧客が居るだろ。ソイツにでも売り付ければ良いだろ」

 無数の防具が並べられた鎧の森の一角。店員が小ばかにした様な態度で赤髪の青年の相手をしていた。

 身長が高めの中肉中背の青年は、カウンターに軽装のパーツの入った箱を置きながら、目の前の店員を怒鳴りつける。

「嫉妬でもしてんのかよ!? アイツとの取引を拒んだのはそっちだろ!」

 ヴェルフの怒声に店員は溜息を零して肩を竦める。

 店員である彼は【ファミリア】の鍛冶師であるが、稼ぎ不足から店員としてバイトに勤しんでいる人物でもある。

「Lv.2になった専属の冒険者が居るんだから、そっちと取引してりゃあ良いだろうに。それに、逆に聞くが、その冒険者以外にお前の作品が売れた事があったか?」

「ぐっ……」

 ヴェルフが唯一取引している冒険者。つい今朝がた顔を出して律義に頭を下げ、武装の新調を依頼してきた人物。都市最速──二ヶ月という短期間で【ランクアップ】した冒険者、クロード・クローズ。

 彼女と唯一取引している鍛冶師はヴェルフ一人のみ。しかも【ランクアップ】によって一躍有名になった彼女と友好関係を結んでいたのもヴェルフ一人。

 元々、周囲からやっかみを受けていたヴェルフに嫉妬が集まるのも当然であった。

「それに、店頭に並べたきゃ、せめて売れる様になってもらわなきゃなあ?」

「おまっ、それを引き合いに出すのか!? だったら猶更、目立つ所に置いてくれなきゃ無理だろ!」

 過去、ヴェルフが店頭に並べた作品の内、売れたのはたったの二作のみ。

 それ以外に売れた実績は無く、眼前の店員が言っている事は正論である事に間違いは無い。だが、店頭の目立つ場所に置いてもらえなければ、そもそも冒険者の目に留まる事も無い。

 だが、ヴェルフは既に目立っている。正確には彼が専属で武装を用意していた冒険者、クロードの【ランクアップ】によって、彼女の専属鍛冶師としてちらほらと名前が知られ始めた、程度でしかないが。しかし、他の新米鍛冶師からすればたまったものではない。名が売れているのに、自分達が唯一冒険者に目を留めて貰えるかもしれない場を、名が売れ始めたヴェルフにとられたくない、というのが彼等の本音だろう。

 それをわかっている上で、ヴェルフは彼に言いたい事があった。

「何度も言わせるなって、クロード・クローズと取引でもしてろっての!」

「アイツの要求に応える事もしないで端から諦めた癖に、取引を拒否されて罵倒されて逆恨みかよ!?」

 元々、口が悪い事に加えて作品に数多くの文句(ケチ)を付けては壊す、等という事を繰り返す苦情屋(クレーマー)として新米鍛冶師から毛嫌いされていた。だが、ヴェルフに言わせれば大いに間違いだ。

 彼女は自身が要求している基準に満たない物にこそ文句は付けるが、しっかり基準を満たせば大いに褒める。口が悪すぎて勘違いされがちだが、クロードという人物は鍛冶師の作品をいくつか目利きした上で、その鍛冶師が持つ技量で達成可能な要求しかしない。それこそ限界ギリギリの所で要求してくる。

 ヴェルフはその要求に必死に応えた結果、彼女に気に入られて専属状態になっただけであり、他の鍛冶師はそもそも要求に応えようともせずに端から『そんなもんできるか』と彼女を突き放したのだ。それでいながら、有名になった後にすり寄ろうなんて考えるから彼女から罵倒される事になるのだ。

 挙句の果てに罵倒された鍛冶師が彼女と友好を結ぶヴェルフに逆恨みして陰口を叩きだし。自身に嫉妬して足を引っ張る店員の陰険さこそ、ヴェルフを苛立たせる。

 そんな苛立つ彼を前に、店員は実に厭らしく笑った。

「ヴェルフ、お前さんの作品の売り上げは下の下、こんな売れない作品は目立つ所に置く訳にはいかない。わかるだろう?」

「だ、か、ら! 売れる様に目立つ所に置いてくれって頼んでるんだろうが!」

「そりゃ無理だ。そういう取り決めなんだからな。文句があるなら上に言ってくれ」

 上の取り決め。

 【ファミリア】内の幹部や上級団員達によって決定された決まり事。それを引き合いに出されたヴェルフは言葉を詰まらせる。

 今こうして鍛冶師として、小さいながらも鍛冶場を持たせてくれているのは誰か。片隅とはいえ店舗に作品を並べさせてくれているのは誰か。それを考えてしまえばヴェルフの言い分は全て通らなくなる。

 文句があるなら、出て行けばいい。そんな風に陰険で見下した表情の店員に、ヴェルフは歯噛みして睨み付ける。

「あの」

「あっ、いらっしゃいませ~」

 店員と睨み合いを行っていた赤髪の鍛冶師の背後から、控えめな声量が放たれる。

 それに気付いた隣のカウンターの店員が声を上げるを他所に、ヴェルフはただ強く眼前の店員を睨んだ。

 睨んではいたが、既にヴェルフは反論の言葉を失っている。

 店頭の目立つ箇所に作品を展示できるのは、ある程度の売却実績が必要であり。専属で取引しているクロードに売った分を含めた所で、ヴェルフの売却実績は遠く及ばない。

 それが【ファミリア】の決まり事であり規則(ルール)ならば団員である彼は逆らう事は許されないのだから。

 それでも精一杯に睨んで叛骨の気概を見せていた彼の隣のカウンターに、一人の冒険者が入った。

「何かご用ですか?」

「はい、ヴェルフ・クロッゾさんの作品って、今は売られていないんですか……?」

 隣に入った人物を、ヴェルフは思わず振り向いて凝視した。ヴェルフと睨み合っていた店員も、件の冒険者の対応をしていた店員も、その場に居た全員がその冒険者──白髪の少年に向けられる。

 また、『魔剣』欲しさに探してる奴か、とヴェルフは呆れそうになり、その見覚えのある容姿に眉を顰める。彼の名を知っている。知り合い、ではないが、知っていた。

 ベル・クラネルだ。

 クロードの後輩冒険者で、最近クロードより短期間での【ランクアップ】をして、世界最速兎(レコードホルダー)を勝ち取ったと都市を沸かせている人物。

 更に、ヴェルフは引っ掛かりを覚えた。

 そもそもこんな新米鍛冶師の作品が並んでいる所に『魔剣』を探しに来る奴が居るか。という事と、ついでに、丁度前に売れた『防具』があった様な、と記憶を掘り起こす。

「え……な、何?」

「……あ、あのぅ、ヴェルフ・クロッゾ氏の作品を、お求めですか……?」

「は、はい。ヴェルフ・クロッゾさんの防具を、使いたいんです……」

 三方から凝視されてたじろいでいた白髪の少年に、恐る恐るといった様子で店員が訪ねると、彼はどもりながらも答えた。

 ほんの一瞬だけ青年は頭が真っ白になり、理解が追い付いた瞬間、声を上げた。

「ふ……うっはははははははははは!? ざまぁー見やがれっ! 俺にだってなぁ、顧客の一人や二人付いてんだよ!」

「はんっ、作品の価値もわかんない新米だろうに」

 思わず高らかな笑いを響かせ、眼前の店員を挑発する。が、ヴェルフと対面していた彼は鼻を鳴らして呟く。

 件の少年は何事かと困惑し、ヴェルフと店員を交互に見やる。

 そんな中、ヴェルフは悪態を付く店員を無視して、少年に振り返った。

「ヴェルフ・クロッゾの作品ならここにあるぞ、冒険者……いや、ベル・クラネル!」

「えっ!? 何で僕の名前……って、クローズさんと一緒に居た!?」

「──は? ベル・クラネル……? ベル・クラネルゥ!?」

 最近話題沸騰中の世界最速兎(レコードホルダー)、【リトル・ルーキー】ベル・クラネル。

 目利きも出来ない新米冒険者どころか、世界記録を塗り替えた冒険者。そんな彼が売れない鍛冶師のヴェルフ・クロッゾの作品を探している。それも『魔剣』ではなく『防具』を。

「ヴェルフ、テメェ! クロード・クローズとのコネでそっちにまでツバ付けてやがったな!?」

「はんっ、そんな事してねえよ!」

 現にヴェルフはベル・クラネルと対面するのはこれが初めてだ。

 遠巻きに姿を見た事はあるが、声をかけた事も話した事も無い。加えて、クロードはわざわざ他の冒険者にヴェルフの作品宣伝なんてやってくれる性質ではない。

 正真正銘、ヴェルフの作品を買い、気に入ってくれた冒険者が彼なのだから。

「っと、悪い。お前さんの探し物はこれだ」

 遅れて、眼の前で信じられないと目と耳を疑う店員を無視し、ヴェルフは持ってきていた箱を少年の前にカウンターに置いた。

 恐る恐ると箱の中を覗き込んだ少年、ベル・クラネルはその箱の中に入れられた防具を見やると、眼の色を変える。いくつかのパーツを手に取り、しみじみと眺め、やっと見つけたと言わんばかりに目を輝かせている。

 自分の作品を見つけ、そんな風に見られてしまえば、鍛冶師としてこれほどうれしい事はないだろう。

「どうだ、使ってくれるか?」

「え? こ、これ、貴方のものなんじゃないですか……?」

 声をかけた途端、ベルが戸惑った様な態度でヴェルフを見上げる。

 少年が抱いた疑問にヴェルフが目を瞬かせ、何を言っているんだ、と疑問を抱いて。それはすぐに氷解した。

 ヴェルフ・クロッゾはベル・クラネルという冒険者を知っている。クロードの後輩で【ヘスティア・ファミリア】に所属し、彼女との仲は余り良くはない。だが、目の前のベル・クラネルは自身の事を知らない。クロードにいくつか冒険者依頼(クエスト)を頼む仲ではあるが、わざわざ仲が良くないベルにクロードがヴェルフの事を話すとは思えないからだ。

 ヴェルフは戸惑っている少年に、安心させるように、にっ、と笑いかける。

「ああ、俺のものだな。……俺が打った作品だ」

「────ぇ」

「クロードから話は聞いてない、んだろうな、その反応だと。改めて自己紹介させてくれ、得意客(ファン)二号……いや、クロードは特殊過ぎるから、正真正銘の得意客(ファン)一号だな。俺の名前はヴェルフ・クロッゾ。【ヘファイストス・ファミリア】の、今はまだ下っ端の鍛冶師(スミス)だ」

 ヴェルフが自己紹介し、自身の正体を少年が探していた作品の作者だと告げると、思考が追い付かなくなったのか彼は完全に固まってしまう。横から突き刺さる嫉妬の視線に辟易しながらも、ここではゆっくりと会話が出来ないな、とヴェルフは肩を叩いて緊張を解す様に笑いかけた。

「サインいるか?」

 

 


 

 

「あの、先ほどはすいませんでした……」

「いや、気にしないでくれ。俺も、変なところ見せちまったからな」

 都市を沸かせる冒険者二人と人脈(コネ)を繋いだヴェルフに嫉妬していた様子の店員、彼が声を上げるより前にその場を後にし、八階に設けられた休憩所、魔石昇降機(エレベーター)の近くにある空間にて、白髪の冒険者ベル・クラネルと、赤髪の鍛冶師ヴェルフ・クロッゾは話を交わしていた。

 ヴェルフは過去二度しか店頭で売れなかった作品を買ってくれた上で、更に新しく自身の作品を探してくれていたベルに興味を持ち。

 ベルはベルでクロードと友好関係にある、と思える鍛冶師の彼に聞きたい事がいくつもあったのが理由だ。

「えっと、クロッゾさんの年齢は……?」

「今年で十七だ。で、そのクロッゾさんってのは止めてくれ。家名、嫌いなんだよ」

 ベルの反応から、クロードから一切何の話も聞いていないのを確信したヴェルフは、初めて何の含みもなく自身の作品を評価し、更に探してでも欲しいと思ってくれた冒険者の登場に柄にもなく興奮し、しきりに笑いかける。

 嫌いな家名で呼ばず、出来れば名前で呼んでくれ、とヴェルフが頼むと、彼は素直に名を呼び始めた。

「え、えーと……ヴェ、ヴェルフさん……? それで、僕に用って……?」

「おいおい、さんづけか? ……クロードとは大違いだな。ま、それは置いといて、じゃあちょっと話を聞いてくれ」

 クロード、と名を呟く度に少年が何か聞きたそうにするのにヴェルフは気付いている。ここで彼の話を聞いても良いが、先に自分の用事を済ませたい、と考えた彼は自身の話を聞いてもらうべく口を開いた。

「単刀直入に言うとな、俺はお前さんを放したくなくなかったわけだ」

「…………?」

「俺の作品は剣だろうが鎧だろうが全く売れない。自分で言うのも何だが、良い作品(モノ)を出している自信がある。けど、からっきしだ。購入はされるあと一歩で返却されるらしい。解せねぇ」

「…………」

 本気で何故あと一歩で返却されるのかわからない鍛冶師が首を傾げる横で、防具に付けられた銘、『兎鎧(ピョンキチ)』を思い出した少年は、その銘にこそ問題があるのでは、と内心呟くが口には出さなかった。

「だが、そこにお前が現れた。俺の防具の価値を認めてくれた。……一応確認しておくが、クロードに勧められた訳じゃないよな?」

「えっと、はい」

「だろうな。アイツがわざわざ俺の作品を人に勧めるなんて想像も出来んしな。っと、悪い話が逸れた。ともかく、お前はそれでありながら二度も俺の作品を買いにきてくれた。俺の顧客、本物だ。違うか?」

 ヴェルフの確認の問いかけに少し考え込んだ少年は、小さく頷きを返した。

「結局な、下っ端の鍛冶師(スミス)の俺達は客を奪い合ってるんだ。有名になれば誰も彼も寄ってくるが、無名だとそうはいかない。俺達の作品は、同じ未熟な冒険者が懐と相談して、たまたま買い取っていく。そんなもんだ」

 ここまでわかるか。と、少年の為に自身の望みを理解させるために噛み砕いて説明していたヴェルフが確認をとる。

「貴重なんだぜ、冒険者の方から下っ端の作品を求めてくれるってのは。さっきも言ったが『認めてもらった』、今の俺達にとってこんなに嬉しい事はない。俺の初めての『客』だ、だから逃がしたくない……逃がす訳にはいかない」

 大胆不敵にも隠しもせずに下心を告げたヴェルフは笑いかける。

 そんな彼の姿を見たベルの方は眉根を寄せて苦笑しつつも、彼の人柄が良いのだと理解して肩の力を抜いた。

「じゃあ、僕にこれからも顧客で居て欲しいってことですか?」

「間違いじゃないが……もっと奥に踏み込ませてもらう」

 本音を告げた青年は、そこから改めて自身の願いを告げた。

「俺と直接契約しないか、ベル・クラネル?」

 『直接契約』。

 それは鍛冶師(スミス)と冒険者が結ぶ契約の事である。

 内容は至って簡単であり、冒険者はダンジョンから『ドロップアイテム』を持ち帰り鍛冶師(スミス)へと引き渡し、代わりに鍛冶師(スミス)は強力な武具を冒険者に格安で提供する。

 持ちつ持たれつ、信頼しあった冒険者と鍛冶師の間に結ばれる助け合いの契約だ。

「えっ……い、良いんですかっ!?」

「おいおい、それはこっちの台詞だぞ。お前はもうLv.2で、『鍛冶』のアビリティを持ってない無名の俺じゃあ、普通に考えて吊り合いがとれないだろう?」

 至極真っ当な鍛冶師の指摘に、少年はそれもあった、と驚きの声を上げた。

「それも? 他に何かあるのか?」

「えっと、ヴェルフさんって、クローズさんともう契約してるんじゃ……?」

 少年が驚いた理由はいくつもある。

 一つ目は、自分がまさか直接契約を申し込まれるとは思っていなかった事。

 二つ目は、目の前の鍛冶師がクロード・クローズと共に行動しているのを見かけた事だ。

 後者の理由から、ベルはてっきり、眼前の鍛冶師が彼女と契約を結んでいるものだと考えたのだ。

「あー、クロードか。アイツとは……実は契約してない」

「そうなんですか?」

「ああ」

 何処か苦い表情を浮かべたヴェルフは、大きく肩を竦めた。

 彼女とのやり取りが始まったのは、やはり作品が売れずに金欠気味だった時期に少し特殊な機構の武装作成を依頼しようとして鍛冶師に声をかけていたクロードと出会った頃だっただろう。

 最初、クロードの依頼を受けた鍛冶師は多かった。報酬額がかなりの額だったからのも大きい。だが、他の鍛冶師が依頼を受け、作品を作って持っていくと、皮肉交じりの罵倒で作品を貶されて支払い拒否される鍛冶師が連発した。それを聞いたヴェルフは自分ならばうまくやれると挑み、ヴェルフが作った作品はボロ糞に貶された。

「貶されたんですか!?」

「ああ、今なら理由がわかるんだがな。その時の俺は、舐めてたよ」

 余りの言い草に、ヴェルフ以外にも何人もの鍛冶師が彼女は目利きも出来ない高慢ちきな冒険者だと悪態をついて離れていった。当然、下っ端鍛冶師達に文句ばかりつける苦情屋(クレーマー)として幹部にまで報告があがり、一度は彼女は上級鍛冶師達に連れていかれた。

 だが、数日後には何事も無かった様に依頼を張り出していたのだ。

「女神や上級鍛冶師達を納得させるだけの何かを、クロードは持ってたんだよ」

「それって……」

「俺も、暫くは気が付かなかったからな」

 最初に言われた皮肉交じりの罵倒を見返したくて、ヴェルフは彼女からもう一度依頼を受け直した。今度こそ、文句を言わせない武器を作ってやる、と。そして、その武器は、しっかりと彼女を満足させた。

「目から鱗が落ちた気分だったな」

「どういう、事ですか?」

「ああ、アイツ……その時、なんて言ったと思う?」

 ──流石、出来るじゃねェか。良い出来だ。

 ──あァ? 最初にあんだけ罵倒した理由だァ?

 ──決まってンだろ。店頭に並べてある武具と比較して酷ェ出来だからだろ。

 ──ハァ? テメェの名前は『ヴェルフ・クロッゾ』で、みょうちきりんな名前の防具、『兎鎧(ピョンキチ)』だったか? アレはテメェの作品じゃねェのかよ。あれには全力を注げて、オレの依頼にャァ、手抜き? テメェ喧嘩売ってんのかよ。

 彼女が求める基準を満たさなければ罵倒と皮肉が待っている。

 不条理だ、と下っ端鍛冶師が吠えては離れていく中、唯一ヴェルフの作品を認めた。

「アイツ、目利きは本物だよ」

 クロード・クローズが求める基準は、店頭に並べられたその鍛冶師の作品から読み取った、その鍛冶師が生み出せる最高の品質の代物だ。

 彼女は依頼した鍛冶師に対して『コレぐらいなら出来るだろ』と告げる。それを、大多数の下っ端鍛冶師は挑発と受け取っていた。だが実際には違う。

 その鍛冶師の作品群を観察し、その作品に使われた技術を読み取った上で『この鍛冶師はこのぐらいの武装を作れる』と言っているのだ。

 無論、そう易々と作れる代物ではない。その日の体調次第で出来上がる作品の質は多少上下はする──が、そんな体調が云々なんて言い訳を彼女は聞きやしない。

「クロードの奴に満足してもらえる作品作ると、二日三日は疲れちまって動きたくなくなっちまうんだよ」

 言うなれば、クロード・クローズはほんの一遍の妥協すら許さない。

 全力を尽くせば作成可能な範囲の依頼しか出さない。

 彼女が見定めた基準を満たす作品に対して、彼女はやけに素直に褒める。実際、ヴェルフは全身全霊を込めて作成した作品を認め、褒めた。流石、出来るじゃねェか。と。

 逆に、基準を満たさない作品には皮肉交じりの罵倒を贈る。出来るはずなのに出来ないのだから当然、と。

「言い分を聞いたら大いに納得した。鍛冶師(スミス)の体調がちょっと悪かったから、気分が乗らなかったから、その日はどうにも調子が出なかったから、出来上がった作品の質も悪いです。なんて、武具を使う側からすりゃあ知ったこっちゃないだろうしな」

 上級鍛冶師や幹部達が彼女を『ただの苦情屋(クレーマー)』として対処しなかったのは、彼女の言い分が認められたから。

 実際、彼女の言い分をしっかり聞いてみれば、思わず納得してしまえる内容であったのだ。

 ただ────。

「致命的に口が悪いだけなんだよ、アイツ……」

「あぁ……」

 肩を落として顔を覆い、クロードの口の悪さに深い溜息を零すヴェルフの言葉に、ベルは大いに納得して頷いた。

 ベルにも鍛冶師である彼の言った事は大いに納得できた。

 過去の彼女の行動、言動。それを思い返すと、彼女は周囲に『不可能な行動』は一切要求していない。彼女は、その人が『出来る』範囲を要求するのだ。そして、それを『しない』者には罵倒と皮肉をぶつける。

「それで、結局契約の方は……?」

「ああ、さっきも言ったが、してない。これっぽっちもな」

 彼女の口の悪さに他の下っ端鍛冶師は皆揃って彼女を避け。結果的にヴェルフにのみ武装作成の依頼を出してくる。

 上級鍛冶師に頼めば良いのでは、と思われるが、彼女の真意を見抜けない者は揃ってクロードを避け、真意を見抜けるだけの考えを持つ鍛冶師は既に依頼で手一杯。

 そうなると下っ端で、なおかつクロードの要求に見合った武装を作れるヴェルフに白羽の矢が立つのは当然。

 彼女が直接武装作成の依頼をするのはヴェルフのみ。代わりに彼女に依頼を受けて貰うので、ほぼ契約を結んでいるも同然だが、実際に結んでいるのかというと結んでいない。

「結局、クロードと取引してんのはオレぐらいで、他の奴は避けてんのさ」

 だというのに、クロード・クローズとのコネを持ってる事を嫉妬されて陰険な嫌がらせを受けるのは流石に違うだろ、とヴェルフは吠えたい。

「自身の持てる技術全てを注ぎ込んで、全力で挑めばクロードは認めてくれる。アイツ、相当な捻くれ者だが、その部分だけはしっかりしてんのに。皮肉交じりの罵倒されんのは自分の所為って事に気付きもしないで……っと、悪い。それで、どうだ? 俺と専属契約してくれる気になったか?」

 自分達で最大の好機(チャンス)を蹴っておいて、それを掴んだ自分に嫉妬して嫌がらせなんかに走る他の鍛冶師へ文句を呟きかけ、ヴェルフは慌てて首を横に振り、本題に戻した。

「…………わかりました。ヴェルフさんと契約を結ばせてもらいます」

「よし、決まりだ! 断られたらどうしようかと思ったぞ」

 ヴェルフが手を差し出して立ち上がると、ベルはその手を取って立ち上がった。

「よろしくな、ベル」

「こちらこそよろしくお願いします。ヴェルフさん」

 しっかりと結ばれた手を、周囲の鍛冶師に見せつけ、自身が下っ端鍛冶師が狙っていた話題沸騰中のベル・クラネルも勝ち取った事を誇る。

 周囲の鍛冶師が悔し気に、または舌打ち交じりに去っていくのを見たヴェルフは、そそくさと去っていく鍛冶師達の背にほんの少しの優越感に浸った。

 そんな時、握手をしていたベルが声を上げた。

「あの、その前に一つ、お願いがあるんですけど」

「お願い?」

「あ、駄目なら良いんですけど。実は、今パーティメンバーを探していて……」

 その言葉に、ヴェルフは大いに口角を上げた。

「俺の我儘も聞いてくれ」

「え?」

 丁度、自身が我儘、として彼に頼みたい内容を被っていた事からヴェルフは思わず声を上げる。

「勿論、見返りはするぞ。お前さんの装備、俺が無料(タダ)で全部新調してやる」

「えぇ!?」

「俺をパーティに居れて欲しいんだ。駄目か?」

 丁度パーティメンバーを探す少年に、自身を売り込む。なんと絶好の機会だとヴェルフが喜色満面の笑みを浮かべていると、少年が困惑した様に固まる。

「駄目か?」

「あ、えっと……駄目、じゃないと言いますか。丁度探してた、んですけど……」

 ヴェルフの申し出が全く想像できていなかったベルは困惑しつつも、頼みたい内容を告げる。

「実は、知り合いの方から最低でも三人一組(スリーマンセル)で行動すべき、って言われてて。それで、あと一人を探してたんですけど」

「そこに俺が入れば良い訳か?」

「えっと、その知り合いの方からはクローズさんを誘うのを薦められてて……」

 ベルの言葉を聞いていたヴェルフは成る程、と納得して頷いた。

「つまり、俺に頼みたい事ってのはパーティに入って欲しいって訳じゃなくて、クロードに声をかけて欲しい訳か」

「はい」

 クロードの知り合いで、なおかつ彼女と上手い付き合いを構成しているヴェルフならば、彼女をパーティに勧誘するのに一役買ってくれるのではないか、という少年の思惑に納得した青年は腕を組んで大きく唸った。

「うぅん、難しいと思うが……」

 クロードの性格をそれなりに知っているヴェルフからして、彼女とベルの仲はそこまで良くはないと判断している。正確には、クロードからベルに対する想いは複雑そうなのは確かだろう。

 ただ、ベルが悪しき人間かというとそんな事は全くない。むしろ純朴そうで良い人柄なのはヴェルフにも理解できた。

「……よし、それについても俺に任せてくれないか?」

「良いんですか?」

「ああ、クロードの奴には貸しがあるからな」

 無茶な要求だと本人も自覚しながら、ヴェルフに武装の新調を幾度も頼んできたクロードには貸しがある。それを使えば彼女を引き込む事も出来るだろう。

 加えて、どうにも関係が微妙になっているベルとクロードの仲を改善すれば、彼女の無茶な行動を抑える事が出来るかもしれない。とヴェルフは兄貴らしい笑みを浮かべた。

「俺とクロードでお前のパーティに合流する形でどうだ。それならなんとかなるだろう」

「本当ですか」

「ああ、この件は任せてくれ。どうせこの後クロードとはもう一度話す予定だからな」




 クロードが鍛冶師に要求する部分について簡単に言うと常に最高値を求めてる感じ。
 武器攻撃力に多少の乱数がある場合、その乱数の中で最も高い数値以外認めない系。
 ディアブロ系ハクスラで、装備につくマジック効果全てが最高値じゃなきゃ塵、と断言する系のプレイヤーだと思ってください……まあ、彼女、前世で廃人でしたから当然っちゃ当然ですが。

 そういえば、クロードの二つ名、まだ本編で出てない様な……? 次回、次回には出す、はず。たぶん、きっと、めいびー。


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第二七話

「やってきたぜ、11階層!」

 腰に手を当てた赤髪の青年が、自身の作品でもある得物を担いで快活に言い放った。

 威勢のいい彼の言葉の通り、彼を含むパーティは現在11階層に居る。

 位置は、幅広の階段が中央に伸びている11階層のスタート地点である『ルーム』だ。この階層で発生している霧は、彼等が居る現在位置の始点には発生しておらず、視界は確保されている。

 十分な視野が確保されたルームには、靴を半ばほど飲み込む草原が広がっており、ところどころに『迷宮の武器庫(ランドフォーム)』である枯れ木が広がっていた。

「ヴェルフさんの到達階層も11階層なんでしたっけ……?」

「ああ、そうだ。それにしても悪いな、ベル。昨日の今日でこんな無茶聞いてもらって」

「いえ、むしろ僕の方こそ、無茶を聞いてもらいましたし」

 白髪の少年が快活に笑う鍛冶師に半ばほど本音の含まれた返事を返す。

 そんな彼らの背後から一人の小人族の少女が前に出る。この階層に到達するまで終始無言で煙管を加えたまま話しかけるな、と不機嫌そうな雰囲気を散らす銀髪の少女は、徐に駆け出して二人を追い抜き、まばらに生える枯れ木を片っ端から叩き潰し始めた。

「あぁ……」

「……うっ」

 和やかなやり取りをして気を紛らわそうとしていた青年と少年の二人は、不機嫌そうな雰囲気で終始口を開かない少女、クロードの行動を見て表情を強張らせた。

 事の始まりは昨日、鍛冶師の青年であるヴェルフが、冒険者の少年ベルに頼み込んで自身をパーティに加わらせてもらう代わり、とある冒険者の少女クロードを同行させるという条件を提示した。丁度パーティメンバーを探していたベルはそれを受けた。

 ベルは数日はかかるだろうと思っていた彼女の説得は、意外な事に次の日にはヴェルフと共に集合場所で待っていたのだ。ただし、合流のさいに広場の噴水で苛立ちを隠しもしないクロードに近づくのは少年にとってすさまじい勇気を必要としたが。

 そんな事もあり、今はベルとヴェルフ、そしてサポーターの小人族に合わせ、クロードの姿がパーティに含まれていた。

 一通り、視界に入っていた枯れ木、『迷宮の武器庫(ランドフォーム)』を破壊しきったクロードがヴェルフ達の元へ戻ってきて、無言のままにパーティ最後尾、サポーターの後ろに就いた。

 突然の行動に、半ば騙す様な形でパーティに同行させたヴェルフと、どうにも不機嫌そうな彼女の雰囲気から話しかけ辛く感じているベルが黙り込む中、大きなバックパックを背負った少女が我慢の限界だとでも言う様に、情けない男二人に代わって不機嫌そうなクロードに声をかけた。

「あの、クロード様」

「ンだよ」

「不機嫌なのはわかります。気に食わないのもわかります──ですが、今はベル様やヴェルフ様のパーティを組んでいるのです。そんな身勝手な単独行動を繰り返されては困ります!」

 この11階層に至るまで、煙管を吹かす少女の行動はパーティメンバーに一声もかける事が無かった。敵が現れれば無言で突撃し殲滅。傷一つ負う事もなく隊列に戻る。と言った事を繰り返していた。

 どれだけこのパーティに入ったのが気に食わないのであろうが、隊列や連携を無視した行動を繰り返すクロードに対しリリルカの言い分は正しい。

「今はパーティを組んでいるのです。せめて一声おかけになってから行動してください。単独(ソロ)とは勝手が違うのですから」

 どこか毒を含んだリリルカの言い草に、クロードは口の端から紫煙を吹かすとベルに視線を投げかけた。

「身勝手な行動、なァ?」

 パーティを組んでいる。だから身勝手な行動は控えろ。というリリルカの言葉をクロードは否定しない。

 昨日の時点で工房に戻ってきたヴェルフに探索に誘われた際、今までの『貸し』の話を持ち出された上で、いつもとは違いヴェルフとクロードの二人一組(ツーマンセル)ではなく、他の冒険者のパーティに同行して探索を行う旨は告げられていた。

 若干興奮気味に、自身の作成物を気に入って購入してくれた得意客(ファン)だ。と得意気に語るヴェルフの雰囲気もあり詳細を問いただす事なく安請け合いをしたクロードであったが、その『冒険者』が知り合いであるベルだったのは想像もしていなかった。

 本音を言うならば、噴水広場で顔を合わせた瞬間にパーティ解消して単独(ソロ)探索に切り替えたい気持ちは無くはない。むしろ今すぐにでもそうしたいが、ヴェルフからの『借り』が数多くあるのも事実。

 周囲からは傍若無人な行動をとる身勝手な冒険者と思われてはいても、クロードは筋の通った行動をとっている。その上で『借り』を無視する行動をとらなかったからこそ、今回のパーティの件も不承不承ながらも行動している。

 その上で、だ。

「そもそも、パーティのリーダー様から何の指示も受けてねェんだが?」

 このパーティを組んだ際、クロードは一言だけベルに告げた。『指示に従ってやる』と。

「7階層までは何すりゃ良いのか指示も出しもしねェから、お荷物状態。それじゃあ申し訳もねェし8階層からはオレなりに考えて貢献行動をしてる積りなんだがなァ?」

 皮肉交じりの言い草で、どこぞの指示も何もないリーダー様の事を考えてやっての事だ、とクロードは告げる。

「11階層にまで降りてきといて、『迷宮の武器庫(ランドフォーム)』があるのに壊しもせずに雑談に興じるとは余裕があるよなァ?」

 それほどまでに【ランクアップ】で余裕が出来た、と? 馬鹿馬鹿しい。今はヴェルフ・クロッゾなんていうLv.1の足手纏いに、リリルカ・アーデなんていうお荷物を抱えた状態。

「オレは別に構やしないぜ? ヴェルフの奴に天然武装(ネイチャーウェポン)持ちのオーク相手に大立ち回りさせる積りってなら止めやしねェよ」

 Lv.1の冒険者にとってはそれなりに手強い大型モンスターであるオーク。そんなモンスターを更に強化する要素を放置する理由がない。とクロードは告げる。彼女の言い分も正しくはあるが、その上でリリルカは反論に打って出た。

「パーティの為を思っての行動だとしても、何も言わずに行動(アクション)を起こすのは連携を乱す行為です」

「ハァ? そもそも隊列指示も戦術指示もしねェ癖に連携もクソもねェだろうが」

 不機嫌さを更に増し、眉間に皺が増え、頬に刻まれた傷跡を歪めたクロードはリリルカを一睨みし、ベルの方に視線を向けた。

 鋭く睨まれたベルが怯む中、クロードは口を開く。

「指示は? テメェはパーティ組んどいて碌に指示も出さねェのかよ。オレはどうしたら良い? 戦術指示も無し、パーティの基本方針の説明も碌すっぽありゃしねェ。ンな状況で碌な連携なんぞとれるわけねェだろうが」

 紫煙と共に声を上げたクロードの指摘に、ベルは殴られた様な衝撃を受けていた。

 これまでの活動は基本は単独(ソロ)。リリルカをサポーターに加えたとはいえ、サポーターが優秀であった事もあって単独(ソロ)に毛が生えた程度の行動を齧った程度。

 勿論、アドバイザーのエルフからパーティの連携や戦術についてはいくつか講義を受けはしたが、では実際にパーティを組んだらどうすれば良いのかまでは教える者は居なかった。だが漠然と、パーティを組めば自ずと連携がとれ、より戦力が増して探索が楽になる。と考えていたのは否定のしようがない。

 探索の前にどのような方針で潜るのか会議を開いて話し合いをするでもなく、パーティメンバーを増やした次の日には探索に出かける。その人物の特性や実力を考慮した上で戦術を汲み、基本方針を決め、階層毎の隊列や各々の役割決め、更にはモンスターとの交戦時における基本戦術の話し合い。それらを一切行わずに『パーティを組みました』でダンジョンに潜る。

「上層だからと舐めてんのか。それとも、そんな鎮撫な方針や戦術なんぞ決めずとも自分はやっていける、とでも? ────まあ、お前なら行けんだろうがなァ」

 軽率な行動の数々に対し、凄まじい指摘の弾幕を放たれ蜂の巣にされたベルは大きく肩を落とす。

 そんなクロードの言葉に、ヴェルフも僅かに驚きの表情を浮かべていた。

 ヴェルフは過去に幾度もクロードとパーティを組んで探索を行ってきた。その際にはしっかりとクロードがあれやこれや自身に指示を出し、注意事項、やってはいけない行動、探索時の隊列指示等、事細かに説明をしたうえでの探索に挑んでいた。

「クロード、悪い。その辺にしてやってくれないか。今回、無茶言ってパーティ組ませてもらったのは俺だからな」

 ベルと知り合いという事で平気だろうとすぐにパーティを組ませたヴェルフも僅かに反省の色を見せる。

 そんなヴェルフを一睨みすると、クロードは鼻を鳴らして片目を閉じ、喧嘩煙管を担ぐ。

「で? 指示は? 戦術は? 隊列は?」

 自身がやっていた身勝手な行動は、そもそも指示もない自由行動(フリーアクション)をしていたパーティのリーダーの責任であってオレに責任を問うな、と示したクロードの言葉に、ベルは言葉を詰まらせた。

 遠回しに、指示も出さないリーダー、ベルが悪いと告げられたのだ。

 顔立ちこそ綺麗で可愛らしいものの、目付きが悪く、それに加えて頬の傷によって更に凶悪さを増した彼女に睨まれて怯むベルだが、同時に指摘された内容に関しては少年自身、その通りだ、と納得できた。

 その上で、指示を出さなくてはと、具体的な戦術を考えてベルが口を開こうとして、リリルカの声に遮られた。

「ご高説どうもありがとうございます。パーティも組まずに単独(ソロ)探索しかしてこなかった冒険者様の貴重なご意見、とても参考になります」

 男二人が、ぎょっ、としてリリルカに視線を向ける。

 とんでもない皮肉と毒の交じった言い方だ。実際、クロードの迷宮都市(オラリオ)での活動の中で、ベルに高説を垂れる程のパーティ経験があるかというと、微塵も無い。彼女の事について軽く調べるだけでもわかる事だ。唯一、依頼で護衛等を受ける事はあれど、パーティを組む機会など彼女にはなかったのだ。

 その上で、ベルがリーダーとしての行動に不足があった事を理由に身勝手に振る舞うクロードに対するリリルカなりの皮肉だった。

「なあ、あのサポーターのチビスケとクロード、仲が悪いのか?」

「あの、えっと……」

 リリルカの事を『チビスケ』等と言った事を指摘するべきか、それとも二人の確執について話すべきか。そんな風に少年が困惑して言葉に詰まる。

 そんな二人を他所に、クロードはリリルカの皮肉に肩を竦めた。

「碌なパーティを組まなかったのはお前も一緒だろ」

「何を仰います。リリは今までいくつものパーティを()()()()()()。少なくとも、パーティを組んだ経験の少ないクローズ様よりは詳しい積りです」

 何処か勝ち誇った様なリリルカの言い草に、クロードは面倒臭そうに表情を歪める。

 都市において悪名広がるクロードのパーティ経験等知れたこと、その上でいくつものパーティにサポーターとして参加し、その内情を見てきたリリルカの方が詳しいのは事実であろう。少なくとも、クロードが()()()()()()()

使()()()()()()()()()()様が、良くもまあ()()()()()()()()()()()()なんて吠えられたもんだよなァ?」

 たっぷりと込められた皮肉に、リリルカが頬を痙攣させる。

「ええ、パーティを組んだ事も無さそうなクローズ様よりは遥かに知っていますとも」

 背丈はヒューマンの子供程しかない少女二人による皮肉の応酬。

 くすんだ銀髪に整った顔立ち、それらを台無しにする悪い目付きに頬に走る傷跡、可憐さをいかつさが打ち消しかけないクロードに対し、リリルカは一切怯まない。今まで相手にしてきた強面の冒険者に比べれば可愛らしいものだ、と。

 ベルとヴェルフは二人のやり取りに口を挟む事も出来ずに表情を強張らせていた。

「おいおい、ベル。お前の連れとクロードの仲がすこぶる悪いのは聞いてたがこれほどとは……」

「う、うん……どうしよう」

 リーダーとして止めるべきか、とベルが口を開こうとして──少年が口を開き切るより先にリリルカが制した。

「ベル様、クロード様の言い分は正しいです。ですが、経験もない癖に先輩風吹かす方の言い分をそのまま飲む必要はありません」

 ここまでの言動、それに性格や言葉遣い。全てにおいてクロード・クローズという人物と、リリルカ・アーデという人物は相性が悪かった。最悪と言っても過言ではない。

 言い分こそ正論であり道理にかなうものではあっても、それを全て台無しにしかねない程の皮肉にリリルカも我慢の限界だ。リリルカ自身、己に非があるのは否定しない。だがその上でクロードの言い分は『言い過ぎ』だと思う。相手の感情を全く考慮に入れず、正論を暴論の様に振り回して叩き潰す。

 皮肉と罵倒によって冷静でいられない相手に対し、自身は毅然と正論を交えて叩きのめす。そのやり方を、リリルカは気に食わなかった。

「ですが、クローズ様の言い分は正しい」

「何が言いてェんだよ」

「いえ、ですから。その()()()クローズ様には是非、パーティの戦術についてご指導お願いしたく」

 皮肉でしかないリリルカの言葉に、クロードは大きく眉を顰めると、面倒臭そうな様子を隠しもしない。

「リーダー様の意見も聞かず、出しゃばり過ぎだろ」

「リリはヘスティア様にベル様の身の回りことを頼まれていますから」

 サポーターの癖に出しゃばるな、と頭を抑えようとするクロードに対し、リリルカは毅然とした態度で言い放つ。

 傍から見れば冷や冷やもののやり取りに、ベルが制止しようとして、ヴェルフが彼の肩を掴んだ。

「止めとけ」

「でも、ヴェルフさん」

「ああいうのは、最後まで言い合わなきゃわからん」

 クロードの言い分は正論だ。その上で筋が通っている事しか言わない。ただし、皮肉と罵倒によって聞く相手は冷静でいられず、煽っている様にしか聞こえない。だからこそ、彼女の筋の通った真っ直ぐなやり方は誰にも受け入れられない。

「指導ねェ……面倒臭ェな」

「あれだけ偉そうに言っておきながら、まさかわからないとでも?」

「……煽ってる積りか?」

「いえいえ、リリは思った事を口にしたまでです」

 相性が悪い。そりが合わない。犬と猿。ヘスティアとロキ。まさにそんな関係なのが一目見ればわかる二人のやり取り。そんな二人を、ベルとヴェルフは黙って成り行きを見守る。

「はァ、迷宮探索の前にやるべき行動はいくつもあンだろ」

 此度の探索において、やるべきであった行動。

 まず、前日の時点でパーティメンバーの顔合わせ及び自己紹介。加えて、各々の【ステイタス】に関して、詳細ではなくとも、最低限簡素に伝え合う事をすべきだった。

 当日になって『はじめまして』状態の奴とパーティ組むなんて馬鹿のやる事だ、とクロードは切って捨てた。

「むっ……それは────」

「テメェみてぇに当日になって急にパーティに加わって碌な紹介も必要ねェ戦力外のサポーターにゃァ関係ねェ話だろォが、戦力として加わる()()()()()常識だ」

 その日その日でサポーターとして雇ってくれるパーティを見繕う事の多かったリリルカにとって、彼女の言い分は思わず反論したくなる内容ではあった。だが、彼女の言う内容は『サポーター視点』ではなく『冒険者視点』の話だ。

 言われてみればその通りだとリリルカも、ぐっ、と堪える。皮肉に罵倒、口の悪さに平常心を失って感情的に反論すればその時点でリリルカが負ける。

「次に、当日の朝にゃァ、探索前の説明会(ブリーフィング)だろ。その日の体調(コンディション)に気分、後は予感なんかも重要だ」

 当日になって体調(コンディション)が悪くなったや、探索の気分じゃなくなった。更には『嫌な予感がする』ならば探索は避けるか、探索方針の変更などを行う必要がある。

 それらをするのとしないのでは、探索における安定性が天と地ほど異なる。

「そして、方針について」

 長くなるから簡単に、と前置きするとクロードは面倒臭そうに呟く。

 基本方針は三つ。好戦、応戦、回避。

 好戦は、自ら進んでモンスターを捜索、撃破する方針。魔石やモンスターのドロップ品、経験値(エクセリア)等が必要な場合にとる。

 応戦は、接触(エンカウント)した場合のみ戦闘し撃破する方針。こちらは採取依頼を受けた場合等の基本方針。魔石やドロップ品、経験値(エクセリア)を重視しない場合にとる。

 回避は、接触(エンカウント)そのものを避けて出来る限り戦闘を避ける方針。本来の目的を達成するまでに消耗を避けたい場合にとる。

 探索の目的、パーティの状態(コンディション)によって臨機応変に方針を変更していかなくてはいけない。加えて、予め階層毎の方針ぐらいは話し合うべきであった。

「パーティを組む以上、意思疎通は重要だ。3人中2人が回避方針だったとしても、残る一人が好戦方針なら意味がねェ」

 今回で言えば、11階層が目的地だ、としか言われていない。

「それまでの階層における戦闘はどうするのか。基本方針も示されずにただついてきたが、意思疎通もせずによくもまァ」

 11階層でヴェルフの経験値(エクセリア)稼ぎに付き合う。それは理解した。

 では、1階層から10階層まではどうするのか? それまでの階層で得られる経験値(エクセリア)は大したことは無い。だから11階層の戦闘に集中させるために他の階層ではヴェルフは戦闘させないのか、それとも戦闘に参加させるのか。それに目的地まで最速で向かうとして、接敵(エンカウント)した場合は? そもそも接敵(エンカウント)を回避する方針なのか? 到着してから、ではなく、到着するまで、の方針は?

