小説の書き方 (ptagoon)
しおりを挟む

小説の書き方

小説の書き方

著 斉藤 博人

 

 

前文

 

 小説の書き方については、おそらく色々な方が、それこそプロの作家さんなどが色々と私見を論じられていると思います。類い希なる優れた技術を持ち、遙かに努力されている彼らのアドバイスを読んだ方が「小説の書き方」については理解が早いはずです。ですが、そこまで技術のない一般人がこれについて論じることにもある程度意義はあると思います。もしよろしければ、私の思いを汲んでいただけることを、切に願っております。

 

 まず、物語を書く前に考えることがあります。どういった話を書きたいか。それをプロットとして明確に示す場合や、ぼんやりと頭の中に思い浮かべる場合もあると思います。確かにそこも重要な要素ではありますが、小説、とりわけオリジナルの小説を書く場合には以下の3点を重視した方がよいでしょう。

 

1 キャラの軸がぶれないように設定を(少なくとも性格、容姿)を決めておく。

2 物語の軸がぶれないように柱を明確にする

3 こだわりすぎない

 

 1について。人間の行動には必ず背景があります。もちろん現実だと人間は不合理的であり、真面目な人間が大きなミスをすることも、不真面目な人間が成果をあげることも少なくない。けれど、小説においてはこのような矛盾があると違和を感じる可能性が高いです。なので、行動と性格を一致させた方がやりやすい。特に主人公の行動に矛盾が生じると、読者だけでなく書き手すら感情移入ができなくなります。もちろん、真面目だけどドジをしやすい、であるとか、完璧な人間なんていない、と表現する場合には話は別ですが、それらもあらかじめ「性格」として決めておいた方がよいでしょう。

 

 2について。分かりやすく柱を「事件」とします。事件と言っても推理小説の事件とは異なり、例えば部活動の大会であるとか、誰かの依頼を受けるだとか、そういった話の中の事件です。中には事件そのものをぼかしてそれを一種の伏線にする技法や、小さな事件の積み重ねが大きな事件を……など色々な小説がありますが、まずは単純な形から意識した方が描きやすいでしょう。読者に向けて課題を提示し、それを解決する。そうするとメリハリがついた文章になりやすいのです。

 

 3について。これは先ほど述べた1,2と矛盾する話ですが、あまり固くフォーマットに固執しないことです。物語を薦めていく内に辻褄が合わなくなったりして書くのを止めた経験がある人もいるでしょう。なので、1,2のことを念頭に置きつつも、書きながら設定を換えていくことも考えなければならない。それを防ぐためにはプロットを充実させる、結末から考える等色々な方法があげられます。

 

 もっとも、この「設定の矛盾」という難題を完全に解決する方法もある。それは実体験を元にすることです。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()行動の矛盾も起きにくい。そうすれば、少なくとも最後まで書き終えることができるでしょう。

もしそれでも書き切れていないならば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 それでは以上の心構えを元に具体例を述べたいと思います。お手本だなんて上出来な物ではありませんが、読んで貰えると私の目的が叶う日が近くなるはずです。

 

 

 

 

 

 

 

                

最大の過ち

 

 朝早くに高校に行くことはあんなにも辛いのに、夜に行くとなるとこんなにもわくわくするのはなぜだろうか。見慣れた校庭も月明かりとほんの僅かな街灯に照らされているだけで、ほとんどが暗闇に包まれていた。いくら僕が寒さに強いと言っても、十二月十五日の夜にTシャツ一枚で来るべきではなかった。いくらミナにプレゼントされた服とはいえ、だ。

 入学祝いで貰った腕時計のライトを点ける。午後九時を五分ほど回っている。集合時間は過ぎていたけれど、一向に人影は現れない。人気のいない校庭に突っ立っていると少し怖くなってくる。お化けではなく、警備員さんや先生に見つからないか心配になってくるのだ。人を呼びつけておいて、どうしてミナは来ないのだろうか。少し、不安が湧いてくる。

 

「今日、校庭で星を見ようよ!」※1

 放課後、文芸部でいつも通り本を読んでいると、彼女は唐突にそんなことを言い出した。中学生の頃より少し伸びた茶髪をばさっと振り回しながら、「ね、いいでしょ」と目を輝かせてくる。

「夏と言えばやっぱり星だしね。読書なんて止めてさ、外に出た方がいいって」

「読書が嫌いなら、なんで文芸部に入ったのさ」

「なんでか分かる?」

「さっぱり」

 

 高校に入学してすぐ、僕は文芸部に入ろうと決めていたのだけれど、まさかミナまでもが入部するとは思わなかった。たしかミナは中学でテニスをしていたはずだし、そこそこの実力があったはずだ。

 

「それに、読書が嫌いなわけじゃないよ」ミナは大きな瞳をさらに広げながら、机の上で立ち上がった。セーラー服がまくれ上がる。いつものように、下に体操ズボンを穿いていることは分かっていたけど、それでも咄嗟に顔を背けてしまう。顔が赤くなるのが自分でもわかった。

「でもさ、読書の秋って言うじゃん?」そんな僕の気持ちも露知らず、ミナは元気に言う。

「まあ、言うけど」

「だから読書は秋にするべきなんだよ。夏に本を読むなんて、失礼極まりないって」

 

