吸血鬼世界のVtuber (縫畑)
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01話 乾家つるぎ

 ひとりの男が悪態つきながら電車を飛び降りる。

 早足で進むホームに人は少ない。

 それもそうだ。腕時計を見ればデジタル板はすっかり『10:14』を指している。こんな時間まで仕事する者などあまりいないだろう。

 自分だって普段はもっと早く帰れるのだが、月末と急ぎの仕事にスクラム組まれて3時間以上も残業してしまった。

 思わず地下通路を駆ける。

 絶対あとで辛くなるなとわかるのにやめられない。むしろもっと速く走りたいくらいだった。

 というのも。

 

「ギリギリいけるか……?」

 

 なんとしても時間までに帰宅を間に合わせたい事情があるのだ。

 息を切らしながら通路を進み続ける。

 もうじき家につくというところで、不意に空腹を自覚した。

 やばい、冷蔵庫になにもないんだよな。

 これが帰宅を急いでいなければ、残業を捌いた帰りであるし外食で済ませたかもしれない。

 だがいまは一分一秒でも惜しい状況。

 男は地下通路のコンビニを睨みながら空腹とタイムロスを天秤にかけ、意を決して飛び込んだ。

 

「うおおお間に合え!!」

 

 家までの距離を小走りで詰める。

 買い物中、つい何度も腕時計を見てしまった。

 いくら見たって時間は止まらないから意味のない行為なのだが、こちらの焦りを察して急いでくれたレジの人には感謝しきれない。

 スパウトパウチを口に咥えて空腹を紛らわす。

 パウチから飲み込むのは牛の血液だ。脂肪分が少なくさっぱりして飲みやすいのが空きっ腹に助かる。

 

「あともうッ、ちょい……!」

 

 通路からマンションの自動ドアを潜り、エレベーターのボタンを連打。5階から悠長に降りてくるのを待ってられなくて階段を駆け上る。

 はぁひぃと荒い息しながらマンションを進む姿はきっと不審者だろう。磨りガラスの窓はこの上なく明るい。もう完全に日中だ。これは間違いなく不審者。

 震える手で玄関の鍵を開ける。靴を脱ぎ散らかして一番最初にすることはパソコンのスイッチを入れること。

 腕時計が『10:30』を表示し、なんとか推しの配信開始に間に合ったことを告げるのだった。

 

 

◆配信準備中...

 

 小気味良いBGMがパステルカラーの背景で流れる。

 同時視聴者数はみるみる増えて、コメント欄が軽快にスクロールしていく。

 

 待機

 待機

 たいきー

 間に合ったあああああ

 

 そしてコメント欄に男の打ち込んだものが映ったとき不意に画面が変わる。

 

「はーい、おまたせ!」

 

 こんちゃー

 こんちゃー!

 はじまた

 待ってないよ

 

 茶髪の上で楽しく動く動物耳。後ろで髪を一本に結んだ少女。

 彼女の登場に合わせてコメントが怒涛のように溢れる。

 

「こんにちわー! 犬耳Vtuberの乾家つるぎだよー!」

 

 Live2Dと呼ばれるイラストのアニメーションによって、活発な姿が描画されてゆく。

 帰路を走り、階段を駆け上るほどに見たかった光景がここにあった。

 

「えっと……、今日は大丈夫かな? 大丈夫だよね……? 私の声は聞こえてる?」

 

 音量も大丈夫だよね、と少女が呟く。紅茶色の瞳がコメント欄を注視し、やがて笑顔を弾ませた。

 

「よかったー。今回は念入りにチェックしたからね。ミスがなくてよかった」

 

 今回は全然待ってないよ

 えらい

 前はすごかったからなぁ

 

「前はまあうん……ごめんね!」

 

 犬耳Vtuberを名乗るこの少女は、乾家つるぎ。

 Vtuberグループ『プリズム』に先月から所属するようになったキャラクターだ。

 数多くいる他のVtuberと比べて特別に目を引く外見ではなく、抜群にトークが上手いわけでも、ゲームのプレイスキルで魅了してくれるわけでもない。

 にもかかわらず、デビューから一ヶ月弱でチャンネル登録者数3万という快調な滑り出しを見せているのは原因がある。

 

「さてさて今回はー、告知していた通りにマロマロ読みと雑談でいくよ」

 

 マロマロ読んでからのほうが雑談ネタたくさん生まれそうだからそっちから読んでいくね。そう言って笑いながら小さく体を揺らしていく姿を見るだけで、男は口角が持ち上がっていくのを感じる。きっといまとても気持ち悪い表情になってるに違いないと思った。

 犬耳Vtuber乾家つるぎの魅力は、正直なところよくわからない。

 どこのSNSやBBSにも彼女の魅力を説明できたものはいない。それこそ、デビュー時からずっと見守っているファンでさえわからない。

 ただそれでも強いてあげるなら。

 彼女にはどこか、本能をくすぐってくる不思議な存在感があった。

 

 

 はーい、二人組つくってー 

 

 

「……はい! 開幕クソマロですね本当にありがとうございます」

 

 草

 草

 ホットスタートで草

 やめろそれは俺に刺さる

 

「あの、こういうのね、私はべつに刺さらないんだけどリスナーのみなさんには刺さるひといるみたいなので……ここに固定しておこっかな。よいしょ」

 

 やめて

 やめろおおお

 草

 クソマロに辛辣なつるぎちゃん

 俺たち巻き込まれてるんだよなぁ

 

 すうっと耳から滑り込んだ声が脳に浸透し、意識を彼女に固定させる。

 推しから紡がれる言葉は、たとえ喧騒のなかでも絶対に聞き取れるような気がした。

 

「それじゃーつぎつぎ」

 

 

 子供のときからの夢とかやってみたかったことは?  

 

 

「ははーん」

 

 幼い頃の夢か

 Vtuberでは?

 つまりロリつるぎちゃんの夢

 ロリつるぎちゃんか……

 通報しました

 

「あはは、私の小さいときにはVtuberなんて単語ないよー。……うーん、そうだなぁ」

 

 じっと黙り込む少女をリスナーたちが見守る。深く考えなくていいから常に喋っていてほしい、ずっと声を聞いていたいという気持ちと、マロマロひとつひとつ大事に対応していく彼女の真面目なところを好ましく思う気持ちが膨らんでいくのを感じる。

 コメント欄を見れば、皆同じ気持ちなのがよくわかった。

 

「あ、そうだ! あのね、富士山で初日の出! 富士山の頂上で初日の出を見たいなぁ。子供のときから」

 

 ……うん?

 

 初日の出?

 それって正月に日の出を見るやつ?

 日没のほうじゃないの?

 変わってるなぁ

 大丈夫なのか……?

 

「え、あれ? なんだか微妙な反応……」

 

 あばたもえくぼという言葉を思い出す。

 ときどき飛び出るズレた回答も微笑ましく受け止めてしまうほどに、自分たちはすっかり彼女を推してしまっているのだ。

 

 




初投稿、処女作になります。
小説投稿サイトの利用自体が初めてです。
どこか読みづらい部分がありましたら連絡ください。
感想などもありましたらとても嬉しいです。


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02話 世界でただひとりの人間

「はぁー……っ」

 

 配信を終了した私は椅子にもたれながら体を伸ばした。

 緊張しながら座っていたせいでずっと強張ったままの筋肉がほぐれてゆく。

 達成感の混じった疲労感が気持ちいい。きっと私はいままでで一番充実しているのだろう。

 初回配信のときなんて緊張であたふたしていてずっと頭の中をぐるぐるさせながら話していたし、2回目と3回目のときは色々な設定に奮闘していた気がする。

 前回なんてひどいものだ。リスナーにコメントで指摘されるまでずっとマイクをミュートにしたまま話し続けていたのだ。慌てて解除したものの、配信が終わるまで赤面が治まらなかった。

 そして今回である。

 ようやく余裕が生まれてきてリスナーとの交流を楽しむことができた。

 届いたマロマロを画面に固定したときは反応が大きくてとても嬉しかったものだ。

 

「ええと、そうだ忘れないように……」

 

 私はデスコ画面を開いてマネージャーに配信終了の旨を伝える。ずっと見ていてくれたと思うが挨拶は大事だ。

 

「配信終わりました。今回はトラブルなくスムーズに終えられました」

 

『はい、ずっと見ていましたよ。お疲れさまでした。とても慣れてきましたね』

 

 思わずにへって笑いそうになってしまう。

 初配信で四苦八苦していた頃からずっと支え続けてきてくれた人がこう言ってくれたのだ。嬉しくないわけがない。

 それから私はマネージャーといくつかやり取りをして、デスコ画面を閉じる。

 もう一度伸びをしてゆっくりと深呼吸。

 

 もう遅い時間ですので。きちんと睡眠をとってくださいね。

 

 マネージャーから言われた言葉を思い出す。

 時計はいま正午を指している。

 人間ならばこれから昼食をとってさあそのあと何をするかという時間だが、マネージャーたちにとってはすぐに寝ないと明日に障る時間である。

 ここは世界に78億人もの吸血鬼が住む世界。

 彼ら吸血鬼にとってこの時間はもう深夜に違いない。

 

「…………」

 

 鍵を開けてベランダに出る。

 都営の集合住宅が自分の住んでいる場所だ。周囲には同じ集合住宅や一軒家が敷き詰められていて、遠く高層ビルがいくつも見える。

 いかにも都心ですという街並みだった。

 

「なんだか遠い世界に来ちゃったなぁ」

 

 手すりに肘をついて陽光を浴びているとそんな呟きが出た。

 眼前に広がる景色に普通の窓がない。

 正確には、見渡す限りすべての窓が磨りガラスで作られている。

 当たり前だ。吸血鬼にとって日光など毒でしかなく、窓の役割は『いまどの程度外が明るいか』を知らせることでしかない。

 そんなだから道路や公園をいくら探しても人影ひとつない。

 正午。こんな時間で屋外に出ているのはきっとこの街で自分しかいなかった。

 

 ここは世界に78億人もの吸血鬼が住む世界。

 そんな世界に私は唯一の人間として生きている。

 

 

 充分に日光浴ができたのでエゴサをすることにした。

 ベランダの扉を開けたままにし光を入れながらベッドに寝転がる。

 さっそく携帯でSNSで乾家つるぎと検索すると、ファンアートをちらほら見れてとても嬉しい。まだまだ活動して1月もないのを考えれば、かなり順調に乾家つるぎが受け入れられているんじゃないだろうか。

 

「ふーん、ふふーん」

 

 思わず鼻歌が出てしまう。

 携帯の画面をスクロールしていけば、やはり今回の配信でマロマロを画面に固定したのは好評だったらしい。

 意外と悪戯好きなところがあるとよく話題にされている。

 

 クソマロ晒し者の刑

 絨毯爆撃

 無差別攻撃

 初日の出

 声が可愛い

 あのマロマロ投げた人ちょっと羨ましい

 初日の出って何

 

「ふーんふーん、……ん?」

 

 配信中こそ気にならなかったが、なんだかやけに初日の出を話題にする人が多い気がした。

 日の出見るのがそんなに変だろうか。

 確かに吸血鬼にとって日光は毒だ。だが1秒でも日に当たったら死ぬというわけじゃない。

 大昔の彼らなら僅かな日光でも致命傷だが、世代を経てだんだんと耐性を持つようになったらしく、いまでは1時間ずっと照らされるとかでなければ平気なはずだ。

 

「うーん……富士山も話題にしてる人が多いかな」

 

 意外に体力があるって驚かれている?

 考えてみれば富士山に登ってまで日の出を見たいなんていう吸血鬼がいたら、変わった奴だと思われるかもしれない。

 まあいいか。

 私は携帯をベッドに置いて、昼食の準備へ取り掛かることにした。

 

 

 ◆

 

323 名前:名無しさん@視聴中

今日もいい声だった

 

324 名前:名無しさん@視聴中

わかる

いつもPCのヘッドホンで聞いてるわ

 

325 名前:名無しさん@視聴中

配信見れなかったんだけど何か面白いこと言ってた?

 

326 名前:名無しさん@視聴中

クソマロ

晒し上げ

無差別攻撃

 

327 名前:名無しさん@視聴中

>>326

なにそれ

 

328 名前:名無しさん@視聴中

「二人組つくってー」っていうクソマロを読んで

私はぜんぜん平気ーって言いながら配信画面にずっと固定してた

 

329 名前:名無しさん@視聴中

リスナーは平気じゃなかった

 

330 名前:名無しさん@視聴中

 

331 名前:名無しさん@視聴中

俺の悲鳴で喜ぶつるぎちゃんかわいい

二人組でいつもボッチになった甲斐があったよ……

 

332 名前:名無しさん@視聴中

よかったな

涙拭けよ

 

333 名前:名無しさん@視聴中

最初の頃はガチガチに緊張しててとにかく真面目にやってたけど

今日は肩の力が抜けてきたのを感じるな

 

334 名前:名無しさん@視聴中

だんだん悪戯っ子なところと天然なところを見せてくれてイイゾイイゾ~

 

335 名前:名無しさん@視聴中

天然って何か変なこと言ったっけ?

 

336 名前:名無しさん@視聴中

初日の出のやつ

 

337 名前:名無しさん@視聴中

マシュマロで小さいころからやりたかったことを聞かれて

富士山の頂上で日の出を見たいって答えたやつ

 

338 名前:名無しさん@視聴中

普通に死ぬのでは?

 

339 名前:名無しさん@視聴中

日の出見たあとどうするつもりなんですかねぇ……

 

340 名前:名無しさん@視聴中

どうもつるぎの中の人はデイウォーカーっぽいな

 

341 名前:名無しさん@視聴中

中の人なんていないに決まってんだろ定期

 

342 名前:名無しさん@視聴中

前からつるぎちゃんの話聞いててデイウォーカーっぽいなと思ってたけど

 

343 名前:名無しさん@視聴中

頂上からずっと日光受けながら下山とか並のデイウォーカーでも灰になるんですがそれは

 

344 名前:名無しさん@視聴中

べつに小さいころの夢なんだからいいじゃん

 

345 名前:名無しさん@視聴中

小さい頃『から』の夢だから現在進行系なんだなぁ

 

346 名前:名無しさん@視聴中

つるぎちゃん灰にならないでね……

 



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03話 デイウォーカー

「あー……」

 

 強い脱力感に包まれベッドで仰向けに寝転がる。

 胸の内を支配するのは自分の迂闊さを責める言葉ばかりだ。

 

「やっちゃった……」

 

 それはもう、やっちゃいました。

 別に炎上したわけではない。リスナーたちには微笑ましく思われている。

 だが、富士山で初日の出というのは私にとって間違いなく失言だった。それをエゴサで理解した。

 

「山の上で朝になったら帰り道で死んじゃうじゃん……」

 

 日の出も登山も、それぞれ単体だったなら問題はなかったのだ。しかし組み合わせが問題だった。それをSNSで指摘されている。

 

「大丈夫だよね……?」

 

 恐る恐る『乾家つるぎ 人間』で検索してみる。大丈夫だ、両者を結びつける意見はまだないみたいだ。

 Vtuber事務所プリズム所属の乾家つるぎ。それを演じるのは黒川京子という者である。

 黒川京子にはいくつかの秘密があった。

 ひとつは、この世界でたったひとりの人間であること。

 自分以外のすべてのひとが吸血鬼であるのだから秘密にする理由はわかるだろう。

 万が一人間だとバレたら良くて実験動物。悪ければそこらの吸血鬼に襲われ血を吸い尽くされて死ぬのだ。

 人間だとバレないようにするのは、生存に絶対必要な条件だと思っている。

 

「あーもうほんと……泣きそう」

 

 天井しか映さない両目に腕を押し当てた。

 ギリギリのラインを気を付けていたつもりだっただけに、今回の失言はショックだった。

 

 でも。

 でもまだ、まだ大丈夫。

 

 というのもこの世界の吸血鬼は日光で即死するわけじゃないから、後からフォローできないこともない。

 この世界に最初の吸血鬼が現れたのは、もう数百年も昔のことらしい。それまでには自分と同じ人間がたくさん存在していて、私の知る歴史と同じように歩んできたらしい。

 突如どこからともなく発生した吸血鬼は、瞬く間に仲間を増やして人間と争った。

 やがて世界を巻き込む規模にまで発展したそれは、吸血鬼の勝利で終結する。

 勝者は敗者を捕えて一箇所に押し込めた。効率よく血液を搾り取り、そして養殖するための人間牧場である。

 しかし牧場は吸血鬼同士の戦争によって失われることとなる。

 この世界において、人間とは数百年も前に絶滅した種族なのだ。

 

「だから吸血鬼たちは人間のことをほとんど知らない……」

 

 恐るべき怪力と不死性を持つ生きものというのは昔の話。

 人間の絶滅によって人間から血液を得られなくなった彼らは、著しく弱体化したらしい。

 蝙蝠になれず霧にもなれず、そして大岩を持ち上げる力もなければほどほどの寿命で死ぬ。それはもう人間とほとんど変わらないじゃないか。

 現代の吸血鬼と人間にはそれほどのギャップは存在しないのだ。

 さらには人間に関する情報も繰り返された世代交代で大半が失われている。

 

 だから。

 だからまだ大丈夫。

 

「大丈夫、大丈夫……気づかれたりしない」

 

 ぱん、と気合を入れようと両頬を張る。意外に力が籠もってヒリヒリした。

 

「気を取り直して夕ご飯の材料買ってこよっと」

 

 そして私、黒川京子のもう一つの秘密とは。

 前世の記憶を持って生まれた転生者であることだ。

 

 

 ◆

 

 いくらか日を置いて枠をとった、ゲーム実況配信。

 私はホラーゲームをプレイしている。

 

 すごいサクサク進むなぁ

 初見なのにスムーズだね

 

「ふふん。私にかかればこんなもんだよ」

 

 あちこち壁に穴の空いた廃墟を突き進む。

 吸血鬼向けに作られたホラーゲームは、やはりシチュエーションが深夜じゃなくて真昼間になっている。

 全体的に明るく眩しく、ところどころ白飛びしている背景。

 崩れた壁や天井からは光が差し込み、キャラクターは日差しを避けながら探索しなくてはいけない。

 それなのにカメラの死角や物陰、壁の穴などから異形の化け物が襲いかかる。そんなゲームだ。

 

 全然怖がらないよね

 メンタルつよつよだわ

 

 おわかりいただけただろうか。

 このゲーム、人間には全く怖くないのである。

 日光が致死毒である吸血鬼にとっては、崩れたコンクリートの隙間から漏れ出る光はまさに恐怖を煽る演出だろう。

 実際コメントに目を向ければ雰囲気を怖がる様子が散見された。

 個人的には薄暗いセーフハウスとかのほうが怖いのだが。

 

 やっぱデイウォーカーなん?

 

「そうだよー。だから明るい雰囲気はわりと平気かな」

 

 日の出とか見るの楽しいし、と付け加えておく。

 前に初日の出で個人的な失言をした私は、自分の設定を決めてみたのだ。

 あとから日の出見たい発言を否定するよりは『普通のデイウォーカーよりも日光に強い吸血鬼』という設定でいくほうが自然だろう。

 ここで言うデイウォーカーとは日の下を歩ける吸血鬼という意味を表す。

 具体的に何時間平気ならといった基準はなく、他人よりちょっと日に強い吸血鬼がなんとなく自称したり他称されたりする程度の言葉だ。

 ゆえに私はデイウォーカーだという設定でいく。

 

 いいなー

 デイウォーカーめっちゃうらやましい

 どれくらい平気なんだろ

 

「いいでしょー。おっかなくて耐久テストみたいなことはしたことないけどね」

 

 そりゃそうだ

 無理しすぎて亡くなるひとがいるみたいだしね

 毎年いるぞ

 

 画面のキャラクターが物陰から飛び出してきた化け物を避ける。

 クリア難易度よりもホラーの雰囲気を重視して作っているゲームらしく、難しく感じる場面はほとんどない。

 だから安心してコメントを拾うことができるし、自分の発言に注意しながら話すこともできるのだ。

 

 こんにちわ 初見ですーチャンネル登録しました

 

「あ、初見さんいらっしゃい! 登録もありがとう、よろしくねー!」

 

 いらっしゃい

 登録者数増えてきたな

 いま25000人くらい?

 ふえたなー

 

「え、もうそんなにいってるの? 嬉しいね」

 

 これで何回目の配信になるのだろう。配信をするたびにチャンネル登録者数が増えてゆく。

 自分を見て評価してくれる人が増えるのは純粋に嬉しくて、ニヤけてしまうのを止められない。

 もちろん事務所に所属してるから伸びやすいのは理解している。分をわきまえているつもりだ。

 

「…………」

 

 ただ。

 登録者や視聴者が増えるのはただ嬉しいだけではなくて。

 この増えていく数字のなかで自分の正体に気づく者が出ないかつい考えてしまうけれど。

 人気が出るほどリスクが高まるってどんな皮肉なんだろうか。

 

 つるぎちゃんはコラボしないの?

 

「え、コラボ?」

 

 ひとつのコメントに暗い思考から意識を引き戻された。

 

 そういえばまだやってないね

 同期にはもうコラボしてるひといるよ

 ヒュー子のことか

 

「コラボ、コラボかぁ……」

 

 ちょっと気が早くないかなと思うが、リスナーにとってはそうでもないらしい。

 個人的にはまだまだソロ活動を続けていたいのだ。

 先日の失言じゃないが、他のVtuberと絡むのはうっかりボロを出してしまいそうで怖い。

 

「まあそのうち……そのうちね」

 

 その後、私はセーフハウスへ到達したところで配信を切る。

 今回はうまく配信できたと胸を撫で下ろしながら、すぐにマネージャーへ恒例の終了報告を行うことにした。

 

「配信終わりました」

 

『お疲れさまでした、見ていましたよ。ホラーゲーム上手なんですね』

 

 人間なら当たり前なんだけどな、と思いつつも1対1のチャットで褒められるとやはりこそばゆいものがある。雰囲気ゲーなら平気かもですねと無難に返しておいた。

 

『さくさくプレイとして人気が出るかもしれないですね。ところで今日はひとつ連絡がありまして』

 

 どんな連絡だろうと首をかしげる。

 少なくとも注意されるようなことをした覚えはない。良い連絡だといいのだが。

 

『プリズムでコラボ配信をしましょう』

 

「マジですか……」




感想ありがとうございます。
こういったジャンルが好きで始めたので、同じように好きと言ってもらえると本当に嬉しいですね。


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04話 プリズム

「ううー……」

 

 情けない声の漏れるここは都営住宅の一室だ。

 吸血鬼向けに設計された部屋は照明というものが皆無で、とてもじゃないがベランダの扉で採光しなければ人間には暗くて堪らない。

 夜目が利く吸血鬼にとって照明などニッチな需要しかなく、そのため人間が生活できる程度の明るさを確保するにはいくつもの家電量販店をめぐる必要があった。ベッドで仰向けになれば苦労して取り付けたライトが見える。電気代が気になるのでベランダの自然光で済むときはつけていない。

 

「コラボぉ……」

 

 表札に黒川京子と書かれた部屋で、私は現在ベッドの上に寝転がっている。そして唸ってもいる。

 乾家つるぎはプリズムの第三次メンバー募集を経て誕生したキャラクターだ。

 そのプリズムとは株式会社が運営しているVTuberグループである。

 誕生して間もない、いわゆる『VTuber業界』においては指折りの規模と知名度を持つ存在であり、所属VTuberは両手両足の指を合わせても収まらないほどに多い。

 具体的な運営方針は発表されていないが、多くのファンは自由主義という印象を抱くだろう。多種多様な個性を持つメンバーを擁し、それぞれの自由なやり方で活動させている。

 

「うぁー……コラボコラボ……」

 

 仰向けでうわ言のように呟きながら、ときどき思い出したように寝返りをうつ。

 強い力で抱きしめた枕は砂時計のような形になってしまった。

 

「断れないかなぁ……断れないよね……」

 

 そこをなんとかという自分と、いやいや無理でしょという自分がせめぎ合う。

 わかっているのだ。今回提示されたコラボは誰かの思いつきで生まれたようなものではない。

 デビューから一ヶ月の新人を先輩Vtuberとコラボさせてプリズム全体のファンへ紹介するという意図を以って組まれている。

 ゆえに第三次メンバー全員がコラボ対象になり、それぞれに1名ずつ先輩Vtuberが割り当てられるのだ。そのようにマネージャーが説明していた。

 基本は自由にさせるプリズムだが、運営するときはきっちり運営するということだろう。

 枕を抱いたままうつ伏せになってみる。やり場のない気持ちを込めて枕へ頭突きをしてみれば、しっとりと柔らかい弾力が返ってきた。

 ちくしょういい枕だなぁ。

 

「…………」

 

 覚悟を決めなくてはいけない。

 このままプリズムで活動していくには避けて通れない道なのだから。

 いつまでもベッドでうだうだせずに、コラボ相手になりそうな先輩のアーカイブを見るなどしていこう。

 気合を入れようと頬を叩く。

 そしてやけに痛かったなと鏡を見たら、黒髪の可愛らしい少女が両頬を真っ赤にしていた。

 

 

 ◆

 

「はーい。今日の配信はここまで! それじゃ次のトゥーリの配信も見てくれよなー!」

 

 そういってぼくは配信を切る。終了時間は予定通り。

 普段よりも開始と終了の時間がそれぞれ前倒ししたスケジュールだったが、文句ひとつなく来てくれるリスナーには感謝の念が絶えない。

 配信終了後はSNSで挨拶をしてそのまま神屋トゥーリでエゴサするのを日課にしている自分だが、今回は別にやることがあった。

 パソコンへ新しく加わった仲間の名前を打ち込んでゆく。

 プリズム運営主導の1対1コラボ企画。私が演じる神屋トゥーリの相手は乾家つるぎという新人だった。

 打ち込み終われば、画面に表示されるのは犬耳を生やした茶髪の少女。口を開けると犬歯がチラ見するんだとか。なるほど、アリだね。

 

「ほうほうほう、もう25000越えたのかー。順調なんだねぇ」

 

 自分がデビューしたときはどうだっけなと考えながらアーカイブを漁ってゆく。こういうときにどれから見るのがいいかファンの切り抜き動画から判断できてありがたい。

 マネージャーからある程度人物像を伝えられているけれど、やっぱり自分で見るのとは違うのだ。

 

「雑談配信。マロマロ読みとー……ゲーム配信か」

 

 まあなんというか、普通。無難で王道なチョイスともいう。

 ぼくも似たようなものだから人のことを言えない。

 むしろ、似たスタイルだから話が合いやすいとプリズム運営は思ったのかもしれない。

 切り抜き動画を参考にアーカイブをつまみ食いして対談のネタになりそうなものをメモしてゆく。

 小さい頃からの夢、富士山で初日の出? たまに面白いことを言う子だ。

 特別得意なゲームはないらしいけどホラーゲームには強そう。デイウォーカーなんだ、なるほどね。

 好きな食べ物は寿司、あとフレンチトーストとガーリックトースト……ガーリック? にんにくのこと? 毒物では?

 

「ふうーん……、……」

 

 やっぱりアーカイブで見る限りはかわいいけど普通の子だなって感じはする。ついったでのツイートも普通だし、すごく目を引くような特徴は見つけられない。むしろ普通さがリスナーを応援したくさせるのかもしれない。たぶん。いやときどき変なこと言うけど、総括すると普通という感じでここはひとつ。

 でも。

 それにしても。

 

「どうしよっかな……」

 

 うーん、と画面の前で腕を組んでしまう。

 この子の強みをずっと考えているのだけど、いまだにピンとこない。

 決してつまらないわけじゃないし、楽しんで見られると思う。けれども、ファンがこの子のどういう部分を気に入ってるのかがいまいち見えてこないのだ。

 後輩の初コラボということでなるべく持ち味を引き出してやれるような配信がしたいのだが。

 一緒にゲームをやるのも手か。あるいはどういうコラボをしたいか本人に聞いてみてもいいか。マネージャーに相談するってのもありありのアリ。

 ああしようこうしようと頭を頬杖つきながらマウスをクリックさせていると、不意についったの新しいツイートを見つける。

 突発配信のお知らせ。

 

「いいねいいね、そういう熱心な子は好きだぜ」

 

 なにかコラボネタが見つかればいいな。何ならコメントして反応を見ることだってできちゃうぞ。

 そして偶然の神に感謝しながら開いて、私は十秒後に首をかしげることとなる。

 

「あれ? この子なんだか……」

 

 同一人物の声なのに。

 アーカイブで聞くときと生配信で聞くときで、ずいぶん魅力が違うんだな。




転生、世界でただひとりの人間、Vtuber、女の子と要素の多めな主人公ですが、それぞれ段階的にスポットを当てていく予定です。


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05話 神屋トゥーリ1

 吸血鬼にとって日光は毒。

 吸血鬼は流れる水を渡るのが苦手。ただし不可能ではなく気分的にちょっと嫌という程度。

 吸血鬼は十字架が苦手。ダサいって思う程度。

 吸血鬼は銀が苦手。触れるとなんとなくピリピリする程度。口に入れたら大変だけどそれは人間も同じ。

 

「ふぅ……」

 

 自室。私はパソコンの前で吸血鬼の嫌がるものを暗唱する。

 今日これから行われるコラボ配信は前半にレースゲームを行い、後半で雑談するという構成になっている。

 コラボ相手は神屋トゥーリという二期生のVtuber。私は三期生だからひとつ上の先輩だ。

 

『緊張してる?』

 

「あ、いえ……大丈夫です」

 

 デスコから届く声に返事をする。

 緊張してるんじゃなくて、あなたと話して正体バレないか心配なんですと答えるわけにいかない。

 実際のところ、私は初めてのコラボに全く緊張していなかった。

 理由は簡単である。

 

『もし途中でわからなくなっちゃったら、さっき送ったスケジュール表見れば大丈夫だからね』

 

 サポートが手厚いのだ。

 デスコで最初の挨拶をして、コラボで何をするか概要を教えてもらって、それからスケジュールが画像で送られた。ひと目で全体の流れがわかるうえに、各セクションで私が何をすればいいのかまで記載されている。

 子供のお使いにタクシーとナビゲーションを投入するような手厚さだ。迷子になる方がおかしいレベルの。

 

「いえ、本当に大丈夫です。ありがとうございます、こんなに丁寧なものを用意していただいて」

 

 なんと『途中で話につまったらこれぶちこめばいいよホームランで返すぜ』話ネタデッキなんてのもある。至れり尽くせり感がすごい。

 

『全然気にしないでオッケー。ぼくはこういうのいつも手癖で作っちゃうんだよね』

 

 私が緊張をほぐそうとして、さらに恐縮しないようにしてくれてるのも伝わってくる。プリズム運営が新人のコラボ相手にしたのも納得である。

 だから。

 いまの私の胸にずっしりのしかかっているのは正体がバレる不安と、こんな優しい先輩を警戒しなきゃいけない罪悪感だった。

 

『さあもう時間だ。いくぜいくぜ、準備はよいか!』

 

「はい、いけます」

 

『始めるよー!』

 

 マイクから顔を離して深呼吸。今回のコラボで私がやらなければいけないことはとても少ない。配信は相手のチャンネルでやるし、ゲーム部屋を建てるのも進行もすべてやってくれる。

 私のやることはただ発言内容に気をつけることだけ。

 もう一度だけ深呼吸。それで覚悟を決めた。

 

『こんちゃー! いぇーいみんな見てる? 神屋トゥーリだよー!』

 

「こんにちわ、乾家つるぎです。今日はよろしくお願いします!」

 

 

 ◆

 

 神屋トゥーリは、着物を来た金髪碧眼の少女という外見になっている。

 和と洋の外見で元気な性格、言葉遣いが男子のようで、ときにはリスナーと煽り合ったりする。

 そんな見た目と性格のギャップ、リスナーとの近い距離感が魅力かもしれない。

 以上がアーカイブで知る限りの神屋トゥーリだった。

 そして実際に打ち合わせでやりとりをすると、とても親切で丁寧な人なんだと理解する。リスナーには豪快で大胆なキャラクターを見せているが、きっとこちらのほうが素なのだろう。

 デスコの通話設定まで手伝ってくれて頭が下がる思いだ。

 

「よしよし、キノコだ。このまま順位維持していきますよー」

 

 私は雪山のコースを3位で走行している。

 コラボの前半のレースゲームはリスナー参加型で企画されていた。色々調整することが多かったろうに、トゥーリは全て引き受けたうえでスムーズに進行させているのがすごい。私はただのびのび一緒にゲームすればいい。

 アイテム使用に合わせて操作キャラクターが加速する。

 順位は好調。このまま問題なく走り続けていれば上位は確実だろう。

 しかしそうはいかないのがこのレースゲームだ。

 

「えーと、トゥーリさんの順位はどれくらいなんだろう……え、真後ろ!?」

 

『ヘイヘイヘーイ、ドーン!』

 

「ぬわーっ!」

 

 草

 草

 こいつ後輩にも容赦ないぞ

 すげー悲鳴で草

 女の子が男みたいな悲鳴あげるのいい…

 悲鳴たすかる

 

 車体が真上に吹き飛んで後続に抜かれた。背後から赤甲羅を当てられたのだ。もちろん下手人はあの先輩である。

 お世話になって尊敬しているのだが、このときばかりはあの高らかに笑うやつが憎い。

 

「んもー、覚えといてくださいよ……!」

 

 順位を三つ四つと下げられたがすぐに追い上げてやる。このレースゲームは前世でよくプレイしていたのだ。

 誰が配置したのか、アイテムボックス前のバナナを避けてミラクルキノコを取得。

 

 つるぎちゃん結構うまいな

 「ぬわー!」

 やり慣れてる

 ぬわー!

 

 コメント欄をチラ見したらさっきの叫びをネタにされていてくやしい。仕方ないだろう前世は男だったんだから。可愛い悲鳴なんてとっさに出たりしない。

 

『え、もう追いついてきたの?』

 

「追いつきましたよ!!」

 

『リハから思ってたけどやっぱり上手いもんだぜ。……ところでここに緑甲羅があってな』

 

「え゛っ!? ……んがああああ!! もおおお!」

 

 私の叫びと笑い声が被った。あの先輩絶対に許せない。

 

 可愛い声してなんて悲鳴あげてんだこの子

 字面にするとめっちゃ野太くて草

 声がニァンちゅうみたいになってる

 悲鳴たすかる

 

『つるぎちゃん声がニァンちゅうみたいって言われてるよ』

 

「オ゛オ゛ンもう甲羅は勘弁してほしいに゛ゃあ゛あ゛あ゛ん!!」

 

 草

 草

 この子犬耳じゃなかったっけ

 犬耳(猫)

 自分の種族を見失ってるぞ

 

 まあトゥーリさんの意図はわかってるのだ。私だって本気で怒ってるわけじゃない。

 彼女もきっとこのゲームが上手いはずで、ただ今回は撮れ高を一生懸命作ろうとしてくれている。ネタがあれば細かく振ってくれる。

 ただ先輩として後輩をリスナーへプロデュースするために。

 やはりこの人はとても親切で優しい人なんだなと思った。

 

「もちろんやり返しますが!!?」

 

『あ、ちょ、グワーッ!!』

 

 




次回は後半の対談になります。ガーリックトーストおいしいですよね。
いまのところ毎日更新していますが、更新頻度が落ちたら書き溜めが尽きたんだと思ってください。


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06話 神屋トゥーリ2

 ゲーム開始より数十分。果たして何周しただろうか。

 いざ対談に移ろうという段ではもう、先輩に忖度しようという気持ちはすっかり消えていた。

 配信のセッティングやアドバイスなどへの感謝と尊敬は変わらないものの、散々甲羅だの何だの投げ合えば遠慮がなくなろうというものだ。

 ことゲームで遊んだときのトゥーリは、やられれば自分の順位を捨ててまでやり返して大笑いするような悪ガキである。これで外見は金髪碧眼和装の少女というのだからギャップが著しい。

 

『いやー、いっぱい投げた投げた。めっちゃ満足。……で、この後なにするんだっけ』

 

「ほら対談ですよ、対談」

 

 忘れれてて草

 コイツすぐ企画内容忘れる

 後輩にフォローされて恥ずかしくないのか

 

『そうだったそうだった。事前にマロで質問募集したから今度はそれを投げてくぜ』

 

 この採用した質問というのも事前にチェックしてある。変な質問はなかったし、回答も用意しておいたから人間だと疑わせるようなボロを出すことはないはず。

 配信画面からゲームの映像はすっかり消えていて、代わりにトゥーリと私の立ち絵が表示されている。内装は学校の教室風で、二人の間に置いた黒板でマロマロを映すらしい。吸血鬼の学校は人間のと変わらないんだなとぼんやり思った。

 

『じゃ、改めて自己紹介してもらおうかな』

 

「はい。プリズム三期生Vtuberの乾家つるぎです。よろしくお願いします!」

 

『乾家……いぬいけ? そんじゃ頭から生えてるの犬耳?』

 

「はい、犬です」

 

『さっきの鳴き声は』

 

「犬です」

 

 犬です(猫)

 ゴリ押しかわいい

 に゛ゃあ゛あ゛あ゛(犬)

 

 さっそくコメントで弄られるようになった。親しんでもらえるのは嬉しいし、いままで自分がした配信では弄られるようなことがあまりなかったため新鮮に感じる。トゥーリが最近の犬はにゃあって鳴くから覚えとけよなんて言うから、コメントはさらに加速した。

 やがてコメントが落ち着いてから取り出される最初のマロマロは、ゲームについてである。

 

 

 お二人はゲーム配信をしますが、好きなゲームはどんなものですか? 

