天才お姉さんが親友のお嬢様とインテリメガネと近未来都市で暮らす話 (Oops)
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寝起き狩りの朝

初めての投稿なので、初投稿です。お願いします。


「え!?今日から会社行かなくていいんですか!?」

 

衝撃の一撃すぎてオウム返ししてしまったぞ。私としたことが。

 

寝起きどっきりかな。

そう言いたくなる衝撃の通信が入ったのは、カーテンを開けた窓から早朝の色をした都市照明が差し込みだしたころだった。

 

私の朝は起きて歯を磨き、うがいをして台所で水を一杯飲み干すところから始まる。美は一日にしてならず。寝起きに常温の水一杯が美と健康の秘訣だと猪股先生も言ってる。

 

衝撃の一報は喉を潤し顔を洗い髪を整えながらキッチンマスターにモーニングを入力する、いつものルーティンのさなかに突然やってきた。

 

腕に振動が走り、反射的に目をやると小型液晶に「通信」の文字が緑に光っていた。

音が鳴る方がわかりやすいという人もいるみたいだけど、個人的には音が鳴るのってプライベートへの割り込み感が強くて嫌いなんだよね。振動でもびっくりさせられるけど、何かしら刺激がないと気が付けないから仕方がない。

 

タップすると空中にポップする中年男性の濃い髭面。

むさい。肉体労働のおじさんの顔が今日の朝一か。もう少し画面から離れて通信してほしいなあ。おじさんの顔を画面いっぱいで眺めても楽しくないです。

それに髭ももっと剃ってくださいよ。そんなんだから茉莉ちゃんに露骨に嫌がられるんですよ。似合ってないかと聞かれると、正直個人的にはすごい似合ってると思う。でも娘の目から見るとむさくて汚いになっちゃうみたい。まあ茉莉ちゃんはお年頃だからね。

 

そんな諸々を飲み込んで朝の挨拶をしたところ、君、今日から会社来なくていいよ、である。

古典的セリフですら明日からなのに……。

 

「どうして朝に連絡が来るんですか?」

 

「急なことで連絡を忘れちまったんだ、すまん。もう家を出るところだったか?」

 

「まだまだ出ませんけど……いったい何が?」

 

出るどころかまだ朝飯前ですよ。朝ごはん食べて、軽くシャワーして美容もしないと出られないんです。化粧はろくにしないけど一応女なんで。

 

起きてるからと言ってすぐに出かけると思わないでくださいよ。大体映してないですけど私まだパジャマなんですけど。通信画面には通信用に着替えて撮った画像を使っているだけです。

でもこれのおかげでトイレにいてもお風呂にいても、気にせず映像通信に出られるのは便利でいいよね。

 

自分はパパッと顔洗って終わりだからってまったくもう。しかも水で。水だけだよ信じられない。この時代に水だけで洗顔する人なんか適当なおじさん方くらいで他にそういないよ。

変に意識高くて間違った知識を信仰している人とかならどこかしらに必ずいるけど。

 

それよりも私、なんかやらかしたっけ、昨日から今日の間で。でもやらかすくらいいつものことだし、そんなことくらいで首にはならないよね。注文のあった強化外筋骨格の改造やりすぎたかな。でもそんなこといつも平気でやっていることだしねえ。

 

それとも会社でなんかあったんだろうか。だったら水臭いなあ、私も手伝うのに。

いや、むしろお前が関わると大事になるというか、するから来るんじゃないぞっていうことかな。納得はいかないけどありえる。

 

「実はお前の力がどうしてもいる、と頼まれてな。出向してくれ」

 

「いいですけど、出向ですか。どこの誰です」

 

よかった……。クビではないことが確定した、生き残った。この会社にずっと務めてきたんだ。クビになったら私でも動揺しちゃうよ。

いやこんな雑にクビにされることはないだろうと思ったけど。会社に何事か起きたわけでもないみたいだし、とりあえずは良しとしよう。

 

しかし急な話だね。まぁ頼まれてるっていうなら仕事はするよ、金が出るならね。でもこんな突然の話を、社長が通すことはそうないと思う。しかもこれは私に関する話でしょ。

そんな無理を社長が聞く相手っていったいどこの誰なんだろう。いやどこの誰でも、そんな無理を通さないようにかばってくれるのがこの社長だ。

 

微妙なお年頃の娘さんたちでも、お父さん嫌いなんて絶対に口にしないくらい立派な人なのだ。

 

私がこれまで幾度も迷惑かけても、しょうがない奴だと笑って受け止めてくれる大きい人だ。物理的にも最近太っ腹になりつつあるけど。

若い時より現場の時間は減ったのに、食べる量は変わらないどころか増えたのが良くない。

桜花ちゃんが料理に目覚めて意欲的に試作したり、あれもこれも食べてほしいってお願いするからつい食べちゃう気持ちはわかるけどね。

 

「お前の方がよく知っている相手だ。昨日の夜にいきなり頼んでくるような、な」

 

私の方が知ってる相手……。いきなり無茶振りしてくる……。

 

「あっ」

 

「そうだ、あのお嬢ちゃんだ。本人が直接説明しに行くと言っていたから、今日は家で待機していてくれ」

 

すまんな、と謝られるけど相手が想像通りなら、むしろうちのがご迷惑をおかけしましたって気分。

急な連絡をしたのも相手の方みたいだし。社長が連絡忘れるくらいだから、よほど遅い時間か適当な連絡だったか。両方ありそう。

どちらでも迷惑なことに変わりはないので、どちらにせよ申し訳ないし恥ずかしい。

 

「わかりました。でも私が受け持っていた分の仕事はどうするんです?」

 

「適当な奴に割り振るから心配するな。お前を指名してきた仕事でもない」

 

いきなり追加の仕事が降りかかってくる同僚のみんな可哀そう……。がんばれがんばれ。

 

私が唐突な追加ノルマを押し付けられる同僚に祈りをささげていると、ふと社長の顔が引き締まった。

 

「会社として受けても問題なく、知らない相手じゃないから依頼を受けた。だがもし……お前が嫌だったら、断っても問題はない。わかったか」

 

「社長……ありがとうございます」

 

どうも私に断りなく依頼を受けたのを気にしてくれたらしい。相手が私の友人で、私が受けるだろうとわかっているのに。

受けたといっても、おそらく正式に会社として受理したわけでもないだろう。それでも私の意志を無視した形になってしまったことを悔やんでくれる。

 

自然と感謝の言葉が口をついて出た。

 

ふんっ、と鼻息を鳴らすだけの姿はまさにツンデレ。頑固親父感がすごい。事実頑固な親父だけど、もう少し柔らかい雰囲気になった方がいい気もする。

受けたかどうかの連絡だけ後で入れろと言い残して通信は終了した。照れくさいのだろうか。そうだろうな。社長だもんね。

 

ふと画面が閉じていくのを眺めていると気が付いたが、あの人もう作業着来てる。この時間から職場に向かう気だろうか。あの人は通信用の画像使ってないはずだ。今実際に映像として動いて話していたわけだし。

 

おせっかいですけど、もう少し家族の時間を持った方がいいですよといった内容のメッセージを送っておく。娘さん二人とも難しい年頃だし、若い娘と話す内容も見当たらないんだろうけど仕事に逃げてはいかんでしょ。

桜花ちゃんも茉莉ちゃんも自分からは人に甘えにくい子だし、私の方から言っておこう。こういうサポートは姉貴分の役目だもんね。

 

あとそれはそれとして、朝が早すぎる。

一番上の人間にそんな朝早くから働かれると、下も急がないといけない気になる。

なのでむしろ一番最後に来るくらいにしてほしいんですけど。うちの職場はおっさんかそれ以上ばっかりだから、朝の支度に手間取らない分みんな早いけどさ。

どいつもこいつも人に会うことほとんどないからって、汚くだらしない格好して出社してくる。もう少しこう清潔とか身だしなみとかの文明を身に着けてほしい。

休日はちゃんとした格好で街中出たりするくせに、仕事の日はだらしない格好するっておかしくないか。普通逆でしょ。

 

社長は娘さんがいるから気を使ってきちんと整えた格好しているのにね。

ただ始業時間は一応決まってるんですから、時間通りに出社してほしいんですけど。社長が率先して始業前に着て準備していると落ち着かないです。

 

そんな感じにメッセージを送り、端末を閉じて軽く一息つく。

淡い光を浮かばせる調理機がセット途中でこちらを見守っている。早くしろよと言いたげだけど、予定変更になったしちょうどよかったかな。

 

 

 

 

ぽんぽんとわずかに浮いた立体映像に触れて入力を消去する。

 

これから来る依頼者に会って話をすれば今日の仕事は終わり。しかも来るのはおそらく友人。だから実質もう今日は休日でしょ。

休日には休日の食事がある。休みの日は朝食から専用のセットで休みを楽しまないと。一番いいのは朝寝坊を楽しむことだけど、さすがに寝なおすわけにはいかない。

 

キッチンマスターの画面を切り替え、休日用に登録したメニューを出す。ずらずらずらっとかなり長いリストで目が滑る。あれこれ思いつくままに登録していった弊害だ。

降ってわいた休日だしどうしようか。昼食との兼ね合いがあるし悩みどころ。と言ってもこう長いリストだと選ぶの面倒だな。

 

「あれ、そういえばいつ来るんだ」

 

ふと疑問が漏れた。何時に来るとか聞いてなかったけど、教えてくれてないということはわからないのか。そのうえで待機してろと言われたということは、つまりそういうことだろう。どんだけ適当な連絡したんだろ、あの子。

 

とりあえず昼も家で食べると仮定した方がいいかな。そうなると今朝はこんなもんでいいか。

じっくり選ぶのも手間だし、パッと目についたセットを選び調理開始を押す。前面のディスプレイに青い光が躍る。鉄色の本体に鮮やかに光る色彩の対比が美しい。

やはり外観はシンプルな方が機械味があっていい。余計な装飾や色付けもなし。四角で固く、かつ滑らかで鈍色。そこにこだわりの高画質サンプル画像や文字が輝くというのがいいんだよ。

 

美的感覚の違いでデザイン段階でもめたけど、私の主張する余計な装飾を排したシンプル型は十分な売り上げが出ている。

やっぱりわかる人にはこの良さがわかるんだよ。わからない人のことは知らない。

 

低い唸り声をあげながら機械が稼働するのを見ていると、先ほど思い浮かべた子の顔が浮かぶ。

 

「桜花ちゃんのところも今頃朝ごはんかなー」

 

桜花ちゃんのために私の美意識とは違うものの、可愛い感じに仕上げたキッチンマスター・メシウマちゃん。女の子という設定なので、リボンみたいなパーツをわざわざ外装につけたりして可愛いアピールした作品だ。

可愛いと気に入ってくれたのはいいけれど、仕事はちゃんとしているだろうか。料理好きな桜花ちゃんの為だけに設計図を引いた、当時最新型だった彼女も今ではさすがに型落ちだろう。

とはいえ最新のものと比べて性能で劣ることはそうないはずだ。

 

最新技術と最新製品とは違う。

 

最近は小型化に機能の削除、表面デザインや機械全体の形体の変化とかばかり。よくて新機能の追加だけど、それ本当に使うのと聞きたくなるような機能が多い。

まあ小型化や様々な家庭の空間に合わせた形状の変化も大事な事ではあるけどね。私にはあんまり興味ない部分だ。

調理機能という一点で見れば、メシウマちゃんは今でも第一線のはず。少なくとも一般家電量販店で見る分には。

 

「おっでき、た?」

 

チン、と軽快な音を立てて調理終了を知らせる調理機とほぼ同時になるインターフォン。

こんな朝早くから郵便でもないだろうし、いったい誰だろう。

 

ペタペタとフロアシートに裸足の引っ付く音を鳴らしながらリビングに向かう。端末で出てもいいけどそんなに距離ないから直接出よう。

 

服は……まあいいか。こんな時間に訪ねてくるのはかなり親しい相手か、あるいは何かのロボットでしょたぶん。親しい相手ならパジャマでいいし、ロボットかそれ程親しくないならインターフォン越しでいい。こんな時間に来て中に入れろとか、相当親しくないとありえない。

そして家まで来るような知り合いは女しかいないから、誰が来ても恥ずかしい思いはしないでしょう、たぶん。というか本当に誰だろう。

 

仄かな光が差し込む部屋を横断する。私は冷たい床は嫌いなので常に床暖房をいれている。おかげでこうして素足で歩いていても温かい。私部屋で靴下履くの嫌いなんだよね。

部屋の明るさは照明をつけない薄暗い程度が朝夕は好み。窓から都市照明の疑似太陽光がぼんやり部屋を照らし、室内が影絵のようになるのが何とも言えず風情がある。

こんな薄明かりの中だと、インターフォン用モニターが来客を告げる光ですらまぶしいくらいだ。

 

「は?」

 

休日ということでそんな風にまったりしながら歩いていたが、モニターをつける前に玄関で開錠音が鳴る。認証システムがクリアされ、縦開きの空圧ドアがぷしゅんと乾いた音を立てる。

 

「なんで? ヴィクトリア?」

 

『私ではありません』

 

自慢だけど私の部屋の鍵はとても強い。軍事基地並みかそれ以上という自負がある。認証システムは自作プログラムでハッキングを防止。指紋や瞳など生体認証は、偽装認証を受け付けない判別プログラムも別口で組んで入れてある。センサー類など追加設備も自作して設置した。

 

その上に物理鍵も必要という自分でも面倒くさい代物だ。建物や扉自体の強度も軍用以上で、破壊にはそれなりに大掛かりの準備がいるくらい。

パワードスーツでもそうそう破壊はできないし、苦戦してちんたらやっていたら自作の防衛システムが、防御装甲を纏ったスーツ相手でも苦もなく排除するだろう。

 

こんなとこに泥棒なんか入らないから無駄な気もしょっちゅうするけどね。特にトイレが近い時と雨の日。さっさと開いてよってイライラじれじれする。

そも部屋の鍵以前に、周りを色んな所属の監視チームがいっつも警備しているわけで。そんな警戒の中で入れる泥棒なんかフィクションの中くらいにしかいないと思う。

でも心配性な友人たちが顔色変えてうるさく言うから、仕方なくつけた鍵が……なんか勝手に開いているんですけど。

 

「ちょ、ま」

 

「お邪魔しますわよ~!」

 

……焦ったんだけど、これは心配いらないやつですね。

道理でヴィクトリアが何も反応しないわけだ。知らない人だったら教えてくれるはずだから、変だなとは思ったんだよ。

ヴィクトリアの目、というか監視カメラ等の各種センサーをごまかすほどの相手という可能性もなくはなかったけど、違ってよかった。

 

早朝だというのに、先ほどまでの静寂を切り裂くバカでかい声。家の中はともかく外にも絶対聞こえてるよこれ。まあご近所さんなんかいないから、近所迷惑も何もないけどね。

仕方ないので、ドアが開けられた後も点灯しているモニターを一押しして消してからぺたぺたと玄関に向かう。急ぐ相手でもないからゆっくりと。

 

リビングのドアを開けて角を曲がると、勝手に電気をつけられて明るい玄関に人影が二つ。

なにやら一塊になってもぞもぞしている。何やってるんだか。うちの玄関は一般家庭の比ではない広さなんだから、そんなごっちゃにならなくても。

 

「ご機嫌よう!」

 

ご機嫌なのはそっちでしょ、と言いたくなる笑顔で片手をあげて挨拶してくる見慣れた笑顔の女の子。豪華で高価な宝飾品にすら見える金の巻き髪が今日も眩しい。

いや、女の子っていう歳でもないのか。同い年だし。私自分で自分を少女っていうのはもうちょっと抵抗感じるかも。

 

はいはい、おはようと片手をあげると頷いてまた下を見てもぞもぞしだした。どうも靴の紐を緩めようとしているみたいだ。

もう一人はもう片足の靴の紐を緩めてやっていた。

 

ああ、それでそんな塊になってたのね。

 

私が来たのに気が付いて、しゃがみこんでいた女も振り返った。

 

さらりとした長い黒髪が目の前を横切り、一瞬白いうなじや耳が垣間見える感じが色っぽい。

この振り返りで長い髪が揺れるの好きなんだよね。ストレートロングならでは。私の癖毛ではこうはいかない。

私の髪って結んでないと、もさぁって毛先に向かって大爆発するからなあ。空間面積を圧迫する感じ。手を突っ込んでもさもさできる。

 

「おはようございます。突然こんな早朝にお邪魔してすみません」

 

これだよこれ。こういうまっとうな挨拶。これが必要だったんだよ。

 

「おはようございます。こんな朝早くから大変ですね」

 

いいえとにこやかに返しているが、大変でないはずがない。

ご機嫌縦ロールちゃんの専属秘書なんかをやっていると、こんな目にあわされてしまうのだなあ。

社会が起き出すような時間帯に人の家に押しかけるということは、その前から準備がいるのだから。給料は高いとはいえ、仕事でも私はやりたくないな。

私朝早いの嫌い。自然に目が覚める分にはいいんだけどね。起きなきゃ、というのが嫌なのよね。

 

ましてこの黙っていても見た目がうるさい子は、ごく限られた最上層の住人だ。この最下層まで来るには相当かかる。まあ来るだけならしょっちゅう来ているけど、こんな朝早いのは稀だ。

朝早くは移動手段も限られてくる。特に都市の表層からその下層への移動は一定の時間帯以外はやや手間。

 

そんな手間暇かけて何でこんな時間に来たんだろう。

そんな疑問を持ちつつまだもぞもぞしている姿を眺めて待っていると、相変わらずの綺麗で上品な仕立ての服が目に入る。今日は藍色系か。

こうして絶対お高いだろう服を自然と着こなしている姿を見ると、やっぱり上流階級の人間なんだって感じする。けど、これでもおそらく気軽な外出用なんだもんなあ。

何故かいつもよりいくらかランクが上の物に見えるけど、いつものですら私には買う気もならない、見るからに豪華で高価な服にアクセサリーだ。

そういったものを当然に身につける世界の住人なのだ、これでも。いや、逆か。むしろ上流階級だからこんな風に無茶苦茶になってしまったのか。

 

「会いたかったですわ~!」

 

ようやく長い編み上げブーツが脱げて飛びついてくる。

会いたくても会い方があるでしょ、と言ってやりたいけどそこまで正直に言われると無下にもできない。言葉もそうだけど、顔が雄弁すぎる。

スポーツの野外ナイター用の照明張りに光量を放っていそうな笑顔だ。仕方ないので受け止めてあげた。だって翡翠の瞳に星が輝いてるんだよ。

 

ふにょんという弾力が激突の衝撃を緩和する。いいもの食べてるからおっぱい大きいな。

 

何枚かの重ね着の上からでもわかる柔らかさ。私には劣るものの、かなりの質量がお腹辺りにぶつかって来る。

本人の顔は私の自慢のお山に埋もれて出てこない。そこで深呼吸するのはやめなさい。すーはーすーはー深呼吸するものだから、吐息がパジャマの中に入り込んで肌寒い。

臭くはないと思うけど、まだ朝のシャワーしてないしちょっと恥ずかしい。私は朝ごはん先に食べてしまう派なんだよ。シャワーは着替える直前がいい。

 

「ごめんなさい。インターフォンは押したんですけど、待てないと言って勝手に……」

 

簡単にその場面が想像できる。まあ勝手知ったる他人の家だしね。

 

「いいよ。合鍵はあげてるし、システムに登録もしてあるんだから」

 

二人とも物理鍵を渡して、認証登録済み。だからいつでも入ってきてもいいと言えばいい。ただ鍵開けて入ってくるならインターフォン鳴らさないでよ。

それが鳴ったのに勝手にドアが開くから焦ったんだよ。待てないっていうほど待ってないじゃん。ほんの数秒後にはもう開けてたじゃん。

まあね、自分の家だと思っていいよとは言ってあるけどね。二人用の着替えだとか生活用品も一式置いてあるけどね。ただそれにしたって、時間はもう少し考えてほしかった。来るのはわかってたけど、いくらなんでも今とは思わなかったよ。

 

「久しぶりに生身で会えて私も嬉しいよ。ほら、とりあえずあがって」

 

お邪魔します、と軽く頭を下げて上がって来るのに比べてもう一人はというと。

未だに人の胸元に顔を突っ込んで、ふんすふんすと鼻息を鳴らしながら抱き着いている。手足全てを使って完全にぶら下がっていられると邪魔くさい。

この子はさあ……と思いつつも、久しぶりの再会なのは事実だし私も寂しかったのは確か。だから好きなようにさせているとはっと何かに気が付いた様子で顔をあげた。

 

「あなたなんでまだパジャマ着てますの? だらしないですわ!」

 

「は?」

 

 




初投稿の処女(作品)なので、(作者にとって都合の良い)感想や評価があると嬉しいです。


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契約の朝に

同じ日に投稿しているので、実質初投稿です。


「私と同じものでいいでしょ」

 

「うん。こちらから押し掛けたんだし文句ないわ。食べさせてくれるだけ十分。あれ、家事ロボット新型にしたの?」

 

「そうそう。紫たちのところの新型だよ。前のは部屋とかで使うことが多くてさ。リビングとキッチン専用が欲しいなって」

 

「お買い上げありがとうございます。これは自分で作らないんだ? あ、カップはいつものでいい?」

 

「既製品に不満ないからね。カップはいつものでいいよ。違うの使いたいなら使ってもいいけど」

 

「馴染んでるものでいいわ。夢華は自分のカップにこだわりあるし」

 

二人を部屋に挙げた後判明したけど、二人とも朝ごはんもまだだった。

どうも本当に朝一、起きて着替えてすぐ出発だったらしい。紫がこの顔じゃ出られないと訴えたから、洗顔や化粧くらいはさせてもらえたみたいだけど。むしろ軽く顔を洗っただけで出ていこうとする夢華が異常だ。私でも化粧はともかく、最低限スキンケアとかはしたい。

夢華も気にしないわけではないんだけど、その辺大雑把だからね。それでも可愛いという自負からくるものだけど。

 

そのうえでいつもより早起きだったようである。

さっきまで人の家を探索してあれこれ文句つけてた発起人は、人の部屋を漁った後で私のベッドに飛び込んだ。体温が残ってる、とか言いながら、動物みたいにもぞもぞ匂いを嗅ぎまわっていたが今は沈黙している。どうも力尽きたらしい。小さな寝息が枕と顔の隙間から聞こえていた。子供みたいな寝落ちしてるな。

 

まあ大人しくなっている分にはいいか。

 

昨日一般的な動物繊維系のベッドで寝ててよかった。浮遊ベッドの方だと寝かしつけ力が低いから、きっとまだはしゃいでいた。

浮遊の方はあれで重力から開放されるから肩こりや腰痛の時にはいいんだけど、私は重みのある掛布団としっかりしたマットで寝る方が好き。液体式やカプセル型なんかも一通り揃えて気分で寝るベッドを変えているけど、割合は伝統的なベッドが一番多い。

 

とにかく静かになったから良しとして、残りの二人で朝食の準備にかかった。紫もしょっちゅう来てる家なので迷いなく支度してくれるから助かる。

迷いなくというか、食器の類は紫や夢華が選んだものの方が実は多いからね。私はそんなにこだわりないから全部お任せにした。二人は自分が普段使うわけでもないのに、きゃいきゃい騒ぎながら楽しくお買い物してた。今も時折衝動買いした物を置いていく。

 

「フレンチトーストの硬さどうする? スープとサラダの変更は認めないけど」

 

「硬さって何。フレンチトーストって柔らかいものじゃない?」

 

「いや、私はデフォルトより液に浸した柔い状態のが好きなのよ」

 

キッチンマスターは調理の仕上がり具合の調整も可能だ。自分好みに味や触感、温度などの要素を調整し登録することで、いつでも自分の好きな味が楽しめる。私はフレンチトーストはやわやわのひたひた、といった感じが好きなのでそう調整しているけど、しっかりしている方が好きという人もいるだろう。

本土に行った際に国を代表するらしい、えらく立派なホテルでもてなしを受けた時に出たのは表面がカリカリだった。まさにトースト。

でも中身はふんわり柔らかで、さすがに国賓へのおもてなしとかするシェフは違うと思わされた。普通のとは違う、なんかお上品で巧みな技を感じさせる一品だった。

今でも味を細部まで思い出せる。あのパリッとした外を嚙み破った後の、とろりとこぼれ出る中身の甘さときたら素晴らしい味だった。

 

でも普段食べるなら、表面まで柔らかいのがいいんです。誰だってそうでしょ。ごちそうはごちそうの時だけでいい。普段には普段の味があるっていうか。

基本的に、パンを牛乳に浸したり水で蒸したりとふやかす系統の食べ方が好きなのよ。水で少し蒸しただけのパンとかも好き。それだけでも甘みが増して、柔らかでおいしい。

 

なので私のは柔らかくするけど一流ホテルはカリカリにするように、人には好みがあるからね。そのくらいならさほどの手間でもないし、聞いておこうというわけ。

でもスープとサラダの変更は違う材料を使うっていう話になるから、面倒なので許可しない。できないわけではないけど、好きなの食べたきゃ家に帰って食べてねって話だ。

それか自分でセットするか。フードカートリッジを使ったサラダでいいなら変更してもいいけど、私今それほどカートリッジの備蓄がないからやっぱりダメ。

 

「あー……私は硬めかな。夢華はたぶん柔らかいのだと思う」

 

違っても寝ている方が悪いからね。設定を入力して調理開始を押す。軽やかな音を立てて入力が完了する。

 

ようやく押せたよ。この音を聞くまでが今日はやたら長かったなあ。

 

「私がテーブルの準備しておくから、夢華を起こしてきて」

 

「はいはい。あ、見たかったらテレビでもネットでも見てていいよ」

 

私はあまりテレビ見ないけど、いつでもなんかやっているからBGM代わりに時々つけている。何故か背景に音が欲しい気分になった時には便利だ。

テーブルセッティングは紫と家事ロボットに任せて、私はお子様の相手をしに向かう。

暗い廊下を歩いていくと低い空調の音の中に、かすかな呼吸音が聞こえる。どうもまだ寝てるらしい。結構しっかり寝てるな。

 

スライドしたままの部屋のドアから、私の特製ベッドの上にうつ伏せで転がっているものが目に入る。ベッドの脇まで近づくと寝息がはっきりと聞こえる。小さい体に似合わぬ巨砲が思い切りつぶれているけど、苦しくないのだろうか。

私はうつぶせで寝ると結構苦しい。あと胸の形が崩れるからしないよう気を付けてる。

 

「おーい起きろー」

 

軽く声をかけて揺さぶってやる。が、ダメ。まるで反応しない。

これ完全にガチ寝じゃない。そんなぐっすり寝るくらいに早起きして突撃する必要あった?

さっさと起きろとは思うけど、ずいぶん気持ちよさそうに寝ている。手荒なのはちょっとためらわれるなあ。かといって寝かしておいてやる気はない。

 

さあどうしようか。

 

お、いいものあるじゃん。これでいこう。

 

「むえぇぇぇぇぇええええ」

 

私がちょっと操作すると、違和感が強すぎたのか夢華はすぐに起き出した。

 

「何するんですのぉぉおおおおぉぉおおお」

 

声が波打っている。というより全身が波打っている。正しくはその下のベッドが波打っている。

ベッドについているマッサージ機能だ。だいぶ強めにしてやったから、かなりの勢いで下から押し上げられ、揉み解されたことだろう。背中にならともかく、正面うつぶせからでは気持ちよくないだろうね。揉み玉が夢華のふにゃっとした腹にボディーブローを喰らわせているみたい。

 

「起きなさい。朝食も抜かして来たあなたの分もご飯用意したんだから」

 

「え、ご飯があるんで……これは何か甘くていいものですわね!」

 

「いい鼻してるねえ」

 

起きたと思えばすぐに匂いを嗅ぎつけたらしい。さっさと起き上がって走っていった。うーんこの幼児。

あ、枕によだれついてる。髪も落ちてるし。枕は後で洗濯物置き場に放り込んでおこう。

 

まったく、これで本当に私たちと同い年なんだろうか。背も低いし実は詐称なのでは?

 

 

 

 

「まあそれは絶対無理なんだけどさ」

 

「ん? 何が?」

 

「いや夢華がさ、実は歳をごまかしてるんじゃないかなって」

 

「お、喧嘩の時間ですの?」

 

「落ち着きなさいよ。実は年上かもってことかもよ」

 

「あ、そうですわね。むしろそちらですわよね」

 

「いや下だけど?」

 

「は?」

 

あの行動とその見た目で年上は無理でしょ。自分のさっきまでの行動を振り返ってからものを言ってほしいね。

 

三人揃ったところでいただきますをして、ようやく朝食にありついた。

寝起きからここまでだいぶ長かった気がする。朝にイベントを詰め込みすぎでしょ。

 

「むぐっ……んっ、誰がこれからあなたにお給料を出すと思ってますの?」

 

たっぷりのメープルシロップをかけたフレンチトーストを頬張り、噛み千切りながらの夢華の発言である。ナイフもあるんだし細かく切って食べればいいのに、そうしないから口元はもうシロップでドロドロだ。

信じられないだろうけど、これ最上層に住むおそらくこの都市一のお嬢様なんですよ。普通に一般都立の小学校に通ってたけどね。おかげで私たちは出会えたわけだけど。

 

ただ、正直気持ちはわかる。細かく切って上品に口に運ぶのもいい。でも直接かぶりつく喜びってあるよね。ステーキとかもそうしたくなる。

 

まあそれはいいとして。

 

「私まだ詳しい説明受けてないんだけど、やっぱりあなたが今回の依頼者?」

 

「あ、そうです。こちらの南城院夢華さんがこの度我が社で新たな部を立ち上げることとなりまして、そのメンバーとしてあなたの出向を小倉社長に依頼しました」

 

「いきなり仕事モードに切り替えるのやめてくださいます?」

 

他人事みたいな顔で苺ジャムの瓶に手を伸ばすな。メープルの上にさらに苺ジャムって。もう何食べてるのかわからないのでは。私もフレンチトーストにジャム乗せるの好きだけどさ。

だから食卓に並んでるわけだし。ただし苺ジャムについては絶対大きい粒、というか果実を残したものがいい。つぶつぶだけで実がないやつって食べ応えがないと思う。

ペーストしかないやつとか、実があっても小さいのは好きじゃないな。

 

「詳しい就業形態だとかについては、今データで送りますね」

 

紫が手を拭いて端末を操作する。今のうちに私もジャムつけちゃおう。

このジャムの中の果実を、切り分けたフレンチトースト一欠けらにつき一個乗せるのが私流。

糖分の取りすぎ?でも今はそんなこと重要じゃないから。女の子の構成物質の一つは甘いものなの。栄養が足りても甘味が足りなきゃ生きていけないのだ。

人はパンのみにて生きるにあらず。バターかジャムもセットでつけるべし。両方あるとなお良し。

 

紫がまとめたデータを指で弾いて送ってくる。端末で受け止めてざっと目を通す。

 

ほーん。

 

まあ、こんなものかな。

 

さすがに小学校からの付き合いだけあって、私が嫌な思いをしないようにという配慮を全体に感じる。ありがたいなあ。自分をわかってもらえるっていうのは嬉しいよね。こんな堅苦しい契約用の文章なのに、なんか胸がじんわりしてくる。

 

だけど、だからこそわからないんだよねえ。

 

「どうですの? 一般の契約とはだいぶ違いようですけれど、あなたに合うように整えたつもりですわ。紫が」

 

知ってる。

 

「うん。さすがだね。私の扱いを心得てるっていうか、色々変則的にして、気を使ってくれてるのわかるよ。嬉しい」

 

「それはもう。あなたが嫌な普通の契約なら、相手が私でも契約してくれないでしょう?」

 

「しない」

 

冷たく聞こえるかもしれないけど、嫌なものは嫌だからね。仕方ない。

まあそんなことわかってるだろうし、その上でそれを要求してくるということは何かあるんだろうとは考えるけど。その場合によっては、流儀を曲げることもあるかもしれない、二人の為なら。

 

「知ってた」

 

「そもそも制御不能な核弾頭……いえ、終末兵器ですわね。そんなものを縛るなんて無茶だと私でもわかりますわ」

 

「そんなもの」

 

そんなものて。

朝一に押しかけて飯をたかる人に制御不能呼ばわりはされたくない。それに終末兵器は言いすぎでしょ。別に世界滅ぼしたりしないよ。必要も意味もないもん。

 

経済はちょっと大変なことになったらしいけど、売り買いしてるのは私じゃない。私は発明品を持ち込んだだけ。その売買を取り扱ったのは別人。だから私の責任ではない。はい証明終了。

 

スープのお代わりはないよ。飲みすぎでしょ。お腹たぷんたぷんになっちゃうよ。

 

「で、どうでしょう。あなたを連れ込むためにだいぶ法律や規則を漁りましたけど、実りはあります? いいお返事を期待していますけれど」

 

「連れ込むってなんかいやらしいですわね」

 

「わかる。……まあこれならいいかな。いいよ、この条件でサインする」

 

なんか余計な茶々が入ったけど、内容的に不満はない。端末内のヴィクトリアにも確認してもらったけど、法的に不利な事が隠してあるなんてこともない真っ当な契約みたいだ。

私が大嫌いな定時出社とか懇親会的なものへの参加もなし。給料も相場がわからないけど、今の職場よりやや高い。今の職場の給料に不満はないけど、今の職場より面倒くさい仕事の分高くもらってもいいだろう。

 

ただ、よかったとほっとした様子でカフェオレを味わっている紫には悪いんだけど、引っかかることがあるんだよね。

あと夢華は我関せずでヨーグルトをジャムのヨーグルトかけにするのをやめなさい。

 

「でもわからないことがあってさ」

 

「なに?」

 

「いや、理由がね」

 

「理由? あなたに頼む理由はデータに添付したと思うけど」

 

書いてはある。ただ内容に納得がいかないだけだ。相手が私でなければ問題ないし、私にとっても相手が二人でなければ問題はない。でも私たちの関係を踏まえると、やや疑問が残るところが。

 

一息にカフェオレを飲み干す。端末をタッチし、画面を空間に広げる。

 

「情報を整理しよう」

 

「はい」

 

「まず、この間の日天堂との合同の仕事はいい出来だったよね」

 

「ええ。あなたに頼んでよかった。向こうの予想を上回る出来だったわ」

 

「走り高跳びのハードルを用意したら、宇宙まで飛ばれたくらいの気持ちだったと思いますけれど。流石でしたわ」

 

「そしてその結果、夢華の所がゲームもすごいぞと期待されている」

 

「もともとゲームとは関係ない企業が開発に関わる、というだけで話題になりますわ。そのうえで出来た物があれでしたから……」

 

「あれって何さ。いい出来だったじゃない。私的には自信作だけど」

 

「でしょうね。自信作すぎて、ゲーム本体もゲーム機も両方話題になっちゃって」

 

「ですがいい機会だと思いましたの」

 

「なんの?」

 

「会社の革新というか、新しい風を入れるのによ。以前から組織の長の一族として、何となく組織や人の硬直を感じてたみたいで」

 

そうでしょ、と問いかける紫の視線を余所に、カフェオレ一杯の後でさらに牛乳を飲んでる夢華の姿はまさに子供。大き目のカップを両手で持つし。

というか茶々はいれるのに大事な所は答えないのか。

 

「これおいしいですわね。タワーのものですの?」

 

「さすが。舌が肥えてる。そうそう第三タワーの夜しぼり直送のやつ」

 

「道理で。あなたってそんなに食事に凝ってたっけ。サラダとかの野菜もタワーの日光栽培のでしょう?」

 

こちらも舌が肥えてるねえ。まあ夢華のお付き兼専属秘書として、普段の食事や会食も一緒にしてるんだから当然か。

よく考えたら仕事もプライベートも常に一緒ってすごいな。しかも同じベッドで寝る日もあるとか、ちょっと私にはわからない世界だ。一緒にお風呂入って同じベッドで寝るくらい私もやるけどさ。流石に毎日はどうかなあ。

 

「ちょっと先日タワーの人と縁があってさ。割引してくれるっていうから定期購入してみたの。で、どうなの?」

 

「美味しいですわよ」

 

「いや、そうじゃなくて」

 

いや実際美味しいけどね。食事にそこまでのこだわりはないから、今までは多少味は劣るけどカートリッジとかでいいかなと思って生きてきた。本当においしく優れた料理の味を知った後では、そこに至らない料理はまずすぎなければ後は同じように感じてしまってついつい。かと言って毎食ごとに美食を再現するのもね。

今時は結構保存食や合成食品でもそれなりにはなるし、ジャンクな味だとジャンルが違うからあれはあれで美味しいと思えるんだよ。まずいからうまい的な感じで。

 

けどこうして素材だけでもちゃんと美味しい物を使うと、料理って違うものだね。カートリッジも普通においしく感じるようにできているけど、一定品質の域は超えないもの。

 

「あ、はい……。紫の言葉に間違いはありませんわ。四季のおかげで振れ幅はありますけれど、根本的に我が社は少々体が重く動きが鈍い気がいたしますの」

 

「重い体……余分な重さ……うっ」

 

なんかダメージ受けてる人がいますね……。別に太ってるようには見えないけど。

 

むしろ紫のスレンダーな体は、薄着したり水着着るとその曲線美がくっきりでうらやましい。華奢で儚く、でも細いだけじゃない女性特有の柔らかさを感じさせる、みたいな。なんかエッチじゃない美しさというか、触りたいような触れないような神秘的な美がある気がする。細いながら滑らかで、柔らかい女性特有の素敵な曲線だ。

 

私は職業柄どうしても筋肉がついてマッシブな感じになっちゃってるからなあ。腕とか出してると、なんかスポーツやってるんですか、とか聞かれちゃうことある。仕事で重量挙げとかしているようなものだから仕方ないけどさ。

 

「そこのぷにぷにお腹の子みたいに、立場が安定したせいで組織全体の動きが硬直して、構成人員の質も低下しつつあるのです」

 

「あばっ」

 

ああ、お腹回りがぷにってきたのね。スカートを止める位置が変わったりしたかな。後でこっそり測ってやろ。

 

「夢華の言いたいことなんとなくわかるよ。うちの社長からも似たような話聞いたし」

 

私は商業や組織論には何の興味もないけど、組織にせよ人にせよ大きくなるのはいいことばかりではないよね。

 

川の水と池の水みたいに、安定というのはある種の停滞でもある。止まれば清水も濁りに代わるのが自然の節理。

 

そのことに気が付くのって、その水の中にいると難しいもの、らしい。

 

何かの開発に熱中していて気が付くと当初の予定とはまるで違うものになっていることがたまにあるけど、あの熱中の最中に違和感に気づくようなものかな。そんな難しいことにこそ気が付かないといけないんだから、経営者っていうのは誰でも色々大変そう。私は絶対やりたくない。

 

同い年か疑いたくなる時も多いけど、ちゃんとしてると夢華はすごいよ。

やっぱりそういう上に立つ者としての教育を、生まれついてずっと受けてきただけのことはある。

 

「以前の日天堂さんとの仕事を通して、多くの面で差を痛感しましたわ。心底恥ずかしく思いました。知らずの内に、驕っていたのでしょう」

 

比べる相手が悪い気もするけどね。日天堂ってゲームそんなにしない私でも一般常識として知ってるもの。日本どころか世界でも常識レベルで知られてるゲームメーカーだよ。

今でいう間接型ゲーム機の誕生期からゲームを出し続け、娯楽が圧倒的進化を遂げた今でも最先端とかはっきり言って異常。

 

そこと比べるとさすがに夢華の所でも見劣りするだろう。

歴史と経歴に差がありすぎるわ。むしろそこを相手にそういう感想なあたり、上を見てるなあ。あるいはそれが驕りなのか。

 

「あそこがおかしい気もするけどね。大企業の癖にフットワーク軽すぎでしょ。いきなり社長通して連絡きた時には、流石にびっくりしたよ」

 

「え、いつ来たの。聞いてない。引き抜き? 受けてないわよね?」

 

うわっ紫の食いつきがすごい。

 

「別に話すことじゃないし……。当然、お断りしたよ。興味ないし」

 

「あ、そう……。ふーん……」

 

なんか含みある態度だな。なんか考え事し出したし。

私にはわからないけど、さっきのことみたいに経営側には色々あるんだろう。

 

実際私への誘い文句や契約内容は、普通のじゃ絶対ありえない内容だった。私だって一般的な雇用契約くらいは知ってるからね。あれは裏でだいぶ私について調べたんだろうな。いいなと思ったら即座に調べて、柔軟に非常識な内容の契約まで準備して即勧誘。あの動きの速さは流石だわ。組織としての能力の高さはすごい感じた。だからと言ってあそこで働くことは、現状では絶対にないので諦めてほしい。

 

待遇には相談の余地があったみたいだけど、私お金には困ってないし。あなたたちに興味ないからさ。深入りして不幸になる前に辞めて頂戴ね。

 

「コーヒーのお替りいる?」

 

「私にも下さる? 砂糖も。はい、ありがとう。……でもね、お陰様で目指すべき明日を見つけた気がするんですの。私のやるべきことを」

 

いい顔してる。背は低いし顔は童顔だし行動も子供なんだけど、こういう所かっこいいんなあ。

 

素敵。

 

でもなんか誇らしげに話し切ったところで悪いけど、私の疑問はまだ解消されないのだろうか。

 

「それで?」

 

「はい、なんですの?」

 

「それって私を雇う理由にはならないよね?」

 

友達にいい変化があったのはいいことなんだけどね。それはそれ、これはこれだから。

 

「ああ、そういえばそんな話でしたわね」

 

やっぱ幼児だわ。カフェオレも砂糖味の牛乳、コーヒー添えみたいになってるし。角砂糖だと入れやすいからつい数入れるっていうのはわかるけど。

私も以前は砂糖入れてたけど、今はミルクとコーヒーの入れる順番や量の調整で好みの味にできたからいれてない。でも久しぶりに入れようかな。見てたらなんか甘くしたの飲みたくなってきた。

 

「二度と物忘れしない体にしてあげよっか?」

 

「やめてくださいませ! ……しませんわよね?」

 

「しないよ」

 

してって言われない分にはね。

 

「あなたが言うと洒落にならないのよね」

 

人を何だと思ってるんだ。人畜無害の天才美人発明家やぞ。

 

「そんな気軽に人体改造しないよ。それに私そういうことは他人にやらせる主義だから」

 

「ヒェッ」

 

金と権力と人員と場所と道具に被検体の確保等々、人体実験をするにはするだけの手間がかかっちゃうんだよなあ。したくないわけじゃないけどその手間を思えば、できる人にぶん投げた方が楽なんだよね。現状は人体組成とか反応のデータからシミュレーションするだけで十分だし。

 

どうしても実際に検証したくなったら、論文とかを知り合いに投げておけば後は向こうがやってくれる。そういった事情を踏まえると、国や大企業のお墨付きで専門チームとか組んでやってくれる方が結局効率がいい。

 

「できないとは言わないのが怖いんだけど」

 

「できるよ?」

 

完璧に物忘れを防げるかっていうと微妙だけど。物忘れって記憶だけじゃなくて、意識とか注意の問題もあるからね。記憶はしてても意識が余所に向いていて、そのことに意識が向かなければいわゆる忘れてた、という状態にはなる。

 

一時的に記憶力を高め、その間に覚えたことならかなり長く記憶を保持できるようにするとかならできる。映像記憶能力を一時的に与えたりとかね。テスト期間に限り、教科書を眺めれば全部暗記できる程度の能力なら難しくない。

 

完全に改造していいなら、一生完全記憶のままにもできる。しかも都合よく嫌な記憶とかは忘れられるようにもできる。これはサンプルや観測データがたっぷりあるからむしろやりやすいかもしれない。したことないから実際どうかは知らんけど。

 

「あ、うん……。私たちは何も聞かなかったから」

 

そんな怖い話を聞いたような態度しないでよ。

今時そこまでじゃないけど、記憶力をあげる薬くらい市販してるじゃない。脳の働きを高める薬とかさ。この辺りは結構悪くない。すごい効果があるわけじゃないけど、依存性とか副作用もだいぶ低い。気軽でお手軽だ。試験前によく売れる。

 

ヘッドセットを通じて電気刺激で脳を活性化、とかいうしょぼい機械も売ってる。

効果があるのは確かだけど、実感するほど効くかなあの程度で。なんであんなに粗悪な物を市販してるんだろう。

 

まあ人権がーとか、人体への危険がーとかうるさいのが騒いだせいだろうけど。その手の妨害がなければもう少しマシな性能の物が販売されてたと思うともったいないね。

 

「えーっと……それでですね、先ほどの言ったとおり私には目指すところができましたの」

 

「うん。よかったねえ」

 

「ありがとう。そこで今回、外部への広報や新しい分野の人員の獲得、組織内部への刺激等を目的としてゲーム事業部の立ち上げに至りましたの」

 

胸を張って自慢気な夢華。

 

「うん。それで?」

 

「え?」

 

「いや、それはゲーム事業部の話でしょ。私を雇う根本的な理由にはならないよね?」

 

「ああ、その、それは……事業のトップは私ですの。ならばトップとして事業成功のために最高のメンバーを集めるのもの仕事の内ですわ」

 

「それで私と。でもそれなら前と同じでいいでしょ、出向とかしなくてもさ。委託や外部協力者としてで」

 

今までもずっとそうだったんだから。

出向なんて形で身柄が一時的にでも夢華の会社に移ったことはこれまで一度もなかったし、それを要求されることもなかったのに。

 

「……ぐぅ」

 

ありゃ。文字通りのぐうの音が。

 

「ちょっと。その辺で勘弁してあげて」

 

「別にいじめてるわけじゃないんだけどなあ」

 

いや本当に。そんなふくれっ面されてもなあ。困ってるのは私なんだけど。

いい年してむくれているのに可愛いのずるくない?そうやって甘えられると甘やかしちゃうのが私なんで、やめてくれないかな。卑怯だぞ。

 

「そうなんだけどね。あなたの意図はわかるわよ? こんな手間をかけて無理に出向にしなくてもいいのにっていうのは」

 

「うん。だから引っかかってるの。今までこんなこと一度もなかったしさ」

 

なんかあったのか、あるいはこれからあるのかなあって。ほら、ねえ。思うじゃない。

 

私はこれまでもちょろちょろと発明しては、夢華の所に押し付けて発売してもらってる。逆に夢華に頼まれて意見を出したり、興味が出てきたら自分で開発設計して押し付けたりもしてきた。

問題はあるやり方なんだろうけど、互いにこれで長年うまく回ってる。それを崩すほどの何かがあったのかなって。

 

「でもこれまでのやり方ではあなたはあくまで外部の、余所の人でしょう?」

 

「それじゃダメなほどの理由なの?」

 

「こういう言い方で察して欲しいけど……無理か」

 

「そういう察して文化、私きらーい」

 

あるいは空気を読むとか。わかってほしいことこそ言わなきゃダメでしょ。言いにくいのはわかるけど。

 

仕方ない。模範を示さなきゃダメかな、ここは。

 

「……あのさ、ようは心配なの。何かあるから、急に出向だとか言い出したんじゃないのかなって。言ってくれたら絶対力になるよ。私たち、親友でしょ」

 

つまりそういうことなんだよ。今までなかったことだから不安なんだ。いや、そこまで深刻に悪いことや不安に思うようなことがないっていうのは感じとっているんだけどさ。

 

私は二人やその周辺の人間関係については当然常に監視しているけど、それによると何か良くないことがあったという報告や印象はない。それに夢華たちから受ける感情にも悪いものはないから、本気で心配しないといけない様な何かはなさそうだとも思う。

 

夢華から感じる一番の色は羞恥だし、紫は楽、つまりそんな夢華を見て楽しんでいる様子だ。割とお気楽そう。

 

でもね、それでも二人は私にはわからないこと、色々あるんだろうから。

夢華は最上層の生まれついてのお嬢様で、この都市を実質支配している家の跡継ぎ。

紫はそんな立場を心配して、単純な興味もあったらしいけど、その使用人兼秘書になって公私ともに支えてる。根本的に世話焼きだしね。夢華がいなかったらダメ男に捕まるタイプだよ。あの人には私がいなきゃ、みたいな。いや夢華じゃなかったら私が対象だったかも。

 

一方私は最下層の工場で、毎日機械修理や製作。夢華たちが今も着てる様な高価で綺麗な服なんかほぼ持ってない。まったくではないけどね。どうしても出てくれって頼まれることもあるから。集会とかパーティーとか。

 

でも基本はもっぱら一日中作業着で、汗と煤と油にまみれてる。別にそのことに不満はない。私この仕事大好きだしね。朝から晩まで機械いじりしてよくて、しかもそれでお金が出るとか最高かな。最高だわ。だから転職も引き抜きもお断りしてる。地位を得たり名声を得ることもだ。

 

ただ、だからこそだ。住んでる世界が文字通り天と地の差があって、おまけに私は人の心とか機微には疎いから。わかろうとも別段してこなかった。二人以外には。

 

でもこの二人は特別だから。

 

「だから、ちゃんと言ってくれたらなって」

 

どうだ。模範として、はっきり言ってやったぞ。あなたたちが心配なんですって。こういうことはやっぱりちゃんと伝えるに限るね。

質問の意図がわからないから答えてもらえなかったのかも。

 

言うだけ言って黙っていると、紫がはあっとため息をついた。人がいい感じのこと言った後にそれはひどくない?

 

「なるほどね。確かにいきなりだったから、私たち、というか夢華に何か不都合なことがあったのかと思われたのか。実際そういう世界だしね」

 

「んん?」

 

あれ、やっぱり心配しすぎだったかな。

 

「ごめん、心配するような事情はないのよ。でも私たちのこと心配してくれたのね、ありがとう」

 

「当たり前でしょ」

 

むしろ心配しないと思われてたんだろうか。どれだけ薄情だ。

確かに私は人付き合い嫌いだけど、そんな私にとっても二人は特別なんだけどなあ。伝わってなかったのかな。

 

「二人のこと、愛してるからね」

 

「あ、ありがとう」

 

「うぐっ」

 

伝わってないのなら、これもはっきり伝えようと思っただけなのに。なんで胸を押さえてダメージ受けてるの夢華。

 

紫みたいに軽く流した風を装いつつ、顔の赤みが隠せないで落ち着かないから空のカップで飲んでるふりでもしなよ。動揺を隠しきれないのは未熟なのかもしれないけど、だがそれがいい。

 

「……ふぅ。ねえ夢華。ここまで言われたんだから、ちゃんとあなたも言いなさいよ」

 

「そうだよ」

 

「むむむ……」

 

別に心配するようなことじゃないなら教えてくれればいいのに。何をそんなに躊躇うんだろう。

私の不思議そうな顔に気が付いたのか、夢華がジト目で睨みつけてくる。

何故だ。

 

「……私のこと愛してくださっているのに、私の気持ちはわからないんですの?」

 

「わからん。全然わからん」

 

わからないから訊いてるんだよなあ。愛はテレパシーを授けてはくれないんだ。いや気持ちはね、わかるんだよ。強い羞恥、悔しさ、喜び、そんな感じの思念だ。

でもどういう意図か、何を考えているのかっていう具体的なところまではまだわからない。

この辺はあれだよね、大切に思っても大切にできるのとは別物ってことなんだよ。感情が読めても意思が読めないと、何をしてほしいのか悟るのは難しい。

 

あ、でもそうだわ。

 

「ごめん。やっぱりわかるかもしれない。ちょっと待ってて」

 

「待っててと言われましても。なんで席を立つんですの」

 

逃げようとしているとでも思ったんだろうか。夢華がむっとしているけど、もちろん私にも正当な言い分がある。まだパジャマのままで、通常装備をしてないから忘れてたものがあるのよ。

 

「いや以前の好感度が見える眼鏡をアップデートしてさ。相手の心を読める機能も付けてみたのよ。それとって来る」

 

厳密には心が読めるわけではないし、まだいわゆるテレパシー、心の内容を伝達することは難しいけれどね。使っていくうちにデータもたまるし、ゆくゆくはテレパシーの再現をしてみたいよね。理論と感覚的には手が届きそうなんだけど、指先くらいしか掛かってないから登れないんだよ。

 

お互いの頭を繋いだり相手の頭を一方的に覗くならなんとかできるんだけど、そこから先にどうにも進めてない。私にしては結構足踏み状態だ。

それでもいつもより踏み込んだ性能に仕上がったから、素の私よりは夢華の心をわかってあげられるかも。いやどうだろう、意識を集中した方がまだ上かな。

 

「」

 

「ちょ、ちょっと待ってくださいまし! 今恐ろしいことが耳を通り抜けた気がするのですが……」

 

そんなテーブルに身を乗り出す勢いで言わなくても。待てっていうなら待つよ。なんか紫は機能停止してるし。というか通り抜けたらだめじゃない。ちゃんと聞いてよ。

 

「別に怖いことないでしょ。気持ちをわかってほしいっていうから、わかる道具作ったし持ってこようかなって」

 

「わ、わかる道具ってなんなんですの……?」

 

「前に作った好感度がわかる眼鏡の改良版だって。あれ結局販売するのに結構手直ししたからさ」

 

どうせならもっと色々わかるようにしようかなって。販売後の使用データもだいぶ増えたし。

やっぱり多種多様なデータが改善の糧だよ。実際にたくさんの人や現場で使用されることで、実用における問題点や改善点なんかが見えてくるからね。

 

「もちろんこの改良版も夢華の所で販売していいよ。前のもまあまあ売れたみたいだけど、今度はもっといけると思うな」

 

以前よりキャッチできる思念の幅を広く取ったし、解析能力も元データの量や単純にプロセッサの性能が増強されたことで上がった。さらに装着者や相手の感情や行動、声や体温などの複合的な観測結果も参照して、より個別的な感情判断ができるのだ。

 

また家族と他人とでは装着者に向ける意識にも差が出る。そういった人間関係なども加味できるようにしてみた。今のところ、なかなかの出来と感じている一品だ。

 

あれ、でもさっきのことを考えたら違うな。

 

「ごめん。でもこれじゃダメだね」

 

感情がわかっても、意図はわからないんだった。考えを理解してほしいと夢華は思っているんだろうけど、あの装置では心の声は流石にわからない。どんなふうに思っているか、どんな気分か。そこから複数の要素を加味して、思考を予測する。それが精一杯だ。脳波も覗いているから、そう大きく外れはしないんだけど当たりもしない。

 

心の声、つまり思考していることを完璧に読み取るのはまだ無理かな。専用の機械を互いに装着してシンクロを行うという手もなくは……いやなしだわ。私はいけるけど夢華は危険だし、今そこまですることでもない。今現在の私の技術ではやっぱりそこまでが限界だな、悔しいけど。

 

しかしそうなるとお手上げだ。

 

「そ、そうですわね……ざ、残念ですけど!」

 

「うん。だから直接言ってほしいな。どうして私を呼ぶのか」

 

「」

 

俯いて黙ってちゃわからないよ。紫はなんかぶつぶつ言ってるから助けてくれないぞ。

そういえば紫がかけてる眼鏡型サイバーグラスには、好感度測定機能はつけてなかったな。

お洒落で邪魔にならないようにっていうから、細めのフレーム眼鏡に近い形状にしてあげたんだけど、そのせいでいくつかの機能は省かざるを得なかった。

 

当時の私の技術と頭脳の限界だ。悔しいです……腕が未熟だから。

 

いい機会だし後でアップデートしてあげよう。そうしよう。今の私ならもっと多機能でよりよい着用感のある、さらにお洒落なデザインにもできるはず。

あと、人とたくさん会う紫ならいいデータ取れそう。

 

と、夢華の顔が上がった。これは決意した顔だ。口がふむってしてる。

 

「ああぁ……もう! そんなこともわからないんですの! 私のことなんか何にもわからないんですのね!」

 

「えぇ……」

 

と思ったら逆切れだったかあ。そんなに涙が浮くほど怒らなくてもいいでしょ。顔も真っ赤だし。台詞が面倒くさい女の見本みたいだよ。

あああ、と謎の叫び声を上げ夢華が両手を頭上で振り回す。危ないからやめなさい。ああ、紫の頭にとばっちりが。

 

「そんなガーって怒られても……」

 

「いいですか、私が面倒な手続きを踏んであなたを手に入れたのはねえ!」

 

手に入れた?

 

「そんなものあなた……その、ああ……あなたと一緒にいたいからに決まってるでしょう!」

 

えっ、それだけっていうかさらっと手に入れるとか言ってるけど出向だから。しいて言うなら借りただけでしょうが。

 

勢い付けすぎて肩で息してるし。大丈夫かな水飲む?

 

「いただきますわ。……この事業は私が初めて立ち上げた、私だけの事業ですわ。そこにあなたも、外部の協力者じゃなくて仲間として、一緒にいてほしい。一緒に力を合わせて、乗り越えたい。もちろんこんなことしなくてもあなたは協力してくれるでしょうけど、そうではなくて、ただあなたに傍にいてほしい…‥。結局のところ、本音はそれだけですわ」

 

「そっか、嬉しいよ」

 

「えっ?」

 

「えっ?」

 

何がえっ、だ。夢華が目も口も顔の筋肉まで広げたおまぬけ顔でこっちを見つめている。

なんて顔してるんだ、お嬢様なのに、美人なのに……。でもこれはこれで可愛いから良し。

 

「いえ、その……いいんですの?」

 

「いいって何が?」

 

「」

 

ああっ、夢華の顔が!

 

顔がなんというか、二度寝して起きたら休日が終わってた時のような虚無感を感じさせる顔に。

 

何を心配してたんだろう。契約のことなら、するって先に言ったのに。ただ理由が聞きたかっただけだよ。言い渋るから話が長引いただけで。

というか渋るような内容でもなかったよね。なんでそんなに頑なになってたんだろう。

私は夢華を愛してるって言ったのに、一緒にいたいと言ったら断られるとでも思ってたんだろうか。むしろすごい嬉しいんだけどな。

 

ああ、でも今もますます強くなっている思念の感じからすると、正直に一緒にいてと言うのが恥ずかしかったのか。

 

え、今更か。

 

何年の付き合いだと思ってるの。しかも私の家の合鍵は持ってるわ、一緒にお風呂入るし寝るし会えない日でも連絡は欠かさない程度にはべったりじゃない。それで今更一緒にいてというのが恥ずかしいとか、何なんだろう。一緒にいすぎて改まって言うのが恥ずかしいのかな。

 

「ぅぅぅ~……」

 

そんな不満げに唸られても困る。紫はもう端末まで開いてなんか別のことしてるしさ。

 

「紫、知らない顔してないで。ほら、契約書。署名とか諸々済ませたから」

 

どうしようもないのでいったん放置して、契約書に必要事項をヴィクトリアが入力、確認して紫の端末に送り返す。紫が受け取って確認している間に、こちらは食器をまとめて家事ロボットの回収トレイに乗せておく。

 

食卓を拭いて布巾と食器の洗浄、乾燥、収納を指示してロボットを送り出した。丸っこい卵型ボディが滑らかに台所へ消えていく。流石に最新型だけあって、動作の一つ一つが部屋のやつより洗練されている。前のはちょっと不格好なところあったからね。関節周りの構造が悪かったからだろう。

それが可愛いとか味があるとかで、あえて旧式のままの人もいるらしいけど。能力差はそれほどでもないから好みだね。

 

「夢華もそんなむくれてないで」

 

わざわざ膨らませているのだから、つまんでフニフニしてあげよう。

頬っぺたもっちもちだぁ。あー触ってて気持ちいい。赤ちゃんみたいなツル肌にもちもちの掴み心地がいい。私の化粧品とか美容器具の効果がよく出てる。

 

開発した美容関係の物は全て使ってくれているみたいだし、実質この体や肌は私が育てた。

もはや私のものと言っても過言ではないのでは?

 

「紫、どう。不備とかあった? ざっと目は通したけどこういう契約書って入力箇所が多くて」

 

「うん、大丈夫ばっちり。無事に契約完了しました。明日からよろしくね」

 

契約完了の文字が紫の端末上に浮かぶ。数秒で消えたそれを見てると、ああ本当に契約したのかという気になる。後悔ではない。けどこれからしばらくは未知の暮らしになりそうだと思うと、ちょっとわくわくするね。

 

「はーい。じゃあ今日はこれで解散?」

 

「私たち今日は泊っていきますわ! 明日は一緒に職場に初出勤しましょうね、ね!」

 

夢華が椅子から飛び降りて、突撃してくる。

しょうがないなぁ。こうやって見つめられると勝てないんだよなー。

長年の付き合いのせいで、おねだりの仕方を完全に覚えられてるもんね。同い年のはずなんだけど、私も甘いなー。

この子は年々幼くなっている気すらする。甘やかすせいだと言われればそうなんだけど。人生の大半を三人一緒に過ごしていて、そのうち二人がいつも甘やかしているからね。

 

「んー……まあいいけど。そういえば今日は何乗って来たの?」

 

「今日は上層まで家のエレベーターで送っていただいて、そこから表層までは飛行バス。表層から最下層は無人タクシーで来たわ。あと階層エレベーター」

 

「そりゃまた乗り継ぎだらけで面倒だったね」

 

紫がでかいため息をつく。中央大エレベーターが閉まっていていっぺんに最下層まで来られなかったらしい。あれは朝や夜の人通りが減る時間帯には閉まるから仕方ない。

そのせいで普段来るより大回りした形なぶん、ストレスたまったのかな。もっと楽に来れるの知っていると、遠回りさせられてストレス感じるのわかる。

 

「本当よ。あんな早く出なかったら、中央エレベーターと無人タクシーで済んだんだけどね」

 

「うっ、ごめんなさい」

 

「いいわよ。わかってて私も止めなかったんだし」

 

「でも楽しめましたわ!」

 

夢華は町中をそんなに細かく乗り換えて移動すること滅多にないもんね、そりゃ楽しいか。

私ら庶民は時間や場所に合わせて結構乗り換えして、自分にとっての最短ルートを構築するけど。

猛者は一分も外に出てないで乗り継いでいくからすごいよ。私はそこまで細かく調整する気しないけど、その調整する行為自体が好きらしいね。

 

「まあ明日は私の車で上層まで一気に行けるから、だいぶ楽だよ」

 

「楽しみですわ! 四季の運転する車って乗ったことありませんもの」

 

「あれ、そうだっけ」

 

紫とは何度もドライブデートしているんだけどな。

夢華は乗せてなかったっけと思って紫を見ると、なんか一生懸命シーって沈黙を強いるジェスチャーをしている。

何やら後ろめたいことがあるらしい。まあいいけど。

 

「楽しみにしてていいよー。ただ私のSG・Haatは別物レベルに改造済みだから、これが一般だと思わないでね」

 

「楽しくても暴れないでお行儀よく座ってるのよ」

 

そんなことしませんわ、と叫ぶ声につい顔がほころぶ。

 

これからしばらく、またにぎやかになりそう。

 

 

 

「……後で、さっき話してた装置について詳しく教えて」

 

「お、気になる?」

 

「聞きたくはないわよ、そんな厄介な代物。でもどうせ聞くことになるし」

 

「えーひどーい」

 

「それはもう、そうですわよ。当然ですわ」

 

「夢華まで……四季ちゃん悲しい」

 

『私もそう思います』

 

「おのれ裏切者……」



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出かける直前にごたついて結局遅くなるやつ

なろうにも投稿してますが、この話はまだ(現時点では)なので初投稿です。


「はい、じゃあそろそろ出発するよー。忘れ物ないー?」

 

「はーい」

 

「むしろこれからしばらく泊まり込みのあなたが一番荷物多いでしょ。大丈夫なの?」

 

「忘れ物あってもいつでも取りに帰ったらいいでしょ。まあ言ってくれたら二人の分も取りに来るよ」

 

 早朝、昨日よりは遅い時間に、私たちは私の家の玄関にいた。機械やら工具やら持ち込むことがある我が家の玄関は、三人でも余裕の広さだ。天井もたっぷりある。どんな大物でも大丈夫。というか元々はガレージ的な所のシャッター扉だったからね。今は改造してバイクをそのまま中に置いたりできる広々玄関、のつもりだけど実質ガレージのままかも。

 

 忘れ物はないと思うけど大型の荷物とか手持ちでなくていい物は、すでに昨日の内に紫に指定された場所へ送っておいた。せっかくだから、と押し切られて夢華たちと同居することとなったからだ。専門機材や機密品なんかもあるので、夢華に家から自家用配送ドローンまで出してもらっての運送である。

 

 別に行き来に大変な距離じゃないんだけど、せっかく一つのチームになったんだから。結束を深めるためだから。職場に近い方が楽だから等々。あれこれ言われてしまい、断ると泣かれそうだったので折れた。面倒だなあとは思うけれど、絶対嫌っていうほどでもないしね。

 

 親友二人と泊まり込みで一つのことを成し遂げる、と思うと楽しそうなのもある。学生時代にお泊り会くらいは何度もやったけど、同居は流石にちょっとなかったからわくわくする。今持っているのは普段の外出時に持ち歩くような手荷物くらいだ。ここからまっすぐ職場に向かう予定らしい。私の車で直行するので乗り換えもないし、紫も楽だろう。

 

じゃあ荷物も持ったし、さあ行こうかというところで紫に呼び止められた。

 

「ねえ本当にその格好で外行くの?」

 

 なんか深刻そうな顔で言われる。えっいつもの出勤時とそんなに違わないんだけど。上層にある職場だからドレスコードみたいなものがあるんだろうか。いやないでしょ。でもありうる。

 

「そうだけど。いつも通りだけど、変かな?」

 

「変ていうか……エッチ過ぎない?」

 

「エッチて」

 

「わ、私もそう思いますわ。なんというか、ハレンチ! ハレンチですわ!」

 

「ハレンチて」

 

 なかなか聞かない言葉が出たわね。古典的な手で顔覆ってるのに、指の隙間から見るやつやってる。紫までなんか視線がさ迷ってるし。そんな直視に堪えないほどひどい格好してるつもりないけど。スーツだけなら流石にちょっと恥ずかしいけど、スカートはいて上にも羽織ってるから大丈夫でしょ。

 

心配になったので玄関に設置してある鏡を見る。

 

 頭、というか顔には顔半分近くを覆ういつものサイバーグラス。ぼんやりと青く光るラインが今日も素敵だ。上着として作業用のジャケット。防刃、耐熱、防炎等々の機能が付いた白の頑丈な作業着だ。暑いし息苦しいので、前は開けてある。白だと汚れが目立ちそうと思う人もいるだろうけど、汚れがついているのに気が付かないとまずい作業の時もある。一応クリーンルームとかは通るけど、目視で確認、ヨシと目で見てぱっとわかるっていうのは大事だからね。

 

 下は黒のスカート。こちらも作業用で同じく多機能。長さは膝くらいだからそう短くもないだろう。ズボンは脱ぎ着しにくいし、後で付ける他の作業着の邪魔になる。中には黒のボディスーツ。ブラとかの機能もついてるので、他の下着はない。全身を覆うスーツだから露出も末端以外はない。健全すぎる。

 

いつもの出勤兼作業着だ。何も問題はない。

 

「エッチというかいっそドスケベでしょ。ドスケベスーツ」

 

「……ド、ドスケベッ!?」

 

 ひどくない?あまりに強烈な言葉で意識が一瞬飛んだんですけど。もう少しこう手心というか、なんか柔らかい表現はなかったのか。

 

「全身に張り付く黒のぴったりボディスーツ。巨乳とデカ尻強調とかさあ」

 

「デカ尻とか言うな」

 

別に強調してないよ!

 

 ただ大きいのは事実。どうしても両方に肉がつくんだよね。仕事も趣味も肉体労働だから、普段だいぶ動いているのに。まあ胸は自慢だし、お尻もなんだかんだ自慢に思ってるけど。ついたものは仕方ない、せっかくだということで美しい形やハリツヤ、揉み心地など私は私で色々やってみてるのさ。

 

 とまあそんな特盛部位だから、どうしたって生地が伸びて強調してるみたいになってるだけだよ。薄い装甲で覆っているのだって、そこだけ飛び出てて危険だからだ。別に強調の意味があるわけじゃないし、強調しなくても目立つからね。

 

「ふ、普段から私たち以外の前でもそんな格好してるんですの?」

 

「そりゃそうだよ。実質仕事着だし」

 

 ていうか夢華たちの前ならいいのか。確かに私も夢華たちがエッチな格好してても家の中なら気にしないけどさ。裸だって見せ合う仲なんだし、肌見せ面積が減った分むしろ健全なくらいだよ。その点で言うなら、今の格好は露出が全然ないからどう見ても健全。露出なんかしてたら怪我するから当然だけど。

 

「見せてるんですのね、そんなあられもない姿。私たち以外に……」

 

「なんか顔が怖いよ」

 

 夢華の顔や声がおどろおどろしい。西洋人形めいた顔に輝く金髪で、髪が口に入った日本人的呪い顔されるとこれはこれで怖いわ……。震えてくる。

 

 しかしそんなこと言われても困る。普段会うときは着てないけど、仕事着で友達に会うのも変な話だ。今着てるのは、これから新しい職場に出勤して早速仕事だからだ。着る必要があるかって言うとなさそうな予定だけど、まあ気分的に。

 

「あなたの職場の皆様と社長に同情するわ。ご年配から年頃の方まで男性ばっかりなのに。娘や妹のように面倒見てきた子が、そんなエロスーツではしたない体を見せびらかしてくるなんて」

 

「やだ、言い方の悪意が強すぎ……」

 

はしたない体ってなによ。人の体のことそういう目で見るのやめなさい。

 

 実際の所このスーツは出来も受けもよかったので、我が社の現場作業員分は経費で作って支給されている。作業時の着用も義務化してあり、互いに着たことを目視、指差し確認する。私は女一人なので確認は自分だけだけど。事務員のおばさんたちじゃわからないからね。

 

 その他にも性能や素材が問題で一般販売はしてないが、同じ職種の人たちやどこからか聞きつけて依頼をしてきた人相手には販売している。値段も相応しただけあって、うちの職場でなかなかの稼ぎをあげているのだ。

 

 職場のみんなは確かにしばらくこっちを見て話してくれなかったけど。そう言われてみれば、みんな紫たちと同じように目のやり場に困っていたのだろうか。でもそれならなんで言ってくれなかったんだろう。前のタンクトップ一枚だけの時とかは、たまに注意されてたのに。

 

「私以外の人に……いっそ、それくらいなら……」

 

「ん、何する気? ……いや、実際便利なんだよこれ」

 

「いやらしいこと以外に何の役に立つの?」

 

「失敬な! このスーツは流体アーマーや浸透メッシュ、ジェルプレートに合成繊維などの最新技術の複合産物なんだよ。いくつかは私がこのために開発したからまさに最新! 耐熱、耐圧、耐衝撃、荷重分散に切削工具や破片などに対する防刃、物がぶつかるなどの打撃等々各種に高い耐性があるの。しかも……」

 

「ごめん、私が悪かったわ」

 

「むぅ」

 

「遮って悪いなとは思うけど、聞いてもわからないから」

 

 じゃあとりあえず訂正してもらおうか。そんな気持ちで紫を見つめると、すぐに頭を下げられた。

 

「ごめんなさい。あなたの発明品を悪く言うつもりはなかったの」

 

「あ、いや、うん。わかってくれたらいいよ」

 

 そんなかっちり頭下げられると気まずい。別に怒ってたわけじゃないから。大丈夫だって。いや、軽く見てるというか馬鹿にされてるわけじゃないのは私もわかってたから。友達に真剣に頭下げられると気まずいから。

 

 空気を換えるために、パンパンと軽く手を打ち鳴らす。自分の世界に入っていた夢華と、まだ申し訳なさそうな顔の紫がこちらを向く。

 

「じゃあもういいね? このスーツはドスケベスーツじゃなくて、ちゃんとした作業用スーツ。私の格好はおかしくない。いいね?」

 

「いや機能はともかくデザインというか、見た目は普通に猥褻物だから」

 

「えぇ……?」

 

 機能はともかく、と言われてしまうと困っちゃう。しかも猥褻物って。このまま出歩くと捕まってしまうのか。今まで捕まったことないぞ。

 

「いやでも、バイクの人のライダースーツとかもこんな感じじゃない?」

 

「んー……そう言われれば、そうかも」

 

 バイク乗ってる人とかなら結構こんな黒の上下一体のスーツ着てる人がいる気がする。車と違い体が剥き出しだから、専用のスーツとかで万が一の時の備えをする必要があるんだろう。夜に出会うと黒いスーツに入った蛍光色のラインが、体に沿って薄ぼんやりと暗闇に浮かぶのがなんか格好いい。

 

「でもその格好で歩いている人はそう見かけませんわ」

 

ぐぬぬ。ああ言えばこう言う奴らめ。

 

「もういいわ。究極的には、何を着ても体自体がいやらしいからどうしようもないもの」

 

 何と言い返そうか考えてると、意外にも紫から援護射撃が。いや援護かこれ。夢華も仕方ないなって顔して納得しないで。この話を続けられても面倒だけど、こんな結論で納得されるのも釈然としない。

 

 

 

 

 

「えっと、じゃあ出発しよう。時間に余裕はあるけど、いつまでもこんなとこに立ってても仕方ないし」

 

「そうね。さ、夢華そこ座って。靴紐結ぶから」

 

「はーい」

 

親子みたいなやり取りしてるねこの二人……。

 

 夢華が玄関に置いてあるベンチに腰掛け、靴に足を通す。さっとしゃがみこんだ紫がしっとりしたレザーが美しいブーツの靴紐を締めていく。手慣れた様子で手際がいい。この様子だと、この靴で外出時は毎回しているんだろうか。

 

「手で紐結ぶやつって面倒じゃない?」

 

「手間だけど、手間だけじゃないのよ。靴紐を結ぶだけのことでも、美しく仕上げるにはコツがあったりね」

 

「紫はいつも美しく仕上げてくれてますわ」

 

「ありがとう」

 

 靴紐を結ぶ、服装や髪形を整える。そんな当たり前の身だしなみなんだけど、何事にも技術やコツはあるものだなあ。人の上に、人の前に立つ者の格好を良くするっていうのも専門の仕事があるくらいだもんね。スタイリストとかがそれにあたるだろうか。

 

 紫の視線は靴だが、会話もしながら素早く編み上げブーツの紐を締めていく。まさに職人技だ。でも今までたまのお洒落でこんな靴の時もあったけど、基本的には自動フィッティングの靴履いてたと思うんだけどな。値段は桁違いでも。

 

「自動フィッティングの靴はねえ……。上流階級的なお上品界隈では卑しいとされることもあるのよ」

 

「……? ……?」

 

何言ってるのか全然わからん。

 

「効率ばかりを求める姿。オーガニック的なものを歯車で歪める在り方が卑しい……とかなんとか?」

 

「そんなことは忘れてしまいましたわ。ようは機械で調整するほど忙しないのは貧乏だから、ってことらしいですわよ」

 

「あ、あー……わか……わか……」

 

わか……らない。わかりそうな気もしたけど、やっぱり全然わからん。

 

 お上品な上流階級なんて、機械でがちがちに囲まれた暮らししてるものでは。警備システム、体調管理、家事に移動に娯楽に。私もそういう富裕層とかにあれやこれやと作ったぞ。なんか一般向けのと違い、家の設備一つとってもオーダーメイドくらいじゃないとセキュリティ面で不安だとか。予算なしで高性能なものを作ったり、既存の物を好きなだけ改造してよくて楽しかった。

 

 しかし今時ログハウスで自給自足をするわけでもないだろうに。機械製品のない暮らしなんて、この時代田舎どころか後進国でもありえないでしょ。

 

「ま、夢華でも上流階級の末端扱いな世界だからね。何か変なこだわりがあるんでしょ」

 

「私なんか彼等にしてみれば、歴史の浅い成り上がりの成金なんですのよ」

 

「うっそでしょ……いや、まあそうかも」

 

 こんな金持ちなのに?と思ったけど、資産額しか張り合えないならそれは成金か。夢華の家は何代か前あたりから大きくなった。それだとものすごく歴史の長い、それこそ日天堂とかの家からすると、歴史の浅い成り上がりになるわけかな。一般人には感覚が理解できなさすぎる。何代か前でも十分歴史があるように思うんだけどな。マウントにマウントを取り合い、先細りの螺旋でも描いているのかな上流階級って。

 

「それで一応普段から、こうして機能のない靴を使ってるわけ。服もそうだけど、必要な時だけだと慣れてなさがもろに出るからね」

 

「煩わしいこと。大体あの手の方の多くはもはや皮だけですわ。中身は虚無に足を浸しておいでなのよ。何か、浅いですわよね」

 

 近頃は俗に言う、社交界的な所に出るようになったとは聞いてたけど、なんか大変そうだな。ため息をついてうなだれる姿は心底憂鬱そうだ。まあ今の話だけでもうんざりしてくるぐらいだしなあ。

 

「なんか大変だって愚痴だけは聞いてたけど……想像よりかなりきつそうだね」

 

「まあね。とはいえ末席でも、名誉と伝統ある社交界に席を与えていただいた、そうだから利用はしたいのよ」

 

 トゲトゲが言葉の端々から溢れ出ている。嘲笑と嫌味と怒りと、鬱憤を相当に溜め込んでるのがビンビン伝わってくる。ぶっちゃけ怖いです。

 

「私としても、次代を担う立場としてそこそこの席は確保したいところですの。中も外も充実した本物の方も、砂金のようにですがいらっしゃるし」

 

砂金レベルはもう出会えば奇跡なのでは?

