「次点の聖女」 (手嶋ゆっきー)
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「次点の聖女」
王城に設けられた「祈りの間」に向かう途中のこと。
私の耳に、男性と女性の怒号が飛び込んできた。
「聖女マヌエラ。あなたとは……婚約破棄をさせていただく」
「なっなんですって? 急に……理由は?」
男性の声は、王子ミカル殿下のもの。
もう一方の女性の声は、彼と婚約された聖女マヌエラ様のものだ。
何か揉めているみたいだけど、いったい何だろう?
特に不穏な言葉が気になる。
婚約破棄……?
「……分かりましたわ。ならば、出て行きます。こんな国、魔物が押し寄せてきて滅べばいいのですわ!」
そう言って、聖女マヌエラ様は出て行かれた。
私は、聖女マヌエラ様に力が及ばない——
何でもかんでも中途半端。
万年二番手。
どんなに努力しても一位には決してなれない存在。
それが私だ。
両親は、辺境の村に住む魔道具の職人。
魔法の力を込めた魔術ランタン(灯り)や、魔術コンロなど生活に必要な魔法を使った道具を作る仕事をしている。
二人は仕事の関係で知り合ったのだという。
「おい、この子は神官魔法が使えるぞ! いずれは聖女に!」
生まれた私に対して、どんな魔法が使えるのか両親は興味津々で調べたらしい。
結果、癒やしの術や結界術を使える能力が私に備わっていたことが分かる。
しかし……。
「魔力はあまりに中途半端な量しかないのか……」
落胆した両親の顔が印象に残っている。
一日中癒やしの術を行ったり強力な結界を生み出すのには、ある程度の魔力が必要だ。
私の魔力はそれに全く足りておらず、職業として神官職に就くのは難しいと判断された。
ましてや、最大の力を求められる聖女など望めやしない。
残酷な事実にじわじわと自分の立ち位置が分かってくる。
そして、十五歳になったある日。
私の人生を一変させる出来事が起きる。
「誰か【癒やし】の魔法が使える者はいるか?」
どうやら、国の兵士と魔物の小競り合いがあったようだ。
その戦いで多くの負傷者を出したらしく、兵士が街の聖堂に救援を求めてやって来た。
生憎、主要な神官職は出払っている。
私だけが留守番を任されていたのだ。
「はい、少しなら私が【癒やし】の魔法を使えます」
「そうか、助かった! では、こちらに」
私なんかで役に立つのだろうかと思いつつ、現場に向かった。
しかし、予想を超える負傷者を前に、あっという間に魔力が尽きてしまう。
「もう魔力切れか……使えん」
「ご、ごめんなさい」
落胆した兵士の声が胸に突き刺さる。
役に立たなくなった私を見る兵士たちの冷たい瞳。
私は目の前の怪我人を癒やすことも出来ず、立ち去るしかなかった。
いつもこうだ。
私は、何もかも中途半端なんだ。
「う……っ。私は……どうして……」
その場でうずくまり泣いていると、誰かが私の頭を撫でいるのに気付いた。
温かい。
顔を上げると、優しげに微笑む女性がいる。
多分、私の母親と同じくらいの年齢だ。
その方は、とてつもなく気品に溢れており、圧倒的な迫力さえ感じさせる。
「どうしたの?」
「ごめんなさい……」
私は、ただ泣くだけだった。
泣き止まない私にその女性は根気よく、頭を撫で続けてくれた。
「あらあら。よしよし、大丈夫よ……。んん? この力もしかしたら……?」
女性が何かに驚いている。
同時に、私の身体の中の魔力が回復するのを感じた。
こんなことは初めてだ。
暫く経つと、普段以上の魔力が体に留まっているのに気付く。
また治癒の魔法が使える!
そう感じた私は、先ほど治せなかった兵士たちの元に向かった。
「なんと……。助かった。ありがとう」
私は次々と癒やしの魔法を発動し、めぼしい者の治癒を終わらせた。
感無量だった。
遅れて街の神官らが駆けつけたのだけど、彼らにはもう仕事がなかった。
それでも、手遅れになる者が出なくてよかったと労ってもらえる。
先ほど、私に声をかけて下さった女性からも、感謝の言葉を頂いた。
「がんばりましたね。名は何というのですか?」
「はい、ありがとうございます。私はリージアと申します」
「リージア。良い名前ですね。覚えておきましょう。貴女は……聖女になれるかもしれませんね」
私の頭を撫でてくれた女性は、そう言い残して去って行った。
私が聖女?