 

 

『お行儀のいい文章だ。さてはぼくのリスナーじゃないな? つるぎちゃんのリスナーからのマロと見た』

 

「ふだんどんなのもらってるんですか……」

 

 質問に対し、トゥーリはさっきのようなレースゲームと答える。大人数ではしゃげるゲームがいいというのはなんとも彼女らしい回答だ。実は私も同意見なのだが、下手に同調してじゃあまた一緒にやろうぜと言われては堪らない。リスクのため極力コラボを控えていきたいのだ。正確には他者との関わりそのものをだけども。

 

「私はひとりでじっくり遊べるゲームが好きですねー」

 

『例えばホラゲとか? 前に配信でやってたね。全然怖がらずサクサク進んでたのちょっとカッコよかったぜ』

 

「あ、ありがとう……」

 

『でもさっきのレースも上手かったよなー。ああいうのも結構やってるんじゃない?』

 

 え。

 予想してなかった反応である。つい熱くなって本気で走ったものから否定しづらい。とはいえ肯定すればどうなるか目に見えていて、私はおよそ1秒2秒と黙考したのち、無難に返すことにした。

 

「ひとりでタイムアタックするのが好きで……」

 

『お、おう……』

 

 なんだろうこのぼっち感

 人と走ってもええんやで……

 

「ち、違うんですよ! 本当にひとりで走るのが好きなんです! 孤独じゃなくて孤高なんです!」

 

 そうだね、なんていうトゥーリの生温かい声がつらい。コメントもまた妙に優しくなってきた。悔しいがここは耐えるしかない。またコラボに誘われるわけにはいかないのだ。

 

『はい闇が見えそうになるから次いくぜ、つぎつぎ。さっきぼくが普段どんなマロもらってるかって聞いたな? これが答えだ』

 

 

 ハァハァ……

 つるぎちゃんとトゥーリちゃんは……歌ったりしないのかな? 

 ドゥフフ……

 

 

 草

 草

 

「あのこれ」

 

『ぼくはクソ音痴だから歌いマセーン、いつも言ってんだろ。はいつるぎちゃんが答えるばんー』

 

「いやあの」

 

 質問の内容はあらかじめ伝えられていたけれど、口調というか全文まで言われたわけじゃないせいで面食らってしまう。いつも変なマロマロ受け取ってるのかこの人は。

 

「歌は私も下手だから……歌う予定はないですかね……」

 

『歌わないの? めっちゃいい声してるのに』

 

 え、そこ食いつく?

 自分がいい声してると言われるのはエゴサで知っている。だが実際に面と向かって言われたのは初めてだし、そもそもトゥーリだって打ち合わせのとき何も言わなかったではないか。

 これまで自分の声をそんなふうに思ったことはないのに。転生してからも。

 

「あははは……声を気に入ってくれる人がいくらかいるのは知ってますけども……」

 

『うまく説明できないんだけどなー。かわいい声とかイケボみたいなわかりやすさはないんだけど、こう……どんな小さい呟きでも絶対に聞き取れるみたいな? 声の存在感?』

 

 なんだそれ、と言いたいところだが意外にも同意するコメントが多い。いや現在進行系で増えている。むしろ否定意見がどこにもなくて……なんだか怖くなってきた。

 

「そうなんですか……」

 

『そうだよマジマジ。でもアーカイブで聞くとそんな感じじゃないんだけどな。

 だからいつもアーカイブで見てる人は一度でいいからリアタイで配信見るのをオススメするぜ! ほんと絶対損はしないから!』

 

 乾家つるぎのアピールに余念がない。やはりこの先輩はとてもいい人だ。なのに私は、突然狼だらけの檻に放り込まれたように錯覚して薄ら寒くなってしまう。

 ろくに反応できず時間が流れる。せめて礼のひとつも言えればいいのに、不安と申し訳無さが一秒ごとに膨らんでいく。

 

『照れちゃって可愛いねー』

 

 照れてるんだ

 トゥーリがいきなりそんなこと言うからだぞ

 

 ああ、気を使ってそういうことにしてくれたのがわかる。でも感謝の気持ちはそのまま胸を刺す罪悪感の刃にもなるんだ。

 

『それじゃ次のマロいくぜい! どーん!』

 

 

 プリズムで気になってる人いる? 

 

 

『お、営業トークの時間だな?? ぼくは色々推しがいるけど今日いまつるぎちゃんが最推しになりましたのでよろしくお願いします』

 

 コイツすぐ最推し変えるよな

 すっかり魔性の美声で虜にされてる

 

 ましょうのびせい。

 そういうのいまはちょっと、こわいからやめてほしい。

 でもいつまでも沈んでいてはいけない。話が進んでるのだから、私は腹に力入れてでも気分を持ち上げなきゃいけない。

 

「私はやっぱり神屋――……」

 

『もちろんぼく以外で答えてね。推しじゃなくてなんだか興味あるーって人でもいいよ』

 

「ええええええ……」

 

 草

 自分に優しくて他人には厳しいスタイル

 

「トゥーリさん以外で、ですか……」

 

 もともと神屋トゥーリと答えようと持っていた質問だっただけに、この展開は熟考したくなった。とはいえコラボ相手とリスナーをいつまでも待たせるわけにはいかない。私はこれまで見た動画で一番印象的だった人を思い浮かべ、その名を挙げることにする。

 

「サリス・ヒューマンさんですかね」

 

 サリス・ヒューマン、通称ヒュー子。『人間』を自称する同じ三期生だ。本物の人間として気にならないわけがないのだが、それを脇に置いたとしても彼女の放つガバガバ人間アピールは見てて面白い。

 

『ヒュー子ちゃんかー、なるほど同期できたな。そういう姿勢は嫌いじゃないぜ。

 人間は生の玉ねぎが大好物なんだーつって泣きながら玉ねぎ刻んでそのまま食う動画面白いよな』

 

 本物の人間からすれば本当に何やってるんだとゲラゲラ笑いたくなるところで、きっと吸血鬼にとっても同じなのだろう。彼女の掲げる奇怪な人間像に私のボロが隠される日はいつかくるって信じている。

 

『好きな食べ物っていえばさあ』

 

 このとき私は、泣きながら玉ねぎおかわりする同期を思い出して油断していたかもしれない。だから予想外の質問に落ち着いて対応することができなかったのだ。

 

『前につるぎちゃん、配信で好きな食べ物のこと言ってたよな。そのときガーリックトーストって言ってたけどガーリックトーストって何?』

 

「…………っ」

 

 ああ。

 しまった。吸血鬼にはにんにくが毒物なのだからガーリックトーストという料理自体がこの世界に存在しないんだ。

 

「え、えーと……ガーリックは……」

 

 いっそ別の食材の名前として誤魔化そうか。いやだめだ、すでにコメントでガーリックがにんにくの英名だと指摘されている。なんで知ってる人がいるんだ。誰も知らなければ誤魔化せたかもしれないのに。やっぱり無理だったかもしれない。

 

「ええと、コメントの通りにんにくのことで……」

 

『うん』

 

 コラボ相手と千人超の視聴者に追い詰められている気分だった。吸血鬼に包囲されじわじわと殺される私の姿が脳裏に浮かぶ。なにか逃げ道はないだろうか、いっそ人間だとゲロってしまおうか。

 恐怖と混乱の果てで私はひとつのものを連想し、思わず飛びついた。

 サリス・ヒューマン。あなたのガバガバ人間設定を借してほしい。

 

「犬……いや人狼の大好物なんです! にんにくが!!」

 

『にんにくが!?』

 

 こうして乾家つるぎは、たったいまから人狼という設定を背負うのだった。

 




頂けた感想が嬉しくてひとつひとつお返事していきたいのですが、全部に返信するスタイルでいくといつか自分の首を絞めることになりそうなので、ここでお礼を書くだけにします。

感想ありがとうございます。執筆の励みになっております。


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07話 黒川京子

 水の床を叩く音で風呂場が賑わう。

 熱いお湯に緊張と疲労を洗い流されながら目を閉じる。

 時計の指す13時とは吸血鬼にとって深夜に違いなく、黒川京子はそのような時間にシャワーを浴びていた。

 全身を泡立てたあと、バスタブに腰掛けてぼうっとシャワーに当たるのを彼女は好む。

 そのあいだ考え事することも。

 

「もう十日、かぁ……」

 

 プリズム内コラボからおよそ十日が経った。

 コラボはところどころ個人的に危ない部分があったのを除けば大成功で、乾家つるぎのチャンネル登録者数は3万人に至った。

 さっそく記念配信をしたし、神屋トゥーリには改めて礼をした。そしてコラボ第二弾の誘いは丁寧に回避した。

 十日間にいろいろなことがあって、しかし十日経っても未だ忘れられないことがある。

 それは一件のマロマロだった。

 

 

 乾家つるぎさんがVtuberになろうとしたきっかけを教えて下さい。 

 

 

 つるりとした白い手が蛇口をひねる。

 やがて少女は脱衣所のバスタオルを引っ掴み、体を拭く。

 黒川京子がVtuberを目指した理由は、前世に大きく関わっていたのだ。

 

 

 黒川京子が前世で過ごした世界には、吸血鬼など一人もおらず空想上の存在として扱われていた。人間はなんと78億以上もいて、もちろん地上に住居を作り生活していた。

 当たり前だが彼女の前世は人間のひとりである。

 地方の大学を卒業し、上京先で就職した中肉中背の男。趣味はゲームと漫画でアニメはあまり見ない。どこにでもいるという形容を擬人化したような人間だった。

 そんな彼がVtuberの世界を知ったのは、年始めにインフルエンザを患い休暇をもらっていたときのこと。暇つぶしにSNSで友人のタイムラインを遡っていたら、Vtuberの投稿した動画が貼られていたのだ。

 彼はそこでTuberを知り、同時にバーチャルでTuberの活動をするVtuberを知った。

 それ自体はさほど衝撃的な出会いだったわけではないが、長期間外出できずゲームや漫画に飽きつつあった男にとって、新鮮な魅力を持つコンテンツと映ったに違いない。

 次第に新しい娯楽へ傾倒していったのは言うまでもなく、気に入ったキャラクターのアーカイブを漁り、続々と現れた者たちを追いかけ、ときには彼らの生んだ動画を自らの手で切り抜くなどした。

 その果てにVtuberグループのメンバー募集を見つけてしまったなら、とった行動はひとつだろう。

 男にとって人生最大の幸福はオーディションに合格したことだった。

 しかし、男にとって最大の不幸もまたオーディションに合格してしまったことだった。

 合格の通知に喜び、事務所と打ち合わせをし、自身が演じるキャラクターの絵を見て転がりまわる。

 彼は幸福の最中にいた。自分がVtuberになることを家族や友人には言えず、しかしひとりで噛み締めていた。

 だが、デビューの寸前で激しい腹部の痛みによって倒れる。

 病院で対面した医者から告げられるのは末期癌という言葉。

 

 未来と夢の喪失は突然のことだった。

 

 失意のままホスピスに入り、ただ最後の瞬間を待つだけの生活を送る。

 末期癌の激しい痛みより恐ろしかったのは、苦痛を和らげる薬を服用することだった。服用すればたちまち眠気に覆いかぶされて、次に起きれるのはいくつもの日付を跨いだあとである。

 医者の宣告した余命が信じられない速度で消費されていくこと、これが何よりも恐ろしかった。

 そんな生活で無聊を慰めてくれたのはやはりVtuberだった。

 彼らの提供する、流行を取り入れた新鮮なコンテンツの数々は常に新鮮で飽きなかった。

 しかし夢想せずにはいられないのだ。自分も画面の向こうで動き回ることを。他のVtuberたちと共演すること。

 一度叶いかけた夢を取り上げられた痛みにじくじくと胸を刺され、数カ月後に男は息を引き取った。

 

 いま、鏡には十代後半の少女が映っている。

 何の因果か吸血鬼だらけの世界で人間として生まれ、そして病没した男の記憶を持つ少女だ。

 彼女は黒川京子と名乗って生きている。

 

 

 黒川京子には習慣がある。

 外出するときはかならず日の高いときに行っている。

 吸血鬼の街にはほぼ電灯というものがなく、光源になるものといえば地下通路と地上を隔てる小さな磨りガラスくらいだ。それも日の高さを知る役割しかないから、明かりとしては頼りない。

 しかし、こんな僅かな明かりさえ人間にとっては街を歩くための生命線である。

 ぼんやりと薄暗い道を私は歩く。目的地は地下通路に併設された24時間営業のドラッグストアだ。

 店内は通路よりさらに薄暗く、非常口の誘導灯くらいしか光源がない。

 それでも店員の吸血鬼に驚きの気配が滲むのがなんとなくわかった。

 無理もない。こちらはマスクで顔の大部分を覆ってるとはいえ未成年の女子である。

 そんな子が深夜相当の時間にひとりで来店すれば訝しんで当然だろう。

 商品棚で店員の視線から逃れて、かすかな光源を頼りに数日分の食料などをバスケットへ放り込んでゆく。値段の吟味ができないのは残念だが、当面は何もせずとも生活費を受給できる身だ。どうにもならない部分は割り切っている。

 どうか話しかけられませんようにと願いながらレジへ向かった。

 店員と対面する瞬間はいつも緊張する。何かの拍子に怪しまれないかと気が気じゃない。

 突然吸血鬼がこちらを向いて口を開いたとき、私はやめてくれと心の底で願った。

 

「袋は別にしますか?」

 

 バスケットの中には食材と生理用品。

 は、は、は、とマスクの下で小刻みになる呼吸を落ち着けて、焦りそうになる心を宥めて、たった一言を絞り出す。

 

「……いえ」

 

 帰り道は走った。

 次から食材と生理用品は別々に買おうかとか、どうして私は吸血鬼として生まれなかったんだろうとか、女の子として生きるのは難しいとか、色々な考えで頭がぐちゃぐちゃになりそうだった。

 黒川京子には習慣がある。

 外出するときはかならず日の高いときに行っている。

 だって明かりのない道を歩くのが怖い。吸血鬼の通行人が怖い。そして異性が怖い。

 未知の世界に放り出されて二ヶ月。そのあいだずっと世界や性別のギャップに苛まれてきた。Vtuberの夢に縋らなければきっと心が折れていたと思う。

 玄関に駆け込んで大急ぎで鍵を掛ける。

 私が安心して過ごせるのはきっとこの空間しかない。

 

「は、はいしん……つぎの配信をかんがえよう……」

 

 生まれ変わって健康な体になった。Vtuberになる夢を叶えた。

 なのに私は、生きた心地のしない毎日を送っている。

 




説明回です。
諸々の設定は日常エピソードと絡めながら小出しにしていきたかったんですが、今回は難しかったので説明回としました。

頂いた感想で食用の銀というものを初めて知りました。人間って何でも食べるんですね。


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08話 サリス・ヒューマン

『どうもー! 人間Vtuberでーす、よろしくお願いしまーす!』

 

 画面ではしゃぐキャラクターをぼんやりと眺める。

 日の出から太陽が南中高度に差し掛かるまでの時間は、私と同じ吸血鬼にとって就寝前のくつろぐ時間で、だからこの時間が一番動画の再生数が伸びやすい。新しくデビューするVtuberの初配信もほとんどはこのタイミングに行われる。

 自室のノートパソコンで動いているのもそのひとりだ。

 いまはVtuber黎明期といえる時代、雨後のたけのこみたいに様々なキャラクターが毎月デビューする。自分のように企業へ属する者、属さず個人で活動する者。配信形態やキャラクターデザインを考えれば十人十色、千差万別だ。

 そのなかで、人間というのは強い人気を持つモチーフである。

 ドラゴンに並ぶ創作の定番。かつて実在し吸血鬼と世界の覇権をかけて争った歴史まであるとくれば人気など出ないわけがない。

 人間をモチーフにしたVtuberなんて珍しくなく、かくいう私もそのうちの一人だった。人間を名乗るVtuberはこれで何人目になったんだろう。

 

「んあーネター、ネタがないわ……」

 

 私は机にひじ付きながら頭を抱える。

 そう、珍しくないからこそ差別化が重要。これはデビュー前にマネージャーへ繰り返し主張してきたこと。

 無理やりな人間アピールをリスナーに楽しんでもらうという路線でVtuberサリス・ヒューマンはスタートを切った。

 種族名をそのまま名字に持ってくるのはマネージャーの提案だったが、なかなかにキャッチーな名前で気に入っている。実際に人間がいたらどう思うかは知らないけれども。

 さて次の配信のネタは何にしようか。そろそろホラー実況に手を出すのがいいかもしれないが、個人的にホラーの類は苦手だった。

 

「玉ねぎ食べるのは前にやったばっかりだし……」

 

 あれの反響はとてもよかった。玉ねぎみじん切りによる目への刺激が大変だったが、我慢した甲斐はあったと思う。エゴサすると本当に多くの人が笑ってくれていたし、なんだか私の泣き声まとめみたいな動画もアップロードされていてびっくりした。また、プリズムのひとの配信でまで言及されてると頬が緩んでしまう。嘘だ、緩みまくって気持ち悪い顔になってしまう。

 玉ねぎ配信をヒュー子の定番コンテンツにできればいいが、無闇に繰り返せば絶対にリスナーは飽きていくだろう。

 多彩な方法での人間アピールが必要なのだ。

 もっとも、必要だからといってすぐに方法が浮かぶわけではないのだが。

 

「飲食系はやめとこうかしら」

 

 代り映えしないネタを続けるのはリスナーにとって面白くないだろうし。

 かといって代案は一向に浮かばず、私は机にあったスパウトパウチを咥える。

 最近よく飲んでるのは鶏の血液。口に含んだまま床を蹴り、椅子でくるくる回ってみる。

 そういえば。

 人間って吸血鬼と同じように血を飲むんだろうか。

 小中高で受けた歴史の授業で人間の絵を見たことがある。吸血鬼と見た目変わらないなと思ったし、先生もそのように言っていた。食べ物もいまの私達とだいたい一緒だったらしい。

 食べ物が一緒なら、やっぱり血も飲むんだろうか。

 咥えていたパウチを手に持ち、観察してみる。

 チキンブラッド200ミリリットルパック。カルシウム・マグネシウム配合。

 もし自分と好みが同じだったら案外仲良くなれるかもしれない、などと思ったがすぐにありえないなと思い直した。

 いま吸血鬼たちが飲んでいる鶏や牛、豚などの血はそもそも人間のものの代用らしいのだ。だとすれば人間が人間の血を飲むというのはおかしな話。きっと彼らに血を飲む習性はないんだろう。

 人間の血液ってどんな味なんだろうと興味がないでもない。いまも存在していたら頂いてみたいが、豚の血のようにこってりしていたら別にいいやと思う。私は鶏とか牛とかが好き。男性は豚がいいと言うひとが多いけども。

 私達吸血鬼は人間のことをほとんど知らない。

 所詮は数百年前に滅びた生き物だ。詳しい生態なんてきっと古生物学者くらいしか知らない。

 

「だからあたしがこんなに困ってるんだけどね……」

 

 ほんと人間アピールネタどうしよう。

 同居している家族に配信のネタなんて相談したくない。私がVtuberをしていることは弟にも両親にも伝えているが、サリス・ヒューマンであることまでは教えていないのだ。相談なんてしたらきっとバレてしまうだろう、特に弟には。

 やはりホラーに手を出すしかないのか。

 人間は日光が平気とも授業で言ってたような気がするし。ビビりつつ口では平気ですって言いながら進むことになるのか。考えただけで気が滅入りそうだ。

 

「ホラゲなんて一人でやりたくないじゃない」

 

 そう呟いたとき、私ははっとして立ち上がった。

 一人でやりたくないのなら二人でやればいいのだ。

 私の脳が一瞬で相方候補を弾き出す。まず同じプリズム所属であること。さらに同性かつ、できればホラーに耐性があるひと。同期だと気兼ねがなくていい。

 いるいる。いるじゃないか適役が。

 乾家つるぎ。

 名前を呟いた瞬間にさまざまなイメージが流れ込んでくる。明るい雰囲気を怖がる人間Vtuberと、そういうのが平気なデイウォーカーのコンビホラー実況。きっとリスナーは楽しんでくれる。

 そういえば彼女は人狼と名乗っていたんだったか。まあ大丈夫だろう。ただ人狼って名乗ってるだけみたいだし。

 乾家つるぎは不思議な人物だ。

 プリズムのために用意されたデスコチャンネルではいつも挨拶しかせず、ほぼ誰とも会話しない。それなのにどこか存在感があり、デスコ開いたときにはつい彼女がオンラインかどうか見てしまう。

 少なくとも私は彼女に悪印象はないし、あちらも前に配信で私のことを気になってると言ってくれていたから、そう悪いことにはならないだろうと思う。

 よし、よし。いける。

 考えれば考えるほど乾家つるぎが適役だ。

 思考のどん詰まりから解放された喜びで飛び上がりそうになる。きっと彼女は救いの女神に違いない。

 まずはついったのリプライを重ねて仲良くなっていこう。

 目指せ三期生コラボだ。

 




ロックオン。


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09話 吸血鬼の真祖

 撃ち殺した相手の荷物を漁る。

 常に動き回りながら漁るのがコツだ。アイテム取得中にヘッドショットされる確率を下げられるのだ。

 

 うまい

 2キル目

 慣れてるな

 

 今回の乾家つるぎのゲーム配信はFPSである。

 100人で生き残りをかけて争うサバイバルで、世の中にVtuberが登場した頃からあるゲームだがいまだ根強い人気を誇っている。

 コメントで指摘されている通り私はこのゲームに慣れていた。前世でよく遊んでいたものとそっくりなのである。

 アイテム取得を終えた後はすぐその場から離れて茂みに隠れる。そのあいだに私は目を閉じて深呼吸をした。

 

 お?

 なんか調子悪い?

 寝た?

 

 一向に動かなくなった私を心配したコメントが流れだす。

 このとき私は頭を抱えそうになっていた。

 頭を掴まれてゆすられるような感覚。そして胸を締め付けた手が徐々に登ってくるような不快感。人はそれを目眩と嘔吐感と呼ぶ。

 

「うえ……」

 

 どうしたの?

 本当に調子悪いなら休んでね

 

 心当たりがある。間違いなく画面酔いだ。

 だからこそ驚かずにいられない。3Dゲームにほとんど触れない人間が酔ったならわかるが、私の場合はそうじゃないのだ。けれどもプレイ開始後30分で徐々にやってきた感覚を疑う余地はない。

 気がつけば机に突っ伏しそうになっている。きっと配信画面では私の頭頂部だけが覗いてることだろう。

 

「うう……みんなごめんね、ちょっと画面酔いしちゃったみたい……」

 

 絞り出した声があまりに弱々しくて我ながらびっくりする。よほど衰弱したように見えたのか、コメント欄ではフォローする言葉でいっぱいだ。画面酔いなら仕方ない、このゲームは酔いやすいから、よくあること。そんなあたたかい言葉の数々がくる。

 すぐにゲームをやめて、休憩を挟んだらマロマロ読みをしよう。せっかく配信のため集まってきてくれたリスナーたちだ。たった30分ちょっとで帰らせてしまっては申し訳ない。未だ心配し続けてくれるコメントにはだいぶ治ってきたからと安心させる。

 前世で慣れていても、いまの黒川京子の肉体が3Dに不慣れだっただけのことだ。健康な肉体はとてもありがたいのだが、こんなときにギャップを仕込んでくるのは勘弁願いたい。

 

「ええーと……よし、準備完了! 最初のマロいくよー!」

 

 私が黒川京子と名乗り始めたのはおよそ三ヶ月前だ。

 気がつけば古い館の前でぼうっと立っていて、周囲をいくら見渡しても見覚えのない景色しかなかった。ただ日の出がやたらと綺麗だったのをよく覚えている。

 そんな私を最初に見つけた吸血鬼は中年の女性で、日光は危ないからと手を引きながら地下へ降ろした。

 私が転生を自覚したのはそのタイミングだと思う。全身を何かの衝撃が走ったわけでなく、膨大な記憶に飲まれたりとか、熱を出して倒れるとかもなく、ただ頭の中でじわりじわりと前世と現世の認識が広がって、ゆるぎのないものとなっていった。

 女性からはいくつか質問をされたが私はなんと回答しただろうか。

 

「ええとねー……。これは言っちゃって大丈夫かな。私は真祖なので、家族とかはいませーん」

 

 マジで

 珍しいな

 前の職場に真祖の人がいたなー

 つるぎちゃん人狼では?

 人狼に真祖とかあるの??

 

「あるよ、あるある。人狼にも真祖ある!」

 

 吸血鬼の真祖。そういうと前世ではやたら強大な吸血鬼をイメージするがこの世界では違う。

 吸血鬼は一般的に男女が子を授かる形で繁殖する。方法は人間と同じ。きっと学校でも似た内容の保健体育が行われていることだろう。

 ただし例外があり、吸血鬼は何もないところから発生することがあるのだ。この世界で一番最初の吸血鬼もそうやって現れたらしい。

 

「前は真祖なこと言わない方がいいかなと思ったんだけどねー。だんだんべつに言ってもよくない?って気になって」

 

 真祖と呼ばれる連中は、生まれながらにある程度の知識を持っているという。転生者が隠れ蓑とするにはとても都合がよく、黒川京子は吸血鬼の真祖と偽って生きている。

 そして同族の突然な発生を自然事象として受け入れる吸血鬼たちだから、真祖向けの支援制度を整備していた。私が外見十代後半の身で一人暮らしできているのはその制度のおかげである。毎月振り込まれる生活費と用意された都営住宅。当面のあいだ生活を心配せずに生きられるのはとてもありがたい。

 もっとも、真祖を騙った家出娘でないことを証明するために役所で指紋や網膜の登録させられたが、血液検査などがなかったのは幸いだった。あったらそこで詰んでいたに違いない。登録自体は簡単だったがやたらと時間がかかり、真祖の発生自体は減少傾向にで近年は珍しいからと、役所の窓口の人が手続きの遅さを謝っていた。

 

「はい、それじゃーつぎのマロいくよー。 ええと、好きな漫画についてだね」

 

 吸血鬼はいまだに恐ろしく隙を見せてはいけない相手だと思っている。

 けれども、吸血鬼の作った制度だけには感謝している。

 

 

 ◆

 

【バーチャルTuber】乾家つるぎについて語るスレ3【プリズム3期生】

 

プリズム3期生の乾家つるぎについて語るスレ

・荒らしはスルーを強く推奨。反応すると喜ばせちゃうぞ

・次スレは>>950が立てること。立たない場合は>>970が立てること

 

 

63 名前:名無しさん@視聴中

吐息助かる

 

64 名前:名無しさん@視聴中

最近よく配信後にヒュー子がリプしてる

同期コラボしてくれないかな見てぇなあ

 

65 名前:名無しさん@視聴中

荒い息かわいい

 

66 名前:名無しさん@視聴中

とってもエロかったよつるぎちゃん……

 

67 名前:名無しさん@視聴中

あのゲームそんな画面酔いしやすかったっけ

 

68 名前:名無しさん@視聴中

FPS慣れてない人はたまに酔うよ

プレイ配信見てても酔うやつはいるらしい

 

69 名前:名無しさん@視聴中

あの腕でFPS慣れてないはあり得るのか?

なにか別の理由があって誤魔化したと思ってるけど

 

70 名前:名無しさん@視聴中

確かに。

かなり慣れてる感じだったしね。

 

71 名前:名無しさん@視聴中

それより配信内で真祖だってバラすのまずくない?

真祖ってだいぶ少ないでしょ、特定されたりしない?

 

72 名前:名無しさん@視聴中

どこに住んでるか言ってないならまあ……

誕生した時期も言わなきゃたぶん特定は無理じゃね

 

73 名前:名無しさん@視聴中

そもそも自分は真祖ですって大声で宣伝するようなやつじゃなきゃ自分の近くにいてもわからんだろ

 

74 名前:名無しさん@視聴中

真祖ってどこかズレてるところあるからな

俺の前の職場にいたやつもそうだったよ

 

75 名前:名無しさん@視聴中

まあ本当は真祖じゃないかもしれないから……

 

76 名前:名無しさん@視聴中

真祖でデイウォーカーってめっちゃレアい気がする

真祖はみんなデイウォーカーなん?

 

77 名前:名無しさん@視聴中

かなり高速でマロ捌いてたからスルーしちゃったけどB型ってなんだ?

 

78 名前:名無しさん@視聴中

>>76

そうでもないよ

 

79 名前:名無しさん@視聴中

>>77

つるぎちゃんが好きな血を聞かれてたときのやつ?

 

80 名前:名無しさん@視聴中

人狼って血を飲むのか……

 

81 名前:名無しさん@視聴中

>79

そうそれ

B型の血ってなんだよ 普通は牛とか馬とか答えるだろ

 

82 名前:名無しさん@視聴中

ググったけど牛と馬はB型の血液型があるらしいぞ

 

83 名前:名無しさん@視聴中

血液型の味の違いとか普通わからんよ……

 




いままで投稿時間を17時にしていましたが、今後変わるかもしれません。
いつも感想ありがとうございます。執筆の励みになります。


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10話 Vtuber1

諸々の組み直しで投稿間隔が空いてしまいました。
今回より3話ほど少し重めな展開が始まります。


 

 そういえばリスナーの呼び方ってまだ決めないの? 

