ありふれた妄想は世界最大 (那由多 ユラ)
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ありふれた殺人鬼の人間関係
第一章「畑山愛子との関係」


零崎人識(ぜろざき・ひとしき) ――殺人鬼
畑山愛子(はたやま・あいこ)  ――先生

汀目俊希(みぎわめ・としき)  ――高校生


 

001

 

 

畑山愛子は先生である。もちろんそれは、研究所で何某かの分類を研究する専門家ではなく、小説家や漫画家に対して言うそれでもなく、いわゆる『学校の先生』を、幼い肉体ながらにして勤めていたのである。

 

尚、二十五歳である。

 

先生は畑山愛子の、かつて将来の夢であった職業であり、現実に夢を砕かれながらも、夢のような理想の教師像を一途に追い求め、その様はいっそ研究者にして専門家であった。夢に狂った専門家だった。

 

「――傑作だぜ」

 

だから。

言うなれば自身の夢を砕いた現実と対極に位置するような残酷な現実が目前に生じたとき――むしろ彼女は笑ってしまった。

その情景は理解の及ばない。

理解を遥かに超えていたからだ。

何せ――放課後の教室でのことである。

翌日の授業の準備をするために、使用する小教室にやって来て、資料を脇に挟んでドアを開けた、そのときである。

教室の中に――殺人鬼がいた。

スタイリッシュなサングラスを着用した、顔面刺青の少年――殺人鬼。

殺人鬼にして――愛子の教え子。

愛子よりちょっと高い程度の低い身長で、強靭さなどまるで感じさせない華奢な痩身――何も思わぬほどに見慣れた制服に、見慣れない安全靴。サイドを刈ったまだら色の長髪を後ろで束ねていて、晒された両耳、右には三連ピアス、左には携帯電話用のストラップが二つ、施されていた。

愛子の好む言い方ではないが、学生として相応しくない外見で、しかし注意もほぼ諦めていた格好で、しかしてそれすらもどうでもよかった。

格好や佇まいなんて、この場合些細な問題なのだ――ピアスやまだら色の髪など、別段気にすることではない。

気にするべきことは。

怯えるべきことは。

辺り一体に漂う、血の匂い。

肉の匂い――内臓の匂い。

 

有り体に言って、死臭。

 

「かはは――誰かと思ったら、よりにもよって先生じゃねーか? この俺、天下の零崎人識クンが、よりにもよってあんたに、殺して解して並べて揃えて晒してやってる場面を目撃されちまうなんてよ――不幸極まりねーぜ、俺」

