女子高生ですが、大妖怪に間違えられて式神になりました。 (バケツJK)
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プロローグ うわさのバケツ妖怪

 板張りの大広間には、大勢の(はら)い屋と式神たちが集まっていた。

 

 その真っただ中を、えりあしの辺りでゆるく結わえた長い黒髪を揺らして、背の高い和装の青年が歩いていく。

 

 私はなるべく引き離されないように急ぎつつ、青年のあとを追う。

 左右の目の位置に丸く穴があいているだけの、ブリキのバケツを頭にかぶった私の視界は非常に悪く、青年とは身長差があり歩幅も違うのでついて歩くだけでも大変だ。

 

 バケツ越しに周囲のざわめきが聞こえてくる。

 

「なんと強大な妖力(ようりょく)だ、とてつもないな……」

 

「たしかに、今までに感じたこともないほどの妖力だ……」

 

「あれが冷光(れいこう)家の当主が手に入れたという、大妖怪……」

 

「あのバケツをかぶったあやかしが……」

 

「しかし、調教がうまくいっていないゆえ、今日の会合には連れて来られないと聞いていたが……」

 

「あれはバケツの妖怪なのか……?」

 

「元来あやかしとは理解できんものだが、とはいえ、なぜバケツなのだ……」

 

「頭のバケツは勿論のこと、セーターにジーンズという今風の服装も気になるな……」

 

 居心地が悪い。

 たくさんの好奇の視線を感じる。

 

 なんだかバケツがどうのこうのと言われているみたいだが、そもそもの話、私だって好きでバケツをかぶっているわけじゃない。

 昨日、いきなり『明日祓い屋の会合に出席するからついて来い』と雇い主に言われて、よその祓い屋の人たちから顔を隠すのに使えそうな物を急いで探したのだが見当たらず、仕方なく庭に転がっていたブリキのバケツに穴をあけて頭にかぶって来たのである。

 

 前を歩いている私の雇い主――冷光家の若き当主たる杠葉(ゆずりは)さんが大広間を抜けて二十畳ほどの和室に入ったので、私もあとに続く。

 和室の内壁には注連縄(しめなわ)が張り巡らされており、中心部には祭壇のような木製の台が置かれていた。

 

 私がバケツにあいた穴から室内を眺めていると、すぐ背後でバチンッ、バチイッと弾けるような音が二つして、

 

「うぎゅ!」

「ひぎゃ!」

 

という、なんともかわいらしい悲鳴が上がる。

 振り返ると、部屋のすぐ外で幼女と少女が並んで尻もちをついていた。

 

 片方は真っ白な長髪に真っ赤な瞳の、ひざ丈の巫女装束をまとった身長110センチほどの幼女で、低い鼻をもみじのような小さな手で押さえて首をかしげている。

 

 この子は白髪毛(しらばっけ)ちゃんといい、私と同じく杠葉さんの式神だ。全然喋らないしちょっと頑固なところがあるが、力自慢で火の妖術も使えるとても強い先輩である。

 だけど、なぜかこの和室に入れないようで、相変わらずの無表情ながらもどことなく困っている様子だった。

 

「は? なんじゃこれ、ちょー痛かったんじゃけど! わち、キレそう!」

 

 キレそうになっているこちらのお方は蜂蜜燈(はちみつとう)ちゃんといい、やはり杠葉さんの式神である。

 蜂蜜色のおかっぱ頭に狐みたいな耳が生えており、バッケちゃんとお揃いのひざ丈の巫女袴の裾から狐みたいな太い尻尾が垂れている、身長130センチほどの少女だ。

 瞳は赤銅色で、(まなじり)が若干吊り上がり気味なせいかちょっと意地が悪そうに見える。

 

 この子は妖狐(ようこ)だと聞いているが、なんとなくのイメージとは裏腹に妖術はほとんど使わず、見た目のキラキラとした雰囲気に反して猪みたいな性格をしている。つまり、めちゃくちゃ喧嘩っ早い。

 

 そんな彼女もやはりこの和室に入れなかったようで、尻もちをついたまま上目遣いに注連縄を睨みつけている。しかし、上目遣いって普通はもっとかわいいものだと思うんだけどな……?

 

 どうして私のかわいい先輩たちがこの部屋に入れないのか気になり、答えを求めて私は杠葉さんを見やる。

 すると、いつの間にか杠葉さんがじっと私を見ていた。

 そして、急に笑い始める。

 

「ふ、はははは、はははははは……!」

 

 もしかして、バケツをかぶっている私を見ているうちに面白くなっちゃったのかな?

 いや、仮にそうだとしても杠葉さんは普段、人前で声を上げて笑ったりなんてしないタイプだ。

 となると、日頃から危険な妖怪なんかを相手にしているわけだし、実は呪われたか何かしていて壊れてしまったとか……?

 

「ふ、くくく……ヤマコ、お前はこの部屋にいてなんともないのか?」

 

 ヤマコとは、最初に杠葉さんに名前を聞かれた際に、本名を教えるのをためらった私がとっさに名乗った偽名である。

 

 バケツをかぶっているせいで、幾分くぐもった声で私は杠葉さんの質問に答える。バケツをかぶった状態で喋ると自分の声が中で反響して不快なのだが、彼に雇われている身なので質問をされて答えないわけにもいかないのだ。

 

「あ、はい、べつに何ともありませんけど。でも、なんでかバッケ先輩とハッチー先輩が……」

 

「入れなくて当然だ。この部屋には、並みのあやかしならば触れただけで消滅してしまうほど強力な結界が張られている。だというのに、お前は平然としているのだから……フ、さすがだ」

 

 うーむ、『フ、さすがだ』なんて言われてもな……。

 私って本当は人間な上にただの女子高生だし、妖怪用の結界が効果ないのは当たり前のことなんだけど。

 

 しかし、『バケツをかぶった妖怪の女』よりも、『バケツをかぶった人間の女』の方がよりヤバいやつ感が増す気がしなくもない。

 

「あのバケツ妖怪、すごいな……」

 

「ああ、あの強固な結界をものともしないなんて……」

 

「あのような強力なあやかしを式神にするとは、うらやましい限りだ……」

 

「チョウダイ……チョウダイ……」

 

「いったい、どうやって冷光家はあのバケツと契約したのだろうな……」

 

 んん?

 私を遠巻きにして見つめる連中のざわめきの中に、なんだかおかしな発言がまざっていなかったか?

 

「どうやら釣れたようだ」

 

 杠葉さんが私にしか聞こえないくらいの小声で言ってくるが、なんの話なのかわからない私は間抜けな声で聞き返す。

 

「へ?」

 

「最近、俺たち祓い屋ばかりを狙う、少し力のあるあやかしがいてな……これだけ多くの祓い屋が集まれば、姿を現すのではないかと思っていた」

 

 ええ? 予想できていたのにもかかわらず、なんで今まで黙っていたんだ?

 

「ぐぅうわあああああああっ!!!!!!!!」

 

 後ろの方から、男の人の野太い悲鳴が上がった。

 

 おそるおそる振り返ると、ボサボサの長い髪の毛を床に引きずった、異様に背が高くてやせ細った体つきをした女が、「チョウダイ、チョウダイ」と言いながら、これまた細くやたらと長い腕をハゲたおじさんの口にねじ込んでいた。

 すでにおじさんに意識はなく、白目をむいてびくびくと痙攣しており、顎がはずれて舌がだらりと垂れ下がっている。おじさんの横には、彼が連れていた式神と(おぼ)しき毛の長い猿のような妖怪もひっくり返っていた。

 

 これは……妖怪の見た目といい被害者の惨状といい、なんというかおぞましい光景だな。

 近づきたくないし、あの怖い妖怪は『よくわからないものを見かけたらとりあえず殴っとく』タイプの先輩たちにお任せして、私は杠葉さんを守るという名目で妖怪は入れない結界部屋の中にいればいいかな?

 

 などと考えていると、楽しげに口もとを歪めた杠葉さんが命じてくる。

 

「デモンストレーションにはちょうどいい機会だ、この場に集まった祓い屋たちにお前の力を見せてやれ」

 

「はい?」

 

「白髪毛と蜂蜜燈は結界が張ってあるこの部屋の前に待機しろ。あのあやかしがどんな攻撃を仕掛けてくるか不明な上に、敵がやつだけとも限らない。この機に乗じて俺を狙いそうなやつが、この会場にはごまんといるからな」

 

 いやいやいや、ちょっと待ってほしい。先輩たちよりも部屋の中に入れる私の方が杠葉さんの護衛役に適しているはずだ、ぜったいにだ。

 なんで戦いたがりの先輩たちを待機させて、あんなおぞましい系の妖怪を相手にこんな頭にバケツをかぶった女を選出するんだ?

 もしかしたらこの人、本当は私がただの人間だと知っていながら、気づかないふりをしていじわるをしているんじゃないか?

 

 私がそんな風に疑心暗鬼になっている間にも、しかし、騒ぎはどんどん大きくなっていく。

 

「うわあ、助けてくれえ!」

 

「俺の式神が喰われた!」

 

「チョウダイ……チョウダイ……」

 

「くそっ、術が当たらない!」

 

「冷光家のあのバケツがいるだろう、何をやっているんだ!?」

 

「ああ、そうだ、あのバケツならば……!」

 

 見た目によらず、チョウダイ女はかなりすばしっこいようで、祓い屋やその式神たちの攻撃をたやすくかわしていた。

 さっきまで好奇や悪意を向けてきていた人たちが、助けを求めるような目で私を見ている。

 

 うーむ、とはいえだ、やっぱり行きたくないぞ。

 でも、行かないとな……だって、私は杠葉さんに逆らえないのだ。なにせ杠葉さんと私が交わしたのは単なる雇用契約ではなくて、私が彼の式神(しきがみ)になるという内容の呪術(じゅじゅつ)的な契約である。だから私は杠葉さんの命令には逆らえないし、私たちのうちどちらかが死ぬまで契約は続くので彼の式神を辞めることすらも難しい。

 それに加えて、もしも杠葉さんが死んで私がお役御免となってしまうと今度はお金が手に入らずスイーツの食べ歩きやお取り寄せができなくなるので、それはそれで冗談ではなく私にとっては命に(かか)わる。一か月ほど前に事故で邪神のような美少女妖怪を取り込んでしまったせいで、私は定期的にオシャレなスイーツを食べないと逆に彼女に命を食べられて死んでしまうのだから。彼女は常に私の内部に存在しているため、逃げることもできない。

 

 どう対処すべきか、なんにもアイディアがないまま、私は暴れているチョウダイ女のもとへゆっくりとした歩調で向かう。しかし、ゆっくり歩いて多少の時間を稼いでみたところで、結局なんの手立ても思いつかなかった。

 

 こうなったらもうしょうがない。チョウダイ女がどう反応するかわからないので使いたくはなかったが、良い案も浮かばないし時間切れである。

 

 腹をくくって、私はバケツの穴からチョウダイ女の背中を強く睨みつける。長すぎる上に妙に毛量が多い頭髪に覆われたその背中は、二足歩行する巨大なゴキブリのようにも見える。

 

「チョウダ……アッ、アア――アアアアアアアアアアア!!?」

 

 チョウダイ女が悲鳴を上げて、動きを止めた。

 美少女妖怪を取り込んでしまったせいで翡翠のような濃い緑色になってしまった私の両目には膨大な妖力が宿っており、この目で強く睨みつけるとどんなに凶暴だった妖怪もたちまちに怯えてしまうようなのだ。

 ただ、怯えさせたからといって必ずしも大人しくなるわけではないので、実のところまったく安心はできない。

 

 とりあえずチョウダイ女が硬直しているうちに逃げられないようにしておこうと思い、私は彼女の床に引きずるほど長い髪の毛の先をぎゅっと踏んづける。

 

「ア、アアー……ミナイデ……ミナイデー……!!」

 

 どうやらチョウダイ女はミナイデ女にジョブチェンジしたらしい。

 かわいそうなミナイデ女は私から離れようと必死に鶏ガラみたいな足を動かしはじめたが、幸いなことにすばしっこいだけで脚力は強くないようで、これならばひ弱な私でもなんとか押さえられそうだった。

 

 さて、と。

 とりあえずこれでミナイデ女の動きを止めることはできたわけだが、どうしようか?

 美少女妖怪を取り込んだことで私には妖力がたくさんあるものの、本物の妖怪や訓練を積んだ祓い屋の人たちのようにその妖力を扱えるわけではない。なので術を使ってかっこよく攻撃したり、妖怪を封じたりなんてことは一切できない。

 一応、妖力を込めてパンチすればミナイデ女をやっつけることはできると思うけど……でも、周りからめちゃくちゃ注目されている上に、雇い主である杠葉さんからは『お前の力を見せてやれ』なんてプレッシャーをかけられてもいる状況で、素人丸出しのパンチを放つのも恥ずかしい。

 

 うーん、困ったな。お手上げだ。今後のためにも、家に帰ったらネットでお手本になりそうな動画を探して空手の型でも練習してみるか。とりあえずパンチが様になっていれば多少は見栄えもするだろう。

 

「ミナイデ……ミナイデ……」

 

 逃げるのを諦めたらしいミナイデ女が、ゆっくりとこちらを振り返る。

 そして、ミナイデと言いながら、顔の真ん中にある一つしかない小さな目で私を見下ろしてくる。

 

「ひえっ……!?」

 

 正面から見たミナイデ女の姿は、想像していたよりもずっと怖かった。

 私を見下ろす彼女の目は、小さすぎるあまり白目が見えず真っ黒で、まるで穴が開いているかのようだ。加えて鼻らしきものはどこにも見当たらず、口は唇がなくて開いたままになっており、黄ばんだ乱杭歯がむき出しになっている。乾き切ってがさがさになった皮膚の色は濃い灰色で、長すぎる腕には肘のような関節が四つもあり、さらには全身から謎の刺激臭が漂っていた。

 

 ――バツンッ!

 

「うひゃあっ!?」

 

 私のかぶるバケツの頭を(かす)めて、ミナイデ女の一つしかない目に一本の矢が突き立った。

 びっくりして、思わず変な声を出してしまった。

 もだえ苦しむミナイデ女の姿がだんだんと透き通っていき、最後には空気に溶けるかのように消えてしまう。

 

 ミナイデ女が完全に消滅したのを確認して振り返ると、いつの間にか結界部屋から大広間に出てきていた杠葉さんが手にしていた弓を下ろす。弓は会場に入る際に係の人に預けたはずだが、冷光家に残る唯一の内弟子である杏子(あんず)さん――通称アンコちゃんが緊急事態ということで取ってきたのだろう。

 

 いつもとは違う、少し優しげな目で杠葉さんが私を見る。

 

「お前の力を見せてやれ、と言ったはずだが……俺に手柄を譲るとはな」

 

 え? 誰かがやっつけてくれないかなと期待はしていたものの、手柄を譲るだとかそんな発想は私にはなかった。

 とはいえ、この流れを利用しない手はない。

 

「えと……えと、ミナイデ女は完全に私に怯えてましたし、もう十分に格の違いは見せられたかなと思いまして」

 

「そうか。ところで、今のあやかしだがあまり頭がよさそうには見えなかったな」

 

 今のあやかし?

 ふむ。どうやら、私の考えた『ミナイデ女』という呼び名は杠葉さんのお気に召さなかったらしい。せっかく思いついたのに。

 

「えっと、はい。なんていうか、脳みそが家出しちゃってるような感じでしたけど」

 

「あれが自主的に祓い屋ばかりを狙って襲っていたとは考えがたい。そして、俺は今日この会合にヤマコを連れてくることはできないと方々に言いふらしていた」

 

「ふむふむ、なるほど。読めてきましたよ、やっぱりそういうことですか」

 

 何一つわからないまま、とりあえずわかったような顔をしてうんうんと頷いておく。本当に脳みそが家出しているのは私の方かもしれない。

 

 しかし、である。

 とりあえずわかったような顔をして頷いておけば、私がちゃんと理解していると勝手に勘違いした杠葉さんの機嫌がよくなり、普段よりかは幾分接しやすくなるのだ。

 大事なのはこうした積み()重ねである。

 

「ああ。俺は今のあやかしが、この場にいる誰かの式神だったのではないかと疑っている。ここにヤマコがいなければ、あれの相手をしたのは白髪毛か蜂蜜燈のどちらかだ。それでもすぐに被害を止められなければ、残ったもう一方も助勢せざるをえなくなったかもしれない」

 

「杠葉さんの言うとおりです。まったく、恐ろしいことですね」

 

「一時的に、俺を守る者がいなくなる。結界の中に入れば安全というのは、妖怪に対してだけの話だ。妖怪は結界の中に入れないが、祓い屋は入ることができる」

 

「はい。あんまり考えたくないですけど、それってつまり……」

 

「そうだ、今回の件は俺を殺そうとした何者かの――もしくは、大勢の企てだ。ヤマコという、あまりに強大な式神を手に入れた俺を厄介に思う者は、一人や二人では()かないだろうからな」

 

 杠葉さんは蛇のような笑みを浮かべて、結界の張られた部屋にいた、祓い屋の中でも力のある者たちの顔を順ぐりに見回した。

 なるほど。今回のこれは、そういう類の事件だったのか。杠葉さんの話を聞くまで私には何もわからなかったぞ。

 

 そして、なんだか気まずい雰囲気のままに会合はお開きとなり、私たちは冷光家が所有する国産の超高級車に乗り込む。会場に入る前からかぶり続けていたバケツをようやく外せて、ほっと息をついた。

 

 アンコちゃんが運転する車の中で、今や私の定位置となっている後部座席の真ん中に先輩式神たちにサンドイッチされて座っていると、助手席に座る杠葉さんが振り返って私に言う。

 

「これで、今代(こんだい)の冷光家に逆らう者はそうそう現れないだろう。当たり前だが、お前ほど強大な力を持つ式神はほかに存在しないからな。そしておそらく、今後とて現れまい」

 

 笑みこそ浮かべなかったものの、杠葉さんはいつになく機嫌が良さそうに見えた。

 

 今ならちょっとお高いスイーツをおねだりしても許されそうだ。

 私は帰り道にあるいくつかのケーキ屋や和菓子屋の商品を思い浮かべて、どれにしようかと真剣に悩み始めるのだった。



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私が妖怪と間違えられるようになったわけ

 ちょっとした不注意から、すべては始まった。

 

 私のお母さんはクリスチャンでもないくせに、ミッションスクール、いわゆるお嬢様学校というものに強い憧れを抱いていた。

 三日に一度は必ず「ああ、お母さんもミッションスクールに通いたかった」などと嘆く始末で、私の家はあまり裕福でなかったにもかかわらず、一人娘である私をミッションスクールに通わせるためのお金をコツコツと貯めていたほどだ。

 

 勉強が嫌いで特に行きたい学校もなかった私としても、授業が比較的簡単で午後の三時前後には帰ることができるミッションスクールは好都合だったが、寄宿舎に入って私生活までをも厳しく管理されるのはごめんだった。

 お母さんはせっかくミッションスクールに行くのなら絶対に寄宿舎に入るべきだと主張していたものの、私が「じゃあ行かない」と言い張ると、渋々といった様子で栃木県の日光市にある中高一貫校、『二荒聖陽女子学院(ふたあらせいようじょしがくいん)』のパンフレットを寄越してきた。

 

「さすがにここだと、うちからは遠すぎるような……?」

 

 私の住む家は千葉県成田市の土屋という地区にあり、スマートフォンで確認したところ、栃木県日光市の霧降(きりふり)高原にある二荒聖陽女子学院は直線距離にしても優に100キロメートル以上離れている。

 首をかしげる私に、お母さんがめちゃくちゃ不機嫌そうな顔をして言う。

 

「ふん。うちから通えるような場所にはミッションスクールなんてないわよ。でも、ここだったらおじいちゃんの家からなら通えるでしょ」

 

 どうやらお母さんは私が寄宿舎に入らないのが残念で仕方がなかったらしく、それから二週間くらいの間はずっと機嫌が悪いままで、本当にめんどうくさかった。

 

 とにもかくにも、そんなこんなで二荒聖陽女子学院の編入試験を受けて無事に合格した私は、早く新しい環境に慣れるために、中学校を卒業すると祖父が一人で暮らす日光市の山奥の一軒家に引っ越した。

 しかし、初登校までに一か月近くも休みがあり、どこを見渡しても自然ばかりの田舎ですぐに時間を持て余してしまう。

 色違いのポテモンを孵化させる作業にもいい加減うんざりしてきたある日、せっかく田舎に来たのだから川遊びでも試してみようかとふと思い立ち、釣り道具を探すためにずいぶんと昔から庭に建っているという蔵に向かった。

 

 外壁の高い位置に蝶のデザインの家紋が彫られた石蔵(いしぐら)の、錆びて真っ茶色になった鉄扉(てっぴ)のひどくざらつく取っ手を両手でしっかりとつかんで、体重をかけて勢いよく引く。

 苦労してなんとか華奢(きゃしゃ)でかわいい女の子一人が通れるくらいの細い隙間を開けて、中を覗き込む。しかし、あまりに雑然としており、釣り竿があるのかどうかすらもぱっと見ただけではわからない。

 

 とりあえず細長い物を目につく先からどんどん引っ張り出してみようと思い、手近なところにあった布に包まれた棒状の何かをつかむ。そして軽く引っ張るが、どうも見えない底の方が何かに引っかかってしまっているようだ。

 この時、面倒くさがって強引に引き抜こうとしたのが間違いだった。

 まるでピタゴラ装置みたいに、積み重ねられていた無数の木箱や段ボールが私に向かって崩れ落ちてきたのだ。

 

「わあっ!?」

 

 思わず悲鳴を上げてしまうほど焦りはしたが、幸いにも軽い物ばかりだったようで怪我はしなかった。

 ほっと息を吐くと、遅れて、どこからともなく手のひらサイズの平べったい木箱が落ちてきて私の頭にぶつかる。

 

「痛いっ!」

 

 私は痛みで涙目になりながらも、蔵の床に転がった木箱に恨みのこもった視線を送る。(ふた)がどこかに飛んでいってしまったようで、(あらわ)になった木箱の中身が――非常に濃い翠色(すいしょく)勾玉(まがたま)の首飾りが、薄暗い蔵の中だというのにほのかに輝いているように見えた。

 

 ――そうだ、これを首にかけて自撮りでもしてみようかな。

 

 そんなことを思いついたのは、やはり寂しかったからなのだろう。

 祖父の家の近辺にはまだ友達なんて一人もいないが、スマホのライングループには中学までの友達が何人かいるのだ。そこに、このいかにも古代文明といった雰囲気の首飾りをつけた自撮り画像を載せれば、ちょっとした会話が生まれるかもしれないと思った。

 小さな虫などが付いていないかよく確認してから、私はいそいそと勾玉を首にかける。

 

 すると途端に、勾玉から緑色の光がブワーーーーーーーッとあふれ出した。

 

「ッ――――――――!!!!」

 

 失明するんじゃないかと思うくらいの強い光だった。

 痛みを感じるほどの眩しさにまぶたを固く閉じるが、まぶた越しにもその濃い緑色がはっきりと見えてしまう。

 とても綺麗なのに、なぜかはわからないがどうしようもなく恐ろしい。

 本能的な恐怖が津波のように押し寄せてきて、涙が零れ落ちる。

 このまま、この緑色を見ていたら頭がおかしくなってしまうのではないかと思ったが、諦めそうになったところで不意に眩しさを感じなくなった。

 まぶたの裏に残る緑色の残滓が薄らいでいくにつれて、あれほど強く感じていた恐怖も夢か幻だったかのように、それこそ波が引いていくかのごとく消えていく。

 

 光が消えて何分か経ち、しっかりと心が落ち着いたのを確認してから、私はおそるおそる目を開ける。

 

 蔵の中の様子に変化はないように見えた。

 一体なんだったのかと思いつつも、再びあの発光現象が起きても困るので写真も撮らずに急いで首飾りを外そうとする。

 すると、(ひも)を手にした感触がやけに軽い。

 胸元に視線を落とすと、首飾りから勾玉がなくなっており、ただの古い紐になっている。

 

 勾玉はどこにいったんだろう?

 

 早く蔵を出たかったが、あの勾玉がいかにも高価そうに見えたこともあって失くしたらまずい物なのではないかと思い、スマホのライトで照らしながら辺りを探す。

 そうしているうちにお尻をぶつけてしまい、ぱさっと乾いた音を立ててかぶせられていた布がすべり落ちて、全身を映す大きな鏡が姿をあらわした。

 

 振り返った私の、鏡に映った両目は先ほどのあの光と同じ――勾玉と同じ濃い緑色をしていた。

 だが、今朝起きて洗顔した際には日本人らしい(とび)色だったはずである。

 

 何がなんだかわからずに混乱したまま蔵を飛び出すと、祖父の家庭菜園にやたらと足の長い、人間に近い大きさの猿のような生き物が二匹並んで屈んでいた。

 猿もどきが私を見上げてきて、思わず一歩あとずさる。

 顔が、明らかに人間のおじさんの顔だった。

 しかし、猿もどきたちもまた驚いた様子で、食べていた菜の花を放りだして声を上げる。

 

「ややっ、なんと強大な妖気か!」

 

「ぬうっ、以前よりそこの蔵から凄まじい妖気を感じてはいたが、それそのものを目にするのは初めてじゃ!」

 

「もしや、この畑もそなたの縄張りなのか? だとしたらもう二度と荒らさぬゆえ、どうかどうか見逃していただけないだろうか?」

 

「おお、わしからも頼む。そなたがいつも蔵から出てこぬから、蔵の外なれば構わないと思うておったのじゃ。どうか許していただきたい」

 

 猿もどきたちは並んで土下座の恰好をして、私に向かってぺこぺこと頭を下げ続ける。

 足が異様に長いので、土下座をしていても膝が頭よりも前に突き出ていた。

 山の中や家の陰からも、なんというか、妖怪と呼ぶしかないような非常に奇怪なやつらがわらわらと集まってきて、遠巻きにこちらの様子を窺っている。

 とはいえ、なんだか皆一様に怯えているような雰囲気で、あまり近くまでは来ようとしない。

 

 この瞬間まで、私は幽霊も妖怪も一度も見たことがなかった。

 だというのに、急に見えるようになったそれっぽいもの。

 なぜかそれらに怖がられている私。

 そして、あの恐ろしい光を放った勾玉と同じ色に変わったこの両目。

 

 理屈は全然わからないけど、事情はなんとなくわかってしまう。

 

「呪いの装備、だったのかな……?」

 

 テレビゲームを遊んでいると時折登場する、一度着けてしまうともう外せない上に、かなり悪い特殊効果がついている呪われたアイテム……それを間違って装備してしまった時の状況にそっくりだった。



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私が式神になったわけ

「うーん、油断したな……」

 

 祖父に頼まれて山菜を採るために山に入った私だったが、近くで妖怪たちが戦い始めてしまい、身動きが取れなくなってしまった。

 朝食をとってすぐに山に入ったのに、気づけばもう日が高い。採ってきた山菜は今日の夕飯に使うらしいので、あく抜きもしなければならないしそろそろ帰りたいのだが、この戦いが長引かないことを祈るばかりだ。

 

 私は身を隠していた茂みの隙間から、最近緑色になってしまった瞳をそっと覗かせる。

 

「ブシャアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!!」

 

 二足歩行で筋肉モリモリの、馬鹿みたいに大きい黒毛の牛さんが雄たけびを上げた。

 そして、ひざ丈の巫女装束を身にまとった、真っ白い長髪に赤い瞳の小さな幼女ちゃんを踏み潰そうとする。

 しかし、どうやら幼女ちゃんは見た目に反して身体能力が異常に高いようで、素早い動きで牛さんの踏みつけをかわすと、幼女とは思えない跳躍力で木の幹を蹴って別の木に飛んでを繰り返して牛さんの頭上まで跳ね上がり、握った小さな拳を牛さんの脳天に叩き込む。

 

「ブモオオオオオオオオオオオオンッ!!!!!!!」

 

 びっくりするほどうるさい悲鳴を上げて倒れた牛さんの巨体が地響きを起こし、辺りの木々にとまっていた鳥たちが一斉に飛び立った。

 私の瞳が緑色になってしまった日を境に毎日妖怪を見かけるし、妖怪同士が戦っている光景も小規模なものならば何度か目にしたが、こんなに迫力のある戦いを見たのは初めてだ。怪獣映画みたいでちょっと興奮もしたが、見つかってしまって巻き込まれでもしたらと思うと生きた心地がしなかった。

 

 幼女ちゃんの背後に佇んでいた、長い黒髪を一つに結わえた着物姿の若い男が、ひっくり返って微動だにしない牛さんへと近づき首を横に振る。

 

「弱い、これでは物足りない……シラバッケ」

 

 かなり変わっているが、シラバッケというのが幼女ちゃんの名前なのだろうか。呼ばれた幼女――シラバッケちゃんがぴくりと反応した。

 表情はさっきから変わらず無表情のままだが、なんだか嬉しそうに体を左右に揺らしている。

 

「喰え」

 

 男が命令するや否や、勢いよくピョンと飛びだしたシラバッケちゃんが牛さんの胸に乗り、手刀を突き入れる。

 牛さんの胸元から大量の血液が噴き出して、シラバッケちゃんの真っ白い髪も肌も紅く汚れていくが、彼女は頓着する様子もなく大きな心臓を抉り出した。

 そして地面に下りると、口を開けてがぶりと喰らいつく。

 

 すると、心臓を失った牛さんの巨体がだんだんと透き通っていき、あたかも幻だったかのように消えてなくなってしまう。

 だが、シラバッケちゃんに付着した血液が、地面に飛び散った血液とその臭いが、確かに牛さんが存在していたことを物語っていた。

 

 シラバッケちゃんが牛さんの心臓を食べ終えたのを確認すると、男が屈んで、シラバッケちゃんの首輪から垂れ下がった縄を拾い上げる。

 そう、何を考えているのかこの男、たぶん妖怪とはいえ見た目はとても愛らしい幼女であるシラバッケちゃんに首輪をつけて、縄でつないでいるのだ。

 顔は良いが、とんでもない変態野郎である。覗き見る私の視線も、自然ときついものになってしまう。

 

 突然、シラバッケちゃんが弾けるようにこちらを振り返った。

 茂み越しに、私と目が合う。

 

「どうした?」

 

 男の方もまた、シラバッケちゃんの目線を追ってこちらを見やる。

 シラバッケちゃんは私と目を合わせたまま固まってしまい、まったく動かない。

 

「向こうに何かいたか? 見つけたなら、それも喰ってしまえ」

 

 そう言って、男はシラバッケちゃんをつなぐ縄をふたたび手放す。

 しかし、シラバッケちゃんは牛さんの時のようにピョンと飛びかかっては来ず、立ち止まったまま、じっとひたすらにこちらを見つめている。

 

「シラバッケが行かないとなると、小物ではないのか? しかし、妖力(ようりょく)はどこからも感じない。つまり、俺の目を欺くほどの力を持つ、大妖(おおあやかし)……?」

 

 真っ赤な瞳を爛々(らんらん)と輝かせたシラバッケちゃんが、頭の先からつま先まで全身をぶるりと震わせる。

 そして両手を大きく振りかぶると、シラバッケちゃんの頭上にどこからともなくバスケットボール大の火球が生じた。

 

 凄く嫌な予感がするぞ、もしかしなくても私に投げつけるつもりなんじゃないか?

 

「――ま、待ってください!」

 

 自らの危機を察して、私は怯えながらも立ち上がり、隠れていた茂みから姿を現す。

 

 すると、今まで変化のなかったシラバッケちゃんの表情が明らかにこわばった。

 シラバッケちゃんが掲げていた火球がどんどん膨れ上がり、シラバッケちゃんの体よりも大きくなる。

 

 これはまずいと、私は慌てて声を上げる。

 

「だ、駄目です! 投げちゃ駄目です! ストップ! タイム、タイムです! えと、えと……降参、降参します!」

 

 シラバッケちゃんと目を合わせたまま、私はゆっくりと両手を頭上に上げる。もちろん、こっちも何か投げ返してやろうというわけではなくて、戦う意思を持たないことを示すためだ。

 しかし、それでもシラバッケちゃんは火球を消してくれない。

 

 私のことをじっと見つめていた男が、おもむろに口を開く。

 

「……本当に俺の目を欺いていたとは、驚いた。これほど強大な妖力を持つあやかしは初めて目にする。俺は冷光(れいこう)家当主の、冷光杠葉(ゆずりは)だ」

 

 いや、一瞬後には火球に焼かれてしまっているかもしれないこの状況で、悠長に自己紹介なんかされても私としては困ってしまう。

 とにかく、まずはシラバッケちゃんが掲げている火球をどうにかしてほしい。

 

 突然な自己紹介をしてきたレーコー何某(なにがし)さんが、続けて言ってくる。

 

「頼みがある。俺の式神になってほしい」

 

「は?」

 

 この人は何を言っているのだろうか?

 式神って映画なんかで陰陽師が使う、あのよくわからない使い魔みたいなやつのことか?

 ああいうのってなんか術を使って作ったり、捕まえた妖怪を従えたりしているイメージがあるけど、私は人間だぞ?

 

「何が欲しい? お前ほどの大妖怪を式神にできるのならば、腕でも足でも一本ずつくらいならば今この場でくれてやる」

 

「ええ……? い、いらないです。お金とかならともかく、腕や足なんてもらってどうするんですか?」

 

「そうか、金か。人間社会に混ざって暮らしているのならば当然必要だろうな。ならば俺が死ぬまでの間、毎月100万円支払おう」

 

「んんっ、んえ、ひゃっく、ひゃくまんえん!?!?!?」

 

 100万円って、1万円札が100枚!?

 それも、毎月!?

 なんの取柄もない上に基本的に怠け者だし、運動音痴で勉強だってたいしてできないし、そんな私が月収100万円なんて普通に考えたら絶対に稼げっこない。絶対にだ。それこそ、腕や足を賭けたって問題ないと思えるくらい、自信を持って断言できるぞ。

 なにせ、中学校の担任の先生に、『どんな子でもお金を払えば入れてくれる高校や大学はあるけど、あなたが将来どこかに就職できるのか先生今から不安だわ』だとか、『性根が腐っているのよね、残念だけどもう手遅れよ』だとか、『せめてもっと美人だったらね、現実って非情ね』だなどと散々に言われていた私だ。

 

「ひゃ、ひゃく、ひゃくうま……!!!」

 

「他にも要望があれば、できるだけ叶える。お前が好んでいるらしい人間社会風に言えば、式神契約というのはお前たち妖怪にとっての就職のようなものだ。例えば勤務時間などについても、できる限り希望に()おう」

 

「し、しばらくは……えと、最初の三年間は、学生アルバイトみたいなシフトでもいいですか?」

 

 さすがにお母さんに申し訳ないので、入学金を払ってもらってしまった以上は学校に行かないといけないし、未成年なので夜には居候先である祖父の家にちゃんと帰らなければ騒ぎになる。

 

「ほう。スウェットにダウンコートなどという恰好をしているから人間社会に慣れているのだろうとは思ったが、アルバイトやシフトといった言葉まで知っているのか……いいだろう、三年くらいならば構わない。土日は朝から晩まで、平日は夕方だけ働いてもらって、休みは平日に二日やる。とはいえ、何かあった際には泊まり掛けで働いてもらうこともあるかもしれないが、まあ稀だろう」

 

「お、おお……! それで、えっと、あの、その三年間は、お給料は……?」

 

「そうだな、25万でどうだ? うちもそれほど金に余裕があるわけではないが、大妖怪を式神にできる機会などもう二度とないかもしれないからな。先行投資ということで、少し多めに支払おう」

 

「そ、そんなにですか!?」

 

 学校に通いながらのパートタイムで貰える金額としては十分過ぎるというか、びっくりする金額だ。

 当然ながら、不満なんてあるはずもない。

 

 彼は私の前のめりな反応を見て小さく頷くと、「ただし」と言葉を続ける。

 

「三年後からは平日も朝から晩まで、できれば屋敷に住み込みで働いてもらいたい。それと、俺が死ぬまで契約は継続されるから、そのつもりでいてほしい」

 

 ふむ。むしろ望むところだ。

 私としてはできるだけ長く働かせてもらいたいので、終身雇用してほしいくらいである。なにせ高校卒業後は月給100万円だぞ、100万円。

 

 私は勢いよく頭を下げる。

 

「ぜ、是非とも、よろしくお願いします!」

 

「ああ。ではこの場で契約を交わしてしまおう」

 

「はいっ!」

 

 と、勢いよく返事をしたはいいが、式神になる契約ってどういうことをするんだ?

 というか、実際のところ私は人間なのだが、そこのところは大丈夫なのだろうか?

 

「シラバッケ、いつまでそれを持っている?」

 

 我が(あるじ)であり冷光家が当主、杠葉さんのご指摘を受けて、シラバッケちゃんが自らの頭上に掲げたでっかい火の玉を見上げる。

 そして、わずかに首をかしげると、いきなり持っていた火の玉をあさっての方向にポイした。

 

 あさっての方向といっても、どこに投げたところで山の中、森の中である。

 当たり前だが、木々が燃え始める。

 

「へっ!? ちょっ!? ここ、うちの山なんですけど! 早く火を消してください!!」

 

「なるほど、この山はお前の縄張りか」

 

 杠葉さんが神妙な顔で頷く。

 縄張りって、野生動物みたいに言わないでもらいたい。

 単純な話で、ここらの山々は代々うちの家系がご先祖様から引き継いで所有しているというだけである。もはや月収100万円のためにも内緒にするしかなさそうだが、私は山田家の一人娘であり、れっきとした人間なのだ。

 

「っていうか、頷いてないで火をどうにかしてください!」

 

「わかっている。さすがにこれは俺としても予想外の事態だ。火をむやみやたらに投げ捨てないように、あとできちんと言い含めておく」

 

 杠葉さんはそう言ってシラバッケちゃんに視線をやるが、クレイジーすぎるポイ捨てをした幼女は首をかしげるばかりだ。

 さすが幼女つよい。言葉とか常識が通用しないやつは凄くつよいな。

 

 小さく嘆息した後に、杠葉さんは着物の(ふところ)からお(ふだ)のような紙切れを取りだして、物凄い早口でなにやら呪文を唱え始める。

 

 すると、頭上遥かに真っ黒い巨大な雨雲が形成されてゆき、瞬く間に大雨が降りだした。

 今までに経験したこともないほどの集中豪雨が、広がりつつあった火の手をたちまちに消し止める。

 

「お、おおっ……凄いです!」

「これで問題ないな。そうしたら、この札を額に貼れ」

 

 化け物の顔のような、なんだかよくわからない模様が描かれた紙切れを杠葉さんから手渡される。

 受け取った紙切れの裏側には両面テープがついており、私は無言のままにその保護紙をはがす。

 こういうのって、両面テープで貼りつけるのか。別にいいんだけど、なんだか少しがっかりとした気分になった。

 

 言われた通りに額にお札を貼りつけた私を見て、杠葉さんが心なしか緊張した面持ちで(たず)ねてくる。

 

「式神の契約を結ぶために、お前の名が必要だ。教えてほしい」

 

 うーむ、名前か……。

 人間だとバレてしまうので本名は使えない。

 しかし偽名といっても、とっさには思いつかない。

 あまり待たせるのも不自然に思われそうだし、こうなったらもう本名の山田春子からもじるくらいしかないか。

 

「――ヤマコ」

 

「ならば、ヤマコ。今この時より我が身朽ち果てるまで、お前の名は俺の物だ」

 

 揃えた人差し指と中指の先で、杠葉さんがお札の上から私の額を軽く突いた。

 そして、また早口でよくわからない呪文を唱える。

 

 偽名で、本当は人間なのにきちんと契約が結べるのか不安だったが、なぜかはわからないが特に問題は起こらなかった。

 

 まさか呪いの勾玉(まがたま)のせいで、人間ですらなくなってしまっているなんてことはないだろうな……?

 

 そんな不安が心を(よぎ)ったものの、将来的に月給100万円を約束されたことへの興奮が勝り、すぐに忘れてしまった。



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邪悪な大妖怪ヤマコ(※杠葉視点)

「ブモオオオオオオオオオオオオッ!!!!!!!」

 

 太陽の下、人のように二本の脚で聳え立つ、体長が五メートルほどもある黒毛の牛が悲鳴を上げる。

 そして、高い壁のような巨体がゆっくりと仰向けに倒れていき、轟音とともに大地を震わせた。

 

 目の前に横たわった黒い牛の、筋骨隆々とした巨躯を見つめて、所詮はこんなものかと落胆する。

 大きなあやかしだったので少しは期待していたのだが、結果はというと、見かけ倒しの小物だった。

 大した力もないのに図体ばかりが大きなあやかしなど、邪魔なだけだ。

 当然ながら、式神にする価値はない。

 

 俺は自らの式神たる、丈の短い巫女装束を身に纏った、白く長い髪に紅い目の幼い少女――白髪毛(しらばっけ)に命じる。

 

「喰え」

 

 紅玉(こうぎょく)のような瞳を爛々とさせた白髪毛が、新雪のごとく真っ白な長髪と首輪から延びる荒縄をひるがえして、一飛びで倒れている牛の胸に乗る。

 そして、牛の胸に手刀を突き刺して心臓を抉り抜き地面に下りると、異様に尖った歯が綺麗に並んだ小さな口を開けてかじりついた。

 

 期待外れだったなと小さく嘆息して、俺は心臓を食べ終えた白髪毛の首輪から垂れ下がる荒縄の端を握る。

 

 白髪毛は禁術を用いて、人の手により作られたばかりの式神だ。

 名のある鬼の木乃伊(みいら)化した右腕を器に、一族にかけられた呪詛により三十歳まで生きられない兄弟子を(にえ)として、幼いころに亡くなった俺の双子の妹――譲羽(ゆずりは)魂魄(こんぱく)を宿して生みだした、人造の式神。

 まだ式神としての調教も済んでおらずその精神は赤ん坊のようなもので、先日誤ってよその祓い屋を一人喰ってしまったこともあり、今は様々な術を施した首輪と曰くつきの荒縄で暴走を抑えている状態だ。

 

「次に行くぞ」

 

 そう告げて縄を引いた瞬間、白髪毛がぴくりと首を竦めて、弾けるように後ろを振り返った。

 

「どうした?」

 

 (たず)ねるが返事はない。

 白髪毛は完全に足を止めており、縄を引いてもびくともしない。

 彼女の見据える先は茂みに覆われており、その奥に何が潜んでいるのかは(よう)として知れない。

 だが、そうは言っても強い妖力(ようりょく)などは感じられないので、例え妖怪がいたとしても小物だろう。

 

「向こうに何かいたか? 見つけたなら、それも喰ってしまえ」

 

 襲いに行く許可を出して、握っていた縄を手放す。

 しかし、白髪毛は立ち止まったまま、ひたすらに茂みを見据えている。

 

 何かがおかしい。

 白髪毛にはまだ考える頭などない。獲物がいて、許可が下りれば迷わず喰らいに行く。

 許可を与えたのにもかかわらず動かないなんてことは今までになかった。

 

 蛇に睨まれた蛙、という言葉が脳裏をよぎる。

 

「白髪毛のこの反応……小物ではないのか? しかし、妖力はどこからも感じない。つまり、俺の目を欺くほどの力を持つ、大妖(おおあやかし)……ッ――!!?」

 

 突如として全身に悪寒が(はし)った。

 着ていた着物の(ふところ)から、焦げたような悪臭が漂う。

 手を入れて確認してみると、いつも肌身離さず持ち歩いている強力な護符が腐ったようにぼろぼろになっていた。

 

「これは、邪視(じゃし)、なのかッ……!?」

 

 邪視。ただ睨むだけで人を害する、魔の(まなこ)

 邪視を持つ妖怪には何度か遭遇したことがあった。

 邪視を持って生まれてしまったという人間にも会ったことがある。

 しかし、いずれにも、ここまでの危うさは感じなかった。

 

 これは、今までに見てきたそれらとは比べものにならない。まったくの別物、もっとずっと致命的(・・・)な何かだ。

 肉の(おり)が溜まった、反吐(へど)の底に沈んでいくかのような絶望感に包まれて、思考が働かなくなっていく。

 一刻も早くこの視線から逃れなければまずいと理解しているのに、小指の先すらも動かせない。

 

 ああ、俺は生きて、家族を守らなければならないのに。

 こんな何でもない日に、こんな何でもない野山で、俺は死ぬのか。

 

 意思に反して、意識が途切れそうになり、これで終いかと思われたその刹那(せつな)

 

「フッ――!!」

 

 白髪毛が鋭く息を吐いて、全身をぶるりとふるわせた。

 そして、スイカほどの大きさの火球を生み出して両手に掲げ持ち、のけぞるようにして振りかぶる。

 こんなにも(おぞ)ましい視線にさらされて、まだ動けるとは……俺の妹の魂は、俺が思っていたよりもずっと強いらしい。

 

 すると、ガサッという音を立てて。

 茂みの向こうにいた邪視の持ち主が、勢いよく立ち上がった。

 

 そのあやかしは、一見すると人間の少女のような姿をしていた。

 黒髪をポニーテールに結わえており、普段は人間社会に紛れて生活しているのかスウェットの上下にロングダウンコートを羽織った、強力な邪視を持つ性質(たち)の悪い妖怪とは到底思えない今風の恰好をしている。

 だが、今まで何も感じられなかったのが不思議なくらいの、これまでに感じたこともないほどの強い妖力をその身に宿していた。ここまで強い妖力をこの俺を持ってしても見抜けぬほど巧みに隠していたのだから、妖力の操作もかなりのものだ。

 

 とはいえ、やはり何よりも恐ろしいのはその()である。

 

「なんだ、あれは……」

 

 翠色(すいしょく)の、底なし沼のように深い色をした双眸(そうぼう)

 今は意識されていないのか、先ほどまで感じていたような悍ましい感覚はない。

 だというのに、やはりその眼がとてつもなく恐ろしい。

 あの眼は邪悪だ。顔立ちだけを見ればどこか間の抜けた感じがする頭の悪そうな少女だが、まるでまったく別のところから持ってきたかのごとく、両の瞳だけが場違いな存在感を放っている。

 

 本能的な恐怖を呼び起こす翠色の邪眼(じゃがん)に当てられたのか、はたまたあまりに強い妖力に反応したのか、白髪毛の両手の中にあった火球が急激に膨れ上がる。

 

「だ、駄目です! 投げちゃ駄目です! ストップ! タイム、タイムです! えと、えと……降参、降参します!」

 

 邪眼の大妖が両手を上げて、白髪毛と目を合わせて大きな声で言った。その声もやはりどこか間の抜けた、やわらかい声だった。

 しかし、凶悪な邪眼を白髪毛に向けた状態で戦う意思はないなどと言われても、信じられるはずがない。

 現に、白髪毛は巨大化した火球を維持したままだ。

 

 だが、戦ったところでおそらく、こちらに勝ち目はない。

 まさしく絶体絶命の危機的状況と言えるが、ピンチはチャンスとも言う。戦えない以上はできることなど限られているが、死ねない事情があるのだから、せいぜい足掻くしかない。

 

 覚悟を決める。

 

「……本当に俺の目を欺いていたとは、驚いた。これほど強大な妖力を持つあやかしは初めて目にする。俺は冷光(れいこう)家当主の、冷光杠葉(ゆずりは)だ」

 

 名乗り、頷く程度に会釈をすると、邪眼の大妖は戸惑うようにその視線を白髪毛から俺へと、そして俺から白髪毛が掲げる火球へと振る。

 

 普段ならば油断させるか騙すかして名を聞き出し、名を縛ることで言うことを聞かせるのだが、これほどの大妖を相手にそんなことをすれば俺の身がもたないだろう。

 例え騙し討ちをしようが、勝てる見込みのない格上が相手なのだ。

 弱者たる俺は真正面から願うしかない。

 

「俺の式神になってほしい」

 

「は?」

 

 間髪をいれず聞き返された。

 邪眼の大妖は何やら渋い顔をしているが、それも当然のことだろう。本来であれば、彼女ほどの大妖が人に仕えるメリットなどないも同然だ。

 しかし、俺はこと彼女に限ってはそうでもないのではないかと思ってもいた。

 

「何が欲しい? お前ほどの大妖怪を式神にできるのならば、腕でも足でも一本ずつくらいならば今この場でくれてやる」

 

「ええ……? い、いらないです。お金とかならともかく、腕や足なんてもらってどうするんですか?」

 

 ――そら、きた。

 

 思った通り、やはり金に困っていたようだ。大妖怪だろうが、人の社会でやっていくには金がいる。しかし、まともに金を稼げる妖怪なんてまずいない。

 

 宗教法人であり、税金に関してはよそよりも優遇されている冷光家であるが、実のところ金銭面においてそれほどの余裕があるわけではない。とはいえ、金で確実に家族を守れるのならば安いもの、ここは多少の無理はすべき場面だ。

 それに金なんて、いざとなったら妖怪を使って、かねてより付き合いのある無知な代議士や大企業の創業者一族、地主などといった資産家から大いに巻き上げてやればいい。

 そのあたりも計算に含めて、いくらまでならば捻出できるだろうか。

 

「そうか、金か。人間社会に混ざって暮らしているのならば当然必要だろうな。ならば俺が死ぬまでの間、毎月100万円支払おう」

 

「んんっ、んえ、ひゃっく、ひゃくまんえん!?!?!?」

 

 よし。

 いい反応だ、だいぶ揺れているな。

 邪眼の大妖は、100万円って1万円札が100枚!? だの、それも毎月!? だのと、頭の悪そうな独り言を繰り返している。

 もう一押しで落ちそうだ。

 

「他にも要望があれば、できるだけ叶える。お前が好んでいるらしい人間社会風に言えば、式神契約というのはお前たち妖怪にとっての就職のようなものだ。例えば勤務時間などについても、できる限り希望に()おう」

 

 そう言って力強く頷いてみせると、翠色の瞳が俺を上目遣いに見上げてきて、目の色を除けばそこら辺にいる人間の少女のような姿をした大妖がおそるおそるといった様子で訊ねてくる。

 

「し、しばらくは……えと、最初の三年間は、学生アルバイトみたいなシフトでもいいですか?」

 

「ほう。スウェットにダウンコートなどという恰好をしているから人間社会に慣れているのだろうとは思ったが、アルバイトやシフトといった言葉まで知っているのか……いいだろう、三年くらいならば構わない。土日は朝から晩まで、平日は夕方だけ働いてもらって、休みは平日に二日やる。とはいえ、何かあった際には泊まり掛けで働いてもらうこともあるかもしれないが、まあ稀だろう」

 

「お、おお……! それで、えっと、あの、その三年間は、お給料は……?」

 

 大妖が期待を隠し切れない表情で、邪眼をきらきらさせて聞いてくる。

 式神として契約すれば術者を裏切れないので心配はいらないはずだが、金や物で簡単に釣られそうだ。

 しかし、それだけ金の面では苦労していたのだろう。

 そもそも、妖怪が人間と同じように生活しようと思うこと自体が異常なのだ。金など稼げないのが当たり前で、人間社会で暮らそうという考えを持っているだけでも驚嘆に値する。

 

「そうだな、25万でどうだ? うちもそれほど金に余裕があるわけではないが、大妖怪を式神にできる機会などもう二度とないかもしれないからな。先行投資ということで、少し多めに支払おう」

 

「そ、そんなにですか!?」

 

 パートタイムにしてはかなり高めの報酬を提示しただけあり、人間社会をある程度知っているらしい大妖の反応も上々だ。

 前のめりになる彼女に、俺は「ただし」と言葉を続ける。

 

「三年後からは平日も朝から晩まで、できれば屋敷に住み込みで働いてもらいたい。それと、俺が死ぬまで契約は継続されるから、そのつもりでいてほしい」

 

 もしも嫌がられたら少々面倒だと思ったが、人間よりも圧倒的に長い寿命を持つ大妖からすれば悩むようなことではないのか、特に不満はなさそうだった。

 凄い勢いで頭を下げてきた大妖が、大きな声で言う。

 

「ぜ、是非とも、よろしくお願いします!」

 

「ああ。ではこの場で契約を交わしてしまおう」

 

「はいっ!」

 

 悟られぬように落ち着いた素振りでいるが、実際のところこの機を逃したくないのはむしろ俺の方だ。

 内心の焦りを表に出さないように気を使いつつ、あえてゆっくりとした所作で(ふところ)から契約に使う呪符(じゅふ)を取り出す。

 

 ほかの何を差し置いてでも一刻も早く契約を結んでしまいたかったが、しかし火球を向けたまま契約を進めるのはさすがに印象が悪すぎるだろう。

 仕方なく、俺は生まれたばかりのポンコツな人造式神に訊ねる。

 

「白髪毛、いつまでそれを持っている?」

 

 白髪毛が、その頭上に掲げた巨大な火球を見上げる。

 そして僅かに首をかしげると、突然火球を適当な方向に投げ捨てた。

 

 てっきり火球をそのまま消滅させるだろうと思っていた俺は、自らの式神の横着なやり方に唖然としてしまう。

 俺や邪眼の大妖に当てなければいいという話ではない。山林に火球を落としたら当然だが、山火事になる。

 

 取り乱した様子で、邪眼の大妖が早口で言う。

 

「へっ!? ちょっ!? ここ、うちの山なんですけど! 早く火を消してください!!」

 

「なるほど、この山はお前の縄張りか」

 

 そうだろうとは思っていたが、こいつはこの辺り一帯の(ぬし)、というわけだ。おそらく、連なるいくつかの山々をあやかしなりのやり方で治めているのだろう。

 ひとり納得して頷いていると、邪眼の大妖が泣きそうな顔になって言う。

 

「っていうか、頷いてないで火をどうにかしてください!」

 

「わかっている。さすがにこれは俺からしても予想外の事態だ。火をむやみやたらに投げ捨てないように、あとできちんと言い含めておく」

 

 そう答えて白髪毛を見やるが、悪いことをしたという意識がないのだから仕方ないのかもしれないが、首をかしげて不思議そうにしている。

 これを教育するのは骨が折れそうだと思い、小さく嘆息しつつ、不測の事態に備えて用意してきていたいくつかの呪符の中から使えそうな物を取り出す。

 そして天に向けて祝詞(のりと)を上げると、頭上遥かに真っ黒い巨大な雨雲が形成されて、瞬く間に大雨が降り出した。

 日常ではそうそう経験することもないだろう集中豪雨が、広がりつつあった火の手をたちまちに消し止める。

 

「お、おおっ……凄いです!」

 

 こうした術には詳しくないのか、大妖が感嘆の声を漏らした。

 そして、見るからに安心した様子でほっと息をつく。

 

「これで問題ないな。そうしたら、この(ふだ)を額に貼れ」

 

 式神の契約を交わす儀式を行うために必要な呪符を、邪眼の大妖に手渡す。

 彼女は特にためらう素振りも見せずにおとなしく指示に従い、自らの額に呪符を貼りつけた。

 それを確認して、俺は意を決して彼女に訊ねる。

 

「式神の契約を結ぶために、お前の名が必要だ。教えてほしい」

 

 彼女ほどの大妖がたかだか人間の術者を警戒する必要などないのだが、それはそれとして、本来であれば名を使って自由を奪ったり呪詛をかけたりといったことができるため、妖怪に名を訊ねるのは妖怪を怒らせる危険な行為だ。

 こうして会話をしていると、案外友好的な妖怪なのではないかと錯覚しそうになるが、出会い頭に容赦なく邪視で睨んできた相手である。

 まだ式神になっていない彼女の機嫌を損ねたくない。

 額にうっすらと汗がにじむ。

 

「――ヤマコ」

 

 拒絶されたらどうしようかと思ったが、特にそんなこともなく、すんなりと教えてもらえた。

 高額な給金によほど惹かれたのだろう。だが、わかりやすくていい。その方が安心できる。

 

「ならば、ヤマコ。今この時より我が身朽ち果てるまで、お前の名は俺の物だ」

 

 そう告げて、揃えた人差し指と中指の先で、呪符の上から彼女の額を軽く突く。

 そして、契約に必要となる呪文を唱えた。

 

 冷光家は、妖怪にも人間にも随分とあくどい真似をしてきた。妖怪からはもちろんのこと、他家の祓い屋連中からも嫌われており、まったく信用されていない。

 そのため、新たに強力な妖怪と契約できる可能性は低く、かといって代々の当主が引き継いできた式神も一体しか残っていない現状では、もはや人の手で式神を生み出すという邪法に頼りつづける他に生き残る道はないと思っていた。

 式神を――妖怪を作ることは禁忌とされており、当然ながらリスクも大きいが、まともな式神が手に入らなくなったからといって家業を畳むわけにはいかなかったのだ。

 

 なにせ、恨みを買いすぎている。

 妖怪からも、人間からも。

 

「本当に、助かった……」

 

 彼女ほど強大な妖力を持つあやかしは、他に見たことがない。

 その彼女が式神となってくれたということは、今代(こんだい)の冷光家に刃向かう者はそうそう現れないだろう。

 両親や妹の死に様は、それはもう(おぞ)ましいものだった。未だに夢に見て、夜中に飛び起きることがある。

 だが、これで弟と従姉(いとこ)は天寿を全うできるかもしれない。

 

 俺はどうなったって構わない。亡くなった先々代が生きていれば怒り狂って反対しただろうが、ろくに身を守る(すべ)も残せない以上、俺は決して子を成さず、俺の代で冷光家を終わらせると決めている。まだ小学生の弟にはそういった話はしていないが、やはり子どもは諦めてもらうことになるだろう。

 だから、せめて今だけは。弟と従姉が生きる間だけは、何をしてでも家を持たせる。もう二度と、俺の身代わりに家族が呪殺(じゅさつ)されるような事態にはさせない。

 そのためならば、俺は進んで地獄に落ちよう。

 

 そう改めて覚悟をした、数日後――。

 

 俺は、俺の式神となってくれた彼女が、人の社会でどのように暮らしているのかを知った。

 彼女は山田春子と名乗り、強面(こわもて)だが人のよさそうな老爺(ろうや)のもとで、彼の孫のふりをして暮らしていた。

 一見するととても穏やかな家庭に見えた。だが、彼女は人間にはあるまじき強大な妖力を有する、ヤマコという名の大妖だ。

 

 調べたところ、戸籍は本物だった。

 ならば人間であった、本物の山田春子はどうなったのだろうか。偶然に死んだばかりの山田春子を見つけて成り代わった、なんてわけではないだろう。

 おそらく、ヤマコが山田春子を殺して、喰ったか何かして死体を隠したのだと思う。

 なぜ山田春子という少女を選んだのかはわからない。名前が似ていたから、そんな小さな理由なのかもしれない。

 だが、いずれにしても、やはり彼女はあやかしなのだ。人と一緒に暮らしていても、人とは違う。本質的には相容れない。それを忘れてはいけない。

 

「そう、ヤマコも所詮はあやかし……温和なように見えても、自らの欲のためならば平気で人を殺す」

 

 ならば、悪人たる俺が、この悪しき大妖を使うことに躊躇いはない。

 

「人とあやかしは相容れないが、俺とお前は似合いの主従だな、ヤマコ」

 

 老爺に可愛がられている、人間のふりをした大妖の姿はひどく滑稽で、同時におぞましくも見えた。

 それでも、幸せそうに笑う彼女を見ていると、少しだけ思ってしまうのだ。

 その邪眼と強大な妖力ゆえにずっと孤独だったのだろう彼女は、こうした生活にひどく惹かれてしまったのではないか。

 そして衝動的に手に入れてしまったものの、幸せに浸るほどに、それと比例するように罪悪感が大きくなっていく。

 なにせ、その幸せは本来ならば他人のものであったはずで、自分が不当に奪ったものなのだ。

 もし彼女がそのように感じることがあるのならば……それこそ、本当に俺と同じだ。

 

 その痛みは、妹を代償として生きながらえている俺が抱える痛みと、きっと同じものだ。



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そして迎えた初出勤

「よし、到着っと」

 

 キキッとブレーキをかけて、自転車から降りる。

 ちゃんと表札に冷光(れいこう)と書いてあったので間違いはないはずだが、なんというか、いくら職場も兼ねているとはいえ民家とはとても思えないような豪邸だ。

 まず(かわら)屋根つきの巨大な門がある時点で驚いたが、母屋(おもや)は母屋で屋根や(のき)が神社みたいな凝った造りになっているし、外玄関に敷かれた大きな石材にはつなぎ目が見当たらずどうやら一枚の岩からできているようで、なんだかお金持ち自慢をされているような気持ちになってくるぞ。

 

「自転車って、どこに置いとけばいいんだろう?」

 

 きっとお仕事関係のお客さんなんかも来るのだろうから、目立つ場所に置いて生活感を(かも)し出してしまうのも良くない気がするが、かといって勝手に歩き回るのもどうかと思う。

 悩んでいると、ガラガラガラッと音を立てて玄関の引き戸が開かれて、頭から狐みたいな耳を生やした蜂蜜色のおかっぱ頭の少女が顔を覗かせる。

 

「おお、よく来たのう後輩!」

 

「あっ、どうもです、ヤマコっていいます。よろしくお願いします!」

 

 とりあえず挨拶を交わすと、狐耳少女が振り返って大声で「アンコ! ヤマコが来たぞー!」と屋敷の中に呼びかけた。

 そして再びこちらに向き直ると、サイズの合わない花柄のサンダルでぱたぱたと駆け寄ってくる。白地に黄色いひよこ柄の女児みがあふれるパーカーワンピースを着ており、小柄で幼い顔立ちをしていることも相まってとてもかわいらしい。

 

「わちは蜂蜜燈(はちみつとう)じゃ! 元号が延喜(えんぎ)の頃から冷光の式神を務めておる! わからないことがあれば遠慮なくわちに聞くのじゃぞ!」

 

 パーカーワンピースの裾からはみでた太い狐尻尾をブンブンと左右に振りながら、ハチミツトーちゃんが私の背中をバチンバチンと結構強めに叩いてくる。

 私という可愛い後輩ができたことがよほど嬉しいようだ。私も喜んでもらえて嬉しい。

 

「えっとさっそく質問なんですけど、自転車ってどこに停めたらいいですか?」

 

「自転車なんて適当にそこらへんに置いておけばよかろう! そんなことよりも、ヤマコ! わちに叩かれてびくともせんとは、おぬし超強いのう!?」

 

「はい? えと、なんの話ですか?」

 

「これでもわちは、大昔は神とも崇められたこともある妖狐(ようこ)なのじゃがな! わちの本気の妖力(ようりょく)を込めた平手打ちを一歩も動かずに耐えたやつはおぬしが初めてじゃぞ! だいたいのやつは吹っ飛んでいくか、地面に埋まるかして見えなくなるんじゃけどなー!」

 

「ええっ、今そんな危険なことをしてたんですか!? あ、危ないじゃないですか!」

 

「そうは言うても、後輩の力量は確かめておかねばな! じゃが、わちの完敗じゃ! まるで、わちの妖力がすべて打ち消されてしまっているかのようじゃった! ちと悔しいが、おぬしとわちとではそれだけ力の差があるということじゃな!」

 

 うーむ、それも例の勾玉(まがたま)を取り込んだせいなのだろうか。根拠なんてないが、それくらいしか思い当たる節がないぞ。

 しかし、自然と妖力を打ち消せていたから助かったが、もしもそれができていなかったらどうなっていたんだろうな……頑丈な妖怪ならば吹っ飛ぶなり埋まるなりしても命に別状はないのかもしれないが、私の場合は実際にはただの人間なわけだし、普通に死んでいたかもしれない。

 そう考えるとこの狐っ子、結構ヤバいやつなんじゃないか? 凄くかわいいけど、油断しないようにしないとな。

 

「その身に宿る妖力も、長く生きてきたわちがこれまでに見たこともないほど強大じゃし、正直憧れるのう! 気に入ったぞ、ヤマコ!」

 

「ええっと……どうもありがとうございます?」

 

「あ、蜂蜜燈ってちょっと長いじゃろ!? 呼びづらかったら気軽にハッチーと呼んでくれて構わんからな!? おぬしは超強いからのう、特別じゃぞ!」

 

「ハッチー」

 

「うむ! なんじゃ!?」

 

「その、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら私の周りをぐるぐると回る動きが凄くかわいいです! さすが私の先輩!」

 

「そうか! 無意識じゃったが、喜んでもらえたのならばわちも嬉しい!」

 

 そう言って、にこにこ顔で私の周りを飛び跳ね続けてくれるハッチー先輩。

 

 な、なんてかわいいんだろう!

 初対面で妖力全力ぶっこめスラップをかましてくるあたり危険な妖怪であることは疑いようもないが、すごくかわいいことも確かだ!

 なんか見ていると、かわいいからなんでもいいやという気持ちになってくるぞ!

 あとで尻尾とか触らせてもらえないかな?

 

 そんなことを考えていると、開いたままになっていた玄関引き戸から、今度は見た目からして私よりも年上っぽい妙齢の女の人が姿を見せる。縁なしの細いメガネがなんだか賢そうな印象の、ワンレンボブの黒髪の美人だ。背が高くてすらっとした体型に、パンツスーツがよく似合っている。

 

「あ、その緑の目――当家の式神になられたヤマコさんですね! 私、杠葉(ゆずりは)さんに師事している冷光杏子(あんず)といいます。杠葉さんの弟子でもありますが、杠葉さんとはいとこの間柄(あいだがら)です」

 

「わちはアンコと呼んでおるぞ! そいつは大の餡子(あんこ)好きな上に、杏子という名は読み方を変えればアンコになるじゃろ?」

 

「ちょ、恥ずかしいんでそんなこと外で大きな声で言わないでください! たしかに餡子は好きですけど」

 

「かっかっか! ま、そうじゃな、とにかく屋敷に上がるがよいヤマコ! ゆくぞ!」

 

「あっ、自転車は屋敷の裏手に停めておきますから、どうぞお上がりください」

 

 杏子a.k.aアンコが自転車を預かってくれて、私はハッチーに手を引かれて屋敷の中に入る。ハッチーのおててスベスベしてて温かいな。

 やたらと広い玄関で靴を脱ぎ、やたらと太くて長い板張りの廊下をハッチーと手を繋いだまま歩く。

 

「それにしても、まさか初登校よりも先に初出勤することになるなんて思ってもみませんでした」

 

「なんじゃヤマコ、おぬしは学生ごっこをしておるのか? 変わったあやかしじゃのう!」

 

「あ! ええっと……!?」

 

 しまった、学校のことは内緒にしておいた方がよかっただろうか?

 いやでも、どっちみちいつかはバレるはずだ。それにオープンにしてしまえば制服のまま出勤できるし、一度祖父の家に寄って着替えてからとなると遠回りになるからだいぶ楽になる。

 よその祓い屋さんとか、よその妖怪とかに個人情報を知られるのは嫌だけど、冷光家の人たちには隠し通せない気がするし構わないだろう。ハッチーが言うように、私のことは人間社会好きの少し変わった妖怪と思っておいてもらおう。

 

「えーとですね、実は四月から近所の高校に通う予定なんです、人間のふりをして」

 

「ほお、凄いのう! 最近生まれたばかりの若いあやかしならばともかく、おぬしのような大妖(おおあやかし)が人間の学校に通うのか! なんというか、超先進的じゃな!」

 

 凄くきらきらとした目で見上げられて、なんだか気分がよくなってしまう。

 ヤバいな、調子に乗ってしまいそうだぞ。

 

「そ、そうですか? そこまで凄いことじゃないと思いますけど……」

 

「いや、凄いことじゃぞ! たいていの古き者は変化を嫌うものじゃが、ヤマコは違うのじゃな!」

 

「ま、まあ? 私ほどにもなると、どんどん新しいことに挑戦していないと逆に落ち着かない、みたいなところがありますかね」

 

「かっ――かっこいいことを言うのう! それがおぬしの強さの秘訣なのか、それとも強いからこその余裕なのか、どっちなんじゃろうか!?」

 

「さて、どっちでしょうか? でも、私って生まれつきこう、なんていいますか、先見性? みたいなものを備えていたかもしれません。実際、三年後からは月収100万円が確定しているわけですし?」

 

「おおっ……ケチの杠葉を相手にそんな太い契約を結んだのか! というか、式神契約で給金を受け取るなんて話は聞いたこともないぞ! さすがはヤマコ、革新的じゃなー!」

 

「むしろ、腕やら足なんてもらったところで割に合いませんよ、現実的に考えて。契約期間が数十年として、最初にもらった腕や足だけでそんなに食いつなげるわけがないじゃないですか?」

 

「わちは、最初に目玉をもらったのじゃ……きれいな目玉じゃったからその場では満足したんじゃが、ヤマコの言う通りじゃ! かなりの霊力を秘めておったし美味じゃったが、以降はずっと無給で働いておる! しかもじゃな、無給なのにもかかわらず、杠葉のやつは菓子も()うてくれんのじゃぞ!?」

 

「なるほど。確かにひどい話ですが、仕方のないことでもあります。この世は弱肉強食、やっぱり賢くないとなかなか自分に有利な契約って結べませんからね。でも大丈夫です、私がお菓子くらいいつでも買ってさしあげますとも。何せ、それくらい簡単にできる給金を約束されていますし?」

 

「ヤ、ヤマコ……! クッソ強いのにクッソ良いやつじゃのうおぬしー! おぬしほどの立派なあやかしが後輩になるのじゃから、わちももっとがんばらないといけないのう! おっと、この部屋じゃぞ!」

 

 長い廊下の半ばで足を止めたハッチーが、バシンと音を鳴らして勢いよく(ふすま)を開ける。

 

「杠葉、ヤマコを連れてきたぞ!」

 

「そういった報告は襖を開ける前に部屋の外でしろといつも言っているだろう? 俺が許可してから襖を開けろ、順序が逆だ」

 

「こやつ、めちゃくちゃ強いぞ! 杠葉の言っていた通り、これまでに見たことがないほどバカでかい妖力を持っておる! なにせ、わちの全力ビンタがまったく効かなかったんじゃぞ!」

 

「お前はより強く、より破壊的なあやかしに惹かれる節があるからな。おそらくヤマコを気に入るだろうとは思っていた。とにかくそこで騒いでいないで、ヤマコを連れて入ってこい」

 

「うむ!」

 

 ハッチーに手を引かれて、こげ茶色の一枚板の座卓を中心に紫色の座布団が数枚並べられただけの、(たたみ)敷きの広々とした和室に通される。

 障子(しょうじ)が開け放たれており、つややかな板張りの広縁(ひろえん)を挟んだガラス戸越しに立派な日本庭園がよく見えた。

 紺色の着流しの上に茶色の半纏(はんてん)を羽織った杠葉さんが、切れ長の目で私を見る。

 

「まずは座れ」

 

「えっと、失礼します」

 

 無難だろうと思い、座卓を挟んで杠葉さんの対面に腰を下ろす。

 繋いでいた手は離したが、ハッチーもそのまま私の隣に座った。

 

「休日に設定した月曜日と火曜日を除いて、今日から毎日この屋敷に通ってもらうことになる。とりあえず屋敷の内部と近場の地理くらいは早いうちに把握しておいてほしいが、何か特別な依頼が入り込まない限り、基本的にはヤマコはこの屋敷に通ってきてくれて、しばらくの時間敷地内に留まっていてくれれば問題ない。約束の給金はそうだな、今月分は今日の帰りにでも渡すとして、以降は毎月一日(ついたち)一月(ひとつき)分をまとめて払おう。あまり細かく分けると帳簿をつけるのが面倒くさい。何か聞きたいことはあるか?」

 

「えっ、あの、通うだけで何もしなくていいんですか? ほんとに?」

 

「ああ、構わない。厄介な依頼が入ったり、よその術師(じゅつし)や妖怪に襲われたりといった有事の際には働いてもらうが、普段は本当に屋敷に居てくれるだけで問題ない。ヤマコという大妖が冷光の式神となって、頻繁(ひんぱん)に屋敷に出入りしているという状況が抑止力に繋がるからな」

 

「えっ、えっ……通うだけでお金がもらえるようになるなんて、ラッキーすぎませんか? こんなにも求められる私って、凄くすごいのでは……?」

 

「毎月給料を受け取っている式神はなかなかいないだろうが、仕事の内容としてはそんなものだ。うちの他の式神――蜂蜜燈も白髪毛(しらばっけ)も有事の際でもなければ何の役にも立たない」

 

 そう言って杠葉さんがハッチーを見やると、ハッチーが座卓をベチンと両手で叩いて抗議の声を上げる。

 

「そんなことはないじゃろう! わちはたまに焼き芋を作ってやっておるし、バッケのやつは食器を並べたりしておるじゃろうが! というか、わちなんて杠葉が生まれる前からこの家におったし、杠葉のおしめをかえたこともあるんじゃからな! 杠葉がわちよりも背が低かった頃なんて怖い夢を見て夜中によく泣くもんじゃから、一緒に寝てやってたんじゃぞ!」

 

「いつの話だ。俺の記憶に残っていないような過去の話を一々するな、鬱陶しい」

 

 ほう。恥ずかしい幼少期の話を持ち出されても表情ひとつ変えないとは、杠葉さんのポーカーフェイスはかなりのものであるようだ。

 というか、ハッチーって私よりも幼い容姿なのに本当に長生きしてるんだな。

 

「杠葉はわちの働きを労いもせんし、菓子も()うてくれぬ! なぜじゃ!?」

 

「お前には先祖が目玉をやっただろう。それに、杏子から小遣いをもらっていることは知っているぞ?」

 

「なっ、知っておったのか!? いつどこで見ておったのじゃ、この覗き魔め!」

 

「ほらほら、喧嘩はやめてくださいねー。お茶とお菓子を持ってきましたよー」

 

 お盆を手にした餡子好きのアンコちゃんが、私が襖を閉めなかったせいで開けっ放しになっていた室内に入ってくる。その後ろから、真っ白な長い髪を揺らして、身長110センチほどの幼女――シラバッケちゃんもとてとてと小走りでやって来た。

 シラバッケちゃんもハッチーとお揃いのひよこ柄のパーカーワンピースを着ているが、式神たちの衣装はアンコちゃんがコーディネートしているのだろうか? なんにせよ、かなりセンスがいいな。二人とも凄くかわいいぞ。

 

 アンコちゃんの手により、座卓の上に緑茶の入った白い湯飲みが四つと、木製の菓子器(かしき)が置かれる。

 菓子器の中には日光甚三郎(じんざぶろう)煎餅が八枚に、名菓日輪(にちりん)と今の内小判のチーズ味とチョコレート味がそれぞれ四つずつ入っていた。祖父の家で食べたことがあるが、どれも私の好きなお菓子だ。

 お菓子もアンコちゃんが選んでいるのかな? 誰のセンスかはわからないけど、いい仕事をしているな。

 

「どうもありがとうございます、いただきます!」

 

「はい、ごゆっくりどうぞ」

 

 意外にも餡子が入ったお菓子を一種類しか持ってこなかったアンコちゃんが、空になったお盆を小脇に抱えて笑顔で立ち去っていく。その際に、私が閉め忘れていた襖を閉めていくのも忘れない。えらいぞ。

 

 しかし、バッケちゃんがなぜかお菓子を食べようとせず、私の横に立って、くりっとした真っ赤な瞳で何やらじっとこちらを見つめている。

 

「えと、どうしたんですか? あ、そういえばまだちゃんと挨拶してませんでしたっけ。今日から杠葉さんの式神として一緒にお仕事させていただくことになりました、ヤマコです。シラバッケって呼びにくいので、バッケ先輩って呼んでもいいですか?」

 

 そう(たず)ねると、バッケちゃんは無言のままこくりとうなずいた。どうやら問題ないようだ。

 

「バッケ先輩はお菓子食べないんですか? 急がないと、何気に杠葉さんの分のお菓子まで確保しちゃってるハッチーに全部食べられちゃいますよ?」

 

「ん」

 

 バッケちゃんが小っちゃな握りこぶしを突きだしてくる。

 なんだろうか? ちょっとよく意味がわからないぞ。

 

「んっ!」

 

 今度はぐいっと、私の胸元にこぶしを押しつけてきた。

 何か渡したいのかなとようやく思い至り、私も手のひらを差しだす。

 

 すると、バッケちゃんが小さなおててを開いて、私の手にビン入りコーラの王冠キャップと、ラムネのビンに入っているような水色のガラス玉を落とした。

 そして、相変わらず表情は薄いものの、こころなしか誇らしげな顔をしている。

 

 でも、なんでゴミを渡されたんだろうか? 新入りのお前が捨ててこいってことかな?

 

「おお、よかったのうヤマコ! 宝ものを分けてもらえるなんてずいぶんと気に入られたんじゃな!」

 

「えっ!? あ、歓迎してくれてたんですね! ありがとうございます!」

 

「バッケは外に行くたびにそういったお宝感のあるキラキラしたゴ――物を集めておるんじゃ! わちには分けてくれたことないし、鬼の(うつわ)を持ったバッケが宝を分けるというのは凄いことなんじゃぞ?」

 

 ほう。角は見当たらないけど、バッケちゃんは鬼だったのか。よくは知らないけど、鬼ってすごく強そうなイメージがあるな。

 それはそうとハッチー、今ゴミって言いかけなかったか? お子さまなバッケちゃん的には宝物なのに、ひどいことを言わないでほしい。

 

「ふふ、そうなんですね。私、愛されちゃってますねー。では、お礼にお膝に座らせてあげましょう。どんと来てください!」

 

 パンパンと、自分の膝を叩いてアピールしてみせる。

 すると、特にためらうそぶりもみせず、バッケちゃんが私の膝の上にストンと腰を下ろした。体が小さいので当たり前だが物凄く軽い。

 相変わらずの無表情なので喜んでくれているのかはわからないが、とにかくかわいいので私としては大満足だ。

 

「まずは甘いのがいいですかね。はい、名菓日輪(にちりん)ですよー」

 

 極薄の硬い皮にみっちりとこしあんが包まれた饅頭(まんじゅう)を手で小さく割って、ひとかけらずつバッケちゃんの口元に差しだしていく。

 バッケちゃんがぱくん、ぱくんと饅頭に食いつくたびに、小さな唇が私の指先に触れる。

 

 なんだこれ? かわいすぎるぞ……。

 小っちゃい女の子たちを愛でているだけでお金がもらえるなんて、冷光家って最高の職場じゃないか?

 

 不意に、ガラガラガラッと玄関の引き戸が開かれる音が聞こえてきた。

 そして、「ただいまー」と子供っぽい舌ったらずな声がして、パタパタパタと軽い足音が近づいてくる。

 スッと襖を開けて現れたのは、赤いランドセルを背負ったおさげ髪の女の子――色白な肌と切れ長の目が杠葉さんにそっくりな美少女だった。式神たちとお揃いのひよこ柄のパーカーワンピースを着て、黒いタイツをはいている。

 

「お姉さんが新しい式神のヤマコさん? はじめまして、ユズにいの弟の冷光弓矢(ゆみや)です。よろしくお願いします」

 

 杠葉さんの弟であるらしい弓矢ちゃんが、綺麗な角度でお辞儀をする。姿勢がいいな、何かスポーツでも習っているのだろうか? だとしたら弓矢なんて名前だし、やっぱり弓道かな?

 

 って、弟?