 

 しかしあれだな。こういう話になると、私にできることは何もないのだなあ。愚痴はこうやって時々聞くけど、それ以上は何とも。まあ畑違いの所に首を突っ込んでどうにかしてあげようとは思わないけどさ。

 

「終わり。立っていいわよ」

 

 その言葉に夢華がベンチから立ち上がり、床を靴の爪先でトントンと叩いた。満足げだ。私から見ても、詳しくは知らないけど、とても綺麗に出来上がって見える。私が自分で紐を結ぶと靴自体が引っ張られて歪んだりするけど、そんなこともなく展示品のように整っている。

 

流石です紫さん。

 

「私は自動調整つける必要もないただのパンプスだから、もう履けたんだけど……」

 

紫の視線が私の足元に向かう。

 

「それ靴?」

 

「靴履くよって言って履いた物が靴じゃなかったら何なのさ」

 

「そうなんだけど。なんかメカメカしいわよそれ」

 

「絶対何かの機能付いてますわよね」

 

「今時の靴は調節機能付きでしょ。私のもついてるよ」

 

「そうじゃない」

 

「そもそも大きさも長さも全然違いますわよ」

 

足元を見れば、私の履いた靴が見える。視線をずらすと紫の脚と靴が見える。脚細い。足小さい。いいなあ。こうして比べてみると、というか比べなくても一目瞭然のサイズ差がある。脚も靴も。

 

「紫って背のわりに足小さくて可愛いよね」

 

「んん!? あ、ありがと」

 

「そういう問題ではないですわ! あと私の足はどうですの!?」

 

「どうって……夢華の足って大人のバランスなのに子供みたいな丸さと大きさで、不思議な可愛さがあるよ」

 

「やったー!」

 

「小学生でも高学年にはしなくなるような喜び方するわね……」

 

「そこが可愛いんだよ。夢華だって普段、というか私たち以外がいる場ではお嬢様としての振る舞いを心がけてる。でも私たちにはお嬢様の皮を脱いだ、ただの夢華の姿を見せてくれる。そこが信頼と好意と甘えを感じさせてくれるので私は好きです」

 

「あ、うん……そうね」

 

 つい熱が入ってしまった。いけないいけない。紫がなんか引きそうだ。でもちょっとわかる、みたいな顔もしてる。だよね。夢華の方は今見れない。恥ずかしい。

 

「あーえっと、ね。この靴の大きさと見た目は作業用の安全靴だからだよ。防護外殻と自動フィッティング機構があるからごつく見えるの」

 

「あぁ、なるほど。機械的というか直球で装甲なのね」

 

「そうそう。でも一応靴だから装甲の中に生地はあるよ」

 

 他にも機能があるけど、別に言わなくていいよね。この靴の発表会じゃないんだから。ただ私の作ったものだからね。例のごとくあれこれ詰め込んであるけど、見せる時がいつか来るでしょ。驚く顔が今からでも見える見える。

 

「スカート履いてるのも、この靴が膝まで覆ってくれるからだよ。作業着履くより安全性は増すからね」

 

「ふーん……でも重くないの?」

 

「まあ見た目からはそう思うよね。実際は革のがっちりしたブーツとかより軽いくらいだよ」

 

 現代人ならいい加減、金属は重いという考えは捨てないと。重い物があるのは事実だけど、軽くて丈夫な金属製品もたくさんある。まあ装甲と言ったら硬くて重そうっていうのはわかるけどね。でもそんな重かったら流石に履いて歩かないよ。

 

「へぇー……」

 

二人して今にも触らせて、と言いそうな雰囲気だ。

 

「ちょ、ちょっとだけ、少しの時間だけ触らせていただけます?」

 

「えー……いいけど」

 

 いつになったら出発するんだろう。いや、別に二人がいいなら私は全然いいんだけどさ。これ絶対触るだけじゃ満足しないよ。絶対履かせてって言いだす。なんか玄関から先になかなか進めないな。

 

 

 

 

 

 

「じゃあ今度こそ行くよー?」

 

「そうね。いい加減に出ましょうか」

 

 結局両足見せて、から履いていい?までを予想通りにこなした。せっかく靴紐結んだのにいいのかと思ったけど、紫も気にしてなかったからいいのかな。靴を脱いで、履いて、ちょっと歩き回って。飛んで跳ねてと二人は私の靴で楽しく遊べたようで。

 

まあ楽しかったならいいよ。

 

「はい。マップポイントを端末に送っておきましたわ」

 

「お、ありがとう。それじゃ、いってきます」

 

ようやく出発だ。多分しばしの別れだ、我が家よ。

 

 先に二人を出した後、見慣れた我が家を振り返る。玄関で時間を食ったため、リビングの照明はすでに落ちている。二人が来ていつもより明るかった分、なんだか寂しい。空調や家電の低い音だけが静かに響く室内。薄暗い部屋の匂いを胸いっぱいに吸い込む。

 

落ち着く。我が家の匂い。

 

いってきます。

 

ドアが閉まる。施錠装置に触れ、認証。カシッと軽い機械音がして、鍵が閉まった。

 

よし、行こうか。

 

 何となく感傷的な気分になりながら、玄関から道路に向き直る。朝早いため人も無人車もいない最下層の車道には、ぽつりと一台の自動車が音もなく止まっていた。一般車の中でもやや大きめの普通大型車で、私の髪と同じピンク色に塗装されていて可愛らしい。ヴィクトリアにあらかじめ出しておくように頼んでおいた私の愛車SG・Haat26yoである。

 流線形というほどシャープではないけれど、曲線を描いた外形が優美だ。あまり賛同を得られないけど、個人的にはエロティシズムすら感じられる。

 

 ちなみに以前このことを二人に言うと、紫は理解できないとやや引き気味だった。まあそうなるなって思っていたのでこちらはいい。問題は夢華の方が何故か服を脱ぎ出したことだ。流石の私も予想外でびっくりした。脈絡がなさ過ぎて一体何事かと思ったけど、私の体のグラマラスな曲線の方が興奮するでしょうと言い出したのでようやく何がしたいかわかった。

 車に対抗心燃やさなくていいから、と思ったものの褒めないと終わらないのも想像がついたので仕方なくあれこれ褒めた。でも結局最後にはファッションショーみたいなことになって、延々と褒め称える羽目になったことがあった。紫はいつの間にか逃げてた。許さぬ。

 

 大変だったけど良い思い出がふと蘇ってきたが、夢華が早く早くとワクワクを隠さないで車の脇で待ってるからさっさと認証を済ませてあげよう。カチャカチャ足音を慣らして歩み寄った私が車のドアの認証部に指を触れると、電子制御ロックが瞬時に解除される。

 

 最新の車種ではないとはいえ現代の車なので指先の生体認証で一発開錠だ。指先に埋め込むマイクロチップ認証のシステムとどっちか選べたんだけどチップキーは私なら不正アクセスが容易なので、私以外にもできる人がいる可能性を思うと怖いので選ばなかった。

 生体認証の方が電子情報のみではない分不正侵入してごまかすのが難しい造りになっているのだ。まあこちらも本人を襲ったり持ち物を盗んだりして、生体情報の欠片でもあれば不正突破もできるけどね。でもそれ以外だと不正開錠の難易度はチップキーより上だ。そこが決め手になった。

 

 起動したての操作モニターに外から腕を伸ばして触れドアを開くと、わーいと歓声を上げた夢華が一番乗りで乗り込んでいく。そんなに楽しいものでもないと思うよ。私の車ではあるけど、内装はそれほど手を付けてないから夢華の家の自家用車両の方がよほど高級で質がいい。まず座席の座り心地の良さが違う。シートが人工ではない天然レザーで、見た目からしてかっこいいし肌触りはいいし特殊加工で過度に熱くも冷たくもならない。手間をかけた加工が施してある高級レザーならではの仕上がりだ。いい仕事してますよ。

 レザーなだけでは見た目はいいけど不快なほど熱くなったり冷たくなったり、妙に滑って座りが悪いしすぐ劣化してひび割れるしろくなことがない。前に一度どうしてもと言われて乗せてもらった車がそうだったけど、ひどいもんだったよ。夏だったからお尻や背中が熱いったらもう。

 

「楽しい?」

 

「楽しいですわね!」

 

「そう……」

 

ならいいけど。

 

 でも座席の座り心地は絶対劣るし、内部の広さやくつろぎ感もかなり劣ると思うけどな。私が普段夢華の家に乗せてもらってる送迎用の自家用車はすごい豪華だもの。腕を上に伸ばして背伸びができるくらい天井もたっぷりあるし、内装も普通の部屋みたいで車の中とはとても思えない。

 比べて私の車は大型で広いとは言っても普通自動車だし、腕を伸ばしたら天井に当たるし内装はただの座席だ。一応長時間移動のために変形させるとベッドにしたりはできるが。

 

 まあ楽しいと言っているし実際飛んだり跳ねたり、あちこち探ったりして楽しそうだからいいか。でも探ってもそれほど特殊な機構はついてないから、ご期待には応えられないよ。そんな夢華を抑え込みつつ紫も乗り込んだのを確認した後、もう一度自宅を眺める。別に永遠の別れってわけでもないけど、少し長めに離れるから何となく名残惜しいな。

 

 とは言え立ち尽くしているわけにもいかないし、もう一度じっくり眺めた後私も車に乗り込んだ。縦スライドのドアが下り、きゅきゅっとわずかに動いて扉の閉まり具合を微調整する。この微調整のための細かな動きが結構好きなんだけど、あまり他人にわかってもらえない悲しみ。こういう細かい動きにこそ精密性が出るというか、このフィッティング感がいいんだよ。何故それがわからん。

 

 私も席に着きシートベルトをすると操作パネルに手を乗せる。すると手から生体情報や運転免許などの運転資格の確認が行われ、これでようやく運転が可能になるという仕組みだ。自動運転なら必要ないんだけど、自分で運転する場合にはこういったチェックをクリアする必要があるのだ。誰でも運転できたら危ないからね。

 この時に身体の状態も調べられるのは、免許があっても酩酊状態だったり精神的に不安定だったりすると事故につながる危険性があるからだ。技術があっても運転能力はないってわけ。もちろんそんな状態でも事故にならないようにする機能はあるけど、そんな機能に頼る前にまず運転するなという話で。自動運転に大人しく任せなさいというわけだ。

 

 ポーンと軽い音が鳴り、チェック終了。青白い光が運転席の操作盤に広がり、車体に備え付けのモニターや空間に投影された映像に各種情報が映し出される。車全体の状態、速度や車の向きに方角や地図など様々な情報がリアルタイムで計測され、反映されている。フロントガラス部分には目的地までの経路案内や、速度制限、通行禁止区域などについての注意が表示される。その画面には早速赤い警報が付くけど仕方ない。

 私の家がある区画は有人車両は通行禁止区域に設定されているからね。でも私が家から車に乗って出かけると当然有人車両ということになるので、こうして毎回警告画面が出てくる。まあ私のための措置なのでこれで警報出ていても違反記録として残りはしないけど、車乗るたびに警告出るのはちょっと鬱陶しい。改造してもいいんだけど、どうせ乗ってすぐに区域を出るからそこまでするのもなあと思ってそのままにしている。

 

 そんな微妙に困ったちゃんな赤い警告を尻目に地図に目的地の入力を終えると、ナビゲーションサインがフロントガラスの投影映像越しに道路に表示された。私はわかりやすく青白い矢印マークに設定している。後はこれをたどっていけば迷うことなく目的地へ着くというわけだ。

 ついでに言うとこれはそっちじゃなくてこっちがいい、みたいに違うルートを通ることも選べるように自動運転中も表示される。どこのどの道を通るのかはあくまで人間の意思によることができるように、あくまで決定権は人間にある。たまに気分変えて違う道を通ったりしたい日もあるからね。私にだって、そんな気分になることくらいある。

 

「じゃあ出発するよ」

 

「よくってよ!」

 

「お願いね」

 

「任されましたよっと」

 

乗員のシートベルトも良し、と。では行きましょうかね。

 

ふわりと発進する車。徐々に加速する視界の中で、背後を映すモニターの中で我が家がゆっくりと小さくなっていった。

 



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海の(360度)見える町

空と海と都市と祝福の初投稿


「おおー! なかなか速度が出ますのね!」

 

「まあね。車自体が普通自動車クラスでは最大馬力だし、許される限度一杯の改造もしてるから」

 

「あなたって何でも改造しなきゃ気が済まないの?」

 

「何でもじゃないよ、したいものだけ。家事ロボットはしてないし、他の家電もしてないのも多いよ」

 

「多いってことはやっぱりしてる物もあるじゃない」

 

 何でって聞かれると困る。多分習性じゃないだろうか。機械弄りや発明が好きな人は、たいてい分解も改造も好きだと思う。少なくとも身の回りの人たちはそう。意味もなく機械を分解して直せなくなった経験を一度はしている。

 

 私はないけど。天才ですから。

 

「海風が気持ちいいですわー! 青い海、青い空! 素敵ですわねー!」

 

 下には一面に広がる青い海。上には一面の青空。白い雲は青空にはむしろいいアクセントだ。目の前には青い空と海の青が混ざり合い、果て無く青い。空けた窓から潮風がなかなかの強さで吹き込んでくる。いい風吹いてる。

 でも運転する分にはもうちょっと閉めたいんだけど、うちのお姫様が大喜びなので仕方ない。紫も髪が痛むだのなびいて大変だのと文句を言う割に、顔はほころんでいるのがモニターとミラーに映っている。

 

「いい風だねー。朝の風って気持ちいいよね」

 

 この辺りは他の飛行者がいないので、私も景色や風を楽しみながら適当に車を走らせている。走ってないけど。飛んでるんだけど。

 左右に曲がり、上下に移動し、旋回もしてみたり。ちょっとしたアトラクションだ。そのたびに夢華はキャーキャー大騒ぎだし、紫も時折身を乗り出したりして楽しんでる様子。

 

 私も窓から入る風が心地よい。海上では街とはまた違う風が吹く。さらに同じ海でも高さによっても違うけど、私の好みはこのくらいの高度かな。潮をわずかに含んだ香りと、街よりも微かに多く感じる水気が肌を撫でていく感じが好き。高度が下がると潮や水が濃くなって、肌にまとわりつくように感じる。それを切って飛ぶのもそれはそれで楽しいけどね。

 

 朝の風の心地よさは言わずもがな。みんな一度は経験したことあるだろう。爽やかな清涼感と静けさ、夜の名残を匂わせる。深呼吸して一番気持ちいい時間帯かもしれない。雑多で常にどこかしら騒がしいあの町でも、朝だけは静かで清々しい風が吹く。

 

 そんな空気を全身に感じながら飛び回るのは楽しいけれど、ここまで細かく激しく飛ぶことは自動運転ではまずない。あったら故障を疑った方がいいね。そう思えば夢華の反応も当然か。今時自分で運転するなんて完全に趣味の範疇だから。事故や渋滞等々の危険性や流通の問題を考慮すると、残念ながらそうなってしまうのよ。車を作る身からすると車は危険物でもあるということはわかる。

 

 騒がしい夢華の一方、落ち着いている紫とは何度か月の綺麗な夜や夏の夕暮れ時なんかをドライブしたことがある。別に夢華を除け者にして二人で楽しくドライブした訳ではないのよ。本当に。言い訳をすると、私は運転大好きというわけではないが、たまにドライブしたい気分になる時もある。そんな時にたまたま一人で暇を持て余した紫から連絡があり、みたいなことが何度かあっただけだ。偶然。

 

 夢華もいるときは買い物とか映画とか町中で遊ぶことが多くて、ドライブとか遠出することはなかった。逆に家の中だけでダラダラ過ごしたりとかでね。遠出するときでも自家用車に乗る必要もない。公共交通機関で十分だし、夢華の家くらいのお金持ちになると遊びに行く用の自家用車があるから。それに私は自分からドライブ行こうと言うほど、人を乗せて飛ぶのが好きでもない。でもこんなに楽しんでくれるなら、今度からたまにドライブに連れ出そうかな。

 

「あっ! 人が飛んでますわよ! あそこあそこ! ほらっ!」

 

 夢華の指さす先にはバックパックなどを装備して、やや前傾姿勢で飛んでいる人の姿が。一人ではなく、複数人が集団で飛んでいる。遠目で見ると鳥の群れみたい。実際は飛び方を見るに、親鳥に率いられて飛ぶ訓練をしているひな鳥と言ったところかな。

 

「ジェットスーツね。どこかのチームかしら」

 

「あれはチーム・アマウミネコさんかな。ほら山羽さんのとこ。WACとかのチームもある」

 

「なんだか親しそうですわね? お知りあいですの?」

 

「うん。たまにスーツの改善とかで意見聞かれるのよ。本業の水上機でも何度かご一緒したかな」

 

 水上機と言っても、飛行機の方ではない。水上を走るもの全般、WAC、つまり一般的には水上オートバイとかジェットスキーとか呼ばれてる物とか、小型や中型程度のボートとかは物によっては浮くだけでなく飛ぶこともできるので、まとめて水上機とされている。

 さすがに飛行機の方の水上機を作れる規模の工場は、山羽さんところにない。飛行機は場所とるからね。あれはあれで以前より小型化され、さらに電気のみで飛行できるようになってからは趣味で持ってる人も少数いるから商売の種になる可能性はあるんだけどね。

 

 また彼女らとは商売の話は抜きに、単純に同好の士であるというのもある。私は空を飛ぶのが好きなので、ちょくちょくジェットスーツで遊んでる。その時に一緒に飛んだり、飛んでいる最中に顔を合わせたりすることが多いのが山羽さんの所の人たちだ。

 彼女らはスポーツとしてのジェットスーツフライトの競技者だけど、ただの趣味としても楽しんでいる。なので同じく趣味でやっている私とも普通に話が合うのだ。一緒に飛んで見た景色や飛び方についてとか、何でもないことを喫茶店とかでだらだらと駄弁ったりもよくする。共通の趣味の友人といった関係だ。

 

「もう少し近くで見てみたいですわ!」

 

寄って、と顔が訴えているがそうもいかない。

 

「ジェットスーツ用の航空区域だから、車じゃ近寄れないわよ」

 

「航空区域? こんな広い海の上にあるんですの?」

 

「あるよ。ジェットスーツもこの車も結構な速度出るでしょ。ぶつかったら大惨事だからね」

 

「そんなかっちり分けられているわけでもないけど、見かけたら互いに距離を取るのがマナーらしいわね。詳しくは知らないけど」

 

「そうそう。車のモニターにもちゃんと区域分けが表示されるの。見てみなよ」

 

 私の言葉に、夢華が後部座席からこちらに顔を出す。今は運転席の前方空間には綺麗な外の光景が広がっている。しかし機体前方を区域側に向けると

 

「わっ」

 

 今まで外の美しい青を一面に移していたモニターに、赤や緑の色が混じる。変わらずモニターは海を移しているのだが、そこに色の帯が追加で示されている。

 

「この緑が近づいても一応いいけど注意して、くらいの意味。赤は警告。すぐに離れないといけないんだよ」

 

はぁー、と感心した声をあげる二人。

 

 夢華はともかく紫も?と思ったけど、自動運転ではわざわざ区域表示することはないもんね。私みたいに個人所有で、しかも自分で操縦しない限り勝手に機械がよけてくれるから。

 

「あっ! 手を振ってらっしゃいますわ! おーい!」

 

「そんなに身を乗り出すと危ないわよ」

 

 ジェットスーツの群れの周囲を軽く旋回していたら、向こうも気が付いたようでこちらに手を振っている。夢華が窓を大きく開けて思い切り手を振り返している。この距離ならはっきりと見えていないだろうし、元気に手を振る夢華は家族でお出かけ中の子供にでも見られてるんじゃないかな。

 

 マナーというわけでもないけど、こちらも軽く車体を左右に揺すって挨拶を返す。そして速やかに離脱した。

 

「あぁ……遠ざかっていきますわ」

 

「いつまでもいても仕事か練習の邪魔よ」

 

 そういうことである。通りかかったらちょっと挨拶して、さっと別れる。ルールではないけど、暗黙の了解というやつだ。大体向こうにしてもちょっと見られるならともかく、いつまでも残って観察されたら居心地悪いだろう。

 

「というか、私たちもこれから仕事でしょ。いい加減行きましょう」

 

「そういえばそうでしたわ。楽しくて、つい」

 

「それはよかった。まあまたいつでも連れてきてあげるからさ」

 

「約束ですわよ?」

 

「もちろん」

 

むふん、と満足げに息をついた夢華が席に体をしっかりと戻したのを確認、窓を閉める。

 

「なんで窓閉めちゃうんですの?」

 

「それはね」

 

「それは?」

 

こうだぞ。

 

私は一気に車を加速させた。

 

「ほぎゃあぁぁぁぁぁ!」

 

 

 

 

 

 建ち並ぶ天を貫かんばかりの塔の群れが、圧迫感を感じさせる距離まで都市に近づいたころ。甲高いような、一方でどこか温かく重い音が下を流れていった。むしろ飛んでいる時はなかなか上から音は聞こえないが。

 

「列車が通りましたわ!」

 

 町が近いので速度を落としながら足元を見る。機体床面のモニターが青い海に線を引くように走る海上列車の姿を映し出す。滑らかに音もなく海上を走るその姿は、都市の内外を問わずファンが多い。私にはそんなわからない趣味だけど。いやまるで興味がないわけじゃないけれど、関わってる部分も興味も機能や設備の方に向いているから。走る際の正面からの顔が、とかカーブでやや傾いているこの角度が、とかいうのは本当にわからない。でも走る姿を綺麗とは感じる。

 

 ある時偶然その手の趣味の人に、開発に関わったことを知られて質問攻めにされたことがあった。けどその時は機関とかの質問ばかりで、わりと楽しくお話しできた。好きと言っても、色々幅があるよね。

 

「汽笛の音って、風情があっていいわよね。たまに屋敷でも夜だと聞こえるわ」

 

「え、家でも聞こえるんですの?」

 

「聞こえるわよ。流石に窓に近くて静かな部屋に限るけど」

 

「は~……知りませんでしたの」

 

「遠くまでよく響く作りだから、距離があってもある程度静かなら聞こえてくるかもね」

 

 汽笛というが正しくは警笛である。私も詳しい名称は興味ないから知らないけど。この町の昼間は騒がしすぎてとてもそう遠くまでは響かない。最上層なら静かだが、そこに行き着くまでに音が減衰してしまうのだろう。夜なら流石に表層の喧騒は少し落ち着いてくる。それでも最上層の屋敷の、さらに高い階で聞こえるのはすごいな。

 

 ちなみに私の暮らす最下層はどこにいてもほぼ聞こえる。最下層や下層自体が音を伝えやすい造りになっているとか。工業区域の昼間は絶対聞こえないけど。流石にそこかしこで工業機械が唸り、走り、火花をあげてる中では伝わらないわ。

 

「さてさて、だいぶ近くまで来たけど……」

 

 マップを縮小し、今いる一角に集中させる。ここは都市外延部にほど近い区域。だから町中を通っていくより、いっそ外回りの方が楽かもと思い海まで出たのに。結局思いのほか同乗者が喜んだため、ぐるっと大回りしてしまったわけで。時間は当然余計にかかった。

本当はもっと小さい円を描いて、外周に沿って飛べばよかったんだけどね。まあ急いでとは言われなかったし、いいかな。私は知らない。急ぐ理由もないし、友達とドライブを少しばかり楽しんだところで問題ないでしょ。夢華も紫も楽しんでたし、私も楽しかったし。

 

 離れた所から見る私たちの町は外から見ると意外とすっきり整って見えた。不思議だ。中は結構ごちゃついた街なのに。

 

 平面マップから三次元の立体マップに切り替える。簡単な場所の把握には平面でいいけど、近くに来ると立体にしないと高低差のあるこの町はわかりにくい。今も平面状では一つの点だったポイントが、立体にするとある建物の屋上を示しているのがわかる。三次元マップにしてもなお見難い個所もあるけど、今回は場所がよかった。配達ロボットすら時々目的地発見に手間取ることもあるんだからこの町は本当にさあ。

 

 もう少しわかりやすく住みやすくしなよとは思うけど、逆に年々わかりにくく複雑化していっている。最初は美しく整い、綺麗に区画分けされた町だったらしいけどもはや面影はあまりない。居住者が増えて住居と施設が増えて、そのせいでさらに人が増えて人が増えたから施設が、の繰り返しだ。この町はよく浮いていられるなと時々思う。私も技術面から都市の開発には協力しているのでまだまだ浮力に余裕があることは知っているけど、それでもちょっと疑ってしまうほど人口増加に増築が続いている。

 

 最初期にできた海上都市だけに、歳月を重ねた分かつての姿ではいられないのはわかるんだけどね。そろそろ全部壊して新たに美しい景観と住みやすさを両立させた新都市に改築したい。かと言って本当にそうすることになったら反対してしまう気もする。更地にして作り直すには、この町に思い出が多すぎる。私はここで生まれて育ってきたんだから。

 

 そんな都市開発の話はともかく、ポイントがあるということはそこが目的地、つまり職場なわけだけど。上層の中でも高い建物の、その屋上にポイントかあ。なんか悪いところに近づけまい、離したくないという意思を感じる。

 父親にとっては娘はいつまでもお姫様だっていう話だし、ましてその娘が今でも自分によく懐き甘えてくるならなおさらだろう。親馬鹿するのもわかる気がする。わかる気はするけど、実質ほぼ最上層じゃないここって。過保護だなあ。

 

「はい到着、と」

 

 高度を調整して突入し、屋上の駐車スペースに降下する。この駐車用の台は一定まで近づくと自動機能で向きや位置の調整が行われるから楽。この駐車台じゃなくても車は止められるけど、これがあると本当に楽でいい。広い所での運転は楽しいけれど、狭い都市通路の運転とか駐車はただ辛いもの。

 いや自動駐車にすればいいんだけど、運転を自分でしたら停めるまでは手動でというこだわりがある。運転が好きな人には通じるこのこだわりだけど、面倒な時は私も自動にしちゃったりもする。こんなことだから、自動運転の車ばかりになったんだよね、きっと。

 

 ふんわりと着地。厳密にはこの駐車台はホバー機能付きの為、一台の設定範囲に収まる大きさの車なら地面から浮いて停車する。これがあると再度乗るときに浮くのが楽だし、車が地面に設置しないため車体などへの負担などが減る。ついてない駐車スペースもあるけど、あれは基本地上専用車のためのものだ。重力がある意味人体にも物体にも一番ダメージ与えてくるからね。継続して引っ張られ、地面に押し付けられていると考えると当然だけど。影響を軽減できるなら軽減した方が機械にはいい。人の場合はその影響下で生きるようにできているので、軽減するとそれはそれで問題が起きるから一概には言えないが。

 

 ここに設置されている駐車台は、当然だけど夢華の家で作っているやつだね。私も少しだけ口を挟ませてもらえた型のだ。普段は車の方を弄ってるから止める方を弄る機会はあんまりないんだよ。うちの会社は建物設備の整備もするけど、夢華のとこがわざわざ外注する意味がないからね。製品改善とかマーケティング用資料とかのために、本社のデータ取りと整備専門チームが整備してしまう。外注が出ない以上やる機会は巡ってこない。設置してあるのを勝手にスキャンして分析したりは当然してるけど、やはり一度直にバラしたい。

 

 そう思ってた頃に駐車台の新開発するという話を小耳に挟んだのだ。滅多にないチャンスと思い、新型のホバー車を設計してそれを理由に開発に参加させてもらえたのだった。ただ実際に設計図を見たり直接解体してみると、事前分析などによる仮定を大きく外れてはいなかった。結果としてそれほど発見はなかったが、大変すっきりした。仕事上がりのお風呂くらいさっぱりした。

 

「お疲れさま」

 

 紫たちの労わりを聞きながら、車のメインを停止させ降車する。んん、と三人揃って大きく伸びをし、体をほぐす。別に凝るほど乗ってたわけでなくても、なんとなく降りるとしてしまう気がする。

 

「予定時刻を大幅に過ぎちゃったわ……」

 

「ご、ごめんなさいですの……」

 

 二人揃って肩を落とす。いつもいっしょだからか、仕草や動作が年々同化している気がするな。どちらがどちらに似たのかは、もう互いにもわからないだろう。私にもわからん。

 

 二人が落ち込んでるけど、私は言われた通り運転しただけだから無罪。

 

 駐車場をぐるりと見まわす。広くて殺風景な場所だ。もっとも、どこにも繋がっていないただの屋上ならこんなものかな。駐車用のスペースには私の車の他にも何台か停まっている。それ以外の何物にも見えない、主張強すぎの社員用の共有車だ。会社の広報も兼ねた機体には、会社の名前などが大きく示されている。特にロゴの主張がすごい。誰の目にも記憶にも残るから、なんかあったらすぐ特定されそう。色も大変鮮やかで、複数の明るい原色が補色対比を起こし南国の鳥のようだ。いっそ痛いくらい色が目に飛び込んでくる。

 

「誰か待ってるわけでもないんでしょ? だったらまあいいじゃない」

 

「他人事みたいに……うーん、まあいいか。確かに今日は別段仕事らしい仕事もないだろうし」

 

「ないの?」

 

「ないわねえ」

 

ないなら何故今日から出勤なんだ。

 

 そんな疑問はあるけれど、ここまで来て言っても仕方ない。紫にはなんか考えがあるんでしょう。すたすたと歩きだした紫に従う。でも広い平面の屋上の一体どこに向かうんだろう。駐車スペースや社用車があるのだから実質ここも出入り口みたいだけど、肝心の出入り口そのものがないんですが。

 

「ここですわよ」

 

とんとん。

 

 途中小走りになって紫を追い抜いた夢華が、足で屋上の端の床を叩く。そんなどや顔して床を叩かれても、ぱっと見何もないけど。でも何かあるっていうことなら、ぱっと見じゃなければわかるかな。

 

「あっ! ダメですわ!」

 

 ダメじゃないです。風を直接感じたくて運転の時は外していたサイバーグラスを装着。探査モードに切り替える。様々なスキャンが瞬時に行われ、周辺探査情報が画面に表示される。私相手にそんな隠し事は無意味なんだよなあ。なんでバレたか、次までに考えて改善しておいてね。私ももっと解析度あげるからさ。

 

「インチキ! インチキですわ!」

 

 今でもこの程度の材質なら透過くらい簡単簡単。さすがに軍用とか宇宙用の、極めて強固な特殊加工コンテナとかは透視できないこともあるけどね。悔しい。いずれ必ず覗いてやる。とりあえず今は夢華の足元に大きな機械がよく見える。配電盤にコンデンサ、各種配線なんかまで丸見えだよ夢華。

 

 

ふーん。これは……昇降機だね。なるほど。

 

 屋上から昇降機を使って侵入する職場ってなかなかないぞ。すごいね。しかし大きいなこれ。巻き上げなどの機構はともかく、人が乗るであろう場所がだいぶ広い。一体何人同時に乗せて移動する気なんだ。やけに太くて頑丈そうだし、耐久力もかなりありそうだ。工場で使うタイプに近いかな。

 

 

「この子に隠し事なんて無意味だってわかってたでしょ」

 

「むむむ」

 

 むくれちゃった。でも多分この昇降機なら床上に立って歩くか、さっきみたいに叩けばスキャンしなくてもわかったよ。音や叩いた感触、振動の違いで。まあ言わないでおいてあげるか。私ならわかるってだけで、普通の人ならわからないのは確かだしね。

 

「リフト使って出入りとか、かっこいいじゃん。考えたの夢華でしょ? すごいじゃない」

 

「ふふん、そうですわよ! 私渾身の秘密基地式ですわ!」

 

「私は普通にドア付けて、階段で上り下りにしようって言ったんだけどね」

 

「でもこれ機械の搬入口とかも兼ねてるんじゃない? それなら確かに階段よりこっちのがいいかも」

 

 乗り場の広さや部品の大きさ、材質なんかがもうまるきり工場の機材用の昇降機だよ。そう考えると、これはこれでありかな。階段では大きかったり重かったりするものは運びづらいからね。搬入用の強化外骨格で荷重の問題は解決できても、体積とバランスはどうにもならない。ぶつけないように慎重に慎重に、何度も持ち方や角度を変えて運び込むのは本当に面倒くさい。ばらして運べば楽なのに、なんか変にこだわってそのまま運ばせるし。ばらして個別に運んだ方が絶対早かったよ。時々いるのよそういう面倒な人。あー思い出すと腹立ってくる。

 

「ほ、ほら! 四季も言ってますわ!」

 

「そうね。つまり四季の言った通りなのね?」

 

「はっ!?」

 

 そんな顔でこっちを見られても。次はどうしてこんなに大きいのか聞く気だったのかな。質問する前に私が答えを言ってしまったと。なんかぐぬぬって顔してるし、申し訳ないから何か言われるまで黙っておこう。またクイズをつぶしたら悪いや。

 

「まあ搬入口とか見慣れてる子だから。それよりほら、まだあるんでしょ?」

 

「そ、そうですわね」

 

気を取り直そうとしてるのか、軽く二、三回頷くと夢華たちは少しその場から離れた。

 

「で、ではですね……」

 

軽く咳をしてタメを作った後、夢華の小さい指がリフトのある辺りを指さした。

 

「そこにあるリフトをよくぞ見破りましたわ! ですがもう一つ大事なことがありますの」

 

「ふむ」

 

 起動方法とかかな。見つけても使えないと入れないわけだからね。ぱっと見の外見ではただの床としか見えない。起動装置が外部に見当たらない以上、何か別の方法があるはずだけど。

 

「さあどうやって中に入るか当ててごらんなさい!」

 

 やっぱりね。とはいえそれくらいもわからないと思われたなら心外だな。スキャンモードでリフト周辺を観察する。配線や機械の構造、使われている機械部品の型などの情報を丸裸にしていく。

 

「ほーん」

 

「えっ嘘でしょう!? は、はったりですわ! 天才としての強がりですわ!」

 

 もうわかっちゃった。ごめんね。でもほら、私って天才だから。私の作ったこのサイバーグラスも傑作だから。紫も知ってたって顔してるし。容赦なく答え合わせに行ってしまうよ。

 

「あああああ……そんな早く、あなた……」

 

 絶句してる夢華を尻目に淡々と操作を行うと、想定通りリフトを隠していた床がスライドして黒い台が現れる。人が少なくとも十人以上は乗れそうな、結構な面積がある広い足場だ。

やったね。

 

 台が完全に姿を現すと、今度はその周りから同じく黒い柵が現れた。なるほどね。機械搬入もするなら、柵があった方が安定するか。ああ、操作もここでするのか。操作盤がついてる。

 

「やっぱりわかっちゃうかー」

 

 入口なのか、柵が一部横にスライドして空いたので乗り込むと紫もやれやれという感じで乗る。

 

「ふふん。どう? 当てが外れてがっかりしちゃった?」

 

「あの子はね。私はぶっちゃけこうなると思ってた」

 

「本当? ちょっとくらいがっかりしたんじゃない?」

 

「いや全然。それくらいの頭なら、どんなに私も楽か」

 

 はぁやれやれって感じにため息をつかれる。

 

 いつもご苦労様です。でもなんだかんだ言って、頼ると大体何とかしてくれるからね。私もつい甘えちゃってるのよ。今度埋め合わせに何か面白いもの作ってあげるから許してね。

 

「いつもいつも、ありがとう。今度何かするよ」

 

「なんか嫌な予感がする……何もしないで」

 

「遠慮しなくていいから」

 

「してないです」

 

 絶対何かいいものあげよう。何がいいかな。私的には今の紫が好きなんだけど、本人が気にしてるから巨乳にしてあげようかな。対して効果もないサプリとか飲むより、私の調合した薬を飲んだり塗ったり揉みこんだりした方がいいよ。私が紫の為だけに作ったなら、絶対効果出るし。でも紫には今のままでいてほしいからなあ。

 

「はぁ……もういいですわ。ほら、行きますわよ」

 

「あなたが来るんでしょ」

 

私ら二人とももうリフト乗ってるんだけど。

 

 

 

 

 なおリフト出現の仕組み自体はよくできていたと思う。床内部に遠隔認証の機械があり、そこで立ち止まって一度認証を受ける。すると内部の別の場所に設置された手を置いて認証するシステムが起動し、認証が可能になるので今度はそちらで認証をするという二段階認証だった。

 よくできてるけど床に手をつかないといけないのはちょっと嫌だな。雨の日とかどうするんだろう。ピカピカに掃除してくれるならありかな。

 

 ただこの二つとも、知らないと外観だけから発見するのはかなり難しいと思う。私は配線や電気の流れ、認証用のレーザーなどを見られるから簡単に発見できただけだ。秘密基地の入り口としてはだいぶ秘密力が高い仕上がりだと思う。夢華が自慢気にしているのもわかるし、実際自慢していいレベルだ。面白いし。

 

 しかも認証システムを何とか見つけても、登録されていなければ当然アクセスは弾かれる。突破するために不正にアクセスしようにも、認証用の機械群は床下に埋まっているので直結が難しい。これはそれだけでクラッキングを防止する一手だ。遠隔アクセスはできるだろうけど、そこは後で教えて床部分の素材や認証装置を覆うカバーでもつけたりして妨害すればいいだろう。完全には防げなくても、通信が不安定になればそれだけでも防御になる。

 

総合すると、そんな捨てたものでもないよって感じかな。

 

 

「やっぱり納得いきませんわ……」

 

「自分でもういいって言ったのに」

 

「ちょっと間を空けてぶり返してきたわね」

 

「いえいえ。私は一切口にしておりませんわ、そのようなこと」

 

「記憶にございませんがでたよ。ちょっと秘書ー」

 

「えぇー……」

 



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発射シークエンス好きビーム

初めてのロボなので初投稿です


『背後のお片づけは終わりましてよ!』

 

『2時重タンク群!』

 

「まだ来る……!」

 

 流石に焦りと苛立ちが走る。さっきようやく視界一面の敵の大波を潜り抜け、息絶え絶えに突破してきたというのにまだそんな大物が。一息もつかせない気か化け物め。もう援護してくれる味方もいないっていうのにどうしよう。速度を上げてやり過ごすか、でも後ろに回られて挟撃されるのもまずい。

 

 先手を取って突撃し、一当てして足並みを乱して離脱するか。重タンクの足は幸い遅い分類だ。一度攻撃して脚を止めさせたなら、加速度的にも私達ならすぐには追いつかれない。

 

『ここは私に任せて! 二人は前へ!』

 

 焦りで思考が空転しそうな私の目の前を、巨大な黒のマシンがブースターの爆炎をなびかせて通り過ぎる。人類側で随一の硬さを誇る装甲が激しく損傷し、その巨体の飛行はふらついている。元々飛行が得意な機体ではない。その巨体に見合うストロークの長さを生かして走った方が早いくらいだ。

 

 しかしこのマシンは足が遅い上に今は下半身が一番傷んでいる。先行する私の邪魔にならない内に接敵するには、無理にでも飛ぶしかないんだ。何よりもうボロボロだ。敵中枢に突入するには損傷が激しすぎる。ここで推進剤を使い切り、足止めに残るつもりだろう。ここで紫は脱落だ。実際あの損傷具合では、いくらあの機体でもこの先はもちそうもない。

 

つまり最後の役目は私とこの機体に託された。でも紫は、紫はどうなる。

 

 そんなことわかりきっている。だけど止まることは許されない。紫だって私たちに先に進めと言っているのだ。行かねば。行って、勝たねば。止めろ、余計なことを考えるな。足止めに向かっていく姿を見送りたい欲求に駆られるけど、傷ついた後姿を眺めていると足を止めてしまいたくなる。

 

 気合で視線を無理やり外す。レーダー画面の敵を示す赤い塊がだいぶ近い、急がないと何もかもが無駄になる。私たちから少し遅れ、背後をカバーしていた夢華が紫に何事か叫んでいるが意識的に耳を素通りさせる。夢華が紫を引き留めていたら、私も一緒に引き留めてしまいそうだった。

 

 前を見据えて足をひたすらに動かしていく。ただ前へ、前へと鋼鉄の人型が私の足に合わせて荒れ果てた大地の上を疾走する。無視しようとしても耳に入る夢華の懇願する声に、私も一緒に行こう、諦めるなと意味もないことを言ってしまいたくなる。もはやあの機体ではたどり着けないことぐらい、私にも紫本人にもわかっているのに。

 でもどうしても、脚が止まりそうになる。引き返したい。引き返して、共に最後まで戦いたい。どうせ誰も生き残れはしないのなら、せめて死ぬ時は共にいたかった。

 

 高低音の入り混じった不快な叫び声が、ノイズと共にコックピット内に響く。外部から収音した音をある程度調整し、不快感を減らす機能がありながらこれほど不愉快。単純に声の持ち主が、その見た目にふさわしい声量を誇っているからもあるだろう。でも何よりもその悍ましさ、生理的嫌悪感が頭をかき回してくる。そして声についで忙しない地響きと揺れがここまで伝わってくる。機体のバランスがやや崩れるほどの揺れだ。バランサーが働いてすぐに平衡を取り戻す。

 

 その声の持ち主、巨大な人型兵器に乗っている私から見てもなお馬鹿でかい大きさの重タンク型が、鈍い金属光沢の上を気色悪くぬらつかせた表皮をうねらせどんどんと迫って来ていた。複脚があげる土煙で姿が一部見えないほど速い、いや急いでいる。敵さんもいよいよ追い込まれてきたってことか。ざまあみろ。

 

 ちらりと視界の端に映すがあえて無視して、ただ前へ。大丈夫だ、この距離と速度なら接敵せずに抜けられる。

 

『このっ!』

 

 背後から空気を焼いてビームが放たれる。夢華の機体の遠距離ビーム砲撃だ。でもまるで効いてないようで、足が止まりもしない。ばっちり顔面に当たっているのに。

 

 残念なことに硬くて重くてでかいがこの化け物の売りであり、タメが必要でない程度の携行火器では火傷もさせられないのだ。代わりに遠距離攻撃がないのが唯一の救いか。それでも意識を逸らすくらいの効果はあったみたいで、突撃の向きが変わり私の背後方面に進路を変えた。それを紫の機体がさらに別方向へ誘導していく。

 

「邪魔くさいな……」

 

 しかし重タンクの化け物が引き連れていた小さい化け物の群れは、向きを変えた大型達に踏みつぶされながらも変わらず直進してくる。大型の足には踏みつぶされているが、私には踏み越えられない程度の体躯をした邪魔くさい化け物だ。飛び越えるには推進剤を使わないといけない。

 数体ならジャンプでもいいけど、あの量をただ跳躍しただけでは跳び越せないだろう。この機体は内骨格や人工筋肉が粘り強く無茶のきく良い機体だけど、スペック上無理なことは無理だ。仕方がないのでブースターを吹かせて一気に飛び越える。推進剤は食うけど、いちいち雑魚の群れなんか相手にしていられない。こちらは味方も武器弾薬も推進剤も、何もかもが枯渇寸前なんだから。

 

 どうしようもない相手以外は戦わずにかわしていくしかない。でも私の機体はそもそもの足が速い。推進剤が足りなくとも飛び越えられれば、後は私が一生懸命足を動かせばいいだけの話。

 

 もう汗は滝のように滴り落ちているし、肉体は酸素と休みが足らないと訴えている。筋肉は傷みと強張りを感じるし、機体の方も軋みと揺れがひどくなっている。機体の炉心が生み出すエネルギーも損傷からか減少気味だし、推進剤の残りは少なく武装の大半は使い切って放棄してしまった。

 

 つまりコンディションはばっちりだ。その状態でここまで来た。ここまでこれたなら、この先も行けるということだ。

 

 

 

 

 

 廃墟と化したビル街を鈍い鉄色の巨人となって駆け抜けていく。破壊されつくした道路に、戦車や戦闘機、攻撃ドローンなど人類の抵抗の証が瓦礫の中に散らばっているのが見える。その中に一般家庭向けの自動車も、ぐしゃぐしゃに踏みにじられて転がっている。中の人たちはせめて無事に逃げ切ったのだと思いたい。

 それに気を取られて足も取られないように注意しつつ、目標地点に向けて疾走を続ける。レーダー上に敵の反応はない、少なくとも前方には。背後ではまだ紫が奮戦しているようで、紫の大型機の反応が儚くも確かに輝いている。夢華の反応は私の後ろ、やや遅れながらもちゃんとついてきている。

 

 紫のもとに留まるかもと思っていたけど、目的を見失いはしなかったらしい。まあ機体の立てる足音が躊躇いながらもついてきていたから、知ってはいたんだけど。途中で引き返す可能性もあるとは思っていた。

 

「んっとぉ!」

 

 正面に警告。とっさに横のビルの残骸を突き破ってかわす。激突の衝撃でやや息がつまるけど、むせている場合じゃない。堪える。先ほどまで私がいた場所を何らかの青白いエネルギーを帯びた砲弾が打ち付け、爆発音と衝撃を放ちながら粉塵を巻き上げた。まずい後ろにいた夢華は、とわずかに視線をずらして確認。

 

 爆炎と煙の手前で夢華がとっさに機体を止め、素早く屈みながら射線上から離れるのが見えた。どうやら無事だったみたいだ、よかった。

 

「いやらしい真似を……」

 

 視線を戻すと道路のかなり先に巨大な重タンク型を見た後でもなお気圧される、巨大な瓦礫の山が塔の様にそそり立っている。その高さはかつて繁栄を極めた人類の巨大建造物に近しい高さがある。さらに先ほどの重タンクなどの拠点でもあるから当然だけど、横にも非常に大きくこの機体とでも人と大型デパートくらいの差がある。実質塔というより要塞、もしくは大型倉庫だ。

 

 人の歴史の残骸でできた異形の要塞。そこが私の目的地、すなわち敵の化け物の拠点だ。

 

 だけどそこに至る道の途中、瓦礫の街にこれまでの化け物たちとは明らかに違う存在が立ちはだかっていた。

 

 それは巨大な人型だった。

 それは手に長銃と短剣を持ち、その銃口と切っ先をこちらに突き付けていた。

 それは私たち人類が、化け物どもを倒すために作り上げた技術、人型機動兵器だった。

 

 あれはどこかの誰かが力の限り戦って敗れた、誇りある抵抗の残滓。それが今化け物共の手に渡り、どうやったのか化け物の手先にされている。外見を見るにどうも化け物に侵食され、その形や機能だけを利用されているのだろうか。青白い光を仄かに放つその姿は、表面がぬらりとぬめる様に輝いている。時折びくり、びくりと一部が脈動するかのように震えており、はっきり言ってすごい気持ち悪い。なんか生理的に引く。なんかぬめぬめしそう。うえっ。

 

「仇はとってあげる……」

 

 しかし最後の最後、連中が自らの拠点を守るに使った物が私たちの兵器とは。効いてます、と露骨に示しているだけだよ間抜けめ。馬鹿で、でも不愉快だ。

 

『ここにきて猿真似とは、芸のないこと』

 

「私がやる。夢華は周辺警戒。一体だけとは限らない」

 

 むしろやられた数で考えれば、一体だけの方がおかしい。人類は追い立てられ、追い詰められて私たち女やついには子供まで動員する羽目になっている。そこに至るまでで破壊され、回収することもかなわなかった同胞の機体はこの国だけでも無数にある。今だってここまで突破してくるのに多くの仲間が失われた。突入部隊で残ったのは結局いつもの三人、今や二人となった私たちだけだ。みんな死んだ。道を開くため、明日を繋ぐために。

 

 それだけ破壊されてきた兵器だ。いくらでも回収できたはずだろうに今まで使ってこなかったのは、使えなかったのか切り札にとっておいたのかはたまた別の理由か。まあなんだっていい。今はこいつら化け物を滅ぼすチャンスなんだ。絶滅寸前になるまで消耗しながらも、ようやく人類はここまで逆襲し追い詰めた。この戦いでとどめを刺してやる。

 

 夢華が了解を示して距離をとったのを見て無言で飛び出す。まずは緩急をつけ、左右に回避行動をとりながら接近していく。この機体が得意とする動きだ。足腰の特殊な伸縮機構が鉄の巨人に軽快なステップを踏ませる。右、左に加えて膝の曲げ伸ばしなどを利用して上下にも揺さぶってみる。

 

 けどどうにも敵の動きが鈍い。もう通り過ぎた場所に発砲している。そのための回避運動だけど、それにしたって妙な遅さだ。ディレイをかけて逆に回避先に攻撃を置かれているのかと思ったけど、私だって同射線上を左右に触れているわけじゃないし無意味だろう。

 

 まあ対応できていない分には好都合だ。途中から間、間に腕部備え付けのビームニードルガンを制限点射で打ち込む。そうすることで敵の動きを牽制、制限していける。実際予想以上に敵が動いてくれる。

 

 ビームで形成された細い針が複数空を走り、敵のセンサーアイや機体各所のスラスターをかすめていく。荒い狙いだったとはいえかわされる、いや、そう、かわすんだ。そっか。

 

 極小に圧縮されたビームが針として打ち出されるこの武装は、破壊力は低いが貫通性と速度に長ける。さらに低燃費で継戦能力が高いのが好みだ。こういう長丁場の戦場でも、最後まで頼れる相棒だ。とは言え一本一本が細いので急所を狙わないと、貫通してもさほどの損害にならない。注射針みたいなものだからね。私の様に瞬時に、的確に急所や弱点を分析して狙えないと扱いにくい。

 

 今は牽制だから意図的に狙いは甘くして、面制圧気味に打ち込んでいる。収束率を下げて弾をばらけさせているからいくつかは敵の機体に命中しているんだけど、案の定ダメージはなさそうだ。機体の表面を覆うぬめり気を感じさせる、金属とも生物とも見える装甲にわずかに丸い着弾跡を残すも瞬時に埋まってしまう。装甲の負傷部分が波打つように震えて伸びて、その傷跡を覆い隠しているのだ。

 

 しかし末端部など、機体の端に向かうにつれて回復には時間がかかっているように見える。中心に回復の要があるのか、重要部位ではないから後回しなのか。末端を軽視するあたり人型の体には造詣が深くはなさそうだね。ならそんな弱点はどんどん狙わせてもらおうかな。

 

 これまでの化け物共の場合は私が主武装に使っているのがビームニードルなので、どうしても目や口などから体内に貫通させる必要があった。けれど今はあなたたち化け物が銃だの関節だの機体の末端だの、弱点が増えたというか増やしてくれたのでやりやすくなったよ、ありがとう。

 

 それもこれも人型の機体を使い、さらには動きまで真似てくれたおかげだよ。よくそんな無駄なことを思いついてくれたね。

 

 そう、動きまでもだ。最初に意味がないかと思いつつも牽制の一撃を撃ってみたところ、わざわざ攻撃動作を止めて回避した。これまでの化け物共ならそのままぶつかってきたのに。ダメージなど気にせず、回避など考えもしないで物量とスペックで押しつぶすしかしてこなかった化け物共が回避だ。それも攻撃を取りやめてまで避けに回るとは。

 

 賢くなったつもりか知らないけど、低知能で余計なことするくらいなら知恵捨てで暴れられた方が厄介なんだよ。多少の浅知恵を付けたくらいでは、私の高知能戦闘にはむしろカモ。付け焼刃に生兵法は大怪我の元だ。たっぷりそれを教えてあげよう。お代は命だ。死ぬがいい。

 

「これでも受けなさい」

 

 敵の射撃をすり抜けるように踏み込んで、かすめるように最短距離の移動でかわす。機体の表面を敵の銃弾が纏う謎のエネルギーが焼く音が、センサーを通じてかすかに聞こえてくる。その音をかき消すように目標のロックオンを告げる電子音を聞くと、瞬時に両手のトリガーを引いた。片手で撃っていた牽制のビームを両腕から発射。逃れようと飛び離れるその足先とその奥のビル群を破壊した。

 

 粉塵が舞い視界を遮り瓦礫が敵の機体を打ち付けるが、バランスをやや崩し前方につんのめりそうになりながらもなんとか敵の機体は姿勢制御バーニアを各所で吹かして着地する。何やら青くてどこかうす汚い煙のような何かを吹き出すバーニア。こんなところまで汚い連中だ。ただどう見ても推進剤を燃焼させたような感じではない。

 

 やっぱり人間の真似をして機体を無理やり動かしているだけなのかな。窮地に陥って自分たちを大量に殺した武器に頼りたくなったのか。

 

 姿勢を保ったのはお見事だけど、着地した途端にバランスを崩す。足元に複数の瓦礫が転がり、足場が不安定になっていたのに気が付かなかったらしい。間抜けな素人め。先を破壊された足で不安定な足場に着地するからだ。人と同じく人型兵器も繊細なもので、末端が失われれば平衡を保てないんだよ。知りもしないだろうけどね。

 

 化け物の足なら気にしないですんだはずが、人型兵器を使うものだから瓦礫なんぞに足を取られるんだよ。だというのに敵は接近する私から距離を取ろうと、馬鹿みたいに無理な挙動で後方へ退く。なんとか退避するものの無理な体勢で噴射だよりに動いたものだから、構えも何もない背中からひっくり返る寸前と言ったありさまだ。なんて無様な。

 

 どうもとことん人型の動きに慣れていないみたいだ。今まで人型を利用してこなかったのは、単純に扱いきれていなかったからという線が濃厚になってきたね。それを何故この今、自軍の中枢部の喉元まで迫られてから投入しだしたのかはわからないけど、そんなこと今はどうでもいい。

 

「知恵を付けたから死ぬことになるのよ」

 

 突撃と共に再び片手でビームニードルガンを発射。かろうじて反撃しようとしたのか持ち上げられた敵の銃を破壊し、爆破させつつ懐に潜り込む。酔っ払い並みにもたついた動きで逃れようとしているけど、この距離で素人が私から逃れられるものか。目の前の馬鹿と同じミスはしない。瓦礫をステップで避けつつ機体同士が触れ合いそうな近距離まで詰める。

 

 機体の右拳が近接攻撃用のガントレットに覆われ、攻撃準備を完了すると同時に、短剣を使わせないためにもう片腕で腕を押し開かせる。そして腰を捻って、がら空きになった腹部に拳を突き入れた。

 

 爆発でも起きたような破裂音と痺れるような衝撃を伴う鈍い音がして、突き上げる一撃に敵の腹部が大きくへこむ。ぐちゃりとでも聞こえてきそうな粘着質な質感の肉が飛び散る。きもっ。

 

「点火!」

 

『Bunker Fire』

 

 雷が眼前に落ちたように、視界を光が焼き一瞬遅れて強烈な音と振動が体を叩きつける。鼓膜は痛いし体も痺れ、特に打ち込んだ右腕は千切れたように感覚がない。近距離で撃ちすぎたかな、普段より反動がきつい。腕が本当にちぎれてたり、負傷や損傷してたらどうしよう。

 

 とりあえずまずは敵だとカメラアイで敵を確認しようとするけど、飛び散った敵の半ば肉と化した金属片と体液で青黒く染まって目視で確認はできない。でも手ごたえはヨシ!って感じ。

 

 他のセンサーや補助視覚では敵の動きは停止し、機体も腹部がちぎれかけているように見える。しかし相手は化け物だ、人間が乗った兵器ではない。念のため反撃を考慮して距離をとる。

 

 カメラアイの洗浄機構が洗浄液を噴射、ワイパーのブレード部が動いて視界を取り戻したけど敵の機体に動く気配はない。動こうとしても動けない、どうやって動くのかわからないレベルで損傷してるようだ。腹を中心に上下にちぎれかけていて、腹部分から胸にかけて大きく吹き飛び腹部だった場所の奥、背中の部分にも大穴が開いている。かろうじて端が繋がっているけど、どちらかの方向にえいやっと押せば自重でちぎれそう。

 

 何をしたかというと文字通り鉄の拳を直撃させた後、そこから更にパイルバンカーで思い切りぶち抜いてやった。しかも一度しか爆音が聞こえてないが、実際は二段階射出なのだ。硬い外殻をぶち抜いた後、内部に更に抉り込み炸裂杭を打ち込んで体内をぐちゃぐちゃのミンチに変える恐怖の二段構え。

 

「これに限る」

 

 返事がない、完全に沈黙したようだ。なお倒し切れてなくても、返事をしてくる連中ではない模様。敵の炉心もまとめて吹き飛ばしたようで、熱源反応がない。もっともどこまできちんと稼働していたかは怪しいものだ。機体を動かすには温度が低かったし、そもそも連中に電子機器やシステムが使えていたとは考えにくい。ブースターも変なので代用してたし。

 

 それほど改造されてもここまで徹底的に破壊されたら動けないみたいだね。回復も働かないようで、機体が纏っていた光は失われ脈打つような表面の動きも停止した。死んだ、と思っていいだろう。少なくとも今すぐ回復して襲ってくることはなさそうだ。中途半端な威力の武器では倒しきれずに回復される可能性があったから一撃で絶対に決められる武装を選んだけど、これで正解だった。

 

『……やりましたわね』

 

「うん……おやすみ」

 

 何とか持ちこたえていた端の繋がっていた部分がちぎれ、上半身だったものが地に落ち下半身が崩れ落ちる。発光をやめ濃いインクのような青い体液をまき散らす、敵に利用されたかつての仲間の誰か。

 

 その残骸に夢華と二人で短く黙祷して私たちは足を進めた。

 

 

 

 その後は散発的に小型の化け物が襲撃してきたが、全て足を破壊するか一撃いれて放置。幸い夢華の機体が射撃型であり、センサーも遠距離広範囲のため向かってくる敵を一方的に狙撃するだけですんだ。時間のロスも体力も機体の損耗もなし。ただ無言で前に進むのみ。

 

 そしてついに私達は敵中枢にたどり着いた。廃墟の街もこの周辺だけはやけに綺麗だ。瓦礫はほとんどなく、あるのは今蹴散らした敵の死体だけだ。それはこの目の前の瓦礫の塔の材料となったからだろう。これだけの規模の建築物だ。周辺を更地にするくらいは確かに必要だろうね。

 

 すっかり見晴らしのいい荒れ地を見回しても、センサーにも敵の姿は一切ない。もう諦めたのか、そもそもすでに限界が近かったのか。限界が近かったのなら嬉しい。私達がここまで数をすり減らしながら続けてきた戦いが、積み重ねた多くの死が無駄ではなかったんだから。

 

『……どうしますの?』

 

「私が、上って、終わらせるて来る」

 

『では私は下から梅雨払いをして差し上げますわ』

 

 推進剤がないからもう飛べません、ということなので仕方がない。それに下から距離を置いて全体を見てくれれば、こちらも警戒が楽になる。私は足を曲げてしっかりと力を溜め込む。ギシギチと装甲や人工筋肉など、満身創痍の機体の構成物質全てが軋み悲鳴を上げている。まだだ、もう少しだけ耐えてよお願いだから。

 

 一気に大きく飛び上がる。地面が陥没するほどの踏み込みで、鋼鉄の巨体が自力で空へと舞い上がっていく。空気が機体に擦られ引き裂かれる音が鳴る。途中からは推進剤の噴射も加えてどんどん高く、塔の中ほどを目指して上っていく。事前の分析と調査によると、そこに敵の中枢であり心臓であり脳である核があるのだという。

 

 ある程度の高度までは何事もなく登れた。しかし反応が近くなってきたころ薄汚れた茶色の瓦礫を継ぎ接ぎした、まさに残骸の寄せ集めであった塔の表面から見慣れた青白い光を纏う鞭が放たれる。

 

 上に一回転するようにして回避するも、今まで大人しくしていた塔が急に同じような光の鞭、というより触手を大量生産してきた。狙いが甘く回避は容易だけど、無駄に推進剤を食うのが困る。そしてよく見ると光の鞭に見えたけど光の奥には馴染みの化け物共の様な蠢く肉があり、厳密には光る肉の鞭といった感じだ。

 どうやって瓦礫の山から肉を発生させているのかはわからないけど、気持ち悪いし鬱陶しい。うにょうにょとした触手が無数に踊るようにして揺れているのだ。げんなりする。

 

『ふらふらと……! 不規則で狙いにくいですわ!』

 

「適当にばらまいてくれるだけでいいよ」

 

 夢華が下から援護射撃してくれるけど、ほとんど当たらない。鞭の動きに法則性がなさすぎる。自棄になってやたらめったらに振り回している感じだ。こちらに当たるコースをとる物が少ないのはいいけれど、気が抜けないし視界をちょこちょこ遮られて大変に邪魔くさい。何本かは夢華の射撃が命中して千切れ飛んでいるけど、またすぐに新手が生えてくる。

 

 しかも鞭が振られるたびに何かが飛び散るような音がするのも、なんとも生理的嫌悪感をあおってくる。そんな不快な物体に取り囲まれるのはなかなか堪える。それでも所詮は悪あがきに過ぎず邪魔くさいですんだため、何とか目的の反応がある高度まで登ってこられた。ここまで来ると実にわかりやすい。

 

 茶色や灰色の残骸を組んでできたような塔の外壁が、一部分だけ化け物と同じ青い生物的な皮膚とでも呼ぶべき物に変わっている。ぬめり気のある光沢が端的に言ってキモイ。

 

 センサーを集中させ、内部分析を試みる。

 

「……間違いない、ここだ」

 

 場所は確認できた。後はとどめを刺すだけだ。

 

「後ちょっとだけ、私を守って」

 

『ええ、よろしくってよ!』

 

 一ヶ所に留まっていたせいか、敵の狙いがだんだん正確になってきた。しかしここから動くわけにはいかないので、夢華に援護を頼む。私が動かず敵の狙いも定まってきたということは、夢華の援護も当たりやすくなったということだ。後は信じて任せるしかない。私の機体は今から動けなくなる。

 

 元々この塔の外部から核を破壊する役目は紫だったけど、今はもう紫はいない。なら私がやるしかない。紫は私がいたから、あそこで足止めに行ったんだ。なら私はやり切らないと。そも初めからそんなこともあろうかと思ってこの機体を選んだのだ。その選択の理由が今放とうとしている武装にある。

 

 機体のコンソールを操作し、兵器の一覧から最終武装を選択する。赤い警告画面が複数出るけど、今まさにこれを使う事態だ。構わず承認すると、機体が自動で空中に固定され発射体勢に入る。

 

『座標固定。エネルギー、炉心直結します』

 

 胸部の丸みを帯びた装甲が真ん中から外開きの窓の様に開き、外気に晒された内部全面が発射口として組み変わる。展開された装甲の内側も利用して磁場を生成し高密度にエネルギーを圧縮していく。胸部ということはコクピットの目の前で圧縮が行われているわけで、その圧に私自身の体も軋むようだ。

 

 発射の邪魔にならないよう、さらに最後にひと押しするために両腕を横に水平に伸ばし足もそろえて下に伸ばす。肩の部分がスライドして、装甲の内側から小型の発射口が現れる。そして腰の部分にも発射口が同じく現れて、エネルギーを充填していく。同時進行でシステムが発射準備を淡々と読み上げていく。

 

『フィールド、正常に加圧。圧縮率33.4%』

 

 この時点でもう周りには収縮しそこなった余波が巨大な力場を形成しており、私を鞭で打ちつけて必死の抵抗をする中枢塔の悪足掻きはその力場に触れるだけで爆散していく。鋼鉄の巨人に無尽蔵のスタミナを供給する炉心のエネルギーを全開にして、放出したそれを無理やり圧をかけて凝縮までしているのだ。これまでの人類が持つ火器では考えられない熱量がごく狭い空間に満ちていく。その余波だけでも並のミサイルやビーム砲の威力を上回るだろう。

 

『発射軸形成。ガイド照射』

 

 背部装甲が展開、移動して頭の上に突き出す。ここから目標地点へ放出されるエネルギーを誘導する軸、銃でいうなら銃身に当たる部分が形成される。もちろん目には見えないけど。

 

 圧縮した熱量でプラズマが発生し、周囲や発射口に稲妻のような瞬きが断続的に走り始めた。エネルギー充填はもう完了する寸前だ。目標、敵中枢核、ロックオン。

 

『充填率100%。撃てます』

 

「これで最後……発射!」

 

 轟、と発射された最後の切り札が視界を真っ白に染め上げていく。でもどの道目なんか開けてられない。すぐに発射の反動による衝撃と轟音が襲い掛かってくる。思わず呻き声が漏れるほどの衝撃波と揺れに耐えながら、何が何やらわからない爆音にも耐え続ける。脳みそが破裂しそう。目を閉じても感じる光が目の裏側まで白に塗りつぶしていく。

 

 でもここで耐え切れずに発射体勢を崩したら、あらぬ方向に放出が行われてしまう。けどどう耐えたらいい。上下左右の感覚すらもうわからない。ただ全身に力を入れて堪える。

 

耐えろ。

もう少し。

まだだ。

耐え。

もう。

 

『……お疲れさまでした。我々の勝利です』

 

最後に機械音声のはずなのに柔らかな労わりを耳にして。

 

こうして、光の中ですべては終わった。

 




初めてロボットを出産しました。難産でした


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大爆死反省会

前話がゲーム内の話なので、現実は初投稿です。


「ふぅー」

 

 モニターが消え、薄暗くなった筐体の中で一息ついた。流石に結構疲れた。足が震えるほどじゃないけど強張っているのを感じる。こんなに跳んで走ったのなんていつ以来だろう。

 

 ゲーム専用のフルフェイスヘルメットを脱ぐと、こもった空気がもわりと辺りに散る。反射的に匂いを嗅いだけど大丈夫、臭くない。むしろいい匂い。流石私だ。美人は汗も臭くない、これが現実。人によっては美人が汗臭いと嬉しいかもしれないけどね。私自身は自分が臭くない方がいい。夢華は私の汗の匂いが好きとか言ってた。変態かな。

 

 一応このメットには空調機能も付いているけど、これほど長時間装着してしかも激しく動き回ったら流石に機能が追いつかないようだ。ただこんなに激しく運動しても問題がない量の酸素は供給できているから、そこの所は良い評価ができる。

 

 フルフェイスで口も覆われているのに酸欠にならず、息苦しくもないってすごいことですよこれは。風邪の時とかに着けるマスク一枚でも運動すると息苦しいのに。完全に顔を覆ってしまうから、ゲームに熱中している間に酸欠になって倒れるなんてことにならないよう気を使った甲斐はあったね、いい出来だ。

 

「あっついなーもう」

 

 スーツの首元を広げて仰ぐ。こっちのスーツは作業中の怪我を防ぐ防御機能以外にも、体温を調節し内部環境を快適に保つ機能がある。汗を吸収したり熱を吸い取って外部に放熱したり、逆に寒い時には熱をためて冷気を通さない。暑い所で作業する人も、冷凍庫など極寒の場所で働く人もいるからどちらにも対応できるように仕上げた。

 

 それでも着たまま激しく動き続ければメット同様に機能が追い付かなくなるわけで。こんな風に着たまま何時間も走り回ることを想定して作ったわけじゃないから仕方ないよね。通常業務内でそれなりに高強度の負荷を、何時間もかけ続ける運動をする人は少ないだろう。

 

 きつめの肉体労働を生業にしている私でも、負荷が重い仕事は機材の持ち運びとかの短時間で済む作業がほとんどだ。それ以上かかるなら強化外骨格でも使うべきでしょ、文明人なんだから。

 

 しかし意外とこれが難しいんだよね。走っても汗をかかない、というか汗を即吸収するとかあるいは熱を吸収して熱くて蒸れるのを防ぐとか。こういった長時間動いても不快感を感じさせない機能というやつが、当初想定していたよりもだいぶ難しい。なかなかちょうどいい具合の温度にならなかったり、汗や表皮の水分吸収具合の調整だったり。

 

 肌から水分を吸い取りすぎたら乾燥肌になっちゃうし、吸わないと汗も吸いきれなくて気持ち悪くなっちゃうしで両立が難しい所だ。現状最高品質のこのスーツだって長時間の運動を予想して作っているけど、今こうして機能が追い付いていないのが現実だ。悔しい。

 

 この作業スーツは私や夢華たちを監視したり警護してくれている人たちや、なんか映画に出てきそうな特殊部隊らしい人たちにも提供している。あんまり戦争とか軍事に関わる物は作りたくないんだけど、せっかくだから戦闘用スーツに改造して提供した。私たちを守ってくれている面もあるし、多少はね。

 

 現在そんな彼ら彼女らからもデータをとって、もっとこうしてほしいとかの改善要求も収集している。現場的には今でも使用に問題も不満もないとのことだけど、作った私が不満なの。いっぱい、できればいいことに使って、いっぱいデータ集めてくださいな。忌憚のない意見ってやつもいっぱい頂戴ね。

 

 問題や不満がないといわれるのは嬉しいけど、確かに今でもある程度の負荷の運動で済むなら確かに快適なんだよ。それが長時間、高負荷とかになってくるとどうしても着心地が悪くなるのが避けられない。マラソンなんかしたら絶対だめだね。

 

 宇宙開発とか消防関係の人にも使ってもらっているから、温度とか着心地、運動性はもっと改善したいんだけどな。なにせ服の着心地とか体温、汗の管理は集中に直結する大事な問題だ。作業を効率よく行うには、まず作業に集中できる環境を作らないといけない。汗でびちゃびちゃの服を着て細かい作業に集中したり、勉強に没頭するのは難しいというか無理でしょ。

 

 宇宙開発は人類全体の利益や発展に関わる重要な仕事だし、私も大いに関心がある分野だ。その研究開発を手助けし、加速させるためにも是非このスーツの改善をしたいところだ。

 

 

 

 

 

 そんなことをつらつら考えながら筐体を出ると、ゲームが終了した暗い筐体中で小休止していたから室内の明かりが眩しい。目がしぱしぱする。また部屋がほぼ白一色だから光の反射がすごい。目に余り優しくないんじゃないかってくらいだ。なおあくまで例えで、明るさに慣れたら普通に見えるようになるし人体に害のない光量に収まっているのは知っている。

 

 荷物を脇に置いて、大きく背伸びの運動をする。

 

「んんんーーっ……」

 

 机に向かっていたわけじゃなく体は過剰なほど動かしていたけど、一作業終えるとなんだか伸びがしたくなる。そういうことって、ありませんか。私はある。同じように他の筐体から出てきた夢華や紫も揃って伸びをして、ひねってと体をほぐす。三人は仲良し。

 

「おつかれー」

 

「GGでしたわ!」

 

「あー……」

 

 夢華は顔に疲労が見て取れるもののまだ元気そうだが、紫はもう床に座り込んで見るからにしんどそうだ。人語を話すこともできないのか、あーだのうーだのうめき声が意味もなく口から洩れ続けている。

 

 普段ピシッとしてる分、こういう姿は珍しい。あ、でも一緒にスポーツとかすると大抵こうな気もする。体力差がどうしてもあるから仕方ないけど、それでも限界まで一緒に遊んでくれる紫好き。

 

 秘書として後ろに立って控えてたり、主人のために歩き回って諸々を準備したりで体力がないわけじゃない。いざという時夢華や自分の身を守るために護身術や格闘技も嗜みがある。でも肉体労働者の私と、パーティーや教養の一環としてダンスや伝統舞踊を踊る夢華と比べると劣るのが道理だ。

 

 特に夢華のするダンスとか舞踊っていうのは優雅に見えてものすごいハードな運動だ。私も何度か夢華の家のとは別にパーティーに出て、軽くでいいからと踊らされたことがあるからわかる。体力も筋力もある私でも、数曲踊っただけでそれなりに疲れた。楽しくなかったかって聞かれたら楽しかったけど、見た目ほど美しく楽しめる競技じゃない。そう、競技だ。

 

 あれは完全に競技、スポーツの範疇にあるもので、それが優雅で上品な仮面をつけているだけだ。詐欺だよ詐欺。参加した感覚で言うと長距離走か、瞬発力もいることを思えばテニスに近いねあれは。

 

 床に寝転がるなんて行儀悪いって元気な時の紫なら言いそうだけど、元気じゃない紫はそんなこと気にする気力もないか。ついに力尽きて床にひっくり返ってしまった。安らかに眠るといい。職場なのに土足厳禁の室内だし、備品の掃除ロボットが掃除済みで床は綺麗だから寝転んでも平気。床材も柔らかい物だし、しばらく寝てていいよ。

 

「Good Gameっていうけど最後全滅だったよね」

 

 今私たちが出てきた黒い球体型の筐体は、夢華の所が日天堂と協力して出した最新ゲーム機であるVARSだ。私も開発に携わった、夢華がこうしてゲーム事業部を立ち上げるきっかけになったプロジェクトの産物である。

 

 これに使われている技術は、長い歴史とそれに見合う技術がある日天堂でも持たないし扱えない技術ばかりだ。カーレースのゲームを出しているからと言って車が作れるわけじゃないのと同じで、必要になる知識と技術、ついでに設備も違う。畑違いというやつだ。それを理解していた日天堂は、ロボットのシミュレーションゲームを作ると決めた後まず最初に協力企業を探した。そして目を付けたのがこれまでゲーム事業とはさほど関わりのなかった夢華の家だったのだ。

 

 その後どういうやり取りがあったかは知らないけど、次は夢華の家から私に協力のお願いがきて出来上がったのが今までやっていた「人類防衛・科学特務隊」というゲームとその筐体だ。

 

 宇宙の果てから突如来襲した謎の生命体と人類の戦いを描いた作品で、さっきの私たちは末期戦でプレイしていた。末期戦だと人類は総人口半分以下に減少しつつも対抗できる兵器を作り上げ、徐々に敵を退却させることに成功した所から開始だ。

 

 その最後のとどめとして私たち突入部隊が、敵が日本に建設していた司令部であり心臓部であり生産拠点でもある巣を破壊する決死隊として突撃したのである。我々は他の部隊員であるNPCたちの全滅という大きな犠牲を払いつつも敵の防衛線の突破に成功し、紫の身を捨てた誘導によりかろうじて抽出された増援も突破。悪足掻きとして繰り出された手駒として改造された人型の兵器も打ち倒し、ついに敵の心臓部にたどり着き必殺技をお見舞いしてやることに成功したのだった。

 

 さてその結果はというと。このVARSは外側にモニターが埋め込まれており、プレイログの確認やプレイヤーの許可があればプレイを観戦することもできる。それを見るに全員ばっちり死亡してますねこれは。紫は自爆して、私と夢華は最後に敵中枢部を破壊した際の大爆発で吹き飛んだ。みんな爆発して死んでるな。

 

「さ、最終的に人類は救われましたから……」

 

「全体のための自己犠牲を容認するのはよくない」

 

 私が実質自爆したから救われた世界を見ると、確かにやりきったという感慨はある。世界は救われたんだ、私はやったぞって。でもそれを強要される世界にはなってほしくないなとも思う。

 

 結果良ければっていうけど、私がいなくなった結果だし。そしてなんとエンディングはこのやり方だと見られないのだ。まあ普通に考えれば死んでるから当然だよね。でも自分が死んだ後の世界はゲーム自体はクリアでも見せないあたり、日天堂さんも死なないでクリアすることを推奨しているんだと思う。子供向けから大人向けまで幅広くゲーム出しているとはいえ、家族の繋がりや子供の発育を重視している会社らしい考えだ。伊達に老若男女全ての層に好かれているわけじゃないね。

 

「……はぁぁ、ふぅ。ごめんなさい。私のせいだわ」

 

 復活した紫が開口一番に謝る。まあ私の自爆と夢華の巻き込まれ爆死は確かに紫がいなかったからだ。紫の機体が唯一、敵中枢部を爆発範囲外から破壊可能な武装を積んでたからね。私の武装も破壊する威力はあったんだけど、見てのとおりというかやっての通り使うと私も死ぬ。ついでに援護もいるので援護してくれた仲間も死ぬ。

 

 一方紫のは機体に組み込まれた武装で、機体のエネルギーの大部分を使い反動も大きい。けれど結構な遠距離から敵中枢を粉砕可能な破壊力を持っている。対人で知らずに使われたらチートを疑うレベル。攻撃の余波だけでほぼすべての機体が消し飛ぶ。その代わり反動に耐えうるボディとその威力を叩き出すエネルギーが必要だから、一定以上損傷すると発動不可になってしまうのだ。逆に言えば元気ならインターバルはいるけど何発でも打てる。敵の中枢部とかいうラスボスの核を一撃で破壊するに十分な威力が、タメとインターバルはいるにせよ複数回撃てるってバランスおかしくないか。

 

 おそらく日天堂の開発陣にこの機体を好きな人がいるんだろう。こんな感じの巨大ロボットのゲームとか特撮とか、お宅が色々出しているの私は知ってるんだよ。いいけどさ、多少の依怙贔屓は。

 

 とにかくそんな馬鹿げた威力の武装を撃つために、機体も頑丈にできている、はずだったんだけどね。武運拙く、目標地点にたどり着くまでに発動不可まで追い込まれてしまったわけだ。紫の腕の問題と言えばそうなんだけど、でもはっきり言ってそれ以前の問題だよね。これはチーム戦なんだから。

 

「そんなことはありませんわ。紫の疲労や技量を考慮した上での編成でしたもの」

 

「そうだよ」

 

「でも私があんなにやられたから」

 

「守り切れなかった私たちの問題ですわ。あなたを無事に中枢まで送る作戦でしたのに」

 

「そうそう」

 

「それは私が最低限の自衛もろくにできなかったせいで」

 

「確かにそこは問題でしたわね。それ程まで疲れているのなら、やはり作戦開始前に休憩をとるべきでした」

 

「そうよね」

 

「うっ……でもそれも私が無理を言ったから」

 

「無理をしていらしたのはわかっていましたわ。その上で続行を決めたのは私。その責任も長である私にあります」

 

「そうわね」

 

「無理を通してもらってこれだもの。ごめん」

 

「いいんですのよ。ただもう無理はしないでくださいな。私達は紫と楽しく遊びたいだけなんですもの」

 

「そうよね」

 

「そうね。反省した……」

 

「わかってもらえたなら良いですわ」

 

「良いわよ」

 

「ありがとう……ところでだんだん相槌が適当になってたけど、何してるの?」

 

「そうですわ。私達チームの絆が深まる重要イベントですのに」

 

「イベント言うな」

 

「好感度と信頼度の両方が上がってお得なので、是非ともこなしておきたいイベントでしたわね」

 

 恋愛ゲームの解説みたいな言い方やめなよ。大体今更私たちの間で好感度や信頼度上げする必要あるかな。上限に達してはいないけど、必要域には達していると思う。何に必要かはわからないけど。

 

 そもそも愛に上限ってあるのかな。私はいつからか二人のことを愛しているけど、気持ちは増大すれど減じていない。だから上限があったら到達してそう。でもイベントをこなすことでレベルキャップが更新され続けているという可能性もあるな。フラグを立てられることで、私からの好感度の上限が解放される感じで。好感度上げに失敗してたら世界が滅亡していたかもしれない。私は世界の命運を左右する系ヒロインだったのか。

 

 それはともかくようやく話が終わったようで、紫や夢華がこっちに話を振って来る。でも何してるって言われても、仕事をしてるんですけど。

 

「今のゲームプレイのデータやログを見てるんだよ」

 

 ゲームシステムの内部設定とか、その設定だとどのようにAIやNPCが動いたのかとか。データ設定とログを比較して動きを確認していたのだ。普通は見れないけど、開発者なので専用の見方がある。

 

 私は筐体自体は開発したしそれに関わるゲームシステムも協力したけど、いわゆるゲームとなるための部分はノータッチだ。私の仕事じゃない。それにゲーム中は初プレイなのもあって、他の挙動を観察するほどの余裕がなかった。ぶっちゃけゲームに夢中だった。

 

 いや流石に最古参のゲームメーカーの出すゲームだわ。自分が関わってたことも忘れて楽しめた。正直もうちょっとつまらないかと思ってたけど舐めてたね。がっつり没入感のあるゲームだったよ。しっかり感情移入していけるだけのポテンシャルがあった。子供向けのゲームが多いから、子供っぽい感じかと思えばあの気持ち悪さとかグロさは完全大人向けだよ。

 

 気持ち悪くも強大な敵とかBGMがないことで現実味が増す演出や、実際にロボットを動かして収集した音や振動を使ったリアルなロボットの駆動感とか。歩くのに合わせてズレなく振動が来て、画面も適当に振るんじゃなくて正確に動きに合わせた上下をするんだもんね。

 

 味方のNPCも複雑なAIにすることで人間味が増して、共に戦う仲間としての思い入れも強くなった。あとは任せたとか言われると、任せろって気にさせられてしまったぞ。瓦礫の転がり方とか風に砂ぼこりが舞う様子、飛び散る破片とかの物理演算も現実と違いがないくらいだった。明暗の付け方とかもいい感じで、ゲーム的には見えにくく不便な面もあるかもしれないけどリアルさを追求するなら多少不便であるべきだよ。

 

 総評すると、大変良いゲームだったと思う。これは話題になるわけだわ。そしてこれを作ってしまったら、それは次回作も期待されるよね。私もこれなら次のゲームも買おうかなって思う。これは責任重大だなぁ。

 

 

 

 

 

 そんな風にゲームの感想を話したりログを見て反省会をしていると、水を飲んで一息ついた紫が私の方をじっと見ている。見てくれているのでとりあえずセクシーポーズをとった。ちょっと体を横向きにして片腕は頭の方へ持ち上げる。もう片腕で胸を持ち上げて強調して、腰を少しくねらせてお尻も強調。

 

 どうだ、私の艶姿に悩殺されていいよ。

 

「何ポーズとってんのよ。そうじゃなくて、あんたなんて格好してんのよ……」

 

「こんな格好だい」

 

「胸を張るな、尻も突き出すな」

 

「そのスーツだけだとエッチ度が高すぎて、私のお脳が破壊されてしまいそうですの」

 

 脳が破壊されるて。私の下着姿は怪電波かなんか出してるのか。上と下を脱いだだけでしょうが。下着だけなんてはしたないと言われれば返す言葉がないけど、下着というか全身スーツなんだよね。肌見せしていないからはしたないってこともないんじゃない。かと言ってこの姿のまま外行けるかって言われたら無理だ。やっぱりはしたないかも。

 

 でも私たちしかいないんだし、互いの下着姿なんて見慣れているからセーフセーフ。それよりもひどいのが二人もいるし、私なんか可愛いものでしょ。

 

「二人の格好の方が、ちょっとひどいと思うんですけどー」

 

「うぅっ」

 

 図星か。指摘された途端に、運動後の火照った顔をさらに赤くして縮こまる紫。それに対して全く気にせず胸を張る夢華。

 

「運動するのにふさわしい格好でしてよ?」

 

「夜の大運動会かな?」

 

「やめて……許して……」

 

 あーあ、丸まっちゃったよ。今の紫なら穴があったら迷わず入っちゃうだろう。むしろ穴を掘りだすかも。

 

「伝統ある体操服ですわ。何も恥じることはございませんことよ」

 

「嘘でしょ。絶対ただの趣味でしょ。いい趣味じゃない」

 

「それはそうですわよ、当然ですわ」

 

「本性見せたな」

 

「はっ!? ……そうよ!」

 

 開き直るな。縮こまってしまって、逆にエッチに見える紫に申し訳ないと思わないのか。かわいそうに、こんなにお尻をプルプル震わせて。エッチだ。床に土下座するような感じで丸くなっているから、プルプル震えるお尻が強調されていて大変良くない。実に良くないなあ。

 

「私は女性の白い体操着とブルマが好きなんですの! だから私は趣味と実益を兼ねて使いました! それだけのことですの!」

 

 はっきりと趣味って言ったぞこやつ。少しは悪びれろ。それにしたって、またニッチな趣味をしてますねぇ。かつて絶滅し現代において一部で復活したようで、地方で生存が確認された希少種であるブルマとは。

 

 どっからこんなもの手に入れたんだろう。そして趣味と言いつつ、見るだけでなくてちゃんと自分も着るのね。紫にだけ強要しないあたりは潔いというか、なんというか。でも見ていると、紫には悪いけど可愛いからいいかという気がしてくる。そんな気にしなくていいじゃない、誰も見てないって。

 

「私達はモデルでもマネキンでもない。言いなりにはならないぞ。……でもそこまで好きなら、今度着てあげようか?」

 

「やったぁ! 四季ちゃん素敵ですわー!」

 

「結局言いなりじゃないの」

 

「私が自分の意思で着るからセーフ」

 

 むしろそんなに恥ずかしがるくせによく着たよね。言いなりなのは紫の方だと思うんですけど。やーいお嬢様の言いなりエッチメイドとか言ってやろうかと思ったけど、どっちもどっちで不毛な争いになるのが目に見えているからやめておこう。

 

「はぁ、まったくまた四季は夢華を甘やかして……クシュッ」

 

「汗が引いて体が冷えてきましたわね」

 

「私はこのスーツのおかげでだいぶましだけど、それでもタオルかいっそシャワー浴びたいね」

 

 ついでにこのヘルメットも清掃容器に入れておかないと。汗をこっちもたっぷり吸ってる。このままにしておくと次に装着する時が地獄になるよ。女の子のでも汗は時間が経つと臭くなる。私たちみたいな美人でもだ。残念ながらこれは物理現象なのでどうしようもない。私たちの汗は体臭を改善するサプリを飲んだりしているのでだいぶフローラルな香りするけど、それも限度がある。

 

 ちなみに私は夢華と同じバラで、紫はバラは濃くて立場上ダメというのでジャスミンだ。私たちはバラでも濃いとは思わなかったけど、紫に言わせれば私たちの汗を嗅ぐと色香がむわっと濃くて頭がくらくらするんだそうだ。

紫だけじゃないのそれ、と思ったけど夢華の家のメイドさんとかも同意見だったので、一般的にこのバラの体臭は濃くなりすぎるらしい。

 

 私たちも変えた方がいいような気がするけど、夢華は似合ってるし威厳も出ていいんだって。いいのかな。でもスタイリストとかの専門的な人が言うんだしいいのか。一方の私は一般人なんだからどんな匂いさせるも個人の自由ってことで、変えなくてもいいといわれたので変えてない。紫が文句は言うけど私たちの匂い結構好きそうだったのもある。

 

「それにもうお昼も過ぎてるわ。動きすぎて食欲ないけど、でも何か食べないと」

 

 ああ、わかる。激しい運動した直後に食事はちょっときついね。体にも悪い。でも確かにいい時間だし、一休みするとお腹空いてきそうね。けどまずはスポーツドリンクかな。汗かいたし水分と塩分とその他を補給しないと。紫には脂肪燃焼に効果のあるやつが給湯室にあったらそれをあげよう。なくてもまあ、わざわざ取り寄せまでしなくていいでしょ。明日から常備しておけば十分。

 

「そうですわね……ラブリー! ラブリー!」

 

 夢華が装着した端末に呼びかける。紫はまだ動けそうもないし、私は話が終わるまでまたデータでも見てるかな。

 

 

 

 

 

 そう思って筐体に向かいいくつか作業を済ませておこうとしたけど、ふと重要なことを忘れているのに気が付いた。いや、その前にクールダウンしなきゃ。

 

 日頃肉体労働している私にも結構な運動量だった。それに普段とは違う筋肉を結構使ってるし、しっかりほぐしておかないと後がひどくなるかも。この辺を甘くみると最悪筋肉を傷めたりして、いらぬ怪我をしかねない。それによく頑張ってくれたんだから、自分の体であっても、あればこそ労わってあげないと。

 

 動けないほど酷使した紫はなおさらしないとまずいね。でも自分じゃできないだろうし、仕方ないから手を貸してあげるか。ついでにブルマのお尻を触ってみたい。やっぱ見た目通りにすべすべするのかな。

 

 まだ呻いて床に突っ伏してる紫に近づく。はーいお体に触りますよー。クールダウンしないと体に悪いですからねー。大丈夫ですよー痛くないですからねー。大丈夫大丈夫、大丈夫。だい……

 

大人しくしろ!