 ベルが告げたのは『目的』であって、その目的を達成するための道筋が何一つ存在しない。説明も何もなく、目的だけ告げられただけで、後は自分で考えろという方針なのか。

 もしそうなら自身の行動に文句言うなボケ、とクロードはベルを一睨みし、リリルカに視線を戻した。

「後は戦術に隊列。そもそもLv.2が二人、Lv.1が一人。全員が前衛……でお終いか? 違うだろ?」

 前衛でも、例えばLv.2のベルとクロードを比較すればわかりやすいだろうか。

 俊足(あし)を武器として前衛攻役(アタッカー)を担当しつつ、速攻魔法(ファイアボルト)である程度の中距離対応も出来るベル。

 モンスターに状態異常(アンチステイタス)を駆使し、一時的な超強化による一撃で敵を粉砕するクロード。

「この時点で、オレとベルが相手どれるモンスターの種別もわかンだろ」

 ベルが得意とするのは一対一。逆に自身の場合は一対多。

 加えて、自分の扱う状態異常(アンチステイタス)は敵味方問わず無差別であり、他の仲間と組ませるのは難しい。

 となれば、基本はモンスターの数が少ない場合はベルを主軸にして他は援護に回り。モンスターの数が多くなれば自身が前に出てベル達は逃走または効果範囲外への撤退。状態異常(アンチステイタス)がモンスターに回り切った時点で魔法解除から、ベルが前線に復帰して交戦。

「最低限、方針や戦術も決めずに潜るなんざ自殺行為だろうが」

 それこそ、本当に身勝手な行動とはベル達の事を一切考慮に入れずに状態異常(アンチステイタス)の魔法をぶちまけて仲間を行動不能にしつつ、自分だけで敵を殲滅する事だろう。そんな馬鹿な真似はせず、しっかりとパーティとして体裁は保たせてやったんだから感謝しろ、とクロードは煙管を吹かした。

 挑発的な皮肉に微塵も揺らがないクロードの教導に、リリルカは顔を顰めた。

 気に食わないし、そりも合わない。だから、口先だけの奴だと彼女を否定しようとしたリリルカの皮肉は、けれどもしかと彼女に知識がある上で放たれた事の証明に繋がった。否定しようにもリリルカ自身ですらも非の打ち所が無いと思えてしまうぐらい筋が通った、パーティ方針、戦術だ。

「で、ですが。上層でそこまで厳密なやり方は必要ないかと」

 苦し紛れに放った反論に対し、面倒臭そうな様子を見せていたクロードの雰囲気が、一変した。

「アァ? オマエ、本気で言ってんのか?」

「ベ、ベル様の実力があれば上層でそこまで複雑な戦術は────」

「話にならんな」

 先までは、面倒臭そうにしながらも皮肉を口にしていたクロードが、完全にリリルカを見下した。塵を見る様な、侮蔑の視線を向け直す。

「そもそも、なんでオレなんざをパーティに加えようとしたんだよ? オレの推測が間違ってなけりゃ中層に挑む前にパーティを増やしたかったとかじゃねェのか?」

 質問と同時に、推測だと前置きして満点の回答を告げた少女に、ベルは驚きながらも頷く。

「だったら、この糞ガキ、さっさとパーティから外せ。邪魔だろ」

「────」

 心底呆れた、とでも言う様に吐き捨てられた言葉にベルが驚愕し、リリルカが、激昂した。

「ふざけないでください!」

「あァ?」

「偉そうにあれやこれや指図して、貴方は何様のおつもりですか!?」

 皮肉につぐ皮肉、それでいて言っている事自体は正論で筋が通っている。どれだけ反論しても、正論の前に太刀打ちできず一方的に叩きのめされる。そんな状況が続き、欝憤が溜まっていた少女の怒り。

 眦を吊り上げ、クロードを睨み付け、吠える。

 その様子を見ていたベルは、過去の自分を幻視した。クロードの挑発に乗り、手痛い反撃を貰ったあの日の自分を。

 止めなければ、とベルが足を踏み出そうとして────クロードは、無言で煙管を振るっていた。

「がっっ────!?」

 振るわれた一撃が、リリルカの横っ腹を穿つ。

 横っ飛びに吹っ飛んだ少女の体が草原を舞う。背負っていたバックパックの肩紐が千切れ、荷物が草原にぶちまけられる中、動き出していたベルは吹き飛ばされたリリルカの体を抱きとめる。

「リリッ、リリ、大丈夫!?」

「うぁ……ベ、ル様……」

 痛みに呻くリリルカの様子を見て、ベルは眦を上げてクロードを真正面から睨み付けた。

「クローズさん、やり過ぎですよ!」

「流石に、今のは俺もやり過ぎだと思う」

 クロードの非を咎める様にヴェルフも声を上げると、クロードは半眼で三人をそれぞれ眺める。

「……馬鹿ばっかだな、救いようがねェ」

 呆れ返った様に肩を竦めると、クロードは煙管に新たな刻み煙草を詰め直し始める。

 本当に理解してないのか、と呆れる様子を見せるクロードに対し、ベルは感情のままに声を上げようとして、ヴェルフに制されて止まった。

「ベル、落ち着け。クロードに感情論で挑むな。返り討ちだぞ」

 それは少年にも理解できる。だが、大事な女の子を傷付ける様な真似をされて黙っていられない、とリリルカを抱えたまま立ち上がった所で、クロードの声が響いた。

「ベル・クラネル。お前の目標はなンだよ」

「今はそんな事より、リリに謝ってください」

 毅然と言い放つベルを見やり、クロードは大きく首を傾げる。

「……そんな事、か」

「そうですよ! いくらなんでもリリにこんな事をするのはやり過ぎだ!」

 いつにもなく感情的に声を張り上げる少年。そんな彼を見たクロードは煙管に火を入れ、ゆっくりと紫煙で肺を満たし、告げた。

「ベル・クラネル。お前の目標は中層進出だろう?」

「それは今は関係無い!」

「関係大ありだね。その屑が言った事を思い出せよ」

 もはや人に向けるものではない、殺意すら混じったクロードの視線の先にはリリルカ。

「なあ? 上層で必要無い、なんて良く吠えたよなァ?」

 確かに、その通りだ。複雑な戦術なんぞ上層で組むまでもない。Lv.2に至ったベル・クラネルの実力ならば上層で複雑な戦術を汲む必要性は皆無。危機的状況に陥る方が難しいだろう。

 ただし、それは上層に留まり続ける限り、という条件付きでの話だ。

「中層に挑む、だなんてよくもまァ。自殺してェならテメェだけでやっとけよ」

 リリルカ・アーデが口にしたのは現在の状況について。()()()()()()()

 クロード・クローズが口にするのはこれから先について。()()()()()()()

 今、上層に於いて戦術なんぞ糞喰らえ。【ステイタス】と技量で打ち勝てる。だが、中層はそうはいかない。

「オレの失態を見てなかったか? それとも、覚えてないか?」

 中層に挑むならば、しかとしたパーティメンバーを集め、パーティ方針、戦術、状況を把握し、挑まなくてはいけない。

「まさか、明日、中層に行きます。では今から方針と戦術、状況把握を始めますだなんて糞みてェな付け焼刃で行く積りじゃァねェよな?」

 積み重ねも無く、その日のうちに話し合って決めて、それで通るとでも思っているのか。

 それこそ年単位で時間をかけて中層に挑むのが()()だ。上層で、時間をかけてパーティの連携を成熟させ、しかと挑むに足ると判断してから挑む。クロードの様に単独(ソロ)で挑むなんぞ狂気の沙汰。

 挑んだ本人が言うのも何だが、今の状況で挑んで生きて帰るのは奇跡に等しい。

 だからこそ、()()()()()

 上層という、多少の想定外が起きても対処できる場所で、しかと戦術と方針を煮詰め、どんな状況に陥っても対処できる様に、先を見据えて今から練習しておく()()()()()

「だってのに、そのガキ、上層では()()()()とか言いやがったんだぞ?」

 未来も見えてない、馬鹿の極み。そんな奴を連れて中層に挑む?

「自殺してェなら一人でやれよ」

 自分自身で決めた自殺行為ならば誰にも咎めらる謂れは存在しない。損をするのは自分だけだから。だが、誰かを巻き込みかねない自殺行為なんざする奴は碌な奴じゃない。

 本当に先を見据え、中層に挑む少年の事を考えているのならば。

()()()()なんて、口が裂けても言えるはずが無いダろ?」

 多少強引にでも、今日の探索は取りやめるべきだった。

 それをクロードが止めなかったのは、ベル・クラネルがリーダーだったからで。パーティに加わる以上、指示に従うと決めたからだ。

「パーティを組むってンならよォ、もう少し頭使え」

 パーティを組む、という行為にどんな夢を見ているのか知らないが。

「────命を預け合うって意味なんだぞ? 理解してんのかオマエ」

 ダンジョンというモンスターの坩堝において、パーティメンバーは信用に足る者ではなくてはならない。

 そも、パーティメンバーに【ステイタス】や【魔法】について秘匿する様な奴に命を預けられるか?

 そも、相手の性格や体調なんかがわからない奴に、命を預けられるのか?

 少なくとも、クロードはそんなの御免だ。信じられない。

 そして、最後に。

「リリルカ・アーデ、オレがごたごた偉そうに言うのが気に食わないみたいだがな」

 勘違いを正さなくてはいけない。

「────そもそも、命を()()()事しかしてこなかったテメェが偉そうに吠えんな」

 サポーターとして、戦力外であり、ただの荷物運び程度の役割しか与えられてこなかった彼女に、命を預ける馬鹿は今まで居なかっただろうし、居るはずもない。

 今までどんなパーティを見てきた、だとかいくら吠えた所で、リリルカ・アーデはそんなパーティに命を預ける事しかしてこなかっただろう。

 彼らの命を預かり、責任を持って地上まで付き合う気概も持った事は無いだろう。

「そんな奴が、命を()()()()パーティの事を知った様に吠えるなよ」

 少なくとも、クロードは今のベル・クラネルに命を預けるなんて真っ平御免だ。リリルカ・アーデもそうだ。

 今まで、ヴェルフの探索を()()()為に臨時パーティを組んでいた時とは状況が違う。

 中層という、いくら命があっても足りないと思えるぐらいに危険な場所に挑む事を目標にするには、今のベル・クラネルも、ヴェルフ・クロッゾも、そしてなによりリリルカ・アーデという人物は信用に値しない。

「理解したら、さっさと立て。モンスターだ」

 ピキリ、と響き渡るモンスターの産声を上げる迷宮を見やったクロードは、ベル達から視線を外し、罅の入った壁を見据えた。




 クロードくんちゃんのパーティ経験について。

 まんま前世のゲームの中の経験しかないですね。
 各々に与えられた役割を果たせば、負ける確率は万に一つもないっていう合理性を突き詰めた廃人パーティ。
 超高難度ダンジョンに挑むに当たって、ブリーフィングは当たり前だし、必要な情報は全て開示するのも当然。しない奴とか要らんよな? むしろ普段からやってない奴がいきなりそんな動き出来る訳ないじゃん。そんなやつ必要か?
 決められたタイミングで回復魔法使えないヒーラーとか、デバフかけれないデバッファーとか、居ても邪魔なだけだし? お遊びでやりたい奴は他のパーティ行って、どうぞ。って感じのプレイヤーだったと思って貰えれば。

 合理性突き詰め過ぎて思考ヤバい感じ。でも、そのおかげで強いっていう。


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第二八話

「ほら、ぼさっとしてネェでさっさと構えろ」

 吐き捨てる様に言い放ったクロードの言葉に、ヴェルフはリリルカを一瞥してから背負っていた大刀を構え、ベルもナイフを引き抜いた。

 ダンジョンに潜り慣れた冒険者ならば聞き逃す事のない、ダンジョンからモンスターが産まれ落ちる音色。

 緊張感を持って警戒する中、散らばった荷物をリリルカが搔き集め、戦闘員三人はクロードに顎でモンスターを示される。

「ンで、何を主軸にすんだ。予定通りにヴェルフの経験値稼ぎか?」

「えっと、はい。そんな感じで……」

 三人が視線を向ける先の壁が、罅割れ、崩れてモンスターが次々に産まれる。

 壁面を抉じ開け、内側から出てきたのは、脂ぎった茶色の太腕。

 卵の殻の様に砕かれたダンジョン壁の一部がぼろぼろと地面に零れ落ち、左腕が壁面から出てきたと思えば、今度は右腕。そして次には豚頭と続いていく。

『ブギッ……ォオオオオオオオオ…………』

 その姿が完全に壁から出てきた所で、そのモンスター、『オーク』は潰れた産声を上げた。

 クロードが耳障りな産声に眉を顰め、ヴェルフが他の音に視線を向け、ベルは初めて見た大型級のモンスターが産まれる光景に圧倒されている。

 地面に四つん這いになっている『オーク』が緩慢な動きで立ち上がる。

「リーダー様よォ、もう一度聞くが……()()()()()()()()()()優先か?」

「……まだ続く、と。これがあるから10階層からは怖ぇよな」

 クロードが眉を顰めたままベルに問う。

 ヴェルフが向けていた視線の先にも壁に走る罅が見て取れ、それどころか壁の罅割れる音が四方八方から聞こえてくる。

 主に10階層以降に見られるダンジョンの特徴として、同地帯(エリア)上での瞬間的なモンスターの大量発生が上げられる。

 冒険者の間では『怪物の宴(モンスター・パーティー)』と言われる事もあるこの現象が起きた場合、がらがらだった筈の地帯(エリア)は瞬く間にモンスターで溢れ返る事となる。

 論ずるまでもなく、非常に危険な現象だ。特に見晴らしの良い開けた『ルーム』でこの現象に出会うと、少年率いるパーティの様に囲まれる事になる。──とはいえ、通路で出会うと安全かというとそうでもないが。

「まぁ、そこまで悲観する事はないでしょう。幸いこのルームでは霧は発生していませんし面積も広いです。すぐに囲まれる心配はありませんし、いざとなれば10階層まで引き返せます」

 リリルカの落ち着き払った発言に、ベルがほっと一息つき、クロードは、ふむ、と呟く。

 落ちた荷物を手早く回収し、肩紐の千切れた部分を荷物の中にあった縄で代用して応急処置。それから合流まで手早くすませたリリルカは、内心に抱いた苛立ちを飲み込んで自身の得物、ハンドボウガンを装備した。

 壁際からゆっくり、緩慢な動作で近づいてくる『オーク』や数多のモンスターを見やりながら、クロードは呟く。

「撤退か? それとも目標達成優先か? さっさと指示をクレ」

 大階段こそ後方に存在するが、撤退するか否かの判断は早い方が良い。それにくわえ、余裕が無い状況になる事が容易に予想できる現状において『ヴェルフの経験値稼ぎ』を本当に優先するのか、と再三の確認をとるクロードに、ベルは迷いつつも答える。

「えっと、とりあえずモンスターの数を減らして……ある程度減ったらヴェルフの経験値稼ぎをする。形で……」

「妥当だ。で、隊列と対応は」

 モンスターを前にして指示を仰ぐクロードの姿に、ベルが必死に頭を回す。

 現状、出現したモンスターは『オーク』『インプ』それに『ハード・アーマード』。

 『オーク』が大型級。怪力であると同時に鈍重。

 『インプ』が小型級。能力はそれほどでもないが数が多い。

 『ハード・アーマード』は中型級。上層において最硬の防御力を誇る。

 現在のパーティの戦闘員はベル、ヴェルフ、クロードの三人。それとサポーターのリリルカ。

 ベルはLv.2の冒険者。得物はナイフで、敏捷に優れている。

 ヴェルフはLv.1の鍛冶師(スミス)兼冒険者。得物は大刀。

 クロードはLv.2の冒険者。得物は喧嘩煙管とショートソード、技量が非常に高い。

 リリルカはLv.1のサポーター。得物はハンドボウガンだが、ステイタスは低く戦闘能力に乏しい。

 どの冒険者がどのモンスターの対応をするのが最適解か。必死に考えた末に少年は口を開いた。

「えっと、ヴェルフさんが『インプ』を、僕とクロードさんで『オーク』と『ハード・アーマード』を……」

 数が多いだけで特筆した能力の無い『インプ』ならばヴェルフでも対応できるだろう。ならばそれ以外を自分とクロードで対応するのが正解だろう、と出した少年の答え。

「……悪いベル、俺には『オーク』を任せてくれないか?」

「……え?」

 ヴェルフから放たれた申し出にベルが目を見張った。横に居たクロードは呆れた様に肩を竦め、半眼をベルに向ける。

「ヴェルフの得物は大刀だ。威力はあるが振りは遅い。群れる『インプ』の中に飛び込ませるのは無理があんだろ。比べて、『オーク』なら怪力ではあるが動きはトロい。天然武装(ネイチャーウェポン)で武装してたら別だが、無手ならヴェルフでもいける」

 本人からの申し出に加えて、クロードの補足にベルは僅かに肩を震わせる。

 オークの怪力は凄まじく、Lv.1どころかLv.2の冒険者でも直撃をくらえば戦闘不能に陥る事すら有り得る。だからこそ、Lv.1のヴェルフには特筆した潜在能力(ポテンシャル)を持たない『インプ』を任せようと考えた。

 レベルだけ見れば間違いのない選択に思えるが、各々の冒険者の武装や能力によってはまた変わってくる。もっとしっかりと互いに情報共有をしていれば、確かな判断が出来たはずだ。先のクロードが言った様に。

「えっと……じゃ、じゃあ、ヴェルフさんにはオークを任せて……僕とクロードさんで残りを……」

「はぁ、わかった。それでいい」

 若干不満気な雰囲気を残しつつも、クロードが頷く。

「では、リリはヴェルフ様を微力ながら援護します。……出来るならば、時折気にかけて頂けると助かります」

 先の一件でしおらしくなったリリルカが呟くと、クロードはそれを一瞥して──頷いた。

「わぁったよ、気にはかけてやるが変に追い詰められんなよ」

 オレは『援護』にはちっとも向かないからな、と呟くとそのまま駆け出していく。

 それを見たベルはほっと一息つく。いくらクロードでも時と場合ぐらいは考えてくれはする。モンスターに囲まれた状態で煽り紛いの説教をされなくて良かった、と。

「じゃあ、僕も行くから。二人とも気を付けてね」

「わかってる」

 一度屈伸し、意識を切り替え、ベルはクロードの後を追う様にモンスターに突っ込んで行った。

 二人の後ろ姿を見送った後、ヴェルフは己が得物を構えて鈍重な動きで近づいてくる『オーク』に視線を向けた。

 そんなさ中、リリルカがポツリと吐き捨てる。

「どうせ、口だけでしょう」

「おいおい……いや、良い。実際に見てみなきゃわからんだろうしな」

 ヴェルフが注意しようとして、取りやめた。

 クロードと相性の悪いリリルカに対し、いかに言葉で説明した所で納得しないだろう。だったら、彼女の行動を見て判断してもらうしかない。

 少なくとも、ヴェルフの知っているクロード・クローズは口だけの奴じゃない。もし口だけの奴だったらヴェルフはとっくの昔に縁を切っていただろう。

 

 


 

 

「ンで、反省会の時間だ」

「……はい」

「ああ」

 『怪物の宴(モンスター・パーティー)』と称しても良い程の大群との戦闘を終え、パーティは小休止をしていた。

 場所は変わらず11階層始点のルーム。草原には砕けたダンジョン壁が転がっていたり、砕け折れた枯木が転がっていたり、一目で戦闘後だとわかる光景が広がっていた。

 そんなルームの片隅で、パーティメンバーは顔を突き合わせて小さな反省会を開いていた。

「まず、いきなりやれって言ってもわからんだろうからオレから言ってやる」

 至極面倒臭いが、と前置きしたクロードは不機嫌そうな表情のまま自分の行動(アクション)を告げた。

「オレは群れるインプの片付けを主目的に、いつでもヴェルフの所に駆け付けられる様に一定の距離を保って戦った。だが、途中でハード・アーマードの対応で足止め喰らって、結局ヴェルフが囲まれた時に対応出来なかった」

「えっと、僕は……クロードさんと同じくインプの群れを蹴散らして、ハード・アーマードの対応をしてから、シルバーバックに囲まれたヴェルフの援護に行きました」

「俺か、俺はリリスケの援護のおかげでオークを順調に倒したのは良いんだが、その後にシルバーバックに囲まれちまって……ベルに助けられたな」

 反省会、と称してクロードが各々の行動を告げる様に言い放ったのだ。その上で、何処が良くて、何処がダメだったのか思い付く事があれば言ってみろ、とクロードは面倒臭そうに告げる。

 良かった点は次に活かせば良い。悪かった点は改善すれば次は更に良くなる。現状維持を繰り返しても悪くなる事はあれ、良くなる事は無い。と断言する銀髪の少女の姿にベルは頷いた。

「ンで、まずオレが言ってやる。良かった点だが……サポーター、リリルカ・アーデの動きだな。他は無しだ」

「「え?」」

 真っ先にクロードが良い点だと上げた者の名前にベルとリリルカが目を見張り、ヴェルフが肩を震わせる。

 相性最悪で一度は殴り飛ばしたリリルカを、クロードが最高評価した。それ以外の評価は悪い、と断言した上で、リリルカの動きを褒めたのだ。てっきり、もっと悪い点ばかりを上げるものだと思っていた事もあり、予想外で驚くベルと、まさか褒められると思っていなかったリリルカは固まる。

 そんな二人を他所に、ヴェルフは大袈裟に肩を竦めて口を開いた。

「何処が良かったんだ?」

「足並みも揃わねェ連携のレの字も出来ない二人を、最低限の連携が出来る程度に誘導してた。それに、状況の見極めも上手い」

 どこでどう援護を挟むか、いつ何処に自分が居たら邪魔になるか、では逆に何処に居ればより良い援護が出来るか。そういった基本が出来ている。その点に関しては文句の付け様が無い。

 ヴェルフが戦う様を見て癖を掴み、ベルが合流後に円滑に戦闘が進む様に援護を挟むといった事をしていた。

「サポーターにしとくのは惜しい」

 やらせるなら荷物持ち(サポーター)じゃなくて指揮官(コマンダー)にすべきだ、と。

 あまりの高評価にベルは唖然とし、リリルカは完全に思考停止する。

 出会った当初から自分とクロードの相性は悪い、と確信していたリリルカからすれば、ここでも散々こき下ろされるのだろうと思っていたのだ。だというのに、妙に高評価されている。嬉しくない訳ではないが、あそこまで馬鹿にしといて今更評価を変えた。リリルカはそれに妙なわだかまりを覚えた。

「えっと、クロードさんは……リリの事、嫌いなんじゃ……?」

 ヴェルフとクロード、二人との集合地点に合流した際、リリルカは急速に不機嫌になり話をする処ではなくなった。挙句、その後はダンジョンに潜ってからクロードの方の不機嫌さも加速して急速に空気が悪くなったのをベルは覚えていた。

 初対面の時の二人の反応から、相性が悪いかも、と薄ら感じてはいたが今日でその不仲具合を確認し、そしてその後の反省会でクロードがリリルカを褒めたのだ。本音を言えば、信じられないぐらいの高評価である。

「あァ? あのな、人柄も能力もわかんねェ奴を端から高評価するわけねェだろ」

 リリルカ・アーデに関してクロードが知っているのは、盗人だった、程度のモノだ。そんな奴に笑顔を向ける訳が無い。その上で、能力や技量、そして人柄を見た上で再評価を下した。リリルカ・アーデは優れた観察眼と指揮能力を持つ、と。

「それだけの話だろ」

 あっけらかんと言い放ったクロードの言葉にベルは目を瞬かせ、リリルカはむっとした表情を浮かべる。そんな二人の様子を見ていたヴェルフが堪え切れなくなったように肩を揺らして笑う。

「おい、何笑ってンだ」

「いや、悪い」

 謝罪しつつも肩を震わせて笑いを堪えるヴェルフ。

 クロードは口が悪い。それも、かなり致命的に悪い。だが、人となりまで悪いかというとそんなことは無い。それ処か、普通に話す分には良い奴でノリも悪くない。色々と口が悪いが、根本の所は人が良いのだ。

 リリルカに対する当たりの悪さも、彼女なりの()()()()()()()()だろう、というのはヴェルフにも察しが付いていた。

 少なくとも、クロード・クローズという人物は相手に非が無いにも関わらず相手を無意味に責める様な真似をする性格(タチ)ではない。大抵の場合、ボロクソに貶される相手側に非がある。

 ──時折、その()が理不尽に思える事はあるが。

「それで、お前等はこのパーティの良かった点は無いのか」

 未だに肩を揺らすヴェルフを無視したクロードの問いかけに、ベルは少し考えてから口を開く。

「えっと、単独(ソロ)で戦ってたより、負担は減ってた、と思う」

「パーティの利点って奴だな。体だろうが心だろうが、余裕を持てれば動きも変わってくる。モンスターへの対処も、な」

 少年が自身の感じた事を口にすると、ヴェルフがニヤリと笑ってパーティの有用性を口にする。そんな二人の様子を見ていた銀髪の少女は、軽く紫煙を吹かして口を開いた。

「んで、悪かった点だ」

 良かった点は次に活かせば良い。だが悪かった点を聞かずに終わる訳にはいかない。口にはしないが目で雄弁に語る少女の言葉にベル達三人は身を強張らせた。

 彼女は容赦がない。悪いと思った点は、きっとかなりボロクソに言われる。そして、それはきっと聞いておいた方が為になる。それがわかっているからこそ、聞きたくないのに聞かざるを得ない。

「まず、ベル。お前から言ってみろ」

「えっと……悪かった点……僕の知識不足で的確に指示が出せなかった事、とか……」

「それだけじゃねェ。情報も不足してたろ」

 パーティメンバーへの指示、方針決め、どれにおいても知識や情報が不足して指示だしが非常に遅かった。これらは経験である程度改善は出来る為、今後は気を付けるべき点だ。

 各々の特性もまったくわかっておらず、指示も滅茶苦茶。

「あの時、オレならまずベルにハード・アーマードを倒す様に指示を出すな。オレにはインプを、ヴェルフにはオークの相手をさせる。ンで、リリルカはヴェルフの補助に付ける、と」

「えっと……?」

 まず、ベルは敏捷特化。そして得物はナイフ。対してクロードは技術特化で、得物は鈍器。

「鈍器でハード・アーマードぶっ叩いても威力が乗り切らねェんだよ」

 普段通りにいくつもの薬物で自己強化していたのならまだしも、パーティ行動で自己強化に制限がかかっている場合、クロードの打撃力はそこまで高くない。

 ハード・アーマードは上層最硬の防御能力をもつモンスターである。ただし、その防御能力は背負った甲殻にあるのであって、腹部等は軟い。そのため、甲殻の無い腹部を狙って攻撃して撃破するのが得策のモンスターではあるが、その体を丸めて全身を甲殻で守りつつ転がって突進してくる攻撃をされれば厳しい。

「ベルの敏捷(あし)なら対処できるだろうが、オレはそこまで敏捷(あし)は速くねェンだよ」

 更に力に優れる訳でもない為、力づくでの突破は難しい。となると、大した能力も無く群れて数で押してくるインプ相手ならクロードはのびのびと戦える。

 ベルの敏捷(あし)ならハード・アーマードの突進攻撃は脅威ではない処か、引き付けて回避してからのナイフの斬撃による急所攻撃で即死を狙える。

 少年が真っ先に判断し、選んだ『インプ』に対してヴェルフを当てるのは最悪。攻撃の手数不足で数に押される危険性も有って、クロードはそれを止めた。それ以外については対処できるだろうからと無視したが、次からはメンバーの特性を考えてモンスターの対処を任せろ、とクロードは締めくくる。

 今回は無事に乗り越えたし、何の問題も無かったが、次も、その次も同じ事をやらかし続ければいずれ命を落とす。そのためにも、その部分は直すべきというのは少年にも大いに理解できた。

「うん、次はもっと考えて指示を出すよ」

「そりゃあ重畳。ンで、ヴェルフ」

「お、おう」

「オマエはもう少し周りを見ろ。仲間の援護が無けりゃ死んでたぞ」

 シルバーバックに囲まれる、等という状況に陥ったヴェルフに視野が狭すぎる、と注意するとクロードはリリルカに視線を向けた。

 パーティの空気が張り詰める。

 先は高評価していたとはいえ、クロードとリリルカの仲は悪い。加えて、悪かった点を容赦なく指摘するクロードの事だ、またボロクソに貶すような事を言うのだろうと今度こそリリルカが身構え────。

「オマエに文句はねェ。十二分な働きだった」

「────」

「ンで、最後にオレだな」

「ま、待ってください」

「ンだよ」

 十二分な働きだった、と言われて固まっていたリリルカは咄嗟に声を上げていた。

 リリルカ・アーデにとってクロード・クローズは天敵だ。

 言動の端々から高慢さが見て取れる。口の悪さや、自身にゴミを見る様な目を向けてくる。それだけなら他の冒険者同様に叛骨心を刺激されるだけで済んだが、そこに同種族である事や、それでありながら冒険者として十二分な活躍をしている事等。

 ただ気に食わないだけではない、嫉妬すらしてしまう程の人物。端的に言って『嫌い』に分類する相手ではあったはずだが────彼女の評価を聞いてリリルカは理解出来なかった。

 普通、冒険者は高慢だ。たかがサポーターの意見なんて聞き入れない。リリルカがどれだけ説明をしても、冒険者は誰一人として彼女の言葉に耳を貸さないし、むしろ小馬鹿にする。そして、彼女もそんな冒険者の一人だと思っていた。

 だが、違う。

 クロードという冒険者は確かにリリルカの発言を否定し、馬鹿にした。だが、それの理由をしっかり聞いた上で考えてみれば、自身の言い分の方こそ間違っていて、彼女の言い分が正しかった。そして、リリルカの評価は良い。

「……いえ、すいません。何でもありません」

「そうかよ。最後にオレだが、悪い点は、ハード・アーマードに手こずってヴェルフの援護に行けなかった事だな」

 リーダーの指示が曖昧だし、的確では無かった。それでも、ヴェルフが危機に陥った際にクロードが咄嗟に援護に向かえなかったのは事実。そこは悪い点だった、と紫煙を吐き捨てた少女は告げた。

 冷静な、というよりいっそ冷淡な分析にベルが申し訳なさそうに縮こまる。それをヴェルフが笑って肩を叩いた。

「まあ気にすんな。次気を付ければ良いんだからな」

 死者も怪我人も出なかった。反省すべき点はあれど、結果は上々だ、と快活に笑う青年に、クロードは肩を竦める。

「これを踏まえて、次から気を付けとけ……つか、まず自己紹介ぐらいしろよ」

 クロードの指摘を聞いたベルが小さく「あっ」と漏らし、ヴェルフが「そういえば」と呟く。

 朝、ヴェルフとクロードとの集合地点に到着してから、リリルカ・アーデとヴェルフ・クロッゾは互いに本名すら知らない状態でパーティを結成した。それも、会った直後辺りから話をする事も出来ないぐらいに不機嫌になったリリルカに原因があるのだが。

「ったく、知ってるだろうが改めて、クロード・クローズだ。最近二つ名がついたが……確か、【煙槍】だな」

 クロードは呆れ気味に、簡単な自己紹介を済ます。

 ベルと同時期に【ランクアップ】による二つ名命名が行われたはずだが、ベルの話題に奪われて名が上がらなかった彼女の二つ名を初めて聞いた三人が各々の反応を示す。

「……そういや、クロードの二つ名聞いたのは初めてだな。シンプルでカッコイイと思うぞ」

「か、カッコイイ……」

怪物祭(モンスターフィリア)の時の魔法からですか」

 街中で使用されたクロードの魔法。紫煙を槍または杭状に形成し打ち出すそれの印象からつけられた二つ名だ。シンプルでいてわかりやすい。

 【リトル・ルーキー】なんて普通過ぎてカッコよさに欠ける二つ名を付けられたベルが羨ましそうにクロードを見るが、彼女は呆れ気味に半眼を向けるのみ。

「二つ名なんてどうでも良いだロ。それよか、ヴェルフの紹介は」

 ベルから見て、リリルカ、クロード、ヴェルフは知り合いだが。リリルカからすると、ベルは雇い主、クロードは知り合い、ヴェルフは名も知らぬ他人だ。

 「あー、えっと、リリ。今更だけど紹介するよ。この人はヴェルフ・クロッゾさん。【ヘファイストス・ファミリア】の鍛冶師(スミス)なんだ」

 クロードの温度差に戸惑っていたリリルカは、ヴェルフの本名を聞いて目を見開いた。

「クロッゾっ?」

 弾かれた様にヴェルフを見上げたリリルカの姿に、ベルが驚き、クロードは目を細める。視線を向けられた青年は腕組をして片目を閉じ、黙り込んだ。

「呪われた魔剣鍛冶師の家名? あの凋落した鍛冶貴族の?」

 次々にサポーターの口から飛び出す情報にベルが目を白黒させる中、腕組をしたヴェルフは黙したまま動かず、クロードは呆れた様に半眼をリリルカに向ける。

「あ、あの……『クロッゾ』って?」

「何も知らないんですか、ベル様……?」

「えっと、その……う、うん」

 リリルカが小さく吐息を吐く横で、クロードは呆れた、と呟いてベルを一瞥すると、ヴェルフに視線を投げかけた。

 リリルカが『クロッゾの魔剣』そして『鍛冶貴族』だった『クロッゾ』の話をベルに聞かせていく。

「────今では、完全に没落してしまって……」

 ヴェルフの事を伺いながら、尻すぼみに説明を終えたリリルカを見てから、少年はヴェルフに視線を向けた。彼は何処かバツが悪そうに視線を逸らす。

 そんな様子を見ていたクロードが、不機嫌そうに口を開いた。

「ンで、それは何か関係あンのか?」

「でも……」

「ヴェルフはヴェルフだ、違うか? 『クロッゾ』だとかなんだとか関係ないだろ。それよか、『盗人アーデ』の方がよっぽどだと思うがね」

 何かを言いかけたリリルカの言葉を遮り、クロードは彼女を睨み付けた。

 ヴェルフの場合は、『魔剣のクロッゾ』という家名を背負っただけの人物。その『クロッゾ』がやってきた事、『魔剣』がやらかしてきた事は彼とは無関係。ただ、その家の下に産まれてしまっただけ。

 対して、リリルカが持つ『盗人アーデ』は別だ。彼女自身がやらかし、彼女自身が成した事だ。

「これから、盗人アーデとでも呼ばれたいか? 違うだろ?」

 ヴェルフの家名『クロッゾ』についてあれこれ言うつもりなら、今後はお前の事は『盗人アーデ』と呼ぶぞ、とクロードが脅しをかけ。

「やめろ。頼むから、クロード、そんな事しなくて良い。事実、俺は零落れ貴族の末裔さ」

 バリバリと赤髪を搔き乱したヴェルフが止めると、クロードはすんなりと黙って一歩下がった。

 その様子を見ていたベルが困惑した様に二人を見つめ、リリルカはバツが悪そうに黙り込み、ローブの裾をぎゅっと握ってから、口を開いた。

「申し訳ございません。リリが、言い過ぎました……魔石、回収してきますね」

 足早に、自分達が仕留めたモンスターの亡骸の下へと駆けていくサポーターの後ろ姿を見て、ベルが手を伸ばしかけ、クロードに止められた。

「ヴェルフ、ベルにちったァ説明しとけ。後から揉めんのは面倒だろ」

「……はぁ、悪い。ベル、少し話をさせてくれ」

「あ、の……うん」

 気まずそうに頷いた少年を確認すると、クロードは肩を竦めてサポーターの元へ足を進めた。

 

 


 

 

「……どうして、リリの所に来たんですか」

 無心で手を動かしながらの問いかけに、彼女の後ろに立っていたクロードは肩を竦めた。

「ンなモン決まってンだろ。護衛だよ、ご・え・い」

「周囲には他の冒険者様も居ます。気にする事は無いでしょう」

 リリルカの指摘通り、クロード達以外にも、このルームには数組のパーティの姿がある。

 このルームは階層を繋ぐ位置関係にあり人通りも多い。加えて、厄介な霧も出ておらず探索の拠点に利用する冒険者は多いのだ。そのため、リリがベル達が討伐したモンスターの亡骸を一か所に集めていたのも、魔石回収のしやすさの為ではなく他の冒険者に対して所有権を主張するための方法だった。

 モンスターの体にナイフを入れ、手袋を付けた手を内側に潜り込ませ、魔石を掴みとって引き抜く。

「…………」

 ただ無言で周囲を警戒しているらしいクロードの姿を一瞥すると、リリルカは大きく深呼吸をした。

 咽返るモンスターの血の香りに混じって、何処か甘い様な煙草の香りが混じる。何処か冴えた様な感覚を覚えたリリルカは、次の死体に手を伸ばしながら、呟く様に問いかけた。

「クローズ様は、リリの事が気に入らないのでしょう」

「ああ」

 即答だった。声色は特に苛立ちや煽りといったものは含まれていないが、同時に冗談でもなんでもなく本当に嫌いだというのは伝わってくる。

 意味がわからない。

 出会った当初、あれだけリリルカの過去をほじくり返して貶し。

 今回二度目の出会いでパーティを組んでみれば行動を否定し貶す。

 ただの嫌な冒険者だと思えば、リリルカの行動や戦術眼を褒め、肯定した。

 『クロッゾ』の家名に関して口を出そうとすれば、それを止める様にクロードが口を開く。

 傍から見てもクロードの行動は理解不能だろう。リリルカに対しての当たりの悪さは、納得が出来る。間違っていたのはリリルカで、正しいのはクロードのはずだ。傍から見てもそうだろう。

 だが、リリルカを褒めた点は別だ。事実、ベルとヴェルフの二人が戦いやすい様に考えて動きはしていた、今までの経験からそう動くと良いと学んでいたからこそ実行した事ではある。だが、今までの冒険者はそれに気付く事も無ければ、気付いた所で歯牙にもかけなかった。

