北天に輝く (ペトラグヌス)
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本編
首次接触─First(s) contact


──今日の夕飯はどうしようか。

瓦礫の間を歩きながら考える。

昨日は久しぶりにラテラーノ料理を作ってみたが、やはり美味い。

昨日使ったのは初めて見る種類のパスタだったが、ソースとの絡みが抜群だった。

普段が粗食の分、偶のごちそうのおいしさが殊更に際立つねえ。

ああ、思い出すだけでよだれが垂れてきそうだ。

 

さてさて、情報によるとこのあたりのはずだけど……

……おっ、いたいた。情報通りサルカズが四人。なんだ、みんなで楽しそうにしちゃって。

……馬鹿さ。ここはもう戦場なんだぜ?

 

「あっ、それ!」

 

ホルスターから銃を引き抜いてぶっ放す。それで一人の頭が割れたザクロみたいになった。糸が切れたようにその巨体が倒れ込む。それでみんなぎょっと目をむいて銃撃の方を睨みつけてきた。つまり、おれのことだ。おお、怖い怖い。

考えなしに突っ込んできた脳筋サルカズを圧搾してミンチにする。

そうそう、ちなみに昨日のパスタはアラビアータって感じだったんだけど、おれとしては挽肉たっぷりのミートソースパスタも捨てがたいんだよね。

決めた。次にパスタが手に入ったらミートソースにしよう。おっと、勿論食材はちゃんとした食用の肉でだ。あいつのミンチ、不味そうだもん。

 

急に仲間が地面の汚いシミになったんで、敵さんはずいぶんとお怒りのようだ。俄然やる気を出して突っ込んでくる。さっきは先走った馬鹿が相手だったからいいけれど、ちゃんと連携して向かってこられるとさっきのようにはいかない。

どうにか斬撃を躱し、有利な体勢で鍔迫り合いに持ち込む──も、それをいなして一歩引くサルカズ。直感に任せて後ろに飛びのくと、上空からの矢が地面に突き刺さった。浮遊したサルカズがこちらに向かって弓を構えている。

おいおい、情報と数が違うじゃないか。危うく殺られるところだった。

……後でこのいい加減な情報を持って来やがったあいつはぶっ飛ばしてやろう。

取り敢えず今は──あいつ、厄介だな。

 

試しに飛び回る奴の進行方向にアーツを置いてみる。タイミングを計って設置し、スリーカウントで起動。流石にこんな攻撃にあたる機動をする奴はいないと思うけど。

……結果、空飛ぶサルカズは空飛ぶゴミに変貌した。古来より、空飛ぶ魔術師(アーツ使い)は落とされるものと相場が決まっているので、残念ながら当然と言えよう。そんでもってあと二人。

あっけにとられている間抜けなサルカズの頭を銃でぶち抜いて残り一人。おれですら呆気にとられたほどだから、そうなるのも無理はない。

ぼちぼち仕事も終わりだろうか。

 

……そうだ、夕飯だ。また是非ともパスタを食いたいのだが、あの代物はめったに手に入らない。

昨日は偶々ラテラーノの傭兵がいたから良かったけど、そういるもんじゃない。

そろそろ自分で作るという手段を取るべきかもしれない。そんな訳で、おれのtodoリストの最上位に”次にラテラーノ野郎を見つけたら〆てパスタの製法を聞き出す”が追加された。

 

「~~~~~~~~っ!」

 

そうなると、今日はいつも通りにパンと適当な何か──今隠れ家には虫しかないけど──になるのかな。仲間の傭兵連中と一緒に食うんでもいいんだが、賑やかすぎるんでおれはどうにもあの場に馴染めない。いい奴らだとは思うがね。

 

「うわあああああああああ!」

 

叫び声とともに、残ったサルカズが大剣を振り下ろしてくる。その顔は涙やら鼻水やらでぐちゃぐちゃだった。

果たして、そんな顔でなおも剣を振るうのはどんな気持ちなんだろうか。おれのことが憎い?自分の無力さが恨めしい?悔しい?

──わかるよ、その気持ち。仲のいい連中だったのか?それじゃあ辛かろうよ。

……ま、尤もおれにこんな経験はないけどな。

 

 

 

 

──なんで……どうして……

──こんな……こんなの……!

 

 

 

 

……何だ?

……頭が痛てえな、畜生。

 

「……悪いな。お前を見てるとなんか気分が悪くなんだわ」

 

泣きわめく声がうるさくて頭がガンガンするので、適当に風穴を開けて黙らせた。

戦場でワンワン泣いちゃって、情けないったらありゃしない。傭兵失格だ、失格。

こういう弱い奴を見てると、虫唾が走るぜ。

……ま、取りあえずはお仕事完了か。

 

 

今回は形が残った奴らもいたので、色々と物色させていただく。医薬品一式に食料少々……おっ!パスタじゃないか!

どうやら、こいつらもラテラーノの傭兵とやりあってこいつをゲットしたらしい。なんともありがたい限りだ。

こういう風に戦利品を物色するのは、傭兵稼業の中で最も楽しい瞬間ではないだろうか。少なくともおれはそう思う。あんまりいい趣味とは言えないだろうが、殺しを楽しんでいる同業者連中よりはよっぽど健全だと思うね。

……まっ、おれも多少は楽しんでるけど。

そのくらい狂ってなきゃ、この世界では生きていけないだろ?

 

「ザ──ザザ──おい──」

「ん?もしもーし。聞こえてますよー」

「──敵部隊は──撤退──俺たちも──する」

「了解。場所はブリーフィング通りの場所で?」

「そうだ。ザ──ご苦労、W」

 

 

 

 

 

 

ある日、目が覚めたら違う世界にいた。そんなことを言うと、お前は何を言っているんだとみんなが言う。

でもおれは本気だ。この世界は狂ってる。狂っているのに気づいていない奴、狂っているのに気づいてないふりをしている奴、みんな狂人だ。戦って、戦って、戦って。閉じた円環の中をくるくると回り続けている。回し車の中のハムスター。自分のしっぽを追いかける犬。そんなのばっかりだ。

でもおれは生きてる。この狂った世界で。生きたくて生きてるわけじゃない。生きてしまっているからおれは生きているんだ。

おれは死にたくない。冷たいのは嫌だ。一人なのは嫌だ。

たまに夢を見る。おれが死ぬ夢だ。おれはおれが死ぬのをおれの隣で見ているんだ。羨ましいよ、こんな狂った世界から解放されるなんて。

目が覚めると、おれは生きている。死んでないからだ。

だからおれは生きていく。死にたくないからだ。

 

狂って見せよう。精一杯。

狂ってしまえば楽になれる。普通の世界と狂った世界の差異を無くすことができる。

普通の世界の狂人の世界は狂った世界だ。

狂った世界の常人の世界は狂った世界だ。

狂った世界の狂人の世界は普通の世界だ。

おれは普通だ。普通なんだ。

学校に行き授業を受ける。授業をさぼって龍門風積み木で遊ぶ。放課後にグラウンドでキャッチボールをして、帰りにファストフードを食う。家に帰って母さんの飯を食べて、ふかふかの布団で寝るんだ。

戦場に行き銃撃を受ける。銃撃を回避してアーツを叩きつける。戦闘後は戦場で死体から戦利品を手に入れて、雇い主から戦いの報酬を得る。家に帰ってオリジムシを食べて、固い床に転がって寝るんだ。

 

……ほら、普通だろう?

 

 

 

 

 

ケチ臭い雇い主がお賃金を出し渋ったのを除けば、今日は実に最高の日だったといえるのではないだろうか。まあ、そういう面倒くさいのは全部他の奴に丸投げしてるからおれは嫌な思いしてないけど。

何せ、今日もパスタが手に入った。こんなことは今までにない。大体手に入れたその日に食い切っていたから、二日連続などほぼ初めてではないだろうか。

そんな訳で、おれは今ウキウキしながら隠れ家に向かっている。あいつらがいるとおれの分まで食われそうだからね。今日も一人でのんびりたっぷり、パスタをいただこうじゃない。

 

おれの隠れ家は、がれきに埋もれた廃墟の一角にある。ここら辺は結構な数の奴らが住み着いているんで、木を隠すなら森の中、ってね。

だから、ここら辺は夜でも賑やかだ。勿論、明かりなんてないし、月には雲がかかっているからパッと見ただけではわからないが、幾つもの息遣いを感じる。大方、住人同士で物資の奪い合いをしているのか、はたまた迷い込んだかわいそうな誰かをつるし上げているかのどちらかだろう。みんな生きていくのに必死だ。最も、生きていったところで何があるわけでもない……いや、生きていればパスタも食えるか。

毎日の小さな幸せを大事にする。これがおれの生きていくコツだ。十年後の成功よりも明日の稼ぎ。明日の稼ぎより今日の晩飯。特に何も意味のない人生、これくらいのほうが生きやすいというものだ。

 

足取りを弾ませながら路地を行く。この路地を抜け、右に曲がってからの突き当りに入っていけばもう隠れ家だ。

 

そう思ったそのとき、空気が動いた。ほのかに聞こえる風切り音──手榴弾だ──に反応して、素早く背嚢を投げつけると地面に身を投げ出した。ワンテンポ遅れてやってくる爆音。チリチリと背中に痛みが走る。

──浮かれすぎていた。周囲の確認を怠ったのはそうとしか言いようがない。戦場でないからといって、このカズデルに真の意味で心休まる場所などないというのに──!

相手もおそらく殺れていないことには気づいているだろう。ならば勝負は次の一手。

立ち上がりざまに右手でサブマシンガンを引き抜き、そのまま引き金を引く。

消炎器越しの微かなマズルフラッシュで、うっすらと銀髪が暗闇に浮かび上がった。

繰り出された火線を掻い潜って、敵が左手から突っ込んでくる。

柄に左手をかけた瞬間、風切り音が耳に飛び込んできた。敵の左手から放たれた投擲。

その正体は爆弾だろうか。にも拘らず敵の動きは止まらない。右手のナイフがきらりと光る。

前方から爆弾、左方からナイフ。絶体絶命の状況。

そんな中で、おれは迫った来る爆弾を無視して左手に力を籠める。

余りにも割り切りのいい、だが自殺的なその行動に、薄闇の中の襲撃者の表情がわずかに揺らいだ。

そして、爆弾が爆発し──その爆風もろとも圧搾されてぺちゃんこに潰れた。

 

「なっ……!」

 

おれはそのまま逆手で抜刀し、ナイフを持つ腕ごとぶった切る──のを試みたが、カランという澄んだ音とともにナイフだけが吹っ飛んでいった。

柄から手を離し、剣を放り捨てる。自由になった左腕を振り下ろして、銀髪の側頭部に肘をお見舞いした。

 

「うっ……!」

 

敵が初手で手榴弾を使っていたことから、それに類似するものを使ってくるのではと最初から思っていた。

だから、予め正面にアーツを設置しておいたというわけだ。手榴弾だったら爆風と破片を纏めて圧搾すればいいし、仮にそのまま突っ込んできたらシンプルに潰せばいい。おれのアーツはこういう狭い場所でこそ輝く。

……そう考えると、昼間の飛び回ってたやつはアホだと思う。開けた場所で当たるのはいくら何でもアレでしょ。

話を戻すと、だからおれは銃弾をばらまいて攻撃のくる方向を制限しようとしたわけだ。まさか自分自身も一緒に突っ込んでくるとは思わなかったけれど、まあ備えはしてたし。

さて、そんなこんなでようやく下手人とご対面だ。

 

「か……は……」

 

首元を締め上げて持ち上げてみると随分と軽い。漏れ出てくる高いうめき声はガキか、女か、そのどちらかだろう。背嚢からライトを取り出──そうとして背嚢が消し飛んでいたことに気が付いた。

……おれのパスタと一緒に。

 

「ひゅ……」

 

あ、やべ。怒りのあまり握りつぶしちまった。色々と聞いてみようと思ってたんだが、おれもまだまだ感情のコントロールが甘いね。……ま、人の幸せを奪いやがったクソ野郎だ。こうなっても仕方あるまい。

 

その時、雲の切れ間から月光が差し込んでくる。今日は満月で、その光はいやにまぶしかった。

 

キラキラと光を反射し、銀髪が輝く。銀髪で、赤い角の女サルカズ。

それがおれを襲ってきた奴の正体だっ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──女だったか。

──殺るなら……はやく……しなさいよ……

──どうしておれを襲った?

──理由が……いる……かし…ら?

──………………ヘビだ。

──……?

──……むかし飼ってた……すごくむかしに……

──目がすごくきれいだった。……そうだよ、父さんが買ってきたんだ。

──な……にを……

──すごくうれしかった。いつもいつもながめてた。母さんに呆れられるまで

──見つめあってたんだ。きれいな目と。

──なに……ない……てんのよ……

──……父さん……母さんごめん。狂っちゃったよ……おれ。

──げほっ、げほっ……ちょっと……!

──ごめん……ごめん……ごめん……

──……何なのよ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目が覚める。見慣れた天井。ここは俺の隠れ家だ。

昨日、あの銀髪を殺してからの記憶が曖昧だ。パスタが消し飛んだ腹いせに酒でも飲んだのだろう。

ちょっとくらい手榴弾の影響が残るかと思ったが、綺麗さっぱり完治した自分の治癒力に感心しつつ、黒パンを取り出す。ナイフでかっ割いてよくわからん葉っぱと油漬けオリジムシを挟めば特性サンドウィッチの完成だ。うん、我ながらいい出来だと思う。

サンドウィッチをぱくついていると、連絡が入った。

 

「おいW、さっさと来い。今日は仕事だ」

「仕事?そうだったか?」

「何寝ぼけてんだ。さっさとこい」

「場所は?」

「21区の30番だ。わかるな」

「はあ……昨日と一緒ですかい」

「は?お前何言ってんだ?」

「はいはい、行きます行きます」

 

何か言いたそうな声を遮って通信を切る。まさか今日も仕事だったとは。昨日の仕事ででかい山は終わりのはずだったんだが、今日はいったい何だというのだろう?小銭稼ぎだろうか。

まあいい。今日も俺は生きるだけだ。

……あと、出来たらラテラーノ商人の襲撃したいわ。パスタ食いたい。

 

 

 

 

今日の仕事は──ああそうだ、全く小銭稼ぎでも何でもなかった。

昨日と同じような──ほぼ同じといってもいいような──作戦。

おれの担当箇所は昨日と違うけれど、大まかなプランはどこかで聞いたようなのばっかりだ。

それを副隊長に言ったら、本気で頭の心配をされた。失礼な。おれは正常に狂ってるというのに。

昨日サルカズの女を一人ブチ殺したことはしっかりと覚えているし、何よりパスタを消し飛ばされた悲しみはバッチリ残っている。

……だが、この作戦。どこかデジャブを感じるのは気のせいだろうか。

 

 

 

 

別にどうということのない戦闘だった。普段通りに敵を潰して、撃って、斬った。残念ながら今日の敵はパスタを持ってはいなかったので、またの機会にお預けだ。つくづく昨日の油断が悔やまれる。

昨日と同じ雇い主が昨日と同じように金を出し渋った後、おれは今、あの場所に向かっていた。

何かが引っかかる。おれは普段から日誌をつけるような甲斐性はなかったから、日付なんて然したる意味を持たなかった。日が昇って沈めば一日。ここではそれがすべてだった。

おれには日付を知る手段がなかったからわからなかったが──いや、誰にも聞かなかっただけか。

日誌をつけている奴はいる。あの几帳面な副隊長やら、何やら、何人か知っている。その日誌とおれの記憶を突き合せれば何かがわかったかもしれない。

けど、おれはそれを知るのが怖かったんだ。

早鐘を撃つ心臓を抑え、歩く。今朝は違う出入り口から出ていったからわからなかっただけだ。

あそこにはちゃんと残っているはずだ。成れの果ての源石が残っているはずだ。

路地の入口に立つ。背嚢から震える手でライトを取り出し、祈るように点灯した。

光が出て、足元を明るく照らす。そこから広がった明かりが路地の奥の方までをぼんやりと照らしていく。

おれのいかれた考えはやっぱり杞憂で、そこにはほら、ちゃんと源石が

 

 

 

 

                     なかった

 

 

 

「……!」

 

背後からの物音。投げつけられた手榴弾を()()設置しておいたアーツで爆風ごと圧搾する。聞こえてくる息をのむような音。俺はそのまま振り返り、手に握ったライトを投げつけた。回転するライトの光で暗闇が塗りつぶされ、闇に慣れたおれと襲撃者の眼をくらます。振り返った瞬間に見えたシルエット目がけて、間髪入れずに突っ込んで体当たりした。ぶつかる肉と肉。タックルは完全に腰をとらえ、襲撃者を地面にたたきつける。

 

「はあ……はあ……」

 

おれはそのままマウントポジションを取り、腕を押さえつけた。投げつけたライトは壊れたのか、辺りに明かりはない。

二人分の荒い息が、無限の暗闇へと消えていく。

 

そうして、やがて月がその姿を雲間から表した。路地の向こう側から、光がすうっと差し込んでくる。

高めの体温、丸みを帯びた形状、しなやかな肉、ほの高い息遣い。

何かの間違いであってくれ、そう思い続けた。

だが、夜の女王は無慈悲にも全ての真実をその威容の下にさらけ出す。

 

……思えば最初からわかっていたのだろう。だからおれはアーツを設置していたのだ。

 

月光を放つ銀髪。頭に生える赤い角。べっこう色の瞳の女サルカズ。

殺したはずの存在が、そこにいた。

 

 



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円環彷徨─Ring wandering

殺したはずの相手が生きている?

おれは夢でも見ているのだろうか。

銀髪に赤い角の女サルカズ。あの時、俺を睨みつけていたべっこう色の瞳。

見間違えようがない。こいつは……間違いなくおれが殺した女だ。

 

「お前は……何なんだ……?」

「……さあ?答える義理がある?」

「状況がわかって言っているのか?」

「……ええ。ほら……好きにすればいいじゃない」

 

挑発的な、煽るような態度をとる女。恐らくは煽って冷静さを失わせようという魂胆だろうか。

だが、おれの頭はこれ以上になく冷静──いや、凍り付いていたというべきか。

とてもそんなのに構っていられるような状況ではなかった。取りあえず、夢かどうか確かめるため、自分の頬っぺたを思いっきりつねってみる。

 

「……痛い」

「……あっはっはっは!バカじゃないの!?……こんなバカにしてやられたなんてねえ!」

 

これは夢じゃない。夢じゃないなら、こいつは、この女はいったい何だ?

……詳しく問い詰める必要がある。……が、ここは場所が悪い。さっきの爆発音からこいつの笑い声といい、そろそろ住人たちがぞろぞろと集まってくる頃合だ。多分、それも計算づくなんだろう。

こいつの挑発に乗って理性を失えば、ハイエナどもがぞろぞろと集まって狩りを始めるだろう。そして、こいつはそんな中で飄々とその場から逃げ出すのだ。その姿は、何故か容易に想像できた。

とにかく、場所を変える必要がある。おれの隠れ家が最適だろうが、入り口はここでないのを使った方がいいだろう。

……そうだ。こいつは確かナイフと爆弾を隠し持っていたはず。

女の身体をまさぐる。その間にも挑発的な言葉を浴びせかけていた女だったが、おれがそのすべてを無視するのを見てピタリと止めた。……ほれみろ。やっぱりなんかするつもりだったんじゃないか。

 

あまり時間がないので、取りあえずの武装解除を施したおれは、女の手足を縛り、目隠し、猿轡をして担いだ。完全に人攫いとしか思えない格好だが、この際仕方あるまい。

そのまま夜の廃墟を駆けずり回り、付いてくる奴らを撒く。一時間ほどたって、ようやくおれたちは隠れ家へとたどり着いた。

 

女をイスに縛り付けなおし、目隠しと猿轡をとる。

 

「ぷはっ……!……はあ……はあ……随分と……扱いが雑ね?」

「……殺しに来た奴のことを丁寧に扱う必要があるか?」

「……で、こんなところに連れ込んであたしをどうする気かしら?」

「聞きたいことがある」

「…………」

「……お前は昨晩どこで、何をしていた?」

「……さっきも言ったけど、答える義理があると思う?」

「別にお前をどうこうする気はない。ただそれだけ答えればいい」

「どうこうする気はない、ねえ。ほんとかしら?その割には随分と手際がいいじゃない」

「…………」

「まるであたしがアンタを襲うことをわかっていたみたいに」

「……カズデルを無警戒で歩くやつなどいない」

「……あっはっは!頬っぺた抓って『痛い』だったかしら?……随分な警戒ねうっ……っ!」

 

おれは女の襟首をつかんで持ち上げた。

……ああ、そうだ。はっきり言っておれは苛ついていた。

思えば最初からそうだ。凍り付いた脳みそを解凍して考えてみれば、こいつはパスタを爆破したクソガキだ。昨日はうっかり殺しちまった程の奴だ。それだけでも十分なのに、加えてこいつはさっきからよくもまあ人の神経を逆撫でするようなことを言う。苛つくのも当たり前だろう。

 

……試しに殺してみるか。もしそれで明日に同じような仕事が入らなければよし。今日のことが繰り返されたならまたこいつを捕まえればよし。

……そうだよ。冷静に考えて、こいつをこのまま殺すのが最適解じゃないか。

今日のことは、ちょっとした気のせいだ。偶々同じ様な仕事が入って、偶々同じような奴が襲ってきた。

それで、今日のことはおしまいにすればいいじゃないか。

 

「……まって!……話すわ。話せば……!」

「いや、いい」

「ふぁぁ、ふぁっへ!ぁふぁ」

 

そしておれは、女の口に突っ込んだ銃の引き金を

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──こんなの……悪い夢だ…………夢だろ?そうだろ?……そうだといってくれ……そうだといってくれよ…………!

──また……ないてる……

──………………!

──アンタって……けっこう…………なきむしよ………………ね…………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はっ……はっ……」

 

床に何かが落ちる音がする。

……おれの銃だ。

おれは女の襟を手放した。

椅子が音を立てて倒れる。

 

……撃てなかった。何故かはわからない。

でもおれは撃てなかった。撃ちたくなかった。

おれは、あいつを

 

「死ね!」

 

おれの眼はすべてを見ていた。

やめろ。

どうやってか腕の縄をほどいた女が、銃でこちらを狙っていた。

やめてくれ。

殺気のこもった視線でこちらを睨み付け、引き金を引く。

嫌だ。

その瞬間に、空間がぐにゃりと歪む。アーツだ。おれが発動したアーツだ。反射的に発動したアーツだ。

見たくない。

その歪みは放たれかかった銃弾を飲み込み、そして彼女を飲み込み、

 

おれの目の前で彼女はにくへ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目が覚める。見慣れた天井。ここは俺の隠れ家だ。

急いで部屋に向かう。昨日使ったあの部屋へ。

 

果たして、そこに肉片はなかった。

数週間使わずにいたそこは、そのことを証明するかのようにうっすらと埃が積もっている。

それでもおれはまだ確信が持てなかった。

リビングに戻り、通信を待つ。

こんなに真剣に通信を待ったのは初めてかもしれない。

 

「おいW、さっさと来い。今日は仕事だ」

「……なあ。昨日の仕事はなんだった?」

「は?お前何言ってるんだ?」

「……頼む。教えてくれ」

「……昨日はラテラーノの行商の襲撃だ。今日に向けて英気を養うために、うまいもん食おうって隊長が言ってたろ。……付き合いの悪いお前は一人で帰ったけどな」

「……そうか。そうだ、そうだったよな」

「なあ、お前マジで大丈夫か?頭でも打ったのか?」

「いや、大丈夫だ。集合は21区の30番だよな」

「なんだ、覚えてんじゃねえか。余計な心配かけさせやがって」

「悪い。すぐ行く」

「おうよ」

 

「…………………………」

 

「…………ふふふ……はは、ははははははは!」

 

こいつは夢だ。悪い夢なんだ。

同じ一日を繰り返す?冗談だろ?

朝起きて夜に寝て、目が覚めたら同じ朝?悪い冗談以外の何物でもないじゃないか。

死んだはずの奴が生き返り、殺したはずの奴が生き返る。

一度通ったその道を、もう一度通る。ぐるぐると円を描くように、何度も何度も。

輪形彷徨、リングワンダリング。霧の中を彷徨うおれは、時の遭難者だとでもいうのか?

そんなバカな話があるか。ふざけた話があるか。

こんな悪夢は、さっさと終わらせてやる。

ホルスターから銃を引き抜き、頭に当ててみる。

夢ならこれで目が覚めるはずだ。引き金を引きさえすれば、この悪夢は終わるはずだ。

引き金を引けば……!

……

……

……

……

……

……

……やめだ。引き金なんて引けない。引けるはずがない。

手は小刻みにプルプルと震え、背中を冷たい汗が伝って落ちる。グリップを握る手は汗でべとべとで、心臓が壊れそうな速度で波打っている。

……怖い。

死ぬのは怖い。

おれは、意気地なしだ。死ぬ勇気なんてない意気地なしだ。

……だったら俺は、生きてくしかない。初めからずっと、そうだったじゃないか。

死にたくなければ、生きているしかないんだ。

 

 

 

状況をまとめよう。まず一昨日──いや、一回目の今日、おれはここで目を覚ました。

戦利品のパスタをここで食って寝ていたんだ。そして仕事に行き、サルカズをぶっ殺してパスタを手に入れた。浮かれて帰ってきたおれは、あそこの路地で襲われた。……あの女に。

おれは襲撃を退け、女の首を絞めつける。そしてそのまま……殺した。

そこで一回目の記憶は途切れている。その後に何があったか、おれは覚えていない。

次に目覚めたときは、もう二回目の今日だったからだ。

 

二回目の今日も、やはりこの場所から始まった。

一回目との違いは……そう。連絡だ。仕事があることを知らなかった俺は、連絡が来て初めてそのことを知った。それで、おれはここを出た。

仕事の内容はほとんど同じ……多分、一つ一つの計画自体は同じだったと思う。だが、人員配置が違うような気がした。これはおれが連絡があるまで仕事に行かなかったのが理由かもしれない。

そして仕事が終わった後、おれは再びあの女の襲撃を受けた。

今度はその場で殺さず、生かしたままおれの隠れ家に連れ込んで昨日──つまり一回目のことを聞き出そうとした。

だが、結局は失敗し、おれはアーツであの女のことを殺した。その後のことはわからない。

だが、目が覚めたらまたここにいた。……3回目の今日に。

 

分かったことは二つ。

一つ目、俺の行動次第で状況が変わっている可能性があるということ。

二つ目、あの女を殺した後、目が覚めると今朝に戻っているということ。

この二つだ。

 

……二つ目だ。まず二つ目のことを確かめる。つまり、あの女を殺さなければおれは明日にたどり着けるのかどうかということだ。

……おれは今日、あの場所へは行かない。あの女には会わない。……そうだ、偶には傭兵団の連中と飯を食おう。それで、そのまま隠れ家には帰らずに寝るんだ。それで明日になっていればよし。明日になっていなければ……いや、そのことを考えるのは止そう。

今はとにかく、あの女と会わないことを考えればいい。

 

 

 

 

 

「しっかし、お前が来るとは珍しいなあ」

「悪いかよ」

「いやいや、人付き合いの悪い奴だからな、お前は」

「ひでえ」

「事実だろ?」

「……まあな」

「はっはっはっは、まあほら、今日は飲め。せっかく敵の頭を打ち取ったんだからよ」

 

今回の仕事で、おれは敵の本隊を叩くのに回された。まあ、今までで一番大変だったとはいえ、無事に仕事は終わった。今回はおれのアーツを使いやすい場所だったし、まあこの傭兵団の力ならこんなものだ。実際、ほぼ全員無傷だったしな。ちなみに、例外は隣で馬鹿笑いしてるこいつだ。一番怪我をした奴が一番元気ってどういうことだよ。

今、おれは傭兵団の連中と打ち上げのようなことをしている。団長が蓄えていた食材を放出したらしく、いつになく飯が豪華だ。もう日が沈んでから随分と時間がたっている。多分、今までの3回の中では一番遅くまで起きているんじゃないだろうか。

ああ、そうだ。今寝れば最高に気持ちよく眠れるだろう。程よくアルコールが入り、いい気分だ。

それで目が覚めてみれば、きっと明日になってるはずだよな。

 

この時、おれはもうあの女のことなどあまり気にしていなかった。そもそも、ここと隠れ家とでは20km近く離れている。こんなところに、あの女がいるはずなんてないじゃないか。

段々と頭がぼうっとしてくる。隣でしゃべりかけてくるこいつには悪いが、おれはそろそろ寝るとするか。

席から立ち上がり、仮眠室の方へ歩いて行く。その道中、やけに慌てた様子のウェイトレスがこちらに突っ込んできた。慌てて身をかわす。

 

「あら、ごめんなさい」

 

そう言ってその場を立ち去るそいつは

 

 

()()()()()()()()()()()()だった。

 

「!?」

 

一瞬で眠気が吹っ飛ぶ。何故あの女がここにいるんだ!?

 

「おい!待て!」

 

慌てて女を追いかけ始めたその時、後ろからおれの気持ちを代弁したかのような声が飛んできた。

走って女を追いかけながら、追いかけている奴らに話を聞く。

 

「おい、なんであの女を追ってる!?」

「なんか怪しいことしてたんだよ!」

「怪しいこと!?」

「ああ!団長の机の周りをウロチョロと……」

 

その言葉を聞き終わるか聞き終わらないかのその時。背後で大きな爆発音がした。

全員の足が一瞬止まる。

俺たちがさっきまでいた建物が、消し飛んでいた。

あそこにいた奴らは、多分、死んだ。

 

「あの女を逃がすなああああっ!」

 

通信機に誰かが怒鳴りつける。飛び交うアーツ。矢。銃弾。

 

……仮説その一だ。俺の行動が変われば、周りの状況も変わることがある。

今まではおれがあの女を殺していたのに、今回は殺さなかったから。

状況が変わった。あいつも、あいつも、あいつも。死んだ。

 

乱舞するアーツが一点に着弾する。

今、あの女も死ん

 

 

 

 

 

 

 

 

目が覚める。見慣れた天井。ここは俺の隠れ家だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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一陽来復─The rising of the sun

今日は、いつだろうか?

四回目の今日?ようやくたどり着いた"明日"?

 

……曲がりなりにもこの狂った世界で生きてきたんだ、わかっている。

他人に余計な情を抱いていては、生きてはいけない。それがこの世界というものだ。

傭兵団だってそうだ。ただ、お互いにお互いのことを『使える』と思っていただけ。

一番大事なのは自分のことだ。あいつらの誰かが死にかけていようが、おれは命をかけて助けるようなことなんてしない。自分の命は変えが効かないけれど、使える人材は変えが効く。

おれは、自分さえよければそれでいい。自分以外のことなんてどうでもいい。

 

……けれども今この時だけは、あんなに明日に行きたがっていたおれだけれど、今日のままであってくれと願った。

別に情が移ったとかそういうわけではない。ただ、あれでみんな死んだというのは後味が悪い。

……ただそれだけ。そう。ただのおれの気分の問題だ。それ以上でもそれ以下でもない。

──だから、頼む。早くおれに通信してくれ。

そう願った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おいW、さっさと来い。今日は仕事だ」

「…………」

「おい、聞いてんのか?」

「……なあ。今度、飲みに行かないか」

「はあ?」

「……そういう気分なんだ」

「……珍しいな。お前がそんなこと言うなんて」

「……悪いか?」

「いいや。こっちはいつでも大歓迎だ。……お前が誘っても来ねえだけでな」

「悪かった。……集合は30区の28番だよな?」

「おうよ。今日はさっさと仕事を終わらせて、パーッと飲もうぜ!」

「……ああ」

 

「あ、やっぱ今日は無理だわ」

「おい!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日の──四回目のお仕事は敵拠点の制圧だ。敵主力は前線のほうに移って本隊と相手しているので、さながら空き巣といったところか。だが、空き巣といっても敵の拠点。たっぷりと兵隊を腹の中にため込んでいる。流石におれ一人では荷が重い。

ということで、今回は二人でのお仕事だ。

 

「こちらW。準備完了だ」

「こちらモロー、準備了解」

「それじゃあ手はず通りに」

「おう。……いいか、絶対に俺を巻き込むなよ」

「おっけーおっけー」

「いやマジで!シャレになんないから!」

「カウントいくぞ。3、2、1、」

「ああもう!頼むぞ!」

 

カウントがゼロになると共に爆音が響き渡る。おれが仕掛けた爆弾だ。

その爆風で何人かが消し飛んだが、そんなことが目的ではない。

爆弾は正面玄関を木っ端みじんにしていた。これほどわかりやすい宣戦布告もないだろう。

わらわらと集まってくる敵兵。その視線は吹き飛んだ玄関のほうへと向いていた。

 

一人の男が、ゆっくりと歩み寄ってくる。右手には銃、左手には銃。両手に銃を持った男だ。

多勢に無勢。そう形容するしかないような圧倒的な戦力差。あまりに自殺的な行為に、思わず多勢のほうが呆気にとられる。次の瞬間、男の両手が火を噴いた。

放たれる銃弾、銃弾、銃弾。あっという間に前列の敵兵たちに風穴があいていく。

勿論、敵もそれを黙ってみているはずがない。銃、弩、弓。ありとあらゆる火器が男に向けられ、その殺傷能力が解き放たれた。矢と銃弾、それにアーツが混じりあい、男に殺到していく。

その爆心地、グラウンド・ゼロには当然──()()()()()()()()()()

 

呆然とする敵兵。それを見て、男はニヤリと笑うのであった。

 

「……で、実際のところどうだ?」

「……ヤバい。あと一発同じのを食らったら絶対死ぬ」

「……だろうな。さっさと連れてこい」

「オーケイ!」

 

男──モローが両手の銃を乱射する。飛び散る弾丸と血飛沫。一瞬にして敵は恐慌状態に陥った。そうなった生物の行動は二つに一つだ。逃げるか、戦うか。

そして、多くがその前者を選ぼうとした中、無謀にも後者を選択した者がいた。

──殺される。その恐怖が敵兵を無謀な攻撃へと突き動かした。半ば泣き叫ぶようにして放たれる矢。

決して届かぬはずの攻撃。誰もが、放った本人すらそう確信していたそれは、果たして男の頭を掠めていった。

しんとその場が静まり返る。その中で、男の頭から滴る赤い血の音がぽたり、ぽたりと響く。

瞬間、モローは踵を返して敗走を始めた。

 

呆気にとられたのも一瞬、敵兵は猛烈な勢いでモローを追いかける。

笑いながら自分たちを蹂躙していた相手が、攻撃を食らって情けなく逃げ出したのだ。

地獄から天国に行ったようなもので、脳内麻薬がドバドバと分泌されていることだろう。

走るモロー。追いかける敵。辺りに銃弾をまき散らしながら、狂乱する集団が半ば廃墟と化した街を突き進んでいく。その様子はまるで狩りのようだ。もっとも、どちらが狩られる側かは言うまでもない。

……死ぬのは奴らだ。

 

やがて、集団は細い路地へと突入していく。陽の光も差し込まないような高い建物の間、細く、長いその路地を背後から射かけられながら逃げるモロー。だが、唐突にその追いかけっこは終わりを告げる。

 

「っ!」

 

行き止まり。路地の終端には、高い建物が壁となって行く手を阻んでいた。

愕然とするモロー。勝利を確信する敵兵。

勢いそのままに、ハンターが獲物を射殺すかに見えた、その時だった。

空間がぐにゃりと捻じ曲がり、渦を描く。

極度の興奮状態にある敵兵たちは、それに気づかず次々とその渦に突っ込んでいき──その姿を変えた。

生暖かい液体に、白っぽい柔らかな何か。そこにねっとりとした黄色とぶよぶよしたピンクがトッピングされたモノ。もはやどれが誰のどこかわからない程、雑多にミックスされたグロテスクな塊。それが今の彼らの姿にしてその末路だ。

 

呆然と立ち竦む敵さん方。目の前で起こった突然の現象に、どうやら脳の処理が追い付いていないらしい。

……防衛本能ってやつなんだろうな。理解してしまったらどうなるか、生き物ってやつは本能的にわかってるんだ。でも、悲しいことにおれたちは中々にかしこいものだから、ある時点──臨界点──に到達すると気づいてしまう。理解してしまう。

そして、その時はやってきた。失禁、嘔吐。そんなのは可愛いもんだ。発狂して銃を乱射し、味方を撃ち殺す奴。逃げ出そうとして味方を撃ち殺す奴。いやあ、まさに地獄って感じだねえ。

屋上から見下ろす奴らの姿は、なかなかに滑稽だった。

どうにか路地から脱出しようかという奴らもまた、ミートボールになった。

そんな分かりやすいところ、何もないわけないでしょう。

で、残った奴らも同じようにグチャっと。大きな肉塊を三つほど拵えて、敵兵の殲滅が完了した。

 

 

 

 

「よっ、お疲れさん」

 

逆バンジーで屋上まで登ってきたモローに声を掛ける。

 

「いやー、疲れた疲れた。あんな鬼ごっこ久しぶりだぜ」

「いい運動になったろ?」

「お前なあ……」

「冗談はこれくらいにしておいて……アーツはどうだ?」

「あと半分くらいってとこか?鬼ごっこ中にプチプチ喰らったせいでちょっと減っちまったぜ」

「といっても、まあ敵兵の殲滅はできたっぽいしな。後は拠点を吹っ飛ばせって話だが……」

「……W、お前もなかなか悪よのお」

「……傭兵の嗜みってやつだ。だからお前もわざわざおびき出すなんて作戦に乗ったんだろ?」

「……まあな!」

「……よし!じゃあお宝探しと行きますか!」

 

 

 

おれたちは肉塊製造工場と化した路地を後にし、敵拠点へと向かった。

予想通り、ほとんどの戦力は出払っていたみたいで、残っていた雑魚を始末すれば後はやりたい放題だ。

それぞれ思い思いの品を探す。一回目の時パスタを持っていた奴がいたから、もしかしたらと思い探してみれば大当たり。ラテラーノ物産展と化した倉庫が見つかった。パスタや生ハム、その他諸々の食料品や名産品の銃なんかもたくさん置いてある。おれは昔からラテラーノみたいな料理が好きだったから、これは非常にうれしい。

……それに銃。こいつに関しては"郷愁"を感じるとでもいうのかな。とにかくそういう感じのものだ。

わざわざ銃を使っているというのにも、一応の理由らしきものはあるってわけ。未練がましいかな?

最も、殺しに使いすぎてそんな感覚はもうほとんど残っていない。今のコレクションはただの惰性だ。

とは言え惰性というのも案外しぶといもので、コレクションはいまだに増え続けている。おれは雑多に保管された銃の中から審美眼に適うものをいくつか選び出し、倉庫を後にした。

 

もう十分に満足したので、そろそろ爆破して仕事を終わりにしたかったのだが、なかなかモローが下まで降りてこない。いい加減に呼び出そうかと思ったその矢先、モローから通信が入った。

 

「遅いぞモ」

「おいW!ちょっとこっち来い!」

「……何だ?敵襲か?」

「違うが……似たようなものかもな」

 

モローの言い草に、引っかかるものがあった。敵襲のようなもの。おれたちは、いやおれは、その敵襲のようなものにあったじゃないか。

通信機片手に案内を聞きながら、おれはモローの居場所へと急いだ。言われた部屋が近づいてくる……と同時にあたりに漂ってくるものがあった。

……異臭だ。それも、おれたちが嗅ぎなれた種類の。

 

扉を開け、部屋に入った。

そこには予想通り、いや予想以上に凄惨な光景が広がっていた。

……女、男、子供。色々なサルカズの死体がそこにはあった。

……先程まで敵を肉塊に変えて楽しんでいた奴が言えることではないだろうが、これをやった奴は相当な屑だ。

年齢、性別もバラバラな死体だが、一つだけ共通点があった。

それはみな()()()()()()ということだ。徹底的に。……これ以上は何も言いたくない。

 

「……なあ、W。俺たち、あいつらをああしといて正解だったな」」

「……だな」

 

「……人質だってさ。遅れるたびに一部を送り付けてたらしい」

「……それでテロをさせようってわけか」

「ああ。他にも金で雇ったりなんだり……まあ色々だ」

「……合点がいったよ」

「何がだ?」

「こっちの話だ。……で、なんでそんな書類が残ってたんだ?」

「わからん。俺たちに夢中だったからかもな」

「……そんなもんか?」

「ここに脳筋連中しか残ってなかったら、そうなるだろ」

「そんなもんか」

「そんなもんだ」

 

この情報は、早急に団長及び各隊長の元に届けられた。多分、これでこの前みたいなことにはならないと思う。

……というか、これではおれがあの女をどうこうしたところで結局は同じようなことが起こっていたのかもしれない。

そういう意味でも今回ここにこれて本当に良かった。……何より、あの女のことも少しはわかったしな。

何はともあれ、これでお仕事完了だ。

 

 

 

 

 

あの後、きちんと言われた通りに拠点を吹き飛ばし、おれたちは帰投した。

団長たちの本隊もこの前と同じく敵の頭を討ち取り、敗残兵もまとめて撤退していった。

ということはつまり、このちょっとした戦争にも蹴りがついたということだ。後はおれたちにできることはなく、上で処理されてそれでおしまい。

それが傭兵という組織だ。戦争が終わってしまえばお互いに手出しはできない──というのが業界のルールのはずなんだけれど、今回はちょっと違う。

暗黙の了解を破るような禁じ手。明文化されてなきゃ何でもやっていいってわけじゃないんだけどねえ。

──傭兵外部の人員を使った爆弾テロ。

そいつに対応するため、団長はじめみんなてんやわんやだ。

全員バラバラに分散してやり過ごしてもいいのだが、やはりここはきちんと禍根を断っておきたい。

返り討ちにするため、トラップやらなにやらの準備が猛スピードで進行している。

おれやモローもそいつに駆り出されているんだが、おれもそろそろ自分の仕事をしなきゃならんのでね。

 

「ってことで、後は頼んだ」

「は?っおい、W!」

「用事だ!団のためにもなる!」

「ったく……」

 

 

 

もう既に夜になってから幾ばくかの時間がたった。果たして、今行ったところであの女がまだいるかはわからない。が、仮にこちらに居なかったとしても返り討ちに会って死ぬか捕まるかはしているはずだ。

前回で分かったことだが、多分あの女が死ぬとおれは朝に戻る。おれが殺したかどうかは関係ない。

となれば、何としてでもここで身柄を確保したい。果たしてこの現象がどうやったら終わるのかはわからないし、仮に女が死ななければ明日を迎えることができたとしてもそれで終わる保証はない。

その場合は女がおれの知らないどこかで死んだら最悪だ。どこまで戻されるのかは知らないが、女を探し出すまでに何回繰り返せばいいかわからない。

捕えられれば最高。死ねばその次によし。捕まってもよし。最悪は逃げられることだ。

女が逃げない保証がどこにもない以上、何としてでも今回で終わらせたい。

……最も、今回の保証もないがな。

 

 

 

森のように廃墟が立ち連なる、その中を一人歩いていく。

おれは歩きながらなるべく人気の少ないところに向かっていた。つまり、隠れ家のほうだ。

結局、いつもの場所になるらしい。まあ、当然といえば当然か。

他人に襲わせる、というのはなかなか難しい。警戒心を露わにすれば、力の劣るものは絶対に攻撃を仕掛けてはこない。奇襲というのは弱者が強者を倒す唯一の手段だからだ。

とは言え、無警戒でいればそれこそ奇襲される。前回、前々回は心に隙があったから女も襲ってきた。

 

……今回は、最初とその次との複合型で行ってみようと思う。つまり、戦利品にウキウキしていながらもアーツで背後を警戒、という作戦だ。行けるかどうかはわからないが、やってやるしかない。

 

気持ち弾んだような足取りで路地を歩いていく。聴覚と触覚は警戒に回し、頭の中では、なるべく今日の戦利品のことを思い浮かべるようにした。パンに生ハムを乗せ、その上からオリジムシを漬けていたオイルを垂らす。少し身を乗せてもいいかも知れない。生ハムのパンチのある塩味と滋味にとんだオリジムシ、香り豊かなオイル。想像するだけで──来るっ!

 

常に背中に貼り付けるようにイメージしておいたアーツを起動し、全速で駆け出す。

着弾と同時に爆発するだった手榴弾は噴出した爆炎ごと空間に喰われてぐちゃぐちゃになった。

 

「!?」

 

おれはそれを確認し、駆けながら電灯のスイッチを入れる。光に包まれる襲撃者のシルエット。

用が済んだ電灯を投げ捨て、おれは昼間に見つけてきたものを発射する。

もとはハンティングにでも使っていたのだろうか。物好きのサンクタが拵えた一品、捕縛銃だ。

発射された錘付きの縄が襲撃者の体に巻き付いていく。

 

「なっ……!」

 

中々よくできた品物だ。昼間に実験した時もそうだったが、敵をほぼ無傷で捕らえられるというのは。

そうそう、ほぼっていうのは……

 

「うっ……」

 

最後の一発で錘を食らうってことだ。まあ、旋回半径が小さいので大したダメージはない。

背嚢から予備の電灯を取り出す。ぐるぐる巻きになって倒れている襲撃者を照らしてみれば、そこにはよく見知った顔がいた。

銀髪で赤い角の女サルカズ。通算三回目ともなれば慣れるというものだ。

 

「……気づかれてたとはね」

「慣れだ。初めに言っておくが、挑発しても手出しはしないから黙ってろ」

「……ちっ。何から何までお見通しってわけ?」

「まあそんなところだ」

 

会話もほどほどに、手際よく処理をして女を隠れ家に連れ込む。二日ぶりのご訪問だ。こいつは覚えてないだろうが。

この前と同じように椅子に縛り付け、目隠しと猿轡を取る。

今回は下らない会話は止して、いきなり本題から入ることにしよう。

 

「ぷはっ……!…………あたしをどうするつもりかしら?」

「お前に命令した傭兵たちだが……今日で奴らは解散だ」

「!?……へえ、そう」

「……人質は全員死んでた。悪いな」

「……あたしは金での雇われよ。関係ないわ」

 

そう言った時の女の表情に、変化はなかった。

冷たすぎるほどに冷たい、鋭い刃物のような口調で言い捨てた。

女は完全に無関心だった。

 

……その完璧さが、動揺を表しているように見えた。

人が自分の本心を隠すためにすることは二つだ。無表情を貫くか、狂うか。あるいはその両方か。

おれにはわかる。おれも、狂って見せているから。

自分の本心が微塵も入り混じっていないから、演技に没入できる。自分だと認識していないから、狂いきれる。そう、完璧にだ。

そして、その完璧というのは不自然なんだ。世に完璧なものなどないはずなのだから。

 

だが、おれはそのことを指摘するつもりはなかった。この後うまく交渉しなければならないんだ。わざわざ余計な茶々を入れることもない。

女の言葉をそのまま受け止め、おれは問うた。

 

「で、お前はどうする?もうお前を縛る契約はないぞ」

「……そうね。じゃあ、あたしを開放してくれないかしら?」

「それは無理だ」

「……なぜ?」

「試さなければならないことがある。お前を使ってな」

「……嫌だといったら?」

「……嫌とは言わせない」

「そう……なら……」

 

……言っておくが、別に鈍感系主人公のまねをしているわけではない。

交渉術だ。ドア・イン・ザ・フェイスとかそういう類の。それのこっち版とでも言おうか。

意味ありげなことを言って見せて、相手の中で膨らませる。このクソみたいな世界だ、いくらでも想像できることがある。で、本来の要求を言ってみれば、なんだ、そんなのかと拍子抜けするわけだ。

おれは今まさにそれをやっている。この次が本題だ。

 

「宿付き。飯付き。安全の保障。……これでどうだ?」

「は?」

「お前には死なないでいてもらいたい。それが実験内容だ」

「…………」

「……不満か?」

「……あっはっはっは!何それ!?愛の告白のつもり?」

「いや、違うが」

「……なんだ、つまらないわね。……で、どういうつもりなのよ」

「言ったとおりだ。お前が死ぬことで不都合なことがあってな」

「何よ、不都合って」

「……いや、言っても信じないと思うぞ」

「いいから、早く言いなさいよ」

 

思えば、おれは今まで誰にもこのことを言ったことがなかった。

普通に考えて頭がおかしくなったとしか思えないし、信じてもらえるはずがない。だからだ。

だが、なぜかおれは女の言葉に促されるままに言ってしまった。

 

「お前が死ぬと、おれは今日の朝に戻されるんだ」

「…………?」

 

女が目をパチクリさせてこちらを見返してくる。

その目線は、妙に優しかった。あたかも痛い中学生を見るかのような目だ。

 

「だから言いたくなかったんだよ……」

「……わかったわ。そういう設定なのね」

「設定言うな」

 

 

「……ま、その真偽のほどは置いといて…………さっき言った条件、ほんとかしら?」

「本当だ。……おれの実力の程はさっきで分かっただろう?」

「あれはノーカン。あんたはあたしが来るのが分かってたんでしょ?……なら、ノーカンよ」

「負けず嫌いか?」

「ええ。悪い?」

「……いいや。で、どうなんだ?」

「……そうねえ。ま、取りあえずは付き合ってあげようかしら」

「……本当か?」

「ええ。……でも、覚えておきなさい。あんたを殺れると思ったらいつでも殺るから」

「……覚えておこう」

 

 

 

かくして、契約はなった。

おれは住む場所と食うもの、それに安全を提供する。

あの女は死なないことを提供する。

何とも奇妙な契約だが、おれの身に起こっている現象を解き明かすためには仕方がない。あの女が鍵なのは間違いないのだ。

期待と不安を抱えながら、おれは眠りについた。

……勿論、女は縛り付けておいた。ぶつくさ文句を言っていたが仕方が無い。第一、寝首を搔くと宣言している奴を野放しにするわけないだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝だ。目が覚める。見慣れた天井。ここはおれの隠れ家だ。

今日はいつだろうか。今日のままか、それとも明日か……

 

 

 

 

 

「あら、起きたみたいね。で、早くこれを解いてくれないかしら」

 

……明日だ。ここは、明日だ。

何故かって?

銀髪で赤い角の女サルカズ。

名もなきその女は、確かにそこにいた。

 

 

 

 

 



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前途洋洋─Happiness comes as the end

明日だ。おれは、明日にやってきた。

この世界で一日を生き抜いていくのは難しい。そのことは十分に理解しているし、苦労してきたとも思っている。だが、これ程までに朝日を眩しく感じたのは今日が初めてかもしれない。

 

「夜明け、か」

 

「……聞こえてないのかしら?早く解けって言ったんだけど」

「……はいはい」

 

感慨にふけるおれの思考を中断させたのは、椅子に縛り付けられた女の声だった。

そんな恰好でよくもまあ高圧的な態度を取れるものだ。……それに答えているおれもおれだが。

まあ、これから長い付き合いになる可能性もある。こんなことにいちいち目くじらを立てていたらきりがない。おれが答えたのも、言わば大人の余裕ってやつだ。子供のお守りと思えばいい。

 

「……なんかムカつくわね。妙なこと考えてるんじゃない?」

 

……女ってやつはどうしてこんなに鋭いんだろう?

知り合いの女傭兵もそうだが、どうにも勘がいい。表情には出していないつもりなんだがなあ。

まあ、こいつとそいつが特別なだけかもしれないが。

敢えて答えることはないので、疑いに満ちた視線をスルーしながら、女の縄を解いていった。

 

「ん……んぁ……………一晩中縛り付けておくなんて、結構な待遇じゃない」

「念には念を入れたまでだ」

「あっそ。で、これから毎晩これかしら?なら、早急に契約解除したいんだけど」

「安心しろ。これっきりだ」

「あら、それはよかったわ。んんっ……にしても、あんたのせいで体中が痛いわね……」

「……下にシャワーがある。タオルもあるから適当に使え」

「へぇ、なかなかいいじゃない。気に入ったわ」

「そいつはどうも」

 

女は足取り軽やかに階下に消えていった。

全く、掴みどころがないというかなんというか……とにかくあいつと話すと疲れる。

だが、これでうるさい奴が消えたわけだし、ゆっくりと……その前に連絡を入れなきゃか。

 

「てめえW!お前どこほっつき歩いてるんだ!」

「よう、モロー。そっちはどうだ?」

「お前……はあ。こっちは片付いたよ。書類にあったやつは()()始末した」

「そりゃよかった。……隊長は?」

「呆れてたよ。……で、お前もちゃんと仕事したんだろうな?」

「仕事したから書類が片付いたんだろ?おれがそっちに送った首が届いてるはずだ」

「……それならいいけどよ」

「……処分は?」

「おう!聞いてくれ!……まあ、俺の必死の弁護のおかげでもあるんだが……」

「早く言えよ」

「……はいはい。……減給三か月ってとこだ。あっ、首があったらの話な?」

「そりゃ……温情だな。モロー、恩に着る」

「よせよ。お前がそれくらいには評価されてるってことだ。とはいえ調子には乗るなよ?」

「わかってる」

 

 

 

 

モローとの通信を終え、椅子に座り込む。

ある程度覚悟はしていたのが、今回の処分はかなり穏健なものだった。

やはりそもそもの情報をおれたちが持って来たのと、首を送っておいたのがよかったのだろう。

わざわざ回り道をした甲斐があった。

懐から書類の一ページを取り出す。名称不明、銀髪に赤い角の女サルカズ。つまり、あいつについて書かれたものだ。()()()()()()()()()()。バインダーにまとめられたものだったから、一枚抜き取ってもわからないはずだし、現にモローがすべて片付いたと認識しているということはそういうことなのだろう。

勿論、隊長たちや団長もこれで終わりだとは思っていないはずだし、これからしばらくは警戒が必要だろうがそれはいつものことだ。組織としてのテロルには蹴りがついたと認識しているだろう。

……おれも多少はマークされるだろうが、今までの実績がある。あまり下手をうたなければ大した問題ではない。

紙切れを暖炉の火にくべる。これで、あの女は書類からいなくなった。

 

そのまましばらく炎を見つめていると、女がシャワーから帰ってきた。

 

「……炎なんて見つめて、何してるの?」

「……なんでもない。飯、食うか?」

「契約の内よ。当然でしょ」

 

相変わらず偉そうな雇われの言葉を背に、キッチンへ向かう。

昨日の戦利品があったので、今朝はそれを使うことにした。

生ハムを塊から薄くスライスする。存在感を失わず、それでいて口に入れるととろけるくらいの具合にだ。

一つ味見してみる。……うん、我ながら上出来だ。

 

「何よそれ」

 

いつの間にか目の前にいた女が問いかけてきた。その目線は、生ハムに釘付けになっている。

いかにも食べたそうな様子なので、こちらから言ってしまうことにした。

 

「……食うか?」

「……それって美味しいの?」

「おれはうまいと思うが……ま、大人の味かな?」

「へえ……私が子供って言いたいわけ?」

「違う違う。癖があるってことだ。取りあえず味見してみろ。ダメだったら出さないから」

「……じゃ、一つ貰おうかしら」

 

恐る恐る、といった感じで生ハムをつまむ女。じろじろと眺めてみたり、においを嗅いで眉をひそめたりしていたが、意を決して口に放り込んだ……と、パッと表情が華やぐ。

 

「あら、美味しいじゃない!」

「だろ?」

「……にしても、あんた傭兵よね?傭兵はいつもこんなものを食べてるの?」

「そんなわけあるか。昨日たまたま手に入れたんだよ」

「なんだ、夢がないわね」

「そんなもんだ。ほら、料理の邪魔だからあっち行ってろ」

「はいはい……あっ、私の分にはそれたくさん入れといて頂戴」

 

すっかり生ハムが気に入ったらしい。まあ、あいつが今までどこで何をしていたのかは知らないが、生ハムなんて滅多にお目にかかれるものでは無いからな。契約初日だし、奮発してやろう。

 

削りとった生ハムはサラダに乗せ、上から少し苦みのある酸っぱいドレッシングをかける。

この味を作り出すのには結構苦労した。特にこの独特の苦みの再現が難しかったのだが、そこで現れたのがオリジムシだ。こういうちょっとしたチャレンジもまた日々の楽しみ、生きるコツと言っていいだろう。

メインはオープンサンドにした。固めのパンの上にトマト、レタス、スライスオニオン……のようなものたちを乗せ、生ハムをその上にオン。仕上げにオイルをかけ、砕いたナッツをトッピングする。

後は大きめにカットした具材がゴロゴロ入っているポトフを添えれば、なかなかいい朝食ではないだろうか。

 

「できたぞ」

 

一声かけて机に料理を運んでいく。

並べられた料理を目の当たりにした時の女の表情は、なかなかに愉快だった。

 

「……あんた、傭兵やめて料理人にでも転職したらどう?」

「そこまで出来のいいものじゃない。……では、いただきます」

「……なにそれ?」

「儀式みたいなもんだ」

「へえ……」

 

「……おいしい」

「そりゃよかった」

 

……思えば、他人の分の料理を作ったのなんて初めてだ。……こんな世界で、誰かのために何かをすることなんてないから。

おれは久しぶりに、本当に久しぶりに、人間らしい喜びを覚えたような気がした。

 

 

 

作るのには時間がかかった飯も、食うとなればあっという間になくなってしまう。

机の上にずらりと並んだ皿が空になるまでに、大した時間はかからなかった。

 

「ふう……お腹いっぱい食べたのなんて何時ぶりかしら」

「どうだ?悪くない契約だろう?」

「ええ。まあ、概ね満足といったところかしら」

「手厳しいな」

 

おれはコーヒーを、女は紅茶を飲みながら軽口を叩きあう。やがて、女が紅茶を飲み干し、カップを机の上に置いたところで空気ががらりと変わるのを感じた。

 

「そういえば……あんたのアーツ。あれは何?」

「……教えると思うか?」

「……でしょうね。だから……今ここで見せてもらおうかしら!」

 

イスから立ち上がり、女が何かを取り出す。あれは……爆弾、か?

 

「……ハッタリか?」

「……うーん、そう思いたければそれでいいけど……」

「……爆発したらお前も助からないぞ?」

「あたしは慣れてるから大丈夫よ。あんたは違うだろうけど」

「……アーツか?」

「……教えると思う?」

 

こうして会話をしている間にも、ピッピッという嫌に耳につく電子音が二人の間に鳴り響く。

……埒が明かない。ここで死なれるのも面倒だし、おれが死ぬのはもちろんお断りだ。

どうにか奪って外に投げ出したとして、この場所がばれるのは嫌だし、仕方ないがここは女の言葉通り、アーツを見せてやるほかないだろう。

 

「……わかった。見せてやる」

「賢明な回答ね。じゃ、見せてもらおうかしら」

「……そいつを机に置け。妙な真似したらお前に使うぞ」

「はいはい……これでいいかしら?」

 

机に置かれた爆弾?に対してアーツを使う。いつも通り、空間が湾曲して爆弾を食い殺した。……机ごと。

巻き込まれた哀れな机は、その片側を失った。……結構気に入ってたのに。

 

「これで満足か?」

「……無茶苦茶なアーツね。……でも、そんなに効果範囲が広いなら……」

 

接近戦は先手を取るに限る。おれはバランスの悪くなった机を女に向かって蹴り飛ばした。飛び散る食器、舞う机。既に向こう側で戦闘態勢に入っていた女の姿がちらりと目に入る。おれは突如目の前に現れた壁によってできた死角を使い、女に飛びかかった。

先手を取られたにもかかわらず、向こうもやり手だった。いつの間にか回収してたフォークでおれの攻撃に対してカウンターを仕掛けてくる。

だが、ここは一手おれが上回った。突き出されたフォークをスプーンでいなし、首元にフォークを突きつける。食器の割れる甲高い音が残響する部屋の中、ピンと張りつめた時間が流れた。

やがて、どちらともなく強張った筋肉を緩め、武器を手放す。

 

「……なら近づけば、と思ったけど……」

「接近戦は対策済みだ」

「……はあ。あたしの負けね。満足しました」

 

 

 

結局、あの爆弾はハッタリだった。

ということはつまり、おれは試合に勝って勝負に負けたというわけだ。

おれとしては完全にやられたという心持ちだが、それは向こうも同じことだろうからお互い様か。

だが、これでようやく事態が動き出す。おれの身に起こっているこの現象は何なのか、どうすればいいのか、それを解き明かす。あの女を手懐けるのは大変だが……まあ、やって見せよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──何はともあれ、こうして本格的な契約が成立した。

それは奇妙な同棲生活の始まりであり、苦難と、それと幸福に満ちた生活の始まりでもあったのだが、当時のおれには知る由もなかった。

……知っていたのなら、おれはもっとその日々を大切にしていたはずだ。

大事なものに、人は失ってから始めて気付く。ありがちなその言葉の意味を本当に知ったのは……今更になってからだ。

でも、だから、もう少しだけ思い出に浸っていてもいいだろうか。あの幸せな、夢のような日々に溺れていてもいいだろうか。

 

 

 

……死に至る前に。絶望の底に沈む前に。

……あいつのいる世界に、行く前に。

 

 

 

 

 

 



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自我揺籃─Reaching for the forbidden fruit

「まずはルールを決めよう」

 

ぐちゃぐちゃになった部屋を掃除し、机や食器を調達し終えてひと段落着いたところでおれは提案した。

これから生活していくにあたっては、ルールの整備が必須だ。こいつを野放しにしたらどうなるか見当もつかない。勝手に出歩かれて死なれても困るし、余計なことをされてそれに巻き込まれるのも御免だ。

 

「ルール?……めんどくさいわねえ」

「好き勝手やられても困るからな。これも契約の内だ」

「はあ……まあいいわ。で、そのルールってのを早く言いなさいよ」

「これから決めるって言っただろう。人の話を聞け」

「はいはい。……そうね、まずはあんたが言ってた三つの保障をきちんとしてもらおうかしら」

 

……毎度思うんだが、なぜこの女は雇われの分際で高圧的なんだろうか。

元々の気質か?それともおれが手出ししてこないと踏んで、態度だけは対等でいようというプライドからくるものなのか?相手が相手ならぶち殺されてるところだぞ、それ。

 

……と言いつつ、割とこの感じを楽しんでいるおれもおれか。

一時期の同じ一日の繰り返しという恐怖から解放されたことによる心の余裕からなのか何なのかは知らないが、こういうやり取りを憎からず思っている自分がいる。

モローみたいな傭兵連中と軽口を叩きあうのとはまた違った感覚。うまく言葉にするのは難しいけれど、何か懐かしいような、落ち着くような、そういう感覚だ。

……ペットとのじゃれあいという感じか?うん、それが一番近いかもしれない。

この女の態度も、子犬がキャンキャンと吠えているようなものだと思えば、可愛らしいものだ。

 

「……ちょっと、何よその目。なんかこう……ムカつくわね」

「気のせいだろ。で、三つの保障だったな」

「ふん……ええ」

「住居、食事、安全。初めの二つについては……まあ、もうだいぶ分かっただろう?」

「そうね。そこに関しては特にいうことはないわ。ここに住めれば十分。食事もあんたが作るんでしょ?」

「……基本的にはそうだな」

「それはよかったわ。……シェフ、期待してるわよ」

「現金な奴め。……でだ、問題は三つ目だよ」

「……まあそうなるわね。別にあたしは無くてもいいけど……」

「おれが困る」

「そうよねえ……」

 

悪そうな顔でニヤリと笑う女。

……そう、ここが一番の問題なのだ。極論、安全を確保するんだったら誰にも見つからない場所に監禁でもすればいい。四肢を縛り付けるなりもぎ取るなりしておけばまず逃げられないし、効率だけを考えたらこれが一番いいだろう。

だが、おれの特殊な事情がその選択肢を封じ込める。

どこぞの王族なり何なりとは異なり、救出されないように閉じ込めておくのが目的ではなく、死なれないのが第一に必要とされていることなのだ。

舌をかみちぎる、絶食、その他諸々。いろいろと対策を講じても、手段を選ばないのであれば自殺を完全に防止することは難しいし面倒だ。

だからこその契約。双方にメリットのある一種の協力関係を築くことが、遠回りのように見えて最善の選択肢だというわけだ。

そして、おれはこの事情のことをうっかりこいつに言ってしまった。そのせいでおれは今目の前の女のいやらしい笑みを拝むことになったというわけだ。……ああ忌々しい。

 

「ま、あんたがどうしてもって言うんだったら考えてやらないこともないけど……」

「……頼む」

「……ふーん、それが人にものを頼むときの態度なの?」

「…………お願いします」

「……仕方ないわねえ。いいわ、あんたに守られてあげる」

「……てめえ後で覚えてろよ……」

「仕返しよ仕返し。あんたにやられた分を返してやっただけよ」

「ぬかせ」

 

……こいつ絶対に子犬なんかじゃないだろ。もっと邪悪な何かだ。

子犬なんかに例えて見せた奴は反省してほしい。

言い合いをしていたら永遠に本題に入れなさそうなのでここは折れたが、いつか絶対に同じ目に合わせてやるとおれは固く決意した。

話を進めるためにも、怒りをぐっとこらえて提案に入る。

 

「……それで、保障なんだが……」

「何か考えはあるの?」

「確実なのはずっとここに……」

「却下。外にも行けないなんて退屈で仕方ないわ」

「じゃあ、外出時はおれも同伴で……」

「却下。子供じゃあるまいし、そんなのお断りよ」

 

……やっぱりムカつくわこの女。却下、却下っていうのは簡単だろうけど、考える方は大変だ。

おれがどうにかある程度の自由を認めて、尚且つ安全も確保できるような案を出しているというのに、それをばっさばっさと切り捨てられるのではたまったものでは無い。

……そうだ、こいつにも生みの苦しみってやつを味わってもらおうか。それで何とかひねり出したアイデアをばっさり切り捨ててやろう。

 

「……却下って言うんなら、そっちにも案を出してもらおうか」

「うーん、そうね。あんたを呼び出すボタン、ってとこかしら」

「…………」

「危なくなったら呼ぶから、それで来るって感じで。……どう?なかなかいいアイデアじゃない?」

「…………細かい点は後から詰めるにしても、そこら辺が落としどころか……」

「でしょう?ま、あんたには思いつかなかったみたいだけど」

「お前マジで覚えてろよ」

 

 

 

 

 

 

……こいつといると、調子が狂う。

思考も、言動も、いつものおれのものでは無くなってしまうような気がする。

 

……いや、何が本当のおれなんだ?

いつものおれは本当のおれなのか?それともこのおれが本当のおれなのか?それともどちらとも違う?

……わからない。そう、わからないんだ。

この世界に来た時点で、もうそんなものはどこかへ行ってしまっていて、残っているのは偽物のおれだけ。

なら、その偽物がここでの本当のおれ?でもそいつは結局偽物じゃないか。偽物が本物で、本物が偽物。ぐちゃぐちゃに入り混じった「おれ」。

……だったら、そんなもの考えないほうがましだ。おれは毎日を楽しく過ごせればそれでいい。小さな幸せを感じていればそれでいい。殺しを楽しむおれもおれで、料理を楽しむおれもおれで、それでいいじゃないか。

……だから、こいつと話して楽しんでるおれもおれだ。認めようが、認めまいが。

 

 

 

そのほかのルールは割合あっさり決まった。シャワーだとか、部屋だとか、そういう類のものくらいしか残っていなかったから当然といえば当然なのだが。

あと重要なものと言ったら、おれの仕事についてだろうか。今は仕事もなく落ち着いているが、また忙しくなってくれば家を空けることも多くなってくるかもしれない。おれたちは基本的にこのあたりでしか仕事はしないが、何事にも例外はある。時偶の遠征などの時はどうするのか。そういう所について話し合った。

あいつはまたあーだこうだとうるさかったが、今度はどうにか言いくるめてお留守番をするということで落ち着いた。まあ、仕事中に呼び出されてもどうしようもないので、ここが一つの落としどころだろう。

 

 

そんなこんなで、ようやく迎えた明日も終わりが近づいていた。

ルールを決め終わった後、色々と入用なものを買い込んできたり、隊長に詫びを入れたりなどとあちこちを駆け回っているうちにあっという間に時間が過ぎてしまった。

帰ってくれば女が早く飯を作れだの、生ハムをもっとよこせだのとこっちもこっちで忙しい。

どうせ生ハムを食うならということで引っ張り出してきたワインを、あいつに飲ませた判断それ自体は正しかったと思う。この契約の強度の程を知るという意味でも、潰してしまってから一人でゆっくり楽しもうという意味でも、戦術的には間違いなく正しかった。だが、その理知的な判断に結果がいつも伴うとは限らない。

……おれはもう二度とあいつに酒は飲ませないと固く誓った。

 

 

 

 

翌日。……そう、翌日だ。

今のところ俺の立てた仮説は正しいらしい。

……この床で大の字になって寝ている馬鹿がいるからな。

 

昨日、こいつは大暴れした後で自分はさっさと床に転がって寝てしまったのだ。部屋に連れて行ってもよかったが、そこまでしてやる義理はないので適当に毛布を掛けて放置しておいた。

……そして今に至る。

 

悪魔のような性格のこいつだが、流石に眠っている間は違うらしい。

すぅすぅと規則正しい寝息を立てる女の表情は、穏やかなものだった。普段の態度を欠片も感じさせないその表情に、おれは思った。やはり、普段の態度というのも意図的に作っているものなのかもしれない。……おれと同じように。

この世界は女一人で生きていくには厳しすぎる。力が全てのここでは、女というだけで侮られがちだ。

(ただ、何事にも例外はある。そうやって女になめてかかって返り討ちに会った男どもを、おれは何人も知っている。そのうちの一人はご存知モローだ)

そして、侮られたらそれで終わり。あとは食い散らかされるだけだ。

そういう世界で生きていくには、侮られないためには、力はもちろんのこと動作、態度、口調、その他諸々。ありとあらゆる手を使って自分の優位を示さなければならない。

だから、こいつの高圧的な態度、それは身を守るための手段なのだろう。

 

……そうとなればなおのこと、こいつがこんな顔で寝ているということがどういうことなのか。

少なくとも、おれとの契約がそれなりに信頼できるものだということを示してくれているのは間違いない。

なら、こっちも少しは誠意を示してやるか。

 

キッチンに向かう。今日の朝食も、美味しいものを作ってやろう。

 

 

 

 

机の上に湯気を立てる皿が並び始めたころ、その匂いにつられてかようやくあいつが起きた。

 

「んぁ、うーん……」

「やっと起きたか」

「んんっ…………なんであんたがあたしの部屋にいるのよ」

「周りをよく見ろ。ここはダイニングだ」

「……?なんで?」

「昨日のことは覚えてないのか?」

「……昨日?……あんたまさか」

「違う違う違う!お前が酒飲んで暴れて勝手にここでぶっ倒れたってだけだ」

「……ほんとかしら?」

「壁でも見てみろ。ぼこぼこになってるから」

「……ホントね」

「まったく……飯はできたけど、食うか?」

「もちろんよ。今日は……なんか頭がガンガンするわね」

「二日酔いだろ。ま、そんなことだろうと思ってたけど」

 

なので今日のメニューはお粥だ。水分を多めにしてサラサラに作ってあるから、かなり食べやすいと思う。

味付けは塩と野菜だしの二つだ。出汁のほうは、昨日使って捨てていた野菜の切れ端を拾い集めてきて、じっくりと煮出して作った。野菜の甘み、旨みが凝縮されていて、優しいながらもしっかりとした風味が感じられるいいものができたのではないだろうか。

 

「……何よこれ」

 

スプーンでお粥を持ち上げた女が、怪訝な表情をしてこちらを見てくる。

言わば未知との遭遇といったところか。確かに、食べたことがなければお粥のどろどろとした見た目は謎の物体Xとしか思えないだろう。

 

「食ってみればわかる」

 

だが食えばわかる。おれにはその確信があった。

恐る恐るお粥を口に運ぶ女。すると、訝しげだったその表情はみるみるうちに満面の笑みへと変わっていった。

無言でお粥を食べ続ける。せわしなく動くその腕が止まった時、皿の中はすっかり空っぽになっていた。

 

「どうだ?ま、答えを聞くまでもないか」

「……おかわり」

「は?」

「おかわりよ。まだ食べ足りないわ」

「……そりゃ、最高の褒め言葉だな」

 

 

 

普段からこんな料理を作っているのか?

その疑問の答えはNOだ。一人で作って、一人で食べて、一人で片付ける。その作業は、果てしなく虚しい。

作業は次第に簡略化されていくものだ。パンを取り出し、かじって、腹の中に片づける。日々の食事なんてものは大体そんなものだ。

勿論、時々気晴らしに気合を入れた料理を作ることはある。それは例えばこの間のパスタであったり、また他の料理であったりだ。

そういう料理を作るのは楽しいし、食べるのも楽しい。片付けは面倒だが、それも許容範囲だ。

日々のちょっとした幸せ。そう呼んでもいいものだとは思う。

……けれども、そこには拭い切れない一抹の虚しさがついて回る。

そのことを痛感したのは、つい昨日だ。

誰かのために作る。誰かと一緒に食べる。誰かのために片づける。

「誰か」という存在がいるだけで、こうも違うなんて思いもしなかった。

……おれは、人間は、こんなにも弱い生き物なのだと痛感させられる。

 

……この女はヘビだ。おれを惑わすヘビだ。きっと、おれは弱くなる。この女といることで。

力が全てのこの世界で、弱くなるというのはやってはいけないことだ。強く、さらに強く。常に強さを求める、そうあらなければならないというのに。

おれはその「弱さ」を、途方もなく甘美なものに感じてしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……それでよ、ちょっと触っただけだってのにナイフ突きつけられて『指落としてあげましょうか?』って言われちまったんだ」

「……おっかない女だな。それで、結局どうしたんだよ?」

「いやあ、俺としたことが余計に興奮しちまってな。『お願いします!』って叫んじまった」

「うわぁ……」

「ははは!そいつもお前とそっくりの反応をしてたよ。それでどっか行っちまってそれっきりだ」

「……お前マジでいつか死ぬぞ?」

「ま、そん時はそん時よ。お、姉ちゃんもう一杯!」

 

正常に明日がやってくるようになってから早一か月が経った。やはりこの前派手に暴れすぎたのか、最近は商売あがったりといった感じだ。この状態が続くようならボチボチ遠征に出かけることになるかもしれない。

今日はいつだか約束したように、モローと飲みに来ていた。もちろんあいつは家でお留守番だ。

結局、アイデア通りにあいつにはおれの呼び出しをできるように通信機を渡しておいた。小型で隠密性が高い奴で、通信機能とは別にビーコンも仕込んである。これでピンポイントで所在地はわからないまでも、大体どこにいるかまでは絞り込める。GPSだとかそういう類のものがあればいいのだが、そんなものはないので仕方が無い。

因みに、通信機とは別に服であったり靴であったり、そういうところにもビーコンを仕込んでおいた。こっちはあいつには言っていないが、まあ安全確保のためには致し方無い。あいつは通信機を家に置き忘れたとかいけしゃあしゃあと言ってのけるタイプの奴だからな。

夕飯も作って置いてきたし、デザートまで用意してやった。あいつはあんただけ酒を飲めてズルいとうるさかったが、そのまま放置してきた。絶対に酒は飲まさないと言ったろうが。

ここまで準備万端整えてようやく、こうして飲みに来ることができたわけだ。

本当に手のかかるやつだが、あの一日を繰り返す現象のことがよくわかっていない以上、手放すこともできない。そういう意味で二重に面倒なのがあいつという存在だった。

 

「……で、W。お前はどうなんだよ」

「おれ?」

「そうだよ。お前と飲むなんてめったにないからな。……この際洗い浚いしゃべってもらおうか」

「……おれはそういうのは基本ないぜ?」

「噓つけ!男だろ!?」

「おれは専らミートボール作りとかそういう奴だ」

「そっちかあ……まあ、楽しそうだもんな、お前」

「そう見えるか?」

「おう」

「……()()()()()()()

「やっぱお前つくづく傭兵向きだよ。俺みたいにハニートラップにも引っかかんねえし」

「それはお前が引っかかりすぎなだけだろ、この伊達男」

「まあな」

「そこは否定しろよ」

 

モローとの付き合いは気楽なもんだ。会うたびに軽口を叩きあって、偶にこうして酒を飲みかわす。

こいつはお調子者で下品な男だが、気持ちのいい奴だ。お互いにお互いの事情があることを知っていて、決して深く踏み込んではこない。だからこいつとは何も考えずにいられるのだろう。

あいつと一緒にいる時のように、心が搔き乱されるようなことがない。

そういう時間を得られるだけでも、こいつと飲みに来た甲斐があったというものだ。

ここではおれは傭兵のWとして居られる。家の時にいるようなよくわからない「おれ」ではなく。

それはある意味気楽で、ある意味つまらない。

けれども、物事を相対化するためにはこういう時間を過ごすことも重要だ。

 

「……ゴホン。W君。私がいい子を紹介してあげよう」

「いやいいよ」

「傭兵の嗜みだぞ!なんならこの後連れてってやるからさあ!」

「……で、おれに代金を払わせるのか?」

「……ギクッ」

「お前は全く……ん?」

 

異変があった。今まで一度もなかったこと。それが起こった。

通信機が、鳴っていた。

 

「ザ──早く──ザザ──」

「おい!どこにいる!?」

「家の──ザザ──」

「家の!?……おい……おい!?」

 

「おいW、お前突然でかい声出して……」

「モロー、キーを出せ」

「は?」

「バイクのだ、早く!」

「お、おう。……ほら」

「後で返す!」

「は?……おいW!てめえ……」

 

 

「ったく、何なんだよ……女か!?」

 

 

 

モローから借りたバイクで走る。あいつの身に何が起こったのかは知らないが、一刻も早く駆け付けたほうがいい。殺されるのならばおれが戻るか、あいつが死んで終わるかのどちらか一つだが、もし連れ去られたりでもしたら面倒だ。

おれの頭の中ではこんな考えが浮かんでいた。理知的に考えて、急いだほうがいいという結論だ。

そして心の中では、また別の想いがあった。

それは単純極まりない。ただ、あいつのことが心配だという気持ち。

軟弱極まりない。おれの脳みそが心を痛烈に批判する。

この冷血漢。おれの心が脳みそに罵声を浴びせかける。

 

ただ面白いことに、おれの頭も心もようは結論は同じだということだ。

つまり、さっさとあいつのところまで行けということ。それが「おれたち」の共通見解だった。

 

 

家近くのエリアまでやってきて使い物にならなくなったのでバイクを適当に隠し、おれはビーコンを起動して電波を受信した。

正しい方向に進んでいけば距離が縮まっていくはずなので、それを頼りに進んでいく。

やはり、あいつからの通信で聞こえたように家の方面のようだ。

家に近づいていくにつれ、刻一刻とデジタル表示された数字が一つ、また一つと小さくなっていく。

おれは急いだ。とにかく急いだ。息を切らしながら限界を超えて走った。

酸欠になった頭の中で、ぐちゃぐちゃに想いが交錯する。

またあのループに巻き込まれるのは嫌だ。あいつの身に何かあったら嫌だ。またあいつを失うのは嫌だ。

おれにはもうそのぐちゃぐちゃが何なのかすらわからない。けれどもただ一つ、急げ、早くしろ、その言葉だけが鳴り響いていた。

 

どうやら誰かが侵入したらしい。

ビーコンが指示したのは家そのものだった。

そっと、静かに地下の家の中に入る。つきっぱなしの明かりがいやに無機質に感じられるのは気のせいだろうか。

背筋を冷たい汗が流れ落ちる。室内からは物音一つ聞こえない。

……あいつが何の抵抗もしないはずはない。なら、もう全て終わってしまっているのではないか。

人攫いが女によく使う手として、服を全部剝ぎ取るというものがある。輸送途中に容易に逃げ出せなくなるようにするためだ。

……おれは馬鹿だ。なぜそれを考慮しなかった!?だったら、このビーコンは残されたあいつの服の居場所を指示しているだけで何の意味もないじゃないか……!

 

頭を振ってその考えを打ち消す。まだそうと決まったわけじゃない。マイナスなことを考えるんじゃない。

 

だが、おれの脳みそは悪いことばかりを考え付く。首があり得ない方向に曲がった死体。いつか見た肉片。血肉のプラネタリウム。上半身。

頭の中に考えたくもない光景がフラッシュバックする。もしそんなことになればおれは戻っているはずだ。

そうわかっているはずなのに。

 

扉から明かりが漏れ出ている。閉じたリビングダイニングの扉からだ。

ビーコンの反応からして、あいつはここにいる。それがどんな姿であれ。

……心臓が早鐘をうつ。その鼓動の音が馬鹿みたいに大きく聞こえる。

極限まで張りつめた糸のような状態。そこから一歩を踏み出そうとした、まさにその時だった。

 

カチャ、と。物音が、聞えた。

 

扉を蹴破って室内に飛び込む。果たして目の前に広がっていたのは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだ、早かったじゃない。そんなにあたしが心配だったの?」

 

にやにやとしながら通信機を弄ぶ彼女の姿だった。

 

「テストよ、テスト。これを使ったらあんたがちゃんと来るかってテスト。仕事じゃないのなら、使っても問題ないわよねえ?」

「……何とか言いなさいよ。……もしかして、飲み会を邪魔されて腹が立っているの?」

「……わかった、謝るわよ。ご……」

 

おれは彼女を力いっぱい抱きしめた。そこにちゃんといるかを確かめるために。ちゃんと温かいままの彼女であるかを確かめるために。

 

「ちょっと!…………あんた、何泣いてんのよ」

「…………」

「……そんなに心配だったの?」

「…………」

「……悪かったわ。ほんのちょっとした嫌がらせだったのよ。もうやらない」

「…………」

「……もう」

 

 

 

なぜ涙が出てくるのか、それはわからない。

今はただ、ただこの温もりを感じていたかった。

 

 

 

 

 

 



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存在論証─Sowing seeds in a mad world

「……落ち着いたかしら?」

「…………ごめん」

「なんであんたが謝るのよ」

「でも……」

「元はあたしのせいなんだから、あんたが気にすること無いわ」

 

おれは、ちょっとした自己嫌悪に陥っていた。

あいつのことを見るなり抱きついて泣き出すなんて、情緒不安定にも程がある。

おれはあいつに、とんでもない醜態を晒してしまった。

大の大人が、年下の女に泣きつくなんて。あまつさえ、あやすかのように頭を撫でられるなんて。

情けない。情けなさ過ぎる。

……そしてそれに安堵を感じてしまったおれの心。もうすべてが情けなかった。

いったいおれは、これからどの口で安全を保障するだのなんだのとほざいて見せればいいのだろうか。

 

「…………おれ」

「……」

「……おれ、情けないよな」

「安全を保障するとか言っておいて、こんな……お前に泣きついて、慰められて……」

「……これじゃあ、どっちが守られてるんだか……」

「……あのねえ、あんた何か勘違いしてない?」

「えっ……?」

「別にあたしはあんたにただ守られてるつもりはないわ」

「でも、契約で……」

「そう、契約よ。あんたとあたし、どっちにもメリットのあるね」

「…………」

「するだけじゃない、されるだけじゃない。あんたとあたしの間の契約ってのは、そういうものでしょ?」

「…………」

「あんたがあたしを助けるだけじゃない。あたしもあんたを助けるわ。今みたいにね。……勿論、それが利益につながるからだけど」

「……でもお前、今まで一回も家事の手伝い……」

「それは別。……とにかく、いつまでもうだうだ言ってんじゃないわよ。今回はたまたまあたしがあんたを助けた。それだけの話よ」

 

……おれ、ずるい男だ。

たった今この瞬間、おれはあいつのやさしさに甘えた。

情けないと、そう言って見せれば、あいつはきっと否定してくれると思った。励ましてくれると思った。

おれはそうやって、あいつをこの関係に結び留めようとしたんだ。

誰かといる喜びを知ってしまったから。一人のさみしさを知ってしまったから。人肌の温もりを思い出してしまったから。それを、それらを手放したくなかった。

 

……ああ、そうか。自己嫌悪、情けない。そいつらはみんなおれの言い訳なんだ。自分は弱くなんかない、そんな軟な人間じゃないっていう言い訳なんだ。

おれはいい加減認めなければならない。あいつの存在が、おれの中で大きなものになっていることを。

 

 

「助けられた、か。……そうだな。助けに来たつもりが、助けられてた」

「……ねえ。あんた、随分と急いで来てくれたじゃない」

「……まあ、お前が連れ去られでもしたら困るからな」

「……ほんとは、ちょっと嬉しかったわ。ちゃんと来てくれるんだって」

「……そうか」

「だから、その……ありがと」

「……お、おう……」

「……」

「……」

「……ああ、もう!柄にもないことさせるんじゃないわよ!」

「わ、悪い」

「……大体、あんたもあたしもあんたのせいでおかしなことになってるじゃない!」

「……いや、でもさっきお前が自分のせいって…」

「つべこべ言わないの。ほら、さっさと持って来なさい」

「……何を?」

「酒よ!こういう時はパーッと飲むに限るわ!」

「……いやお前は飲まれたことしかないだろ」

「うるさいわね……出さないんだったら傭兵Wは年下の女に甘える泣き虫って言いふらすわよ」

「すぐ持ってきます!」

 

……確かにあいつは思ったよりも優しいところがある。それはこの一か月で分かってきたことだ。

だが、基本はこっちの性格だということを努々忘れてはならない。忘れてはならないのだ。

……思いっきり弱みを握られた。

やさしさに甘える、とか言っていた馬鹿がいたが、実のところみんな計算ずくだった可能性すらある。

やはりあいつは悪魔だ。……時折優しさを見せてみたりするところなんて最高に悪魔的だ。

おれは酒の隠し場所へと向かいながら、あいつをどうにか酔い潰れさせて、この忌々しい記憶を消去させる算段を練っていた。

 

 

「……ふん。やっといつものあんたに戻ったじゃない」

 

 

 

 

 

次の日の朝、目が覚めた。

蛇口をひねって水を出し、流れに手を突っ込んで顔を洗う。

コップ一杯に冷たい水を注ぎ、一息に飲み干す。

そうしてやっと、体の内外がきちんと覚醒した。

一晩経って、頭の中で渦巻いていた色々がきちんと整理されてみたとき、おれのなかに残っていたのは温かさだった。

……あいつの言っていたように、おれはとうにおかしくなっていたんだ。

あの、禁断の果実に手を伸ばした日から。

……おれは、どうしたらいいのかわからない。こんな世界で、この、捨てたはずの感情をどう処理したらいいかわからない。

 

「おれは、どうすりゃいいんだろうな」

 

あいつに向かって呟いてみる。返事はない。当然だ。気持ちよさそうに眠っているからな。

おれは、この気持ちをどうしたらいいのかはわからない。でも、何をすればいいかはわかる。

……この寝顔を、守ろう。

おれだけの力では無理かもしれない。こいつに助けられることもあるかもしれない。

それでいい。それでいいから、情けなくてもなんでも、こいつがこうして居られるように。

この毎日が、続いていくように。

 

……さあ、今日も飯を作ろう。とびっきりの、あいつが笑顔になるような飯を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はっ……!はっ……!」

……おれは……おれは……おれは、守れなかった。

……おれは愚図だ。間抜けだ、大馬鹿だ……!

モローだって言ってたじゃないか。なのに、おれはいつもの与太話だと思って……!

……あいつは……もういない。

……いないんだ。

……おれは……

 

「あんた何してんの?」

「え……」

「何かうるさいと思ったら床に頭打ちつけて。ついに本当におかしくなった?」

「なんで……」

「……なんでって何よ。あたしが何したって……」

 

恐る恐る手を伸ばす。これは夢か幻かで、触れたら消えてしまうような気がして、それでも触れたくて。

伸ばされた手は、彼女に届く前に止まった。

 

「ちょっと。何よこの手は。寝ぼけたふりしてどさくさに紛れて」

 

手首をつかまれて、その手は止まった。

これは……現実だ。夢でも幻でもなく。

この温かさは、触れたところから伝わる温かさは、間違いなく現実の彼女のものだ。

両手で彼女の手を握る。じっとその瞳を見つめる。……生きてる。ちゃんと、生きている。

 

「…………よかった……!本当に……!」

「……何なのよ、もう」

 

 

戻った。おれは、今朝に戻ってきた。あいつが死んだことで。

大体四ヶ月ぶりといったところだろうか。

初めのうちは熱心に色々調べまわっていたおれも、あまりに手掛かりがないので最近は半ば忘れかけていたあの現象だ。

 

機械的に手を動かして朝食を作りながら思考をめぐらす。

 

全くもって喜ぶことではないが、今回のことである新しい事実が明らかになった。

それは、あいつが死んだその日の朝に戻ってくるということだ。まだ一回きりで、もう二度とやりたくないのでいつもそうとは分からないが、今回からするとあの朝に戻されるということはないらしい。

つまり、時間という大きな流れに沿って生きていく中で、出っ張りに引っ掛かったようなものだ。その出っ張りを超えない限りは先に進めない。

だが、おれには大きなアドバンテージがある。それは、これから起きることを大体知っているということだ。行動をあまり変えなければ、多少の差異はあれどほとんど同じことが起こる。

その知識を使って、未来──いや、結果を変える。今日という一日の終わり方を変える。

血塗られた悲しみの一日から、何でもない一日へ。

おれはそう決意した。

 

 

 

今日のメニューはパンケーキだ。少し甘めに仕上げた生地を、手のひら大の円形に焼き上げてある。

そのままで食べてももちろん美味しいのだが、ジャムやクリームを塗って食べてもおいしいし、そういう甘いのだけでなく別皿のハムエッグやサラダを乗せて食べてもおいしい。

個人的なポイントはこの絶妙な薄さだ。こういう風に食べるんだったら分厚いのはあまり向かないし、薄すぎてクレープみたいになると片手では食いにくい。その点こいつはばっちりだ。

加えて、表面のカリッとした部分と中のふわっとした部分とのどちらもが味わえる。おやつに食べるようなのは分厚い方がいいが、朝にはこういうパンケーキが一番だとおれは思っている。

 

大皿に盛られたパンケーキを二人でつまみながら、おれは今朝のことについて釈明していた。

 

「悪夢の続きだと思った?……信じられない、みたいな眼であたしを見てくるなんてどんな夢よ」

「……まあ、そういう夢だな」

「……ふーん。まあいいわ。なんにせよ、あんたが人の手握って泣いてたのは事実だし」

「勘弁してくれ……」

「第一、何で泣くの?自慢じゃないけど、あたしは今まで泣いたことなんてないわよ」

「おれだって普段はそうだ」

「あたしのことになると別ってことかしら?……愛されてるわねえ」

「……突っ込まないぞ?」

「……何よ、つまんないの」

「おれだってわからないんだ。わからないものは仕方ないだろ」

「そうね。……ま、この話はここら辺にしといて……デザートある?」

「作っといた。だから……」

「はいはい。言いふらしたりしないから、安心してちょうだい」

「マジで頼むぞ……」

 

貴重な果物をふんだんに使い彩られたミルクレープであいつの口止めをしつつ、今後の計画を練る。

おれは今回、あいつに繰り返しのことは話さなかった。自分が死ぬことを聞かされて気分を害さない奴はいないだろうし、何よりおれがその話をしたくなかった。

……多分、そのことを言ったらあいつは聞いてくると思う。それは自分がどうなるかであったり、どうなったかについてだったりするだろう。

今回、あいつを殺したのはある傭兵たち──傭兵と呼びたくないような奴らだ。

おれたちの世界では基本何でもありだが、その何でもありの頭には「ルールの範囲なら」の一文が隠れている。暗黙の了解ってやつだ。長く続く戦争の中で、形作られてきたもの──らしい。詳しくは知らない。

とにかく、それを蔑ろにするやつらは危険視されたし、早々にくたばっていった。一種の自浄作用なのだろう。そうやって長いことやってきた。

……だが、最近の加速する戦況の中で、その暗黙の了解も揺らいできている。その表れがあいつが雇われていた傭兵たちであり、今回の傭兵たちだ。

おれが言うのもなんだが、あいつは強い。今の状態であっても爆発物の取り扱い、隠蔽、ナイフ術、十分に戦場で通用するレベルだ。それだけじゃなくさらに伸びしろもあるから末恐ろしい。……もっとも、今のあいつにそこまで伸ばそうという意識は感じられないが。

そんなあいつが殺られるのは、近接パワー特化の相手と正面からまともにやるか、もしくは搦め手を使われたときのどちらかだろう。

今回は後者だ。搦め手を使ってくる相手。どこからか持ち出した化学兵器を使ういかれた集団だ。

そいつらがこの辺りにやってきたという情報は隊長から聞いていたし、近いうちにやりあうだろうとは思っていた。問題はなぜあいつが襲われたかということだ。

 

数日前、おれはモローと飲みに行っていた。

いつものように下らない話題を肴に酒を飲みかわす。そんな中で、あいつが場に会わぬ真剣なトーンでした話があった。

 

「なあW、聞いてくれよ」

「どうしたよ」

「いつものところのカワイ子ちゃんがいなくなっちまったんだ」

「いなくなった?やめただけじゃないのか?」

「いや、それはない。だって俺が前に行ったとき『また来てください、待ってます♡』って言ってたからな」

「……それはリップサービスだろ」

「リップでならいつもサービスされてる!」

「大声で何言ってんだお前は……」

「W!そんな下ネタはどうでもいいんだ!」

「お前が言ったんだろ……」

「あの子だけじゃない、他にもいなくなってる子がいるんだよ」

「他?」

「ああ。そしてその子たちには共通点がある。わかるか?」

「わかるか」

「みんなカワイ子ちゃんだ」

「……お前ちょっと飲みすぎだぞ」

「これは絶対に集団的犯行だぜ。辺りからカワイ子ちゃんを消し去ろうとしてるんだ!」

「……皆さんすんません、うるさくて……」

「聞け、W!」

「……なんだよ」

「お前の女も気をつけろよ。戦闘狂のお前が惚れた女だ、余程の美人に違いない」

「……あのなあ、おれにそういうのはいないっていつも言ってるだろ」

「照れるなよW。俺にはお見通しだぜ」

「……はあ」

 

その場ではただの与太話だと思っていた。

モローもだいぶ酔っていたし、あいつが女に逃げられるのはいつものことだ。

それにいったいどこで嗅ぎ付けてきたのか、女がいるだろだのなんだのいつも言っていて、それでいつもおれをからかおうとしてくる。

だから、今回のもその類だと思っておれは適当にその話を聞き流していた。

 

おれがその謎の失踪事件の真相を知ったのは昨日──いや、一回目の今日になってだ。

結論から言ってしまえば、犯人は件の傭兵たちだった。

奴らはいかれていると聞いてはいたが、おれはそのいかれているの意味をはき違えていた。

奴らがいかれているのは、その自殺的な──毒ガス弾を至近距離で使うなどの──戦い方じゃない。

 

……戦術兵器を女一人襲うために使う、いかれた行動原理だ。

刹那的な、余りにも刹那的な行動原理。あれはもう人ではなく獣の類だ。奴らはどこまでも動物的な本能の赴くままに、高度な戦術兵器を躊躇なく使う。

例えば、一ブロックを纏めて覆いつくす規模の催眠ガス弾。

朝に隊長に連絡して確認を取ったが、確かにそういう類のものが使われたという報告が何件かあったらしい。だが、戦術・戦略的に何ら意味のない場所での使用であり、特に犠牲者もいない様子から、輸送時の事故ではないかとして奴らの本拠地をその線から探ろうとしていたようだ。

 

……なぜおれがそんなことを知っているかって?

……見たからだ。奴らの、生命の尊厳を踏みにじる鬼畜以下の所業を。

……奴ら、穴が足りなかったらどうすると思う?答えは簡単、穴を増やすんだ。

あいつからの通信と、ビーコンを頼りに奴らの本拠地に踏み込んだ俺が見たのはそんな光景だった。

幸いなことに、俺が踏み込んだ時点ではまだ彼女の身体は無事だった。

……何が幸いなものか。

推測するに、あいつは縛り付けられたままあの光景を見せ続けられていた。……目を閉じられないようにされた上で。だから、あいつの心は…………いや、もうこの話はよそう。

 

とにかく、おれは怒りに任せてあいつらを全員ぐちゃぐちゃにした。

それで、一刻も早くあいつを助け出そうと走って、走って、

 

虚ろな目をしたあいつと目が合った。

 

足が止まる。おれが立ち止まった次の瞬間、内側から爆ぜるようにしてあいつが爆発した。

 

……多分、逃げ出した時のために首輪が付けられていたんだと思う。それで、おれがぐちゃぐちゃにしたなかの生き残りがおれもろとも殺そうと起爆したんだ。

 

あの時、あいつの眼を見て立ち止まらなければ、おれもそのまま死んでいた。

……あいつは、あんな状態になってまでもおれを助けようとしてくれたんだ。

 

……一回目は、どうしようもなく詰みだった。ビーコン頼りで場所の推定に時間がかかった時点で、もっと言えばそもそもおれとあいつが別行動だった時点で。

……やり直しがきいて本当に良かった。今回は初めから奴らの本拠地を知っているし、あいつとの別行動をやめることもできる。

そのうえで考える。一番いいのはあいつにこのまま家に隠れていてもらって、傭兵団を動かすことだ。

情報をどこから得たのかなど、おれが怪しまれることにはなるがこの際それは大した問題じゃない。

モローも焚き付けて二人でごり押しすれば、多少の無理は通るだろう。

どうせいつかはやりあうのだから、それまで待つという手もある。だがそれは余りにも気の長い話だし、それまでの間中あいつを一人にしないというのは難しい。

……リスキーだが一人でやるという手もある。実際に前回はほとんど一人でやれた。

……だがおれは、そのリスクを許容することはできない。そんなリスクを負うのは、余程特別な理由でもない限りあり得ない。

……やはりここは、最初のプランで行くべきだろう。

 

ミルクレープと格闘して、口の端にクリームを付けたままの彼女に話しかける。

 

「なあ」

「何?」

「お前、今日出かけるって言ってたよな?」

「ええ、そうよ。それがどうかしたの?」

「今日はなしにできるか?」

「……何で?」

「急遽仕事が入ったんだ。ルール通り、家にいてもらえないか?」

「……随分と急ね。そういうのは困るわ。あたしにも予定ってものがあるの」

「仕方ないだろ?おれだって今朝聞いたんだ」

「……ふーん。……あんた、何か隠してるでしょ」

「……なんだ、藪から棒に」

「あんたたち傭兵は基本的にもっと計画的。あんたの仕事だっていつもはそうだったでしょ?」

「…………」

「……なら、急に呼ばれるなんてよっぽどの緊急事態のはずじゃない」

「…………」

「その割にあんたは大して急いではないし、むしろあたしの懐柔にたっぷり時間を使ってるじゃない。不思議ねえ?」

「…………」

「……で、何を隠してんのよ」

「……はあ。何でわかった?」

「何となく。伊達にあんたと四か月近くもいるわけじゃないわ」

「……そうかい。わかった、言うよ」

 

 

 

 

「話は分かったわ。……で、何でそのことをあたしに隠そうとしたの?」

「……信じてもらえるとは思ってないからな」

「なんだ、そんなこと気にしてたの?あたしはとっくに信じてたわよ?」

「……マジ?」

「ええ。初めは頭のおかしい奴か妄想癖のどちらかと思ったけど……」

「何気にひどくないか?」

「別にそういうわけでもなさそうだし。だったら、あんたの言ってることがほんとって方が筋が通るわ」

「……まあ、ほんとだからな」

「……で、これからどうすんのよ。やっぱり傭兵団頼り?」

「それが一番だろうな。……ん?」

 

突然通信が入る。隊長からだった。

おれはあいつに一言言って部屋の外に出ると、通信に出た。

 

 

 

「何だったの?」

「……傭兵団は当てにできなくなった」

「は?」

 

 

隊長からの連絡を要約するとこうだ。

まず、おれたちとあいつらの間に現時点で対立関係はない。そして、これからも直接対立はしない。

団長が決めたそうだ。情報を精査していくと、奴らとやりあうのは余りにも割に合わない。殺傷範囲の広い兵器を、自爆をも厭わず使ってくる相手だ。それは確かにそうだろう。

だが、相手が攻撃をかけてこないとは限らない。そう反論すると、それはないと断定された。

……ここからはおれの推測だが、恐らく団長たちも奴らの正体に気づいたのだろう。奴らが単なる獣だということに。刹那的な快楽に生きる奴らにとって、戦いは割に合わない。仕掛けられれば徹底的に抵抗するだろうが、逆に言えば触らなければ敢えて挑んではこない。集めた情報から、そう判断したのだろう。

実際に戦った実感として、俺もそう思う。

隊長は、奴らの自滅を待つといっていた。持っている化学兵器を使い切るのを待つ、あるいはそれを提供している後ろ盾をどうにかする。そういった気の長い作戦を、他の傭兵団とも共同してやるということだ。

……理には適っている。だが、それは余りにも頭でっかちだ。

奴らは化学兵器を失ったところで本質は何も変わりはしない。逆に化学兵器でまとまっていた連中がバラバラに暴れだすだけだ。そっちのほうがよほど危険というものじゃないか。

そうかみついた俺に、隊長はただ一言冷徹に言い下した。

 

「『我々』は直接的には動かん。わかるな?」

 

 

 

 

「……へえ。やるなら勝手にやれ、ってことね」

「そういうことだ」

 

隊長の言い方は、まさにそういうことを言っていた。組織人として、組織全体を危険にさらすことはできない。だが、個人としてあまり快くは思っていない。そういうメッセージだったのだろう。

……そもそも、隊長はこのことをわざわざおれにいう必要はなかったはずだ。ただおれの進言を退けるだけでよかった。にも拘らず、こういう形を取ったということは……そういうことだろう。

 

「お前はここにいてくれ。……奴らを全員ぶち殺してくる」

「あたしも行くわ」

「ダメだ」

「自分の敵討ちよ。あたしにも行く権利があると思わない?」

「……ダメだ」

「別にいいじゃない。仮にあたしが死んでも、朝に戻るんでしょ?だったら……」

 

パンッ!という済んだ音が部屋に部屋に響き渡る。

おれの手のひらから出た音だ。

おれがあいつの頬をひっぱたいた音だ。

 

「…………」

「…………」

 

「……そんなこと言うな。……言わないでくれ」

「…………」

「おれはもう……お前が死ぬところなんて……見たくないんだ……!」

 

本心で言ったんじゃないなんてことは分かってる。分かってる、けれども。

そんな風に言わないで欲しかった。自分の事をそんなぞんざいに扱わないでほしかった。

残機∞のうちの一機。そんなような存在に成り下がってほしくなかった。

どのループの中の、どの瞬間のあいつであったって、おれにはかけがえのない大切な存在だから。

命に代えても守りたい。そんな存在だから。

 

「……あたしだって」

「…………」

「……あたしだって、あんたに死んでほしくないと思っちゃ駄目なの?」

「え……」

「……あんたがいなくなったら、誰が食事を作るのよ?誰が掃除するのよ?」

「…………」

「勝手なこと言ってんじゃないわよ。……あたしにも、あんたの手伝いをさせなさい」

 

……おれは一つ思い違いをしていた。死んでほしくない。そう思っているのは、おれだけだと。

……嬉しかった。あいつが、そんな風に思ってくれているなんて。おれとあいつが、同じ思いを持っていたなんて。

なら、返事は一つだ。おれの思いがあいつの思いなら、あいつの思いはおれの思いのはずだから。

 

「……わかった。一緒に行こう」

「……それでいいわ。……さ、行きましょう。皆殺しにするわよ」

「……ああ」

 

かくして、おれたちは敵地に向かう。たった二人、されども二人。

不思議と負ける気はしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ、モローも巻き込むか」

「そうね。精々盾になってもらおうじゃない」

「だな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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死屍累々─Walking close to each other

二時間後、諸々の準備を整え、おれたちは集合場所の廃屋までやってきた。ここはおれが前に使っていた隠れ家で、長いこと放置はされていたがそれなりには使える場所だ。

おれたちのほうが先に着いたらしく、しばらく適当に話して時間をつぶす。

 

「……で、そのモローってどんな奴なの?話を聞いた感じだと、ただの女好きにしか聞こえないんだけど」

「……まあその通りだな」

「何でそんな奴呼ぶのよ……」

「まあ、お前の言ってたとおり盾にはなるから……」

 

と、そんな会話をしていたまさにその時だった。噂をすればというやつだろうか、モローがやってきた。

軽く右手を挙げて挨拶する。それに対する奴の第一声は、まあ実に奴らしいものだった。

 

「おいW!誰だその女は!?」

「……今回の協力者だ」

「お前……どこでそんな可愛い子と知り合ったんだよ……さてはお前の女か!?」

「……あんな感じの奴だけど、あんま気にしないでくれ」

「……ま、使えればそれでいいわ」

「うおっ……!ゴミを見るかのような視線……たまらないぜ!」

「……あれほんとに使えんの?」

「……それだけは保証する。……それだけだけど」

 

 

結局、モローも入れた三人で行くことにした。人数は多い方がいいし、どちらかと言えば後衛よりの戦い方のおれたちに対して、前衛タイプのモローがいると相当やりやすくなる。

呼び出すのは簡単だった。

 

 

 

「……何の用だよ、W。俺は今むちゃくちゃ機嫌が悪いんだ。大した用もねえんだったら切るぞ」

「……拉致監禁暴行をはたらく外道集団を皆殺しにするんだが、来るか?」

「行く行く!待ってろ、俺のカワイ子ちゃんたち!」

 

「すまん。勢いで通信切ったけど、集合場所はどこだ?」

 

 

 

とまあこんな具合だ。二つ返事でやって来た。簡単すぎて耳を疑ったほどだ。

 

「しかし、お前もよく来るよ。碌に詳細も聞かないで」

「……ま、俺もあたりはつけてたからな。だが居場所がわからなかった」

「……ああ、それであんな機嫌が悪かったのか」

「まあな。で、お前は何か知ってる口ぶりだったし、乗っかってみたってわけだ」

 

モローは馬鹿だが、馬鹿ではない。奇妙な表現だが、そうとしか言いようのない男だ。

今回も、詳細をきちんと話せば来てくれるという確信はあったが、そこまで自力でたどり着き、その上で即答してくるとは。やる男だとは知っていたが、それでも驚きだ。

こいつを誘ったのは、何もその場のノリやその類ではない。こういう鋭いところがあって、戦闘で頼りになるからだ。

それに、打算もある。あいつを連れていくのは百歩譲っていいとしても、また死なれるなんてことはあってはならない。

人はそう簡単に生き返ったりできるものではないということは、これまで生きてきて嫌というほど思い知らされてきた。今回は巻き戻ったが、この現象の原理も何もかもがわからない以上、こんなものに頼るのは危険だ。どうせ巻き戻る、そんな気持ちで軽率に動いて、もしもう戻らなかったら。

……その時は、おれは悔やんでも悔やみきれない。

何より、あいつをそんなタイムマシンみたいに使うのはおれが許せなかった。

モローは見ての通りの男だ。もしおれに何かがあっても、モローなら死んでもあいつを守ってくれる。

その程度には、おれはあの男を信用していた。

……ま、いわば保険といったやつだ。

……保険ってのは、どうせないだろうと思っても一応入ってはおくものだろう?