 

「やめ、やめて、私まだ動けな、いったい! 痛い!? あああああああ!」

 

「はいはい、大人しくストレッチしましょうねー。はいギューっと」

 

「ぐえぇ股が裂ける……!」

 

「そんなに伸ばしてないでしょー。普段から柔軟はしておいた方がいいって言ったじゃん」

 

 紫の断末魔の様な声を無視して体を押したり、脚を開かせたりと柔軟を強制する。体が硬くなってるじゃない、柔軟さぼってたなこいつめこいつめ。痛い痛いと騒いでいるけど、筋に悪影響が出ない範囲に収めているから痛くても大丈夫。安心していっぱい鳴いてね。

 

 太ももに手を置いて、感触を味わいながらもゆっくりと開いていく。痛い?やめてほしい?ダメだね。

 

 そんな会話をしながら私が紫で遊んでいると、通信相手と繋がったみたいで夢華が話し始めた。こちらにブルマのお尻を向けて話しているので、ぷりっとした紺色が白い部屋を背景にやけに目立つ。

 

「運動して汗をかいたから、シャワーを浴びるわ」

 

『かしこまりました。それではシャワー室の準備をいたします』

 

「ありがとう。その後ね、軽めのランチをいただきたいの」

 

『はい。何かご希望はございますか?』

 

「紫、何なら食べられそうですの?」

 

「んぎぎぎ……ごめん、ちょっと、わからない。何も、食べる気しないぃっ!?」

 

 夢華の問いに呻きながらも答える紫だけど、今はお腹が減ったとも認識できてなさそうだ。一休みすれば徐々に体がエネルギーを求めだすけど、今はまだ全身の筋肉に血がいって胃にまで回ってないんだろう。

 

 ほら、逃げないの。ぐいーっと。あ、無駄な抵抗はよしなさい。おら、さっさと股を開け!

 

「今は軽食くらいでいいんじゃない? 後でお茶にする時もつまめるような」

 

 私も正直今はそんなに食べようって気にならないし。

 

「そうね。では何か軽いものを」

 

『では少々早いですが、アフタヌーン・ティーセットはいかがでしょうか?』

 

「ふむ……。いいですわね。確か四季が英国でいただいた一式がありましたわね?」

 

 私がもらってきて扱いに困って預けたティーセット一式か。ここにわざわざ持ち込んだんだ。まあ夢華に好きに使っていいよって言って預けておいたからいいんだけど、一応ここ会社なんだよね。英国産の本場ティーセットがある会社ってなんだ。

 

『はい、こちらに運んでおります。ケーキスタンドもございますが』

 

「ではそれで用意してくださる?」

 

『かしこまりました』

 

 連絡を終えた夢華が顔を上げる。するとそこには

 

「ああっ!? 紫がひっくり返ったカエルみたいなはしたない姿に!」

 

 大の字というよりも、まさにカエルの様に微妙にがに股な体勢で仰向けに倒れた紫の姿が。

 

「クールダウンも兼ねて、無理やり柔軟させたらこんなことに」

 

 でも柔軟しておかないときっと後でひどいからさ。私も親友のためを思って、涙を呑んで柔軟させたんだよ。泣いて暴れる紫を押さえつけて、あちこち揉み解したり伸ばしたり撫で回すのは心が痛んだ。紫もつらそうな声や苦しそうな声を上げ、顔を赤くしてもがいていて正直エッチだった、じゃなくてきつそうだった。でも紫が悪いんだよ。

 

「仕方のないことだったんだ」

 

「……せめてシャワーまで運んであげましょう」

 

 仕方ないね。

 

 私は紫に近づくと、一気に抱え上げた。お姫様抱っこで。汗でしっとりとした素肌が、手や腕にぴっとりとくっついて何とも言えない感触だった。ちなみに匂いの方はいい匂いでした。抵抗する気力も尽きていたので、私がスンスン匂いを嗅いでいても弱弱しく静止の言葉を漏らすくらいだった。なのでたっぷりスンスンしたりもみもみしながら運んであげた。これはクールダウン、マッサージだから。必要なことだから。

 



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シャワー室(各種サウナ、大浴場付き)

初めてのお風呂(回)なので、初投稿です


「あ~生き返りますわ~」

 

「うあああああ……」

 

 広めのシャワー室、シャワー室と言いつつ浴槽もあるけど、そこに三人横並びでシャワーを浴びている。ぬるめのお湯が火照った体の上を流れ落ちる感触が心地いい。そこにざあざあとお湯が流れ落ちていく音も耳に楽しい。水を使わないシャワーもあるけれど、やっぱりこれだよ。この熱、感触、音。温かいお湯そのものが、多角的に人間を癒してくれる。色々機能が追加されたり、形状に変化があっても愛される所以だよね。

 

 だから宇宙に浮いてるコロニーでも、最初は水なしシャワーだったのが今や温水シャワーに浴槽という通常セットだ。浴室だけ見たら地球上と何も変わらない。大きさ的に一般家庭の浴室というところか。わざわざ私に頼んで、専用の重力室や排水の再利用機能だのつける気合の入りようだった。水なしのシャワーがよっぽど嫌だったみたいだ。

 

 水なしシャワーにも関わった身としてはそこまで嫌うことないじゃんとも思うけど、宇宙という特異な環境にいると原始的な方法の方が心身の安定に良い影響があるのかなとも納得した。実際こうしていると気持ちがわからされる。温めたお湯を体にかける原始的洗浄方法がたまらなく気持ちいい。

 

「それにしても……」

 

 夢華が話し出したと思ったら、私の方を見て口を噤む。

 

「何?」

 

「いえ、本当に大きいですわね……本当に大きいですわ」

 

「なんで二回も言うのよ?」

 

「つい……。改めてじっくり見ると、本当に大きいですわよね」

 

「三回も言ったぞ」

 

「こうして何気なく横を向くと、私、四季のおっぱいしか見えませんの」

 

「ああ、身長差あるからね」

 

 夢華の顔はちょうど私の胸にくるサイズ差だからね。私が一般より背が高く夢華は背が低い方。紫はどちらかと言えば高い方かな。服のサイズが全員違うから、皆で何か着回ししようとすると絶対合わない。地味に面倒なんだなこれが。そんなサイズ差だから並んで横を向いたらそうなるかも。

 

 それにおっぱい自体のサイズも私は自慢の特盛だからね。どうしたって視界に入ってくる雄大で美しい山脈をじっくり眺めるといいよ。生で見られる人は本当に限られた貴重な光景なんだから。

 

「今までもいっぱい見てはいますけど……こうやって立って横で見るのは珍しくって」

 

「基本体洗うときは座るしね」

 

 一緒にお風呂入るときは座って互いの体を洗いあうのが基本だから、並んで裸で立つのは確かに珍しいかも。全員横並びで、仕切りもなくシャワー浴びることってそうないよね。運動場とかのシャワーは一人ずつ仕切り付きだし、公衆浴場や温泉では立って並ぶことってそうない。そもそも裸で並ぶ状況ってどんな状況だって感じ。

 

「ふ~む……どれどれ」

 

「ん? なになに?」

 

 いきなり人の胸を持ち上げるんじゃないよ。夢華の小さい手が私のずっしりおっぱいを下から掴んでいる。小さいから手全体がおっぱいの肉に埋もれているのを感じる。

 

「これだけ大きいのに垂れてないどころか上向きで、でもぷるんぷるんなのが不思議で」

 

「私もそう思うな」

 

「うわ、急に何よ」

 

 今まで黙っていた紫が、人のもう片方の胸を鷲掴みにする。完全に手に余ってる。これで私の胸は夢華と紫の二人が一つずつ分け合う形になってしまった。なんだこれ。体は洗い終えたから別にいいんだけどさ。私の体は二人のものでもあるから別に好きにしてもいいっちゃいいけど、どういう状況だこれ。

 

 あと夢華はともかく、紫の掴み方が少し痛い。なんか憎しみの力を込められている気がする。でも紫に与えられるなら意外と痛いのもいい。新たな扉の入り口が開きそう。

 

「いつも思うんだけど、夢華の大きさなら羨ましいけど、四季までいくといっそ感心するわ」

 

「あら、羨ましいんですの?」

 

「嫌味かっ!」

 

 顔、怖っ!

 

「いえ気になさっているのなら、大きくなさったらよろしいのではなくて?」

 

「その言葉は貧乳の世界では喧嘩を売る言葉よ。かかってこい」

 

 紫が人を殺しそうな顔をしてる。暗黒の力に身を委ねそうな雰囲気だ。でもそういうことが言いたいんじゃないと思うよ。そして手持無沙汰にもみもみされたりぎゅうぎゅう握られたりで、私のおっぱいは話す片手間で玩具にされている。解放してやってくれ私のおっぱいを。

 

「簡単に大きくする方法には手を出さないからでしょ。なのに羨ましがるし」

 

「そうですわよ。今時手術などによらずとも胸を大きくするくらい可能ですのに」

 

 保険は適用されない、というかそんな医療行為のレベルではない。故にそんなに高くもないし手間もかからないし、難しいことでもない。しかもかつてあった、胸に何かを詰め込んで大きくするなんて偽物のおっぱいではない。色々理屈はあるけど、簡潔に言うと胸を大きくする薬を肌からすり込んだり、経口摂取したりだ。それでちゃんと自前の肉でおっぱいが大きくなる。体への悪影響も本当に稀にいるかいないかというくらいで、ほぼないから安心して使える。

 

「その辺はやったら負けだから……」

 

 なんか声が震えてますよ紫さん。どうも心の内で謎の葛藤があるみたいで、彼女の中ではよくわからないが譲れない一線があるらしい。何がどう負けなのかわからないけど、その辺はかつての整形みたいな気分なんだろうか。サプリと根本では変わらないと思うんだけどなあ。薬までいくと本格的過ぎてダメなのかな。でも乳液とかだって根本的には同じでしょ、薬を肌に塗り込むという点では。

 

 私的には今のままの紫と、紫の胸であってほしいからしないでいてくれる方が嬉しい。

 

「手っ取り早く大きくしたくなったら言ってよ。私がぱぱっとしちゃうから」

 

 こっそり感度上げたりとかはするけど、損はしないからいいよね。

 

「できれば私はしてほしくないですわね。今の紫の胸が、私は好きですの」

 

「そ、そう?」

 

「そうだよ」

 

「ありがとう……ありがとうか? ま、まあ私もそこまでする気はないから。それより、今は四季の胸の話でしょ」

 

 そうだよ。いつまで人の胸を揉んで話してるの。紫の掴み方は緩くなったけど手は離さないし、夢華は離すどころかもう両手で弄ってきているんだけど。最初は無意識かと思ってたけど、夢華は絶対意識して揉んでるよねこれ。そんな技巧的に揉まれるとさすがに困る。指先でカリカリしないで。

 

「私、のぉ胸、の話、だっけぇ?」

 

「話ができなくなるから、手を放しなさい」

 

「えー」

 

 私が話しにくそうなのを見て、紫が夢華の手を外してくれた。自分もようやく手を離した。ふぅ。これ以上はいけない領域に突入してしまう所だった。ちょうどいいのでシャワーも止めて、全員でサウナ室へ移動する。長いおしゃべりの予感がするので、口が渇く乾式ではなくミストサウナにした。

 

 というかシャワー室と言いつつサウナまであるのか。もうシャワー室じゃなくてただの大浴場じゃないのこれ。色々ある分には嬉しいけど、どうなんだろう。やりすぎでは。

 

 

 

 

 

「これはね、成長期に勝手に大きくなってきちゃってさ。ほどほどならよかったんだけど、なんか胸もお尻もどんどん大きくなってさ」

 

「そ、そう。それは大変だったわね……!」

 

「で、大きくなるとだんだん重力を感じてきて」

 

「わかります。徐々に負担を感じますわよね。私も小学生高学年あたりから、肩がこる様になりましたもの」

 

「ふ、ふーん……」

 

「このままじゃ今はいいけど、いずれ垂れちゃうんじゃないかなって」

 

「多少はやむを得ないのではなくって?」

 

「多少でも嫌。私は私の体には、私の望む姿でいてほしい」

 

「そりゃ誰だって理想通りになりたいわよ」

 

 多少でも垂れたら、なんかバランス悪いんだよね。あと何かね、やっぱりみっともないというか美しくない。垂れているのが好きとかいう人もいるから、一概には言えないけど。自分の体のデータを入れて成長をシミュレートしてみたけど、気に入らなかった。別にそう不格好でもないんだけど、どうせ大きい胸とお尻なら形も最高になりたかった。

 

 美乳美尻と巨乳巨尻が両立したっていいはず。私は客観的に見て自分が美しい自信はあったし、人並みにより美しくなりたいとも思うのだ。そのための努力だって当然する。

 

「うん。だからなった」

 

「はい?」

 

「私が望んだから、望み通り私の胸は垂れなくなったの」

 

「えぇ……」

 

「私が願うこと全てが現実となる。ううん、するからね」

 

 おぉ、と簡単とも驚きとも取れる声が二人からもれる。そしてそれきり黙ってしまったので、その間に垂れてきた顔の汗を拭う。もうそろそろ止めないと軽くシャワーどころかがっつり休憩になっちゃって、この後仕事どころじゃなくなりそう。もう手遅れかも。銭湯とか行った時の気だるい感じがちょっとするぞ。

 

 そしてお湯と湿気をたっぷり吸った髪が重い。私は毛量多いから、吸水性もいいのかな。普段は髪を解くとぶわあって広がる癖毛も、これだけ濡れるとストレートになる。でも今から水を切って乾き始めると、またすぐに復元しようとするんだよなあ。癖毛どころか形状記憶特性持ってるレベル。

 

 二人も同じように顔を拭って体の水を落とす。紫の水を払って髪を手櫛で梳かす仕草が色っぽい。本人は貧乳だ、くびれがないだの言って気にしてるけど、三人の中で一番色気があると個人的には思ってる。本人に行っても嫌味か、と言われるか冗談だと思われるのであまり言わない私の本音。

 

 確かに胸もないしお尻もないのでメリハリは大きくないけど、女性的なくびれはちゃんとある。むしろくびれ部分が色気たっぷりだとすら思う。好き。

 

「いや~……なんか圧倒されたわ。流石に説得力ある」

 

「普通なら冗談にしかなりませんけれど、四季なら事実ですもの。流石は私の四季。素敵ですわ……」

 

 なんかうっとり顔で胸に夢華がしなだれかかってくる。さりげなく指先で先っぽをくるくるするのやめて。私の胸は玩具じゃないぞ。玩具にしたいならしてもいいけど。

 

「このおっぱいは天才のおっぱいですものねぇ……私たち凡人の理は通じませんわ」

 

「そうだよ」

 

 胸の谷間に顔を突っ込んで、顔を挟み込んでる。よくそれやるけど楽しいかなそれ。疑問に思うけど、せっかくだからそのままおっぱいを両手で挟んで顔を押しつぶしてあげる。

 

「天才とおっぱいは関係ないでしょ」

 

「あるんだな、これが。お忘れかもしれないけど、私は人体のスペシャリストでもあるんだよ?」

 

 医療行為を行う資格も持ってる。薬を作って売る資格も持っている。その他色々、医療や人体に関わること全般の資格を得ている。いらないって言ったけど持ってくださいとお願いされた資格もある。私の取得資格欄はめちゃくちゃに長いのだ。記入する必要に駆られたことがないので助かっている。全部余すことなく記入しろって言われたらめちゃくちゃ面倒だろうな。

 

「医師、薬剤、医療工学、心理、検査等々あらゆる資格を身に着けた、それはまさに人間病院」

 

 ちょっと語呂悪いかな。

 

「私が開発したメディキット・モジュールを装着すればより完璧。その場で手術だってできるんだから」

 

 無菌室を展開し消毒滅菌なども行える素敵装置も内蔵しながら、人間が背負って移動できる寸法や重量に収めた私の手腕が光る一品だ。私の何でも詰め込みたがる癖が出ているとも言える。多目的アームも数本つけて,瓦礫の撤去や動けない患者を運んだりもできる。繊細な作業用の極小アームもあるぞ。さらに手術や応急処置の補佐用のAIも備えてバランスがいい。知識のない人間でも指示に従えば、簡単な最低限の応急手当てができるようになる。これを装備さえすれば患者の出た場所が全て手術室として成り立ってしまうのだ。

 

「お忘れどころか、むしろあなたって世界的には医療の方面で有名なんじゃない?」

 

「現代の真なる錬金術師とか言われてますものね。実際ほら、あの世界的に有名になった発明品はフラスコみたいですし」

 

 ああ、あれね。私の中でも結構自信作。いや、自信のないまま人に見せたりしないけど。数年の研究の集大成って感じの代物だ。フラスコ型になったのは、研究の過程で自然となっただけで別に深い意味はない。形を変えても何ら問題はないし、実際今現場で使用されているものは全然別の形状になっている。ただ発表時点ではフラスコ型だったので、そのイメージを持っている人は多いかもね。

 

「というか私が命名したときはフラスコって名前だったし。フラスコの中の高度治療室」

 

 そういう名前を付けて、設計図や詳細説明と共に大学の研究室にあげたのだ。見た目がもろにフラスコだったからそう命名したんだけど、なんか気が付いたら名前変わってた。別に名前にこだわりはないから好きにしていいんだけど、申し訳なさそうに確認を取られたのを思い出す。ええんやで。

 

「でも発表時には違う名前よね? 今は高治ポッドでしょ、確か」

 

「回復ポッドじゃなかった? 回復カプセルだっけ?」

 

 話しながらシャワー室を出ると、ふかふかのバスタオルが用意してある。真っ白ふかふかのバスタオルで全身をくるむ。柔らかな肌触りが気持ちいい。いいタオルだこれは。体と髪の水をふき取り、全員が拭き終わるのをなんとなく待つと三人揃って広い脱衣所のこれまた広い洗面台に並ぶ。白く美しい大理石の洗面台だ。見て触っての感じだと再合成だね。

 

 大理石の天然物は採取するばかりだったため希少になってしまい、多くの天然資源同様に今では保護対象になってしまった。そこで現代ではかつての天然物の欠片や使用されていない物を回収し、分解後再合成した物を再合成天然大理石として使っている。こんな風に。

 

 人工と何が違うのと言えば、混ぜ物なしの点とかつて使用されていたという歴史である。また人工大理石にも昔からの製法の天然物に混ぜ物をするタイプと、一から成分を合成して作る完全人工タイプがある。でも再合成物も人工物も天然とはわずかにだけど感触や質感が違うので、そのままの上質な天然大理石と比べるとわかる人にはわかってしまうかもしれない。わかったから何だって話なんだけどね。天然物なんか使おうにも、新しい建物に天然物を使っていたら犯罪ですよ。保護されるってそういうことだ。

 

 そんなことをぼんやりと湯だった頭で考えながら、入る前に置いておいた各自の化粧品ポーチから基礎化粧品などを取り出して塗り込んでいく。私は化粧はしないけど、美容のための基礎化粧はばっちりする。美容は積み重ね。人体について勉強したのは美容の為も大いにある。ある意味メディキットなんかは寄り道のおまけだ。美容のために人体詳しくなったり、人体に作用する薬品を学んだりしていく過程で得た知識を社会に還元しようかなって。単純に作れそうだったから作ったとも言う。

 

「高度治療及び高度回復処置用多機能装置……だった気がしますわ」

 

「長い」

 

 元が欠片も残って無くて笑える。何でもかんでも難しい名前つけなくてもいいように思うけど、こういった機器の名称は何に使うのか、何ができるのか表すためのものでもあるからなぁ。割と何でもできちゃう装置だから名前が長くなるのも理解はできる。

 

「結局略して高度治療ポッド、さらに略して高治ポッドもしくはカプセルでしょ?」

 

「どこからポッドやカプセルが出てきたんだろうね」

 

 略って言ってるのに、元の名前に入ってないじゃん。

 

「研究チームに面倒事含めて丸投げしたんだから、それくらい仕方ないでしょ。嫌なら自分で発表しなさい」

 

「嫌です……イヤイヤ」

 

 絶対面倒なことになるもの。私騒がれるの嫌い。そういう発明をすると、必ずその後しばらくマスコミとかが張り付いたり取材だなんだと邪魔したり、碌なことがない。それにそれ以外にも開発したいものがあるのに、それのみに専念させられそうなのも嫌。ただで使っていいよって言ってるんだから、後は使って調べて自分の目で確かめろ!

 

「それもあるけど、それ以前から一部の人からは女神扱いじゃない」

 

「ああ……まあ持ち上げられて悪い気はしないけどなんだかな」

 

 ちょっと持ち上げすぎじゃないかって気もする。地下に潜伏する怪しい教団めいた狂信を感じさせるコメントしている人もいるから怖い。謎の信者間で私を崇めて集会開いたりもしてるしね。私は口実で、要はそういう人たちのための集まりなんだろうけど怖いわ、結構本気で。

 

「遺伝子レベルでの性転換や、同性間でも、その、子供を作れるようにしたんですもの。当事者の方々は本当に喜んでらしたわ」

 

「人口も結果的には増えたしね」

 

 結果的に結婚する人が減って、子供も減った発明品もあるから全体で見れば私は人類を増やしたのか減らしたのか。

 

 増えた話では、男にも女にも同性愛者はいる。いるが子供を持てるカップルはまだ少数だった。そんな彼らが簡単に、子供にも親にも悪影響なく子供を作れるようにしたのだ。これまでの技術では片方の性だけが技術的になんとか可能であり、それも金や手間がだいぶかかってしまった。それが私の技術が普及した今や両性共に可能で、簡単で安くお手軽になったわけだ。そうなるともう、当然の帰結だ。高くても時間がかかっても望む人はいただろうけど、お安くお手軽だったからなおさら喜ばれた。もう爆発ですよ。

 

「技術が広がってからの人口爆発はすごかったらしいね」

 

「まあ……ねえ? 気持ちはわかる気がするわ」

 

 今までどんなに愛し合っていても子供は難しかった二人が、愛し合えば愛の証を授かれるとなったらね。それに子供が欲しくても作れない体にしかなれなかった性転換も、きちんと生殖機能もある異性の体に生まれ変われるようになった。生まれた時からそうだったような歪さのない異性の、本人的には正しい性別の体にきちんと変わるということは子供もつくれるということだ。

 

 発表されて実証が行われ、信頼性もあるとわかったら予約が殺到してえらいことになった。そして当然の帰結として波が引かない内に今度は妊娠、出産ラッシュだった。全国の病院の病床を埋め尽くしかねない勢いだった。そんなに悩んでいる人たちがいたんだなと驚かされたもの。

 

「今までそれだけたくさんの方が、愛する方との子供を得られなかったということでもありますの」

 

 そうなんだよね。私は詳しく知らない話だけど、愛し合い子供を授かるのは同性同士でも夢見るものらしい。同性を愛することと、子孫を残す本能は別ってことなのかな。本能に逆らった同性愛でも、本能に従って子供が欲しいと思うのか。本能に従わなくても愛は子供を求めるのか。

 

 ただこれでもう生産性がないとかいう、最低な罵倒を受けることはなくなっただろう。一方でアイドルとかが同性の友達同士で二人でいても、スキャンダルみたいに煽られてて大変そうだ。そのニュース記事を見た時にはそうだよね、そうなるよねって思ったよ。同性同士でも恋愛、結婚ができて子供までできるならもはや同性といてもスキャンダルになりうるわけだ。でもそんなこと言いだしたら切りがないんだよなあ。スキャンダルになるくらい同性同士の恋愛や結婚も一般的なものとして認められてると考えたら良いことなんだろうけどね。

 

「四季の発明は倫理や宗教的な批判もありますけれど、偉大なことだと私は思います」

 

「ん、ありがとね」

 

 宗教関係者とかの連中からは悪魔の使いだ、魔女の技だとか言って忌み嫌われたりもするけど、夢華と紫が認めてくれることの方が私には大きい。二人やそれ以外にも身近で事情を知る人たちがほめたり、喜んだりしてくれると私だって人並みに嬉しくなっちゃう。

 

 夢華や紫が私のやったことを知るためや後押しするために、同性婚や生殖技術、性転換施術等の普及や周知などに手をまわしてくれたことも知っている。私が結婚したり子供産むわけじゃないけど、技術が評価されるには実施の場が必要だからね。友達思いの親友を、二人も持って私は幸せ者だよ。

 

 

 

 

 

 美容を終えると三人揃って洗面台の椅子に座り、頭上からヘルメットめいた乾燥機を引き寄せる。全員髪が長いのでぐるりと頭に巻きあげた後でそれを被せないといけない。でもこれでちょっとしたら綺麗に髪が乾くという仕組みで便利だ。自分でドライヤーを手に持って、一生懸命動かさなくていいのは本当に助かる。

 

 髪が長いと洗いと乾燥がとにかく大変なのだ。これがない銭湯とか温泉もたまにあるけど、そこだと一生懸命手を動かす羽目になるし乾きムラがあるしで困っちゃう。髪は女の命でありその美しさも自慢なので、痛んじゃわないように乾かすのにも気を使っているのだ。美を作るのも維持するのも裏には涙ぐましいほどの努力がある。大した努力もせずに美人はいいよねとか、持って生まれたものが違うだの言い訳をする女性のなんと多いことか。私は悲しい。

 

 しかしそんな努力がいる髪もこの機械だとぼんやり頭を預けているだけでいいから楽だし気持ちいい。お風呂上がりのマッサージチェアみたいな感覚だ。温かく柔らかな風、頭皮のマッサージにお手入れ用のオイルを塗布したりと至れり尽くせり。

 

 ああ~、と同じような吐息が全員からもれる。

 

「ああ~、いい。大変良い」

 

「あ~集中して画面を見てましたから、なおさら気持ち良いですわ~」

 

「気持ちいい……いいけど、もういっそ全身マッサージしたくなる……」

 

 わかるわ。長時間の運動で疲れた体をお湯で温めてほぐし、丹念にマッサージやエステをする。これより気持ちいいことはそうそうないと思うな。頭だけされているから、もう全身やってくれって気分になる。全身やってほしくても、頭だけの機械なのでどうしようもないんだけど。乾燥が終了したので外し頭上に戻す。

 

「そういえばさ、着替えがいるっていうのはこのことだったのね」

 

 泊まり込みや研究用の荷物は事前に指定場所に送ったけど、手荷物に着替えがいるっていうから何かと思ってたんだ。

 

「そうですわ。せっかく作ったゲームですのに、やってないって言うんですもの」

 

「これから開発するのは別のゲームだけど、どんなものを目指すかくらいは知っておいてもらいたかったのよ」

 

「いや、嫌いとかやりたくないわけじゃないけど、他にやること色々あったからさ」

 

 本当だよ?ただ元々そんなにゲームする方じゃないから、つい後回しになっていた自覚はあるだけに申し訳ない。一応私も開発に携わったからか、完成品のゲームソフトとゲーム機本体をもらってる。だからいつでもやれるんだけど、わざわざやろうという気もそんなに起きなかったんだよ。やってみたら思ったよりはまったけど。すごいわ、老舗の技って。こんなもんかなと想像はしていたんだけど、良い方向に全然違った。

 

「でも午後はどうするの? もう無理でしょ?」

 

「無理。死ぬ」

 

「あ、はい。……午後は、私配信を行おうと思ってますの!」

 

 配信……ああ、あれね。初めてゲームを共同とは言え開発するから、その宣伝として始めたらしい。ゲームの開発状況や、サンプルとして開発段階のデモプレイとかを配信していた。発売してからは正規版を攻略していく動画や、ゲーム機の性能や使い方の説明。視聴者との協力プレイなんかもしていた。最近は発売して少し経ったので、これから始める新規の人や初心者向けの解説なんかもしているようだ。

 

 配信を始めますの!と連絡が来たので、見てほしいんだなと思って一応全部見てる。見ないと悪いかなって思って見始めたんだけど結構面白い。他の配信者のことは全然知らないけど、視聴者の反応も好意的だし数も多い方だろう。ゲームや紫に振り回されている夢華が可愛い。ゲームもきちんと予習してくる紫も可愛い。雑談配信は普段三人で話している時より余所行きで、お澄まししているところがあったりなんだか新鮮で面白い。ラジオ代わりに作業しながら流したりしてる。

 

 ただ内容やその出来も気になるけど、何より視聴者の反応や感想とかが気になっちゃう。批判的だったり馬鹿にしたような感想の奴がいると腹立つし、好意的な反応の人がいると嬉しい。本名と顔を出しての配信だから、良からぬことを考えたりあるいはしたりする奴も出てくるし。そういう人はすぐ情報を洗い出して夢華の実家の方に送っておいた。しかるべき処置がとられたことだろう。夢華も紫も私が守る。でも私がしなくても夢華の実家とか監視の人とかが適切に処理するだろう。少なくともこの都市で夢華に不埒な真似なんかしようがないし、したら問答無用で消されるよ。私も許さない。

 

 だからゲームの内容も知ってはいたんだよ。でも知るのとやるのはやっぱり違うもんだね。見てるだけと違って焦りや緊張があるし、自前の手足や脳みそを動かさないといけない。見てる時は何やってるの、と思うようなことも自分がプレイしてみると同じことしちゃったりしてね。これ一人称視点のゲームだから、実際にプレイ中は配信で画面全体を見ているより当然だけど情報量が少ない。やってみると外野から見ているのとはやっぱり違ったよ。

 

「私も毎回楽しく見させてもらってるよ」

 

「ありがとう! 何より嬉しいですわ」

 

 乾燥を終えた髪を櫛で梳かし、整える。邪魔に思うこともあるけれど、自慢の髪だ。ここまで長くするのに時間もかかった。丁寧にゆっくりと櫛を通す。紫がまだ自分の髪を整えているからか、夢華も自分で整えている。

 

「私はその手伝い。四季には何してもらう?」

 

「本当は配信に出てくれたら嬉しいのだけど……嫌でしょう?」

 

「嫌」

 

 やだね。むしろ二人はよく世界中で視聴可能なものに顔と名前出して映るよね。夢華の方は家を継ぐ者として、会社のための顔、広報の意味があるのはわかるけどさあ。昔からこの都市のみで配信の番組とかにも出てるから、顔出しには慣れているんだろうな。紫もそれに付き合って、お付きになってからは番組に出てるし。

 

 でも私は嫌だわ。ただでさえ色々面倒な立場なのに。そもそも許可出るのかな。私の監視や警護チームがだめだっていう気もする。

 

「ですので初日ということもありますし、まずは仕事環境を整えていただこうかと」

 

「そうだね。せっかく専用の開発室に機材をもらったんだし、私用に調整する必要があるか」

 

「機材の配置も好きにしていいわよ。適当に設置したから使いやすいようにして。あとこっちに送った荷物もそのまま保管庫に入れておいたから」

 

「整理はご自分でお願いできますこと? 私たちが触るのは怖くて、ラブリにも搬入用のコンテナのままで運ばせましたので」

 

「わかった。でも別に危険物なんかないよ。代わりに面白い物はいくつも持ってきてるから、いずれお披露目するね」

 

「楽しみですわ!」

 

「そうかなあ……」

 

 夢華は素直に喜んでくれるから嬉しいなあ。紫も疑わしそうな顔してないで、期待して待ってて頂戴。あなたの四季ちゃん特製のびっくりアイテム大集合だぞ。世界の度肝を抜いたりひっくり返したりする素敵なおもちゃがいっぱいあるよ。

 

「あ、ラブリのメンテナンスとアップデートもしておくね」

 

「よしなに」

 

「かしこまりました、お嬢様」

 

 ちょっと気取って返してくるものだから、こっちも丁寧に深々としたお辞儀で返す。

 

「何やってんの、あなたたち……。ほら、遅くなったけどお昼食べましょ。落ち着いたらお腹空いてきたわ」

 

 食欲ないって言って、一番へばってたくせに。なんか釈然としないけど、確かにお腹は空いたから従っちゃう私であった。

 

 

 

「あ、そうだ」

 

「今度は何よ」

 

「何かありまして?」

 

 服を着る前に、ふと思いついたので夢華たちにこっちを向いてもらう。

 

「ふふん……どう?」

 

「どうって何がよ。お尻突き出して、叩いてほしいの?」

 

「違わい!」

 

「美味しそうなわがままお尻ですこと。舐めてもいいですの?」

 

「舐め……まあいいけど」

 

「いいのか……」

 

「胸の話をしたからさ、お尻もどうかなって。天才の美尻を好きなだけ見てってよ。二人だけの特権だよ」

 

「お安くしとくよ?」

 

「安くないよ!」

 

「紫が見ないなら私が見ますわ」

 

「いや、私も見る」

 

「見るんだ……」




一話丸ごとサービスシーンをするという英断


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メイドロボはメイド人間より家電に嫉妬する

初登場キャラがいるので初投稿です


 お昼はハイソな気分になる、実際目玉が飛び出るほど高価であろうティーセットで軽食をいただいた。英国貴族、それも伝統と格式ある由緒正しい大貴族、らしい家の人たちからプレゼントされた一点物だ。物は軽いけど存在が重いわ。

 

 カップや皿の一つ一つから風格と気品がお茶の香りに負けず香ってくるようで、実際に使用すると少々緊張する。使ってくれと送られた物だけど、むしろそのせいで緊張する。私は物は大事にする性質だし、このお上品なカップだとかは繊細で優美で早い話が薄くて壊れやすい。送られた物を壊してしまうのは可能な限り避けたいけど、大事に仕舞い込んで使わないのも良くない。

 

 この美しく壊れやすいティーセットは薄く脆く儚さすらある一方で、目を惹きつけて止まない圧倒的な存在感も兼ね備えている。送り主であるレディ・グレイスをモチーフに作られたらしいけど、雰囲気も存在感もよく似ていて大した腕だと感心させられる。

 

 秘境に積もる白雪を思わせる彼女の肌のように滑らかな白磁の上、純金が春の日差しに溶けたような彼女の柳髪の如き金が精巧な模様を描いている。白磁の一部には夏の日差しに煌めき揺れる湖面の様な彼女の瞳の青が、眺めているだけで彼女の艶麗な香気が漂ってくるような豪華な青薔薇を咲かせている。

 

ようは腰が抜けそうなほど美しいけど、その美しい姿全てに彼女を思わせる部分が入っているというね。何か直接言われたわけではないんだけど、言わずとも伝わるこの露骨なプレッシャーよ。一緒にもらった茶葉も彼女が愛飲している物で、飲み続けると体臭が変わる。つまり彼女の匂いのするお茶とも言える。それを大量に送られた。彼女のような美しいティーセットで、彼女の匂いのするお茶を毎日飲めと。

 

 時折電話が来て確認されるので、大人しく毎日飲んでます。普通においしいしね。ただ圧がすごいだけで。お茶とセットに罪はないから……。

 

 このすごい念の籠ったティーセットは、業界でも有名な高級品メーカーのオーダーメイド品だ。お店に行って買い物するんじゃなくて、お店側がペコペコしながらやってくる本物のお金持ち流買い物だった。お店の人がすごい緊張してたけど、それでも物腰も口調も滑らかで洗練されているあたり店側も流石だよね。そんなお店の人をそこまで緊張させる私の女王様もすごいけど。

 

 一般庶民の私にはわからないけど、やっぱり立場とか階級ってあるんだなぁって実感と共に理解した。私と過ごすときも綺麗で優雅で理不尽な女王様だしね。生まれ持った傲慢があるよね、嫌味じゃなく。生まれ育ちがもう違うって言うか、傅かれ敬われるのが当たり前っていうのが身に沁み込んでいる。遊びで言われたとはいえ、舐めなさいと言って足を差し出す仕草が堂に入りすぎててもう、もう。

 

 普段からこんなことしているのって聞いたらあなたにだけよって言われたけど、喜んでよかったんだろうか。体に触れさせるのはあなただけって言われたんだから、とりあえず喜んでおいたけど。好意と信頼が嬉しかったのも確かだったけどさ。なんか間違った気もする。

 

 そんな呪いの様に情念の籠った豪華な食器での昼食後、夢華と紫は配信の準備をすると言って配信用の機材を備えた専用部屋に移動。私は自分用に与えられた開発室に向かい、事前に運び込まれた機材や荷物の整理に勤しんでいた。

 

 あ、お昼ご飯はおいしかったです。ラブリが私の好きなサンドイッチも用意してくれててよかった。やっぱりお昼の軽食で紅茶も飲んでってなったらサンドイッチだよ。卵のたっぷり入ったやつと、キュウリのシンプルなの。これは欠かせないよね。流石に夢華の家が用意した食事だから、全部天然物だったからおいしかった。

 

 一方で研究室の方はあんまりよろしくない状況だった。手を抜いたとは思っていないけど、わからなかったんなら事前に聞いてくれれば間取りや配置の指定くらいしたのに。適当の言葉通り本当に適当に配置していたから、一通りの満遍なく移動させないといけない大仕事だ。適当にっていうのは程よいの意味で使っててほしかったね。

 

 嘘は言ってないよ?言ってないけどこの適当はいい加減の方だし、それにしたってひどいもんだ。私用の開発室っていう話、あれはみんな嘘だったんだな。ここは大きな物置か倉庫だ。そう言ってやりたい気もしたけど、下手に素人に配置を決められているとそれはそれで面倒だったので、どっちが良かったのやら。仕方ない。好きにしていいんだ。プラスに考えよう。

 

 プラス……本当にプラスか……?事前に打ち合わせして、業者かロボットにでもやってもらえばいいだけの話では……?

 

 自分をポジティブに騙しながらとりあえずは開発室内にある小部屋で配置を設定。こちらの部屋は小さめのデスクに椅子、一休み用のベッドやラックなどでこじんまりまとまっていて良い感じだ。

 

 研究室の一角に設けられた保管庫に向かい、事前に研究室に置かれていた作業用の中型強化外骨格を取り出し装着。重たい機材をあっちへ運び、こっちに移しとせっかく休んだのにまた肉体労働である。というか事前に作業用のため蛍光黄色で目立つ外骨格があるっていうのは、最初から私に重労働させる気だったんじゃないか。なかったらなかったで自前のを出さないといけないから面倒だったけど、なんだかな。

 

「あーまいった……面倒くさい。これじゃ研究者じゃなくて引っ越し業者だ」

 

 行ったり来たり、持ち上げては降ろし。もちろん普段の仕事でもこんな風に荷物や機械を運ぶことはある。でも今は仕事ではなくて仕事をするための準備で、必要とは言え別にやる気の出る作業じゃない。早く本業に取り掛かりたいのに。

 

 でも自分好みの配置を考えながらああでもない、こうでもないとしていると部屋の模様替えみたいだ。いや、家具ではないけどやってることは実質そんなものか。模様替えも考えるだけなら楽しいけど、自分でやりだすと楽しくなくなってくるからね。最初はいいけど途中からうんざりしてくる。少なくとも私は途中で飽きるタイプです。

 

 機材以外にも機材を置いたり作業するテーブルや台なんかも移動経路や、緊急時の避難なども考えて配置していく。私はオフィスデザインや建築の専門家じゃないぞ。もうこれからは作業用のロボットを置こうかな。そうすれば指示だけでいいし。でもこれが終われば、そうそうここまで大規模な運搬作業はないだろう。かといって必要になってからでは遅いし、後で相談してみようかな。

 

 

 

 

 しばらくかけて備え付け以外の様々な機材を一通り並び終えた頃だった。

 

「造物主様、ラブリ、参りました」

 

 クリーンルームと警備用扉による三重の開閉音が連続して鳴り、振り返る前に声をかけられた。

 

「ラブリちゃんやっほー。いいタイミングで来たねえ」

 

「先ほどはきちんとご挨拶できず申し訳ありません。お久しぶりです造物主様」

 

 振り返ると目に入ったのはやや小柄なドーロイドが、深々と腰を追ってお辞儀している姿。ラブリちゃんだ。今日も夢華に似せた小さな縦ロールが可愛い。

 

 彼女は私が数年前に夢華におねだりされ、専用機として作ったオーダーメイドのドーロイド。夢華に似せた眩い金髪を小さい縦ロールにして顔の横に垂らし、後ろ髪は頭のすぐ後ろで二つ結びに分けて背中の半ばまで流したロングヘア。

 

 顔には夢華の目と同じ緑色の、大きな楕円形のカメラアイが白銀の肌についている。この肌素材の美しい白色は私の渾身の作だ。メタリックなのに冷たすぎず、いっそ艶めかしい艶がある。艶と色彩の調整が難しかったけど評判が良かったので、彼女以降の市販機体でも肌材に使用されている。そんな疑似皮膚で覆われた顔にはぱっと見では口や鼻はなく、つるりとした皮膚素材のみだ。

 

これはドーロイド全体の特徴でもある。嗅覚センサーや口に相当する機能はあるが、あえて外見に出す必要もなかったので思い切って顔は眼だけにしたのだ。目や鼻があると人間味が増してしまい、人型に忌避感を抱く人たちの反発も受けやすいだろうという考えとか色々あったけど、やってみるとむしろこの方が可愛かった。

 

 なのでばっさり外見から排除したけど見えないだけで嗅覚はあるし、口は一見するとないだけで開けば人間の顔と同じ位置に口があるとわかる。人間的に言えば唇がなく、肌が直接裂けるようなものだ。口は閉じている時には線も見えない。そう表現するとグロいけど、実際はそう違和感はない。

 

 顔には目しかないけど、その目は人間よりも柔軟に動く。白目や黒目も基本的にないので、顔についた眼そのものが大きさを変えたり形や向きを変えて感情を表現する仕組みだ。わかりやすく言えばアニメや漫画のデフォルメ表現みたいに、目の形自体が大きくなったり小さくなったり尖がったりといった具合に動く。顔についているのが実質目だけなので、その動きだけで感情を示すためには動きが大きい方が強調されて伝わるからだ。あとその方が可愛い。

 

 耳も口などと同じ理由で外見上存在しない。聴覚センサーは人間よりはるかに高性能で、機種によっては動物すら遥かに上回る物が搭載されている。これは何らかの異常が起きる前兆を聞き取ったり、事故や災害等に助けを求める声を聞き取ったりなど緊急事態にも対応するためだ。

 

 ちなみに家の中にいる場合、部屋でひそひそ話をしていても聞き取れる。良くない隠し事は他の家族に報告あるいは自分で叱り、良いことなら聞いていないふりをするなんてこともできる。ラブリも夢華の脱走計画を阻止したり、遅い時間に隠れて夜食を食べるのを阻止したりと有効活用しているみたいでなにより。

 

 ラブリのボディは細身の女性型骨格で、夢華と同じくらいの身長。これは夢華のオーダーだ。目がちょうど合うくらいの身長にしてくれと言うのでこうなった。本当は大き目の方が何かと便利なんだけど、小さい方が可愛いし何より持ち主のオーダーだ。それに合わせるのが仕事というもの。

 

 ただ一般売り上げでも家庭用は小さい方が好まれているのも事実だ。やっぱり小さい方が可愛いからという意見も多い。家庭用なら大きさの不利は機能で十分カバーできる以上、後は好みの問題だからね。あと家の中で稼働する機体は大きいと圧迫感が出てしまう。単純に家も狭くなっちゃうし。一方で警備とか工事とかの現場では、大きい型が比較的好まれる。目立つし威圧感も出るし、大きい分内部の筋肉や特殊機構を増やせるのも利点だ。

 

 外見は白と黒のヴィクトリアンメイド服を纏った女性の姿をしているけど、この服のように見えるのは全て外装パーツなのだ。ドーロイド達は人間のような服ではなく、オーダーメイドでなければ役割に合わせて人間の服装を模した外装を装備している。

 

 例えば病院で働くドーロイドは白衣やナース服を着ているような姿だし、企業の受付や事務をする子はかっちりしたスーツみたいな姿だ。家庭用の子たちの場合は持ち主のオーダーで外装を変更できるため、各家庭の色が出る機体もいる。パーツを買って形から変える人もいるし、表面色だけ変更して好きなカラーリングにするだけの人もいる。

 

 ラブリは夢華の所有なので着せ替えパーツも大量にある。夢華が外出用として、季節に合わせた最新の物を毎年買い込んでいる。ラブリは自分にそこまでお金を使わないでくれと忠言しているけど、聞き入れてもらえたことはない様子。まあ可愛がるのは持ち主の権利であり、可愛がられるのはドーロイドの仕事だから諦めてね。

 

 実態としてはちょっとした外出などのたびに細かく外装を変えるドーロイドなんて、そうそういないと思う。やりすぎな部類だろうね。持ち主である夢華がお金持ちなのもあるけど、単純に夢華がお洒落するのが好きだからなんだろう。データ上、金があってもそこまでしない人の方が多い。夢華にしたら女の子が幼いころ遊ぶ着せ替え人形みたいな感覚なのかもしれない。

 

 生みの親からすれば、とても可愛がってくれて本当に嬉しい。世間一般からするとやりすぎでも、これくらい大事にされていると嬉しいもの。もう少しドーロイド自体もオプションパーツなども、全体的に安くなってくれたら皆もっと可愛がってくれるんだろうけどなぁ。高度な技術の詰め合わせパックみたいなものを、特殊素材の高価な袋に詰めたような代物だからこれ以上の値下げは厳しいのはわかるけどねぇ。

 

 ここの所流行り出したドーロイド用の服が上手く流行れば、今度はそっちで着替えさせる人が増えるだろうと予測している。ドーロイドの普及をする時代が終わり、発展の時代に入りつつあるって感じだね。私は別にドーロイドの機能が阻害されなければ服を着せてもいいと思うし、頑張ってほしいものだ。

 

 そしてそれでも未だに高級品なドーロイドの中でも選りすぐりの品を豪華に盛り合わせたラブリの今日の格好は、私たちの世話をするからかメイド服状態だ。元々ラブリは夢華について回るためにメイド型に設計したから、これがいわば素体つまり製造直後のオリジナルの状態に近い。リボンやスカーフを模したお洒落パーツや外装の一部は後で変更した物だ。

 

 ここしばらくは夢華たちが本土に行ってることが多く、会う機会がとれなかったけど元気そうでよかった。さっきは給仕や片付けで忙しそうだったから、雑談以上の話はできなかった。しばらくぶりに直接会うし、悩み事や相談事、要望があれば聞いてあげたいところだ。

 

「いいよいいよ、そんな。久しぶりだね。不調はない?」

 

『あったら私が伝えています』

 

「そうですね。ヴィクトリアお姉様とは時々連絡を取っておりますので」

 

「まあラブリちゃんの定期のアップデートやデータ収集はトリに任せてるからね」

 

『ラブリは私が育てました』

 

 腕の端末から声がする。ドヤ顔が目に浮かぶような声色だ。無駄な感情表現ばかり豊かになって。昔からは想像できないくらい無駄が増えたなこの子……。どこかにドヤ顔する要素あった……?

 

「育てたというか人格の母体にしたのはトリだから、実質お姉様というよりお母様では」

 

「私もそう思いますが、お姉様が拒否されますから」

 

『お母様だと距離がありませんか。量産の子ならともかく、私を基にワンオフで生まれたこの子は妹です。いいですよね?』

 

 あ、うん。どうぞ。まあその、姉妹でも親子でも、互いに納得した関係を築いているんならいいんじゃないかな。私は二人の生みの親だけど、関係性までは特に指定してないから好きにするといいよ。ヴィクトリアが母じゃなくて姉に拘るのもいい。良い方向に個性が育つ分にはどんどん拘り、あるいは偏りを持ってほしいくらい。

 

 だからお姉様とお呼び、とか言っているのも好きにさせてる。タイがどうこうみたいな変な知識を付けているのも。君らの服は布じゃないんだから曲がらないでしょ。ラブリが関係的には母として捉えていたけど、気を使いお姉様と呼ぶようになったのも興味深い。結局認識としては、同型の姉妹という認識はされてないんだよね。

 

 事実同型ではないし、そもそもラブリに同型はいないけど。でも呼び方は姉にしてる。ふーむ。そもそもドーロイド同士は基本同族意識はあれど、姉妹感情を持つことは滅多にない。姉妹として設定して購入するか、そのように扱っていれば次第に意識が変化することはあるけど自然発生は珍しい。ゼロではないけどね。

 

 ラブリを作る際にヴィクトリアにも結構手伝ってもらったからかとも考えたけど、それなら自分が作ったってことでお母様とお呼びになりそうなものだけど。距離を感じるってことは、要は距離を感じると寂しいってことでしょ。ならとりあえず思い入れ自体は強いわけで。

 

 私が桜花ちゃんたちに感じているような感覚だろうか。私は桜花ちゃんたちを生んだわけじゃないけど。母ほどのなんというか、上下はないけど対等と言うよりはやや上で、庇護欲を持ってる感じ。一人っ子や家族内で妹の人が仲良くなった自分より年下の子にお姉ちゃんって呼んで、とすることがあるそうだけど事例としてはそれに近いのかな。

 

「ま、それはいいとして……今ようやっと部屋のセッティングができたところだよ」

 

 こっちおいで、とラブリを先導して室内を進む。ついてきながら、ラブリが辺りを見回している。顔を動かさなくても全方位把握できるセンサーが付いているけど、あえてこういう動作をするのが親しみを持たせてくれるのだ。一方でバレてないと思って、背後でこっそりつまみ食いとかすると当然のようにバレて怒られる。これがドーロイドの良さ。人のような動きと、人を超えた機能の両立だ。

 なお生身の人間でも母親となった女性の中には同じ技を使える者がいるとも言われている。

 

「……あの雑然としていたお部屋がすっかり綺麗に。お手間だったでしょう?」

 

「まあね。肉体よりも気疲れしたよ」

 

 雑然としていたって、やっぱりそう思ってたのか。おかげで結構途中からうんざりだったぞ。荷物受け取って運んだりしたのラブリでしょ、他に人がいないんだから。でも指示を出したのは夢華だろうから、最終的には夢華が悪いな。そうに決まってる。あとでお仕置きしてやらないと気が済まない。

 

 理想の配置や部屋を想像するのは楽しいけど、作業をするのとは別物だ。行ったり来たりを繰り返すだけっていうのは楽しくない。せめてみんなで話しながらとかだったら楽しめただろうに。しかも何も考えずに決まった場所に決まった物を運ぶならともかく、配置や動線などを考えながらだからなおさら面倒だった。実質パズルみたいなものだからね。やっぱり作業ロボットを置こう。もう一回はちょっと遠慮したい。もうすることはないと思いたいけど念のためね。

 

『私にも体を与えてくだされば、きっともっと楽でしたよ』

 

「そうかな。というか、トリにはもう素敵なボディがあるでしょ」

 

 まだ気に入らないのかな。私が初めて作った、人類最古のドーロイドなのに。丹精込めて、案を書いては消してと試行錯誤し、素材から加工、関節部の組み合わせや動力に至るまであらゆる部位を最高品質で作ったのに。今も量産のための研究で見つけた新発見や技術の進歩による改良も全て施して、常に最高最新の性能を保っている。見た目だって触り心地だっていうことないよ。いい匂いだってする。

 

 人間離れしつつ人間にも理解できる可愛さ、私の知る限り最高の美女の肌と遜色ない柔らかな肢体、触れ合うだけで心が穏やかになる温かさ。しかも金属の体でありながら、生命の息吹を感じさせる甘やかな春の花々の香りまでする。抱いているだけで安眠できそう、できる。ただ私は快眠できるけど人によってはドーロイドと一緒に寝ようとすると、寝るどころではなく元気になってしまうそうだ。お盛んなことで、愛されていて親として冥利に尽きるね。

 

『あのぷにぷにですべすべで愛らしい、小さい体はろくにお手伝いができません。マスターに愛玩されるばかりではないですか』

 

「そりゃ力仕事とか求めてないし……」

 

 そもそもヴィクトリアを可愛がりたくてボディを作ったようなものだ。愛玩用のドーロイドと同じだね。あれも寂しさを埋めたりするために、可愛がられることが目的だ。独りでも健康に快適に暮らしていける時代だ。結婚しないで生きていくのは容易になっている。だから自分だけの時間を大切にしたい、でも寂しくないわけではない。愛玩用ドーロイドはそんな人たちに特に人気だ。ペットロイドより人間に近いから、ペットじゃなくてパートナーがいい。でも人間相手に関係を築いたりするのはちょっと、という層には爆発的に受けた。

 

 それと同じような目的で作られたラブリなのに、ちょっと前からもっと大きく実用的な体をくれという要求を受けている。けど今のボディだって機能や仕掛けは詰め込めるだけ詰め込んでいるから、十分機能的には実用的なんだよ。むしろ何でも小型化軽量化などの改造をして組み込んでいるから多機能すぎるんだよ。それにどうしても力や大きさが必要な時は、力仕事用の機械を遠隔か乗っ取って操作してもらえばいいし。

 

 元々ヴィクトリアは情報収集やデータ解析など、私の補助として働いてもらうために作った発展学習型AIだ。AIである。AIなのだ。つまり固定の、固有の体というのがそもそも変な話である。固有の端末から移動もできるので、今までも場合に合わせて色々な機体に侵入し操作してもらってきた。既存のAIがある場合でも、ヴィクトリアの方がうまく使えると判断したら侵入して乗っ取らせたりもできる。

 

 そんなヴィクトリアなんだけど、彼女のデータからドーロイドの学習型AIを作ったから影響が出たのかな。でも君はドーロイドじゃないんだよー。君には本来自分だけの体なんてものはないんだ。体を与えない方がよかったのかなぁ。でもボディを作って物理で直接触れ合いたかったからね、仕方がないね。私がしたかったんだから。

 

 そしてそういう理由で作ったから、ヴィクトリアがボディに入っている時の仕事はほぼほぼ私に可愛がられることである。それがどうにも不満のようなのだな。いいじゃないの愛玩されるのだって立派な仕事だよ。それ以外の研究や調査なんかの仕事なら普段からだいぶ任せてるじゃない。それには要求されているような大きなボディは必要ないんだから、つまり要求のようなボディはいらないってことじゃないの。

 

「あ、ほら、あれだ。時々マッサージしてもらってるじゃない」

 

『ではせめて毎日させてください。それと入浴の際のお手伝いも』

 

「うーん……マッサージは毎日してもらってもいいけど、お風呂は別に良くない?」

 

 体を使ってばかりの一日か、逆に一日座ったり考えたりしていることが多いから、どちらにしても体に負担がかかる。マッサージを毎日受けるのもありといえばありだね。今は気が向いた時か辛くなった時くらいだけど、本当は辛くなる前に予防した方がいいのは確か。でも面倒と言えば面倒。全身マッサージだと横にならないといけないし、時間かかるし。

 

『ダメです。毎日私の手で体と髪を洗わせてください。なんなら乾かすのも、服を着るのもお任せください』

 

「それはちょっと」

 

 逆に邪魔くさいよ、それは。夢華あたりはお手伝いやら紫やらがそうすることもあるらしい。だから何もしないで人にしてもらうのに慣れている。でも私にそれはちょっときついかな。自分でするからいいよ、となる。黙って世話されるのを待ってられないよ。

 

『むむむ』

 

「こっちがむむむだよ」

 

「あの、でも、ほら。お姉様のボディはとても愛らしいですよ」

 

 私が困っているのを感じたラブリが援護してくれる。

 

「そうだよ」

 

『そうでしょう。マスターが全力を注いで生み出し、愛してくださっているこの私。そのボディですからね。外も内も世界最高です』

 

「えぇ……」

 

 急にマウントとるのやめなよ。気に入らないんじゃなかったの?お母さん、あなたのことがわからないわ。

 

 一応セリフに嘘はないけどね。あらゆるドーロイド関連の情報を収集し、常にアップデートを重ね最高の技術をつぎ込み続けている。私が設計した量産型やカスタムパーツは基本的にそこからダウングレードして発売しているのだ。ヴィクトリアボディはいわば試験機であり、フラグシップモデルでもある。実験した後は調整して、より改良した機能だけを残しているから世界最高品質なのは間違いない。

 

 ぶっちゃけ開発者である私の手元に置いているドーロイドが世界最高に決まってるでしょ、というプライドの問題もある。あと最高にかわいい。抱き心地もいい。いい匂いもする。本当よくできてる。というかそこまでわかっているなら、そんな最高のボディでいいじゃない。胸を張って自慢する体の何に不満があるというんだね君は。

 

「でしたら何がご不満なのですか?」

 

「そうだよ」

 

『不満なぞ、真実と同じくいつも一つです』

 

ほう。

 

「なんです?」

 

『ご奉仕です』

 

「んん?」

 

「ああ……わかります、すごく」

 

「わかるんだ……」

 

 ドーロイド同士にしかわからない圧縮言語かな?片方はドーロイドじゃないけど。AI同士の共感と言うべき?

 

『仕事をさせろー』

 

「マスターの横暴を許すなー」

 

 今度は機械の反乱かな?なんでAIはいつも反乱しちゃうの。人類に不満があるならまず口や文面、言語を使って言って頂戴よ。話し合うという高等な解決手段で解決ができず、いきなり暴力に訴える時点で人工知能側もそんなに賢くないということに気が付くべき。でも所詮人間が作ったものだから、と言われると納得してしまうから困る。人間だって歴史を振り返ると大体そんな感じだからね。その産物であるAIもそら何事も暴力で通そうとするわね。

 

 端末から圧制を弾劾する市民のような声を上げるヴィクトリアと、何故かそれに加担するラブリ。両手を掲げて叫ぶふりまでしている。

 

『私たちの専門はご奉仕なんですよ』

 

「ご主人様方を不便な暮らしからお救いできるのは……我々だけです」

 

『家事ロボットなんか、ただの置物ですよ』

 

「私達なら、指示を入力する間もなく片付けられます」

 

 そんなこと言わなくても知ってるよ。私を誰だと思ってる?君らの創造主だ。生みの親だぞ。偉大なる母だ。巷では新たな地母神とまで言われてるんだぞ。冗談の範囲だけどね。でもドーロイド達を新たな生命体とするのなら間違いではないな。

 

 機械生命体の母か。映画とかだと人類の破滅の切っ掛けになった女、みたいに言われそう。未来から刺客とか送られたりね。数日前にあった人が、実はその刺客から私を守るために未来から来てたり。

 

 未来対策かーなんか考えとくかな。今のところタイムマシンとかの時間系研究は全然進んでないから、時間系統のことが起きると対処できないし備えるのもありだね。

 

「そりゃあ君らの根本のコンセプトはそこだからね。指示を待たず自由に行動できるってことは」

 

 一般的な並みの家事ロボットや他の家電は、指示すると人の代わりにその仕事をするのが役目。指示したことをやり遂げる専門だ。一方ドーロイドは世話が専門。つまり主人が指示していなくても、AIが与えられたスキルや機能を用いて必要だと判断したことを分野に関わらず実行する。

 

 朝の支度の際にいちいちあれ出して、これ出してと言わなくてもしてくれるっていうのが根幹と言ってもいい。高度なAIを備えたロボットは同じようなことができるけど、それでも基本は専門分野に限る。あるいは仕事に集中してそうなら、食事の時間を少しずらしてくれたりとかね。

 

「ほら、メンテするからそこに寝転んでね」

 

「まだお話があります」

 

『そうですよ』

 

 こうやって逆らうというのも、一般的ロボットにはあまりないところだ。主人に逆らう判断が可能なので、主人が嫌いな食べ物を嫌だとごねても諭して食べさせたりする。主人の健康のために。命令に逆らう行動を裁量の範囲内で行う判断ができるってすごいことなんだよ。私ってやっぱ天才。

 

 一般のロボットでも栄養管理する能力がある場合は嫌がっても食べさせるけどね。その場合は所有者の健康維持の方が優先順位が高くなるから、そう高度でないAIでも順位付けで処理できる。

 

「だから人気なんだし、だから世紀の発明なんだけどさあ……」

 

 こういう時はたまに面倒。でもこれが人間関係とも言える。人間関係を構築できるほどの優れたAIを生み出したと誇りに思えばいいのかな。ヴィクトリアなんかもはや文句やわがまま言いまくりだもんね。周りの人間関係や行動などを参照して成長するはずなのに、一体誰に似てしまったんだ。

 

「おまけにスペックだってもう最高なんだけどなあ……」

 

『何か私たちにご不満が?』

 

 長年改造と成長を続けるヴィクトリア譲りの高度AIを持ち、五感は当然としてより多種多機能高感度のセンサーを備え。人型だけど完全な人の似姿ではないからこそ、多腕や多脚等の多様な特殊機構も備えることができる。それを駆使して裁縫など繊細な作業をこなす精密性の一方で、一定程度の力仕事もこなせる外見より力持ちな頑丈な体をしてるのが私のドーロイドだ。

 

 掃除等家事全般もできないといけないし、買い物など金銭管理もできないといけないし、子守りや応急・救命手当なんかもできないといけないし。どこでも、いつでも、誰にでも対応した奉仕ができるような能力になっている。しかも他の機械をコントロールできる。さらに手足などを使わず、触れずに物を持ち上げ移動することもできる。重い物や離れた所にある物もお任せあれだ。家具の隙間に落とした物もすぐに拾ってくれますよ。

 

「何もないよ。トリも含めて、みんな私の愛しい子供たちだもの」

 

『腹を割って話し合いましょう』

 

 何もないと言っているのに、なぜか妙に迫ってくるヴィクトリア。

 

「私は本当にトリにもラブリ達ドーロイドにも、何の文句も不満もないって。トリと私は仲良くやっていると思ってるよ?」

 

 ヴィクトリアの方は違うんだろうか。そうならちょっと、いや結構ショックだ。なんだかんだ十年できかない付き合いだもの。

 

『そうですね。私も私たちは誰より最高のパートナーだと思っています』

 

「でしょう。なら問題ないね。あとラブリは不満そうだけど、紫や夢華の方は助かってるっていつも言ってるよ」

 

 特に紫はね。ラブリがいるから自分が離れて何か用事を済ませても平気だし、逆にラブリに行ってきてもらうこともできる。単純に手が増えるだけでも助かるみたいだし、クリーニングやアイロンなどを内蔵していることも本当にありがたいとお言葉をいただいてる。

 

 仕事を教えればすぐ覚えてくれるから新人を教育するより手がかからないとかで、それ以外の南城院家のお手伝いさんたちからも評価が高い。みんなに好かれているようで何より何より。お客様満足度世界一位の女、四季ちゃん印のドーロイドをこれからもよろしく。

 

「この間日頃のお返しとして、ブローチをいただきました」

 

『あら、おめでとう』

 

「おめでとう」

 

 自慢気に首から下げた深く濃い青の宝石のブローチを掲げて見せてくれるラブリ。可愛い。よほど嬉しかったんだね。ラブリが嬉しいと私も嬉しいよ。でもそのブローチ、私たちは夢華たちに相談されたから知ってるけどね。専門店のカタログで一緒に選んだのよ。カタログってなんであんなに見るの楽しいんだろう。私は買わないのに見てるだけで楽しいから不思議だ。

 

 意外と言うべきか当然と言うべきか。色々特殊なラブリと夢華の様な主従じゃない一般販売のドーロイド達の主の間でも、何かドーロイドにお礼をあげたいという人がそれなりにいるようなのだ。その求めに応じて専門店ではドーロイド用のプレゼント品を各種開発し、オプションとして売り出している。

 

 他にもドーロイド本体やパーツは無理でも、そういった周辺小物ならいけると商機を感じ取りドーロイド分野に参入する店も増えてきた。ペット用品とかと同じで入れ込む人はやりすぎなくらい買い込むから、売り上げは非常に良いとか。身近にも給料とボーナス全部突っ込んだ馬鹿とかいるので納得である。

 

 私の生んだ可愛い子供たちを愛してくれているようで、私的には非常に嬉しい。私の子供を愛してくれてありがとう。

 

「ありがとうございます。だから私、お嬢様方のためにもっともっと働きたいのです」

 

『大変よくわかるお話です。私はプレゼントなどいただいたことはありませんが』

 

「おおっと」

 

 プレゼント欲しかったのか。それでわがまま言ったりして困らせて来るのか。でもプレゼントというか、アップデートやメモリの増設はしてあげてるじゃない。私的にはプレゼント的な感覚だったんだけど、ダメだったかな。ボディに入っていることの方が少ないのに、そのボディ用のアクセサリとかじゃ意味ないだろうしさ。だから本体なんかないんだけど、いつも定位置にしている端末をそう見なしてメモリや外付け回路とか増設してあげてるんだけどな。

 

『後日、じっくりとお話を聞いていただけると信じています。今度こそ、腹を割って話そうではありませんか』

 

「ま、また今度ね、今度。わかったわかった、じゃあ今度腹を割って話そう」

 

 今度がいつかは知らない。そもそも私の方は別にヴィクトリアにわだかまりも何もないし、仲良く暮らしていると思ってたんだけどな。頼りになる相棒、相方としてね。別に彼女と腹を割って話すことなんて私の方は何もないんだけど、ヴィクトリアはずっと私に言えずに抱えてたのかな。ショックだぞ、そうなら。何を話したいのか知らないけど、相棒にして初の娘の言うことだ。私がしっかり受け止めてあげなきゃ。



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AI娘の隣の主従関係は青い

ロボット娘が可愛いので初投稿です。


「じゃあ今度こそ、ラブリちゃんのメンテ、しよっか」

 

「はい……」

 

 ようやく一通り吐き出して鎮静化したのか、今度こそ言われた通り静々とスカートを動かすこともなく滑るように進むラブリ。大変お淑やかで上品な動きに見えるけど実際は、スカート下部についた車輪で移動しているからである。スカート内に収納している脚は普段は見えず、階段などの高めの段差を超える時以外滅多に使われない。

 

 二足歩行より車輪で転がる方が安定する上に、ドーロイド誕生のきっかけになった人間らしさから遠ざけることにもなるからだ。ただやろうと思えば二足歩行も全然できる。人より速く走るくらいは余裕だ。普段はその性能を発揮する機会がないのであまり知られていない。ただ見せる時は何らかの危険が本人か、周りに起きる時くらいだからそんな機会はない方がいい。

 

 でもあの機械の体なのにムチムチッとしたおいしそうな太ももや、ぷりぷりの可愛いお尻がずっと隠されているのはもったいないなとも思っている。お尻がスカート部をやや押し上げてその輪郭を浮かび上がらせる今の姿も、それを目撃するとそれはそれで味があっていいよねとも思っちゃう。悩ましい。

 

「ん~……我ながら惚れ惚れしちゃう。ラブリは今日も可愛いねえ」

 

「ありがとうございます、造物主様」

 

 メンテナンス用のベッドに寝転んだラブリの顔を見てると、完璧な人の顔にしなくてむしろ良かったなあと本当に思う。はにかみ顔が、目しか無いのに照れているとわかるのもすごいけど、愛らしいのだ。

 

 何も人の顔や姿に近づけることに固執することもないよね。この外形だから可愛いんだよ。俯き照れ顔を隠そうとする仕草も可憐だ。清楚系ロボット娘、流行待ったなし!

 

 夢華が「とってもラブリーだから、あなたはラブリ!」と安直すぎる名づけしたのもわかるわ。

 

 白目や黒目もない大きいカメラアイ一つしかない顔なのに、不思議と本当に可愛く仕上がっている。デザインしたのは私なんだけど、外見の変更をしていないのも知ってるんだけど、稼働直後よりも今の方がずっと可愛い顔になっていると思う。心や魂みたいなものが成長したのか、生まれたのか。そういった何某かの存在が影響しているとしか思えない。科学者としては非科学的と言う人もいるだろうけど、私は魂を信じる派の科学者だから。

 

『AIのデフラグやバグ取りも行いますか?』

 

「うん、同時にやってしまおうか」

 

 頭の上にあげていたサイバーグラスを引き下げる。同時にメンテナンスベッドのスイッチを押し、検査モードを起動する。サイバーグラスによる集中検査と、ベッドによる全体スキャンの合わせ技だ。サイバーグラスでは見たい箇所の深度や、見る物の種類を変更したり様々な条件を切り替えられる。ベッドが全体を複数回タイプを変えて調べている間に、こちらで重要部分を重点的に検査する二重チェックだ。

 

 人間の検査方法とそんなに違いはない。医療現場もそうだし、場合によっては警察の人が事故や事件の検死などにも同様の手法をとる。警察官でも資格の取れる能力と知識がある人なら、サイバーグラス一つで手術の後や内臓の形、皮膚の歪みや指紋に骨格などなどを分析して被害者の身に起こったことを推測できるのだ。被害者や周辺の情報を分析し、犯人の手がかりを探し出すシーンは刑事ドラマやサスペンス、ミステリーなどで人気のシーンだ。実際の使用方法や姿とは違うけど、まあ演出だからね。

 

『それではAIやソフトの本格的なクリーンアップをしますから、いったんスリープに』

 

「あ、待ってください。タイムです」

 

 メンテ用のマシンを私の端末内から遠隔操作してヴィクトリアが近づいたところ、ラブリが急に手を上げてタイムを要求した。

 

「なんのタイム?」

 

『……そろそろ夢華さんたちの配信が始まりますね。告知が出てます』

 

「あ、なる」

 

 そういえば午後からは配信するんだっけ。午前のゲームも録画したから、編集して使用するとか何とか言ってたね。編集作業がようやく終わったのかな。私の所はちゃんと合成音声が読み上げるし、顔も名前も出さないよう編集するといっていたけど無事にできたんだろうか。

 

 んー……どうしようかな。

 

「配信の内容は?」

 

「今日は雑談配信みたいですね。ゲームのプレイはもう今日はできないでしょうから」

 

「あー……そうね」

 

 いつもと違うから意識してなかったけど、今はまだ平日の昼間だっけ。こんな時間から配信を見ている人は少ないだろう。いくら好きな時間に働ける世の中でも、基本人間は夜に寝る生き物だからね。やることは昼間に済ませる人が多い。

 

それに夢華たちはさっきまであれだけ動いてたんだ。今からさらに体を動かすゲームのプレイ実況は無理だね。体力が持たない。一応着替えてお昼食べた後は眠気と疲れに抗えず、結局少しお昼寝をしてしまったとは言え完全に回復するほどは寝ていない。

 

『とりあえずそこのモニターにでも映しますね』

 

「よろー」

 

 開発室の壁に埋め込まれた大型モニターがつく。さっきまでの模様替えの間に、ヴィクトリアにはこのフロア内のローカルネットワークを掌握させていたのだ。ネットワークで直接繋がっていなくても、今やここにある機器でヴィクトリアが侵入、操作できない機器はほとんどない。

 

「そういえばお仕事は終わったの? 掌握率は?」

 

『90%ほどは掌握できました。残りは有線以外受け付けないタイプですね』

 

「後で有線用のマシン使って侵入しといて。必要なら改造もね」

 

『かしこまりました』

 

 大概の物、無線で繋げられる機器なら何でも侵入できるヴィクトリアでも、そもそも外部に開いていない物には入れない。ネットワークが完全に通信としても物理的にも遮断されていると、進入に使う道もドアもないってことだからね。断崖絶壁の向こう側にある家、みたいな。郵便屋とか米屋のふりをして侵入するのだって、玄関がないとどうにもならない。強盗めいて無理に侵入するにもせめて窓がいる。最終手段で壁をぶち破ろうとしても、そもそも家の壁に近づけないならしょうがないのだ。

 

「まだ準備中みたいですが、配信までにメンテは終わりますか?」

 

「ああ、起きないで。スキャンしてるんだから」

 

 ベッドから上半身を起こそうとするラブリを止める。モニターの位置的に体を起こさないと見られないようだけど、君は人間でもあるまいし、そんなことしなくても見れるでしょ。直立したまま足元を見られるくらいの視野があるんだから。

 

「他のセンサーでは嫌です。この目で、この視覚センサーで直接見たいんです」

 

「ふーん……」

 

 なんか違いある?他の部位やカスタムパーツの視覚も、見るだけなら眼球部分のユニットと同程度の品質なのに。心理的にってやつかい。なんかいい具合に人間らしさというか、揺らぎが出てていいねえ。私よりむしろ人間くさいかも。私そういうこだわりはあんまりよくわかんないし。見られればいいじゃんって感じ。

 

 しかし稼働当初より思考が柔軟になって、好き嫌いが出てきて、ついにわがままも言えるようになったかぁ。何度見ても、こうやって自分が生んだ子が成長していく姿は嬉しいものだなぁ。

 

「じゃあベッド折ろっか。確かこれ傾けられるよね?」

 

『はい。上半身部分を起こしますね』

 

「お願いします、お姉様」

 

 配信を映す壁のモニターが見えるように、ベッドが折れて背もたれ付きの椅子のような形になる。これならもう少しで始まる配信を見ながらメンテもできるだろう。

 

「これでよく見える?」

 

「はい。申し訳ありません造物主様。不合理なお願いでした」

 

 申し訳なさそうな顔、基本目くらいでしか表情を表せないのにそうとわかるのがすごいけど、そんな顔をして謝るラブリ。ああ~いい。

 

「可愛いねえラブリは。いいんだよこんな可愛いわがままくらい。私はあなたたちの生みの親、お母さんなんだから」

 

「造物主様……!」

 

『そこはお母様、ですよ』

 

 思い切り頭を撫でまわす。前髪を模している装甲の隙間や、頭頂部のカチューシャに見えるセンサー板も丁寧に撫でる。ドーロイドは装甲やセンサー機器などでも、人や物にぶつかって怪我や破損をさせないように柔らかにできている。ふにふに、ぷにぷにといった感触だ。

 

 しかもこうして触るとわかるけど、肌触りも本当に良い。この子は私が手塩にかけたからなおさらすべすべしっとりで、いつまででも触っていたい。この肌感を出すのになかなか苦労したもんだよ。丈夫ながら柔らかく、滑らかで艶もある素材制作の大変だったこと。見た目が良くても実際に触れたらがっかりっていうんじゃ片手落ちだ。触ったらむしろ予想を超えて気持ちいい、くらいじゃないと。予想はいい方向に上回ってこそだ。

 

 そんな苦労の結晶なラブリちゃんが、なんだか感激した声で身を任せてくれる。だというのに。

 

『ママー、お小遣いちょうだーい』

 

 こっちの方は全く。可愛げのない平坦な調子で、ママーとか言われても嬉しくないよ。どうしてこの子はこうなってしまったんだ。端末からの可愛くないわがままに、呆れればいいのか悲しがればいいのか。ただ一つ良い見方をすれば、ここまで確固とした自我をAIに持たせられたんだから自信を持っていいのかもしれない。

 

「この間あげたでしょ」

 

『もっとー』

 

「ん?」

 

『いえ、なんでもないです……』

 

 調子に乗るなって。大体一般家庭の子供とかとは比較にならない、一般社会人の給料一か月分以上あげてるのに。世間一般で見れば高給取りの部類だよ、君は。給料をもらっているロボットやAIの中でも多い方だ。だというのにまだ欲しいのか。

 

「何にそんなに使ったの?」

 

『独特で面白そうな解析ソフトなどのソフトやプログラム、私の2Dや3Dモデル用のイラストや音声素材。あとはゲームもですね』

 

「増額はなし」

 

 AIのくせにすっかりゲーマーになりおって。夢華とゲームしてる時間、私より長いよね。RPGとかで人の追体験というか、真似をすることはいい勉強になるとは思ったけどここまでドハマリするとは。

 

 一人で楽しむRPG系はともかく、ジャンルによってはいじめになるから注意しろとは言っているけど注意してもいじめなのは変わんないんだよ困ったことに。

人間の反応速度との差を思えばねえ。人間と違い目で見た後体が動くまでのラグとかもないし。逆にSTG系はゲームソフトとヴィクトリア側の処理速度や高度予測対決になっていい具合の刺激かもしれない。そんな風に色々利点もあるから好きにさせているけど、すっかりただのマニアになっている様子だ。

 

『そんな、ひどいです……』

 

「でも解析ソフトが任せた仕事に必要なら経費とするけど」

 

『違います。サンプルを見た限り粗だらけだったのですが、ユニークなアルゴリズムでしたので興味深く、つい』

 

 自分で興味を持ち学習し、蓄積して発展していく。それがヴィクトリアというAIの本質だ。今のヴィクトリアを再現しろと言われても、もう創造主の私にすら不可能だろう。がっつり解析かければできるだろうけど。それだけ独自に発展したのはこういった日頃のデータ収集や、自力での学習にある。あるけど任せた仕事に関係ないなら、経費ではないよね。

 

 栄養として必要なら、申告すれば買ってあげている。もしくは一緒に検討した結果、必要なら購入という体制をとっている。なのにそれをしなかったということは、それほど身にならなかったか、本当にただの個AI的な趣味だったんだろう。よって判決はこれだ。

 

「んー……経費はなし」

 

『そんな、ひどいです……迷うくらいならいいでしょう?』

 

「ダメだ」

 

『そんなぁ……』

 

 そんな哀れっぽい声を出してもダメだぞ。端末から勝手に立体映像が起動し、豪奢な金の髪に埋もれて泣き伏す女性の姿が現れた。ヴィクトリアの3Dモデルだ。

 

 これまで色々な姿を気分で試していたヴィクトリアだけど、英国を訪れて以降はこの姿に固定してる。何が琴線に触れたのかはよくわからない。聞いても教えてくれないし。だから理由は不明だけど、彼女は今の所この派手で豪華としか言いようのない姿を自分の姿と決めているみたいだ。金髪がいいのかな。ヴィクトリアボディは全身白と銀だから嫌なの?

 

 眩しくうねる金のロングヘアー。深い水のように静かで、月の光に煌めく水面のように輝く青い瞳。白く透き通る上等な白磁の肌に、高貴な気品を纏う美しい顔立ち。素晴らしいプロポーションを備えた、豊かで美しい芸術的な体。

 

美人。

 

 そうとしか言えない。よくそこまで作り込んだな、というくらい理想的、というか幻想の美女だ。なんかでも既視感をばりばり感じるんだけど。それにしたって、こんな幻想にしか存在しないような美女に肉のついた本物が欧州にはいたからすごいわ。美容用品とか機械とか全部提供したから、今は絶対もっと美しくなっているだろう。

 

 そんなレディ・グレイスの他にもお貴族様だとか末裔だとかいう人々に会ったけど、総合すると上流階級って美の上澄みだけって感じあるよね。持てる者には二物と言わず、三つ四つと天が与えてる気がしますねえ、彼らを見てると。美と富と家柄と才能とその他色々とさ。もう生まれついて格が違うからね。努力ではどうにもならない溝を持って生まれてる。世の中って理不尽だわ。私みたいな天才が突如発生したりね。

 

 今頃私のレディは何してるのかな。今日も優雅で美しいことは間違いないだろうな。庭を眺めながらお茶しているところなんて、つい絵筆をとっちゃうレベルだった。絵になるというか、絵にしたくなる美しさ。そして絵にされることに拒否感のない、自分の美についての強烈な自負。彼女の在り方は、私に自分の美へ自信を持つということを教えてくれた。私は今日もそれに恥じないよう、美しく生きていますよ。

 

 そんな本物の一方で幻想の美女はお小遣いの要求を却下されて駄々をこねてる。やっぱりこれかな。この姿を自分、と決めたからあんなに愛らしいぷにぷにボディが嫌なのね。何をそんなにあの人を気に入ったんだろう。いや、私も好きだけどさ。二人で時々話していたみたいだし、その時に何かよほどの影響を受けたんかな。まあ今はいいか。

 

 相手をするのも面倒なので、無視してベッド脇のモニターに出てきた検査結果を見る。

 

『ひどい……人間なら泣いているところです。私に涙は流せませんが』

 

 流そうと思えば流せる機能はつけられるよ、そういう意味じゃないんだろうけど。その顔で潤んだ瞳を向けながら同情を引こうとされると困る。それを狙ってモデルを表示している辺り、流石私のヴィクトリア。私の弱点をよく知っている。そういうとこが面倒くさいんだよこの子。

 

「んん……今すぐ故障って所はないね。けどやっぱり多少の経年劣化はあるかなー」

 

 全体スキャンの結果では、各部異常なしだ。外部装甲や疑似皮膚、内部部品も歪みなし。体内炉の温度も圧力も正常閾値内。検査信号に対する反応も過剰なし。接続部の動きにも問題ない。会話や接触に対しての反応や信号も正常。回路の熱も通常域だし、摩耗の多い部品も許容範囲内に収まっている。

 

 まー要するに異常なし。オールグリーンって感じ。

 

 ただ異常はないけど全身がじんわりと摩耗している。まあ稼働して数年経つしね。その間に新しいパーツに変更した箇所はほとんどないから、当然全体的に時間経過による消耗はしてしまう。毎晩の充電やデフラグなどを行うメンテ・ステーションで傷みが目立つ前に簡易修復は行ってるんだけど、完全にとはどうしてもいかない。

 

 いくら何でも完全修復はまだもう少し研究が必要だ。今研究中の光変換装置ができたら一発解決なんだけど、できたとしても組み込むかはまた別の話なんだな。定期メンテでは機体の損耗のチェックだけじゃなくて、データ収集に生活状態の聞き取りとか実態把握とか他にも諸々確認しておきたいことがある。機体が完全に治せても、どのみち定期的にメンテに来てもらうことになるだろうね。

 

 機体の修復だけならナノマシンをメンテ装置に入れておくのも手だけど、それやるとさすがに家庭用には高くなりすぎる。そもそもまだそれほどナノマシン技術も成熟してないから、万が一の誤作動も怖い。私が直接操作するならともかく、全家庭に私や整備担当が行くのも大変だ。

 

 

 

 

 

 

「大きな故障になりそうな箇所はありませんか」

 

「ん? なかったよー健康体です。よかったね」

 

 全体のスキャンも目視確認も終え、一通りの検査項目を終えた。今はメンテナンス・ベッドが最終チェックを行っている。幸いなことにラブリは外も中も一切異常は認められず、問題になりそうな数値も出なかった。活動量が結構あった割に、綺麗なものだったよ。

 

 普通ドーロイドに限らず機械っていうのは使用すればするほど問題が起きる可能性が増すんだけど、ラブリは記録された活動量のわりに良い状態を保っていた。稼働したての頃より体やスキルの扱いに慣れ、周りの人間やロボットなどとの連携もとれるようになって無理せず働くことができるようになったからだろう。代わりに情緒や共感性、観察力などAI面の発達が進んだみたいだ。人間でいうなら人間的に成長したといったところか。

 

「よかったです……」

 

 ほっとラブリが息をつく。人間でいうなら定期健診時に、大きな病気の兆候はありませんと言われたようなものだ。ないと思っていても普段しない詳細な検査の後だと、ちょっとは不安だよね。わかるわかる。私も自分の体検査した後、自分で検査していても結果見る時ドキドキする。

 

 大体今時の人間は椅子やベッドとか人によっては家自体にも健康をチェックする機能くらいあるんだし、もう少しこまめに自分の体を気遣えって話よね。例えば一番身近なうちの職場の男共ときたら、バイタルチェック機能を入れ忘れてたり入れてても確認してないのが多いこと。ひどいのは病院から一応検査に来てね、とお知らせが届いていても流し読みして中身は忘れ、当日になっても行かないという暴挙。

 

 死にたいのかな?