まさか……?
聖女になれるかもしれない。
女性の言葉は、あっという間に周囲の街に広まっていった。
しかし、私はどうしてあれだけの魔法が使えたのか分からなかった。
失った魔力がなぜ戻って来たのかを。
「聖女の候補だと聞いています。私と結婚をしていただけませんか」
あまり日を置かずに、隣国の貴族から縁談の申込みが舞い込む。
両親はとんでもないチャンスだと、話を前向きに進める様子だった。
私も自分を認めてくれる人がいたのだと、心が弾んだ。
この人なら尽くしてもいいのかもしれない。
世間知らずな私は、ただただ喜んでいた。
早速花嫁修業を、と思っていた矢先のこと。
街に出たとき、たまたま縁談の相手である貴族令息を見つけ、嬉しくなって彼に近寄った。
十分に近づいて声をかけようとしたとき、彼とその友人の会話が耳に入ってくる——。
「本物の聖女が見つかったんだって?」
「ああ、あんな出来損ないの——
「はっ。聖女候補を集め、ヤッた女をトロフィーのように飾るのが好きなんだろ? 愛人にでもしたらどうだ? そこそこ可愛いんだろう?」
「それもそうだな。どうせ平民だし遊ぶのも、おもちゃにするのも悪くないな——」
私のことを次点の聖女などと呼んだのはこの男が初めてだった。
出来損ないの——。
その言葉は、私の心に黒い傷を刻む。
この時からいつも胸を締め付けることになる、呪いのように。
同時に、少しでも浮かれた自分のことが馬鹿に思えてくる。
所詮、相手にとってただの遊びの相手。
おもちゃと考えてもいいような人間。
二番手の私に価値などない。
「すまない、縁談の話は残念ながら……」
縁談の話は一瞬にして立ち消える。
両親はとても落胆し、しばらくは私に声をかけづらいようだった。
「この話はなかったことに。だけど君さえ良ければ——」
「分かりました。お引き取り下さい!」
やってきた令息の顔も見ずにそう言い切る。
私は、もう金輪際彼らと関わりたくないと考え、一切の連絡を絶つことにした。
なんとか顔を上げ、前を向いて歩こうとしたとき。
今度は王城から使者がやってきた。
「聖女候補として城勤めをして欲しい」
今さら私に何の用だと思ったのだけど、これが最後のチャンスだと言わんばかりに両親は私を送り出してくれた。
城で貴族たちと知り合うチャンスだと。
しかし、私は次点の聖女という言葉がどうしても頭から離れない。
価値の無い私が貴族や王族の男性と知り合うというのは、あまりピンとこなかった。
そもそも、神官職の女性ならたくさんいるのに。
なぜ私なのだろう?
また、上げて落とされる運命なのか。
そう思い、あまり期待せずに王城に向かった。
——果たして、その考えは正しかったことをすぐに実感する。
「ふん、所詮あなたは二番手なんでしょう?
「ッ……」
王城にて、いきなりそんな嫌味を聖女マヌエラ様から浴びせられる。
あー、そういうことね。
分かった分かった。
私はハイハイと、軽く受け流すことにする。
もっとも、聖女マヌエラ様はそれが気にくわなかったようだ。
そのためか、益々いびられる日々が続いた。
次第に仕事を丸投げされるようになる。
「面倒だわ。お祈りも、あんたがやっといてよ。これしきのことで聖女であるワタシが動くこともないでしょう」
「は、はあ」
遂に毎日のお祈りすら私に任せてくるようになった。
お祈りとは、国境外の穴から湧く魔物達が国境に近づけないように結界を張るための儀式。
祈りを精霊神に捧げることで、結界の強度を高め維持することができる。
本物の聖女にとっては朝飯前のことだろうけど、私には荷が重かった。
日が経つにつれ、魔力が次第に尽きていく。
「あの、私はいつまで……?」
「そんなのずっとに決まっているでしょ! うるさいわね。私は美しさを保って……ミカル殿下と婚約し結婚すべき女なの」