 

 

 乾家つるぎのデビューから4ヶ月。

 私は自室のパソコンでマロマロの開封をしているときにそれを見つけて固まってしまった。

 リスナーの呼び方、あるいはファンネームの決定。それは音楽アーティストなどと同じように自分を見るひとたちへ固有名詞を付けることだ。これを導入することでリスナーたちがファン意識を抱きやすくなったり、Vtuberとの距離感の近さを覚えることがある。

 ファンサービスや自身がそういうものを好むなどの理由で、実際にプリズム所属のVtuberでも多くがこれを採用している。

 さて乾家つるぎはどうするかだ。

 プリズム所属に限らず多くのVtuberがそうしているのだから、私もそれに倣うべきなのだろうか。

 ベッドから枕を抱き寄せ顎を乗せる。最近は考え事をするたび枕のお世話になっている気がした。理由はきっと弾力が心地よいだけじゃない。

 

「考えなきゃだめかな……」

 

 ファンネームの導入を伺うマロマロはこれが初めてではなく、それこそデビューした月にはもう届いていた。それでもいままで決めようとせず、また配信内でも触れてこなかったのには理由があるのだ。

 心理的抵抗、そんなとてもシンプルなものだった。

 世界中に吸血鬼が住む世界。Vtuberを見るものたちも当然ながら吸血鬼となる。つまり私の画面の向こう側にいるのはみんな潜在的な脅威だ。

 彼らの関心を掻き立てるようなことをするのはできるかぎり避けたい。

 現に私はもう配信後のエゴサをしなくなっていた。私に向く吸血鬼たちの関心を目にするのが怖いのだ。

 しかしそれはすべて人間の黒川京子の理由である。

 Vtuberの乾家つるぎには関係のない話だ。

 乾家つるぎとして考えるなら、他のVtuberに倣ってリスナーと親しくしてサービスしていくべきだ。

 枕に回した腕の力を強める。

 Vtuberとして生きるのがなんだか苦しい。

 だけど、今日もまた配信をしなくてはいけない。

 事前に選別した無難なマロマロ。業界の流行から採用したゲームの実況。雑談は生活に関することじゃなくてゲームに関すること。そんなトラブル要素を排除した安定志向の内容が最近の乾家つるぎの配信だ。

 チャンネル登録者数はおよそ数日前から4万目前で留まったまま増減しない。

 

「ずっとこのままで……」

 

 何も変化しないでほしい。

 いつまでも安全なぬるま湯のなかに浸かっていたい。

 ふと寒気を覚えた。心を隙間風が通り抜けたような寒さだった。

 ひょうひょうと響く風の声が何を言ってるのか、いまの私にはわからない。

 

 

 

 それからしばらくして、私は予定していた配信を無難に終える。

 

「はい、それじゃ今回はここまで。今日も見てくれてみんなありがとーう」

 

 締めの挨拶とともに配信を切って深呼吸すれば、疲労感が息にまぎれて吐き出されていく。

 今日も問題なく消化できてよかった。

 4ヶ月目の配信ともなればゲームプレイしながらのトークにはすっかり慣れてきている。話が詰まって黙り込むようなことはもうない。とはいえ失言しないよう気を使い続けるのはやはり神経がすり減ってゆくもので、一定の疲労感は常にあった。

 パソコンの画面に開いていたものを閉じていくと、ふいに自分のチャンネル登録者数が目に映る。数字はやはり4万手前。ほぼ増えていなくて安心する。登録者数の増加を喜ぶ感情は私の中から消えていた。

 エゴサもしない。何も見たくない。

 私は現状の乾家つるぎで満足している。Vtuberを名乗るにはこれで充分であると。

 だから、直後にマネージャーから届いたダイレクトメッセージに心を大きくかき乱されることとなった。

 

「収益化とスパチャ解禁ですか……」

 

『はい、これまで頑張られた甲斐がありましたね。おめでとうございます』

 

「……」

 

 どうしてこうなるんだろうとデスコの画面を睨む。開かれたページにはマネージャーのチャットログがあって、私がなんとかいままで消化してこれた環境を変えてしまう内容が書かれていた。

 乾家つるぎは企業に属するVtuberだ。プリズムを運営する企業は基本的に各Vtuberの配信における広告表示やスーパーチャットで収益をあげ、それを給与や設備などの形で各Vtuberへ還元してゆく。

 ではデビューしてすぐに広告表示などをして収益を出せるかというとそうではない。広告表示やスーパーチャットの有効化には動画配信プラットフォームごとに条件があるのだ。収益化とスーパーチャットが解禁されたとはつまり、有効化の条件を達成したということだ。

 こんなこと全く望んじゃいない。

 そんなの嫌ですと反射的に言わなかった自分を褒めてやりたい気分だ。

 現状の乾家つるぎの配信にこれらの要素が足されることでどう変わるのかというと、きっと客観的にはほとんど何も変わらないだろう。せいぜいスーパーチャットという投げ銭付きのコメントにリアクションを返すタスクが追加されるくらいだ。

 だがきっと主観的には大きな変化だった。

 私がエゴサをしなくなった理由は吸血鬼たちの関心と向き合うのが怖いからだ。配信中のただのコメントならば私はある程度無視をすることができる。単純にゲームのプレイやトークに集中すればいい。しかし投げ銭付きのコメントとなると、リスナーがコストを払っている以上は無視することができない。内容の確認。必要に応じて読み上げたりリアクションを返して必要がある。リスナーとの距離感はさらに近くなり、私がボロを出す可能性はこれまでより高まるのだ。

 

『不安ですか?』

 

 返事をしなくなった私を気遣うメッセージが届く。

 肯定するか否定するかを迷い、結局しばらくの沈黙を返すこととなった。肯定したところで不安の本当の理由など言えるわけがない。

 現状のままですでにVtuberをやれてるじゃないか、どうしてそういうことをするのだと叫び出したい気持ちが胸で渦巻く。

 変化はリスクだ。それは黒川京子という人間の綱渡りに吹き付ける風に違いない。

 

「いいえ大丈夫です。それじゃさっそく告知と記念配信をしないとですね」

 

『はい、よろしくお願いします。これからも頑張ってくださいね』

 

 デスコでのチャットを終えた私は椅子からベッドへ飛び込んだ。毛布を引き寄せてみの虫のように包まり、視界を暗闇で覆う。

 もう眠りたい。何も考えたくない。

 いまが昼間でも、昼食を食べていなくても、パソコンの電源がつけっぱなしなのも何もかもがどうでもいい。

 どうしてこのままでいさせてくれないのだろう。

 どうして自分が変化を祝わなくちゃいけないのだろう。

 どうして、Vtuberでいることがこんなにも息苦しいのだろう。



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11話 Vtuber2

ちょっと重めなパートその2です。


「つるぎちゃんってどういう子?」

 

 まったりした時間に飛んできた質問へぼくは足を組んで答える。

 

「うーん、猫みたいな子かな」

 

「犬なのに?」

 

 うん。犬なのに。

 高校の教室ほどの広さを持つ3D配信用スタジオ。三つ並んだ大型ディスプレイには神屋トゥーリを始めとした二期生たちが映っており、巨大サイコロを振り回すなどしてはしゃいでいた。ディスプレイの前にはそれぞれスタッフがいて一生懸命に編集作業をしている。彼らにはいつも感謝している。

 そんな空間でぼくはパイプ椅子に背を預けたままお菓子入れに手を伸ばした。指先に触れたソフトクッキーをふたつほど摘んで、共演者と分ける。

 収録の休憩時間でいまニ期生にとって一番人気のある話題は後輩ネタだった。

 

「つるぎちゃんはねー……、礼儀正しいけどわりと警戒心が強い子かも」

 

「トゥーリが警戒させたんじゃない?」

 

「ぼくめっちゃ優しい先輩してたんだけどなあ!」

 

 ぼくのことを何だと思ってるんだと言いたいところだけども、神屋トゥーリはそういうキャラクターだから仕方ない。実際に過去のコラボを振り返ってみるときっと警戒されていたような気がする。ただ、彼女が身構えてる相手はぼくだけじゃないと思うのだ。

 彼女が何を考えてるのかぼくにはわからない。いつも無難にやろうとしているような印象を受けるからトラブルが怖いのかもしれない。なんとなくドッキリ企画などには弱そうに思えてくる。もし仕掛けられたら平静を保てなくなってガタガタになるか、最悪キレたりしそうだ。

 クッキーひとつをまるごと頬張った。控えめな甘みを咲かせてしっとり崩れてゆく食感が優しい。

 

「あれだね、拾われたばかりの子猫みたいな感じ」

 

「警戒してケージから出てこないような?」

 

 そうそう。きっとケージからなかなか出てこない子猫のようないきもの。

 こういう話に上るほど乾家つるぎへ興味を抱いているひとは多い。

 けれどもデビューから四ヶ月近く経っているにも関わらず、彼女と通話した経験があるのはコラボした自分だけ。プリズムのデスコでは他者との交流どころか発言自体がほとんどない。彼女はそんな孤独というよりは孤高のなかなかに話しかけづらい後輩だ。真祖だと一般的な吸血鬼と感覚が違うのかなんて勘ぐりそうになる。

 だからみんな様子をうかがいつつも、こうしてぼくに質問を飛ばしてくるんだ。

 

「それじゃまだ話しかけたりとかしないほうがいいってことなの?」

 

「そうだねー。自分でケージから出るまで待ったほうがいいね」

 

 もうデビューから四ヶ月くらいなのにと言いたげな顔を見て、つい四ヶ月もケージから出てこない子猫を想像して吹き出しそうになった。

 なんて生きるのが不器用な子猫なんだろう。誰も取って食いはしないのに。

 

 

 ◆

 

 収益化記念配信を終えて私はぐったりしていた。理由はもちろんスーパーチャットへの対応である。

 解禁されたとあればこれまで乾家つるぎを応援したいと思っていた人たちはここぞとばかりに送ってくるし、私のコメントへの反応を見たくて送ってくる人もいるし、果てには怒涛のスーパーチャットを処理しきれず飽和状態になっているのが面白いという理由で送ってくる人もいる。

 それだけ乾家つるぎを好意的に見てくれていることに私は喜ぶべきなのだろう。

 ただし彼らは知らないのだ。普段私が何に苦心して配信しているのかを。

 自分の言葉が人外の支配する世界にどのような波紋を作るかわからず、何をきっかけに彼らが私の正体に気づくかもわからない。そんな状態で配信し続けることのストレスを彼らは知るわけがない。

 私は椅子に座ったまま枕を抱き寄せた。そのまま強く抱きしめ、ぎゅっと目をつむりながら顔を埋める。

 自分は一体何をしてるのだろう。Vtuberとはもっと楽しいものじゃなかったのか。これを私は続けていかなきゃいけないのか。

 そのときだった。

 私はデスコのダイレクトメッセージに気づいた。

 

『配信お疲れさま! そして収益化おめでとう!』

 

 マネージャーの打つものではなく、ついったでよく見る文章。

 チャットの名前欄にはサリス・ヒューマンと表示されていた。

 口であ、の形をつくったまま硬直する。

 突然の接触の驚きと何かの予感で私の頭はすっかり漂白されてしまって、ただ出力されてくる文字列を目で追いかけるしかできない。

 

『あのね、あたしたちって同期じゃない? ずっとつるぎさんと話してみたいと思ってて、それで前につるぎさんが私の配信見てるって言ってくれてたから』

 

「うん」

 

 連続する文章へかろうじて返せたのはたったの二文字だけ。さすがにこれだけじゃまずいと思って、ありがとうと付け加える。

 

『つるぎさんホラー得意みたいだから、一緒にホラー配信やらない?』

 

 一緒に。その単語を見てそっと目を閉じる。心の中で十を数えてからまた見直しても、やはりコラボの誘いに違いなかった。

 きみも私に変化を強要してくるのか。

 間近で打ち上げ花火を見たときのような衝撃が体の中で連続して、それが鼓動だと気づくのにしばらくの時間を要した。前回のコラボのときはそれほど驚きがなかったけど、あれはプリズム運営の指示で行ったものだから今回とは違う。

 今回は、吸血鬼からまっすぐ関心を向けられている。

 

「うん」

 

 私の頭のなかにある生存本能が断れ断れと繰り返し叫ぶ。それでも気がついたら打ち込んでいたのは承諾の二文字で、どうやら私の指先は吸血鬼の機嫌を損ねまいと一生懸命に媚びを売っているらしい。

 喜色を滲ませた文面がデスコ画面に続く。

 

『ありがとう! 嬉しいわ。それじゃあコラボの前にお互いのキャラクター性とかNGを共有しておきたいのだけど、つるぎさんは配信で気を付けてることとか表現していきたいことってあるかしら?』

 

 え?

 私の指がキーボードの上で固まる。

 未知の概念を聞かされた気分だった。

 

『ええと、うまく言えなくてごめんなさい。私はリスナーの人たちに人間アピールのヒュー子を表現して楽しんでもらいたいと思ってるんだけど、つるぎさんにもそういったものがあれば知っておきたくて』

 

 どくんと、ひときわ強く胸が鳴った気がした。

 Vtuberでキャラクターを通して表現したいことだなんて、乾家つるぎには存在しない。ただ他人のやることをなぞって、Vtuberと名乗れる状態を維持できていればいい。ただそれだけを考えてきた。

 でもそんなのおかしいと私のどこかが叫ぶ。心にぽっかり空いた穴を指差して、見ろ、ここにあったはずじゃないかと訴えてくる。

 それはきっと大事なものだった。

 とてもとても大事なものだったのに、吸血鬼の影に怯えてるうちに忘れてしまっていたのだ。

 乾家つるぎは、黒川京子はなぜVtuberになりたがったのだろう。

 

『えっと、特になさそうかしら……?』

 

 一向に返事をしないのを心配してサリス・ヒューマンが続ける。

 でももう私にはパソコンの画面すら目に映っていない。椅子から崩れ落ちて、ベッドに倒れ込んでしまった。枕を抱きこみ毛布を被って暗闇のなかに閉じこもる。

 

「く、うう……、ぐす……」

 

 どうして前世であれほどVtuberになりたがっていたのか。

 失ってしまったものがあまりにも大きくて。失ってしまったことがあまりにも悲しくて。

 涙の止まらない顔をただ枕に押し当てた。



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12話 Vtuber3

 結局、サリス・ヒューマンとのコラボの話は有耶無耶になって、それきり彼女とは連絡を取っていない。

 それどころかこの一週間、配信とデスコへの接続もせず、SNSさえ開いていない。

 予告なく活動を停止した乾家つるぎを心配している人はきっといるだろう。あるいは全くいないのかもしれないが、それを確認する気にはまったくなれなかった。

 生活面でも、この一週間はほぼ何もしていない。

 自分はどうして転生したのかとか何のために生きてるのかとか、そんなことをベッドで考えてるうちに寝不足になり、遅い時間に眠っては変な時間に起きて、空腹が限界になっては冷蔵庫を漁る。一度だけ下着が血で汚れゾンビのような顔で洗うなどした以外は、ただ息を吸って吐くだけの生活だった。

 いまも私は呼吸のみが聞こえる空間で微睡みのなかに浸る。

 意識の浮上と水没をしばらく繰り返すうち、窓の磨りガラスが明るくなっていることに気がついた。同時に空腹感を自覚してご飯食べなきゃなと体を起こす。

 

「あ……」

 

 しかし冷蔵庫の中身は空だった。

 私はひさしぶりの外出を余儀なくされた。

 

 

 吸血鬼たちにとって深夜に相当する時間を、十代の女子の体で歩く。

 薄暗い地下道に足音をひとつひとつ響かせてゆくと、沈んだ思考が凝り固まってゆくのを感じる。私の気分はすっかり自棄になっていて、たとえ道行く吸血鬼に見つかって正体に気づかれても、その果に血を吸われたり殺されたりしても、もうどうでもいいと思えた。

 きっとこんな吸血鬼だらけの世界で人間が生きていくなんて無理なのだ。いつまでも隠しきれるわけがないし、それまでに様々なものをすり減らして失っていくのだ。いっそすぐに捕まって殺されたほうが楽なのかもしれない。

 だからもう、誰かに怪しまれたら何もかも白状しようと思った。

 

「……」

 

 なのに、その機会を得ることなくコンビニに到着する。

 そこからの動きは体が覚えていた。気だるそうに佇む店員の死角を歩き、非常誘導灯の頼りない明かりを利用して買い物かごの嵩を増やしていった。

 冷凍食品を手に取り、かごに入れる。菓子パンと惣菜パンを入れる。重い牛乳パックは食品コーナーを離れる直前に入れて、次は生活用品の補充をする。

 いざレジへと進もうとしたとき、ふとかごに入れた生理用品が目に止まる。

 そのときだった。

 命の危険とは全く別ベクトルの恐怖が私を貫いた。

 そうだ、自分はもう女の体なのだ。もし自分の正体に気づく吸血鬼がいて、それが男性だったとしたらどうなるだろう。ただ死ぬよりもっとひどい目に遭う可能性に気づき、体の芯が冷えていく。

 足が止まる。

 恐る恐るレジの店員の風貌を盗み見た。若い男性の吸血鬼だ。おそらく前にも会ったことがある。

 途端にレジで待つコンビニの店員がひどく恐ろしい化け物に見えた。吸血鬼であるだけでなく、男性である以上に、もっと危険で致命的な怪物に映った。

 かごを持つ手に汗が滲む。買い物をやめて餓死する選択肢と、気付かれない可能性に賭ける選択肢で天秤が揺れる。

 一秒、二秒とそのまま時間が流れていった。

 無意識に口元へ手を当てる。最低限、私はマスクをしているらしい。顔を隠していても気休めにしかならないかもしれないが。

 九秒、十秒。意を決して足を進めた。

 

「いらっしゃいませー」

 

 間延びした声を聞きながら店員と目が合わないよう視線を落とす。バーコードの読み取りがはやく終わることを祈り続けた。機械の出す音が時限爆弾のアラームのように聞こえた。

 やがてアラームが途切れて、もう終わったかと視線を上げると店員が生理用品を見ていることに気づく。

 あっと声を出しそうになる。前に袋を別にするか聞かれたじゃないか。返事をしないで済むようあれは食料品と別々に買おうと決めたじゃないか。

 店員は次に私の顔を見てきた。口を開く気配がする。

 ピッ。

 

「5986円になります」

 

「え……」

 

 生理用品のバーコードを読み取らせた店員の手は、そのまま他の商品と一緒にビニール袋へまとめる。

 そうして私は一言も言葉を交わすことなく買い物を終えられた。

 私の態度から怯えを察したのだろうか。彼のさりげない気遣いに気づいて、帰り道で静かに感謝した。

 

 

 帰宅して食事を終えてしばらくは放心状態だったかもしれない。恐怖の象徴に気遣われた事実をどう消化したらいいかわからないでいた。ただこのとき私の気分は少しずつ上を向いていたのだろう。私はおよそ一週間ぶりにパソコンの電源を付けて、デスコを開こうとする。

 目に飛び込んでくるのはダイレクトメッセージを示すアイコン。送信元はマネージャーとサリス・ヒューマンのふたり。

 長い音信不通を怒られてるんじゃないかと戦々恐々になりながらマネージャーのメッセージを確認すれば、なんと体調を気遣う文章から始まっている。

 

『このところ気温の安定しない日が続いておりますが、体調など崩されてはいないでしょうか』

 

 それから私生活のほうで忙しいだけならば問題ないと続く。終始物腰の柔らかい文面だ。

 

『もし先日の収益化をプレッシャーに感じていましたら、よければ一度お話しませんか。たとえ些細なことでも話すことで気が楽になると思います』

 

 私はひとつのファイルに気付いた。チャット画面に貼られていた。

 内容は私がプリズム三期生のオーディションで送ったエントリーシートだ。

 中にはきっと私が書いた志望動機などが載っているはずだ。あのときなんて書いただろう。

 

『つるぎさんは以前、人狼を名乗られていましたね。デビュー時は犬耳系Vtuberという設定でしたが、最初のプロフィールはすべて運営の方で用意した設定です。もしこれにやりにくさを感じていましたらすべて刷新していただいても構いません。つるぎさん自身で一から乾家つるぎを作っていいのですよ』

 

 そのためにエントリーシートを貼ったのだという。もっともっと私の自由にしていいのだと、やりたいようにしていいのだと。

 私の関心はすっかりエントリーシートの内容に釘付けだった。

 この世界に生まれた黒川京子が、Vtuberを目指した理由は前世の夢を叶えたかったことである。実現寸前まで至った夢を失った悲しみと怒りに突き動かされたまま行動したように思う。だからVtuberになったあとで活動にあまり喜びを見いだせずつらい思いばかりしてきた。

 だけどこのシートに書いてある動機は全く別物だ。これは黒川京子の志望動機ではない。

 

「自分が面白いと思うものを発信し、たくさんの人々と楽しめるVtuberになりたい……」

 

 前世の自分がVtuberを夢見た動機。これは魂へ最初に焼き付いた想いだ。

 自分が面白いと思うもの。それは本当に心から面白いと感じたものなら何でもいい。ゲームでも漫画でも、誰かとの他愛もない雑談や遊びでもいい。自分が抱いた楽しさをプロデュースして、リスナーたちを楽しさに巻き込んでゆく。紹介動画、プレイ実況、リスナー参加型企画、コラボと方法はなんでもある。

 もし本当にやれたら、どんなに楽しいのだろう。

 こんどこそ乾家つるぎをそんなVtuberにしよう。もう一度スタートをしよう。

 私の夢は叶ったのではなく、まだ叶えている途中なのだから。

 この世界は吸血鬼だらけの変な世界だけども、そんなことに夢を邪魔されたくない。何より彼らはリスナーなのだから敵じゃなくて仲間と思うべきなのだ。

 

「この世界でどこまでやっていけるかわからないけど……」

 

 たとえ途中で正体がバレて活動できなくなったとしてもいい。その瞬間まで私は夢を叶え続けるのだ。

 黒川京子はそのために転生した。そういうことにしよう、たったいま決めた。

 

「そのためにはまず二人に謝らなきゃ……!」

 

 時刻は正午を過ぎたところ。吸血鬼にとっては深夜も深夜という時間だがそんなの関係ない。いますぐダイレクトメッセージを返信してしまおう。

 どうせいつまで生きていられるかわからない身なのだ。

 後悔しないようつねに全力で走り続けてやろう。




主人公がようやくVtuberを目指す動機を再確認。
次回からコラボなどが始まります。

年末年始は投稿間隔や投稿時間がかなりバラつくと思いますがご容赦ください。


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13話 ホラー実況コラボ

 霧に薄く覆われた眩しい世界に、ふたりぶんの呼吸が溶け込む。

 霧越しにうっすら開ける視界は古ぼけた壁紙を映していて、この場が屋内であることを伺わせた。コントラバスで奏でた腹に響くほどに重く低い旋律が不穏な雰囲気を紡いでゆく。

 ここは悪夢の世界。

 複雑に入り組んだ構造の洋館。地下に青空があったり、通り抜けた扉が消えていたり、迷い込んだ者を引きずり込もうと亡者どもが徘徊する、そんな幾重にも不条理がまかり通った世界。

 

『ねぇこの部屋大丈夫? ほんとに入って大丈夫? やだやだやだやだ進みたくないもうほんと無理無理むりむりぃ……』

 

「見た感じ普通の部屋っぽいよ」

 

 つまりそういう設定のホラーゲームである。

 悪夢の世界に迷い込んでしまったふたりの吸血鬼を、出口に導くべく動かしてゆく。先頭を歩くのはもっぱら私で、後ろからおっかなびっくりもうひとりが付いてきている。怖くて進みたくないようだが私との距離があくのも怖いようで、常に背後ぴったりとくっつくようにしていた。あちらの画面では私の背中しか見えないような気がするが大丈夫だろうか。

 

『もうこれで終わっていい? もうやめよ? やめようよぉなんで進むの……』

 

「まだはじめて40分しか経ってないけど……」

 

『なんで!!』

 

 いやなんでと言われても。

 

 ヒュー子のメンタルはもうゼロよ!

 二人の落差で風邪ひきそう

 つるぎちゃんマジで微塵も怖がってなくて草

 

 複雑に入り組んで迷わされる構造と常に徘徊している亡者がプレイヤーの精神をゆっくり追い詰めていくホラーゲームで、吸血鬼のあいだではかなり怖いと有名らしいのだが私には全然怖くない。

 そもそもが霧で少し視界が悪いだけの真昼間よりも明るい空間なのだ。明るさという吸血鬼向けのホラー要素は人間に対して真逆に働くのである。

 とはいえ今回は乾家つるぎとサリス・ヒューマンのホラー実況コラボ配信。そのサリス・ヒューマンといえば人間という設定のVtuberだ。

 

「そういえばサリスさんって人間だったよね」

 

『うう……』

 

「人間なら明るいところ平気だよね? 私の前歩く?」

 

『もうやだああ人間や゛め゛る゛う゛う゛!!』

 

 だめ

 放棄するな

 人間から逃げるな

 

 リスナーの狙い通りの反応に口元が緩む。明るいところが怖い人間と全く平気なデイウォーカーの対比を面白がってくれている。

 物音やうごめく影にいちいち反応して足を止める相方の様子に演技はない。本当に心からホラーゲームを怖がっていて、だからこそテンポが悪くならないよう私がどんどん引っ張っている。すると自然と明るさを怖がって尻込みする彼女と平然と進んでゆく私の構図ができていくわけだ。きっとこの関係はゲーム終了まで続くことだろう。

 

『ねえ待って誰か倒れてる……』

 

「ほんとだね」

 

 そろそろいまのチャプターが終わるんじゃないかという頃、探索する私たちは廊下の突き当りに人影を見つけた。周囲がおびただしい血痕で汚されていてもう見るからに生きてはいない。私がそばでアクションボタンを押すと、体が起こされ恐怖に染まった死に顔を見せつけてきた。

 

『ひ……っ』

 

「口に何か入ってる、だって」

 

 これは分担してアイテムを回収するシーンなのだろう。一人が死体を支えているあいだにもうひとりが口からアイテムをとるのだ。起こした私はそのまま支える役になるらしく、一番の怖がりである彼女に一番おぞましい役が押し付けられた。

 

『むりむりむりむりほんと無理! ほんと無理!! ほんと無理!!! ほんッッとムリィ!!!』

 

 まあそうだよねって感想が出る。同時に私はここ切り抜かれて動画にされるだろうなとも思った。たぶん『ほんと無理×1』『ほんと無理×2』って字幕でカウントされるに違いない。

 

 ほんと無理(4combo!!)

 鳴き声助かる

 

「支える役代わる……? 死体の顔がずっとアップで表示されるけど大丈夫かな」

 

『うええ゛え゛え゛え゛え゛もうやだぁあ゛あ゛……』

 

 それからしばらく彼女のすすり泣く声をBGMにしながらアイテム回収の攻防が発生し、役割を交代して死体を起こした彼女が死に顔に驚き離して床へ叩きつけてしまい、5回ほど繰り返される死体にコメントが同情を始めるなどのトラブルを経て、およそ数分後に私たちはアイテムの回収に成功した。

 入手できたものは鍵だった。

 鍵によって新しいフロアが解放されたところでチャプターが終了し、主に彼女のビビり芸が多数の撮れ高を生んだホラー配信もそこで終了となった。

 

 

「はぁ……疲れたね、お疲れ様」

 

『…………』

 

 リスナー向けに終了の挨拶をしたあと、私は通話中のサリス・ヒューマンに改めて挨拶をした。返事こそないものの荒い息が続いていて、彼女が本当に消耗しきっていることが窺える。

 

『あの……』

 

「うん」

 

 しばらくして返ってきたのは蚊のような声と虫の息を足して二で割ったようなものだった。ゲームの雰囲気が明るかったから私には平気だが、もし逆に暗かったら私も同じようになっていただろう。

 

『もうちょっと通話繋いでていいかしら……』

 

「うん……。サリスさんが落ち着くまで切らないから大丈夫だよ」

 

 それからぽつぽつと私たちは話をした。

 私からは改めて謝罪をした。最初コラボに誘われたときに失礼な態度をとってしまったことを。本当の理由を言うことはできないから収益化のプレッシャーと体調不良のせいと嘘を付いてしまったが、彼女は気にしないでと言ってくれた。

 そして彼女からはホラー配信やってよかったと言われて驚いた。あれだけ怖がっていたにも関わらずである。サリス・ヒューマンのキャラクターとして人間のくせに明るいところが怖いというのは表現しておきたかったけれど、一人でホラーやれる気がしなかった、だから一緒にやってくれてありがとうと感謝されてしまった。

 彼女のガバガバ人間アピールはいつも大変そうだなと思うけれど、いつ見ても面白い。

 乾家つるぎは、自分が面白いと思うものを発信してたくさんの人と共有していくVtuberだ。だから私が彼女の表現に関われるのは嬉しくあり、また誇らしく感じるところでもある。

 こちらこそありがとうと言ったら、なんだか照れたような笑いが返ってきたけれども。

 

『ヒュー子でいいよ』

 

「うん?」

 

『ヒュー子って呼んで。あたし最近、配信でヒュー子ってよく名乗ってるから』

 

 公式の名前を名乗らなくていいのかと聞きそうになるが、ふいに以前のマネージャーの言葉を思い出した。公式の初期設定は演者のやりやすいように変えていいんだったか。

 

「じゃあ、ヒュー子……さん」

 

『さん?』

 

 なにか期待されてるような気がする。

 

「ヒュー子、ちゃん……」

 

『じゃああたしもつるぎちゃんでいいよね?』

 

「うん……」

 

 頬の熱さを感じて顔を覆ってしまった。こちらは数ヶ月前まで男として生きてきた人間である。若い女の子同士の距離感なんてわかるわけがないし、ちゃん付けで呼ばれるのはめちゃくちゃに恥ずかしい。

 嬉しさもあるのは、否定しないけれども。

 

『そういえばつるぎちゃんっていつも地声で配信してたのね。地声がすごい可愛いっていいなー』

 

「それはどうも……。ヒュー子、ちゃんは配信中少し声を高めにしてるんだね」

 

『だいたいみんなそんな感じだとおもうわ』

 

 それからしばらく私たちは話し続けた。

 どうでもいい、他愛もない会話ばかりだった。転生してから誰かと雑談するのは初めてで嬉しかったし、その相手が吸血鬼だというのはなんだか不思議だった。

 

 

 

 

 乾家つるぎ tsurugi@prism

 

 配信後ヒュー子ちゃんが落ち着くまで1時間くらい通話してたよ 

 

   .o106  1,459  4,322

 

 

 




いつも感想ありがとうございます。
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14話 シチュエーションマロ

 都営住宅2LDKの部屋は聖域である。

 この世界で前向きに生きてみようと決めたものの、やはり吸血鬼の目を気にせず過ごせる空間というのは貴重なもので、私はいまだにほとんどの日をここから出ずに過ごしている。

 当分の生活費に困っていないから外出する用事といえばほぼ買い物くらいしかない。その買い物もほとんどが食料品で、服など転生直後以来一度も買いに行ったことがない。そもそも吸血鬼の街は光源があまりにも乏しくて人間の目には不便すぎるのだ。何を見るにしても非常灯頼りになってしまい、充分に吟味できないのである。

 ではもう満足な買い物はできないのかというとそうでもなく、オンラインで買い物をすればある程度の問題をクリアできるだろう。一度は利用したことがあるのだが、そのときは玄関に吸血鬼を迎えることが聖域を侵されるように感じて、それきりになってしまった。

 いつまでも怖がっていられないのだから、そろそろまた利用するべきなのかもしれない。玄関を開けずに買い物できれば最高なのだが世の中ままならないものだ。

 

「はぁ……ポスト投函最高……」

 

 日中。

 私、黒川京子はベッドに寝転がりながらベランダより差し込む光で漫画を読んでいる。

 ポストに投函できる漫画ならばオンラインで購入できて玄関で受け取る必要がないので、私は転生してから娯楽費のほとんどをこれに注いでいた。いま開いているのは日常系の漫画だ。早くに親をなくして兄と同居している女子高生が、結婚して家に来たばかりの兄嫁と交流をしたり友達と遊んだりする内容のものである。

 私はこれを娯楽と吸血鬼世界の勉強のために読んでいた。常識というものは日常のなかから学ぶものであり、日常をほぼ自室のみで過ごす私はこのような漫画を教材にするしかないのだ。

 さて、この世界は人間をまるまる吸血鬼と入れ替えただけと思えるほどに前世の世界にそっくりなようだ。例えば歴史についてインターネットで調べるとどこか見覚えのある偉人が登場する。相対性理論を唱えた人だとか、電球を発明した人だとか、某超大国の大統領だとか、枚挙にいとまがないほどで、しかしすべてが吸血鬼だ。

 ところが中世より前の歴史になると、吸血鬼が発生する以前の人間の歴史になるため急に情報が少なくなる。現代に残された歴史的建造物を調べて前世と同じだとかろうじて推測できる程度だ。

 異世界からやってきた身分なのに、世界史のテストで漫画の主人公より高得点取れそうなのは妙な気分である。

 

「あ、そうだ……」

 

 不意にアイデアが降りてきて本を閉じた。

 そのまま寝返りをうちながらスマホを拾い、配信の告知とともに募集文をツイートする。

 

 

 

 乾家つるぎ tsurugi@prism

 

 明日やる雑談配信のお題をみんなから募集するよ

『異能バトル系主人公が初めて異能に覚醒するときの好きなシチュエーション』について語ろう! 

 いいシチュが浮かんだらマロマロで送ってね

 

   .o0  0  0

 

 

 

 ◆

 

【お題雑談】好きなシチュを語ろうよ【乾家つるぎ/プリズム】

 

 翌日。吸血鬼たちが職場から帰宅して寛ぐ時間を待って、私は配信を開始した。

 接続者数は開始の挨拶の段階でもう2千人以上。前のホラーゲームコラボから目に見えて増えた印象を受ける。4万ほどだったチャンネル登録者数はもう5万を目前にまで迫っており、コメント欄のスクロールされるのも速い。

 なんとなく期待されているような気がして本題の前にコラボの振り返りについて語ってみる。最初はヒュー子から誘われたこと。彼女が予想以上に怖がっていたこと。死体から鍵を拾う場面は私も怖かったがあまりにも彼女が怖がるせいで平気になってしまったこと。そんなことを話してるうちに初見を名乗るコメントがいくつも現れ、コラボがきっかけで私に興味持ったことを教えてくれた。私自身も楽しかったからあのコラボは本当にやってよかったと思う。機会があればまたやりたいものだ。

 

 つるぎのメンタルが強すぎて草だった

 シリーズ化してほしい

 いいコンビだったよ

 

「ありがとうありがとう、またやりたいね。……それじゃこのまえの振り返りはこの辺にして」

 

 あらかじめ選んでおいたマロマロを用意しながら、改めてお題の趣旨を説明する。主人公が何かの能力に目覚めて戦いの運命に巻き込まれてゆく少年漫画やアニメの王道展開、その覚醒するときのシチュエーションで好きなものについて語るのだ。なおどんな力に目覚めるか何と戦うかなどは一切決めていないし制限もない。

 

「はい、第一弾はこちら!」

 

 

 拙者は学校に突然モンスターの群れがやってきて、自分が襲われそうになったところを必死に追い払おうとしたら手が異形化して倒せてしまい、その場面をクラスメイトに見られちゃうシチュすこすこ侍、義によって助太刀いたす

 

 

「ああー異形化系……いいよね……」

 

 いい……

 あとからクラスメイトに化け物扱いされるやつじゃん

 

 そこからコメントともにシチュエーションの妄想を広げてゆく。

 学校中でモンスターに襲われる生徒たち。モンスターは四足の狼型で牙が無数に生えているといい。主人公は飛びかかってくる相手へ無我夢中になりながら腕を振るのだ。

 

「そして訪れる静寂……!」

 

 恐る恐る目を開ける主人公

 自分の周りにデカい爪痕ができてるんだ

 奥のほうでズタボロになったモンスターが転がってる!

 

「え? アイツなんでやられてるんだ……? って主人公が戸惑ってるところにクラスメイトが声をかけるんだよね」

 

 「お前……それ……」

 「その手、どうしたんだよ……?」

 

 指摘されてようやく自分の腕の異変に気づく主人公。漫画ならば絶対に大コマのシーンだ。変異した腕はドラゴンの爪がいいとか、凶悪な外見がいいとか、いくつもの意見でコメントが賑わった。なかには漆黒で無数の目と触手が生えているようなのがいいと主張するのもいる。いずれにせよ事件終息後に主人公が周りからどう見られるか気になるものだ。わくわくする導入のひとつである。

 

「はい、次のマロマロこんな感じのだよ」

 

 

 ぼくが好きなのはテロリストや能力者に攻撃されて死んだと思ったら、傷口が燃え上がりながら蘇るシチュエーション!!

 

 

「これ実は敵の能力者が炎とか全然関係なくて、なんで燃えてるんだって怪訝な顔するやつでしょ?」

 

 「お前、その炎はなんだ…!」

 「俺にもわからねぇ」

 「だがコイツで今からお前をぶっ飛ばす!」

 

 覚醒と同時に自分の能力を本能的に理解するパターンだろうか。

 炎系能力は主人公にぴったりでとても絵面がいい。主人公が襲われた理由は異能の潜在能力が補足されてたからだろうか。第一話のラストに意味深なリストが登場して、そこに主人公の顔と名前が載っていてほしい。のちのち登場する主要人物が同じリストに収まっていると面白い。ヒロインとか。

 

「さあどんどん次いこっか。次は面白いよ。ちょっと募集内容からずれるけど覚醒済みなのを隠してるシチュでねー」

 

 シチュエーションマロマロの募集期間はおよそ1日間。そのあいだに届いたネタはなんと三桁もあって選別が大変だった。なかには泣く泣く採用を見送ったものもある。やっぱり男の子はみんなこういうものが好きだよなと共感する一方で、乾家つるぎが広く受け入れられてきたような気がして嬉しくなる。

 いまの乾家つるぎはVtuberらしさをなぞっていたものじゃない。私のやりたいことを全力で表現するためのものだ。それでも付いてきてくれるリスナーたちには感謝したい。

 

 つるぎさんはアニメあんまり見ないの?

 

「うーん?」

 

 私があんまり漫画ばかりで例えるからだろうか、そんな質問をするコメントが目についた。前世ではアニメはあまり見なかったが現在は仕事をしていなくて時間がたっぷりある。この際だから吸血鬼世界の娯楽をもっとたくさん楽しんでいってもいいかもしれない。

 

「実はまだクレカができてなくてね。プライムとかの動画配信サービスにはまだ入れないんだよね」

 

 この世界に転生して役所で手続きをして、住居と口座は手配された。手元にはキャッシュカードがあるがクレジットカードはまだだ。そのうち郵送されることだろう。届いたらどんなアニメを見ようか。

 マロマロのシチュエーションを取り上げながらリスナーからオススメのアニメを聞いていけば、コメント欄はさらに盛り上がっていった。

 




新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。


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15話 それぞれの波紋

【プリズム】総合スレ31【バーチャルTuber】

 

・sage進行推奨

・荒らしはスルーを強く推奨。反応すると喜ばせちゃうぞ

・次スレは>>950が立てること。立たない場合は>>970が立てること

 

 

421 名前:名無しさん@視聴中

これで二期生全員3D化めでたい

 

422 名前:名無しさん@視聴中

三期生もはやく3Dきてくれんかな

 

423 名前:名無しさん@視聴中

初3Dで首骨折してても平然と進めるサチヨつよすぎて草なんだが

 

424 名前:名無しさん@視聴中

サチヨは狂人枠だからな……

ヤツの前にはトゥーリもツッコミに回らざるをえない

 

425 名前:名無しさん@視聴中

仮にも美少女ボディなのにあそこまでおっさん臭くできるのは一種の才能だよ

 

426 名前:名無しさん@視聴中

三期生は誰が一番3Dはやくくるかね

 

427 名前:名無しさん@視聴中

ヒュー子じゃない?

いま一番勢いあるし

 

428 名前:名無しさん@視聴中

つるぎちゃんも最近すごいぞ!

 

429 名前:名無しさん@視聴中

いっそ二人同時に来て欲しい

 

430 名前:名無しさん@視聴中

あの二人相性良さそうだからほんとに同時実装してくれないかな。

 

431 名前:名無しさん@視聴中

そして待ち受けている恒例の利きドリンク企画

 

432 名前:名無しさん@視聴中

青汁「ようこそ」

 

433 名前:名無しさん@視聴中

カロピス原液「ようこそ」

 

434 名前:名無しさん@視聴中

果たして自称人間のヒュー子は耐えられるのか……!