 

 

「で、奴らの居場所はどこなんだ?」

「ここから東に15km程の場所にある廃工場の地下施設だ」

「地下施設?」

「ああ。そのせいで見つけるのに時間がかかった」

 

おれが一回目の時に苦労したのはこのせいだ。ビーコンの電波も不安定で、受信できたりできなかったりと、とんでもなくやきもきさせられた。あまり深い施設でなかったから良かったが、もっと深ければ本当に見つけられなかったかもしれない。

 

「……しっかし、お前もよく見つけたな」

「まあな。でだ、施設の隠匿性のおかげで、あいつらは大した警戒をしていない」

「見つからないと思っているってわけね」

「そういうことだ」

「なるほど。そこが付け目ってわけか」

「ああ。……そして、ただでさえ緩い警戒が、さらに緩くなる瞬間がある」

「……ふーん。あんたもなかなか外道じゃない。でもいいの?モローもいるのよ?」

「W。てめえ……」

「……だからそれは止めだ。そこじゃないタイミングで行く」

「……狙いは搬入時だ。あいつらが一番安心するその瞬間を狙う」

 

 

 

 

この作戦は先回りすることが肝心だ。おれたちはそれぞれの役割や配置を決めた後、廃工場へと向かっていた。前回、あいつからの連絡が来た時間まで後30分ほど。だが、現時点でもう目的地は目と鼻の先だ。となれば、先回りできる可能性は高い。

……とは言え、全てが見てきた通りとは限らない。現に、本来ならば捕まっていたはずのあいつがこうして隣に居るのだ。

 

「?……どうかしたの?」

「……いいや。何でもない」

 

 

 

幸いにも、あまり大きなズレが発生することはなかった。おれたちが全員配置についたころになっても未だ奴らは現れなかった。

 

「おいW、これ本当に大丈夫なのか?もう中にいるんじゃねえの?」

「その可能性も無きにしも非ずだが……そうなってたらもう中の子はダメだ」

「……そうか」

「……ああ。だから、それだったら出てきたところを狙う。長丁場も覚悟しておけ」

「へえ、そういうことだったのね。あんたがサンドウィッチを作ってたのは」

「そういうことだ。あんまり早く食うなよ。肝心な時に力が出せないんじゃ意味がないからな」

「はいはい。わかってるわよ」

 

「……お前ら絶対デキてるだろ……」

 

 

 

そうして一時間ほどたっただろうか。向こうからやってくる人影が見えた。引きずっているのはトランクケースだろうか?場に似合わず、随分と大きな荷物だ。恐らくはあの中に攫ってきた人が入っているのだろう。

おれたちが待ち伏せているのは、工場の地下搬入路だ。ここが本当にその場所だというのは、先ほどから中に入ってくる数人の人影で確認してある。

別の建物に偽装されたここからしか、地下へは行けない。なるほど、道理でここがなかなか見つからなかったわけだ。何せ、工場それ自体は何の変哲もない、何もないだだっ広い空間なのだから。

ここまで巧妙に隠蔽されているというのは余程のことだ。大方、元々のこの工場もロクでもないものを作っていたのだろう。もしかすれば化学兵器を作っていたのかもしれない。ここを誰が提供したのか、そこら辺を調べていけばこいつらのバックにある組織もわかってきそうだが、まあそんなことはこの際どうでもいい。

この入り口は確かに見つかりにくいかもしれないが、見つかってしまえばおれたちにとってはありがたいことでもある。

もし工場そのものが入り口だったのならば、おれたちは特に身を隠すこと場所もない広い敷地で敵を待ち伏せすることになっていただろう。だが、ここならば周囲の建物であったりを利用することができる。

 

どうやっておれがここを知っているのかというと、それは一回目の時、道中であった敵さんに質問しておいたからだ。どっちの方向にあるか、出たらどのようになっているのか等々。

……その時は脱出路のつもりだったけれども。ビーコンの反応を頼りに工場の床をアーツでぶち抜いて侵入したので、帰り道がなかったのだ。今考えると、どれほど当時のおれは頭に血が上っていたのかがわかる。

 

過去を振り返るのはここまでにしておいて、今は作戦のことを考えよう。

 

「敵の姿を確認。トランクケースを持っている」

「OK。俺はそれを取ってくる」

「爆弾の方はどうだ?」

「後ろのは準備できてるわ。援護は……ま、巻き込まれないように注意するのね」

「巻き込まれたらそれはそれで本望ってもんよ!」

「……おれたちが困るからやめろよ、マジで」

「あんたはどうなの?」

「チャフの準備はできてる。その後はまあ敵の出方次第だ。ガス弾はおれがどうにかする」

「よし、みんな準備OKだな。じゃ、今回は俺が合図を出す。行くぞ、3,2,1……」

 

カウントがゼロになるとともに、後方で爆弾が爆発する。狭い道の両側の建物が吹き飛び、瓦礫が道を塞いだ。突然のことに混乱する敵たち。そこに、更なる混乱が襲う。

爆発に意識を持っていかれた後、気を取り直して搬入路に逃げ込もうとした奴らは、目の前に立ちはだかる男の姿に気が付いた。

ほんの一瞬、僅かに意識をそらした間に人が現れた。その事実へを事実として受け止める間もなく、男は猛烈と突進を始める。

なし崩し的にボウガンや銃を構える敵。何とかその狙いを男につけようとしたその時、不気味な風切り音が向かってきた。その音の正体とは飛来するグレネード。誰が叫んだか、伏せろの声で皆が一斉に地面にダイブした。……ま、叫んだのはおれなんだけどね。

一方男は勢いを落とさず、そのまま突き進んでいく。瞬間、グレネードが爆ぜ、光と熱が爆風となって水平に放たれた。破片効果を狙わない、爆風だけのグレネード。

男は、そのまま爆炎に向かって走っていく。男の速度、そして爆炎の速度。その両者の相対速度は瞬く間に極大に達し、そしてその死神の手は遂に男へは届かなかった。

そのまま一直線にトランクケースへと向かっていった男は、地面に伏せている敵に見向きもせず、ケースを回収して走り去っていく。

10mほど距離が空いたところで、ようやく敵兵たちは起き上がって事態を把握した。

男に向かって射かけるもの、銃弾を見舞うもの、通信を試みるもの。混乱から回復した奴らが、一斉に行動を開始する。

しかし、放った攻撃は不可視の障壁に阻まれ男には届かない。通信しようにも、なぜか通信機はノイズを吐き出すばかりで一向に繋がらない。

現状の理解の範疇を超えた現象が、回復したかと思われた混乱をさらに深刻なものとして蘇らせる。

もはや烏合の衆と化した彼らにこれ以上何ができるはずもない。どこからともなく飛来した殺意満載のグレネードが膨大な破片をあたりにまき散らし、彼らはその命を散らしていった。

 

 

 

 

「……随分あっさりと片付いたわね」

「まあ、計画通りってところだな」

 

今回の計画の骨子はズバリ「敵を混乱させ続ける」ことだ。

おれたちにとって最も危険だったのが、敵にガス弾を使われることだ。自爆覚悟の自殺攻撃でそんなものを使われてはたまったものでは無い。

だが、そのような攻撃はある程度の固い意志を持ってやるものだ。たとえ敵がいともたやすくそれを行える集団だとしても、そこには敵に対する殺意であったり、何か自分の生き死にを無視しうる感情がなければならないはずだ。

それに、普通だったらガスマスクを付けている。あいつらが至近距離でガス弾を使うといっても、それはガスマスクを持っているからだ。ならば、それをつける暇がなければガス弾は使えない。

最も、初めから付けられていたらどうしようという不安もあったのだが、このタイミングを狙ったことも功を奏した。うまい具合に仕事終わりの感覚で外してくれていたのだ。

ガス弾を封じるためには、それを使う暇、意志を与えさせなければいい。だから、次々に何が起こっているのかを把握できないように手を打っていった。

敵の行動を縛って、なし崩し的に行動させる。その最たるものが、モローへの追撃だろう。

初めに突然現れたモローに対し、まず手元の武器を構え、それが突然逃げ出したものだからそのままその武器を放つ。ごくごく自然な動作で、それ以外の対応が思いつかないような動作。

そういうものに敵を誘導していくというのがこの作戦だったわけだ。

 

「トランクケースは取り敢えず隠しておいたぜ」

 

一仕事終え、合流してきたモローが話しかける。今はチャフが舞っているので、おれたちも通信を使えない。宙に舞っているそれらは、おれが最初の爆発の時にアーツで引き裂いてばら撒いたアルミホイルだ。

昨日の飯は魚のボイル焼きだったので、その余りを使った。

 

「助けた奴らは知り合いなの?」

「いや、わからん。本当に隠してきただけだ……目を覚まされても困るしな」

「ふーん。ま、大して興味ないけど」

 

モローを連れてきたのは、この混乱のためでもある。銃を撃っても跳ね返される。放った矢は宙で折れ曲がる。突っ込んできたかと思えばトランクケースをもって逃げ出す。

ほら、混乱しか起こらないだろう?

 

「……で、この後はどうするの?適当に爆弾でも打ち込む?それとも生き埋めにでもする?」

「それでもいいんだが……確実に殺っておかないと後々厄介だからな」

「まだ中にカワイ子ちゃんがいるかもしれねえぞ」

「……二対一。なら……あの中に行くしかないわね」

「……おれが先導する。モローは防御を頼む」

「おう。で、こっちはどういう作戦だ?」

「決まってるじゃない。敵が見えたら殺る。それだけでしょ?」

「その通り、サーチ&デストロイだ。閉所でガス弾を使われると危険があるからな」

 

先程死体からガスマスクを回収してきたとはいえ、これが果たしてまだ使えるかどうかもわからないし、至近距離で使われても大丈夫かどうかには疑問が残る。

聞いた話によれば、奴らは至近距離でもこれをつけてガス兵器を運用していたらしいけど、おれはそんなおっかないことをする気にはなれなかった。

だから、そんな目に合わないためには目に入った奴らを片っ端から殺るのが一番だ。使わせる暇を与えたくはない。

 

「構造はわかってるのか?」

「……部分的には。多分、ここをずっと進んでいけば中央のホールに出るはずだ」

「ホール?」

「ああ。大きな吹き抜けの構造になってる」

「そこまで一本道なのか?」

「いや。途中で横に通路が渡してあるはずだ。ホールを取り囲むようにな。そこを上に上がっていく」

「上から殺るってわけね。……でも、敵がそこにいるとは限らないんじゃない?」

「……多分獲物をお待ちかねのはずだからな。前の時もホールに集まってた」

「前?前ってなんだよ、W?」

「……いつ奴らがしびれを切らしてこっちに来るかわからないぞ。急ごう」

 

ちょっとボロが出そうになったので、どうにかはぐらかして先を急ぐ。

通路は長く、薄暗い。打ちっぱなしのコンクリートの壁を、等間隔に設置された蛍光灯の冷たい光が照らしている。

背後の扉は一応鍵をかけて閉めておいた。脱出するときはアーツで吹き飛ばせばいいので、閉じ込められる心配はない。これで恐らく背後から襲撃されることはないだろう。念の為モローに警戒させているが。

 

しばらく進んできたが、未だ正面に人影は見えない。だが、通路の至る所に放置された木箱やコンテナの陰に敵が潜んでいるとも限らない。神経がすり減らされるような行軍が続く。

ここまで緊張感のある作戦はいつぶりだろうか。敵地への侵入、おれたちだけでの単独作戦でバックアップなし。それに加えて敵兵は一人残さず殲滅しなければならない、一発限りの作戦。

様々な要素が複合して強烈なプレッシャーとなり、胃に重くのしかかる。あれだけ騒がしいモローでさえも、今ばかりは静かだ。おれたちは無言で通路を歩み続けた。

進む。立ち止まる。確認する。また進む。

この単調な動作を何度繰り返しただろうか。集中を切らしていけないとはわかっていながらも、それでも注意散漫となってしまうような反復。それにようやく終止符が打たれたのは。

はじめに見つけたのは、やはり先頭を行くおれだった。

モローにハンドサインを出し、あいつと一緒にコンテナの影に飛び込む。

 

「……何なのよ!」

 

お互いの息が交差するような距離感の中、小声で文句を言ってくる。小声なのにもかかわらず、文末のエクスクラメーションマークが聞いて取れる辺り、おれも付き合いが長くなったものだ。

 

「手荒で悪かった。けど、敵さんのご登場だ」

「敵!?」

「そんな嬉しそうな顔するな。……お前、さっきからちょっと飽き気味だっただろ」

「……あんたも飽きてたでしょ。自分の事を棚に上げるのはよくないわよ」

「でもおれは気付いたからな。……お前とは違って」

「……あんた後で覚えときなさいよ」

「……ま、無駄口はこの辺にしておこう。モローが人でも殺しそうな目でこっちを見てるからな」

 

通路の反対側の木箱の陰に隠れたモローが、恨めしそうな目でこちらを見ていた。何やらハンドサインを送ってきている。なになに、拳を握って親指を立て、それを下に向ける、と。

 

「死ね、って言ってるわよ?」

「しゃべってないで早く仕事しろってことだ」

 

ちょっと軽口を言い合うくらいいいじゃないか。おかげでいい感じにあいつの緊張もほぐれたみたいだしな。……いや、それはおれたちもか。

 

突然現れた敵は、恐らくホールを取り囲む通路から出てきたのだろう。余り切羽詰まって、という感じではない。むしろ渋々出てきたという感じだ。なかなか外に行った連中が帰って来ないので、途中で楽しんでいるとでも思ったのだろうか。5人でぞろぞろと、会話しながらこちらに向かってくる。

 

「……で、あいつらどう殺るの?纏めて吹き飛ばすならあたしがやるけど」

「……あいつらはたぶん斥候みたいなもんだ。出来れば他には気づかれずに殺りたい」

「……じゃ、あたしは無理ね。接近すれば別だけど」

「モローは…………ダメだ、あいつも銃しか持ってない」

「あんたは?」

「おれも銃だな。冷火器は持ってない」

「じゃあ、近づいてきたところを殺る?」

「ああ。……だが、その前に一撃くらわす」

「……なるほどね。確かに、あんたのアーツなら音もしないわね」

「そういうことだ。一発お見舞いして、敵さんには腰を抜かしてもらおう」

 

モローに向かってもサインを出す。俺の合図とともに接近戦に打って出るというものだ。

物陰で息をひそめながら接近を待つ。バラバラという足音が通路に響き渡り、次第に話し声が大きくなってくる。彼我の距離、およそ4m。そのタイミングで、おれはアーツを起動した。

集団の後方を歩く奴が発していた、下世話な音声がぱたりと途絶える。代わりに聞こえてきたのは、何かが落ちる、ぼとぼとぼと、という湿った音。

振り返った男たちが目にしたのは、脚だけを残し細切れになった、人間の上半身だった。

そして、それが彼らが生涯最後に目にした光景となる。

 

音もなく、ぬるりと物陰からとび出していく。

おれは唯一こちら側を向いていた男の首を剣で跳ね飛ばした。

モローは向こうを向いていた奴の首をねじ折った。

あいつはおれの脇から飛び出すと、ナイフで脳髄を一突きにした。

残った一人はみんなのものだ。

二本の刃が体を貫通し、飛び蹴りが頭を弾く。

あっという間に、そこには五つの死体が出来上がった。

 

「ま、こんなもんだろ」

「これ、どうしようかしらねえ。物陰にでも隠しておく?」

「それでいいだろ。しかし、嬢ちゃんもなかなかやるもんだなあ」

「確かに、ナイフさばきも前に見たときより洗練されてたな」

「まあね。あんたを超える日も近いんじゃない?」

「抜かせ。また返り討ちにしてやるわ」

 

「……お前らマジでどんな関係なんだ?」

 

 

 

死体を適当に隠した後、おれたちはホールの外周部、ギャラリーまでやってくることに成功していた。

道中、何人かの敵に出会ったが、取り敢えず全部始末してここまでやってきた。ほぼ一本道な以上、後ろに死体を残してくる分には大丈夫なはずだ。ただ、ここからはそうはいかない。

眼下に広がる酷い光景をちらりと見る。二人には余り見ないほうがいいと言っておいた。モローはぶちぎれて収拾がつかなくなりそうだし、あいつにも話をしてしまった以上、見ないほうが精神衛生上いいだろう。

予想通りというべきか、奴らは下で楽しんでいた。聞こえてきた会話で断片的にわかったことだが、先程通路で殺った奴らは外れくじを引いて見に来た連中らしい。それでくたばっちまったんだから、とんだ大外れといったところだろう。まあ、全員末路は変わらないが。

 

「……モロー。いいか」

「……ああ。せめて楽にしてやってくれ」

「わかった。……あいつらはまとめて全員吹き飛ばす」

「それじゃ、あたしの出番ね」

「そうだ。確実に頼むぞ」

「……でもよW、煙でこっちの視界もふさがれねえか?」

「それはおれのアーツでどうにかするさ」

「……ほんと便利ね、あんたのそれ」

「いや、結構使い勝手は悪いぞ?……まあその話は今度だ。源石爆弾を頼む」

「りょーかい……っ!?」

 

突如として言葉が詰まる。いったいどうしたのかと、あいつの視線の先を見てみると……目が合った。

……やばい。久しぶりに結構なやり手だ。

おれは今まで息をひそめていたのも忘れ、全力で叫んだ。

 

「撃て!早く!」

 

グレネードが発射される。弾頭がうなり声をあげてホールの中央目がけて飛んでいった。

目の前の獲物に興奮した奴らは気づかない。多分、そういう奴らは皆そのまま死ぬだろう。

だがそんなことはどうでもいい。これで、あの敵をどうにかできれば……!

そう願いながら、弾頭の行き先を見守る。だが、おれは見た。視線の先で、一人笑う敵の姿を。

 

凄まじい轟音が鳴り響く。光と熱、破片が一斉に放出され、眼下の景色全てを塗りつぶす。

殺傷範囲から離れたおれたちのところにまでも、細かな破片が降り注ぐ程の激烈な爆発。

この地上に作り出された地獄の中で、生き残れるものなどいるはずがない。敵は全滅したはずだ。

……だが、おれの脳裏からは、先ほどの敵が浮かべた不敵な笑みが焼き付いて離れなかった。

 

「やったか……?」

 

モローが不安げにつぶやく。半ば祈るように。そうであってほしいと期待するかのように。

その期待は、虚しく破られた。

黒煙を切り裂き、何かが高速で飛来する。真っ直ぐにこちらに向かって飛んでくるそれは、着弾する前に空中で弾かれた。

 

「モロー!」

 

いつのまにやら展開していたのか、モローのアーツによって弾かれたのは奇妙な矢だった。矢軸が肥え太った、珍しい形状をしている。あれはいったい何だろうか。

先に気が付いたのはモローだった。

 

「W、やばい!」

 

数テンポ遅れて、おれも気づいた。

アーツに弾かれ、空中に高く舞い上がった矢から白い気体が吹きだす。

そうか、あの異様な矢の膨らみに充填されていたのは……

 

「ガスか!」

 

即座にアーツを起動させる。空間がねじ曲がり、辛うじて吹き出し始めたガスをも飲み込んだ。

まさに危機一髪。だがこのままではまずい。あの一撃を耐えた敵が、こんな兵器を放ってくる。

 

……逃げるべきか。

……いや、おれは戦うしかない。全員で尻尾を丸めて逃げたところで、そうやすやすと逃げ切れるような相手ではない。相手はガス兵器を持っている。それに、同じ空間にいるのにもかかわらず躊躇なくガスを使った。

……相当にキレた奴だ。ガスをどうにか消せるのがおれだけである以上、ここはおれがやるしかない。

 

「……いいか、お前らは……」

「……一人で残る、なんて言わせないわよ」

「水臭いぜ、W」

「あたしはここにあんたと一緒に戦うために来たのよ?そんなこと、許すわけないじゃない」

「お前……」

「さっさと殺りましょ。……今なら、まだ晩御飯には間に合うわよね?」

「…………もちろんだ。今日は豪勢にやるから、楽しみにしとけよ」

「……ええ」

 

「……W。お前、生きて帰ったら絶対に殺すわ」

 

 

 

黒煙によってお互いの視界が遮られているため、まだ奴はガス矢を無力化されたことに気が付いていないはずだ。このお互いに様子をうかがっている状態で、どうにか先手を取りたい。

 

「もう一発ぶっ放す……ってのは無しね」

「ああ。恐らくはアーツだろうが……正体を見極めたい」

「じゃ、そこはやっぱり俺だな」

 

手を挙げたのはモローだった。確かに、モローなら大体の攻撃を防げる。だが、おれは首を振った。

 

「全員で行くしかない」

 

ガスはおれしか防げない。それに、あいつを援護のために後ろに残してきても、そっちを狙い打たれれば意味がない。前回はおれ一人だったから狙いはすべてこちらに来たが、今回はそう行かないのだ。全員でまとまって行動するほかないだろう。

 

……それに、前回奴はいなかった。おれが怒り任せにぐちゃぐちゃにした奴らの中には。

もしかすれば、最後にあいつを爆破したのはあの敵なのかもしれない。

……戦場に余計な感情は不要だ。だがしかし、おれは暗い炎が心の中で燃え上がるのを感じずにはいられなかった。

……奴は必ず殺す。いや、奴だけではない。ここにいる奴らは全員。

 

 

全員で一斉にホールに向かって飛び降りる。既にロープの摩擦音でおれたちの存在には気づいているだろう。

ここからが勝負だ。モローを先頭にして、奴への接近を試みる。

結局、おれたちが選んだのは接近戦だ。モロー以外は本来の距離ではないのだが、これには致し方のない事情がある。

敵がどれ程のガス兵器を持っているのかは不明だが、もし仮に複数発所持していて、かつ乱発された場合。

……おれには対処できない。おれのアーツは一度に一つしか設置できないからだ。設置して、起動。この手順を踏まない限り、次のアーツは使えない。アーツの使用間隔自体は一瞬だが、今回はその一瞬が命取りになる。広がったガスはどうしようもできないからだ。一応全員ガスマスクはしているものの、どの程度の時間持つのか、どの程度の濃度なら耐えられるのか、一切不明だ。

ならば、ガス兵器を使わせないほかない。近接高速戦に持ち込んで、敵の処理能力を奪うほかないのだ。

 

今回、おれのアーツは防御用だ。ガス兵器に対しての最後にしてほぼ唯一の防御手段である以上、そうやすやすとは使えない。

頼りになるのは自分の剣とモローの拳銃、そして……

 

「いくわよ!」

「ほんとに大丈夫なのかよ!?」

「最悪お前がガードしろ!」

「そんなへましないわ……よっ!」

 

あいつの源石爆弾だ。話によると、コントロールがつくらしい。どういう原理かは知らないが、効かないにしても目くらましにはなる。

こちらが攻撃を仕掛けたのと、向こうがこちらに気づいたのはほぼ同時だった。

こちらの方が一手早い。そう確信する。奴がボウガンの弦を引き絞る前に、あいつの発射した爆弾が炸裂した。

何らかの手段で指向性を持ったその爆発は、奴のみに向かっていく。無数の破片が死の雨となって降り注ぎ、奴の身体に風穴をあけ──ることはなかった。

 

「何だ!?」

 

まるで冗談みたいに、爆風と破片のすべてが後方に受け流されていく。

最初の爆弾でこいつがくたばらなかったのも、こういう事なのか。

だが、効かないのも織り込み済みだ。

 

「モロー!適当にぶっ放せ!」

「おうよ!」

 

両手に握られた拳銃が火を噴いた。放たれた弾丸はしかし、虚しく目標を逸れていく。

先程の破片と同じだ。こいつに飛び道具は効かないのだろうか。だが、そうだとしてももう関係ない。

彼我の距離およそ10m。あと一息で、奴の喉元に飛びかかれる。

 

そんなおれたちを見て、奴は愉快そうに口をゆがめる。

悠々と、こんな近距離で。奴は躊躇なくボウガンに蓄えられたエネルギーを解放した。

 

放たれる矢。

奴が爆弾を見てものんびりとしていたのはこのためかと悟る。つまり、奴はおれたちの意図を一目見ただけで見抜いたのか。

接近すればガスは使えまい。まして、ガスマスクもしていないのに。

そのような考えで突進してきたであろうおれたちを、確実に仕留めるためにこの距離まで待った。

高濃度のガスを、確実に吸わせるために。

……だが、そいつはとんだ考え違いというものだ。

 

「W!」

 

モローのアーツによって弾かれる矢。奴の顔が僅かに歪む。だが、大勢は変わらない。そうとでも思っているのか、まだ余裕が感じられる顔だ。

ならば、その余裕すら消し去ってやろう。

弾かれた矢からガスが出てくるその瞬間、空間がねじれる。その歪みは矢を飲み込み、ガスを飲み込み、奴の必殺の一撃は、ぐちゃぐちゃの固形物となり果てた。

何もなくなった空間を、ただ風が吹き抜ける。

 

驚愕に染まった奴の表情。その一瞬の動揺を見逃すことなく、距離を詰めたモローが拳銃を投げ捨て、ナイフで頸動脈を狙う。

 

「ちっ!」

 

反射的に手にしたボウガンで防御する男。だが、モローの狙いはそこだったらしい。ナイフの鋸刃で、弦を切断しにかかる。

その目論見は半分成功、半分失敗といったところか。確かに切断には成功したが、男はさっさとボウガンを投げ捨てていた。

ナイフを振り切って隙だらけのモローに、反対の手で引き抜いたサーベルが迫る。

 

「させるか!」

 

その一撃を剣を使って防ぐ。どうせモローの行動も、おれがこうすると踏んでのものだろう。その証拠に、ちらりと見えた顔は笑っていたからな。

おれの仕事はこれだけだ。このままサーベルを押さえつけてればいい。

……あとは、あいつが片づけてくれる。

 

「あはは!隙だらけよ、お馬鹿さん」

 

横から黒光りする物体が伸びてくる。これは……グレネードランチャー!?

 

「おい馬鹿!」

 

おれの制止の声もむなしく、あいつは引き金を引く。限りなく密着した銃口からグレネードが飛び出し、破片と爆風が敵の体を貫いた。

強烈な指向性を持った爆風は、銃口から一直線に伸びるのみで、おれたちのほうにはほとんどやってこない。そうして、敵の肉体は文字通り消し飛んだ。

 

「これで、前の分のお返しは済んだかしら?」

 

 

 

「……Wよ、あの女おっかないな」

「……ああ。肝が冷えたぜ」

 

 

 

 

 

 

施設内に他に大した敵はいなかった。適当に残敵を撃ち殺し終わると、化学兵器の場所を探す。

モローは誘拐された女たちを探しているので、今は彼女と二人きりだ。

 

「……しかし、なんでまた最後はグレネードを使ったんだ?爆風がこっちに来るかと思ったぞ」

「コントロールはつくって言ったでしょ?」

「そうじゃない。また敵に受け流されるかと思ったんだよ」

「……ふーん。あんた気づいてなかったのね」

「……なんだよ、そのにやにやは」

「教えてほしいかしら?」

「……いや、いいです」

「気にならないの?……ふーん。そういえば、どこかに今朝涙ぐんでた傭兵が……」

「教えてくださいお願いします!」

 

……いったい朝の約束はなんだったのか。これでは、ただデザートを作ってあげただけじゃないか。

このままだと、一生このネタを使いまわされる。これを使っていいように使われてしまう。

何か真剣に対策を取らなければならない。そう、例えばこいつの弱みを何か握るとか。

真面目にそんなことを考え始めた今日この頃です。

 

「……仕方ないわねえ。特別に教えてあげるわ」

「……はい」

「あいつのアーツよ」

「アーツ?」

「ええ。風が吹いてたでしょ?」

「風?……ああ!」

「そういうこと。爆風が逸れたのも、銃弾が逸れたのも、空気の作用だったんでしょ」

「なるほどなあ。それで接射をしたのか」

「ええ」

「……でも、ナイフ使えばよかったんじゃないか?」

「あら、あんたもう一本のサーベルにも気づいてなかったの?」

「…………降参です。参りました。さっき馬鹿にしてすみませんでした」

「……ま、こんなところで許してあげるわ。ほら、さっさと探しましょう?」

「はい……」

 

 

 

暫くして化学兵器を見つけ、モローとも合流した後、おれたちは地上に出てきていた。

モローに聞いてみたが、奴はただ黙って首を振った。やはり連れ去られていた人達はダメだったらしい。

知り合いもそこにいたのだろうか。おれは、何も声をかけられなかった。

だが、嬉しい知らせもある。あのトランクケースに詰められていた子は、奴の知っている子だった。

出勤しなくなったのは体調不良のせいで、やっと回復して買い物に出たところで攫われたそうだ。

万事よしとはいかないまでも、今はせめてもの救いがあったことを素直に喜びたい。

 

最後に、傭兵団のほうで後々の処理をしてもらうため、おれは隊長に連絡した。

 

「……Wか。何の用だ?」

「いや、今日はモローと散歩をしていたんですが、その道中でたまたま奴らの拠点を見つけましてね?」

「……」

「それで中を覗いてみたら、誰がやったか知りませんが全滅していたんですよ。化学兵器もそのままで」

「……そうか。それは運がいいな」

「ええ。それで、おれたちではもう手に負えないので隊長、後はお願いしてもいいですか?」

「……わかった。座標を送れ。後は私がどうにかしよう」

「ありがとうございます」

「……ふむ。一時間ほどで収容部隊をよこす。それが来るまでは待機していろ」

「はい。では……」

「待て。W、それからモロー。…………ご苦労だった」

 

 

「どうだったよ」

「ご苦労、だってさ」

「そりゃあの人らしいな。で、おれたちは待機か?」

「ああ。……しかし、よくうまくいったな……」

 

勝因は二つだ。

一つは完全な奇襲になったこと。傭兵団で動いていたら流石に察知されただろうが、この小人数、加えて指揮系統から外れた行動であるおかげで作戦の存在を悟られなかった。

故に、警備はざるだったし、あそこまで深く誰にも見つからずに進むことができた。

もう一つはおれたちの能力的な相性。どこに居ても役に立つモローは置いておいて、集団殲滅能力に特化したあいつ。それに、限定的ながらもガス兵器に対する強力な対抗策となったおれのアーツ。

最後の奴を倒せたのも、初見殺し的なこのアーツのおかげだろう。

恐らく、あいつらが至近距離でガス兵器を運用できたのも奴のアーツに依るものだ。空気の流れを作り出して、自分だけガスを受け流す。それが本来の戦闘スタイルなのだ。

 

ガスに関しては勝算があったとはいえ、あの場で冷静に奴を倒せたのはあいつの力も大きい。

現におれやモローは奴のアーツをよくわかってはいなかったし、もしサーベルであいつがやられていたらどうなっていたかはまだまだわからない。ボウガンを失っていたとはいえ、残っていた矢を乱発されれば無事では済まなかっただろう。

敵のアーツを見破る判断力。サーベルを見抜いて、即座に攻撃方法を変える柔軟性。まだまだ伸びる、そう思ったのはおれだけではないはずだ。

 

おれは今、おれたちの関係が一つ変わろうとしているのを感じていた。

これまではおれが一方的に助ける、という立場を取っていた。

それはもちろん、前のようにああなることもあったが、それでも基本スタンスは変わっていなかった。

おれが前に立ち、後ろにあいつがいる。それがおれたちの関係だった。

……だが、これからは違う。

それはおれが感じているのはもちろん、あいつ自身が一番感じていることだろう。

つまり、これからは後ろに立つのではなく──横に並び立つのだと。

 

 

 

 

「ねえ」

「なんだ?」

「あたしもあんたの傭兵団に入れるかしら?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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幼年期末─The Last Mercenary

剣、そしてナイフ。二つの刃が対峙する。その切先の延長線上に、おれたちはお互いの姿をとらえていた。

輝くような銀髪は砂塵でくすみ、燃えるように赤い角が鈍く光る。口を歪めて描いた弧が示すのは、愉悦という感情。そう、あいつは明らかにこの状況を楽しんでいた。

 

「……次はあんたの番よ」

「……お前は…………」

「今日は記念すべき日になるわ。そう……あんたを倒した日にね」

 

モローはもうやられた。

一瞬の気の迷いが奴の運命を決めた。女好きのあいつのことだ、いつかこんなことになるだろうとは思っていた。だが、その結果があれだというのならば、それは余りにも惨過ぎる。

致命的な一撃を食らって、モローは糸の切れた操り人形のように膝から崩れ落ちた。今も視界の端でうずくまった彼の姿が見える。出来る事ならすぐにでも助けに行ってやりたいが、目の前のこいつがそれを許してくれるはずもない。

動きはないながらも、既に戦いは始まっているのだ。

 

この張りつめた空気の中、先に動いたのはあいつのほうだった。

視界の中に収めていたあいつの腕が、急速にブレる。それの意味するところはただ一つ──全力で首を横に振る。次の瞬間、さっきまでおれの頭があった空間をうなりをあげてナイフが飛んでいった。

……どうやらあいつは、本気でおれを殺りにきているらしい。ならばこちらも加減するわけにはいかない、そう考えなおした時には、既にあいつは次の行動へと移っていた。

両脚のバネを開放し、一息にこちらとの距離を詰めてくる。なるほど、合理的な判断だ。

こちらの獲物は長めの剣、対してあちらはナイフ。当然、リーチではこちらが有利だ。普通、相手の届かない位置から一方的に攻撃できる分、おれのほうが圧倒的に有利だろう。

しかし、裏返せばそれはこちらの方が取り回しが悪いということだ。すなわち、懐に入られると弱い。

逆にあいつのナイフは、息が交差するほどの超接近戦では無類の強さを誇る。

となれば、先程の投げナイフは布石。こちらの意識を回避に向かせたところで、一気に間合いを詰める作戦だったのか。

してやられた。確かにおれは回避に気を取られ、ワンテンポ反応が遅くなってしまった。距離を詰めてきたところにクロスカウンターを仕掛ける機会は、これで失われたといっていいだろう。

 

……だが、それがイコールで負けに結びつくわけではない。その点、相手を爆殺することに慣れ過ぎたあいつはまだ甘いということだ。

距離を詰めて来るのは最初からわかっていた。リーチの差を考えれば、自ずとそこに行きつく。考えるべきは如何にしてその距離を詰めてくるということだが、過程が何であれ結果は一つだ。

あいつはおれの目の前までやって来る。

それさえ分かっていれば、反応が一瞬遅れようと然したる問題はない。

 

おれは全力で足元の土塊を蹴り上げた。飛ばすという意識ではなく、あくまで空間に置くというイメージ。

そうすれば、後はあいつが勝手に突っ込んでくる。

 

蹴りの勢いそのままに脚を前方に伸ばし、体全体を低く低く屈める。目つぶしによって視界を不確かなものにされたあいつにとっては、おれが突然消えたように感じることだろう。そしてそのまま剣を振りぬき、無防備な胴体に一発ぶち込む。そこまでがおれの立てた算段だった。

 

あいつの驚いたような表情が見える。目の前に突然現れた土色の障壁。それがそのまま見開かれた彼女の瞳に吸い込まれて──行こうとしたその時、その表情が覆い隠された。彼女自身の腕によって。

必中の目つぶしが防がれる。土を払うかのように振るわれた腕の向こうには、満面の笑みを浮かべたあいつがいた。

 

「あんたの足癖の悪さは……お見通しなのよ!」

 

叫ぶとともに、姿勢を低く取ったおれに向かってナイフが振り下ろされる。

 

「くっ!」

 

剣を捨て、その刃をどうにか左腕で防ぐ。布越しで金属同士がぶつかる鈍い音が鳴り響いた。

腕とナイフ。両者がぎりぎりと拮抗する。筋力では劣る彼女ではあるが、ここは体勢的におれが不利だ。

 

「鉄板!?……めんどくさいわねえ!」

「傭兵の嗜みでな……!」

 

重力を味方につけ、両腕の力を使って押し込んでくるあいつに対してじりじりと押し込まれていく。

防ぐのに使っている両腕はともかく、脚までもが折りたたまれて使えない。体重の乗った右脚は潰されないように耐えるのが精いっぱいで、遊んでいる左脚はまともな攻撃を繰り出せる状態にない。

まさに絶体絶命の状況。だが、まだだ。まだ終わりはしない。

 

「降参する?それとも……」

「どっちも……断る!」

 

最期の力を振り絞ってナイフを押し返す。しかしながら当然ここから押し勝てるはずもなく、押し戻されていく。おれは、その勢いに逆らわなかった。

押したのは、より強く押し返してもらうため。その勢いを借りて、後ろに転がりながら脚を跳ね上げる。

ナイフがスライドしていき、服と肉とを削っていくが構わない。ナイフを握った腕と首とを脚の間に捕える。いわゆる三角絞めの形だ。頸動脈を圧迫し、意識を落とそうと試みる。

しかし……

 

「極まってない……!」

 

寸前でねじ込まれたもう一本の腕が、三角絞めの完遂を妨げる。両腕を挟んでしまっては、この技は極まらない。

縦になっていた体を横に倒し、その勢いでどうにかナイフを手放させることに成功する。だがそこまでだ。

これ以上この体制でいても、決着はつかない。それどころか、モローをも沈めた一撃を食らう恐れがある。

技を解くと同時に肩を蹴飛ばし、どうにか体勢を立て直す。

立ち上がったのは同時だった。

しかし、先手を取ったのはやはり向こう。もはや両者武器を失い、素手での戦闘へと移っていく。

繰り出されるジャブからのローキック。脚を砕くためのその攻撃を、どうにかステップで躱す。

お返しとばかりに放った直蹴りは反身となることで躱された。

 

半年。たった半年だ。それだけの期間であいつはこれほどまでに強くなった。

初めてあいつと夜を越したあの日。まだ出会った二日目のあの日戦ったとき、おれはあいつを圧倒していた。

それが今ではどうだ。こうして互角以上にわたりあっているではないか。

なるほど、あいつが初めに倒すと言ってのけたのも頷ける。この分では将来的にあいつのほうが強くなっているかもしれない。

 

だが、おれにも譲れないものはある。

もう一方的に守るような関係ではなくなったとしても、それでも。

おれは、あいつの前で負けるところを見せるわけにはいかないのだ。それは相手がだれであっても変わらない。そう、あいつ自身が相手であっても。

 

ハイキックが首を刈りに来る。コンビネーションで隙を作ってからの一撃。惚れ惚れするようなそのハイキックこそ、俺の待っていたものだった。

姿勢を低くし、残った軸足に飛びかかる。体重の乗ったインパクト、そしてがっちりとしたバインド。見事に決まったそのタックルによって、彼女は地面にたたきつけられた。

 

 

 

 

勝負アリというところだろう。顔を伏せたまま荒い息を吐く。それはあいつも同じだったようで、しばらくの間二人分の息遣いだけが辺りにこだました。

呼吸を落ち着けたところで顔を上げると、彼女と目が合った。その顔は僅かに悔しげではあるものの、どこか清々しい表情をしている。

おれは抱きついたままの腕を離すと、彼女の隣に転がった。

 

「……しかし、お前も随分強くなったな」

「……何よ改まって」

「いや、最初にやりあった時のことを思い出してさ」

「あれはなし」

「じゃあ次の日のでもいいぞ?……あのころのお前は可愛げがあったなあ」

「……へえ。今は違うって言いたいの?」

「戦い方って意味ではな。可愛さのカケラもないえぐい技を連発しやがって」

 

初めのほうはともかく、格闘戦に移行してからはえぐい技のオンパレードだ。脚を砕きに来たのをはじめ、目潰し、金的、後頭部、その他諸々。最後のハイキックだって、鉄板入りのブーツでガードをする腕を壊しに来ていた。

ナイフの方だって初めて会った頃の素直な軌道をは違い、変幻自在な読みにくいものとなっている。全体的にダーティーさが増したというのが戦ってみての感想だ。

 

「誰が教えたと思ってんのよ」

「……そりゃおれだけどさ。第一、さっきの投げナイフだって完全に殺しに来てただろ」

「そのくらいの気持ちじゃなきゃあんたには勝てないじゃない。それに当たるとは思ってないわよ」

「……そりゃどうも」

「照れてるの?……可愛らしいわねえ。どこかの誰かとは違って」

 

首がこてんと傾き、空に向いていた顔がおれのほうに向けられる。その表情はどこかむくれるているようで、じっとりとした視線がこちらを突き刺してきた。

どうやら、返答が不満だったらしい。おれはさっさと白旗を挙げた。

 

「……はいはい。おれが悪うございました。でも、戦い方はって言っただろ?」

「……じゃあそれ以外は?」

「……そうだな、お前は……」

 

「今も昔も大飯喰らいってとこだな。ま、食べてるときは可愛げがあるぜ?」

「……期待して損したわ」

「何を期待してたんだ?」

「言わないわよ。……もう」

 

 

 

「W……マジで助けてくれ……」

「あっ、悪い。忘れてたわ」

「……ガチで入っちまった。……全然落ちてこねえ……」

「……マジ?」

「……マジ」

「あれってそんな痛いの?」

「やったお前にはわからないだろうが……あれは痛いぞ」

「ふーん。ま、どうでもいいけど」

「……あの女マジで覚えとけよ…………」

 

金的を食らいノックアウトされたモローのもとへ向かう。訓練とはいえ何でもありルールだ、食らった方が悪い──とはいえ、ようやく念願の彼女を手に入れたモローにこれを食らわせるというのは……まあ、彼女に内緒でお店に通っていた天罰か。

 

そう、訓練。これは訓練だったのだ。近接格闘戦の訓練、それをおれとモローの二人であいつに施していた。なぜそんなことをしているのかと言うと、話は2ヶ月ほど前に遡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「傭兵団に入りたい?」

「ええ。……で、どうなのよ。あたしの実力は見たでしょ?」

「見たは見たが……」

 

正直なところ、いつかこうなるとは思っていた。もともと戦闘能力は高かったし、恐らくはそれを飯のタネにして生きてきたのだろう。黙ってずっと庇護下に甘んじているような女ではないとは思っていた。

それに、今日の戦闘中の表情。……実に生き生きとしていた。普段見せる表情とはまた違う、ギラギラとした表情。もしかしなくとも、彼女はおれと同じ人種なのかもしれない。

戦うことを楽しむ、そんな人間なのかもしれない。

 

けれども、そんな彼女を、そんな彼女だからこそ、戦場に立たせていいものなのだろうか。

戦いを楽しんでいるのは異常者だ。それはもちろんおれも含めて。

戦いとはそもそも何かを得るための手段のはずなのに、その手段自体に悦びを見出す。そうなったらもう本末転倒だ。生きるために戦うのではなく、戦うために生きる。そんな甲斐のない生き方をするなんて、異常以外の何物でもない。

……だから、そんな生き方をするのはおれだけで十分だ。生きるために狂う。狂ったふりをする。自分の心を偽り続ける苦しさを、もうあいつには味わってほしくない。

おれは知っている。あいつには、あんなギラギラした笑みなんかよりも、ご馳走を目の前にした時の花が咲いたような笑顔の方がよっぽど似合っているということを。

知っているんだ。あいつは、戦場でなくともちゃんと生きていけるんだということを。

 

……わかっている。これがおれのエゴだということは。

傷つかないでほしい、なんてただの一方的な気持ちの押し付けでしかないんだって。

今朝だってそうだったじゃないか。あいつの気持ちも何も知らないで、自分の気持ちだけ胸の内に抱え込んで。

あいつは一人の人間だ。おれと同じで、れっきとした意志を持った一人の人間だ。

人の生き方は、他人が決めていいものじゃない。

おれにできるのは、あいつの意志を尊重してやること。そして……

 

「……本気なんだな?」

「……ええ」

「……わかった」

「じゃあ……!」

「ただし」

「?」

「まずはおれがお前を鍛える。入るのはそれを乗り越えてからだ」

 

あいつを死なないようにすること。それだけだ。

おれは、あいつと一緒に居たかったから。

この関係を終わらせたくはなかったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな経緯もあり始まった訓練だったのだが、結局はモローも呼んで接近戦までみっちりと仕込んだ。

最終的には教官役のモローを反則的とはいえ倒したのだから、2ヶ月をかけた甲斐はあったのではないだろうか。まあ、モローがどこまで本気でやっているのかは怪しいものだが。

少なくともおれは本気でやってあの結果だったので、あいつが強いのは疑いようがない。基本的に遠距離がメインにはなるだろうが、ここまで鍛え上げれば例え接近戦に持ち込まれたとしても十分に立ち回れるだろう。

 

そんなわけで、今日は卒業祝いのちょっとしたパーティーだ。モローも誘ったのだが、彼女に慰めてもらうといって帰っていった。まあ、あんなひどい目に合えばそれも当然だと思う。

 

パーティーということで、料理はかなり豪華だ。キッチンから流れてくるいい匂いを嗅ぎつけたのか、いつの間にかあいつも席についている。待ちきれないといった様子だったので、先にサラダだけでも出してやることにした。

今日のサラダにはローストビーフをのせてみた。もちろん自家製だ。なかなか納得のいく出来のものを作るのは難しく、大量の失敗品を生産してしまったが、まあこの出来にたどり着けたんだから良しとしよう。

こだわりぬいたローストビーフは、しっとりと、かつジューシーな仕上がりになっている。パサついたり、あの歯がぎちぎちとするような食感になること無く、旨みがギュッと凝縮したものになったので大満足だ。

……正直作り終わってから、これはサラダくらいにしか使わないのではと気が付いたが、まあそんなことはどうでもいい。

こいつをサラダの上にたっぷりとのせていく。サラダ自体はリーフレタスをベースに細く糸状に切った人参と、スライスした玉ねぎを加えたものだ。緑、オレンジ、そして白。そこに美しい桜色の肉が加われば、色鮮やかで目にも美味しい。料理は目でも食うって言うからな。

最後にそこにドレッシングをかけていく。今回ドレッシングはソイソースをベースに細かく刻んだ香味野菜を加え、ビネガーとオリーブオイルで仕上げたものだ。このソイソースを手に入れるのに相当苦労したが、それに見合う味に仕上がったと思う。

 

出来上がったサラダを机まで運んでいくと、あいつは目を輝かしてローストビーフを摘まみ上げた。

まだ食べたことはないのだろうが、この半年のうちにすっかり信頼度が上がったのか尋ねもせずに口に放り込んだ。

 

「…………!」

「どうだ?」

「……最高よ、シェフ」

 

にっこりと笑ったあいつから、お褒めの言葉をいただいた。

……それにしても、本当にいい顔をしているな。ああいう顔を見れるんだから、作るこっちもやりがいがあるってもんだ。

 

「……あれ、もう食わないのか?」

「ええ。全部の料理が出そろうまで待つわ」

「なんでまた?」

「今日はお祝いなんでしょ?一人で食べるなんて味気ないじゃない」

「……それもそうか」

 

……あのあいつがこんなことを言うようになるとは。半年で人間性も成長したとでもいうのだろうか。

 

「……あんた何か失礼なこと考えてるでしょ。この前の──」

「料理に戻ります!」

 

……前言撤回。あいつの人間性はより悪質さを増したようだ。

 

「今──」

「何も考えてません!」

 

……勘までよくなりやがった。これ以上何か考えるとまた脳内を読まれそうなので、おれは目の前の料理に集中することに決め込んだ。

 

 

しばらくして、机の上にはずらりと豪華なメニューが並んでいた。

メインはやはり中央に置かれた鳥の丸焼きだろう。腹の中にはピラフが詰めてあり、鳥の油をいい感じに吸って美味しそうに炊きあがっている。

存在感でいえばラザニアも抜群だ。遂にパスタすら自作できるようになったおれにとって、ラテラーノ料理はお手の物……ホワイトソースを2回ほど焦げ付かせたのは秘密だ。

副菜としてテリーヌも用意したし、あいつの好きな生ハムも調達してきた。モローと一緒にラテラーノ商人を襲撃して手に入れた逸品だ。これと熱々のフォカッチャを一緒にいただくと、脂がいい感じにとろけて大変美味しい。

スープには黄金色のコンソメスープを用意した。だいぶ前から仕込んではいたのだが、一番苦労したのはあいつからその存在を隠し通すことだったかもしれない。

それに最初に用意したローストビーフのサラダを加えれば、いまだかつてない豪華な夕食の出来上がりだ。

経済的には大打撃を受けたが、明日くらいからは穀潰しが傭兵にジョブチェンジするのでまあ良しとしよう。

 

「……もう食べていいわよね?」

「ああ。たっぷり食え」

 

おれの返事を待つこともなく、あいつは既に料理へと飛びかかっていた。お預けを食らっていたようなものだから、本当は食べたくて仕方がなかったのだろう。

そう考えると、こいつがわざわざ待ってくれたというのはなかなかに感慨深い。

まず最初に目を付けたのは、やはり生ハムだ。初めの晩に出して以来、すっかりこいつの虜になったようで、定期的に出せとせがんできていた。めったに手に入るものでは無いので、結局食べるのはこれが二回目だが、半年間熟成された分、念願が叶った喜びは大きいだろう。

まずは単体で味わうように、続いてフォカッチャと合わせて。生ハムをひたすら無言で食べ進めていく。

その様子を見ていると、こいつはほんとに好きなんだなあと思える。

本当に美味しいものを食べているときというのは、食べるのに全神経を集中するので、余計な言葉など出るはずもない。我が家の食卓がいつも静かなのは、寂しい様だがとてもありがたいことでもあるのだ。

おれはこうやって、夢中になっているあいつを眺めながら食事をするのが好きだった。

 

 

「いやあ、食べたわね」

「満足したか?」

「満足も満足、大満足よ」

「そりゃ何よりだ。作り甲斐があったよ」

 

あれだけ大量にあった料理も、一時間ほどすればすっからかんになっていた。

あれだけ食べればデザートは入らないかとも思ったのだが、ケーキまでしっかり平らげてしまったあたりよっぽど腹が減っていたのだろう。まあ、あれだけ激しく動いていればそれも当然か。

終始無言だった食事中とは違い、こうした食事後の時間は会話が多い。紅茶やコーヒー片手にだらだらと取り留めのない話をしているだけなのだが、時間がのんびりと流れる感覚がしておれは好きだ。

 

「それで、いつあたしは傭兵団に入ることになるの?」

「まあ明日か明後日か、そんなところだろうな。連絡が来るだろうから、それを待つ感じだ」

 

既におれとモローから隊長に話はしてある。相当の腕利きだし、おれたち二人分の推薦もある。

おれたちのところは隊長の権限が強いから、各隊の編成についてはある程度隊長任せだ。ガスの件で恩も売ってあるし、あの妙に義理堅い隊長なら多分認めてくれるだろう。

編成単位が各隊ということは、おれたちは同じ隊に所属することになる。それもまた好都合だった。

 

「ふーん」

「……そういや、まだコードネームを決めてなかったな」

「……あれって自分で決めるの?」

「普通はな。隊長のネーミングセンスは壊滅的だから、自分で決めたほうが絶対いいぞ」

「壊滅的って……」

「いや、ホントにひどいぞ。この前の新入りにつけたのは『ポチ』だからな」

「……それはひどいわね」

「だろ。……で、何か思いつくのはあるか?」

「そうねえ……W、とかどうかしら?」

「Wか。なかなか似合いそうな名前だな」

「でしょ?」

「……でしょ、じゃねえよ!それ、おれの名前じゃねえか!」

「じゃああんたが改名しなさいよ」

「嫌です。おれのほうが先に使ってるからダメだ」

「ケチねえ。別にいいじゃない。そもそも、あんたのそれはどうやって付けたのよ」

 

おれの名前の由来か。……なんだったっけ?何せ、ずいぶん昔のことだ。あまり覚えてはない。

 

「…………忘れた」

「じゃあいいでしょ」

「……とにかく、それは禁止だ。他の考えろ」

「……仕方ないわねえ。……あんたも何かアイデア出しなさいよ」

「おれ?…………Mとかどうだ、Wをひっくり返して」

「却下。何か別のこと思われそうじゃない」

「じゃあS?」

「却下。そういう話じゃないのよ」

「うーん…………メデイアとかどうだ?」

「あら、なかなかいいじゃない。どういう意味なの?」

「旦那に逃げられた後、その再婚相手と子供をぶっ殺した女の名前だな」

「……あんたぶっ飛ばすわよ?」

「冗談です。……自分のコードネームなんだから、自分で考えたほうがよくないか?」

「……そう言われてもねえ。今まで名前なんて考えたこともないわよ」

「まあ、名無しで、しかも傭兵団にも入ってなきゃそれもそうか」

「……あんたが決めていいわ。あたしじゃ無理そうだし」

 

……名前か。これまで、誰かに名前を付けたことなんてない。あったとしても、もう忘れてしまった。何せ、自分の名前を付けた理由すら忘れてしまったんだから。

別に名前を付けたところで、おれはあいつのことをその名前で呼ぶことはないだろう。それは、あいつがおれのことをWと呼ばないのと同じだ。二人しかいないところでは、名前なんて大した意味を持たない。

だったら、あくまでこれは傭兵としてのあいつの名前だ。誰が言ったか、名前というのは希望だと聞いたことがある。こうあってほしい、こうなってほしいという希望。おれは、傭兵としてのあいつにどうあってほしいんだろうか。

……傭兵に何ぞなってほしくない。それが率直な思いではある。だが、ぞれが叶わぬのだとしたら。

せめてあいつには、最後の傭兵になってもらいたい。この戦争続きの狂った世界の中で生き残って、戦争のない明日を作り出せるような、そんな最後の傭兵に。

 

「Ωだ」

「へ?」

「Wのおれが23番目。それでお前がΩで24番目だ」

「……どういうこと?」

「最後にして究極。そういう傭兵になってほしいってことだよ」

「……よくわかんないわね」

「……まあ、わかんなくても……」

「でも、気に入ったわ」

「……そうか?」

「ええ。……ま、折角あんたがつけてくれた名前だし、使ってやるわよ」

「……そうか」

 

 

 

こうしてカズデルの地にまた一人新たな傭兵が誕生した。戦乱が続くこの大地で、彼女がどんな役割を果たすのか。それはまだだれにもわからない。ただ一つ言えるのは、彼女はその名前に込められた願いを現実のものにする力を秘めているということだ。

 

 

 

 

 



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翻天覆地─But we are still the same

彼女がおれたちの傭兵団に加わって半年ほどが経った。

半年という期間はおれが思う人生の尺度からいえばだいぶ短い期間だが、サルカズ、ひいてはカズデルという尺度からすれば、それは余りにも長い期間だったようだ。

 

 

長い間この地で続いていた混沌とした生存競争は、急激にその姿を近代的な「戦争」へと姿を変えてしまった。原因はただ一つ。テレシスにテレジア殿下が反旗を翻した。これだけ。たったこれだけのことで世界は大きく変わってしまった。流石殿下の求心力だとか、もっと早く態度を露わにすれば良かっただとか世間の反応は様々だが、おれたちにとって重要なのは戦いが激化したという事実だけだ。

 

テレシス率いる軍事委員会と殿下という二大勢力の覇権争い、その構造にカズデルに氾濫する傭兵たちは取り込まれる事を余儀なくされている。現時点でほとんどの傭兵は旗色をあらわにし、各陣営の尖兵、兵隊と化した。

兵隊と兵隊の戦い。これまで傭兵として無秩序に振るわれてきた暴力が、絶対者の下で束ねられ、鍛えられ、冷徹に研ぎ澄まされた武力になった。だとすれば、戦いの激化は必然だろう。

 

だから、もう傭兵などというのはほとんど存在していない。この情勢下にあって未だどちらにもつかないのは、よっぽどの日和見主義者か自殺志願者くらいだ。前者はカズデルの地にあってはとっくに淘汰されているし、後者は頭がイカれてる。つまり、そんなことをするやつはまずいないということだ。

 

ただ何事にも例外は存在するもので、未だに傭兵という仕事を続けている連中が存在している。話の流れからお分かりの通り、それがおれたちというわけだ。知り合いの傭兵連中はみんな就職にめでたく成功し、無所属なのはおれたちかヘドリーとイネスのところくらい。

 

ということで皮肉なことではあるが、どうやらおれたちは最後の傭兵になれたらしい。

 

なぜこんなことになったのかといえば、傭兵団の構造が原因だ。各部隊にかなりの裁量権を与えているのがここでは仇となった。独自色を持ち始めていた各部隊はよく言えば多様性に富み、悪く言えば纏まりがない。様々な人材を取り込んで巨大化していった組織だ、どちらかに付けば忽ち組織は空中分解し内紛を始めるだろう。自ら育て上げてきた組織をそのような形で破壊することを、団長は望まなかった。

 

その結果がこれだ。団長の求心力、政治力、そして暴力。そのおかげでおれたちは組織としての体裁を保ったまま今日まで存在している。

危うい組織に見切りをつけ立ち去るもの、縛られるのを是とせず、自由な傭兵を求めやって来るもの。

みんな人それぞれだ。

 

おれとΩは残ることにした。誰かの命令で死ぬのは嫌だし、命令されて殺すのもまっぴらごめんだ。

あくまで自分の意思と責任において殺し、そして死ぬ。ここに生まれ落ちた時からそう決まっていたんだ、今更それを捻じ曲げることなどできない。

彼女が残ったのも同じだ。好きなように生き、好きなように死ぬ。それがおれたちなのだから。

 

 

 

 

 

そんな今では珍しくなった傭兵として過ごしているある日。

おれたちは依頼を受けてとある廃工場に向かっていた。

依頼、というのは基本的には団長がどこからか受注してきたものだ。色んな場所に顔が利くらしく、二大勢力の間でのらりくらりと仕事をしている。

今回の依頼内容はある傭兵団のトップ会談を潰すこと。廃工場で極秘に行われているそれを妨害し、ついでに頭を潰してしまおうという作戦だ。

情報によれば奴らはごく少人数でこの会談に赴いており、おれとΩでなら十分に殺れると判断された。

隊長から作戦を知らされたときは部隊全員で仕事をするように進言したのだが、別件があるらしくおれたち二人での作戦に落ち着いたというわけだ。

 

 

 

 

 

「そっちはどうかしら」

「うーん……」

 

双眼鏡を覗き込んで視線をめぐらす。先ほどから見張っているのだが、見回りも人の出入りも見られない。

 

「……人影は見当たらないな」

「こっちも同じ。情報通りってことかしら」

 

おれはどうだかなと思った。極秘会談ということだし、分かりやすく見張りをつけていないというのは十分に理解できる。人の出入りについても同様だ。

だが、この手招きされているような状況がおれはどうにも気に入らなかった。ふたを開けてみたら工場内に兵隊がぎっしり詰まっているなんてことも十二分にあり得る。

ついこの間もそれで殺られかけたのだ、用心するに越したことはない。

 

「……この前みたいに派手にぶっ放すのはやめろよ?」

 

なんてったってこの隣におわすΩさんは人気がないのをいいことに正面からグレネードランチャーをぶち込んだ前科をお持ちだ。結果として10倍の弾をお返しされて死にかけたのをおれは忘れてないぞ。

そうやってくぎを刺すと、彼女は両手をあげてお手上げのポーズをとって手をひらひらとさせた。

 

「ちゃんと反省してるから安心しなさい。今日は慎重にやるわ」

「頼むぞほんとに……」

 

若干の不安さを覚えながら行動開始だ。

障害物に身を隠しながらじりじりと工場へと近付いていく。時々空に目をやって巡視ドローンがいないか確認しながら、おれたちは工場外壁部までたどり着いた。

 

「さてと……ここからどうするかだな」

「あんたのアーツで壁をぶち抜くってのはどうかしら?」

 

確かにおれのアーツなら大した音は出ないし確実に壁をぶち抜ける。いつもだったら爆弾を使いそうなところだが、この間の反省を存分に生かしてくれているようだ。

 

「冴えてるな。よし、それでいこう」

「ふふっ、あんたも自分のアーツの使い道くらいちゃんと考えときなさいよ」

 

満足げな表情のΩを無視しつつ、工場の見取り図を取り出す。ぶち抜くにしても場所が肝心だ、ちょうど倉庫のような一室を発見したので、その外周に当たる位置へと移動する。

 

「よし……準備はいいな?」

「ええ」

 

返答に対して頷き返すを、壁に向かってアーツを発動させた。空間がぐにゃりと捻じ曲がって分厚いコンクリートがぐしゃりと潰れる。石材の煙越しに向こう側の景色が見えたことから、貫通を確信した。

行くぞとハンドサインを出しつつ、穴から中へと躍り込む。狙い通り、そこは倉庫だった。

右、左と敵がいないことを確認しつつ、Ωと頷きあって前を進む。

倉庫というだけあって棚が立ち並んでおり、死角が多い。二人でカバーし合いながら慎重に進んでいく。

幸いにもここには敵はおらず、無事に扉の前へとたどり着くことが出来た。

この向こう側は恐らく工場の操業スペースのはずだ。大きく開けた構造になっており、身を隠す場所に乏しいだろう。

彼女が壁に耳を押し当てて音を聞いていたので、何か情報が得られたか尋ねる。

 

「どうだ?」

「数人分の物音がするわね。まあ、大勢いるってことはなさそうだけど」

 

どこかに向こう側を覗ける隙間がないかと探すが、どうにも見当たらない。またアーツを使ってもいいが、人がいそうである以上気付かれてしまう危険がある。

……ここはいっそのこと爆弾で派手に吹き飛ばしたほうがいいだろう。爆炎に紛れればこちらもある程度動ける。そう思ってΩの方を見ると、任せろとばかりの表情で爆弾を手にする彼女の姿が。

どうやらおれの考えはお見通しだったらしい。

 

爆弾をセットする様子を横目で見ながら銃を構える。セーフティーを連射に合わせて準備は万端だ。

セットが終わったのか、Ωも得物を構える。確認をするようにこちらを向いた彼女に対して親指を立てると、壁から離れて時を待った。

 

火薬が炸裂し、重い金属の扉が吹き飛ぶ。よく計算された爆発はおれたちに危害を加えず、綺麗に扉だけを吹き飛ばしていった。

発生した爆炎に紛れ、扉に向こうへと転がり込む。煙の向こうに人影を認めたおれは銃を構え、そして引き金を……

 

「来たか、W。それにΩ。遅かったな」

 

引こうとしたその刹那。煙の向こうから聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

「……隊長?」

 

隣のΩも思わず動きを止める。

なぜ隊長がここにいるのだろう。別件があるんじゃなかったのか?

やがて煙が晴れ、人影の全貌が明らかになる。

そこにいたのは隊長だけじゃない。おれたち以外の部隊員全員だった。

緊張が一気に弛緩する。

どうやら仕事は既に隊長たちが片付けていたようだ。

しかし、別件というのは一体……

 

そんなことを考えながらおれが隊長に近づこうとした瞬間、それは起こった。

おれの体は地面に突き飛ばされ──鉄が肉を切り裂く音が伽藍洞の工場に鳴り響いた。

 

「は?」

 

目の前の情報が何一つとして頭に入ってこない。

どうして隊長が剣を抜いているのか。

どうしておれが地面に倒されているのか。

どうしてΩは微笑んでいるのか。

どうして──あいつの首が宙を舞っているのか。

 

残された胴体から噴水のように鮮血が吹き上がる。血に濡れながらようやくおれは理解した。

隊長が裏切ったのだと。

 

「……すまんな、W」

 

言葉とともに剣がおれに振り下ろさ

 

 

 

 

「はっ……はあ……はあ……」

 

目が覚める。どうやらおれは今朝に戻ってきたらしい。死んだはずのΩも隣ですやすやと眠っている。規則正しい寝息の音が、きちんと胴体と首から上がくっついていることを教えてくれていた。

 

「ふう……」

 

頭では戻れるとわかっているのだが、何度やっても慣れない。あいつがちゃんと生きていることを確認するまでは安心できないのだ。

眠っているΩの頭を軽く撫ぜる。銀糸のさらさらとした感触とともに温かな体温が伝わってきて、不安と恐怖で凍り付いたおれの心を溶かしてくれる。

もう殺させはしない。おれは立ち上がると今日起こる出来事を整理し始めた。

 

 

まず今の状況だ。おれたちは今とある廃ビルにいる。拠点からはだいぶ離れていて、作戦のために遠征してきた場所だ。ここに宿泊することについては現地に着いてから決めたから、おれたち以外は知らない。

発信機が付けられていれば話は別だが、装備のチェックはきちんとしてあるし、寝込みを襲われていない時点で隊長もここは知らないのだろう。

今日の任務である会談の襲撃だが、隊長の裏切りを考えるとそもそもそんな任務はないという可能性が高い。何せ、この任務は隊長から伝えられたものだからな。

団長が仕事を引き受け、それを各部隊に割り振って、隊長から部隊員に伝えられる。つまりおれたちは仕事のことを隊長からしか知ることができない。

この仕組みで今までやってこれたのは、隊長が裏切ることなんてなかったからだ。団長と昔から付き合いがあるし、その恐ろしさと強さをおれたち以上に知っているのが隊長たちだ。下っ端が裏切ることはあれど、隊長の裏切りなどこれまででは考えられなかった。

だが、現実に隊長は裏切った。ほかの部隊員もいたのを考えると、説得できなさそうなおれとΩを殺してその首を手土産に部隊丸ごとどちらかの陣営に就こうという算段なのだろう。恐らくは摂政王のほうだと思うが。

 

では、おれたちはどうするべきだろうか?

一つはさっさと逃げ出すというのがあるだろう。罠と知っていてこちらから飛び込んでやる必要はないし、この場をしのぐには一番良さそうだ。

ただ問題なのは、逃げた後どうするかという事。恐らくおれたちが工場に現れなければ隊長は団長におれたちが仕事をせずに逃げ出したと報告することだろう。そうなれば裏切り者はおれたちでこの先仕事にありつけるかはかなり怪しくなるし、それどころか追われる身になるかもしれない。

こうなれば傭兵を続けていくことは最早不可能で、どちらかの陣営に就くことを余儀なくされるだろう。

 

……いや、隊長が裏切るということはそろそろこの傭兵団も危ういのかもしれない。

元から二つの陣営の間をフラフラしていた集団で、精鋭ぞろい。厄介なのは間違いないのだ。

力のある集団であるためにこれまでは見逃されてきたが、本腰を上げて潰しにかかられればいくら団長といえども対抗するのは難しいだろう。そうなれば待っているのは破滅だ。

 

バーナーに火をつけ、水の入ったコッヘルを乗せる。ガスの燃焼音をBGMに、思考が張り巡らされていく。

 

おれを殺す時の隊長の顔。あの表情は何だったんだろうか。悲しそうな、寂しそうな、苦しそうな、そんな表情。……まるであの時のモローのようだ。

隊長にはやむにやまれぬ事情があるのだろうか?

 

ハンディミルで豆を挽くと、はじけるようにして辺りに芳醇な香りが漂い始めた。微細な泡がポコポコと湧き出る音に合わせ、豆が砕けて歌をうたう。

 

だが隊長はその事情をおれには話さず、おれを殺すことを選んだ。だとすれば、話し合いでどうにかしようという道は既に閉ざされているのかもしれない。

試してみることはできる。だが、おれは隊長が一度決めたことをそう簡単に翻意する人ではないと知っているし、そのためにあいつがもう一度死ぬようなことがあってはならない。

未だにどうして時間が巻き戻るのかわかっていない以上、いつ時間が戻らなくなってもおかしくはないのだ。

……もしあいつのいない世界にひとりで取り残されることになったら。

……正直、おれは生きていく自信がない。

 

チタニウムのカップにドリッパー、フィルターをセットして粉を入れ、沸かしたお湯を注ぐ。もこもこと泡が湧き出てくるのを眺めながら、抽出が終わるのを待った。

 

逃げる以外におれが考えていたこの状況を打開する方法は隊長や他の奴ら全員を殺るということだ。

……これを思いついた時のおれは裏切られたのとあいつが殺されたというので頭が沸騰していたのだろう。

隊長、ネビル、リュウ、マニー、ワイノット、リコ、ピート。どいつもこいつも長い付き合いをしてきた奴らだ。

もう敵になった以上、殺るとなったら殺るしかない。それはわかっている。情に流されて殺したくないだなんて言うつもりはない。

ただ。昨日まで確かに同じ側に立って戦っていた奴らだ、それを殺すというのは胸の底に何かしらの苦々しいものを感じずにはいられない。

そして、それはおれだけが感じるものではないのだろう。……隊長。

 

出来上がったコーヒーを啜る。ほろ苦く、ナッティーで、僅かながらに酸味を感じた。

黒い水面に映る自分の顔を見つめる。どうすればいいか、答えはもう決まっている。きっと初めから分かっていたことだ。

 

おれがそう決意を固めたとき、後ろからもぞもぞという音がしてきた。

タイミングがいいことに、あいつが起きたようだ。

 

「ん……ふわぁ……」

「おはよう、Ω」

「……おはよ。相変わらず早いわね、あんたは」

「……大事な話がある」

 

 

 

寝袋から抜け出して身だしなみを整えたのち、おれたちはマグカップ片手に向かい合っていた。

議題はもちろん、今日のことだ。

 

「……で、さっき言ってた大事な話って何なのよ?」

「今日の作戦のことなんだが……放棄しようと思ってる」

「……はあ?ぱーっと行ってぱーっと吹き飛ばすだけの簡単な仕事じゃない。なんであんたがそんなに弱腰なのよ」

「……2回目だ」

 

理解できないという表情から一転、Ωの顔つきが険しいものになる。

 

「へぇ……。今回のあたしはどう殺されたのかしら?」

「……隊長に首を刎ねられた」

「は?」

「おれたちは隊長に嵌められたんだ。この仕事は罠だ」

 

……沈黙があった。長い、沈黙が。

その間、Ωの視線は両手に包み込まれたマグカップに向いたままでピクリとも動かない。

驚愕、混乱、憤怒。胸中には様々な感情が渦巻いていることだろう。

おれは静かにあいつが口を開くのを待った。

 

「……で、これからどうするつもり?」

「逃げる。傭兵団ともおさらばだ」

「返り討ちにするってのもいいんじゃない?」

「……おれたちで隊長に勝てるか?それ以外の奴らもいるのに」

 

おれが逃げることにした最大の理由がこれだ。

単純に勝てる見込みが薄い。自分で言うのもなんだが、確かにおれやΩは強いし、大抵の奴らは殺れるという自信はある。

ただ、隊長は近接特化の身体強化系アーツの使い手で剣の達人だ。あまりにも相性が悪すぎる。

 

「……モローがいれば勝てるかもね」

「……死んだ奴が助けに来てくれるとでも?」

「……言ってみただけよ。……しかし、こんな世界で自分以外の奴を信じることほど愚かなことはないわね」

「…………」

「……誰かさんと過ごしてるうちに忘れてたみたい」

 

……Ωの言う事は理解できる。ここはカズデル、弱肉強食の地。生き残るためには自分以外を蹴落としていかなければならない。誰であろうと。

そんな風に思っていた。おれも、昔はそんな風に。

……けれども気づいてしまったんだ。誰かと一緒にいることの暖かさに、温もりに。あいつがそれを教えてくれたから。

確かにこの世界は信用できないもので溢れている。他者なんてその最たるものだ。例えアーツを使ったとしても、他人の心の内を100%知ることなどできない。

でも、だからといってだれも信用せず、一人孤独に生きていくというのはあまりにも寂しすぎるじゃないか。

 

「……確かにカズデルじゃ誰かを信じることは愚かなことなのかもしれない」

「……」

「……自分以外を信用しちゃいけないのかもしれない」

「……」

「……けれども。おれは……おれはお前のことを裏切ったりなんてしない。絶対に。……だから」

 

おれのことは信じてほしい。そう続けようとしたおれのことを遮ったのは、鈴を転がすような笑い声だった。

先ほどまでの緊張した空気が一気に弛緩する。

 

「ふふふ……あっはっはっは!」

「……そんなに変なこと言ったか?」

 

訝しげな顔をしたおれの質問に対して、彼女はニヤニヤとした笑みを浮かべながら答えた。

 

「……だって、信用してなきゃ一緒に住むわけないじゃない」

「……そうか」

 

口をついて出てきたのはたったの三文字。その裏にどれだけの想いが渦巻いているのかはここでは言うまい。Ωにからかわれるに決まっているからな。

 

「ふふっ、にしてもあんたは心配性ね。安心しなさい、これからもあたし専属シェフとして働いてもらうから」

「そっちは本職じゃないんだけどなあ…」

 

ぼやきつつ席を立ち上がる。

……さて、飯を作るか。

なんだかあいつの言っていることがあながち間違いでないような気がして釈然としないまま、おれは食材を用意し始めた。

 

 

 

 

せっかくおれが頑張って用意したジェノベーゼパスタとバゲット、ついでにぶどうジュースはあっという間にΩの胃袋の中へと消えていった。

早食いと大食いにかけてこいつの右に出るやつはいないんじゃないかと思う今日この頃……などと考えているとジト目の彼女が視線を送ってくる。はいはい、余計なことは考えるのやめます。

 

遅れることしばらくしておれも食事を終えると、向こうは既に荷物をまとめ終わったようだった。

飯の恩を売って片付けを手伝いさせながら今後の動きについて話し合う。

 

「……で、逃げるって言っても当てはあるのかしら?」

「……一応聞いておくけど、軍事委員会に付くのは…」

「なし」

 

おれの言葉を遮って返事が返ってくる。まあ、そりゃそうだろうな。いろいろな話を聞く限り、テレシス陣営の評判はすこぶる悪い。

にもかかわらず人が集っているのは、やはりその力故だろう。皆勝ち馬に乗りたいのだ。

裏を返せば殿下はかなり危機的な状況ということになる。わざわざ負けたいやつはいないから人が集まらない。人が集まらなければますます旗色が悪くなる。悪循環だ。

となればおれたちの取る道はだいぶ絞られてくる。カズデルから出るか、独立傭兵となるか。

……いや、実質一択というべきか。カズデルから出たところでおれたちサルカズに生きる道はない。

 

「……ヘドリーのところに行く」

「……へえ。お知り合い?」

「ま、何度も弾をプレゼントしあった仲だ」

「ずいぶん仲良しじゃない。……どうすんのよ」

 

肘で小突いてくるΩ。まあ、何も手がないわけじゃない。物事は交渉次第でどうにかなることだってある。

……あっちのプランじゃどうしようもなかったけれど、こっちのプランでなら取れる手がある。

あまり使いたい手じゃないが、この際仕方あるまい。

 

「古い友人を頼る」

「友人?あんたに友達なんていたのね」

「うっさい。……行くぞ」

「……ええ」

 

仮の宿を引き払いって歩き始める。

しばらくすると背後で一際大きな爆音がした。

隣に目をやるとにっこりと笑顔の彼女。念入りな証拠隠滅に感心するような、呆れるような。

ともあれ、これで宿に残してきたおれたちも派手に消し飛んだだろう。しばらく時間は稼げるはずだ。

目的地はまだ遠い。それまで……二人旅と洒落込もうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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朋友遠訪─Where do the butterfly go?

「なあ、W。ちょっといいか?」

「?ああ」

 

……モロー?

お前、なんで……

 

……ああ、そうか。

 

──おれは今、夢を見てる。

夢を夢だとわかるとはおかしな話だが、これは間違いなく夢だ。

……なぜなら、これは過ぎ去った過去の話なのだから。

 

 

 

 

 

おれはモローと一緒に暗い路地を歩いていた。何やらのっぴきならない用がある。表情からそれを察したおれは、モローが話始めるのを待った。

 

沈黙が続く。両側に壁が迫ったロケーションも相まってか、どうにも重苦しい雰囲気だ。

それにしても一体どこに向かっているのだろう。モローが進むがままに任せ、おれはただついていく。

 

しばらく歩いたところで、ようやく足が止まった。

そこは行き止まりで、目の前には空を覆い隠すように伸びる壁ばかりが広がっている場所だった。

ここに至り、おれはようやく口を開く。

 

「なあ、モロー。ここに一体何が……」

 

おれの言葉は遮られた。

……有無を言わせず突き付けられた銃によって。

 

「……」

「……」

 

ここまで目的も聞かずモローについてきたわけだが、ようやくその目的とやらがわかった。

……どうやらこれはそういうことらしい。

 

「……モロー」

 

「……なあ、W。お前はとんだ間抜け野郎だよ」

 

近づいてきたモローが心臓に銃を押し当ててくる。

おれはその時初めてモローの顔を見た。

路地の暗がりでもわかる、ニヤッという笑み。それを見て、おれはすべてを理解した。

 

「じゃあな。これまで楽しかったぜ」

 

だから、おれは。

 

トン、と軽く地を蹴り後ろに跳躍する。

瞬間、アーツが起動して突き付けられた拳銃が発射された銃弾とモローの指ごとぐちゃぐちゃの鉄屑に成り下がった。

うめき声を上げるモロー。

地面に着地した反動でためを作ると、そのまま真っ直ぐに飛びかかる。

あいつのアーツであるシールドはデカくて硬いが、唯一の弱点は身体に密着しては展開できないことだ。

左手で脚のホルスターから拳銃を引き抜く。飛び掛かった勢いそのままに足を刈ると、マウントを取って額に銃を突きつけた。

いつもと変わらぬ鈍色の銃身がいやに冷たく感じられる。

 

「……モロー」

「……まいったな」

 

じっとその眼を見つめる。

いつものように、軽妙な笑みを浮かべるモローの眼を。

 

「……どこだ?」

 

銃を突きつけながら答えるように促す。

モローは苦笑しながら胸を指差して言った。

 

「ここだ。……外すなよ?しっかり狙え、急所をな」

「……」

 

そうして、おれは……

 

「ソフィーを……頼んだぞ」

 

引き金を引いた。

火薬の爆ぜる音。薬莢が落ちる乾いた音。寒々しい音が、いつまでも反響していた。

 

引き金を引く。

引き金を引く。

引き金を引く。

引き金を引く。

引き金を引く。

引き金を引く。

引き金を……

 

もう弾は出ない。マガジン一つ撃ち切った。

 

視線を下に向け、転がったモノに目をやる。

服に空いた穴から、じんわりと血が滲みだしていた。

 

胸の内ポケットからメモを取り出し、まだ生暖かいそれをずるずると引きずって路地を行く。しばらくすると、目当てのものが見えた。

ゴミ箱だ。

 

引きずってきたそれをゴミ箱へとぶち込む。これで終わり。

……これで、モローは死んだ。

 

……まだやることが残ってる。早くいかなきゃならない。だから……

 

「そこでゆっくり休んでくれ、相棒」

 

 

 

 

 

─目が覚める。

ゆっくりと身体を起こすと、ちょうど差し込んできた光が目にまぶしい。

まだ辺りは仄暗く、それでまさに今夜明けの真っ最中という事がわかった。

おれは隣で寝息を立てているΩを起こさないように立ち上がると、窓際の椅子に座って日の出を眺める。

 

傭兵モローはこうして死んだ。裏切りを企み、返り討ちにあってWに殺されたのだ。

あいつには色々と言われた。曲がりなりにも寝食を共にした仲だ、心の整理はそれなりに必要だった。

 

……この世界はクソだ。ろくでもない連中がろくでもない生き方をしているところだ。

そしてそれは、おれたちだって例外じゃない。

……結局はそういうことだ。

 

モローを処分した後、隊長からも色々と聞かれた。

裏切られそうになったから返り討ちにしました、と言ったところで、はいそうですかとなるはずもない。

逆の可能性だってあるわけだからな。

けれどもおれへの疑いもすぐに晴れた。モローの荷物から証拠となる書類が見つかったからだ。

それでみんなおしまい。裏切りを唆した組織もその日に壊滅させていたし、本当に終わったのだ。

 

あれからもうしばらく経つ。

今ではおれたちも傭兵団を抜け出し、明日も知れぬ身だ。

こんな状況では、頼れるものは頼るしかないだろう。

心の中でモローに謝罪し、椅子から立ち上がる。

 

太陽は既に地平線から飛び出していた。そろそろ今日も行動開始だ。

 

 

 

 

 

いつまでも寝ているΩを叩き起こし、飯を腹に詰め込むと、おれたちは再び歩き始めた。

傭兵団を抜けてから、ここまで随分と長い距離を歩いてきた。目的地まではあと一息といったところだ。

どこに行くのか、誰に会いに行くのか。彼女があーだこーだと聞いてきたが、質問は一斉受け付けていない。

どこで誰が聞いてるかわからない…というのは建前で、実際はちょっとしたいたずら心からだけど。

Ωも知っている人物だ、会ったら驚くに違いない。

 

「…で、どこに行くのかそろそろいい加減教えなさいよ」

「…この前も言ったろ?誰が聞いてるかわからないんだ、口に出さないほうがいい」

「誰もいないじゃない。あんたもわかってるでしょ?半径100m、人っ子一人いませーん!」

 

大袈裟なジェスチャーとともに言ってのけるΩ。まあ、確かにその通りだ。

…ここはぷっくり不満げに頬を膨らませる彼女に免じて、答え合わせと行きますか。

 

「…わかった。教えるよ」

 

……あとついでに膨らんだ頬を突っついた。Ωは怒った。

 

 

 

 

 

 

狭い路地に入り、下へ下へと潜っていく。

上へ上へと延びていく建物の間に張り巡らされた足場がいつしか道のようになり、異形の重層都市と化したこの街。その奥深くへと。

最下層にほど近いその家の前でおれは立ち止まった。

呼び鈴を1回鳴らして待ち、今度は2回鳴らす。

そのまましばらく待っていると、ドアの向こうから声が聞こえてきた。

 

「どちら様ですか?」

「ジョンとジェーンです。おいしいですよね、オリジムシ」

 

ガチャリとドアが開く。出てきたのは…ソフィーだ。

 

「久しぶりね、ソフィー」

「Ωさん…それにWさん…」

 

 

 

ソフィーは…モローの恋人だった人だ。

何時ぞやの毒ガス兵器イカレ野郎事件の時にトランクケースに詰められていた娘で、助けてくれたモローに惚れたらしい。

彼女と付き合っていた頃のあいつは、それは幸せそうな様子でこちらによく自慢してきたものだ。

飲みに行けばソフィーのどこが可愛いだ好きだなんだと延々と繰り返し、任務中ですらそれは変わらないという始末。

おれもΩも、そして隊長もげんなりしていたものだ。

女好きのあいつが店通いしなくなったのにも驚いた。付き合い始めたころは店にもよく行っていたのだが、ある時を境にぱったり行かなくなった。

二人の間で何かあったのだろう。あそこからモローは彼女に本気になった。

…よく将来のことも語ってくれた。このクソみたいな戦争が終わったら、彼女と二人で静かに暮らすのだと。

静かな、深い愛情を感じさせる笑みを浮かべながら、そんなことを言っていたのを思い出す。

 

 

そんな二人の幸せな日々は、唐突に終わりを告げた。

ソフィーは誘拐された。モローに対する人質として。

 

下手人はどこぞの傭兵団。おれたちに正面から当たっても勝てないと見るや、内側から崩そうとしたらしい。それでモローが標的になった。彼女というわかりやすい弱点を抱えていたからな。

組織に所属しているとはいえ、所詮は個人の寄り合い所帯。彼女と傭兵団、あいつがどちらを優先するかなど考えるまでもない。

 

そうしてモローは裏切り者になった。様々な情報を流出させ、挙句の果てにおれの暗殺を企て、そして死んだ。

 

こうなればもう人質に用はない。おれが駆け付けなければ、彼女も死んでいただろう。

…あいつに頼まれていたからな。自分に何かあったら彼女を頼む、と。

元相棒の最後の頼みで、おれは彼女の身元を引き受けた。

 

世話を焼いたのはΩだ。同性のほうが色々と都合がいいだろうし、おれのことを嫌っているのは明らかだったからな。

ちゃんと事情を話せば分かってくれたけど。

予想外だったのは、Ωのやつがソフィーといつの間にか仲良くなっていたことだ。

そう簡単に他人に心を許すような奴じゃないはずなんだけどなあ…ちょっと自信を無くした気分だ。

まあ、傭兵は基本的に男所帯だし、やはり同性というのは心持ちが違うのかもしれない。

あと、二人の仲が良くなるにつれてソフィーのおれを見る目が冷たくなっていったのは何でなんだろうか。何も変なことはしていないつもりなんだがな。

一度気になって彼女に尋ねてみたが、芳しい返事は貰えなかった。自分で考えろということらしい。

 

そんなこんなでしばらく三人での暮らしが続いた。

おれとΩも珍しく物騒なこととは無縁な生活を送ることができていたんじゃないかと思う。

…多分隊長が気を遣って仕事を回せないようにしてくれていたんだろうな。

過ごしていく中で、ソフィーはおれたち傭兵とは全く違う人種で、だからこそモローも惹かれたんだろうということがよーく分かった。

…彼女がここに居ていい人間じゃないということも。

結局、ソフィーは遠いところに住んでいるおれの友人に預けることになった。

 

 

 

 

彼女とはそれっきりで、もう会うこともないだろうと思っていたのだが…人生とはままならないものだ。

 

「お久しぶりです、ソフィーさん。こっちの暮らしは順調ですか?」

「ええ。おかげさまで…」

 

微笑みながらそう返してくる。あの頃はどこか陰っていたその柔和な笑みは、屈託のないものに変わっていた。

おれにはそれが、彼女が今どうであるかの何よりの答えのように思えた。

 

「…よかったです。本当に…」

 

「ちょっと、あたしのこと忘れないでくれないかしら?」

 

横からかけられた声にはっと振り向くと、そこには不満げな顔のΩ。

自分だけ話に置いて行かれたのが気に食わない様子だ。

…別に信用していないからとかいうわけではないが、あいつに言い忘れてた…もとい言ってないことがいくつかあるからな。問い詰められたら分が悪そうだ。

ということで、おれはさっさと退散することに決めた。

 

「ソフィーさん、彼は…」

「ああ、奥の工房に…積もる話もあるでしょうし、ゆっくりしていってください」

「ありがとうございます。では…」

 

ちらりとΩに目をやる。迫力溢れる視線がこちらに向いていた。

 

ちゃんと全部説明しなさい

 

…なるほど、目は口程に物を言うとは本当のことらしい。

 

「…後は、お願いします!」

 

ソフィーにあいつのことを任せて、足早にその場を立ち去る。

後ろから「待ちなさい!」だとか「まあまあ…」などと色々聞こえてくるが、努めて気にしないようにした。

…多分、工房から帰ってくる頃には二人とも敵に回ってるんだろうな…

 

 

 

 

 

 

 

彼の待っているという工房というのは、かなり奥まったところにあるらしい。

暖色系の照明に照らされた廊下を歩いていく。途中、空いたドアから見えた景色からは二人の慎ましくも幸せな生活の様子が伝わってきた。

思わず笑みを浮かべそうになったが、それと同時にその生活を脅かしかねない自分の行動に対しての罪悪感が湧き上がってくる。

 

…罪悪感。一昔前のおれからすれば一生使うことはないであろう言葉だ。

こんなことを考えるようになったのは一体いつからだろうか。

…そんなの決まってる。あの時からだ。

 

だからこそ、おれはここに来た。罪悪感を押し殺して、自分の一番大切なものを失わないために。

 

廊下の突き当たりのドアを開き、現れた階段を下っていく。剝き出しの岩が先ほどの廊下と違って寒々しい。まるで、ここが日常の空間とは違うと言外に語っているようだ。

そんなことを考えながらぐるぐると螺旋を描いて下っていくと、やがて目的地に到着した。

 

「よう。久しぶりだな」

 

椅子に座って何やら機械を弄っている男に声をかける。

彼はハッとしたように手を止めると、視線をあげてこちらに振り返った。

 

「おう。しばらくぶりだな」

 

ニヤリと笑うひげ面の男。こいつがおれの知り合いことウェルズ博士だ。

博士という名前の由来はこの部屋を見れば一目瞭然だろう。

工房の中、いたるところに用途の分からない謎の機械や種々の部品が乱雑に散らばっている。

今のこいつをざっくり言い表すのならば、発明家だとかそういう類の奴と言えるだろう。

 

「…にしても、随分散らかしてるな。前より酷いんじゃないか?」

「はは、そうかもな。…今はこれくらいしかやる事がないからなあ」

「…確かにな」

 

返事をしながら壁際の箱に入っていた物体を手に取る。

手のひらサイズで、一見ただのボールにも見えるこの代物。ただ、目を凝らすと何やら沈み込んで押せそうな部分がある。これは爆発しそうな気配が満載だ。

 

「おいおい、これ大丈夫か?」

「お、それか。お目が高いな、自信作だ。EMPグレネード」

「そういう事じゃなくてだな…マーケットに流したりしてないよな?」

「そこは安心してくれ。今はもうそっち系からは手を引いた」

「頼むぞホントに…おれも結構苦労したんだからな」

 

こいつは本当に…何だか罪悪感だなんだとうだうだ考えてたのが馬鹿らしくなってくる。

…まあ、そのくらいの心持じゃないとやっていけないのかもしれないけれども。

 

「はは、分かった分かった」

「…ったく」

 

おれの言葉を最後に、挨拶がてらの会話がプツンと途切れる。

しばらく続く沈黙。…お互い、努めて明るく振舞っていたが、さすがに乾いた感触は隠し切れない、か。

やがて、ウェルズの低く、腹の底に響くような声が沈黙を破った。

 

「…で、W。お前、何しに来た?」

「…ギブアンドテイクだ。今度はお前がおれを助けろ」

「…話を聞かせろ」

 

 

 

おれはここ数か月の出来事を話した。

激化していく戦争。ますます舞い込んでくる仕事。偽の依頼、そして隊長の裏切り。

すべてを聞き終わったウェルズは、腕を深く組んで考え込んでいた。

 

「…隊長の裏切り、か…」

「…信じられないか?」

「…お前がそうやって、さも見てきたかのように言うってことは本当なんだろうな」

 

お前のそれは昔からよく当たる、そう呟きながら再び考え込む。

 

「だけど、理由はなんだ?隊長がそんなことをする理由はあるのか?」

「理由か…」

 

改めてあの時の隊長のことを思い出す。

どこか悲しげな、けれども強い決意を秘めたあの目。

 

…おれたちの傭兵団は、どこの陣営にも属していない割にはあまりにも巨大すぎる。

足元で這い回る蟻を気にする奴はそういない。けれども、目の前を飛び回るスズメバチがいたらどうだろうか。

…無視することなどできないだろう。刺す気があろうとなかろうと、その存在そのものが危険視される。

二大勢力の間で巨大戦力が中立を保つとはそういうことだ。

 

二大勢力。おれの、そして団長の誤算はまさにこの点にある。

正直、おれはここまで各勢力がまとまりを見せるとは考えてもいなかった。

ある程度まとまったと思えば、内ゲバからの空中分解を起こして再び散らばる。

カズデルでの戦争とは、そういうものだと思い込んでしまっていた。

戦局が急速に二極化した時点で、団長の築き上げたものが崩壊するのは必然だったのだろう。

 

そして、聡明な隊長もこの考えに至ったはずだ。傭兵団の討伐、という破滅に。

…隊長はとても気の利く人だった。ソフィーを預かっていた時期に仕事を寄こさなかったこと。BC兵器を持った連中に関わろうとしたおれたちを陰ながら援護してくれたこと。

おれたち隊員のことをよく見てくれていた証拠だ。

…あいつの存在が、おれの中で大きなものとなった今だからこそ分かる。

隊長は、おれたちのことを大切にしてくれていたんだ。

 

「……隊長は思えば、親みたいな人だったんだと思う。団長は……なんか偉い人って感じだろ?でも、隊長は違う。近くに居て、上から見守ってくれるような」

「……確かにな。俺たちがやらかしたときにゃ、いつの間にか尻拭いしてくれてたっけ」

「……だから、隊長は守りたかったんだと思う。自分の大切な部下……家族を」

 

自由気まま、好き勝手し放題な連中の寄り合い所帯。そんな歪な集まりだったのに、なぜおれたちはそこに留まり続けていたのだろうか。

自由にやって、そして帰ってくる。そういう場所が欲しかったからなのだろうか。

 

「……お前とΩを切り捨てても、か」

「たぶん、Ωがメインでおれはオマケだろうけどな」

 

彼女はここ最近で急激に名が売れ出した存在だ。容姿と爆弾で派手に消し飛ばすこととが相まってのことなのだろう。そのΩの首を土産にすれば出遅れを挽回できたかもしれない。

そして、そうやっておれが誘われたところで首を縦に振るはずがないという事を、隊長は知っていたのだろう。

 

「……ま、話はわかった。それでお前らはこれからどうするつもりなんだ?俺みたく地下に潜るか?」

「……お前は変なもの作ってればいいだろうけど、おれたちはこれ以外能がないからな」

 

そう言って腰に差した刀を示す。ウェルズは大げさに肩を竦めて首を振った。

 

「……じゃあ、俺に頼みっていうのは」

「……そうだ。ヘドリーと連絡を取ってくれ」

 

酒の席か何かでぽろっと零したのを聞いたことがある。なんでも、こいつは昔ヘドリーの所で活動していたらしい。それも同じ隊で。

……おれはヘドリーとは鉛玉のやり取りしかしたことがないが、こいつは違う。直接話したことなどいくらでもあるはずだし、何らかの繋がりは今でもあるのではと勘ぐっていた。

 

「いや、ヘドリーの所に居たのはもうずいぶん前のことだぜ?連絡手段も何も……」

「前ヘドリーとかち合った時なんか貰ってただろ?おれは見てたからな」

 

いつぞやの仕事の時のことだ。依頼主が敢えて言っていなかったのか知らなかったのかはわからないが、ヘドリーとやり合ったことがあった。ウェルズは奴と同じ戦場に立つ仕事には出ないようにしていたので、二人が顔を合わせたのは初めてのことだった。

ヘドリーは彼を見て驚いたような顔をすると、二、三言言葉を交わして交戦を始めた。

そのときおれは他の2, 3人の相手をしていたので何を話していたかは聞き取れなかったが、退くときになってヘドリーが何かをウェルズに投げ渡していたのはしっかりと見ていたのだ。

 

あまり聞かれたくなさそうだったのでこれまでは特に問い詰めることはしなかったが、ここに及んでは最後の望みだ。

 

「なんだ、ばれてたのか」

「……おれの気のせいじゃなくて心底安心したよ」

 

そういうと彼は部屋に積まれたガラクタの山からゴソゴソと何かを取り出した。

 

「ほら、これだ」

 

それは特別製の通信機らしい。中継地点が至る所に設けてあり、なんとカズデルの中ならばどこでも連絡が取れる代物だそうだ。傭兵団でも馬鹿でかい機材を使ってやっと10kmに満たないと考えると驚異的な代物だ。もちろん、その分セキュリティも厳重でウェルズの生体認証が必要らしい。

そんな訳で、おれは彼が手に持った通信機に耳と口を当てているという何とも締まらない状態でヘドリーとの交渉に挑むことになったのだった。

 

 

 

 

『────ジ──ジジ──────エド?』

 

──繋がった。

 

『残念ながら違う。……ああ、心配するな。こいつもちゃんといるさ』

『……よう、ヘドリー』

『……お前は……………なるほど、死人が死人の通信機から連絡してきたわけか』

『へえ……おれたちも有名になったものだな』

 

今の発言からするに、どうやら今のところ偽装はうまくいっているらしい。

あいつが念入りに爆破した甲斐があったというものだ。

……さて。ここからが本題だ。正念場とも言っていい。ここからの会話でおれたちの今後が大きく変わると言っても過言ではないのだ。

 

『……ヘドリー。単刀直入に言おう』

『…………』

『おれたち──おれとΩをお前のところに入れさせてほしい』

『……俺にその権限があるとでも思っているのか?』

『……副隊長のお前が話を通してくれるだけでもいい』

『…………』

 

沈黙が続く。

……分かっていたことだけれど、そう簡単に受け入れてくれるはずもない。

おれはあまりにも長くあの場所に居過ぎた。あの傭兵団に深く根差していた。

そんな奴が死体の偽造までして抜け出してきたとなれば……何かしらの特大の爆弾を抱えていることは誰でも容易に想像できるだろう。

 

それでも。

 

『……頼む、ヘドリー。おれたちは……傭兵なんだ』

『…………』

 

この戦うことでしか生きていけないおれたちが生き残るためには、これが必要なんだ。

 

『……断る』

『っ……』

『……と言える状況なら良かったんだがな』

 

…………それは、つまり?

 

『……今は俺が総指揮官だ。しかも手負いでな。……今はお前たちのような戦力を手に入れる機会を見逃す余裕はない』

『じゃあ』

『ああ。お前たちには俺の部隊に帰属してもらう。──W、そしてΩ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ウェルズの家を辞し、Ωと二人並んで歩く。

先ほどからずっと、隣からは怒気をはらんだ視線が注がれていた。

 

「あんたねえ、何でずっと隠してたのよ」

「いや、敵を騙すにはまず味方からって言うじゃん?」

「知らないわよ、そんな言葉!……まったく」

 

彼女は大きなため息を一つ吐くと、ぽつりと漏らした。

 

「……道理でソフィーが元気なわけね」

「……そうだな。……幸せそうだった」

 

自分にとって一番大切な人と同じ時を過ごすことができる。これを幸せと言わずして何というのだろうか。あの二人は、ようやく……愛する人と一緒になれたのだ。

 

おれは……どうなのだろう。

そんなことを考えていると、自然と目線が横を向く。向いた先には、まるで待ち構えていたかのように琥珀色の瞳があった。二人の視線が絡み合う。

 

こいつは……おれのことをどう思っているのだろうか。

 

おれは、どうにもそれを確かめる勇気がでない。

……今だってこうして大切な人と一緒に居られている。それで十分だ。

そう言い聞かせて前を向く。

 

 

 

 

ヘドリーたちとの合流地点。目指す場所はそこだ。

道行くおれたちの間に会話はなく、ただ沈黙が横たわる。

けれども、それは決して冷たいものではなく。どこか温かいような、そんな気がした。

 

 

 

 

 

 

 



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二者択一─And the narratives converge

『あー、こちらウィリアム。そっちは準備できたか?』

『ええ、準備できたわよ。……ヘドリーの首を狙う馬鹿ってのも結構いるのね』

『そういうことらしいな。……俺はイネスに連絡する。あとは任せたぞ、ウィル、ザラ』

『うっかり爆弾使って隊長殿まで吹き飛ばすなよ、ザラ』

『うっさいわね。流石にもうそんなヘマはしないわよ。あんたもせいぜい囮役をしっかりすることね、ウィリー』

 

いつものように軽口を飛ばし合うと、おれは物陰に隠れている奴を手にしたボウガンでぶち抜いた。

まさかこちらが気付いていないとでも思っていたのだろうか、驚愕といった表情をした死体が地面に倒れこみ────それが合図だったかのように敵が一斉に襲い掛かってきた。

 

「死ねヘドリー!」

「金貨10枚の首を寄こしやがれ!」

「5枚の新入りもいるぞ!」

 

わーわーと人の首の値段を言いながら突っ込んでくる手合いたち。人数で圧倒的に上回っているからか、皆一様に興奮した口ぶりだ。余計なことを口走っていないでさっさと殺りにくればいいものを、頭数を揃えたところで質はお粗末なものだ。首謀者の考えの浅さが透けて見える。隻眼になったとはいえ、相手はあのヘドリー。それに加えてウィリアムとザラ──もといWとΩもいるというのに。

 

おれは迫りくる銃弾と矢をアーツで食い殺すと、腰の刀を抜き放った。抜刀の勢いで手斧を片手に迫ってきた敵の頭を斜めに切り落とす。スイカでもスライスするかのように地面に赤い中身をまき散らすそれを捨て置き、おれは前に突き進んだ。一振り、二振り。振り下ろすたびに血しぶきが舞い、誰かの倒れる音がする。これまでは奥の手として持っていたのだが、刀というのもなかなかにいい得物だ。弾薬の心配をしなくていいし、狙いも大雑把でいい。これは、もしかすると近接高速戦闘ではアーツより使い勝手がいいかもしれない。最近はこの戦い方もそれなりに板についてきたものだ。

 

ふとヘドリーのほうへ目をやると、通信機片手の彼に飛びかかる二人が額に穴を空け、銃声と共に倒れこむところだった。どうやらΩの狙撃も絶好調のようだ。元々得意だった隠蔽と相まって、身を隠したあいつはなかなか見つけられない。おれも目に見える範囲の飛び道具はアーツをピンポイントで展開して消しているが、背後から飛んでこないのは潜んでいた連中を彼女が全員片づけたからだろう。

 

おれは目線を元に戻した。すぐそばに迫った首を落とし、ボウガンで腹に穴を穿つ。生暖かい返り血を浴びながら繰り返される単調な殺し。アーツに頼らない戦いを体に染み込ませるにはちょうどいい相手だ。

何せ、今のおれはWではなくウィリアムなのだ。派手にアーツを使って肉塊を生成すると正体がばれてしまうかもしれない……といっても、もうあの傭兵団は壊滅状態なのだが。

 

結局、隊長の行動は正しかったという事だ。中立の立場にしてはあまりにも大きすぎたかの傭兵団は、軍事委員会の軍隊によって一夜にして壊滅させられた。つい最近のことだ。団長はどこかへ逃げ延びたようだが、もう組織として終わりなのは明らかだろう。バラバラに離散した生き残りの傭兵たちとおれたちに、テレシスはもはや何の脅威も感じていないようだった。

 

これまではおれもΩも組織の力を恐れて正体を隠して振舞っていたが、これを機にそろそろ偽装は終わりにしてもいいかもしれない。白地に赤く染め上げられた髪をいじりながら、そんなことを考える。もう敵は数えるほどしか残っていなかった。やはりどれだけの数を揃えたとしても所詮は烏合の衆らしい。

 

「はあ……これでヘドリーの首を取りに来たって、笑えない冗談ね」

 

もう身を隠す必要もないと判断したのか、あいつがやれやれと首を振りながらこちらへ歩いてきた。

血まみれのおれとは違い、艶やかな黒髪には一滴の血も付いていない。

──黒髪、というのは正体を隠すための方策だ。おれは名前だけはそれなりに知られているが、容姿については大して知られていなかった。特にこれといった特徴もないし、あまり前線に出るタイプでもないからだ。しかし、Ωのほうは容姿まで有名だ。真っ白い髪で戦場をかける女となれば目立たないわけがない。そこでおれは髪を黒染めすることを提案したのだ。

……改めて彼女を見る。髪色が違うだけでだいぶ違った印象を受けるものだが、黒い髪は彼女によく似あっていた。白い肌と琥珀色の瞳と相まって、客観的に評価しても整った容姿と言えるだろう。

 

「……?どうかしたの?」

「……いや、血の一滴も付いてないんだなーと」

「……ぷぷ、あんたよく見たら血まみれじゃない。白い髪のおかげで赤い斑点がよく映えてるわよ」

「そりゃ昔のどっかの誰かさんみたいだな」

 

ちなみに何故かおれも髪色を変えさせられた。曰く、「あたしが変えるならあんたも変えなさいよ」とのことだ。つまり今はお互いの髪色を交換していることになる。なんでこんな目立つ色にしなきゃいけないんだと思ったが、劇的な変化のおかげでおれをWと思う人はそういないのは間違いない。……口に出すとしたり顔をされそうで悔しいから言わないけど。

 

「はいはい。……で、残りの奴らはどうするのかしら」

「撤退するっぽいな。下手人も捕まったみたいだし」

 

死体を引きずってきたヘドリーを顎で指す。どうやらおれたちがこの惨状を作り出している間に用事を済ませてきたようだ。それを見て、辛うじて生き残っていた敵も終わりを悟って撤退していく。これで今日のお仕事は終わりというところか。

何やら死体をガサゴソと漁っているヘドリーの元へ二人で歩いていく。

 

「そういえば、今日はあんたが食事当番よね?」

「ああ。まあ、適当にシチューでも作るつもりだぞ」

「シチュー……いいじゃない、今晩が楽しみね」

 

何気ない口ぶりとは裏腹に、キラキラと目を輝かせる彼女。そんなに楽しみならもっと楽しそうに言ってもいいと思うのだが。

とはいえ、そうやって楽しみにしてもらえるのは料理人として嬉しい限りだ。食材は豊富とは言えないが、腕によりをかけておいしいシチューを作るとしよう。

おれがそんなことを考えていると、彼女がヘドリーに声を掛けた。

 

「片付いたわよ、ヘドリー。……市場調査でもしてるの?」

「ああ。何やら気になることを言っていた奴がいたからな」

「……あ、おれが5枚とかいうやつか」

 

そういえばさっきの連中の中に、金貨5枚もいるだとか言っていた奴がいた気がする。ウィリアムとザラもそろそろ市場価値が付き始めたのだろうか?