第一王子ミカル殿下。
私と同じ十六歳。彼とは時々言葉を交わすことがあった。
言うまでもなく美男で、鍛えているのか体格も悪くない。
しかし、その一方でミカル殿下は気が弱く、思ったことを強く言えない様子が印象的だった。
私に何度か視線を向けられたこともあったけど、しょせん次点の聖女だ。
次点でなく、最高位にある聖女マヌエラ様と仲良くされるのは当然のこと。
しばらくして聖女マヌエラ様の行動力と関係者への工作、強い結界を張ることができる者を国につなぎ止めるべきという圧力が働き、ミカル王子殿下と聖女マヌエラ様との婚約が決まった。
一方、私はできるだけお祈りを持続できるように努力をしていた。
いつかは報われるという希望もあったのだけど、単純に聖女マヌエラ様に屈するのがイヤだったからだ。
しかし根性だけでなんとかなるわけもなく。
次第に私は心身共に消耗し、髪も肌もボロボロになっていった。
対する聖女マヌエラ様は私と比較にならないほどの美貌を保っている。
そうなると、ますます負けるものかという気持ちになってくる。
しかし、どうやら聖女としての能力は全く成長しなかったようで、遂に限界が見えてくる。
「聖女マヌエラ様。お願いです。そろそろ魔力が尽きかけていて……祈りが困難になってきました」
「ふん。そうやって怠けようとしても無駄よ。文句を言うなら、すぐ城を追い出してやってもいいのよ?」
私はその言葉に反論する言葉を持ち合わせていなかった。
「あーもう! ムカつく。あの聖女。ちょっと私より力があるからって」
こうなったら……意地だ。
私が倒れるのが先か、何か間違いが起きて能力が伸びるのが先か。
無謀だと思いつつも私は祈りを続ける。
そんなある日のこと。
ぼーっとしながら祈りの間に向かう私を呼び止める方がいた。
ミカル王子殿下その人だ。
「あの、リージアさん。具合悪そうだけど大丈夫ですか?」
「はい……」
「最近はずっと祈っているようだけど、それはリージアさんの仕事なのでしょうか? それに、とても顔色が悪く見えます」
「は、はい、大丈夫です」
魔力が底をつきかけた状態が続き、私は食事も喉を通らず、ふらふらになっていた。
そんな様子を見かねたのか、ミカル王子殿下は恐る恐るといった感じで、私に声をかけて下さった。
「あ、あの……リージアさん。もしよかったら、祈りの間まで貴女を連れて行こうと思いますが、触れても……よろしいですか?」
「そんな……ご迷惑をおかけするわけには……」
「あの、嫌かどうかでいえば?」
「い……いいえ、光栄に思います」
その答えに、彼は満足げに頷いた。
遠慮がちに私に触れると、彼は軽々と私の身体を抱える。
きゃっと声を上げ、私はあわてて彼に抱きついた。
堂々としているその姿になのか、抱えられて宙に浮いている状況になのか。
胸が高鳴る。
「も、申しわけありません」
「私の好きにさせてもらっています。リージアさんは気にしなくても」
彼に抱かれて、城の住人の視線を痛く感じつつも、私たちはあっという間に祈りの間に辿り着く。
ミカル殿下は、すっと丁寧に私を降ろしてくれた。
改めて両足で床に立つと、ふらつきは消え、しっかり立てていることに気付く。
どういうわけか、枯渇していた魔力が充填され、溢れそうな程になっている。
「あ……あれ? 魔力が」
「うむ。やはりこの力か。祈りは行えそうですか?」
「はい!」
私はそう答え、結界に力を与える祈りを始めた。
ただただ静かに、ミカル王子殿下は私を見守ってくれている。
特に問題もなく、溢れる魔力によって無事に祈りは終了した。
「おつかれさま。じゃあ、私はこれで失礼します」
「殿下、ありがとうございました」
ミカル王子殿下を見送る。
聖女マヌエラ様のところに行かれるのだろうか?