 

435 名前:名無しさん@視聴中

個人的にその辺よりも血を出されたときに飲むのかが気になる

人間って血飲むの?

 

436 名前:名無しさん@視聴中

ヒュー子の人間RPは結構ガバガバだから……

 

437 名前:名無しさん@視聴中

ヒュー子「あ、なんかおいし……これなんですか?」

スタッフ「馬の血です」

ヒュー子「え゛っ」

 

438 名前:名無しさん@視聴中

つるぎのほうは人狼だけど普通に飲むんだろうなぁ

 

439 名前:名無しさん@視聴中

B型が好みらしいゾ

 

440 名前:名無しさん@視聴中

B型ってなんやねん

 

441 名前:名無しさん@視聴中

ニシローランドゴリラはみんな血液型がB型らしいぞ

人狼はゴリラが主食なんか?

 

442 名前:名無しさん@視聴中

ゴリラのワイ歓喜

 

443 名前:名無しさん@視聴中

賢者の皆さんは森に帰ってもろて

 

 

 

811 名前:名無しさん@視聴中

つるぎの配信初めて見たけど好みが男子っぽいのな

推しになりそうだわ

 

812 名前:名無しさん@視聴中

ようこそ

いっぱい推してけ

 

813 名前:名無しさん@視聴中

一緒に週刊誌やゲームの話で盛り上がれる女の子最高だよな

高校時代にそんな子ほしかった……

 

814 名前:名無しさん@視聴中

乾家つるぎが真祖ってマジなん?

 

815 名前:名無しさん@視聴中

いつかの配信で本人が言ってたよ

 

816 名前:名無しさん@視聴中

じゃあマジなのか……

前の配信でまだクレカできてないって言ってたけど真祖だと特別なんかな

 

817 名前:名無しさん@視聴中

ワイ役所が職場だけど

真祖って成長した姿で生まれるから年齢の判断が難しいんだよ

だからこの人には何歳並の知識と判断能力がありますってテストする

成人並の結果がでれば成人と認定するけど外見があまりにも若いと扱いが難しくなる

具体的には口座はすぐ用意するけど、クレジットカード渡すのは何ヶ月か審査してからとかそういう制約が出たりする

 

818 名前:名無しさん@視聴中

さすがにプリズムも未成年を雇ったりしないからちゃんと成人してる真祖だろうさ

 

819 名前:名無しさん@視聴中

最近つるぎの話題多いな

個人スレ行けここ総合スレだぞ

 

820 名前:名無しさん@視聴中

つるぎちゃんがデビューしてから4ヶ月経ってるけどクレカまだないってことは成人済みだけど外見が若いパターンかな

 

821 名前:名無しさん@視聴中

それじゃつるぎの人が生まれたのはデビューより少し前……?

 

822 名前:名無しさん@視聴中

1日ぶりにスレ見たらまだ乾家つるぎの話してんのか

 

823 名前:名無しさん@視聴中

最近勢いあるからしゃーない

 

824 名前:名無しさん@視聴中

>>821

特定しようとか考えんじゃねぇぞ

 

 

 ◆

 

「渡良瀬さん」

 

 名を呼ばれて顔を上げる。見れば私のデスクの隣に同僚が立っていた。渋面からあまりよろしくない話題だと察する。

 

「乾家つるぎさんの件なんですけど……」

 

 背筋がピンと伸びた。彼女は私がマネージャーとして担当するVtuberだ。成人認定された若い真祖ということでかなり慎重な扱いを求められる人物でもある。

 彼女がどうしましたか。恐る恐る続きを促す私に同僚は眉をハの字にして口を開いた。

 

「はい。つるぎさんが配信内で話した内容から、SNSやBBSなどで彼女のプライベートを推測しようとする人が目立ちつつあるようです」

 

 事務椅子に座ったままうつむき、目を閉じた。瞼に浮かぶのはオーディション合格後に面接した彼女の姿である。中高生ほどの見た目に反してしっかりした話し方、それとどこか怯えを孕んだ様子が印象的だった。成人相応と認定されているとはいえまだ生まれて数ヶ月の真祖である。少ない人生経験からくる脇の甘さはスタッフ側でフォローしてやらねばならない。

 

「……わかりました。連絡ありがとうございます」

 

 同僚に頭を下げつつさっそくどうやって伝えるか考える。まず居住地を秘匿させるのは絶対だろう。外見が若いことも伏せてもらおうか。注意事項をメモ帳に書き出しながらもう一度彼女の姿を想起する。

 若い少女といった外見年齢。クラスで一番可愛い子くらいの容姿。声質もどれも飛び抜けた特徴はないのにどこか強い存在感を持つ吸血鬼。彼女の独特の存在感は言葉で表現するのがとてもむずかしい。声に限らず、彼女の一挙一投足が小さな波紋を起こして、私の精神の深いところを優しく揺さぶってくる感覚がした。吸血鬼の皮を被った別のなにかに見えたなんて、恥ずかしくて誰にも言えない。

 メモ帳に書いた文字列を睨む。

 私はプリズムのマネージャーとして、そしてひとりの大人として彼女を守っていかなくてはいけないのだ。




Q.どうして主人公は隙が多いの?

A.①ストレスで注意散漫になってるから
 ②元からそういう性格
 どーれだ?

 >> 答えは両方 <<


Vtuberものの小説はそこそこ読むんですが、掲示板回が一番好きです。


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16話 人間系Vtuber

『どうしたの? ちょっと疲れてる?』

 

 デスコの通話を利用したコラボの打ち合わせで、開始早々にヒュー子からそう指摘された私はきっとわかりやすいくらいに落ち込んでいたのだろう。鉛のような気分という使い古された表現がこれ以上ないほどにぴったりだ。心がずーんと重くなってしまって、何を考えようにも後ろ髪引かれるような気分と後ろめたさがある。

 

「うん、ちょっとね……」

 

 私は素直に理由を口にした。マネージャーから連絡があったこと。配信内での個人情報の扱いに留意するよう言われたこと。真祖という身分が特殊であること。

 すべてを話し終えるまで彼女は相槌をはさみながらじっと聞いて、最後に大変だねと言ってくれた。

 

『本当に大変ね。普通ならクレカの話くらいって思っちゃうけど、真祖だと気を付けなきゃいけないのね……』

 

 この件はコラボする相手と共有したほうがいいとも伝えられている。個人情報に関する話を振られないようにするためだ。

 それから話題はコラボでプレイ予定のホラーゲームの話に移り、そして雑談へと変わってゆく。好きな漫画の話では私の好みが男っぽいことを意外だと言われた。最近はエゴサしているときにもよく見る意見だった。

 

『そういえば、さっきの話に戻るんだけど……』

 

 言いにくいなら全然言わなくていいんだけど、と前置きが追加されて。

 

『つるぎちゃんって一応成人してるのよね?』

 

「してるよ」

 

 見た目はどこからどうみても十代半ばだがこれでも成人と認定されている。酒類を買おうとすると間違いなく年齢確認されるため転生した後は飲酒も喫煙もしてないが。

 ヒュー子はどうなのかと聞いてみれば、彼女も成人しているらしい。大学卒業して社会人二年目だそうだ。前世と比べれば年下だが、現在の私からすればきっと年上である。

 

「仕事に慣れてきてちょっと余裕ができてくる頃だね」

 

『そうそう。よくわかるね』

 

 どうして生まれたばかりの真祖なのにそんなことわかるんだなどと聞かれるようなことはない。真祖は生まれながらに一定の知識を持っていて、そしてそれぞれ偏りがあるものというのが事実として吸血鬼のあいだに浸透している。ゆえに私が学生生活や社会人に多少詳しくてもおかしくはないのだ。実際は前世で経験したからなのだが、素のままに話してても不自然にならないのは大変に助かる。

 

『社会人になると急に友達と遊ぶ時間がなくなって……Vtuberにハマっていったのはその頃かしら』

 

 急に仕事で忙しくなって新しい環境の人間関係に振り回された。社会に出たときはは悲喜こもごもだったが、大学時代の縁が細くなったのを実感して寂しくなったと彼女は言う。自分もその感覚はよく覚えている。

 まさか吸血鬼に親近感を抱く日が来るとは思わなかった。私は彼らがもっと人間とはかけ離れた生き物だと思っていた。

 

『Vtuberを目指したのは……面白そうだと思ったのと、もしかしたら寂しさを埋めたかったのかもしれない』

 

 彼らも人間と同じように悩んで、同じように選択する。ホラーを怖がり、コメディで笑い、悲劇に涙する。

 考えてみれば当たり前なことだろう。私はこの世界で彼らの生んできた娯楽を普通に楽しんできたじゃないか。それこそが吸血鬼と人間が同じ感性を持っていることの証左である。

 

「人間系のVtuberにしようと思ったのはなんで?」

 

 それは我ながら突っ込んだ質問だった。緊張を悟られないよう努めたし、その甲斐あってか彼女はなにも違和感を抱くことはなかったと思う。

 

『……本当にいたらロマンがあるかなと思って』

 

 彼女の声色には小さな恥ずかしさが籠もっているように聞こえた。

 

「ロマン?」

 

『そうよ、ロマン。何百年も前にいなくなったものがもし生きてたら、なんだか面白そうじゃない?』

 

 そっかぁ、なんて感想しか出てこない。吸血鬼にとって人間はいたら面白そうという程度の存在だったのか。自分があれほど正体がバレることに怯えていたのがバカバカしくなってきそうだ。

 聞けば年末の番組では人間が現代も生きているかのような目撃情報や痕跡が取り上げられるんだとか。まるきりUMA扱いである。それだけ人間の生存は彼らにとって非現実的なことなのだろう。

 

『もし人間がいまも生きていたら、少しインタビューしたいかもね』

 

「人間アピールするネタのために?」

 

 そうそう、と彼女は嬉しそうに笑う。

 話していてわかる。きっとヒュー子は吸血鬼のなかでも普通の感性を持っている子だ。彼女の認識はそのまま世間一般の吸血鬼の認識と捉えていい。利用するようで少し申し訳なくなるけれど、これからは彼女の人間アピールのネタ出しに付き合っていこう。その過程で吸血鬼に怪しまれない振る舞いかたが見えてくると思うから。

 

『ああ、でも恨まれてたらどうしよう』

 

 不意に気付いた様子で彼女が言い出す。私は何のことかと考えて首をひねる。人間が吸血鬼に怯える理由こそあっても恨む理由はあっただろうか。なにせ数百年も前に滅びた種族である。

 

「もしかして……吸血鬼に滅ぼされたから?」

 

『そうそう。ご先祖様の仇、なんて恨まれたりしないかしら』

 

 それは大丈夫だと私が保証しよう。心のなかでこっそりと。

 

「案外友だちになれるかもしれないよ?」

 

『いいわね。なれたらきっと面白いわ』

 

 決めた。

 私はこの子と友達になろう。きっと楽しいはずだから。

 椅子に座ったまま伸びをして、強張った背中や首の筋肉をほぐす。時計を見ればもうじき吸血鬼にとって遅い時間になるころだ。打ち合わせは充分にできたからそろそろ通話を終えるとしよう。

 そうやって通話を切ることを伝えるべく口を開いた矢先のことだった。

 

『友達で思い出したんだけど』

 

 私は口を開けたまま動きを止め、沈黙で続きを促す。

 

『つるぎちゃんと遊んでみたいっていう子がいるの』

 

「どういう子……?」

 

『リジアっていう名前なんだけどね』

 

 リジア・ナプリス。

 それはもうひとりの三期生の名前だった。




いつも感想ありがとうございます。執筆の励みになります。


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17話 プリズムサーバー

 リジア・ナプリスはプリズム三期生の女性Vtuberである。髪から覗く一対の角と、背に生えた小さな羽、そして細い尻尾を持つ外見から彼女は小悪魔をモチーフにしたキャラクターだと伺える。

 人狼の乾家つるぎ、人間のサリス・ヒューマン、そして小悪魔のリジア・ナプリスと三人の三期生は人外三人組と巷で呼ばれているのだ。

 さて、そんなリジアの配信スタイルは同期二人と少し異なる。

 得意なゲームは1人で地道な作業を重ねていく種類のものであり、例えば様々な特徴を持つブロックを採掘し建築してゆくマイクラフトというゲームの実況配信では、なんと5時間から7時間もの長時間アーカイブがいくつも残されている。

 長時間配信。これこそがリジアの配信スタイルである。

 華々しいスーパープレイもリスナーを湧かせるトークもしないが、ひたすらリスナーのコメントとやり取りしながらじっくりゲームを進めていく姿は一定の人気を博していた。

 以上、ここまでがリジアについて私の知っている情報だ。

 その彼女が私と遊んでみたいと言っていて、またマイクラフトが得意ということから同期三人でマイクラフトを遊ぶことが決まった。

 私は前世でマイクラフトに相当するゲームをやったことはないが、世界で一番売れたゲームということで名前は聞いたことがあるし、またVtuberが遊んでいる様子も見たことがある。何をすればいいか大まかに理解しているから、三人でやろうと言われたときは抵抗なく頷いたのだ。

 

 

 ◆

 

 いま私が操作するキャラクターの前には、粗いドット絵を3Dに起こしたような人物が立っている。どれもカラーリングはヒュー子とリジアを模していて、ひと目見ただけで彼女たちのキャラクターだとわかるようになっていた。

 周囲は見渡すかぎり自然豊かな丘陵地帯が広がっていて、よく見ればキャラクターと同じようなドット絵風の動物が歩いている。吸血鬼向けのゲームらしくスタート時点の時刻は夜だ。頼りない月明かりしか私たちを照らすものはない。人間の目には暗い景色だがディスプレイの設定で明度を調整しているおかげで困ることはほとんどない。

 

『今日やることは家造りでいい?』

 

 ダウナートーンの声が確認をとりにきた。私たち三人は全員とも女性Vtuberだが声質はかなり違う。リジアはやや低音のハスキーボイス。私は肉体年齢が若いからか女性Vtuberのなかではやや高めで若々しい。声がいいとよく言われるが自分ではよくわからない。ヒュー子は私より高音でよく通る声をしているが、配信外の地声だと私より低めになる。どちらの場合も陶器のように滑らかでしっかりした印象を抱く。

 

『そうね。マイクラフト初心者のつるぎちゃんの家を作るわ』

 

「それで、どんな家を作るかの参考にプリズムサーバーを観光するんだよね」

 

『プリズムサーバーには先輩たちの作ったものがたくさんある』

 

 マイクラフトは他人と世界を共有して遊ぶことができる。ゆえに協力して採取や採掘をしたり、建造物を作れるのだ。プリズムサーバーはプリズム所属のVtuberで共有する世界となっており、彼らがいままで作ってきた建造物は所狭しと並び建ち、ひとつの街の様相をなしていた。

 Vtuberが配信しながら作れば建築物ひとつひとつにエピソードが宿る。リスナーとてそれぞれに思い入れを持つ人がいるし、なんなら今日の観光と家造りは配信しながらでもよかったかもしれないと思った。きっとマイクラフト初心者が先達の作ったものを見て何を思うか期待するようなコメントが溢れかえるだろう。

 

「みんなが作ったもののところに行こういこう」

 

 スタート地点から東へ東へと進んでゆくと、地平線の彼方に賑やかな輪郭が見えてくる。

 近代的な建物が見えればその脇には巨木が乱立しており、周囲にのどかな牧場と畑、そしてピラミッドが広がっている。驚くほど無秩序な街並みである。それぞれ製作者が違うのだから仕方ないのかもしれない。

 

「この国会議事堂……完成度すごいね……」

 

『……』

 

 いざ街に入って一番最初に見えてきたものは、なんとブロックで完全に再現された国会議事堂だった。

 花崗岩とよく似たブロックで整えられた外装。その柱や窓の数はいずれも本物と同じなのだというから作り手の拘りを感じずにはいられない。きっと内部も相当に再現しているのだろう。

 

「でも、なんか襲われてるね……」

 

 そんな見事な建築物が、なにやら青紫の巨大な怪物に襲われている。およそ国会議事堂全体の三分の一程度のサイズを持つ、蛸と人とムカデを足したようなデザイン。それが無数の足と触手を建物に絡ませていまにも中にいる人々をほじくり出そうとしているのだ。ブロックで作られた怪物と議事堂でひとつの建築物になっていることを気づくのにしばらく時間がかかった。

 

「この大きいのが邪神像……?」

 

『うん』

 

『ちなみにこれがサチヨ先輩の家よ』

 

「ここで生活してるの!?」

 

 等々力サチヨ。狂人と名高いプリズム2期生のVtuberだ。美少女の外見でありながら声は男性であり、ドスの効いた低音ボイスからの下ネタ連打を得意とする。緊張すると感情の起伏が乏しくなるそうで、普段は騒がしいのに他人が慌てる場面ほど冷静で無表情になることからサイコパス扱いをよくされている。

 個人的な感想としては、画面の向こうで眺めるぶんには楽しいが実際に絡むのは大変そうな人というところだろうか。

 

「サチヨ先輩はどうしてこんな家を……?」

 

『さあ』

 

『それがわかれば狂人って言われたりしないから……』

 

 次に訪れたのは巨大な大樹の三つほど並び立つ場所だった。よく見ればそれぞれ根本のほうには扉が付けられており、幹には擦りガラスがはめ込まれている。もしかしてこれも誰かの家なのかと2人に問いかければ、リジアが小さな声で肯定した。なんと彼女の作った家らしい。

 

「すごい……。これ、大きな木のなかをくり抜いて作ったの?」

 

『ううん。材木を用意して木に見えるように組み立てた』

 

 内部の上下移動は水流を使ったエレベーターで移動しやすくしており、そしてくり抜かれた各枝にはそれぞれ農場や牧場を設置してあるらしい。頂上に登るとプリズムVtuberたちの作り上げた街が一望できた。

 もはやすごい拘りだなとリジアに驚くべきか、このゲームはそんなこともできるのかとマイクラフトに驚くべきかわからない。その気になればいくらでもやり込めるゲームなのだろう。世界で一番売れた理由が伺える。

 

「ヒュー子ちゃんはどんな家を作ったの?」

 

『あたしは普通のログハウスよ。まだ始めたばかりだからつるぎちゃんも参考にしやすいんじゃないかしら。最後に見ましょ』

 

『ここからだとトゥーリ先輩の家が一番近い。次はそこに行こう』

 

 近いと言われた神屋トゥーリの作った家は湖にあった。一部を埋め立てて作ったのだろう出島の上に白亜の家が建っている。家はさほど大きくないが色とりどりの花畑が可愛らしい。普段の悪ガキめいた印象のある神屋トゥーリらしくない家だと思ってしまうが、案外可愛いものが好きなのかもしれない。

 私は出島へと続く橋まで近づいたところで、その前にある立て看板に気付いた。表札かと思いあまり気に留めず通り過ぎようとしたところ、リジアから呼び止められる。

 

『読んでみて』

 

「え、うん」

 

 なにか特別なことが書いてあるのだろうか。充分に近づかないと読めないほどに看板の文字は小さくて、目の前に立った私は文章を理解するより先にカチリという謎の音を拾った。

 足元のブロックが扉のように開く。

 

「え?」

 

 落ちる。

 

「な、え?」

 

 真上で閉じる扉。月明かりを失ってこれまでと比較にならないほど暗くなる世界。落ちた場所は身動きが取れないほどに狭くて、私はぐるぐる周囲を見回しパニックに陥りながら二人に説明を求めるしかない。

 

「待ってこれ何? バグ、バグ?」

 

 だが彼女たちから返ってくるのは情報でなく笑い声である。

 慌てた様子はまるでなかった。これはバグなどではなく何かの仕掛けだと気づくと、荒波のようだった心がだんだんと平静を取り戻す。私は落とし穴に誘導されたのだ。

 もう、と抗議したところで笑い声はやまない。

 

「ええ……。これどうやって出るの……」

 

 落とし穴のなかは前後左右が壁である。ゲームを始めたばかりで何の道具も持っていない私にはどうすることもできない。

 すると聞こえてきたのは例のカチリという音。

 見ればヒュー子とリジアが落とし穴のなかに落ちてきて、私は二人が掘る穴で地上に戻ることができたのだった。

 

『ビックリさせてごめんね』

 

 ヒュー子が謝ってくるが声は未だ半笑いだ。これが配信中だったら私の立ち絵はさぞ不機嫌な表情を浮かべていただろう。

 

「……もしかして私に悪戯するために落とし穴作った?」

 

『違う。あれはトゥーリ先輩が作ったもの』

 

 聞けばあの人は家の周りに様々な罠を仕掛けているらしい。だいたいマイクラフトを始めたばかりの人が、つまりプリズムの新人が引っかかるそうだ。二人も引っかかったことがあるらしい。

 

「そうだよね。トゥーリさんそんな感じのひとだもんね……」

 




本来は吸血鬼以外の種族は「人外」じゃなくて「吸血鬼外」という言葉で呼ぶのが正しいはずなんですが、オリジナルの単語を作ると読みにくくなるので、この作品の吸血鬼は自分たちを人と呼ぶことにしています。


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18話 リジア・ナプリス1

 街の観光を終えてさあ自分の家を作ろうということになったが、私は道具をまったく持っていなかった。これまで見たマイクラフトの動画ではどれも当たり前のようにつるはしを持っているのだがあれはどこから調達しているのだろう。

 そのことをリジアに尋ねると、彼女は私を街の外まで誘って森の木を示した。

 

『木を長押ししてみて』

 

 促されるままやってみる。すると木のブロックにだんだんとヒビが入り素材へと変換される。動画でよく見た採掘の光景が素手でも可能だということを知りつつ、私は木々から木材を採取する。リジアはそばで一緒に採取してくれて、ヒュー子はずっと私たちの様子を眺めていた。

 たくさん入手した原木で家を組み立てるのかと思ったがどうも違うらしい。リジアは私の目の前で原木を材木に加工、そして作業台を作っていった。作業台があればスコップやつるはしを作れるようになるんだとか。

 

「これが……」

 

 そして、いままで画面の向こう側でしか見たことのなかったものが、私の手に握られることとなる。

 いくつもの配信で見た金やダイヤモンド製ではないものの、自作した木製のつるはしを私は装備している。

 自分の心が静かに高揚していくのを自覚した。これまでマイクラフトのことをリジアとヒュー子と一緒に遊ぶゲームとしか思っていなかったが、自分も他のVtuberのように様々なものを作れようになったことで暖かな意欲が私の深いところからにじみ出てくる。

 続けてスコップと斧を作って、いよいよ私は地面を掘ってみた。

 

「掘れる!」

 

『いっぱい掘ろう』

 

 自分の行動によって簡単に地形が変わる、そんな単純なことをこれほどまでに楽しめるとは思わなかった。これまで見たVtuberたちと同じ体験ができることに興奮したのかもしれないし、あるいは子供の頃に砂遊びで抱いた楽しさが蘇ったのかもしれない。気がつけば私はリジアと一緒に手当り次第掘り進めてしまっていた。いまや森だった場所は多くの木が伐採され巨大なアリの巣だらけという有様だ。

 ここまで穴掘りに夢中になったのは、同じ材料から同じ道具を作って同じ目線で遊んでくれる人がそばにいるからだろう。リジアは木製のものよりずっと優秀な道具をたくさん持ってるだろうに、わざわざ始めたばかりの私のレベルに合わせた上で楽しんでくれている。

 ヒュー子のほうは何をしてるんだと見てみれば、どうやら弓と剣でモンスターらしきものを倒していた。私が邪魔を受けないよう排除してくれてるのだとしたら嬉しい。

 それから私たちは思いのまま周囲を穴だらけにしたり、伐採した木からリンゴを得て空腹を鎮めたり、ヒュー子の見つけた羊を狩って羊毛を得るなどして遊んだ。どの素材に何の意味があるのかはわからなかったが、雑談しながら目につくものをすべて収集するのは楽しかった。

 そんなことをしているうち、気がつけばだいぶ空が明るくなってくる。

 だんだんとはっきり見えてくるアリの巣を感慨深く見ていると、突然画面が赤に明滅した。心臓の鼓動を強調したような効果音とともに体力が減っていき、まさか何かから攻撃されたのかと慌てたが周囲に下手人らしきものは見えない。

 

「え、なに!? なんでダメージ受けてるの!?」

 

『日光、日光受けてるよ!』

 

『つるぎちゃんはやく隠れて!』

 

 納得と疑問がふたりからもたらされる。そうだ、吸血鬼には日光が毒なのだ。だが日光から隠れるなんてどうすればいいのだろう。

 慌てていると地面を掘り始めるリジアが見える。一心不乱にただ下へ下へと。その姿を見て私は悟った。こういうときは地中に隠れるのだ。

 やがて三人が掘った穴を中で繋げるとそこそこの広さの空間になった。なんとなく既視感を抱く光景だ。吸血鬼の街の地下通路はこれと同じ理由で開発されていったのだろう。

 それからコンパスを持ったリジアの誘導で街のある方向へと三人で掘り進めていく。観光のときは地上部しか見ていなかったが、あの街の地下には大規模な地下通路が整備されているらしい。考えてみれば当たり前のことで、ゲームのなかと言えど吸血鬼には日光を凌ぐ移動経路が必要なのだ。この三人で掘る穴もしばらく進めていれば地下通路に接続できることだろう。

 

「さっきはびっくりしたな……」

 

『デイウォーカーだと平気なの?』

 

 ヒュー子の言葉に肯定する。本物のデイウォーカーがどこまで平気なのかはわからないが、個人差が大きいらしいので多少は適当に言っても大丈夫だろう。それよりも私は普通の吸血鬼があんな簡単に日光で傷ついてしまうことに驚いていた。

 

『実際は日にあたってすぐにダメージ受けるわけじゃないけど、これはゲームだから』

 

 ということらしいが、実際にどのように傷ついていくかは怪訝な顔をされそうなので聞かないことにしよう。

 昇った太陽がまた落ちるまで地下通路で時間を潰す。

 いろいろと探索してみると地上で見た建物がすべてしっかりと地下まで作ってあることがわかった。むしろ地上より地下を重視するこの世界と前世では建築様式が違うのだ。最初のころは家を作る場所を地上から見て決めようと思っていたが、この様子では既存の通路に併設できる場所から選ぶべきかもしれない。

 三人で家の場所を相談して決めた後は、地上に出てブロックで作業場所を囲っていく。完全に日光を遮断して昼でも地上部を作れるようにするためだ。現実の吸血鬼の工事現場でもきっと似たような工程で作っているのだろう。

 私のマイクラフト初日はまず地下スペースを作り、そして壁と屋根を組み立ててからベッドと作業台を置いたところ終わりとなった。まだ家の見た目はただの四角い箱だがもう一日で外装と内装は整えられるだろう。

 三人でログアウトしたあともしばらく通話は続いたが、ヒュー子が突然時計を見て慌てだす。見れば短針が1時を指していたからそこで私たちは解散した。



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19話 リジア・ナプリス2

 キッチンでドライヤー片手に湿った髪を乾かし、空いた手で冷蔵庫を開ける。取り出したのは豆乳。風呂上がりにこれを飲む瞬間が人生で一番好きだ。

 コップを呷りながら考えるのは昨日一緒に遊んだ乾家つるぎさんのこと。

 乾家つるぎ。それは私、リジアとヒュー子さんと同じプリズム三期生である。そんな同期は私にとって唯一肩肘張らずに付き合えそうな相手だった。

 Vtuberの黎明期にデビューして業界を切り開いた一期生と、様々な活動で業界を盛り上げた二期生はもう、私の中ではただのプリズムの先輩に留まらない。ひとりひとりが尊敬するVtuberなのだ。だからデビュー後まもなくに先輩とコラボさせられたときは恐れ多くて大変だった。

 ヒュー子さんとは比較的すぐに仲良くなれた。同期に対する認識は私と同じだったようでお互いに話しかけたい雰囲気を出していたから、デビューした週にはすぐデスコで話をする仲になっていた。

 問題はつるぎさんだった。デビューからいままで五ヶ月ものあいだずっと話してみようと思っていたのに、彼女はデスコで全然発言しないから交流の切っ掛けが作れない。なんとかついったのリプライを交わすのがせいぜいで、それもどこかよそよそしくて盛り上がらないし、むしろ彼女は我々との交流を避けてるのかと思っていた。

 配信では楽しそうにしているのに、厚いガラス板のようなもので隔てられていて仲良くしにいけない。それでいて彼女の配信には不思議な引力があったから気にせずにはいられない。だから私はいつも指をくわえて配信を見ていたと思う。採用されることを祈りながらマロマロを送ったりもした。彼女が神屋トゥーリ先輩とコラボしたときはプリズムの指示だったとはいえ嫉妬しそうになったほどだった。

 

「ふぅ……」

 

 空になったコップを流しに置く。髪は十分に乾いてきたので肩にタオルを巻いてパソコンのある部屋へ向かう。

 デスコを開くとヒュー子さんがログイン中。つるぎさんはオフラインだ。

 三人の三期生ということで私たちはよくリスナーのあいだで比較される。私は長時間のゲーム配信ばかりしているからか三期生のゲーマー担当。ヒュー子さんはいろんな人間アピール企画考えたりしているから芸人担当。そしてつるぎさんは人を惹きつける不思議な力があるからアイドル担当。全然関わりを持ててないけどよく三人でひとまとめで語られるのは嬉しかった。

 そんな水族館の子供のようにしていた日々が、突然のコラボに衝撃を受ける。

 乾家つるぎとサリス・ヒューマンのホラーゲーム実況。

 ずっと孤高を貫く人だと思っていた彼女が、突然私の友達と遊び始めたものだからとても驚いた。それに、同じ同期である私にも可能性があるんじゃと期待だって抱いた。だから私は飛びつくようにヒュー子さんへ頼み込んだのだ。つるぎさんと遊びたいから橋渡しをして、と。

 

「いまいるかな……」

 

 Tubeでヒュー子さんのチャンネルを確認。配信中じゃないと判断してデスコのダイレクトメッセージ画面を開く。

 

「昨日はありがとう」

 

 彼女のアイコンを眺めてぼうっとしていると、チャット画面に書き込み中の表示があらわれる。

 

『どういたしまして。つるぎちゃん可愛いでしょ』

 

 私はうんの二文字を打ち込んだ。

 昨日は配信していなかったから三人とも素のままリラックスして遊んでいた。そこでのつるぎさんは配信で見たときよりもずっと面白くて、あの不思議な引力も強く感じたと思う。

 

「可愛かった」

 

 ヒュー子さんの返事に打てた文字はたったの五つ。こういうときばかりは自分のコミュニケーション下手を恨みたくなる。どこがどう可愛かったとか、それ以外の印象とか、すぐにパッと出せればいいのに。

 

『三人で配信するのも面白そうよね。一緒にマイクラフトでなにか作ってもいいし』

 

 三人でマイクラフト配信できたらどんなに楽しいだろう。ヒュー子さんをあのゲームに誘ったのは私だったけど気に入ってくれていてよかった。一緒に遊ぶゲームは何がいいか考えたときにマイクラフトを提案したのは彼女だったのだ。

 昨日三人で遊んだ感触だとつるぎさんもマイクラフトを気に入ってくれたと思う。また遊ぼうとつるぎさんに言ったら同じ言葉が返ってきて椅子から飛び上がりそうになった。

 

「マイクラフト以外も一緒にやりたい。ゲーム選んでおくから」

 

『すっかり気に入ったみたいね』

 

 親しくなってもう五ヶ月のヒュー子さんだから、画面の向こうで笑ってるのが簡単に想像できる。

 

「そうだね。でもそれだけじゃないよ」

 

 マイクラフト以外にもいろんなゲームに誘いたい理由は、ただ親しくなりたいからだけじゃないと思う。ずっと彼女から壁のようなものを感じていたけど、実は彼女は遊びに誘われたかったんじゃないかなというのが、三人で遊んだときのはしゃぎぶりを見た感想だったのだ。

 

『本当は寂しがってたと思った、ということ?』

 

 私はそれに肯定する。

 彼女は大人の真祖なのだ。つまり最初から成人した状態で生まれた存在だ。私たちみたいな一般の吸血鬼と違って、彼女は家族も友達もいないままたったひとりで世界に放り出された。だからきっと何かを相談できる人はいないし、万が一のときに頼れる人もいない。そこまで考えれば生まれたばかりの真祖がVtuberになろうとした理由がわかってくる。

 

「友達が欲しかったんじゃないかな」

 

 でも友達の作り方がわからなかった。だって私たちが幼稚園や学校で当たり前のように得ていた、同年代と関わる経験が彼女にはないのだから。友達という概念を知りつつも作る方法がわからなかったからVtuberになって、しかし他者への関わり方もわからなかったからいままで孤独に過ごしてきたんじゃないか。

 我ながらすごい発想の飛躍だなと思う。それでも、いま開いた彼女の始めの頃の配信にどこか心細そうな雰囲気を感じるのはきっと気のせいじゃない。昨日通話しながら遊んだときの心から楽しんでいた様子だって絶対に気のせいじゃない。

 

『ちょっとわかるかも』

 

 意外なことにヒュー子さんは同意してくれた。それどころか心当たりあるとも言った。

 

『つるぎちゃんにあたしがVtuberになった理由を言ったことあるの』

 

 確か大学を卒業して就職して急に友達との縁が細くなって、Vtuberに楽しさを求めるのと同時に寂しさを埋めてくれることも求めていた、だっただろうか。ヒュー子さんがそれを伝えたとき、つるぎさんはその感覚をわかると言ってくれたらしい。

 

「つるぎさんは真祖だけど。普通の子だったね」

 

『そうね……。きっと普通に楽しくなったり、普通に寂しくなったりすると思う』

 

 だったらもう私のやることはひとつじゃないかな。

 彼女と仲良くなって、あなたには友達がいるよと伝えてあげたい。

 

『もっともっといっぱい遊びましょ』

 

「うん。オフでも会ってみたい」

 

 半ば勢いで言ったがそれは難しいとすぐに悟った。いま私のいるところは九州だけど、昨日の話では彼女は東京在住らしい。

 

『あたしは隣の県だから会おうと思えばってところね……』

 

「東京に行く用事はない?」

 

 それきりしばらくチャットが途切れる。予定表を確認してるのだろうか。

 

『あったわ。来月東京でやるライブ見に行く予定ね』

 

「誘ってみる?」

 

『そうする。ライブのあと一緒に食事する時間くらいあるはずよ』

 

 正直に言ってヒュー子さんが羨ましい。もし彼女が東京じゃなくて九州で生まれたらと思わずにいられない。

 けれどそれはもう仕方ないことだ。私にできることは三人で楽しむ機会を作ることだけだから、せめて三人で遊べるゲームや企画をたくさん考えていこう。




つるぎ「え゛っ」


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20話 議会

 目が覚めて体を起こそうとした瞬間、腹に電撃が走った。

 反射的に体を反らそうとすると次は背に、肩に、二の腕にと痛みが駆け抜ける。

 筋肉痛である。

 間違いなく昨日行ったリングヒット配信が原因だった。

 

「ふぉ、きっつ……」

 

 産卵に来たウミガメよりのろい動きでベッドを這い、冷水を求めて台所を目指す。

 リングヒットとは室内で体を動かして遊ぶゲームの名前である。専用のコントローラーと足のバンドでプレイヤーの体の動きをゲームが認識し、動きに応じてキャラクターがアクションすることでステージをクリアしていく。当然ながらプレイヤーが激しく動けばキャラクターは勢いよく動くし、逆に全く動かなければキャラクターはなにもしない。フィットネスとゲーム性を両立させた全く新しいゲームは瞬く間に業界で話題になり、多くのVtuberたちがリングヒット配信を生み出しているのだ。

 そういうわけで購入してみた。

 切っ掛けは同期のリジアに誘われたことだった。

 その誘いはヒュー子を入れた三人組でステージクリア速度で競争するコラボはどうかというものだった。

 面白い企画だと思ったし、彼女たちと仲良くなりたいのもあったので私は一も二もなく頷いた。お互いに未プレイということで事前練習はせずに初期設定と動作確認だけをして挑むのだ。リジアが細かいレギュレーションを決めてヒュー子と私が告知を担当。三人で誰が一番早くゴールするかの予想などでリスナーたちは大きく盛り上がってくれた。