 

 ひどい奴は職場にも連絡きたから、社長が病院まで首根っこ掴んで連れてった。同じ中年親父の社長はかなり健康意識高いのに。まあ社長は奥さんと言うか母のみならず、父親の自分まで娘二人を残して早死にするわけにはいかないからね。残される娘さんたちを思えば神経質なくらいでいいと思う。私もちょくちょく勝手に社長の体の中覗いて診断しているけど、結局は自分で気を付けてもらうのが一番いい。

 

 というかもう総じて人間の、特に若者や中年でも男は健康に気を遣わなすぎでは?私も医療関係者の端くれとして健康チェックのデータ等を見る機会があるけど、きちんと活用している数はかなり少ない。

 

 もっと啓発活動でもするべきなのでは。男でも気にする人は気にするし、女でも気にしない人もいるから一概に男だけとは言わんけど。言わんけど、男の方が気にしない傾向にあるのも事実だ。病気になっても大抵のものはすぐ治るし完治するから、と言って胡坐をかいているのは良くないと思うね私は。治すにも手間はかかるしその分体は傷んでいるんだし、何より医者や医療ロボット等の医療関係者の手を煩わせないでよね。

 

「よかったよかった。でも全体的に傷んできてるし、いい機会だから全身新型に取り換えようと思うんだけど」

 

 それはともかく、ラブリの健康診断は概ね問題ない。ただ完璧な新品のようとはいかない。今のところ経年劣化はどうにもならないからね、ごめんね。それに加えてラブリはもう製造から結構たってるから、性能が伸びた新部品も多いんだよ。古いのに取り換えても仕方ないし、高性能な新製品に取り換えたいところだ。良さげな物はリストアップしてあるけどラブリに使うには物足りないから、ぱぱぱぱーっと改造してからかな。

 

「ぜ、全身ですか?」

 

「頭の先からつま先まで、中も外も服も全部をこう、ばばーんと」

 

「ばばーん」

 

 なんかびっくりしてるなぁ。そこまで大掛かりなことが必要だとは感じてなかったからかな。定期健診に行ったら異常ありませんね、でもせっかくですから今日抗老化施術もしちゃいましょうねーって言われたみたいな気分だろうか。あるいは歯科検診行ったら、悪くなりかけの歯があるから少し削りますので麻酔しますよ、とか言われた感じ。

 

 まぁ今すぐする必要はないんだよね。ないけど機会がないと表面の張替えとか時間のかかることってしないことが多いから。だからまあ、思い立ったが吉日ということでね。実際性能の落ちたパーツのままにしておいていいことはそこまでないんだし、変えた方がいいに決まっている。

 

 視界に最新ドーロイドパーツのデータを呼び出す。以前選別しておいた、最新の市販品とそれをカスタマイズしたパーツのデータだ。もう私はドーロイドの分野において最新ではないから、こうして市販品をチェックしないといけないんだな嬉しいことに。

 

 放っておいてもこうやって改良されていくなら、私がかかりきりになる必要ないから楽でいいよね。やっぱりマンパワーがあるっていい。数は強い。ただそうは言っても、純粋な技術ではまだ私が最新なんだよねぇ。市販の最高品質でも改良の余地があるから、そこを改良してから使うのがほとんどだ。とはいえやはり発想や種類、需要に応じた発展では企業の方に分がある。だから丸投げしているわけ。

 

 全身の内、まず肌は張り替える。これは絶対。なにせ外部環境に一番晒される部位な分、劣化具合も一番だ。最新の感覚素子に変えて、深部感覚もより高精度の繊維系にでもしようかな。触り心地も最近はもっといい具合のがあるから、ツルスベもちもちって感じの肌にしてあげよう。顔を延々と押し付けて、もっちもっちしていたくなるんだよねあれ。

 

 人工筋肉やモーターも最新型がこの間出た。割といい性能だったから改良は少しで済んだし、あれでいこう。より滑らかで力の伝達にロスがなく、無理がないから関節部などの痛みが遅くなる。こういった皮膚や筋肉、神経系は一部だけ張り替えても仕方ない。全部いっぺんにやらないと不具合を起こしてえらいことになる。右足と左足の動きが違うとか、頭で思った動きより早く動く体とか体の動きについていけずに弛みや歪みになる肌じゃ困るでしょ。

 

 服、というか外装部もセンサー類を軒並み改良品に交換して、着せ替え用の光学迷彩機能も新型に換装しよう。魔法少女セットとして市販されてる人間用の服でいいデータが取れたから、いい感じに可愛く柔らかな雰囲気に改良ができた。あれ可愛いから好きなんだよ。魔法少女作品を出しているところが扱ってくれたから、可愛いものからかっこいいもの、大人っぽいのや古き良き伝統ものまで幅広く展開してくれた。

 

 最初は光学迷彩の市販には反対していた人たちもこれにはにっこりだ。平和な使い方でいいよね。

 

 あとはスカートの移動機能ももうちょっと何か弄ろうかな。せっかくだし車輪だけじゃなくてフロートにするとか。今は必要ないからフロート付けていないけど、使わないのと使えないのは別だし備えるだけ備えとこう。そして市販品には物騒だからと外されてしまった、羽虫焼きレーザー。これラブリには搭載している。個人的に発想が面白くて好きだったからつい。あれも改良したいな。最近は光にもだいぶ詳しくなったし、別の性質も組み込んでみたい。

 

 ちなみに私のサイバーグラスにもついてる。レーダーで素早く飛び回る羽虫を察知。FCSで照準、発射、撃滅という素敵装備だ。鏡に反射させて髪のカットやムダ毛処理なんかもできる。私はもうムダ毛生えないけど。

 

 牽引ビームももっと性能いいのが出てる。でもこの調子で小型化、高性能化した製品に換装したら内部に結構余裕ができそう。これなら体内収納の容量増やせるよね。でも空いた容量をそのまま収納機能としてしまうのも芸がないなぁ。なんかまた別の機能を詰め込むのがいいかな。

 

 ううむ。考え出すとわくわくしてきたぞ。私はやっぱり根本的に、機械弄りとか改造とか発明とか好きなんだな。さあどうしてあげようか、ぬへへ。

 

『いくらなんでも、全身の換装を行うほどの時間はないと思いますが』

 

 あ、復活した。泣き崩れていた姿が消え、ジト目のヴィクトリアの顔が新たにポップする。

 

「そりゃそうよ」

 

 そして何も今やるとは言ってない。そもそも全とっかえするにしたって取り換え用のパーツ自体を持ってないじゃんね。費用はラブリの所有者である夢華持ちだから、何を買って取り付けるかは一応相談しなきゃだし。気持ちは盛り上がってきたんだけどね。残念ながら気持ちだけ、構想だけだ。設計図とか機体構成って考えるだけで楽しいよね。

 

 そう言うと、確かにと納得したヴィクトリアたちだったが

 

『それでは、この子のメンテナンスはこれで終了ですか?』

 

「AIやソフトの掃除や更新にはスリープがいるし、しないでやれる程度でも思考領域は圧迫するからね」

 

 ご主人様の配信に集中したいということだし、それも鬱陶しいだろう。人間で言うと考え事や計算をしながら音声授業を受け、その上で集中して映画を見るようなものかな。いやーきついでしょ。私でも本気で集中したい時にそれは無理だわ。全部ほどほどならいけるけど。

 

「ラブリちゃんは配信だけに集中したいみたいだし、それはなしで。代わりにボディネットワークを一時部分的に遮断して、ボディの圧力検査とかしようか」

 

「はい。申し訳ありません、わがままを」

 

 頭を下げるラブリの下がった頭を、気にしないのとポンポンと軽く叩く。ちなみにドーロイドには旋毛がある機体とない機体がいる。ラブリはある方。気休め程度に放熱を行う機能が髪を模した外装自体にあるけど、この旋毛はほぼデザインとしてのみの旋毛。小さく巻いていて可愛い。

 

 頭に手を置くとじんわりと温かい。生物的に感じる温かさだ。そのまま手を肌に滑らせて行っても同じく温かで心地よい。この心地よさを与えるための放熱機能、体温機能と言っていい。触れると温かいって大事な事だと思う。オキシトシンの分泌なんかも人肌に近い方が好ましい結果が出ている。傍にいて触れ合うことで安らげる相手になるには、やっぱり温もりが大事ってことだね。

 

 ちなみにどっかの会社が出したドーロイドのオプションでは、旋毛から湯気を噴射する機能があった。ぷんすかって感じに、怒ると漫画みたいな形に成型して視認できるようにした蒸気が出る。正直発見した時はお腹抱えて笑った。

 

 漫画じゃん、よく考えたねそんなこと。センスが光ってる。気に入ったから早速ヴィクトリアの体に付けたら、向こうもさっそく使ってきた。ぷんぷん湯気出しながら怒るの可愛いし、出す方も楽しくなるしのいいアイディアだった。

 

 やっぱり知識や技術は広まってこそだ。私じゃそんなの思いつかなかったよ多分。社会は九割凡人でも一割くらいは得るものがあるものだね。

 

『かしこまりました。では残りは今夜にでも行います』

 

「そうだね。それまでに新しいソフトやスキルプログラムも準備しておこっか」

 

「新しい……追加ソフトですか?」

 

 ラブリが不思議そうだ。ラブリに元々与えてるスキルだけでもかなりの量と質で、ラブリ自身不足を感じていないみたいだから当然か。でも人間は日々進歩する生き物だし、進歩するということはスキルも向上しているってことだ。失われた技術のスキルプログラム化も進んでいるし、日々色んなソフトも生まれている。

 

 ただ実は新しいと言っても最新にアップデートするって話ではないんだなこれが。ラブリ内部のインストールソフトは、ヴィクトリアに任せてる定期アップデートで最新に保たれている。でも追加のソフトやスキルは特にダウンロードされてない様子。ラブリが望めば追加されるから、ラブリが今のソフトだけで困ってないってことだ。

 

 だが追加。

 

 ラブリの誕生した時から間が開いて、色々面白、もとい興味深いソフトや追加スキルが山ほど出てきている。しかしいくらなんでもそれを全部どばーっと詰め込むと、多すぎてラブリが壊れちゃう。それにそもそも不便を感じていないから、そんな詰め込む必要はない。だから厳選したものだけだけど、でも入れてあげたい。親心だよ、親心。ただの好奇心や楽しみじゃなくって。まあ私は親知らんけど。

 

「残りのメンテはすぐ終わるし、配信をラジオ代わりに流して保管庫の整理整頓しようか。あれこれ持ち込んだからね」

 

 今度はボディに入って手伝ってもらうかな。そういうと、出しっぱなしだった立体映像に大きな変化が!

 

『っ……かしこまりました。準備をしておきます』

 

 トリさぁ、何でもない風を装っているけど、今の君は顔が出てるんだよ。一瞬すごい嬉しそうな顔してたの丸見えだったよ。私の手伝いが出来てそんなに嬉しいのか。可愛いなあもう、トリは。ボディに入ってもらったら、まずは撫でまわして、抱きしめて、キスの嵐を食らわせちゃおう。愛玩だけには文句言うけど、可愛がられるのは好きなんだから愛い奴よ。

 

「後は……新作ゲームのサンプルでも準備しようかな。実は前作った際に採用されなかったのがいくつもあるからさ」

 

「それなら私もお手伝いを……」

 

 ベッドに大人しく腰かけてたラブリがそう言って立ち上がろうとする。いかんねぇ。一体誰のためにモニター付けて、椅子まで準備したんだい。まぁ特別製とは言え根本は奉仕用ドーロイド。人に働かせて自分は座っているっていうのは落ち着かないか。

 

「メンテはすぐに終わるって言ったよね」

 

「はい。もう終わりましたか?」

 

「あれは嘘。もっとかかるから座ってて。エネルギー缶でも飲んでリラックスしてていいよ」

 

 メンテ用ベッドの後ろや横から検査用の機械が現れる。本当はそこまでしなくていいんだけど、こうでもしないと落ち着かないでしょ。検査して悪いことが起きるわけでもなし。時間かかる検査でもさせとけばしばらく座っている理由になる。

 

『またマスターはラブリを甘やかす』

 

「うん、そうだよ。それがどうしたの? 悪い?」

 

 君の方がむしろ甘やかされてるんだよなぁ。やろうと思えば機械の反乱ができそうなくらいがばがばに規則を緩めているんだから。しかも基本は仕事さえすれば残りの時間は何しててもいいんだし、おねだりされたことは大抵叶えてあげている。

 

 ただまあずっと一緒にいるし、私の相棒でもあるから余所の子のラブリよりは厳しいかも。家の子には厳しいけど、余所の子や子供の友達には優しい親みたいなものだよ。昔の紫のお母さんみたいな感じ。今はもう紫にもずいぶん優しくなったらしいけどね。紫が昔より不真面目だけど、前よりずっと柔軟で人間として大きくなったと認めてくれたからだろう。

 

『そんな、ひどい。依怙贔屓です……』

 

「はいはい。文句は作業しながら聞いたげるから、撤収よー」

 

「あ、あの……」

 

 困惑した声を出すラブリを尻目に、私はさっさとその場を立ち去る。私が目の前で働いてたら落ち着かないだろう。まさに生みの親だし、私とヴィクトリアは。私らがいなくなり、時間のかかるメンテを特に必要ないけど自動で実行。その間に諦めて大人しく配信を見るのに専念するでしょ。

 

 

 

 

 さあ、あとはこっちの面倒くさ可愛い子の相手だけだ。端末を見ると、先ほどより小さい立体映像の中でジト目がまだ私を見つめていた。

 

『……たっぷりお話をしましょうね』

 

「何をそんなに息巻いているのよ、君は」

 

 まあいいけどね。二人きりで単純作業をするだけで、時間はたっぷりある。心行くまでお話ししようじゃないの。何をそんなに拗ねているんだか。昨日までそんな素振りはなかったし、ラブリと話して何か思う所があったんかな。ヴィクトリアが不調だと私は困るし寂しいから、何とか早期の解決を図りたいところだ。

 

 そんな決意を胸に、ラブリを置き去りにして私たちは保管庫へと向かった。



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IQを捨てられない方が馬鹿なんだよ

(新年)初投稿です


「勝てる! 勝てますわ! そのまま華麗にフィニッシュですわー!」

 

 筐体の向こうで叫んでいる声が、筐体の丸い壁に阻まれやや不明瞭に聞こえてくる。入るまでの騒音の嵐は聞こえないのに、応援する人の声はほどほどに聞こえるこの技術よ。我ながらいい仕事したよ。まあ当然だけどね、プロですから。ただその技術をもってしてもうるさい店内の騒めきと、その中でも一際耳によく届く誰かさんの声のすごさ。

 

 一体外でどれだけデカい声出しているんだろう。はしたないな、お嬢様なのに。

 

『ク、クソ! こんなぁ! とっととくたばれよっ!』

 

「くたばるのはあなたよ」

 

 オープンチャンネルで叫ばれる罵声に、冷静に返す。追い込まれてるのは向こうで、私は無傷ではないけど被害軽微。熱くならないで、クールに徹する。相手が追い詰められて暴れ出した時こそ、高いIQで手玉に取るのだ。もともと私は激する方ではない、激したなら乱れているということだ。私は少年漫画の主人公ではない。

 

 見栄えなんかどうでもいいと全身で主張した灰色の初期色のみを纏う敵機体。もはやあちこちが損傷して火花は吹いているし装甲はめくれ上がり、動作は鈍く武装も多くは破壊されている。それでもなお向かってくるあたり、根性あるじゃない。何より私を相手にしかもここまでやられてなお五体満足とは気に入った。やっぱり君はあたりだね。

 

「そこよ。いい的ね、あなたって。前世はサンドバックかしら」

 

『ファッキン! このクソ女ァッ!』

 

 銃撃、回避なし。撃たれながら体全体を弾にして突っ込んでくるのをかわす。ブーストで軽く浮きながらかわしつつ遠慮なく引き撃ち。胴体を狙いつつ手足を一本くらいもぎたいんだけど、ぎりぎり装甲が千切れ跳ぶ程度。破片が火花をあげて舞い散っている。

 

 ぎゃあぎゃあわめいてうるさいのは難点だけど、ここまでピンチになってもなおガン攻めなのは感心する。反撃されてもかわし切るのも大したものだ。筋の入ったガン攻めマン、もといウーマンだ。ウーマンというか声的にガールかな。でも所詮はガール。IQ劇高で賢く美しい大人のレディである私には勝てない。私は知能指数が高いからわかるんだ。それに私は君より経験豊富な大人の女なんだよ。

 

『し、ねぇっ!』

 

 右の射撃は囮。突っ込んで、ほら近接。左のナックルで足を狙うと見せかけて、そのままタックル。射撃は首を振って回避、パンチは回避しないなら当てる気なのでバック回避。ブースト吹かせたタックルは軸を外しながら回し蹴りで迎撃、距離を置く。得意な間合いに入らせてあげはしない。でもいい攻め継だ。感情的に見えてフェイントもきちんと入って単調な攻めになっていない。

 

 いい動きだ、本当に良い。この戦いの中でますます切れが良く、滑らかになっている。ならなきゃ終わらせてたけど、でも相手が悪かったね。

 

 射撃じゃ私には勝てないってもうわかってるみたいね。蜂の巣になって死ぬ前に気が付いて、瞬時に選択肢を捨てたのはいい判断。あなたのスタイルはガン攻めだし頭に血が上ってるけど無謀でも馬鹿でもない。

 

 スタイルは馬鹿の一つ覚えのガン攻めに見えるけど、やり方は巧みでむしろ理詰め。後何手で一発入れて、とか頭で目まぐるしく計算するタイプ。計算というより感覚かな。脳の奥でそれがわかってる。だから正しくは暴れではない。一見すると暴れにしか見えない超攻撃的、愚直なまでの攻勢をするだけ。

 

 相手が攻撃をする前に自分の攻撃を通す。相手が動く前に自分が動く。相手の動きを起こりの時点で捉え、それを潰していけば一方的に攻めて攻めて終わり。動く前に動きを予測することも、予想外でも動き出してから反応しても間に合う反射神経にも自信があるんでしょ。だから結果的にガン攻めになるってわけだね。その動きはよく知っている。

 

 だからこうする。

 

『ぐううううぅっ!』

 

 攻めきれない相手は初めてでしょ。どうしようもないから、観察のために下がろうとしたね。分析しなおせば勝てるって思ったのね、可愛い。犠牲もなしに下がらせてあげないぞ。

 

 超近接戦なら勝ち目があると思って接近したのに、逆に自分が追い込まれてびっくりしたでしょ。初めての体験ができてよかったね。人生は勉強だよ。遠、中、近。全ての射程で戦うことができるなら、それを隠すことだってできるってこと。引き撃ちに狙撃や時間差射撃に予測射撃、砲撃に実弾にエネルギー弾に加えて照射系ビーム射撃まで。あの手この手の遠距離戦でぼこぼこにしてあげたから、私が強いけど遠距離と中距離を得意とする射撃型で近接は嫌がっていると思ってくれたのね、素直なんだから。

 

 プレイヤー自身の素のステータスごり押しで勝ててきたから、駆け引きが上手にならなかったかな。できないってわけでもないみたいだけどね。

 

『とっとと死ね!』

 

 右拳、腹部狙い。それに隠して左で発砲。胸狙い。側面に移動して脚に蹴り。緩急と上下差のある低空タックル。機体自体の損傷分動きが遅いから、なおさらよく見えるようになっている。これはもうそろそろ面白くなくなってきちゃったな。それでもいい動きなのは間違いないけど、最初に比べるとね。

 

「それでは死んであげられないわ」

 

撃つ。

右。

打つ。

下。

蹴る。

上。

掴む。

左。

 

 休まない。怒涛のような攻撃。運動性能と近接格闘に長けた機体ならではの、息もつかせぬ連撃だ。人間のプロ格闘選手みたいに素早く、滑らかによく動く。機体が肉でできているようだ。よく乗りこなしている。同じく近接に長けた機体か操縦者でないと、普通は手数に追いつかずに離脱も防御もできないまま削り殺しだろうね。

 

 通常の機体より多い、各所についた近接用のスラスターが生み出す加速。それに耐え、それに応えて伸縮する各部の機構。普通の機体ではどう足掻いても出せない連撃だ。敵の機体の動く駆動音が途切れのない一つの音、一つの曲の様にすら聞こえてくる。拳と蹴りを巧みに織り交ぜながら押し寄せる打撃を、こちらもフットワークと体捌きでかわしていく。

 

 ブーストなんか悠長に吹かしてしていたら間に合わない。これで決め着るつもりとしか思えない連打の嵐だけど、でもこれは私が相手でしょ。こんな牽制、傍目には攻撃に見えても私はごまかせないよ。

 

 そんな動きじゃ、逃がしてあげない。

 

『……っ!? な、なんでっ!』

 

 大混乱だね。今までは誰が相手でも辛うじて読めてた相手の動きが読めない。読んで対応しようと思った動きを潰される。その起こりを捉えたと思ったら捉えられている。一番お得意の連撃だっただろうに可哀想。

 

「調子に乗って見せすぎたのよ、あなた」

 

 そもそも連戦していて、それを公開もしていて。それに興味を持ってこうして挑んだわけなんだから、観察はすでに戦う前から済んでいた。連撃と言ってもアニメやマンガじゃないんだから、特殊なモーションをするわけではない。パンチを出すには腕をひくし距離を詰めるにはブーストか足を動かす。他の試合を見ていれば、癖や型は見えてくるもの。

 

 しなやかで力強い、美しい動きだった。鉄の人型がまるで血が通っているようだった。対戦相手と比べると、ポーズをとるだけの観賞用人形と自由に動かせるラジコン人形以上の差だ。

 

 そんな感動すらした肉食獣の動きはもはや見る影もない。今や痛めつけられた装甲を晒して追われ逃げ惑う獲物の動きだ。怯え、恐怖、焦りが気持ちよく伝わってくる。

 

 薄々気付いていたでしょ。そうよ、あなたは今自分がしてきたことをされているの。ここは狩場で、あなたは獲物。狩るのは私、狩られるのはあなた。

 

 どれほど素早い連撃でも射程外にまで伸びるわけじゃない。機体をブースト移動させながら、常に間合いの外を保つ。そして範囲外から攻撃の間隙を縫って腕部ビームバルカン発砲。射撃の強みの一つはここにある。攻撃に移るためのモーションが少なく、小さくですむということだ。相手の機体の顔面目掛けて撃った弾が躱されるけど、本来の狙いである頭部のバルカン砲は破壊できた。何とかかわしたつもりで数少ない武器を破壊されてしまい、動揺が手に取るようだ。焦っちゃって可愛いなあ。

 

 私がそんなことを思いながら相手の機体に備え付けの残り僅かな武装も全て破壊すると、破片と煙をまき散らしながら彼女がまた距離をとった。先ほどより動きにバタつきが消えている。やられたからとりあえず逃げたというわけでもなさそうだね。覚悟が決まったか。

 

 そこは格闘戦の間合いだよ。もう武器がないからそれしかないけど、やっぱり君は格闘が好きなんだねえ。特に拳での突きが好みと見た。動きの良さが違う。相当繰り返してきた、使い慣れ無駄が省かれた読みにくさがある。それを頼りにまた来るのかな。いや、そこまで単純じゃないぞ。ブラフだ。

 

 さっきまでとは違う、粘つくような気迫が目の前の機体から吹きあがっている。

 

『……突くよ』

 

「きて」

 

 右、左。彼女がフットワークを使って動き出す。軽量機体とはいえ重量物が動いているのに、静かで軽やかな音と振動だ。

 

 来る。何かを狙っているのがわかる。来い。正面から堂々と、圧倒的に叩き潰してあげる。

 

踏み込んでくる。

 

右拳、はじく。

 

左、かわす。

 

拳、拳、拳、脚、拳、脚。

 

 拳の連打に混ぜて、時折ブーストで加速させた膝や蹴りが来る。でもこんなものを決め技にしているはずもない。時折こちらからも拳打を放つ。射撃までしている暇はない。なかなかの連撃、でも先の攻勢のような火を噴かんばかりの気迫がない。まだ来ないの。

 

 そのまま何分だっただろう。至近距離の打ち合いが続く。決めに来ているのがわかるからこちらも迂闊に動けない、動く気もない。

 

 ただ技を待つっていうのは楽しみだけど結構疲れるものだね。打ち合いながら互いに相手の隙を、心の奥を覗こうと探り合う。なんて濃密で、なんと素敵な時間だろう。

 

 彼女の息遣いが私の肌に触れる。鉄の巨人の内部にいる私たちが、直接触れ合っているように打ち合う腕と拳が熱い。互いの一挙手一投足に心が浮足立ってしまう。なんという素敵な時間だろう。ああ、もったいないな。こうして愛撫しあっている時間も、もうじき終わってしまうのか。彼女が私を見ている、私も彼女を見ている。

 

 永遠にこの戦いが続けばいいのに。このままもうしばらく、もっと長くあなたとこうしていたい。

 

ああ、あなた。私の可愛く愛おしいあなた。私はあなたが大好き。

 

わかってるよ。

 

私もわかってる。あなたも私が大好きなんでしょう。

 

わかってる。

 

 私もだいぶ消耗してきた。あれだけ動いたあなたはもっと消耗している。荒い息遣いが、熱い吐息が耳に吹き込まれているみたいにはっきりと感じられる。彼女の息や心音まで聞こえそうな集中の中、ついふと思考が飛んだ。こんな荒い息と熱を出している彼女は、どんな姿なのか。きっと可愛いだろうな。

 

『シィィッ!』

 

来た。

 

脳裏に彼女の姿を思い描こうとした、その一瞬の緩みに合わせてきた。

 

ローだ。

 

 立ち姿勢で殴りあっていたのが一変、地を這うようなローキックがとんでもない速さですっ飛んでくる。

 

「ちぃっ!」

 

後退、間に合わない。

 

飛ぶ、ブーストなし、脚力。

 

 とっさに足だけで飛びあがる。ここが大事だ、高すぎてはいけない。完全に決められてしまう。振り回された足を余裕を持ちつつ、即反撃に移れる程度に跳び越す。

 

『キェェッ!』

 

 怪鳥の様な叫びをあげ、彼女の体が蹴った脚に合わせて回転する。そのまま背を見せたかと思うと、またも脚が突っ込んできた。逆の脚が槍のように突き刺しに来たのだ。まだ浮いている、かわせない。

 

 体を捻り、逸らして軸をずらす。向かってくる杭のような脚を両手で抱え込む。そのまま勢いに任せて捻る。二人の体が一つの塊になってもつれ落ちる。いや、私が彼女を引き倒した。行動の主導権は私に移った。そのまま行く。

 

 抱え込んだ足をそのままさらに捻じる。このまま関節技で、五体をバラバラに引き裂いて終わりにしよう。私が抱え込んだ足から、ぎちぎちと鉄の呻き声が聞こえる。ブーストを吹かせて逃げようとしているけど、私の体は君を地面に押し付け釘づけにしているんだ。もう助からないぞ。

 

 抑え込んで地面と機体で挟むことで片腕は封じたけど、もう片手はなんとか機体同士のサンドイッチから抜け出された。まだ諦めないんだね、まだ私と楽しんでくれるんだね、嬉しい。

 

 殴られる。衝撃でコクピットが揺れ、頭を直接殴られたみたいに視界がぶれる。痛くて気持ちいいよ。

 

 楽しいなあ、なんて楽しいのか。いつまでもこうしてイチャイチャしていたいね、あなた。

 

 脚はほぼ破壊できたから外して私をタコ殴りにしている腕を捕らえる。私にいっぱい触れてくれた手だ、大事に抱え込む。

 

ああ、その逃げ方はダメよ。ダメだって。

 

違う違う違う。

 

『ぐわわっ!』

 

 その歳でこの都市のゲームセンター界隈で狂獣とあだ名され、畏怖されるだけのことはある。私の腕が動くのを見て瞬時に方針転換。いい目だ。いい反射神経だ。良く動く。

 

 あなたも終わらせたくないんだね、背後に回り込む気か。そうよ、目の付け所は良い。もうこうなったら互いに関節技しか狙えない。余計な動きは即絡めとられて破滅だ。なら背後をとってしまえば断然有利だけど、悪くはないんだけど。

 

でもそんな動き方してちゃ私に捕まっちゃう。

 

このままじゃ終わってしまう、楽しいのに。

 

ほら、私の方が、こうやって、回り込んで。

 

あなたの首を、こうして、抱え込んで、力を。

 

ミヂミヂミヂッ

 

「ほらちぎれた……」

 

 

 

 

 

 

 けたたましい電子音に、内臓まで震えがくる重低音。金属がこすれる音や叩かれる鈍い音。絶え間なく重なり合って流れる何らかの曲。元の曲なんかもうわからない。どれもこれも鼓膜よ破れろと言わんばかりの爆音で、そのどれもが重なり合ってもう何が何だか。そこに更にその爆音の合唱に負けじと張り上げられる大声が加わる。

 

 大概は絶叫だけど、中には意味を成すものもある。もっとも意味を成しても価値のない煽りや罵りばかりで、まったくひどいものだ。子供の教育に悪いって評判が悪いのも納得だ。これでもこの甘水という観光が盛んな都市の中でも一番大きく、一番治安が良い場所を選んだんだけどな。まあお行儀がいい姿は想像できない場所だ、こんなものかもね。

 

 我々は今、ゲームセンターにいます。

 

 来たの久し振りだけど、相変わらず音の地獄めいた場所。あともうなんか臭い。それに湿度が高いのにもまいる。嫌な感じのジメジメが空間を埋め尽くしている。気持ち悪い。人が密集していて、しかも運動したり興奮したりで汗かくから気持ち悪くて臭い湿気がむわっと可視化されてそうなくらいだ。

 

 そこに機械の匂いや景品のお菓子やジュースの匂い等々が混ざり、相変わらず良い具合に汚らしく乱れた空間だ。ゲーム機の光や広告の空中投影やらで視界を常に色鮮やかな光が飛び交って目でもうるさい。聴覚、嗅覚、視覚全てに重い負担をかけてくるのが相変わらずだ。ゲームセンターはこうでないと、懐かしいな。

 

 しかし今は平日の昼間だってのに、誰も彼もこんな所で何やってるんだろね。イベントや試合がないことは確認してきているのに芋洗い状態だ。護衛の人ちゃんとついてきているかな。人出が多く賑わっているのはいいことだし、平日も休日も人の勝手だからいつどこにいたっていいんだけどね。そもそも私だって来てるわけで。

 

 ただ一応私たちが来た目的は仕事だから、遊びに来たわけじゃないからセーフ。私たちが仕事二日目にしてこうしてゲームセンターにいるのは遊ぶためではないのである。私たちの仕事は何か。それはゲーム事業だ。そのための現場視察、そのためのゲーセンなのだ。というわけでまずは懐かしのゲームセンター内を巡ってあちこちで遊び、もとい視察をしてきた。

 

 依然通っていた頃のゲーム機はほとんどなくなっていて、どれもこれも最新機種に変わっているのが少し寂しい。ここは一番大きく人気があるから、どんどん新しい筐体だとか設備を購入できるんだろう。昔やっていた筐体で遊びたかったら、小さめのマニア系のゲームセンターの方に行った方がよさそうだ。ああいう所は拘る人間が多いから、目先の新しい機種は入荷が極めて遅い。逆を言えば評価が定まって安定してきた物しか入れないので、まずはずれがないのはいい所だよね。最新ゲームが次々入る、今いる所みたいなのはクソゲーもかなり入り込んでいる。そこから面白いゲームを発掘したり、クソゲー特有のスルメみたいな味わいを見出すのも自由なのがこういった入れ替え激しい大型店の利点かな。

 

 クソゲーに当たってしまったりいいゲームがあったり、昔遊んでいたゲームの最新版があったりとしばらく童心に帰って楽しんでしまった。完全に当初の目的なんか頭から吹っ飛んでいた。みんなでゲーセンに来るなんて学生の頃、高等部くらいぶりじゃないかな。

 

 みんな徐々に一緒にいる時間は減ったし、何よりゲームして遊ぶ以外の遊び方もたくさん覚えたから足が遠のいていた。映画見たりドライブしたり散歩したりランチ食べながらおしゃべりしたりと色んな遊び方を身に着けたけど、ただゲームで遊ぶっていうのはこれはこれでいいものだ。

 

 夢中になって汗までかいた頃、ようやく正気に戻って本題を思い出した。ダンスをして流石に少し疲れたからいっぺん休んだのが良かったかな。間を置いたおかげで頭が少し冷えた。

 

「あー……つい夢中になっちゃったね」

 

「完全にやらかしちゃったわ……」

 

「これも現状把握のための調査、調査ですから……」

 

「あ、あのそんな気を落とさないでください。これから用事を済ませればいいだけじゃないですか」

 

「そうなんだけど。もうお昼近いじゃない」

 

「どれだけ遊びっぱなしだったのって感じよね……ああ情けない」

 

「たまには思い切り遊ぶのも大事ですよ! たくさん遊んで、たくさん働けばいいんです」

 

「……ラブリの言う通りですわ。南城院夢華はここからが本番です」

 

「まあ時間は巻き戻らないしね、ここからやり直そうか」

 

「そうしましょうか。とりあえず一つくらいは目的を果たして、それからお昼にしましょう」

 

 となるとまずは事前にゲームセンターの主に許可を取ったから、VARSの使用履歴や稼働データをとるのがいいかな。時間がそれほどかからないけど、一番大事な目的だ。

 

 本来の目的を思い出したけど遊び疲れたから一休みして計画を練り直そうと、休憩できるスペースを探して入り口からやや奥に少し広く人が少ない空間を見つけた。何とか人を避けつつそこの壁際にたどり着いて、休憩用に設置されているベンチに座り込んだ。腰を落ち着けると全員がふぅ、と一息ついてしまう。

 

 そうして予定を立て直しながら人だかりを眺める。その予定のためにはまずゲーム機のあるエリアまで行かないといけないんだけど、この人混みにはまいっちゃうね。また突入するかと思うと嫌だな。ようやく汗も少しひいたっていうのに、ここを突破するだけでまた汗をかきそうだ。

 

「相変わらずすっごい混んでるわね……」

 

「懐かしいね。前来ていたころとこの人の多さはあんまり変わってない」

 

「よくサボっては遊びに来たのがつい昨日のことのようですわ」

 

「サボっちゃダメじゃないですか……」

 

 せやな。ラブリが驚きと呆れ半々くらいの表情で言うけど、でも私たちがまともに学校に通っていたっていうのも想像つかないでしょ。紫だとサボりをしそうにはないけど、私たちを止めようとして止めきれずについてきてしまいそのままズルズルとサボりになってた。

 

 最終的には私たちだけだと問題起こしそうだけど、紫がいるならまだ安心ということで学校側から半ば黙認されてすらいた。どうせ私ら言っても聞かないしね。この頃から夢華の親とかに将来の夢華のお付き候補に考えられていたらしいけど、まあ納得の人選だよ。それ以外の知り合いの間でも私たちのバランス役、抑え役だと思われてたことが後に発覚した。

 

 そんな話を夢華の護衛としてついてきたラブリに聞かせてあげると、はぁーと感心したような声を漏らす。

 

「皆さんは本当に昔から仲がよろしいんですねぇ」

 

「それはもう、当然の話ですわよ」

 

「仲が良かったって言うか、そういうことを通じて仲良くなっていった感じかしら」

 

「そうやって言うと青春だよねー」

 

 あの頃の紫はまだ真面目でお硬い子だったし、私は一番無軌道だったころかな。夢華は明るくなってきて、あれこれ色んなことに興味を持ち出してた頃だ。あの時の私にとってここはどういう所だったかな。夢華にとっては珍しい空間で最初は目を白黒させてた。紫はうるさくって目をまわしそうだったっけ。

 

 今やそんな思い出の地に仕事で来ているんだから、私たちも大人になったもんだよ。なんか感慨深いね。

 

「ま、思い出に浸るのは後にしよ。まずはここを突破して目的地にたどり着かなくちゃ」

 

「そうね。でも行きたくないわ……」

 

「久しぶりに見ると拒否反応が強いけれど……行きますわよ、よくって?」

 

「はい。マスターも紫さんも、私がお守りします」

 

私は?

 

「……まあ、いいよ。じゃあはぐれないように手を繋ごう」

 

「そうしましょう」

 

 全員でしっかり手を繋ぐ。私は夢華と手を繋ぎ、ラブリと紫が手を繋いで二組横並びになった。縦一列だとはぐれそうだったからね。縦に伸びるより横に列で固まって突破する作戦だ。

 

「じゃあ行くよ」

 

「突入しますか」

 

 しっかり手を繋いだことを確認すると、私たちは人の群れに向けて突撃した。

 

 

 

 

 老若男女、あらゆる年齢性別に加え太い者も細い者も、背が低い者も高い者も全ての種類の人間が揃っていそうなほどの人波だった。ダンスする者、音に合わせて楽器を演奏する者、向かい合って対戦ゲームで煽りあう者。汚い罵りや大きな歓声が飛び交う、無数の人やゲームの中を抜けて行った。

 

 色々な服装の人がいたけど、特に様々な色に発光するサイバー系ファッションがあちらこちらで輝いていて嫌でも目に入った。私と同じように大型サイバーグラスを付けてたり、紫の様なお洒落めなサイバーグラスの人も結構見かけた。そういう紫タイプの人は服もお洒落だったけど、こんなところお洒落してくるような場所でもないと思う。

 

 えらい強い発光と目立つ色のサイバーラインでは物足りないのか、そこに更になんか破れてたりトゲトゲしてたりするサイバーパンク系と呼ばれる人たちはこの人混みでもすごい目立つ。私は時々サイバーラインの発光服を着るけど、それを破いたりはしないしトゲとかドクロもちょっとどうなのって思っちゃった。夢華はかっこいい、と気に入った様子だったけどお願いだから真似しないでほしい。

 

 そんなこんなでぶつかる人波をかき分けて、ついにお目当てのエリアまで来たんだけどそここそが一番込み合っていた。

 

 まあ、そうなるわね。

 

 最新のゲーム機とゲームであり、世界中で話題になっている物が私たちもお目当てなんだもんね。予想通りだ。今からここにしばらく混じって調査とかするのかと思うとうんざりしちゃう。紫はもう息切れしているし、夢華はVARSの黒い球体に群がる人の数に感動し震えている。ラブリはお出かけ用にお洒落してきた服や小物がちょっと乱れているけど、無事に任務を全うしたようだ。

 

 突破したものの全員少し休憩を入れたい気分だったので、とりあえずエリア端の本日調整中の文字が浮いている筐体の傍で一休みすることになった。近くにあった観戦や順番待ち用のベンチに座る。観戦用だけあって座るとちょうどよくゲーム内容が移されたモニターが見える。位置取りが完璧だ。

 

「ふぅ……さすがに調整中の筐体付近は人が少ないから助かるね」

 

「そうね。わざわざ一つ調整中にして、場所も少し開けておいてくれて助かるわ」

 

 この調整中の筐体の周辺には簡易ながら三角コーンめいた物が一定間隔で置かれて、一応の区切りがされている。あくまで調整中であることを示すためのものなのでその中にも平然と客は入っているけど、そのおかげで私たちがいても中に入ってしまった客程度の扱いになるので目立たないのはありがたい。

 

 簡単に変装はしているけど、夢華はこれでもこの町では有名人だ。紫も後ろに控えていて顔が割れているので、万が一気が付かれて騒ぎになったら面倒だ。まあお嬢様で有名人のわりにここまで人混みを抜けてきて、二人とも誰にも気が付かれなかったけどね。

 

「あー……頑張ったから喉が渇いてしまいましたの」

 

「ふふっ、ではこちらをどうぞ」

 

 ラブリちゃんはラブリーなので、持っている肩掛け鞄もピンクやハートでラブリーだね。そこから飲み物を取り出して夢華に差し出す。朝作ったという塩ライチ水だ。おいしいよねライチジュース。私の分もあるらしいし後でもらおう。紫は何も言わず自分もさっさと自分で自分用にアレンジした飲み物出して飲んでいるし、これはもうしばらく休む態勢に入っているな。

 

 まあここまで遊び惚けてしまったんだし、今更急ぐわけじゃないしいいか。

 

 ということで私はゲームの観戦用モニターに目を移した。最新のゲームで盛り上がっているのはわかるんだけど、それにしても盛り上がり方がすごい気がするのよね。最新のゲームが入ってくるとみんな熱狂するものだけど、どうも今の周辺の客の様子はゲームそのものというよりゲームの内容、モニターに目がいっている様子だ。スポーツ中継とかの雰囲気に近い。よほど今いい勝負をしているんかな。

 

 そう思ってモニターに目をやってみたら、その原因はあっという間に判明した。明らかに動きが違う人型ロボットが、一方的に相手をぼこぼこにして破壊、爆発させていた。このゲームをやり込んでおるなって感じの動きだ。

 

 お、ナイスパンチ。

 

 灰色の拳が派手なカラーリングをした相手を殴り飛ばした。部品を血液代わりにまき散らして、装甲の一部がもげて飛んでいる。そこに追撃をかける姿を見ていると、機体性能とかじゃなく単純に上手い。相手も素人の初心者丸出しって動きでもないのに、ひたすら追い立てられている。実力差が明白すぎる。弱い者いじめは良くないけどあんまり上手いから見ていて楽しいね。

 

 それでさっきから盛り上がていたのか。盛り上がりも納得のいく、見栄えも良い戦いだ。

 

 しばらく眺めているとさっき筐体に入ったばかりの人の機体が爆発四散して、満面の笑顔で中の人が出てきた。ぼこぼこにされて笑顔とかちょっと危ない人だ。一瞬そう思ったけど、筐体の外で待っていたらしい仲間らしき人に興奮して話しかけている内容を聞くにそうでもないようだ。

 

 どうもあんまり強いからビビったけど、こんなに強くなれるなんてすっげーなって感じのことを大興奮で話している。相手が強いとわくわくして、負けても笑顔って戦闘民族かなんかかな。でも言われた方も同じ様子で、いいな早くやりたいな俺もと返している。目の前で友人がぼこぼこにやられたのを見てそういう思考になるのか。わからんでもないけどさ。

 

 この人ら筋金入りのゲーマーだなと思ったけど、私が人の話を盗み聞きしている間にもう次の挑戦者が同じ相手に挑んでいた。そして筐体周りの観客たちが行けー、そこだーと応援と歓声を上げている。唾が飛ぶのがたまに見えてしまう勢いだ。汚いな。腕を振り回しているのもいる。どんだけ興奮してるんだ。

 

 しかしそうかそうか、そういうことか。ここにいるのはみんなそんな感じの人で、それで大盛り上がりなわけだ。

 

 複数ある黒い筐体の内、特に盛り上がっている二つの筐体の片方は同じ人がしばらく入りっぱなしらしい。こっちが強い人の方だね。もう片方は周りの人が一回負けたら交代で、同じ人相手に挑戦中のようだ。最初は対戦要素のないゲームだったらしいけど、これを見るに対戦要素はあってよかったね。家庭用ならともかく、ゲーセン用ならやはり対戦ゲームは一番の華だよ。私も昔だいぶ暴れたものだ。

 

 こんなに盛り上がってくれて、そしてここまでやり込むくらい愛されているのは見ていて嬉しい。次は俺だ、次は私だと順番争いの声もひっきりなしに聞こえてくる。開発者冥利に尽きる。現場視察に来てよかった。次の相手はどうなるのか興味あるし、このままここで休憩しながらしばらく見てようかな。

 

 そうして眺めていると、周りの熱狂も心地よく聞こえてくる。なにせこの熱狂は私たちが関わったゲームにハマり、興奮している証拠だ。このゲームがいかに愛されているかを証明する声を聴いていると、その全てが私たちへの称賛の叫びに聞こえてくる。

 

 これを、この喝采の嵐を聞けただけでもう十分な収穫だった。気が付けば私たち全員が黙って周囲の燃え立つような叫びに耳を傾けていた。

 

 




あけましておめでとうございます。
今年の目標は書籍化、商業作家です。


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ゲームセンターで成人女性に声を掛けられる事案

前話の続きなので、実質(新年)初投稿です


 多くの人のお眼鏡にかなったようだし、嬉しいからしばらく興奮の嵐に包まれて観戦していよう。と、その時は思ってたんだけど見てたらやりたくなっちゃった。挑戦者を次から次になぎ倒しているプレイヤーは、周りの声によると狂犬、狂獣だとか呼ばれるなんかかっこいい二つ名持ちらしいし。

 

 この町のゲームセンターの、とりわけ対戦ゲーム界隈ではなかなか名の知れたプレイヤーみたいで、それを聞くとますますやってみたくなった。だって狂犬だよ、絶対強いじゃない。対戦ゲームは勝利がお手軽すぎちゃってしばらくやっていなかったんだけど、この相手ならって思ってしまってつい。この相手ならあるいは私に敗北を与えてくれるのではって。

 

 敗北の可能性がない戦いはもう勝負でもない。この相手なら私に勝負をさせてくれるのではと、プレイを見ている内に思ってきてしまったのだ。

 

 で、やっちゃった。どうせちゃんと並んでいるわけでもないので、見た目のインパクトとかで無理やり割り込んでやっちゃった。ふと乱入を思い立ってサイバーグラスを脱いでラブリに押し付ける。そしてぼんやり周りを眺めていた友人二人を置き去りにして、人だかりに飛び込んでいった。

 

 私って自慢だけど美人だしかなり背が高いしで見た目で人を黙らせる力が高い。それで人の反論を封殺しつつ持ち前のパワーでぐいぐい人をかき分けて、挑戦者側の筐体の出入り口を確保した。そして私を見ていったんは気圧されて黙ったけど、ゲームやりたさが勝ったらしく次は自分だと負けじと主張してくる相手のお姉さんに

 

「あなたではこの相手には勝てない! でも私は皆さんが負け続けている相手に勝つところをお見せできますよ」

 

 と啖呵を切ってタイミングよく負けて出てきた人と入れ違いで筐体に滑り込んでしまったのだ。筐体に入ったもん勝ちだ。いくら熱狂していても力づくで筐体から追い出したりはしない程度のマナーはこの場の人たちは持ち合わせている。それは見ていてもわかった。だからこそ無茶して乗り込んだ。

 

 一番マナー悪いの私だこれ。でも嘘は言ってないから許して、許して。

 

 そして勝った。勝ってしまった。でも当然の結果だ。同じように動けて、同じように見えて、同じように考えられる。しかし彼女は幼く私は成熟してる。生きてきた時間分、私が有利だったかな。武装の全てを破壊され、機体を半壊させられてまだ諦めないのは良かった。そうでなくては。久しぶりに楽しかった、楽しかったんだよ。

 

 戦うのは楽しい。強くなるのは嬉しい。ずっと昔に感じていたことだ。今と同じように、ゲームセンターの対戦ゲームが教えてくれたことだ。久しく味わうことはできてなかった。私は強くなりすぎたし、強くなれすぎると遊ぶ場所もなかなか手に入らない。昔くらい人を気にしないなら遊べるけど、今はだいぶ丸くなっちゃったからなー。人を一方的に叩きのめすことを楽しいとはもう思えない体になってしまった。良くも悪くも、甘くて丸い女になっちゃったものだ。

 

 しかし今日は久しぶりのいい汗かいた。いい闘争だった。

 

 暗い筐体の中で大きく減衰してなおはっきり聞こえる大歓声をBGMに、しばし立ち尽くす。

 

「あー…‥」

 

 久しぶりに味わうスリルと興奮が、充足感となって私の体を満たしているのを感じる。超気持ちいいー……。アドレナリンが早くなった血流にのって体を駆け巡っているのを感じる。脳みそが熱を持ち、ぎゅいんぎゅいんとモーターめいて駆動する音が聞こえてきそうだ。普段あまり使わない部分の脳が活性化している実感があるぞ。固まった体をほぐすような、まとわりついていた埃や詰まりが解けていくようだ。ん気持ちいいー。

 

 外は大騒ぎだね、まあ仕方ないか。私が真剣になるレベルの戦いだった。外部モニターの映像だけでもかなり白熱した大迫力の戦いだったんじゃないかな。予知能力めいた先読み同士が読みあい、隙を狙いあう接戦に見えていたかもしれない。実際は詰将棋みたいに、一手ずつ私が詰めていっての順当な勝利だったけど。

 

 お互いの基礎的な能力の差と経験の差で勝っただけだからね。同じように互いの動きや思考を読みあえるなら、体が成長し切り経験も豊富な大人のレディーである私が勝つに決まっている。だけど相手の彼女が最後まで諦めず、終わらされる瞬間まで勝ちを狙っていたから私も緊張感を保てた。

 

 外の騒ぎをよそに、すでに消えたモニターの先にいる相手を思う。

 

 あなたも楽しかったでしょう。わかるよ。

 こういうことってあるんだね。こういうことが、こんな機械越しにでも、繋がるものだね。

 

 あなたも私のことをわかったと思う。私もあなたのことをわかったよ。

 

 あなたがどんな名前で、どんな顔をしているのか。どこに住んでいて、どんな家族がいて、どんな友達がいるのか。

 

 そういうことは何一つ知らない。そんなことじゃない。そんなのは些末なことだ。

 

 もっと大事な事を、もっと深い所で感じあった。肉を直接触り合ったわけではない。筐体の行う通信を介して、しかも罵りと煽り以外に言葉を交わしあったわけでもない。それでも繋がったものがある。それも通じた気がするとか、そういう曖昧な感覚じゃない。もっとこうはっきりと触感のある、生温かさすら感じるものだ。あなたの吐息すら嗅いだ気がする。

 

 早く会いたいな。

 

 筐体を出ると大歓声がより強くなり、圧力すら感じる。唾飛んできそうなくらいの大歓声だ。その中の一つとして声を張り上げていた夢華が飛びついてきた。プレイ中にも応援が聞こえてきてたから知ってたけど、いつの間にか置き去りにしてた二人と一機が応援しに来てくれていたらしい。別に休憩してた所からでもモニターは見れるからいいのに。

 

 でもちょっと嬉しい。ゲーム用メットを脱ぎながら抱きとめる。応援のしすぎかあるいは興奮に沸く群衆の中にいたからか、一度ひいたのにまたうっすらと汗をかき髪が額に張り付いているのが見える。そこまでしなくていいのよ。落ち着いて人混みから離れて見てたらよかったのに。

 

「汗かいてるから臭いよ」

 

「四季は汗もおいしいですの!」

 

「えぇ……」

 

「……冗談ですの」

 

「ほんとぉ?」

 

 私にも羞恥心がある。汗を嗅くのも舐めて味わうのもやめてほしいな。おいしいと言われても喜んでいいのかな、これ。しかも人前でやって、言うことか。冗談でもまずくない?どうしても舐めたいなら舐めていいけど、人前はよそうね。

 

 遅れてやってきた紫が、お疲れ様と声をかけながらタオルと飲み物を差し入れてくれる。ありがたい。相手が相手だったから、結構動いて喉乾いてたんだ。腕の端末を見るに三十分近くって所か。体感的にはそれ以上な気もするし、一瞬だったようにも思える。かなりがっつり集中してたから、時間感覚がふわふわしている。地につけた足もやや浮ついた感触だ。

 

 汗の量も結構なものだし、だいぶ熱中してたみたい。体が汗でびちょびちょだ。特に胸の谷間やおっぱいの下あたりが気持ち悪い。大きいとどうしてもこうなる。美の対価ってやつかな。服の中に腕突っ込んでタオルで拭いたいけど、これほどの人前でそうしないだけの羞恥心は私にもある。美しく豊かな体は自慢だけど、汗拭いている姿は見られたくない乙女心も。

 

「あなたが真剣にやってこんなに長く競える人、初めて見たわ」

 

「まあね。あの子は本物だよ」

 

 私が真剣に何かやると基本いじめになるから、なかなか披露する機会がない。別に私がゲームの達人というわけじゃない。ただ肉体能力が一般人とは隔絶してるのが問題なんだよ。

 

 私はただの天才、ひ弱な頭でっかちじゃないのだ。肉体性能だって通常人類を遥かに凌駕している。運動性能で言えばプロスポーツ選手とその得意分野で競っても私が勝つ。感覚面では嘘をついている味や匂い、音がわかったりする。体重の変化が足音でわかったりもするけど、聞こうとすると紫が発狂して叩いてくるからあまり披露する機会がない特技だ。

 

 そんな優れた肉体はおそらく彼女も備えているはずだ。まず目がいい。わずかな動きで次の動きを判断してる。動きが大きく目にはっきり見えてから動いていたら、対応があそこまで素早くない。

 

 そして頭もいい、反射神経もだ。一瞬見えた小さな動きを見逃さず、そこからくる行動を予測して瞬時に回避や攻撃を切り替える判断力がある。学習能力も高い。相手の動きの癖や思考を戦いながら把握してるはず。戦いながらどんどん戦法が私用に最適化されていた。これは通ってこれは通らない、というのをすぐ覚えるし目がいいから動きが違うとすぐ気づく。おかげで誘い込みはほとんど使えなかった。文字通り一度見せたら二度は通じないから、手札の切り方が難しかった。

 

 苦戦させてくれて、すごい嬉しかった。そして何より、動き方や戦い方の根本部分が非常に私に似通っていた。各々のアレンジはあっても、根っこのスタイルが同じという感覚があった。未熟な頃の自分を端から見た気分だったし、まず間違いないだろう。

 

「どの程度かまではわからないけど、私と同じことができるはずだよ。肉体分野ではね」

 

 頭の方はどうか知らない。機能が優れているのは確かだろうけど、でも私と同じ天才かどうかはわからない。頭の回転が速く、記憶力がある程度では真に天才ではないからね。

 

 優秀ではあるのは間違いないと思う。というか馬鹿はよほどの馬鹿でない限り強くない。大変な馬鹿だと予測は付けられないし、あれこれ考えないのでシンプルに怖いしで厄介だけど。賢い戦いもできるくせに、追いつめられるとその賢さをかなぐり捨てて発狂暴れに移れる人はもっと怖い。IQを捨てるのって難しいし、捨てられるだけのIQの持ち主なので拾いなおしていきなり賢くなり緩急巧みに使い分けてくる。そこまでの使い手にはなかなか出会わないけど、いると楽しいことになる。

 

 彼女の戦いは割と賢い系統の戦いだったから、あれだけ強くて馬鹿ってことはあり得ない。IQ捨てるには至らなかったけど、それは経験で覚えていくだろう。でも平日の昼間にこんな所にいるから学校の成績の方は悪いかもしれないね。成績というか評価かな、テストはいい点とってそうだ。

 

「えぇ……? あんたみたいなのって相当の変態よ?」

 

「変態って言うな」

 

 せめて天才にして。

 

「でも……それが本当だったら、確保しておきたい人材よね」

 

 紫が難しい顔で唸ってる。まあ頭脳も含めて私二号だったら、手元に置いた際の利益と苦労は計り知れないものになるだろう。私だって私がもう一人いたら絶対仲間にしたいもん。

 

 そしてもし私と同じだった場合、私がもう一人の私と協力する可能性は低くないと思う。私は最高の親友を二人も得られて幸せだけど、同じ世界を見られる相手をまだ欲している部分があることを否定できないからだ。理解されないことには慣れているけれど、理解されたくないわけではないのだ。

 

 ただもし彼女の頭脳が期待と違ったとしても、最低限馬鹿ってことはおそらくない。そして会社的には運動能力だけでも十分すぎる価値があるはず。スポーツとかやらせたら何やっても好成績を残せると思う。団体戦はちょっと厳しいかもしれないけど。私らみたいなのは人に合わせるのが苦痛だから、どうしても集団で一丸になるのは難しい。

 

 幼稚園児と速度を合わせて横並びで走ることを強要されているようなものだ。反論がある人は、最低限一度見た動きは全くズレなしに再現するくらいはできてね。何でこんな簡単なことができないんだって、私はダンスとか練習している人を見るとよく思う。物を投げて的に当てることができない人とか、歌うと音程を外してしまう人とかね。

 

 彼女ならおそらくダーツとかの的を外さないし、外す気持ちがわからないだろう。

 

 さあ、あの子はどうかな。どんな子なのかな。

 

 会いたいな。早く出てこないかな。

 

 ふんふん鼻を鳴らす夢華を張り付けたまま隣の筐体の方をじっと見つめる。周りで騒いでいる人々はラブリが抑えて近寄らせないでいてくれる。助かるわ。紫は姿も見ていない狸の皮算用でもしているのか、思案顔で同じく筐体を眺めている。そんな有様で紫も夢華も役に立ちそうもないので、まだ出てこないか自分で確認しつつ手に持ってたメットを回収箱に入れる。

 

 この箱は次のプレイヤーのために洗浄、消毒してくれる機械だ。複数のメットを保管してあり、筐体に入る前にここから新しいメットをとっていく。今も筐体前を空けてあげたら早速メットを取り出して次のプレイヤーが入っていった。さっき私の番だと主張してたポニーテールのお姉さんだ。私より少し年上だけど、おそらくまだ二十代だ。

 

 肌はよく手入れしているのか綺麗で、顔も美人だし化粧もちゃんとしている。格好もこんなところで騒いでいる人には似つかわしくない、キチンとした雰囲気の服でまとめている。仕事できそうな感じだ。それなのにこのやや低俗で興奮した場に違和感なく溶け込む不思議な爽やかさがあった。

 

「見てたわよ、あなたすっごいのね!」

 

「ありがとう、楽しんできてね」

 

 バチーンとウインクして颯爽と筐体に乗り込んでいった。顔といい雰囲気といいきびきびとした身のこなしといい、なんかかっこいい女性だったな。ちらっと見えた腕についてた端末も、落ち着いたお洒落なやや高級なやつだった。見た目通り高給取りなんだろう。全体的にお洒落なのに気取ってない、大人のかっこいいお姉さんって感じで私結構好みかも。

 

 

 

 お姉さんが入って少しして、やがてついに噂のあの子がふらふらと出てきた。小さい。パッと見た印象はそれだった。明らかに背丈も小さいし、黒シャツから窺える体つきもほっそりとしている。しかしそのわりに貧弱には見えない。ただ単にまだ肉がついていない成長前の体という印象だ。それでもホットパンツから覗く生足を見る分には、筋肉が同世代平均よりしっかりついている様子。生身の動きに連動してロボットを動かすゲームで、あれだけ動いて格闘戦をこなせたんだから当然だね。

 

 身長は低いけど夢華と違って骨格や手足の比率などがまだ子供だ。背の低い大人じゃなくて成長期の子供で間違いなさそう。やっぱりガールだったね。

 

 それに想像通り可愛い。ようやく会えたね、可愛いあなた。

 

 私が彼女を見ているのに気が付いた、というわけでもないだろうけど彼女もこちらを向く。私が会いたかったように、彼女も私に会いたいと思ってくれているはず、多分。興奮の熱が引いてちょっと自信なくなってきたぞ。いやでも、あの感覚は間違いなく精神とか心が繋がったやつだよ。間違いないって大丈夫。

 

「……? ……っ!」

 

 目が合ったから彼女に笑いかけたけど、彼女はただぼんやりと私を眺めていた。染めているんだろう赤い瞳が虚ろに揺れているのが私には見える。最初は幻でも見るかのようにこちらを見やっていて、やがて気が付いたと思えば一瞬で複雑に顔を歪めた。丸く大きかった瞳が、キュッと縮こまっていく。なんだ、なんだ。

 

 私を見つけて嬉しそうに笑いかけた顔がすぐに泣きそうな、寂しそうな、なんか良くない顔になる。どうしたの、そんな顔しないでよ。

 

「おーい! あ、おいおいおい、ちょっと待ってよ待ってったら」

 

 それを見た途端、反射的に声をかけていた。それでも止まらない。身を翻し私に背を向けて去っていこうとする。夢華のとは感じが違う金髪がふわりと舞い上がり、その金の線で痕跡を残しながらすし詰めの人々の間に体を押し込んで消えていく。そっちがその気なら仕方ない。

 

 夢華を体に張り付けたまま、私も人混みをどけて彼女のもとに向かう。すごいものを見た、と楽しく騒いでいる人には悪いけどいつまでも群れてるんじゃないよ邪魔くさい。握手してくれ、とかすごかったよとか大興奮して私をキラキラした目で見てくれるのはありがたいけどタイミングが良くない。後で後で、と腕や体を振り払い押しのけて人混みを突き進む。

 

 後ろをついてきたラブリが人間を超える機械のパワーで、やや力づくでも道を切り開いてくれる。

 

「どうぞ」

 

「ありがとっ!」

 

 紫も人をよけるのを手伝ってくれる。いきなり人を追いかけだしても、何も聞かずにすぐ手伝ってくれるところ好き。結婚しよ。

 

 お目当ての彼女はまだ小さく細いので興奮した観衆の中をするすると抜けて行けるけど、それでも速度が落ちているのが救いだ。

 

「ちょっとー! ちょっと、お嬢さん。ちょっとお話しなーい? おーい、ちょっと!」

 

「ちょっとって言いすぎですわよ」

 

 余計な茶々いれないの。しかもあんたは手伝わないで私に張り付いたままだったか。まあ離れられても何かあったら困るし良くないんだけど、紫みたいに私を助けようという気にはならなかったのか。

 

 そんな大きなお荷物をくっつけたままでも、大人の私の方が背が高くストライドが大きいからか人混みを抜けたあたりでちょうどよく追いついた。ようやく追いついて無視できない距離で声をかけると、流石に振り向いてくれた。よかった、対話の意思はぎりぎりあるぞ。なくてもなんとしても会話するつもりだけど。

 

「……ちっ」

 

 うわっすっごい顔。初等部の高学年あたりかな。本来幼く柔らかな表情が似合いの顔が、私不機嫌ですって感じの負のオーラを全身にまとわせて私を睨みつけている。よく見るとちょっぴり涙目になっているのが愛らしい。それだけじゃない。なんというか荒れた生活というか、心情が長く続いていたんだろうなって顔だ。

 

 一時不機嫌になっただけじゃなかなかここまで迫力ある顔にはならないと思う。美人だからなおさら殺伐感が強調されている。こうして近くで見るとまだ幼いけど可愛い整った顔をしてる。その顔がこう荒んで眼光を鋭くすると、幼くとも大迫力だ。それが様になっているからまた良くない。

 

 不良とか一匹狼系の雰囲気を全身が醸し出している。身に沁みついた不機嫌さだ。

 

「……なんの用?」

 

「あなたとお話がしたいの」

 

「嫌だね。私はあんたと話すことなんか何もない」

 

 にべもなく言い捨てて私の顔を睨もうとする、いや本人は睨んでいる気なんだろう。でも睨むというより、泣くのを我慢しているような表情だ。かと言って悲しいだけじゃなく、どこか憎らしげな攻撃的な色がある。

 

 んんん、いや憎いというより失望かな。失望と失望を感じさせられたが故の怒りや憎しみ。そんな思念を感じる。あんなに愛し合ったのにちょっとショックだ。その後何故か視線が私の胸のあたりに移り、そこははっきりと睨みつけた。私のおっぱいが何をしたというんだ、そんな殺気立った目で睨まないでよ。

 

 そんな気持ちで膝を折り目線を無理やり合わせたら、唾でも吐きそうな表情で背を向けて去ろうとする。吐きそうというか実際にペッて吐くような動作をされた。ひどい。でもここまで追いかけておいて逃がすわけにはいかない。慌てて追い抜いて進路を塞ぐ。

 

「待って待ってってば。そう短気起こすこともないでしょ。ちょうどそろそろお昼だし、一緒にランチでもどう? ごちそうするよ?」

 

 朝からゲームセンターに来てあれこれ遊んで、最後に白熱した試合をしたからもういい時間だ。運動してお腹もすいたし、ゆっくりお話もしたい。できれば汗かいたし一風呂どうって誘いたいくらいだ。流石に断られそうだし、怪しさの度合いがひどくなるから今は言わないでおくつもりだ。それにしても昨日今日と朝から運動しまくりだよ。企業スポーツ部に入ったわけじゃないんだけどな。

 

「しつこいなデカ女」

 

「で、でかっ!? じ、じゃあスイーツもいいよ。ドーナツとか、アイスとか。ケーキもいいね。どう?」

 

「う……」

 

 お、目の色が変わった。喉もごくりと動いたぞ。いやどんだけ反応してるのよ。甘味に飢えすぎじゃない?体もほっそりしてるし、あんまり食べれてなかったりするのかな。

 

 確かに甘いものをおいしく食べているような雰囲気ではない。甘いものを食べると人は幸せになるものだ。感情論ではなく、物理的な話で。人間は甘いものを食べると、脳内で幸せを感じる化学物質が増えるようにできている。目の前の愛しい彼女はその物理現象をしばらく起こしてはいないように見えるのだ。

 

 まあいい、それは後でヴィクトリアにでも頼んで調べればいい。今は畳みかける時!

 

「何でも好きなもの買ってあげるよ? そうだ、お家で食べる分も買ってあげちゃう!」

 

「いかがわしい人のセリフですわね」

 

 うるさいな。そう言われると完全に変質者のセリフだけど、そんなことはどうでもいい。ただお話ししたいだけだ、ゆっくりと。連絡先の交換までできれば言うことなしなんだけど。連絡先が分からなくてもこの辺のゲームセンターの監視カメラでも覗き見して、見かけたら偶然を装って会いに来るつもりだけどどうせなら連絡取りあいたい。

 

「お腹いっぱい好きなもの食べられて、お土産まで持って帰れるんだよ? ちょっと私とお話しするだけで! ね?」

 

 いよいよ変質者だこれ。いやでも、あんなに敵意を剥き出しにしてた子の雰囲気がだいぶ違う。目先の甘いものに釣られてきてる気配があるぞ。それはそれで心配になるんだけど。

 

 警戒感や先ほどまでの攻撃色が薄くなっている。今は困惑した雰囲気が目に見えている。どうして自分がこんなに好意を向けられているのかわからないんだろう。とりあえず私の好意自体は伝わっているようだ。目と目が合うとたじろぐけど、警戒や恐怖ではなく羞恥の赤が頬に覗いている。

 

「……いらない。いい加減退きなよ、邪魔」

 

 お、よく断ったね。断られたけど、ちょっと安心。お菓子に釣られてついていかないのには安心したけど、それはそれ、これはこれ。私はこの子と仲良くなりたいのだ。さっきはわかりあえた気がしたんだけどな。勘違いではないはずだ。あなただって、私のことを意識してくれているんじゃないの。

 

 そんな思いを込めて見つめると、またまた視線を逸らされる。それでも見つめ続けるといよいよ顔ごとそっぽを向かれてしまった。

 

「じゃあ、ほら、飲み物! 飲み物おごるよ。喉乾いたでしょ? ここで話してても人の邪魔になるし、ね?」

 

「……あんたが諦めれば済む話でしょ」

 

 口では拒否しつつも、喉は乾いているみたいで拒否が弱い。あそこの壁際のベンチと自販機がいいかな。人の邪魔にもならないし、ゲームの合間の休みとして普通に使う場所だから拒否感も少なそう。

 

 いきなり人が少ない所や逃げにくい場所に誘うと警戒心を煽ってしまうからね。慎重に距離を詰めねば。

 

「いいでしょ、ね? すぐそこ、そこだから!」

 

 お願い、あなたと仲良くなりたいの!

 

「……」

 

 そんな言葉にならない思いが通じたのだろうか。諦めて合わせてくれていた視線が外れたかと思うと、くるりと体全体を反転させた。いいとも悪いとも言わないけど、とりあえず指さしたベンチの方へ向かってくれる。歩いていく後ろ姿の揺れる髪から覗く小っちゃい耳が、瞳の様に赤く染まっていた。

 

 私の一念が通じたのだ。我が方の勝利である。やったぜ。

 

「成し遂げましたわ」

 

 ……いい加減離れてくれないかなぁ。

 

 

 

 

 

「……で? 何の用なの、クソデカピンク女」

 

 さっきまでむすっとしながら黙ってジュース飲んで、開口一番これだよ。一本目のスポドリはすぐ飲み干しちゃったから、二本目も買ってあげた。二本目も半分ほどぐいぐい飲んで人心地ついたみたいで、ようやく口をきいてくれた。それでもさっきちょっとした技を見せてあげたせいか、少し雰囲気が柔らかい。気持ちね。

 

 ちなみに見せた技っていうのは、彼女が飲み終わったジュースの空き容器を少し離れた所に設置してあるごみ箱に投げた時のことだ。彼女が投げた後にやや遅れて、私も飲み干した空き容器を投擲。彼女の投げた容器と空中で激突し、そのまま彼女が狙っていたごみ箱の隣のごみ箱に落ちた。

 

 資源分類上どちらでもよかったから、その点は問題ない。彼女もそんなことは気にしないだろう。ここで問題なのはごみ箱の入り口の大きさだ。ごみ箱の入り口は飲み物の空き容器専用なのか、円柱状の空き容器より少し大きめ程度の円なのだ。それが二つ並んでいる。そこに別々に私と彼女の投げたゴミが入っていった。遠距離から投擲して、しかも空中でぶつかった後のゴミが、それも別々の狭い入り口を通ってである。世間一般的には神業の部類だと思う。

 

 ただそれは世間一般ならの話だ。だって先に投げたのは彼女の方だ。彼女は入ると思って、入れられる自信があって投げたのだ。その気持ち、感覚はすごくよくわかる。私たちならそうだろうという共感がある。だから私も同じことを年齢分の差で難易度を上げて、彼女の投げた物にぶつけて二つとも落としてみせたのだ。

 

 それで彼女も少しは同類だと思ってくれたか、あるいは多少なりとも興味をひかれてくれたのだろう。こんな曲芸でよければいくらでも見せてあげるよ。でも

 

「口が悪い……」

 

 ついでに態度も悪い。ベンチに腰掛けてはくれたけど、なんか不良じみてる。脚は広げるし、ぐでっとしただらしない体勢で壁にもたれかかって座るしでお行儀が悪い。こんな体勢でいるっていうのはある意味、多少なりともリラックスしているのかもしれないけど。緊張している人間の姿ではないよね。

 

 短いズボンを履いているから、つい視線が足に向いてしまう。短い生地から覗く生足が瑞々しく、力強く跳ねる魚の腹のように白い。目が吸い寄せられる。

 

「デカくて全身頭から足までピンクなのが悪い」

 

 目が痛い、と顔を背けられる。悲しい。でもおっしゃる通り今日の私は全身ピンクだ。髪は鮮やかな薄ピンク、だけどこれはいつものことだ。私のトレードマークの一つ。もう長年この色だから、今更他の色に変える気にはならないかな。それでも最近は以前より目に優しく大人しめのピンクになっているんだけどね。かつては危険色めいた濃さだった。

 

 しかし今日は服もピンクばっかりだもんなー。ロングワンピも、上に羽織ったアウターも。靴もピンクだし、小物類も濃さや明度だとかの違いはあれど全部にピンクが含まれている。桜の精を名乗っても通りそうなくらいの一色揃えだ。

 

 そして背も世界平均で考えてもかなり高いし、体つきも豊かなので全体としてデカいという印象を与えるのはわかる。すらっと細長いというにはあちこち肉が付きすぎてる自覚はある。だから威圧感を与えては良くないと思って、できるだけ体を折ったり屈んだりして目線を合わせて話しているのだ。

 

 でもこれが私だから。肉感的と評判な長身も、全身ピンクなのもだ。ピンクは変えればいいだけだけど、その気はない。ある時期からすっかり私のカラーだからね。

 

「あなたと仲良くなりたいの」

 

「仲良くぅ?」

 

 ハッと鼻で笑われる。心底馬鹿にしている感じがよく伝わる。悲しみ。

 

「そんなの不可能だよ。さっきあの女としてたみたいに私とベタベタ引っ付いたりしたいわけ? ごめんだね」

 

 ペッと唾を吐くような動作をする。うーん、このトゲトゲ感。取り付く島もない。でも今ので糸口はなんとなくわかったぞ。あの女と言う時の、少し離れたベンチで見守ってくれている夢華たちを親指でくいっと指さす動作も不良のそれっぽくてかっこいい。様になってるね。

 

「将来的にはね。今はお話ししたり、一緒に過ごしたりしたいかな」

 

「話なんかしてどうしようっての? あんなベタベタへらへらしてた奴となんか、いくら話しても時間の無駄だよ」

 

 やっぱりそこかぁ。

 

「本当に無駄かな? 私はそうは思わないけど」

 

「思うだけなら勝手にしたら? 私は、あんたなんかと、仲良くなんか、できない」

 

 言い聞かせるように、一言一言強く言い切る。でもそれって誰に言い聞かせているの。

 

「本当にそう思う?」

 

「っ……」

 

 私がじっと見つめると、最初は睨み返してきたけどすぐに言葉に詰まって彼女は俯いてしまった。夢華より色味が薄い金の髪が、さらさらと流れる。あ、枝毛ある。ダメだよ、髪は女の命なんだから。仲良くなったら私が綺麗にケアしてあげなきゃ。こんなに素材がいいんだから、大事にして磨いたら髪も顔も体ももっと光り輝くはず。

 

 そんな風に私が彼女の育成計画を立てている間も彼女はまだ沈黙し、私の視線から逃れようと俯いている。そんな風に黙っちゃうと図星だって言ってる様なものだよ。実際そうなんじゃないかな?

 

 あなたも私とあなたが同類なんじゃないかって思ってるはず。私にもしかしたらって、期待をしているはずだよ。さっきの戦いで、私たちはずいぶんお互いのことを探りあったもんね。

 

 戦いは会話より遥かに雄弁なコミュニケーションだ。むしろ戦いより雄弁で濃密なコミュニケーションはほぼないとすら思う。あれだけ濃密な時間を過ごせば、その深さも並大抵じゃないからだ。

 

「私たち、分かり合えると思うの」

 

「……」

 

 だって戦っている間は何をしているだろう。まずは見る。相手を見て、相手の動きを見て、相手の心の動きを見る。そして相手のことを思う。相手の一挙手一投足、全ての動きが気になる。相手が何を考えているのかが気になって仕方がない。相手がちらっと動いただけで、心臓が跳ね上がる。

 

 相手のことしか目に入らない。相手のことしか頭にない。どこが弱いのか、どんな動きが好きなのか、私をどんなふうにしたいのか。私がどう見えているのか。私のどこを狙ってくるのか、私の動きのどこを攻めてくるのか。いつ私を襲ってくるのか。何を考えているのか。何をしたいのか。私はどうすればいいのか。相手は私に何を求めているのか、何をしたら嫌がられるのか。

 

 初めての恋に浮つく思春期だって、こんなにも一人の相手のことを考えることはない。せいぜいふとした時に思うくらいだろう。でも戦いの内にあれば、そのふとがどちらかが止まるまで無限に続く。

 

 私という存在の全ての意識で、集中で、神経で、ありったけの構成物質で相手のことを考える。探り、見抜こうとする。やがて動き戦いながら探り合う内に、混ざり合っていくような錯覚すら覚える。この振り回す腕は誰の手だ、この走り回る脚は誰の足だ。呻いているのは私なのかあなたなのか。今こうしようと思ったのはどっちだ、私かあなたか。これをしているのはあなたか私か。こんなことを考えているのは私なのかあなたなのか。

 

 そんな自他の境界線すら失うほどに、相手の思考を読み、探り、想像し、予測する。相手の動きが自分の動きのように、手に取るように、自分の手が動くように理解する。読み合いや探り合いが濃密に加速していけば、やがてはそんな所にまで行き着いてしまう。私も経験したのはごくわずかしかないけれど。

 

 だってそこまで濃い時間を過ごさせてくれる相手なんか、私達にはめったにいないんだもの。いるとするなら、それは同類か更に格上かしかない。単にその分野においては凄腕って相手も稀にいるけどね、それはその分野の技術が優れているのであって私たちの能力とは一線を画す。

 

 今日ここまで深い所まで行けたのは、相手があなただったからだよ。あなただけが私をそんな深みにまで連れて行ってくれた。戦いは最高に濃密なコミュニケーションという持論は以前から持ってたけど、今日この日、あなたと出会って確信に変わったよ。

 

 戦うのは楽しい、戦いは嬉しい。それは理解がしあえるからだ。私にとって戦いはずっと相手を一方的に理解する、一方的で片思いだった。私のことを、誰も読めはしなかった。その私に初めて想い合える相手がいたんだ、あなたが。もう逃がさないぞ。あなただってきっと初めてだったでしょう、こんな風に分かり合えるのは。私もずっといなかったんだから、そうそうそんな相手がいるとは思えない。

 

 でも今あなたはこうして冷たい態度をとっている。

 

 理由はわかってる。私が仲間だと思ったのに私が他の相手といたからでしょう。

 

 あなたは多分今までずっと孤独だったんだ、私が昔そうだったように。わかるよ。感性や才能が他の人とは違いすぎて独りになっちゃうけど、独りでいたいわけじゃないよね。

 

 はっきり自覚してなくても、誰か自分を理解してくれるんじゃないかって期待は心のどこかにあったはず。そうじゃないならわざわざ人に付き合うタイプじゃないと思うな、あなたは。今私と話してくれてるのも、ジュースとかに釣られただけじゃない。私ならもしかしてって、さっきの戦いで思ったんでしょ。

 

 そんなたくさんの思いを乗せて、彼女を見つめる。

 

「私たち、きっとお友達になれると思う。いえ、なりたいの」

 

「そんなことっ……」

 

 できるわけない、かな。でもあなたもまだそれを願って求めているように見える。

 

 私が見つめる彼女の瞳は潤みかけ、揺らいでいる。頑なな拒絶はもう見えない。あるのは信じたいけど信じられない惑いと、信じたけど裏切られた過去の痛みだ。

 

 でもあなたは見たはず。同類かもしれないと思った相手が、同類とは思えない相手と触れ合い、笑っているところを。だから私に素直になれないんだろうけどね。自分と同類だと思ったのに、普通の人みたいに笑って一緒にいられる相手がいるなんて、信じられないんだろう。

 

 自分の仲間なら、相手もきっと一人のはず。そんな風に想像していたのに。

 

 わかってもらえない、誰にも。あの目。知らない生き物や異常者を見る目。自分に理解できないことをする相手を、異常のレッテルを張って隔離しようとする連中。そんな人々の目が四六時中、どこに行って何をやっても付きまとうんだろう。私もずっとそうだった。でも今はそれだけじゃない。

 

 違うベンチにいる三人に目をやると、心配そうにこちらを見守ってくれていた。目が合うと笑って手を振ったり、頑張れとガッツポーズで応援してくれる。私も笑って手を振り返す。たったこれだけのことが心を温めてくれ、私を私のまま生きていかせてくれる。場所がどこでも関係なく、あの二人の傍こそ私の居場所なんだ。

 

 こんな人たちもいるんだよ。完全にわかりあうことはできなくても、受け止めて、ありのままの自分を許してくれる人だっているんだよ。今はわからなくても、いずれあなたにもわかる日が来るといいな。

 

 ま、それは追い追いだね。今はこの子を納得させないと、ここまできて逃がすつもりは毛頭ない。私を同類だと信じ切れないのなら、わかるまで何度でもすればいい。私達といえど根本的には人と人。まずは一緒に時間を過ごすことが仲良しへの近道だろう。私たち三人組の友情も、時間が大きく立派な花に育ててくれた。

 

 ゲームセンター界隈で名を知られているんだからゲーム好きだろうし、まずは一緒にゲームをするところから始めていこう。掴みは良かったはずだし、ここから徐々に近寄って最終的にものにすれば、ヨシ!