 そんな中、クロードだけはそれを評価した。

 加えて『指揮官(コマンダー)』にすべきだ、とすら言い切った。

 嬉しいか嬉しくないかでいえば、嬉しかったに決まってる。ただし、クロードが言わなければ。

「……なんで、リリの事をあれだけ評価したのですか」

「あァ?」

 魔石を剥ぎ取りつつの会話に、クロードは肩を竦めた。

「あンなぁ、オマエが何考えてんのか知らンが、オレは『評価する点』はちゃんと評価してるだけだ」

 リリルカ・アーデが過去行っていた盗賊行為。そして、ベルに付け込むような形でパーティを組んでいる件。それに関しては見苦しいし、気持ち悪い、それがクロードの評価だ。

 だが、それとは別にリリルカの持つ戦術眼や優れた補助能力は素晴らしい。

「総合評価で言えば、オマエはクズだな。だが、戦術眼と補助能力は良い。少なくとも、オマエの戦術に従っても良いと思えるぐらいにな」

「……それが、おかしいと言っているのです」

 ほとんどの冒険者が非力なサポーターの考えた戦術なんかに従わない。

 ベルの様な素直で優しい冒険者ならまだしも、自らの腕っぷしで這い上がってきた冒険者はリリルカのそれを決して認めない。たかがサポーターが指図するな、でお終いだ。

 だというのに、クロードはリリルカの戦術眼を見て、肯定し、これなら従っても良いと言う。

 貶したり、褒めたり、そして睨んだり。

 クロードの対応は非常に温度差があった。それも、一人一人違うのではない、同じ人物に対しても温度差が酷い。火傷する程の高熱になり、ともすれば凍死しそうな程の冷淡さも見せる。そして、ほんの一瞬だけ温かで居心地の良い温度すら見せた。

「リリには、クローズ様の考えは理解できません」

 貶された。痛めつけられた。そして、褒められた。

 意味がわからない。と繰り返したリリルカに、クロードは半眼を向ける。

「……俺も、オマエ等の考えは理解できん。命がかかってンのに、お遊び気分のパーティ組むなんざ狂気の沙汰じゃねェのか? 遊戯(ゲーム)じゃねェんだぞ。死ぬのが怖くねェのかよ」

 クロードの問いかけに、リリルカは言葉を詰まらせた。

 命を落とす可能性があるのに、本気で挑まないのは何故か。その問いかけについて考えていけば、自ずと答えが出てしまう。自分の考えが、甘かったのだと。

 ただ、それを素直に認めるには、クロードの口が悪すぎる。だが、反論しても意味が無いのをリリルカは学んでいた。

「逆にお聞きしますが。クローズ様は死ぬのが怖くないので?」

 Lv.1の頃、怪物祭(モンスターフィリア)の際、Lv.2相当のモンスター相手に一歩も引かずに挑み、撃破した。

 Lv.2の冒険者数人と戦闘をし、全員を撃破して【ランクアップ】を果たした。

 たった一人で中層に挑み、死に掛けて帰ってきた。

 挙句、その帰還途中に現れたミノタウロスに真っ先に挑みかかっていった。

 そのどれもが、死にたがりの行動にしか思えない。

 よもや『死ぬのが怖くないのか』等と問いかける様な人物がとる行動とは思えない。そんなリリルカの質問に対し、クロードは紫煙と共に溜息を零し、答えた。

「ンなもん、────()()()()()()()()()()()から、気にならねェ




 クロードくんちゃんをコミュ障という人も居ますが、違います。
 コミュ障は、コミュニケーションをとろうとしても『できない』。
 クロードくんちゃんはコミュニケーションをとろうと『しない』。
 『できない』のと『しない』のは全くの別です。というか意味が変わってしまう。
 実際、テランス君や豊穣の女主人の店員たちとは気さくな会話が出来てますし。一般会話で彼女の機嫌を損ねる様な事をしなければ、かなり良い人なんです。割と面倒は見てくれるし、冗談だって言い合えるんですよ。
 ただ、命が関わっていたり、目標達成に必要な事にかんしては『ガチ』なだけです。ちょっとガチ過ぎて、周りと温度差があるだけなんです……。

 それとリリルカが子供っぽくなってる云々は、原作4巻でヴェルフが加わった直後の話を見れば割と妥当な感じだと、思ったんですが。
 集合地点で顔合わせた直後から機嫌が悪くなって『自己紹介』どころか話すらせずにダンジョン11階層まで行って、そこでようやくヴェルフの本名知って驚くのがリリルカちゃんですし……? アレが、大人の対応というなら、私が間違ってますが。

 それとは別に、18階層に向かう道中というか、【タケミカヅチ・ファミリア】の一件がヤバそうな気がするんですよね。アレは、クロードがキレそうというか、桜花を擁護できないというか、桜花がヤバい。とにかくヤバい……。


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第二九話

「あの、今のパーティなら中層に行っても問題無いってエイナさんからお墨付きを貰いました」

 西の空が徐々に赤らみ始める頃。ギルドのロビーの一角で一組のパーティが会議を開いていた。

 少年の放った言葉を聞いたサポーターの少女が顎に手を当てて考え込み、青年はふむ、と唸る。そんな彼らと席を共にしていた銀髪の少女は、紫煙を燻らせながら少年を伺う。

「ンで、いつ行くんだ?」

 煙管を咥えた小人族の少女の質問に、リーダーの少年ベルは懐から細長い切符を取り出して皆に見せた。

「中層に進む前に『火精霊の護布(サラマンダー・ウール)』を用意しないと行っちゃダメ。とも言われたんで、明日は準備の為に一日使おうと思ってるんだけど。どうかな?」

 煙管を咥えた小人族を伺う様に、恐る恐ると放たれた言葉に青年、ヴェルフとサポーター、リリルカは大きく頷いた。

「ああ、俺も武具の調整に一日使いたいからな。明日は準備で……行くなら、明後日か」

「リリも、道具類の補充と確認をしたいです」

 二人の返事を聞いてから、煙管を咥えた少女、クロードは一つ頷いた。

「ああ、寸法もあるから明日の昼前に集合して『火精霊の護布(サラマンダー・ウール)』を買い揃えるのには賛成だ。だが、オレは自前のがあるから、オマエ等の分だけでいいぞ」

 彼女は自分の分はある、とベルが差し出した『割引券』を断る。

「そんじゃ、明日は一時間ぐらい遅めに集合で良いだろ。持ち込む道具類なんかで必要なモノがあれば言え、グラニエ商会の方で用意できたらしてやる。顔見知りだからちったぁ割り引いてもらえるからな」

 軽く手を振ると、残る面々を置いてギルドを立ち去るクロード。

 その背を見ていたベルは軽く息を吐くと、リリとヴェルフの二人に笑いかけた。

 数日前、ヴェルフの手引きによってベルのパーティに加わったクロードとの関係は、今も続いていた。それ処か、正式なパーティを組んでさえいる状態だ。

 パーティを組んだ初日こそ、次からパーティを組む事は無いだろうとすら思えるぐらいに最悪な空気を満たしたリリルカとクロードの関係だったが。それは僅かにだが改善が見られた。

 

 

 初日だったあの日、11階層探索を目前としたさ中に『インファント・ドラゴン』と遭遇(エンカウント)したのだ。

 出現階層11~12階層。

 個体数が非常に少なく、その潜在能力(ポテンシャル)は上層最高位。『迷宮の孤王(モンスターレックス)」が存在しない上層における実質的な階層主。 

 上層に5匹と居ない希少(レア)モンスターとの遭遇。クロードに言わせれば『幸運な出会い』というものだろう。勿論、皮肉だ。数多くの下級冒険者パーティを壊滅させているモンスターとの出会いを『幸運』等と冗談めかすのはクロードぐらいだろう。

 そんな稀有で運の無い遭遇(エンカウント)に対し、誰よりも真っ先に反応したのはクロードだった。

 その場で全ての冒険者に『逃げろ』と叫び、リリルカを庇いながら逃走を図ろうとした。結果としてその逃走は失敗し、リリルカと共に死に掛ける結果となってしまった。が、その際、ベルが新たに習得していた【スキル】の効果によって『インファント・ドラゴン』は一撃で消し飛ばされた事により死者は居なかったが。

 その一件の際、リリルカは自身が見捨てられる可能性が高いと考えていた。しかし、実際には足を引っかけて転倒したリリルカを、クロードは庇った。自らが扱う【煙槍】を幾本も重ねて盾の様にして。

 その日、帰還後の反省会を行った際、明日以降どうするかを話し合った結果として、次の日もクロードはベル達とパーティを組んだ。

 次の日にはリリルカからクロードに対する嫌悪感は薄れた。無くなってはいないものの、少なくとも普通に話をする程度には改善が見られた。クロード側の方も、リリルカの態度の軟化に伴い口の悪さも軟化した。ただ、互いに皮肉を言い合う部分はあるが。

 ベルは口の悪さと雰囲気の刺々しさからクロードに対して苦手意識を持っていたが、その苦手意識もパーティを組んでダンジョンに潜り、彼女の事を知る事でほんの僅かに和らいだのだ。

「な? 言った通りだろ?」

「うん」

 クロードの事をよく知るヴェルフの言葉にベルは大いに頷いた。

 何も知らない人が関りを持てば、間違いなくクロードとは揉める事になる。それは彼女の口が悪い事もそうだし、なんでもかんでも正論を振りかざすのもそうだ。

 だが、普段のクロードはそこまで口が悪くない。どころか、思い返してみればベルが冒険者になってすぐの頃は面倒見も良くしっかりと探索の基礎を文字通りに叩き込んでくれていた。あの頃の彼女を想い返せば、食事に誘えば普通に対応してくれるし。普段から罵倒と皮肉しか言っていない訳ではないのは明白だった。

 自分がクロードに皮肉と罵倒を返された場面を冷静になってみれば。鍛冶師の青年が言ってくれた内容と合致する。

「アイツは()()()()()()に関しちゃ手を抜かねえ」

「うん……」

 初めてクロードに苦手意識を持つ事になった切っ掛け。

 酒場で屈辱を味わい、悔しさから防具も身に着けずに護身用のナイフ一本でダンジョン。それも当時【ステイタス】不足で非常に危険な6階層まで足を運んだ。その後帰還したベルにクロードは皮肉と嘲笑を浴びせ、罵倒したのだ。

 それに対しあの時少年自身が感じたのは苛立ちと、悔しさだけだった。だが、後から思い返せば羞恥が湧き出てくる。

 それ以外についても、彼女が罵倒や皮肉を繰り出す時。それは決まって『命が関わる事』があった時だ。

 ダンジョン内での探索なんてその最もだろう。

 『命が関わる事』に関して、手を抜かない。そして、誰かが手を抜いているのを見たら、全力で皮肉と罵倒をぶつける。

「クローズ様は言い方はキツイですが間違った事は言ってないのです」

 肯定する様にリリルカが頷く。

 ベルが初めてパーティを組んだ時、碌な作戦も立てず、指示も出さずにいた。その場で罵倒と皮肉を言うのではなく、ダンジョン内で言った事に関しては、リリルカと合流した際に話を拒否したのを見たリーダーのベルが、そのままダンジョンに行くことを選んだのだ。

 思い返せば、あの場で説得してでも自己紹介するべきだった。それ以外についても、だ。

 今になって少年が思い返してみれば、ダンジョン舐めてるのか、とその時の自分に言いたくなってくる。実際、舐めていたのだから何も言えない訳だが。

「それに、言いたくはありませんし。正直認めるのも癪ですが。クローズ様は教えるのも丁寧です。口が悪いですが」

「ああ、確かに。丁寧に教えてくれるな。口は悪いが」

 苦虫を噛み潰したような表情のリリルカの言葉に、ヴェルフが大袈裟なぐらいに頷きを返す。

 二人の言葉に自然とベルも首を縦に振っていた。

 クロードの方針なのかは不明だが、わからない事をちゃんと『わからない』と言うと彼女は案外教えてくれる。ただし、皮肉交じりにではあるが。その知識も、かなり為になる事が多いが。皮肉にさえ目を瞑れば、その内容は非常にわかりやすく噛み砕かれたものだ。それこそ、一度聞けばすんなりと理解できるぐらいの丁寧さで。

 さらに、本当に危ない事をしそうな場合は罵倒混じりに皮肉を言ってくる。

「初対面の印象が悪いから付き合い辛いが。一度踏み込んじまえば良い奴なんだよなぁ」

 口が悪いクロード・クローズだが、なんだかんだと世話焼きな一面も持つ。

 リリルカの道具の補充の際には伝手の商人に口利きして、更に安価で手に入る伝手をリリルカに提供しているし。ヴェルフが欲した鍛冶道具類もその商人の伝手で用意してくれたりしているのだ。

 これに関して、リリルカとヴェルフが礼を告げれば、クロードは肩を竦めるのみ。

 潤沢な物資があればダンジョン探索も潤滑(スムーズ)に行える。それはパーティを組んでいるクロードにも恩恵があるし。鍛冶師が欲する道具を揃えてやれば、自身が注文する武装の質も上がる、等と言ってリリルカやヴェルフに協力的だ。

「…………はぁ」

「どうした、リリスケ?」

「リリ、やっぱりクローズさんとパーティ組んでるの気にしてる?」

 リリルカの放った溜息を聞き留めた二人の言葉に、リリルカは大きく首を横に振った。

「いえ、クローズ様とパーティを組んだのは正解だと思います」

 口が悪い事を除けば、彼女とパーティを組んで探索する様になってから安定度がグンと増した。

 リリルカが知る中でも、ここまでの安定のある探索を行っているのは、よほどの大派閥ぐらいで、リリルカが過去に相手していた中小派閥のパーティとは段違い。

 ベルと二人で組んでいた頃を思えば、不足していた知識、それも通常では得難いそれらを補ってくれている。それに対し不満なんてあるはずがない。

「…………」

「なあ、まだ不満か?」

「ヴェルフ」

 黙り込んだリリルカに青年が肩を竦める。そんな彼にベルが声をかけた所で、リリルカは小さく拳を握り締めた。

 パーティに対する貢献という意味では、クロードの行動の数々は大きい貢献度を誇る。

 ベルにリーダーとしてのいろはを叩き込んでくれている事もそうだし、道具の補充に自らの伝手を提供してくれたのもそうだ。そして、ダンジョン内での判断の早さ。パーティが危機に陥りかけると即座に救援を行う。

 口の悪さを除けば、本当に良い冒険者だ。自らの領分を超えさえしなければ、サポーターを馬鹿にする事はない。

 だからこそ、リリルカは────

 

 


 

 

 『インファント・ドラゴン』と接触した次の日。リリは訳あってダンジョン探索に同行できなかった。

 その日、リリルカが下宿先としていた店の店主が体調を崩し、倒れてしまったのだ。彼の世話の為にも、一日休む事を告げて大急ぎで下宿先に戻ったのだ。

 大方、倒れた原因がただの疲労だったと発覚して一息つき、リリルカが今頃ベル様達はダンジョンか、と考えていた時だった。

 クロードはその店に顔を出したのだ。

「よォ、倒れたって聞いたから見に来てやったぞ。ジジィ」

「おぉ、クロードじゃないか。煙管の調子はどうかね」

 突然出てきた彼女の姿に唖然として言葉も出ないリリルカを他所に、クロードは気さくそうに挨拶をすると、地精霊(ノーム)の店主は身を起こしてごく普通に出迎えた。

「え、えぇ……ど、どうしてクローズ様がここに……」

 今日は探索に行く予定を立てていたというのに、来なかったサポーターの元にわざわざ顔を出した。その理由は何かと考えたリリルカが震える声で尋ねる。

 彼女の脳裏には自分を匿っていた花屋が滅茶苦茶になっていた光景が浮かんでいた。

 まさか探索の邪魔となったボム爺さんに手を出す気か、と強張るリリルカ。

「あァ、今日の探索は中止だとよ。ベルはヴェルフに装備一式一新して貰う為に鍛冶場に行った。ンで、オレの方は鍛冶場なんぞに付き合ってらんねェし、欲しいものもあったからな。ついでに、そのジジィとは顔見知りだから見舞いに来てやった」

 あっけらかんと言い放ったクロードは、手にしていた籠をテーブルに置いた。その中には瑞々しい果物がいくつか入っている。

 思考停止してしまったリリルカを一瞥し、クロードは煎餅布団で腰を起こした地精霊(ノーム)と視線を交わした。

「ンで、ちとばかし探し物があってな」

「なんじゃ?」

「昨日に、煙管を一本ヤっちまった。新しいのが欲しい」

 クロードは『インファント・ドラゴン』に襲われた際、手にしていた煙管を投げ捨てて対応した結果、投げ出した煙管は見事に踏み潰されてお陀仏。それなりにお気に入りだったとはいえ一品物で手に入らないかもしれないと諦めかけてはいたが、この店ならまだ掘り出し物の煙管があるんじゃないかと顔を出した。

 丁度いい事に、ベルとヴェルフは別件で動き、リリルカも用事があって探索の予定もなくなったから余った時間で適当に見舞い品買って来てやった、と悪びれる事も無く告げる彼女に、店主は朗らかな笑みを浮かべた。

「ほぅ、そういう事か。リリちゃん、このお客さんに倉庫から煙管をいくつか出してやってくれんかのう」

「え? は!? いや、今日はお店はお休みですよ!」

「じゃが、お得意様がわざわざ来てくれたし……」

 彼の言葉を聞いたリリルカが目を真ん丸に見開き、クロードを指差して震える声を響かせる。

「お、お得意、様? クローズ様が、お得意様?」

「……失礼な奴だな」

 指差されたクロードが面倒そうに呟くのを他所に、店主は頼む、とリリルカに頼み込んだ。

 幾度かの問答の末、結局はリリルカが折れた。

 

 

 この店、『ノームの万屋』をリリルカが下宿先としている理由は【ソーマ・ファミリア】とのいざこざだ。身を隠す必要があった彼女は、幾度も盗品を売りに来ていたこの店を訪れた。この店の店主の人柄を見込んで「住み込みで働かせて欲しい」と懇願したのだ。

 店主は快く彼女を受け入れ、リリルカは迷宮探索に行く前の早朝と帰ってからに店の手伝いをしている。

 故に、この店の倉庫の何処に何があるのかはおおよそ把握している。

 倉庫の中に入り、煙管等の喫煙具が保管されている棚を漁りながら、リリルカは踏み台の上からクロードに視線を向けた。

 人の家の倉庫にずけずけと入り込み、そこらに置かれた物品を品定めする遠慮の無い姿は、いっそ清々しいまでに自分勝手だ。

 そんな彼女が自分の知り合いであるボム爺さんと懇意と知らなかったリリルカは、棚から木箱を引っ張りだしつつも、口を開いた。

「クローズ様は、よくこのお店を利用するのですか?」

「聞いてどうすんだよ」

 ばっさりと切り捨てられ、言葉に詰まる。話す気はない、とでも言いたげなクロードの様子に、リリルカは会話を諦めて棚から取り出した木箱を下ろそうとして、両手を差し出しているクロードと視線があった。

「……何をしているんですか?」

「あァ? 下ろすの手伝ってやんだよ。早くしろよ、腕上げてんの意外につれェんだぞ」

 ぶっきらぼうな言い草に戸惑いつつも、リリルカは手にした木箱をクロードに渡す。

 彼女はその木箱を持っていく。リリルカは残る一つの木箱を棚から引っ張り出して彼女に続く。

 居室(リビング)で白湯を呑んでいたボムの下に戻ると、木箱からいくつもの煙管を取り出しては検分していく。そんな彼女にそれぞれの煙管の特徴や値段なんかを語っていく店主。そんな二人の様子をリリルカは部屋の隅から見ているだけだった。

「そういや、手伝いなんざ雇ったんだな」

「おう、リリちゃんの事かのう。良い子じゃぞ」

「良い子ねぇ……随分と運の良い事で。羨ましいねェ」

 店主とクロードの間に交わされる世間話に、リリルカは耳を疑った。

 ダンジョン内であそこまで苛烈な怒り、罵倒や皮肉を口にしていた彼女が、笑っているのだ。

 それも、何処にも険悪な雰囲気の無い、日常会話の様だ。

 片や赤い帽子を外して禿げ頭を晒す年老いた地精霊(ノーム)

 片や頬に大きな傷を負った銀髪の小人族(パルゥム)

 前者は知り合いだからこそ懐が大きいのはわかる。だが後者は全く別だ。都市内で噂されている【煙槍】クロード・クローズの情報からは想像できない。序に、つい昨日探索を共にしていたリリルカですら信じられないぐらい和やかな会話をしている。

 耳を疑うなという方が難しい。

「コイツは、良いな」

「ほぅ……お目が高い。三〇〇〇〇ヴァリスでどうじゃ?」

「オイオイ、流石にそりゃないだろ」

「ジジイ、目利きには自信があるんじゃが……」

「これなら四〇〇〇〇ヴァリスは出すぞ」

「そりゃあ、お前さんが気に入ったからじゃないかのう?」

 買った。と何処か嬉しそうに代金と引き換えに煙管を受け取ったクロードを見て、リリルカは表情を強張らせた。

 四〇〇〇〇ヴァリス。たかが喫煙具にそんな大金を掛けている。リリルカからすれば信じがたい光景だった。

 武器や防具、下手をすれば何か知らの魔法効果のついた冒険者用の装身具(アクセサリー)にすら手が届く程の金額だ。普通の冒険者はそこまで金をかけない。

 どれだけ煙草好きなんだ、とリリルカが内心で吐き捨てる中、ボム爺さんは小さく欠伸を零す。

「それで、他に欲しい物はないかの?」

「いや、他は良い。無理言って悪かったな」

「構わんよ。それより、あの煙草の感想を聞かせてくれんか?」

「あの……ああ、アンタが押し付けた」

「ワシなりに善意じゃったんじゃがなあ」

「押し付けがましいのは善意とは言わねェよ。余計なお世話って言うんだ」

「余計なお世話を焼くの、ジジイの趣味だし……」

 素直に謝罪したり、相手を気遣ったり。そんな事をするクロードの姿に困惑していたリリルカだったが、僅かに皮肉交じりの返事が交じった事で「クローズ様だ間違いない」と確信した。

 少なくとも今まで自身が見てきたのはクロードの一面で会って、全てではない、というのは大いに理解する。

「さて、ンじゃオレは帰る。煙管はサンキューな。また何かあれば買いに来るよ」

「おう、気を付けてな」

 困惑しっぱなしだったリリルカを放置したまま、クロードは立ち上がり、出ていく。その後ろ姿を見ていたリリルカは、店主に一声かけて慌ててその後を追った。

「お爺さん、少しだけ行ってきますね」

「おう、行ってらっしゃい」

 裏手から飛び出してすぐ左右を見回し、クロードの後を追う。追ってどうするのか、までリリルカは考えが及んでいない。ただ、聞きたい事があるのは確かだ。

 追い付くまでに時間はそうかからなかった。

 真昼の太陽に照らされた小径の端で煙管を吹かす銀髪の姿があった。

「ンで、何の用だリリルカ・アーデ」

 追ってきているのに気付いていた彼女の方から話しかけられ、リリルカは僅かに身を震わせ、意を決して口を開いた。

「何故、あの時、リリを助けたのですか?」

「……あの時?」

「11階層で『インファント・ドラゴン』に襲われた時です」

 上層における最強のモンスター、翼こそ無いものの竜種である『インファント・ドラゴン』は凄まじい潜在能力(ポテンシャル)を持っている。

 そのモンスターが現れた通路の最も近くに居たのはリリルカとクロードだった。

 モンスターに気付いたリリルカが硬直して動けなくなった瞬間、クロードはリリルカの尻を引っ叩いて叫んだ。逃げろ、と。その後、リリルカはただ弾かれた様に走った。背後に迫る威圧感に泣きそうになりながら逃げようとして──他の冒険者が残したモンスターの躯に足を引っかけて転倒した。

 あの時、リリルカ・アーデは間違いなく死んでいた。【ステイタス】からしても逃げ切れないし、死ぬと確信すらしていた。ベルやヴェルフと離れていた事もあって援護も期待できない。そう思っていた。

 背後に迫る重圧に思わず振り向くと、小竜の足が迫っていた。その時のリリルカは潰されて死ぬ、と諦めた。

 だが、そうはならなかった。間に、人が割り込んだのだ。

 怪物祭(モンスターフィリア)の時に使用され、一躍有名になるきっかけを作った魔法を駆使し、小竜の踏み付けを止めた冒険者がいた。

 自身の事を嫌いだとか気持ち悪いだとか言い捨てた、銀髪の冒険者が、まるで自分を庇う様に攻撃を防ごうとしていたのだ。すぐに、ギシギシと軋む音を立てて押されて死に掛けたが、あの時はベル・クラネルが放った一撃で小竜は消し飛んだ。

 あの時、リリルカはクロードが自分を庇う等とは微塵も考えていなかった。

 クロードはレベル2、自分はレベル1のサポーター。過去にサポーターとして雇っていた冒険者達なら、迷わずリリルカを見捨てて逃げていただろう。自分の事を散々貶した彼女は、逃げるものだと思っていた。そのリリルカの予想は裏切られた。

 それ処か、自身の身を危険に晒してでも、リリルカ・アーデを救おうとした。

「どうしてですか? 嫌いだったんですよね。なのに……」

 クロードに対する問いかけは一つ。どうして自分を助けたのか。その問いを投げかけられたクロードの方は、溜息を零した。

「なんで、か……あの時言ったろ、オレはお前の護衛としてあの場に居た。だから助けた」

 他に理由なんざねェよ、と面倒臭そうに銀髪を搔き上げる姿にリリルカが吠える。

「意味がわかりません」

「…………はァ?」

「リリの事が嫌いだったのでしょう。醜いと思ったのでしょう。だったら見捨てていればよかったのでは」

 自分なんか見捨てていればよかったのでは。そんな言葉を投げかけられたクロードは、心底面倒臭そうに呟く。

「なンでかねェ……」

「何が……」

「命がかかってる場で、好きも嫌いもねェだろ」

 嫌いだから、気に食わないから、助けません。目の前で死ぬのを眺めて、指差して笑って侮辱して、だなんて。

「そんなクズ以下になんざなってどうすんだか」

 わからない、と続けるリリルカに、クロードは心底苛立った様に煙管を吹かし、葉を燃やし尽くすとその場に灰を捨てる。

「オレは逆にオマエの考えがわかんねェよ。嫌いだから、気に食わないから、そんなチンケな理由で足を引っ張ってどうすんだか」

「リリの事が嫌いなのでは……」

 嫌いだ、と断言するなら。行動の一貫性が無さすぎる。そこが理解できない、と呟いたリリルカに対し、クロードは大きく眉を顰めた。

「嫌い、ってのは文字通りだ。オマエは気持ち悪くて仕方が無い」

 心底そう思っている、そう言いたげに吐き捨てられた言葉にリリルカは顔を上げ、クロードを真っ直ぐ見据えた。

 リリルカ・アーデもクロード・クローズが嫌いだ。理由を聞かれたら、いくつも理由が上げられる。口が悪い事、自分を嫌っている事、同族なのに活躍している事、力を持っている事。だが、クロードがリリルカを嫌う理由を、彼女は知らない。

「どうして、リリの事が嫌いで、気持ち悪いんですか」

 嫌われる理由を問う。それは非常に勇気がいる事で、リリルカにとってそれはとてつもなく辛い行為だった。

「嫌いな理由、ね……」

 震える声で放たれた問いかけに、クロードは僅かに目を細めると、リリルカの瞳を真正面から捉えた。

 一切逸らす事無く、真っ直ぐ、嘘偽り無く。クロードは口を開く。

「自分でやらかした癖に、自分に責任がねェみてェに思ってる所だよ」

「────は?」

「気持ち悪いのは其処だ」

 告げられた返事を聞いたリリルカは、唖然としたままその言葉をゆっくりと噛み砕き、咀嚼し、呑み込んで理解を拒んだ。

「何の話ですか」

「トボけんなよ。オレが嫌いなのは、自分の仕出かした責任を、背負う事すらしてねェ所だ」

「だから、何を言ってっ」

「テメェ、冒険者から物を盗んだのは、冒険者が悪いとか言い訳してんだろ? 冒険者としてやっていく才能が無いから仕方なくサポーターしたとか思ってんだろ?」

 違う。

 前提条件として、どんな理由があれど選んだのは誰か。自分だろう。最後の最後で選択をするのは自分自身以外に誰がいる。

 才能の無さを理由に冒険者への道を諦めたのは自分自身だろう。

「気持ち悪い」

 最後の最後、死ぬ瞬間の事を想像すれば容易い。自分が選んだ事なのに、他の誰かの所為にする。あたかも自分は被害者だったかのように振る舞う。

 あの時ああしていれば、あの時こうしていれば、と醜く後悔しながら死んでゆく。

 

 ────その死に方を選んだのは自分(テメェ)自身だというのに。

 

 環境が悪かったから。

 才能が無かったから。

 運に見放されたから。

 自分は悪くない。とでも言うつもりか。

「まさか、一番悪いのは自分(テメェ)に決まってんだろ」

 たとえ環境が悪かろうと、たとえ才能が無かろうと、たとえ運に見放されようと、選択権を持つのは変わらない。

「オレはな、途中で理由つけて諦める奴が大嫌いだね」

 どんな理由があろうが、途中であきらめる選択をしたのは自分以外に誰が居る?

「今、オマエがその泥の中に居るのは、それを選んだのは、自分だろうに」

 クロードの放った言葉を聞き届けたリリルカは、僅かに目を吊り上げ、吠えた。

「そんなの、才能があるからこそ言えるんですよ!」

 非才、非力、そんな星の下に産まれたリリルカからすれば、クロードの言い分は滅茶苦茶だ。

 選んだのではない、選ぶしかなかったのだ。何処までも、選ぶ選択肢の多い人は勘違いしがちだ。自分達非才で非力な者達は選べる選択肢なんて無い。ましてや【ファミリア】という束縛があればなおの事。

 故に、クロードの言い分をリリルカは認められない。

「はぁ……だから、わかんねェかな……」

 バリバリと頭を掻いたクロードは、新しく煙草に火を付け、紫煙で肺を満たす。

 ふぅ、と紫煙をたっぷり吐き捨てたクロードは、リリルカの頂点を過ぎて徐々に日差しが傾き始める空を見上げた。

「オレ、言ったよな」

「何を……」

「────死ぬよりも怖いものがあるから、気にならねェって」

「……それは」

「オレはな、オマエみてェに、薄汚れた這いずって、恥知らずに『選ぶしか無かった』なんて糞みてェな言い訳重ねる様な惨めで哀れで情けねェ、そんな生き方なんかできねェよ。もしそんな状況になっちまうぐらいなら、わざわざ恥晒して生きたいなんて思わないね。オレなら、自分で選んだ選択で死ぬ

 リリルカ・アーデは恥を晒してでも生き足掻いた。

 だがクロード・クローズは恥を晒して生きるぐらいなら死ぬ。

 故に、恥晒しな生き方を続けるリリルカ・アーデがとんでも無く気持ち悪い。




 クロードくんちゃんの座右の銘は『武士道と云うは死ぬ事と見付けたり』ですね。間違いない。


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第三〇話

 ダンジョン12階層から13階層へと繋がる階層間のルーム。

 正方形のルームの半ばほどまでが10階層とは比べ物にならないほどの濃い霧に包まれているが、不可思議な事にその霧は残る半分を侵食する気配は無い。

「では、最後の打ち合わせをします」

 そんなルームの一角、4人組パーティが一塊になって打ち合わせを行っていた。

 白髪のヒューマンの少年、赤髪のヒューマンの青年、銀髪の小人族(パルゥム)の少女に、サポーターの茶髪の小人族(パルゥム)

「では、中層からは地上での話し合いの通りに隊列を組みます。覚えていますよね」

 草原が切れ切れになり露出した土の地面に簡単な絵をかきながら告げるリリルカに、三人が頷いた。

「前衛が俺だったよな……本当に俺で良いのか?」

「むしろここ以外、ヴェルフ様の務まる場所がありません。いえ、リリが偉そうに言える事ではありませんが……」

 茶髪の少女、リリルカが横目で銀髪の少女、クロードを伺う様に見やる。

 伺う様な視線に対し、クロードが肩を竦めると、リリルカは咳払いをして続けた。

「すいません、続けます」

 地面に描かれた四つの丸の内、前から二つ目の円をリリルカがナイフで指し示す。

「ベル様は中衛を、ヴェルフ様の支援です。攻守両方を務めて頂く事になります。負担が大きいので、適宜クロード様と交代しつつもいきます」

「うん」

「そして、クロード様は後衛です。ただし、これは通路内での話で、ルームに出た場合はベル様同様に攻守両方を務めて頂きます」

 残る最後の後衛が消去法でリリルカが担当する。

 現在のパーティの構成は前衛が三人にサポーターが一人。

 前衛と言えども、三人それぞれが同じ役割が出来る訳ではない。

 本来ならば最前列には最もレベルの高い冒険者を配置すべきだが、今回のパーティで言えば適任はヴェルフ。否、消去法でヴェルフになっている。

 ベルは俊足を誇り二本のナイフで戦う近・中距離をカバーできる前衛攻役(アタッカー)

 クロードの場合は自己強化(ブースト)状態異常(アンチステイタス)を使っての奇をてらう(トリッキー)な戦い方で、その戦法は味方を巻き込む殲滅攻役(ジェノサイダー)

 ヴェルフは堅実に自作の大刀を使った一撃必殺が基本となる前衛攻役(アタッカー)

 総じて、全員が前衛壁役(ウォール)に向かない。

 ベルが前衛壁役(ウォール)を行えば、その俊足(あし)を殺す事になり。クロードであれば自己強化(ブースト)無しでは体格や【ステイタス】で難しく、自己強化(ブースト)を駆使すれば味方すら被害が出る、と使い物にならない。

 そんな中、レベル1とはいえ大型の得物を使用し、攻撃を受け止めるだけの前衛壁役(ウォール)が務まるのが残るヴェルフしか居なかったのだ。

「まあ、引き受けたからにはやり切るが」

「安心しろ、危なくなったら直ぐ援護に入ってやる」

「うん、僕も支援は頑張るよ」

 青年の背を少女が叩き、少年が笑いかける。

 前衛三人の和やかなやり取りにサポーターは釘を刺す様に口を開いた。

「わかっているとは思いますが。このパーティは非常に不安定です。クロード様の経験や技術を叩き込まれたとはいえ、後衛をサポーターが兼用してる時点で火力不足です。それを補えるクロード様は使う状況を選ばなくてはいけません」

 真剣な表情で口を開くリリルカは、息を止めてクロードを伺う。彼女は肩を竦めると、口を開くでもなく続きを促した。その様子に一息つくと、サポーターの少女は続ける。

「当然、窮地に陥った場合は立て直しは利かないと思ってください」

 もし本当に窮地に陥った場合、クロードが全力で魔法を駆使する事になる。結果としてクロード以外の全員が戦闘不能、もしくは戦闘続行不可能に陥るのは確定的。そうなれば後はクロード一人で三人を引き摺ってでも地上まで運んでいく事になる。

 故に────。

「引き際はさっさと見極めろよ」

 クロードの万感の籠った言葉に、三人は大きく頷いた。

 一度中層に挑み、死に掛けながらも生還した彼女の言葉は非常に重い。実際、彼女は引き際を弁えていたからこそ生還したのだ。

「一度でも判断を誤れば命取りか」

「尻尾巻いて引き返しますか? 今なら間に合いますよ」

「馬鹿言え、俺はさっさと上級鍛冶師(ハイ・スミス)になるんだ。近道を前に背なんか向けられるかよ」

 挑発気味の言葉を放つリリルカに、ヴェルフが言葉を反す。そんな恒例になりかけたやり取りにクロードが肩を竦め、ベルが頬を綻ばせる。

 ここ数日で付き合い方を学んだのか、リリルカとクロードの間柄は悪くはない。どころか、クロードは普通にリリルカに接する事が増えた。無論、リリルカに対して毒を吐く事も無くはないが、それはリリルカの方が上手く受け流している。

 クロードの持つ知識や技能とリリルカの持つ戦術眼が組み合わさり、パーティの安定性は非常に増した。

 リーダーとして上手くいきそうな面々を見て頬を緩ませる少年に、三人が怪訝そうな表情を浮かべる。

「何笑ってんだ」

「え、僕……笑ってた?」

「はい、すっごくにやけてました」

「何だ、もう地上に帰って祝杯上げる妄想でもしてたのか」

 三人から向けられた言葉に、少年が自らの頬に手を伸ばし、緩んだそれに気付いて慌てて謝罪の言葉を口にする。

「それは良いから、何で笑ってたんだ? 気になるぞ」

「え、えっと……賑やかで良いなぁっていうか……すごくパーティらしくなってきて、嬉しいというか」

 最初の出会い、クロードとリリルカの間に漂う険悪な雰囲気(ムード)。それらから想像も付かないぐらいに纏まりを見せ始めた事について、ヴェルフもベルのそれには同意見だった。

 大きく頷くヴェルフの姿に、リリルカはほんの少し苦笑し、クロードは肩を竦める。

 クロードとリリルカは決して仲良くなった訳ではない。ただ、リリルカの方がクロードとの付き合い方を学んだだけだ。それでも、付き合い方にさえ気を付ければ、クロードの優しさにも気付き始めてはいる。どんな些細な違和感も拾い上げて気を使ってくれる部分等は、リリルカからしても優しさを感じられる部分だ。それらを打ち消す口の悪さ、そして帳消しにして余りある狂人染みた信念が無ければとも思っていた。

「それでは、準備はよろしいですか?」

「ああ、問題無い。行こうぜ」

「うん」

「全員、油断はすんなよ」

 四人は立ち上がると、視線を12階層最奥部に向けた。

 周囲の壁面は濃い黄色で構成されているにもかかわらず、そこだけは灰色の岩で構成されている。その壁の真ん中にぽっかりと空いた巨大な穴。中層へと続く黒い黒い穴の入口には岩肌の下り坂が広がっており、奥には鈍い燐光が輝いている。

 奥から香る土臭い岩の香りと湿った様な空気に自然と恐怖心を駆り立てられる。

 その恐怖心に負けないようにヴェルフやベルが拳を握り締め、リリルカは気を引き締める様にハンドボウガンに手をかける。その後姿を見ていたクロードは、紫煙を燻らせて目を細めていた。

 

 


 

 

 『最初の死線(ファーストライン)』。

 冒険者の間ではそんな名でよばれる事もある13階層……『中層』。

 壁も床も天井も、全てが岩盤で形成され、湿った空気に満ち、至る所に灰色の岩が転がっている。

 何も知らない者であれば『山腹にある天然の洞窟』と言われればそう思い込んでしまうような空間。

「ここが中層か……」

「話には聞いていましたが、今までの階層より光源が乏しいですね」

 既に大太刀を鞘から抜き放っているヴェルフと、地形を注意深く観察するリリルカが言葉を放つ。

 『上層』12階層から伸びた下り坂を下り切った4人を待ち受けていたのは奥行きを見通せない程に続く長い岩石の一本道だった。

 上層における『ルーム』と『ルーム』を繋ぐ通路であるそれは、『上層』と比較すると非常に長い。曲がりくねっている訳でもないのに見通せない、という辺りでどれ程の長さなのかは察しがつくだろう。

 他には、壁の隅に井戸の様にぽっかり空いた縦穴──下の階に通じる落とし穴──も存在する。燐光の頼りない灯りも加え、『上層』とは雰囲気が一変している。

「では、予定通り。ルームとルームを繋ぐ通路が長いですので、安全に戦闘を行う為にも最初のルームに迅速に向かいましょう」

 リリルカが再確認の為にと放った言葉に三人が頷いた。

 上層に比べると通路の幅は広い。しかし、基本として通路でモンスターと戦闘を繰り広げるのは下策とされている。

 理由としては狭い空間(スペース)では動きが制限されるうえ、パーティの連携も機能が落ちる。更に群がってくるモンスターに包囲される可能性も上がる。通路の前後からモンスターの群れに挟まれ、通路内にモンスターが飽和して逃走経路を失い泥沼の戦闘に陥る。なんてことになれば、熟練の冒険者でも命にかかわる事になるだろう。

 逆に、パーティの連携を気にせず、自らが放つ『紫煙』が即座に満ちやすい事もあってクロード単独の場合は通路戦闘を好んでいるが、それは非常に例外的な事の為除外する。

「この道は一本道、だったよな」

「はい、ヴェルフ様。モンスターと出くわさない内に少しでも前進しましょう」

 ギルドから公開されている情報は予めパーティ内で共有している。それでも、互いに記憶違いや思い違いをしていないかの確認の為にも声を掛け合いながらも、前進していく。

 いつ襲撃を受けても応戦できるようにある程度の感覚を空けてパーティは進む。

「…………それにしても、やっぱり派手だよな、これ」

「『火精霊の護布(サラマンダー・ウール)』の事ですか?」

「ああ、着心地は文句ないんだが」

 ダンジョンに満ちる不気味な静寂の中、それを打ち消す様に軽い調子でヴェルフが声を上げ、リリルカが反応する。そんな緊張感を解す様なやり取りにクロードは何も言わない。

 緊張を和らげる何気ない会話はパーティを組む利点であり、否定するべき事ではない。単独迷宮探索(ソロ・プレイ)における孤独感、そして絶えない緊張による苦痛を、煙草等の嗜好品で和らげているクロードが何か言えるはずもないのだから。