 

「で、おれたちのことはなんて書いてあるんだ?」

「……ウィル。白い奴。かなり面倒だ、5枚」

「まだ2,3か月なのに結構いってるよな」

「……ザラ。狙撃手。5枚。近づいても面倒、7枚……何をしたんだ?」

「思い切り蹴飛ばしてやっただけよ?」

 

いつぞやのモローを一撃で倒した蹴りが脳裏に浮かぶ。……確かにあれはゾッとするな。

 

「……深く追及はしないでおこう。何にせよ、お前たちにも箔が付いてきたようだ」

「みたいだな。そろそろ戻ってもいい気はするけど」

「そうね。あたしもそろそろ派手に吹き飛ばしたくなってきたわ」

「それもトランスポーターの情報次第だ。そろそろ帰るぞ」

 

そう言ってヘドリーは立ち上がって歩き出す。

今、おれたちはカズデル辺境にいるので満足な情報が得られていない。情報がないことには動きようがなので、中央へ送ったトランスポーターの到着を待っているところだ。

テレシスの動向、そして殿下の動向。今は両者ともに大きな動きを見せてはいないが、それがどこか不気味に感じられてならない。

──不意に肌を冷たい感触が襲う。

 

「……雨ね」

 

生き物のいない戦いの跡の静けさに、ぽつりぽつりと雨が降り注ぐ音が響き渡る。

おれたちは先を急いだ。

……何か、いやな予感を感じながら。

 

 

 

 

 

 

 

今日は色々なことがあった。戦ったのもそうだが……その後のほうが重かったかもしれない。

とにかく、おれたちの今後を左右しそうな出来事が立て続けに起こったわけだ。

……ここ最近、何だか悩むことが多くなった気がする。昔はもっと何も考えずに生きていた──食って、寝て、殺して、奪って。その繰り返し。……思い返してみると、何とも血の通っていない生き方だ。

悩むほうがよほど人間らしい。今のおれはそう思うことが出来る。

さて、悩むのは結構なことだとして。脳みそは一つしかない以上、同時に複数の悩みを解決するのは不可能だ。となれば、喫緊の課題から解決していくべきだろう。

 

すなわち、ホワイトシチューorブラウンシチュー問題である。

 

……シチューはいい。食材の栄養を余すことなく摂取することが出来るし、パンにも米にも合う。アツアツのを口にすれば身体の芯から温まること間違いなしだ。悩みごとのある時はあったまってリラックスするに限る。そうすればきっといい考えだって浮かんでくるだろう。

今日のメニューはシチュー。これは決定事項だ。逆に言えば、それしか決まっていない。

 

使える食材を確認する。

野菜や肉など共通の材料は置いておくとして……ミルクはある。生クリームとバターも前に作った残りがまだ残っている。後者については、今から作るとなると少々面倒だったのでうれしいところだ。

これだけならホワイト一択なのだが、折よくラテラーノからの御一行から荷物を頂戴したところだ。

上物のワインに缶詰めにされたトマト、ハーブの類もバッチリ揃っている。

つまり食材的にはどちらも作れるという事だ。これは困った……

 

「なに頭抱えてんのよ」

「お……ああ、ザラか」

 

うっかりΩと呼んでしまうところだった。料理を作っているときにはつい意識がそっちに行ってしまう。

彼女がやってきたのはおそらく肉のいい匂いがしたからだろう。どちらを選ぶにしても共通しているので玉ねぎ、にんじん、じゃがいもなどの野菜と肉を一緒に炒めていたのだ。

せっかく来てくれたので、試しにどっちがいいか聞いてみるか。

 

「なあ、どっちがいいと思う?」

「……ああ、シチューの話ね。うーん……どっちも、ってアリかしら?」

「その手があったか……いや、時間かかるしめんどくさいから却下」

「ふん、ケチね」

「黙らっしゃい。……お前も自分で料理しろよ、そしたらわかるから」

 

こいつに聞いたおれが馬鹿だった。

この食べ専腹ペコ女に聞いたところで「爆破するわよ?」「すみません!」どっちかなんて決まるわけがない。

結局、おれとΩでじゃんけんしてこっちが勝ったらブラウン、あいつが勝ったらホワイトにするということになった。いつまでも悩んでいられないことはコイントスかじゃんけんで決めるのが一番だな。

 

 

いったん炒め終わって火から上げた野菜と肉を鍋に戻し、赤ワインとハーブを入れて煮込む。

じゃんけんはおれが勝ったので、今日はブラウンシチューだ。

浸るくらいのワインが煮えるまでぐつぐつとやったら浮いてきたアクをとり、トマトとコンソメ、それに塩コショウを少々入れる。鍋はこのまま煮込み続ければいいのだが、手が空くかというとそれは否だ。

もう一つの鍋を取り出したらたっぷりとバターを入れて溶かしていく。あたりにふわりとバターのいい匂いが漂って、席で待っているΩも心なしかそわそわしているようだ。

溶け切ったところで小麦粉をバターに加え、弱火でじっくりと炒める。これに関しては焦げ付きやすいので、常に混ぜ続けることが大事だ。30分ほどたてばだんだん色が茶色くなってくる。これ飴色玉ねぎとかそういう類のアレなのだろうか。メイなんちゃら反応が云々と遥か昔に聞いたような気がするがあまり覚えていない。まあともかく、これでブラウンルーの完成だ。

先ほどからずっと煮込んでいたほうの鍋を開ける。野菜はばっちり火が通って芯もなく、肉も柔らかホロホロだ。出来ればもう少し煮込みたいのだが、机の方からの催促する視線が怖いのでそろそろ仕上げにかかる。

煮込みの鍋に作ったブラウンルーを加え、良く伸ばしてさらに煮込んでいく。そうしていくとだんだんとろみがついていき、ルーが馴染みきったら塩コショウで味を調え完成だ。

 

いつもの金属製の器にシチューをよそう。料理は見た目も大事なので、本来ならば真っ白いつばの付いた深皿か、あるいは木の器なんかがいいのだが仕方あるまい。傭兵の飯などは基本食えればいいくらいにしかこだわりがないのだ。

加えて一緒に食べる用のパンも平皿に盛って机に運べば食事の準備はもう万全と言っていいいだろう。

 

「…………!!!」

 

運ばれてきたシチューを見た瞬間、もう顔中の筋肉という筋肉がゆるゆるになっているΩさん。

いつもクールな表情の彼女だが、頑張って取り繕ってももはや笑顔を隠せないでいる。

 

「さ、早く食べましょう」

「ああ、先に食べてていいぞ。おれはヘドリーたちにも運んでいくから」

 

おれはそう告げると二人分の食事を用意し、ヘドリーのテントへ向かう。その道すがら、他の連中にも飯が出来たと伝えておいた。おれの飯は結構人気があるようで、声をかけると皆飛ぶようにして炊事場へ向かっていく。

 

「おい、飯持ってきたぞ」

「……ウィルか。そこに置いておいてくれ」

「…………」

 

テントの中には予想通りヘドリーとイネスの二人がいた。まだ何か話し合っているらしい。

……おれはヘドリーの部隊なので、正直イネスのことはよくわからない。

ただ、こちらを蔑むように、憐れむように、ほんの少し羨ましいように見つめてくる彼女が、おれは少し苦手だった。聞くと、Ωも同じような理由で苦手らしい。もっとも、この二人はどうやっても気が合わないような気がするけど。

どういうわけでそんな風に見られているのかわからないが、まだ受け入れてもらえていないということなのだろうか。そんなことを考えながら指し示された机にシチューを置く。

 

「……?それは何かしら?」

「……あ、ああ。ブラウンシチューだ。食べたことないのか?」

「……ええ」

 

……びっくりした…………。

そのイネスから何か突然話しかけられた。どうやら彼女はこれを知らないらしい。

悲しいかな、傭兵の食生活。ブラウンシチューを知らないという事は恐らくその他の色々な料理のことも知らないのだろう。

 

「口に合うかはわからないが、結構な自信作だからまあ食ってみてくれ」

 

おれがそう言うと、恐る恐るといった感じでイネスはシチューを口に運んだ。

瞳が閉じられ、口がゆっくりと動いて咀嚼していく。妙な緊張感を感じながら、おれはその様子を見守った。しばしの沈黙の後、目がカッと見開かれる。

 

「ウィリアム」

「は、はい」

「これはあなたが作ったのかしら?」

「はい、そうです」

「そう……」

 

ゴクリ、と唾を飲み込む。一体おれはなんの尋問を受けているのだろうか。これから何が言い渡されるのだろうか。

 

「とても美味しいわ。あなたは優秀な料理人なのね」

「……あ、どうも」

「これからも期待しているわ」

「あ、はい」

 

イネスからの言葉を聞き終わると、おれは逃げるようにしてヘドリーのテントを出た。

一つ、言いたいことがある。イネスもΩも、何か勘違いしていないだろうか。

 

おれ、傭兵なんだけど。

 

 

 

 

 

 

「あれ、まだ食べてなかったのか」

「あんたのこと待ってたのよ、感謝しなさい」

「そっか、ありがとう」

「……ええ」

 

元の机に戻ってくると、驚いたことにΩはまだシチューを食べていなかった。あの腹ペコ具合ならすぐに食いつくと思ったのだが、何だかんだで待ってくれるあたり律儀なものだ。

 

「よし、じゃあいただきます」

 

そう言っておれが手を合わせて食べ始めるや否や、彼女はものすごい勢いでシチューを掻き込んだ。

スプーンを口に運ぶたびに笑顔になる姿を見て、おれも思わず笑みがこぼれる。やっぱり美味しそうに食べてくれる姿を見るというのはいいものだ。

味もいい。赤ワイン由来のビターさとトマトの酸味がうまい具合に調和して深いコクを生み出している。良く煮込まれた人参とじゃがいもはトロトロで、口に入れると溶けるようにして消えていく。初っ端からワインで煮込んでしまったのでじゃがいもの色味が若干悪いのは反省点だが、味はばっちりだ。

そして何と言っても主役の肉。臭みもなく、柔らかで脂のあまみとうまみがじんわりと全体に感じられる。パサつかずにジューシーさを保っているのでおれはもう大満足だ。

そうしておれが味わっているうちに、みるみるうちにΩの皿からはシチューが無くなっていき、最後に皿についていた分まで綺麗にパンで拭き取って食べてしまった。見事な完食だ。

 

「どうだ?」

「最高よ、シェフ。……おかわりいいかしら?」

「そういうと思って別にとっておいたぞ。ほら」

「やるじゃない……!」

 

……さて、Ωが二回戦に突入している間に、おれはお茶でも入れますか。

 

 

 

 

 

 

 

「……で、どう思う?」

 

作り置きのマフィンと龍門から流れてきた紅茶が机に並ぶ中、おれは彼女に尋ねた。今日あった出来事についてだ。

 

……まず、仲介人が死んでいた。今後の方針は後々考えるとして、当面の仕事について紹介してもらう予定だったのだが……まさか死体と会うことになるとは。ヘドリーは多方面に顔が利くわけではない。彼の本質は傭兵であって、そういった政治的なやり取りは不得手だ。だからこそ旧知の仲介人を通じてこれまで仕事を得てきたわけだ。ある程度信用できるし、何よりこれまで長いこと培ってきた利害関係から、ろくでもない仕事を持って来てみすみすヘドリーを殺すこともそうないと思っていた。

だが、彼は死んだ。死んでしまった。それはおれたちが仕事を得る手段がもっと少なくなるということを示す。ただでさえ傭兵がほとんどいなくなってきたというのに、その上仕事まで奪おうとしてくるとは。どこの誰だか知らないが、なかなかスマートな方法をお取りになるものだ。

 

そして出来事その2。どちらかというとこっちが本命だろう。

おれたちが拠点まで戻ってくると、既にトランスポーターは到着していたようだった。

彼はヘドリーに話があると言って隊長殿を引き連れてテントに入っていく。おれは血まみれだったということもあり、さっさと血を落としたかったので水場に向かった。何の話かは気になったが、今後の方針に関係することだろうし、どうせ後で話すだろうと思っていたのだ。

問題はそのヘドリーの話の内容だった。トランスポーターは情報と一緒に余計なものも持ってきたらしい。レム・ビリトンからやってくる輸送部隊の護衛任務、それが彼が持って帰ってきた……仕事だ。

 

まず大前提として、護衛任務というのは難しいし危険な任務だ。襲撃者はいつでも好きなタイミングで好きな場所で仕掛けることが出来るが、守るほうは四六時中警戒をしていなければならない。それに対象を守らなければならないというのも面倒だ。大概の護衛対象は戦闘能力を持たず、攻撃に対して脆弱だ。はっきり言って足枷にしかならない。

あとは向き不向きの問題もある。おれのアーツは守りにも使えるが、Ωのような爆弾、グレネードなどは護衛対象まで消し飛ばす危険があるのであまり適切とは言えないところがある。おれだって懐に潜り込まれて混戦になったらアーツは使いにくいだろう。

通常であれば、おれはこの仕事を降りる。あまり考える余地もないだろう。報酬の程度にもよるが、大抵労力に釣り合わないし、何より命あっての物種だからだ。

 

だが、今回は何故かヘドリーが乗り気なのだ。周りの連中に聞いても、ほとんどの奴らは降りると言っているのだが、おれはそこが気がかりだった。

 

「そうね……」

 

こうして二人で座っているのはそのことで話し合いたかったからだ。まだこちらに来てから日も浅いので、おれがヘドリーのことを理解できていないだけかもしれないが、傭兵として違和感がある。彼女の意見も聞いてみたかった。

 

「あたしもちょっと変だとは思うわ。こんな仕事、やりたがる奴なんてそういないでしょ?」

「ああ。おれも普段だったら受けないな」

「……だったら、ヘドリーは何かあたしたちに言ってないことがある」

「……まあ、そうなるわな」

 

恐らくヘドリーはリスクをとってもこの仕事をするべき理由を何か掴んでいるのだろう。イネスと二人で話していたのもそのことできっと間違いない。

 

「で?あんたは何を聞いてきたのよ。そのためにわざわざ食事を運びに行ったんでしょ?」

「……タイミングが悪かった。大したことは聞けてない」

 

おれがテントに近づいて話を聞こうとした時、イネスが反芻するように呟いていた言葉がある。

そこで会話が途切れてしまったのでそれ以上は何も聞けなかった。

……それは組織の名前だった。おれも詳しくは知らない。それどころか、実在するものとも思っていなかった。昔モローといった酒場で聞いた与太話の一つ。曰く、神をも冒涜する研究をしている組織。

 

「……バベル。聞き取れたのはそれだけだ」

 

 

 

 

 

 

 

 



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作戦開始─The road to the Ark

「ウィルは行くのか」

「ああ」

「てめえがくたばるのは勝手だが……これから飯が寂しくなるなあ」

「はっ、そりゃうれしいな。舌が肥えた分、苦しさもひとしおだろ」

「このクソ野郎が。……ウィル、簡単にはくたばんなよ。また戦場で会おうぜ」

「おう。そんときゃ敵でも味方でも、とびっきりのおもてなしをしてやるさ」

 

……先ほどから何度もこのような会話を繰り返している。

やはり、今回の仕事を受けた奴はそう多くはない。この拠点には未だ多くの傭兵たちが残っているのに対して、出ていこうとしているのは限られた少数だ。おれたちはその少数派に属していた。

 

イネスの口から出てきた”バベル”という言葉。正直言って眉唾物だし、そのようなよくわからないものを当てにして命を賭けるのはまっぴらごめんだ。

今回おれとΩがこの仕事を受けることを決めたのはそんな謎の組織のためではなく、もっと現実的な要請からだ。今回の輸送部隊はレム・ビリトンからくるとヘドリーは言っていた。しかもかなりの規模でだ。となればカズデル外と関わりを持つ、相当にでかい組織がバックについていると言っていいだろう。それがバベルとやらなのかどうかは知らないが、これはチャンスだ。仲介人が殺されたことを考えると、これから仕事はますます得にくくなってくるだろう。このままここに留まっていても、じり貧に陥る可能性が高い。ならば、でかい顧客を捕まえられるかもしれない機会を逃す手はない。

ヘドリーも馬鹿ではない。何の勝算もなくこの仕事を引き受けるわけではないだろう。おれたちは、危険を冒す価値がこの仕事にはあると判断した。

 

さて、今おれがこうして別れの言葉を交わしているのも、そろそろ出発の時が近づいてきたからだ。

ヘドリーとイネスを隊長として再編されたおれたちの部隊は、順次拠点を出て合流地点へ向かう予定になっている。この拠点については居残り組が使い続けるそうなので撤収の必要はない。

おれはもう準備も終わっていつでも出れるのだが、まだΩがやってこない。荷物をまとめるのに手間取っているのだろうか?おかげでもうおれたち以外はほとんど出てしまっただろう。

まあ、集合ポイントも伝えられているのでそこまで急ぐこともない。気長に待つか。そう思ってコーヒーでも淹れようと立ち上がった、その時だった。

 

「敵襲だ!敵しゅ……」

 

誰が言ったのかはわからない。ただ、その声はがやがやと賑やかだった辺りにいやに響き渡り、静けさが場を支配する。直後、ここは怒号飛び交う戦場と化した。

 

「囲まれてるぞ!」

「クソっ、哨兵は何してたんだ!」

「薄いところを探せ!脱出するぞ!」

 

「おいおい……!」

 

 

敵は一体何者だ?なぜここが分かった?何が目的だ?なぜこのタイミングで仕掛けてきた?

疑問はいくらでも頭に浮かんでくるが、今すべきことは一つ。

生き残ること。それだけだ。

 

待機していた小隊のメンバーとともに戦場からの離脱を図る。おれは道を塞ごうとする敵を纏めてアーツでひき肉に変えると、ヘドリーに連絡を入れた。

 

『ウィルか。状況は既に聞いている』

『ならいい。そっちはどうだ?』

『……こちらに敵は来ていない。拠点が狙われたようだな』

『……なるほどな。で、計画に変更は?』

『いや、その必要はないだろう。ウィルには逃げ遅れた部隊の掩護を任せる。指定の地点で集合だ』

『……了解』

 

……さて。ヘドリーは黒か白か、気になるところではあるがそれも脱出すれば明らかになるだろう。与えられた指示通り、逃げ遅れた部隊との連絡を試みる。何も指示をしっかり聞くお利口さんというわけではなく、うまく囮に使える連中はいないかという事だ。この際使えるものは何でも使う。おそらくは向こうも同じことを考えているのでお互い様だろう。

いくつかの小隊とは連絡が取れなかったが、通信に応じた奴らと情報交換をした限り敵の包囲はまだ不完全らしい。特に南西方向は比較的薄いようだ。

とはいえ、ここですぐに南西へ向かうというのは早計だ。加えておれはΩもきちんと回収してから脱出しなければならない。通信にも出ないし、ほんとにどこにいるんだろうか。

 

 

 

拠点内は混戦状態に陥っている。どうやら敵は包囲を完成させる前に内部へと侵入してきたらしい。後詰めに包囲は任せているのか、かなりの数だ。

そんな戦場をΩを探して奔走しているうちに、だんだんと不安が募ってくる。あいつが滅多なことで死ぬはずもないが、現におれたちの中から何人かが流れ弾で脱落している。このぐちゃぐちゃに入り乱れた状況では何が起こるかわからないのだ。

……また突然に戻されやしないか、もしかするともう戻れないのではないか。そんなことを考えてしまう。おれは嫌な考えを吹き飛ばすように大きな声で叫んだ。

 

「Ω!!いるなら返事を……!?」

 

どすっ、という鈍い音が脇腹のあたりから響いてくる。反射的に得物を抜こうとしたが、そこでふと手が止まった。この感覚はよくおぼえがある。

……ゆっくりと首を左後方に回すと、そこには怪訝な目つきの彼女がいた。

 

「ちょっと、あんた大きな声で何言ってんのよ」

 

ひそひそと周りに聞かれないように小さな声で話しかけてくるΩ。その顔を見て、おれはようやく自分がかなり焦燥していたことに気づいた。ため息を一つ吐く。

 

「……すまん。お前がなかなか見つからないせいでおかしくなってたみたいだ」

「そうなの?……へえ………………」

 

後ろの方は何を言っているのかよく聞き取れなかったがまあいい。とにかく無事合流できたのだから。

目に付いた敵をボウガンでぶち抜いて道を舗装していく。何やら通信機に向かって話していたようだ。おれはまだ使えそうなそれを手に取ると、彼女に尋ねた。

 

「で、この混戦のなか何やってたんだ?」

「……ねえ、突然の来客とはいえ、おもてなしって必要だと思わない?」

 

そう言ってにやりと笑うΩ。なるほど、そういうことだったのか……と思いかけてからはたと気づく。それは敵がやってきてからの話だろう。そもそもおれたちが巻き込まれたのはなかなかこいつがやってこなかったせいなのだが、その時は何をしていたのだろうか?

 

「爆弾仕掛けてたのは分かったけど、その前は何してたんだ?連絡したのに出なかったし」

「……あー、別に何してたって訳じゃないわ」

「いや、絶対なんかしてただろ」

 

先ほどまでの楽しそうな口ぶりから一転、途端に口が重くなるΩさん。……非常にあやしい。

……それに、さっきまではしていなかったはずのバターの香りがするのはなぜなのだろうか?

硝煙の香りに鼻が慣れたおかげで辺りに漂っていた匂いに気付けるようになった……というわけではないだろう。おれは大きくため息をついた。

 

「あのなあ……別に何も隠れて食べる必要ないだろ」

「……あんたが悪いのよ。おいしいの作るせいでもっと食べたくなっちゃうじゃない」

 

つまり、こいつはおれたちが待っている間冷蔵庫に忍び込んでケーキを食っていたということだ。おれがこの前使わなかった生クリームとミルクが余っていると聞いて作ったものなのだが……もちろん、彼女はすでに昨日食べている。それも1ホール。常人なら6分の1も食べれば十分なところを、きちんとこの腹ペコガールに配慮して用意してのだが、こんなものでは満足できなかったらしい。まだ食べていない連中の分にまで手を出すとは。大方、連絡しても応答がなかったのは至福の時間を邪魔されたくないとかそんなことだろう。

 

「ケーキくらいいつでもいくらでも作ってやるから、これからは通信には出てくれよ」

「……今のって、要は一生あたしの専属料理人宣言よね?」

「……」

「……はいはい、すみませんでした。これからはちゃんと出るわよ」

「はあ……」

 

……少し話が妙なところに行ってしまった。

まあ詰まる所、Ωはおれたちより先に敵とやりあってたらしい。ヘドリーに連絡を入れていたのも彼女だ。奴らが本格的に侵入してきた後は爆弾をあちこちに─居残り組もこき使いながら─設置し、後はおれを見つけて合流したというわけだ。ちなみに、通信に出なかったのは途中で通信機がイカレたかららしい。流れ弾に当たったか何かが原因のようだ。連絡できなかったときはかなりやきもきしたものだが、そういう事ならば被害が機械で済んで良かったというところか。

 

「それで、あたしたちも南西に?」

「いや、北に向かう」

 

合流が出来たら後は脱出するのみだ。ヘドリーからは逃げ遅れた部隊の掩護を任されているが、正直この敵の数だと纏まって脱出を試みたところで袋叩きにされて全滅だろう。ばらばらになって各々別々の方向に逃げた方がまだいい。

 

「けど包囲されてるんでしょ?流石にあたしも骨が折れるわよ?」

「だからちょっとした小細工をする。こいつを使ってな」

 

指し示したのは敵の通信機だ。先程から使っている奴を探しては殺って奪ってきた。Ωと話している間、何も無闇に駆け回っていたわけではない。おれは通信機を小隊員に手渡すと、自分でも1つ手に取ってスイッチを入れた。

 

「こちら──南西に敵が──ヘド──」

 

そこまで言って通信機を地面に叩きつけ、踏みつけて破壊する。これで聞いてる方からすれば敵に襲われて通信機を破壊されたように聞こえるだろう。

 

「こんな感じで欺瞞情報を流す」

「……でも、結局包囲はされてるんでしょ?足止めくらってる間に敵が集まってきたらあんまり意味は無くない?」

「まあ兎に角やってくれ、大軍を相手にする時は混乱させるに限ると相場は決まってるんだ」

 

そう促すと、皆思い思いに無茶苦茶な情報を通信機に吹き込み始めた。これらをそのまま鵜呑みにするのならばヘドリーが南西と北から同時に救援に来ていて、脱出しようとする一団は南に集結し、拠点には周囲50kmを消し飛ばす爆弾が仕掛けられていてしかも身の丈程の大剣を振り回して辺りを飛び回る銀髪の化け物が居るらしい。

……後半のいくつかに至ってはもはや御伽噺の世界の話になっているような気もするが、まあいいだろう。とにかくあることないこと言うのが大事だ。それに、おれが最初に言った南西に敵という部分は本当のことだ。嘘をつくコツは真実も織り交ぜること。セオリーに忠実に、じわじわと敵の情報網に毒を垂らしていく。

 

……そろそろ頃合いだろうか。しばらく通信機を使って暴れ回った後、おれはあるものを取り出した。

 

「手榴弾……にしては見たことないわね」

「だろうな。こいつはウェルズ博士の特製品なんだ」

 

この前あいつの工房を訪れた時に貰ったEMPグレネード。周囲数百メートルの源石使用機器を吹き飛ばす優れものだ。ウェルズの奴は原理がどうとかと語っていたが正直よく分からなかった。ただ、こいつが物理的損傷を与えずに機器だけ吹っ飛ばすのは既に実証済みだ。

Ωの爆弾もこれで遠隔爆破は出来なくなるが、化学反応方式の時限装置が組み込んであるので然したる問題はない。そしておれたちの通信機についてはウェルズ謹製の防護ケースに入れておけば大丈夫だ。

 

「へえ……そんな爆弾もあるのね」

「マーケットには流してないらしいから現物限りだけどな。もうこれで最後だし」

「あら、残念。あたしも使いたかったのに」

「正直こんなものが大量に出回ってたら大迷惑だけどな」

 

戦場に出る度通信機を吹き飛ばされたんじゃたまったもんじゃない。奴がこれを開発したのが最近のことで本当に良かった。

グレネードの一部を強く押し込む。プシュ、という音とともに押した部分が陥没してタイマー音が聞こえてきた。

 

「……よし、あと1分で作動だ。さっきも言った通り、北から脱出するぞ!」

 

 

 

 

 

ドサッ、と土に何かが転がる鈍い音がする。命を噴水のようにして胸と口から吐き出したそいつは、そのまま息絶えた。

 

「これで最後……おーい、そっちも片付いたか?」

「ええ。結構しつこかったわね、こいつら」

 

Ωと二人で辺りを見回す。倒れているのは拠点からここまでおれたちをおってきた奴らだ。EMPで通信機を殺したあと、行く手を遮る連中を文字通り吹き飛ばしながら脱出したのだが、包囲を抜ける際に追跡してきた連中がいた。追ってきたところで連絡が取れないので、さっさと諦めればいいのにと思っていたのだが、予想以上に敵さんの頭は軽かったようだ。結局、複雑な地形に誘い込んでからの奇襲で全滅してしまった。

……まあ、どの道追いかけてこないで拠点に留まっていても爆弾で吹っ飛んだんだけどね。

 

さて、余計なおまけも着いてきたがこれでどうにか脱出に成功したと言っていいだろう。他の部隊も巻き添えでEMPをくらっているだろうが、敵があの混乱ぶりならば脱出できているはずだ。

ヘドリーから仰せつかったのは逃げ遅れた部隊の掩護という無理難題も、まあ及第点を貰えるくらいにはやれたんじゃないだろうか。そもそもヘドリーが信用できるかどうかもまだ微妙な線なので、我ながら相当うまくできたと思う。

 

脱出に成功して追手も退けた今、次にすべきは本隊との合流だ。ただ、その前に少し考えなければならないことがある。今回の襲撃についてだ。おれは一通り部隊員に気になることを聞いた後、Ωを呼び出した。

 

「何かしら、話したいことって?」

「今回の襲撃、どう思う?」

「……そうね、随分とタイミングが良かったんじゃない?ちょうどヘドリーが出発した後で、あたしたちが残ってるときに襲ってくるなんて」

「……そうだな。それはおれも考えた。裏切りは傭兵の日常茶飯事だしな」

 

今回の事では誰が狙われていたのか。結果だけ見ればそれはおれたちだろう。ただ、ヘドリーの元へ最近やってきた新入りに差し向けるにしては大規模すぎる。その点、WとΩを始末しに来たというのならまだ納得だ。ウィルとザラがWとΩということを知っているのは一人しかいないはずなので、自ずと犯人は断定できる。はず、と行ったのは誰かにばれた可能性も考慮してのことだ。ただ、これまでは得物まで変えて偽装に努めてきたので、なかなかそうと気づいた奴はいないだろう。……今日はちょっとポカしかけたけど。

 

「……ただ、今回はヘドリーではないだろうな」

 

第一に動機がない。今度の任務は相当に危険なもので、実際人数にも不安がある状況だ。そんな中、手持ちの戦力の中でもかなりの実力を持っているであろうおれたちをこのタイミングで殺るだろうか?もともとあまり分はよくなさそうな依頼だ、そんなことをしたら自分の命も危うくなるだろうに。おれだったら、普通だったら、任務を無事に終えた後に始末する。

通信したときの態度もそうだ。あの時、ヘドリーはこちらに敵は来ていないと言っていた。おれたちを嵌めるつもりならそんなことを言う理由はない。通信に出ないか、出たとしてもこっちも襲撃されていると返すだろう。わざわざ下手人と疑われるような下手な真似をする必要性が感じられない。

 

何よりの決め手は襲ってきた連中に心当たりがあることだ。

僅かに感じた既視感から隊の人員に聞いて回ってみたが、やはり敵さんの使っていた一部の装備はこの前のヘドリー襲撃の時に使われていたものと同じように思われる。具体的には通信機や信号弾などの品々だ。となると、この二つの襲撃のバックは同一の存在である可能性が高い。ヘドリーが自作自演までしていたならばお手上げだが、あれはそんな器用な男ではないだろう。

 

「じゃあ、あいつらは何で襲ってきたのかしら?」

「これに関しては推測だけど……」

「…………バベル、でしょ?あたしもそう思うわ」

「ああ。話が漏れたのはたぶん……トランスポーターまわりだろうな」

 

……つまりさるお方もバベルの存在を知っている、ないしそれが指すものに心当たりがある、ということだろうか。その上で輸送作戦を潰そうとして今回の襲撃をしたのならば……。

 

「……今回の仕事は相当面倒なことになりそうね」

「……だな。……やめとくか?」

「今更?もとより危険は承知だし、それに……」

 

隣に座っている彼女がこちらを向く。つられるようにしておれも顔の向きを変えると、お互いがお互いをのぞき込むような形になった。ふっ、とどちらからともなく自然と笑みがこぼれる。

 

「……あんたとなら、きっとやれるわ」

 

それだけ言うと、Ωはぷいっと顔を背けた。普段言わないようなことを言ったせいで気恥ずかしくなったんだろうか。おれは彼女の背中に向かって返事を返す。

 

「……ああ。お前がいれば大丈夫だ」

 

……なんかこっちまで恥ずかしくなってきたな、これ。

 

それからしばらく、おれたちはそっぽを向きながらあれこれと話したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヘドリーとあれこれ連絡を取りながら進むこと半日。おれたちはどうにか集合地点までたどり着いた。同じように脱出した部隊の姿もちらほらと見える。

おれたちを見つけた連中からはやれよく脱出できたなやら巻き込みやがってふざけんなやら、まあ色々とコメントを頂いた。みんな元気そうで何よりです。

彼らと適当に会話しながら進んでいくとヘドリーのテントが見えてきた。一声かけてから部隊員と共に中へはいる。

 

「ご苦労だった、ウィル、ザラ」

「ええ、まあ結構な苦労でしたよ。……それでもいくらか取りこぼしはありましたがね」

「……通信ができない以上、しばらく待ってもたどり着かなかった部隊は捨ておくしかないだろう」

「……EMPのことですか」

 

ヘドリーの表情が若干陰りを見せる。

……援護しろという命令もそうだが、この男はどこか甘いところがあるような気がする。最近は自分も丸くなった方だとは思うが、それでも割り切るところは割り切らないと大切なものを失うのがこの場所だ。曲がりなりにも長いこと傭兵をやっているのだし、彼とてわかっているだろうに。

おれがそうやって反論しようとしたその時、横槍が入った。

 

「あれは妥当な判断だったと思うわ。まともに脱出しようとしても全滅していたでしょうし」

 

発言したのはイネスだった。なるほど、彼女はヘドリーとは違ってシビアなものの見方をしているらしい。ヘドリーとイネス。あまり気の合いそうな二人ではないのだが、これまで長いことやってこれた理由がわかったような気がする。凸凹コンビとでも言おうか、人を惹きつけるところがあるが甘さもあるヘドリーと人を寄せ付けない感はあるが、非情かつ合理的な判断を下せるイネス。まるでお互いがお互いの持ち合わせていない部分を補い合っているようだ。

 

「……そうだな。どのみち誰かが犠牲になる必要はあった。……今回はそれが彼らだったという話だ」

 

ヘドリーは努めて冷徹にそう言い放った。まるでもう何も気にもしていないかのように。あたかも鼻から割り切っていたというように。

……なかなかお似合いの二人というわけだ。

 

「余計なことを考えるのはやめなさい、ウィル。私の目は誤魔化せないわ」

「あ、すみません」

 

……流石に鋭いですね、イネス隊長。

 

何はともあれ、イネス様のおかげでおれはお咎めなしという事になった。

となればおれたちとしては聞きたいことをさっさと聞いてしまいたい。おれたちで今後のことは聞いておくので先に休んでおくようにと言って部隊の連中をテントの外へ追い出すと、残ったのはおれとΩにイネス、そしてヘドリーだけだ。

 

「……仕事についてだが……」

「ああ、それは後でいい」

「あたしたち、あんたに聞きたいことがあるのよね」

「……」

 

怪訝な顔をするヘドリー。対してちらりと見たイネスは微妙な表情をしている。アーツを使っているのかどうかは知らないが、まあいい。ここで聞けばわかることだ。

一拍を置いたのち、口を開いてその言葉を音にする。

 

「バベル」

 

「……聞いたことが」

「無いとは言わせないぞ。確かにイネスが言っていたからな」

「……夕食を持ってきたときね」

「イネス……!」

「そろそろ、私も教えてほしいと思っていたわ。……前も言ったけれど、あなた一人で抱える必要はないじゃない」

 

……彼女にも言っていなかったのか。ただ、話からするにやはりヘドリーは何かを知っているらしい。

 

「……今回の仕事、それから襲撃。みんなこのバベルが関わっているんだろう?」

「…………すまないが、言えない」

「どうして?何か不都合でも?」

「……必要なことなんだ。悪気があってのことではないとわかってほしい」

 

……たぶん、これはダメなやつだ。この件に関して、ヘドリーはどうやっても口を割らないだろう。付き合いが長いはずのイネスにすら隠していることだ、おれたちが加わったとて何かを話してくれる望みは薄い。それどころかこのまま押し問答になれば疑心暗鬼に陥って仕事に影響が出る可能性すらある。

この時点でおれは直接バベルについて聞き出すのは諦め、違う聞き方をすることにした。

 

「……わかった。言えないってならそれでいい。ただ、これだけは答えてくれ」

「……なんだ」

「この仕事の先にはおれたちの……傭兵の未来ってのはちゃんとあるのか?」

 

正直なところ、現状おれたちはチェックをかけられている状態だ。まだ多少は足掻けるだろうが、それは袋小路を行き止まりまで歩むのと同じ所業、実質的にはチェックメイトだ。

だからこそほとんどのサルカズはリザインしたのだろうが、おれたちは、そしてヘドリーはそれを是とはしないはずだ。

この詰んだ盤面を抜け出す手段。それこそ、駒からプレイヤーに成りあがるような極大の一手。この仕事こそがそれならば。

 

まっすぐにヘドリーを見つめながら、そう問うてみる。

今度の彼は一片の淀みすらなく頷いた。

 

「もちろんだ」

 

 

 

 

 

 

 

あの仮の拠点を引き払った後、おれたちはイネスとおれの部隊に分かれて行動し、指定のポイントで再び合流した。なぜヘドリーではなくおれなのかといえば、彼が何かしらをしようとしていたからだ。ここ最近の秘密主義にイネスは心底うんざりしていそうだったが、仕方あるまい。この分散行動などもはじめに部隊を分けすぎたせいで幾らかを失ったのを受けての策なのだろう。とにかく目立たないようにしたいという強い意志を感じる。まあ、襲われる心当たりはかなりあるので用心するに越したことはない。

 

あと、この部隊分けにあたってウィルとリザはWとΩに戻った。

理由としては襲撃続きで下がった部隊の士気の向上、クライアントへのアピールといったところか。ただ、一番大きいのは最早隠している意味がなくなったというところだろう。かつての傭兵団は壊滅しているし、殿下はバベルにご執心だ、この仕事をする以上どの道襲われる。

これでおれもアーツを大っぴらに使えるようになったし、Ωも爆弾で大暴れ間違いなしだろう。そういう意味では戦力増強にもなったかもしれない。

 

さて、イネスとの合流も済んだ今、あとはヘドリーが到着するのを待つだけだ。ということで、おれはちょっとした軽食を作っていた。そんなような含みを持たせていたあたり、恐らく彼が合流した後はいよいよ本格的に仕事が始まるはずだ。ならば少しでも英気は養っておいた方がいい。ありあわせのもので作るのでそれ程凝ったものは作れないが、それでも温かいスープでも飲めば身体もリフレッシュできるはずだ。

材料は干し肉に乾燥野菜、それと粉になっているマッシュポテトだ。やはり現地調達できない分、日持ちに重点を置いた食材には多少寂しさを感じるが、逆にここが腕の見せ所だろう。

今回作るのはポトフ風のスープだ。まず、鍋に水を入れて沸騰させる。普通のポトフならばここで根菜類を加えて煮始めるのだが、今日はちょっと違う。

お湯と練って粉からマッシュポテトを作ったのち、小麦粉と隠し味の粉チーズを加えて再び練る。細長く伸ばしてからひと口大に千切れば準備は完了だ。先ほどの沸騰した鍋にこれを加えて茹でていく。つまり、ポテトニョッキを作ったと言う訳だ。本当だったらジャガイモが欲しいところなのだが、重いし嵩張るしで行軍に持っていきたいものではない。そこで、有り合わせの粉モノを使ってこいつを作ってみた。ジャガイモのホクホクした食感とはまた違うが、モチモチとしていて食べ応えもあり、なかなかいいんじゃないだろうか。

ゆであがったニョッキを一度取り出し、再び鍋を沸騰させてからブイヨン、干し肉を入れる。その後乾燥野菜を入れたら、干し肉が多少柔らかくなった辺りでニョッキを加え、塩コショウで味を調える。

最後の仕上げは特製オイルだ。ニンニクとじっくり炒めて香りを付けたオリーブオイルを器によそった後に垂らす。パセリを振りかければ、シェフの気まぐれスープの完成だ。

 

周りにいた連中に軒並みよそって配り終わったところで、焚き火のそばで何やら話しているΩとイネスにも運んでやることにした。

 

「おーい、飯できたぞ」

「そろそろ持ってきてくれると思っていたわ。さっきからいい匂いがしていたもの」

「またあなたが作ったの?いいわね、ありがたく頂くわ」

 

持ってきた器を二人に手渡す。手に取るや否や大量に入れておいたニョッキに食らいつくΩと、じっくりと味わうようにしてスープを口にするイネス。何とも対照的だ。

 

「このマカロニみたいなやつ、美味しいわねえ。チーズとか入ってる?」

「お、よくわかったな」

「ふふっ、伊達にあんたの飯を食べてきたわけじゃないわよ」

 

隠し味を見抜かれるとは。まあ、おれの飯を一番食べてきたのはこいつだろうからな。舌も生ハムを知らなかったあの頃から随分と肥えたことだろう。専属シェフを務めてきた甲斐があったというものだ。

 

「おいしい……」

 

Ωとそんなやり取りをしていると、ふと隣から思わずといったようにこぼれた言葉が聞こえてきた。

 

「おいしい?そりゃよかった」

「あっ、ええ。あまりまともな食材もないと思うのだけど、それでもあなたは美味しいものを作れるのね」

「そう言ってもらえるとは嬉しいな。食材がない時こそ腕の見せ所なんだ」

「フフ、これからも楽しみにしているわよ」

 

この間は期待していると言われたが、今度は楽しみと来たか。どうやらおれの料理はイネスさんにいたく気に入ってもらえたらしい。なんだか、ここ数日で随分彼女に関する印象も変わったものだ。Ωのことも見ていると、やはりこの傭兵という職業には仕事とそれ以外でのオンオフをはっきりさせるのが大事なのかもしれない。あんまり普段から殺伐としてばかりだと精神を病みそうだからな。おれのこの料理人的立ち位置も、まあそんな二面性の一端なのかもしれない。

彼女との会話からそんなことを考えていると、背中から剣吞な視線が突き刺さる。振り返ると、Ωがややむくれた顔をしてイネスにかみついた。

 

「ちょっと、あたしの専属シェフを取らないでくれるかしら?」

「専属シェフ?……そんなに慌てることでもあるの?」

「……とにかく──アーツで見るのはやめて。悪趣味よ」

「フフ、アーツで見るまでもないわよ」

 

そう言ってイネスはこちらに意味ありな視線を投げかけてくる。

……まったく。

おれはため息を一つつくと二人を─主にΩを─制止する。

 

「まあまあ。専属シェフかどうかは知らないが、別にお前と離れる気はないから安心しろ」

 

何せおれの命運はある意味彼女が握っているのだ。逆に彼女の命運をおれが握っているとも言うが。

理由はわからないが、おれたちは一蓮托生の存在なわけだ。この謎がどうにかならない限り、彼女と離れようはずもない。……少なくともおれは、そうでなくとも変わらないが。

 

「……なら別にいいのよ、別に」

 

おれの言葉を聞くと、Ωは俯いてそう言い放った。なんだろう、不機嫌なんだろうか?

その場の空気が微妙になりつつあったその時、周囲から何かの音が聞こえてきた。

敵襲?……いや、これは車列だろうか。ということは……

 

「すまない。ルートを変更したせいで遅くなった……何かあったのか、イネス?」

「別に何も?」

「……この雰囲気で何もなかったようには思えないんだが……」

「ヘドリー、これが護衛対象か?」

 

本当にちょうどいいところに来てくれた。ヘドリーが余計なことを聞いて状況を拗らせないよう、仕事の話を振る。彼もおれの意を汲んでくれたのか、それ以上の追及をやめて任務について説明し始めた。

 

「……ああ、そうだ。我々の任務は目標を守ること。それだけだ。……準備は出来ているな?」

「ええ。食事まで済ませてあるわ」

「Ωは……」

「もちろん。爆弾を使ってもいいのよね?」

「……くれぐれも目標を吹き飛ばさないようにしろ」

 

……いよいよか。引き連れている部隊の数から考えるに、恐らく今までで一番大きな仕事。尚且つ、今までで一番危険な仕事。

 

「W、お前は?」

「準備万端だ。やるぞ、ヘドリー。」

「ああ。……この峡谷には誰も近づかせるな。怪しいものは問答無用で撃て。……以上だ。質問は?」

 

 

 

 

 

 

「……作戦開始」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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生存競争─Beyond the Corpse

「Ω!まだ生きてるか!?」

「……っ、当たり前、よ!!」

 

返答とともに背後で爆音が響く。おそらくはこれでまた幾人かのサルカズの命が失われたことだろう。

……むかし、何かで読んだことがある。曰く、一人の死は悲劇だが、百万人の死は数字に過ぎないと。

なるほど、この戦場こそはまさにそういう場所に違いなかった。この仕事が始まってから、おれは一体いくつ殺しただろうか?5,6人の集団をアーツでぐちゃぐちゃのミンチに変えた。向かってきた連中の首を刎ね飛ばした。渓谷の側面を崩壊させ、数十人を土砂の下に永遠に閉じ込めた。

けれども、一向に敵の数は減らない。いつまでも雪崩のように留まることなく敵が押し寄せてくる。ここは、おれが経験した中で一番命の価値が軽い戦場だった。

 

 

 

敵の襲撃が始まったのは作戦開始から7時間ほど経ったころ。いつ押し寄せてくるかもわからない敵を警戒し、神経をすり減らしながら進み続けてしばらく。過度のストレスと疲労感から注意力が散漫となりつつあったその時だった。

テレシス側についた傭兵たち……否、元傭兵たち。彼らが大軍となって押し寄せてきたのは。

 

そこからはもう大混戦だ。ヘドリーは誰かが近づいてきたら迷わず撃てなどと寝ぼけたことを言っていたが、迷う必要もないほど殺意に満ち溢れた連中が怒涛となってやってきたのだから。遠距離からアーツやグレネードランチャー、ボウガンで数を削っても効果は雀の涙。あっという間におれたちは輸送部隊を中心に包囲され、ぐちゃぐちゃの近接戦闘が始まった。

初めは律儀に輸送部隊を守ろうと戦っていたのだが、途中からおれたちが担当しているのはどうやらダミーらしいという事が分かった。しかしながら敵さんにはどの部隊が本命の部隊なのかがわかっていないようで、依然として攻撃を緩める気配はない。

ダミーに敵を引き付けているというのは全体の作戦にはだいぶ寄与しているんだろうが、それでこっちが潰されたのでは元も子もない。幸か不幸か、通信環境も劣悪でヘドリーからとやかく言われることはなさそうだ。おれはそのことが分かった時点で、Ωと打ち合わせてギリギリまでは車列を守るように立ち回り、それからは爆弾とあいつのアーツでダミーもろとも敵を吹き飛ばして一時撤退することにした。

 

 

 

 

……そして、今に至る。

テレシスには今回のことで狙いが二つあったらしい。一つはバベルの輸送する何かを破壊ないし強奪すること。そしてもう一つは……のこのこ護衛の依頼を受けた傭兵たちを血祭りにあげることだ。

引き連れていたはずの部隊の連中はもはや周りにはいない。皆目の前で殺されるか見えないところで殺されたかのどちらかで居なくなった。残ったのはおれとΩの二人だけ。そして、そのおれたちにしてももう満身創痍といっても相違ない状況に追い込まれていた。

このために大量に持ち込んだはずの弾薬はもう切れた。おかげで脚のホルスターに収まったSMGは無用の長物と化した。まあ最悪弾持ちの悪いこいつに関しては仕方ないとしても、背中に提げてあるARの弾が切れたのは初めての経験ではないだろうか。この時点でおれに残っているのは刀にナイフ、それと手榴弾が幾らか。中距離で使えるのはもうアーツくらいのものだ。

恐らくは彼女も同じような物だろう。先ほどの爆音からしてまだいくらか源石爆弾の手持ちはあるようだが、尽きるのはもう時間の問題に過ぎない。

 

だが、おれたちはまだ生きている。

少し前までのおれならもう数十回は死んでいたであろうこの戦場で、まだ地に足をつけて立っている。

それは、背中を守ってくれる心強い味方がいるからだ。

 

先読みして配置したアーツで敵の左半身を消し飛ばすと、背中に熱い体温を感じる。

 

「……手持ちが切れたわ」

「そうか……降参でもしてみるか?」

「冗談!だったら切り刻んでやるわよ」

「その意気だ」

 

言葉を交わし、おれたちはくるりと二人の位置を入れ替えた。

ぎょっとした表情でこちらに向かってくる殿下の手駒を視界にとらえると、アーツを解き放つ。荒れ狂う空間の歪みが頭部を包み込み、数瞬後には脳漿があたりにまき散らされた。

 

「ふふっ、阿吽の呼吸ってやつかしら?」

「ま、そういうことだ」

 

会話をしつつも、決して敵への目線は切らない。今は車列を護衛していた時のような大軍に包囲されているわけではないが、無限に敵が湧き出てくる組み手をやっているような状況だ。一人を始末するころにはもう次の敵がこちらの視界に入ってくる、そんな感じの。

……極めて不愉快なことだが、手加減をされているような感覚がある。人数で袋叩きにされれば流石にどうしようもなくなるのだが、敢えてそれをせずにこちらの消耗を待つような戦術。弾薬が尽きた今、接近戦を強いられればますます消耗は激しくなっていくだろう。……ここまで散々アーツを披露させられたのだ、懐に潜り込まれれば使えないという事などとっくに分析されている。

おれのそんな考えを裏付けるかのように、先ほどまでのボウガンなどで武装した部隊とは違う、大剣を担いだ連中が現れる。おれは柄に手を掛けた。

 

「……どうやら、ここからが本番みたいだな」

「……死ぬんじゃないわよ。……あたしはともかく、あんたが死んだら一巻の終わりなんだから」

 

……おれはこの作戦が始まってから既に何回か戻っている。

奇襲、不意打ち、面制圧。そんなどうしようもない詰みを回避してここまでやってこれたのは、偏に彼女がいたからだ。まっすぐにおれに撃ち込まれようとした弾丸を身代わりに受けて死んだ彼女。不可避の面単位の攻撃に対して、一歩前に出ることによって一足先に死んだ彼女。おれは、この戦場で何度も彼女の死を見てきた。

そのたびに感じる喪失感、絶望感、無力感。

もう死なせやしない、そう決意しているはずなのにおれの足は動かないまま、ただ黙って彼女が死ぬのを見ているだけ。おれはこれまで、そうやって何人のΩを殺してきたんだろうか。

 

……だから、これは贖罪なのかもしれない。

これまでも、そしてもしかするとこれからも、おれはお前を死なせてしまうだろう。殺してしまうだろう。きっと知っているのはこの世界でおれだけの罪。何度も誓いを立てて、そのたびに何度もそれを破ることになってしまうかもしれない。けれども、これだけは。これだけは信じてほしい。おれは、例え何度やり直すことになったとしても、必ずお前を明日へ連れていく。他のどんな今日より素敵で幸せな、そんな明日へと。

 

だから、こんな所では絶対にくたばったりはしない。

 

 

 

「ああ。……生き残るぞ、二人でな!」

 

腰から刀を抜き放ち、居合の要領で敵の太刀筋を搔い潜ってわき腹から刃を通す。確かに脊椎を断ち切った感触を感じながら、おれは努めて獰猛に笑った。

 

「さあ来い、狗野郎ども!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…………り…………いよ……!

…………まだ………だって………のよ…………!

 

どこからか音がする。まるで水の中に居る時みたいな、くぐもった音。……これは、声だろうか?ふわふわと現実味のない浮遊感に包まれながらぼんやりと考える。何かを必死に呼ぶ声。それは、おれの心地よい眠りを妨げているようだ。こうやってゆったりと落ちて沈み込んでいくのはとっても楽で気持ちがいいのに、何なんだろう。……まあ、いいや。このままゆっくりしていれば、そのうち…………

 

ぴとり、と。何かが落ちてきたような気がした。

 

それはとても熱くて、なんだかしょっぱくて。

なぜだかおれは、それを止めなきゃいけないと思った。

 

水底から意識が急速に浮かび上がっていく。見上げた水面は、きっと意識の境界線だ。おれはあの向こう側に帰らなきゃならないんだ。上がっていくにつれて、どんどん思考が、感覚が、クリアになっていく。それに伴って全身を苛む痛みもまた鋭く襲い掛かってきたが、構うものか。痛みは生きている証だ。おれはまだ、生きている。

上がって、昇って。だんだんと水面へ、光の強いほうへ。おれはただひたすらに向かっていき、遂にその境界をぶち破る。

……こんどの声は、ちゃんと聞こえた。

 

「……だから、目覚ましなさいよ…………!」

 

「お……め…が……」

 

開かれた瞼の隙間から光が差し込んでくる。最初に見えたのは、琥珀色の瞳になみなみと潮を溜めた彼女の顔だった。おれはその名前を呼ぶ。口の中がカラカラでうまく言葉が出てこなかったけれど、それでもちゃんと届いたようだ。

 

「……っ!」

 

驚いたというように大きく目が見開かれる。やがて、その驚き顔は泣いているような笑っているような、くしゃくしゃの顔に変わった。まるで、いつだったかこいつが無事だと分かった時のおれみたいだ。あの時は散々からかわれたけれど、彼女もこんな顔をするなんて。決していいことではないけれど、なんだかすこし嬉しい。……とはいえ、いつまでも泣かせていてはこちらの立つ瀬がないというものだ。おれはどうにか自力で上体を起こすと、謝罪の言葉を口にした。

 

「…………悪い、心配かけた」

「……馬鹿。もっと早く起きなさいよ」

 

ごしごしと乱暴に目をこすって答える彼女。口元にはニヒルな笑みを浮かべているけれど目は真っ赤で、それがどうしようもなく愛おしい。

思えば、こうしておれが心配される側にまわることはこれまでなかった。

……傷を負って倒れるのは、いつもΩだったから。

けれども今日は違う。ちゃんと守れた。おれが、自分の手で、一等大切な彼女を。

そう思ったら、自然と笑みが浮かんできた。

 

「……な、なに笑ってんのよ。あたしは本気で心配して……」

「ああ、違うんだ。別にからかってるわけじゃない」

「……だったら何なの?」

「……今度はちゃんとお前を守れた。それが嬉しいんだ」

 

彼女の瞳を見つめて、そう告げる。いつもだったら気恥ずかしくなって目を背けてしまっていたけれど、今ならちゃんと言える。目を見て、おれのまごころからの言葉を伝えることが出来る。

じっと見つめ合う事しばらく。さっきまでの泣き笑いではなく、Ωは柔らかに微笑んだ。

 

「……馬鹿ね。あんたにはいつも助けられてるわよ」

「…………そっか。なら、よかった」

 

会話が途切れ、二人を心地よい静寂が包み込む。まるで時間がゆっくりと流れているようだ。いつまでもこうしていたい気分だが、残念ながらおれたちがにるのは戦場。その欲望に流されるわけにはいかない。おれはどうにか気持ちを切り替え、敢えてこの雰囲気を壊すように問いかけた。

 

「Ω。今の状況は……おれがアーツで周り全部吹き飛ばした、であってるか?」

「…………ええ。あってるわ」

 

 

 

 

数時間か、数十分か。どれほど意識を失っていたかは分からないが、とにかくしばらく前。おれたちはいよいよ追い込まれていた。接近戦に切り替えてからは戦場を駆け回るように移動しながら戦っていたのだが、ヘドリーやイネスとは連絡がつかず、掩護が望めない中の戦い。しかも連戦のこちらに対して、毎回満タンとは言わないまでも体力を残した状態の相手。足が動かなくなってきてから囲まれるまでは早かった。

一応型通りの降伏勧告はされたものの、それをおれたちが受け入れるはずもなく。いよいよ集団に嬲り殺しにされる寸前。そのタイミングで、おれはアーツを暴発させた。

 

おれのアーツは空間を歪めてぐちゃぐちゃにするもの。そこに何かを巻き込めば、つられてそれもぐちゃぐちゃになって吐き出される。その原理でこれまで敵をミンチにしてきたわけだし、建物は瓦礫の山に変えてきたわけだ。ところで、この空間を歪めるという表現は非常にあいまいで、引き延ばすこともできれば逆に押しつぶすこともできる。では、膨大な体積を無理やり空間ごと押し縮めて圧縮したら、そいつはどう吐き出されるだろうか?

 

その答えが今の惨状だ。辺り一面が爆撃にでもあったような有様になっている。上空の大気を押し縮めてから炸裂させた、言わば空気爆弾。その効果は絶大で、危うくおれも死ぬところだった。

左胸に深々と突き刺さった金属片を眺めてそう独り言ちる。あばらで逸れてくれたおかげで心臓は無事だったが、それでも肺をいかれているのは間違いない。他にも左脚に刺さった剣の残骸やら何やらで、正直もう限界すれすれだ。幸い、Ωのほうはあちこち切れてはいるものの大きなけがはない。今回は自分の意思で事を起こしたので、咄嗟に覆いかぶされたのがよかったみたいだ。

 

なぜこんな破れかぶれのようなことをしたのかといえば、巻き戻りの法則によるところが大きい。いつも朝に巻き戻っていたために勘違いしていたが、どうやらこれはおれが最後に覚醒した時間に戻されるようだ。途中、一時敵を撒いたタイミングで仮眠をとったのだが、以降の巻き戻りはそこからになってしまっていた。恐らく、今回の気絶も巻き戻りが更新されるだろう。

ともかく、巻き戻りがそこからになったせいでどうやっても囲まれる未来にしか行きつかなくなってしまったのだ。何度もやり直したが、爆弾も切れている以上どうやっても正攻法では突破が出来ない。そこでこんな方法をとったのだが、どうにかうまくいったようだ。

 

「おれってどのくらい寝てたんだ?」

「……あたしもちょっと前まで気を失ってたから、わかんないわね」

「なるほど……なら敵もまとめて殺れたみたいだな。……悪い、ちょっと肩貸してくれ」

 

Ωの肩を借りてどうにか立ち上がる。すこしフラフラするが、これは血が足りないせいだろうか。まあ、動けないほどじゃない。

 

「……っし、どうにかヘドリーと連絡をとって、本隊に合流しよう」

「……生きてるかしら?」

「おいおい、おれたちがこんなに敵を引き付けてたんだぞ?本隊は生きててくれなきゃ困る」

「それもそうね。……ほんと、良く生き残ったわね、あたしたち」

「……だな。今回ばっかりはダメかと思ったよ、ほんとに」

 

ようやく彼女も調子が戻ってきたようで、軽口も叩けるようになってきた。先ほどの滅多に見ない表情には正直なところドキリとしたが、やはり目を腫らした姿など似合わない。

 

そのままおれたちは瓦礫の山をかき分けるようにして進んでいく。途中途中でちらほらとガタイのいいサルカズの死体を見つけた。恐らくはおれのアーツの被害者であろう。やはりこうして見てみると、あれは相当な威力だったようだ。時折まだ息があるのにしっかりととどめを指しながら、Ωに話しかける。

 

「しかし、この分じゃ味方も巻き込んだかもな」

「うーん、どうかしらね。少なくとも掩護してくれる味方はいなかったけど」

「……言うねえ。ま、もう巻き込まれるような味方は残ってないか」

「……あんたも大概ブラックなこと言うわね……って、あれ?」

 

気を紛らわすようにジョークを言い合っていると、ふと彼女が何かに気付いたように指を指した。その方向に沿って視線を移動させていくと、おれの目にも何かが飛び込んでくる。どこかで見たような服を着て、たぶん見たことがあるようなアーツの補助装置を持って、絶対見覚えのある顔をした黒髪の女。平たく言えば、イネスがそこに倒れていた。

 

「ちょっと、あんた思いっきり巻き込んでんじゃないの!」

「マジかよ……おい、イネス!」

 

半ば引きずられるようにして二人でイネスの下へと駆け寄る。首筋に手をやって確認すると、規則正しい脈拍が伝わってきた。

 

「……大丈夫、呼吸もちゃんとしてるみたい」

 

心なしかホッとしたようにΩが告げる。特に目立った外傷もなく、どうやらただ気絶しているだけのようだ。これには思わずおれも安堵のため息を漏らした。まさかイネスも巻き込んでしまっていたとは。だが、彼女がいるというのに近くに部隊の姿は見えない。もしかすると、こちらと同じように壊滅させられてしまったのだろうか。

 

「……イネスが起きるまでは動けないな。Ω、周囲の様子を探ってきてくれないか?」

「任せなさい。……あんたもケガ人なんだから、気を付けて」

「ああ」

 

……言われてみれば、この中でおれが一番重症かもしれない。胸にぶっ刺さったブツを見てもそれは

明らかだ。不思議なもので、意識をしだすと色々しんどくなってきた。片肺をやられているせいで呼吸は苦しいし、何より無茶苦茶痛い。さっきまで出ていたアドレナリンが切れてきたのだろうか。これは早いところ本隊に合流できないとまずそうだ。

 

「イネス……頼むからさっさと起きてくれよ?じゃないとおれがくたばりそうだ」

 

 

 

 

 

 

 

「ぐっ…………」

「……!イネス!」

「……あなたは……W?何が……」

「おーい、Ω!イネスが目覚ましたぞ!」

「ほんと!?」

 

Ωが周りには今のところ敵はいないようだという報告とともに帰って来てから少し経った頃。ようやくイネスが意識を取り戻した。

 

「Ωも…一体、何があったの……?」

「あー、ええとだな……」

「こいつがアーツを暴発させたのよ。それであんたも巻き込まれたってわけ。ご愁傷様ね」

「いやほんとに申し訳ないです」

 

まあ確かに何があったかと言われればそうとしか言いようがないだろううが、それにしたって言い方があるだろうに。……まだこの前からかわれたことを根に持っているんだろうか?

ともかく、おれはただ平謝りするほかない。色々と事情はあったのだが、それを下手に言うべきではないだろう。

 

「……」

「……」

「……ええと」

 

謝罪を聞いたきり黙り込んでしまったイネス。何となく気まずくなった空気をどうにかすべく、おれが口を開こうとしたその時だった。

 

「……っ、まずい!」

 

イネスが血相を変えて叫ぶ。それを聞いてから数瞬経ってようやくおれはイネスが黙っていたのはアーツを使って周りを探っていたからだと分かった。……そして、もう手遅れだという事も。

 

「……WにΩ、それとイネスだ。……ああ、リストに載った三人全員いる」

 

「……あなたたち、付けられてたみたいね」

「チッ、あたしも焼きが回ったかしら……」

「すぐに来なかったのは集結を待つためか。……クソっ」

 

「お前たちには本隊まで案内してもらうつもりだったんだがな。三人そろっているとなれば話は別だ」

 

現れたサルカズ傭兵。纏っている威圧感から相当な手練れだと伝わってくる。万全の状態なら殺れないこともないだろうが、この状況では流石に厳しいだろう。

 

「……で、あたしたちに何か用かしら?」

 

同じことを思ったのか、Ωが吐き捨てるように男を問いただす。

 

「お前たちの部隊はもう八割以上壊滅した。残りの二割ももうじき同じ運命を辿るだろう」

 

……まあそんなものだとは思っていたが、よくよく聞いてみると酷いものだ。

 

「……だが、将軍はお前たちのことを気に入っていてな。バベルから受けた依頼の全貌を我々に語れば、お前たちに新たな晴れ舞台を用意することもできる」

「そいつは光栄なこった。ちなみに、この中じゃ誰が高評価なんだ?」

「ふむ……将軍はΩが特にお気に入りの様だ。それにW、貴様のアーツもな」

 

……やばい。そろそろ体に力が入らなくなってきた。どうにか立って見せてはいるが、それもいつまで続けられるか。

 

「お前たちも生き残りたいだろう?ならば提案だ。Ω、イネス。Wの四肢を捥ぎ、視覚以外の五感を潰せ。アーツは魅力的だが、それ以外は邪魔なのでな。これは死んでいった仲間たちへのケジメでもある」

「断る。そんなことをするくらいなら死んだほうが余程ましよ」

「断るわ。随分と下らない提案をするのね、あなた」

「……残念だ」

 

視界が霞んでくる。せめて、あいつにアーツをぶち込んでから……

 

 

『イ……聞こえ……ある……』

『お前たち……救出……』

 

……?なんだ?通信は死んでるはずなのに、ヘドリーの声が聞こえる。

それに、なんだか不思議な感覚が……白い、おんな?

 

 

そこで、おれは意識を手放した。

 

 

 

 

 

 



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王畿問答─A Memory of Distant Worlds

「──!」

 

 意識が戻る。ベッドから飛び起きる。

 あいつはどうなった?あの傭兵たちは、軍事委員会の手の者たちはどうなった?おれは、どうなっている?

 そんな疑問が濁流のように襲い掛かってきて──そうしておれは自分の言動のおかしさに気付いた。

 おれが横たわっているのはベッドだ。敵さんがご丁寧に清潔なシーツの上に身体を横たえてくれるだろうか?答えは否だ。

 そこまで思い至って、ようやく落ち着きを取り戻す。ゆっくりとあたりを見渡してみれば、どうやらここは病室の様だ。といっても、これまでカズデルでそんなお上品な所のお世話になったことは無いので、あくまで推測だが。目に入る風景は実に殺風景なもので、飾り気のない壁に規格化されたフォルムのサイドテーブル、それに清潔ながらも簡素なベッドくらいのものだ。

 この部屋で興味を引くものなど、本当に一つくらいのものだろう。

 

 そう、例えばおれの左手にしがみついて寝ているΩとか。

 

「……はあ」

 

 思わず安堵の息が漏れる。伏せていて表情はよく見えないが、月明かりに照らされて見える範囲では特に怪我をしている様子はない。あの戦場での最後の記憶、ヘドリーの声は幻聴ではなかったようだ。恐らく、ここはどこかの拠点、それもバベル側が用意したもので、おれとΩ、そしてイネスは救助されたのだろう。

 そうとなれば、ここにヘドリーもいるはずだ。奴には聞きたいことが色々とある。ここがどこなのか、依頼はどうなったのか、などなど、枚挙に暇がないほどだ。

 

 ……だが、どうやらそれは叶わないらしい。

 理由は目線の先、腕をホールドしている彼女だ。果たしてどういった経緯でこの場所にいて、どのような想いでこうしているのかは知る由もなく、また追及する気もないが、一般的に考えられるであろう病室のシチュエーションというものは、手を握るだとか、もう少しマイルドなものではないだろうか。怪我をした誰それのことを案じて病室で手を握って付き添うも、自らの体力も限界で眠ってしまう──なんていうものではないのだろうか。

 それが、何をどうしたら腕をがっちりホールドするなどというほんのりバイオレンスなものになるのか。おれは甚だ疑問に思う。

 何はともあれ、そんなわけで彼女が目を覚ますまでは立ち上がることも覚束なそうだ。……無理やり立ち上がろうとすると、肘関節がイカれそうな気がするし。

 ヘドリーはあれでいて律儀だし、意識を失ったままのおれを放って出立するなんてことはしないだろう。となれば、こんな快適な環境でのんびり寝れることなどサルカズの人生ではそう何度もないことだろうし、しばらく堪能させてもらおうとしようか。

 相も変わらずしがみついたままの彼女の絹のような髪を梳きながら、おれはのんびりとそう考えた。

 

 ……あと、今更気付いたけどΩさん、寝るのはいいんで枕にした人の腕びっちゃびちゃにするのは止めてください。

 

 

 

 

 

 

 

「ん……」

 

 朝。太陽の光が窓から部屋へと差し込んできた頃、胸の少し下のあたりから寝ぼけた声が聞こえてくる。ついこの間、あっちが先に起きているパターンはやったので、今度はこちらが出迎えてやることにしよう。

 

「よ、おはよう」

「……ふわぁ……おはよ…………ん!?」

 

 普段の寝起きのごとく声を掛けると、Ωの方からも普段通りの半分寝たままの返事が返ってくる。そうして数瞬が経過した後、風切り音と共に彼女の頭がこちらを向いた。ちょいとばかし久しぶりに見る琥珀色の眼は大きく見開かれ、顔全体で驚きが表現されている。それを見て、おれは思わず吹き出してしまった。瞬間、急速に沸騰するΩ。見る見るうちに顔が真っ赤になる。

 

「ちょっとあんた、眼覚ましたならもっと早く言いなさいよ!」

 

 そうして、頬っぺたをねじ切らんばかりにつまみ上げながら怒鳴りつけてくる。

 

ごべんばざい(ごめんなさい)

「あんたが突然ぶっ倒れたせいで、あたしがどれだけやきもきしたと思ってんのよ!」

ふいやへん(すみません)

「……はあ……ったく」

 

 取り敢えずは言いたいことを言いきったのか、はたまたおれの返答に呆れたのか、ようやく指が離され、赤く腫れあがった頬っぺたが解放される。むくれた様子でぷいと向こう側を向く彼女の姿はなかなか可愛らしい。

 ……ともかく、これでまた湿っぽい目覚めをすることは避けられたわけだ。そのためならば、怒鳴られることもそっぽを向かれることも甘んじて享受しようじゃないか。涙を湛えているよりは、怒っている方がよほど彼女らしいのだから。

 

 ……あれ?もしかして、おれ普段から怒られ過ぎ?

 

 

 

 その後、小一時間平謝りをしては小突かれるというやり取りを経て、どうにか赦してもらった。今回のような無茶はもうしないことや心臓に悪いドッキリまがいはもうしないこと、食事の際にはデザートを付けることなど色々と約束もさせられたが、最後の方はニヤニヤ笑いながら言っていたので絶対楽しんでいたと思う。額にぐりぐりと拳を当てながら約束することを迫ってくる様子はまさしくサルカズ(悪魔)といった所で、それは約束ではなく脅迫では?と疑念を抱いたのが、口にすると酷い目に遭いそうなのでやめておいた。

 

 さて、ようやくまともに会話できるようになったおれたちは、現状についての話をしていた。会話というよりは、おれの疑問にΩが答えていくという形だ。

 

「……つまり、ここは護衛対象だった船の中、ってことか?」

「そ。護衛対象に保護されてるってのは妙な気分ね」

「だなあ。にしても、あのクソみたいな仕事で守ってたのが馬鹿でかい船だったとは……」

 

 まずは、今おれたちがいる場所について。ここはバベルの連中がレム・ビリトンから輸送していたブツの中らしい。車列に隠された何かを守るのかと思っていたら、車列それ自体が護衛対象とは思わなんだ。

 

「で、今のおれたちはなんだ?この船のゲストってところか?」

「……そのはずよ」

「ん?」

 

 そんな場所にいるというのは、いわばバベルという未知の怪物の腹の中にいるも同然と言う訳だ。治療された跡がある以上、あちらが危害を積極的に加えてくるとは考えにくいが、あらゆる可能性を考慮する必要がある。そのためにも、自分たちの立ち位置というものを一つ理解しておきたいと思ったのだが、どうにもΩの返事は歯切れが悪い。

 確かに彼女もさっきまで寝てはいたが、ケガ人のおれと違って何もずっと寝ていたという事は無いはずだ。それならばその辺の話の一つや二つしているはずなのだが、どうしたのだろうか?

 べっこう色の瞳をじぃっと覗き込んでみる。

 

「……何よ」

 

 呟いて目を反らす彼女。……実に怪しい。この様子は何やらおれに隠していることがありそうだ。

 先ほどの脅迫への反撃をする絶好の機会を捕まえるべく、回り込んで再び視線を合わせる。あちらもあまりにもあからさまなのは拙いと見たのか、今度は目を反らさず、持久戦の構えだ。

 ……といっても、ぴくぴくと泳いでいるあたりやっぱり分かりやすいのだが。

 皮肉は得意だが嘘はヘタクソというのは、本人の性格を実によく表していて面白い、なんて考えながら見つめ合っていると、突如個室のドアが開いた。

 

「Ω、ヘドリーが……」

 

 ガラガラという扉の開閉音に、二人して慌てて入口のほうを振り向く。すぐに目に飛び込んできたのは髪色の黒。その場に立っていたのはイネスだった。

 

「……どうぞごゆっくり」

「ちょ、待ちなさい!」

「待て待て待て待てイネス待て!」

 

 病室内の様子を見て何を勘違いしたのか、素早く扉を閉めるイネス。おれはΩと一緒になって必死に叫ぶと、ベッドから跳ね起きて二人で部屋を飛び出した。そのまま走って、廊下を心なしか早歩きしているイネスを確保する。

 

「どうしたの?ヘドリーには私から言っておくから、あなたたちはのんびりしていていいわよ」

「あんたに任せたら何言われるかわからないでしょ!」

「イネス、違うぞ、別にそういうことは無くてだな!」

 

 自分でも何を言っているかよくわからないまま、とにかく言葉を発する。そんな、大慌てなおれたちの様子を面白そうに見つめると、イネスは極めて平坦な様子で口を開いた。

 

「そういえば、W、目が覚めたのね。よかったわ、心配してたのよ」

「……え?あ、うん、サンキュー」

「ええ。それはもう、船に乗り込むなり一瞬たりとも部屋を離れないほどには心配していたわ……Ωが」

「へ?」

「イネス!」

 

 Ωが顔を真っ赤にして叫ぶ。その反応を見るに、イネスの言葉は真実のようだ。

 ……なるほど、さっき彼女が隠したがっていたことはこれか。付きっきりでいてくれたのなら、おれたちの待遇や諸々についてあまり詳しく知らなかったのにも納得だ。おそらくはヘドリーが気を回してたのだろう。あの男は結構色々と気が利くところがある。

 ……人に余計なお節介を焼く前に、早く自分のことをどうにかしてほしいものだが。目の前の言い争いを見ていると、切にそう思う。

 

「あんたがそういうことするならあたしにも考えがあるわよ?……そういえばヘドリーたちが救助に来た時、なんか聞いた気が──」

「──アーツを使ってもいいのよ?」

「あら?アーツで見るまでもないんじゃなかったの?」

 

 二人の大怪獣バトルを放置して部屋に戻る選択肢も大いにありなのだが、ここから逃げ出せばそれはそれで面倒なことになること請け合いだ。廊下でやりあっている以上、いつ誰に見咎められるかもわからないし、ここはおれが諫めるしかあるまい。

 

「まあまあ、二人とも──」

「わっ、廊下で声がすると思ったら!目が覚めたのね!」

 

 気が進まないまま二人に声を掛けた、その時だった。背後からその声が聞こえてきたのは。

 声を聞いて言い争いをやめたイネスが表情を強張らせるのが見える。反対に、Ωは頭にクエスチョンマークを浮かべている。一体、後ろに誰がいるのだろうか。おれは、恐る恐る振り返った。

 

「かなりの重傷だってケルシーが言ってたから心配していたのよ。でも、もう元気そうで安心したわ、W」

 

 そこにいたのは、白いドレスを纏ったサルカズ。鴇色の影が入った真白の髪に、わき腹から大きく突き出した源石が目を引くが、そんなことはどうでもいい。

 朗らかにおれの名前を呼びながら話しかけてくるこの人は、まさか……!

 

「…………殿……下……?」

「……ヘドリーもそうだけど、そんなに畏まらなくてもいいのに。ここはカズデルじゃないのよ?」

 

 そう言って微笑む目の前の人は間違いない。カズデルの大地を二分する勢力が長、テレジアだ。

 

「殿下って……まさか……」

「あら!あなたは確か……オメガ、だったかしら?」

「ええ……はい、そうです、殿下」

「あなたまで!……そんなに硬くならないで、私のことはテレジアと呼んで。さあ、ほら!」

「ええと……テレジア…………殿下」

 

 今度はΩとまで話始めたが、取り敢えずそれは置いておく。

 話によれば、ここはバベルが輸送していた船の中であるはずだ。そこに彼女がいるということ、これが意味するのはバベルとは殿下の勢力の一部であるということか。……いや、一部というには違和感がある。殿下本人がここにいるということは、相当に重要な組織ということだ。天の領域にまで至ろうとする只人が築いた巨塔の名を冠するとは大仰なものだと思ったが、それもこのことを含めて考えればただならぬ思い入れが感じられる。なるほど、それならば摂政王が狙ってくるのも納得、いやむしろ当然と言えよう。

 強力な後ろ盾が得られればいいなどと考えていたが、まさかこんなことだったとは。

 ……さて。ここからどうする。いや、先ほどイネスがヘドリーがと言ってΩを呼び出そうとしていた。それはつまり、彼が何かを決めたという事だろうか?殿下がここにいるのも、まさかその一環──

 

「W!」

「っ、何でしょう、殿下?」

 

 加速していく思考を止めたのは、殿下の言葉だ。Ωと何の話をしていたのかは分からないが、心なしかウキウキとした様子でおれの名前を呼んでくる。……そういえば、おれと彼女の名前も殿下は知っていたな……

 

「さっきΩに聞いたのだけど、彼女の名前はあなたが付けたの?」

「ええ。私が名付けました」

「W。あなたも、私のことはテレジアと呼んで。堅苦しいのも嫌いだわ」

「は……いや、ああ、わかった、テレジア」

「ありがとう。……それで、どういう想いで彼女の名前を付けたのかしら?私も今、ちょうど名前について悩んでいるところなの」

 

 悩まし気な視線でこちらを見やってくる殿……テレジア。巨大勢力を率いる者とは思えぬ物腰であるが、果たして本当はどうであろうか。彼女はこの戦いの果てに何を見据えているのだろうか。

 ……今、テレジアは一人だ。そして、敬称を自ら拒否したという事は一人のテレジアとしてここにいるという事だろう。それならば、言ってもいいかもしれない。様子見の意味も含めて、おれは彼女の質問に答えて話を続けることにした。

 

「なるほど。……おれが彼女をΩと名付けたのは、最後の傭兵になって欲しかったからだ」

「……最後の傭兵?」

「ああ。テレジアの前で言うのもなんだが、傭兵というのははっきり言って職業としては最低の部類だ。……カズデルで生き残るためには仕方ないとしても」

 

 いったんそこまで言って言葉を切る。

 

「……」

 

 様子を伺えば、テレジアは真剣な様子をしていて、話の続きを待っているようだった。

 それを確認して、おれは言葉を続ける。

 

「おれたちにはもっと別の、戦うこと以外の道もあるはずだ。……例えば料理をするとか、料理を食うとかな。……だから、あいつにはなって欲しいと思った。最後の傭兵に。もう戦わなくてもいい、そんな世界にまでたどり着いて欲しいと思ったんだ」

「……それじゃあ、Ωというのは最後、という意味?」

「ああ。最後の文字で、最後だとか究極だとか、そういう意味だ」

 

 その問答を経て、おれたちの間からは音が消え去り、しばし静寂が訪れる。見れば、テレジアは先ほどおれが語った言葉を咀嚼しているのだろうか、眼を瞑っていた。

 おれも、改めて自分が口にした内容について考える。傭兵であるという自由。そして、傭兵が役割を終えるという、平和。自由と平和、サルカズとカズデルから最も遠いところにあるそれらを、なぜおれは求めているのだろうか。……そんなの、自分に問うまでもない。あいつがいるからだ。

 頭のそうだ追いやられているくず入れ、そこに丸めて捨てられているような、ほんのわずかな、塵のようなイメージ。自由だとか平和だとかが、当たり前のように横たわっている生活。その対極に常に身を置いて生きてきたはずなのに、なぜか存在している。

 それとあいつとが、か細い糸を通じて結びつく。血で彩られた日々の中で、過ごしたほんの僅かな平和なひと時。そこにいるのは、いつもあいつだ。

 ちらりと後ろを見る。そういえば、名前の意味は言ったことがあっても、そこに込めた想いまでは話したことがなかったっけ。そう認識してしまった瞬間、何か急にむず痒くなってきて、おれは前を向き返った。

 間のいいことに、ちょうどそのタイミングでテレジアも口を開く。彼女は、費やした時間に相応しい重みを持って言葉を紡いだ。

 

「…………素敵だと思うわ、W。あなたのつけた名前も、そこに込めた想いも」

「……ありがとう。貴方にそう言ってもらえて、嬉しい」

「こちらこそ、ありがとう。あなたのような人がいると知ることが出来て良かったわ。……私も、皆には笑っていて欲しいと思っているから」

 

 最後の一言は、どことなく寂し気な雰囲気を纏っていた。それでおれは、この人がこうしておれたちに話しかけてきた理由が少しわかった気がした。おそらく彼女は、背負ってきた人間なのだ。しがらみを、責任を、そして様々な人の死を。それでいて、彼女は前に進もうとしている。途方もない重さを背負い込みながら、それでも前へ。

 純粋にすごいと思った。同時に、おれには無理だと思った。たった一人背負っただけでも潰れそうな程なのに、おれやΩのようなただのサルカズたちまで含めて、全員の分を彼女は背負い込もうとしているのだ。

 

「……テレジア、あなたは」

 

 それを感じ取ったおれは、彼女に問いかけようと口を開き──

 

「テレジア、また君はこんなところをうろついているのか。……ドクターが呼んでいる。向こうの状況に変化があったようだ」

「ケルシー?ええ、わかった、すぐに行くわ」

 

 ──そして、その言葉は現れたフェリーンによって遮られた。彼女の言葉に、テレジアは頷くとこちらに背を向ける。そうして最後に、顔だけこちらに向けて微笑んだ。

 

「W。今度また、あなたのことを聞かせてちょうだい。それとΩ、あなたもね。……二人がもし、私たちのため……いえ、未来のために戦ってくれるというのならば、私たちはいつでもあなたたちを歓迎するわ」

 

 そう言い残してテレジアは立ち去る。後に残ったのはずっと黙ったきりのイネス、何を話したのかどぎまぎしているΩ、そして新たに現れたフェリーンの女とおれだ。

 テレジアが廊下の曲がり角に消えていったのを見届けた後、女はこちらを向き直った。

 

「……何を話していたのかは知らないが、随分とテレジアに気に入られたようだな」

 

 警戒心を露わにして、おれに向かって話しかけてくる女。

 先ほどテレジアはこのフェリーンに対してケルシーと言った。その前にも、おれを重傷だといった人物のこともそう呼んでいたと記憶している。実際、来訪者のことを観察してみれば、上着のポケットから注射器と思しきシリンダーが頭を覗かせていた。となれば、少し着崩しているそれは白衣だろうか。

 

「……医者かその類とお見受けしたが、もしやあなたが私の治療を?」

「……感謝は不要だ。私はあくまで私の仕事をしただけだからな」

 

 返ってきたのは無機質な返事。表情をピクリとも動かさないその様子は、同じサルカズ傭兵に対する態度としてテレジアと対照的だ。

 

「……で、あんたはあたしたちに何か用でもあるのかしら?」

 

 その冷たい態度と視線に業を煮やしたのか、Ωが鋭い視線で問いただす。対する女──ケルシー?──は、それを真っ向から受け止めて首を横に振った。

 

「……いや、特に用はない。ただ、患者が出歩くのはあまり感心できないというだけだ」

「あら?本当はテレジ──」

「ケルシー先生。ご忠告、感謝します。私は部屋に戻るので、またこの傷が癒えたらお会いしましょう」

「……ああ」

 

 Ωが色々と混ぜっ返しそうだったので口を塞ぎ、会話を終わらせる。ファーストコンタクトの様子から見て、二人は相性最悪だと思っていたが、その判断は正しかったようだ。未だにもごもごと言っているΩの首根っこを掴み、おれはさっさと病室に退避した。

 

 

 

 

 部屋に戻って手を離すと、開口一番、Ωが先ほどのことで噛みついてくる。

 

「ぷはっ、ちょっと、あんた!なんで邪魔すんのよ!」

「落ち着け。あんなに殿下と親しげだった彼女に喧嘩を売るのは得策じゃないだろ?」

「……けど、それであの涼し気な面の皮を剥ぐって手もあるじゃない」

「分かってる。お前が考え無しに喧嘩を売ったわけじゃないってことくらいは。けど、それはもう少し後でもいいだろ?」

「……わかったわよ」

 

 ぽんぽんと頭に手をやりながら宥めると、どうにか彼女の気持ちも収まったようだ。

 確かに、おれもΩと同じことは思った。あの時、ケルシーは間違いなくテレジア絡みで何かを言おうとしていたのだ。おそらくは、あの警戒具合からして釘を刺しに来たのだと思う。ただ、敢えてあちらがそれを飲み込んで何もなしに済ませようとしたんだ、その意図を汲んでこちらも引き下がるのが堅実だろう。

 ……それに、少し気になることもあった。

 

「……イネス、さっきからずっと黙ったままで、どうしたんだ?」

「……」

 

 あの場にいたのはイネスもだ。それだというのに、言葉を発したのはおれとΩだけ。部屋に戻ってからも、いつもならば茶々を入れてきそうなものなのにやけに静かだった。彼女はヘドリーからの言伝か何かも受け取っていたみたいだし、病室に籠りきりだったおれたちとは事情が異なる。だからこそ、その沈黙が気になっていた。

 

「……それ、あたしも気になってたのよね。もしかしてあんた、アーツで何か見たの?」

「……いいえ。ここはアーツを使うには秘密が多すぎる。それに……」

「それに?」

 

 語気を強めて追及するΩ。対して、イネスはそれを言っていいのかどうかためらっているように見えた。まるで、見えない何かに怯えているかのように。

 それを見て、おれもまたここが化け物の胃袋の中だという事を思い出す。視線を交錯させる二人を尻目に、おれは懐をまさぐって書くものを探した。左の内ポケットからは地図が見つかったが、残念ながら筆記具は見つからない。仕方なく、おれは指の先を嚙みちぎって赤い文字を書いた。

 

『これでいいか?』

「おいおい、お前ら……」

 

 見つめ合ったまま、火花を散らしているように見える二人。それを諫めるようにしてその間に割り込むと、おれは地図をイネスに見せる。

 彼女は、特にリアクションを取ることはなかった。ただ、その代わりに何かをサラサラと書き込んでいる。指先に感じる振動が止まった頃合いを見計らって、おれは口を開いた。

 

「とにかく今はヘドリーから話を聞くのが先決だろ?ほら、Ωもイネスも」

 

 それを合図にして、目線を反らす二人。おれはため息を大きく吐くと、やれやれと首を振って左手の中を見やった。

 

『テレジアは只者ではない』

 

 そこには簡潔に、ただそれだけが書いてあった。

 テレジアはサルカズの王。確かに、只者ではないと言えるだろう。だが、イネスが言いたいのはそういうことでは無いはずだ。……なぜなら、おれ自身もそれを強く感じているから。

 彼女の、おれたちのような傭兵に話しかけてくるある種の気さくさ、纏っていた暖かさ、秘めた哀しみ、そして前に進む覚悟。それらすべてが嘘だとは思わない。むしろすべて本当だとまで思う。それらを踏まえた上で、テレジアが善悪で言ったら善の側に立った人間であることは間違いないだろう。

 

 それだというのに、おれはなぜか彼女のことを恐ろしく感じた。身体が、脳が、警鐘を鳴らしているのが聞こえたのだ。

 ……思えば、おれはあんな風にテレジアと話していたのに、一度もきちんと目を見なかった。彼女が眼を瞑っていた時も、意識をわざわざ口元のほうへやっていた。目を合わせてしまえば、何か、大切なことを忘れてしまいそうな気がしたから。

 ケルシーが来る直前、おれがテレジアに言いかけた言葉。

 

 あなたは、何者なのか。

 

 ……優しい狂気とでも言おうか。あの時垣間見た重みは、彼女にも到底背負えるものではないはずだ。テレジアとて全知全能の存在などではなく、ただの人間なのだから。

 それなのに、彼女はまだ人の姿形を保っている。

 一体彼女は何者なのか、何処から来たのか、何処へ行くのか。

 人は、理解の及ばぬものを恐れる。

 おれは、彼女が恐ろしかった。

 

 

 

 イネスから渡された地図。それを、おれはΩにも寄こした。素早く文字に目をやる彼女。ベッドに腰かけ横目で見やれば、少し不思議そうな表情をしている。それはつまり、おれやイネスほどはテレジアに思うところがないという事か。

 ……おれの杞憂ならばそれでいい。テレジアは、間違いなく”善い人”だ。ともすれば、バベルに惹きつけられてしまうほどに。

 

 この先どうなるのか、はっきりとしたことは分からない。けれども、摂政王側に目を付けられている以上、テレジアの陣営と関わることは不可避だ。その中で、おれは一歩引いて視野を確保しておかなければならない。

 知らぬ間に、底なしの沼に足を踏み入れてしまわないように。

 あいつをしっかりと、守れるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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魔塔探索─The Future of the Two

 テレジアとの邂逅から数日後。

 漸くお医者様から出歩いてもいいとの許可をもらったおれは、ヘドリーと話をした。

 内容はなんてことはない。怪我の状態について軽く話したのと、彼がバベルと結んだ契約についての話だ。

 

 現状、おれたちは敗残兵と言ってもいいだろう。一応与えられた仕事の最低条件は満たしたものの、雇用主に救助されるという醜態を晒したというのが現実だ。人員に関しても、あのサルカズ傭兵が言っていたことに間違いはなく、囮として戦場に出ていた部隊はおれやΩ、イネスの部隊のみならず、そのすべてが多大なる損害を被っていた。

 全滅、即ち部隊としての戦闘能力を失っただとかそういう次元ではなく、殲滅されたのだ。部隊を率いていた隊長から部隊員に至るまで、その全員が文字通り磨り潰された。囮で生き残ったのはおれとΩ、イネス、そして幸運なほんの数人だけだ。

 本命を守っていたヘドリーの部隊も、それよりはましだとは言え人員の8割方を失っている。

 もとより少なくなっていた仕事、死闘の果てに使い果たした物資、消滅した人的資源。傭兵団としては末期も末期、もしこの場がカズデルであったのならば、ハイエナたちに一瞬にして食い尽くされる骸でしかなかっただろう。

 そんなおれたちの数少ない幸運が、バベルの存在だ。サルカズの王、テレジアが率いると思しきこの集団は、どうやらおれたちを継続雇用する意向らしい。

 これまでおれたちがしてきた形式と同じく、バベルが仕事を発注し、それを傭兵団が受注する。支払いも仕事単位で行うというのだから、最大限こちらの意向が反映されたものだろう。現に、ヘドリーもこれ程の好条件が得られるとは思っていなかったらしく、多少の困惑はあるようだ。

 とはいえ、まともな仲介人の心当たりもない今、この誘いに乗る他ない。

 どうやら、おれたちはこの船を拠点に、バベルお抱えの傭兵として再スタートをすることになりそうだ。

 

 

 

 さて、そんなわけで今後の見通しも立った今、おれが何をしているのかというと、端的に言って廊下に突っ立っていた。勿論、当てもなく呆けているわけではない。待ち人をしているのだ。

 

 ヘドリーとイネスは傭兵団の再編成を行っており、人員の配置や物資の補給等に精を出している。話を聞いて、おれもそれを手伝おうと思ったのだが、必要ないと言われた。何でも、彼らの予定では今後部隊は一部隊だけになるらしい。ヘドリーが隊長、イネスが副隊長を務める形だ。

 それではおれたちはどうなるのかというと、遊撃部隊(二人)ということになるそうだ。バベルの活動には小規模なものも数多く存在しており、それに宛がうための編成らしい。……それ以外の意図もあるような気がするが、まあいいだろう。おれにとって重要なのは、あいつと一緒であるということだ。

 そんなわけで、物資調達等に関してもこちらの裁量で行う事になったため、おれがあっちで手伝えることは特にないのだ。むしろ、さっさと自分の分の物資を揃えてしまえとはイネスの弁だったか。

 

 その言葉の通り、おれは既に戦闘に必要なものは確保の見通しを立てた。と言っても、大したものではない。食料と弾薬くらいのものだ。

 結果、現在おれは暇だった。

 そうして、同じ状況はもう一人にも当てはまるわけで。

 

「あら?早かったのね」

「部屋は退屈だからな」

 

 廊下の向こうから聞こえてきた声に返事を返す。声の主は当然、Ωだ。

 お互いにやることはやったのだが未だに仕事がないという状況にあったおれたちは、ちょいとこの船を探検してみようと考えた。今のところ、自分に宛がわれた病室とトイレくらいしか知らないが、ここは相当広いはずだ。これからどれくらいの期間かは分からないが拠点になる場所のことを、良く知っておくのも重要なことだろう。

 それで、お互いの部屋で準備をした後、集合して彼女と一緒に探索することにしたのだが……

 

「逆にお前は……」

 

 割と時間がかかったな。そう、言おうとしていた言葉が喉でつっかえて出てこなかった。原因は、彼女の姿が目に入ってきたことだ。

 いつものカーゴパンツにシャツ、それにブーツという姿を思い浮かべて振り返ったのに、実際現れたのはどうだ。

 シャツの上からは前を開けてジャケットを羽織り、ダボっとしたシルエットだったはずの脚はタイツに覆われてすらりと伸びており、少し上に目をやればプリーツの入った短いスカートなんかを纏っている。足元だって、鉄板入りのブーツから赤黒のスニーカーに変わっているではないか。

 

「どう?なかなかいいと思わない?」

 

 おれの驚きの表情を見て取ったのか、Ωがニヤリと笑って聞いてくる。

 そんなことを聞かれたら、おれにはこうとしか答えようがなかった。

 

「……ああ。すごく……魅力的だ」

「へ?あ、え、ええ、そうでしょ!?」

 

 少し服が変わっただけで、こんなにも変わるものなのか。

 黒いジャケットによってメリハリのついた上半身は、その均整の取れたプロポーションを明らかにし。

 これまでは分厚いパンツに覆い隠されていた脚は、タイツによってその彼女らしいしなやかな筋肉のついた美しいラインを浮かび上がらせている。

 黒と赤を基調としてまとめられたそのコーデを纏った彼女は、サルカズの象徴である真っ赤な角も相まって、とてもチャーミングに見えた。

 

「……ほら!さっさと行くわよ!」

「あ、ああ」

 

 ぼうっとしたまま、何故か語気を荒げるΩに手を引かれ、そのまま巨船の廊下を歩き始める。

 

 ……何だか、顔面に先制パンチの不意討ちを食らった気分だ。これまでかなり長い間共に過ごしてきたはずなのに、最近は次々と知らない彼女の姿に出会う気がする。たとえそれがどんな姿であっても、彼女がおれにとって一番大切な存在であることは変わりないのだが、こういうのは少しばかり卑怯だ。

 

 今の距離が一番心地いい距離感のはずなのに、そこからもう一歩踏み出したくなってしまう。

 踏み出してもいいと、勘違いしそうになってしまう。

 彼女から寄せられている好意は親愛で、それを裏切って傷つけるわけにはいかないのに。

 

 どこかお互いぎこちないまま、おれたちは当てもなく廊下を進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 待ち合わせからしばらくの間は余り記憶がない。まるで白昼夢でも見ているような気分だった。

 だが、それもしばらくたてば収まる。切り替えが上手でないと、傭兵という職業は務まらないのだ。

 そう言う訳で、今はもう二人で特に何事もなかったかのように連れ立って歩いていた。バベルの巨船は流石に巨大で、一体いくつ部屋があるんだと思わせるほどだ。どうやらここは居住区らしく、各々の居室と思しきネームプレートが掲げられた部屋が立ち並んでいる。書いてある名前はScoutだとかApoptosisだとか、一風変わった感じだ。

 ……おれたちが言えることじゃないけど。正直、部屋の外に『W』とデカデカと書かれたプレートが掲げられているのを見た時は、Ωと二人そろって大笑いしてしまった。ついでに彼女の部屋のほうも見に行ったら『オメガ』になっていて、二人そろって首を傾げたものだ。おれが昔書いて見せた『Ω』じゃなかったからな。

 それについて、大喜びでケルシー先生にクレームを入れに行った彼女の顛末について述べるのは、ここでは省略する。ただ、一つ言えるのはあの二人を二人きりにするのは止めた方がいいという事だ。

 

 さて、居住区は似たような造りが延々と続いていて、しかも個人の部屋なので開けられもしないため変化に乏しい。

 たまに見られる変化と言えば、所々剝き出しになった配線くらいのものだ。たまに手動でこじ開けなければならない扉があるのも鑑みると、この船は未だ未完成なのだろう。もしかすれば、完成させるためにレム・ビリトンからわざわざカズデルまで運んできたのかもしれない。

 

「こっちのほうはやっぱりつまんないわね」

「だな。多分優先して稼働させてるのは中枢のほうだろうし、賑わってそうなあっちに行くか?」

 

 などとぼやきながら歩いていると、またまた扉に差し掛かった。二人で息を合わせてこじ開けてみれば、そこには広大な空間が広がっている。

 

「ここ、何かしら?」

「広間……ってのは安直すぎるか」

 

 ぐるりと見渡してみれば、建材が剥き出しの壁に一定間隔を保って立っている柱、それと一応配線されているらしく、真っ白い照明が目に入ってくる。

 少し奥に進んでみれば、これは……何だろうか?障害物か何かなのか、大きなL字を描いて部屋を二つに分断する土台が存在している。その奥側には、パイプや何やらがのたうち回わっているようだ。

 少し考えてみる。まず、この部屋の広さ。おれが最初に広間といったように、恐らくここは大勢の人が使うために設けられた空間のはずだ。一人分のスペースとしてはいくら何でも大きすぎる。仮に当てはまるとしてもテレジアの居室くらいのものだが、そんなものは最初に作るだろう。

 ……あとはケルシー先生の居室とか?……流石にないか。もしそうだったとしたら、革命が勃発するに違いない。参加者は確実に一人は存在するだろう。

 ということで、居室という線はなし。多人数用の施設ということで考えてみる。ここはひとまず、謎解答に定評のあるΩさんから一言頂くとしよう。

 

「なあ、Ω」

「何?……あと次また謎解答とかくだらないこと言ったら肋骨ブチ折るわよ?」

「」

 

 いや、なんも言ってないんですけど。

 

「あんたの考えてることくらい顔みればわかるって言ってるでしょ?いい加減学習しなさい」

「……はい」

「それで、何が聞きたかったの?」

「……あ、うん。……大人数用の場所って言ったらなんか思いつくものあるか?」

「大人数用?そうね……」

 

 うーん、と腕を組み、目まで瞑って考え込むΩ。一体何と答えるのかニヤニヤしながら待ってると、やがて何かいいものを思いついたかのようにニンマリ笑い、指を立てて言い放った。

 

「食堂でしょ!」

「うはははは!やっぱり期待にそぐわな……ん?待てよ……」

 

 胸を張って食欲丸出しな解答をする彼女の姿に思わず笑ってしまったが、直後におやっと思う。

 あのL字に配置された障害物、そしてその向こう側にあったパイプの数々。パイプというのは、何らかの流体、つまり気体か液体を輸送するためのものだ。天井に付いているところからして、恐らくは気体運搬用。では、この拠点の屋内で運搬する必要のある気体とは何であろうか?

 まず思いつくのは換気。屋内の濁った空気を外の新鮮な空気と交換することは必要であろう。それに関しては、眼前に見える四角い角ばった管がその役割を果たすものと考えられる。入口が明らかに何かを吸い込みたそうな広い口をしてるし。

 それでは、もう一種類ある円柱型の管は何か。円は圧力に最も強い形だ、となれば中を通っているのは高圧の気体。ここが居住区なのも考えれば、挙げられるのは恐らく可燃性ガス!先ほどの角ばった管は換気ダクト!そして、L字のこれはカウンター!

 詰まるところ、ここは……

 

「調理場だ!」

「は?」

「そんでもって、こっちが食堂か!」

「……でしょ!?そうよね、やっぱり食堂よね!」

「ああ!となれば、やるぞ!」

「ええ!もうレーションの味にはウンザリだわ!」

 

「「飯を作るぞ!(食うわよ!)ここで!」」

 

 なお、テンションをぶち上げて部屋に戻った直後、まだ食材が補給できておらず、来るのが3日後なことに気付いて二人で発狂した模様。

 

 

 

 

 

「……あんたのせいで無駄にがっかりしたわ」

「……いや、お前が食堂とか言うからだろ」

「……食べたいわね。オニオングラタンスープとか」

「……やめようぜ。腹減るから」

 

 気力と体力をガッツリ持っていかれた状態で、トボトボと二人廊下を歩く。今度向かっているのは、この船の中枢の方向だ。ヘドリーに聞いたところによれば、会議室やら執務室やらがあり、バベルの中心メンバーたちが揃っているらしい。またイネス曰く、化け物揃いだそうだ。

 こちらの方については、おれたちが知っているのは医務室くらい。おれは怪我の状態を検査するため、Ωはケルシー先生にクレームを入れるために訪れている。

 そんなわけで、自室から医務室までの経路を外れたこの場所は未知の領域なのだ。……今はそんなワクワクとかないけど。

 

「あ、あの……大丈夫ですか?」

「ん?」

 

 肩を落としてうろついていたところに、後ろから声が掛けられる。振り向いてみれば、そこにいたのは長い耳を持った小さな女の子だった。あれはコータスだから、もしかするとレム・ビリトンから乗せてきたのだろうか?