 

「は……? え? ほんとに弟さんなんですか?」

 

「正真正銘の俺の弟だ。女の恰好をさせているのは(まじな)いの一種で、少しでも呪詛(じゅそ)やあやかしによる危険を減らそうとしてのことだ。うちは敵が多いからな」

 

 杠葉さんがちょっと面倒くさそうな顔をしているのは、おそらく、これまでにも同じような説明を幾度となく繰り返してきたせいなのだろう。

 しかし、こんな美少女が弟とか自己紹介してきたら誰でも面食らうだろうし、説明が必要になるのも仕方がないと思うぞ。

 

 赤いランドセルを畳の上に置いて、弓矢ちゃん改め弓矢くん――いや、やっぱり『ちゃん』だな――改めずに弓矢ちゃんが近寄ってくる。

 

「わ。ヤマコさんの目って、ほんとにすごい鮮やかな緑色なんだね。邪眼っていうんだっけ?」

 

「弓矢、ヤマコの目をあまり見るな。うちの式神になったとはいえ、ヤマコは邪悪な大妖だ。たとえヤマコに害意がなくとも、どんな影響が出るかわからない」

 

「そうじゃ、ユミ。わちが菓子を分けてやろう。ほれ、煎餅に饅頭もあるぞ」

 

「いいの? ありがと、のじゃ(ねえ)

 

「うむうむ!」

 

 ハッチーからお菓子を受け取った弓矢ちゃんが、杠葉さんの隣に座る。声も仕草もかわいいし、どこからどう見ても女の子にしか見えない。

 

 しかし、なんかお姉さん風を吹かしているが、ハッチーが弓矢ちゃんに分けてあげたお菓子ってそもそも杠葉さんの分だったんじゃないのか? 杠葉さんのせいだけど私なんてあからさまに危険物扱いを受けているのに、自分の取り分を減らすことなく弓矢ちゃんの好感度を上げるなんてなんだかズルイぞ。

 

 ずずっとお茶をひとすすりして、杠葉さんが言う。

 

「ヤマコ。平日は勤務時間的に厳しいかもしれないが、来週から土曜日は弓矢を小学校まで迎えに行ってくれないか?」

 

「構いませんけど、目も合わせちゃいけないのに迎えに行くのは大丈夫なんですか?」

 

「弓矢は冷光の血を引いているから強い霊力を持っている。つまり、あやかしからするとご馳走に見えるわけだ。その上、うちは他家の祓い屋やら、名のある大妖やらといった連中の数々から恨みを買っているし、戦う(すべ)を持たず素直な性格をした弓矢はとにかく狙われやすい。だからこそ、悪意ある者が弓矢に手出しをしないように、ヤマコには抑止力になってほしい」

 

「ふむふむ、なるほど。弓矢ちゃんに何かしたら私が怒るだろうと、みんなが自然と思うように仕向ければいいんですね?」

 

 つまり、外でイチャイチャしてみせればいいわけだ。

 美少女風美少年と仲良くすることで世界が平和になり、人から感謝されて、お金までもらえるなんて素晴らしいな。

 

「ちなみにいつもはわちとアンコとで、手が空いている方がユミの送り迎えをしておる。今日はアンコが行ったが、基本的にわちのが暇じゃから普段はわちが行くことが多いかの。そもそもわちって狐じゃし、朝夕に近所を見回らないと落ち着かんタイプじゃからちょうどいいしの」

 

「あの、でも、弓矢ちゃんは嫌じゃないんですか? だって、そろそろ思春期ですよね? 同級生とかの目もあるのに、ハッチーみたいにかわいくて、狐の耳とか尻尾が生えてる金髪の女の子と登下校って結構つらくないですか?」

 

「ううん、ぜんぜん大丈夫だよ。のじゃ姉が一緒だといつも楽しいし」

 

「わちも最初はそんな風に心配しておったんじゃがなー。なんかわからんけどユミは友達も女子(おなご)ばかりじゃし、わちが行くとみんなでかわいいかわいいと言って喜んでくれるから特に問題はないのう」

 

「おお、うまく馴染んでるんですね。それなら私が行ってもめんどくさいことにはならなそうですし、安心しました」

 

「どうじゃろなー。ヤマコはわちのようにもふもふしておらんから、がっかりされてしまうかもしれん」

 

「でも、私もそこそこ可愛いと思いますし、年上の綺麗なお姉さんとして人気になりそうじゃないですか?」

 

「え……ま、まあ、ヤマコは十人並みじゃな」

 

「えっ、そんなにですか!? そんなにとは思っていませんでしたけど、嬉しいです、えへへ」

 

 十人並みか。

 知らない言葉だけど、女の子が十人並んでいるのと同じくらいの華やかさ、女の子十人分のかわいさが備わっているというような意味だろう。ニュアンス的にたぶんそんな感じだと思う。

 さすがに褒めすぎな気もしなくもないが、褒められて悪い気はしないぞ。

 

「ふふふ。すごく自信が湧いてきました。来週の土曜日、小学生たちに囲まれてちやほやされている私の姿がはっきりと想像できます」

 

「あ、そうじゃ。どうせ今日はもう、これといって説明することもあるまい? なら、わちらで屋敷の中だけでもヤマコを案内してやるとするかのう。ほれ、バッケとユミも行くぞ」

 

 なんだか棒読みな感じでハッチーが提案して、小っちゃい子たちに囲まれた私はお屋敷の探検を始めるのだった。



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私の心のヤバイやつ

 初仕事を無事に終えて、私は電気を消した自室の布団の中にいた。

 

「今日はいい日だったな」

 

 あれから冷光(れいこう)家のお屋敷を一通り案内してもらい、杠葉(ゆずりは)さんとお茶をした和室に戻ると、アンコちゃんがお昼ご飯に手作りのナポリタンを振る舞ってくれた。

 その後は特にやることもなく、屋敷の造りを把握するためという名目でハッチーとバッケちゃんと弓矢(ゆみや)ちゃんと私の四人でずっとかくれんぼをして遊んだ。

 

「家中の至る所に貼りつけてあった小っちゃい鏡が、なんとなく怖かったっけ」

 

 よく知らないけど、あれは風水的な魔除けか何かだったのだろうか?

 まあ、それはそれとして、十八時になって初仕事を終えた私が帰る際にはみんなが玄関までお見送りに出てきてくれた。

 杠葉さんから初給(しょきゅう)の入った厚い封筒を手渡された際も勿論嬉しかったが、かくれんぼで特にがんばって隠れていたバッケちゃんが別れ際に「いっぱい楽しかった」と言って、私にうっすらと微笑んでくれたのが今日一番の思い出かもしれない。バッケちゃんの声を初めてちゃんと聞けたのと、そんな風に言ってくれたのとで私のテンションは爆上がりしていたので、微笑んで見えたのはもしかしたら目の錯覚だったのかもしれなくもないけど。

 

 とにかく、(一人はついているらしいが)かわいらしい小っちゃい女の子たちに見送られて、もしかしたらロリコンの()があるのかもしれない私は最高の笑顔で「また明日も来ますからね! 待っててくださいね! 絶対に来ますから!」と思い切り手を振ったのだった。

 

 こうして思い返してみれば、お菓子を食べてお昼ご飯を食べてかくれんぼをして遊んだだけという内容だったが、それでお給料がもらえるのだからありがたい話である。

 しかし、特に仕事らしい仕事はしていないとはいえ、広いお屋敷を丸々使い午後いっぱいかくれんぼをしていたせいか程よく疲労が溜まっているな。

 このまま、幸せな気持ちで眠ることができそうだ。

 

 …………。

 

 ………………。

 

 ……………………。

 

 ………さま。

 

 ……えさま。

 

「――お前さま」

 

 鈴を転がすような声に呼ばれて、目を開ける。

 

 鎖で吊るされた南瓜(かぼちゃ)のような形のランプたちが放つ、色とりどりの幾何学(きかがく)模様の光に照らされた、大小様々な動物の剥製(はくせい)紫水晶(アメシスト)晶群(しょうぐん)などの原石。

 それらに囲まれるようにして部屋の中心に置かれた、レースの天蓋(てんがい)がついた大きな寝台(しんだい)

 その上に、異様なまでに長く(つや)やかな黒髪を広げて横座りしている、仏画に描かれた天女の羽衣のごときひらひらとした布を纏った、病的に白い肌をした美貌の少女。

 

 今や鏡で見慣れてしまった、見る者に本能的な恐怖を呼び起こす翠色(すいしょく)の瞳が、寝台の前に立つ私をじっと見つめている。

 

 年の頃なら十五か十六くらいの、まだ若干の幼さが残る顔立ちをしたほっそりとした少女だというのに、ぞっとするほど美しい。

 

「ようやく言葉を交わすことができますね、お前さま。お前さまはヒトの子の中でも特別に(にぶ)くできているようで、波長を合わせるのにわらわもずいぶんと苦労したのですよ、お前さま」

 

「えっと、あの、誰ですか?」

 

 夢なんて変で当たり前だが、それにしてもなんだか、いつにも増して変な夢だ。

 いつもならば夢の中だと、現実では知らない相手でも付き合いの長い友達みたいに接することができるんだけどな。

 夢の中で話し相手の素性が気になるなんて初めてのことだし、この美少女の迫力もちょっと異常だぞ。

 

「ヒトの身でわらわの名を知ろうとなさるとは、さすがお前さまですね。でしたら、お前さまがわらわの名を知ることができるか、一度だけ試してみましょうか。わらわの名は―――――――――――――――――あら、あら。まだ半ばですのに、やはり駄目でしたね、お前さま」

 

 いつの間にかひどい虚無感に呑み込まれていた。

 

 寝台の上から、白魚(しらうお)のような指でつんと額をつつかれて意識を取り戻す。

 同時に強烈な吐き気が襲ってきて、私の口から黒くて粘っこいヘドロのような物が飛び出して床に落ちた。

 室内に鼻を()く悪臭が立ち込める。

 

「お、おえ……おええ……! ぬぁ、なんですか、これっ!? 私、何を吐いたんですか!?」

 

「わらわがつついて、吐かせてさしあげました。大丈夫、吐いてしまえば死にはしませんよ、お前さま。ですが、体内にいたのは一瞬のこととはいえ、寿命はすこしだけ減ったかもしれません」

 

「え、え? 寿命が、え? 私の寿命、減っちゃったんですか?」

 

「だって、わらわの名は魘魅(えんみ)呪言(じゅごん)だもの……わらわの名を知るということは、ヒトの子にとっては死と同義。お前さまが吐き出したそれは、お前さまの命を食すはずだった(むし)ですよ、お前さま」

 

 塩味(えんみ)? ジュゴン? いったいなんの話だ、海の話か?

 そんなことよりも、本当に私の寿命は減ってしまったのだろうか?

 いや、でも、変な夢だけど、これは明らかに夢だ。

 だから、所詮は夢の中で起きた出来事である以上、本当に私の寿命が減るなんてことはありえないはずである。

 

「ここは単なる夢の中ではありませんよ、お前さま。だってお前さまは今、わらわが見せる()の中にいるのですから。だってわらわ()はお前さまの胎内()にいるのですから。ここはわらわが術を解かねば二度と出ることが敵わぬ恐ろしい(ところ)なのです、ほら、御覧なさって。窓も扉も――本当は壁も、果てさえもありません」

 

「ゆ、夢じゃない……? ほんとのほんとですか? じゃあ、私の寿命ってほんとに減っちゃったんですか? しかも、ここから出られないって……う、嘘ですよね? 嫌です、死にたくないです、寿命取らないでください!」

 

「慌てないでくださいな、お前さま。わらわがすぐに蟲を吐かせましたもの、寿命が減っていたとしてもほんのすこしだけですよ、お前さま」

 

「ほんのすこし? ほんのすこしって、五分くらいですか? なら、一安心ですけど……でも、ここから出られないって、私って今結構ピンチなんじゃないですか?」

 

「危険なのは『今』に限りませんよ、お前さま。わらわはいつでも、気が向いたときにお前さまの命を内側から食すことができます。なにせ、お前さまはわらわを取り込んでしまわれたのですから」

 

 目の色も一緒だし、この邪悪な雰囲気の美少女はもしかしなくても、あの呪いの勾玉(まがたま)に封じられていたか何かしていたヤバい存在なのだろう。

 思った以上に自分が危険な状況にあることは理解できたが、しかし、だからといって何ができるというわけでもない。

 まず私の意思ではこの空間から出られないし、たとえ出してもらえたところで、この美少女はいつでも気が向いたときに私を食べてしまえる。しかも、彼女は私の中に存在しているらしいので、そうなると逃げようにもどこにも逃げ場がない。

 

「私、食べられちゃうんですか? あの、あのですね、杠葉さんが将来的に月収100万円を約束してくれたのも、このヤバい目と凄いって評判の妖力(ようりょく)のおかげで、つまりは美少女様のおかげなんですけど……でも私、生きてたいです。お給料を貯めてお金持ちになったら、ハワイの大きなプール付きの豪邸に住んで夜な夜なパーティを開催したり、世界中の色んな国に行って贅沢に遊びまくったりしたいんです。それに、早くに死んじゃってお母さんを悲しませたくもないです。そもそも、美少女様を取り込んでしまったっていうのもわざとじゃなくて事故でしたし、どうにかして見逃してもらえませんか?」

 

「見逃すも何も、食べようとすればいつでも食べられるというだけの話ですよ、お前さま。石に封じられていた時を思えば、お前さまに取り込まれてからの日々はわらわにとって新鮮で楽しいものです。お前さまの五感を通して外を知ることもできますし、特にお前さまの味覚を通して味わった甘味(かんみ)はとても美味でした」

 

「甘味って、甘い食べ物のことですよね? 美少女様は甘い物がお好きなんですか?」

 

「甘味を食すに勝る幸福はこの世に存在しませんよ、お前さま。先ほどお前さまのお勤め先でいただいた日輪(にちりん)なるお饅頭(まんじゅう)や、今の内小判なる菓子も実に美味でした。わらわがどれほどの年月を石ころに封じられていたのかは知りませぬが、わらわの知らぬ()にヒトが作る甘味はすばらしさを増したようで、わらわはとても嬉しいです」

 

「あの、私が甘い物を食べれば、美少女様も私と同じように甘い物を味わうことができるんですよね? じゃあ、その、なるべく甘い物を食べるようにするので、私のことは食べないでくれませんか? ダメですか……?」

 

「もとより、今すぐにお前さまを食べようだなんてわらわは思っていませんよ、お前さま。お前さまをここに連れてきたのも、わらわを知ってほしかったが故のこと。だってお前さまときたら、わらわの存在にいつまでたっても気がつかないのだもの。だから寂しくて、わらわがここにいることを、そして、美味なるものを――とりわけ甘味を好むということを知ってほしかったのですよ、お前さまに」

 

 ん……? 美少女様ってもしかして、私に惚れているんじゃないか?

 気づいてもらえなくて寂しかったとか、私に知ってほしかったとか、それって恋なんじゃないだろうか? 私は女の子同士ってよくわからないけど、でも、そういうのがOKな人が意外とたくさんいることは知っているぞ。

 うーむ、こんな完全体みたいな美少女にまで求められてしまうだなんて、私って凄いな。さすが、十人並みと言われただけのことはある。

 

 それにしても、おいしいものか……私の好物は某チェーン店のハンバーガーとかフライドチキンといったジャンクフードなのだが、大丈夫だろうか? ちょっと心配だな。

 いくら私に惚れているとはいえ美少女様には命を握られているわけだし、杠葉さんと式神契約したおかげで収入もあるのだから、定期的に高級なお店で食べてみたり、ネットでスイーツをお取り寄せしてみるか。

 

「ふう。一時(いちじ)はこのまま食べられて死んじゃうのかと思って焦りましたけど、美少女様が私に惚れているみたいなのでちょっと安心できました。えへへ」

 

「なにゆえお前さまのようなうつけが、わらわを取り込むことができたのでしょう……わからないけれども、放っておけないうつけ者という意味ではどこかわらわの妹に似ているような気がしなくもないような」

 

「美少女様には妹さんがいらっしゃるんですか?」

 

「ぬらりひょんのような妹がいますよ、お前さま。もしかすると、お前さまも会うことがあるかもしれませんね。お前さまはわらわの妖力をその身に宿しているのだから、妹がわらわの妖力に気づいてやって来ないとも限らないもの」

 

「今の私たちって目の色も一緒ですし、それで妖力まで一緒となると、美少女様の知り合いが私を美少女様と間違えちゃうかもしれませんね。なにせ私もそこそこの、およそ十人並みの美少女なわけですし」

 

「お前さま。お前さまは十人並みという言葉の意味をご存じですか?」

 

「なんとなく知ってます、女の子十人分のかわいさって意味ですよね?」

 

「……ともかく、妹が来たら気をつけてくださいね、お前さま。妹の名もわらわと同じようなものですから、名乗られたり、もしくはわらわの名で呼びかけられたりしたら、ヒトの子であるお前さまはそのまま死んでしまいますよ、お前さま」

 

 え、それはヤバいぞ。

 お姉さんと間違えられて美少女様の名前で呼ばれる確率はそこそこ高いはずだ。私とて十人並みの容姿を持っているわけだし。

 

「あら、あら。いつの間にやら、結構な時間が経ってしまいましたね、お前さま。あまりお前さまの眠りを妨げるのもよくありませんから、そろそろお終いにしましょうか。わらわがお前さまとの日常に飽きてしまわぬように、甘味を食すことだけはくれぐれもお忘れなきよう、よろしく頼みますよ……また幻の中で会いましょう、お前さま」

 

 翠色の瞳の美しい少女の姿が、大きな寝台や動物の剥製とともにぼやけていく。

 空間ごと薄らぎ、見えなくなっていく彼女に向けて私は声を張り上げる。

 

「がんばって甘い物をたくさん食べますから、ほんとに私のことは食べないでくださいね!」

 

 次に彼女と会った時は、私が彼女を呼ぶための名前を付けてあげたらいいかもしれないな。さすがに美少女様じゃ名前らしくない上に、私も一応十人並みの美少女なので分かりにくい。

 次がいつなのかはわからないけど、なるべく早めに彼女の呼び名を考えておこう。

 私は幻の部屋からただの夢の中に強制送還されながら、最後にそんなことを思うのだった。



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押しつけられた悪縁(※杠葉視点)

 杏子(あんず)に借りたジムニーシエラを運転しながら、今日何度目になるかもわからない溜め息をつく。

 まだ目的地に到着してすらいないというのにもかかわらず、俺は杏子を本家に置いてきた自らの判断を早くも後悔し始めていた。

 

 いつもならば車の運転も手のかかる式神たちの世話も弟子である杏子が率先してやってくれるが、杏子がいない以上はすべて己でやるしかない。

 うちの式神たちはやれ腹が減っただのお菓子が足りないだの、ジュースがなくなっただのトイレに行きたいだのと四六時中うるさいし、どうにか店を見つけて入れば今度は目立つ容姿でわーわーきゃーきゃーと騒ぐものだから変に注目を集めてしまって非常に居心地が悪い。どうしてうちの式神たちはこれほどまでに賑々(にぎにぎ)しいのだろうか?

 

 ぐねぐねとねじ曲がった細い山道を、ひたすらに運転し続ける。標高が高いので、春先といえども路面が凍結していたりもするし、自分で走るのは初めての道なので神経を使う。もっとも、ひどい事故を起こしてこの車がペシャンコになろうが爆発炎上しようが、それで死ぬのは人の身である俺だけだろうが。

 俺は助手席に座る、ついさっき買ってやったばかりの東北限定のじゃがりご牛タン味をボリボリと食べているヤマコを横目で見やる。

 もしも事故が起きそうになったら、一切ためらわずに助手席側を犠牲にしよう。あやかしであるヤマコはどうせ交通事故程度では怪我もしないのだから。

 

 不意に斜め後ろから少女の手が伸びてきて、じゃがりごを一本俺の口に突っ込んでくる。

 

「んぐ!?」

 

杠葉(ゆずりは)も食べたかったんじゃろ、東北限定牛タン味。今ヤマコのじゃがりごをじっと見とったの、わちは気づいとるぞ」

 

「え、そうだったんですか? すみません私気がつかなくて。どうぞ杠葉さん、私のじゃがりごも一本だけ分けてあげますね」

 

「いら――んぐ!?」

 

 今度は助手席からヤマコが、運転中でろくに抵抗もできない俺の口にじゃがりごを一本無理やり突き入れてきた。さすがに吐き出すわけにもいかず、仕方がないので噛んで飲み込む。

 うまいがなんというか、えらく喉が渇く味だな。こんなものをずっと食べているから、飲み物がすぐになくなるし、水分を取りすぎるせいでトイレも近くなるんだろうが……!

 

 腹は立つが、しかし、今いる三体の式神たちに俺は頭が上がらない。

 蜂蜜燈(はちみつとう)は祖父や父といった愚か者どもが道を誤り、代々冷光(れいこう)家の当主が受け継いできた他の古参の式神がすべて壊れても、ただ俺への情だけを理由に家に残ってくれた。蜂蜜燈がいなければ白髪毛(しらばっけ)を生み出すための時間すらも稼げなかっただろうし、俺はもちろん、弓矢(ゆみや)も杏子も死んでいたに違いない。

 白髪毛は弓矢と杏子を守るためにどうしても蜂蜜燈の他に式神が必要になり、幼くして俺の身代わりに呪殺された双子の妹である譲羽(ゆずりは)の魂を使い、こちらの身勝手な理由から生み出してしまった式神で、言うなれば俺の罪の証だ。苦しみぬいて死んだ妹の魂を禁術を(もち)いて無理やりに呼び戻して、ひたすらに戦わせることになった。

 そして、ヤマコは……あとは追いつめられていくばかりだったはずの苦しい状況をひっくり返してくれる、今の冷光家にとって唯一の希望だ。ヤマコほどの力を持った大妖(おおあやかし)が式神になってくれることなど、本来であれば絶対にありえない。それも、たとえタイミングの問題とはいえ、よそではなく俺の式神となってくれた。

 

 だから、じゃがりごを強引に口にねじ込まれるくらい些細なことだ。この程度のことでいちいち怒っていては恥ずかしい。無心になれ、無心に……。

 

 相変わらずじゃがりごをボリボリと食べながら、毛玉の浮いたセーターにボロボロと食べかすをこぼしつつヤマコが聞いてくる。

 

「そういえば、なんでアンコちゃんの実家に行くのにアンコちゃんは一緒じゃないんですか?」

 

「以前にも話したが、杏子はうちの分家の生まれで、俺の従姉(いとこ)にあたる。杏子の父親――俺の叔父が祖父の指示で分家した際に押しつけられたのが、先祖が非常に強い力を持った大妖を封じた土地だった」

 

「へー、大妖を封印したんですか、そんなことがほんとにあるんですね……ボリボリボリ」

 

「だが、いかに修行を積んだ術師(じゅつし)を揃えようが、人の身で大妖を封じるのだから当然その代償は高くつく。それからというものの、三十年に一度危険な儀式を行い、冷光家の血族を一人生贄(いけにえ)に差しださねばならなくなった」

 

「うわ……生贄って、死んじゃうやつですよね?」

 

「そうだ。生贄は封じられている大妖に喰われて死ぬ。おそらく当時の当主が、霊力が高い冷光の血をひく者を定期的に生贄に捧げることを条件に、大妖におとなしく封じられてくれるようにと交渉したのだろう。しかし、その大妖との悪縁を疎ましく思った祖父が、土地ごと叔父に押しつけたというわけだ」

 

「おじさん、かわいそうですね……ボリボリ」

 

 ヤマコがそんなことを口にするが、一応親族ではあるものの叔父は俺が生まれた時にはすでに鬼籍(きせき)に入っていたため会ったこともなく、申し訳ないがさしたる情もない。

 

「結局叔父は分家した四年後に、自らが生贄となって亡くなった。そして、来年の秋で叔父が亡くなってからちょうど三十年が経つ」

 

「それって、来年には次の儀式をやらないといけないってことですよね? つまり、そこで杠葉さんの親戚の誰かが生贄にならないといけないわけですか」

 

「誰かじゃない、儀式を行うのならば生贄は杏子になる。叔父が分家した際に、祖父がきっちりと(くだん)の大妖との悪縁を本家から切り離して、叔父の分家へと付けているはずだ。それに加えて、十一年前に日本中の祓い屋から多くの死者を出した大騒動が起こった際に、俺と弓矢と杏子の三人を残して、本家が把握しているすべての分家筋を含めた冷光の人間は全員死んでいる。杏子の家――会津冷光家の人間も杏子の他には残っていない」

 

「え!? 早く何か手を打たないと、アンコちゃんが死んじゃうじゃないですか!」

 

「だから、ヤマコを連れてきた。相手も人間の手に負えない大妖とはいえ、以前に会津冷光家を訪ねた時に感じた妖力(ようりょく)はヤマコにはまるで及ばない程度のものだったからな」

 

「ん……? も、もしかしてですけど、杠葉さんは私が直接そのヤバい妖怪と戦う感じの流れを想定してるんですか……?」

 

「ああ。秘策があるわけでもないのでな、おそらくはそういう流れになるだろう。俺もできる限りの支援はするが、先祖たちがどうにもできなかった大妖を俺がどうにかできるとも思えん。あまり期待はするな」

 

「……………………」

 

 ヤマコが黙りこくって、どこか虚ろな眼差しで虚空を見つめる。じゃがりごを食べる手も止まっていた。

 あからさまに様子がおかしいが、いつものことと言えばいつものことだ。またトイレに行きたくなってきたとか、今度は甘いものが食べたくなってきたとか、きっとそんなところだろう。妖怪の奇行など、いちいち気にするだけ時間の無駄である。

 

「それで、だ。最初に聞かれた杏子を一緒に連れていかない理由だが、万が一大妖の対処に手こずった場合に杏子が現場付近にいると狙われる可能性が高く危険な上に、俺の方も完全に無防備ではいられないから式神一体で人間一人を守らなければならなくなる。それならば杏子を本家に置いてきて、蜂蜜燈と白髪毛で俺一人を守りながら、ヤマコが大妖と一対一で戦うという状況の方がいい」

 

 ヤマコが「一対一……」と、ぼそっとつぶやく。気が進まない様子だが、事実としてヤマコほどの妖力を持つあやかしなんぞ他に見たことがない。相手も確かに大物ではあるが、何度考えてみてもヤマコならば一対一だろうがまったく問題がないように思える。

 

 ただ、もしも相手の大妖が逃げに徹して、隠れたりばかりするようだと厄介だ。

 

 弓矢と杏子がいる本家の屋敷には強固な結界が張ってあるので屋内にいれば安全ではあるが、今回は式神を三体とも連れてきてしまっているし、俺たちが屋敷に帰るまで二人は外に出ることができない。

 弓矢に至っては学校も休まなくてはならないし、杏子も数日くらいならばともかくとしてずっと外に出ないわけにもいかないだろう。

 それに、うちには日常的に行っている常連客相手の仕事もそれなりにあり、そちらも決して疎かにはできない。

 だから、会津冷光家の大妖は対峙(たいじ)したその場で、確実に(はら)いたかった。

 

「ヤマコ。今回戦ってもらう大妖だが、逃がすことなく、最初の一撃で仕留めてほしい。できるな?」

 

「ヴッ……ウ…………」

 

 青い顔をしたヤマコが、急にうめき声を漏らす。

 今度はなんだ、食べすぎか? それとも何か喉に詰まらせたのか?

 この細い山道を抜けない限り車を停められるような場所はなさそうだし、本当に手がかかる式神だな。



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アンコ死す!?

 アンコちゃんの実家は美しい自然に囲まれた、とてもいいところだった。ヤバい大妖怪が封印されていることに目をつむれば、だけど。

 知らない間にどこかにいなくなっててくれたりしないかな、アンコ山の大妖怪……杠葉(ゆずりは)さんからは一対一で戦えだなんて言われたけど、勝てる気がしないどころか、妖怪を相手にどうやって戦えばいいのかさえ検討もつかないぞ。

 

 私とハッチーとバッケちゃんとでアンコ(てい)にせっせと荷物を運んでいた間、一人だけ何もせずに広い玄関の式台に腰かけていた杠葉さんが不機嫌そうに言う。

 

「正午には着く予定だったのに、もう二時だ。お前たちのトイレだの何だので時間を食ったせいで、思っていたよりも到着が遅れた。今日のうちに会津冷光(れいこう)家の大妖(おおあやかし)――『うんぬば』が封じられている現場の下見くらいは済ませておきたい。このまま山を登るぞ」

 

「うんぬば?」

 

 鬼とか妖狐(ようこ)とかならばなんとなく想像がつくが、まったく聞いたことのない妖怪の名前が出てきて私は首をかしげる。

 

「ああ。どういう字を書くのかはわからないが、そういう名前らしい」

 

「えと、全然姿が想像できないんですけど、どんな妖怪なんですか?」

 

「俺も詳しくは知らない。これまで先祖が溜めてきた資料の大半は十一年前の大騒動の際に紛失している。うんぬばという名も昔に祖父たちが話していたのを偶然に聞いただけで、当時の俺はまだ自衛もろくにできないような子どもだったから、大妖について詳細に書かれた資料を読むことはなかった。知るだけでも(さわ)りが起こり得るからな」

 

 ええ……これから一対一で戦わせられる予定の大妖怪の情報が全然ないって、あまりにもひどくないか? ヤバいということ以外何もわからないのでは対策を考えることすらできないし、もうお祈りと現実逃避くらいしかすることがないぞ。

 名は体を表すなんて言われるが、うんぬば、うんぬばか……『うん』は運か雲だろうか、それで『ぬ』は怒か濡で、『ば』は羽とか馬とか婆とか刃とかかな……? それっぽい字を選んで並べるとしたら、雲濡羽(うんぬば)なんていいんじゃないか? だけど、もしこれが正解だとしたらカラスみたいなやつとかかもしれないし、空を飛ぶ可能性があるな……。

 

「ヤマコ、何を呆けている? 危険な山なのだからお前が先頭だ、早く歩け。時間がないと言っただろう」

 

 杠葉さんにせっつかれて、慌てて毛玉セーターの上に持ってきていたロングダウンコートを羽織り、けものみちすら見当たらない山の中を歩き出す。山を登ると杠葉さんは言っていたから、とりあえず傾斜を上がるように歩いていけばいいだろう。

 しかし、本当は人間なのに危険な山で先頭を歩かされるし、ヤバい大妖怪と一対一で戦えなんて言われてしまうし、いくらお給料が良いとはいえ式神になるのはまずかったかもしれないな……呪術めいた契約を交わしてしまった今となっては悔やんだところで手遅れだが。

 

「これバッケ、鳥なんぞ放っておくのじゃ。ほれ、また前みたいに迷子になられても敵わぬからのう、わちの手を握るがよい」

 

 後ろを振り返ってみると、木の枝にとまっている野鳥をじっと観察していたバッケちゃんにお姉さん風を吹かせたハッチーが手を差し出していた。

 オシャレさんな小さな先輩たちは今日もお揃いのコーディネートで、ボアブルゾンを着てタイツの上からレッグウォーマーをはき、手袋をはめて耳当てをつけた全身白くてモコモコとした可愛い恰好をしている。ちなみにだがハッチーは頭の上の狐の耳のほかに人間と同じ耳もついており、ちゃんと耳当てをつける意味はある。

 

 とはいえ、いつもならば可愛い恰好をした可愛い先輩たちを見ているだけで元気がわいてくるのだが、後に控えるヤバい大妖怪との一対一の戦いが憂鬱すぎて今はさすがに元気もでない。

 というか、バッケちゃんが注目していた野鳥がうんぬばということはないだろうか? うんぬばではなくとも、うんぬばの手下という可能性もあるかもしれない。まあ、うんぬばが鳥型の妖怪かもしれないというのも単なる思いつきだし、バッケちゃんは普段から色んなものをじっと観察しているので何とも言えないけど。うんぬばがどんな姿をしているのかまったく情報がないせいで、何もかもが怪しく思えてくるな。

 

 とにかく注意をしないとと思うが、ひたすらに山を登り続けていると実際はただの人間である私は疲労をするし、当然ながら集中も切れてしまう。

 ぜえはあ言いながらそれでも懸命に歩を進めていると、何か縄のような物に足を引っかけてつんのめる。

 ブツンッという、何かが千切れたような感触がした。

 

「あわっ!?」

 

 危うく転んでしまうところだったが、後ろから杠葉さんに肘のあたりをつかまれて、なんとか持ちこたえた。

 足元に目をやると、枯れた色をした雑草の中に同じような色をした、千切れた荒縄が死んだ蛇みたいに横たわっている。

 もしかせずとも、これが封印だったんじゃないのか?

 

 杠葉さんが溜め息をついて、声をかけてくる。

 

「お前は元々山の妖怪だろう、ヤマコ。それが山で転ぶなど不注意にもほどがあるな」

 

 どうやら、杠葉さんは私が縄を切ってしまったことにまだ気がついていないようだ。

 私が不注意で封印を破ってしまったかもしれないことが杠葉さんにバレたら、怒られてしまうかもしれない。

 怒られたくない私は顔を青くして、ない頭をひねって必死に言い訳を考える。あまり長く黙っていると不自然に思われてしまうから、とにかく何か答えないといけない。

 

「あっ、えと、えと……なんだか、ここから先は空気が違うといいますか、なんといいますか……そうです、嫌な気配を感じたんです! そう、高い位置から気配を感じました、たぶん木の上にいます! 凄く嫌な感じの気配でしたので、もしかしたらうんぬばかもしれないです!」

 

白髪毛(しらばっけ)蜂蜜燈(はちみつとう)、木の上に注意しろ。俺のそばを離れるな。ヤマコはそのまま先行して、その気配を探れ」

 

 私の嘘を鵜呑(うの)みにした杠葉さんたちは、高所を警戒しながら慎重に私の後ろをついてくる。

 みんなに嘘をついてしまった罪悪感から目を背けつつ、私もきょろきょろと辺りを見回してうんぬばを探している振りをする。

 

「むっ……確かに嫌な気配がするのう」

 

 私にはよくわからないが、本当にそんな気配がするのであれば多分私が封印を破ってしまったせいだと思う。

 というか、もしもこれでうんぬばが自由になってしまって、そのせいでアンコちゃんが死んじゃったりしたら、それって私が殺したようなものじゃないか?

 怒られるのが嫌でつい誤魔化してしまったが、今からでも正直に話した方がいいんじゃないだろうか?

 

 杠葉さんが鋭い目つきで周りを警戒しながら、それでも焦りは見せずに平淡な調子で言う。

 

「まずいな、気配がどんどん濃くなる。ここに封じられているというよりか、もっと単純にここに居るような感じだ。どうやら、すでに封印が破られていたようだな……多分、今も見られているぞ」

 

「だとすれば、待ち構えられていたということかの。杠葉よ、これはいったん退()いた方がよいのではないか? ヤマコが来ても逃げないということはじゃ、相当厄介な罠があるのかもしれぬ」

 

「確かにな……仕方ない。一度戻って、まずはこの山からやつを逃がさないように結界を張る。そして明日、改めて準備をしてやつを(はら)う」

 

「まあ、それが無難じゃの。今日は下見のつもりじゃったからのう、やり合うには準備不足じゃろう。ろくに下見できとらんのがちと痛いが、この状況じゃどうしようもあるまい」

 

「山を下りる。殿(しんがり)はヤマコに任せる、行くぞ」

 

 今度はハッチーを先頭に、杠葉さんを間に挟んでバッケちゃん、そして私と続く。

 すると、ふいにバッケちゃんが足をとめてじっと地面を見つめだした。すぐにそこが例の荒縄が通っていた辺りだということに気づいた私は震えあがり、バッケちゃんの小さな背中をぐいぐい押して無理やりに歩かせた。

 そして中腹にあるアンコ邸を通り過ぎて山を下り、だいたい70歩分を歩くごとにテントを張る際に使うペグくらいの大きさの和釘を地面に打ちながら、(ふもと)をぐるりと一周するように歩いた。杠葉さんいわく、短い期間であればこれでうんぬばをアンコ山に閉じ込めることができるらしい。

 

 そんなこんなで再びアンコ邸に戻る頃にはもう日が暮れており、アンコ山には他に人家もなく街灯のような明かりも一切存在しないため、辺りは真っ暗になっていた。しかし、呪いの勾玉(まがたま)のせいで――美少女様を取り込んでしまったせいで目がおかしなことになっている私は懐中電灯なんて持たずとも問題なく歩けてしまう。

 

「おおっ、ヤマコの目が緑色に光っておる!」

 

「恥ずかしいんで嫌なんですけど、なんでか暗いところだと私の目光っちゃうんですよ」

 

「か、カッコイイのう! わちの目もそのくらい光るようにならんかのう!?」

 

「いやー、わざと光らせてるわけじゃありませんから、なんとも言えませんけど……かっこいいですかね、これ?」

 

「めちゃカッコイイじゃろうが! じゃってビームが出てるみたいじゃぞ、ビーム!」

 

 うーむ、ビームが出てるみたいだからこそ、私としては凄く恥ずかしいのだが。これをかっこいいと言えるような感性を持った人はなかなかいない気がするぞ、ハッチーは妖怪だからちょっと感覚がおかしいんだろうな。

 

 アンコ邸を出発するときに玄関の電気を()けていなかったために、暗い中で鍵穴が見つからずに苛々している杠葉さんが言う。

 

「少しは静かにできないのか、お前たちは? ……くそ、自分の家なら何となくわかるが、他人の家の鍵穴なんてどこにあるのかまったくわからん。ヤマコ、顔を近づけて俺の手元を照らしていろ」

 

「あ、はい」

 

 ついには懐中電灯として使われる始末である。

 というか、私を妖怪だと思い込んでいる杠葉さんやハッチーたちの前だから恥ずかしいくらいで済んでいるが、例えば学校が始まってクラスメートとかに目がこんな風に光っているのを見られたら普通に騒ぎになりそうだ。隠す方法が思いつかないので、暗所恐怖症とかいう設定をでっち上げて暗いところに入らないようにするしかないかもしれない。

 

 ガチャリと音がしてようやく玄関の鍵が開き、杠葉さんがアンコ邸に上がって電気を点ける。ハッチーとバッケちゃんに続いて、殿を務めていた私も中に入って玄関の鍵を閉める。

 そのまま居間らしき広い(たたみ)敷きの和室へ行くと、杠葉さんが持ってきた灯油を給油ポンプを使ってストーブのタンクに移しつつ言う。

 

「ヤマコ。普段蜂蜜燈と白髪毛の世話をしている杏子(あんず)が今日はいない。だから、代わりにお前がこいつらに食事をさせて風呂に入れろ」

 

「わちは自分でできるわ、阿呆(あほう)が!」

 

 とハッチーが抗議したが、杠葉さんが無視しているようなので流して話を進める。

 

「わかりました。えっと、杠葉さんのごはんも用意しましょうか? お湯を注ぐのは慣れていますし」

 

「さすがにカップラーメンくらいは自分で作れる。腹が減ったときに勝手に食べるから俺のことは気にしなくていい、お前はこいつらの世話をしろ。ああ、あと白髪毛の歯も磨いてやれ、自分ではまだ磨けないからな」

 

「了解です。それじゃ、私たちはさっそくディナーにしちゃいましょうか?」

 

「そうじゃな!」

 

 ハッチーが勢いよく返事して、バッケちゃんもこくりと小さく頷く。

 昼間のうちに車から運び込んでおいた荷物の中から、食べたいカップラーメンを物色する。私はお姉さんなので、まずはバッケちゃんに選ばせてあげることにした。

 ひとつずつ手にとってバッケちゃんに見せていくと、きつねうどんのところで「ん」と頷く。きつねは妖狐であるハッチーが好きなんじゃないかなと思い喧嘩にならないか少しだけ心配だったが、ハッチーは「わちはシーフードのビッグサイズじゃ!」と言ってきつねには見向きもしなかった。どうやら油揚げよりも魚介の方が好きらしい。ちなみに、私は無難に油そばにした。酢やマヨネーズやコショウやラー油といった味変用の調味料がないのがちょっと不満だが、素の状態でもおいしいのでそこはまあ我慢しよう。

 

 キッチンで見つけて軽く洗ったヤカンで沸かしたお湯をそれぞれの容器に注いで数分待ち、調理したカップラーメンをみんなで食べていると様々な不安を忘れて幸せな気持ちになってくる。私は結構カップラーメンが好きなのだ。私的おいしいものランキング1位がワクドナルドとケンタくんフライドチキンとモグバーガーで、カップラーメンはたぶんその一つ下くらいに位置する。なお、お母さんの料理は高級レストランみたいであまり好きじゃない。ホワイトソースのことをベシャメルソースとか言うしな、お母さん。

 

 食事を終えて、三人分のカップラーメンの容器を軽くお湯ですすいでゴミ袋に入れると、今度は浴室に行ってやたらと広い湯舟を持ってきたスポンジと洗剤でがんばってゴシゴシと洗う。

 十分ほどかけてピカピカにした湯舟にお湯を溜めつつ、待っている間が暇なのでみんながいる居間へと戻ると、杠葉さんが壁や床に何かの粉末を撒いていた。

 

「なんですか、それ?」

 

「これはズコウだ。魔除けになるから、今晩俺が寝るこの居間に撒いている」

 

「図工?」

 

「塗る香りと書いて塗香(ずこう)だ。塗香であればどのような香りのものでも魔除けになるが、白檀(びゃくだん)を選んだのは単純に俺が好きな匂いで、寝るときに香っていてもあまり嫌ではないからだ」

 

「そういえばなんだか懐かしいような、落ち着く匂いがしますね。たくさん部屋があったと思いますけど、居間で寝るんですか?」

 

「ストーブもここにしかないし、荷物も全部この居間に置いてあるからな。ある程度の防御を施した上で、念のために白髪毛と蜂蜜燈も置いてここで寝るつもりだ」

 

「ん……? あれ、私は別なんですか?」

 

「ヤマコはうんぬばに対する(おとり)だ、二階の大広間を開け放って寝ろ」

 

「え? 囮? え、え? 私一人でですか?」

 

「山の外にうんぬばが出られないように結界を張ったからな。もしもやつにヤマコを含めた俺たちを倒さねば自由になれないと理解する頭があったなら、ヤマコが一人で魔除けの一つも置かずに寝ていれば好機と見て仕掛けてくるかもしれない。そうなってくれれば、できるだけ早くやつを祓って家に帰りたい俺としては都合がいい」

 

「は……?」

 

「ブザーが鳴っているぞ、風呂ができたんじゃないか? 早く行って湯を止めてこい、ヤマコ」

 

 追い払われるようにして居間を出て、速足で浴室に向かう私の心中には嵐が吹きすさんでいた。

 もう何も考えたくない、不安なことは全部忘れてしまいたい。なんで私は杠葉さんの式神になんてなってしまったのだろうか? いくらお金が貰えたとしても、ろくに使えずに死んでしまったら何の意味もないという事実にようやく思い至った。

 

 だけど、もうどうしようもない。

 近いうちに私はうんぬばにやられて死んじゃうかもしれないが、だからこそ、今のうちにできるだけ生を満喫しよう。とりあえず不安になることは考えないようにして、ハッチーとバッケちゃんとのお風呂タイムをまずは楽しもう。今を楽しむんだ。

 

 湯舟にお湯が溜まっていることを確認して蛇口を閉めると、ふたたび居間へと戻った私は背後からハッチーに忍び寄り、がばっと抱きつく。

 

「ハッチー捕まえました! さあ、みんなでお風呂に入りましょう!」

 

「ぬお、なんじゃ!? ヤマコ、超元気じゃな!? 半端ない大妖を退治しに来とるのに、おぬしときたら余裕じゃのう!」

 

「違います、私は妖怪退治しに来たんじゃありません、旅行に来たんです! ハッチーとバッケちゃんと楽しい旅行なんです! ほら、バッケちゃんもお風呂に行きますよ!」

 

「ぬう!? わちを引きずるでない! バッケも()とらんでわちを助けんか!」

 

 洗面所とは別に用意された脱衣所に小さな先輩たちを連れて入ると、三人分の着替えが入ったトートバッグを棚に載せて、さっそく私はバッケちゃんのモコモコとしたボアブルゾンを脱がしにかかる。

 

「はい、脱ぎぬぎしますよ、ばんざいしてくださいね」

 

 言われるがまま、素直に両手をあげてくれるバッケちゃん。そのままタイツやら何やらも全部脱がせて、裸に()いたバッケちゃんを浴室に入れる。

 そして振り返ると、残念なことにハッチーは自分で服を脱いでしまっており、すでにすっぽんぽんだった。ハッチーの服も私が脱がせてあげたかった。

 

「さむっ! 本家も山の上じゃしそれなりに寒いが、ここはもっと寒いのう! わちも入る!」

 

 そう言ってハッチーが私の脇を走り抜けて浴室に入っていき、直後にジャボンッと湯舟に飛び込んだような音が鳴る。

 

「ふああ~、やっぱり寒いところであったかい湯舟に浸かるのは気持ちがいいのう! とはいえ、もうちょっと熱い方がわち好みじゃな! ヤマコ、これもっと熱くできんか!?」

 

 自分の服を脱ぎ終わり、私も浴室に入って、広い湯舟の中で騒いでいるハッチーに言い訳する。

 

「だって小っちゃい子がいますし、ぬるい方がいいかなと思ったんです。バッケちゃんが熱くて入れなかったらかわいそうじゃないですか」

 

「確かにバッケはチビじゃしお子様じゃが、鬼じゃ! 熱湯だって平気じゃぞ! ほれ、熱い湯を足すのじゃ、ほれ!」

 

 ハッチーにせっつかれて、本当は早くシャワーを浴びたいのを我慢して湯舟に熱いお湯を足していく。雇用主といい上司といい、人使いの荒い職場である。

 

「ていうかハッチー、山に登ったり散々歩き回ったのにシャワーも浴びないでいきなり湯舟に入らないでください」

 

「かっかっか! 心配いらぬ、わちがあの程度の山歩きで汗なんかかくわけなかろう!」

 

「汗はかいてなかったとしても、土埃とかそういった汚れが絶対についてると思いますけど……」

 

「これ、ヤマコ! アンコや杠葉のような小言はよさぬか、せっかくここには妖怪しかおらぬのじゃからな!」

 

「はあ……ほんとは私、人間なんですけど」

 

「ん、何か言ったか? 湯をくんでる音がうるさくて聞こえん!」

 

「なんでもないです。湯舟の温度はこれくらいで大丈夫ですか?」

 

「うむ! さすがヤマコじゃな、ちょうどよいぞ!」

 

「まったくもう、調子がいいんですから。そうしたら、ハッチーはそのまましばらく湯舟に浸かっていてください、まずはバッケちゃんを洗っちゃいます」

 

「うむ、わちはもうしばらく湯舟に浸かっておるぞ!」

 

 ようやくハッチーがおとなしくなったので、改めてお湯の温度を調節してシャワーに変えて、バッケちゃんを本家から持ってきた黄色いプラスチック製のお風呂椅子に座らせる。

 その後ろで私は膝立ちになり、バッケちゃんの真っ白でサラサラな長い髪の毛を指ですく。

 

「じゃあまずは髪の毛を洗いますから、ちゃんと目を閉じていてくださいね」

 

「ん」

 

 返事があったのを確認して、バッケちゃんの頭にシャワーのお湯をかける。それから、手のひらにとったシャンプーに少量のお湯を混ぜて泡立てて、バッケちゃんの頭を優しく丁寧に洗っていく。触って初めて気がついたが、バッケちゃんの頭には長さ1センチメートルほどの短いが硬く尖った角が二本生えていた。

 可愛い角もよく洗い、泡をしっかりとお湯ですすいで、手で軽く髪の毛をしぼってピンク色のタオルキャップを巻く。

 

「はい、できました。じゃあお顔と体も洗いましょうねー」

 

「ん!」

 

 洗髪されるのが気持ち良かったのだろうか、表情こそ変わらないものの、バッケちゃんがさっきよりも元気に返事をしてくれる。

 体が小さいので洗うのはすぐだったが、とにかくスベスベしていてモチモチしていて、小さな子どもの肌って凄いなあと何だか感動してしまった。

 

 私は洗い終わったバッケちゃんを持ち上げて湯舟に入れると、代わりにハッチーの手をつかんで引っ張り上げる。

 

「んお!? なんじゃなんじゃ!?」

 

「次はハッチーの番です、綺麗にしてあげますね」

 

「は? わちは自分で洗えるわ、ちょっ!?」

 

「いいから座ってください。私は今をめいっぱい楽しむことに決めたんです。だって、もうすぐうんぬばにやられて死んじゃうかもしれないんですから。ハッチーが嫌がっても怖くないですよ、どうせ私なんて明日には死んじゃうかもしれないんですから!」

 

「はあ? ヤマコ、なんだかおぬし様子がおかしいぞ、落ち着かぬか! ええい、尻を撫でるでない! ぬわっ、わちを助けるのじゃバッケ! はよう!」

 

 ハッチーが「ぬわーーーーッ!!!?」と悲鳴を上げたせいで、廊下から杠葉さんに「気が散る、静かにしろ!」と怒鳴られた。何か集中が必要な作業をしていたようだ。

 お風呂を上がると、私は先輩たちにパジャマを着せたり、先輩たちの髪を乾かしたりしてから、最後にバッケちゃんの歯磨きに取りかかる。

 

「はい、アーンしてください」

 

 バッケちゃんが「あー」と言いながら、小っちゃいお口を開く。先が鋭く尖った小っちゃい歯が綺麗に並んでいた。

 やっぱり鬼って肉食なんだなと思いつつ、私は力を入れないように気をつけながら手早くバッケちゃんの歯を子ども用の小さな歯ブラシで磨いた。

 紙コップにくんだぬるま湯で何度かうがいをさせて、パジャマ姿のバッケちゃんとハッチーを引き連れて居間へ戻る。

 

 座椅子に腰掛けて、薄い木片に筆で墨を塗っていた杠葉さんが顔を上げて言う。

 

「見たらわかるだろうが、明日のために準備をしているところだ。邪魔をするな」

 

 これがパワハラというやつだろうか。お風呂から戻ってきただけで、私たちはまだ喋ってすらいないのにひどい言い草である。

 

「さすがに言いがかりですよ。命が懸かってるのに邪魔なんてするわけないじゃないですか」

 

「そうだ、命が懸かっている。こうした面倒な作業を行うのも、ヤマコが心置きなく一対一でうんぬばと戦えるようにするためだ。もしもヤマコがうんぬばを仕留め損なえばまず俺が喰われて死に、俺が死ねばこの山に張った結界が解けて自由になったうんぬばに杏子も弓矢も喰われるだろう。わかっているのならいい」

 

 いやいやいや、ちょっとやめてほしい。

 自分の心配だけでもいっぱいいっぱいなのに、そんな風にプレッシャーをかけないでほしい。うんぬばと戦う前にプレッシャーで死んじゃいそうだ。

 

 緑茶が入った2リットルサイズのペットボトルを「プハァッ」と口から離して、ハッチーが(まく)し立てる。

 

「暗っ! あいっかわらず杠葉はくっらいのう! ほんっとにおぬしときたらほんっとに……わちが育てたのになんでそんなに弱っちいんじゃ、ざこ!」

 

「事実を言っただけだ。俺はそういう覚悟で戦ってきたし、今回もそうするまでだ。それよりも、お前の飲んでるそのペットボトルだが本当にただのお茶か? 焼酎(しょうちゅう)のお茶割りか何かじゃないだろうな……お前は酒を飲むと妙に熱くなる」

 

「そんなわけないじゃろうが! いくらわちが酒好きとはいえ、いつ戦いになるかもわからぬのに酒なんぞ飲むわけなかろうが! 証拠隠滅じゃ! ング、ングングッ……!」

 

 ペットボトルの中身を一気飲み干したハッチーが、そのままふらふらと歩いていき、畳の上に横になる。

 すると、すぐに寝息が聞こえてきた。

 小さく嘆息して、杠葉さんが私に言う。

 

「ヤマコ。布団を三組敷いて、蜂蜜燈を寝かせてやれ。いつ戦いになるかわからない状況で酒を飲んでしまうような無責任な愚か者だが、とはいえ俺の育ての親であることに間違いはないからな。さすがに床に寝かせておくわけにもいかない」

 

「ほんとにハッチーに育ててもらったんですか?」

 

「ああ、俺はあやかしに育てられた。だが、こんなやつでも実の親や祖父よりかずっとマシだったぞ。妹を失ったことで当時の俺は抜け殻のようになっていたのだが、もしも父や祖父が生きていたら俺はそのまま人形にされていたはずだ」

 

 やれやれといった風に頭を振って、杠葉さんは木片に墨を塗る作業に戻る。

 私は広い畳敷きの居間に、別の部屋の押し入れで見つけた多分来客用の布団を三組並べて敷いた。やはり長い間使ってなかったようでなんだか埃っぽいし若干カビ臭さもあるが、まあ今から買いに行くのも難しいので我慢するしかない。

 

 やっぱりもう一組、私の分のお布団も一緒に並べたいなと思い、おそるおそる今一度杠葉さんに確認を取る。だって、私だってうんぬばが怖いのだ。それに杠葉さんがハッチーとバッケちゃんと寝るのに、女子高生である私だけハブられるって変じゃないか? いや実際はハブられてるわけじゃなくて、むしろもっとひどくて囮に使われるわけだけど。

 

「えと、あのですね、杠葉さん。やっぱり私もこの部屋で寝ちゃダメでしょうか? ほら、やっぱり近くにいた方がいざという時にも何かと都合がよさそうな気がしますし」

 

「いや、心配はいらない。この部屋の守りはそれなりに固いはずだ。俺のことは気にせずに、お前はうんぬばが現れたら逃がさずに仕留めることだけを考えていろ」

 

「うぅ、はい……」

 

 杠葉さんの有無を言わせない態度に、私はすごすごと引き下がるしかなかった。

 みんなと一緒に寝ることを諦めた私は敷いた布団の上に寝ているハッチーを引っ張り上げて、その隣の布団にバッケちゃんを寝かせて、居間から廊下へと続く(ふすま)を開ける。

 

「えっと、それじゃあおやすみなさい」

 

 就寝の挨拶をした私を上目で見て、木片を墨で塗りながら杠葉さんが言ってくる。

 

「ああ、うんぬばが出たら頼む。期待しているぞ」

 

 ヤバい大妖と戦って勝つ自信がない私は頷くことができず、目礼だけしてそっと襖を閉めた。

 そして一人寂しく、冷え冷えとした板張りの廊下を、たいして厚くもない靴下一枚だけを履いた足で歩く。

 杠葉さんたちが普段暮らしている本家と同様に、この屋敷にも廊下を含めた全室に床暖房の機能が備わっているようだが、居間のストーブに入れる分の灯油しか持って来なかったので今は使うことができない。当たり前のことだが山の上なので平地よりも気温が低く、ストーブのない二階で朝まで過ごすのは結構辛そうに思えた。

 二階へ上がる階段を照らす電球はなんだか薄暗く、真っ暗闇でならば非常によく見える私の呪われた目でも微妙に見にくく感じる。まだ明かりを灯していない二階の暗闇の方がかえって見やすいくらいだった。

 

「なんか、気持ちが落ち着かないというか、ちょっと怖いし、行きたくないなぁ」

 

 ヤバい大妖が屋敷に入ってきたら杠葉さんやハッチーなんかが気がつくだろうし、さすがにうんぬばがすでに上に居るなんてことはないはずだ。

 

「……でも、あの勾玉を取り込んでから、普通にオバケみたいなのとかも視えるからなぁ」

 

 たいていの妖怪? やら幽霊? みたいなものは、私に気がつくと怯えて逃げていくのだが、だからといって急に変なものを視てしまって動揺しないわけもなく、たとえ相手が怯えていようが私は私でやはり怖い思いをする。

 こんなに雰囲気のある、それも実際に(いわ)く付きのお屋敷で変なものを視てしまったら、多分よりいっそう驚くはずだ。

 何も居ませんようにと願いながら、恐怖心を誤魔化すために口笛でお気に入りの(まつ)囃子(ばやし)を奏でつつ、踏むたびにギシギシと音が鳴る階段を上がっていく。

 

「うん……よかった、とりあえず廊下には何も居ない」

 

 暗いところはよく見えるものの、何となく怖いので一応二階の廊下の電気も点ける。

 そして二間(ふたま)続きの宴会場のような広い和室と広縁(ひろえん)、廊下からだけでなく和室から広縁を通って行くこともできる書斎のようになっている洋室と、その洋室と扉で繋がっている広い物置部屋をやはり口笛を吹きつつ見て回り、物置部屋から再び廊下に出て簡易キッチンと洗面所とトイレも確認したが、そのどこにもおかしなものの姿はなかった。

 他にはもう部屋はないようだったので、杠葉さんが言っていた『大広間』はたぶん二間続きの和室のことだろうなと判断して、物置部屋で見つけた布団を運び入れる。

 どの辺りに布団を敷くかで大いに迷ったが、最終的に押し入れがない方の和室の隅っこに決めた。いざという時に押し入れに隠れるという選択肢もないではなかったが、押し入れに入ってしまったらそれ以上は逃げ場がない上に、もしもうんぬばが押し入れから登場したらと思うと凄く怖かったからだ。

 ちなみに、変なものが居ないことを確認したとはいえ完全には恐怖心を拭うことができず、布団を運ぶのも敷くのもやはり口笛を吹きながら(おこな)った。

 そして最後に、隣の押し入れ付きの和室と繋がる襖はもちろんのこと、本当に嫌だったが廊下側の襖も杠葉さんの指示通りに開け放した。しかし、広縁へと続くガラス障子(しょうじ)は開けておくと冷たい空気が流れ込んできてあまりに辛かったので、そちらは閉じてしまった。本当に妖怪であれば寒さで体を壊すことなんてないのかもしれないが、何度も言うが実際には私は妖怪ではなく人間なので、あまりにも寒すぎると眠れないし最悪の場合凍死してしまう。

 

「電気は……一応、点けておこうかな。暗くても見えるけど、やっぱりオバケとか怖いし……」

 

 杠葉さんも電気を消せとは言っていなかったし、もしかしたら言い忘れただけなのかもはわからないけど、まあいいだろう。もしそうだったとしても、言い忘れてしまった杠葉さんが悪いのだ。

 電気を点けたままの広い和室の片隅に敷いた布団の上に、私は土壁に背中をくっつけるようにして横たわり、毛布を二枚重ねた上にさらに羽毛布団を三枚も重ねて体に掛けた。そして、仕方なしに目を閉じる。明日は明日でまた山に登ったりするのだろうし、怖いからといって眠らないわけにもいかない。

 

 最初は恐怖で眠れないのではないかと案じていたが、しかし、溜まった疲労のせいかすぐに眠気がやってくる。思い返してみればまず車に乗っての長距離の移動があり、それから山やその周辺を体感ではあるがおそらく10キロメートル以上歩き、さらにはうんぬばと一対一で戦うだとか退治に失敗したらアンコちゃんやらが死んでしまうだとかいう状況から発生する心労もあってで、当然といえば当然だ。

 

 何事もなく朝を迎えられますように、今夜うんぬばがやって来ませんようにと祈りながら、私は眠りに落ちた。



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うんぬばが来る

「――お前さま」

 

 鈴を転がすような声に呼ばれて、目を開ける。

 

 そこはどこか山奥の川辺だった。

 木漏れ日が降り注ぐ、平らな岩に腰掛けている私の足元には、澄んだ清流がさらさらと音を立てて流れている。湿気を(はら)んだ、ひんやりとした空気の流れを感じた。

 

 隣を見やると、長すぎる黒髪の先端を水面(みなも)揺蕩(たゆた)わせて、紅白の巫女装束を纏った、病的に白い肌をした美貌の少女が座っている。

 私とお揃いの翠色(すいしょく)邪眼(じゃがん)と目が合う。

 

「あ、美少女様だ。私が美少女様を呼ぶための名前を考えておいたんですけど、スイちゃんっていうのはどうですか? 美少女様はやっぱり翡翠(ひすい)のような目の色が凄く印象的ですし、かわいくていいかなと思ったんですけど」

 

「お前さまときたら、これだもの……わらわがお前さまを心配して、ずいぶんと手間をかけて波長を合わせて会いにきたというのに、のんきなものですね、お前さま」

 

「え? やっぱり私、相当ヤバい感じなんですか……? えっと、スイちゃんも知っているのかもしれませんけど、実はうんぬばって言うヤバいって評判のヤバい妖怪に今にも襲われるかもしれない状況なんですけど……」

 

「うんぬばなるあやかしは知りませんが、お前さまの視覚や聴覚を通して状況はだいたい把握していますよ、お前さま。慌てふためくお前さまがあまりにも憐れでしたので、此度(こたび)はあやかしを(ほふ)(すべ)を教えに参りました」

 

「えっ、そんなのがあるんですか!? えっと、ちゃんと私にもできるやつですよね?」

 

「お前さまはわらわの()妖力(ようりょく)を持っているのですもの、できないはずがありませんよ、お前さま。何せ、ただ(にら)んで、それから力いっぱい殴るだけです。わらわの邪視(じゃし)が効かぬ者などいませんもの、怯えて動きを止めるなり、狂って襲い掛かってくるなり、睨めば必ず隙を作ることができます。そうしたら、あとは殴るだけです。力いっぱい殴りつければ、おのずと妖力を込めることができるでしょうから、特に難しいこともありません。わらわの妖力を込めて殴れば大抵のあやかしは粉々になりますよ、お前さま」

 

 なるほど、スイちゃんの妖力を身に宿している私は、妖怪が相手でも物理攻撃が可能なのか。それは良い情報だけど、うーむ……でも、私って結構どんくさいところがあるから不安だな。

 確かに隙を作らなければパンチを当てることも敵わないだろうが、かといって、邪視にあてられて狂って襲い掛かってきた妖怪の攻撃をうまくいなせるとも思えないぞ。

 

「ええと……あの、せっかく私のことが大好きなスイちゃんが心配してアドバイスをしに来てくれたわけですけど、やっぱり難しいんじゃないかと思います。だって、妖怪が襲い掛かかってきたら、たぶん私死んじゃいますもん……」

 

「あら、あら。それならば仕方がありませんね。もしもそのうんぬばとやらにお前さまが食べられてしまいそうになったら、うんぬばよりも先にわらわがお前さまを食してさしあげます。これでお前さまがうんぬばに食べられる可能性はなくなりました、よかったですね、お前さま」

 

「ええっ、そんなっ、いじわるを言わないでください! 大好きな私のことが心配で来てくださったっておっしゃってたじゃないですか! 食べちゃいたいくらい私のことが好きって気持ちもわかりますけど、私死にたくないです、助けてください!」

 

 私はスイちゃんの白衣(びゃくえ)に包まれた華奢な肩をつかんで、激しく揺さぶる。

 

「あわあわっ――な、なんという恐れ知らずでしょう、わらわにこのような仕打ちをなさるなんて……うっ、やめて……!」

 

 ちょっと揺らしすぎた気がして手を離すが、それでもまだスイちゃんは頭をゆらゆらとさせていた。どうやら目を回してしまったようだ。

 

「えと、大丈夫ですか?」

 

「うぷ……わらわはか弱いのです、お前さま……それなのに、なぜあやかしに恐れられるかといえば、強大な妖力を持っているからに他なりません……先ほどはいじわるを申しましたが、うんぬばとやらにお前さまを食べることなど、おそらくできないでしょう。妖力は障壁(しょうへき)にもなりますから、わらわに拮抗(きっこう)するほどの妖力を有するあやかしでもなければ、わらわを――お前さまを傷つけることなどできないのです。先日、ハッチーとやらがお前さまを何度か叩きましたが怪我をしなかったでしょう?」

 

「あ、そういえばそうでした。叩いた相手はみんな吹っ飛ぶか埋まるかしてたのにって、ハッチーが驚いていましたっけ」

 

「わらわの妖力と比べたらハッチーとやらの妖力があまりにも貧弱だったので、障壁を破ることができなかったのですよ、お前さま」

 

 ふむふむ、そういうことならば安心かもしれない。杠葉(ゆずりは)さんいわく、うんぬばの妖力は私よりもずっとショボいらしいし。

 つまり、襲ってきたうんぬばに殴られようが(かじ)られようが私は怪我をしないし、むしろ近づかせて逆に殴っちゃえば勝てるというわけだ。

 なんだ、余裕じゃないか。最初からうんぬば程度に負ける要素なんてまったくなかったわけだ、怖がって損したな。

 

 がしっとスイちゃんの手を握って、私は言う。

 

「スイちゃん、わざわざ色々教えに来てくれて、ほんとにありがとうございました。何も心配いらないみたいですし、もしもうんぬばが現れたらめちゃくちゃ(あお)りまくってやります!」

 

「あら、あら。元気になりましたね、お前さま。その意気ですよ、仮にもお前さまはわらわの妖力を身に宿しているのですから、ヒトの子らを相手に大きな顔をしているようなそこらのあやかし程度に臆するなどあってはならないことです。わらわに歯向かったことを、うんぬばとやらにきちんと後悔させてやってくださいね、お前さま」

 

「もちろんです! 私たち見た目も似てますし、スイちゃんの化身(けしん)としてうんぬばをわからせてやりますよ!」

 

 まあ、いくら十人並みの私といえど、さすがにスイちゃんの美少女っぷりには及ばないが、そんなに大きな差はないはずだ。たぶん。

 スイちゃんがなんだか困ったような顔をしつつ、「お願いしますね、お前さま」と頷く。

 

「そういえばですけど、スイちゃんって前に会った時にはひらひらとした天女(てんにょ)さんの羽衣(はごろも)みたいな服装をしてましたよね? あれも似合ってましたけど、今回の巫女装束も似合ってます」

 

「ああ、あの羽衣は時代に合っていないように思えたので、お前さまが一番好きそうだった服を着てみました。ここは幻のような空間ですから、わらわが想像した通りの恰好になれるのです。お前さまにも着せてさしあげましょうか?」

 

 微笑んでスイちゃんがそんなことを言ってくる。

 確かに私はバッケちゃんやハッチーが巫女装束を着ている姿を見て喜んでいたが、しかし、バッケちゃんやハッチーが可愛いから喜んでいただけで、巫女装束に特別な思い入れがあるわけではない。

 とはいえ、やはり私が着たら似合うだろうな。だって、髪の色も目の色も同じで私に似ているスイちゃんにこれだけ似合っているわけだし。

 

「少し恥ずかしいですけど、そこまでおっしゃるのでしたら『スイちゃんに名前をつけた記念』に着てみようかなって思います。でもちょっとだけですよ、恥ずかしいですから、えへへ」

 

「あら――もう来ますね、時間がありません。先日お前さまのお勤め先でいただいた、『山の笑み』なるお砂糖の衣をまとった切り株のようなお菓子、あれはとても美味でした。また近いうちに味わいたいものです、期待していますよ、お前さま」

 

 川のせせらぎが、湿気を孕んだ微風(そよかぜ)が遠くなり、周りの景色と一緒にスイちゃんの姿も薄らいで消えていく。

 もう来ますねって、うんぬばのことかな? つまり現実の、アンコ(てい)の二階に一人で寝ている私のすぐそばにまで、うんぬばがやって来てるわけか。いやまあ、こっちはうんぬばに対して無敵状態で、しかもワンパンで勝てると思ったらたいして怖くもないが。

 しかし、これから大妖(おおあやかし)と戦うっていう場面で、アドバイスや激励を送るのではなく、最後に甘い物の催促(さいそく)をしてくるとは……ぶれないな、スイちゃん……。

 

 ――ガタガタ……

 

 ――ガタガタガタガタ……

 

 ――ガタガタガタガタガタガタ!

 

 ぱちっと目を開ける。

 いつの間にか電気が消えていて、室内は闇に包まれていたが、邪眼を持つ私には部屋の隅々までよく見える。

 ガタガタガタガタガタガタガタと、広縁(ひろえん)に続くガラス戸や開け放ってある(ふすま)が地震みたいに鳴っていたが、床はまったく揺れていない。

 なんだか空気が重たく感じて、息苦しい。

 

 あれ……おかしいな?

 

 自分は無敵でしかもワンパンで勝てるのなら怖いことなんてないと思っていたが、なんというか状況的な怖さがあるというか、冷や汗をかいてしまっているし、心拍数が上がっている。

 いや、だって、知らない家で、ひとりぼっちで、夜中で、電気も消えてて、姿もわからない妖怪がやって来るんだぞ。

 正直に言うと、すでにトラウマになりかけているというか、この状況を後で夢に見てうなされそうだ。というか、むしろ現在進行形で悪夢を見ていて、現実の私は電気がついている部屋でぐっすりと眠っているのかもしれない、なんて気すらしてきた。

 今急に、バッて目の前に恐ろしい姿の妖怪が現れでもしたら、それだけで心臓が止まって死んじゃうかもしれない。

 

「うう、目を閉じてるのも怖いし、目を開けてるのも怖い……いやでも、目を閉じてて、開けたら急に目の前に怖いのがいるって方がやっぱり怖い気がするから、目は開けとこう、そうしよう」

 

 こんなんじゃ、次に会ったときにスイちゃんに怒られてしまう。しっかりするんだ、私。大丈夫だ、ワンパンだワンパン。私にこんなに怖い思いさせて、ストレスを与えたひどい妖怪に、どっちが上なのか思い知らせてやれ。

 パンチだパンチ。もし急に目の前にヤバい見た目をしたやつが現れても、反射的にパンチするんだ。

 よし……よし、だんだんと行ける気がしてきたぞ。

 

「と、とりあえず、ただ待ってるとなんか余計に怖い気がするし、電気つけようかな……つくかわかんないけど」

 

 静かに立ち上がって、そろりそろりと、なるべく音を立てないように気をつけながら、電気のスイッチがある廊下側の壁に向かって歩いていく。寝る前はそこまで気が回らなかったが、電気のスイッチから一番遠い部屋の隅っこで寝てしまったことを後悔した。

 襖を開け放っているせいで少しだけ廊下の様子が見えるのが、なおのこと怖い。見える範囲には何もいないが、見えない少し先に何かいるのではないかという気がしてしまう。というか、寝る前は廊下の電気もつけっぱなしにしていたはずだから、もしかしたらこの二間(ふたま)続きの和室のみでなく、二階全部の電気がつかない状況なんじゃないだろうか?

 くそう、うんぬばめ、わざわざブレーカーを落としたのか?

 

 忍び足でようやく壁際にまでたどり着いて、パチッと電気のスイッチを入れるが、やはりつかない。想定していたことではあったが、(すが)るような思いで何度もスイッチのオンオフを切り替える。

 パチ……パチ、パチ、パチパチパチパチパチパチパチパチパチ――!

 やはり、つかない。ブレーカーはどこにあっただろうか? ちゃんと確認していなかったが、一階の脱衣所の高いところにそれらしき物を見た気がする。

 杠葉さんからはうんぬばが来たら一人で戦うように言われたが、もう怖くて耐えられそうにない。怒られるかもしれないし、呆れられるかもしれないが、急いで階段を下りてみんなと合流してしまおう。

 

 そう決断した瞬間、私の退路を塞ぐようにして、目の前の廊下に真っ黒い(もや)のようなものが現れた。

 

「ひえっ……!?」

 

 驚いて声を上げてしまったが、いやでも、ただの靄ならば見た目はたいして怖くないな。パンチが効くのかはちょっぴり不安だけど、ほかに妖怪をやっつける方法なんて知らないのだし、とにかく信じて殴るしかない。

 

「ふう、ふう……どんな怖い姿をしているのかと思ったら、まさかの不定形タイプでしたか。見た目が怖くないなら余裕ですよ、うんぬばさん、ここがあなたの墓場です! とりゃあ!」

 

 拳を振り上げて、宙に浮かんだまま動かない黒い靄に向かって駆けだす。

 すると、靄がいきなり膨れ上がり、馬のような形に変化した。私はびっくりして足を止めてしまい、転んでしまう。

 

「ひゃあっ!?」

 

 畳に手をついて、顔を上げると、目の前に濡れたようにつやつやとした質感の馬が――いや、いや!

 馬じゃないぞ、こいつ!

 馬のような形をした、お婆さんだ。変な姿勢で四つん這いになっているが、異様に太く長い首をした、しわくちゃのお婆さんだ。しかも、目と鼻の穴と口をすべて、太い糸で乱雑に縫い付けられている。

 

「えっ、怖っ……! ちょっ、こ、怖すぎますって! 体の形状だけでも不気味なのに、なんでそんな色んなところを縫い付けられちゃってるんですか!?」

 

 というか、でかくないか?

 四つん這いになった状態でも、私よりも若干背が高い。生の昆布を束のまま乗っけたような頭髪がまるで(たてがみ)のようで、顔を見なければ本当に馬みたいだ。

 

「ぶ……う……い……ん……お……!」

 

 口を縫いつけられており、うまく発声することができないうんぬばが、何かを言う。

 そして、四つん這いのまま突進してきた。

 

「うひゃあああああああっ!!?」

 

 目と鼻と口を縫い付けられた老婆の顔面が迫ってきて、恐怖のあまり目を固く閉じる。

 どんっ! とうんぬばの巨体が正面からぶつかってきたのがわかったが、不思議なことに大した衝撃はなかった。やはり、スイちゃんの妖力からなる障壁を突破できなかったようだ。

 ブチブチブチッと太い糸を千切(ちぎ)るような音がして、目を開けると、うんぬばの両目も開いていた。

 

「へ……?」

 

 うんぬばの両目には眼球が存在せず、ただの空洞だった。

 でも、眼窩(がんか)で何か、よくわからない黒くて細長いものが渦を巻いている。

 

「う……おえ……!」

 

 急に吐き気が込み上げてきて、(うつむ)いて嗚咽(おえつ)する。

 たぶん、理解しようとしちゃダメなんだ。違和感は違和感のまま無視しておかないと、こちらの頭がおかしくなる。どうせ相手はわけのわからない妖怪なんだ、理解できなくていい。理解できないのが正常だ。

 また、ブチブチブチブチッという音が聞こえた。

 はっとしてうんぬばの顔を確認すると、今度は口を縫い付けていた糸が千切れている。大きく開かれた口の中には歯も舌も見当たらず、やはり空洞になっていて、黒くて細長い何かが(うごめ)いていた。

 妙に甲高(かんだか)い、子どものような声でうんぬばが話し始める。

 

「ある……晴れた日のことでした……畑仕事を終えて……休んでいると……息子が……馬……」

 

 以前にスイちゃんの本名を聞いた際に大変なことになったが、あれの物凄くショボいやつだと直感した。頭がぼーっとしてきて、体から力が抜けていきそうになるが、スイちゃんの時ほどの急激な変化ではない。だが、このままずっとうんぬばの話を聞いていたら多分、ヤバいことになるのだろう。

 だけど、そうはいくもんか。

 私は気力を振り絞って、ずいぶんと怖い思いをさせられた恨みを込めて、うんぬばの顔面に素人パンチを叩き込む。

 

「こ、こなくそぉっ! ――()ぁっ!!」

 

 ボンッ!!! という破裂音がして、一瞬にしてうんぬばの全身が消し飛ぶ。

 私の拳から発生した衝撃波で襖がはじけ飛び、土壁が砂と木片になり、廊下の壁に直径1メートルほどもある大穴が空く。街灯が一本もない山奥なだけあって、穴の向こうにはとても綺麗な星空が見える。

 

「…………へ? は……? なんだこれ……?」

 

 妖力、ヤバすぎる。

 今までは漠然(ばくぜん)と、妖怪相手に特殊ダメージが入るってくらいの観念なのかなと思っていたけど、普通に壁とか破壊しちゃうのか。

 驚くと同時に、この力で人を殴ったらどうなっちゃうんだろうと思い、ゾッとした。学校が始まっても、私は体育の授業には参加しない方がいいかもしれないな、取り返しのつかない大事故に繋がりかねないぞ、これ……。

 

 とにかく、うんぬばは多分消滅したと思うが、それでもまだ怖いものは怖い。そもそも私はホラー映画とかも苦手なタイプだし、夜中に知らない場所で一人きりでいること自体がわりと怖いのだ。

 散らばった木片やらを踏んで怪我をしないように気をつけつつ、急いで階段を下りる。一階の廊下に出ると居間の襖の隙間から照明の灯りが漏れていて、電気がつかなくなっていたのは二階だけだったことがわかった。

 勢いよく襖を開けて居間に飛び込むと、暖かそうな半纏(はんてん)を羽織った杠葉さんが出迎えてくれる。

 

「ずいぶんと派手にやったようだな、ヤマコ。うんぬばらしき気配が屋敷に入ってきて一応布団からは出ていたが、今の騒音で完全に目が覚めた」

 

「あ、あわ、わ……明るい、電気ついてる、あったかい……!」

 

「どうかしたか? いつものことだが、様子が悪いぞ。うんぬばはきちんと仕留めたのだろうな?」

 

「あ、はい……う、うんぬば多分やりました、私やりました! なんか戸がガタガタいって、黒い靄みたいのが現れて、それが濡れたみたいにつやつやした馬の形になって、でもよく見たら顔が人間のお婆さんで、襲ってきて、なんか喋りかけてきて怖かったけどパンチしたらボンって、たぶん消滅しました!」

 

「そうか、よくやった。それにしても、こちらのことは気にするなとは言ったが、まさかあえてうんぬばを呼び込むとはな……俺が早く帰りたいと言ったから、気を使ってくれたのか? 何にせよ感謝するぞ、ヤマコ」

 

 優しげな微笑みを浮かべて杠葉さんが言ってくるが、意味がわからない。襖を開け放ったのは杠葉さんに指示されたからだし、うーむ、いったいどういうことだろうか?

 さっき私が敷いてあげた布団から、パジャマ姿のハッチーが眠たそうに目を擦りながら這い出てくる。ちなみに、バッケちゃんは爆睡しているようだ。

 

「んあ……寝ておったわ。だってわち、眠たかったんじゃもん。仕方なかろう? それで、なんか凄い音が鳴ってたような気がするんじゃが、ヤマコがうんぬばをやったのか?」

 

「ああ。二階に上がるなり、口笛を吹いて誘ってな。確かに早く終わらせるに越したことはないが、どんな力を持っているのかもわからない大妖(おおあやかし)を相手にそれだけの余裕があるのだから、さすがだ」

 

「ほお……ほお! まっこと剛毅(ごうき)なことじゃのう! さすがわちが見込んだ後輩じゃ、いかしておるのう!」

 

 豪快で暴力的なのが好きなハッチーがぴょんぴょんと飛び跳ねてはしゃぎ始める。かわいい。

 しかし、感心しているところ申し訳ないのだが、口笛は恐怖心を誤魔化すために吹いていただけでそのせいであやかしを呼び込んでしまうだなんて知らなかったし、もしも知っていたら絶対に吹かなかった。

 とにかく、あんまりにも怖い思いをしてしまったせいで今はもう限界だ。何かほかに話があるにしても、あとは明日にしてほしい。

 

 杠葉さんがぼそりとつぶやく。

 

「しかし、黒い靄が濡れたような質感の、馬のような形をした老婆になったと言っていたが……(くも)()れた(うま)と書いて雲濡馬(うんぬば)なのか、それとも(ばば)と書いて雲濡婆(うんぬば)なのか、どちらの漢字で伝わっていたのだろうな」

 

「うう、そんなのどっちでもいいですよ。もううんぬば終わったんですから、私もこの居間で寝ます。バッケちゃんとハッチーに挟まれて寝ますから。無理ですもん、いっぱい怖い目に遭いましたし、もう一人じゃ眠れませんもん……」

 

「のわっ、わちを引っ張るでない! ぬわーっ、このバカ妖力、力が強すぎるのじゃ!」

 

 私はハッチーの手を握って、もぞもぞとバッケちゃんが寝ている布団にもぐり込む。ハッチーが入るスペースはないが、隣にハッチーの布団が敷いてあるので問題ないだろう。

 しかし、今晩はハッチーとバッケちゃんが一緒だからいいが、家に帰ったら一人で寝なければならない。明日から一人でちゃんと眠れるのかが、すでに不安で仕方がなかった。

 

 というか、このまま杠葉さんの式神として働いていたら、きっとまた今日みたいな恐怖体験をすることになるのだろうし、そのうちに精神病とかになって立ち直れなくなっちゃうんじゃないかな……だんだんと慣れて怖く感じなくなればいいけど。

 

 お腹にかかえたバッケちゃんの小さな体はとても温かくて、まるで湯たんぽみたいだった。



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帰るまでが遠足

「私のためにありがとうございました、本当になんとお礼を言ったらいいか……うう、ひっぐ! ずび!」

 

 冷光(れいこう)家の玄関前で、ずびずびと鼻をすすりながら、大泣きしたアンコちゃんが抱きついてくる。

 この人、見た目は凄く賢そうでデキる女って感じなのに、実際はドジだし泣くし怖がりだしでなんだか同族臭を感じるな。特に見た目はデキる女なのにってあたりが私とそっくりだぞ。

 

「うう、本当にありがとうございました、返せる物なんて何もありませんけど、屋敷にあった食材でできる限りのごちそうを用意したので、今日は是非夕食も食べていってください」

 

 ふむ、ごちそうか。私はジャンクフードが好きなんだけど、スイちゃんのご機嫌取りになるかもしれないし、せっかくだから頂いていくか。なんとなくだけど、スイちゃんは高級志向っぽいしな。

 

「じゃあお言葉に甘えて――ってアンコちゃん、鼻水が私の毛玉セーターについて大変なことになっちゃってますけど」

 

「ああっ!? ごめんなさい! すぐに洗います、代わりに何か着るものを持っていきますから、居間で待っていてください!」

 

 そう言って、ひどく慌てた様子でアンコちゃんが屋敷の中に駆け戻る。

 凄く感謝されちゃっているが、そもそも私の不注意でうんぬばの封印が解けてしまい、そのせいでもしかしたらアンコちゃんが死んでいたかもしれないことを思うと、ちょっぴり居心地が悪いな。

 

 ともかく、それからお屋敷に上がり、居間で待っているとアンコちゃんが新品のセーターを持ってきてプレゼントしてくれた。私でも聞いたことがあるようなブランド物の、私が一度も着たことがないようなオシャレな明るい茶色のセーターだ。オシャレに(うと)い私は基本的に黒い服しか買わなかったので、中学の友人たちからは『黒の山田』とバカにされていた。とはいえ、杠葉(ゆずりは)さんから貰ったお給料もあることだし、近いうちに全身バレンシアゴとかでコーデして見返してやるつもりだ。(この時の私は、後に『バレンシアゴの山田』とドン引きされることになるなんて夢にも思っていなかった。)

 

 そんなこんなで、『黒の山田』を卒業してオシャレレベルがアップした私は、麺もソースもアンコちゃんお手製の早朝からじっくりと煮込んだミートソ―スパスタや、お屋敷の裏庭でアンコちゃんが育てている香草をふんだんに使用したローストチキンや、オニオングラタンスープやハーゲンダックアイスクリームの抹茶味などを平らげて、アンコちゃんから「ヤマコさんは命の恩人です! 私にできることがあればなんでもしますので、困ったことがあったら遠慮なく頼ってくださいね!」と熱いお見送りを受けて家路(いえじ)についた。

 

 帰宅してじいじ(祖父)に「ただいま」と挨拶するついでに、冗談で「私がいなくて寂しかった?」とたずねてみたら、じいじが非常に疲れた顔をして「お前のわがままな妹がいるから、寂しいなんて思う暇もなかった」と答えた。

 私は一人っ子だし、妹なんていない。

 じいじも結構な年だしボケてしまったのだろうか? 明日にでもお母さんに電話で相談してみようと思いながら、階段を上がって二階にある自室へと向かう。

 

 すると、なぜか二階の廊下の電気がついていた。

 普段、じいじは二階には上がってこないし、電気をつけることもない。

 昨夜はうんぬばにつけていたはずの電気を消されて、今夜はついているはずのない電気がついている。

 うんぬばは消滅したはずだし、昨日のそれと今日のこれには何の関係性もないはずだが、なんかちょっと嫌な感じがするな。

 ただ、そうは言っても、部屋に入らないことには荷物を置くことすらもできない。

 思い切って、スパンッと(ふすま)を開ける。

 クラシカルなメイド服を着たツインテールの少女が私の布団に寝転がって、私のセイテンドースイフトライトでゲームをしていた。

 

「え、誰!?」

 

 いつでもパンチを打てるように右手を振りかぶりつつ(たず)ねるが、謎の侵入者たる少女は慌てた様子もなく、ゲーム画面から目を離しもしない。

 

「ちょっと待って、今いいところなんだから。片目と腹心の部下を失って闇堕(やみお)ちした王子がようやく私に心を開こうとしているの」

 

「王子闇堕ちするんですか!? 腹心の部下ってあの人ですよね、えっ、死んじゃうんですか!? ちょっ、えっ、いやいやいや!? 勝手に私のゲームで遊んで、しかもネタバレをしてくるなんて許されませんよ! というかそもそも不法侵入で、えっと、えと……と、とにかく逮捕ですから!」

 

「もう! (ねえ)さまうるさい、ちょっとこっち見て」

 

 メイド服の少女がゲーム機を置いて、初めて私を見た。

 年の頃は十七か十八くらいだろうか、体は細いのに胸はしっかりとある羨ましくなるような体型の、黒い髪で緑色の目をしたとんでもない美少女だ。やはり見覚えはないが、誰かに似ている気がする。

 

「姉さまって、わ、私に妹はいません! 美少女に姉さまと呼ばれるのはちょっと気持ちがいいですけど、そんな風に言いくるめられると思っているんでしたら、それはいくらなんでも私をバカにしすぎ……」

 

「何を言っているの、姉さま? 姉さまはメイコの姉さまでしょう?」

 

 そうだった。メイコちゃんはたった一人の、大切な妹だ。どうして忘れていたのだろうか?