今日だけで、彼の印象が随分変わり惹かれ始めているこころに気付く。
でも……それは許されないこと。
私は、気持ちを封印するように、自分の両頬を叩いた。
パンという乾いた音と共に、その気持ちが消えていく。
しかし……翌日も、さらにその翌日も。
ミカル王子殿下が祈りの間にやって来られるのだった。
「おはよう。祈りは毎日行っているのですね」
「はい」
「今日も、手伝わせてもらえるかい?」
「は、はい……。ありがとうございます」
次第に打ち解けた私たちは、祈りの後に少しずつ話をするようになる。
「そうか……君の両親の仕事を一度見てみたいものだ」
「いえ、殿下のような方がいらっしゃるには……とても粗末な家ですし」
「うーん、どうやったら、こんなに一生懸命に仕事をする人が育つのか……その秘密を知りたいのです」
いや、それは単に……聖女マヌエラ様に対する
もちろん口には出さず、私は黙って俯くだけにした。
「祈りを行っている時のリージアさんは、とてもかっこよくて素敵です。私も、貴女のようになれたらいいなと思うことがあります」
「勿体ないお言葉、ありがとうございます」
確かに最近は溢れる魔力のおかげで、自信を持ってお祈りの儀式を行えている。
例えお世辞であろうと、殿下から褒められるととても嬉しい。
いつのまにか、お祈りの目的は、マヌエラ様への敵愾心ではなく、ミカル王子殿下に褒めて貰うため……そう変化していった。
あれ以来フラつくこともなくなっている。
祈りの前にミカル王子殿下に手を繫いでもらうと、魔力が充填されるのだ。
その謎の現象が確実に再現されることが分かると、私は思う存分結界の強化に努めることができるようになっていく。
ミカル王子殿下も、少しずつ変わっていかれた。
俯きがちだった様子が、いつのまにか顔を上げ、まっすぐ私を見上げて下さるようになっていた。
手を繫ぐ際は、毎回許可を求めて下さっていたのだけど、いつしかそれも無くなっている。
「じゃあ、はじめようか」
私はいつのまにか、儀式の主導権を奪われていることに気が付いた。
でも、手を繫ぐことも、儀式を引っ張って頂くこともとても心地いい。
私は、こんな日がずっと続けばいいのに、と思い始めていた。
ある日、軽く感じるようになった身体でスキップしながら祈りの間に向かう途中のこと。
激しく罵り合う男女の声が耳に飛び込んできた。
「聖女マヌエラ殿。あなたとは……婚約破棄をさせていただく」
「なっなんですって? 急に……理由は?」
ミカル王子殿下の声を聞いた瞬間、最初に感じていた彼の弱気な印象が完全に吹き飛んでしまった。
自信を持ち、堂々と聖女マヌエラ様に意見を言っている。
「あなたは散財を続けている上、聖女の仕事を全てリージアさんに押しつけている」
突然出る私の名前にハッとする。
「だとしたら? 次点の……足りない聖女の訓練をしているだけですわ」
「それを怠惰というのだ。リージアさんは十分やってくれている。だからあなたは不要だ。今すぐ……。今すぐこの城を……国を…………出て行け!」
彼は勇気を振り絞って、立ち向かっているのだと感じた。
とても心強く感じる。
人だかりのため彼らの姿を見ることが出来ない状況が続く。
怒号による言い合いがしばらく続き——。
「……分かりましたわ。ならば、出て行きます。こんな国、魔物が押し寄せてきて滅べばいいのですわ!」
そんな叫び声にも似た声のあと、ツカツカと足音が聞こえた。
野次馬をかき分けて出てきた聖女マヌエラ様が、私とすれ違う。
「ふん、あなたも……あの愚かな王子と共に滅べばいいのよ」
聖女マヌエラ様はそう吐き捨て、城の出口に向かっていった。
その口は歪んで……まるでざまあみろ、と言わんばかりだ。
私は、状況を良く飲み込めず、ただ立ち尽くしていた。
そこにミカル王子殿下がいらして、話しかけて下さる。
「おはよう、リージアさん。来ていたんだね……さあ、今日のお祈りに行こう」
さっきまで別れ話をしていたとは到底思えない、すがすがしい笑顔で、彼は私の手を引く。
本当にその顔は、すっきりとしていて、輝いていた。
嵐の後に顔を出した太陽のように。
結局、マヌエラ様は、この王国を出て隣国の貴族の元に向かったのだという。
後で知ったのだけど、その貴族とは、私をおもちゃにしようとした聖女コレクターだった。
聖女を王家に取られて歯がゆい思いをしていたのだとしたら……望んでいた本物の聖女が手に入って満足なのだろう。
「二人ともいつの間に……お兄ちゃんもリージアさんもすっかり仲良くなって」
「王女殿下、おはようございます」
「ねえ、アタシも仲間に入れてよ」