 

「う、ぐ、ぐ……。くやじぃ……」

 

 結果は惨敗。

 よく考えてみたら、私はこの世界に転生して数ヶ月のあいだ運動どころかほとんど外出してこなかったのだ。

 目を閉じると蘇ってくるあまりにもあんまりなコメントの数々。『フィジカルクソザコ人狼』だの『陸上は初めて?』だの『日光耐性の代わりに体力を捨てた女』だの『この体力で登山したいとか言われた富士山の気持ちを考えて』だの。リスナーの一位予想に挙げられてドヤっていた自分を殴りたくなるほどに散々な有様だった。

 自信はあったのだ。

 前世では運動が好きなほうだったし、何より見た目十代の若い体だから体力があると思っていた。だからスタート前はいろいろと大口を叩いてしまっていた。

 私一人だけ遅れてゴールしたときの、大笑いしたヒュー子といたたまれない表情のリジアを一生忘れない。

 

「ひぃ……ふぅ……」

 

 蛇口をひねるいまの私の動きは、ゾンビとどっちがマシなのかなとどうでもいいことを考える。背筋の痛みに目をぎゅっと瞑りながらコップを呷れば、ひび割れた全身を清涼感が通り抜けていった。

 ふう、と大きく深呼吸。

 外はすっかり明るくなっている。もう昨日の配信は熱心なファンたちに切り抜かれアップロードされていることだろう。ゲーム中にさんざん悲鳴を上げたし、負け惜しみだって相当言った気がする。正体がバレるようなことは言ってないけど見るのが怖い。

 とりあえず歯磨きと朝食を済ませて軽くデスコやSNSなどを確認しよう。

 そう思いさっそく洗面台を目指そうとして、太股の痛みにしばらく蹲った。

 

 

 人間の私は朝に起きて夜に眠る生活を送っている。ちょうど吸血鬼からしたら昼夜逆転生活になるだろう。

 朝から昼に掛けての時間帯は吸血鬼にとって食後から就寝までのあいだに相当し、もっとも配信や動画投稿が盛んになるタイミングだ。昨日のコラボも昼まで行っていたのだが、私は疲れに疲れてシャワーのあと眠りについてしまい、目を覚ましたときには朝になっていた。

 夜中は吸血鬼たちの就業時間で連絡が交わされにくい時間なので、コラボ直後に連絡が来ていてもいま返せばあまり返事が遅いことにはならないだろう。

 そう思いながらさっそくデスコを開いてみれば、さっそくダイレクトメッセージがふたつ来ているではないか。

 ひとつめはリジア。コラボの礼と体調を気遣う内容。

 ふたつめはヒュー子。こちらも同じような内容だが、一番最後に気になる一文が載っている。

 

『来月ライブを見に東京行くんだけど、終わったあとで会わない?』

 

「……」

 

 瞑目。そして深呼吸。

 見間違いであることを祈りながら目を開けてみたが現実は非情だった。

 ヒュー子とオフで会うことをイメージした瞬間、私の慎重な部分が異を唱える。吸血鬼と会うなんてとんでもない、命が惜しくないのかと議場のテーブルを激しく叩いた。

 これに反論するのは私の欲求を司る部分だ。これまでプリズムのマネージャーや役所の職員、またコンビニの店員と会ってて何もなかったじゃないかと人差し指を突きつける。

 人間関係を司る部分がそれに同調する。現状で一番仲のいい吸血鬼はサリス・ヒューマンなのだから、吸血鬼のなかでは彼女が一番安全ではないか。将来を考える部分がさらに同調して、一生誰とも関わらずに生きるなんて現実的じゃないと叫んだ。

 常識的な部分は挙手して静かに意見を述べる。吸血鬼が活動する時間帯は深夜なのだから暗くて歩けないじゃないか。

 デスコ画面の前で硬直する体。紛糾する脳内。時計の秒針の音だけが支配する空間。

 そして議論を鎮めるのは、前世の男性の要素をもっとも色濃く受け継いだ部分がぽつりと呟く言葉だった。

 外出用の服なんて持ってない。女の子のファッションなんてわからない。

 

「どんな服を来ていけばいいんだろ……」

 

 静まり返る脳内議会。女の子歴数ヶ月の私には自分のおしゃれしたイメージなど欠片も抱けない。

 ヒュー子とオフで会うかどうかをいったん横に置き、姿見の前に立ってみた。

 目の前にかわいい少女がいる。

 例えば修学旅行の夜に男子の部屋で真っ先に話題に上がるような、あるいは道ですれ違うときに目で追いそうになるような、そんな容姿の少女がいる。もし前世の高校でこんな子がクラスメイトにいたらひと目で恋に落ちていた、とは言い過ぎかもしれないが挨拶を交わせたら気分が浮き上がったに違いない。

 さて、そんな少女がおしゃれした姿を見たいだろうか。

 

「見たいッスね……」

 

 前世の男性の要素をもっとも色濃く受け継いだ部分、通称男心さんの意見が口から漏れる。見たい。そりゃ見たいに決まってる。ただでさえ電源を落としたパソコンのモニターとか、歯磨きや入浴中にふと見る鏡とかで『あっこの子かわいいな』と何度も思ってきたのだ。もっと可愛くなるならぜひとも拝見したい。

 試しにパソコンを使い、女子コーデと検索してみる。検索結果を姿見の自分と見比べてみる。

 

「……」

 

 私は無意識のうちに何度か頷いていた。

 男心さんが呟く。せっかくかわいい女の子に転生したのだから少しはこれを楽しんでもいいんじゃないか、いままでデメリットにしか思わなかったものをメリットと認めてやってもいいんじゃないか。欲求を司る部分が同意する。常識担当と将来担当が腕を組んでそうだそうだと合唱する。

 慎重な部分が、服の購入はインターネットで済ますならと渋面で許可する。

 最後に人間関係担当が起立して勢いよく挙手した。

 そうだ、何を着ればいいかリジアに相談してみよう。

 




Q.なんか性格変わった?

A.転生する前はこんな感じだったかもしれない。


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21話 オフ1

 地下鉄の改札前にキャスターバッグと並んで立つと、いよいよつるぎちゃんと会えるんだという実感が湧いてきた。

 推しアーティストのライブは大いに楽しんだけれど、終わりが近づくにつれてだんだんと頭のなかで彼女の存在が大きくなって集中できなくなったと思う。あたしは自分が考えていた以上に彼女と会うことを楽しみにしていたらしい。

 スマホカバーの鏡でメイクを確認するけどもうこれで三回目だ。どこも変なところはないしライブの後に一度着替えたから汗臭さもないはず。カバーを閉じて瞼も閉じて深呼吸した。

 突然の通知音でびっくりすると、つるぎちゃんからレインが来ていた。

 

『いま駅についたよ。南口改札まで歩いてる』

 

 やばい。もう会える。もう会えてしまう。

 余計にどきどきが大きくなった。Vtuberを始めて誰かとオフで会うのはこれが初めてだけど、それだけが理由じゃない気がする。

 待ち合わせにした駅が彼女の最寄り駅だと聞いたとき、良い場所に住んでるなと思った。けどよく考えてみれば彼女は真祖で都の用意したマンションに住んでるわけだから彼女が選んだ土地じゃない。まあいい、いまのあたしには彼女が徒歩で来るってわかるだけで充分だ。

 地下街を歩いてくるのかそれとも地上から階段で降りてくるのか、どっちだろう。

 あたしは改札前の柱を背にして行き交う人々を眺めながら待つことにした。そのうち人の波のなかからつるぎちゃんが出てくるはずだ。

 そのときだった。

 世界に波紋が生まれた。

 ひとつ、静かな水面を想像してみてほしい。すべてが水びたしになっていて、人々も腰ほどの高さまで浸かっていて、ただし誰も身動きをとらないから水面は鏡のように静止してる、そんな世界。そこでただ一人だけがばしゃばしゃと水を叩いたらどうなるだろう。

 きっとみんなその子を注目するに違いない。誰かと話をしてる人も仕事中の人も一度は視線を向けざるを得ないような、周囲からくっきりと浮いた存在感。

 その波紋を作る子はひとりの女の子だった。中高生ほどの歳で、さらさらの黒髪を肩まで真っ直ぐに伸ばしていて、タイツと長袖で肌を隠しているガーリーコーデ。

 女の子は地下街を壁伝いに歩いていた。何故かライト機能で点灯させたスマホを覗き込むように俯いてるから、周りの人にちらちら見られてることに気付いてない。

 なんだかちぐはぐな子だなとあたしは思った。縮こまって目立たないように歩いているのにどうしようもなく目立ってるのだ。

 

「……あ」

 

 彼女の格好にはどこか覚えがあった。服とスマホカバーがどれも事前に聞いていた通りの色だ。すると彼女があたしの待ち人なんだ。

 そう思うと途端に胸の内からガスのようなものが吹き上げた。それは感情だった。なんだかよくわからない、名前のつけられない感情。

 彼女をちらちらと伺う周囲の吸血鬼たちに無性に腹が立って、その子はあたしのなんだぞと主張したくなる。あたしはきっと大胆になっていた。だからレインに文字を打ち込んでから大きく手を上げて振ってやった。

 

「見つけた、いま手を振ってるよ」

 

 すると例の子が動きを止めた。スマホを見たあと周囲を伺うからあたしはもっと大きく手を振ってあげる。

 周りをぐるりと見回す彼女の顔がこちらに向いたとき、これで気付いてもらえたと思った。なのに彼女の顔はそのままあらぬ方向へ流れていった。

 

「え……」

 

 かなり大きく手を振ってるのに見えなかった?

 確かに周りに人は多いけど、20mも離れていないような距離で?

 彼女はライトのついたスマホを持ちながらゆっくり壁際を離れる。少しずつ近づいてきてるけどこちらには気付かずおどおどした様子で周りを伺ってる。

 あ、と気付いた。もしかして人混みが苦手なんじゃないか。

 ここは複数の路線が交差する大きめの駅で、しかも祝日。人通りが多いしあたし以外にも待ち合わせしてるような人はたくさんいる。そんなところに生まれて1年も経ってない真祖が、さらに普段はずっと家にいるという子が立ったらどうか。

 怖いに決まってる、そんなの。

 

「京子ちゃん?」

 

 キャスターバッグを引きながら近づいて名前を呼んであげると、その子は弾かれたようにあたしへ向いた。

 

「ヒュー……。笹川、梨沙さん……?」

「うん」

 

 事前に伝えた本名が呼ばれる。これでもう確定だ。

 つるぎちゃんの安心した表情を見たらさっきのことなんてすべて吹き飛んでしまって、むしろこれを他の誰にも見せたくなくて、さっそく歩きだすことにした。

 

 

 二人で予定した食事の時間まで適当な店を見て回ることになった。地下街は人が多いから地上へ出て駅から離れる方向に歩く。つるぎちゃんはそのあいだずっと私からはぐれないようにぴったり真横を歩いていたし、ときどきスマホで地図を見てもいた。迷子になりやすいんだろうか。

 

「正直もっと大きいと思ってた」

 

 道すがらそういうと、つるぎちゃんはたちまち口を尖らせる。初対面でいきなり言うことじゃないと思うけど、緊張してるはずだから努めて普段の調子で話しかけようと思ったのだ。

 

「こう見えてちゃんと成人してるから」

「うん、知ってる」

 

 いわゆる合法ロリという言葉がよぎったけどさすがにロリって見た目じゃない。ただお酒やタバコを買おうとしたら間違いなく待ったが掛かると思う、そんな幼さだ。前に飲まないし吸わないと聞いたことがあるけどもしかしたらそのへんが理由なんじゃないかな。

 飲食店の前を通るときは食べ物、アパレルの前では服の話、それ以外では普段の出来事とかを話しながら歩く。初めてオフで会ったVtuberの友達といるのは楽しい。楽しいけど、道ですれ違う色んな人が彼女に目を向けるからこの子はあたしのだぞってオーラを出すのは忙しかった。

 オフのつるぎちゃんは人への警戒心が強いくせにどこか無防備で、うっかり目を離すとすぐ攫われてしまいそうで、しかも話してるときは私の方を向いてるけど微妙に目が合わない子だ。人とのコミュニケーションに慣れてない感じが野生の小動物みたいで可愛らしい。デスコで話してるときだと全然しっかりしてるんだけども。

 

「その服すごく似合ってるよね。どこで買ったの?」

「これは……ネットでちょこちょこ、と」

 

 服を褒めるとくすぐったそうにしながら歯切れ悪く答える。自分がどこのメーカーで買ったか覚えてないそうだ。でも私はリジアちゃんからつるぎちゃんの服を選んであげたってリークされてたから知ってる。

 たくさん褒めてみると顔を背けるしだんだんと返事が途切れがちになったから、褒められ慣れてないんだとすぐに察した。顔を背けたときの、襟から覗く首筋がやけに可愛らしい。

 危うい子だ。

 こんなに可愛い子が実は真祖で世間知らずで無防備だと知ったら世の狼たちは絶対に放っておかない。

 

「京子ちゃんってあまり外には出ないのかしら」

「そう、だね……。ほとんど家にいるよ」

「いつも家にいると飽きたりしない?」

 

 返事が完全に途切れる。

 これはまずったなと思った。一生懸命言い訳を探す表情が見えて家にいなきゃいけない事情があるんだとと悟る。どんな事情かわからないけど、もしかしたら真祖はいろいろと複雑なのかもしれない。そしてあたしはまだそれを言えるほど親しい相手ではないということだ。

 少し残念だけど、しょうがない。

 それからあたしは普段は家でどんなことをしてるかを聞いた。好きな漫画や映画の話とかゲームの話もたくさんした。

 ときどき邪魔そうにキャリーバッグを引くあたしのことを気にかけてくれて、もうつるぎちゃんへの好感度はうなぎのぼりだった。

 

「今日はずいぶん人が多いね。ここっていつもこうなの?」

「わかんない。いつもこっちまで来ないから……」

 

 あたしたちは大きなスクランブル交差点に差し掛かる。向かい側を見ればびっくりするほど人がたくさんいた。祝日だから近くで何かイベントをやってるんだろうか、キャリーバッグを引きながら渡るのは大変そうでため息が出る。

 歩行者信号が青に変わった。バッグをぶつけないよう歩行に集中した。

 たぶんそれがいけなかったのだ。

 あたしたちは人の流れにのまれて、はぐれてしまった。



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22話 オフ2

あとがきにお知らせがあります。


 はぐれてしまった原因はふたつ。

 靴ずれで足が痛かったこと。

 思えば転生してから靴を履く機会なんてほとんど買い物のときだけで、それなのに新しい靴を買ったものだから靴ずれをしても不思議ではなかった。実際に店で履いて確かめたならともかく、通販でよく調べもせずに買ったせいだ。

 そして、暗くて周りが見えなかったこと。

 吸血鬼が主として活動する時間帯は深夜で夜目の利く彼らには照明なんて必要ない。せいぜい信号機のランプが例外になる程度だが、この世界のそれは前世よりぼんやりと薄暗くて、とても頼りにできる光源ではなかった。だから私は全神経を集中させてヒュー子から離れないように歩いていたのだ。

 だけど長いスクランブル交差点を渡るとき、足の痛みでほんの僅かなあいだ周囲から意識が外れる。

 しまったと思ったときにはもう遅い。

 直後、どんと鈍い衝撃が体を襲った。たたらを踏みながら踏ん張り、誰かとぶつかったことを理解したときにはもうだめだった。

 私は一瞬で方向を失い、暗い孤独の世界に突き落とされてしまった。

 

「うそ……」

 

 はぐれないようにしていたヒュー子が見つからない。来た方向も進むべき方向もわからない。慌てて周りを見回したって夜中で何も見えやしない。

 むしろ薄暗い信号機に照らされて蠢く人々のシルエットが、もう怪物かなにかにしか見えない。

 いや、本当に怪物なんだ。だって彼らはみんな吸血鬼なのだから。

 私はいま、夜闇のなか吸血鬼の群れの中心に放り出されているのだ。

 そうと理解したら寒気が足の先から染み込んできた。靴ずれの痛みなんて押しのけて、じわじわと寒さが体に浸透してくる。その寒さとはつまり、恐怖だ。私は交差点の真ん中で恐怖に囚われ動けなくなってしまった。

 

「……、……」

 

 ヒュー子の名前を呼ぼうとしたのに、カチカチと震える音しか出せない。指先がばかになってしまってスマホのライトを付けることもできない。

 全身が冷や汗でじっとりと滲む。心臓が痛いほどに激しく鼓動を刻む。

 私はすっかりだめになってしまった。

 人混みで一人になっただけで震えてしまうのだから、この世界で生きていくなんてとてもじゃないけど無理だと思い知らされてしまった。

 もういやだ。

 すべて夢であってほしい。

 気がつけばベッドの上にいて、最悪な夢だったと言わせてほしい。

 いっそ転生なんて何もかもなかったことにして、いつかのホスピスまで戻らせてほしい。いまなら何も望まずにじっと静かな苦痛と死を受け入れられるはずだから。

 けど、車のクラクションが現実逃避を切り裂く。

 

「……っ!」

 

 慌てて顔を上げる。歩行者信号が赤かった。自動車用の信号は青かった。交差点の歩行者はもうどこにもいなくて、車のエンジン音とクラクションばかりが聞こえる。

 私は半狂乱になって歩道に駆け込んだ。

 駆け込んで、植え込みのところでしゃがみこんでしまった。

 頬が熱いものに濡れて呼吸が痙攣しだす。もうプライドや尊厳の何もかもが地に落ちたような気がした。私のどこかにはまだ20代の男というプライドがあったんだ。それが暗闇で一人になっただけで泣き出した『いまの私』の弱さを認められなくて叫んでる。こんなの俺じゃない、なにかの間違いだって暴れまわってる。彼が何かを殴るたび、壊すたび、私の心が血を流すのだ。

 

 

 ◆

 

「えっと……、もう大丈夫?」

 

 喫茶店の一番奥、対面に座ったヒュー子の言葉に頷いた。

 交差点の隅で泣き出した私は、鳴り出したスマホへすぐに縋り付いた。通話先のヒュー子はすっかり驚いて、私を見つけてくれるまでずっと通話を繋いでくれた。

 いま私たちがいる店は、私が落ち着けるようにとヒュー子が手を引いて連れてきてくれたところである。

 

「……急に泣いちゃってごめんね」

「ううん、それはいいのよ。むしろ無理させちゃった?」

 

 気遣う声色に首を振って答える。彼女は何も悪くない。ただ私に重大な欠陥があっただけなのだ。

 

「一応理由があるんだけど、聞いてくれる?」

 

 醜態を見せてしまったからには説明しないわけにいかないだろう。

 とはいえすべてを説明するわけにもいかず、私は生まれながら原因不明の病気により暗いところが見えないと伝えた。

 助けてくれた彼女を騙すことに心がちくりと痛んで、ここに至るまで散々自分で傷ついてきたのにまだ痛みを感じられたのかと我ながら驚く。

 こんな嘘を信じてくれるかどうかはわからないが、それで自分が人間だと怪しまれたりしない自信はある。なにせ吸血鬼の常識では人間なんて数百年も前に絶滅していなくなった生物だ。同族のフリして現代社会に紛れてるなど考えもしないだろう。これはきっと前世の世界で吸血鬼が人間のフリして社会に紛れ込んでるなどと誰も考えないのと同じレベルの話だ。存在したらいいなとロマンを抱いたり創作に登場させることはあっても、目の前の人が本当は吸血鬼じゃないかと本当に疑ったりはしない。

 そして私が暗いところが見えない話も、信じる信じないは別にして、それを押し通されたら彼女は受け入れざるを得ないだろうと踏んだ。

 

「そう、なのね……」

 

 息を呑んだ表情から重々しい相槌が返ってくる。

 意外にも信じてもらえているらしい。さっきの出来事や、それまでで彼女に心当たりがあったのかもしれない。

 

「いまあたしの顔見える……?」

 

 問いに首を振ってみせる。

 吸血鬼用に作られた喫茶店に照明などない。せいぜいが非常口を示すランプだがそれは遠いところにあった。

 

「ほとんど外に出ないのは目が見えないせいなの?」

「うん」

「じゃあどうして今日は……ううん、ごめんね。なんでもない」

 

 予想外のトラブルが起きてしまったが、私は今回ヒュー子に会おうとした理由は単純な興味のほかに、彼女を味方に付けたかったのがある。

 今後もVtuberとして活動していくに当たって、全く外出しないというのは無理だろう。プリズムの会社に行くことがあるかもしれないし、どこかに集まって収録することもあるかもしれない。そのとき私の事情をある程度知っている人がいれば都合がいい。

 そう。私はこの世界で初めてできた友達を打算で利用しようとしている。

 

「このこと、あたし以外に知ってる人はいる?」

「ううん。ヒュー子ちゃんだけ」

「こら」

「あ、ごめん……」

 

 いけない。ごちゃごちゃ考えすぎたせいでうっかりVtuberの名前のほうで呼んでしまった。身バレを防ぐためにお互い本名で呼び合おうと事前に決めてたのに。

 心証を損なったかなと思いきや、意外にもくすりと笑い声がした。

 

「あーあ。それじゃ罰として、マネージャーにもいまのこと告白してもらおうかしら」

 

 いかにも私怒ってるフリしてますよと言わんばかりの声色である。

 

「真面目な話、全然見えないなら頼れる相手を増やしたほうがいいわ。マネージャーなら絶対に味方になってくれるから」

 

 それどころか真剣に私を気遣ってくれた。

 目頭が熱くなる。

 彼女への深い感謝と、騙している罪悪感が私の心を弱くしている。転生してからすっかり泣き虫になってしまって嫌になる。

 

「うん……、そうするね。ありがとう」

「もう、泣かないでよ。何かあったら手伝うから。何でも言ってね」

 

 それから私たちはしばらく話をして、暗いなかで食べるのは難しそうだからと夕食の予定を取りやめた。そのかわりに彼女は私のマンションの近くまで手を繋いで送ってくれた。そのあいだもたくさんの話をした気がする。お互いの住んでいる家のことや、くだらないことも。

 前世を含めた実年齢では私のほうが年上なのに、姉ができたようで妙な気分だった。

 

「本当にありがとう」

「いいわ。だって友達でしょう?」

 

 マンションの前で別れてオフを終える。

 様々なことがあって色々な思いをしたけれど、あとから思い返してみれば楽しい一日のような気がした。

 




たぶん一週間くらい更新をおやすみすると思います。
詳細は活動報告に記載します。


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23話 転生者

 ここは自分の家。私がもっとも守られていて、もっとも安全な空間。

 電子レンジから熱気の放つ冷凍パスタを取り出し、ダイニングで朝食をとることにする。

 湯気に混じったトマトの酸味の香りが鼻腔をくすぐり、食欲がいっそう刺激された。

 オフでヒュー子に言われたとおり、私の目のことをマネージャーに伝えた。すると彼女はたいそう驚いて、プリズムのスタジオやどこか収録に行くときは送迎すると申し出てくれた。ありがたいことだ。これで私は二人目の協力者を獲得したことになる。

 彼女へ伝える際に医者の診断書の話をされなかったのは幸運だった。診断書なんて用意できるものじゃない。医者にかかれる体ではないのだ。

 また、目のことはスタッフのあいだで共有されることになった。必要に応じて共演者にも伝えるという。ただし部外者には秘密だ。もちろんリスナーにも。

 思えば転生したばかりの頃よりずいぶんと生きやすくなったかもしれない。これまでのヒュー子との会話から吸血鬼の常識を知れるようになったのは大きく、相変わらず正体がバレることには注意しなければいけないが、彼らにとって人間は宇宙人に等しいほど存在しえないものだと知れたのが嬉しい。

 

「……んむ」

 

 口にアラビアータを運んで啜る。よく熱が通ってプリプリになったエビがおいしい。

 マネージャーの渡良瀬もヒュー子もよく私を気にかけて優しくしてくれる。

 たとえ私の正体が人間だとバレても、彼らなら受け入れてくれるんじゃないかとどこかで望みを抱いてしまう自分がいる。

 しかしその他大勢の吸血鬼たちはどうだろうか。彼らの常識を知り、人間に対する認識を知れば知るほど私の正体が明るみになったときの反応が予想できなくなる。果たして見世物にされるのか、実験動物にされるのか、あるいは人権を持つものとして見られるのか。

 仮に社会が私を保護する方向に動いたとしても個人はどうするだろうか。誰かが極めて短絡的な思考で私の身を狙うことはあるだろうか。

 私の身の回りにいる吸血鬼たちは親切だ。けど、もちろん吸血鬼のすべてが親切で善人ってわけじゃない。

 テレビを見れば痛ましい凶悪犯罪のニュースはあるし、政治家の汚職事件だって見ることがある。人間が持つ当たり前の善良さを彼らも持ってるというだけなのだ。そしてその反対も。

 

 朝食を済ませたあとは、翌日の雑談配信に備えて届いたマロマロを確認することにした。

 マロマロの届く数はデビュー時からずっと右肩上がりになっている。特にヒュー子とコラボしたときからが目に見えて増えており、その内容は他のVtuberともっとコラボしてほしいというものが多い。他には配信の感想やプレイしてほしいゲームの要望などが散見される。

 あとは私の個人のことについての質問くらいだろうか。

 そんなマロマロのなかにひとつ、異彩を放つものがあった。

 

 

 つるぎさんは真祖だそうですが、前世はあるんでしょうか? 

 

 

 このマロマロを読んだとき私はどんな表情をしただろう。

 最初はなにか私がボロを出して転生者とバレてしまったのかと思った。

 だが、この文面はよくよく見てみるとおかしい。真祖だから転生してると言わんばかりではないか。

 

「もしかして……、私の知らない常識がまだある?」

 

 もし真祖なら絶対に知っていることがあるのだとしたら、これを誰かに聞くのはまずい。

 私は大慌てでパソコンへ駆け寄り、さっそく調べてみることにした。

 転生したばかりのときに真祖だと勘違いされたのと、自分でそう名乗ることにした以上は一度真祖について調べたことがあるのだが、そのとき転生や前世という単語を見かけたことはなかった。

 そしてマロマロの聞き方は『どんな前世だったか』ではなく『前世はあるのか』である。もしかしたら真祖でない一般吸血鬼に前世云々はあまり知られてないことなのかもしれない。

 そのようなことを考えながらいくつか検索ワードを変えていくと、少しずつヒットしてくる。

 真祖が発生した瞬間から様々な知識や技能を備えている理由は、吸血鬼の生まれ変わりでそれらを引き継いでいるからではないか、という考察があった。本当に生まれ変わりなら前世の名前などわかりそうなものだが、筆者は知識を引き継ぎつつも記憶喪失と同じような状態になってるのではないかと書いている。

 一般的にイメージする記憶喪失とは、自身や周囲の人間、過去の出来事などをすべて忘れて思い出せなくなってしまうことだが、例えばボールペンの使い方や言語までも喪失するわけではない。生まれたばかりの真祖はつまりそれと同じ状態だと言いたいらしい。

 実に眉唾な話だが、発生直後に「自分に娘がいたはずだ」と錯乱しながら探し回ろうとした真祖の実例などを示されると、もしかしたら本当にそうかもしれないと信じてしまいそうになる。

 そもそも、私個人に関しては完全にその通りなのだが。

 記憶喪失には該当しないけども。

 調べてみると真祖の前世に関する論文などあるらしい。学者が真面目な顔で前世や生まれ変わりについて議論する光景を想像すると不思議な気持ちになってきそうだ。しかしよく考えてみれば何もないところから突然生まれる真祖自体がなかなかにファンタジーな存在である。大昔の吸血鬼は霧や蝙蝠に変身する能力があったらしいから、この世界はオカルトなことに一定の理解があるのかもしれない。過去の吸血鬼が持つ能力は現代の吸血鬼たちでも原理がわからないようだ。

 

「うーん、この感じだと……」

 

 さっきのマロマロの質問には、前世があるかどうかわからないという返事でいいだろう。

 真祖転生者論が一般的でないのはそれを証明する手段がないからだろう。死んだ吸血鬼の生まれ変わりなんじゃないかと思えるような例はいくつかあるが、それだけでは証明までに至れない。

 真祖がみんな記憶喪失と同じ状態なら前世など覚えてないのが普通なのだ。

 

「でも……もし覚えてる人がいたら」

 

 もし前世の記憶を完璧に覚えている真祖がいたとしたら。

 あなたの前世に生きてる人間はいましたか、なんて聞いてみたいかもしれない。

 




実は転生者がそれほど珍しくない世界です。
ただ自分が転生者だという自覚を持つ者がいないだけです。

活動報告に主人公の乾家つるぎ・黒川京子のイメージ画像を載せてみました。


※主人公の食べてるものをペペロンチーノからアラビアータに変更しました(1/30)


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24話 トトリス対決

【トトリス対決】神屋トゥーリVS乾家つるぎ【負けたら罰ゲーム】

 

「負けたら激辛焼きそばで罰ゲーム!」

「トトリス対決、はじまるぜー!」

 

 きちゃああ

 負けたらジ・エンド食うってマ?

 マジでやんのか……

 

 プリズム二期生、神屋トゥーリより持ち込まれたコラボ企画は告知段階でプリズムリスナーたちに反響を生んだ。

 まず対決に使用するゲームが世界的に有名な落ちものパズルのトトリスである。これを100人まで同時対戦できるプラットフォームで行うことで、我々Vtuber2人とリスナー98人でトトリス勝負するリスナー参加型企画にしたのだ。

 そして罰ゲームに使用するのが最凶激辛ジ・エンドなる商品だ。何かの冗談かと思うが実際にその名前で販売されている商品で、正体は有名カップ焼きそばメーカーが製造した激辛焼きそばである。一部の界隈で話題になってる代物であり、Vtuberが罰ゲームやリアクション芸のため配信上で食べた例がいくつもある。

 さてこれでどういう勝負をするのかというと、まず私とトゥーリがふたつの陣営に分かれてそこへ98人のリスナーたちが所属先を選ぶのだ。これによって推しを守りたいリスナーは味方陣営を選ぶし、逆に推しを地獄に落としたいリスナーは敵対を選ぶことになる。

 

「さ、それじゃ概要欄に書いてあるけど軽くルール説明するよー」

 

 ゲーム開始時、ゲームルームに100人集まった時点で私とトゥーリが青組赤組と宣言する。98人の参加者たちは各々自由な組へ所属して戦う。勝負は6回行い、最終的に勝利数がもっとも少ないほうが負けとなる。なぜ試合回数が奇数ではないのかというと、偶数にすれば同点の可能性が生まれるからだ。同点の場合は両者敗北扱い。基本的にリスナーが得しかしないルールである。

 

「はい、それじゃ私からアピールいきます!」

 

 まず勝負開始前に私とトゥーリでそれぞれリスナーにアピールをする。自陣営にたくさん付いて罰ゲームを回避できるようお願いするわけで、つまり実質的な命乞いだ。

 

「私を勝たせてくれれば、歌ってみた動画を出せるように練習を始めます!」

 

 マジで!?

 つるぎちゃんの歌だと!!

 つるぎボイスの歌とかめっちゃ聞きたいわ

 悪いなトゥーリ、ジエンド100個食ってくれ

 

 コメント欄の勢いが目で追えないほどに加速する。これまでよく私の声を褒めてきたリスナーたちだ。歌うとなればそれはそれは盛り上がることだろう。転生してからマンション住みということで一度も歌ったことがないし、前世でも打ち上げなどでしかマイクを握ったことはない。だが日頃から期待されてることはエゴサでよく知ってるのだ。応えてあげたい気持ちはある。

 これを援軍募集アピールに使うのはずるいだろうが、それだけ激辛焼きそばの回避に必死なんだと思ってほしい。

 

「ずるい、ずるいぞつるぎちゃん! 魔性の美声属性のつるぎちゃんに歌を持ってこられたら何を出しても勝てる気がしないぜ……!」

 

 そんなにすごいんだろうか、私の声。自分ではわからないのだが。

 

「でも激辛ジエンドはマジで嫌だからお願いぼくを応援して! 何でもするから!!」

 

 ん?

 いま何でもするって言ったよね

 じゃあ勝ったらジエンド2つ食ってくれる?

 

「それじゃ勝つ意味ねーだろ!!」

 

 互いのアピールタイムが終わるといよいよ戦いの幕が切って落とされた。

 ゲームのロードが終わると同時に公開される赤と青の陣営。私の青組には60人を超える戦力が集まっていた。

 

「みんなありがとう!」

「なんでそっちそんな多いの!?」

 

 つるぎちゃんの歌が聞きたいから

 激辛で舌がジエンドしたトゥーリの悲鳴が聞きたいから

 いまリスナーたちの気持ちがひとつになってる

 圧倒的な一体感

 

 そしてタイムカウントに合わせて100人が一斉にブロックを組み立ててゆく。転生してからトトリスを遊んだことはないが前世ではそれなりに触れたことがある。行列に並んでるときとか暇な時間にスマホで遊んでいた。

 しかしそれだけでは厳しいのか、徐々に灰色の邪魔なブロックが下から積み上げられてくる。ただノーミスで進めても相手側のブロックを消すペースに追いつけない。中盤に差し掛かりブロックの落ちてくる速度が上がる頃には差が顕著になって、巻き返せないまま画面をブロックで埋め尽くされてゲームオーバー。順位は100人中78位という微妙な結果になった。

 

「ううん、むねん……」

 

 お疲れ様

 よく頑張った!

 

 さて青組の大将が落ちたわけだが試合はまだまだ続く。見れば赤組の残りはわずか5人になっていて、それを三倍近い数の青組が削りきろうとしている。

 だが。

 

「赤組ぜんぜん減らない……?」

 

 なんとまあ少数精鋭を絵に描いたような立ち回りで一歩も譲らない。それどころか十数人いた青組が続々と落ち、ついに一桁まで減らされてしまった。驚くべきことにトゥーリはまだ生き残っている。

 

「トゥーリ先輩うまかったんですね!?」

「そうだよじゃなきゃトトリスで勝負しないぜ!」

 

 こいつほんとマジ

 自分の得意な土俵でしか戦わない女

 後輩に花を持たせることを知らない女

 勝ってもジエンド3個食え

 

 やがてトゥーリが落ちる。その後もしばらく試合が続き、二対二になった熾烈な争いは赤組が制することとなった。

 

「ああー!?」

「よっしゃー!!」

 

 現在は青組が0点で赤組1点。実はこのゲーム、人数差がついてもゲームバランスをとるため補正が働いて極端な有利不利がついたりしない。今回の敗因は赤組にトトリス強者が数人混ざっていたことだろうか。

 続く第二戦。トゥーリの実力を知ったリスナーたちが今度こそトゥーリを負かそうと思ったようで、青組の戦力は70近くなった。

 

「今度こそ! 今度こそお願いします!」

「なんでそっちそんな人望あるんだよ!!」

 

 三期生より二期生のほうがデビューは半年以上早い。その半年の差はチャンネル登録者数やアクティブ視聴者数を比べるとはっきりわかる。二期生と言えば一期生とともにVtuber業界の黎明期を駆け抜けてきた人たちで、それはもうリスナーからの人望はあるはずなのだが、神屋トゥーリという人物に限っては人望がマイナス方面に働く。

 要するにトゥーリが好きで応援してるからこそ、激辛焼きそばを食べさせようとする人が多いということだ。

 現在70人近い青組にどれほど彼女のリスナーがいるかわからないが、決して少なくないはずだ。

 

「みなさん。実は、私が勝つと……」

 

 言葉を区切る。深呼吸を挟み、充分に溜めてから次の言葉を放つ。

 

「トゥーリ先輩がジエンド配信してくれるんですよ!」

「最初からそういうルールだけど!?」

 

 草

 それはそう

 ええ!? トゥーリがジエンド食って泣きながらトイレに籠ってくれるのかい!?

