風譜バッテリー (群武)
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1球目




暑い

 

今朝見た天気予報では今日の気温は40度近くまで上がると言っていたので暑いのは仕方がない。

 

熱い

 

この炎天下の中投げ続けた為か体の芯から熱を発しているのが分かる。

 

「ふぅ」

 

私は体内の熱を出すかのように少し息を吐きながら後ろを向きバックスクリーンを眺める。

バックスクリーンには2列で0が上下で同じように並んでいる。違うのは1番後ろの数字が上は1で下はまだ0になっていない。

それと相手チームのHの欄も0という事だ。

実際は痛烈な打球が野手の正面だったり、好守のおかげとチームメイトに助けられてばかりである。

少し視線を下げ外野を見れば熱気のせいか視界が歪む。

私1人ではこんな暑い中80球以上も投げることは出来なかっただろうし、ノーヒット何て以ての外だ。

私は改めてチームメイトに感謝し前を見直す。

視線の先には防具をつけた少年が信頼の眼差しをこちら向けているのに対して殺気すら感じる視線を向けてくる相手がいる。

その2つの視線を肌で感じながら私は最後に状況を整理する。

 

2アウト2塁3塁

点差は1点

相手打者は3番

抑えれば優勝、打たれれば逆転負け。

 

私は頭の中が整理出来たら一呼吸置いたら投球動作に入る。

今まで何回も繰り返してきたフォーム。しかし、疲労のせいか自分の体じゃないような気がする。

そんな違和感を感じながらも難しい事を考えずに18.44m離れた少年に向かって全力で投げる。

 

キンッ

 

私の投げたボールは甲高い金属音と共に宙を舞う。

ボールは綺麗な放物線を描きながら私の頭上を超えていく。

勢いよく飛んで行ったボールは徐々に勢いが無くなり、重力に従って落ちてくる。

地面に落ちる前にボールはグローブに収まる。

 

 

その瞬間、聞こえてくるはずだった割れんばかりの歓声の代わりに朝を告げる電子音か聞こえてくる。

 

ピピピピ

 

私を起こしてくれた時計の目覚まし機能を1度止め、1度伸びをする。

私は久々に見た夢の内容を思い返す。

 

「それにしてもあの優勝から8ヶ月か」

 

そんな独り言を言いながら机の上に飾ってある1枚の写真に視線を向ける。

その写真には金色に光るメダルを首から下げている私と幼馴染みの男の子が写っていた。

「この大会が一緒にプレー出来た最後の大会なんだよね…」

女子野球がどれだけ発展しようとも男子との身体的差は埋めることが出来ない。その為、一緒にプレー出来るのは中学までとなっている。

そして、その最後の大会も8か月前の優勝という最高の形で終わりを告げた。

今日から華の女子高生になるが、あの大会以降どうにもテンションが上がらない。

いわゆる燃え尽き症候群と言うやつだろう。

一応テンションが上がらないなりに日課の自主練は続けており、今日もこの後ランニングに行く予定である。

 

「それにもう野球やる予定もないのに何でランニングしてるんだろ」

引退してから何回か朝のトレーニングを辞めようとしたがどうにも体調が悪かった為、今までも続けていた。

調べたら日課のトレーニングを急に辞めると体に悪いらしい。

 

「まー朝起きと運動は健康と美容に良いからいっか」

 

そう自分に言い聞かせながら私はジャージに着替えていつものルートへ向かって走り出す。



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2球目

私の進学先である「祇園高校」は女子野球の名門校だった。

 

何故、過去形なのかと言うと、ここ最近の祇園高校は甲子園に出るどころかベスト4にも残れていない。

それに加え一昨年に部活動内での暴力事件が発覚。

野球部は休部、噂によれば有望な選手達は転校してしまったらしい。

そんなこともあり今では女子野球よりも男子の野球部の方が有名で「男子の祇園、女子の宮川」と呼ばれるようになっている。

 

とこれから3年間通う高校について少し考えながら鴨川沿いをランニングしているといつの間にか分岐点に差し掛かっていた。

今までは向かって右側の高野川沿いを走るが、今日は少し気分を変えるために賀茂川沿いの方へと走ってみる。

 

「こっちの方が走りやすいかも」

 