 

「……へーきへーき。ただちょっと食事に飢えてるだけよ」

「えっ!ええと……あっ!もしかしたら……」

 

 そう言って、懐をガサゴソと漁る女の子。何かを取り出そうとしているのだろうか、懸命な表情が微笑ましい。だが、受け取るのは気持ちだけでいいだろう。飢えているのは食事に対してであって、口に入れるものを持っていない訳ではない。

 おれは女の子の頭に軽く手をやると、軽く撫ぜた。

 

「あっ、えっ……」

「ありがとう。その気持ちだけで嬉しいよ。けど、食べ物なら持ってるから大丈夫だ。……ほら」

 

 そういうと、ポケットから潰れたレーションのパッケージを取り出して見せる。それを見て、女の子は長い前髪の向こうで目を白黒させているようだ。

 

「あら?知らないの?これは食事とは言わないの。食事ってのは、シチューとかポトフとか、そういうもっと美味しいもののことを言うのよ」

「スープ系ばっかだなお前……」

「いいじゃない、あったかいもの食べたいのよ。ここはちょっと陰気だし」

 

 好き勝手ああだこうだと言っていると、フリーズから立ち直ったのか、女の子が恐る恐るという感じで呟いた。

 

「し、シチュー、ですか?」

「そ。食べたことないなら御馳走するわよ?……こいつが」

 

 勝手に安請け合いした挙句、見事なドヤ顔まで披露するΩ。……ちょっとかわいいのがムカつく。

 そんなおれの内心など置いてきぼりにしたまま、二人の食べ物トークは進行していった。

 

「本当ですか!……あ、す、すみません。急に大きな声を出して……」

「いいのいいの、食材を強請る口実にもなるしちょうどいいわ」

 

 ……おい。純真そうな小さいこの前でお前は何を言っているんだ。

 

「なんか向こうに食堂もあったし、調理場もあったしね。そこで食べましょ」

「……え、ええと……食堂って……ケルシー先生がまだ入っちゃダメだって……」

「……」

「……」

「……」

「……もしあの女に言ったら、あんたにシチューはやらないわ。いい?」

「は、はい!わかりました!」

 

 威圧するΩの前に、首を縦に振るコータスの少女。その姿を見て、彼女は満足げに頷いて言った。

 

「……よし。さ、行くわよ」

「いや、もうどこから突っ込めばいいかわかんないんだけど」

「お、お気を付けて……」

 

 三者三様、言葉を発して少女と別れる。

 いやはや、純粋な少女と成長した彼女の対比が見事な一幕であった。

 ……ところで、あの子は一体何なんだろうか?バベルが慈善団体か何かなら別に疑問は無いのだが、そうでないならば余りにも幼すぎる。ここで出会ったのは偶然だったにしても、この場にいるのには何か理由があるはずだ。

 ……バベルはまだまだ謎に包まれている。内側に潜り込んだというのに、それだからこそそのことがよく理解できた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 おれたちの巨船探索はまだまだ続く。いよいよ中枢エリアにやってきたのか、廊下の感じもだんだん変わってきた。黒鉄に囲われたという印象だったものが、段々と白を基調としたものに変化してきたのだ。

 部屋に関しても、大きなガラス張りがされていて、中の様子が見えるようになっている。これまで通ってきた部屋は伽藍洞だったものの、先の部屋には人がいそうな雰囲気だ。

 ……なぜかって、さっきから大声が聞こえ続けてるからな。

 

「……ねえ、この先に行くのやめない?」

「……奇遇だな。おれもちょうどそう言おうと思ったところだ」

 

 二人で顔を見合わせて、コソコソと話し込む。その間にも向こうの方からは興奮したような声と何かが落ちる音が聞こえてきていた。

 

「な……!ボク…………ら………タ……のさ!」

「ケル……クソ……が!!!」

 

「……なんかちょっと気が合う気がしてきたわね」

「……やめとけ」

「あー!!もう…………!!ちょ…………外の空気吸ってくる!!」

「!」

 

 ……ヤバい。くだらないこと話しているうちに、件の人物が廊下に出てきやがった……!

 見つけられたら果てしなく面倒なことになりそうなので、即座に撤退を決定する。Ωとアイコンタクトを取り、一番近い廊下の曲がり角に無音かつ最速で飛び込もうとして……

 

「あ」

 

 ……後ろから声がする。Ωと一緒に、ぎちぎちと錆びたブリキ人形のように首を回すと、その碧い瞳におれたちのことを完全にロックオンした白衣の人物の姿があった。

 

「……」

「……」

「…………うへ、うへ、うへへへへへへへ!」

「走れ!」

 

 全員が固まったようにしてできた間を、おぞましい笑い声が吹き飛ばす。顔中の筋肉を緩めに緩めまくって涎を垂らすその姿を見て、おれは思わず叫んだ。Ωなどは、もはやそれを聞くまでもなく走り始めている。

 

「逃がさないよ……!隔壁閉鎖、E-11,12!」

 

 だが、逃走のためのその努力は虚しく白銀の壁に閉ざされた。ストーカーが叫びながら壁をぶん殴ると、人を殺せるんじゃないかって勢いで隔壁が降りてくる。それは実に的確なタイミングでおれたちの進路を閉ざすと、奴の後方までもを塞いだ。それはつまり、完全にこの場所に閉じ込められたことを意味する。

 

「うへへ……君たち新入りだよね?ふひ、ふひひ、やっと会えたねぇ……!」

「「ひっ!」」

 

 背筋にぶるりと寒気が走って、思わずΩに飛びついてしまう。こちらの背中にも手が回っている気がするのだが、そんなことにまで気が回らない。

 どうする!?ケルシー先生やテレジアの態度でバベルは敵対する気はないと思っていたが、おれの眼に狂いがあったのか!?こいつの言っていた新入りという言葉、もしかすると、契約というのはそういう事だったのか!?

 

「大丈夫。痛いのはちょっとだけだからさぁ。ボク、結構上手いんだ。だから……」

 

 懐から取り出され、こちらに向かって伸ばされる魔の手。おれは、アーツでそいつを消し飛ばすことを決意した。狙いを定め、重力の奔流を解き放──

 

「……紙?」

「ちょっとまずはアンケート書いてくれるかな?」

 

 ──は?

 

 

 

「いやあ、ごめんごめん!ケルシーのクソバカアホにやりたかった検査を却下されちゃってさ。ちょっと興奮しちゃってたんだよね」

「……さいですか」

 

 十分後。おれたちはガラス張りの部屋の中に案内されて、ストーカーもといRidiculousと話をしていた。彼女はこのバベルの一員で、研究を主に行っているらしい。どうやら、この組織はドンパチするだけの脳筋集団ではなく、こうした活動もしているようだ。

 先ほどまでの何もなかった白い部屋とは違い、この部屋には様々な機器が設置されている。彼女がいうには、バベルにやってきた者たちはこれらの機器を使って身体データを色々と取るそうだ。その一環として血中源石濃度を調べるのだが、その時の採血針を刺すのはRidiculousの得意技らしい。何でも、他の人と比べてあまり痛くないと好評なんだと。

 ……いや、紛らわしすぎだろ!

 

「それでさ、いいかな?いいよね?」

「……どうする、Ω」

「……そうね……」

 

 彼女は、その検査をおれたちにもしたいらしい。本人曰く、これは規則だから必要なことらしいのだが、果たしてどうか。嘘を言っている雰囲気はなかったが、言外の含みを感じた。恐らく、バベルの人員が検査をしなければいけないというのは嘘ではないのだろう。ただ、それが傭兵のおれたちにまで適用されるかは微妙なところだ。

 ケルシー先生云々も、おれたちを検査することを却下されたのではないかという疑惑まである。単に彼女が自分の知的欲求を満たしたいだけでは、というのがおれの所見だ。

 ただ、メリットがないわけではない。自分たちの身体機能を、データとして知ることができるのは今後の作戦立案などに大きく役立つだろうし、現時点でバベルの化け物連中たちとおれたちの間に、どれくらい差があるのかを知ることもできる。

 逆にデメリットは何かされる危険があるというくらいか。……うーん。

 

「……もし検査以外の妙な真似をするようだったら、即座にアーツでお前を消す。それでもいいんだったら、いいだろう」

「ま、そんな落としどころでしょ。あたしも興味自体はあるしね」

「そんなの当たり前じゃん!ナチュラルじゃないデータなんて何の意味もないのに!」

「そ、そうか」

 

 物凄い剣幕で叫び、茜色の髪を振り乱すRidiculous。妙な地雷を踏んでしまったのかは分からないが、この様子ならあまり心配はないかもしれない。

 

「さ、さ、さ!やるよやるよやるよ!まずはこの器具を取り付けて……」

 

 

 

 それからしばらく、おれたちは彼女に言われるがまま検査を受けた。身長を測ったり、造影検査をしたりといったものから、ランニングマシンを用いた運動強度の測定、机上演習による戦術・戦略への適正の測定。さらには、ロボットを用いた模擬戦闘など、幅広い分野にわたってだ。

 どれも順調に行われていたのだが、唯一ひと悶着があったのは最後、アーツ適性検査の時だ。まず、手の内を見せたくないこちらと全部みたいあちらで揉めに揉めた。最終的には個々のアーツよりもアーツ学に基づいたゼネラルなデータの方が重要との判断で、こちらの要求が通った。通ったのだが……

 

「いやいやいや!おかしいって!何でそのアーツ適正でそんなショッッッッッッボいことしかできないのさ!?」

「……おい、お前見たのか?」

「違うよ!ボクはただ君のアーツが干渉したことによる場の乱れを計測しただけだって!」

 

 おれの質問に対して、全ギレで答えるRediculous。言っている意味は全然分からないが、とにかく本当に見ていないだろうことだけはわかる。おれはΩにアイコンタクトを取った。

 

「……アーツは発動してるはずなのにこっちへの影響が少なすぎる……まさかどっかにリソースを……うーーーーーん……うわー!クソ、バラしたい!バラして見てみたいけどダメだし……んぎぎぎぎぎぎ!」

「うわぁ……」

 

 彼女は考え込むと、何事かを突然ブツブツと呟き始めた。間間に物騒な言葉が挿入されているような気もするし、物凄い歯軋りをしているしで正直ドン引きだ。

 そんな状況をΩと二人で出口へ後ずさりしながら眺めていると、ピタリと動きが止まり、カサカサとこちらに近づいてきて彼女は言った。

 

「とりあえず、今日の所は帰った帰った!ボクはこれから色々やんなきゃいけないからさ。打倒ケルシー、ようこそ七徹!うへ、うへ、うへへっへへへへ!」

 

 お言葉に甘えて、おれたちは即座にその場を逃げ出した。勿論、これまで取ったデータのコピーはすべてΩが回収したので安心だ。

 

「今日の所はどころかもう二度と来たくねえなここ」

「あの女にチクっておくわ。それで一件落着でしょ」

 

 バベルは化け物だらけというイネスの言葉は実際正しかった。非戦闘員までそうだとは思ってもいなかったけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、この船の探索もいよいよクライマックスだ。バベルに住まう化け物たち、そのお顔を人目拝んでおくとしよう。

 

「ここ、か?」

「……多分ね」

 

 眼前にあるのは船の最上部。メインブリッジだ。恐らく、本来ならばおれたちが入れるような場所ではないのだろうが、まだ船が未完成なこともあり、セキュリティは機能していないようだった。思えば、これまでこんな風に自由にうろつくことが出来たのも、そのためかもしれない。

 

「……とりあえずノックしてみるか」

 

 コンコンコン、とリズムよく扉を叩く。すると、向こうからくぐもった声が聞こえてきた。

 

「ケルシー?」

 

 言葉とともに、ドアが開く。開けたのはテレジアだった。

 

「どうも、殿下」

「うわぁ!?……驚いたわ、ケルシーじゃなくてWだったなんて……あら、Ωもいるのね!さあ、入って!」

 

 殿下はいらないわよ、なんて言う彼女に連れられて、二人で部屋の中へと入っていく。見渡せば、一面に輝くディスプレイが広がっていた。

 

「それで、今日は二人で……あら?Ω、もしかしてそれ……」

「気分よ気分!今日はそういう気分だったのよ!」

 

 なんだろう、思ったよりもΩとテレジアが親しげだ。以前おれと一緒に会った以外にあまり接点もないと思っていたのだが、あの後も話す機会があったのだろうか。

 

「ふふっ、それについてはまた話を聞かせてもらおうかしら。……それで、二人はどうしてこんなところまで?」

「ちょっとした探検よ」

「取り敢えず、自分たちの拠点になる場所をよく知っておこうと思ったんだ」

 

 Ωの答えに付け加えるようにして、おれは建前上の理由を述べる。すると、テレジアは表情を緩めて嬉しそうに言った。

 

「まあ、ロドス・アイランドの探索を?」

「ロドス・アイランド?」

「そう、ロドス・アイランド。この船の名前よ」

 

 船の名前。そういえば、彼女は前に名前について悩んでいると言っていた。誰かのことかと思っていたが、もしや船の事だったのか。

 

「この間Wの話を聞いて改めて思ったの。きっと、名前というものには名付けた人の想いが込められているって。だから、ちゃんと本名を使ってあげなきゃ。ケルシーやドクターからは反対されたけれど……」

 

 壁に、いや船に目をやりながら、しみじみと語るテレジア。そんな彼女の言葉の中には、聞き逃せない単語があった。

 

「本名……?船に?」

「ええ。最深部に資料が残っていてね。どんな意味かは分からないけど……それでも、いい名前でしょう?」

 

 ロドス・アイランド。その名前を、口の中で転がしてみる。なるほど、不思議な響きだ。特にロドスという部分が、何だか少し聞き覚えがあるような気がして。けれども、いい名前だとも思った。

 

「ロドス……ああ、いい名前だと思う」

「ほら、やっぱり!それじゃあ、どうにか頑張ってケルシーを説得しなくちゃね」

「そういうことなら、あたしも手伝うわよ」

「どんだけ嫌いなんだ、お前は……」

 

 相手がケルシー先生と分かった瞬間、加勢することを即決したΩに呆れながらも、おれはあることに気づく。

 さっき、テレジアは名前が資料が残っていたと言った。それはつまり、この船はバベルの手によって造られたものではないということを意味するのではないだろうか。

 しかし、こんな巨大なもの、レム・ビリトンにあったとしても放っておかれるはずはない。そのまま使う事は無いにしても、解体すれば資材にはなる。だというのに、内装は未完とは言え、船としての体裁を保っているというのは一体どういうことなのだろう。

 考えられるのは、普通では見つからない場所に隠されていたという可能性。しかし、だとすればなぜバベルはそれを見つけられたのかという話になってくる。

 ……ダメだ。考えれば考えるほど、分からないことが増えていく。謎を一つ明らかにすれば、新たに謎が二つ三つ出てくる、そんな感じだ。これでは……

 

「そういえば、Wはどうなの?」

「……っ?」

「あんたの名前の話よ。これまで気にしたことはなかったけど、この船みたいにあんたにもあるの?本名っていうのは」

 

 テレジアの問いかけで、思考が中断される。慌てて意識を現実の方に引き戻すと、Ωが内容の補完をしてくれた。心なしか少しそわそわしているような気がする。

 ……本名、か。そう言われてみると、少し考えてしまう。

 これまで傭兵として生きてきて、名前というものに個体を識別する以上の役割は求めていなかった。Ωの時には、色々と変わったせいかそれ以上の役割を込めたけれども、あいつと出会う以前については特に頓着はなかった。

 Wという名前すら、どうして付けたか覚えていないほどなんだ。本名なんぞ、それ以上に覚えていない。

 ……その筈なのに、何故か本名が、Wでない名前があるような気だけはする。そうして、それが何か温かいものと結びついているという事も。

 

「……ある、とは思う」

「本当!?なんて──」

「けど、覚えてはいない」

「あ……ごめんなさい、私──」

 

 そのことを告げると、テレジアはハッとした表情をして、直後に申し訳なさそうな顔をする。そのまま、謝罪の言葉がやってくる前に、おれはそれを遮った。

 

「いや、いいんだ。名前を覚えていないなんて、カズデルではよくあることだしな」

「……」

「……けど、それが何か温かいものだってことは覚えてる」

「……!……ええ、ええ、そうよね!……やっぱり、私はみんなの名前を覚えておきたいわ。とても温かくて、そうして忘れられないものだもの」

 

 そう言って、彼女はどこか遠くを見つめるようにして儚く微笑んだ。

 ……やっぱり、テレジアはいい人だ。善良で、清廉で、篤厚で。こんなの、会って話せば誰でも絆されてしまうだろう。

 おれは少し、こんな風に言葉を交わしながら心の底で彼女を警戒している、自分のその心が嫌になった。

 

「W、それにΩ」

 

 小さな痛みを感じていると、テレジアがおれたち二人の方を見やって語り掛ける。

 

「これから、カズデルの運命が決まった後。あなたたちが「W」と「Ω」じゃなくなる時がきたら、きっと良い名前が欲しくなるわ。サルカズらしい、良い名前が」

 

 そこまで言って、彼女はいったん言葉をきる。どうやら、おれたちの様子を伺っているようだ。カズデルの運命が決まった後というのは、この内乱が終わって、もう戦う必要が無くなったらという事か。……どうなんだろうか。名前というのは、そんな時欲しくなるものなのだろうか。

 ちらりと隣に目をやれば、恐らくおれと同じであろう、どこか分からないような顔をしている。

 すると、おれが視線を戻さぬうちに、テレジアが先ほどの言葉の続きを口にした。

 

「二人で呼び合って、温かい気持ちになれる名前が」

 

 ……二人で呼び合う?作戦の最中に個体を識別するためではなくて、平穏の中で?

 それを想像したとたん、カッと顔が熱くなるのを感じた。慌てて、先ほどまで横にやっていた目をテレジアの方へ戻す。おれのその様子を見てか、テレジアが実に楽し気に笑った。

 

「ふふふっ!あなたたち、本当に仲がいいのね。今だって、動きがそっくりだったわ」

「「……っ!」」

 

 思わず息を呑む。あいつの表情を確かめてみたいような、確かめてみたくないような、そんな気持ちになって、目があちこちに泳いでしまう。

 なんだ?おれたちは殿下直々にからかわれているのか?

 

「ちょ、ちょっとテレジア、適当言うんじゃないわよ!からかってるの!?さっきから!」

「ダメよ、Ω。サルカズの女性はお淑やかじゃないと」

「……!!!」

「ちょ、落ち着けって!」

 

 おれは鼻息を荒くするΩのことを脇から抱えて必死に留める。それを見て、テレジアはからからと笑う。

 

 あいつが落ち着くまでの数分間、ずっと二人密着したままだったことに気付いて気まずくなったのは、テレジアに指摘されるまでもないことだった。

 

 

 

 

「一刻も早く、ロドスの食堂を完成させるべきよ!」

「それに関しては全面的に同意する。何より、調理場を早く完成させてくれ」

「ええと……できる限り頑張るわ。クロージャにも頼んでおくから……」

 

 それからも、おれたちとテレジアとの会話は続いた。雑談とも言うべきだろうか。彼女も今は暇のある時間らしく、いつの間にか会話の主題は食べ物の事へと移っていき、主導権は完全にΩが掌握していた。

 

「それから、次に補給できる食料ってのは一体何なの?こいつにメニューを考えさせるから、知っておきたいのよ」

「それが……急なことだったし、あんまり資金に余裕もないし……じゃがいもくらいしか……」

「じゃがいも!?……任せたわよ、あたしのシェフ」

「だからシェフじゃないって……まあ、任せとけとは言っておくけど」

 

 じゃがいも料理は前菜からスープまで、色々と揃っている。食堂&調理場のこけら落としに、じゃがいもフルコースというのもなかなかいいのではないだろうか。

 そんなこんなでテレジアを困らせながら、やいのやいのと騒いでいると、ドアが開いた。

 現れた人影は一つ、黒いフードを被った人物だ。

 

「ドクター!ちょうどいいところに……ああ、彼はドクターよ。二人にはまだ紹介してなかったわね」

「…………」

 

 ドクター。そう呼ばれた人物は、テレジアの言葉に反応してこちらを向いた。瞬間、ドクンと心臓が波打つ。まるで、こちらの全てを見透かすような視線。目は見えないのに、おれはまるで眼前に怪物の眼玉が迫っているかのような圧迫感を覚えた。

 ふと、ドクターがこちらから目を反らす。それで、おれはプレッシャーから解放された。ちらりと隣のΩも見やる。彼女もまた、額に嫌な汗を浮かべているようだった。

 

「……やあ。君たちのことはテレジアから聞いているよ。彼女と同じく、私も二人を歓迎するよ」

 

 ドクターは、先ほどあの威圧感を放っていた人物と同じとは思えないほど、朗らかな声でそんなことを宣った。

 ……なるほど。彼が一番の化け物だったか。

 テレジアも、ケルシー先生も、確かに化け物と言われるようなヒリついた感覚を感じさせられる。何か、秘められた強大なモノを感じることはできる。

 ただ、このドクターはそういうものではない。テレジアともまた違った未知。何も感じないはずなのに、何もかもを知られているような気がする。

 

「……よろしく、ドクター。殿下、彼はすごい人物ですね」

「……そうね。ドクターは私たちにとって大切な人だもの。特に……」

「テレジア。なぜ彼らがここにいるんだ?」

「うげっ……」

 

 テレジアの声を遮り、室内に響き渡った声を聞いて、Ωがげんなりとした声を上げる。

 視線の先には、予想通りの人がいた。即ち、ケルシー先生だ。

 

「ロドス・アイランドを探検しに来たんですって。それで、私が迎え入れたの」

「はあ……テレジア。あまり君を縛ることを言いたくは無いが……もう少し行動には気を付けてくれ。君に何かがあれば……いや、ここでは止そう」

 

 明らかにおれたちのことを気にした目線を残して、彼女は口を噤んだ。

 改めて室内を見渡してみる。

 テレジア。ドクター。ケルシー先生。なるほど、これがバベルのトップ達か。

 確かに皆化け物だ、その認識には変わりはない。

 

 けれども、それだけではないこともわかった。

 ケルシー先生に苦言を呈されて、困ったような表情をしているテレジア。その二人の様子を見て、苦笑といった雰囲気のドクター。

 皆化け物だけれども、同時に人間でもあった。

 

 ……おれは、バベルの謎についてあれこれ考えていたけれども、それは謎が謎を呼ぶいたちごっこで。けれども、それはおれの考える謎の組織、「バベル」だ。

 もしかすれば、バベルというのは、おれが今日見てきたもの、そのものなのかもしれない。

 

 奇人変人、化け物が勢揃いで。

 そして、それらが皆、人間として暮らしている場所、というものが。

 

 

 

 

 




 基礎情報                      
【コードネーム】W
【性別】男
【戦闘経験】十年
【出身地】カズデル
【誕生日】本人は忘れたと主張
【種族】サルカズ
【身長】178cm
【鉱石病感染状況】
メディカルチェックの結果、感染者に認定。
 能力測定                      
【物理強度】標準
【戦場機動】標準
【生理的耐性】優秀
【戦術立案】優秀
【戦闘技術】優秀
【アーツ適正】■■
 健康診断                      
造影検査の結果、臓器の輪郭は不明瞭で異常陰影も認められる。循環器系源石顆粒検査の結果においても、同じく鉱石病の兆候が認められる。以上の結果から、鉱石病感染者と判定。

【源石融合率】17%
明らかな感染の形跡がある。診断はまだ不十分であり、今後も継続的な診断が必要だと考えられる。

【血液中源石濃度】0.33u/L
長年のカズデルでの傭兵としての活動、及びアーツの多用により、Wの感染状況は芳しくない。

血液中源石濃度のモニタリングしながらアーツを使ってもらったんだけど、ちょっと変なんだよね。なんかあんまりフィードバックされてないっていうか。もうちょっと、限界までアーツを使ってもらってもいいかな?

──医療オペレーターRidiculous

 第一資料                      
彼のアーツは異常の一言だね。理論上最大値どころか理論値をぶっちぎっているアーツ適正とアーツ規模のはずなのに、実際に現実に出力されているアーツは極めて小規模かつ精度の悪いものなんだから!敢えて例えるのならば、そこらへんのオリジムシに移動都市の源石エンジンを積んで、それが動いて「はい、すごいね」って言ってるようなものだよ、彼の現状は!こんなモノを目の前にして、何もできないだなんて研究者としては血の涙を流さんばかりの思いだったね。ついては、ボクに彼を解剖する権限を与えてほしいな。一つの個体を解剖するだけで、その数万、数億倍の個体をから得られる以上の成果を得られるんだから、安いものさ。傭兵をやらせとくには余りにも勿体ない。そんな風に戦場で何をやってもできることには限りがあるけど、ボクの所に来てくれればその何千倍ものことが出来るようになるはずだよ。もしボクの邪魔をするって言うんだったら、例え相手がケルシーだろうと──え!?ケルシー先生!?いつの間に……あ、いや、違うんです!ボクは……あ、ああああああああ!

──医療オペレーターRidiculousの馬鹿げた提案は、ケルシー医師によって却下された。


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強襲偵察─Beyond the Limit

「なあ、今回の布陣、本当にこれで大丈夫か?」

「これくらい平気よ。それに、こっちの方が効率的じゃない」

「けどなあ……」

「あら、あたしの作戦立案が信用できないの?どこかの誰かさんとは違って”卓越”だけど?」

「……おれは”標準”の誰かと違ってアーツ適正■■(黒塗り)だけどな?」

「……へえ?聞き違いじゃなければ…………やめましょ、キリがないわ」

「……だな。……余計なお世話だとは分かってるけど、おれは……」

「皆まで言わなくてもいいわよ。あんたが心配してくれてるのは分かってるわ」

「……わかった。今回はこれで行こう。ただ、少しでも危険だと思ったらそっちに向かう」

「ええ。その時は頼むわ」

「ん?……なんだ、そこまで織り込み済みか?」

「ふふっ。そこに関しては、あんたのことを信用してるのよ」

「……そんなことを言われたら、おれもお前の作戦を信用しないわけにはいかないな」

「……大丈夫よ。あたしたちならやれるわ」

「……おう」

 

「……おいおい、あんたら俺がいること忘れてない?」

 

 

 ロドス・アイランド号に収容されてから3週間後。おれはケルシー先生の助力もあって無事怪我を完治させ、仕事のほうに復帰していた。食料・弾薬の補給もしっかりとできたし、戦闘勘に関してもΩと訓練室でみっちりトレーニングして取り戻すことが出来たので不安はない。

 ……ちなみに、食料は本当にじゃがいも祭りだった。しかも、他の食材が全く足りないためにひたすら蒸かした芋ばかりが出てくるというヘルウィーク。何でも、大量入荷に合わせてじゃがいも蒸し器をどこかから仕入れてきたらしい。「一度で大量のじゃがいもを甘みを最大限に引き出す最適な時間で蒸すことが出来る、革命的なマシンだよ!」とは仕入れ担当者の言だ。

 そんなクソほど要らないものを買うくらいなら、さっさと調理場を完成させてほしい。まあ、優先順位というものがあるのは分かるが、早く何とかしてほしいものだ。テレジアによれば、コンピューター制御やら何やらを組み込んだハイテクなものになるそうなので、そこに関しては期待しておく。

 ちなみに、これは余談だが、件の一回使ったらもう二度と使わなそうなマシンには"MADE BY Dr.Wells"との文字が刻んであった。あのアホは軍需品から手を引いたかと思ったらこんなモノ作ってたのか……

 

 さて、今現在、おれたちはロドス・アイランドを離れてカズデルのとある地域を訪れていた。要するに、仕事だ。

 これまでいくつかバベルのオペレーター達との顔合わせも兼ねた簡単な任務は請け負ってきたが、本格的なものは今回が初めてになる。

 仕事内容は偵察といったところだろうか。現在絶賛進行中のテレシスとテレジアの戦いは、まさにカズデルを二分する内戦。その戦線はカズデル中の至る所に存在している。今回おれたちが訪れたこの場所の近くには、テレジア側勢力の町があり、交通網上比較的重要な拠点の一つだ。以前から何度か襲撃を受けることはあったが、敵も本腰を入れてはいなかったために撃退に成功している。

 しかし、トランスポーターの持ち帰った情報によれば、近く本格的な侵攻があるらしい。そのため、詳しい敵の規模や装備、構成を知るべく、おれ、Ω、Scoutの三人がやってきたのだった。

 

 Scoutは既に何度か顔を合わせたことがあるオペレーターだ。初めて会ったのは、延々と続く蒸かし芋に我慢の限界に達したおれたちが、甲板で火をおこそうとしていた時。

 初めは止めに来たのかと思い戦闘になりかけたが、芋の被害にあった同志だと言うことが分かってからは早かった。

 仕入れ担当者にフルコースをご馳走するという賄賂(空手形)を渡してどうにか手に入れた油を使い、蒸かし芋を潰して円盤状に形成したものを揚げ焼きにして塩をふれば、フライドポテト?の完成だ。

 カリカリとした食感が加わるだけで、食卓はこうも豊かになるのか。フライドポテトは、調理という行為の素晴らしさを実感させてくれるような出来映えだった。

 Ωなどはいつもの緩々な表情を見せるどころか目に涙まで浮かべ、Scoutも満面の笑みを浮かべていたのだから、やはり料理は偉大だ。

 その後、おれたち3人はバカ笑いしながらポテトに齧り付いていたところ、ケルシー先生に発見され連行、ポテトは没収の憂き目にあったのだが、それについては割愛する。

 ともかく、Scoutはバベルにやって来てからの短い期間で知り合った、数少ないオペレーターの1人だと言うことだ。

 

 

 

「あー、こちらW。聞こえるか?」

『聞こえてるわよ。そっちで何かあった?』

「座標K2、街道付近に敵影を確認した。詳しい規模は分からないが、少なくとも20人は居そうだ」

 

 準備を終えたのち、おれたちは作戦通り散開して偵察を開始していた。今回は隠密偵察、すなわち敵に悟られぬように行うものだ。そのため、各自隠蔽を行って、風景に紛れ込むようにして配置についている。隠蔽技術の高いΩ、Scoutが通る可能性が高いとされる街道沿いを、おれが高台から俯瞰をといったようにだ。

 今、おれの視線の先にはサルカズ傭兵の姿があった。双眼鏡越しでもだいぶ小さく写っているそれらは、恐らくは軍事委員会の手の者たちだろう。ただ、そこら辺に関しては装備も確かめなければ確信は得られないが。

 

『K2ってことは……残念、Scoutのほうね』

 

 今回の作戦領域には座標を割り当ててある。座標K2は2つある街道のうちの一つ、Scoutが担当している方の近くだ。

 通信機越しに彼の声が聞こえてくる。

 

『了解。引き続き他に部隊がいないかの警戒を頼むぞ、W』

「了解。……Scout、見つかるなよ?」

『おいおい、俺がそんなヘマすると思うか?』

「……ケルシー先生には見つかったよな?」

『……ケルシーさんは別だ。じゃあ、よろしく頼む』

 

 そう言ってScoutはすぐに通信を切った。敵が近いから、傍受の危険があるからなど、理由はいくらでもあるだろうが今のは……

 

「逃げたな」

『逃げたわね』

 

 都合の悪い話を打ち切るためのものだろう。

 おれはフライドポテトの時即座にこっちを見捨てて隠れた挙句、これまた即座に発見されたことをちゃんと覚えてるからな?

 

『……ま、あっちはほっといてあたしたちは仕事を続けましょ』

「気を付けろよ。おれも何か見えたらすぐに知らせる」

『了解。あんたも気を付けるのよ』

 

 続けてΩも通信を切る。そうして再び、辺りには沈黙が訪れた。

 

 今回の作戦での理想は、戦闘が起こらないことだ。あいつの技術をもってすれば、自分から先制攻撃しない限りそうそう見つかるものではない。だからこうして少人数であっても分散した配置を取っていることは理解している。

 ……加えて、最悪見つかるのが自分なら後で()()()()()()という計算もあいつならしていることだろう。何せ、バベルの連中に混じって戦術立案”卓越”なのだから。

 ただ、いつまで雇用関係が続くのかは分からないが、おれはバベルにいるうちは巻き戻りを引き起こしたくないと思っている。心情的な部分では言うまでもないが、より冷静な部分でもだ。

 この現象が存在していることを、彼らに決して知られてはならない。知られたら最後、それを解明すべく延々と実験されることは目に見えている。おれは、Ridiculousと会ってそれを確信した。

 本当に最初の頃のおれであったのならば、具体的には同じ日を何度も繰り返していた頃のおれだったのならば、それでも良かったのかもしれない。それでこの現象の謎が解明できるのであれば、おれは喜んで協力したのかもしれない。

 けれども、あいつと「出会って」からは違う。

 ……正直、おれにとって巻き戻りの謎なんて言うのはもうどうでもいいんだ。それよりもよっぽど大事なものがあるんだから。

 実験というのは、それはつまり何度も何度も、何度も何度もあいつを繰り返し殺すということに他ならない。そんなことを許すことなんて決してできないじゃないか。

 ……心情的なものではない、なんて言った割には結局落ち着くのはそこなのだけれども。

 

 バベルには頭の切れる連中も多い。特にケルシー先生、そしてドクターなどは些細な違和感も見逃さないだろう。彼らに悟られないためには、その些細な違和感すら生じさせないこと、つまりは巻き戻らないことこそが最善だ。

 だから、これからの仕事は特に気を付けて行わなければならない。今回は作戦内容とScoutのほうが危険性が高いという算段からこちらが折れたが、いざという時は例えあいつに嫌われようとも止めるべきだろう。

 

 ……いや、嫌われるのはやっぱりイヤだわ。

 

 

 

 

 

 任務は至極順調に進行していた。Scoutは見事に敵の装備、規模、編成の詳細の情報を得ることに成功しており、それらは全て町の防衛部隊のほうに連絡済みだ。

 敵はやはりテレシス側の傭兵で、重装備の剣士を中心に少数のボウガン持ちからなる部隊だった。市街戦仕様の、至近距離での戦闘をメインに考えられた編制だ。この情報を事前に得られたことで、防衛成功の確率はかなり上昇したことだろう。

 ……ただ、少々町一つ攻略する割には兵力が少ないのもあり、追加の情報収集を行う事となった。戦力の分散は悪手というが、優勢であるテレシス陣営のことだ。こちらを上回る規模の部隊を逐次投入、波状攻撃を仕掛ける可能性もある。ScoutとΩの見解は、それはないと切って捨てることはできない、というものだった。

 

 辺りは既に真っ暗だ。僅かな月明かりだけの闇夜に紛れて、密かに進んでいる敵がいるかもしれない。

 おれは僅かな光、動く影も逃すまいと辺りに目を凝らす──

 

 ──と、その時だった。視界の一角、真っ黒な風景の中に鮮烈な光があらわれる。

 

「爆発……?」

 

 果たして、その推測は正しかった。数瞬の時を置いて、静まり返った辺りに爆音が響き渡る。間違いない、源石爆弾の爆発音だ。つまり、それが意味するところは──

 

「Ω!」

 

 おれは手元の通信機に向かって叫んだ。敵にこちらの存在が感づかれるだとかそんなことは頭にない。もはや反射とも言うべき行動だった。

 

『感知系アーツよ!……ちっ、こんなことならもう少し埋めとくべきだったわ!』

 

 その甲斐あってか、通信機の向こうからはあいつの元気な返事が返ってくる。断続的な爆発音も引き連れてはいるが、とにかく無事ではあるようだ。

 しかし、感知系アーツか。どうして彼女が発見されたのだろうと思ったが、厄介なのがいたものだ。直接的に戦闘能力に寄与するアーツではないためにカズデルではほとんど見かけず、専らラテラーノの連中のものだと思っていたのだが……バイアスがかかってしまっていたのだろうか。

 しかし、相手もまた混乱しているはずだ。潜んでいた敵の居場所を暴いたと思ったら、それが大立ち回りを始めたというのだから。隠蔽技術はあいつの持つ能力の一つというだけで、それだけが売りな訳ではない。むしろ純粋な戦闘能力こそが脅威なのだ。闇夜という条件も、感知系アーツがあるとはいえ一対多というディスアドバンテージを緩和してくれているだろう。

 

 見つかってしまった以上、最早隠密偵察という任務は全うできない。であるならば、プランBに移行すべきだろう。即ち──

 

『……ここからは威力偵察よ!こいつらをぶちのめして情報収集するわ!』

「……正直おれはなんかそうなる気がしてたぞ」

『うっさいわね!……あ…………B9まで誘導するわ。そこで合流しましょ』

「……?……了解。……途中で転ぶなよ?」

『ふっ……あんたこそ!』

 

 暗闇の中の戦闘で、何が一番怖いか。部隊として動いているときならば、それは同士討ちだ。

 摂政王側の連中も、恐らくこの状況で戦闘を行う気はなかったはずだ。大方、アーツで位置を把握した上での一撃で、完封することを目論んでいたのだろう。

 しかしながら、現実として奇襲は戦闘にまで発展してしまっている。Ωが目に付く連中は全員敵だと思えばいいのに対して、あちらは逆に大勢の中から一人の敵を見つけなければいけないのだから、かなり苦労していることだろう。

 夜の闇の中を駆けながら、おれはそんなことを考える。……ちなみに、この同士討ちの危険というのは何も相手方に限ったことでは無い。おれとΩだって、合流すれば同士討ちの可能性は出てくる。

 にもかかわらず、なぜおれたちが合流しようとしているのかと言えば、一つはこの条件下でも、まともに戦うのは悪手だから。誰かと誰かが戦っているところを、両方とも殺れば少なくとも敵も巻き込める。そんな風に、素直に戦うのはリスクが高い。

 その点、今回のように、合流地点に加えて誘導するということまで教えてもらったのならば、後はおれのアーツでまとめて死体に変えることが出来る。

 

 そしてもう一つ。

 おれとあいつがお互いを敵と間違えることなんてないんだから、一人よりは二人で戦った方が楽に決まってるだろ?

 

 

 

 

 合流地点であるB9までの距離は、Ωよりもおれの方が近い。先んじて到着したおれは、ただ静かに待っていた。

 暗順応を終えた目にぼんやりと浮かび上がる夜の景色。立ち並ぶ木々たちが視界を遮るが問題は無い。見えなくとも、アーツを放つことはできる。

 ……そう。

 

「今!!」

 

 ……こんな風に、あいつの声が聞こえてくれば。

 合図の聞こえてきた場所、まさにその地点の周辺にアーツを展開する。そこから間髪入れずに起動すれば──

 

「」

「うぐっ……!」

「ぐあああああっ!」

「……何だ!?」

 

 ──御覧の通り、彼女に引き続いてやってきた連中を一網打尽と言う訳だ。

 巻き込まないためにアーツの規模は控えめにしたが、それども運悪く首から上を持っていかれた奴、脇腹を抉られた奴、腕を捥がれた奴など、追い立てるようにして奴らの背後で上がった爆炎がその無残なシルエットを闇夜に浮かび上がらせる。

 加えて生き残った敵さん方に関しても、自分たちの身に突然起こった出来事に対して動揺を隠せていない。そして、それを見逃すΩではなかった。

 

「さっきまであんなに必死に追いかけてたのに、もうあたしのことを忘れたの?」

「!?」

 

 声に反応した彼らの眼前に、手榴弾が迫る。飛び散った破片ではなく、爆炎と爆風によって殺傷するタイプの源石手榴弾は接触と同時にその身を炸裂させ、飛び込んできた使い手を傷つけることなく、その敵二人を爆散させた。それに続いて、爆炎を目くらましに突進したΩがナイフで敵の喉を引き裂いていく。

 爆弾を利用した近距離戦闘。そんな彼女の戦闘スタイルは、あの地獄のようなロドス・アイランド護衛作戦を経てより洗練され、一つのアクションを次のアクションへの布石とする、無駄のない効率的な殺傷手段へと昇華していた。

 

「いやー、えげつないなあ」

「死ねぇ!」

 

 そんな風に吞気に彼女の戦いざまを見物していると、よそ見をしていると思ったのか大剣を振り下ろしてくる敵の姿が。

 ……何も、あの作戦を経て成長したのはあいつだけではない。おれもまた、多くの経験を積んだ。……それこそ、あいつ以上に。

 その中でおれは、これまでのおれの戦い方の中で最大の弱点であったことを克服することに成功していた。

 それは、アーツのコントロール。今まではその威力故に、自分もまきこまれる恐れのある近距離では使う事が出来なかったが、限界を超えてのアーツの使用によって何かを掴めたようだ。

 

「!?」

 

 剣を振り下ろしたサルカズ傭兵が啞然とした表情をする。

 それもその筈だろう。何せ、確かに切りつけたはずの刃がスクラップと化して地面に落ちているのだから。

 

 身体からほんの僅かに離れたところに置いておいたアーツ。それは必要最小限の破壊のみをもたらし、おれを巻き込むことなく敵の攻撃を無力化する。言わば、不可視の防壁のようなものだ。

 今はおれの周囲に展開して使ったが、もちろんそれ以外の周囲にも展開させることが出来る。

 ……これまでは何かを壊すことにしか使えなかったおれのアーツが、何かを守ることに使えるようになったんだ。

 

「ちょっと、あんたのそれ反則じゃない?」

「まあな」

 

 そんな彼女からの言葉に、おれはニヤッと笑って返事をする。

 実のところ、このアーツの使い方はまだだいぶ不完全なところがある。あくまでアーツを身体の近くに置いているだけなので、もし身体を動かしたのならば、再度置きなおさなければならない。つまりは近接高速戦闘には対応していないという事だ。

 

 とは言え、立ち止まって防御を固めればほとんど無敵に近い。元々おれたち二人が得意としている中距離戦闘では、おれが防御で体を張り、あいつが攻撃を担当することによって更に戦いやすくなるはずだ。

 ……体を張ると言っても、これならまた大怪我してあいつを悲しませるようなこともないだろうし。

 

「こいつ……Ωだけじゃねぇ!Wもだ!」

「金貨20枚の獲物がもう一人……!」

 

 やがて敵の傭兵もこちらの正体に気付いたようだ。ちょっと前のヘドリーが金貨10枚だったので、おれたちは随分な人気者になっていたらしい。まあ、傭兵が形骸化した現状にあっては、テレシスからの追加ボーナスくらいの意味しかなさそうではあるが。

 ただ、流石はサルカズ傭兵。こちらの首の値段を知るや、それまで以上に果敢に攻め寄ってくる。さっさと死んだのは経験の浅い連中だったのか、未だに生き残っているのはそれなりの腕前の様だ。術師が多いのか、遠距離からのアーツ攻撃とアーツを纏わせた重い一撃が襲い掛かってくる。金で目がくらんでいるのか、フレンドリーファイアもお構いなしだ。

 

 こうなってしまうと、頭数を減らしていかなければ不利となるのはこちらだろう。おれは刀を抜くと、アーツの飛んできた方向に向かって袖に仕込んだボウガンを打ち込む。何かが刺さった音と断末魔とを聞き流しながら、おれは猛然と前方に向かって突進していった。

 暗闇から、ぬるりと人影があらわれる。おれはそのまま黒塗りの刃を構えて、鋭く首元を狙って突き出した。

 人影に命中する刹那、風で木々がそよぎ、雲の切れ間から月が顔を出す。

 正面にいたのは、Ω。こちらを見る彼女の琥珀色の瞳が瞬いた。

 その手に握られていたのは、月光を反射して輝く白刃。言葉一つ発する間すらなく、それは手首のスナップによって投げ放たれた。

 

 飛び散る血液。生温い温度のそれが背中を濡らす。

 ドサリ、という音が正面と背後の二か所から聞こえてくる。

 おれとΩ、二人の刃は、確かにお互いの背後にいた敵の急所を捉えていた。

 

「同士討ちするとでも思ったか?」

「おかげ様で楽に正面から奇襲できたわ。ありがと……って、もう聞こえてないかしら?」

 

 お互いがお互いの肩越しに、倒れる敵に向かって声をかける。

 ニヤリと笑って横に顔を向ければ、同じく獰猛に笑う彼女の姿が。

 ……ここからの戦いは楽ではないだろう。けれども、不思議と、いや、必然とばかりに負ける気がしなかった。何せ、ここにいるのはおれとあいつの二人なんだから。

 額を突き合わせるような姿勢から、お互いの腕を取ってくるりと回り、態勢を背中合わせに変える。背中に体温を感じながら、おれは眼前の術剣士に刀を向け──

 ──そしてそいつが突如額に穴をあけて倒れ伏した。

 

「そいつで最後だ。残りは全部俺が片付けておいた」

 

 そう言って、倒れ伏したサルカズ傭兵の向こうから歩いてきたのはScoutだ。全く気配を感じなかったのは、流石バベルのオペレーターと言うべきだろうか。

 

「Scout?持ち場はどうしたのよ?ほら、さっさと帰りなさい」

「いや、あれだけ派手に爆破してたらもう偵察は無理だろ……」

 

 シッシと手を振るΩに対してため息交じりで返答する彼を見ていると、とてもそんな風に思えないのだから、人間見た目にはよらないものだ。

 

「それにしても、片づけたってことはこれでこの部隊は全滅ってことか?」

「少なくとも周囲の敵は。俺以上に隠れるのが上手いやつが居れば話は別だけどな」

「……結構信用度低くないか?」

「だから!ケルシーさんは別だって!」

 

 冗談はこのあたりにしておいて。実際、先ほど全く分からないレベルの隠蔽技術を見せたScoutがそういうのなら、恐らくもう周りには敵は居ないのだろう。つまりは、無事に威力偵察成功というわけだ。

 ……成功なのか?

 ……作戦立案者に聞いてみるとしよう。

 

「なあ、威力偵察ってこれでいいのか?」

「……ええ!敵の規模も、術師を主とした構成ってこともわかったしね」

 

 いやに力強く頷くΩ。確かに言っていることはその通りなんだが、じゃあそれで得た情報を一体どうやって生かすんだろうか。

 おれが尋ねる様子を見て、Scoutもまた何かに気が付いたようにして口を開く。

 

「それにしても、何でΩはあんなに追い回されてたんだ?普通、こんな闇夜の遭遇戦ならすぐに退くもんだろ」

「それはおれも少し思った。撤退支援かと思ってたんだが、誘い込むって言われてな」

 

 感知系アーツがいることで、敵が一人だと分かった。それで処理しようとした。

 敵のその考えは分かる。ただ、あのようにかなり前がかりになって追ってきた理由が分からない。奴らも作戦のために移動中だったのだろうし、そこまで深追いしなくてもいいと思うのだが。

 そんな風に二人がかりで質問をぶつけていくと、やがて彼女はお手上げというように手を挙げた。

 

「……最初の爆弾で敵の隊長を消し飛ばしちゃったのよ」

「「ああ……」」

 

 なるほど、最初の連絡の時に何か言い淀んでいたと思ったらこれだったのか。

 部隊の指揮をできる能力を持った傭兵というのは、実際かなり少ない。テレシスのように傭兵を兵士として編成しているのならば、少なくとも一人はその能力を持つ人材を入れているはずだが、それが失われたらどうなるか。先ほどの戦いの中で金の話で目の色を変えたように、ベテランの傭兵は金との付き合い方をよくよく分かっている。一人でいる高値のついた首を、放っておくわけはないだろう。

 

「しかし、そこからよく作戦変更できたな」

「そこは咄嗟の判断ね。どう?卓越は伊達じゃないってわかったかしら?」

 

 ふふんと鼻を鳴らして胸を張るΩ。字面だけでもドヤ顔が滲み出てきているが、実際には全身から「すごいでしょ?褒めてもいいのよ?」と言わんばかりのオーラを発している。

 彼女がすごかったのは実際事実だ。それじゃあ、おれはその言外の期待に応えてやるとしよう。

 

「……ああ。よくわかったよ。やっぱりすごいな、お前は」

「……ふん」

 

 サラサラの銀色をした髪を撫ぜれば、ぷいっと顔を反らし、けれども気持ちよさそうになされるがままのΩ。表情は分からないものの、白い頬は確かに赤く色づいている。

 ……やっぱり、こういうところが可愛いんだよな。特に最近は、服もこの前着ていたジャケットにスカート、タイツからなるコーディネートをしているため、ドキリとさせられる場面が多い。

 なぜ服装を変えたのかと聞いても気分としか教えてくれないし、ならなぜ継続しているのかと聞いても気に入っているからとしか返ってこないのだが、正直勘弁してほしいものだ。

 手から伝わる少し高めの体温に、おれは心拍数が少し上がっていることを感じた。

 

 

 

「……もう二人で勝手にやっててくれ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、威力偵察という名の強襲で見事敵増援部隊を撃破することに成功したおれたち三人。明け方には、町の方からも敵の撤退を確認したとの連絡があった。

 どうやら敵は重装備の鈍重な戦力を前面に押し出すことで野戦にこちらを引きずり出し、そこを術師部隊で叩きのめす算段だったらしい。

 生き残った敵兵に懇切丁寧に質問したところ、喜んで答えてくれた。拠点侵攻という釣り針で抵抗勢力を吊り上げ、撃滅していくというのがテレシス側の当面の基本方針だそうだ。大人しく拠点を明け渡せば当然こちらは苦しくなるし、防衛に徹してもジリ貧。思い切って反転攻勢に出れば伏兵も絡めて殲滅。嫌になる程システマチックかつ有効な戦略だ。

 対するテレジア側の軸となるのは、やはりロドス・アイランドだろう。あの巨艦を拠点として使えるのは、戦略上大きな利点がある。各種製造設備も拡充していけば、物資の面での心配も少なくなるはずだ。

 やはりこの戦い、そう簡単に決着は付きそうにない。お互いの勢力は拮抗し、押しつ押されつの動的平衡状態が当面は続くことだろう。

 

 だから、おれたちのやることも依然変わりはない。傭兵として、仕事をこなしていくだけだ。

 

 

 

「本艦の方に連絡をとった。任務終了、帰投せよ、だってさ」

 

 先ほどからバベルの方へ色々と話していたScoutがこちらを向き、端的に結果を伝えてくる。色々あったが、これでお仕事は一先ず完了だ。

 ……しかし、頭を失った集団というのは脆いものだ。それがよくよく分かった任務だった。

 

「それじゃ、帰りましょ」

「……あー、ちょっと待て」

「どうしたScout?まだ何かあるのか?」

 

 さっさと帰ろうと踵を返したΩのことを、Scoutが呼び止める。まだ何かあるのか、おれがそう口にして彼の方を見ると、何やら後頭部を搔きながらニヤニヤしていた。

 

「……実は、町の防衛部隊の連中が歓迎したいって言ってるんだが……どうする?」

「「行く!!」」

 

 おれと彼女の声が重なる。なんだ、また面倒な任務の話かと思ったが、そんないい話もあるんじゃないか。

 任務前に一度立ち寄った町はのどかな雰囲気で、ちょっとした農業や酪農も行っているようだった。任務前なので自重したが、渡りに船だ。

 そんなおれたちの声に、Scoutは脅すように聞いてくる。と言っても、彼も笑みが隠せていないのだが。

 

「……ケルシーさんに絞られるかもしれないぞ?」

「大丈夫よ、あのクソ女だってそんな口出ししないわよ。もう任務は終わってるんだし」

「そうだそうだ。もし仮に何か言われても、その時はおれたちで断固抗議するぞ」

「……だよな!よし、それじゃあ行くぞ!」

 

 Scoutの掛け声に呼応するように、森に二つの声が響いた。

 意気揚々と町に向かって歩くおれたち三人。その未来に何が待っているのか、その時のおれたちはまだ知る由もなかった。

 

 ちなみにだいたい予想は付くと思うが、待ち構えているのはもちろんケルシー先生だ。

 

 

 

 

 



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波瀾万丈─My Dear...

「……さて」

 

 数日後。ロドスのメインブリッジには硬い床に正座する三人のサルカズの姿があった。

 すなわち、おれ、Ω、Scoutである。

 周りには何か作戦の話でもしに来たのか、愉快そうな視線をサングラスの奥から覗かせるオペレーターであったり、微妙な笑みを浮かべるテレジア、更にはあわあわとしたアーミヤの姿もあるが、それらはひとまず置いておこう。

 この場にいる人物で最も重要なのは、我々の目の前におわすフェリーンのお方、ケルシー先生である。

 

「私が一体何を聞きたいのか、賢明な君たちには既に分かっていることだろう」

「何の事かしら?あたしには全く心当たりがないんだけど」

「……ここ数日、何をしていた?」

 

 白を切るΩの様子を見て、おれたちが自主的に話すという期待を捨てたのか単純に問いただしてくるケルシー先生。

 肘で隣を軽く小突くと、咳ばらいを一つしてからScoutが朗々と語り始める。

 

「何をしていたって……報告した通りだ、ケルシーさん。俺たちは偵察任務を遂行して、敵に見つかったために強行偵察に切り替えた。敵の情報は収集したし、結果として敵を全滅させてしまっても拠点防衛という作戦の本義は失っていないはずだ」

 

 彼が言葉とともに視線を向ければ、黒いフードを被った人物が軽くうなずた。

 

「詳細については聞いている。統率を失った敵傭兵部隊と交戦したのは十分作戦の範疇だろう。発見されたのは確かに過失と言えばそうだが、事後の対応を鑑みれば処罰よりは恩賞に値するんじゃないか、ケルシー?」

「ドクター、問題はそこではない」

 

 一瞬、こちらに圧を掛け続けていた無表情な顔をちらりとドクターに向けてから、彼女は再びこちらを向き直る。心なしか、圧が増しているようだ。

 

「……君たちは作戦が終了した後何をしていた?」

「……ロドスに帰ってきましたよ、ケルシー先生」

「なるほど、確かに事実ではある。だが、それは果たして君が持ち帰った何かに説明を与えてくれるものなのか?」

 

 慎重に、ただ事実を述べたおれに対して、ケルシー先生は一度頷いて見せると即座に鋭い口撃を放ってきた。

 隣のScoutが肘でゲシゲシとこちらを殴りながら小声で叫ぶ。

 

「馬鹿、だから言っただろ!」

「……お前だっていいなとか言ってたじゃねえか!」

「貰った食材を手放すわけないでしょ?あんたの脳みそは空っぽなの?」

「……なんかメタクソに貶されてるけど俺正しいこと言ってるよな?」

 

 ひそひそと小声で言い争えば、無表情なはずなのに、正面からの怒気が不思議と伝わってくるようでだんだんと肝が冷えてくる。

 このままでは本格的に拙そうなので、とりあえずおれは言い訳を試みることにした。大丈夫だ、ケルシー先生は何を持ち帰ったまでは知らないはず。遠景で姿を捉えられていようが、袋の中身の透視などは流石にイネスでもなければできないはずだ。

 

「いや、すみません。実はあの後敵から装備を鹵獲したんですよ。いやあ、報告し忘れててすみません」

「……ほう。サルカズ傭兵が加工肉や乳製品を装備しているとは知らなかったな。君に向けた早く消費するようにというメモ書きもあったようだが」

 

(……クロージャあああああ!)

 

 あのクソブラッドブルード、おれたちのことを売りやがった!せっかく仕入れに紛れ込ませて納入したかのように見せかけるために袖の下まで渡したのに!

 

「ははは、おれも知らなかったです。ははは……」

 

 どうする、もう言い逃れはどうやってもできない。こちらが何かを言えば、きっとケルシー先生はそれを懇切丁寧に切り捨ててくるだろう。ご丁寧にそれを否定する客観的事実まで添えてだ。

 かくなる上は……いや、待てよ?そもそも最初に言い出した奴がいるよな?……売ろう。

 おれは素早くΩに目線をやる。彼女も同じ考えに至ったのか、小さく頷いた。これで2対1。勝利は確実だ。

 

「すみません、ケルシー先生。実は、こいつが町に行こうって言い出したんです。おれたちも止めたんですけど、それでも……なあ、Ω?」

「ええ。あたしが止めても『良いだろ、どうせあのクソ女も気づきやしない』なんて言ってたわ」

「おいおいあんたら俺を売る気か!?」

 

 おれはScoutを指さしながら深々と頭を下げる。彼は慌てた様子で何事か叫んでいたが問題は無い。おれとΩ、二人の証言があれば物的証拠がない以上、多数意見という事でScoutが処罰されることは確定だ。すまん、おれたちの平和のための尊い犠牲となってくれ。

 

「……それだったら、俺にも考えがあるぞ」

 

 ……ん?

 続けて聞こえてきた言葉に、おれは思わず頭を上げた。隣を見ると、実に悪そうな表情で笑っているScoutの姿と──手に握られているのは、録音機?

 そのまま、かちりと再生ボタンが押される。

 

『……ケルシーさんに絞られるぞ?』

『大丈夫よ、あのクソ女だってそんな口出ししないわよ。もう任務は終わってるんだし』

『そうだそうだ』

 

 流れてきたのは、おれたちの声だった。

 あの時、特に意味のない脅しを入れてきたかと思えば、まさか録音していたとは。という事は、こいつは鼻からケルシー先生におれたちのことを売る気満々だったってことか?

 しかも、この音声……

 

「ちょっと!あんたこれ加工してるじゃない!」

「声色こんなシリアスじゃなかっただろお前!」

「ケルシーさん!俺じゃなくてこいつらが町に行きたがったんだ!この通り止めようとしたのに、こいつらが勝手に」

「デタラメ言ってんじゃないわよ!」

「ふざけんな言いだしっぺ!」

 

「……静かにしろ」

「……」

「……」

「……」

 

 ぎゃあぎゃあと言い合っていたおれたち三人の会話は、ケルシー先生のその一言でぱたりと止んで静かになる。メインブリッジ全体の空気までもがピンと張りつめた一本の糸のように引き絞られ、誰も声の一つも出せない。やがて、彼女はため息とともに口を開いた。

 

「はあ……君たちについての報告は既に町の方から受けている」

 

 ……なんですと?

 それじゃあおれたちは初めから詰んでいて、その上この有様をケルシー先生にお見せしたということになるのか。……終わりだ…………

 ……まて、それじゃあなぜ彼女はわざわざおれたちに問いただしたんだ?

 そんな疑問を抱いたおれをよそに、Ωが抗議する。

 

「作戦が終了した後で何をしていようが、あたしたちの自由じゃない」

「帰投するように言ったはずだが」

「何時までとは言われてないわ」

 

 ケルシー先生相手に一歩も引かないその姿には、頼もしさすら覚える。しかしながら、残念なことに彼女に勝ち目はないだろう。何せ、相手しているのはバベルの怪物の一人なのだ。

 

「なるほど。この作戦についてはそうだな。だが、長期契約では君たち傭兵もロドス・アイランドの防衛要員となっているはずだ。加えて、本作戦で用いた機材についても無数に数があるわけではない。世の中にある単一の事象はその他の多くの事象と複雑に絡み合っている。車輌が数千ある部品の一つが欠落しただけで動かなくなるのと同じように、組織もまたただ一部分の齟齬で全体が壊死してしまうことがある。それを理解できない人間が、今回の作戦を遂行できたと考えるのは難しい」

「……」

 

 ……ほらな?

 これにはさすがのΩも黙ることしかできない。と言うか、おれたち全員黙ることしかできない。事ここに至っては全面降伏だ。大人しくごめんなさいして裁きを受けるしかないだろう。

 そんな風におれが覚悟を決めていると、Scoutが口を開いた。

 

「……ケルシーさん、処罰は受けるつもりだ。けれども一つだけ言わせて欲しい」

「……なんだ?」

「……あの町は疲れ切っていた。強大な敵勢力、乏しい戦力、いつあるかもわからない敵襲。精神的にかなり辛い時間を強いられていたはずだ」

「……」

「……それが、見事に敵戦力を撃退して見せた。久しぶりに訪れた勝利と重圧からの解放。彼らが祝うことを止められるはずもないし、それに水を差すことなんてできるはずもない。確かに、俺も彼らと勝利を祝いたいと思ったのは事実だ。ただ、それは個人的な欲望だけでなくて、彼らのためにも祝いたかったんだ」

 

 ……確かにはじめあの町に立ち寄った時、人々の顔色は優れなかった。見えない何かに怯えるような生活。そして、その何かはカズデルの大地に確かに君臨するものだ。仕方のないことだろう。

 けれども、作戦が終わってから訪れた時、彼らの顔には光が戻っていた。自身と誇りと、希望とに溢れた表情をしていた。それは何だか、一銭にもならないはずなのに、こちらに確かな満足を与えてくれるようなものだった。それを嬉しそうに見守っていたScoutは、内心でこんなことを考えていたのか。

 ……考えていたのか?

 見ればScoutはキリリと引き締まった顔で正面を見据えており、その目は澄んでいた。

 言い訳7割、本音3割といったところだろうか。

 

「あの女にそんな感情的なものが伝わるわけないでしょ」

「こらこら、余計な事言わないの」

 

 Ωはこんな風に言っているが、実際この心情に訴えかける作戦は通用するのだろうか。

 ケルシー先生はいつも無表情だし、冷静で冷徹なように見えるが、怪我の診断の時などは真摯でこちらを気遣う発言も多かった。

 ……ある特定の人に向ける言葉には、少しばかり色が乗っているような気もするし、そこまでの冷たい人間ではないような気もするのだが。

 果たして、ケルシー先生は口を開いた。

 

「……君のいう事にも一定の理解を示すことはできる。そのような苦境にある人々の心を癒すこともまた、我々の使命の一つなのかもしれない。ただ、物事には全て時宜というものがある。果たして本当にその時その事をすべきかどうか、よくよく考える必要があるだろう。今回、まず君たちはきちんと報告をすべきだった。仮にそれが為されていた場合は、このように君たちと話をする必要もなかっただろう。ただ、その場合には私が君たちが町へ向かう事を許可することはなかったと思うがな。ここまで言えば、私がなぜ君たちをわざわざこうしてここに呼んだのかわかっただろう。以後は気を付けてくれ」

「……了解」

「……はい」

「……ええ」

 

 つまり、ケルシー先生が言いたいのは何か予定外のことをするならば、きちんと連絡しろということか。言外に言っているのは、許可の有無はともかくとして、ということだろう。

 今回、彼女は言い訳をそれでよしとはしなかったものの、Scoutの言っていた事自体は否定しなかった。テレジアも、彼女も、おれが少し感じたような何かきらきらとしたものを追い求めているのか。

 話は長いし、正直ちょっぴり怖くはあるけれども。それでもケルシー先生は見た目よりもあたたかい人間であることは確かだった。

 

「……それでは、今回の処罰だが」

 

 ……前言撤回しようかな?

 そんなギョッとする発言をぶち込んできた彼女を宥める様に、黒い影が白い肩に手を置く。

 

「ケルシー。今回は処罰も恩賞も無し、それで良いだろう」

「……まあいいだろう。君がそのように考えるのならば、私があえて処罰する理由もない」

 

 サンキュー、ドクター。

 ドクターがいると不思議なことにケルシー先生の態度が柔らかくなるから助かるな。

 

「……W、君だけ処罰してもいいが」

「……いえ、何でもないです」

 

 ……どうやら、テラの女性は読心能力を標準装備しているらしい。恐ろしいね。

 

 

 

「そういえば、町から受けた連絡だが……」

 

 いい感じに終わりかけていたところで、彼女が付け加えるようにして言う。町からの連絡と言えば、おれたちの言い訳が全て無駄なものに終わった元凶だ。果たして一体、何を言っていたのか。

 

「……友よ、共に祝ってくれてありがとう、とのことだ」

 

 ……そんなことを言われたら、恨み言の一つも出ないじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 さて。無事に特に処罰を受けることなく解放された我々三人組であるが、まず何より先にやらねばならないことがある。

 

「よし、とりあえずクロージャの所に行くか」

「裏切り者にはきちんと報いてあげなきゃね」

「あっ……」

 

 町の連中に関してはもはや何もいう事は無いが、奴に関してはおれたちを売ったことは間違いない。この通り、Ωも殺る気でいっぱいのようだし、たっぷりととっちめてやろう。

 言うが否や、おれと彼女は勢いよくメインブリッジを飛び出した。

 ……後ろから何かテレジアが言いかけていた気がするが、まあ気のせいだろう。

 

 

「クロージャあああああああ!!」

「うわあ!?」

 

 勢いよくドアから中へ踏み込んで叫べば、黒髪のブラッドブルードがビクッっと震えて声をあげる。

 艦内のオペレーター達に色々と尋ねてようやく発見したクロージャは、工作室にいた。入口に背を向けて何やら弄っていたようだが、そんな事は関係ない。

 振り返った彼女を見れば、既にこちらの要件はわかっているようだ。

 

「覚悟はいいかしら?」

「なんだよー!ケルシーに問い詰められたら流石のあたしでも白状するしかないでしょ!?」

 

 これ見よがしに起爆装置を取り出すΩに、慌てて手を振って弁解を始めるクロージャ。

 ケルシー先生の尋問は確かに過酷だが、貰うものを貰っておいてその仕事ぶりは如何なものか。返金か、それとも弁償か。彼女には然るべき対応を取ってもらわなければならない。

 

「謝罪は別にいらないからクロージャ、契約違反で金を返してくれ」

「え?もう使っちゃったからないよ?」

「は?」

 

 さも当たり前かのように言ってのける眼前の女。その表情からは、微塵も悪いと思っている様子を感じられない。

 おれはこの銭ゲバブラッドブルードを爆破することを決意した。Ωの方を向けば、既に準備は出来ているとのグーサインが。

 おれは親指を下に向けて合図をすると、一言だけ告げた。

 

「……やってくれ」

「さーん!」

「ひえええ!?ちょっ、待って!代わりのものならあるからさ!」

 

 Ωがカウントを完全に無視して、躊躇なく起爆スイッチに指を伸ばすのを見て叫ぶクロージャ。彼女の言った言葉が少し気になったおれは、マジで爆破する気だったΩを軽く手で制して問いただす。

 

「代わりってのは何だ?」

「よくぞ聞いてくれたね!さあさあ、これを見て……おっ、ちょっと待って!」

 

 つい先ほどの必死な表情はどこへ行ったのか、クロージャは満面の笑みとともに何やら後ろを向いて操作を始める。

 ……ケルシー先生は一旦こいつをロドス・アイランドで踏むとかして反省を促すべきじゃないだろうか?

 そんなこちらの内心も露知らず、高速でキーボードを打っていた彼女は力強くエンターキーを押し込み、こちらに振り返る。

 

「どう?これがあたしが改造した高性能万能蒸し器、Steam-02だよ!」

『お二方、お初にお目にかかります。わたくし、Steam-02と申します。御用の際は、何なりとお申し付けくださいませ』

「……」

「……」

「搭載機能からAIまで全部クロージャさんの特殊仕様で、六輪駆動だからあらゆる地形を踏破できるよ!」

「……なあ、これじゃがいも蒸し器だよな?」

「……ええ。ボディに刻んであるわ。その上から何か上書きされてるけど」

 

 そこにいたのは、喋って自走するようになったDr.Wells謹製じゃがいも蒸し器だった。

 正直おれも自分が何を言っているかわからないが、目の前にある現実がそれだ。ボディにはご丁寧に"RETROFITTED BY Closure"と書かれている。

 

「そして、いざという時の自衛手段も完備!」

 

 何やら物騒なことを言いながら機体側面のボタンを叩けば、ボディの一部が陥没して銃口がせり出してきた。間髪入れず、そこから金属弾頭が発射される。

 弾丸はそのまま、工作室の壁に突き刺さった。

 

「源石不使用の蒸気を使った銃だよ!これだけ作ってもかなり儲けられるかも……」

『クロージャお嬢様、こちらの機構は元から備わっていたものとなります』

「ちょっと!営業妨害だから黙っててよ!」

 

 謎の新技術を唐突に披露した挙句、特別仕様と豪語するAIと口喧嘩を繰り広げる始末。

 おれもΩも、あまりの急展開にポカンと口を開けて見ていることしかできない。

 

「……ささ、どうかな?今ならお安くしておくよ?」

 

 そんなこちらの困惑を感じ取ったのか、Steam-02をやり込めておれたちにすり寄ってきたクロージャが囁く。……つまり彼女は、この謎の超高性能ロボットを売りつけようと?

 ……どうだろう。蒸し器としての実力の程は分からないが、これがあれば戦場でも出来立ての蒸し高足羽獣やら焼売やらが作れるという事か。正直、相当魅力的だ。

 ただ、忘れてはならない。先ほど彼女は「代わりに」これを紹介したはずなのに、いつの間にか再び代金をせしめようとしていたことを。

 おれはクロージャにもう一度己が罪を思い知らせるべく、Ωに合図を出した。

 

「ゼロ!」

「ひえええ!?……わかったよ。オーナー権限を付与してあげるから、それでいいでしょ?」

 

 彼女は仕方なしといった表情でそう言うと、こちらの返答を待たずにSteam-02の方に振り返る。またまた何かを弄っているようだが、オーナー権限とは一体なんだろうか?言葉どおりなら、このロボットの所有権者になるということだが……発言者のせいでイマイチ信用出来ない。

 などと考えながら微妙な視線を向けていると、Steam-02が言葉を発する。

 

『臨時登録オペレーター、W様のオーナー権限がクロージャお嬢様より認証されました。続いて、個人登録をお願い致します』

「あー、何か適当に声を掛けてみて」

「…………よろしく、Steam-02」

 

 迷った末、おれはクロージャの指示に従って彼女?に声を掛ける。まだまだ怪しさはあるが、本当にオーナーになれるのならばかなり嬉しいし、万能と銘打っているには料理の幅も広がるはずだ。隣に目をやれば、心なしかΩも期待の視線を注いでいる。きっと頭の中では蒸し料理の数々が踊っていることだろう。

 

『声紋の登録が完了しました。これからよろしくお願いします、オーナー』

「これでお金のことはチャラでいいよね?」

 

 見た目は機械そのものなのに、折り目正しくお辞儀をする姿が幻視できるような声で挨拶してくる彼女。さっきもクロージャに苦言を呈していた事だし、もしかしたら作成者はさておき、こちらはある程度信用出来るかもしれない。

 それに免じて、とりあえずはいけしゃあしゃあと何事かを言い放つこのブラッドブルードのことを許してやるとしよう。

 

「……まあ、いいだろう」

「はい!じゃあこの話は終わり!食材は冷蔵庫に入れておいたから、出来たらあたしに教えてね!」

「……ん?」

 

 まるで自分の方が立場が上であるかのような話の区切り方に、もう一遍ケルシー先生に尋問されてきた方がいいんじゃないかと思った次の瞬間、彼女の話の連続性に断絶が生じる。

 出来たら教えてって、一体何のことだ?そして何より……

 

「……冷蔵庫?そんなものあったか?」

 

 それがなかったからじゃがいも地獄になり、町で貰ってきたものについても加工品中心、一部の物に関してはアーツで冷やしてもらって持って帰ってきたというのに。

 

「中央調理場のやつだよ。ほら、あたしが改造した対爆仕様の……」

『クロージャお嬢様、オーナーは任務から帰ってきたばかりのはずです。つい先日完成した中央調理場についてはご存じないのではないでしょうか』

「あれ?テレジアから聞いてない?」

「出来たのね!?食堂が!」

 

 彼女たちの言葉を聞いたΩの反応は早かった。文字どおり目を輝かせ、こちらを見やってくる。それを見て、おれもまたワンテンポ遅れて事を理解した。

 

「出来たんだな!?調理場が!」

 

メインブリッジを出る時に聞こえた気がしたテレジアの声は、気のせいでは無かったのかもしれない。クロージャの言うことを鑑みるに、彼女が微妙な表情をしていたのも、このことを伝えようとしたらおれたちがケルシー先生に説教されていたからか。

しかし、任務に出た頃にはまだまだ配線も未完だったはずなのだが、よく完成したものだ。

 

「クロージャさんにかかればこれくらい朝飯前だよ!ってことで、約束のフルコース、よろしくねー」

「あー……」

 

 ……そういえばそんなものもあった。優先順位から言って食堂や調理場が出来るのはまだまだ先だと思い、その場の出まかせでΩが言った言葉であったが……まさかここまで早いとは。

 

「テレジアもWの料理はおいしいって言ってたし期待してるよ!もしかしたらこれも儲けの種になるかもしれないし……

「……殿下が?」

 

 ……おいしいと言っていた?

 おいしいと聞いているというのなら、イネスやらΩやらを経由して知ったという納得はできる。ただ、その言い方ではまるでおれの作ったものを食べたかのような口ぶりだ。一介の傭兵のおれが、テレジアに何か御馳走したことなんて……

 

「あの時のポテトね。クソ女に没収された後、どうなったのかと思ったら……」

「……ホントお前食い物関係だと頭の回転早いな」

「ふっ……まあ、卓越だしね」

「これに関しては寧ろ■■だわ」

 

 相変わらずの食べ物専用超速思考回路を発揮するΩ。これにはもう呆れを通り越して褒めるしかない。

 現在は内乱で悲惨な有様とは言え、仮にもカズデルに君臨していた王なのだから、テレジアなど相当にいいものを食べているはずなのだが、それがあんな間に合わせのことを評価してくれていたとは。……というよりも、あの毎日ふかし芋生活がよほど堪えたと見るべきか?

 ともあれ、無駄にハードルが上がっていることだけは分かった。何せ、あの殿下のお墨付きなのだから。

 

「……クロージャ、その約束はもう少し後にしてもらってもいいか?」

「……?何で?食材は持って帰ってきてるじゃん。あたしのフルコース用じゃないの?」

「メインになる食材が無いんだ。今のままだとじゃがいもしかない」

 

 それに、この食材はΩと二人でちょっとしたものでも作って食べようと持って帰ってきたものだ。再び甲板を焦がして怒られることも覚悟の上である。

 それが堂々と調理できるようになったのだから、そこだけはクロージャに感謝すべきであろう。

 本当にフルコースを作るとなったら、もうあんまりじゃがいもは見たくないし、それに上がったハードルのこともあってもっといいものを作りたい。今の食材での有り合わせではなく、銘打つからにはそれなりに気合の入った準備をしたいのだ。

 

「どうせ食べるならよりいいものの方が良いだろう?だからちょっと待っててくれ」

「えー…………わかった。ちょっと条件を付けるけど、それでもいいよね?」

「条件って何だ」

「あー、おほん!Wの作るフルコース、そのプロデュースはクロージャさんに任せてよ!大丈夫、あたしは商売にも一家言あるから!」

「ええ……嫌に決まってるだろ……」

 

 クロージャはプロデューサーとして迎え入れるにはあまりにも信用できない人物なのだが、そこら辺の自覚はあるのだろうか。

 

「何で!?別にあたしは料理の中身とかに口出しはしないよ。ただ、宣伝と運営については……」

「……どう考えてもろくでもないことになるわね」

「ああ。艦内放送で宣伝をエンドレスリピートするとかやりそうだ」

「随分と失礼だね君たち!?……いいのかな?このバベルの仕入れ責任者はあたしなんだけどなー」

「「!?」」

『クロージャお嬢様。あまり品のある発言ではありませんよ』

 

 このクソブラッドブルード……立場を笠に着てきやがった……!Steam-02にも指摘されるレベルで汚いぞこれは。

 というかケルシー先生はなんでこんな奴に仕入れを担当させてるんだよ……

 しかしながら、この脅しは極めて効果的だ。何せ、欲しい食材が無ければ作りたい料理は作れない。無いことには何も始まらないのだ。

 そんなこちらの葛藤を知ってか知らずか、黒髪の悪魔が宥める様にして口を開く。

 

「まあまあ。あたしたち、これからいいビジネスパートナーになれるよね?」

「どう……」

「ええ!勿論よ。これからもよろしく頼むわ」

 

 どうする?そのようにΩに聞こうと、差し出されたクロージャの手を前に隣を向いたその時だった。

 ニッコリと笑った彼女が、がっちりと握手をしているのを目にしたのは。

 にこやかにお互い微笑みながら、何度か確かめるように組んだ手を縦に振る両者。その内面では、何かひどく黒い策謀が渦巻いているような気もしたのだが、おれは見なかったことにした。

 

 

 

「いやー、なかなかいい商売ができたよ。欲しい食材についてはまた教えてね!」

「ああ」

『これからわたくしはいかがしましょうか?』

「あー、Steam-02は調理場の案内をしてあげて」

『承知いたしました、お嬢様。オーナー、こちらです。わたくしについてきてください』

「それじゃ、よろしくね!」

 

 手を振るクロージャを背に、おれたちは工作室を後にする。ロボットに先導され向かうは調理場。おれとΩにとって、まさしく夢のような空間だ。

 横からは早くも彼女のウキウキワクワクした様子をひしひしと感じる。久しぶりの料理らしい料理、おれも楽しみだ。

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、あたしは待ってるからよろしくね、シェフ」

「おう。なんかリクエストはあるか?」

「うーん、任せるわ。あんたの作るものなら何でもおいしいし」

「……おう」

 

 なんていうやり取りを経て、おれは食堂にあいつを残したまま調理場にやってきた。

 食堂の方はテーブル席からカウンターまであり、内装も意外と明るい感じで好印象だ。もっと廊下などのような無機質な感じをイメージしていたのだが、いい意味で裏切られた。まだ料理を作る人も居ないので人っ子一人いない状態だったが、クロージャ曰く料理のできる人材も集めて、稼働できるように頑張っている最中らしい。なので、おれたちが自由にできるのは今くらいというわけだ。

 さて、今おれがいる調理場の方は、白と銀とで構成された清潔感溢れる空間だ。砂塵の中で料理していた身としては少しばかり綺麗すぎる気もするが、殿下に虫や葉っぱが入った食事を出すわけにはいかないのだろう。

 ガス台にシンク、カウンターなどはそれぞれ下部に別のスペースが設けられており、オーブンや食洗機が収められている。色々と収納もあるので、今は空っぽだが、人員と機材が充実していくにつれて賑やかになっていくのは間違いない。

 

『あちらには冷凍室もございますが、今はまだ何も入っておりません。そしてこちらが、クロージャお嬢様が仰っていた冷蔵庫になります』

「……なんか厳つくないか?」

『対爆仕様でございますので』

「その機能要らないだろ」

 

 先ほどからこうして、相変わらず高性能なSteam-02に調理場の各部を案内してもらっているのだが、どれも一癖二癖ある機能が付いている気がする。別に本来の機能を邪魔する訳ではないので構わないのだが、クロージャは一体何を考えているのだろうか。

 ケルシー先生、おれ、あの変人の頭を切り開いたら結構な科学的知見が得られる気がします。

 

『オーナー、これから何をお作りになるのでしょうか?』

「あー、ポテトグラタンでも作ろうと思ってる。あんまり待たせるわけにもいかないし、手早くやりたいな」

『……申し訳ございません。ポテトグラタンの調理データはデータベースに存在しておりません』

「だろうな」

 

 元じゃがいも蒸し器相手に一体何を言っているのかという話だ。だが、今回は幸いなことに彼女も活躍することが出来る。

 

「Steam-02はじゃがいもを蒸かしてくれ。それなら出来るか?」

『勿論でございます、オーナー』

「それじゃあ、ちょっと待っててくれ」

 

 まず、じゃがいもを洗って皮を剥き、ほどほどの厚みで輪切りにしていく。お腹も空いているだろうし、少し厚めのカットにすることにした。高性能蒸し器がいるので、素早く美味しく柔らかくしてくれるはずだ。もし彼女がカタログ通りのスペックを発揮してくれれば、それほどあいつを待たせずに済む。ここはお手並み拝見といったところだろう。

 指定された通りにカットしたじゃがいもをセットする。

 

「よし。これを頼むぞ、Steam-02」

『お任せください。……推定終了時刻まで5秒。3、2、1……完了です』

「……マジ?」

 

 信じることできず、取り出して見てみれば外見も特に問題なく、美味しそうに芋が蒸かされている。少し齧ってみても問題ない仕上がりだ。

 ……5分から6分ほどかかることを見込んでいたのだが、まさか5秒で終わるとは。これはクロージャのビックリ技術力なのか、はたまたあのクソアホのドッキリ技術力なのか。……なんか両方な気がする。

 まあ、性能が良いに越したことはない。本当は蒸している間に別の手順を進めておこうと思ったのだが、気を取り直して続けていこう。

 

 油を敷いたフライパンに貰ってきたベーコンを入れて軽く炒めた後、脂が出てきたところでこれまた貰ってきた玉ねぎを薄切りにして入れていく。軽く塩を振って炒めていけば、ベーコンからの旨味を玉ねぎが余すことなく吸っていきいい感じだ。玉ねぎがしんなりとしてきたら頃合いで、火を止めて皿に上げ、今度はホワイトソースもどきも準備をしていく。いつもだったらきちんと作るのだが、今回は小麦粉もないことだし仕方がない。幸い、生クリームはあるので、そこに塩と若干残っていた黒胡椒を入れてよくかき混ぜる。これだけでも、じゃがいもと合わさればそれなり以上にホワイトソースっぽくなるはずだ。

 そうして、蒸かしたじゃがいもを容器に敷き詰めていく。一面が埋まったら、今度は玉ねぎとベーコンの炒めたものをこれまた敷き詰め、その上からもう一層じゃがいもだ。サンドされたような三層構造になればOK。あとはここに生クリームを回し入れ、上から貰ってきたチーズをたっぷりと敷き詰めていく。これを200℃のオーブンに入れれば、もう20分でポテトグラタンの完成だ。

 

『オーナー、ポテトグラタンについてのデータを自己アップデート致しました。以後、当該製品を製作する際には今回の手順を再現いたします』

「……え?何から何までか?」

『……わたくしにできるのは、じゃがいもを蒸かすという手順のみでございます』

「……なんかごめん」

 

 しかし、本当にこのAIはよくできているな。……それだけに、基本機能が蒸し器であってそれ以上でもそれ以下でもないのが惜しまれる。

 配膳を手伝ってくれるだとか、皿を持ってきてくれるだとか、そういう機能くらいならば追加できるのだろうか。クロージャに相談してみるのもいい……かもしれない。

 

 さて、焼きあがるまでの時間をただ待っているのも勿体ないので、ここでもう一品。

 相変わらず食材はじゃがいもプラスαしかないので、ここは一つ温度を変えて変化を付けることにしよう。アツアツのグラタンとの対比でかなり楽しめるはずだ。

 まず、じゃがいもを薄切りにしてSteam-02に軽く蒸してもらった後、同じく薄切りにした玉ねぎとともに塩を振ってバターを敷いた鍋で炒めていく。そうしたらそこに水とハードタイプのチーズをすりおろして加える。本当はブイヨンを加えるのだが、無いので仕方ない。旨味の強いこのチーズで代用だ。

 そうしてさっと馴染ませたら、即座に鍋を蓋して冷凍室にぶち込む。常温程度になったらすぐに取り出し、中身をミキサーにかけていく。

 今回おれがこの料理を作ろうと思ったのも、あの冷凍室と無駄に揃った調理器具の数々を目にしたからだ。ミキサーが無ければ話にならないし、本来ならば常温に冷ましたり氷水で冷やしたりと時間がかかるのだが、全てを邪道冷凍室でごり押す。

 じゃがいもと玉ねぎをスープごとミキサーにかけて滑らかにしたら、再び冷凍室へと行き、今度はそれなりに冷やしていく。おれ自体はもう滅茶苦茶に寒いのだが、料理のため、致し方ない。

 命からがら冷凍室から生還すれば、ここからはラストスパートだ。よく冷やしたそれにミルクと生クリームをいれ、塩、胡椒で味を整えれば完成。冷製じゃがいもスープの出来上がりだ。

 

 スープが出来る少し前のタイミングで、オーブンからは既に音が鳴っている。開けて見れば、チーズがこんがりととろけていい感じだ。慎重に取り出して、カウンターに上げる。

 ふと視線を食堂の方にやれば、美味しそうな匂いでも感じ取ったのか、Ωが目をキラキラと輝かせてこちらを覗き込んでいた。

 

「出来た?」

「おう、ちょうど出来たぞ」

「食べましょ!」

「ああ。そっちに持っていくから、好きな席に座っててくれ」

「わかったわ!」

 

 元気のいい返事と共にどこかへ駆けていく彼女。今にもスキップでもしだしそうな後ろ姿からは、内心が激しく漏れだしている。

 それを見て、おれは本当に料理が楽しみなんだなと思うと共に、そうしてくれてることを嬉しく思う。

 奉仕の精神という訳では無いけれども、何時からか自分の作ったもので誰かが喜んでくれると、おれまで嬉しくなってしまうようになった。

 相手がそのきっかけをくれたあいつならば、その嬉しさもひとしおだ。

 

 火傷しないように気をつけながら、グラタンを食堂へと運んでいく。一体どこにいるのかと辺りを見渡して見れば、カウンター席に姿があった。

 

「お待たせしました」

「来たわね!これは……グラタンかしら?」

 

 壁を向いてそわそわとしているΩに声を掛けてから、目の前の机にグラタンを乗せる。彼女は一目でそれが何か看破すると、早速スプーンを手に取った。

 

「ああ。ポテトグラタンだ。相変わらずじゃがいもで悪いな」

「馬鹿ね、作ってもらったものに文句言う訳ないでしょ?それじゃ……あら、どこ行くのよ」

「ああ、もう一品あるからそれを持ってくる。先に……わかったわかった、急いで持ってくる」

 

 もう手を付けて口に運ぼうとしているところだったので、流石に先に食べてて良いと言おうとしたのだが、無言の視線によって拒否される。よっておれに取れる行動は、素早くスープも準備するという事だけだ。

 急いで調理場に戻り、器によそっておいたスープを二皿掴んで食堂に戻る。そっと様子を伺えば、物凄く食べたそうにしているのだが、それでも待ってくれている辺り律儀なものだ。

 勿論、そうしてくれていることはとてもありがたいし、嬉しいのだけれど。

 

「ごめん、待たせた」

「別に待ってないわよ。それで、これは……スープ?」

「スープだな。まあ、飲んでのお楽しみだ」

「それもそうね。じゃ、頂くわ」

 

 その一言を言い終わるか終わらないかというところで、早速猛然とポテトグラタンに突撃するΩ。焼き色のついたチーズに開けたクレバスからは、既にもうもうと湯気が立ち込めている。

 彼女はスプーンを皿の底まで入れると、三層をまとめて掬い上げた。チーズ、クリーム、玉ねぎ、ベーコン。シンプルな具材ながら、それらの実に美味しそうな匂いが渾然一体となって広がり、食欲をこれ以上ないほどに刺激する。アツアツのそれに何度も息を吹きかけ冷ますと、彼女はグラタンをゆっくりと口の中に入れた。

 瞬間、はふはふと言いながら盛んに外気を取り入れようとするΩ。熱さが口の中で暴れ回っているのだろう、なかなかに大変そうだ。

 けれども、緩み切ったほっぺたと輝きを増す瞳は、彼女にとってそれがどうだったのかをこれ以上になく教えてくれている。

 おれは、グラタンが喉を鳴らしながら腹に吸い込まれていくのを見届け、一言聞いた。

 

「どうだ?」

「最っっっっっ高よ。流石はあたしのシェフね」

 

 Ωは満面の笑みとともに親指を力強く立てて見せた。

 

「この前も思ったけど、同じじゃがいもでも料理で完全に別物になるわね。蒸かしただけの芋とは天と地ほどの差があるわ」

「ホントか?」

 

 大仰な表現の彼女の言葉を聞いて、おれもグラタンを口に運ぶ。

 最初は滅茶苦茶熱いが、慣れてくるにつれて味わいが広がってきた。クリームの濃厚でまろやかな味に、チーズが程よい塩気を与え、尚且つ香ばしい風味もプラスしてくれている。そこからホクホクのじゃがいもに歯を入れれば、はらりと崩れるようにほどけていき、間に閉じ込められたベーコンと玉ねぎが姿を表した。

 

「この間に挟まってるのが良いわね。食感も変化がついて良いし、甘みと塩味がぶわーって出てくるわ」

 

 彼女の言うとおりだ。ほっくり食感の芋に、玉ねぎとベーコンが変化をつけ、間に蓄えられていた旨味が一気に解放される。ともすれば淡白になってしまうじゃがいもに、この両者の味が馴染み、飽きさせない。全体を包むクリームも両者の関係をさらに補強し、強固な美味の砦が皿上に出来上がっていた。

 

「これ、最高だな」

「でしょ?」

 

 おれの言葉にニコッと笑って応えるΩ。美味しさの共有ってのは、こういう事を言うのだろう。

 一人で食べるよりも、二人で食べる方が遥かに美味しいし、楽しいし、嬉しい。

 

 考えてみれば、こうして二人きりで飯を作ってのんびり食べるのは久しぶりかもしれない。住処を引き払ってからはずっとヘドリー達と移動していたし、食事も当番制で大勢の分を作っていたから。

 傭兵団の連中に作ってやってその中でワイワイと食べるのもいいが、こうして二人きりというのは、何だか言葉にしにくい良さがある。ホッとするというか何というか、そんな感じだ。

 隣で夢中になってグラタンを食べる彼女の姿を眺めながら、おれはぼんやりとそんなことを考えた。

 

「ふう……さて、スープはどうかしら?」

 

 ぺろりとポテトグラタンを平らげたΩは、続いてスープへと意識を向ける。今回のような冷製スープは恐らく始めて出したので、どんな反応が見れるか楽しみだ。もし気に入ったようならば、今度はトマトで作ってもいいかもしれない。

 そんな風に思っていると、ちょうど彼女がスープを口に入れたところだった。昔は見知らぬ料理を見るとおそるおそる食べていたのだが、随分と思い切りが良くなったものだ。

 目を閉じ、よく味わっている様子の彼女。やがて喉が動き、それで口の中からスープがいなくなったことが分かった。

 まだ目は開かない。……最近ではかなり舌も肥えてきていることだろうし、もしかすると気に入らなかったのだろうか。何だか、妙に緊張してきた。

 人には好みがあるし、口に合わないという事があるのも重々承知はしているのだが、それでもΩに不味いなどと言われたら、しばらく立ち直れない自信がある。

 半ば祈るような心持でいると、やがてゆっくりと琥珀色の瞳がこちらを貫いた。

 

「……ねえ、あんた」

「……はい」

「……冷たいスープってめちゃくちゃ美味しいのね!」

「…………そりゃよかった」

 

 本当に良かった。安堵のあまり、全身がへにゃへにゃと脱力したような感じだ。

 おいしいんだったらいつもみたいにすぐ「おいしい!」って言ってくれればいいのに、無駄に溜めたせいでえらく気疲れした。

 

「なに、もしかしてあたしが不味いとでも言うと思った?」

「うぐっ……」

 

 表情に出てしまっていたのか、図星を突かれる。思わず反応を返してしまったおれを見て、Ωはからからと笑った。

 

「あはは!そんなわけないじゃない!」

「……しばらく何にも言わなかったらそりゃ心配になるだろ」

「あのね、あたしの舌はあんたに育てられたんだから、あんたが美味しいと思うものを不味いと思うわけないでしょ?」

 

 ……そうだったのか。いや、確かにそういえば、最初の頃は何を食っても初めて見るだとか何だとか言ってたな。

 そうか。おれにとって美味しいものは、あいつにとっても美味しいのか。

 おれも一口、冷製じゃがいもスープを味わう。

 ふわりとしたミルクと生クリームの風味の中に、優しい甘みのじゃがいもと玉ねぎ、そしてそれをしっかりと下支えするチーズの旨味。グラタンとほとんど同じ食材で味付けしているのにも関わらず、あっさりとしているのはこの冷たさ故だろう。

 

「……うん、美味しい」

「ほら、やっぱり」

 

 隣に座るΩを見やって言えば、思わず笑みがこぼれてくる。それはあちらも同じようで、優しい微笑みを浮かべていた。

 それは滅多に見ることのない、一番リラックスしたときの彼女の表情で、性格の地金が表れているかのようだ。戦場の狂気から解放されれば、彼女はいつもこんな顔をするようになるんだろうか。

 少しだけ、それを隣で見ていたいなと思う自分が居た。

 

 

 

「……そういえばさ」

「なに?」

 

 グラタンもスープも、綺麗に平らげた後。やっぱり食後は何か落ち着くものが欲しいという事で白湯を用意したおれたちは、取り留めもない会話を繰り広げていた。

 そんな、のんびりとした時間の中、おれはふと気になったことを尋ねる。

 

「どうしてこのカウンター席を選んだんだ?」

 

 この食堂には色々な席がある。テーブル席も四人掛けと二人掛け、更には机の形状も四角と丸の計四種類が用意されていた。

 昔、二人でよく飯を食っていた頃は二人掛けの丸い机を使っていたので、何となくそれを選ぶような気がしていたんだが、なぜこちらを選んだんだろうか。

 

「……気分って答えじゃダメかしら?」

「いや、全然それでもいいんだけどさ。ほら、前はよくああいう丸い机で向かい合って食べてただろ?」

 

 目線を反らして逃げの答えを返してくるΩ。別にそこまで気になるというわけでも無く、ただ思いついただけだったのだが、そういう態度を取られると逆に物凄く気になってくる。

 じぃと視線を彼女に向かって注ぎ続けると、やがて観念したのか、白湯を一口飲んでこちらを振り返ってきた。身体が火照ったのか、少々頬が赤い。

 

「……この食堂、ちょっと広いでしょ?」

「確かに、結構広いな」

「だから、二人掛けの席だと寂しい感じがしたのよ。ほら、周りが空席だらけだし」

「なるほどなあ。それで、壁際であんまり物寂しさがないここにしたのか……ん?でも壁際にも二人掛けの席はあるみたいだけど」

 

 納得しかけたところで壁際を見回すと、ふと飛び込んできたのは二人掛けの席。仕切りを使って、半個室のような感じになっている。きっと周りの視線が気になる人用なのだろうが、あれならば条件は満たしているのではないだろうか。

 

「…………」

「……あ、いや、別に言いたくないなら」

「……こっちの方が距離が近いからよ」

「…………?…………すまん、何か聞き間違えたかもしれないからもう一」

「二回も言う訳ないでしょ!?」

「あ、ごめん」

 

 ……取り敢えず、おれも一口白湯を啜る。

 何だか、身体がぽかぽかしてきた。特に顔の辺りなんかは効果てきめんだ。これから、寒いときには白湯がいいかもしれない。

 

「ふー……」

「…………」

 

 ……距離が近いって何だ!?

 設計上、物理的に近いってことだよなたぶん。ああ、なるほど、さっき言ってた物寂しさとか言うのが近いと多少和らぐと。なんか人のぬくもり的なサムシングで。

 

 ……ああ、そういうことか。いったん落ち着いたら、何となく分かってきた。

 要は、新しい環境への不安があるってことだ。こんなロドスのような巨大な船に乗せられ、なし崩し的にバベルと契約して。表面上は特に何かあるようではなかったけれども、心の奥底では不安やら何やらを抱えていたのかもしれない。おれもまた、最近はこのバベルに慣れるのに必死で、そこまであいつに構う事が出来てなかったから。

 馴染みの連中、ヘドリーやらイネスやら、傭兵団の連中も別任務に出てばかりであまり会う事がない。安心感を与えられるのは、きっとおれだけなのだ。

 そうだとしたら、おれがすべきことはただ一つだろう。

 その期待、親愛に、しっかりと応えてやること。それだけだ。

 

 おれは、おそるおそる彼女の頭に手を伸ばす。少し驚いたような表情はされたものの、やがてその手は受け入れられた。

 ゆっくりと、安心させられるように。静かに彼女のことを撫ぜながら、おれは言葉を発する。

 

「悪い。最近はあんまり、お前と二人でいる時間を取れてなかったよな」

「……そうね。あんたはクソ女の所へ行ったり、あのブラッドブルードの所へ行ったりしてたみたいだけど」

「早くバベルに慣れたかったんだ。けど、ようやく色々軌道に乗り始めた」

 

 少しむくれた様子の彼女。それに関しては、本当に申し訳ないとしか言いようがない。ただ、そのおかげもあってこうして食堂も完成したのだから、必要なことだったとは思っているのだが。

 

「へえ……」

「……悪かったよ。どうしたら機嫌を直してくれる?」

「……今度、あたしに料理を教えてくれたら考えてもいいわ」

 

 彼女の口から飛び出したまさかの言葉に、おれはうっかり頭から手を放してしまう。そのまま、口をついて驚きが飛び出した。

 

「料理!?お前が!?」

「ちょっと、そんなに驚かなくてもいいでしょ!?」

「いや、悪い、でも、ええ……?」

 

 もしかしたら目の前にいるのは偽物という可能性はないだろうか。Ωと言えば食べる、食べると言えばΩ。料理の対極に位置する存在のはずでは?

 

「前に言ったわよね?あばらブチ折るって」

「うわ、いっ!?いでででででで!ごめん、ごめんって!」

 

 もはや当たり前のように心を読まれ、背後から激しく胸部を圧迫されるおれ。必死の謝罪も空しく伽藍洞の食堂に溶けていく。

 ……まあ、機嫌は直りつつあるからいいか。

 今度からはもっとちゃんと近くに居てやるようにしよう。それがあいつのためになるだろうし、それにおれも……いや、何でもない。ともかく、すべてはあいつのため──

 

「……あっ」

「」

 

 ──今、明らかにあばら骨から何かが折れた音がしたんだが、気のせい……じゃない!なんか滅茶苦茶熱いし痛いぞこれ!

 

『オーナー、お二人が仲直りできたようで何より……あら、どうされましたか?』

「Steam-02……医者……医者を呼んでくれ……」

「ちょっと、あんた、本当に折れたの!?そんなつもりじゃ……」

「痛いだけだから……気にすんな……それより、これでおあいこで……」

「なに馬鹿なこと言ってんのよ!?……ロボット!医療オペレーターに連絡は!?」

『既に完了致しました。まもなく、ケルシー医師がいらっしゃいます』

「よりにもよってクソ女じゃない!」

 

 ……もう何だか収集が付かなくなってきた。Ωは涙目だし、Steam-02はあちこちから蒸気を噴き出してるし、ケルシー先生は来るしでもうカオスの予感しかしない。

 恐らく地獄絵図になるであろう数分後の食堂を想像しながら、おれはとりあえず意識を逃避させることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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急転直下─Dive into The Abyss

 お昼を過ぎてはいるものの、夕方というにはまだまだ早い、そんな時間帯。おれは中央調理場を訪れていた。

 完成からしばらく。食堂は毎日オペレーターや各種人員で大盛況だ。調理担当の人材の確保にも成功し、料理店で腕を振るっていた人からこのカズデルで屋台を出していた人に至るまで、豊富な人材が調理場には揃っている。中にはかつて殿下に料理を振舞ったこともあると言う、ヴィクトリアの元宮廷料理人までもがおり、それはつまり趣味の延長線上で料理を作っていたおれはお役御免という事だ。

 一時はクロージャプレゼンツ、Wのフルコースディナー(有料、チケット制)などが開催される(但、開場3分にしてケルシー先生の手でクロージャは退場となった)など、おれもかなり調理場には通い詰めていたのだが、今では時折こうしてふらりと訪れて使わせてもらったり、少し料理を教えてもらったりするくらいのものだ。

 

 中に足を踏み入れると、人のいない時間帯を選んだこともあって調理場は落ち着いた様子だ。お昼時などはまさしく修羅場と形容する以外ない有様なのだが、これなら使わせてもらえるだろう。

 

「エシオさん」

「おお、Wか。どうした?」

 

 入ってすぐ、カウンターの所でキッシュを食べていた初老の男性に声を掛ける。

 彼が先ほど述べた元宮廷料理人のエシオさんだ。ヴィクトリアからテレジアの下にやって来たあと、カズデルが戦火にまみれてしまってからは半ば隠居状態にあったのだが、テレジアの呼びかけに応えて再び馳せ参じてくれた。

 彼の料理の技術は半端なものではなく、長年の経験と熟練とで、食材の状態を指で感じ取り、それに応じて処理、味付け、火入れなどを感覚的に細かく最適化することが出来る。これは並大抵のことでは無く、高性能AIである02も、流石にこれはデータ化できないと言っていた。

 おれも時々、その技術の一端をレクチャーして貰っている。その意味ではおれの師匠だとも言えるだろう。

 

「今って調理場使ってもいいですかね?」

「ああ、構わんよ。……ちなみに、今日は何を作るつもりだ?」

「あ、今日はおれじゃないんですよ。ちょっと連れてきていいですか?」

「ん?まあ、いいが」

 

 使用許可を無事に貰ったところで、おれは一端食堂の方に出る。そうして、席に座って待ちわびている人物のことを呼んだ。

 

「おーい、使っても良いって許可もらえたぞ」

 

 そう声をかけると、件の人物は食材の入った保冷バッグと一緒に軽やかな足取りで歩み寄ってくる。

 勿論、その正体はΩだ。 

 

「ほら、言ったじゃない。最初からあたしが入っても良かったでしょ?」

「まあまあ。一応、おれたちは部外者だし」

 

 そんな風に話しながら再び調理場の方まで戻ってくると、エシオさんがニヤッと笑いながら冷やかしてくる。

 

「おうおう、W。女を連れ込むとは隅に置けねえな」

「どうせそんなこと言うと思いましたよ……」

「ははは、そう怒るな。つまり、今日はお前じゃなく嬢ちゃんが作るってわけだ」

「そういうことです」

 

 そう。今日おれたちが調理場にやってきたのは、何時ぞやの料理を教えるという約束を果たすためだ。

 あれからしばらく時間は経っているのだが、仕事の方が忙しかったり、調理場の方も混みあっていたなどということもあり、かなり遅くなってしまった。

 おれが一人でしばらくここに来ていたのも、理由の一つには料理人達と顔馴染みになるため、というものがある。いきなり部外者が部外者を連れ込んで料理をし始めたら、そこで働く身としてはいい気分はしないだろう。

 ようやくそう思われない程度にはこの場所に馴染むことが出来たので、今日はΩを連れてきたと言う訳だ。

 

『Ωさま、お待ちしておりました。オーナーも、なかなかこちらにお呼びできないことに心を痛めていた様子で……』

「……へえ、そうなの?」

「こら02、余計なこと言うな」

 

 彼女の来訪をどうやってか察知して、Steam-02も車輪を動かしながらこちらにやってくる。調理場に駐在するようになった彼女は、料理人たちからの評判もすこぶるいい。クロージャによって更なる改造を施され、食材を運ぶアームや、配膳を行う保温ケースまでも備えているので、はじめの頃よりさらに頼もしい存在だ。

 AIの方も絶好調で、色々な料理についての知識も蓄えてきた。……余計なことを言う機能は、はじめから備わっていたが。

 

「別に気にしなくていいわよ。あんたがちゃんと約束を守るってことは知ってるし」

「……まあ、なんだ、作るか!」

 

 あばら骨の事もあって有耶無耶になってしまった感はあったのだが、彼女が料理をしてみたいというのならば、それを拒む理由は無い。しかしながら、いつ頃出来るか分からないという事もあり、Ωには聞かれるたびにつれない返事しかできなかったのは少し気になっていた。

 まさか、そんな機微をロボットにまで読まれてしまうとは、ひょっとすると顔に出てしまっていたのだろうか。

 そんな気恥ずかしさと、何処からか注がれる生暖かい視線を振り払うように、おれは一つ叫んで料理を始めることを宣言した。Ωもまた、それに笑って応える。

 

「ふふっ、そうね。まずは何からすればいいの?」

「まずは手洗いだな。神聖な調理場に足を踏み入れる以上、必須事項だ」

「……なんか顔が青いけど、大丈夫?」

「……ちょっとトラウマがな」

「何か言ったか、W?」

「いえ、何でもないです、エシオさん!」

 

 手を洗うのは衛生管理上極めて重要だ。人の手というのは、思っている以上に汚い。そのため、本人としては特に汚れていないつもりでも、それで辺りをペタペタ触ったとなれば大事なのだ。

 それなので、調理場でまず何かを始める前には手を洗わなければならない。必ず洗わなければならない。

 

「……ま、大事だってことはよくわかったわ。さっさと洗っちゃいましょ」

 

 おれの表情からその大切さを感じ取ってくれたようで、素直に頷いたΩとともに流しに向かう。

 よく石鹸を泡立て、手のひらや手の甲だけでなく、手首や爪の間までもきちんと洗うという事を実演しながら行えば、清潔な料理のための両手が完成だ。

 綺麗なタオルで水気をふき取って、保冷バッグを置いたカウンターまで向かう。

 

 バッグの中に入っているのは卵、ベーコン、玉ねぎ、バター、牛乳、生クリーム、ケチャップだ。調理場の食材を勝手に使う訳にはいかないので、自前でクロージャから仕入れておいた。塩等の調味料については、使ってもいいとの許諾は前に既に取ってある。

 

「今日作るのはオムライスでいいのよね?」

「ああ」

 

 料理初心者に何を作らせたらいいのか。これについてはかなり悩んだのだが、今回はオムライスを選んだ。

 玉ねぎを切る、チキンライスを炒める、といった基本的な動作を含んでいるし、卵という面白い食材を扱う事も出来る。難易度的にも包むところ以外は難しくないし、味に関しても既製品のケチャップを用いるので大失敗は無いだろう。

 このオムライスが作れるようになれば、簡単な炒め物やピラフ、炒飯、さらにオムレツやスクランブルエッグといった卵料理にも応用が利くはずである。そうすれば、朝ご飯や昼ご飯くらいのワンプレートなら、彼女に任せることも出来るようになるかもしれない。

 

 

 

 エシオさんも、邪魔しちゃ悪いと言って奥の方へ引っ込んでしまった。まあ、おれも料理を教えている様子を彼に見られるのはあれなので、ありがたい心遣いだ。

 そんなわけで、早速調理開始といこう。

 

「それじゃ、まずは玉ねぎを切るか」

「取り敢えず皮を剥けばいいのかしら?」

「そうだな。……あ、ちょっと待ってくれ」

 

 Ωの言葉に頷くも、ふと思い出して少し待ったをかける。少しまな板の前から避けてもらうと、おれはたまねぎの根本と頭の部分を切り落とした。平たい面が出るように、勿体ないが少し大雑把にだ。

 ナイフの扱いは慣れているので、包丁も大丈夫だとは思うのだが、それでもやはり球状の物を初心者が切るのは不安だからな。

 

「……よし。じゃ、これで皮を剥いてくれ」

 

 そう言って、おれは再び少し後ろに下がる。

 今のおれたちの位置関係は、Ωがカウンターのまな板の前に立ち、その後ろからおれが見守るという形だ。

 目の前で彼女は真剣そうな様子で褐色の皮と格闘している。ぺりぺりと表皮をめくっていけばやがて薄皮にたどり着き、そこから少しもたついたものの、ぴかぴかとした本体が姿を表したようだ。

 

「どうかしら?」

「うん、良い感じだな」

 

 顔だけこちらを振り返り、ちょっぴり不安そうに確認を取ってくるΩ。親指を立ててよくできていると伝えれば、途端にその表情はドヤ顔へと変わる。皮むき程度で何そんな顔をしているんだとは思うのだが、それも彼女がすると何とも愛らしく見えてしまうのだから、おれもだいぶダメになってきているようだ。

 ともあれ、皮がむけたのならばいよいよカットだ。今回は、みじん切りにしていく。

 

「次は?」

「半分に縦に切る。……あ、抑える方の手はこう……指先を丸める感じで」

「こう?」

「あー、何というか……いいや、ちょっと手借りるぞ」

「へ?」

 

 包丁の握り方はなかなか様になっているものの、玉ねぎを抑える手が少し怖い。指が伸びているので、うっかり切り落として目も当てられないことになる危険がある。しかしながら、丸めすぎてもきちんと押さえられなくて却って危険というのだから、難しいものだ。

 細かい加減を言葉で伝えることに限界を感じたので、手を添えて直接感覚を教えることにする。すぐ後ろに立って腕を回せば、お互いの身長差もあってちょうどいい感じだ。

 そのまま左手で彼女の左手を掴むと、指を添えて折り曲げる。個人的には、少し食材に対して爪を立てるような感じでやるのが一番力も入ってやりやすいように思うので、そのような感じにだ。

 

「分かるか?こんな感じで手は添えれば、滑らないし指切る心配もないだろ?」

「…………っ」

「聞いてたか?包丁は結構危ないし、それに…………」

 

 教えたはいいものの、どことなくΩが聞いていない様子なのでもう一度教えなおそうかと思ったその瞬間、はたと気づいた。

 今、おれは両腕を彼女に覆いかぶせるようにしているが、これはあたかも背中から抱き着いているような恰好なわけで。

 そう思ってしまった瞬間、鈍っていた五感が急に鋭敏になる。腕の間の彼女からはなんかいい匂いがする気がするし、触れているところからは少し高めの体温が伝わってきて、トクトクと波打つ自分とは違う心臓の鼓動が聞こえてくる。

 洪水のように押し寄せる身体情報の数々に、頭が沸騰しそうだ。そのまま、おれは壊れたブリキの人形みたいに、ぎちぎちと関節を軋ませながら静かにΩから離れた。

 

 どこか熱っぽいような、ぽおっとした感覚だ。料理を教えるという事で浮かれていたのか、つい何も考えないでやってしまった。

 このロドス・アイランドで過ごすようになってから、ますますこんな気持ちになる頻度が高まっている気がする。何気ない動作や仕草にふと胸が弾んで、特に何も考えずにした行動や口走った言葉に、あとから気付いて茹で上がる。

 どうして自分がそうなってしまっているのかは十分に理解している。理解はしているが、それをきちんと言語化してしまうのは、今この場ではどうにも憚られる。

 おれは、内心の混乱を覆い隠すかのように、努めて何事もなかったかのように平静な声で彼女に背中に話しかけた。

 

「よ、よし、そんな感じで手が出来たら……あの、そのOKだから、半分に切っちまおう」

「……え、ええ!そうね!あたしもちょうどそうしようかと思ってたのよ!」

「え?……あ、ああ!そうだったのか!そりゃちょうどよかった!」

「でしょ!?ほら、いくわよ!」

「おうよ!」

 

 ……よし!お互い極めて平静に事を進ませることができたな!