 それがいったい誰に対して失礼なのかは分からない。たぶん、ミナも分かっていないはずだ。僕とミナの付き合いは古く、それこそ地元の京文区東小学に通っていた頃からになる。僕の家は京文区八丁目一二番地にあり、彼女の通学路上にあったため仲良くなったのだけど、その時から彼女は何も変わっていなかった。勝ち気でお転婆で男よりも男らしい。背丈も髪型も僕と似ているからか、時々兄弟や姉妹に間違えられる。一度母親が僕とミナを間違えて家に帰ろうとしたこともあったぐらいだ。

 

 だけど、僕とミナが似ているなんて、同級生で思っている人はいなかった。ミナは僕とは違って頑丈で、夏でも冬でも半袖の制服しか着てこない。しかも、彼女のお転婆のせいか、入学式の日からすでにボロになっていた。元気な風の子。女子なのにあっけらかんとしていて、髪もぼさぼさのミナは意外と男子に人気だった。

 

 でも、だからこそ、そんな彼女が文芸部に入ったことが意外に思えて仕方がないのだ。

 

「本当に私も読書は好きなんだからね」

 僕に疑われたのが癪だったのか、頬を膨らめ抗議してくる。昔から変わらない仕草につい笑ってしまう。高校生とはいえ、まだまだ子供っぽい。

「本当に? 本当に読書が好きなの?」

「本当だって。ポテトチップスと同じくらいに好きだよ」

 ミナは机から降り僕の隣に座って、ポテトチップスの袋を大きな音を立て開けた。校則違反だけど、彼女はどこ吹く風だ。僕の方が怖くなって、周りを見渡してしまう。

「ポテチと同じって、そこまで好きじゃないってこと?」

「違うよ。ポテトチップスと同格なんて、最大級の褒め言葉だよ。きっと、夏目漱石が今も生きていたら、アイラブユーをポテトチップスが美味しいですね、と訳すよ」

「そんな夏目漱石は嫌だなあ」

 

 幸か不幸か、その時は僕とミナしか部活に顔を出していなかった。顧問の先生すらおらず、ただですら広い図書館は異常なほどにがらんとしている。だから、夜に学校で遊ぶだなんて怒られそうなことでも公然と相談できた。

 ミナはぼりぼりとポテトチップスを頬張り、それから僕の口に無理やり突っ込んでくる。目で抗議するけれど、彼女はえへへと笑うだけだった。彼女は昔から食べることが好きだったけれど、それは今でも変わっていない。にもかかわらず、恐ろしいほどに細身なのだから、びっくりだ。まあ、僕も彼女とほとんど同じ体重なのだけど、それは単に成長期がまた来てないからだった。はやくこい、第二次性徴。

 

「いいじゃん、たまにはさ。私は読書が、文芸部が好きだからこそ星を見たいんだって」

「どういうこと?」

 ミナがよく分からないことを言うのはいつものことだったけれど、今日は一段と怪しかった。じっとミナの顔を見つめる。目が合うと彼女は気まずそうに目を伏せ唇を噛みしめた。そして慌てて顔を振り、「つまりは!」と声を荒らげる。あまりの声量に耳が痛くなる。

「毎日毎日本を読んで、たまに評論やら小説を書いて。そんなんじゃ飽きちゃうでしょ? 当たり前になっちゃう。それだとさ、忘れちゃうじゃん」

「忘れちゃう? 何を」

「ドキドキを」

 正直に言えば、僕はこの時、ミナの顔がすぐ近くにあったのでドキドキしていたけれど、「そう?」と適当に相槌を打って、誤魔化した。

「ほら、日頃の楽しいこともさ、マンネリ化しちゃうと飽きちゃうじゃん。飽きると、楽しくない、好きじゃないって錯覚しちゃうの。だから、好きなものを好きだと気づくためにはさ、ドキドキが必要なのさ。あれだよ。吊り橋理論だよ」

「たぶん違うよ」

 けれど、たしかに彼女の言うことも一理あると思った。実際、僕も文芸部の活動に僅かながら飽きてきていた。嫌というわけではないけれど、何らかの理由で休みになったら嬉しいな、と思うほどには退屈を感じていた。

 

 だから僕はこうして初めての校則違反を犯し、真っ暗な校庭で一人ぽつんと佇んでいるのだ。「九時集合だから絶対に遅れないでね!」と威勢良く叫んでいたミナの笑顔を思い出す。彼女の性格は理解しているつもりだったので、彼女が遅れてくることもある程度予想できていた。けれど、それでもこんな時間に一人取り残されるのは心細い。

 

 学校のすぐ横を通る太い国道を走る車のヘッドライトが校庭を一瞬明るくする。京文区三丁目の、一番西端にある公立東高校の通学路だというのに街灯は少なく、そのおかげで星は綺麗に見えていたけれど、逆にそれ以外は何も見えない。タイヤがアスファルトを擦る音だけが響き渡っている。

 

 後ろから誰かに突き飛ばされたのはその時だった。

 

 あまりの強さに身体が言うことをきかず、そのまま地面に崩れ落ちる。膝が地面で削られ鋭い痛みが走るも、それどころではなかった。恐怖のあまり視界が狭まり、ひぃと悲鳴をあげてしまう。怖かった。いったいなに? お化け? 先生?