 

 さて勝負の行方だが数の暴力によって赤組は陥落した。人数差補正にも限界があるらしい。

 三回戦もまた似たような展開で進んで青組が勝利を得た。これで青組2点で赤組が1点。コメントの流れる速さからリスナーたちの盛り上がりが伝わってくる。

 だが同じ展開が続くことを面白く思わなかったか、四戦目になると目に見えて青組が減った。戦力58対42である。

 

「なんで!?」

「ヘイヘイヘーイ、いいぞこの調子だ!」

 

 四戦目終了時点のスコアは2:2だ。ここからひとつでも黒星がつくと激辛焼きそばが確定するので私は必死である。

 五戦目になると青組が少し増えて61人。しかし運悪く相手側にトトリスの上手い人が多かったようで中盤に人数が逆転。私は早々に落ちて86位という結果になった。

 大した戦力になれていない事実を突きつけてくる順位に歯噛みしながら、青組の生き残りのプレイ画面を巡回し応援していく。

 やはりトトリスの上手い人はひと目でわかる。積み方に明確なコンセプトを感じるのだ。画面の片側に3列か4列のスペースを開けて積み上げ、頃合いを見て崩していくらしい。

 さてそんなことをしていると気になるユーザー名を見つけるわけだ。

 

「あれ、この『rijia_n』って……」

 

 リジアがいるぞ

 リジアちゃんだ!

 同期のピンチに駆けつけるのてぇてぇ

 

「え、もしかして本物なの!?」

 

 前にトトリス配信してたときと名前が同じだから本物っぽい

 

 巷で人外三人組と呼ばれるプリズム三期生。ゲームの長時間配信を基本スタイルとする彼女はそれはもうトトリスが上手かった。

 このゲームは自分が消したブロックから発生する妨害で誰かをゲームオーバーに追い込めばバッジが手に入る。繰り返せばその分バッジは増えていき、バッジが多いほど妨害効果が強力になっていくのだ。

 そしてリジアのバッジ数は青組トップである。

 

「ありがとうリジアちゃん……」

 

 青組と赤組の人数は逆転していたが、リジアはむしろ相手が多いほどバッジを毟り取れるとばかりに暴れまわる。しまいには青組最後の一人となりそのまま一位の座までもぎとった。

 

 つっよ

 あの子こんなうまかったのか……

 

 だれが呼んだか三期生ゲーマー担当。圧倒的パワーによりスコアボードに3:2の数字が書き込まれた。

 今回の勝負、私とトゥーリ以外は一回しか試合に参加できないルールなのが惜しい。もし彼女が六戦とも参加してくれたら全勝だってあり得ただろう。

 

「ぐわああああなんでええどうしてえええ!!」

「激辛焼きそば、頑張ってくださいね!」

 

 ゲームは六回勝負。敗北数の多い人が罰ゲームを受ける。引き分けの場合はふたりとも罰ゲーム。三敗したことで彼女の罰ゲームは避けられないものとなった。

 あとはもう消化試合である。私はこのままもう一勝し、4:2のスコアを叩きつけ、トゥーリの罰ゲーム配信見ながら歌の練習をするのだ。

 そのはずだった。

 

「ねえねえねえ、ルールやっぱり変えない?? もし引き分けになっても、自分が勝ったらって言った内容もやるってのはどう??」

「え、それってつまり引き分けで私が罰ゲーム受けても歌の練習しなきゃいけないってことですか? やらないですよ」

 

 とんでもない話である。青組についてくれたリスナーの大半は私の歌を聞きたいから協力してくれた人たちだ。引き分けになっても歌うとなれば喜々として離反するに違いない。

 

「いやーでもなー! つるぎちゃん真面目だからなー!」

 

 断ってもトゥーリは食い下がってくる。必死に私を道連れにしようとしてる。

 

「つるぎちゃんなら配信でアピールした以上は結果がどうなっても歌の練習するつもりだったと思うんだよね!」

「それはまあ、最初からそのつもりでしたけど……」

 

 ん?

 いま引き分けても歌うって

 やったああああ!!

 

「あっ」

 

 まずい。失言だった。

 

「みんなー!!! 引き分けてもつるぎちゃん歌ってくれるって!!」

「あっあっ、ちょっと待」

 

 果たして六戦目。

 青組12人で赤組88人となり、私もジ・エンドが確定してしまった。

 




いつも感想ありがとうございます。
頂いたものすべてには目を通し、執筆の励みにしております。
また、ついこの前知ったんですが誤字報告機能というものがあったんですね。なかなか自分では気づけないのでとても助かります。


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25話 ジ・エンド

 正午になるのを待ってから私は家を出る。目的はコンビニへの買い物だ。

 前にヒュー子と会いに深夜の屋外に出た経験は私に大きな勇気を与えてくれた。

 スマホのライト機能を使えば真昼間でも暗い地下通路は少しだけマシになる。気休め程度の明るさだが、この気休めこそがとても大事なのだ。

 そしてこのライト機能が本領を発揮するのはコンビニ店内だ。これがあれば商品棚をよく観察できるようになるのだ。店員は訝しむかもしれないが、文句つけてくることはないだろう。どうしてもっとはやくライト機能の活用に気づけなかったのかと思うけれど、目立たないことを最優先にしていた前の自分では思いついていても活用に踏み切れなかったかもしれない。

 いらっしゃいませ、とコンビニに入るなり店員の挨拶が飛んでくる。

 一番最初に進むのは食料品のコーナー。

 これまで非常灯の明かりを頼りにしながらぼんやりと浮かび上がる輪郭で当たりをつけて食材を掴み取るばかりだったが、ライトがあればきちんと商品を確認できる。

 改めて観察すると、吸血鬼世界のコンビニは弁当が棚で幾重にも並び、その上には多種多様な具を収められたおにぎりが整列。隣の棚にはサンドイッチと惣菜類の行列が作られている。更に隣を見れば今度はコンビニスイーツのコーナーで、プリンアラモードからエクレア、シュークリームなどがある。

 呆れるほどに前世の人間世界そっくりな品揃えだ。せいぜいドリンクコーナーに血液が売られているだけで、それ以外はレイアウト含めて何も変わらない。

 そのはずなのに、私はなぜだかスイーツの類に引力を感じた。

 

「……」

 

 じっと視線を注いでしまうのはクレープ。もちもち生地の生チョコクレープと書かれてある。

 前世の男だった私ならクレープなど一瞥して通り過ぎる程度のものだった。好きな菓子はもっぱらポテトチップスなどの塩分と炭水化物で作られるものだったし、甘いものなどスポーツドリンクかアイスくらいしかとらなかった。

 なのに、いまクレープに心惹かれている。

 きっと私は、転生したときからもう味覚が変わっていたのだ。

 いままでは暗いなか掴み取れたものをただ消費してきただけだったが、このように食べ物を俯瞰し選べるようになったことでようやく自覚しただけなのだ。

 私はこの変化がどういうものかわからない。男だった前世の自分が消えてきてるのか、いまの肉体に順応しているのか、それとも新しい黒川京子という存在が育ちつつあるのか。

 いつかわかる日がくるのかすらわからない。ただひとつわかるのは、私はこのまま生きていくしかないということのみ。私は黒川京子を辞めることはできないのだ。

 むんずとクレープを掴んで、買い物かごへ放り込む。いまはただこれが美味しいことを祈ろう。

 

 さて。

 そろそろ今回コンビニに来た目的と向き合わなくてはいけない。

 私は最凶激辛ジ・エンドというカップ焼きそばを買いに来たのだ。

 

「うわぁ……すごい色……」

 

 果たしてインスタントコーナーにそれはあった。

 全体を赤黒い炎でデコレーションし、中央には嗜虐心に満ちた表情の鬼だか悪魔だかが高笑いしているパッケージ。これ食べたら地獄だぞわかってるよなと全体で表現してくれている。ご丁寧に決して小さくない文字で、涙が出るほど辛いので小さなお子様や辛いものが苦手な方は十分注意して喫食してください、と注意書きまでしてある。何が起きても自己責任と言いたいらしい。

 私はこれを食べなきゃいけないのか。

 実のところ辛いものは得意じゃない。前世からそうだったし、転生したこの体では辛いものの刺激を強く感じるようになった気がする。だから最凶激辛ジ・エンドなんてものを食べたら死ぬ。間違いなく死ぬ。並の死に方じゃ済まない。

 まだ買ってもいないのに鼻がツンとしてきた。

 しかしこれも配信のため。エンターテイメントのため。

 私は涙を呑んでカップ焼きそばとともにレジに向かった。

 

 

【罰ゲーム】約束通り例のものを食べるよ【乾家つるぎ/プリズム】

 

「はぁ……」

 

 ため息助かる

 開幕から常にめっちゃ嫌そうで草

 クソテンション低くて逆に新鮮

 

 目の前には刺激的な湯気を昇らせる劇物。

 コメントでテンション低い低いとよく指摘されるが彼らにはちょっと想像してほしい。激辛焼きそばを食べるまでには当然それを作る過程が存在する。封を開け、かやくを入れ、湯を注ぐ。それは自分用の絞首台を作るのと何も変わらない。テンションなど下がって当然である。

 キッチンタイマーの音は死刑執行の宣告であったし、湯切りは13階段の登攀だ。ソースを混ぜる段に至っては縄を首に掛ける気分で泣きそう。というか湯気にソースの刺激が混ざって本当に出た。

 

 泣かないで

 美味しいよ!笑顔で食べよう!

 

「うう……」

 

 心理的なハードルが高すぎてついつい焼きそばから視線を反らしコメントばかり見てしまう。『ちゃんと血は用意した?』とあるが吸血鬼は血を飲むと辛さが和らぐのだろうか。ちなみに牛乳なら用意した。

 

「それじゃ、いきます!」

 

 目をぎゅっと瞑り、箸で摘んだ物体を口に運ぶ。

 

「……ん?」

 

 さっそくマグマの嵐が味覚を蹂躙してくるかと身構えていたのだが、意外にも真っ当な辛さの食べ物という感覚しかない。むしろ焼きそばの熱さのほうが気になるくらいだ。

 悲鳴を期待していたコメント欄が私のリアクションに困惑する。

 だが、地獄は遅れてやってきた。

 

「あ、待って待ってまっ、あ、あ」

 

 舌の上が熱い。炎がこびりついてとれない。

 

 きた!

 きちゃあああ

 

 焼きごてを押し付けられたような痛みが蔓延する。口内が炎で埋め尽くされて呼吸ができない。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あっ! う゛、げほ」

 

 口から火が出そうなんて使い古された表現が頭をよぎる。本当にそうであってくれと祈った。炎を吐き出して楽になりたい。この苦しみを取り除きたい。なのに現実はどんどん苦痛が体に染み込んできて、どれほど牛乳を流し込んでも一向に収まらない。

 パソコンデスクに雫が落ちる。それが汗だと気付いて、ようやく身を蝕む苦痛の正体が辛さだと実感した。

 

 

 ◆

 

【バーチャルTuber】乾家つるぎについて語るスレ11【プリズム3期生】

 

プリズム3期生の乾家つるぎについて語るスレ

・荒らしはスルーを強く推奨。反応すると喜ばせちゃうぞ

・次スレは>>950が立てること。立たない場合は>>970が立てること

 

276 名前:名無しさん@視聴中

悲鳴はかどる

 

277 名前:名無しさん@視聴中

めっちゃ悶絶したあと残りを見て「まだこれだけあるの……」って小さく呟いてたとこほんとすこ

 

278 名前:名無しさん@視聴中

これから歌の練習するってのに喉痛めそうな真似していいのか……

 

279 名前:名無しさん@視聴中

罰ゲームだから仕方ないね…

 

280 名前:名無しさん@視聴中

すげえ大変そうだったけど頑なに血を飲まなかったのはなんでだろう

 

282 名前:名無しさん@視聴中

飲んどけば多少楽になるのにね。

 

283 名前:名無しさん@視聴中

罰ゲームの苦痛を最大限に味わおうという芸人根性かもしれない

 

284 名前:名無しさん@視聴中

口に出さなかっただけで飲んでたんじゃねえの

 

287 名前:名無しさん@視聴中

これまで清楚売りしてたつるぎちゃんが激辛焼きそばかぁ

嬉しいような…複雑なような…

 

288 名前:名無しさん@視聴中

清楚売りしてたっけ?

あとアイドル担当なんて言うやついるけどなんでそうなったんだ

 

289 名前:名無しさん@視聴中

他の三期生が芸人気質とゲーマー気質だからあまったポジションを割り当てられただけだと思ってるけど

 

290 名前:名無しさん@視聴中

自分で下ネタ言うことはないし、下ネタ振られても絶対乗っからずにうまく流すから。

 

291 名前:名無しさん@視聴中

下ネタ言わないことがイコール清楚ってわけじゃないんだが

本人も清楚って言われたとき否定してたぞ

 

301 名前:名無しさん@視聴中

プリズム公式垢の告知?

 

302 名前:名無しさん@視聴中

時期的に四期生の募集じゃね

 

303 名前:名無しさん@視聴中

つるぎももう後輩ができるのかなぁ

 



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26話 通話

ほとんど説明回です。


 机でパソコン開いてるうちに、ぼくはデスコでサチヨがオンラインになってるのを見つけてダイレクトメッセージを飛ばした。

 

「へーい、もし暇だったら通話しよー」

 

 メッセージ欄にサチヨが入力中と表示されて五秒が過ぎ、やがて返事が届く。

 

『いいよ。配信中?』

「ノー」

『おっけ』

 

 マイクを用意しながらデスクの下で足を伸ばし、小さく伸びをする。今日は仕事でたくさん歩き回ったせいでふくらはぎがじんじんするし、首と肩がずいぶん凝ってる。通話ボタンを押すついで腕や首をぐるぐる回しておいた。

 リスナーたちには特に言ってないけれど、プリズムのVtuber全体がわりとよく配信外で通話したり遊んだりしてる。だからぼくがサチヨを通話に誘うことはべつに珍しいことじゃなくて、また特別に用事があったわけでもなかった。

 

『どうした、何かあったかトゥーリ』

「何もないよ。誰かと通話したいなと思っただけ」

 

 ああそうかいと言いたげな相槌が返ってくる。呆れた声色じゃないからこのまま付き合ってくれそうだ。

 

『トゥーリさぁ、この前ジエンド食う配信してたじゃん。大丈夫だった?』

「ああ食った食った。大丈夫じゃなくて控えめに言って地獄だった。配信見たの?」

『見た見た』

 

 とりあえず罰ゲームは消化したけど、リスナーのお願い何でも聞くって言ったやつはどうしようかな。いくつかマロマロで案を募ってついったでアンケートしてみようか。

 

「サチヨも罰ゲームで食おうぜ。なんか企画考えるからさ」

『なんで俺負けるのが確定してんだよ』

 

 だってぼくもう食べたし。どうせならまだ食べてない人に食べさせたいじゃん。

 企画はお互い3Dの体持ってるからそれを生かせるものにしてみたいよね。

 

『あのトトリス対決はトゥーリが企画考えて誘ったの?』

「そうだよ。相手は乾家つるぎちゃん、ぼくの推し」

 

 お前誰にでもそういうじゃんって言われた。だからいま一番推してるって言ってやった。

 初めてできた後輩で、初コラボで色々設定とか面倒見たのは確かに大きい。でもそうでなかったとしても彼女が一番の推しになってたと思う。彼女からはぼくを引きつける何かを感じるのだ。たぶん彼女のファンはみんな似たような想いを抱いてるはずだ。

 サチヨは彼女と絡んだことないから、たぶん声がいいって評判しか知らないんだろう。

 

「企画に誘うのはだいぶ緊張したけどね」

『一度絡んだことあるのに?』

 

 そうだよ、と返して一拍置く。

 同期以外の女子とあまり絡もうとしなかったサチヨだから実感してないかもだけど、少し前までの彼女はなんだか周囲に壁を作っていたんだ。ぼくはプリズム主導でコラボしたことがあったけれど、逆に言うとそれしか関わりがなかったから距離を縮めにいけないでいた。

 

「なにか悩んでたのかなー」

 

 彼女はずっと何かに警戒して身構えてたような気がする。何が彼女をそうさせたのかはわからない。もしかしたら真祖特有の悩みなんてものがあったのかもしれない。

 

『それじゃなんでトトリスのとき誘えたの?』

「彼女がさー、同じ三期生とコラボしたから」

 

 その前後で悩みがなくなったんじゃないかと思う。彼女の作っていた壁はぐんと低くなったし、配信見てると少し明るくなったように見えた。だからこれでコラボ誘えるって思った。

 

『同期の力ってやつか。はーてぇてぇ』

「そうそう。てぇてぇ、マジてぇてぇ」

 

 まあそれがあってもまだ企画に誘うの緊張したけどね。

 

『なんで?』

「罰ゲームが激辛ジエンドだったから……」

『あー、清楚系なのにそんなの食べさせていいのかって?』

「そうじゃなくてジエンドはキツすぎるかなって思ったんだよ。なに、サチヨもつるぎちゃんが清楚って思ってんの?」

 

 意外と聞くなつるぎちゃん清楚説。ぼくはそんなことないと思うんだけどな。

 サチヨが言うところによると、なんでも非公式wikiに清楚枠って書いてあるんだとか。なるほどだから前のコラボのときちらほら清楚がどうのってコメントが見えたわけだ。

 

『清楚系なんじゃないの?』

「違うよ。たぶん彼女は下ネタをどう扱えばいいかわからないだけ」

 

 プリズムの男性Vtuberに清純派とかプリズムで一番清楚とかリスナーから言われたりしてる人がいるけど、本人によると女子とのやりとりでは無難に角が立たないようにしてるだけという。

 ぼくなんかは同性相手のようなノリでトイレ行ってくるとか、おしっこしてくるなんて言うことがあるけど、きっと彼は聞いてて居心地悪いんだろう。彼は決して女子へそんなふうに言わないし、ちょっと席を外すとかなんとか濁して言う。

 つるぎちゃんも似たようなものだと思ってる。コラボ相手やリスナーから振られた軽いそっち系のネタを、やんわり受け流していくからそいう認識をされていったんじゃないかな。

 

「さっきの話に戻るけどさ、つるぎちゃんが人と絡むようになって嬉しくなったし、安心したんだよ」

『後方で保護者してるやつじゃん』

「いやそうじゃなくて」

 

 いやあってるのかな。ぼくは先輩じゃなくて保護者になってた? いやいやいや。

 

「プリズムが四期生募集するって言ってたじゃん」

『ああ、してたね。……そっか先輩後輩の箱内コラボか』

 

 新人がデビューしてから一ヶ月後に毎回行われるコラボ企画。先輩がプリズムのリスナーに新人を紹介するような感じのやつ。当然四期生は三期生と組ませるだろうし、なんだかんだ三期生は三人しかいないから新人の人数次第では二期生にも仕事が回ってくるはず。

 

「四期生デビューまでにつるぎちゃんが人と関わるようになってよかったなーっていう話」

 

 彼女が何を思っててどんな事情があったかはわからないけど、プリズム運営から新人を導いてあげてと言われてるのに人と関わるのが苦手なままじゃみんな大変だからね。どこかで違和感を抱くリスナーだって出るかもしれない。

 

『四期生ね。何人入るかなー』

「何人だろうねー。やっぱり男子入ってほしい?」

『ほしい。二人以上はほしい』

 

 プリズム二期生はぼくとサチヨを含めて全員で五人。男女比は2対3で、サチヨはバーチャルの体が女子だから純粋な男子は一人だけだ。一期生と三期生に男子はいないから、男子陣はこれまでだいぶ肩身の狭い思いをしてきたんじゃないかな。

 Vtuber業界というのは全体的に女子が多いから、男子同士の関わりを作りにくそうだなとは日頃から実感する。ぼくたちが当たり前のように経験してる同性同士の関わりが彼らには難しいんだ。サチヨたちが箱内より箱外でコラボをよくしてるのもそのあたりが理由かもしれない。

 

「面白い男子はいっぱいほしいよね」

 

 もっとこう、コラボしてても折り目正しく丁寧に接してくるようなタイプじゃなくて一緒にはしゃげるようなタイプがいい。

 

『でも時期的には四期生デビューより三期生の3Dのほうが先だろうな』

「あー……募集からデビューまで結構時間かかるもんね」

 

 するとぼくたちはまだ見ぬ四期生のことより後輩の3D記念配信のことを気にしなきゃいけないのか。現状で3Dの体を持ってるのは二期生と一期生のみ。ぼくたちがお披露目配信に呼ばれるのは確実だ。

 




乾家つるぎをよく知ってる人とあまり知らない人の会話。

主人公は転生して半年以上経ってるのに未だ女子同士の距離感が掴めてません。


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27話 トレーニング

「ぶー、ぶー」

 

 唇を閉じながら空気とともに音を出す。私は小さな幼児の遊びのような、あまり人様には見せられないようなことをしていた。もっともここは私の家のお風呂場。間違っても誰かに見られるようなことはない。

 ときどき唾液で唇を湿らせながらこれを繰り返す。初めは一番低い音、だんだんと音を上げていって一番高い音。それが終われば逆の順番で。

 私はお風呂場でリップロールというボイストレーニングをしていた。

 リップロールが終われば次は腹式呼吸の練習。ゆっくり時間を掛けて息を吸い、倍の時間を掛けて息を吐いてゆく。へその裏側あたりに意識をやりながらとにかく長くゆっくりと息を吐く。これは繰り返しすぎるとお腹が痛くなるのでほどほどに。

 そのまま熱いシャワーを浴びて体を洗い終ったら、お風呂場から出て次はスマホを使っての練習。軽く口ずさむようにワンフレーズを歌って録音。その声を聞きながら改善点を考えていく。

 マンションで大きな声を出せないから、こういったボイストレーニングを毎日繰り返していた。一日数回、体に負担がかからない程度に。

 前世で数えるほどしか歌ったことがなく、転生してからは全く歌ったことがない。そんな私が歌を公開するからには相応の練習が必要だろう。期待してくれてる人がいるならばなおさら頑張らなくてはいけない。

 それにしても、と録音した声を聞いてると思うことがある。

 自分の声は果たしてそんなにいいものなのだろうか。

 スマホから再生される音は鈴とか絹とか、そんなよくある形容が浮かぶような軽やかで滑らかな声だが、これが魅惑の美声なんて言われると首をかしげるしかないのだ。

 

 

『それはね、厳密にはつるぎちゃんの声そのものに魅力を感じてるわけじゃないと思うのよ』

 

 場面変わってヒュー子とのデスコ通話。声に関する疑問をぶつけてみるとそのような言葉が返ってきた。

 

「え、もしかして私が歌う意味ない……?」

 

 いやそうじゃなくて、とヒュー子は続ける。

 

『つるぎちゃん全体にすごく魅力があるけど、配信だと声しかわからないんじゃない?』

「……どういうこと?」

 

 Vtuber乾家つるぎではなく、その演者である黒川京子に魅力があるのだと彼女は言う。配信では黒川京子の姿は見えず代わりに乾家つるぎのイラストしか表示されないから、外見に不思議な魅力があるわけではない。体の動きや仕草に関しても黒川京子からキャプチャーしたものを動くイラストで表現してるだけだから、そちらにも特別な魅力が生まれるわけではない。

 ただし音声に限っては黒川京子の声がそのまま配信に乗る。だからこそみんな魅力を感じているのだと説明された。

 

『オフで会ったときはどうだった?』

 

 言葉を挟むのはリジアだ。いま私たちは三人で通話している。

 

『オフでつるぎちゃんを見たときは、声に限らず全部すごかったわ。もう見た目もみんな、ぜんぶ』

 

 全部。

 黒川京子の外見、声、仕草、あるいは匂いや足音さえも彼女には魅力的に映った。らしい。

 荒唐無稽というかなんというか。

 異世界に転生してる身分で言うのも変だが非現実的でなかなかに信じがたい話だ。

 仮に真実だとしても、なんだか呪いのようなものに感じられてしまう。

 

『ガチ恋みたいな?』

『いやいやそういうのじゃないの。こう、魅力が人の形をして歩いてる感じ。あーカリスマって本当にあるんだなーってあたしそのとき思ったもの。あたしだけじゃなくて他のひとたちもチラチラつるぎちゃんのこと気にしてたから』

 

 いままで。

 いままで私は多くの人から自分を魅力的だと言われてきた。その多くは声に向けられたものだったが、私はようやく魅力の正体が理解できた。

 きっとこれは本当に呪いなのだ。

 私が人間であるゆえの呪い。

 私は人間だからこそ、吸血鬼である彼らに魅力を抱かせる。

 口を開けば声で惹きつけ、姿を見せれば外見で惹きつける。きっと私の自覚してない様々な部分でも彼らを惹きつけているのだろう。

 体から熱が抜け落ちるような感覚に襲われた。

 このまま私は吸血鬼たちの関心を引く行為を続けていていいのか。それは緩やかな自殺行為じゃないだろうか。もっと他に賢いやり方があるのではないか。

 体中を自己批判の嵐が吹き荒れ、私の心を冷やし、こわばらせていく。足元がグラグラ揺れて心細くなる感覚は転生してから何度も抱いてきたが、まるで慣れる気配がなかった。

 

「そう、なんだ」

『そうよ。つるぎちゃんのそれは才能だと思う。いつかきっとすごいVtuberになると思うわ』

 

 すごいVtuberになる。

 その日が来るまで私は正体を隠せていられるだろうか。

 無理じゃないかと囁いたのは、私の頭と心のどっちだろう。

 

『歌の話に戻るけど』

 

 黙ってしまった私に向けてリジアが言葉を掛けてくる。

 

『歌うとみんな喜んでくれると思う』

「……」

『そうね』

 

 そのまま言葉をかき集めるように、そして絞り出すように続ける。感覚的なものを言葉で言い表すのが苦手だという彼女から、一生懸命伝えようとする気持ちを感じた。

 

『つるぎさんがリスナーのために何かしようとする。頑張る。それだけでみんな嬉しいはず』

『だって歌ってほしいってマロマロよく届いてるんでしょ? その気持ちに応えるんだから嬉しいに決まってるじゃない』

 

 すとん。そんな音がした。納得の音だった。

 リジアの言葉は、説得力は将来の不安で乱れそうになった私の心へするりと滑り込んで、そして重しのように鎮めて安定させくれた。

 そうだ、一度決めたじゃないか。

 たとえ途中で正体がバレて活動できなくなったとしてもいいと。その瞬間まで私はVtuberをし続けるのだと。そのために黒川京子として転生したのだと。

 いつか私が人間だということが明るみになって、それでどんなことになったとしても後悔せずに結末を迎えたい。この道でよかったと胸を張って言えるようになりたい。

 そのためにはどうするべきか。

 毎日毎日、ひとつひとつ、自分が善いと思うことに全力で取り組んでいくしかない。

 

「……うん。そうだね、歌うよ」

『歌って。私は聞きたい』

『あたしも聞きたい。何歌うのか決めてるの?』

「えっとね」

 

 一拍置いて深呼吸する。頭を振り、先程よぎったネガティブな感情を払って思考を切り替えた。

 実はまだ何も決めてない。そもそもこの世界にどんな歌があるのかさえまだよく知らなかった。

 

「えーっと……」

 

 唸り続ける私で察したのか、二人は色々と提案してくる。

 

『何かアニメ見る? アニメからアニソン知っていけると思う』

『オススメの曲教えるから今度カラオケいきましょ』

 

 様々な案が出た。マロマロで歌ってほしい曲を募集するとか、配信したゲームの曲から選ぶとか。そうやって二人が親身に一緒に考えてくれる。

 

「カラオケはすごく行きたいかも。マンションだと大きな声出せないんだよね」

『決まりね。それじゃ日を決めましょ』

『いっぱい楽しんできて』

 

 私とヒュー子の住所は関東でリジアは九州だから、オフで会おうとするとどうしてもリジアだけ仲間はずれになる。

 そのうえでリジアは楽しんできてと言ってくれているが、声に滲んだ寂しさをヒュー子は見逃さなかった。

 

『つるぎちゃんの歌の練習が終わったら、あたしたち三人で何か一緒に歌を出さない?』

「そうだね。それぞれ録音すれば同じ場所で歌えなくても三人の歌にできるし」

 

 ヒュー子の提案をすかさず拾う。

 ふたりは大事な友達だ。人間が私しかいない世界で彼女たちにはずいぶん助けられてきた。彼女たちと話すことで落ち込みそうになった気分が救われたことは一度や二度ではない。

 私の正体がバレる日がいつになるかはわからない。

 だけどせめて、こうして友達と話せる時間が長く続きますようにと祈った。




吸血鬼に対する魅力に気付く回です。
そろそろ話が動いてきます。


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28話 カラオケ1

うまいところで切れず、普段よりだいぶ多い文量になってしまいました。


 金曜日。ヒュー子と約束したカラオケの日。これで二回目のオフになる。

 私はマンションの前に立った。深夜2時。地下通路のなかなのも相まって、あたりは完全な暗闇に塗りつぶされている。

 最初ヒュー子は私の家まで迎えに行くと言ってくれた。私が暗闇で視覚を失うと知っていての申し出だ。しかし彼女は住所が隣の県で、私の最寄り駅まで一時間ほど電車で揺られなければいけない。そんな長距離を移動させてさらに家まで迎えに来させるのは忍びなくて、私は駅のそばで待ち合わせることを提案した。人の多い場所は避けたいがそうでない場所なら問題はないだろう。

 しかしすぐに却下された。

 至近距離の相手の顔すら見えない子にそんな危ないことはさせられないと猛反対された。とはいえ私だって以前会ったときに一人で駅まで辿り着けた実績があるのだ。そこまで一生懸命に介護しなくていいと反論した。

 待ち合わせ場所の議論はおよそ一日続き、私のマンションの前でという落とし所になった。

 

「……」

 

 自分の格好におかしいところはないかなと視線を落とし、相変わらず真っ暗で何も見えなかったからすぐにやめる。

 今回もリジアに服を考えてもらっている。彼女の選んだものはとてもセンスがあったし、家を出る前に姿見で散々確認したから格好に問題はないはずだ。はずなのだが女の子の服を着て人前に出るとどうしても緊張するし不安にもなる。

 

「おまたせ、京子ちゃん」

「梨沙ちゃん」

 

 名を呼ぶ声に応える。心のなかで何度も練習した返事だった。

 

 

 駅近くのカラオケまで手を繋いで移動する。

 受付などをすべてヒュー子が済ませてくれるからただ手の引かれるままに移動するだけでよかった。

 

「よいしょ……」

「そのバッグ何が入ってるの?」

 

 部屋に到着して、私が道中何度も左右の手に持ち替えていたバッグを置くなりヒュー子が質問してくる。持ち替えるたびに手を繋ぎなおしていたからずっと気になっていたのだろう。私が持ってきたのは合成皮のボストンバッグ。近所のカラオケに行くにはあまりにも大げさなものだ。

 答えるより実際に見せたほうが早いと思ってバッグを開ける。

 

「中身はこれ」

「それは……」

 

 中から出して持ち上げてやると、返ってきたのは数秒の沈黙。あれっと思ってそのまま待つと、また数秒経ってから質問が来た。

 

「それ、なに……?」

「ええ……」

 

 何ってルームライトなのだが。きょとんとするヒュー子と戸惑う私で気まずい空気が流れた。

 それから私ははっと気付く。そもそも夜目が効く吸血鬼はルームライトなどの照明器具を使わないから、あまり見慣れてないんじゃないだろうか。私はネット通販で購入したからこれが一般的な家電量販店に並んでいるかどうかを知らない。

 

「これはね、電気で明かりをつけるものだよ。どこかにコンセントないかな」

 

 それなら貸してと言う彼女にプラグとコードを渡す。

 合図に合わせてスイッチを入れると、部屋に光が生まれた。

 電球色で浮かび上がるのはL時の形状をした大きな座席、マイクとタブレットが乗った黒のテーブル、カラオケ機器とモニター。

 そして、この世界で一番最初にできた私の友達、ヒュー子の姿も浮かび上がっていた。

 

「どう? よく見える?」

 

 じっと見つめてしまった私に彼女が笑いかける。ショートボブでほっそりした、二十代初めの綺麗な女性だった。それでいてほんの少し前までは学生だったというような、どこか社会人としては垢抜けない初々しさを持つ人でもあった。

 

「うん……。よく見える」

 

 Vtuberの名前はサリス・ヒューマン。通称はヒュー子。そして本名が笹川梨沙。目の前の彼女が私の友達だったんだなと思うと、なんだか感慨深くなってしまった。

 

 

 それから私たちはいろんな歌を歌った。

 ヒュー子は私がいろんな歌を楽しめるようにしていたと思う。私の知っている歌を二人で歌ったり、スマホでメドレーを再生して私に気になるものがないかを聞いたり、知らないものでも気になった曲はサビを教えてくれて短いパートでも一緒に歌えるようにしてくれたり。そんな配慮と工夫をいくつも感じた。

 そうしてるとあっという間に数時間が過ぎた。もちろんそのあいだずっと歌い続けたわけでなく、伴奏だけ聞いて過ごしたり、ときどき休んで雑談したりした。

 彼女とはよくデスコの通話で話してきたが、姿を見ながらだと色々な思いが生まれてあとからあとから言葉が出てきて止まらなかった。

 きっと私はこの世界に来てからずっと友人というものに飢えていた。だからこの時間の終わりを惜しんで、精一杯楽しもうとしていたのだ。

 そんな私にヒュー子は苦笑しながらフロントへ連絡する。聞こえた時間延長と軽食の注文から私の気持ちが受け入れられたような気がして、よりいっそう二人の時間にのめり込んでしまった。

 考えてみれば、転生してから半年以上経っているのに、人と対面しまともに交流したのはまだこれで二回目だった。

 

「楽しかった。本当にありがとう」

「どういたしまして。また一緒に来ましょ」

 

 店から出る頃にはもう日が昇っていて、地下通路の天井の磨りガラスがすっかり明るくなっていた。

 二人で何時間カラオケにいたのかわからない。追加で注文した食べ物を夕食の代わりにまでしてしまった。店の用意した食べ物は特に可もなく不可もなしといったところだったけれど、誰かと一緒に取る食事は前世も含めれば一年ぶりで、ひたすら楽しかったと思う。

 私たちはヒュー子の提案で地上の通路に出る。

 地上と言ってもそこは日差しを直接受けるような道ではなく、そこはアーケード状の屋根で日光対策がされている場所。いまでこそ降ろされたシャッターが両側に壁を作っているが、吸血鬼の主な活動時間帯ではすべて開放されて風通しの良い通路になっているであろう場所。前世のもので例えるなら、シャッター通りになった商店街が近いだろうか。

 決して日光の差し込まない場所だけれど、地下通路よりずっと明るいここは、私の視力でも問題なく歩けた。

 こんなところあったんだ、と呟く私。

 駅の地図で探してみたの、と答えるヒュー子。

 残念ながら私の住むマンションまで通じてはいないけれど、暗くない道を知れたのはそれだけで嬉しい。

 それに吸血鬼がいないのも好ポイントだ。日が沈んでいればそれなりに人通りはあっただろうが、いまは遠くに影をひとつ見つけられるくらいしかない。みんなわざわざ地上でなく地下のほうを歩くためだ。

 

「……」

 

 こんな道を一緒に歩いてくれることが嬉しくなって、繋いだ手にぎゅっと短く力を込めてみる。

 すると同じくぎゅっと力を込められた。

 小さな子供の遊びのようなやりとりに二人してくすくす笑う。明るい道では手を繋ぐ必要がないのに、それでもずっと繋ぎっぱなしだった。

 だけど、家に着くまでずっと続くと思っていたふわふわした気持ちは唐突に終わる。

 

「おい」

 