 

 

 

 

 正直言って、どうしてお互いオーバーヒートしたあの状態で怪我無く無事に玉ねぎを切ることが出来たのかは分からないのだが、とにかく出来たものは出来た。

 現在、おれたちの目の前には、見事に玉ねぎ1/2個がみじん切りの状態でまな板に横たわっている。

 余ったもう半分をラップで包んで冷蔵庫に入れてきたうちに、どうにか心臓のバクバクも収まってきたようだ。見れば、Ωのほうもだいぶ落ち着いた様子でいる。

 

「……あー、続き、やるか?」

「……やりましょ」

 

 躊躇いながらも声をかければ、やがて彼女は小さく頷いた。

 

 その言葉を聞いて、おれは保冷バッグからベーコンを取り出す。厚みがあって美味しそうなブロック状のそれは、何時ぞやの町から定期的に仕入れているものだ。

 透明な袋から取り出すと、まずおれのほうで今回使う分量を切り出す。残りはまだまだあるので、それは後で冷蔵庫にしまっておくとしよう。

 

「そうしたら、このベーコンを1cm幅くらいで切ってみてくれ」

「……手は、こんな感じでいいのよね?」

「……あ、うん。……さっきのみじん切りもかなり上手くできてたし、ひとまず切ることに関しては心配はいらないと思うけどな」

「ふふっ、ありがと。じゃあ、やってみるわ」

 

 そう言ってまな板に向き直る彼女。丸めた左手をそっと添えると、教えたとおりに刃をベーコンに対して垂直に入れ、引き切りにしていく。

 リズミカルとは言えないまでもしっかりと確実に切り分けていく様子は、見ているこちらとしては危なっかしさがなくて安心だ。

 後ろからおれがそっと見守る中、Ωは果敢に目の前の肉塊に挑みかかっていく。刃物片手のその姿は、やっていることは戦場とそっくりなのに、表情が全く違っていた。白刃を手に獰猛な笑みを見せる彼女と、包丁を手に唇を結んで、時折口角を上げる彼女。

 ロドスではよく見る後者の表情は、おれがこの場所を好ましく思っている理由だった。

 

 

 

 やがて、まな板の上のベーコンをすっかり切り終えてしまったら、いよいよ火を使う番である。

 コンロの火をつけたらフライパンを温め、バターを敷いて溶かす。程よくバターも温まったところで、これまで切った具材を投入して炒めていくのだ。

 

「これって順番とかあるの?」

「お、冴えてるな。今回に関してはまず玉ねぎからだ。火が通って透き通ってきたところでベーコンも入れていいぞ」

「……今回はってことは、普段は違うのかしら?」

 

 初めて料理をするというのに、そこに考えが至るのは流石の頭の回転というところか。普通、このように教えられているときは何も分からない故に盲目的に指示に従ってしまう事が多いのだが、その点彼女はこちらの教えたことを咀嚼しモノにしようとしているらしい。

 これは、きちんと理由まで含めて説明すればどんどん伸びそうだ。

 

「そうだな。基本は肉を先に炒める。食あたりが怖いのと、後は肉の脂の風味だとかを引き出すためだな。焼くことで旨味を閉じ込めるってのもある」

「なるほどね……」

「ただ、肉は火が通り過ぎると固くなるから、今回は玉ねぎからってわけだ。いちいち取り出すのも面倒だろ?」

 

 おれがそう問いかけると、意を得たというかのように頷く彼女。表面をカリっとさせたいのならば、先にベーコンから炒めるのも良いと思うのだが、今回のようなチキンライスでは食感が悪目立ちしてしまう。

 そういう意味では今回は少し例外的な手順になってしまっていたのだが、うまくΩがアシストしてくれた。

 こうして改めて教えるという観点に立って考えてみると、意外と色々と考えて料理をしていたということに気付く。半ば手癖で何となく行っていたことも、実は真っ当な理由があり、よく考えられた結論を頭ではなく身体で処理するようになっていただけだったのだ。

 

「へえ……料理も結構頭使うのね」

「だろ?その点、結構お前にも向いてるんじゃないか?」

「戦術をしっかり立てる必要があるってわけね。何なら、あんたより上手くなるかもしれないわよ?」

「ほう、そりゃ楽しみだ」

 

 実際問題、物事を順序だてて計画する能力に関して、彼女はおれ以上に優れたものがある。

 ……推測だとかそういう方面に頭を回すのはおれの方が得意だけど。

 ともあれ、料理の適正という点ではばっちりだ。これは将来の戦力として、かなり期待できるかもしれない。

 

 

 そんな、突発的に始まった座学を終えたら、今度は実践だ。

 中火に調整し、塩を振ってバターで玉ねぎを炒めていく。辺りにふわりとバターの香りが広がり、もうこれだけで旨そうだ。何なら、Ωなどは今にも木べらで掬って食べそうな顔をしている。

 しかしながら流石の彼女もそれくらいの自制心は持ち合わせていたようで、そのままベーコン、トマトケチャップと順次加えていき、水分が飛ぶまでよく炒めていった。

 これで、あとは米を加えて合わせていくだけだ。

 

「02、米は炊けてるか?」

『勿論でございます、オーナー』

「あら、いつの間にそんなことも出来るようになったのね」

『クロージャお嬢様の改造の賜物でございます』

 

 米に関しては、調理開始前に02にお願いして炊いておいた。これを先ほどの炒めた具材と、塩を一振りしてからほぐして合わせていく。一気にフライパン内のかさが増えたのもあって中々苦戦している様子だが、ここでしっかりムラなく馴染ませるのが大事なので頑張ってもらう。

 木べら片手に奮闘すること数分、ようやくチキンライスの完成だ。

 

「ふう……もうこれで食べても良いかしら?」

「え?折角ここまで頑張ったのに?」

 

 澄ました顔をして、しれっと何事か言い出すΩ。

 目を剥いて彼女の顔を覗き込めば、悪戯が成功したかのようなニヤリとした笑みが。

 

「冗談よ」

「……ほんと?」

 

 普段の言動から考えるに、かなり現実味のある言葉だったのだが。

 しかしながら、その疑念を口にすると、彼女は全くもって心外だというふくれっ面を返してくる。

 その姿は、調理に使った火の熱のせいか、ほんのり朱のさした頬と相まって何とも可愛らしい。

 

「失礼ね。流石にあたしも、初めての料理くらいちゃんと完成させるわよ」

「ごめんごめん。……お前の作るオムライス、どうなるのか楽しみだな」

「ふっ、期待してなさい」

 

 確かに、今日の彼女は初めから真剣そのものだった。考えてみれば、あの時の料理を教えてという言葉も冗談の類ではなく、本当の言葉だったから今こうしておれたちはここにいるわけで。

 ……素直に楽しみだな。彼女の初めての料理がどんなものになるのか。そして、これから彼女がどんな料理を作ってくれるのか。

 不敵に笑うΩに笑みを返しながら、おれはそんなことを思った。

 

 

 

 さあ、ここからがいよいよ正念場だ。

 小皿に卵二個と牛乳、塩、砂糖を加えてよく解きほぐしていく。それと同時にフライパンにもう一度バターを敷き、良く熱しておけば準備は完了だ。

 

「ここからはスピードが命だ。まずはおれがやるから、よく見ておいてくれ」

「わかったわ」

 

 フライパンを凝視しながら頷くΩ。これまでそんな料理している様子をまじまじと見られることは無かったので、何だか妙に緊張するが、彼女の前で無様な姿は見せられない。

 おれは一つ気合を入れると、フライパンの中に卵液を流し込んだ。

 瞬間、ジュワッと音を立てて凝固を始めるタンパク質。それに抗うようにして、素早く菜箸で卵の上と下とをひっくり返すようにしてかき混ぜる。

 程よく半熟の状態に固まったら、今度は忍耐の時間だ。下手に弄らずそっと表面が固まるのを待ち、頃合いをみてチキンライスをフライパンの真ん中に載せる。縁を使って卵の両端を中心に向かって折り曲げ、形を半月上に整えれば後は皿に載せるのみ。

 おれは片手に皿を、片手にフライパンを持ち、じりじりとオムライスを端の方へと寄せていく。静まり返った調理場は緊張に包まれ、隣でゴクリと彼女が唾を飲み込む音が聞こえるほどだ。

 天国と地獄とを分ける、最後の審判の時。おれは、思い切ってフライパンを持つ手首を返した。

 

「…………完成だ!」

「すごい……」

 

 果たして、皿の上には沁み一つない、綺麗な卵色の肌をしたオムライスが鎮座していた。ふっくらと柔らかい曲線を描いたフォルムに、もうもうと立ち込める湯気。シンプルなオムライスの、一つの完成形と言っても良いだろう。

 過程を目の前で見ていたからか、Ωの感動もひとしおのようだ。ぽかんと口を開けて、ただただ目の前の物を眺めている。

 

「……これ、あたしも出来るの?」

 

 呆然と、ぽつりと、そんな言葉をこぼす彼女。

 確かに、この最後の過程は難しい。はっきり言って、料理初心者にやらせる難易度ではないほどに。

 おれも、はじめはもう少し違うオムライスを作ろうとしていた。保冷バッグに生クリームが入っていることからもわかるように、湯銭でスクランブルエッグを作り、それを上からかけるタイプのものにしようとしていたのだ。これなら、最難関に包むという工程は必要ないし、彼女でも簡単に作ることが出来ると考えていた。

 

 だが、今回実際に彼女の様子を見ていて、敢えて簡単にする必要は何のではないかと思った。

 仮に成功すれば、きっと大きな喜びを得られるはずだし、失敗してしまってもきっとリベンジに燃えることだろう。

 おれは、Ωの料理をしたい、というのがただの興味本位なのではなく、真剣なものだとわかったからこそ、敢えて難しい挑戦をしてもらいたいのだ。

 

「……大丈夫だ。お前ならきっとできる」

 

 

 

 

 

 食堂のカウンター席にて。おれたちは、少し遅めの昼ご飯をとろうとしていた。

 Ωの目の前にあるのはオムライス。綺麗な形のそれの上には、ケチャップと赤ワインで作ったソースがたっぷりとかかっており、何とも美味しそうだ。

 続いて、おれの目の前にあるのはこれまたオムライス。惚れ惚れするほど見事な出来の一品だ。これを料理初心者が作ったとは誰も思わないだろう。

 

「よし、それじゃ食べるか」

「……ねえ、ほんとにあたしの作ったそれでいいの?」

「さっきから言ってるだろ?おれが食べたいんだから、これでいいんだ」

 

 実際、おれは見事な出来だと思う。確かに、客観的に見れば少し不格好かもしれないが、それでも彼女が初めて作った料理だ。例えそれがどんな出来であったとしても、食べたいに決まっている。

 それでも若干不服そうな彼女を見て、おれは食べて感想を教えてしまおうとスプーンを手に取る。そのまますくって口にしようとしたところで、背後から声がかかった。

 

「W、嬢ちゃん、無事に料理は出来たか?」

「あ、エシオさん。御覧の通り、いいものが出来ましたよ」

「どれどれ……ほう、オムライスか」

「……やっぱり邪道ですかね?」

 

 おれのようなアマチュアと違い、エシオさんはプロの料理人だ。おれも教えてもらってわかったが、料理というものに相当なこだわりを持っているし、妥協は決してしない。そんな彼から見て、これがどう映るかは若干不安であった。

 だが、それは杞憂だったようだ。

 

「料理ってのは絶えず姿を変えていくモンだ。宮廷で出すものならともかく、いちいち目くじらは立てんよ」

「ほっ……」

「……でも、あたしのは出来が悪いでしょ?」

 

 エシオさんの言葉にホッとしたのもつかの間、今度はΩが彼に問いかける。やはり、自分の出来に納得がいってなかったらしい。

 彼の目がギョロリと動き、テーブルの上、おれの目の前に置かれた皿を凝視する。その様子に、別におれの料理が見られているわけでも無いのに何だか緊張してきて、おれはそれをほぐすために軽口をたたいた。

 

「ダメですよ。これはおれのなんで、エシオさんにはあげられません」

「馬鹿野郎、食う訳なかろうが。嬢ちゃんがお前のために作ってくれたモンだ、一粒も残すんじゃねえぞ」

「……そうなのか?」

「…………ええ」

 

 エシオさんの言葉が気になったおれがΩに問いかけると、彼女は蚊の鳴くような声で小さく返事をした。

 ……なんだか、感慨深いな。初めは、おれが一方的に飯を与えて、住処を与えていて。それが何時しか、一緒に戦うようになって、今では飯を与えてくれるようにまでなった。

 じっと彼女の琥珀色の瞳を見つめる。その中には、気恥ずかしさやら何やらと一緒に、確かに感謝が垣間見えていて。何だか、おれまで気恥ずかしくなってきてしまった。

 

「嬢ちゃん。料理の出来ってのは、込めた想いで決まるもんだ。小手先の技術はいくらでもあるが、一番大切なことを見失っちゃいけねえ。きっと、Wの馬鹿にとって、嬢ちゃんの料理は何よりも美味しく感じるはずだ」

 

 くいっと手で合図するエシオさん。その意図を察して、おれは彼女の作ったオムライスを口に運ぶ。

 ……なるほど。この味は、言葉にできるものではない。けれども、間違いなく言えることはある。

 

「最高に美味いぞ、Ω。それと……ありがとな」

「……ふふっ、よかったわ」

 

 そう言ってはにかむ彼女の表情は、これまで見た中で一番だった。

 

 

 

 

「……なんかムカつくな。W、お前、今日は仕込みの手伝いな。フォンドヴォー8L作るまで帰さねえぞ」

「……冗談ですよね?」

「冗談じゃないが」

「…………はい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここにWがいると聞いたのだが……」

「ん?ヘドリー?」

 

 夜遅く。調理場で何度もエシオさんにシバかれながらようやくフォンドヴォーを仕込み終わり、部屋に戻ろうとしていたところで調理場に意外な来客があった。

 バベルと契約するサルカズ傭兵団が長、我らのヘドリー隊長だ。

 傭兵団とおれたち二人はかなり任務形態が異なったので、顔を合わせるのは久しぶりになる。そんな彼が、一体おれに何の用なのだろうか。

 

 

 少し待ってもらい、片づけを終えて調理場から出ると、ヘドリーは食堂の席に座って待っていた。おれは彼と向かい合うようにして席に着くと、軽く話しかける。

 

「よっ、久しぶりだな」

「……ああ。久しぶりだな、W」

「おれがここにいるってのは……」

「Ωから聞いた」

「やっぱりな」

 

 何てことない会話。それなのに、何処かお互いを探るようになってしまうのは、彼の纏っている雰囲気故だろう。言葉にはしにくいが、どこか暗いような、そんな感じだ。

 

「で、なんだ、今日は遅めのディナーでも御所望か?」

「ふっ、もう食事は済ませた。今日は話したい用事があってな」

「なんだ、改まって」

 

 佇まいを正したヘドリーに、おれも背筋を伸ばして向き合う。

 これはかなり重要で、それでいて重大な話だ。そんな予感が、いや確信があった。

 誰一人いない、静かな食堂。不気味なほどの沈黙が広がる中、彼が重い口を開く。

 

「……この場所から、離れることにした」

「……なに?」

 

 この場所とは、文字通りロドス・アイランドのことか?それともバベルのことか?頭の中で急激に思考が回転を始める。

 ヘドリーはあまり多くを語る男ではない。彼の少ない言葉から、おれはその心の内を推測しなければならない。

 そもそも、今このタイミングこんなことを言ってきた理由はなんだ?考えられる可能性はいくつかあるが、一番初めに考えられるのは……

 

「……契約更改で何かあったか?」

 

 そう、確か、そろそろ長期契約が切れるタイミングだったはずだ。もし新たな条項が付け加えられるなど、こちらに不都合なことがあれば話が拗れることは大いに考えられる。ただでさえ、彼はある種思想家でもあるのだから。

 だが、おれのそんな推測は首を横に振ることによって否定された。

 

「いや、提示されたのはこれまでと変わらない契約だ」

「なら先行きを悲観してか?蝙蝠は嫌われるぞ」

「……殿下に対する不義理をする気はない。これからもバベル……いや、ケルシー先生からの仕事は受けるつもりだ」

「そこで最低限の繋がりを保っておく、か。なるほど、ケルシー先生なら窓口には最適だ」

 

 つまり、ヘドリーは距離を置きたいという事だ。テレジア陣営という枠組みからは外れず、しかしながら陣営の中枢たるロドス・アイランドからは離れる。

 確かに、この場所は彼にとっては危険な場所かもしれない。このロドスは、拠点というにはすべてが充実しすぎている。衣食住に医療品、装備に至るまで、すべてが与えられている。

 

「ヘドリー、お前は言っていたな。……傭兵は、自由であるべきだと。誰かに従属するべきではないと」

「……W」

「……おれたちが最後だろう?他の奴らはどうだった」

「……ほとんどはここに残るそうだ」

「……そうか」

 

 傭兵は自由であるべきだ。それは間違いない。

 好きなように生き、好きなように死ぬ。それが傭兵なのだから。

 けれども、その理想は間違いなく茨の道だ。特に今のカズデルでは。ついていけないと皆が思うのは、仕方のないことなのだろう。

 そのことをヘドリーもまたよく理解しているからこそ、こうして一人一人に聞いて回っているのだ。

 彼は傭兵団全体の運命を黙って一人で決めるような男ではない。最終的な決断する権利は個々人にあると、誰よりも主張しているのが彼なのだから。

 

 残るか、立ち去るか。それは重大な決断だ。

 傭兵の理想。それはおれもよくわかる。あの傭兵団に残っていた時点で、傭兵は自由であるべきだと、そう固く信じていた。

 だけれども。おれはこの場所に来て、テレジアと出会って、Scoutと任務に出て、エシオさんにしごかれて。様々な人たちとの出会いの中で、ふと思った。

 自由であるべきなのは、傭兵だけなのか?

 

「なあ、ヘドリー」

「W。お前も現状の危うさは分かるはずだ。俺たちは、自らの利益のために戦う独立傭兵に立ち返る必要がある。誰にも従属せず……傭兵は、自由であるべきだ」

「違う。違うぞ、ヘドリー」

「何がだ」

「傭兵だけじゃない。……おれたちサルカズは、自由であるべきだ」

「……!」

 

 サルカズ。テラの大地を流浪する、傭兵くらいしか身の立てようがないおれたち。

 テレジアとの問答で、ロドスでの日々で、おれは確信した。

 サルカズにだって、おれたち傭兵にだって、誰にだって、何にでもなれる自由はあるべきだ。

 そうして、それを許されない現状から目を反らし、傭兵という自由に後戻りするのは……おれは嫌だ。

 

「……そうか」

「悪いな、ヘドリー」

 

 今ここに、おれたちの道ははっきりと分かたれた。闇夜に生きるものと、光を求めるものとに。

 それが卵の殻を突き破り世界を手にする鳥のごとき所業なのか、はたまた太陽に焼かれ翼を捥がれる愚か者の所業なのか、おれには分からない。

 けれども、その道に一点の曇りもないことは確かであろう。

 

 

 

 ため息とともに、ヘドリーが背もたれに寄りかかる。どうやら、お堅い話はここまでの様だ。おれも肩の力を抜いて、世間話に興じることにした。

 

「なあ、ところでイネスはどうなんだ?やっぱりお前についていくのか?」

「……彼女も自分でそれを選んだ。ついてきたと言う訳ではないさ」

「はあー。お熱いねえ」

 

 ニヤニヤと笑いながら、彼を責め立てる。やはりイネスはヘドリーと共にあることを選んだらしい。ツンケンしながらついて行くという彼女の姿が容易に想像できる。おおかた、「あなたの首を取るのは私よ」だとか何とか言ったんだろう。

 そうしていると、冷やかされてムッとしたのか、彼から反撃が飛んできた。

 

「そういえば、Ωはお前と同じ道を選ぶと言っていたな。……随分と仲がいいことだ」

「あいつ……そんなこと言ってたのか」

 

 そういえばおれがここにいることをΩから聞いてきたんだった。

 ……分かっていたとは言え、それでもやっぱり嬉しい。

 

「親切心で聞いておくが……お前たちの関係はどうなっている?」

「何だよ、藪から棒に」

「もうしばらく会う事もないだろうからな。……実際の所、どうなんだ」

 

 ここぞとばかりにずかずかと聞いてくるなこいつは。

 おれたちの関係は……何なんだろうか。戦友……というには一緒に居る時間が長すぎるし、恋人と言う訳では断じてない。けれども、家族というには距離感が違う。

 

「……色々と複雑なんだよ」

「……ならば質問を変えよう。お前はΩのことをどう思っている?」

 

 ……これまた難しい質問だ。こちらに関しては、考えるのが難しいという意味では無くて、言うのが難しいという意味だけれども。

 

「別に何とも思ってないと?」

「んなわけあるか。………………そりゃ、好きに決まってるだろ」

 

 ヘドリーの煽りに対して、おれは少し悩んだものの、その言葉を口にすることにした。どうせもうすぐいなくなる奴だ。自分で抱え込んでいてもかなりしんどいのだから、偶には吐き出してみるのもいい。

 前を見てみると、自分で煽ったにも関わらず、彼は意外そうな顔をしていた。

 

「なんで言ったのにそんな顔してんだよ」

「……いや、まさか言うとは思わなかった」

「はあ……」

 

 流石に自分の心を誤魔化し続けるのにも限界というものはある。だが、その想いが強まったのは、間違いなくロドスにやってきてからであろう。

 ここに来て、彼女は今までよりもよく笑うようになった。ふとした瞬間に見せる、静かで優しい笑み。

 今まで押さえつけていた反動か、気づけばおれは彼女の一挙手一投足に言いようのない愛しさを感じるようになってしまっていた。

 

「そういうお前はどうなんだよ」

「……何がだ?」

「イネスだよ。イネスのことはどう思ってるんだ?」

 

 こちらだけ言わされるのも癪なので、ヘドリーにも言わせることを試みる。こいつらは見ていれば明らかにお互いのことを意識しているのに、いつもどこかそんなことはありませんという雰囲気を出している。そこのところ、さっさとはっきりさせてもらいたいと思っていたところだ。この際問い詰めてやろう。

 

「……彼女は戦──」

「ほんとの所は?」

「…………」

「……おれは言ったぞ?ヘドリー、お前はそんな不義理な男なのか?」

「………………好ましいとは思っている」

「……まあそれで勘弁してやるか」

 

 

 

 お互い言う事を言った後は、多少口も軽くなるというものだ。

 一度調理場に行ってコーヒーとお茶菓子を持ってくると、中々に会話が弾んだ。

 

「なんだかんだ、今の関係が上手くいってるからな。ここからどうこうするってのは難しいものがある」

「それに関しては俺の方が長い。……正直、凝り固まってしまっているかもしれないな」

 

 難しいのは、ある程度出来上がった今の関係を、気持ちを口にしてしまうことで壊してしまうかもしれないことだ。

 初めはお互いにお前は大丈夫だろうと言い合ったのだが、自分の事となると不安が襲い掛かってくる。結果、食堂はこのように二人そろってなあなあと言い合う場と化した。

 

「大体、イネスならアーツでお前の心の内くらい分かってるんじゃないか?」

「……どうだろうな。それにしても、何も言ってこないのが不確定要素ではある」

「……確かに」

「イネスに比べたら、Ωはだいぶ分かりやすいだろう?」

「……いや、それがそういう感情かは分からないんだ。年の差もあるし、父性みたいなのを求めてるのかなって」

「イネスに頼むのはどうだ?」

「絶対嫌だ」

「「……はあ」」

 

 こんな感じで、特にこれと言っていい案も何もない状況である。

 結局、ここから必要なのは一歩踏み出す勇気なのだろうが、残念ながらおれとヘドリーにはそれが致命的に欠けているようだ。

 ふと気になって壁に掛けられた時計を見ると、随分と夜も遅くなっている。心も多少は軽くなったし、このままグダグダとしているのもいいのだが、そろそろ一つ結論を出すべきだろう。

 

「なあ、ヘドリー」

「どうした、W」

「それなら一つ、賭けでもすることにしよう」

「賭けだと?」

「ああ」

 

 この後、おれたちは道を違えることとなる。当面の間は向いている方向は同じだろうが、それぞれの道がどこに続いているのかは分からない。これから先、いつどこでどういう形で会う事になるかは全く分からないだろう。

 だから、再会の時のために、土産話の一つくらい用意しておいてもいいと思うのだ。

 

「内容は簡単だ。つまり、どっちが関係を進展させることができたか」

「ほう……負けた方は何をしてくれるんだ?」

「……何でも、と言いたいところだが、それじゃあ流石にお前が可哀想だよな」

「ふ、挑発が露骨だな。……その場で相手に追いつく、でいいだろう」

「はっ、まるでガキの罰ゲームだな。……だが、そのくらいの陳腐さがちょうどいいか」

 

 なるほど、気が利くことで有名なヘドリーらしい提案だ。

 つまり、再会したら最後、どちらもきちんと想いを伝えなければならないと。

 ……イネスとΩ。お互いにとって大切な人物。それが関わってくる賭けなんだ、どちらにもハッピーエンドが訪れるのがいいに決まっている。

 先の見えない暗闇の中でも、それくらい望んだって罰は当たらないはずだ。

 

 次に会う時が味方だとしても、敵だとしても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘドリーとイネス、それに付き従ったいくらかのサルカズ傭兵がいなくなってから数か月。

 おれたち残った連中は皆正式にバベルの一員となり、変わらず任務に励んでいた。

 おれとΩが残ると知り、Scoutやエシオさんは大層喜んでくれたものだ。それから、テレジアやドクターからも感謝の言葉を貰った。

 別に感謝される謂われはない。おれたちはただ、本当の自由を求めてここに残ったのだ。決して彼女たちに請われたからではなく、あくまで自分たちの自由意志で。

 そのことだけは、忘れないように心がけていた。

 ……ともすると、テレジアに心酔してしまうと感じたから。

 

 さて、バベルの拠点たるロドス・アイランドも、最近では随分と賑わいが出てきた。カズデル各地の難民も受け入れているうちに、艦内には製造設備や貿易所なども設置され始め、さながら小さな一つの移動都市だ。

 ……そうして、その難民たちに紛れてやってくるテレシス側の間諜を見つけ出すのも、おれたちの仕事の一つだった。

 

 今の所、戦況は拮抗している。ある種の安定が訪れたからこそ、こうした水面下の戦いが活発になってきているのが現状だ。だが、戦いの趨勢というものは、ある点を境に一気に片方へ傾くものだ。その点とは何か、強固な堤をも崩す、蟻の一穴はどこにあるのか。

 バベルの誇る戦術・戦略担当者、ドクターが頭を悩ませているのはそこなのだろう。最近はテレジアと度々話し合っているようだった。

 

 だから、こうして彼がわざわざおれたちの下へとやってきたのも、それに関連したことなのか。

 ドクターを目の前にして、おれはそんなことを考えていた。

 

「ドクター、おれたちに何か用か?もちろん、仕事の話だとは思うが」

「そうなんだ。実は、君たちの力をどうしても借りたい事態があってね」

「場所を移すか?」

 

 おれたちが今いる食堂は、多くの人で賑わっている。オペレーターや職員のみならず、難民の人々たちも含めて。ネズミ捕りは行っているとはいえ、ここで作戦の話をするのには少々不安があった。

 

「いや、必要な情報は端末に送ってある。私がここに来たのはお願いのためだ」

「お願い、ね」

 

 ぽつりと呟くΩ。確かに、ドクターは少々得体の知れない人物ではある。バイザーで隠された素顔は、まだ誰も見たことがない。そんな彼からお願いと言われたところで、はい任せてくださいとは言いにくい。

 ただ、おれはただ一点でのみ、彼のことを信用はしている。それは、彼の直接立案した作戦、及び指揮についてだ。戦闘という行為を、まるでチェスか何か、ボードゲームのように処理してしまえる人間を、おれは未だかつて見たことがない。

 確実に自陣営に勝利をもたらす。その能力に関してだけは、彼のことを信用できると言っていいだろう。

 ……最も、最近は気になることもあるが。

 

「……最近、皆のことを厳しい作戦に送り出すことが多くなっている」

「……そうだな」

「対して、私はここにいて指示を出しているだけだ。現場に出ることはない」

「そうね。あんたも来てみる?」

 

 Ωの不躾な言葉に対して、ドクターは苦笑交じりに首を振った。

 

「……いや、前にそれをすると言ったら、ケルシーに怒られてしまったよ」

「へえ……あのクソババアも過保護ね」

「……その言葉は、ケルシーの前では言わないことをお勧めしておこう」

 

 彼女のケルシー先生に対する呼称は、クソ女からクソババアへと進化していた。

 これには色々と紆余曲折があり、しかもこの件で彼女は一度折檻を食らっているのだが、まだまだ懲りていないようだ。

 しかし、これでは少し話が脱線してしまっているので、軌道修正を試みる。

 

「まあまあ、その辺にしておいて……それで、ドクター。結局あんたはおれたちに何を頼みたいんだ?」

「……W、Ω。私たちは必ず”勝利”する。そのための作戦を、私は考える。だから、頼む」

 

 そう言って、彼は頭を下げる。バベルの怪物の一人、ドクターがただのオペレーターのおれたちに向かって。

 

「どうか、信じてくれ。私のことは信じなくとも、勝利だけは」

 

 

 

 

「……さっきのあれ、どう思う?」

「……どうだろうな」

 

 食堂から場所を変え、おれの部屋にて端末片手にΩと話し込む。

 ……おれが最近気になっていたことは、作戦についてだ。少し違和感を感じる作戦が徐々に増え、負傷者の数も増していく。ドクターは一体何を考えているのか、マスクの下の素顔が、おれは気にかかっていた。

 だが、これでまた彼という人物が分からなくなった。冷徹な戦争マシーンかと思えば、先ほどのような行動に打って出る。彼も彼なりにこの現状をどうにかしようともがいていて、それでいて心を痛めているのだろうか。

 

「……ただ、ドクターの作戦が勝利をもたらしてきたのは事実だ」

「……そうね。今回のこれも、悔しいけどあたし以上の出来よ」

 

 端末に来ていたのは、敵の補給線を破壊するための作戦についての詳細だ。二人という少人数を持ってして、敵の大部隊を完全に足止めすることを可能にする。その悪辣さは並大抵のものではない。

 偵察で得た情報と、内通者からの情報とを摺り合わせて精度を上げているし、敵の通信網の切断についても抜かりなし。増援の可能性を潰し、不確定要素を限りなく少なくしている。

 

「作戦日は……そういや、この日はScoutも任務があるって言ってたな」

「へえ。どこの部隊も忙しいのね」

「本当にな」

 

 最近は本当に色々な部隊があちらこちらに派遣されている。ついこの間はアスカロンもどこかへ行っていたし、今度はおれたちとScoutだ。

 近々、何か大きな動きがあるのではないか。そう勘ぐってしまうのも、無理はないだろう。

 ちらりと人のベッドでくつろぐ彼女に目をやる。……あれから、特にこれと言った進展は無い。一度言葉にしてしまえば、意外といけるのではないかと思ったが、そんなことは無かったようだ。きっとヘドリーだって同じような状況だろう。

 再び端末に目を落とす。ドクターの作戦は確かに信用できる。けれども、それ以上に信頼できるのはやはり彼女だ。いざという時、現場で頼りにできるのは己と彼女しかいない。

 そうなれば、今すべきことは明確だろう。おれは、訓練室に彼女を誘おうと口を開きかけ──

 

 ──ノックの音に、開きかけたそれを閉じた。

 

「誰かしら?」

「Scoutがまた何かやらかしたのかもな」

 

 適当に言葉を交わしながら、ドアのロックを解除してスライドさせる。そこにいたのは、実に意外な人物だった。

 

「……ケルシー先生?」

「W。少し話したいことがある」

 

 

 

 ケルシー先生と彼女が同じ空間にいるのは不味いので、おれは足早に部屋を出て医務室に向かった。勿論、ケルシー先生も一緒だ。後でΩから何を話したのかは聞かれるだろうが、今度は話す内容なきちんと考えよう。前回は会話の内容を思い出す中で、ふと浮かんだ「ケルシー先生、結構ご年配説」をうっかり話してしまったせいで、とんでもないことになった。

 

「W」

「はい!」

「君と話したいことは他でもない、今度の作戦のことだ」

「作戦、ですか」

 

 どうやら、幸いにも話題はあのことではないらしい。

 しかし、作戦の事と言われても、わざわざケルシー先生に呼び立てられるようなことはしていないと思うのだが。

 

「知っての通り、君たちオペレーターがどのような作戦に従事しているのかについては、我々のほうでも確認を取っている。例えばこのようにな」

 

 そう言って彼女が見せてきたのは、先ほどの補給線破壊作戦についての情報だ。フォーマットまで全く一緒の形で、おれの端末に入っているものと同じ内容の──あれ?

 ……作戦終了予定時刻が、違う?

 

「……何かに気付いたようだな」

「……ええ。作戦終了時刻が違いますね」

「……やはりか」

 

 どういうことだろうか。つまり、これはバベルの方に提出されている作戦書と、実際におれたちが受け取った作戦書が異なるという事だ。

 となれば、これはネットワーク経由ではなく、ローカルで送られてきた?ドクターがわざわざやってきたのはこのため?

 なぜ。そして、何のために。ドクターはこの些末な差を作り出したのだろうか?

 たった一つの資料によって、次々と浮かび上がってくる疑問、疑念。

 そして、先ほどケルシー先生はやはりかと言った。それはつまり、このことを予期していたことになる。

 

「……近頃、ドクターの様子がおかしいのは君も気づいているだろう」

「それは……!」

 

 それは、おれのようなただのオペレーターに、傭兵上がりに言っていいことなのだろうか。

 

「遠方での任務、そしてこの書類もそうだ。この巧妙に生み出された時間の差異は、それ単体では何ら効力を有さないものの、多数に任務と部隊とに複合的に作用することによって、一つの致命的な欠陥をもたらす。W、君は以前Scoutと共に帰投命令から逸脱したことがあったな。その時のことを覚えているのならば、私が何を言っているのかについても想像がつくはずだ」

 

 何時ぞやの町への寄り道。帰ってきたとき彼女が言った言葉は、確か……一つの部品の欠落が、車輌を機能不全へと追い込む、だったか。つまりは、一つの欠陥が連鎖的に全体を破綻に追い込むということ。この場合の欠陥は時間のずれ、連鎖して起こるのは他の任務のスケジュールのずれ。その結果生み出されるのは……防衛スケジュールの崩壊か!

 現在、ロドス・アイランドには常に一定以上の戦力がいるようにオペレーター達の任務が組まれている。この場所が最重要拠点であり、最も守られなければならない場所だからだ。

 しかし、現実問題として、巨大戦力を常に拠点に貼り付け続ける余力はバベルにない。そこで考えられたのが、適正ごとに任務をローテーションで行うという防衛スケジュールなのだが……

 

「……ケルシー先生。予想されるロドス防衛戦力の最小の値は何ですか?」

「……ゼロだ」

「!?」

「……防衛スケジュールの崩壊は、狙って私がロドスを離れる日に設定されている。どうやら、ドクターはよほど私のことを遠ざけたいらしいな」

 

 珍しく、無表情の中に表情らしきものを見せるケルシー先生。それは、何処か寂しげで、悲し気なものだった。

 だが、それはひとまず脇に置いておこう。重要なのは、なぜおれがこのことをわざわざ教えられたかだ。

 

「……おれに何をしろと?」

「我々に必要なことは二つだ。ロドス・アイランドを守ること。そして、ドクターの企みを突き止めること。それを念頭に置けば、おのずと私が君に要求することは見えてくる」

「つまりは、任務に出たと見せかけてロドスに留まり、ドクターの監視をしろと?」

「監視についてはクロージャをこちらに引き入れている。君は防衛のための戦力だ」

「なぜそれをおれに?」

「古参のエリートオペレーターとは違い、君はつい最近まで傭兵だった。その君ならば私の間の繋がりは薄い」

 

 だからケルシー先生の側についているとは悟られにくいと。だが、その分リスクもあるはずだ。

 

「おれが裏切るとは?」

「君は到底信頼できない人間だが、これまでの行動から信用することはできる」

「聞かなかったことにするかもしれませんよ?」

「それでも構わない。君がこのことを他言しなければな」

「Ωは?」

「作戦自体は認可されたものだ。代理の人員を出してでも行う必要がある。見たところ、少なくとも爆発物を扱えるオペレーターは必須だろう」

 

 つまりはお互いに単独行動ということか。本来ならばこの時点でもう降りるのだが、情勢が情勢のせいで難しい。

 この話を聞かなかったことにして任務に向かえば、最悪帰る場所が無くなる可能性がある。その場合、独力で軍事委員会を振り切ってカズデルを脱出するのは、相当困難だろう。

 仮にどうにか代わりの人員を用意して、二人そろってロドスに残るとしても、それはそれで危険地帯の真っただ中だ。ドクターに気付かれるリスクも高まる。

 すべてを放り出して今すぐ逃げ出すというのも一つの手だが、現在ロドスはカズデル中央部付近を走行中であり、車輌をかっぱらったとしても燃料補給が難しい。

 現状考えられる最善手は、おれがロドスに残ってΩが作戦を速やかに遂行後、身を隠すというところか。

 

「……わかりました。Ωと少し話してきます」

「W。君たちがどのような選択をしようが、私がそれを咎めることはない。君たちのことだ、君たち自身で選ぶんだ」

「……ご忠告痛み入ります。それでは、後ほど」

 

 

 

 

「あのクソババア、とんでもない面倒ごとを押し付けてきたわね」

「だよなあ……」

 

 部屋に戻ってきてすぐ。おれは先ほどケルシー先生と話した内容について、補足や推測も交えながらΩに話した。彼女との会話は、色々と推測に委ねられることが多くて大変なのだ。

 しかし、面倒ごととはまさにその通りだろう。よりにもよっておれにお鉢が回ってくるとは。

 

「たぶん、あんたのアーツのことも把握されてるんじゃないかしら。それなら防衛戦力ってのも納得できるわ」

「それは大いにあり得るな」

 

 Ωの言う通り、おれのアーツはこのロドスのような場所では無類の強さを発揮するだろう。狭い一本道の廊下が多い構造では、容易に敵を一網打尽にできる。

 そこまで知っていておれを選んだのならば、流石に化け物の一人と言うところか。

 

「……ただ、何も知らずに任務に行って、帰れませんってのも困るからな」

「或る程度準備できる分、ある意味幸運かもね」

「……どうする?二人で逃げるか?」

「……流石に厳しいでしょ。最善はあんたが残ってあたしが後から駆け付けるってところね」

「……やっぱりか」

 

 卓越した彼女の戦術立案能力をもってしても、やはりそこに落ち着くらしい。

 だが、頭ではそれが最善と分かっていても、単独行動への一抹の不安はぬぐえない。

 それが表情に出てしまっていたのか、彼女がこちらの顔を覗き込んでくる。

 

「大丈夫よ。あんたもあたしが早々くたばることはないって、分かってるでしょ?」

「まあ、それはそうだけど……」

「それに、もし仮に何かあったとしても、最後はあんたが助けてくれる。そうよね?」

 

 言外に含まれる、最悪ループしても、という言葉。ループするということが何を意味するか、彼女はそれを良く知っているはずなのに。

 それなのに、そんな信頼をしてもらったならば。おれは、それに応える以外の選択肢を持たない。

 

「……もちろんだ」

「ほら。なら、問題はないでしょ。さっさとクソババアに返事しちゃいましょ」

「ああ」

 

 彼女の言葉に促され、おれは再び医務室に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあ、W」

「何です、エシオさん」

「お前、やっぱりここで働かねえか?」

「いや、おれ戦闘オペレーターなんで」

 

 作戦当日。昨日の夜、ケルシー先生、及びクロージャ協力のもと、あたかも任務に出たかのように偽装したおれは、調理場に忍び込んでいた。これはケルシー先生から提案されたことで、ドクターに気付かれないための方策だ。

 朝と昼の時間は他の料理人よろしく存分にこき使われ、昼下がりになってからようやく自分たちの飯の時間である。今日の賄いである豆の煮込みをバゲットと合わせて食べながら、おれはエシオさんと話していた。

 

「良いだろ別に。やめちまえよ、戦闘オペレーター」

「それくらいしか飯の食い方も知りませんし」

「料理があるだろうが」

「いやいや、趣味ですよ。別に技術もないですし」

 

 彼の言葉をやんわりと否定する。別に、おれには特段優れた料理の技術があるわけではない。エシオさんからも、料理の腕前は下手の横好きレベルとの評価を既に受けている。

 

「そこは教えてやってるだろ?舌は一流なんだから、お前はまだまだ伸びる」

「そう言ってもらえるのは嬉しいですけど」

 

 ただ、舌に関しては一流シェフのお墨付きを頂けていた。彼曰く、おれは味の中の構成要素を探り出す能力に長けているらしい。要は、食べたら何となくどうやってその味に出来るか何となくわかるという事だ。確かに、これまでも自分で作っていた料理は何となくで食べたことのあるような味をつけていたので、そこが鍛えられたのかもしれない。

 

「……で、ほんとの所はどうなんだ?」

「ほんとの所?」

「とぼけるなよ?お前が何の考えも無しに、わざわざ技術を教わりに来てるわけないだろ。仕入れから仕込みまで、小手先以外まで散々聞いてきやがって」

「……戦いが終わったら、小さなレストランでもやれたらいいなとは思ってます」

「ほれ見ろ!そんであれだろ?従業員はあの嬢ちゃんだ」

 

 将来、というものについてぼんやりと考えてみた時、思いついた光景がある。それは、おれとあいつ、二人で小さなレストランを営んでる光景。あまり客は来ないけれども、一番の客であるあいつが美味そうにおれの作った料理を食べて、おれはそれを隣で見守る。

 カズデルの現状を思えば、途方もなく馬鹿げた夢物語だろうけど、それでもその光景は、今のうちに料理をきちんと習っておこうと思わせるには十分だった。

 

『オーナー、レストランを開かれるのですか?その際は、ぜひわたくしもご一緒させてください』

「おいおいW、両手に花じゃねえか!」

「02……聞いてたのか」

 

 耳ざとく聞きつけた02までもが会話に加わってくる。レストランで働く02……実際ありだな。今ではウェイトレスのごとき働きも出来るし、おれとΩが調理場に立って、彼女に高性能蒸し器兼ホールをやってもらうのもいいかもしれない。

 

「ははは、おいW、お前がレストランを出すの、楽しみに待っててやるぞ」

「……50年くらいかかるかもしれませんよ?」

「なに、それくらいは長生きして見せるさ」

「じゃ、看板には元ヴィクトリア宮廷料理人、エシオの弟子って書いときますよ」

「馬鹿、お前は弟子でもなんでもねえよ」

『お二人は師匠と弟子ということですね。自己アップデートしておきました』

「違げえよ!」

 

 時たまボケて見せる02に対して、鋭いツッコミを入れるエシオさん。この人、まだ当分くたばりそうにないな。

 そんなことを考えながら、バゲットを煮込みに浸したその時だった。

 

『オーナー!クロージャお嬢様から緊急連絡です!』

『ロドスのシステムがハッキングを食らってる!……もー!誰だよ、こんなところにバックドア作っておいた奴は!!』

 

 突然の警告音とともに、機体に備え付けられたモニターにクロージャの姿が投影される。必死にキーボードを叩いており、どうやら応戦の真っ最中の様だ。

 

「クロージャ、何が起きてる!?」

『通信系と駆動系は生きてるけど……セキュリティがやられてる。監視カメラの映像は完全に死んでるね』

『クロージャお嬢様。主要施設のセキュリティの書き換えを実行しております。お嬢様は、監視カメラの復旧にお努めください』

『え!?あたし、君にそんな権限あげてないんだけど!?』

『緊急時対応です。すでにケルシー医師への連絡も完了しています』

『あー、もうわかったよ!あたしも敵侵入の可能性がある地点を算出しといたから、Wはそっちに向かって!』

「了解!」

 

 クロージャと02の二人によって目まぐるしく状況が変化していく中、ようやくおれにも分かる形で情報が提示される。

 ロドスのマップ上に示された赤い光点。それが敵のいる可能性のある場所か。

 

 おれは流し台の下から装備を取り出すと、素早く身に着けていく。そのまま急いで調理場から出ようとした背中に、声が掛けられた。

 

「W!気を付けて行ってこい!」

 

 振り返れば、帽子を握りしめてこちらを見つめるエシオさんの姿がある。その拳は、小刻みに震えていた。

 ……今この場所にいる戦力はおれだけだ。おれは、おれにできることをやろう。

 手を掲げてその言葉に答えると、おれは調理場を後にした。

 

 

『オーナー!』

「なんだ02、着いてきたのか?」

『わたくしがナビゲーションを担当いたします。巡行形態に移行いたしますので、オーナーはお乗りください』

「巡行形態?」

 

 走りながらおれが疑問符を浮かべると、目の前で02が姿を変える。プシュっと蒸気を噴き出したかと思えば、機体の表面には足場と持ち手があらわれていた。

 言われるがまま機体にしがみつくと、02は急加速を始める。なるほど、これなら現場まで急行できそうだ。……今にも振り落とされそうなほど乗り心地最悪なことを除けばだけど。

 おれは持ち手に必死に掴まりながら、先を急いだ。

 

 

 

 最初に向かったのは、恐らく敵の侵入口になっているであろうロドスの最下層だ。現在、ロドス・アイランドは走行中。そうなれば、侵入する手立ては車輌で並走してから乗り移るしかない。空を飛べでもしない限り、ロープとワイヤーを使って下から入ってくるのがほとんど唯一の侵入方法だ。

 もし敵がやってきているというのならば、ここを潰さなければ増援を許すこととなる。

 できることならば誰もいないで欲しかったが……現実はそう甘くはないようだ。

 

「……02、戦闘に入るぞ。合図に合わせて、銃撃を頼む」

『畏まりました』

 

 下部ハッチから何者かが続々と侵入してきている。いや、何者かなどという表現は正しくないか。あれは、テレシスの手の者たちだ。見覚えのある装備をしたサルカズ傭兵たちが、ずかずかと土足でロドスに足を踏み入れている。

 ならばおれはロドスに住んでいるものとして、来訪者を歓迎しなければならないだろう。それも、盛大に。

 物陰からアーツの照準をつける。狙うのは奴らの首から上を持っていくような領域。船を傷つけぬよう、効果範囲をきちんと絞る。殺り逃したのは02に任せるとして、おれは指を三本立てた。

 3、2、1。カウントとともに、アーツを炸裂させる。同時に、プシュっというおよそ似つかわしくない音とともに、金属弾頭が撃ちだされた。

 音もなく消し飛ぶサルカズ傭兵たちの頭部、そして何が起こったのかもわからぬまま倒れていく敵さん方。

 恐らくは二線級の後続部隊だったのだろう、おれたちは奇襲で敵の大半を片付けることに成功した。

 

「なんだ!?」

「どこから!?」

「ここからさ」

 

 そして、残りに関しても恐慌状態に陥っている連中など相手にならない。左手のボウガンと02の銃撃とで、まるで狩りでもしているかのような気軽さで敵を撃ちぬいていく。

 そのうち、立っている敵はいなくなった。おれは静かに死屍累々のその中に歩んでいくと、まだ息のある一人の下にいって問いただす。

 

「先行する部隊はどこへ向かっている?」

「……ひっ!……話が、話が違うじゃないか!?」

「話ってのはなんだ」

「お前みたいなバケモンは、ここにいないはずじゃなかったのかよ!?」

「ああ、なるほどな」

 

 ……これで、ドクターは限りなく黒に近い。ケルシー先生には残念な知らせをしなければならないようだ。

 まあ、今のところはそんなことはどうでもいい。

 今最も重要なのは、この男から、何をしてでも情報を素早く抜き取ることだ。

 

「質問に戻るぞ。……先行する部隊はどこへ向かっている?」

 

 

 

 

 アーツを応用してハッチを接合し、開かないようにした後、おれと02は中枢区画の最上階へと向かっていた。

 敵の狙いが殿下だということが分かったからだ。

 つまりこれは、斬首作戦。敵のトップの首を刈り取ることで、一撃にして戦争を終わらせに来たテレシスの一手ということだ。バベルは3トップ体制ではあるが、その政治力という点ではテレジアに完全に依存している。もし彼女が失われれば、カズデルにおけるバベルの地位は地盤沈下し、勢力を維持することは到底叶わないだろう。……強いて言うのならば、3トップの内の一人は既に敵方についている可能性すらあることだしな。

 勿論、このことについてテレジアに伝えようとは先ほどから試みている。ドクターが怪しいという点も含めて。

 しかしながら、どういうわけか連絡は付かなかった。それもおれが道を急いでいる理由の一つだ。

 

「……っ!02、止まれ!」

『いかがなさいましたか?』

「……ここからはちょいと厳しそうだ」

 

 廊下の向こうから、嫌な気配が漂ってくる。この先にいるのは、かなりの手練れたちだ。先ほどのような有象無象とはわけが違う。

 不意打ちでも出来れば話は変わってくるのだが、残念ながらこの道は一本道だ。

 

「02、アーツで壁を破壊して回り込むのは可能か?」

『検討中……中枢区画につき、想定外の被害が生じる可能性があります。推奨はできません』

「クソっ……速度を生かしての正面突破しかないか……!」 

『オーナー。この先には工事中のため、行き止まりの区画がございます。そちらに敵を引き込むことができれば、一網打尽に出来るかと』

 

 なるほど、確かにそれが出来れば、おれのアーツも効力を発揮する。しかし、その引き込むことが果たしてできるだろうか?ドクターのことを考えれば、ロドスについての情報も敵に渡っていそうなものだが……

 

「だが、どうやって引き込む?」

『わたくしが囮になります。オーナーはわたくしのことを気にせず、先にお進みください』

「……何?」

 

 一瞬、思考に空白が生じる。02を囮に?この高性能蒸し器を?これまで長い間一緒に調理場でやってきたのに?

 だが、同時に冷静な思考がそれを最適であると肯定する。なぜならば、彼女は……

 

『オーナー、わたくしは所詮ロボットでございます。皆さまとは違い、替えの効く存在なのです』

「…………」

『ご命令を、お願い致します』

「…………わかった。02、囮を頼む」

『はい、お任せください』

 

 たったそれだけの言葉を残して、02は敵に向かって猛然とモーターを唸らせ、突き進んでいく。彼女の姿が曲がり角の向こうに消えてから、おれはゆっくりと歩きだした。

 思えば、長いようで短い付き合いだったかもしれない。クロージャに返金代わりに売り込まれて、それから調理場で共に作業を行って。

 AIが良くできていたからだろうか。とてもロボットとは思えない、懇切丁寧で物腰の柔らかい口調は、どこか皆に安らぎを与えていたような気もする。

 あれはきっとジョークだろうけど。もし彼女もおれのレストランにいてくれたら、何と喜ばしかったことか。目を閉じれば、Ωとコントのようなやり取りを繰り広げる姿が、瞼の裏にありありと浮かび上がった。

 

 ……どうやら、見つかったようだ。サルカズ傭兵たちのバタバタという足音と、硬い何かがぶつかり合う鈍い音とが響き渡る。応戦するように蒸気の音が何度も鳴り響き、それらは共に遠ざかっていく。

 進んでいくと、廊下のあちこちには戦闘の跡が残されていて、中には倒れた傭兵の姿もあった。それら一つ一つにとどめを刺しながら、おれは先へと進んでいく。

 やがて、遠くで何かが落ちるような音がした。先ほどもシステムに侵入していた彼女のことだ、隔壁を落としたのだろう。

 

『……ザ……聞こえますか、オーナー』

『02?』

 

 壮絶な打撃音交じりに、02からの通信が入る。きっとこれは、隔壁の向こう側からのものだ。

 

『オーナーの負担になられるかとも思ったのですが、わたくしはダメなロボットでございますね。どうしても、最後に一言残したくなってしまいました』

『……いいさ。聞いてやるよ』

 

 主人の命令に従い、囮として終わりを迎えようとしている彼女。果たして、どんな言葉を残そうというのだろうか。

 それが例え恨み言であったとしても、受け止めるのが命令した側としての責任だ。

 

『ありがとうございます。……オーナー。わたくしも、あなた様のレストランで働きとうございました。どうか、Ω様とその夢、お叶えください』

『……っ!02!』

『オーナー。……おさらばでございます』

 

 壮絶な破裂音。サルカズ傭兵たちのうめき声。そして沈黙。

 彼女は、見事に己の役割を果たした。

 おれは、進もう。先へ。彼女が切り開いた、その道を。

 

 

 

 

「……見事」

「……はあ……はあ……」

 

 ずるずると廊下の壁をつたい、巨漢のサルカズが崩れ落ちる。夥しい量の鮮血を噴き出して死んだ彼は、得物に衝撃を纏わせるアーツの使い手だった。おかげであばら骨を何本か持っていかれたが、問題はない。戦闘の興奮で過剰に分泌されたアドレナリンが、痛みを打ち消してくれている。

 02が多くの敵兵を引き付けてくれたおかげで、おれは必要最小限の戦闘のみで最上階へとたどり着くことができていた。

 テレジアがいるのは、恐らくメインブリッジか、それか彼女の執務室─議長室─か。連絡がつかなかったことを考えると、執務室の可能性の方が高い。

 おれは、痛む足を引きずりながら執務室へ向かった。

 

 

「テレジア!いるんだろう、テレジア!」

 

 執務室のセキュリティは最高レベルだった。バベルの3人しか開けられない、そのレベルになっている。クロージャか、あるいは02ならばどうにかできたかもしれないが、02という直通回線を喪った以上、ドクターに気付かれずに連絡をとるのは難しい。

 彼女の名前を呼びながら、何度もドアをたたく。けれども、その向こう側からの反応は何もない。

 いつ敵がまたくるかもわからないのだ。手段を選んでいる時間はなかった。

 

「テレジア!アーツを使うから、聞こえているなら扉から離れていてくれ!」

 

 範囲を絞ったアーツを使って、扉のロック部分だけをぐちゃぐちゃに捻じ曲げる。そこから、腕力だけにものを言わせてドアをスライドさせれば、どうにか執務室のドアは開いた。

 おれは即座に中に飛び込み、状況を──

 

「テレジ……ア?」

「…………」

 

 ──なんだ、これは。

 何がどうなってるんだ。

 どうしてテレジアが血まみれで倒れていて。

 どうしてドクターが胸を刺されていて。

 どうしてアーミヤが、その二人をただ見つめているんだ?

 

「アーミヤ!これは一体……っ!」

 

 硬直から解き放たれ、唯一立っているアーミヤの下へ急ぎ駆け寄る。そうして、いつものようにしゃがんで目線を合わせ、ここで何が起こったのかを聞き出そうとして。

 おれは、思わず息を呑んだ。

 

「……お前は、アーミヤか?」

 

 この少女が放っている雰囲気は、決しておれの知っている少女のものではない。もっと威圧的で、本能的に恐れを生じさせるもので。

 まるでテレジアの時と同じように、自然と目線を合わせることを避けてしまうような。

 

「…………」

 

 おれの問いかけに対して、沈黙を貫く少女。

 何一つ理解が及ばない状況で、おれは彼女に再び問いを重ねようとして──そして、その言葉は背後からの声によってかき消された。

 

「殿下をお迎えに伺った」

「!……テレシスの!」

「……驚いた。まさかWがここにいるとはな」

 

 おれは刀を抜いて臨戦態勢をとる。殿下をお迎えに来た?このテレジアが倒れている状況で、こいつらは今更何を言っているのだろうか。

 

「落ち着け、W。我々はただ、殿下の亡骸をあるべき場所にお戻しするだけだ」

「あるべき場所だと?それがお優しいお兄様の隣だとでも言うつもりか?」

「バベルに対してこれ以上何かをする気はない。初めに言ったぞ、W。我々はただ、殿下をお迎えにきたのみだ。それ以外の用はない」

 

 部屋に入り込んでくるサルカズに対して、おれはじりじりと距離と取りながら下がっていく。途中、アーミヤを背にできるように立ち位置を調整しながら。

 そうして、テレジアの下までたどり着いた奴は、その亡骸に向かって祈りを捧げた。そうして、懐から黒い何かを取り出す……遺体袋だ。

 もう、そこまでで限界だった。

 おれは奴に向かって飛び掛かる。その瞬間、先ほどまでおれの頭があった空間を、アーツが通り過ぎていく。

 

「何がこれ以上何かをする気はない、だ!」

「ちっ、勘のいい奴め。……残念ながら、先ほどの言葉には但し書きがあってな。W。お前は捕縛対象だ」

 

 ぎりぎりと鍔迫り合いを行い、一合、二合と打ち合う。

 バベルには何もする気は無いが、おれは捕縛対象だと?

 

「今の言葉がどういう意味か、聞き出す必要がありそうだな」

「意味も何も、そのままなのだがな。WとΩ。お前たちは危険だ」

 

 ……Ω?

 

「まさか、お前ら!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん?」

 

 寝袋からのそりと起き上がる。ここは……調理場だろうか?

 なんだ?おれはさっきまで、あのサルカズ野郎と戦っていて……

 

「っ!」

 

 急いで端末で日付を確認する。

 日付は……作戦当日。時間は早朝4時。

 

「……戻った?」

 

 つまり、それが意味することは。

 

「……あいつが……あの時間で死んだ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




音声記録No.10223582

「ケルシーには伝えないのね」
「ああ。彼女をこのような策謀に巻き込みたくない。それに……許してはくれないだろうしな」
「……それが、彼女の身を守るためのことだとしても?」
「……ケルシーは、そういう人だ」
「……ドクター。あなたは辛くないの?もしかすると、愛する人から一生恨まれることになるかもしれないのよ」
「……構わない。それと比べたとて、彼女が無事でいることのほうがよほど大事なことだ」
「……そう」

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致死疾病─Despair.-1

 あいつが、死んだ?

 おれの知らない場所で、おれから遠く離れた場所で、おれの知らぬ間に?

 

 頭が真っ白になる。

 

 ……どうしよう?どうすればいいんだろう?

 呆然。そうとしか言い表しようのない状況だった。

 全身の筋肉が弛緩して、四肢に力がうまく入らない。落ちてくる顎を支えることすらできずに、口までもがポカンと開け放たれて、そのまま閉じることもままならなくて。手足の感覚がじわじわと冷たく、無くなってきて、視界はキュッと縮まり焦点が合わなくなる。

 まるで、身体全体が機能不全に陥ったかのような、そんな感覚。何か、おれをおれたらしめるものがぽっかりと抜け落ちてしまったような。

 これからどうしようか、どうしたらいいんだろうか、そんなことを必死に考えようと心では思うのに、脳みそはまるで働かなくて。頭の中では思考の糸が何かを形作ろうと集合しては離散し何ら纏まりを見せず、ただただ空転して時間だけが過ぎていく。

 

 一体、いつまでそうやっていただろうか。

 力の入らない肉体の中で、心だけが必死に何かを訴え続けている。

 それは、助けなければいけない、ということ。

 じわじわと、じわじわと、その言葉が、現実とともに脳に擦りこまれていって。

 そうして、バラバラに解けた思考回路が、まるで爆弾の爆発のように、閃光と爆炎を以て組みあがっていく。強烈な焦燥感とともに、劇的な速度で。

 

 あいつを、助けなければいけない。

 

 ……どうする、どうすればいい!?

 こんな、こんなことは今までになかったことだ。何度も何度も目の前であいつを失ってきたけど、それでもこんな風に死に際の様子すら分からないことなんてなかったのに!

 どうすればあいつを助けられる?あいつはおれを信じてくれているのに、信じてくれているから、行かなきゃ、そうだよ、行かなくちゃいけないんだよ!

 今から急いであいつのいるであろう場所に駆け付けて、いや徒歩じゃ間に合わない、車輌を貸してもらって、貸してくれるわけがない、奪って、いやダメだ、その前に連絡を、いやおれの端末じゃダメだからメインブリッジの通信設備を何とかして使わなきゃいけない、だからおれのアーツで隔壁をぶち破って、コンソールで……ダメだ!おれにはそんな権限はない、あるはずがない、ならどうやってシステムを……そうだよ、クロージャにハッキングしてもらって、それで……それで?

 

 ……結局、爆発というのは瞬間的なエネルギーの放出だ。一瞬で怒涛の如く炸裂し、そうしてまるで初めから何もなかったかのように消え去る。

 おれの思考回路も同じことだった。ぐちゃぐちゃに入り混じった、感情の爆発としての思考は刹那的で、取り留めが無くて、何も答えを与えちゃくれない。爆発と違うのは、最後に虚脱感を残していったことだ。

 

 ……おれはどうすればいいのだろう?

 

 あいつはいない。ここにいない。戻った時はいつも、隣に居るあいつのことを確認して、その温もりを確かめて、さらさらとした銀糸の感触を指に感じて。それでようやく落ち着くことが出来たのに。

 やらなければいけないことは分かっているのに、何処かふわふわと現実感が希薄なのはきっとそのせいなのだろう。

 手元の端末は、確かに時が巻き戻ったことを示しているはずなのに、どこかそれを信じられないおれがいる。

 もしかすると、おれだけ違う世界の朝に飛ばされてしまったんじゃないかなんて、そんな疑念すら抱いてしまうほどに。

 

 

 

 そんな時だった。ただ座り込んでいたおれに、車輪の音が近づいてきたのは。

 物音に対する反射で、何も考えられぬ頭であるにもかかわらず、即座にそちらを身体が勝手に振り向く。

 

 そこにいたのは、ロボットだった。

 白い塗装を施され、至る所から蒸気を噴き出している、そんなロボット。

 呆然としながらそれを見つめていると、()()が口を開く。

 

『オーナー?体調が優れないようですが、いかがなさいましたか?』

「0……2……?」

『はい、オーナー。わたくしに出来ることがあれば、何なりとお申し付けくださいませ』

 

 震える声でその名前を呼べば、何時かと同じような柔らかい物腰の返事が返ってくる。

 Steam-02。クロージャが改造した、じゃがいも蒸し器。囮となって、敵と共に消えていった、未来のおれのレストランの従業員。

 そこにいたのは、紛れもなく彼女だった。

 

 大きく息を吸い込む。冷たい空気が肺に沁みるようで、けれどもそれがどこか心地よくて。おれは、ようやくこれが現実だと実感することが出来た。

 ……そうだ。おれは戻ったんだ。すべてが起こる、その前の時間にまで。

 まだあいつも生きている。テレジアも、02も生きている。

 これから先の未来で何が起こるのか、知っているのは世界でただ一人、おれだけだ。

 おれにしかできないことがある。おれがやらねばいけないことがある。

 

「…………それじゃあ02、水を持ってきてくれるか?」

『承知いたしました。すぐに持ってまいりますので、お待ちください』

 

 02が車輪のモーター音を鳴らして水道へと向かっていく。その後ろ姿を見ていると、つい先ほどの未来の景色が重なりあって見えた。今から数時間後、彼女は同じようにしておれの命令で死地へと進むことになるのだ。

 おれに一体何が出来て、どうすればいいのか。それを考えるためにも、今はひとまず落ち着こう。落ち着いて、現状をしっかり把握して、その上であいつを救う方策を見出すのだ。……そして、出来ることならば02とテレジアのことも。

 おれは一人静かにそう決意した。

 

 

 

 まず第一に考えるべきは、おれにとっても、このループという現象にとっても、もっとも重要な人物であるあいつのことだろう。

 昨晩ロドスを発った彼女は、今頃作戦地点近くの拠点にいるはずだ。ここからの距離は車輌を用いておよそ5時間。現在の時刻は4時49分で、テレシスの兵隊たちがここに襲撃を仕掛けてきたのがお昼過ぎ、即ち14時過ぎということになるから、恐らくこの前あいつがやられたのは15時ごろのはずだ。

 つまり、今すぐにロドスを発てば間に合う。先の戦闘中、意識が飛ぶようなことが無くて本当に良かった。あいつと話し合って決めた、安全であろう時間帯に寝てコンディションを整える、という選択は間違っていなかったようだ。

 ただ、ここで闇雲に現場に向かうのはあまり得策ではないだろう。まず、現実的な問題として車輌が使えるかどうかということがある。一応運転は出来るものの、車輌自体はバベルの所有する機材だ。正当な理由なくして無許可で使う事は出来ないだろう。勿論、正当な理由で使おうとはしているのだが、如何せんその情報源が未来のことである以上、理由にはしにくい。強奪するというのも手ではあるが、それは最後に考えることにしよう。

 より穏便な選択肢は、連絡を取ることだ。これから起こり得ることを知っていれば、当然リスクは小さくなる。加えて、向こうから救援要請をしてもらえば、おれがここを発つ理由にもなるだろう。拠点には長距離通信用機材があるはずなので、こちらもそのような機材を使えば通信自体は可能なはずだ。先ほどもそうだったように、ここでもその機材がバベルのものであるというのが問題であるのだが、こちらに関しては当てがある。

 

 まず連絡を取るべきなのは、ケルシー先生だろう。バベルの最高指導者の一人である彼女は、通信設備の権限も所持している。彼女から許可を得ることが出来れば、あいつと連絡を取ることが出来るはずだ。

 これはある意味消去法でもある。同様の権限を持つ人物でも、ドクターは限りなく黒に近いグレーで、テレジアは……何となくよくない気がする。

 どのみち、テレジアのことでも話さなければいけない以上、ケルシー先生が最適解だ。ドクターの目を誤魔化す必要もあることだし、クロージャ経由でコンタクトを取るか。恐らく、彼女ならそれくらいは用意はしてあるはずだ。

 

『お待たせいたしました、お水でございます』

「ああ、02、ありがとう」

『どうやら、気分の方も回復したようで安心いたしました。オーナー、お身体にはどうぞお気をつけ下さい』

 

 02から受け取った水をごくごくと一気に飲み干す。乾いた喉を潤し、空っぽの胃袋へと入り込んでいく感触を感じれば、まさに生き返ったような心持ちだ。

 コップを近くに置き、一息つくと、おれは02に問いかけた。

 

「そうだな。これからは気を付けるよ。……ところで02、クロージャと連絡は取れるか?」

『クロージャお嬢様とでございますか?少々お持ちくださいませ…………出られませんね。もしかすると、お眠りになっているのかもしれません』

「……確かに、朝の5時だからな」

 

 ……時間のことをすっかり失念していた。夜の王たるブラッドブルードらしく、夜更かしに次ぐ夜更かしで深夜であろうと基本的に彼女との連絡は付いていたのだが、この早朝の時間帯は流石に眠っているらしい。

 

「02、彼女がいるのは工房か?」

『確認したところ、そのようですね』

「わかった。……それじゃあ、ここから工房までの監視カメラ映像をダミーの物に差し替えられるか?」

『……例の重大事案でございますね。畏まりました』

 

 やはりと言うべきか、02もこちら側だったようだ。前回、ロドスに敵が侵入したというクロージャからの連絡が彼女を経由してきた時点でほとんど確信していたが、この超高性能万能蒸し器にも、おれがケルシー先生から課された仕事についての話は、重大事案という形で伝わっていた。この非常に頼もしい協力があれば、ドクターに悟られることなく艦内を移動できるだろう。

 おれは02からダミーへの差し替えが完了したことを伝えられると、彼女を引き連れてクロージャのいる工房へと向かった。

 

 

 

 道中の廊下。流石に早朝という時間帯もあって人通りはほとんどないはずだが、油断は禁物だ。02に監視カメラ映像を確認してもらったうえで、慎重に進んでいく。

 そんな中で、おれは議長室で見た光景について考えていた。

 首を斬りつけられて倒れていたテレジア。夥しい量の鮮血とともに何故か倒れていたドクター。そして、その二人を虚ろに見つめていたアーミヤ。

 あの時のおれは気が動転していたのと、敵がやってきたのもあって冷静にあれこれと考える暇すらなかったが、今になって考えてみれば気になる点がいくつもある。

 

 あの部屋には、恐らくおれが一番先にたどり着いたはずだ。議長室のセキュリティレベルは最大で、テレジアとドクター、そしてケルシー先生しか開けられないものであり、そのうち二人は部屋の中に、もう一人はロドスの外にいたのだから、無理やり開ける以外に扉を開ける方法はない。だが、おれがアーツを使うまで扉に損傷した様子はなかった。

 また、おれが最後に戦ったあのサルカズも、殿下をお迎えに来たと言っていた以上、おれより先にやってきたのならば、少なくともテレジアの姿は残っていなかったはずだ。その点から考えても、おれが一番乗りなのは間違いないだろう。

 

 この前提の上で、どうやってあの光景が出来上がったかを考えると、第一に導き出されるものはドクターがテレジアを殺害し、そして相打ちの形になったというものになる。

 ……果たして、ドクターにそれが出来るだろうか。意思の問題ではない。単純な、実力としての問題だ。

 おれも実際にテレジアの戦う姿を見たことがあるわけではないが、傭兵団にいた頃に隊長から少し聞いたことがある。軍勢を引き連れ、その先頭に立ち剣を振るい、数多の敵を撃ち滅ぼす者。それこそが、サルカズの王であると。

 そう語る彼の目には、一人の戦士としての憧憬と、一人のサルカズとしての畏怖がまざまざと浮かんでいた。おれよりも確実に、恐らくは圧倒的に強いであろう隊長を以てしてそう言わせるテレジア。その彼女が歩き方や重心の移動のさせ方、あらゆる点から自ら戦う人種ではないと判断できるドクターに対して、遅れをとることがあるのだろうか。……それとも、おれがただ単にドクターを見誤っているだけなのだろうか。

 これについては情報が足りなさ過ぎて判断することが出来ない。ドクターという人物についておれが知っている情報は微々たるもので、付き合いも短い。ただ、僅かに垣間見えた光景からして、ケルシー先生ならば彼のことを良く知っているはずだ。彼女と話をする中で、こちらについては自ずと明らかになるだろう。

 

 続いての考え得る可能性だが……正直、おれはこちらの方が正しいのではないかと思っている。抵抗するテレジアに対してドクターが刃を突き立てる、そのビジョンはどうしても思い浮かべることが出来ないのだ。

 その可能性とは、何らかの理由でテレジアが死を甘んじて受け入れたというもの。そこに何か理由さえあれば、彼女は自らに向かう凶刃に対しても、抵抗ではなくあの微笑みを見せるのではないか。

 最近、テレジアがドクターと二人で何か話し込んでいたというのは、他のオペレーターからも聞いたことがあるし、実際おれも二人が連れ立って歩いているところは見たことがある。その時はただ、今後の方針などを話し合っているのではないかと思ったが、それならばなぜ三人ではないのか。

 今回のことは、ケルシー先生がバベルの運営上どうしてもロドス・アイランドから離れなければならない、その日を狙って起こっている。彼女はその理由を自らを戦力として捉えて考えていたが、それ以外の何かがあったならば。テレジアとドクター、二人の間で、本当は一体何が話し合われていたのだろうか?

 

 ……流石に、これ以上のことを推測するには材料が足りないし、第一これは希望的観測のような気もする。

 おれが初めて三人そろったバベルのトップたちを目にしたその日。怪物と呼ばれる彼らが、なるほど怪物であると納得し、また同時に人間でもあるのだと知ったあの日。

 無表情に苦言を呈しながらも、どこか喜色を秘めたケルシー先生。困り顔だけれども、どこか楽し気なテレジア。苦笑しながら、その様子を優しく見守るドクター。

 あそこにあったものは、彼らが、バベルが守ろうとしてきたであろうものは、こんな形で壊れてしまっていいものなのだろうか?

 ……おれは、そうは思わない。

 だからこそ、あの時目にした惨劇にはやむにやまれぬ理由があると思うのだ。それが理論に基づく仮説ではなく、ただそうあって欲しいという感情からくる願望であったとしても。

 

 クロージャの工房の扉を眼前にして、おれは自嘲の笑みを浮かべた。

 実は、あの部屋でのことについてはまだいくつか謎が残っている。後者の考えを基にしたとしても、テレジアが刃を受け入れたのならば、なぜドクターが倒れていたのか。なぜアーミヤは議長室にいたのか。なぜ彼女は只目の前のことを見ているだけだったのか。……そして、あのサルカズは何をしに来たのか。

 それらに対する仮説も、いくつか立てることはできる。だが、それらについて考察するのはケルシー先生と話をしてからでも遅くは無いはずだ。

 それよりも、おれはこれからバベルの誇る頭脳に対して、ループという秘密を抱えながら未来のことを話す必要がある。どうやって話すのか、どこまで話すのか。恐らくは難しい選択を強いられることになるだろう。

 言葉の限りを尽くす。おれは一つ気合を入れなおすと、ドアを叩いた。

 

 

 

 

 寝起きのクロージャは、不機嫌という三文字を体現したかのような機嫌の悪さだった。本人がぶつぶつと語ったところによると、3時間ばかり睡眠をとろうとしたのに僅か1時間と少しで叩き起こされたらしい。確かにそれはおれでも不機嫌になるが、今回ばかりは事情が事情なので仕方が無いと諦めてもらうしかない。端的に、ケルシー先生と連絡がしたいということを彼女に伝える。

 返答もまた、不満交じりのものであった。

 

「ケルシー?そりゃあ確かに連絡は取れるけどさ、何もこんな時間に起こさなくても……」

「ドクターの狙いが分かった。そのことで、彼に悟られないでケルシー先生と話がしたい」

「ええ!?……急いで繋ぐから、ちょっと待ってて!」

 

 一瞬驚きと疑念の表情を浮かべた後、おれの表情から冗談ではないと悟ったのか、猛烈なスピードでキーボードを操作し始めるクロージャ。待つことものの数秒にして、目の前のスクリーンにはケルシー先生の姿が映し出された。どうやらと言うべきかやはりと言うべきか、彼女は早起きだったようだ。

 

『W。君がもしくだらない考えを披露するためにわざわざ連絡してきたというのならば、私もそれなりの対応を取らざるを得ない。このチャンネルを使っているという事がどういうことを意味するのかを私は理解しているし、それに関しては君も同様のはずだ。……さて、用件を聞こう』

 

 当たり前のように思考を読み取られていることに関してはもはや何も言うまい。重要なのは、この回線を使って連絡しているのにも関わらず、彼女がそのことに触れて一拍置いたことだ。ケルシー先生とてやはり人間で、無表情ではいても無感情ではない。特に、これからおれが言う事柄がドクターに関わっていることはほとんど間違いないのだ。心を落ち着かせる必要があるのも当然だろう。

 その意図を汲み取ったおれは、慎重に、かつ言葉を選びながら、しかし事実を伝える。

 

「……テレシスの狙いが分かりました。彼の目的はこの戦争を一撃で終わらせること。つまり、斬首作戦です」

『……………………君が言っているのは、テレジアを標的とした軍事行動を……ドクターが手引きしているということか』

「……そこまでは。ただ一つ確実なのは、このロドスが無防備なタイミングでテレシスの手の者がやってくるということです」

 

 ケルシー先生は相変わらずの無表情だ。だけれども、その言葉は、特に二人の名前は絞り出すかのようで、内面の激しい苦悩が垣間見える。

 おれの話が本当ならば、どうやってもドクターは黒だ。聡明な彼女だからこそ、それは即座に導き出すことができる。けれども、心情としてそれを認めたくはないのだろう。

 ドクターに不信は抱いていても、それは信じているからこそのもの。もし本当に裏切られたのだとすれば、その心境には計り知れないものがある。

 その気持ちが、おれは痛いほど理解できた。だからこそ、次の問いかけが何であるかは容易に想像できたし、余計に胸が痛んだ。

 

『……君は、どうやってそのことを知った?その情報が正しいという確証はあるのか?……あらゆる情報は精査されなければならない。正しさに根拠があるものでなければ、それはノイズと同じだ。我々の認識を歪め、正しい行動の遂行を阻害する。情報を重んじる人間は、その正確さを何よりも重んじなければならない理由がそれだ。……これまでの任務で、君もよくよくそれを理解しているはずだろう。であるならば、今回についてもその出所と確度を示して然るべきだ』

 

 ……さて。どう答えようか。適当な理由をでっち上げることは決して不可能では無い。ケルシー先生は多くのことを知っているが、しかしそれでもなんでも知っているという訳では無いからだ。

 例えば、昔の傭兵仲間から聞いたことにすることは出来る。おれが元々どこにいたかは調べられているだろうが、あの傭兵団からはテレシス側に着いた奴も大勢いるし、通信手段についてもウェルズの奴が作ったシステムの存在をおれは知っている。この2つを使えば、軍事委員会にいる旧知の間柄が、テレジアを害するということに反感を覚え、こちらに連絡してきたというカバーストーリーを用意することは簡単だ。

 これならば、同じ傭兵団にいた他のオペレーターに確認を取るという名目でΩと連絡を取ることもできる。

 合理的で、実にもっともらしい理由付け。恐らく、これならばケルシー先生も納得とまではいかなくとも、話を聞く気くらいにはなってくれることだろう。なぜならこれは、彼女にとっても無視できる話ではないのだから。

 

 ……おれは、重い口を開いた。

 

「……ケルシー先生。なぜおれがあなたの事を「先生」と呼んでいるのか、ご存知ですか」

『……他人の心の内を窺い知ることは極めて困難だ。……それが、どれだけ親しい者だとしてもな』

 

 突然の問いかけに対して、淡々と言葉を返してくる彼女。しかし、その最後の言葉からは悲嘆と自嘲とがありありと感じ取れる。

 そうだ。その通りだ。おれだって、あいつの心のうちを知ることは叶わない。何を考えているのか、何を想っているのか。何も分からないのだ。どれほど心が通じ合っているつもりでいても、おれたちは別の人間なのだから。

 

「……そうですね。想いは口にしなければ相手には伝わらない。……当然のことなのに、おれたちが疎かにしてしまっていることだ」

『……』

 

 だからこそ、それをきちんと伝えなければいけない。言葉にしなくてはいけない。人と人を繋ぐのには、何もわかりやすい利害関係などはいらなくて。ただ言葉を交わすだけでも、真心からの言葉を交わすだけでも、きっと本当は十分なはずなのだ。

 

「……おれは、あなたの事を尊敬しているんです。医師としてこの大地に立っている、あなたの事を」

『……それが私の職業なだけだ。特段尊ばれるようなものでは無い』

「初めてロドスにやってきた時、おれはあなたの患者でした。だからわかるんです。あなたは、どこまでも真摯に人を救おうとしている人なんだって」

 

 どれほど無愛想だとしても。どれほど冷徹に見えたとしても。医師として患者と相対する彼女は真剣そのもので。

 だからこそおれは、この人を敬意と、そして信頼とを以てこう呼ぶのだ。

 

「ケルシー先生。この悲劇と死に満ちたテラの大地で、それでも壊すのではなく治すことを、奪うのではなく与えることを選んだあなたのことを、おれは尊敬していますし、信頼しています」

 

 彼女に、おれのいう事を信じて欲しいのならば。きっとそこに、嘘偽りがあってはならないのだ。

 欺瞞と裏切りだらけの真っ暗闇の中だからこそ、正しさというのは眩いばかりに輝きを見せる。

 そのために、まずはおれが示さなければならないのだ。赤の他人を信じるという、信頼するという姿勢を。

 

 長い沈黙があった。ケルシー先生の頭の中では、きっと様々な思考が渦を巻いているのだろう。

 バベルの怪物は、決して安易に人の言う事を信じるような存在ではない。

 バベルの人間は、決して人の心の暖かい部分のことを諦めるような存在ではない。

 相克する性質のせめぎ合い。その果てに、彼女はやがて口を開いた。

 

『……信頼、か。……私は君のことを信頼することはできない。なぜなら、君には不審な点が多いからだ』

「……」

『Ωというのは君が付けた名前だそうだが、なぜ君はミノス文字を知っている?それが書かれている書籍はカズデルにそう多く存在してはいない。少なくとも、ただの傭兵が見ることのできるものではないはずだ』

「……ただ、知っていただけですよ」

『……君が作ったという料理には、このカズデルから遠く離れた地のものも含まれている。どこでその存在を知った?どうして作り方が分かった?』

「……いつだったか、食べたような気がするんです」

 

 ……なるほど、ケルシー先生の疑念も尤もだ。

 おれには、覚えていないことが多すぎる。それこそ、あいつと出会う前の出来事などは実におぼろげなものだ。

 記憶は無いのに、知識はある。彼女から指摘された事柄は、まさにそのようなものだった。

 

 だから、おれは曖昧な答えに終始するほかない。知っていた、そんな気がする、本当の事なのに、怪しさは増していく一方だ。

 そんな問答を経て、次にケルシー先生が投げかけてきたのは、些か毛色が違う質問だった。

 

『……地平線の向こうまでどこまでも進んで行ったとき、我々は一体どこへたどり着く?』

「……それは比喩ですか?それとも現実世界の出来事としてですか?」

 

 その突拍子のなさに、おれは思わず聞き返してしまう。しかしながら、彼女にとってこの質問は重要な意味を持つものの様で、いつになく重苦しい調子で返答がやってくる。

 

『…………後者だとしたら?』

「……一周して元居た場所に戻ってくる。……ケルシー先生、この質問に何の意味があるんですか?」

『………………君は…………いや、やめておこう。もし君の言が本当だというのならば、事態は切迫している。このような問答をしている場合ではないのだからな』

「……?」

 

 一瞬、思考が停止する。まるで話の連続性がそこで断ち切られたかのように、うまく前後が繋がらない。

 つい先ほどまでの流れから言って、おれの言葉になど、情報としての価値は存在しないと言われておかしくない状況だった。であるのに、この言い方ではまるで……

 

『……何をしている。恐らく君は、先程言ったことよりも多くのことを知っているはずだ。この際、出所は問わない。テレジア、そして彼女が築き上げたものが失われることを防げるのであればな』

「……つまり、おれのことを信じてもらえる、と?」

『言ったはずだ。私は君のことを決して信頼する気は無いが、信用しようと努力することならできる。……このテラにおいて、人を信頼するということは難しい。皆、心の内に疑念と敵意を抱いている。それは生きていくための方策であると同時に、生きていくことを困難にするものだ。もし、君もまた、この敵意の大地に種を撒こうというのならば……それに水をやることが、私の責務だ』

 

 ……おれの言葉は、通じた。

 言葉を尽くす。それは、噓と偽りを駆使して上辺を飾り立てることではなく、心の奥底から、自らの想いを取り出して伝えること。

 言葉の限りを尽くして、おれはケルシー先生に信じてもらうということを成し遂げた。

 

 

 

 

『……つまり、敵の戦力はそれほどでもない、君はそう言いたいのだな』

「ええ。この作戦に動員されているのは二線級部隊とベテラン傭兵からなる精鋭部隊。しかし、後者についても名の知れた傭兵はいません。エリートオペレーターなら独力で対応可能かと」

 

 先ほどケルシー先生から促されたように、おれは出所を言わないまま、どこからか得た情報という体でロドス襲撃について話していった。

 部隊を派遣してテレジアを確保するという計画の目的から、ハッキングからの下層よりの侵入という具体的な計画まで色々とだ。

 実際、その話を聞いたクロージャがシステムを確認したところ、つい最近に不審なデータ転送の痕跡があったらしい。そのような実際の証拠も挙がってきたことだ、初めは眉唾物といった表情であったクロージャでさえ、どこで得たかはさておき、確度についてはかなりのものがあると認め始めてきたようだった。

 

 さて、今おれが何を話していたのかというと、一体どれほどの敵がやってくるのかということだ。実際に戦ってみた感覚としては、やれないことはないというところだろうか。

 02のおかげで最上階へとたどり着けたわけだが、それからの連戦でも敵については倒し切ることができている。最後に出てきたサルカズについても、打ち合えていたことを考えればどうしようもない強敵ではない。敵の本拠地へ乗り込んできた部隊としては力不足ではないかというのが正直なところだ。

 

『……それならば、Scoutを呼び戻そう。クロージャ、Scout小隊と通信を繋いでくれ』

「…………ドクターには……」

『……悟られないようにだ。データの件、そして敵の戦力。ドクターが関与していないとは考えられない』

「……分かった。ちょっと待ってて」

 

 その点についてはケルシー先生も引っ掛かりを覚えたようだ。確かに、ドクターがこの戦力不足の状況を作り出した以上、敵の戦力がこの程度なのは彼からの情報によって無防備なロドスに適正戦力を送っただけにも思える。

 ……その場合、恐らく彼女ならばもう一つの疑念も覚えるはずだ。すなわち、あのテレジアを相手にして、そのような戦力で確保などできるのかと。

 ドクター。この一件についてのカギの一つは、間違いなく彼が握っている。それはどうしようもなく無慈悲で残酷で、けれども疑いようのない現実だ。

 彼の名前を口にするたび、ケルシー先生の声が僅かに震える。あの、無表情で平坦な彼女の声が。

 ……それの意味するところが何なのかなんて、分からないはずがない。特に、自分の気持ちをはっきりと認識した今となっては。

 

 大切な人のことを疑わなければ、いや、最早敵に与するものとして考えなければならない。その苦しさは、一体どれほどのものなのか。少し自分に置き換えて考えてみるだけで、心が引き裂かれそうになるほどのものであるというのに。

 通信が繋がり、Scoutといつものような無表情で会話を交わすケルシー先生。そんな彼女の様子を見つめながら思う。今日ばかりはどこか無理をしている、そんな風に見えてしまうのは気のせいではないだろう。そんなことを考えているのはクロージャも同じようで、二人で顔を見合わせる。

 こんな状況で、おれはさらに彼女を苦しめるような情報を隠し持っているのだと思うと、気分は果てしなく重かった。

 

 

 

 その後、各所へのいくつかの連絡を経て、斬首作戦への対抗策が策定されていった。

 ロドス艦内で防衛に当たるのはおれとScout。Scoutはアーツによって身を隠すことが出来るため、出戻り組では唯一こちらへ戻ってくることになった。

 それに加えてAce、Destructor、Burrowの比較的近くで活動していた三人のエリートオペレーターが本艦付近で待機、侵入を試みる敵の排除を行うこととなっている。

 これによって、敵の侵入という点についてはほとんど解決できたと言っても良いだろう。

 そうなってくれば、残る問題はただ一つ。

 

「……クロージャ。ちょっと席を外してもらってもいいか?」

「……ここまで来て、あたしが聞いちゃいけない話って何?」

「……ケルシー先生にしか話せない話だ」

「……はあ。わかったよ。あたしは外で待ってるから、終わったらまた呼んで。……ほら、君も行くよ!」

『クロージャお嬢様!……オーナー、わたくしも外で待機していますので、もし何かありましたらお呼びください』

「ああ。ありがとう、02」

 

 足音と車輪の音とが混じりあいながら、工房の主と従者が部屋から立ち去っていく。残されたのはおれとスクリーンに映ったケルシー先生の二人だけだ。

 これからする話はクロージャには聞かせられないもの。恐らく何かしらに感づいているであろうケルシー先生にしか話すことが出来ないものだ。

 なぜなら、これはドクターとテレジアにまつわる話なのだから。

 

『……サルカズの間に古くから言い伝えられているものとして、預言というものがある。源石に刻まれたアーツの残滓、あらゆるサルカズの記憶が結びつき、純粋なカズデルのサルカズによって伝えられる言葉だ。オリジニウムアーツの生理性残留物でしかないそれを、君たちは尊んできた。……私はそのようなものを信じるつもりはない。しかし、その預言は人々の行動を縛り、規定し、預言を実現させようとする力を秘めていることは確かだ。故に、私はそれらを無視することはできない。……由来の知れぬ知識。仮説に対する確信。君のそれは、預言というよりは啓示とでも言う方が正しいのかもしれない。先ほどからの話には、巧妙に隠されていたもののどこか拭えないものがあった。それは臨場感だ。君はまるで、それらのことについて見てきたかのように物を語っていた。……もう一度言うが、預言などというものを私は信じない。それによって運命とやらが形作られるというのならば、それに抗うのが人間だからだ。……その上で敢えて聞こう。W。君は一体、何を()()?』

「……惨劇を」

「何?」

「……物言わぬ屍と化したテレジア。鮮血をまき散らして倒れるドクター。虚ろに二人を見つめるアーミヤ。……ケルシー先生。その惨劇が、おれの見たものです」

「…………っ!」

 

 彼女の鉄仮面が、ぐしゃりと音を立てて歪む。

 

『……いや………………そんな…………』

 

 泣いているような、笑っているような。必死に否定の言葉を紡ごうとする様子は、どこか滑稽で、どうしようもなく無惨で。おれはそっと、目を伏せた。

 

『……ドクター…………テレジア………………魔王……アーミヤ…………まさか…………』

 

 うわ言、とでも言うのだろうか。思考が表層に漏れ出てしまったかのような、断片的なワードが聞こえてくる。

 きっと、おれの話から生じた疑問に対して、ケルシー先生は頭の中でいくつもの仮説を立てていたはずだ。それらの情報不足によってそれ以上先には進まなかった推測が、啓示という形で理解したおれの見てきた未来についてのデータをインプットされたことでみるみるうちに収斂し、組み立てられ、そうして結論を導き出す。

 彼女は優秀で、頭脳明晰で、理路整然としていて。だからこそ、おれの言ったことがでたらめな預言などではなく、実際に起こる未来なのだと分かる。分かってしまう。

 

『……私は…………ドクター……君は……君は………………!』

 

 壮絶な、絞り出すような声がして、おれはふと顔を挙げる。

 目の前あったのは、顔を伏せて震えるケルシー先生の姿だった。

 ……恐らくは、これが通信中だという事すら忘れてしまうほどの、感情の奔流。ぐちゃぐちゃな、愛憎入り混じった心の悲痛な叫び声。

 あんまりにもあんまりな光景に、おれは声の一つも出すことができない。

 きっと、これを慰めることが出来る人は世界にただ一人しかいないはずなのに、その人が憎まなければならないであろう一人だなんて。

 

 ……これが、彼女の言っていた運命とやらなのか?こんなに惨いものが、甘んじて受け入れなければいけないものなのか?

 

 ……そんなはずはない。おれたちはそれに抗えるはずだ。この、おれが見てきたものだって必ず変えることが出来る。これまでだって、何度も何度も変えてきた。おれたちは、あいつが死ぬという運命を覆して、ここまでやってきたんだ。

 

「ケルシー先生!あんたがさっき言ったはずだろう!?……運命に抗うのが人間じゃないのか!?」

『…………っ』

「今のあんたはまるで、預言に踊らされるサルカズじゃないか!……違うだろう!?ただの生理性残留物って言ったのは、どこのどいつだ!?」

 

 普段の彼女であれば、能面のような表情で圧をかけてくるような、そうしてそのまま説教されそうな暴言を口にする。……それでも、依然彼女の顔は伏せられたままだ。そのまま、いつに無く弱弱しい声で、おれの言葉を否定する。

 

『……いいや。……君の見たものは恐らく正しい。……不可解ではあったんだ。なぜ、テレジアを相手にまともな戦力を寄こさないのか』

「っ!」

 

 それは、こんな状態であっても、彼女の頭脳は十二分に働いているという確かな証左だった。

 

『……啓示。君が見たのは、これからほんの数時間後に起こる出来事のことだ。そこに、預言のような曖昧さはない。どうとでも解釈できる抽象的な文句ではなく、写実的な光景だからだ。……事実、私の知りえる事柄から、予想できる範疇の出来事であったことからも、それは裏付けできる。……W。できてしまうんだ』

 

 ……つまりは、納得してしまったと。そういうことか。

 ……いいや、そんな訳がない。彼女だってたった今口にしたじゃないか。できて()()()、と。それのどこが納得しているのか。本当は、心の奥底では、そうじゃないと思っているのにも関わらず、理屈やら何やらを捏ね繰り回して納得した気になっているだけじゃないか。

 

「……変えればいい」

『……何を……言っている?』

「……テレジアが死ぬ?ドクターに殺される?そんなクソみたいな未来、変えればいいだろ!」

『……それは他でもない、君が言ったことだろう……!見た光景を覆すことが……』

「あんたは!」

『っ』

「……あんたは、変えたいとは思わないのか?……できるかできないかなんて、そんな下らない話は後からいくらでも考えればいい。まず、何よりも大事なのはどうしたいかということ。そうなんじゃないですか。…………ケルシー先生。あなたの口から聞かせてください。あなたはどうしたいんですか?未来に、どうあって欲しいんですか?」

『……………………』

 

 沈黙。長い長い、沈黙があった。

 おれには、彼女の葛藤が分かるような気がした。

 想いのままに動くには、その双肩にのしかかるものがあまりにも重すぎる。バベルという組織のトップの一人としてのケルシー先生と、ただのケルシー先生。頭と心、最後にどちらを信じればいいのか苦しんでいるのだろう。

 それはどちらを選んでも正解であるし、間違いであるとも言える問いだ。

 ……どちらを選んだ方が、後悔しないで済むか。結局のところ、これはそういう話なのだろう。

 

 沈黙の果てで、ケルシー先生が重い口を開く。

 

『……私は…………テレジアを救いたい。……例え、ドクターが…………ドクターが……』

「……まだドクターは何もしちゃいないはずです。止めましょう。それで、思いっきりぶん殴ってやりましょう。人間、生きてさえいればどうにでもなるんですから」

『…………生きてさえいればどうにでもなる、か。…………そうだな。私もよく、知っているさ』

 

 ようやく、彼女が顔を上げる。その顔は相変わらず酷い有様だが、その表情は様変わりしていた。

 いつもの無表情ではない。口角は僅かに上がり、瞳の奥には炎が燃え盛っている。

 彼女は、静かに笑っていた。

 ……どうやら、ようやく復活したようだ。

 

『W。ドクターのことは私が請け負う。君の言うように、彼のことを一発殴らないでは気が済まないのでな』

「……そっちのことは良いんですか?」

『構わない。カズデルでの活動はだいぶ難しくなるだろうが、それだけの話だ。テレジアがいる限り、バベルが崩れることはない。……事が起こるのは、一体いつ頃だ?』

「……ドクターからの出血は続いていたように見えました」

『……襲撃とほとんど同時刻か……W、クロージャを呼んでくれ』

 

 立ち直ってからは随分と早いのが彼女らしさか。

 ともかく、クロージャを呼ぶということは、この話は終わりという事なのだろう。

 ……今回、ケルシー先生はおれの身に起こっていることをループではなく預言の一種として理解したようであるが、それでもその情報は危険だ。もし誰かに伝われば、単なる賞金目当てではない別の連中を相手にしなければいけなくなる可能性が極めて高い。……往々にして、後者の方が厄介なのにも関わらず。

 別に彼女のことを信じていないわけではないが、釘を刺しておく必要はあるだろう。

 

「……ケルシー先生」

『分かっている。私はここでした話のことを覚えていないし、思い出すつもりもない。君はただの戦闘オペレーターだ。それ以上でもなく、それ以下でもなくな』

「ありがとうございます。……02、クロージャを呼んでくれ」

『畏まりました。……クロージャお嬢様!オーナーがお呼びでございます』

『……あー、わかった!すぐ行くよ!』

 

 端末越しに何やらドタバタと音が聞こえるが、彼女は一体何をしていたのだろうか?後で02に教えてもらって、場合によってはケルシー先生にメスを入れてもらうとしよう。

 

「お待たせ!それでW、話は……って、ケルシー!?」

 

 すぐに扉を開けてやってきたクロージャ。入ってくるや否や話しかけてきたかと思えば、モニターを見て突然叫び出す。

 その反応に対して、ケルシー先生は実に面倒そうに受け応えた。

 

『……なんだ』

「気のせいかな?なんか目が赤いような」

『クロージャ』

「いやあ、ケルシーはいつも通り相変わらずだなー」

 

 精神状態は直ぐに回復しても、生理現象が直ちに収まるわけではない。そんなわけで、彼女の白い顔には、未だに赤みがかかっている場所がいくつかあるのだが、それをおちょくろうとしたクロージャは力づくで捻りつぶされた。別に悪気があってと言うよりは、彼女なりに元気づけようしただけのようにも思うが、まあクロージャだし良いだろう。

 ともあれ、先ほどまでの重苦しい雰囲気とは違った会話を経て、ケルシー先生が一つ咳ばらいを入れてから話し始める。

 

『確か君は、この間飛行装置の試作品が出来上がったと言っていたな。追加予算については却下したが、物自体はあるのか?』

「え、急にどうしたの?そりゃ、物がなければ出来上がったとは言わないけどさ」

『そうか、それは良かった。……クロージャ。今から私を迎えに来てくれ。君が語っていたカタログスペックが本当であるならば、時間には間に合うはずだ』

「…………ええ!?そんな無茶なこと」

『やれるのかやれないのか、どちらだ?我々に残された時間は有限だ。その使い方を誤れば、それがどのような結果をもたらすかは』

「あーもう!分かったって!すぐに飛行システムを組むから!……ほら、君も手伝って!」

『承知いたしました』

 

 ……いったい、クロージャはどれだけのものを作ってきたのだろうか?突然出てきた飛行装置とやらが果たしてどんなものなのかは分からないが、試作品だのシステムを今から組むだの、危なっかしい匂いしかしないのだが……

 そうしてまだ見ぬ装置を想いを馳せていると、ケルシー先生がこちらに声をかけてくる。おれは背筋を伸ばすと、その内容に耳を傾けた。

 

『……さて、W。先にも言ったが、君には艦内の防衛を担当してもらいたい。何としても、テレジアのことを守るんだ』

 

 ……テレジアのことを守る、か。つまりは、出来る限りテレジアから目を離さないようにしろという事だろう。おれも、実際の所いつあの一件が起こったのかは分からない。用心しておくに越したことはないはずだ。

 

「……任せてください、ケルシー先生。……それと、最後に。あいつと、連絡を取ってもいいですか?」

『…………良いだろう。私の権限で通信の許可を出す。隠蔽には気を使ってくれ』

「ありがとうございます。隠蔽は02に頼みますよ」

『それでいい。では、君は君の役割を全うしてくれ。私もすぐにそちらに向かう』

「ええ。お待ちしてます」

 

 それを最後に、ケルシー先生との通信は終了した。

 コンソールには、きちんとΩがいる拠点との通信許可が表示されている。これを得られるかどうかが今回の会話の最大の目的でもあったわけだが、それはどうにか無事に達成できたようだ。

 これには、彼女の言うところの啓示が大いに役に立ってくれたと言えるだろう。……それに、ドクターのことがあって、ケルシー先生にも思うところがあったのかもしれない。

 

 ……何はともあれ、これでようやくあいつの声を聞くことが出来る。おれは02に一言かけてセキュリティ面を万全にしてもらうと、クロージャ達が奥のスペースに籠っていることを確認して、通信開始のボタンを押した。

 

 

 

 

 

『こんなに朝早くから何の用よ』

 

 ……ケルシー先生から権限を借りているからか、少しとげとげしい口調の声が聞こえてくる。映像はないため顔は見えないが、その声だけで、おれにはあの不機嫌そうなあいつの顔を思い浮かべることができた。

 最後に声を聞いてからまだ一日と経っていないのに、随分と久しぶりのような気がしてしまう。それだけ、おれが飢えていたという事なのだろうか。

 万感の思いを込めて、おれはゆっくりと彼女の名前を呼んだ。

 

「…………よう、Ω」

『……なんだ、あんただったのね。あの女から何言われるのかと思って身構えちゃったじゃない』

「悪い。おれの権限じゃ長距離通信は出来ないから、ケルシー先生にお願いしたんだ」

『へえ……それで、そうまでしてあんたが連絡を取ってきたってことは、会えなくて寂しい、なんて話じゃないみたいね』

「そうだな。……まあ、それも事実ではあるんだけど」

『……何よ、いきなり』

「いや、やっぱりお前の声を聞けると安心できるなって。そう思ったんだ」

 

 想いは口にしなければ伝わらない。おれが、ケルシー先生に言った言葉だ。我ながら、なかなか難しいことを言ったと思う。心の中で想っていることを言うのは、気恥ずかしくて、相手にどう思われるのか怖くて、どうしても口が重くなることだから。

 けれども、なぜだろうか。時折、こうして素直に言葉が出てくる時がある。

 ……きっと、それは心がいっぱいになっているときなのだろう。あいつのことを、愛おしいと思う。その気持ちが、胸の内でとどまらずに溢れてきてしまうのだ。

 

『…………もう、早く本題を言いなさいよ』

「……ああ。…………恐らくは今日の15時ごろ。お前のところに、襲撃があるという情報を得た」

 

 それを聞いて、Ωの口調が切り替わる。ループという事実を、つまりは自分が一度死んだという事実を認識して。

 

『……敵は?』

「分からない。おれもそれについては知ることが出来なかった」

『……分かったわ。それで、あんたはどうするの?』

「……本当だったら直ぐにでも駆け付けたい。けど、こちらにもテレジアを狙う輩がやってくる」

『それじゃ、あんたが来るまでどうにか生き延びればいいってことね』

 

 努めて明るく振舞ってみせる彼女。何も分からないという事は、おれが何もできないままで一度事が起こってしまったというのにも関わらず、そうしてみせる強さは、一体どこからやってくるのだろうか。

 

「……頼む、用心だけはしてくれ」

『大丈夫よ。あたしの隠蔽技術は知ってるでしょ?……それに、あんたもいるんだから』

 

 …………そうだ。彼女はずっと、言っていたじゃないか。信じていると。

 一人では押しつぶされそうになるほどの重さでも、二人ならば支え切れる。おれだって、一人では挫けそうに、絶望しそうになるループでも、あいつがいたから乗り越えられてきたんだ。

 

 信じること。それが強さになる。

 助けてもらえると信じること。助けられると信じること。

 ……幸せな、未来のことを信じること。

 

「……そうだな。おれが必ず、お前のことを助けてみせる。それで、幸せな未来へと連れて行ってみせる」

『……えっ?』

 

 ……秘めてきた想い。ずっと言いたくて、けれども怖くて言えないでいたこの気持ち。

 ……おれの知らないところであいつが死んで、何も分からないままループして。それで分かった。

 おれはやっぱり、あいつがいなきゃダメなんだって。心の底から、そう思ったんだ。

 今なら言える。今だから言える。

 おれは──

 

「──おれは、お前が好きだから。お前のことを、幸せにしたいんだ」

『────』

 

 

 

「えええええええええ!?あ、愛の告白!?うわあ、初めて見た……」

『オーナー、おめでとうございます。ようやく、ご自身の心に正直になることが出来たのですね……』

 

「……え?」

 

 突如として後ろから聞こえてきた声に、おれは恐る恐る振り返る。

 そこにいたのは、顔を真っ赤にしたクロージャと、あちこちから蒸気を噴き出す02の二人だった。

 ……そうだ。あいつのことで頭がいっぱいですっかり忘れていたが、ここにいるのはおれ一人じゃなかった。

 ……つまりは?