「リリはこんな立派な護布(ごふ)を着れる日が来るなんて、思いも寄りませんでした。ありがとうございます、ベル様。大切にしますね?」

「あははは……『グラニエ商会』の人にかなり割引してもらっちゃったものなんだけどね」

 パーティメンバー全員が身に着けている光沢に溢れた赤い生地。インナーやパンツ等様々な形状ではあるものの、素材は同じ物だった。

 『精霊(せいれい)護布(ごふ)』。

 精霊が自身の魔力を編み込んで作成した一品。精霊の加護が与えられた特殊な装備品だ。

「割引して貰ったなんて言っても、精霊が一枚噛んでる装備だ、とんでもない値段だったろ? 三人分でいくらだ?」

 クロードは既に自前の護布を用意していた為、エイナから渡された割引券を使ったのは三人分。本来ならば安い買い物ではない。

「えっと……本当ならゼロが五つ並ぶぐらい……だったんだけど、何とか四つにして貰えたんだよね」

 ベルがちらりと最後尾のクロードを伺うと、彼女は大きく肩を竦めた。

 クロードのツテであった『グラニエ商会』を通じて、エイナが渡してくれた割引券に加えて更に割引をしてくれたおかげで、本来ならばゼロが五つは余裕で並ぶ金額だったものを、ゼロ四つに納まる金額にして貰えたのだ。

「ヴェルフ様、ベル様がお支払いになったお金はしっかり返してくださいね?」

「ほんと清々しいぐらい現金な小人族(パルゥム)だよ、リリスケは」

 ベルとクロードは防具の下にインナーとして身に着け、ヴェルフは着流しとして、リリルカは服の上から全身を覆い隠す程のローブ型のものを使用している。きらきらと光の粉を散らした様にも見える護布(ごふ)は、その鮮やかな色合いも相まって派手に見えなくもない。

「コレが無けりゃ呆気なく全滅、ってのも有り得るからな」

「『黒犬(ヘルハウンド)』だよね……」

 クロードの言葉に反応した少年が口にしたのはとあるモンスターの名前だ。

 別名『放火魔(パスカヴィル)』。

 犬型のモンスターであり、中層のモンスターだけに身体能力は侮れない。だが、それ以上に脅威とされているのはその口から放たれる『火炎放射』だ。

 並の防具ならばもろとも焼き溶かす程の高威力。黒犬(ヘルハウンド)の群れに遭遇(エンカウント)()()()()されたパーティが、『火精霊の護布(サラマンダー・ウール)』を装備していた一人を残して他は僅かな灰のみになった、等という噂すら流れる程だ。

 事実、13、14階層におけるパーティ全滅原因の大多数が黒犬(ヘルハウンド)によるものだ。【ランクアップ】を経た冒険者ですら、黒犬(ヘルハウンド)の吐く火炎放射によって焼き尽くされてしまう。

「ヴェルフ、わかってるとは思うが」

「わかってるクロード、みなまで言うな。ヘルハウンドが出てきたら真っ先に叩く、だろ。俺だって火葬は御免だ」

 13階層が冒険者の間で『最初の死線(ファーストライン)』と呼ばれる理由。

 それは諸説あるが、一番大きいとされているのは、モンスターが初めて遠距離攻撃をしかけてくる事が大いに関係しているだろう。上層までは無かった新たなモンスターの攻撃。言い換えればモンスター側も魔法を使ってくる、とも言える。

 無論、出現するモンスターの質、数どちらも多くなっている事も上げられるが、最も注意すべきは遠距離攻撃持ちのモンスターが出現し始める事だろう。

「…………!」

 洞窟を思わせる一本道を進む事数分。パーティは口と足を同時に止めた。

 【ステイタス】によって強化された冒険者達の聴覚が、何者かの足音を捉えたのだ。前方の薄闇を睨む皆が戦闘態勢をとる。

「……いきなりか」

 湿った空気に満たされた通路内に、ヴェルフの呟きが響き渡った。

 薄い燐光によって照らされる二つの影。通路の奥から飛び出て来て、パーティに姿を晒したのは、ごつごつとした黒一色の体皮、その中でも目立つ爛々と赤く輝く両の瞳。

 犬、と言うには大きすぎるぐらいの──ともすれば子牛程はある──体躯をした四足獣。

 狼とも違う狂暴な顔つきを盛大に盛大に歪ませ、二匹のモンスターは殺意に満ちた唸り声をあげる。

「なぁ、この距離はどうなんだ? 詰めた方が良いのか?」

「詰めろ。この距離なら中までしっかり(べリーウェルダン)なんかじャァ済まネェよ」

「なら────叩くかッ!」

 経験者のクロードの言葉を聞き、戦闘開始の合図を上げたヴェルフが大刀を担いで駆け出す。その直ぐ右後方にベルが続き、クロードは後方を一瞥して警戒した後に一拍遅れてリリルカを追い越して前進した。

 子牛程もあると言えるヘルハウンドは、真っ先に突っ込んできたヴェルフ目掛けて飛び掛かる。それを防ぐ為にベルが間に割り込み、今回の探索の為に新たにヴェルフが作成していた小盾(バックラー)を構える。

 大きく開かれた顎にあえてその小盾(バックラー)を差し込み、全身で跳び付きの衝撃を受け止める。

 勢いを殺され、宙を泳ぐヘルハウンドを、狙い済ましていたヴェルフが叩き切る。

 完全にがら空きとなった体目掛けての一閃。

『ァガッ!?』

 体の中心から綺麗に一刀両断。

 縦に大振りに振り下ろされた一閃は、見事にヘルハウンドの体を真っ二つにした。

 一撃で絶命した一匹がどさり、と地面に投げ出される。

『ゥゥゥゥツ!』

 残っていた一匹は、距離をとった位置で下半身を高く、上半身を伏せる様な態勢をとっていた。その姿勢こそ、火炎放射の合図。

 牙を剥いた口の隙間から、今にも爆発しそうな程に火の粉が溢れ────振り下ろされた鈍器によって頭部が潰れる。

 グシャリ、と悲鳴一つ上げさせる事無く頭部を叩き潰したクロードは、僅かに舞った大粒の火の粉を払う様にコートを翻らせ、警戒する。

「他には居ねェみてェだな」

 ヘルハウンドの頭部を潰した鈍器、喧嘩煙管を担ぎ直したクロードが煙管を吹かした。

「よし、幸先は良さそうだな?」

「にわか仕込みの連携も、上層であれだけ練習しましたから。これぐらいは当然です」

「でも、良い感じだったよ」

「まだまだ甘い所は多い、が……これなら十分だろうな」

 不測の事態さえなければ、十分な対処自体は可能という事は今この場で証明された、とクロードが肩を竦める。

 クロードがパーティに対して『黒犬(ヘルハウンド)』が放つ『火炎放射』には魔法の詠唱と同じ様に『溜め』が必要だという事は伝えてある。事前に渡せるだけの情報は渡し、上層で連携訓練も行った。加えて道具類も万全に用意し、サポーター用のバックパックがパンパンになるほどの準備をしてきた。

 初戦も難なく終え、リリルカが『魔石』の回収をする傍ら、少年はひとまず心の余裕をえていた。

「……あン? この音は……来るな。数は多くねェ」

「前からか?」

「ああ」

 パーティ内で真っ先に反応したのはクロードだった。

 トトトットトトッ、と小さめで小刻みに地を蹴る音色。聞き間違える事は無い。クロードの視線は自然と少年に注がれ、視線を向けられたベルは小さく首を傾げた。

「クローズさん?」

「あァ……ンでもねェ。それよか、ベルの()()()お出ましだ」

「え?」

 自分に兄弟が居たなんて初耳だ、とベルが疑問を覚える中、道の奥からモンスターが姿を現す。

 ぴょこぴょこ揺れる長い耳に、白と黄色の毛並み。ふさふさの尻尾に、額から生えた鋭い一角。後ろ足で立つ、ヒューマンの子供程、小人族(パルゥム)程の大きさはある二足歩行の兎だった。

「あれは……ベル様!?」

「違うよっ!?」

 クロードの冗談に乗ったリリルカの言葉に、少年が慌てた様に突っ込みを入れる。

 『アルミラージ』。それが白髪赤眼の少年が揶揄われる原因となったモンスター。

 見た目こそ兎の様で大人しいが、その外見とは裏腹に非常に好戦的。13階層初出現のモンスター。

「ベルの兄弟が相手か……冗談キツいぜ」

「いや、完璧に冗談だから!?」

 深刻な表情のヴェルフを見て、揶揄われているベルが泣きそうになる。

 いじられる少年と三人を前にした『アルミラージ』の群れは、おもむろに手近にあった大岩を砕き、その中から片手でも装備できる小型の石斧(トマホーク)を取り出した。

 天然武装(ネイチャーウェポン)。通路やルーム内の至る所に溢れ返っている灰色の岩、それらの大半が『迷宮の武器庫(ランドフォーム)』だ。その数の多さから破壊して回るのは現実的ではないとされ、上層とは異なり中層以降は武器持ちのモンスターが基本とされている。

 三匹ともが完全武装。可愛らしく感じるくりくりした瞳を吊り上げ、一角獣達はベル達を睥睨した。

「三対三だな」

「言っておきますが、あくまで三対一を三つ繰り返すんですよ? というかリリも手伝うので四対一です。各自で相手取るなんて愚の骨頂。特にヴェルフ様は一歩間違えれば足元掬われますよ!」

 中層の中でも『アルミラージ』の戦闘能力の高さは低い方に分類されている。野猿(シルバーバック)を上回る敏捷力にさえ注意すれば、Lv.1上位の能力(ステイタス)を持つ冒険者でも戦えなくはない。

 しかし、それでも『アルミラージ』の脅威評価がLv.2に分類されているのには明確な理由が存在する。なぜかと言えば、その兎のモンスターは集団戦では()()()()()()

 軽口を叩きながらも十二分な警戒姿勢を続けるベル達に、痺れを切らした様にアルミラージ達は甲高い鳴き声を上げ、突進し始めた。

「まずは右をやるぞ!」

「う、うんっ」

「それにしても初めてモンスターを倒す事に抵抗を覚えますね……普通に可愛いです」

「可愛かろうがなんだろうが、潰す!」

『キャウッ!』『キィ、キィッ!』

 

 


 

 

「ははははっ、『インチキ・ルーキー』! 上手い事言うじゃないか!」

 穏やかな日差しに濡れる西のメインストリートに、笑い声が響く。

 中背で身軽そうな体付きをした、細身の男神だ。

 やはり神であるが故にか相貌は文句の付け様が無い程に端正。羽根付きの幅広帽子を被った彼、ヘルメスは連れ歩くヒューマンの従者から聞いた話に笑い声を零していた。

 声に驚いて観衆の視線が集まるも、本神(ほんにん)は気にした様子もない。

「でも、魔法を単に当てた()()、瀕死のモンスターに止めを刺した()()……そんな安い経験値(ひょうか)昇華(しょうか)させてあげる程、神々(おれたち)の『恩恵』は甘くないんだけどなぁ……まあ、言いたい事はわかるんだけどね」

 とある冒険者について情報収集させた結果を聞きながら、神ヘルメスは喧騒の合間を縫っていく。

 その後ろに付き従う眷属は、小さな溜息と共に更なる情報を告げた。

「それと、既に耳に挟んでいるかもしれませんが。ベル・クラネル以外にも、二ヶ月で【ランクアップ】した冒険者が居るそうです」

「聞いた事あるね。確か、【煙槍】だったかな。しかも、無所属(フリー)らしいじゃないか」

 無所属(フリー)なら是非とも勧誘したいね。と男神が言葉を零すと、アスフィと呼ばれていたヒューマンの女性は苦渋の表情を浮かべた。

「彼女を勧誘するのはおやめになった方が良いかと」

「ありゃ、それはまた何で?」

「彼女を勧誘……まあ、少々強引な手段に出た派閥がいくつかありましたが、悉くが返り討ち。中にはLv.2の冒険者を動員した派閥もあったそうですが」

 【煙槍】クロード・クローズ。

 ベル・クラネルは明確に【ヘスティア・ファミリア】に所属する冒険者なのに対し、クロード・クローズは派閥と呼べる派閥に明確に所属しておらず、恩恵だけを貰って自由(フリー)で活動している冒険者だ。

 先に話題に上がったのはクロードの方であり、噂が立った切っ掛けは【ガネーシャ・ファミリア】主導で進められていた怪物祭(モンスター・フィリア)におけるモンスター逃走事件だ。

 その際、中層域で出現する脅威評価Lv.2の『ソード・スタッグ』を魔法を駆使し撃破。更にその後には勧誘に来たLv.2の冒険者数名を撃退。そして【ランクアップ】と、恩恵を受けてから二ヶ月という記録を叩き出したと一時期話題に上がったが、その後すぐに【リトル・ルーキー】に話題を持っていかれた冒険者。

「へぇ、実力は確かって事だろう。なら、やっぱり勧誘しないとね~」

 無所属(フリー)ならば勧誘しておいて損はない。とヘルメスが気楽そうに告げるのを見たアスフィは、無言で彼の腕を掴んで耳打ちした。

「それと、最近出回っている『煙草』の出処かクロード・クローズの可能性があります」

「……煙草っていうと」

 最近、都市内部で出回っている特殊な『煙草』。

 普通の煙草に比べて依存性が高く、禁断症状もかなり強い物が出る代わりに、一口吸えば天国に行けるとすら言われている品だ。

 これらについては出処の調査が進められている様子だが、調査員が再起不能に陥る事態になっておりギルドも手を焼いているらしい。

「それが、クロード・クローズが作ってるって?」

「はい。調べた所によると、『グラニエ商会』が関与しているとの噂も……」

「『グラニエ商会』! 大商会じゃないか!」

 『グラニエ商会』。

 都市有数の大商会の一つであり。とりわけ他の商会と比べると、まずその代表者の若さが上げられる。

 暗黒時代に闇派閥と取引をしていた派閥として、とある冒険者によって幹部の大多数が撲殺される憂き目に遭いながらも、若き代表者、テランス・グラニエは僅か数年で零落れかけた商会を立て直し、今では都市では無くてはならない程の商会に成長させた。

 それこそ取引は多岐に渡り、数多くの【ファミリア】とも懇意にしている上、ギルドも多くの商品を格安で仕入れて販売している彼の商会には助けられている。更にはギルド長に多額の資金提供と言う名の賄賂を贈って後ろ暗い事もしていると噂が流れる商会だ。

「で、それは確定情報で良いのかい?」

「……申し訳ありません。確定、とはとても言えません」

「あくまで、噂程度って事かな?」

「その通りです」

「なるほど」

 ヘルメスが信頼する眷属達が『噂程度』としか調べられなかった情報。

 僅かに湧き上がった興味は、けれどもヘルメスが今すべき事から外れている。故に。

「アスフィ、今は『グラニエ商会』は置いておこう」

「はぁ……」

「彼の商会については、あまり触らない方が良い」

 暗黙の了解として、『グラニエ商会』が行っている後ろ暗い事について掘り返したりしてはいけない。

 何故なら、都市外の貴族や富豪との深い繋がりを持っている上、ギルドですら無視できない権力者とも懇意にしているからだ。下手に調査を行えば、火傷では済まなくなる。

「今はそれより、【リトル・ルーキー】についてさ」

 【煙槍】も興味が無い訳じゃない。しかし彼女の周囲はきな臭すぎる。

 火の無い所に煙は立たない。間違いなくクロード・クローズという冒険者は火元に居る。それがわかっていれば、後は火傷しない様に注意するだけでいい。




 『グラニエ商会』について。
 闇派閥が跋扈する暗黒時代において、彼等と取引していた事もある商会。
 当然、闇派閥衰退後、とある冒険者の標的にされて当時の幹部などは全員お亡くなりになっている。当時若い処か幼かったテランス少年の手腕によって返り咲き、今では都市の中でなくてはならない大商会へと変貌を遂げている。
 なお、今でも後ろ暗い事をしまくっている模様。真っ黒~。


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第三一話

 洞穴を思わせる岩盤の壁面や天井に反響するアルミラージの鳴き声が四方八方から冒険者達の鼓膜を震わせる。

 13階層の主要路途中に存在するルームの一つにて、4人組の冒険者が戦闘を行っていた。

「息を吐く暇もない、ってな!」

「無駄口を叩く暇もないです!」

「サポーター、ヴェルフの援護を優先しろ! ベル、後二匹減らせ!」

 大粒の汗を滴らしながら大刀を振るうヴェルフ。矢継ぎ早にリリルカがハンドボウガンを放ち続ける。そんな二人を守る様に接近してきたアルミラージを叩き撥ね退けるクロード。

 既に周囲を囲まれかけたそのパーティはよく戦っていた。

 前衛であるヴェルフが、リリルカの援護を受けて前線を維持して、クロードがその二人の援護を主軸に動いて前線を安定させる。その間にベルがモンスターの数を削っていく。

 ほぼ一撃でアルミラージを狩る攻撃能力と、Lv.2の中でも速い動きを用いて順調に数を減らしている。

「────っ!!」

「援護は止めんな!」

 離れた位置に居たアルミラージが石手斧(トマホーク)を投擲する。

 反応が遅れたリリルカが眼前に迫るソレに気付いて身を強張らせた瞬間、横合いから振るわれた鈍器によって投擲物は弾き落される。

「ありがとうございますっ」

「礼言ってる場合か!? ヴェルフ!?」

「ぬぉ──!?」

「ヴェルフ、伏せて!!」

 リリルカの援護が遅れたほんの一瞬の隙に、ヴェルフに数匹のアルミラージが殺到する。一匹を切り払うも、二匹目、三匹目が止められない。そんな所に響いた叫びに青年が伏せた瞬間。白兎が駆け抜けた。

 瞬時に灰になり消し飛ぶアルミラージを見て冷や汗を流したヴェルフが身を起こして大刀を構え直し、矢の残りを数えつつリリルカが震える声を上げた。

「矢が、半分を切りました」

「おいおい、まだまだ沢山いるのにもう半分も使っちまったのかよ」

「流石に、数が多いね……」

「まだ序の口だ、泣き言ほざく暇があるなら一匹でも多く仕留めろ」

 援護射撃を矢継ぎ早に続けるリリルカは鉄矢(ボルト)の残量に声を震わせ、前線を支えるヴェルフは大粒の汗を流し、ベル自身もその体に染み付きはじめた疲労感によって徐々に動きが鈍っていく。

 そんなパーティメンバーに活を入れながらも、クロードは苦々しい表情を浮かべていた。

 戦闘開始からかなりの時間が経過している。

 クロードが単独迷宮探索(ソロ・プレイ)をしていた時もそうだったが、休息(レスト)する余裕も無い程の連戦に次ぐ連戦は珍しい事ではない。だからこそ、撤退の時期(タイミング)の見極めは重要だ。

 現状、ベル達のパーティのすぐ後ろには上層へと続く連絡路への通路口が存在しており、いつでも撤退可能状態は維持されていると言っていい。

 撤退するだけならいつでもできる。ただし、現在戦闘中の多数のアルミラージを放置したままの撤退は危険を伴う。故に、クロードは三人に提案した。

「撤退だ」

「おい、まだモンスターがうじゃうじゃいるのにか?」

「違ェよ、行動指針を撤退に変更しろっつっテんだろ」

 このままモンスターの殲滅を目指すと余力が失われかねない。ならばこそ、既に撤退を視野に入れてモンスターの数を減らす、または目くらましなり動揺を誘うなりで撤退出来る状況を作り出すべきだ、とクロードが苛立たし気に呟く。

 その声を聞いたリリルカが大きく頷いた。

「そうですね。魔石は惜しいですが、このままだと上層に戻る為の余力すら失いかねません」

「わかった。撤退しよう」

 二人の意見を聞いた少年がパーティの行動指針の変更を告げる。

 その瞬間、全員が一つ頷く。互いに行動指針を統一し、一つの目標の為に動きを変化させる。

 殲滅戦から、撤退戦へ。

 ただ撤退する為に背を向ければ、容赦の無い追撃がパーティを喰い散らかす。故に、撤退する場合は一度相手を撥ね退ける為に攻勢に出る。もしくは、戦線を下げつつ下がっていくのが定石。

 ただし、モンスターの場合は人間との戦争とは異なり十割追撃してくるに決まっている。だからこそ、少しずつ下がるのではなく一度攻勢に出て押し返し、即座に反転して撤退。その後は折を見て煙幕等でモンスターを撒く。その為にも、

「機を見誤るなよ」

「うん」

 少年の返事を聞いたクロードが軽く顎を引き、モンスターの機微を伺おうとした所で、メンバー全員が気付いた。

 彼らが戦うルームに五人──負傷し背負われた一人を含め──六人のパーティが足を踏み入れたのだ。

 そのパーティに気付いたベルが眉を顰め、クロードが舌打ちを零す。

 迷宮内では基本、各パーティ同士の面倒事を避ける為に必要以上に近づかない。そして可能なら戦闘中のルームには足を踏み入れない。理由としてはまさにこの状況。

 戦闘を行っていたパーティが撤退を視野に入れた際、残されたモンスターが他のパーティに追撃してしまう事がある。それは一種の怪物贈呈(パス・パレード)に該当し、当然ではあるがいかなる理由であれその様な事をしたパーティは、されたパーティの恨みを買う。

 その為、撤退を考えているパーティは他の【ファミリア】のパーティがルームを抜けるまで自分達が撤退できなくなってしまうのだ。故に、撤退の機を見ていたクロード達は苛立ち半分、さっさと通り過ぎてくれと内心で願う。

 六人で編成された他の【ファミリア】のパーティはベル達には目もくれず、一目散に駆けていく。彼らが進む軌道を見ていたクロードは、眼を見開いて叫んだ。

「────テメェ等ァ!! ぶっ殺されてェのか!? それ以上こっちに近づくンじゃねェ!?」

 突然の罵声にベルとヴェルフが驚愕し、リリルカが彼女の叫びの意図に気付いて目を見開いた。

 そんなクロードの叫びに対し、その六人パーティは耳を貸さない。どころか、より一層、速度を上げてベル達の戦闘域ギリギリを駆けて行こうとする。それを止めようとクロードが一歩踏み出そうとして、アルミラージが投擲した石手斧(トマホーク)に足止めを食らう。その間、ベルやヴェルフ、リリルカにもアルミラージが躍り掛かる。

 整然たる連携をとっていたパーティが足並みを乱した事に気付いたアルミラージ達による一斉攻撃。上層の様にただ攻め続けるのではなく、冒険者の機微を見て行動を決める程度に頭の回るようになったモンスターの攻撃にベル達が足止めを食らってしまった。

 そして、六人編成のパーティは戦域ギリギリを駆け抜け、少年達が撤退路として確保していた通路へと消えていく。

「────!? 不味いです、押し付けられました!」

 目を見開いたリリルカが叫び、気付くのに遅れたベルとヴェルフに警告する。

「な、何が起きてるの」

「どう言う事だよ!?」

「オレ等にモンスターを押し付けやがったんだよあの糞野郎共がァ!?」

「すぐにモンスターがやってきます!」

 撤退の機微を見るどころではなくなった。その二人の小人族の張り上げた声に少年と青年が困惑した瞬間だった。

 モンスターの群れがどっとルームに雪崩れ込んでくる。

 つい先ほど少年達が交戦していたアルミラージだけでも倍以上。更にヘルハウンドにハードアーマードまで交じっている。その不意打ち紛いな光景に、少年と青年は表情を激変させた。

 少年が弾かれた様に振り返った時には、そのパーティの姿は通路の奥に消えている。

「馬鹿がッ、即時撤退だ!! 数に押し潰されんぞ!?」

「退却します! ヴェルフ様、右手の通路へ、早くッ!」

 即座にクロードが喧嘩煙管を振り回し、アルミラージの群れを殴り飛ばし、血路を開く。ヴェルフが指示を聞いて人一人が通れる通路に駆け込み、その後をリリルカが追う。

「ベル、先に行け!」

「でもっ」

「オレが殿の方が都合が良い、早くッ!!」

 クロードの怒声に、少年も慌てて通路へと駆け込む。その背を見終わりより前に、少女は懐から金属缶を取り出して囁く。

【肺腑は腐り、脳髄蕩ける────紫煙の誘惑】

 詠唱完了と同時に、クロードは金属缶の中身をルーム目掛けてぶちまける。

 瞬間、ヘルハウンドが放った火炎放射がそれらを焼き尽くし、視界を埋め尽くす程の紫煙が溢れ返った。

「クハッ、せいぜい愉しめ糞モンスター共!」

 捨て台詞を叫びつつ、クロードは一人分しかない通路を先行させたベル達を追って駆け出した。

 進むにつれて一人分しかなかった幅狭の通路は徐々に広くなっていく。そんな通路を必死に走るパーティメンバーにはすぐに合流できた。

 Lv.1のサポーターの足並みに合わせて動いている以上、機動力は無いに等しい。故にクロードがすぐに追いつく事ができたが────同時に、背後でクロードの妨害を抜けてきたモンスターもまた、すぐに追いついてくる。

 【ステイタス】が低いが故に余裕のないヴェルフとリリルカが必死に足を動かすさ中、ベルとクロードは肩越しに通路を振り返り、息を詰まらせた。

 冒険者を食らい付くさんとするモンスターの行列。足場が見えなくなるほどの怪物の大群が通路にひしめきながら凄まじい速度で追い縋ってきている。

「チッ、もう一発やっとくぞっ、オマエ等足を緩めるなよ!」

「クローズさん!」

 ベルの声を背に、クロードは素早く煙管に煙草を詰め、火を入れるとその場で反転して足を止める。

 肺腑一杯に紫煙を満たし、更に詠唱を重ねる。

【肺腑は腐り、脳髄蕩ける────紫煙の誘惑】

 彼女の口元から漏れ出た紫煙が後方通路を埋め尽くす。

 モンスターの大群の最前列にいたアルミラージがそのまま紫煙に突っ込み────眼球が飛び出んばかりに目を見開き、激しく体を痙攣させて手足を振り回し、通路に転がり──それを、後ろから来た別のモンスターが踏み越えた。

 次から次に、押し出される様に紫煙へとモンスターが突っ込んでは、激しい痙攣を起こして倒れる。そして、倒れたモンスターの体を踏み越えて後ろのモンスターが乗り越える。足蹴にされたモンスターのか細い悲鳴は大群の巻き起こす騒音に掻き消され、足蹴にされたモンスターは呆気なく圧死する。

 そして、クロードが放った紫煙の中を数匹のモンスターが突破し始める。どころか、余りのモンスターの数に紫煙は直ぐに蹴散らされ、雪崩の様に通路を埋め尽くすモンスターの前に焼け石に水状態と言えた。

「────だろォな」

 過去に単独迷宮探索(ソロ・プレイ)の際にも見られた現象にクロードはげんなりしつつも、直ぐに仲間の後を追っていく。

 一応、紫煙の効果が完全に消えたわけではない。モンスターは先と比べてかなり速度を落としている様子が伺えた。即戦闘不能に陥る程の効果はすぐに蹴散らされても、状態異常(アンチステイタス)が完全に消えたわけではないのだ。

 それでも、余裕が出来たと言うにはいささか厳しい状態なのは変わりない。

 自分達に怪物贈呈(パス・パレード)しやがった冒険者達。彼らの装備や様子から、同一【ファミリア】の冒険者のみで構成されていたパーティだと判断したクロードは、地上に帰ったら殴り込んでやる、とクロードが通路を駆けていた、その時だった。

『────ガァァァァァァァァッ!!』

『あうっ!?』

『舐めんなァッ!?』

 モンスターの咆哮、そしてリリルカの悲鳴と、ヴェルフの叫びが響いた。

 その音にクロードは更に加速し、通路の先に居る仲間の姿を見て舌打ちを零した。

 退却していた通路の先にモンスターが居たのだろう。それに少年が速攻魔法(ファイア・ボルト)で対応したのか通路にはチロチロと舐める様な炎がいくつも散見でき、焼け焦げたモンスターの亡骸も見える。

 しかし、自らも火炎攻撃を放つヘルハウンドは殺しきれなかったのか、少年の放った魔法を潜り抜けて奇襲を仕掛けたらしい。

 片腕から血を流したヴェルフと、バックパックに固定された大剣に大きな傷があるリリルカ、その二人の傍には体全体が焦げた様子が見えるヘルハウンドの躯が転がっていた。

「無事か!?」

「は、はぃ……」

「なんとか、な……畜生め」

 肩で大きく息をしている少年が庇いきれなかった事を悔やむ様に表情を引き締めている姿に、少女は僅かに眉を顰めると、腰のポーチから回復薬を取り出してヴェルフに近づき、爪が掠めたらしい裂傷に半分ふりかけ、残りを口に捻じ込む、

「さっさと飲め。ンで、進むぞ」

 後ろから追撃してくるモンスターの大群は足止めできている。しかし、長くは続かない、とクロードがパーティを急かすと、ベルが警戒を呼び掛ける。

「いえ、まだ来ますっ!」

「あン……チッ、後ろの奴らも追い付いてきかねんぞ」

 一本道の先を見据えて警戒するベルに対し、後方に視線を向けたクロードは苦々しい声色を上げた。

 少年が見据えた先には無数のヘルハウンドにアルミラージ。少女が視線を向けた後方にはヘルハウンドとハードアーマード。

「挟み撃ち……」

「気が滅入るどころの話じゃないな……」

 恐怖に頬を引き攣らせるリリルカと、苦渋の表情を浮かべたヴェルフが呟く。

 四人は即座に背中合わせに陣形を整えた。

 モンスターの屍が転がる中、ヴェルフが気を紛らわす様に軽口を叩いた。

「中層ってのは何でこう、モンスターが寄ってくるのが、早いんだ」

「中層だから、でしょう」

「は、ははっ……」

「あの糞パーティの奴ら、次あったら鼻を捥ぎ取ってやる」

 サポーターの少女がバックパックから回復薬(ポーション)を取り出し、少年と少女に渡した。

 ベルはその場で飲み干し、体力の回復をし、クロードは消費して空になったポーチにそれを仕舞う。

 リリルカ自身も回復薬を飲む事で体力を回復させている。しかし、パーティ全体の精神的な損耗はどうしようもない。集中力や思考力の低下、危機察知能力の低下。どれもが致命的だ。そんな中、クロードだけは煙管を軽く吹かして精神的損耗が無いように見える。

 煙草を吸い、精神を落ち着かせる事で精神的な損耗を抑える彼女は、現状を整理した上で吐き捨てた。

(死ぬ確率の方が遥かに高ェぞコレ)

「ンで、作戦はどうするよ」

「リリは逃げるを上策とします。一度息をついて、態勢を立て直さなければ。このまま、まともに戦っていても切りがありません」

「反対はしないけどな、この状況はどうする?」

「片方を強引に、突破?」

「ええ、それが最善かと」

 三人の意見に反対するでも、賛成するでも無いクロードは一人、この状況を過去の自分の状況に当てはめて嫌な予感を感じ取っていた。

(確か、あの時も────)

 最善手を打ち続けているのに、状況は悪くなる一方。

 まるで誰かが裏で手を引き、嵌められているかの様な不快感が背筋を震わせる。

(まさか、な……)

「では、作戦通りでよろしいですか。クローズ様」

「……ああ、合図は任せる」

「おう」

「行こう!」

 

 


 

 

 ダンジョンは、少しずつ、少しずつ、気付かれない様に彼等から余力を削いでいく。

 隙無く万全の準備を整えて腹の内に飛び込んできた冒険者達の、たった一つの誤算から生みだされた致命的な隙を晒した冒険者を、ダンジョンが見逃すはずはない。

 ダンジョンは狡猾だ。待ち焦がれた致命的な隙を見つけた事に歓喜しながらもその様な雰囲気は決して悟らせず。寡黙に、そして迂遠に、そしてただひたすらに狡猾に、獲物となった冒険者の体力をじわりじわりと損耗させていく。

 時には──進む先に子を産み、足止めしたり。

 時には──足場を揺らし地震と錯覚させたり。

 時には──より凶悪な子を産み、進路を遮ったり。

 一つ一つは、普段ならば取るに足らない些細な出来事である。だが、それらが積み上がれば、いずれは重荷となり表面化する。

 体力が磨り減り、足取りはおぼつかず、集中力は途切れかけ。そんな状態に陥った冒険者を崩すのは、砂の城を崩すより容易い。その事に気付く頃には、既に手遅れなのだから。

 獲物が息を切らせ、苦痛に喘ぎ、弱り果てた姿を見せたその瞬間にこそ、ダンジョンはようやく真に牙を剥く。

『──』

 ビキリ、と。

 道具の大半を損耗し、疲労が頂点に達しかけた少年達の鼓膜に嫌な音が届く。

 逃走のさ中に幾度となく戦闘を強いられている彼らは、僅かに残った集中力を以てして、状況を理解せんと周囲を見回す。

 しかし、打ち鳴らされる警鐘を示す音色は聞こえど、彼等が視界に捉える壁面に異常はない。

 弱っていなければ、集中力が落ちていなければ即座に気付けるはずの差異。それに気付かずその場で周囲を見回す彼らを見ながら、黙し、このまま獲物に食らい付かんとダンジョンがほくそ笑む中、パーティの中の一人、銀髪の少女が弾かれた様に頭上を見上げた。

『上だっ、走れェッ!?』

 銀髪の少女が叫ぶ通り、音の出処は頭上。

 遅れて気付いた三人が慌ててその場から駆け出すのとほぼ同時、天井を突き破って夥しい数のモンスターが溢れ返る。

『キィァァァァァァァッ───────!!』

 甲高い産声と共に四方八方へと散っていく『バッドバット』。

 岩盤の天井がモンスターの黒い影で覆い尽くされ、パーティーの視界から隠される。

 彼らの視界が塞がる中、モンスターが産まれ落ちた事で穴だらけになった天井は自重を支えるだけの耐久を失う。

 それが意味する事はつまり────崩落だ。

『────!?』

 真っ先に退避し始めたクロードを除く三人が崩落の音を聞きながら、頭上から降り注ぐ殺人的な岩石雨から必死に逃げる。面を押し潰す大規模な岩盤崩落。

 仲間に気を回す余裕が微塵も無いその出来事のさ中、クロードがリリルカの手を掴み、押し倒した。

『動くな────』

『────ッ!?』

 降り注ぐ岩石が生み出す大音が途絶えるまで、サポーターの少女は必死に身を縮こまらせていた。

 

 


 

 

 暫くして、落石の雨が止んだ。

 通路全体を濃厚な土煙が覆い隠す中、青年の呻き声が微かに響いているのが耳朶を打つ。

 確かめずとも鍛冶師の青年が負傷している事が察せられる状況のさ中、リリルカは僅かに目を開けて自身を押し倒したクロードを見上げた。

「クローズ、様?」

「……死んで無いな?」

「ぇ、ぁ……はい」

 必死に走った後に起きた突然の出来事に僅かながらに混乱するサポーターの少女を他所に、銀髪の少女は身を起こすと彼女の手を引いた。

「ボケっとしてんな。立て、ヴェルフとベルを探すぞ」

 手を引かれて身を起こして気付く。頭上からまんべんなく降り注いだ岩石の雨の中、リリルカは一切の負傷を追っていなかった。

 降り注いだ土煙によって全身が汚れてはいるものの、怪我らしい怪我はない。

 他者を気遣う余裕が微塵も存在しないあの瓦礫の雨の中、クロードはリリルカを庇いきって見せたのだ。

 サポーターの少女が驚愕して足を止めるさ中、クロードは降り注いだ瓦礫に足を潰されて呻くヴェルフを見つけて舌打ちを零していた。

「ベル、テメェも怪我はしてねェだろォな?」

「僕はなんとか……でも、ヴェルフが……」

 パーティのリーダーでもあった少年は、運良く重傷を負わずにで済んだ様子だった。頬に僅かに切り傷を負い、血が滴る様子を確認した銀髪の少女は眉を顰めつつも、周囲を警戒する。

「ヴェルフの足を潰してる岩石どかすぞ。おい、サポーター、早くその岩を────」

 未だに混乱抜けきらない様子の仲間を見回していたクロードが手早く態勢を立て直そうとリリルカに声をかけた所で、眼を見開いて動きを止めた。

 それはリーダーであった少年、ベルも同様だったし。

 何とか無傷で済んだリリルカも同じだった。

 片足を岩石に潰されたヴェルフも、徐々にはれていく土煙に言葉を失っていた。

 徐々に視界を塞ぐ土煙がはれたその先。

 岩が積り積もった通路の奥に、黒い影が群れを作っている光景がそこにあった。

『──────』

 黒い影は四足獣の姿をしていた。

 その全てが地に深く伏せていた。

 その陰の口内に膨大な灼熱を溜めていた。

 立ち並ぶ白い牙から白煙が零れ出て、その中に、火花が迸っていた。

 そのモンスターは、放火魔(バスカヴィル)の異名で知られていた。

(────いけない)

 サポーターの少女は次の瞬間に、訪れる絶望に青褪めた。

(間に合わねえッ────)

 己の不甲斐なさを心底呪う様に、鍛冶師の青年は歯を食い縛った。

(────中層!!)

 少年は抗えない不条理の波に、戦慄を叩き付けられていた。

(────今度こそ、()()()()()

 自らがやれる事をやり切ったうえで、絶体絶命の危機に陥った銀髪の少女は、口角を吊り上げて──

【此の世に満ちよ、汝等に与えられた火の加護よ──】

 最期の瞬間まで、抗う事を止めぬと言わんばかりに、声高らかに詠唱を開始した。




 毎週土曜日に更新してますが、定期更新ではないので更新できない日も出てきます。確実にきます。なので、あまり本作が『土曜日に確実に更新される』と思い込まない方が良いです。
 作者自身が言うんだ、間違いない……。
 土曜日更新が無かった場合は来週になると思ってください。非常に申し訳ないですが、頑張っても無理なモノは無理、となる場合があります。


 あと、桜花君は、がんばって。死ぬ程頑張って……。


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第三二話

 灰色の岩窟内は石の香りを含む湿った空気に満たされていた。

 乏しい光源が篝火の様に天井付近で揺らめき、薄闇の一部を不規則に切り裂く。薄暗い洞窟状の通路。

 周囲にはモンスターの気配は存在せず、嫌な静寂が場に満ちる。

 砂埃にまみれた全身は薄らと褐色に染まり、額から滴り落ちる汗を腕で拭えば不快なじゃりじゃりとした感触が精神を苛立たせる。

「はぁ……なんとか全員死んではいねェな」

 確認をとる様に土埃に塗れた銀の長髪を搔き上げた小柄な少女が声を上げる。

 その背後、これまた土埃を全身に浴びた白髪の少年が、赤髪の青年に肩を貸しながら歩いていた。その後ろには息を切らし疲弊しきった表情の小人族(パルゥム)の少女が続く。

「死んでは、な……」

「うん……」

「はい……」

 暗い雰囲気で返された言葉に、銀髪の少女、クロードが表情を歪める。

 『放火魔(バスカヴィル)』の異名を持つモンスター。ヘルハウンドの一斉放火を被った彼らは、あの危機的状況をやり過ごす事に成功していた。

 負傷し動けなかった鍛冶師の青年、ヴェルフはまだしも、動けるはずなのに硬直して動けなかったリーダーの少年、ベルとサポーターの少女、リリルカ。二人を他所に一人、クロードだけは動いた。

 絶望的状況ながら迷う事なく真っ先に詠唱を開始。一瞬だけ炎に巻かれた直後にはそれら全てを魔法の効果で撥ね退け、全員を叱咤。負傷したヴェルフを二人に任せてモンスターと交戦。

 その後、ヴェルフを回収して撤退。命からがらの逃走に成功していた。

 しかし、九死に一生を得た代価は非常に大きかった。

 少年が肩を貸している青年、ヴェルフは13階層での崩落の際に片足を潰され、一人では碌に歩く事も出来ない状態だ。リリルカは目立った外傷はないが、パーティ内で最も非力な彼女は此度の逃走劇の中で消費した体力が最も多い上、サポーターとして背負っていた大型のバックパックは一部がごっそりと無くなっており、回復薬(ポーション)を始めとしたほとんどの道具類が無くなっている。

 リーダーのベルは疲労感を滲ませてはいるが、肩を貸す程度には余裕がある。が、やはり疲労していない訳ではなく、肩で息をしていた。

 そして、パーティ内で最も声を張り上げ、皆を激励し、非力で死亡率の高かったサポーターの少女を積極的に庇ってパーティを支えた銀髪の少女、クロードは土埃には塗れていても負傷らしい負傷はしていない。

「『火精霊の護布(サラマンダー・ウール)』が無けりゃあそこでお前等三人は死んでたわな」

「……うん」

「三人、つかクロードもだろ?」

「オレは自前で『火耐性』のスキル持ちだ。あんなチンケな火で死にゃァしねェよ」

 煙管を吹かし、軽口を叩いて皆を先導するその姿に、ベルとヴェルフは微かに笑みを浮かべた。

 中層からの脱出を試みるパーティには、既に余裕は微塵も存在しない。

 リリルカが管理していたアイテムで残っているのは回復薬(ポーション)4本に解毒剤2本。高位回復薬(ハイ・ポーション)紛失(ロスト)して存在しない。ベルのレッグホルスターの中に残っているのも回復薬(ポーション)が1本。ヴェルフは使い切ってしまっていた。

 クロードの持ち物は自己用の特殊調合した回復薬(ポーション)2本に増強剤(クスリ)が3本。どれもが独自調合品であり彼女以外が使うのは強烈な副作用(リスク)が伴う。

 からからと軽い笑い声を響かせながら煙管を吹かすクロードにつられて笑みを零した三人はすぐに表情を暗くした。疲労が溜まり働かない頭脳を総動員しても計算してみても、現状を切り抜けるには道具(アイテム)手持ち(ストック)が心もとない。ただでさえ装備や道具(アイテム)の消耗率の高い中層で、ベルとリリルカは体力を大きく削られ、前衛を張っていたヴェルフに至っては足に重傷を負っている。

 ヴェルフの左足、膝から下は半ば潰れた様な有様になっており、中の骨が無事でないのは一目でわかる程だ。到底、戦闘をこなす事なんて出来る筈もない。

 4人のうち戦闘員1人が体力が削られて疲労状態。非戦闘員のサポーターも道具類を紛失(ロスト)手持ち(ストック)の余裕は無し。戦闘員の1人は負傷し戦闘不能どころか足を引っ張っている状態。余裕を保っているのは戦闘員一人のみ。

 絶望的な状況ながら、いつも通りに口の悪さを見せつつも仲間を気遣う彼女の姿に、3人は大きく心を支えられていた。

 しかし、それでも彼等の表情は暗い。

(縦穴から……()()()からなァ)

 ふと見上げた天上にぽっかりと空いた穴を見上げたクロードが不愉快そうに口元を歪めた。

 現在位置、()()()()()()

 彼等のパーティは落とし穴にはまっていた。

 13階層での天井崩落後、ヘルハウンドの群れをクロードが対応する間にベルがヴェルフを担ぎ、リリルカが先導して逃走を開始し────通路にぽっかりと口を開けていた落とし穴に転落してしまった。

 背後に迫るモンスターという脅威に急かされ、疲労が溜まり始めて視野が狭まっていたサポーターの少女が気付くのに遅れてしまったのだ。ギリギリで停止しようとするも、バランスを崩してその小柄な体躯は穴の中へ。それを見ていたベルは負傷したヴェルフを担いでおり、咄嗟に手を伸ばしたもののその手を掴む事は出来なかった。

 遅れてやってきたクロードが事態に気付いた頃にはリリルカは落とし穴の底に消え、表情を強張らせたベルとヴェルフが硬直していたのだ。後方から迫る濁流の如きモンスターの群れ、滑落したサポーター、負傷した前衛。余りの出来事に思考停止した少年を再起動させたのは、クロードの蹴りだった。

 ────チンタラしてんじゃねェッ!? 選べッ、見捨てて逃げるか、飛び下りるか!!