 妹の存在を忘れるだなんて普通ならば絶対にありえないことだが、とはいえ、昨夜私は普通でない体験をしてきたばかりだ。もしかしたら、うんぬばの言葉を聞いてしまったせいで脳に異常が生じたのかもしれない。

 精神的外傷(トラウマ)を除けば何のダメージも受けていないと思っていたが、どうやら勘違いだったらしい。うんぬばはやはり恐ろしい大妖怪だったのだ。

 

「あれ……メイコちゃんの名前って、どういう字を書くんでしたっけ? ごめんなさい、お姉ちゃんなんだか頭がぼんやりしちゃってて」

 

冥府(めいふ)の冥に子どもの子で、冥子(めいこ)よ」

 

「ああ、そうでした、そうでした。どうして忘れちゃってたんでしょうか、大事な妹の名前なのに」

 

 山田春子と山田冥子で字面は似ているが、私のあまりに平凡な名前に比べて、冥なんていうかっこいい字が使われている妹の名前にちょっと嫉妬したりしたんだったか。ぼんやりとだけど、そんな覚えがある。

 

「ふう……冥子ちゃんのことを忘れてしまっていたりで焦りましたけど、こうして思い出せたわけですし、とりあえず無事に済んだってことで、これで安心していいんですよね」

 

 実際に、今はもう冥子ちゃんのこともしっかりと思い出せている。冥子ちゃんはいつもこんな風にぐうたらしていた。まだ少し頭がぼんやりとしているが、そうだったはずだ。

 うむうむ。冥子ちゃんがぐうたらしているいつも通りの光景を見ていると、帰ってきたという実感がわいてくるな。

 

「あの、冥子ちゃん。お姉ちゃんはヤバい大妖怪と戦わされて凄く疲れてて、今日はもう寝ちゃいたいんですけど、布団を空けてくれませんか?」

 

 そうお願いしながら、どうして姉妹で一緒の部屋なのに布団は一組しかないんだろうと一瞬疑問に思ったが、

 

「なら、()()()()()半分こしましょう。さ、冥子の隣に来て、姉さま」

 

 と冥子ちゃんに言われて、そういえばいつも同じ布団で一緒に寝ていたことを思い出す。

 なんだろうな、やっぱりまだ頭がぼうっとしている。

 まあ、これがうんぬばのせいだったとしても、ちゃんと冥子ちゃんのことも思い出せたわけだしそのうちによくなるだろう。

 

「じゃあ失礼します……あれ、枕って一つしかないですけど、私が使ってよかったんでしたっけ?」

 

「枕はいつも姉さまが使っていたわ。冥子はいつも姉さまの腕枕で寝ていたの」

 

「ああ、そういえばそうでした。じゃあ右腕をそっちに伸ばしておきますから、使ってください」

 

「ええ。ありがとう、姉さま。ふふふ……」

 

 いつも通り、冥子ちゃんが頭を私の二の腕に乗せてくる。完璧な美少女である冥子ちゃんの頭は小ぶりだが、それでも人間の頭なのでやはり結構な重さがある。

 

「ねえ、姉さま。そのヤバい大妖怪はどうしてきたの? もしもまだ生きていて姉さまを狙っているのなら、この部屋にいたら襲われたりして面倒くさそうだし、冥子は出かけようかと思うのだけど」

 

「ん……もういません、ワンパンで消滅しちゃいました」

 

「あら、やっぱり余裕だったんじゃない。なら、どうしてそんなに疲れているのよ?」

 

「単純に、遠出をして、山を登ったりして疲れたってのも勿論ありますけど、怖い思いをしたからっていうのが大きいと思います。うんぬばっていうんですけど、その妖怪が出てくるまでの流れも、見た目も怖かったですし、そもそも最初は私なんかがヤバいって評判の大妖怪に勝てるとは思えなくて、そいつにやられて死んじゃうんだって思ってましたし……うう、あの時の気持ちを思い出したら泣きそうです」

 

 でも、本当に冥子ちゃんがいてくれてよかった。

 もしも一人だったら、うんぬばのトラウマが蘇ってしまい、怖くて眠れなくなっちゃいそうだ。

 冥子ちゃんがおかしそうに笑って言う。

 

「ふふ。姉さまが負けるはずないじゃない、お馬鹿さんね」

 

「うん、スイちゃんが……あ、スイちゃんって言うのは、私の中にいるほんとにヤバい妖怪なんですけど、その妖怪が夢に出てきて、妖怪のやっつけ方を教えてくれて、それでどうにか……そうじゃなかったら私、あんなに怖い見た目をした妖怪にパンチしようなんて思わなかったでしょうし、妖力(ようりょく)障壁(しょうへき)でやられはしなくても、きっとうんぬばを逃がしちゃってたと思います」

 

「そうなの。姉さまの性格ならすぐに宿主(しゅくしゅ)の命を食べて体を乗っ取っちゃいそうなものだけど、わざわざ手間をかけて助言までしてあげたなんて……よほど姉さまは姉さまのことを気に入ったのね。なら、長い付き合いになりそうだし、こういうやり方はよくないかしら?」

 

「んー……? むにゃあ……」

 

「でも、そうね……腕枕が意外と気持ちがいいから、朝になったら解術(げじゅつ)してあげるわ。おやすみなさい姉さま、明日からも仲良くしてね」

 

「みぃ……」

 

 ――チュッチュン

 

 ――――ビイビイ

 

 ――――――ボッボ

 

 ――――――――ギエー……

 

 山奥ならではの多種多様な鳥の鳴き声がうるさくて目を覚ますと、私の腕を枕にして知らない女が隣に寝ていた。

 いや、厳密に言えば知らなくはない。昨夜たしかに会っているし、言葉を交わしてもいる。その記憶は残っている。

 だが、正体不明だ。

 

「洗脳、されてたのかな……?」

 

 昨夜はこの女のことを妹であると思い込んで――多分、思い込まされていたが、一人っ子である私には当然妹なんて存在しない。

 しかも、私だけでなく、じいじ(祖父)もこの女を私の妹だと認識していたようだった。

 こうした洗脳のような特殊な能力にも効果があるのかはわからないが、自称最強であるスイちゃんの妖力(ようりょく)障壁(しょうへき)を突破したのだとすれば、この女はうんぬばなんて比較にならないほどの力を持ったヤバい妖怪だということになる。

 

「ぐっすり眠ってるけど、どうしよう……?」

 

 今ならば妖力パンチで殴り放題だろうが、寝る前に何やら朝になったら術を()くみたいなことを彼女自身が言っていたような気もするし、害意(がいい)はないのかもしれない。不法侵入は不法侵入だけど、相手が妖怪なのであればそれを言ってもどうしようもないしな。

 というか、そもそもの話、無防備に眠っている美少女を殴るというのはどうしても気が進まない。同じ妖怪でもうんぬばのような見た目であれば、目を覚ました瞬間に反射的に殴ってしまっていたかもしれないけど。

 

 なんというか、見ているだけで凄く庇護欲をそそられるんだよな……でも、多分、そういう生き物なんだろうな。この女は多分、これまでも庇護欲を刺激したり、洗脳したりして人間に寄生してぐうたら生きてきたんだと思う。そんな感じがする。

 

「右腕、痺れてて感覚がないんだけど、よく見たらめちゃくちゃよだれ垂らされてる……気づいちゃったらさすがに気持ち悪いし、起こすか」

 

 空いている左手で、女の――冥子(めいこ)ちゃんの肩を揺さぶる。

 身じろぎはするが起きる気配がないので、耳もとで大声で呼びかける。

 

「おーい! 起きてください、朝ですよー!」

 

「ん、んんっ……姉さま、うるさい……冥子の朝は夕方の五時くらいなの、まだ明るいじゃない、起きられないわ……」

 

「えいっ!」

 

「きゃん!?」

 

 枕にされていた右腕を引っこ抜いてやると、びっくりしたらしい冥子ちゃんが悲鳴を上げた。

 冥子ちゃんが「いたぁい」と悲しそうに言いながら起き上がり、ようやくまぶたを開く。

 翠色(すいしょく)の、私と同じ――スイちゃんと同じ色をした瞳と、目を合わせて(たず)ねる。

 

「昨日は頭をおかしくされていたせいか気づけませんでしたけど、冥子ちゃんはスイちゃんの妹ですね? 私は頭がいいので、隠しても無駄ですから」

 

 体型や外見から判断すれば冥子ちゃんの方がスイちゃんよりも二、三歳ほどお姉さんに見えるが、私を――スイちゃんのことを「姉さま」などと呼ぶのだから、やはり冥子ちゃんの方が妹なのだろう。

 

「ん、そうよ。改めてよろしくね、姉さま。でも、姉さまと姉妹であることは別に秘密でもなんでもないわ」

 

「姉さまって、まだその呼び方を続けるんですか? 冥子ちゃんみたいな美少女に姉さまって呼ばれるのはちょっとときめきますけど、冥子ちゃんは私の妹じゃないじゃないですか」

 

「姉さまは姉さまを取り込んだのだから、冥子の姉さまよ。間違いないわ」

 

「ええ……まあ、じゃあ、別にいいですけど」

 

 不承不承私が頷くと、冥子ちゃんが急に立ち上がり、合わせた両手を自らの頬に添えて、花が咲くような笑顔で言う。

 

「本当に? 嬉しい! なら、これから冥子のお世話をよろしくね! 食事はお爺さんが用意してくれるから、このまま冥子を部屋に置いてくれて、たまにお小遣いをくれれば問題ないわ! あ、でもさすがにお布団はもう一組必要ね、だったら今から二人で買いに行きましょうか? 何百年ぶりかの姉妹水入らずね、楽しみだわ!」

 

「えっ!? ちょっと!? 妹だって認めたわけじゃありません! 姉さまって呼ぶのを許しただけです! ああっ、私のお財布を勝手に持たないでください! って、え!? まさかその目立つメイド服のまま出かけるつもりですか!? この田舎で!? ヤバいです、それは絶対にヤバいです! なんか服を貸しますから着替えてください、私までご近所さんから変な目で見られちゃいます!」

 

 本気で焦り、膝立ちになって真正面から冥子ちゃんのメイド服のスカートにしがみついた私を見下ろしつつ、冥子ちゃんは細いあごに白魚(しらうお)のような指の先を当てて、「ふむ……」と何やら考える仕草をする。

 そして、ずびし、とあごに当てていた指を真下に――冥子ちゃんを見上げる私の顔に向けて言い放つ。

 

「なら、条件があるわ。私を妹と認めなさい! そうしたら姉さまの要求を呑んで着替えてあげる」

 

「うー、もう! わかりましたよ! どうせ抗いようがないんですし! 最悪また洗脳されちゃいそうですし! スイちゃんのこと取り込んだっていうのも私の意思じゃなかったのに、ほんとに姉妹揃って厄介ですね! 厄介姉妹です!」

 

「ふふ、いいじゃない。だって、一人っ子ってきっと寂しいでしょう? 姉さまだって妹が欲しいって思ったこと、一度や二度くらいあるんじゃない?」

 

「私の欲しかった妹は私に従順で私を持ち上げてくれて私を尊敬している妹です! しかもどちらかというと私をめちゃくちゃ甘やかしてくれる優しいお兄さんとかの方が欲しいです!」

 

 文句を言う私をよそに、冥子ちゃんは勝手に押し入れを開けて、衣装ケースに真っ黒い服が最低限の枚数しか入っていないのを確認して小首を傾げる。

 

「あら、姉さま……これっぽっちしか服を持っていないの? お財布に20万円も入っているのに。せっかくだからお布団だけじゃなくて服も買いましょうよ、姉妹でお揃いも素敵じゃない? わくわくするわね!」

 

「ああっ、私の初任給! 駄目ですよあんまり使っちゃ、貯めておいてあとでバレンシアゴを買うんですから!」

 

 ちなみにこの後、「バレンシアゴって何?」と訊ねてきた冥子ちゃんにスマホで画像を見せたところ、「……えっと、その、このブランドは姉さまみたいな容姿の人にはあまり似合わないんじゃないかしら?」と言われた。

 私ほどの――十人並みの美少女ともなると、かえってシンプルな服の方が映えるということだろうか?

 まあでも、実際に試着した姿を見せてあげたら冥子ちゃんも意見を変えるかもしれないから、もう少しお金を貯めたら東京にでも行ってみようと思った。



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ちやほやされたい

 四月半ばの土曜日。

 

 冷光家に出勤すると、アンコちゃんが「あっ、ああ……!? どうしよう!?」と悲鳴を上げていた。どうしたのかと(たず)ねると、「は、恥ずかしいんですけど、来客用のお菓子を間違って食べちゃったんです……お客様がお見えになるのは午後なんですけど、今日は私も予定が詰まっていてまた買いに行く時間もなくて」と言ってアンコちゃんはうなだれてしまい、かわいそうだったので「なら今日もどうせ暇でしょうし、今から私が行ってきますよ」と請け負った。

 そして出かけようとすると、「ヤマコ、菓子を買いに行くんじゃな!? わちも行く!」とハッチーがついてきて、冷光家を出て少し歩いたところにあるバス停で私が立ち止まると、「わち、バスなんて乗らんもん。知らん人間がいっぱい乗っておるし、なんか臭いし揺れるしで苦手なんじゃもん」とだだを捏ね始めた。人間妖怪問わず可愛い女の子に弱い私は、とりあえずスマホで地図を開いてお使いを頼まれたお店までの距離を確認し、歩けそうな距離だったので歩いていくことにした。

 

 その結果、まだ朝だというのに私は力尽きそうになっていた。

 ずんずんと歩いていくハッチーのお尻でご機嫌にブンブンと揺れている、蜂蜜色のもふもふとした太い狐の尻尾をつかんで、路上にへたり込む。

 

「みゃ、みゃってくだしゃい……ほんと、無理です……死んじゃいますよ、もう歩けません……無理です……うっ、ひっく……」

 

「まったくヤマコはおおげさじゃのう! 妖怪じゃろ、これしきの山道で泣くでない! それにわち、早くお菓子食べたいのじゃけど」

 

「だって、もう足が動きませんもん……足の親指なんてほんとにまったく動かないですし、足じたいほとんど上がらないですし、もう歩けないですもん」

 

 私が地図で確認したのは距離だけだった。

 だから、まさかここまでアップダウンの激しい、まるで登山道みたいな道をゆくことになるとは思っていなかったのだ。

 もう無理だと気づいたのがちょうど経路の半ばあたりで、どこにもバス停など存在せず民家すらも見当たらない上に、電波が届いてなくスマホは圏外表示になっていた。

 

「ここから動けないまま夜になって、きっと私、熊に食べられるか凍えるかして死んじゃうんだ……うう、ひっく、ずびっ……」

 

「仕方ないのう。なら、わちが()ぶって連れて行ってやってもよいが、ひとつ条件がある」

 

「えう……? ハッチーが勝手についてきて、しかもバスに乗りたくないってわがままを言ったから、こんなことになってるのに……うう、条件があるんですか?」

 

「妖怪の世は常に弱肉強食じゃもん、ここでわちに置いて行かれたら困るのじゃろ?」

 

「お、鬼……悪魔……」

 

「鬼はバッケじゃ。わちは狐」

 

「うう、条件って、何をしたらいいんですか?」

 

 反論を諦めた私が泣きながら訊ねると、ハッチーが(はじ)けるような笑顔で言う。

 

「なに、ヤマコなら簡単なことじゃ! たしか、目的地の『日光かりっとまんじゅう堂』のそばにはカステラ屋と、たいやき屋もあったじゃろ? わちに『かりっとまんじゅう』だけでなく、たいやきのつぶあんとクリームをそれぞれ五個ずつと、カステラを一本()うてくれればよい! どうじゃ、超簡単じゃろ?」

 

 確かに簡単な話ではあるが、またバレンシアゴが遠のくな……。ハッチーに買ってあげるだけならば大した出費ではないけれど、ハッチーが食べているところを見たら食べたくなるだろうからバッケちゃんと弓矢(ゆみや)ちゃんとアンコちゃんの分も買っていかないとかわいそうだし、スイちゃんが拗ねると怖いのでスイちゃんの分として自分でも同じくらいの量は買って食べないとならない。とはいえ、甘い物ばかりをそんなに沢山その場で食べきれるわけもないので、家で私が食べているのを見たら絶対に欲しがるであろう冥子ちゃんの分も必要になる。あの偽妹(ぎまい)が私のもとにやって来てそろそろ一か月が経つが、普段は明るいのに私がちょっとでも冷たくすると急に病むから怖いのだ。

 ちなみに、顔がいいだけが取り柄のぐうたらな偽妹ではあるものの、仕事で怖い目に遭った直後などには抱き枕として役に立つこともあるし、わりと仲良くはやっている。

 

「うう、わかりましたよ、どうせ私なんてみんなにとってお財布でしかないんです、お金の切れ目が縁の切れ目なんです、ぐすん……!」

 

 私が同情を誘おうとして後ろ向きな発言をすると、すぐにハッチーは頭の上に生えている狐の耳を両手でぺたんと押さえる。

 

「あーあー、聞こえないんじゃー」

 

「えー、聞こえてるはずですよ。だってハッチー、狐の耳だけじゃなくて普通に人間の耳もついてるじゃないですか」

 

「なんのことじゃかわからんもーん。ほれほれ、屈んでやるからわちの背に乗るがよい」

 

 そう言って、ハッチーがこちらに背中を向けてしゃがんでくれるが、体がナメクジのようにしか動かないのでなかなか乗ることができない。

 

(はよ)うせんか、わちは一刻も早く甘味を(むさぼ)りたいのじゃぞ」

 

「ちょっと待ってくださいよ、ほんとに足がプルプルしちゃって動かなくて、時間がかかるんです」

 

「軟弱者じゃのう、ヤマコほど体力のない妖怪はなかなかおらんぞ。しかもそれでいて妖力(ようりょく)は凄くて、強いんじゃから本当に変わっておる。珍獣ならぬ珍妖(ちんよう)じゃな」

 

「うー、やめてください。ただでさえ最近バケツ妖怪とかいうひどい呼び名で噂されちゃってるんですから、これ以上変な呼び方を増やさないでくださいよ」

 

 二週間ほど前に(はら)い屋さんが集まる会合とやらに連れて行かれたのだが、どうもそれ以降祓い屋さんたちの間で私はバケツ妖怪というひどい名前で呼ばれているようなのだ。

 しかも、半年後にまた会合が開かれるらしいので、その時のためにもっと見栄えのする覆面を用意しようと考えていたら、杠葉(ゆずりは)さんから「バケツ妖怪ですでに定着してしまっているし、わかりやすいからそのままバケツで行け」と言われてしまった。もはや、ほかの祓い屋さんと顔を合わせるような機会がなるべくやって来ないことを祈るばかりである。

 

「はあ、ふう……やっと乗れました。少しならスピードを出してもいいですけど、私が怪我をしないようにしっかりと気をつけてくださいね?」

 

「かっかっか! 妖怪が何を言うておる、衝突事故や落下事故程度で怪我なんてせんじゃろうに!」

 

「わーわー! ほんとにダメですからね、私の体は人間と同じくらい脆いんですからね!? ほんとにほんとですから、絶対に危険走行はしちゃダメですから!」

 

「よし、しゅっぱつじゃ!」

 

 ガクン、と首が後ろに倒れる。

 凄い勢いで景色が背後へと流れていき、すぐに私は気を失った。

 

 ――前さま……」

 

 ――お前さま、早く……」

 

 ――早く起きて、甘味を食すのです……」

 

「――はっ!?」

 

 目を覚ますと、世界遺産にも登録されている日光の社寺のすぐそばにある、日光かりっとまんじゅう堂が目の前にあった。なんだかスイちゃんの声が聞こえた気がしたが、気のせいだろうか?

 

「おお、ちょうど目を覚ましたようじゃな、ヤマコ。ほれ、到着じゃ。早う買うてくれ」

 

 私はハッチーの小さな背中から下りて、ちゃんと自分の足で歩いて店内に入る。どうしても()り足のようになってしまうのが何だか恥ずかしいが、しかし、どうしようもない。

 アンコちゃんからは美味しそうなのを適当に選んできてほしいと頼まれたので、日光かりっとまんじゅうだけでなく、お餅の入った和風マカロンや大きなとちおとめの乗った苺だいふくなども沢山買ってお店を出る。

 日光の社寺へと続くそこそこきつい上り坂を再びハッチーに背負ってもらって上がり、たいやき屋さんでつぶあんとクリームの両方の味のたいやきをいっぱい買って、またもやハッチーに背負われて今度は来た道を下りて、カステラ屋さんに行ってこれまた大量購入する。

 山道を無理して歩こうと頑張った結果歩けなくなるといったトラブルのせいか思っていたよりも時間が押していたので、タクシーを捕まえて、冷光(れいこう)家のお屋敷には戻らずに弓矢ちゃんの通う小学校に直接向かった。

 

 その道中、車内でたいやきを食べながらタクシーの運転手さんとたいやきの話をしているハッチーの姿を見て、こうして人から認識される妖怪と認識されない妖怪は何が違うのだろうかとふと疑問に思った。

 今まであまり気にしたことはなかったが、お店の店員さんやタクシーの運転手さんにもハッチーの姿はちゃんと見えているし、声も聞こえている。

 それにもかかわらず、人間から認識されない妖怪もかなり多く存在する。私の目が緑色になってから妖怪をそこら中で見かけるようになったけれど、そのほとんどすべてが妖力やら特殊な目を持つ私や、杠葉さんたち祓い屋さん以外の人たちには見えていないようだった。

 

 小学校の校門の前でタクシーを降りて、すぐ近くの小さな公園のベンチにハッチーと並んで座る。

 今まで車内でたいやきを食べていたハッチーだったが、今度はカステラを紙箱から取り出すとそのまま思い切りかぶりつく。

 ただでさえ黄色いのに、焼き目に金粉を散らしたカステラはまるで金の延べ棒のようで、それを丸ごとかじっているハッチーの姿を見ているとなんだか金運が高まっていくような感じがした。近くに宝くじ売り場があったら寄りたいけど、多分ないだろうな。

 

「ていうか、カステラは持ち帰るんだとばかり思っていました。私よりも体が小さいのに一度で一本丸ごと食べちゃうなんて、なんといいますか、さすが妖怪って感じがします」

 

「むしろヤマコが軟弱なのじゃ、ヤマコは強いんじゃからもっと妖怪らしく振る舞うべきじゃぞ。羊羹(ようかん)だってカステラだって丸かじりすべきじゃ。わちの考えじゃが、いちいち切り分けたりしとるからあの程度の山道でへばるような軟弱な体になってしまっとるんじゃと思う」

 

 さすがにそんなことはないと思う。そもそも私は人間でしかも女の子なのだから、妖怪と比べたら体力がないのは当然だ。

 私がハッチーの真似をしてもたぶん太るだけだぞ。今よりももっと歩けなくなるに違いない。

 

「ところで、話は変わりますけど。ハッチーみたいに人間に存在を認識される妖怪と、そうでないそこら辺にいっぱいいる変な妖怪って、何が違うんですか?」

 

「は? おぬし、それ、マジで言っとる?」

 

「え、はい。よくわかんなくって」

 

「ぜんっぜん違うじゃろうが! わちは賢いし最強じゃし、何よりも超凄いじゃろうっ!?」

 

「あ、はい。そうなんですけど、人間から見える、見えないっていう違いはどこからくるのかなって」

 

「ん、ああ、そういう。わちもよくは知らんから経験則に過ぎないんじゃが、保有しとる妖力の量で変わるようじゃな。妖力をいっぱい持っておるわちらのようなあやかしは、人間からも認識される。じゃけどあやかしの大多数を占める低級なやつらは、よほど相性がいい人間か、衰弱した人間からしか認識されないようじゃ。じゃが、妖力を沢山持っとるあやかしでも、意図的に人間から見られないようにしとるやつもおる。たとえば、こないだのうんぬばなんかがまさにそうじゃ。ちなみにわちやバッケはそういうコソコソとしたダサいのは嫌いじゃから、姿を隠したりするのは苦手じゃの」

 

「ほえー。なるほど、結構単純な話だったんですね。ショボいやつは見えないってことですか」

 

「そうじゃな。ショボいやつは人間からは見えん。わちみたいに偉大じゃと、どうしても目立ってしまうがの」

 

 偉大なのかはよくわからないけど、ハッチーは可愛いし狐耳やもふもふの尻尾が生えているので目立つのは間違いないな。しかも耳も尻尾もぴょこぴょこブンブンとよく動くし。

 ちょうどハッチーがカステラを一本丸ごと食べ終えたところで、小学校の校門から児童がわらわらと出てくる。

 

「お、下校が始まったようじゃぞ。ユミのやつは結構遅く出てくるから、まだじゃろうがな」

 

「真っ先に走って帰るようなのは男子ばっかりですもんね」

 

「ん? いや、見た目はともかくとしてユミも()の子じゃからな……?」

 

 ベンチに座ったままで待っていると、しばらくして赤やピンクのランドセルを背負った五人の女の子がこちらに向かってやって来た。

 

「お、ユミ! わちが迎えに来てやったぞ、今日はヤマコも一緒じゃ!」

 

 訂正しよう。

 五人の女の子ではなかった、四人の女の子と一人の男の子だった。

 

 弓矢ちゃんが天使のような微笑みを浮かべて、お礼を言ってくる。

 

「うん。二人ともありがとね」

 

「うむうむ、ちゃんとお礼が言えてユミは偉いのう!」

 

 うんうんと頷いて立ち上がったハッチーの周りに、子どもたちが集まってくる。

 

「はっちーだ!」

「しっぽ触りたい!」

「わたしも!」

「ねえはっちー、手つなご?」

 

 うーむ。なぜだろうか?

 今日もまた、私のところには一人も来ない。

 もう弓矢ちゃんのお迎えはすでに何度かこなしており、弓矢ちゃんのお友達の女の子たちとも一応面識はあるのにもかかわらず、だ。

 緑色の外人みたいな目をした、十人並みの美人のお姉さんと知り合ったら、普通の女児ならば興味津々で話しかけてきそうなものだが。それこそ今だと、小学生でもスマホを持ってる子やSNSなんかをしている子もいるし、一緒に写真を撮ってほしいとかお願いしてきそうなものだが。

 それとも、私が美人すぎて声をかけたくても気後れしてしまうのかな?

 そうかもしれない、そんな気がしてきたぞ。

 よし、なら私の方から声をかけてあげるか。

 

「えっと、お姉さんと一緒に写真を撮りたい子がいたら、気軽に言ってくださいね? 遠慮しなくていいですよ?」

 

 あれ、なんかみんなして固まっちゃったぞ。どうしたんだろう、誰からも反応が返ってこない。

 憧れのお姉さんから急に話しかけられて、びっくりしちゃったのかな?

 

「あの、あの……ほんとに遠慮しなくていいんですよ? そうだ、じゃあみんなで今ここで、一緒に一枚撮っちゃいましょうか? SNSに上げても全然いいですから、やっぱり人に見せたいでしょうし」

 

「あ、えっと、あの」

「じゃあ、うん」

「そんなに言うなら、いいよ?」

「ユミちゃんのお家の人だしね、一応」

 

 なんだか四人がごにょごにょと言っているが、声が小さいな。

 やっぱり緊張しちゃってるのかな?

 でも憧れのお姉さんと一緒に写真を撮れるのだから嬉しいはずだ、ここはちょっと強引にでも撮影してしまおう。

 

「じゃあ、私を中心に、みんなでここに並んでみましょう。ハッチー、私のスマホで写真撮ってくれます?」

 

「う、うむ……えっと、この丸いボタンをタッチするんじゃよな?」

 

「そうですそうです、可愛く撮ってくださいね? まあ元が可愛いのでどうしたところで可愛く撮れちゃうかもしれませんが!」

 

「う、うむ……?」

 

 私のスマホを持ったハッチーが離れていき、私は五人の子どもたちと一緒にベンチの前に横一列に並ぶ。

 

「えーと、じゃあ、撮るからの? さん、にい、いち――はい」

 

 カシャッという音がして私がキメ顔を崩すと、スマホの画面を確認したハッチーが首をかしげる。

 

「ん? なんじゃこれ? 変じゃな、撮りなおすか。もう一回じゃ。さん、にい、いち――そりゃ」

 

 カシャッという音がして、またもやハッチーが首をかしげる。

 

「のう、ヤマコ? わち、なんもいじっとらんのじゃけど、ヤマコの目線にだけなんでかモザイクがかかるんじゃが」

 

「え? そんなバカなこと……」

 

 こっちに戻ってきたハッチーからスマホを受け取って、試しに適当に自撮りをしてみる。

 

「あれ、ほんとだ。こんな機能知りませんけど、新手(あらて)霊障(れいしょう)でしょうか?」

 

「ふむ。こういう機能ではないのなら、もしかしたらヤマコの邪眼(じゃがん)の影響かもしれんのう。だとすると、この先もずっとこうじゃろうな」

 

「そういえば、高校の入学式でクラスごとに集合写真を撮ったんですけど、なぜか私のクラスだけ何度も撮り直したあげく、結局渡してもらえなかったんです……もしかして、私のせいだったんでしょうか?」

 

「そうかもしれんのう。まあ、どんまいじゃな、どんまい」

 

「うわあ……今後困りますよ、これ。学生ですから、この先集合写真を撮る機会って多分いっぱいあると思うんですけど」

 

 というか、この子たちに憧れのお姉さんと写真が撮れると期待させてしまって申し訳なかったな。かわいそうなことをしてしまった。

 

「あの、ごめんなさい。私から提案しておいて、一緒に写ることができなくって……」

 

「ええと、はい」

「全然気にしてないです」

「こ、こら、そんなこと言っちゃダメだよ!」

「ん、私も気にしてないけど」

 

 あー、どうも二人ほど拗ねてしまったみたいだな。それだけ期待が大きかったのだろう、本当に申し訳ないことをしてしまった。

 どうにか機嫌を直してほしいけど、あんまり遅くなると来客に間に合わなくなってしまうし、お腹も減ってきた。次回会うときには機嫌が直っていることを願いつつ、とりあえず帰るとするか。

 

「よし。じゃあ、気を取り直して帰りましょう!」

 

 私がちょっと無理やりに笑顔を作ってそう言うと、弓矢ちゃんも笑顔で頷いてくれる。

 

「うん、帰ろっか。お腹も空いたもんね。ヤマコさんは今日のお昼ごはん、何か知ってる?」

 

「それが、アンコちゃんがドジをしたせいで、朝早くから出かけていたので知らないんですよね」

 

「えー、ヤマコさんも知らないんだ。何かなー。私はオムライスが食べたいけど、ヤマコさんは何だと思う? 当てっこしようよ」

 

「私が食べたいのはワクドナルドのてりやきワックバーガーですけど、多分やきそばだと思いますね。アンコちゃん今日は忙しいみたいでしたし、そういう日のお昼ってだいたいやきそばですもん」

 

「たしかにそうかも。やきそばもおいしいけど、ユズ(にい)がウスターソース好きだから、ちょっと辛いんだよね」

 

「あれって杠葉さんの好みだったんですか、アンコちゃんかと思ってました」

 

 そんなことを話しながら歩いていると、一人また一人とハッチーの周囲に張りついていた女の子が去っていき、すぐに私とハッチーと弓矢ちゃんの三人だけになる。

 いくら田舎とはいえどもまだ小学生なので、だいたいの子の家は学校の近くにあるためすぐにお別れになってしまうのだ。えらい山奥に建っている祓い屋のお屋敷から通う弓矢ちゃんは例外である。

 

「それにしても、ハッチーはいいですよね、人気者で。やっぱりハッチーは私よりも見た目が幼いから、小学生からしても接しやすいんでしょうか?」

 

「そうはゆーても、わちって多分じゃけど千歳とか越えておるし、年寄りなんじゃがの。まあ、お婆ちゃんも小学生からしたら接しやすい相手かもしれんけど」

 

「実は私、学校が始まってもう二週間も経つのに、なんかクラスで浮いちゃってて、まだ友達が一人もできないんです……休み時間とかお昼もみんなはお喋りなんかをしてたりするんですけど、私だけそういう相手がいなくて」

 

「まあ、ヤマコは妖怪じゃからな。なかなか難しいじゃろ、価値観とかも違うじゃろうし」

 

「今は私を妖怪扱いしないでください! 本気で悩んでるんですから、ちゃんとアドバイスとかしてほしいです!」

 

「いや、ええ……そんなこと言われてもじゃな、じゃってヤマコって空気読めんし、実際に価値観が狂っとるし、やっぱり人の中に入ってくのは難しいじゃろ。自分でわかんないのじゃから変わりようもないし、受け入れてくれる器を持った人間がクラスにいることを願うしかないじゃろ」

 

 なんか物凄い言われようだけど、そんなに私っておかしいだろうか?

 まあ、ハッチーは私のことを妖怪だと思い込んでいるからな……なんかそういった先入観があるせいだろう、きっと。

 

「はあ……やっぱり私が美人すぎて、近づきにくいんでしょうか? 弓矢ちゃんのお友達の子たちもそんな感じでしたし」

 

「さっきの光景が、おぬしの目にはそんな風に見えておったのじゃな……わちも妖怪じゃけど、それでももうちょっと色々とわかるんじゃけどな。なんじゃろうな、あえて助言するとしたらヤマコはズレとるから、人間が集まる学校ではあんまり自分から提案とかはせん方がよいじゃろうな。また、さっきみたいな空気になるじゃろうから」

 

「ああ、そうですよね。自分から提案しておいて、肝心の主役の私の目線にモザイクが入っちゃうなんて……みんな凄くがっかりしちゃってて、期待していたのに一緒に写真が撮れなくて拗ねちゃってる子たちもいましたし、かわいそうなことをしちゃいました」

 

 ハッチーが弓矢ちゃんの方を見て、首を横に振った。

 そして、私に向かって言う。

 

「なんというか、体は軟弱じゃし小食じゃけど、ヤマコはヤマコで十二分に力のあるあやかしとして振る舞えとるってことじゃな。わち、ついていけんもん」

 

 いったい、なんのことだろうか?

 人間関係の相談をしたら、妖怪として評価されてしまった。意味がわからないぞ。

 まあでも、妖怪に相談したのが間違いだったかもしれない。あとでまたアンコちゃんにでも相談してみよう。



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オリエンテーリング

書き溜め分はこれで最後になります。


 友達が一人もできないまま、今日という日を――オリエンテーリングの日を迎えてしまった。

 そもそも、私はオリエンテーリングをバスに乗って遊園地とかに遊びに行くようなイベントだと勘違いしていたのだが、どうやら中学の時にあったオリエンテーションだかレクリエーションだかとは全然異なるものみたいだ。

 先生の説明を聞いた感じだと、コンパスと地図を持って二荒聖陽女子学院(ふたあらせいようじょしがくいん)の敷地内にある広大な山林をさまよい歩き、予め設置されているポストを見つけて、ポストに示された問題を解いて、それを手がかりにしてまた次のポストを探し、決められた順番にポストを回って3時間以内にゴールを目指すという内容のイベントらしいが、休めばよかったな。空は厚い雲に覆われていて薄暗いし、結構寒いのに体操服のジャージの生地は薄いし、背負ったリュックサックは重いし、なんだか気が滅入ってしまう。

 ただでさえハッチーと山越えをした日から足腰に激しい筋肉痛が続いている上に、今朝からなんだかお腹の調子も悪いというのに、こんなコンディションでろくに話したこともない人たちと一緒に最大3時間も探検せねばならないのか。

 

「山田氏ー! こっちでござるよー!」

 

 明るい声に名前を呼ばれて、振り返る。

 ブロンドの髪をポニーテールに結わえた青い目の小柄な子が、笑顔でこっちに向かって大きく手を振っていた。

 その隣に、結んだ黒髪をバレッタか何かで留めてアップにした、さらに小柄な子が腕を組んで立っており、きつい目つきで私を睨んでいる。ジャージのサイズが合っておらずぶかぶかだが、体が小さすぎて合うサイズがなかったのだろうか。

 

 とりあえず、はっきりと山田と言っていたし、呼ばれているみたいなので彼女たちのもとへと歩いていく。

 

「山田氏はそれがしたちと一緒の班でござるよ、よろしくでござる!」

 

「お前、クラスメートの名前まったく把握してないんだろ。こいつが呼ぶまでいつまでたっても来やしないんだからさ」

 

 ふむ。

 ござる口調というか昔のオタクみたいな喋り方の、見た目は外国人な美少女と、八重歯が特徴的で目つきの悪い、見た目は女児なヤンキー美少女か。

 どうやらこの二人が私のパーティメンバーらしいが、悪くないな。だって二人とも可愛いし。

 

「山田氏は高校からの編入生な上に通学生でござるから、まだ四月でござるしみんなの名前がわからないのは無理のない話でござるよ。気にすることはないでござる」

 

「あー、なるほど。どうも見かけないなと思ってたけど、お前通学生なのか。いいなー、羨ましいぜ。ボードゲームは中学の三年間で飽きたよ、あたしもテレビゲームがしたい」

 

 んん……? なんか、通学生が珍しいものであるかのような言い方だな。

 そういえば、私の(ママン)が「ミッションスクールに行くんなら絶対に寄宿舎に入るべきよ!」とか騒いでいた覚えがあるが、私が孤立気味なのってもしかしたら寄宿舎に入っていないせいもあるのかな?

 うーむ、みんなが中学から一緒だった中で私は高校からの編入生なので、そこは大きいだろうなと思っていたけど、寄宿舎に関してはあまり考えていなかったな。

 ちょっと聞いてみよう。

 

「えっと、あの、通学生ってあんまりいないんですか?」

 

「この立地だぞ、ほとんどは寄宿生だよ。ほんと、刑務所みたいなもんだ。スマホは持ち込めないし、外に出るのにも許可が必要で、よほどの理由がなきゃその許可だって下りない。脱走しようったってマジで山の上だからな、まさに陸の孤島だよ」

 

 そんなことを言いながら、ヤンキーちゃんがつつっと近寄ってきて、声を潜めて耳打ちしてくる。

 

「なあなあ、囚人みたいな自由のない生活を送るかわいそうなあたしに、なんかお菓子とか持ってきてこっそり差し入れてくれよ。夏休みになったらお礼するからさ」

 

「あ。山田氏、耳を貸してはならないでござるよ! 妖怪二口女(ふたくちおんな)のわがままと食欲には際限がないのでござる、ひとたび甘やかしてしまえば延々と付きまとわれて大変な目に遭うのでござる!」

 

 慌てた様子でそれがしちゃんがヤンキーちゃんを抱き上げて、私から引きはがす。

 実際に口が二つあるようには見えないので、妖怪二口女というのはただのあだ名だと思うけど、由来としては何でも二口で食べてしまうとかそんな感じだろうか? ランドセルを背負っていても違和感がなさそうな小柄な体型なのに凄いな。

 

 ちえっと口に出して言ってから、ヤンキーちゃんが提案する。

 

「とりあえずじゃあ、出発前に自己紹介しとくか。あたしは涙目(なみだめ)最中(もなか)だ。さっきも言った通りこの学院で囚人をしてる、よろしくな」

 

「それがしは終日(ひねもす)寝子(ねるこ)でござる、よろしくでござるー!」

 

「あ、私は山田春子っていいます。よろしくお願いします」

 

 えっと、ヤンキーちゃんがもなかちゃんで、それがしちゃんがねるこちゃんか。正直、ヤンキーちゃんとそれがしちゃんの方が覚えやすいな。

 

「それじゃあ自己紹介も済んだことだし、出発すっか。誰か地図見るの得意な人いる?」

 

「えっと、私は無理です」

 

「それがしも多分、迷子になるでござるよ」

 

「マジか。あたしも自信ないんだけど、まあいいや。迷子になってもあたしを責めるなよ」

 

「はーいでござるー」

 

 そんなこんなで、かなり緩い雰囲気で探検を開始した我々だったが、10分も経った頃には「実はこのイベントって結構きついんじゃないか?」と感じるようになっていた。

 そもそも、この学院のある霧降(きりふり)高原の標高は1300メートルから1600メートルと割とあり、気温も平地に比べて10度近くも低いし、何よりも酸素が薄い。

 そのせいで、斜度はそれほどきつくない緩やかな上り坂なんかも、歩いているとかなり疲れる。

 

「や、やばたにえんでござる……」

 

「おい、過去に流行してた言葉を使うのはよせ。娑婆(しゃば)じゃ死語になってたらどうすんだ、恥ずかしいだろ?」

 

「恥ずかしくてもいいから、ギブアップしたいでござる……」

 

「確かに思ったよりもきついけど、まだ始まったばっかりじゃんか。なあ、山田? ……あれ、山田?」

 

「ぜえ、はあ、ぜえ……あの、私も、もう無理です……あとは任せますから、置いていってください」

 

「え、嘘だろ? 三人のうち二人が脱落したら、この班あたし一人じゃん。山の中で一人ぼっちとかあたしも無理なんだけど」

 

「それがしが思うに、ここでしばらく休憩を取るべきでござる。休憩に賛成の人、はーいでござるー」

 

「わた、私も賛成です……」

 

「えー、まあ別に一着でゴールしたいってわけでもないし、いいけどさ」

 

 そんなこんなで、開始早々にして休憩を取ることになったが、お尻を汚さずに座れそうな場所がどこにも見当たらない。飲み水が入っていて重たいので、せめてリュックサックだけでも下ろしたかったが、それさえも難しそうだ。

 仕方がないので、しばらくの間ただ立ち止まったまま、呼吸を整える。

 近くに生えている木の根元を見つめながら、もなかちゃんがぼそっと言う。

 

「このキノコ、食えんのかな?」

 

「こんな赤い色をしたキノコ、少なくともそれがしは食べたことがないでござるよ」

 

「そうだよな。あーあ、お腹空いたな……あたしは体力的にはまだ大丈夫だけど、胃袋が悲鳴を上げてるぜ」

 

「もなか氏は本当に燃費が悪いでござるなー」

 

 実は私のジャージのポケットにポキットカットと飴玉がちょうど二つずつ入っているのだが、どうしようかな。

 お腹が空いたときにこっそり食べようと思って持ってきたんだけど、でも寄宿生の人たちはどうやらお菓子に相当飢えているようだし、あげちゃった方がいいかもしれない。私一人でこっそり食べているところを見られでもしたら逆恨みされそうだ。

 

「あの、これあげます。ちょうど二人分ありますし」

 

「そ、それは――ポキットカット!? あ、飴まであるぞ! 幻覚じゃないよな!?」

 

「わ、わわわわわ! ほ、本物? 本物でござるか!?」

 

「は、早く食べるんだ! 誰かに見られたら事だぞ!?」

 

「はっ!? そうでござった、見つかったら大変なことになるでござる! で、でもほんとに頂いてもよろしいのでござろうか……?」

 

「バカ、ためらうな! 早く食うんだ! こんな機会、もう二度とないかもしんねーぞ! モグムシャアッ!」

 

「そ、そうでござるな! それがしもいただくでござる! アムハムムッ!」

 

 二人はポキットカットを一口で食べて、すぐに飴玉を口に入れる。

 中学生の頃からこの学院で寄宿生をしている二人の実家は多分かなりのお金持ちだと思うのだが、長年に渡りお菓子も好きに食べることのできない日々を送っているとこうも飢えてしまうのだな。やばたにえんとしか言いようがないぞ。

 

「ふう……これであたしたちは、ここを釈放されるまで山田の奴隷だな。薬物を手に入れるためなら手段を選ばない薬物中毒者のように、あたしもお菓子を手に入れるためなら何だってするぜ」

 

「刑期はあと、約3年でござるな」

 

「えっと、あの、なんだか大げさすぎませんか? なんでもって……」

 

「おいおい、甘いものを舐めちゃいけないぜ。神武天皇は武力を用いずに天下を治めようとして水飴を作ったんだぞ、たしか日本書紀にそんなようなことが書いてあった」

 

「え、見た目メスガ――げほっ、げほ……ヤンキーなのに、そんな難しそうな本を読んでるんですか?」

 

「なんだお前、いきなりめちゃくちゃ失礼なこと言うな。お菓子をくれたから許してやるけどさ」

 

「あっ、えと、そんなことないです、そんなつもりじゃなかったんです」

 

「いや、まあいいよ。実際のところ、日本の歴史に興味があるわけでもなけりゃ、難しい本が読みたかったわけでもないしな。単純な話で、囚人には娯楽がないんだよ。小っちゃいテレビが1台だけ各学年ごとのプレイルームに置かれてるけど、自分たちの部屋にはないし、一人で暇を潰そうとしたら図書室の本を読むくらいしかないんだが、図書室の蔵書がひどい有り様でな。漫画はおろか、日本語で書かれた娯楽小説なんて一冊も置いてない。洋書なら娯楽小説も少しはあるみたいだけど、英語で読むのも面倒くさいしで、結果として興味のない本ばかりを読んでるってわけだ」

 

「うわあ……」

 

 寄宿舎での生活って、想像していた以上に大変なんだな。友達は欲しいが、それでも寄宿舎に入らなくて本当によかったと思う。

 

「さて、さすがにそろそろ行くか。ゴールできないどころか最初のポストも見つけられませんでしたとなったら、サボったと見做(みな)されて叱られかねないしな」

 

「実際、お菓子を貰ってこっそり食べたりと、それがしたち非行少女でござるよ。でも、飴玉おいしいでござる……」

 

 再び、のそのそと歩き始める。

 二人は何も言わないでも、ひどい筋肉痛で思うように足が動かない私の歩調に合わせてくれる。

 

「それがしの両親は外国人なのでござるが、山田氏はハーフとかなのでござるか? 目が凄く鮮やかな緑色でござるが」

 

 不意にねるこちゃんからそのような質問を投げかけられて、言葉に詰まる。

 何せ、妖怪がどうのこうのだの、私の中に邪神のような美少女が巣食っていてだのと、正直に説明したら電波女だと思われてしまいそうだ。

 

「あ、でも、それがしは日本生まれの日本育ちでござるよ。外人なのは見た目だけで、剣道一筋でござる」

 

「いや、お前はなんつーか、その謎のござる口調とか、剣道に入れ込んでるところとかが逆に外人っぽいんだよ」

 

「えー、それがしは日本人でござるよー。サムライでござる、サムライ」

 

 歩きながら、ねるこちゃんがブンブンと竹刀を振るような動作をする。

 先頭を行くもなかちゃんが振り返って、なかなか質問に答えられないでいる私を見て心配そうな顔で言う。

 

「ん、大丈夫か山田? ねるこはこういうやつだから、答えづらいことだったら無理して言わなくていいぞ」

 

 うーむ、優しいもなかちゃんに心配をかけたくはないが、しかし、電波女だと思われるのも困る。

 仕方がない。嘘をつくことになるが、ここは誤魔化すしかないな。

 

「えーと……突然変異なんです。両親は日本人で、目の色も普通なので」

 

「もしかしたら、実はお父さんが違うのではござらんか?」

 

「えっ、何お前さらっとヤバいこと言ってんの!? おま、お前そういうところだぞ! マジで、そういうところだからな!? 何もわかってないだろお前!?」

 

「え? またそれがし、言っちゃいけないことを言ってしまったのでござるか? でも、可能性としては十分にあるでござろう?」

 

「こわっ! 怖いわ! なんもわかってないのが怖すぎるわ! ああもう、やだ。なんであたしの周りってこんなやつばっかりなんだ? えっと、ごめんな、山田。できればあんまり、その、気を悪くしないでくれ。こいつ悪気があるわけじゃないんだけど、結構こういうことがあって……なんていうか、ズレてるんだ」

 

「えっと、はい、ぜんぜん気にしてないですよ。あの、今何か、そんな変なこと言ってましたか? 私もよくわからなかったんですけど……」

 

 実際には違うわけだが、ねるこちゃんからすれば実は私の本当の父親が外国人だったという説は可能性として十分にありえる話である。別におかしなことは言っていないと思うのだが。

 もなかちゃんがぞっとしたような表情をして、じっと私の目を見て言う。

 

「え……? まさか、山田もわかんないのか? え、マジか……私の周り、わかんないやつばっかじゃん」

 

「ほらー、やっぱりそれがし、おかしなことなんて言ってなかったでござるよ。もー、やーでござるよー、それがし焦ったでござる」

 

「もういーよ、そしたらあたしも、もうなんも気にしないから。もうお前らみたいなのには振り回されないからな、ふんだ」

 

 なんか急に拗ねたぞ、この人。よくわからないけど、ちょっと神経質なのかもしれないな。

 とにかく、もなかちゃんが拗ねたせいで会話が途絶えてしまい、しばらくの間黙々と森の中を歩いていく。

 すると、白いポールに支えられた看板のようなものが目の前に現れて、地図とコンパスを持って先頭を歩いていたもなかちゃんが足を止めた。

 

「……お、これだな、ポスト」

 

「おー、ようやく一つ目でござるな」

 

「お前らのせいだぞ、体力つけろ体力」

 

 ふむ、これがポストなのか。郵便ポストのようなものをイメージしていたのだが、全然違ったな。アルファベットのAの一字が割り当てられた看板に、『首にかけることのできる一般的なロザリオの珠はいくつ?』という問題文が書かれている。

 

「えーと、12珠が5回分でござるから……」

 

「プラス、先端の十字架との間に5珠あるから、全部で65個だな。多分、ここから65度の方向に行けば次のポストがあるんだろ。よし、行くぞ」

 

 コンパスを片手に、再び先頭に立って歩き始めたもなかちゃん。その後ろに、ねるこちゃんと私も続く。

 

「ミッションスクール歴が長いだけあって、二人ともさすがですね。私なんてまったくわからなかったです」

 

 そう私が褒めると、あまり嬉しくなさそうな顔でもなかちゃんが言う。

 

「あたしら囚人は毎日のようにロザリオを握らされてお祈りさせられてるからな。三年間『早く釈放されたいです』ってお祈りしてるけど、未だに願いは叶わない」

 

「ええと、よっぽど嫌なんですね、寄宿舎での生活……」

 

「もちろん、何もかもが嫌ってわけじゃない。風呂はバカでかいし、人が大勢いるから寂しくはないしな。だけどやっぱり、あまりに自由がなさすぎるんだよ。一日のスケジュールを管理されるくらいならともかくとして、今の時代にスマホもゲームも漫画も持ち込み禁止って狂ってるぜ。それに自分の意思で引きこもってるのならともかく、あたしらは閉じ込められてるんだぞ?」

 

「なんか、そう聞くとほんとに刑務所みたいですね」

 

「だろ? せめて糖分が欲しいよ。毎日おやつの時間になんか甘いもんを一個だけ貰えるけど、たったそれだけなんだぜ。それもだいたいは市販のアイス一個とかだぞ、ここにいる期間はずっとそうなんだからな?」

 

 本当に不自由しているんだな。なんだか、聞いているだけで辛くなってしまうぞ。同じ学校の生徒である私は、毎日好き放題に甘いものを食べているというのに。

 

「でも、一月に一度でござるが当たりの日があって、ハーゲンダックが出ることがあるのでござる。寄宿生の多くが毎月の献立表を見ながら、その日を楽しみにしているのでござるよ」

 

「ああ。ハーゲンダックが出なくなったらいよいよ暴動が起こるだろうな」

 

 かわいそうにな、私は毎日のように食べてるぞ、ハーゲンダック。なんだか哀れな実状を知ってしまったせいで、今後は寄宿生を相手に優越感を抱いてしまいそうだ。

 

 ねるこちゃんが前方を指さして、弾んだ声で言う。

 

「次のポストでござる!」

 

 しかし、近づいてみると、先ほどと同じくアルファベットのAの一字が割り当てられた看板に、『首にかけることのできる一般的なロザリオの珠はいくつ?』という問題文が書かれていた。

 三人でポストを囲んで、首をひねる。

 

「んん? どういうことだ? 間違えて同じプレートを二枚作って設置した、なんてわけはないよな?」

 

「それよりかは、もなか氏がコンパスの見方を間違っていて元の場所に戻ってきてしまったという可能性の方が高いのではござらんか?」

 

「バカ言うなよ、コンパスくらいちゃんと使えるぞ」

 

「ほんとでござるかー?」

 

「おいこら、ムカつく言い方しやがって。でも、実際に最初のポストにはちゃんと辿りついただろ? ほんとに、コンパスを見間違ったなんてことはないと思うぞ」

 

「となると、これはいったい、どういうことでござろうか?」

 

 意外と頭がいいらしいもなかちゃんも、ひらめきが必要になる問題には弱いようだな。私は一つの可能性に気づいてしまったぞ。

 

「あのですね、思ったんですけど、誰も間違っていなくて、これはこういう問題なんじゃないでしょうか?」

 

「なに? ふむ……つまり、学校側が意図的に一か所目のポストと全く同じポストを二か所目にも設置していて、それ自体が一つのなぞなぞみたいになっているってことか?」

 

 理解が速いな。女児でヤンキーなのにやっぱり頭がいいんだな、もなかちゃん。

 

「そうです、そういうことです。私は賢いのですぐにわかりましたが、ほかの班の人たちは苦戦しているかもしれませんね。なぜならばバイザウェイ、ほかの班には私がいないので」

 

「山田が賢いのかはともかくとして、ほかの班のやつらの姿は見当たらないな。さすがに学校側もそんな生徒を混乱させるような問題を山ん中に用意しないだろうとは思うけど、仮にこれがお前の言うような問題だったとすると、解き方がまったくわかんないぞ。あと、なぜならはビコーズだ」

 

「ちなみにバイダウェイはところてんでござるな」

 

「あれ? 私、バイザウェイなんて言ってませんよ、ちゃんとビコーズって言ったはずです」

 

「二人して嘘つくな。んで、お前らはこの状況どうしたらいいと思う? なんも意見が出なければ、とりあえずこのポストになんか目印をつけてわかるようにして、もう一度65度の方向に進んでみようと思ってるけど」

 

「それがしはそれでいいと思うでござるよ」

 

「私もお任せします」

 

「んじゃ、ポールの周りに適当に枝でも立てて、出発しよう。念のために、今度は二人も自分のコンパスをよく見ておけよ」

 

 みんなで枝を拾ってきてポストのポールを囲むように地面に突き立てて、そうしてまた、もなかちゃんを先頭にして歩き出す。

 もなかちゃんに言われた通り、今度は私も自分のコンパスを見ながら歩く。

 

「……やっぱり、どう考えてもおかしいぞ。同じ問題が書かれたポストが複数個所に存在しているとなると、さすがにややこしすぎる。この学校の生徒向けの内容じゃない」

 

「学年首席のもなか氏が言うと説得力があるでござるな」

 

「えっ、首席だったんですか!? やっぱり頭よかったんですね、そんな見た目なのに」

 

「山田はあたしのこと、持ち上げてる振りしてディスってるだろ?」

 

「へ? いやいや、そんなことないですって! 誤解です、誤解!」

 

 そんなことを話しながら歩いていると、またもやポストが見えてくる。

 アルファベットのAの一字が割り当てられた、『首にかけることのできる一般的なロザリオの珠はいくつ?』という問題文が記された、見慣れたポストだ。

 まさか、と言うべきか。

 やはり、と言うべきか。

 その足元には数本の枝が突き立てられていた。

 

「……なあ? あたしら、ずっと65度の方向に進んでたよな?」

 

「間違いないでござるよ、多少のブレはあったとしても、ほぼまっすぐ進んでいたはずでござる」

 

 突然、もなかちゃんが「おえっ」とゲロを吐いた。

 ねるこちゃんが慌てた様子で駆け寄り、もなかちゃんの背中をさする。

 

「あわわ、だ、大丈夫でござるか!? 山田氏は知らないでござろうが、もなか氏は怖いのとか不気味なのがすごく苦手で、ストレスにも弱いのでござる……ちょっとこれはヤバい感じでござるよ!」

 

「うぐ……ごめん、あたし、もう無理かも……でも、怖いから、置いてかないで」

 

「実はもなか氏が寄宿舎を嫌がる理由の一つは、古めかしくてやたらに広くて、オバケが出そうな雰囲気だからという理由も大きいのでござる! あと複数人部屋の都合上、寝るときには電気を消して真っ暗にしなければならないのでござるが、それも怖いようで……」

 

「そんな話、してないで……ホイッスル、吹いて」

 

「あっ、ホイッスル! ホイッスルでござる! 山田氏、ホイッスルを吹いてほしいのでござる!」

 

「あ、はい!」

 

 首にさげていた銀色に輝く小さな笛を持ち上げて、口にくわえて息を吹き込む。

 ピイイイイイイイイッと、ヤカンが沸騰したような甲高い音が森の中に響いた。

 

「マジ……意味が、わかんない……なんで、同じ方向に進んでるのに、戻ってくんの……地球、一周してんの……? お、おえ……うえっ……!」

 

「ああっ、もなか氏、ダメでござるよ! 考えちゃダメでござる! どんどん怖くなってしまうでござるよ!」

 

 なるほど、もなかちゃんはそういう恐怖と戦っていたのか。

 全然気がつかなかったが、言われてみれば確かにそうだ。ずっと同じ方向に進んでいるのだから、地球を一周でもしない限り元の場所に戻ってくるわけがない。

 本当に少しずつコンパスが狂っていって、知らず知らずのうちに針が半周してしまっており、いつの間にか逆走していたという可能性もなさそうだ。仮に気づかないくらい少しずつ針がズレていっていたとしても、この程度の距離を歩いたくらいで180度もズレることなんてないはずだ。そこまで大きなズレであればさすがに誰か気がつくだろう。

 

 ふむ。

 となると、だ。

 もしかしなくとも、これは妖怪案件かもしれないな。



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ネバーエンディング・オリエンテーリング

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 腕時計を見る。アナログ時計の針は、11時36分を示していた。

 最初にホイッスルを吹いてからすでに一時間が経過しているが、未だに助けは来ない。

 少しずつ容態が落ち着いてきたもなかちゃんに、リュックサックから取り出した水を飲ませる。最初は土で汚れることを気にしていたが、もはやそんな余裕もなく、リュックサックは地べたに(じか)置きだ。

 

「あたしたち……死ぬのかな」

 

「間違いなく死ぬでござるよ。誰しもが、いずれ死ぬでござる」

 

「うざ」

 

「えっ、どうしてそんなこと言うのでござるか!? だって、本当のことでござるよ!」

 

「うざい」

 

「なんでそんなにひどいことを言うのでござるか!?」

 

 うーむ、困ったな。とても困ったぞ。

 今朝からお腹の調子がよくなかったが、ここにきてなんだか痛みが増してきている。しかし、花盛りかつ、十人並みの美少女女子高生が野外はまずい。一刻も早くこの謎空間から脱出しなければ、大変なことになってしまうかもしれない。

 

「あの、あのですね、一時間以上も前からホイッスルを鳴らして待っていますが助けが来ませんし、私にはこのままここで待っていても意味がないように思えます。過呼吸を起こしてさっきまで真っ青な顔で痙攣(けいれん)していたもなかちゃんには申し訳ありませんけど、移動した方がいいのではないでしょうか?」

 

「そうだな……あたしも移動した方がいいと思う。怖いから認めたくないけど、多分これ、ただの迷子じゃない……何か、現在の自然科学では説明のできない現象が起きていると思う……」

 

「なんだかそう聞くと、わくわくしてくるでござるな」

 

「では、もなかちゃんを間に挟んで、私とねるこちゃんが肩を貸す感じで移動しましょうか」

 

「悪いな……向かう方向だけど、もう65度は無視しよう」

 

「じゃあ、あえてコンパスを見ないで適当にさまよってみますか?」

 

「それもありかもな……んで、万一またこのポストが見えてきたら、今度は近づかないで別の方向に行ってみよう」

 

 話がまとまったので、もなかちゃんの手を引っ張って起き上がらせる。そして、もなかちゃんの右腕を私の肩に、左腕をねるこちゃんの肩にかけて、三人で横並びになって歩き始めた。

 もはや驚きはしなかったが、15分ほど歩くと前方にいつものポストが見えてきた。もなかちゃんの指示に従ってすぐに左に曲がってみたが、そこからさらに15分ほど歩くとまた前方にポストが見えてくる。仕方なしに近づいてみると、やはり看板を支える支柱の周りの地面に私たちが刺した数本の木の枝が立っていた。

 

 私とねるこちゃんの間から抜け出て、もなかちゃんがポストをじっと見つめて言う。

 

「気持ち悪いな、マジで」

 

「で、ござるな。実はこのポストがタヌキが化けた化けポストで、私たちが移動すると先回りして待っているのではござらんか?」

 

「ふむ、さすがにそれはないだろと思う一方で、もはや何が起こっても不思議じゃない気もするな……おい山田、お前スマホって持ってきてたりする?」

 

「あ、はい。持ってますよ、一応リュックに入れてあります」

 

「くそ、いいな、あたしも通学生がよかったぜ。そんじゃ、また移動する前に写真撮っておきたいから、そのスマホちょっと貸してくれないか?」

 

「あっ、でも、わけがあって私はカメラNGなので、一緒に写真を撮ってあげることはできないんです」

 

 写真を撮ると必ず私の目線にモザイクがかかって、なんだかいかがわしい雰囲気になってしまうからな。せっかく美少女に生まれたというのに写真を残すことができず、私としても残念でならない。

 

「は? 何言ってんだ、お前。なんかの役に立つかもしれないから、周りの景色も含めてこのポストを撮影しておくんだよ。お前のことなんて撮らないから安心しろ、ほら早く貸せ」

 

「あ、拗ねないでくださいよ。もなかちゃんと写真を撮りたくないわけじゃないんです。私だって写真は撮りたいんですけど、ほんとにやむを得ない事情があるんですから」

 

「拗ねてないが、わかったから早く貸せ」

 

「あっ」

 

 もなかちゃんにスマホを奪われた。ついさっきまで動けないでいたくせに、やっぱりヤンキーの人は強引だな。

 カシャ、カシャ、カシャ……カシャっと、角度や距離を変えながら何度目かのシャッターを切ったもなかちゃんが、「ほらよ、ありがとさん」と言ってスマホを返してくる。

 

「びっくりしました、カツアゲされたのかと思いました」

 

「お前はあたしをなんだと思ってるんだよ」

 

 なにって、ヤンキーだと思っているけど……たまにいるもんな、ヤンキーなのに頭いい子って。

 って、んん? いや、ちょっと待てよ。

 そういえばだけど、実はもなかちゃんやねるこちゃんが妖怪っていう可能性もあるんじゃないのか、この状況? もともと妖怪が生徒に成り代わっていた可能性もあるし、そもそも私はクラスメートの顔さえ覚えきれていないのだから、ただうちの学校のジャージを着ただけの何の関係もない妖怪に騙されている可能性だってある。私と一緒にいる二人のうちのどちらかか、もしくは二人ともが妖怪で、この謎のループ現象を引き起こしているんじゃないか?

 そうなると、ねるこちゃんがもなかちゃんを妖怪二口女(ふたくちおんな)と呼んだのも単なるあだ名などではなかったのかもしれない。考えてみればこんなに小柄な、まるで小学生みたいなもなかちゃんが何でも二口で食べてしまうなんておかしな話だ。きっと髪の毛とかで隠しているだけで、本当にもう一つ口があるに違いない。普通の口の方も八重歯が凄く鋭くて目立つし、実は人間を食べてしまうような危険な妖怪なのかもしれないぞ。

 

「でも、どうやって確かめよう……?」

 

 もなかちゃんを無理やり全裸にして、ポニーテールもほどけば二つ目の口があるのかどうかは確認できる。しかし、もなかちゃんが妖怪ではなくただの人間だったら、私が悪者になってしまいそうだ。

 うーむ、素直に聞いてみるしかないか。もうこっちは確信してるんだぞという雰囲気を出せば、観念して認めてくれるかもしれないし。

 

 私は指先をもなかちゃんの鼻先にびしっと突きつけて、断言する。

 

「すべてわかりましたよ、犯人はもなかちゃんですね! 私は賢いので誤魔化しても無駄です、もなかちゃんが妖怪二口女で、この謎の現象を起こしていたんです!」

 

「がぶっ!」

 

「ぎゃあッ!?」

 

 噛まれた! 二口女に手を噛まれた!

 このまま食べられてしまうのかと思い焦ったが、しかし、すぐに手を解放される。風が吹いて、もなかちゃんの唾液で濡れた部分が凄くひんやりとした。

 

「ったく、馬鹿なこと言ってないで帰り道を探すぞ。待ってたって助けは来ないんだ、時間が経つほど状況は悪くなるだろうし、動けるうちに動かないと」

 

「まあまあ。まだお弁当もお茶もあるでござるし、そう焦らずともきっと何とかなるでござるよ。夜になっても三人でくっついていれば、たぶん死にはしないでござる」

 

 相変わらずねるこちゃんはのんきそうな顔をして微笑んでいる。場の雰囲気を明るくしようとして故意にやっているのか、素でこうなのかは見ていてもよくわからない。

 もなかちゃんが難しい顔をして言う。

 

「もうどうしていいのかわかんないけど、あたしたちは歩いてここまで来たんだから、やっぱり歩いてここから出る方法があるんじゃないかな? そもそもこの状況がすでにおかしいんだし、あえておかしいことをしてみるか」

 

「おかしいことって、裸踊りとかでござるか?」

 

「今度はコンパスを見ながら65度の方向に5分くらい歩いてみて、そこから180度回って、245度の方向にあえて戻ってみよう。踊りはお前一人で踊ってろ」

 

「やーでござるよー、それがし恥ずかしいでござる~」

 

「うざ。何照れてんだよ、くねくねすんな。けど、こんなヤバい状況で離ればなれになったらマジで洒落にならないし、また肩でも組んでいくか」

 

「はーいでござる。じゃあ、また山田氏とそれがしで、もなか氏をサンドイッチするでござるかー」

 

 さっきと同じだが、それがいいだろうな。一番背の小さいもなかちゃんを真ん中にするのが一番歩きやすいはずだ。

 また三人で肩を組み、横並びになって歩く。コンパスはねるこちゃんが確認し、腕時計は左手が空いている私が確認することになった。

 65度の方向に5分ほど進んで、その場で180度回って、今度は245度の方向に来た道を戻る。

 

「ちっ……そんなに期待していたわけじゃないけど、やっぱりダメか」

 

 そう言って、もなかちゃんが溜め息をつく。

 今回に限っては当たり前の話ではあるのだが、戻った先にはいつものポストが立っていた。

 

「一応、さっき撮った写真も確認してみますね」

 

 私がスマホを取り出して10分ほど前に撮ったばかりのポストの写真を表示すると、二人が画面を覗き込んでくる。

 

「……ポストだけじゃなくて、周りの風景にも違いという違いが見当たらないのが気になるな。森の中なんてどこもかしこも似たような風景だし、はっきりとは言えないけどさ」

 

「まだ写真を撮ってから一回しか移動してませんし、まったく同じだと断言するにはちょっと材料が少ないですかね。一応、今回も撮影しておきますか」

 

 そう言って私はスマホをカメラモードに切り替えようとするが、もなかちゃんに「ちょっと待て」と止められる。

 もなかちゃんが首をかしげて言う。

 

「うん……? なんか違和感があるな、なんだ?」

 

「もしかしてでござるが、写真よりも枝が一本減っているのではござらんか?」

 

 ねるこちゃんの指摘にまさかと思いながらも、私はもなかちゃんと一緒になって写真と目の前にある実際の光景を見比べる。

 ふむ。確かに、ポールの周りに刺してあった枝が一本少なくなっているな。

 

「え……本当にそう見えるな。マジかよ、ねるこのくせにやるじゃんか」

 

「えへへでござる。それがし、やるときはやるのでござるよ」

 

「だけど、これはこれでまた、わけがわかんないな。枝が減ったからなんなんだ? あたしたちがこのポストを見つける度に減っていくのか? どうしてだ? 全部なくなると何かあるのか?」

 

「うーん、全然わかりませんし、やっぱりこの場を離れてみて、またポストを見つけたときの変化を見てみるしかないんじゃないですかね?」

 

「怖いし、やだけど、そうするしかないか。現状、あまりにも情報が不足してるしな……でも、そもそもこの枝ってあたしたちが目印として刺したもんなのに、なんでこんなわけのわからない現象が起きるのかね?」

 

「えーと……なんででしょうね? もしも枝を刺していなかったら、代わりに何か別の現象が起こっていたんでしょうか?」

 

「そこも気になるところだな。初回に限っては枝なんて刺してなかったし、それでまた同じポストを発見したときには特になんの変化もなかったわけだ。いや、あたしたちが気づかなかったってだけで、何かしらの変化は起こっていたのかもしれないけどさ……くそ、どう考えればいいのかまるでわかんないぞ、不条理にも程があるだろ」

 

「とりあえず、できることを試していきましょうよ。もう一度移動してみて、枝に変化があるのかどうかだけでも見てみましょう」

 

 苛々(いらいら)としているように見えるもなかちゃんを(なだ)めつつ、ポストの写真をさらに数枚撮影してから、また三人で肩を組んで歩き始める。今度は何となく南下してみることにした。

 しばらく歩いていると、やはり行く手にいつものポストが現れた。そこまでは想定内の出来事だったが、しかし、今まではポストを出発してからまたポストに戻るまでに大体15分くらい歩いていたはずなのに、今回は10分も歩いていないことが気にかかった。

 

「もしかしたら、段々とかかる時間が短くなっていく感じですかね?」

 

「まだなんとも言えないけど、ありえるな。そしてポストに戻るごとに枝が減っていくっていうのはどうやら当たりみたいだ。また一本減って、残り四本になってる」

 

「本当でござる。いったい、なんなのでござろうな?」

 

「ただ枝が一本ずつ減っていってるだけとはいえ、なんか意味深というか、めちゃくちゃ嫌な感じがするんだよな……この枝が全部なくなったところで、それ以上は何も起きない可能性もあるけど、とてもそうは思えないっていうか」

 

「ふーむでござる。ただの勘でござるが、それがしはいきなり森の外に出られるようになるんじゃないかと思うのでござるよ」

 

「逆に一生出られなくなるかもしれませんけど――痛っ!?」

 

 私がそんな可能性を口にすると、いきなりもなかちゃんが私の腕を叩いてきた。ストレスが限界に達してしまったのだろうか、ヤンキーはすぐに暴力を振るうから嫌だな。

 

「そういうこと言うんじゃねーよ! なんでそういうこと言うんだ!? あたしが泣いてもいいのか!?」

 

「ええ? なんでそんなに怒ってるんですか? まったく、怖いからって八つ当たりはやめてくださいよ」

 

「あーもう、あーもう!」

 

 もなかちゃんがじだんだを踏んで悔しがる。私に正論を浴びせられて、ぐうの音も出ないようだ。

 恐怖から来るストレスで情緒が不安定になってしまっているもなかちゃんに、ねるこちゃんが心配そうな顔で(たず)ねる。

 

「大丈夫でござるか? そんなに怖いんでござったら、枝を足しておくでござるか?」

 

「そういう話じゃないんだよ! なんで誰もあたしの気持ちをわかってくれないんだ!?」

 

「まあまあ、落ち着くでござるよ。こういう時にパニックを起こしたら大変なことになるでござる。とりあえず、それがしが枝を追加しておくでござるよ?」

 

「ぐっ……いや、待て。よくわかんないんだからもっとちゃんと考えて、慎重に判断すべきだ。次にまたこのポストを見つけたときに枝がまとめてごっそりと減っていたりしたら、めっちゃ怖いだろ? あたし、そんなの見たら失神するかもしれないぞ?」

 

 まあ確かに、今まで枝が一本ずつ減っていっていたからといって、次もそうなるとは限らない。次は逆に枝が増えている可能性だってあるのだ。

 とはいえ、よく考えようにも判断材料がまったく足りていないのだからどうしようもない気がする。

 

「でしたら、とりあえず枝だけでも集めておきます? いざ枝が一本もなくなったときに何かヤバいことが起きても、すぐに枝を突き刺せば収まるかもしれませんし」

 

「まあ、そうだな。そう都合よくいくかどうかは別にして、後でまた使うかもしれないし、ないよりかはあった方がいいかもな」

 

「じゃあ、適当にこの辺で枝を集めましょうか。一応はぐれたりしないように、また肩を組んで並んで歩くスタイルにします?」

 

「そうしようか。よし、お前らあたしを挟め」

 

「はいはい」

 

「はーいでござるー」

 

 もう何度目になるかもわからないが肩を組んで三人で横並びになり、枝を拾い集めながらポストの周辺を歩き回る。見つけた枝を拾うのは、片手が空いている私とねるこちゃんの仕事だ。

 ねるこちゃんが手を伸ばして何本目かの枝を拾った直後に、事件は起きた。

 

「ふへ?」「ッ~~~!!?!?!?」「えーっでござるうー!?」

 

 真後ろにあったはずのポストが、いつの間にか目の前にあった。

 私とねるこちゃんの間に挟まったまま、もなかちゃんが声にならない悲鳴を上げて失神してしまう。

 

「これはさすがに、ブシドーをたしなんでいるそれがしといえども、びっくりしたでござるよ……もなか氏が耐えられなかったのも、無理はないでござる」

 

「枝も、三本に減ってますね。今までとは明らかに違う現れ方をしましたけど、どういうことなんでしょう……」

 

 ますますわけがわからないが、今までに撮影した写真と見比べてみようと思い、とりあえずスマホを取り出す。

 写真と目の前の光景には、支柱を囲む枝の本数以外にこれといった違いはない。先ほどもなかちゃんが言っていたように、森の中はどこも似たような風景なので断言こそできないが、ポストの周囲にも変化はないと思う。

 

「急に目の前にポストが現れたから、まるでポストがワープしてきたみたいに感じましたけど……ポストの周りの風景も変わっていないんだとしたら、これってやっぱり、私たちの方がワープしているんですかね?」

 

 もなかちゃんならばどう考えるだろうか? ワープと決めつけたりはしないかもな。単に私たちの認識がおかしくなっているだけで、物理法則がねじまがっているわけではないのかもしれないのだから。

 つまり、ポストの位置は最初からまったく動いておらず、頭が変になった私たちが自らこの場所に戻ってきているだけという説だ。

 そう考えると、せっかくスマホがあるのだし、ここら辺にどうにかスマホを固定して動画モードで撮影しておくのは良い手かもな。それでまた私たちがポストの周りをうろちょろしてみて今みたいな現象が起きれば、動画を確認することで実際に何が起きていたのかがわかるはずだ。

 もしかしたら私たちが同時に気絶して、気絶したまま夢遊病患者みたいにポストの目の前まで歩いていって、そこで同時に意識を取り戻して叫び出すといったような、それはそれで怖すぎるシーンが撮れるかもしれない。

 

「何がなんだか、それがしにはわからないでござるが……なんにしてもこのポストは怪しいでござるよ。もなか氏が気絶しているうちに、ちょっと蹴ってみてもいいでござるか? もしもタヌキが化けているのでござったら、逃げていくと思うのでござるよ」

 

「なるほど、良い考えだと思います。もなかちゃんが起きていたら慎重に行動しろって怒り出すでしょうし、今しか試せませんもんね」

 

「ちぇいやー!」

 

 ねるこちゃんが勇ましく叫んで、ポストに向かって助走もなしにドロップキックを繰り出す。

 三人で肩を組んでいたので、地べたに落ちたねるこちゃんと、失神しているもなかちゃんの二人分の体重が私に掛かり、堪えきれずにすっ転ぶ。

 

「ぶべっ!?」

 

 私の頭がもなかちゃんの頭にぶつかった瞬間、私の意識は途絶えた。

 

 …………

 

 ………………

 

 ……………………

 

 ――おい……

 

 ――山田……

 

 ――起きろ、山田……!

 

「ん……?」

 

 目を覚ますと、泣きべそをかいたもなかちゃんが私の顔を覗き込んでいた。

 なんだか、『先日ネットショップで見かけた桃のギモーヴとやらを取り寄せるのです、お前さま』と言うスイちゃんの声が脳裏にこびりついている。ギモーヴって何だろうな、スイちゃんが欲しがるのだから甘いお菓子には違いないが……というか、どうせならばこの状況に対するアドバイスが欲しかったな。

 

「よ、よかった、目を覚ましたか……いったい何が起きたんだ? 気づいたら、山田もねるこも寝てて、わけがわかんなくて……あたしたち、三人そろって眠らされてたのか?」

 

「あー……」

 

 どうやら、もなかちゃんは急に目の前に出現したポストにびびって気絶した出来事を覚えていないらしい。

 私のすぐ隣で地面に大の字になったねるこちゃんがくかーくかーと寝息を立てているが、彼女は多分、私まで気絶してしまったものだから単純に暇になって寝てしまっただけだろう。なんかのんきそうだし。

 

「な、なあ、山田。マジで、何が起きてるんだ? あ、あたし、怖くて……だって、気づいたらお前ら二人とも寝てるし、しかも、なんか向こうで煙が上がってて……」

 

「へ?」

 

 もなかちゃんが指をさした方向に顔を向けると、確かに木立(こだち)の上に黒煙(こくえん)が立ち(のぼ)っている。

 ねるこちゃんは寝ているし、ポストは健在だから、私が気絶している間にねるこちゃんがポストを燃やしたということもなさそうだ。

 

 不意に近くの(やぶ)の奥から、カサ……ガサッ……カサ……と、こちらに向かってくる何者かの足音が聞こえてきた。

 恐怖がキャパシティーオーバーしたもなかちゃんが、お漏らししながら命乞いを始める。

 

「えっ――!? あっ、あっ、あっ、あっ……だ、だれ、だれなの? やだ、食べないで、来ないでください、ごめんなさい、許してください、ごめんなさいっ……!」

 

「ええっ、普通に助けが来たのかもしれないじゃないですか。怖がりすぎですよ、落ち着いてください」

 

「あ、あれ、あれだけ笛吹いても誰も来なかったんだ、いいい今更助けなんてくるかよ、絶対幽霊だ! あっ、ああっ……うっ、ひっぐ、えぐう、やだよぉ、死にたくないぃ、うええぇぇぇえん!!」

 

「ええっ、幼児みたいに泣くじゃないですか、高校生にもなってそんな泣き方しないでくださいよ! だ、大丈夫ですから! もし幽霊が来ても私がパンチしますし、ワンパンですから、ワンパン!」

 

「ええぇぇぇえん!!」

 

 ヤバいな、もなかちゃんは泣き止みそうにないし、どうしたらいいんだ?