 

「あ、ちなみに言うと「…………よう、Ω」って所から聞いてたよ!」

『申し訳ございません。お止めしたのですが、力及ばず……』

 

「…………」

『…………』

 

 ブチッ、という音とともに、通信が終了される。あまりの出来事の多さに脳がオーバーヒートしてしまったのだろう、一人になりたかったのかもしれない。

 かく言うおれも、今更になって色々な情緒が追い付いてきた。

 

 顔がみるみる真っ赤になっていくのを感じる。

 ……うわあああああ!

 ……うわああああああああああ!

 なんだ、つまりおれは職場の回線を使って告白をして、それが公開されていて、おまけに返事も聞けないまま切られたってことか!?

 

「いやー、お熱いねえ。ケルシーはこういうところを全然見せてくれないからさ、初めて見たよ」

『クロージャお嬢様。趣味が悪いですよ』

「うるさいなあ。君だって興味津々だったじゃん!」

『……』

 

 外野がやいのやいのと色々言っているが、全く耳に入ってこない。

 おれが自分のしでかしてしまったことに整理をつけ(ヤケクソとも言う)、立ち直るのにはそれからしばらく時間を要したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




音声記録No.10222794

「ドクター。君はまたこんな時間まで業務を行っていたのか。睡眠時間の不足は健康障害に直結する。やらなければならないことが多いのは分かるが、君一人がすべてを背負い込むことを私は是としない。重要度に合わせて、適切な人材に業務を分配する努力をするべきだ。現状で君がもし倒れれば、バベルの運営にどれほど広範な影響を与えるか、分からない君ではないだろう」
「……済まない。ただ、これに関してはすぐに行わなければならないものなんだ。出来るだけ早く終わらせなければ、オペレーター達の活動に支障が出てしまう」
「……はあ。そんなことだろうとは予測していた。なら、これでも飲むといい」
「……コーヒー?ケルシーが淹れてくれたのか?」
「君も良く知っての通り、コーヒーに含まれるカフェインには睡眠物質の作用を阻害し、覚醒作用を及ぼすという働きがある。本来ならば、この時間帯にこのようなものを摂取するのは推奨できない行為だが、今回についてはこれが適切だろう。意識が散漫とした状態で業務に取り組むよりも、明確な意識の下で集中的に取り組んだ方が効率的だからな。これは、それらを踏まえた上で私が適切に調製したものだ」
「…………ありがとう、ケルシー。私の好きな味だ」
「……それと、私にもいくらか書類を回してくれ。君でなければいけないものを除けば、私でも処理できるはずだ」
「……だが…………」
「言ったはずだ。君一人に負担を強いるのは好ましいことでは無いと」
「……重ね重ね、済まない。ケルシー、このお礼──」
「──礼はこれで十分だ」
「……ケルシー、君は実のところかなり積極的なのだな」
「……うるさいぞ、ドクター」

system:消去プロセス作動中


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致死疾病─Despair.-2

 さて、おれがケルシー先生から与えられた任務は、テレジアの護衛だ。彼女の采配によって外部犯によるテレジア殺害の可能性はかなり低くなったはずだが、第一容疑者であるドクターは依然野放しの状態である。

 となれば、この任務は実質的にドクターの監視と言っても間違いはないだろう。前回に関しては、彼が怪しいとは言っても直接行動を起こすタイプではないと踏んでいたために見つからないことを優先していたが、今度はこちらから先手を打って動く必要がある。

 詳細は未だに分からないが、二人を接触させるのが危険だということは分かっているのだ。最悪の場合、おれの存在が露呈しても防ぐべきだろう。あの神算鬼謀のドクターとは言え、直前まで認識していなかった存在を瞬時に排除する手段はそう持ち合わせてはいないはずだ。先んじて一発拳をぶち込み、後でケルシー先生にボコボコにしてもらえば良いだろう。

 

 そんな訳で大方針は決まった。まずするべきは、ドクターとテレジアの所在を把握することだ。現在の居場所が確定したら、そこから常に二人がどこにいるのかを監視・追跡し、ケルシー先生の到着を待つ。もし動きが出るまでに彼女がやってくればそのまま殴りこめばいいし、動きがある場合はそれを阻止して到着を待つ。

 鍵となるのは監視といざという時の移動手段、そして時間だろう。このうち二つについては02が、もう一つに関してはクロージャがうまくやってくれることを祈る他ない。つまり、直接的におれに出来ることは何かがあった時に対応するという事だけだ。

 と言う訳で、一番望ましいのはおれの出番がないことである。任務というには少々あれな所はあるが、最後の砦を務めるのだ、一瞬たりとも気を抜くことは許されないだろう。

 

 そこまで考えて、ふと気づく。

 ……なぜおれは、一番簡単な方法を取ろうとしていないのだろうか?

 冷静に、普通に考えて、テレジアを護衛しろと言われたのならば付きっきりになるのが普通のはずだ。人と物とで違うが、ロドス・アイランド護衛作戦の時は車輌に付きっきりで敵の攻撃から守っていた。今回だって、彼女に付き添っていれば、ドクターが自分で何をしようとしても防げるはずだ。例えテレジアがどれほど彼に心を許していたとしても、おれは違うのだから。

 

 ……彼らが二人で話していたということが、無意識のうちに引っ掛かっているのだろうか。

 ケルシー先生の様子を見ていた限り、彼女はドクターならばテレジアを殺害することもあり得ると考えていたようだった。おれよりも彼のことを良く知っている彼女がそう考えるのならば、きっとそちらの方が正しいのだろう。この場合、テレジアはただの被害者で、ドクターはただの加害者だ。護衛するというのならばすぐに彼女の下へ行けばいい。

 

 ……だが、もしそうでは無かったら?

 ケルシー先生と話す前におれが立てた説の一つに、テレジアがドクターに殺されることを受け入れたというものがあった。証拠がない以上、単なる妄想に過ぎないものだが、それとこの無意識の引っ掛かりを組み合わせれば、二人が予めそのことを了承していたという仮説が浮かび上がるのではないだろうか。この場合、テレジアの立ち位置はただの被害者から共犯者へと変わる。

 そうなれば、テレジアに会う事や連絡をすることはそのままドクターに伝わることとなり、最悪の場合サルカズの王直々に排除にかかってくるかもしれない。彼女がそんなことをするとは到底思えないが、可能性としては確かにそれが存在してしまうのだ。

 

 ……いや、理論的に考えれば、二人で打ち合わせているのにアーミヤをわざわざ呼ぶわけは無いか。

 二人とも、相当彼女のことを可愛がっていたように思う。小さな女の子に惨劇を見せればどうなるのかは、前回おれが見てきたとおりだ。それを分からない二人ではあるまい。

 状況から考えて、テレジアがアーミヤと話か何かしていたところで、ドクターがやってきてああなったと考えるのが自然であろう。

 そうなると、必然的にこの一件はドクターの単独犯になる、か……

 

 ……ケルシー先生ではないが、これではまるで啓示だな。

 どうにも、今回に関してはなぜか下手にテレジアと関わらない方が良い気がするのだ。

 考えてみれば、おれはそもそも彼女に何故かしら警戒を抱いていた。物腰や発言、何から何まで好意的な要素しかなかったのにも関わらずだ。会う時にしたってほとんどあいつが一緒の時だったし、でなければケルシー先生やら他のオペレーターやらと一緒の時だった。

 何の根拠もない、ただの勘ではあるが、傭兵というのはその勘で生きてきた生き物だ。これを信じられない奴は往々にして早死にしている。今回も、こいつには従っておいた方がいいのだろう。

 

 テレジアのことを疑う理由は無いが、念のために下手な接触は避ける。結局、最初に立てたのと同じ作戦と言う訳だ。考えるのはこれくらいにしておいて、早速行動に出ようとしよう。

 

 

 

 

「おーい、クロージャ。ちょっと頼みたいことがあるんだが」

「おれは、お前が好きだから。お前のことを、幸せにしたいんだ。っていいセリフだよね」

「…………はあ」

「ちょっ、冗談だって!あ、でもあたしはホントにロマンチックでいい言葉だと思うよ。いやあ、一度くらいは言われてみたいよね」

 

 差し当たっての行動のために彼女に聞きたいことがあったのだが、いきなりこのざまだ。誰かに聞かれるにしても、このブラッドブルードに聞かれたのは一生の不覚かもしれない。一応立ち直ったとは言え、これからしばらくはこうしてネタにされ続けるのかと思うと気が滅入る。いっそのこと、もっと開き直って堂々としていればいいのかもしれないが、まあそんなことは後でいいのだ。

 

「……本題に入るぞ。ドクターがどこにいるか、監視カメラを使って調べたい。飛行システムのことがあるから悪いんだが、02を少しだけ借りてもいいか?」

「あ、飛行システムならもう組み終わったよ。今は実際に機体に実装してるところだね。……どう?クロージャさんは凄腕だってことが分かったかな?」

「すごいな、それで早くケルシー先生を迎えに行ってくれ」

「……もしかしてまだ根に持ってる?」

「いや、割と切実な願いだ」

 

 クロージャが凄腕だというのは02の出来から見ても今更なのでこのような淡白めの反応になってしまったが、実際これは朗報だ。飛行装置が果たしてどれくらい速いのかは分からないが、もっと時間がかかると思っていただけにこれはありがたい。ケルシー先生に早く来てもらえれば、その分ロドスでの件も早く片付いてあいつの所に向かえるのだから。

 

「……まあ、そういうわけだからこの子は君に貸してあげるよ」

『何なりとお申し付けください、オーナー』

 

 いつの間にかクロージャの傍らに来ていた02が車輪を鳴らしながら申し出てくる。前回も彼女に色々と助けてもらっていたが、今回もそうなりそうだ。もっとも、もう二度とあんな命令をする気はないが。

 

「頼りにしてるぞ、02」

『お任せください』

「これからあたしはどうにかして機体をドクターに気付かれないように発進させなきゃならないから手伝えないけど、この子がいれば監視については大丈夫だと思うよ」

「発進って……それ、大丈夫なのか?」

「平気平気!あたしにかかれば楽なミッションだよ!」

 

 飛行システムが組み終わったというのならばクロージャはどうするのかと思ったが、何やらまだやらなければならないことがあるらしい。ドクターに気付かれずに空飛ぶ何かをロドスから発進させるというのは結構な難易度のような気がするのだが、どうやら彼女は自信があるようだ。パッと思いつく限りでもスプリンクラーを暴発させて艦内を水浸しにするだとか、空調の温度を弄って艦内で熱中症を多発させるだとか、まともなことをしそうには思えないのだが、本当に大丈夫なのだろうか。

 

「……」

「なんだよその目はー!あたしだってやろうと思えばこっそり出来るって!」

「……まあ、期待してるぞ」

 

 クロージャは納得していないようだが、これまでの所業を踏まえたら残念ながら当然だと言えよう。まあ、おれとしてはどんな手段を使おうとも、無事にケルシー先生を連れてきてくれさえすればいいのだ。そんな思いとともに期待していると声を掛けると、彼女に背を向けて02に話しかけようとする。すると背中から、付け加えるようにこんな言葉が飛んできた。

 

「あ、そういえば監視カメラだけど、流石にパブリックスペースのものしかないから、ドクターが自室にいる場合は映らないと思うよ」

「……議長室とかはどうだ?」

「ああ……そっちはカメラ自体はあるけど、あたしにはどうにもできないかな。ケルシーなら見れると思うけど、ドクターに気付かれると思うし」

「ん?さっきの通信みたいに痕跡を消すってことは出来ないのか?」

 

 どこか彼女らしくない言葉だ。まさか、あのクロージャからどうにもできないなどという言葉を聞くことになるとは思わなかった。第一、このロドス・アイランドのシステムエンジニアは彼女のはずだ。艦内のシステムで太刀打ちできないことなど、ケルシー先生に怒られるのを恐れなければ何も無いはずではないのだろうか。

 

「……セキュリティのレベルが違うからね。あたしも前に、なんか面白いもの見れないかと思ってドクターの執務室のカメラにハッキングを仕掛けてみたけど……あー!今でもムカつく!なんだよー、あの防衛システム!」

「…………」

「……はあ。まあ、そんなわけで監視をするなら重要な通路を見とくのがおススメだよ。あたしもケルシー避けによくそうしてるし。それじゃ、あとは頑張って!」

 

 言いたいだけ言うと、クロージャは工房から足早に出ていった。

 ……しかし、やはりドクターやテレジア周りのセキュリティは特に強固だという事だな。彼女の助言が無ければ、どうにかそこにアクセスしようとして悟られてしまっていたかもしれない。そこについては、過去のクロージャの偉大なる挑戦に敬意を表すべきだろう。

 ただ、ドクターの執務室を覗き見たところで何か面白いことでもあるのだろうか?現状、彼のイメージからして悪辣な作戦を立てて笑みを浮かべるくらいしかなさそうなのだが……まあ、人の趣味嗜好はそれぞれだ。敢えて口出しはすまい。

 

 それより、これでいよいよ任務に取り掛かれるという事のほうがよほど重要であろう。おれは待機していた02に向き直ると、彼女に向かって口を開く。

 

「それじゃあ02、中枢区画の廊下の映像を出せるか?」

『少々お待ちください…………こちらになります』

 

 柔らかな女性の声とともに、接続されたモニターにいくつもの映像が映し出される。それらの多くは、よく見覚えのある景色だった。

 巡行形態の彼女と共に駆け抜けた場所、囮となった02が果てた場所、サルカズ傭兵と殺りあった場所。そんな、これから様々な出来事が起きたであろうこの場所も、今はただの廊下でしかない。

 そろそろ時間も皆が起き始める時間という事もあってちらほらと人影は見えるが、テレジアとドクターは見当たらなかった。

 おれは視線をある一つの映像に向ける。前回の最終到達地点、惨劇が起こったその場所、議長室の前の通路を映し出した映像。カメラ越しに見たところで、その内側で何が起こっているのかは分からない。おれに出来るのは、部屋の中でまだ何も起こっていないことを祈りつつ、ドクターがここへ入っていくことを防ぐことだ。

 

 そんな決意も新たに、実際問題として彼らがどこにいるのかということを考えなければならない。

 可能性としてまず挙げられるのはそれぞれの私室、執務室といったところか。だが、こちらについては部屋の前の廊下を監視すること以外、おれのほうからアクションは起こせない。最もいる蓋然性が高いこの四箇所は、常時モニタリングする必要があるだろう。人間である以上、食事などで部屋を出る可能性もあるし、そうなればそれ以降の所在は追跡することが出来る。

 そう言う訳で、次に見てみるのは食堂の映像だ。食堂はパブリックスペースである以上、カメラも存在している。現在の時刻は7時前、食堂の朝食の時間は7時から10時までであるから、時間外に利用することが多い重役の彼らは、今ちょうど食事をしているかもしれない。

 

「02、食堂の映像と、中枢区画から食堂までの廊下の映像を出してくれ」

『畏まりました…………オーナー、こちらになります』

「…………いない、か」

 

 しかし、残念ながら食堂には誰もいなかった。調理場のほうではシェフたちが料理を作っているだろうが…………しまった、うっかりエシオさんに何も言わないでこっちに来てしまった。

 手伝うと言って寝かせてもらっていたのに消えたおれに対して、今頃ブチギレているだろう彼のことを思うと……うわ、なんか鳥肌が立ってきた。

 

 ……ともかく、朝の時間帯については部屋の前の廊下、それに食堂から誰か部屋に食事を持って行かないかの監視をしていればいいだろう。勿論、食べない、或いは簡単な携行食で済ませることも十分に考え得るので、そこまで当てにはしていないが。

 ……しかし、これはなかなか難しい状況になってきた。結局二人の所在は分からず、憶測を頼りに動くしかない。かなり我慢を強いられる展開だ。

 

「……ちなみに、この監視カメラの映像は工房から出ても見ることは出来るか?」

『勿論でございます。わたくしに内蔵されたモニターで閲覧可能です』

 

 ドクターが議長室に入るのを止める。それが今回の最優先事項だ。所在が知れていれば、議長室から離れたところで彼を制止することができ、テレジアに悟られる危険性を減らすことが出来たのだが、こうなっては仕方ない。どこかからやってくる彼を、議長室の前で止める。

 そのためには、どこか現場に近いところに身を隠して監視する必要があるだろう。一番いいのはどうにかして最上階に潜り込むことだが……

 

『最上階のセキュリティを突破するとなりますと、ドクター様に悟られる可能性が非常に高くなります』

「だよなあ……」

 

 やはりと言うべきか、流石に彼らの居城にバレずに忍び込むのは難しそうだ。あの時は外部からのハッキングもあったし、とにかくテレジアの安全を確認するために進んでいたので何も思わなかったが、まず普通に議長室までたどり着けるわけがない。エレベーターだって、普段なら階層が丸ごとロックされているはずだ。

 だが、そうと分かればそれなりのやり方がある。最上階の一つ下、まだセキュリティレベルが緩い階層に潜伏し、事が起こったらアーツでエレベーター内に侵入、ワイヤーを伝って上に向かえばいいのだ。

 

「02、ひとつ下の階層のエレベーター近くに、あまり使われていない部屋はあるか?」

『…………ございます。感染生物の研究サンプルが保管されている部屋のようですね。直近1か月の入室記録ケルシー医師のみです』

「……ケルシー先生の個人的なコレクションとか?」

『確かに、そのような可能性もございますね』

 

 まあこの際部屋の中身は何でもいい。おあつらえ向きなことに彼女は今ロドスにはいないし、そもそも今回の任務に必要なことなのだから、とやかく言われることはないだろう。

 そうと決まればさっさと移動してしまった方が良い。これから時間が経てば経つほど、段々と人の行き来が盛んになってくる。そんな状況で誰にもバレずに最上階近くに行くことなど、不可能に近い。

 

「02、巡行形態でおれを乗せていってもらえるか?ルートは誰にも気づかれなければ最短じゃなくてもいい」

『お任せください、オーナー』

 

 ガシャンガシャンと音を立て、蒸気を噴き出しながら変形する02。……もはやじゃがいも蒸し器の原型はどこにも残ってないように思えるが、気にしないことにしよう。

 そのままおれは機体の突起に手足をかけると、すぐにやってくるであろう急加速に備えた。

 

 ……備えていたが、やっぱり乗り心地は最悪だった。今後、クロージャにはここの改良に取り組んでもらいたいところだ。

 

 

 

 

 

 

「うわあ……」

『なかなか興味深いものが多いですね、オーナー』

「おれはあんまり興味ないかな……」

 

 爆走する02にしがみつくこと数分、流石の高性能AIのおかげで無事誰とも会うことなくたどり着いた部屋は、何とも不気味な部屋だった。小さなライトを頼りに見渡してみれば、部屋中を埋め尽くす棚とそこに収納されたガラス製と思しき密封された容器が目に飛び込んでくる。中身は、何らかの液体に浸された生物の様々な部位だ。

 仕事柄、色々な中身に対する耐性はかなりあるはずだが、こうして展示されていると何とも言えない気分になってくる。乱雑にバラバラになる戦場と、綺麗に分別して切り分けられる解剖室の違いとでも言おうか。とにかく、同じような生物の部位のはずなのに、生き物の匂いがしなくて妙な感じだ。そんな、少し背筋がぞわぞわするような感触を感じながら、おれは部屋を探索していった。

 

 探索した結果、ここは本当にただの保管庫なようで、サンプルの詰まった棚以外他に何もなかった。当然ながら机や椅子の類もないため、地べたに座り込んで02に備え付けられたモニターを見つめる。

 現在の時刻は7時30分といったところで、移動中も映像は見続けていたのだが、未だに二人の姿は確認できていない。ここから何か動きが出るまでは、暗いこの部屋でサンプルたちと仲良く過ごしていく他ないだろう。

 この場所をチョイスしたことを若干後悔しながら、おれは出来るだけ映像に集中するように心がけた。

 

 

 

『W!』

「おわっ!?……クロージャ、いきなり何だ?」

 

 初めて動きがあったのは、9時前のことだった。といってもドクターやテレジアが出てきたと言う訳ではなく、02のモニターにいきなりクロージャ割り込んできたというものだが。

 不気味な暗い部屋でじっと画面を見つめていたところにいきなりおれの名前を呼ばれたものだから、思わずびっくりして声が出てしまった。

 ……取り敢えず取り繕ってみたが、果たしてどうであろうか。

 

『君って驚くとそんな声出すんだね。……いやいや、そんなことよりも聞いてよ!』

「なんだよ」

『飛行装置だけど、無事に発進したよ。流石にこれにはドクターも気づいてないんじゃないかな』

「……本当か!?」

『本当だって!君は散々怪しんでたけどさ、あたしだってやろうと思えばできるんだよ』

 

 監視カメラの映像を見ていた限り、何も艦内に異常はなかったのだが、いつの間にかクロージャはそんなことをやってのけたらしい。となると、何か目くらましで大事を起こして本命に気付かれないようにするいつもの方法ではなく、正攻法で静かに密かに事を進めたということか。

 

「やるな、クロージャ。……それで、ケルシー先生の到着まではどれくらいかかりそうだ?」

『何も問題がなければ4時間ってところかな。何とかギリギリ、襲撃時間までには間に合うと思うよ』

 

 彼女の到着は13時頃、か。……これはいよいよ、おれの出番があるかもしれない。犯行推定時刻は14時半といったところだが、その時間にドクターがいきなり議長室に行ってテレジアを殺したということは考えにくい。少なくとも、敵の侵入の前には既に議長室に着いていたというほうが自然だろう。

 この場合、彼が議長室に13時よりも前にやってくることは十二分にあり得るのだ。それに、クロージャの言う時間だって順調にいけばというものでしかない。トラブルが起これば、到着時間はさらに後ろにずれ込む。

 

「……分かった。クロージャ、出来るだけ早く、かつ安全に頼むぞ」

『任せといて!……ふふふ……これでケルシーから予算を貰って……増産して……金……』

 

 ……通信が切れるまでの間に何か不穏な言葉が聞こえてきたような気がするが、たぶん聞き違えだろう。

 何にせよ、彼女の作った物とプログラムを信じるほかない。それさえきちんとやってくれていれば、銭ゲバだということなどこの際微々たる問題だ。

 

 ……自分の力ではどうにもならないことというのは、もどかしいな。

 おれは半ば祈るような面持ちで、監視カメラの映像と再び向き合った。

 

 

 

 刻一刻と、時間が過ぎ去っていく。時計の短針が頂上を過ぎた頃になってもケルシー先生到着の報は届かず、監視カメラの映像にも変化はない。

 ……あいつは今頃どうしているだろうか。作戦の方は一切問題は無いはずだが、襲撃のことがどうしても気にかかる。前にあいつがやられた時というのは、大抵おれをかばっての物か、予想だにしない攻撃──例えば都市区画ごとの毒ガス兵器による攻撃──くらいなものだ。

 真っ向からの戦闘で、あいつがやられることなどそうそうない。仮に純粋な実力では劣っていたとしても、撤退をするであったり、身を隠すであったり、とにかくそう簡単に死ぬことは無いはずなのだ。

 ……本当は、彼女を今すぐこちらに呼び戻したかった。けれども、その場合は何がどう変わるか全く想像がつかない。ロドス・アイランドとあいつのいる場所、二箇所で事が同時に進行していて、どちらもどうにかしなければならないとなると、彼女を呼び戻すことはできなかった。

 恐らく、襲撃があるという事さえ知っていれば、取り得る手はいくらでもあるはずだ。だって、あいつだから。あのΩならば、きっと大丈夫なはずだ。

 だから、信じておれはテレジアをどうにか助ける。それで、そこから全速力で駆け付ける。

 とにかく時間、時間だけが気がかりだった。ドクターのことにしても、あいつのことにしても。

 

「……ん?」

 

 そんなことを考えていたからだろうか。朝からずっと監視し続けていた映像の一つ、ドクターの執務室前の廊下の映像に、変化が起きていた。

 ドアが開き、出てくる黒い人影。コート姿にフードを被り、バイザーまでして徹底的に素性を隠した人物は間違いない、ドクターその人だ。

 時計をちらりと確認する。時刻は12時43分、ケルシー先生到着まではおよそ17分。

 映像に映るドクターの進行方向は、議長室の方向と一致している。もはや一刻の猶予もない。やるしかなかった。

 

「02!クロージャに連絡を入れておいてくれ!おれは最上階に向かう!」

『畏まりました。オーナー、お気を付けて』

「ああ!」

『!オーナー!』

 

 02に向かって叫ぶと、おれは勢いよくドアを開けて廊下へ飛び出す。後ろから彼女の声が聞こえたような気もしたが、もう遅かった。

 

「えっ……」

 

 ドアの音で振り返ったのだろうか、こちらの方を向いた小さな人影が声を漏らす。

 大きな耳が特徴のコータスの少女。そして、あの時部屋にいた人物のうちの一人。

 アーミヤがそこにはいた。

 

 そうだ、考えてみればあの時彼女もあの場にいた以上、こうしてどこかしらのタイミングで議長室を訪れているはずじゃないか。

 そして、今こうしてこの場にいるのは最上階行きのエレベーターに乗るため。となれば、当然何かしらのセキュリティ解除の手段を持っていることになる。

 思考は一瞬。そして、判断もまた一瞬だった。

 

「……すまん!」

「きゃっ!」

 

 一言アーミヤに断りを入れると、彼女を担いでエレベーターに向かって走る。当初考えていたエレベーター内をよじ登るよりも、そのものが使えるのであればそちらのほうが早い。走りながらよく見れば、彼女の首からはカードがぶら下がっていた。臨時IDだろうか、恐らくはこれが一つのセキュリティなのだろう。

 念のため、彼女の指を借りてボタンを押し、カゴを呼び出す。ドアが開くのも待たずにこじ開けて中に飛び込めば、行き先ボタンのすぐ近くにカードをスリットする場所があった。素早くIDを通し、やはりアーミヤの指で最上階のボタンを押す。

 どうやらそれが正解だったようで、無事にエレベーターは上へと動き出した。

 

「……Wさん、どうして……」

「すまない、説明している時間はないんだ。後でケルシー先生から聞いてくれ」

「ケルシー先生……?」

 

 ぽつりとつぶやいて何かを考え始めるアーミヤ。その様子に、色々と考えを巡らせたくなるところだが、そうもしていられなくなった。身体を押し付けていた疑似的な重力が収まり、エレベーターが停止する。

 おれは彼女を置いてきぼりにしたままドアをこじ開けて飛び出すと、廊下をひた走った。

 

 セキュリティ上の要請なのか、最上階の廊下はやたらと曲がり角が多い。だが、最上階の様子は既に頭に叩き込んである。ドクターが執務室から出て議長室に向かう、その道のり。そして、エレベーターホールから最短でそれを妨害するためのルートまで。あの不気味な部屋に潜みながら、そうやって準備をしてきたのだ。すべては、ドクターの凶行を阻止するために。

 

 

 ……久しぶりに結構な強度で走った。心肺機能にはかなり自信があったのだが、純粋に走るという行為はかなり負荷が大きいらしい。平然とふるまって見せているが、実のところは息も絶え絶えだ。しかし、そんな風にしてがむしゃらに駆けた甲斐はどうやらあったようだ。

 果たして、目の前には全身を覆う、怪しげな風貌の男が驚愕を漂わせてそこにいた。

 

「……よう、ドクター」

「……W」

 

 お互いの呼び名を口にするも、後に会話は続かず。ひりついた空気感がだけがその場に残される。

 きっと今頃、彼の脳内ではなぜこの場におれがいるのか、目的は何なのか、なんていう疑問が渦巻き、答えを探すための複雑で精緻な機構がせわしなく働いているのだろう。

 対して、おれの思考は極めてシンプルで透き通っている。この状況を意識して、このために組み上げてきた思考。迷い、可能性、そういったものは事前に十二分に考えてきた。そうして残ったものだけを持って、おれは今ここにいる。

 

 彼は来た。ここへ。テレジアの部屋に向かって一直線に。

 ……十分だ。その事実だけでもう十分だろう。少なくとも、彼は彼女に何か用があってここに来た。仮にその用事がおれの想像するものと違ったとしても、十数分後、ケルシー先生ご臨席の下で済ませればいいだけだ。会話やら何やら、彼の土俵に足を踏み入れる必要はない。

 思考は既に一本化されている。心も決まった。

 

 予防的措置として、ドクターを無力化する。これが最も確実で安全な方法だ。

 そうして、おれは一歩前に足を踏み出──

 

 

 

「ドクター。それに……W」

 

 

 

 ──そうとして、ピタリと動きを止める。

 聞こえたのは声だった。静まり返っていたはずの廊下に響き渡る、透き通った女の声。

 その声の主が誰なのかなど、考えるまでもない。おれたち以外にこのフロアにいる人物で、こんなにも気品のある声をしている人なんて一人しかいないのだから。

 

「テレジア」

 

 ドクターが彼女の名前を呼ぶ。

 そうだ。テレジアだ。サルカズの王にして、ロドス・アイランドの主。そして何より、今回の任務の護衛対象。

 そんな彼女が、彼女を殺した蓋然性の最も高い人物の眼前に姿を現した。しかも、あろうことか彼は平然とテレジアの名前を口にしてみせている。

 それを聞いて、おれもまたはじかれたように声を上げた。

 

「テレジア!来るな!こいつは……」

 

 そこまで言ったはいいものの、続く言葉が出ない。そうしておれは、はたと気づく。

 ドクターが一体何であるのか、それを説明するすべをおれは何ら持っていない。はじめから彼のことを怪しんでいたケルシー先生だからこそ信じてもらえたような予言めいたことを言ったところで、彼女はそれを信じてくれるのだろうか?

 

 答えは否だ。第一、この場で一番怪しいのはおれなのだから。

 任務に出ていて本来ここにはいないはずで、かつセキュリティ的にここにいるはずのない人物。基本的にここにいるはずで、セキュリティ的にも何ら問題のない人物。

 どちらが信じられているかなど、先ほどの彼女の口調を思い返してみれば一目瞭然だろう。

 

 けれども、信じてもらえそうにないからといって何も言わないわけにはいかない。

 おれに与えられた任務はテレジアを護衛することなのだ。彼女におれのことを信じてもらうことではない。ケルシー先生が来さえすれば、すべて解決するはずなのだ。

 

「……とにかく、部屋に戻っていてくれ!色々疑問はあるだろうが、もうすぐ……」

 

 ……いや、待て。何かが引っかかる。

 ……そうだ。

 

 どうしてテレジアはこのタイミングで外に出てきた?

 

 ギギギ、と錆び付いたブリキ人形のように、ゆっくりと後ろを振り返る。

 そこにいたのは、確かにテレジアだった。いつもと同じように、柔らかな微笑を浮かべた彼女だった。

 けれども、いつもと同じはずのその表情に、おれは疑いを抱いてしまう。

 前々から考えていたこと。そんなはずないと冷静に論理的に思いつつも、思考の外側で気がかりだったこと。それが今、現実のものとなりつつあるのではないか?

 

「……大丈夫よ、W」

 

 そんな疑念がおれの頭をよぎっているのを、まるでわかっているような様子で彼女は口を開く。

 

「あなたがここにいるのはおかしなことではないわ。……寧ろ、必然というべきなのかもしれないわね」

 

 優しく、こちらを安心させようとするかのようなテレジアの口ぶり。

 そんなものを聞いたとて、おれの中の疑いがなくなるはずもなく、むしろ際限なく大きくなっていく。

 普通であれば彼女はおれを怪しむべきだ。何か企んでいるのではないかと警戒するべきだ。それなのにこちらの方を落ち着かせようとするなんて、まるで意味が分からない。

 

 ただ、その言葉が何をもたらしたかについては感じることができた。

 背中に突き刺さっていた、警戒の視線が解かれる。それはつまり、ドクターがテレジアの言うことに納得したということだ。

 その事実が、完全に混乱のさなかにあったおれの脳みそに冷静さを取り戻させる。

 あのドクターが、策略家が、言葉一つで納得したのだ。そこに至るロジックを示されたわけでもなく、ただの一言で。

 それはつまり、テレジアには()()があるということではないか?

 

「……ドクター、W。きっと、二人ともお互いに聞きたいことが色々あるはずよ。一度ゆっくりと話せる場を設けた方がいいわ」

 

 ……ただ、その何かがなんであるのかは分からない。単純にドクターと繋がっているということならばよいが、もっと反則じみたものである可能性もあるのだ。

 それに、正面切って挑んだところでおれはテレジアをどうこうすることはできない。相手になりそうなのは、おそらくケルシー先生くらいのものだろう。

 そうなれば、今おれにもっとも必要なのは時間だ。彼女が到着するまでの時間をどうにか稼ぐ。どうにかして、事が起こることを防げる状態で居続ける。

 渡りに船とばかりに、彼女が実力行使ではなく対話の場を設けるとわざわざ申し出てくれている。怪しさや不信感があるとはいえ、その誘いに乗るのがベターな選択肢であることは間違いない。

 確かにテレジアの言う通り、ドクターには色々と、それはもう色々と聞きたいことがあるのだから。

 

「……確かにそうだ。W、君はどうする?」

「……異論はない。あんたにいくつか聞きたいことがあるのは確かだからな」

 

 ドクターの問いかけに対して、おれはバイザーで覆い隠された彼の目に向かって視線を投げかけつつ言葉を返す。

 特に動じた様子もなく、こちらの視線を真っ向から受け止める彼からは、何かしらの覚悟が感じられた。それがなんであるのか、今のおれが知り得る情報からすれば一つしかない。

 そんな、おれたち二人の間の静かな闘争を知ってか知らずか、テレジアは相好を崩して笑みを浮かべた。

 

「決まりね!それじゃあ二人とも、着いてきて」

「どこへ?」

「……ふふっ、議長室よ」

 

 

 




音声記録No.10223001

「……入ってくれ」
「やあ、ケルシー」
「……君か。今朝のメディカルチェックでは特に異常はなかったはずだが、何か異変を感じたのか?」
「ああ、すまない。私自身はいたって健康だよ」
「……なら、なぜわざわざ医務室にまで来た。ドクター、君は今が一体何時なのかもっとよく考えた方がいい。急病ならともかく、そうでないのならば休養を取って体力の涵養に努めるべきだ」
「……今朝、少し違和感を感じたんだ。何人かの医療オペレーターたちにも聞いたから間違いない。……ケルシー、君こそ休息を取るべきだ」
「……何のことだ」
「ここ数日で5件もの手術を執刀していただろう。……ついこの間怒られた私が言えることではないかもしれないが、全部君がやる必要はなかったんじゃないか?」
「……君もわかっているだろうが、手術とは往々にして緊急性を有するものだ。患者が医師を求めている時にその場にいて、なおかつ彼らを救うことができる術を持っているのにもかかわらずただ傍観するのは怠惰というものだろう」
「だが……」
「ドクター。これは私がすべきことをしたまでのことだ。それとも、君は私がそうするべきではなかったというのか?」
「……いいや。君がそういう人だというのは私もよく知っているよ」
「……分かったのならばそれでいい。用が済んだなら……」
「……けれども、それでも私は心配なんだ」
「…………」
「……ケルシー。頑張っている君のことを止めたりしたいわけじゃないんだ。ただ、なんというか……少しでもいいから、そんな君の力になれたらいいと思う」
「………………はあ」
「ケルシー……?」
「ドクター。ここに寝てくれ」
「……どういう意味だ?」
「このベッドに寝転がってくれと言っている」
「……分かった…………っ、ケルシー!?」
「……少し仮眠をとる。君はこのまま抱かれていればいい」
「そんなこと言われたって……」
「……………………」
「……ケルシー?」
「……………………」
「……やっぱり、疲れが溜まっていたんだな。……君は、いつも頑張りすぎなんだ」
「……………………ドクター…………」
「…………おやすみ、ケルシー。いい夢を」

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致死疾病─Despair.-3

 議長室。テレジアの執務室であるその部屋は、華美ではなくともどこかしら品を感じる場所であった。もっとも、前回ここに来たときはそんなことを感じる間もなかったのだが。

 彼女に付き従って部屋までやってきたおれとドクターは、勧められるままに椅子に腰を下ろす。

 背丈の低い机を挟んでおれたち二人が向かい合い、その両者の横にテレジアが陣取る形となったのはどこか象徴的だった。

 

 こうして対話の席についたとはいえ、相も変わらず空気は張りつめている。しかし、お互いに相手に聞きたいことがあるのは間違いないのだ、いつまでも黙っているというわけにはいかない。

 先に口を開いたのは、ドクターだった。

 

「……W。率直に聞こう。君はなぜ、ここにいる?」

「……なぜ、とは?」

「……君は今、本来ならばこことは違う場所で作戦行動中のはずだ。それがなぜ、こうして私の目の前にいる?」

 

 ……なるほど。「なぜ」という言葉にどこまで知っているのか──テレジア絡みのことを──という含みがあるかと勘繰ったが、そこに関する探りは感じられない。単純に怪しい人物への尋問といった感じの聞き方だ。

 現時点ではドクターはまだ、おれが彼の計画について知っているなどとは思っていないといったところだろうか。だとすれば、この回答によってこの問答の主導権を握れるかもしれない。

 

「……ケルシー先生に頼まれた、と言ったらどうする?」

「っ……」

 

 その名前を聞いて、ドクターはぴくりと肩を震わせる。

 おれの口からその名前が出るのが予想外だったのか、はたまた彼女自体に思うところがあったのか。いずれにせよ、彼が動揺をあらわにした今が絶好のチャンスだ。

 

「あんたのことを監視するように言われたんだ。……ドクター、随分と怪しまれているみたいだが、何か心当たりはあるか?」

「…………そうか」

 

 こちらの問いかけに対して、ドクターが発したのはただの一言だった。

 フードとバイザー、二重に用意された分厚いベールの向こうから届いたその言葉。特にこれといった意味を持たない、ただこちらの言い分を確認し、自分を納得させたかのような掛け声。

 しかし、その声に乗った色と息遣いは、その意味のなさとは裏腹に雄弁に物事を語り、見えないはずのものすらも脳裏に浮かび上がらせるようだった。

 けれどもおれは、自分が感じ取ったそれが正しいのかどうか、自信を持つことはできなかった。それどころか、戸惑いさえも覚えていた。

 あのドクターが、この場で、この質問に対して、そのような反応を示すなどということがあるのだろうか。

 疑問は、そのまま声となって議長室に静かに響く。

 

「……あんた今、笑ったか?」

 

 無意識のうちに低く、唸るように発せられたおれの言葉。対する彼の反応は、先ほどケルシー先生の名前を聞いた時の動揺が嘘であったかのようにあっさりとしていた。

 

「ああ、すまない。……やはり、ケルシーに隠し事はできないと思ってね」

「……それは」

「先ほどの君の質問に答えよう。……心当たりならある」

 

 困難は覚悟していた。

 テレジアに見つかってしまった時点で、おれはドクターに唯一確実に勝っているであろう武力を行使するという選択を失い、舌戦を挑まざるを得なくなった。

 ケルシー先生を待つだけならば、適当なことを言ってお茶を濁していればいい。けれども、議長室に向かう道すがら、おれは思ったのだ。

 この事態が今後どうような経過を辿ろうと、彼と言葉を交わす機会など訪れないだろうということに。

 だからこそ、おれは自分の耳で聞きたかった。彼が何を思っているのか。何を考えているのか。

 恐らく、互いに虚飾された言葉を戦わせ、本心そのままを口に出すことなどないだろう。けれども、その隙間から漏れ出す何かには、きっとひとかけらの真実が、真意が溶け出ているはずだ。

 

 甘い考えだとは思う。唾棄すべき考えだとは思う。

 けれども、それをおれに教えてくれたこの場所が、崩れ落ちるに値する理由があると知りたかった。

 繋がれていたはずの赤い糸が、無残にも引きちぎられたわけではないのだと知りたかった。

 

 

 

 だからこそ、ドクターのその物言いに、おれは衝撃を受けた。

 彼が、こんなにも簡単に自らの裏切りを認めたことに。

 

「……ドクター……自分が何を言ったか、わかってるのか?」

 

 自分で言っていて、声がかすかに震えているのがわかる。抑えきれない感情が、漏れ出しているのが分かる。

 おれは、ドクターのことを信頼なんぞしていない。だから、仮に裏切っていようが何をしようが、特に何も感じないと思っていた。

 けれども、実際はそうならなかった。ケルシー先生を見た後では、そんな風には思えなかった。

 腹の底でふつふつと、湧き上がるものがあった。

 

「君こそ、彼女からどこまで聞いた?どこまで知っているんだ?」

 

 そんな、こちらの心の内を知ってか知らずか、何でもない調子でこちらに質問を投げかけてくるドクター。

 ここで怒鳴り散らしたところで何にもならない、そんなことはわかっている。わかっているからこそ、奥歯をかみ砕くようにして心を鎮めて、一つ一つ事を明らかにしていく。

 

「…………今、ロドス・アイランドの防衛戦力はほとんどいないらしいな」

「ああ。私が皆に任務を伝えたからな」

 

 彼は当然というように頷いた。

 

「……テレシスはこのことを知っている」

「確かに、そうらしい」

 

 彼はわざとらしく肩をすくめた。

 

「……もうすぐ、ここが襲撃されるはずだ」

「知っているとも」

 

 彼はそれがどうしたと言わんばかりに吐き捨てた。

 

「……狙いは……テレジアなんだぞ?」

「そうだろうな」

 

 彼は、何のためらいも見せず、他人事のように切り捨てた。

 

 そこが、おれの限界点だった。

 おれはもう、怒りを我慢することができなかった。

 感情に突き動かされるまま椅子から立ち上がり、罵声を浴びせける。

 

「……っ!あんたは!何を考えてるんだ!?」

「言ったはずだろう、W。私は常に勝利を掴むための最善を考えている」

「勝利……だと……?あいつを、テレジアを、ケルシー先生を切り捨てることがか!?」

「……少なくとも、私にとっての勝利はそれだ」

「っ、お前は…………っ!」

 

 もう、言葉が出てこなかった。言葉でどうにかする段階になかった。

 腰の刀を、自らのアーツを、これ以上になく強く意識する。

 それほどまでに、どうしようもなかった。もはやおれの中で、ドクターは一片の疑いもなくクズだった。薄汚い裏切者だった。冷酷で自己中心的で、まるで傭兵みたいな蛆虫野郎だった。

 こんな奴、今すぐブチ殺すべきだ。

 

 それなのに、どうしてテレジア、あんたはそんな悲しげな目つきをするんだ?

 

 その彼女の表情のせいで、おれの怒りはやり場を失い、内側で渦巻いたままで燃え盛っている。

 どうしようもないやりきれなさと共に、おれはふらふらと椅子に再び座わる。

 そんな変遷をじっと見つめていたドクターは、ややあって口を開いた。

 

「……W。そういえば先ほどから私が答えてばかりだ。君にも最後に一つ質問をさせてくれ」

「…………」

「…………ケルシーは、私のことを憎んでいたか?」

 

 久しぶりに、たっぷりと間を空けてから告げられたその問い。

 ……こいつは、この期に及んでそんなことを聞いてくるのか。

 ケルシー先生のドクターに対する感情。それは、おれの口から言うべきものでもないし、言い表せるほど単純なものでもない。そんな道理もわかっていない目の前の人物が、腹立たしい。

 それにこれは、自分の行動を鑑みれば答えなどわかりきっているはずの質問なのだ。

 だから、その質問にすべき回答など一つしかない。

 

「…………そんなこと、当たり前だろう」

「そうか。……なら、よかった」

 

 ドクターは満足げに頷いた。心底よかったとでもいうように。

 それを見て、瞬時に頭が沸騰したのがわかった。

 

「っ!!!!!」

 

 こいつには、ケルシー先生がどんな気持ちでいるか想像がついていないのだろうか。

 こんな奴のために彼女はああまでも苦しみ、あいつは死んだのか。

 もう我慢がならなかった。それでおれは、腰の刀を抜き放ってその首を落とそうとして柄に手をかけ──

 

 ──それを抜き放つのをとどめる、温かい感触を感じた。

 

 誰のものかなど、考えるまでもない。横に目をやれば、いつの間にか隣にいたテレジアがゆっくりと大きく首を横に振る。

 

「W。それ以上はダメよ。あなたがそんなことをする必要はないわ。……これ以上、ドクターを責めるのはやめてあげて」

「だがテレジア、あいつは!」

「……違うの。違うのよ、W」

 

 あなたのことを殺そうとしている。後に続くはずだったその言葉は、彼女の否定によってさえぎられた。

 そうして、何も言えずにいるおれをよそに、彼女はドクターの方に振り返る。

 

「ドクター。あなたももう、そんな偽悪的に振舞うのはやめて。……あなたが罪悪感を抱く必要なんてないのよ」

「……テレジア、だが」

「いいの。……彼には、知る権利があるわ」

 

 ……はじめは混乱していたおれも、ここまでくればもうわかる。

 纏う雰囲気の変わったドクター。偽悪的、罪悪感といった単語。ほんの短い一瞬に散りばめられた要素が、まるでパズルのようにピタリと開いていた空白に当てはまっていく。

 今になって考えてみれば、おれの最初の推測は当たっていたのだ。

 

「……つまり、テレジア、ドクター、あんたらは」

「……ええ。今回のことは全て、私たち二人が考えたものよ」

 

 

 

 

 そういえば、そろそろケルシー先生は着いているはずの時間なのだが、何かトラブルでもあったのだろうか。

 できるだけ早く来てほしいものだが、まあ当面の危機はないのだ、そこまでの問題にはなるまい。

 何せ、今回の件の被害者と容疑者がグルだったのだから。

 

「……さて、何から話そうかしら」

 

 先ほどまでと同じく、椅子に座り込む三者。そんな議長室で、それまでの傍観者から立場を変えたテレジアが思案する。

 恐らく、彼らだけが知っていて、おれは知らないであろうことがたくさんあるのだろう。助け舟を出すべく、純粋に疑問に思っていたことを口にする。

 

「……なぜ、こんなことを?」

「やはり、まずはそこになるだろうな。……W、君は今の状況をどう思う?」

「状況……それはバベルの?」

 

 ドクターが頷いて肯定するのを見て、おれは先ほどまでさぼりがちだった脳細胞を働かせ始めた。

 今の状況、すなわちテレジアとテレシスの内戦、バベルと軍事委員会の争いは拮抗状態にあるはずだ。

 単純な戦力で言えば向こうの方が上回っているものの、サルカズの王という正当性は、こちらに政治的な優位性を与えている。

 個人の域を超え、組織同士の争いにまで事が至れば、それは単純な武力を争うものではなくなるのだ。

 傭兵団同士の争いだってそうだったのだから、この戦いは軍事、政治、経済、あらゆる力を競い合うものとなるだろう。

 そうして、総合的な戦力の比較の結果として現状拮抗しているのだから、何か大きなアクションが──それこそテレジアが死ぬような事態が起こらない限り、それは変わらないはずだ。

 

「……当分は動きようがない。勿論、支配地域の変遷や小競り合いはいくつも起こるだろうが……大局的には何も変化はないはずだ」

「なぜ?」

「なぜって……両勢力の力は拮抗しているだろう?」

 

 今となってはバベルのオペレーターに落ち着いているが、ついこの間まで傭兵だった身だ。戦場の風向きを読むことには、それなり以上に自信がある。今の状況は、あのへドリー達といた頃よりもはるかにマシなはずだ。

 優位に立っている気もしないが、劣勢にある気もしない。ある意味、最も純粋な戦場だと言えるだろう。

 だが、ドクターの考えはどうやらおれとは違うらしい。

 

「……君たちをそう思わせられているのなら、私もまだ捨てたものでは無いな」

「……実際はそうではない、と?」

「……最近の戦い方が今までのものとは違っていたのはわかるだろう?」

 

 確かに、彼の言う通り最近の戦いは厳しいものになっている。

 ……死体が多すぎるのだ。敵のものも、味方のものも。

 けれど、それがおれたちの不利だとは思えない。確かに双方に被害は出ているものの、ドクターの戦術もあってかなりの勝利を収めているし、敵を一方的に屠ったことも一度や二度ではない。

 それに、こちらには腕の立つ戦闘オペレーターも多いし、エリートオペレーターという精鋭だって健在だ。今のまま戦い続ければ……戦い続ければ?

 

 ……そうだ。そもそも前提が違うのだ。被害を出しつつも拮抗しているのではない。拮抗しているから被害を出しているのだ。

 終わりの見えなくなった泥沼に終着点を見出すため、決定的な戦略的勝利を求めることを諦め、戦術的な勝利を積み重ねて敵の戦力を磨り潰しきる。

 

「……戦況が動かせなくなったから、消耗戦に打って出たのか」

「……ああ。その上で分かったのは、この戦争には勝てないということだ」

「……何?」

「……このまま死体の山を築いていけば、我々は負けることはないだろう。……けれども、その後に残るのは──」

「──人も建物も、何もかもがなくなったカズデル、か。……それを勝利と呼ぶことはできない。そうだろう、テレジア」

 

 ドクターの後を継いでその結末を口にしたおれは、それを是としなかったであろう人物のほうを向く。

 おれやΩのような傭兵ごときの名前すら知っていたような人なんだ、カズデルが、サルカズが、そんな末路を辿ることを許せるわけがない。

 名前を呼ばれたテレジアは小さく、けれども確かに頷いた。

 

「……戦いというものが犠牲と切り離せないものだということはわかっているわ。けれども、私たちが何のために戦っているのかを忘れてはいけないと思うの」

「……未来のために、か……」

「……このまま戦い続けても、きっとそこに未来はないわ。だったら、他の手を考えなければいけないでしょう?」

「…………」

 

 理想論としては納得できる。散々殺してきたおれが言っても何の説得力もないが、きっと人はそう簡単に死ぬべきではないのだ。

 けれども、だったら、なんでここまで戦ってきたのだろうか。なんでここまで殺してきたのだろうか。

 それだったら、初めからテレジアは立ち上がらなければよかったのではないのか?

 犠牲を払っても得なければいけないものがあったからこそ、今こうしているのではないのか?

 

「……W。実のところ、そんな理想論的な話でもないんだ。恐らくだが……テレシスは意図的に拮抗状態を作り出している。やろうと思えば、こちらを押しつぶせるにも関わらず」

 

 おれの、そんな内心を読み取ったのか、ドクターが語りだす。

 

「言ってしまえば、最近の戦闘はそれを裏付けるためのものに過ぎない。結果は……上々と言えるかもしれないな。こちらはエリートオペレーターまで動員しているのに対して、あちらは傭兵だけで対処しきっていた。盤面上は互角でも、盤外はそうでもないんだ」

「……つまり、テレシス側にはこちらと互角の指し手が何人もいるってところか」

「……対してこちらは一人きり、つまりはそういうことだ」

「…………そうか」

 

 ……これが傭兵上がりと指揮官の差ということか。おれの嗅いでいたにおいは、あくまで戦場、先ほどの例えで言うところの盤内のものであって、その外側を知ることはできない。駒の視点と指し手の視点は違うのだから。

 経済や政治の状況だって、あくまでおれが知り得る範囲の情報から推察したものでしかない。辛うじてカズデル内に関してはカバーしていても、カズデル外との繋がりなど掴みようがない。

 正当なサルカズの王、テレジアの下に民族資本が集っているとしても、例えばクルビアなんかの軍産複合体がテレシスの側についていたのならば、資本力の差など一挙にひっくり返る。外から見れば正当性など問題ではなく、純粋な軍事力を持ったテレシスの方がより魅力的な投資対象になり得るのだ。

 

 現状についてはわかった。認めがたいことに、おれたちはテレシスのお情けによって生かされている状態だということが。

 その認識に基づいて今回のことを考えてみれば、様相はガラリと変わる。つまり、ドクターが敵と内通して利敵行為を働いていたというものから、和平交渉を行っていたというものへと。

 ……和平。そう、和平だ。先ほどテレジアはこれ以上戦いを続けるのではなく、別の手段で決着をつけると言っていた。そこに、敵方と連絡をしていたという事実と結果としてバベルのトップであるテレジアが命を落とし、ドクターが倒れることになったことも併せて勘案すれば、二人を取引材料とした和平交渉が行われていたと考えることができる。実際、あの執務室で戦ったサルカズがバベルに対しては何もする気がない、という言葉を発していたのも交渉の存在を浮き彫りにしていると言えるだろう。

 実際問題、交渉を持つというのにはお互いに利点があると思う。仮にテレシスが本気でこちらを潰そうと全戦力を投入したとして、それでもある程度の損害は避けられない。単に勝つというだけならばそれでもいいが、カズデルの復興という目的を考えるに、外圧に対抗するための武力を損なうのは軍事委員会の本意では無いだろう。

 だから、まだバベルとして一定以上の戦力を保持している今が交渉のチャンスなのは間違いない。

 

 ……だが、それでも依然としていくつかの疑問は残る。

 彼らが交渉を秘密裏に進めていたことは理解できる。こちらとしては日々それこそ命を削って戦っているのにも関わらず、上層部がそんなことをしていると知れたら、どれだけそれが妥当なことであったとしても心情的に到底受け入れられない。それこそ、バベルは自壊しただろう。

 だが、ここでいう上層部というのは何もドクターとテレジアだけではない。

 

「……ケルシー先生はこのことを?」

「……いいや。最も、彼女ならば感づいていてもおかしくはないが」

 

 疑問なのは、その交渉に一切ケルシー先生が関与していないことだ。今日だって、元々の彼女の予定は恐らく支援者との会談だろう。カズデルでの活動が難しくなる、とまで言っていたあたり、現状が捗々しくないことを知りながらもそれをどうにかしようと模索していたことが窺える。それはつまり継戦を志向していたわけで、和平交渉に乗り出ていた二人とは方向性が真逆だ。

 バベルは3トップによって率いられてきた組織であるのに、その組織が今まさに瀬戸際に立たされているという状態にあって、トップの意思が統一されていないということは普通に考えて重大な問題だ。そんなわかりきったことを差し置いて、ケルシー先生だけが蚊帳の外に置かれているということには、何かしらの強い意図を感じる。

 おれが知りたいのは、その意図がなんなのかということだ。

 ……そんな面倒なことをされたせいで、現状おれとあいつはこうして違う戦場に立つことになってしまったのだから、知る権利くらいはあるだろう。

 

「……なぜだ?彼女もバベルの指導者の一人だろう」

「…………すまないが、そのことに関しては何も言えない。ただ、ケルシーに何も伝えなかったのは私の判断だ」

「…………」

 

 だが、そんなこちらの思いとは裏腹に、ドクターはバイザーの下に隠された顔を歪めて回答を拒み、テレジアは能面のような顔をして押し黙る。

 それでおれは、この話題が二人にとっての地雷であることを察した。

 こうなってしまえば、このままの話題を続けるのは得策ではないだろう。ただ一つ言えるのは、彼女の存在はどうやら今回の出来事に大いに関わっているであろうということだ。本人は全く関われていないのかかわらず。

 

「……わかった。この話はもう止そう。だが、それ以外のことならば答えてくれるということでいいのか?」

「……ええ。あなたはきっと知っておいた方がいいはずよ」

「…………」

 

 テレジアが頷いて答える一方で、ドクターは微動だにせずにいる。心なしか彼の視線がテレジアに向いているように感じるのは、きっと気のせいではないだろう。

 正直、その違和感はおれが一番感じているのだ。なぜ、おれのような一オペレーターごときがこんな待遇を受けているのか。たとえケルシー先生から任務を受けていたとしても、彼らが彼女のことを蚊帳の外に置いていることからして、排除されても何もおかしくはない。

 だというのに、おれはこうして議長室に迎え入れられ、ケルシー先生ですら知らないような情報にさえ触れている。恐らく、二人を除けばおれが事の真相に一番近づいているはずだ。それに、先ほどからのテレジアの意味深長な言葉も気にかかる。

 知る権利がある、知っておいた方がいい。おれが知ることに何か意味があるのか、そう考えてしまえば、ある一つの可能性が浮かび上がる。

 そのうえで、果たして彼女は何を考えているのだろか。おれは彼女のことをよく知らない。知っているのは、肩書とその表面的な人柄だけだ。そんな状態で、相手の思考を推察することなどできるわけもない。できるのは、この状況を利用することだけだ。

 現にこうしてケルシー先生にかかわる質問以外になら答えるという言質を取ることができた。ならば、この質問にも答えられるはずだ。

 

「……だったら聞こう。…………あんたらは、おれたちのことを売ったのか?」

 

 あのサルカズが言っていた。おれとΩは危険だと。

 何をもってそう判断されたかは分からない。しかし、確かなのはその言葉の通りにおれたちは排除の対象となり、あいつは任務に行った先で殺されたということだ。

 テレジアとドクターの命と引き換えに、バベルを見逃す。そんな、現時点の情報から考えられる交渉内容とは異なり、バベルのオペレーターであるはずのおれたちがなぜ狙われたのか。

 考えられることは二つ。テレシスに鼻から交渉内容を守る気がなかったか、交渉内容の中にその要件が組み込まれていたかだ。

 

「……何のことだ?」

「この期に及んで恍ける気か?ケルシー先生から聞いたぞ。……おれとΩについては違う命令が出ているってな」

「違う……命令?」

「ドクター!あんたは本当に……」

 

 ……いや。違う。

 

「……本当に、何も知らないのか?」

「……ああ。君たちのことが話題に出たことはない。……少なくとも、私の記憶する限りでは」

「っ……」

 

 ……おそらく、この言葉に嘘はないだろう。

 先ほどのドクターの様子。あれは、本気で困惑しているようだった。彼が謀略に長けていることは百も承知だが、テレジアがあのように言ったその直後に嘘を吐くとは考えにくい。何より、おれが何らかの交渉材料になっているのであれば、このような場を設ける必要自体ないはずだ。

 

「……少し、確認をさせてくれ」

 

 一度立ち止まり、冷静になって考えてみる。

 おれは先ほどから、どうしたらあの見てきた光景にたどり着くかという考え方をしてきた。すなわち、あらかじめ未来のことを確定させたのち、そこから逆算するようにして彼らの行動やその意図について考えるというものだ。

 実際にこの目で見てきた事実であるという以上、その正しさは疑いようがないのだ。そこを起点に思考を組み立てていくのは、ある意味当然であるとも言えるだろう。

 

 だが、この結論から考えていくということには、大きな落とし穴がないだろうか。それは、結論ありきで筋道を立ててしまうということだ。

 おれは崩れた積み木を見て、積み木が崩れるまでの論理的に破綻のない展開を考えてきた。だが、積み木を積んでいた当人は立派な城を作ろうとしていたのに、突発的なアクシデントで崩れてしまっていたのだとしたら?

 

 結論に当てはめようとする。おれは、ドクターとテレジアの二人がこの部屋で死ぬに足る理由を求めていた。おれとΩがテレシスから狙われるに足る理由を求めていた。

 だが。それらすべてに、果たして本当に理由があるのだろうか。妥当性、ロジック、そんなものに基づいたものだけで十分に説明ができるのだろうか。

 だから、確認する必要がある。すり合わせる必要がある。未来からの視点で物事を見ていたおれと、おれ以上に今のことを知っていて、けれども未来を知らない彼ら。

 お互いにお互いがある程度理解していると、暗黙のままに進めていた会話。そこに何か重大な齟齬が生じているような気がしてならないのだ。

 ……おれと、ドクターと、テレジアと。それぞれの間に。

 

「……あんたらはテレシスと何らかの交渉を持っている。これは合っているか?」

 

 おれがそう問いかけると、ドクターは少し逡巡する素振りを見せる。

 ……結局のところ、これに尽きるのだ。ドクターとおれは、お互いにお互いのことを信じていない。おれたちの間には、信頼関係というものが存在しない。

 だからこそ、ちょっとした言葉のやり取りであってもどこか裏を探るようなものになり、必要以上の言質を与えないような立ち回りをする。

 それゆえに、彼との会話は虫食いだらけで、お互いにそこを勝手に補完して話を続けているに過ぎない。齟齬が生じても何の不思議もないどころか、むしろ生じて然るべきだろう。お互いの見ている時制が違うともなれば殊更に。

 この状況をどうにかするためには、相手のことを多少は信じてみようと歩み寄るほかない。しかし、それが極めて困難なことは歴史が物語っている。おれとケルシー先生のようなケースは極めて稀だ。それに、おれも彼女の場合とは違ってまだドクターを積極的に信じてみようという気にはなれない。

 だが、この場にいるのはおれたちだけではないのだ。

 

 ドクターが、ちらりと彼女の方を向く。その視線を受けてか、彼女はおれのほうを見つめてきた。

 なんとなく避け続けていた彼女からの視線。だが、ここに至っても逃げているようでは示しがつかない。おれも、覚悟をもってこの場にいるのだ。

 おれは彼女の、テレジアの目を見る。少し赤みがかった琥珀色の瞳。長い年月が、苦悩が、その輝きを曇らせてしまったのだろうか。どこかくすんだ色をしたそれは、おれの好きな琥珀色とは随分と違って見えた。

 そこに浮かんでいるのは紛れもない慈愛であり、奥に秘められているのは強い意志と覚悟であり、瞳は彼女という人間をこれ以上になく雄弁に物語る。

 おれの瞳はどうであろうか。おれの意志を映し出してはくれているだろうか。今おれにできるのは、ただ目を逸らさぬことだけだ。

 

 永遠にも思える、ほんの数秒の対峙。その果てに、テレジアはドクターの方を振り返り、確りと頷く。

 彼女のその様子を見て、彼もまた腹を決めたようであった。

 おれとドクターがこの短い間にお互いを信じることは不可能だ。けれども、おれも彼も、テレジアのことならば信じられる。不信を乗り越えて、信じてみてもいいと思える。

 誰よりもおれたちサルカズのことを想っている、彼女なら。

 

「……W。君の言う通り、確かに私たちはテレシスと交渉していた」

 

 長い沈黙を経て、ついにドクターが口を開く。

 先ほどまでの会話とは違う重みが、ひしひしと伝わってくる。

 おれは、そんな彼に対して決定的な言葉を求めた。彼の嘘を暴き、そしてこの事態の終着点を確定させる、致命的な一言を。

 

「……その交渉は、この戦いを終わらせるものか?…………バベルの敗北という形で」

 

 ドクターはかつて言っていた。必ず勝利すると。そのための作戦を考えると。

 ドクターに不信を抱いていたオペレーター達も、彼の能力ともたらされる勝利だけは信じていたはずだ。彼自身が、そう語っていたように。

 けれども、彼らの話と、それから今起こりつつあることからは、勝利の二文字を得ることは到底できそうにない。そればかりか、おれが見てきたものが示すのは、バベルという組織が終わったということだった。

 だからこそ、彼自身の口から聞き出さなければならない。おれたちは、敗北したのだということを。一つの夢が、終わったのだということを。

 おれの言葉を聞きとどけたドクターは、ゆっくりと、噛み締めるようにしてその言葉を口にする。

 

「…………そうだ。……バベルという組織は崩壊するだろう」

 

 その時、おれは不思議な既視感を抱いた。彼が今口にしているのは完膚なきまでの敗北宣言のはずだ。けれども、その言葉の端からはなにがしかの満足が感じられる。それはちょうど、つい先ほど、おれが彼からの質問に返答したときのように。

 そう、ケルシー先生はドクターを恨んでいるという返事を聞いた時のように。

 

 果たして、おれの感じたものは間違いではなかったらしい。続くドクターの言葉が、それを教えてくれた。

 

「……だが、私たちは勝利を得ることができる」

「…………どういうことだ?」

 

 彼の言葉を額面通りに捉えるのならば、組織は崩壊するが、自分たちはそこから何らかの利益を得ることができるというように聞こえる。だが、この後に起こることを考えればそうではないはずだ。では、彼は何を持って勝利を得られると語っているのか。

 そんな、おれの口をついて出た疑問に対して、ドクターはいたって穏やかな調子で言葉を返してくる。

 

「……君にとって、勝利とは何だ?」

 

 質問に対して返ってきた質問。けれどもそれは、さながら静かな水面に投げ込まれた石のように思考をさざ波立たせる。

 勝利。現在、テレシス率いる軍事委員会と戦っているという状況下において、おれの中でその言葉はこの内戦そのものであったり、具体的な個々の作戦における戦闘であったり、つまりは戦争での勝利だと認識されていた。つまりは、バベルの勝利だ。

 しかし、今ドクターはおれにとっての勝利は何かと問うてきた。

 ……おれにとっての勝利、か。そんなこと、考えたこともなかったもしれない。傭兵にとって、サルカズにとって、生きるとは戦うことであり、生き残るとは戦いに勝ってきたということだ。そういう意味では、個人にとっての勝利と集団にとっての勝利が一致していたのだろう。だから、深く考える必要がなかったのだ。生きることそのものが勝利だったのだから。

 けれども、今は違う。おれはもう、ただ生きるだけの日々には戻れなくなってしまった。

 

 おれにとっての生きるということは、あいつの隣にいるということだ。あいつと生きるということだ。

 それならば、おれにとっての勝利というのはきっと──

 

「……この戦いで生き残ること。そしてあいつを、いや、あいつと、幸せになることだ」

「…………そうか。……それならば、私のすることは君の勝利の助けになれる」

 

 勝利というのは、いつだって戦って勝ち得るものだ。おれは戦って、そうして生きて、その先のものまで手に入れる。

 ……我ながら、随分と欲深くなったと思う。けれども、ただ漫然と生きるよりは余程いい。おれはそれを、この場所で知ったのだ。

 

 そんなドクターの問いによって目的が、意思が、より強固で明確なものとなり。

 それと同時に、おれは彼の質問の意図を悟った。

 つまり、彼が口にしていた勝利とはバベルのものではなく、彼自身が希求していたものなのだ。傍目から見れば完膚なきまでの敗北であっても、彼が自身で定めた勝利条件を満たすことができたのだとしたら。それは、勝利の一つの形となりうるのではないだろうか。

 

「ドクター、あんたは……」

 

 おれの返答を聞いて、満足そうに頷いている彼の名を呼ぶ。

 自分にとっての勝利とは何か。それを考えたときに最初に思い浮かんだのは、不思議と自分自身のことではなかった。

 これはあくまでおれの考えたことであるし、それが他人に当てはまるのかなどは分からず、また当てはめるということ自体が適切なことではないのは分かっている。

 けれども、そう考えると腑に落ちる気がするのだ。

 なぜ彼女だけこの場にいないのか、なぜ彼は満足気なのか。……なぜ、彼は彼女に憎まれることを望んでいたのか。

 彼にとっての譲れない一線、自らの命すら捨てても譲れないものが一体なんであるのか。

 だが、その名前を口にしようとした瞬間、ドクターはそれを遮るようにして言葉を紡ぐ。

 

「私にとっての勝利は、君たち皆が無事に生き残れることだ。それが、この戦争を指揮してきた者としてのせめてもの責任というものだろう?……ただ……」

「……ドクター。これはもう、何度も話し合ったことでしょう?」

 

 戦争を指揮してきた者としての責任。その言葉と、テレジアの態度とがすべてを物語っていた。

 おれの視線を受けて、彼女はこちらを振り向く。

 

「W。これが、私たちにとっての勝利よ。……生きてさえいれば、未来は開ける。生きてさえいれば、きっといいことがある。……私はそう、信じているわ」

 

 生きてさえいれば、きっといいことがある。……それは、おれたちだけじゃないはずだ。ドクターにだって、テレジアにだって、生きてさえいればそれがあるはずだ。

 だが、おれにはそれをやすやすと口にすることなどできない。その選択に至るまでに積み重ねられた覚悟の量が、おれの口を重くする。

 結局、絞り出せたのは彼らに対してことの全てを確認する言葉だけだった。

 

「……それじゃあ、交渉というのは……」

 

 そんな、おれの覚束ない問いかけとは対照的に、芯の通った静かな力強さを持ってドクターの答えが返ってくる。

 

「ああ。私と、そしてテレジアの身柄と引き換えに、ロドス・アイランドを見逃してもらうための交渉だ」

 

 ……?

 

「つまり今日、君たちオペレーターに出払ってもらっていたのは、身柄の受け渡しを円滑にするためでもある」

 

 身柄?受け渡し?

 

「……ちょっと待ってくれ。身柄の受け渡し?」

 

 やり方が迂遠だとはずっと思っていた。だが、交渉の材料として彼ら二人の命が必要だったのならば、それを確認する役がいる。だからわざわざサルカズ傭兵がロドスにやってきたと思ってい た。

 けれども、もしそれならば方法がおかしい。貴人が死を賜わる方法について議論する気などないが、わざわざ苦痛の大きい方法を使うだろうか?

 自罰的な行いだと言うのならまだ理解の余地はあるが、それを差し置いても交渉を行ったのにも関わらず、その終わり方を決めることがこちらに、敗者に許されるのだろうか?

 内戦を終結させるのならば、それが全ての者に伝わるような形で終わらせなければならない。

 例えば、公開処刑。

 例えば、裁判。 

 そうやって、勝者と敗者をはっきりとした形で知らしめようとするものでは無いのだろうか。

 違和感は常に存在していた。けれども、ドクターから聞いたテレシスのやり方は、さながらこちらが降伏することを待っているようなものだった。それならば、築き上げたもの自らの手で、バベルを崩壊させる。そういう悪趣味な方法もあるのかと考えていた。

 

 だが、彼らの身柄をテレシスの元まで連れていく予定だとしたならば。

 その違和感は根本から解消される。

 あの時いた二線級と思しき部隊も、彼らを連れ出す経路を確保する要員として来ていたと考えれば辻褄は会う。

 

 ……そして、その代わりに浮上する特大の謎。

 誰がドクターとテレジアを殺したのか。その答えとはすなわち──

 

「?……何か」

「ドクター」

 

 何かを言いかけた彼のことを制するようにして、議長室に声が響き渡る。

 それ自体は柔らかなものなのに、おれはそれがひどく恐ろしく冷たいもののように感じられた。

 

「テレジア、いったい…………」

 

 どさり、と何かが床に崩れ落ちる音がする。

 ……見えなかった。何も、彼女が一体何をしたのか。

 そんな、おれの戦慄をよそに、彼女は──テレジアは微笑んで言った。

 

「W。これで、あなたの疑問にも答えられると思うわ」

 

 テレジアを殺した犯人。

 それは、テレジアだった。

 




音声記録No.10223378

「暇ね」
「暇だな」
「……せっかくの休みなんだから、なんか面白いこと考えなさいよ」
「……ないない。遅めの朝飯食ってダラダラできるだけいいだろ」
「はあ……それじゃあ、またあんたの部屋に行って本でも読むことにするわ」
「あんまり荒らすなよ……」
「わかってるわよ……」
「「はあ……」」
「……暇だな」
「……暇ね」
「…………そういや」
「?……どうかした?」
「いや、この前の任務で変な物を見つけたんだよ。ちょっと持ってくるから待っててくれ」
「……変な物って何よ」



「どうだ?」
「格子が書かれた台と駒……何かのボードゲーム?」
「たぶんそうだと思う。しかもほら、ご丁寧に駒に矢印が書いてあるだろ?」
「台の方にも駒のシルエットが書いてあるわね。初期位置ってことかしら」
「……なあ、Ω」
「何?」
「こいつで勝負しないか?」
「……受けて立とうじゃない。で、負けた方はどうするの?今日一日は絶対服従とか?」
「……いや、そういうのは……」
「あら、ごめんなさい。先が見えてる勝負でそういうのは良くなかったかしら?」
「上等だコラ」



「はい。これであんたは詰みね」
「いやいや…………ふう、参りました。では、おれはこれで……」
「待ちなさい」
「待ちません!」
「絶対服従」
「…………はい」
「よろしい。じゃあ、まずは遅めのランチでも作ってもらおうかしら。久しぶりのあんたの料理、楽しみにしてるわ」
「……別にそれくらいだったら言われればいつでもやるぞ?」
「……もっとキツイ命令がよかったかしら」
「滅相もございません!」

「……今日は長いわよ。楽しみにしておきなさい」




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致死疾病─Despair.-4

 テレジアは、善い人だと思う。

 

 彼女はいつだって、おれたちサルカズ全員の幸せを願っていた。こんな、おれやΩのようなただの傭兵ごときの名前すらも憶えていたように、何の比喩でもなく全員の。

 そんな途方もない、信じられないようなことを心の底から願っていた彼女は、間違いなく善い人だ。

 生きるためにおれたち傭兵が躊躇いもなく敵を殺す横で、彼女は少し悲しそうに眼を伏せ、けれども毅然として前を向きなおす。その強さが、優しさが眩しかった。彼女のために戦っていることが誇りに思えてくるような、そんな力がテレジアにはあった。

 けれども、おれはなぜだか彼女を信じ切れなかった。盲目的になり切れなかったといったほうがいいだろうか。

 それが傭兵の性なのかもしれない。あまりにも綺麗すぎるものに、拒絶反応を示したのかもしれない。理由は何でもいい。とにかく、おれは常にテレジアのことを意識の片隅で警戒していたのだ。……それこそ、今回のことすら何一つ伝えなかったほどに。

 

 果たして、おれの勘は正しかったのだろうか。

 目の前で微笑をたたえるテレジアと、意識を失って倒れ伏すドクター。これまでの前提が全てひっくり返るようなそんな光景を前に、おれは必死に頭を働かせる。

 彼女は「これであなたの疑問にも答えられる」と言っていた。それはつまり、ドクターには聞かせられない話ができるようになったということだ。

 彼は先ほど、自分自身とテレジアの身柄を引き渡すと言っていた。ならば、そうではないということは、彼に聞かせられる話ではないだろう。おれが実際のその結果を見てきたということを悟られぬよう、テレジアに問う。

 

「……つまり、身柄をテレシスに渡す気はないと?」

「ふふっ!」

 

 彼女は、笑った。

 

「……ああ、ごめんなさい。随分回りくどい言い方をするものだから、思わず笑ってしまったわ」

 

 身体が震える。

 ……おれは、十分警戒をしていたつもりだった。けど、それはあまりにも甘すぎたのかもしれない。

 

「W。あなたが聞きたいのは、どうして私とドクターがこの部屋で()()()()()のか、でしょう?」

 

 目の前にいるのは、規格外の怪物だというのに。

 

「な……にを……」

 

 そうして、咄嗟に疑問の声を挙げられただけでも上出来と言えるだろう。

 倒れていた。テレジアは、そう言った。倒れることになる、ではなく、過去形で倒れていたと。

 そこに考えが至った瞬間、これまでの彼女の言動が蘇ってくる。おれに対して、テレジアは先ほどから何か含みのある言葉を言ってはいなかっただろうか。

「あなたがここにいるのはおかしなことではないわ。……寧ろ、必然というべきなのかもしれないわね」

「いいの。……彼には、知る権利があるわ」

 何が必然なのか、何が権利があるなのか。おれはドクターに意識を向けるあまり、そうした彼女の言葉へと注意を払えていなかった。けれども、今となってはそれらが大きな意味を持ってくる。

 

 もしそれが、テレジアが()()()()()を知っているが故の言葉だったとしたら?

 

「初めてあなたのことを視たとき、驚いたわ。だって、同じような光景が幾度となく繰り返されているのだもの。……まるで、時間が巻き戻っているかのように」

「……っ!」

 

 寸分違わず核心を貫いてきた彼女に対して、言葉を返すことができない。知られている。おれがこれまであいつ以外の誰にも言ってこなかった秘密を、巻き戻りの事を。

 ……落ち着け。知られたことはどうしようもできない。問題は、なぜ知られたかということだ。おれは、このことを誰にも、特に三人には知られる訳には行かないと思っていた。だから、ロドス艦内ではあいつとこの話をしたことは無い。現に、三人の中の一人であるケルシー先生はおれに疑念を抱いていたとはいえ、それを巻き戻りだとは認識していなかった。あくまで、彼女の膨大な知識の範疇で有り得る可能性を考えていただけだ。

 だが、テレジアはケルシー先生のような疑念ではなく、確信を抱いている。彼女ら二人の知り得ることに、そこまで大きな差があるようには見受けられない。むしろ、ケルシー先生の方がその量は多いように思う。ならば、その差を生み出すのは……サルカズであるか否か、か?

 ……そうだ。サルカズだ。前に、彼女がうわ言のように呟いていた。

 魔王。

 サルカズは、他種族から魔族と呼ばれることがある。おれたちの誰もがそれを不愉快に思っているが、それはこの際どうでもいい。

 サルカズの王、すなわち魔族の王、魔王。

 普段は彼女のことを名前で呼ぶケルシー先生が、このような物言いをしたのには必ず理由があるはずだ。

 

 例えば、魔王とは呼称ではなく、実態を伴った”何か”だとしたら。

 

 テレジアの持つ何か。それを探るヒントならある。

 つい先程、彼女はおれのことを見て驚いたと言った。視覚情報で驚くというのは、見知った顔であったとか、何か外見に纏わる要素があっての事のはずだ。しかし、その見たという言葉に続いたのは、同じような光景が繰り返されるという事象。これでは辻褄が合わない。

 同じ光景を繰り返してみているのは、おれのはずだ。テレジアではない。

 だから。彼女の言う、みたというのは。視覚的、光学的な情報ではなく。おれの頭の中にあるものなのではないか?

 

 しばらくの沈黙の後、おれは口を開く。

 

「……記憶を覗き見ることが出来る。魔王とはそういうものなのか、テレジア」

「……ええ。そういうこともできるわ」

 

 おれの仮定に仮定を重ねた言葉に、あっさりと肯定が返ってくる。まるでなんてことはないようなその返答は、それ以上もあるという含みすら持っていて、おれは完全に彼女に太刀打ちできないことを悟った。

 ブラフという線もあるが、少なくとも記憶を読める、またはそれに準ずる能力があるという点においては現状からして認めざるを得ない。どのような条件で記憶を読めるのか、どこまで視ているのかなど、まだ不明な点はあるが、相手が相手なだけに最悪を考えた方がいいだろう。

 事ここに至っては、もはやおれにはどうすることもできない。だから、問う。

 

「……あなたは、おれに何を求めているんだ」

「W。あなたとは、一度きちんと話しておきたかったの。きっと、それがお互いのためになるわ」

 

 お互いのため。それがどういう意味なのか、おれにはまだわからない。けれども、一つ確かなのはこの期に及んでも、テレジアが求めているのは会話だということだ。先ほどまでの神経をすり減らすような応酬はもはや必要ない。こちらの手札は開示されきっている。ならば、いっそのこと開き直ってしまった方が彼女の求める会話とやらになるだろうか。

 

「……なら、どうしてドクターを刺し、自分の首を刎ねるようなことをしようとしているんだ?」

「……そうね」

 

 もう遠慮は一切しない。する必要がない。だからこそ、一直線に最短距離で切り込む。

 そもそもの、今回のことの最大の謎。先ほどのドクターとの問答で、降伏交渉が水面下で動いていたことは理解した。具体的な条件が、二人の身柄の受け渡しだということも。

 だというのに、それを反故にするかのようにテレジアはドクターを害し、自死した。共謀していたドクターすら知らない、彼女だけの思惑に基づいたこの行動は一体なぜ、どうして行われたのか。

 

「……一言で言ってしまえば、ドクターのためよ」

「ドクターの……?」

「ええ。……もっと言えば、ケルシーのため、かしら」

 

 頭の中を疑問符が飛び回る。彼女の行いのためにドクターは瀕死になり、ケルシー先生は何も知らされぬまま独りになるわけだが、それの何が彼らのためになるのだろうか。

 そんなおれの訝しげな様子は、どうやら彼女にも伝わったらしい。小さく笑ってから、テレジアは語りだす。

 

「少し、話を整理しましょうか。W、あなたはなぜドクターがあのような条件で和平交渉を進めていたかは分かっているかしら?」

「……ケルシー先生を守るため、か?」

「……流石に、わかってしまうわよね」

 

 先ほどの会話の中で感じたこと。彼女が交渉から排除されていたのは、その身を守るためではないかということ。その推測は、果たして間違ってはいなかったらしい。その行動が完全なる感情の産物なのか、はたまたケルシー先生ならばこの後の組織運営を行っていけるという計算も含まれているのかはわからないが、おれとしては後者の理由からそう悪くはない選択だと思う。

 だが、一つ疑問は残る。それは、ドクターまで必要だったのかということだ。

 身も蓋もない話ではあるが、テレジアの身柄を引き渡すことは、和平には必要不可欠なことだろう。なぜなら、彼女を失った瞬間、バベルは内戦に介入する名目を失うからだ。だが、今回の降伏でドクターまで必要かと言われると、疑問符がつく。これが仮にバベルの無条件降伏だとしたら、彼のような軍事指導者は勝者の論理に基づき処分されることだろう。しかしながら、今回の戦況は表向き互角で、テレシス陣営には外部勢力に介入されないうちに内戦を終わらせなければいけないという制約まである。この情勢下で、果たしてこちらが相手の過大な要求を呑む理由があるのだろうか?

 

「……だが、それにしてもこちらが譲歩しすぎだろう」

「そう思うのも尤もよね。……けれども、カズデルの歴史を考えれば、おかしなことではないの」

「歴史?……それは…………」

 

 おれの知っているカズデルの歴史など、ほとんどないに等しい。しいて言うなら隊長に少し聞いたことがあるくらいだ。テレジアたちが先頭に立って戦いに挑んだ、と。

 

「あなたのような、若いサルカズは恐らく知らないでしょうね。……カズデルは、幾度となく灰の中から蘇り、その度に灰燼に帰すことを繰り返してきたわ。前回、カズデルが再び興ったのは200年前」

 

 200年前。言葉にしてしまえばそれだけだが、途方もない時間だ。それこそ、乱世が強力な中央集権国家体制に変貌するほどの。隊長やテレジアが戦った時代は昔のことだろうとは思っていたが、それにしても驚いた。特に彼女は、その内面はともかく外面からはそこまでの時間の経過を感じられない。長命なサルカズとはいえ、だ。

 そんな思考を繰り広げるおれの前で、テレジアは目を閉じる。その瞼の裏には、200年前のことが浮かんできているのだろうか。

 

「……彼らは、勇敢に戦ったわ。ヴィクトリアの蒸気騎士に、リターニアの術師に、ガリアの巨砲に、その身を粉にして立ち向かって……そして、敗れたの。圧倒的な戦力を有した連合軍と、それを率いる……ケルシーの前に」

「!?」

「……わかったかしら、W。テレシスと、その側に立つ者たちが彼女をどう思っているのか」

 

 突然投げ込まれた衝撃的な事実に、一瞬頭がフリーズする。

 ケルシー先生が、かつて、200年前にカズデルを滅ぼした?そのころから彼女がいたということを横に置いたとしても、彼女がそのようなことをしたということが信じられない。今の、テレジアと同じ側に立っている彼女しか知らないために。

 だとすれば、テレジアは一度自分たちを滅ぼした相手と共にバベルを立ち上げたということになる。一体、そこに至るまでにどれほどのことがあったのだろうか。ケルシー先生のことだ、かつての行動にも、何かおれの思いも及ばないような深謀遠慮があったのかもしれない。テレジアにしても、何か感じ入るところがあったのかもしれない。だとしても、敢えて単純化してしまえば加害者と被害者が手を取り同じ方向を向いているということに、おれは驚嘆の意を感じざるを得ない。

 恨みはそう簡単に晴れるものではない。そのことを、彼女の言うようにテレシスたちがまさに体現しているのだ。かつてカズデルを滅ぼした諸国への軍事的な復讐を。

 しかし、過去の出来事を耳にしたことでわかったことがある。

 

「……それじゃあ、ドクターは贄になろうとしたのか?それも、自分から」

 

 ケルシー先生と行動を共にしていることからわかるように、テレジアは改革派に属すのだろう。であれば、テレシス側についているのは主流派、すなわち200年前の恨みを強く持った者たちになる。そんな奴らが、復讐を果たす絶好の機会を逃すだろうか。答えは当然ながら否だ。

 だからこそ、彼女の代わりが、生贄が必要だった。彼は、それに自分自身を選んだ。もしかすれば、自分が犠牲になることがケルシー先生を苦しめることになり、それで留飲を下げることができる、そんなことすら嘯いたのかもしれない。現実に交渉がテレジアと彼の身柄の引き渡しで落ち着いたことが、敵陣営がそれで納得ないし妥協したということを示していた。

 

「……それが、彼の考えだったのよ。例えケルシーに恨まれようとも私と、そして自分自身とを使って彼女を守ろうとした。……少し、妬けてしまうわよね」

 

 少しだけ、彼女は寂しそうな、困ったような、そんな顔をした。そこに秘められた複雑な感情を垣間見て、おれは何も言えなくなる。

 そんなこちらを尻目に、彼女は言葉を続けた。

 

「ごめんなさい、話が逸れてしまったわ。……確かに、ドクターが選んだこの方法なら、ケルシーとバベルは無事に守ることができると思うわ。彼女さえ残っていれば、私とドクターが居なくなった時点でカズデルを去ることを選べるはずだもの。……けれども、W。それではあまりにも救いがないとは思わない?」

「……恐らくドクターは処刑され、ケルシー先生は事態を引き起こした彼を恨み、それを防げなかった自分を責め、喪失感に喘ぐ。……テレシスたちが知れば、さぞかし胸がすく思いだろうな」

 

 なるほど、確かに救いがない。特に、ケルシー先生にとって。ドクターにとっても、自分の命を賭してまで守りたかったものがそうなってしまったのなら、なおのこと。

 

「……そもそも、この内戦は私が始めたようなものでしょう?……だから、責を負うのは私だけで十分だわ」

 

 そう、テレジアは呟くように言った。

 ……少し、わかったような気がする。バベルにやって来た時から思っていたこと。彼女も、ドクターも、ケルシー先生も。一見すると大きな理念や計画のように動いているように見えて、それも確かに一つの事実ではあるのだろうけど、実際のところは酷く小さなもの、目の前の人を思いやるような、そんな行動原理を持ってもいる。

 サルカズの自由と幸せを願う彼女は、しかし身近な存在の幸せもまた願っている。大のために小を犠牲にするのでもなく、小事のために大事を損なうでもなく、両方を得ようとしている。

 ともすれば傲慢だろう。けれども、それを貫き通すところが彼らの強さであり、人を惹きつける魅力でもあるのだ。

 

 それと同時に、彼女が言った言葉の意味もわかってきた。ドクターを刺し、自死したのは彼らのためだという言葉だ。

 何がどうなって彼らのためになるのかはわからない。けれども、テレジアはどうしようもない未来に、せめてもの救いをもたらそうとしたのではないか。

 

「……結局のところ、彼らが求めているのは私のことよ。その生死は問わずしてね。ドクターに関しては、厄介な敵が消えればいいというだけ」

「……ドクターはあのままでは遠からず死ぬぞ」

「ケルシーがいれば問題ないわ」

 

 問題ない。つまりドクターは、普通なら死ぬあの状態から助かるということか。彼の物理強度は至って平凡なはずだが、ケルシー先生には何か手があるのだろうか。はたまた、ドクターにはまだ秘密があるのだろうか。

 一つ何かを知る度に、一つ何か新しい謎が生じる。この期に及んでも、その構造は変わらないらしい。だが、別におれは全てを知りたいわけじゃない。知りたいことだけ知ることが出来れば、それでいい。

 聞くべきことは、まだある。

 

「……だが、どちらにせよ交渉に当たっていた二人が行動不能になることには違いない。むしろテレジア、あなたが死んだら誰が交渉内容が、結んだ和平協定が履行されることを見届けるんだ?」

 

 身柄を引き渡す、ということであれば。ドクターはさておき、テレジアは特大の源石爆弾のようなものだ。彼女のことを粗末に扱うことの出来るサルカズなどいないだろうし、うっかり爆発させれば相応の被害が待っていることだろう。だから、生きて彼女を引き渡すことは軍事委員会側に協定を履行させる、一種の圧力になり得た。

 しかし、死んでしまったのならば。もはや、その圧力は存在しないのでは無いか。そのうえで協定が履行されると考えるのは、あまりに楽観的すぎやしないか。

 おれのそんな問いかけに、彼女は笑みをもって応える。

 

「……巫術があるわ。知っての通り、サルカズには死と結びついた古いアーツがあるもの。あなたのそれは、違うようだけれど……」

「……巫術」

 

 その可能性は考えていた。おれも詳しくは知らないが、特に古いサルカズには巫術の使い手がいる。200年前から生きている彼女ならば、使えてもおかしくはない。死に結び付いたということは、テレジアの死を以て発動するようなアーツなのだろう。ケルシー先生が言っていたが、オリジニウムアーツには何らかの残留物が付随するらしい。それをうまく用いたのが巫術なのだろうか。

 だが、それよりも今の彼女の言葉には聞き逃せない部分があった。それは、おれの巻き戻りは巫術ではないと言ったことだ。この現象は、死と密接に関わっている。テレジアもそのことは視ている筈だ。

 にもかかわらず、彼女は違うようだといった。サルカズの王族という、おそらく巫術についての知識はトップクラスであろう彼女が言うのだからそうなのだろう。ここにきて嘘をつく理由も見当たらない。……結局、テレジアでもわからずじまい、か。

 

 ……だが、これで今回おこった出来事については凡そわかった。

 すべてのきっかけは、内戦終結のための和平交渉だ。思えば、直近の情勢は小競り合いが起こる程度で、大規模な戦闘は起こっていなかった。これが和平の前段階としての停戦状態だったのかもしれない。

 この、ドクターが主導して行われた水面下での交渉の結果、詳しいその他の条項はわからないにしろ、彼とテレジア、二人の身柄を引き渡すことになった。

 しかしながらテレジアはこの条項を不服とし、テレシスは彼女の遺体を回収することとドクターの排除でも妥協すると判断、彼の死亡を偽装し、自らは巫術の使用のために自死した、ということなのだろう。

 こうして事象だけを並べてしまうと、ドクターは交渉でテレジアを犠牲にすることを是としていて、テレジアもまた交渉を無碍にしているなど、どうしてこうなったのかとしか言いようがない。

 ……けれども、その裏にある両者の心情について慮ると、おれは何も言えなくなってしまう。

 ドクターは、ケルシー先生のことを想って行動していた。そして、そのために自分と、そしてテレジアまでも犠牲にする決断を下した。それに彼が罪悪感を抱いていたのは、間違いない。

 テレジアは、二人のことを想って行動していた。自分だけが犠牲になることで、二人のことを救おうとした。かつては敵だったケルシー先生と、それと懇ろでかつ自身も複雑な感情を抱いていたであろうドクター。その二人のために身を捧げる裏で、一体どんな感情が渦巻いているのだろうか、おれには知る由がない。

 

 おれは、今回のことでバベルが崩壊することを危惧していた。おれとあいつの、居場所であったこの場所が無くなることを。

 だから、そのためにケルシー先生に連絡を取った。これから起こる悲劇を未然に防ごうとした。

 けれども、果たしてそれは正しかったのだろうか。ほとんど部外者であるようなおれが、彼らが悩んで、苦しんで下した決断を、何もかも知ったような気になって台無しにしてしまったのではないか。今となってはもう遅いが、そんな考えが頭をよぎる。

 

「……テレジア。結局、なぜあなたはおれにこんなことを教えたんだ」

 

 知ってしまったからこそ、考えてしまう。おれの行動は、一体どこにまで影響を及ぼしているのだろうと。ずっとわかっていたはずのことが、今更になって。

 視てきたからこそ、彼女はわかっているだろう。おれがこれまで、何をしてきたか。どれだけの時間を繰り返し、未来を自分の望むように捻じ曲げてきたか。

 

「それは……せめて、一人くらいには知っていて欲しかったの。本当は、何があったのかを」

 

 だが、返ってきた言葉は、おれの想像していたものではなかった。

 

「?……どういう……」

「……そろそろ、時間ね」

 

 思わず口をついたおれの疑問をよそに、テレジアは立ち上がる。そのまま出入口へ向かうと、扉を開けて、その向こう側に向かって言葉を投げかけた。

 

「──アーミヤ。もう、入ってきても大丈夫よ」

「は、はい……」

「っ!」

 

 ……まずい。ドクターとテレジアのことで頭がいっぱいで、アーミヤのことを完全に失念していた。これは……彼女にも、聞かれたのだろうか。

 思わずおれがテレジアに視線を向けると、彼女は小さく首を横に振った。

 

「この部屋は防音になっているわ。それに、他の誰にも伝えてはいない……と言っても、信じてくれるかはあなた次第だけれど……」

「…………」

 

 おれの視線の意図を正しく読み取った彼女が、そう告げる。

 ……テレジアのことを信じられるかどうか。彼女のこれまでの言葉は、真実であったように思う。その想いも、行動も、紛れもなく真心からのものだと感じた。今の言葉だって、おそらくは。

 しかし、だったらなぜ、おれは彼女を警戒していたのだろうか。

 そんな考えに沈むおれの前で、テレジアはドクターの傍にしゃがみ込む。彼を見下ろすような恰好の彼女は、意識を失って閉じられた彼の瞼を開き、その瞳を覗き込んだ。

 

 ……待て。

 テレジアのさっきの言葉は何だった?

「せめて、一人くらいには知っていて欲しかったの」 

 ……一人くらい。ドクターは気絶していて、おれと彼女が交わした会話を知らない。だから、おれ一人だけが本当は何があったかを知っている、そういうことかと思った。だが、おれが聞いたのはほとんどがドクターも知っている話で、彼は知らない部分も、彼自身に降りかかった出来事からわかるようなことだ。少なくとも、ドクターの頭脳で本当のことを導き出せないわけがない。

 ……おれは彼女を警戒していたといった。その中で、特に気がかりだったことがある。

 ──彼女の眼を見るのが、妙に嫌だった。思えば、今日覚悟を決めるまで、目線を合わせないようにしていたのではないか。それは、こちらの心根を見透かされるのが嫌だったからだったのかもしれない。けれどもおれの勘は、傭兵の勘は、馬鹿にできる物じゃない。

 テレジアの持つ魔王は、記憶を読むこと()できると彼女は言った。記憶を読むということは、こちらの頭の中に何らかの形で干渉しているということ。ならば、ならば。

 

 より強く干渉すれば、記憶を操作することもできるのではないか?