 

「あはは! なんて声出してるのさ」

 

 恐怖で目をじっと閉じていると、後ろから、聞き慣れた声が聞こえた。おそるおそる目を開く。満面の笑みを浮かべたミナが懐中電灯を片手にこちらを見おろしていた。溜め息が零れ、それから笑みが零れる。

 

「驚かさないでよ」

「いやぁ、ごめんごめん」タハハ、と彼女は漫画のような笑い方をする。「昔からびびりだったからさ、驚かせたら面白いなって思っちゃって。つい」

「ミナの面白さのために、僕の心臓をいじめないで」

「私は自分の欲望に忠実だから。私は自分のためなら、幼馴染みすら利用してしまう悪女なのよ」

「悪女というより悪ガキだよ」

「幼なじみは消耗品だからね」

 そうは口にするものの、ミナは純真そうな、屈託の無い笑みを浮かべて、それからすぐに頬を赤くした。懐中電灯にぼんやりと映し出された彼女の顔は幼く、目はわずかに潤んでいる。

「その服、着てきてくれたんだ」

「え?」

「私がプレゼントしたやつ」

「う、うん」

 

 自分の服を見下ろす。決して上等な服では無かったけれど、可愛らしい三毛猫がプリントされたTシャツはお気に入りだった。ミナとお揃いだ。唯一気に入らないのは、ミナが着ると男らしいと言われるのに対し、僕が着ると可愛らしいと言われることだ。

 

「それで、どうだった?」ミナはどこか緊張した面持ちで訊ねてくる。

「けっこう驚いていたけど、ドキドキしてる?」

「うん」

 

 僕は強く頷き、それから覚悟を決めた。最初からそう思っていた。ミナの言葉を思い出す。『日頃の楽しいこともさ、マンネリ化しちゃうと飽きちゃうじゃん。飽きると、楽しくない、好きじゃないって錯覚しちゃうの』

 その通りだ。決して今の状況が退屈なわけではないけれど、このままで良いとも思えない。

『だから、好きなものを好きだと気づくためにはさ、ドキドキが必要なのさ。あれだよ。吊り橋理論だよ』

 

「ミナ」

 情けないことに僕の声は震えていた。けれど、それでも彼女は僕の顔をじっと見てくれる。思えば、彼女はいつだって僕を引っ張ってくれた。今日だってそうだ。彼女がマンネリだと言っていたのは、決して文学部のことではないと、ようやく気がついた。それは、僕たちの関係性についてだ。

「一つ言いたいことがあるんだ」

 ミナはこくりと頷く。その顔はどこか大人びて見えた。一度大きく息を吸い、吐く。そして意を決して、僕は叫んだ。

 

「ポテトチップスが美味しいですね」

 

 うん! という元気な声が満点の星にまで響き渡ったような、そんな気がした。

 

 

 

 

 

 

 

第二部

 

 

 さて、今まではどちらかといえば小説を書く前の下準備、マクロ的な話をしていましたので、これからはもっとミクロな話をしていきましょう。

 小説を書くにあたり、最初に意識しなければならないものは「人称」です。一人称視点、二人称視点、三人称視点、とかそういったものです。

 

 そうはいっても、どの視点が優れているといったことはありません。それぞれの良さがあります。ここでは一人称視点、三人称視点について話をします。

 例えば一人称視点ですと、例えば先ほどの主人公「僕」などのように、主人公の感情を直接書き込むことが出来ます。けれど、逆に言えば僕以外の感情は直接は書けません。一人称視点で、「彼女は晩ご飯を食べたいと思った」なんて書いてはいけません。それはテレパシーです。

 

 三人称視点ですと、いわゆる神の視点からの話になります。メリットはどの登場人物にも満遍的な描写ができる。つまり、一人称視点ですと「僕の後ろに貼り付けられたビニールテープが風でゆらゆらと揺れた」なんて描写はできません。見えるわけないですからね。ですが、三人称視点では「主人公の~」とできるわけです。

 

 ですが、三人称視点ですと主人公にフォーカスを当てられませんし、内心描写もしづらいです。そこでよく多用されていますのが「三人称一元視点」と言われるものです。例えば「佐藤は電車に乗り遅れた。一足早く乗った美由紀はそれを見て憤っている。ああ、と声を漏らさずにはいられない。こんなことであれば、もっと早く起きておくべきだった」というような、三人称視点であるにもかかわらず、特定の人物、今回で言えば佐藤にフォーカスすると言ったものです。

 

 つまりです。いったい自分が小説を通して何を伝えたいか、ということを考えて人称を選ぶというのが適切です。これは私個人の意見なのですが、小説とは魂の叫び、心からの助けを求めるためのものだと思っています。現実においてhelpと言えない人が、ユーモアや感動を通して誰かに自分の現状を理解し、助けてほしい。そんな叫びなのです。ですから、そういった助けを求めるためにも、少なくとも必要な描写を書きやすくするための工夫は必要です。

 

 では、具体例として三人称視点の話を一つ書いておきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         

 仕組まれた絶望の道中

 

 誘拐犯A※2はコンクリートの上でうめき声を上げる人質を見て、その汚らしい口を緩めた。そこは寂れた工場跡だった。窓の外から見える景色は鉄骨や木材ばかりで、しかもそれらは全て錆びていた。海に近く、時々波のさざめきが聞こえてくる。誘拐犯Aは、その音を聞き、さらに満足そうに笑った。飛び出た腹とハゲ上がった頭はいかにもな悪人といった風体で、誘拐するために生まれてきた、と言われても万人が納得しそうだった。

 

「おい、今戻ったぞ」

 

 外から入ってきたのは誘拐犯Bだった。彼は痩せ型で、背も高く、ハンサムだった。が、その分目は鋭く、Aよりもよっぽど冷酷だった。

 