 うるさいしおしっこ臭いし、凄く困ったぞ。

 

 すると、ガササッ――と藪をかき分けて、黒い人影が現れた。

 

「ひぃっ……」

 

 という引き()ったような声を上げたのを最後に、限界を迎えたもなかちゃんがまた気を失って静かになる。どうやって泣き止ませようかと思っていたが、意外とすぐに泣き止んだな。

 

 この前週刊少年チャンプを立ち読みした際に気に入った漫画のキャラクターを真似して、私が強そうな構えを取ると、黒い人影がぶんぶんと手を振りながらこちらに向かって歩いてくる。

 

「ごきげんよう、姉さま! おねだりしに――ゲフンゲフン、助けに来てあげたわ!」

 

「え、冥子(めいこ)ちゃん? なんで?」

 

 なんと藪から飛び出してきた黒い人影は、明るいところでよく見ると黒づくめの冥子ちゃんだった。冥子ちゃんはまだあまり着る物を持っておらず、外出時には『黒の山田』という異名を持つ私の服を着ることが多いので、どうしても黒くなりがちなのである。

 

「えっと、ポストにストーカーされて帰れなくなったり、クラスメートがゲロを吐いたり、お漏らしして大泣きしたりして、たしかに困ってはいましたけど……助けに来てくれたんですか? 顔がいいだけしか取り柄のない、引きこもりのぐうたらな冥子ちゃんがですか?」

 

「だって、急に姉さまの妖力(ようりょく)が感知できなくなってしまったんだもの。だから、姉さま思いな冥子は何があったのか心配になって、姉さまの妖力が消えた辺りまで来てみたの。そうしたら森の中の空間の一部が歪んでいて、その近くにいかにも古臭い(ほこら)を見つけたから、とりあえず妖術(ようじゅつ)で燃やしてみたのよ。すると、なんとそれが大正解だったみたいで空間の歪みも元に戻って、姉さまの妖力も感知できるようになったの! それでね、それでね、せっかく近くまで来たのだし、姉さまの様子も見に来たの!」

 

「えっ、ということはつまり、ほんとに助けてくれたんですか!? えっと、あのその、顔がいいだけしか取り柄がないとか言ってしまってごめんなさい! やっぱり持つべきは可愛い偽妹(ぎまい)ですね!」

 

「でしょう! それでね、冥子、姉さまにお願いがあるのだけれど……」

 

「私にできることでしたらなんだって言ってください! 実際、冥子ちゃんが来てくれないで、森の中に閉じ込められてしまっていたら死んじゃってたかもしれませんし!」

 

「そう? それじゃあ、発売したばかりのプレイステージ5が欲しいのだけど、買ってもらえるかしら?」

 

「ええっと、確か5万円くらいでしたっけ? 構いませんとも、命の値段って考えたら安いもんですよ!」

 

「正規ルートで購入できればそのくらいなんだけど、冥子は今すぐに遊びたいの。抽選に当たるまで待ちたくないから、転売している人からすぐに買ってほしいのだけれど、そうすると多分8万円くらいになるわ」

 

「えっ……ま、まあ、冥子ちゃんが助けに来てくれなかったら本当にどうなっていたかわかりませんし、じゃあいいですよ」

 

「それとね、それとね? 冥子、せっかくプレイステージ5が手に入るのだから大きな画面で遊びたいと思っているの。ほら、今お部屋にあるテレビって小さいし、古くて映りもあまり綺麗じゃないでしょ? だから、テレビも一緒に買ってほしいのだけど……」

 

「ええっ、でもそうすると、合わせて20万円とか飛んじゃうじゃないですか。私の月収ほとんどですよ、ちょっとそれは――」

 

「あら、姉さまの命の価値は20万円よりも低いのかしら? そう……なら、次はもう、何かあっても冥子は助けに行かないかもしれないわね……」

 

「えっ!? それはおねだりじゃなくてゆすりですよ、ゆすり! う、うう……わ、わかりましたよ、わかりました! テレビも買います! テレビも買いますから、また私がピンチになったときは絶対助けに来てください! 約束ですからね!?」

 

「ふふ、わかったわ。冥子が大好きな姉さまを助けるのは当たり前のことよ、安心してちょうだい!」

 

 なんて現金な女だろうか、笑顔が可愛いのがまた腹が立つな。これでまた、バレンシアゴが一か月は遠のいたぞ。

 

「ところで、なんでその祠? とやらは、私たちに悪さしたんですか?」

 

「これは推測なのだけど、結構古そうに見えたから、ここに学校ができるよりも前から祠はあったんじゃないかしら? 中に何がいたのかは冥子も知らないけど、長年忘れられていて眠っていたのが、多分、姉さまの妖力に反応して目覚めたのだと思うわ」

 

「え、じゃあ、私のせいだったんですか?」

 

「姉さまや冥子みたいに膨大(ぼうだい)な妖力を持っていると、ただ近くに行っただけで古い者を目覚めさせてしまったりするのよ。姉さまも急に破壊神みたいなやつが近くにやってきたら、触発(しょくはつ)されちゃって無意味に(みやこ)を焼いてみたくなったりするでしょう?」

 

「いや、なりませんし、近くに破壊神が現れたら逃げますけど……」

 

 しかし、そうか。理屈はよくわからないままだが、今回のループ現象みたいなものは私のせいで起こったトラブルだったんだな。

 つまり、もなかちゃんが怖がり過ぎてゲロを吐いたりおしっこを漏らしたりしてしまったのも、私が一緒にいたせいだったということだ。

 うーん、なんというか、さすがに申し訳ないな……とはいえ、正直に話すのも(はばか)られるし、今後定期的にお菓子をお納めしよう。

 

「なんだか辺りが騒がしくなってきたわね、冥子はそろそろ退散しようかしら」

 

「というか、なんか煙どころか炎が見えるんですけど、祠を焼いたときの火ってちゃんと消しました? 森にまで燃え広がってませんか?」

 

「姉さま、その笛で助けを呼んだ方がいいかもしれないわ! ここには寝ている子が二人もいるし、早くしないと燃えてしまうかもしれないわよ?」

 

「あ、はい!」

 

 そういえばもう空間の歪み? とやらは直っているのだし、ホイッスルを吹けば助けが来るのだったな。

 森林火災がどれほどの速度で広がっていくのかは知らないが、なんにせよ助けを呼ぶなら早い方がいいだろう。

 私がホイッスルを構えた瞬間、冥子ちゃんが後ろを向いて言う。

 

「それじゃあ、冥子はお(うち)で待っているわね、姉さま!」

 

「あ! ちょっ!? 誤魔化されていませんからね!」

 

 運動不足だろうに、結構なスピードで冥子ちゃんが走り去っていく。

 冥子ちゃんめ、祠を焼いた後に消火しなかったんだな……。

 先月はバッケちゃんがうちの山で火災を起こして、今月は冥子ちゃんがうちの学校で火災を起こして、この分だと来月はハッチーあたりがやらかしそうな気がするな。

 

 ホイッスルに息を吹き込むと、ピイイイイイイイッと高い音が鳴った。

 もなかちゃんは気絶しているし、ねるこちゃんは起こしたところであまり役立ちそうにないので、多分私が先生やシスターたちに何があったのかを説明しなければならないのが億劫だ。

 しかも、なんだかまた波が来ていてお腹が痛いのだが、きっとまだしばらくはトイレにも行けないんだろうな……。



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消えたホラー作家

明日も同じ時間に投稿します!


 金曜日の午後、いつものように私が冷光(れいこう)家のお屋敷に出勤すると、ちょうど居間で杠葉(ゆずりは)さんがお客さんと話をしている最中だった。

 身バレを防ぐためにブリキのバケツを頭に被り、制服の上から杠葉さんの黒いトンビコートを着て、私も一緒に話を聞こうと(ふすま)を開けて居間に入る。

 座布団に座っていた三十代半ばほどのスーツ姿の男が、私を見るなりぎょっとした顔をして固まった。

 杠葉さんがよそ向きの嘘くさい笑顔で言う。

 

「ああ、どうかこれのことはお気になさらないでください。邪悪なあやかしではありますが、私の式神です」

 

「あ、ああ……いや、あまりにもおかしな恰好だったので、つい……これが式神ですか、初めて見ました」

 

「それはどうでしょうね。式神もあやかしも意外とその辺に居たりもしますし、人間のように振る舞っている者もいますから、本当はこれが初めてではないのかもしれませんよ」

 

「はあ、そうなんですか……だとしたら、やっぱり、東根(ひがしね)先生も妖怪に……」

 

 お客さんの口から出てきた名前に、思わず私は反応してしまう。

 

「東根先生って、ホラーミステリ作家の東根(にしき)先生ですか?」

 

「えっ、あ、はい。そうですが、えっと、妖怪の方なのにご存じなんですか?」

 

「ファンです! 私ホラーってあまり得意じゃないんですけど、先生の作品はミステリとしてもとても面白くて、先が気になっちゃって怖いのにどんどんページを(めく)っちゃうんです! 毎回、死体の描写が凄くオシャレなところも大好きで――って、え!?」

 

 私が東根先生の作品の良さを語り始めた途端に、お客さんが泣き出してしまった。

 見ず知らずの大人の男が泣いてる姿って、なんか怖いな。

 

「うっ、うぅ……! 邪悪な妖怪が、先生の作品のファンだなんて……きっと、先生が知ったら凄く喜ぶと思います……っくぅ」

 

「えっ、えっ? な、なんで泣いてるんですか?」

 

「ぐすっ、私は東洋交隣社(とうようこうりんしゃ)で、東根を担当している編集者の飯尾(いいお)と申します……実は先日、東根が取材中に行方不明になってしまって……」

 

「ゆ、行方不明ですか!?」

 

 つまり、もしもこのまま東根先生が見つからなかった場合、もう二度と先生の新作を読むことができなくなってしまうということか? それは困るぞ。

 

「ええ……冷光先生には粗方お話ししたのですが、新作小説の構想を練っていた東根先生が『お(ふだ)の家』と呼ばれる廃墟というか、心霊スポットに興味を持ちまして……ああ、そう呼ばれるスポットは全国にいくつもあるんですが――」

 

 飯尾の話(感情が不安定になっているせいか、取り留めもなく、凄く長かった。)を要約すると、次のようになる。

 四日前の月曜日、飯尾は東根先生に半ば強引に誘われて、お札の家と呼ばれる廃屋(はいおく)の取材に同行した。東京からは距離が遠かったこともあって現地に到着した際にはすでに夜になっていたが、「明るい時間帯に下見をしてからでないと危険だ」と主張する飯尾の静止を振り切り、我慢できなくなってしまった東根先生がそのままお札の家の取材を始めてしまった。なお、言うまでもなく不法侵入である。(とはいえ、一ファンからすると、この辺りのエピソードは聞いていて非常に楽しいものだった。)

 屋内にはお札の家が廃屋と化す前に暮らしていた家族の生活の痕跡が、数多く残されていた。お札の家と呼ばれているだけあってお札が沢山貼られていたが、飯尾にとっては幸いなことに異常な出来事は何も起こらず、カメラで撮影しながら廃屋の中を一通り見て回ると二人は外に出た。

 周辺には他に家もない寂しい場所だったが、お札の家には高い(へい)に囲われた土蔵が二戸前(とまえ)(私は戸前という言葉を聞いたことがなかったが、飯尾がそう言っていた。多分、二つという意味なのだろう。)くっついていた。案の定、東根先生は蔵も見たいと言い出したが、一つ目の蔵には入ることができなかった。鍵が閉まっていたとかいう話ですらなく、塀が切れ間なく周りを一周しており、蔵の前までも進めなかったらしい。勿論(もちろん)、元々はちゃんと通ることができたのだろうが、塀と塀の境目が厚い鉄板で塞がれていたのだという。

 蔵を囲む塀の高さは二メートルほどもあり、首と腰に持病がある東根先生が乗り越えるには少々無理があったため、仕方なく一つ目の蔵への侵入を諦めた二人は二つ目の蔵を見に行くことにした。

 二つ目の蔵を囲む塀は塞がれておらず、入り口の鍵も開いていて難なく中に入ることができた。お札の家とは異なり、蔵の一階は片付いていて、特におかしな物も見当たらない。しかし、二階に上がった瞬間、飯尾は恐怖のあまり呼吸ができなくなった。二階にはお札の家で亡くなった家族の人数と同じ数の、四つの(ひつぎ)のような木箱が並べられており、木箱の中には布団が敷かれていた。飯尾は一刻も早く外に出たかったが、東根先生が興奮しだして、「おそらくこれが長女の棺に違いない」と言って、あろうことか花柄の布団が敷かれた棺の中に入ってしまった。そして、古い布団の匂いを嗅いだり、そのまま目を閉じてみたりしてしばらく楽しんだ後、ようやく棺から出てきた。飯尾の体感だが、東根先生はおよそ十分もの間棺の中にいたんじゃないかという話だった。

 何はともあれ、東根先生が落ち着いたので、後はまた明日の朝にでも見に来ようという話になった。早く外に出たくて仕方がなかった飯尾は、東根先生よりも先に階段を下りる。飯尾の後に続いて、東根先生も階段を下りてきたのは確からしい。音も気配もしていたし、東根先生の持つ懐中電灯の灯りもちゃんと飯尾の後についてきていたという。

 先に飯尾が外に出ると、蔵の中から東根先生の「こっちにも階段があるな」と言う声が聞こえてきた。しかし、その後は階段を上がるような音もしなければ、声もしない。外からいくら呼び掛けても返事がなく、いつまで経っても東根先生が出てこないのでさすがに変に思い、飯尾は様子を見に蔵の中に戻った。恐怖に抗い二階の棺の中までも見て回ったが、しかし、蔵のどこにも東根先生の姿がない。もっと言えば、一階にも二階にも他の階段なんて存在しなかった。電話をかけたり、名前を呼びながら散々探し回り、念のためにお札の家にも戻ってみたがやはりどこにも東根先生はおらず、そうこうしているうちに朝になってしまった。

 これは本当におかしいと思った飯尾はその場で警察に通報したが、警察官四人が軽く周辺を一緒に捜索してくれたものの結局東根先生は見つからず、大人が失踪したというだけの話では事件性も薄いからかあまり相手にもしてもらえなかった。

 それで、飯尾は同じ出版社に勤務する上司のツテを頼り、こうして杠葉さんに東根先生の捜索を依頼しにやって来たとのことだ。

 

「ちなみにですが、行方不明になられた作家の東根さんは、そのお札の家や蔵について事前に何か仰っていましたか? 飯尾さんは、『お札の家で亡くなった家族の人数と同じ数の、四つの棺のような木箱が並べられていた』とお話しされていましたが」

 

 杠葉さんがそう(たず)ねると、飯尾は「よく聞くような話なんですが」と前置きして、お札の家に(まつ)わる(いわ)くを語り始める。

 

「まず、昭和の半ば頃の話らしいんですが、お札の家に住んでいた一家が心中しています。このことについては東根先生が確かめていまして、どうやら事実だったようです。それで、その内容というのが、心中事件にしてもちょっと異常でして……当時16歳だった長女が深夜に寝ている両親と弟を殺害したあと、薪割り用の斧で三人の頭を割って、最後に自身の頭を何度も床に強く打ちつけて自殺したとかで」

 

 なるほど、わけがわからないな。だけどまあ、東根先生が興味を持ちそうな話ではあるのかもしれない。

 

「事件の前から長女の様子がおかしかったらしく、両親は長女をそういった病院にも通わせていたんですが、担当医に長女は『頭の中に何があるのかわからない。怖い。外に出したい』などとしきりに訴えていたようで、このことから警察は長女には強烈な殺人衝動があったのだろうと判断したみたいです。しかし、『頭の中に何があるのかわからない』ではなく、本当は『頭の中に何が居るのかわからない』と言っていたという話もあって、今でもオカルト愛好者が集まるインターネット掲示板なんかでは時折話題になるようです」

 

「ふむ。大量に貼られていたというお札の由来は、どのように伝わっているのでしょうか?」

 

「確認が取れていない話なんで真実かどうかはわからないんですけど、一家心中事件が起こった後にお札の家を相続した親族が家族と一緒に住み始めて、怪奇現象に悩まされて家中にお札を貼るも、ある日突然全員が失踪してそのまま行方がわからなくなっているとインターネット上では言われています」

 

 それから料金の話などもして、最後に「東根先生を見つけてください、どうかよろしくお願いします」と杠葉さんに言って飯尾は帰っていった。

 居間に私と二人きりになると、いつもの偉そうな口調で杠葉さんが言う。

 

「一家心中が起こった家を引き継いで、家族と一緒に自ら住み始めるというのは不自然だ」

 

「そうですかね? 気にする人もいるでしょうけど、家自体が綺麗だったら私ならそんなに気にしないかもしれません。いえもちろん、ほんとにオバケが出たりしたら別ですし、見るからになんか嫌な感じのする建物とかでしたら住まないと思いますけど」

 

「一家心中ともなると、老人が病気や事故で死んだのとは受け取る印象がだいぶ違う。たとえ相続はしたとしても、大半の人間は自分で住もうとはしないだろう。証拠はないが、実際には怪奇現象が先にあり、家中にお札を貼った後に一家心中が起こったのではないかと思う」

 

 ふむ。なるほどな、確かにそっちの可能性の方がありそうだ。さすが杠葉さんだ、私に負けず劣らず頭がいいな。

 

「ちょうど明日は土曜日だったな」

 

「ですね。じゃあ、明日現地に向かう感じですか?」

 

「いや、東根が行方不明になったのは四日も前だ。現地まで距離があるし、すぐにでも出発した方がいいだろう」

 

「ええ~……」

 

「どうした? 東根の小説が好きなんじゃないのか?」

 

「確かに先生の書く小説は好きですけど、お札まみれの廃屋と棺が並ぶ蔵とか凄い嫌じゃないですか。行きたくないですよ」

 

「そうか。妖怪の言う好きなんて、所詮そんなものだろうな。だが、ヤマコは俺の式神で、俺は飯尾の依頼を受けた。早く準備をしろ」

 

「はーい……」

 

 杠葉さんのトンビコートをその場で脱いで返す。しかし、杠葉さんはまったく嬉しそうな顔をしない。私という美少女の体温であたたまったコートを着ることができるのだから、多分嬉しいはずだと思うのだが、もしかして杠葉さんは男の人が好きなのだろうか? ありえるかもしれないな。

 そんなことを考えながら私はアンコちゃんの私室に行って、バケツと制服も脱いで、押し入れに入っていた黒いスウェットを借りて着る。私が普段家で着ているのも黒いスウェットだが、これはもっとシュッとしたデザインで、上着にもポケットがついていたりするオシャレなやつだ。もうすぐ五月になるがまだ山は薄ら寒いし、これから夜になるのでモンクレーンの白いニット帽も借りて頭に被り、同じくモンクレーンの白いダウンコートを上に着る。

 アンコちゃん、あんなにドジなのに高いブランドの服を結構持ってるんだよな。杠葉さんの弟子ってお給料いいのかな? (はら)い屋の世界は知らないけど、普通は住み込みの弟子なんてほとんどお金を貰えないはずだと思うが。

 

 廊下に出ると、どうやら今回は弓矢(ゆみや)ちゃんとお留守番ということになったらしいハッチーが、「ヤマコ、ヤマコ! わちへのお土産じゃが、食べ物でよいからの! なるべくたくさん()うてくるのじゃぞ!」と声をかけてきた。そのままハッチーとちょっとだけお喋りを楽しんでから、ちょうどよく空いていたのでトイレに入る。

 用を足していると、そういえば脱いだ制服をハンガーにかけ忘れていたことを思い出した。

 しわしわの制服を着て登校するのは嫌だったので、トイレを出るなり急いでアンコちゃんの部屋へ向かい、襖を開ける。

 すると、私の制服を着たアンコちゃん(31歳)が鏡に向かってアイドルみたいなポーズを取っていた。

 

「んえ?」

 

 目の前の光景をすぐには受け入れることができず、私は間抜けな声を漏らした。

 すると、アンコちゃんが物凄い速さでこちらを振り返って、物凄い悲鳴を上げる。

 

「きゃっ、きゃあああぁぁぁあああっ!!!???」

 

 アンコちゃんの物凄い悲鳴に驚いた冷光家の住人たちが、何事かと集まってくる。

 鼓膜がおかしくなっているのかよく聞こえないが、ハッチーが多分「どうしたのじゃ!?」的なことを言って開いたままの襖から室内を覗くと、アンコちゃんが再び音波攻撃を放ったらしく、人間よりも耳が良いハッチーが目を回して倒れた。

 それを見て、はっと我に返った私は急いで襖を閉める。

 廊下の少し離れたところに立っていた杠葉さんが、説明を求めるような視線を向けてくる。しかし、アンコちゃんには服を借りたり、ご飯やおやつを食べさせてもらったりとお世話になっている私は何も言えなかった。



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楽しいサービスエリア

 サービスエリアの広い駐車場で、冷光(れいこう)家の普段使いの車である黒いランドクルーザープラドから降りて、硬くなった身体をぐぐっと伸ばす。もう空が真っ暗だ。

 私と一緒に二列目シートに座っていたバッケちゃんも車を降りてきたので、バッケちゃんは暑いのも寒いのも平気らしいが、キッズサイズの首元に白いファーがついた薄桃色のウールコートを着せて、念のために手をつないでおく。

 最近気がついたのだが、バッケちゃんは車が走ってきても避けようとしないのだ。殴ってぶっ飛ばせばいいとでも思っているのかもしれないが、車に乗っている人が死んでしまいかねないし、大変危なっかしいので車が通るような場所では放っておけない。初めて出会った時には杠葉(ゆずりは)さんがバッケちゃんを首輪でつないでいるのを見てドン引きしたものだが、今ならばあれも仕方がなかったのだろうなと思える。

 

 助手席に乗っていた杠葉さんに続き、普段はドジなのになぜか車の運転は上手なアンコちゃんが運転席から降りてきて、「どんなお店があるんでしょうねー」といつもと変わらない微笑み顔で私に話しかけてきた。

 お屋敷を出発する前に起きた例の事件は、彼女の中で無かったことになったのだろうか? 当たり前だがアンコちゃんは私服に着替えており、今は可愛いお花の刺繍が入った紺色のファーコートを着ている。

 

 杠葉さんが、数時間前には私が着ていたトンビコートの(すそ)を揺らして一人で歩いていったのを確認して、私はぼそっと言う。

 

「制服」

 

 びくんっと、すぐ隣にいたアンコちゃんの肩が跳ね上がった。さすがに本当に無かったことにはできなかったようだ。

 

「ッ――はっ……ふぅっ……っう、ぃ……ぃい!」

 

 今までに見たことのないような、追いつめられた表情でアンコちゃんが何か言おうとするが、まったく言葉になっていない。かわいそうだけど、反応がめちゃくちゃ面白いな……。

 ただでさえ私に命を救われてしまっている上に、こんな弱みまで握られてしまって、アンコちゃんはもう私の奴隷ということでいいんじゃないかな? でも、自棄(やけ)を起こして私を殺そうとしてきたら怖いので、あんまり(いじ)めすぎないように気をつけないとな、などと考えながらバッケちゃんの手を引いて歩き始める。

 

 トイレに寄ってから、自動ドアを通ってサービスエリアの施設内に入ると、とりあえず上辺(うわべ)だけはいつもの調子を取り戻したアンコちゃんが(たず)ねてくる。

 

「わあ。おそば屋さんとうどん屋さん、あと丼物のお店もありますね~。ヤマコさんはどこで食べたいですか?」

 

「フードコートがいいです」

 

「えっ、フードコートですか?」

 

 そんなバカなといった表情でアンコちゃんが聞き返してくる。

 いや、だって、せっかくサービスエリアに来たんだし、フードコートで食べたいじゃないか。フードコードって色んな物を食べられるし、なんだか気分が()がるから好きなのだ。

 なんだ? まさか奴隷の分際で、主である私に文句があるのか?

 

「制――」

 

「あっあっ! いいですよね、フードコート!! 杠葉さん、たまにはフードコートで食べてみませんか? ねっ? ねっ!?」

 

 魔法の言葉を囁こうとした私を遮って、本当は店員さんが食事を運んできてくれるタイプのお店に入りたかったのだろうアンコちゃんが凄い勢いでフードコートに行きたがる。

 まったく、奴隷が主に逆らおうとするからこうなるんだぞ、身の程知らずめ。

 

 なお、フードコートでの食事は人目につきやすいので杠葉さんはきっと苦手だと思うのだが、いつにないアンコちゃんの勢いに押されたのか、杠葉さんは困惑しつつも「俺はどこでも構わないが……」と言ってフードコートでの晩ご飯を了承した。

 

 フードコートに入り、私はふんふふ~んと鼻歌をうたいながら、ずらりと並ぶ飲食店のメニューを眺めて歩く。

 前回の遠征とは違って今回はアンコちゃんが一緒なので、バッケちゃんの面倒はアンコちゃんが見てくれるから楽ちんだ。

 フードコート内のそば・うどん屋さん(フードコート外のお店はそば屋とうどん屋で分かれていたが、こっちは一緒だ。)の前に杠葉(ゆずりは)さんが立っているのを見つけて、声をかける。

 

「杠葉さんは何にするんですか?」

 

「人のことを気にしていないで、自分の分をさっさと注文してこい」

 

「別に教えてくれたっていいじゃないですか、このお店に決めてるんですよね? 前から思ってましたけど、杠葉さんはいちいち秘密主義すぎますよ。私みたいな美少女に話しかけられて緊張しちゃう気持ちはなんとなくわかりますけど、もっとコミュニケーションを取りましょうよ、コミュニケーションを」

 

「……山菜そばを頼むつもりだ」

 

「へー、なんかジジくさ――おっと、渋いですね。あ、そういえば私山菜よく採るんですよ。お好きなんでしたら今度持って行きましょうか?」

 

「俺は料理をしないから、そういうのは杏子(あんず)に聞け」

 

 しっしっと杠葉さんにジェスチャーで追い払われた私は、まずは定食屋で大盛りローストビーフ丼を注文する。そして、ローストビーフ丼ができるまでの待ち時間を利用して、ワクドナルドでてりやきワックバーガーのポテトセットを買った。

 てりやきワックバーガーのバンズを外してポテトを載せて、定食屋の前に置いてあったマヨネーズのボトルを手に取り、ポテトの上にマヨネーズを思い切りかけてからバンズを戻す。すると、ちょうど注文していた大盛りロースト―ビーフ丼が完成したので、ローストビーフ丼の上にもマヨネーズを大量にかけた。

 

 すでにみんなはフードコート内の四人掛けテーブルについており、食事を始めていた。

 マヨネーズで真っ白になった大盛りローストビーフ丼と、マヨネーズとポテトがはみ出しまくったてりやきワックバーガーと、メロンソーダが載ったトレイを私がテーブルに置くと、杠葉さんとアンコちゃんがぎょっとした顔をする。

 

「え、二人ともどうしたんですか?」

 

「う……ヤマコさんのそれ真っ白ですけど、もしかしてマヨネーズですか?」

 

「はい、そうですよ。ボトルで置いてあったんで、いっぱいかけちゃいました」

 

 機嫌よく答えた私だったが、アンコちゃんが返事をしてくれない。どうしたんだろうと思い様子をうかがってみると、アンコちゃんも杠葉さんも私のマヨローストビーフ丼を見て物凄い顔をしている。

 

「え、そんなに引きます? 大げさですって、今時の若い子はみんなこんな感じですよ!」

 

「……ヤマコは普段妖怪らしい振舞いをあまりしないが、(まれ)にこうして異常なことをするな」

 

「ええ!? 全然異常じゃありませんよ! 杠葉さんたちの育ちが良すぎるだけですって、多分! きっと凄くおいしいですからね、これ!」

 

「そもそも、何が起こるかもわからない山奥の廃墟に向かっている状況で、まともなやつはそんなに沢山食べはしない」

 

「――んまっ!? んまいです! やっぱりマヨネーズがいいアクセントになってます、完璧な味です! っん……!? てりやきワックバーガーも化けましたねっ、一段階上の味になっていますよ、これは! ポテトを大量に挟んで、マヨネーズを追加したことでとにかく油分が増してジューシィです! はあぁ……♡」

 

 おいしすぎて魂が飛び出してしまいそうだ。脳内物質が大量に分泌されているのがなんとなくわかるぞ、幸せに包まれている。

 我慢できずについ食べ始めてしまったが、そういえば杠葉さんが何か喋っていたような気がするな。ちゃんと聞いていなかったけど、どうせ小難しい話か意地悪な皮肉だろうしまあいいか。

 

 おや? さっきまで目を輝かせてお子様ランチみたいなのをパクついていたバッケちゃんが、いつの間にかてりやきワックバーガー春子スペシャルをじっと見ているぞ。

 もしかして食べたいのかな?

 

「はいバッケ先輩、アーン」

 

「あー」

 

 バッケちゃんの、先の尖った小っちゃな歯が綺麗に並んだお口が大きく開かれる。

 そこにポテトとマヨネーズがはみ出しまくったてりやきワックバーガーをもふっと押し込んでやると、ぱくんっと噛み千切られた。

 その瞬間、バッケちゃんの真っ赤なおめめがキラキラに輝く。

 

「あ、やっぱり気に入っちゃいました? ですよね、最強のてりやきワックバーガーですし当然です。じゃあ、私はお姉さんなのでこの最強のてりやきワックバーガーはバッケ先輩にお譲りしますよ。見たところバッケ先輩のお子様ランチには油分が足りていませんし、この私特製の最強のてりやきワックバーガーと一緒に食べたらそっちもおいしくなると思いますよ」

 

「ん!」

 

 バッケ先輩がほんの少し嬉しそうな雰囲気で、いつもよりも力強く頷いた。

 しかし、アンコちゃんと杠葉さんが凄く嫌そうな顔をしてこっちを見ているが、いったいなんだろうな?

 

 晩ご飯を終えてフードコートを出て、駐車場でフランクフルトをかじっていると、アンコちゃんが近づいてきて「白髪毛(しらばっけ)ちゃんは純粋なんですから、あんまり悪いことを教えないでくださいね?」と困り顔で言われた。

 私はバッケちゃんに悪いことを教えたことなんてないし何か誤解があるような気がしたが、大量にかけたケチャップをできるだけこぼさないようにフランクフルトを食べるのに忙しかったので何も言えなかった。

 

 再び車に乗り込み、アンコちゃんの運転に身を任せる。

 サービスエリアのスターバッカスで買ったバニラクリームフラペッチノをバッケちゃんとシェアして飲みながら、車載テレビで私の好きな女児向けアニメを鑑賞する。

 主人公の少女が『みんなも一緒にハジケちゃお☆ えいっ、恋のポップコーンパーティ!』と必殺技を放つたびに、バッケちゃんの手足を動かして同じポーズを取らせて遊ぶ。バッケちゃんは小っちゃいしかわいいので、アニメで魔法少女が取るようなポーズがとても映える。インスタグラフに載せたいくらいにかわいいぞ。

 アニメを二話見終わったところで飲み物がなくなったので、最近スイちゃんが気に入っている『超濃い北海道メロン蒟蒻(こんにゃく)ゼリー0カロリー』を開ける。サービスエリアでは大量のマヨネーズを摂取してしまったし、今まで飲んでいたバニラクリームフラペッチノはミルクを通常のものと比べてカロリーが2.5倍にもなるブラベミルクに変更してしまった上にカロリーの高いホワイトチョコレートシロップやチョコレートソースを追加したちょっとヤバい飲み物だったので、ここはバランスを取るためにも0カロリーの蒟蒻ゼリーがちょうどいいだろうという判断だ。

 

「んま。0カロリーなのにどうしてこんなに甘いんでしょうか、魔法ですかね?」

 

 芳醇(ほうじゅん)なメロンの香りがする甘いゼリーをチューチュー吸っていると、まるでカブトムシになったかのような気持ちになる。だけど、これは0カロリーだ、何も心配はいらない。

 だから、さっきサービスエリアのコンビニで買ったビーフジャーキーとスッペームーチョも開けよう。甘いドリンクと塩辛いおつまみはマリアージュするからな。マリアージュって動詞なのかな? なんだか使い方を間違っているような気がしなくもないが、まあいいか。

 がじがじとビーフジャーキーをかじっていると、ドリンクだけでは甘味(あまみ)が足りなく感じてきたので、同じくサービスエリアのコンビニで買ったウーピーパイを頬張(ほおば)る。

 もう一つ買っておいたウーピーパイの袋も破いてサイドにパスすると、「ん!」と受け取ったバッケちゃんがパクパクと食べ始めた。ウーピーパイはバッケちゃんも大好きなのだ。

 

 ルームミラー越しに、困ったような顔をしたアンコちゃんと目が合う。

 

「ヤマコさん、あの……今日はなんだか、異様に食べる量が多くありませんか?」

 

 ふむ、気づかれてしまったようだな。

 そもそもジャンクな食べ物が好きな私ではあるが、確かに普段はもうちょっとセーブしている。花盛りの女子高生なのだし、せっかく美少女に生まれたのだから私だって太りたくはないのだ。

 ただ、こうして、ヤバそうな現場に向かっている時なんかは別である。

 単純な話なのだが、なんというか、これからまた怖い目に遭うんだろうなって思うと(たが)が外れてしまうのだ。

 自分でもよくわからないが、ヤなことと楽しいことのバランスを取りたくなるのかもしれないな。

 

 このまま家に帰りたいなあと、しんみりと思った。




制服で征服ってね。

今回登場した、たら〇の「濃い北海道メ〇ン蒟蒻ゼリー」(コンビニで割と見かけます)と、セブ〇の「ウーピーパイ」(菓子パン)は甘いのがお好きな方にはおすすめです。どちらも結構甘いので、甘いのがあんまり得意じゃない方には甘すぎるかもしれませんが……。
ちなみに私の家には現在、濃い北海道メ〇ン蒟蒻ゼリーが28本(アマ〇ンで30本入りを箱買いしました。)と、ウーピーパイが4つあります。


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御札ノ家

文字数は多くなってしまいましたがお札の家編終わってません、いわゆる前編ってやつです。


「着いたぞ。起きろ、ヤマコ」

 

 杠葉(ゆずりは)さんに肩を揺さぶられて、目を開く。

 目覚めると同時に、ワイルド系のイケメンに『眠り姫のお目覚めだ』って言われるのが私の小さな夢なのだが、今日も叶わなかったな。杠葉さんは顔はいいけどワイルドでもなければそういうセリフを言うような人でもないし、まずは言いそうな知り合いを作らないといけないか。

 

 あくびをしつつ、のそのそと車から降りる。真っ暗な空の下、トンビコートを着た杠葉さんが眉根を寄せて私を見ていた。その脇に、アンコちゃんとバッケちゃんが手をつないで立っている。

 

「散々起こしたぞ。カカオの(つゆ)がどうこうと寝言を言っていたが、まだ食べたりないのか?」

 

 ああ、そんなお菓子が今朝のニュース番組で紹介されていたっけな。そういえばスイちゃんがお取り寄せするようにって、さっきまで脳内で囁いていた気がする。しかし、私が寝るたびに何かしらおねだりをしてくるな、あの子。

 

「んん……今って何時なんですか?」

 

()(こく)、陰陽道の流れを汲む冷光家(うち)では不定時法を採用しているから、立夏(りっか)の今は夜九つ半だな」

 

「意地悪しないで私にもわかるように教えてくださいよ」

 

「午前0時12分、ちょうど日付が変わったくらいだ。むしろ俺としては、お前にわかるようになってもらいたいのだがな」

 

「というか、え? なんか、目の前にヤバそうな建物があるんですけど……え、まさか今から行くんですか?」

 

「俺とて下見もせず、夜中にこういった場所には踏み込みたくないが、東根(ひがしね)がまだ生きてどこかに居るかもしれないからな。行ってみるしかないだろう」

 

 私としては朝になってから探せばいいんじゃないかと思うが、杠葉さんは真面目だな。東根先生が行方不明になったのは四日前だと飯尾(いいお)が言っていたが、四日もここにいて生きているとすれば多分明日の朝でも生きているだろうし、亡くなっているとすれば今行ったところで手遅れなのだから。

 

 現場だからか、アンコちゃんがいつもよりもきりっとした表情で言う。

 

「お札の家を出て、一つ目の蔵には入ることができなかったと飯尾さんは言っていましたよね。とすると、一番奥に見える蔵が東根さんが失踪したという、二階に(ひつぎ)のような物が並べられていた蔵でしょうか?」

 

 道路を挟んで、まず目に入るのは山の(ふもと)にぽつんと佇む、ぼろぼろになった木造平屋(ひらや)建ての廃家(はいか)だ。奥に塀で囲われた蔵らしき建物が二つくっついているものの、周囲によその家などは見当たらない。

 なんだか、仮に心中事件が起きていなかったとしても、やっぱり廃墟になっていたのではないかと思ってしまうような住環境である。とはいえ、冷光(れいこう)家のお屋敷もアンコちゃんの実家も、それに私が居候している祖父の家だって似たようなものなのだが。

 

 ふと気がつくと、杠葉さんが私を見ていた。もしかして、かわいい私に見とれてしまっているのかな?

 

「まずは俺とヤマコで建物の外から様子を窺う。その間、杏子(あんず)白髪毛(しらばっけ)は玄関前で待機だ。ヤマコ、先に行け」

 

 所謂(いわゆる)廃墟と呼ばれるようなこうした場所は、普通に事故が起きる可能性も高く、妖怪やら幽霊やらといった存在の有無にかかわらずそもそも危険だ。割れたガラスやらで怪我をするだとか、錆びた釘を踏み抜いて破傷風になるだとか、足元が見えないで崖から落っこちるだとか、腐った床が抜けて二階から落っこちるだとか、スズメバチの巣があって刺されたりもすれば、地域によっては毒を持った蛇がいて踏んづけてしまったりもするし、野犬なんかのねぐらになっていて戦いになったりもして、とにかく危険が多い。さらに言うと、性質(たち)の悪い不良グループがアジトみたいにして溜まっていることもあれば、強姦魔やらといった犯罪者が犯行場所として使っていたりすることさえある。

 そんな危険な場所を探索するのに未成年の女の子を先行(せんこう)させようだなんてあまりにひどすぎる話だが、しかし、杠葉さんは私のことを妖怪だと信じ切っているので仕方がないといえば仕方がない。

 それに、ヤマコアイは暗闇を見通すので実際に適任だからな。緑色に光る目を人に見られるのは恥ずかしいが。

 

「じゃあ、はい。一番、ヤマコ行きます」

 

 もちろん、杠葉さんが「二番、杠葉行きます」と言ってくれることはなかったが、代わりにアンコちゃんが「気をつけてくださいねー」と手を振ってくれた。余談だが、いつかアンコちゃんのことを「ママ」と呼び間違えてしまいそうで少し怖かったりする。

 

 生い茂った庭木や雑草に難儀しつつも、木の枝をかき分け、(やぶ)の隙間を(くぐ)って、杠葉さんの忠実な式神である私はどうにか歩を進めていく。

 元々は雨戸が閉められていたようだが、その雨戸も所々外れて落ちていたりもして、外からでも問題なく建物の中を覗き見ることができた。

 しかし、やはりホラー作家がわざわざ取材に訪れるだけあって、内部の様子は異様なものだ。

 (たたみ)の腐った和室の前で、足を止めて言う。

 

「うわっ……話には聞いていましたけど、ほんとにお(ふだ)だらけですね」

 

 ほとんどは破けてしまっているものの、壁中にお札が貼られていた形跡がある。部屋の四隅の柱の低い位置には謎の小さな丸い鏡が貼ってあり、壁の左右に一つずつ、なぜか神棚が二つも取りつけられていた。

 

「なんで二つも神棚があるんでしょうか。よく知りませんけど、神棚って普通は一家に一個じゃないんですか?」

 

「いや、別に同じ家の中に複数あっても問題はない。それと、神棚を数える際の単位は個ではなく、『ウ』だ」

 

「う?」

 

「宇宙の『()』と同じ字を書く。この宇という助数詞は神棚の他にも建物や屋根、天幕などを数える際に(もち)いたらしいが、現在ではおそらくあまり使われていない」

 

「へー。(はら)い屋さんっぽい雑学ですね、さすがです」

 

「雑学扱いをするな。お前もうちの関係者となったのだから、少しずつでも知識を付けろ」

 

「あっ、はい。すみません……」

 

 そうは言っても、神棚を数えることなんて今後の人生においてもそうそうないと思うし、実際に用いることがない知識なんてものはやっぱり雑学でしかないんじゃないのかな? なんてことを思いもしたが、とりあえず気を取り直して歩みを再開する。

 

「こっちの部屋は、居間ですかね。こっちもさっきの和室と似たような状況ですけど、神棚に加えてお仏壇も沢山ありますね……よくこんな家に住んでいましたよね、こんなに鏡があったら後ろにオバケが映りそうで落ち着けませんよ」

 

「おそらく鏡は風水を意識して貼ったのだとは思うが、それにしては配置が支離滅裂なのが少し気にかかるな」

 

「間違っちゃってるんですか?」

 

「貼ってはならない所にまで鏡が貼られている。祭祀(さいし)によく用いられる火や水に食物(しょくもつ)、そして鏡といった物は(けが)れを祓うにも役立つが、使い方を一つ誤れば穢れを集めてもしまう。それらの物はあくまで(なかだち)に過ぎず、使い方次第で効果が変わる」

 

「えっと、じゃあ、この家の鏡は……」

 

「穢れを集めてしまっているな。意図したものかはわからないが、外から屋内に穢れを呼び込み、中に閉じ込めて外に出さないようにしている」

 

 うわあ……そんなことを聞いてしまうと、お札の家がさらに怖く見えてくるぞ。

 何が嫌って、外から様子を見終わったら、多分今度は屋内を探索させられることになるわけで……どうしよう、もしもここで私がわざと転んで足をくじいたりしたら、杠葉さんは車で待っているようにと言ってくれるだろうか?

 いや、言ってくれないな。ただ足が痛くなるだけだし、止めておこう。

 

 外からお札の家の周囲をぐるりと一周して、再び玄関の前に戻ってくる。バッケちゃんとアンコちゃんがさっきと同じ位置に立って待っていた。

 息をつく間もなく、杠葉さんが言い出す。

 

「中に入るぞ。またヤマコが先行して、白髪毛は俺について来い。杏子は車に戻って、蔵を含めた周囲一帯を見張っていてくれ。何かあったら連絡するか、急ぎであればとりあえずクラクションを鳴らせ」

 

「はい、わかりました。皆さん、気をつけてくださいね」

 

 ぺこりとお辞儀をして、アンコちゃんが一人で車へと戻っていく。ズルいぞ、足をくじいてもいないくせに……。

 しかし、車で待機なんて、奴隷どころかお姫様のポジションである。さっきまでアンコちゃんを心の中で奴隷扱いしていた私だったが、本当の奴隷はどうやら私の方だったらしい。

 

 杠葉さんの良き奴隷(しきがみ)である私はスニーカーを履いたまま、引き戸が二枚とも外れて倒れてしまっている玄関からお札の家に上がる。靴を履いていると怪我をしにくくなるし、すぐに外に逃げられる反面、こうした木造の住宅なんかを歩くときには足音がやたらと大きくなるのが難点だ。それでもスニーカーなので、ブーツなんかと比べたらだいぶマシではあるが。

 まるで炭鉱のカナリアになった気分で、ゆっくりと廊下を歩いて行く。ヤマコアイが優秀なおかげで真っ暗な屋内もよく見えるが、だからといって勢いよく突き進むような勇気はなかった。

 床板がだいぶダメになってきているようで、歩くたびにギシィッ、ミシィッと嫌な音が鳴る。床が抜けて、本当に足を負傷しなければいいが。

 適当に部屋の様子を覗き見しつつ、まずは居間だったと思わしき一番大きな部屋に入る。

 

「どの部屋も物が多いな。家を相続した家族が失踪したという噂が立ったのは、このせいか?」

 

「ですかね。でも、これが全部心中した家族の持ち物だと思うと、それはそれでやるせない気持ちになります。なんか、子どもが描いたっぽい家族の絵とかもありますし……」

 

「どんな絵だ、見せてみろ」

 

「えっと、どうぞ」

 

 杠葉さんに拾った絵を手渡す。画用紙にクレヨンのような物を使って描かれた、たぶん家族四人が手をつないで横並びになっている絵だ。背景には太陽と、虹が描かれている。

 懐中電灯で照らしながら、一瞥(いちべつ)しただけで杠葉さんが絵を返してくる。

 

「ふむ……ただの絵だな。元あった場所に置いておけ」

 

「え、はい。何を確かめていたんですか?」

 

「予告画といって、自分や、他人の死を事前に予言していたかのような絵を描く人間が稀にいる。念のために、そういった絵でないか確認しただけだ」

 

「へー、そんなのがあるんですか。でも、運命って呼ばれるようなものがあって、本当に予言しただけならまだしも……その人が描いた絵の通りに未来が変わるんだとしたら、めちゃくちゃ怖いですね」

 

「さてな。仕組みは俺にもわからないが、何にせよそんな物を描く人間とは知り合いたくないものだ」

 

 それはそうだ。いつ自分の絵を描かれるかわからないし、堪ったものではない。私や杠葉さんのように見栄えのする容姿をしていると、モデルにされてしまう可能性も高そうだしな。

 

「神棚、家の外から見ていたときは一部屋につき二つずつなのかと思っていましたけど、外に面した壁の上にもついていますね。だから、えーと、一部屋につき三戸前(とまえ)ですか」

 

「……戸前は蔵だ。神棚は宇、だ」

 

「あっ、そうでしたっけ? でも、あながち間違いとは言い切れないんじゃないでしょうか? だって神棚にも戸がありますし、蔵にも屋根があるじゃないですか」

 

 つまり私は間違えてない。はい、論破。

 

「お前の言い分もわからなくはないが、つべこべ言わずに覚えろ。次の部屋に行くぞ」

 

 先に行けということだろう、背中を押されたので居間を出て、隣の部屋に入る。

 後ろをついてきた杠葉さんが、懐中電灯で室内のあちこちを照らしながら言う。

 

「しかし……悪い気が溜まってはいるが、それだけだな。特別な何かの存在は感じない」

 

「なんか空間の歪みとか、そういうのもないんですか?」

 

「ないな。何かあるとすればここではなく、やはり蔵か」

 

「でしたら、お札の家はささっと済ませて蔵に行きますか」

 

 ノートやアルバムの中身や、引き出しの一つ一つを探るようなことはせずに、押し入れの中を覗いて確認しただけですぐに次の部屋に移動する。

 トイレや浴室まで見て回ったが、結局何も手がかりを得ることができないまま、私たちは外に出た。

 

「なんにもありませんでしたね」

 

 私がそう言うと、ずっと無言で最後尾を歩いていたバッケちゃんが寄ってきて、私の着ている白いコートの裾をくいっと引っ張る。

 

「どうしたんですか、バッケ先輩?」

 

「ん!」

 

 バッケちゃんが小さなにぎりこぶしを突き出してきたので、何か渡したい物があるのかなと察した私は手のひらを広げる。

 バッケちゃんが私にくれたのは、四枚のおはじきだった。

 

「え、ええ……? 先輩これ、もしかしなくても、お札の家で拾いましたか? う、うわあ……」

 

 背筋が(あわ)立つ。

 どうしよう。お札の家にあったおはじきなんて絶対に持って帰りたくないぞ。でも、どことなく一仕事終えたような雰囲気のバッケちゃんに、せっかくくれたお宝を突き返すのもためらわれる。いやでも、絶対に持って帰りたくない。

 

「あの、えと、えと、プレゼントは凄く嬉しいんですけど、これは持って帰っちゃいけないやつなんですよ、バッケ先輩。ぼろぼろのお家ですけど、人様の家にあった物ですからね、これ。持って帰ったら窃盗罪ですよ、犯罪ですよ犯罪。ね? ですよね、杠葉さん?」

 

「そもそも、その人様の家に勝手に踏み込んだ時点で、俺たちが犯罪者であることに変わりはないが……そうだな。あった場所に戻して来い、白髪毛」

 

「や」

 

 おっと? 杠葉さんに(たて)突いたぞ。

 ヤバい廃屋でヤバいおはじきを拾ってくるわ、杠葉さんには逆らうわ、怖いものなしだな。さすがバッケちゃんだ、ハッチーから『メンタルお化け』と呼ばれて恐れられているだけのことはある。

 

「白髪毛。それは亡くなった子どもの物だ、返してやれ」

 

「ん……」

 

 しかし、杠葉さんが言い方を変えて再度命じると、今度は小さく頷いたバッケちゃんが私の手からおはじきを回収して、お札の家へと駆けていく。

 

「なるほど。バッケ先輩に言うことを聞かせるには、言い方が大事なんですね」

 

「そうだな。白髪毛は頑固だが、話を聞かないわけではない。ただ、こちらがまったく予想もしないような突飛な行動を取られてしまうと、さすがに止めようもないがな」

 

「うちの山を燃やそうとした件とかですか」

 

「あれには俺も驚いた」

 

「あ、そうでした。杠葉さんも気がついているかもしれませんけど、バッケ先輩って車が来ていても止まろうとしないんですよ。あれはどうにかしないと危ないと思います、車に乗っている人が」

 

「確かにそれは危険だな、あとでよく言い聞かせておく……いや、車を蹴ったりするなとは言ってあったのだがな。単純にぶつかっただけでも車に乗っている人が怪我をしたり死んだりするということを、伝えきれていなかった」

 

「えっと、もしかしてですけど、車を蹴っ飛ばしちゃったことがあるんですか?」

 

「初めて白髪毛を連れて家の外に出た時、歩道を歩かせていたら、路上駐車していた車を避けずに蹴り飛ばしたことがある。首輪をつけていたから滅多なことは起こらないだろうと思っていたのだが、家を出てたった数分の出来事だった」

 

「え、それって人は乗ってなかったんですよね?」

 

「幸いにな。だが、人が乗っていたら死んでいただろう。大型トラックに突っ込まれたような潰れ方をしていたからな。持ち主には潰れた車の新車購入額の倍を支払う代わりに、何が起きたのか詮索しないと約束してもらえたが……監視カメラがなくて助かった」

 

 怖っ。やっぱりヤバいな、妖怪って……あんなに可愛いバッケちゃんの、短いあんよから繰り出されるキックが、大型トラック並みの威力を発揮してしまうんだもんな。

 妖力(ようりょく)って、いったい何なのだろう。うんぬばの体当たりも妖力を打ち消してしまえばなんてことなかったが、普通は馬のような巨体のお婆さんが突っ込んできたらそれだけで結構な衝撃があるはずだし、本当に意味がわからない。

 

 そんなことを考えていると、てててててっとバッケちゃんが走って帰ってくる。

 バッケちゃんは長い髪の毛もお肌も真っ白だから、闇の中で光り輝いて見えるな。いや、ヤマコアイを持っていない普通の人が見たら、さすがに光っては見えないのかもしれないが。

 そのまま杠葉さんのそばまでやって来たバッケちゃんが、杠葉さんのトンビコートの裾を握ってお札の家の方へと引っ張る。

 

「何かあったか?」

 

「ん!」

 

「何かあったようだな、もう一度行ってみるか。ヤマコも来い」

 

「あ、はい。えっと、今度は後ろにいていいんですよね?」

 

「ああ。白髪毛を先に行かせる」

 

 杠葉さんと一緒にバッケちゃんについて行き、お札の家に戻る。

 すると、廊下の途中で足を止めたバッケちゃんが、何もない壁をじっと見つめて小さく首をかしげた。

 杠葉さんがバッケちゃんに(たず)ねる。

 

「ここに何かあったのか?」

 

「ん」

 

 バッケちゃんが頷くが、私には何の変哲もないただの汚れた壁に見える。もしかして、壁の中に死体でも埋められているのだろうか?

 なんだかよくわからず、杠葉さんと互いに顔を見交わしていると、バッケちゃんがぽつりと言った。

 

「かいだん、あった」

 

「え、階段ですか? でも、ここって平屋ですよ?」

 

「だが、飯尾の話では、行方不明になる直前に、東根が蔵で存在しないはずの二つ目の階段を見つけていたな」

 

 そういえばそうだった。なんというか、非常に不気味な一致だな。こうなると偶然とは思えないぞ。

 何せお札の家は平屋だし、バッケちゃんが階段と見間違えるような物も見当たらない。

 

「あ。もしかして、ゲルニカでもあるんでしょうか?」

 

「ゲルニカ? ピカソの絵、確かスペインの地名だったか……? どういうことだ?」

 

「え、あ、えっと、違いますよ、屋根裏部屋のことです!」

 

「ならば、グルニエの間違いだと思うが……」

 

「あっ!? そうです、そうでした! グルニエです、グルニエ! 私が言いたかったのはそれです!」

 

「だが、仮にそういったものがあったとしても、やはりこんな所に階段があるのはおかしいだろう。確かこの壁の裏にも部屋があったはずだ、おそらく階段を設けるような空間は存在しない……しかし、ゲルニカと間違えていたとはいえ、日本の山に居たあやかしがグルニエなんて言い方をよく知っていたな」

 

「うっ!? あの、恥ずかしいので、間違えていた件は忘れてほしいんですけど……東根先生の著書に、グルニエっていうタイトルの短編があるんです。東根先生はよくかっこいいルビを振るんですけど、その短編の中で屋根裏部屋と書いてグルニエと読ませていたんです。それを見てなんとなくかっこいいなと思っていたので、いつか自分でも使ってみたかったんですよ」

 

「東根が書いたそのグルニエという短編小説だが、どういう話だったか覚えているか?」

 

「えっとですね……確かフランスの話で、パリで一人暮らしをしている男が主人公なんですけど、彼は自分の実家にグルニエがあった記憶があって、そこで兄弟たちと遊んだりしたことも覚えているんです。でも、母親と電話で話したときにふとグルニエの話をしたら、『そんなものうちにはない』って言われちゃうんですよ。不思議に思った彼はクリスマスに実家に帰った際にグルニエを探してみるんですが、どこにも存在しないんですね。集まった兄弟たちにも聞いてみるんですけど、やっぱり『そんなものは知らない』って言われちゃって……困惑したままパリのアパートに帰るんですけど、それから何年か後に弟だかが事故で亡くなってしまって、夜遅かったんですけど急遽実家に帰ったんです。そうしたら廊下の天井にグルニエの入り口が開いていて、そこから階段が引き落とされていて、主人公が何かに操られているみたいに、当たり前のように階段を上っていって……それで終わりだったと思います」

 

「嫌な終わり方だな……お前は普段、そんな話を好んで読んでいるのか」

 

「いえ、グルニエのお話は東根先生の作品だから読んでいただけでして、正直を言うと全然好みじゃなかったです。やっぱり東根先生の作品は死体が出てこないと物足りないんですよね」

 

「それはそれで理解できそうにないが、そうか。しかし……ここも、その存在しないはずのグルニエと同じなのかもしれないな」

 

「え、やっぱりグルニエがあるんですか?」

 

「階段の先がグルニエかどうかはわからないがな。もっと言えば上りではなくて下り階段という可能性もある。さっきも今も空間的な違和感はなかったが、唐突に入り口が発生して、そしてすぐに閉じるのかもしれない。たとえば、誰かが一人きりでお札の家や、蔵を訪れた時にな」

 

「そういえば飯尾さんが蔵を出て、東根先生が蔵に一人きりになったときに階段が現れて……今も、バッケちゃんが一人きりでお札の家に戻ったタイミングでしたよね」

 

「ああ。偶然かもしれないが、共通点といえばそのくらいだ。可能性としてはありえるな。だが、まずは一度蔵の方も見に行くぞ」

 

 杠葉さんが玄関に向かって来た道を戻り始めたので、私もバッケちゃんの手を引いて後に続く。

 

「私、そのおかしな階段が出てきたとして、行かないですからね……だって、戻って来られなくなったら怖いですもん」

 

「そこを行く以外にもう手段がないとなったら、東根の捜索を諦める。ないとは思うが、万一お前が異界に封じられでもしたら困るからな」

 

 え、あれ? 杠葉さんがデレた……?

 え、もしかして、私のこと好きなのかな?

 

「あの、あの杠葉さん。明日は高級なステーキ屋さんに連れて行ってください、杠葉さんの(おご)りで」

 

「行かん」

 

「あ、はい。行きませんよね、すみませんでした……」

 

 これはいったいどういうことだろうか、私のことが好きなんじゃないのかな?

 それとも、ただの照れ隠しか? うーむ、さっぱりわかんないぞ。

 

 お札の家から再び外に出る。廃屋の中は(ほこり)っぽく、空気が(よど)んでいたので、外の新鮮な空気がとてもおいしく感じる。

 飯尾が言っていた通り、お札の家の隣に建つ蔵を囲む塀は、鉄板で完全に塞がれていた。鉄板を固定するのに使われているボルトなども(さび)により真っ赤になっているし、最近になって塞がれたわけではなさそうだ。

 杠葉さんの判断でこの蔵の探索は後に回すことになり、奥に建つ、東根先生が失踪した蔵へと向かう。

 こちらの蔵を囲む塀は塞がれておらず、錆びていて重たかったものの引き戸も動いた。

 ギイ、ガタ……ギギ、ガタタタッ……と音を立てて、何とか人が通れるくらいの隙間を作り、中に入る。

 いくつか物は置かれてはいたが、蔵の一階は飯尾が言っていた通り片付いていて、人が隠れられるようなスペースも、二つ目の階段も見当たらない。

 

「あとは、(ひつぎ)のような物があるという二階か。ヤマコ、先に行け」

 

「いやもう、ほんとに、照れ隠しにしてもひどすぎますって。私だって怖いんですからね?」

 

「? 何を言っている? いいから早く二階に上がれ」

 

 眉間にしわを刻んだ杠葉さんに急かされてしまい、しぶしぶと階段に足をかける。

 好きな女の子にわざわざ怖い思いをさせて、嫌われちゃったらどうしようとか杠葉さんは思わないのだろうか? それとも、やっぱり杠葉さんが私を好きっていうのは私の思い違いなのかな? いや、だけど、吊り橋効果を狙っているとか、実は美少女の涙が大好物とかいう可能性もあるな……。

 

 そんなことを考えながら、階段――梯子(はしご)と階段を足して2で割ったような物――を上っていき、無事に二階に到着する。私の後に続いて、杠葉さんとバッケちゃんも二階に上がってきた。

 みんなできょろきょろと周囲を見回す。四方の壁に換気用の小さな窓があるだけの、物が一つも置かれていない、がらんとした空間だ。だが、全部の壁と天井に、びっしりとお札が張り巡らされていた。

 懐中電灯の灯りをあちこちに向けながら、杠葉さんが言う。

 

「何もないな、棺はどこだ? それに、飯尾は蔵の二階の壁中にも護符(ごふ)が貼られていたなんてことは、一言も口にしていなかったはずだがな」

 

「ええと、東根先生がいなくなってから今日までの四日の内に、誰かが棺をどこかに持って行っちゃって、壁中にお札を貼ったとか……」

 

「絶対にないとは言い切れないが、数十年も放置されていた物が、この四日の間に持ち出されたのか? しかも、護符はどれもかなり年季が入っているように見える。まだ飯尾が嘘をついていたという可能性の方が高いように思えるな」

 

「あー、まあそういう可能性もありますよね、考えていませんでしたけど。ただ、そうだとしても棺があったなんて嘘をつく意味はわかりませんが……あれ、何か落ちていますね?」

 

 暗闇を見通すヤマコアイが、床の上に転がった手帳のような物を発見した。

 拾って読んでみると、なんとそれは東根先生のネタ帳も兼ねたスケジュール帳だった。

 

「ゆっ、杠葉さんこれっ、これ! 東根先生の直筆(じきひつ)ですよ! たぶん! もしかしたら新作の構想なんかも書かれているかもしれません! 字が凄く上手です!」

 

「何……? 飯尾はその手帳が落ちているのを見逃したのか? まあ、何か手がかりになるようなことが書かれているかもしれないし、あとで車で確認するか」

 

 四つある窓の内、階段を上って左手にある窓を――お札の家の側にある窓から外を見ていたバッケちゃんが、てててててっと駆けてきて、私と杠葉さんのコートの裾を引っ張り出す。

 少し驚いた様子で、杠葉さんが訊ねる。

 

「どうした?」

 

「いえ、ある」

 

 家がある? お札の家の他に、別の家が出現したとでも言うのだろうか?

 気になった私たちは窓際まで歩いていき、外を覗く。 

 しかし、お札の家の他には何の建物も見当たらない。

 

「んん? お札の家しか見えませんけど……」

 

 そう言って私は首をかしげるが、ふと杠葉さんを見やると顔が強張っていた。

 硬い声で、杠葉さんが言う。

 

「今俺たちが居るのは、塀が塞がれていた方の、探索を後回しにしたはずの蔵の二階だ」

 

「は? えっと、どういうことですか?」

 

「奥に建つ蔵からこちら側を見たら、お札の家との間に建つもう一つの蔵が見えるはずだ。蔵と蔵の距離が近いから、きっともう一つの蔵に隠れてお札の家は見えないだろう。だが、この窓からはお札の家だけが見えている……」

 

「えっ、えっ? でも、じゃあ、なんで東根先生の手帳がここに? 塀はさっき通ったときにも塞がれていましたし、東根先生は首と腰が悪くて乗り越えることもできないって飯尾さんが言ってて……」

 

大方(おおかた)、東根が見つけた、存在しないはずの二本目の階段がここに繋がっていたのだろう」

 

「ええっ? なら、今私たちが上ってきた階段もそうだったってことですか? だけど、蔵の一階には他に階段なんてありませんでしたよね?」

 

「何がどうなったのかは俺にもわからない。もしかしたら入り口を通って、蔵に入った段階ですでにこちら側に飛ばされていた可能性もある」

 

 突然、ぞわりと、全身に鳥肌が立った。

 まだ見てもいないはずの、四つ並べられた棺がなぜか、はっきりと想像できてしまう。

 その内の一つから、人間の女のような形をした黒い(もや)が這い出てくる。

 虫の声ひとつしない静寂を破って、プウウウウウウウウウウウウウウウッと緊急事態を報せるクラクションの音が外から聞こえた。

 直後に、ギイ、ガタ……ギギ、ガタタタッ……という物音が、下の階から聞こえてくる。多分、蔵の引き戸が開かれた音だ。

 そして……ギシィッ、ミシッ、ミシィッ……と、階段が下から一段ずつ、軋んで鳴り始める。

 

 もしももなかちゃんがここに居たなら、もうショック死しているかもな――現実逃避気味に、ふとそんなことを私は思った。



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棺の中で夢を見る

「ひいい、なんか頭の中に見たこともない映像が流れてきて、これ、何か階段上がってきてますよね!? 幽霊? 幽霊ですか? その、心中事件を起こして自殺したっていう長女の!? 私たちの頭も、かち割ろうとしてるんですか!?」

 

「頭をかち割ろうとしているのかはともかく、幽霊なんて気配ではないな。おそらく長女は、事件を起こす前からこいつに巣食われていたのだろう。多分こいつは寄生虫のように長女の中で育ち、長女を殺して外に出てきた……まあいい、来るぞ」

 

「何もよくないです! 来させちゃダメですから、ぜったいぜったいにダメですから! 来させないで杠葉(ゆずりは)さんがどうにかしてください!」

 

 恐怖と緊張でいっぱいいっぱいになってしまい、思わず私は杠葉さんにしがみつく。

 

「おい、邪魔をするな! 離せ――なっ!?」

 

 もみあっているうちに杠葉さんが指の間に挟んでいた霊符(れいふ)がするりと抜け落ちて、開いたままの窓から吹き込んだ風により離れたところに飛ばされていってしまった。

 般若(はんにゃ)みたいな形相(ぎょうそう)の杠葉さんが、ぎろりと私を(にら)む。

 

「お前……!」

 

「わ、わわざとじゃないんです、ほんとです! あ、あう、ごめんなさい! なんでもしますから怒らないでください!」

 

「ならばさっさと、俺の術が必要になる前にあいつを(はら)ってこい!」

 

「はっ、はい!」

 

 人型をした黒い(もや)の頭部が、階段の下からぬるっと出てきた。

 うんぬばと戦った後に、まだうんぬばがただの靄だった間に消滅させてしまえばよかったなと後悔したことを思い出して、だったら今回はこれ以上怖い思いをさせられる前にやっつけてしまおうと考えた私は拳を振り上げて階段に向かって走る。

 そして、勢いを殺さずに階段の下り口へと駆け込みながら、思い切りパンチを放つ。

 

「そりゃあっ!!!」

 

 ――あれ?

 怖いからあんまり見たくなかったし、パンチをすることに集中していて気づくのが遅れてしまったが、よく見ると人の形をした靄は階段に這いつくばっていた。

 てっきり私は、わざわざ人の形をしているのだから靄は直立二足歩行で、人と同じような姿勢で階段を上がってきているのだと思い込んでいたから、ついパンチしてしまったが……これじゃ当たらないぞ!?

 

 私の拳が靄の上空を(つらぬ)く。

 そのまま、ダガガガッゴンッと凄い音を響かせて階段を転がり落ちた私は、一階の床に激突して仰向けに倒れる。

 階段の上にいた黒い靄が、這いつくばったまま四本の手足を虫のように動かして、ダダダダダダダダッと階段を後ろ向きに駆け下りてくる。

 背中を打ってしまい痛みに(あえ)ぐ私の口を目掛けて、人型を崩した黒い靄が一気に流れ込んできた。

 

 

◆◇◆◇◆◇< 杠葉視点 >◆◇◆◇◆◇

 

 

 ただの人間ならば死んでいてもおかしくなさそうな物凄い音を立てて、ヤマコが階段を転げ落ちていった。

 あいつはいったい、どういうつもりなのだろうか?

 どこまでが本気なのかがわからない。何も知らないのかと思いきや、さりげなく俺が必要としている情報を差し込んできたりもする。少なくとも、あれだけの妖力(ようりょく)を持った大妖(おおあやかし)なのだから、かなり長く生きているはずだ。当然祓い屋のような連中や、他の大妖とかかわることだってあったはずである。やはり、何も知らない振りを――馬鹿の振りをしているのだろうか?

 

「……だが、今こうして階段を転がり落ちることに、どんな意味があるんだ?」

 

 首をひねる俺の脇で、白髪毛(しらばっけ)もまた、ぽかんとした顔で階段の方を見ている。俺と一緒で、やはりヤマコの奇行を理解できないでいるのだろう。

 ヤマコがなかなか戻ってこないので一応様子を見に行こうかと思ったところで、ギシ……ギシ……と、何者かが階段を上がってくる音が聞こえてきた。

 大妖が階段から落ちたくらいで死ぬはずがないので心配はしていなかったが、戻ってくるまでにずいぶんと時間がかかったな。下で何かしていたのだろうか?

 

「無理やりおいしくない物を食べさせられたわらわの気持ち……お前さまは理解しているのでしょうか、お前さま」

 

 よくわからない独り言を言いながら階段を上がってきたヤマコは、いつもよりもずっと邪悪な気配を身に(まと)っていた。

 以前、山でヤマコに睨まれた時を除いて、怯えを見せたことがない白髪毛が「ヴウウウッ」という(うな)り声を上げる。

 

「あら、あら? 白くてぷっくりとしていて、お(もち)のようでおいしそうだこと」

 

 白髪毛を見つめて、そんなことを言ってくすくすと笑うヤマコに俺は(たず)ねる。

 

「どうした? 下で何かあったのか? お前はいつも様子がおかしいが、いつもと比べても一際(ひときわ)様子がおかしいぞ」

 

「わらわは美味なる物を好みます。特に甘味を好みますが、高級ステーキとやらも食してみたいと思うのですよ、お前さま……」

 

 は……? もしかして、さっき高級ステーキに連れて行けとヤマコに言われて、俺が断ったからか……?

 たったそれだけのことで、これほどまでに邪悪で、凶悪な気配を振り()いているのか、こいつは?

 

「……わかった、いいだろう。最初からお前ほどの大妖を、式神として完璧に(ぎょ)することができるなどとは思っていない。その態度は、もはや脅迫のようなものだが……今回ばかりは俺が折れてやる。あのよくわからないあやかしも、きちんと祓ったようだからな。その褒美ということで、高級ステーキを(おご)ってやろう」

 

 そう言い終わるか言い終わらないかのうちに、ヤマコから発せられていた圧力のようなものが突如(とつじょ)として霧散(むさん)した。そのあまりの切り替えの早さには驚く他にない。

 

「えっ!? いいんですか!? やったー!」

 

 なんて現金なやつだろうか。いつもの間の抜けた雰囲気に戻り、両手を上げて喜ぶヤマコを見ていると、正直言って殴りたくて仕方がなかった。

 

 

◆◇◆◇◆◇< 山田視点 >◆◇◆◇◆◇

 

 

「――あのよくわからないあやかしも、きちんと祓ったようだからな。その褒美ということで、高級ステーキを奢ってやろう」

 

「えっ!? いいんですか!? やったー!」

 

 なんだなんだ!? わけがわからないけど、とにかくやったぞ!

 階段から落ちて、靄人間が私の口に入ってきたところまでは覚えているのだが……そのあとって、どうなったんだっけ?

 夢の中でスイちゃんに、「ヒトの身でこれを飲み込んだら死にますよ、お前さま。仕方がありませんから、わらわが食してさしあげますが……無理やりおいしくない物を食べさせられたわらわの気持ち……お前さまは理解しているのでしょうか、お前さま」などと叱られたことは覚えているんだけどな。

 でも、まあいいか。

 そんなことよりも、杠葉さんに高級ステーキを奢ってもらうのが今から楽しみでならない。

 

「スッ、テーエキー♪ スッ、テーエキー♪ なんて素敵なスッテーエキー♪ ……あれ? 杠葉さん? なんか人殺しみたいな目つきになってますけど、どうしたんですか?」

 

 なんだろうな、自分から奢ってくれるとか言い出しておいて、なんでそんなに怖い顔で私を睨むのだろうか?

 しかし、どんな味がするんだろうな、高級なステーキって。うちはあまりお金がなかったし、今まで高級なステーキって食べたことないからな。よくテレビとかで噛む前に溶けちゃうとか言ってるけど、あれって本当なんだろうか? でも、私はお肉は脂よりも赤身の方が好きなんだよな。となると、やっぱりヒレの……えーっと、なんだっけ、あれ? シャンペーンじゃなくて、ガトーショコラじゃなくて……えーっと、えーっと――シャト〇ーゼ? とにかくあれが食べてみたい。

 

「おい、いつまで踊っている? ひとまず外に出るぞ、杏子(あんず)が心配しているだろうしな。それに東根(ひがしね)が失踪した原因と思われるあやかしを祓ったのだから、改めて東根を探さなければならない」

 

「はーい! スッテーキ!」

 

「黙れ、それ以上ステーキと言うな。これは命令だ」

 

 杠葉さんはいったい何を怒っているんだろうな。それとも、こういう態度は全部照れ隠しなのかな?

 急に高級ステーキを奢ってくれるだなんて自分から言い出すくらいだし、杠葉さんが私に惚れてしまっているというのはもう間違いないもんな。

 なんというか、思っていたよりも初心(うぶ)な人だったようだ。

 

 照れ隠しが止まらない杠葉さんが「先に行け」と命令してきたので、先頭に立って階段を下りる。いくら照れ隠しとはいえ、こんな風に好きな女の子をいじめていたら絶対にモテないだろうな。

 

 階段を下りると、さっき入った蔵の一階とは様子が違っていた。

 というか、わかりやすく(ひつぎ)のような物が一つ、中央に鎮座(ちんざ)している。

 私はそれを指さして、後ろにいる杠葉さんに言う。

 

「ゆ、杠葉さんあれ、あれ! 棺です、棺!」

 

「何……?」

 

 杠葉さんが手にしていた懐中電灯で棺を照らす。

 そして、すぐに「違うな」と言った。

 

「多分それは長持(ながもち)だ。一昔前まで衣類などの収納としてよく使われていた道具で、うちの納戸(なんど)にもいくつかある」

 

「え、そうなんですか? で、でも、棺じゃないにしても、中に何が入っているかもわかりませんし、なんか怖いですね……」

 

「お前ほどの妖力があれば何が起こっても安全だろう。いいから開けてみろ、丸まれば人間が入れそうな大きさだし、一応中を確かめておきたい」

 

「あ、あのですね、さっきはステーキが嬉しすぎて――ひっ!?」

 

「その言葉を口にするなと言ったはずだ」

 

 また殺人鬼みたいな目つきで睨まれてしまった。

 本当に何なのだろうか? たとえ照れ隠しだとしても、好きな女の子を睨みつけるのはやっぱり良くないと思うぞ。

 

「えっと、えっと、さっきは嬉しさのあまり、気づかなかったんですけど……なんか、背中が凄く痛いんですよね、今。多分、階段から落っこちたときにぶつけたんでしょうけど、だんだんと痛くなってきていて……なので、この長持? のちょっと重そうな(ふた)を開けたりするの、痛そうなんで嫌なんですけど」

 

 いやもう、ほんとに背中を少しでも曲げたりひねったりすると、なんか背中の右側が痛むのだ。痛むせいで、そのたびに呼吸と足が止まってしまうのだ。

 

「嘘をつくな。あの程度のことで、お前ほどの大妖が怪我などするわけがない。いいからさっさと開けろ」

 

「うう、嘘じゃないのに……杠葉さんのバカ」

 

 私は泣きそうになりながら、長持の重たい蓋を両手で「よいしょ」と持ち上げる。

 長持の中に、ベージュ色をしたボディラインを強調するニットワンピースを着て黒いタイツを履いた、明るい茶色のセミロングヘアの、凄くエッチな体をした美女が丸くなっていた。

 くりっとした猫目は開かれており、(とび)色の瞳がじっと私の顔を見つめている。鼻筋は綺麗に通っていて、桜色の唇はグミみたいにぷっくりとしていた。

 

「ほう……、これは興味深い。何とも美しい瞳だね」

 

 ハスキーな声でそう囁いて、長持の中で起き上がった女が両手を伸ばしてきて、私の頭をつかんで固定する。閉じられないようにするためか、まぶたも指で押さえられた。

 ゆっくりと女の美貌が近づいてくる。

 長持の蓋を支えている両手は使えないし、背中が痛いせいで首を反らすことさえままならず、私は抵抗できない。

 そんな私の眼球を、女の妙に長い舌が、レロレロ、ピチャピチャと音を立てて(ねぶ)る。左の眼球も、右の眼球も、交互に何度も、じっくりと。

 

「お前が東根だな? とりあえず、うちの式神の目玉を舐めるのはよせ」

 

 長持を開けたら女がいたという段階から驚きの連続で、なんだか夢を見ているような感覚というか、思考が働かずにどうしたらいいのかわからなくなっていた私だったが、背後から杠葉さんの声がしてようやく正気に戻った。

 

「――えっ!? 東根先生!? これ、妖怪じゃないんですか!? いやっ、やめて、舐めないでください、ちょっと!?」

 

「んっちゅるぅ……その目だが、二つもあるのだから一つ私に譲ってくれないか? 私の目玉とでよければ、交換するのでも構わないが」

 

「い、嫌ですよ! ダメです、痛そうですし片目が見えなくなっちゃうじゃなないですか!? そりゃあ私だって、できれば普通の目の方がいいですけど……あ、あの、ほんとにあなたが東根先生なんですか? ホラーミステリ作家の? う、嘘ですよね?」

 

「ああ、いかにも。私が東根錦だよ。とはいっても、もちろん本名ではないがね」

 

「そ、そんなっ……!? 私の中の東根先生は、クマが濃くて無精ひげが生えててガリガリに痩せててひどい猫背で何年も切ったことのない長い髪を適当に結わえてヨレヨレのずっと洗ってないボロを着たお風呂にも入っていない汚いおじさんだったんです! なのに東根先生が実は美人でエッチなお姉さんとか、その、解釈違いといいますか、突然すぎて受け入れられません!」

 

「ふむ。君の言っていることもわからなくはないが、しかし、これが現実なのだから仕方がないだろう? 私に汚いおじさんになれとでも言うのか? まあ、そうすることで君の眼球を一つ貰えるというのであれば、努力はしてみるが……」

 

 うう、珍しい色をした私の眼球に物凄くこだわっているあたりが凄く本物の東根先生っぽいが、でも、だけど、やっぱり認めたくない。

 

「だ、だいたい、首と腰に持病があるとか飯尾(いいお)さんが言っていましたし、やっぱりお年寄りを想像するじゃないですか! なんでそんなにぴっちぴちなんですか!?」

 

「作家というのは座り仕事だからな、首や腰というのは痛めやすいんだ。それに若く見られて悪い気はしないが、私はそれなりに年寄りだよ。肌艶がいいのはそれだけ気を使って、お金と時間をかけてケアしているからだな」

 

(いわ)くつきの棺に入ったりしちゃう人が、なんでそんなに美容に気を使っているんですか!?」

 

「それとこれとは別だよ、女というのはいつまでだって若く綺麗でいたいものだろう? でないと、さくらんぼも食べられなくなってしまうじゃないか」

 

 さくらんぼ……? そういえば何かの雑誌で、記者から好きな食べ物を聞かれた東根先生がさくらんぼと答えていた記憶がある。

 うう、私の中のイメージと違いすぎていて受け入れがたいけど、やっぱりこの人が東根先生なんだ……。

 でも、若く綺麗でいないとさくらんぼが食べられなくなるって、いったいどういう意味だ? 東根先生は頭が良いから、実は何か深い意味があるのかもしれないがよくわからなかった。

 

「えっとえっと、そもそもですね、東根錦なんて名前、女の人だなんて思わないじゃないですか! そもそもそれが悪いんですよ、なんでそんな男の人っぽい名前にしたんですか!?」

 

「私はさくらんぼが好物でね、特に君くらいの年頃の、未成熟なさくらんぼが。さくらんぼといえばやはり佐藤錦だろう? だが、さすがに品種の名前そのままというのもどうかと思って、佐藤錦が生まれた地、東根を苗字に使ってみたのさ」

 

「うっ、うう……! ゆ、杠葉さんはもしかして、東根先生が女性だってこと知ってたんですか!?」

 

「当たり前だろう。顔写真なども含めて、飯尾から事前に情報を受け取っている。性別もわからない相手を探すわけにもいかないだろう?」

 

「なんで教えてくれなかったんですか!? 私だって事前に知っていれば、ここまで、なんかこう、失恋みたいなショックを受けなかったかもしれないのに!」

 

「別に隠していたわけではないが、お前は東根のファンなのだから俺よりも詳しいかと思っていたし、聞かれもしなかったからな」

 

「うぬぬ……!」

 

「さっきから何を怒っている? 無事にかはまだわからないが、とりあえずお前の好きな東根が生きて見つかったのだから良かっただろうが」

 

「わ、私の初恋だったんです! なのに、なのに東根先生の正体がこんなエッチな体をした痴女だったんですよ!? なんですかこのボディラインを強調したエッチな服は!? 犯罪ですよ犯罪! 下品です、受け入れがたいです!」

 

「ずいぶんな言われようだが、男か女かなんて些細なことだと私は思うがね。なんなら、今晩私と二人で過ごしてみるか? 私が忘れられない夜にしてあげよう」

 

「もうすでに忘れられない夜になってますよ! ううっ、私の東根先生が痴女だったなんて……」

 

 私はめそめそと泣きながら、長持ちの蓋を下ろす。

 蓋に潰された東根が「こら、よせっ、痛い痛い」とか騒いでいたが、知ったことではなかった。

 自ら蓋を開けて長持から外に出てきた東根に、杠葉さんが訊ねる。

 

「結局、ここで何があったんだ?」

 

「ふむ……どこから話したものかな」

 

 そう言うと東根は手櫛で髪を整えて、おもむろに腕を組む。ただでさえ大きな胸がより強調された。なんて嫌な女なのだろうか、Aカップしかない私への挑戦か? ……さすがに分が悪すぎるので、受けては立たないぞ。

 

「実は私には、ホラーミステリ作家の他にも(のろ)(やぶ)りに人形師、古物商に呪物(じゅぶつ)蒐集(しゅうしゅう)家といったいくつかの顔があってね。今回この場所にやって来たのも、取材というのは建前で、本当は蒐集家として『棺』を持ち帰り、私のコレクションに加えようと思ってのことだ。取材と嘘をついたのは、そう言っておけば飯尾という男手が手に入るからだな。やつに棺の運搬をさせようと思っていた」

 

 え、曰くつきの廃墟にある、曰くつきの棺を自宅に持ち帰ろうとしていたのか……エピソードはヤバいが、だからこそなんだかちょっと安心するな。たとえ美人でオシャレでおっぱいが大きくても、東根先生はやっぱり東根先生なんだなって思えてくるというか……。

 杠葉さんが凄く嫌そうな顔で、東根先生に言う。

 

「知っているとは思うが、廃墟になっているからといって、他人の敷地にあった物を勝手に持ち出せば泥棒だ」

 

「法を犯すことを躊躇(ためら)うようでは呪物の蒐集なんてできないさ。私は欲しい物を手に入れるためならばなんだってするよ」

 

 ああ、ヤバいことを言っているが、これでこそ東根先生だという感じの欲望にまみれたセリフだ。いいぞ……! 何がいいのかは私にもわからないが!