いつものようにミカル王子殿下と手を繫ぎ、祈りの儀式を始めようとしたところに、可愛らしい女の子がやってきた。
彼女はミカル王子殿下の妹で、十三歳になるらしい。
少し、ミカル王子殿下にヤキモチを焼いている様子がかわいい。
「えっと……構わないかな? リージアさん」
「はい、もちろんです」
王女殿下は、私とミカル王子殿下の間に入った。
手を繫ぐと、やはり魔力が回復していく。
それどころか、昨日までよりさらに多く回復することに、私は驚くだけだった。
次の日も次の日も、王女殿下がやってくるようになった。
彼女はお転婆らしく、時々生傷ができていることがあり、それを私が癒やすこともあった。
しばらく経ったある日のこと。
儀式の後、王女殿下が私の髪の毛をまじまじと見ていることに気がついた。
「髪も肌も、いつもボロボロね」
「申しわけありません」
体調は随分良くなって改善していたのだけど、髪と肌は完調にほど遠い状態だ。
「リージアさん。儀式も大事だけど城勤めをする以上、見た目にも気を遣って欲しいわね」
「そ……そうなのですね。でもよく分からなくて」
「じゃあ、私が教えてあげる」
「そんな、ご迷惑は……」
「いいからいいから」
私は、彼女の自室に案内され、座るように言われる。
てっきり、化粧を教えてくれるのだと思っていたのだけど、そうではなかった。
説明など全くなく、王女殿下は私の顔に直接化粧を施していく。
う……ん。この感じだと侍女の方々の方が上手だと思うのだけど。
「人に化粧をするってなかなか難しいわね。でも元が良いから楽しいわ」
にこにことしながら私に化粧を施す王女殿下が可愛らしく、ほっこりとしてしまう。
その結果、私はなすがままになり……最初はお化けみたいだとミカル王子殿下に笑われる。
しかし、回数をこなすうちに彼は無言になり……ついには、綺麗だとまで言って下さるようになっていく。
なるほど、こうするのか。
私も化粧の技をこっそり盗んでいった。
それから暫く経ったある日の朝のこと。
「いつも兄妹揃って姿が見えなくなると思ったら、祈りの間に来ていたのね」
「あっ……あなたは?」
「よく覚えているのね。おしゃべりは、また後で。今はお祈りに集中しましょう」
なんと王妃殿下が祈りの間にいらっしゃった。
王妃殿下は……以前私に聖女になれるかもと言って下さった女性だった。
どうやら、あの時から私を気にかけていらしたらしい。
さらにさらに……。
「ここにいたのか……。
「父上! もちろん入っていただいて構いません」
ついに国王陛下までもが儀式の間にやってきたのだった。
下手に陛下の機嫌を損ねると処刑すらあり得る……そう思った私はピキッと固まってしまう。
「おや、緊張しているのか?」
固まった私の手を取ろうとする陛下。
すると……。
「お父様! リージアさんに触るつもりでしょ! 駄目に決まっているじゃない!」
王女殿下が、間に割り込んできた。
彼女は、思春期まっただ中なのか、父親を敵視しているようだ。
「そ……そんな……仲間に入れてくれないのか」
「私は、構いませんが……」
慌ててフォローをするのだけれど、陛下は王女殿下の言葉に酷く落ち込んでいる様子。
見かねた王妃殿下が、声をかけられた。
「では、私が代わりに手を繫ぎましょう」
「お……おお。君に触れるのは久しぶりだな」
「何よ、お母様も……。イチャイチャしちゃって」
王女殿下は一瞬ふてくされるような表情を見せつつも、全員が揃ったことに満更でもない様子だった。
毎朝のお祈りの儀式。
祈りの間に王家ファミリーが来て下さり、共に儀式を行うというとんでもない日々が続くことになった。
そんな日々の間に、聖女マヌエラ様がこっそりと王城を訪ねてきていたそうだ。
彼女と対峙したミカル王子殿下が、その様子をこっそりと教えて下さった。
「久しぶり、王子。そろそろワタシの必要性が分かったことでしょう?」
「はあ? 我が国はこれっぽっちも被害を受けていない。知ってるぞ? あまりのポンコツぶりが露呈して追い出されたんだろ?」
「な……ななな……」
「全部リージアに任せっきりにして、サボっていたのが原因だろう? そんな奴に国を任す者がいると思うか?」
「キーッ!」
結局聖女マヌエラ様とその婚約相手は爵位を剥奪され隣国を追い出され……流浪の旅に出ることになったという。
そして唐突に。
王家ファミリーと共に行っていた祈りの日々が、終焉を迎えた。
魔王が復活したのだそうだ。
その魔王を、陛下、王妃殿下、王女殿下の三人で倒しに向かわれるのだという。
なんと、陛下は現役の勇者だそうだ。
王妃殿下や王女殿下も、なかなかの魔法の使い手。
いわゆる、勇者パーティというやつだった。
そして勇者に次ぐ力を持つミカル王子殿下。