零崎人識なんていう、知らぬ名を名乗る生徒、汀目俊希は、おかしそうにそう言った。

そう言った彼の足下には、死体があり。

無残に解体された死体があり。

そして彼の手元にはナイフがあった。

手袋を嵌めた彼の手には――鋭利な刃物が、握られていた。何が起こったのかなど、考えるまでもない。彼が何をし、死体が何をされたのかなど――想像する必要さえない。

およそ非現実的な現実だった。

およそ非理想的な現実だった。

「あー、まーいーや。あんたが先生だろうと教師だろうと、そんなのはただのジャンルの問題だ。トレーディングカードに書かれた肩書きでしかねーやな」

汀目俊希――零崎はそう言って、教卓の上に立ち上がる。

「はっ、はっ」

愛子は。

畑山愛子は、乱れた息を必死に整えながら、自ら開けたドアを、できるだけ静かに閉じた。

自分を小教室の内側に残す形で。

閉めた。

退路を絶って――自らを殺人鬼と二人きりに、閉じ込めた。

「およ」

零崎は、そんな愛子を――物珍しそうに見る。

それは闇のような瞳だった。

闇のようなというより――闇そのものである。

愛子は教室の殺人現場よりも、その瞳に恐怖を抱く。

「なんだよ、いい度胸してんじゃんー。俺を閉じ込めたってわけじゃなさそうだな――」

「――いえ」

愛子は答える。

湧き上がる感情を平伏させて。

「私は汀目くんを叱ることを、とうに諦めていますから」

「……はぁん?」

零崎が、愛子の言葉にきょとんとなる。

それだけは少年らしい、年相応の仕草だった。

「よくわかんねーな。なんだよ。職務放棄のつもりか?」

「……質問。質問しても、いいですか?」

愛子は言う。

生徒に先生が言うセリフではないが、しかし愛子はありったけの勇気を振り絞っているのである。――殺されるのは嫌だ。

死ぬのは嫌だ。

死ぬのだとしたら先生として死にたい。

殺されるなら、生徒に殺されたい。

どこの馬の骨ともしれない、謎の少年殺人鬼などに殺されたくはない――だからこそ。

自ら退路を断ち、自らを閉じ込め。

自ら――踏み込まなければならない。

「質問? いーぜえ。零崎クンは義侠心の塊のような男の子だからな。質問されたらなんでも答えちゃうぜえ――好きな女子の名前から、今日の下着の色までな」

「これ――誰なんですか」

愛子は、教室の床を指差した。

床を浸す、赤い固形物を指差した――肉片を指してそれを誰かと問うのは滑稽な質問に思えたが、しかし、他に問いようもなかった。

「誰?」

首を傾げる零崎。

首を傾げすぎて、もう少しでその首も肉片の一つになりそうな、危うい姿勢だった。

「誰って……さあ、誰だろうな。考えたこともなかったぜ。その辺にいたその辺の誰かだよ」

「…………」

では、この学校に通う学生だろうか。

それとも教職員だろうか。

実を言えば、愛子自身、殺されたのが誰であるかということに、そこまで深く関心があったわけではない――それが大切な生徒であろうと、特別な感情があるような生徒は一人としていないのだ。会話の枕として、わかりやすい地点から踏み込み、そして切り込んだだけだった。

けれど殺人鬼からの返答は、彼女の予想以上のものだった。

これが誰かということを、ただ単に知らないだけではない――なんの関心も払っていない。

もうすっかりと興味を失っていて、だから被害者としての死体よりも、目撃者としての愛子の方が気になると言わんばかりだった。

「じゃあ、何故、殺したんですか?」

「人殺しに理由がいるのかよ」

「いるでしょう」

「あー、そっか。いるか」

じゃあ、えっとなー、と、そこで零崎は腕を組んで、もっともらしく考えるような振りをする。

「推理小説」

ひゅん――とナイフを手の内で回転させながら、零崎は言った。

「なあ先生、推理小説、読む?」

それが自分に向けられた質問だと気づくのは、少し時間がかかった。――と言うより、コミュニケーションがまともに成立していることに驚いた。

それは先生として嬉しい事実だ。

だから――愛子は、

「読みますよ」

と、平静を装って応え。

ほんの数秒の間に推理小説について、さながら走馬灯のように想起し――生徒である汀目俊希と、目の前の殺人鬼とを重ね合わせて、考えたのであった。

考えた割に、結局それを口に出すことはしなかったけれど。

「ふうん。読むんだ」

零崎の方はそれをそんな気にした様子もなく――愛子の沈黙を、単に会話が途切れただけだと捉えたらしく、至極どうでもよさそうに、

「ああいうのってさー、どんな奴がどの面下げて書いてんだろうとか、思わねえ?」

と言った。

「人殺しの話をよー、殺したり殺されたりする話をよー。なーんかそれをエンターテインメントとか言っちゃってよー。トリックだあ、蘊蓄だあ、謎解きだあ、解決編だあ言って、面白おかしく仕上げちゃってよー。どういうつもりなんだろーとか、考えたこと、ない?」

「…………」

「笑っちまうよな――人殺しの話を娯楽仕上げるっつーのは、どういう神経してるんだって。時代劇みてーな勧善懲悪の話だっつーならともかく、そうでさえないんだぜ。忠臣蔵殺人事件でも書いてりゃいいのに、かはは、まるで犯罪をおもちゃにしてやがる」