 

「そんな蒐集活動を長年続けてきただけあって、今回もそこそこの備えはしていたんだ。しかし、今晩君たちが来なかったら多分私は死んでいただろう。今度ばかりは肝が冷えた……君たちの口ぶりから察するにどうやら飯尾から色々と聞いてきたようだが、どこまで聞いている?」

 

「お前と飯尾が取材という名目でお札の家を訪れて、ついでに入った蔵でお前がいなくなり、警察も呼んでしばらく探したが見つからなかったという程度の話しか聞いていない」

 

「ふむ、そうか。本当は棺が目的だったから、お札の家こそついでだったのだが……飯尾が先に蔵を出たあと、蔵の一階にそれまではなかったはずの二本目の階段が現れたんだ。二階もすでに見ていたし、蔵の構造からしても明らかにおかしかったんだが、下から覗いてみるとスペアの階段を置いてあるだけなんてこともなく、ちゃんと上の階に続いているようだった。ヤバいかもしれないとは勿論(もちろん)思ったが、それと同時に、この機会を逃せばもう二度とこの階段は現れないかもしれないとも思って、我慢できずに上ってしまった」

 

「なぜ外にいた飯尾に一声かけなかった?」

 

「そんなことをしたらあの臆病者は私を止めようとするだろう? そうしたら、その間に階段が消えてしまうかもしれないからな。あえて何も言わなかった」

 

「勝手だな」

 

「そういう女なのさ。話を戻すが、現れた階段を上ってみると、なぜかこちらの蔵の二階に繋がっていた。その時は年甲斐もなく気分が高揚してしまってね、たった今起きた不可思議な出来事を誰かと共有したくて、窓を開けて飯尾を呼んだんだ。『おーい!』とね。だけど、いくら叫んでも飯尾はこちらを見もしない。それで電話してみようと思ったが、なぜかスマホの電源が落ちていて、それきりつかないときた。少し焦った私は蔵を出て、(へい)のそばまで行って飯尾を呼んだよ。しかし、やはり飯尾には私の声が聞こえていないようだった。それから塀を乗り越えるために踏み台を作ろうと思って蔵の荷物を漁ってみたが、この蔵にはこの長持のように極端に重たい物しかなくてね。腰の悪い私には蔵の外に出すことさえできなかったよ。当然ながら食べる物もないし、もしかしたらかなりまずい状況なんじゃないかと思ったが、もはやどうすることもできなかった」

 

「なるほどな。はっきり言って全部自業自得だと思うが、なぜ今晩で死ぬと思ったんだ?」

 

「スマホがつかなかったから正確な時刻はわからないんだが、実は毎日、深夜の多分同じ時間にオバケがやって来ていてね。その度に用意してきていた紙人形を身代わりにして、私はこの長持の中に隠れて、古い銀貨を舌に載せて息を止めてやり過ごしていたんだが、昨晩最後の紙人形を使ってしまったからな。新たに用意しようにもこの蔵には必要な道具がなかったし、今晩で終わりかなと思っていたのさ」

 

「そういうことか。ならば、やはり急いで正解だったな。どこかの自称東根ファンが明日から捜索を開始すればいいと主張していたが、それでは手遅れになっていたわけだ」

 

「うっ……すみませんでした」

 

 私は素直に謝罪した。さすがに言い返しようもなかった。

 すると突然、東根先生が恍惚(こうこつ)とした表情で言う。

 

「寒いから、この長持の中で眠っていたのだが……面白いことに、この中で寝ていると蛇みたいな物が尻を這うんだ。驚いてとっさにそれをつかむと、つかめるし、手の中でそれがウネウネと暴れている感触もする。だけど、目を開けると何もない。その瞬間につかんでいた感触もなくなるんだ。そういったことが毎晩、何度もあったんだが、実に不思議な体験だったよ。これもあとで家に持ち帰りたいな」

 

「え、怖……」

 

 私なら絶対に持って帰らないし、なんならこの場で燃やしてしまいたいくらい嫌だけどな。というか、一度でもそんなことがあったら、もう多分この長持では眠らないと思う。

 うん、さすが東根先生だな。

 

「ちなみに、俺はまだ現物を見ていないのだが……飯尾は四つ並べられていたという木箱を棺と呼んでいたが、実際のところは何だったんだ? 話を聞いて俺は長持ではないのかと疑っていたのだが、どうやらお前は長持を知っているようだ。本当に長持ではなく、棺だったのか?」

 

 杠葉さんの質問を受けて、東根先生がにやりと、蛇のような嫌らしい笑みを浮かべた。

 

「どういう用途を想定してあの木箱が作られたか、という話をするならば、君が推測した通りだ。確かに長持だったよ。大きさの違いから察するに、きっと生前は家族一人につき一つという形で、それぞれの衣服や布団などをそこに仕舞っていたのだろうなと思った。だけど、最終的にどういう使われ方をしたか、という話でいえば、あれらは間違いなく棺だった。少なくとも、あそこにああして並べた誰かはあれらを棺に見立(みた)てていたし、長女の中から出てきたのだろうあの()げ臭いモヤモヤオバケくんもそれを棺と認識していたよ。勿論オバケくんから直接聞いたわけではないが、そうとしか思えないようなイメージが頭に流れ込んできた。私が思うに、家族が暮らしていた家に魔除けとするはずの鏡を奇妙な配置で貼りつけたのも、長女の中にオバケを巣食わせたのも……おそらくオバケの力を維持する目的で、家族の長持を棺に見立てて中に布団一枚だけを敷いて並べたのも、同一人物だ。大方、親族だろうな。ここに住んでいた家族の誰しかか、もしくは全員に恨みがあったのか、それともただ単に利用しただけなのかは(さだ)かではないがね」

 

「なるほど。嫌な話だが、ありそうな話だ……ふむ、大体の事情は把握できたし、同行者を待たせているから、とりあえず外に出るぞ。依頼人の飯尾にも連絡したいしな」

 

 (きびす)を返して蔵の入り口に向かおうとする杠葉さんに、東根先生が背後から問いかける。

 

「ふうん。こういう話はお嫌いかい?」

 

「普通は嫌いだろう。お前のようなやつは例外だ」

 

 杠葉さんが足を止めて振り返りそう言うと、東根先生のにたにたとした笑みがいっそう深まった。

 狐のように目を細めて、東根先生が杠葉さんに訊ねる。

 

「もしかして、家族や大切な人が呪殺(じゅさつ)されたことがあるのかな? そういった話があるのなら、できれば詳しく聞かせてほしいな」

 

「……そんな話があったとして、他人に話したいと思うか? せっかく生き延びたんだ、わざわざ人の嫌がることをして怒らせるべきじゃないな。今ならばお前を殺して、飯尾にはすでに死んでいたと報告することもできる」

 

「君のような冷静に見えるタイプの人間が、そこまで言うほどに触れられたくない記憶か、ますます気になってしま――がッ……!?」

 

 いきなり杠葉さんが、東根先生の細い首を思い切りつかんだ。

 

「えっ、ゆ、杠葉さん!?」

 

「仕事だから助けたが、俺はお前のような、たかが好奇心で他人を傷つけてそれを何とも思わないような人種は嫌いだ。呪い破りとしてのお前の腕がいかほどかは知らないが、俺とて若くとも冷光(れいこう)家の当主だ。俺の呪詛(じゅそ)をお前が破れるか、試してみるか?」

 

 そう言って、杠葉さんが東根先生を離す。

 東根先生は(ほこり)まみれの床に膝をついて、ゲホゲホと咳き込んだ。

 

「ゴホッ――っはあ、はあ……ふふ、君こそ調子に乗りすぎているぞ。冷光家か、確かに名門中の名門だな。その当主ともなればさぞかし知識は豊富なのだろうが、呪いを()んでいるような若造に、私を害せるような呪いなんて使えやしないさ。これでも私はその道のエキスパートなんだ、気になるようなら好きなだけ試してみるといい」

 

 ええっ!?

 なんだなんだ、どういうことだ!?

 なんだかよくわからないが、急にキレた杠葉さんが東根先生の首を()めて脅して、怒った東根先生が杠葉さんに言い返して、二人が一触即発といった雰囲気で睨み合っている。

 なんで急にこんな展開になっちゃったのだろう?

 とにかく二人とも引きそうにないし、ここは私が止めないとまずいかもしれないぞ。

 

「ま、待ってください! 落ち着いてください! 何がなんだかなんにもわかりませんけど、私は杠葉さんのことも、東根先生のことも全部じゃないけど好きです! 仲良くしてください!」

 

 二人の間に割って入って私がそう叫ぶと、杠葉さんが東根先生に「……次はないぞ」と小声で言って、後ろを向いた。なんか負け犬っぽい。

 東根先生が「くふっ」と笑う。

 

「可愛いことを言う、可愛い女の子じゃないか。いや、申し訳なかった。確かにご当主サマが(おっしゃ)ったように私は相手の気持ちよりも、自分の好奇心を優先してしまう。良くないことだとわかっていても、抑えられないのさ。けれど、私は呪い破りとして誇りを持っている。だから私は人を呪ったことは勿論、呪い返しだって一度もしたことがない。それだけは覚えておいてくれ」

 

「可愛い女の子って――まったくもう、東根先生ったらお上手なんですから、えへへ。とにかく、二人が喧嘩(けんか)にならなくてよかったですよ」

 

「さっきまで君は私が美女だった事実を受け入れられないと言っていたが、改めて好きだと言ってくれたのだから、その問題はすでに解決したのかな?」

 

「ええと、はい。ずっと汚いおじさんだと信じていた東根先生が実は綺麗な女の人だったなんて、最初は認めたくなかったんですけど……でも、先生と杠葉さんが話しているのを聞いているうちに、やっぱり東根先生は東根先生なんだなって思えてきて、だんだんと受け入れることができたといいますか……」

 

「ほう。素直で、可愛らしいことを言うな。しかし、君たちは私のことを知っているらしいが、私は君たちのことを知らない。そこの男は冷光家のご当主サマらしいが、君は何者だ? 実を言うと、今までに感じたことがないほどの妖力を君から感じるのだが」

 

 今度は私に興味を持ち始めた東根先生に、杠葉さんがそっけなく言う。

 

「これはうちの式神だ、名をヤマコと言う」

 

「なるほど、冷光の式神か。これはさすがに規格外だな、私には壊し方が思いつかん」

 

「俺にも思いつかないし、おそらく人には壊せないだろう」

 

「ふむ、なんとも羨ましい限りだ。しかし、これだけのモノを手に入れてしまったら、よその連中が怖いな。今回は助けられたし、君が呪殺されそうになった際には手を貸してやるから連絡してくるといい。呪い返しは行わないが、呪い破りとして君にかけられた呪詛をなかったことにはできる」

 

 東根先生が名刺のような物を指でピンとはじくと、なぜか一直線に杠葉さんに向かって飛んでいった。

 それを危なげなく二本の指で挟み取った杠葉さんが、ついさっきは東根先生の首を絞めていたくせに、まんざらでもなさそうな様子でお礼を言う。

 

「そうか。優秀な呪い破りが味方についてくれるなら、心強い」

 

「ふふ、私を殺さないでよかっただろう? それでだな、実はかねてより冷光が所有している資料や呪物には興味があったんだ。ほとんどは焼けてしまったと聞くが、いくらかは残っているのだろう? 何も門外不出の物までを見せろとは言わないから、近いうちに見に行っても構わないだろうか?」

 

「いざという時に呪い破りとしてうちに援助してくれるというなら、そのくらいは構わない。だが、見せられない物は見せられないぞ」

 

「ああ、それで構わないさ。仲良くしようじゃないか、君の可愛い式神もそれを望んでいるようだしな」

 

「俺には、こいつが何を考えているのかはわからないが……とりあえず、いい加減外に出るぞ。お前だって何日もここに閉じ込められていて、ろくに食事もとっていないのだろう?」

 

「ああ、まったく食べていない。外に(おけ)を置いて、雨水を溜めて舐めてはいたがね。ちなみにこの蔵の裏手で排泄をしていたんだが、恥ずかしいからそっちは見ないでくれるとありがたい」

 

「そうか。ならばヤマコに確認させるとしよう」

 

「えっ!? なんでそうなるんですか!?」

 

「この女はどこか俺の母親に似ている。こういう女は平気で人を騙すからな、何かよくない物を隠しているかもしれないから、確認が必要だ」

 

「ええっ……?」

 

「本当に彼女が言うような事情だったら、男の俺が見に行くのは良くないだろう? 妖怪とはいえ、一応は同性であるお前が適任だ」

 

「うー、わかりましたよ……」

 

 そんなやり取りをして、蔵から外に出る。ちなみに蔵の入り口は閉まっていたが、鍵はかかっていなかった。(なお、蔵の裏手を私一人で見てきたが、東根先生のものかもしれないウ〇コしか見つからなかった。)

 

 塀と塀の間を塞ぐ、分厚い鉄板を前にして、杠葉さんがバッケちゃんに命令する。

 

「鉄板を壊せ」

 

 こくりと頷いたバッケちゃんが左手を真横に伸ばし、左膝と右手を上げて、右足一本でつま先立ちをする。

 あのポーズは――さっき移動中の車内で見ていた魔法少女アニメの必殺技、『恋のポップコーンパーティ』のポーズだ!

 私がそう理解すると同時に、バーーーンッという轟音が鳴り響いて鉄板が粉々に砕け散った。妖術(ようじゅつ)が使えると魔法少女ごっこもできるんだな、今のを見たら私も妖術が使えるようになりたくなってきたぞ。

 

「そのポーズはいったいなんだ?」

 

 眉間にしわを寄せて、杠葉さんがバッケちゃんに訊ねる。

 私が答えるよりも先に、東根先生が答えてくれた。

 

「なんだ、知らないのか? 今のは日曜の朝に放送している『恋はマジック☆』の主人公、夢河(ゆめかわ)(こい)が闇堕ちした親友の最川(さいかわ)(れい)を救う際に初めて使用した必殺技、『恋のポップコーンパーティ』のポーズだ。ちなみに麗が闇堕ちしたきっかけは失恋で、しかも麗を振った少年は主人公の恋に恋していたんだが、『みんなも一緒にはじけちゃお☆』という掛け声から放たれる『恋のポップコーンパーティ』は麗の初恋がはじけて消えたという意味にも取れて闇を感じると、大人のファンの間では好き嫌いが分かれる必殺技だな。無論、私は好きだが」

 

「凄い……! 東根先生が私の好きなアニメの、私の好きな必殺技を語ってる……! 私の好きな作家が、私の好きなアニメを好きだなんて、なんか尊いっ……!」

 

 美女な東根先生も一度受け入れてしまえば意外と良いものだな。実際、なんとなく汚いおじさんだろうと決めつけてしまっていただけで、よくよく考えると私だって汚いおじさんが好きってわけじゃないしな。なんで自分があんなにも汚いおじさんにこだわっていたのか、今となってはよくわからないくらいだ。いいじゃないか、美女で。

 しかし、美女のウ〇コもやっぱり普通のウ〇コなんだな……いや、さっきのウ〇コが東根先生のウ〇コだという確証はないけれど。

 

 ふらふらと危なっかしい足取りの東根先生に肩を貸しながら車に向かっていると(東根先生は背が高いから、肩を貸して歩くのが難しかった。)、運転席にいたアンコちゃんが泣きながら手をぶんぶんと振ってきた。

 運転席の窓を開けて、アンコちゃんが声をかけてくる。

 

「ご、ご無事でよかったです……! さっき、なんか変なのが外を這っていて、クラクションを鳴らしたんですけど……! 全然連絡もなかったので、もしかしたら皆さんの身に何かあったんじゃないかと思って……!」

 

「それがですね、杠葉さんが東根先生となぜか喧嘩したりして大変だったんですよ、私が止めたんですけどね。なんかよくわからないオバケみたいなやつも私が祓いましたし、まったく杠葉さんたらしょうがない人ですよね。私がいないと全然ダメなんですから」

 

「あ、あの、ヤマコさん……もうその辺にしておいた方が……後ろで杠葉さんが凄い顔をして見ていますから……」

 

「ああ、平気ですって。どうせ照れ隠しなんですから。さっき杠葉さんたら、私に高級()()()()を奢ってくれるって言い出してですね、ほんとは私のこと大好きなんで――」

 

「その言葉は二度と口にするなと言ったはずだぞ」

 

「え? あっ!? ――ギャフンッ!!!?」

 

 な、殴られた! 頭、ゴスッてされた!!

 さっきは東根先生の首を絞めていたし、杠葉さんってDV男なんじゃないのか!?

 ていうか物凄く痛いぞ、これマジのやつだ……!

 ああ、そうか、そういうことか……杠葉さんは人間だから、攻撃に妖力が込められていないから、スイちゃん由来の妖力ガードでダメージを軽減できないんだ!

 

「う、うがぁ……あぐっ……い、いぢゃいよおっ……うっ、ひっぐ、ぐすんっ……!」

 

「あ、あの、ヤマコさん泣いちゃいましたけど……?」

 

「大妖が俺の拳骨くらいで泣くわけがないだろう。どうせ演技だ、放っておけばいい」

 

「まあ、ですよね……本気で泣いているように見えますけど、ヤマコさんって意外と演技が上手なんですねー」

 

「ふざけたやつだ。とにかく、宿へ向かうぞ。一応東根が無事に見つかった時のために一部屋多く予約を取っていたから、とりあえず寝床はどうにかなるとして、途中で何か食べ物を買っていくか」

 

「助かる、至れり尽くせりだな。ふふ、さっき私の首を絞めた男と同一人物とは思えないくらいだ」

 

「あれはお前が挑発したからだ。今から飯尾に電話する、途中で電話を代わるから準備しておけ」

 

「承知した。ではそれまで、私はヤマコの頭でも撫でていようか……閉じ込められてから一度も手を洗っていないが、私のファンならば気にしないだろうからな」

 

 どういう理屈だそれはと思いつつも、殴られた頭が痛くて抵抗するどころではなかったので、ウ〇コしたりしてるのに何日も洗っていない手でいっぱい撫でられてしまった。

 

 頭に大きなタンコブをこしらえた私は、明日高級ステーキ屋さんで杠葉さんがギャフンと言うくらいいっぱい食べてやろうと心に誓うのだった。



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チェリーハント

 お札の家の怪異を無事に攻略した私は、薄汚れていても美人な東根(ひがしね)先生と、アンコちゃんとバッケちゃんという女四人組で、今夜泊まる旅館の温泉大浴場にやって来た。

 もう深夜の三時だし眠たかったが、さすがに廃墟を探検してきてお風呂にも入らずに寝るのは女子として抵抗がある。

 一日に二度ある清掃の時間を除けばいつでも入ることができる大浴場だが、この時間ともなると他の入浴客の姿はなく、実質私たちの貸し切りだった。

 私は木製の風呂椅子に腰を下ろして、シャワーのスイッチを押してお湯を浴びる。

 

「ふわあ……♡ 冷えた体にお湯が効きますね~。ちょっとぬるいですし、水圧は弱いですし、三十秒くらいでお湯が止まっちゃいますけど……」

 

 節水のためなのだろうけど、こうした旅館なんかにある大浴場のシャワーってすぐに止まっちゃうタイプが多い気がするな。しかし、三十秒じゃシャンプーも流しきれないし、さすがに短すぎると思うぞ。

 シャワーがこの感じだとドライヤーの風量も期待できそうにないな、きっと永遠に髪が乾かないやつだろう。

 

「はい、手を上げてくださいねー」

 

「ん」

 

 私の隣の風呂椅子にちょこんと座ったバッケちゃんのぷくぷくとした小さな体を、その後ろに膝立ちになったアンコちゃんがわしゃわしゃと洗ってあげている。

 そんな二人の様子を横目で見つつ、いつもはドジなアンコちゃんだけどこういうところでは手際が良いなあと思う。普段からバッケちゃんを洗ってあげているらしいので、当たり前といえば当たり前なのだけど。

 

 早く露天風呂に行きたいし私も急いで体を洗ってしまおうと思った矢先に、私たちから少し離れたところの風呂椅子に座っていた東根先生が「うっ……!」と、思わずといった風に小さな悲鳴を上げた。

 

(いた)たたた……何日も長持(ながもち)の中で寝ていたせいか、色々なところが痛くて思うように体を洗えない。困ったな、どうしたものか……」

 

 東根先生がそんなことを言って、悲しそうな顔をしてこちらをちらちらと見てくるので、私は仕方なしに立ち上がり東根先生を手伝いに行く。

 

「どこが洗えないんですか?」

 

「ほとんど全部だ、むしろ洗えるところの方が少ないくらいだよ」

 

「ええっ!? もうちょっとくらい頑張れないですか?」

 

「いや、無理だ。ほら、あまりの痛みに涙が出てきてしまった」

 

「いやいや、シャワー頭からかぶっちゃってるじゃないですか、ほらって言われてもわかんないですよ」

 

「すまないが洗ってくれないか? 自分では洗えないから、もしもヤマコに洗ってもらえなければ、何日も風呂に入っていない汚れた体で湯に()かるのも躊躇(ためら)われるし、私はずっとここに座っているしかなくなってしまうのだが……」

 

「ええ、だって恥ずかしいですよ、なんか……えっと、東根先生って凄くエッチな体してますし、なんか、だって恥ずかしいですもん!」

 

「女同士じゃないか、恥ずかしがることなんて何もないだろう?」

 

「ア、アンコちゃんに洗ってもらえばいいじゃないですか。アンコちゃんなら手慣れていますから、私なんかよりも器用に洗ってくれるはずです!」

 

「彼女は彼女で忙しそうじゃないか、頼むよ」

 

「ええ……や、だって、やですよ、やっぱり恥ずかしいです」

 

「ふうん、そうか……黒いタウ型十字、311(ページ)が破り取られた新約聖書、(つる)薔薇に呑まれた五芒星、廃材に刻まれた(うた)――」

 

「えっ、えっ、えっ!? なんですか!? どうしたんですか!?」

 

拙著(せっちょ)の愛読者でありながら、私の体を洗ってもくれない釣れない君に、もうすぐ発売される新作のネタバレをしているのだよ。ふふ、これらすべてが重要なキーワードになっているのさ。ちなみに廃材に刻まれた詩だが、『私は太陽を見たことがない――」

 

「やめっ、やめてください! ネタバレはダメです! キーワードだけでも色々と考えちゃいますから! ひ、ひどすぎますよっ、これがファンに対する仕打ちですか!?」

 

「君こそ、本当に私のファンならば私の体を洗ってくれるはずだぞ?」

 

「ええっ!?」

 

 そ、そうなのだろうか? いや、確かにそうかもしれないけど、だって、なんか恥ずかしいぞ!?

 でも、私が気にしすぎなのかな……?

 そういえばねるこちゃんが、寄宿舎のお風呂が凄く広いから、もなかちゃんや仲の良い子たちと洗いっこしたりするとか言っていたっけ。

 

「ふむ。仕方ない、こうなったら犯人の名前を出すしか――」

 

「わー! わかりました、わかりましたから! あ、洗いますから、勘弁してください!」

 

「うむ、わかればいいんだ」

 

「もうっ……私だって階段から落ちてぶつけた背中が痛くて、ほんとはあんまり右手動かしたくないんですからね? 感謝してくださいよ、ほんとに!」

 

 そう言って私がハンドタオルにボディソープを垂らして泡立て始めると、東根先生が慌てた様子で「すまないが、タオルはやめてくれ」と言い出す。

 

「え、でも、これしかありませんし……」

 

「私は肌が敏感なんだ。タオルでごしごしと擦られたら赤くなってしまうから、素手で頼む」

 

「えっ!?」

 

 そんな話は聞いていないぞ!?

 素手で東根先生の体に触らないといけないなんて、そんなの私には荷が重すぎる!

 

「さ、早くしてくれたまえ。このままずっと湯に浸かれないでいたら、寒くなってしまうよ」

 

「で、でも、素手は……」

 

「おいおい、ついさっき洗ってくれると言ったばかりじゃないか。やると言ったこともやらないやつは誰からも信頼されないぞ?」

 

「え、う……」

 

「えうとはなんだ、えうとは。一度やると言ったんだ、自分で言ったことの責任くらいは取ってもらわなければな。ところで、今度出る新作の犯人だが――」

 

「ああっ!? 待って! 待ってください! あら、洗います! やります!」

 

 っていうか、犯人が存在するってだけでもかなりのネタバレだぞ……。東根先生の作品はホラーミステリーという独特のジャンルなので、ミステリー要素があっても犯人が存在するケースは案外少ないのである。

 

「ふふ、ではよろしく頼むよ。さて、まずはどこを洗ってくれるのかな?」

 

「あっ、あっ……う、腕、腕です、腕!」

 

 そう言って、私は手のひらでボディソープを泡立てて、東根先生の右肩から手首までを擦る。

 うう、体を洗うのを手伝うにしても、せいぜい背中くらいだと思っていたんだけどな……他の部位に進むのが怖くて、腕ばかりを何度も何度も往復してしまう。

 

「ああ、そうだ。ほら、私は乳房が大きいだろう? だから、乳房の下に汗が溜まってしまうんだ。(わき)やVIOなんかも含め、汗をかきやすいところは入念に洗ってくれたまえ」

 

「え、えっと、ブイアイオー? って、なんですか?」

 

「ああ、デリケートゾーンといえばわかるかな? 股の辺りのことだ」

 

「あ、えっ、あっ!? ……わ、わかりました…………ツルツルだ……」

 

「閉じ込められている間、暇だからといって毛を抜いていたわけではないぞ? 若い時にレーザーで体毛はすべて焼き払ったから、いちいち処理をしなくても生えてこないのさ」

 

「そういうのって、風の噂でめちゃくちゃ痛いって聞きましたけど……」

 

「痛いと言う人もいるが、私の場合は痛いとよく言われるVIOも大して痛く感じなかったから、おそらく個人差があるのだろうな。まあ、何度か通うだけでその後体毛を処理する必要がなくなるのだからおすすめだぞ。もし興味があるのなら、私が金を出してやろう」

 

「やっ、いいです、大丈夫です!」

 

「そうか? 残念だな、ツルツルになったら見せてもらおうと思ったのだが……おや、手が止まっているぞ? ほら、続けてくれ、早く湯に浸かりたいんだ」

 

「あ、はい! はいです!」

 

 いつの間に体を洗い終わったのか、気づけばアンコちゃんたちは内湯に浸かっていた。背の低いバッケちゃんは、アンコちゃんママのお膝の上に載せられている。

 いいな、羨ましいな……私も早くお湯に浸かりたい。

 

「ん、そこはもっと優しく触れてくれ」

 

「あ、ひゃい! んご、ごめんなさい!」

 

「ふむ……ヤマコはAアンダー70というところかな、どうだろうか?」

 

「な、なんでわかるんですか!?」

 

「ふふ、顔が真っ赤だぞ。湯に浸かる前にのぼせてしまったのかい?」

 

「なんまんだぶなんまんだぶ!」(※もうおかしくなってる。)

 

 そんなこんなで。

 かなり時間はかかったものの、頭がおかしくなりそうになりながらもどうにか私は仕事を終えた。

 すると、それと同時にアンコちゃんが「すみませんけど、白髪毛(しらばっけ)ちゃんがおねむなので私たちは先に上がっちゃいますね」と言って、バッケちゃんの手を引いて大浴場から立ち去る。

 何となく東根先生と二人きりになるのが怖くて、急いで立ち上がって私は言う。

 

「よし、じゃあ、私は自分の体を洗わないとならないので、先生は先にお風呂に浸かっていてください!」

 

「待ちたまえ」

 

 がしっと、東根先生に手首をつかまれた。

 

「え、え……? まだ何かあるんですか? 頭も洗いましたし、全部洗い終わりましたよ?」

 

「いや、ヤマコが丁寧に体を洗ってくれたから、血の巡りが良くなったのだろうな。急に体が動くようになったから、洗ってもらったお礼に次は私がヤマコの体を洗ってあげよう」

 

「えっ!? い、いいです、結構です! いりません!」

 

「遠慮しすぎるのも失礼だぞ? 私もファンは大事にしたいんだ、恩返しをさせてくれ」

 

「ええっ!? さっきまで新作の犯人を言おうとしていたじゃないですか!? っていうか、動けないって言ってたのもまさか嘘だったんですか!?」

 

「本当に動けなかったんだよ、さっきまではね。だが、今は動けるようになったというだけのことさ」

 

「そんなバカなっ!?」

 

 私は逃げようとするが、東根先生の手が外れない。

 東根先生がすっくと立ち上がり、素早く背後に回って私の肩の関節を()めながら言う。

 

「いいから、遠慮なんてせずに座りたまえ」

 

「痛い痛いっ、痛いです! たすっ、助けてください! アンコちゃん! バッケ先輩! 誰かー!」

 

「ほら、肩を外されたくなかったら素直に座りたまえ。脱臼(だっきゅう)したら凄く痛いぞ?」

 

「あ、あうっ……」

 

 何がなんだかわからないまま、私は今まで東根先生が座っていた風呂椅子に座らせられる。

 つかまれていた腕を解放されたが、ここで逃げようとしてもすぐに捕まるのは目に見えているので、とりあえずおとなしくしておく。

 私の後ろで膝立ちになった東根先生のおっぱいが、背中に当たってフニャンと潰れる。

 

「君ほどの妖力(ようりょく)を持った大妖(おおあやかし)ならば、当然ながら長い年月を生きているのだろうが、君からは甘酸っぱいさくらんぼの香りがする……それも、未成熟な。これが擬態ならば大したものだが、私は自分の鼻に自信があってね」

 

「え? え? 私、さくらんぼの匂いなんてしますか? いつも使っているシャンプーがちょっと甘い香りなので、それですかね?」

 

「ああ、その反応……本気でわからないって顔をしているのが、なんというか、たまらないな。はっきり言って君はとても私好みのさくらんぼだ、今すぐにでも食べてしまいたいくらいだが――冷光(れいこう)の式神に手を出したら、いよいよご当主サマに殺されてしまいかねないな。しかし、見逃すにはあまりに惜しい。ふむ、どうしたものかな……」

 

「えと、えと、さっきからさくらんぼって何のことですか? 私がさくらんぼって、よく意味がわからないですけど」

 

「何って、処女のことだよ」

 

「しょ――え?」

 

俗語(ぞくご)だがね、英語圏ではチェリーは処女や処女(まく)を意味するんだ。初めての時に流れる血の色と、チェリーの色を重ねているのだとか言われているが……」

 

「え、えう、え……しょ?」

 

「まあ、ご当主サマに殺されるかもしれないが、その時はその時だな。案外まったく気にしない可能性もあるし、怒るにしても必死で謝ればもしかしたら許してもらえる可能性もある――ぱくん」

 

 東根先生が、後ろから私の耳たぶを噛んだ。

 意味がわからないが、目の前にある鏡に映っているので間違いない。現実に起きている、実際の出来事だ。

 ぺろりと、東根先生の舌が耳の中に入ってきて、思わず変な声が()れる。

 

「ふあっぁ!?」

 

 もう限界だった。

 今でもおかしい東根先生の頭がさらにおかしくなってしまうかもしれないと思ったが、鏡越しに東根先生の目を見て、強く(にら)みつける。

 私は初めて、人間を相手に邪視(じゃし)を放った。

 てっきり怯え出すか苦しみ出すか暴れ出すかするかと思ったが、私に睨まれた東根先生はぽかんとした顔をして、ただ黙っていた。

 あんまりずっと睨み続けていたらヤバいことになるかもしれないと思い、私は目つきを(ゆる)めると、念のために東根先生から視線を()らす。

 

 それからしばらくして、東根先生が(たず)ねてくる。

 

「今、私に何をした?」

 

「えっと、ごめんなさい。私の目、ちょっと特殊でして……睨むと、妖怪とかでもおかしくなっちゃうんです。今まで人に使ったことはないんですけど、その、大丈夫ですか?」

 

「ヤマコに睨まれた途端(とたん)に、さっきまで確かに感じていた『情熱』が、急に冷めた……こんなことはこれまでにない、初めてのことだ。まさか、初体験を奪おうとして、逆に初体験することになるとはな」

 

「えっと、もう一度睨みますか?」

 

「やめてくれ、冗談だ。しかし、しばらく時間が経ったら元に戻るのか? もしも元に戻らなかったら、『情熱』を失った私など、もはや生ける(しかばね)だぞ……」

 

「わからないですけど、元に戻らなかったとしても謝りませんから。む、無理やり私に変なことしようとしたのが悪いんですから」

 

「ああ、それはそうだな。すまなかった。とりあえず、冷えてしまうし露天風呂にでも入ってこようかな」

 

 そう言っておもむろに立ち上がり、歩いていく東根先生の背中には元気がなかった。

 なんだか気まずくて、本当は露天風呂に入りたかったのに私は内湯で済ませて、東根先生が上がってくるよりも先にお風呂を出た。

 

 なお、二日後には東根先生からひっきりなしにラインが届き、電話がかかってくるようになった。私に会いたくて会いたくて、(ふる)えてしまうほどらしい。どうやら『情熱』とやらが戻ってきて元気が出たみたいで少し安心したが、東根先生の著書は全部押し入れの奥にまとめて仕舞(しま)った。

 別に先生の作品が嫌いになったわけではないのだが、東根錦という漢字三文字が視界に入ると背筋に悪寒(おかん)が走るようになってしまったのだ。

 

 ちなみに、IDを交換してから一度も返信をしないままラインはブロックした。




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もうすぐ授業参観日

 昨夜のことである。

 お母さんが泣きながら、「ううう、あのね、ずびっ……どうしてもね、断れない仕事が入って……授業参観、行けなくなったわ……ぐずっ」と、電話をしてきた。

 自分がミッションスクールに憧れていたからという理由で私をミッションスクールに入学させただけあって、お母さんは授業参観日に『二荒聖陽女子学院(ふたあらせいようじょしがくいん)』を訪れるのをずっと楽しみにしていたから、絶対に見に来るだろうと思っていたので私もちょっぴりショックだ。久しぶりに会えると思っていたのにな……。

 しかし、その後話の内容が思わぬ方向に飛び、「お爺ちゃんから聞いたけど、あんたが始めたっていうアルバイト、未成年なのに泊まりもあるんでしょう? 何か変なことしているんじゃないでしょうね? あんたと話しててもしょうがないから、本当だったら今回授業参観でそっちへ行くついでに、直接あんたのアルバイト先にも行こうと思ってたんだけど……」などと言われてしまい、困ってしまった。

 だって、私の雇い主である杠葉(ゆずりは)さんは私のことを妖怪だと思っているのだ。だから私のお母さんがどうのこうのと話をしても、真面目に受け取ってもらえないかもしれない。

 

「話があるのだろう? さっさと話せ」

 

 そして、現在。

 学校が終わり、いつものように冷光(れいこう)家のお屋敷に出勤した私は、素敵な中庭がよく見える居間にて、座卓を挟んで杠葉さんと対面していた。

 

「ええっと、あのう、そのう……私のママンが、未成年の女の子に外泊させるようなアルバイト先は信用できない、何か良くないことをしているんじゃないかって風に疑っていまして……どうしたものかと……」

 

「ふむ……なるほどな」

 

 そう呟いて、杠葉さんは目を閉じて俯いた。

 それからしばらくして顔を上げると、再び口を開く。

 

「早いうちに話さなければいけないとは思いつつ、ずっと先延ばしにしてしまっていた。正直に言うと、お前というあやかしに愛娘と成り代わられてしまった人たちと、会って話をする勇気がなかった。お前が居なければ、冷光(うち)はお終いだ。だから、本来であればお前のような悪しきあやかしを(はら)う立場にありながら、俺は彼らに真実を伝えることすらできない」

 

 んん? 杠葉さんの中ではそういうストーリーになっていたのか。

 まあ、考えてみればそうか。杠葉さんは私のことを妖怪だと思っているが、妖怪に人間の親や家族がいるのはおかしなことだ。その上、私は山田(やまだ)春子(はるこ)という人間の戸籍を持っていて、学校にまで通っている。そうなると、(ヤマコ)という妖怪が、山田春子という人間の少女に成り代わって生活している、という風に(はた)からは見えるわけだ。

 うーむ、なんというかヘビーな話だな。山田春子がかわいそうだし、ヤマコは恐ろしい。いや、どちらも私なのだが。

 

「だが、毒を食らわば皿までか。気は進まないが仕方がない、うまいこと丸め込めないか試すだけ試してみよう。とりあえず後で電話をしてみるから、都合のつく時間帯を聞いておけ」

 

「あいさー」

 

「話が済んだなら出て行け、これから霊符(れいふ)を作るから集中したい」

 

「はーい。それじゃあ、またです」

 

 追い払われるようにして立ち上がり、歩き出した私を一切見ることなく、杠葉さんが「ああ」とだけ返事をする。

 廊下へと続く(ふすま)を開けた私は冗談半ばで、振り返って杠葉さんに(たず)ねる。

 

「あの。来週授業参観日なんですけど、雇用主って保護者みたいな感じありますし、杠葉さん来ますか? 女学院ですよ? 普通に入ったら逮捕ですよ、逮捕」

 

 相変わらずの鋭い目つきで私を見上げた杠葉さんが、にべもない態度で言う。

 

「行くわけがないだろう」

 

「誰も来てくれなそうなんですよね、実は。ママンが来られなくなっちゃって、じいじには『女学院なんて華やかなとこ、行きとうないわ』って言われちゃいましたし……」

 

「だからと言って、なぜ俺が行くことになる? だいたい、お前の通っている学校は確か校則でアルバイトが禁止されていたはずだぞ。俺との関係を聞かれたらお互いに困るだろう」

 

「まあ、そうですよね。すみませんでした。えっと、じゃあ失礼しますね」

 

 そう言って襖を閉めて、歩き出そうとすると、いつの間にかすぐそばにアンコちゃんが立っていた。

 いつもと同じフレームのない頭が良さそうに見える眼鏡をかけており、今はお客さんもいないので和柄の可愛いエプロンをつけている。

 なぜか前のめりになってアンコちゃんが訊ねてくる。

 

「授業参観があるんですか?」

 

「えと、はい。ありますけど」

 

「あの、私が行きます! 行かせてください!」

 

「え? 来たいんでしたら構わないですけど、本気ですか?」

 

「当然です! フォーマルでオシャレな服を見繕(みつくろ)ってきますから、ラインで日時とか送っておいてください!」

 

「あ、はい」

 

 アンコちゃんがばびゅんと廊下を駆けていく。おそらく、フォーマルでオシャレな服を探しに自室に行ったのだろう。

 廊下に置き去りにされた私は、小さく首をかしげる。

 

「なんだろう、そんなに女学院に興味があったのかな……?」

 

「――まあ、アンコのやつは高校には行かせてもらえんかったからのう。確かに興味もあるのかもしれんが、わちはそれよりも多分、親の気分を味わいたいんじゃろうと思う」

 

 どこか離れたところから、ハッチーが答えてきた。

 どこにいるのかと探しに行くと、廊下の突き当たりにある納戸(なんど)の戸が開いており、狐の尻尾をゆらゆらと揺らしてハッチーが何やら考え込んでいる。

 

「えっと、親の気分ってどういうことですか?」

 

「冷光の血は呪われておるからのう。今の状況で子孫を残せば辛い目に()うのは目に見えておるし、アンコは子が欲しくても作れぬ。じゃけどアンコは子ども好きじゃし、本当は子どもが欲しいんじゃろうな。じゃから、わちやバッケや、おぬしを自分の子どもみたいに扱いたいんじゃろ、多分」

 

「子どもが欲しいのに、子どもを作れないんですか……そんな事情があったんですね、知りませんでした」

 

「ま、わちも先輩じゃし、ヤマコの保護者みたいなものじゃからの。授業参観じゃったか? 散歩ついでに見に行ってやるとするかのう」

 

「え、ハッチーも来てくれるんですか? 嬉しいです、けど……」

 

 狐の耳や尻尾が生えていて、しかも私よりも年下に見えるハッチーが授業参観に来て大丈夫なのかな?

 お母さんが来られなくなって寂しいし、来てくれるのであれば来てはほしいけどな。

 

「ところで、ハッチーは納戸で何をしてたんですか?」

 

「罰を受けているのじゃ。わちが一生懸命育てたというのに、杠葉ときたらどうしてあんなにも傲慢(ごうまん)なのじゃろうな?」

 

「えっと、育てたハッチーが傲慢だからじゃないですか?」

 

「は?」

 

 ハッチーの(だいだい)色をした吊り目の瞳孔(どうこう)が、獣のようにキュッと(すぼ)まる。

 

「あっ、えっと、違いました。口が滑っただけです、えっと……」

 

「何がどう違うんじゃ?」

 

「あれです、言い方が悪かったんです! 良い意味で、です! ハッチーは良い意味で傲慢なんです! なんていうか、ハッチーにはリーダーシップがあります! そう、それで、ハッチーのリーダーシップに憧れた杠葉さんも、リーダーっぽく振る舞おうと頑張っているんだと思います! きっとその気持ちが空回りしての傲慢なんです!」

 

 蜂蜜(はちみつ)色をしたおかっぱ頭のてっぺんに生えた狐の耳をピコピコと動かしつつ、ハッチーがふんふんと(うなず)く。

 

「確かに、言われてみればそうかもしれんのう! もうほぼ記憶がないんじゃけど、わちは狐時代に優れた群れのリーダーじゃったような気もするし、言われてみればリーダーとしての才覚がわちには備わっておる気がする! 杠葉はわちに憧れて、自分も立派なリーダーになりたいと努力しておったのじゃな! なるほどなるほど、しかし杠葉にはリーダーとしての才覚がなく、うまくできずにあのような傲慢男になっているのじゃな!?」

 

「そうですね! 間違いありません!」

 

「やっぱりヤマコは賢いのう! さて、気持ちがすっきりしたことじゃし、次は納戸をすっきり片付けんとな! ヤマコも荷物を運び出すのを手伝ってくれんか?」

 

「いいですけど、結局何があったんですか?」

 

「ほれ、この前はヤマコたちだけ旅行に行ってわちとユミは留守番だったであろ? それでわちらには何もないというのは不公平じゃし、杠葉に旅行に連れていけと言ったんじゃ。じゃけど、傲慢な杠葉がわちを無視して仕事を続けておったから、杠葉が席を立った隙にやつのノートパソコンの画面に指で穴を開けて、バカと書いてやったんじゃ。そしたら五発も殴られて、納戸を片付け終わるまでご飯抜きにすると言われたのじゃ、傲慢な杠葉にの」

 

 なるほど。これは考えるまでもなく、完全にハッチーが傲慢だな。

 平日にいきなり旅行に連れて行けと言われても杠葉さんだって困るだろうし、何よりも私たちは旅行を楽しんできたわけじゃなくて、廃墟でオバケと戦ってきたのだ。

 とはいえ、ハッチーは先輩だし、何よりも可愛いので、片付けは手伝ってあげようと思う。ご飯を抜きにされてお腹を減らして泣いているハッチーを想像すると、凄くかわいそうだしな。

 

「それにしても、ずいぶんと物が多いですよね。床にまで物が積まれていますし、さすがに全部を綺麗に収納するとなると、納戸だけじゃ広さが足りない気がしますけど……」

 

「ああ、大丈夫じゃ。それについてはまったく問題ない。なぜかといえば、わちには秘策があるからの。そうじゃな、ヤマコはとにかく窓際に荷物を集めるのじゃ。わちは投げる係をやる」

 

「えっと、わかりました」

 

 とりあえず頷いたものの、しかし、投げる係ってなんだろうな?

 よくわからないまま、私は重たかったり軽かったりする段ボール箱やよくわからない書類の束なんかを、手あたり次第に窓のそばに運んでいく。

 すると、しばらくして、「よし、だいぶ集まったの」と言って、ハッチーが窓を全開にした。

 そして、納戸にあった様々な物を窓から外に放り投げ始める。

 

「えっ、えっ?」

 

 状況を理解できないでいる私をよそに、次から次へと物が外に投げられていく。

 しばらく放り投げる作業を続けて納戸をすっからかんにすると、汗をかいているようには見えなかったものの、ハッチーが額を手の甲で拭うような仕草をして言う。

 

「ふー、働いたのう! よし、それじゃ外へ行くぞ! ヤマコは台所から、アンコの畑でとれたジャガイモを持ってくるのじゃ!」

 

「えーと、わかりました」

 

 ハッチーの指示に従い、私は冷光家の台所からジャガイモをいくつか拝借(はいしゃく)して、ざるに載せて外へと向かう。

 靴を履いて庭を歩きながら、なんかあとで杠葉さんに怒られそうな流れになっているなと思った。まあ、怒られるのはハッチーだろうから別に構わないが。

 

 納戸の裏まで回ると、ハッチーが納戸から出した物を一か所に集めて山にしていた。

 

「次はじゃあ、山に入って(たけのこ)を掘ってきてくれんか? ほれ、今の時期じゃと真竹(またけ)がちょうど生えてきとるじゃろ?」

 

「えっと、私、筍って掘ったことがないんですけど……」

 

「なんじゃと? おぬし、山のあやかしなのに筍も食べとらんかったのか?」

 

「あ、食べるのは好きですよ。毎年食べてはいましたけど、掘り方は知らなくて」

 

「えっ……ああ、そういうことか、さては配下のあやかし共から奪っておったのじゃな? せっかく見つけて掘った筍を(みつ)がせるなんて、なかなかえげつないことをするのう! さすがじゃな!」

 

 なぜかハッチーが誇らしげにうんうんと頷く。

 ちなみに本当は人間であり、しかも去年までは普通に町で暮らしていた私は、筍はいつもお金を出してスーパーで買っていた。

 

「ま、ならば仕方がないのう。わちも自分で筍を掘りに行くのは面倒じゃし、ジャガイモだけで我慢するかの」

 

「ええっ!? なんですか、それ!? ハッチーこそ私から奪おうとしていたんじゃないですか! ジャガイモだって育てて収穫したのはアンコちゃんですし、やっぱりハッチーは傲慢ですよ! ――あ、良い意味で!」

 

 またハッチーの瞳孔がキュッと細くなったので、ちょっと怖くなってつい良い意味にしてしまった。

 なんだか野生の獣みたいで、キュッとなったハッチーの目って怖いのだ。

 

「なんじゃ、良い意味でか。じゃけど、傲慢ではなくリーダーシップと言ってほしいのう。わちってこう、命令を出すポジションが向いておると思うのじゃ。リーダーシップが備わっておるから当然じゃけどな! じゃから、わちが命令して、他のやつが仕事をこなすというのが一番うまくいくと思っとる」

 

「ですね、間違いありません」

 

「じゃろ? ヤマコはやはり賢いだけあって、よくわかっておるな。悪い意味で傲慢になってしもうた杠葉とは大違いじゃ」

 

「私もそう思いますけど、ところでこの段ボール箱やらの山はどうするんですか?」

 

「いい質問じゃな。ここに冬に使いきれずに残った灯油があるじゃろ?」

 

 あ。

 もうわかってしまった。やっぱりこれは、杠葉さんにしこたま怒られる流れに違いない。

 馬鹿なことをするなあとは思うが、ハッチーは狐の赤ちゃん並みにしか物を考えられないから、先のことをあまり想像できないんだろうな。なんかそう考えると、ちょっと哀れだな。

 

「これをこうするじゃろ?」

 

 そう言いながら、ハッチーが積まれた段ボール箱や謎の木箱や、古めかしい巻き物や紙の束などに灯油をちょろちょろとかけていく。

 

「で、こうじゃ」

 

 そして最後にハッチーが妖術(ようじゅつ)で生み出した火球(かきゅう)を放つと、まるでキャンプファイアのような火の山が完成した。

 近所に家もない山の中なので誰にもバレなさそうだが、それはそうと、これって犯罪になるんじゃないか? なんだか、見るからに燃やしたら環境に悪そうな物もちらほらと混ざっているし……。

 というか、今燃やしているのって、もしかして東根(ひがしね)先生が見たがっていた冷光家の資料じゃないだろうな?

 もしもそうだとしたら、東根先生が今回の事件を知ったら怒るかもしれないぞ? 悪いのはハッチーだけど、私も一緒にいたことがバレたらとばっちりを受けかねないし、なるべく知られないように気をつけよう。

 

「む? 芋を包むのにアルミホイルがないぞ? ヤマコ、ヤマコ! アルミホイルは持ってこんかったのか?」

 

「いやいや、だって頼まれていませんもん」

 

「これ、言い訳をするでない! わちがリーダーじゃぞ!?」

 

「ええっ!?」

 

 だって、本当に頼まれていないぞ?

 自分が頼み忘れたくせに私のせいにするなんて、なんて傲慢なやつだろうか。絶対にリーダーになっちゃいけないタイプだと思うぞ。

 最悪のリーダーがお屋敷に向けて、大きな声で呼びかける。

 

「ユミ、ユミ! バッケと一緒にアルミホイルを持って来るのじゃ! ジャガイモパーティじゃぞ!」

 

 少しして、こちらに近づいてくる足音が聞こえてきたが、一つだけだった。それも、弓矢ちゃんやバッケちゃんみたいな軽やかな音ではない。多分、杠葉さんの足音だ。

 共犯者として扱われて、ハッチーとまとめて怒られたら(たま)らない。

 私は急いで逃げ出そうとしたが、ハッチーに足を引っかけられてすっ転ぶ。

 

「――ぎゃんっ!?」

 

「すまんのう、わちは杠葉の怒りがある程度落ち着くまで隠れておるから、しばらくの間おぬし一人で怒られておくのじゃぞ! なぜならリーダーの罪は下っ端が負うのが決まりじゃからな!」

 

「えっ、そんな!? やだ、待ってください!」

 

「待つわけないじゃろうが! リーダー命令じゃ、わちが戻ってくるまでに杠葉の怒りをできるだけ(しず)めておくのじゃぞ!」

 

 そう言って凄い勢いで走り去るハッチーの小さな背中に、私はあらん限りの罵声(ばせい)を浴びせる。

 

「こ、このっ……バカ! 駄目リーダー! 傲慢! ウ〇コ狐! つ、吊り目! うわあああああん!!!」

 

 倒れ込んでいる私のもとに、憤怒(ふんぬ)形相(ぎょうそう)をした杠葉さんが歩いてくる。

 この顔は、拳骨(げんこつ)一発じゃ済まないかもしれない。

 

 この日、私はいっぱい泣いた。



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おいでよ授業参観日

おかしいな……なんとなく想定していたよりも、倍は長くなってる気がするぞ?
というわけで、まだ授業参観終わりません!


 なんだかいつもと比べて教室がざわついている。

 次の授業――4時限目は保護者が見に来るから、嬉しかったり気恥ずかしかったりで、みんな気持ちが浮ついているのだろうな。

 私の前の席に座っている、結んだ黒髪をバレッタで留めてアップにした物凄く小柄な女の子――涙目(なみだめ)最中(もなか)ちゃんが椅子をこちらに向けて、話しかけてくる。

 

「そういや、山田んとこは誰か来るのか?」

 

「えっと、親とかは来ないんですけど、代わりに知り合いが来てくれることになってます」

 

「え? だけど、単なる知り合いじゃ学院の中に入れないんじゃないか? うちってそういうとこ厳しいぞ、実体がどうであれ一応お嬢様学校なんて言われてるしな」

 

「え、そうなんですか? ど、どうしましょう? 来てくれるって言ってたんですけど……」

 

「うーん、赤の他人となると多分無理だぞ。スマホ持ってきてんだろ? もう遅いかもしれないけど、一応連絡してみたらどうだ?」

 

「は、はい。そうですね、そうしてみます」

 

 そう言って、私はスマホを探してごそごそと通学鞄を漁り始める。

 すると、一際大きなざわめきが起こった。

 不審者でも入ってきたのだろうかと思い辺りを見回すと、教室の後ろの壁際にブルグリの大きなレンズのサングラスをかけて、バレンシアゴのスーツを着た背が高くてスタイルの良い美人が立っていた。

 んんっ? あれって……もしかして、女優の涙目(なみだめ)鈴鹿(すずか)じゃないか!?

 って、涙目?

 もなかちゃんと同じ苗字だが、まさか!?

 

「あ、マ――げほっ、母さん!」

 

 私の目の前でもなかちゃんが嬉しそうに手を振ると、教室の後ろに立っている涙目鈴鹿がこくりと(うなず)く。

 マジか。

 

「ちょっ、もなかちゃんのお母さんって、女優の鈴鹿様なんですか!?」

 

「おう。そうだけど、言ってなかったっけ? マ――母さんは女優になる前はモデルをしていたからな、あたしも多分高校でかなり背が伸びると思うんだ。悪いけど、山田の背も追い抜いちゃうかもな」

 

 もなかちゃんが嬉しそうに笑い、妙に鋭い犬歯(けんし)が覗く。

 あまりに二人の体型が違うためもなかちゃんは養子なのかなと一瞬疑ったが、涙目鈴鹿の犬歯も鋭くて目立つし、よく見ると顔立ちはかなり似ている。気の強そうな目元などはまさに(うり)二つだ。

 とはいえ、根拠はないものの、なんとなくもなかちゃんは一生チビのままな気がした。

 

「それにしても、やっぱりバレンシアゴの服ってかっこいいですね。私も早くお金を貯めて買いたいです」 

 

 私がぽつりと()らすと、隣の机に突っ伏して寝ていた、ブロンドの髪をポニーテールにまとめた青い目の小柄な女の子――終日(ひねもす)寝子(ねるこ)ちゃんが顔を上げて、ティッシュでよだれを拭いて言う。

 

「ん……ごきげんようでござる」

 

「えと、おはようございます」

 

「それがしのパパ(うえ)はまだ来ていないようでござるな。さっき妙に教室がざわついたから、もしかしたらと思ったのでござるが……」

 

「ねるこちゃんのお父さんって、外人さんなんですよね? こう、ハリウッドスターみたいな感じですか?」

 

「オフの時のハリウッドスターには、似たような恰好の人もいるみたいでござるが……ざわつくと言っても、残念ながら良い意味ではないのでござるよ」

 

「ええ、どういうことですか?」

 

「ふっ……見ればすぐにわかるはずでござる」

 

 ねるこちゃんが遠い目をしてそう言った途端に、またもや大きなざわめきが起こる。

 高級腕時計をつけて見るからに高そうなスーツを着たアンコちゃんが、白い丸襟(まるえり)とコサージュがついた紺色のフォーマルワンピースを着て、白いベレー帽をかぶったバッケちゃんと手をつないで教室に入ってきた。

 その後ろに続いて、赤いベレー帽で耳を隠し、白いタイツをはいて、丈が長めの紺色のフォーマルワンピースで尻尾を隠したハッチーと、濃紺色の和服の上に黒いトンビコートを羽織(はお)った杠葉(ゆずりは)さんが入ってくる。

 そして最後に、なぜかレースやフリルが沢山ついた黒いゴスロリドレスをまとった冥子(めいこ)ちゃんが姿を現した。

 

「えっ!? なんで!?」

 

 杠葉さんとバッケちゃんはともかく、なんで冥子ちゃんまでいるんだ!?

 しかも、杠葉さんたちと一緒に教室に入ってきたが、冥子ちゃんと冷光(れいこう)家のみんなは面識がなかったはずだが……いったいどういうことだ!?

 

 

◆◇◆◇◆◇< 杠葉視点 >◆◇◆◇◆◇

 

 

 ヤマコが人間の振りをして通っている高校――人里離れた山の上に建つ『二荒聖陽女子学院(ふたあらせいようじょしがくいん)』に向かって杏子(あんず)が運転する車で山道を走っていると、車道に女が飛び出してきた。

 杏子が急ブレーキを踏んで女に接触する寸前で車は止まったが、車道に(たたず)むその女から異常なほどの妖力(ようりょく)を感じる。

 女が歩いてきて、運転席の窓をコンコンと叩く。

 無視すれば力づくで窓を破られる可能性もあったので、杏子に窓を開けてやるように指示をして、俺はシートベルトを外して退魔(たいま)霊符(れいふ)を指の間に挟み持つ。

 杏子が運転席の窓を開けると、女が顔を近づけてきて、ヤマコと同じ翠色(すいしょく)の瞳で車内を覗き込んでくる。

 黒髪をツインテールに結わえた、異様に整った顔立ちをした若い女だった。顔立ちや体型は似ていないが、瞳の色はもちろんのこと、妖力の大きさも気配もヤマコとそっくりだ。

 確かゴスロリとか言うのだったか? 大量のフリフリがついた(そで)に包まれた、女の白く細い腕が窓から車内に伸びてきて、杏子が握っていたハンドルを外からつかむ。

 鈴を転がすような声で女が言う。

 

二荒聖陽女子学院(ふたあらせいようじょしがくいん)まで乗せてもらえないかしら?」

 

「行き先まで同じときたか……()の色といい妖力といい、ヤマコの関係者なのか?」

 

「ヤマコって、(ねえ)さまのことかしら? 姉さまは冥子の姉さまよ。今日は姉さまの授業参観日なの。だから、()き妹として、サプライズで行ってあげようと思っているのよ」

 

 困り顔の杏子が、「どうしましょう?」という風に視線で(たず)ねてくる。

 

「……乗せてやれ。どの道、学院で会うことになるのだろうしな」

 

「あら、助かるわ。ありがとう、優しい人は好きよ」

 

 そんなことを言って、ヤマコの妹を名乗る女がドアを開けて、白髪毛(しらばっけ)蜂蜜燈(はちみつとう)が座る二列目シートに乗ってくる。そして、なぜか白髪毛を膝に抱えた。

 女の膝の上に乗せられた白髪毛が「ヴウウッ」と(うな)り、身をよじるが、しかし女の力が相当に強いようで拘束(こうそく)を抜け出すことができない。

 蜂蜜燈が目を丸くして言う。

 

「ほお……ヤマコに比べたらちと足りぬが、それでも凄まじい量の妖力じゃな。わち、ヤマコが世界で最強のあやかしなんじゃとばかり思っとったのじゃが、これほどの妖力を持った妹がいるとなるとそうも言いきれんくなるのう」

 

 俺とて、ヤマコと並ぶような強大な妖力を持つ大妖(おおあやかし)なんて存在しないだろうと思っていたが、まさか姉妹がいたとはな……信じたくはないが、ヤマコにそっくりな気配で、同じ翠色(すいしょく)の瞳を持っているともなればもはや疑いようもない。

 夢ならば覚めてほしいが、しかし、今ここで現実逃避するのはまずい。どれだけ受け入れがたくとも、現実は現実として受け入れて気を引き締め直す。

 

「ふふ。そうね、冥子と姉さまがきっと世界で一番怖いあやかしね。クスクス……」

 

「ヴウウッ――がぶっ!」

 

「きゃっ!? 噛んだわ! 小っちゃいのにとても勇敢なのね、偉いわ。冥子を噛む度胸のあるあやかしなんて、滅多にいないのに……でも、せっかく可愛いのだから懐いてほしいわね。ほら、冥子の目を見て?」

 

「――白髪毛、目を閉じろ」

 

 俺の指示に従い、白髪毛がきつく目をつむる。

 冥子とか名乗るヤマコの妹が、「あら?」とつぶやく。

 

「目を閉じるのはずるいわ」

 

「目で見るだけでおかしなことができてしまうやつの方がずるいだろう」

 

「そうは言っても、きっともうすぐ冥子の力が必要になるわよ?」

 

「……それはどういうことだ?」

 

「多分だけど、姉さまはあなたたちに、授業参観の日時くらいしか伝えていないんじゃない?」

 

「どうなんだ、杏子?」

 

「は、はい。えっと、確かに日時しか聞いていません……」

 

「ほらね。なら、絶対に冥子がいないと困ることになるわ。この車に乗ってあげた冥子に感謝してほしいわね」

 

「何なんだ、いったい」

 

 それきり会話がないまま、二荒聖陽女子学院の校門に入ったところで、警備員に車を止められた。

 杏子が運転席の窓を開けると、警備員が「おはようございます、本日はどのようなご用件でご来校されたのでしょうか?」と訊ねてくる。

 

「えっと、授業参観に来たのですけど」

 

「授業参観ですね、でしたら証明書を拝見させていただきます」

 

「えっ? 証明書ってなんですか?」

 

「保護者専用に発行される証明書がございまして、申し訳ございませんがそちらをお持ちいただかないと原則校内にお通しすることができません」

 

「ええ……? ゆ、杠葉さんどうしましょう? ヤマコさんからはそんなこと聞いていませんし、何も用意していないんですけど――ああっ!? でも、弓矢くんの授業参観なんかで、そういえばそんな紙を持っていった記憶があります!」

 

 なるほど。不審者が紛れ込む可能性だってあるのだから、言われてみれば証明書のような物が必要になるのは当然のことだ。

 仕方がないから引き返そうと言おうとしたところで、後ろに座っていた冥子とやらがドアを開けて、車から降りた。

 

「私の目を見て」

 

「は……?」

 

「証明書はさっき見せたでしょ? 思い出せたなら通してちょうだい」

 

「はい……」

 

 そんな会話を警備員と交わして、冥子が再び車に乗り込んでくる。

 

「許可をもらえたから、駐車場まで行ってちょうだい。ふふ、言った通り、冥子の力が必要になったでしょ?」

 

「洗脳みたいなものか。それにしても、かなり効力が強そうだが……」

 

「姉さまの目と違ってあまり危なくないし、使い勝手がいいのよ。怖いのは姉さまの目の方が怖いけど、冥子にはこれくらいで十分だわ」

 

 ふむ、こいつはヤマコの邪眼(じゃがん)の効果を把握しているのか。

 ヤマコに訊ねたところでいつも曖昧な返事ではぐらかされてしまうから、俺には特別に強力な邪視(じゃし)ということくらいしかわからない。

 だが、今ここでこいつに聞いたところで多分教えてはくれないだろう。そもそも、こいつの言うことを鵜呑(うの)みにするのも危険だ。

 こいつはヤマコの妹ではあっても俺の式神ではないし、ヤマコと違って頼んだところで式神になってくれるようにも思えない。

 

 二荒聖陽女子学院の駐車場で車を降りて、校舎に向かい歩き出す。

 昨夜まではヤマコの授業参観なんかに行く気などなかったのだが、白髪毛までもが行きたがり、杏子からも「ヤマコさん、杠葉さんに来てほしがっていたじゃないですか」などとしつこく説得されてしまい、仕方なく同行することにしたのだが……来て正解だったな。まさかヤマコに妹がいて、しかもこんな所で遭遇することになるとは思ってもみなかった。

 ヤマコの妹はヤマコと並ぶほどの妖力を持っている上に、ヤマコよりも扱いにくそうに感じる。俺の知らないところで、杏子や式神たちがこいつに洗脳されるような事態にならずに済んだのは幸いだった。

 歩きながら蜂蜜燈(はちみつとう)が、「尻尾と耳が窮屈じゃのう。わちの一番かわいいところなんじゃがな、なんで隠さねばならんのじゃろうな?」などとぶつくさと文句を言う。自分で来たがっておきながら文句が多いといつもならば腹が立つところだが、今ばかりは蜂蜜燈の常と変わらぬ態度が心強く感じられる……実際には何も考えていないだけなのだろうし、決して頼りになるわけではないとわかってはいるが。

 

 校舎に入る際にも別の警備員が声をかけてきたが、先ほどと同様に冥子と目を合わせた途端に様子がおかしくなり、素通りできてしまった。

 無論、だからと言って証明書を持っていない俺たちが校内に入って良いわけがないのだが、しかし、冥子を監視できる人間が自分たちしかいない以上は細かなルールなど気にしていられない。警備員には申し訳ないが、このまま冥子について行くことにした。

 廊下で今度は教師らしき男から証明書の提示を求められて、またしても冥子が邪眼を使う。

 

「どうじょ……お通りくだしゃい……」

 

「おい、呂律(ろれつ)が回らなくなっているが、元に戻るんだろうな?」

 

「ちゃんと加減しているから平気よ。洗脳されやすいタイプの人だとこんな風になっちゃうこともあるけど、遅くても明日には元に戻ると思うわ」

 

 本当だろうな……? 疑わしく思えども、俺には今すぐに真実を確認する手立てもなければ、冥子を力ずくで止めることもできない。

 ヤマコと出会ったことで俺たちは生きる希望を持てたが、ヤマコと出会ってからというものの、こんな風に己の無力さを痛感することが多くなった。ヤマコだけでもなかなか手に負えないのに、妹まで出てきてしまうとは予想外にも程がある。

 

 前を歩いていた杏子が足を止めて、きょろきょろと周りを見る。

 そういえばこれまでに見たことのないスーツを着ているが、まさかヤマコの授業参観のためにスーツを新調したのだろうか? いや、杏子の金なのだから好きに使えば良いとは思うが、式神を相手に入れ込みすぎじゃないかと少し不安になるな。

 

 しばらくして杏子が振り返り、困った顔をして聞いてくる。

 

「杠葉さん。1年生の教室が2クラスあるんですけど、ヤマコさんのクラスはどっちなんでしょうか?」

 

「俺が知るはずないだろう。授業参観に誘われたのに、クラスも聞いていないのか?」

 

「は、はい。そういえばクラスって一つじゃありませんもんね、困りました。二分の一の確率ですし、中に入ってヤマコさんの姿を探してみるしかないですかね?」

 

「仕方ないな……俺が妖力を探ってみよう」

 

 ヤマコの妖力は強大であるがゆえに、大体どこら辺にいるかというのは凄くわかりやすいのだが、その代わりに細かな位置を絞り込むのが難しいのだ。

 今回も校舎の外にまでヤマコの妖力が(あふ)れ出している上に、ヤマコとよく似た妖力を持つ冥子までもが近くにいるために、益々(ますます)わかりにくくなってしまっている。

 俺がヤマコの妖力を探るのに集中していると、先ほどの杏子と同じようにきょろきょろとしていた冥子が奥にある教室を指さして言う。

 

「多分、姉さまの教室はあっちだと思うわ。ふふ、冥子はサプライズで最後に登場したいから、あなたたちが先に入って」

 

 何というか、こうなってくると、ヤマコが授業参観に誘ってきたこと自体が嫌がらせだったのではないかと思えてくるな。

 誘っておきながら自分のクラスさえも教えず、証明書のことにも何も触れない。そして都合よく出会った、ヤマコの妹を名乗る冥子の存在も怪しく感じる。

 さすがに俺が来ることまではヤマコもわかっていなかったはずだが、それならそれで、俺の居ないところで杏子たちが冥子と接触していたわけだ。

 普段の様子を見る限り、ヤマコのことだから教室を教えることは単純に忘れていて、証明書に至ってはやつ自身も存在を把握していなかったという可能性も否定はできないが……普段の間抜けな態度が演技だという可能性もある。仮にすべてが故意だったとすると、一体何を目的としているのだろうか?

 俺か、もしくは杏子たちが、冥子と接触することか? だとしたら、その先には何が待っているのだろうな……。

 

 

◆◇◆◇◆◇< 山田視点 >◆◇◆◇◆◇

 

 

 もなかちゃんが若干(じゃっかん)引いた声で言う。

 

「うわっ、なんだ? なんか真っ白けな幼女と、金髪の子どもと、ゴスロリ女がいるぞ? 金髪ってうちの学年じゃねるこしかいないけど、お前に妹なんていたっけ?」

 

「いやあ、それがしに妹がいるなどとは聞いたことがないでござるよ。いったい何者でござろうなあ」

 

「あの、えと、あの……全部私の知り合いです」

 

 おそるおそる名乗り出た私に、もなかちゃんが驚いた顔をして(たず)ねてくる。

 

「えっ? でも、知り合いって……家族とかじゃないんだろ?」

 

「えっと、はい」

 

「じゃあ、あいつら、どうやって学院の中に入ってきたんだ?」

 

「その、あの……よくわかんないです」

 

「ええ? おいおい、大丈夫かようちの学校。つまり、あんなに目立つやつらを素通りさせちゃったのか?」

 

「あの、できればですけど、えと、誰にも言わないでいただけると……」

 

「まあ、山田には差し入れをもらったりして世話になってるからな、危ないことしないなら見逃してやるけどさ……いやでも、この学院で寝起きしている身としては、やっぱり警備の面で不安になるぜ」

 

「えーと、多分ですけど、そこは大丈夫なので……」

 

 なんで冥子ちゃんまで来ているのかはわからないが、冥子ちゃんは目を合わせるだけで他人を洗脳できるのだ。

 多分だが警備の人はちゃんと仕事をしようとしたのだろうけど、冥子ちゃんに洗脳されてしまったのだろうと思う。 

 ゴシックアンドロリータを身にまとった冥子ちゃんが私を見つけて、手を大きくブンブンと振ってくる。

 

「あら、姉さま! まったく、どうして冥子に授業参観のことを教えてくれなかったの? 姉さまのアカウントを使って、定期的に姉さまの学校のホームページを確認していなかったら気づけなかったわ! ほら、見てちょうだい。姉さまの授業参観だから、オシャレな服を着てきたの! どうかしら、可愛いかしら?」

 

「おおっ、ヤマコ! そんなところにおったのか! 同じ服を着た似たような見た目をしたやつらがこうも沢山おると、なかなか見分けがつかんくてのう! じゃが、優秀なわちが本気で妖力を探れば一発じゃったぞ! どんな問題が出るのかまったく見当もつかんが、ヤマコは賢いからきっと全問正解じゃな! 期待しておるぞ!」

 

「わあ、高校の教室ってこんな感じなんですね~。これくらいの年頃の女の子が揃うと華やかでいいですね、ふふ。あ、ヤマ――じゃなかった、春子ちゃん! 今日は頑張ってくださいねっ! 学校ってちゃんと通ったことがないですし、どんな問題が出るのかは私にもわかりませんけど、きっとヤマ――春子(はるこ)ちゃんなら()けますから! ここから応援していますね!」

 

「んっ!」と、バッケちゃんが小さな拳を突き上げる。

 

 なんだこれ?

 なんか、なんだろうな……凄く恥ずかしいぞ?

 運動会じゃあるまいし、そんな風に大声で応援したりするのは何か違うんじゃないか?

 なんだか私まで悪目立ちしてしまっているし、みんなの気持ちは嬉しいけど照れくさいし、とにかく凄く恥ずかしいぞ!?

 というか、冥子ちゃんに至ってはゴスロリを着てくる意味がわからないし、それでいて大きな声で私を姉さまとか呼ぶし嫌がらせか!?

 

 恐々(こわごわ)とした様子で、もなかちゃんが訊ねてくる。

 

「おい、あのゴスロリ女、お前のこと姉さまって呼んでるけど……ほんとに姉妹とかじゃないのか? ゴスロリは高校生くらいに見えるし、金髪は小学生くらいに見えるけど、学校休んで来たのか? なんなんだ、あいつら?」

 

「ええと……血縁関係はないんですけど、ゴスロリは偽妹(ぎまい)で……金髪のほうは、えっと、お世話になっている方の偽母(ぎぼ)――いや妹、って感じですかね?」

 

「ん? ゴスロリは義妹(ぎまい)なんだな? それなら血縁関係がないにしてもちゃんと親族だし、問題ないだろ。いや、他のやつらがどうやって入ってきたのかについては、相変わらずわからないままだけどさ……」

 

 お喋りしている間に――というか、もなかちゃんからそんな感じで尋問(じんもん)を受けている間に英語の蒲田(かまた)先生(ガマガエルのような顔をした妙齢の女性)が教室に入ってきて、チャイムが鳴った。

 蒲田先生が保護者たちに挨拶をして、授業が開始される。

 そういえばねるこちゃんのお父さんらしき人の姿が見えないのが気になるが、遅刻しちゃっているのだろうか?

 

「そうしたら、22ページのハマーとドリーの会話を――ミス・モナカ、音読してみましょう!」

 

「はい。

 ハマー:Let's go barhopping tonight.

 ドリー:Wow, That's a great idea. I'm in the mood for a wine tonight.

 ハマー:Good timing! There’s a bar I frequent in front of my home.

 ドリー:Really? But I'm particular about wines.」

 

「グッドジョッブ! よくできました。では、この会話を――ミス・ネルコ、日本語に訳してみましょう!」

 

「ええとでござる……。

 ハマー:今夜ははしご酒したいでござるな。

 ドリー:おー、良い考えでござるな。それがしは今夜はワインの気分でござるよ。

 ハマー:ちょうどいいでござる! それがしの家の前に行きつけのバーがあるのでござるよ。

 ドリー:本当でござるか~? でもそれがしワインにはうるさいでござるよ」

 

「グッドジョッブ! よくできました。では続けて、23ページの会話も――ミス・モナカ、音読してください!」

 

「はい。

 ハマー:It’s about time to call it a night.

 ドリー:I’ll never drink again.

 ハマー:Me, too. I shouldn’t have mixed Brandy and wine.

 ドリー:I feel like throwing up. But I have to catch a taxi.

 ハマー:Well, why don't you come over?

 ドリー:Thank you, but I’m good.」

 

「ダッツインプレッスィーヴ! よくできました。では、この会話を――ミス・ハルコ、訳してみましょう!」

 

 えっ、私!?

 このガマガエル、どうしてかいつも二回ずつ繰り返して同じ人に当てるから、すっかり油断していたぞ!?

 ど、どうしよう!?

 この学校は勉強ができない子が多いのだが、ミッションスクールなので世界中に姉妹校があり、生徒の保護者にお金持ちが多いこともあって留学が盛んなため、英語だけはどの子も結構できるのだ。

 せっかくみんなが見に来てくれているのに、私だけが問題に答えられないなんてことになったら恥ずかしいぞ!?

 

「ヤマコ! わちの後輩として、こやつらに賢いところを見せつけてやるのじゃ!」

 

「姉さま! そこよ、そこでアッパーカットよ! ガマガエルの妖怪ごときが姉さまに挑むなんて生意気だわ、わからせてやりましょう!」

 

「頑張ってください、ヤマ――春子ちゃんでしたらきっとできます!」

 

「んっ!」と、バッケちゃんが小さな拳を突き上げる。

 

 もなかちゃんが振り返って、「23ページだぞ」と(ささや)いてくれる。

 だが、英文を見てもさっぱりわからない。まず一行目がすでにわからない。

 それは……だいたい、時間……呼ぶ……その、夜……?

 あ、暗号か?

 くそう、IQならば多分私は200以上あるはずなのだが(※根拠はありません。)、ひらめき型なので(※根拠はありません。)暗記がメインとなる学校の勉強はそこまでできるわけではないのだ。

 

 ガマガエルが首をかしげて言う。

 

「ミス・ハルコ? スタンダーップ」

 

「あ、あ、はい……、ええと、ええと……!」

 

 仕方がないのでとりあえず立ち上がって、考えている振りをしながら私は横目でちらちらとねるこちゃんの顔を見る。

 ねるこちゃんが「頼まれたでござる」と小声で言って、日本語訳を書いたノートを私の方に突き出してくれた。

 

「ええと、ええと……!

 ハマー:そろそろお開きの時間でござるな。

 ドリー:もう二度と絶対に酒は飲まないでござる。

 ハマー:同じくでござる。ブランデーとワインをちゃんぽんしたのがよくなかったでござる。

 ドリー:ゲロ吐きそうでござる。でもタクシーに乗らないとでござる。

 ハマー:それなら、(うち)に来たらいかがでござるか?

 ドリー:ありがとうでござる、でも結構でござるよ」

 

「アッオー……ミス・ハルコ、チートはいけません。ミス・ネルコに答えを見せてもらいましたね? ござるなんて言うのはこの学院内でもミス・ネルコだけですから、バレバレですよ」

 

「あっ!? ね、ねるこちゃん、なんでノートにまでござるって書いてあるんですか!? 慌ててたから、ついそのまま読んじゃったじゃないですか!」

 

「こ、これはそれがしのポリシーでござるよ! ブシドーの精神を常に忘れないように心がけているのでござる!」

 

 ねるこちゃんとそんなやり取りをしていると、開いたままの教室のドアから、彫りの深い顔立ちをした見るからに不潔なおじさんが入ってきた。

 汗染みで黄ばんだよれよれのカッターシャツを着て、はき古して茶色っぽくなったよれよれのジーンズをはいている。ぼさぼさの長髪を頭の後ろで一つに束ねており、鷹のように鋭い目つきをしていた。

 無精ひげまで生えているその汚いおじさんを見て、私は思わずつぶやく。

 

「――私が想像してた、理想の東根(ひがしね)先生だ!」

 

「あっ、パパ上でござる! 相変わらずばっちいでござる!」

 

 ねるこちゃんが汚いおじさんを指さして言った。

 あの『理想の東根先生(汚いおじさん)』がねるこちゃんのお父さんなのか、なんだか似てなさすぎて笑えてくるな。

 

 しかし、なんだろうな……?

 あいつ、ねるこちゃんを見に来たんじゃないのか?

 なんで私のことばかり、じっと見ているんだろう?

 

 ……やっぱり、私が美少女だからかな?




【 バケツこそこそ話 】
実は『消えたホラー作家』『御札ノ家』『棺の中で夢を見る』の3話と、『チェリーハント』に登場した東根先生の新作の内容は、Hardcore SuperstarというバンドのDreamin' in a Casketという曲の歌詞をモチーフにしています。Thomas Silver在籍時の最後のアルバムのタイトルにもなった一曲です。この曲は歌詞もサビのメロディもドラムも凄く好きですが、何よりもアウトロのトーマスのギターが妖しく、セクシーで堪りません。なんかマリス〇ゼル時代のガ〇トみたいな爪を生やした怪人が出てきたり、ボーカルが蜘蛛の糸でグルグル巻きにされたり大蛇に絡み付かれたりする謎のPVも謎にカッコイイので、ご興味のある方は是非見てみてください!


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みんなでランチ

今回更新がめちゃくちゃ遅くなりました、ごめんなさい!
色々と用事や事件が重なってなかなか思うように書くことができませんでしたが、大体は解決したので次回からはこんなに遅くはならないと思います!
なお、本日19時にもう一本投げる予定です!


 ずっとねるこちゃんのお父さんに見られ続けて居心地が悪いまま授業が終わり、授業参観に来てくれた保護者たちと一緒にお昼ご飯を食べることになった。

 背中にねるこちゃんのお父さんの視線を感じたが、とりあえず私も冷光(れいこう)家の面々feat.冥子(めいこ)ちゃんと合流して教室を出る。

 

「あの、あの、なんで杠葉(ゆずりは)さんまでいるんですか? しかも冥子ちゃんが一緒にいますし、どういうことですか?」

 

「姉さま! 冥子がいなかったら、この人たちは学校に入ることさえできなかったのよ? 姉さまの尻ぬぐいをした冥子に感謝してほしいわ! ふふふ、ご褒美には何を貰えるのかしら、楽しみね!」

 

「あっ、そうでした。そういえばなんか、親族とかじゃないと学校に入れないって私知らなくって、何も確認しないままにお誘いしてしまって申し訳ありませんでした!」

 

 そう言って私がアンコちゃんに向けて頭を下げると、杠葉さんがゴスッと拳骨を落としてきた。

 

「――ふぎゃっ!? な、何もぶつことないじゃないですか!?」

 

「この冥子とかいうあやかしとは、ここに来る途中で出会ったのだが……お前に妹がいるとは知らなかったぞ。しかも、同居しているらしいな。なぜ隠していた?」

 

「へ? 別に隠していたつもりはありませんけど、なんかまずかったですか?」

 

「こっちはお前のように馬鹿みたいな妖力(ようりょく)を持ったあやかしが二匹も三匹もいるとは思っていないから、急に遭遇したら驚くだろう。確認しておくが、お前たちの他にはもういないな?」

 

「えっと、どうなんですか冥子ちゃん?」

 

「姉妹は私たち二人だけよ。だからかしら、特別に仲良しなの。ね?」

 

 首をかたむけて、冥子ちゃんが可愛らしく微笑んで私を見てくる。

 冥子ちゃんに対しては色々と思うところもなくはなかったが、また()まれても面倒くさいので一応(うなず)いておく。ちょっとでも邪険(じゃけん)な扱いをしてしまうとすぐに病んでしまうから面倒くさいのだ。もしかしたらそれも寄生生活を送る上での作戦なのかもしれないが、同じ部屋で寝起きしている相手が病みモードに入ると本当に面倒くさいので、ズルいなとは思いつつもつい譲歩してしまう。

 

「本当だろうな?」などとしつこく確認してくる杠葉さんのことは無視して(聞かれても私だってわからない。)、アンコちゃんたち女性陣に向けて言う。

 

「お昼なんですけど、市内のお店やパン屋さんがお弁当やパンを売りに来てくれて、あとパックのパンやおにぎりの自動販売機もありますけど、どうします?」

 

「色々とあるんですね~。実は私学食に少し憧れていたんですけど、食堂みたいなものはないんですか?」

 

「それがですね、生徒を太らせたくないからなのか知りませんけど、自由にメニューを注文できるようなシステムが存在しないんですよ。お弁当も量が少な目で味も薄めですし、自動販売機にもカップラーメンとかの油っこい物がないんです。しょうがないので、私はチャック付きの天かすやマヨネーズなんかを持参して惣菜パンに足して食べています」

 

「え、ええ……天かすまで持参しているんですか? えっと、なんといいますか、さすがヤマコさんです」

 

「やきそばパンのやきそばに天かすとマヨネーズを混ぜた山田スペシャルが一番おすすめなんですけど、なぜか最近パン屋さんが持って来てくれないんですよね、やきそばパン」

 

 ハッチーが目を半眼にして私を見上げて、「ヤマコのせいかもしれんのう」と言ってくる。

 なんで私のせいになるのだろうか、意味がわからないぞ。この前はもなかちゃんが同じようなことを言ってきたが、みんなしてどうしてすぐに私を悪者にしようとするのだろう? 私がかわいいから嫉妬して意地悪を言っているのかもしれないが、ハッチーももなかちゃんも十分にかわいいのだからもっと自信を持てば良いのにと思う。

 

「まあ、じゃあとりあえず全部見てみます?」

 

「そうですね~、ヤマコさんたちが普段どんな物を食べているのか気になりますし、全部見てみたいです」

 

 アンコちゃんたちを先導しながら廊下を歩いていると、いつも校舎の内外をうろうろしている髪の長い若い女の姿をしたオバケだか妖怪だかが窓際に立っていて、じっとこちらを見ていた。

 普段、ねるこちゃんやもなかちゃんといった学校の友達と歩いている時には、みんなには見えていないようなので、変に思われないように私も気づかない振りをしていたのだが……。

 

「あら、姉さま。姉さまの通う学校なのだからここはもう姉さまの縄張りなのに、生意気な子がいるわ。とっちめてやりましょうよ?」

 

「なんじゃ、こいつ。わちらに視線を向けてきおるぞ、生意気なやつじゃな。ここはヤマコの縄張りなのじゃろ、喰ってはやったらどうじゃ?」

 

「若くて元気な子たちが集まっている学校でも、こういうのっているんですね~。害がないのでしたらいいんですけど、もしも学生さんに取り()いたりしたら危険かもしれませんし、ちょっとかわいそうですが(はら)っておいた方がいいんでしょうか?」

 

「まあ、そうだな。金にはならんが、手間がかかるというわけでもない。白髪毛(しらばっけ)、やれ」

 

「ん!」

 

 バッケちゃんが物凄い速さのパンチを放つと、髪の長い女は一瞬にして消滅した。あまりに呆気(あっけ)ないが、普通の人には視えない程度の怪異なんてこんなものなのだろう。みんなから生意気だと言われて通りすがりに殴られて消滅した女に同情する気持ちもないではなかったが、正直すっきりした。

 実は先日、朝に賞味期限のだいぶ過ぎた納豆を(マヨネーズで除菌すれば大丈夫だろうと思って)食べてしまったら学校でお腹が痛くなってしまい、それで医務室のベッドに横になっていた際にベッドの下から女の腕が伸びてきて、めちゃくちゃびっくりさせられて床に落っこちて痛い思いをしたのだ。

 ベッドの下を覗いた時にはもう何の姿もなくて、ただ、ぼろぼろになったハイヒールの片方が転がっていただけだったが……あの時私を(おど)かしてきた女が、多分今の女だったように思う。

 

「わあ、綺麗なお弁当ですね~」

 

 細長い折りたたみテーブル二つに、ずらりと並べられたお弁当を見てアンコちゃんが歓声を上げる。

 少し離れたところではパン屋さんのパンが売られており、バッケちゃんはそっちに行きたそうだったので、惣菜パン派である私が手をつないで一緒に連れていく。

 この学校の生徒はほとんどが寄宿生なので、寄宿舎のキッチンスタッフが調理したお弁当を持ってきている。そのため、普段ならばそれほど混むことのないお弁当やパンの売り場も、保護者たちが来校している今日は結構混雑していた。

 バッケちゃんがあんぱんとチョココロネとメロンパンを選び、自分用にはコロッケバーガーとピザとあんドーナツとチュロスを選んで(ある程度の油分が含まれたパンをコンプリートしてやった。)、他にも適当にみんなに分ける用のパンをいくつか一緒に買い、お弁当を買い終えて待っていたアンコちゃんたちと合流して『聖母様の花園(マリア・フラワーガーデン)』に向かう。

 校舎の外に出ると、アンコちゃんがきょろきょろしながら言う。

 

「素敵ですね~。とにかく広いですし、おっきな池があって、あちこちに中庭やアーチ型の回廊があって、まるでヨーロッパのお城みたいです。こういうところに住んでみたいです」

 

「ふふ。大体の妖怪は海を渡れないけど、冥子は船にも飛行機にも乗れるからヨーロッパのお城に住んでみたこともあるわ。住みやすくはなかったけれど、気分はよかったわよ」

 

「西洋かぶればかりじゃな。わちは(たたみ)に布団が最強じゃと思う。一昔前までは畳って貴人(きじん)しか上がれんかったし、持てなかったんじゃぞ。のう、ヤマコ?」

 

「へー、そうだったんですか」

 

「へーっておぬし、畳が普及したのってほんとに最近の話じゃろうが。さすがに覚えとるじゃろ? 昭和の中頃(なかごろ)に機械が作った変な畳があちこちで使われるようになったじゃろうが。機械が作った畳は通気性が悪いんじゃけど、湿気には強いんじゃよなあれ。じゃから、山の中にある冷光の屋敷には悪いばかりでもないんじゃけど、足で踏んだ感触じゃってまったく違うし、わちはやっぱり昔ながらの藁床(わらどこ)が最強じゃと思っとる」

 

 うーむ、そんなことを言われてもな。ハッチーは私のことを長く生きている妖怪だと思っているのだろうけど、実際にはまだ15歳だし、当然ながら昭和のことなんて知らない。昔ながらの畳と、機械で作られた最近の畳の違いなんてわからないぞ。

 

 ちょうど花盛りの真っ赤なつつじに包まれるようにして、聖母様の石膏像が建っている広い中庭――聖母様の花園(マリア・フラワーガーデン)を取り囲む、アーチ状になった回廊の石段に腰を下ろして、みんなでお昼ご飯を食べ始める。

 しかし、せめてトースターくらい使えたらいいのにな。やっぱり冷めているピザはチーズが固まっていて微妙だ。マヨネーズをかけているのでどうにか食べられるが。

 

「もう、姉さまったら。脂質と炭水化物のコンボはダメだって何度も言ってるじゃない。女の子は15歳を境にあとは代謝が下がる一方らしいから、きっとこれからどんどん太るわよ?」

 

「かっかっか! 高校生ジョークじゃな? 確かに高校一年生じゃと、ちょうどそのくらいの年頃じゃものな。もちろん、あやかしでなければじゃが!」

 

 私は別に太っていないが、今がちょうど折り返し地点なのだと言われるとちょっと怖くなってくるな。とはいえ、マヨネーズを我慢したら今度はそのせいで(うつ)病とかになってしまいそうな気がする。

 まあ太ってから悩めばいいかと結論付けて、天かすとマヨネーズを挟んだことにより1cm以上も厚みを増したコロッケバーガーにかぶりつこうとした瞬間、急に尿意がやってきた。

 今日はちょっと風が涼しいから、そのせいだろうか?