 

「っ、テレジア!ドクターの記憶を……」

「W。あなたに一つ忠告しておくわ。……あなたの持つ力は素晴らしいものよ。けれども、人にできることには限りがある。何でも、すべてを思い通りにすることなんて決してできないわ。……だから、W。どうか、あなたの一番大切なもののためにその力を使って」

 

 テレジアは、腕の中に抱いたアーミヤに何事かを囁く。ピンと伸びた耳が小さく縦に揺れ、彼女が微笑み──

 ──そこからの光景は、スローモーションのようにゆっくりと見えた。

 

 いつの間にかテレジアの手の中にあった青く輝く漆黒の剣が、ロドス・アイランドの外壁を切り裂く。おれは、その後に起こることを予期し、どうにか止めるべく柄に手をかけ、一気に抜き放つ。数瞬以上遅れたその剣先は、虚しく空を切り、ドクターから朱い鮮血が噴出した。

 

「Mon3tr!!」

 

 アーミヤの入室後、再び閉ざされた扉の向こうからケルシー先生の叫び声が聞こえる。同時に聞こえてきた獣の唸り声と破壊音はしかし、あまりにも遅すぎた。

 穏やかな表情のまま、テレジアは自身の首に沿わせた剣を引き絞る。頭部が刎ね飛んで高速で流れる風景に消えてゆき、次いで頭を失った胴体が背後に向かって倒れこんでいく。ふと、何か黒く輝くものが、アーミヤに吸い込まれたような気がした。

 ゆっくりだった景色が、元の速さに戻る。残されたのは、刀を抜き放ったおれと。血まみれのドクターと、返り血で赤く染まったアーミヤ。

 

「っ、テレジ……ア……?」

 

 粉塵をかき分け、ケルシー先生が議長室に飛び込んできたころには、全てが終わっていた。

 

「っ、ドクター!…………よかった……W!」

「……ケルシー先生」

「君は!……いや、君ではないな。なら誰が……」

 

 そう言ってからドクターを手当する彼女を見ながら、思う。

 テレジアの最後の言葉。あれはやはり、おれにこう言いたかったのだ。

 余計なことはするな、と。

 遺体はどうなったのだろうか。前回に出会ったあのサルカズあたりが、無事に回収したのだろうか。それとも、エリートオペレーターたちが防ぎきってしまっただろうか。

 ……おれのせいだ。おれのせいで、テレシスがバベルから手を引くという確証は得られなくなった。テレジアとドクターが文字通り命がけで描いた筋道を、おれが考えなしに踏みにじってしまった。

 ……でも、もう振り返るわけにはいかない。言われてしまったんだ、テレジアに。一番大切なもの。あいつの、Ωのために力を使えと。だから、ここで落ち込んでいる暇はない。

 

「……何があった?」

 

 手当が終わったのか、ケルシー先生が声を掛けてくる。

 ……何があったか、か。思えば、色々なことがあった。けれども、今のおれに言えるのはこれだけだ。

 

「……テレジアは、死にました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……噓だろ?」

 

 気が付くと、おれは調理場の一角にいた。

 動悸が早くなっていく。吐く息が、震えているのがわかる。

 おれは、恐る恐る時間を見た。

 4時27分。日付は……今日の朝だ。

 

「……戻った」

 

 まだ時間じゃなかったはずだ。ちゃんと伝えておいたはずだ。

 それなのにまた、あいつが死んだ。

 脳裏にテレジアの言葉が蘇ってくる。

 ……おれは、どうするべきだろうか。遠くから近づいてくるSteam02の駆動音は、まるでおれに選択を迫っているかのようだった。

 

 

 

 

 




音声記録No.10223385

「……さて、何を買おうかしら」
「金払うのはおれだけどな」
「なるべく高いのを選んであげるから、安心してちょうだい」
「安心できる要素はどこだ?」

「……何だかんだ、購買エリアも賑やかになってきたわね」
「……まあ、難民の収容も増えたしな。やっぱり人口は経済に直結するってことだ」
「ふーん。ま、買う側からしたら物の種類が増えてありがたいわね」
「だな。お、民芸品の類もあるぞ。こういうのも出回るのか」
「…………」
「ん?……お兄さん、こいつを貰ってもいいか?」
「!……ちょっと、何も言ってないじゃない!」
「いや、物欲しそうに見てただろ?」
「……別に。第一、そういうのはあたしには似合わないわよ」
「……おれは……似合うと思うけどな」
「…………」
「…………」
「……はあ。あんたがどうしてもって言うんなら貰ってあげるわ」
「……じゃあ、これ」
「ありがと。……………………どう?」
「!……なんだ、その……綺麗、だな」
「……ふん」

「……あの、お客さん、そろそろ…………」
「「!!」」







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致死疾病─Despair.-5

 また、戻ってしまった。あいつが、知らないどこかで死んでしまった。

 そのことが、いつになく重苦しく胸に突き刺さる。

 おれはつい先ほど、取り返しのつかないことをしてしまった。ドクターやテレジアの覚悟を無駄にしてしまった。

 だというのに、それがなかったことになった。……おれが、みすみすあいつを死なせてしまったために。

 彼女は、ここまで読んでいたのだろうか。その上で、あんな忠告をおれに残したのだろうか。

 ……一番大切なもののために力を使う。

 おれにとって、バベルはいつの間にか大切な居場所になっていて。オペレーターの面々やケルシー先生、テレジア、そしてドクターだって、みな大切な人たちだ。

 けれども。それよりも、何よりも大切なのは。幸せにしたいのは。やっぱり、あいつなんだ。

 おれの身に起こっているこの現象は、この力は、未だによくわからないけれども、一つだけわかったことがある。テレジアの言うように、きっとこれはあいつのための力なんだ。そのためだけに使うべきものなんだ。

 どんな力があったとしても、人のできることには限りがある。その言葉はきっと、彼女自身にも向けられた言葉だ。魔王を持つ彼女でも、内戦に勝利することはできなかった。その中で彼女は、自分の全てを使って自分にできる精一杯をやった。

 翻っておれはどうだろうか。おれにできる精一杯は、なんだろうか。……おれはそれを、選ばなければならない。今度は知らなかったでは済まされない。自分自身で、彼女らと同じように苦虫を嚙み潰しながら決断しなければならない。

 おれは。おれの、選択は。

 

『オーナー。お早いお目覚めですね』

「……02。クロージャと連絡は取れるか?」

 

 

 

 寝起きのクロージャは、前回と同じく不機嫌だった。

 

「……こんな時間にあたしを起こす用ってなに?警報システムは何も……」

「クロージャ、ドクターの狙いがわかった。それについて話をしたい」

「ええ!?」

 

 おれはこの前、ここでケルシー先生に連絡をとった。あいつも、テレジアも、02も、誰一人死なせまいと思っていた。

 彼女に連絡を取ったことで、付近のオペレーターたちは作戦を中断しロドス・アイランドに集結した。その動きは恐らく、テレシス側にも知られたと考えていい。

 ……その結果、というべきなのだろう。あいつは、襲撃があることを知っていたのにも関わらず1時間以上早く死んだ。身を隠す、逃げることに注力すれば並大抵のことではやられないはずのあいつが。

 ……だから、おれは。

 

「──テレジアに、連絡を取ってくれ」

「テレジアに?何でまた……」

「それに関して、彼女と話さなければならないことがあるんだ。……頼む、大事なことなんだよ」

「……わかった。ちょっと待ってて」

 

 今回、彼女はケルシー先生から依頼されてドクターの監視をしている。そこでおれがテレジアと連絡を取りたいと言えば、なぜここで彼女が出てくるのか疑問に思うのは当然だろう。

 けれども、これは必要なことなんだ。これからおれがやろうとしていることを正当化するために。……そして何より、けじめをつけるために。

 

『……クロージャ?』

「W。繋がったよ」

『あら?』

「……ありがとう、クロージャ」

 

 彼女に変わって、おれは通信装置の前に立つ。

 目の前に映る、まだ生きているテレジア。その表情はつい先程死んだテレジアと同じで穏やかだ。

 

「……すみません、テレジア。こんな時間に」

『気にしないでいいわ。それで、W。用事は何かしら?』

「……おれのこと、視えていますか?」

『…………ええ』

 

 画面越しの彼女が、ゆっくりと頷く。

 それで、おれは前回のことまで彼女が読んだことがわかった。

 ならば、ここで告げよう。おれの選択を。

 

「……おれは、バベルのことを大事な居場所だと思っています。とても大切な……例えるなら、家のような場所だと」

『……!』

「だから、そこにいる人たちのことも、大切だと思っています。ScoutやAce、クロージャ、02、エシオさん、それにテレジア、あなたのことだって……」

 

 そこまで言って、言葉が途切れる。口にすると、それがどんなに得難く、どんなにかけがえのないものなのかが実感として湧いてきてしまう。

 これまで過ごしてきた日々が、いつの間にか積み重なって思い出となっていた。それは温かくて、きらきらと輝いていて、バベルが、彼らが、きっと守ろうとしてきたものと同じものなのだろう。

 ……けれども。それらは大切ではあっても、一番ではない。

 

「……けれども、おれはそれらの何よりも、誰よりも。……あいつの、Ωのことが一番大切なんです」

 

 脳裏に浮かぶ、あいつの姿形。さらさらの銀糸、少し高めの体温、生意気な態度、憎まれ口、あっけらかんと笑う姿、飯ができるのを待つきらきらとした琥珀色の瞳、食べているときの緩み切った顔、時折向けられる温かな眼差し。その何もかもが、おれにとって一等大切で、決して失いたくないものなんだ。

 

「……だから、テレジア。どうか、おれがあいつのところに行くことを許してください。……おれが、あいつを選ぶことを許してください」

 

 バベルとあいつ。どちらも大切だけれど、どちらかを選べと言われたら。おれは、あいつを選ぶ。……いや、選んだんだ。

 おれは知っている。ここでおれがΩのところに行くことによって、バベルが崩壊することを。知っていながら、おれはそれを見過ごす。その犠牲を良しとする。

 ……おれはやっと、ドクターやテレジアの痛みがわかった気がした。そして、彼が間違いなくテレジアへ罪悪感を抱いたであろうということも。

 

 今回、おれはケルシー先生からの指示を受けて、ドクターからの指示に背いている。この状況で、おれが合法的にあいつのところに行くためには、権限の拮抗したテレジアからの指示が必要不可欠だ。

 ……バベルは崩壊するだろうけれども、おれも、Ωも、ドクターも、ケルシー先生も、そしてバベルの面々だって、それぞれの人生は続いていく。あいつを助けて終わりではない。おれは、あいつを幸せにしたいんだ。だから、この局面で命令違反をした裏切者候補になるわけにはいかない。

 だからこそ、おれはテレジアに許可を求める。

 ……そして、許しを請う。おれが、バベルを選ばなかったことを。彼女はきっと、それでいいというのだろう。だから、これはただのけじめだ。選んだことに対して責任を負うという。

 

『W』

 

 テレジアがおれの名前を呼ぶ。

 

『私は……この、ロドス・アイランドという船が家であってほしいと願っていたの。……よかった。この船は、あなたの家になれたのね』

「……ええ。テレジア。確かにここは、おれたちの家でした」

『……いいえ、W。この船の旅はまだ始まったばかりよ。仮に出て行ってしまったとしても、家は家だもの。……いつか、辛いことがあったとき。あなたには帰ってこれる場所があるわ。それって、とっても素敵なことでしょう?』

 

 ……そういえば、この船の名前は彼女が付けたのだった。それも、ドクターとケルシー先生の反対を押し切って。いつだったか彼女は言っていた。名前には、想いが込められていると。

 テレジアの名前に託した想い。それは、ここが誰かの家であってほしいという願い。

 ……彼女は、言っているのだ。もしバベルが崩れたとしても、ロドスは残る。彼女の願いを載せたまま、この冷たい大地に温かさをもたらすものとして走り続ける。そのことを、覚えていてほしいと。

 

『……私はここで私にできることをするわ。例えば、あなたへの正式な業務命令書を作ったりね。……だから、あなたはあなたにしかできないことをして』

「…………はい」

 

 おれには、そう返事をすることしかできない。

 そんなこちらの様子を見て、テレジアは柔らかに微笑む。いつものように、いや、いつも以上の暖かさと共に。

 まるで、我が子を送り出す母親のように彼女は言う。

 

『……W。行ってらっしゃい』

「…………行ってきます、テレジア」

 

 その言葉を最後に、通信が終わる。おれが失敗しない限り、もう彼女の声を聞くことはないだろう。

 ……思えば、テレジアは最初から最後までおれたちの幸せだけを願っていた。ドクターの記憶を消したのだって、そのためなのではないだろうか。

 実際のところはわからない。けれども、もしドクターが全てを覚えていたら。彼は、一度ケルシー先生を裏切ったという事実と、テレジアを犠牲にしたという罪悪感の両方を抱えたまま生きていかねばならない。彼女もまた、そのような行動に出た彼に、愛憎入り混じった気持ちしかもはや持てなくなってしまっていただろう。

 けれども、記憶が無くなったことでドクターはそれらの二つを自身の実感として持たずに済む。彼女もまた、新しいドクターのことを受け入れられる日がいつか来るかもしれない。そんな風に思ってしまう。

 やっぱり、そんなテレジアを警戒する必要など、本当はなかったのかもしれない。

 ……いや、そんなことを考えるのは止そう。もし彼女の願う幸せとおれの求める幸せが違ったとしたら、あの魔王がおれに向けられた可能性だってある。苦しみながらも、それをできるのが彼女だ。

 過去も、可能性も、振り返る必要はない。今はただ、テレジアが背中を押してくれた、その事実だけを胸に前に進めばいい。

 そう、思った時だった。後ろから、疑念に満ちた声がかけられる。

 

「……W、どういうこと?君はさっき、あたしにドクターのことでテレジアと話したいって言ったよね?」

「……クロージャ」

「テレジアとしてた話もまるで意味がわからないし、ちゃんと説明してよ」

 

 ……こうなるのは、当然のことだと思う。すべてを知った上で話していたおれとテレジアに対して、クロージャは何も知らない。この後に起こることなど、知る由もない。

 けれども、彼女にそれらを教えるわけにはいかない。そうすれば、きっとテレジアを助けようとしてしまうから。

 

「……すまない。だが、ドクターについては大丈夫だ。あのドクターが、ケルシー先生のことを愛してやまない彼が、彼女のためにならないようなことをするわけないだろう?」

 

 そう言って、おどけて見せる。何の根拠も示さず、大丈夫だということしかおれにはできないから。

 ……最も、これに関しては一点の曇りもない事実ではあるのだけれど。

 

「……言うつもりはないんだ」

「……すまない。だけど、大丈夫だというのは本当のことだ。……テレジアも言っていただろう?自分にできることをするって。彼女がいれば、何も問題はない」

「…………」

「……クロージャ。おれは……行かなくちゃいけないんだ。あいつのところへ。でないと、失ってしまうから。……おれの好きな人を、幸せにしたい人を、一番大切な人を」

 

 おれの言葉を聞いて、彼女は少し驚いた顔をする。

 

「それって……Ωのこと、だよね?」

「ああ」

「そっか。君は…………ああ、もう!わかったよ!」

 

 そう叫ぶと、クロージャは端末の方に向かって何事かを入力し始めた。

 キーボードの打鍵音とともに、独り言のような言葉が聞こえてくる。

 

「……何だかさ、君までケルシーみたいな事をしだしちゃってさ。みんな一人で抱え込みすぎだよ」

「…………」

「……いつになったらちゃんと話してくれるんだろね、ほんと」

 

 いつになったら、か。テレジアにその機会は永遠に訪れず、ドクターもまた抱え込んでいた全てを忘れてしまうのだろう。そして、残されたケルシー先生は……きっと、何も言わないのだろうな。

 だから。せめて、おれくらいは。

 

「……話すよ。全部終わって、ここに帰ってきたら」

「……はいはい。──えっ!?今言ったよね!?話すって!」

「ああ、言った。……だからクロージャ、ロドスのことは任せたぞ」

 

 勢いよく振り返った紅い瞳を見つめながら、告げる。

 この船のことを誰よりも知っているのが彼女だ。彼女に任せておけばこのロドスは、テレジアの想いは、決して潰えることは無い。

 ……少しだけ、沈黙の時間が流れた。やがてクロージャは目を閉じ、そして見開く。

 

「……ロドス・アイランドのことは、このクロージャさんに任せといて!……だから君は、愛しのお姫様を助けに行ってあげなよ。予備の車両も使えるようにしといたからさ」

「……ありがとう、クロージャ」

「……あ、もちろん帰ってきたら両方ともたっぷり話を聞かせてもらうからね!」

 

 両方とも、とは今回のこととΩとのことの両方ということだろうか。相変わらず、がめついというかなんというか。

 でも、色々してもらったことだし、まあそれくらいはいいだろう。おれは苦笑いと共に返事をする。

 

「わかったよ。……それじゃ、行ってくる」

「気を付けてねー」

『オーナー、いってらっしゃいませ。わたくしもここでお待ちしております』

「02も、ありがとう。……また一緒に料理しような」

『ええ。その時は、ぜひΩ様もご一緒に』

「……そうだな。うん、そうするよ」

 

 クロージャと02、二人に見送られておれは工房を後にする。

 二人とも、詳しい事情も何も言わないおれをこうして送り出してくれた。それがとても嬉しく、またとても申し訳なく思う。

 きっと、彼女たちはこの後起こることに悲しむだろう。そして、おれに対して怒りを、恨みを抱くかもしれない。でも、それがおれの選んだ道なのだ。いつか、その責任を果たさなければいけない。いつになるかわからないけれども、必ずもう一度ここに戻ってこよう。

 あいつと一緒に、おれたちの家に。

 

 

 

 車両の運転はバベルにやってきてからそれなりにやったし、同時期に入ってきた連中の中では一番うまい自信がある。こういった乗り物はカズデルでは珍しいが、あのアホが作っていた妙な乗り物を乗りこなしてきた経験が今に生きているようだ。

 そんなわけで、無事にロドス・アイランドを旅立ったおれは車両で荒野を駆け抜けていた。現在時刻は10時半、だいたい4時間ちょっと走ったところで、あいつの作戦領域まではあと1時間ほどだろうか。

 真昼間からの単独行動とは言え、このような何もない場所には敵もいない。だが、そろそろ市街地も近くなってきたことだし、発見される可能性も高まってくるだろう。

 いつ何が飛んできても大丈夫なよう、アーツを起動する準備をしながら運転を続ける……と、前方に何か光るものが見えた。

 

「っ!」

 

 咄嗟に車両の前方に展開したアーツが何かを消し飛ばす。恐らくは擲弾の類だろうか。だが、これが一発で終わるとも思えない。

 おれは進行方向を少し変えると、一気にアクセルを踏みぬく。すぐにクロージャご自慢の自動変速機が作動し、源石エンジンが唸りを上げて車両は急加速を始めた。

 見つかってしまった以上、止まったら最後囲まれて袋叩きにされる。ならば、このまま速度で振り切って強引に市街地に突入する他ない。現に轍に次々と擲弾が着弾し、源石爆薬の花を咲かせている。

 時折飛んでくる狙いのいい奴を叩き落とし車両への致命的なダメージをどうにか防ぎながら、遠景に見え始めた街へとおれは急いだ。

 

 

 

 カズデルによくある、多数の源石結晶が出来損ないのオブジェみたいに生えた街。おれはそこにどうにか忍び込むことに成功していた。

 囮に使った車両は……まあ廃車確定だろうが、あいつの乗ってきた車両があるはずだし、脱出の足はあるから問題ない。

 本当の問題は、ここからどうやってあいつのいる場所に向かうかということだろう。作戦目標は外れにある物資集積所と輸送システム、平たく言えば鉄道関連設備の破壊なのだが、先程受けた攻撃のせいでかなり離れた場所に来てしまった。

 幸いと言うべきか、こちらはこちらで前々からの拠点が近くにあるはずなので、まず先にそちらを訪れることにするか。

 恐らくこの時間ならそこにいるということはないと思うが、残っている人員からもう少し具体的なことも聞けるかもしれない。

 

 というわけで拠点に向かって移動を開始する。

 如何せん装備のせいで街に溶け込むのは難しそうだったので、隠れながらといった感じだ。かなり劣化した建物ばかりだが、それでも街と言える程度には建ち並んでいるので、それを使うことにする。

 人間、意外と視界の端でコソコソ動いているものにも気づけるものだが、範囲外ならばそう気づくことは無い。眼の構造からして、水平方向には強く、垂直方向には弱いのだ。

 つまり、おれは建物の屋上を経由して移動していた。眼下に広がる街にはおおよそ活気と言えるものは存在していないが、時折テレシス陣営の傭兵と思しき姿が見える。練度は低そうに見えるが、やはりここで敵地であることは間違いない。灰色の外套で曇天に紛れているとはいえ、注意した方がよさそうだ。おれの隠密・隠蔽技術はあいつほどは高くないのだから。

 ビルの隙間を飛び越え、大きな間隙はロープを使って、おれは埃っぽい街中を行く。と、ふと前方が大きく開けた。確か、そろそろ拠点があったはずの場所だ。

 

「……これは…………」

 

 それは、例えるならば爆心地だった。周囲数ブロックに渡って瓦礫の山が広がっている。もしかすると、埃っぽいと感じたのはこれの粉塵だったんだろうか。……それに、こんな破壊の後のわりには嫌に静かだ。

 ……何か、嫌な感じがする。うなじに、冷たいものを感じる。

 大きく息を吸って、それから吐く。二回ほどそれを繰り返して、どうにか心を落ち着かせる。

 おれはロープで地面に降りると、瓦礫の山の方に向かった。四方八方に散らばったそれらには、何やら黒ずんだ焦げ跡が見える。……それが、おれの動機を加速させる。

 静かなのは、無事に終わったからだろう。襲撃してきた敵を消し飛ばしたからだろう。だって、まだ全然時間には程遠い。まだ大丈夫なはずだ。まだ……

 

「っ」

 

 何やら、山の向こうから声が聞こえる。気配からして二人ほどだろうか。息を殺しながら、おれはゆっくりと向こう側に回り込む。

 ……いた。やはり二人だ。身に着けた装備からして恐らく敵の傭兵。周囲の様子を窺うが、取りあえず二人以外の人影は見受けられない。

 

「……さっきの女、すごかったな」

「だな」

「!」

 

 ……詳しい事情を聴く必要がありそうだ。そう思ってから行動は早かった。

 余計なことを言われる前に片方の奴の口を頭ごと消し飛ばす。残ったもう一人の片腕を落として、足を払って拳を口に突っ込む。残ったほうの肩を踏みつけながら、おれはそいつの首元に刀を突き付けた。

 

「~~~~~~~~!!」

「喚くな」

「!…………!!」

 

 比較的若いのだろうか、目の奥に怯えが見える。まあ、先ほどまで話していた奴がスプラッターになればそれも当然か。

 恐慌状態に陥って喚き散らされても困るので、釘を刺すと同時に努めて優しい声色で語り掛ける。

 

「騒いだ瞬間首を落とす。……安心しろ、これからする質問に答えれば殺さないでやる」

「!…………」

「言っておくが、お仲間が来たとしても少なくともお前は殺れる。お互いまだ死にたくはないだろう?……で、返事はどうだ?」

「……!……!」

「……よし」

 

 ぶんぶんと勢いよく縦に振られた首を見て、おれはため息混じりに拳を口から引き抜いた。恐怖や圧迫感でいっぱいいっぱいだったのか、サルカズ傭兵は荒い息をつく。

 それを尻目に、おれは質問を投げかけた。

 

「はあ……はあ……はあ……はあ……」

「それじゃあ、最初の質問だ。お前がさっき言ってた女というのは、銀髪のサルカズか?」

「……っ、そうだ。Ωだよ、爆弾の……お前……!」

 

 そこまで言って、おれが誰だかわかったようで眼が見開かれるがどうでもいい。

 ……問題はやはりあいつがここで戦闘を行っていたらしいことだ。内心の動揺を隠しつつ、おれはそのまま質問を続ける。

 

「余計なことは言わない方がいい。……で、そいつは今、どこにいる?」

「し、知らない。俺はただ遠目に隊長とあいつが…………隊長!!助け」

「……クソ!」

 

 首を落とした後、その勢いのまま身体を回転させて後ろに向き直る。

 ……気付かなかった。それは純粋におれの落ち度だが、こちらは気を抜いてなどいなかった。それなのに気付かなかったということは、恐らく隊長とやらは相当の手練れのはず。一体どんな……

 

「……遅かったな」

 

 どんな──

 

「────隊長?」

「…………お前はまだ、私のことを隊長と呼ぶのか」

 

 心臓が、ひときわ大きく跳ねる。

 隊長。おれが以前所属していた傭兵団の、おれの隊の隊長。おれやあいつ、モローたちの上官だった人。

 彼は、年老いたサルカズだ。髪の毛や蓄えられた髭は白いものの方が多くなっていて、その肌には無数の皺と傷跡とが刻まれている。

 彼はかつて、戦争を戦ったことがあると言っていた。在りし日のテレジアたちを、その目で見たと。戦争は、200年前のことだ。あまつさえ、テレジアが語っていたその過酷な戦場を生き残り、それから200年に渡って傭兵として生き残っている。そこから導き出される答えは、ただ一つだ。

 彼は──強い。それもこの上なく。

 

「……そうでしたね。あなたはもう、おれの隊長ではない。では、なんと呼べば?今も隊長をしているようですが」

「……そうだな。今は……ただのヨシュアだ」

 

 首筋を冷汗が流れる。

 何故ここにいるのか、などと聞くつもりはない。彼がかつて傭兵団を裏切り、あのサルカズが隊長と呼んでいた。それだけで十分だろう。

 以前、殺されかけたとき。おれには、何が起きたのかよくわからなかった。前回テレジアがそうしていたのと同じように、過程がわからないまま、あいつが死んだという結果だけが残っていた。

 圧倒的な格上。それも、テレジアに近しいステージに立つレベルの相手。……正直、おれには勝てない。

 

「……でしたらヨシュア、Ωのことを知りませんか?恐らく、近頃会っていると思うんですが」

「……Ωか」

 

 同時に納得した。あいつが殺られたのは、彼がいたからだ。そうでもなければ、あのΩが簡単にやられるわけがない。

 幸い、今回は間に合った。今頃あいつはどこかに隠れているに違いない。2対1ならやりようはある。彼を倒すことはできなくとも、逃げることくらいなら。

 そんな思考を巡らすおれに、ヨシュアは告げる。

 

「……W。お前は……遅すぎた」

「……は?」

 

 ふと、向き合って立つ彼の向こうの景色が目に入ってくる。

 相変わらず広がる瓦礫の山と、源石爆弾由来と思しき焦げ跡の黒。それに──赤。

 

「……いや。違う」

 

 ペンキだろうか?それにしては少々赤黒い。まるで、おれにもよく馴染みのある液体のような色だ。人の身体を循環するそれは酸素を運搬する他様々な役割を担っていて、生命に直結するもので。

 

「違う。絶対に違う!」

 

 それが、血が、撒き散らされているというのは、ちょっとまずい状況なんじゃないだろうか。ましてや、それがその赤色の中心に横たわる人物から出たものだなんて。

 

「だって!まだ!」

 

 だから、あそこに倒れているのはあいつじゃないだろ。あいつじゃないはずだろ?

 

「……彼女は、良い傭兵だった。あの若さでよくぞあそこまで練り上げたものだ」

「…………ヨシュア」

「……だが、残念だ。若い芽を摘むのは、いつだってな」

「ヨシュアあああああああ!」

 

 殺す。絶対に殺す。

 アーツを最大威力で前方に解き放つ。ノーアクションで不可視、攻撃範囲だって半径数メートルに及ぶ。流石に手足の一本は…………

 

「遅いな、全てが」

「っ!」

 

 次の瞬間、おれの身体から右の手足の感覚が無くなった。ぐらりと傾きながら向けた視線の先に、そこにあるべき手足は……ない。

 ぐちゃり、とまともに受け身もとれず地面に倒れこむ。間髪入れずに、残る手足も取れた気がした。

 

「っが、があああああああああああああ!」

 

 叫ぶ。叫ぶ。痛みをアドレナリンで誤魔化して、意識を保つ。まだだ、まだ終わりじゃない。手足がもげたって、おれにはアーツがある。これであの野郎を消し飛ばして……

 

「……ふむ」

 

 おれが狙いを定めようとした瞬間、視界がスイッチを切ったかのように真っ暗になった。暗くて、何もわからない。どこに何があるかも、ヨシュアがどこにいるかも、何もかも。

 

「…………ちくしょう」

 

 多分、目をやられた。眼球が弾け飛んだか、視神経が逝ったかは知らないが。

 もはやおれには、芋虫のように地面を這いつくばることしかできない。まるで、それを見届けたかのようにして、彼の足音が遠のいていく。恐らくは、Ωの方へと。

 

「……っ、やめろ!そいつはいいだろ!」

 

 もう自分でも何を言っているかわからない。でも叫ばざるを得ない。

 おれがこうして達磨にされた理由はなんとなくわかる。ロドス・アイランドにきたサルカズが言っていた、Wは捕獲対象だという言葉。それがそのままこの状況に当てはまる。

 

「あんたの狙いはおれじゃないのか!?」

 

 そもそも、彼がここに来たのもそれが目的なのではないか?もともと、ここに派遣される予定だったおれを狙って。奴らは、あのサルカズが驚いていたことからもわかるように、おれがこっちに来ると思っていたはずだ。

 だから、もういいだろう?おれを連れてけばそれでいいだろう?

 

「……ならなぜ戻ってきた。モローはうまくやっただろう」

「…………それは」

 

 おれの言葉に、ヨシュアは足を止めて質問を投げかけてくる。

 

「……おれたちには、これしか」

「違うな。お前たちはただ、一番楽な道を選んだだけだ」

「……!」

 

 彼の指摘が、胸に突き刺さる。図星を貫かれたようだった。

 戦うしか能がない。おれはずっと、自分にそう言い聞かせていたけれども。

 そもそも人間は、能力があるからその仕事をするのか?仕事をするうちに、それに必要な能力が備わることだってあるのではないか?

 それに、おれは料理だってできた。ロドス・アイランドでだって、最初のころは厨房に立っているのはおれだった。エシオさんにも、それなりの腕だと言われるくらいには。 

 なのにどうして、おれは傭兵を選んだのか。

 

 遠くから、彼の声が聞こえる。

 

「……W。恨めよ」

 

 果たして、それは自身をということか、それともおれの選択をということか。

 直後、何かを断ち切る音が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冷たい厨房の一角で目が覚める。

 おれはまた、戻ってきた。

 

 

 




音声記録No.10223422

「なあΩ、パスタ食うか?」
「パスタ!?……やっぱりトマトもいいけどクリーム、いやオイル系も捨てがたいわね……」
「もう食うのは前提なのな」
「当たり前でしょ?あんたの作るものをあたしが食べないことなんてあるわけないじゃない」
「……そりゃ、どうも」
「で、今回は何にするの?」
「今回は……ナスがあるし、ちょっと変わり種を作ってみるか。ちょうど最近、龍門の調味料が手に入ったらしいからな」
「変わり種?……それだったら、あたしも厨房で見てようかしら」
「いいんじゃないか、レパートリーも増えるだろうし。それじゃ、行くか」


「まずこうやって、オイルでニンニクにじっくり火入れすると」
「そこは他のパスタとも同じね」
「だな。で、出来たニンニクオイルで乱切りしたナスを揚げ焼きにする」
「あー、あんたが前に作ってた麻婆茄子みたいな感じ?」
「やっぱり油との相性がいいからな。しっかり吸わせるとジューシーでめちゃくちゃおいしいぞ」
「……ちょっとこれだけ食べてもいいかしら?」
「もうちょっと我慢してくれ。ナスが柔らかくなったらここでオイルを全体に馴染ませて……ベーコンを投入する」
「まあやっぱり欲しいわよね。パンチェッタとかないの?」
「贅沢言うなよ……こんな風にベーコンに火が通ったらこの脂もナスに纏わせてっと」
「まだ?」
「まだだ。というかパスタすら入ってないだろ」
「もうナス炒めでよくない?」
「よくありません。そしたらナスはいったん取り出して、醬油、味醂、水、あとは鱗獣出汁の粉末を加える」
「……においがもう最高ね」
「ここからさらに良くなるぞ?ここにちょっと硬めに茹でたパスタを入れて汁気をちょっと飛ばして……茹で上がったところに────バターだ」
「!!!!!!!!!」
「皿に盛りつけてナスを戻してっと……よし、完成だ!」
「……………………最っ高!このナスがたまんないわ。噛むと油と出汁とが溢れ出てくる感じで完全に主役張ってるわね」
「…………うん、味も結構いい出来だな。味醂由来の甘さがあるのもいい」
「あとはやっぱりバターね。これを入れたら正直なんでもおいしい気がするけど」
「それを言ったらお終いじゃないか?……おかわりは」
「もちろん!」
「相変わらず……作りがいがあるよ、ほんと」







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致死疾病─Despair.-6

 ……手も足もある。目も見える。

 おれは、三度今日の朝に戻ってきていた。

 ……また間に合わなかった。また、あいつに触れることさえも叶わなかった。

 救えなかったことも、間に合わなかったことも何度もあるけれども。今回のこれには、今までのどんな巻き戻りとも違う寒々しさがあった。

 あいつと会って、話したいことがたくさんある。テレジアやドクター、ケルシー先生のこと。おれに芽生えた、ちょっとした夢のこと。何より……好きだということ。

 ……会いたい。元気なあいつに、笑顔のあいつに、たまらなく。

 

 ……でも、この状況はおれが招いたことなんじゃないか?

 ヨシュアの言葉が、頭の中で渦巻く。

 楽な道を選んだ。

 おれは、あの時。隊長が裏切ったとわかった時。この傭兵団はもう危ういと判断して、このままでは傭兵としての仕事にありつくのは難しいだろうと考えて、それで、それで……自然と、どうすれば傭兵を続けられるかを考えていた。

 だって、あの時のおれは戦うという生き方しか知らなくて…………そんなわけない。傭兵をやめたモローの世話をしたのはおれだ。

 おれは、サルカズにだって武器を置くことはできることを知っていた。戦って、ただ壊す以外のことをできることをあの時から知っていた。そうすれば、自分にとって大切な人を戦場から遠ざけられることだって。

 けれども、おれはそれを選ぶことを考えもしなかった。当然のように戦うことだけを考えていた。あいつがそれを望んだから、なんて言い訳にはならない。おれは知っていた。戦場にいないあいつが、どんなに自然な笑顔をしているかということを。

 ……壊すのは、容易い。何かを創ることよりも、余程。おれは安易に、殺し続けることを選んだんだ。

 

 …………でも。それでも。その選択の全てが間違っていたとは、おれは決して思わない。

 選んだ道の先で、様々な人に出会った。今までになかった暖かさを知った。きっと全部、この道以外では得られなかったものだ。

 ……きっとこの、あいつへの気持ちだって。

 だから、後ろを見てばかりいるわけにはいかない。前を向かなければいけない。

 おれが選んだ道だからこそ、おれがあいつを救って見せる。

 絶対に、必ず。

 

 

 

 気持ちの整理はついたとしても、現実問題どうすればいいか考えなければならない。

 つい先ほどのヨシュアとの戦い、おれには何も見えなかった。気付いたら奴にアーツを回避され、そのまま四肢をもがれていた。テレジアの剣捌きとも違う、異様な速さ。中距離戦が適正のおれとは相性最悪の相手だった。

 だが、おれの目的は奴ではない。あいつを助けることだ。だから、そもそも戦わなければいい。戦いが起こらないようにすればいい。

 前回、おれはあいつと連絡を取らなかった。それまでのループから午後2時ごろまでは生きているはずだし、出来る限りそれが変わってしまうことを防ぎたかったからだ。

 ……しかし、時間より前に着いたのにも関わらず、あいつは既に倒れていた。

 ふと、奴の言葉を思い出す。

「……遅かったな」

 まるで、おれが来ることを予期していて、待っていたかのような言い草。

 地面に這いつくばっていた時も考えていたが、ヨシュアは何の目的であの場にいたのだろうか。奴ほどの能力の持ち主を、ただの拠点防衛で使うとは考えにくい。あの場所は確かにそれなりに重要な後方拠点ではあるが、それでも後方なのだ。わざわざ出張るにしても、もっと他にこちらのエリートオペレーターが活動している前線に派遣されていた方がよほどしっくりくる。

 ……だとすれば、やはり名指しされていたおれが目的だという可能性は高い。狙われる理由はやはり……いや、しかしテレジアは誰にも教えていないと言っていた。それに、もし正しく知られているならばあいつがあの局面で殺されることは無いはずだ。

 だとすれば……アーツ関連だろうか。昔、ロドス・アイランド護衛作戦に参加した時、将軍とやらがおれのアーツに興味があると言っていた。さらにバベルに入ってからわかったことだが、おれのアーツ適性は異常値を示しているらしい。

 ヨシュアの発言からして、おれがあの場所に任務に向かうことは敵陣営にばれていた。そのことから、バベルにスパイが潜り込んでいることは十分に考えられる。同じルートからアーツの検査結果が流出してもおかしくはないだろう。

 これらを勘案してこの、おれが目的という仮定に立って考えると、前回あいつが既に倒れていたことにも説明が付けられるのではないだろうか。

 ……つまり、Ωを餌におれを釣ろうとしていたと。

 前にロドスに侵入した奴らと戦った時。あのタイミングで巻き戻ったのは、おれがロドスにいてあの街には居ないことが明らかになったからではないだろうか。

 前々回、テレジアが外壁を切り裂いた直後に巻き戻ったのは。ロドスを監視していた敵に、おれの姿が見られたからではないか。

 おれは、あいつがある時間に襲撃を受けて、そのまま殺られたのだと思っていた。けれども、本当はもっと早い段階から襲撃を受けていて、あの時間まで生かされていたとしたら?

 

 ……なんにせよ、あいつが襲撃を受ける事態は絶対に避けなければならない。この時間帯ならば前に連絡も取れたし、まだ大丈夫なはずだ。

 事情を読めるテレジアを経由して、早急に連絡を取る必要があるだろう。

 おれは、近づいてきた02に声を掛けた。

 

 

 

 

『テレジア?どうかしたの?』

 

 テレジアとの会話は、やはりすんなりと進んだ。記憶を読まれるというのはあまり気持ちのいいものではないのだが、こういう場合には非常に助かる。ヨシュアに達磨にされたことを知ったせいか、気を付けてとまで言われてしまった。

 そんな彼女の気遣いに感謝しつつ、念のためクロージャたちを人払いし、テレジアの権限を使ってあいつとの通信を開始する。前にケルシー先生の権限を借りたときと声色が随分違って、なんだか可笑しく感じる。……可笑しくて、涙が出てくるほどに。

 

「……Ω、おれだ」

『……なんだ、あんただったのね。どうしたの?テレジアの回線で連絡なんて』

「……今すぐ、街を離れろ。ヨシュア──隊長がそこを襲撃するつもりだ」

 

 小さく、息を吞む声が聞こえた。

 

『…………隊長って、あの隊長よね。傭兵団を裏切った……』

「ああ、そうだ。あいつは、強い。……おれが、何もできないまま一方的に嬲られるくらいには」

『!……わかったわ。トラップを仕掛けてすぐに撤収する』

「おれもすぐにそっちに向かう。……気をつけろよ」

『……大丈夫よ。あたしの逃げ足の速さは知ってるでしょ?こんな場所さっさと抜け出して、すぐにあんたと合流するわ』

 

 あっけらかんとした口調で明るく言うΩ。自分の死を知ってなおそうして振舞う姿に、おれはこれまで何度救われたことだろうか。

 

「……そうだな。おれも、早くお前に逢いたい」

『……何よ、急に』

「話したい事とかさ、言いたいことがたくさんあるんだ。例えば──」

 

 どれだけ折れそうになっても。どれだけ挫けそうになっても。あいつとの未来を思えば、おれは何度でも立ち上がれる。あいつこそが、おれが生きている意味なんだ。

 だから、それを言葉にする。言葉にして伝える。

……何度だって、何回だって。

 

「──お前のことが、好きだってことだとか」

『────────』

「……全部終わったらさ、返事を聞かせてくれ。……必ず助ける」

『……………………わかったわ

「……ありがとな。それじゃあ、中間にあるポイントA2で会おう」

『……ええ』

 

 返事は、ここで聞いてはいけない気がした。聞くと、色々が鈍ってしまいそうだから。

 返事を聞くためにも、早く行こう。追撃を逃れるには、人手が多い方がいい。

 ……ちなみに、クロージャと02はやっぱり盗み聞きをしていた。……釘刺しといたんだけどな……。まあ、おかげですんなり車両を用意させられたのは怪我の功名か。

 

 

 

 おれは再び荒野を車両で行く。今回も前回同様、ここまでの旅路はかなり順調だ。

 しかしながら、ロドスの走行地域と作戦区域のだいだい中間に位置するポイントA2辺りにきてもなお、手持ちの機器の通信範囲内にあいつがいる様子はない。

 あのタイミングで脱出するように言ったんだ、もう既にあの街は出ているに違いない。ただ、街の付近には守備隊も配置されていたし、その妨害にあっている可能性はある。

 なんにせよ、おれもこのまま街に向かえば会えるはずだ。……そのはずだ。

 胸に微かなさざめきを抱えたまま、ハンドルを握る。ふと、その手がじっとりと汗で濡れていることに気付き、おれは先を急いだ。

 

 

 

 街が遠景に見えたとき、どことなく感じていた嫌な予感は、現実のものになっていた。

 今回は、先ほどまでと違って榴弾を打ち込んでくる奴も、車両を狙ってアーツを打ち込んでくる奴もいない。

 代わりに、周囲の荒野がクレーターまみれになっていた。まるで、何かに吹き飛ばされたかのように。それだけではない。その惨状は、街の外縁部の方にまで達しているようだった。

 巻き起こる粉塵の様子からして、破壊の後は外から内へと向かっている。まるで、脱出を諦めて隠れる場所の多い都市部に逃げ込んだかのように。

 クレーターの淵をなぞるようにして、車両を走らせる。その中の一つに、打ち捨てられた車両を見つけたとき。おれの心臓の鼓動が、一段と早くなるのを感じた。

 猛烈な焦燥が湧き上がってくる。ここまでやって駄目なのか?いや、ここまでやったのだから大丈夫なはずだ。

 ……しかし。ならばなぜ、爆発音の一つもしないのだろうか?

 その答えから目をそらしたまま、おれは進む。このままいけば、あいつに会えると自分に言い聞かせて。

 

 

 

「……遅かったな」

「…………」

 

 街に入ってほどなく。続いていた破壊の跡の終点で、奴は待っていた。

 瞳を閉じて倒れた、あいつと共に。

 頭の中を、様々な思考が駆け巡る。けれども今は、それらはどうでもいい。ただ、こいつを殺れればそれでいい。

 

 おれは、即座にアーツを起動して刀を構えた。

 瞬間、ヨシュアの身体が高速で横にブレて、斜めに構えた受け太刀が火花を散らす。

 

「……言葉は不要か」

 

 ……生け捕りの指示が出ている以上、致命傷になる箇所は狙ってこないはずだ。前回のことも踏まえて、四肢を狙ってくるだろうという予想さえついていればどれだけ速くてもやりようはある。現に、一太刀目はこうして受け止めることができた。

 このまま防御に徹して、クロスカウンターでアーツをぶち込む。おれは見え見えの右脚を狙った振り下ろしを受け止め……待て、()()()()()()()()

 答えは次の瞬間やってきた。金属同士がぶつかる硬質な音が鳴り響き、直後にさくりと軽い音がする。おれの眼には、宙を舞う刀の切先が写っていた。ずるりと斜めに崩れ落ちる身体に追い打ちをかけるように降り注ぐ斬撃で、四肢が次々と落ちていく。

 気付けばおれは、前回と同じように地面に這いつくばっていた。視線の先に落ちたおれの得物を見て、遅ればせながら何が起こったのかを理解する。

 ──刀ごとまとめてぶった切られた。恐らくは一度受け止めたとき。あの時点で刀にだいぶガタが来ていたんだと思う。そして、おれがカウンターを狙っていることを見抜いたヨシュアは、敢えておれが受けられるようにその剣を振るい、こちらが受けるとともに武器を破壊、そのまま脚まで持っていった。

 ……敵わない。おれじゃ、太刀打ちできない。

 ……それでも、おれは絶対に、あいつを。

 

「……恨めよ」

 

 直後、何かを断ち切る音が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 駄目だ。車両で行くのでは間に合わない。あいつに連絡して、その上で最速で向かったはずなのに間に合わなかった。

 あの様子からして、車両で脱出しようとしたが追撃され、車両を破壊されて街の方に転進したと考えられる。つまり、襲撃それ自体が起こったのは、かなり早い時間帯である可能性が高い。

 だが、襲撃を受けてからもあいつはかなりの間逃げることができていたはずだ。破壊の跡がそれを物語っている。

 だからおれがすべきは、あいつとヨシュアが戦っているうちにあの場所にたどり着き、2対1の状況を作り出すことだ。……おれじゃ太刀打ちできなくても、おれたちならできる。

 そして、おれはそのための手段も知っている。

 ……飛行装置だ。

 

 

 テレジアとΩとの連絡を終えたおれは、赤面しているクロージャに声を掛けた。

 

「クロージャ、頼みがある」

「……あ、ごめんごめん、君の告白があんまりに唐突で驚いちゃったよ。で、頼みって?お迎え用の車両ならすぐに用意するよ?」

「試作品の飛行装置を使わせてくれ」

 

 直後、彼女の表情が変わる。ニヤニヤとした笑みから、どこかに険を漂わせたものへと。

 

「……なんで君が知ってるの?」

「…………」

「また言えないってやつ?……はあ。ケルシーくらいしか知らないはずなんだけどな……」

「……すまない。……でも、車両じゃ間に合わないんだ」

「…………」

「…………頼む」

 

 知らないはずのことを知っている。そのことがどれほど不気味か、おれは身をもって知っている。だからこそ、こうして頭を下げるしかない。

 普段なら金で首を縦に振る彼女は、こういった大切なことでそれを持ち出すような人物ではないことを、おれは知っているから。

幾らかの沈黙の後、クロージャは観念したかのように息を吐いた。

 

「……わかったよ。これも含めて、後で全部話して貰うからね」

「……ありがとう」

 

 在り来りで、使い古されたそんな陳腐な言葉しか言えないけれども、それでも。口にしなければ、何も伝わらないのだから。

 そんなこちらの内心を汲み取ってくれたのか、冗談ぽく彼女は言う。

 

「……まったく、感謝してるって言うならもうちょっと何か欲しいよね」

「……そうだな。後で飛行装置の予算が降りるよう、おれも説得するよ。……色々知ってるし」

「言ったね!?ちゃんと聞いたからね!?よーし、クロージャさん、張り切っちゃうよ!」

 

 俄然やる気を出してキーボードを叩く彼女を見ながら、おれは苦笑いした。

 

 

 

 クロージャが飛行システムを組んで、機体への実装を完了した頃。おれは、彼女たちに連れられて格納庫に足を運んでいた。

 ロドス・アイランドの下部に存在する車両庫と違い、格納庫は艦の上部、甲板近くに存在している。最も、おれも今日に至るまで知らなかったけれども。

 時間は現在8時前。ドクターに見つからないよう色々小細工をする必要がない分、幾らか早く準備が出来た。

 おれに飛行装置なんて言うよく分からないものが操縦できるわけもなく、クロージャの飛行システムは必須だからこれが最速だ。

 所要時間は約1時間で、道中は敵のいない空を行くことになる。車両より早くあちらに着くことは間違いないだろう。

 ……そして、今度こそ。

 

「パラシュートのチェックは大丈夫?」

「ああ。操作方法も確認した」

 

 飛行装置と共にエレベーターで甲板に上がる道すがら、クロージャとそんな会話を交わす。

 今回使うのは、バベルにもまだ試作の一機しか存在していない貴重なものだ。車両のように乗り捨てるわけにはいかない。そのため、おれが作戦区域上空で途中下車し、飛行装置自体はオートパイロットで戻ってくるようになっている。

 

「あ、そういえば脱出のときは尾翼に気を付けてね。うっかりすると全身粉砕骨折は免れないと思うからさ」

「…………」

「いやー、ごめんごめん。すっかり忘れてたよ」

 

 ……いざ出発という直前になってそんなことを言われてもどうしろという感じなのだが、敢えて言及はしないことにしておく。

 そんなやり取りをしていると、ふと肌に風を感じる。どうやら甲板上に上がったみたいだ。おれはロドス・アイランドの進行方向に機首を向けた機体に乗り込む。と、おれの名前を呼ぶ声が聞こえて、風防越しに眼下の彼女の方を向いた。

 

「W!……月並みだけどさ、気を付けてね」

「……ああ。色々ありがとな、クロージャ。……それじゃ、行ってくる」

 

 ゴーグルを下ろし、軽く手を振ってシステムを起動すると、スロットルが全開になる。みるみるうちに上昇していく回転計と速度計の針を眺めているうちに、操縦桿が手前に引かれて機体がふわりと浮かび上がった。その得も言われぬ感覚にどこか戸惑いつつも、息を潜めることしばらく。落ちてしまうようなこともなく、そのまま機体が浮いたままであることを確認して、おれは息を吐いた。

 余裕ができて後ろを見れば、既にクロージャの姿は小さくなっている。ぐんぐんと加速を続ける飛行装置。おれは、ロドスが徐々に小さくなって黒いゴマ粒のようになるまで、いつまでも後ろを見つめていた。

 

 

 

 

 空の旅は極めて順調だ。クロージャの作った飛行システムとやらはなかなかにすごい。

 道中何もやることもできることもなく、いつまでも気を張っていても仕方ないので色々と観察していたのだが、この飛行装置は翼の各部を可動させることで制御をしているようだった。具体的には機体後方の彼女が言うところの尾翼だ。これは地面に対して水平な板と垂直な板が十字に組み合わさったような構造をしており、それぞれがパタパタと動くようになっている。怖いので触らないが、操縦桿を前後に引くと水平な板が動いて機首の上げ下げが、足元のペダルを踏むと垂直な板が動いて機首が左右に振られるようだった。

 また、胴体から伸びる大きな翼にも可動部があり、こちらは操縦桿を左右に動かすことに応じて、機体の傾きが変わるらしい。

 そして、飛行システムの何がすごいのかというと、おれが何もしていないのにこれらの操縦桿やペダルが動いて機体が高度を上げたり旋回したりすることだ。

 そもそもこれらの機器を操作することで、何がどうなって翼が動いているのかはわからないが、プログラムができたと言ってから実装までにやけに時間がかかった理由がわかった。もしかすると、手動で運転するとき用であろう機器が動いてしまっているあたり、これでもかなりの突貫工事だったのかもしれない。

 取り留めもなくそんなことを考えているうちに、機体が高度を下げ始める。これまでは地上から発見されることを考慮してか雲よりも高い高度にいたのだが、それを突っ切るようにして地上へと向かい始めた。

 雲の中で、おれは風防をスライドさせて開ける。いつだったか、あいつが空に浮かんだ雲を見て、結構美味しそうに見える、なんて言ってたっけか。エシオさんが作ってくれたギモーヴとかいう、マシュマロみたいな菓子みたいだって。その時のおれはたしか、あれはただの水だといって呆れられた気がする。

 果たして、雲に味は無かった。強いて言うなら、霧の中にいるのと同じといったところか。

 頭を振って、おれは気持ちを切り替える。

 恐らく、戦闘それ自体は起こっているはず。だから、空から見て爆発があった場所に急行すればあいつと合流できるはずだ。

 機体が雲を突き抜ける。風防を開けたことでプロペラの音がうるさいが、眼下には市街地が広がっている。

 おれは目を凝らしてあいつを探した。人の姿など見えるわけもないが、クレーターや瓦礫の様子は見て取れる。真新しい噴煙や爆炎は見えないか、急に吹っ飛ぶ建物はないか、探す。

 飛行システムの方から音声が鳴り響く。早く降下しろということらしい。一向に見つからないあいつに、焦燥感だけが先走る。

 

「っ!?」

 

 一際大きい警告音が聞こえる。次の瞬間、機体を何かが掠めた。何かなんて考えるまでもない、地上からの迎撃だ。

 もはや猶予が無くなったおれは、視界の端に粉塵が滞留した一帯を捉えた。……恐らく、一番最近に戦闘があったのはあそこだ。辺り一面が瓦礫になっているため、周囲の建物に引っかかる恐れは無い。

 降下地点は決まった。あとは、この状況で無事に降りられるかどうか。パラシュートを開けばおれの存在は地上から丸わかりでいい的だ。できる限り、それこそ飛行装置が敵の注目を引き付けて明後日の方向に飛んでいくまでは自由落下する必要がある。

 それに加えて、十分に減速できなければ着地でお陀仏になるのは言うまでもない。……しくじったな。警告を無視せずに郊外で降下すれば良かった。

 だが、後悔先に立たずという。何はともあれやるしかない。やるしか、あいつを助ける方法は無いのだ。

 機体の淵に手をかけ、身を乗り出して宙吊りになる。おれは、意を決してその手を離した。

 

 落ちる。落ちていく。胃が浮び上がるような猛烈な不快感と風に抗いながら、おれは必死に地上の様子を探った。最悪、こちらに向かってくるアーツや矢についてはアーツで迎撃するしかない。幸いにも、敵の攻撃は機体の方に集中しているようで、こちらに気づかれている様子はない。

 それを確認したところで、おれはパラシュートを開いた。ガクン衝撃が伝わり、速度が急激に落ちる。的にならないよう旋回しながら、おれは高度を落としていく。

 流石に敵も気がついたのか攻撃を試みてくるが、やはり練度が低いのとこちらがそれなりに高速なせいか、こちらに向かってくるものは少ない。問題なくそれらを捌きながら射線を切り、着地地点を見据える。ぼんやりした視界の中に、おれは人影を見た。

 瞬間、頭が沸騰する。減速もそこそこに、パラシュートの迎角を最大にしてできる限りの揚力を得ながら、おれは地上に激突した。

 着地の瞬間、衝撃を逃がすようにして転がる。あちこちに擦り傷ができるのを感じながら、しかし致命的な負傷を避けたまま転がり続け、勢いそのままで立ち上がる。

 向こうもこちらの姿を認めていたようで、靄の中を悠然と歩いてきたその男は言い放った。

 

「……遅かったな」

「死ね」

 

 アーツを解き放つ。視線から読まれている可能性を考えて少し横においてみたが、タイムラグのせいで正確に先読み出来ていないと当たりそうにない。あっさりと回避され、刃が迫ってくる。

 受けるのは悪手だ。前回と同じように折られる。ここは、半身になって回避を……

 

「……あ」

 

 次の瞬間、ガクリと足から力が抜ける。いや、無くなったのか。

 ……おかしい。腕を狙った振り上げの一撃を躱したはずなのに、瞬時に剣が()()()()()。そのまま横凪ぎで腿から下を持っていかれたようだ。

 ……ダメだ。今回も。

 ……でも、絶対に。

 

「……恨めよ」

 

 直後、何かを断ち切る音が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 ……これでも間に合わないのか。その前と比べたって、1時間以上早く着いたはずだ。着実に早くなっている筈なのに、それでも間に合わないだなんて。

 ……いや。まだやれることはある。まだ早く着くことはできる。

 あれを、おれが操縦することができれば。システムの製作と実装にかかる時間を丸々短縮することができるはずだ。

 ……そうすれば、今度こそあいつを。

 

 

「頼む」

「頼むって言われたって……あれは試作品だし、いきなり操縦するなんて無茶だよ。それに、君が乗っていったとしてどうやって回収すればいいの?あれは貴重だし、機密情報の塊なんだよ?」

 

 テレジアとあいつとの通信を終え、クロージャに言ってはみたものの、正論で反対される。

 彼女の言っていることは、至極最もだ。素人がいきなり操縦できるわけないし、貴重な飛行装置を乗り捨てにするなんて正気の沙汰ではない。

 ……わかっている。わかっているけれども。

 それでも、おれは何をしてでもあいつを助けたいんだ。

 

「……そうしないと間に合わないんだ。頼むクロージャ、おれはもうあいつを、Ωを失いたくないんだ。……そのためだったら何でもする。今後おれのことを奴隷みたいにこき使って貰っても構わない、だから……」

「ちょ、ちょっと落ち着いて……」

「頼む……!頼む、クロージャ……」

「だから!……ちょっと落ち着きなよ」

 

 地面に膝を着いたところで、肩に手を置かれてハッとする。下を向き続けていた視線をあげると、心配そうな表情に彼女が目に入った。

 それで、気付く。自分が今、これまでにないほど焦っていることに。

 それもそうだろう。こんなに戻って、それでいてここまで出口が見えないことは初めてだ。……それに、こんなに長い間あいつと離れているのも。

 けれども、クロージャはそんな事情は知らない。彼女からしてみれば、おれはどういうわけか突然焦って何かをし始めたようにしか見えない。

 会話だってそうだ。クロージャどころか、あいつまでも前回おれと話したことを覚えてはいない。覚えているのはおれだけで、知っているのはテレジアだけだ。だが、そのテレジアもおれの気持ちまでは、おれが何を思って何を感じたのかまではわかるまい。

 ……おれは、孤独だ。この孤独が焦りを増幅させる。きりきりと精神を摩耗させる。

 この寒々しさを癒してくれる人は、ここにはいない。

 ……おれは、その人を助けなくちゃいけないんだ。

 考え込んだおれを見て落ち着いたと判断したのか、彼女はぽつぽつと話し始める。

 

「……はっきり言って、君が言ってることは無茶苦茶だよ。急に飛行装置の事を言うわ、挙句操縦させろって言うわ……」

 

 ……返す言葉もない。冷静になって考えてみると、錯乱しているようにしか見えない。よくぞ今もこうして普通に話して貰えているものだ。

 

「……でもさ、気持ちはまあ、伝わってきたよ。君がどれくらいΩの事を、その、あー……好きかってことは」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………いやなんか言ってよ!?まるで私が変な勘違いしてるみたいじゃん!」

「あ、いや、悪い」

 

 改めて他人から指摘されると、なんて言えばいいのかわからなくなってしまう。

 あいつのことが好きなのは間違いない。ずっと秘めてきた、紛れもないおれの想いだ。

 けれども、こうして繰り返しているうちに、それだけじゃないように思えてきた。うまく言葉にはできないけれども、好きだとか、愛しているだとか、そういったところに留まらなくって。

 それら全部をひっくるめて、好きなんだということなのだろうか。

 

「……そうだな。好きなんだ。……あいつのことが、言葉じゃ言い表せないくらいに」

「…………はあ。それじゃ、行こうか」

「?……どこに?」

 

 ため息をつき、突然何事か言い出したクロージャに、おれは思わず疑問を口にする。

 それを耳にした彼女はどこか不機嫌そうな、しかしどこか温かな雰囲気で言った。

 

「格納庫だよ。……するんでしょ、操縦」

「!……ああ!」

 

 

 

「いい?安定性は保証できないから、全部の動作はゆっくりやってね?急旋回と急降下・上昇は禁止だよ」

「わかった」

「あ、あとちゃんと機密には気を付けて。そのための自爆装置なんだから」

「ああ」

 

 ざっくりと操縦方法や計器の見方、航法を教わったおれは、再び操縦席に座っていた。操縦に関しては離着陸が一番難しく、特に着陸に関しては無理だということで、今回もパラシュートを装備している。機体は自爆装置を作動させた上で乗り捨て、前回の如く降下する予定だ。

 テレジアの存在があるとは言え、貴重な試作品をこんなおれのために使わせてくれるなんてクロージャには頭が上がらない。

 万感の想いを込めて、彼女に言葉を送る。

 

「……ありがとう、クロージャ。行ってくる」

「……帰ってきたら、覚悟しておいてね!」

「はは……」

 

 そんな彼女の激励の言葉を背に、おれはスロットルを全開にして機体を加速させる。ロドス・アイランドの甲板を疾走しながら、言われていた通りの速度になったあたりで慎重に操縦桿を手前に引くと、機体はふわりと浮き上がった。そのままゆっくりと角度をつけて機体を上昇させ、降着装置を引き込んで艦を後にする。しばらくそれを続けたのち、トリムをとって水平飛行に入ったところで、おれはようやく息を吐いた。

 ここからは無事に目的地に着けるかどうかが勝負だ。おれには計器を使って現在位置を推測しながら飛ぶなんてことは到底できないため、地上が見える高度で飛行し、地図と方位磁針を使ってどうにかたどり着こうという計画になっている。幸い、地図の方はドローンで収集した情報を基にした詳細なものなので、かなり詳しく記載がある。地形をと方角を参考にすれば恐らくは大丈夫だろう。

 ……まだまだ気は抜けないが、現在時刻は6時半。このまま順調にいけば、7時過ぎには向こうに着くはずだ。

 今度こそ。その想いを胸に、おれはまだ見えない街を見つめた。

 

 

 

 再び上空から眺めた街の様子は、前回よりも破壊の跡が新しいように見えた。

 ……けれども、嫌な既視感がある。一番新しいであろう跡を見つけたおれは、機首を下げた。

 飛行装置がぐんぐんと高度を下げ、同時に速度を増していく。自爆装置を起動させながら、おれはあることに気が付いた。

 降りようとしている場所。……あれは恐らく、前回と同じだ。

 風防をスライドさせ、尾翼に気を付けながら空中に身を投げ出す。全速で地上に突っ込んでいく飛行装置はいい囮なようで、こちらへの迎撃はない。

 二度目ともなれば多少手慣れたもので、パラシュートを展開したおれは、十分に減速して地面に着地した。

 この前よりも濃い粉塵。しかしながら、ちらりと見えた人影が不安を助長する。

 その人物は、おれの着陸に気付いたのか、ゆっくりとこちらへ向かってきた。靄の向こうから現れた、その人物は

 

「……遅かったな」

 

 アーツの無駄撃ちはしない。無言で刀を抜く。

 

「……言葉は不要か」

 

 間合いを見極める。ただ躱すのでもダメだ。後隙を狩られないような、必要最小限の動きで躱す。前回、ヨシュアの剣はまるで初めからその気であったかのように、異様な速さで返ってきた。

 大ぶりな一撃でも単発だと思ってはいけない。奴のブラフを読んで、読み切って、その上で一撃を食らわす。

 おれがカウンター狙いなのがわかったのか、ゆらりと奴が動く。

 次の瞬間、振り下ろされた刃を半歩引いて躱し、そのまま直角に襲い来る二撃目を飛んで躱してそのまま振り下ろしを……

 

「あ?」

 

 次の三撃目で両脚が落とされた。

 バランスがぐらりと崩れ、刀は何もない空を切り裂く。目の前で残像が見えるほどの速度で、奴はおれが狙った場所よりも横に移動していた。

 ぐしゃりと地面に叩きつけられながら、何が起こったのかを理解する。移動の際に剣を構えたまま、おれの脚を持って行った。そうとしか考えられない。

 ……だが、それはあまりにもおかしい機動じゃないか?なんの事前動作もなく、そんな直線的に動けるなんて……

 ……理外の存在だ、こいつは。これまでの戦闘経験が役に立たない。セオリーが通じない。

 まともに戦ってはいけない。少なくとも、1対1じゃ。

 ……急ぐんだ。次こそは、もっと急いでたどり着いて。

 ……それで、絶対に。

 

「……恨めよ」

 

 直後、何かを断ち切る音が聞こえた。

 

 

 

 

 前回よりも操縦がうまくなっている気がする。あまり直線ルートから外れてはいないはずだし、これなら

 

「……恨めよ」

 

 直後、何かを断ち切る音が聞こえた。

 

 

 

 

 風の影響を考慮して進路を取れば、さらに早くなるはずだ。現に前回よりも10分早く

 

「……恨めよ」

 

 直後、何かを断ち切る音が聞こえた。

 

 

 

 

 自爆装置を付けている時間が無駄だ。おれがアーツで破壊すればいい。それに、余計な重量が減れば速度だって上がるはずだ。

 どうにかクロージャを押し切って、アーツで周りの機体を破壊して降下する。前回よりもかなり早い、これなら

 

「……恨めよ」

 

 直後、何かを断ち切る音が聞こえた。

 

 

 

 

 

 発想の転換だ。そもそも、あいつは連絡をしなかった時でもかなり戦闘を行った跡があった。なら、いちいちテレジアやクロージャと話している時間の方が無駄だ。

 おれはあいつを助けられればそれでいい。それだけでいい。だから、もうその後のことなんて考えている場合じゃない。生きていれば、生きてさえいれば人間どうにでもなるはずだ。

 ……もう二度とロドスに戻ってこれなくてもそれでいい。おれが追われる身になろうとそれでいい。誰に恨まれたっていい。

 おれにはあいつしかいないんだ。あいつがおれの全部なんだ。

 何百回か繰り返したんだからもう格納庫の場所も飛行装置の操縦もわかっている。このまま一直線に強奪して向かえば、今度こそ絶対に

 

「……少し、遅かったな」

「……恨めよ」

 

 直後、何かを断ち切る音が聞こえた。

 

 

 

 

 

 ダメだダメだダメだダメだ、この複雑な構造のロドスを歩き回っていたら間に合わない。あとちょっと、あとちょっとなんだ。ヨシュアは少しと言っていた。だから、あともう少し早くいけば間に合うはずだ。

 大まかに検討をつけ、アーツで内壁をぶち壊しながら一直線に進む。警報が鳴り響いている気がするがどうでもいい。隔壁も全て破壊して突き進む。

 最短で格納庫にたどり着いた。電気系統を落とされたようで、エレベーターが動かないが関係ない。機体に乗り込んで、スロットルを全開にする。そのままアーツで道を切り開いて滑走路代わりにしながら、外壁に穴をぶち開けて離陸する。何十回も墜落したんだ、曲芸飛行だってお手のものだ。

 ……テレジアが来なかったのは、全部見えていたからだろうか。

 ……これで、やっと。

 

 

 眼下の街から源石爆弾の爆音が聞こえる。あいつが戦闘している音だ。間に合った。今度こそ、間に合った。

 とは言え、一刻の猶予もない。おれはそのまま機体を急降下させ、着陸装置を引き出す。パラシュートは遅すぎる。このまま強行着陸して、最短最速で合流するのがベストだ。幸い、着陸の経験は豊富にある。

 進入角度を確保すると、おれは即座に機体を地面と設置させた。荒れた路面で何度もバウンドするが、機体が無事である必要はない。そのまま風防を開いて飛び降りる。

 地面を転がって衝撃を殺し、そのまま起き上がってみればあいつと、あいつと……

 

「……少し、遅かったな」

 

 ヨシュアの剣は、真新しい血に濡れていた。

 そのすぐ後ろの地面に、あいつがいる。胸を一突きにされた、あいつが。

 おれにできる精一杯をしたはずだ。帰る家も何もかも捨てて、最速でここに来れる方法を選んだはずだ。

 格納庫へは最短で向かった。エレベーターも初めから当てにしなかった。離陸だって完璧で、航路だって完全に直線で来たはずだ。着陸も、飛び降りるタイミングも、飛び降りてからも、何もかも。おれにできる精一杯をやったはずだ。

 ……なのに。それなのに。

 間に合わないのか?こんな……こんなことってあるか?

 ……いいや。そんなわけがない。まだ、何かおれに悪いところがあったんだ。おれがうまくできていなかったから、そのせいで。

 ……次こそは。

 ……たとえ何千回繰り返しても、おれは絶対にあいつを

 

「……恨めよ」

 

 直後、何かを断ち切る音が聞こえた。

 

 

 

 

 そこからもう、数が分からなくなるくらい繰り返した。

 どれだけ完璧にすべてをこなしても、それでも間に合わなかった。

 認めたくなかった。

 すべてが手遅れなんてことがあるわけない。この力があれば、おれはあいつを救えるはずだ。救わなきゃいけないんだよ。

 ……でも、どうやってもあいつが刺されるまでには間に合わない。

 

 けれども。あいつは、それで死ぬわけじゃない。

 直接の死因はヨシュアに首を落とされたことだ。そもそも、おぼろげに覚えている最初の方では、全く間に合っていないのにも関わらずまだおれは巻き戻っていなかった。

 つまり、おれがヨシュアに勝てれば。奴を殺れれば。

 ……あいつは救える。救うことができる。

 

 おれは、折れない。絶対に、あいつを救うまでは。

 たとえ何万回繰り返したって。

 ……たとえ、もうあいつとの思い出のほとんどがちゃんと思い出せなくたって。

 この気持ちだけは、決して忘れることなく魂に刻み込まれているから。

 

 

 

 

 

 

 設置と起動の二段階が必要なおれのアーツは、どうやっても近接高速戦闘に持ち込まれるヨシュア相手には不向きだ。

 結局刀でどうにかするしかない。それにしたって、奴の攻撃を受け止めるのはまずい。

 だから、まずすべきは奴の剣技を身体と脳みそに染み込ませることだ。剣の間合い、軌道、速度、奴自身の速さ、それら全部を反射で処理して躱せるようにする。

 これまでの繰り返しで奴とは相当な回数戦ってはいるが、早く着くことに主眼を置いていた以上、最後のほうは対峙したらすでに次のことを考えていた。

 今度からは、全ての思考を奴に勝つためだけに費やす。何回かかるかなんてわからない。それこそ、200年分の戦闘経験の差があるんだ、そう簡単にいくわけがない。

 何万回か、何十万回か。切り刻まれながら、奴の200年を超えてやる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 右、左、バックステップ、ブリッジ、左に転がって前に出る。

 最小限の回避と、後隙に誘導しての回避。二つを使いこなすことで、どうにか致命的な一撃を避けていく。先ほどからいくつか掠めているが、流れた血も微々たる量だ。

 ここまでは順調。だが、ここからが本番だ。

 

「……ほう」

 

 一度距離を置いたヨシュアが、興味深そうな声をあげる。次の瞬間、こちらに向かって高速で向かってくる影。直線的な動きに合わせるようにしてアーツを設置するも、異様な機動で避けられる。

 横、前、横、前。直角に超高速の短距離ダッシュを繰り返すような、人体の構造を無視した動きで背後に回られた。

 一撃を勘でどうにか避けきるも、崩れた姿勢に容赦なく二撃目が叩き込まれる。

 

「クソッ!」

 

 おれは悪態をつきながら、もう使い物にならないこと前提で刀を構えた。一回くらいなら耐えられるはず。

 ……そんな思いとは裏腹に、()()()()()()()()()()()。縦の振り下ろしが大きく弧を描くようにおれのガードを避け、腕を落とした。

 ……まただ。またこれだ。剣の軌道が変わるなんてありえない。あのスピードは膂力で説明できるかもしれないが、これと先ほどの直角の機動には間違いなくタネがある。

 それがわかるまで、おれは

 

「……恨めよ」

 

 直後、何かを断ち切る音が聞こえた。

 

 

 

 

 

 勘が外れて一発で持ってかれた。

 

「……恨めよ」

 

 直後、何かを断ち切る音が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 曲がる剣は避けたが、そのあとヨシュアが急加速した。

 

「……恨めよ」

 

 直後、何かを断ち切る音が聞こえた。

 

 

 

 

 

 アーツを勘だけで置いて起動する。ここまで全く当たらなかったその一撃は、今回もやはり当たらない。

 ……だが、妙なことがあった。アーツが奴の進行方向の遥か先で炸裂する。当然、何の影響も与えるはずはない。だというのに、ヨシュアの姿勢が一瞬崩れた。

 すぐに持ち直してはいたが、それでも確かだ。ここまでの繰り返しで、そんなこと一度もなかったというのに。

 地面に這いつくばりながら、おれは考える。

 

「……恨めよ」

 

 直後、何かを断ち切る音が聞こえた。

 

 

 

 

「…………糸だ」

「…………ふっ」

「不可視なのか、細いせいかはわからない。けど、お前はそれで自分のことを引っ張っている。直角で直線的な機動は全部それで……虚空から出せるのか?」

「……気が付いたか」

「お前だけじゃない。剣もだ。それで空中で軌道を変えてる。……なるほど、後から操作できるなら読みあいする必要もないってか。クソ後出しのじゃんけんだ」

「……だが、遅きに失したな」

「……いいや。首洗って待ってろ」

「……残念だ。その機会がないのは。……恨めよ」

 

 直後、何かを断ち切る音が聞こえた。

 

 

 

 奴の、ヨシュアのアーツの正体は糸を虚空から呼び出して操作することだ。横方向への高速移動は、自らの横の虚空から糸を呼び出し、それで自分自身を引っ張らせることで行っている。

 それだけじゃない。剣の縦への振り下ろしを横から引っ張ることで軌道を弧状に変える。振り切った剣を糸で引き戻すことで、高速の連撃を作り出す。

 奴はいわば、自分で自分を操作するマリオネットのようなものだ。

 

 だから、糸を切られた時にあの機動は止まる。糸を出している虚空とヨシュアの間の空間をアーツで抉りとった時、急に姿勢を崩したように。

 ……正直なところ、タネが割れたところですぐにどうこうできるわけではない。結局糸が不可視である以上、ある程度は予想できるとは言え最終的には勘に頼って処理しなければならないし、そもそも仮に切れたとしてもリカバリーが早く、大した隙は作れない。

 何より厄介なのが、奴はおれの動きを見てから対応できるところだ。見えてはいるが、動き出してしまった以上急に動きは変えられない。普通ならこうあるべきところを、あいつは糸を使うことで、人間の身体が想定していない動きで強引に行動を変えられる。

 速度と対応力。それが奴のアーツの強みだ。対しておれは、その糸をどうにかすることでヨシュアの強みを殺していかなければならない。

 糸が張られそうな場所へのアーツ設置と起動によって選択肢を狭め、ただ躱すだけではなく、刀での斬撃でアーツの迎撃も試みる。幸いにも、これまでおれを拘束したり、引き寄せるような扱いがなかったことから、他者への干渉はできなさそうだ。そうなれば、まだやりようはある。

 方針は定まった。あとは実戦あるのみだ。

 ……あいつを救えるまで、何度だって繰り返してやる。

 ……そうしないと、ダメなんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……クソッ。

 ついに奴に一撃を叩きこむことに成功はした。

 回避を続け、アーツをばらまきながら時には刀や蹴りで剣の起動を逸らし、期を窺うことしばらく。アーツと刀、もう一度アーツ。三回連続で糸の切断に成功したおれは、一瞬の、しかし致命的な隙を晒したヨシュアの心臓のあたりを一直線に突いた。

 さくりと軽い音を立てて突き刺さっていく刃。おれは勝利を確信して、その直後違和感を感じる。

 感触が違う。肉ではなくて、何かの束をかき分ける様な、そんな感触──

 ──糸だ。

 気付いた時にはもう遅い。刀は糸の鎧に絡めとられ、突きに全力だったおれの身体は隙だらけで。あっという間に四肢を落とされた。

 ……刃が通らない糸の鎧。蠢いていたことから、恐らくは伸縮させて身体機能強化と保護も兼ねているはずだ。あの無茶な機動で身体がイカれていない理由がわかった。

 ……ヨシュアに、刀での攻撃は通らない。

 ……絶望が、色濃くなる。

 …………でも、それでも、おれは。

 

「……恨めよ」

 

 直後、何かを断ち切る音が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 アーツをぶち当てなければならない。

 おれの持ち得る手段の中で、奴に致命傷を与えることができるのはそれだけだ。

 しかしながら、アーツを当てるのは困難を極める。

 一つは設置と起動という二段階を踏まなければいけないことに起因するタイムラグ。これに関しては、糸の切断のときのように先を読んで置いていくしかないのだが、相手が動いているヨシュア本体というのが問題だ。

 糸のときは湧き出てくる場所さえ何となく把握すれば、奴とその空間との間のどこかに適当に置くだけでよかった。糸自体は実質的に不動標的だったからだ。しかしながら、高速で動く奴に当てるとなると話は変わってくる。ラグの影響がでかすぎるのだ。

 そして二つ目の問題。アーツの設置の仕方だ。今現在、おれはアーツを空間上に置くという感覚で使っている。イメージ的には自分を原点にとって周りの空間を格子状に分割し、その中からある一点を決めている感じだろうか。

 実際には感覚で置いているため、そこまで厳密でもないし、そこまで難しいと思ったこともない。だが、ヨシュアのような高速で動く目標に当てるとなると、いわば自由に飛び回っているボールをドンピシャで点で捉えるようなものだ。そこに加えて奴との読みあいをしなければならないのだから、難しいなどという話ではない。実質的に無理だ。

 そして、おれのアーツは同時に2か所に使うことはできない。設置と起動を終えてからでないと、新たに設置することができない。

 現状、奴の機動力を削ぐためにアーツを使っていたのに、それを殺傷用に回すとなると、奴の機動力が増して当てられなくなるという悪循環。これじゃ……

 

 ……いや、落ち着け。

 ……折れるわけにはいかない。……折れちゃ、いけないんだよ。

 ……やれることをやる。これまで通り。

 まずは糸での機動にアーツを使わずに対処することだ。あの短距離ダッシュからの攻撃は勘で避けて、至近距離の軌道変化は糸を刀で、剣を手足で対処する。剣の腹を殴って蹴って、軌道をこちらから能動的に逸らすような技術が必要だろう。手足を何千回か切り落とされながら覚えるしかない。

 ……どれだけ繰り返したって、精神が擦り切れたって。おれは、あいつを助けるんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 奴の攻撃は捌ききれる。だが、移動に使う糸を切断できない以上、アーツを当てられない。

 ふと、自分の手を見つめる。

 脳みそでは思い出せないけれども、この手が覚えているあいつの体温。きっと暖かくて、凍っていた心も身体も溶かしてくれるような。

 それに、銀色の髪の感触。さらさらとしていて、心が凪ぐような。

 ……やり方には気付いている。アーツをぶち当てる手段はある。

 

 …………おれは、どんなことをしてでもあいつを救うって決めたんだ。

 

 

 

 

 

 飛行装置から飛び出るようにして降り立つ。視線の先で、真新しい血を付けた剣を手にヨシュアが振り返る。

 

「……少し、遅かったな」

 

 おれは刀を抜いて、静かに時を待つ。

 

「……言葉は不要か」

 

 幾度となく聞いた奴の言葉。そうだ。その通りだ。問答は要らない。ただ、お前を殺れればそれでいい。

 お互いに得物を構えたまま、黙して睨み合う。目に見えない何が充満して、張りつめた空間。

 それを切り裂くように、一陣の風が吹き抜ける。圧倒的な膂力で突進してきたヨシュアだ。

 おれは半歩引いてその一撃を躱すと、切り返しての二撃目を刀で逸らす。金属が擦れる乾いた音を灰色の空に響かせながら、おれは後ろに引いて距離を取った。

 見れば、ヨシュアの眼の色が変わっている。不出来な若者に稽古をつける様な舐め腐ったものではなく、愉しみを見つけた戦争屋のものへと。

 

「…………ほう」

 

 アーツを叩きこむには、奴に致命的な隙を生じさせる必要がある。それには、本気でこちらを殺りにきてもらわなければならない。

 だから、全てはここからだ。

 ヨシュアが加速する。ジグザグの軌道を描きながら、空気の唸るようなスピードで。

 まずは小手調べとばかりにやってきた勢いそのままの切り払いを、胸を逸らして剣の腹を蹴り上げて回避する。その反動で靴底が焦げるにおいと共に高速ターンして襲い来る一撃を躱し、追撃を刀で払い落とす。

 濃密な攻防は、しかし一瞬の出来事だ。すぐに次が来る。

 牽制で放ったアーツが横へのスライドで回避され、そのまま鋭角に切り込んで振り下ろされる剣。ガードの構えを見せて斬撃の軌道を変化させ、それを読んで設置したアーツで糸を切れば、それを感じ取ったヨシュアが自身を移動させ、おれは半歩踏み込んでそれを捌き切る。

 相殺されるのを承知で蹴りを叩き込み、お互いに反動で距離を取った。

 

「…………ふう」

 

 短く息を吐く。一手読み違えたら、一手反応が遅れれば、またやり直し。ロドスから始まる、精神を削りとる旅路を始めることとなる。 

 だが、もはやそれで心が動くような精神構造を持っちゃいない。気にしていたらとっくに壊れている。ガリガリとした何かが削れる音を幻聴しながら、ただ目の前の奴を殺す方法を練り直すだけだ。

 ……そして、今のおれにはその方法がある。あとはタイミングだけだ。

 

 ヨシュアの口角が上がる。実に愉しそうな、そんな顔をしている。

 結構なことだ。おれは手の感触を確かめるようにして、握る刀に力を籠める。

 時間が止まったかのように静かな灰色の景色。そのどこかで瓦礫が音を立てて地面に落ちたのを合図に、おれたちは動いた。

 距離を詰めようと駆け出したおれを嘲笑うかのように、ヨシュアが浮く。短距離ダッシュも併用した、超高速の三次元機動。点の攻撃であるおれのアーツが当たるわけもない。

 刀を片手に、動体視力を捨てて勘だけで奴を視界に収め続ける。その機動を制限するようにアーツをばら撒き、時折くる突進を紙一重で躱し続ける。

 だが、そんなギリギリの綱渡りがいつまでも続くはずはなく。ほんの一瞬、奴が視界から外れる。

 瞬間、おれは反射的に背後5時の方向に向かってアーツを放とうと試みて。

 それを完全に読み切って横にスライドするヨシュアに、右腕を落とされた。

 

 ──おれの狙い通りに。

 

「っ!」

 

 至近距離から息を呑む声が聞こえる。そのままおれは、残った左手を奴の胸に突き刺した。

 ……おれのアーツは、横に移動しようとする奴の糸を切っていた。それによって、一瞬、ほんのわずかな一瞬だけ、奴の動きが止まる。その時におれの至近距離に居てもらうためには、腕一本が必要だった。

 その代価に叩き込んだ、奴への一撃。鋭く突き立てた左手は蠢く糸の鎧に絡めとられ、がっちりと固定されている。反射的にヨシュアが短距離ダッシュをするが問題はない。おれごと移動している。

 ……高速で動くヨシュアにアーツを当てる方法。座標上にアーツを置いているおれにとって、座標が確定しないことにはアーツを当てることはできない。絶対的な座標空間上では、点の攻撃であるアーツで、奴を捉えることはできない。

 だから、相対的な座標を作り出す。おれと奴が一緒になって動くことで、その距離関係を確定させる。

 そんな細かい理屈は抜きにしても、やることは簡単だ。おれがヨシュアを掴んでいる手。そこにアーツを置いて起動すればいい。

 

「……じゃあな」

 

 恨みの言葉でも、侮蔑の言葉でもなく。おれの口から零れ落ちたのは、ただそんなありきたりな別れの言葉だけだった。

 アーツを起動する。半径はだいたい、手から前腕の中頃ほどまで。

 音もなく、破壊が巻き起こり。

 おれの左手が消滅して。

 ヨシュアに空いた大穴から、あいつの姿が見えた。

 

「……終わりか。…………すまんな、W」

 

 それだけ言って、ヨシュアは眼を閉じる。

 死んだ。あいつを何十万回と殺し、おれを何十万回と切り刻んだ仇敵が。

 その事実も、最期の言葉も、何一つ頭に入ってこない。

 

「Ω!Ω!」

 

 おれは半狂乱になってあいつの名前を呼ぶ。

 その体温も、髪の感触も、感じることのできる手は無くなってしまったけれども。それでも、おれはやったんだ。やっと救えたんだ。

 不揃いな腕にバランスを崩しながら、血を垂れ流しながら、おれはあいつの下までたどり着く。

 

「Ω!……頼む、Ω……!」

 

 アドレナリンを撒き散らして痛みを忘れ、手を失った左腕で何度も名前を呼びながら彼女を揺さぶる。

 大丈夫だ。絶対に大丈夫だ。だっておれはヨシュアを倒したんだ、殺したんだ。だから絶対に大丈夫だ。

 そう自分に言い聞かせ、ただ願う。

 ……果たして、それが聞き入れられたのだろうか。声が、聞こえた。

 

「…………ねえ……」

「!!」

「…………あんたって…………結構泣き虫よね…………」

「……Ω!」

 

 見なくてもわかる。顔がぐちゃぐちゃなのはわかってる。でも、いいじゃないか。

 こんなに嬉しいことはない。こんなに、待ちわびていたことはない。

 ずっとこの声を聞きたかった。ずっと逢いたかった。言葉を交わしたかった。

 言いたいことがありすぎて、うまく言葉が出てこない。でも、とにかく最初に言いたいのは……

 

「……あたし…………」

 

 好きだと。そう言おうとした口を止め、静かに彼女の次の言葉を待つ。

 

「……好きよ…………あんたのこと」

「…………え?」

「……ずっと前から……だから…………」

 

 眼を閉じたまま、Ωの言葉が続く。

 

「…………最期に…………言えてよかったわ……………………」

 

 脳が。

 理解を拒む。

 

「……もう…………いいのよ…………」

「…………嘘だ」

 

 ヨシュアと戦っている間はこんなのじゃなかった。だって、孔越しに見えたΩは、こんな風にはなってなかった。

 

「…………戻さなくて………………いいの…………………………」

「……嫌だ。絶対に嫌だ」

 

 でもじゃあ、何でこんなに血が溢れて止まらないんだ?

 おれにやれることは全部やったはずだ。ついさっきまでは大丈夫だったはずだ。

 ヨシュアだってあのあとは何も危害を加えていないはずだ。戦闘に巻き込んでもいないはずだ。

 だったらおかしい。おかしいよ。

 だってそれじゃあ、まるで。

 

 最初から致命傷だったってことじゃないか。

 どうやっても間に合わないってことじゃないか。

 

「………………あんたは…………………………幸せに………………………………………………」

「…………………………………………………………………………………………………………あ」

 

 何かが。

 ぽっきりと折れた音がした。

 

 

 

 

 

 見慣れた厨房で、おれは目を覚ます。

 刀を抜いて、首に当てる。

 昔も似たようなことをしたことがあったっけ。その時は、死ぬのが怖かった気がする。

 今はもう、生きてる方が怖い。あいつが死んでしまう世界を、生きてる方が。

 刀を振り絞る。

 視界が空中に飛んで、それから落ちて。

 全部が真っ暗になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──今日の夕飯はどうしようか。

 瓦礫の間を歩きながら考える。

 昨日は久しぶりにラテラーノ料理を作ってみたが、やはり美味い。

 昨日使ったのは初めて見る種類のパスタだったが、ソースとの絡みが抜群だった。

 普段が粗食の分、偶のごちそうのおいしさが殊更に際立つねえ。

 ああ、思い出すだけでよだれが垂れてきそうだ。

 

 さてさて、情報によるとこのあたりのはずだけど……

 ……おっ、いたいた。情報通りサルカズが四人。なんだ、みんなで楽しそうにしちゃって。

 ……馬鹿さ。ここはもう戦場なんだぜ?

 

 問答無用でボウガンの弓を放つ。それで一人前のサルカズ串が完成だ。糸が切れたようにその巨体が倒れ込む。それでみんなぎょっと目をむいて攻撃のあった方向を睨みつけてきた。バッチリお目眼とお目眼がこんにちわだ。おお、怖い怖い。

 考えなしに突っ込んできた脳筋サルカズは、剣の一撃をおれに叩き込んで──派手に空振る。残念でした、隙だらけの頭に銃弾をぶち込んでもう一丁上がり。

 空間を捻じ曲げて光路を歪める……有り体に言えば目の錯覚を引き起こすだけのショボいアーツなのだが、使いようによってはこの通りだ。

 そうそう、ちなみに昨日のパスタはアラビアータって感じだったんだけど、おれとしては挽肉たっぷりのミートソースパスタも捨てがたいんだよね。

 決めた。次にパスタが手に入ったらミートソースにしよう。おっと、勿論食材はちゃんとした食用の肉でだ。飛び散った脳漿からして、実に不味そうだもん。

 

 急に仲間が地面の汚いシミになったんで、敵さんはずいぶんとお怒りのようだ。俄然やる気を出して突っ込んでくる。銃撃の音で場所がわかったのか、こんどはちゃんと本体に向けて一直線だ。

 おれはアーツを解除してどうにか斬撃を躱し、有利な体勢で鍔迫り合いに持ち込む──も、それをいなして一歩引くサルカズ。直感に任せて後ろに飛びのくと、上空からの矢が地面に突き刺さった。浮遊したサルカズがこちらに向かって弓を構えている。

 おいおい、情報と数が違うじゃないか。危うく殺られるところだった。

 ……後でこのいい加減な情報を持って来やがったあいつはぶっ飛ばしてやろう。

 取り敢えず今は──あいつ、厄介だな。

 

 適当に銃弾を空中にばら撒いて、屋内に逃げ込む。後ろから追ってくる気配を感じればしめたものだ。再びアーツを起動して、今度は全く別の方向に走っていくおれの姿を見せつける。

 追ってきた二人組のうち、まんまと引っかかった一人を放置して、一瞬考えたもう一人をぶった切る。幻影を消して戸惑った相手を矢で貫けば、残りは飛んでる奴だけだ。

 と言っても、対処は簡単。アーツを起動した状態で堂々と外に出て、貰ったとばかりに攻撃に夢中のお馬鹿さんを銃撃してお終いだ。

 当たり所が良かったのか悪かったのか、地上に墜落してもまだ生きているようだがもはや敵ではない。脳みそは既に、さっき思いついた何事かを思い出そうとしている。

 

 ……そうだ、夕飯だ。また是非ともパスタを食いたいのだが、あの代物はめったに手に入らない。

 昨日は偶々ラテラーノの傭兵がいたから良かったけど、そういるもんじゃない。

 そろそろ自分で作るという手段を取るべきかもしれない。そんな訳で、おれのtodoリストの最上位に”次にラテラーノ野郎を見つけたら〆てパスタの製法を聞き出す”が追加された。

 

「~~~~~~~~っ!」

 

 そうなると、今日はいつも通りにパンと適当な何か──今隠れ家には虫しかないけど──になるのかな。仲間の傭兵連中と一緒に食うんでもいいんだが、賑やかすぎるんでおれはどうにもあの場に馴染めない。いい奴らだとは思うがね。

 

「うわあああああああああ!」

 

 叫び声とともに、撃墜されたサルカズが弓を放ってくる。その顔は涙やら鼻水やらでぐちゃぐちゃだった。

 果たして、そんな顔でなおも立ち向かってくるのはどんな気持ちなんだろうか。おれのことが憎い?自分の無力さが恨めしい?悔しい?

 ──わかるよ、その気持ち。仲のいい連中だったのか?それじゃあ辛かろうよ。

 ……ま、尤もおれにこんな経験はないけどな。

 

 ──……嘘だ

 ──……嫌だ。絶対に嫌だ

 

 ……何だ?

 ……頭が痛てえな、畜生。

 

「……悪いな。お前を見てるとなんか気分が悪くなんだわ」

 

 泣きわめく声がうるさくて頭がガンガンするので、適当に風穴を開けて黙らせた。

 戦場でワンワン泣いちゃって、情けないったらありゃしない。傭兵失格だ、失格。

 こういう弱い奴を見てると、虫唾が走るぜ。

 ……ま、取りあえずはお仕事完了か。

 

 

 

 今回は形が残った奴らもいたので、色々と物色させていただく。医薬品一式に食料少々……おっ!パスタじゃないか!

 どうやら、こいつらもラテラーノの傭兵とやりあってこいつをゲットしたらしい。なんともありがたい限りだ。

 こういう風に戦利品を物色するのは、傭兵稼業の中で最も楽しい瞬間ではないだろうか。少なくともおれはそう思う。あんまりいい趣味とは言えないだろうが、殺しを楽しんでいる同業者連中よりはよっぽど健全だと思うね。

 ……まっ、おれも多少は楽しんでるけど。

 そのくらい狂ってなきゃ、この世界では生きていけないだろ?

 

「ザ──ザザ──おい──」

「ん?もしもーし。聞こえてますよー」

「──敵部隊は──撤退──俺たちも──する」

「了解。場所はブリーフィング通りの場所で?」

「そうだ。ザ──ご苦労、W」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




「何やってんだ?」
「……あ、これ?■■■■■■。ほら、あの■■■■とか出してる所の」
「へー。最近出たのか」
「あー……まあざっくり1年前くらいかな」
「単におれが興味なかっただけか。で……うわ、なんかムズそうだな」
「結構頭使う系ではあるけど、まあやってみれば意外といけるくらいの塩梅かな。結構ちゃんとゲーム性あっておもろいよ。やれよ」
「いや、おれには無理だな。脳筋だし」
「いやいや、そんなこと言わずにさ。……ほら、絵がいいだろ?なんか好きなのいる?」
「セールスされてもやらないぞ……あ、でも確かに絵いいな。好きって言っても……こいつとか?」
「おっ……好きだなあ、銀髪」
「いいじゃん」
「でもお目が高いな。こいつつい最近の限定だし」
「へー。でも変な名前だな」

「W、って」



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永劫回帰─My Worlds Revolve Around You

 

 

「っ!」

 

 目を覚ます。瞬時に飛び起きて、自分のできる限りの速さで走る。

 やることは単純だ。あいつを押しつぶすように落ちてくる瓦礫を銃弾で破壊すればいい。たったそれだけのこと。一発しかないことや、使う銃の反動が無茶苦茶なことなんて些細な問題だ。

 昔モローが洒落で改造した銃と弾丸のセット。遺品だからと捨てずに持っていたのが功を奏した。その大口径から生み出される破壊力のおかげで、瓦礫に太刀打ちすることができる。

 狙いをつけるのはもちろん走りながら。それに、正確に瓦礫の核を撃ち抜かないと粉々にはならず、一部が欠けるだけでそのままあいつを押しつぶす。

 ……そのせいで、おれは何十回もあいつを死なせてしまった。巻き戻ってなかったことになったとはいえ、その事実をおれだけは知っている。

 必ず救わなきゃいけない。こんな力を持ったのも、全部あいつを救うためだ。

 おれはまだ、あいつに何も言えてないんだ。こんなところで死なせるわけにはいかない。

 

 ……大丈夫だ。これまでより少し繰り返した回数が多いだけだ。少しだけ、猶予がないだけだ。おれならやれる。……絶対に。やらなきゃいけないんだ。

 

 あいつの姿が見える。同時に、落ちてくる瓦礫も。

 おれは身体に染み込ませた動きで銃を構え、反動を制御しながら銃弾を放つ。右腕の骨が粉々になった感触がしたが問題ない。これが最適解だ。

 放たれた弾丸は真っすぐに一直線の軌道を描き、瓦礫に吸い込まれていく。それを尻目に、おれはお守り程度のアーツを発動した。幻影を見せることくらいしかできないアーツだが、空間ごと光を曲げることくらいはできる。瓦礫に干渉できるかは未知数だが、うまく曲げれば破片を逸らすことができるはずだ。

 果たして、弾丸は瓦礫の芯を食って貫く。粉々に破砕した破片がいくつか散らばるも、そのうちの何個かが不自然に曲がり、あいつを避ける。

 ……一つも当たってない。

 ……まだ、戻っていない。

 ……やったのか?

 ……いや、やったんだ!

 

「……Ω!」

 

 息も絶え絶えに名前を叫ぶ。彼女の下へと向かう。

 手前の瓦礫が邪魔で全身は見えないが、覗いた顔が見せている表情は穏やかだ。

 こんなに長い間言葉を交わせなかったことはない。今はただ、早くあいつの声が聞きたい。いつの間にかおれの心の真ん中に居座った、あいつの…………

 

「…………え?」

 

 自分の口から漏れ出た言葉のはずなのに、それは妙に場違いに聞こえた。

 ……おれは、ちゃんとやったはずだよな。ちゃんと、あいつを押しつぶそうとしていた瓦礫を木端微塵にした。それで、ちゃんと救えたんだよな。

 ……だって、こんなに穏やかな顔をしているんだ。まるで、いつかみたいに寝息が聞こえてきそうなくらいにさ。

 ……だから、これはおかしい。目の前のものは、きっと現実じゃないはずだ。

 

 こんな、あいつの腰から下があるはずの場所に、赤黒い水たまりがあるなんていうのは、絶対に。

 力が抜ける。もはや自分が立っているのかすらわからないほどに、身体の感覚が失われる。

 ……違う。これは、おれがうまくやれなかったからだ。もっとうまくやれば、きっと、きっと……

 

 

 

 

 目が覚める。いつの間にか、おれはまた戻っていた。

 けれども、虚脱感に覆われた身体はうまく動かない。どうにか起き上がった頃には、おれは再び目を覚ましていた。

 

 何十回かのループの末、ようやく虚脱感から脱する。きっとあれはおれが失敗したからだ、そう自分に言い聞かせて。

 

 ……そこからは、少しずつ心を削っていく作業だった。

 繰り返すたびに、現実がが露になっていく。おれの抱いている微かな希望を嘲笑うかのように、粛々と事実を見せつけられる。

 

「…………………………あ」

 

 何百回か、何千回か。

 唐突に、おれは折れた。もう、起き上がる気力が湧かなかった。

 何もない。おれにはもう、何もかも。

 今はただ、生きてるのが苦しい。

 

 たっぷり何ループかかけて、おれは弾丸を装填した銃を咥える。

 引き金は軽かった。

 源石火薬の爆ぜる音と共に、焼けつくような脳幹が破壊される感触。

 それで、全部が永遠に真っ暗になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なあ、いつまで繰り返す気だ?」

「あいつを救うまで」

「……いい加減諦めろよ。無理なものは無理だ」

「……黙れ」

「図星か?…………薄々気付いてるんだろ?」

「……おれは、あいつを幸せにしなきゃいけないんだ」

「…………はあ。じゃ、気が済むまでやればいいさ」

「……言われなくても」

 

 

 

「……………………尤も、残りはそう多くないけどな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 眼下に広がる景色を無感動に見つめる。この高さなら十分だろう。

 虚空へと踏み出した一歩の足取りは軽く。すぐに落下が始まった。

 脳裏によぎるのはあいつとの思い出の数々。擦り切れて無くなったと思っていたものを、最期に見れたのはこの残酷な世界が垂れた憐憫なのだろうか。

 ……はたまた、どこまでも絶望を突き付けるための悪戯なのだろうか。

 時系列順に流れる思い出はその終着点で真っ赤に染まったあいつの姿に塗りつぶされ、数瞬後におれの空中の旅も終着点を迎える。

 それで、おれの視界は真っ暗になった。

 

 

 

 

 

 

 

 手榴弾のピンを引き抜く。

 信管が作動し、あと数秒で爆発するという事実も、何らおれの心を動かすことはなかった。

 もう、全部がどうでもいい。

 ただぼんやりと手元のそれを見つめていると、瞬間的に源石エネルギーが解き放たれ、おれの視界は真っ暗になった。

 

 

 

 

 

 おれの視界は真っ暗になった。

 

 

 

 

 

 

 

 おれの視界は真っ暗になった。

 

 

 

 

 

 おれの視界は真っ暗になった。

 

 

 

 

 真っ暗になった。

 

 

 

 真っ暗になっ

 

 

 真っ暗に

 

 真っ暗

 真っ暗

 真っ暗

 真っ暗

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を覚ます。絶望が、繰り返される。

 目の前のあいつは、意識を失っていた。

 

 バベルからの依頼で護送作戦に参加したおれたちを待ち受けていたのは、テレシス陣営による襲撃だった。

 圧倒的な戦力差で襲い掛かってくる敵。どうにか撃退しても、すぐに無傷の新手が現れる戦場は、悪夢そのものだった。

 矢も爆弾も使い果たしたおれたちは、どうやっても手の届かない遠距離からアーツと矢で攻撃されながら、大剣を手にしたサルカズ傭兵との近距離戦に持ち込まれる。 

 そこから破綻が訪れるまではあっという間だった。

 まずおれを庇って矢が直撃したあいつが倒れて。動揺したおれもガードを弾かれたところに鳩尾に蹴りをくらって一瞬意識を飛ばす。

 それで、詰みだった。

 

 地面に組み伏せられたおれは、無気力にそれを見つめる。

 矢は、左胸を貫いていた。様子を見たサルカズ傭兵が首を振る。その反応に、奴らの指揮官らしきサルカズはポツリと呟く。

 

「……将軍も評価していたのだがな。残念だ」

 

 ……お前たちがやっておいて、残念だと?

 そんな風に、脳みそが沸騰して暴れてみたこともある。けれども、おれにはなすすべがなかった。取り押さえられた身体はぴくりとも動かず。自身の周囲の光を散乱させるだけのアーツは何の役にも立たない。

 ……ぼんやりと思う。もしおれが、こいつらを挽肉にできるようなアーツを持っていたら、こんなことにはならなかったのだろうか。

 

 

 

 

 目を覚ます。

 ……おれは、無力だ。おれがもっと強ければ、もっと力があれば。こんなことにならずに済んだんだ。

 ……おれが身の程をわきまえていればこんなことにはならなかった。 

 ……おれが殺したんだ。あいつを、おれが弱いせいで。

 こんな愚図を庇ってあいつは死んだ。こんな何もできない、地面に転がっているだけの無価値な奴のために。

 

 

 

 

 目を覚ます。

 おれのせいだ。全部おれのせいだ。

 何を間違った?

 動揺してしまったこと?

 この方面にやってきてしまったこと?

 囮の護衛対象を置いて逃げ出したこと?

 この作戦に参加したこと?

 傭兵団を抜けたこと?

 傭兵団にあいつを入れたこと?

 

 ……あいつと、出会ってしまったこと?

 

 一人でも大丈夫だったはずだ。このクソみたいな世界でも、生き抜いていくだけの力があいつにはあったはずだ。 

 けれども、おれと出会ってしまったせいで。あいつはいま、こうして倒れている。

 

「……………………ごめん」

 

 

 

 

 目を覚ます。

 ごめん。

 何もできなくてごめん。

 役立たずでごめん。

 足手まといでごめん。

 出会ってしまってごめん。

 生きててごめん。

 生まれてしまってごめん。

 

 眼から涙が零れ出る。悲しいでも、悔しいでもなく、ただ涙が。

 

「……………………ごめん」

 

 最後にそうとだけ呟いて、おれは舌を嚙み千切った。

 

「あがっ……………………!」

 

 口いっぱいに濃厚な血のにおいが立ち込めて、ちぎれた舌が喉に詰まって呼吸を妨げる。

 ……ごめん。ごめん。ごめん。ごめん……………………

 

 

 

 

 目を覚ます。おれは絶望した。

 また生きながらえてしまった。また殺してしまった。

 その事実に頭がおかしくなりそうになる。

 早く死なないと。

 それでもしないと、あいつに申し訳が立たないから。

 おれは舌を嚙み千切った。

 

 

 

 

 

 目を覚ます。

 まただ。

 舌を嚙み千切る。

 

 

 

 

 目を覚ます。

 舌を嚙み千切る。

 

 

 

 

 目を覚ます。

 舌を嚙み千切る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を覚ます。

 舌を嚙み千切る。

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を覚ます。

 舌を嚙み千切る。

 

 それでやっと、おれの視界は真っ暗になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おれは黒く暗い、地平線の彼方まで暗闇で閉ざされた世界で眼を覚ます。

 

「またダメだったな」

 

 ふと、嘲るような声が聞こえてきた。

 おれはその声を無視して背を向け、先に進もうとする。

 

「おいおい、まだやるのか?お前も、そろそろ諦めがついただろ」

「……諦めるわけないだろ。おれは、あいつを」

「あのなあ」

 

 あいつを、幸せにしなきゃいけないんだ。

 そう続くはずだったおれの言葉を遮り、特大のため息と呆れ切った声が暗闇に響き渡る。

 

「お前、もうロドスまでたどり着けなくなってるだろう」

「……っ、けど3周前は」

「気絶して運ばれてるところをテレジアに拾ってもらっただけだろ。お前の力じゃない」

「…………」

 

 淡々と事実を突きつけられる。それだけで、おれの口から反論の言葉は失われた。

 追い打ちをかけるように、声は続ける。

 

「アーツももう残りカスの残りカスだよな。周囲の空間に作用して光を散乱させる?ちょっとばかし光度が落ちて見えにくくなるだけだ、大した役には立たない」

「…………黙れ」

「……力があれば、だっけか?あれこそ滑稽だよな。お前にどんな大それた力があったところで結局あいつを救えないのに」

「黙れ!」

「せっかくだし振り返ってみるか?最初のあの時のことをさ」

「止めろ!」

「あー、叫ばれたって無駄なんだよな。おれ、お前だし」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おれは、それなりに幸せに生きていたはずだった。

 両親と妹の四人家族。母親は料理上手で、おれに色々な料理を教えてくれた。一緒に台所に立ったり、たまの休日にはおれが代わりに作ったことも一度や二度じゃない。父親はよく突拍子もないことを言って、母さんを困らせていた。夜中にいきなり星を見に行こうと言って車を出したり、ワニを飼いたいと言い出したり。妹は反抗期で母と仁義なき戦いを繰り広げていたけど、おれとの仲は良かった。買い物に一緒に行ったり、ラーメンを食べに行ったり。

 友人も、特別多かったわけではないけれども、ゲームで対戦したり、放課後の教室で適当に話していたり、校庭でキャッチボールに勤しんで、部室で麻雀に興じる、そんな友人たちがいた。

 おれ自身は別に特別でもなんでもない平凡な小市民で、特別なことなんてない毎日だったけれども、それでも家族や友人と一緒に居られれば、おれは幸せだった。

 

 

 だから。激しい音と光の後、この世界で目を覚ました時に感じたのは、ひたすらな孤独感だった。

 家族も、友人も、知り合いすらもおらず、挙句自分は異形になっていて。辺りを歩いてみれば通りすがりに襲われ、身包みを剥がされた。

 痛みと寒さとで朦朧とする意識の中で、白刃が煌めく。涙でぼやけた視界の中、自分に向かって振り下ろされるそれを見て、おれは恐怖した。

 知らない場所で、誰にも知られないまま、一人孤独に死ぬ。それが、どうしようもなく怖かった。

 嫌だ。死にたくない。そんな想いが届いたのだろうか。真っすぐに振り下ろされたはずのナイフはぐにゃりと軌道を変えて地面に突き刺さる。

 驚愕する下手人はしかし、すぐに両手でおれの首を絞めた。急速に阻害される脳への血液と酸素。

 殺される。このままでは殺される。

 でも、おれは死にたくない。

 ……だから。

 

 ぐしゃりと湿った音が鳴り響く。地面に組み伏せられたおれの全身に生暖かいものが降り注ぎ、濃密な鉄の香りがあたりに立ち込める。

 

「……………………っぷ!」

 

 反射的に抑えた手の隙間と鼻から、吐瀉物が溢れて出す。何度も、何度も。胃の中身が無くなってもなお、おれは吐き続けた。

 狂ってる。この世界は狂っている。

 殺されたくないから殺した。そんなことがまかり通っているなんて。

 

 おれは平凡でよかった。特別なんていらなかった。ただ、いつも通り幸せでいられれば良かった。

 なのに、この狂った世界はおれに特別を齎した。

 本能的に使ったこれは、おれに備わっているものだ。

 半径1kmの空間操作。曲げるも、圧搾するも、引き伸ばすも思いのまま。試しに1km先の地点とこの場所を繋げれば、瞬時に景色が変わる。

 

「…………はは」

 

 乾いた笑いが出てくる。

 

「ははは」

 

 なんだこれ。こんなの、やりたい放題だ。

 要らなかったのに。こんなもの、欲しくもなんともなかったのに。

 

「ははははははは!」

 

 どうせ狂った世界だ。まともじゃいられない。まともでいたら、きっと壊れてしまう。

 ならばいっそ、狂ってしまおう。お誂え向きの狂った力と共に。

 狂ったように、おれは笑い続ける。

 試し打ちとばかりに周囲の空間を滅茶苦茶に捻じ曲げ、奇妙なオブジェを辺りに乱立させながら。

 

 一通り暴れて疲れ切ったおれは、地面に仰向けに寝転がる。

 頭上に広がる寒空には星が瞬いていた。ぼんやりとそれを見つめていると、熱いものが溢れてくる。

 

「…………行こう」

 

 おれは目から零れるものを拭うと、立ち上がって歩を進める。

 行先もなく、帰る場所もなく、ただ彷徨うように。

 

 

 生きていくことは大変な事だと知った。

 食べられるものはなんでも食べた。そこら辺の草、よく分からない獣、虫。

 いちばん上等なのは襲ってきた奴を返り討ちにして奪った食料だった。大体は食い詰めた奴らだが、時折それなりの装備の奴らもいる。それを奪って身につけていく度、さらに狙われるようになる。

 そして、終いには誰も襲ってこないようになった。

 でも、おれは腹が減っていた。まともな食料に飢えていた。

 だから、襲った。それなりの装備をした奴ら──傭兵──を襲って、何もかもを奪った。泣き叫ぶ奴、恨みの視線を向けてくる奴、恐怖に震える奴。全員を殺した。

 この狂った世界にも社会は存在していたらしく、仇討ちで色々なやつに襲撃を食らった。それを全部返り討ちにして、今度はこちらから襲いかかって……そんな、順調に荒みきっていたおれの前に現れたのが、隊長だった。

 

 明らかに違う。前方から悠然と歩いてくるその人物は、これまで殺してきた凡百の傭兵たちとは持っているモノが違うのがはっきりとわかった。

 歩みはゆったりとしていて、殺気など微塵も感じないほどに凪いでいる。なのにも関わらず、とんでもないプレッシャーが圧し掛かってくる。

 奴が殺る気になれば、おれは殺される。そんな恐怖が腹の底から湧き上がってくる。

 だから、殺される前に殺さないといけない。おれはアーツを放とうとして…………

 

「待て」

 

 その一言だけで、動きを止められた。

 

「殺り合うつもりはない。ただ……少し話をしに来ただけだ」

「…………」

 

 そう言いながらなおも近づいてくる男に、おれはアーツを構えながら様子を窺う。

 話?何の話をしに来た?そう言って殺りに来るんじゃないのか?