 ベルの頭の中は真っ白だった。非力なサポーターの少女が一人で落とし穴に落ちたら絶対に助からないのは明白。だが、追おうにも前衛のヴェルフが重傷を負っており自力での逃走は不可能。もし負傷していなくともLv.1の鍛冶師を中層で一人にすれば間違いなく死ぬ。

 唯一余裕のあるクロードも、ヴェルフを担いでモンスターの群れを凌ぐのは不可能。単独(ソロ)ならまだしも、負傷者を抱える余裕はない。それはベルも同様。

 最も確実な選択は、サポーターと鍛冶師を見捨てる事。Lv.2のベルとクロードの二人なら確実に逃げ切れる。だが、少年にそんな非情な選択はできない。かといって、助ける為にも自らが飛び込むのも憚られる。

 重傷を負った鍛冶師の青年を連れて行けば、確実に足手纏い。

 前者の選択肢はもっとも生存率が高い。ただしサポーターの少女は確実に死ぬ。

 後者の選択肢は絶望的に生存率が低い。パーティ全滅も十二分に有り得る。

 どうしたら良いのか、と選べなかった少年を、クロードは蹴り落とした。そして、彼女はそれに追従した。微塵も迷う様子もなく。

「申し訳ありません……リリの、不注意で……」

 体積が半分ほどに減ったバックパックを背負ったリリルカが、小さな体を更に縮こまらせて俯きながら、呟きを零す。

 迷宮の陥穽(ダンジョン・ギミック)の落とし穴に見事に嵌り、落下しているさ中、彼女の思考はめまぐるしく回転していた。非力なサポーターが単独でパーティから逸れた。残りの面々も余裕が無く、自らを助けに来る事は無い。それが理解できる程度には長い間落ちていた。もしくは、凄まじく思考が回っていたか。

 落下し地面に叩き付けられた衝撃で一瞬意識を飛ばし、一瞬で浮上する意識の中、自身の状況が染み渡る様に理解できていく。リリルカは泣き叫びそうになり────直後、ベルとヴェルフが落ちてきた。

 鈍い音を立てて転落してきた二人に唖然とするリリルカのすぐ真横に、クロードが着地する。

『ぐ────ッ、ッメェは!』

 少女の手が倒れたまま動かないサポーターの胸倉を掴み、半ば引き摺る様に立ち上がらせて鼻先が触れ合う距離まで顔を近づけ────怒鳴った。

『テメェは何してやがンだッ』

『────めんなさい』

 自らの失態を責められるのだとリリルカが青褪める。

 落とし穴に転落してしまった事。そのせいで他の皆が追ってきた事。その結果、全滅してしまうかもしれない事。自責の念に加えて、目尻を吊り上げて激昂する彼女に反論なんてできるはずがなかった。

 しかし────

『気絶してねェなら落とし穴に落ちたら直ぐに移動しやがれッ、危うく潰すとこだっただろうがッ!?』

 ────自責に駆られた少女の想像とは異なる怒声が響いた。

『ったく、怪我は? テメェも足をヤっちまったなんて言うンじゃねェだろォな?』

『ぇ、ぁ……足は、大丈夫です……』

『歩けるなら良い。ベル、さっさとヴェルフを連れて移動するぞ。テメェもボケッとしてねェでさっさと荷物拾え』

 転落した際に大型バックパックから溢れた荷物を手早く集めながら、クロードが指示を出す。

 落とし穴に落ちた事を責めるでもなく、落ちた後の行動、穴の真下から即座に移動して他の仲間が降りれる様にしなかった事を責められた。その後、リリルカは穴に落ちてしまった事を責められるでもなく、パーティの最後尾を歩いていた。

 思考を埋め尽くすのは自身が転落してパーティを『最悪の状況』に陥らせた自責の念だ。故に出た彼女の謝罪に、ベルとヴェルフが口を開くより前に、クロードが不愉快そうに舌打ちを零す。

 リリルカの体がびくりと跳ね、視線を落とす。

「ぼ、僕も余裕が無かったし仕方ないよ」

「ああ、何なら俺なんて前衛の癖に足をヤっちまって足手纏いだぜ」

 罵倒が飛び出す予兆に身を強張らせるリリルカに、ベルとヴェルフが庇う様に声を上げた。

 その言葉に盛大に眉を顰めたクロードは、大きく溜息を零す。どんな罵倒が飛び出すかと三人が身を強張らせる中、彼女は振り返って半眼で三人を見やった。

「恨みたきゃ好きなだけオレを恨めば良い」

「え?」

 三人の予想外の言葉を放ったクロードは、肩を竦めると未だにモンスターと遭遇(エンカウント)していない薄暗い岩窟の先に視線を戻す。

「ベル、テメェはあの場で迷いやがった。アレはダメだ、下手すりゃサポーターは穴の下でモンスターに襲われて死んでたぞ」

 戦闘力の乏しいサポーターがパーティから逸れた際、即座に判断しなければ死亡する確率が高い。だからあの場で数秒間迷ったのは論外。そう言い捨てた彼女は続ける。

「だからオレがテメェらを突き落とした」

 後ろからは抑えきれない程のモンスターの濁流が再度迫ってきていた。穴の前で立ち止まる余裕はない。だというのに二択を選べずに迷ったリーダーに代わってクロードが選んだ。

「オマエ等の命を勝手に預かったのはオレだ。文句言いたきゃ言え。代わりに俺も文句は言いたいだけ言わせてもらうがな」

 彼女は三人に背を向け、先を示す。

「ほら、文句なら歩きながらでも言えんだろ」

「どうして────」

 先導する様に進む彼女の背を見て、ベルとヴェルフが肩越しにリリルカを振り返る。

 最後尾で体積の減ったバックパックを背負う彼女は、震える声を上げていた。

「どうして、リリを責めないのですか」

 自らが引き起こした事態。パーティからの落後。その結果、パーティを『最悪の状況』に陥らせた。

 その原因となったリリルカを、クロードは微塵も責める様な雰囲気を出さない。ベルとヴェルフは気遣う様にあえてその話題を避ける節があるというのに、クロードはそもそも気にすらしていない。そんな彼女の様子にリリルカが声を上げると、髪に絡まる土埃を払いながら、クロードが呟いた。

「責めてどうなるよ、責めたら状況が良くなるか? 違ェだろ。ンな事考えてる暇があンなら、現在位置が何処なのか考える方が効率的だ」

 余計な事考えてねェで、状況を考えろ。そんな風に吐き捨てた彼女は遅れた皆を一瞥すると、顎で先を示す。

「早くしろ。ここで待ってても状況は好転しねェよ」

 先を急かすクロードの背に、ベルとヴェルフが追従し、遅れてリリルカも足を踏み出す。

 薄暗い岩窟内を照らす頼りない光源、規則性の無い燐光により暗影に分かたれる通路の先を見据えながら歩くクロードは、後ろを肩越しに見やって溜息を零す。

「オマエ等がどう考えてるのか知らねェがな。失敗なんか責めた所でどうにもなんねェだろォが」

 前を見据えたまま、後方で不安げにされると不愉快だ、とクロードは私論を説明していく。

怪物贈呈(パス・パレード)しでかしたクソ共ならぶっ殺す所だが。テメェは責める理由がねェ」

 悪意ある選択をした者ならば躊躇なく責める。罵倒する、中傷し、殴り、蹴り、叩き潰し、なんなら殺す。それはその人が()()()()()だからだ。

 そいつが選んだ結果、不利益を被る。または他者に不利益を与える。そんな屑ならば、躊躇したり容赦したりする理由がない。

「だが、失敗はそうじゃねェよ」

 自らが意識して選び、あえてそういう行動をとったのであれば、クロードはリリルカの脳天に喧嘩煙管を躊躇なく振り下ろす。だが、今回のそれはただの失敗。意図していた訳でも、そうしたくてした訳でもない。むしろ自らが望んでいない事になる、それが失敗だ。

「オレは選んでベルとヴェルフを突き落とした。それを責められんのは道理だろうよ」

 ベルとヴェルフを突き落とした。あの場で残してもモンスターの群れに追い付かれて死ぬのは目に見えていたし、クロード自身はサポーターを見捨てる気なんて更々ない。だからこそ、選ぶのに躊躇したベルを蹴り落とした。

 それを選んだのは間違いなくクロードだ。故に、クロードは責められても仕方が無い。無論、言われっぱなしになる気も微塵もないのは彼女らしい。

「オレがテメェに言えるのは慰めぐらいだろ」

 なんでオレがわざわざ慰めなんかしなきゃいけねェんだよ。と吐き捨てるクロードの背を見て、ヴェルフが肩を揺らして笑う。

「はははっ、クロードらしいな……」

 肩を貸していたベルがつられて笑みを零し、最後尾にいたリリルカは申し訳なさそうに縮こまる。

 そんな様子にクロードは眉を顰めると、顔も向けずに口を開いた。

「サポーター、テメェが失敗を気にしてんなら、少しでも生き残る為の方法でも考えとけ」

 うじうじしてるだけなら邪魔にしかならん。と言い捨てたクロードが迷路と化した薄暗い岩窟内を右に折れ、足を止めた。

「……はぁ、まぁた行き止まりかよ」

 呆れた様子で煙管を吹かしたクロードの視線の先。

 迷路の様に入り組んだ岩窟を右に折れてすぐ、目の前に立ち塞がる岩の壁。

 彼らは、完璧に迷っていた。迷宮内でなによりも絶対に回避しなくてはいけない事態とは、現在位置を見失う事だ。

 希少金属(アダマンタイト)を始めとした特殊な鉱物を含蓄するダンジョン内は特殊な磁気が発生しており、方位磁針の類が使用不可能である事から、通常の探索の場合は階層を繋ぐ階段、連絡路を起点に現在位置および経路を把握するのが基本となる。しかし、彼等は途中で数ある縦穴の一つへ落ちている。起点や目印となるものはあるはずもない。

 現在位置が地図(マップ)のどの辺りなのか割り出せず、闇雲に動き回っている状態だ。

 当然、正しい進路もわからずに動き回っている彼らは、幾度も行き止まりに遭遇している。先導していたクロードが砂が交じる髪を掻いて煙管を吹かす。

 クロードは脳内で地図作成(マッピング)を行ってはいるものの、彼女自身が中層全域の地図を網羅している訳ではない。最低限、13階層から18階層までの最短路とその周囲のみを覚えているだけである。それを頼りに現在位置の割り出しをしてみても、一向に彼女の知る通路に該当する所に当たらない。

 もう一度、戻って別の通路に行くかと振り返ろうとした所で、後ろに居た面々を見回して吐息を零す。

 あの業火から逃れ、落とし穴に転落してから一度も休憩を挟まずに歩き続けてそれなりに時間が経過している。加えて、元々体力をすり減らしていたリリルカは自責の念で更に衰弱し、ベルは肩を貸して歩いていて息を切らしている。重傷を負ったヴェルフは負傷の激痛を堪えており脂汗を滴らせている。そして、クロード自身も傍からみれば余裕がある様に見えるが、実際には余裕はない。

 薬品を混ぜた疲労感や緊張等を感じにくくなる煙草を喫煙する事で誤魔化しているだけで、実際の所はそこまで余裕がある訳ではない。しかし、クロードはそれを表面に出す気は無い。

 もしここでクロードまで疲弊した様子を見せてしまえば、ギリギリで均衡を保っている仲間の精神状態が悪化し、最悪の場合は自暴自棄になりかねない。そんな憂慮をした彼女は、皆を手招きしてその場に座り込んだ。

「休憩だ休憩、オマエ等も座れ。ンで、道具(アイテム)と装備の確認だ」

 僅かに戸惑う三人を促し、堂々とダンジョンの一角で話し合いを始める。

 先に口を開いたのはリリルカだった。クロードの激励に気を取り直したのか、何としてでもパーティを生存させようとする決意が見て取れる。

「まず、装備の確認です。治療用の道具(アイテム)ですが、回復薬(ポーション)が四、解毒剤が二、高位回復薬(ハイ・ポーション)はありません。ベル様達は?」

「俺は何も残っちゃいない」

「僕はまだレッグホルスターに回復薬(ポーション)がいくつか」

「オレの手持ちはオレ専用だ。他の奴に飲ませられねェからな……いや、むしろヴェルフに飲ませちまうか?」

 その場に胡坐をかいたクロードが、懐から若干紫がかった回復薬(ポーション)を取り出し、考え込む。

「前から思ってたが、お前のソレって何なんだ? 自分専用とか言ってたが」

 過去、幾度もパーティを組んでいるさ中にクロードが服用していた通常の回復薬(ポーション)とは異なるそれにヴェルフが言及すると、彼女は肩を竦めて答えた。

「まァ、簡単に言うと気分が良くなる薬だな」

「……それって、ギルドで禁止されている刺激剤の事ですか?」

 リリルカの驚愕した様子に、ベルが首を傾げる。

「その、刺激剤って何?」

「ベル様、簡単に言うと痛みや恐怖を感じにくくする薬などです。本来はもっと種類が多岐に渡りますが、そんな認識で構いません」

 簡易な説明を聞いたベルが、それって少し便利じゃない? と首を傾げていると、リリルカは大きく首を横に振った。

「とんでもない。痛みと恐怖を忘れた冒険者が何をしでかすのか……わかりますか?」

 ギルドが禁止する以前は冒険者に愛用されていた類いの薬ではあった。実際、ダンジョン内で感じる恐怖や緊張を和らげ、痛みによる戦闘時の能力低下や戦力低下を防ぐという意味ではかなり便利な代物ではある。だが同時に、痛みと恐怖が鈍った冒険者は、無茶な()()に挑む様になる。

 過去にはこういった薬物による無茶な冒険によって命を落とす冒険者が数多くいたのだ。更に、冒険者同士のトラブルの原因にも繋がり、結果的にギルドに禁止される事となった。

「ベル様はどれだけ恐怖を感じても、その薬にだけは手を出してはいけません」

 行き付く先は薬物によって精神をズタズタにされた廃人か、性格が豹変した狂人か。どちらにせよ碌な事にはならない、と固く禁じるリリルカの言葉にベルが素直に頷く。そんな彼らを他所に、クロードは呟く。

「そこまでの代物じゃねェよ。まあ、内容物のいくつかが禁制品だったりするが」

「駄目じゃないですか!?」

 驚愕したリリルカに対し、クロードは肩を竦める。

「そういやァ、どっかに冒険者の持ち物盗む小悪党の小人族(パルゥム)が居たなァ」

「ぐぅ……」

 クロードのアレコレをギルドに報告するのならば、リリルカのアレコレもギルドに報告する。と軽い脅しをかけるクロードに対し、リリルカが呻く。

 要するに互いに口を閉ざす方が利口だ、と呟いたクロードはヴェルフを伺った。

「ンで、ヴェルフ。痛みが酷ェだろ、無いよりマシだし、薄めて飲むか? 少しは楽になるが」

 未だに激痛を感じる足を一瞥したヴェルフが、迷う様な表情を浮かべる。

「大丈夫なのか?」

「薄めて飲めば副作用もそこまで大きくはねェよ」

「……副作用ってなんだ?」

「ちと気が大きくなるな」

 疲労を感じにくくなるのと、痛みが鈍くなる。当然、疲労が無くなる訳でも怪我が治る訳でもない為、無茶をすれば後で手痛いしっぺ返しを食らう事になるだろうが、痛みに呻きながら進み続けるよりは楽になる。そう告げられたヴェルフは唸る。

「いざという時に痛みで動けないより、マシだと思うがね」

 クロードの言葉を聞き、ヴェルフは恐る恐る頷いた。

 ただでさえ足を引っ張っている上、純粋に激痛を耐え続けるのも辛く感じているのだ。そこに垂らされた糸に縋りたくなる気持ちもあった。

「サポーター、空の瓶と水くれ」

「……大丈夫なの?」

 無言で空の回復薬(ポーション)瓶と水筒を渡すリリルカと、受け取るクロードを見ていたベルが心配そうに呟く。

「問題ねェよ。変な事しようとしたらオレ等で止めれば良い」

 痛みや恐怖が和らいだ結果、無茶しようとするならば周囲が止めれば良い。そう言うと、水で薄めたソレをヴェルフに差し出した。

「いっきにグイッといってみろ」

「お、おう……」

 渡されたそれを受け取った彼は、恐る恐る口元に近づけ、一思いに一気に飲み干した。

 心配そうに見ていたベルとリリルカの二人の前、ヴェルフが僅かに目を見開いた。

「おぉ……痛みがだいぶマシになったな。それに、疲労感が無くなった」

「大丈夫ですか?」

「ああ、全然平気だ。これならどれだけでも歩けそうだ」

 先まで激痛を堪えていたのが嘘の様に自信満々に笑みを浮かべたヴェルフの様子に、リリルカとベルが戦々恐々とした様子でクロードの持つ回復薬(ポーション)、の様な何かを見やった。

 とはいえ、痛みを堪える彼を見続ける辛さを思えば、少しでも楽になってくれた方が良いとベルもリリルカも自身を納得させる。そんな彼らを他所に、クロードはくどくどとヴェルフに注意を促していた。

「何度も繰り返すが、テメェの足はぐちゃぐちゃのまま。疲労感も感じにくくはなってるが疲労は溜まってる。要するに自分で限界が見極められなくなってるだけだ」

 それこそ平気平気と無茶をすれば知らぬ間に限界を超え、いきなり気絶する。なんて状況になる、とクロードに注意されたヴェルフは、ああ、わかった、と威勢のいい返事を返す。

 僅かに気分高揚の効果が出ている事にクロードは眉間を揉み、無茶したら殴って止めるぞ、と忠告しておくにとどめた。

「んで、状況の確認だな」

「……あの、リリから一つ良いですか」

 改めて現状を確認しようとクロードが口を開くと、リリルカが声を上げた。

「これはリリの主観なのですが……今いる階層は15階層かもしれません」

「…………!」

「それで?」

「まァ、そうだろォな」

 絶句した表情を浮かべたベルを他所に、ヴェルフとクロードは平然とした態度でリリルカの続きを促した。

「縦穴から落ちた時間もそうですが、この階層の特徴も13、14階層のそれより15階層のそれに近いです」

 縦穴の落下時間を思い出したベルがリリルカの説明が現実味の有るものだと理解して震えあがり、ヴェルフは絶望的状況だと理解はできても恐怖が湧き上がってこず、逆にその事に恐怖を感じていた。クロードの方はその可能性もあるか、と薄ら察していた為特に表情を変える事は無い。

 ただでさえ迷宮内で迷子になり危機的状況だというのに、現在階層がより深い15階層ともなれば地上への生還は絶望的なものに変わる。15階層、14階層、13階層を越え、安全地帯である『上層』に辿り着くのは現在の状況からして不可能である。

 モンスターは強く、更に迷宮は広く、ベル達も疲弊している。

 クロード単独の時は、現在位置を見失う様な状態ではなかった為になんとか帰還できたが、あの時とは状況が異なる。あまりにも絶望的状況に、クロードが肩を揺らして笑いを堪えた。

(どれだけ好意的に状況を見ても、死なないはずがねェ状況だ)

 自身の持てる全力を以てしても死ぬ状況。最後の瞬間まで止まる気は微塵もないが、それでも笑いが飛び出てくる状況。クロードは迫りくる死の気配に笑みを浮かべ、リリルカを見据えた。

「ンで、何か考えはあんのか?」

 地上に戻るには()()()他のパーティと出会うか、()()()階段を見つけるかが必要。どちらも確率が低すぎて賭ける気にもならない。そんな中、サポーターの少女は何か考えを持っていた。

「ここからが本題です。上層への帰還が絶望的であるのは間違いありません。ですが、ここであえて上層階層(うえ)へ上る選択肢を捨て、下の階層……()()()()()()()()()()()()()()()()

 最初、何を言われたのか理解できなかったベルとヴェルフが眉を顰め、クロードは立ち昇る紫煙に視線を向けた。

 そんな彼らを他所に、リリルカは説明を続ける。

「18階層はダンジョンに数層存在する、()()()()()()()()()()()安全階層(セーフティポイント)です。『下層』の進出を目指す冒険者達が間違いなく拠点として活用しているはずなので、そこまで行けば安全が確保されます」

 説明を聞いたベルが驚愕の表情を浮かべ、ヴェルフが腕組をする。刺激剤によって高揚しているとはいえ、その選択がどれほど無茶なのかヴェルフにすら理解できた。

 そんな彼らの横、クロードは大きく目を見開き、口角を吊り上げた。

「ンだよそれ────最高じゃねェか」




 これ18階層までカットオールで良いんじゃないですかね。
 本音を言うと、長くなりそうだから大幅にカットして18階層で保護された辺りまでいっきに飛ばす感じで。
 読者的には桜花君がどうなるのかの方が重要だと思いますし?

 迷宮決死行のイベントなんて、あったとしてもリリルカとの仲改善イベントとか、ベルとの仲改善イベントぐらいじゃないですかね。
 道中で薬物切れから精神不安に陥ってぶっ壊れクロードくんちゃん発覚とか?

 どれも大したイベントじゃないですね。


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第三三話

 安全階層(セーフティポイント)18階層。

 水晶と大自然に満たされた地下世界。

 別名、『迷宮の楽園(アンダーリゾート)』。

 森の一角に設けられた野営地の奥、周囲の天幕より一回り大きな幕屋。

 笑う道化師(【ロキ・ファミリア】)のエンブレム入りの旗が立つ小屋の中にて、白髪の少年はとある有名人達と面会を行っていた。

「アイズから報告はされていたけれど……よもや、君が、僕達のキャンプに担ぎ込まれてくるなんてね」

 柔らかな黄金色の頭髪。深い湖面を思わせる碧眼を苦笑にもとれる形に緩めている小人族(パルゥム)の少年の姿に、白髪の少年、ベルは緊張のあまり体をガチガチに硬直させていた。

 彼が緊張する理由は何も対面する小人族(パルゥム)だけが理由ではない。その黄金色の小人族(パルゥム)の両脇を固める亜人(デミヒューマン)もまた、彼の緊張を高める一端となっている。

「ほう、この者がお主等が話しておった例の冒険者か、リヴェリア?」

「ああ、彼がベル・クラネルだ」

 筋骨隆々としたドワーフの男性と、絶世の美女と言い切れるほどのエルフの女性。二人からも向けられている値踏みを含む様な色が、ベルの緊張を更に加速させていく。

 【ロキ・ファミリア】の首領(トップ)である小人族(パルゥム)勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナ。ドワーフの屈強な老兵【重傑(エルガルム)】ガレス・ランドロック。そして、都市最強のエルフの魔導士【九魔姫(ナイン・ヘル)】リヴェリア・リヨス・アールヴ。

 その三人全員が、都市を代表する第一級冒険者として名が挙げられる程の有名人。

 つい最近上級冒険者になったばかりのベルからすれば、まさに雲の上の存在。

「こっ、こっ、この度は助けて頂いてっ、ほほほほ本当にありがとうございました……っ!!」

 普通ならば、決して関わり合いになる事なんてありえない存在を前に粗相のない様に平身低頭で対応していたベルは、緊張のあまり回らぬ呂律の所為で不快感を抱かせていないかと一人でに緊張を加速させていく。

 彼が身に着けた真っ赤な火精霊の護布(サラマンダー・ウール)のインナーの下は、火照りに火照っていた。

「そう畏まらないで、どうか楽にしてくれ。冒険者とは言えこんな時ぐらい助け合おう」

 余りにも緊張し過ぎて呂律の回らないベルの緊張を解す様に、フィンは口調をおどけたものへと変えた。

「キミには前に失礼な事をしてしまった事もある。それの謝罪の意味も兼ねて、さ。それに、アイズの知人と聞いておきながら見殺しになんかしたら、僕は彼女に恨まれてしまうからね。夜を安心して過ごせるように、君はなんとしてでも助けておかないと」

 冗談めかした言葉に、ベルは一瞬だけきょとんとした表情を浮かべ、つられて笑みを零しかけて慌てて表情を引き締める。フィンの狙い通り、緊張感を程よく解された少年に、彼は見た目相応の少年のような笑みを浮かべて本題を口にした。

「キミ達の事情についておおよそ理解している積りだけど、一応君の口からも説明が聞きたい。僕達も状態も話しておくから、情報交換といきたい」

「あ、はい」

 ベルが上手く話を誘導されているなと感じ、同時に不思議と不快感が無い事に大きく感心する。

 了承した少年は、これまでの経緯──不慮の事態に陥り、18階層へと避難してきた事情──を語り始めた。

 事の始まりとしては、見知らぬ冒険者のパーティに怪物贈呈(パスパレード)をされた事。そこからの逃走中にサポーターの少女が落とし穴に滑落。それで助けるか否かを迷ったリーダーのベルの代わりに、銀髪の小人族(パルゥム)、クロードが全員を穴から突き落とし、救助を強行。落とし穴に転落後、地上への帰還の為に行動していたがそこが14階層ではなく、15階層だと気付いて地上に戻る事が不可能だと判断。そこで18階層まで避難する案が出た為それを採用。

 その後、幾度か交戦しつつも17階層まで到着。しかし、これまで最前線を張っていたクロードが『嘆きの大壁』直前で昏倒。彼女のおかげで余裕のあった赤髪の青年、ヴェルフとサポーターの小人族(パルゥム)リリルカ、そしてベルの三人で『嘆きの大壁』、最後の難関に挑み──本当にギリギリで突破。

 その後、18階層へと通じる坂を転げ落ちた所で、少年は意識を失った。と。

「がははっ、中層に進出したその日のうちに18階層か! なるほど、フィン、リヴェリア、確かにこの未熟者(わかぞう)は面白い!」

「ガレス、この場は内輪だけではないんだ。抑えてくれ」

 ベルの話を聞き終えた所で、ドワーフが大笑する。それにエルフが片目を閉じ、注意を促した。

 そんな様子を見ていた少年はどこか気落ちした様に視線を落とす。ここまで来る事が出来たのは、間違いなく銀髪の小人族(パルゥム)──致命的に口は悪いが、それ以外は素晴らしい彼女──が居たからに他ならない。それに、その提案をしたのはサポーターの少女──自らの失態を取り返そうと知恵を絞った彼女──だ。少年自身はただ尻を引っ叩く様な激励に突き動かされていただけに過ぎない。

 そんな事情を知らないドワーフの戦士は「よく階層主(かいそうぬし)から逃げおおせた!」と戦士(どうぞく)を祝福する様に誉めちぎる。ベルは、取り繕う様な笑みしか浮かべられない様子だ。

「じゃあ今度は僕達の事情を話させてもらおうかな」

 前置きをしてから、フィン達【ロキ・ファミリア】が置かれた状況を話していく。

 本来ならば『遠征』を終えたら18階層で休まず地上まで一直線に帰還するはずだったが、帰還途中にモンスターの襲撃をうけて数多くの団員が自力で行動出来ない程の『毒』を受けてしまい、結果として18階層で足止めを食らっている事。

 最も足の速い団員を地上に向かわせ、解毒剤を買いにいかせており、それが帰還するまでは動けない事。

 予定としては明日には帰還をする事等、説明を受けた少年が一つ一つ頷いて確認していく。

「食糧を始めとした物資はもうあまり残っていないんだ。分配出来る物には限りがあるから、それだけは理解してほしい」

「い、いえっ、むしろ恵んでいただけるだけでも十分です!」

 本来なら関わり合いになる事すらないであろうはずの雲の上の存在。そんな【剣姫】と知り合いだったというだけで十二分に過ぎる厚情にベルは恐縮しっぱなしであった。

 実の所、フィン達の方も決して眼前の少年がアイズの知り合いだからここまでの厚情を与えている訳ではない。

 彼のパーティに所属している者の一人が、現在彼等と行動を共にする【ヘファイストス・ファミリア】の団員だった事が最も大きいだろう。彼の派閥の主神は眷属に上も下も無い。故に、その一人の救援を拒否した結果、相手の不評を買う可能性を危惧した事が大きい。

 とはいえ、彼のパーティを受け入れるのは、フィン、ひいては【ロキ・ファミリア】としては悩ましいものなのは変わりないが。

「短い間だけど、キミ達を客人としてもてなそう。周囲と揉め事を起こさなければ、あのテントは好きに使って貰って構わない。団員達にもそう伝えておくよ」

「……すいません、本当に、何から何まで。……ありがとうございます」

 本心から感謝しきっているであろう少年の言葉に、フィンは僅かに微笑みを浮かべ、表情を切り替えた。

「ところで、話は変わるんだけど」

「はい」

「キミのパーティに、【煙槍】という冒険者が居るのは、間違い無いかい?」

 唐突に問われた質問に、ベルは頷いて肯定した。その反応を見たフィンは、両脇に控える二人に視線を送り、首を横に振った。

「あまりこういう言い方は良くないと思う。けれど、地上での彼女の評判については……キミも知っている事だと思う」

 【煙槍】クロード・クローズ。

 先ほど、18階層に至るまでの経緯の説明の中にも名前が挙がっていた冒険者。過去、【ロキ・ファミリア】といざこざを起こし、団員達から大きく不評を買った冒険者だ。他にもいくつかの派閥との問題事を起こしている事は都市内では有名な話だ。

 そんな冒険者とパーティを組んでいる──その事にフィン達は少なからず驚愕した。

 彼と彼女には繋がりが無い訳ではない。ベル・クラネルとクロード・クローズは同じ主神から恩恵を受けている。片や正式に【ファミリア】に所属する冒険者。片や恩恵を貰うだけの関係の無所属。

 同じ主神から恩恵を受けている──が、彼女の性格や性質から他者と組むという状況が考えにくいというのが大部分を占めていた。

 しかし、今回、偶然にも18階層へと避難してきたベル・クラネルのパーティの中に、【煙槍】の姿があった。

 そして、実際に問題を数多く抱える彼女と、ベル・クラネルがパーティを組んでいる事実を確認したフィンは改めて確認しようと考えたのだ。もしや、この少年はクロードの評価を知らないのでは、と。

「えっと……問題児(トラブルメーカー)の事ですよね」

「……なるほど、理解はしている様子だね。だったらなおの事、何故彼女とパーティを組んでいるのか気になる。聞いても良い質問だったかな」

 クロードの持つ問題児(トラブルメーカー)気質を理解しつつも、パーティを組んでいる。普通なら避けるはずの彼女とパーティを組む理由を問うと、ベルは困った様に頬を掻き、その質問に答えた。

「はい、えっと────」

 

 


 

 

「なるほどね」

 ベルが去った後、フィンは納得したと大いに頷いていた。

 そんな彼女の横、腕組をしていたガレスがうむと大きく頷いて口を開いた。

「のう、そのクロード・クローズとやらを────」

「──却下だ」

 滑らかな翡翠色の髪を揺らしたリヴェリアが、即座にドワーフが紡ごうとした言葉を否定する。

 途中で言葉を止められたガレスは気にした様子もなく肩を竦める。

「しかしなあ……ベル・クラネルの話を聞く限り、強烈な癖こそあるが、良い冒険者だと思うがなぁ」

 危機的状況に陥ってなお不安や恐怖に駆られるでもなく常に冷静に、それでいて怖気付きそうな仲間に激励を放って前に進ませ続けた。────この話だけを聞くと、その人物は素晴らしい逸材だと思える。

 更に、【ロキ・ファミリア】という都市最大派閥に対し、跳ねっかえりの如く噛みつく狂暴性も見所がある。とガレスが大きく頷いた。

 ただ噛みついて回るだけの狂犬なら、確かに相応しくない処か、邪魔なだけでしかない。だが、一度仲間として迎え入れた者を決して見捨てず、激励して前に進ませようとする性質は捨て置くには惜しい。

「それに、ベートと気が合いそうだ」

 だから、勧誘してみてはどうだ、とドワーフが続けた言葉に、フィンは首を横に振り、リヴェリアは呆れの表情を浮かべた。

「ガレス、確かに彼女の良い所はわかった。【ヘファイストス・ファミリア】の上級鍛冶師からも話は聞いている」

 今回【ロキ・ファミリア】に同行していた【ヘファイストス・ファミリア】の上級鍛冶師(ハイ・スミス)から、クロード・クローズの話が上がっていた。

 内容としては、下級鍛冶師と起こした揉め事についてだ。揉め事の内容としては、鍛冶依頼に対する代金の未支払い。結果として、彼女は【ヘファイストス・ファミリア】の女神および幹部達に呼び出しを受けた。そこで話を聞いた上で、一部の幹部──派閥の団長──が大いに彼女の言い分に賛同し、結果として不問となった一件。

 あの一件についても聞いた上で、フィンはクロードに対する評価を決定付けた。

「彼女は『劇薬』だ」

 クロード・クローズという冒険者は、非常に固い芯をもつ冒険者だ。

 派閥に所属せず、自らが決めた道を邁進し続ける、孤高の存在。そんな彼女の口から紡がれる言葉はどれも芯が通っており、厳しく、そして鋭い。そして、大半の冒険者はそんな彼女についていく事は()()()()

 余りにも真っ直ぐで、余りにも鋭利で、余りにも眩し過ぎるその在り方についていける冒険者は居ない。

 彼女のやり方を続ければ、きっと強くなれるだろう。

 彼女のやり方でやっていけば、きっと前に進めるだろう。

 だが、そのやり方では付いていけない者が多すぎる。

「何事に対しても全力で、自らが志したモノの為なら命も賭して……」

 鍛冶師として、鍛冶の頂に立つ女神を超えんとする者達に対し、妥協した様な作品を渡された事に激昂した。その事に関し、鍛冶師達には反論の余地がない。

 本気で目指していると言いつつ、作り出す作品は妥協が見え隠れする。その程度しか作れない者が、その程度しか作らない鍛冶師が、頂になんぞ届くはずが無い。

 故に、真に鍛冶師の頂を目指す幹部達はそれを認め、女神も不肖ながらも肯定した。

 それは良い。良い事だ。だが、問題が多すぎる。

「全員が全員、そうはいかないだろう」

 真に鍛冶師の頂を目指す者にとって、クロードという劇薬は非常に有用だ。自らを戒め、前へと進む活力になる、刺激剤だ。しかし、殆どの者はそうではない。その劇薬は、致命的な事を引き起こす。

「それは冒険者としても同様だ」

 クロード・クローズは、ベル・クラネルやパーティの仲間を厳しく激励し続けた。それにより、皆が立ち上がり、必死に抗い、見事18階層にまで辿り着いて見せた。

 リーダーのベル・クラネルもそうだし、鍛冶師兼冒険者のヴェルフに、非力なサポーターのリリルカ。三人とも、一人も折れる事無く進み続けた。

 クロード・クローズという『劇薬』に触れ、飲み込み、飲み干し、刺激され、見事成し遂げた。

「確かに、彼女が【ファミリア】に入団すれば良い刺激になる。けれど……」

 あの三人は上手くいった。

 では、【ロキ・ファミリア】の団員達は?