彼は、王城に留まり私を護衛する役目だそうだ。
「じゃあ、行ってくるね。お兄様もしっかりね」
「ミカル、リージア殿を頼んだぞ」
「そうね、もしものことがあったとしても、しっかり守ってあげなさい」
出発の日の朝。
祈りの儀式にいつものように揃った王家のみなさんが、声をかけて下さった。
「父上も調子がいいと言うし、心配はしてないが……もちろん分かっている」
そう言ってミカル王子殿下は私の手を握ってくれた。
いつもと違い、その手のひらが熱い。
「皆さん……ご無事で」
私は、そう祈らずにいられない。
今までこんなにも良くしてくださった上、私を認めて頂いている。
こんな素敵な方々が、戦わなければいけないことに憤りさえ覚える。
陛下が私の方を向き、口を開かれた。
「大丈夫だ。心配しなくても良い。討伐の暁には、リージア殿には丈夫な子を——ゲフッ」
王妃殿下の尖った靴が、陛下の足に食い込むのが見えたような気がする。
「はい……はい?」
「いいのよ。気にしないで。私は二人目の娘ができて本当に嬉しかったし楽しかった。初めて会った時に感じたことは、間違いじゃなかった。だからこそ守りたいと思うのよ」
「王妃殿下……ありがとうございます」
「魔王を倒せたら、あなたの負担も軽くなるわ」
最後に王女殿下が、もじもじしながら言う。
「あの、もし無事に戻れたら、お姉ちゃんって呼んでもいい?」
「はい、もちろん。好きに呼んで頂いて構いません」
「よかった。えへへ」
私たちは、王家ファミリーを見送った。
無事に、帰って来られますように。
普段行っているのと同じくらい、いや、それ以上の熱意を持って、私は祈りを捧げるのだった。
ファミリーが魔王討伐に向かってから数日後のこと。
「リージアさん、始めようか」
「はい。お願いします。ミカル殿下」
「今日も誰も来ないから……その……こうしてもいいか?」
答えを待たずに、私の肩を震える手でミカル殿下が包む。
触れることで王家の血を引く人々から魔力の補充を受けられる力。
私はこの力があることに、とてつもなく感謝をしている。
多分、私の頬は……顔は……真っ赤になっているのだろう。
それくらいの熱さを内側から感じる。
殿下が私を抱き締めてくれるのはとても嬉しいけど……その、私と同じくらい真っ赤に顔を紅潮されていて。
彼の熱さと、震えと、力強さが私を包んでいた。
「あの、リージア……もし君がよかったら……」
「は、はい?」
「いや……違うな…………私は、君のことが、リージアが…………好きだ——」
えっ? えっ、えっ??
私の頭の中がこんがらがる。
ここにいるのは、私と殿下だけだ。
彼は私の名を呼んだ。リージア、とはっきり言った。
聞き間違いではない。
「——だから、私と……結婚して欲しい」
それはきっと、私も望んでいたことで。
嬉しい気持ちが益々混乱に拍車をかける。
今起きていることが、夢か現実か分からなくなり始めた。
はい、喜んでと言えばいいだけなのに。
それなのに、私の口から出てきたのは——。
「あの……私は次点の聖女です。それでもよろしいのでしょうか?」
言わずにはいられない。
呪いのように心に染みついたその言葉が、私を捉えて放さない。
私が俯いていると、ミカル王子殿下は待ってましたとばかりに、口を開いた。
「ああ。君しかいない」
ミカル王子殿下は、私の目を見据えて言ってくださった。
そして……唇で私に触れて——。
その瞬間、私を捕らえていた呪いの言葉は、あっけなく砕け散る。
世界が色づき、全ての存在を、私自身を愛おしく感じる。
閉じ込めていた感情があふれ出していく。
それは、甘やかで温かく私を包んでいく。
「最初から君しか見ていなかった。弱い自分を変えてくれたのも……思いを言えるようになったのも……全て、君のおかげだ」
「そんな……勿体ない……言葉」
温かいものが瞳から流れ出し、頬を伝わる。
彼の言葉が、私を満たしていき、溢れ、こぼれ始める。
「圧力に負けて流されていたのを変えられたのも、君のおかげだ。ありがとう。これからも、ずっと一緒にいて欲しい」
私は感極まり、思いっきり彼を抱き締めた。
そして彼の顔を見上げ、震える声で自分の想いを伝える。
「殿下、喜んでお受けいたします。私も……ミカル殿下を、お慕いしております!」
儀式の間の扉が少しだけ開かれ、その隙間にこの日まで姿を見せなかった三人の目があった。
こっそり戻っていた彼らに、散々祝福され散々にからかわれることを……幸福感に満たされている私は、まだ知る由も無かったのだった——。
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