 とにかく無理に我慢すれば漏らしそうな気配を感じたので、私は手のひらでお腹を押さえながらそっと立ち上がる。

 

「あの、ちょっとトイレに行ってきますね」

 

「はーい、いってらっしゃい」

 

 そう言って笑顔で手を振るアンコちゃんに見送られつつ、足早に歩き出す。現在位置から考えて校舎のトイレが一番近いなと思い、ついさっき来た道を戻っていく。

 すると突然に、校舎の(かげ)から腕が伸びてきた。

 

「――へっ!?」

 

「静かにしろ」

 

 彫りの深い顔をした、汚い身なりのおじさん――ねるこちゃんのお父さんが壁ドンしてきて、校舎の外壁に背中を押し付けられる。

 

「ひょ、ひょえっ!? わっ、私は確かに美少女ですけど、落ち着いてください!」

 

「そういうんじゃねえよ! だいたいなお前、美少女はさすがに盛りすぎだろ!? お前なんて盛ってギリギリ中の上だ!」

 

「だ、男性って、自分から声をかけてきたくせに、振られた途端(とたん)に逆ギレしてそうやって容姿を馬鹿にしてきたりするんです! そういうの、少女漫画とか乙女ゲームでよくありますもん!」

 

「だからそういう目的で声をかけたんじゃねえっての! くそっ、腹の立つ妖怪だな!」

 

「妖怪じゃないもん! トイレに行きたいんです、どいてください!」

 

「どう見ても妖怪だろうが! なんだって妖怪が俺の娘と一緒に高校生なんてやっていやがる? しかも、授業参観に馬鹿みたいに妖怪を引き連れて来やがって!」

 

「私の人生初壁ドンが偽物の東根(ひがしね)先生だなんて、なんだかショックです! 返してください! 初壁ドン!」

 

「なんの話だよ!? いや、俺の話を聞けよ!?」

 

「おじさん特有のくさいにおいがしますから、とにかくもうちょっと離れてください!」

 

「ぐっ、妖怪だってわかっちゃいるが、人間っぽい姿のやつにそういうこと言われると傷つくぜ……だが断る。俺の質問に答えるまでは逃がさねえぞ」

 

「ほんとにトイレに行きたいんです! 私は普通に女子高生してるだけです、ねるこちゃんとはただのお友達です!」

 

「信じられるか、阿呆っ!」

 

「あたっ!?」

 

 頭をペシンとはたかれた。くそ、なんてやつだ、乙女の頭をたたくなんて。しかも、結構痛かったぞ?

 

「うう……いいんですか、暴力なんて振るって。私が本気出したら、(にら)んだだけでおじさんの頭をおかしくすることができますし、本気でパンチしたらカスも残さずにこの世から消せちゃうんですよ?」

 

「やっぱり妖怪じゃねえか!! 人間にそんなことができるわけねえだろっ、誤魔化す気あんのか!?」

 

「ぴぃっ!? 耳の近くでいきなり怒鳴らないでください、びっくりしておしっこ漏らしちゃいそうになったじゃないですか!」

 

「お前が怒鳴らせてんだろうが! それで、どういうことなんだ? 授業参観に来た仲間の妖怪どもは、大方警備員を洗脳するかなんかして無理やり入ってきたんだろうが……山田春子だったか? 本人はどうした? 殺して成り代わったのか? なんつーかだな、父親として、人を殺すような妖怪に娘のそばにいられると不安なんだよ。わかるだろ?」

 

 ふむ、なるほど。ねるこちゃんのお父さんも杠葉さんと同じような勘違いをしていて、それで私のことを警戒しているわけだ。

 話は理解できたが、しかし、どう答えればいいのだろうな……? 人間だと言い張っても信じてくれそうにないし、困ったぞ。

 

「えーと、あのー、うーんと……」

 

「俺の娘を害する気はないなんてお前が言ったところでだな、俺からしたら信じるに足る根拠なんてないわけだ。それに、触穢(しょくえ)ってわかるか?」

 

「しょくえ?」

 

「まあ、要は(けが)れに触れると伝染するって話だ。修行を積んでもいない素人が妖怪やら、悪いもんに()かれた人間やらと接点を持っていると、どんどん穢れを溜め込むことになっちまう。最初は大したことがなかったとしても、穢れを溜め込んでいくうちに単に気分が落ち込むとかいうだけの話じゃ済まなくなる。なんつーか、魂の免疫力(めんえきりょく)みてえなもんがなくなっちまって、よくないことばかりが続いて体も弱り果てて最後には死んじまう。お前みたいな大妖(おおあやかし)なんてもんは特大の穢れで、寝子(ねるこ)は穢れから身を守る(すべ)を持たない素人だ」

 

 ねるこちゃんのお父さんが見るからに汚い頭をぽりぽりと()いて、心なしか言いづらそうな様子で、けれどもはっきりと言う。

 

「だからだな、どうしたところでお前に娘のそばにいられると俺は不安で仕方がねえ。お前がどういう目的で学生ゴッコをしてんのかは知らねえが、なんだ、せめてよその学校に行ってくれねえか?」

 

「でも、その、お母さんが学費を払ってくれましたし……」

 

「山田春子の母親だろ。お前の母親じゃないし、お前のために払ったわけじゃねえだろ。とにかく俺の娘から離れてくれりゃ、俺はお前の行動の一々に文句をつける気なんてねえんだ。そもそも、どう足掻(あが)いたところでお前に勝てるとは思えねえしな」

 

「えと、えと、あう、あうっ――すぅー、はぁー……誰かー!!! 助けてくださーい!!!」

 

 尿意が限界だし、もはや何を言えばいいのかもわからず、混乱した私はこの場から離れたい一心で大声を張り上げた。

 ねるこちゃんのお父さんが驚いた顔をして、「んなっ、てめえっ!!?」と叫ぶ。

 

「フッ……ほら、逃げなくていいんですか? 先生やシスターたちは、きっと妖怪だのなんだのと言っても聞いてくれませんよ? 逮捕されちゃいますよ、逮捕!」

 

「お前、やっぱり寝子のこと友達だなんて思ってねえだろ!? 友達の父親を冤罪(えんざい)で逮捕させる気かよ!?」

 

「冤罪じゃありませんもん! 私は実際にここの生徒ですし、おじさんに脅されましたし、身の危険を感じましたもん!」

 

「身の危険は絶対にねえよ、バーカッ! ――うおっ!? あぢゃあッ!!?」

 

 ジーンズのお尻がいきなり燃え始めて、おじさんが悲鳴を上げてゴロゴロと地面の上を転がる。

 すると、どういうルートでやって来たのか、校舎の屋根からバッケちゃんが飛び降りてくる。どうやらおじさんのお尻に妖術(ようじゅつ)で火をつけてくれたようだ。

 えらいぞ、バッケちゃん!

 

 転がりまくって何とかお尻を消火して、地面に仰向けになり荒い呼吸を繰り返していたおじさんの顔を、いつの間にかやって来ていた冥子ちゃんが覗き込む。

 

「殺しちゃったら面倒になるかしら? なら、姉さまに都合のいいように(いじ)っちゃいましょうか?」

 

 冥子ちゃんの背後からひょっこりと顔を覗かせたハッチーが、物凄く意地悪な笑み浮かべて言う。

 

「まさかヒトの身で世界最強のあやかしに喧嘩(けんか)を売るやつがおるとはのう、驚きじゃ。愚かとしか言いようがないが、根性は認めてやるぞ。あっぱれじゃな、あっぱれ」

 

 最後に、バッケちゃんがおじさんの顔を指さして、そして私の顔を見上げて(たず)ねてくる。

 

「いらない?」

 

「まっ――待った! 待ってくれ! 頼む、見逃してくれ! 寝子には俺しかいないんだ!」

 

 おじさんが慌てた様子で命乞いを始めるが、まあ怖いだろうな。私も、今のバッケちゃんの言い方にはなんだか背筋がぞくっとしたぞ。声に感情が乗っていないというか、なんというか……私が「いらない」と答えたら、迷わずおじさんのことを消し炭にしてしまいそうな凄みを感じた。

 こちらへと近づいてくる足音が聞こえてきて、杠葉さんとアンコちゃんが姿を現す。

 私たちのそばにまでやってきた杠葉さんは足を止めると、誰ともなしに訊ねる。

 

「何だ、この状況は?」

 

「わち、悪くないもん。最初にヤマコとこの男がなんか言い争っとって、そこにバッケが入っていってこの男のケツに火をつけたんじゃ。わちは止めようとしたのじゃが、あと一歩間に合わんかった」

 

「嘘をつくな。その状況でお前が止めようとするわけがない、むしろ面白がって(あお)るはずだ――ヤマコ、何があった? 嘘をつくなよ」

 

「えっと、えっと……倒れてるこの汚いおじさんは、私の隣の席のねるこちゃんのお父さんなんですけど、危険そうな妖怪が娘のそばにいると安心できないみたいなことを言って、私に壁ドンして、転校しろとか脅してきまして……困ったので、とりあえず社会的に抹殺してやろうと思って大きめの声で助けを呼んだんですけど、そしたらバッケちゃんが真っ先に来てくれたんです。バッケちゃんは良い子でした、ひとつも悪くないです」

 

「ふむ……何となく理解できたが、ひたすらに面倒くさいな」

 

「それで、あの、漏れちゃいそうなのでトイレに――」

 

「黙れ、後にしろ。おい、お前」

 

 と、杠葉さんがねるこちゃんのお父さんに声をかける。

 

「これは俺の式神だ。お前やお前の娘は勿論のこと、この学院の関係者には手を出さないように改めて厳命(げんめい)しておく」

 

 ねるこちゃんのお父さんが、鋭い目つきで杠葉さんを見上げて言う。

 

「それだけじゃ安心できねえな。どうしたところで、近くにいればお前の式神から俺の娘が穢れを受けることに変わりはねえはずだぞ」

 

「こいつは人間に穢れを移さない。つい先ほど、こいつと同じクラスの生徒たちの様子をお前も見たはずだが、異常な穢れを溜め込んだ生徒などいなかっただろう? もしもまだごねるのならば、お前は冷光を敵に回すことになる。わかったならとっととどこかへ行け」

 

「冷光だと? ってえと、坊主(ぼうず)が当主のユズリハか?」

 

 おじさんがそう言いながら、きょろきょろと周りを警戒しつつ立ち上がる。バッケちゃんやハッチーは急に殴ってきそうだし、冥子ちゃんは洗脳してきそうだし、警戒する気持ちは私にもわかるぞ。

 眉間にしわを刻んで、杠葉さんが聞き返す。

 

「そうだが、今度はなんだ? まだごねるのならば、敵意ありと受け取るぞ」

 

「いや、冷光なんてめちゃくちゃやべえ家に楯突(たてつ)く気なんてねえよ。ただ、なんだ、仕事を依頼できないかと思ってだな……」

 

「仕事と、報酬の内容による。本気で言っているのなら、後日うちの屋敷を訪ねてくるといい。住所は――」

 

「ああ、電話番号だけくれりゃあいい。街中の方に遠郷台(とおさとだい)って団地があるんだが、そこをちょいと調べてほしいだけだ。まだ近隣住民に聞き込みをしている途中だから、実際に依頼を出すのは一か月くらい先になると思うが……特定の条件下で、普段は存在しない家々が現れるって話でな。俺は坊主と違ってプロではねえし、式神だって持ってねえから、自分で調査するにはリスクが高すぎる気がしてちょうど悩んでてな」

 

「……他人に頼んでまでして、なぜそんな物を調べたがる?」

 

「七年前に妻が神隠しに遭った。物理的に不可能な状況での、突然の消失だ。どう考えたところでまったく説明がつかねえ事態に、捜そうにも普通のやり方じゃあどうしようもねえと悟った俺は、いわゆるオカルト方面からのアプローチが必要だと考えた。遠郷台の件が直接俺の妻に関わっているとは思わないが、とにかく少しでも情報が欲しいからな。人間じゃなくて家だが、突然現れたり消えたりするっていうのは神隠しって現象に重なる部分があるだろ?」

 

「なるほどな、事情はわかった。うちの式神は強いが、しかし、亜空間に閉じ込められたりすれば万が一ということも有り得る。報酬はどれくらいを想定している?」

 

「金はあんまり持ってねえが、冷光のご当主様が欲しいかもしれない情報はいくつか持ってるぜ。如月(きさらぎ)や、遠野(とおの)なんかの情報もあるぞ」

 

「その話が本当ならば金よりも魅力的だが、如月や遠野が隠している情報なんてよそに流して無事で済むのか?」

 

「さてな。ただ、そんだけやべえ妖力(ようりょく)を持った式神がいるってんなら、よそとの縁を切ってでも冷光に取り入った方がむしろ安全そうだからな。そもそも殺されるほどのやべえ情報は持ってねえし、多分大丈夫だろ」

 

「そうか……しかし、よくこれ(・・)の『やばさ(危険性)』がわかっていながら、これ(・・)と直接交渉をしようだなどと考えたものだな。式神がいないのならばなおさらだ、正気とは思えない」

 

 そう言って、杠葉さんが私のことを横目でちらりと見てくる。

 ねるこちゃんのお父さんも、鷹のように鋭い目をさらに鋭くして、私を見つめて吐き捨てるように言う。

 

「娘と同じ学校にこんなの(・・・・)がいて、しかも娘と席が隣で仲良しときたら無視したくたって無視できねえだろうが。俺だって無視できるんなら無視したかったぜ、こんなバケモン」

 

 なんで私は汚いおじさんに壁ドンされたあげく、化け物扱いを受けているのだろうか? ()せない話だぞ、これは。そして、尿意がそろそろ本当に限界だ。

 トイレに行きたくて場を離れる(すき)(うかが)っていると、多分なかなか戻ってこない父親を捜していたのだろう、なぜか片手に竹ぼうきを握りしめたねるこちゃんがやって来て声を上げる。

 

「あっ、パパ(うえ)! こんな所にいたでござる! 山田()たちといったい何をしていたのでござるか? またよそ様に何か迷惑をかけたのでござろう!?」

 

「あ、えと、いきなり暗がりに連れ込まれて、壁ドンされました。怖かったです」

 

「あっ、てめえ――ごふっ!!?」

 

 おじさんは私に文句を言いかけるも、ねるこちゃんにほうきの()で喉を突かれてひっくり返った。

 ねるこちゃんが皮肉げに口元を歪めて、ぼそっと言う。

 

「もしかするとそれがしは、今日、パパ上を斬るためにブシドーを歩んで来たのかもしれぬ」

 

「ゲホッゴホッ――ちが、違うぞ! そういうんじゃない、こんなガキは俺のタイプじゃねえ! こいつは妖怪なんだ!」

 

 おそらく怒りでだろう、わなわなと震えながらねるこちゃんがおじさんに言う。

 

「もう、うんざりでござる。またでござるか? また、そんな言い訳をするのでござるか? パパ上はそれがしが小学生の頃にも、隣の家の未亡人に強引に関係を迫ったことがあったでござるが、あの時にも『違う! この女と、この女の娘も妖怪なんだ!』とか、わけのわからない言い訳をしていたでござるな……それがしの友達にまで手を出すようであれば、さすがに生かしてはおけないでござる!」

 

「待ってくれ! 本当なんだよ! あのババアとガキはどっちも雪女だった! 嘘じゃない!」

 

 尻もちをついたままおじさんが叫ぶが、ねるこちゃんは問答無用とばかりに竹ぼうきを竹刀(しない)のように構えて、振りかぶる。

 

「せめて、もう少しまともな嘘をついたらどうでござるか!? このっ、このっ、このっ!」

 

 スパァン! スパァン! スパァン! と、竹ぼうきが振り下ろされるたびに小気味好い音が鳴り、ねるこちゃんのお父さんが「あだっ! っだ!? いだっ!」と悲鳴を上げる。

 

「――いっ!? おい、痛いだろうが! こらクソ妖怪ッ、お前のせいでこんなっ……私は妖怪ですって正直に言いやがれ!!」

 

「まだ言うでござるか!!? 今度ばかりは許さないでござる――秘剣・『落雷』!!!」

 

 ねるこちゃんの膝がカクンと曲がった、その一瞬の間におじさんの耳と手首と足首が続けざまに竹ぼうきに打たれる。緑色になって高性能になった気がするヤマコアイでなければ見逃していたほどの早わざだ。

 耳を打たれて三半規管が麻痺してしまったのか、おじさんは伸びてしまった。

 騒ぎを聞きつけてやって来たらしいガマガエル――蒲田(かまた)先生が、竹ぼうきを持ったねるこちゃんと、倒れているおじさんを見て本物のカエルのように()び上がる。

 

「ウウウウウップス!!!? ホワーイッミス・ネルコ!? いいいったいン何を――ンなんってことをンなさったのぉうっ!!?」

 

 ホワーイホワーイという蒲田先生の叫び声を聞きつけて、一人増えまた一人増えと、他の先生やシスターたちも集まってくる。

 

「だ、だって、パパ上が、それがしのパパ上が……たい、退学は嫌でござる~!」

 

 ねるこちゃんがいっぱい泣いた。

 なお、私はぎりぎり漏らさなかった。




そういえば今日怖い夢を見ました。
とても広々とした造りの、廃屋の二階に私は飼い猫の一匹(いっぱい飼っている中で一番太っていて重たい子。)と一緒にいました。
妙に幅の広い廊下のフローリングの床に、「もっと家を大きくすればいい」「←何度もした。でももっと大きくなった。」みたいな謎のやり取りが、太い黒のマジックペンで沢山書いてありました。
素直に抱っこさせようとしない飼い猫をどうにか抱っこしつつ、とりあえず廃屋から出ようと廊下を進みますが、少し進む度にそういった意味深な落書き?が新たに見つかります。
廊下の両側にいくつもある襖が次々と開いて、ムッキムキの巨大なゾンビ?たちが現れ、私に群がってきます。私は重たい猫ちゃんをプルプルしながら左腕と上半身と太ももでどうにか抱えつつ、なぜか床に置いてあったファブリーズを右手に取ってゾンビたちに噴射しますが、ほとんど効果がありません。
これまた妙に幅の広い造りの階段を見つけて、手すりにお尻を乗せて滑り降りますが(やってみたいなと思ったことは何度かありますが現実ではやったことありません、失敗したら痛そうなので。)、階段は半ばで折れ曲がっており、勢い余って踊り場の壁に顔面から激突します。
私は夢の中でも痛みを感じるタイプなのでそこそこ痛かったです。ムッキムキのゾンビたちが追いついてきます。「ひええっ!」となったところで目が覚めました。
たまに夢の中で刃物で刺されて大出血して死んだりするようなことがあるので、今回はギリギリ死なずに起きられたのでよかったです!


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小悪魔

本日2本目の更新です、ご注意ください!


 あの後、私も一緒になって頑張って言い訳をしたが、おじさんとねるこちゃんの双方を無罪とするには力が及ばず、結局ねるこちゃんが一週間の退寮(たいりょう)処分となってしまった。ちなみに寄宿生(きしゅくせい)が受ける罰としてはかなり重たい罰である。

 ねるこちゃんの家から学院までは結構な距離があるため、さすがに申し訳なく感じた私は一週間ねるこちゃんを部屋に泊めてあげて、一緒に通学することにした。

 そんなこんなでねるこちゃんを長時間放っておくのも(はばか)られたので、本日土曜日の弓矢(ゆみや)ちゃんのお迎えも一緒に行くことにして、今は弓矢ちゃんと合流し日光の社寺の方角へ日光街道を歩きながらアンコちゃんに頼まれたお客様用のお菓子を見繕(みつくろ)っている最中(さいちゅう)である。

 

「ヤマコさんヤマコさん、ちょうど通り道だし『さる焼き』はどう?」

 

 赤いランドセルを背負った、おさげ髪の美少女にしか見えない美少年――弓矢ちゃんが、天使のような笑みを浮かべて私を見上げる。兄弟なだけあって弓矢ちゃんは杠葉(ゆずりは)さんとそっくりの切れ長の目をしているが、いつも微笑んでいるので杠葉さんとは違って威圧感はまったくない。ちなみに今日は大きなパンダの顔がプリントしてある薄手の白いトレーナーを着て、下は黒いレギンスをはいている。

 

「いいですよ、弓矢ちゃんが食べたいんでしたら『さる焼き』にしましょう。私は()湯葉(ゆば)まんじゅうが一番好きなんですけど、アンコちゃんからお客様にお出しするには向かないからやめてくれって言われてしまいましたし……あ、さる焼きのお店のすぐそばですし、ついでにカナリヤホテルベーカリーの直売店で二荒(ふたあら)あんパンも買っていきましょうか。バッケちゃんとハッチーが好きでしたもんね、あれ」

 

「やった、私もあれ好き」

 

 弓矢ちゃんと顔を見合わせて、ふふっと声に出して笑い合う。杠葉さんと違って良い子だな、弓矢ちゃんは。傲慢(ごうまん)じゃないしかわいいし、非の打ち所がない。

 

 歩きながらも、左右に幾度(いくど)となく首を振っては通りに並ぶお店を眺めていたねるこちゃんが、感心したように言う。

 

「ずいぶんとお店があるのでござるな。それがしは寄宿生でござるから、学院の近場とはいえ外のことにはあまり詳しくないのでござるよ。こうして色んなお店を覗いて歩くだけでも新鮮で楽しいでござる」

 

 土曜日なので、今日はねるこちゃんも二荒聖陽女子学院(ふたあらせいようじょしがくいん)の制服(上下ともに茶色いせいか、一部の自虐的な生徒から『チャバネゴ〇ブリ』と呼ばれて(さげす)まれているが、私は可愛いと思う。)ではなく、私とお揃いの黒いスウェットの上下を着ている。普段は寄宿舎で生活をしており、実家に戻る際や学校の用事で外に出る際は基本的に制服の着用が義務付けられているので、ねるこちゃんは制服以外の外出着を持ってきていなかったのだ。だから何か服を貸してあげようと思ったのだが、ねるこちゃんは私よりも背が低く細いので、ウエストと手首と足首にゴムが入っているスウェットくらいしか着られる服がなかった。

 観光シーズンの観光地のど真ん中で、しかも土曜日ともなればおしゃれな恰好をしている人たちが多いのだが、その中で黒のスウェット姿の私とねるこちゃんは悪い意味で目立っていた。制服を着て遊び歩くのは校則により禁止されているため、退寮処分中のねるこちゃんが校則違反をしてしまうとさすがにヤバそうだし、仕方がないのだが……何かもうちょっとマシな服を買ってあげようかとも思っものの、近所には着物屋さんとかしかないし、私のお財布にはあまりお金が入っていなかった。杠葉さんから先月と今月で合わせて五十万円も受け取っているはずなのだが、どうしてこんなにお金がないのだろう? 自分ではほとんど使ってないんだけどな……。

 

 さる焼きのお店の前で足を止めて、飾り窓に猿がそっぽを向いた形をした焼き菓子が並べられているのを見たねるこちゃんが歓声を上げる。

 

「おー、おさるさんの形をしているでござる!」

 

「ね、かわいいよね。まだ売っててよかったー、結構すぐに売り切れちゃう日もあるから。私はクリームにしようかな」

 

「それがしはあんこがいいでござる。なんとなくでござるが、クリームよりもあんこの方がブシドーを感じる気がするのでござるよ」

 

「あ、それわかるかも。武士道って言ったらなんとなくあんこの方があるよね」

 

「お、弓矢()もわかるでござるか? 嬉しいでござるな、なかなかブシドーを理解してくれる人って少ないのでござるよ!」

 

 二人のへんてこな会話を聞きながらぞろぞろと店内に入り、一つ200円のさる焼きのクリームとあんこを五個ずつと、ついでに一つ450円の二荒(ふたあら)生どら焼きのいちごクリーム、おぐらクリーム、まっちゃクリームをそれぞれ三個ずつ買って店を出る。

 そしてそのままカナリヤホテルベーカリーに行こうとすると、ねるこちゃんが「ぐぬぬ」と(うな)った。

 

「本当に誘惑が多い通りでござる。このさる焼きのお店の両隣がすでにおいしそうでござる、プリン屋さんとうなぎ屋さん……」

 

 そう(つぶや)いて、ねるこちゃんがちょっと悲しそうな顔をする。

 お金はあんまりないけど、ねるこちゃんが退寮処分を受けたことは私にも原因があるし、しかもよれよれの真っ黒なスウェットなんて着せてしまっているしで、なんだか断りにくいぞ。

 なお、ねるこちゃんも退寮処分となって先生からお財布を返してもらっているのだが(普段は寄宿生のスマートフォンとお財布は先生が管理している。ただし学内の自動販売機を使ったりすることがあるので、千円以下の小銭ならば持ち歩いても許されるらしい。)、今お財布に入っているお金を使ってしまうと今度実家に帰る時にお金が足りなくなってしまう。ねるこちゃんのお父さんはあまりお金がないようで、退寮処分が決まってねるこちゃんが電話をした際にもめちゃくちゃ焦った様子だった。私に対してあれだけねるこちゃんのそばから離れろと言ってきていたのに、最後には「一週間娘をよろしく頼む、あとで礼はするから変なことはするなよ? 絶対だぞ」などと言ってきたくらいだ。

 

「えっと、お昼はアンコちゃんが作ってくれていると思うのでうなぎはダメですけど、プリンでしたらまあ、買って帰る分には構いませんよ」

 

「え、本当でござるか? でも、なんだか同級生にお金を出してもらうのは気が引けるでござるな……」

 

 ムムムと悩んでいるねるこちゃんに、弓矢ちゃんが笑顔で言う。

 

「そこは大丈夫じゃない? だってヤマコさんって結構お金持ちだし、本当は何千年も生きてる凄い年上の大妖(おおあやかし)だもん」

 

「おおあやかし、でござるか?」

 

「えっ、ちょっ!? 弓矢ちゃん!? 私は人間ですよ、人間!」

 

「あはは、大丈夫だよ。別に妖怪だって知られちゃっても証拠なんてないんだし、それで退学になったりなんてしないでしょ」

 

「いやいや、そういう問題じゃないといいますか、今となっては私を人間扱いしてくれるお友達って貴重なんですから、変なこと言っちゃダメです! おしおきしちゃいますよ、おしおき!」

 

 そう言って私がお尻をペンペンと叩く真似(まね)をすると、「きゃー」と言って弓矢ちゃんがプリン屋さんに逃げていく。なるほどな、どうやら弓矢ちゃんの中ではプリンを買うことはすでに決定事項のようだ。

 

「ふむふむ、弓矢氏は妖怪が好きなのでござるな。それがしはパパ(うえ)のせいで、妖怪にはちょっと苦手意識があるのでござるが……山田氏は知っているでござろうが、それがしのパパ上がなんでもかんでもすぐに妖怪のせいにする困った男でござるからして」

 

「えっと、えと、私は本当に人間ですからね? みんなすぐに妖怪だって決めつけて色々と言ってきたりしますけど、本当に人間ですから」

 

「あはは。わかっているでござるよ、妖怪なんて居るわけがないでござる。もしも本当に妖怪が出てきたら、それがしがブシドーで叩き斬ってやるでござるよ」

 

 ねるこちゃんとそんなことを話しつつ、弓矢ちゃんを追ってプリン屋さんの店内に入る。

 ガラスケースに並べられた沢山のプリンを眺めていたねるこちゃんが、「む? なんでござろうか、一種類だけビンの半ばまでしか入っていないプリンがあるでござる……」と顔を近づけた。

 そして、「――ややっ!? なんでござるかこの写真は!? プリンの上に長ーいソフトクリームがのっているでござるー!?」と驚きの声を上げる。

 

「凄いインパクトですしプリンもソフトクリームも両方ともおいしいんですけど、さすがにそれは持って帰れないので、歩きながら食べることになりますよ?」

 

「ヤマコさんヤマコさん、ちょうどイートインコーナーが空いてる! 食べて行っちゃおうよ?」

 

「えっ、でも遅くなっちゃうと……」

 

「だめ……?」

 

 弓矢ちゃんが切なげな表情をして、上目遣いに私を見てくる。なんかズルい。

 

「う、いいですけど、急いで食べてくださいよ、急いで」

 

「やったー、ありがとねヤマコさん!」

 

 とりあえず420円の二荒ぷりんソフトを三つ購入して、イートインコーナーの椅子に座る。前に買ったさる焼きや生どら焼きが入った袋は空いていた椅子の上に置いた。

 お店自体が古民家をリノベーションした感じの可愛い建物なのだが、イートインコーナーも壁にステンドグラスがはめ込まれていたり、ステンドグラスのランプが灯っていたりと、いわゆる大正ロマン的な雰囲気を味わえるようなデザインになっている。

 ソフトクリームをぺろぺろとなめながら、弓矢ちゃんが微笑んで言う。

 

「ふふ、甘くておいしい」

 

「ですね。このお店のプリンとソフトクリームに使われている牛乳は、私とねるこちゃんが通う二荒聖陽女子学院がある霧降高原(きりふりこうげん)にある(ささ)()牧場の牛乳を使っているんですよ」

 

「ほほう、そうなのでござるか。しかし、確か山田氏は最近こちらに越してきたばかりなのでござろう? それにしてはなんだか、やけに詳しいでござるな?」

 

「個人的にはそんなに甘い物が好きってわけでもないんですけど、えーと、凄いスイーツにうるさい知り合いがいまして、なんだか詳しくさせられつつあります」

 

 ソフトクリームを食べ進めつつ、弓矢ちゃんがふと思い出したように言う。

 

「そういえば今日図書室で読んだお話で、『おいたわしや』ってセリフがあったんだけど、どういう意味かわかんなかったんだよね」

 

「ああ、それは『老いた(わし)や』ってことですよ。老いて力もなく、何もしてやれない自分の非力を嘆いているんです。昔ばなしとかでたまにそのセリフが出てきますけど、いつもお爺さんかお婆さんが、なんか可哀想な目に遭っている人を見て言っていた記憶がありますもん」

 

「あ、そっか、そういうことなんだ。たしかにそういうシーンだった、さすがヤマコさん!」

 

「へへっ、高校生なんで当然ですよ!」

 

「あ! じゃあ、『珍しくはしゃいだ風のない日』ってどういう日かもわかる? これはセリフとかじゃなくて普通の文で出てきたんだけど、よくわかんなくって」

 

「多分、普段は強風が吹き荒れる地域なんでしょうね、風〇谷みたいな。その日は珍しく、たまたま風のない日だったので、テンションが上がってはしゃぎ回っていたんですよきっと。ほら、普段は強風のせいでできないかもしれないですけど、そういう日なら外で遊んだりとかもできそうじゃないですか」

 

「凄い、さすがヤマコさん! 長生きしてるだけあって、なんでも知ってるんだ」

 

「それほどでもないですよ、へへへ」

 

 褒められて良い気分のままプリンを食べ終わり、空きビンを店員さんに返すと、洗ってあるビンを持ち帰るか、それとも持ち帰らずにビンの代金である50円を返してもらうかどちらにするかと(たず)ねられる。観光客ではない私たちは50円返してもらう方を選び、それから持ち帰り用に色々な種類のプリンを合わせて十個購入した。ちなみに冷光家では『みたらし味』が人気なので多めに選んで、私の好きな『クラシック二荒ぷりん』は一つにしておいた。

 しかし、冷光(てい)にお客様がやってくる時刻まであまり余裕がなかったものの、女子三人ともなると甘い物など一瞬で片付いてしまったな。あ、いや、弓矢ちゃんは男子なんだっけ……?

 

 お店の外に出ると、ねるこちゃんがお腹を()でて満足そうに言う。

 

「いやはや、こんなに贅沢をしたのは久しぶりでござるよ。プリンとソフトクリームが一緒に食べられるなんて、寄宿舎では絶対にありえないことでござる。こんなことをしていたともなか氏に知られたら悔しさのあまり暴れ出しかねないでござるから、内緒でござるよ?」

 

「え、もなかちゃんってそんな感じで暴れたりするんですか? 見た目もそうですけど、それじゃまるでお子様じゃないですか」

 

「直接そう言ったら怒ってしまって大変でござるから思ってもみんな言わないだけで、もなか氏はお子様でござるよ。中等部の頃の性教育では前半でおかしくなって医務室に運ばれたでござる」

 

「それは実際に見たかったですね、今から高等部の保健体育に期待しておきます」

 

「絶対にまた運ばれるでござるよ、もなか氏は期待を裏切らないでござるから」

 

 プリン屋さんから5、60メートルほど歩いて、今度はカナリヤホテルベーカリーの直売店に入る。しかし、これまでに買った物も色々とあるのであんまり買いすぎても余らせてしまいかねないなと思い、二荒あんパンを六つ買うだけに留めておく。実はここのアップルパイが凄くおいしいのだが、さすがにそんなに一度に食べられない気がしたので、今回は諦めてまた別の機会にとっておくことにした。

 直売店を出て、道路を挟んだ向こうに無料で飲める湧き水があったので(木製の立て札に磐裂霊水(いわさくれいすい)と書かれていた。)、クリームっぽくなっていた口を軽くすすぐ。ねるこちゃんと弓矢ちゃんにもすすめたが、「人目が気になるから」と断られてしまった。

 綺麗な朱塗りの太鼓橋――神橋(しんきょう)を横目で見つつ、国道119号の橋を渡る。

 

「おー、確か有名な橋でござるな。シンバシでござったか?」

 

「ふふ、ちょっと読みづらいけどシンキョウって読むんだよ。深沙大王(じんじゃだいおう)が投げた赤と青の二匹の蛇が橋になったって伝説があるの。お金を払うと渡ることもできるけど、気になる?」

 

「おー、弓矢氏は物知りでござるな。でも、渡るのは遠慮しておくでござるよ。何気にずっと上り坂で、そろそろ体力的にも疲れてきているでござる……」

 

「あはは。でも、これからもっときっつーい上り坂が続くよ? 私はもう毎日の通学で慣れちゃったけど、大丈夫かな?」

 

「えっ!? 聞いてないでござるよ、弓矢氏のお家までまだ遠いのでござるか? 正直、自信がないでござるが……そういえば先ほどから、なんだか子どもに跡をつけられているような気がするのでござるが、なんでござろうな?」

 

 ねるこちゃんに言われて振り返ってみると、青いランドセルを背負った背の低い男の子が後ろを歩いていた。そういえば弓矢ちゃんと合流したあたりで、すでにこの子が後ろを歩いていたのを見たような覚えがある。

 となると、私たちがお店に入っていた間中、ずっと外で待っていたということか? イートインでスイーツタイムを楽しんでいた間も、ずっと?

 

 三人で立ち止まってじっと見ていると、覚悟を決めたのか男の子が駆け寄ってくる。

 そして、無言のまま弓矢ちゃんに白い封筒を押しつけると、今度は逆方向に走り去っていった。

 

 弓矢ちゃんの性別を知らないねるこちゃんが、のんきに言う。

 

「お~! 弓矢氏、やるでござるなー! ラブレターでござろう? それがしなんて一度ももらったことがないでござるよ、羨ましいでござる」

 

「えへへ。ちょっと恥ずかしいけど、嬉しいかも」

 

 妙に色っぽい笑みを浮かべて、受け取ったばかりの封筒に優しいまなざしを向ける弓矢ちゃんに、私はおそるおそる訊ねる。

 

「え、いやいや、え? あの、今の子ですけど、弓矢ちゃんの性別って知ってるんですかね……?」

 

「んー、わかんない。違う学年の子か、もしかしたらよその学校の子かもしれないから、知らないのかも」

 

「ど、どうするんですか? オ、オーケーするんですか?」

 

「んー……ナイショ! だって、恥ずかしいもん!」

 

 そう言って無邪気な笑顔を見せると、弓矢ちゃんは私たちに背中を向けて冷光邸に向かう山道を駆け上がっていく。

 

「ええっ!? 気になりますよ! 待ってくださいー!」

 

 弓矢ちゃんを追って私も駆け出すと、背後からねるこちゃんの悲痛な声が聞こえてくる。

 

「は、走るのはなしでござるよ! ま、待ってほしいでござる! それがし、置いて行かれたら道もわからないでござるー!」

 

 三人で追いかけっこみたいに山道を走って、冷光のお屋敷に到着した頃には全員汗だくになっていた。

 さっき見た弓矢ちゃんの妙に色っぽい笑顔を思い出して、赤と青の蛇が橋になったという伝説がある神橋のすぐそばで、赤と青のランドセルを背負った二人の恋が始まったらちょっとロマンチックだなとこっそりと思った。




これは何年か前に見た夢の話なんですけど、天気の悪い日に歩道橋の階段を上っていると、上から降りてきた赤いマニキュアを塗ったOLみたいな恰好をした女にビニール傘の先端でお腹を突き刺されて、そのまま階段を転げ落ちて死んだことがあります。ちょうど落ちた先に水たまりがあって、水たまりの水に自分のお腹から溢れ出た大量の血液がどんどん流れ込み混ざっていくのが感覚でわかりました。ここまでなら普通の悪夢なんですけど、何が怖いって、翌日もまったく同じシチュエーションの夢を見たことです。ただし二日目は昨日私を殺しやがったあのクソ女だ!って歩道橋の階段を上り始めたあたりで思い出して、返り討ちにしてやろうと頑張りました。とはいえ歩道橋の階段の半ばというろくに身動きの取れない場所で、しかも相手が高い位置にいるという状況で傘のリーチに敵うはずもなく、結局二日続けて同じ女に殺されましたが。ですが、次があったら絶対に勝ちます!


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行方不明のニシキリアン

 冷光(れいこう)家の玄関引き戸を開けると、なぜか東根(ひがしね)先生(本物)が出迎えてくれた。相変わらず美人でおっぱいが大きい。ぴったりとした黒い長袖のタートルネックシャツにローライズのスキニージーンズという、前回と同様にボディラインを強調した恰好だった。

 明るい茶髪をかき上げて(人差し指にはまった、髪の長い女の骸骨(がいこつ)が絶叫しているようなデザインのシルバーリングがきらりと光る。)サイドヘアを耳にかけつつ(耳の下で、蛇に巻きつかれた逆さ十字のピアスがきらりと光る。)、くりっとした猫目を細めて何とも胡散(うさん)臭い笑みを浮かべると、ハスキーな声で東根先生が言う。

 

「やあ、二週間振りかな? 通話には出てもらえず、ラインはブロックされて、我慢の限界を迎えてしまったものでね。とうとう会いに来てしまったよ」

 

「ひっ、近づかないでください! 私の半径5メートル以内に入るのは禁止です! 即刻出て行ってください!」

 

「そう邪険にしないでくれたまえ。温泉でのことなら謝ったじゃないか、既読スルーされたがな。そもそも私はここに立っていただけで、近づいてきたのは君の方だぞ?」

 

「う、ううっ……! あ、謝られたからって、安心できませんもん。また変なことするかもしれないじゃないですか、また!」

 

「ふむ、謝られても許さないということかい? それは困ったな、ごめんなさいという言葉は許してもらうためにあるのに」

 

 私とねるこちゃんと弓矢(ゆみや)ちゃんの三人がいる、一枚岩の敷石が敷かれた土間よりも一段高くなった廊下から、東根先生がニマニマと嫌らしく笑って私を見下ろしてくる。

 すると、隣に立っていたねるこちゃんが私を庇うように一歩前に出て、東根先生と向かい合う。

 

「それは詭弁(きべん)というものでござろう。ごめんなさいという言葉は謝意を伝えるためにあり、許してもらうためにあるわけではござらん。許す、許さないというのは相手が決めることでござる。どこのどなたかは存ぜぬが、貴女(きじょ)の論はまるでやくざ者や詐欺師の言い分でござるよ」

 

「む? これは一本取られたな。ヤマコが口下手だからと油断していたよ、なかなか弁の立つさくらんぼ(おともだち)じゃないか。金髪、碧眼、低身長、ござる口調で友達思い……容易には味わうことのできない、珍味だね」

 

 東根先生はそう言って、自身のグミのようにぷっくりとした唇を舌先でぺろりと舐める。

 なんだかねるこちゃんがロックオンされてしまったような気がするが、大丈夫だろうか?

 弓矢ちゃんがねるこちゃんよりもさらに前に出て、東根先生に話しかける。

 

「こんにちは、お姉さんが一時からの予定だったお客さん? 予定の時刻よりもちょっと早い気がするけど……」

 

「いやすまない、予定よりもだいぶ早く着いてしまったものでね。実はもうご当主サマとの話も済ませてしまったよ。本当は空いた時間に冷光の所有する資料なんかを拝見させてもらいたかったのだが、残っていた物も焼失してしまったらしいじゃないか」

 

 ああ、ハッチーの焼きジャガイモ騒動か。ハッチーは勿論(もちろん)のこと、なぜか私まで杠葉(ゆずりは)さんからめちゃくちゃ怒られたっけな……しかし、もしもハッチーが燃やした資料の中に何か東根先生が狙っている物が紛れていたのだとしたら、これでよかったのかもしれないな。だってこの人、心霊スポットにあった(ひつぎ)やらまで持ち帰ろうとするし、何をしでかすかわかったものじゃない。

 くつくつと笑って東根先生が言う。

 

「ああ、それとだ。必死にお願いをした甲斐(かい)があって、ご当主サマからヤマコを借りる許可をいただけた」

 

「へ?」

 

「当然ではあるが、ご当主サマの監視付きだがね。というわけで、すぐにでも出発したいから家まで送ろう。多分泊まりになるからな、一度家に帰って準備したいだろう?」

 

「はい?」

 

 ん、んん? どういうことだ?

 今から私、東根先生に貸し出されちゃうのか?

 しかも、泊まりで……?

 

「――わ、私、杠葉さんに売られちゃったんですか!?」

 

「なんだ、もしかして期待しているのか? それならば勿論、応えてあげたいところだが」

 

「いいです、いいです! いりません!」

 

「フフ。まあ、普通にお仕事さ。順調に行けばだがな。私のファンであるヤマコは知っているだろうが――」

 

「東根先生のファンじゃないです、東根先生の作品のファンなだけで東根先生のことはこれっぽっちも好きじゃないです!」

 

「私と、私の作品のファンであるヤマコは知っているだろうが」

 

 うわ……、無理やり押し通してきたぞ。

 

「自らを『ニシキリアン』と称する、私の熱心なファンたちが定期的にオフ会を開いては拙著(せっちょ)の舞台のモデルになった事件現場や心霊スポットなんかに出かけていてな。ちょうど一週間前にもそういう集まりがあったようなのだが、それに参加したニシキリアンたち総勢15名がまとめて失踪してしまい、未だに誰一人として帰って来ていないらしい。私のファンたちが居なくなったというのに、捜しもせずに見捨てるわけにもいかないからな。さすがの私も重い腰を上げて、こちらのご当主サマに頭を下げに来たというわけだ」

 

「東根先生が失踪したと思ったら、その二週間後に今度は東根先生のファンが15人も失踪したんですか……」

 

「フフ。主従揃って似たような反応をするんだな、ご当主サマにも『小説家が失踪したと思ったら次はそのファンか』とげんなりした顔で言われたよ」

 

「そりゃあ、この状況だったら誰だってそう言いますよ」

 

 困った人たちだなと呆れていると(まあ、かく言う私もニシキリアンなのだが。)、弓矢ちゃんが振り返って私とねるこちゃんに言う。

 

「そうだ、生ものも多いし、とりあえず買ってきた物全部台所に持ってっちゃうね」

 

「あ、それじゃあよろしくお願いします」

 

「よろしくでござるー」

 

 私とねるこちゃんの手から買ってきたお菓子を回収して、弓矢ちゃんが玄関から廊下へと上がった刹那(せつな)――カッコイイ指輪をはめた東根先生の手が弓矢ちゃんのお尻に向かって伸ばされた。

 間一髪だったが、どうにか東根先生の腕をつかんで弓矢ちゃんへの猥褻(わいせつ)行為を阻止する。以前の私だったら間違いなく間に合わなかっただろうが、高性能になったヤマコアイのおかげで即座に反応することができた。

 何も気がつかないまま弓矢ちゃんが廊下を駆けていくと、何事もなかったかのような顔をして東根先生が言う。

 

「なんだ急に腕をつかんできて、そんなに私の肉体に興味があるのか?」

 

「とぼけたって無駄です、ちゃんと見ましたから。弓矢ちゃんは小学生ですよ? いや高校生に手を出すのも十分ヤバいんですけど、ほんとに東根先生逮捕されちゃいますよ? 私、東根先生がしょうもない犯罪を犯して逮捕されて新作が読めなくなったら、なんていうか、凄い(むな)しい気持ちになりそうです」

 

「ふむ、その認識は良くないかもしれないな。被害者の心情を思えば、この世にしょうもない犯罪なんてものはただの一つたりとも存在しないのだから」

 

「そう思うんでしたら、ほんとにやめてくださいよ!?」

 

「私の愚かな行いのせいで例えあの少女がこの先ずっと苦しむことになるのだとしても、どうしても触ってみたかった。私に触られるために生まれてきたようなお尻の形をしていたあの子にも罪があるのではないかと思う」

 

「東根先生に触られるために生まれてきたお尻なんてこの世にありませんし、弓矢ちゃんにはなんの罪もありませんし、そもそも弓矢ちゃんは男の子です!」

 

「なに、それは本当か? 私を(かつ)ごうとしているんじゃないだろうな?」

 

「本当ですよ、疑うんでしたら杠葉さんに確認してみたらどうです?」

 

「な、なんだと……」

 

 蒼褪(あおざ)めて、愕然(がくぜん)とした様子で東根先生が崩れ落ちる。

 私はビシッと指先を突きつけて、東根先生に言い放つ。

 

「そういうことです。東根先生は女の子だと思い込んで、男の子のお尻を触ろうとしていたんですよ!」

 

「そんな……くそ! もしそうと気づいていれば前から触った! 前から触っていれば多分ヤマコに止められることもなく、触れていた! ああ、なんてことだ! 私の目は節穴(ふしあな)か!?」

 

「あ、男の子でも良かったんですか……」

 

「弓矢ちゃんとか言っていたか? あんなに可愛い男の子なら完璧だ、監禁(かんきん)したいくらいだ……しかし、冷光の血を引く者ともなると色々とややこしいな。少なくとも現状では手が出せそうにない」

 

「いや、今後も出しちゃダメです、逮捕ですよ逮捕。拉致(らち)監禁なんてやらかしたらもう二度と本なんて出せなくなりますよ、ただでさえ重罪なのにしかも被害者が未成年者となったら、しばらく(おり)の中ですからね?」

 

「そうだな、弓矢ちゃん――弓矢くんか? 彼を手に入れるための方法は後でじっくりと考えるとして、今はとりあえずヤマコを家まで送らねばな」

 

「あ……」

 

 どうしようか、このまま東根先生とうちに帰ってしまうとハッチー、バッケちゃん、アンコちゃんというスイーツモンスターたちに今買ってきたスイーツを全部食べられてしまいかねないぞ。

 普段スイーツを自由に食べることのできないねるこちゃんに食べさせてあげたいのは勿論だが、それはそうとスイちゃんが怖い。やつも私の五感を介して状況を把握しているだろうから、もうすぐ食べられると思っていたスイーツが食べられないとなったらきっとめちゃくちゃ怒ると思う。

 

「あ、えっと、あのですね、私、東根先生と一緒にお菓子を食べたいです。今日来るお客さんのために、つまりは東根先生のために私自ら選んできたお菓子でして、東根先生が急いでいるのはわかっていますけど、せっかくなのでできれば食べてほしいですし、一緒に食べたいといいますか、あのう、そのう……」

 

「おやおや、かわいいことを言うじゃないか。フフ、そうだな……なら、ラインのブロックを解除してくれたら一緒に食べてあげよう」

 

 あれ? 私のことが大好きな東根先生のことだから、無条件で飛びついてくるかと思ったのにな。

 困ったぞ、ブロックの解除ときたか……東根先生のラインはとにかくしつこいし、内容も気持ちが悪いのだ。例えるならばそう、腐ったジャムみたいにベタベタとしている。

 しかし、おやつを取り上げられたスイちゃんがどんなキレ方をするかわからないからな。東根先生からのラインはただウザいだけだが、スイちゃんがキレたらもっとずっと本格的な被害が出そうな気がする。

 

「うう、わかりました……解除します」

 

 ぷるぷると震えながらもどうにか言葉を(しぼ)り出した私に、ねるこちゃんが心配そうな面持ちで(たず)ねてくる。

 

「や、山田氏、大丈夫でござるか? もしかして、この女に何かとんでもない弱みを握られているのでござるか?」

 

「いえ、東根先生には特に何も握られていないんですけど、私の中のヤバいやつに命を……」

 

「フフ、ヤマコと一緒にお菓子を食べることでブロックを解除してもらえるなんて実に運が良い。出会いにも恵まれているし今日の私はツイているな。さあほら、早く上がりたまえ」

 

 いつの間にこの屋敷の主になったのだろうか、我が物顔で東根先生が手招きをしてきた。

 お尻を警戒しつつ、靴を脱ぎっぱなしにして廊下に上がった私の背後で、ねるこちゃんが「お邪魔するでござる」と言って脱いだ靴を揃える。偉いな。ねるこちゃんのお父さんは礼儀なんて欠片も知らなそうな人だったから、多分こういうのは学校で教わったのだろうな。

 廊下の向こうからアンコちゃんがやって来て、ねるこちゃんを見て「あ、ヤマコちゃんのお友達の子ですね? 授業参観で会いましたよね! 授業参観ではタイミングがなくて直接お話しできませんでしたけど、私は冷光杏子(あんず)と言います、よろしくお願いしますね!」と言ってはしゃぎ出す。

 どうせだからアンコちゃんにお茶とかを用意してもらおうと思い、お辞儀をし合う二人の様子を見守っていると、顔を上げたアンコちゃんが私を見て言う。

 

「そうだ、ヤマコさん。これ、先日街で買ってきたきり忘れていたんですけど、ヤマコさんにも一つ差し上げます」

 

 アンコちゃんがエプロンのポケットからネックストラップが付いたピンク色のたま〇っちのような物を取り出して、私に手渡してくる。

 どこで何をしていたのかは知らないが、玄関引き戸を開けて屋敷に入ってきたハッチーが、「なんじゃ、食い物か?」と靴を脱ぎ散らかして駆け寄ってきた。ちなみに今日はドット柄の水色の長袖シャツに星柄の桃色のミニスカート合わせたコーディネートで、安全ピンか何かで留めているのだろうか、至るところにキャンディやらマカロンやらユニコーンやらリボンやらといったマスコットが付いている。確か、こういったファッションを『ゆめかわ』系とか言うのだったか? 何にせよ、私は一度も着たことがないタイプのデザインだ。

 

「防犯ブザーですよ、蜂蜜燈(はちみつとう)さんも一つ持っていてください。見た目は小さな女の子ですし、変な人が寄ってこないとも限りませんからね」

 

 そう言ってアンコちゃんがピンク色のたま〇っちをもう一つポケットから取り出して、ネックストラップを広げてハッチーの首かける。

 

「いらんわ、こんなもん」

 

 と、しかめっ面をしたハッチーが防犯ブザーを外そうとして雑に引っ張った途端(とたん)、キュピピピピピピピッと大音量でアラームが鳴り始めた。

 ハッチーが「のわあっ!!?」と悲鳴を上げる。どうやら引っ張ることでアラームが鳴るタイプの防犯ブザーだったようだ。

 アンコちゃんが慌ててアラームを止めるが、耳が良いせいで音に敏感なハッチーは目を回してしまった。

 困った顔をしてアンコちゃんが言う。

 

「うーん、こんな風になっちゃうんじゃ(かえ)って危険かもしれません……蜂蜜燈さんに防犯ブザーは駄目そうですね。そういうわけで一つ余ってしまったんですけど、よかったら寝子(ねるこ)さん使いませんか?」

 

「お気遣いはありがたいでござるが、それがしにはブシドーがあるでござるからな。そういった物は不要でござるよ」

 

「そうですか……じゃあ、はい。ヤマコさんにもう一つ差し上げますね」

 

「え、はい、どうもです」

 

 アンコちゃんから余ったブザーを差し出されて、反射的に受け取ってしまう。すでに一つ貰っているので、二つになってしまった。

 なんというか、一つ目を貰った時にはアンコちゃんからの思いやりみたいなものを感じたのだけど、この二つ目に(いた)ってはただ単に不用品を押しつけられた感が強いな……。

 東根先生が手の甲を細い(あご)先に当てて、小さく(うなず)いて言う。

 

「ふむ、ヤマコに防犯ブザーはよく似合う。だが、鳴らされてしまった時のことを考えてこちらも対策を講じておかねばな」

 

「いや、そもそも防犯ブザーを鳴らされるようなことをしないでくださいよ」

 

「それは無理な相談というものだ。ヤマコだって呼吸をするなとか、(まばた)きをするなと言われても困るだろう? ……ん? それくらいのことならば、もしかしたらヤマコほどにもなればどうにかなってしまうのか?」

 

「どうにもなりませんよ! と言いますか、私に変なことするのは東根先生にとってそんなにどうにもならないことなんですか!? そんなことを聞いたらますます一緒に出掛けたくないんですけど!」

 

「わがままを言うんじゃない。一緒に出掛けたくないなどと駄々(だだ)()ねるなら、私だって一緒にお菓子を食べてやらないぞ?」

 

「えっ!?」

 

「フフ、来客用と言いつつ自分が食べたいお菓子を買ってきたのだろう? 私は別にお菓子が食べたいわけではないからな、時間に余裕があるわけでもないし、このまま出発してしまうのでも何ら問題はないわけだが……どうする?」

 

 く、くそう。わけわけわけとしつこく三回も繰り返して、何だかねちっこくて嫌らしい言い方をするじゃないか。

 ニタニタとした笑みを浮かべる東根先生に、私は必殺の反撃をお見舞いする。

 

「だ、だったら、そんなことを言うんだったら、私だってラインのブロック解除しませんから!」

 

「ほぉう? まあそれは悲しいが、一刻も早く行方不明者たちの捜索に向かわねばならないから仕方がないな。では、今すぐに出発するとしよう」

 

「うえっ!!?」

 

 な、なんでだ!? 私のことが大好きな東根先生のことだから、てっきりそれだけは勘弁してください~って泣きついてくるかと思ったのだが……ど、どうしよう? お菓子が食べられないとなるとまずいぞ、スイちゃんが怒ってしまう。

 迷いのない足取りで玄関に向かって歩いていく東根先生の背中を見つめつつ、私は悔しさに震えながらも懇願する。

 

「う、ぐうっ、ラインのブロックも解除しますし、素直に一緒にお出掛けしますから、どうか私と一緒にお菓子を食べてください!」

 

「よろしい」

 

 そう言って振り返った東根先生の勝ち誇った顔を目にして、私はいつかギャフンと言わせてやるからなと強く思うのだった。

 

 そんなこんなで、みんなで(正確に言うと杠葉さんは食べに来なかったし、ハッチーは防犯ブザー(アンコの罠)のせいでダウンしていたが。)お菓子を食べて、東根先生の車で一度祖父の家まで送ってもらった。

 一時間後に迎えに来るからそれまでに準備を済ませておいてくれと東根先生から言われたが、いくら友達とはいえさすがに下着類を一緒のリュックサックに入れたらねるこちゃんが嫌かもしれないなと思い、ねるこちゃんに私が持っているリュックサックの中で唯一黒くない、小さめのピンクのリュックサックを手渡す。

 

「え、でも、旅行でござろう? さすがにそれがしは山田氏の部屋で、冥子(めいこ)氏とお留守番しているでござるよ」

 

「多分、お金は東根先生が持ってくれますから気にしないで大丈夫です。うちに泊まりにきてるねるこちゃんを放って行くのも何だかモヤッとしますし、一緒に行きましょうよ。ねるこちゃんのこと気に入ったみたいですから東根先生も喜ぶと思いますし」

 

 それにねるこちゃんがいれば、もしも東根先生が襲ってきたとしてもねるこちゃんを生贄にして逃げられるかもしれない。

 ねるこちゃんが首をかしげて(つぶや)くように言う。

 

「そうは言っても、迷惑にならないでござろうか」

 

「大丈夫ですって。私もねるこちゃんがいないと寂しいですし、行きましょう。ほら時間があんまりないですから、急いでそのリュックに持っていく物を詰めちゃってください」

 

 ねるこちゃんにそう言って、私も自分用の黒いリュックサックに二日分の下着類とスマートフォンの充電ケーブルを詰める。

 一分くらいで準備を終えて振り返ると、後ろで見ていたらしいねるこちゃんが「それがしに気を使わなくとも良いのでござるよ?」と言ってきた。

 しかし、私は何のことを言われているのかさっぱりわからずに、質問に質問で返す。

 

「えっと、なんの話ですか?」

 

「着られる服がこれしかないでござるから、それがしも荷物の内容は同じようなものでござるが、山田氏は自分の服があるでござろう? それがしに気を使って山田氏までずっとスウェットで過ごす必要なんてないでござるよ、ちゃんと余所行(よそゆ)きの服を持って行ったらいかがでござるか? あと、どういった所に泊まるのかわからないでござるが大浴場とかがあるかもしれないでござるし、下着は一応上下を揃えた方が良いのではござらんか?」

 

「えっと、二日か三日程度なら下着だけ替えればいいかなと思ったんですけど……上下を揃える、ですか? でも、上下セットのやつを買うとだいたいパンツが先にぼろっちくなって捨てちゃうので、お揃いで残ってないんですよね」

 

「あ、そもそもお揃いで持っていないのでござるか」

 

「ねるこちゃんはパンツが駄目になったら、残ったブラジャーも捨ててセットで買い替えちゃうんですか?」

 

「いや、それがしは片方ずつ買えるところでしか買わないでござる。いつもブラジャーを一つ買ったら、一緒にお揃いのパンツを二枚か三枚は買うようにしているでござるよ」

 

「え、頭良すぎませんか?」

 

「え、そうでござろうか? まあ、もなか氏やルームメイトのみんなはパンツが駄目になったら後から同じのか、なければ似たようなパンツを買い足しているでござるな」

 

「え? そっか、そういう手もあるんですね、その発想もなかったです」

 

「え? 逆になんで思いつなかったのでござるか?」

 

 そんな風に訊ねられるも答えに(きゅう)してしまい、何かかわいそうなものを見るかのような視線を向けてくるねるこちゃんから顔を背けて、話題を変えるためにもさっきから一切喋ることなくバイクに乗った外国のおじさんの旅番組を(こないだ私がプレイステージ5と一緒に買わされた大きなテレビで)見ている冥子ちゃんに声をかける。

 

「そうだ。冥子ちゃんもたまには一緒に行きませんか?」

 

「ただの旅行ならいいけど、お仕事でしょう? 変なことになったら面倒だもの、冥子は遠慮しておくわ。それに、今はちょっと忙しいの……どうやらシーズン4ではノー〇ンが日本に来るらしいから、早くそこまで視ちゃいたいのよ」

 

「誰ですか、ノー〇ンって?」

 

「今映ってるこの人。ハローキ〇ィのことが大好きなおじさんよ」

 

 ヤバそうな人だな。どうして冥子ちゃんはそんな変態くさいおじさんの旅番組に夢中になっているのだろうか? ちょっと意味がわからないが、何にしても冥子ちゃんに付いて来る気はなさそうである。

 それから少しの間みんなで謎のおじさんがツーリングを楽しむ姿を眺めていると、現実で車が走ってくる音が聞こえてきて家の前に停まった。

 ねるこちゃんと共に、それぞれリュックサックを手に取って立ち上がる。

 

「それじゃあ、私たちは行きますね」

 

「はーい、行ってらっしゃい」

 

 視線はテレビの画面に固定したままで、冥子ちゃんがひらひらと手を振ってくる。

 冥子ちゃんのおざなりなお見送りを受けた私たちは部屋を出て、じいじ(祖父)にも「行ってきまーす」と挨拶をして外に出た。

 

 赤くて背の高い車が家の前に停まっていて、その脇に東根先生が立ってタバコを吹かしていた。助手席に杠葉さんが座っているのが見えたが、シートに寄りかかって目を閉じている。杠葉さんは東根先生とあまり相性がよくないようだし、現場に着くまで眠っているつもりなのかもしれないな。

 

「おや、思っていたよりも早く出てきたな。本当は私が恋しくて仕方がなかったと見た」

 

「そんなわけないじゃないですか、一分で準備が済んじゃっただけです」

 

 ふむ、鼻は高いがお尻はぺったんこという形状をしたこういう車は、確かSUVとか言うのだったか? SUVなんて聞いてもいまいち意味がわからないけど、多分元はスーパー・ウルトラ・ヴァイオレットとかそんな感じで何かの略語なのだろうな。

 私たちが外に出てきてもタバコを吸い続けている東根先生に、ねるこちゃんが訊ねる。

 

「えっと、それがしも一緒に行っても大丈夫でござろうか? なんでも、かかる費用はすべて持ってもらえると聞いたのでござるが……」

 

「さくらんぼは大歓迎だ、何粒だって食べられる」

 

 大歓迎してくれた東根先生に、ねるこちゃんが続けて問う。

 

「さくらんぼ、でござるか?」

 

「ああ、そうだ。一応確認しておくが、君はどこの国の出身だ?」

 

「それがしは日本生まれでござるよ。パパ上はオーストラリアで、ママ上はイタリア生まれでござる」

 

「そうか、それならば特に問題はなさそうだな」

 

 そう言って、指の間にタバコを挟んだ東根先生がうんうんと頷くと、ねるこちゃんが怪訝(けげん)そうな顔をする。

 

「いったい何を心配していたのでござるか?」

 

「いやな、私のファンたちは基本的には大人しいやつらなんだが、ひとたびアメリカの手先だと思い込んだら容赦なく攻撃し始める厄介なところがあってね。君の容姿は目立つし、もしも君や君のご家族がアメリカ生まれだったり、アメリカに住んでいたりしたことがあるなら少々危険かもしれないと思っただけさ」

 

「それは何というか、ずいぶんと過激でござるな。しかし、どうしてそんなにアメリカが嫌いなのでござろうか? 国として嫌いなのはわからなくもないでござるが、住んでいただけの人までを攻撃するなんていうのは中々聞かない話でござるよ」

 

「疑心暗鬼なのさ、やつらは世の中の悪い出来事はすべてアメリカの陰謀だと(かたく)なに信じているからな。少しでもアメリカのにおいがする人間は工作員かもしれないと疑ってしまうんだ、ワクドナルドのあいつとか、ケンタくんフライドチキンのあいつとかもだ」

 

「えーと、何がどうしてそんなことになってしまっているのでござるか……?」

 

「私の熱心なファンたちは、毎日私から特別な情報が届く有料のメールマガジンを購読してくれているのだが……さすがに毎日ネタを用意するのが大変でね。ちょうど良さそうな時事ネタがあれば、とりあえずアメリカの影の政府シークレット・ガバメントの陰謀ということにしてメールを書いて送っていたんだ。そうしたら、いつの間にか渡米歴がある親戚を警戒して絶縁したりするような連中に育ってしまっていた。もしもやつらが犯罪を犯したら私まで叩かれる恐れがあるし、困ったものだ」

 

「他人事みたいに言っているところ申し訳ないでござるが、完全に東根氏のせいではござらんか?」

 

「そんなことはないだろう、私はノンフィクション作家を名乗った覚えはないぞ。私はエンターテイナーで、私が配信しているメールマガジンの内容はエンターテインメント性を重視した完全なフィクションだ、それを真実だと思い込む方がどうかしている。多分、ああいったやつらがカルトなんかに洗脳されるのだろうな」

 

 まったく困ったものだと繰り返して、東根先生が当たり前のようにタバコの吸い殻を私の祖父の家の庭にポイ捨てした。

 しかし、すぐに「おっと失礼」と言って捨てたばかりの吸い殻を拾い上げて、運転席のドアを開けて車内の灰皿に捨て直す。

 

「いや、申し訳ない。つい癖でな。ヤマコの()()を汚すつもりはなかったんだ、どうか許してくれ」

 

「なんか普段の振る舞いは優雅に見えますけど、東根先生ってちょいちょいアウトローっぽいところがありますよね。実は昔は不良少女だったんですか?」

 

「まあそうだな、そんな感じだったかもしれない。心霊スポットやらを探検する方が楽しくなってしまって、すぐに不良少女は卒業したのだが……」

 

「それがしは心霊スポットを探検している人も、十分アウトローだと思うでござるよ」

 

「む、君はちょくちょく痛いところを突いてくるな? まあ、私の昔の話なんてどうでもいいだろう。もうすぐ日も暮れてしまう、とりあえず出発しようじゃないか」

 

 そう言って東根先生が運転席に逃げ込もうとするが、マイペースなねるこちゃんが東根先生の車を眺めながら「うん?」と声を上げる。

 

「どこかで見た覚えのあるロゴでござるな。何々、アストン・マーティン……? それがし、あまり車には詳しくないのでござるが、確か物凄い高級車ではござらんか?」

 

「え、東根先生ってお金持ちなんですか? 私は好きですけど、そんなに小説が売れているような感じはしませんよね」

 

「確かにそんなに売れてはいないが、失礼なやつだな。私のファンならば少しくらいは私を持ち上げてくれても良いと思うのだが……とはいえ、この車は普通に買ったわけじゃない。中古車販売をしている知人が特別に安く譲ってくれてね、本来ならば中古だとしても私なんかでは手の届かない値段なんだが、そういった事情があってどうにか手に入れることができたんだ」

 

「へえ。でも、なんか意外ですね。なんていうか、高級車に興味があるようなイメージがなかったので」

 

「確かに高級車というか、車自体にそんなに興味がないな。だが、この車だけは特別でね、どうしても欲しかったんだ。最初は私の知人もあまり価格を下げてはくれなかったんだが、まあ粘り勝ちというやつだな」

 

「あー、東根先生ってラインとかでも凄い鬱陶(うっとう)しいですもんね……東根先生に粘られたら面倒くさくなって、もうタダで持って行っていいから二度と関わらないでくれみたいな心境になったとしても不思議じゃないです」

 

「フハハ。古くから生きている大妖(おおあやかし)ともなればそんなものなのかもしれないが、ヤマコは随分(ずいぶん)と遠慮のない物言いをするな。だが、二度目のブロックはなしだぞ? 今回せっかく交渉して解除してもらったのに、意味がなくなってしまうからな」

 

「あんまりしつこくされたらもう、次はアカウントを替えちゃいます。どうせお友達なんてほとんどいませんから大した手間でもありませんし」

 

「おいおい、ひどいな。まるで私がストーカーみたいな扱いじゃないか」

 

「いや、実際にストーカーですよ! 東根先生が女性で美人なのでヤバさが薄れてしまっていますけど、汚い身なりのおじさんとかだったらもうすでに逮捕されてますからねきっと!? 先生は私に対してそういうことをしてるんですよ!」

 

「フフ、美人だなんて嬉しいことを言ってくれるじゃないか」

 

 いつもの胡散臭い笑みを浮かべて、自分に都合のいい部分しか聞こえない特別な耳を持つらしい東根先生がふざけたことを言う。私の隣で、ねるこちゃんが「おおあやかし?」と首をかしげていた。

 

「さて――実際に時間がないのも事実だからな、話の続きは車内で楽しむことにしよう。ひとまず後ろに乗ってくれ」

 

 そう促されてねるこちゃんと一緒に車に乗り込むと、車の正面からは見えなかったが後部座席には先客がいた。

 色合いはねるこちゃんと同じ金髪碧眼だが、ねるこちゃんと違って背が高そうなスレンダー体型の美少女だ。ノースリーブの、スカートの長い真っ黒なワンピースを着ている。段々と暖かくなってきているとはいえノースリーブはさすがにまだ寒いと思うのだが、旅行者とかを見ていてもそうだけど外国の人って妙に寒そうな恰好をしていたりするよな。

 とにもかくにも、よく冷光家の車の後部座席でハッチーとバッケちゃんにサンドイッチされている私はいつもの癖で後部座席に真ん中に座った。

 すると、謎の金髪美少女が私を見て、変なことを聞いてくる。

 

「マキマスカ? マキマセンカ?」

 

「え? なんですか?」

 

「マ〇マサンデスカ? マキマセンカ?」

 

「あれ? さっきと微妙に違ってませんか?」

 

 謎の金髪美少女と見つめ合う私に、運転席に座った東根先生が振り返って言う。

 

「気にするな。そいつは毎日延々とアニメばかり見ていてな、すぐに変なことを言うんだ」

 

「誰なんですか、この子? 顔立ちが整ってますから、妖怪でしょうか?」

 

「私の仕事道具さ。私の家が代々(のろ)(やぶ)りという仕事をしていることや、私が人形師もしていることは以前にも話しただろう? こいつは小夜(さよ)というんだが、人形師として、そして呪い破りとしての私の最高傑作だ。オークションにでもかければ数百万円の値がつくだろう生き人形に、我が家に伝わる秘術を(もち)いて本当に魂を宿して付喪神(つくもがみ)化した。それをさらに式神にして使役(しえき)している。戦闘能力こそ皆無だが、呪いや怨霊を身体に封じることができる。そもそも人の代わりに厄を負う形代(かたしろ)として誕生した人形は、呪いを封じるのに適しているからな。しかも、一時(いちどき)に全身を(けが)すほどの大量の呪いを封じでもしない限り、アトリエに帰ればいくらでもパーツの替えが()くから半永久的に使える」

 

「こんばんは! 小夜です! お母さんの娘です! いえい!」

 

 東根先生の紹介を受けて、急に大声で話し始めた小夜ちゃんが満面の笑みを浮かべてピースサインを私の(ほお)に押しつけてくる。

 なんか見た目こそお姉さんって感じだけど、舌足らずな喋り方だしめちゃくちゃはしゃぐな。元は人形だと東根先生が言っていたし、外見の年齢は当てにならなそうだ。精神年齢はだいぶお子様なのかもしれない。

 東根先生が呆れた顔をして小夜ちゃんに言う。

 

「こら、せめて姉と呼べといつも言っているだろう」

 

「はい! ごめんなさい! お母さん!」

 

 はい! と言ったタイミングでなぜか挙手して、小夜ちゃんが何もわかっていなそうな発言をした。

「呪い、怨霊、付喪神……いったい何の話でござろうか?」と首をかしげているねるこちゃんと並んで、私も首をかしげる。

 

「最高傑作、ですか?」

 

「疑う気持ちもわかる。だが、呪いや怨霊を封じる形代としての性能は最高だ。まあ、妖怪までは封じることができないがな」

 

 製作者である東根先生から性能を保証された小夜ちゃんが、すかさず声を上げる。

 

「でぃずいずあぺん! ぺんぺん! フーウ!」

 

「見た目は外人なのに、英語の発音がひどいんですけど……?」

 

「仕方がないだろう。私が外国人風の容姿に仕上げたというだけで、小夜自身は日本で作られて、海外に住んだことすらないわけだからな」

 

「でぃすいずあっぽー! べりべりべりでりしゃす! ベッロー!」

 

「なんか、ミ〇オンみたいな挨拶してますけど……?」

 

「仕方がないだろう。頭が悪いんだから」

 

「なるほど……」

 

 呪いや怨霊を封じる性能は最高だけど、頭は悪いのか。

 しかし、いくら凄い性能を持っているにしても、頭が悪くて大丈夫なのだろうか?

 

 眠っているらしい杠葉さんが、「ぶ……めら、ん……」と寝言を言った。



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ウォーキング・ゴースト

更新遅くってごめんなさい!
ちょっと事情があって書く時間が取れなかったんですけど、とりあえず落ち着いたんで次はもっと早く出したいです!


 途中でちょっとした休憩を取ったりしつつ、ねるこちゃんと小夜(さよ)ちゃんに金髪サンドイッチされながら車に揺られること、二時間弱。

 車内は映画の話題で盛り上がっていた。

 

「小夜はト〇ロが好きです! お母さんは!? お母さんは何が好き!?」

 

「私はお母さんではないが、そうだな……ホラーならキャビン、ホラー以外ならマルホランド・ドライブだな」

 

 東根(ひがしね)先生がそう言うと、小夜ちゃんが「ト〇ロじゃない!? なぜ!?」と驚き、ねるこちゃんが「マルホランド・ドライブはホラーなのではござらんか?」とつっこみを入れる。

 

「私の中ではあれはホラーではないな、青春映画の方がまだ近い気がする。寝子(ねるこ)ちゃんと言ったか? 君の好きな映画も教えてくれ」

 

「それがしはマイ・プライベート・アイダホが好きでござる」

 

「ほう、てっきり七人の侍とかの時代劇映画をあげてくるかと思ったが……」

 

「たまたま見たのでござるが、それがしの家はちょっと複雑でござって、それもあって妙に感情移入してしまったのでござるよ。あとは秘密の花園とか、小さな恋のメロディとかも好きでござる」

 

「ござるござると言っている割にはずいぶんと女の子らしい趣味じゃないか。しかし、古めの映画ばかりだな」

 

「ママ(うえ)が好きだった映画を見ることが多かったでござるからな、そのせいでござろう。ところで、先ほどからあまり喋っていない気がするでござるが、山田()はどんな映画が好きなのでござるか?」

 

「えっ、う?」

 

「ト〇ロ!? ヤマダヤマコもト〇ロ好き!?」

 

「ふえ」

 

 どの映画も知らないしつまらないなと思っていたところで、急に話を振られて少し焦ってしまう。

 好きな映画はあるにはあるのだけど、クレイアニメだし、子どもっぽいと思われそうであまり言いたくなかった。

 

「答えるのをためらうということは、もしかしてちょっとエッチな映画でござるか?」

 

「ち、違いますよ!? 違いますけど、うっ……キャロ――コララインとボタンの魔女が好きです」

 

 背伸びして大人っぽいタイトルを言おうかとも思ったが、そもそも難しい映画なんてわざわざ見ないので一つも思いつかず、結局正直に答えてしまった。

 子どもっぽいと言われたら嫌だなと身構えるも、東根先生が「ああ、ちょっと教訓めいた感じがあって私はそこが気に入らなかったが、魔女の世界は不気味で良かったな」と言ってにやりと笑う。

 

 うーん……魔女の世界、不気味だっただろうか?

 私は可愛くてワクワクする世界だと思ったが……実際にコララインも最初は魔女の世界を楽しんでいたはずだ。みんなの目がボタンなのも、ぬいぐるみみたいで可愛かったしな。

 

 そんな風に私が不思議に思っていると、助手席で眠っていた杠葉(ゆずりは)さんが目を覚ました。

 杠葉さんが後部座席を振り返り、目をしばたたく。

 そして怖い顔をして私に聞いてくる。

 

「ヤマコ、どういうつもりだ? なぜ、お前の学友がこの車に乗っている?」

 

「え? だって、ねるこちゃんは私の部屋に泊まりにきてるんですよ? それなのに置いて行っちゃうのもかわいそうじゃないですか。それにお金は東根先生が払ってくれますし」

 

「そういう問題じゃない。俺はこの子の父親になんて説明すればいい? たった数日前にうちの式神は無害だと伝えたばかりで、この状況だぞ?」

 

「へ? 私なんにも悪いことしてませんよ?」

 

「ただの旅行ならばまだしも、(はら)い屋としての仕事に同行させるのは危険が過ぎる。東根、お前もお前だ。なぜヤマコの友達を同行させた?」

 

「本人が一緒に来たがっていたから乗せてあげただけだが、そんなに怒らなくてもいいだろう。ご当主サマを起こして確認しようかとも考えたが、寝ているところを起こすのも悪いかと思ってな」

 

「今度からそういった時には迷わず起こせ。まあ、こうなっては仕方がない。現場に行く前に宿に向かうぞ、仕事の間はその子には安全なところで待っていてもらう。その子の父親――終日(ひねもす)アラン・デイとはヤマコの授業参観で連絡先を交換したからな、出るかはわからないがとりあえず電話をかけてみる。謝罪して、後日依頼を受ける際に報酬を負けてやって、それでどうにか許してもらえたらいいが……」

 

 杠葉さんは疲れた顔でそう言うと、スマホを取り出して操作し始める。

 ねるこちゃんのお父さんは終日アラン・デイという名前なのか、初めて知ったな。しかし外国人なのに日本語っぽい苗字があるのはなんでだろう、よく知らないけど帰化(きか)とかいうやつかな?

 

「やっぱり、それがしがついてきてはいけなかったようでござるな……」

 

 そう呟いて、しゅんとしてしまったねるこちゃんを私は慌てて励ます。

 

「そんなことないです、だって私は一緒がいいですし、東根先生だって大歓迎してくれていましたし、杠葉さんが意地悪なだけです!」

 

 スマートフォンを耳に当てながら、杠葉さんが私をぎろりと(にら)んで言う。

 

「意地悪で言っているわけではない。アラン・デイにもその子を危険なことに巻き込まないと約束をしたし、心配だから言っているだけだ」

 

 ねるこちゃんが私の顔を見て、「いまいちよくわからないのでござるが、それがしたちはそんなに危ないところに向かっているのでござるか?」と聞いてくる。

 

「どうなんでしょうか? そういえば私もまだ行き先を聞いてませんけど……そもそもどこでいなくなっちゃったんですか、その人たち?」

 

「いなくなった私のファンたちのツイートを見る限りでは、私たちが数分前に通り過ぎた風雅(ふうが)の滝という観光スポットに寄り道をして昼食を()った後、赤い家と呼ばれる心霊スポットへ向かおうと車に乗り込んだのを最後に投稿が途絶えているな」

 

「ということはじゃあ、その赤い家で何かあったんですかね? そうなりますと行き先は心霊スポットなわけですし、確かにちょっと危険かもしれませんね……」

 

 というか、ニュースか何かで見た覚えがあるのだが、確かツイッター社ってアメリカに本社がなかったか?

 アメリカ嫌いのニシキリアンたちなのに、ツイッターを使うのはいいのだろうか?