床に解され並べられ揃えられ晒された死体を踏みにじりながら――零崎は、笑顔を浮かべつつ、言う。

「俺は思うんだよな――推理作家なんてのは、その賢そうな言葉の響きに反して、とんでもねーサイコ野郎どもの肩書きだってよ」

「……所詮は小説、じゃないですか」

沈黙を保ち続ける方が辛かった。

不思議と、冷や汗や脂汗のようなものが伝うのは感じなかった――どうしようもなく動揺はしているものの、しかしやはりそれはどこか、他人事のようだった。

悲しいくらいに――他人事だった。

「作品と作者は別物だと、先生は思いますよ」

「はあ? んなわけねーだろうがよ。自分の手で殺しの話作っといて、何を他人面してるんだっつー話だろーが。嫌な話を書く奴は嫌な奴なんだよ」

愛子の言葉を、当たり前のように否定する零崎――もちろん愛子も、手拍子で答えてしまっただけで大して推理作家をフォローするつもりはなかったし、しかしまた零崎のほうも、適当に思いついたことを言っているだけという感じだった。

少なくとも本気とは見えない。

なんというか――適当さが滲み出ている。

適当でいい加減だ。

曖昧で――境界線がぼやけている。

目の前にいるのに、背中から話されているようだった。

「だからいい話を書くやつはいい奴さ――どんなに悪ぶっていようともな」

「……でも、ラブコメディの作者が全員恋愛下手くそかって言えばそうではありませんし、なろう系作者が全員カリスマを秘めた卑屈屋かって言えば、そうではないでしょう?」

「そりゃそうだ」

かはは、とあっさり納得して見せる零崎。

しかし。「つーか、先生そんなのも読むのかよ」とイメージと反する愛子の言葉に、ちょっとした驚きも見せた。

「だけどそういう願望はあるんじゃねーか? 美少女にぶん殴られてーからラブコメ書いてんだろうし、ハーレムが好きだからなろう系書いてんだろ」

「そりゃ――」

そうだ。

と、今度は愛子が納得させられた。自分の言葉に無責任なのは、お互い様だった。

「だから殺人を書く奴は、殺人が好きなんだよ」

「……推理作家は、推理が好きなのでは? あるいは、トリックだとか……」

「かもしんねーな。だけどそれだって、殺人の推理が好きなんであって、殺人のトリックが好きなんだろ? 日がな一日、四六時中にわたって人殺しの方法考えてるのはよ――人殺しが好きだからじゃねーのかい?」

「まあ……、そうかもしれません……」

フォローするつもりは、あくまでもない。

「しかし、そうなると逆のことも言えるよな。言えちゃうよなー。ホラー映画が青少年に与える影響とか、暴力的なテレビや暴力的なゲームの影響とかで子供たちがおかしくなる――とかよ。ああいうのは、先生はどう思う?」

「どうって――」

賛成意見でも反対意見でも、典型的な意見ならいくらでも言えそうな振りだ。

そして零崎は別段、そのどちらを求めているわけでもないので――この異様な状況に慣れてきたというのもあるのだろうが、どうも、なんとなくわかってきた。

この殺人鬼は、愛子を――珍しがっている。

そして――面白がっている。

「どうも、思いません。ただくだらない、現代に乗り遅れた年寄りの理想論としか」

愛子は答えた。

本音である。

零崎が聞こえのいい意見や建設的な意見を求めているわけじゃないというのなら――単に喋っていればいいだけというのなら、多少の本音を交えた方が、互いのためだ。

そして愛子は。

大抵の大人に大して――どうも思わない。

成人のありとあらゆる言葉に何かを感じない。

「そうかい。俺はこう思うんだ」

殺人鬼は言う。

「順序が逆だってな」

「逆……ですか?」

「ホラー映画を見る奴は、ホラー映画が好きな奴だろうよ。暴力的なテレビが好きな奴は暴力的なテレビが好きな奴だし、暴力的なゲームが好きな奴は暴力的なゲームが好きな奴だ。だから影響なんて与えられねーんだよ――影響を与える前から、そいつはそう言う人間だって話」