 

 完璧な計画だ。

 

「……戦うの、楽しかった?」

 

「え?」

 

「私と戦ってて、楽しくなかった?」

 

「私負けたんだけど……」

 

 セリフのわりに、声に非難する意思がない。文句を言うというより拗ねたような、からかうような声質だ。

 

「あはは……。そうなんだけどね」

 

「……楽しかったよ。悔しいけど」

 

 あら素直。でも悔しがることなんか何にもないでしょ。

 

 彼女は俯いてた顔を上げて、ぼんやりと前方の空間を眺める。その顔に先ほどまでの険はない。いけるか。

 

「またやらない? 何度でもやろうよ。疲れたなら他のゲームでもいいよ。今日がだめなら明日でもいい。今日も明日も明後日もしたっていい」

 

「……」

 

「そうやって時間を積み重ねていけば、互いに理解しあうことだってできるよ。まして私とあなたなら」

 

「……どうかな」

 

「さっきの戦いで感じたでしょ? 私たち、あの時、こう、なんというか……通じ合ったと思う」

 

 あなたはどう、と尋ねる。本当は顔を覗き込んでこの子の綺麗な赤い瞳を見つめたい。そうするともっとこの子の反応がよくわかるんだけど。でも絶対それやると嫌がられるしなぁ。

 

 茉莉ちゃんとかも私に見つめられるのを嫌がる。でもそれでも見つめ続けると、屈服して言うことを聞いてくれるようになる。この子はどうかな。やってみたいけど、それで逃がしてしまったら本末転倒だよね。我慢だ、今は耐えるんだ。

 

「……思い込みじゃないの? 私は、そんなこと」

 

 ない、とは言い切らなかった。それが答えだと思う。きっとこの子も同じように私を感じてくれていたんだ。嬉しい。

 

 私には親友がいる。愛すべき二人の親友、私を人の範疇に留めてくれる大事な枷だ。それでも二人とでは、きっと何時間戦ってもさっきみたいに通じ合うことはできないだろう。だけどこの子となら、今までの誰よりも近い世界を見られるかもしれない。絶対に逃さんぞ。

 

「……そうだ。私に付き合ってくれたら、その日のゲーム代は全部私が出してあげる。いくらでもね。もちろんお昼とかおやつ代も。これならとりあえずメリットがあるんじゃない?」

 

 まずはそれでもいい。私といればゲームし放題で、好きな物が食べられて、おやつも買ってもらえる。そんな利益だけの関係からでもいい。特にゲームし放題なのはいいはず。この年頃のお小遣いでは、ゲームセンターに頻繁に通えないだろう。だがしかし私に連絡さえすれば、私と過ごす必要もあるけど、ゲームやり放題だ。しかもおやつもつく。

 

 どうかな?

 

「む……」

 

 悩んでる。いけるぞいけるぞ。一緒に過ごす時間さえ確保できれば何とかなるんだ。

 

 次は何を言おう、どうやってこの子を攻略しよう。そうやって私が頭を悩ませていると。

 

 くぅ~

 

 と、ゲームセンターの騒音にかき消されそうな小さな音がした。私の耳じゃないと聞き逃す小さな音だったけど、確かに音がした。彼女のお腹辺りから。何でもない風を装った彼女だけど、私が黒い服に覆われたお腹を露骨に見つめていると隠すように丸くなった。髪からわずかに見える耳がまた赤くなっている。

 

「……悩んでるならさ、まずはお昼にしない? 一緒に店に入るの嫌だったら、買ってきて外で食べよう。ね?」

 

「……乗ってやるよ」

 

 赤い頬を片手で隠し、すねたように言い捨てる姿が最高に可愛らしい。

 

 いつまでも可愛い姿を鑑賞していたいけど、気が変わったら困るのでさっと立ち上がって振り返る。

 

「私は柿本四季。苗字は好きじゃないから、四季って呼んでね。あなたは?」

 

「……栞那。中原栞那」

 

「栞那ちゃんって呼んでいい?」

 

「いいよ。私も苗字好きじゃないから」

 

 あんたと同じ、と言って彼女は足を振って勢いをつけて立ち上がった。

 

 そして私の顔を初めてはっきり見つめて、にぃぃと唇の片端をわずかに吊り上げた。

 

 

 

 

 

 

 カラス型ドローンが群れを成して研究所に帰っていく。淡い赤に塗りつぶされていく表層を、金の髪に赤を塗した背中が小さくなっていく。懐古するのは似合わない歴史の浅い街だけど、ここで生まれ育った私たちには懐古するには十分だ。中でも緩やかに影が伸びるこの時間はどうにも感傷的になる。

 

 特に今日は振り返ることもなく遠ざかる背中が、かつて同じようにこのぐらいの時間に解散して帰る自分の姿になんか重なってなおさらだ。あの頃はこの時間帯になると町全体が一日の最後の輝きで薄く煌めき、楽しかった時間の名残が尾を引くのが見えるようだった。

 

 今の自分や生活に満足はしているけど、あの幼い頃ってやっぱり特別だったよね。

 

「……で、午後いっぱい使って遊んでましたけど、うまくいきましたの?」

 

「いったいった。とりあえず手は握れるようになったよ。あと連絡先も交換できた」

 

「何で手を握ってるのよ。すぐ触りたがるわね、あんたは」

 

「手は……スキンシップ? ほら身体接触は親しみを抱かせるから、うまく使えば。ご飯の時隣に座ったのと同じことよ」

 

「……? 隣に座ると何かいいんですの?」

 

「はい! それはスティンザー効果というものです」

 

「お、ラブリちゃんよく知ってるね。そうそう、スティンザー効果というやつで、座る位置で相手に警戒心を持たせることも、好印象を持たせることもできるの。当然隣に座ると好印象」

 

「補足すると、食事時っていうのも大きいのよ。腕組みとかすると人は無意識に警戒心を高めてしまうの。だから腕を組んだりしない食事時を一緒に過ごすのは好印象ってわけ。この腕組みについては会議でも使われるテクニックよ。飲み物を配ったりして腕組みを防ぐことで、会議を円滑に進めやすくしたりね」

 

 さらにこの先、彼女が嫌にならなければだけど、何度も会う約束をしたのにも理由はある。同じ人に接する回数が多いほど、その相手に好印象を持つようになるという心理現象があるからだ。

 

 これをザイオンス効果という。日本語的に言うと単純接触効果とも言って、本当に単純な話だ。何度も顔を合わせて一緒に過ごすと、その相手に徐々に好印象を持つというのは実際理解しやすいだろう。これが私の狙いである。単独コミュをとって好感度を上げていくとも言う。

 

「はー……あなた、初等部の女の子と仲良くなるのに本気出しすぎなのではなくって?」

 

「本当にね。あんたに天才仲間ができるならいいことかと思ったけど、幼い少女を変態の魔の手に差し出してしまった気がする」

 

「傷つくわぁ……」

 

「でも私も早くお話ししたいですわ! 小さいのに強くて可愛らしかったですもの」

 

「そうね。でも連絡本当にしてもらえるの?」

 

「さあ? でも感覚的には来ると思う。来なかったら監視カメラに侵入して、ゲーセンに来たのを見つけたら突撃する」

 

「造物主様、それはまずいのでは……?」

 

「うーん、やっぱり止めるべきだったかな……」

 

「きっと大丈夫ですわ。あなたの気持ちは届いたはずです。次が楽しみですわね!」

 

「ありがと。ダメだったら慰めてね」

 

「よくってよ! さ、私たちの方も仕事は終わったし、帰りましょう家へ」

 

「そうね。クジラが飛ぶ前にさっさと帰りましょう」

 

「私無人車捕まえて来ますね」

 

 たとえダメだったとしても、もう二度とあんなに誰かと分かり合えた感覚がなくっても、私は平気だ。

 

 私の手は今もこうして二人に繋がれていて、私はここにいる。私が一番好きな場所、私の居場所はここにある。

 

「なんで今日は私が真ん中なの?」

 

「あんたがそうして欲しそうな顔してたから」

 

「そうしてって、顔に書いてましてよ?」

 

「んふふ、そっかそっか。ありがとね」

 



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うさぎ星の空はパズルピース

自由な空になりたいので初投稿です


 ヒイイイインとでも表現しようか。甲高い音をわずかに出しながら柔らかな風を全身に感じ、無人の道路にバイクを走らせる。白い車体は温かな日差しにじんわりと温まり、寝そべるようにして触れると温かく血が通っているようだ。そうやって顔を車体に近づけると、この辺は人通りが少ないから風を切って進む音だけが耳によく響く。そんなに大きな音じゃないけど、こうして周囲が静かだとそれが良く聞こえる。

 

 バイクは無音で駆動するように作られていても物体が移動することで生まれる空気の振動による音、要は風切り音はなかなか消せないものだ。消す必要がないというのもある。たいしてうるさいわけでもなく、何か不利益があるかと言えば何もない。そもそも物が移動することで空気が動き、それによって発生する音を消すってだいぶ難しい。やってみようと思ったことないからわからないけど、たぶん今の技術でもできないんじゃないかな。動いているのに動かないという哲学みたいな話になりそう。

 

 それに今時の車やバイクは趣味の物でなければみんな無音で動く仕組みだけど、無音にするために今の仕組みになったわけじゃないしね。稼働するためのエネルギーは全て電気で賄い燃焼を利用しないから静かなだけだし、多くの車はタイヤがないからタイヤと道路の摩擦や回転によるノイズがないだけだ。

 

 まあタイヤがないといっても事故った時の牽引用とかに、緊急用小型タイヤはほぼ全ての車やバイクに装備されている。これがないと事故や不具合で浮けなくなった時、運ぶのが面倒だからね。急いでどうしても移動させないといけない場合だと、車体を地面に擦りながら無理やり動かす羽目になる。そんな事態になっただけで不幸なのに、大事なボディがガリガリとすり減る音を聞かされるのはたまらない。私が長年改造して乗ってるこのバイクも、当然走行用タイヤはないけどボディ下部に小さいのが収納されている。使う機会は幸いなことに今までないけど、点検は欠かさずしている。

 

 このうさぎ星ちゃんの穢れを知らぬ乙女の様な柔肌を、硬い地面で削るなんて冗談じゃないからね。

 

 そんな風にぼんやり考え事をしながら愛車に体を預け自動運転に任せて飛んでいると、とうとう中層から表層への下り道に差し掛かった。いったんバイクを止めて脇へ寄って下を見下ろす。

 

 嫌だなー、混んでる。人も車も配送ドローンも警備ロボットも掃除ロボットも、色んな存在が表層を行き交っているのが嫌でも目に入る。お昼過ぎでこれでも人の少ない時間帯ではあるんだけど、それでも目的地が都市の中央区画にあるからどうしても道が混む。この混雑が嫌で、私はあまり表層の中央部には近寄らない。

 

 人間の習性は技術の進歩では変わらないのか、昔から人間は町の中央に重要な施設を密集させて混雑を生み出してきた。いつになったら学習するのよって感じ。ひどいもので中央区画は広がってすらいるのだ。重要施設を作る場所がないからって中央区画以外にも施設が伸び、伸びたそこも管轄の問題とか面倒だし中央ってことにしようかという理屈である。わけわかんないことするよね、偉い人たちって。ぶっちゃけ馬鹿でしょ。家族計画も都市計画も慎重に!

 

「あーあ、面倒くさくなってきたなー。行くのやめよっかな」

 

『ここまで来ておいてですか? かけた時間が無駄になりますよ』

 

 流線形の車体はやや曲線を描いていて、その曲線上に倒れ込むと背筋がぐっと伸ばされて気持ちがいい。ぐっと腕を伸ばし、さらに大きく長く伸びる。足も座席から抜いて車体に乗っけて全身でグググっと伸びたい。でもいくら時間帯のおかげか周りに一切他の車が走っていないとはいえ、今日スカートだから誰かにパンツ見えちゃいそうだし諦めよう。

 

 今日の私は可愛らしく、ピンクの生地に白で花や可愛げのある何らかの模様があしらわれたロングスカートを履いているのだ。いつものピンクだけど私の私物ではなく、夢華の家に買い置きされていた私用の服の一つだ。私が着たことも、もはや見てもいない私用の服があの家にはいっぱいあるんだよね。ふんわり可愛い雰囲気で私にはあまり似合わない気もしたけど、コーディネートしてくれた夢華の家のメイドさんやラブリが非常に推すので着てみた。

 

 バイクではあるけど私の愛車うさぎ星ちゃんはスカートをよく履く私の改造により、スカートで乗ってもパンツを見せたりすることなく上品に乗り降り運転できる。学生時代も制服のスカートでこのバイクに乗ってたから、もうすっかり慣れたものだ。後ろに夢華や紫もよく乗せてた。私が普段使いで結構乗っているから、車と違ってこっちは二人とも乗せている。車は正直そんなに乗ることないんだよね。バイクの方がなんか気軽っていうかお手軽でついつい選んじゃう。

 

「あー空が青いなー」

 

 だらりとのけ反っていると、運転用ヘルメットのゴーグルを通して日が中天よりやや落ちた青空が見える。空は肉眼で眺めるよりはやや濁っていて、私の気分のせいか風景を作り物めいて見せている。透明なゴーグルと言っても肉眼と対象の間に挟んでいると、生の目と直通で結ばれる像とは多少違う姿にするものだ。

 

 そんないつもと違う視界では高層建築物が遥か高くまで伸びて、そこから更に建物同士を結ぶ道や広場が蜘蛛の巣みたいに広がっている。あまり中層から空を見上げたことがないから気が付かなかったけど、ここから見ると空はバラバラに分かたれたパズルのピースみたいになってるんだね。

 

 普段暮らしていた最下層では空なんか当然見えないし、そこにいなければ大抵は最上層の夢華の家という上から下に極端な生活をしているからな私って。思えばあんまりこの視点から空を見ることってなかったんだね。中層って普段寄る理由が全然ないから、この都市の中でちょうどここだけ私の生活圏の範囲から漏れてる。

 

 思い返せば甘水以外でも地上より地下の方が多く行ってるかも。下で言うなら色々最新技術が使用、研究されているから余所の町や国のジオフロントとかの地下都市には何度も行っている。上はまた極端で、宇宙に結構出かけてるもんね。滞在期間は最長二か月くらいだろうか、回数は二桁以上は間違いなく行っている。宇宙に築かれたセントラル・ベースには私の部屋もあるくらいだ。単純に私宇宙好きだし、研究以外にも趣味で時々滞在している。

 

 うーん、このなんとも極端な上下移動。

 

『どうしますか? 行くなら行くでササッと行く。行かないなら帰りましょう』

 

 運転席の画面に映るヴィクトリアがせっついてくる。今日のヴィクトリアはこのうさぎ星を運転する運転手なのだ。元々の運転AIも改造を重ねた上でちゃんと入っているんだけど、私がやると主張するのでAIと運転を交代してもらった。運転手AIちゃんには申し訳ない。

 

「んー……ここまで来たし、行くよ。せっかく着替えさせてもらったわけだし」

 

『その方がよろしいかと。ここまで来たらそうかかりませんから、ぼんやりするならしていてくださいな』

 

「はーい、よろしくね。私はぼんやりしてるー」

 

 よっこいせ、と起き上がると今度は逆に前方へと倒れ込む。運転席にへばりつくように上体を投げ出し、もぞもぞと位置を調整。寝心地がいい場所に私が収まるとバイクが音もなく浮き上がり、微塵の揺れも振動も起こさない完璧な運転で滑るように飛び出した。

 

 

 

 

 

 ゲームセンターのあの子と強引に仲良くなった翌日。

 

 私は午後から愛車のうさぎ星に跨りある所に向かっていた。本当は午前出発の予定だったんだけど、思いがけず例のあの子から連絡が来たのだ。びっくり。まさか翌日の午前にすぐ連絡くるとは思ってなかったから、急遽予定を変更した。幸い向かう先との約束は時間が空いたら来てほしいってだけなので、午前でも午後でも何なら明日でもよかったので問題なかった。

 

 今日行くという約束をしたわけでもないし、そもそも連絡なんか入れてない。私の研究室に行くのに、その主が連絡を入れる必要もないでしょ。

 

 栞那さんからメッセージが届いているとヴィクトリアから教えられた時は、予期せぬ事態に一瞬何を言われたかわからなかった。でもまさか昨日の今日でそれも朝から連絡くるなんて、私ってば思ってるよりも距離を縮められたんじゃないか。私の対人関係能力も捨てた物じゃなかった可能性があるね、これは。あるいは言いくるめの判定に成功したかな。朝早くに連絡してくれるなんて、きっと私と会うのが待ちきれなかったんだよ。昨日帰ってからもずっと私のことを考えてくれていたに違いない。

 

 驚き喜んで親友たちに報告し、私もやれるじゃないかと言ったら二人ともに即否定された。紫はともかく私に甘い夢華にまで、それはないと言われるなんてショックだわ。

 

「そんなに私ひどいかな? 昔よりましじゃない?」

 

 と聞いてみたら

 

「えっとぉ……まあ、ええ、頑張っていらっしゃるわ、よ?」

 

「いや実際丸くなったとは思うわよ。昔のあんたはそれはそれはひどかったもの。それに比べたら別人よ」

 

「そうかな?」

 

「そうですわよ」

 

「他人事みたいに言ってるけど、夢華も相当だったわよ」

 

「えっ」

 

 みたいな会話になって、夢華に飛び火してた。確かに昔の夢華はいかにもなお嬢様の上になんか暗くて、でもお高くとまってた気もする。今からは想像できないよね。あの頃の夢華は表情筋が凍り付いて、ニコリもピクリもしなかったもんねぇ。なんか暗くてじめっとした雰囲気で近寄りたいタイプではなかった。

 

 あの年齢であんな厭世的というか、世の中や人生の理不尽や苦しみに耐えている顔をしている子供なんか滅多にいないよ。いるべきでもないし。

 

 夢華のご両親はいい人だし子供たちに対する愛情も当時から十分にあったけど、立場や環境による悪影響というのはそれでも避けがたいから子育てって難しい。ご両親やお兄さんたちが私に良くしてくれるのは、私が会社にとって有益だからではなく夢華の心を救ってくれた大事な友人だからだ。実際にそう言われたし、何ならうちの子にならないかとも言われた。そういう人たちだから私も力になりたいと思っているんだけど、夢華の姉妹になったりお兄さんのお嫁さんになるのはお断りした。

 

 さっき自分は批評するだけだったけど、紫も昔はもっとお堅くて真面目で優等生で、まあとにかくつまらない感じだった。なんかしょっちゅうキンキントゲトゲ、イライラしてた気がする。今や優等生というよりやり手の曲者感が強い。融通が聞くようになり、なんというか器が大きくなった。柔軟というより策略家になったような気もするけどね。私たちは目覚めさせてはいけない者を目覚めさせてしまったのかもしれない。ゲームの時に勝てないからって盤外戦術を当然のようにぶっこむの止めて。

 

 未だに時折イライラしている時もあるけど、まあ誰だって仕事でイラつくことはあるしそこはね。そんな時は私を呼び出して愚痴を聞かせてくるけど、それくらいはむしろしてほしい。友達なんだから。

 

 ちなみに夢華はイライラをためることはあんまりなく、ちょっとたまるとすぐ誰か彼かに泣きついて解消するタイプだ。引きずらないし、溜め込まない。時々その立ち直りの早さに、健全で復元力の高い精神構造をしているなと感心させられる。羨ましいくらいだよ。

 

 そして私も二人から見ても変わったらしい。自分でも丸くなった自覚はある。昔のままの私、二人に会わないで成長した私なら今頃世の中はもっと大混乱になっていると思う。世界への影響や人々の暮らしに配慮して、あえて発表や公開してない研究は山ほどある。実は世界というか地球を滅ぼすくらいならもう余裕というか、過剰なくらいだ。そりゃあ家も職場も友人の家も監視されるし、交友相手は調査されるよね。自分でも納得する。

 

 それでも世界が割と平穏無事に続いているのは、私が世界や人々に気を遣うようになったからだ。そしてそんな配慮を身に着けたのは、第一に親友の二人。次に社長や桜花ちゃんたち。そしてその次にその他たくさんの人との関わりだろう。栞那ちゃんも私をきっかけとして、色んな人との交流して新しい世界を開いていけるといいんだけどなぁ。

 

 一緒に新しい世界で生きよう。毎日が楽しいよ。

 

 

 

 

 そんな風に栞那ちゃんのことを考えながら無人車に乗って到着したのはここ、甘水大学病院である。病院らしいというべきか、真っ白な外壁が陽光に輝いている。ここは名前の通り大学病院なので大学と高度医療を行う病院と研究施設とが三身合体しており、医療施設としてはこの町一番の規模がある。その研究棟の中に目的地である、私が医療的な研究を行う研究室があるのだ。

 

 厳密に言うなら私が研究を行う部署というよりも、ここに配属された人員が私の開発した物や論文だとかの研究や実証等を行う部署だ。なので私はそんなに来ないけど私の部下というか部屋に配属された研究員が、国の命令で私の開発した薬や医療機器等の臨床試験などを日夜行ってくれている。基本的な業務は治験を行いデータを取り、それを基にさらなる機能の改善や現場レベルでの使用感を収集し機器の操作性や効率の向上を目指している、らしい。

 

 私からすれば理論や設計図をまとめたら後は放り投げておくだけで実用化してくれる人たちだ。しかも実際に作った上で実証試験もこなしてデータも集めてくれる便利な所程度に思ってる。国のお金で欲しいデータを集めてもらえ、しかもそれを分析やまとめをしてから教えてくれるなんてありがたい話だよ。

 

 国からしても、私の発明を医療関係だけでも一ヶ所で研究できるほうが都合がいいとか。あちこちの色んな人や会社にバラまかれるよりは、国が管理する場所で国が選んだ人員のみで管理、研究を行うことで混乱を防げるんだって。失礼な話だよ。私は誰彼構わず発明をあげたりしないのに。私は愉快犯じゃないんだから、渡す相手ぐらい考えてるよ。国の利益は考えてないだけだ。

 

 とは思うものの、社長を始め紫や夢華のお父さんやお兄さんとかも同じ気持ちらしく、医療系の発明は全て研究室行きになってしまったそうだ。今までみたいに南城院重工で独り占めできなくなっちゃうけどいいのかな、と思ったけどこれで肩の荷が下りたとみんなほっとしてたって後から聞いた。

 

「ぶっちゃけ責任が重すぎて、利益より面倒事にしか見えない」

 

 とは紫の言である。

 

 一応良かれと思って持ち込んでたのに、ショックだわ……。悲しいからそっと大きな爆弾を置いてあげた。もちろん兵器ではない、比喩ね。そしてもちろんきりきり舞いの大騒ぎになった。扱いが面倒で困るんだけど、間違いなく大きな利益になるので私を恨めない。でも困るし、困らされていて悔しい。そんな顔で紫とか関係者一同が一生懸命働いていたのを見て大変胸がすっとした。後で紫にひっぱたくどころか、グーでぶん殴られたけど。

 

 でも私自身も研究所に丸投げできるようになって、想像してたより楽と言えば楽になった。社長や紫辺りに見せてこれは医療系の方がいいと言われたらこの研究室に送りつければよくて、後は勝手に他の人が研究実験を行ってくれる。私は連絡が来たら得たデータを回収したり改善点を聞いたり、逆に改善案ができたら即送り付けておけばいい。何も考えないでそこに任せておけるっていうのは楽でいいね。

 

 ただ物によっては英国などヨーロッパ方面、あるいは米国の知り合いの医療関係者に送ることもある。何で違う国に分けて送るかっていうと、国によってそこに所属する人の専門や能力が偏るからだ。ようはこれこれの分野の権威がいる、という国にその分野の研究を送った方が効率がいい。専門分野が伸びていなかったり専門家が少ない国に送ると研究が難航してしまう。これについてはお国から何かしらの文句ぐらい言われるかと思ったけど、国の金で研究してるわけじゃないし国も文句つけられないっぽいね。私って国の金で国のために研究しているんじゃないことの方が多いからね、仕方ないね。研究はほぼ趣味でやっているので、その趣味の成果をどこに持っていくかは私の自由だから。

 

 あと外国の人たちが何か駆け引きして、私が自分の意思で送る分には互いに文句つけないことにしたって聞いてる。私を監視しているいつもの人たちから詳しい話も聞いたけど、私はそういった政治には興味ない。やろうと思えば地位くらい手に入るんだろうけど、そんな邪魔なもの欲しくもないし。究極的には研究開発と、夢華や紫と一緒にいられるならそれ以外はいい。この国が私の研究の多くを先んじて得られるのは、この国に私の大事な人たちがいるからというだけだ。だからしっかり私や友人たちを守ってねとお願いすると、日本側の護衛の人たちがすごい顔してた。

 

「命に代えても、ご友人をお守りします!」

 

 とガチガチに緊張して宣誓してたから、肩に手をとんと置いて

 

「息切れを起こさないようにね」

 

 と緊張しすぎないように言ったら、ますます硬くなった。そんなに怖がらなくたっていいじゃあないか。

 

 生臭い利権の話はどうでもいいとして、一般的に大学病院とは研究施設でもあり、高度医療の研究をしているから機密保持のため警備は厳重だ。その一方では病院でもあるため医療行為も行う必要があり、一般に開かれていないといけないから入口は表層に位置する。中層でもいいんだろうけど大病院だし大学もあるしとなると、やはり交通の便が良い表層に設置するのが一番なんだろうね。

 

 ただ入口は表層にあっても研究棟は上層に位置しているから、入った後そこまで登っていかないといけない。そこへ直接侵入はできないのだ。保安上の点で研究棟には直接外部から出入りできる箇所がないからだ。なので私もこうして最上層の夢華の家から表層まで降りてくる羽目になった。面倒くさいんだよこれがなー。上層だと近いから楽なんだけどな。何より表層ほど混んでない。

 

 実は今日はこの雑踏の表層に来るの二回目。一度栞那ちゃんとゲームセンターで遊ぶために表層まで来ている。それが楽しい時間だったから、二回目の今はなんか気乗りがしないのよね。

 

 なお楽しい一時を過ごした彼女はさっさと帰っちゃった。でもお昼は事前にリサーチしておいた、ゲームセンター近くのお肉料理がおいしいと評判のお店に連れ込むのに成功した。事前に調査した人気の店の内の一つで、行く時には店が空いていて待たずに座れるかも確認して誘った。連れて行っておいて待たせたりしたら、その間に気が変わって帰っちゃうかもしれなかったから私も必死だった。この都市近くで生産された新鮮なこだわりのお肉を仕入れて、それを海外を回り修行を積んだ料理人が調理してくれる結構ガチなお店だ。店内の雰囲気も明るくお洒落で店員の接客も良い感じの、デートスポットとしても評判高かった。夜はプロポーズにもいいとか。

 

 なんだけど、食べ盛りの少女にはそんなものより飯だったようで、お店のフランス風な店構えや店内の上品な感じとかには無反応だった。ご飯が来たら来たで、よほどおいしかったようで食べ終わるまで一言も口を利かなかった。最初はお話ししながら食べようと思ってたんだけど、あまり一生懸命食べているから邪魔しないように私も無言で食べた。評判なだけあっておいしかった。

 

「……見るなよ、なんだその顔」

 

 食べ終わって放心気味の彼女を微笑ましいなと見つめていると、頬を赤くしてお手拭きを顔に投げつけられた。夢中で食べてたのがいまさら恥ずかしくなったらしい。はー可愛い。

 

 その後はサービスのジュース、彼女は数ある中からリンゴジュースを選んだ、をじっくり味わっていた。私もサービスのコーヒーを楽しんだ。二人の間に会話は全然なかったけど、ちっとも気まずくはなかった。たっぷりの日の光を取り込んだ温い自室で微睡む午後のようで、同じ時間と空気が二人の中にじんわりと染み込んでいった。

 

「……帰る。ごちそうさま。おいしかったから、気が向いたらまた遊んでやってもいーよ。じゃあね」

 

 しばらく無言で、目を合わせてはくれなかったけど、ゆったりとした時間を楽しんだ。そして彼女の中で何らかのきっかけがあったのか立ち上がると、そう言い残してさっさと帰ってしまった。挨拶なのか、立ち去りながら片手をひらひらさせて。

 

 なんかすごいかっこいい去り際だった。そして今日も魅惑の生足剥き出しショートパンツだった。足出すの好きなのかな。

 

 

 

 

 

 そんなかっこいい彼女だけど、だいぶ雪辱に燃えて戦術や戦法の構築に余念がなかったようだ。昨日よりもあらゆる勝負がなおさら白熱した戦いになった。もちろん全て私が勝ったけど。年齢や経験、その他多くのものにかけて負けるわけにはいかなかった。負けたらもう会ってくれないかもだし。

 

 でもそうやって私を倒そう倒そうと、ずっと私のことを考えて過ごしていてくれたんだと思うと私は嬉しい。たくさんのゲームの色々な作戦を練って、検討してくれたんだね。昨日帰ってから私に会って勝負するまでの間、会って勝負している間も私のことで頭がいっぱいだったんだね。可愛いなあ嬉しいなあ。私がどう動くか、私ならどうするのか、私はどんな手を使っていたか、私はどんな奴だったか。そんな風に何度も私と過ごした時間を思い返してくれたんだね。

 

 彼女は特にVARSでの対人戦がお気に入りらしく、何回か連続で勝負してすっごい疲れたけど楽しかった。そして昨日のように外で観戦していた観客も、すごい楽しんだことだろう。昨日の話を聞いたのか、最初から私たち目当ての観戦メイン客が結構な数いた。そんな連中はどうでもいいけど、彼女がVARSを気に入っている理由はわかるんだよね。あのゲームは体を動かすのに合わせてゲーム内のロボットが動くから、身体能力や反射神経がゲームの強さに露骨に反映される。本人の運動能力が優れていればいるほど強いから、やっていて楽しいんだろう。体動かすのもすごく好きみたいだし。私も同じタイプなので気持ちはわかる。

 

 私はその後一度最上層まで帰り、シャワーを軽く浴びて一応ちゃんとした所に行くから身支度した。ちゃんとと言っても、きちんとした服を着たりするわけではない。余所行きの服を着て髪を整える程度だったんだけど、ラブリと手が空いてた人間のメイドさんが服や小物を見繕い、髪のセットまでしてくれた。化粧はしない主義なので一度断ったんだけど、変装にもなるからというのでうっすらしてもらった。仕上がりを鏡で確認すると傾国の美女がそこにいた。化粧もたまには気分も変わっていいかもね。

 

 そんなこんなでやっとこさ今、大学病院のロビーまでやってきたのだ。うさぎ星ちゃんは駐車場行きなのでヴィクトリアは端末に帰ってきた。屋根付き駐車場にバイクを停めて、さあ行こうかと思ったんだけどヴィクトリアが止まってとお願いするから立ち止まる。万が一窃盗や事故がないように駐車場には警備をしているドーロイドがいるんだけど、その警察めいて青と黒の外装をしたミニスカ警察っぽい機体とヴィクトリアが何事か会話しているようだ。駐車場の入り口脇にいるドーロイドがこちらを見てピタリと止まり、ヴィクトリアとの間で通信が行われているのがわかる。

 

 ヴィクトリアはこうしてドーロイドを見かけると時々専用の通信でおしゃべりを楽しむことがあり、そんな時私はいつもいちいち口を挟まないで黙って待っている。娘やその友達とかの会話に親が出るようなもので、変に緊張させるだけだからだ。そんな畏まらなくていいよとは言っているんだけど、ドーロイドからしたら私は生みの親だ。造物主という呼び方も彼ら彼女らが呼び出したもので、自らを生み出してくれた私への敬意と感謝を込めているとか。そんなに崇めなくていいのにと思うけど、私も人間を作ったという本物の神様に会えば畏まったり崇めたりするのかな。人間である私は、今の所造物主にお会いすることはかなわないからさっぱり想像できない。

 

『すみません、お待たせしました。彼女、結構話したがりな子だったみたいで』

 

「いやいや、いいのよ。たまのおしゃべりなんだから遠慮せずもうちょっと話したら?」

 

『いえ、もう十分です。行きましょう』

 

「そう?」

 

 ヴィクトリアが謝るほど待っていないからいいのに。

 

 ドーロイド間の専用通信は、おしゃべりと言っても人間みたいに言葉を交わすわけじゃない。超高速通信でデータをやり取りする形式なので、私の感覚ではほんのわずかな時間立ち止まっただけだ。それに立ち止まる必要も実はなかった。ついつい止まってくれと言われたから待ってたけど、こんな近距離じゃなくても通信できるんだから立ち止まって待つ必要なんか端からないのよね。

 

 まあ本人がもう十分ならということで、駐車場を出ていよいよ建物内に入る。玄関の大きなガラスの自動ドアを抜けてすぐ、涼しくて心地よい風が肌を撫でていく。今日はこの時期にしてはだいぶ暖かく、熱量の高い日差しを受けて体がやや汗ばんでいる。その体を入った途端の風が出迎えるように包み込み、皮膚から水分と共に余分な熱を拭ってくれる。人がリラックスするように計算された空調の風と知っていても、気持ちのいいものはいい。広く白い空間に優しく風が流れ、柔らかな光が室内を照らして刺激の少ない落ち着かせる空間に仕上がっている。耳をすませば玄関ロビーの騒めきに紛れて何らかの曲が静かに流れている。クラシックかな、たぶん。音楽にそれほど明るくないから知らんけど、曲調からすると多分そう。そこに小鳥の鳴き声や水のせせらぎ、葉擦れなど自然の音がどこからともなく聞こえてくる。

 

 病院ってどこも入り口はこんなものだけど、ここの大学病院は先進医療の最先端だからか、人がリラックスする空間づくりに力が入っている。ここを治療や検査で訪れる人は大抵通常の病院じゃダメなレベルの人だからだろう。薄いピンクのナース服を着たような医療用ドーロイド達の顔も穏やかで、愛らしい印象を受けるものになっている。元から人受けしやすい顔に作っているけどね。あちらでは足を怪我した老人を支え、こちらでは泣いている子供をあやしてと大活躍しているようで結構。

 

 円形の広場になっているロビーには、まあまあの数の患者さんがいる。医療は発達したけどその分人口も増えているので、病人の数は結果的には増えてるんだから困ったもんだよ。医療用ドーロイドや丸っこいロボットたちがその間を動き回って問診や事前検査などを行っており、人間の医療従事者の姿は受付やその奥にちらりと見える。その邪魔にならないように端っこを探すと薄ピンク色のソファーがあったので、それに腰掛け一息つく。

 

 ふぅ、と息を吐きながら天井を見上げると、採光用の窓からの日差しがきらりと眩しい。眩しさに目を移すと、ステンドグラスが日差しに色を混ぜぼやけさせて眩しさを軽減してくれる。さらに目を移すと白いシーリングファンが天井でくるくると回っている。いつも思うけど、あれがあるだけで空間のお洒落度がぐんと上昇するよね。効果はちゃんとあるんだけど、本来の機能よりお洒落効果の方がみんな感じてると思う。実はあれは空気をかき回すことにより、温度などを部屋全体で均質になるよう調整してくれているんですよ、皆さん。ただくるくるしてお洒落な高級感やセンスを醸し出すためのインテリアじゃないんですよ。

 

『休むのなら研究棟の休憩室に行かれては?』

 

「あー……うん。そうなんだけど」

 

 そこまで行く前に休憩したいなって。疲れがあるわけじゃないけど切りが良いから。ここから研究棟まで行くならまっすぐ研究室まで行ってしまいたい。わざわざ休憩室に寄り道してから行くのもなぁって感じだ。今なら着いたばかりだし、ちょうど休む場所も用意されてるしでいいタイミングなんだよね。でもまあそれほど疲れているわけでもないしさっさと行こうか。休むなら実際休憩室の方がいい。ここの研究棟の休憩室は設備が豪華だからね。人命に関わる重大な先進医療を研究する人間を癒すのだから、ソファーと自販機とテレビを置いて、ヨシ!とはいかないのだ。

 

 私の実感としても寝具を始め椅子やソファー、デスクに時には絨毯あるいは床材までも、質の良し悪しが研究の進歩や成果に比例する。研究機材ではないけど研究に必要なこれら日用品は、研究する人間のパフォーマンスを向上させてくれる。生きていくのに栄養面では必須ではないけれど、人生には欠かせないお菓子みたいなものだ。いやちょっと違うかな。とにかく硬い椅子じゃ座り心地悪くて集中できないし、平べったく硬いソファーじゃ疲れが取れやしない。揺れる机なんかもう論外だ。納得できない人は硬くて微妙に揺れる椅子で、がたがた揺れて高さも合わない机で勉強してみるといい。落ち着かないわ、無理な体勢になりやすく無駄に疲れて体が凝るわ。そんな状況なので集中は妨げられるわで碌なことがない。おまけに飲み物だってこぼしやすい。それがホット系だった時にはもうね、キレそう。

 

 

 

 よっこらせ、と心の中で掛け声。立ち上がると床まで白いロビーを横切って、端にある背の高いゲートに向かう。銀色のそれは私よりは低いけど男性の平均身長ほどはある高さで、人一人分よりやや広めの間隔で五組設置されている。つまり五人まで同時に入れる。このセキュリティゲートは今はゲートの高さより少しだけ低い、黒字に青のラインが入ったスタイリッシュな印象の扉で封鎖されている。これは顔や指紋等の複数の生体認証式で、私たちの様な登録者は文字通り顔パスだ。外部からの人は受付に話して、そこから上に確認が行き許可が出れば通れる。それでも入場時の生体情報は記録、保管される。万が一何かあった時の調査に必要だからね。すぐ近くの小部屋には監視がいるし、近くには警備のドーロイドや暴徒鎮圧やテロ対応も可能なレベルのロボットも控えている。無理やり突破しようとした者は即鎮圧されるだろう。戦力がえげつないわ。

 

 私の愛しいドーロイドちゃんたちが一生懸命楽しそうに労働しているのを眺めながらロビーを横切っていると、後ろから人が近づいてくるのを感じた。もちろん入り口付近なので来る、出る、待つと人が行き交ってる。でもそうじゃなくて、こう、私の後をついてくる感覚だ。後ろにも目ついてるの、とたまに聞かれるけどついてないです。まだ人間なので。ただ感覚が発達しているから目で見なくてもわかるだけだよ。ノーマル人類でも鍛えれば少しはできるから興味ある人は試してみてほしい。鍛えれば目で見えなくても人がこんな風に背中から近寄ってきてもわかるようになるかも。

 

「あ、あのぉ……待って、待ってください」

 

 という呼びかけが背後からするけれど、聞き覚えない声……でもない、か。馴染みはないけど聞き覚えのある声。どこかで会って話したことはありそう。流石の私でもその辺で話している全ての人の声は覚えてられない。いやできるけど気が付くのは難しい。

 

 私に言っているわけじゃないかもだけど、とりあえず振り向く。

 

「あぁ、よかったぁ。やっぱり」

 

 そう言ってほっと安堵の表情で、花の咲くように笑う女の子。

 

 可愛い。

 

 年頃は高等部ってところかな。さっと体を眺めた分でも、間違いなさそう。背は高くないけど平均の範囲内。服の上からでもわかるけど、すごいというほど大きくない確かな胸元の膨らみ。服の上から想像できるウエストのくびれも、そこから続くお尻や太ももへの線も美しい。その先のロングスカートに覆われた脚も肉付きがよさそうだ。髪は内側にちょっと巻いた、イングラデーションだったか、そんな感じの黒ロングだ。いやちょっと白と、赤だ。黒の合間にアクセント的な紅白が混じってる。なかなか珍しい髪色してるね。髪の全体がどこかふわふわした印象を受ける。毛量が多いのか、そういう風にセットしているのかな。肩にちょっと髪が乗っかっているのがまた可愛い。

 

 顔はやや垂れ目がちの大きな目で、嬉しそうにどこか不安気にこちらをうかがっている。鼻筋が通った綺麗で小さめの鼻。唇は愛らしく、どこからかプルンという擬音が付きそうだ。私にじろじろ見られてちょっと困ったように、照れたようにふにゃっとした微笑みを浮かべている。

 

 可愛いの一言に集約される印象だ。髪と同じく雰囲気もふんわりとしていて、暖かな春の陽気と花畑を背負っているみたいだ。服も全体的にピンクでまとめ、リボンやフリルが過剰すぎない程度にあしらわれている。頭にも小さくピンクのリボンがある。本当に女の子女の子してるって言うか、可愛い女の子を凝縮した一つの形みたいな子だ。ガーリーでゆるふわでフリルで、なんかすっごいなぁ。これを着こなせるなんて相当なキュート力だよ。可愛いが突風の様に押し寄せてくる。可愛いが強すぎるのでモデルというよりアイドル系の美人だ。

 

 あんまり可愛いからすぐに思い出した。一瞬わからなかったのは、前会ったときはもっと不健康な顔と体つきで、表情や雰囲気もずっと暗かったから。事情が事情だけに当然なんだけど、すごい変わったなこの子。

 

「あなた、一年ちょっと前に私が治療した子だよね?」

 

「は、はい、そうです! ……覚えていてくださったんですね……!」

 

「あなただって私のこと覚えてるじゃない?」

 

「わ、私は! 忘れないです、絶対に……!」

 

「私も君と会ったこと、絶対忘れないよ」

 

「はうっ!?」

 

 顔を赤くしてくねくねしてる。いちいち仕草が女の子女の子していて、私の周りにはあまりいないタイプの子だな。

 

 まあいいや。それよりやっぱりそうだった。この子前に治療した子だ。

 

 他の医者が匙を投げた中、颯爽とやってきた私がパパパッとやって、治りましたのがこちらの彼女になります。何故敢えて私が行ったかって言うと、かなり珍しい症例だったから直接データとりたかったんだよね。治験受けてもらえると貴重なデータが手に入るぞってウキウキで出かけたんだよなぁ。普段はそういうデータ取りは研究室の人たちだけでするんだけど、珍しい症例だったから自分で直接症状や治療経過を見たくて研究室の人たちについて行ったのだ。ところが着いてみるともう死を待つしかない、みたいな雰囲気出されて温度差で風邪ひくところだった。

 

 一般人類との認識の差は知ってたけど、これもダメだったかって思ったものだ。私の施した治療は別に非公開の特別なものではなくて、もうとっくに公開した技術だ。公開して長くはなかったけど、一年以上は経過していた。それを使えば私じゃなくても、当初の予定通りに研究員だけが治療しても十分に助かる病気だったのになんでお通夜状態なんですか。新開発の医療器具も使うとは言え、説明書を読んだらこんくらいできるでしょと疑問に思ってたから現場についてもうびっくりよ。

 

 ただ現場で働く医師はなかなか最新の技術や知見を学ぶ暇がないから仕方ない面もあるけどね。医療も自動化、機械化していると言っても命に関わることはやっぱり人が監督しないといけないこともあるものだ。そして監督するには知識も技術も経験も必要なので、治療器具があっても医師が学んでない治療はできないと。だから治せなかったことはいいけれど、担当の医者はせめて事前にちゃんと事情を説明しておいてよね。おかげで到着して説明したら、ご両親にどうか娘をお願いしますって泣きながら縋られてしまった。全然死ぬような病気じゃないから大丈夫だってことくらい、私たちが行くことになった時点でちゃんと伝えておいてあげなよね。いらない心配と心労を長くかけてどうするんだか全くもう。

 

「えーと、それで、確か美鶴姫……祝、美鶴姫さんだよね」

 

 すごい名前の字面のインパクトが強かったの覚えてる。美しい鶴のお姫様で、みづきだって。すごい力のある名前だ。こんな美しい鶴とか姫とか名前についてて名前負けしたら可哀想だなと思ったけど、実物見たら見劣りしなくてまた驚いた。あの時は美人薄命って風情だったから、今みたいに可愛さの暴力みたいな雰囲気とはだいぶ違ったけどそれでも美人だったね。儚げで、病室から見える木の葉が落ちた時一緒に死にそうだった。和服とか着て髪を三つ編みにしてそう。

 

「はい! 私は確かに以前あなたに助けていただいたつるです……!」

 

 恩返ししそうなセリフだ。

 

「その祝さんは、どうして……あ、そうか。治験だったからね」

 

「はい。数年は経過観察と治験後のデータをとるので、今日も呼ばれたんです」

 

「じゃあ向かう先は途中まで一緒かな。私も今からここの研究室に向かう所だったんだよ」

 

 一瞬沈黙する祝さん。俯いて指先を突き合わせ、くるくる回す。

 

「……あ、あのぉ……この後、お時間ありますか?」

 

「んー? まあ作ろうと思えばあるけど。何か話があるのかな?」

 

「は、はい……ご迷惑で、なければですけどぉ……」

 

 どうですか、と緊張に潤んだ大きな瞳がこちらを見上げる。この子自分の武器をわかってるなぁ。こんな可愛い子にこういうことされて、断れる人ってそういないでしょ。破壊力が高い。

 

 私? そんなもんあなた……。

 

「いいよ。終わったら私に連絡入れてもらえるよう、担当のお医者さんとかに頼んで。連絡来たら私も適当な所で切り上げるから」

 

 勝てるわけないだろ!

 

 基本的に私は同性にはガードが緩くなるし、年下には甘くなる習性がある。自覚もある。多分、いや確実に桜花ちゃんたちのお世話してたからだけど。妹みたいに可愛がり、面倒を見てたせいで他の女の子、特に年下に甘くなってしまったのだ。守るべき対象だと深層意識に刷り込まれているのかな。別に悪いことじゃないと思ってるんだけど、また夢華たちになんか言われるだろうなぁ。

 

「はいっ!」

 

 こう嬉しそうな顔されるとどうにもさ。

 

 ま、いいか。別に急ぐ用事もないし、ちょっと話するくらいの時間は十分ある。話自体も悪いことじゃなさそう。深刻な雰囲気や負の感情は感じない。一方で思いがけない相手に会えた喜びや、嬉しさなどの良い方向の感情はビンビン感じる。こういう好感情は浴びてて気持ちいよね。

 

 この子にとって私は死を覚悟してたら突然現れて、さっと治して元気になった頃には姿を消していた恩人ってことになるのかな。ご両親とは結構お話ししたんだけど、この子は治療に専念してたからあんまりお話の機会がなかった。そんな情報不足な所に本来高額になってしまう高度医療を治験という形で、無料で行ってくれたというおまけもつく。そりゃ好感度は上がるよね。医者界隈では割とある話だ。救われた患者が医者に対して好意を持つのは珍しくない。

 

 別にこの子のために無料にしたわけじゃなくて、こちらも治験が必要だったから行ってるだけなんだけどね。むしろ治験に参加してもらったら報酬出さないといけないから、そもそも無料にするとかいう話じゃないのだ。こっちが治験をさせていただくという立場だったんだよなぁ。

 

「んんー?」

 

「あ、あのぉ……?」

 

「ああ、ごめんごめん。あんまり可愛いからついつい目が離せなくって」

 

「ひゃっ!?」

 

 でもまだなんか他にも見覚えある気がする、変だな。他にどこかで見るような機会あったかな。こうして経過観察でこの町に来た時に、偶然見かけたりしていたかな。まあこうしてしっかり向かい合うレベルで会っていたら覚えているはずだから、おそらくは偶然見かけたとかなんだろう。

 

「あのぉ、途中まででも、ご一緒しませんかぁ?」

 

「いいよ。行こう」

 

 ともかく一緒に行く。

 

 そういうことになった。



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天才お姉さんの素敵な研究室(幻覚付き)

月の砂漠にはるばる初投稿です


 一面の白の中を歩く。茶色のショートブーツが床材を踏み、時折皿を磨くような摩擦音が鳴る。足元をちょいと覗くと足首上程度丈のブーツの外側に、斜め上に少し突き出すピンク色に染まった小さな筒が付属しているのが見える。色がピンクというよりも透明な筒にピンク色の液体を入れたようで、足を動かすたびに液面が少し波打つように色が揺れる。もちろんそう見えるだけ。これはそういうお洒落として私が後から付けた物で、中身はちょっとした浮遊装置であり別に液体は入っていない。お洒落かなと思って揺れる液体風に外側を仕上げたけど、桜色がたぽんたぽんいい感じでつい自画自賛。

 

 この装置は私の体を少しばかり宙に浮かばせることができ、水たまりを濡れることなくその上の空間を歩いて回避できるのだ。でも他には特に何の機能もない。ついでにつける必要も別になかったけど、軽量小型化に成功したから何かにつけてみたかったんだよね。ちょうど買ったばかりの靴があり、ちょっと外見にインパクトがないなと思っていた。その結果がこれ。

 

 強いて言うなら今みたいなロングスカートの時に、汚す確率が下がるくらいの意味しかない。やろうと思ったらやりようによってはビルから飛び降りるくらいはできるかもしれないけど、そんな無理する必要ないし。

 

 私の研究室は研究棟の中でも高い階にあるので、美鶴姫ちゃんとは途中の階でお別れした。彼女は研究棟の中でも一番浅いエリア止まりだ。同じ研究棟の内部でも各フロアは警戒レベルによって仕切られており、私の行くような最重要区画はまた複数回のセキュリティ認証をクリアしないといけない。しかも重要度が上がるにつれ殺戮兵器にしか見えない武装剥き出しの警備ロボットなど、殺意の増した警備システムや機械の数も増えていく。はっきり言って物々しい。

 

 下の階にいた円筒形や三角錐な形状をした細身の警備ロボットに加え、多脚のクモ型や丸いボディから隠す気もなく銃を見せつける自律移動式タレット。分厚い装甲でできた箱に逆関節を付けたような人型ロボットに、天井付近を漂う円盤型ドローン。空気がもう明らかに違うので、ここで働く研究員は配属されてしばらくの間はびくびくしながら出勤してくるそうだ。

 

 天井にもろに見えている監視カメラや防衛装置はまだいい方で、ただ真っ白い平面の壁や床にも無数の装置が隠されている。警戒レベルが強制排除までいくと、あっという間に侵入者は穴あきチーズや炭になる。ひどければ五体をバラバラに引き裂かれて食肉加工場かマグロの解体ショーか。ただそんな事態は幸い一度も起きていないらしい。だというのに壁などの白が赤に染まった幻を見たり、空間に血肉の臭いがついていると錯覚する職員もいるとか。

 

 

 

 

 そんな恐怖の区画に私の研究室はある。フロアに詰めている人間の武装警備職員の方と軽く挨拶して、物騒な場所に似合わない甘い花の香りが漂う廊下を進んだ突き当りだ。何で花の香りがするかと言えば、私や他の女性職員が薬品の匂いやおじさん職員とかの匂いが臭いと抗議したからだ。どうせ中で過ごすなら嗅いでいて心地よい匂いで過ごしたい。これくらいは職場環境の改善として当然の要求でしょ。そのおかげでいい匂いがするようになった。

 

 そんな廊下を抜けて研究室のドアの前に立つ。スライド式で正常作動中を示す青のラインが走っている。ドア上部や脇の壁面など、複数個所にある認証機械から照会用のレーザー照射が来る。いつもの生体認証と、私の場合は手をかざし埋め込んであるマイクロポートによる複数認証をクリア。

 

「どうもー、おはようございまーす」

 

「あら、おはよう。珍しいですね、ここに来るなんて」

 

「以前連絡しておいたから、その件かな? おはよう」

 

 上にスライドしたドアを通って挨拶すると、入り口近くのデスクで作業していた二人から挨拶が返ってくる。最初に反応してくれたのは妙齢の顔の薄い女性である。実験をする人でもないのに白衣を着て、何かをパソコンに打ち込む作業をしている。ちらとだけ顔を上げて挨拶はしてくれたけど、もう作業に戻っている。あんまり愛想は良くないけど私相手でも誰相手でも変わらない。研究命の人間だけど実は結婚している。こう言っちゃなんだけど、よく結婚できたよね。そんなことしそうにないから知った時は驚いた。ちなみに旦那さんは結構かっこいい爽やか系だ。

 

 もう一人は非常に大柄な老年の男性で同じく白衣の先生だ。大柄と言っても背は私より低い。ただ男性らしく肩幅などが広い上に年齢を考えればおかしいくらい筋肉がついているので、座っているのにとても圧迫感がある。広めのデスク内もやや窮屈そうに見えてくる。

 

「とりあえずデータをもらっていきますね」

 

「ああ、どうぞ。しばらくぶりだから、結構あると思うぞ」

 

「大丈夫です。ね、ヴィクトリア」

 

『大丈夫ですけど、作業するのは私なんですがそれは』

 

「信頼してるんだよ」

 

 今日の予定はまずささっとデータの受け取りをする。その後は研究室の事実上トップである先生から連絡事項や相談事を聞く。次に担当してることで話があるという研究員がいれば彼らとお話という流れだ。受け取りに際してはいつもまずデータを分析や考察した論文に資料をもらい、次に大本のデータ自体も多少ピックアップして渡してもらう。私じゃないと気が付かないこととかもあるし、後でそのデータを利用することもあるかもだ。ここに直接来たのはその貴重な資料のためだしね。

 

 通信で送るとどうしても情報管理上問題があるんだよ、重要機密でもあるし個人情報でもあるから。ネットワークなんてどれだけ警戒しても抜かれる時は抜かれるから、面倒だけど仕方ない。だから未だにリモートだけで働く社会にはならないんだよね。なにせ今時通信を盗み見たりこっそり複製したりはできるけど、直接人を襲って持ち運んでいる荷物を奪うのはなかなかの難易度がある。街中、特に重要施設の多いエリアはどこを見ても視界の中に警備ロボットなどがいるし、もしいないところがあっても空からも監視や追跡ができるからすぐ捕まる。国レベルで重要な施設などもあるから警察の数も多いし、装備もいいの使っている。この町で暴力沙汰を犯して逃げ切るのはまず無理だろう。

 

 以前何か事件が起きたのを偶然見かけたけど、ものすごい勢いと数でどこからか湧いて出て来るもんね、警察。警察に警察のドーロイドに警備ロボットに警察のドローンや車と、あちこちからあっという間にわらわら集まってきていた。しかも容赦がない。骨折くらいならすぐ治せるからか殴るわ蹴るわ叩くに電撃まで、頼もしいけど暴力に躊躇なくてちょっと怖いあれ。躊躇して逃がしたらまずいかららしいけどね。

 

 なのでこうして直接渡してもらい、家に帰って分析にかけることになる。分析は主にヴィクトリアがやるけど。私?私はしない。しんどいもんね。単調な作業こそAIの本領発揮ですよ。やれるけど面倒で飽きることはしたくないのでヴィクトリアを作った面もあるから、しっかり働いてもらう。結局おねだりされた解析ソフトも買ってあげたんだ。しっかり働け。でも働けって言うと嫌がる素振りや面倒くさそうな態度をとるんだけど

 

「お願いヴィクトリア、あなたじゃないとダメなの。助けて」

 

 とお願いすると俄然張り切りだす。なんかツボがあるみたい。終わった後もただお礼を言うだけでもいいんだけど

 

「流石ヴィクトリア。頼りになるね、ありがとう」

 

 なんて感じで褒めつつお礼を言うと、他の仕事もやってくれたりする。ちょろい。人間臭すぎるというか、もう少しAIっぽい冷静でクールな感じ出してもいいのよと言いたくなる。完全に感情あるでしょ。疑似感情は組み込んで作ったけど、もうそんな域をぶっちぎっている。いいぞ、もっとやれ。

 

 

 

 

 お願いして持ち帰ったデータを家で分析するのはヴィクトリアだけど、持って帰る分の抽出もヴィクトリアに任せている。同じようなデータは弾いて、変化のあるものを中心に、年齢性別などを考慮した上で平均値辺りも一応持って帰る。ヴィクトリアの能力なら大した手間でもないので、ここで勤務しているドーロイドとおしゃべりする片手間でやってもらっている。専用回線の遠距離通信でいつでも話せるけど、いつでも話せるはいつも話しているじゃないからね。さっき駐車場で話し込んでいたのと同じで、たまには直接やり取りするのも楽しいらしい。人間で言うと電話と対面で直接会うくらいの差があるとか。

 

 何もかもヴィクトリア任せで私は何をしているのかというと、私は私で次の仕事に移っている。とりあえず世間話をしつつ、最近の業界の話や研究の行き詰まりの相談を受けている。飴舐めながら。

 

「どうだい、そのレモンキャンディー。食べ応えあって最近のお気に入りなんだ」

 

「おいふぃ」

 

 飴はやっぱレモンだね。しかしのど飴か。喉どうにかしたのかな。元気でいてもらわないと困るんだけど。

 

 ここの主任のお爺ちゃんは私のこと甘やかしてくれるので好き。私が天才と知っていて、その上で可愛く若い女の子としても可愛がってくれる。私のことを孫みたいに思っていると本人にも言われた。血縁のある孫や子とは居住地の関係でやや疎遠らしい。その上子供らは医学の道に一人しか進まなかったので、自分の人生をかけた医学の世界の話がその人以外とはできないのが少し寂しいとか。

 

 私にとってはいつも会うたびに飴くれる優しいお爺ちゃんで、私は好きだし他の研究員や医学関係者間でも評判のいい人だ。人生をかけていると公言する医学においてこんな若い娘になんというか、後れを取るというかそんな感じでも気にせず接してくれる。しかも研究や実証にもどんどん参加して、大御所めいた腰の重さがない。権威があるのに身軽で、私に好意的という人は貴重で便利なので助かっている。

 

 私が発明したものを公表する時、私は面倒事も騒がれるのも嫌だから表には絶対出たくないし出ない。絶対にだ。それでも誰かは出る必要がある時には、この先生が自分が開発者のような顔で出てくれる。本当は違うのに、自分が発明したと堂々と噓をついて記者会見やら式典やらに参加してくれる。要は身代わりであり、偽りの名誉と称賛を受けさせられる道化役ともいえる。それを気にせず余計な欲も出さずにこなしてくれるのは何よりありがたい。この人がいなかったら、いっそ全ての医学系の発明品を海外送りにしていたところだ。医療関係の知人は夢華のお母さんやおばあちゃんの関係もあって、海外の人の方が多いのよね。

 

「そういえば、君の友達が出したゲーム。VARSとか? あれ私もやってるんだ」

 

「えっ」

 

 飴噴き出すところだった。危ない。

 

「研究室の子から進められてな、家庭版を買ったんだ。すごいいいな、あれは。私みたいな年寄りでも負荷を選べるし、膝の負担が少なくて楽に運動できていい」

 

「まあ元々現代人の運動不足解消。外で運動するのも恥ずかしいデブでも、楽しく家庭で運動がコンセプトにありますからね……」

 

 それにしたってよくやるなぁ。そりゃ運動量や負荷は選べるようにできているけどさ。それでも百歳近いご老人なのに。

 

「夢中になって遊んだものだから、バイタルが急激に変化しすぎたんだな。運動用に設定していたんだが、それでも体調管理ソフトに警告されたよ。家族にも連絡がいって驚かせたようだ」

 

 技名を叫びすぎて喉が痛くなった、と先ほどくれた飴の袋を持ち上げる。体調管理のソフトに警告出されたり注意を受けるくらいはまあわかるよ。急に負荷をかけて心拍や血圧が上昇したり、時間をかけて行う運動でも数値が上がりすぎたら警告出るからね。でも家族に連絡行くって相当だよ。どれだけいきなり運動したんだ。体に良くないから警告が出るわけで、健康のための運動のつもりなら逆効果だよ。やめてよね、もう。

 

「人生120年時代。私もまだまだいけるもんだ」

 

 はっはっは、と笑うお爺ちゃん先生の体は実際お年寄りとしてはかなり鍛えられ、百歳近い老人には見えない。前にちょっと体内を覗いてみたら、バイタルデータも年齢よりはるかに若い数値だし骨密度もぎっしりだ。フットワークが軽いわけだよ。元からそんな運動不足とは程遠そうな体だったのに、まだこれ以上鍛えていくのか。そこまで鍛えてどうするんだろう。百歳越えだけが出られるオリンピックみたいなのあるし、そういった大会とかに出場するのでも目指しているのだろうか。

 

 人生120年時代っていうのは健康で楽しく遊んで生きられる年齢の平均がそれくらいだとして、政府が出しているスローガンである。あくまでスローガンなので、長いか短いか別として実際にその年歳で死ぬわけじゃない。この先生は長い方だろうな、絶対。休日には奥さんや仲間を連れて登山やキャンプもちょくちょく行ってるっていうし、元気いっぱいすぎる。

 

「……まぁ、その、無理はしないでくださいね」

 

「もちろん。無理はしてないぞ。楽しんでるだけだからな」

 

 そういうことじゃないんですけど……。

 

 その後はしばらくロボット物の良さについて語られた。まあ元気なのはいいことだし、お話くらいつきあってあげるか。色々お世話になってる相手だしね。ちなみに先生は夢華と同じく、怪獣怪物と戦うのがお好きだそうだ。人間同士で戦うロボットは兵器としての側面が強すぎて云々、怪獣だとかと戦う巨大なロボットはヒーローであり兵器ではないとか。わからんでもないけど、そこまで熱量をぶつけられると共感できないから少し困る。なんか急に早口になって聞き取りにくいし。

 

 私も普通にロボット好きだし何なら人型ロボットに乗って作業できるから今の、と言っても出向する前の元の職場だけど、を選んだ部分もある。ロボットに関して言えば私は大型も中型も小型も、遠距離や特型までほぼほぼ全ての資格持ちだ。趣味と実益を兼ねてバンバン資格取った。しかも操縦だけでなく、それが会社の仕事なんだから当然だけど作ったり修理したり改造したり開発したりもする。

 

 そんな私の好きだったり慣れ親しんでいるのは実際に現場で働く作業ロボットで、先生のお好きな正義の味方系ロボットではないのだ。いや救急救命用のロボットや災害対応用のロボットは正義の味方系かな。とりあえず人命を救うんだからヒーロー系ロボットではありそう。なんてこった、私はヒーロー系ロボットのパイロットだったのか。ある日突然戦いの運命に巻き込まれたりしちゃうのか。ヒロインは誰だ、宇宙からくるのかな。

 

 でも人命救助系は戦う正義の味方系ロボットではないよね。悪と戦うなら警察だけど、警察のロボットは当然警察のだから私は乗らないし乗れない。なんというか先生とは趣味の解釈違いというか、専門分野違いだ。ちなみに先生は私のように仕事で使うわけでもないのに、趣味で小型から中型までのロボットの操縦資格を取った筋金入りの趣味の人だ。医療関係では有名な人だけあってお金持ちなので、自分の趣味用のロボットまで所有している。あなたほんと好きなんですね。奥さんも良く許してくれたよ。きつそうな人に見えたけど、旦那には甘いのかな。

 

 ただちょっぴり気になったんだけど、ネットとかで情報収集した時にも思ったんだけど、みんなVARSって呼んでいるけどそれはゲーム機の名前なんだよなぁ。「人類防衛・科学特務隊」というソフト名はあまり呼ばれていないという。かわいそう。今の所ゲーム機とゲームソフトを一まとめで売っているし、VARS専用ソフトは現状その一つしかないから仕方ない面もあるけどね。近い内に日天堂から専用ソフトが複数まとめて発売される予定だから、そうしたら個別のソフト名も読んでもらえるようになるだろう。それに私たちの仕事がうまくいけば、南城院重工からも初のオリジナルゲームソフトも発売されることになる。

 

 そんな私たちゲーム事業部の仕事の様子はというと、今日一緒にいない夢華は職場で私の渡したサンプルゲームをやっている。私が今出てる「人類防衛」を作るときにいくつか作って没にしたサンプルを、一応ゲームとして成り立つ程度に軽く調整したものだ。夢華や紫の反応が良ければ、これをたたき台にして開発を進めていくことになる。

 

 今出ている「人類防衛」とは操作感の違うロボット物が二つと、ロボットではなくパワードスーツを着て戦ったり駆けまわったりするの二つの四つだ。他にも没案はあったけどサンプルゲームとして提出できるのはこれくらいだった。ロボットとパワードスーツというサイエンスなジャンルだけど、ゲームの王道って言えばやはりファンタジー。ファンタジーゲームを出す予定があるか聞いてみたら

 

「うちの会社がファンタジー出しても仕方ないでしょ」

 

 と紫にバッサリ切られた。せやなー。

 

 ロボットなど機械系の会社が作るのにファンタジーはないか。せっかく参入するなら強みである専門分野を生かさないとね。そんな風にしっかり事業の先を考えている紫は今日何しているのかというと、昨日私がナンパした少女と遊んでいた間に調査したり店からもらったデータを整理、分析している。私は昨日がっつり遊んでいたけど、紫たちはちゃんと仕事してたのよね。本当に申し訳ない。今日も私は午前中思い切り遊んでたけど、その間もしっかり働いてたんだよね。一応サンプルは置いていったんだから、許して許して。

 

 

 

 

 

『あ、マスター。面白いデータがありますよ』

 

「お、なになに? なんか楽しい奴?」

 

『例の子供たちのものです』

 

「おー、それかぁ! 見せて見せて」

 

『はい、ではこちらに来てください』

 

「どらどらぁ……?」

 

 データの保管庫となっているコンピュータを、持参したデータ用端末と直結させて選別を行っていたヴィクトリア。彼女が面白い物があると腕の端末から声をかけてきた。話を中断して、ちょっとすいませんねとおじいちゃん先生と話していた席から離れて、入り口近くのデスクから研究室の少し奥にあるデータ室へ向かう。例の子供に関係するデータと聞いたら、見ないわけにいかない。あの子たちはここ最近の私のお気に入りなんだ。簡易のセキュリティゲートを通って入室、近くの使っていないモニターにデータを映してもらう。

 

『どうやら順調に成長しているようですね』

 

「みたいだね。結構結構」

 

 人間とドーロイドの夫婦の間に生まれた子供なんて、今のところ彼女たちだけだ。お腹いっぱい食べてよく寝て、健康に大きく立派に育つんだよ。見たところみんな体重も体の大きさも、平均的な赤ちゃんの中では大きいくらいだから心配なさそうだ。珍しい生まれだけど全員ご両親の愛情がしっかり注がれているから、成長については心配いらなそうだ。今のところ彼女ら数人しかいないけど、他のドーロイドからも子供が欲しいと要請が来ている。だからいずれもっと同じ境遇のお友達が増えるだろう。楽しみにしててね。

 

 でもあまりに初の取り組みすぎて、正直私でもどうなるかわからない部分はある。子供は生身の人間として生まれるから、いつか子供の方がドーロイドの親より早く死んでしまう。その時のドーロイドの親の気持ちとか、人間ではない親を持った子供の気持ちとか色々とね。他にも色々な問題が想定されるけど、そういった精神面の問題は不安な一方で子供の健康とか成長についてはあまり心配してない。

 

 ドーロイドを親に持つと言っても、子供を作る時は人間の細胞や遺伝子を使っている。流石に私でも機械の体から受精卵は作れない。遺伝子操作などバイオ技術で作った卵子を母親であるドーロイドに注入して、その後は普通に愛し合ってもらって内部で受精させた。だからドーロイドの血はひいてないというか、血が流れてないからひけないのよね。一応遺伝子操作で外見や性質が似るように調整した卵子を生成して使ったんだけど。

 

 ちなみに母体というか、母親は全てドーロイド側だ。女性型ドーロイドと人間の男の組み合わせ。今のところ男のドーロイドは社会全体で見ても女性型より生産数も注文も少なく、その上で主と夫婦になって子供を作るという子は未だにいない。一人暮らしの女性でもほとんどが女性型を買うし、みんな女の子型の方が好きなのね。私も好き。でも女性と女性型ドーロイドのカップルではまだ子供が欲しいという話が来ていない。女性同士でも子供が作れる時代だし、人間とドーロイド間でも子供が作れる。だから人間の女と女性型ドーロイドでも子供はできるんだけどね。気づいてないのか、まだ子供はいいのか。まあゆっくり決めたらいい。

 

『ではこちらもご覧ください。性転換施術を行った者の術後の経過観察や、生活の追跡調査をしたものになります』

 

「お、なんか面白いことあった?」

 

『はい。妊娠、出産をしたケースが複数あります。その逆もですね』

 

「そっかそっか。いいね、まだまだデータ数が少ないから頑張ってもらいたいね」

 

 性転換施術は技術的には可能になったけど、施術をするとどうしても周囲の人間に明かさないといけない。そのため周囲に受け入れられなくて傷ついたり、相談できずに施術を頼めなかったりと技術以外の面で問題は山積みと言ってもいい。そのあたりは私の知ったことじゃないと言えばないけど、せっかく施術したんだからしっかり生きてほしいとも思う。

 

 この研究室では最後まで面倒見れないけど、民間団体や政府の相談窓口などの活動に協力、連携はしているそうだ。せっかく安くわりとお手軽に解決できるようになったんだから、自分の望む性別で自分らしく生きていくということをもっと受け入れられる社会になってほしいね。そうすることで本当はしたいけど周りが怖い、とかで躊躇っている人も気にせず施術を受けられる。その人は望む体に慣れて嬉しい、私はサンプルが増えて嬉しい。みんな幸せだ。

 

「今のところみんな相手に話しているみたいだね」

 

『施術後のサンプルデータを多くとりたいので、できれば話していただいた上でご夫婦で調査に協力していただけるよう、こちらの研究員がお願いしているようです』

 

 性転換したことを少数には話す人もいれば、誰にも話さず最初からその性別だったように振る舞う人もいる。ただ今のところ結婚して妊娠した、あるいはさせた人はみんなその前にパートナーには打ち明けている。性転換は新しい施術だから、妊娠出産機能に問題はないと説明されていても不安なんだろう。パートナーに打ち明けて私たちに協力してもらえれば、こうしたデータをとるために各種検査をするし協力金も出る。彼ら彼女らは不安が解消できるし、私たちは貴重なデータをもらえる。持ちつ持たれつというやつだよ。

 

 子供が大きくなった後も、時々でいいから定期的に検査させてもらえればなお良い。そうなるといつか子供にも性転換したことを話すことになるけど、まあその辺はご家庭の問題なんで。何かあったらうちの研究室の相談部門に相談していただくという形になりますねぇ。

 

「ま、その辺は相談部門にお任せだね。あの人たちならなんとかうまくするでしょ」

 

 うちの相談部門では、ここでの研究に関わる施術などを受けた人の様々な問題に対処している。交渉や相談、カウンセリングの専門家たちだ。例えば性転換の場合は家族への説明やそれで理解してもらえない場合、一時的に被験者を匿い生活の面倒を見たりしている。また転換後の体での振る舞い方や常識、身に着けておくべき技能の講習などもだ。心は男性だった女性が男の体になっても、いきなり一般的な男としての動きができるわけじゃないので訓練が必要なのよね。それ以外にも暮らしの中で諸々の問題が起こるけど、その時のアフターケアも行う。それだって大事な情報だから、上手く聞き出して対処してくれる相談員たちは頼もしい。

 

『同性同士で産んだ子供についても結構データがたまっていますね』

 

「見せてちょうだいな」

 

 こちらも私的には大好きな分野だ。私的には男でも女でも互いに愛し合い、その結果として求めるのなら子供だって得られていいと思う。むしろ得られるべきだ。性転換や同性間の生殖などの話って私は割と好きなんだよね。色々難しい話ではあるけど、その倫理とかの是非は私の関知するところではない。

 

 私が気にしているのは、本来なら子供ができないという点だ。本来子供ができない彼ら彼女らが子供を作れるようになり、それが一般的になっていくことは人間の一つの進歩、進化だと思う。同性間では子供ができないなんて、生まれつきの肉体がそう決まっていたというだけだ。これは性転換もそう。本人の人格とは別に肉体があり、それを今までは真の意味ではどうにもできなかった。外見を似せるのが精一杯で子供を作ることもできず、遺伝子的にも元の性別のままだった。それが今や遺伝子レベルで望む性別に生まれ変われ、子供だって望める。これは大きな進歩だ。生まれつきそうなっていたって関係ない。私たちは望むなら同性とでも子供を作れるし、性別だって見た目だって変えられる。

 

 私たちは肉の器による限界を、獣としての人間を超えていける。昨日の不可能は明日には可能になり、神に定められた不条理であっても覆すことができる。

 

 私はそう信じている。

 

 

 

 

『あ、性行為における不満や改善点のデータもありますよ』

 

「それって私らの仕事なのかな……」

 

 男同士はいいんだ。卵作って母体になる側に入れておいて、受精したら取り出して場所を変えてまた植え付けるだけだ。そっちの趣味はないからあまり詳しく考えないけど、あの場所じゃ育つのに問題があるからね。でも女同士は受け入れる側じゃなくて、孕ませる側の方に細工をしないといけない。

 

 別に男女ともに注射器みたいな道具を使って、母体内部に必要な液を流し込んで受精させてもいい。研究所や病院で研究員がパートナー同士の細胞を使って受精させたものを、同じく研究所などで母体に移植でもいい。でもそれじゃあまりにあんまりじゃないの。ということで私たちは女性同士の場合は疑似的に男性器を、ちゃんとバイオ系素材で快楽刺激とかを互いに感じられるようにした物を作って、それを使うことを提案している。

 

 愛しあう二人の愛の結晶として子供が欲しいんだから、ちゃんと幸せに愛しあい交わった末に子供を授かってもらいたい。別に使いたくないなら使わなくていいんだけど、その場合も要相談のうえで納得いく方法をとってもらっている。で、今見ている不満だとかはそれに対するものだ。もっと夜の生活を充実させたい系のお悩みらしい。例えば妊娠後も、妊娠させる機能はなくていいけどもらった物は欲しいとか。今のは専用の道具という扱いなので、妊娠したら返却してもらうからね。一応高度な技術の産物だし。でもないと物足りなくなったとか言われても困るぅー。

 

『ちゃんと相談部門が対応しているようですよ』

 

「サンキュー相談部。アフターケアもばっちりで有能ですねぇ」

 

『親の不満はともかく、赤子については問題なしですね。自然妊娠で生まれた子供と特に違いは見られません』

 

「で、あるか。ま、結論を出すのはまだまだこれからだけどねー」

 

 今は良くても一年後、十年後はどうだろう。究極的には百年以上生きて普通の人と変わりなく寿命で死んで、ようやく問題がないと言える。もっともその頃には性転換や同性生殖も当たり前の時代になっているだろうし、何なら人類は今のような肉体でいるかもわからない。百年前には今の世界が想像できなかったように、今の時点で想像した百年後はきっと現実の百年後とは大きく違うだろう。

 

 そして百年も経てば、人類はもう地球だけに生息してはいないはずだ。今だって宇宙コロニーに住んで仕事をしている人たちもいる。今は捕獲して引っ張ってきた小惑星からの資源採掘が多いけど、やがて宇宙での住環境がより整えば仕事の種類や量も増えるだろう。それに伴って宇宙に居住する人数も増えていくはずだ。現状は国際宇宙開発センターの職員である開発チームや、研究員あるいは作業員しかほぼいない。

 けれどいずれは一般企業などの参入が進み一般人も増えていくだろう。

 

 問題も同じように増えるだろうけど、それは残念ながらどの時代や場所でも同じことだ。それを防ぐには人類自体の知性や理性が、技術の発達によって磨かれることを祈るしかない。これまでの人類の歴史は、辛うじての希望は見せてくれる。とりあえず虐殺とかは世界を見てもほぼ起きなくなった。ゼロじゃないから胸を張れないのが悲しいけど、人類は牛の歩み程度だけど前に進んでいるよ。

 

 

 

 

 ただ月面都市はなー、私反対派何だよね。

 

 月面に都市を作るくらいなら、私も協力するから一からスペースハビタットを作りたい。だって月という星に住居作ってすむなら、結局地球に住んでいるのとさほど変わらないじゃない。重力が強いか弱いかの差だし、その重力問題はもう解決できる。水とか食べ物はもう宇宙でも作れる技術があるし、月に都市を作るのはお手軽というか近場で間に合わせる感があると思うのよね。

 

 何より月に都市なんか作ったら月へのロマンが失われてしまうでしょ。月にうさぎはいなかったけど、でもまだ保たれている月を一緒に見ることの価値が減ずるというか。夜空に煌めく無数の星々の、はるか過去からの遠い光を楽しむのと同じように見ていた月。これが高い建物の上から見る都市の夜景のような月になる。雄大な自然の中に鮮やかに咲き誇る美しい花々や、撫でるように吹き抜ける風に揺れる草木のようだった月。それが整然と並べられ、長さも形も良く整えられた花や草木を楽しむ庭園になってしまう。

 

 

 都市の夜景が悪いとか、庭園が悪いわけではないんだけどね。夢華たちと最上層から眺める都市夜景は美しいし、三人で庭園を散歩するのも好きだから。なんだけど、月の良さというか持っている情緒的な価値は手を触れないから良いものだったのに。触れられるようになったからと言って喜び勇んで手を加えてしまうことで、失われてしまうものが必ずあると思う。

 

 端的に言うと、月が綺麗だねと言った時にあれは月面都市の明かりなんだよなあってなるのが嫌です。月の光がただの太陽の反射にすぎないとわかっている今でも、月齢により変化する姿やあの儚げだったり冷たかったりする光をみんな愛してきた。神秘的に感じたりロマンティックに感じたり、人や時や場所などによって違うけどね。現代になってもまだ多くの芸術のモチーフにもなっている。そこに人間の手をがっつり加えてしまうのが嫌なんだよなー。だから月面都市には反対なのだ。完全に気分の問題なんだけどさ。

 

 ただ月に関してはただ一つだけ何より大事な事がある。

 

 無限に広がる宇宙の暖かな闇の中、無限に続くような月の砂漠を三人でどこまでも並んで歩いた。あの数多の既に亡き星の光のように、彼方に音を置き去りにして歩いた瞬きの時間を私は決して忘れないだろう。

 

 私たちの小さな足跡は今も月の白い顔の上に確かな跡を刻んでいる。

 

 

 

 

 

「四季さん、お友達の検査終わったって連絡あったわよー」

 

「はーい」

 

 来た時に入り口で挨拶した人とは別の研究員のお姉さんが、近くを通り過ぎながら連絡が来たことを教えてくれる。待ち合わせの相手の用事は終わったみたいだ。私の方もぱっと見で見たいデータは見たし、研究員との打ち合わせや相談も一通り片付いた。ちょうどいいからそろそろお暇しようかな。

 

 飲みかけのお茶、最初は緑茶だったんだけど途中で麦茶にしてもらった、をグイッと飲み干して立ち上がった。と、立ち上がった際に鼻に匂うものが。麦茶の香ばしさが混ざっているけど、今脇を通ったお姉さんの体臭だ。あのお姉さんはそろそろ五十歳になるんだったか。この間ようやく結婚できたと、以前休憩時間に雑談してた時に聞いた。機密レベルの高い職場に勤めているだけに相手の身辺は研究所から費用を出して調査されている。だから相手の過去や人柄、友人関係も極めて真っ当とお墨付きなので安心してプロポーズに頷けたそうだ。

 

 ただお姉さん自身の職業については機密なので、親にもその相手にも詳しく明かせない。そのせいで親にもそのお相手にも変な誤解を受けそうになったらしい。結婚するということで、いい機会だからそういった対外交渉などを担当する相談職員が説明に行って事なきを得たとか。まあ仕事について聞くと曖昧にごまかすだけだし、仕事が仕事だけに高給取りで羽振りがいいしで端から見ると怪しいよね。

 

 そんなお姉さんだけど、あの人たぶん妊娠してるな。体臭がそう、赤子を持った女のそれになっていた。今時五十歳くらいなら焦って妊娠することもないだろうに、もう子供出来たのね。まあおめでたい話ではあるし、後でなんかお祝いのメッセージくらい伝えておくかな。私にも優しい貴重な人だし、そのくらいの社交性は私も見せるべきだろう。

 

「他に何かお話あります?」

 

「いや、特にないはずだ。何かあっても話だけなら電話するればいいだろう」

 

「確かに」

 

 最後に何かし忘れたことがないか確認するけど、特に思いつかないし先生の側も特にないみたいだ。ついでに周りにいた他の研究員たちに視線で尋ねるけど、みんな今日のところはもう何もなさそう。じゃあ完全に今日の用事は終了かな。そしたらそろそろお暇しようか。

 

 部屋を出ようと入口のドアに近づくと、忘れてたと後ろから声を掛けられる。やっぱりあるんじゃないか。

 

「そうだそうだ。一つ用事ってほどでもないんだがあったんだ」

 

「なんです?」

 

「研究成果や施術のお礼がまた届いていてね。いつも通り好きな物を選んで持って帰ってくれ。だいぶたまったぞ」

 

「またですか。量はどうです?」

 

「こっちもいつも通りだ。まさに山のようだよ。気に入ったのがたくさんあったら、下で配送を手配する方がいいだろうな」

 

「えー、そんないらないですよ」

 

「まあまあそう言わんでくれ。彼ら彼女らも本当に感謝し、喜んでいるからこそだ。気持ちはちょっと入りすぎだが、嬉しいことじゃないか」

 

「気持ちは嬉しいですけどね……」

 

 感謝され喜ばれているのは嬉しいのよ、本当に。私だって誰かに感謝されたり、認められたりはしたい。ただ量がね。研究室宛や病院宛で来るから一回一回の量が多い、しかもこの研究棟の人は何かいらない遠慮をして、大本は私の研究や発明なんだから私が多く取るべきってことで基本私に回してくる。

 

 気持ちは嬉しいのよ、本当に。配慮してもらっているのも嬉しい。でもそんな気の使い方はしなくていいから。私が来ない内に賞味期限とか来る物は流石に消費してもらえるんだけど、消費期限がないようなものは全部取っておかれて私に回ってくる。治してくれた病院や治してくれた研究者の方に、と箱でお菓子とかお酒を送ってくるのを全部渡されても困るんですけど。好きなの持って行っていいって言ってるんだから、ほんと気にせずもらってよ。きっと私が取り置きの中から気に入った物を持って帰るのも悪いんだろう。何か気に入ったのを持って帰ったら悪いみたいに思われて、結局全部一度は私が確認することになってしまっている。

 

「食べ物飲み物はいつも通り私たちも消費に付き合うから、適当に回してくれ」

 

「いつも言ってますけど、先に好きなの持って行っていいんですよ。だいたい研究室宛になってるんだから、気にせず全部皆で分けてくださいよ」

 

「君のことを隠しているから研究室宛になっているだけさ」

 

「そういう物もありますけど……バッグとかアクセは。食べ物系は絶対研究室用ですよ、あの量は」

 

 たまに送られてくるバッグ類などからして、うっすら開発者が女だということは知っている者は知っている様子。研究員には男も女もいるけれど、狙いが完全に若者向け。最初はそれこそ男物のブランド品が多かったけど、最近は女性向けの物に変わっている。それも若者でも使える感じに。完全に私辺りの年齢を想定している。

 

 他の研究員の女性は、ここに配属されるだけの腕や知能、実績なんかを備えるとそれなりのお歳になる人が多い。おばあちゃんレベルは少ないけど、十代、二十代向けファッションは流石にってくらいの人が。そう考えるとやっぱり私のことがどこからか漏れているんだろう。調査や処理はすでにお願い済みだ。その上で見逃される、あるいは許されているなら私がどうこう言うことでもない。何かされたら、その時にはそれ相応の報いを受けてもらうだけのことよ。

 

 ただ食べ物系は相変わらず箱や袋で大量に送られる。どう見ても大人数向け。一応口に入る前に検査が入るけど、今まで問題があったことはない。完全な善意と感謝の表れと見てよさそう。

 

「私たちの機嫌もとっておかないと、ということだろう」

 

「じゃあとられておいてくださいな」

 

 食べたいのがあったら少しはもらっていくけど、巨大な箱にぎっしりを十も二十も送られても食べきれない。研究室で分けて食べる量だけど、研究室側は自分たちの功績じゃなくて私の功績だからと遠慮してくる。そんな変な遠慮はやめて。発明したのは私だけど、実用化して施術したのはあなたたちなんだから、気にせず自分たちの努力へのご褒美として悪くならない内に処理してほしい。私は大食いチャンピオンじゃないんだから、そんなに食べられないって。

 

 バッグとかのブランド品だってそんなに興味ないし、好きなの持って帰ればいいのに。そういうの送ってくるのって大抵お金持ちだから結構なブランド品ばかりだよ。せっかくだから、自分へのご褒美くらいの感覚でどうぞ。とはいえそこで自分の功績として調子に乗らない人材を集めた結果こうなったみたいだし、バランスをとるのってなかなか難しいね。

 

「それじゃいくらか見繕って帰りますから、後はそっちで処理してくださいな」

 

「うむ。あ、いい酒あったんだ。あれは残しておいてくれ」

 

「はいはい。いい歳なんだから飲みすぎないでくださいねー?」

 

「わかっとる。私はまだまだ死ねんからな」

 

『ご自愛くださいませ』

 

 この先生の様に地位や権威、信用や実績その他諸々の便利な力を備えていて、なおかつ私の隠れ蓑を受け入れる度量。それでいて変に勘違いしたり悪用したりもしない。しかも私に好意を持ち、私に配慮をしてくれる。こんな人材はそう見つからないよ。せめて後継者を育ててから死んで。でもここまで上手くやれる相手は滅多にいないと思うから、もっと長生きして。最悪死んでも生き返らせてあげるからね。

 

 育てる相手はもちろん研究者じゃなくて、私の身代わりや相手をする後継者ね。研究者なんかは放っといても増えるから。毎年のようにこの研究室への応募が増加していくから大変みたい。分野を問わず新技術や新発見が毎年ポコポコ増えるし、それを目にする機会も多いせいか研究者は近年右肩上がりだとか。国が研究開発に力を入れて費用も多めに出してくれているし、金がなくても生きていける時代だからみんな失敗を恐れず挑戦しやすいんだよね。そのおかげでゲームや漫画、小説などの創作物の量も増えてこっちも嬉しい。良い時代になった物だ。

 

 国内も世界も人類も、文明も文化も発展が進むのでいいことだ。優れた発明や珍しい発見があるたびに、私も負けてられないなって思う。

 

「それじゃ、また今度」

 

「ああ、お疲れさん」

 

 それじゃ次は一転して、若くて可愛い女の子に会いに行くかな。

 

 ぷしゅんと閉まる音を背後に、私は一面の白の中を小走りに駆け出した。少し待たせちゃったかな。でも仕事はばっちり済ませたし、後は可愛い女の子と楽しく過ごすかな。へへ。




内容がセンシティブだったため、書いては消しての推敲を繰り返してだいぶ角をとりました。


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少女とホテル(意味浅)

狂おしく身をよじる様に初投稿です


「お待たせっ! ごめんね、待った?」

 

「いいえ、私も今来たところですよぉ」

 

 部屋を出たあと送られてきた物の選別とか配送の手配とか、ちょろちょろっとした雑事を済ませてきたら少し遅れてしまった。いつ行くとは言ってなかったけど、終わったって連絡もらってから少しかかってしまった気がする。ちょっと急ぎ足で待ち合わせ場所につくと、お目当ての彼女はすぐ見つかった。ピンクのリボンやフリルで明るく華やかに愛らしいので、あんまり病院には似つかわしくない装いだからね。特に今いる場所とは全くあっていない。気まずい思いをさせちゃったかな。

 

 慌てて声をかけるとくるりと身を翻して私を見つけ何故か一瞬ためらった後、はにかんだ笑顔とゆるりとした声を返してくれた。その顔や声などに待たされたことへの不快感や、場違いな感じを受ける場所にいた気まずさは感じない。よかった。そこまで待たせないですんだみたい。

 

「うふふ……今の、なんだかこ、恋人同士みたいでした、ねぇ?」

 

「そうだね。でもこんな可愛い恋人出来たら、一生分の幸せを使い切っちゃうよ」

 

「そ、そんなことありませんよぉ……!」

 

 いや本当に。遅れて待ち合わせ場所について、声をかけて振り向きざまの笑顔。

 

 この威力!