 疑念と困惑が入り混じった感情で男を睨みつければ、続きの言葉がやってくる。

 

「……お前は何も知らないのだろう?」

「…………何?」

 

 彼の話をざっくりまとめれば次のようなところだ。曰く、こんな無法地帯でもそれなりの理があり、それを支える一角が傭兵であるらしい。おれはその暗黙の了解を無視して暴れまわったため討伐対象になったが、その暴れっぷりにどこも及び腰。そこで、少し気になるところがあったらしいこの目の前の男がやってきたというわけだ。

 

「若いサルカズ。お前がどこから来たのかは知らないが、ここで失うには惜しい。お前ならばきっと、サルカズの歴史に残る傭兵になれる」

「…………」

 

 歴史に残る傭兵。そんな称号には微塵も興味がない。

 

「……私の下へ来い。傭兵を教えてやる。戦い方も、知識も、全てをな」

 

 けれども。もしそうなれば、この孤独感も少しは紛れるのだろうか。

 …………おれは、差し出された男の手を掴んだ。

 

「…………あんたの名前は?」

「…………隊長と呼べ、新入り」

 

 ニヤリと笑いながら男──隊長が言う。おれも、自分の口角が上がるのがわかった。

 なるほど、ちょっとは楽しくなりそうだ。

 

「……よろしく、隊長」

 

 

 それからおれは、傭兵団の一員として生活し始めた。

 なるほど、確かにおれは相当な世間知らずだったらしい。あの場所の治安の問題だったかもしれないが、カズデルには普通に貨幣経済が存在し、貧相な品ぞろえとはいえ店もあった。

 傭兵の仕事をして報酬を頂き、それを使って飯にありつく。それなりに文明的な生活だ。

 宣言通り、隊長にはみっちりと教育された。格闘術に剣術、ナイフ術といった戦闘術から、登攀技術、隠蔽技術などの特殊技能、更には座学で戦術・戦略思考に、傭兵流アーツ学、カズデル、テラの他地域の基本知識など盛りだくさんだ。

 戦闘訓練ではアーツを禁止されて隊長と部隊員からボコボコにされ、座学は割合あっさりと飲み込んで隊長を拍子抜けさせた。

 時折ラテラーノの商隊を襲撃すれば美味いものが食えるし、敵をブチ殺して戦利品を漁るのも結構楽しい。

 総じて、おれは順調にサルカズの傭兵になっていった。

 

 ……最も、その内面は諦観で埋め尽くされていたが。

 傭兵団に入っても、価値観がサルカズのものに変貌していっても。それでもなお、おれは孤独を忘れたことがなかった。むしろサルカズになったからこそ、一際強く感じていた。

 同僚や隊長のことが嫌いなわけではない。寧ろ、いい奴らだと思う。特に隊長は、こっちでの親代わりのようなものだ。

 ……けれども、どこか壁を感じた。もしかすると、おれが作っているのかもしれない。だって、どこまで行っても自分はこの世界にとっては異物だと思ってしまっているのだから。

 狂いきってしまえれば、どんなに楽だったろうか。おれには、狂ったふりをすることしかできない。きっとこうして、終わらないダンスを死ぬまで踊り続けるしかないのだろう。

 そう、思っていた。

 

 

 

 それは、ある日の任務後のことだった。

 おれは傭兵団が拠点にしている街にこさえた隠れ家へと向かっていた。一人になれる場所が、おれには必要だった。賑やかな場所にいると、余計に孤独を感じるから。

 廃墟の間を縫うようにして歩いていく。明かりのない夜だが、問題はない。ここら辺は慣れているし、アーツだってある。半径1kmの空間の把握は万全だ。

 ふと、そのアーツに感があった。具体的には、こちらに向かってくる人影が。身長は160cmと少し。比較的小柄で華奢だ。が、その動きはなかなかに機敏でこちらの死角に入っている。

 何をしに来たのかは知らないが、ご苦労なことだ。おれはその人物が投げつけてきたものを空間ごと圧搾すると、続いて下手人をアーツで地面に押し付ける。

 

「うっ……!」

「……女だったか」

 

 聞こえてきた高い声に、手榴弾を投げつけてきた相手の性別を悟る。男だろうが女だろうが、死体になってしまえば同じだが。

 

「殺るなら……はやく……しなさいよ……」

 

 空間ごと地面に押し付けられ、潰れたカエルのような様相を呈した女が呻くように声を出す。

 真っ暗闇の中、おれは女に問うた。

 

「どうしておれを襲った?」

「理由が……いる……かし…ら?」

 

 なるほど、それなりに強情なタイプらしい。こんな場所で襲われたので話を聞いてみたかったのだが、どうやらダメそうだ。

 じゃ、殺すか。そう思い立って、女を圧殺しようとした、その時だった。

 雲にできた切れ間から月明かりが一直線に差し込んでくる。その光に照らされて、女の姿が露になっていた。

 銀色に輝く髪に、琥珀色の眼。おれは、その姿に釘付けになった。見たことがある。どこかで。思い出せないけれども、確かにどこかで。

 その瞳を見つめたまま、おれは必死にその何かを思い出そうとする。けれども、それより先に想起されたのは、おれの心象風景だった。

 

「………………ヘビだ」

「……?」

 

 思わず、声が出る。

 そうだ、おれの家だ。小さい頃のおれの家。

 

「……むかし飼ってた……すごくむかしに……」

 

 あまり広くはないけれども、二階建てで。大きなソファが置いてあって、テレビの横にはペットのゲージが置かれていた。

 中には白くてすべすべとした、とっても立派な蛇。

 

「目がすごくきれいだった。……そうだよ、父さんが買ってきたんだ」

「な……にを……」

 

 宝石みたいな、琥珀色の目をしていた。

 

「すごくうれしかった。いつもいつもながめてた。母さんに呆れられるまで」

 

 父さんに貰った爬虫類図鑑でいつも見ていたものが、家にやってきて。

 すごくうれしかった。

 

「見つめあってたんだ。きれいな目と」

 

 目の前の琥珀色の瞳が揺れる。

 一緒に蛇を見つめる父さん。そんな二人を見て呆れたように笑う母さん。その腕の中で、ニコニコとしている妹。

 暖かくて、幸せな家。

 もう二度と、おれが帰れない場所。

 

「なに……ない……てんのよ……」

 

 気付くと、目からは涙が溢れていた。

 狂ったふりをしていた?ふりなんかじゃない。おれは、もうとっくに。

 

「……父さん……母さんごめん。狂っちゃったよ……おれ」

 

 当たり前のように人を殺して、当たり前のように物を奪って。

 生きるために仕方がなかった。そんな言葉は、何の意味もなかった。

 きっと心のどこかで願っていた。帰りたいと。家に、あの暖かな世界に帰りたいと。

 でも、もはやそれは叶わないことだとわかってしまった。もうおれには、その資格がないのだ。

 その事実が胸に重く圧し掛かる。全身から力が抜ける。

 

「げほっ、げほっ……ちょっと……!」

「ごめん……ごめん……ごめん……」

 

 おれは何に謝っているのだろう。どうして謝っているのだろう。わからないまま、ひたすらに謝罪の言葉を続ける。

 

「……何なのよ……」

 

 その横で、アーツから解放された女が呆然とこちらを見つめていたのに、おれはしばらく気付かなかった。

 

 

 

「どうして殺りにこなかった?」

 

 襲ってきた奴の前で完全な無防備を晒していたのだが、よくもまあ生きていたものだ。

 立ち直った……と言える状況からは程遠いものの、どうにか平静を取り戻したおれは女に尋ねる。

 その問いに対して、彼女は憤慨した様子で答えた。

 

「じゃあ逆に聞くけど、自分を瞬殺してきた相手が突然意味不明なこと言って泣き始めたらどう思う?不気味でしょうがないでしょ」

「……なるほどな」

 

 言われてみれば確かにそうだ。殺りに行っても、逃げようとしても、下手なことをすれば何が起こるかわからない。だったら、息を潜めてじっとしていた方がまだマシというわけだ。

 改めて女のことを見下ろす。あの時、何かを思い出しそうだったのだが、結局その取っ掛かりすら忘れてしまった。

 

 当面の問題は、こいつをどうするかだ。

 既に殺す気は失せていた。おれはもうこの世界でしか生きられないとはわかったけれども、それでも、ここでこいつを殺してしまったら、堕ちるところまで堕ちてしまう気がした。それこそ、血と肉にしか意味を見出せない、獣以下の存在に。

 少なくともおれは、琥珀をきれいだと思う感性くらいは失いたくなかった。

 だが、このまま解放するのも論外だ。襲撃されて逃げられたというのは傭兵としての沽券に関わるし、妙な噂を流されても困る。

 ……飼い殺しにするくらいが落としどころか。

 自分の中のサルカズ的感性と、遠い故郷の感性の釣り合うところがそこだった。

 だから、ここからは交渉の時間だ。

 

「……女。おれの所に来る気はないか」

「……は。生憎だけど、そういう商売はしてないのよ。他の奴に相手してもらいなさい」

 

 こちらを貫く鋭い視線に、とげとげしい口調。すげなく断っているように見えて、おれの次の言葉を待っている。

 自分の命運をこちらに握られているのに、冷静で、それでいて投げやりな様子はなく、まだ諦めていない。どうやら、予想以上の掘り出し物のようだ。

 

「……お前には見どころがある。ちょいと生意気だが、そういう奴を飼うのは嫌いじゃない」

「……あたしはペットってわけ?……それなりの待遇なら、尻尾振ってやってもいいわよ」

「……宿付き、飯付きでどうだ。警備員も付けてやる。必要なら、教師もな」

「…………」

 

 おれの出した条件に、女は押し黙る。

 飼われることと、このカズデルでそれなりの生活ができることとで天秤が釣り合うか計算しているのだろう。

 しばらくしてから、琥珀色の瞳がこちらを向く。

 

「……一つ、条件があるわ」

「……お前、自分の立場がわかってるのか?」

「……あら、ご主人様はペットのお願い一つ聞けない甲斐性なしなのかしら?それに、きっとあんたの役にも立つと思うわよ?」

 

 減らず口は相変わらずだが、こちらの利を仄めかす辺りが憎たらしい。

 おれは聞かせるようにして大きなため息をつくと、目線で続きを言うように促す。

 女はそれを見て口角を上げると、特大の爆弾をぶち込んできた。

 

「傭兵団を一つ潰してくれない?あたしみたいのを使って、あんたらの所を潰そうとしてるみたいだから」

 

 

 

 そこから先は、もうてんやわんやだった。取りあえず話を聞くだけ聞いて、女を縛って隠れ家に転がしておいた後、ワープを繰り返して傭兵団の連中の下へ向かう。各隊で連絡を取ったり、まさにやってきた奴を返り討ちにしたりして、最終的には夜明けに強襲をかけて件の傭兵団を拠点ごと叩き潰した。

 襲撃にはおれも参加したが、サルカズ的な感性を以てしてもなかなかに下劣な連中であることは確かだった。どうやら金でそこら辺の連中を雇ったわけでもなく、人質を取って自爆同然の所業を行わさせていたらしい。おまけにその人質は陵辱されているわ解体されてるわで悲惨な有様で、ほとんどは死んでいるし、僅かな生き残りも精神が死んでいた。

 

 そんなわけでこの世からゴミ共を消し去った後、おれは改めて隠れ家に戻り、彼女との契約を結んだのだった。

 ……縄で縛って放置したことで散々に文句を言われたのは言うまでもないだろう。全く、随分とやんちゃなことだ。先が思いやられる気がして、おれはひっそりと息を吐いた。

 

 

 

 そうして始まった彼女との奇妙な生活は、しかし、そう悪い物でもなかった。

 ……いや、寧ろおれは、それを好ましく思っていた。

 あいつはとにかく生意気だ。いつでも減らず口を叩くし、何かにつけて煽ってくる。

 けれども、そのくせしてどこか抜けてる所があって、飯を食ってるときなんか緩み切った顔をしていて。

 その表情がもっと見たくなって、おれは半ば忘れかけていた記憶を引っ張り出して、色々な料理を作った。思い出だとかは擦り切れてきていたのにも関わらず、こういうことははっきりと頭と身体が覚えていて。それで出来たものを食わせれば、満面な笑みが返ってきて。

 

 あいつのおかげで、おれは久しぶりに孤独を忘れることができた。

 そして思い知らされた。人は、一人では生きていけないのだと。

 それからは、傭兵団の連中とも付き合うようになった。急な様変わりに揶揄われたりしたが、何だかんだで皆受け入れてくれた。

 そうしておれに、居場所ができた。帰る家ができた。少しずつ、この世界に溶け込むことが出来てきた気がした。

 

 おれたちの関係も、少しずつ変化していった。

 初めは一方的に餌付けしているだけだったのが、だんだん貪欲になってきて、戦闘訓練やら座学やら、前に隊長から教わったことを復習がてら教えることになった。

 これがなかなかどうして筋が良く、いくつか……もとい、相当な部分でおれよりも出来がいいんじゃないかと思う。

 このカズデルの地において、力があるということは正義だ。あいつが力を付けるのは望むところだった。……少なくとも、それくらいには情が移っていたから。

 そうして、力を付けたあいつはただ守られることを良しとせず、おれはその押しに負けて隊長に彼女を紹介した。

 

 そこからの間柄は……相棒、だろうか。背中を預ける相手を選ぶとしたら、おれにはあいつ以外考えられなかった。

 二人で色々な作戦に参加した。どんなクソみたいな作戦でも、おれたちならできる気がした。

 敵を血祭にあげて、二人で家に帰って、飯を作って食う。戦場で、家で、あいつと過ごすたびに、その存在はどんどん大きくなっていった。

 こうやって暮らしていくのもいいんじゃないか、そんな風に思っていた。

 

 状況が変わったのは、テレジアとテレシスの争いが表面化し、カズデルを二分する内戦が勃発してからだ。

 隊長から二人については聞き及んでいたが、まさかここまでのことが起こるとは思っていなかった。内戦によって、傭兵は難しい立場に立たされることになる。すなわち、どちらにつくかということだ。

 正当性という点ではサルカズの王であるテレジア殿下に理があるが、勢力という点では保守派を取りまとめたテレシス側の方が優位だった。

 うちの傭兵団は、規模という点でもそれなりに大きく、実力に関してはカズデルでも有数だ。自惚れているわけではないが、おれのアーツだけで相当な戦力だと思う。全力で使えば半径1kmを更地にできるのだから、さながら戦略兵器といったところだろう。

 それゆえ、舵取りは難しいものになる。団長の方針もあり、各隊がかなりの独立性を持っていた傭兵団は、下手にどちらかに舵を切れば空中分解する恐れすらあった。

 何はともあれ、どう動くとしてもまずは団長が号令をかけるはずだ。一先ずは様子を見よう。

 

 そんなふうに考えていた自分が愚かだったということは、数日後に明らかになった。

 隊長からの突然の呼び出しでΩ──おれが付けたあいつの名前だ──と共に集合場所に向かったおれは、そこに部隊員が勢ぞろいしていることに驚いた。

 こんな夜中の呼び出しで全員を集めるとは、余程の大事なのだろうか。おれたちの到着を確認したところで、隊長が口を開く。

 

「我々は殿下につく」

 

 殿下、すなわちテレジア陣営につく。なるほど、それが団長の決断かと思えば、続く言葉で即座にそれは否定された。

 

「これは私の独断だ」

「…………」

 

 その言葉の意味を各々が噛みしめる沈黙が、辺りに広がる。

 隊長の独断。それの意味するところはつまり、傭兵団から離反するということだ。だから問題は、なぜそれをするのか。

 

「……早いな」

 

 だが、その思考は隊長の呟きで中断された。何が早いのかと一瞬考えた後、おれは即座にアーツを起動する。周囲の空間を掌握し、そして浮かび上がってきたのは……

 

「……包囲されてる?」

 

 集合場所に指定された街はずれ。そこを取り囲むようにして、相当な人数が集まっていることが感じ取れた。

 

「隊長、これは?」

 

 おれたち全員の疑問を代弁するかのように、最古参のワイノットが問う。

 ……おれのアーツでは、範囲に入ったものの体格や動きなどを、その空間の動きで感知することが出来る。体格は勿論のこと、その歩き方なんかの動きは、かなり個人差がある。つまり、容姿のような視覚情報は得られないが、それなりに個人を特定できそうな情報は得られるということだ。

 そうして得た情報が、言っている。こいつらは、過去に会った覚えがある。

 ……敵ではなく、味方の側で。

 

「他の隊の奴らだろう。私たちを始末するためのな」

 

 その考えを裏付けるかのように隊長が語りだす。

 団長はテレジアとテレシス、どちらにつくことも考えてはいなかった。だが、そうして中立を決め込むには、傭兵団はあまりに力がありすぎた。

 だから、自らその力を削ぎ落そうとした。おれたちの隊を排除することによって。そうすれば、規模を縮小するとともに第三勢力になる気がないと両陣営に知らしめることができるがために。

 それをいち早く察知した隊長は、おれたちを招集して離反を試みた。テレジア陣営を選んだのは、そんな厄介者でも抱え込める度量があると見込んだからだ。

 しかし、団長の動きも早かった。そうして今現在、おれたちは包囲されている。

 

「……Ω。お前には未来がある。それを手に入れるために鍛錬を怠らないことだ。覚悟しておけ、相手は予想以上に鈍いようだからな」

 

 隊長があいつに声を掛ける。彼はこのように、部隊員一人一人に声を掛けていた。その意味がわからないほど、おれは鈍くない。

 たぶん、おれのアーツを使えば襲い掛かってくる連中は、隊長クラスの猛者を除いて軒並み楽に殺れるはずだ。それに、脱出だってワープを駆使すれば追手はあるにせよ不可能ではないだろう。

 だが、彼はそのどちらも望んではいなかった。おれには想像することしかできないが、それが隊長なりのけじめなのだろう。

 そうして、最後に残ったおれと目が合う。

 

「W。最初に会った時のことを覚えているか」

「……ええ」

「……お前は、サルカズの歴史に残る傭兵になれる。教えていて確信した」

「…………」

「……好きに生き、理不尽に死ぬ。それが傭兵だ。……だからこそW。生き延びろ。生きてさえいれば、出来ないことなどない」

 

 隊長自身も、そうして生き延びてきたからだろうか。その言葉は、重かった。

 理不尽に死ぬ。彼の無念の全てがそこに詰まっているようで。

 だから、おれは口を開く。残されるものとして、期待されて託された者として。

 

「……おれは、好きなように生きて、好きなように死んでやりますよ、隊長」

「……ふ。……それもいい。折れるなよ、お前は」

 

 それが、別れの言葉だった。

 隊長が残って時間を稼ぐ間、おれたちはアーツで包囲をすり抜けて脱出する。追い縋る敵がほとんどいなかったことは、隊長が如何にして戦ったかということを示していた。

 そうして、死地を脱してから数週間。放浪を続けたおれたちの隊は、漸くテレジア陣営へと馳せ参じることができたのだった。

 

 

 

 バベルに参加してからも、戦いの日々が続いた。

 一番激しかったのはロドス・アイランドをレム・ビリトンから移送した時だろうか。敵の数が相当に多く、潰しても潰しても湧いてくるので少々げんなりした。最終的に作戦は成功し、参加した傭兵の回収も無事にできたが、かなり疲れたのは今でも覚えている。

 バベルでも、おれは基本的にあいつと二人で行動していた。おれの戦い方を一番理解しているというのもあるし、何よりそうしないとどこか落ち着かなかった。

 傭兵の集まりだった以前とは違って、この場所には様々な人がいる。サルカズ以外の人員もいるせいか、価値観もまた、一般的なカズデルのものとは違うようだった。

 言ってしまえば生温いそれは、おれにとってはどこか懐かしく、そして温かく感じられるもので。その雰囲気に中てられてか、考えることがあった。

 おれにとって、あいつは何なのだろうと。

 ……言葉ではうまく言い表せない。けれども、かけがえのない存在だということは確かだ。

 逆に、あいつはおれをどう思っているのだろう。

 始まり方ははっきり言って最悪に近いものだったはずだ。けれども、だんだんと見せる頻度が増えてきたあの笑顔は、何を意味しているのだろうか。少なくとも、親しみを持ってくれてはいるのだろうか。

 問いただす勇気はなかった。何かをはっきりさせてしまうことによって、今の心地よい関係が壊れてしまうのが怖かった。だから、全部を先送りにした。時間が立てば、きっとわかるはずだと。

 ……おれは、どうしようもなく愚かだった。

 

 

 カズデルを二分する内戦は、完全に膠着状態に陥っていた。

 テレシス率いる軍事委員会はその軍量を以て、テレジア率いるバベルはその軍質を以て、互いに激戦を繰り広げ、町ひとつ、村ひとつを占領し合うような戦況。各々の統治領域が面ではなく、重要拠点とそれを繋ぐ街道、すなわち点と点を結ぶような支配であったことも泥沼化を加速させた。

 戦線が入り組んでいるために、大規模会戦というよりは小規模な戦闘が各地で起こるような情勢で、バベルは戦力を分散させざるを得ない状況にある。

 そんな中で、おれたちはいわゆる遊撃の役割を請け負っていた。独力で小規模な戦線を一つ受け持て、なおかつ機動力もあるおれは、自分で言うのもなんだがかなり貴重な戦力だと思う。

 仕事の流れはいつもだいたい一緒だ。本部……というかぶっちゃけドクターの指示を受けてある地点に向かい、あいつがその隠密行動を活かして偵察し、その情報を基におれが敵を一網打尽に叩き潰す。おれたち各々の特性を生かした、なかなかによくできた運用方法だと思う。

 

 さて、そんなわけで、今日もおれたちはとある街へと派遣されていた。

 ここ数日で始まった敵陣営の大攻勢によって、こちらの余剰戦力はほぼ払底している。エリートオペレーターも各地に散らばって防衛を行っている状況だ。

 おれたちに期待されているのは、劣勢にある味方に加勢して敵を押し返すこと。プラスαで反攻のための突入口、戦線に大穴をぶち開けることといったところだろうか。

 早速後方拠点でこの戦線を担当していた人員と合流すると、状況を取りまとめる。敵軍の数と配置を把握して、Ωと共に作戦を立てる。今回は敵の殲滅が目標だ。後退して防衛線を築くことが出来ないレベルで損害を生じさせる必要がある。順序やワープを用いた侵攻経路なんかを選定し、準備を整えたところで、おれは拠点を発った。

 ちなみに、今回あいつは留守番だ。敵の様子はわかっている以上、劣勢下での危険な偵察に出す必要はない。前線では何が起こるかわからない以上、リスクは犯せなかった。

 

 策定した攻撃地点をまわりながら、建物ごとアーツを叩き込んでいく。周囲の景色が次々と見晴らしのいいものに変わっていくとともに、大地に赤黒い汚れが生じていった。いつも通りの、ほとんど虐殺と言っても差し支えないような作戦行動。時折飛んでくるアーツや矢も空間を歪めて回避しながら、おれは淡々と作業に取り組んでいた。

 違和感を感じたのは、都合4箇所目の地点にやってきた時だ。敵の数が、想定よりも多い気がした。そして、傭兵の勘はほとんどの場合正しい。

 勿論、取りまとめた情報に多少の誤差があることは考えていた。だが、実際に戦闘を行い、斥候からの情報も集約していた後方拠点の情報は、この場所でのこれまでの戦闘規模を考えても妥当なものだったはずだ。

 ……しかし。どうやら、おれたちは規模を見誤っていたらしい。遠方から飛来する砲撃を消し飛ばしながら、おれは憮然とした面持ちでいた。前面にいる敵の数は、想定の3倍ほどで済めばいいだろうか。砲撃の方角からして、半包囲状態にあると見ていい。さて、どこから潰したものか……

 

 ……待て。この湧いて出てきたような敵は、どこからやってきた?

 地上の見晴らしは素晴らしい。敵が隠れていられるような場所はなかったはずだ。

 

「……っ、地下か!」

 

 おれは即座にアーツを使ってワープする。地下に潜んでいた敵が湧いてきたのならば、どうして敵が前面にしかいないと言えようか。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 移動の合間に、爆発音が鳴り響く。はっと目を見やれば、それは後方拠点があったあたりで。おれは、自分の顔が青ざめるのがわかった。

 

「Ω!」

 

 聞こえるわけもないのに叫んで、拠点があったはずの瓦礫の山に全速力で向かう。……大丈夫だ。あの爆発は恐らく、あいつの爆弾のもののはずだ。そう自分に言い聞かせて。

 たどり着いた場所では、焼け焦げた死体がいくつか転がっていた。一瞬、心臓が跳ね上がる。だが、違う。これはあいつじゃない。瓦礫に埋もれていることも考えて、アーツを起動する。すぐに、複数の動いている気配を感知した。おれは間髪入れずにワープして、大柄なほうの二人を叩き潰す。

 残ったもう一人のほうに振り向いて、おれは口を開いた。

 

「……すまん、待たせた」

「遅かったじゃない。待ちくたびれるところだったわよ」

 

 振り向いた先の彼女は、わざとらしく不満気な表情を浮かべる。が、すぐにニッと口角を上げて言葉を紡いだ。

 

「で、これからどうしようかしら?」

 

 取りあえず状況を整理すると、後方拠点が敵の強襲を受けたらしい。不意打ちで要員の大半がやられたことから、Ωは爆弾の爆発に乗じて建物を脱出。それに気づいた敵と追いかけっこをしていたところで、おれがやってきたというわけだ。

 先ほど半包囲されていることは確認できたが、後方にまで浸透していたとなると、完全包囲されている可能性が高い。

 ……先ほどから絶え間なく降り注いでいる砲撃もそうだが、こんな場所にこれほどの戦力を集中させるのは不可解だ。

 とは言え、考えていても仕方がない。現実問題として、おれたちは窮地に立たされている。ワープして逃げようにも、空間と空間を繋げるという原理上、多少のタイムラグが生じる。敵陣を突っ切る形で行うのは些か無謀だ。

 となれば、結局……

 

「殺るしかないってことか」

「ま、それしかないでしょうね。単純でいいじゃない」

 

 当初の予定通り敵を殲滅して、そいつらの血で脱出路を舗装するというブラッディな作戦だ。全方位敵だというのは少しばかり厳しいところではあるが、出来ないことはない。

 

「それじゃ、行くか。さっさと殺して帰ろう」

「そうね。あ、帰ったらあれ作りなさいよ。あの……ブルなんとか」

「ブルスケッタ?」

「そう!それよ!で、一緒にワインでも開けましょ」

「……お前に酒飲ませるのはなあ……」

「たまにはいいじゃない。今日こそはあんたの醜態を見させてもらうから、覚悟しておきなさい」

「はあ……またお前の奇行に悩まされることになるのか……」

「奇行って何よ、奇行って。それこそ、あたしが一体何してるってわけ?」

「…………」

「ちょっと、黙るのやめなさい!」

 

 おれたちなら、きっと何でもできる。

 だから、今回だって。

 ……そう、思っていた。

 

 

 

「7時800m!」

「っ!」

「砲弾3つ、4、6、7……今!」

「……クソッ!……何時になったら終わるんだ……?」

「あたしだって知りたいわよ……!」

 

 思わず口をついて出た言葉には、驚くほどの疲労感が籠っていた。そしてそれはおれだけではなく、彼女も同じなようだ。

 しかし、疲れるのも道理だろう。一体どれほどの時間戦い続けているのだろうか?少なくとも、太陽の出ている筈に始まったのが、すっかり夜になるまでの時間は過ぎている。

 敵の狙いがおれたちであることは明らかだった。ここまでの物量をなりふり構わず投入してくれば、流石にそうとしか思えない。

 敵の戦術は単純で、かつ効果的なものだった。おれのアーツの効果範囲1km、その圏外から延々とアーツと砲撃を繰り返す。圏内にはクロスボウや近接武器を装備した敵が全方位から不規則に突貫してくる。それを恐らくは交代しながら、ひたすらに繰り返すのが敵のやり方だ。

 遠距離攻撃だけなら自分の周囲の空間を湾曲させて攻撃が届かないようにすればいいが、懐にまで入られると一気に緻密な空間操作が求められるようになる。故に、近づいてくる敵を遠距離攻撃ごと叩き潰しながら、適宜直撃コースの砲弾やアーツに対処しているのが現状だ。Ωにはおれの背後の様子を見てもらっている。状況把握にまでアーツを割いていられないからだ。

 おれのアーツは万能だが、使っているおれはあくまで人間だ。精密操作や複数箇所同時の操作には集中力を要する。アーツを使い続けていれば当然疲れるし、疲れたら休息を取らないと回復しないのは当たり前だ。

 つまりこれは消耗戦。おれが疲労でぶっ倒れるのが先か、救援が来て包囲網に穴ができるのが先かという戦いだ。

 ……ここまでくると、先の大規模攻勢も救援に来れる様な戦力を他戦線に張り付けるための陽動に思えてくる。そんな被害妄想すら生じるほど、おれは疲れていた。

 だが、それでも決して諦めるわけにはいかない。おれは一人ではない。あいつだって一緒にいる。おれは、あいつと二人で帰るんだ。

 例え脳みそが焼け切れようとも、絶対に。

 

 

 敵の質が明らかに上がった。

 既に周囲の大地は数千人分の血で赤く染まっている。なるほど、物量で押してきたと思ったら、今度は質で仕掛けてくるらしい。

 頭がぼんやりとする。向かってくる敵は機動力が高かったり、アーツの威力・範囲が高かったりと、その強さの理由は様々だ。ただ、一つ言えるのはこれまでのような雑なアーツの使い方では殺れないということ。

 周囲の空間すべてをまとめて押しつぶそうとすると、その隙をつくように遠距離狙撃アーツがやってくる。結果、防御を保てる程度の規模のアーツで敵を迎え撃つしかない。

 アーツでおれと彼女を防御し、敵の位置を把握して、ピンポイントで圧殺する。限界を超えたアーツの多重起動で、頭が割れるように痛い。

 ふと、顔を伝う生暖かいものを感じる。鼻血だろうか。それを拭う暇もなく、アーツを使役し続ける。

 視界の端では、あいつも源石爆弾を使って援護してくれていた。何も言っていないのに的確におれのアーツに誘導しているあたり、やっぱりおれにはあいつしかいないと思う。

 ……戦いの相棒という意味でも、この世界を一緒に生きていきたい人としても。

 

 

 爆風に煽られた石像を吹き飛ばし、空中から攻めかかってきた敵にぶち当てる。姿勢を崩した奴を空間ごと握り潰し、肉片に変える。胴体に向かってきた狙撃を受け流し、背後から接近してきた敵に直撃させる。

 いつしか、空は白んできていた。地平線の向こうから光が現れ、戦場を紅く照らす。朝焼けの中、周囲1kmで立っているのはおれとΩだけだ。いつの間にか、遠距離からの砲撃とアーツも止んでいた。

 依然として包囲されてはいるが、取り囲む連中がざわついているのが何となく感じ取れる。向こうに何かが起こったことは間違いないだろう。

 ガクリと膝から力が抜ける。そのまま地面に倒れこむところが、温かい感触に支えられた。顔を上げれば、疲れ切ってはいるものの、どこか喜色を帯びた彼女の顔が目に飛び込んでくる。

 

「ほら、まだ寝るのは早いわよ」

「……ごめん。もう大丈夫だ」

 

 そうして一言声を掛けると、おれは手を借りながら立ち上がった。相変わらず、敵の攻撃は止んだままだ。恐らくは味方がやっと救援にやってきたのだろう。

 昼間から戦い通しで次の日の朝まで。16時間ほどだろうか、どうにか生き残ることが出来た。

 ぼんやりと、おれたちを包囲し続ける敵を眺める。遠目ではあるが、どこか浮足立っているような感じだ。戸惑いとも言えるだろうか。

 しかし、包囲を破りに来た敵がいるというのに、随分と悠長な……

 ……悠長な?

 

 おれはその疑問が頭に浮かんだ瞬間、咄嗟にアーツに意識を集中させる。浮かび上がってきたのは、極々小規模なアーツが背後からこちらに迫ってきているということだった。

 物量戦を仕掛けて疲労を誘い、乗り切ったと思わせて緊張の糸が切れたその瞬間を狙う。なんとも厭らしいやり方だ。まんまと引っかかるところだった。

 しかし、どうにか直前で気付くことが出来たようだ。この距離と速度なら、このまま問題なく潰せる。

 確信して、おれはアーツを起動した。空間が歪み、そのまま敵の狙撃ごと……

 

「あっ」

 

 口からそんな言葉にならない声が零れ落ちたことに、すべてが詰まっていた。

 おれのアーツは空間を歪め、しかしそれに対抗するかのような力によって敵のアーツは真っすぐにそのまま進み続ける。

 その空間に作用する力に、おれは間延びした思考の中でリッチという種族のことを思い出した。おれのアーツを見た隊長が呟いていた、空間に関するアーツを用いる十王庭が一つ。

 軍事委員会にもバベルにもついていなかったと思っていたのだが、今起こっている出来事がどうやら現実らしい。丸ごとついたのか、はぐれ者がいたのか、まあどうでもいいが。

 遅まきながら、おれはすべてを理解した。包囲していた傭兵どもが浮足立っていたのは、攻撃停止命令を受けたのと、十王庭が顔を出したからだ。

 初めから、敵の狙いはそのアーツでおれのアーツに対抗することだけだった。ただ、そのための準備で物量戦を仕掛け、小細工としてわざとおれにわかるように狙撃をしてきた。

 おかしかったんだ。本当に狙撃で殺す気なら、あいつに抱き留められていたあの時に狙えばいい。慌てて避けるだとか、どうにか逸らすだとか、そういった対応をさせず、潰すという手段をおれに取らせるためにある程度の余裕を持たせたんだ。

 これまでの出来事が怒濤となって頭に押し寄せる。どうやら、死に際に走馬灯が流れるというのは、本当のことらしい。

 あちら側の世界での思い出、こちら側に来てからのクソみたいな出来事、そして何より、あいつと過ごした日々。

 そのすべてが輝いていた。例えようもないほど大切なものだった。どうしようもなく愛おしかった。

 それで、おれはあいつのことが好きだったんだってわかった。

 ……もう、何もかもが遅すぎるけれども。

 おれはここで死ぬ。それはいい。散々殺してきたんだ、殺されるのは当然だ。けれども、あいつをここで死なせるわけにはいかない。

 おれは、好きなように死ぬ。好きな人のことを救って死ぬなら、本望だ。

 アーツに全意識を集中させる。一体このアーツという力は人間のどこの器官に依存しているのかは知らないが、意志の産物ならば意識がある限り使えるはずだ。脳みそが一かけらでも残っている限り、あいつを遠くに逃がす。

 そう覚悟した、次の瞬間だった。

 

「え」

 

 誰かに突然突き飛ばされる。アーツだけに集中していた身体は全く踏ん張りが効かず、衝撃そのままにおれは地面に倒れた。

 そんなおれの上を敵のアーツが通過していく。おれは助かった。誰かのおかげで。

 それが誰かなんて、問うまでもない。こんなにおれの近くにいた人なんて、一人しかいない。

 けれども、おれは認めたくなかった。おれを助けたのがあいつだなんて。

 おれの代わりにアーツを食らったのが、あいつだなんて。

 

「無事……みたいね…………」

「なんで…………」

「…………よかった」

「どうして……!」

 

 縋るようにして、おれよりも小さな身体を抱きしめる。熱が伝わってくるとともに、濃密な鉄錆のにおいがした。

 赤黒い穴から、生命が次々と漏れ出ていく。手で塞いでも、その隙間から次から次へと。

 …………そうだ、取りあえず止血だ、止血をしないと……

 

「ねえ」

 

 その一言で、おれの意識の全てが彼女に向けられた。優しい琥珀色の瞳がこちらを覗き込む。

 彼女は、微笑んでいた。これ以上ないくらいに綺麗に、満足そうに。

 

「好きよ。あんたのこと」

 

 その瞬間、時間が止まった。辺りの音が何も聞こえなくなって、ただその言葉だけが響き渡る。

 色々な感情が一気に押し寄せてきた。歓び、悲しみ、幸福、後悔、自己嫌悪、何もかもが同時に。

 けれどもおれは、それらの全てを押し殺して、ただ告げる。

 

「……おれも、お前のことが好きだ」

 

 返事はなかった。既に瞳は閉じられていた。緩く弧を描いた口元が、彼女が最期まで微笑んでいたことを物語っていた。

 抱きかかえた身体から、急速に熱が失われていく。ひどく、現実味がない。これは何か悪い夢なのではないか、そんな気すらしてくる。

 もう少しすればこの夢から叩き起こされて、朝飯を作れとあいつに催促されるんじゃないかって。

 だから、待ち続けた。おれは、この悪夢が終わるまで。

 

 

 そのまま、どれくらい時間が経っただろうか。

 腕に抱いた彼女が冷たい源石に変わった頃になってやっと、おれはこれが現実なのだと悟った。

 周囲を見てみれば、おれを取り囲むようにして敵が得物を構えている。どうやらおれは、無意識のうちにアーツを使って隔絶された空間に引きこもっていたようだ。

 手元に残った、硬質な輝きを見つめる。遺体すらも残らず、残ったのはどこにでもあるこの石ころだけ。そして、それすらもうすぐ霧散してしまうだろう。

 ……おれは。おれには、あいつだけが全てだった。それなのに、こんな力を持っているのに、おれはあいつ一人すら守れないのか?

 ……そんなわけがない。

 ……そんなわけがないんだ。

 ……こんなにも恵まれた、万能の力があって。それで、彼女を死なせてしまうなんてことは。

 ……あるはずがないんだ。

 

 おれは、まだ形を保っているあいつだったものを強く抱きしめる。

 アーツを使うには、アーツユニットが必要だ。様々に加工した源石、あるいは自身の体内の源石を媒体にして、この世界に何らかの現象を引き起こす。

 おれのアーツは、空間を自在に操作するもの。ならば、時間にも手が届くのではないか?

 かの世界と同じ物理法則でこの世界もできているのならば、時間と空間は本質的にはそう変わりのないもののはずだ。強力なアーツであれば、その無理を押し通せるのではないだろうか。

 ……必ず助ける。どんなことをしてでも。そして、幸せにして見せる。くれた幸せと、同じか、それ以上に。

 それが、おれにできる唯一の贖罪だから。

 手元の源石に意識を集中する。これはあいつだったものだ。これを媒体にすることで、時間の流れの中からあいつを見つけ出す。

 体内で源石が暴れている気がした。そんなことは止めろと、無理だとでもいうように。

 それらを無視する。身体から次々と結晶が飛び出てきて、まるで全身を覆おうとしているようだけれども、そんなことは関係ない。おれは、何をしてでも絶対に……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「思い出したか?」

「…………」

 

 おれは、気が付くと真っ暗な空間に戻ってきていた。目の前のおれが、意地の悪い笑みを浮かべて言葉を発する。

 

「すごいアーツだったよな。半径1kmの空間を自由自在に操作して、挙句時間まで操れると来た」

「…………」

「……そして、それでも無理だった」

 

 言われるまでもなく、その記憶も思い出せる。

 あそこからおれは、何回も時間をやり直した。より良い選択肢を選んだ。行動を変えた。あいつを守れるように、常に注意し続けた。

 にも関わらず、必ず最期はあの日あの場所であいつは死んでしまった。どれほどやり直しても、どれほど行動を変えても、絶対に。

 

「時間というのは恐らく、両端を固定された糸のようなものだ。両端以外は色々と自由に動くことが出来る。けれども、結末は決して変わらない」

 

 その糸をいくら戻ったところで、同じ糸である以上、結末はどうやっても変えられなかった。

 それでも、おれは諦めるわけにはいかなかった。どんな手を使ってでもあいつを救うって、そう誓ったのだから。

 

「だから、別の宇宙を探すことにした。世界線と言い換えてもいい」

 

 無数にある平行宇宙の中から、あいつがいる宇宙を探した。

 それは、先ほどの例えで言えば、糸を枝分かれさせるようなものだ。枝分かれした糸は、始点は固定されているものの、その終点は固定されていない。これなら、あいつが死なない未来を、結末をつかみ取ることが出来る。そう思った。

 

「もちろん、そんな無茶が何の代償もなしにできるわけがない。枝分かれした糸は元のものより細くて不安定なものだ。記憶は薄れるし、安定させるために何らかのリソースを使う必要がある」

 

 初めのころはぼんやりとでも覚えていたあの世界の記憶がどんどん薄れていった。糸を枝分かれさせる前、あいつと出会う前の記憶もなくなっていった。

 必要なリソースはアーツだった。元は万能だったアーツは、糸を枝分かれさせるほど徐々に弱体化していった。効果範囲が狭まり、出来ることが少なくなり、今ではぼんやり光るだけだ。

 

「これでだいたいわかったんじゃないか?」

 

 つまり、おれはこれまであいつが死ぬ度に違う世界線に移動していた。どうしようも無く詰んだ時は、出会ったところから世界を分岐させ直した。

 巻き戻していたのはおれだ。あいつが死んだら戻るのは、その時点でその世界線が詰むのと、アーツの媒体だからだ。

 ……いや、厳密に言えば巻き戻ってなどいないのだ。何も無かったことになどなっていない。その世界のあいつは死んだままだ。それはすなわち……

 

「何十万、いや、何百万か。おれはいったい、どれほどのあいつを死なせたんだろうな」

 

 何度も何度も、おれは失敗し続けた。

 物量ですり潰されたこともある。テレジアに記憶を消し飛ばされたこともある。隊長によって、倒壊する建物によって、闇夜に受けた夜襲によって、あいつを失い続けてきた。

 そんな繰り返しを経てもなお、おれは未だにあいつを救えていない。

 

「それだけやって、気付かないわけがないんだ。……ただ、認めたくないだけだ」

 

 どんな世界線でも、必ずあいつは死んでしまった。突然、理不尽に、何の予兆もなく、まるでそれが運命とでもいうかのように。

 

「この場所でなら、思い出せるだろう?それが、あっちの世界でのちょっとした会話であっても」

 

 ……本当は、とっくに気付いていた。ずっと、目を背け続けてきた。

 おれが、あいつを救うんだ。おれが、あいつを幸せにするんだ。

 それを認めてしまったら、おれは

 

「あいつは、Wだ」

「────」

 

 

 ……おれは、あいつのことを見たことがある。ほんの一瞬のことだった。ただ、友人の端末の画面を一瞥しただけだ。それが一体どういうものなのか、どういった世界観だったのかすら知らない。

 けれども、その不思議な名前だけは憶えていた。ローマ字一字なんて、珍しい名前だと思った。

 W。

 銀髪に琥珀色の眼をした彼女は、そういう名前だった。

 果たして、彼女が本来どういった経緯でその名前を名乗っていたのかは知らない。

 けれども、おれの知っているあいつと、おれの持っているサルカズとしての知識が、その可能性を示す。

 

 あいつは、名前はないと言っていた。

 おれたちサルカズは、戦死者の武器を受け継ぐとき、同時に名前を受け継ぐ。

 

 あいつは、Wだ。

 おれは、Wだ。

 

「……なあ。もう、いいだろう?もう、諦めよう」

「…………」

 

 おれは、思いを巡らせる。これまで、数多の世界を渡り歩いてきた。その中で様々な出会いと別れを繰り返し、様々な言葉を交わしてきた。

 その中の一つを思い出す。おれにとって、一番大切なものは何か。テレジアはいつも、おれの力をそれのために使えと言っていた。

 おれにとって一番大切なものが何かなんて、考えるまでもない。

 

「……そうだな。もう、諦めるよ」

 

 おれは、諦めることにした。心の奥底で思っていたことを、恐らく人間の根本的な欲望であろうそれを。

 そのどれに比べたって、あいつの方が大切なのだから。

 

「おれが幸せになることは、諦める」

 

 おれが、あいつを幸せにしようと思っていた。そうして、一緒に幸せになりたいと思っていた。

 けれども、あいつは強い。おれなんかよりも、よっぽど。おれが幸せにするだなんて、烏滸がましかったんだ。きっとあいつは幸せになれる。おれなんかが居なくたって、絶対に。そう、生きてさえいれば。

 おれは、ただあいつが生きていてくれれば、それだけでいいんだ。

 

「……そっか」

「……なんだ、散々諦めろって言ってた割にはいざとなったら淡白だな」

「いや、おれはおれだしな。……正直、この物語を受け入れるのに抵抗がないわけじゃない」

「……それでも、それであいつが救えるならそれでいい」

「……そうだな。結局、それに尽きる。……おれの全部は、やっぱりあいつなんだ」

「何もかも……おれの世界はあいつを中心に回ってるってか」

「そうだろ、実際」

「ああ。違いない」

 

 不思議と気持ちは晴れやかだった。それは、覚悟を決めたからだろうか。それとも、おれの生に意味を見出せたからだろうか。

 

「それじゃあ、戻るか」

 

 おれはこれまで、あいつとの出会いを幾度となく繰り返してきた。いわば、そこが分岐する糸の全ての根元だった。

 けれども、本当に分岐が始まったのはそこではない。おれがこの世界にやってきた、そこが全ての始まりだ。

 あそこでずれてしまったものを、あるべき位置に戻す。それこそが、あいつを救う唯一の方法だった。

 恐らく、そのような大規模な巻き戻りを実行すれば、今度こそアーツは残らないだろう。もう、巻き戻ることもできまい。

 けれども、普通ならば時間は戻らないし、どんな出来事にもやり直しは利かないはずだ。

 それに、もうこれ以上、あいつがおれのために死ぬことはない。

 

「ちなみに、この黒い空間は何だったかわかるか?」

 

 おれがそんな問いを投げかけてくる。

 ここにはおれがいて、そして忘れていた記憶も思い出すことが出来た。忘れるということは、記憶が無くなるということではない。ただ、箪笥の奥にしまい込んで引っ張り出せなくなっているだけだ。

 記憶は、たとえ忘れ去ったとしても確かに心の奥底に存在している。

 

「おれの心の中だろう?」

「正解」

 

 その言葉を最後に、おれは消える。

 それと同時に、おれの意識も溶けていった。瞼の裏に移るのは、源石を抱いたほとんど結晶と一体化した人物のイメージ。そいつは、満足そうに笑っていた。たった一つの冴えたやり方を見つけたおれに、よくやったとでもいうように。

 そうして、おれの意識は真っ暗になった。

 

 

 

 

 

 

 目を覚ます。

 そこは瓦礫に埋もれた廃墟だった。

 何もかもを覚えている。これまでの無数の繰り返しも、やらなければいけないことも、全て。

 アーツは使えなかった。使おうとしたところで、何も起こらなかった。

 

「……はは」

 

 思わず笑いが零れた。

 おれは戻ってきていた。本当のはじまりに。

 

「……行くか」

 

 呟いて、立ち上がる。

 あの時と同じように行き先も、帰る場所もないけれども、あの時とは違って、おれには自分のすべきことがある。

 確りとした足取りで瓦礫を踏みしめて、おれは前へと歩き始めた。

 

 

 

 

 

 



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炳耀北天─A Star Shining in The Northern Sky

 

「また銃の整備か?」

「……剣だって手入れしないと錆びるだろ?銃は殊更に繊細なんだ」

「ふっ……そうだな。大きな作戦だ、準備するに越したことはない」

「そういうお前はどうなんだ?」

「既に済んでいる。もうじき時間だ、早めに済ませろよ、W」

「へいへい、ヘドリー副隊長さん」

 

 背を向けて去っていくヘドリーの姿を一瞥すると、おれは手元の分解されたカービンに視線を戻す。各所の点検や調整、掃除は既に終わっていて、後は元通りにするだけだ。

 身体に染み込ませた動作に従い、小銃を組み上げていく。おれの準備もこれで終わりだ。

 刀、腕に取り付けたボウガン、手榴弾をいくつかと源石爆弾。最後に出来上がったライフルをガンスリングで肩にかけて、おれは立ち上がった。

 

 

 

 

 

 本当の始まりに戻った後、おれはカズデルの各地を流浪した。

 またあの傭兵団に入ってしまえば、きっとこれまでと同じようにしてあいつと出会うことになったのだろう。だが、最初の時のように暴れられるアーツがない以上、隊長……いや、ヨシュアに目を付けられることはなかった。おれは、一人のまま時間を過ごした。

 これでよかったのだと思う。もしおれがまたあいつと出会ってしまったら、覚悟が揺らいでしまったかもしれないから。

 

 これまで生きてきた記憶は、全てきちんと覚えている。アーツは無くなってしまったけれども、その代わりに無くしたはずの思い出が返ってきた。

 無数のループは、時間にすればどれほどのものになるのだろうか。何万年か、もしかすると何十万年分にまで及ぶかもしれない。そのすべてを覚えているというのは普通ではないような気がするのだが、あの源石と半ば融合した最初のおれからの贈り物なのだろうか。

 記憶は、あちらの世界の分までしっかりと存在している。その中で、おれが目にしたWは、確か何かしらの選択画面のようなところに映っていた。選択可能であったということは、正しい世界線においては、あいつは生きているということだ。流石に、死人を使えるようにするような悪趣味なゲームはないだろう。

 だから、あいつはWでなければならない。

 ……Ωではなく。

 ……名前には、想いが込められている。もちろん、おれのWにだってそうだ。けれどもそれは、おれの極々個人的なものだから、やっぱりあいつには合わない気がする。まあ、何を勝手なことを言っているのだという話なのだが。

 理屈としては、あいつが傭兵としてWを名乗っていればいいのだろう。もしかすると、おれが何をしなくたって、あいつはその名前を自らの想いの下に名乗ったのかもしれない。

 それでも、おれがあいつのために、あいつが幸せになるためにできることがあるのだというのなら、おれはそれを選びたい。贖罪だとか、そういうことではなく。ただ、そうしたいのだ。

 

 そのためには、おれとあいつは赤の他人でなくてはならない。自分でこんなことを言うと自惚れているようだけれども、それなりに親しい関係を築いた相手が死んだら、あいつはきっとそれを気にしてしまう。その武器を受け継いだとしても、どこか負い目を感じてしまうのではないか。

 おれは、そんな重荷にはなりたくない。どこかの誰かが勝手にくたばって、そいつの武器を折角だから頂戴していく。それくらいでいいのだ。

 

 そうしておれは、あの傭兵団には近づかないようにした。

 どこかで死ぬとしても、それはきっとあいつと再会するか、本当にどうしようもない時だ。それまで生きていくには、日銭がいる。カズデルで稼ぐためには、やはり傭兵をやるしかない。

 おれはWを名乗って、各地の傭兵部隊の一員として金を稼いだ。これまではずっと傭兵団かヘドリーの所かでしか仕事をしたことがなかったので、中々刺激的な経験だった。正直なところ、おれがいた場所は上澄みの上澄みだったのだろう。かつてのおれが相手をしていたテレシス陣営の下っ端連中のように、数以外強みのないような連中がたくさんいた。

 おれを残して部隊が壊滅したことも何度もある。その度に違う部隊に参加し、また生き残っていった。と言っても、そこまで高い評価はされていない。ただ、しぶとく生き残る奴といった感じだ。

 的確な評価だと思った。今のおれが戦場で生き残れているのは、ひとえに経験の賜物だ。おれの数十万年分の記憶のうち、少なくとも数千年分は戦いの記憶になっている。そのおかげか、戦闘技術であったり、勘であったりはかなりのものになった。

 だが、人間経験を積んだくらいでテレジアのようになれるわけもない。身体強度は一般的なサルカズと同程度だし、得物が刀かボウガンかである以上、そんな一騎当千の動きはできないのだ。できるのは襲い掛かってきた奴らをできるだけ倒し、隙を見て逃げ出すことくらい。ずっと傍で見続けてきたおかげか、爆弾の取り扱いも相当なレベルにあると自負している。逃げ出すには、爆発の混乱に紛れるのが一番だということがよくよくわかった。

 

 

 おれがヘドリーと会ったのは、そうしてまた一人だけ生き残ってカズデルを彷徨っていた頃だ。

 ……正直なところ、嬉しかった。見知った顔に出会えただけで、戻ってきてからずっとつき纏っていた寂しさが、いくらかマシになったような気がした。

 彼曰く、会ったのは本当に偶然らしい。奴の顔はカズデルではそれなり以上に知れているし、おれだってそれなりだ。ともなれば、お互いの首を狙って一戦殺ってもおかしくはないのだが、ヘドリーはそういうのに乗り気なタイプではないし、おれもそんな気は全くない。世間話でもしようと声を掛けてみれば、思って以上にあっさりと乗ってくれた。

 適当な酒場に入ると、おれたちはなんとなしに色々な話をした。こういう顔見知りと話していると、うっかり不味いことを話してしまいそうになる。途中でふと気になって、悪戯ついでにイネスとのことでも聞いてみようと思ったのだが、初対面のはずのおれが知り得ないことも話してしまいそうで、やめておいた。

 ヘドリーは……まあ、相変わらずクソ真面目だった。サルカズと傭兵について、ここまで思慮深いのは彼以外にテレジアかケルシー先生くらいしか思い浮かばない。とは言え、まだこの後の内戦の惨禍を経ていない以上、彼の中でも未だ纏まっていない部分があるようだったが。

 彼が彼自身で掴むべきものを、おれが与えてしまうわけにはいかない。色々と聞かれたが、当たり障りのない答えしかできなかった。ただ、彼にふと、傭兵という生き方について問われたときには、思わず言ってしまった。

 傭兵とは、好きに生き理不尽に死ぬ、そんな生き方なのだと。でも、おれは好きに死んでやりたいのだと。

 それを聞いたヘドリーは、何やら考え込んでいた。もしかすると変な影響を与えてしまったかもしれない。だが、まあ、それもいいだろう。

 おれはヨシュアに言われたこの言葉が好きで、嫌いだった。あの人のことも、何度もあいつを殺された恨みもあるけれど、命と引き換えに助けられたこともある。だから、どうしても嫌いにはなれなかった。そんな彼の言葉を、おれだけにしまい込んでしまうのは勿体ない。ヘドリーなら、どうせ本かなんかにでも書いて残してくれるだろう。

 そんなこんなで、あれやこれやと話しているうちに随分時間が経ってしまった。おれは久しぶりに彼と会えたことを良しとしてお暇しようと思ったのだが、その場で傭兵部隊にスカウトされた。ちょうど部隊に欠員が出ていて、誰を入れようかを探しにこの街に立ち寄っていたらしい。

 ……おれは、その話を受けることにした。近頃は、おれの所属部隊があまりにも壊滅するもので疫病神扱いされ始めていたし、誘いがあるならそれに越したことはない。

 ……それに、自分のために作る料理はなんとも味気ないのだ。旧友たちに作ってやるのも、いいかもしれないと思った。

 

 

 それからおれは、ヘドリーの部隊の一員として、様々な作戦に従事した。傭兵部隊の構成としては、全体のトップとして隊長(ヨシュアではない)がいて、その下に各小部隊を率いる副隊長が何人かいる感じだ。ヘドリーやイネスはその副隊長で、おれは彼の小部隊の一員ということになる。

 仕事の内容にはその部隊の特色が現れるのはこれまでの経験からわかっていたが、ここは外部勢力を相手にすることが多いようだった。つまり、リターニアやクルビア、ラテラーノの連中だ。

 一番うまいのはラテラーノ行商を相手するときだろう。護衛のサンクタ共はそれなりに手ごわいが、運んでいるものは美味しいものが多いし、戦利品の守護銃も魅力的だ。スカ―モールでは高値で売れるらしいが、おれにとっての魅力はそこではない。ボウガンとは比べ物にならない弾速と威力は武器として魅力的だし、それにあちらの世界との繋がりを感じられる。

 最初のおれは、よっぽど元の世界が恋しかったらしい。だから、よくわからないアーツとやらが飛び交っているこの世界で、変わらぬ硬質な輝きをした銃をわざわざ使ったのだろう。

 今のおれにはそこへの未練はなかったが、アーツが使えない以上、銃という武器を使わない手はなかった。他の部隊の連中からはサンクタの武器を使うのかと詰められたこともあるが、自分たちの武器で殺られるサンクタはいい見ものだろ?と聞けば大きく頷いて納得していたし、部隊の連中は既に耐性があったようだった。……一体誰の影響なのだろうか。ウェルズ?すごく聞いたことがあるぞ?何ならマーケットの端っこに出品されている弾薬は奴の謹製らしいし。

 そんなわけで、おれはかなりの銃コレクターと化していた。拳銃から短機関銃、小銃もボルトアクションの古めかしいものから、フルオートを兼ね備えたモダンなものまで選り取り見取りだ。そこまで銃に詳しかったというわけではないので、名前までは知らないが、おれが愛用しているのは銃身の短いアサルトライフルだ。確かカービンというのだろうか。

 セミオートで300-400mを狙うこともできるし、短い銃身で取り回しよく、近接戦闘にもフルオートで対応できる。おれの色々と中途半端な戦闘能力を補うにはピッタリだ。銃の扱いはサンクタ以外には難しいと言われているが、おれにはあちらの世界でのイメージもあるし、何より経験がある。手に入れてから使いこなすようになるまでは、あっという間だった。

 そうして手に入れた銃でラテラーノ人共をぶち殺し、また銃を手に入れるその様によって、おれは部隊の面々からラテラーノ人狩りを楽しんでいる奴という全くありがたくない称号を頂いた。おれが楽しんでいるのは狩りそのものというよりも、銃なり食料なり得られる物の方なのだが、まあ楽しんでいることには変わりない。称号を返上するのは諦めた。

 

 おれはこの傭兵部隊で、かなり色々と自由にやっていたと思う。ヘドリーは指揮系統の順守には厳しいが、それ以外には彼の自由に関する思想のおかげか比較的寛容だ。

 仕事以外では色々なところをふらふらしていたことが多かった。それは、人を探してのことだ。

 街で道行く人に尋ねたこともあった。銀髪で琥珀色の瞳をしたサルカズを見なかったかと。

 自分でも、矛盾した行動だと思う。あいつに会ってはいけないと知りながら、でもあいつのことを探してしまう。

 一応、理屈はあるのだ。この世界で仮にあいつが死んでしまったとしても、もう巻きもどることはない。だから、仮にもうこの世界にあいつが居ないとしても、おれはそれを知ることは出来ない。だから、確かめたいのだ。ちゃんとあいつが元気に生きている事を。

 ……苦しい言い訳だよな。本当は、ただ逢いたくて仕方がないだけなのに。

 会ってすぐ、思い切り抱きしめたい。ちゃんと生きているって、その温もりと心臓の鼓動を、おれ自身で確かめたい。そうしたら、さらさらの銀糸を撫ぜながらたくさん話をするのだ。これまでおれがやってきたこと、これから二人でしたいことを全部。そして、今度こそきちんとあいつに伝える。好きだということを、愛しているということを。

 ……そんなことが、現実にできるわけないなどということはわかっている。仮に会えたとて、おれとあいつは他人同士なのだと。

 ……だから、これは矛盾なのだ。

 こんなことを続けていると、時たま見たという人に会うこともある。その言葉の通りに場所を訪れてみれば、おれの首を狙う連中が待ち構えていたなんてことはよくあった。この前なんて新兵器を試したかったのか、クルビアの武器商人が待ち構えていて、命からがら逃げだしたものだ。尤も、逃げる途中で森に仕掛けたトラップで土砂に生き埋めにしてやったが。ざまーみろ。

 そんな風に騙されることが大半……というか全てなのだが、それでも見たという言葉を聞くと、そこに一縷の望みを見出してしまう。

 終いには部隊の連中にも聞きつけられて、散々に笑われたものだ。自分でも度し難いと思っているのだが、こればかりはどうしようもなかった。

 

 部隊の連中とは……まあ、それなりに仲良くやっているとは思う。

 しばらく一人で過ごしてから、やっと知っている顔に出会えたこともあって、この傭兵部隊に入ってからは毎日がそれなり以上に楽しかった。それまで詰まらない顔をしていた分、よく笑うようにもなったと思う。これについては、覚悟を決めたというのも、あちらの世界の記憶を取り戻したというのもあるが。

 だが、そんな日々の中でも、おれには気を付けなければいけないことがあった。何せ、これから先のことを色々と知っているのだ。油断すると、何を言ってしまうか分からない。常に言葉に気を付ける必要があった。

 そのせいか、周囲から見たおれは”変な奴”だった。いつもけらけら笑っているのに、言っていることには何か裏を感じるだとか、そんなところだろうか。

 だが、そんな奴でも仕事はきっちりとこなしてきたつもりだ。お陰で、仕事はできるという評価も頂いた。あとは勿論、料理についても。

 特に副隊長の一人であるイネスは上客の一人だ。ラテラーノ産のいい品を手に入れたときは、だいたいおれのところにやってくる。それで二人分の食事をこさえるのも、おれの大事な仕事の一つだった。誰と誰の分かは、言うまでもないだろう。

 

 部隊での話と言えば、ヘドリーと手合わせすることもあった。流石に高額賞金が懸かった首だということもあって、その剣技は確かなレベルにある。それこそ、並、いや、それなりに腕の立つ奴相手でも、この剣だけで軽くあしらうことが出来るだろう。

 だが、同時に、間違いなく何か隠し玉を持っていることも分かった。ヘドリーは基本的に仕事では剣しか使わないが、おれの見立てでは何らかの、しかも強力なアーツを隠しているはずだ。こういった用心深さが彼の最大の強みだろう。

 ……思えば、初めのおれに足りなかったのは、こういう思慮深さだったのかもしれない。あんなに力を見せびらかすことをしなければ、あのように1万人規模の戦力を送り込まれることもなかったはずだ。

 ……過去を振り返っても意味がないことはわかっている。今は、どうかヘドリーがこの自分の強みを見失わずにいてくれと願うのみだ。

 それに、おれだって過去に学ぶことはできている。彼も、おれがこの手合わせで手を抜いていることはわかっているだろう。何も、おれは傭兵として名を挙げたいわけではない。自ら厄介な敵を作ることはないのだ。

 

 一つの傭兵部隊で長い時間を過ごすと、当然ながら部隊員同士の結びつきは強くなる。おれも、お互いを信用することで部隊としての練度は上がると思っているし、一人ではなく複数人で戦う以上、こうした関係性が深まっていくことは歓迎すべきことだ。

 だから、おれがふと気を抜いてしまうのも仕方のないことだろう。

 それは、部隊に加入してから1年が過ぎようとしている頃だった。仕事を終え、次の仕事を受注してくるまで暇ができたおれは、昼飯でも作ろうかと厨房に向かっていた。それで、ふと思い立ったのだ。

 そういえば、あいつが傭兵になったのはこの時期だったかと。あいつがいつ傭兵になるかというのも、ある種の決まった事象であるらしく、いつも同じような時期だった。そして、その度におれは少し豪華な料理を作って、二人でパーティーを開いていたんだ。

 ある種の記念日、Ωの誕生日とでも言おうか。それを祝っていたことを、なんだか思い出してしまった。

 すべてのことを覚えているとはいえ、常にそれらを意識しているわけではない。けれども、一度思い出してしまうと、その情景は今目の前にあるかのように浮かんでくる。すごく温かい、おれの心のうちの最も柔らかな思い出の一つだ。

 ……ケーキだけでも作ろうか。おれの思い出の中にしか存在しない記念日だけれども、静かにお祝いするくらいは許されるはずだ。

 そんな懐かしさに駆られて、おれはその日の午後を使ってケーキを作った。普通に夕飯を終えた後、一人でコーヒーを淹れて、小さなケーキに火のついたロウソクを1本差す。あの頃の思い出と、今のあいつの無事を想いながら、おれはロウソクの火を吹き消した。

 さあ、火も消えたことだし、ケーキを食べようかというその瞬間、わらわらと後ろからやってくる足跡。そこでおれは、自分の失態に気が付いた。振り返るまでもなく、ニヤニヤしながらこちらを取り囲んでいる部隊の面々。決定的な証拠を押さえられている以上、言い逃れができるはずもなく、おれは誕生日祝いを一人でやっていたことを自白させられたのだった。勿論、誰の誕生日かと言われても困るし、さらに揶揄われそうなので、同じこの時期に手に入れた愛用している銃の誕生日だなんていう適当なことを言っておいた。……案外受け入れられたのは謎だ。これが一般サルカズ的ジョークセンスなのだろうか?

 そうして、根掘り葉掘り聞いた後も生温い笑みを浮かべている奴らに対して堪忍袋の緒が切れたおれは、いつか上司になってお前たちにもこのお祝いをさせてやると宣言したのだった。

 ……なお、未だに上司にはなれていない。

 

 ここ最近、カズデルが騒がしい気がする。クルビアやリターニアの連中を見かける頻度がかなり増えた。この分では、大量の武器がカズデルに運び込まれているのだろう。全く、新興のマッチョマンも、古い付き合いの腹黒紳士も、この場所のことを金稼ぎの場くらいにしか思っていないらしい。時系列的には、カズデル内戦の前段階、準備期間に当たるのだろう。

 恐らくはヘドリーも嵐の予感を肌で感じ取っているはずだ。ここから先のカズデルは荒れに荒れる。とは言え、おれのやることは変わらない。

 あいつと再会するまで生き延びる。それだけだ。

 

 

 

 

 

 

「W?」

「……ああ、悪い。大丈夫だ」

 

 向けられた訝しげな声に、おれは意識をこれまで歩んできた道のりから現実へと引き戻す。そういえば、そろそろまた誕生日の時期だ。この作戦もさっさと終えて、今年のケーキを考えなきゃな。こいつら、祝わないくせにケーキだけ食うんだ。

 さて、今回の任務は傭兵部隊の総力を挙げた大規模作戦だ。内容はリターニア系武器密輸組織の掃討。依頼主がどっち側なのかは知らないが、これも水面下で起こっている前哨戦の一つだろう。かなり大規模に軍需物資をカズデルに運び込んでいるようで、複数の拠点を持っていることから、今回はその全てを同時に襲撃する手筈になっている。

 おれは、いつもの如くヘドリー率いる部隊の一員として作戦に参加していた、知り合いで言えば、イネスの部隊は今回は拠点でお留守番だ。

 おれたちの目標である敵拠点は、都市部郊外の廃墟地帯に存在していた。現在の時刻は午前3時ごろだろうか。暗視装置を装備して、真夜中の暗闇の中を進んでいく。

 今回、夜襲が策定されたのは、敵拠点が強力な防衛体制を備えているという事前情報からだ。固定式バリスタをはじめ、正面からの強襲はさながら城攻めの様相を呈す。ゆえに、地形的に不利な要素があるとはいえ、奇襲となる可能性の高い夜間の作戦が行われることになった。

 その甲斐あってか、ここまで敵に発見されることなく拠点へと接近することが出来ている。踏み込んでからは乱戦になるだろうが、この面子なら初撃でほとんど蹴りをつけることも可能だろう。もともとヘドリーの影響があってか、接近戦に強い部隊であるし、そこへの不安はほとんどない。

 今のところ、作戦は順調そのものだ。

 

 ……だが、何故だか嫌な予感がする。何の根拠もない、本当にただの勘だ。先ほどこれまでのことを思い出したのもそうだし、そもそも準備の段階からいつもより多めに源石爆弾を持ってきたのも、何かを感じているからなのだろうか。

 勘というものについて、考えてみたことがある。勘というのは、これまでに自分が経験したことの蓄積なのではないかと。その場の状況や空気感、雰囲気なんて言うふわふわとしたものが、なんとなく以前に経験したものと似通っていると思う。それが、勘の正体なのではないか。

 だとすれば、繰り返しの途上であってもおれの勘が妙に鋭かったのは、深層心理レベルでの記憶が勘という形で表れていて、だから何となくテレジアの眼を見ることを嫌だと思ったりしていたのではないか。

 今のおれは、恐らくこの場の、この世界の誰よりも多くの経験をしている。そして、そのすべてを覚えている。だとすれば、この勘が訴えているものは、過去のおれの経験から導き出せるはずだ。

 しかしながら、なにぶん検索対象となる記憶の母数が大きすぎるため、それを探し出すのは難しい。おれは細心の注意を払って進軍を続けながら、同時に脳みそをフル回転させて、いつこれと似た状況にあったのかを探し続ける。

 

 そんなおれの思考は、先頭のヘドリーが挙げた手を見て一時停止した。既に敵拠点の裏口にまでたどり着き、いよいよここから侵入という場面だ。流石にもう考えているわけにはいかない。嫌な予感がすると言っても、それはあくまでおれの主観でしかないのだ。この突入直前の場面で言っても、根拠がない以上仕方がない。皆からピリピリした雰囲気が伝わっているように、既に周囲には十二分に気を配っているのだ。気を付けろと言ったところで、お前は何当たり前のことを言っているんだ?というところだろう。

 密かに、撤退支援用の源石爆弾を確かめる。万が一何かがあれば、こいつが頼りだ。

 おれたち全員の様子を確かめた後、ヘドリーが突入の合図を出す。金属製のドアを爆薬で吹き飛ばし、勢いよく蹴り飛ばして素早く中に浸透していく。建物の外観からは倉庫だと思われていたが、内部構造は不明だ。索敵を行いながら、慎重に進もうと思った、その時だった。

 

「……何?」

 

 ヘドリーのつぶやきは、おれたち全員の気持ちを代弁したものだろう。敵拠点であるはずの倉庫は、空っぽだった。大量に集積されている筈の物資はどこにも見当たらず、敵の姿さえも見えない。

 その瞬間、おれの脳みそは、よく似た出来事を思い出した。こうやって敵拠点と思われる場所に襲撃を仕掛けて、何もなかったことがある。それは、おれたちをおびき寄せるための罠で……

 

「上だ!」

 

 おれは勘の赴くままに叫び、その場から転がるようにして立ち退く。次の瞬間、頭上から雨のようにアーツと矢が降り注いできた。視界の端で、反応が遅れた部隊員がもろにアーツを食らって吹き飛んでいくのを認めながら、おれは隣のヘドリーに叫ぶ。

 

「撤退しろ!」

「だが……!」

「おれがやる!……こういうのは得意なんだ、知ってるだろ?」

 

 返事は待たなかった。おれは懐から源石爆弾を取り出すと、即座に起動して上層階に向かって投げつける。

 

「……すまん」

 

 苦々しい彼の声と、上の連中の怒号を聞きながら、おれはこの先の戦いに向けて一つ息を吐く。

 直後、時限信管が炸裂し、爆風で何もかもを吹き飛ばした。

 

 

 

 

 

 上部で起こった爆発により建物は倒壊し、辺りに瓦礫の山が形成される。だが、知っての通りサルカズという種族はそれなり以上に頑丈だ。こんな爆発程度ではくたばってくれない。だからこそ、誰かが殿を務める必要があった。

 名乗り出たのは、咄嗟だった。あの中で一番心構えができていたというのもそうだし、何よりおれが一番適任だろう。ヘドリーも、頭の中で瞬時にその計算はついていたのだと思う。

 通信機は使えない。敵によって遮断されているようだ。この準備の良さからして、今回の依頼そのものが罠か、もしくは情報が完全に漏れていたというところだろう。つまり、作戦に参加した全部隊が同じように伏兵にやられている可能性が高い。おれたちですら、直前まで気付かなかったとなると、他の部隊はもうやられているかもしれない。

 ……そうなれば、残った柱はヘドリーとイネスか。指揮系統的に、ヘドリーが隊長を務めることになるだろう。以前の世界でも、そうだった。思えば、ヘドリーが隊長になったのはこのタイミングだったのかもしれない。尤も、今回はおれのお陰で片目は失わずに済みそうだ。良かったな。

 

 ……さて。そろそろ現実に立ち戻ろう。

 今、おれの周りにいるのはおれへの怨嗟でいっぱいのサルカズ傭兵だ。そういう意味では、殿の役割は十二分に果たせるだろう。それこそ、仮に死んでもこいつらが恨みつらみを晴らしている間に時間は稼げるはずだ。

 だが、おれはまだ死ぬつもりはない。……やっぱり、あいつに会いたいんだ。こんなところで死んでやるわけにはいかない。

 だから、この死地だって切り抜けて見せる。

 おれは一先ず敵に向かって手榴弾を投げつけてから、全力で駆け出した。

 数秒後の炸裂音が合図だったかのように、次々と後方から攻撃が放たれる。瓦礫を使い、転がり、飛び退きながら、勘に身を委ねて死の嵐の中を進んでいく。目指すのは、廃墟地帯のまだ無事な廃墟だ。ヘドリーたちは拠点方面に撤退しただろうから、おれはその正反対の方向に逃れる。

 一人で多数を相手するときは、相手が数の利を生かせない場所で戦うのがセオリーだ。最悪なのは、最初のあの時のように、遮蔽のない平地で周囲を包囲されることだろう。……ちょっと極端な例にも思うが。ともあれ、時折足止め用の手榴弾をばら撒き、遮蔽物に滑り込んでフルオート射撃を浴びせたりしながら、おれは無事に廃墟へと入り込んだ。

 

 屋内の近接戦闘において、銃の有用性は非常に高い。今まさに、おれはそれを実証していた。廊下の曲がり角から身を乗り出しながら、ご丁寧に一直線にやってくる連中を次々と撃ち倒していく。一瞬にして廊下は血で赤く塗装され、死体でいっぱいになった。この制圧力の高さ、やはり銃はいい。とは言え、持ち込んだ弾薬には限りがある。残念ながら、そろそろフルオートは封印しなければいけないようだ。おれはセレクターレバーをセミオートに変えると、階段を上に昇っていく。銃撃が途絶えたことに気付いた足音がいくつも追いかけてくるが、そいつらは置き土産に転がした手榴弾でお陀仏になった。

 さて、上層階に昇ったのには敵を撒くための他に、射線を確保するためでもある。おれはヘドリーから殿を引き受けたわけだが、そのためにはきちんと敵を足止めしなければならない。頭に血が上った連中はおれを追いかけているだろうが、そうでない冷静な奴らはおれ一人など放って、彼らの追跡に精を出すだろう。端的に言えば、おれはそいつらに無視されるわけにはいかないのだ。

 下の奴らがこちらを見失ったことを確認したうえで、おれはベランダから銃を構え、付け替えた高倍率のスコープを覗き込む。暗闇の中で動く人影を見つけ次第引き金を引き、場所を移動して同じことを繰り返していく。

 これで、敵もおれを放置するわけにはいかないとわかっただろう。この暗闇の中だ、銃声がしたと思ったら味方が倒れていくのにはかなりの恐怖を感じたに違いない。その恐怖が存在の脅威を増幅させる。つまりは、おれにヘイトが向くということだ。手早くスコープを近接戦闘用のレーザーサイトに変えて、廃墟の中を移動する。

 おれがここに侵入してから、既に20分ほどが経過していた。これほどになれば、それなりに頭が切れる奴らは、ただおれを追いかけるのではなく、先回りしようとするだろう。おれがこの建物内にいることはわかっている。包囲網は着実に縮まっているはずだ。

 弾薬の残りは1マガジン、弾数にして30発。多いと思うか少ないと思うかは状況次第だが、この状況では間違いなく足りないだろう。

 ……ここからが本番だ。おれは腰の刀を強く意識した。

 

 

 このような一対他の戦いにおいて、こちら側に唯一有利なことと言えば、同士討ちのことは一切考えなくていいということだ。人影を見たら敵だと思えばいい。特に、このような物陰から敵が出てくる恐れがあるような戦況だと、一瞬考える必要がある敵と、一切考えなくて良いおれとで、大きな差が生まれる。それ故に、おれはこの戦いを互角以上に演じられていた。

 だが、悪い知らせがある。先ほどから常に聞こえていた足音だが、初めは一方向からだったものが、今や四方八方から聞こえてくる。もしかしなくとも、おれは見事に追い込まれたらしい。

 廊下の向こうから出てきた敵に腕のボウガンを放って牽制しながら、おれは反対側に走る。するとすぐに視界が開けて広い空間に出た。この建物は何らかの集合住宅のようだったから、集会所か何かなのだろうか。

 集会所の出口は二つ。一つはおれが走ってきた方で、当然敵が追いかけてきている。なぜわざわざこんな当たり前のことを確認したかというと、おれの眼には正面からやってきている敵が映っているからだ。平たく言えば現実逃避だろうか。二つの出口を塞がれた今、おれに出口は残っていない。アーツがある頃ならば自由に穴をぶち開けられたのだろうが、もうそんなわけにはいかないだろう。残っている爆弾を使うというのも手だが、この狭い密閉空間で使ったが最後、全員纏めてお陀仏だ。

 そんなことを考えているうちに、続々と敵がやってくる。一気呵成に詰めて来ないのは、これまで散々にやられたことを警戒しているからだろうか。

 こんな状況でもいい点を考えるとするならば、それは敵が二方向からやってきたことだろう。飛び道具は射線上に味方がいるせいで使いにくいはずだ。となれば必然、使うのはこれだろう。

 おれは一息に刀を抜く。全員が一斉に飛び掛かってくることはないだろうが、それでも一対三か、一対四か、そんな戦いを延々と繰り返さなければならない。

 理不尽極まりない戦況。……だが、それでもあいつがいない世界の絶望に比べたらマシだ。今のおれには希望がある。一目でもいいから、あいつに会うという希望が。

 だからおれは、笑って見せる。

 

「来い」

 

 その言葉に、弾かれたように数人の敵が向かってきた。若いのだろうか、その剣は力強い。だが、それゆえに軌道も読みやすいというものだ。半身を引いてその一撃を躱すと、がら空きの背後から襟首をつかんで位置を入れ替える。哀れ若いサルカズは背後から斬りかかってきた味方の刃に倒れた。その死体によってできた死角から、おれは三人分の肉体を一纏めに断つ。

 とにかく最小限の動きで、最大の戦果を得る。長期戦にはこれしかない。伊達に数千年戦っていたわけではないのだ。唖然として動きを止めた敵に銃弾とボウガンの矢をぶち込むと、おれは次に備えた。

 恐らく、手練れほど後半にやってくるはずだ。初めに来るのは、功を焦った連中。だからこそ、なるべく楽をする必要がある。

 

「次」

 

 手招きまでして見せれば、煽り効果は抜群だった。怒りに任せて単調な動きの奴らを斬り捨てていく。全員こんなものだったらいいのにと願いつつ、しかしそんなわけはないと思いつつ、おれは刀を握る手に力を込めた。

 

 

 

「はあ……はあ……」

 

 息が上がる。新鮮な酸素を求めて、肺が悲鳴を上げている。だが、敵はこちらを休ませてはくれない。複数人から振るわれる、一撃で死に至るような近接攻撃を躱しつつ、時折狙いすまして打ち込まれるアーツを避ける。

 既に全身が裂傷でいっぱいだった。もう流れ出た血のことは考えないようにしている。恐らく先に待っているであろう失血死と、今この瞬間に致命傷を食らうことを天秤にかければ、前者を選ぶのは当然だ。

 一対一なら間違いなく圧倒できるだろう。だが、手練れの複数人相手では圧倒とはいかず、疲労も加われば五分より少し上回る程度。どれだけの経験があるとしても、それがおれという人間の限界だった。

 薙ぎ払われる剣を刀を使って逸らし上げ、もう一人の敵の武器とかち合わさせる。敵の一人と常に軸を合わせて射撃を牽制しながら、的確に体勢を崩した敵の頸動脈を斬る。流れ出る血を目潰しに使い、足場になっている死体を蹴ってずらす。まるで曲芸のような、ありとあらゆる手を使って戦った。

 だが、無情にも疲労はさらに蓄積していき、敵はまだ尽きてはいない。酷使し続けた腕と脚は鉛のように重く、心肺機能は悲鳴を上げている。

 そんな身体に鞭打って刀を振るう中、一本の矢がおれの頭部を目掛けて一直線に飛んできた。

 厭らしいタイミングだった。射線上の味方がすぐに死体に変わることを承知の上での一撃だろう。避けきれないことは、直感的に分かった。ならば、出来るだけダメージの少ないところで受けるしかない。おれは左腕でその矢を受ける。ボウガンで止めるつもりだったが、余程強い弓だったらしい。貫通して生身まで到達する。

 瞬間、燃える様な痛みが生じた。何度も食らったことがあるからわかる。これは毒矢の痛みだ。

 間髪入れずに、剣戟が襲い掛かってくる。応急処置ついでだ、左腕はくれてやろう。おれはその一撃を敢えて受ける。左の肩口から先が綺麗にすっ飛んでいったが、代わりに下手人はあの世にぶっ飛んでいった。

 これで隻腕だ。普通は重心が変化するせいでうまく動けなくなるが、生憎隻腕経験は豊富だ。毒矢野郎に刀を投げて串刺しにしつつ、そのまま突進して得物を引き抜き、斬りつけながら距離を取る。

 最初と比べて、随分と数は減っていた。あと、十人ほどだろうか。……だが、残念ながら終わりが近そうだ。

 ガクリと膝が落ちる。どうにか刀で支えて倒れないようにするも、もう戦う余力が残っていないのは敵の眼にも明らかだった。

 

「……クソッ」

 

 かれこれ一時間以上は戦い続けたのだ。今頃ヘドリーたちは無事に安全圏まで退却できただろうか。寧ろ、そうしてくれないと困る。

 ……ヨシュアの言っていたことは、やっぱり正解なのか。傭兵は、理不尽に死ぬ。望むと望まずに関わらず、唐突に。

 ……おれは、死ぬのか。結局あいつに逢えないまま、あいつのために何もできないまま。

 

「…………それは、嫌だな」

 

 全身の力を振り絞って、もう一度刀を構える。

 おれもあいつも死んでいないのなら、生を諦める理由なんてどこにもない。例え一秒後に死ぬとしても、その瞬間までおれは生きているのだ。

 今にも崩れ落ちそうな膝の震えを隠しながら、精一杯の虚勢を張って笑う。

 そんなおれの姿を見て、嘲笑を浮かべる敵が突っ込んできた、その時だった。

 出口を塞いでいた敵が、爆風で吹っ飛ばされる。室内まで流れてきたそれは、おれに向かってきた敵の姿勢を崩し、その隙をついて心臓を一突きにする。

 だが、おれの思考はもはや敵には向けられていなかった。

 誰かが、爆発の向こうから歩いてきている。

 爆発による衝撃波は、基本的には全方位に伝播するもののはずだ。にもかかわらず、その人物は爆発のすぐ向こう側で平然としている。

 まるで、()()()()()()()()()()()()()()()かのように。

 おれは、そんな妙な爆発の仕方を、よく知っている。

 すぐ隣で、ずっと見てきたんだ。知らないわけがない。

 心臓が早鐘を打つ。そんなわけないとあまりにも都合のいい展開を否定する自分と、そうに違いないという自分が混在する。

 果たして、粉塵の向こうから、彼女は姿を現した。

 

 銀髪に、琥珀色の瞳の女サルカズ。

 おれがずっと探していて、ずっと逢いたかった人。

 

「────」

 

 Ω!

 そう叫ばなかっただけでも、よく自制できたものだと思う。

 確かに彼女だった。おれが見間違えるはずがない。どうしてここにいるかはわからない。何をしに来たのかもわからない。でも、そんなことはどうでもいい。

 おれは遂に、あいつと再び逢えたのだ。

 身体の底から、力が湧き上がってくる。どこに隠れていたのかというくらい、全身に活力がみなぎってくる。

 おれは、吹き飛ばされて動揺しているサルカズとの距離を素早く詰めると、一閃してその首を飛ばす。振り返ってアイコンタクトをすれば、あの頃のように何もかもというわけではないにしろ、利害が一致するということは伝わったようだった。彼女もナイフを抜き、手近な連中に襲い掛かる。

 ……こんな日が来るなんて思ってもいなかった。また、あいつと一緒に戦える日が来るなんて。彼女の動きは、傭兵時代と違ったまだ未成熟なものだ。けれども、おれにとってはよく知っているもので、それだけで視界がぼやけそうになる。

 合わせるのは簡単だ。リズムも何もかも知っている。あいつを狙うアーツ使いを左腕を振るって目潰しして、その隙をついて両断する。振り切った後の無防備なおれを襲う敵を、あいつが投げナイフで迎撃する。ナイフに気を取られた敵を振り返りざまに斬り倒せば、爆弾を取り出す彼女の姿が目に入った。突進するふりをして、その爆風の射線上に敵をおびき寄せる。

 何もかもが懐かしかった。おれの望んでいたものだった。気付けば、敵は全員床に倒れ伏している。おれたちなら、二人なら。かつて言っていたそんな言葉のことを思い出した。おれたちなら、何でもできるのだ。

 戦いの後の静けさが、おれたちの間に漂う。

 ……あいつの側からしてみれば、おれたちは初対面だ。今だって、たまたま利害が一致していたから即興で組んだだけに過ぎない。この後どうなるかなんてわからないのだ。この沈黙も仕方あるまい。

 おれにしても、何を話せばいいのかわからなかった。ずっと逢いたいと思っていたのに、いざ本当に逢ったら言葉が出なくなってしまう。抱きしめたかったはずなのに、腕なんてぴくりとも動かない。

 お互いに様子を窺う、そんな奇妙な静寂。それを破ったのは、建物全体に響くような地鳴りだった。一瞬何かと思ったが、すぐに爆弾のせいかと思い付く。もともとボロボロの廃墟だ、あんなふうに何発も爆発させたら、いつ倒壊してもおかしくない。同じ結論に至ったのか、あいつは口を開いた。

 

「……取りあえず、脱出しましょ」

「……そうだな」

 

 久しぶりの会話は、なんとも味気ないものだった。

 

 

 

 廃墟に止めを刺すようにして、爆弾を使って外壁を吹き飛ばして脱出した後、倒壊した建物の瓦礫の中で、おれたちは向かい合っていた。

 残った腕と口を使って左腕を縛って止血をしていると、声を掛けられる。

 

「……あんたも傭兵なの?」

「……ああ。お前が殺った奴らと敵対していた傭兵だ」

「そんなの見ればわかるわよ。随分とボコボコにされたみたいね?」

 

 ニンマリと口の端を吊り上げている様子におれは、ああ、こいつ初対面の奴相手にも煽り散らかすんだったなと思い出して思わず笑みが零れた。

 

「……何笑ってるのよ」

「いや、すまん。随分な皮肉屋の嬢さんだと思ってな」

 

 笑って答えれば、返事として舌打ちが返ってくる。こんなやり取りでも嬉しいと思ってしまう辺り、おれも随分なものだ。

 再びの沈黙が訪れる。そんな雰囲気を紛らわせるべく口を開いたおれからは、こんな言葉が飛び出してきた。

 

「これからどうするつもりだ?」

 

 口をついて出たその質問は、おれ自身にも向けられたものだ。

 おれはてっきり、あいつと再会するときは、するとしても死ぬときだと思っていた。そうでないと、名前を引き継ぐようなことにはならないはずだから。

 だから、さっきあいつがやってくるまで、おれはここで死んで、その武器を何らかの形であいつが拾うことになるのかという考えが過ったし、会った後も、このまま失血で死ぬんだろうかなんて思ったりした。だが、幸いにも止血は間に合ったし、戦いでも死ぬことはなかった。おれは無事に、生き残ったのだ。

 

「……そうね」

 

 意外にも、彼女は考え込んでいた。どうせ何かしらの煽りのネタにするか、一笑に付すかのどちらかだと思ったのだが、予想は外れたようだ。

 

「……ぶっ殺すわよ?」

「すみません」

 

 両手──片手しかないけど──を挙げて、おれは即座に降参のポーズを取った。サルカズの女性陣には思考透視能力があることをすっかり失念していたようだ。にしてもだいぶ殺意が高い……いや、もう余計なことを考えるのは止めておこう。

 おれがそんなことをしている間に、彼女は何かしらの答えを見出したらしく、ゆっくりと口を開く。

 

「……何も考えてないわ。……やりたいことは、取りあえず終わったしね」

 

 ……少し、彼女がここにいる理由がわかった気がする。恐らくは……復讐だろうか。復讐を終えたもの特有の虚しさというか、そんなものを感じた。

 

「何かぱーっと楽しいことでもしたいわね。あんた、何かないの?」

「無茶言うな……」

 

 でも、おれこそどうするべきなのだろうか。このままこうしてあいつと話しているのはすごく楽しいし、ずっと望んでいたことだ。

 けれども、こうしているうちにおれは、あるべき正しい世界からどんどん外れていってしまっているのかもしれない。おれが本当に望んでいることは、あいつが生きていてくれることだけなのだ。だったら、ここで別れて、またその日が来るのを待った方がいいんじゃないか。

 わかっている。おれはここで彼女と別れるべきだ。後腐れの無いように、今すぐに。本来だったら、この会話すらするべきではなかったのだ。

 本当に大切なもの。それさえ守れれば、おれの一時の幸福など些細なものだ。

 だから、おれは立ち上がって、あいつに別れを告げようとして。

 

 おれは、それを見つけた。

 

 まだ、太陽は昇っていなかった。暗闇の中、ランタンの小さな灯りで周囲だけが仄かに照らされていただけだった。

 だから、おれがそれを見つけられたのは、本当にただの偶然だったのだろう。

 だが、それは必然だったのかもしれない。

 

 瓦礫の山の中、動く人影があった。あれだけの戦いを経て生き残った、恐らくは一番のやり手。そんな奴が、ここに至っても慎重に、息を潜めて待っていたのだ。

 おれたちが油断する瞬間を。確実に殺れる瞬間を。

 アーツだろうか、狙いをつけているのがわかった。それはきっと単純に、その射角から狙いやすいほうであるとか、その程度の理由なのだろう。

 だが、事実として。

 照準は、あいつに向いていた。

 

 全身に稲妻が走る。おれの身体が、全細胞が、一斉に叫ぶ。

 お前は、そのために生きてきたのだと。

 だから、脳みそで考える前に、身体が動いていた。

 目の前で不思議そうな表情をしたあいつに向かって、全力で飛びつく。覆いかぶさるようにして、地面に叩きつける。

 何かが空気を切り裂く音が聞こえた。それで、おれは安堵した。

 

「…………ごふっ」

 

 耐えきれず、口から噴き出した血が彼女の綺麗な銀髪に赤い斑点を付ける。

 彼女の身体には、傷一つない。

 ちゃんと、おれが身代わりになれた。持っていかれた脇腹をぼんやりと見ながら、そんなことを思う。

 下で、あいつが何事か言っているようだった。だが、うまく頭に入ってこない。やるべきことはわかっている。あとは、あの敵を殺るだけだ。

 僅かに残った力すべてをかき集めて、おれは瓦礫の山目掛けて突貫する。途中、何発かアーツを食らったが、もう何か所かに穴が開いたところで関係ない。接近され、剣を取り出した敵の得物を切り上げで遠くに吹き飛ばす。

 武器を失った相手は、それでもなお一矢報いることを諦めていないようだった。フック気味の軌道を描いた拳が、左目に突き刺さる。どうやら親指だけ立てていたらしく、眼球がちぎり取られた。

 だが、そんなことでおれが止まるわけもない。振り下ろした刀が、一人のサルカズの人生を終わらせる。それで、おれも地面に倒れた。

 

 急速に全身から力が抜けていく。けれども、おれは充足感に包まれていた。

 やっと、守れた。おれは、あいつを救えたんだ。

 

「なんで……!あんた……!」

 

 いつの間にか、あいつがすぐ傍に来ていた。

 その言葉は、どうして自分を庇ったのかという意味なのだろう。……よくわかる。よく、わかるよ。

 好きだから。愛しているから。

 そう答えたかった。でも、ダメだ。おれたちは今日あったばかりの他人同士で、そんな仲じゃない。

 ふと、頬にぽたぽたと落ちてくる何かを感じる。それはとても熱くて、すこし塩っ辛い。

 

「何……泣いてんだ……?」

「わかんないわよ!でも…………」

 

 泣く必要なんてない。よく知らない奴が、何故か自分を庇った。よくわからないけど儲けものだった。それくらいに思ってくれればいいんだ。

 琥珀色の瞳が、こちらを覗き込んでいる。必死に何かを探すように。

 

「……ねえ。……あんたと、どこかで会わなかった?」

「…………」

 

 息を呑んだ。まさか、彼女からそんなことを聞かれるなんて思わなかった。おれたちは、この世界ではあったことなんてないはずだ。だって、おれがどれだけ探しても見つけられなかったのだから。

 ……もしかすると。彼女も、どこか覚えているのだろうか。違う世界での出来事を、おれとの思い出を。

 ……もしそうだとしたら。今度はちゃんと、伝えられるんじゃないか。おれの、思いの丈を。何十万年と抱き続けた、この気持ちを。

 好きだという、その一言を。

 ……それは、優しい優しい夢物語だ。そうだったらいいなと思う。けれども、もしそうだとしても、おれの返事は決まっている。

 

「…………いいや。一目見たことすらない」

「っ…………!」

 

 ……これでいいんだ。これで、よかったんだ。

 あいつが、死人に魂を引っ張られる必要なんてない。自分だけの幸せを見つけてくれれば、それでいいんだ。

 それよりも、もっと大切なことがある。まだ身体が動くうちに、やっておくべきことが。

 

「……なあ。こいつらを持ってけよ」

 

 刀と銃を指し示す。

 

「これを持って、あっちのほうにずっと行けば赤髪の傭兵がいるはずだ。……おれの隊長でいい奴だ。きっとよくしてもらえる」

「でも……あんたは……」

「……いいんだ。自分の身体のことはおれが一番わかってる。これは無理だ。それこそ、テラで一番の医者でも通りすがらない限りな」

 

 自分でも、笑えないジョークだと思う。でも、そんなに悲しまないで欲しいんだ。

 力を振り絞って、無理やり刀と銃をあいつに押し付ける。

 

「楽しいことも、やりたいこともさ。生きていれば、絶対にあるもんだ。人間、生きてさえいれば何でもできるんだから」

「…………」

「生き残れ。このクソみたいな世界で、それでも」

 

 あいつの眼を見つめる。生きていてほしいという、その想いが届くように。

 押し付けた刀と銃に、力がこめられるのがわかった。強く、握りしめているのがわかった。

 そうだ。それでいいんだ。

 彼女は、ゆっくりと立ち上がる。もう、涙はなかった。そこにいるのは、一人のサルカズ傭兵だった。

 

「……じゃあな、W」

「………………ええ。さようなら、W」

 

 

 

 

 彼女が立ち去ってから数分か、数十分か、もはやただ死を待つだけのおれの耳に、ふと音が聞こえてくる。通信機の音だ。どうやら通信妨害を排除できたらしい。

 満足に動かない手をどうにか動かして装置に触れると、ヘドリーの声が聞こえてきた。

 

『……っ、W!無事か!?すぐに救援を……』

 

 もしかすると、繋がると思わず駄目元で通信してきたのだろうか。らしくもなく慌てた彼の様子に、思わず笑いが零れる。

 

「……いや、いい」

『…………っ』

 

 ヘドリーは律儀な奴だ。この僅かな通信だけからでもわかる。少なくとも、おれが自分で名乗り出たのに、殿を任せたことを負い目に感じるほどには。

 そんな奴だからこそ、安心して任せられる。

 

「……そっちに、おれの刀と銃を持った奴が向かってる。銀髪に、琥珀色の瞳をしたサルカズだ」

『…………!』

「……面倒を見てやってくれ。……きっといい傭兵になる」

 

 そうだ。きっと、おれがかつて名付けたような、このクソみたいな争いの日々を終わらせるような、いい傭兵に。

 

『W……お前は……』

「頼んだぜ、ヘドリー。……じゃあな」

 

 それだけ言って、おれは通信を切った。

 他にもいろいろ言いたいことはあったけれども、それは藪蛇というものだ。

 あいつのことを頼むという、一番言っておかなければいけないことは言えた。それで十分だろう。

 これで安心だ。おれにできることはすべてやった。これで、あいつはWとして生きていけるはずだ。

 

 そう思うと、急にすべての力が抜けていった。

 四肢の感覚がなくなってくる。心臓の動きがゆったりとしたものに変わっていき、呼吸が浅くなっていく。もう指一本すら動かせない。命を使い切るとは、こういう感覚のことを言うのだろう。

 次第に視界までもがぼやけてくる。今、おれの命はさながら張りつめたゴムのようだ。極限まで引き延ばしたそれが断ち切れるまでの刹那。

 そんな視界の中で、妙にはっきりと映るものがあった。

 

「ふふ……ははは…………」

 

 未だ太陽の昇らない頭上に広がる、満天の星空。確かにずっとそこにあったはずなのに、ずっと見てこなかったもの。足下を見ながらふらふらと彷徨い歩き、そうしてあいつと出会って前を見て進むようになって、最期の瞬間に上を見上げる。なかなかよくできた物語じゃないか。

 

「そういや……そうだったな……」

 

 いや、違う。もっと昔の、それこそここに迷い込んだばかりの頃。こうして横たわって宇宙(そら)を見上げたことがある。

 初めて人を殺して、もう何もかも嫌になっていたあの時。このままずっと寝ていたら、朽ち果てられるかななんてぼんやりと考えていたおれは、見たんだ。

 冷たいテラの夜空に輝く、五つの星を。いつだか家族と一緒に見上げた、地球の北天に輝くのと同じWの文字を。

 おれは、おれとあの世界を繋ぐものとしてWを名乗ったんだ。

 

 テラの夜空は気まぐれで、星座というものは存在しない。不規則に巡航する星々は、決まった形を取りはしない。けれども、だからこそ、あの時おれがその文字を見つけられたのは、きっとサルカズの傭兵、Wが生まれるための必然だったのだろう。

 

 今、澄み切った夜空には、無数の星が輝いて見える。けれども、その中でも一際目立って輝いているのは四つの星々だ。

 あの世界に存在していた星座というのは、神話曰く死んだ英傑たちが神々によって天上に召し上げられた姿であるらしい。今ここでまさに死にかけているおれは、英傑なんて言う大層な存在ではない。だけれども、もし神様ってのがいるのならば、数多の世界を巡って正しい世界までたどり着いたおれに少しくらい報いてくれてもいいんじゃないだろうか。星座とまでは言わないから、せめて星の一つくらいにはしてほしいもんだ。

 ……そうなれば、まだこの世界にしがみついていられる。あいつのことを、もう少しだけ見守ってやることが出来る。太陽のように煌々と照らすことも、月のように優しく静かに光を灯すこともできないけれども、絶望の底、真っ暗闇の新月の夜にだって、星明りで照らして導くことが出来る。

 神なんざ信じてこなかったけれども、そのくらいなら願ってもバチは当たらないだろう?

 

 ずっと死ぬのが怖かった。

 死んで、無になるのが怖かった。

 でも、おれは自分の生に意味を持たせることができた。あいつを救うことが出来たんだ。

 

 もう、怖くはなかった。

 

 ……なあ、生きろよ。

 ……それで、幸せになれよ。

 ……それだけで、おれは満足だ。おれは……

 

 ……死にたく……ないなあ…………

 ……もっとあいつと話したい。

 ……もっとあいつと触れていたい。

 

「…………ちく……………………しょう……………………」

 

 手を、空に伸ばす、届くはずもない星に、手をかけるかのように。

 

 ……ちゃんと…………あいつが……しあわせになるところ…………みたかったなあ……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうした?空なんて見上げて」

 

「……なんでもないわ」

 

 

 ヘドリーの問いかけに対して、気のない返事を返すW。ふと、同じようにして空を見上げてみた彼は、それを見つけた。

 テラの夜空には無数の星々が輝いている。而して、その所在は往々にして異なり、日毎に全く違った絵を漆黒のキャンパスに描き出す。

 今日の北天に一際大きく輝く五つの星、Wの文字も、明日には消えてしまうものであろう。

 しかしながらそれは、不思議と優しく輝き、まるで彼女の、Wの門出を祝っているかのようであった。

 

「……行きましょ」

 

 かくして、サルカズの女傭兵、Wは歩み始める。その行方に例え過酷な出来事が待ち受けているとしても、いつか彼女は必ず幸せを掴めることだろう。

 

 生きてさえいれば、何だってできるのだから。

 

 

 

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あとがき

 

 これまで約3年という長い時間に渡って続けさせて頂いた本作ですが、無事に完結させることが出来ました。偏に読んでくださった皆様のおかげです。本当にありがとうございました。

 もともとこの作品は短編のつもりで書き始めたもので、総文字数にして2万字ほどの予定のものでした。それがどういうわけか、最後の方は1話あたり2万字になってしまいまして、どうしてこうなったのかといったところです。

 制作の背景としては、投稿当初、アークナイツのイベントである「闇夜に生きる」のストーリーを読んだことがきっかけです。俗な話ですが、だぶちが色々とドストライクでして、彼女を題材にした小説を書きたいと思いました。そこでふと思ったのが、元々のWとはどんな人物だったのかということです。そこから、二人のWに関する話を書こうと構想が膨らんでいき、この作品に繋がりました。なので、本作のテーマはずばり、あらすじに書いた「W」の終わりと始まりの物語です。

 自分の二次創作のスタンスとして、原作を遵守して、その空白部分を膨らませる、あるいは補完するというものがありまして、それゆえに本作の結末は初めから決まっていました。制作上、最終話から書き始めたのもこのためです。この終わり方には賛否両論ありますでしょうが、原作を尊重してのことだとご理解いただけますと幸いです。

 あとは完全な余談ですが、ループなどに関する着想は「ドニー・ダーコ」という超絶名作映画から得ました。もしよろしければ皆様も見てみてください。アークナイツ勢は好きそう(こなみ)

 結びになりますが、読んでいただいたすべての方々に感謝いたします。途中で長期の休載を何度も繰り返したのにも関わらず付き合っていただいた皆様のおかげで、無事に一つの作品を完成させることが出来ました。重ね重ね、お礼申し上げまして、あとがきとさせていただきます。また、ハーメルンのどこかでお会いしましょう。

 

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「……ドクター。敢えて言おう、()()をどうするつもりだ?」

「……まだ息がある」

「だから敢えてと言った。ドクター、私と君がわざわざカズデルまで出向いた理由は、少なくともそこにいる死にかけのサルカズを助けるためではないということは確かだ。私とて医療に携わるものとして助かる見込みがあるのであればその救命に全力を尽くすのもやぶさかではないが、それにしても時と場合というものがある。極東ではかつて、とある武人が主君の下に馳せ参じようと急ぐ道中にて、野盗に襲われた村を放っておくことが出来ず、結果として主君がその命を散らす結果になったという出来事があった。本当に大切なことのために何かを犠牲にする。その決断の重みというのは、君自身が誰よりも知っているだろう?……そのことをよく踏まえた上でもう一度聞かせて欲しい。ドクター、君はそれをどうするつもりだ?」

「……確かに、戦場で敵味方の命をまるで盤上の駒のように扱う私が、こんなことを言う資格はないのかもしれないな」

「…………」

「……けれども、私は見てしまったんだ。彼の姿を。まだ生きたい、そう言っているかのような彼の姿を。確かに私には大義がある。そのためなら他人を利用することもある。けれども、ここでその大義のために誰かを見捨てることをしてしまえば、私は大義までもを失ってしまう、そんな気がするんだ」

「……つまり、君は彼を助けたいのか」

「ああ。ケルシー、お願いしてもいいだろうか……?……また迷惑をかけてしまうが……」

「……君のことだ。そう言うだろうと思って既に手術室と器具を手配してある」

「ケルシー……!」

「それにな、ドクター。私は君が犠牲を強いる決断の重みを知っているとは言ったが、何も君が冷血漢だと言ったつもりはない。確かに、戦場での君の姿は敵はおろか味方からさえも畏怖とそして憎悪の対象となってしまっているきらいはあるが、その姿だけが君の本質だとは限らない。ドクター、君が指揮をとる際、仮に味方から君が忌避されるようなことがあったとしても、この世に少なくとも一人は本当の君を理解しようと試みている人物がいるという事を頭の片隅に置いておいてもいいだろう」

「……ケルシー」

「……なんだ、ドクター」

「いつもありがとう。君がいてくれて、本当に助かってる」

「っ!……急ぐぞ。患者の容態は予断を許さない状態だ」

「……ああ」




読みにくくて申し訳ないです。
スマホ版の人はコピペを、PC版の人は選択をして頂ければと思います。


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