「ベートは、言われるまでもない。アイズやティオネ、ティオナ……幹部は特に意味はないだろう」

 既に第一級冒険者に登り詰めた彼らは、未だ止まらずに成長を続けている。彼らにクロード・クローズという『劇薬』に触れた所で、今更である。

 だが、団員達はそうではない。あんな『劇薬』に触れてしまえば、致命的な事態を引き起こしかねない。

 刺激された結果、無茶をする様になって命を落とす可能性が上がる。もしくは、刺激の強さに耐え切れずに心を壊してしまうかもしれない。

 だからこそ、極力関わる事すらも禁止している。

「だから、僕は反対だ」

「私も同様だ。ベート一人で十分だろう」

 既にベート・ローガという刺激剤が【ファミリア】の中に存在する。だというのに、『劇薬』でしかないクロード・クローズを迎え入れる意味は薄い。

 確かに、彼女を迎え入れる事で派閥はより洗練され、屈強になっていくかもしれない。だが、下手をすれば派閥内の不和を広げ、空中分離してしまう危険性もある。だから認められない、とフィンが固く反対意見を述べる。

「ふぅむ、なるほど。フィンの意見も尤もだな」

「わかったのなら、クロード・クローズを仲間に迎え入れよう等とふざけた事を言わないでくれ。ガレス」

 主神であるロキが『面白そう』と言って勧誘したがる理由もわからなくはない。問題児(トラブルメーカー)気質ではあるが、話が通じない訳でもない。話してみれば、存外良い人物かもしれないし、気が合うかもしれない。

 だが、【ファミリア】の事を思えば、関りを持つ事は避けるべき相手だ。

「だがな、フィン、リヴェリア。だからこそ儂は迎え入れても良いのではないかと思うのだ」

「……どういう意味だい?」

 フィンとリヴェリアの反対意見を聞いた上で、ガレスは続けた。

「ロキが見出(みいだ)し、儂らが鍛え上げた者らが、その程度の『劇薬』に触れた程度で折れる、等とは思わん」

 主神であるロキが数多くの人間(こども)の中から見出し、フィン、リヴェリア、ガレスの三人で鍛え上げてきた団員達。アイズやベート、ティオナ、ティオネといった幹部達もまた、神が見出し、彼等が育て上げた。

 そんな彼らが、クロード・クローズという『劇薬』に等しい相手と接して心折れる、等とは思えない。と老兵は言い切った。

「心配なのはわかるが、信頼しても良いのではないか?」

 フィンとリヴェリアがしているのは、心折れてしまうかもしれない、不和の原因になるかもしれないという、心配。

 ガレスやロキがしているのは、この程度で不和を起こすはずがない、心折れるはずがないという、信頼。

 どちらも正しい意見だった。

 その意見を聞いたリヴェリアが考え込み、フィンは肩を竦めた。

「確かに、ガレスの言う通りではある。けれど大前提として……クロード・クローズは何処かの派閥に所属する事を拒否するだろう事から、ガレスやロキの意見を通すのは難しい」

 派閥への所属を徹底的に拒否している。と言うのはベル・クラネルの話でも上がっていた。

 どうしてクロード・クローズは【ヘスティア・ファミリア】に帰属しないのか、と問いかけた際、彼はクロードが『オレは問題児(トラブルメーカー)だ、ンなのが入ったら邪魔だろ。それに派閥にアレコレ指示されて動くなんて御免だ』と言っていた、と告げた。

 実にらしいな、と苦笑してしまいたくなるぐらいに身勝手であると同時に、自分の有り方を理解している台詞だった。

 根本的な部分で、他者との問題(トラブル)を避けれないと自覚しており、その上でそれを改める気が一切無いというのは大いに理解できた。

「今すぐにでも追い出すべきではないのか?」

 天幕の一つを貸し与えている現状、クロードは未だに目を覚ました様子はないが、問題を起こす可能性があるなら追い出すべきでは、とリヴェリアが意見を述べる。

「ンー、それについては心配いらないかな。クロード・クローズの起こした問題(トラブル)は大半が受動的なものばかりで、能動的に起こしたものはほとんどないからね」

 今まで彼女が起こした問題。

 一番記憶に残っているモノでいえば、『豊穣の女主人』という酒場での【ロキ・ファミリア】への当て付け染みた皮肉。更には、その後の本拠への襲撃まがいな行為。

 前者は、幹部の一人が彼女の仲間を中傷した事が原因で、後者は【ロキ・ファミリア】側が承諾も取らずに勝手に行動をした結果だ。

 それ以外の問題(トラブル)も調べてみれば彼女から働きかけて起こしたモノは少ない。

 街中での乱闘騒ぎは、強引な勧誘行為に対する反撃であると既に判明している。

 例外的に、市民に噛みついたという話もあるが、実際には市民側が中傷的な発言をしていたのが原因だという。その現場を見ていたロキの証言もあるので確定だ。

「つまり、此方から何か彼女の機嫌を損ねる真似をしなければ、理性的に話を聞いてくれるだろうし、流石に救助した事について怒ったりはしないだろうって事さ」

 まあ、例えば今回彼女達に対して怪物贈呈(パス・パレード)を仕出かしてしまった冒険者達が顔を見せた挙句、謝罪もせずに図々しい態度をとる、何てことをしなければ彼女も問題は起こさないだろう。とフィンは肩を竦めて見せた。

 

 


 

 

 18階層には『昼』と『夜』が存在する。

 驚くべきことに、地下でありながらこの階層には雄大という言葉に相応しい大草原が広がっている。それだけでなく、湖と呼んでも差し支えない湖沼があり、中央にはなんと島すら存在する。更には木々の密集する森林まで存在し、緑に包まれたその世界は『地底の楽園(アンダーリゾート)』の名に疑問を抱かせない程だ。

 そんな階層を照らすのは、天井一面に生え茂る水晶群。その内、太陽を思わせる白水晶が光を放ち、空を思わせる蒼水晶が疑似的な青空を生み出していた。

 18階層の『昼』は太陽を思わせる白水晶が煌々と輝き、階層全体を照らし出し。『夜』は騒然とした蒼闇が階層を包み込む。

 地上との差異を上げるとするならば、夕焼けである茜色が間に挟まる事なく昼夜が変化する事だろう。

 テントの入口から僅かに差し込んでいた『昼』の光が消え、外が『夜』に切り替わったのを感じ取ったベルは、テントの奥に戻ると、未だに目を覚まさないヴェルフ、リリ、クロードの三人の顔を覗き込んでいた。

 暫く、少年が看病の真似事をしていると、テントの外が次第に賑やかになっていく。食事の準備でもしているのかもしれない、と少年がぼんやり考え始めた頃。

「んっ……」

 と、青年の体が動く。同時に、サポーターの少女が被る毛布もぴくりと震えた。

 はっとしながらも目が覚めたらしい二人の様子をベルは見守る。

「どこだ、ここは……」

「ベル様……?」

 ゆっくりと瞼を上げた二人の姿に、命に別状はないと告げられてはいたが、目を覚ましているのが自分だけという状況に不安を感じていたベルは大きく安心した様に吐息を零す。

 覚醒直後で夢現ぎみだった二人は、完全に覚醒する頃には自力で身を起こした。

 そんな二人に置かれている状況を説明している。その時、

「にぃ、さん……?」

 くぐもった様な少女の声が響く。

 横になったまま、瞼を震わせて目を開けたのは、パーティの中で最初に昏倒したクロードだった。

 ぐったりした様子で周囲を見回そうとして、身を起こした三人の様子を見て目を細める。

 気絶する寸前まで皆を叱咤し、激励し続けた彼女が目を覚ました事に、ヴェルフとベルが喜色を浮かべ、リリもまた、恩人の目覚めに安堵した様に吐息を零した。

 そんな中、未だに完全に目を覚ましていないのか、寝惚けた様子のクロードが、焦点の合わない揺れる瞳をヴェルフに向け、掠れた声を響かせた。

「にい、さん……オレ、少しは……兄さん達、みたいに……」

 何処か弱々しく、縋る様に呟かれる言葉にベル達は僅かに困惑する。

 決死行のさ中には頼りになる背中で居続けた彼女が、こんなにも弱々しく誰かに縋る様な仕草をしている。その事に驚愕し、困惑する。

「兄さん、オレ……もっと頑張るから……だから……」

「あー、クロード……寝惚けてる所悪いが。俺はお前の兄さんじゃないぞ?」

 縋る様に伸ばされた手を見ていたヴェルフが、言い辛そうに呟く。

 今のクロードの様子を見て、ベルもリリルカも、ヴェルフも察した。

 これは、誰にも見せたくない、クロード・クローズが隠している弱味だと。普段の口の悪い様子は、これを隠す為の擬態なのだと。その上で、その内に隠すモノを暴くのではなく、そっと気付かないふりをした。

()()()()、兄さんもオレのこと────」

 ヴェルフの返事を聞いたのか、クロードはくしゃりと表情を歪め、瞳を潤ませる。

 未だに寝惚けているその様子に、ヴェルフは慌てた。

「おい、クロード、寝惚けてんなって」

「────?」

 一瞬訝し気に表情を歪めた彼女は、幾度か瞳を瞬かせる。

「──あァ、なるほど」

 たっぷり数分かけて完全に覚醒したのか、クロードは呻きながらも身を起こして三人を見回した。

「ここがあの世じゃなけりゃァ、全員、運良く生きてるみてェだな」

 先ほどまでの弱々しい様子を掻き消す様に、何処か粗っぽく頬の傷を歪ませて笑う姿に、三人がほっと一息零す。

 先ほど見せた弱々しい様子について、彼女が何か隠し事をしているのを察してしまった。その上で、今この場で暴くのは憚られる。故に、三人はそれについて触れる事はない。

「ンで、ここは18階層で良いのか? このテントはどうしたんだ。治療は誰がしてくれた?」

「ここは18階層で間違いない。だよな、ベル」

「うん」

「治療をしてくれたのも、テントを貸してくれたのも【ロキ・ファミリア】だそうです。ですよね、ベル様」

「……うん」

 ほー、と呟きを零したクロードは、自らの腕に巻かれた包帯を見て目を細める。

「そっか、まだ生きてンのか……」

 何処か悲し気で、やるせない様子で呟かれた言葉に、ベル達は戸惑った様に顔を見合わせた。

 気絶する寸前まで、皆を激励して前に進ませ続けた彼女が、死んでいない事を喜ばない。どころか、生きている事を疎んでいる。何て声をかければ良いのか、とベルとヴェルフが戸惑う中、リリルカが声を上げた。

「クローズ様」

「……ンだよ」

「助けて頂いて、本当にありがとうございました」

「あァ?」

 頭を下げたリリルカの姿に、クロードは普段の様に訝し気な表情を浮かべる。何を言っている、と眉を顰めた様子に、サポーターの少女は続けた。

「リリが転落した際、リリの事を助けに来てくれました。見捨てられても仕方ない所を、です。だから、ありがとうございました」

「はぁ、わぁーった。もう良い、礼はいらん……」

 重ねて礼を告げるリリルカの様子に、クロードは面倒臭そうに手を振って応答し、ベルとヴェルフの方に視線を投げかけた。

「ンで、オマエ等はオレに言う事はねェのか?」

 決死行のさ中には余裕が無くて言えなかったかもしれないが、今は安全地帯。文句だって言いたい放題言える、とクロードが真っ直ぐ二人を見据える。

 どんな文句も聞き届けると言わんばかりの様子に、ベルとヴェルフは顔を見合わせた。

「無い。むしろ謝らないといけないのは俺の方だ」

「うん、僕も……クローズさんのおかげで、誰一人欠けずに済んだですし」

 二人の言葉を聞いたクロードは、僅かに目を細めて視線を逸らす。

 ほんの数秒、迷った様子だった彼女は銀髪を指で弄りながら、呟く。

「……悪かったよ」

 囁くような、小さな謝罪だった。




 次話で桜花君のイベント……間違いなく、荒れる──ッッ!!

 なんで桜花君、原作で素直に頭下げへんかったん?
 主神のタケミカヅチ様とかなんか頭下げまくる神って感じだったらしいんですが、それを反面教師に『頭下げない系団長』でいく積りだったんですかね……頭下げたら格好悪いとか思ってた? どこかでその辺りの桜花の内面描写されてましたっけ?


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第三四話

 迷宮決死行の末に18階層に辿り着いた少年達のパーティを救助した彼の派閥の厚意により、食事へと誘われたベル達は、【剣姫】に連れられて営地の中心部に足を運んでいた。

「おい、アイツ……」

「【煙槍】だ……」

 開けた中心部、多数の人が大きな輪になって座り込んでいた。彼らが囲んでいるのは焚火──ではなく、いくつもの携行用の魔石灯だ。それの光景は営火(キャンプファイア)を彷彿させる。

 そんな彼等から不躾な視線を向けられたのは、銀髪の小人族(パルゥム)の少女だ。

 頬の傷跡を不愉快そうに歪め、視線を鬱陶しそうにしながらも案内された彼女は、人気のない場所を勧められ、静かに腰を下ろした。

 周囲から向けられる奇異の視線に少年は緊張した様子で生唾を飲み込み、知り合いの顔を見つけたヴェルフが口をへの字に曲げる。リリルカは悪目立ちしないようにと慎重さを見せる。

 彼らが席に着いたのを確認すると、一人の少年が立ち上がった。

「みんな、聞いてくれ。もう話は回ってると思うけれど、今夜は客人を迎えている。彼らは仲間(おたがい)の為に身命をなげうち、この18階層まで辿り着いた勇気ある冒険者だ。仲良くしろとまで言うつもりはない。けれど同じ冒険者として、欠片でもいい。敬意を持って接してくれ」

 【ロキ・ファミリア】団長、【勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナの言葉を聞いた者達が揃ってベル達を一瞥し、その中に交じる銀髪の少女、クロードを見て不愉快そうに眉を顰める。

 過去に【ロキ・ファミリア】本拠(ホーム)に殴り込みをかけた事のある人物。そんな相手に対して仲良くしろというのではなく、冒険者としての自尊心に訴える形の口上をフィンは述べたのだ。とはいえ、過去に【ファミリア】に対し敵対した者に対する心情を察するに効果は薄そうだ、とフィンが内心吐息を零した所で、件の冒険者達の一人が立ち上がった。

 くすんだ銀の長髪に、大きな裂ける傷跡が目立つ外套(オーバーコート)。整った顔立ちの中で瞳は何処か捻くれたような光を宿し、右頬には真新しい傷跡が目立つ。

 【煙槍】クロード・クローズ。

 過去に【ロキ・ファミリア】に対し殴り込みを仕掛けた事もある冒険者。原因が自分達にあったとはいえ、その一件の事情を知らぬ者からすれば警戒対象でしかない冒険者。

 現在ともに行動している【ヘファイストス・ファミリア】ともトラブルを起こしている。今回救援した者の中で扱いが最も難しい人物だ。

 そんな彼女が立ち上がった。

 つられて、警戒した様子でロキ派の冒険者が腰を浮かす。咄嗟にフィンが手で制し、真っ直ぐクロードと視線を交わした。

「どうかしたかい?」

「演説を止めて悪い。だが、礼は言わせてくれ。助けてくれて感謝している。ありがとう」

 その場で大きく頭を下げたその姿に、僅かなどよめきが発生する。

 我儘で不遜、頭を下げる事は絶対にないであろうと思われていた人物の感謝の言葉と一礼に皆が呆気にとられる。そんな中、クロード本人は頭を上げると、ちらりと周囲で驚く面々を見回して更に言葉を続ける。

「恩はまた機会があれば是非返す。その上で、だ……オレなんかが居たら空気が悪くなンだろ、邪魔みてェだからテントに引っ込んどく」

 気を利かせた様に肩を竦めたクロードの姿に、フィンは僅かに口元を緩めた。

「その必要は無い。先も言ったが、キミ達は客人だ。キミ達側から何か揉め事を起こす気が無いのであれば何の問題も無い」

 クロード自身が空気を読んだような謝罪をした事。それに気付いたフィンはそれを踏まえた上で皆に訴えかける。あくまで今回は客人、彼女が問題を起こさぬ限りはそう扱う。と。

 周囲の者達も、あえて問題を起こそうとしないクロードを見て、視線を逸らした。フィンは『クロードが揉め事を起こさなければ』と言ったのだ。言外に自分達側から揉め事を起こす気はないと言い切ったのだ。それに背く様な行動をとる訳にもいかない。

 軽い会釈と共に頭を下げたクロードが腰を落としたのを見たフィンは、改めて声を上げる。

「……それじゃあ、仕切り直そう」

 仕切り直す様に、皆の手元にそれぞれ食糧が配られる。

 一人につき二つ、三つの果物だった。

 瓢箪型の赤い漿果と琥珀色で糖度の高そうな蜜をたっぷり滴らせるふわふわの綿花ににた果実。およそ地上でお目にかかる事のない珍しい果物にベルは興味深そうにそれを見やり、クロードはゲテモノでも出てきたかのように表情を歪める。

「これ、18階層でとれたものだよ」

「18階層に果物が!?」

 この階層で取れたものだと知らされたベルが驚き、綿を蜂蜜に浸したかのような果実、綿菓子(ハニークラウド)を手に取り、一口齧った。

 瞬間、少年は口元に手を当てて何かを堪える様に震えはじめた。その様子にクロードは肩を竦めると、同じモノを摘まんで齧る。

 蜜が滴る程、という表現がよく似合う綿に似た果肉は、一瞬で口内を糖度の高い蜜で満たす。通常時に食すにはいささか過剰ともとれる糖度の濁流にクロードは大きく表情を歪めた。

「コレを飯にすんのはキツイだろ……」

 叶うなら肉を、と文句を言いかけた少女は大きく口を開けて残った綿菓子(ハニークラウド)もろとも、その文句の言葉を飲み込んだ。

 あくまでも【ロキ・ファミリア】の厚意によって収穫物を分配してもらっただけ。自分達が助けられておいて飯にまで文句を付ける訳にはいかない、とクロードは口内に残る甘い蜜に口を曲げ、残る食糧に視線を落とす。

 携行用のブロック食と、薄められたスープ。そして残る赤い漿果。どれに手を付けるかとクロードが悩み始めたその時。

「アルゴノゥトくーん!」

 元気そうな声で誰かの名を呼ぶ声が響く。

 特に気にもしていないクロードは、その声に反応したベルに訝し気な視線を向けた。

 少年を挟む様に唐突に現れた双子のアマゾネスの姉妹。彼女らに絡まれて頬を赤らめる少年の姿に、クロードは大きく肩を竦め、リリルカは柳眉を逆立てて剣呑な雰囲気を持ち始める。

 そんな背景を気にした様子の無いアマゾネスの双子──都市でも有名な双子の第一級冒険者、妹の方であるティオナ・ヒリュテが天真爛漫な声で問いかけた。

「どうやったら能力地(アビリティ)オールSに出来るの?」

 その質問に少年が表情を強張らせ────クロードは手にしていたブロック食を落した。

 助けを求める様に周囲に視線を巡らす少年は、知り合いらしき人物に絡まれて本気気味の悲鳴を零すヴェルフと、剣呑な目付きをしたリリルカ、そして呆然とした様子のクロードを見て孤立無援を悟る。

 そんな彼が焦る横で、クロードは無言で落としたブロック食を拾い上げ、土を払って齧りつく。全力で駆け抜けたクロードではたどり着けなかったオールS(いただき)。それを成し得たという少年は、質問にどう答えるかと悩んでいる。その光景に、クロードは土が混じり不愉快な歯ざわりとなったブロック食を強引に流し込み始める。

 無心に、溢れ出しかけた嫉妬心諸共不愉快なじゃりじゃりとした土の食感を飲み込んでいたクロードは、聞こえた()に眉を顰めた。

 

『────ぐぬぁっ!?』

 

 迷宮(ダンジョン)内で決して聞こえる筈の無い、知り合いの声。

 副作用を抑える煙草が無くなって暫く経っている。遂に幻聴の症状が出たか、とクロードは溜息を零しそうになる。そんな彼女の横、双子の姉妹に挟まれた少年が慌てた様子で立ち上がった。

「すいません、行かせてください!」

 返事を待たずに駆けていく白髪の少年と、その後を追って駆けていくリリルカ。その姿を見ていたクロードは僅かに眉を顰め、つい先ほど聞こえた声が、幻聴でも何でもない本物だったのではないかという疑念を覚えた彼女は、遅れてヴェルフと共に駆け出した。

 野営地の外へと抜け、森が切れ切れになっていく。視界の奥に見えるのは高くそびえる岩の壁。そして口を開けた洞窟。17階層と18階層を繋ぐ連絡路だ。

 木々の合間を抜けて辿り着いた其処には、既に異常を察知して駆け付けた【ロキ・ファミリア】の見張りの姿が見える。そんな彼ら肩の間から少年が顔を出す。その後姿を見ていたクロードは、僅かに目を見開き、頭をガリガリと掻いた。

「おおおおお……!? あ、あんな巨大なモンスターが居るなんてっ聞いてないぞ!?」

「あっはははははっ!? 死ぬかと思ったー!」

 四つん這いになって息を整える女神、ベルとクロードに恩恵を授けているヘスティアの姿がそこにあった。

 地上では未帰還という事で騒ぎになっただろうというのは想像に易い。しかしそれを差し引いたとしてもダンジョンに侵入を許されない神が潜ってくるのは余りにも酷い。加えて、たとえ許可されていたとしても万が一にでも女神が命を落とせば、その瞬間に眷属であるベルとクロードは恩恵を失う。それがどれほど致命的なのか想像も出来なかったか、とクロードが天井を仰ぐ中、女神は少年の姿を見つけ、駆け寄っていく。

 ひしりと少年に抱き着く女神の姿に、クロードは胡乱気な半眼を向けていた。そんな彼女は次にもう一人の人物──神物(じんぶつ)に視線を向けた。

「ンで、そっちの(バカ)は何処のどいつだ?」

「やぁ、初めまして。オレはヘルメス。キミは……クロード・クローズかい?」

 女神の横で笑っていた青年神、ヘルメスが立ち上がりながら視線を向けてきた少女に声をかける。

 その声色に含まれる探る様な色合いに、クロードは不機嫌さを僅かに滲ませながら口を開いた。

「女神を連れ込んだのはテメェか? デートするにゃァ、ここはちと物騒過ぎンだろォがよ」

「いや、ヘスティアを連れてくるつもりは無かったんだ。申し訳ない」

 誠心誠意謝る様子を見せる男神の姿に、クロードは表情を更に険しくする。

 一目見た感想は、誠実で真っ直ぐで心優しい男神というものになるだろう。だが、どうにもキナ臭いとクロードが眉を顰める中、ヘルメスは大袈裟な仕草でベルにも挨拶していく。

「ああ……会いたかったよ」

 その様子を見ていた銀髪の少女は、訝しみつつも残る面々に視線を向けた。

 覆面の冒険者──立ち振る舞いからクロードの知っている人物であろう冒険者に、水色の髪をし眼鏡をかけた女性冒険者。此方は都市でも有名な人物で【万能者(ペルセウス)】の二つ名で知られる道具製作者(アイテムメーカー)

 そして、残るは統一された配色や様式の防具や戦闘衣(バトル・クロス)を見に纏った同一派閥に所属しているであろう三人の冒険者。

 その姿を見たクロードの表情が、一瞬で消え去る。

「ンだよ、良く(ツラ)ァ見せる気になったなァ……?」

 彼らの姿にクロードは覚えがあった。

 13階層にて、クロードの警告を無視して怪物贈呈(パス・パレード)を敢行して逃げていった派閥のパーティだ。

 彼らの鎧に刻まれた地面に突き立つ剣のエンブレムを見たクロードは、口元を大きく吊り上げた。

 

 


 

 

「────申し訳ありませんでした」

 救助されたパーティであるベル達に貸し与えられたテント内。

 女神と再会した後、彼等は一度このテントに戻っていた。この場に居るのはベル達四人と、女神、そして件の怪物贈呈(パス・パレード)を行った【ファミリア】の三人。

 気まずい空気が流れる中で、一人の少女が正座し、手の平、額まで地面に付いて謝罪を行っていた。

 そんな綺麗な土下座を披露する少女の前、被害者であるベルは彼女が行う、いっそ神々しさすら感じる土下座に戦慄している。

「……いくら謝られても、簡単には許せません。リリ達は死に掛けたのですから」

「まぁ、確かにそう割り切れるものじゃないな」

 リリとヴェルフの二人は、土下座をする少女──【タケミカヅチ・ファミリア】の(ミコト)を前にしても、険のある音声を崩さない。

 そんな二人の後ろ、最も離れた位置にいるクロードは剣呑な光を帯びた瞳で彼等を睥睨していた。そんな彼女の手は武器の柄を撫でている。

「あの、その、本当に……ごめん、なさい……」

「リリ殿の怒りももっともです。いくらでも糾弾してください」

 瞳を前髪で隠した千草(チグサ)という少女と、生真面目な(ミコト)の誠心誠意籠った土下座に謝罪。

 冒険者同士におけるモンスターの押し付けは、迷宮内では日常茶飯事の行為だ。むしろ、それを上手く利用する技術を持つ事こそ、ダンジョン内で生き残る為の秘訣だとも言われている。

 それこそ、いつ自分達が危機的状況に陥り、加害者(しかける)側に変わるともわからない。故に、冒険者はそこに悪意が無い限り『怪物贈呈(パス・パレード)』には一定の理解を払わなくてはならない。というのが冒険者達の中での常識ともなっている。

 しかし、今回の事件(ケース)において、ベル達は死線を彷徨う様な羽目に遭っている。いくら理解を払うと言えど限度はあるのだ。そんな希少(レア)事件(ケース)にヘスティアは『うーん』と唸る。

 ミコト達は十二分に誠意と謝罪を見せている。とはいえ感情的に納得しろと言われても無理だ、というリリルカとヴェルフの主張もわからなくもない。

 故に二人の言い分を否定できない、と悩むさ中、後ろで武器の柄を撫でていたクロードが鋭く目を細めながら、口を開いた。

「テメェ等の中で、リーダーは誰だ?」

 剣呑を通り越し、殺気交じりの言葉を放った彼女の様子に千草が震えあがり、命が再度頭を下げる。

 一触即発どころか、既に敵愾心に満ちているその様子には、加害者である彼等も13階層時点で察しが付いていた。あの時、【タケミカヅチ・ファミリア】の接近に気付いた彼女はあの時『殺すぞ』とすら言い切っていた。

 現にいつでも武器を抜ける様にと、手元に武器を持ったまま一瞬たりとも気を許した様子無く桜花達を睨み付けているのだから。

「リーダーは俺だ。あれは俺の出した指示だ。責めるなら、俺を責めろ」

「ほぉ、テメェがリーダーか……頭も下げずに随分とまァ……エラそうな奴だな。ちったぁそこの土下座女みてェに平伏したらどうだよ?」

 腕を組み、肩幅に足を開いたまま仁王立ちをしている男、【タケミカヅチ・ファミリア】の団長であり、パーティのリーダーを務める桜花という大男にクロードが声をかける。

「俺は、今でもあの時の指示が間違っていたとは思っていない」

 土下座していた命よりも前に出て、巨漢の桜花が言い切った。

 翻そうともしない信念の籠った言葉。その内側に秘められているであろう固い決意と決断にベルが驚きの表情を浮かべ、ヘスティアが青褪めた。

「ほぉ……良い度胸してンじゃねェの」

 自分は何一つ間違っていない。信念のもとに巨漢の口から放たれた言葉にクロードは煙管を取り出し、空っぽの火皿を見てから、桜花を真っ直ぐ睨み付けた。

「恨まれて当然って(ツラ)ァなんぞしやがって」

 彼は秤にかけた。仲間の命と、見ず知らずの他人の命を。その上で、巡り巡る恨みを受け止める覚悟でいる。だからこそ、謝罪の言葉は口にする事なく、ただ受け止めるという決意だけを見せたのだ。

「……それをよく俺達の前で口に出せたな大男」

 口を吊り上げたヴェルフが桜花を睨み付ける。

 一触即発な雰囲気にベルが戸惑った様子を見せ、ヘスティアは成り行きを見守る様に腕を組んで黙り込む。

 そんな彼らを他所に、銀髪の少女は空っぽの火皿を指先で撫で、呟いた。

「そォーかそォーか、よォーくわかった」

 理解した、とわざとらしく言葉を区切ったクロードは────喧嘩煙管を振り抜いた。

 ゴッ、という鈍い音と共に桜花の側頭部を鈍器が穿ち抜く。小さな体躯からは全く想像も出来ない怪力の一撃に、巨漢がテントを突き破って外に吹き飛んでいった。

「桜花殿!?」

「桜花ッ!?」

 命と千草が悲鳴を上げ、ヴェルフが無言で大刀を抜き、リリルカは軽く目を伏せて女神の手を引いた。

「クロード、加勢するぜ」

「ヘスティア様、下がりましょう」

「ちょ、ちょっと待って!」

 一触即発の雰囲気に焦っていた少年の制止の声。それをクロードは鼻で笑い、ヴェルフは吠えた。

「ベル、こいつらは俺達の命を軽視しやがったんだぞッ!?」

 黙って頭を下げていれば良いものを、よりにもよって『オマエ等の命なんかどうでも良かった』と言い捨てたのだ。そんな事を言われて黙って居られる程、ヴェルフは腑抜けた人間ではない。

 千草が吹き飛んでいった桜花を追ってテントの外に駆け出し、命が二人の前に回り込んで土下座を繰り出した。

「申し訳ありません! どうか、どうかお赦しをッ!?」

「退いてくれ、俺はあの大男に用があるんだ」

 赦してやってくれ、と縋る命の姿にヴェルフが鬱陶し気な表情を浮かべ、クロードは──彼女の脳天に煙管を振り下ろした。

 鈍い打撃音と共に、命の頭部が地面に埋まり込む。

「ッるせェな、テメェの【ファミリア】はヨーするに、喧嘩売ってンだろ? 下っ端が頭下げて済む話じゃねェーだろォが」

 派閥の団長、パーティのリーダーであった桜花が喧嘩を売った──穏便に済ます事の出来た話し合いの中で、相手の命を軽視する発言をした。それに対しヴェルフが怒った様に、クロードもまた怒っ(キレ)ていた。

「テメェにとっちゃァ、仲間が大事だったんだろォがよォ……オレからすりゃあ、オレの仲間が大事に決まってんだロ。その前で、命を軽視するったァ……テメェ、よっぽど死にてェらしいな」

 テントの外に投げ出された桜花を追ってテントを出たクロード。そんな彼女を他所に容赦なく頭部に一撃食らって昏倒して地面に埋まる命を見たヴェルフは頭が冷えた。

 大男、桜花に文句を言いたくはあったが、一切躊躇なく土下座していた少女の頭部に武器を振り下ろしたクロードの行動はかなりやり過ぎだと感じたのだ。だが、クロードが激怒する理由には理解を示す。

「ヴェ、ヴェルフ! み、命さんっ、大丈夫ですか!?」

 成り行きについていけない心優しい少年が、頭が地面にめり込んだまま動かない少女に駆け寄って助けようとする。そんな様子を見ていたリリルカは、女神に問いかけた。

「ヘスティア様、止めなくて良いのですか……?」

「……ボクには、クロード君を止める権利なんか無いよ」

 悲し気に呟いた女神は、桜花を追ってテントを出ていくクロードの背中を見つめていた。

 

 

 

 【ロキ・ファミリア】の野営地。

 その中でも他派閥の冒険者が急遽泊まる事になった一つのテントから、いきなり冒険者が投げ出されてきた。

 その異常な光景に見張りは何事かと慌て、団長に報告する為に何人かが駆けていく。

 つい先ほど、怪物贈呈(パス・パレード)の被害にあった眷属を助ける為に主神自らがダンジョンに潜ってきたという噂は既に出回っている。そして、その女神を連れてきた冒険者についても、だ。

 その内、何人か居た中で三人の統一された装備を身に着けた様子から何処かの【ファミリア】の冒険者だと察せられる者達と、ベル・クラネルたちが顔を合わせた時に空気が重くなった事から、彼等が怪物贈呈(パス・パレード)をしでかした者達ではないか、という推測が出回っていた。

 故に、その件でのトラブルか、と見張りが迷惑そうな表情を浮かべるさ中、件の冒険者がそのテントから出てきた。

 くすんだ銀髪に頬の傷、そして小柄な体躯の小人族(パルゥム)の冒険者。

 彼女は立ち上がろうとしてふらつく巨漢の冒険者を見据えると、武器を構える。滲み出る殺気から、本気で殺傷しようとしているのを察した見張りが止めるかどうか躊躇する。

 怪物贈呈(パスパレード)した冒険者に対し、された被害者が報復をする。というのは特に珍しい事ではない。

 一定の理解を払う必要はあるが、払わない者だってそう珍しくないのだから。ましてや、クロード・クローズという冒険者ならば間違いなく報復するだろうな、というのを過去の行動から察する事は容易い。故に、彼等は積極的に止めようとするのではなく、これ以上被害が出ない様にとテント周辺を固めておくにとどめる。

 そんな周囲を他所に、クロードはふらつきながらも立ち上がろうとしていた桜花に容赦の無い追撃を加える。

 初撃で平衡感覚を揺さぶられ、未だに真っ直ぐ立つ処か、起き上がる事すら難しい巨漢の男に対し、小柄な少女が幾度も殴打を叩き込む。鈍い肉を打つ音が断続的に響き、男の苦悶の声がそれに混じる。

 いたぶる様に、といった様子ではない。本気で殴り殺さんばかりの勢いの殴打の中、それでも巨漢の男の方は急所を庇って生きながらえていた。

 平衡感覚は真っ先に揺さぶられ、反撃はおろか立つ事は出来ない。けれどもこれが報いか、と彼は必死に攻撃に耐え── 一人の少女の声でその猛攻は止まった。

「止めて!? これ以上桜花を、痛めつけないで!」

 必死の様子で、震えながら放たれた言葉にクロードは動きを止め、地面に倒れた桜花の背に足を乗せながら首を傾げた。

「なァに言ってンだ……」

 桜花を足蹴にしながら、クロードは胡乱気な視線を千草に向ける。

「そもそも、自分は関係ありませんって(ツラ)してんじゃねェよ」

 クロードの動きは、早かった。

 武神タケミカヅチの眷属という事で、鍛えられておりそこらの冒険者に比べて非常に優れている上、それなりに【ステイタス】が上がっているとはいえ、千草はLv.1。そんな彼女からすればLv.2のクロードの動きは余りにも速い。

 近づいてくる、と警戒して動き出そうとした頃には既に彼女の攻撃は千草を捉えていた。ゴシャッ、という鈍い音と共に、少女の顔中を喧嘩煙管が捉える。

「千草ァッ!?」

 平衡感覚を失い、立ち上がれない桜花が目の前で殴り飛ばされた少女の体が地面に投げ出されるのを目撃し、絶叫を上げる。

 響いた絶叫に銀髪の少女は口元を吊り上げ、愉し気に嗤い、桜花を睥睨した。

「絶叫なんざ上げて、どォしたよォ? なァ……?」

 そう言いながら、クロードは鼻血を噴き出して倒れた少女の頭部を踏み付ける。僅かに漏れ出た呻き声から死んでいない事はわかるが、朦朧としているのか動きは鈍い。

 更に、銀髪の少女は腰からショートソードを取り出し、朦朧とした様子の少女の腕に突き刺す。

 一瞬、目を見開いた少女が激痛に意識を覚醒させ────絶叫を響かせた。

「クハッ、良い悲鳴上げんじゃねェの」

「待て、止めろ! 千草は関係ない! 責めるなら俺を責めろ!?」

「あァ? テメェ、何偉そうに指図してンだよ」

 何が自分を責めろ、だ。加害者の癖に、まさか自分の言う事を聞いてもらえるとでも思っているのか。

「ンな訳きゃァねェだろォよ。そもそも、テメェ等俺の忠告も聞かなかった癖によォ」

 言ったよなァ、『それ以上近づいたらぶっ殺す』と、獰猛に頬の傷跡を引き攣らせた笑みを浮かべるクロードの姿に、桜花は信じられないといった様子で目を見開く。

「命令をしたのは俺だ!」

「命令に従ったのはコイツだ」

「千草は怪我をしていて意識が無かった! アレは全部俺の責任だ!?」

 戻りかけの平衡感覚を駆使し、必死に立ち上がった桜花が吠える。

「あァ? ああ、そういや、このガキが怪我なんぞして危機に陥ったからオレ等が被害受けたのか……」

「やめろっ!? それ以上千草を傷付けてみろ、絶対に許さんぞッ!?」

「……はァ? 赦さねェってのはこっちの台詞だボケ」

 何勝手に被害者ぶってんだ、ぶっ殺すぞ。と不愉快そうに首を鳴らしたクロードは、おもむろに喧嘩煙管を両手で持ち、頭上に掲げた。

 足元にはぐったりして動けない千草と呼ばれた少女。それを離れた位置から見ていた桜花は目を見開き、何をしようとしているのか察し、あらん限りの絶叫を上げる。

「止めろォオオオオオオオオオオオオオオオオッ!?」

「ッるせェってな」

 黙ってぶっ殺されてろ、と銀髪の少女はかつて叫んだ言葉の通りに実行しようとして────。

「ぐぅっ……!!」

 ────金属同士の打ち合う音色と共に、クロードが振り下ろそうとした喧嘩煙管は一本のナイフによって止められる。

 片膝を突いて手を伸ばしていた桜花が目を見開いたまま止まり、止めを刺そうとしていたクロードは自身を止めた人物を見て更に力を込める。

 攻撃を止めたのは、白髪の少年だった。ギシミシとクロードの鈍器と少年が持つナイフが鍔迫り合いをし始めた。

「────なぁ、ベル……そりゃァ、どういうつもりだ?」

「クローズさん、やり過ぎですよっ」

 必死に歯を食い縛り、両手で握られた喧嘩煙管を受け止める少年は歯を食い縛っていた。

 ベルは横から強引にナイフを差し込んで攻撃を止めたのだ。姿勢も悪く上手く弾く事が出来ない。だが同時にクロードの方も下手に下がる事は出来ない。

 本来なら鈍器で有る以上、勢いをつけて殴りつけなければいけない為、今のクロードは一度下がって勢いに乗った一撃を繰り出す必要がある。しかし、もしここで下がれば少年が姿勢を立て直してしまう。

 疲労状態を加味した上で、今のクロードではベル・クラネルに打ち勝てない。だからこそ、いち早く仕留めるつもりだったのに、とクロードが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

 その時だった。

「双方止まれ!」

 声をかけてきたのは、報告を受けた上で静観を決め込もうとするも、その後に響いた絶叫故に対処せざるを得なくなった【ロキ・ファミリア】首領、フィンだった。

 彼は桜花、千草、ベル、クロードの順で視線を巡らせると、続ける。

「今すぐ戦闘を止めてくれ。僕達の野営地でこれ以上の狼藉を働くというのなら、僕達にも考えがある」

 周囲を取り囲むのは、【ロキ・ファミリア】が誇る精鋭。第一級冒険者である【剣姫】や【大切断(アマゾン)】、【怒蛇(ヨルムガンド)】の姿もある。

 もしこれ以上暴れるなら、鎮圧する、と戦力を見せ付ける彼らに対し、クロードは不機嫌そう眉を顰めた。

「喧嘩売ってきたのはコイツらだぞ。邪魔すんじゃねェよ」

「邪魔をしたのは申し訳ない。だが、この場での殺人は控えて欲しい」

「あァ?」

「僕達の派閥の野営地で他派閥の冒険者が命を落としたとした、ともなれば僕達にも迷惑がかかる。それに、キミ達は僕達に借りがあるはずだ。今すぐ、戦闘を止めてくれ」

 反論を潰す様に理路整然とクロードの反論を潰したフィンは、反応を伺う様にクロードを見据えた。

 苦々しげな表情を浮かべた銀髪の少女が、徐々に力を抜く。それに合わせて白髪の少年も力を抜き、互いに武器を離した。

「さて、原因は……そちらの派閥の様だね」

 未だに立ち上がる事が出来ないでいる桜花を見て、フィンは溜息を零した。

「どうにも、当たって欲しくない勘ばかり当たるね」




 怪物贈呈(パスパレード)は日常茶飯事。
 いつ自分達が加害者(しかける)側に回るかわからないから、冒険者は一定の理解を払わなくてはならない。

 ……はぇー、冒険者ってすっごいクズ。いや、酷いな。
 善性だと思ってたタケミカヅチファミリアですらこの常識で動いてるみたいだし。あくまでも死線を彷徨った今回のベル君の一件が例外みたいな感じらしいですね。
 いやぁ……それでも普通は謝罪から入らないかなぁ……。


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第三五話

 18階層の『夜』が終わり、『朝』が来た。

 朝から不機嫌そうな様子を隠しもしないクロードの様子に、ベルとヴェルフは静かに食事をとり、そんな三人の様子を見ていたリリルカは、小さな溜息を零した。

 昨日の夕食同様、朝食を分けて貰った彼らはテントの中で朝食をとっていた。

 その中には本来ならこんな所に居るはずの無い女神の姿も交じっている。

 18階層にヘスティアを送り届けた男神とその眷属アスフィ、そして彼らに同行した【タケミカヅチ・ファミリア】の面々に加えて、エルフの戦士、リューの姿はこの場に無い。

 昨日、謝罪に来た筈の【タケミカヅチ・ファミリア】の団長が真っ向から自身の意見を述べ、それに激怒したクロードが彼等を殺しかけた一件。

 千草と呼ばれる少女が殺される一歩手前でベルが彼女を庇い、クロードと対峙。そのままクロードとベルの激闘が始まるかに見えた瞬間、【ロキ・ファミリア】の制止が入り事なきを得た──と言うには、些か問題が多いが。

 制止に入った大派閥の団長曰く、今ここで他派閥の冒険者の死人が出るのは自派閥としても非常に由々しき問題に発展しかねない。よって、やるにしてもここ以外のどこかでやって欲しい。

 それに対し、クロードは素直に受け入れた。

 一般の冒険者からは非常識の塊の様に思われがちな彼女であるが、実際には義理堅い性格をしているし、周囲の状況を見た上でしっかりと判断を下せる判断能力に優れている。あのまま行動すると救助して貰った恩を仇で返す事になりかねない。と判断した彼女は大人しく武器を引いた。が、気持ちは別だ。

 隙さえあれば殺してやる、と言わんばかりの雰囲気を撒き散らし。なおかつ大派閥の団長はそんな彼女の行動を止める気が無い。それ処か、見えない所でやる分には構わない、とすら告げたのだ。

 どうにかして宥めなくてはとリーダーのベルは頭を捻りに捻ったが、上手い仲裁は思い付かなかった。

 最後には主神に縋る様な視線を向けてしまった彼だったが、女神はクロードの行動に対し黙して語らなかった。

 ベルが知ったほんの少しの揺らぎの中に垣間見たクロードの過去。その詳細を知るヘスティアはクロードを止める事が出来ない。

 このままでは帰還途中か、帰還後にか、クロード単独ででも【タケミカヅチ・ファミリア】を殲滅せんと動いてしまいかねない。そんな状況を止めたのは、橙黄色の髪をした男神だった。

『クロードちゃんの言い分もわかる。桜花君の言い分もその通りだと思う。その上で、だ──貸し、という形にしておくのはどうだろうか?』

 丁度【ロキ・ファミリア】に滞在の許可を貰いに行っており、フィンと共に騒動に気付いてかけつけたヘルメスだ。

 彼は茶目っ気のある声色でボロボロになっている桜花と、忌々し気にベルを睨むクロードに告げた。

 曰く、ここで殺してしまうより、後でたっぷり借りを返して貰った方が総合的に得なんじゃないか、と。それを聞いたクロードは不機嫌さを割り増しにしてヘルメスを睨み──彼女の反論は彼によって潰された。

『確かに、君は被害者。桜花君の態度が気に食わないのもわかる──けれど、君一人の意見で押し通すのはまずいだろう。何故なら、ベル君だって被害者だ』

 クロードが物申す権利がある様に、ベルにもその権利がある。自身の権利ばかり振りかざして相手の権利を無視するのは道理が通らない。等と、理路整然とした雰囲気で男神が言い切ると、クロードは不機嫌さを割り増しにした表情でベルを睨んだ。

 凄まじい殺気交じりの睨み付けに怯みかけたベルだったが、男神が場の空気に見合わない朗らかな声で背を押した事で、自身の意見を告げた。

 結果だけ見れば全員無事だった事。それに、桜花さんと同じ状況になったら、きっと自分も同じ選択をしてしまうだろう事。所々、上手く言葉に表せずに濁してしまった部分はあれど、少年が感じたのはそういった事だった。

 いつか、自分達も加害者(しかける)側になってしまうかもしれない。冒険者という職を続ける上で、避けて通れない道なのかもしれない。故に、冒険者の流儀に則って彼らのした行為に対し、一定の理解を払うと。

 それを告げられたクロードの反応は、劇的だった。

 一瞬で表情を消した彼女は、次の瞬間には数倍の殺気を滾らせて桜花を──ベルを睨み付けた。

『────自覚もねェ、どうしようも無い屑だな。死んだ方が良いだろ……誰かを身代わりにするだァ? ふざけてんのか? そもそも、何があろうが自分の手でどうにかしようとは考えねェのかよ? 誰かに尻拭いさせて当然、みてェな腐った考えが気に食わねェ!?』