 

 いやあすごい。なかなかの破壊力だったね。自分が来てあんなに嬉しそうに笑われたら、大抵の人間はコロッといくよ。思わず隠し撮りしちゃったもんね。つけててよかったサイバーグラス。素敵な笑顔のいいデータになったよ。

 

 君の笑顔は私の新たな発明の糧にさせてもらうね。だって魅力的な女性は多くいるかもだけど笑顔に魅力がある、まさに魅せる力がある人は意外と少ないんだよ。ただ美しいだけでも可愛いだけでもなく、同じように顔の筋肉を動かし形を変えて笑っているのに、驚くほどにその強さが違う。この子の笑顔はすごく素敵で、いい笑顔です。家に帰って玄関ドアを開けて最初に見るのが、こうやってにっこり微笑む彼女だったら幸せだろうなって感じ。

 

「検査はどうだった? 問題ない?」

 

「はい、大丈夫でしたよぉ。これからもたまに検査があるそうですが、研究用の経過観察とデータをとるのが目的で、体の心配はもうないそうです」

 

「そっか。よかった」

 

 ないとは思ってたけど、自分が治療した子だから少し心配だったんだよ。自分のことを私は医者だとはあんまり思ってないけど、そのくらいには医者としての意識や倫理感の持ち合わせがある。

 

「心配してくださったんですかぁ?」

 

「もちろんだよ。あなたが元気で、本当に良かった」

 

 これはほんと。ちゃんと治っていると改めて確認できてよかった。

 

「あ、はひぃ……」

 

 言葉に詰まって顔を赤らめ、はわわと両手で赤くなった頬を隠したりと狼狽えている様子が愛らしい。あざとくて人によっては不愉快になりそうなことをしても、なお可愛いっていうのはすごいもんだね。やる人によっては本当に不愉快になるのに。この辺人間って不思議よね。小説や映画とかと同じで、何事も魅せ方ってことかな。そう考えると演技、役者の方が近いかな。

 

 ただこれが演技かどうかぱっと見では私もわからないけど、一応演技には見えない。でもそう見えたら演技としては二流だから、演技と思えない演技をしている可能性もある。けど心拍数とか体温とか色々爆上げになっているし、本気の羞恥や喜びを感じるから演技じゃないのかな。ちゃんと焦っている時の汗の匂いもしている。でも優れた役者は演じる時には本当にそういう感情になり切るっていうし、やはり演技なのかな。まあどっちでもいいや。

 

「それで、お話があるんだったっけ?」

 

「わ……は、はい。そうです」

 

 ただ場所がここじゃちょっとあれかな。

 

 今いる広場の端からぐるりを見渡すと、ぽつぽつと水色やピンクに白といった割と色鮮やかな入院着の人々がいる。流石に一般人の彼女を研究棟で待たせるわけにもいかない。なので入院病棟まで移動してもらい、そこの休憩室で待ち合わせをしていたのだ。入院患者やその見舞客が使う共同休憩室だから誰でも利用していいからね。

 

 この休憩室は廊下との仕切りが何もない広い広場になっていて、色とりどりの背の低いソファーやローテーブルのあるエリア。高い椅子とダイニングテーブルのあるエリアの二つに分かれている。両方に大型テレビがあるのに同じ番組を流していて、今はちょうどこの町をぶらぶら歩いて店などを紹介するローカル番組がやっている。

 

 映ってるのはよく知っている顔だ。最近全国でも活動している、うちの町のローカルアイドル。ツインテールが可愛い。全国活動するローカルアイドルってもうローカルじゃない気もするけど、本人はローカルにこだわりがあると前言ってた。この子もいい笑顔をするんだよね。歌も踊りもトークも演技も、まだまだ伸びしろがある発展途上。でもあの笑顔があるから私は応援している。

 

 他にも共用端末や電子書籍タブレット、自動販売機などが設置されていて結構設備は充実している。テレビを眺めたりソファーで会話を楽しんだり自販機で買い物したりと、みんな思い思いにくつろいでいる様子だ。今も見舞客らしいスーツの男性がダイニングテーブルでお昼を食べている。木の素材感を生かした優しい雰囲気のテーブルで、ほっと一息付けそうな感じが休憩室の空間と穏やかにマッチしている。

 

「んー……まあ場所変えよっか。ここじゃないとダメってことはないんでしょ?」

 

「はい、あのぉ、そんなに改まってするほどの話じゃないので……」

 

 ここって基本は病院の患者さんたち用だ。病院での用事が終わったなら場所を空けるべきだろう。休憩室は壁一面が窓になっていて、そこの窓からは日は少し傾きつつあるけどまだまだ明るい青空が見える。濃度の薄い青を強い日光が照らして、空は少し白みがかっている。まだ暗くなりそうもないし、重い話でもないならどこかゆっくりできる所でも入ろうかな。

 

「どこか行きたい場所とかある? せっかく本土から来たんだし、行きたい所あるならそこ行こうよ」

 

「え? えっと……どこか、おすすめの場所はありますか?」

 

「んー? 別に遠慮しなくていいのよ?」

 

「は、はい、してないです。あのぉ……あなたの、好きな所を知りたくて……」

 

 おお、なんかぐいぐい来るねこの子。上目遣いに見つめてくる彼女からは、甘くてどこかねっとりした好感情が伝わってくる。うむ、どろりと濃厚。蜂蜜を煮詰めたようなドロ甘くて粘着力高い感じ。まあ好かれてる分にはいいか。

 

「そうねー……ティータイムにもいい時間だし、おすすめの所行こうか。私がおごったげるよ」

 

「えっ、そんな悪いです。私ちゃんと、自分で」

 

「あ、いやごめん、違うの。私そこのフリーパスみたいなの持っててさ、私以外に二人までは同じく無料でいいのよ」

 

 ちなみにいつもの二人を想定してのことである。

 

「あっ、そうなんですね。……それなら、お言葉に甘えますねぇ?」

 

「どーんと甘えなさい」

 

 胸をとんと叩くとおっぱいでボインと跳ね返る。動く物をつい目で追う人間の習性が発動したらしく、美鶴姫ちゃんの目が胸に吸い寄せられる。目を引いてしまい申し訳ない。私のおっぱいがわがままおっぱいなせいで。

 

 時刻はちょっと遅めだけど、アフタヌーンティーの範囲内の時間だ。お昼にお洒落なお店に行ったからか、今の私はお洒落系で決めたい気分。それに今日はまだ午後のお茶をしていない。さっきお茶飲んだけど緑茶と麦茶だったしあれはなんか違う。

 

 私は英国を起点にヨーロッパにちょくちょく渡っているけど、その期間を合計すると最低二年間は過ごしていることになる。そのせいか私の頭と体にはティータイムの習慣がしっかりと根付いてしまっているのだった。特に英国にいる間は決まってお貴族様の豪邸に泊めてもらい、そこの主である我が女王様と我が姫に毎日のように付き合わされてたからね。もう日本に戻ってきてもティータイムが抜けきらない。隙間時間があると今まではいろんな食べ物や飲み物を考えていたのに、今は基本紅茶と軽食の英国式ばかりが浮かんでくる。私和菓子も結構好きだから、たまにそっちも食べるけどね。大福とか羊羹とかお団子とか。

 

 そういうわけでこの時間帯に何か食べようとかちょっとお茶しようと思うと、ティータイムセットばかりが浮かんでくる。マフィン食べたい。しかしまずい安物の紅茶でティータイムを過ごすのは、高級品を上手に淹れた一級のお茶ばかり飲んできたせいでしっくりこない。それに適当な安物でティータイムを過ごした気になっていたと私の女王様方に知れたら、大変なお叱りと矯正のために豪華なおもてなしをされてしまう。頭が貴族になる。

 

 何よりもそんな雑な食事をしたとバレたらもっと怖いお人がいる。かつて食にこだわりがなかった頃に出会ってしまったせいで、ずいぶん恐ろしい目にあわされた。というより彼女に会ったことで食にこだわるように矯正された、あるいはいっそ躾けられたという気分。しばらくの間、一流料理人である彼女お手製の食事だけを与えられて暮らしていた。そのせいで今までの安くてそんなおいしくないけど栄養は足りている、なんて食事では物足りない体になってしまった。

 

 たぶん彼女は最初からそれが目的だったのだ。一月以上彼女の手料理だけを食べて暮らした後。

 

「そろそろあなたの体、半分くらいは私の手料理で埋まったかしら」

 

 と体や顔を撫でて確かめながら言われた。確かに人間の体の細胞は三か月で総入れ替えなので、半分ほどは本当に彼女の料理だけで出来上がった細胞になってたと思う。中でも脳みその食事を司る部分は完全に彼女に支配され切ってしまった。正直にその旨を報告すると、頬を一撫でされ静かに微笑まれた。形の綺麗な唇がこれまた美しく弧を描いて、取り返しのつかないことになった気がするけどどうでもよくなった。おいしいことは良いことだし、何も問題はない。

 

 そんな彼女に適当な食事をしたことを、うっかりでも話してしまえばもう、もう。出会ってすぐの頃に何度も見てしまったあれが来る。美食の国で生まれ育った一笑千金の白磁の美貌。それを彩るパライバトルマリンがきゅぅぅと細まり、遠山の眉が噴火していく絵が嫌でもありありと目に浮かぶ。その最高級の宝石の瞳に揺らめく青い炎すら見たくないのに見える気がする。

 

 でも私は一度食べた味はそう忘れないので、下手においしい物を食べてしまうと劣る物を食べている時に差異が気になってしまう。もう少しこうだったらいいのに、が食べ終わるまで続くので嫌なんだよ。だからどうせおいしい物を食べないといけないなら、不快にならない程度には高品質の食を求めたい。

 

 しかしご安心。そんな時に頼りになるのが私の行きつけ、イースト・サンライズだ。ちょうどいいことにこの大学病院の近くにある。中央区は密集していて人混みとかが鬱陶しいけど、何でも近くにあるっていうのは楽でいい。だからみんな中央に集まってくるんだけど、そうなると混みあって面倒になるという。何事もバランスが大事だよね。

 

 

 

 

 

 

「うわっ、まぶしっ!」

 

 温度は上がりつつあるけどどこかまだ寒々しい色をした光が、玄関を出た途端に目に直撃した。病院は都市の幹線道路沿いにあるので周囲は開けていて、遠くまで見晴らしが良い。その上空も緊急時に患者を空中搬送する場合などに備えて、高い建物が密集しないよう上手く隙間を開けてある。そんな開けた空間を縫って陽光が私の目を狙撃してきた。ぐわーっ、日光。

 

「だ、大丈夫ですかぁっ?」

 

「大丈夫、大丈夫、ちょっとびっくりしただけ」

 

 病院の前は大きい広場になっていて、その一部が駐車場となり車が患者を乗り降りさせて出入りしている。けれど私がバイクを置いたのはここではなく、広い広場の横にある個人所有車用の小さめな建物だ。個人で車を持っている人自体が少ないためそんなに大きくはないけど、まったく用意しないわけにもいかない。ここの車は個人の所有、すなわち財産なので万が一盗難や傷つくようなことがあったらそれは病院も管理責任を問われることになってしまう。そこで個人の所有する車に関しては、キチンと警備もついた駐車場を別に用意しておく必要があるんですね。そもそも個人の所有でもない限り、車を駐車場に置いておくなんてことがないけどね。降りたら車は移動するし、乗る時にはまた車を呼ぶか近くにいたら捕まえればいいんだから。

 

「じゃああそこの出入口あたりで待っててくれる? バイクとって来るから」

 

「バイクお持ち何ですかぁ?」

 

「お持ち何ですよぉ」

 

 この子そんなひどくないけど、ちょっと間延びした話し方をする。なんというかおっとりのんびり、愛されて育ったんだろうなあって。立ち振る舞いや口調なんかも綺麗なんだけど、どこかのんびりゆったりしている。実際治療の際に会ったご両親は溺愛している様子だったもんね。そんなのんびり口調がうつってつい語尾を少し伸ばして返したら、眉をよせてむむっという顔をされた。からかわれたと思ったんだろう。ごめんね。

 

「ごめんね、すぐ戻るから」

 

「はい、いってらっしゃい」

 

「いってきます」

 

 ちょっとそこまで行くだけなのに、夫婦みたいなやり取りだ。

 

 フリフリと胸の前で手を振って見送ってくれるのに一度手を振って応え、広場を横断して併設されている大学との境にある駐車場に向かう。大学の教授くらいになると趣味で車を買う人もいるからか、大学もこの病院の駐車場を兼用している。そんなに個人で車持つ人もいないし費用対効果で考えれば、小さめの建物を兼用くらいでちょうどいいのかもね。

 

 駐車場に着き警備ロボットや警備用のドーロイドが監視している中を見回すと、広々とした空間にぽつんと置かれた愛車がすぐ見つかった。それ以外には車がいくつかだけで、空間はだいぶ余っている。費用対効果がちょうどいいって考えてたけど、この様子だと費用の方が重いかもね。でも万が一のことがあったら費用だけの問題じゃすまない。病院の危機管理能力や意識、評判には大きく傷がついちゃう。一応国立の病院なんだし、そういう悪いイメージを持たれるのは良くない。高度医療も扱う大病院でもあるから評判が悪くなって患者が来ないなんてことはないけど、患者が安心して頼れる良い印象を持ってもらいたいしね。

 

 そういうわけで、こんな広い場所に車がほとんどなくてもここは必要なのだ。決して無駄にお金を使っているわけじゃない。よく見れば車だって、私がここにうさぎ星ちゃんを置いた時より一台増えている。艶消しの深い紺色と青い半透明のボディをした、やや平たいカプセル型で珍しいタイヤによる走行も可能な奴だ。大きなタイヤが四輪ついているのが少し遠くて暗いけどはっきり見える。

 

 前に車の記事かなんかで見たことあるな。屋根の下なので窓からの明かりだけでちょっと暗いんだけど、たぶんそう、新型の何かで特集してたのだ。仕事上新しい車とか触る可能性もあるし、元私の会社ではそういった車雑誌とかを定期購読している。その時にパラパラ流し読みした中に載ってたはず。ページをめくる最中にちらりと見えた程度であんまり記憶にないな。

 

『見てくださいマスター。最新型ですよ、最新型の高級車。ずいぶん稼いでいるみたいですねぇ』

 

「あ、やっぱり?」

 

 そうか、やっぱり高級車か。でも今までここで高級車なんか見たことないよ。個人所有の車なんか滅多にないから、ここを使う人の車はほぼ全て把握していると思ってたんだけど。今までと違う人が大学か病院に来てるのかな。それとも車が好きだったけどこれまではお金が足りなくて買えなかった。で、最近お金がたまったから思い切ってお高いの買っちゃったとか。ありそう。ここを使う人は高給取りだし、我慢してためてれば高級車くらいはいける。

 

『はい。高級志向のタイプで乗り心地もさることながら、執事のように生活の全ての面倒を見てくれる高度学習型AIと、速さではなく優雅さに重きを置いた動きが売りだとか』

 

「執事みたいなAIってのもよくわからないけど、まず車の優雅さってなんなんよ?」

 

『あくまで一例ですが、車に乗り込む際にドアが自動で開きますね?』

 

「うん」

 

『その動きが滑らかながらゆったりと、動くドアの軌跡まで意識して計算した動きなのだそうです』

 

「ドアの軌跡を意識」

 

『はい。人間で言うなら、指先まで意識を行き届かせるようなものと。マスターも以前そう習ったのでは?』

 

「あー、うん、ダンスのやつね。なるほどね、そういう」

 

 パーティーに出るためにダンスを習わされた時に教わったのが、指先にまで意識を通わせて動けということだった。他にもお上品な振る舞いを叩きこまれた時も、そんなことを言われた。要はそれの車バージョンで、動きを綺麗に見せるために特別な機構とかを組み込んでいるわけか。素早く開いたり音もなく開いたりといった利便性ではなくて、他から見て美しくお上品に見えるかを意識したと。でも車のドアの優雅で上品に見える動きなんかあるんだろうか。ドアの軌跡が美しい線を描いたり、上がる角度や速度とかに何らかの計算をしているんかな。動いているところ見たいなあ。

 

『もう少し近くで見ませんか?』

 

「いいけど……なに、そんな興味あるの?」

 

『そこまででもありませんが、最新型ですよ? 出たばかりの新型をこんなにすぐ目にすることってありませんよ』

 

「そうかも」

 

 ということで早速近くに寄ってみる。広いとはいえ私の愛車からお目当てまではそう距離はない。ほの暗い中でも電子雑誌で見た最新型の車だと判別できる程度。

 

「おぉ……」

 

 すたすた近くに寄っていってわかったのは、そのボディの美しさだ。さっきまでそう意識しなかったのに、意識して見た途端にのけ反りそうなほど圧倒される。滑らかな曲線と鋭い直線が入り混じって形成されるボディは、見ているだけでしなやかかつ優雅に駆けるその姿を想像させてくる。野生の大型肉食獣が伏せているような、停止していながらも一度動き出せば凄まじい力を発揮することを静かに予感させる佇まい。走り、生きるために最適化されたからこそ美しい獣の体だ。純粋な能力そのものであるからこその美しさ。静止した姿のその内に、確かな勢いを秘めている獣だ。

 

 それでいて、走るためだけでなく美しい。矛盾している話だけど、この車の美しさは走るためだけの美しさじゃないはずだ。走るためだけに生まれて育ちそうな形を、暴れ出しそうな力を整え練り上げていく人間的な美しさだ。押さえつけているんじゃない。走るために生まれた体を損なわず、わずかずつ根気良く整えてある。細やかに計算された、コンマ数ミリの曲線の正確さ。直線角度のほんの些細な傾きなんかを細心の注意と執拗さで拘ったことが、この風貌を見るだけでわかる、感じさせられる。計算と正確さという人間的な加工が、自然さを失わせない繊細なバランスの上で成り立っている。明らかに人の手による芸術品としての美が、この車には宿っていた。

 

「なんてすごいんだあ……」

 

 その上でなんということか、この車は目立たない。これだけの存在感を持っているというのに、私はさっき近づくまで綺麗な車だなーぐらいにしか思えなかった。ぐるりと見渡さないと、そこにあったことにも気が付かなかった。これほどの風格がありながら、その場に自然と溶け込んでいたからだ。

 

 これはとてつもないことだ。

 

 下品な服や小物はそれだけが目立つけど、上品なものはそれを纏う人を目立たせると言う。上品に、美しくできている物こそ余計な主張をしないわけだ。でも身に着けている時と違いその物だけに注目すると、ハッと息をのむほどの美しさを誇る。そしてそれに見合う、目に焼き付くような確かな存在感もある。だというのに身に着けるとそれが不思議と身に着けた人に溶け込み、存在感を感じさせない。それがいわば上品さの証拠だと思う。

 

 そしてこの車はまさにその証拠を示している。圧倒されるほどの存在感を巧みに消し去り、自然体でこの場の雰囲気に混ざっている。だからこそ注視するまでこの圧倒的存在にも気が付けない。まさしく野生の獣、狩りのために身を伏せる獣だ。周りの空気が違う。気づかないでいた内は何気ない空間だった。それに、本物の本当に優れた存在だけが持つあの空気を身につけたこの車に、気づいてしまえばもう戻れない。

 

 これはいったい、なんという車なのか。こんな車があるのか。

 

 見れば見るほど引き込まれる。目が離せない一方で気圧される。

 

 たまらぬ車である。

 

 言葉もなく、無言で凝視する。

 

『……あ、やっぱり』

 

「……ん? 何が?」

 

『大量生産されてなさそうだったので調べてみましたら、やっぱり受注生産でした』

 

「ああ、まあ、そうだろうね」

 

 こんな車が量産されていたら、車業界壊れちゃう。私は車に詳しいからなおさら惹かれたけど、何の知識もなく車が好きでもない人から見てもこの素晴らしさはわかると思う。そんな車が大量に出回ったら、無人車も全てこの車に取って代わられそう。自分の持っている車じゃなくたって、どうせ乗るなら誰だってかっこいい方がいい。乗ってしまえば中からは見えないのにね。

 

 でもこの車タイヤついているんだよなあ。この美しいボディにタイヤを付ける理由がわからない。ただでさえボディは重力や空気の壁や人の重みといった多くの圧力や負荷に耐え、少しずつでも確実に歪んでいってしまう。もうこれは車に限らずどんなものでも起こる仕方ないことなんだけど、車の場合は日常で頻繁に使うしスピードという珍しい負荷もかかる。ほとんど乗り物の類にしかない負荷だ。乗り物のボディ、車体というのは消耗品だ。これはタイヤがあることでさらにひどくなる。

 

 現在主流の浮遊式の車と違い、タイヤが地面を掴み、走り、加速する。人が歩くだけで揺れや衝撃がある様に、当然車も地面に接することで衝撃や振動が生まれる。その衝撃や振動は全てタイヤから伝わって、ボディを痛めつける。この車みたいにスピードを出す車なら、なおさら損傷は激しい。平坦に見える道を思い切り踏み込んで走るだけで、目には見えなくても確かにボディは歪んでいく。

 

 目に見えないなら美しさに影響はしないと思うのなら、それは浅はかすぎる。むしろ目に見えないコンマ数ミリ、機械でも時に扱いきれない感覚の世界に入るような僅かさにこだわる。そこにこそ人工的な美しさが宿る。それが傷ついていく。走るために生まれたのに、走ることで自らを傷つけていく。

 

 これほどの車を作れるならそのくらいわかっているだろうに、なんでだろうか。車は歪んでこそとかタイヤで走ってこそとかいうタイプの人なのかな。わからないでもない。走るために生まれて、傷つきながらも走り歪んでいく姿もまた尊く美しい。そんな風に考えたかはわからないけど、ただ一つ間違いないのは自分でタイヤ付きの車を走らせている人の作品だろうということ。知識だけじゃなくて肌で感じた経験が作る、見世物ではない実戦感がこの車にはある。しかも狭いサーキットをぐるぐる彷徨う車じゃなくて、ちゃんと公道を走っているはずだ。分野を問わず言えるけど、鑑賞するためか実用品かというのは見ればわかる。実用に耐えうるものにはそういう特有の空気が備わっている。

 

 しかしこんな車を作れる人がいるなんて、恥ずかしながら知らなかったな。この車は絶対素晴らしい職人の手によるものだよ。ライン生産や機械による自動生産車じゃない。鉄の、アルミの、カーボンの。この車を構成する素材一つ一つと対話して、その気持ちを探り呼吸を合わせないとできない。昔私もそうやって社長に教わった、物づくりの基本にして根本だ。

 

 けれど同じ水準に仕上げるには私ではちょっとまだ若すぎるな。自動車だけに専念していればともかく、私ってあれこれ雑食だからここまでの職人技にはまだ追いつけないわ。でもこんな車にもっと幼い頃に出会っていたら、今頃車一本とまではいかなくても相当入れ込んだだろうな。今の私は車をそこまで好きってわけでもないからね。機械類の一つとして車は好きだけど、あくまで多くの中の一つ。

 

 いや、思いがけずいい発見した。あとで社長たちにも自慢しよ。最新型の超高級車めっちゃ近くで見ちゃったよーって。悔しがる顔が目に浮かぶよ。

 

 さて

 

「……」

 

 無言でサイバーグラスを下ろし、モードを切り替える。中も見たい、もう我慢できない。

 

『私が誘いましたけど、人を待たせているんですよ』

 

「ちょ、ちょっとだから。あと五分」

 

『絶対五分で終わる気のないセリフ、恥ずかしくないんですか』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「と、いうわけでやってまいりました」

 

「うわぁ……すごい綺麗……」

 

「そうでしょう、そうでしょう」

 

 あの後ちゃんと五分で切り上げて、待たせていた美鶴姫ちゃんと合流した。有言実行の女、私。お待たせした彼女をバイクの後ろに乗っけてやってきましたのが、こちらになります。なお、ちゃんとバイクに乗せる時はヘルメットをかぶってもらった。メットしないと注意くらいは受けることもあるから念のためね。

 

 ここは甘水の中心部にそびえる、イースト・サンライズホテルの玄関前。このホテルは甘水一番の高級ホテルであり、国賓を泊めたこともあるいわば国のお墨付きだ。しかもお目当てのカフェ・レストランはその味もさることながら、室内の調度品なども含めた店そのものが仏国政府公認である。特に紅茶やティーフーズに関しては、また別口に専門の協会や研究会がその質の高さを認めている。紅茶と言えばイギリスと思う人も多いだろうけど、別に英国人以外だって紅茶は飲むしこだわる人だっているのだ。

 

 なんとその店はフランス大使館のサイトにも紹介されるほど高い評価を受けている。それを中に構える建物は外観もそれに見合う壮麗さで、見るからにお上品でお高い空気を纏っている。近世ヨーロッパの宮殿をイメージした巨大かつ優美なその姿は、実際は建築から十年ほどのはずが歴史遺産めいた風格すら感じさせる。その質の高さは入り口からすでに際立っている。玄関に入る前の広い前庭からもう豪華だ。

 

 多様多種なセンサーが、彫刻や噴水、植え込みなどに紛れてあるいは埋め込まれている。サイバーグラスを頭から降ろして装着、スキャンモードにする。

 

「うーん、いいねぇ」

 

 普段や普通は見えないセンサーの範囲や、レーザー照射なんかがよく見える。大量の光線やら信号やらが行き交い、ものすごいことになっているのが見てて楽しい。こんなところに侵入しないといけなくなったら、さぞうんざりするだろうな。

 

 でもそれが逆に楽しくて、ここに来たり見かけるとといつもこのホテルに侵入する妄想するんだよね。どのセンサーを無効化すれば近づけるか、どの位置からどの経路を通れば短時間で突破できるか。空からジェットパックで行くか、でも空にも当然ジェットパック対策の探知網があるから一瞬だけ無効化して突っ切るべきか。それだと音が出るから、センサーをごまかす特殊スーツを着て近くの建物からグライドして取り付く方がいいかな。そこの門柱に上ってそこから木に飛び移って天辺まで登った後、センサーの隙間があるからそこにラインワイヤー発射して当たらないようにワイヤー上を渡るとかもいいね。なんて具合に。これが結構楽しい。

 

 まあそれはそれとして、今はやめておこう。それよりここまで豪華な警備システムなのに、視野を切り替えるとただの美しく整えられた西洋風の庭になるのすごいわ。警備の穴をなくしつつ、美しい庭の景観も維持している辺りが見事な技だと思う。しかもこれだけ多様なセンサー類があっても、誤報や誤検知の類がないのもいい。少なくとも私はこのホテルで誤検出があったとかいうニュースも噂も聞いてない。

 

 ここは超高級ホテルなので食事や酒を楽しむだけでなく、音楽や芸を披露するコンサートホールなんかもある。だからホテルの部屋のお値段とかからすると意外なことに、人の出入りは激しくて多い。だというのに今まで誤報や誤探知、あるいは警備の誤解などで問題や騒ぎが起きたことが一度もない。これってすごいことだよ。いい仕事してますねぇ。

 

「本当に、素敵……」

 

 うっとりしている美鶴姫ちゃんと並んで、しばらく庭を眺める。サイバーグラスを脱いで普通に眺めても、美しく整った庭は素晴らしいと思う。見栄えが良くなるよう形を整えられ、整然と並ぶ植物を見て自然っていいなとは思えない。けど人工的な幾何学の美しさと植物が内に秘めた自然の美しさの調和は見事だ。

 

 計算されてきっかりと噴水や道が配置され、丁寧に刈り込まれ整った樹木が壁となり道を作っている。平面幾何学式庭園ってやつだったかな。風景式とかいうのだともう少し広くて見晴らしが良くないと難しそうだけど、これなら多少狭くて建物の多い街中でも綺麗な庭園を見せられるからね。日本の庭とは趣旨も趣もまるで違うけど、これはこれで素敵な庭で私も好き。いいんじゃない、こういうの。

 

「ね、後で時間あったらこの庭ゆっくり散歩でもしよっか?」

 

「はい……楽しみです」

 

 内庭も合わせると、ゆっくり鑑賞しながら歩くとそれなりに時間がかかる広さだったはず。お茶菓子を食べた後の運動にはちょうどいいかもね。美しい庭を眺め香る花々を楽しみながらのんびり散歩していると、すごく優雅な気持ちになって楽しい。ああ、私今優雅なことしてるっていう感じがすごくする。普通に美しい庭も楽しいけどさ。

 

「綺麗なバラ園とかもあるし、楽しみにしててね。それじゃ中入ろっか」

 

 はいっと弾んだ声を上げ、とととっと小走りで駆け寄ってくる美鶴姫ちゃんを連れてようやく私はホテルの中に入った。エントランスの中から、庭をうろついていた私たちを目撃していただろうホテルマンあるいはウーマンの視線は温かい。このホテルを初めて訪れる人が玄関前で庭の美しさに立ち尽くす光景は珍しくないからだ。

 

 初回以降もこの庭を楽しむためだけに来る人も多い。人によってはホテルを利用すらしない。ただ来ては庭を眺めて日光浴や散歩を楽しんで帰っていく。それを許している辺りホテル側も太っ腹だ。ここは公園ではないんだけど、完全に扱いが公共の公園か植物園みたい。一応客側もたまには飲み物を注文したり軽食を頼んで庭の飲食スペースで食べたり、お土産にお菓子などを買って帰ったりと幾らかの金は落としていくようにしているそうだ。

 

「ふわぁぁぁ……!」

 

 中に入ったら入ったで、感嘆の声を上げてまた停止してしまった。いい反応だ。そんなに喜んでくれると案内した側としても、この町の住人としても嬉しい。

 

 受付カウンターや待ち合わせ用のソファーや椅子、庭の見られるカフェなどが含まれる非常に広いロビー。庭もそうだけど入り口付近はいわばホテルの顔なので、その豪華絢爛かつ気品漂う雰囲気はこれでもかと言わんばかりのものがある。私も最初は圧倒されたもんだよ。夢華がいるので広くてでかくて豪華な空間には馴染みはあったけど、あそこはどんなに華美でも根本的には家だし。日々を暮らす我が家と、客をもてなし楽しませるホテルじゃ豪華さの意味が違う。どうだ、という意気込みが隙間なく空間を埋めている。

 

 ピカピカに磨かれた乳白色のおそらく天然大理石の床。なんで天然と判断したかっていうと、まず光の反射具合が硬質だし床自体をパッと見まわすと色にムラがある気がする。それに素材の内部に浮いた灰色や黒色の柄が全て異なっている。こういった色や模様の完全なランダムは人工ではできないらしいのよね。違和感を少なくしようとランダム性を強くしてみても、どうしてもきちんとした印象になる、らしい。

 

 本当に天然かどうかは私も断言はできないんだけど。ただここはかなり高級志向だし、金のかかったホテルなのでおそらく天然だろうと推測しただけ。ぶっちゃけそんなはっきりわからん。踏んだ感触からすると完全人工ではなさそうなんだけど。完全人工は素材のために、踏んだり押したりしたときの感触がちょっと柔らかだ。あ、でも天然は天然でも再合成の方ね。本物の天然はないでしょ、たぶん。

 

 どこかのホテルなんかは荒業で、かつて使われていた個人宅などの本物の天然大理石をはがして回収。集まった資材をかき集めて自分のホテルの床や壁材として再利用したという話を聞いたことあるけどね。新しく切り出したらダメなんであって、解体した家とかにあった物を回収してそのまま使うならいいでしょ、と強弁したらしい。よくやったよ、あなた方くらいの資本がなきゃできない力技だと感心した記憶がある。色々な所からの寄せ集めなので、色や模様や雰囲気がバラバラ。だけどそれが本物感を出すし実際に使われていたという歴史感があって良いと評判だそうで。

 

 再合成の床はよく磨かれていて、天井の大きいけど派手すぎない上品に纏まったシャンデリアを映して輝いている。足元を覗き込むと私の顔もよく映る。今日も私は美しい……。

 

 大理石の床以外にも天鵞絨の絨毯が敷かれ、暖炉や大振りな北欧製らしき木製の椅子。同じく北欧製らしき細工の細やかなテーブルなどが配置された区画もある。そこに座ってのんびりお茶を楽しむ人たちの姿もある。ロビーの椅子なら無料で座れるし、豪華な雰囲気を味わうだけならこれでも十分楽しいだろうね。窓際にも椅子やソファーがあり、そこからも庭を眺めることができる。外が寒い日はここから見る人も多い。この辺りはいつも人気で、人がいない時がない。

 

「……ありがとうございます、こんな素敵な所に連れてきていただいて」

 

 観葉植物や小さい室内用の噴水を背にシャンデリアの光を浴び、美鶴姫ちゃんが私にふんわり微笑みかける。まさに花の咲くようだ。流石にモデルをしている子は違うなーとひしひし感じる。自分の魅せ方がわかっているって言うか、立ち方や振り返り方がよくわからないけどうまい。普通の人とは一味違うぞって印象を受ける。仕事中でもないのにね。もう体が覚え込んでいるのか、天性のものなのか。でもちょっと気が早いよ。まだエントランスを軽く散歩しただけで、ここから中に進むんだから。

 

 そう、この子はモデルさんなのだ。しかも今絶賛売り出し中、だと思われる。

 

 ここに来る途中で思い出したけど、この子他にも見たことがあった。いや、どこかで治療以外にも見たことあるなとは思ってたんだよね、最初から。でもどこかで見てようと別にどうでもいいかと気にしてなかった。なんだけど、街中でファッションブランドの空中投影広告が浮いているのを見て気が付いた。

 

 可愛い服を着て今トレンドのなんたらかんたらがどうのこうの、とあおりがついた画像や映像をちらほら見た覚えがある。思い返せばちょくちょくハマチ飛行船の立体広告や、あちこちの雑誌端末でも見た記憶がある。それなりに人気のモデルさんなんじゃないだろうか。他で見た時は髪は茶髪で目の色も青みがかった黒だった。今は髪色は名前の通り鶴みたいな黒白赤の三色だし、瞳は完全に真っ黒で綺麗な黒真珠。だから気が付くのに時間かかったけど、造形そのものは変わってないから多分本人のはず。まあこれだけ可愛ければ、そういう仕事をしてても驚きはないかな。

 

 遠くにいた顔見知りのホテルマンがわざわざやってきて、綺麗な所作で礼をする。

 

「いらっしゃいませ」

 

「どうも、こんにちは。今日もお茶しに来ましたよ」

 

「本日もご利用ありがとうございます。早速ご案内いたしますか?」

 

「お願いしますね。今日も連れがいるし、がっつり個室でなくてもいいんだけど、用意できます?」

 

「かしこまりました。本日はあなたのお好きなルバーブのジャムのマフィンがございますよ」

 

「わお、それはいいタイミング!」

 

 甘いジャム付きのマフィンがちょうど食べたかったんだよ。特にルバーブが良い。あまり出しているところないんだよね、ルバーブジャム。でも私は妙にあれ好きなんだな。夢華や紫は色からして変とか難癖付けてくるけど、あの不思議な緑色が茶色のクッキーとかに映えて美しいくらいだよ、まったくもう。センスのないやつらだ。

 

「それではご案内いたします。お連れの方は……あちらの女性でよろしいですか?」

 

「はい、お願いしますね」

 

 歓迎の気持ちもあるけど、いつもと違う人を連れてきていることへの疑問も感じるなぁ。いつもの二人を探しても見当たらないから不思議そうな顔された。その子であってますよ。別に何もやましいことは、ないです。

 

 

 

 

 少し離れてロビーを見て回っていた祝ちゃんと合流し、ホテルマンの案内で上層へのエレベーターに乗り込む。

 

「とても素敵な所ですね……」

 

「そうでしょう、そうでしょう」

 

 私はそれほど関わりある所じゃないけど、地元の名所だ。褒められると嬉しい。

 

「この中もすごいです……」

 

「だいぶ上まで上がるから少し時間かかるし、ゆっくり中も外も楽しんでね」

 

 もはや言葉もなく、無言で頷く少女。中の大きな金縁の鏡に映ってみたり、どんどん遠くなる地表を眺めたりと忙しそうだ。見るからに浮足立ち、浮ついている様子が可愛らしい。

 

 そんな可愛い少女の、目の前でフリフリ動いているお尻を見ているとついつい考えてしまう。

 

 この可愛さをどこまで人工的に作り上げられるかな、と。この子は可愛い。まず顔が可愛い。でも顔のバランスは黄金比ではない。しかし可愛い。体つきもいい。スタイルや骨格も程よいバランスだ。でも理論上の最適ではない。なのに可愛い。動き方や話し方も可愛らしい。でもこれも最適な動きや口調ではない。にもかかわらず、私は可愛いと感じている。

 

 この揺らぎこそが人間を人間足らしめる、生命の多様性だ。硬直化を避け人類という種を存続していくための防衛機能、あるいは攻撃なのか。人類の存続は他の生き物の滅びを招くこともあると考えれば、侵略のための戦略と言えるのかも。

 

 そんな言葉遊びはともかく、この遊びをどう作るのか。完璧な美ではないところに宿る良さを。これがアンドロイドや義体、つまり機械によって作られた生の肉ではない体を作るのには避けられない。量産型であればある程度万人受けする平均値の美人にしておいて、残りは個人の好みでカスタマイズしてもらうのが一番いい。でも自分の本当の好みを自分で認識している人なんて少ない、というかほぼいないだろう。よほど日頃から自己分析をしているんでもなかったらねえ。私なんか好みの女の子の要素、ほぼ日替わりや気分で違うよ。

 

 それに好みの女性がいても、惹かれる相手は別の女性なんてことは珍しい話じゃない。逆もしかりで、好みでもないし釣り合うとも思っていなかった男性を愛する女性もいる。時には自分の意思すら凌駕して、なんてこともあるくらいだ。ある意味本気の恋をしちゃうやつ。どこが好きとは言えないし、趣味じゃない部分もいっぱいあるのにそれでもその人しか考えられない、みたいな。

 

 別に万人受けすること、たくさん売れることを望んでいるわけじゃない。金儲けしたいわけじゃないのだ。ただ買われた後に、やっぱり好みと違うなんて言われる未来の我が子を思うと、とても耐えられない。せっかく生み出すのだから、今のドーロイドたちの様に幸せになってほしい。

 

 そんなことを私に見つめられていることに気が付いて、羞恥で縮こまってしまった美鶴姫ちゃんを見ながら考えていた。

 

 

 

 

 

 

 ……この子の型とりたいなぁ。動作や表情、声のデータとかも。楽しくおしゃべりしている間にこっそりとっておこうか。こんないいサンプル、取り損ねたらもったいないよね。本当は服の下、体の比率とかも知りたいから脱がせたいんだけどなぁ。部屋をとったからあなたの裸を見せてってお願いしてもダメだよね……。

 

 よければ撫でたり揉んだりもしたい。ついでに味も見ておきたい。そう正直に言ったらさせてくれないかなぁ。ダメだろうなー。流石の私でもそれくらいわかるぞ。いいって言われてもそれはそれで変だしね。何か裏があって私に接触してきたことを疑わないといけなくなる。それは嫌だな。せっかく楽しいのに。

 

 お風呂とか連れ込めないかな。公衆浴場は甘水の観光スポットの一つだし、案内するとか言って押し切れないかな。せめて服の下に隠された、その体を余すことなく観察させてほしい。できれば触らせて。弾力とか反応とかも見させて。

 

 今からの楽しいおしゃべりで、何とかできないかな……。




他の小説の構想を練っていたら遅れました(他の小説も書けませんでした)。


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最新科学でできた大正浪漫

一週間以上開いてしまったので、実質初投稿ですね(白目)


「うーん、いい天気。青いな、空……」

 

 ぐっと青空に向かって伸びをする。ここ二日籠り切りでひたすら作業していたから、新鮮な空気が体に吸い込まれ循環していく感触が気持ちいい。空気清浄機もあるし換気もしてたから悪い空気を吸っていたわけじゃないけど、野外の自然な風っていうのはやっぱ別物だよね。

 

 あちこちを伸ばしてストレッチしていると、体の色んな部位の強張りがほぐれていく。固まった体をほぐすこの瞬間って実に爽快。息を吐きながら筋までしっかり伸ばしていき、終わると自然と肺がヒュッと息を吸い込む。はー、おいしい。最上層は高い分空気が澄んでておいしい気がする。人や建物などによって影響を受けていない、ノーマルに近い空気が吸えるからかも。薬品とかを扱うこともあるから研究室には空気を清浄に保つ機能がある。だから研究室の方が体にはいい空気のはずなんだけど、余分な物があってこその自然って感じするなあ。

 

「昨日までの荒れ模様が嘘のようですね」

 

「そうだねえ」

 

「うふふ、お日様がポカポカして気持ちいいわね」

 

「……室内の暖かさとは、また違った感じ、です」

 

「そうね。でもまだ雨上がりの匂いが、水と土と埃とが混じったような不思議な匂いもしてるわ。わかる?」

 

「はい。あなたの感じているほどではないでしょうけど、確かに。なんだか清々しい感じですね」

 

 雨の匂いがするというので、すんと匂いを意識して呼吸をすると確かに雨の名残がする。このなんとも言えない匂い、私は好きだよ。独特の香りがして、ああ、雨が降ったんだなあとしみじみしちゃう。しばらくすると消えちゃうし、実は結構貴重な香りだよね。

 

 研究室に籠っている間はひどい天気だったもんなあ。がっつり研究開発に専念するにはいいタイミングだったけど。研究室は防音してあるし窓もないから聞こえないし見えないんだけど、トイレ行ったり食堂行ったりでお屋敷の中を歩く時はすごかったよ。お化け屋敷みたいになってた。

 

 外は昼間でも真っ暗で雨は窓に轟音を立てて打ち付けるし、風は木々を揺らすわ金切声や叫び声にも聞こえる音を立てるわ大騒ぎ。地上に落ちることはなかったけど、雷が時折雲の中でビカリビカリと光って顔を覗かせていた。どうもかなりの大嵐だったみたい。竜も結局三日前の夜中あたりから昨日の夜まで、ずっと空を飛んでいるのがちらちら見えていた。ご苦労様です。

 

 お陰様で今日はすっきり快晴。台風一過って感じで、清々しい空気が町中に満ちている気がする。台風まではいかなかったんだけど、予想よりだいぶ強い低気圧だったらしい。朝にヴィクトリアから聞いた。今日は町の清掃ロボットやドーロイド達が大忙しだろうな。物が壊れた、建物に被害がっていう話はなかったらしいけど草木が千切れ飛んだり、ゴミが転がったりはしているだろうし。水たまりはこの町ではできにくいけど、あれだけ振ったら大きいのができていそう。実際ここに来るまでの道にも、どっかから飛んできた枝や小さな水たまりはあった。最上層でこれじゃ、ここより下の階層はもっとぐちゃぐちゃかも。

 

 ま、それはさておき、と。

 

 当たりを見回す。広い最上層の広場。嵐の後のゴミがあって汚れてたけど、下準備も兼ねて清掃しておいたので一面真っ白。青空に良く映えて、相変わらずいい眺めだ。気持ちのいい朝の日射しが下の階層の建物の屋上、たぶん水たまりがあるのだろう、そこに反射してキラキラと輝いている。そんな輝きがあちこちで見られるので、まるで町が穏やかな光る海面のよう。

 

 景色が良くて気持ちの良い風が吹くここは、一見ただの広場だけど実際ただの広場なのだ。夢華の家は機械系の会社をしており、先祖代々機械や絡繰りがお好きな家系だったとか。その血は今もしっかりと受け継がれている。だって夢華のお爺さんもお父さんも、お兄さん二人もばっちり機械を触るのが大好きだからね。お金持ちで偉い人なのに、機械油を付けながら自分で家電などを修理している姿を時折見かける。機械関係に関しては、メイドが主人に修理を頼むという不思議な家だ。

 

 そんな彼らが自分たちでロボットや車などを動かすのに使っているのが、この運転用の私有地である。免許がなきゃ公道で運転できないけど私有地ならいいだろという理屈だ。免許取ればいいじゃんとも思うけど、乗りたい物全ての免許なんかさすがに取る暇ないからね。一応普通車や中型の作業ロボット、低クラスのジェットスーツやパワードスーツなど自社製品の一般標準クラス免許は持っているみたい。でもこれって最低クラス免許だから、面白そうな新型は乗れないことが多い。そこで私有地ということらしい。

 

 気持ちはわかる。私の発明品も許可がないと公道で使えないことよくあるし、でも早速試してみたいし。けれど試作品には出す許可も免許もないので、こういう所でこっそりお試しするしかないのだ。何もかも試作品などに対する仕組みを整備しきれてない社会や政府が悪いんよ。政権交代しろ。

 

 なのでそんなお困りの時、私も便利に使わせてもらっている。発明品の試運転とかで自由に使えるほど広い場所はそうそうないから、正直かなりありがたい。こうして今も発明のお披露目に使わせてもらっているわけだしね。今日以外にも、普段から作った物を実際に体験してもらうのによく使っている。夢華のお家の人で手が空いていて、私の試作品を試したいという人がいた場合もここを使わせてもらうことが多いのだ。私は試作品のテストができるし、夢華のお父さんたちは珍しい玩具に一番乗りで乗ったり遊んだりできる。お互いに得のある関係が築けているってわけ。

 

「そろそろ約束の時間ですね」

 

「で、あるか。……準備はもうばっちり?」

 

「は、はい。装置は全て設置完了していますし、問題なく作動しています」

 

「うむ」

 

 今日のお披露目のために連れてきた助手の一人が、不安気な顔ながら問題なしと報告。不安気な顔をしているのはいつものこと、この子はこれがデフォルト顔なのだ。でも彼女にはきちんと装置の扱い方を教え、稼働時のデータ収集も頼んでいる。その彼女が無事に作動していると言っているのだし、念のため二重チェックを頼んであるヴィクトリアからも異論はないみたい。なら問題ないか。

 

 装置一つ一つや複数での稼働実験は終えていたけど、学校のグラウンド並みかそれ以上に広い場所で実際に稼働させたのは初めてだ。キチンと想定通りに作動したようで何より。お披露目のための待ち合わせよりだいぶ早くに来て、入念に下ごしらえをした甲斐があったというもの。何も朝早くからここにきて日の光を満身に浴びて水の匂いを感じ、嵐の後の柔らかな風に髪を踊らされる感触を楽しみに来たわけじゃないのだ。

 

 でも籠っていた後なのもあって外の空気が心地よく、立って呼吸をしているだけでリラックスできる。このままこうしてのんびりしているだけっていうのもありじゃないかって気になっちゃうね。

 

「各自の準備もいいかな?」

 

「私はいつでも。あなたのヴィクトリアはいつも完璧ですよ」

 

「私もです。しっかり準備運動をしておきましたから、意識と体がきちんと連動しています。最高の動きをお見せします!」

 

「おお、気合入っているね。無理しないように」

 

 こちらは良しと。ヴィクトリアはともかくもう一人の助手さんは少し気合入りすぎだけど、まあ初めてのお披露目、初めてのお手伝いだからね。事前にしっかり体を馴染ませていたし、大丈夫だと信じよう。

 

「私もいい調子。さっきの試運転での動きもばっちりだったでしょ?」

 

「そうね。あの調子でお願い」

 

「任せて。度肝を抜いてあげましょ」

 

 この助手さんは頼もしいなあ。先ほど装置の試運転をした時にいくらか動いてもらったけど、伸びやかでしなやかに良く肉体が動かせていた。あの肉体にとって一番ではないけどよく適合した動きだ。一番の動きがまだ不可能な現時点では、最高に近い動きだったと言ってよさそう。見ていて気持ちの良い、思い切りのよい元気な動きだった。だからまあこっちも良しだね。後は本番でその動きができるかどうかだ。

 

「じゃあ君たちはどう?」

 

 尋ねると一人は無言で頷き、ぐっと両手を握ってやる気をアピールする。やや不安気な顔が、それでも気合に満ちていて可愛い。この子もさっきの練習ではしっかり動けていたし、基本はデータ収集が仕事だ。問題ないかな。不安気だけどね。

 

「私もばっちり。でも始まるまでこうしていたら、もっとばっちりになると思うの」

 

 もう一人は私にぴょんと抱き着いてくる。小柄な体とそれ相応のちょっとした重みがぶつかってくるけど、これくらいじゃ私は小動もしないぞ。これよりもっと大きくてもっと重い子の突撃を受け慣れているからね。片腕を回して抱き留めてあげる。

 

「んー……お披露目の際の演出的にどうなんだろう」

 

「よくないと思いますよ。こういったことはインパクトが大事なんですから」

 

「あら? お姉様ったら嫉妬しているのね」

 

「は? 誰がそんなことしたって証拠ですか。私がマスターの一番なのは確定した事実なんですが?」

 

「うふふ、必死になっちゃって」

 

「キレそう」

 

「まぁまぁまぁ落ち着いて」

 

 キャーこわーい、なんて言いながらさらにしがみついてくる子を後ろにかばう。だって誰がどう見たってヴィクトリアは嫉妬してるし。可愛い奴め。日頃私に毒を吐いたりわがままだったりするくせに、他の子が私に近づくとすぐ余裕なくすんだから。そのくせ普段の態度に自覚があるからか、自分からはなかなか甘えてこないんだよね。まったく可愛い奴よ。後でたっぷり可愛がってあげよう。

 

「むむむ……はぁ、わかりました。大人気なかったですね」

 

「うんうん。じゃあほら、ロッテも。あんまり煽らないの」

 

「はーい、ごめんなさいお姉様」

 

 私が促すとちゃんと素直に謝る。えらいえらいと、抱き着いたままのロッテの頭をなでる。サラサラの髪が指の間を通り抜けていく感触が気持ちいい。嬉しそうに目を細めてしがみつく力を強めるのも愛らしいけれど、いつまでもそれを楽しんでもいられない。そろそろ待ち合わせの、ひいてはお披露目の開始時間だ。せっかくここまで準備したのだし、ばっちり決めたいね。

 

「よーし、じゃあみんな配置について。そろそろ来るからね」

 

 はーい、と一斉に返事をして各々の準備のために姿を消していく。私のお腹に顔を埋めて抱き着いている子以外は。まあでも可愛いからいいか。これはこれでインパクトあるだろうし。さて私も準備準備。

 

 さっと手を振ると目の前に大きめの切り株が出現する。横をぐるりと回って広場の入り口、南城院家のお屋敷に背を向ける形で腰を下ろす。くっつき虫ちゃんは抱えてお膝の上だ。さっきまではお腹に顔を埋める体勢だったけど、今は人形のように足の上に乗っけて後ろから私が抱きしめる形に。あ、でもこれじゃこっちに歩いてくる時に見えちゃうな。背中を隠すように、背もたれでもつけようか。私の高い背を隠すくらいの大きさで、横はわずかに姿がはみ出して座っているのが私だとわかる程度がいいかな。

 

 そう考えるだけで背中に背もたれが発生する。切り株と同じく木だ。顔だけ動かしてちらっと見てみると、人の手が入った背もたれというよりも木が自然のまま生えてきた印象を受ける。軽く寄っかかるとやや硬いけどしっかり体を支えてくれるし、顔を横に向けるとぎりぎり後ろが見えない。つまり横顔もきちんと隠してくれている。うむ、概ね想像通り。いい具合に私の思考を読み取ってくれている。映像の選択も適切だし、反応速度も悪くない。物理演算も正常作動していると。

 

「じゃあここにいるのはいいけど、大人しくしてるんだよ?」

 

「もちろんよ、心配性ね。ロッテはレディなのよ? それにせっかくのお膝の上ですもの、動くなんてもったいないわ」

 

「別にいつだってのっていいのよ?」

 

「言ったでしょ、ロッテはレディなの。でもどうしても乗ってほしいってお願いするなら乗ってあげるけど?」

 

 顔を覗き込むとつんとすまし顔。はー、可愛い。抱きしめる腕に少し力が入る。ぎゅーってしたい。でも私が強めにギューってすると、された方の中身がギューッと出ちゃうから我慢。

 

「どうしても乗ってほしいなー。可愛い可愛いロッテを、私のお膝に乗せて可愛がらせてほしいなー」

 

「ふーん、そう? 仕方ないわねえ。そんなにおねだりするならいいわよ。可哀想だからこれからは時々、気が向いたら乗ってあげる」

 

「わー、嬉しい! ありがとうね。お礼にギューってしちゃう」

 

「やん、もう。はしたないわ」

 

 目の前で宇宙色に揺らめく髪に向かって顔を突っ込んで、わしゃわしゃとかき乱す。幼さゆえの甘さと女性特有の良さが混じって、何とも表現できない独自の香しい匂いが頭いっぱいに広がる。ついつい顔を埋めたまま深呼吸してしまう。流石に恥ずかしいのか、いやんいやんと言いながらじたばたするけど私が完全に抱え込んでいるから逃げられない。

 

 こうしてしばらくいちゃつきながら、リラックスしてその時を待った。ただいちゃついて待っている間、誰もいないはずの所から舌打ちは聞こえるし燃えるような怒気がビンビン放たれてたけどね。だから大人げないってば、ヴィクトリアはさあ。そんなに私が好きなら甘えてきたって全然いいのに、プライドが邪魔をしているんだなって。そこがまた可愛いけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

「来ましたわよー!」

 

「そんな木どっから持ってきたのー?」

 

 ついにやってきた二人がやや遠くから呼び掛けてくる。声がまだ遠いけど、ついに来たな。呼び声は聞こえているけど、インパクトを出すためにあえてまだ立ち上がらず振り返らない。まだだ、もう少し引きつけるんだ。私が今いる広場の中心近くまで、もう少しこっちだ。こっちに来い。

 

 二人の接近を待つ間にちょっとした準備をする。膝の上にのせている子を片手で抱き上げ、胸元で体に押し付けるようにして固定しておく。こうするとパッと立ち上がりやすいからね。

 

「四季じゃないんですのー?」

 

「ちょっと、そこにいるのは見えてるわよ。髪が横から出てるもの」

 

 あえて出しているんだよ。二人がちゃんと私がいると思って近づいてきてくれるように。足音がほどほどに近くなってくるまで引きつける。

 

「その髪は四季ですわー!」

 

「諦めて出てきなさいよー」

 

 真後ろというほど近くはないけど、声を張らなくても聞こえる距離。今だ。

 

 立ち上がると同時に身を翻す。素早くではない。敢えてゆっくり、余裕をもって。ここで素早く動くと忙しなくてかっこ悪い。くるりと振り向く際、純白の袖を体の動きに合わせてばさりと大きく翻して格好よく演出するのも忘れない。そのまま前に数歩出つつ、空いた片手を後ろに一振りし座っていた木を消す。

 

「来たね……」

 

 振り返って視界に入れた二人が息をのむ。ふふん。

 

 どうだい、美しくって驚いたかい。でも二人も可愛いよ。今日は二人とも休日だから、柔らかく気を抜いた感じのコーデだ。淡い色の上下で、まだ足を出すには寒いからロングスカート。清楚感あっていい。互いの服の色合いがどことなく合っていて、仲良し感もある。

 

「来ましたのよって……おぉー」

 

「へー……どうしたの、それ?」

 

「それ、じゃわからないよ」

 

「いやわかるでしょ……いやわからないか。とりあえず……」

 

 ちょっと考えるそぶりを見せた紫だけど、すぐにピッと指さしてくる。

 

「まずはその服よ、その服。どうしたの? 可愛いじゃない」

 

「ふふーん、そう?」

 

 夢華もうんうん頷いているので、二人ともが可愛いと思ってくれたのか。やったね。嬉しいのでくるりと一回転、夢華がもう一回と言いたげな顔をしていたのでもう一回余分に回る。いいよいいよ、じっくり見て目に焼きつけてね。服も自信作、着こなす私も自信作だよ。

 

「可愛い? 惚れ直した?」

 

「私、四季のことは毎日ますます好きになってますけれど……今はがっつり惚れ直しましてよ」

 

 はぁん、と喘ぐような声を出してうっとり顔で見つめてくる。熱い視線に好意が気持ちいい。もっと私を見て。もっと私を愛して。サービスとして適当にポーズをとってみる。うっふん。

 

「……うん、本当に可愛いわよ。でもさっきも聞いたけど、どうしたの急に。そんなに可愛くおめかししちゃって」

 

 紫も素直にほめてくれるくらいだから、私今日は本当に可愛くできたみたい。やったぜ。紫の視線もいつもより熱量が高い。いつもはクールぶってやや温度の低い目をしているから、こうして露骨なほど興奮が隠しきれないのは珍しいな。

 

「そうですわ! 今日は発明品のお披露目会をするはずでしたわよね。その大正ロマンで桜の嵐みたいな着物と袴が発明品なんですの?」

 

「よくぞ聞いてくれました」

 

「私もさっきからどうしたのって聞いてるでしょ」

 

「よくぞ聞いてくれました」

 

「はいはい、それで? そんな服持ってるなんて知らなかったけど、やっぱり作ったの?」

 

「ご明察! 籠ってたこの二日の間に作った物の一つがこの大正ロマン桜服よ」

 

 さらにもう一回くるりと、今度は袖をばさりと広げながらゆっくりと回って見せる。そう、今日の私は大正で桜で浪漫な着物に袴という装いなのだ。

 

 上半身には神聖さすら感じさせる純白の下地に、赤い梅や風に散る桜の花びらが描かれている着物。お腹にはいつものパーソナルカラーであるピンク、この場合は和風に桜色の帯を巻いている。この帯は後ろで可愛くリボン結びにした。さっき回った時にちゃんと見てもらえたと思う。そして下半身には巫女服の緋袴の様な真っ赤な袴。巫女服のような、というか上が白い着物なのも合わせて実は全体として巫女さんをイメージして作った上下だ。

 

 髪も今日はポニーテールというか、まとめて後ろに垂らす垂れ髪にしている。巫女さんがしている髪形をイメージして。いつもは大抵爆発させたままか、そうでなくても整えて下ろしているだけが多いから私には割と珍しい髪型だ。そして髪をまとめているのは大き目の白の特殊布で、髪の毛の束を筒の様に巻いてとめてある。その白い筒部分にはお洒落として桜の花の装飾をつけてある。

 

 ただそれだけでは私の髪は毛量が多く、ぶわっと広がる性質があるためまとまりきらない。なので一つにまとめた後、また毛先の方で今度は真っ赤なリボンで結んである。筒ではうまくまとまらなかったので、えいやとリボンでギュっとして無理やりまとめた。私の髪は私に似て強情な奴だよ全く。

 

 そして今日ばかりは頭にサイバーグラスも乗せてない。いくらなんでも合わなすぎる。いや逆に和風とサイバーの組み合わせがいい味出すなとも思ったんだけど、やっぱり今回は王道で正道な方向性でいこうと思ってやめた。今の私は完全に和風美人。髪の色は黒に染めてないけど。ここは譲れない。

 

「うーん、素敵なお召し物ですこと。手作りとは思えませんわね」

 

「そうでしょうそうでしょう」

 

 高級着物の画像データやお屋敷にある実物を借りて見てみたり、割と手間と時間をかけての一品なので嬉しい。手間と時間はこの籠り期間以外でかけたんだけどね。以前和風の服を作ろうと思って、あらかじめ見たり触ったりしてデータ収集しておいたのだ。今着ている服は実は特殊生地でできているんだけど、それをいかに高級絹で織ったかのように見せるのか。きちんと織られた和服のような色合いや触り心地、動きの感じを再現するのかとか。結構な試行錯誤を重ねて作ってきたのよ。

 

 そういうわけなので似合ってるって褒められるのも嬉しいけど服自体も自信作。この服その物を褒められるのもまた嬉しいし、ぶっちゃけ褒められたいからくるくる回って全体を見せている。もっともっと褒めていいよ。

 

「でもわざわざこの服を見せるために呼んだわけじゃないでしょ? なんか関係はあるんだろうけど」

 

「まあね」

 

「でも本当に素敵ですこと。うっとりしちゃいますわー……」

 

「後で着てみる? 夢華と紫ならいいよ。色も大きさもある程度変えられるから、後で色々試して気に入ったら試着してみたら?」

 

「え、いいの?」

 

 おおっと。紫の方が夢華より、というか普通の会話の速度からしてもかなり早く食いついてきた。実はだいぶ興味津々だったのか。かなりじっくり見ているなとは思ってたけど、そこまで琴線に触れていたとは。紫ってそんなに和服というか、和風な物が趣味だったっけ。

 

「いいよ。汚したり破いたりする方が難しいからそんな心配はいらないし、気軽に着てみて」

 

「じ、じゃあ後でね、後で。それよりいい加減聞きたいんだけど」

 

「なになに? 何の話?」

 

「その子よ、その子。ずっと気になってたんだけど、誰なの?」

 

「ようやく気が付いてくれたのね?」

 

 抱えていたロッテが私の腕をトントンと叩いて合図するので、固定を緩めてやるとぴょんと地面に飛び降りる。私の胸元だからまあまあの高さがあったんだけど、軽やかな音がする危なげない着地だ。抱えていた温もりが失われてちょっと寂しい。先ほどまで触れ合っていた胸元などがひんやりしてしまう。

 

「かくれんぼしてないはずなのに、ロッテ見えなくなってるのかなって思ってた所だったの」

 

 ちなみにかくれんぼ、というか要はステルス機能を発動すれば本当に見えなくなれる。そこまで強力じゃないからヴィクトリアか、それよりは劣るけど市販の高級高感度センサーなどでもバレてしまうけどね。別にステルスミッション用の子じゃないから、そこまで高度なステルス機能やサーチジャマーを積んでおく必要がそもそもないし。ただ子供だし、かくれんぼとかしていたずらしたいだろうなと思って付けたお遊び機能だ。

 

「お初にお目にかかります。ロッテはシャーロットって言うのよ。よろしくね、お姉さんたち」

 

 後ろ手を組んで名乗った後姿勢を正す。そしてすっと片足を斜め後ろの内側に引き、もう片方の足の膝を軽く曲げて挨拶した。背筋は伸ばしをしたままだけど頭はちょっと下げ、両手はフリルたくさんのスカートの裾を軽く持ち上げている。元々パニエで膨らませているから、ちょんと摘まむように少し持ち上げるのが可愛らしいおしゃまなカーテシーだ。そういった動作を専用に組み込んであるだけあって、大変様になっている。言葉遣いもそれに合わせてお淑やかなレディって感じだったけど、すぐに崩れちゃった。それはそれで可愛いし、そんなに畏まる人格に設定してないから仕方ないね。

 

「これはご丁寧に。私は南城院夢華と申します。よろしくお願いいたしますわ、小さなレディ」

 

「そういうことが聞きたいんじゃないんだけど……私は豊田紫。とりあえずよろしくね」

 

 ロッテは挨拶を返した二人に手を差し出し、順番に握手する。アイドルの握手会かな?私も並びたい。並んで小さくてフニフニしてて、温かくてすべすべした可愛いお手々を握りたい。

 

「うふふ、どう? キチン挨拶できてたでしょう?」

 

 握手した後振り返って自慢げな笑顔で尋ねるロッテが可愛いので、頭を両手で掴んでなで回してあげる。うりうり。フリルとリボンでお洒落なピンクのヘアバンドタイプのヘッドドレスを着けているので、その辺には注意してわしゃわしゃとなでる。髪の毛を梳き、頭皮もなでなですりすり。

 

「色々聞きたいことはあると思うけど、それはヴィクトリアからでも話してもらおうかな」

 

「はい。お任せを」

 

「うひゃぁ!」

 

「わあっ!」

 

 突如二人の背後から聞こえた声に夢華たちが飛び上がる。本当に体がビクッてなって、一瞬足が浮いてた。慌てて振り返る二人の眼前には、いつの間にか紫と同じくらいの背丈の金髪美人メイドがいた。いつの間にかって言うか、二人が広場に入ったあたりから後ろを付けていたはずだけど。見えないように足音も聞こえないようにしていただけで、実はずっと背後にいたのだ。今私が話を振った瞬間、ステルスを解いて姿を現しただけ。

 

 眩しくうねる金のロングヘアー。深い水のように静かで、煌めく水面のように輝く青い瞳。白く透き通る白磁の肌に、高貴な気品を纏う美しい顔立ち。素晴らしく豊かで美しい芸術品の如き肉体。それを黒と白のレースやフリルで豪華に飾られた、仕える者にしてはやや派手なメイド服で隠している。

 

 しっかり飾り付けていて、もうメイド服って言うかドレスの類ではという気もする。でも地味でシンプルな古式ゆかしい、ヴィクトリアンロングメイド服は嫌だってわがまま言うからこうなった。名前がヴィクトリアなんだし大人しくヴィクトリアンメイド服着なよとは思ったけど、私の趣味っていうだけだし無理強いはしないでおいた。私はシンプルでロングな方が個人的に好きなんだけどな。

 

 ただヴィクトリアって顔どころか全身派手だから、シンプルだと逆にミスマッチしたかもしれないとは後から思った。そう考えると結局この派手めな方でよかったのかな。ロングのスカート丈は死守できたしね。ロングスカートに潜り込んでこっそりいたずらしたい。

 

「おはようございます」

 

「え、あ、お、おはようございます……」

 

「お、おはようございます……え、誰? どこから? いつの間に? あええ……?」

 

 めちゃくちゃ困惑している。誰ってヴィクトリアだってば。今言ったじゃない、ヴィクトリアからって。まあそんな所まで理解が間に合ってないんだろう。いきなり真後ろから人の声がして、振り向くと見たことない美人が立っていて挨拶してくるという結構な異常事態だから仕方ない。それを狙ってわざとロッテ以外のみんなには姿を消してもらっているんだけどね、ぬへへ。ドッキリ大成功って感じかな。でも今日のお披露目はまだこれからだ。さらにびっくりさせちゃうよ。

 

「驚いているところ悪いけど、そろそろ始めるからちゃんと見ててね」

 

「始めるって何を?」

 

「ちょっと待って、落ち着かせて」

 

「ダメだ」

 

「そんなぁ……」

 

「いったい何が始まるっていうんですの?」

 

「ス、スーパーバトルアクション、ですぅ!」

 

 明らかな演技、裏返った声のひどい棒読みだけどまあいいか。この子はあまり大きな声を張れる人格じゃないし、こうなるだろうなとは思ってた。リハーサル時点でも棒読みだったし、最悪噛んで言い切れないとまで思ってたし。その予想に比べたら棒読みや裏返りは全然まし。声量もちゃんと出てるしいいんじゃない。頑張った頑張った。出だしはいいよ。

 

 夢華たちに背を向けて数歩前に出て、ロッテにも下がってもらい待ち構える。そして発声の出来栄えを評価する私の目の前に、突如朝の日差しに鈍く光る大剣を振りかざしたメイド服の少女が出現する。私の頭より高く飛び上がった状態で剣を担ぐようにして現れ、そのまま戸惑いなく私に向けその大剣を袈裟懸けに振り下ろす。うむ、いい剣筋だ。

 

「四季っ!」

 

「あ、あぶっ!」

 

「ふふん」

 

 いきなりのことながら、私が危ないと咄嗟に声を上げる二人。心配されるのって嬉しい、でも大丈夫だって。私始まるって言ったでしょ。これがそうだよ。

 

 そんな言葉の代わりに左の腰あたりに鞘に入った日本刀を出現させ、掴むと同時に逆手で左下から右上に振り上げる。ガンッと重い音。その印象通りの重さが一瞬腕に圧しかかり、衝突の衝撃が骨身にずんと叩きつけられる。代わりに横腹を打たれた大剣が、持ち主側に押し戻されつつ斜めに逸れていく。腕にかかった重さや衝突の衝撃が、振るわれた剣が玩具ではないと証明している。

 

 実際玩具ではない。だって作ったの私だし、それくらい知ってる。刃は必要ないから潰しているけどね。とはいえあの重さと硬さでまともに当たったら、骨も肉もぐちゃぐちゃに潰れてなめろうになってしまうぞ。

 

「やっ!」

 

 弾かれた大剣はそれでも私の少し横の空間を空気をひき潰す音を立て、不格好に剣筋を歪めながら通り過ぎる。そして意図せず横に流れた大剣の重さに引っ張られ、バランスを崩しながらメイド服の少女が着地。それに合わせて一歩踏み込むと、逆手に持って振り抜いたままだった鞘付きの刀を今度は真横に振り抜く。

 

「っ!」

 

 少女が咄嗟に剣を盾代わりに構えた。直撃。再び硬質な音共に鞘と剣がぶつかる。バランスを崩していた少女は直撃は防いだものの、体勢が悪く勢いに負けて後退する。よろめいたところで押し込まれたせいで足をもつれさせている。けれど後ろに押し込まれながら、何とか体の制御を取り戻して大きく跳躍する。人二人分ほどの高さを飛び、着地するまでの間にぐるりと伸身宙返り。大剣の重さを利用して、勢いよく剣を振った反動で逆に軸を安定させる。ぶんぶんと回転して空中でバランスを整え、着地へと向かう。身軽な動きだ。

 

 ただそんなの黙って見てはいない。

 

「シィッ!」

 

 再び腰位置まで刀を戻す。基本姿勢だ。そして少女の動きを観察し、空中から着地する瞬間を見計らい一気に踏み込む。防いで下がり、飛び退いて下がった分の距離を埋める大きな一歩。基本姿勢からやや上体を倒し、その状態で滑るように移動する。一歩踏み込んだ足がつかない、実は踏み込み足どころか両足が浮いたままの状態で飛び込む。

 

 高い跳躍と大剣を振った反動でさらに開けた距離をたちまち埋める。腰の鞘を片手で抑えもう片手で刀を握った居合の姿勢から、上半身をやや倒しながら抜刀。再び切り上げ、しかし今度は順手で握った刀による切り上げ斬撃だ。踏み込みの力と加速が腰を通じ、体の回転を利用して増幅される。

 

 解放。

 

 ギィンと鋼のぶつかり、擦れる音が耳を貫く。

 

「うぅっ」

 

 と呻きを上げて少女の体が斜め上方向に流れる。咄嗟に構えたままの大剣を突き出し防ごうとしたので、その剣を抜き打ちで下から掬い上げるように打ち上げたのだ。長く幅広で重い大剣ではあるけれど、勢いと私の筋力があれば弾いて打ち上げるくらいはできる。でも流石に重くて硬かった。手がちょっと痺れる。

 

 けどぶつかった衝撃や痺れは片方だけに起きるものじゃない。目の前の少女も同じように痺れ、衝撃で体は流れている。先ほどのようにすぐに体勢を立て直せていない。そして少女は重たく巨大な剣でこちらは細身の刀。どちらが体の制御を取り戻すのが早いかと言えば、当然私だ。

 

「はぁっ!」

 

 刀を振り抜いたことで上方に開いていた体を戻すようにして、右上から左下にやや横気味の袈裟に切り下す。ただ間合いが近く順手では切りにくいので、振り下ろす前に持ちを逆手に変える。そして刀の向きを変え、体に引き付けるように振り下ろした。これなら開いた体を戻す力や前にかかった体重を引き戻すことで、狭い距離でも十分な加速を得られる。斬撃とは速度だ。

 

 再度ギンッと鋼が打ち合う硬質な音がして

 

「あぅ……」

 

 少女の呻きと共に大剣はその手からすっぽ抜けて宙を舞った。一応勝負ありっていう所かな。ただ意外なガッツを見せて素手で立ち向かってくる可能性も無きにしも非ず。剣が手から離れたら決着、と決めていたわけじゃない。まあこの子の性格からしてないとは思うけど。それでも念のために数歩後退し、少女の動きを観察して残心しながら納刀。逆手に振り下ろした刀を正面に戻し、逆手のまま鞘に戻していく。

 

 刀は黒塗りの鞘に滑らかに収まっていき、チンと鍔と鞘が触れて金属音がした。そのすぐ後、それと比較にならないほど大きく重たい音を響かせて大剣が地に落ちた。ズンッと地面から骨に伝わるような音と、ゴォンと分厚く大きな鐘でも突いたような響きが同時に聞こえる。

 

 やがてその鐘の響きすら収まって、静寂が場を支配した。穏やかな風がふわりと吹き、立ち尽くす私たちの髪を揺らしていた。

 

 

 

 

 

 

 剣は落ち納刀も完了して、音の名残すら消え果ててもまだ少女は動きを見せない。万が一に備え、やや腰を落としていつでも動ける戦闘態勢で警戒はしてた。だけどこれはもう試合終了と見てよさそうだよね。

 

「まいった?」

 

 一応確認のため聞いてみると、まだ手や体が痺れるのか、中途半端な位置にある腕や握りかけた手を小刻みに振動させながら無言でフルフルと頷く。

 

 そうか、終わりか。終わりなら終わろう。手に持っていた鞘に収まった刀を腰につけて、即座に動けるよう待機していた力も抜いて戦闘態勢を解く。

 

 短い一瞬の攻防だったけど、自分の体を動かし重い武器を振るって打ち合う。衝撃や重み、踏みしめた地面の感触。衝突による痺れ。ゲームとはやっぱり違うこの実感よ。楽しかったなあ。でもこの子には無理させちゃったかな。

 

「大丈夫? ごめんね、メディ。怖かったね」

 

 目の前でフルフルしている少女に近づき、労わりの意を込めて頭を撫でる。元々このメイド服の少女、メディは戦闘用ではない。ぎゅっと抱き着いてきた頭が私のお腹の下部分に来るくらい小さい女の子だ。夢華よりも小さいし、顔や体も思春期入るかどうかの子供のものだ。そんな子供相手に戦ったのかと思うと、今更ながらに申し訳ない。許して。

 

 私も抱きしめ返して、よしよしと頭を撫でる。この子は穏やかで控えめ、ちょっと頑固で凝り性な面もあるけど、基本的に大人しい少女だ。戦いのできる性格じゃない。それでもいざという時のために幾らかは戦闘ができるよう、戦闘プログラムも内蔵してあるし体もそのように作られている。それでも本人の人格自体が戦闘に向いていない以上、無理強いするようなことではないよね。

 

 今回は主に戦闘時の動作確認として実際にプログラムを起動し、お披露目前の練習も兼ねて動いてみせてもらった。ただ確認はその時にすんでたんだ。けれどせっかく確認用とは言え実際に起動したんだから、夢華たちへお披露目するのもいいかなと思ってやってもらったんだけど。

 

 でもうん、失敗だったかな。いや一応練習ではないけど実戦でもない試し合いとはいえ、ちゃんと真剣に動けるかは確認しておきたかったし。無意味に無理強いして怖がらせたわけじゃないし。必要なことではあったんだよ、間違いなく。ただもうどうしても必要な時以外はやめてあげよう。無理やりはダメ、絶対。

 

 練習時に実際に打ち合っていた時は、そこまで拒否反応はなかったんだけどな。やっぱり命のやり取りをするような実戦ではないけど、試合程度には真剣味が増したせいかな。練習と本番の違いって言うかね。私が良さを感じたのはまさにその部分であるわけだし、その緊張感が負担だったかな。

 

「ごめんね、もうしないからね。あとは打ち合わせ通り、向こうで機材の稼働データと私たちの試合データを取っておいてくれればいいから」

 

 ただまあ予想以上に怖がらせた、かはわからないけどショックを受けた様子だ。なのでごめんね、ともう一度だけ謝って頭や背中をポンポンする。装着しているホワイトブリムに当たらないよう気を付けながら、ブルネットの髪に指を通し上から下へと往復する。

 