いつものルートは人通りは少ないが、あまり塗装がしっかりされておらず少し走りにくい。

賀茂川沿いは塗装はしっかりされている分、結構人通りが多く走りにくそうなイメージがあった為今までは避けていた。

 

「やっぱりこの時間だと人通りも少ないしこれからはこっちにしようかな」

 

高校になるのと同時に3年以上走っていたルートにお別れを告げ新しいルートを走り出す。

 

それから20分ほど走ると段々と川原が広くなっており、いつの間にか運動が出来るくらいの広さになっていた。

 

「トレーニングも出来そうな所も丁度あっていいね」

 

私はその広場で日課のトレーニングをこなしつついつもと違う景色を楽しんでいた。

土手の上には桜の木が並んでおり、満開に近かったが少し散り始めていた。

その為、風が吹く度に木々が揺れ桜の花びらが落ちる。

ベンチに座りながらそんな桜吹雪を眺めていると、対岸で素振りをしている少年が居ることに気づいた。

 

「中学生くらいかな?こんな早い時間から練習なんて感心。感心」

 

ついこの間まで中学生だった事なんて忘れてそんな事を言いながら少年の素振りを眺める。

 

「それにしても凄く良いスイングしてる」

 

遠目から見ても分かるくらい鋭いスイングを繰り返す少年に目を奪われる。

 

(私だったらどうやって抑えよう…)

 

いつの間にか私は脳内で勝手に少年と勝負を始めてしまっていた。

 

ひとしきり少年との勝負を楽しんだ後、時間がヤバくなっていたので帰路に就く。

 

 

「さてこれからどうしよう」

 

入学式やクラス発表を終えてのんびりとした放課後の時間が流れる。

クラスメイト達は部活に向かう人や連絡先の交換に勤しむ人など各々が新生活のスタートに対してアクションを起こしている。

私もクラスメイト達と連絡先を交換してから少し窓の外を見るとすぐ近くに野球用のグラウンドがある事に気付く。

 

「ん?誰かいる?」

 

一瞬男子の野球部かと思ったが、遠目から見ても女子生徒なのが一目瞭然だった。

グラウンドには茶髪の少しチャラそうな子がバットを持ち、黒髪ロングの真面目そうな子はグローブをつけていた。

 

「キャッチボールする訳ではないんだ」

 

一体2人が何を始めるのか興味が出た為、私は教室から出てグラウンドへ向かった。



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3球目

「ウチが打てばハーゲンダッツね!」

 

バットを持った茶髪の子はマウンドに立っている真面目そうな子に対して木製バットの先を向ける。

 

「じゃぁ、私も抑えたらハーゲンダッツね」

 

そう応えたマウンドの女学生は振りかぶる。

高く持ち上げた脚を前に出すと共に上体が一気に沈み込む。

 

(アンダスロー!?)

 

私は一塁側のスタンドで見学をしながら驚く。

ボールを持った腕は地面に触れるギリギリの高さを通り、手に持った白球を弾き出す。

弾き出された白球はアンダスローとは思えない球威で左打席に入った茶髪の子目掛けて襲いかかる。

 

パカァン

 

乾いた気持ちいい音を響かせながら打球は真後ろのバックネットに突き刺さる。

(アンダスローであの球威!しかもそれにドンピシャで合わせたバッターの子も凄い!)

 

私はたった1球の攻防で2人の技量の高さに感心する。

そんな私を他所に2人の攻防は続く。

2球目はアウトコースをファール

3球目はアウトコースが外れてボール

4球目はインコースが外れてボール

 

(これで並行カウント。そろそろ変化球があるかも)

 

私は1人で配球を読みながら次のボールを待つ。

そして投じられた5球目はインコース低めに制球された

 

(チェンジアップ!)