 当然のように彼女の言葉に桜花が反論した。 

 大事な家族を傷付けられ、怒りに燃える彼の言葉は、その場に居た誰もが思った事だ。

『なら、お前が同じ状況になったらどうするんだ!?』

 クロードの返答は、余りにも鋭利で熾烈なものだった。

『死ぬ。見知らぬ誰かに自分(テメェ)(ケツ)拭かせるなんて、こっ恥ずかしくて到底できやしねェよ』

『あァ? その結果仲間が死んでもだァ? ンなもん、仲間が死ンじまうのは自分(テメェ)が弱かったせいだろうが。むしろ逆にどんな理由があンだよ』

 クロード自身がもし仲間の命の危機に瀕した時、どんな行動に出るかなんて、答えるまでもない。自身の命を賭してでも助けようとする。その結果が仲間の死であったのならば、自身の無力を嘆く────それだけだ。

 どんな理由であれ、緊急回避として誰かを生贄にする。自分達が抱えた負債を誰かに背負わせる。それは冒険者の間では当然の行動であると言われている。だが、クロードはそれに真向から対立した意見を持っているのだ。

 どんな不幸な事態であれ、自分で対処できるように努力する。それでも対処できない事態に陥ったら、死に物狂いで対処する────その結果死んだとしたら、それは弱過ぎた自己責任。

 いかなる状況にも対応出来る様に常日頃から努力を欠かさず。今の努力量でも足りないと精進し続ける。甘え腐った様な考えでダンジョンに潜る理由が理解できない。

お前(テメェ)らは運が良い。なんたって近くに生贄(オレら)が居たんだ。 なァ? 居なかったらどうなってたよ?』

 確実に彼らの仲間の一人は治療が間に合わずに命を落としていた。もしくは、上層に中層のモンスターを連れ出し、大事件になってギルドから厳重注意か。どちらにせよ碌な結末にはなっていまい。

『その上で、だ……何度でも同じ選択をするだァ? テメェ、キチガイかよ』

 そも、二度とそんな状況に陥らない様に努力するなりするべきじゃないのか。それもせず、同じ状況に陥れば同じ選択をする、等と良くも吠えれたものだ。

 まさかまさか、次も、そのまた次も、同じ様に運よく生贄(だれか)が傍に居て、彼らの代わりに死地にぶち込まれてくれるとでも思っているのか。それこそ、舐め腐ってる。

 いつ死んでもおかしくない。それこそ他のパーティに迷惑をかけ、挙句の果てには巻き添えの自殺まで強要される。そんな奴らを野放しにする────。

『それこそ気が狂ってる』

 周囲から気狂い、キチガイの類として見られる事もある少女は、声を大にして吠え狂った。

 お前達の方がよっぽどおかしい。いつ殺しにくるかわからない無差別殺人犯に等しい彼等を、赦すのか。

『テメェ等からすりゃァ、オレの方がよっぽどキチガイなんだろォよ。でもなァ……オレからすりゃあ、テメェ等の方がよっぽどキチガイだ』

 周囲の反論の言葉を全て叩き潰し、苛烈極まり、そしてあまりに鮮烈な彼女の言葉。余りにも強く握られた彼女の手に巻かれた包帯には、赤い血が滲んでいた。鬼気迫る様な暴論にも聞こえる言葉に、桜花も、そしてベルも面食らった様に固まっていた。

 そんな彼らを他所に、【ロキ・ファミリア】の団長は静かに首を横に振った。

『【タケミカヅチ・ファミリア】だったかな。キミ達は今すぐこのキャンプから出て行ってくれ。それと、クロード・クローズ、君は安静にした方が良い』

 以上の事から、【タケミカヅチ・ファミリア】の団員達は全員キャンプから追い出される流れとなった。

 昨日の話を思い出していたリリルカは、酷く思い悩んだ様子のベルとヴェルフの二人を見て、残りのビスケットの様な携行食糧を口に放り込んだ。

 冒険者にしては異端極まりない。それは過去多くの冒険者を見てきたリリルカの感想だった。異端で、そして見る者が見れば魅力を感じ、見る者次第で──疎ましさを感じる類いのモノだ。

 眩しい。一言でいえば、クロード・クローズは眩しい。

 普段が灰に塗れ、紫煙を纏い、何処か煙に巻く様な言動をするクロード・クローズという冒険者が見せた苛烈極まりない一面。そして、ほんの一瞬見せた彼女の抱えた何か。

 リリルカがヘスティアを伺えば、かの女神は携行食糧で口を塞いでいた。何か言いたげな、けれどもかける言葉もない、といった様子の女神の姿に、サポーターの少女は静かに吐息を零す。

 きっと、この女神はクロードが抱える事情を知っている。その上で、彼女の苛烈な言動を止める事をしない。それこそ周囲と軋轢しか生まないであろう、冒険者に不釣り合いで、そして眩し過ぎる理想の姿を臆す事なく掲げる姿を。

「オレは用事がある。帰るのは明日だったよな」

「……はい」

 唐突に口を開いたのは、クロードだった。

 ベル達の帰還は【ロキ・ファミリア】が階層主(ゴライアス)を討伐した後に行われる手筈となっている。そして、彼の大派閥が動くのは二日後────よって、彼等には一日分の暇が出来た。

 それを聞いたクロードは、昨日の内にフィンに断りを入れたのか、『リヴィラの街』に向かう事を決めていたのだ。

 手早く食事を終え、煤けた手持ちの武装を確認した銀髪の少女が立ち上がった所で、少年が腰を浮かせかけて口を開いた。

「あ、あの、クロードさん。僕達も今日リヴィラに行く予定で────」

 クロードとパーティを組む様になって、少し近づいていた距離が昨日の一件で一気に離れてしまった。それは間違いないだろう。少なくとも、昨日の一件が尾を引くのは間違いない。

 昨日の夕食の際、【剣姫】等から18階層にある冒険者の街の噂を聞き、連れて行ってもらう約束をしたの事を告げ、共に行かないか、と銀髪の少女にベルは告げた。

「あァ? ……てめェらだけで行っとけ」

 至極面倒臭そうに、そして何処か余所余所しい彼女の態度にベルは首を竦める。

 昨日の苛烈極まりない態度に比べ、余りにも大人しいその姿にヴェルフも僅かに眉を顰め、違和感を感じ取る。

「クロード、体調が悪いのか?」

「……気にすんな」

「クロード君、()()()()()()()()

 ヘスティアだけが見送りの言葉を告げると、クロードは片手を上げて食事を続ける四人を置いて先にテントから出て行った。

 彼女が出て行った後になって、ベルとヴェルフがほんの少し溜息を零し。そんな二人分の溜息を足しても足りないぐらいの大きさの溜息を女神が零した。

 暫くして、食事を再開する。

 そんな中、リリルカはヘスティアに身を寄せて囁く様に問いかけた。

「ヘスティア様、クローズ様の事についてなのですが」

「……何だい?」

「それが、酷く魘されていた様子でして……何かご存じでしょうか?」

 問いを投げかけられた女神は僅かに目を細めると、リリルカ同様に食事の手を止めて固唾を飲んで耳を傾けているベルとヴェルフにも視線を向けた。

「ボクからは何も言えない」

「……どうしてですか、神様」

 昨日の一件。

 パーティを組んでそれなりに仲が良くなったと思っていた彼女の急変に近い態度。その原因は、ベル自身にも理解はできる。できるが、普段のクロードからしていささかやり過ぎに感じていた。それも、もしかしたら自分の思い違いかもしれないけれど、と不安げに瞳を揺らす少年。

 そんな彼の横には、それなりに付き合いを重ねて彼女の事を知った気になっていた青年も居る。

「まず、ボクの口から語っていい話じゃないからさ」

 女神は何処か苦し気に、そして悲し気に首を横に振った。

 

 


 

 

 一早く【ロキ・ファミリア】のキャンプを、単独で抜け出して目的地へと訪れたクロードを出迎えたのは、木の柱と旗で作られたアーチ門だった。

 門の上部には『ようこそ同業者、リヴィラの街へ!』と共通語(コイネー)で書かれている。

 まるで歓迎するかのような書き方を見上げたクロードは僅かに鼻を鳴らすと、懐を漁って空っぽの金属缶を出し、空っぽの中身を見て舌打ちしてから、煙草すら入っていない空っぽの煙管を咥え、記憶を掘り返しながら歩き始めた。

 『街』があるのは湖沼地帯の湖に浮かぶ『島』に存在する。

 仕切りも迷宮も存在しない18階層の円形状の大空間を見上げ、視線を落とせば地平線代わりに天井の疑似的な空を生み出す水晶群へと続く切り立った壁が目に入る事だろう。

 心を落ち着かせようと深呼吸を繰り返すクロードは、島の最上部、断崖の上に築かれた白水晶と青水晶に彩られた集落系の『街』を歩んでいく。

 木や天幕で作られた即席の住居群。岩に空いた天然の横穴や空洞を利用した店舗も見て取れる。山肌と言っても差し支えない急斜面に築かれているだけあり、丸太の階段が至る所に散見される。そして、街並みの何処を切っても、紺碧の湖を前景においた美しい光景が広がっていた。

 そんな水晶と岩に囲まれた宿場町『リヴィラ』。

 設けられた即席の小屋は、街の性質上ほとんどが商店だ。

 広大なダンジョンに存在するこの街は、元々はギルドが迷宮内に拠点を設営しようとして失敗した計画を、冒険者が勝手に引き継いで完成させたものである。

 その関係か、18階層以下の階層を攻略する冒険者の根拠点(ベースキャンプ)となっているのだ。

「……高ェな」

 ちらりと店先に並べられた使い古しの剣に引っかかっていた値札の紙切れを見たクロードは眉を顰める。

 迷宮では物資が簡単に確保できない。故にいくら金を吹っ掛けても捌けてしまう。その為、この街中で行われる取引は、暴利が当たり前となっているのだ。

 猛牛(ミノタウロス)や紫紺の結晶などの絵を掲げ、周囲の看板よりド派手に飾りって存在感を醸し出す『ドロップ品』や『魔石』等を買い取る取引所を前にしたクロードは静かに息を吐き、その店先に居た強面で眼帯を付けた大男に声をかけた。

「おい」

「ああ? なんだい嬢ちゃん。悪いが魔石もドロップ品も無さそうじゃないか、帰りな」

 一目見てあしらう様な態度をとった男に、クロードの眉が盛大に吊り上がり────ぐぐぐっ、と堪えたクロードは引き攣った様な作り笑いを浮かべると、妙な猫撫で声を響かせる。

「ここらで『グラニエ商会』の店があるって聞いたんだが。何処にあるか知らないか?」

「………………」

 あしらおうとしていた男はぎょっとした様子で目を剥き、まじまじと銀髪の少女を見下ろした。

 暫く見続けた後に、忌々し気な表情を浮かべた大男────ボールスは舌打ちを零すと、カウンター代わりの机に置かれた紙切れを一枚手に取り、手早く簡素な地図を書き上げると丸めてクロードに投げ渡した。

「あの男の話をするんじゃねえ」

「……サンキューな」

 よっぽど腹に据えかねているのか、苛立たし気な様子のボールスの姿に眉を顰めつつ、クロードはその場を後にする。

「……テランスの奴、手広くやってんなァ」

 18階層。

 日の光も、ギルドの手すら届かない地下深く。

 腕っぷしの強い冒険者が幅を利かせているはずのならず者の街にすら手を伸ばしている、茶髪の商人の姿を脳裏に描いたクロードは僅かに感心の声を上げた。

 渡された地図を頼りに水晶と岩に囲まれた街を進む。

 本来ならばもっと先、クロードが順当に18階層に辿り着いた際に利用するはずだった『グラニエ商会』の息のかかった商店。

 周囲にある商店と見分けも付かない簡易な作りの木製小屋の入口を無遠慮に開けたクロードを出迎えたのは胸に傷を持った上半身裸の冒険者だ。

「あァ? ここはガキが来る所じゃねェ、失せな」

 開口一番、クロードの容姿を見て鼻で笑った男は追い払う様に手を振る。

 そんな男の様子を見ていたクロードは、盛大に眉を痙攣させ、手元の地図を見て周囲を見回してちゃんと紹介された店であるのを再確認し始める。

「おいおい、もしかして迷子かぁ?」

 完全に舐め切った様な態度にクロードは表情を消し、僅かな殺気を苛立ちと共に男に向ける。

「客が来てやったってのにその態度はなンだテメェは……」

「だから、ここはガキが来る所じゃねェっての」

 ゲラゲラと下品な笑いを零した男は、手元の瓶を煽り始める。

 赤らんだ頬に隠しようのない酒臭さ。18階層の『昼』だというのに、真昼間から酒を飲み漁る男を見たクロードは、引き攣った様な笑顔を浮かべ────男の手にした酒瓶を綺麗に砕く。

 破砕音と共に硝子片が飛び散り、男は目を見開くと、遅れて腰に下げていた剣を引き抜いて立ち上がった。

「テメェ、何しやがんだぶっ殺されてェのか!?」

「ピーギャーうるせぇ奴だな。客だっつってんだろ、テメェは客の前で酒飲む様に指示でもされてんのか? あァ?」

 赤ら顔で武器を抜いた男と、苛立ちが限界(ピーク)に達しようとする少女。

 片や怒りか、酒かで顔を真っ赤にし、片や獰猛に口角を吊り上げ、頬の傷を歪める少女。

 一触即発な状況に陥り、今まさに踏み込もうとした、瞬間。

「馬鹿野郎が……」

 気だるげな声と共に、半裸の男の後頭部に棒状の得物が振り下ろされた。鈍い打撃音と共に、男は一撃で昏倒して倒れ込む。

 すると、男の陰になっていて見えなかった人物の姿がクロードの前に姿を現した。

「よぉ……お前さんがテランス坊ちゃんの言ってた愉快(クレイジー)小人族(パルゥム)か?」

 かさかさに乾ききった髪に目の下にどす黒い隈、見るからに不健康そうで退廃的な雰囲気を纏った半裸の女性────布面積が非常に少ない煽情的な格好をし、長い煙管を咥えたアマゾネスの女性だ。

「アタシの名前はー……」

「どうでもいい。煙草クレ」

「あぁ、酷い奴だねぇ」

 自己紹介しようとしていた女性の言葉を遮ったクロードは、空っぽになった金属缶を彼女に突き出す。

 突き出された金属缶を前に、女性は気だるげな様子でそれを受け取り、棚に歩み寄って煙草の予備を取り出し、金属缶に詰めていく。

「テランス坊ちゃんとどういった関係かは、この際聞かないけどねぇ」

「……ッ、るせぇな……苛立ってんだ。黙ってろ」

 一応は上司の知り合い。自分にとっても知り合いだろう、と言わんばかりに馴れ馴れしく話を投げかけたアマゾネスの言葉を、クロードは苛立たし気に切り捨てた。

 煙草が切れて情緒不安定になっている所に、【タケミカヅチ・ファミリア】の挑発。更にはベルの気の狂った様な答え、とクロードは認識したやり取りにより、精神的均衡が崩れているのを必死に堪える様子でアマゾネスが足蹴にしている半裸の男を睨んでいた。

「落ち着きなよ、アタシので良ければ吸いな」

 ゆらりと差し出されたのは、アマゾネスの女性が咥えていた長い煙管だ。未だに火が付いており、紫煙が揺れている。

 久々に嗅いだ香りにクロードは僅かに眉間の皺を緩め、その煙管を受け取り、すぐに紫煙で肺を満たす。

 先ほどまで感じていたはずの苛立ちも何もかもがすべて溶けて消えていく。または、煙にくるまれてどうでも良くなる。

 嘘の様に苛立ちが消え去ったクロードは、足元に転がった男を今度は面倒臭そうに見やり、煙管の灰を振りかけながら口を開いた。

「悪ぃ、ちぃと煙草切れで苛立ってた。それとは別に、コイツはどっかに飛ばすべきだろ」

「あっはっは、煙草切れとは災難だねぇ。とはいえ、その煙草はアンタの作ったもんだけどねぇ」

 製作者が煙草切れで苦しんでる間、アタシは楽しませて貰ってたよ、とクロードの携帯用煙草入れに煙草を満たした女性は、クロードに自分の煙管と交換でそれを渡した。

「さて、改めて、アタシはヴィズ、まあ偽名だけどね」

「クロード・クローズだ」

「テランス坊ちゃんに目を付けられるとは災難だねえ」

 お前さんも不幸な星の下に産まれたと見える、と冗談めかして告げたアマゾネスの女性、自称ヴィズは煙管に煙草を詰め直すと、火付け道具で火を付け、煙管を吹かした。

 つられて、クロードも自身の煙管を取り出して煙草を詰め、火を付けて紫煙で肺を満たす。

 片や熟成しきった女性、片や未成熟な少女。

 対照的な二人は、けれども同じ動作で紫煙を燻らせる。

 互いに紫煙を燻らせて暫く、二人は視線を交わした。

「気が合いそうにないな」

「そうかしら? とても仲良くできそうな気がするのだけれど」

 面倒臭そうにクロードが吐き捨てると、ヴィズは気だるげに足元に転がる男を蹴り退けてカウンターに腰掛け、少女を見下ろす。

「まあ、テランスが気を許した相手だし。私は仲良くしたいと思ってるわよ?」

「…………はぁ、とりあえず今日はもう用はない」

 気だるげで、退廃的。

 傍から見ればクロードとよく似たアマゾネスは、けれども決定的に違う部分があった。

 未だなお燃え燻る火を湛えるクロードと違い、アマゾネスの方はとっくの昔に燃え尽きたただの灰山だ。

 気に食わない、と吐き捨てた少女は、煙草が補充された金属缶を手で弄びながら、店を後にした。




 煙草切れで情緒不安定だったのがマシに……え? 精神的には良いけど体に良くないって?

 とにかくベル君が気に食わない、ヘルメスはクソって思ってる人が多そうだな、と感じる今日この頃。
 個人的な話ですが、ヘルメス様は別に嫌いじゃなかったりします。


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第三六話

 迷宮の楽園、18階層『リヴィラ』の街。

 即席の小屋の商店が立ち並ぶ一角。

 目的を果たし、煙管を吹かしながら歩んでいた銀髪の少女は見知った顔を見つけて僅かに表情を歪めた。

 白髪の少年の周囲には、幼い女神や仲間達、そして【ロキ・ファミリア】の冒険者等が居るのが確認できる。

 ついさっき別れて行動してから煙草を入手して落ち着きを取り戻したとはいえ、昨晩の出来事を忘れる事なんて出来る筈もない。

 自身よりも後から恩恵を授かり、冒険者になった少年が既に自身を飛び越え、全能力値(アビリティ)最高評価(オールS)を達成していた、等という事実を受け止めきるには時間が短すぎる。加えて【タケミカヅチ・ファミリア】への対応等で割れた意見の事もある。

 合流すべきか僅かに躊躇したクロードだったが、人混みの中から自身の姿を見つけて驚愕する表情を浮かべた少年、ベルと視線がかち合い、諦めた様にそちらに歩みを進めようとした。

 そんな時に、ドンッ、と。

「あぁん?」

「あ……す、すいません!?」

 クロードに気を取られたベルがすれ違おうとしていた冒険者の肩とぶつかった。

 慌てて謝罪を口にするベルの様子にクロードが紫煙と共に溜息を吐いて呆れる。嫉妬するのも馬鹿らしい程に、注意力散漫な様子に、抱いていた嫉妬や羨望が僅かに薄れ──けれども消えてなくならず、胃の底に重く燻る様に圧し掛かる。そんな不快感を掻き消さんと紫煙で肺を満たした彼女は、少年とぶつかった冒険者、二人の様子を見て表情を険しくした。

 偶然肩をぶつけて謝罪した相手が見知った人物だったとでも言いたげな驚愕の表情を浮かべたベルと、少年の顔を見て目を見開く目や頬に傷跡のある強面のヒューマンと、彼に付き従う二人の冒険者。

 まさか揉め事(トラブル)か、とクロードが足を早めようとした所で、その冒険者が少年と行動を共にしていた【剣姫】や【大切断(アマゾン)】を見て怯み、舌打ちと共に離れていく。

 丁度、クロードの横を不機嫌そうに通っていったモルド達を見て、クロードはベルに視線を向け、僅かに湧き出た殺意を押しとどめた。 

 ほんの一瞬、あの冒険者、モルドは少年の胸倉を掴もうと手が伸びかけていた。明らかに何らかの恨みを抱いており、少年を目の敵にしているのは明らかだ。

 クロード自身も少年の八方美人を思わせる優しさには辟易もするし、才能に醜くも嫉妬したりもしている。しかし、それを表に出して少年にぶつける気はさらさらない。そんな事をするぐらいなら自死する、と断言出来る程なのだから。

「よぉ」

 頭を振り、残った煙草を一気に吸って肺をたっぷりの紫煙で満たした彼女は灰を捨てつつ片手を上げて少年に存在を示した。

「あ、クローズさん……」

「クロードくんじゃないか。用事は済んだのかい?」

「ああ、まあな」

 ベルのそばにいた女神の問いかけに軽く肩を竦め、クロードは問いかけた。

「ンで、今のは? 揉め事(トラブル)か?」

「えっと、実は────」

 過去に少年が昇格(ランクアップ)祝いを『豊穣の女主人』で行っていた際、ベルに絡んで揉め事を起こし、最終的にリュー達店員に叩きのめされて店から追い出された冒険者だ、と聞かされたクロードは細道の奥で背を小さくしている彼らを見て、「へぇ」と侮蔑の籠った吐息を零した。

 くだらない逆恨みをしている。彼らの瞳の奥に燻る粘っこくもどす黒いその醜い色を見た少女は、自身の中に同じ物が燻っているのを自覚しつつも、吐き捨てた。

「なるほど、とんだ屑共だ……」

 

 


 

 

 『リヴィラ』の街で必要装備を整え、野営地に戻るベル達と行動を共にしてクロードが帰還すると、間もなく18階層には『昼』が訪れた。

 天井の水晶群が放つ光が強まり、わずか数十分ほどで階層内の明るさが変化する。

 地上と比べて早い変化にクロードが鬱陶し気に太陽を思わせる白水晶を睨み付けた、そんな時。

「ねぇねぇ、みんなで水浴びしに行こう!」

 明るく呼びかけるティオナの声が響き渡った。

 散開する前の女性陣にも声をかけて回る彼女は、姉妹であるティオネと漫才を繰り広げつつも、ヘスティアやリリルカ、アスフィ等にも提案を伝えていく。

 18階層に至るまでの道程で汗を掻いたのは勿論、派手に地面を転がり土埃に塗れた服。可能ならば清めておきたい、とヘスティアが考え、クロードを誘った。

「クロードくんも来ないかい?」

「……あァ? なんでまた」

「ほら、君も汗かいただろうし、それに……ちょっと匂うよ?」

 鼻を近づけて匂いを嗅いでくる女神に辟易した様子のクロードが肩を竦める。

「モンスターがうじゃうじゃ居るだろ、呑気に水浴びなんかできンのかよ」

「あ、それは大丈夫! 交代交代で見張りをすれば良いから!」

 銀髪の少女の懸念を、ティオナが元気一杯に否定する。

 行こう、と元気一杯に誘われたクロードは、僅かに表情を険しくすると女神を伺い、僅かに頷いた。

「わぁったよ……行きゃあ良いんだろ、行きゃあ」

 男性陣を野営地に残し、【ロキ・ファミリア】の女性陣やヘスティア、リリルカ、クロード、アスフィ等がティオナを先頭に森の奥へを進んでいく。

「じゃーん、ここ!」

『おぉー!』

「……へぇ」

 ヘスティア、リリルカが口を揃え、クロードは僅かに感嘆の声を零す。

 彼女たちの目に飛び込んできたのは、十М(メドル)程の段差から水流が落下する、大きな滝だ。

 滝壺から生まれた水飛沫が薄い霧の様に漂い、涼し気な冷気が場を満たす。肌を優しく濡らす水滴の感触も心地良い。

 ティオナによって案内されたのは、滝の下にある大きな泉だった。周囲は木々と水晶に囲まれ、頭上は分厚い木々の天蓋に覆われている。水晶の放つ藍色の輝きによって照らされる光景も相まって、森の聖域と名付けられていても違和感はない。

「いいでしょー、ちょっと前の探索で見つけたばかりなんだ!」

「……確かに、とても綺麗な所だね」

「少し疑問に思ったのですけど、ティオネ様、この水は何処から流れてくるのですか?」

万年雪(ひょうかい)とは違うんだけど、階層の奥に水晶があってね、そこから溶け出してくるみたいに水が流れてくるのよ。普通に飲んでも問題無し。というか地上の水より断然綺麗ね」

 ティオナの自慢げな様子にヘスティアが感嘆し、リリルカの問いにティオネが軽く答える。

 派閥が違うという事もあって何処か距離感のあった彼女らも、この頃になると女性陣の間には物怖じや遠慮は無くなっていた。言葉を交わしながら衣類を脱いでいき、各々が肢体を晒していく。

 そんな中、クロードは一人薄汚れたコートを水晶に置いて腰掛けていた。

「クロード君も脱がないのかい?」

「見張りが必要だろ、先に水浴びしてろ」

 何処か物憂げな様子で追い払う様な仕草をした彼女の様子に、ヘスティアは僅かに怯みかけ、すぐに気を取り直した様に彼女の腕を掴んだ。

「ほら、見張りなら彼女達がやってくれるし良いだろう?」

 女神が指し示す方向に視線を向け、クロードは僅かに溜息を零す。

 【ロキ・ファミリア】の女性陣達──リーネと呼ばれた少女を中心に警戒している見張りが居た。

 レベルからしてもクロードよりも優れている彼女等が見張りをしている以上、クロードが見張りする理由はない、とヘスティアに急かされた彼女は、物憂げな様子のままインナーに手を掛けた。

 下着を足から引き抜き全裸になろうとしていたリリルカが、上着を脱ぎ捨てた銀髪の少女を見て僅かに息を呑む。

 華奢な体に見合わない様な古傷が刻まれた身体。大きく斜めに刻まれた裂傷と思しき古傷もあれば、打撲を受けた様に赤黒く変色した部分も見受けられる。顔に刻まれた傷跡から想像していなかった訳ではないとはいえ、想像以上に刻まれた傷の多さにリリルカは目を見開いて驚愕していた。

 女神は僅かに申し訳なさそうに衣類を脱ぎ、丁重に水晶に置いていくクロードの背に刻まれた古傷を指先で軽く触れ、擽ったそうにクロードに手を振り払われた。

「やめろ擽ったい」

「クロード君……また、傷が増えたね」

「あァ? 冒険者やってりゃ傷の一つや二つ、増えて当然だろ」

 面倒臭そうに対応した彼女は、傷跡を恥じるでもなく清流に足を踏み入れ、僅かにこびり付いていた血塊等を洗い落としていく。

 周囲を見張っていた【ロキ・ファミリア】の女性達が、彼女の肢体を見て痛まし気に表情を曇らせた。昨日の晩に彼女が放った壮絶な覚悟。それが嘘偽りなく彼女の本心であり、何人たりとも譲らぬ境界線を悟らせる。

 そんな壮絶な生き様を身に刻みつけた様な姿にヘスティアが手を伸ばしかけ、止めた。

 一応は恩恵を授けた女神として、彼女が抱え込んでいる複雑な事情は既に知っている。その上で過去に幾度も会話(コミュニケーション)による無茶の軽減の提案を行い、その全てを蹴られている。本心を言えば、ヘスティアとて彼女の無茶は止めたい。しかし、止める為の言葉を持ち合わせてはいないのだ。

 そんな風に声をかけるのを戸惑う女神を差し置いて、【ロキ・ファミリア】の姉妹がクロードに近づいていく。

「最初見た時から思ってたけど、凄い傷だね」

「本当に酷いわね。どんな戦い方したらそんな風になるのかしら」

「……ンだよ」

 【ロキ・ファミリア】の第一級冒険者。

 体中に消えぬ傷跡が刻まれたクロードとは異なり、第一級冒険者に至るまで数多くの戦闘をこなしてきた筈の二人の身体には傷跡は見られない。

 豊満な胸を持つティオネも、しなやかな肢体を持つティオナも、そして、最強のヒューマンと謳われる【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインも。

 クロードが一通り彼女らの肢体を見やり、肩を竦めた。

「オレはアンタ等みてェに傷跡なんざ気にする余裕はねェんだよ」

 【ロキ・ファミリア】の様に潤沢な資金と眷属想いの主神によって、傷跡が残りかねない怪我や負傷は対応して貰える恵まれた環境に居たわけでもない。自分の身に刻まれた傷跡を治すよりも優先して武装の充実を図り、より戦力の増強を目指す。

 加えて、そもそも負傷を治すなんて考えは微塵もない。そんな事を気にして戦える程、自分には強さが無い。

 思わず嫉妬交じりの皮肉が口から零れ、クロードは即座に口を閉ざした。

 周囲から向けられる哀れみの視線に、彼女は水浴びに同行した事を僅かに後悔してから、ざばざばと乱雑に髪に絡んだ固まった血を洗い落としていく。

 これ以上話す気はない、と拒絶する様な銀髪の少女の仕草にティオナとティオネは僅かに顔を見合わせ、肩を竦めると距離を取る。

 今度は姉妹と代わる様に一人の小人族(パルゥム)がクロードに近づいた。

「……テメェも、哀れみに来たかのかよ」

「違いますよ。背中を流しに来たのです」

 僻んだ物言いで突き放そうとするクロードに対し、リリルカは真っ直ぐ言葉を反した。

 僅かに澱んだ瞳でリリルカを睨むと、クロードは面倒臭そうにリリルカに背を向ける。

 言外に任せる、と言われたリリルカが彼女の背を流しながら、その身体に刻まれた傷跡を見て口元を引き締めた。

 つい昨日、クロードが語った思想。それら全てを貫き通してきたからこその負傷の数々。

 頬に傷が刻まれていたのは一目見てわかるし、その事を認識した上で彼女と行動していたリリルカは、けれども想像していたよりも酷い傷だらけの少女の背に指を震わせた。

 普通の冒険者からはとうてい考えられない、異質極まりない思想。早死にするとしか思えないその思想を貫こうとし、その結果数多くの傷跡を残す背中。それを丁重に流しながら、リリルカは質問を投げかけていた。

「クローズ様は、どうしてそこまで頑張れるのですか?」

 彼女の身体に刻まれた傷は、一生消える事は無いだろう。

 頬に刻まれた傷も、背中や胸元、腹に刻まれた古傷も、全て綺麗に治る事はない。二度と消えぬ傷を刻んで尚、その意思を貫こうとする理由。

 ただひたすらに自己責任を貫き、恩に義理堅く、危機的状況に陥ったとしても決して他者に擦り付けない。高貴とも言えるその意思を貫く代償として、消えぬ傷を背負う。

 リリルカからすれば考えられないその在り方。

「はぁ……?」

 彼女が放った質問に、クロードは大きく表情を歪めて肩越しに振り返ると、呆れた様な声を上げた。

「むしろ、頑張らない理由がわからん」

 至極当然、と言わんばかりの返答にリリルカは眉を僅かに顰め、静かにくすんだ銀髪に手を伸ばす。

 雑に水洗いされ、痛んだ様子が伺える髪を丁重に洗いながら、リリルカは彼女の言葉を噛み締める。

 クロード・クローズという少女が放った言葉。そして、今放たれた返事。

 それらを踏まえた上で、リリルカは冒険者の常識の通じない彼女に口を開く。

「普通、冒険者はそこまでしませんよ」

 古傷が残る冒険者は珍しくはない。しかし、彼等も好き好んで古傷を残している訳ではないのだ。治療が間に合わなかった、治療道具が尽きており治しきれなかった等、事情があって彼らは治らぬ傷を背負った。むしろそれを勲章の様に掲げる者も居れば、恥ずべきとする者も居る。

 そんな中にあって、銀髪の少女はそもそもその傷跡を気にする様子はない。

 周囲から向けられる哀れみの視線に不愉快そうに身を揺すり、傷跡に触れるリリルカの手を睨むと、パシリ、と叩き落とした。

「何が聞きたいんだよ」

 不機嫌そうな色を宿し、銀髪を鬱陶し気に撥ね退けたクロードが振り返り、問う。

 真っ直ぐ向けられた濁った灰色の瞳の奥、燻る様な、ちらつく赤い色を見たリリルカは僅かに怯みかけ、意を決しながらも口を開いた。

「リリは、クローズ様の事が知りたいです」

「……あァ?」

 リリルカはクロードの事を何も知らない。

 ただ一方的に嫌われているだけ。そして、嫌われる理由も大いに納得できる。逆の立場に立ってみればリリルカなんて嫌われて当然。それこそ二度と近づくな、と激しく罵られても仕方ない。そんな風に自身が思えるぐらいに最低な人間がリリルカ・アーデであり、そんな彼女を命懸けで助けてくれたのがクロード・クローズだ。

「クローズ様はリリの事を助けてくださいました」

 最初こそ印象は最悪。二度と関わり合いになりたくない、そう思えてしまうぐらいの人物だった。

 しかし、関わっていけばその印象はガラリと変わった。悪かったのが自分自身だったと認めてしまえば、後のクロードは酷く真っ直ぐで、何処までも芯の通った潔い性格をしている。

 どこが捻くれているというのか。

 リリルカが今まで相手してきた破落戸や無法者と言い切っていい冒険者に比べたら、彼女ほど真っ直ぐな人間は他に居ない。

 むしろ────逆だ。

 クロード・クローズが捻くれているのではなく、自分達の方が捻じ曲がっている。そう思えてしまう。

「…………聞いて、どうすんだよ」

 面倒臭そうに、そして拒絶するかのような反応にリリルカは僅かに目を伏せた。

 知りたい、という気持ちはある。しかし聞くにしてももっと適任が居たとも思えるのだ。

 最初の出会いからして最悪で、今も悪印象を抱かれているであろうリリルカよりも、最初から気に入られ、付き合いもそれなりにあるヴェルフの方が向ているだろう。

 だからダメ元での質問のつもりだった。

「リリは、クローズ様のお力になりたいです」

 最初の出会いこそ最悪で、印象も悪い。それでも、迷宮決死行、18階層に辿り着くまでに幾度も命を救われた。見捨てられていてもおかしくない場面で、見捨てずに、命を懸けてでも守ろうとしてくれた。

 本気で感謝しているし力になりたい、という言葉にも嘘はない。

「はぁ、力になりたい、ね」

 呆れた様子で目を細めたクロードの姿に、リリルカは視線を落とした。

 彼女から向けられる自身への感情は、決して良いものではない。それはよく理解できている。

 何せ、ベルを騙し、嵌めた盗人。迷宮決死行のさ中、幾度も助けられた、それ故にもしかしたら、という淡い期待もあったかもしれない。

「…………はぁ、別に大した理由はねェよ」

 呆れた様な視線を向けつつも、彼女は周囲を見回し、聞き耳を立てているティオナやティオネ、アイズ等を見やってから、肩を竦める。

「兄さんが、オレなら出来るって言ってくれた」

「……え?」

「オレなら、きっと出来る。オレはそうは思わないし、思えなかったが、兄さんは出来ると言ってくれた」

 他ならない尊敬する兄達が、お前なら出来る。と背中を押してくれた。

 兄達の様に才能なんて無くて、いつも居場所なんて何処にも無くて、父は諦めた方が良いと諭してくる。家の中では腫物扱い。存在する価値すら認められず、居場所は何処にも存在しない。

 ただ諦めて、屋敷の片隅で生涯を過ごす。そんな惨めな生活をしていく中で。

「尊敬していた兄さん達は、出来ると言ってくれた」

 お前なら出来る。と、血の繋がった兄弟なのだから、不可能は無いはずだと、励まし、背を押し、応援してくれた。

 善意でしかない彼らの声援を受け、クロードは歩み出したのだ。

 それでも、才能が無いとさえ言われた彼女の努力は実らない──否、凡人からすれば十二分な成果を上げた。

 ただ、その成果は母を、家を納得させる程のモノでは無かっただけの話で。

「他ならない兄さんが認めてくれた。応援してくれた、背を押してくれた」

 お前なら出来る、と。

 腫物扱いで、存在しない者として、日陰者として生きていくはずだったクロードの背を押してくれたのは、他ならない兄達だ。

 彼らに背を押され、声援を向けられ、クロードは立ち上がったし、努力を続ける事が出来た。兄達の死後も、それを止める事は出来ない。

「兄さん達は、オレを認めてくれたんだ」

 母も、父も、祖母も、祖父も、家政婦も、警備員も、教師も、誰も彼もが認めなかった。

 才能が無く、価値のない存在を認めなかった。だが、彼等から口を揃えて価値があると褒め称えられた兄達は、価値の無いそんな存在を認めてくれた。

「だからだよ」

 兄達はこの世を去り、二度と会う事が出来なくなってしまった。それでも、兄達は確かに認めていた。

 クロード・クローズ──彼女、その前世の彼を、彼等は認め、褒め、背を押した。

「あの兄さん達が認めたんだ、出来ない筈が無い。出来ないのは、努力が足りないからだろ」

 足りないのは努力。

 父も、母も、祖父も、祖母も、誰しもが存在価値無しと判断を下した存在に、唯一兄達だけは価値を見出した。

 出来る、とその背を押してくれた。

「あの糞共が認めなかったこのオレを……兄さん達は認めてくれた」

 自分は彼等の言う様な無価値な存在ではない。自分は兄達が認めた様な存在だ。

 だからこそ、クロード・クローズは努力を続けられる。

「ああ、ベルに追い付かれちまうのはきっと努力が足りなかったんだ……」

 足りないのは研鑽、鍛錬、経験、そして努力に────揺ぎ無い意思。

 クロードの口から語られる言葉に、リリルカは言葉を失っていた。

 真っ直ぐに前を向きながら、真っ直ぐに目標に向かって走りながら、なんて歪んだ事を口にするのか。

 認められた兄達と違い、認められなかった自身。劣等感に苛まれ、それでも兄達が認め、背を押した。

 クロードの口ぶりからするに、兄達に対する尊敬と親愛が感じられる。そして、同時に劣等感と嫉妬の念も見て取れる。

 ぐちゃぐちゃに交じり合った感情の渦の中から、クロードは自身がすべきことを真に定めていた。

「それは……」

「そうだろ? ちょっとしたことで嫉妬なんざしやがって……」

 兄達が認めたクロードという存在なら、出来るはず。だから、出来ないのは努力不足の所為。否、ほんの小さなことで劣等感を抱き、嫉妬と焦燥感に身を焦がす自身の軟弱な精神の所為。

「だから、オレは努力を続けるし、止める気もない」

 兄達が価値を認めた存在は、決して折れていいはずがない。

 兄達が価値を認めた存在は、醜い嫉妬なんてするはずがない。

 兄達が価値を認めた存在は、誰かを貶める屑であってはならない。

 兄達が価値を認めた存在は────兄達が、認めた、だから。

「止まる訳にはいかないだろ」

 決して折れない。

 決して止まらない。

 何もかもをやりつくした上で、命を落とすのであれば、それは────。

「────オレが価値の無い人間だっただけの話だ」

 真っ直ぐ、固い芯の通った彼女の言葉を聞いたリリルカは、背筋が震える様な悪寒を覚え、一歩後ずさった。




 更新が遅れて申し訳ない。

 最近は飽き気味なのかキーボードを叩く気力が無くなってしまっています。
 気分転換にゲームしてても、何か気が乗り切らない。試しに短編っぽい何かを書いても、上手く纏まらない。
 本編も上手くまとめる事が出来ない気がしてきてます。
 戦争遊戯編、その後のフリュネとの罵り合いは書きたいので頑張りますが、文字通りの不定期更新になるかもしれません。
 ごめんなさい。


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第三七話

 女性陣が水浴びに行くのを見送って暫く、野営地で何をするでもなく過ごしていたベルの下にヘルメスが近づいてきて、まるで聞かれては不味い話をするかのように声を潜めた彼に誘われ、少年は野営地を抜けひっそりとした森の中を歩んでいるた。

「……あの、ヘルメス様、どこまで?」

 声を潜めた神の言う事を聞いた少年は、大事な話があるものだと思い彼に付き従っている。

 しかし、肝心のヘルメスは話を切り出すでもなく、人の気配が消えた森の深くへとどんどん進んでいく。少年の言葉に返事を返す事のない男神は、一本の木の前で足を止めた。

「……よし、これがいいな」

 一本の木の前で足を止めるヘルメス。

 幹が太く、深く根を張った丈夫そうな大樹だ。ようやく密談の時かとベルが耳を傾けた、その時だ。

 男神は話を聞く姿勢をとった少年の目の前で、慣れた手付きで長い手足を駆使し、木の表面や枝にかけてよじ登り始めたのだ。

 話が始まるとばかりに身構えていたベルが唖然とするさ中、男神は「さぁ、ベル君も早く登ってくるんだ」と急かす。

「あの、ヘルメス様……?」

「思った通りだ。見ろベル君、これなら十分に枝を伝っていける」

 急かされるままに登ったベルは、男前に笑うヘルメスの表情浮かべた。それを訝しむ少年を他所に、男神は空中回廊を形成している木々の太い枝をするすると進んでいく。

「ヘ、ヘルメス様、あの、話があるんじゃなかったんですか!?」

「話? やだなぁベル君。オレはそんな事一言も言ってないぜ?」

 煙に巻く様な事を告げながらも木々の枝が織りなす空中回廊を身軽に進んでいくヘルメスに、ベルは置いて行かれぬ様に必死に追いかけながら、だったら何で、と声を上げようとした所で──ヘルメスは足を止め、振り返った。