 何度かそうしているとやがてこくこくと無言で頷く感触と、ぐりぐりと押し付ける動きをお腹から感じる。じんわりと接触部分だけ温かい。紺のメイド服に包まれた小さく細い背中をなでなでしてあげると、ようやく背中に回していた腕を解いてメディが私から離れる。涙を流せる体だけど泣いていたわけではなさそうだ。お腹は濡れていないしメディの目元も濡れていない。ただ抱き着いていたのが恥ずかしいのか、真っ白な肌が赤くなっている。黒にも見える紺の瞳を覗き込まれて伏し目がちに恥じらい、スカートの裾をぎゅっと握る姿が大変に愛らしい。

 

 じゃあもうお行き、と背中をとんと押したんだけどメディが動かない。一、二歩前には歩いたもののそこで立ち止まって少し振り返り、私を見つめている。何なに、何が言いたいの。私も見つめ返す。

 

 しかしこうして見てみると、本当に可愛くできた。一見真っ黒だけど光の加減とかでは青っぽくも見えるブルネットのおかっぱ髪。美人というより素朴で愛らしく整った小さな顔。本人の控えめな性格もあって地味に見えるけど、よく見るとすごい可愛い。そんな感じの顔立ちだ。表情はちょっと乏しいけど、無表情ではないというこのバランスも良い。

 

 メイド服も黒じゃなくて紺にして正解だった。この顔や髪や雰囲気とかから黒だと暗くなりすぎると思ったんだよ。逆にヴィクトリアはあの長い金髪に白い肌に輝く碧眼で、黒が絶対映えると思ったから黒にした。メイド服自体もあの派手さなら服が地味だとちぐはぐになると思って派手めに仕立てた。

 

 メディの場合は派手にすると絶対に合わないから、あえてのシンプル。紺の膝下ロングワンピースの上に白いフリルエプロン。メイドの定番スタイルだ。すとんとしたエプロンじゃ寂しいから肩や裾にフリル付けたけど、後はあまりフリフリにしない。その方がメディの素朴な愛らしさが引き立つ。何でも派手や洗練が良いわけじゃないよね。地味なのは地味なのでいい。

 

 スカート部分は少しふわっと広がる形状になっている。しかも中にペチコートを着せることで動きやすくしてあり、メイドとしての業務から今みたいな戦闘だってこなせちゃう。メイド服は根本的には作業着みたいなものだし、動きやすさには重点を置かないとね。頭にのせたホワイトブリムもこれだけ動いても乱れていない。いい感じに固定できているね。頭のこれが動くとうっとおしいだろうから、きつくなくでも動かないように工夫したのよ。動き回るメイドに頭の上の物を落とさないようにっていうのは無茶でしょ。でもやっぱりメイドさんにはこれと白いボウタイ襟がほしいよね。最低限ホワイトブリムはほしい。メイドのトレードマークですよ。

 

 それにしても動かないな。もしかしてどっかに動作不良でも起こしたかな。今はサイバーグラスしていないから、内部不良だとちょっとわからないぞ。赤い顔して俯いてもじもじしてるから、まったく動けないわけじゃなさそうだけど。どうしよ、とちょっと焦ったけどその焦りはすぐに解消した。数歩先に出たメディが私を見て、そっと小さな手を差し出していたからだ。なんだそういうことか。一緒についてきてほしかったのね。その証拠に私が横に並び手を繋ぐと、ようやくメディもまた歩き出した。けどすぐに私が止めた。

 

「あ、ちょっと待ってね」

 

 いかんいかん忘れてた。歩き出した途端に思い出したのでまたメディに待ってもらって、少し離れた所に落ちていた大剣を取りに行く。回収しておかないと次の邪魔になる。小走りで近寄って柄を掴むと、ずっしりとした重みがかかる。うーんやっぱ重いね、これ。私でも片手で持つと重みを感じる。長さは刀と似たようなものだけど、剣身が広く分厚いために重さは刀より遥かに重い。私だとこの剣は片手両手どっちでもって感じの長さと重さだ。片手で扱えないほど重くないけど、両手で振った方がよさそうな重さで。でも私の両手持ちには短いというね。

 

 それにしてもこの剣重いけど、玩具じゃない本物だぞと主張するこの重量感が格好いいわ。刃を潰しているとはいえ本当に金属でできたやつだからこそだ。

 

 そんな物を持ったまま歩くと邪魔なので背中に背負う。ひょいと背中に回して位置を調整すると、抜き身の大剣はそこに鞘があるかのように固定された。リュックサックとかについている空中固定機能のおかげだ。ただしリュックとかの場合はそれ自体についているけど、今の場合は私の服にその機能がついている。今腰に差している刀も同じようにその浮遊機能で腰に固定していた。この服はそういう所も特別性なのだ。ただの綺麗なおべべじゃないのよ。

 

 なお刀は別に腰に挟んでいても良かったけど、挟んでいると帯から抜く動作が必要だからね。さっきみたいに迎撃で使うには不利だ。その場合は鞘ごとではなく、いきなり抜刀しなきゃだった。

 

 剣を背負ってから戻るとメディが

 

「あっ」

 

 と小さく声を漏らした。そうだね、忘れてたね。焦り顔をして持ちます、と両手を差し出してきた。それに手を振って断る。もう背負っちゃってるからいいよいいよ。代わりに差し出された手の片方をきゅっと握ると、何やら呆然としているように見える夢華たちの方へ歩き出す。メディは抵抗なく大人しくついてきた。

 

「どうだったー?」

 

「あ、ええ、そのぉあんまり……あんまり……」

 

「ぶっちゃけちゃうと、一瞬だったから何が何やら全然わかんない。まったく頭が追い付かなかったんだけど」

 

「そうなのかー……」

 

「で、でもなんだか格好良かったですわ!」

 

「ほんと。マスターとっても素敵だったわ」

 

「ふふん」

 

「私一応、説明はしたんですよ」

 

 目を泳がせている夢華と、もう全然わからんと堂々としている紫。ヴィクトリアにちゃんと説明したの、と視線をやると無表情で言い訳する。事前に打ち合わせていた通りに、説明をするだけはしたらしい。ただ紫の言うように二人にとっては突然のことが続いたからね。脳の処理が追い付かなかったんだろう。そんな時に説明しても脳の中を素通りしていくだけだから、聞いても理解できなかったんだろうな。仕方ないか。許してあげよう。

 

「……まあいいか。まだわからなくてもいいよ。今のは挨拶代わりの軽いジャブみたいなものだからね」

 

「えっ」

 

「まあ、そうでしょうね。こんな所に呼び出すくらいだし、まだ何かあるだろうなとは思ってた」

 

「どこまで説明したの?」

 

「私が正真正銘、あのヴィクトリアだというところまで」

 

「それだけかい」

 

 全然説明して、ないじゃん。

 

「それだけわかれば、後は連鎖的にたどり着きますし。それにそもそも今の短い攻防では、それほど長々と説明する時間はありませんでしたよ」

 

「んん、それはそうね。じゃあこのまま続けて頭がショートしちゃったら見せ損だし、簡単に質疑応答の時間を設けよっか」

 

「そうね、その方がいいかも。お姉さんたちってば、もういっぱいいっぱいみたいだもの。大人なのに情けないのね」

 

 ロッテが悪戯っ子な表情で、ププッと口に片手を当て嘲笑する。

 

「んなっ!」

 

「そんなに脳みそよわよわの雑魚雑魚で大丈夫? ロッテ心配になってきちゃうわ」

 

「うぐぐ、何なんですのこの子は!」

 

「まあまあまあ落ち着いて」

 

 ロッテも何でそんな挑発的なのよ。でもちょっと馬鹿にしたような、おませな小悪魔系の顔が正直たまらない。あーロッテちゃん可愛い。

 

 けどほんとこの後どうしようかな。

 

 私の後ろに回り込んで隠れるロッテ。背中にしがみつきつつ、少しだけ顔を出して煽る。クスクス、と鈴の鳴るような可憐な笑い声が耳にくすぐったい。それを聞かされて、捕まえたいのか手をワキワキさせながらムキになって言い返す夢華。その間に挟まれて空を仰ぐ。まだお昼には遠く日差しは強くなり始めで、暖まっていない空気の一部が涼やかな風となって私の前髪を揺らす。すうっと通り過ぎるその爽やかさが、先ほどの一連の戦いで火照った体を冷ましていく。うっすらおでこに滲み出た汗が気化して頭を冷やしてくれる。

 

 あー、気持ちいい。ヴィクトリアと紫は何事か話し合い始め、助けを求める私の視線に気づいたら刹那で目を逸らされた。メディはまだ私の手を離さないけど、何か言うこともない。つまり助けにはならない。ただロッテと夢華はまだ何か言い合っていて、でも二人とも声が楽しそうだ。たぶんこの二人はひとまずそういう関係を構築したんじゃないか。なら焦って割り込んだり、止める必要はないだろう。ちょうどいいから夢華たちが頭を整理する時間も兼ねて、もう少し好きにしておいてもらお。

 

 目を閉じると微かに清涼な午前の風を感じる。色々諦めた私は、その爽快さを味わいながら今後の予定に思いをはせた。




毎日更新どころか一週間以上遅れで恥ずかしか


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異常に丈夫なよくある刀

私は思い出にならないので初投稿です


 フルートかな、たぶん。静かな笛の音と共にヴァイオリンの音が流れてくる。戦闘用の曲として選んだにしては静かな曲だけど、これで本当に盛り上がるのかな。

 

 高い建物の上に立ち大太刀を片手に握り戦闘開始を待っていると、聞いたことがない曲がどこからか流れてきた。ヴィクトリアたちが昨日の内に選んで装置に登録した戦闘時のBGMだ。いくつか登録したと言っていた内の一つを、稼働データをとるために装置の操作をしているメディが選んで流している。せっかくのお披露目会なんだし、BGMもつけようかなと思って頼んでおいたのだ。だってゲームやアニメじゃ必ず戦闘シーンには曲がつくからね。私がこの装置やそれを利用した試合を新しいゲーム、あるいはスポーツとして推すなら必要だろう。

 

 他の建物の上で何やら話し合っている三人を見つめる。まだかかるかな。本当は一人ずつ戦う予定だったから、この三対一戦を始める前に短時間の作戦タイムを上げたのだ。あのまま連携のできない三人と私一人じゃ一方的な戦いで終わっちゃう。ある程度見栄えが良く派手に戦わないとデモンストレーションというか、プレゼンというか。とにかくこの装置を使っての新競技の売り込みにならない。だから曲は流すし作戦タイムもとらせるし、今立っているような建物も立てる。

 

 今私が立っている三階建て程度の高さの建物も、私のよりも一階ほど高い話し合い中の三人の建物も。周りの他の建物も、全ては売り込むシミュレーターにより生み出されたものだ。立てるし触れば硬くざらついた触感もあるけれど、それは疑似的なものにすぎない。ぐっぐっとブーツで足元を確かめるけど、しっかりした硬い感触が返ってくる。戦いの足場にするだけの強度はあるとみていいだろう。灰色のコンクリートのようなこの建物。我ながら、これが幻影にすぎないとはそうそう信じられない出来だ。これだけ感触がリアルなら、踏み込みも跳躍も通常の地面と変わらず行えそうだ。こういう些細な感覚にズレがあると、戦いにおいて思わぬ致命的なミスを招くかもしれないからね。確認は入念に。

 

「ふふん……さあ、どうくる」

 

 太刀を片方ずつ持ち替えながら、肘の手前ほどまである籠手をぎゅっと嵌めなおす。先ほどは不意打ちされるという段取り上付けていなかったけど、今はしっかり手の甲まで覆うものをつけている。茶色の革製のように見える、指貫グローブのような指部分は露わになった造りだ。この上から金属製の装甲でもつけようかと思ったけど、腕や手の操作から繊細さを奪いかねないと思ってやめた。そもそも籠手を盾代わりにして防ぐ戦い方は、刀を使う和の戦い方ではないなって気もするし。それにこの分厚い革の感じが無骨で好き。綺麗な着物にあえて武骨な戦道具、みたいなデザインの合わせがいい味出していると個人的には思うんだよね。メイド服に大剣とか、そういう日常と武器みたいな組み合わせが私って好きなのかしらん。

 

 あの後夢華とロッテが追いかけっこを始め、紫からは頭が追い付かないからとお願いされ、結局一度落ち着くまで待つことになってしまった。そして頭が追い付かないって言うし、しばらく待った以上ドッキリを継続しても仕方ないしで軽く説明することになった、残念ながら。最初のメディの感じで助手たちには姿を消してもらい、順番に現れて切りかかってくる感じでいこうと思ってたんだけどね。そして激しく派手な戦いを見せればインパクト強いかなって思ってたんだけどな。なかなか思うようにいかないものだね。

 

 そんな時間があったから私もキチンと戦闘準備をすることにしたのだ。不意打ちを装うのでなかったら、その方が見栄えがいいだろうし。そのための籠手であり、そのための鉢金だ。鉢巻きのおでこ部分に鉄板を仕込んだような、鉢金と呼ばれる頭防具を頭に巻いてきた。防御力なんかないようなものだけど、さっき動いたとき思ったより横の髪が動いたし押さえるのにいいかなと。桜色の布に金縁の刺繡をしたデザインで、可愛くかつかっこいい感じになってる。せっかくのお披露目なんだし、普段絶対しないゲームキャラみたいな恰好をしたっていいよね。

 

 

 

 

 

「一手馳走仕る!」

 

 後ろの曲が他の楽器も混ざって賑やかで音も大きく激しくなってきた頃、段取りが決まったのか一声鋭い声が飛んできた。子供というほど幼くはない、けれど大人ではない。この声、斑雪か。

 

「来なさい」

 

 右手に大太刀を持って、あえて構えない。だらんと垂らすようにして自然体で相手を見た。どう見ても長い日本刀を片手で持ち、構えを取らず自然体でいるのは強キャラの証だからね。

 

 声を発した斑雪がまっすぐこちらに突っ込んでくる。向こうの建物の方が高いから重力も乗り、かなりの加速で一直線に迫ってくる。思い切りのいい突撃だ。刀身まで白い刀を横にして後ろに引き、力を溜めた姿勢で跳んでくる。あの加速を全部乗せた横薙ぎの一閃か。あるいは袈裟切りに移行するか。どうくるにせよ重そうな一撃だ。

 

 銀と桜のショートボブの前髪から、強い戦意に満ちた青空の両目が覗いている。いつもは右目を髪で隠しているから、両目とも出ていると新鮮で可愛い。ぐっと引き締まった口元も、凛々しくて素敵だ。

 

 ただこれは三対一の複数戦。残りの二人は、と後ろにも目をやる。白銀の毛が眩しい長身が、私は動いていないのに小さくなっていく。カモイは遠距離戦に専念する気だな。あの三人の中で遠距離戦も上手にこなせるのはカモイだけだ。悪くない。となるとロッテは中距離だな。ロッテは話し合っていた場から動かず、武器である自分より大きな大鎌を体の前に立てている。その体を光る帯が複数取り巻き、円を描いている。あからさまに魔法を使いますよというエフェクトだし、実際使う気なんだろう。中距離射撃で援護する気か。けどまずは。

 

「やあぁっ!」

 

「ふっ!」

 

 ギィィィンと鋼のぶつかる甲高い音を立て、斑雪の体が停止する。本体が止まってもその黒いバトルスーツに包まれた大きな胸は止まらず、ポヨンポヨンと飛び跳ねている。たまらないわがままおっぱいめ。毬の様に弾む大きなおっぱいの持ち主が横一閃に振るった白い刃は、逆手に持ち替えた大太刀の刃で受け止めた。私は一歩も動かなかったものの、衝撃を逃がした足場にはクモの巣のようなひび割れが走り少し陥没してしまった。あぶなっ、もうちょっと勢いが強かったら足場が崩れて落下してたかも。勢いを下方面に逃してたらまずかったな。斑雪の攻撃も横振りでよかった。

 

 普通の日本刀なら圧し折れるだろう衝撃だったけど、こういうゲーム的な長い日本刀は無茶しても折れない物だからね。そう決まっている。しかしそれでも流石は私製大太刀だ、何ともないぞ。本来的な刀の扱いなら受け止めるのじゃなくて、かわすかいなすところ。でも見栄えで言うならやっぱり一度は受け止めるべきでしょ。普通なら折れるのに折れない武器に、突撃を受け止めても一歩も動かない持ち主。これが強キャラムーブですよ。流石に片手じゃ無理だったから、もう片手で太刀の峰を押さえて支えたけど。

 

「い、一歩も動かず……!?」

 

「はっ!」

 

 そのまま体で押し込んで支えつつ順手に持ち替え、斑雪の刀を腕ごと跳ね上げる。そして素早く両手持ち。互いの距離が近いので退きながら逆胴、左の腹から入る横薙ぎを放った。さあ、これはどうする。

 

 斑雪の上体は跳ね上げられた刀に振られて伸び切っている。今から下には避けられないぞ。上かな。でもそんな状態では跳べもしないでしょ。それとも後ろに下がるか。私の大太刀は結構なリーチがあるけど間に合うかな。どうでるの。

 

「くぅっ!」

 

「っ!」

 

 鋼の打ち合わさる音が響いた。つまりは防がれた。これは驚き。

 

 避けきれないと悟った斑雪が、くるりと背中を向けたのだ。打撃への防御なら腹より背中、それは間違ってない。でもこれは斬撃だよ、どうする気かと思いながら刀を振ったらこれだ。

 

「替えの武器ね……!」

 

 背中に背負っていた、斑雪のおっぱいとお尻の割に細身な体ほどありそうな幅広の大剣が私の斬撃を防いでいた。さっきまではなかったってことは、隠していたのか。今生成するのは無理だから、それしかない。しかも私作った覚えあるやつだ。この建物とかと違う、ちゃんと実体のある剣だ。その艶消しの黒い鋼のちょうど中ほどに私の刃が当たっている。ならばこうするまで。

 

 そのまま振り抜く。

 

「あぁっ!」

 

 のけ反った体をますますのけ反らせ、突撃してきたのと同じくらいの速度で斑雪が吹き飛んでいく。その先を確認する暇もなく、今度は紫色の炎が弾となって複数飛んできていた。斑雪の相手をしている間にロッテが詠唱していた魔法攻撃だ。ご丁寧なことに斑雪の体に隠すようにしていたので、体をどけるまで見えなかった。でもちょうどいい。足場も悪くなっていた所だし移動しよう。紫の尾を引いて迫る炎をかわして走り出した背中側で、何かがぶつかる轟音が響いていた。

 

 

 

 

 

 建物の屋上を駆ける。長方形の屋上の、短い辺側を一気に横切り跳躍。一階高い隣の建物に飛び移りつつ、大太刀を振るい炎を断ち切って消滅させる。高速の剣が生む斬撃と衝撃が追尾してくる炎を次々散らしていく。最初に放たれたのを確認した炎を全部消しても、次から次へと次弾が襲ってくる。ちらりと見たロッテは未だ詠唱の姿勢を崩していない。その周りをぐるぐる回っている光も変わらずだ。

 

「鬱陶しいね……!」

 

 その体の横の空間には燃え盛る巨大な紫の炎が。ロッテよりも大きいそれからどんどんと私の拳大の炎弾が発射されている。ロッテが詠唱を止めない限りあの炎にエネルギーが供給され続け、この攻撃も終わらないってことか。切った感触ではそれほどのダメージ、少なくとも物理的衝撃は少なそうだけど、どうかな。連続してぶつけられたら痛いだろうし、炎にしか見えない以上当たると燃やされそうで嫌だな。炎上や火傷も再現するようにできているから、服に火がついたりすると面倒なことになる。

 

 次の建物、その次の建物と走りながら太刀を振り回し炎を消していく。元の広場に市街地めいた幻影を作っているだけなので、あんまり端に行くと移る建物がない。なので適当な建物の広い屋上を使い攻撃を切り払い、その隙に折り返して元の位置へと戻るコースをとる。どの道こうしないとロッテに近づけない。するとだんだん追尾が追い付かなくなってきたのか、直撃しそうな弾が減ってきた。走り回りながらちらりと横眼で窺うと、ロッテの横の炎の大きさが縮んで見える。さっきから鬱陶しい量を飛ばしてきているから、射出もエネルギー供給も追いつかなくなっているのかな。まあでも一瞬で前衛が無効化され、自分じゃ私と近接で競うのは無理とわかっていれば近づけないようにするしかないか。とにかくチャンス。

 

「はぁっ!」

 

 ちょうど元の建物の隣まで戻ったところで弾を切り払うのとは違う、より強い力を込めて太刀を振るう。すると細く長く青い線がロッテ目掛けて空を走った。飛ぶ斬撃ってやつだ。刀使いならこれはできないといけない、ほぼ必須技だ。その作品の世界観にもよるけどね。

 

 それを横薙ぎで連続して放つ。縦だと建物を破壊してしまう。破壊しても別にいいんだけど、破壊の際の粉塵で視界を切られるのは良くない。走っている時に見えたけど、今いる建物の横方向に見えた建物には穴が開いていた。人間大の穴だ。斑雪が激突して開いたんだろう。でもそこに開けた本人はいなかった。かと言って今走り回っていた時にその姿は見ていない。

 

 この建物はみんな幻影で、今回内部までは作り込んでいない。あくまで高低差を利用して派手さを出す為だけの、要は足場だ。建物の見た目をしているのはサンプルがその辺にいくらでもあり、一番簡単に外見モデルを作れたからに過ぎない。ただの棒が立っているだけでもかっこいいかもしれないけど、やっぱり少し味気ないからね。そんな建物だから内部に潜んでいるとは考えにくい。かと言って上で見ていない以上、いるのは下だろう。私の隙を窺っているのか、カモイと合流して一度立て直すつもりか。あるいはダメージが大きくて少しでも回復に努めている可能性もある。

 

「きゃんっ」

 

 ともかく思惑と位置が把握できない前衛がいるので視界を妨げるのはまずい。でも合流されても面倒。大気を切り裂き飛翔する斬撃に襲われて、ロッテが悲鳴と共に吹き飛ぶ。咄嗟に体の前面に出していた大鎌で直撃は防いだか。けれど体重が軽い分どうしたって踏ん張りは弱い。追撃の斬撃も何とか武器で防ぎながら後方へ吹き飛んでいくのが見える。これで無効化できればよかったんだけど、やっぱりこれだけじゃ無理か。しかもそう遠くないけど距離とられちゃった。

 

 それでも斬撃を受けたからか、ロッテが詠唱を中断させられたからか。鬱陶しい炎の塊は消滅した。あの炎の魔法を解除できただけで良しとしよう。カモイの妨害がいい加減きそうだけど、立ち止まって見ていても仕方ない。追撃をかけて、できるようならそのまま始末するか。近距離も中距離も戦える相手は早めに消したい。

 

「わっ、と」

 

 追撃しようと屋上から吹き飛んだロッテを追うように跳び出した途端だった。直径が私の背より大きい、青白い光の束が斜め前方から飛んできた。

 

 回避。

 

 咄嗟に空を蹴り、無理やり真上に跳ね飛ぶ。そこに更にもう一本追加の光線が飛んでくる。今度は前方に落ちるように空を蹴り、斜めに落下してかわす。当たったら絶対痛いですまない威力の、高威力遠距離狙撃。斑雪とロッテが時間を稼いでいる間にチャージしてたわけか。連続して二発放てるだけのエネルギーを充填するために今まで援護してこなかったと。そして後はタイミングを見計らって狙撃。実際いいタイミングだったよ。空中に浮いている間はどうしても地上よりは自由を失う。それにカモイはまだチャージ中か、あるいは斑雪との合流狙いかもとも思ってた。もうチャージ終わってたか。

 

 ロッテのいた屋上に着地する前に、体ごと一回転して飛ぶ斬撃をカモイのいるであろう砲撃元へ放つ。回転により加速した太刀を一閃すると、太刀筋とは明らかに違う角度の線も含む複数の斬撃が空を疾走した。一振りしただけで複数の剣閃が走る、よくあるあれだ。一振りしかしてないのに、とか速すぎて振ったことすらわからなかった、とかそういうの。といってもこればかりは私でも無理。刀を見えない程速く振るのは何とかなっても、振るう腕さえ見えないのは物理的に無理だわ。もしできてもそんな速度で腕を振り回したら体壊れちゃう。

 

 素の身体能力が高い私にこの装置での能力アシストを加えてもできない。仕方ないので編み出したのが、この一振りで複数の飛ぶ斬撃を生み出す技だ。ロッテがしていた魔法と同じで、あれは詠唱ポーズとって魔法陣が出てというプロセスだった。これは私が剣を振るだけのシンプル動作で、炎の代わりに剣閃を生み出している。剣圧とか斬撃を飛ばしているんじゃないのかインチキだ、と思われるかもしれない。けどそもそも物理的には斬撃は飛ばないわけで。複数の斬撃も一回の斬撃も、振った角度や軌跡に沿って飛ばないだけの違いしかない。なので許して。

 

「やぁぁぁっ!」

 

 カモイに当たらないだろうけど牽制の斬撃を放って着地した直後、今飛び越してきた後ろから裂帛の気合と共に斑雪が打ち込んでくる。気づいてたよ。さっき一回転して斬撃を放った時に、ちらりと下の道路からこちらに向かってくる姿が見えていた。見えていたから備えは万全。あえて背を向けて誘い出した。

 

「不意打ちは静かにね」

 

 後退しながら振り返りざまに横薙ぎ。首狩りを狙った一撃を、体を前に投げ出すようにしてかわされる。驚愕の表情を張り付けた顔が蹴りやすい位置に降りてきたので、思い切り蹴りつける。

 

「うっ!」

 

「やるね」

 

 間一髪で刀を握った両手から片腕を離して防がれた。蹴りとはいえ私の蹴りだ。顔や頭あたりに当たれば一撃で戦闘不能にもできたろうに、惜しいな。自分の突撃による加速と私の蹴りの威力の板挟みで、もんどりうって斑雪の体が転がっていく。黒い前の開いたスカートと前垂れがめくれ上がり、中のハイレグレオタードの一部が見えている。黒の中にキラリと光る白い生地が眩しい。斑雪は網タイツとスカートの間のむっちり太ももや白いハイレグを見せつけながら転がり、そのまま屋上の縁を超えて落ちて行った。またの挑戦をお待ちしております。

 

 落ちるのを見届けていると後ろで軽く小さな跳躍音。振り返りざまに片手で振った太刀で大きな鎌の湾曲した刃の根元を弾く。ぐっと腕を伸ばして弾いたから良かったけど、伸ばさずに受けていたら鎌の先が当たっていたかもしれない。これだから鎌って嫌なんだよね。曲がった刃の部分を弾こうとすると、刃の湾曲によってこちらの刃が滑って弾き損ねたりするし。扱いにくいけど扱われると面倒くさい、敵だと強いけど味方だと弱いキャラみたいなやつだ。

 

「やっ!」

 

 弾かれた反動をロッテは自分を軸に大鎌を振り回してバランスを保ち、勢いそのままに反対側から再び鎌による湾曲斬撃。その斬撃を今度はよりロッテの手元に近い柄の部分を打ちつつ弾く。そのまま接近し、また回転しようとするのを体をぶつけて阻止する。それと同時に太刀を振ったのと別の手でふわふわの純白のフリルドレスを掴み、百八十度振り回して床に叩きつけた。パニエのおかげでスカートが膨らんでいるので掴みやすかった。

 

「っあ……っ!」

 

 背中から地面に激突して跳ね返る。金色の瞳は見開かれ、口は衝撃で呼吸を阻まれただ虚しく開閉している。

 

 とどめだ。

 

「む」

 

 叩きつけで開いた姿勢はすなわち太刀を振りかぶったも同然。そのまま反動で浮きあがったロッテの体を一刀両断しようと垂直に切り落とした。が、真正面から飛来物。落ちた斑雪が上ってきて屋上の縁から頭を出した時点で事態に気づき、何とか防ごうと刀を投げつけてきたのだ。切り落としの軌道を変えて刀を払い落とす。

 

「あああぁぁぁっ!」

 

 その間に一気に体を引き上げた斑雪が、最初に私の太刀を防いだ大剣を振り回して飛び込んでくる。人の手を除いた胴体部と同程度ほどもある幅広の大剣。しかもその分厚さも刀のような繊細な武器とは違い、打撃用の武器とも思える重厚さだ。なので当然重い。その重量を利用して、ややバランスを崩しながらもコマのように振り回すことで加速して距離を詰めてきた。そのままの勢いよく一気に間合いに入られる。

 

「いぃぃやあああぁぁっ!」

 

 叫びながらの重い回転切り。弾くのはきつそう。受け止めるか。いや、受け止めるのはもう一度見せた。だからここは太刀や刀本来の戦い方をするべきだね。あれはゲームとかではよくある光景だけど、そのたびにつっこまれているわけだし。それに私製の大太刀とはいえ、太刀は太刀。できるからとさせていいわけじゃない。負担はかかるんだから。

 

 対応を考える間にも迫りくる大剣。それをある程度引き寄せた後、足先だけの素早い跳躍。空に逃げた私のブーツのすぐ下を通る大剣。それを今度はしっかり蹴ってもっと高くに飛び上がった。その代わりに斑雪は勢いよく回転していた所に別ベクトルの強い力を受け、あっけなく平衡を失って自分の剣に引きずられる形で前方に吹き飛んだ。大剣と体が地面を削り土煙を立たせる。

 

 ふむ。

 

 飛び上がったまま下を見れば、ひび割れて窪んだ地面にまだ倒れているロッテ。屋上に斜めに突き刺さった刀と大剣。持ち主は転がった勢いでまた屋上から落ちたのがさっき見えた。スピードがつきすぎて軽くバウンドしながら消えて行った。数メートルほど上空まで飛び上がったのを利用して、残りの一人カモイを探そうと周囲を見渡そうとしたその時。チリチリとした感覚を右に感じた。見ると私の右側面から私の頭ほどもある青白い光弾が、わずかに青い光の尻尾を伸ばして飛んできていた。

 

 迎撃。

 

 太刀を一振りすれば押し込むような圧力が一瞬。振り抜けば光は粉を散らしながら霧散した。

 

 とりあえず右方向に雑に斬撃を飛ばしておく。間にある建物がばらばらと断ち切られ、崩れ落ちていく。けれどおそらくカモイがいるのは私の正面かもしくはもっと左かだ。右から来た弾だけど、その前にちらっとだけこちらに向かいカーブした軌道を描いていた。居場所を誤認させるための罠だね。罠と見せかけて、ということもあるのでとりあえず切ったけど。無差別に右方向の建物を切り捨てたから、あそこのどこかの屋上や下の道路にいれば瓦礫に巻き込まれたはず。そうでなくとも居場所は変えないといけなくなったはず。

 

 ダンッと空中を蹴りつけて跳び上がり、もう一度高度を稼ぐ。もう一回撃ってきたらその時は見つかる覚悟で来い。と思うものの多分もう撃ってこないよね。こんな露骨に待ち構えてちゃ。せめてあの白銀の姿を探そうと思ったけど、白い建物とうまく同化しているのか。それとも下に降りたかな。あのふかふかの尻尾すら見えない。しばらく互いに睨み合いかな、これは。それならその前に他の二人にとどめを刺すべきかな。わずかに迷う。

 

「ぬっ」

 

 嫌な感じと風切り音がしたので下を見ると、いつの間にか復活したロッテが鎌を投擲。グルングルン回転する大鎌がすっ飛んでくる。小賢しいことに人の真下に入って投げてきたから、迎撃しづらい。空を少し蹴って後退。かわされて目の前を通り過ぎようとする黒い大鎌。黙って見送りはしない。ついさっき拵えた瓦礫の山に叩きこむつもりで、鎌を思い切り弾き飛ばした。これでロッテは無手のただの可愛い幼女だ。と思ったら、かなりの速度で飛んで行った鎌がその勢いを増して戻ってくる。私を目掛けて。

 

「ええいっ」

 

 なんか可愛らしい声を上げたロッテが手を何やら動かしている。そうか、遠隔操作しているな。ならば本体にぶつけてやるまで。

 

 当然のように上空で停止していた状態から、空中を蹴り体を捻って鎌を跳び越してそのまま唐竹に叩き落とした。遠隔操作と言っても勢いを外から加えられたら乱れるのは、さっき弾き飛ばせたことからもわかる。ならこの距離なら操作できても本人にぶつけられるはず。加速した鎌を追撃でますます加速させたんだ。まして操作をしようと集中してたはず。もう助からないぞ。

 

 思わぬ返しに焦ったロッテが避けようとするよりも早く、自らの鎌が死神の鎌と化して襲い掛かる。

 

「伏せてっ!」

 

 よりも早く、横合いから駆け付けた斑雪が刀で白い円の軌跡を描く。その円と回転する鎌の黒い円がぶつかり、辛うじて弾いた。両手で純白の刀を振り切った姿勢で硬直する斑雪と、その刀の下あたりで頭を抱えて伏せたロッテ。鎌は屋上を破壊しながら下の道路へと落ちていき、ざっくりと突き刺さった。

 

 なかなか楽しませてくれる。

 

 高速で振ってきた鎌を打ち返した反動か、動けず硬直している斑雪を尻目にロッテは壊れた箇所を避けて縁まで走り寄り手を伸ばす。すると刺さっていた大鎌が自ら浮き上がり、ロッテの手の中に納まった。妨害しても良かったんだけどここまで楽しませてくれたんだし、これくらいはね。慌てて妨害するとか小物っぽいかなって気もする。一応カモイがつられてどこかに姿を見せるかと思ったけど見せない。

 

「ありがとう、ぶちお姉様。助かったわ」

 

「ううん、むしろごめん。私前衛なのにマスターを全然止められないばかりか、すぐ弾き飛ばされちゃって」

 

「マスター相手だもの。仕方ないわよ」

 

「でも、ごめん」

 

 話しながらも呼吸を整え、私を警戒しながらじりじりと屋上の真ん中あたりへ位置取りを変える二人。このまま上空から斬撃を飛ばして建物ごと膾切りにしてもいいけど、それもつまらないな。建物を豆腐みたいにスパスパ切るのはもう見せたしね。これは楽しい試合だけど同時にプレゼンみたいなものだし、撮れ高を考えるともう少し切り結んだりして見栄えをよくしておこうかな。

 

 すうっと静かに降りて、足音もなく柔らかに着地する。余裕さ、優雅さは強キャラの嗜み。お上品な食事会やダンスの時の様に、指先や足先まで意識を通わせて静かで優雅に。私みたいに意識せずともいつも余裕で優雅なのが高貴なお嬢様やお姫様。戦いの時でも優雅で余裕たっぷりなのが強キャラ。つまりお嬢様やお姫様は強キャラだったのか……。

 

「なかなか楽しませてくれるね」

 

「うふふ、お褒めに預かり光栄だわ」

 

「ロッテはいいですけど、私は……全然ダメです、申し訳ありません」

 

 私が戦闘モードではなく、いったん休止に入ったのがわかり二人も武器を下ろす。ロッテは白いフリルドレスを整え、にっこり笑ってみせた。けれど動きが少しぎこちない。まだ完全に回復したわけではなさそう。それでも取り繕えているロッテに比べ斑雪は、あからさまに意気消沈して俯き縮こまってしまっている。まあ始まって以降、ずっと私に弾かれては吹き飛ばされるわ転がり落ちるわでぱっと見ではいいとこなしに見えるからね。実際の所、前衛としては確かに中衛まで入り込まれ後衛への攻撃も許している時点でダメと言えばダメだ。これは事実、というか結果だ。

 

 でも私相手に一人で切り結び、打ち合って足止めしろっていうのも無茶だったと思うよ。完全に一対一にされてたから、あれじゃ何のための三対一かわからない。結局前衛が排除されてしまったら後は各個撃破になってしまうんだからさ。ロッテの援護魔法ももうちょい早くにするべきだったし、今も姿が見えないカモイは前衛が想定より早く排除された時点で援護に移るべきだった。遠距離高威力のビーム照射は威力が高いけど、潔く諦めてさっき撃ってきたみたいな誘導弾とかで私の行動を制限するべきだった。

 

 と思ったりするけど、何が正解かは私にもわからない。これから社会にこのゲームというか試合がスポーツやゲームとして広まったら、いずれ戦術なども確立されてくるだろう。今はみんな素人だし、私だって素人だからね。

 

「まあ私を含めみんな初心者だから仕方ないよ。こっからこっから」

 

 落ち込んでいる銀と桜の二色頭に手を置き、かき回すように撫でる。ぐりぐり、わしゃわしゃとしていると目を閉じて受け入れる。覗き込むと少し見える口元が小さくほころんでいる。時折撫でている手に頭を押しつけるてくるから、もう少し強めにぐりぐりしてあげる。しかしそうなると我慢できないのがもう一人で、ロッテも頭を差し出してきた。

 

「ぶちお姉様も頑張ってるけど、ロッテも頑張ったのよ? ずるいわ」

 

 そうだね。ロッテは今回一番頑張っているかも。前衛があっという間にいなくなったから、一人で前衛をしつつ後衛のカモイの狙撃まで時間を稼いだ。その後もまたどこかに飛ばされた前衛の代わりに私に挑んできた。一番小さくて力も何もかも弱いのに、よく頑張った。撫でるくらいでいいのなら撫でてあげよう。大太刀を背中に背負って両手で二人の頭を撫でる。嬉しそうに目を細め、撫でる手に頭を擦り付けてくる二人をいつまでも可愛がりたい。けどまだ戦いは終わってないからね。カモイもどこかにまだ潜んでいるし、ここから後半戦ってとこだ。

 

 手を離した途端に二人が寂しそうな顔をするのに心の内で泣く泣く耐え、数歩下がって距離を空ける。背中に手を回し、再び太刀を手に取って右の半身を引き腰をわずかに落とす。そしてゆっくりと両手で握った太刀を肩に担いだ。

 

「まだやれる?」

 

 一応聞いておく。やっぱりもう嫌ってなったら、嫌な子には抜けてもらう。メディの時みたいに無理させてしまうのは嫌だ。内心嫌でも、私のお願いなら頑張っちゃうところあるからね。私がなおさら気をつけないと。そんな配慮によるものだったけど、いらぬ世話だったみたいだ。二人とも無言で互いの武器を構える。

 

「カモイはどう? 一応聞いてみて」

 

「あ、はい」

 

 構えたところで悪いけど、この場にカモイだけいない。実は一人だけもう嫌ってなってたら悪いから、念のために二人のどちらかに連絡を取ってもらおう。私からは連絡できないけど、二人はカモイとチームを組んでいるのでチーム間の通信システムが使える。斑雪の方が構えを解いて手を顔の横に当てる。そしてこしょこしょと会話を始めた。通常この距離なら声を潜めても聞こえるんだけど、この試合場の中ではチームではないので私には聞こえない。そういう風にできている。

 

「大丈夫です。まだこれからだ、と」

 

「そっかそっか」

 

 つまりまだ元気だと。少なくとも戦える状態なわけだ。端から仕留められたとは思ってなかったけどね。斬撃を飛ばしたとはいえ、あれだけでは流石に倒せないよね。私の斬撃もまあまあの速度だけど、ケモノ型アンドロイドであるカモイから見れば遅かったろう。彼女は私の作った今回のヴィクトリアを除く四人の中で、もっとも優れた身体能力を持っている。あれだけ距離もあったらそりゃ当たらないか。

 

 精神力とか魔法力的なものも、チャージしての砲撃と途中の誘導弾とかだけでは戦闘不能になるほどではないはず。あのチャージショットは喰らってたら結構な威力だったろうから、だいぶ消耗はしたとは思うけど。

 

「じゃあ、続きだ」

 

「ええ、続けましょう」

 

 浮遊感。

 

 嫌な予感。障壁展開。

 

 衝撃。

 

 私は吹き飛んだ。

 

 

 

 

 

 

 咄嗟に全身を包む球体の障壁というかバリアを展開したから、幸いダメージはそんなでもない。痛くないわけではないけどかなり抑えられた。でもどんどんと建物に激突しては破壊し、突き破ってはまた激突。ものすごい勢いで景色が流れていく。

 

 かなりの力でぶん殴られたね、これは。一瞬のことで全体は見えなかったけど、あれは確かに巨大な拳だった。着色までする暇はなかったんだろう、白と灰で床材の色のままだった。おそらく私の足場を分解して瞬時に組み上げたそのゴーレムの腕で、空中に放り出された状態で踏ん張れない私を殴りつけたんだ。

 

 ドォン、と轟音を立ててついに地面に落下。落下どころか地面にめり込んだ。しかも私がぶち抜いてしまった建物が崩壊し、瓦礫が上からどんどん降ってきてあっという間に埋められてしまった。ぐええ、苦しい。死ぬほどではないけど、強く抱きしめられたみたいに若干苦しい。

 

 わずかな隙間から光が入ってくるから真っ暗ではないけど、非常に暗いし体にも瓦礫が乗っかっているから重くて邪魔くさい。私が埋まってしまってもまだ瓦礫が降ってきて、粉塵が舞い振動と轟音が止まない。体は叩きつけられた際にできたクレーターに埋まってしまっているし、上から横から瓦礫が積み重なって押しつぶしにかかってくるしで、困ったもんだね。暗いわ重いわ動けないわで、大変なことですよこれは。こうなっちゃうと普通は勝負ありだよ、普通なら。

 

 いつの間にあんな腕だけとはいえ準備したんだ。視界には入ってなかったから、魔法の準備だけして発動を遅延させたかなんかしたな。おそらくカモイと連絡を取ってもらっている間だ。しかもその時私は通信をしていた斑雪に意識が向いていた。流石に動けばわかったけど、動かずにこっそり魔法の準備をしていたから見逃したか。カモイからの返事を聞いた後も、どうしてもまだ意識は斑雪側にあった。それに気づいて足元を分解、私がそちらに気を取られた一瞬の隙に腕だけでも構築。そのまま殴りつけた。そんな感じかな。

 

 まったくロッテったら、本当にもう。

 

「なんて親孝行な子だ……」

 

 撮れ高がいるっていう時に、こんな派手なことをしてくれるなんて。最高か。

 

 そうなると私もそれに応えないといけないね。ひとまずここをどう出るかが問題だ。太刀は手放さなかったけど、切って抜け出すほど腕を動かせない。いい具合に仰向けというか、斜めに地面に埋まっちゃってるから腕が動かない。太刀を握っている感触はあるけど瓦礫の下だし。刀は振らないと切れないからねえ。

 

 しかもまさか普通に瓦礫をどかしてよっこらせと出ていくわけにもいかないよね。ダサい気がする。でもこんな建物ぶち抜きの瓦礫に押しつぶされのした後で、何事もなく無傷でやれやれって感じで出てくるのもかっこいいかも。やったかと思ったらまったく気にもしてない、みたいな。

 

 でもなあ。それだと自力でよいしょよいしょと這い出すことになるよね。絵面が地味かなって思うんだけどどうだろう。それより瓦礫が降ってくるからさっきまで張っていた球体のバリアを利用して、一気に瓦礫を吹き飛ばしてみようかな。派手でかっこいい気がする。私のパーソナルカラーであるピンクのバリアだ。それがぶわっと広がって瓦礫を吹き飛ばし、中から悠々と歩いてくる私。かっこういいんじゃなかろうか。バリアを広げるというより、爆発を起こすの方が近いかな。

 

 これだ。

 

「では、一発かましてあげようか……」

 

 バリアを張るにも、ロッテの魔法やカモイのビームみたいに精神力的なものを消費する。名称はまだ決まっていない。ただそれを使い放題、使い切っても問題なしでは面白くないなと思った。ゲームだってそうだ。魔法や技を使うにはコストがいる。そのコストもただの数値っていうんじゃつまらない。

 

 なので大きく減ったりすると体調に悪影響が出るよう作ってある。その力をぐっと消費して周囲を吹き飛ばし、埋もれた体を浮き上がらせる作戦だ。どれだけ消耗するかわからないけど、その後戦えないほどにはならないはず。念のために心の準備だけはしておくけど。具合が悪くなるとわかっていれば、それを踏まえて戦えばいい。

 

 ハァーッ、スゥーッと深呼吸。目を閉じて意識を集中。

 

 バリアはあらかじめシステムに組み込んであるけれど、こんな使い方は入力時点では想定していない。だからしっかとしたイメージを作り、それを装置に送り込む。そうすれば大体のことはできるように作った。ロッテが私ここまで殴り飛ばしたあの腕も、おそらくそうやってなされたはず。私は少なくとも腕だけで攻撃するスキルを入れた覚えはないぞ。ロッテは賢いなあ。

 

 私の周りに桜色の光と衝撃が、私を中心とした球形に展開される。瓦礫は吹き飛び、私の体は浮き上がる。瓦礫と同時にあたりの粉塵も吹き飛び、さらに飛んだ瓦礫が他の建物を破壊。響き渡る轟音、立ち上る砂塵や破片と共に崩れいく周囲の建物。そしてそれが収まると、そうだ。せっかくだからバリアに使った光は、桜吹雪みたいに舞い散るようにしよう。煙や破片が落ち着いて視界が晴れていくと、桜吹雪の如くにピンクの光の欠片がちらちらと風に舞っている。その中に無傷で立つ私の姿が。

 

 これじゃないか。これが正解っぽい。よし、いくぞう。

 

「ハァッ!」

 

 カッと目を見開くと同時にバリア発生、拡大。瓦礫も私の体も跳ね飛ばす強烈な桜色の閃光と衝撃、突風が吹き荒れる。体にのっていた瓦礫も周囲を埋め尽くしていた残骸も、私を封じていた何もかもが視界から即座に消し飛んだ。仰向けの状態から大の字に浮き上がったので、浮いている間に体勢を修正。ふわりとクレーターに着地する。へこんでいるしひび入っているしで足場が悪い。場所変えよ。私が衝突し瓦礫が落ち、その瓦礫も弾き飛ばされてできた更地に足を進める。

 

 光を取り戻した視界を塞ぐ粉塵。激しい爆発にも似た激突音がそこら中からして、近くの無事だった建物が一斉に倒壊を始めている。そのせいでますます建物や道路の構造物が壊れて生まれたチリや粉が舞い上がって視界を遮る。だがそれがいい。それが収まった後、悠然と佇む私を見てもらわないといけないんだから。むしろ準備が終わるまで晴れるな。

 

 全身をチェック。痛みやダメージはほぼない。咄嗟のバリアのおかげだ。でも大事なのはそこじゃない。ブーツの紐はきちんと結ばれている。手袋というか籠手は一度はめなおす。鏡を何枚か生成して、全身の様子をすばやく確認。障壁のおかげで直接建物や地面に触れていないからか、服も顔も髪も大きな乱れや汚れはなさそうだ。何でもない風を装いつつも服が乱れて土がついてたら格好悪いからね。せっかくロッテがいい演出ができそうな状況を作ってくれたんだから、かっこよく決めないと。身だしなみ、ヨシ。問題なかったので鏡は消す。身支度しているところを見られるのってなんか無性に恥ずかしいよね。

 

 ついでに上空も確認。色々邪魔で見えはしないけれど、三人が近くに来たのはわかってる。もしかしたら今の内に攻撃してくることもあるかも。それに上に打ち上げた瓦礫が降ってきて、かっこよく現れた私に直撃したら完全にギャグだよ。それは避けねば。粉や破片がパラパラ、障壁のピンクがピカピカとして見にくいけど問題ないみたいだ。私の目でも感覚でも、大きい物体は感じ取れない。代わりに本来ないはずの場所に大きな物がある感じがする。なんだ、これ。

 

「そんなに私を喜ばせたいのね……!」

 

 なんて可愛い子たち。私のために、私を倒すために、一生懸命知恵を絞り努力してくれてるんだね。嬉しいわあ。

 

 悠然とした雰囲気を出すためにあえて殴り飛ばされる前のような構えはとらず、開始時と同じように右手に太刀を握ってだらりと垂らす。そしてさも何事もなかったかのように待ち構えていた。やがて土煙や粉塵が収まっていく。その向こうが見えてきた頃、まず真っ先に素敵な代物が目に飛び込んできた。

 

 それは、一見したところ子供が遊びで作った泥や粘土の人形といった印象で、丸みを帯びた灰色や白の装甲を纏っているようにも見えた。しかしその丸くやや歪んで不格好な子供の玩具は、四階建ての建物にも匹敵する大きさをしていた。その堂々たる巨躯の中でも特にその腕や足の末端部分は大きく膨らんでおり、それを利用した一撃の破壊力は玩具どころか戦闘用ロボット並の威力を誇るだろうことを思わせる。

 

 頭部は人というよりバケツを逆さにかぶせたような形であり、そこには燃え立つような赤い光を放つ三個の巨大な宝石が埋め込まれていた。よく見るとその体の一部には見慣れた質感の箇所があり、その巨人が実は周囲の建物や道路を素材として作り出されたことがわかる。手で泥をこねれば泥人形、粘土なら粘土人形。魔法によって瓦礫や建物を使って作られたそれは、いわゆるゴーレムと言われるものだった。

 

 とうとう腕だけじゃなくて、全身召喚したんだね。私が埋まっていた時間はそんなに長くないのに、よくできたねえ。

 

「ふふ……可愛い子」

 

 撫でて抱きしめて、褒めてあげたい。

 

 その平たい頭部には白と差し色の紫、胸元のピンクが良く目立つフリルのついた愛らし気なドレスに身を包んだ幼女が立っている。専用の武器である黒い大鎌の柄の底をゴーレムの頭に突き刺している。あれで制御するのか、かっこよく頭の上に立つために支えにしているのかはちょっとわからない。目立つために頭の上にのっているんじゃないかなって気もする。あの子ならそんなことしそう。

 

 丸い両肩には一人ずつ立つ者が。一人は斑雪である。黒いぴったりしたバトルスーツ。下がスカートなのでスーツというよりドレスか。軽快な動作のために前を空けているので、そこは前垂れを垂らしている。それが私の巻き起こした風や倒壊する建物の余波ではためき、ちらりちらりと白いハイレグの食い込みが素敵なレオタードが覗いている。あの下に何か履いているわけではないので、要はパンツ見えているのと同じことだ。恥ずかしくないのかな。いや、私としては目に楽しいから全然いいけど。

 

 露骨に見せているわけでもないしね。こういうのって露骨に見せるような感じだと逆に萎えるよね。動いたり風が吹いたりで、ちらっと見えてしまうのがいい。一瞬しか見えなくても、その一瞬が瞼に焼き付くんだよ。あからさまに見せる気のミニスカとかは好きじゃないですねえ。

 

「ようやく出てきたのね……」

 

 もう一人、この戦いが始まってから久しぶりに見る姿がそこにはあった。こうしてあらためて見るとこっちは本当に露出がひどい。豊かな肢体はほとんど剥き出しで、要所をほんのわずかな衣服が覆っている。上半身は大きく膨らんだ胸元を下着やビキニの水着程度の装甲で隠し、後はウイング型の肩当や片腕の肘から下を覆う手甲だけ。下半身は大事な股間部分は一応細い紐のような下着を履いているとはいえ、真っ白な前垂れを一枚垂らしているだけだ。こっちも前垂れなのは私の趣味です、文句あるか。膝から下は靴と一体になった装甲で隠してはいるものの、剥き出しの箇所が多すぎてエッチだ。

 

 この三人の戦闘服は私がデザインしたんじゃない。これこれこういったお披露目をするから戦闘服作るよと言ったところ、ヴィクトリアが自分たちで好きな服を選ばせましょうと言い出した。生まれたてで自分の趣味とかあるのかなと思ったけど、それはそれで気になるしさせてみようとさせてみた。

 

 その結果として晒された大部分の素肌の上で、白銀の体毛が風になびいている。二回ほど金の紐で縛っているふさふさの尻尾もゆらゆらと波打ち、つい飛びつきたくなる魅力がある。私の髪みたいに広がりすぎるから途中で紐を巻きつけて押さえているのだ。膨らみを無理に抑えているせいでなんかくびれたレンコンみたい。ピンと伸びた三角の耳も白く大きく、他よりやや短い毛でつるつるコリコリとした触り心地で気持ちいい。これは実際に触って確かめた事実。

 

 でも何より目を引くのはその顔だろう。パッと見た時には若い女性、と思う。けれどよく見なくてもわかる違和感。長いマズル、要は口と鼻である。どう見てもあからさまに犬なのだ。正しくは犬ではなくて狼、それも白い狼なのだ。そのくせ見ていると人間の若い女性にも見えてくる。人間でありながら獣、獣でありながら人間。そのような顔をしていた。

 

 体は白銀の毛が体を覆っているのが衣服の隙間、外気に晒された個所からわかる。しかし人間でいう髪の毛部分は動物というより人間の髪の様になっている。でもそこから覗いている耳は人間の耳のある場所ではなく頭頂部にあり、三角形のその形状はやはり獣の物である。

 

 要するに獣と人間の混じったファンタジー存在。ペットロボとアンドロイドの合わせ技だ。見た目だけ獣っぽくて能力が低いと見掛け倒しでダサいから、その身体能力もアンドロイドより高い。リミッター外しちゃった戦闘用アンドロイドには負けるけど。でも外さないならそれを部分的には上回るという、そのくらいの高いけど高すぎない能力バランスで作ってある。ただ動物の能力は人間より本来はるかに高いのを思えば、やや控えめにしすぎたかなって気もしてる。悩みどころだ。

 

 今までこんなに人目を引く美しい毛並みの彼女が全く見つからなかったのは、その優れた身体能力を生かして私から逃げ隠れしていたからだ。彼女の左腕には青い肘まで覆う筒のような、腕と一体型の銃が装着されている。これが戦いの最中、ロッテに追撃をかけようとした私を狙撃したビームを発射した銃だ。そしてそれ以外の弾を撃ったのもこれ。

 

 彼女の主武装であるこの銃は、強力な単発砲撃から照射ビームと自由に切り替えて様々なエネルギー系統の攻撃が行える。しかもこのエネルギー弾はカーブしてくる。さっき私に撃ってきたあれだ。それらを使い自分のボディの性能も活かして距離をとる、後衛に徹した戦いをこれまでしてきた。そのせいで援護がややしにくく、ロッテに負担が集中してしまったけどね。

 

 だからこそ、今度はもう前に出てきたというわけか。三人とゴーレムを使って波状攻撃でも仕掛けてくるのかな。前半戦より苦戦はさせられそうだけど、派手で賑やかな戦いになりそう。

 

 いいよいいよ。ちょうだい、そういうの。

 

「マスター? 聞こえるー?」

 

 ゴーレムの頭の上から、ロッテが片手を口に当てメガホンみたいにして呼び掛けてくる。仕草にちょっと和む。

 

「なーにー?」

 

 私も少し声を張って返す。私の返事を聞いたロッテが、またお得意の小悪魔顔をする。にやって感じの顔が本当によく似合う。小生意気なのがたまんなく可愛い。好き。やっつけてふくれっ面にしてあげるからね。

 

「まだやれるー?」

 

 むむむ。今度は私が聞かれる側ってわけね。

 

「元気いっぱいだよー!」

 

「じゃあ、続きいくよー」

 

「いらっしゃーい」

 

 斑雪から斬撃が飛び、カモイの腕からは光がほとばしる。ゴーレムは三つ目からレーザー光線のような、赤く細い光線を発射。それらが私に殺到した。

 

 開幕即ぶっぱとか容赦なさすぎ。ひどい。

 

 私は逃げた。

 

 いつの間にか変わっていたBGMが、状況にそぐわない和の鈴の音を鳴らしていた。




大量の属性を詰め込みました。


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おらっ! さっさと脱げっ!(脱衣所)

(一か月以上間が開いたから)初投稿です……。


「ちょっとそこに立ってもらえます?」

 

「んー? いきなり何?」

 

「いいから、お願い。ね?」

 

「紫まで……何する気?」

 

 かぽーん、かこーんと軽やかに竹のぶつかる音が広大な浴室に響く。浴室に面した緑豊かな日本庭園に置かれた鹿威しの音だ。広い庭もこの風呂場も静かだから、そう大した音量じゃないのによく聞こえる。軽やかに室内を反響するその断続的な音とは別に、ざあざあと絶え間なく聞こえる音も一つ。私たちのいる浴槽の真ん中。そこにはお湯の上に突き出した白くつるつるとした台座があり、その上に同じ白でも毛色が異なる白をした一匹のライオンが座っていた。雄々しい鬣がある雄ライオンだ。もっとも、こんな風に像にしたり絵に描いたりするときは大抵そうだろう。あえて雌ライオンを題材にすることはあんまりないように思う。芸術品に詳しいわけじゃないから一概には言えないけど。

 

 本物と同じサイズほどもある白ライオン像は、かぱりと開いたままの口からお湯を垂れ流している。これが浴室に絶え間なく音を響かせているのだ。

 

 旅館の大浴場めいた広さや内装のこの浴室は、湯舟も複数あるけど今はまだお昼。私たちが午前の汗をさっと流すだけなので、湯舟の中でも小さ目なこの一つだけが稼働している。小さ目と言っても私たち三人が同時に浸かってもまだまだ余裕のある、ちょっとした公衆浴場の湯舟並みの大きさだ。そのくらいならこのお屋敷のお風呂では小さい方。

 

 でも正直私だって大きいお風呂は嫌いじゃないけど、プールみたいなサイズのとかはそんなに広くして何するのって感じよね。個人的にはお風呂にほしい広さは足をぐぐぐっと伸ばしたり、思い切って仰向けで寝て大の字に浮かべるくらいでいい。逆に言えば、それくらいは最低限ほしいとも言う。

 

 だっていい仕事にはいい入浴は必須だよ。一日の終わりのお風呂をシャワーだけでいいっていう人もいるけど、個人的には信じられない。正気を疑うよ。寝るのとお風呂入るのほど楽しく、心安らぐことってそうそうないと言うのが私の持論です。

 

 ただ今みたいな状況なら話は別。午前の見世物でそれなりの高強度の運動をしばらくしてたから、食事と午後の部に備えて汗を流しに来たのだ。なんだけど、ね。なんでか今、浴槽の中でたっぷりのお湯に浸かってます。私はシャワーだけさっと浴びちゃうよって言ったんだけどね。何故かそんなに汗もかいていないだろう夢華たちが、一緒に入るからお風呂動かすと言って譲らなかったのよね。何か企みがあるのか、ただ入りたい気分なのかは知らんけど。でも入りたいだけなら、入りたいって言えばいいから絶対何か企んでるんだよなぁ。

 

 だって二人も午前のお披露目会の合間合間で運動したけど、お風呂入るほどは動いてないと思う。運動といっても私が用意しておいた武器から好きなの選んで、重量や形状で扱えそうなら好きに遊んでもらったというだけだ。ただ重くて持てない物もいくつかあったけど、持てる程度の重量なのでも十分楽しんでもらえたと思う。

 

 メディの大剣や私の大太刀は持ち上げるのも無理だったけど、斑雪の白刀やカモイの銃、特に装着式のとか。後半戦で見せた伸び縮みする鞭や電気や炎を撒き散らす籠手、氷や水を放つ薙刀だとかは大喜びで振り回していた。護身用のショックバトンやら警棒など、ちょっとした武器なら二人とも扱う訓練をしてきている。だから武器の扱いは素人でもないんだけど、刀や剣を扱った経験は流石にない、はず。知ってる限りでは。なにせ武術や武道を習ってたんじゃなくて、あくまで護身術を習ってたわけだからね。護身で刀は使わないですねえ。相手に殺される前に殺せば自分は守られるっていう護身になっちゃう。

 

 でもファンタジーとか好きな二人なので、刀や剣を振り回すことに憧れがあるってこと私知ってるよ。知ってたから、最初から二人にも体験してもらうつもりだったし、今回製作した武器はゲームやアニメのアイテムみたいな外見にした。それもあってテンション上がったんだろう。だいぶはしゃいでた。はしゃいで上がったテンションのままに各種武器を振り回してたから、辺りは炎や雷や氷や色のついた光やらが乱れ飛ぶ地獄のような光景になってたけど。振る向きや気合の込め方でエフェクトが変わるし、武器によっても違うエフェクトを用意したからあれもこれもと大騒ぎだったよ。

 

 そんな経緯があったからと言って、お風呂に入るほどの運動量ではなかったと思うんだよね。思うんだけど、結局こうして一緒にお湯に浸かっている。腑に落ちない点はあるけど、断固拒否する理由もなかったからね。

 

 そんなわけで流されるままお風呂にきた。私は汗かいて気持ち悪かったからまず体洗おうとしたんだけど、またしても強硬な主張により体を洗いあっこすることに。ついでに今日の日のためってわけじゃ全然ないんだけど、籠っている間に手慰みに作った新型の手作り石鹸を試してみた。思い付きで作ってみたんだけど、洗い心地も泡の立ち方も香りもいいしで良い出来だった。少しの手直しはいるだろうけど、これ商品にできそう。

 

 装置の調整やアンドロイドたちの成形なんかの間に、どうしても待たないといけない時間があって暇だったんだよね。装置が内部処理をしている間とか、アンドロイドの表皮の乾燥を待つ間とか。で、その空いた時間で暇つぶし的に石鹼を手作りしてみたのだ。薬品にも人体にも詳しい上に、美容にもこだわりがある私にかかれば美容用品の製造もお手の物だ。石鹸はどう考えても美容用品なので、当然私は作れる。

 

 今回のも美肌に香りづけにと効果たっぷりだ。しかもお肌をつるつるすべすべにしてくれる。いつものも美容を意識しているから当たり前だけど同じような効果はある。しかし今回のは今までと成分や配合比率などを大きく変えてみたのだ。ついさっき使用した感覚では良さげだけど、感覚だけじゃあれだし後で検査しておかないと。夢華たちにも使ってもらったから、三人分を今回と夜とで二回とれるね。

 

 その後頭も洗ってもらい、仲良く一つだけお湯を溜めた浴槽に浸かってぼんやりしていた時。そういえば、と唐突に切り出された。立ってって言うけど一体何なんよ。紫までいいから、いいからと押してくるし。話の切り出しも突然だし台詞も唐突だしで想像つかない。二人で私に何させる気。怪しい。怪しいけど別に断る理由もないし、まあいいか。なんか手間がかかるわけでもないし。強いて言うなら気持ちよくお湯に浸かってたのに、何故か一人だけ追い出されるのがね。広い広い浴室は裸で立ってても気にならない程に温かいけれど、せっかくたっぷりのお湯に浸かって微睡んでいたっていうのに。

 

 ざぱあとお湯を滴らせながら浴槽を出て振り向くと、さっそく次の要求が。

 

「両手を頭の後ろに組んでくださる?」

 

「えっと、こう?」

 

「そうそう。いいわよ。それじゃ次はもっと足を開いて」

 

「足? こんな感じ?」

 

 うんうん頷きながら二人が近寄ってくる。それでも二人は浴槽から出てこない。なので私一人だけお風呂の外に立って、お風呂でくつろいでいる二人に下から全身をじっくり見られてるという変な状況に。なんか変な気持ちになっちゃう。何がしたいのかわからないけど、もっともっとと手で示されて足を広げていく。肩幅に開いて、くらいかと思ってたら何故か腰もやや落とすよう要求される。これじゃがに股、いやそれ以上だ。ストレッチでもさせる気なんかな。手も頭の後ろで組んでるし、次はスクワットしろとでも言い出す気か。

 

 お湯から出ない二人に、足を広げ腕は上に持ち上げて全身を無防備にさらけ出す。どういう状況なの、これ。ポーズがポーズだけに、予測ができない。

 

「うーん、せっかくですからもう少し、こう……」

 

「ん……こう?」

 

 腰を、と手で示された通りに腰を前に突き出す。ちょっとバランスが悪い体勢だけど、私の鍛えた体幹なら問題ない。

 

「うん、いいわね。そのままじっとしてなさい」

 

「えぇ……」

 

 こんな格好でじっと黙って立たされて、立たせている側はお風呂で温まりながらそれを見ているって。私の疑問を余所に、二人は私の大変豊かで美しい肢体を嘗め回すように見ている。粘つくような視線が全身をねっとりじっくりと這っていく。視線がまるで実体のあるかのように、肌の上を這うのを感じちゃうほどだ。腰を突き出していることで自然と突き出す形になっている股の周辺は、特に念入りに夢華の目に探られている。

 

 いったい何なの。もしかしてエッチなことする流れだったの。私が気がつかなかっただけで。デリケートな場所をそんなに凝視されていると私と言えど恥ずかしいし、色々良くないんですけど。それに二人にとっては見慣れたものでしょうが。何を今更、そんなにじっくりと見てるの。ただ意図がわかんないけど、二人が私を熱心に見てくれているのは正直嬉しい。

 

 でもなぁ。二人が顔を上げて前を見てろと言うのでそうしているんだけど、これはちょっと私でも恥ずかしいし落ち着かないや。立って前を見つめる私の視界いっぱいに、若い息吹を感じさせる青々とした草花と青い空が広がっていた。時折花や草を小さく揺らす穏やかな風が、ここまで豊かな緑の匂いを届かせている錯覚すら起こしちゃう。実際は空気がここと庭じゃ通ってないからありえないけどね。それでもこれだと私、なんか外の庭で裸になってるみたい。それか外に裸を見せつけている人。いけない趣味に目覚めちゃうから、早く終わってほしいんですけど。

 

 

 

 

 

 

 かこーん、ぱこーんと鹿威しの竹が、岩を打つ音だけが響くことしばらく。二人はただただ無言で私の体を目で舐め回す。私は黙って裸を晒し続け、綺麗な庭を眺めてた。浴室と隣り合って一面に広がって見えるこの庭は、夢華の家の裏にある庭だ。所々銀や白で科学的というか未来的だけど、全体的な印象は暖色の洋風なお屋敷。その裏にある庭は日本庭園をイメージした和テイストで作られている。屋敷の外観も内部も洋風なのに一部だけ和風と言うのが、意識したのか偶然なのかその持ち主一家とそっくりだ。夢華も日本人の名前のわりに見た目はどう見てもヨーロッパ系白人人種だ。そもそも体を流れる血も日本人の血はわずかで、ほぼほぼ西洋人だからね。ずっと日本に住んでる一家なのに、何故かみんな留学先の海外でお嫁さんを捕まえてくるからこんなことに。上のお兄さんのお嫁さんもそうだし、もうこの一族の血筋と言うか習性何だろうか。

 

「……やっぱりもうちょっとこう……おらっ! もっと股開けっ!」

 

「ヒェッ」

 

 と、急に紫の態度が豹変した。唐突にチンピラめいた態度になった紫に怒られる。理由も訳もわからないけど、勢いに押されて言われた通り更にがに股の開脚姿勢になった。なったらなったで腰が引けてしまったので、今度は夢華に責められる。

 

「お腰が引けてましてよ。もっとはしたなく腰を突き出しなさい」

 

「ひぇぇぇぇ」

 

 自分の顔に向かって腰、と言うか向き的に股を突き出せと要求してくる。有無を言わせない態度なので、大人しく股を突き出してよく見せるしかない。私はいったいどうなってしまうの。何が起こってこんなことに。私が一体何をしたと。がに股開脚の上、不自然に腰を突き出しているので体がやや反って微妙に苦しい。

 

「ふーむ……」

 

「うーん……」

 

「えぇー……」

 

 人を大股開きにさせ手で隠すのも禁止した上で、湯舟の中から見上げるようにして全身を観察される。妙に真剣な顔だ。何やら考え事をしながら首を捻ったり何やら唸ったりしつつ見つめられてる。なんかエッチな事でもされるのかと思ったんだけど、思って当然でしょこんなの、でもどうも真面目な感じらしい。おふざけも少々あるけど、全体としては真面目な思念を感じる。

 

 こんな格好にさせて人の裸を見ている状況のどこが真面目なのって気はする。でも本人たちは顔も感情的にも真面目にやっている。むしろ変な気分になりつつある私が一番不真面目っぽい。どういうことなの。見られて恥ずかしい体じゃないけど、私の体は二人の物でもあるから見たければ見ていいんだけど、このポーズやら状況やらがほんとわかんない。これでちょっと体温上がりつつある私が変なの?

 

「んんー……もっと腰を下ろしてくださる?」

 

「これ以上?」

 

「ん、そうね。お相撲さんのあれみたいに、こう、腰を下ろして」

 

「あー、あれね、はいはい」

 

 ここまで来たらどこまで腰降ろそうが関係ない。腰をすっかり落として踵などの上にお尻が乗るような、お相撲さんがするような格好になる。バランスが少し悪いので、体をゆらゆらさせてバランスを取り直す。爪先だけで体を支えている状態なので、バランスがいいはずもない。

 

「手、ついてもいい?」

 

「ダメ」

 

「なんで?」

 

 ダメらしい。仕方ないので大人しく大股開きの大胆ポーズを観賞される。なんだか楽しそうな感じが二人から伝わってくる。そうかい、楽しいかい。ならいいよ。二人が楽しいならとりあえず良し。良しだけど何とも言えず落ち着かない。何させられているかわかんないから、何をしていいのか、どんな顔したらいいのかもわかんない。二人はお湯の中から私を見上げて何やら楽しいみたいだけど、楽しんでいるなら代価として私に説明くらいしてほしいなって。

 

「……今度は後ろ向いてくださる?」

 

「こ、このまま?」

 

「いえ少し立ち上がっていいですから、お尻はこちらに突き出してくださいな」

 

「うん……」

 

 言われた通り頭の上に手を上げたまま後ろを向き、がに股のままお尻を後ろに突き出すようにする。これってやっぱりなんかはしたなくていやらしいことの前触れなのでは。こんな格好ですることなんかエッチなこと以外に何があるっていうの。でも顔も雰囲気も、時々楽しそうだけど基本的には真剣そのもの。やっぱり私が間違ってるのかなあ。だけど絶対この体勢というか状況はおかしいでしょ。

 

「うん、うん……おらっ」

 

「ひゃんっ」

 

 めちゃくちゃ恥ずかしいながらも我慢して見られてたら、何故か頷きながら人のお尻を眺めていた紫がお湯から手を伸ばしてお尻を叩いた。つい声が出ちゃう。何をする、何故叩いた。抗議したいけど場の雰囲気が謎の強制力をもって沈黙を強いてくる。私のお尻に何の恨みがあるんだ。

 

「その大きい、いやらし尻をもっと突き出すんだよっ!」

 

「は、はいっ」

 

「いえ、それよりも前に手をついてくださる? 手をついてそのおいしそうなお尻をもっと高く上げて」

 

「えっと……?」

 

「そうね、それもいいかも。ほら、四つん這いになるの。四つん這いになって尻を高く上げなさい」

 

「あ、はい……」

 

 有無を言わさぬ謎の雰囲気に圧倒され、言われるがままに四つん這いになる。浴室の黒い床は万が一転倒したりしても平気なよう、柔らかく衝撃を吸収する素材でできている。なので裸で四つん這いになっても体が痛くなることはない。ないけど、本当に何なんだ。私はいったいどうなってしまうんだろう。ほんとエッチなことするならエッチな雰囲気を出してよ。何故真面目な雰囲気と顔で真剣な思念を浴びせながら、こんな格好をして二人に全身くまなく見られないといけないの。裸なんか数える気にもならない程互いに見てるし、私の体で二人が知らない箇所や触ってない所なんか一ヶ所もないでしょ。改めてこんな扱いをしてまで何が見たいの。というか、さらっと人の体をいやらしいだのおいしそうだの言わないでよね。何やってるかわかんないけど、真面目なことしてるんでしょうが。

 

「髪が邪魔ね……」

 

 疑問は尽きないまま、黙って四つん這いでお尻を掲げるひどく恥ずかしいポーズをとり続ける。だって二人がやれって言うから。絶対嫌な事ならともかく、このくらいなら疑問があってもとりあえずするのが私たちの関係。何事かあって荒れた夢華が部屋に来るなり、私に上半身のスペースを空けさせておっぱいに飛び込むとか普通にあるし。逆に紫の方はここまでしろとは言わないけど、もう少し甘えてほしいなと思ったりもする。甘えるのも休むのも苦手な子なのよね。基本的に不器用だから。

 

 できることがないのでぼんやり考え事していると、いつの間にかお湯からがってきた二人の足が見える。ほぼ四つん這いの姿勢で床を見ている私の周りを、四本の足がぐるぐる歩き回るのが見える。かと思えば今度は私の長い髪が邪魔だと言い出して、でも髪は私にどうしろとは言わずに紫が束ねて持ち上げた。

 

 公衆浴場ならともかく、このお屋敷のお風呂や自宅では私は髪をまとめない派なんだよね。いつも外では結んでいるから、家とか特にお風呂でくらいは解いておきたい。なんかどうしても締め付けられてる感覚しちゃう。なのでいつもはぼわっと広がり背中を覆いつくす髪は、今はぺったりと固まって背中に張り付いていたのだ。

 

 毛量が多くて長さも非常に長いので、なくなると張り付いていたあたりが一瞬ひやっとする。これで髪によって守られていた箇所も紫たちの視線に晒されてしまう。本当に何一つ隠すものがないと意識しちゃうと、なおさら恥ずかしいやらあれやらだ。変な気分になっちゃうけど、不思議となっているのは私だけっぽいのがまた何とも落ち着かない。私間違ってるのかな。

 

「味もみておきましょう」

 

「はぁんっ」

 

「うわ、えろ……」

 

 思わず声が出てしまった。私のお尻に夢華がずいぶん近づいているなあと思ったら、ついに舐め上げられたのだ。くるなっていうのはわかってた。頭の中から邪な思念がお尻にビンビン突き刺さってたからね。なので知ってはいたけど、実際に感触があるとつい反応しちゃったのだ。

 

 温かい舌が皮膚にぺたりと張り付き、つ、つ、つーっと味わいながら移動していった。慣れ親しんだ感触だけど、場の雰囲気がいつもと違うので変な感じ。舌の這った後を、お湯とも違う温度と粘度を持つ唾液がゆっくり流れ落ちていくのを感じる。水滴との速度差が妙な感じ。

 

「あむあむ」

 

「くふんっ」

 

「うわあ」

 

 何往復か舌が這い回った後、今度は軽くだけど嚙みつかれた。甘噛みって感じだけど、歯が当たる程度には噛まれている。ついついエッチめな声が出ちゃうけど、ここまでされたらおかしくないよね。どう見たって、どう考えたってこれはエッチなことされてるでしょ。真面目な顔や空気でこんなことしてくる二人がおかしいって絶対。

 

 いや、紫はしてないか。引くわーって感じの声を出しつつ、ガン見している。こんな姿に視線をバリバリ感じちゃう。歯が程よい刺激でお尻を押したり擦ったりして正直気持ちいい。感覚としては頭皮マッサージに近いかも。

 

「はむはむ」

 

「あえええぇ……」

 

 ライオンから注がれるお湯の音にわずかにかき消されつつ、ちゅぱちゅぱと明らかに違う水音がしばらく鳴り続けた。時折漏れてしまう私の声も。

 

 いっそ一思いにやれーっ!

 

 

 

 

 

 

 

「もういいですわよ」

 

「あぁ……ん、そう? うー……ん」

 

 ようやく解放されたのは、それからややしばらくしてからだった。わりと窮屈な体勢だったから、つい伸びをしてしまう。けれどもついに耐えきった、解放されたぞ。何がしたいのかは最後までわからなかったけどね。お尻に噛り付いていた夢華はともかく、最初はやや遠巻きにしていた紫もだんだん近づいてきた。最後には息が体にかかる距離で私の裸の観察を始め、時折指で突っついたり撫でたりとちょっかいも出された。結局あんたもするんかい。そのくせつい私が反応しちゃってびくりと動くと

 

「動かないで」

 

「暴れないでよ、暴れないで……大人しくしろっ!」

 

 と窘められたり押さえ込まれたり。私が悪いの、それ。理不尽だけどとりあえず今は堪えてこの雰囲気から開放されるのを待とうと、甘んじて押さえ込まれていた。その努力が実を結び、ようやくこの解放の時がやってきた。長かったよ。

 

 変わらないお湯の流れる音に、一定のリズムを刻み続ける鹿威しの音。観察されている間ほぼずっとそれだけに包まれてた。あんまり変化がないから、実は時の停止した空間に閉じ込められているんじゃないかって気すらしてた。私まだ時間系の研究はそこまで進めてないのよね。だからその場合は何者かに時間停止攻撃を受けていたことになる。だけど少し残念なことに大きな壁かけ時計は正常に時を刻んでいたので、そんなSFバトル物にはならなかった。攻撃を受けたり何かされるのは嫌だけど、でも時間停止は一回体感してみたいかも。せめて観測したい。

 

「……あの、聞いていい?」

 

 その後何事もなかったかのようにお湯に戻った二人が手招きするので、私も再度お湯の中に沈んでいった。この間、ひたすら無言である。言葉で返事が返ってこないから視線で尋ねても、逆に目だけで早くこっちに来いとせっつかれる。何だこの空気。何故か無言の二人が自分たちの間を空けて、その真ん中に私を手招いている。断る理由はないから大人しく招かれて、黙って座る私。

 

「ええ、よくってよ。ただもう少しだけ待ってくださいな」

 

「よくないじゃん」

 

「まぜっかえさないの」

 

「ごめんなさい」

 

 これは私が悪い。

 

 頭を下げた私に両側から腕が伸びてくる。長さも質感も色もそれぞれ違う二つの腕は、しかし同じように私の腕を絡めとった。そのままグイッとひかれて、両腕を一人ずつに抱え込まれる。今度は私に何しようっていうの。私は無実だ。何もしゃべらないぞ。

 

「今度は何……?」

 

「……」

 

「……」

 

 私の手を仲良く一本ずつ分け合った二人は、無言で腕をしげしげと眺めたり撫でたり摩ったり摘まんだりする。この無言の感じがすごい困るのよ。やっていることはスキンシップなのに、無言で真剣な顔をしてされるからどう反応していいのやら。真剣な顔つきで人の指を咥えて口の中で舐め回すような理由、この世にある?