 酒の臭気を纏う赤ら顔の吸血鬼によって。

 

 

 強い力で手を引かれた。

 引いたのはヒュー子だった。

 私は躓きそうになりながら彼女の後ろに隠される。

 

「……なんですか」

 

 聞こえるのは彼女の緊張と敵意に満ちた声で、相対するのは呂律の回らない胡乱な男の声。

 

「ねーちゃん、いくら?」

 

 ヒュー子の背中から覗けば、赤ら顔の男の吸血鬼がズボンから財布を出そうとしている。どこからどう見ても酔っ払いだ。歳のほどは40代だろうか。身なりはいいが情欲を一切隠さぬ目つきに嫌悪感が湧く。

 

「ふたりぃ、いるからー」

 

 そんな吸血鬼が私たちの体を買いたいなどと言っているのだ。

 ヒュー子は無視して私の手を握りながら反転しようとするが、それは叶わない。

 

「痛ッ、離して!」

 

 ゴツゴツした手が彼女のもうひとつの手を掴んでいた。酔っ払っているとはいえ大柄な中年、対するは社会人になったばかりの細身の女性。ふたつの手の大きさを見比べてしまったらもうだめだ。力では絶対にかなわないと思い知らされて抵抗する気が萎んでしまう。力比べに持ち込まれてはもうどうしようもない。

 誰か、誰かと彼女が叫ぶ。しかしその誰かはここにいない。この地上通路に他の人はいない。当たり前だ。だってみんな地下のほうを歩きたがるのだから。

 

「そんなに嫌かぁ、残念だ。それじゃあ後ろの小さい子に頼もうかな。若い子はかわいいね」

「絶対ダメ!」

 

 もはや絶叫に近い声が通路に響いた。彼女の声はどこか湿って掠れていて、後ろからでも涙を浮かべているのがわかる。

 

「……」

 

 なんだろうこれは、と私は強い疑問に囚われた。

 この状況は一体何なんだろう。

 酔っ払った中年の吸血鬼が若い女子二人に絡んでる。体を狙っている。もう女の身では恐怖に縮こまってしまうことだろう。私の手と繋がるヒュー子のそれが震えていて痛ましい。しかし彼女は一生懸命に胸を張って立っている。小さな少女である私をその身で守るためにだ。

 理解できない。これは一体何なのだろう。

 私も間違いなく体を狙われている一人のはずなのに、なんだか世界が現実感のない白黒の景色に見える。被害者のはずが、二人のやり取りをぼうっと眺める傍観者になっている。

 おい、と胸をつく内なる思いに気付いた。

 おい、いいのか。酔っ払いに絡まれてる女の子を見過ごしていいのか。

 それは私が前世で20年以上付き合ってきた『男の感情』だった。義憤と使命感に満たされた、ヒロイックでどこまでも我の強い感情だった。マグマのように滾る強い思いが私を被害者の立場から引き剥がし、女の子を助ける第三者の立場に押し込んだのだ。

 

 ――やめろ、女の子が嫌がってんじゃねぇか。

 

 握った拳を振り上げようとした衝動を、また別の何かが押さえつける。ここで殴り掛かるよりもっといい方法があるでしょと嗜める思いがあった。それは私が今世で獲得した『女の感情』だった。憎しみと計算と、そして何より仲間意識の強い感情だった。

 

 ――ヒュー子、いま助けるよ。

 

 異なるふたつの混ざった感情は、本人の私すら予想できなかった言葉を紡ぐ。

 

「それならおじさん。私と行こうよ」

 

 水を打ったように二人が止まる。中年の男とヒュー子が驚いたように私を見ていた。私の表情筋は笑顔を作っていた。とびきり可愛い女の子の、とびきり可愛い笑みを見せつけてやった。

 

「待って、つるぎちゃん……待って」

 

 弱々しい言葉を絞り出すヒュー子を心の内で謝りながら無視する。彼女の手を放して、代わりに男の手を握った。

 

「行こ、おじさん。いいところ教えてあげる」

 

 だらしなく緩む好色な顔を見て、自分の魅力の確かさを実感して、そして足を進める。己が魅力で他者を誘惑する昏い楽しさと、自分より強いものに抱く確かな勝機と、そして友達を怖がらせたことへの激しい怒りが私の足を支える。

 目的地はすぐそばだ。地上通路の壁側、シャッターの合間にある扉。日が昇るまで建物に入れなかった吸血鬼が駆け込むための、地上通路と外を繋ぐ金属の扉。

 私は扉に背を預けて男に向き、その手をしっかり握りしめながら。

 

「ほら、こっち」

 

 後ろ手に開けた扉から、日光の降り注ぐ世界に引きずり出してやった。




現代の吸血鬼は日光浴びてもすぐダメージ入ったりはしないからたぶん大丈夫。


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29話 カラオケ2

 裏返った悲鳴が無人の屋外を駆け抜ける。

 日光の世界まで引っぱり出された中年の男は驚きと恐怖で必死にもがく。

 必死なのは私も同じだった。右手で彼の手を握り、左手で服を掴んで全体重を後ろに傾けた。

 

「やめろ、やめろ! 馬鹿じゃないのかお前!」

 

 男が激昂するのは当然だ。日光なんて吸血鬼にとって毒でしかない。一分二分でどうにかなるものではないものの本能的に恐怖するのだ。

 初動は完璧だったと言っていい。驚いて硬直した男は簡単に引っ張れたし、私が手を放した扉は勝手に閉まってくれた。地面に投げ出すつもりで一気に体を後ろへ倒したから1mくらいは扉から引き剥がせた。

 けど、それでも体格差体重差というのは如何ともし難い。男が冷静さを取り戻すにつれ逆に私のほうが引っ張られはじめる。

 

「……!」

 

 男の手を掴んでいた右手が振り払われた。

 そして彼は残った私の左手を両手で剥がそうとする。

 力比べになればもうだめだった。もともとヒュー子ですら敵わなかった相手なのだから、彼女より体格の小さい私ではとても勝負にならなかった。

 残った左手まで払われて私は尻もちをつく。

 

「狂ってる……、 お前狂ってるぞ!」

 

 男と目が合う。意外にも彼の目にあったのは怒りでなく恐怖だった。声と足を震わせ、まるで怪物と遭遇したように体を縮こまらせていた。彼は日光だけでなく私にまで恐怖したのだ。

 それから踵を返し大慌てで扉の奥へ消えていく男を見送り、私は尻をついたまま目を閉じて全身から力を抜いた。

 足音が遠ざかる。金属の扉が音を立てて閉まって、あとは静寂だけが残る。

 脅威は去った。

 

「はぁ」

 

 疲労感と安心感。そして達成感。

 転生してからずっと、ずっと恐怖を抱かされてきた吸血鬼というものを撃退した事実がゆっくり心に染みわたる。

 なんとも不思議な気持ちがあった。言葉で表せない、輪郭のぼやけた、しかしきっと頭上の空のような色をした気持ちだった。

 日差しが暖かくて大の字に眠りたくなる。

 

「つるぎちゃん!」

 

 悲鳴の滲む声がする。見れば扉を開けたヒュー子がいる。

 彼女は日なたを前に一拍躊躇を見せて、それから意を決したように飛び込んできた。私が言葉を発するよりも早くしがみついてきて、引きずるように通路の中へ運びこんでいった。

 

「ばか! ばか!」

 

 日陰に戻るなり罵倒が飛んでくる。声にならない声でどうしてあんなことしたのとか、危ないじゃないとか、様々な言葉を浴びせてくる。けれども表情はくしゃっとして泣きそうで安堵してるようで、どこまでも私の身を案じているのがわかった。

 それもそうだ。彼女は私のことを吸血鬼だと思ってる。吸血鬼が日向で眠ったら普通に死ぬ。

 体を放り出したままの私に彼女が覆いかぶさってきた。くしゃくしゃの表情がよく見えた。

 

「赤くなってる……」

「あー……」

 

 不意に頬に冷たい感触を覚えた。手を当てられたらしい。

 言われてみれば左頬が熱い。男が暴れたとき拳でも当たったのだろう。なんとなく血の味がするのは口の中を切ったからかもしれない。

 

「あのね、つるぎちゃん。お願いだからこんな危ないことしないで。あと人を外に連れ出すのは……」

 

 連れ出すのは。

 そこでヒュー子の言葉が途切れた。どうしたんだろうと彼女をよく見上げると、まっすぐこちらに向いたまま目を見開いていた。

 

「ヒュー……」

 

 子、まで言わせてもらえない。頬に添えてきていた彼女の手は私の唇まで移動し、突然指で口を開けようとしてきた。

 

「……っ!」

 

 何かおかしい。

 上から彼女の顔が近づいてくる。

 まるでキスの距離だ、そう思ったとき私の中で色々な要素が電撃的に繋がる。

 吸血鬼。

 人間。

 血の味。

 口の中を切った。

 吸血。

 あ、と気付いて大慌てで互いの顔のあいだに手を差し込んだ。

 けれどもヒュー子は予想以上の力で顔を近づけてくる。開いた口が迫る。白く覗いた歯が剣呑で禍々しいものに見えた。

 

「ヒュー子、待って! ヒュー子……!」

 

 目を閉じる。

 自分はこのまま彼女に噛まれて血を吸われてしまうのか。そう思うとどうしようもなく悲しくなってしまった。

 こんな日がいつか来ると思っていた。

 自分の正体が人間だとバレて、果てに吸血鬼から血を吸われる。この世界で生きるかぎりその末路は避けられないものだと思っていた。

 私は、私の正体に気付くのは彼女であってほしいとどこかで願ってた。

 でも、私の血を吸う吸血鬼が彼女でないことを祈ってたのだ。

 大事な友達に血を吸われてしまうこと。大事な友達に血を吸わせてしまうこと。そのふたつが私の心を締め上げる。

 

「……」

 

 目を閉じてどれくらい経っただろう。体感では何分にも感じられたが、実際には一秒二秒くらいだろうか。

 予想した噛みつきはやってこない。

 代わりに、頬に熱いものを感じて恐る恐る目を開けた。

 

「ヒュー子……」

 

 彼女はひどく動揺して傷ついたような顔をしていた。目元から溢れてきたものが私の頬に熱を落とす。

 何が起きてるのかわかってないのだ。

 私の人間という要素が、血液が吸血鬼としての本能を操って襲わせてることを彼女は理解できていない。理解できていないからこそ現状に戸惑い、そして深く傷ついている。

 ゆっくりと彼女の顔が離れる。

 立ち上がって、一歩二歩と後ずさるのを私は横たわったまま見上げる。

 

「ごめんね」

 

 それはどちらの言葉だっただろう。

 ヒュー子は弾かれたように背を向けて走り出し、私は何もかも放り出したくなってそのまま目を閉じた。

 

 

 ◆

 

 地下通路に降りて通行人をかき分ける。

 あたしは走った。とにかく走った。

 何もかもが衝撃的で信じられなくて、ただがむしゃらに走った。頭の中はもうぐちゃぐちゃだった。

 すれ違う人々が驚いてあたしを見るけど関係ない。

 何も考えたくなくて走ってるのにごちゃごちゃと考えてしまう頭が恨めしい。壁にでも打ち付けたら考えるを辞めてくれるんだろうか。

 二度目に会うつるぎちゃんはやっぱり可愛かった。リジアちゃんが新しくアドバイスしたっていう服は似合っていたし、明かりをつけた部屋のなかで初めて目が合ったときは感激しそうになった。

 一生懸命歌おうとするのは応援したくなった。彼女の知ってる歌を一緒に歌ったり、私の好きなものを一緒に聞いたときはとても楽しかった。

 あの酔っぱらいには何もかも台無しにされた。気持ち悪い目つきと言葉であたしの体を舐め回すのは許せなかったし、つるぎちゃんにまで向けていたのはもっと許せなかった。

 それからつるぎちゃんがあの男を外に連れ出したときはとてもびっくりした。

 それからあたしが彼女を日陰に連れ戻して、それから。

 

「……はぁ、はぁ」

 

 それからが、あたしには何もわからない。

 足が限界になって立ち止まる。通路の壁に体重を預けた。走りすぎて胸が痛い。体が熱いし前髪が汗で張り付いて気持ち悪い。

 あのとき。

 彼女に人を日向に引っ張り出すのは犯罪なんだよと注意しようとしたとき、なぜかあたしは彼女が怪我してることに気付いた。赤くなった頬じゃなくて別のどこかが、見えなかったけどどこかが出血してるとわかった。

 そうしたら一瞬で頭が痺れて、まるで両側から脳をがっちり掴まれたようになってつるぎちゃんの顔のほうへ近づけられた。

 あたしはキスがしたかった?

 あたしは同性が好きになった?

 それは違うと思う。あたしは高校の時に彼氏がいて、普通に異性として好きになっていた。当時恋人に抱いていた感情は、さっきのつるぎちゃんに抱いたものとは全然違ったはず。

 

「あたしは……」

 

 もう気付いてるでしょ、目をそらさないでと自己批判が吹き荒れる。

 

「あたし、は」

 

 彼女の血を飲みたいと思ってしまったんだ。

 

「……」

 

 おかしい。

 そんなの全然おかしい。

 吸血鬼は絶対に同族の血を求めたりしない。飲んでも全く意味がない。なのにさっきは間違いなく彼女の血を求めていた。

 あたしが突然おかしくなったのだろうか。

 それとも彼女の血だけが特別なんだろうか。彼女だけ他の吸血鬼とは違うんだろうか。

 

「……」

 

 考えてみれば確かに彼女は特別だ。

 真祖で。

 デイウォーカーで。

 日光を全く怖がらなくて。

 そのくせ暗いところが全然見えなくて。

 B型とかいうよくわからない血液が好みらしくて。

 人混みに紛れていてもひと目で見つけられるような存在感があって。

 そのうえ、吸血鬼すら飲みたくなる血まであるというの?

 

「そんな吸血鬼、いるの……?」

 




たくさんの感想ありがとうございます。
執筆の励みになります。


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30話 同期

 カラオケで何があったんだろう。

 同期三人の通話でカラオケのことを聞こうと思い、つるぎさんとヒュー子さんを誘ったらそれぞれからやんわりと、歯切れ悪い様子で断られてしまった。

 あれ、と首を傾げずにいられない。

 歌の練習に打ち込んでいるつるぎさんは応援していたし、彼女と住む地域が近いヒュー子さんが彼女を手伝おうとするのは心強かった。

 だから私は二人と遠く離れた九州で、一抹の寂しさとともにいつか三人で歌える未来を夢想していられた。

 それなのに。

 なんだかカラオケの日を境に二人の様子がおかしい。

 

「……ふぅ」

 

 デスコにログインと表示されているふたつの名前を見ながら席を立つ。なんとなく口が寂しくなって冷蔵庫に向かった。グラスへ豆乳を注ぐときまでも、どうしたって二人のことが頭から離れない。

 なんだか避けられているのは三人での通話だった。

 私とつるぎさん。私とヒュー子さん。それぞれ1対1の通話なら応じてくれる。普通に話もできる。

 ただカラオケでの出来事を聞くと二人とも極端に口数が減った。ヒュー子さんは終始言葉を濁していたし、つるぎさんのほうは服を選んであげた礼こそ言われたけどそれ以外はあまり話そうとしなかった。

 

「もしかして、喧嘩?」

 

 状況から考えるとありそうだけど、二人の仲を考えるとなさそう。それに本当に喧嘩だとしたら愚痴なり悪口なり言ってきそうなものだが、未だそういうのは一切ない。

 むしろ、お互いがお互いへの言及を避けている気がしてならない。

 グラスを持ち上げ、どろっとした液体を見つめる。微かに震える水面は私の心のようだった。

 大丈夫かな。

 あの二人のことが心配だ。

 

「もうすぐ3Dお披露目あるのに……」

 

 

 ◆

 

 軽率だった、と言わずにはいられない。

 ただし軽率な行動だったと反省するけれど、後悔しているかというと答えはノーだ。とはいえカラオケの日から3日経ったいま、事態の重さはきちんと受け止められている。

 私はベッドの上で丸めた掛け布団を抱き枕にした。カラオケでの一件から色々なことを考えすぎてしまって、もう考えることに疲れてしまった。

 まず、考えていたのはヒュー子のこと。

 彼女は私の出血に気付くなりすぐに襲いかかろうとした。幸いにも呼びかけですぐに正気を取り戻してくれたけれど、彼女自身が相当なショックを受けていたのは表情でわかった。

 昨日のリジアとの通話でひとつ質問したことがある。吸血鬼は動物に直接口をつけて血を飲んだりするのかと。答えは否だった。それは乳牛から直接牛乳を飲むようなものだと言われた。不衛生だと思う、とも。

 それならあのときのことはヒュー子にとっても異常な行動だったのだ。ショックを受けても仕方ない。

 きっとヒュー子はそのうち私の正体に気付くだろう。もしまだ気付いてないとしても、私が普通の吸血鬼でないことは必ず行き当たるはずだ。

 私は心のどこかですべて何もなかったことになって、前のように戻れるんじゃないかという願望を抱いていた。だから私から彼女に接触することで、揺らいでいる関係性に変化を決定付けてしまうことを怖れた。だからリジアから三人での通話に誘われても頷くことができなかった。

 そしてヒュー子以外にもうひとつ考えたのは、吸血鬼を屋外に引っ張り出してしまったこと。

 予想ついていたことだがこれは犯罪だった。吸血鬼は日光を浴び続けると死んでしまうのだから当然の話である。

 地上通路でヒュー子が去ったあと目を閉じて、再び目を開けると私は制服の警官に囲まれていた。なんでも監視カメラで事件に気付いたらしい。

 幸運なのは厳重注意だけで済んだことだ。カメラで一部始終を見ていたのだろう、まず彼らは私を逮捕でなくて保護をして、それから事情聴取してきた。私が発生後1年経ってない真祖であるのを知るととても難しい表情で頭を抱えて、説教だけに留めてくれた。

 結果的に処分は注意だけで済んだが私は大いに反省した。場合によってはヒュー子やプリズムに連絡が行ったかもしれないのだ。前者は彼女に迷惑がかかるし、後者は迷惑どころかVtuberの契約が危うくなったかもしれなかった。

 だからこうして、カラオケの日から3日経ったいまでも私はベッドの上でぐずぐずしている。

 

「うー……」

 

 抱き枕にしがみついたままごろごろしてみた。

 このまま植物になりたい。

 植物になってしまえば血を吸われることなんて心配しなくて済むのに。

 植物って樹液吸われると辛いんだろうか。そんなこと考えていたらなんだか吸血鬼がカブトムシみたいに思えてくすっとしてしまって、少しだけ気分が楽になった。

 

 

 たっぷり時間を掛けて気分を引き上げてからパソコンを起動しにいく。

 デスコを開くとヒュー子はログインしていた。とはいえ何を言えばいいかわからないので気にしないことにする。

 私は次にマネージャーとリジアから来ていたメッセージを確認する。すわ警察からプリズムに連絡が行ったのかと肝が冷えたが、マネージャーからの要件はヒュー子の3D配信用のコメントを考えておいてほしいというものだった。リジアの要件も同じで、一緒に考えようというものである。

 

「どうしようかな……」

 

 本当にどうすればいいんだろう。彼女を傷つけてしまった私は3Dモデルのお披露目という晴れ舞台でどうコメントすればいいんだろう。

 通路での彼女が走り出す寸前の、決壊寸前の涙顔を思い出す。お披露目の最中の彼女が、私のコメントでまたあのような表情になってしまったらどうしよう。

 いつの間にか私は祝いの言葉より辞退の言い訳を考え始めていた。

 何も言わず何も触れないままでいてあの日をなかったことにしたい。また彼女を傷つけたくない。心のなかで辞退する理由ばかり膨れ上がっていく。

 けれども、その後のリジアとの相談で辞退の考えを伝えたとき、彼女には珍しく力強い口調で否定された。

 

「だめ。それは絶対だめ」

「そ、そうかな」

 

 チャットで考えを伝えた直後に通話リクエストが来て、開いた瞬間にこれである。普通に呆気にとられてしまった。

 

「せっかくのお披露目なのにつるぎさんが何もコメントしないのはだめ」

「うん……」

 

 そんなにいけないことだろうか。同期のコメントが必要なだけならリジアがいる。必ずしも私である必要はないんじゃないかと思う。

 

「きっとヒュー子さんが寂しいと思う」

「そうかな」

 

 いまはそこに自信が持てないんだ。彼女がいま私のことをどう思ってるかもわからない。リジアに説明できないのがもどかしい。

 

「あと、リスナーたちだって心配すると思う」

「そうかもね……」

 

 それはプリズム的には問題かもしれない。やはり避けて通れないのだろうか。

 リスナーとプリズムのために当たり障りのない言葉を考えておくべき?

 

「なにより、いつか絶対につるぎさんが後悔すると思う」

「……」

 

 ひゅっと息を呑む。

 それは。

 もう絶句というしかなかった。

 いつか絶対に後悔すると、リジアの放った一言は私の心の一番奥のもっとも柔らかい部分を撃ち抜いた。

 その通りだ。正体がバレかけて彼女に辛そうな顔をさせた。でも、それで私が辛いのは彼女のことが好きだからなんだ。まだ大事な友達だと思っている。

 ようやくわかった。私は大事な友達を傷つけてしまったことに傷ついてたのだ。

 

「……私だって」

 

 そう、私だって。

 

「本当は祝いたいんだよ」

 

 彼女のことが好きだ。大事な友だちだから好きだ。彼女にとても救われてきたから好きなんだ。いつも感謝している。

 目標が叶っておめでとう。3D化おめでとう。いままでたくさん頑張ってきたね。努力が実ったね。そう言ってあげたい。

 

「本当は祝いたいんだ……」

「うん、大丈夫。わかってる」

 

 リジアは理由を聞かずに、ただ私の感情に寄り添ってくれる。

 彼女だって突然態度の変わった私達のことを知りたいはずだ。仲間はずれにも感じているかもしれない。それなのに、私達を想って言葉を尽くしてくれている。

 泣いてしまいそうだった。

 私はヒュー子だけでなくリジアにも救われている。

 

「いまどうしても苦しいなら、一緒に祝いの言葉を考えて贈ろう」

「……うん」

 

 視界が何も見えなくなって喉から嗚咽しか出せなくなっても、彼女はずっと通話でいて、寄り添い続けてくれた。

 




3D化はサリス・ヒューマンのほうが先です。乾家つるぎはその直後になるでしょう。

主人公が厳重注意だけで済んだ理由は一応色々あるんですが、書いても面白くできなかったのでばっさりカットしました。


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31話 3D化配信1

 スタジオの準備が一段落したところで私はルームライトを部屋の隅に置いた。高さ30cmで幅15cmの円柱型の照明だ。我々吸血鬼には不要なものだが夜目の利かないペットには必要で、ペットショップで購入したものだった。

 もちろんスタジオにペットを入れるわけではなく、二週間後に配信を控えたプリズム三期生、乾家つるぎのために用意したのである。彼女のマネージャーを努める身としては当然の準備だった。

 

「渡良瀬さん、笹川さん見ませんでしたか?」

「彼女ならお手洗いに行くと言ってましたよ」

 

 同僚にそう答えると、ちょうど探し人が部屋に戻るタイミングだった。さっそく同僚が歩いていき、台本を見せながら最終確認を行う。

 なんだか手持ち無沙汰になってしまった私はそのままふたりを眺めることにした。これから3D化配信をするヒュー子さんとそのマネージャーである。ここに来てから彼女たちは常に忙しそうだった。再来週は私もそうなるのだろう。

 

「……?」

 

 ふと、打ち合わせ中のヒュー子さんと何度か目が合う。どこか窺うようなちらちらした視線だ。何か私に用事でもあるのだろうかと内心で首をかしげるが特に心当たりはない。思えば今日は会ったときからいつも似たような雰囲気だった気がする。

 

「緊張していますか?」

 

 だから彼女のマネージャーとの打ち合わせが終わるのを待って、話を振ってみることにした。

 するとどうだろう。どこか言い辛そうな、躊躇うような表情で私を見ながら口を開けたり閉じたりして、終いには「……いえ」と小さな返事をしてくるではないか。

 さあどうしたものかと腕組みしたくなる。私に用があるのはわかるのだが会話の糸口を掴めない。

 

「そうですか、それはよかった。もし何かありましたら遠慮なく言ってくださいね」

 

 とりあえずこれだけ言っておいてあとは彼女が何か言い出すのを待とう。そう結論付けて片付けでもしようと背を向ける。

 

「あのっ!」

 

 呼び止める声。振り向くと思い切った表情があった。

 

「あの、つるぎちゃん、あたしのこと何か言ってましたか……?」

「いいえ……?」

 

 彼女はそうですかと言ってマネージャーを追いかける。私は予想外の質問に固まってしまって質問の意図を聞けず、ただ背を見送るしかできなかった。

 

 

 3Dお披露目配信の段取りは前半がヒュー子さんのお披露目で、後半が3Dの体を生かしたゲームということになっている。それぞれ尺は1時間と30分で、後半のゲームのために既に3Dの体を持つ二期生たちが集められていた。

 

「がんばれー!」

「いつも通りで大丈夫だからね」

 

 配信開始直前、ステージのヒュー子さんに声をかけるのは彼女と交流のある二期生たちだ。後半でツイスターゲームなどをするために三人いて、三人ともヒュー子さんと交流のある人たちである。

 三期生で一番活動的な彼女は、デビュー後すぐから積極的にプリズム内Vtuberと交流を作っていた。初めにリジアさん、次に二期生と。なんと恒例の先輩後輩コラボ配信よりも前からいくつもコラボしてきたのだから驚きだ。

 その結果は数字に現れていて、現在彼女は三期生で一番登録者数が多く12万人。二番目がつるぎさんの11万人。そしてリジアさんが8万人となっている。3D化の順番はそのまま登録者数順と言っても過言ではない。

 

「大丈夫、大丈夫……」

 

 ヒュー子さんが自分に言い聞かせながらスタッフのタイムカウントを聞く。一度大きく手を振って、スクリーンのなかの3Dモデルも手を振ることを確かめていた。

 

「3、2、1、始まりまーす!」

「はーい、こんばんわー!」

 

 スタッフの合図に合わせた挨拶が飛ぶ。カメラの範囲を意識しながら手だけ映してみたり、髪だけ映してみたりとリスナーを焦らす凝った登場演出をしている。

 ステージ上のヒュー子さんから斜め向かいの位置が私達スタッフの立つ場所だった。彼女のマネージャーはスマホで配信画面を確認していて、映像班と音響班はディスプレイを見ながら忙しなく色々な操作をしていた。

 お披露目の前半一時間は主にリスナーとのやりとりがメインとなる。それが一通り済めば今度は歌。その次に交流のある人たちから届いた祝いのコメントを発表、後半に続く。再来週のつるぎさんの3D配信でも似たような流れになる予定だが、歌わないぶんだけ調整が入るだろう。まだまだ歌は練習中らしい。

 ステージ上でコメントの要望に合わせてポーズをとっている姿を眺めながら、私は彼女のマネージャーに声をかける。

 

「それではドリンクの準備してきますね」

「はい。よろしくお願いします」

 

 後半に行う3D化配信恒例の利きドリンク企画。準備をするのは私の役目だった。

 

 

 ◆

 

「うわぁ……」

 

 自室。机に座って見ていたヒュー子の3D化記念配信。3Dで悶える彼女の姿を見て私は目を覆いたくなった。

 

 草

 玉ねぎジュースってw

 スタッフ頑張って作ったんだろうなぁ

 

 プリズム恒例と言われる3D配信での利きドリンク企画。最初はコーラとか烏龍茶とかまともな種類ばかりだったが、青汁が出てきたあたりで嫌な予感してきて、ついにタバスコで撃沈する二期生を見せられてヤバい企画だと思い知らされた。

 こんなキワモノイベントだったとは思いもしなかった。

 いまは目隠しをしてるらしいヒュー子が紙コップ片手に口を抑えて蹲っていて、周りの先輩たちが一気飲みコールしてるという地獄のような状況だ。コップの中身が生玉ねぎの絞り汁だというのだから本当に地獄である。

 え、これ再来週私もやるの? 断れないの?

 

『もうゆるしてえ゛え゛え゛え゛!!』

『がんばれがんばれもう半分!』

『やだあ゛あ゛あ゛あ゛!!』

 

 好物なんやろ? 好物なんやろ?

 好きなもの用意してもらえてよかったね!

 

 なんか趣旨変わってきてるような気がする。バラエティ番組を見てる気分だ。

 なぜ玉ねぎジュースなのかと一度首を傾げたのだが、よく考えてみれば彼女は前に人間の好物は玉ねぎだと主張してたくさん食べる配信をしていた気がする。あれは玉ねぎの刺激で泣きながら刻むパートも含めてエンターテイメント性の高い配信だったが、まさかこんな形で玉ねぎが刺しにくるとは夢にも思わなかっただろう。

 企画やスタッフやコラボ相手に弄り弄られてリアクションを響かせるのは、いつものヒュー子の持ち味だった。ここだけ見ればカラオケの日の出来事なんて初めからなかったように思えてしまう。

 けれども私とリジアで祝いのメッセージを送ったとき、リアクションをするまで微かなラグがあった。本当に小さくて、きっと私しか気付かないラグ。あれはどこか、私への対応を決めかねてるような気がした。

 

「……」

 

 再来週の土曜日。私もプリズムのスタジオで3D配信を行う。

 そこでは今日のように既に3Dの体を持っている人たちが集められて、一緒に企画をして遊ぶ予定だと伝えられている。

 つまりその日、私は再びヒュー子と会うことになるのだ。

 




花粉症でダウンしてたら更新が遅れてしまいました。
あと数話で決着がつく予定です。


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32話 3D化配信2

 鳴り響くインターホンに応じて玄関の扉を開けた。

 乾家つるぎの3D配信当日。マネージャーの渡良瀬が迎えにきてくれることになっている。私が夜目が利かないことはプリズムのスタッフで共有されていて、送迎の必要があると判断されているのだ。3D配信の開始は8時からですでに日が昇っている時間だが、吸血鬼の活動場所は照明のない屋内や地下がほとんどだった。

 

「今日はよろしくお願いします」

「頑張りましょう。応援してますよ」

 

 着替えとルームライトを詰めたバッグとともに家を発つ。だいぶ大荷物になってしまったそれをマネージャーが代わりに持とうかと言ってくれたがありがたく遠慮した。照明が生命線だから他人に預けたくなかったのと、いつかのリングヒット配信で体力の無さを痛感したから自分で頑張ろうと思っていた。

 とはいえマネージャーがすぐにタクシーを手配したから、それほど長い時間持ち続けることはなかった。

 タクシーで地下道を1時間ほど走ればプリズム事務所のあるビルに到着する。ここに来るのはこれで二回目で、最初は面接を受けに一人で来たものだ。いま思えばよくもまあ辿り着けたなと数ヶ月前の自分に感心する。どうやって来たかはもう覚えてないが、とにかく必死だった。

 マネージャーの背を追いながら小さな箱に入る。吸血鬼の作ったビルはやはり照明がなくて暗いけれど、パネルが放つ光から辛うじてそれがエレベーターであることがわかった。

 オフィスビルの階のひとつにプリズム事務所があり、そのひとつ上の階がスタジオとなっている。マネージャーが押したのは事務所の階のボタンだった。

 

「おや、どうも」

 

 開いたエレベーターから事務所に入ろうとすると不意に横から声をかけられ、二人で足を止める。マネージャーが口を開くよりも早くその人物は言葉を続けてきた。

 

「もしかしてつるぎちゃん?」

 

 若い女性の、聞き覚えのある声。

 

「えっと……、トゥーリさん?」

「あたりー! へー、つるぎちゃんかわいいねぇ若いねぇちっこいねぇ!」

 

 暗くて顔は見えないがテンションが猛烈に上がったのはよくわかった。トゥーリは私の手を掴むなりぶんぶんと上下に振ってくる。たぶん握手に違いない。

 

「よろしくお願いします」

 

 声の方向に向けて頭を下げる。

 

「よろしくよろしく。今日はサチヨとヒュー子ちゃんが来てるよ。サチヨとは初対面だっけ?」

 

 胸をぎゅっと握りしめられたような気がした。ヒュー子。いまの私にその名前は少しだけ重みを持つ。

 

「そう、ですね……」

 

 私の煮え切らない反応で彼女が戸惑う気配を感じる。反応したのはサチヨの部分でなくヒュー子の部分なのだが、それを説明するわけにもいかず、なんて誤魔化そうかと考えてるうちにマネージャーから助け舟が来た。

 

「つるぎさんは照明がないとあまり目が見えないそうなんです。なので部屋に行きましょうか」

 

 事務所にあったルームライトを点けると、デスクの並んだ部屋の光景がぼんやりと浮かび上がった。私のそばにはリムレスのメガネを掛けた女性がいて、目の前には後ろで髪を結んだパッチリした目の女性がいる。それぞれがマネージャーとトゥーリのようだった。

 

「つるぎちゃん目が悪いの?」

「そうですね。実は照明がないとほとんど」

 

 そういえば私の目のことはスタッフのあいだにしか共有されていないんだったか。吸血鬼にとって夜目が利かないのはピンとこないようでトゥーリはまじまじと私の顔を見ていたが、世の中にはそういうものがあるのかと納得してくれた。

 

「あれ、なんか明かりついてるな」

 

 新しい人物が登場して言葉とともに部屋へ入ってきた。ガッシリした体躯を持つ短髪の男。年の頃は二十代後半くらいだろうか。スタッフらしくないラフな言い方と性別から私は彼の正体を推測する。

 

「お、サチヨー。いまねつるぎちゃんが来たんだよ」

 

 等々力サチヨ。プリズムで現在二人しかいない男性ライバー。美少女ボディの狂人とリスナーたちには認識されている。

 

「乾家つるぎさんか、はじめまして。今日は頑張ってね。なにか話題やリアクションで困ったら遠慮なく俺たちに振っていいから」

 

 その狂人というのも実際は演技で、実はとても真面目で配信業にひたむきな男だという認識もされている。本人は決して認めないが、リスナーには隠れた真面目さも含めて愛されている人物だ。本来3D配信では交流のある人が呼び寄せられるのだが、初対面のサチヨがここに呼ばれたのは私の交友関係の狭さが原因だろう。私がまともに交流したことある相手は同期とトゥーリだけで、リジアはそもそも住所が九州だしまだ3Dの体も持っていなかった。

 

「今日はよろしくお願いします、サチヨさん」

 

 彼にはしっかり頭を下げて挨拶しておく。初対面だからというのもあるが、私は男性Vtuberには一定の尊敬を持っているのだ。男だった前世でもVtuberを目指していたのだから。

 

「荷物を置いたらスタジオの方に行きましょう」

 

 マネージャーの言葉に頷き、先輩ふたりに挨拶してエレベーターへ向かった。

 スタジオにはヒュー子がいてスタッフとともにスタジオの準備を手伝っていた。私たちは目が合っても言葉を発さず、けれども無視することもできず、ただ軽い会釈だけをした。

 

 

【3D公開】おまたせ!【乾家つるぎ/プリズム】

 

 配信の始まりで、揺れる茶色の尻尾を映してみたらコメントの流れが洪水のようになった。

 初め、乾家つるぎというキャラクターは犬の耳が生えただけの女の子という造形だったが、私が人狼を名乗ったことで『そういうこと』になったらしい。3D化に合わせて私の腰から髪と同じ色の尻尾が生やされ、体の動きに合わせて緩やかに揺れてくれる。

 3Dの体は基本的に初期衣装からデザインを変えないものだが、私は少しだけ特別だった。新しく生えた要素はリスナーに好評で、尻尾が揺れるたびにコメントが高速で流れてなんだか楽しい。コメントでやけに犬っぽいポーズばかり要求されたが、全体的に私も楽しめた満足のいく前半だった。

 そして私はまだ歌わないからと代わりに挿入されたのがリングヒットパート。円形の専用コントローラーを持って筋トレするのだが、こちらは攻略で必死になってしまってほとんどコメント画面を見る余裕がなかった。トゥーリが言うには好評だったらしいが、体力クソザコ人狼の汚名を返上できる日はまだまだ先だろうか。

 やがて3D配信は後半部分に至る。

 

「……」

 

 ついにこれがきたか

 今度は何が出てくるんだ……

 

 いま私の目の前には紙コップがあるらしい。らしい、というのは私が目隠しをされていて、なんとなくさらさらした感触でしか手に持っているものを認識できないからである。

 ゆっくりと持ち上げてみるとそれなりに重量があった。そのまま鼻先まで近づけてみる。ふわっと発酵した植物の香りがする。お茶のようだ。

 3D化記念配信のプリズム恒例企画、利きドリンクのルールは目隠ししながら紙コップの中身を飲み、飲んだものの正体を当てるというシンプルなもの。これを四人で順番に繰り返していくのだ。

 私は意を決してコップを傾けてみる。

 冷たい液体が口内にするりと滑り込み、味覚を清涼感で撫でていった。お茶かもしれない。

 

「お茶、ですよね……?」

「何のお茶か当ててみて」

 

 おしい

 お茶ってところまではわかるんだよなぁ

 

 横からトゥーリの声。この利きドリンク企画は飲んでいる当人以外は答えを知らされている。回答者の悩む様子に周囲がニヤニヤそわそわするのもエンターテイメントの一部だ。

 

「うーん、烏龍茶で」

「ざんねん! 正解は麦茶だった!」

 

 当てずっぽうではさすがに回答できなかったか。目隠しを外しながらすぐに回答役を交代する。次の回答者はトゥーリで、飲み物は野菜ジュースだった。

 三番目の回答者はヒュー子で、中身はコーラ。不意打ちの炭酸に吹き出しそうになるも正解を言い当てる。

 四番目の回答者はサチヨ、中身はコーンスープ。紙コップを持った瞬間に熱がりコメントが賑わった。こちらも正答。

 序盤はまだまだまともなものしか出ないためさくさくとローテーションしていく。タバスコなどの危険物が登場してくるのは三週以上してからだ。前回ヒュー子が玉ねぎジュースを飲まされたのは四周目である。設問が多いが経験豊富な先輩たちがうまく回してくれるおかげで本当にテンポよく進んだ。

 さて、二週目となって私の番が再び来る。

 

「次こそは当てたいですね……」

 

 目隠しをつけて紙コップに触れる。熱くはない。スープ類ではなさそうだ。

 次は鼻を近づけてみる。微かな生臭さと鉄分のような香り。馴染みのない匂いだ。どこかの温泉水だろうか。

 周りが妙に静かで、私の回答を期待しているような気配がした。

 まだ変なものが来るターンじゃないから大丈夫だと自身を奮い立たせ、私は一気に呷る。

 

「さあわかるかな?」

「これは種類まで当ててほしいな」

「つるぎちゃん……」

 

 三人の声が聞こえる。

 私は口に含んだものを味わおうとして。

 あ、と。

 口のもの正体に気づき、そのまま声を発しそうになった。

 

「……」

 

 これは血液だ。間違いない。

 いつかこの日が来ると予想はしていたから、なんとか一口目を飲み込む。

 けれども予想を遥かに上回る嫌悪感が胸から喉から勢いよく膨れ上がってきて、二口目は紙コップの中に吐き戻してしまった。

 

「ちょ、えっ?」

「うえ……、く、ぷ……」

 

 膝から力が抜けて転びそうになるのを寸前で堪える。けれども手が震えてコップが滑り落ちてしまった。ああスタジオの床を汚してしまったなと私の冷静な部分が呆れたけれど、それ以外の全てが飲まされたものの気持ち悪さで恐慌している。

 結び目の緩んだ目隠しが落ちた。

 開けた視界に見えたのは床に落ちた紙コップと、やはり赤い水溜りだった。

 

 どうしたんだ

 大丈夫か?