「…………」

「人間が人間を変えたりできるかよ。人間って奴は、多分、どーしようとこーしようと、滅多なことじゃ変わらねーんだよ――変わりっこねーんだよ」

かはは――と。

高らかに、零崎人識は哄笑する。

その笑い声を聞きつけて、この現場に人が集まってくる可能性など、一切考慮していないかのようだ――この場は彼のステージだとでも言うのだろうか。

ならばどうして、愛子は目撃してしまったのか。

どういう巡り合わせなのか――否。そもそも、巡ってなどいないのか。

もとより変わらず、決まっていた。

「人間は人間では――変えられない」

別に零崎は本気で言っているわけでは無いのだろう――だけど、その言葉は愛子の五臓六腑を切り刻むように、愛子の体内に響いた。

途轍もなく重い――重量のある軽口だった。

(その通り、かもしれません……。)

(変えるべき人間を変えられたことはなかったし、変わらぬべき人間が変わることもなかった)

「人との出会いで、人は変わらない――人との関係で、人は変わらない」

愛子は呟く。

本音でさえない、生理的な反応としての呟きだった。

「変わるとしたら、人の関わらぬ、残酷かつ自然な、理不尽」

「人間関係じゃ、人は変わらねえ、か。いいこと言うじゃんよ――かはは」

元は自分の言葉から始まったやり取りだというのに、そんなことはもう忘却の彼方だと言うのに、零崎は感心したような素振りさえ見せる。

「そして残酷かつ自然な理不尽……例えば時間、か。確かに五年前の俺と今の俺とじゃ別人だしな。こういうのも変わってるっていうのかもしんねー。だけど、変わってるっていうより、こういうのは違ってるって言うのかもしんねーぜ」

「違って――」

社会に出るでも。

家庭に入るでも。

夢を叶えるでも。

恋をするでも。

人は変われず、違うだけ?

「時間の経過とか言ってもよ――十年も経てば、俺は昔からこうだったって思っちまうもんだと思うぜえ? 自分はずーっと自分なんだよ。自分を辞めるなんて出来るわけがねえ、自分を捨てるなんて出来るわけがねえ。俺も先生も、誰も彼もな。さーて、会話も終わったことですし」

そこで零崎人識は、ナイフを手にしたままで、大きく伸びをした――伸びをしたところで、彼の背丈ではその高さは知れていたが。

「殺しますか」

 

 

002

 

 

殺されなかった。

畑山愛子は、結局この時、零崎人識に殺されることは無かった――直後にまた気が変わったらしく、愛子の教え子である彼は何を言うでもなく、遊びに飽きてしまった子供のように、頭の後ろで手を組んで、何一つ後始末することなく、口笛を吹きながらその場を去っていったのだ。

取り残された愛子は、やはりいつまでも現場に留まるようなことはせず――資料を職員室に戻し、さっさと帰宅した。

普通なら、警察に通報するべきなのだろう。

しかし愛子には、教え子たる殺人鬼を犯罪者に変えるつもりは欠片もないのだ。人間が人間を変えることはできずとも――先生は人間を変えることが出来るのだ。

愛子はそう信じている。そう妄信している。先生と言う生き物を――信仰している。

(汀目君が零崎君だったとしても、彼は私の教え子です。人であろうと、鬼であろうと、私は先生です)

怖くて関わり合いになりたくない――なんて思いは、もう愛子には無かった。

 

 

003

 

 

翌日から三日間ほど、汀目俊希は愛子の授業に顔を出さなかったが、(担任曰く、どうやら欠席していたらしい)三日後には普通に登校してきて、普通に愛子の授業を受けて、普通に帰って行った。愛子は何気なく話しかけたが、殺人鬼の面影は見られず、その様は普通の男子高校生でしかなかった。

 

汀目俊希には、変える余地が、見え無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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