「首尾はどうだ」

「イマイチだな。最近は肩の衰えが酷くて」

「誰が野球の話をしろと言った」

 

 AとBの付き合いは古かった。高校時代に同じ野球部に入り、それから共に行動していた。こうして社会の闇に飲み込まれ、誘拐をするようになった理由はここには書けないが、それでも彼らは熟練だった。

 

 今回も彼らの仕事に無駄は無かった。一人で歩いている標的をBが後ろから羽交い締めにし、Aがガムテープとロープで拘束し、そのままボックスカーに乗せた。あっという間の出来事だった。彼ら自身も自らの仕事の腕に自信があった。

 

「でもよ、お前はたまにとんでもねえぽかをやらかすからな」太っちょのAは薄く笑った。とても、重大な犯罪を行っている最中とは思えない自然な笑みだ。「野球部の時も、タイムリーエラーをし過ぎて、敵チームに感謝されていたし」

「うるさい」

「まあ、その分誤魔化すのもうまかったからな。落球したときも、さも滑り込みましたってかんじで、地面に這いつくばっていたし」

「いいか」とBはその眼光と同じほど鋭い声を出す。「大事なのはミスを防ぐことではない。ミスをしたとバレないことだ。バレなきゃ犯罪じゃない」

「まあ、そうだな」Aはカラカラと乾いた笑い声をあげる。「でもまあ、どうあがいても誘拐は犯罪だ」

 

 Aは捕まえてきた人質に目をやった。人質は両手両足を縛られ、冷たいコンクリートの上で寝かせられていた。目隠しはされていないが、口元のガムテープのせいで声は出せないようだった。

 

「なあ、缶コーヒー買ってきてくれたか?」Bは仕事終わりの疲れを少しでも癒やそうと、Aに訊ねた。外に出ていたので体が冷えていたのだ。

「もちろん買ってきてやったよ。ほれ、これだろ」

「何だこれは」BはAから受け取った黒いラベルの缶を睨み、嫌な顔をした。

「おしるこじゃないか」

「ありゃ。間違えたか」

「お前はいつもそうだ。何でもかんでも適当で、よく間違える」

「そんなことねえよ」

 

 Aのその返事自体が適当ではあったが、彼に気付いた様子はない。

 

「俺が間違えたのは人の道だけだ」

「おしることコーヒーを間違えてるじゃないか。この前だって、エレベーターとエスカレーターを間違えていた。いつの日か男と女の区別もできなくなるんじゃないか?」

「もしそうなったら、お前に結婚を申し込むよ。付き合ってくださいってな」

 

 AとBの心には余裕が満ちていた。彼らにとって誘拐とはただの仕事であり、慣れた作業だったからだ。

 

「今回の仕事は簡単だったな」Aは嫌みったらしく口を開く。それはBではなく、人質に語りかけているようだった。「情報源があまりに信頼できるものだったから」

「そうだな」Bも頷く。淡々としたようすだったが、人質を見下ろす目は冷たい。「お前、なんで誘拐されたか分かるか?」

 人質はウジ虫のように身体をくねらせながら、しきりに首を振った。本当に心当たりがなかったのだ。

 そんな可哀想な人質を見て、誘拐犯二人はすこし眉を下げた。「お前の父親だよ」とぶっきらぼうに言ったのは、太っちょのAの方だ。

「借金まみれのお前の親父が、お前を売り飛ばしたんだ。娘をやるからチャラにしてくれってな。んで、写真をメールで送って、いついつにこの道を通るので、なんて教えてきたんだぜ。ほんと、泣けるよな」

「泣けない」と人質の気持ちを代弁したのはBだ。「その急な依頼のせいで俺たちは残業だ。そっちの方が泣ける」

「残業手当とか出るのかね」

「でない。うちの会社はブラックだ」

「恐ろしいほどにな」

「この世の中でもっとも恐ろしいもの、何か知ってるか?」

「誘拐犯か?」

「我が組織のボスだ」

 

 ひゅぅ、とAが下手くそな口笛を吹く。「きっとボスなら一人で警察を全員倒せるぜ」

「いや」

「何だよ。否定するのかよ」

「ボスは警察を倒さない。なぜなら、警察は我々の味方だからだ」

 

 恐ろしいことに誘拐犯達の後ろにつく組織は司法権力をも欺くほど大きかった。そのボスも、もちろん恐ろしい。誘拐犯二人はボス、という名前が出ただけで少し顔を強張らせた。

 

「知ってるか? いつの日かボスに対して新人が挨拶したんだけどよ。そん時に『右も左も分からない若輩者ですが、よろしくお願いします』っつったんだ」

「別に珍しくない挨拶だ」

「その新人はすぐに殺された」Aは脂肪で埋もれた目を輝かせ、嬉しそうに語る。「ボス曰く、右も左も分からない若輩者はいらないらしい」

 

その、あまりに残虐な話に人質は酷く動揺し、ウジ虫の物真似をさらに激しくする。

 

「おいおい落ち着けよ」Aはさすがにその勢いに動揺したらしく、なだめるような声になった。

「腹でも減ったのか? それともトイレか」

「逃げたいんだろ」Bは冷静に言う。

「逃げるって何だよ。俺たちだってずっと逃げてるんだよ。この厳しい社会からよ」

「それは誇ることではない」

 