 

「いや、それなんだが、やつらが赤い家に入ったとはちょっと考えにくい。その日のそれまでのツイートを見る限り、やつらは現場に到着したら探索を始める前に必ず現地の写真を添えて『どこそこに着きました』というようなツイートをしているんだが、15人いた参加者の誰一人として赤い家に着いたというツイートはしていない。昼食を摂る目的で立ち寄った滝の写真まで上げているのだから、赤い家に到着していたのならば写真を上げないわけがないと思う。まあ、山奥だから電波がきていなかったという可能性もないではないが……」

 

「なるほど。でも、もしも東根先生が言うようにいなくなった人たちが赤い家に行っていないのだとすると、じゃあどこでいなくなったんでしょうか?」

 

「滝から赤い家までのルート上のどこかだろうとは思うが、正直わからないな。滝から赤い家はそれほど離れているわけではないのだが、土産物屋があるようなわかりやすい観光スポットこそないものの、小さな滝やら何やらといったちょっとしたスポットは数多く存在しているようだ。その中のどこかに寄り道をした可能性が高いのではないかと思う。まあ、まずは赤い家に行って電波がきているかを一応確認してみるつもりだ。もしも電波がきていれば、赤い家に到着していたとしたらやつらは必ずツイートをしているはずだから、赤い家には行っていないということになる。そうしたらあとは滝から赤い家までの間で、やつらが立ち寄った可能性がありそうな場所をしらみつぶしに見て回るつもりだ」

 

 私と東根先生の会話を聞いていたねるこちゃんが、困惑した様子で(たず)てくる。

 

「ええと、さっきお屋敷でもちょろっとそんなような話を聞いた気はするのでござるが、15人も行方不明になったとかいうその話は真実なのでござるか? で、今からその現場を探しに行くということでござるか?」

 

「はい、そうですよ。あれ? ねるこちゃんもお屋敷で一緒に東根先生のお話を聞いていましたし、事情をわかった上でついて来てくれたんだと思ってたんですけど……もしかして違うんですか?」

 

「えっと……何の話をしているのかあんまりわかっていなかったというか、正直現実の話だとは思っていなかったでござる」

 

「ええ? じゃあ、どうします? 杠葉さんが言うように宿で待ってますか?」

 

「いや、ブシドーに二言(にごん)はな――」

 

「絶対に宿で待っていてもらう、決まっているだろう」

 

 ねるこちゃんの発言を(さえぎ)って、杠葉さんが厳しい口調で言い放つ。ねるこちゃんのお父さんが電話に出なかったようで、杠葉さんは着物の右の(たもと)から左手で『たもと落とし』を引っ張り出して、持っていたスマートフォンを中に仕舞った。

 ねるこちゃんがちょっぴり怯えた顔をして、「そんなに危険なのでござるか……」と呟く。

 

「でもだいじょぶ! バッドラックも乗りこなせば無事故無違反無欠席! いえーい!」

 

 と小夜ちゃんが叫んで、両(こぶし)を振り上げて車内の天井をポコンポコンと叩いた。

 それにしても、さっきから車内に流れる歌の歌詞がみんな不穏だな。ドント・フィアー・ザ・リーパー(死神を恐れるな)とか繰り返していたり、ベイビー・ジョイン・ミー・イン・デス(死の中で一緒になろう)だのウォンチュー・ダイ・トゥナイト・フォー・ラヴ(今夜愛のために死んでみないか)だのと繰り返していたり、アイル・ビー・デッド・バイ・クリスマス・ナウ・エニーウェイ(いずれにしろクリスマスには死ぬんだ)とか繰り返していたり、アイム・ドリーミン・イン・ア・キャスケット((ひつぎ)の中で夢を見る……つまり、死んでいる?)とか繰り返していたり、アンダー・ザ・ローズ(薔薇の下で……つまり、お墓の下か?)とか繰り返していたり……中には二階建てバスにつっこまれて君と一緒に死んじゃいたいだとか、10トントラックに()かれて君と一緒に死んじゃいたいみたいな歌詞の歌もあった。他の英語が難しかったりそもそも英語ですらなかったり早口だったりしてよく意味がわからなかった曲も、きっと『死んじゃおう系』の悪趣味な歌詞だったのだろうな。まあ、東根先生の趣味なのだから悪くて当然といえば当然だけど……これから行方不明になった人たちを捜しに行くというのに、なんだか縁起が悪いように感じられて正直ちょっと嫌だった。だって私、死にたくないもん……。

 後続車もいなければ、対向車もまったく来ない夕暮れ時の(とうげ)道で、車を運転する東根先生がふと思い出したかのように言う。

 

「そういえば、もうすぐ魔のカーブだな」

 

「このサーキットには魔物が潜んでいる! 超エキサイティン! フーウ!」

 

 そう言ってまたもや両拳を振り上げて車内の天井をポコンポコンと叩いた小夜ちゃんのことはとりあえず無視して、私は東根先生に訊ねる。

 

「魔のカーブ、ですか?」

 

「特に何の変哲もないカーブなのだが、昔から原因のわからない事故が頻発(ひんぱつ)しているらしい。事故を起こした運転手の話もまちまちで、まっすぐの道が続いているように見えたと言う者もいれば、ハンドルが動かなくなったなんて言う者もいる」

 

「もしかしたら、ニシキリアンの人たちもそこで事故に遭ったとか……?」

 

「いや、それならもっと騒ぎになっているだろう。見たところガードレールだってあるし、何らかの痕跡が残るんじゃないか?」

 

「ですか」

 

 トゥトゥトゥ トゥトゥトゥ トゥトゥトゥトゥトゥ トゥルン♪ とラインの着信音(木琴の音色)が車内に響いて、杠葉さんがスマートフォンを取り出して電話に出る。

 小夜ちゃんが「川だ! お母さん! 崖の下に川がある!」と声を上げて、東根先生が「いまさら何を言っているんだ、ずいぶん前からずっと川沿いを走っていたぞ?」と呆れた風に言う。

 せっかくなので私も川を見たいなと思い首を伸ばすが、崖側に座っている小夜ちゃんからは見えても、中央の私や対向車線側のねるこちゃんからはどう足掻いても見えなそうだった。

 ちょっと残念に思いつつも川を見るのは諦めて、再び前を向くと道路とガードレールが緩やかに弧を描いている。見通しも悪くないし事故が頻発しそうな場所には見えないが、ここが東根先生の言っていた『魔のカーブ』なのだろうか?

 

「あ――これはまずいかもしれないな。ハンドルもブレーキも()かないぞ」

 

 東根先生が特に慌てた風でもなくそんなことを言うと、多分ねるこちゃんのお父さんからの電話だったのだろう――電話の相手にひたすら謝罪の言葉を繰り返していた杠葉さんが東根先生の方を向いて、「は!? 何だと!?」と声を上げる。

 スピードを落とすことなく車はどんどん直進していき、いよいよガードレールにぶつかる寸前で私は目をぎゅっとつむって身を固くした。

 ディグアップハー、ボォオウォウォウォウォ~ウォ~~~ンズッ! という叫びを最後に、車内にかかっていた音楽がプツリと途絶える。

 そういえば後部座席の真ん中が一番死にやすいとどこかで聞いたことがあるし、もしかして死んじゃうのかなと思い、震えて待つが……しかし、いつまで経ってもぶつかった衝撃がやってこない。

 こわごわとまぶたを開けると、フロントガラスの向こうにはガードレールも道路も見当たらず、車はなぜか竹藪(たけやぶ)の中にエンジンが切れた状態で停止していた。周囲をぐるりと背の高い竹に囲まれており、大量の竹をどうにかして退かさない限りは車を動かすこともできなそうだ。

 

「なんだここは……? 通話も切れた、電波がないな」

 

 そう言って、杠葉さんはスマートフォンを仕舞って数枚の霊符(れいふ)を取り出すと、助手席のドアを開けて外に出る。

 東根先生が「ううむ」と(うな)り、口を開く。

 

「さてはお(ふだ)の家の蔵で存在しないはずの階段を上ってしまったことで、ワープ(ぐせ)でもついたのか? 今度は車ごと、乗車していた全員まとめてのワープか……電車に乗っている最中や、車やらでの走行中にいつの間にか異界にいたり、本来その時間じゃ移動できるはずのない遠方にワープしてしまったりといった話は稀に聞くが……先ほどぶつかりそうになったガードレールの手前あたりの空間にアインシュタイン・ローゼン・ブリッジみたいなものがあったとして、エンジンが切れたのは電磁波やらの影響かもしれないが、車の運動エネルギーはどこへ行ったんだ?」

 

「あいんしゅたいんろーぜん……って、なんですか?」

 

「いわゆるワームホールのことだ」

 

「わーむほーる」

 

「ワープするための特別な通路のようなものだ」

 

「ああ、ワープホールのことですね! 何作か前のポテモンに出てきましたから知ってます、より遠くのワープホールを目指して飛ぶとハイパービーストというカッコイイポテモンがいる世界に行けるんです!」

 

「まあ、(おおむ)ねそんな感じだな」

 

 大胸? あ、概ねか。

 知っている言葉だが、東根先生が言うとなんだかエッチに聞こえてしまう。

 

「そうだな……とりあえず必要になりそうな物と大事な物だけを持って、全員で車を降りて辺りを探索してみよう」

 

「ですね。もしかしたらいなくなったっていうニシキリアンの人たちもここら辺にいるかもしれませんしね」

 

「ああ、助ける余裕があれば勿論(もちろん)助けたいが……だが、今ここにいる私たちの生還が最優先だ。予め伝えておくが、たとえ彼らと合流できたとしても、誰かを犠牲にしなければ絶対に生還できないと思った時には私に断ることなく彼らを切り捨てて構わない。その代わりに、依頼人である私のことは絶対に助けてくれ」

 

 きりっとした表情でそんなことを言う東根先生に、ねるこちゃんが「妙に恰好良さげな雰囲気で、恰好悪いことを言ったでござるな……」と冷たい視線を送る。妖怪の存在も信じていなかった割にはずいぶんと落ち着いているなと思ったが、そういえばねるこちゃんはオリエンテーリングの際に私と一緒にワープのような現象を何度も経験していたのだった。もしかすると、あれで少し耐性がついているのかもしれないな。

 ずっときょろきょろと周囲を見回していた小夜ちゃんが、「ここはどこ!? 世界がバグった! あんびりーばぶる!」と興奮した様子で声を上げた。

 

 私はスマホとお財布と家の鍵が入ったサコッシュに、着替えを入れてきたリュックサックから替えの靴下一足を移す。そしてサコッシュを首にかけると、ねるこちゃんの後に続いて車を降りる。

 小夜ちゃんの側のドアは竹が邪魔をしてほとんど開かなかったので、結局後部座席の三人ともねるこちゃんの側のドアから外に出た。

 最後に東根先生が運転席から降りてくるが、(かばん)などは持っておらず、ジーンズのベルトループにフラッシュライトが入ったナイロンケースを付けているだけだ。どうやらスマホやお財布はポケットに入れているらしい。こういうところはなんというか男らしくて、ちょっと憧れるな。東根先生は変態なところを隠せば、結構年下の女の子とかにもモテそうな気がしなくもない。

 

 もしかしたら内心では焦っているのかもしれないが、いつもの無表情で杠葉さんが言う。

 

「俺が先頭を歩く。ヤマコは殿(しんがり)を頼む、他の三人は俺とヤマコの間に居てくれ」

 

「フフ、冷光(れいこう)のご当主サマと、最強の大妖(おおあやかし)が護衛か。怖いものなしだな」

 

「油断をするな。ヤマコは強いが、察しが悪い上に不器用だ。危ないと思ったらヤマコにくっついておけ」

 

「ほう、まさかご当主サマからヤマコにくっつく許可をいただけるとは光栄だ。もはやヤマコの肉体は私の物だと言っても過言ではないんじゃないか?」

 

 どう考えても過言だが、つっこみを入れるのは後に回して耳を澄ます。

 …………うーん、特に変な音はしないな。さっき何か地面を引きずるような音がかすかに聞こえた気がしたのだが、気のせいだったのだろうか?

 杠葉さんがねるこちゃんを見て言う。

 

「終日、寝子だったか? 申し訳ないがこうなってしまった以上、宿で待っていてもらうというわけにもいかなくなってしまった。色々と疑問や不満があるかもしれないが、お前を無事に父親のもとへ帰すために全力を尽くすと誓う。どうか今だけは信じてほしい」

 

「えっと……よろしくお願いするでござる。何がなんだか、正直よくわからないのでござるが、みんなの雰囲気から切羽詰まった状況だということは理解できたでござるよ。どうやらそれがし以外はこの状況にある程度の理解があるようでござるし、なるべく指示には従うでござる」

 

「助かる。落ち着いて話せるようなタイミングがあれば俺にわかる範囲で説明はするが、とりあえず今は時間が惜しい。この先何が起こるかわからないが、できるだけ俺かヤマコのそばに居てくれ」

 

「承知したでござる」

 

 ねるこちゃんが頷くと、杠葉さんが「では行くぞ」と言って先頭に立って歩き出す。その後ろに東根先生と小夜ちゃん、そしてねるこちゃんが続く。どうやらねるこちゃんは杠葉さんのそばではなく私のそばを選んでくれたようだ。

 杠葉さんは顔は綺麗だけど態度が大きいし意地が悪いからな。正直私が選ばれて当然なのだけど、やはり選ばれて悪い気はしない。

 

 少し歩くとコポコポコポと川の流れる音が聞こえてきて、渓谷(けいこく)が現れた。谷の深さはおよそ3、4メートルといったところか。対岸までの幅も同じくらいだ。

 そのまま崖際を歩いていくと、だいぶ塗装が()がれてしまっているものの、元は赤く塗られていたのであろう細い鉄製の橋がかかっていた。

 歩みは止めずに、杠葉さんが呟くように言う。

 

「赤い橋は結界(けっかい)(もち)いられることが多い」

 

「え、そうなんですか? そういえば山の中とかの橋って、なぜか赤く塗られている物が多い気がしますけど……」

 

「だいたいは渡った先が神域になっていて結界の役割を負っている。そして神域というのは磁場がおかしな場所が多く、つまり怪異が好む土地であることが多い」

 

 そう言って杠葉さんが橋を渡り始めると、金属でできた橋が(きし)んでギイイと音が鳴る。そんなに細くて大丈夫なのだろうかと思ってしまうほど細い欄干(てすり)など、鉄のパーツ同士の合わせ目が目に見えて(ゆが)んでいた。

 たとえ落っこちたとしてもよほど打ちどころが悪くない限り死ぬような高さではないが、どうしたところで怖いものは怖い。

 

「飛べない人形はただの人形だ!」

 

 突然叫んで、小夜ちゃんが助走をつけてぴょーんと橋の上に飛び乗った。ギシッ、ギギイッと音を立てて橋全体が大きく軋み、ぐらぐらと揺れる。

 ちょうど橋の真ん中にいた杠葉さんが振り返って、小夜ちゃんをぎろりと睨んで言う。

 

「おい、二度とこういうことはするな。この先ふざけるのは禁止だ、次にやったらヤマコに命じてお前を壊すぞ」

 

「マジか!? ヤマダヤマコめちゃ怖い!」

 

 さっきも小夜ちゃんからヤマダヤマコと呼ばれた気がするが、あんまり可愛くないあだ名だな。小さい頃からあだ名で呼ばれるのに憧れていたものの友達が少なくてあだ名で呼んでもらったことがない私でも、このあだ名はさすがに嬉しくないぞ……というか、そもそも長すぎないか?

 そういえば小学生の時に仲の良い友達がいなくて、席がたまたま隣になった男子にあだ名で呼んでほしいと頼んで断られたっけな。まあでも、小学生くらいの男子って好きな女の子に対して素直になれないのが当たり前みたいだから、しょうがなかったんだろうけど……そんなことを考えつつ、私以外の全員が橋を渡り切るまで立ち止まって待って、みんなが橋を渡り切ったのを確認してから最後尾をおっかなびっくりと進む。

 ボロい橋は一人でゆっくりと渡っても結構揺れた。小夜ちゃんがあんな風に飛び乗ってきたのに悲鳴を上げたりへたり込んだりせずに(こら)えた杠葉さんは凄いと思う、たとえ()せ我慢だったとしてもだ。私だったら泣いていたかもしれない。

 何はともあれ無事に橋を渡り終えて、みんなと合流して再び歩き始めた。そうしてしばらく歩いていると竹藪を抜けて、土手の上に出る。

 すぐ下には背の高い雑草がぼうぼうに生い茂っており、その向こうにぼろぼろの家々が建ち並んでいた。

 足を止めて、杠葉さんが誰にともなく訊ねる。

 

「どの家も状態が悪いな、廃村か?」

 

「そのように見える。しかし、先ほど車で走っていた辺りには村も廃村もなかったはずだが、私たちはいったいどこまで飛ばされたのだろうな」

 

 東根先生がそう言って、ぐっと眉根を寄せた。

 軽く肩をすくめて杠葉さんが言う。

 

「強制的に連れてこられた先で見つけた廃村なんて、嫌な感じしかしないが……他にめぼしい物も見つからない以上、危険だとわかっていても踏み込んでみるしかない。時間があれば慎重に行動したいところだが、俺たちは食糧(しょくりょう)すら持っていないしな」

 

「そうだな。それに、単にどこか離れた場所にワープさせられただけならばまだいいが、この空間自体が異常だという可能性もある。そういった可能性がある以上は、仮に食べ物なんかが手に入ったとしても安易には食べられないな」

 

 杠葉さんが振り返り、私を見る。

 私も視線を返すと、杠葉さんが小さく頷いて言う。

 

「ヤマコ。この先に何が潜んでいるかはわからないが、お前の学友と東根を全力で守れ。頼むぞ」

 

「あ、あいさー」

 

 良き奴隷(しきがみ)である私は杠葉さんの命令に逆らうことができないので、二人を守り抜く自信はなかったもののとりあえず頷いて答える。怖い見た目をしたやつとか、触りたくない感じの気持ち悪い見た目をしたやつとかが出てなければいいが……。

 小夜ちゃんが「小夜は!? 小夜のことは守ってくれない!? なぜ!?」と騒ぎだす。

 

「なぜも何も、だって小夜ちゃんは人形で妖怪で式神じゃないですか。誰を優先して助けるかとかって、基本的に人間が最優先なんですよ。私もなんでなのかはわかりませんけど、そういうものなんです。小夜ちゃんはアニメが好きだってさっき車内で聞きましたけど、アニメでも大体はそんな感じじゃないですか?」

 

「そういえばそうかもしれない……なぜ? なぜ人間ばかりが優遇される? 小夜はなぜ人間じゃない!?」

 

「小夜ちゃんが人間じゃない理由はわかりませんけど、人命が他よりも優先されるのは多分、助ける側も人間だからじゃないでしょうか?」

 

「でも、ヤマダヤマコは妖怪! 妖怪なら妖怪を優先して助けるべきでは!? つまり、この中だと小夜を最優先すべきでは!?」

 

「いやいや、私は人間ですよ」

 

「なんだって!? こちら嘘つき警察、嘘つきは逮捕する! なんてイカれた妖力(ようりょく)だ、こいつはどう見ても妖怪だ! 逮捕ー!」

 

「うわっ!?」

 

 小夜ちゃんががばっと抱き着いてきて、私の首に両腕を回した。

 しばらく黙っていたねるこちゃんが、いつになく不安げな面持ちで聞いてくる。

 

「妖怪って、本当にいるのでござるか? 山田氏は、何者なのでござるか……?」

 

「に、人間です! 私は人間です! 妖怪はいますけど、私は人間です!」

 

「ヤマダヤマコめ、また嘘をついたな! パンツ脱がせてやる!」

 

「わー!? やめてくださいっ、何するんですか!? ス、スウェットだから簡単にズボンごと脱げちゃいますから! こらっ――この!」

 

 冗談とかでなく、多分本気で私のパンツを脱がそうとしてきた小夜ちゃんにビビッてしまい、手のひらでべしっと突き飛ばす。

 すると、「飛んでるーーーっ!?」と悲鳴を上げて小夜ちゃんが何十メートルも吹っ飛んでいき、一番手前に建つ廃屋(はいおく)の壁を突き破って姿を消した。

 

 それから心の中で十を数えても誰も何も言わず、結局、最初に沈黙に耐え切れなくなったのは私だった。

 

「だ、誰か何か言ってくださいよ……」

 

「えーと、それがしは何も見なかったでござる」

 

 ねるこちゃんがあさっての方向を見て言った。

 私に気を使っているつもりなのか、それとも単純に私を恐れているのかはわからないが、とても良くない勘違いをされている気がする。

 

「ち、違います! ほんとに違いますから! 私は人間なんです、ほんとに! 妖怪なんかじゃないんです、信じてください!」

 

「……今のを見せてしまっては、さすがに誤魔化すには手遅れじゃないか?」

 

 少し言いづらそうにしながらも東根先生が指摘してくる。

 私だってわかっている、普通に考えたらさすがに今のは生身の人間にできることじゃない。でも実際に私は人間だし、スイちゃんのせいで妖力があるがゆえに狂ったパワーが出せてしまうというか、勝手に出てしまうだけなのだ。

 

「うう、ほんとに人間なのに……!」

 

「わ、わかっているでござる。大丈夫でござるよ、それがしは誰にも言わないでござる」

 

「絶対わかってないじゃないですか! だってわかってない人の反応ですもん、それ!」

 

「まあ、とにかく小夜を回収しに行こうじゃないか。頭の出来がすこぶる悪いとはいえ、あれでも私の大事な仕事道具なのでな。ないと困ってしまう」

 

「あ、いまさらですけど、小夜ちゃん大丈夫ですよね? 妖怪ですし、吹っ飛んだくらいじゃ死にませんよね?」

 

「吹っ飛ぶくらいならば問題ないはずだが、あの廃屋に妖怪がいたら少々危ないかもしれない。小夜は(のろ)いや霊体には強いが、妖力をほとんど持っていないし妖怪相手には打つ手がないからな。さっきのも、もしもヤマコがもう少し力を込めていたら吹っ飛ぶ前に一瞬で消滅していただろう」

 

 え……? 洒落(しゃれ)にならないな、スイちゃんパワー。いきなり私のパンツを下ろそうとしてきた小夜ちゃんが悪いのは確かだけど、だからといって私の張り手で小夜ちゃんが消滅していたらさすがに罪悪感で病んだと思う。自戒(じかい)を込めて二の腕あたりに『R.I.P SAYO』とタトゥーを彫ったかもしれない。

 

 ねるこちゃんがこわばった表情で「一瞬で消滅……」と呟いて、怯えた視線を向けてくる。居心地の悪さを感じた私は小夜ちゃんが突っ込んでいった廃屋を目指して歩き出しつつ、振り返ってみんなに言う。

 

「と、とにかくですよ、小夜ちゃんが危ないかもしれませんし、急いで見に行きましょう!」

 

「待て。ヤマコは後ろだ」

 

「あ、すみません、つい……」

 

 杠葉さんに注意されてのそのそと最後尾に戻る。さっきまで私の目の前を歩いていたねるこちゃんが今度は杠葉さんの方に行ってしまったらどうしようと不安に思ったが、優しいねるこちゃんは同じ並びを維持してくれた。

 胸くらいの高さにまで伸びた雑草地帯をどうにか抜けると(一瞬何かに足首をつかまれたような感触がして焦ったが、思い切り足を振ったらすっぽ抜けてどこかに飛んでいったので多分枝か何かだったのだと思う。雑草のせいで何も見えなかったので、凄く怖かった。)、杠葉さんが立ち止まり、振り返って細身のフラッシュライトをねるこちゃんに差し出す。

 

「予備のライトだ、廃屋の中では灯りが必要になるだろうから持っておけ」

 

「おお、かたじけないでござる」

 

「こうした場所では電気製品が故障しやすい。急に灯りが消えて、二度と点灯しなくなるなんてこともざらにある。そうした際になるべく取り乱さないように構えておけ」

 

「しょ、承知したでござる……」

 

「なに、リラックスしたまえ。今回はこれだけの人数がいるからな。誰かしらの懐中電灯がつかなくなるなんてことは日常茶飯事だが、全員の懐中電灯が一斉に消えるなんて事態はそうそう起こらない。まあ、絶対に起こらないとは言い切れないが」

 

 そんなことを言ってくつくつと笑い、東根先生が自分のフラッシュライトを点灯させた。

 杠葉さんもフラッシュライトを点けると、外から室内を照らして様子を確認しつつ、壁に開いた人間大の穴から廃屋へと踏み込む。先ほどはずいぶんと簡単に穴が開くんだなと思ったが、それもそのはずで、廃屋の壁は薄い板を適当に並べただけの雑な作りだった。断熱材なんてもちろん入っていないし、隙間だらけだ。

 とはいえ、隙間がどれほど多かろうと、外が暗くなってきているために当然廃屋の中も暗い。

 

「あれ? 山田氏は懐中電灯を点けないのでござるか?」

 

 小さな声でそう訊ねつつ、ねるこちゃんが私を振り返った。

 そして、「ひゅっ……!?」と息を()む。

 もしや私の後ろに何かいたのだろうかと思い、私もがばっと振り返る。しかし、何もいない。

 顔を前方に向け直して、未だ怯えた顔をして硬直しているねるこちゃんに訊ねる。

 

「えっと、どうしたんですか?」

 

「め、めめめ、めっ……めが、めっ」

 

「めめめめめめがめ?」

 

「い、いや、なんでも、なんでもないでござるよ、それがしの勘違いだったでござる!」

 

「へ?」

 

 なんだか不自然な態度で、ねるこちゃんが私から顔を背けた。

 いったいどうしたのだろうと不思議に思っていると、東根先生がぼそっと言う。

 

「ヤマコ、人間は目が光らない」

 

「あっ!?」

 

 慣れてしまったのか最近はあまり意識しなくなっていたが、そういえば私の目って暗いところで緑色に光るのだった。私の目が光っているのを見て、ねるこちゃんはびっくりしちゃったんだな。

 学校の友達にまで妖怪だと思われるのは嫌だけど、とはいえ、普通の人の目は確かに光らないし、もうこうなってしまうと言い訳するのも難しい気がするな。でも、本当に私は人間なんだけどな……。

 隙間だらけの壁の向こうにもう一間あるようで、壁越しに小夜ちゃんの元気な声が聞こえてくる。

 

「なんだお前!? 何者だ!? なぜ追いかけてくる!? 待て、小夜に触れたらお前ヤバいぞ!? あっ!? くっ……愚かな!」

 

 なぜか戸が閉まっており、杠葉さんがガタガタと何度も引っかかって中々開かない板戸をどうにかこじ開けると、奥は土間になっていた。

 何があったのかはわからないが、小夜ちゃんが悲しげな顔をして佇んでいる。今の今まで誰かに話しかけていたようだったのに、小夜ちゃんの他には誰もいない。

 杠葉さんが小夜ちゃんに訊ねる。

 

「なぜここの戸を閉めたんだ?」

 

「開けた戸は閉める、点けた電気は消す! それがお母さんの教えです! 忘れると罰せられます!」

 

「そうか。それで、何と話していた?」

 

「なんかゾンビみたいなやつがいて! でも、ゾンビなのは見た目だけで多分オバケで! オバケが小夜に触ると自動で封印されちゃうから注意したけどそれでも触ってきて、やつは封印された!」

 

 小夜ちゃんが謎の身振り手振りを交えつつ(見ていても私にはまったく意味がわからなかった。)説明すると、黙々と家の中を物色していた東根先生が言う。

 

「なるほど、妖怪ではなくて幸いだったな……とりあえずこの家には何もなさそうだ、外に出て他を調べるとしよう。他の廃屋にもオバケがいるかもしれないが、一生この廃村で暮らすのは嫌だからな」

 

「単純にこの廃村を抜けた先に出口のようなものがある可能性もあるが……すべての廃屋を調べるにしろ廃村を抜けてみるにしろ、もう夜になる。暗闇の中で下見すらしていない場所を歩き回るのはやはり危険だ、怪異が潜んでいる可能性が高いとあってはなおさらに。先ほど時間がないかもしれないという話をしたばかりだが、比較的状態のいい廃屋を見つけて夜が明けるのを待った方がまだいいかもしれない」

 

「ふむ。暗闇か時間か、どちらかのリスクを負わねば――おっと、どちらのリスクを取るか、か。フフ、こういった時はできる限り前向きな言い方をしなければな、(げん)担ぎは大事だ」

 

「お前の言っていることは正しいが、情報を共有する必要があるのも事実だ。申し訳ないが後ろ向きな発言をさせてもらう。懐中電灯に入れる替えの電池もないからな、俺としては落ち着いて夜が明けるのを待った方がいいのではないかと思っているが、正直ここがマトモな空間なのかもわからない以上、何時間と待ったところで永遠に夜が明けない可能性もある。いたずらに時間を失うだけにもなりかねない」

 

「私はアナログの腕時計をしているし、電気製品は当てにならないものの一応スマホの時計もある。とりあえず夜が明けるのを待ってみて、いよいよ空の色に変化がないとなればそれから動き出すのでもいいかもしれないな」

 

「わかった、ならばそうしよう。夜明けを待つのに一番マシそうな建物を急いで探すぞ」

 

 壁に開いた大きな穴をくぐって廃屋から出て、また杠葉さんを先頭にして歩き始める。もはや言うまでもなさそうだが、私は一番後ろだ。

 二つ前を歩いている小夜ちゃんの指先が黒ずんでいることに気がついて、声をかける。

 

「小夜ちゃん、なんか手が汚れてますよ」

 

 小夜ちゃんが歩きながら振り返り、手を上げて答える。

 

「これ? 呪いとかオバケとかを封印すると、どんどん先っちょから黒ずんじゃうの。黒くなっちゃったパーツはあとでお母さんに取り換えてもらうから、大丈夫だよ!」

 

「あ、そういう……なんかばっちい物を触って、そのままなのかと思いました」

 

「あー。そういえばさ、こないだ公園の砂場で遊んでたら猫のうんち握っちゃった。ぎゅって!」

 

 東根先生が振り返り、「砂場では遊ぶなといつも言っているだろう」と眉をひそめて小夜ちゃんに言うが、小夜ちゃんは気にせずに「ブランコの前にある鉄でできた手すりみたいなのをつかんだら、鳥のうんちがついててびちゃってなったこともある!」と言って笑う。

 しかし、小夜ちゃんの外見が小っちゃい男の子とかだったりしたら凄くかわいかったかもしれないが、十代後半の良いところのお嬢さまって感じの容姿なので公園の砂場やブランコで遊んでいたらめちゃくちゃ悪目立ちしそうだ。

 どういう基準で選んでいるのかは知らないが、廃屋の外観やその周辺を確認しては杠葉さんが「ここは駄目だ」と言ったり、東根先生が「比較的防衛しやすい造りだが、一度侵入されたら退路がないな」などと言う。

 私にはよくわからなかったので、久しぶりに復楽苑(ふくらくえん)のチョコレートラーメンかホワイトチョコレートラーメンが食べたいななどと考えながら、ぼうっと最後尾を歩き続けた。

 

「アア~……ウア~……」

 

 後ろから変な声がして、ズリ、ズリと引きずるような足音が聞こえてくる。

 あれ、私の後ろには誰もいないはずだよな? と思い、とっさに振り向く。

 海外の映画とかに出てくるような感じの、ザ・ゾンビみたいな姿をした男が()びた(なた)と、変な方向に曲がった片足を引きずりながら歩いてきていた。すでに辺りは暗くなっていたが、高性能なヤマコアイのせいでキモいゾンビの姿がくっきりと見えてしまう。

 

「ひょえっ……!?」

 

 悲鳴を上げて立ち止まると、すぐ脇に建つボロボロの廃屋の窓から(かま)を握った細い腕が伸びてきて、私の居る方を目掛けてブウンと鎌を振ってくる。

 

「ひょわあっ!?」

 

 びっくりして仰け反るが、しかし、そもそも鎌はまったく私に届いていなかった。

 杠葉さんが振り返り、素早く状況を確認して言う。

 

「ヤマコは東根と終日(ひねもす)から離れるな、すぐそばにまで近づかれた時にだけ対処しろ」

 

 杠葉さんが霊符を取り出して、古語や難しい言葉が多くてよく聞き取れないものの、多分退魔(たいま)呪言(じゅごん)(とな)える。

 すると、後ろから来ていた鉈を持ったゾンビがすうっと消えて、錆びた鉈が未舗装の土の道路に転がった。

 

「ヤマコや人形はともかく、人間は夜目が()かないからな。このまま暗い中を歩き回っていたら間違いなく事故が起きる。もう寝床を吟味(ぎんみ)する余裕はない、とりあえず近くでマシそうな廃屋を選んで入るぞ」

 

「坂の上に見える、あの二階建てはどうだろう? 低いところよりは高いところの方が有利だし、あれも廃墟なのだろうが他の家々よりかは幾分立派な造りに見える」

 

「そうだな、そこを目指そう。慌て過ぎても事故に繋がる、今までと同じように列になって歩いて向かうぞ。今みたいな怨霊やらを見かけたらすぐに周りに報せろ、距離があれば俺が対処するが、気づかない内に近づかれていた場合はヤマコがやれ」

 

「はいっ!」と元気よく手を挙げて、小夜ちゃんが言う。

 

「オバケなら小夜もワンタッチで収納できます!」

 

「やつらがどれだけ居るのかはわからないが、万一ヤマコがカバーし切れないような状況になったらお前にも対処を手伝ってもらう。だが、そうなるまでは俺とヤマコに任せていい。お前の場合は器に霊魂を封じるという特性上、対処できる総数に限界があるはずだ。いざという時の備えとして温存しておきたい」

 

「温存!? つまり、小夜は最終兵器!? 一番強いってこと!?」

 

「ああ。とにかく立ち止まっている暇はない、行くぞ」

 

「うおおっ、小夜が最強だ!」

 

 はしゃぎ始めた小夜ちゃんを適当にあしらって、杠葉さんが再び歩き出す。杠葉さんの後ろを歩きながら、東根先生が「不可解だな」と呟いた。

 

「何がですか?」

 

「いや……幽霊が武器を持っているパターンというのは稀にあるが、その場合は武器も質量を持っておらず、実在していないのが普通だ。たとえば八王子城跡の裏山で刀を持った武士たちの霊に斬りかかられたことがあるが、奴らの刀は私の身体をスカスカとすり抜けていた。だが、ここに居る幽霊どもは錆びてボロボロになっているとはいえ、質量を持った本物の武器を扱っている。私も経験したことのない事例だよ、実に興味深い。推論だが、手に持っているように見えるから不思議に思えるだけで、いわゆるポルターガイスト現象なのだろうな……実際には手で持って動かしているわけではなく、物体をプラズマで包み、宙に浮かせて操っているわけだ」

 

「えーと、私から聞いておいてアレですけど、よくわかりませんでした。あと、武士のオバケに斬られた話はさすがに嘘くさいです」

 

「む、失敬な。確かにあまりにもベタだという意味では疑わしく感じられるかもしれないが、数年前に私が実際に体験した出来事だぞ」

 

「うーん……いえ、東根先生がそんなつまらない作り話をするはずがないってことはわかっているんですけど、でも、やっぱりベタすぎて……」

 

「わかった。ならばここを脱出したら、八王子城跡の裏山に一緒に行こうじゃないか。私が嘘をついていないと証明してやろう」

 

「あ、それは結構です。東根先生とお出かけなんてなるべくしたくありませんし」

 

「むう……確かに先日の温泉では少々はしゃぎ過ぎた自覚はあるが、もしかしてだが、私が絶対に傷ついたりしないと勘違いをしていないか?」

 

「あ。分が悪くなるとそうやって急に同情を引こうとしたりするの、サイコパスの特徴だってこないだユーチューブで見ました」

 

「ほう、今のは中々良い(あお)りだったぞ。少しカチンときた」

 

「え? や、八つ当たりとかしないでくださいね? の、呪いをかけるとか……」

 

「私は『呪い破り』だから呪いをかけたりはしないし、呪い返しすらも行わない主義だ。それに、そもそもヤマコのような大妖(おおあやかし)を呪ったら私の方が死んでしまうだろう。とはいえ、いくらヤマコが強かろうが所詮はさくらんぼだからな、何かうまい仕返しを考えておこう」

 

「ええっ、そんなっ!? ちょ、ちょっとした冗談じゃないですか、本気にしないでくださいよ! 誤解ですよ、誤解!」

 

「ふむ。都合が悪くなると誤解だと言うのも、確かサイコパスの特徴じゃなかったか?」

 

「私がサイコパスのわけないじゃないですか!」

 

「まあ実際にはヤマコは妖怪なわけだが、もしもその性格で人間だったら間違いなくサイコパスだな」

 

「エッ!?」

 

 んんんっ!? どういうことだ? 私は人間だぞ?

 東根先生は変態でサイコパスで駄目な人だけど、でも高い教養のある、いわゆる知識人(インテリ)って人種だ。

 そんな東根先生が断定するほど、私ってサイコパスっぽいのか?

 

「えっ、えっ、それってつまり、私ってサイ――」

 

「ヤマコ、東根、いつまで無駄話をしているつもりだ? 報告以外で声を出すな、周囲の音を聞き漏らす可能性が高くなる」

 

 杠葉さんが前を向いたまま文句を言ってきて、私はごにょりと口ごもる。

 しかし、冷静に考えてみれば東根先生がいくら頭が良かろうとも、お医者さんですらないのだし見誤ることはあるだろう。やっぱり、どう考えても私がサイコパスだなんてことはありえないと思う。

 東根先生とおしゃべりをしている間にそこそこ歩いてきていたようで、気づけばもう坂を上りきるところだった。

 坂の上に建つ廃屋は近くで見ても大きくて、立派な造りをしていた。背の高い木製の板塀(いたべい)に囲われているため二階部分しか見えないが、そもそもこの廃村に来てから二階がある家を初めて見た気がする。改装してカフェにでもしたら可愛くなりそうな感じの古民家で、壁にも外からぱっと見てわかるような隙間は見当たらない。

 そのまま板塀に沿って歩いていくと、木製の門が見えてくる。

 私と東根先生がそこそこ大きな声で散々おしゃべりをしていたので今更感はあるものの、声を抑えて杠葉さんが言う。

 

「門が閉ざされている。人かあやかしかはわからないが、誰か中に居るかもしれない」

 

「ほう、針金が巻かれているな。おや? この呪符(じゅふ)には見覚えがあるぞ」

 

「我流にしても、でたらめ過ぎるこの呪符にか? しかも、プリント用紙のような紙に印刷してあるように見えるが……」

 

 杠葉さんと東根先生の会話が気になって覗き見てみると、西洋風の魔方陣の上に昔の漢字みたいな文字と妖怪の顔みたいな絵が細い筆で書いてある謎のお(ふだ)が、閉ざされた門の中央に太い針金で巻き付けられていた。

 針金は錆びているが、お札はほとんど汚れておらず新しい物に見える。

 

「これは最近の月刊△ーの付録だ。確か、持っているだけで素敵な恋人ができたり宝くじに当たったり出世したりするという触れ込みだった。何にせよ、こんな物を実際に持ち歩いているとなるとまともな相手じゃないな。失踪したニシキリアンたちかもしれない」

 

「だろうな。どうする? 無理やり侵入する前に一度、外から声をかけてみるか?」

 

「だが、この廃村の幽霊どもが見た目通りにゾンビ的な特徴を有しているのだとすれば大きな声を出すのは危険かもしれないぞ。ブードゥー教のゾンビではなくアメリカ映画のゾンビの話だが、音に集まってくるタイプはメジャーだろう?」

 

「そもそも、映画のゾンビが実在するとは思えないが……しかし、本物の武器を使っていたしな。俺もここの幽霊のような幽霊は今まで見たことがないし、確かにどのような特徴を持っているのかはわからない。だが、黙って侵入したらしたでそのニシキリアンとやらに攻撃されるかもしれないぞ?」

 

「そうだな。失踪したニシキリアンたちが立てこもっているのだとすれば、黙って侵入したら容赦なく致命傷を狙ってきそうだ。ここの幽霊どもだが、見た目と歩き方こそゾンビっぽいものの、そもそも霊体な上にゾンビが武器を使うパターンはかなり珍しいし、やはり普通のゾンビとは違う気がしなくもない。どちらにしろリスクはあるが、ニシキリアンたちに殺されては元も子もないし声をかけてみるか」

 

 そう東根先生が決断したところで、門の向こうの廃屋の方からカラカラカラと引き戸を動かすような音が(かす)かに聞こえてきた。

 そして、カサ、カサ……という控えめな足音が二つ、ゆっくりとこちらに近づいてきて門の前で止まる。

 姿は見えないが、野太い声質(せいしつ)の――おそらく壮年くらいの男性が、門越しに話しかけてくる。

 

「あの……もしかして、東根先生ですか?」

 

「そうだが、オフ会ツアー中に失踪したニシキリアンか?」

 

「そ、そうです、今開けますっ……!」

 

 左右の門扉を固定している針金がきしきしと音を立てて、上下に小刻みに動く。内側からニシキリアンの人が針金を外そうとしているのだろう。

 板塀の角から、「ウア~……」と(うめ)きながら斧を持ったゾンビが一体姿を現した。杠葉さんが霊符を構えて呪言を唱え始めるが、ゾンビは足を止めると右手に握った斧を振り上げる。

 すると次の瞬間、こちらに刃を向けた状態で、斧が私の顔面を目掛けてビュンッと一直線に飛んできた。東根先生がさっき言っていた『実はポルターガイスト説』を裏付けるような不自然な飛び方だ。

 

「ほわあっ!?」

 

 と叫んだまま()(すべ)もなく固まっていると、何か細長い物が私の鼻先をヒュンと通り過ぎて、キィンッという金属音とともに斧があさっての方向に(はじ)き飛ばされる。

 

「危なかったでござるな」

 

「ねるこちゃんっ!」

 

 いつの間に入手していたのか、どこかで拾ったらしい()び錆びの鉄パイプを両手で握ったねるこちゃんに思わず抱きつく。本当に死んじゃうかと思った。

 というか、高性能なヤマコアイをもってしてもねるこちゃんの振った鉄パイプの動きがほとんど見えなかったのだが、もしかしてねるこちゃんって強いのだろうか? ブシドーとかカタカナっぽく言っているのに……。

 

「た、助けてくれてありがとうございます! ところで助けてくれたということは、私が人間だって信じてくれたってことですよね!?」

 

「たとえ山田氏の正体が何であれ、助けない理由にはならないでござるよ。命は等しく命、友は友ということに変わりはないでござる」

 

「えっ……!? あ、あの、凄くいいことを言っているのはわかるんですけど、人間だって信じてほしいです!」

 

「フ……今まで妖怪や幽霊なんて話はまったくの戯言(たわごと)だと思っていたでござるが、こんなに身近にいたとは驚きでござるよ。隣の席に座っていながらまったく気づかなかったでござる」

 

「いや、あの、私にんげ――」

 

「パパ上と、ママ上に謝らねばならないでござるな。実際に今日のようなことがあった以上、ママ上の失踪も本当に神隠しだったのかもしれないでござる。それがしはずっとパパ上がだらしないせいでママ上が出て行ったのだと思っていて、ママ上はそれがしを捨てたのだと思っていて……それがしはママ上を捜そうともせず、ママ上を捜そうとするパパ上の活動も否定していたのでござる。だけど、もしもママ上がママ上の意思とは関係なく、今のそれがしたちのように事故に遭うように消えてしまったのだとしたら……本当はママ上がそれがしを捨てたのではなく、それがしがママ上を捨てたということでござろう。あまりに情けない話でござるよ、弱さゆえにママ上の愛情を疑い、己が価値を疑い……せめて、今後の人生を()けてママ上を見つけ出す所存でござるが、そのためにもまずはこの村から生きて帰らねばならないでござるな」

 

「あ、う……」

 

 どうしよう、ねるこちゃんが私を妖怪だと思い込んでしまっているみたいだが、なんだかシリアスな雰囲気が邪魔をしてこれ以上は主張しづらい。

 おろおろとしているうちに針金が外されて、門扉が開かれる。

 門の内側には四十台くらいの無精ひげを生やしたおじさんと、二十台くらいの眼鏡をかけたノッポの男の人が立っていて、二人とも早く入ってこいと言うように高速で手招きをしていた。

 杠葉さん、東根先生、小夜ちゃん、ねるこちゃん、そして最後に私という順番で全員が門をくぐると、おじさんたちが素早く門扉を閉ざして再び針金を巻き始める。

 東根先生が首をひねり、おじさんたちに問いかける。

 

「それは意味があるのか?」

 

 無精ひげのおじさんが一瞬だけ東根先生を見やり、針金を巻く作業を続けながら(かぶり)を振って答える。

 

「正直わかりませんが、やらないよりかはいいかと……ああ、気づいていらっしゃるかもしれませんけど、あのゾンビみたいなやつらですが、見た目通りと言いますか音には結構敏感なので気をつけてください……あの、先生は我々を助けに来てくださったんですよね? 本当になんとお礼を言ったらいいか……」

 

「ああ、この私が大事なファンを見捨てるわけがないだろう? しかし、どうにかここまでやって来て、こうして合流もできたが……実を言うと、脱出方法はまだ調査中だ。暗くなってしまったから続きは明日にしようということになったのだが、念のために聞いておくが待っていれば普通に朝が来るのか?」

 

「ええ、朝は来ます。ですが、ここは普段我々が暮らしている世界とは異なる次元にある、異質な空間だとも思います……我々がそう判断した理由については、あとで家の中でお話ししますが……脱出方法というか、この空間の出口についても一応、ここかなと思う場所があるにはあるんですが、正直なところ先生がいらっしゃっても辿(たど)り着けなそうです」

 

「ふむ。なぜそう思う?」

 

「物凄い数のゾンビどもが通せんぼしているんですよ。それこそ、最近流行りの海外ドラマのワンシーンさながらに……」

 

「ほう……興味深いな。噛まれたくはないが、私はゾンビ物も結構好きだし、生でそのような光景を見られること自体は純粋に楽しみだ。何年か前にダ〇ルに憧れてバイクの免許を取ろうとしたが、教官と喧嘩になって教習所に行くのを途中でやめたことがある」

 

「先生らしいエピソードですね……」

 

 おじさんがふうっと息を吐いて、眼鏡の人とほぼ同時にこちらに向き直る。どうやら作業を終えたようだ。

 眼鏡の人がおじさんに「じゃあ、とりあえず戻りましょうか」と言い、おじさんが「ああ、みんなが不安がっているだろうしな」と頷く。

 おじさんが私たちを順々に見て、「ではついて来てください」と言って先に立って歩き始めた。

 歩きながら、東根先生が前を行くおじさんに訊ねる。

 

「そういえば、なぜ私だとわかったんだ?」

 

「ああ、外から話し声がかすかに聞こえてきまして、二回くらい東根先生って聞こえたので、もしや先生が我々の救出に駆けつけてくれたのだろうかと思いましてね。二階から外を覗いても暗いし距離があるしで顔まではとても見えませんでしたし、実を言うと門を開けるまでは何か恐ろしい化け物が我々を(あざむ)こうとしているのかもしれないとも思っていたんですが……どっちみち余裕もありませんでしたし、ここに賭けてみようと思って開けたんですよ。そうしたらサイン会や講演会でお会いしたままの東根先生が立っていたので、安心しました」

 

 玄関の前で足を止めて、比喩(ひゆ)でなく実際に手で胸をなでおろしつつ、おじさんが東根先生を見て疲れた笑みを浮かべた。

 そして、おじさんが玄関引き戸に手をかけようとしたところで、東根先生が意地悪い笑みを浮かべて余計なことを言う。

 

「記憶を読むことができて、姿形までを変えらえる化け物が私に擬態している可能性や、そもそも幻覚を見せられているといった可能性は考慮しなかったのか? そんなわけはあるまい、何せお前たちはニシキリアンだ」

 

「それは……もちろん、考えました。正直に言うと、現在進行形でそういった不安はあります」

 

「お前たちは私に憧れているのだろう? ならば、死ぬまで決して心を折るな。私は本物の東根(にしき)だが、私がお前たちの立場だったならもっと慎重に確認したぞ。どんなに疲れていて、余裕がなかったとしてもだ」

 

「う、すみません……」

 

「まあ、(しん)のニシキリアンを目指して精進することだな」

 

「はっ、はい! ありがとうございます!」

 

 真のニシキリアンが何なのかもわからなければ、最後におじさんが(ゾンビたちは音に敏感だから気をつけろとか言っていたのに)大声でお礼を言った意味もよくわからなかったが、一つだけわかったことがある。

 私はすすすっと杠葉さんのそばに寄り、背伸びをして耳もとに(ささや)きかける。

 

「杠葉さん、杠葉さん。おじさんが外から東根先生って聞こえてきたから門を開けてくれたって言ってましたけど、東根先生の名前を口にしたのは私ですよ。つまり、スムーズに、無事にニシキリアンさんたちと合流できたのは、私がおしゃべりをしていたおかげってことです!」

 

「黙れ」

 

「あだっ!?」

 

 バシッと側頭部をど突かれた。

 ()めてもらおうと思ったのに、()せぬ……。




【 バケツこそこそ話 】
作中に登場した映画や音楽はどれも実在しますが、ただ単に私の好きな物を並べたわけではなく、ちゃんとキャラクターの趣味やバックボーンなどを考慮して選んでいます。
キャビンはホラー好きではない人が見たらむしろ駄作に感じるのではないかと思いますが、ホラーが大好きで仕方ない東根先生からしたらディ〇ニーランドみたいな作品です。夢の国です。
車内でかかっていた曲の半分くらいはそのバンドの全盛期の曲ではなく、音楽通からの評価が低い曲をあえて選んでいたりします。なぜかといいますと、東根先生が曲の完成度や演奏技術なんかよりも歌詞とバンドマンのルックスに興味があるというタイプだからです。
東根先生はロマンチストなので、ロマンチックな歌詞の曲が好きです。一緒に死のうというフレーズに究極のロマンチシズムみたいなものを感じます。多分ですけど、クラシックならショパンの幻想即興曲とか雨垂れとかが好きそうです。
ちなみにですが、「アンダー・ザ・ローズ」というフレーズには「秘密に」「内緒に」といった意味がありますが、車内でかかっていた曲(H.I.M / Under the rose)の場合はそのまま供えられた薔薇の下、つまりは墓の下という意味で用いられているのでヤマコちゃんの解釈で合っています。
あと、実は東根先生も結構ト〇ロが好きです。お話の内容というよりも、家が廃墟風なところと、大ト〇ロの顔が単純に好きって感じですが!


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合流! ニシキリアンズ!

いつもよりもだいぶ短いですが、なんかキリが良さげでしたので投稿しちゃいました!
そして皆さんいつも評価やご感想、本当にありがとうございます!!!(前話の返信をまだ書いていませんが、後ほどお送りします!)
本当に励みになっていますので、うまいこと書けないからなどと遠慮せずになんか書きたいなーと思ったら何でも書いちゃってください! 何にも思いつかない時は最近食べたスイーツとかご飯の話なんかでも私は嬉しいです、スイーツや食べ物関連の情報はこの作品にも活かせますし! 何よりも、読んでくださってる方がいるんだなあというのが何というか実感として湧くので、本当にやる気に繋がっています!
多分誰からも何の反応もなかったらすぐに書くのをやめちゃっていた気がしますし、本当に感謝です!

ゾンビ村編(今考えた適当なネーミング)なかなか終わりませんが、次また長めにしてどうにか終わるかな~という気持ちでいます。気持ちですけど!
なるべく早く出しますので今後ともよろしくお願いいたします!


 廃屋の二階に上がると板張りの大広間に大勢のニシキリアンたちがおり、各々布団に横たわっていたり、囲炉裏(いろり)の火をかこんで座っていたりした。とはいえ皆一様に元気がない様子で、中には眠っている人もいる。

 東根(ひがしね)先生の姿を確認するや(いな)や、数名のニシキリアンが感涙にむせび東根先生を拝みだしたのにはびっくりしたが、今はとりあえず挨拶も済ませて、ニシキリアンの人たちが押し入れから出して敷いてくれた布団((ほこり)っぽくてカビくさい……)の上に座って落ち着いたところだ。

 

 どうやらこの集団のリーダー格らしい、先ほど門を開けてくれたおじさんが杠葉(ゆずりは)さんを見て言う。

 

「まさか冷光(れいこう)家のご当主が助けに来てくださるとは……冷光家と言えば代々(はら)い屋を営んできた家々の中でも一番の名家じゃないですか。あんなにゾンビが沢山いてどうしようかと思っていましたけど、どうにかなるかもしれませんね」

 

 東根先生が「まあ、没落しているがな」と即座につっこみ、杠葉さんがイラっとした顔をして、リーダーのおじさんは居心地悪そうに視線を泳がせる。

 少しの間をおいて、リーダーのおじさんが再び杠葉さんと目を合わせて話し始める。

 

「我々はほとんど食糧(しょくりょう)がないままここに来て、もう一週間も経ちます……廃村の外には川や植物なんかもありますし、食べようと思えば何かしら食べられるのかもしれませんけど、持ってきていた飲料をほんの少しずつみんなで分け合いながら飲んでいるくらいで、井戸の水にも手を出していません。専門家である先生方ならお分かりでしょうけれど、『黄泉竈食ひ(よもつへぐい)』が怖いので……ここがおかしな空間だということには、幸いなことにすぐに気がついたものですから」

 

「なるほど、参考までにそうお考えになられた根拠をお聞かせいただいてもよろしいでしょうか?」

 

「それなんですが、この家の一階を探索していてこれを見つけまして……」

 

 そう言ってリーダーのおじさんが、見るからに古そうな色()せた封筒を杠葉さんへと差しだす。

 杠葉さんが受け取った封筒を確認していると、脇から東根先生が手を伸ばして封筒を(かす)め取り、声を上げる。

 

六ツ尾(むつお)だと……!? ダム湖に沈んだはずの、六ツ尾集落か!?」

 

 イラついた表情の杠葉さんに怯えつつ、リーダーのおじさんが頷いて東根先生に言う。

 

「ええ、同じ住所に宛てた手紙が他にも沢山ありましたから、ここが六ツ尾集落ということで間違いないと思います。とっくに水没したはずの六ツ尾集落がどうしてこんな風に現れたのかはわかりませんが……」

 

「素晴らしい、あの六ツ尾事件の現場をまさかこの目で見られる日が来るとは思わなかった。そうなるとだ、ここには六ツ尾事件の真相に繋がる手がかりが眠っている可能性があるな」

 

「ゾンビどもが居なくて、飲み物や食べ物を用意して来られればそれを調べるのも楽しそうですけどね……」

 

 ねるこちゃんが首をかしげて、「オムツ事件って、いったい何のことでござるか?」と誰にともなく質問する。

 リーダーのおじさんの後ろで囲炉裏をかこんでいた三人の内の、もじゃもじゃ頭のお兄さんが「フヒッ、六ツ尾事件は――」と話し始めた途端に、もう二人が同時にもじゃもじゃ頭をバシンッと思い切り引っぱたいた。

 そして、眠っている人ともじゃもじゃ頭を除いたニシキリアン十三名の視線が東根先生に集まると、オホンとわざとらしく咳払いをして東根先生が口を開く。

 

「六ツ尾事件は昭和十一年の二月十一日にここ六ツ尾集落で起きた、ダム建設賛成派と反対派に割れた集落の住人たちが互いに殺し合ったという恐ろしい事件だ。生存者は雨ヶ嵜(あまがさき)カヤという名の当時22歳だった女性一人だけで、集落から逃げてきた彼女が隣町の駐在所に駆け込んだことで事件が発覚した。実際には六ツ尾集落はダム湖の底に沈んでいるはずというか、そもそも沈める前に建物などは取り壊したのではないかと思うのだが、どういうわけかここにはかつての姿のまま存在していて、集落の住人たちは死霊(しりょう)になっても獲物を探しさまよっているというわけだ」

 

「お、恐ろしい事件でござるな……」

 

「私や、ニシキリアン(彼ら)がなぜこの事件に強い関心を抱いているかというとだ、生存者が一人しかいないという点があまりにも不自然だからだ。少なくとも一人は勝者がいるべきなのに、それもいない。最後に相打ちになったのだとしても、致命傷を免れた住人が一人もいないというのがそもそもおかしい。素人がしっちゃかめっちゃかに殺し合って、全員が確実に死ぬだろうか? 最後に残った勝者が他の全員が死んだかどうか確認して回りでもしない限り、まずありえないだろう。雨ヶ嵜カヤ以外の住人全員の遺体が確認されている以上、少なくとも雨ヶ嵜カヤは最後の勝者となった一人を殺害してから駐在所に行ったはずだと思うのだが、なぜか彼女は特に疑われなかった」

 

「なるほど、確かに不可解な話でござるな」

 

「だろう? それに加えてだ。雨ヶ嵜カヤが当時まだ若く、しかも集落で一番の美人だったという話が残っていてな。何と言うかまあ、オタク受けがいいんだ」

 

「身も(ふた)もないでござるな……」

 

 と、呆れた顔をしつつもねるこちゃんが納得したのを見て、杠葉さんが「それでは」と話を仕切り直す。

 

「先ほどこの空間の出口についても当てがあると仰っていましたが、お聞かせ願えますか?」

 

「ああ、はい、勿論(もちろん)です。この廃屋が建っている高台を下りて、廃墟が沢山建ち並ぶ集落の奥の方へと進んでいきますと、突き当たりに古めかしい石段がありまして……見たところ神社か何かに続いていそうな感じの石段なんですが、それが異常に長いんですよ。雲といいますか、霧に呑まれて上の方が見えなくなっていましてね……はっきりとした根拠はないんですが、見た瞬間にこれが出口だろうなと我々は思いました。十五人、全員の意見が一致したんです。ですがその、先ほども言ったように……」

 

「大量の死霊が階段の上り口を塞いでいるわけですか」

 

「はい……見たところ六ツ尾事件の際に集落で亡くなられた、ほとんど全員分くらいの数でした。人間がそばに行くと追ってきて危険なので全部数えたわけじゃないですけど、多分、少なくとも50か60くらいはいたんじゃないかなと……あれらが映画のゾンビみたいに伝染(でんせん)するのかはわかりませんが、()びているとはいえ鉄でできた武器を持っていますからね。石段も長い上に一段一段がかなり高そうでしたから、ただでさえ空腹と疲労で体力のない私たちがスムーズに上っていけるとも思えませんし、どうにか階段を上り始めても途中で追いつかれて殺されてしまうんじゃないかと危惧(きぐ)していまして……」

 

「ふむ、事情はわかりました。朝になって現場を見てみないことには何とも言い切れませんが、あの程度の死霊が数十いるというだけであれば、おそらくは冷光(うち)の式神で対処できるだろうと思います」

 

 予期せぬ話の流れに私は思わず「えっ?」と声を漏らすが、杠葉さんはこちらを見もしない。

 え? だって、50体以上のゾンビだぞ? いくらスイちゃんパワーが強いと言っても、体力は特に増強されていないし、一度にそんなに沢山のゾンビをやっつけられるはずがない。しかも、ゾンビたちは武器を持っているから妖力(ようりょく)パンチを当てるのにも苦労しそうだ。

 リーダーのおじさんが少年のように目をきらきらとさせて、杠葉さんに訊ねる。

 

「式神ですか! ずっと見てみたいと思っていたんです、今ここに居るんですか!?」

 

「ええ。この少女のような外見のあやかしが、私が知る限り(もっと)も強力な式神です」

 

 そう言って杠葉さんが私を横目で見やると、リーダーのおじさんだけでなくニシキリアンの人たちが一斉(いっせい)に私を見て、銘々(めいめい)に所感を述べる。

 

「これが本物の妖怪!?」

「いったいどうしてそんな若い子たちを連れているのかと思っていましたよ」

「その圧倒的に()えな――ああっと、普通の容姿をしたあやかしが最強なんですか?」

「いや、地味なのは利点にもなるし、時と場合に応じて姿を変えられるのかもしれないぞ」

「初めて妖怪を見た……」

「しかし、初めて見る妖怪がこんな普通の姿っていうのはちょっと残念でもあるな」

「たしかに」

 

 室内のざわめきが落ち着いてくるのを待って、杠葉さんが改めて言う。

 

「確かに瞳の色を除けば、外見こそ普通の人間の娘と変わりありませんが……これの実力は保証します。これを使っても突破できない状況なのであれば、全国の祓い屋が集まったところでおそらく突破できないでしょう」

 

「そこまで……」

「冷光の当主がそこまで言うのなら安心かもな」

「見た目はこんなに普通なのにな」

「そもそも、祓い屋とか式神って本当の話だったのか……」

「馬鹿野郎、信じてなかったのか? メルマガにも書いてあっただろ?」

 

 などと、ニシキリアンたちがまたぞろざわめく。

 しかし、どいつもこいつも人のことを見て普通普通とうるさいな。まあ、あくまでも妖怪にしては普通の容姿だという意味で言っているだけであって(そもそも私は人間だけど!)、美少女だとも思っているのだろうが……こいつらみたいなオタクって素直に女の子の容姿を褒めたりとかってしなそうだもんな、ひねくれた態度がカッコイイとでも思い込んでいるに違いない。

 もじゃもじゃ頭がねるこちゃんと小夜ちゃん(さっきから眠たそうにしている。)を見つつ、杠葉さんにだか東根先生にだか訊ねる。

 

「こちらの可愛い金髪のお二人も、もしかして式神なのでござるか? フヒッ」

 

 え? あれ……?

 もじゃもじゃ頭はオタクなのに素直に女の子の容姿を褒めるんだな……。もしかして、さっきももじゃもじゃ頭だけは私の容姿を褒めていたのだろうか? 大勢が話していたせいか、聞き逃してしまったな。

 というか、この人もござる口調なんだな……流行っているのかな?

 

 東根先生が小夜ちゃんを指さして、「これは私の式神だ。私が作った生き人形を術で付喪神(つくもがみ)にして、それと契約を結んだ」と答えると、ニシキリアンたちから「さすが御大(おんたい)!」「我々にはできないことです!」「一生付いていきます!」などと声が上がる。

 なんだよ、御大って……。

 

「こっちの金髪の子は説明が難しいのだが、妖怪などではなく、人間の武士だ。この緑色の目をした冷光の式神は人間の真似(まね)をして学校に通っているのだが、そこで友達になった子らしい。成り行きで同行してもらっている」

 

「ほう、可愛いので妖怪かと思いました」

「いやはや、妖怪が学校に通っているのですか、驚きです」

「目を惹かない地味な外見で、人間の真似をして学校に通う妖怪……しかも最強となると、何だか恐ろしいですね」

「ござる口調に鉄パイプがよく似合っているでござる、フヒッ!」

 

 ん? 今、もじゃもじゃ頭とは別のニシキリアンもねるこちゃんの容姿を褒めた気がしたが、気のせいか?

 いや、気のせいだよな……私だけが褒められないなんてことはないはずだぞ、さすがに。

 リーダーのおじさんが他のニシキリアンたちに静かにするようにジェスチャーで促して、改まった調子で杠葉さんに言う。

 

「えーそれでは、夜が明けたらまずは階段の近くまで行ってみるという感じでよろしいでしょうか?」

 

「ええ。皆さんの体力的にもいつ限界がきてもおかしくありませんし、急ぎましょう」

 

「場合によってはそのまま脱出という流れにもなりますかね?」

 

「勿論、可能であればそうするつもりでいます」

 

「そうなりますと、全員で向かった方がいいんですかね? それとも、最初は我々を抜きにして様子を見に行かれますか? その方が動きやすそうではありますけど……」

 

 杠葉さんは少し考えてから、私をちらりと見て言う。

 

「確かに少人数の方が動きやすくはありますし、全員で行ったもののすぐには脱出できないということになれば無意味に皆さんの体力を消耗させることになります。ですが、先ほどご説明した通り、今回連れてきた式神は私や東根さんが今まで目にしてきたあやかしの中でも極めて強力な大妖(おおあやかし)です。どのような状況であれ、これの力を用いれば打開できるという確信が私にはあります」

 

 リーダーのおじさんが杠葉さんの目を見て、「頼もしい限りです。わかりました、全員で向かいましょう」と深く頷く。

 

「では、何かあったら起こしますので、皆さんは朝までお休みになられてください。これまでも我々は昼夜を問わず二人ずつ交代で見張りを立てていたので慣れていますし、明日は大変でしょうから今晩のところはお任せください」

 

「申し訳ありませんが、それではお言葉に甘えさせていただきます。明日は必ず、全員で脱出しましょう」

 

 最後に杠葉さんが力強くそう言うと、ニシキリアンの人たちが少し安心したような表情を見せる。

 なんか、「いやいやいや、50体以上もゾンビがいるんですよ? 私そんなにやっつける自信ないですよ、無理ですって絶対に!」とか言えない雰囲気だな……。

 

 私はいつも通り考えるのをやめて、ぐっすりと寝た。




【 バケツこそこそ話 】
授業参観の日にねるこちゃんがパパ上にお見舞いした瞬時に耳と手首と膝を続けて打つ技ですが、実は私も使える実在する技です。
膝の力を全部抜くことで、膝が沈み切るまでの一瞬だけちょっぴり無重力風な状態になります。その一瞬は手にした武器の重さが実質なくなるのです。
無重力風時間が始まると同時に木刀の切っ先を跳ね上げて(最初は切っ先を地面に向けておいて、柄尻を弾いてシーソーみたいに跳ね上げるのがカッコイイです。)、向き合った相手の左耳、右手首、左膝(左右は逆でも大丈夫です。)というような順番で、高い部位からピカ〇ュウの尻尾の形に打ちます。
耳を打ち三半規管を麻痺させ、手首を打ち武器を落とさせ、膝を打ち機動力を奪いという感じで相手を無力化することができます。
私が趣味で通っていた古武術道場で教わった技なのですが、技の名前はうろ覚えです!(私は「ピカ〇ュウの尾」と呼んでいました。)

関係ないんですけど、この古武術の道場に初めて行って最初に師範と木刀を使って稽古した際に、師範から「気持ち悪いな、なんだろう、なんか構えが凄く気持ち悪い」とか、「目つきが異様で〇されるかと思った」とか言われました。(私のことが嫌いだったんですかね?)


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迷霧

お待たせしすぎましたが、やっとこさ更新しました!
なんか気づいたら凄く長くなっていて、さすがに長すぎて一話にまとめたら読みにくいんじゃないかろうか的なことを思ってしまったので急遽半分にわけました!
なので夜も更新します!


【 杠葉(ゆずりは) <●> ― <●> 視点 】

 

 

 日が昇り、廃屋(はいおく)の二階で出発の準備を整えた一同を前にして宣言する。

 

(あらかじ)め断っておきますが、こちらの指示に従わない方や、勝手な行動を取る方までを守る余裕は正直ありません。ただでさえ人数が多く事故などが発生しやすい状況ですから、慌てずにしっかりと一列になって歩いてください。できるだけ()けますが、トンネルや建物の中などといった暗い場所を歩くことになった際には、必ず前の人のリュックサックか肩に片手を置いて歩いてください。それと私語は謹んで、報告すべき情報があればすぐに報告してください。基本的に死霊(しりょう)などは私か私の式神が対処しますが……これは一度だけ死霊やあやかしから身を守ってくれる護符(ごふ)です。人数分きちんと用意してきております。皆さんに一枚ずつお貸しいたしますから、緊急の際も落ち着いてパニックを起こさないように徹してください。必ず我々が守ります」

 

 俺が()()東根(ひがしね)終日(ひねもす)以外の人たちに配っていると、ニヤニヤと口元を歪めた東根が「私はわかっているぞ」というような視線を向けてくる。

 だが、俺ができれば全員を生還させたいと思っていることも理解しているのだろう。さすがにこの場で口を挟んでくるようなことはなかった。

 実際、使わずに済めばいいが。

 

「……では、先ほど決めた順番通りに列になってください。小山田(おやまだ)さん、大丈夫でしたら出発してください」

 

 そう声をかけると、東根のファン集団のリーダーである小山田が「は、はい」と緊張した様子で(うなず)く。

 小山田が先頭で、その後ろに俺、東根、人形、その他の東根のファンたち14名、終日、ヤマコという順に並ぶ。万一東根のファンたちを切り捨てる決断をせざるを得なくなった際にも、この並びであれば人形以外は東根のファンに(つか)まれたりもしにくい。先ほど東根のファンたちに渡した()()もあることだし、とりあえず俺と東根と終日とヤマコは無事に列を離れることができるだろう。人形はわからないが、まあ他人の式神なんてどうでもいい。

 なお、小山田に先頭を頼んだのは道案内をしてもらうためだ。一応事前に地図を書いてもらったりしてルートを確認してはいるが、念のために彼に案内を任せることにした。

 

「で、では、行きます……」

 

 小山田がそう言って、ゆっくりと歩き出す。二階の大広間を出て靴を履き(大広間の中でだけ靴を脱いで過ごしていた。)、階段を下りて、玄関の引き戸を静かに開けて外に出る。

 実際のところ、17人も守りながらの帰還ともなると、うまくいくかは非常に怪しいところだ。この廃村をさまよっている死霊の一体一体は大した脅威ではないが、小山田たちから聞いた話によるとかなり数が多いようである。

 ヤマコは強力な大妖(おおあやかし)だし、人形も東根が太鼓判を押すだけあって死霊を封じる性能については申し分ないようではあるが、きっとどちらも俺の思った通りには動いてくれないだろう。勿論(もちろん)ヤマコとて命令には従うが、一々指示を出していたのでは17人も守り切れないかもしれない。

 東根の式神である人形は仕方がないにしても、自分の式神であるヤマコを思うように動かせないというのはプロの(はら)い屋としては何とも情けなく感じるが、単にあれの頭が悪いだけなのかそれとも故意に俺をからかっているのかすらもわからないくらいである。今の俺にはどうすることもできない。思えば白髪毛(しらばっけ)も思った通りに動いてはくれないし、仕事中に命令をしないでも必要な動きをしてくれるのは今のところ蜂蜜燈(はちみつとう)くらいのものだ。その蜂蜜燈も最近はヤマコが一緒だとヤマコに任せきりで仕事中もやる気がないし、普段はわがままばかりでむしろ一番手が掛かるのだが……白髪毛はまだ誕生して間もないし、ヤマコも式神としては歴が浅いから仕方がないと言えば仕方がないのかもしれないが、俺は式神を調教するのが下手なのかもしれないな。だからと言って、やめるわけにもいかないのだが。

 

 小山田が門を閉ざしていた針金を外し終えたので、一度列を離れて手鏡を使い門の左右に何も居ないか確認する。何も言わずに列を離れたが、俺の後ろは東根なので別に慌てたりもしないだろう。そういった意味でも都合がいい並び順だ。

 確認を終えて俺が列に戻ると、小山田が再び歩き始める。

 いくつもの廃屋(はいおく)の脇を通り過ぎて集落の奥へ奥へと進んでいくと、いつの間にか辺りは薄っすらとした霧に包まれていた。歩いて行くにつれて、周囲を覆う霧がどんどん濃く、深くなっていく。これでは死霊の接近を目で確認することも難しいかもしれないし、それぞれ(はぐ)れてしまう危険もある。

 俺は小山田の肩に手をかけて振り返り、「視界が悪いので、前の人の肩か何かをつかんでください」と列の後ろに指示を出す。

 すると、東根が俺のトンビコートの(えり)の後ろをむんずとつかんできた。呼吸が止まるほどではないものの、首が()まって非常に不快だ。なぜこの邪悪な女は一々こうした意味のない嫌がらせをしてくるのだろうか? (あく)だからか。

 コートの首元を手前に引っ張って(左手は小山田の肩に置いているため、これで両手が塞がってしまった。悪のせいだ。)隙間を空けてから、小山田に小声で(たず)ねる。

 

「前に来た時にも霧は出ていましたか?」

 

「は、はい……すみません、たまたまかと思って言わなかったんですが。でも、ここまで濃くはありませんでしたよ。こんなに濃い霧だったら怖くなって引き返していたと思いますし……」

 

 小山田が元気のない声でそう言うと、俺の背後で東根()が誰にともなく問う。

 

「ふむ。ミストほど濃くはないが、スリーピー・ホロウくらいの濃さはあるか?」

 

「まさしく」

「ここがスリーピー・ホロウ村でござったか、フヒッ」

「あっ! たんぽぽの綿毛(わたげ)だ!」

「式神を除いて、今ここには人間が18人……映画スリーピー・ホロウで首を斬られた人数も、確か全部で18人だったような……」

 

 などと、列の後方にいる東根のファンたち(+人形)が口々に言った。しかし、この集落が現世(うつしよ)に実在していた頃にはそのような映画はなかったはずなので、最後のやつの考察はまったく意味がないように思う。

 その後もゆっくりとした歩調で進み続けたが、歩けば歩いただけ霧が深まっていった。

 そのうちに小山田が小さな声で言ってくる。

 

「前に進むのが怖くなってきましたよ、急に目の前にゾンビが出てきそうで……」

 

「確かに視界が悪すぎますし、ここからは私が先頭を歩きます。東根さん、小山田さんと先頭を交代するので一度手を離してください」

 

 そう言った途端(とたん)に襟を後ろに思い切り引っ張られて、「グェッ」と思わず声を上げてしまう。なぜ手を離す前に引っ張る必要があったのかと振り返って怒りに任せて問い(ただ)したい衝動に駆られたが、しかし心の中で仕事中だし油断できない状況なのだからと自分に言い聞かせてどうにか衝動を抑え込む。

 すると列の一番後ろから、「グェッて、今のゲップみたいなのもしかして杠葉(ゆずりは)さんでした? なんにもないところでいきなりゲップするなんて、おじさんみたいですね」というヤマコの声と、「パパ上(うえ)もよくゲップをするでござるよ」と答える終日(ひねもす)の声が(かす)かに聞こえてくる。

 東根にもヤマコにも腹が立つが、しかし、こいつらに対して怒ったところで仕方がない。東根はきっと余計に面白がるだけだろうし、ヤマコは大げさに泣いて謝ってみせるもののまたすぐに同じようなことをする。証拠がないためそうと決めつけて怒ることもできないが、まるでわざとやっているみたいにだ。俺のことを馬鹿にしているとしか思えないし、実際そうなのだろう。なぜならば邪悪だからだ。

 ともあれ、実際のところこうも霧が濃くなってしまってはもう案内も何もなさそうだったので、とりあえず小山田と列の先頭を交代する。視界が()かない以上、霊力(れいりょく)やら妖力(ようりょく)といったものを感知できる俺が一番前を歩いた方が安全なことも確かである。

 後ろの方で誰かが、「あの、霧が晴れるのを待ちませんか?」と控えめに声を上げた。

 だが、待っていれば霧が晴れる保証もなければ俺たちには時間の余裕もない。どっちみちあまり長く待つことはできないし、すぐに霧が晴れるとも思えなかったのでこのままもう少しだけ歩いてみることにした。どうしても無理なようであれば諦めるが、多少の無茶はせざるを得ない状況だし、せめて(くだん)石段(いしだん)とやらをこの目で確認したい。

 東根がくつくつと笑って言う。

 

「霧が晴れた時には我々全員、サルナスの民のように水蜥蜴(とかげ)になっていたりしてな」

 

「ちょ、冗談でもやめてくださいよ」

「あながちなくもないですよ、だって六ツ尾(むつお)集落は現実には水没しているんですから……サルナスを滅亡に追い込んだあの霧って、確か湖から発生していましたよね?」

「あっ! ダンゴムシがいる!」

「この霧って、神ボクラグの仕業なんですか?」

 

 などと東根のファンたち(+人形)がそれぞれに反応して(というか、この状況でよくダンゴムシなんて見つけたな)、最後に誰かが、

 

「千年後に発動する呪いなんて、我々人類からしたら遅すぎますよね。長生きと噂の大妖さんはどうお思いですか?」

 

 と、ヤマコに話を振った。

 ヤマコが困惑した風に言う。

 

「猿、茄子? 僕らグー? なんですかそれ?」

 

「ボクラグは大地の神とされていますが――」

 

 俺は後ろを振り返り、ヤマコに向けられた神やら何やらといった分野では一応の専門家である俺も知らない謎の神の説明を(さえぎ)って言う。

 

「静かに」

 

 前方に大量の死霊の気配を感じる。

 立ち止まって(まぶた)を閉ざし、集中して周囲の気配を探る。

 列の一番後ろから、「喋るなって言っておきながら、なんだかんだ杠葉さん自身がちょいちょい喋っていますよね」と言うヤマコの声と、「シーでござるよ」と言う終日の声が聞こえてきて今すぐにこの場で暴れてやりたい衝動に駆られたが、苛立ちをぐっと抑えて気配を探ることだけに専念した。

 

「………………」

 

 小山田たちから聞いていた通り、やはり大量の死霊が集まっているようだ。

 以前と同じ場所に集まっているのであれば、もう少し歩けば例の石段とやらに辿(たど)り着くのだろう。霧は深いものの、きちんと向かおうとしていた方向に進めていたらしい。こちらを迷わせるための霧、もしくはまた別の亜空間へと通じる霧かもしれないと警戒していたが、どうやら違ったようだ……だからと言って、俺たちを水蜥蜴とやらに変身させる霧でもないだろうが。

 それにしても、先ほどからヤマコは俺に声が聞こえていないと思っているのか、それとも聞こえよがしに言っているのか、果たしてどちらなのだろうか。いずれにせよ、落ち着ける場所があればとりあえず一発殴っておいた方がいいかもしれないな。最近気がついたのだが、拳骨(げんこつ)を食らわすとその後数時間くらいは割と大人しくなる気がする。だが、ヤマコほどの大妖ともなれば人間の拳骨なんてまったく痛くもないだろうに、なぜ効果があるのだろうか? もしかしたら、殴りつけでもしないと俺が怒っていることが伝わらないのかもしれないな。ヤマコを見ているとその見た目や言動からどうしても人間ぽく感じてしまうが、実際はまったく違う存在なのだし、人間の感情がまるでわからないということは十分にありえそうだ。いつもどこかズレているしな……と、思考が()れてしまった。ヤマコのことは後ほど殴れるタイミングがあれば殴るとして、ここでぼんやりとしているような暇はない。

 

「やはり、大量の死霊が集まっているようです。もう少し、できれば見えるところまで近づいて様子を見てみましょう。ここからは今まで以上に慎重に、大きな音などを立てないように気をつけて歩いてください」

 

 振り返って後ろの面々にそう言い聞かせて、俺は再び前を向いて歩き出す。

 死霊どもの気配が溜まっている場所を目指して、慎重に、ゆっくりと歩を進めていると、先ほどよりも若干霧が薄くなってきたような気がした。何となく石段とやらへ近づけば近づくほど霧が濃くなるのかと思っていたが、そういうことでもないらしい。こういう時、霧が薄れた代わりに今度は別のもっと悪い現象が起きなければいいが、なんてことを思ってしまうのは俺が暗い人間だからだろうか? しかし、死霊やあやかしといった怪異や、よその祓い屋なんて連中を相手に仕事をしていると、事実として悪いことばかりが起こるのだから仕方がない。悪い予感はよく当たるし、良い予感はそもそも生じなくなる。犬も食事のたびに殴られたらそういうものだと学習する。

 そういえば、母親がまだ生きていた頃には実際に犬のような生活をさせられていたな。あの女はしょっちゅう俺を外に閉め出して放置したし、俺の分の食事はいつも床に撒かれた。俺が涙をこぼすと、それも舌で舐めるように強要してきた。泣きながら床を舐め続ける俺を見て、蜂蜜燈(はちみつとう)が「おぬしは飯がもらえるだけまだマシじゃろう。わちなんて外で虫とか喰っとるし、こないだなんてこっそりと台所の生ごみを漁っとったらバレて舌を引き抜かれて再生するのに丸三日かかったわ」などと言ってきて、下には下がいるものだなと思ったものだ。

 何にせよ今でも不思議なのが、あの女が最後に俺を庇って死んだことだ。そのせいで、未だに俺はあの女に対して何を思えばいいのかもわからない。憎めばいいのか、それとも感謝すればいいのか……東根と居ると、見た目が少し似ているせいかどうしてもあの女のことを考えてしまう。そもそも東根は性悪な上に悪趣味だが、しかし俺が東根のことを苦手に思う最大の要因はやはり、こうして母を思い出してしまうからだろう。

 もしもまだ母が生きていたとしたら、俺と母の関係はどうなっていたのだろうと時々考えてしまう。あのまま時を重ねて悪化していたのか、それとも何か違っていたのか……。

 

「ぐっ……」

 

 風に乗り、鼻を()く悪臭が前方から流れてきた。毎回ではないが、死霊が現れた際にたまに()ぐことがある臭いだ。髪の毛が焼けたような()げ臭さに、アンモニアのような刺激臭を加えたような……ただでさえ嫌な臭いだと言うにもかかわらず、いかんせん死霊の数が多いせいかとにかく強烈だ。

 皆できるだけ音を出さないように気をつけているのだろうが、それでも後ろの方から誰かが咳き込む音がした。

 悪臭に耐えながらも前へ前へと進んでいくと、少し霧が晴れてきたこともあってか、前方にゾンビのような姿をした死霊が群がっているのが薄っすらと見えた。しかも都合が良いことに、そのすぐそばにぼろぼろだが二階建ての廃屋(はいおく)がある。多分、あそこの二階からであれば石段や死霊の様子をもっと詳しく確認することができるだろう。俺たちが廃屋に入った後で、死霊どもが押しかけてきたら最悪だが……幸いなことに奴らは足が遅いようなので、気をつけていれば逃げられなくなるようなことはないはずだ。

 死霊どもを目の前にして、後ろに何も伝えることなく黙って廃屋へと向かう。多少は皆困惑したかもしれないが、そもそもそのまま死霊の大群の中に歩いて突っ込んで行くのではないかと焦っていた様子もあったので、むしろホッとした者の方が多かったかもしれない。

 幸いなことに廃屋の玄関戸には鍵がかかっておらず、ただ引くだけで簡単に開いた。東根の話によるとこの集落がなくなったのは昭和初期ということだったので、その時代の地方の村などに玄関の鍵をかける風習なんてなかったはずだし、特に運が良いというわけではなく施錠されていないのが当たり前なのだが。

 土足のまま廊下に上がり、全員が揃っているのを確認してから抑えた声で「ヤマコ」と呼びかけると、「あ、はい」と答えて一番後ろに突っ立っていたヤマコがもたもたと歩いて来る。音を立てないように気をつけているというよりは、単に面倒くさがっているような感じに見えた。

 

「なんですか?」

 

「まずはこの廃屋の安全を確かめて回る、ついて来い」

 

「二人だけでですか?」

 

「大して広くもない屋内を大人数で歩き回るのは危険だ……そういうわけですので、申し訳ございませんが安全を確認できるまで皆さんはここでお待ちください。急いで済ませますので」

 

 他の面々にそう断って、ヤマコを連れてまずは一階の各部屋を見て回る。土間床の(くりや)を確認して、板張りの居間を確認していると歩きながらヤマコが言う。

 

「そういえば今朝、ニシキリアンの人に『お二方(ふたかた)ともずいぶんと着古したスウェットを着ていますけど、人間の(かた)はともかく、式神の(かた)は服を買ってもらえないんですか?』って聞かれちゃいました……恥ずかしかったです」

 

「服が欲しいのならば買えばいい、金は渡しているだろう」

 

「それがですね、なぜか全然お金が残らないんですよね。なんとなく計算してみた感じですと、まず結構な額がお菓子に消えていそうでしたけど、そもそも私よりも冥子(めいこ)ちゃんが使っている額のほうがずっと多いような気がして……どうしてこんなことになっちゃってるんでしょうか?」

 

「俺が知るわけないだろう」

 

「冥子ちゃんって、急に『出っさなっきゃ負っけよ~じゃんけんぽ~ん!』ってじゃんけん勝負を仕掛けてきたりするんですけど、なんでかわかりませんけどいつも私が負けて、その度に千円取られるんですよね……あんまり疑いたくないですけど、やっぱり冥子ちゃんが何かズルをしているんですかね?」

 

「知らん」

 

 と反射的に言葉を返したものの、何日か前に蜂蜜燈が戦利品と言って杏子(あんず)に菓子を見せびらかしていた際の様子を思い出す。

 確か、『ヤマコは最初にいつもチョキを出して、そのあとはパー、グーという順番でループしていくからのう、馬鹿じゃよな。ヤマコを相手にじゃんけん勝負で勝つのはほんと、赤子の手を(ひね)るよりもたやすいのう。じゃって、赤子の手を捻るのはちと罪悪感というか、そういうのが邪魔してやりにくいじゃろ? その点、ヤマコが相手なら心とか痛まないしの! かっかっか!』とか言っていた。

 まあ、思い出したからと言ってわざわざ教えてやろうとも思わない。そもそもヤマコのことだ、どこまでが本気でどこからが演技なのかもわかったものではない。故意に負け続けているという可能性だって十分にありえる。きっと蜂蜜燈がここだけは絶対に負けたくないと心底思っているような場面で、不意に最初からパーを出すに違いない。いかにも邪悪なヤマコがやりそうなことだ。

 

 一階をすべて確認し終わり、今度は手すりも付いていない急勾配(こうばい)の階段を、痛んだ踏板(ふみいた)を踏み抜かないように気をつけながら慎重に上がる。築年数が百年を越えるような古い建造物の階段というのは大抵そうだが、踏面(ふみづら)がやけに浅い上に蹴上(けあげ)がやけに高くて使いにくい。怪異などとは関係なしに身の危険を感じる造りだ。

 

「ひええ……な、なんか怖い階段ですね?」

 

 すぐ背後からヤマコの弱々しい声がして振り返ると、ヤマコが()うような体勢で階段をずりずりと上がってきつつ、手を引いてほしいということなのか俺に向かって右手を差しだしてきた。

 とは言え、落ちた時に危険なのは大妖であるヤマコではなく人間である俺の方なので、無視して階段を上る。

 

「ま、待ってくださいよ、置いてかないでください。なんでこんな階段なんですか、ここ? なんかの罠なんじゃないですか? たとえば誰かがこの階段を上ろうとしたところをどうにかして殺しちゃうみたいな感じの、凄く凶悪な……」

 

「ある程度古い家の階段はどこもこんなものだ。仕事柄、建築物についての知識があると便利だから空いた時間に昔の家について書かれた本などを読むことがあるが、そこには昔の人は二階があってもあまり利用しなかったため邪魔にならないように階段スペースを狭くしたと書かれていた」

 

 そうは書かれてはいたのだが、俺としてはあまり納得がいかない。なぜならば老舗(しにせ)旅館などといった上階を頻繁(ひんぱん)に利用していたであろう建物の階段も同じように急勾配だからである。

 一昔前の人はとても小柄で、江戸時代の女性の平均身長なんて143センチしかなかったらしい。となると、当然足も子供のように小さかったはずだ。なので、踏面が浅いのは多分それが理由なのではないかと個人的には思っている。踏面が深いと、一歩で一段を上れずに厄介だったのではないか、と。

 蹴上が高い理由については、それこそ階段に取られるスペースを小さくしたかったのかもしれないが、階段をあまり使わないからなんて理由では勿論なかっただろう。昔の人は現代人と比べて胴が長く足が短かったようだから、当然体の重心も低かったはずだ。なので、急勾配の階段でもバランスが取りやすく、あまり恐怖を感じなかったのではないだろうか。

 まあ、もっと単純なことで、急勾配の階段がかっこいいみたいな風潮があったという可能性もなくはないが。何にせよ、二階を使うつもりがないのであれば最初から二階なんて造らないだろう、見栄っ張りの金持ちばかりではないのだから。

 

「杠葉さんってお仕事してるか何か考えてるか本を読んでるかって感じですけど、ちゃんと体を動かしたり人とコミュニケーションを取ったりもしたほうがいいと思いますよ? なんか、なんて言いますか引きこもりのオタクっぽいですから」

 

「遊んでいるか何も考えずに呆けているか東根の小説を読んでいるかのお前に言われたくはない」

 

「私は最近は山で山菜を()ったりもしますし、遊ぶのだって弓矢(ゆみや)ちゃんやバッケちゃんやハッチーと庭で遊んだり、学院でもねるこちゃんやもなかちゃんなんかと校庭でタコ凧揚(たこあ)げしたり駆けまわってますよ。コミュニケーションもいっぱい取ってますし。人とまともにコミュニケーションを取ることができない杠葉さんとは、そこらへんが違うんです」

 

「一応確認しておくが、階段から蹴り落としてほしくてわざと言っているのか?」

 

「えっ、蹴り落とすとか急に怖いこと言わないでくださいよ!? 図星を突かれると逆ギレするの、ほんと良くないですよ? そういうところを矯正(きょうせい)していくためにもですね、やっぱりコミュニケーションをちゃんと取っていかないとダメなんですよ、杠葉さんは!」

 

「黙らないと本当に蹴り落とすぞ?」

 

「あ、はい。ごめんなさいでした、黙ります」

 

 俺が怒るのは逆切れではないと思うし、それこそ今が仕事中でなければ本当に蹴り落としてやったところだが、ひとまずこの苛立ちは忘れてやることにした。とにかく手早く屋内の安全を確かめて、それから死霊の大群をどうするかを決めなくてはならない。

 ……しかし、本当にヤマコは一々腹立たしい反応をするな。正直、狙ってやっているとかしか思えない。

 階段を上り切り、ぼろぼろの(ふすま)を開けるとそこそこ広い板張りの部屋があった。障子(しょうじ)の向こうが広縁(ひろえん)になっているようだが、二階にはどうやらこの一室だけのようだ。(いた)る所に物が散乱しており、部屋の隅に置かれていた階段箪笥には刀で斬りかかったような大きな(きず)が付いていた。まるで日本刀を持った何者かが暴れたかのような惨状だったが、しかしこの部屋にも死霊などといった怪異の姿は見当たらない。

 

「よし……一応の安全は確認できたから、ひとまず他のやつらを呼びに戻るぞ」

 

「はーい」

 

 障子を少し開けて外を見ていたヤマコが気の抜けた返事をして、間延びした動作でこちらへとやって来る。

 何と言うか、やる気とかそういったものがまるで感じられない。

 ああ、そういえばここは『落ち着ける場所』と言ってもいいかもしれないな。勿論、この集落の中に限ったらの話ではあるが。

 

「そうだ。ヤマコ、ちょっと待て」

 

「はい? どうしたんですか?」

 

 きょとんとした顔をして見上げてきたヤマコの(ひたい)を、俺は何も言わずに拳で殴りつけた。

 まずヤマコの額に拳が当たりゴスッという鈍い音がして、殴られた勢いでヤマコが後頭部を襖にぶつけてボゴンッとまた音が鳴る。ヤマコが「ふぎゃっふ!!?」と妙な悲鳴を上げた。

 両手で額と後頭部をそれぞれ押さえて(うずくま)ったヤマコを見下ろして、短く命じる。

 

「よし、行くぞ。ついて来い」

 

 蹲ったままの姿勢で、ヤマコが小刻みに声を震わせて(たず)ねてくる。

 

「な、なんで、と、突然に、こんな、暴力を……?」

 

「落ち着ける場所があれば殴っておこうと思っていた」

 

「なんですか、それ……? 意味わかんないです……」

 

「何でもいいから早く立て、行くぞ」

 

「うう……杠葉さん、嫌い……」

 

 ごにょごにょと文句を言いながらもヤマコが立ち上がる。目尻が湿っているが、まさか涙を流したのだろうか?