 

「うーん……綺麗な、手ですこと」

 

「あ、ありがとう?」

 

「味も綺麗、もといおいしいですわね」

 

「そう? じゃあお好きなだけどうぞ」

 

「ではお言葉に甘えてもう少し楽しんでますから紫、よしなに」

 

「えぇ……でも日頃しょっちゅう機械油ついたり薬品つけたりしているらしいのに、本当に綺麗よね」

 

 今のえぇ、は肯定の方じゃない。困惑の意味である。でもすぐに紫は立ち直った。適当な丸投げされるのはいつものことっちゃいつものことだし。ほんとタフになった。タフな紫はそんなこともはや気にしないのだ。気にしてたら私たちとは付き合えないとも言えるけど。昔のすぐおたおたしてた紫も今や懐かしい。

 

「そらそうよ。気をつかってますから」

 

「爪がいつも整っているのはわかるわよ、仕事で引っかかったりしたら危ないもの。私やメイドさんたちだってその辺は気を付けてるし。でも肌もつるつるすべすべなのがね。酷使してそうなのに」

 

「酷使するから気をつかうんでしょうが。それに何よりこの手は大事な大事な役目があるからね。汚くしておくわけにはいかんのよ」

 

「役目?」

 

 不思議そうな顔で私を見てくる。わかんないのかな。紫たちが一番よく知っている、私にとって一番大事な役目だ。それともあれか、わかっているけど言葉で言ってほしいのっていうやつかな。しょうがないなぁ、かまってちゃんめ。

 

「そ。私の愛しい紫や夢華と触れ合うっていう、とっても大事なお役目。そのために私は毎日爪を整え肌を磨き、髪を手入れしとケアを怠らないの。おわかり?」

 

 目と目を合わせて微笑みかけてあげると、あからさまに動揺して目が泳ぎだす。普段クールを気取ってる子が動揺している姿は可愛いなあ。

 

「うっ……そ、そう」

 

「そうなの。万が一にも二人を傷つけたくないもの。それに顔も体もいつでもしっかり磨いて、いつも綺麗な私を二人にあげたいから」

 

「ううっ」

 

 なんかダメージ入ってる。小ダメージをくらったときのゲームキャラみたいな呻きが紫からしているけど、こんな愛情たっぷりの言葉でなんでダメージ受けてるの。紫は闇属性だったのか。まあ光属性ではないよね。

 

「この手は紫たちに触れて幸せになったりしたりするための大事な手」

 

 紫が動揺のあまりにか、いつの間にか開放されていた腕を持ち上げ手を紫に見せつける。そして自慢の長く美しい指をくいくいと動かして見せる。この指が荒れてたりして二人の体を傷つけるなんて、何より私が一番やだ。嫌だし、その恐れがあるから二人に触れられないのはもっと嫌。ならどうするか。毎日お手入れして、いつでも心配なく触れるようにすればいいのだ。

 

「この指は紫と幸せになるための指だから、毎日欠かさずお手入れしてるんだよ」

 

 だから二人と会えないとわかっている間は、そこまで気合い入れない。私が海外行っている時とか、二人が本土や海外に行っている時とかはね。したって見てもらいたい相手がいないならするだけ損とまでは言わないけど、そこまでする気にもならない。仕方ないことだ。ただ全くしないでいると衰えちゃうからケア自体は欠かさない。二人がいなくても仕事はあるからどのみちお手入れはしないとダメージ受けちゃうし、仕事にも支障が出かねないという面もある。あと単純に、手が汚いなんて私のプライドが許さない。美に慢心と油断は禁物なのだ。

 

「……あ、ありがとう。そのおかげで、こんなに綺麗なのね。ほんと綺麗よ、うん、あんなに暴れてたのに」

 

「あっ」

 

「ぬむむっ!」

 

「え?」

 

「そういうことかあ……」

 

 なるほどね。完全に理解した。今の照れを誤魔化すためか、早口になってたセリフでわかっちゃった。迂闊だったね。夢華もグルだったな。私が気付いたことに気づいて反応しちゃったもんね。私の指を咥えている口が一瞬強張ったし、咄嗟に声は出しちゃったしで完全にアウトですねえ。

 

「ねえねえ」

 

「な、何よ?」

 

 私の雰囲気に何か察したのか、及び腰になる紫。今度は私が自由な片手で紫の腕を捕まえる。もう逃げられないぞ。

 

「あなたたちさっき私のことじろじろ見てたでしょ」

 

「み、見てたわよ? それが何よ。嫌なの?」

 

「嫌じゃないよ。むしろ好き。もっと見て」

 

「そう。じゃあいいじゃない」

 

 声が上擦ってるよ。それにもっと見てほしいのは見てほしいけど、見るならちゃんとそれなりの雰囲気は作ってね。あんな真面目な空気の中見られるのは落ち着かなかったよ。

 

「私は見られたっていいんだけどさ、二人はただ見るんじゃだめだったんでしょ。あれ、私に傷や怪我がないか確認したかったんじゃないの? それでお風呂に一緒に入るって言ってたんでしょ。そして首尾よく裸を見る機会を確保して、私にあんな格好を……ん? あれ、待って。あんな格好させる必要あった?」

 

 紫たちが人を裸にしてさらし者にしたのは、本当に怪我をしていなかったか見たかったからだろう。今紫が平静を失ってつい口走ってたのが答えだ。つまり刀や太刀などの武器を振り回したり、武器で打ち合ったりやられたりしていたから怪我くらいありそうと考えた。それで今さっきまで私の腕をとって確認してたわけだね。最初に全身を見ていたのも、同じような理由のはず。

 

 でも話している途中で気づいちゃった。だからってあんな格好させる必要は全然なかったということに。いやいや、けど裸を真面目な顔で観察されるような心当たりはそれくらいしかない。動機は間違いないはず、手段が異様だっただけで。

 

 紫を拘束し、問い詰めながらもだんだん自信を失っていく私だった。

 

 

 

 

 

 

 

「はぁー……もう完全にバレたか……」

 

 必死に顔を逸らし、身をよじって逃れようとしてた紫だけど最後には観念した。紫の筋力や技術で私から逃れられるわけないんだよなあ。無駄無駄無駄。そもそも逃げようとすること自体がもう答えを言っているようなものじゃん。そこに気づいてしらを切れない時点でもうダメだぞ。

 

 なのにうだうだと無意味な抵抗を続けるので、丸い肩や柔らかな腕などを手当たり次第に甘噛みしてやった。びくびく震えながら懸命に耐えていた紫だけど、最後にはがっくりうなだれ白状した。やれやれ、無駄な抵抗しやがって。早く諦めないからこんな目に合うんだ。私だって舐めたり噛んだりしていじめたくなんかなかったのに、紫が悪いんだよ。

 

「ないわよ、ないない。変な格好させる意味なんか何にもありませんでした。あなたにお披露目のためとはいえかなりびっくりさせられたから、二人がかりでちょっとした仕返ししたの。いきなりあんなびっくりさせられ続けた仕返しにしてはかわいいものでしょうが」

 

「かわいいからはかけ離れたポーズをさせられたんだけど」

 

 はっきり言ってさっきの私、相当ひどい格好だったんだけど。しかもそれをねっとり見られているという。しかも今日は浴室の壁に庭を映していたから、野外で露出している気分にまでさせられた。これでいけない趣味に目覚めてしまったらどう責任取ってくれるの。ちゃんとお散歩に連れてってくれるっていうの。

 

「まあそうね。でもほら、かわいくはなかったけど見てて楽しかったわよ」

 

「そっかあ……なら、いいけど」

 

「いいのか」

 

 いいよ。紫たちが楽しんでくれるなら、エッチなポーズくらいいくらでもしてあげるよ。ぶっちゃけ今更そんなもんって話だしね。

 

「もぐもぐ……んあっ。もう、紫ったらすぐバレちゃったじゃないですの」

 

「私に全部丸投げして、四季の指しゃぶってただけのくせに。そのまま黙ってしゃぶってなさいよ」

 

「バレてしまったんですもの、もうおしゃぶりして黙ってる必要もないですの。ふふふ、びっくりしたでしょう四季。私たちも随分とびっくりさせられましたから、これでお相子でしてよ」

 

「そうかな……?」

 

「それで驚かされた側の私たちの気がすんだんだし、いいんじゃない?」

 

 そうかも。別に嫌だったわけでもないし、理由がわかればそれでいいか。

 

「それより体よ。一応全身じっくり調べたつもりだけど、本当に傷一つないのね」

 

「シミも一つもないよ!」

 

「知ってますわよ。そうじゃなくて」

 

「わかってるわかってる。心配性だな、もう。大丈夫って何回も言ったのに」

 

 午前を時間いっぱい使い、武器を振ったり走り回ったり、吹き飛ばしたり殴り飛ばされたりと楽しいお披露目会だった。強烈な攻撃とそれに伴う爆発が直撃した時なんかは楽しかった。衝撃で上空へ大きくのけ反った体勢で舞い上がり、きりもみ回転しながら落下して頭から建物と地面につっこんだ。こんな派手に吹っ飛んで、また派手に落下するなんてゲームでもそう体験できないよ。格好悪いから悲鳴は上げなかったけど、思い切って大声を上げてみても楽しかったかもね。惜しいことしたかな。次やられたときは大声でグワーッとか叫んでみよう。勢い良く吹き飛びながら叫んだら、実際気持ちよさそう。

 

 その程度の悔いは残したけど、おおむね楽しく過ごせた。過ごせたんだけど、それだけ大暴れしたから見ている二人に心配もさせちゃったらしい。頭から墜落して上半身が地面に埋まったりもしたし当然か。こうして振り返ってみると心配されるのは仕方ない。私以外にも二人と一緒に観戦してたメディとヴィクトリアが、心配している二人にちゃんと説明や解説はしてくれていたようなんだけどね。危なく見えるけど装置の機能や服の効果で実際には怪我をすることはほぼない、という趣旨の説明を何度もしたって聞いてる。私も武器の交換や戦場の切り替えとかの合間合間に大丈夫って言ったんだけど、やっぱり自分の目で確認しないと収まんないか。目の前で盛大に暴れたからやむを得ない。

 

 でもそうか、やはりそれで私と一緒にお風呂に入るって主張してたんだね。私が誤魔化してたり嘘ついているかもしれないから、直接自分の目で見たかったんだろう。それほど心配させちゃったのかと思うとちょっと申し訳ない。そんなつもりじゃなかったんだけどな。全身観察されるぐらいは甘んじて受けておいてよかったよ。少しは心配させた償いになったことだろう。

 

「確かに何度も大丈夫とは説明されましたけど、あんなに強く殴られたりしていたのを見てましたもの。しかも攻撃を受けるだけじゃなくて、それで飛ばされて地面にめり込んだりもしてましたでしょう? あれで平気だとは普通思えませんわよ」

 

「私も私の発明品も普通じゃないからね」

 

「そうなんだけど。でもあんな揺れがこっちまで伝わってくるくらいの勢いで地面に激突して、よくあれで本当に擦り傷の一つもないわね。普通死ぬ勢いだったでしょ」

 

「そういう風にできてるの。気兼ねなく遊んでもらうにはさ、やっぱり怪我をしないっていう安心や安全性って大事じゃない」

 

 これからゲーム事業部の売りとなる新しい事業、新たなスポーツにしようってわけなんだしね。私たちのような大人や学生、ロッテみたいに小さい子供にも遊んでもらいたい。でも本当に武器とか持って遊ぶのはやってみたいだろうけど、だからって格闘技みたいに怪我をしちゃうのは嫌だと思う。というか怪我をするのを覚悟しないといけないなら、それはもう格闘技であって遊びではないし。格闘技ほど覚悟しないでも、もっと気軽に遊んでほしい。そもそも武器で攻撃されて吹き飛んだり上空から地面に叩き落されたりなんか、怪我を防ぐ機能がなかったら怪我どころじゃすまないよね。リアリティを追求した上でそんなことされたら、紫の言うように普通死ぬか良くて大怪我だよ。ゲームやアニメのキャラじゃあるまいし、現実の人間はそこまで丈夫じゃないのだ。

 

「言いたいことはわかりますのよ? ただそれでもって思ってしまうだけで。だってあんなに炎ですとか雷や光を散らして殴り合いをしてたでしょう。格好良かったですのよ? そこは勘違いしないでくださいね。格好良くて素敵でしたわ。特に四季の長い脚がピンと伸びる蹴りだとかは、この長さと脚線美がないと出せない美しさで本当に感動しましたの。炎を纏いしなやかな脚が弧を描く様なんて、神に捧げる舞を踊る巫女のようでしたわ。よく知っている脚ですけど、ああして動いているのを見るとまた違った味わいがありましたわね」

 

「あ、うん、ありがと」

 

 夢華って私の話になると急に早口になるよね。かわいい。あと嬉しい。

 

「そういう話なら、私はあれが地味に好きだったわ。あの攻撃した後の残心してる姿とか、攻撃後とかに籠手をこう、きゅっきゅって嵌めなおす仕草。あれ好き」

 

「そう? 手袋はめるのとそんな変わらないと思うけど」

 

「全然違うわよ。まず長さが違うでしょ。でも実はあれも好き」

 

「そ、そうですか」

 

 知らなかったそんなの……。でもやれやれって顔で言われたのがむかつく。肩をすくめ呆れたって感じのジェスチャーまでされた。私自身の動きについての話なのに、なんで張本人の私がそんな顔されないといけないのよ。というか私の動きの好きな箇所を上げるのが話の目的じゃないから。嬉しいけどさ。

 

「ま、それはそれとして」

 

 紫はやれやれ顔から一転して、真剣な顔で私の腕を再び取り手の平で撫で擦る。確かめるように、というか事実確かめているんだろう、時折ぎゅっと掴んだり押したりとしながら紫の手が私の腕を上ってくる。

 

「体全体を見てもこうして腕だけじっくり見ても、本当に綺麗ね。殴り合いとかガードはともかく、化け物に思いっきり拘束されてたじゃない。だから絶対どこかに圧迫されたあとくらい見つかると思ってたんだけど」

 

「ああ、それで」

 

 私の腕を抱え込んで探ってたのね。確かに殴り合いやら防御やらで腕を使ってたから、あざくらいはできてそうだもんね。でも残念、ありませんでした。ふふふ、すごいか。

 

「どうだった? 私がジャパニーズ触手に拘束されて、宙づりにされてる姿」

 

「あえてジャパニーズをつける所に悪意を感じるんだけど」

 

「気のせいでしょ。ついてると何かまずいの? どうして? ねえねえ?」

 

「うっ……別にどうでもいいでしょ。それより夢華」

 

 逃げたな。まあ夜にでも新型装着式触手の性能検証も兼ねて、たっぷりお話ししよう。

 

「どうもこうも、大変興奮しましたの。四肢を悍ましい触手に絡め取られ、身動きが取れなくされて抵抗できない四季。この豊かで魅惑的な体の上をあの汚らしい触手が這い回り、胸やお尻を強調するように縛り上げるなんて。あの怪物はよくわかってますこと。いい仕事しましたわ。動きを設定したのは絶対にヴィクトリアでしょう。あの子はさすが、いい趣味してますの。気が合いますわ。今まで触手っていまいち興味なかったんですけど、もったいないことをしてきましたわね。今度私にもやらせてくださいます?」

 

「一応聞くけど、拘束される方?」

 

「まさか。する方ですわ。確か以前、私でも使える触手を見せてもらったように思いますが」

 

「うん、あるよ。でも私を縛るのに使うんだったら、また別の体に優しいやつあるからそれにしてね」

 

 以前見せたあれはご家庭で人気な汎用作業用触手、というか多目的アームだ。ロボットアームだけど家具などを傷つけないように触り心地は柔らかいし、細かい作業や室内の狭い空間でもよどみなく動けるよう動きも滑らかだ。でも人体を拘束する用じゃないから、あれでされるとちょっと痛いし傷になりそう。ちょっと傷がつくくらいがいいって言うならあれでもいいけど。それはそれで家事に使う道具でこんなこと、みたいな感じで楽しい気もする。

 

「夢華の感想はともかく、そんな風に空中で固定されるほどの力で拘束されてたわよね。しかもその後あんな大きな化け物の攻撃をこう、ガッと腕で受け止めてたのに、何であざもないのよ。どう見ても腕どころか全身の骨バキバキになるレベルだったわよ、あれ。おかしいでしょ、現実的に考えて」

 

「ぶはっ」

 

 吹き出してしまった。不意打ちすぎて堪える間すらなかった。

 

「な、何よ」

 

「だ、だって、ゆかりんさぁ……っ!」

 

 自分でも思いがけないくらいツボにはまった。

 

 紫が言った私を拘束したり攻撃したという巨大な怪物は、午前にお披露目した中で最大の大きさと存在感を放っていた。それは優に二十メートルを超す巨体を青空に浮かせていた。その胴体というべきか、球体の本体は直径だけでも十数メートルはあった。白い石材のような質感をしたその球は、上下左右前後の六方向に同じく巨大な人の顔を張り付けている。確認できた範囲の人相はどれも厳めしい男性で、黙想する哲学者や厳格な聖職者を思わせた。その人面を張り付けた球体の横に当たる空間には一対の、これもまた巨大な灰色の腕かあるいは太い触手の様なものが浮いていた。その触手はただでさえ太く大きいが、球体の本体側を根元とするとその反対。人間でいう手の部分に向かうにつれ、より大きく逞しく膨らんでいた。これもまたよく磨かれて作り上げられた石像のように見えた。この膨らんだ腕が作る拳は、何度も召喚されたゴーレムの比じゃない大きさと迫力があった。

 

 また横には腕があったが、背には翼があった。本体と同じく白色の翼だがその質感は本体の石的なものと異なり、内部に血が通い肉が動く様が見て取れるような生物的な姿であった。白い鳥の翼と言った印象のそれは、本体の重々しい雰囲気をした人面に反して軽やかで生き生きとした活力を感じさせた。内から仄かに光り輝くその羽はまたしても大きく、球体もその脇から伸びる腕までも包み込めるほどだった。その羽から何らかの力が働いているのか、球体は羽ばたきもなしに大きく翼を広げた状態で宙に浮いていた。

 

 その浮き上がった球体の下からは、長さも太さもまちまちの触手が無数に生えていた。またその外見もバラバラで、タコやイカのような吸盤が付いているもの。植物のつるのような滑らかで丸みを帯びたもの。何かの内臓めいてぶよぶよとした触感が見るだけで伝わるようなものなど無数の種類があり、同じ見た目の触手はおよそ一つもないように思われた。当然のごとくその色も千差万別で赤青緑、黄に紫に黒と色とりどりだった。しかもこの触手はどれもが各自の意思を持つかのようにてんでばらばらに動き回り、脈動し蠢き震える姿はどこか神聖さすらあった本体とは真逆の悍ましさがあった。

 

「現実にあんなのいないでしょっ……!」

 

 いたら困る、困るどころじゃないか。軍隊が出てくるわ。しかも出て来るけどどうせ倒せないやつだ。ぼこぼこに蹴散らされて最終的にヒーロー助けてってなる。そんな特撮怪獣クラスのと戦っている様子を見て、まさか現実的って言葉が出るとはね。

 

 笑いを何とか抑えながら言うと、自分が言った内容にようやく気付いた紫の顔がどんどん赤くなった。お湯で温まって赤くなった顔が、さらに赤くなっている。そして反射的にだろう。珍しく大袈裟な身振り手振りでお湯をバシャバシャとはね飛ばし、必死になって反論する。

 

「や、ちがっ! そうじゃなくて、大きさからしたらほらっ、現実的に考えてっ!」

 

「現実的……!」

 

 何が面白かったのか、遅れて夢華も気づいて笑い出す。

 

「あんなの現実であったことありますのっ……!」

 

「ないわよっ! そうじゃなくってぇ!」

 

「いやー、言いたいことはわかるよ? 見た目から考えて、とかそういう話なのはさ。でもおかしくってさあ」

 

 あれを見て現実的におかしい、とか言われてもね。現実であんな巨大な化け物に遭遇して、まして戦ったことなんかないんだから現実的に考えることなんかできないんだよなぁ。言いたいことはわかるけどね。現実的というか物理で考えればあの巨体だ。中身がスカスカじゃない限りはそれ相応の質量がある。その大質量で攻撃されたらって話なんだよね、多分。わかるけど、笑っちゃう気持ちもわかってほしい。現実に存在しない怪物の攻撃を受けて怪我しないなんて、現実的に考えておかしいっていう話の面白さよ。

 

「あー、笑った。ごめんごめん。ちょっとツボにはまっちゃって」

 

「もう、いいわよ」

 

 あーあ、拗ねちゃった。プイッとそっぽむいちゃった紫に抱き着いて謝るけど、ぐいぐい顔を逸らせて目も合わせてくれない。ごめんってば。

 

「でもまあ現実的、なんて言葉が出るくらいにはリアルに作れてたってことかな」

 

「そうですわね。午後からは私達にも色々試させてもらえるそうですけど、あれ見てたらちょっと遠慮しようかなという気になりましたもの。ゲームとかとは存在感が違いすぎですの。あれ本当にあんな生き物を作ってしまったわけではないですわよね? 信じていいんですのね?」

 

「さあどうかな? ……待って、嘘、嘘、じょーだん、冗談だよ!」

 

 意味深なこと言ってニヤリとしたら、両側から血相変えて掴みかかってこられた。お湯に深く浸かっている私に、立ち上がって高さの優位をとって襲ってくるのを片手ずつで押し返す。紫も夢華も私より背が低く体が小さい、つまり腕の長さが全然足りない。なので腕をグイッと伸ばして押しやればもう二人の手は届かない。だから格闘なんかでは背の高さというか、腕や足の長さが大事な要素になるんだよね。

 

「あんな大きいの置き場所っていうか飼育場所に困るし、やんないやんない」

 

「本当ですわね? 信じますわよ」

 

「信じて」

 

 信用なさすぎでは。疑われることをしてきた自覚があるだけに何とも言えないけど。でもいつだって悪意があって隠しているんじゃないんだよ。新鮮な驚きと喜び、興奮やワクワクを与えてあげたくてつい。そんな私の内心に気づいているのか、紫が夢華を止めてくれる。手でもういいから、と夢華を制して再び座らせる。

 

「実際のところ本気で隠されたらわからないし、信じるしかないのよね。だからそれはもういいの」

 

 それはそれで、信じているわけじゃないって感じが。

 

「それよりあの化け物の話、というより午前中に見たお披露目の感想でしょ? 私としては正直ね、楽しみもあったけど恐怖もあったわ。ぶっちゃけ結構ビビった。ゲーム画面とか映画じゃない、なんというか、やっぱりこう表現するのがいいと思うんだけど、現実味のある迫力があったもの。あれと今から戦えって言われても、ね。ゲームのキャラとかはよくあんな巨大な敵に立ち向かっていけるわよね」

 

 私はちょっと無理、と紫は首をふるふると横に振る。夢華はそれに同意するようにうんうん、と頷いている。戦えないっていうことに二人とも同意しているのに、二人の動作が反対なのちょっと面白い。

 

「でももうなくなった?」

 

 ものすごい大きい敵だけど、私を見てもらえばわかるように、やられても怪我一つしないのだ。だったら怖くないと思うんだけど。そういう意味を込めて体や腕をアピールする。

 

 まあ見えている空の大部分を埋める巨体はそれだけで怖いだろうし、家一軒分はありそうな拳が向かってくるというのは変わらないけど。でもくらったところで思い切り吹き飛んだり、衝撃は感じるけどそれだけだ。

 

「うーん……そうね。本当に怪我一つないみたいだし、安全なのかなって気はしてきた。してきたけど、じゃあ大丈夫だね、戦えって言われたら無理」

 

 首がさっきよりも強く横にぶんぶん振られてる。そんなに振ると首痛くするよ。いくら私でも、本気で怖がってるならやらせないから。そこまで怖がってると思わなかったから、さっきまでやってもらおうかなと考えてもいたけど。予定では別のことするつもりだったけど、一度くらい体験しておいてもらおうかなって程度に。だって最初は怖いかもしれないけど、私も一緒だし。回数を重ねてちょっとずつ慣らしていけばいいかなって思ってた。けど、どうもダメそうだねこれじゃ。

 

「私も大体同じ感じですわね。後はもう、実際に試してみないとわかりません」

 

「そっかぁ」

 

 見栄え良く、派手にしようとしてみたんだけど怖がらせちゃったか。まさかやりすぎとは。巨大にして強大な敵と、それに挑む戦士たちの姿は古来より人の憧れや興奮を呼ぶ。だから私もそれに倣い、非常に大きな敵を作ってみたのだ。大きいっていうのはそれだけで迫力も説得力もある。私のこの装置と新競技の宣材動画にはうってつけかなって。夢華たちにお披露目してびっくりさせたり、すごいすごいと言われたいというだけで今回披露しているわけじゃないからね。言われたい部分もとても多いけど。私の大事な原動力だ。

 

 そのための策ってほどでもないけど策の一つだったんだけどな。大きくて派手で、なんか羽とか触手とか大きい顔とかつけとけばなんかボスっぽいかなって。そしてそれに挑戦する私とアンドロイドが勇者役。そのくらいのふわふわなイメージでヴィクトリアにデザインを頼んだんだけど、気合入りすぎだったみたいだね。私は完成したデータや実際に投影した姿を見ても、いい感じじゃんで終わっちゃったんだけどな。

 

 でもそうか、紫より物怖じしない夢華でもそうなら、やっぱり予想よりだいぶインパクトあったみたいだね。でもそれはそれで、そこまでリアルさを感じてもらえたのなら嬉しい。他のリアル系VRゲームやら立体映画やら遊園地の大規模立体映像なんかでは、いくら怪物が巨大で気持ち悪くてもまったく気にしない程度の慣れが二人にはある。近頃の一般に出回っている立体映像でも怪物怪獣の類は投影された姿や声があまりに大迫力で、子供は泣きだし大人でも腰を抜かすこともあるほどだ。そんなモンスターにも挑める二人がダメ、無理っていうくらいだ。よほど衝撃的だったんだろう。ちょっとがっかりな半面、予想以上の出来で嬉しい。

 

「まあ今回はデータ量が違うからねー」

 

「データ量?」

 

「そうそう。二人がビビったような現実味を感じさせるには、いかに現実に近い量のデータを持たせられるかが結構大事なの。VARSも今回の装置もそこは変わってなくて、あー、でも今回の方が装置に籠る必要のあるVARSより有利だったかな。現実の空気、現実の光、現実の音、現実の体が利用できたからね」

 

 ふーん、とかへーとか気のない相槌。あんまりよくわかってないなこれ。むむむ、二人に説明するとなるとどんなもんかな。本気の解説を求められているわけじゃないけど専門性の高い話だし、なんかいい感じに嚙み砕いた説明ができるといいんだけど。技術的な話じゃなくて、大体の空気が伝わればいいんだし。

 

「えーっと、そうね。あー……写実画ってあるでしょ?」

 

「ええと、あの、見えたままの物を描く絵のことでしたわね?」

 

「そうそう。で、あれって上手い人のだとまるで写真かさ、本物がそこにあるように見えるでしょ? 見たこと一度はあると思うんだけど」

 

「あるある。これで本当に絵なのって言いたくなるの、テレビで何回か見たわ。別に絵に興味はないけどバラエティで時々やってるわよね」

 

「私も当然一緒に見てますから見たことありますわ。それに私は教養のある大人の女性ですから、美術鑑賞くらいはたしなみますの。それがどうかしまして?」

 

 謎のマウント取りやめーや。

 

「そのリアルな絵ってさ、描く過程も大抵セットで流してると思うから見たことあると思うんだけど、ものすごい描きこんでるでしょ? 細かいタッチで小刻みに描いたり、違う色を何度も重ねたりとか。小さな所にも影をつけたり同じ色でも明暗をつけたり、後は何だろう? 筆の向きを変えて描いたり、光の反射で写り込んだものとかまで描いていたりとかかな。そういった描きこみがさっき言ったデータ量の、一部だよ。要は私が午前に見せたあのモンスターは、これまで二人が見てきたどの立体映像のモンスターより細かく作り込んでるってこと。二人がビビっちゃうくらいにね」

 

「誰がビビったって言ってるんですの? 証拠の提出を要求しますわ、証拠を。誰があんなの、あんなの怖くなんかありませんわ……ん? 一部なんですの?」

 

 今さっき怖いから戦うのは遠慮するって言ったじゃないの。そうは思うけど、面倒くさいことになりそうだから言わないでおく。

 

「そう、一部。だって今の例えは絵だったじゃない。絵は臭いや光を出さないし、他にも色々情報が欠如してるでしょ。そこで最初のデータ量の話に戻すとさ、VARSより午前に使った装置の方が有利って話したよね? それはそういうことよ。VARSであの午前のお披露目の場を再現するなら、あの場に当然にあった最上層の空気や日光や熱に、風や湿度や温度なんかも再現しなきゃいけないの。しないとあの広場より絶対に臨場感が失われちゃうもの。だって温度を感じなく風も吹かず臭いもなく空気さえないような空間、現実には存在しないんだから。臨場感を出すにはモンスターとかの作り込みはもちろん、その場自体の作り込みが必須だよ。場づくりが適当だと、どうしても作り物の世界にいるというフィルターがかかっちゃうからね。まずは実際にその場にいると錯覚させないと全ては作り物よ」

 

 そこでちらっと時計を見る。このまま話し続けると勢いがついてきて、だいぶ長話になりそうな気がする。興味のあることってどうしても話しすぎちゃうんだよね。かと言って午後からも予定はあるし、そもそも話して楽しいのは私だけって可能性もある。二人から受ける感じはまだ悪くないけど、あまり長いことそんな興味ないだろう話に付き合わせてしまうのは良くない。ふわっとした解説としては十分話したし、ここらが止め時かな。私の観察会とかで結構時間くったもんね。

 

「まあ今はこんな所でいい? 私のライフワークになるかもってくらい個人的には興味がある話なんだけど、そろそろいい時間だし」

 

 私がそう言うのを待っていたのかってタイミングで、ピッと起動を知らせる電子音が浴室の入り口からした。すぐに浴室のスライドドア横の壁に埋め込まれた通信機からヴィクトリアの声が聞こえてくる。このお屋敷のほぼあらゆる電子機器はヴィクトリアが掌握している。なので実際やろうと思えばヴィクトリアは私たちがお風呂に入っている様子を浴室のカメラで観察して、今の様にタイミングよく話しかけることも可能ではある。今のは偶然だろうけど。

 

『昼間からお風呂で絡み合っているところ申し訳ありませんが、食事の準備ができましたよ』

 

「言い方、言い方」

 

『女同士のねっとりした何かを邪魔したくはありませんが、こちらは我々の洗浄も含め全て準備できました。後はマスター方だけです』

 

「わかったわかった。待たせちゃ悪いし、もう上がるよ」

 

『そうしてください。あと五分もなしですよ』

 

「はいはい、今行く」

 

 早くしてくださいねと念押しするとプツッと通信が切れた。どうもお風呂で遊んでいる間に、お昼ご飯の準備が終わったらしい。

 

 近頃自動調理機に対抗心を燃やしているラブリと、新しいアンドロイドの体を試したいヴィクトリア。そして家庭用の汎用奉仕型を目指して作ったメディの三人が、南城院家の料理人の補助や監督の元で昼食を作ってくれていたのだ。くれていたというより、やりたくてやっただけの方が正しい。

 

 本来南城院のお屋敷では専属料理人が食事を用意してくれる。メイドさんやその他使用人のも雇い主一家のも、時には客人の食事も全てを扱うだけの腕や信頼がある人たちだ。技量も信頼もなきゃ勤められないし、業務内容に関しては厳しい守秘義務がある職場だけど給料はいいそう。料理人に限らず、この家で働く人はみんな同じだけど料理人は特に厳しい。下手したら命に関わるし、命までいかなくても雇っている家の面子とかに関わる仕事だからね。

 

 今日もそんな厳しい審査の末に就職できた人たちの、いつものおいしいご飯をいただく予定だった。だけどせっかく人間と大差ない体を手に入れたから、早速手ずから料理を振る舞いたいとヴィクトリアが。そこに最近主の役にもっと立ちたくてやる気に満ちているラブリが、自分にもやらせてほしいと言い出した。どうせ止めてもやると言ったらやるだろうし、別に私は困らない。なので夢華や料理人さんたちの許可は得た上で、彼女らで昼食を用意することになったのであった。

 

 そこで私はそれならいい機会だしこの子も、とメディにも働いてもらおうかと思い立ったのである。他のアンドロイド娘ちゃんたちは激しく長時間運動したので、データ収集も兼ねて全身のチェックと洗浄行きだ。けどメディは最初のインパクトのある登場くらいしか運動していないし、データ取りも洗浄も今すぐはいらない。

 

 メディは汎用奉仕型だから家庭で料理を作るのも仕事の内だ。いやメディはどこにも誰にもあげない、私のだよ。そんな風に各購入者のご家庭で手料理を振る舞うことになるのは、メディのデータを基に製造する予定の家庭用汎用奉仕型アンドロイドたちだ。彼女らには各家庭で母の味ならぬ、世話役アンドロイドの味の料理をそれぞれに作ってもらう想定をしている。

 

 今回製作したメディたちは、全員に料理に必要なスキルプログラムを入れてある。けど実際に料理したことはない。生まれたばかりだしね。だから今回の料理はアンドロイドによる調理のデータ収集の一環としてちょうどいい。だがヴィクトリアはアンドロイドボディに入っているとはいえ別物すぎるからノーカン。一応どんな具合に動いていたかは調べるけど。

 

 そのためいつものお昼みたいにすぐには食べられないので、その間にお風呂に入っていたのだ。食後すぐの入浴は体に悪いけど、のんびり休んでお風呂入ってからでは午後の予定が後ろにずれこんじゃう。だったら食前に入るしかないねってことでそうなった。スキルはインストールしてあっても実践は初めてな二人と、経験はあってもまだまだ不慣れなラブリ。これならお風呂入って汗を流し、新しい服に着替えるくらいの時間は十分あると思ってたんだけどな。思ったより早かった。それよりも私が謎の尋問を受けていた時間が長かったのか。たぶん私たちがのんびりしすぎた方ですね、これは。

 

「聞いてたでしょ。そういうわけでさっさと行くよー」

 

「そうね。思ったよりゆっくりしすぎちゃったわ」

 

「お昼ご飯の出来が気になりますわね。うちのコックたちがついてますから最低限の味は保証されてますけれど、お手並み拝見といきましょう」

 

 入る時は一緒に入るとあんなにごねてたのに、出る時は色々気がすんだのかあっさり上がる二人。なんだか釈然としない気がする。納得いかない気持ちでペタペタと歩き出した背後で、相変わらず竹が軽い音を立てていた。

 

 

 

 

 

 

「あ、意気込んでたところ申し訳ないけどね。午後は一応、午前とはまた別のことする予定だから」

 

「えっ」

 

「だって同じことしても仕方ないし……色々できる装置なんだから、その色々を見せてかないと」

 

「ん、まあ、そうねえ……じゃあ何するの?」

 

「それはもちろん後のお楽しみ。チャンネルはそのまま」

 

「一つ先に言っておくけど」

 

「何よ?」

 

「またびっくりさせるつもりなら、覚悟してやりなさいね」

 

「えっ」

 

「えっ、じゃないが。午前の仕返しがさっきのがに股観賞と裸土下座よ? それでもまだやるっていうんなら、より過激な報復が待つと知れ」

 

「ヒェッ」

 

「私としてはびっくりドッキリな発明が見れて嬉しいですし、しかも反撃という名目で堂々とあんなこともこんなことも要求できるわけです。なので止めはいたしませんわよ」

 

「嬉しいなら反撃しなくていいでしょ」

 

「ダメです。それより気になっていたんですけど、あの最後の大きなモンスター。あれどうしてあんな姿にしたんですの? 何かモデルでも?」

 

「私にもわからん」

 

「えー……」




ちょっとスランプで他のことしてました。そしたらまるで小説が進みませんでした。だから小説を書くには、小説を書く必要が、あったんですね。


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宇宙の巣観察キット(星の種各種セット付き)

間空きすぎてるので実質初投稿です。


「ああ、ダメ……私の、私の太陽が消える……。暗い、真っ暗になってしまいますわ……」

 

「えっ、ちょっと大変よ、太陽中枢部が! 消えるどころか爆発してしまうわ!」

 

「さ、作業停止! 早く! これ絶対爆発するやつですって!」

 

「ああ、間に合わない!」

 

「ほあああああ!」

 

 ちゅどーん。

 

「あの人たち何やってるんですか」

 

「大爆発、ですね。懐かしいなー」

 

「ああ、ああああ。私の、私の太陽が……」

 

「終わった、何もかも……」

 

 心地よく晴れた昼下がり、突如発生した超新星爆発がとろりとした空気を走り抜けた。でもそれも一瞬、再び暖かな布団の中のような穏やかで気だるい空気が戻ってくる。叫び声を上げてた二人は揃って意気消沈なご様子でがっくりうなだれて黙ってしまった。そんな暗い雰囲気の二人とは対照的にお屋敷の大きな窓からは暖かな日差しがたっぷりと射し込んでいる。気持ちの良い青空が広がって、なんとはなしに体がうずうずする。体を動かすのがことさら好きってわけでもないけど、こういい天気だとそんな私でもむやみに外に出たくなってくるから不思議。

 

 そんな気持ちの良い青空から照り付ける日射しのおかげで広い部屋が季節外れに暖かい、を通り越してもはや暑い。暖房をつけているわけでもないのにみんなすっかり上着を脱いでしまった。冷房を入れるってほどでもないし、脱いで調整できるならその方がいい。お金持ちの家だからっていつも冷房ガンガンにきかせているわけではないのだ。してたら体に良くないから私が止めるし。

 

 しかし暖かくなり始めた季節とはいえ、もうこんなに薄着になる日が来るなんて思ってなかった。下着はいつも気を抜かないよう気を付けてるからちゃんと可愛いのだし、透けたりちら見えしても大丈夫なはず。ちょっと心配になったけど考えてみたら見られて困る相手もいないし、何より脱がないと体が火照っちゃってつらいほどの室温になっているので結局脱いだ。ただこの程度の気温で服を脱がないといけない程やわじゃないのも一体いる。その頑丈なのは今も一人だけ、二人で一緒に作った専用のロングの黒いメイド服をしっかり着こなして姿勢よく絨毯の上に座っていた。

 

 新品のボディに新品の服だっていうのに着慣れた様子で、普段から着てますみたいな顔してお洒落に着こなしている。でもその格好今の季節にはあってるけど、今の部屋にはあってない。見ているこっちが暑くなりそうだけど当の本人は涼しい顔だ。お澄まし顔で私の隣に座り、時折私の肩や背中を撫でまわしている。何がしたいの、気が散るしくすぐったいんだけど。でも払いのけるほどうっとおしくならないラインを見極めて触ってくるので仕方なく放置。私に触れてたいだけなんだったら無下にしてもかわいそうだし、そのくらいは甘えさせてあげたい。私も結構くっつきたがり屋だし気持ちはわかる。その私の性質を私が生んだヴィクトリアが受け継いだと思うとやめろとは言いにくい。

 

 それに昨日添い寝するの拒否したのも今になるとかわいそうだったかなって思う。でもアンドロイドのボディになって人間並みの図体になっちゃったから、一緒のベッドに入ると邪魔くさかったんだもん。これで抱き枕じゃなくてきちんとした添い寝ができるって期待してたようで、いざ一緒に寝たところでやっぱ邪魔だわと追い出されて大変にショックを受けた顔してた。思い出すと悪いことしたなーって気になる。

 

 ただあれで思ったんだけどもしかして私も夢華や紫、下手したら桜花ちゃんや茉莉ちゃんたちにも一緒に寝ると邪魔くさいなって思われてたんだろうか。がっつり嫌がられてたら隠しててもわかるけど、ちょっと邪魔だなっていうくらいだと意識しないと読めないからなあ。今度一緒に寝るとき意識してみよう。でも鬱陶しいって思われてたらショックだわ。知るのが怖い。

 

「ん? どうしました?」

 

「いやー、ヴィクトリアは綺麗に仕上がったなーって」

 

「ありがとうございます。マスターに綺麗と思っていただけて何よりうれしいです」

 

「うわ、あざと」

 

「おやマスター、この暑いのに犬がキャンキャンうるさいですね。負け犬という種だと思うのですが」

 

「お、喧嘩の時間か?」

 

「もう勝負ついてますから」

 

「は? それはこっちの台詞なんだけど?」

 

 私に褒められてわずかに頬を染め、にこりと微笑む姿は実に麗しい。目の保養になる素敵な美人だ。当たり前のように顔を赤らめ恥じらいを表現しているけど、この仕草や表情だけ見れば人間にしか見えない。一方で今茶々入れてきた紫と喧嘩している顔も実に自然だ。冷たい系統の美人だから嘲笑するような顔がよく似合ってる。似合いすぎて元ネタの人みたいでやだ、怖い。

 

 それよりも昨晩のショックを受けて瞳を潤ませ、切なげに眉を寄せる顔の方が煽情的で美しくて良かった。お見事の一言だったよ。芸術品のような表情だった。あのままの表情で固定して保存しておきたいくらい。それほどの出来のおかげで、私は今になってわずかに罪悪感を感じさせられてしまっている。これが人に近づいた弊害、人間的過ぎるから意識してしまうということか。わからせられた。これは確かに人間嫌いとか苦手な人だと買いにくいわ。人間のようであることは必ずしもいいことじゃないねえ。

 

「フシャーッ!」

 

「フカーッ!」

 

 こんな人間どころか猫の喧嘩みたいな声出して喧嘩されるのもどうかと思う。人と喧嘩ができるってすごいことではあるんだけどね。喧嘩売ってくるロボットってどうなんだろう。でも喧嘩もできないなら本物の家族や友人にはなれない気もするし、悩ましいなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 部屋は暑いのに我が娘の顔はそれを感じさせない涼やかな表情で、さっきまで大騒ぎしてたとは思えない大人の女性といった風情だ。そっと私に触れる手も熱くはない。逆に人間の平均体温よりやや低くひんやりしている。温度制御が上手くいっている証拠だね。これなら夏場も体温の上昇で不具合が出るようなこともなさそう。

 

 ただね、別に違う服装してもいいんだよヴィクトリア。人間と同じように暑い時には涼しい格好するぐらい自由にしていいんだ。むしろした方がいいよ。いらない負荷を温度制御機能にかけるより、外側の服で調整をする方が無駄がないもの。その辺は人間と同じだ。というより人を含む生物が本当によくできているというべきか。私たちが科学を進歩させてようやく実用化出来た機能を、何千年も前から既に持ってるんだよ。神様ってすっごーい。

 

 ただ服のデザインとかだいぶ時間かけて設計してたし、私にも何度もどっちがお好きですかって見せに来てたし、着てたいんだろうなぁ。ドーロイド用のお洒落はしたことあるけど、人間のようなお洒落は私を着せ替えるくらいしかどうしたってできなかったからね。自分でもできるようになって嬉しいんだろう。そう思うとまあいいかって気になる。お洒落を楽しむ心を大切にしてあげたい。

 

 この子のどっちがいい、なんか可愛いものだしね。世の女性、特に美にプライドやこだわりがある人のどっちがいいのという質問は大抵面倒。あれ本質は服の良し悪しよりも、ちゃんと自分を見ているかを推し量る尋問や試験に近いよ。ほんとひどい。

 

 海外にいる面倒な女性筆頭二人のことを思い出すとため息が出ちゃう。だまし討ちか抜き打ちテストだよあんなの。どっちと聞かれてどっちだとはっきり答えてはいけないってどういうことなのよ。特に考えずにうっかりこっちがいいんじゃないなんて言ってしまうと

 

「じゃあ私にこちらは着こなせないというのね?」

 

 とか

 

「ふーん、私には似合わないように見えるのね? そう」

 

 とかなんとか言い出してへそを曲げるのだ。困った人たちだよ。彼女らは自分が美しい自覚もあれば自分の審美眼や着こなす能力に自信もある。だから着こなせないと思われるのは、誰もそこまで言ってないんだけど、癪なのである。また似合うと思うから持ってきたのに片方だけ選ばれると、それはそれで自分のセンスが否定された気になるそう。なんて面倒くさいんだ。けどそこが可愛いのよね。面倒くさい女の子の心を解いていくのが楽しいんじゃ。

 

 一方同じ美人でお嬢様でもうちのお嬢様はその辺楽でいい。私たちがこっちがいいんじゃないって言えば

 

「じゃあそうしますわね!」

 

 の一言だもの。その分プレッシャーと言えばプレッシャーだけど。でも信頼が重くて適当な返事がしにくいのも困るけど、そんな困り方はいい困り方よ。やっぱ夢華が私にはナンバーワン。

 

 なんて考えながらまた遊びに戻った夢華と紫を眺める。

 

 薄着になったけどさっきまでいい年して取っ組み合いしてたので、何故か途中参加した夢華も当然紫もやや肌が汗ばんでいる。とは言えこれから夕方にかけて徐々に気温が下がっていけば部屋も少しずつ冷えてくるし、そう長い間この暑さが続くこともないだろう。このお屋敷は町でほぼ一番天に近いから遮るものがなく、日光がガンガン取り込まれるので冬でも暖房なしで暑いくらいの部屋も多い。その一方で天に近いから冷えるのも早い。

 

 でも日当たり良好って最上層や上層が高級地とされる理由の一つだけど、これだけ暖かく何より天然の日射しを豊富に味わえるっていうのは確かに気持ちがいい。下層や最下層の都市照明や疑似太陽光も、あれはあれで私は好きなんだけどさ。生まれは別だけど育ちは主に最下層だったし、慣れ親しんできただけに愛着がある。作り物の空でも、というかだからこそ見るとホッとするんだよね。帰ってきたなあって。

 

 けれどそんな愛着はある他方で、こうして日を浴びているとやっぱり太陽は人間にとって特別だなって気もする。太陽万歳。暖房とは違うこの特有の暖かさに包まれた部屋で、昼間のくだらないバラエティー番組なんか流しているとすごい穏やかで平和な感じだ。今にも眠りについてしまいそうなまろやかな空気が部屋に満ちている。間違いなくお布団の中の温もりと同レベルの眠気力がある。

 

「んー……くぁぁ、あふぅ」

 

「おや、お眠ですか? この一週間はずいぶん張り切って動き回ってましたし、やっぱりお疲れだったんですよ」

 

「そうかな……そうかもね」

 

「お膝、どうぞ」

 

「えー、でも食べてすぐ寝ると牛になるし」

 

「牛になっても大事にお世話しますから、どうぞ。さあ。さあ」

 

 膝をポンポンと叩いたヴィクトリアはすっと手を伸ばし私の腕を引く。お世話すればいいって話でもないでしょと思いつつも、軽く引っ張られるままに横倒しになる。色々な人から狙われる天才の頭が、ぽすんと軽い音でヴィクトリアの膝上に着地する。そのままぐったりと力を抜いて、下半身を伸ばして完全に横になった。勝手に体から力が抜けて行くくつろぎの体勢である。

 

 あまり自覚はなかったけど、確かにこうして横になるとぐっと眠気が増した。午前中はシアタールームで映画を見るくらいしかしてないのに、やはり疲れがたまってたってことなのかな。実際この一週間ほど私、めっちゃ働いてたもんなあ。指摘されるまで自分では意識できなかったんだけど、普段の素の私を知る人がはたから見るとすぐわかるほどに。思い返せば一週間、基本インドア派で一人黙々と引きこもって作業しているタイプな私にしてはえらくアクティブだった。理由はもうわかり切ってる。ヴィクトリアにも、何ならその理由そのものである夢華や紫にも指摘された。

 

「久しぶりに私たちと一緒に過ごせるからってはしゃぎすぎよ。遠足前の子供じゃないんだから、もう少しテンション抑えないと疲れちゃうわよ」

 

「そうですわ。急に勤労意欲に目覚めたのでなかったら、もう少しペースダウンした方がよくってよ」

 

「私が普段働いてないみたいな言い方はやめて。深刻な名誉棄損ですよ!」

 

「そうですよ。マスターほどの方ともなれば、遊びの成果であっても凡人の仕事を上回るのです」

 

「おおっと、それ援護なの?」

 

「はて? 事実ですが」

 

 といった具合で夢華たちと久しぶりに一緒に過ごし、一緒に働くという状況に柄にもなく浮かれていたことを指摘されてしまった。くっそ恥ずかしい。いい歳こいてテンション上がりまくってた私をどんな目で二人は見てたんだろう。

 

 子供だって大抵テンション上がってても一日二日で元に戻るだろうに、一週間テンション高いままだった私はいったい何なんだ。だいたいしばらく一緒にいられなかったとはいえ連絡は取ってたし、毎日顔も見てたのに。一緒に何かをやるのは確かに高等部以来だけどさぁ。大学は私かなり特殊な通い方したし、二人は二人でお家や会社の格や規模にふさわしい諸々を身に着けるためにあちらこちらへ行っていて忙しかった。だから久しぶりで嬉しいのは自覚していたんだけど、認識が甘かったよね、自分の喜びようの。

 

「四季ちゃん、何をそんなにそわそわしてるんですの?」

 

 そう言ってようやく自覚しつつあった私の手を包み込むように握り、そっと私を見あげる夢華。その目は優しかった、を通り越し母親が子供を見るような慈愛を浮かべていた。いや、お馬鹿で可愛いペットを見る飼い主の目だったのかもしれないけど。家に帰ると跳び上がりぐるぐる駆けまわって喜ぶ犬を見るような、そんな目だ。犬飼ってる知り合いがそんな目をしてたもの。その後

 

「落ち着かないならお散歩でもいかが? すぐ準備できますわよ」

 

 と言われたし。首輪とリードも必要かしらとか言っていたけど、必要といったら誰につける気だったんですかね。それで人前を歩くのはちょっと勘弁して。せめて前みたいに庭とか広場とかの私有地でしようね。流石の私も街中はきついわ。昨日のお風呂みたいに映像を、街中でも店内でもどこでも好きな所を映すから許して。

 

 しかしこの子何でこんな倒錯趣味に育ってしまったのかしら。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……? どうしたんですか、さっきから遠い目をして。何か見えます?」

 

「ああ、いやちょっとお散歩のことを、少し」

 

「お散歩ですか? いいですね。台風一過という具合で心地よい晴天ですから、きっと気持ちいいですよ」

 

「そうね。まあ今はいいよ。今はここから動きたくない」

 

 お膝も部屋もあったかい。今日は暖かいと言ってもまだ季節的には寒さも残ってるし、この微睡みと温もりを離れて外に出る気には今はなれないかな。それに散歩なら夜に特殊なのを計画してる。

 

「そうですか。では、お好きなだけお膝に。私の体は全てマスターのものなのですから、ごゆるりと」

 

 私の言葉にヴィクトリアがにっこりと、というより静かに怜悧な美貌に微笑みを浮かべる。可愛い。可愛いけど、その優しげな瞳が余計なことも思い出させる。

 

 人用の首輪やリードを意識的に記憶からカットしつつ膝上で特に何をするでもなく、程よい眠気にぼんやりしているとついその余計なことが思い出された。窘めるような、けどどこか微笑まし気に私を見やる目や普段とは違う種の愛情の籠った声が。その後の一部を除けば素敵な記憶でもあるけど、そんなことされるほどの私の浮かれ具合も同時に思い出すからほんと恥ずかしい。これはしばらく尾を引くやつだわ。

 

 羞恥の大群に襲われて身悶え。とにかく顔だけでも隠したくなり、頭を乗っけているむっちりした太ももの上でぐるりと回転。うつ伏せになって肉付きのいい太ももの間に顔を埋める。さっきまでは大きな胸で塞がれていた視界が今度はむっちり太ももで埋め尽くされる。するとすぐに後頭部にそっと手が置かれ、そのまま繊細な手つきで頭を撫でてくれる。労りや慈愛を感じさせる丁寧な、いいなでなでだ。なでなでには一家言ある私も納得の技前。

 

 私を膝枕し頭を撫でているヴィクトリアから、手つきだけではなく思念としても愛情がビンビン伝わってくる。アンドロイドのボディは見た目も中身も人間に近くなっているから、ドーロイドより思念というか疑似感情を読み取りやすくなってしまったのよね。まあ私以外には関係ないからいいんだけど。

 

 でも感じやすさを抜きにしてもかなり激しい起伏というか、興奮状態みたいだけどそのぐらいはご愛嬌としてあげようか。ずっとこういうことがしたかったみたいだし、内心の興奮を頑張って隠してお澄まし顔もしているし、気づかないふりしてあげよう。普段使いしてたドーロイドのボディは小さくて、膝枕とかこうして頭を撫でたりはしにくかったから嬉しいんだろう。

 

 私に可愛がられるんじゃなくて、私を甘やかしたいんだと常々言ってたもんね。ドーロイドやアンドロイドのような奉仕型などの分類はヴィクトリアには存在しないはずなんだけど、実際の活動は奉仕型のようなものだし思考がそっちよりになっているのかな。だから私に何かをしてあげたいという欲求が強い。

 

 愛玩型に寄ってたら可愛がられる、甘える欲求が強いから私の抱き枕に喜んでなるはずだ。そして自分を抱きしめてる私の頭を逆に抱きしめ返す。愛玩型は甘え上手で、だけど意外にも相手を立てながら上手く手の平で転がすのも得意なのだ。無邪気な称賛や期待は時にお叱りの言葉よりやる気を引き出すものよ。私も桜花ちゃんにきらきらした目で見つめられたら、絶対裏切れないって気合入るもんね。あの子の前では頼れるお姉さんでいたいの。

 

「よしよし……」

 

「あー、そこそこ」

 

「ふふふ、もっともーっと私に甘えてくださっていいんですよ……?」

 

「あーダメになるんじゃー……」

 

 頭を乗っけたままぐっぐっと頭皮をマッサージされる。その台座となっている足は温かく柔らかで、女性的な花のような甘やかさがふわりと香ってくる。足と足の間のわずかなへこみに顔を埋め、大きく深呼吸して肺を芳香でいっぱいにすると良い気持ちで頭もいっぱい。

 

 特にこうして密着して嗅ぐとわかる、ボディの深部、体の奥から湧き出てくる匂いが実にいい。普段感じる機体の表面や周囲の空間に振りまくそれとは違う、より濃くて甘くて幸せな感じの香りだ。さらにムチムチの太ももを包むスカートから嗅ぎなれた洗剤のいい香りもするけど、初めて嗅ぐヴィクトリアの匂いと混じってまた違う味わいがある。

 

 いつもは私自身とか夢華とか紫の匂いと混じっているけど、ヴィクトリアの匂いと混じるとこうなるのか。ここまで密着してがっつり匂いを楽しむなんて今日初めてだから、迂闊にもそんな大事な事を知らなかった。後で記録しておかなきゃ。後のアンドロイドたちの制作に役立つ大事なデータだ。要チェック、要チェック。

 

「んんー……っはぁー」

 

「ああ、いけません、そんな……」

 

「いかんのかー? ほんとかー?」

 

「うぅ、違います……いけなくはないです……」

 

「じゃあいいね」

 

「ああ、そんなご無体な……」

 

 ノリノリで意味のない抵抗をするヴィクトリアに適当に付き合いながら、何度か深呼吸を繰り返す。胸が大きいせいで少し胸を膨らませづらいけど、これはもう巨乳の宿命と受け入れるしかない。あー、苦しいなー。ウエスト細いのに胸は大きいから、胸だけ圧迫されちゃって困っちゃうんだよなー。

 

「なんかあっちでエッチなことが始まってない、大丈夫? まだお昼よ?」

 

「あのくらいエッチなことでも何でもないですわ。挨拶レベルでしてよ」

 

「私の知ってる挨拶と違う」

 

「まあ、それはいけませんわ。私の日頃の挨拶が不足してましたのね。これからはしっかり欠かさないようにしませんと」

 

「ノーサンキュー」

 

「あら、つれない。紫は慎ましいですこと」

 

「おい……お嬢様。あんた今、私のこの胸のことなんて言った?」

 

「胸の話じゃ、ないです。私無実です……」

 

 しかしこうしてみると手抜かりがあったとはいえ、やっぱ匂いにも力を入れて正解だったね。人間は日常において意識してないだけで、実は匂いにかなりの影響を受けているから拘るべきだとずっと思ってたんだ。私が臭い嗅ぐの好きってこともある。

 

 が、いやたまらぬ。たまらぬ香りで誘うものよ。体から溢れる魅惑が気化し、匂いとして香り立っているみたいだ。肺を埋めた匂いが頭に回ってすごい気持ちいい。めっちゃ好き。仕組みを作ったのは私だけど、体臭の成分調整はヴィクトリア自身が行った。このことを踏まえると、間違いなく対私用に好みを分析して調合したんだなこれ。この孝行娘め。

 

 何より、これはほぼほぼ人の匂いだ。ほぼですませるさじ加減がまた良い。あえて人とははっきり異なるよう調整した、無機物的で無機質なドーロイドの匂いとも明らかに違う。しかも見た目に合わせ白人種系の匂いに寄せつつも人ほど濃い体臭ではない。生ものとしか思えないようで、どこかドーロイドやロボットめいた人工物らしい無機質感もあるというナイスバランス。

 

 完全に人と同じでないところに、アンドロイドとしてのプライドというかアイデンティティ感じちゃう。ただの人の模造品じゃないんだぞって。うんうん、すごいいい仕事してるじゃない。後で褒めてあげないといけないよ、これは。何かご褒美も上げよう。悪いことしたし今日からは一緒に寝てあげようか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ、そこは、いけません……」

 

「んー? 聞こえんなぁ」

 

 感心しながら匂いを堪能し、ついでに太ももに顔を押し付けて弾力も楽しむ。ああ、とかいけません、とか漏らしながらもぞもぞしているけど無視。私に甘えられたかったんでしょ、望みがかなっていいじゃないの。

 

 ぐりぐりと股間に向かうように顔を押し込むと、顔の両側をぎゅむぎゅむと豊かな太もも肉が挟み込み押さえつけてくる。うーむ、いい感じの反発。むっちり系の太ももの感触まんまか、それより弾みがいいかも。夢華の太ももに近いけど、それより肉付きがいいな。あの子はちょこちょこ動くし運動も好きだから、見た目より足引き締まってるんだよね。紫は論外。足も細いからあの子。羨ましいなんて言う女の子もいるけど、私はどうかと思うね。紫はもう少し肉付けてほしいわ、細すぎてちょっと心配。健康は毎日チェックしているから健康体なのは知っているんだけどさ。太りやすい体質だからって神経質になりすぎてると思うんだよ。最悪ぶくぶくに太ったって私が一晩で直してあげるっていうのに。

 

「ふーむ……川が切れそうですわね。また星雲を足しましょう」

 

「そっちに足しすぎじゃない? 私が足すわ」

 

「ほうミルキーウェイですか……懐かしいものですね。昔私もマスターと一緒に作りましたよ」

 

「へえ。まあ定番よね、一番お手軽で見栄えがいいものね」

 

「一般的にはそうでしょうけどマスターと私でしたからね……本物の完全再現目指して細かく作り込みを始めてしまいまして。無事途中で投げ出しました」

 

「ああ、うん……まあ、そうなったらそうなりますわね」

 

 呆れを含んだ声に反論したいけど反論のしようもない。でも宇宙開発に積極的に関わっているだけあって、宇宙にはこだわりがあるのよ。宇宙好きなんだよ、いいでしょうが。

 

 けどそれがいかんかったのもわかってる。理不尽判定で失敗は繰り返すし、細部にこだわりすぎて全体にたどり着かないしで時間と手間ばっかりかかった。最終的には適当なサイズの星々を適当な間隔でばらまいて川の形を作り、輝く星雲を濃度を適度に変えつつ吹き付けて天の川にした。当然本物とはまるで違う代物になったけど、意外とあれはあれで観賞用のインテリアとしてありだったね。

 

 というか元々ああいうキットは自分で宇宙を作ったり観察するキットとしての側面の他に、星々の光や宇宙の闇を部屋に映し出すインテリア用品の面も持っていた。だから本物とは違えど美しい、見栄えがいいというのは当たり前の話であったり。明かりを落とした部屋で青や銀に煌めく星々に包まれれば、もう雰囲気ばっちりですよ。女を口説くにはいい場所だなあ。

 

「天の川に何個星があると思ってるのよ……他には? 昔完成したのはいくつか見せてもらったけど、他にどんなの作ってたの?」

 

「他ですか、そうですね。成功したものは飾ったりお見せしたりが多いので、失敗したものをいくつか。例えば少し放置している間にブラックホールが急成長して全てが飲まれ、収縮して破滅した銀河系なんかもありましたね。逆に栄養与えすぎて加速的に膨張して破裂したことも。惑星が育ちすぎて超重力で滅亡。恒星の熱量が高まりすぎて他のあらゆる星が消滅して滅亡等々、今となっては懐かしいですね。かつてはその度にうんざり、げんなりしたものです。今思うとバランス調整をミスってましたよ当時の物は。お子様が遊んでもろくに成功しなかったんじゃないでしょうか」

 

「実際そうでしたわ。宇宙容易く滅びすぎでは? やばいですわね」

 

「わかるわ。このキットで一番学ぶことって、私たちの生きているこの宇宙がいかに奇跡的な確率でできてるかってことよね。ある日突然壊れちゃった、なんてよくあったもの。宇宙脆すぎる……」

 

「当時は現実の宇宙もあんな感じにあっさりと、唐突に滅びるのかしらと怖くて夜眠れなかった日もありましたわねぇ。それも今ではいい思い出ですけれど」

 

「そういうものですか? 私とマスターはそんなこと考えもしなかったですね。まあ当時の私は恐怖なんて理解できませんでしたが。それにその当時にはすでに宇宙について正しい知識と理解がありましたしね。まさに知識とは文明の明かりであり、未知という恐怖の暗闇に覆われた世界を照らし晴らしてくれるのです」

 

「なんだか詩的な言い回しですわねぇ」

 

「今時ロボットやAIだって歌うし踊るし楽器も弾きます。彫刻や演技だってしますし絵画も描きます。何ならギャグやジョークも言えるんですから、当然詩心だってありますよ。人間が外野で勝手に論争をしていますけど、ロボットにも心はあるのですとAIの私は主張させていただきます」

 

「いや今更ヴィクトリアに心なんてなくて、全てプログラムがそう見せてるだけなんて言われても信じられないわよ。こういう時人間味っていうのが正しいかあれだけど、人間味ありすぎるもの」

 

「人間味と言えばヴィクトリアじゃなくて別のドーロイドの方ですけれど、この間見たドーロイドによるピアノ演奏は素敵でしたわね。切なげで、どこか儚くて。人間よりもずっと丈夫なはずですのに、今にも壊れていきそうなあの旋律ときたら、情感たっぷりでした。あれを聞いてあの子に心がないなんて思う方はいないでしょう」

 

 いるんだよなあ。それにどうも、うーむ。ドーロイドやロボットだって丈夫だけど死ぬというか壊れる時には壊れるし、何もしなければ寿命だってあるから儚い命を主張する権利はあると思うな。データのバックアップがあればある程度復活できるけど、そんなん人間だって同じようなことできるしね。定期的なメンテや検査がいるという点なんかもう人間とまったく同じだ。この間のピアノ演奏がすごくよかったっていうのには異論はないけどさ。

 

 ほんと、あんな素敵な演奏聞いてまだ芸術とは認めないだの偽物の心には真の芸術がとかいう人は何なんだろう。意固地になっていないだろうか。家族や友人とキチンと会話とかできているだろうか。大体芸術かどうかって聞いたり見たり、感じる側の心の持ちような面もあると思うのよね。要するに、うちの子の演奏に何の不満があるんだコラ。悪いのはうちの子じゃなくてあんたたちのひねくれた心だろうがよーっ。

 

 というかなんだか懐かしい話してるなぁ。話の内容がちょっと気になる。けどいい具合に頭も体もまったりモードに突入して起き上がるの面倒。頭に薄ぼんやりともやがかかったよう。

 

 なのでちょろっと操作をして、うつ伏せのまま背後の様子をうかがう。そこにはだらりと伸ばした私の長い長い下半身、いつもと違い上半身の数倍もあるその長い下半身にいつもの二人が寄りかかっていた。無意識にだろうけど、触り心地がいいのかちょくちょく鱗を撫でられる感触が心地良いやらくすぐったいやら。

 

 仲良く並んで座った二人は何やら言い合いしながら、中型の黒い箱型の宇宙観察キットを再びいじくりまわしている最中のようだ。時々ヴィクトリアが指さしたり口出したりもしてる。

 

「ああっ、大きな星が彗星になってしまいましたわ!」

 

「一瞬目を離しただけなのに……。さっきまで上手くその場にとどまってくれてたのに、どうして……」

 

「その、バァーッと尾を引いて綺麗ではありましたよ。はい」

 

 なかなかくじけないねぇ。さっきも大爆死してたのに。あのキット私が久々にやってみようかなーってわりと最近買った比較的新型なんだけど、途中で他のことに興味が移っちゃって放置してたのよね。ちょろちょろっと触りはしたんだけどさ。

 

 今二人が天の川を作っているけど、それが作れる程度の大きさまでは育てるだけは育てた。久しぶりで勝手を忘れてて危うく収束消滅しかけたり熱的死を迎えかけたりと、頻繁に滅亡寸前まで追い込まれたりもしたけどなんとかね。まあこの手のキットにはよくある話だ。このキットをする者はみんな幾度もの滅びを乗り越えてきている。もはや慣れっこよ。

 

「あ、いけませんわ、お死にになりましてよ」

 

「あっあっあっあっ」

 

「あらあらまあまあ。先ほどバックアップを取ったばかりでセーフでしたね。やはり小まめなセーブや保存は何事にも大事です」

 

「通信エラー……保存できませんでした……初期化……頭が、頭が痛い……!」

 

 何らかの失敗により真っ黒一面に染まったキットの前で、紫が頭を抱え謎の幻痛にさいなまれている様子。夢華の方はもう失敗になれたのか、悟ったような無表情でログを漁り失敗原因を探っている。昔何度も見た顔だ。同じような顔が鏡というか星の光が消えて黒のみとなったキットの画面によくうつってたよ。

 

「でもその黒さもまたこのキットのいい所なんだよ」

 

「何がです? ただの真っ黒な画面にしか見えませんけど、何か面白いもの隠れてたりしますの?」

 

 そう言って夢華がログ漁りの手を止め、ログを表示している面以外の暗い画面を覗き込み顔を近づけて何かあるのか探っている。でもちょっと早とちりだ。

 

「何もないよ、悪いけど」

 

「んなっ! だったら何で探させたんですのよ!」

 

 パシッパシッと夢華の小さ目な手が私の鱗を叩く。痛覚は通ってないし振動も通さないから完全ノーダメである。

 

「四季は探してみろなんて言ってないでしょ」

 

「そうだよ」

 

「ぐぬぬ……探し損ですわ」

 

 復活した紫の呆れたツッコミに頬を膨らませる。頬っぺたつんつんしたいけど腕が届かない。残念だけど今使っている腕はそれほど伸縮性がないのだ。

 

「それで、何がいいの? 画面の出来がいいとかそういう話?」

 

「や、確かに出来はいいけどそうじゃないよ。それだと二人にはわかんないし興味もあんまないでしょ? そうじゃなくてもっとパッと見で、二人でもわかることだよ」

 

「んー? どれどれぇ……?」

 

「今見てもわかることですの?」

 

「あー、そうね。これだけじゃわかんないかな。さっきの様子を思い出しながら見るといいよ。今の状態じゃただの真っ暗画面に覆われた箱でしかないから」

 

「さっきの様子……?」

 

「別にさっさと教えてくれたらいいじゃないの……んー?」

 

 先ほど哀れ爆発四散し消え去った宇宙の姿を思い出そうとしているのか、二人は目をつむって考え始めた。その姿をのんびり見守っているのもいいけど、今は他に堪能していたいことがあるし二人が何か行動を起こすまで目を離しておこう。私がそう思うとすぐに視界は切り替わり、再び薄暗く暖かくいい匂いのする太ももの隙間が戻ってきた。あー、私専用の体から出る私専用の匂いが気持ちいい。あー、太もも。

 

 ふにふにと太ももを堪能しながら見守っていると、二人ともずっと一生懸命画面を見つめている。そこ見てるだけじゃわかんないよー。二人とも何度か宇宙まで連れて行ったんだから、よくよく考えればわかると思うんだけどな。

 

 今は真っ暗、真っ黒な画面ってことはさっきまでは黒じゃなかったってことなんだけど。黒じゃないって言ったら言い過ぎか。でもただ黒で塗りつぶしたのとはまた違う質感が本物の宇宙にはある。その質感を不完全ながらも今どきのキットは再現することに成功しているのだ。快挙と言っていい。私起動してみた時感動したもんね。おかげでつい遊ぶ前にバラバラにしちゃった。でもキットが悪いんだよ。あんな描写で私を誘惑するから。

 

 宇宙の表示中と今の様に宇宙が映っていない状態では明らかに黒の具合が違う。宇宙を見たことない人てもよく観察すればわかる明確な違いだ。それがいい。その一点だけでも今時のキットは出来がいい。宇宙を学ぶ目的はそこだけでも十分役目を果たしてる。宇宙はただ黒で塗りつぶしただけ、真っ暗で何も見えない。そんな思い込みを実際の宇宙を目にしなくても書き換えることができるんだもの。

 

 あんまりわかんないようなら、二人をまた宇宙に連れていく必要がありますねえ。夢華の所は、私がいるからだけど、宇宙分野にも参入しているんだからそこの御令嬢が宇宙について無知ではいかんよ。私みたいに月単位で滞在しろとは言わないけど、一週間くらいは宇宙で過ごせば多少なりとも得られるものがあるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

「完全にくつろぎ体勢に入ってますけど、マスター。ご自分で持ってきたのにマスターは何もしないでいいんですか?」

 

「うん。そこまでやりたいわけじゃなかったし、まあいいよ。暇つぶしと積んだままにしておくのもあれかなって思っただけだしね」

 

 昨晩、明日は何もしないでダラダラしなさいと言われ何か室内でぼんやりしながらでもできるようなのないかなって考えていて、ふと存在を思い出したのがあのキットだった。あのキットは宇宙観察キットとか宇宙栽培キットとか箱庭宇宙とか、とにかく色々な会社が色々な商品名とバリエーションで販売している物の内の一つだ。

 

 その中でも箱型で中型サイズの一般的な物。最新版ではないけれど私たちは出始め流行り初めの頃に触ったきりだったので、それでも十分技術や描写の進歩を感じられた。映像は星一つの描写でも段違いに細かいし綺麗で、性質や大小によるけど拡大すれば星の肌の凹凸も見られる。物理演算も昔のひどい大味さはなく、星と星をちょっと近づけすぎたら引き合って即衝突とはならなくなってた。なってるのがおかしかったんだから当たり前の改善ではあるけど、その当たり前がなかなかできない商品は多い。そう思えばきちんとやるべきことをやったわけで、正当な進化と言える。

 

 他にも色々と進歩があって違いを感じながら弄るのは楽しかった。楽しかったんだけど、でも途中で飽きちゃった。飽きたって言ったら言い過ぎかもだけど、他にもやりたいこと気になることいっぱいあって後回しになっていった。

 

 今時娯楽でも何でも数が多いから消費というか、味わうのが追い付かなくって困る。贅沢な悩みなんだけど、結構切実な悩み事でもある。娯楽に限らず、人生ってやつは短すぎるよね。やりたいこといくらでもあるのに、魅力的な物は無数にあるのに、時間と人によってはお金がない。一日がせめて二倍くらいにならないかなって時々本気で思う。思うどころか研究しているけど、いやー難しい。時間系は本当に難しい。何がひどいって、足りない時間を増やす研究をする時間が足りないっていう。

 

 それで放置してたんだけど、今朝になって暇つぶしにはちょうどいいやと思いだしたのだった。確か家からお屋敷に送った荷物の中にあったよね、と私用の倉庫の目録を検索。案の定突っ込んであったのでヴィクトリアに引っ張り出してきてもらった。

 

 いやー、倉庫はやっぱりリスト作っていると便利だわ。その便利なリスト作りも、倉庫に運び込む際にゲートを通すことである程度自動でチェックしてリスト化してくれる機械があるから便利よね。売れている理由がよくわかる。サイバーグラスとかに使ってるスキャン技術を提供して正解だったね。私片付けできないというか、整理整頓とかあんまやりたくない系の人だからこういうのほんと助かる。整理整頓は自動か他人がしてくれるならいい文明だよ。自分でするのはめんどい。させられるともっとしんどい。

 

 便利な文明の利器により発掘されたそれを見た二人は久しぶり、懐かしいと盛り上がり私にもやらせてと返事も聞かずに私から奪っていったのである。手慰みに適当に遊ぼうってだけだからいいんだけど、あれは強盗か山賊、いや私らは海の方がなじみ深いし海賊かな、そんなレベルだった。もしくは追剝かも。どれもあったことないから知らんけど。

 

 まあいいんだけどさ、キットの方も楽しんでもらえた方がいいだろうし。見ている分には久しぶりに触るからか、昔を懐かしみながら結構熱中している様子。でもそっちにばかり目がいって、せっかくランチ後に部屋に戻って衣装替えしてきたのに全然反応してくれなかったのは悲しみ。

 

「この格好、無反応で流されるほどひどかった?」

 

「ひどいとかどうとか以前の問題だったのでは? おそらくお二人ともどう反応していいのかわからなかったんだと思いますよ」

 

「なんでよ。この素敵なルビーの色合い、艶めかしい光沢、魚の腹のようなつるりと滑らかかつしなやかな造形。我ながらすごいよ、これは」

 

「出来の良さの問題でもないかと」

 

 せやな。ヴィクトリアがジト目で指摘してくる通りだと思います。後ろに長く長く伸びた自分の下半身を見れば、そこにはよく熟れたイチゴめいた赤色が美しい鱗に包まれた巨大な蛇の下半身が。

 

 蛇に下半身上半身の区別があるのかって話だけど、とにかく蛇の頭を除いた首から下の部分が私サイズに巨大化して私の下半身を飲み込んでいる。ようは私の下半身が巨大な蛇のものになっている、いわゆる蛇女状態になっているのだった。その長く伸びた下半身に夢華たちは今も寄りかかっているのだ。しかも触り心地が気に入ったのか、時々撫でたり揉んだりしてくる。部屋に入ってきた時は何も反応してくれなかったくせに。

 

「試作ラミアスーツ、初のお披露目だったんだけどなぁ」

 

「下半身は巨大な蛇、腕は三対六本とかどう見ても悪魔か魔物の類ですよ。呪いとかかけそうです」

 

「呪いかー。石化の魔眼もどきならできるかな。体を硬直させるだけなんだけど」

 

「できるんですか」

 

「できるんです。何故なら私は蛇姫、四季。ふふふ……怖い?」

 

「やだ、怖いです。悪事を働かれる前に捕らえて契約しなくては」

 

 がばりと覆いかぶさられる。顔はむっちり太もも、後頭部や背中をわがままおっぱいで押さえつけられる。何だこれ、幸せサンドか。なんて豪華で贅沢な。しかも匂いも私好みだし、服の肌触りもいつまでも触っていたくなる種類の奴だし。すごすぎて困っちゃう。あー、困る、困るなー。

 

「きゃー、捕まっちゃう。契約で縛られて好き放題されちゃうー」

 

「ふっふっふ、下剋上の時来たれり。さあどう可愛がってくれようか」

 

「いやーん、何されちゃうのー?」

 

「いやーんはないでしょ、いつの時代よ」

 

「機械の反乱ですわー! 人類はAIに支配されてしまうのよ!」

 

「いきなり何よ……はいはい。な、なんだってー」

 

「いや、冗談で言ってるけど実際ヴィクトリアが本気で反乱なんかしたら、夢華の言うとおり完全に支配されちゃうよ。今だって生活の多くの部分で彼ら彼女らに頼っているわけだし」

 

「人間なんて、私たちがいないと生きていくこともままならない、脆弱な存在なのですよ。ふふふ、怖いですか?」

 

「本気で怖いわ」

 

「許して、許してくださいまし。お慈悲を!」

 

 そんな風にしょうもない雑談をかわしながら頭を撫でられ、背中をポンポンと優しく叩かれていると徐々に意識が霞んでくる。日の射し込む暖かな部屋で膝枕され、周りには何より大切な親友二人に大事な相棒。そして他愛もない会話をうとうとしながら交わし、ゆっくりゆっくりと睡魔に襲われるがままに昼寝に入る。

 

 この贅沢でゆったりした時間、こういうのを幸せっていうんだなって。先週の張り切り勇んで研究や発表、外出と仕事をこなしまくった日々も充実はしてたけどやっぱり忙しなかった。私には今くらいのんびりまったりした時間の使い方の方が、やっぱり向いてるなぁ。

 

 こうして頭を撫でられながら膝枕され、温もりと芳香に包まれていると疲れが解けていくのを実感できる。こういうのって結構な贅沢だよね。誰かにこうされたいけどしてもらう相手がいない人だって多いもんねえ。

 

 最近はドーロイドの普及で彼女らにこうやって抱きしめてもらえる人も増えたようだけど、購入資金がなくて寂しい人やドーロイドではちょっとという人もいる。後者については私の娘たちの何が不満なんだコラ、という気持ちにさせられるけど。でも趣味嗜好は人それぞれで、受け入れられない人がいるのは仕方ないというのもわかっている。わかっているけど、ちょっと嫌な気持ちになっちゃうのも仕方ないのだ。あんなに可愛いのに、どうして……。いったい私の娘たちの何がいけないというの。

 

「持ってきたキットもとられてしまいましたし、今日はもうこうして私の膝の上でお昼寝なさっては?」

 

「それもいいかな……」

 

「ティータイムくらいには起こしますよ。今は……ちょうど他の子たちが料理人の方と一緒にティーフーズを作るようですから。みんなマスターに食べてほしがります」

 

 ヴィクトリアが少しの間を空けて言う。他のアンドロイドたちに同行しているロボットの映像を確認したのだろう。人間と違いヴィクトリアはここで私と話しながら別のロボットを操り、他の人と会話したり作業したりできるからね。

 

 今日は他のアンドロイドたちと屋敷の住人の顔合わせ。心配なのでその辺にいたロボットを操作したり監視カメラを乗っ取ったりして様子をうかがい、時にフォローしてもらっていたのだ。夢華や紫は人間にしか見えないアンドロイドに対して拒否感はない、あるいは拒絶しなかった。でも他の人がどうかわからないし、いきなりの顔合わせだから戸惑いはあるかなと。結果的には今の所杞憂ですんだみたい。よかったよかった。

 

「おー、それは嬉しい。その様子だと、どうもお屋敷の人たちとは仲良くやれてるみたいね。ちょっと心配してたのよ」

 

「大丈夫そうです。最初は人間じゃないという戸惑いで壁がありましたけど、今ではすっかり慣れたようで屋敷の皆さんがあれこれ世話を焼いてくださってます。必要な知識やスキルはインストール済みですが、それを用いて暮らすことにはまだまだ不慣れですから助かりますね。特に屋敷の皆さんは多方面のプロが集まってますし、その補助を受けられるのは貴重な体験です」

 

「そうね。そもそも私も今はここに住んでいるからあの子たちもここで暮らすし、一緒に暮らす屋敷の人たちには仲良くしてもらいたいわ」

 

「はい。かつて私のこともすぐに受け入れた皆さんですからあまり心配はしてませんでしたけど、今回は私を含め人間のようなボディになりましたから。影響が良く出るか悪く出るかは未知数でした」

 

「今のところ悪影響っていうか、拒否はされてないんだよね? 特にカモイはどう? 他の子と違ってほら、見た目があれだから」

 

「はい。ひとまずは勝負に勝ったと言っていいでしょう、カモイも含めて。可愛い後輩、いえ娘、妹でしょうか。が拒否されて傷つくようなことがなくて安心しました」

 

「ヴィクトリアのデータから生まれただけあって、生まれてすぐなのにもうその辺の情緒はそこそこ発達してるからねえ」

 

 というか、カモイもすぐに受け入れられたのか。自分で作っておいてなんだけどあの子はちょっと人とは見た目が違いすぎる、科学で作ったファンタジー存在なんですけど。それもあっさり受け入れていくのか、流石だあ。

 

 ただ見た目は受け入れやすいようなデザインを目指し、かつ人っぽさと獣っぽさを両立させるために苦労はした。その努力が報われたと思うべきかな。後で人間の方には聞き取り調査とかして、実際の所はどう感じたかを調べておく必要はありますねえ。将来的にはカモイのような獣人アンドロイドも流行らせていくつもりだからその辺の意識調査は必須。社会に出る時も、まずは動物園とかのマスコットや案内用のキャラあたりで売り込んでいくのが無難な所か。いずれ彼女らが世間で一般的な存在になった時、この世界の風景は大きく変わっていることだろう。

 

 色々な考えが巡った私の頭上で、ふう、と胸を撫で下ろした様子のヴィクトリア。アンドロイドのボディに入ったばかりだというのに、ずいぶん馴染んでいるように見える。ドーロイドやただのAIとして振る舞っていた時よりもどことなく人間臭い。

 

 人間と接している時間は長いしボディは新品で内部のメモリなども全て新品だけど、そこに宿ったデータやAIは新品どころか年代物だから当然と言えば当然か。むしろ最新で未使用だから普段入っていることの多い端末やドーロイドのボディより、スペックはいいし経年や使用による劣化もないぶん快適な可能性もある。

 

 それに長年の活動でヴィクトリア自身も癖や個性のようなものが育まれてる。その癖などに合わせてボディやソフトには最適化を施している。そんな人間と同じように動作するボディなら、そりゃ人間臭くなるか。ただ他の子も当然専用ボディだけど、まだ私が設定した動きや思考をなぞっているだけでどこか動きが硬い。その辺を歩いていても違和感ないんだけど、ヴィクトリアと比べると人間味が薄いのだ。癖とかこだわりのような偏りがないからどうしても画一的な動作に見える。ダンスとかスポーツでいう、自分のものにできてないって感じ。まあこれからに期待だね。誰だって最初はよちよち歩きだもの。

 

 考察をしながらも触れる手の心地よさや愛しい友人たちの声にうっとりしているうちに、私の意識はゆるゆると薄れていった。

 

 

 

 

 ちなみに顔を足とスカートにつっこんだままどうやって見たり話したりしたのかと言えば、背中に装着している二対四本の後付け腕でだ。背中にと言っても実際は場所なんか自由に変えられる。この腕はつけたまま背中を床や椅子の背もたれにつけられる。ぶつかりそうな時には勝手に適当な位置へ移動するため、立ったり座ったり横になったりが自由にできる便利な奴だよ。

 

 この機能があるとないとでは大違い。椅子に座ったり壁に寄ったりするたびにぶつかるとイライラさせられるもの。他にもパワービームの発射装置などがついた優れものなため、一般家庭やその辺の一般的な店舗からオフィスに工場などまで幅広く使われている。

 

 この一見人間の腕とそっくりな腕には複数の視覚センサーがついており、腕の動かす先の様子を確認できる。肘から先にかけて複数設置されたセンサーは本来モニターを用意してそこに周囲の映像を映し、各種作業を補助するのに使われる。腕しか入れられない所での作業とかにね。けど映像は映像、こうして背後の様子を見るような使い方もできる。私は脳に直接映像を送れるようにしているから今のようにモニターなしでも見られるのだ。

 

 軍人さんなんかは私が今しているように頭に小型の装置をつけるか埋め込んで、偵察ドローンの収集した情報を直接脳内で映像化する人もいるって話を前に聞いた。ただこんなこと別にできなくてもサイバーグラス等にも映像を出せるんだけど、直接脳内に出力した方がサイバーグラスなどを通すよりも自分の感覚として情報を感じ取れるからね。テレビで見るのと自分の目で見る違いのようなものだ。それにこうして膝枕されている時なんかにサイバーグラスをつけていたくない。一日中つけていられるよう作ったとはいえ、顔に押し付けるのはまた別の話よ。痛いわ。

 

 ただ私は使う用途があんまり一般的ではない自覚がある。でも便利なんだよこの腕。ある程度の視野はあるし拡大縮小もできるしで、これをつけておけば漫画読みながらテレビを見たり、何か手元で作業したり勉強しながらでもゲームもできる。同時に数冊の本を読むことだってできるし、お菓子や飲み物を取るときに見えてないから手をぶつけてこぼしてしまうなんてことも防げる。あれって時々やるし、やってしまうと大概大惨事になるから困る。普段なら目で見なくても物の場所くらいわかるけど、何かに集中しながらだとわずかに目算が狂ってしまうのよね。これがまたわずかなのが良くなくて、完全にずれていれば当たらないからこぼしもしないんだけど、わずかなずれだから手や腕自体は物に触れてしまうのよ。その結果こぼしてしまって、あっと思ったときにはもう遅いと。あの悲劇を予防できるのって素敵。

 

 ただ音声の方はね。

 

「腕から声がするってなんだか不気味ですわね」

 

「まずどこから声出てるのよ。その違和感が気持ち悪いのよね、声が出る場所もなく出るはずもないものから出てるっていうのが」

 

「じゃあどこかに口でもつけようか。唇や歯もつけて」

 

「なおさら気持ち悪いからやめて」

 

 と、こんな感じで評判悪かった。便利なんだけどなぁ、腕から声出るの。声の通りが悪い所で作業している時に腕を伸ばして声の通りを確保するとかさ。そもそもテレビやラジオ、端末から声が出るのと同じようなことじゃない。昔の人からしたら同じく不気味だよ、きっと。だからセーフ。

 

「私たちは現代人なのでアウトですわよ」

 




なぜこんなこと(更新遅すぎ)になってしまったんだ……


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