 

今までと同じフォームから投げられた全く球速の違うボールに茶髪の子は体勢を崩されながらも辛うじてバットに当てる。

 

(あっ)

 

そのファールボールが私の方に向かって飛んでくる。

 

「「危ない!」」

 

勝負していた2人は観戦していた私に今気付いたみたいで咄嗟に叫ぶ。

 

「よっと」

 

私はボールの進行方向に右手を引き勢いを殺しながら掴む。

ペチッと言う可愛らしい音を鳴らしながら捕球を成功させる。

 

「大丈夫!?」

 

「怪我ない!?」

 

2人は慌てて私の方へと走ってくる。

そんな2人に対して私は大丈夫と答えて返球する。

 

「それにしても2人とも凄いね〜。どこのチームでやってたの?」

 

「よく硬球を素手で捕ったわね。私は梅原愛李。みんな梅って呼ぶわ。よろしくね」

 

「ウチは富山胡桃!胡桃って呼んで!ウチらは嵐山ガールズって所でやってた!」

 

どうやら真面目アンダースローが梅原愛李ちゃんで、木製バットが富山胡桃ちゃんね。

嵐山ガールズと言えば女の子だけのチームで地区大会ベスト4の強豪だったはず。

 

「それで、キミはどこのチームでやってたの?」

 

胡桃ちゃんが興味津々な表情で食い付いてくる

 

「私は涼風鈴音。中学は祇園ボーイズ」

 

「「!?祇園ボーイズ!?」」

 

2人は驚いた表情で見事にハモる。

 

「祇園ボーイズって全国優勝した。あの祇園ボーイズ!?」

 

「あっ、知ってるんだ。その祇園ボーイズで間違いないよ」

 

「すげー!全国区だ!」

 

2人は興奮が抑えきれずにグイグイくる。

 

「これは名門祇園高校復活だ!」

 

胡桃ちゃんはテンションがおかしくなってしまったのかピョンピョン跳ねる。

 

「うーん。それなんだけど高校ではあんまり本気でやりたくないんだよね」

 

私は2人の期待値が高くなりすぎる前に希望を否定しておく。

 

「えーなんでなんで!せっかくなら全国目指そうよ!」

 

勿体ないと言わんばかりに食い下がる胡桃ちゃん。

私が少し困ったような表情をしていると梅ちゃんが助け舟を出してくれる。

 

「ちょっとは落ち着きなさい。そもそも本気でやる気なら宮川に行ってるはずよ」

 

「確かにそうだよね」

 

見るからに落ち込んだ表情をする胡桃ちゃんを見て少し罪悪感を覚える。

 

「そう言えば、勝手にグラウンド使ってるけど許可とか要らないの?」

 

私は罪悪感から逃げるように別の話題を振る。

胡桃ちゃんはまだ諦めてなさそうな表情のまま梅ちゃんと顔を見合わせる。

 

「「それは大丈夫。胡桃(梅)が許可取ってるから。ん?」」

 

そこまでの回答と反応が全く同じになる。

 

「と、言うことは無許可?」

 

私は少し嫌な感じがする。

 

「勝手に使ってるのは誰だ!」

 

その予感は的中してしまう。



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4球目

「勝手に使ってるのは誰だ!」

 

私達は咄嗟に声の方を振り向くと、そこには先輩と思われる2人の女子生徒が立っていた。

第一印象としては真逆だった。

1人は凛々しい表情をした黒髪ショートカットの女性で、もう1人は対照的にほんわかとした表情が特徴的だった。

 

「勝手に使ってすみません!」

 

胡桃ちゃんはあわあわしてしまってるが愛李ちゃんは直ぐに頭を下げる。

その反応を見てほんわかとした表情の先輩は優しい声で話しかけてくる。

 

「驚かせてごめんね。一応ここは野球部のグラウンドだから一般生徒は使用許可がないと使えないのよ」

 

「あっ、そうだったんですね。直ぐに整備します!行くよ胡桃!」

 

「お、おう!」

 

2人は慌てて一塁側ベンチ横のトンボを取りに行く。

そして取り残されてしまった私は気まずい空気に耐えきれず取り敢えず話題を振る。

 

「先輩方は野球部の方ですか?」

 

「正確には元かな。現状野球部は廃部状態で部員は0になってるの」

 

休部状態と聞いていたが実際は廃部していたらしい。

 

「でももし、あなた達が野球部に入部するなら同好会として存続はできるかな」

 

「はぁ」

 

元々入部する予定は無かったがキャッチボールやノックくらい出来るならいいかもしれない。

本気じゃなくても野球は出来るし。

ここで少し先輩の言い方に違和感を感じる。

 

「先輩達は部活に戻らないんですか?」

 

「今年の集まり次第かな。部活に入らなくても今なら外のチームでも出来るし」

 