 Bは人質へと足を進めた。彼の足音が響く度、人質はさらに怯え、震え、壊れそうなぐらいに泣きじゃくりはじめたが、Bは構わなかった。口に貼られているガムテープを剥がし、かがみ込んで人質をじっと見つめた。人質は怯え、視線を必死に逸らそうとしたが、最後にはBの目をじっと見てしまった。

 

「いいか。ここに来た時点で、お前はもう終わりなんだ。叫んでも助けはこないし、帰り道だって分からねえだろ。バレて、誰かが乗り込んでこれば別だが、これはお前の親父さんからの依頼だからな。まずバレない」

「バラされるかもしれねえけどな。身体を」

「お前は黙っててくれ」Bは苛立つ様子も無く、無感情に言う。

「だから、騒いだりするな。そうすれば悪いようにはしない。最後くらい、少しでもまともに人間らしくいたいだろう。分かったか?」

 

 Bは極力優しく言ったつもりだったが、それでも人質はぶんぶんと首を振った。何かを口にしようとパクパクとしているが、喉が乾いているせいか、うまく声が出せていない。

 

「ずいぶんと、物分かりが悪い」忌々しそうにBが吐き捨てる。

「誘拐されて、物分かりが良い奴なんていねえだろ」

「いいか。俺は優しいからこうして教えてやってるんだ。抵抗しなければ、死にはしない。お前ぐらいの少女を観賞用に買う金持ちは多いだろう。尊厳はないが、言うことを聞いていれば、命は助かる」

「聞かなかったら?」そう訊ねたのは人質ではなく、Aだった。脂肪で緩んだ頬をたぷたぷと揺らしながら、嫌みに笑う。

「聞かなかったら、尊厳を失った上で、命まで失うことになる」

 

 それからBは人質の身体を漁り、スマートフォンを奪った。最近ニュースでも話題になった、アメリカ製の最新機種だ。

 

「電源を切った方がいいんじゃねえの」Aは、そのだらしない見た目とは裏腹に、きっちりとしたことを言う。「通報されたら厄介だし、居場所を捕まれても面倒だ」

「いや」Bは首を振る。「電源を切ったら、電話をかけてきた奴に違和感をもたれるかもしれない。言っただろ。バレないようにするのが一番なんだ」

 

 Bは腰にかけていた拳銃を手に取り、人質の眉間を狙う。泣いていた人質はぴたりと泣き止んだ。そのかわり、小刻みに身体を痙攣させ、口から吐瀉物を吐き始める。恐怖が限界を超えたのだった。

 

「いいか。今から友人やら何やらから連絡があったら、ちゃんと返事をしてもらう。メールや電話も、そうだ」

 

 Bはたしかにミスの多い男だったが、だからこそ抜け目のない男だった。自分がミスをする可能性を考慮し、はじめから計算に入れて行動する。結果として柔軟な行動ができ、それで今まで誘拐において失敗したことがないのだと、そう自負していた。

 

 そのBの計算を裏付けるかのように、人質から奪った携帯電話が小刻みに震えた。メールの着信音が響く。驚くことなくBは確認した。が、すぐに目を細め、携帯をAに放り投げる。Aは驚くことなく、それを受け取った。

 

「お前、メールくらい読めよな」Aはわざとらしく肩をすくめた。「いくら文字が苦手だとはいえ」

「本が好きなお前の方が、早く読めるだろ。合理性を考えたんだ」

「いつ俺が本を好きだなんて言ったんだ」Aは太い唇をぶるぶると震えさせ、首を振る。

「そんなエリートのいけ好かねえ趣味を、俺が持ってるわけないだろ」

「でも、この前本を読んでいた」

「あれはボスに勧められて、しぶしぶ、だ。ボスに怒られるよりは、本を読む方がマシだろう」

 

 Aはいやいやメールに目を通した。文面を二、三秒ほど見た彼は、ははっと鼻で笑う。

 

「なんてことはねえ迷惑メールだ。全部読むまでもねえよ」

「お前、読むのが面倒くさかったんだろう」

「まあな。だが、お前にそれを言われちゃたまらねえって」

 

 Bは拳銃を構え直し、人質を見下ろす。その目には何の感情もなかった。怒りも後悔も恐怖も興奮もない。ただ、億劫そうではあった。

 

「分かったか。またその口を塞がれたくなかったら、騒ぐんじゃない。電話が来たら普通に答えろ」

「あの!」

 

 人質は誘拐されて以来、はじめて声を出した。泣きすぎたからか、その声はガラガラで、声というよりは鳴き声といった方が正しいかもしれない。

 

「何だよ。返事は、はい、だ。あの、ではない」

「人違いです!」

「は?」

「あなた達は、誘拐する相手を間違えています!」

 

 AとBは互いに目配せし、同時に左足を一歩前に進め、同時に右足を鋭く突き出した。腰から足が円を描くように回り、人質の首と膝に硬い靴が突き刺さる。人質は悲鳴すら上げることなく、硬いコンクリートをごろごろと転げ回った。血の跡がタイヤ痕のように真っ直ぐ続く。

 

「あまり商品に傷をつけるとボスに叱られるぞ」

「だから騒ぐなと注意したんだ」

 

 AとBは同時に懐から一枚の写真を取り出し、人質の前に叩きつけた。メンコのようにパチンと小気味よい音が倉庫に響く。

 

「お嬢ちゃん。そんな出鱈目を言っちゃいけねえよ。いくら逃げたいからってよ」

「その写真を見てみろ。どう見てもお前だ」

 