 晴れやかな笑みを浮かべた男神は、親指で方向を示している。

 何かあるのだろうか、と少年がそちらの方に意識を向けると、ドドドド……という滝の音が聞こえてくるのがわかった。

「ここまで来たらわかるだろう? ────覗きだよ」

「!?」

 驚愕に目を剥くベルに、世界の摂理を解く様にヘルメスは語りだした。

「女の子が水浴びをしているんだぜ? そりゃ覗くに決まっているだろう?」

「決まってませんよ!?」

「今更恥ずかしがるなよベル君。どうせいつもヘスティアと背中を流しっこしてるんだろう?」

「してませんよ!?」

 揶揄い交じりの冗談にベルが声を荒げてヘルメスを止めようと手を伸ばそうとするも、予期していた様にするりと少年の腕を躱すと、蝶の様にひらりひらりと前進を再開する。

 遅れてベルが死に物狂いで追従するも、複雑怪奇な枝葉の空中回廊の中で順路を見出した身軽な男神と、ただその背を追う少年では勝負にもならない。

 ベルが追い付いた頃には、瀑布が放つ音が葉々の壁を一枚隔てた先にあった。

「駄目ですっ、止めましょうヘルメス様!? こんなことしたらいけませんよ……!?」

「ベル君、静かに……ここで騒いだら第一級冒険者達には簡単にバレてしまう」

 ヘルメスの指摘を聞いたベルが反射的に口を手で押さえてしまう。ヘルメスが枝の下方を見下ろし、自然と視線を追ったベルの目に映るのは見張りとして辺りを警戒する女性団員の姿。

 目を見開いて顔を上げた少年の視界に映るのは、ニコリと清々しくも神々しい男神の微笑み。場所が場所でなければ同性ですら見惚れてしまいそうな笑みに対し、少年が抱いた感想は、こんなに美しくも下劣な笑みは初めて見た、という至極当然のものではあったが。

 滝の大音に加えて厚い葉々のおかげか、見張りの者達も第一級冒険者も頭上に潜む彼らの事に気付いては居ない。

 それでも見つかればただでは済まない、とベルが小声で声を荒げて止める様に言い放とうとし、男神に口を塞がれてしまう。

「ベル君、だから見つかってしまうだろう? 此処まで来たんだ、せめて一目彼女らの肢体を拝みたいとは思わないのかい?」

 キミ、本当に男なのかい? 等と訝しむ男神に対し、あたかも自分の方がおかしいという様な反応をされた少年は心の中で「見たいけど覗きは良くないですよ!?」絶叫を上げた。

 せめて覗きを妨害しようとベルがヘルメスの目を塞ごうとするも、ぬるりするりと少年の妨害を躱して木々の下方に視線を向ける男神。

 枝葉の天蓋の上で繰り広げられる攻防のさ中、ふとヘルメスは首を傾げた。

「それにしても、水浴びをしているにしては少し静か過ぎるね」

 感じた違和感を口にしたヘルメスに対し、そんな事より戻るべきと少年が声を荒らげそうになり────聞こえた言葉に二人は動きを止めた。

『最初見た時から思ってたけど、凄い傷だね』

『本当に酷いわね。どんな戦い方したらそんな風になるのかしら』

『……ンだよ』

 聞き覚えのある双子の第一級冒険者の声と、不機嫌そうな少女の声。

 ────『傷』と聞いたベルが見ない様にと意識していたはずの天蓋の下に視線を吸い寄せられる。

「わぉ……クロードちゃん、可愛い子なのに勿体無い」

 ヘルメスとの攻防も忘れた少年の視線の先には、見知った銀髪の少女が居た。

 真っ白い肌に走る無数の傷跡。真新しいものもあれば、古傷と思しき物まで、裂傷に打撲、ありとあらゆる古傷の残る、痛々しい肢体。幼い容姿の小人族(パルゥム)の身にこれでもかと刻まれた、痕跡の数々。

 迷宮決死行のさ中に受けたらしい傷跡も確認でき、ベルは視線を逸らす事も出来ずに動きを止めていた。

 本来ならば姦しく和気藹々とした水浴びをしているはずの女性陣の中、壮絶な傷跡を無数にその身に刻んだ少女、それも狂気的とも取れる程の信念を貫く一人の人物の放つ圧に周囲の女性達は圧倒され、姦しさを失っている様子だ。

 一人、周囲の視線を煩わしそうにしながらも水浴びをする少女の裸体に、不埒な劣情を抱くより前に憐憫が湧き上がってくる。真っ直ぐ、自分の信念を貫く姿に畏怖と魅力を同時に抱かされた。そんな彼女の身に刻まれたそれらから感じた、並々ならぬ努力の痕跡にベルは完全に視線を奪われていた。

「────凄いな」

 ヘルメスは自身を妨害するのも忘れた様に視線を奪われているベルを他所に、クロードの事を見て目を細める。話に聞く限り、違法行為にすら手を染め、ありとあらゆる手段を駆使してでも目的を成そうとする狂人。それの有り方を、その生き様をその刻まれた傷から読み取った。

(アレで才能があれば完璧()()()()()()に……。()()()()

 値踏みする様な視線を向けられた少女──クロードの下に一人の人物が近づいていく。迷宮決死行のさ中、幾度もクロードの手によって救われたリリルカだ。言葉を失ったベルが視線を逸らし、ヘルメスは耳を傾ける。

 二人の少女のやり取りは、聞く気のないベルにも聞こえていた。

 周囲の女性達も声を潜めて彼女らのやり取りを聞いており、瀑布の放つ音の中でもしかと響く、芯の通ったクロードの声は嫌でも天蓋に隠れる二人の下へと届く。

 存在価値無しと断定された一人の人物の背を押した兄という存在。彼らに恥ずべき自身であってはならない。彼女が定めた、自身に求める理想。それを成す為の信念。

 折れる事は許さぬ。嫉妬する事は許さぬ。他者を貶める事を許さぬ。真っ直ぐ、どこまでも真っ直ぐ、まるで英雄譚に登場する清廉潔白で聖人と呼んでも差し支えない程に透き通った、人間の汚点を全て取り払った理想的人物。そんな理想をクロード・クローズは目指している。

 今まで少年がクロード・クローズに抱いてきた人物像。それはちょっと捻くれていて変わっている、けれど仲間想いの人物。それが、今この瞬間、間違いだと気付いた。

 ただ真っ直ぐな信念を貫こうとする、一人の人間だ。誰にも恥ずべき汚点の存在しない、理想を目指す人間だ。誰しもあるべきはずの汚点の一つすら許さない、清廉潔白さを抱く、人間だった。

 だからこそ、()()()()()()

 完全に息を呑み、言葉を失っていたベルは、木々の下で自身の信念の在り方を語る彼女が、最後に放った言葉を聞いた。聞いてしまった。

「────オレが価値の無い人間だっただけの話だ

 ────瞬間、ベルは今自身が置かれている状況が頭から抜け落ちた。

「違う! それは違う!!」

 隠れている事など頭から抜け落ち、ただ自身を無価値と言い切った少女に思いの丈を告げんと声を張り上げた。それを見たヘルメスが慌てた様子でベルの口を塞ごうとして。

「おい、ベル君!?」

 直後。

 ボキッ、と軋んでいた枝が大きく揺れる。

 ベルとヘルメスが足場としていた太枝が根本から折れたのだ。

 隠れていた意識が抜け落ちていたベルと、彼の口を塞ごうとしていたヘルメスの二人は呆気なく、宙に投げ出された。

「────いいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!?」

「────あららぁ」

 枝葉を突き破り、少年と男神が天蓋から重力に引かれて落下するさ中、ベルは驚愕し悲鳴を上げ、ヘルメスは着水に備えて帽子を押さえる。

 少年はドボンッ、と盛大に水飛沫を上げて着水し、ヘルメスは小さな水飛沫を上げて華麗に着水。

「げほっ、ごほっ、ごふっ!?」

 水深が深かった地点から慌てた様子でベルが浮上し、男神は水面下を泳いで離脱を図る。

 肺に水が入り混乱した少年が手足をばたつかせ、直後に腕を掴まれて引かれた。

「──落ち着け、溺れるぞ」

 迷宮決死行のさ中、幾度も耳朶を打った聞き覚えのある少女の声にベルは瞬時に落ち着きを取り戻す。

 滝壺の深みから浅瀬へと手を引かれ、手足をついて四つん這いになり盛大に咽込むさ中、小さな手が軽く背を撫でてくれたおかげか、少年は荒い息を吐きつつも早くも呼吸を整え始めていた。

「はぁ、はぁ……あ、ありがとうございます」

「別にンな事ァどうでも良い。おまえ、此処で何してんだ?」

 近くから聞こえたその声に、ベルは思わずそちらに視線を向ける。ベルの背をさすりながら訝し気な表情を浮かべた傷跡の残る少女の顔が、すぐ目の前にあった。

 瞬間。

 冷や水を浴びた様に──文字通り冷水に身を浸しているが──少年は冴えわたる思考が状況を飲み込んでいく。

 つい先ほどまで覗きをする男神を止めようとしていた事。

 自身を無価値だと断言した少女の言葉を否定しようとした事。

 そして、足場の太枝が折れて転落した事。

 目の前に居る傷跡の残る少女──クロードは裸だった。

 当然だ、彼女はつい先ほどまで水浴びをしていたのだ。服を着ているはずがない。

 その上で、彼女は自身の裸体を隠していない。当然の様にベルの背を撫で、訝し気な表情を浮かべている。

「おい、聞いてんのか?」

 再度かけられたクロードの言葉に、この後の末路を想像したベルが凍り付く。

 突然の状況に理解が追い付いていない周囲の女性陣の中、真っ先に動いたクロード。ただ彼女の言葉を否定したかっただけだ、という言い訳すら、少年の口は震えて放つ事ができない。

 どうあがいても、今のベルは覗きに来た上、盗み聞きして暴走し、見つかった悪人だった。

「アルゴノゥト君……?」

 クロードと視線を交わしながら硬直していたベルは、彼女の訝しむ様な目から逃げる様に声の放たれた方向へ視線を向けてしまった。

「なになにっ、君も水浴びしにきたの?」

「大人しそうな顔して……やるわねぇ、あんたも」

 少年の眼前に広がるのは双子の姉妹。衣類を一切纏わぬ褐色肌の裸体。

 クロードの様な傷跡もなく、ただただ蠱惑的な肢体を、一切隠しもせずに少年を見下ろしていた。

 ────アマゾネスという種族には、恥じらい等存在しない。

「ベル君、キミって奴は……」

「な、何をなさっているのですかベル様ぁ!?」

 内心で絶叫を響かせる少年を他所に、遅れて事態に気付いた他の女性陣が恥じらう様に身を隠しているのが彼の視界に否が応にでも映り込む。

 数多の女性の裸体が映る中、その中でも視線を奪い去る人物がそこに居た。

 頬を紅色に染め、体を抱く様に隠す憧れの女性(アイズ・ヴァレンシュタイン)が、流れ落ちる滝を背に立っていた。一枚の絵画として描かれていてもおかしくはない、そんな印象を抱かせる光景だ。

 自身が懸想している相手、図らずもその女性の裸体を鮮明に目に焼き付けた少年は言い訳も状況説明も忘れ、一瞬で真っ赤に染まり上がり────。

「ご────ごめんなさぁああああああああああああああああいっ!?」

 側に居たクロードの事すら忘れ、泉から跳ね出ると弾丸の如き速度を以てして、捕らえようと動いた見張りの者達すらも置き去りにして逃走していった。

 

 


 

 

 葉々を突き破り、泉の中に何かが転落してきた。

 あまりにも突然の出来事。第一級冒険者にはそれがモンスターでは無く人である事に気付いていたが、何故人が落ちてきたのかまでは理解が及ばずに動きを止めていた。

 そんな中、真っ先に動いたのがクロードだ。

 水面から勢いよく顔を出し、咽込んで混乱ていた少年の腕を掴んで浅瀬に引き上げたのだ。

 突然の出来事にどう動いて良いのかわからずに様子を見ていただけの周囲も彼女の行動には驚愕する。

 明らかに覗きに来ていたであろう少年を助ける様な真似をしたのだ。

「どうして彼を助けたんですか?」

 見張りとして立っていた女性団員の質問を受けたクロードは、不愉快そうに彼女を見やると肩を竦めた。

「溺れそうになってる奴が居たら助けるだろ」

「では、何故捕まえなかったのですか?」

 最も傍に居て、覗き魔を捕縛可能な距離にいたというのに平然と見逃す真似をした。彼女自身の性格から覗かれても気にもしていないのは一目瞭然ではあるが、他の面々は違う。

 特にアイズ・ヴァレンシュタインは酷く衝撃(ショック)を受けた様子で落ち込んでいた。そんな彼女を見て何故捕まえなかったのか、と声を荒らげる女性団員。

 クロードはそんな相手を見て、不愉快そうに眉根を寄せた。

「オレが悪いとでも?」

「せめて捕縛する姿勢を見せていれば……」

 Lv.2とは思えない敏捷を見せ付けて逃走した少年。せめてクロードも捕縛に協力的であれば、()()()()()()()()()()捕縛できたのに、と文句を零す。

 それらを見ていた銀髪の少女は、インナーに袖を通し、コートを肩にかけると煙管を取り出し、一服しはじめる。自身には何の非もなければ、責められる謂れなど無い、と。

「そもそも、テメェら見張りの目が節穴だったのが悪ィンだろォが。逃げられた云々以前に、見張り立ててた癖に大きな鼠二匹も見つけられずに何ほざくんだか」

 なんの為の見張りだったのか。まさかただの案山子だったとでもいうつもりか、とクロードは文句を言っていた見張りの女性団員を黙らせる。

 事実、見張りとして立っていた彼女達がヘルメスとベルに気付かなかったのが元の原因。

 加えて、クロード自身は小柄で、なおかつ少年と比べると基礎アビリティの『力』は致命的に貧弱だ。抑え込むどころか、彼女が掴みかかったところで振り解かれてお終い。

 ましてやクロードはパーティの中で最も負傷度合いが酷く、消耗もしていた。そんな怪我人に捕縛を要求するのは無理がある。

「まさか、見張りを立ててるから大丈夫。なんて太鼓判おした【ロキ・ファミリア】が鼠二匹も侵入を許した挙句、一匹には逃げられるなんてなァ……?」

 その上でクロードを責める姿勢をとる。だなんて論ずるまでもない。

「自分らの無能棚上げして文句ばっか垂れんなよ。先に覗き魔を見つけられなかったお前らが頭下げる所だろォが」

 一丁前に文句垂れんな、と紫煙と共に吐き捨てた彼女を見て、見張りの団員達は口を閉ざす。

 反感を抱きかねない程に口が悪いが、指摘事項は事実であり、否定のしようがない。ここでこれ以上の問答をしたところで、【ファミリア】の醜聞に繋がりかねないのだ。

「わかったら話しかけんな」

 不機嫌そうに紫煙を吹きかけ、追い払う。

 彼女の周囲から人が散った所で、ヘスティアが彼女の傍に近寄った。

「クロード君、ちょっと良いかい?」

「あァ? ヘルメスへの制裁はお終いか?」

 ベルと共に木々の天蓋から転落し、その後はベルを囮にして一人逃走を図ろうと水面下を泳いでいた男神は。自身の眷属であったアスフィに呆気なく捕縛されていた。

 縛り上げられ木に吊るされた男神の周囲にはクロードに文句を言いに来ていた以外の見張りの姿もある。

 情けない悲鳴を上げる彼に軽蔑の視線を向ける女性陣の中に交じり、同じ神という事で遠慮なくヘルメスをぶっ叩いていたヘスティアは怒りがある程度治まった様子だ。

「アレだけやってもヘルメスはきっと懲りないからね。それよりも君に言いたい事があったんだ」

 煙管を吹かし、紫煙を燻らせる少女を真正面から見つめた女神は先の出来事を思い起した。

 自身の事を無価値だと断言した、その瞬間。

 木々の天蓋の上から少年の声が響いたのだ。

 『それは違う!!』と。

「キミは無価値じゃない。ボクだってそう思う」

「……ンだよ、アレはヘルメスと言い争ってただけだろ。何の関係があるんだよ」

 ベルが放った言葉が何に対して向けられていたのか。彼女らの頭上でヘルメスと会話を交わし、声を荒げただけにも思える。けれど、女神はそうではないと感じていた。

「キミは無価値なんかじゃない」

「…………」

「ベル君はキミに言ったんだ」

 あの時、木々の上から自身が隠れている事すら忘れて、クロードの言葉を否定した。そう断言する女神の姿にクロードは半眼を向けた。

 タイミングとしては、確かにそうであると言えるかもしれない。しかし、ただの偶然の可能性も否定できない。少なくとも、少年自身に確認をとらなければ断定する事は不可能だ。

 だというのに、女神は断言する。

 そんなヘスティアの様子に、クロードは肩を竦めた。

「っつー事は、だ……ベルは覗きだけじゃなく盗み聞きまでしてた、と?」

 自身の眷属を貶める気か、と少女が半眼で呟くと、ヘスティアは苦笑する。

「まさか、ヘルメスに聞いたんだ」

 あの時、男神は覗きを決行する為に息を潜めて隠れていた。ベルがそれを邪魔しようとして、偶然聞こえたクロードとリリルカの会話を聞いて、声を荒らげて否定しようとして転落した。と。

 縛り上げた男神から話を聞きだしたヘスティアの言葉に、クロードは酷く否定的に言い放つ。

「それで? そのヘルメスが嘘を吐いてないって保証は何処にある?」

「ヘルメスは確かに胡散臭い奴だけど、そんな嘘を吐く奴じゃないさ」

 天界に居た頃から知っている、と告げられたクロードは不愉快そうに眉を顰める。

「リリも、クローズ様が無価値だなんて思いません」

 二人のやり取りに、服をしっかり着込んだリリルカも合流した。

 あの瞬間、リリルカもクロードの言葉を否定しようとした。それより前にベルが声を上げた事で言えなかったが、それでもリリルカは断言できる。

 そんな女神と少女の言葉に、紫煙を燻らせながらクロードは不愉快そうに眉根を寄せた。

 結果を出さない自分は無価値だ、とそう断言する彼女の言葉を否定する二人に、クロードは火皿に残る煙草を一気に吸い尽くし、灰を放り捨てた。

「ふぅ……鬱陶しいな」

 酷く嫌そうに、再度火皿に刻み煙草を詰めながら、クロードは自身を見つめる二人の瞳から逃れる様に視線を逸らす。

「何度でも言うさ、キミは無価値じゃない。結果なんて出さなくたって、ボクは気にしないさ」

「もう十分、クローズ様は結果を出しているではないですか」

 説得する様に声を重ねる二人に、クロードは捨てられた灰に視線を落とし、鼻で笑った。

「結果も出さない足手纏いなんざ邪魔なだけだろ。それに、その程度の結果で、誰が満足するってんだ……」




 前回更新から1ヵ月も経ちました。おかしいですね、なんで更新されてないんでしょうか……? 私が執筆しなきゃ更新されないバグ、どうにかなりませんかね。
 しかも質までだいぶ落ちてますし。誰か、代筆してくれませんか……?


 今後の展開として、クロードくんちゃんが致命的に狂った原因を次の原作5巻の『5章 無法者達の宴』と『6章 英雄賛歌』で明らかにしようと思ってます。
 絶対に止まらない、今の結果に納得しない。嫉妬を全否定する。そんな風に狂う程に真っ直ぐな信念を抱くに至った原点(オリジン)であり心的外傷(トラウマ)


 次の更新は……一週間後に、頑張ります。止めると、動き出すのが非常にきついので、週一更新を維持したいです。というかしないと次が更新出来る気がしないので。


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第三八話

 クロード・クローズ

 Lv.2

 力:F338→F367 耐久:G208→G253 器用:F383→E434 敏捷:F365→E418 魔力:E403→E495

 《逆境I→H》

 

 《魔法》

 魔法名【シーリングエンバー】

 詠唱式【()()がれ、(くす)ぶる戦火(せんか)()こり()

 ・付与魔法(エンチャント)

 ・火属性

 ・感情の丈により効果向上

 

 魔法名【スモーキーコラプション】

 詠唱式【肺腑(はいふ)(くさ)り、脳髄(のうずい)(とろ)ける。堕落(だらく)(もた)らす、紫煙(しえん)誘惑(ゆうわく)

 ・増強魔法(ステイタスブースト)

 ・異常魔法(アンチステイタス)

 

 魔法名【カプノス・スキーマ】

 詠唱式【()()()ちよ、(なんじ)()(あた)えられた()加護(かご)よ。戦場(せんじょう)()ちよ、(なんじ)()加護(のろい)(もたら)災厄(さいやく)よ】

 ・形状付与

 ・魔力消費特大

 

 《スキル》

 

 【灰山残火(アッシェ・フランメ)

 ・経験値(エクセリア)の超高補正

 ・感情のほのおが潰えぬ限り効果持続

 ・火属性への高耐性

 

 【煙霞痼疾(パラソムニア)

 ・『魔力』の高補正

 ・特定条件下における『魔法』の威力超高補正

 ・幻惑無効

 ・錯乱耐性

 

 【死灰復燃(カタプレキシー)

 ・自動発動(パッシブトリガー)

 ・情動刺激の複製および復元

 ・ステイタスへの超々々補正

 


 

 テント内にて、ヘスティアは今しがた更新し終えた【ステイタス】を少女に告げた。

「全体的に上がってるね」

 共通語(コイネー)を書き記す紙も筆も無い為に女神は口頭での内容だ。それを聞いた少女、クロードは億劫そうにインナーを着込み、肩越しに女神を見て、半眼で呟く。

「ベルと()()()どうだったよ」

 何処か澱んだ色合いに染まる灰色の瞳に見据えられ、投げかけられた問いかけに女神は表情を強張らせる。

 昨日、水浴びのさ中に強く拒絶されてから今日になって【ロキ・ファミリア】の地上への帰還に同行する事になり、ベルとクロードはダンジョン内でありながら女神が居るという事で【ステイタス】更新を行う事にした。

 最初にベルが更新を行い、次にクロードのステイタスを更新したヘスティアは、当然ながら二人の能力値(アビリティ)を全て記憶している。

 結果だけ述べれば、どちらも相当な成長をしている。詳細を比べてしまうと──ベル・クラネルの方が成長が早い。

 クロード自身も一般的な冒険者からすれば驚異的な速度で【経験値(エクセリア)】を集め、能力値(アビリティ)を伸ばしている。だが、一部能力値(アビリティ)──『力』や『耐久』は──は後から追っているはずのベルが既に追い付いている。

 ベルは平均的なヒューマンであり、クロードが力や耐久に劣る小人族(パルゥム)である事等から、それらの能力値(アビリティ)適性からしても不思議ではない。と補足できなくもないが──クロード自身がどう感じるかは別の話だろう。

「………………」

「もう良い、…………そっか、追い付かれそう……いや、もう追い付かれてんのか」

 何処か嘲笑が交じった表情を浮かべ、僅かに顔を伏せたクロードが擦り切れたコートを肩にかけると無言のままにテントを後にする。

 その背に手を伸ばしかけるも、口を開く事なく女神は静かに拳を握って対話の失敗を悔いた。

 彼女にとっての価値と、自分達が示した価値。それらが交わる事はない処か、彼女は女神やサポーターの少女が説いた価値を一蹴した。あの時、クロードが浮かべた表情は、完全な拒絶。

 サポーターの少女、リリルカを命懸けで助ける様な事をし、見事に生かし切ってみせた事や、精神的に潰れそうなパーティメンバーを叱咤して生存させた事。ベルや鍛冶師の青年、サポーターの少女などから聞いた一部始終からもわかる通り、クロードは多大な貢献をしている。

 少なくとも、クロードが居なければ死んでいてもおかしくなかった。だからこそ、彼女にはそれだけの価値がある。そう説いた。だが、彼女には一切届かなかった。

 ヘスティアは深く溜息を零し、【ステイタス】更新の道具一式を仕舞い始める。

 テントの外からは、【ロキ・ファミリア】の団員達が撤収準備を進める音が頻りに鳴り響いていた。

 

 


 

 

 逃げる様にテントから抜け出したクロードは、野営地の中心付近へと足を進めていた。

 苛立ちを堪える様に煙管を取り出し、火を付けようとした所で、周囲から向けられる視線に気付く。撤収準備を進めるロキ派の団員から向けられているのは、ほんの僅かな嫌悪。

 一服して気を紛らわそうと考えていたクロードは、無言で煙管を懐に収めた。

 野営地に世話になっていながら揉め事(トラブル)を起こし、尚且つ他者を慮る事もなく喫煙等していれば評価は落ちる一方だろう。相手に非がある場合は躊躇なく噛みつくが、今回でいえば相手に非は殆どない。

 苛立ちを抑える様に軽く深呼吸を繰り返しつつ、足早に中央付近にて荷物の最終確認と武器の整備をしているベル達の元へ向かう。

「……ヴェルフ、オレの武器の整備は出来てるか?」

「お、クロードも来たか。ほら、出来てるぞ」

 砥石等の道具を広げて武具の整備をしていたヴェルフは、クロードに僅かに歪んだショートソードを手渡した。

 迷宮決死行のさ中に酷使し、刀身が歪んでしまった副武装(サブウェポン)を受け取ったクロードは、ヴェルフが足元に広げている武具の中に見覚えのない得物を確認して眉を顰めた。

 ヴェルフの大刀に、女神がヴェルフに受け渡した白い布で覆われた何か。それに加えてベルの二刀とリリルカが扱う魔石回収用のナイフ。それに加えてクロードの違和感を刺激したのは、独特の反りを持つ片刃の刀剣──極東式の刀だ。

「────なァ」

「あの、クローズさん」

 其の刀、誰の武装だ、とクロードがヴェルフに声を掛けようとした所で、白髪の少年、パーティのリーダーであるベルが口を開いた。

「ンだよ」

 ぶっきらぼうに、僅かな拒絶の色を含んだクロードの返事にベルは僅かに怯みそうになり、すぐに息を呑むと口を開く。

「クローズさん、僕は────」

「昨日の件ならそれ以上蒸し返すな。鬱陶しい」

 一人の少女が自身を無価値だと断じようとしたソレ。昨日、懸想していた少女の裸体を前に極度の羞恥にて暴走し、逃走後に迷子になってリューによって野営地に帰還後。必死に女性団員に頭を下げて回って許しを得た少年は、その後に改めてクロードと話をしようとしたのだ。

 しかし、その内容はお世辞にも良いとは言い難いものだった。ベルやヘスティア、リリルカ、更にはヴェルフまで加わって必死に彼女の説得を行おうとしたが、クロードは頑として主張を曲げる事は無かった。

 一夜明けて改めて、と声を掛けようとしたベルは、けれども明確な拒絶の言葉に喉を詰まらせる。

 捻くれていてわかり辛くはあっても、ちゃんと優しい部分も持っている少女にどうにかして歩み寄れないかとベルが喉に詰まる気まずさを吐き出してでも口を開こうとして、肩を掴まれた。

「ベル、落ち着け。気持ちはわかるが」

 鍛冶師の青年が少年の肩を掴み、歩み寄ろうとするのを止める。

 彼自身もクロードの一件については歯痒く思っているのだろう。けれども、昨日の今日で話し合いが出来る状態ではない。もし本腰入れて彼女と対話するなら地上に帰ってからした方が良いと思っている。

 それはサポーターの少女も同様なのか、リリルカも首を横に振っていた。

 二人の反応から口を閉ざしたベルは、改めてクロードと向き合う。

 擦り切れたコートに、僅かに覗く肌に刻まれた古傷の数々。くすんだ銀髪に僅かに隠れた灰色の瞳には明確な拒絶と──僅かながらの敵視の色が見て取れた。

「……話はそれだけか?」

 整備を終えたショートソードを腰に吊るし、喧嘩煙管を改めて背負い直した少女が不愉快そうに呟く。

「ああ、その前にお前に会わせたい奴が居るんだが」

「……会わせたい奴?」

 口を開いたのはヴェルフだった。

 彼は真剣な表情を浮かべてクロードを見据えると、顎で後ろを示した。

「あァ?」

 【ヘファイストス・ファミリア】の知り合いでも紹介する気か、と頭を掻いたクロードが示された方向を向いて、表情を一変させる。

 ヴェルフが示した先には三人の人物が座っていた。

 両足を揃え、膝を曲げて座る、極東独自の座り方、正座をした三人の人物。

「……よくもまァ、そのツラを見せる気になったなテメェら」

 クロード達に怪物贈呈(パスパレード)をかまし、挙句の果てに謝罪を拒絶した上で自らの行動を肯定するといった──クロードからすれば──余りにも不遜な態度をとった冒険者。

 【タケミカヅチ・ファミリア】の面々だ。

 クロードが知らぬ内にベルを注視していたが故に見逃したが、彼等は端からそこに居た。

 銀髪の少女の反応はわかりやすい。即時抜刀出来る様にと腰のショートソードと背負った喧嘩煙管の柄に手が伸びている。それを見た三人の内、千草と呼ばれていた目元を隠した少女があからさまに身を震わせ、頭に包帯を巻いた少女が即座に土下座の姿勢に入った。

「申し訳ありませんでしたっ!」

「ご、ごめんなさいっ!」

「…………」

 大男、桜花を除いた少女二人が即座に頭を下げる。大男は無言のまま僅かに視線を下げ、クロードの足元に視線を向けたまま静寂を保っている。

 そんな彼らの様子を苛立たし気に見ていたクロードは、ヴェルフとベルを伺う。

「どういう事だ?」

 ここでぶっ殺して良いとでも? と殺意剥き出しで問いかけるクロードに、ベルが慌てた様子で口を開いた。

「ま、待ってください。実は────」

 ベル曰く。

 覗き事件にて逃走したベルは森の中で迷子になり、偶然にもリューと出会って野営地まで送ってもらったのだが、実はその際に【タケミカヅチ・ファミリア】の面々とも会っていた。

 正確には、彼等はリューと共に行動していた。

 野営地を追い出された後、彼等は【ファミリア】としてもリヴィラで宿を借りる金などある訳もない上、野営用の道具類は一切持ってきていなかった。更にはクロードから攻撃されて負傷した状態のまま放り出されたのだ。

 【ロキ・ファミリア】の野営地から離れた彼らは、一晩はなんとか過ごしたものの次の日には立ち行かなくなっていた。というのも、クロードの攻撃を無防備に食らった負傷の度合いが思った以上に酷く、中層を越えて地上に帰還するのも難しいかもしれない、という状態だったのだ。

 このままでは地上へ帰還も出来ない、と焦っていた所に──リューが現れた。

 彼女はわけあって別行動しており、野営地に居なかった為に事情を知らなかったが、桜花から事情を聞いた上で彼等を助け、二日目には彼らをモンスターから守っていたらしい。

 そこに偶然にも逃走したベルが合流したとの事。

「それで、リューさんと話をして桜花さん達も反省したみたいで……」

 ベルから事情を聞いたクロードは、不機嫌そうな表情を隠しもせず、正座したまま黙って成り行きを見守る桜花へと視線を向けた。

 激しい嫌悪と憎悪の入り混じった視線を向けられたと感じ取った桜花がゆっくりと顔を上げる。

 真っ直ぐ、灰色の瞳と視線を交わす。

 小柄な体躯にいくつもの古傷を刻み、武具にも隠し切れない無数の傷が残っている。歴戦を思わせる風貌をした小人族(パルゥム)の灰色の瞳は──その奥に燻る様な灼熱を思わせる深紅の色合いが揺らめいていた。

 黙り、己の得物に手を掛けたまま無防備に正座する桜花を見据えるクロード。

「────すまなかった」

 すっと、音もなく桜花が額を地面に付け、土下座を行った。

 命に負けない程に堂々と、両手を地面に付け、額を地面に押し当て、重く低い声で桜花が謝罪を口にする。

 瞬間。

「ハッ、一度吐いた唾舐め取りにでも来たのか? あァ? テメェは自分の口から吐き出される糞にも責任持てねぇみてェだなァ?」

 少女の口から飛び出したのは、強烈な皮肉だった。

 ────桜花達は、あの一件の後にリューに保護された。

 保護された直後、桜花はクロードに対し敵意にも等しい感情を抱いていたのだ。

 家族に手を出された──危うく、殺されかけた。故に、抱いた感情は怒り。あの少女の固い信念に対する感慨なんかよりも、自らの家族に手を出された怒りが勝った。故に、リューに事情を説明した際、桜花は自らの主観で彼女に事情を話した。

『アイツは、千草を殺そうとしたんだッ!?』

『────落ち着いてください。クロードさんが、そちらの方を? 事情が呑み込めません。彼女は口は悪いですが、事情もなくそういった事をする方では無い筈ですが』

『桜花殿、落ち着いてください。アレは、私達が悪かったのです』

『命、アイツは千草を殺そうとしたんだぞ!?』

 思い返すだけで腸が煮えくり返り、沸きたつ怒りで冷静さを欠き、クロードを擁護するような発言をした命の事を信じられない、といった思いで見ていた。

 あの時、桜花は冷静さを欠いていた。

 故に、事情を聞いた上でリューが告げた言葉によって冷水を浴びせられたのだ。

『なるほど。では一つ聞きたいのですが。もし、もしも──逆の立場なら貴方はどうしますか?』

 逆の立場。

 ベル達に怪物贈呈(パスパレード)()()のではなく。

 ベル達に怪物贈呈(パスパレード)()()()のであったら。

 彼等の様に死に掛けながらも18階層まで這う這うの体で辿り着き、そこに遅れてやってきた彼等が、自分と同じ事を、同じ言動をしたのだとしたら。

 千草や命、【タケミカヅチ・ファミリア】の仲間が死に掛け──下手をしたら死んでいたかもしれない──状況に置かれ。それを知っていながら、自分達の目の前で開き直ったかのように頭も下げず『責めたければ責めろ』と言い放たれたのだとしたら。

 ────そこまで考えた所で、ようやく桜花は自身の失態を悟った。

 自らが団長として、仲間の命を救う為に選択した事だった。故に、責任は自身にあり、どんな罵詈雑言も受け止める覚悟だった────罵詈雑言を、受け止める。

 罵詈雑言? 自分達の仲間の命を危険に晒した相手に、罵詈雑言をぶつけるだけで済むのか? ましてや、開き直った様に頭すら下げない相手だったとするならば。

『──────』

『クロードさんは最低でも話を聞く姿勢をとったと思います。彼女は、よほどの事が無ければ問答無用で仕掛ける事はしません。貴方の態度に問題があったのだと思いますが、心当たりはありませんか?』

 冷静に、ただ真っ直ぐに、事情を聞き、状況を理解し、その上で問いかけてきた格上の冒険者の言葉に桜花の怒りは何処かに吹き飛んでいた。

 仲間を、家族を傷付けられた、殺されそうになった。だからこそ桜花はクロードに怒りを抱いたのだ。だが、まず前提が異なる。最初にクロードの仲間を傷付け、殺しかけたのは桜花達だ。

 それが、謝罪もなく、開き直った様な態度で目の前に現れたのだとしたら。

 ────桜花が抱いた怒りこそ、ただの逆恨みでしかない。

「言いたい事はわかっている。俺が悪かった。改めて謝罪させて欲しい」

 自分が抱いた怒りが、ただの逆恨みだと自覚し、偶然にもベルと再会した桜花は、頭を下げた。

 あの時の自分の態度が、言動が、いかに愚かで、相手の神経を逆撫でする行いだったのかを謝罪し、改めて謝罪したいと申し出た。

 今朝になって【ロキ・ファミリア】の野営地に近づいた際、問答無用で警備していた団員に武器を突き付けられた際にも、桜花は頭を下げた。

 改めて、【ヘスティア・ファミリア】、ひいてはクロード・クローズに謝罪したい。と。

 その時、帰還の為の先行隊の準備をしていた【ロキ・ファミリア】の団長が現れ、いくつかの制約を交わす事を条件に、野営地に足を踏み入れる事を承諾してくれた。

 ベルを通じ話を聞いていたヴェルフやリリルカは、良い顔はしなかった。しかし、最低でも話を聞く姿勢はとった。

「この通りだ、頼む」

 地面に額を擦り付ける様に謝罪を口にする大柄な男を前に、クロードは忌々し気な表情を浮かべ、半眼でヴェルフやベル、リリルカを伺う。

「テメェ等は?」

「俺は正直、まだ納得してねぇ。一度あんだけ啖呵切っといて、都合が悪くなったから謝りに来てる様にしか見えないからな」

「リリも、納得は出来ません」

 謝罪もせずに開き直った様な言動をして啖呵を切り、クロードの逆鱗に触れておきながら謝罪に来た。

 余りにも虫がいい話だ。故に、ヴェルフとリリルカは納得できない、と不満を口するが。

「僕は、許したいと思います。桜花さん達にも事情があった、それに、今は謝ってくれてますし……」

 謝罪を受け入れる様な発言をしたのは、被害者パーティのリーダーであるベルだった。

 端から彼らの擁護に回っていた少年らしい返答に、ヴェルフは肩を竦め、リリは溜息を零す。

 そんな中、クロードは一歩、前に出た。

 ベルが止めようとして、ヴェルフとリリルカに引き留められる。

 今回はベルが勝手に引き入れ、謝罪の場を用意したのだ。クロードの意見を聞く事も無く。

 前回、クロードは嫌々ながらもベルの意見を受け入れた。だからこそ、今のベルにクロードを止める権利はない。ヴェルフとリリルカに引き留められたベルは緊張した様に唾を呑み込む。

「虫のいい話じゃねェか? あァ?」

「……ああ、本当に虫がいい話だと思う。本当にすまなかった」

 繰り返し謝罪を口にする桜花。

 クロードが更に一歩詰め寄り──千草が身を震わせた。

 つい先日、本気で殺しに来た相手に恐怖しているのは丸わかりだ。それでも恐怖に耐える様に必死に頭を下げている。

 そんな姿を見たクロードは、桜花の前に歩みを進めた。

 地面に額を擦り付ける桜花の傍に立ち、見下ろす。

「テメェがどういうつもりで怪物贈呈(パス・パレード)したなんざオレは知らねェよ」

 片手は喧嘩煙管に添えたまま、いつでも攻撃を加えられる姿勢を崩さず、少女は地面に額を擦り付ける三人を見つめる。

「オマエ等にどんな事情がアレ、オレ等は死に掛けた。ンな事実もわかんねェなら、テメェ等は人でなしだ。少なくともオレからすりゃあ、テメェらはキチガイの人でなしだ」

 桜花は吐き捨てられる言葉を、頭を下げたまま受け止める。

 最初の時からこうして頭を下げていれば──少なくとも、ここまで話がこじれる事はなかった。

「……先に言うが、オレは()()()()。喧嘩を売ってきたのはテメェらだからな」

 売られた喧嘩を買い、攻撃を加えた。その件で【タケミカヅチ・ファミリア】の面々が怪我をした。それについて、クロードは一切の謝罪はしない。

 あくまでも売られた喧嘩を買っただけ。それなのに謝罪を要求するなら筋違いだ、と吐き捨てる。

「わかってる。俺が悪かった事だ」

「ハッ……」

 粛々と、頭を下げたまま肯定し、受け止める桜花。

 クロードは懐から煙管を取り出し、火を付けた。

 吸い口を軽く咥え、桜花を見下ろした少女は目を細める。

 後ろでは冷や冷やした様子で成り行きを見守るベルと、クロードがどうあれ気にしないといった様子のヴェルフ。そんな中、リリルカは一人、クロードの背中を見ながら確信していた。

「ハァ────次同じ事しでかしたら、本気(マジ)で殺す。テメェ等が口を開く前に殺す。次は無ェからな」

「わかった。神に誓おう」

 クロードは、赦すとは口にしない。しかし、彼女の中に燻っていた敵意や殺意は消えていた。




 クロードくんちゃんの【ステイタス】について。
 一部のアビリティは既にベル君と並んでます。特に力・耐久当たりですね。一応、小人族(パルゥム)で、なおかつ元となったゲームキャラが特殊タイプなので純粋な力・耐久は低いです。

 近接戦もしますが、デバフ振り撒きバフ盛ってってのが前提なので、素の能力はお察しです。

 そして、今後はベル君に抜かれてしまうでしょう。特に戦争遊戯(ウォーゲーム)を超えた当たりからはもうクロードくんちゃんは【ステイタス】面でベル君に追い付けなくなるでしょうね。

 ですが、オクスリ使ってブーストするのでベル君視点だとまだまだクロードくんちゃんの方が強く見える、といった形に……。
 どんどんベル君が強くなって、クロードくんちゃんのオクスリ(金メッキ)が剥がれて────やっぱメリバかなぁ。

 無茶してたツケが回って来て、何処かでポッキリ……行く前になんとかリリかヴェルフ当たりが引き留めてくれると良いですね。
 ヘスティア様は手を出し辛いし、ベル君は割と致命的な部分(才能)があるので。


 書くの頑張るから感想ください。もっと虫のいいこと言いますが、支援絵欲しいです。推薦は……うん、推薦はちょっと……。

 ところで、私が書かなきゃ更新されないバグが修正されるのはいつごろになるのでしょうか(グルグル目)


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