先程と変わらずに優しそうな表情だが、少し寂しそうに感じる。

その表情を感じ取ったのか無口な方の先輩が何か言いたげにしているが、優しそうな先輩は反応しない。

それにしてもこの2人どこかで見た事あるような気がするんだけど、全く思い出せない。

 

「そう言えばあなた、ポジションはどこなの?」

 

「私、涼風鈴音っていいます。中学は硬式のチームで投手してました」

 

「涼風…もしかして祇園ボーイズの夏風選手?」

 

「そうですが何か?」

 

なぜ名前を聞いただけで所属チームまで分かったのか。

疑問が生まれる。

 

「どこかで対戦した事ありましたか?」

 

「ううん。私達はないわ。でも後輩が対戦してたのよ」

 

「あっ、そうだったんですね」

 

しかし、後輩の対戦相手の選手の名前など覚えてるだろうか?

正直、私は対戦相手の名前はほとんど覚えてないし、覚える気もあまりない。

それにしてもここまで覚えてくれているということは衝撃的なピッチングでもしたかな?

 

「先輩のチームってどこだったんですか?」

 

選手名を聞いてもピンとは来ないがチーム名を聞けば何か思い出せるかも知れない

 

「私達は浪速ボーイズ出身よ」

 

「えっ!?」

 

なんの因縁か浪速ボーイズは8ヶ月前の決勝戦で当たったチームである。

しかも、あの試合で私はノーヒットノーランを達成している為、よく覚えられていたのだろう。

因みに、浪速ボーイズは私達の1つ上と2つ上の代で全国優勝している名門チームであり、3連覇を阻止したのがウチである。

 

「もしかして、先輩達はあの再再試合も経験して?」

 

私は珍しく覚えていた2年前の夏の決勝戦。

浪速ボーイズ対神戸ボーイズの決勝戦では再再試合の末決着がつく大熱戦を繰り広げられていた。

最終的に神戸ボーイズのエースが途中で交代し、浪速ボーイズが優勝している。

浪速ボーイズは1人のエースが3試合とも投げ抜き、決勝タイムリーを打つなど中学野球では有り得ないほど取り上げられた覚えがある。

あの時のエースの名前ってなんだっけ?柑橘系みたいな名前だった気がするんだよね。

そんな事を考えている時にふと先輩達の表情が目に入る。

 

「うん」

 

あれほど話題になった試合でしかも優勝したと言うのに先輩の表情は暗い。

私はあの試合について色々聞きたかったがそんな空気でも無かった為、次に繋げる言葉を探していた。

私は元々そこまで喋りも上手くないし、特に先輩と言う生き物は苦手である。

1年やそこら早く産まれただけで大した努力もしていないのに威張り散らす。

中には尊敬出来る人も居るがどうしても苦手の方が印象に残りやすい。

私が次の話題を探していると整備を終えた2人が戻ってくるのが見え、助かったと少し安堵する。

 

「整備ご苦労さま」

 

先輩はそう言うと先程までの暗い表情はいつの間にか無くなり、優しい表情へと変わっていた。



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5球目

「ところで先輩方の名前って何て言うんですか?」

 

グラウンド整備が終わり少し話しているといきなり胡桃ちゃんが手を挙げて質問を投げかける。

その質問に答えてくれたのはやはりと言うか妥当に栗色の髪を後ろで束ねて優しい表情をした先輩の方だった。

 

「そう言えばまだ名乗ってなかったわね。私は日向 夏(ひむかい なつ)、こっちが高千穂 小夏(たかちほ こなつ)。よろしくね」

 

「よろしくお願いします。私は梅原愛李です。こっちが」

 

「富山胡桃です!夏先輩達ってもしかして浪速ボーイズですか!?」

 

「ええ、そうよ。良く分かったわね」

 

「知ってるに決まってるじゃないですか!」

 

胡桃ちゃんは当たり前と言わんばかりの表情をするが隣で聞いていた愛李ちゃんがツッコム。

 

「よくそんな自信満々で言えるわね。さっき私に聞いてきた癖に」

 

「それは言うなよ〜」

 

「それにしても梅原さんは良く知ってたわね」

 

「それは勿論!一昨年の決勝戦を生で見てましたから!」

 

大好きな選手を目の前にしたからか子供の様な高いテンションになる。

テンションが高すぎて若干先輩が引いているが敢えてツッコムまい。

 