 人質は先ほどの衝撃を受け止め切れておらず、未だ小刻みに痙攣していた。口からは泡が吹きこぼれ、目は血走っている。が、それでも這うようにして写真を見た。見た途端、人質の顔は真っ青になった。歯をカチカチと震わせ、悶えている。

 

「違うんです」

 

 そんな状況にもかかわらず、人質は必死に声を上げた。

 

「本当に違うんです」

「何が違うんだ」

 

 Bは少し怒りながら訊ねた。急な仕事であることと、久々に反抗的な標的に嫌気が差していたのだ。

 

「今更他人のフリをしようが、俺たちは信じない。どうあがいても無駄だ」

「この写真に写っているのは別人です!」

「そう言うなら、証明してもらおうじゃねえの」

 

 Aは耐えきれず、叫んだ。それはBとは違い怒りのせいではなかった。むしろ悦びと愉悦が顔に浮かんでいる。Aは内に巣くう愚かな欲望を、哀れな少女にぶつけるつもりだった。

 

「お嬢ちゃんが、その写真の少女とは違うってことを、どうにかして証明してみなって。もしできたら信じてやるよ。できなかったらお仕置きだ」

 

 Bは、その嫌なAの提案に嫌気が差した。そんな証明なんてできっこない。Aの性格を熟知している彼は、Aが最初から少女を甚振る気でいることを分かっていた。が、止めはしない。これで人質が静かになるのであれば手っ取り早い。Aであれば商品価値を下げるような真似をしないだろう、という信頼もあった。

 

「残念。時間切れだ。もたもたしてっから、自分の首を絞めるんだぞ。黙っていれば何もしなかったってのに」

 

 Aは人質に詰め寄り、ロープで固定された両手両足をさらにきつく縛りあげた。ぶよぶよとした彼の腹が人質を押しつぶす。彼の手はあっという間に人質の服へと伸びた。服の中をもぞもぞとやり、それからズボンの中へと触手を伸ばす。が、何かに弾かれるように、慌てて手を引っ込めた。

 

「お、おい」Aは慌ててBの隣へと戻る。目を白黒とさせるその姿は、パンダも驚くほどだった。

 

「どうしたんだ。お前が慌てるなんて珍しい」

「これはやったかもしれない」

「何をだ」

「本当に誘拐相手を間違えたかもって話だ」

 

 Bは片眉をあげた。Aはいつも適当なことを言うが、タチの悪い冗談を言うタイプではなかった。Bは一度大きく息を吸い、吐いた。

「なんでそう分かったんだ」

「だってよ」Aは言いづらそうに口をもごもごとさせ、それから意を決したかのようにはっきりと言った。

「あいつ男だぜ」

「え」

「ズボンの中にブツがあった。明らかに、別人だ」

 

 Bは人質を見る。人質はしきりに首を縦に振り、肯定していた。Bは頭が痛くなった。

 

「なあ、俺もお前に一つ言いたいことがあるんだが」

「なんだ」

「俺と結婚してくれないか?」

 

 一瞬ぽかんとしたAだったが、すぐにケラケラと笑い、悲壮感に満ちた笑顔を浮かべ、言った。

 

「男と女も分からない若輩者ですが、どうぞよろしくお願いいたします」

 

 

 

 

               

 

 第三部

 

 では、次に小説をより色々な人に読んでもらうための小技を紹介したいと思います。もちろん、面白い小説であれば自然と多くの人に読まれますし、たくさんの人に読まれることだけを目的に小説を書いているわけではない、という人もいるかもしれません。ですが、それでも「興味が惹かれやすい」小説という特徴を抑えておいても損は無いと思います。

 

 一つ目はタイトルです。小説の肝であり顔というべきタイトルは、読者に関心を持ってもらうための第一関門です。文章のように長いタイトルにするのもよし、ごくごく短いものにするのもよし。要するに面白そうなものであれば何だってよいのです。「僕のお腹がいたくなった」よりも「僕のお腹がセカンドインパクト」の方が少しは興味が湧きますよね。そういうことです。ですので、例えば、小説の書き方、なんてつまらないタイトルだと、読む気が失せてしまいます。ハウツーだと猶更です。素人が小説の書き方なんて論じたところで、だれも読むわけないですし、読みたくもないはずです。

 

 二点目は出だし、つまり小説の冒頭の一文を、興味深いものにするのも有効です。特にインターネット小説では一番大切といっても過言ではない。インパクトのある一文を意識するのがよいでしょう。「今日の天気は晴れだった」よりも「陽光を遮ったのは、空から降ってきた死体だった」の方が興味がわくはずです。間違ってもどこぞの論文のような一人語りをしてはいけません。

 

 話はずれますが、せっかくインターネット小説について論じたので、インターネット小説における注意点を一つ伝えておきたいと思います。それは身バレです。どんなに面白い小説を書こうが、むしろどんなにつまらない小説を書こうが、親や身内、友人に伝わるのは避けたいと思う人が多いでしょう。まあ、ほとんどの人が本名を晒すようなことはしていないと思いますし、晒すことが悪いとは思いません。自分のことを知ってもらいたい。魂の叫びを知ってもらいたい。そう思う人は自分の名前を出してもよいでしょう。ですが、インターネットの中には、それこそ、些細な情報から様々な情報を手に入れ、本人の顔をネットでばらまいたり、所在を明らかにしようとする人もいます。名前を出す場合はその覚悟をしておいてください。