 なにこれ放送事故?

 ただの血だろ?

 

 やってしまった。

 どうしても飲めなかった。

 これでは他の吸血鬼に、ヒュー子に、配信を見ている一万人ほどのリスナーたちに。

 乾家つるぎは血が飲めないという事実を知られてしまう。

 

「ご、ごめんなさ……」

 

 最後まで言い切れなかった。私のすぐ隣まで大柄な男の吸血鬼、等々力サチヨが迫ってきていて、彼の厳しい表情に圧倒されてしまったからだ。

 




※最後の血を口に含むシーンを少し修正しました(2/23)


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33話 3D化配信3

「おいスタッフゥ! やっすい血出してんじゃねぇぞ!!」

 

 広くないスタジオに怒号が響く。

 何事かと思えばサチヨが私の隣からスタッフに吠えていた。両手を大きく広げて何故かドラミングを始める。あれで配信状は美少女ボディなのだからギャップが著しい。

 

「やめろサチヨー! プリズムに無茶言うな!」

 

 そこへ飛び出すのがトゥーリだ。いかにも怪物に立ち向かう英雄めいた空気を全身に漲らせてサチヨの前に立ちはだかった。

 

「3Dボディの実装に予算の大部分取られてドリンクの質にまでほとんど回せないんだぞ!!」

 

 サチヨの怒りはよくわからなかったがトゥーリの反論もよくわからなかった。嘔吐感と焦りが暴れまわっていた脳内が一瞬で漂白される。

 慌ててスタッフの顔色を窺うが、彼らは一様に苦笑いの表情をしていた。どこか慣れてる節があるというか、そうきたかと思っているように見える。

 

「畜生ァ! 俺にもっとうまいコーンスープ飲ませろ! 舌やけどしそうになったじゃねーか!!」

「それは猫舌なだけじゃん! 味関係ねーじゃん!!」

 

 次はコメントを確認する。突然のサチヨの暴走にさぞ困惑してるだろうと思っていたのだが、実際は予想と正反対の流れになっていた。

 

 いきなりキレるサチヨ

 つるぎちゃんめっちゃビビってるじゃん

 初絡みで突然のキレ芸は怖すぎる

 予算の都合草

 

 ここまでくれば二人が何をしようとしているのかわかる。後輩の失態を即興の茶番で塗り替えようとしてくれているのだ。彼らへ振り返ると一瞬だけ視線が合う。適当に誤魔化してと伝えられたような気がした。

 何か言え。何でもいいから失態を繕える内容を言え。

 だが、体が待ったを掛けた。血液を飲み込んだ体は思うように動かず、むしろ台風でも飲み込んでしまったかのようにめちゃくちゃだ。口を開いたところできちんと声が出る保証はない。それどころか、胸でぐるぐると暴れてるまずいものがまろび出る可能性だってあるのだ。

 

 ――泣き言をいうな!

 

 精神力を総動員して肉体を叱咤する。

 泣き言をいうな、血を飲んだからなんだ。私はエンターテイメントを期待するリスナーたちに、フォローしてくれる先輩たちに、全力で応えなければならないんだ。

 

「……ごめんなさい!」

 

 気合で絞り出した声は思いのほか大きくスタジオに響き渡った。

 トゥーリ、サチヨ、ヒューコ。スタッフたち。そして画面の向こうのリスナーたち。全員の視線が私に集中するのを感じる。

 

「なんだか緊張して、すごくむせちゃって」

 

 二本の足に力を込めて立つ。姿勢を正し、目線はカメラへと真っ直ぐに向けた。

 こんな言葉で繕えるかどうか自信がなかったけれど、先輩二人からはよくやったと言われたような気がした。

 

「血がまずかったわけじゃないじゃん」

「いや俺、毎日100mlで1万くらいのやつ飲んでっから」

 

 草

 そんな高い血なんてないが?

 UMAの血でも飲んでんのか????

 

 その後トゥーリから私の飲んだ血液の種類を明かされるなどを経て、3D配信の後半はつつがなく進行した。

 アクシデントで進行のやり方がすっぽ抜けてしまったのだが、私が詰まりそうになるたび二期生の二人がフォローしてくれたり、また脱線しそうになった流れを掛け合いで戻してくれることがあって、もう先輩たちには頭が下がる思いである。

 

「ふぅー……」

 

 スタッフから配信の終了を告げられるなり私はその場に座り込んでしまった。緊張で忘れていた疲労感が一気にやってきたかのようで、もう泥人形になったんじゃないかとすら思った。

 いますぐ五体を投げ出して眠りたくなるのを、なけなしの理性が必死に引きとめている。

 

「つるぎちゃん大丈夫?」

 

 そんなときに声をかけてきたのがトゥーリだった。振り向くと彼女はたいそう心配そうな目で私を見ている。

 

「顔色わるいよ?」

「え……」

 

 指摘された途端、腹と胸をぎゅっと締め付けられる感覚が蘇ってきた。そうだ。配信に集中していただけで消えたわけじゃないんだ。トゥーリの後ろにいるサチヨや数人のスタッフも同じように私を見ているから、よほど酷い顔をしてるのだろう。

 

「ちょっと、お手洗いに行ってきます……」

 

 なんとかそれだけを告げて逃げるようにトイレへ飛び込んだ。

 

 

 トイレの洗面台へ突っ伏す。

 血液を飲んだ衝撃は想像以上に大きかったようで、しばらくそのまま深呼吸を繰り返した。

 

「確か牛の血だっけ……」

 

 そのようにトゥーリが言っていたと思う。人体にとって毒ではないだろうが腹を下すことはあるかもしれない。場合によっては一日二日ほどトイレと友達になる未来が待っていることだろう。

 まだ呼気に血の匂いが残ってる気がして口をゆすいだ。センサー感知式の蛇口は手で水を掬いづらくて袖と襟を濡らしてしまったが、水がもたらす清涼感のおかげで気にならなかった。

 はぁ、と最後にもう一度深呼吸をする。血の残り香はこれでなくなってくれただろうか。

 疲労感はいまだ全身の筋肉に沈殿している。考えてみれば配信の中盤でリングヒットしていたのだから当然のことだ。体を動かした時間は短いがいかんせん普段の運動不足のせいで大げさに疲れてしまう。

 とはいえこれで家まで帰れる程度には回復したと判断して、私はトイレから出ることにした。

 いや、出ようとした。

 出られなかったのは入り口にヒュー子が立って、私のことを見ていたからだった。

 

「……」

「……」

 

 沈黙。

 お互いに目を合わせて何も言葉を発さないまま時間が過ぎていく。

 私は何も言えずにいた。彼女が不思議な表情をしていたから、なんて言葉をかけるべきなのか、かけずにおくべきなのかわからなかった。

 たくさんの感情を注いでかき回して、それでいて混ざりきらずマーブル状にでもなってしまったかのような表情。私の前世を含めた人生でも一度も見たことがないような表情だった。

 

「つるぎちゃん、血はもう大丈夫なの?」

 

 ひゅっと息が止まる。

 同時に、頭が疑問で埋め尽くされた。

 どっちだ。

 これはどっちの血についての質問なんだ。

 頭にはふたつの事柄が浮かんでいる。あのカラオケの日に口を切ったことと、さっきの利きドリンクのとき吐き戻してしまったこと。彼女がどちらについて質問しているのか判断がつかない。

 

「えっと、ただむせただけだから大丈夫」

 

 およそ数秒悩んでから、私からカラオケのときのことに触れるようなことは絶対しないでおこうと考え、後者で答えた。

 

「だいぶ気持ち悪そうだったね」

 

 対するヒュー子の返事は断定的だった。本当はむせたわけじゃないだろうと指摘されているのかもしれない。それでもこちら側の回答でよかったんだと少し安心した自分がいる。

 

「血はね。少し古かったりすると人によって体調と相性で受け付けなくなるときがあるから、次からそう答えればいいよ」

 

 これはなんだろう。

 配信のアドバイスをされているのだろうか。

 ただむせただけという私の言い訳があまりにも苦しかったから、より妥当性のあるものを考えてヒュー子が教えてに来てくれた。そんなストーリーが頭のなかで組み上がった。

 

「吸血鬼はそういうものなの」

 

 それがたったの一言で粉砕される。

 私が吸血鬼じゃないと確信してるような言い方だ。

 ここに至って私はようやく彼女の表情から感情をひとつだけ見出すことに成功する。

 憐憫。

 カラオケの日からいまこの瞬間に至るまで、彼女のなかでどのような化学変化が起きたかわからないが、少なくとも私を憐れむ要素があったのだろう。

 私が何も言葉を返せずに入ると、彼女はふっと小さく表情を変える。

 笑顔。

 

「つるぎちゃん、明日予定ある?」

 

 私はゆっくりと息を吸って、吐く。

 

「……ないよ」

 

 彼女の笑みが濃くなる。どういう種類の笑みなのかはわからない。

 

「それじゃ明日、カラオケ行こう」

 

 私に断る選択肢はなかった。

 



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34話 吸血鬼ではない生きもの

 3D配信の次の日。

 いま、目の前にヒュー子がいる。

 待ち合わせにした場所からカラオケの店に入って、ふたりでソファに座るまでお互い終始無言だった。

 私はといえばヒュー子に先導されるままただ歩いて、ずっと身を縮こませていて情けない有様だった。彼女の衣擦れの音、空気の揺らぐ気配、それらひとつひとつに肩が跳ねてしまう。執行を控えた死刑囚の気持ちがよくわかった。

 これからどうなるのか、私はどうすればいいのか。そんな考えばかりがぐるぐると頭を巡っていて彼女の意図にまで気が回らない。

 

「そんなに怖がらなくて大丈夫だよ。別に言いふらしたりしないから」

 

 だからそんなことを言われて私の頭は完全に硬直してしまった。

 彼女はどんな表情でそれを言ったのだろう。私はいまどんな表情をしてるのだろう。

 明かりのない部屋では何もわからない。

 それから何かを思い出したような小さな声がして、ライト貸してと言われる。私が持ち込んだルームライトのことだと気付くのに数秒かかった。

 部屋に明るさが生まれる。

 光に照らされたヒュー子は私の隣に座って、昨日のように笑っていた。眉をハの字にすぼめた張りのない笑みだった。

 

「念のため確認しておくね」

 

 彼女の唇が動く。「はい」と返そうとしたけれど、ずっと言葉を発してこなかった口は貝のようにぴったり閉じてしまっていたので、代わりに頷いて返した。

 

「つるぎちゃんは、吸血鬼じゃないんだよね?」

 

 じっとヒュー子の顔を見ていた私の目が、だんだんと首まで下がって、胸に降りて足をたどって、最後には床まで落ちる。

 ここで首を横に振ったらまだ友達でいられるのかなと思った。また前のような仲のいい女友達に戻ってくれるのかなと。苦くて甘い誘惑が私の両頬を掴んで首を振らせようとする。

 でも、もう無理だ。

 もうこれ以上、彼女には嘘も隠し事も重ねられない。

 それでもやっぱり声が出なかったから、彼女の顔を見てもう一度頷いた。

 

「そっか」

 

 ルームライトに照らされた室内。私たちはおよそ夕焼けほどの明度の空間にいた。前の世界にはこれほど暗い部屋はなく、この世界にはこれほど明るい部屋はない。

 吸血鬼世界に異分子が紛れ込んだからこそ作られた空間。これを『私が吸血鬼でないこと』をヒュー子に受け入れられてる根拠だと考えたい。私が人間であるという部分が認めて、そのうえで友達でいられる未来を望みたい。

 けれども心の中の臆病な私が期待するなとすすり泣く。望み通りにならなかったときが辛いぞと喚き立てる。

 どうして私は純粋でいられないんだろう。ただ望みだけを抱いていられたらきっと楽に呼吸できるのに。

 

「ええとね。色々と順番を飛ばしちゃうんだけど、ひとつ伝えたいことがあるの」

 

 隣のヒュー子が座り直して体ごと私に向く。

 なんだろう。もし拒絶だったら耐えられるだろうか。

 疑問を抱きながら私も引き摺られるように体の向きを変える。ヒュー子とまっすぐ向かい合うように。なぜだかそうしなきゃいけない気がした。

 とすん。

 小さな音と小さな衝撃がひとつ。

 体温と微かな息苦しさ。目の前にいたはずのヒュー子が見えない。

 さらさらと頬に触れる髪の感触で、私は彼女に抱きしめられたと気づいた。

 

「ありがとう。それと、ごめんね」

 

 言うのが遅くなっちゃったけど、と続ける彼女の真意はまだわからない。

 ただ、どこか受け入れられたような予感ばかりが心に吹き荒れていた。

 

「あの酔っ払った男からあたしを助けてくれてありがとう」

 

 でも。と彼女は言う。

 でも助けたことが、私が吸血鬼じゃないと気付く切っ掛けになってしまった。その切っ掛けを作らせてしまってごめんなさい。

 私を抱きしめたまま吐露される彼女の心情はこんな内容だった。

 

「……」

 

 すると鼻がツンとしてきて視界が滲んだ。

 返すべき言葉が見つからず、私もぎゅっと彼女を抱きしめ返した。

 

 

 ◆

 

 あたしが子供の頃に聞いた怖い話でこういうものがある。

 とある小学校には不思議なクラスがあって、30人クラスなのになぜか31個の机があるというのだ。ただ机があるだけじゃなくてすべての机にはきちんと子供が座っている。つまり30人のクラスに31人の子供がいるということ。一番不思議なのは子供も大人もそのクラスには30人しかいないと認識しているのだという。

 ある日一人の子供が違和感に気づき、31人目が誰かを調べようとするのだ。誰に聞いてもみんな疑問を抱かないものだからひとりで調べる。ときには名簿を見て、時には授業参観で親の来ていない子供を探して。そしてついに誰が31人目なのか突き止めるのだ。だけどその直後に背後から声がかかる。「気付いてしまったな?」と。振り向くと例の子がいてそいつに食べられてしまう。最後に「ほら、これで30人になった」という言葉だけが残って話は終わり。

 カラオケから帰った日、あたしはベッドでその話を思い出してしまった。

 幼い頃に感じた恐怖。膨らませてしまった空想。

 もし身の回りにおばけがいたらどうする?

 そのおばけはあたしたち吸血鬼そっくりの外見をしていて、文化に通じていて、同じ言葉を喋り、自分も吸血鬼だと身分を偽って生きているとする。しかし自分の家族や友人は誰も人間の存在を知らなくて、唯一自分だけがその事実を知ってしまったとする。

 そうだとしたらどうすればいい?

 

 友達が実は吸血鬼じゃないと気付いたとき、あたしの前で常識という景色がガラスのように割れてしまった。そしてずっと忘れていた感情が、割れた隙間から黒い鞭のように飛び出してきて全身に巻き付いて、ゆっくりと黒い沼に引きずり込んできた。

 あたしのこれまでの人生経験に補強されて、子供の空想と恐怖がリアリティを帯びてゆく。

 おばけだったのがその子だけだと思う?

 近所の人や友達、職場の同僚もおばけじゃない保証なんてどこにある?

 あたしの家族が『いつの間にか本物と入れ替わってるおばけ』かどうかなんてどうやって調べればいい?

 まるで世界中に怪物の目玉が現れたように感じた。絶対に理解の及ばない未知の存在が、あたしたちにはわからない方法で身を隠しながら吸血鬼の社会を観察している。数は不明。目的も不明。目が合った不幸な吸血鬼はたちまち消されてしまう。

 あたしはどうしようもなく怖くなって、つるぎちゃんと一切会話できなくなった。彼女から31人目のおばけの言葉が出てくるんじゃないかと夜も眠れなくなった。

 けれども現実はあたしを待ってくれなくて、平日になれば仕事しなきゃいけないし、自分の3D配信に向けた準備もしなきゃいけなかった。それらに打ち込んでいれば恐怖も忘れるかなと思ったけど全然そんなことなくて、周りの人を見てはこの人も吸血鬼じゃないのかもと怯える日々だった。

 ある日、ふと気づく。

 吸血鬼らしくない吸血鬼なんて、つるぎちゃんしかいないんじゃないか。

 あたしの身の回りには夜が見えない人なんていないし、すごい存在感を持つ人だっていない。誰かの血を飲みたくなったこともない。

 おばけは、怪物の目玉は、世界にたったひとりしかいない。そこに気づいたとき私は恐怖の沼から解放された。

 

 いま。

 吸血鬼じゃなくても体が温かいんだなって思いながらつるぎちゃんを抱きしめている。

 今日の待ち合わせからいまに至るまでつるぎちゃんの様子は見ていて痛々しいものがあった。諦観に疲労と悲しみを混ぜた空気をずっと纏いながら、小さなことにいちいちビクビクしていた。

 つるぎちゃんが本当は吸血鬼じゃないことを踏まえて見れば、その態度の示す意味がよくわかる。

 吸血鬼しかいない世界にたった一人だけで生きていて、正体が気付かれないようにしながら、自分も吸血鬼だよって偽りながら過ごしてる。誰にも頼ることができず、もし気付かれてしまったら終わりだと苦しみつつも誰にも悟られないように頑張っていたんだ。

 前にはぐれてひとりになったとき、彼女は泣いていたじゃないか。

 きっと吸血鬼を襲うおばけなんてどこにもいない。

 ただ吸血鬼に怯えるおばけだけがいたんだ。

 

「ええと、ひとつずつ説明していかなきゃいけないよね」

 

 きっと彼女は混乱してる。

 突然抱きしめられて礼を言われて何がなんだかわからないだろうから、きちんと色々と説明していかなきゃいけない。なのにどうしよう、声が震えてきた。ちゃんと全部言えるか不安だ。

 

「カラオケの日。家に帰って考えてるうちに確信したんだ」

 

 つるぎちゃんが吸血鬼じゃないことを。

 理由はあたしが彼女の血に惹かれたから。

 吸血鬼は動物の血を飲んでいるけれど、同じ吸血鬼の血を求めることは絶対にない。そういう性癖の人はいるかもしれないけれど、食欲で求めたりはしない。これはあたしの知る吸血鬼の大原則だ。

 

「確信したけど、本当は勘違いじゃないかって考え直そうとしたこともあるの」

 

 そこへ追い打ちをかけたのが3D化配信だ。利きドリンク企画でつるぎちゃんが血を飲むことになったことが分水嶺だった。

 あたしはいったん話を止めてつるぎちゃんの様子に意識を向けた。

 彼女は抱き返したまま何も言わない。ただ時折頷いて相槌を返してくれたからあたしの言葉は全部届いてると信じた。

 

「……」

 

 つるぎちゃんの息を吸う気配を感じて音に集中する。

 

「私が人間だと知って、ヒュー子ちゃんはどうする?」

 

 今日はじめて彼女の声を聞いたなと思った。

 同時に、ああ彼女は人間だから吸血鬼を恐れてたんだなと深い納得を抱いた。

 




ヒュー子「さようならつるぎちゃん妖怪説。さようならつるぎちゃん宇宙人説」

長くなったのでここで区切ります


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35話 友達

前話の切り方が半端になってしまったので今回短いです。


 私が人間だと知って、ヒュー子はどうする?

 たくさんの覚悟を重ねて放った問いだった。だから彼女の顔を見たくて抱きしめていた体を離した。

 この世界における人間は大昔に存在した生き物である。吸血鬼と生存競争をし敗北し、人間牧場という形で家畜化され、やがて吸血鬼同士の戦争に巻き込まれて絶滅したのだ。もう現代の吸血鬼の感覚では恐竜などの古代生物と同じ位置にいる。

 そんな人間という生き物と真正面から向き合うことになった彼女はどこか呆けていた。まるでUFOから宇宙人が降りてくるのを目撃したような、そんなニュアンスを感じた。

 私の問いはそんなに意外なものだったのだろうか。

 

「ええと」

 

 ずっと交差していた視線はヒュー子のほうから外される。

 

「何もしない……。いや何もできない、かな」

「何もできない?」

「そう」

 

 薄暗く常夜灯程度の明るさしかない部屋のなか、言葉が途切れて二人分の呼吸音だけが空間に満ちる。

 しばらくして、いかにも伝えにくいものを言語化したような間を経て、彼女の目がこちらに向いた。

 

「つるぎちゃんは人間なのよね?」

「うん」

 

 まさにいま言ったばかりなのだが、ちゃんと伝わっていて何よりだ。

 

「大昔にあった人間と吸血鬼の出来事は知ってるかな」

「うん」

 

 例え知らなかったとしても私は人間であることを隠していただろう。前世でも吸血鬼は人間を襲って血を吸う生き物として扱われていたのだから。転生してここが吸血鬼しかいない世界だと知ったときの衝撃を忘れられない。

 ヒュー子はまたしばらく考える時間を置いて、ぽつぽつと語りだした。

 

「あたし、ただの吸血鬼なの。夜間は会社で働いて昼は配信してる。そんな普通の吸血鬼」

 

 知っている。

 彼女の配信の様子から、日々の雑談から私は知っている。

 

「そんな普通の吸血鬼がね。この世界に人間が生きていました、吸血鬼の街で隠れて生活してます、なんて事実はとても抱えきれないよ。どうするべきかなんて一個人には判断できない」

 

 私を見る彼女の眼差しはとても真剣で、本心から言っているのがわかった。

 彼女の言い分は理解できる。彼女は学者でも政治家でもない。ただの人が世界の常識をひっくり返すような秘密を知ったとしても、何か行動できるわけではない。とても責任を負いきれないと言ってるのだ。

 

「だから、あたしは何も判断しない」

「……?」

 

 判断しないとはどういうことなのか。誰か立場のある人間に伝えて丸投げするのか。それを視線で問う。

 

「つるぎちゃんが決めて。あなたはどうしたい?」

 

 私はしばらく呼吸を忘れた。

 何度も試すようにヒュー子の目を見て、嘘やごまかしの色がないか探した。どれだけ必死に探してもそれを見つけられることはなかった。見つけたいわけじゃない。嘘であってほしいわけじゃない。ただあまりにも私に都合のいい言葉だったからすぐに信じていいのかわからなくて、沸騰して時間の経ったやかんへ恐る恐る触れるように、ゆっくりゆっくり時間を掛けて彼女の言葉を飲み込んだ。

 頬の熱さを感じる。

 目尻にさえも。

 本当、私は転生してからすっかり泣き虫になってしまった。

 

「私が決めていいの……?」

 

 絞り出した声はひどいものだった。ちゃんと言えたか不安でもう一度口を開いても、喉が引きつってまるで言えやしない。

 

「いいよ、つるぎちゃんの好きなようにして。あたしが助けるから」

 

 喉が引きつって何も言えやしない。

 出るのは嗚咽ばかり。

 視界が滲んで何も見えやしない。

 わかるのは頬を伝う雫ばかり。

 ただ、体温は感じられた。

 私はまた抱きしめてくれた彼女の背に手を回し、一生懸命にしがみついた。

 

「だって友達じゃない」

「……っ」

 

 いいのだろうか。

 私ばかりこんなに得してしまっていいのだろうか。

 ここまで特別扱いされてしまっていいのだろうか。

 前世で病気になって。夢を叶えられないまま死んで。この世界でまた夢を叶えるチャンスが与えられて。友達ができて。

 そして私が人間だという部分も受け入れてもらえた。

 こんな幸福なことがあっていいのだろうか。

 

「つるぎちゃん覚えてる? 前に本当に人間がいたらってつるぎちゃんと話したときのこと。『友達になれるかもしれないよ』って。つるぎちゃんが言ったんだよ」

 

 ああ、言った。

 間違いなく言った。

 あなたと友達になりたくてそう言った。

 言った本人が忘れかけていたことを、彼女は覚えててくれたんだ。

 

「人間だとわかったからって、いままでのことが突然なくなったりしないよ」

 

 いままで話したこと。一緒に遊んだこと。一緒に見たもの。一緒に歌ったこと。

 例え私が人間だったとしても、二人で過ごした時間はなくならない。

 私は泣いた。

 ただでさえぼろぼろ泣いてたのだからわんわん泣いた。

 この世界に転生して初めて何も隠さなくていい相手ができたことが嬉しくて。

 友達にすべてを受け入れてもらえたことが嬉しくて。

 ずっとずっと泣き続けた。

 




次話が最後になります。
いつも感想や誤字報告などありがとうございます。


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36話 吸血鬼世界のVtuber

 男にとって金曜日の夕方は鬼門だった。なぜならその週にあったトラブルのしわ寄せが一気に来るタイミングなのである。

 ゆえに男はその日、推しのVtuberの配信があると知っていても残業せざるを得なかった。時計の針が進むごとに激しくなる焦りのオーラに同僚たちはさぞ神経を削られたことだろう。しかしそうと自覚していても抑えられないのが吸血鬼の性である。あるいは吸血鬼だけでなく、他の生き物もそうなのかもしれない。

 仕事が片付き次第、男がすぐに走り出したのは言うまでもなく、そのまま地下鉄の駅まで直行した。

 額の汗をシャツの袖で拭いながら駅のホームでやべ、と小さく声を漏らす。うっかり服を汚してしまったが今日はもう家に帰るだけだからまあいいだろう、そう思うことにした。

 電車が来るのを待つ時間は男へ想像以上の苦痛を強いた。何故ここまで走ってきたのに待ち時間で3分も浪費しないといけないのかと、電光掲示板を睨んでしまうは仕方のないことである。

 男にとって救いだったのは、どうやら配信時間にはギリギリ間に合いそうなことだった。このままスムーズに行けばもう走る必要はないだろうと脳が電卓片手にガッツポーズをする。なんとコンビニで弁当を買う時間まであるらしい。

 余裕を自覚した途端、男の頭には様々な雑念が湧いた。

 そういえば血液のストックが切れかかってたなとか、前にもこんな風に急いで帰ったことがあったなとか。そんな取るに足らない事ばかり思い浮かぶ。

 前に急いで帰ったときはいつ頃だっただろうか。たしか推しのVtuberがデビューして1ヶ月も経ってない頃だったはずだ。だとすればもう10ヶ月も前だということになる。

 轟音響かせながら電車がやってくるのを認め、身を滑り込ませる。座席がすべて埋まっているのを確認し、ドア脇の壁にもたれかかった。

 落ち着ける状況になるなり取り出すのはスマートフォンだ。

 

 

 乾家つるぎ tsurugi@prism

 

 【お泊り配信】罰ゲームつきミニゲーム大全【ヒュー子✕つるぎ/プリズム】

 

 今日の9時から開始するよ

 みんな来てね!

 

   .o164  2,119  5,772

 

 

 

 サリス・ヒューマン Saris_h@prism

 

 【お泊り配信】罰ゲームつきミニゲーム大全【ヒュー子✕つるぎ/プリズム】

 

 人狼女子に料理で完全敗北するなどのトラブルがありましたが

 9:00から予定通り開始します

 オイシカッタ...クヤシイ...

 

   .o256  3,753  5,912

 

 

 もう何度目かわからないほどに開いたSNSが示すのは、推しと推しによるお泊り配信の告知だ。

 Vtuberグループ『プリズム』の三期生、乾家つるぎ。そして同じく三期生のサリス・ヒューマン、通称ヒュー子。男にとってデビュー時から推し続けていた二人である。

 自然体のまま特別なことをせずともがっしりとリスナーの心を掴んでくる子と、様々な企画を考えて常にリスナーを楽しませようとしてくれる子。そんな彼女たちが好きになってしまったら、二人が仲良さそうにしているだけで言葉にし難い熱が間欠泉めいて吹き上げてくる。

 とはいえ彼女たちはデビュー初期からずっと仲がいいわけではなかった。

 最初から社交的で様々な人と交流していったヒュー子だが、長いあいだ孤高を貫いていたつるぎと初コラボまで漕ぎ着けたのはデビューからおよそ4ヶ月目。彼女たちの関係はそこからようやく始まったと言っていい。

 一部の例外を除いてずっとソロ配信を貫いていたつるぎにどんな心境の変化があったのかはわからない。もしかしたら真祖ゆえの事情というものがあったのかもしれないとファンのあいだで議論されたが、真相はいまだに謎のままだ。

 ただ、二人のコラボを見れば相性の良さがわかる。ファンにとってはもうこれだけで充分ではないだろうか。

 男は見てほしかった。

 万人に紹介したかった。

 これが自分の推しであると。

 つるぎの3Dお披露目配信で二人がほとんど目を合わせなかったことを指摘し、本当は不仲なんじゃないかと杞憂する者が一時はいた。かくいう男もその一人だった。

 だが。

 この二人のツイートを見よ。

 本当に不仲であれば家に泊まりに行くなどするはずがない。

 淀んだ不安を爽やかに吹き飛ばしてくれたニュースには両手を合わせて感謝してもしきれない。

 これでは前述の感情も間欠泉どころか、とめどなく溢れる源泉レベルになってしまう。

 

「むしろ俺が温泉になるので二人はのんびり浸かって体を伸ばしてください……」

 

 対面の中年がいきなり何言ってんだコイツと見るが男の意識には入ってこなかった。

 

 

 ◆

 

 【お泊り配信】罰ゲームつきミニゲーム大全【ヒュー子✕つるぎ/プリズム】

 

「こんにちわー」

「こんにちわ」

 

 きちゃ

 まってた!

 

 PC画面に二人の立ち絵が並ぶ。リスナーにとっては通常のコラボでよく見る光景だが、声が遠く聞こえることでマイクの位置が普段と違うことを察せるだろう。

 

「プリズム所属Vtuberの乾家つるぎだよ。今日はヒュー子ちゃんが家に来てくれてるよ。いまちょうど隣にいるんだ」

「はーい、ここにいるよ。同じくプリズム所属のサリス・ヒューマン。ヒュー子って呼んでね」

 

 基本的にリスナーというのは好きなVtuber同士が仲良くしている様子を見ると嬉しくなる生き物である。コラボの告知を目にするだけで盛り上がるし、ソロ配信であっても推しの口から誰かの名前ができるだけでぐっと拳を握りたくなるのだ。

 さらに誰かが誰かの家に泊まるなど聞いてしまうともう、それが許される関係性と距離感を噛み締めてしまう。もちろん笑みを浮かべたまま噛みしめるわけだから口角がすごいことになる。

 

「それじゃ今日の予定なんだけど、二人でミニゲーム大全をー……ちょっとヒュー子ちゃん近いちかいちかい!」

 

 ガタッ

 近いって何が?

 ほう、詳しく

 顔が近いんですか???

 

「ヒュー子ちゃんもノートパソコン持ってきてるんだから私の画面覗き込まなくていいじゃん!」

「ええー。せっかくのオフコラボなんだから離れないで近くでやったほうがいいじゃない」

 

 いまリスナーたちの気持ちは一つになっていることだろう。二人の仲の良い様子をいつまでも見守っていたい、このままじっと推しからの供給を享受していたい、自身の存在感を限りなく薄めて二人を包む空気になりたいと。

 

「はい、はい! 改めて説明します! 今日は二人でミニゲーム大全を一緒にやるよ!」

「負けるたびに罰ゲームでわさびを小さじ一杯食べるルールよ」

「なんで初めてのオフコラボでこんなキワモノ企画にしたの?」

「相手がそばにいるから罰ゲームで悶えてるのを実況できると思って」

 

 草

 ミニゲーム実況じゃなくて罰ゲーム実況なんです?

 実況ありがたい

 

 二人のやりとりのことごとくがエンターテイメントに昇華されてゆく。まだゲームを開始してもいないのにリスナーたちは盛り上がった。企画の説明から名場面を予感して胸を膨らませた。

 彼らはきっと彼女たちの活動をいつまでも追い続けるだろう。

 近い未来に目を向ければ、人外三人組による歌や四期生のデビューと、いくつものイベントが待ち受けている。それに応じて二人は様々な変化、あるいは発展を遂げていくだろう。

 リスナーたちが現在を愛し、未来に期待し続ける限り、きっと彼女たちの人気は衰えることなく続いていくのだ。




ご愛読ありがとうございました。
ひとまずここまでを区切りということしています。
今後の展望やあとがきなどは活動報告欄にて報告いたします。


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