「それにしても祇園ボーイズの涼風に浪速ボーイズの夏先輩達って凄いチームになりそうだな!」

 

愛李ちゃんのテンションに当てられたせいかいつの間にか同じくらいテンションが上がった胡桃ちゃんが言う。

 

「いやいや、私本気で野球はやらないよ?」

 

「ブーブー。折角豪華なメンバーで出来るんだから全国目指そうよ〜」

 

確かに全国クラスの先輩達やレベルの高い同級生と一緒に野球をするのは楽しいかもしれない。

しかし、

 

「うーん、やっぱりいいかな。いくら女子野球が発展したって言っても男子と同じレベルで出来た中学程燃えられなさそうだし」

 

「それは聞き捨てならない」

 

先程まで口を閉じていた高千穂先輩が反応する。

 

「中学で1番だっかもしれないけど高校野球のレベルは比じゃない。それを解らせてあげる」

 

どうやら私は高千穂先輩の逆鱗に触れてしまったようで先程までの何を考えてるかわからなかった表情から感情が読み取れる。

 

「いいですよ。でもどうやって解らせてくれるんですか?高千穂先輩と勝負でもしますか?」

 

「もちろん。私が」

 

勝負すると言いかけた高千穂先輩の声が途切れる。

その瞬間

 

「「!?」」

 

私と高千穂先輩はとてつもない威圧感を感じ取り、咄嗟にその威圧感を感じた方を向く。

その視線の先には先柔和な笑みを浮かべている日向先輩がいる。

正確には「目」以外は笑っている先輩である。

 

(目元が笑って無いせいで普通に怒るよりも怖い)

 

私は先程の発言が原因だと気付きはしたが本心だった為、撤回する気もない。

それから取り敢えず勝負の為に肩を作る。

 

「そろそろ準備は出来た?」

 

そう言った日向先輩は両手に黒のバッティンググローブに黒の金属バットと黒に統一された格好で待ち構えていた。

 

「はい。大丈夫です」

 

「せっかくだし何か賭けしない?」

思いもよらない発言に少し驚くが何か賭けた方が断然燃え上がるので断る理由はない。

 

「良いですよ。先輩は勝ったら何が欲しいですか?」

 

「私は……」

 

先輩は言葉を途中で止めてバットをこちらに向ける。

 

「貴方が欲しい」

 

日向先輩はラブソングで使われそうなセリフを真剣な表示で言ってのける。

そんなストレートに言われた事が無かったので凄く照れくさい。しかし、その真剣な眼差しから発せられる威圧感は冗談ではなさそうだ。

 

「なら私が勝ったら…。思いつかないので勝負が終わってから決めますね」

 

少しずるいかもしれないがこの胸の高鳴りを確かめてから決めたい。

 

「それでいいよ」

 

そう言って先輩は右足を少し外側に開くオープンスタンスで構える。

今回の勝負は捕手も野手もなしで、ヒット性の当たりで先輩の勝ち。それ以外でフェアゾーンに飛んだ打球と三振は私の勝ち。

 

「じゃー行きます」

 

私は振りかぶり1球目を投げる。

投じられたボールは弧を描きながら日向先輩の右肩目掛けて直進する。

左対左で初見のカーブを投げれば軌道的に打者は一瞬死球を覚悟し打ち気が削がれる。

その一瞬があれば打ち取れる。

それ程の自信があったし、見逃したら次の球に活かせる。

そんな思惑を乗せて投じた1球目は快音を残してグラウンドから消えてしまった。



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6球目

「え?」

 

快音と共に消えた打球はライトポールの外側を通る。

結果はファールだが初見で完璧に捉えられた。

 

(危なー。もうちょっと甘かったら初球で終わるところだった)

 

1打席勝負となれば初球から手を出すのはリスキーな為、心のどこかで見送ると決めつけていたのかも。

先程まで余裕綽々だった私はスイッチを切り替える。

 

(今のスイングといいこの人のレベルは全国クラスで間違いない。さっきの威圧感も勘違いじゃなさそうだし)

 

半信半疑だった実力が確信に変わり、改めて向き直す。

先程のカーブを活かすために2球目はアウトコースにストレート。

左対左のアウトコースは打者から1番遠くクロスファイヤーになるので初球インコースのカーブの後だとかなり効果的に投げ込める。

単純ではあるが効果的な配球で自信のあったストレートも快音を残しスタンドに突き刺さる。

この打球もポールの少し外。

3球目は高めに1番力のあるストレートを投げ込むも見送られる。

 

(これで決める!)