 

 最後に、これは私個人として好きなテクニックを一つ紹介しておきます。いわゆる逆説のテクニックと呼ばれるものです。人間というものは誰しもが天邪鬼な性質を持っているもので、作者の言葉を疑ってしまうことが多々あります。それを利用するのです。つまり、「これは本当の話です」といわれると急に胡散臭く感じたり、反対に捉えてしまう、といった性質を逆手に取るのです。例えば、「この主人公は本当に人を殺していません」といったようなことを繰り返し主張しておけば、かえって疑惑を抱かせることができます。まあ、あまり使い道はありませんが、覚えておいて損はないでしょう。

 

 では、今までの点を踏まえて最後の具体例を書いていこうと思います。

 

  

 

 

 

アイビリーブハーメルン

 

 斎藤博人は殺されそうになっていた。 何に? レポートに。※3

 スマートフォンに表示される時刻はすでに一時を回っている。立ち上げたテキストエディタの文字数は一万文字を超えたところだが、それでも最後までは書ききれていない。タイムリミットが迫る中、必死に入力を続ける。

 

 どうしてこんなことに。斎藤はうめき声をあげるも、だれも助けてはくれない。ただひたすら指を動かし続けることしかできなかった。こんなことになるのであれば、遊びに行ったりせずにずっと家にいたのに。後悔するも、当然後の祭りだった。

 

 もしこれを書き切ることができなかったらどうなるのだろうか。そもそも書き切ってどうにかなるのだろうか。極度の疲労からか、そんなことすら考えてしまう。だけど、それでも斎藤はひたすら文字を打ち続けることしかできない。やるしかない。泣いても笑っても、それしかできないのだ。

 

「おい、もう書けたか?」

 

 部屋の奥から声が聞こえた。斎藤は慌てて「もう少しです!」と叫ぶ。実際にもう少しかどうかは関係なかった。とりあえず、そういうしかないのだ。

 

 斎藤はふと、同級生の少女のことを思い浮かべた。彼女は今何をしているのだろうか。家で眠っているのか、それとも友人の家に遊びに行っているのか。唯一分かっていることといえば、彼女は僕のようにレポートを書いているわけではないということだ。

 

 そう。このレポートは決して強制的な宿題というわけではなかった。授業で出されたわけでも、部活動で出されたわけでも、塾や公文の課題でもない。けれども斎藤は必死になってそんなレポートを書いていた。なんでこんなことに。本当に運がない。運も、実力もない。

 

「おい、もういいだろうが」

 

 斎藤が長々とスマートフォンに打ち込み続けていると、すぐ隣で声がした。びくりと体が震え、無意識のうちに悲鳴をあげそうになる。咄嗟に「大丈夫です」と返事をするも、豚のような巨体を持つ誘拐犯Aはふくれっ面を直してはくれなかった。

 

 人質として攫われた斎藤の身体は、すでにボロボロだった。先ほど口答えをした時に蹴とばされた肩と膝から血が溢れている。じゅくじゅくとした傷口を見るだけで、斎藤はまた意識を失いそうになった。

 

「もういいじゃねえか。別にレポートくらい出さなくても、怪しまれねえって」

「念のためだ」と答えたのは細身の誘拐犯Bだった。彼らの本名は分からないけれど、斎藤は内心で勝手にそう呼んでいた。彼らについて斎藤は何も知らなかったが、恐ろしくて容赦がないことは身に染みて分かっていた。先ほど蹴とばされたことを思い出すだけで体が震える。どうか許して、と内心で呟かずにはいられない。

 

「こいつが言うには、レポートを出さないと先生は烈火のごとく怒る。らしい。怒った先生は家に連絡を入れる。らしい。そうなると面倒だ」

「でもよ、さっきこいつの家族に、友人の家に泊まってくるって、連絡を入れさせたじゃねえか」誘拐犯Aは斎藤の方をじっと見ながら鼻をほじる。別に罵倒されているわけではないのに落ち着かない。逃げ出したくなるが、足は縛られているせいで、その場から立ち上がることすらできなかった。

「だから、大丈夫だろ」

「俺たちはすでにミスを犯している。人質を間違えたんだ。これ以上ミスを犯すわけにはいかない」

「つっても、俺たちは悪くないだろ」誘拐犯Aは宿題を忘れた小学生のように頬をぷっくりと膨らませた。「むしろ、こいつらがそっくりなのが悪い」と文句を言い、コンクリートに置かれた写真を足で突いた。

 斎藤はその写真をじっと見る。どうして、と思わずにはいられない。

「まさか、服まで一緒の奴を着るなんて、偶然が過ぎるだろ」

 

 斎藤は自分の服を見下ろした。三毛猫のアップリケが印象的なTシャツだ。友人であり幼馴染であり同じ文芸部であるミナからもらった、お気に入りのTシャツだった。

 

 斎藤が誘拐されたのは、友人であるミナと学校の校庭で待ち合わせし、星を見た帰り道だった。用事があると一人校舎に残ったミナを置いて、薄暗い道路を一人歩いていると、いきなり攫われたのだ。

 

 偶然が過ぎるだろ、という誘拐犯の言葉を内心で噛み含める。本当に? 本当に偶然なのか。ミナは斎藤にこの服を着てきてと指定していた。もしかして彼女は、父親が、彼女を売り飛ばそうとしていることを、知っていたのではないか? そういえば、と思い出す。彼女がいつも半袖の制服を着ているのは、それしか与えられていないからではないか。最初からボロボロだったのは、古着をもらい、それを着ていたからではないか。食べることが好きな彼女が、驚くほどに細身なのは、家で何も食べられなかったからではないか。彼女の家はそれほど困窮していたのではないか。

 

あの日、星を見に行こうと学校に呼び出してきたのは、文学部の活動に飽き飽きしたからでも、僕たちの関係を進めたかったからでもなく、僕を身代わりにしたかったからではないか。

 

 そんなわけない。彼女がそんなことをするわけない。そう思っているのに、どうしても彼女の言葉が頭から離れない。

 

『私は自分のためなら、幼馴染みすら利用してしまう悪女なのよ』

『幼なじみは消耗品だからね』

 

 誰か嘘だと言ってよ。誰でもいいから嘘だと言ってほしい。こんなのは夢か何かで、目が覚めたらいつも通り、ふかふかの布団で起きて、それから学校に行って、いつも通りの生活を送りたい。死にたくない。いったい僕がなにをしたのか。なにをしなければいけなかったのか。恐怖で頭がくらくらする。いやだ。死にたくない。お母さんが作ったおにぎりが食べたい。友達と話したい。喧嘩したい。涙がこぼれる。文字が打てない。レポートを書かなきゃいけないのに。いやだ。死にたくない。本当に死にたくない。

 

「ちょっと見せてみろ」

 

 突然Bがスマホを取り上げたのは、ちょうど三分の一くらい、段落一のまとめまで書いたところだった。

 

 細身の体を小さく丸めたBは、斎藤のスマートフォンをじっと見つめた。それからすぐに目を細め、Aへと投げ渡す。

 

「駄目だ読めない」Aは目頭を押さえ、首をぶんぶんと振った。

「何だよ。高校生のレポートが読めねえなんて、情けねえな」

「こんなもの、読みたくなるわけがない。タイトルで読む気が失せる。何か怪しいことが書かれてないか確認してくれ」

 

 はいはい、とAは面倒そうに返事をし、受け取ったスマートフォンを指で弾いた。最初、あからさまにげんなりした態度を取っていたAだったが、それでも目を進め始める。斎藤はドキドキしながらそれを見つめていた。これが吊橋効果なの? そう心の中で訊ねるも、だれも返事はしてくれない。

 

「俺が先生だったら、こんな読みにくいレポートは最低評価だよ」Aは苦々しく口をゆがめ、スマートフォンを斎藤に投げてよこした。慌てて斎藤は受け取り、続きをひたすら書き続ける。

 

「ちゃんと全部読んだか?」

「読んでねえけど、お前に言われたくねえよ。というか、坊主。お前本当に文学部かよ。読みづらすぎるっての。まあ、中坊なんてそんなもんか」

「最後まで読まないとだめだろう。助けてとか、書いてあるかもしれない」

「流し読みしたが、そんなことは書かれてなかったっての」

「そうか」

「とりあえず、第二次性徴が来るといいな」Aはのんびりと言った後「無事にな」と付け加えた。

「小説の書き方なんて、今どきのガキはそんなことをレポートにするのか。驚きだよ。まあ、いい。お前のかいぬしは無事決まったから、どうだっていい」

 

 それが買主なのか、それとも飼い主なのか、斎藤には分らなかった。けれど、自分の終わりが近づいていることだけはたしかだった。

 

「本来は俺たちだって、お前にとって悪くないかいぬしを見つけてやる予定だったが、男の売り手は限られていてな。ボスに標的を間違えたとバレるわけにもいかないから、勝手に売らせてもらう。本当に申しわけないが、奴に回すことになった」

 Bの「奴」という言葉を聞き、Aは、ああ、とくぐもった声を出す。「あの腐れ野郎か」

「そうだ。拷問が趣味の」

「バラバラが趣味じゃなかったか?」

「バラバラより、焼鏝が好きだと聞いたが」

「ペンチが好きって聞いたけどな、俺は」

 

 AとBの会話を聞きながら、斎藤はその出てくる単語に恐怖しながら慌ててレポートを書き進める。とりあえず一時保存をして、文字をコピーし、予約投稿ボタンを適当にセットし、押す。

 

 高校生がレポートなんて書かされるはずもないのに、誘拐犯二人は何も疑っていないようだった。そこだけが唯一の希望であり、命綱だ。

 

 書き始めてからすでに二時間は経っている。二人は私を見て、それから頻繁にどこかへと連絡を入れていた。それが「奴」でないことを祈るばかりだ。このレポートを二人が読むかはわからない。あの調子だと読まれないし、読みにくく書いたつもりです。それに、内容だって少しはぼかしているし、わかりづらくしている。直接メールやラインで助けを求めようとも思ったけど、そうすればどんな目に遭わされるか。想像しただけで恐ろしい。こうして書いている今も、そうです。私はここがどこだか、誘拐犯が誰かはまるで分らない。分かることといえば、私が誘拐された経緯と、彼らの会話だけだ。それを事細かに書いておくことしか私にはできない。誰かが突き止めて、助けに来てくれるのを待つことしかできない。外部サイトであれば彼らだって、わざわざ見ないはずだし、こんな文末も確認しないはずだ。誰か私の魂の叫びを受け止めて、意を汲んでくれるk

 

 


※1 事件の発生

※2 三人称視点

※3 インパクトのある一文

※4 逆説のテクニック



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。