 

4球目はストレートと同じフォームから球速差30キロで低めに制球されたチェンジアップ。

空振り、もしくは引っ掛けた凡打を期待したが

 

(片手打ち!?)

 

日向先輩は届かないと感じるや否や左手を離しバットを遅らせる

ただ遅らせるだけなら凡打になるだけだがバットとボールが当たる直前に体を逆回転させ、一時的にバットスピードを上げる。

 

(そこからツイスト!?)

 

プロでは主流になりつつあるツイスト打法たが、片手打ちと合わせて使う人は見たことがない。

 

(嘘でしょ…投げるコースないじゃん)

 

インコース、アウトコース、高め、低め、ストレート、カーブ、チェンジアップと自分の持っている球種とコースをほぼフル活用しても打ち取る所か空振りすら取れない。

その後はアウトコースのカーブとチェンジアップが外れ2-2と並行カウントになる。

 

(ここまで来たら腹を括るしかないか)

 

私は決め球以外の球種でも充分打ち取れると思っていたがそこまで余裕はなかったらしい。

少し息を吐いてボールの縫い目をズラす。

先程と変わりないフォームからリリースの瞬間左腕を利き手方向へ捻じる。

投げた瞬間ボールは真ん中より少し内側のかなり甘いコースへ行く。

それに対して日向先輩がスイングを始めた瞬間、ボールは急激に変化を始める。

変化の方向は私から見て左、日向先輩の懐を抉るような角度で切り込む。

私が最後に選んだ球種は「シュート」。一般的に投げられるシュートよりもキレも変化量も比較にならないくらい大きい「カミソリシュート」と呼ばれるものである。

中学ではこの球種にかなり助けられた。

それほどピンチの時に選んだ球種であり自信のある球種でもある。

(打ち取った!)

 

そう思った瞬間聞こえてこないと思っていた快音が聞こえボールは一塁ベースの内側を通過する。

 

「…打たれた?」

 

確かに今までシュートを打たれたことはあるが、初見であそこまで完璧に打たれたことは記憶にない。

それに途中までインコースを捌けるようなスイングの軌道ではなかったはず。

 

「捉えはしたけどヒットとは言えない所だね」

 

打たれたことへショックを受けていた私に日向先輩は話しかけてくる。

負け惜しみを言うなら一塁手の正面ではあるが、あれほど完璧に捉えられたなら負けたも同然だろう。

 

「いえ、あれはヒットですよ。ヒットじゃなくてもあれだけ捉えられたら言い訳の言いようがありません」

 

私は潔く負けを認めようとするが

 

「ううん。私が守ってたら絶対捕ってた」

 

そういう先輩の瞳は力強く自信が見て取れる。

ここで変に意地を張るとややこしくなりそうなので私は直ぐに折れる。

 

「なら今回は引き分けですかね?」

 

「そうだね。」

 

「では守ってもらった時は期待してますね」

 

「その期待に答えられるように頑張るわ。でもいいの?それだと私の条件だけ叶えて貰う事になっちゃうけど」

 

少し申し訳なさそうに聞いてくるが、本気でやるかは別として一緒にプレーしたいと思ったのは違いないので問題ない。

まーあんな事を言った手前今更私から一緒にやりたいとは言い出せなかったので日向先輩の案に便乗させて貰うことにする。

 

「特に問題ないですよ。強いていえば試合の時に苦しくなったら助けて下さいね」

 

「ってことは!?」

 

私の発言の意味を汲み取った愛李ちゃんが駆け寄ってくる。

断られたらどうしよう?

そんな不安も相まって緊張した面持ちになる。

少し息を吐いて緊張を和らげてから覚悟を決める。

 

「祇園ボーイズ出身!涼風鈴音!ポジションは投手!よろしくお願いします!」

 

腹の底から声を出してこれから一緒にプレーするチームメイトに自己紹介を行う。

私の不安を消し飛ばすくらいの拍手に自然と笑みが浮ぶ。



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