 蹲っている姿もまるで人間が痛みを(こら)えているかのようだったし、普段は色々とズレているもののこういった演技は本当に上手いと思う。

 とは言え、何だかまだ動作が鈍いな。

 もう一度殴っておいた方がいいだろうか?

 

 

【 山田 (●) △ (●) 視点 】

 

 

 なんでかわからないけど、いきなり杠葉(ゆずりは)さんにおでこをグーでぶたれた……しかもそのせいで後ろ頭を襖に思い切りぶつけて、そっちも地味に痛い。

 前々から思ってはいたが、やっぱり杠葉さんには可愛い年下の女の子に暴力を振るって泣かせたいみたいな、そんな感じの歪んだ欲望があるような気がする。ほんとのサイコパスは東根先生じゃなくて杠葉さんの方なのかもしれない。

 一階で待っていた全員が二階へと上がってきて窮屈になった部屋の隅っこで、膝を抱えて悲しんでいる私にねるこちゃんが声をかけてくれる。

 

「山田()、大丈夫でござるか? なんだか泣きそうな顔をしているでござる」

 

「悪いことなんてしてませんのに、杠葉さんに急にぶたれたんです……いいですか、ねるこちゃん。杠葉さんには気を許しちゃいけませんし、絶対に二人きりとかになっちゃダメですよ? 本当に何をしてくるかわかりませんから……あの人、可愛い年下の女の子が苦しんでいる姿を見るのが何よりも好きなんです。ハッチーのこともよく殴っていますし絶対そうです、間違いないですよ……」

 

「なるほど、殴るのはひどいでござるな。いくら妖怪だと言っても山田氏は女の子でござるのに」

 

「妖怪じゃありませんけど!?」

 

「あ、そうでござった、山田氏は人間でござったな。大丈夫でござるよ、それがし結構口は固い方でござる」

 

「ぜんぜん信じてくれてないじゃないですか!?」

 

 しかも、どちらかというとねるこちゃんの口は柔らかい方なのではないだろうか? 今だって妖怪って普通に言ったし……。

 広縁に出てゾンビたちを眺めていた東根先生が、なんだか恍惚とした様子で「いやあ、ゾンビ好きとしては壮観な光景だな。素晴らしい……」と呟く。その一方で、幸いなことにと言うべきか製作者の感性が受け継がれなかったらしく、どうやらゾンビがあまり好きではないらしい小夜(さよ)ちゃんが東根先生の元を離れて私たちの方へとやって来る。

 

「やっほー! 列になってるとヤマダヤマコたちと話せないから寂しかった、たんぽぽの綿毛とかダンゴムシとか色々見つけたんだけど!」

 

「あ、私もオオイヌノフグリとか見つけましたよ」

 

「えっ!? 何それ、大きい犬!?」

 

「オオイヌノフグリって名前の野草ですよ、青くて小っちゃい、かわいらしいお花が咲くんです」

 

 知識が豊富な私が無知な小夜ちゃんにかわいい野草の名前を教えてあげていると、私の隣に立っていたねるこちゃんが言う。

 

「知っているでござるか? フグリって金玉のことなのでござるよ」

 

「えっ!? なんでそんな名前になっちゃったんですか!? あんなにかわいいお花なのに!」

 

「大きい犬の金玉!? 気になる!」

 

 と、私と小夜ちゃんがほぼ同時に声を上げた直後に、杠葉さんが苛ついた感じの声で「静かにしろポンコツ式神ども」と言い放つ。

 きん――下品な発言をしたねるこちゃんではなく、なんで私が怒られたんだろう……? 杠葉さんは年下のかわいい女の子をいじめて泣かせるのが趣味だから、集中砲火される私はつまり杠葉さんの好みドンピシャということなのだろうか?

 

 軽く咳払いをして、杠葉さんが話し始める。

 

「見たところ石段の下には多くの死霊が集まっているものの、石段を上がる様子はまったくありません。視界が悪い上に石段自体がとても長いようで、上に何があるのかはここからでは確認できませんが……皆さんが(おっしゃ)っていたように、おそらくはこの不可解な空間から現世(うつしよ)へと戻るための出口があるのだろうと思います。死霊たちは石段を上ることができないのか、それとも私たちが行けば追って来るのかはわかりませんが、どちらにしてもまずは奴らをどうにかしなくてはなりません。皆さんを守りながらあれだけの死霊を祓うというのはあまり現実的ではありませんが、おそらく私の式神単体であれば危険なくあれらを祓うことができるはずです。ですので、再び移動を開始するより先に、まずは私の式神にすべての死霊を祓わせます」

 

「へっ!? 一人じゃ無理ですよ無理無理無理、絶対に無理です! だってさっきちらっと障子の間から外を見ましたけど、めちゃくちゃ沢山いましたもん! あんなに沢山引っぱたいて回るスタミナ、私にはありませんって! 私だってお腹ペコペコなんですからね!?」

 

 などと反論するも、ニシキリアンの人たちは一週間も食べていないんだっけと思い出して横目で彼らの様子を窺ってみる。

 もじゃもじゃ頭の人と目が合った、なんだか怯えた顔をしている。

 

「フ、フヒッ……た、食べないでほしいでござるぅ……」

 

「食べませんよ!」

 

 広縁から室内に戻ってきた東根先生が軽く左手を挙げて、「ちょっと待ってくれ」と杠葉さんに声をかける。

 もしかして、私の援護をしてくれるのだろうか? そうしたら八王子城だったか? そこに行くくらいなら付き合ってあげてもいいかもしれないな……。

 

 ニシキリアンの人たちを順繰りに眺めて、東根先生が言う。

 

「お前たち、全員免許証か何か持っているだろう? 出せ」

 

「え、あ、はい……」

「よいでござるよ……フヒ」

御大(おんたい)のお言葉には勿論従いますが、なにゆえですかな?」

 

 ニシキリアンの人たちは若干戸惑いつつも、他ならぬ東根先生の命令だからか素直に免許証などを取り出して東根先生に手渡していく。

 すると、東根先生が受け取った15人分の免許証などをスマートフォンのカメラでカシャッ、カシャッと撮影しながら言う。

 

「昨夜は言い忘れたが、私はお前たちを助けるために冷光(れいこう)に200万円の借金をしている。生還した者たちで割って支払ってもらうから、払う意思のない奴や返済能力のない奴はここに残るように」

 

「ああ、なんだ、そういうことでしたか。いったいどんなことに使われるんだろうと思いましたよ」

「そりゃあ払いますよ、そもそも我々だけでは出られませんし」

「15で割れば10万ちょっとでござるから、日雇いでどうにかできそうでござるな……働きたくはないでござるが、死にたくもないでござるから仕方ないでござるな、フヒッ」

 

 広縁からゾンビたちを監視していた――確か小山田さんといったか――リーダーの人が振り返り、「手持ちがないので、帰宅次第振り込みますからあとで振込先を教えてください」と言うと、自分から金を払えと言い出したくせになぜか東根先生が「ぐっ……!」と(うな)る。

 そういえば東根(にしき)という名前はいわゆるペンネームであって、本名じゃないんだよな。ラインの名前も東根となっていたし、本当の名前が気になってきた。

 

「あの、今さらなんですけど、東根先生の本名ってなんていうんですか?」

 

 そう私が訊ねると、東根先生が「ぬぐうっ!」と叫んで(もだ)えた。

 

「え、なんですかその反応? もしかして聞いちゃいけないことでした?」

 

「う……いや、そうだな。振込先の口座は教えなければならないしな……」

 

「なんなんですか、もう。名前を教えるくらいのことでそんなにもったいぶらないでくださいよ」

 

「……玉木(たまき)珠姫(たまき)だ。ギョクという字に樹木のモク、真珠のジュにヒメと書く」

 

「えっ、なんかキラキラした感じですし凄い韻の踏み方をしてますし、そっちの方がペンネームっぽいじゃないですか。少女漫画とか描いてそうなお名前ですけど、ほんとに本名なんですか?」

 

「ああ。なんでも親が、私が生まれた際に占い師だか何かから『この子は結婚しないね、絶対にしない』と言われたらしくてな。ならば結婚したくなるような名前にしようということになって、苗字を変えなければ一生ペンネームのような名前で生きていくことになる呪いをかけられたんだ」

 

「ぷふっ!」

 

 それにしても可愛い名前だなと思い、我慢できずに噴き出してしまったら東根先生が凄い怖い目をして(にら)んできたので、息を止めて頑張って笑いを堪える。

 代々呪いに関わる仕事をしてきた家なだけあって、凄い呪いのかけ方をするものである。

 

「私の名前の話はもういいだろう、話を戻すが……ヤマコ、本当に一人ではゾンビどもを押さえられないのか?」

 

「無理です無理です体力が持ちません!」

 

 私が顔の前で両手をぶんぶんと振りながら言うと、東根先生が悲痛な顔をして言う。

 

「そうか……まあ、他人の式神に無理強いするわけにもいかないしな。仕方ない……小夜、ここでお別れだ」

 

「が……がってん、合点(がってん)承知(しょうち)(すけ)ぇ……」

 

 と、小夜ちゃんがめちゃくちゃ悲痛な声で返事をして、目尻に大粒の涙を浮かべる。

 状況がわからない私は、混乱しつつも東根先生に訊ねる。

 

「えっ、えっ!? お、お別れってどういうことですか?」

 

「あれだけの量の死霊を封じれば、もはやパーツの交換では済まないだろう。小夜にはここで壊れてもらう。何、案ずることはない。喋ったり遊んだりはしていても小夜は元は私が作った人形だし、そもそも式神は道具だからな」

 

 そう言って東根先生が目を伏せる。

 

「そうだね、お母さんの言う通りだよ。人を助けて壊れるのなら、小夜としては本望だよ……ううっ、ぐすっ」

 

 小夜ちゃんが泣き出した。

 

「小夜っ……! すまない……お前は私の、自慢の娘だ」

 

「お母さんっ……!」

 

 私の目の前で、二人がギュッと抱き合う。

 

「えっ、え……ず、ズルくないですか!? こんなの見せられたら、私がやるしかなくなっちゃうじゃないですか!? ず、ズルですよズル! 違反行為です!」

 

「なんだ? 小夜の代わりにヤマコがやってくれるのか?」

 

「お願い、ヤマダヤマコ……小夜、ほんとはもっとお母さんと一緒にいたい……!」

 

「う、ううっ……ひ、卑怯だ! 卑怯だけど、わかりました! やればいいんでしょう!? 私がなんとかしますよ! 怖いですけどね!? やりたくないですけどね!? だって、実際この流れで小夜ちゃんが死んじゃったら、なんか私もずっと引きずりそうですし!」

 

「そうか、恩に着るぞ!」

 

「ヤマダヤマコ、ありがとね! ほんとにありがとう!」

 

「なんだか、すっごくモヤッとします……」

 

 もはややると言う他なかったからやるとは言ったものの、やはり納得がいかない心境でぼやいていると、杠葉さんが「茶番は済んだか? ならば早速(さっそく)行ってこい」と言ってくる。

 今のでますますモヤッとしたぞ。あと、さっき急に無意味に謎に暴力を振るわれた件についても忘れてないからな?

 じとっとした目で杠葉さんを見ていると、「邪悪な()を向けるな、(けが)らわしい」と言われて、ジェスチャーでしっしっと追い払われた。

 ……なんだろうなこの扱い、さすがに女子高生に対する扱いじゃなくないか? ちょっと泣きそうになってきた。

 

 広縁にいた小山田さんが、唐突に声を上げる。

 

「え、水がっ!?」




そんなわけでニシキリアン失踪編のラストは本日19時くらいに更新する予定です!
早くハッチーとバッケちゃんを書きたい!
なんでニシキリアン失踪編こんなに長くなってしまったんでしょうか? ハッチーもバッケちゃんもいないのに!


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IQ200の作戦

本日2本目の更新になります!


 杠葉(ゆずりは)さんと東根(ひがしね)先生が即座に反応して、外の様子を確かめようと広縁(ひろえん)に出る。杠葉さんは単純に状況を把握しようとしているだけなのだろうが、東根先生については好奇心の方が勝ってしまっているのではないかと疑ってしまうような、何だかわくわくとした感じの顔つきだった。

 ゾンビ退治を一任されてしまったわけだし、私も一応様子を見ておこうと思い立ち上がって広縁に出るが、広縁の床板が踏むたびにミシイッ、ギイイッと鳴って歪むのが怖くてへっぴり腰になってしまう。

 なんとか外が見やすい位置にまで行くと、さっきまでは全然濡れていなかった地面が水浸しになっていた。じっと見ていると、どこからともなく廃村一帯に水が流れ込んできているのがわかる。

 室内から背伸びをしたり、首を突き出したりして外の様子を窺っていたニシキリアンたちが、「まさかサルナスのように水没……」だの、「そもそも六ツ尾集落は水没しているはずで……」だのと、ぼそぼそと何か言っていた。

 

 普段は無表情、無感情に振る舞っている杠葉さんが、少し焦った様子で聞いてくる。

 

「ヤマコ、一瞬であの死霊どもを全て(はら)えるか?」

 

「そ、そんなの無理ですよ! 一体ずつパンチしてやっつけようと思ってたんですから! 体力とか以前にそんなことできませんもん!」

 

 もはや余所行(よそゆ)きの言葉づかいやらもかなぐり捨てて、切羽詰まった雰囲気の杠葉さんが、今度は小山田さんに確認する。

 

「あいつらは音に敏感だと言っていたな?」

 

「ええ、はい。そんな何度も確認できたわけじゃありませんが、やつらは目があまり良くないみたいで音がする方に寄って行きます」

 

「洪水だ!!!」

 

 と小夜(さよ)ちゃんが叫んで、室内からジャンプをして私に飛びついてきた。

 その瞬間にバキバキバキバキバキバキバキイッと物凄い音がして、広縁が丸ごと外れてズンッ――という大きな音とともに雑草が繁茂(はんも)した地面に落下する。

 故意にそうしたわけではないのだが、杠葉さんを下敷きにする形で落下したため私は無傷で済んだ。

 私のお尻の下にいる杠葉さんも、どこかしら痛かったりはするのかもしれないがとりあえず血は出ていなそうだし無事なようだ。

 ちなみに私の上には飛びついてきた小夜ちゃんがそのまま乗っているため、杠葉さんは私と小夜ちゃん二人に乗られている。

 小夜ちゃんがピョンと飛び跳ねるようにして立ち上がり、あわあわあわと数秒ほど慌ててから、はっとして私に手を差しだしてくる。

 

「ごっ、ごめんなさい! ごめんね、大丈夫? 痛くない?」

 

「あ、はい。びっくりしましたけど大丈夫でした、杠葉さんがクッションになってくれたので!」

 

「早く退()け!」

 

 お尻の下から杠葉さんが怒鳴ってきたので、私は小夜ちゃんの手を握って立ち上がる。

 そして振り返ると、崩れ落ちた広縁の残骸(ざんがい)の上に仰向けに倒れた杠葉さんが、ここ数日で一番の形相(ぎょうそう)で私を見上げていた。

 

「いや、あの、わざと踏んづけたわけじゃないですよ、ほんとに。小夜ちゃんが飛びついてきて、そのままの勢いで倒れ込んだところに偶然杠葉さんがいたってだけで……」

 

 私が必死になって弁明すると、般若(はんにゃ)――じゃなかった、杠葉さんが今度は私の背中に隠れて怯えている小夜ちゃんをぎろりと睨んで、地を這うような低い声で言う。

 

「次にやったら、ヤマコに命じてお前を壊すと言ったはずだぞ……」

 

「ごめんなさい、ごめんなさい!」

 

 小夜ちゃんが今にも泣きそうな顔をして必死に謝る。杠葉さんは年下のかわいい女の子をいじめて泣かせるのが趣味だから、きっと小夜ちゃんが泣くまではいじめるつもりだろう。

 なお、東根先生は小夜ちゃんがジャンプしてきたと同時に室内に逃げ込んだようで無事だったし、広縁の端にいた小山田さんが外に投げ出されたものの、そもそも高さがそこまでなかったこともあってか彼も一応無事みたいだった。顔をしかめてはいたが、すでに立ち上がっている。

 

 痛むのか腰を手で押さえながら、杠葉さんが立ち上がって言う。

 

「くそ、このままだと今の音で死霊どもが集まってきて手遅れになるぞ。ヤマコ!」

 

「ひゃい!?」

 

 急に名前を呼ばれたのでなんだかびっくりしてしまい、声が裏返ってしまった。

 

「とにかく大きな音を立てるなりして死霊どもを集めて、石段からできる限り遠ざけろ。早く行け、時間がない!」

 

「ひゃ、はい!」

 

 杠葉さんがいつになく力強い口調で命令してきたので、つい私もいつもはしないのにピシッと敬礼みたいなポーズを取ってしまう。

 すると、杠葉さんが物凄く苛々した様子で私に(多分いつも妖怪を祓うのに使っている)霊符(れいふ)を投げつけてきて、怒鳴るように命じてくる。

 

「行け!」

 

 どうやって音を鳴らすかとか、そもそもどこへ向かうかとか何一つとしてアイデアはなかったが、そのまま立ち尽くしていたら洒落(しゃれ)にならないほど怒られそうな予感がしたのでとりあえず駆け出す。

 というかだ、やっぱり私一人であんなに沢山いたゾンビをどうにかしろだなんて無茶ぶりにも程があると思う。それに私は普通サイズの山田なので、小さいサイズの小山田さんよりも私の方が偉いはずなのだから、まずは小山田さんが(おとり)になるべきではないだろうか?

 

 とりあえず階段から離れた場所まで走らないとなと思いつつも、ゾンビたちは杠葉さんたちが居る廃屋の方を目指してゆっくりとではあるが着実に進行しつつあるし、すでに膝近くまで水がきていてびっくりするほど走りにくい。

 しかも、走っているうちにどうしてかスウェットのズボンが段々とずり落ちていく。

 そろそろお尻が半分ほど出てしまいそうだったので一度立ち止まって両手でズボンを引き上げるが、なんだか妙にポケットがかさばる。

 

「あっ――!?」

 

 そうだ、これがあったんだった!

 アンコちゃんから貰ったというか、若干押しつけられた感のある防犯ブザーだ。しかもハッチーがいらなかった分もポケットに押し込まれたので二つもある。

 ハッチーが自爆した際に聞いた感じだと結構大きな音がしていたので、これをうまく使えばゾンビたちを誘導できそうだ。ある程度走ったら、アラームを鳴らして遠くにぶん投げればいい。

 こんな天才的な作戦を思いついてしまうだなんて、さすがIQ200の春子(はるこ)ちゃんだな。私のあまりの賢さに杠葉さんも東根先生も腰を抜かすに違いない。あの二人も馬鹿ではないものの、私と比べたらはっきり言って格下だからな。きっとここまで凄い作戦は思いつかないはずだ。

 そうだ、いざって時にスムーズにアラームを鳴らせるように、防犯ブザーの(ひも)をポケットの外に垂らしておこう……よし、これで完璧だな。

 

 あとでみんなと合流したら、凄いとか賢いとか偉いとか褒められまくるだろうなと思いわくわくしながら走っていると、何かに何かが引っかかって、スウェットのズボンのゴム入りのウエストがびんっと伸びた。

 その直後に突っ張った感触がなくなり、それと同時にポケットからキュピピピピピピピッ――と大音量のアラームが鳴り始める。

 

「えっ!? ええっ!!? なんっ!? なんでですか!?? ちょっ、止まって!」

 

 慌てふためきながらもちらりと背後を確認すると、石段から廃屋へと向かっていたゾンビたちがこちらを向いていた。

 ヤバい!

 

「あっ、あっ、あっ……!? ああっ!?」

 

 どうにかしてアラームを止めようとするも、抜けてどこかになくなってしまった紐を見つけて差し込み直さないことにはアラームは止まらないようだ。

 鳴っている防犯ブザーをとりあえずもう一度ズボンのポケットに入れて、ポケットの上から手でぎゅっと押さえつけてみるが、少し音は小さくなったもののそれでもかなりうるさい。

 このまま防犯ブザーを持っていたらゾンビに囲まれて食べられてしまいそうだったので、とにかくどこかに捨てないとと思い、ポケットから防犯ブザーを取り出して何も考えずにとりあえず自分が走っていた方向に思い切りぶん投げた。

 しかし、まだポケットの中でアラームが鳴っている。

 

「えっ、えっ、なんで!? あっ!? 鳴ってないほうを投げちゃったんだ!」

 

 大慌てでもう一つの防犯ブザーも同じように前方にぶん投げる。

 遠くでチャポンと音がして、それきり防犯ブザーのアラーム音が聞こえなくなった。なるほどな、足元にこれだけ水があるのだし、その辺に水没させてしまえばアラーム音を止めることができたんだな……。

 まあ、あまりスマートな感じではなかったものの、結果的にはこれで大きな音を鳴らしてゾンビを引きつけるという役目は果たせたはずだ。

 さて、私も早く逃げないとゾンビにやられるか溺れるかして死んでしまう。

 えっと、たしか石段を上れば元の世界に帰れるって話だったよな。石段は…………あれ?

 

「石段は私の後ろで、石段と私の間にはゾンビがいっぱいいて……んんっ? あれ? これ、もしかして逃げられない……? え? 私と石段の間にゾンビがいるじゃん」

 

 待て。こういう時こそ落ち着かないといけない。

 状況を整理してみよう。

 道は一本道で、私、ゾンビたち、石段、廃屋という順番で一列に並んでいる。うん、ヤバいな。

 とはいえ、こんな廃村の道なんてあってないようなものだ。いくらゾンビが大群だといっても、適当に(やぶ)の中を突っ切るなり廃屋の(へい)を乗り越えるなりして大回りをすれば避けて行けるとは思う。

 だが、水が流れ込んでくる速度がちょっと尋常じゃない。もう太ももの半分まで水がきているのだ。歩きにくいから時間もかかるし、遠回りをしている間に溺れてしまう可能性もある。実は私は水に浮けはするものの、泳げないし息継ぎもできないので鼻まで水に浸かってしまった時点で多分死んでしまう。

 

「や、やるしかないのかな……?」

 

 ゾンビの大群も怖いが、どっちかというと溺れる方が怖い気がする。ゾンビの大群はもしかしたらスイちゃんパワーで切り抜けられるかもしれないが、水は多分どうにもならないだろう。この水自体が妖怪とかオバケとかであれば大丈夫かもしれないけど、今のところは特に変な動きをしたりもしないしただの水のように思える。

 いやでも、やっぱりゾンビの大群も凄く怖いな、特に見た目とか……。

 

「うう……! もうこんな仕事やめたい……お金が貰えるって言っても何かとすぐに死んじゃいそうになるし、不思議とそのお金もなぜかまったく手元に残らないし…………スイちゃん、スイちゃん? おーい、聞こえてますか? 聞こえてたらなんかこう、どうにかして助けてくれませんか? おーい……ぐすん」

 

 頼みの綱であったスイちゃんも反応がない。まあ、今までこちらから呼びかけて反応があった試しがないのだが。

 こうして思い悩んでいる間にも水かさは増しており、気づけば足の付け根にまで到達していた。

 もう考えている時間はなさそうだ。そして多分、遠回りをする時間も……。

 

「見ちゃうと怖すぎるから、こう、目をつむって……だーっと走って行けば、スイちゃんガードとスイちゃんパワーが効けばなんとか……なるよね、なるはず! 私はブルドーザー私はブルドーザー私はブルドーザー……」

 

 おまじないを(とな)えながら石段にというか、ゾンビの群れに向かって全力でダッシュする。水の抵抗が結構あり、あまり速度は出ないがそこはもはやどうしようもない。

 目をつむっているのでよくわからないが、何かにぶつかってはスイちゃんパワーで引っぱたく。(いた)る所からボコボコと何か武器のような物で殴られている感じはしたものの、スイちゃんガードが効果を発揮しているらしくほとんど痛くはなかった。

 だけど、周囲から物凄い悪臭と気持ち悪い気配が(ただよ)ってくる。「あ~」とか「う~」やらといった唸り声や、「ハア、ハア」「ゼエ、ゼエ」みたいな荒い息遣いも聞こえてきた。

 まるで満員電車の中みたいにゾンビたちに揉まれていると、次第に言葉まで聞こえてくる。

 

「かや……かや……かや……ころす……かや……なんで……こんにゃく……てたのに……かや……」

 

 そう言って何者かが私の首を握るが、スイちゃんガードのおかげかまったく苦しくないというか()まらない。

 

「ていや!」

 

 私は目を閉じたままコンニャクゾンビを引っぱたく。スイちゃんパワーでコンニャクゾンビは消滅したのか、それきり言葉は止んだ。

 痛くはないがひたすらボコボコにされながら適当にベシベシと叩き返しているうちに、いつの間にか周囲が静かになっていた。

 そうっとまぶたを開くと、ゾンビたちはもうほとんど残っていなかったが、しかし水が胸の下くらいにまで迫ってきている。

 普通に歩いていたのではなかなか前に進まなかったので、あっぷあっぷと若干(じゃっかん)溺れかけながらも頑張って飛び跳ね続けてどうにか石段の手前までたどり着くと、石段の下の方でねるこちゃんと東根先生と小夜ちゃんが待っていてくれていた。

 

「たしゅ、たじゅけてくださいっ……! おびょれりゅ、おびょれひゃいまひゅっ!」

 

 つま先立ちをしているのに(あご)まで水がきていて、大げさでなくそろそろ限界だった。

 ねるこちゃんが手に持っていた()び錆びの鉄パイプをポイっと捨てて、ザボンと水中に飛び込んできて私の手を引っ張ってくれる。ねるこちゃんの方が私よりも背が低いのに頭が水上に出ているから泳いでいるんだな、凄いなねるこちゃん。

 ちなみにタバコを吸っていた東根先生は「これを吸い終わるまで待ってくれ」と言って助けに来てくれず、しゃがんで石段の脇に生えていた草花をいじっていた小夜ちゃんは「服や髪を濡らすとお母さんに怒られるから!」と言って助けに来てくれなかった。

 ともかく私は無事に石段の何段目かに引っ張り上げられて、まるで浜辺に打ち上げられた魚のように寝そべりながらねるこちゃんにお礼を言う。

 

「うううっ……! 助けてくれてありがとうございます、今度こそ死んじゃうかと思いました」

 

「いやあ、そもそも山田氏()はそれがしたちを助けてくれたのでござるし、これくらい当たり前でござるよ」

 

 びしょ濡れになりながらも笑顔でそんなことを言ってくれる優しいねるこちゃんに比べて、非情な東根先生に対して無性に腹が立ったので、よっこらせと立ち上がりびしょ濡れのまま正面から東根先生の体にがばっと抱き着いてやる。

 お腹を冷やしてお腹を壊してしまえ。なんでか知らないがここの水、凄く冷たいんだからな? 私はこの冷たい水の中をずっと移動してきたんだぞ!

 

「おっと、甘えん坊だな」

 

 東根先生はそう言うなり、持っていたタバコを指でピンと弾いて水面にポイ捨てして、私の体を両手で抱き返すと口にキスをしてきた。

 とっさに東根先生の体を押し返そうとした途端、東根先生がいきなりぱっと手を離して私はそのまま後ろに倒れてしまい、ザブンッと水中に落下する。

 なんとか自力で石段に這い上がったものの、今度は頭の先まで水浸しになってしまった。

 ワカメみたいになった髪の毛を額や頬に張りつけた私の顔を見て、東根先生がニマニマと笑いながら問うてくる。

 

「住人たちが殺し合ったという話だったが、なぜ元ここの住人らしきゾンビたちは互いに争わずに私たちばかりを殺そうとしていたのだろうな?」

 

「さあ……そんなことよりも、さすがに今の私ってかわいそうじゃありませんか? がんばったのにこんな目に遭わされて」

 

 目を半眼にして東根先生をじとっと見つめて抗議するが、都合の悪いことは聞こえない特殊な耳を持つ東根先生は当たり前のように私の発言を無視する。

 

「住人たちがダム建設賛成派と反対派に割れたのは本当なのだろうが、殺し合ったというのは雨ヶ嵜(あまがさき)カヤの嘘なんじゃないか? 実際には彼女が最後に残った一人どころか、他の住人全員を殺害していたりしてな」

 

「もしもそうだとしますと……もしかしたら、ゾンビたちはカヤさんをこの集落から逃がさないように出口を見張っていたんですかね? 実際はカヤさんは生き残ったわけですし、ここにはいないわけですけど」

 

「まあなくはないな。映画のゾンビ並みに頭が悪くなっていたようだったからな、やつら」

 

「そろそろ階段を上らないとまずくないでござるか?」

 

 上昇し続ける水面を見つめながらねるこちゃんがそう言うと、しゃがんでたんぽぽの綿毛をふーふー吹いていた小夜ちゃんが立ち上がって、「そういえばさっき見つけたダンゴムシ、溺れちゃったかな? 連れてきてあげればよかった」と(つぶや)く。

 さり気なく新しいタバコを吸おうとしていた東根先生だったが、さすがに諦めたようで抜き取ったばかりのタバコを箱の中へと戻して言う。

 

「ふむ、確かにそろそろ危ないな。寝子(ねるこ)ちゃんと私は人間だからな、溺れたら簡単に死んでしまう」

 

「私だって溺れたら死んじゃいますってば!」

 

「そういえばだが、寝子ちゃん。先ほどヤマコを助けに水中に飛び込んだ際に、水を飲んだりはしなかっただろうな?」

 

「えっと、飲んではいないと思うでござる」

 

「そうか、ならばいいんだが。いや、幽世(かくりよ)の水を人が飲んでしまったら現世(うつしよ)に帰れなくなる恐れがあるからな」

 

「多分大丈夫だと思うのでござるが、それは飛び込む前に言ってほしかったでござるな……」

 

「すまない。ヤマコがどういう目的で私たちに助けを求めたのかなど、あの時は色々と気になってしまっていてな。つい思考に没頭してしまった」

 

 ん? どういう目的も何も、ただ助けてほしかっただけだぞ? 泳げないのも、溺れたら死んでしまうのも本当のことだしな。

 東根先生が私の顔をちらっと見てから、ねるこちゃんを見て言う。

 

「何にせよ、君はもう少し気をつけた方がいいかもしれないな。人と同じようにあやかしも嘘をつく……たとえば小さな女の子が溺れていて助けに行ったら、実はカッパで水中に引きずり込まれて溺死させられた挙句(あげく)尻子玉(しりこだま)を抜かれたりするようなこともある」

 

「なるほど。とはいえ、溺れているのは本当に人間の女の子かもしれないわけでござるから難しい話でござるな……ところで、尻子玉ってなんでござるか?」

 

「肝臓だ。カッパは動物の血管に鋭い爪で小さな穴を開けて、妖力(ようりょく)を操って電子レンジのように血液を沸騰・蒸発させて、霧状にして浴びることで皮膚から栄養を摂取する。両生類だし確かに水辺に生息してはいるが、頭の皿や甲羅やくちばしといったお決まりのイメージは江戸時代に後から付け足されたというか創作された特徴であって、実際にはそういった見た目はしていない。私は見たことがあるが、小人のような割と可愛らしい感じだな。海外でチュパカブラと呼ばれているものもカッパだ。ちなみに肝臓がなくなるのは血液と一緒に蒸発してしまうからであって、実は尻から引っこ抜くわけではない」

 

「ふーむ……さすが作家先生でござるな。でまかせなのか事実と思って言っているのか、まるでわからないでござるよ」

 

「カッパは中々に厄介だぞ、体は小さいが妖力が強いんだ。しかも愛らしい。いつか飼いたいと思っているんだが、あの妖力をどうにかできない限りは危険すぎてな。名家出身の祓い屋の中にはカッパを式神にして使役(しえき)している者たちもいるが、そういったやつらは大体先祖がカッパを式神にしていて、そのカッパの子孫を赤子のうちから育てて懐かせているんだ。だから、赤子のカッパをどうにかして手に入れることができれば私にも飼えるのではないかと思うのだが、子育て中のカッパの親は非常に凶暴でな……偶然に親を失った赤子を見つけでもしない限りは無理だろうな」

 

 そんなことを言いながら東根先生が石段を上り始めて、小夜ちゃんも「行くぞー!」と言ってついて行く。

 ねるこちゃんが私を見て言う。

 

「それがしたちも行かないと、本当に溺れてしまうでござるよ?」

 

「いえ、その……ずっと走っていた上に途中ゾンビたちと戦いもしましたし、最後には水中を飛び跳ね続けて……正直、疲労と足の痛みが結構ありまして、階段を上るのが憂鬱で……」

 

「なら、なおさら早く行かないとまずいでござるよ。あ……もしかして、弱っている振りをしてそれがしをここに置き去りにするつもりでござったか?」

 

「そんなことしませんよ! ていうか東根先生がなんだか余計なことを言ったせいですよね、ねるこちゃんがこのタイミングでそんなこと聞いてきたのって!?」

 

「くくく、冗談でござるよ。それがしの肩を貸すでござるから、がんばるでござる」

 

「うう……肩を貸してくれるのはありがたいですけど、この階段さすがに長すぎませんか? 霧に呑まれちゃってて、見上げても先がまったく見えないんですけど……いったいどこまで続いているんでしょうね、私、こんな体で最後まで上れますかね……?」

 

「最後まで上らないと溺れてしまうでござるよ?」

 

「ううう……」

 

 足の疲労はすでに限界に近かったものの、溺れるのは嫌だったのでねるこちゃんに肩を借りてしぶしぶと石段を上り始める。

 石段の一段一段がやけに高いし段数も半端じゃないしで、後半なんて足が痛くて本当に泣きながらではあったが、ねるこちゃんの介添えもあってどうにか溺れる前に石段を上りきることができた。数えていなかったので正確にはわからないが、たぶん千段以上あったのではないかと思う。

 私の両足は目に見えてぶるぶると震えており、ねるこちゃんがいなければ立ってもいられないような状態になっていた。

 

「……大丈夫でござるか?」

 

「無理です、もう無理ですよぉっ……死んじゃいますぅ、うえええ」

 

「階段はこれで終わりみたいでござるから、多分もう少しの辛抱でござるよ。……またべつの階段が出てきたら、いよいよ駄目かもしれないでござるが」

 

「ううっ、なんでそんな恐ろしいことを言うんですか……? ……というか、ねるこちゃんはなんで平気なんですか? オリエンテーリングのとき、結構すぐに疲れていませんでしたっけ……?」

 

「オリエンテーリングのあれは面倒くさかったから適当にサボりたかっただけでござるよ、演技でござる。能ある鷹は爪を隠すとよく言うでござろう? それがしにはブシドーがあるでござるからな、実はそこそこ鍛えているのでござるよ」

 

「あ、でもよく見たらねるこちゃんの足も震えてますね……もしかして、私のせいで無理させちゃってます……?」

 

「そんなことないでござるよ、それがしの足は常にちょっと震え気味なのでござる」

 

「なんだ、そうだったんですか。実はねるこちゃんも無理をしていて、二人して共倒れになったらどうしようって思っちゃいました」

 

「ふははははは! それがしにはブシドーがあるでござるからな、そんな情けないことにはならないでござるよ、絶対に!」

 

 心なしかいつもと様子が違うようにも感じられたが(ふははははは! なんて笑い方をする子だっただろうか?)、何はともあれねるこちゃんがまだ元気なようで良かった。ねるこちゃんまで限界を迎えてしまったら、いよいよヤバいもんな……万事休すってやつだ。

 

 林の中を通る舗装もされていない狭い道をしばらく歩いていくと、最初に見たぼろぼろの赤い橋とは違って立派な造りをした、真っ赤に塗られた太鼓橋が深い谷を(また)ぐようにして架かっていた。

 なぜか橋の一番盛り上がったちょうど真ん中のあたりに、刃が欠けた日本刀が突き立てられている。

 なんとなく怖かったが、先に行った杠葉さんたちや東根先生なんかもここを通ったんだよなと思い、日本刀を避けてなるべく端の方を歩いて橋を渡った。

 すると、ようやく不思議空間を抜けることができたのか突如として霧が完全に晴れて、全身に木漏れ日が降りそそいだ。

 見上げると、木々の隙間から青い空とお日さまが覗いている。そうは言っても全身びしょ濡れなので、寒いのは寒いままだったが。

 なんとなく後ろが気になって振り返ってみると、そこにはもう赤い太鼓橋も日本刀も存在せず、ただ木々が生い茂っているだけだった。

 

「足痛いぃぃぃ、疲れたあぁぁぁ、うべええぇぇぇええん!」

 

 と、大泣きしながらねるこちゃんに肩を借りて歩いてきた私を見て、道路の近くに集まって私たちを待っていたみんながぎょっとした顔をする。小夜ちゃんがびっくりした顔をして、「ゾンビかと思った!」と言った。

 ずびずびと鼻をすすり、「足痛いぃ、死んじゃうぅ……!」と泣き(わめ)く私に、木陰に座ってふくらはぎを揉みほぐしていた東根先生が言う。

 

「なんと言うか、ご苦労だったな。よく頑張った。今回はヤマコのおかげで助かったようなものだし、なんでも食べたいものを言うといい。近いうちに必ず連れていってあげよう」

 

復楽苑(ふくらくえん)のチョコレートラーメンが食べたいですぅ、ひっぐ、ずびびっ!」

 

「あれはバレンタイン期間限定の商品だから、さすがに難しいな」

 

「うう……こんなに頑張ったのに、足痛いのにぃ……!」

 

「わかったわかった、とりあえずスイパラにでも行こう。車はなくなってしまったが、まあどうにかなるだろう」

 

 そういえば、乗ってきた車はあの不思議空間に残してきちゃったんだったな。謎の集落と一緒に水没して壊れてしまったかもしれない。

 というか、東根先生の車って高級車じゃなかったか? 確か、どうしても欲しくて安く譲ってもらったとか言っていたし、ずいぶんと気に入っていたようだったが……。

 

「東根先生……ずびっ、車、残念でしたね」

 

「ああ、別に落ち込んではいないから気にしなくていい。正直を言うと、ずっと憧れていたが見ることが叶わなかった六ツ尾集落を実際に見て歩くことができて、むしろラッキーだったと思っている」

 

「でも、お気に入りだったんですよね、あの車」

 

「まあな。あの車にはオーナーがこれまでに三人いたのだが、その三人ともがあの車を購入して半年以内に車内で変わった死に方をしたらしい。それを聞いたらどうしても欲しくなってしまってな。ほら、座ると絶対に死ぬ呪われた椅子とか絶対に座りたくなるだろう? 絶対に座れないように天井に固定してあったりするとなおさらだな、どうにかして座ってやろうという気持ちになってしまう。あの車も偶々(たまたま)なのかはわからないが高級外車で、安くしてもらってもそこそこ高かったからな。何というか、私にとってはまさに天井に固定してある呪われた椅子のような存在だったのさ」

 

「え……私やねるこちゃんも乗っちゃいましたけど、あの車ってそんなにヤバい車だったんですか?」

 

「私はまだ半年も乗っていなかったし何とも言いきれないが、今回六ツ尾集落にたどり着くことができたのはもしかするとあの車のおかげだったのかもしれない。そう考えるとだ、あの車は三人の命を奪ったのかもしれないが、十五人の命を救ったわけだ。数字の上であれば、どちらかと言うと良い車だったと言えないこともない。もちろん、戯言(ざれごと)だがな」

 

「いやいやいやいやいや!? そんな感じで流そうとしたってダメですから! そんなヤバい車に平気で他人を乗せて、ほんと信じられませんよ!」

 

 私に肩を貸したまま、横で話を聞いていたねるこちゃんがぼそっと言う。

 

「妖怪の方が正論を言っているでござるな」

 

「だから妖怪じゃないですってば!?」

 

 タクシーを手配したり、ねるこちゃんのお父さんに謝りまくったりとずっと電話をしていた杠葉さんがスマホを仕舞い、私を見て言う。

 

「ヤマコ、今回はよくやった。防犯ブザーを鳴らすアイデアも悪くなかった」

 

「ゆ、杠葉さんがデレた!? 私、杠葉さんに褒められたのってなんだか久しぶりな気がします!」

 

「お前をあまり褒めないのは、お前が滅多にいい仕事をしないからだ」

 

 いまさら照れ隠しを言っても遅いぞ?

 私のことが大好きなくせに!

 

 杠葉さんが私のことをじっと見つめて、顔をしかめて言う。

 

「なんだ、その腹の立つ表情は? 何を考えている? 今すぐにその顔をやめろ、殴るぞ」

 

「へっ!? こんなになるまでがんばったのに私、殴られるんですか……?」

 

 というか、「殴るぞ」なんて脅すのはジャイ〇ンだけかと思っていたぞ。

 小さい子同士でもなければ、今の日本で人間が人間に殴られることなんて普通はそうないはずなんだけどな。なんだろうな、今一番欲しいものは人権かもしれないな、切実に。

 

 そんなことを思った瞬間、真横から「あ、限界でござる」と小さな声がした。

 そして、ねるこちゃんがいきなりガクンと膝をついて、そのまま前のめりに倒れる。もちろん、ねるこちゃんの肩を借りて立っていた私も一緒に倒れた。

 私は地面に手をついて上体を起こし、膝立ちになってねるこちゃんの体を慌てて揺さぶる。

 

「えっ!? だ、大丈夫ですかねるこちゃん!? ど、どうしたんですか!? まさか私を助けて水を飲んだせいで、死んだっ……!?」

 

 杠葉さんも駆けつけようとしてくれていたが、真っ先にやってきた東根先生が倒れたねるこちゃんを挟んで私の対面に膝立ちになり、ねるこちゃんの顔や首や胸や腕やお尻に触れる。

 って、お尻に触れる必要は絶対になかったと思うけどな……?

 

「落ち着けヤマコ、死んではいない。多分疲れて寝ただけだ。このまま放っておいたらよくないだろうが、食べて休めば問題ないだろう」

 

「え、でも、ねるこちゃんは鍛えてるから平気だって言ってましたけど……?」

 

「多分だが、ヤマコが疲れたとか足が痛いとかずっと騒いでいたんだろう? それでこの子はヤマコに気を使って平気な振りをしていたんじゃないか? さっき私が柄にもなくあやかしは危険だと忠告してやったばかりなのに、あやかしのために体を張って気絶するとはな。この子は溺れた振りをしたカッパを助けようとして死ぬタイプに違いない」

 

「そ、そんなっ……!? な、なら万が一にもねるこちゃんがカッパに騙されないように、私がカッパを全部殺します! だってねるこちゃんは気絶するまで私のためにがんばってくれて、それなのに私はねるこちゃんが限界なことにも気づかずにずっと甘えてもたれかかっていて、自分で自分が恥ずかしいですっ……せめてカッパを皆殺しにするくらいがんばりませんと、申し訳が立ちません!」

 

「それは駄目だ。将来私が飼うカッパがいなくなったら困る」

 

「あ、そうでしたね、すみません……じゃあ、赤ちゃん一匹は残します! あとは殺します!」

 

 なんだか疲れが一周回ってわけのわからないテンションになってきていた私は、そんなことを宣言した。

 すぐ近くを流れる川に、沢山のカッパたちが()んでいるとも知らずに……。




はい、そんなわけで今回で一応ニシキリアン失踪編は終了です!

まずは……更新が遅くなってごめんなさいでしたああああああああああああああ!!!
色々と用事があって忙しかったのもありますけど、書き終わったので言いますけどなんか今回のニシキリアン失踪編は妙に書きにくかったです!
書いてる途中は「この話やんなきゃよかった……」って何度も後悔しまくりでした!
どうにか書ききれたのはお読みくださる方々、そして感想くださったり評価をつけてくださったりする方々のおかげです、ほんとに……!
いつもありがとうございます!
今回めっちゃ疲れたので数日くらい執筆活動をお休みしますが、その後またがんばって書きますので許してください!
多分一度リフレッシュ期間を設けた方が、むしろ結果として更新が早くできるんじゃないかという計算なんです!

そんなこんなでカッパ編はまたそのうちやる感じにして、今後しばらくはもっと短く終えられそうで読みやすい(書きやすい)お話をポンポンといくつもやる感じにしたいですね!
できればこう、お仕事パートと日常パートをうまいこと織り交ぜながら交互にやるような感じで!
お仕事パートばかりだと疲れますし飽きちゃいそうですし!
それにハッチーとかバッケちゃんとか長く書けないとなんか寂しくなっちゃいますから、二人が登場しない凄い長い話はこれきりにしたいところです!
ていうかほんとに今さらなんですけど、今回のお話と並行してお留守番組の方でもなんか事件を起こして、たとえば一話ずつヤマコ側とハチバケ側とで交互に話を進めていくとか、そんな感じにした方がよかったなーとか思います!
ヤマコちゃんと杠葉さん抜きにして、弓矢ちゃんアンコちゃんハチバケだけのお話とかもいずれ書いてみたいですね!
そしたら弓矢ちゃん視点か、ハッチー視点でしょうか? バッケちゃん視点は難しそうですし、アンコちゃん視点だと妙にふわふわしちゃいそうですしね!

余談ですが、ヤマコちゃんのお家がお金なさそうだったのはお母さんがヤマコちゃんをミッションスクールに通わせたいがために貯金をしていたからであって、実はそんなに貧しくはありませんでした!
ヤマコちゃんをミッションスクールに通わせたかったのもヤマコちゃんのためというよりかお母さん自身の憧れを叶えるためだったので、実はヤマコちゃんがそんなに遠慮する必要はなかったのかもしれないです!
あと、スイパラ=スイちゃんパラダイスの略です!


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騒々しい家

超サボっててすみませんでしたーーー!!!

そして~~~!

納豆蛞蝓炒飯先生より、可愛いねるこちゃんのイラストを頂いたので載せておきまっす!


【挿絵表示】


残念ながら本編ではねるこちゃんは寄宿舎に帰ってしまったようなので、ねるこちゃんがお好きな方はこちらのイラストでねるこちゃん成分を補給しておきましょう!


 六月になって最初の土曜日。

 私は杠葉(ゆずりは)さんを除いた冷光(れいこう)家の面々とスーパーにお買い物に来ていた。

 

 はー、眠たい……。

 夜行性な冥子(めいこ)ちゃんが毎晩隣の布団でアイパッドで面白そうなドラマを見ており、それをついつい一緒になって見てしまうせいで寝不足が続いていて、なんだか頭がぼんやりとする。

 というか、六月のお給料を杠葉さんから受け取った翌日になぜか冥子ちゃんにアイパッドプロを買うことになってしまい、お給料の半分以上(たしか13万円くらい)がなくなったんだよな……なんでそういう展開になったのかはいまいちわからないが、なんか気づいたら買ってあげないといけない感じになっていたのだ。洗脳はされていないと思うが、誘導はされたのだろうと思う。冥子ちゃんには口では絶対に敵わないから、今度何かをねだられた時にはもう一切反応せずに無視しよう。

 

 そんなこんなでかっこいいバレンシアゴのお洋服は未だ手に入らず、私は一昨年だかにママンにウニクロで買ってもらった黒い薄手のパーカーに黒いジーンズという恰好で食料品が山と積まれた重たい買い物カートを押しながら、六月の湿気のせいかなんとなく重たく感じるポニーテールを揺らしてアンコちゃんの後ろをついて歩く。

 前から歩いてきた買い物中のおばさんが、物珍しそうな顔をして私の目をじっと見つめる。両目の虹彩(こうさい)が緑色になってしまってからというものの、人とすれ違う際にこのようにじっと目を見つめられることがよくあるのだが、なんだか恥ずかしいし未だに慣れない。

 

 アンコちゃんのお買い物はとてものんびりとしていて、今日も三十秒立ち止まっては二秒歩いてまた三十秒立ち止まるといったことを、もうかれこれ一時間以上は繰り返している。

 ワンレンボブでメガネでモデル体型で美人なアンコちゃんは一見すると大人っぽくクールでデキる女に見えるが、実際のところは真逆で結構子どもっぽくて感情豊かでドジな女だ。ちなみに今日は気軽なお買い物だからか、いつもの縁なしメガネではなくて透明なプラスチックフレームのメガネをかけている。パーカーにジーンズという私と同じような恰好をしているが、相変わらず全身ハイブランドで固めており値段で言ったら十倍以上の差がありそうだ。というか、この両袖にカラフルなラインが入ったフィンディの白いパーカー、インターネットで高額で取引されているのを見たことあるぞ。

 お肉のコーナーを眺めていたアンコちゃんが振り返って、私にたずねてくる。

 

「ヤマコさんも今晩はうちで食べるんでしたよね? 鶏と豚と牛だとどれが食べたいですか?」

 

「えっとえっと、牛ヒレステーキか、霜降り肉ですき焼きがいいです」

 

「そうしたらお肉はここでは買わないでおいて、帰りにお肉屋さんに寄りましょうか。あっちの方が良いお肉を売っていますからね」

 

「おお……」

 

 どうして私がハイブランドのお洋服を見せびらかされつつ、重たいカートを一時間以上も押しながらアンコちゃんのお買い物に付き合っているのかというと、こういったご褒美があるからである。

 いやまあ、たとえ何もご褒美がなかったとしても私は杠葉さんの式神(どれい)なので、「行け」と命令されたら行くしかないのだが。

 

 しかし、冷光家ってほんとにお金持ちだよな。食料品に限らずとも、アンコちゃんがお買い物中に値段を確かめているシーンなんて一度も見たことがない。杠葉さんはあまりご褒美をくれないが、あれは多分私に対して意地悪なだけだろう。だって、お仕事中にアンコちゃんがお高いご飯屋さんを選んで入ることなんか日常茶飯事だが、そういう時には何も言わないしまったく嫌そうな顔をしていない。多分、お金自体はめちゃくちゃあるのだ。

 

「あのあの、冷光家ってお金持ちなイメージがありますけど、こないだの東根(ひがしね)先生の依頼みたいに何百万円とかもらえるお仕事が年に何度もあったりするんですか?」

 

「ええと、ある年はありますし、ない年はないですねー。ご依頼いただいた内容を鑑みて、危険性や難易度に応じて頂く報酬も変わりますので、平和な年だとああいった臨時報酬は少なくなります」

 

「ふむふむ、毎年何度もあるわけじゃないんですね。そう頻繁にブルドーザーしたくないんでよかったです。でも、じゃあなんで冷光家ってお金持ちなんですか?」

 

「その、えっとですね……あまり大きな声じゃ言えないんですけど、結構いけないこともしてますからね。ある意味、そこら辺の反社会勢力なんかよりもずっと性質(たち)が悪いですよ、うちは……何せ、(のろ)いやあやかしを用いた悪事って、被害に遭ったという証明ができませんからね。なので仮に被害に気づいたところでうちを訴えることもできませんし、そもそも素人では被害に遭っていることに気づくことすらありませんし」

 

「えっ。アンコちゃん、そんなに悪いことをしてるんですか?」

 

「その、ですね……うちは没落した家ですし、さきほども言ったように比較的平和な年もありますから、悪いこともしないと(はら)()なんてお仕事じゃ食べていけないので……」

 

 そう言ってアンコちゃんは私から目を逸らして、すぐ目の前に並べられていた商品を手に取ってじっと見る。子どもに人気のアニメキャラクターがパッケージに描かれた箱入りの魚肉ソーセージにアンコちゃんが興味を持つとも思えないので、単純に私から目を逸らしたかっただけだろう。

 しかしな……全身をハイブランドで固めた女が「悪いことをしないと食べていけないから」なんて言い訳をしても、説得力がまるでないな……冷光邸の裏庭には畑だってあるし、ブランド品を買わなければたとえ平和な年でも余裕で食べてはいけるんじゃないのか?

 

「ええ……ちょっと聞くのが怖くなってきたんですけど、具体的にはどういった悪事を働いているんですか?」

 

 私がそう()くと、アンコちゃんは何だか追いつめられたような顔をして周囲をきょろきょろと見回してから、そっぽを向いた状態でぼそぼそと言う。

 

「う……あんまり具体的には言いにくいですよ。それにほら、外ですし。その、私が勝手に話していいのかもわかりませんから、どうしても知りたいんでしたら後で杠葉さんに聞いてみてください」

 

 ふむ、これは何というか……本当に悪いことをしていそうだな? 警察官に密着する系のドキュメンタリー番組とかで、こういう反応をする犯罪者を見たことがあるぞ。

 しつこく追及してこの黒い金で着飾った悪い女を困らせてやろうかと思ったところで、冷光家が誇る女児三人衆(あれ、そういえば一人は男の子なんだったか?)が内の二人――弓矢(ゆみや)ちゃんとバッケちゃんがお菓子コーナーの方から手をつないで歩いてきた。

 弓矢ちゃんが髪をおさげにしているのはよくあることだが、なんと今日はバッケちゃんも弓矢ちゃんとお揃いのおさげスタイルだ。しかも、細部のデザインは異なるものの、二人とも白いワンピースを着ている。

 濡れたような黒髪で杠葉さん似の切れ長な目をした美人さんな弓矢ちゃんと、新雪のような白髪(はくはつ)で赤くくりっとした目をしたバッケちゃんが手をつないでいる光景はかわいいだけでなくどこか幻想的である。弓矢ちゃんがほっそりとしているのに対して、バッケちゃんはまさに幼女といった感じのちょっとぽってりとした体型で背丈もさらに低いので、手をつないでいると弓矢ちゃんがいつもよりもお姉さんに見えた。

 

 ちなみになぜ二人が手をつないでいるのかというと、バッケちゃんは基本的にぼうっとしているしすぐにその辺に落ちているゴミとかに興味が移ってしまうので、手をつなぎでもしないと弓矢ちゃんと(はぐ)れてしまい護衛として機能しないからである。そうした事情があって、弓矢ちゃんはバッケちゃんと行動する際には必ず手をつないでおくようにと杠葉さんから言い含められているのだ。

 

 ハリホーグミがたくさん入った巨大なバケツを腕に抱えているバッケちゃんの手を引いて、私が運搬を任されている買い物カートの脇までやって来た弓矢ちゃんがアンコちゃんに確認する。

 

「アンコさん、これ買ってもいい?」

 

「もちろん、いいですよ~」

 

 ふにゃりと微笑んで、アンコちゃんがやわらかい声で答える。ついさっきまで追いつめられた犯罪者みたいな態度だったのに凄い切り替えの速さだ。

 相変わらず表情は薄いが、自らの意思でもってバッケちゃんが抱えていたバケツを買い物カートの下の段のカゴにグイッと押し込み、弓矢ちゃんがにこっと笑う。

 バッケちゃんや弓矢ちゃんはかわいいし、アンコちゃんは悪い女だけど良いお肉をおいしくお料理して食べさせてくれるし、平和な世界だなあ……これで、数時間後にお仕事の予定が入ってさえいなければ最高なんだけどなあ。

 ただでさえ、こないだから六ツ尾(むつお)集落で溺れ死ぬ悪夢や、ゾンビの大群に()き殺される悪夢を毎晩のように見続けている私である。きっと今晩また怖い思いをするんだろうなと思うと、どうしても気持ちが塞いでしまう。

 

「――モコでも食べるか~い♪」

 

 背後からご機嫌な歌声が聞こえてきて振り返ると、蜂蜜色の狐の耳をぴこぴこと動かしつつ、同じく蜂蜜色の狐の尻尾をふりふりと振りながら、両手にそれぞれ買い物カゴを持ってこちらへと歩いてくるハッチーの姿があった。今日は英字プリントの白い半袖のシャツにパステルイエローのふんわりとした短めのスカートという恰好だ。三か月前に初めて出会った時にはあごのラインで切りそろえられていた蜂蜜色のおかっぱ頭が、今は肩にかかるくらいにまで伸びている。

 高性能なヤマコアイでよく見てみると、どうやら二つのカゴいっぱいにお菓子を詰め込んできたようだが……そんなに沢山買ってもらえると本気で思っているのだろうか? しかも、今日の夜食にでもするつもりなのかお惣菜コーナーにあったロコモコまで入っている。

 

 私たちのすぐそばまでやって来たハッチーを牽制するように、慌てた様子でアンコちゃんが口を開く。

 

「あっ、あの! つい先日のことなんですけど、蜂蜜燈(はちみつとう)さんに甘くしすぎだと杠葉さんから叱られてしまいまして――」

 

「ふん、杠葉の犬め。じゃが、わちにはヤマコがおるからな。ヤマコ、()うてくれ!」

 

「えっ、ちょ、買いませんよ!? 私今月はほんとに節約するつもりなんですから!」

 

 ハッチーは持ってきた買い物カゴを樹脂でできた床に置くと、両腕をクロスさせて×印を作り拒絶の意思を示す私に対して右手を振り上げる。

 

「出さなきゃ負けよ最初はぐー――」

 

「えっ!? えっ!!??」

 

「――じゃんけんほいっ!」

 

 とにかく不戦敗になるのは嫌だったので、慌てて私は()()を出す。本当はチョキを出したかったが、先日弓矢ちゃんから「もしもまたハッチーにじゃんけん勝負を挑まれることがあったら最初にパーを出してみて」と言われたのを思い出したのだ。

 その結果はというと……

 

「あっ!? や、やりました! ついに勝てました! 弓矢ちゃんの言う通り、パーを出したらどうしてか勝てました! 弓矢ちゃん、まさか予知能力があるんですか!?」

 

 驚きながらも私がそうたずねると、弓矢ちゃんが得意げな笑みを浮かべて答える。

 

「ふふ。まあね、ハッチーがグーを出すことは知ってたよ」

 

「凄いです! ほんとにありがとうございました! 私、ついに勝ちました! でも、あれ……? 私が勝ったら何を貰えるんですかね? 毎度負けていたので気づいていませんでしたけど、よくよく思い返してみますと、いつもハッチーとのじゃんけん勝負では私が勝った際のご褒美が設定されていなかったような気がします」

 

 そう言ってハッチーを見やるも、ハッチーはぽかんと口を開けて自分の小さなにぎりこぶしをじっと見つめいる。

 しばらく待っていると突然ハッチーの肩がぴくっと震えて、ハッチーが意識を取り戻す。

 

「あ……あー、そうじゃったそうじゃった。言い忘れていたかもしれんが、実は今回のじゃんけんは三本勝負じゃったのじゃった!」

 

「ええっ!? それも知らない話ですけど、そもそもですよ? 結局、私が勝った場合は何が貰えるんですか?」

 

「あー、えーとじゃな……うむ、今日はヤマコとのじゃんけん勝負はやめじゃ、やめ! 今聞かれて初めて気がついたのじゃが、ヤマコが勝った場合のことを考えていなかったしの、今回は勝負できん! そういうわけじゃから、これはアンコに買ってもらうとするかの」

 

「む、無理ですよ~。こっそりと買える量じゃありませんし、また叱られてしまいますもん」

 

 首を左右にぶんぶんと振って拒否するアンコちゃんをネコ科の猛獣のように細く(すぼ)めた瞳孔で見やり、ハッチーが脅すように問いかける。

 

「なんじゃと? わちに逆らうとはの、生意気なアンコじゃ。そんなに地獄を見たいかのう?」

 

「見たくありませんけど、当主の命令ですから、駄、駄目です……」

 

「ほーう? ならば後悔するがいい、地獄を見せてくれるわ」

 

 そう言ってハッチーがおもむろに床に寝転がると、それを見たアンコちゃんが「ああっ!? それだけはやめてください!」と悲鳴を上げる。

 いったい何が始まるのだろうか?

 仰向けの姿勢で、ハッチーがスウゥゥゥウっと大きく息を吸う。

 

「買うてほしいのじゃ~!!! 一生のお願いなのじゃ~!!!」

 

「わあ!? あまり騒ぐとまた出禁になってしまいますから、ほんとにやめてください~!」

 

「わちだってこんなことやりとうない! アンコが買うてくれたらそれで済む話じゃというのに、どうして買うてくれぬのじゃ!?」

 

「だ、だって、杠葉さんから『当主ストップ』がかかってしまいましたし……」

 

「ぬう~……! ヤマコ、お主はどうなのじゃ? わちに買うてくれぬのか!?」

 

 ハッチーが寝転がったまま、潤んだ目で私の顔をじっと見上げてくる。私は何も悪いことなんてしていないはずだが、自分よりも小さい(見た目の)子に泣きそうな目で見つめられると正体不明の罪悪感が込み上げてくるな……。

 

「う……。だって、じゃんけんには私が勝ったじゃないですか?」

 

「お願いじゃ、ヤマコ。これ全部買うてくれたら、わち、なんでも一つ言うことを聞いてやるぞ? なんでもじゃぞ、なんでも」

 

「え、なんでもですか?」

 

 なんでも、なんでもか……いいかもしれないな。今後お仕事で行った先とかで、どうしても怖い場所とかがあったらハッチーにお願いして私の代わりに見てきてもらったりなんてこともできるかもしれない。

 

「ほんとになんでも言うことを聞いてくれるんでしたら……じゃあ、買います!」

 

 私がそう言うと、寝転がっていたハッチーががばりと立ち上がり、声を弾ませて喜ぶ。

 

「おおっ、本当か!? さすがヤマコじゃ、話がわかるやつじゃのう!」

 

「でも、約束ですからね? なんでも一つ、私の言うこと聞いてくださいよ?」

 

「もちろんじゃとも!」

 

 ハッチーは満面に笑みをたたえて、力強く頷いた。

 

 そんなこんなで、午後九時過ぎ。

 冷光家にてアンコちゃん手製のすき焼きをお腹いっぱい食べた私は、冷光のお屋敷から車で20分ほど行った近所にある民家にやって来ていた。

 アンコちゃんに貰った白地の着物を身に(まと)い、頭にバケツをかぶった私は古いが立派な造りの日本家屋の玄関口に杠葉さんと並んで、依頼人である黒ぶち眼鏡をかけた三十代半ばほどの男性――海野(あまの)泰人(やすひと)氏から改めて今回の依頼内容に関する説明を受けている。

 海野家は代々(はら)()を営んできた家だということだったので身バレを防ぐために一応バケツをかぶってきたものの、どうやら泰人さんの曾祖父(そうそふ)の代で廃業しているらしく、現在の海野家にはそういった知識や繋がりといったものはほとんど残っていないという話だった。なんでも、今回杠葉さんに依頼するのにもツテがなくて苦労したらしい。

 

「――先日祖父が亡くなり、父は私が生まれてすぐの頃にすでに他界していたものですから、私がこの家を継いだのですが……私も妻も田舎暮らしというものに憧れていたこともあって、思い切って住んでみようという話になったんです。先祖が祓い屋という仕事をしていたことは祖父から聞いていましたけど、私は幽霊やら妖怪やらといったものは一切信じていませんでしたし、特におかしな体験もしたことがなかったのでその辺りはまったく気にしていなかったんですが……」

 

 そう言って視線を伏せる海野さんに、杠葉さんがたずねる。

 

「電話では夜間に何者かの気配がすると仰っていましたが、具体的にはどのようなことがあったのでしょうか?」

 

「屋内ですと二階を走り回るような足音や不可解な物音が聞こえたりだとか、雪見障子(ゆきみしょうじ)のガラス越しに赤い着物を着た人の足が見えたりだとか……あとは庭に面したガラス戸に何か丸いものを貼りつけたような跡が無数についていたこともありましたし、この玄関の戸の鍵がいつの間にか開いているといったこともよくありますね。屋外ですと……庭園の一部が迷路みたいになっているんですけど、竹の小舞(こまい)越しに人の気配を感じたり、誰の姿も見えないのに足音が追ってきたり」

 

「なぜ庭に迷路なんて物が?」

 

「私にもよくわからないんですが、修行だか瞑想だかをする目的で造られたみたいです。私と妻には必要のない物ですし撤去してしまいたいんですが、祖父から六道宮(りくどうぐう)と二階は下手にいじるとよくないことが起こるから触るなと言われていまして……」

 

「六道宮?」

 

「ああ、迷路の名前みたいです。曾祖父なんかは夕方から朝まで、一晩に六回、それぞれ決められた時間に決められた回り方で六道宮を歩くということを定期的にやっていたみたいです。祖父も子どもの頃は曾祖父に言われて無理やり歩かされていたとか」

 

「ふむ、なるほど。二階には何か気になるところはありますか?」

 

「そうですね……二階には和室が二部屋あるんですけど、それがなんというか、間取りといい家具の配置といい、何もかもが左右対称に――そう、鏡映しになっているんです。その上、私と妻がこの家に移り住んだ当初はどちらの部屋の中央にもまったく同じデザインの、かなり古そうな化粧台がぽつんと置かれていて、三面鏡が開かれていて……」

 

「……現在はどうなっているのですか?」

 

「それがですね、私も妻も霊的なことなんてまったく信じていなかったものですから、なんだか不気味でしたし化粧代はもちろんのこと、二階にあった家具の大半は業者にお願いして撤去してしまいまして……本当は六道宮も撤去するつもりだったんですけどね」

 

「実際におかしな体験をするようになってしまい、ためらいが生じたという感じでしょうか?」

 

「はい……」

 

「今日はこの後、海野さんはホテルに泊まるということですが……屋内だけでも一度案内していただくことは可能でしょうか?」

 

「あー、ええと……正直を言うと怖くて、自分の家だって言うのに上がりたくないんですよ。本当は鍵をポストにでも入れておいて、私は敷地内に入らずに済ませようかとも思っていたくらいで……妻にさすがに失礼すぎると嗜められて、こうして玄関まではやって来たのですが」

 

「では、普段はもうこの家には住んでいないということですか?」

 

「ええ。先週の水曜日から車で一時間ほど行ったところにある、妻の実家に寝泊まりしています。電話でもお話ししましたが、冷光さんに依頼する前に一月ほど警備会社に依頼して警備員を一人派遣してもらっていたんですけど……一番長くもった方でも一週間でした。一階の部屋を一つ空けて休める場所を用意して夜食やお菓子も置いておいたのですが、それでも皆さん一日目を終えると『もう明日は来たくない』と言い出すものですから……ああ、これは本当に何かあるんだなと私も確信してしまいまして」

 

「なるほど、わかりました。とりあえず様子を見ながらできる範囲で調べてみたいと思います」

 

 杠葉さんは特に渋るようなこともなく、あっさりと調査を請け負った。しかし家主ですら上がりたくないと言い、プロの警備員さんが早々に逃げ出してしまう家ってやばくないか?

 では後はよろしくお願いいたしますと言って海野さんが出て行ったので、私は頭にかぶっていたバケツを脱いで靴箱の上に置く。そして髪をポニーテールに結わえていると、膝丈の巫女装束を身に纏ったハッチーが外から玄関の二枚引き戸を開けて屋内に入ってきた。

 

「のう、ヤマコ。さっきわちのほかに誰か外に出ておったか?」

 

「ほんのちょっと前に依頼主の海野さんが出て行きましたけど、何かあったんですか?」

 

「いやの、庭に迷路みたいな物を見つけたから入ってみたのじゃがな? 竹垣(たけがき)に細く隙間があいておって、そこから誰かに見られているような感じがしたのじゃ。迷路を出てから一応外側を回ってみたんじゃが、その時にはもう誰もおらんかった」

 

「うわあ……」

 

 さっき海野さんが話していた、迷路の壁越しに何かの気配がするっていう体験談と合致するな。

 とてもそうは見えないとはいえ、長い時を生きてきた凄い妖狐(ようこ)であるらしいハッチーをしても簡単には正体をつかめないようなやつが、この海野邸に潜んでいるということだ。

 杠葉さんが腕を組んで言う。

 

「あまり長居したくもないからな、とにかく見て回るとするか。ヤマコ、先に行け。蜂蜜燈(はちみつとう)は俺の後ろだ」

 

「また私が先頭……」

 

「わかったのじゃー」

 

 下駄(げた)を脱いで未使用の足袋(たび)に履き替え、三和土(たたき)から式台に上り、板張りの廊下を歩く。知らない場所とはいえ、玄関も廊下もちゃんと(あか)りが()いているので廃墟やらと比べたらずいぶんと気が楽だ。

 廊下の正面には曇りガラスがはめられた格子(こうし)入りの扉があったが、とりあえず玄関から近い部屋から順番に見て行こうと思い、左手の(ふすま)を開けてみる。

 ヤマコアイは暗いところでもよく見えるが、だからといって暗闇がまったく怖くなくなるわけではないし、何よりも緑色に光っている目を見られるのが恥ずかしかったので急いで電気のスイッチを探して灯りを点けた。

 

「ん……?」

 

 最初は何の変哲もない六畳間の座敷だと思ったが、なんだか違和感がある。

 うーん、なんだろうな……窓かな? 底が床にくっつくくらいのめちゃくちゃ低い位置に外側に鉄格子がついた小さな窓があるのだが、あれはなんだろうな?

 私が首をひねっていると、杠葉さんが「ここは茶室のようだな」と呟いた。私は茶道なんてまったく知らないのでよくわからないが、茶室にはこういった窓がある物なのだろうか?

 ともかく茶室を出て廊下に戻り、二階へと上がる階段はひとまず無視して、右手にあった二枚の板戸のうちの片方を開けてみるとトイレだった。もう片方の板戸も開けてみるとそちらは洗面所になっている。洗面所の中には木製のがっしりとした造りの横開き戸があり、その奥には浴室があった。灯りを点けて五右衛門風呂の中まで覗いて確認したが、特に変わった物は見当たらない。

 また廊下へと戻り、今度は突き当たりの曇りガラスがはめられた扉を開けて、電気を点ける。フローリングのリビングルームだ。基本的には洋風の造りなのだが、奥の壁には襖がある。

 

「んん……?」

 

 少なくとも壁の一方は庭に面しているはずだが、どうしてか窓が一つもない。

 掃き出し窓くらいあっても良さそうなものだが……そんな風に思いつつも、とりあえず奥の襖も開けてみる。

 

「んんん……?」

 

 現れたのは八畳間の座敷だった。

 やはり窓がない上に、なぜかこちらにも二階へと続く階段がある。

 他にもなんだか違和感があるが……ああ、そっか、(たたみ)の敷き方だ。普通は畳って縦向きに敷かれている物があったり横向きに敷かれている物があったりして、なんだか複雑な並べ方になっているものだが、この部屋に敷かれた八枚の畳はすべて横向きになっている。こんな畳の敷き方は見たことがない。

 誰にともなく、杠葉さんがたずねる。

 

「なぜ階段が二本ある?」

 

「わかりませんけど……もしかして『お(ふだ)の家』の時みたいに、片方が偽物なんでしょうか?」

 

「いや、そういう感じはしない。というか、お前もそのくらいわかるだろう?」

 

「杠葉はほんとに冗談が通じないやつじゃのう、今のはヤマコなりの冗談じゃろ? あやかしジョークじゃ、あやかしジョーク」

 

「……冗談ならばそうとわかるように言え、ヤマコは演技が自然だからわかりにくい」

 

「えっ、あ、すみません」

 

 実際には冗談を言ったつもりなんてなかったのだが、つい反射的に謝ってしまった。お札の家ではバッケちゃんもすぐに偽物の階段に気がついていたし、妖怪であれば多分当たり前に判別できるんだろうな。

 ハッチーが「かっかっか」と笑って言う。

 

「確かに杠葉に拳骨されたときとか、ほんとに痛がってるように見えるからのう。その辺にいたよくわからんしょうもないあやかしに怯えてみせたり、いくら人間社会に溶け込むためとはいえ演技があまりに徹底しすぎている感じがして、ちょっと怖いくらいじゃな。さすがヤマコじゃ」

 

「あ、あはは……」

 

 なんと言っていいかわからなかったのでとりあえず曖昧に笑って誤魔化しつつ、階段が本物ならば当然上がって上の階も確かめなければならないので、先頭に立って再び歩き始める。

 踏むたびに「ぎしぃ」と嫌な音が鳴る、とてもすれ違うことなんてできそうもない細い階段を上っていくと、左右の壁が全面鏡張りになっている短い廊下に出た。しかも見上げてみても電球の一つすら見当たらず、窓もないのでかなり暗い。多分、ヤマコアイが緑色に光ってしまっているだろう。

 

「うえぇ……なんですか、これ?」

 

 廊下全体が合わせ鏡になっているなんて、さすがに気持ち悪いぞ。海野さんだったか? あの人、よくこんな家に住もうと思ったな……見た感じはそんなヤバそうな人には見えなかったが、人は見かけによらないとはよく聞く話だし、やっぱりヤバい人だったのかもしれない。

 

「祓い屋ならば、このような内装にする危険性は当然わかっていたのだろうが……そうなると余計に(たち)が悪いな」

 

「そういえば海野さんが、二階には二部屋あるって言ってましたよね? でも、見た感じ一枚しかドアがありませんけど……」

 

 鏡張りの廊下の右手にぽつんと佇む木製のシンプルなドアを眺めて首を傾げていると、杠葉さんが事もなげに言う。

 

「さあな、二間続きになっているのかもしれないし、とにかく部屋に入ってみればわかることだ」

 

「いやあの、そもそも部屋に入りたくないんですけど……」

 

「早く行け」

 

「うう、はい……」

 

 私はかわいそうな式神(どれい)なので、主である杠葉さんに命令されたら従わざるをえない。

 凄く嫌だったが、しぶしぶとドアノブを(ひね)る。

 うう、なんで私がこんなに怖い思いをしなくちゃならないんだろう? 確かに約束通りお給料はもらっているけど、スイちゃんと冥子ちゃんの厄介姉妹やハッチーにほとんど使われちゃって全然私の手元に残らないし……これじゃただ怖い思いをしているだけじゃないか。

 

 ガチャリ、ギイィィィ……

 

 軋んだ音を立ててドアが開く。

 廊下がめちゃくちゃ不気味だったので、きっと部屋の中にはもっと怖い光景が広がっているのだろうなと覚悟してドアを開けた私だったが、ドアの向こうはがらんとしたただの四畳半の和室だった。

 家具が何も置かれておらず相変わらず窓が見当たらないものの、一階にあった和室と違って畳の敷き方にも違和感はない。

 ただ、強いて言うならば二階にあるらしいもう一つの部屋への出入口が見当たらないのが気になるところだ。

 とりあえず電気を点けようと思ったもののスイッチが見当たらず、部屋の中心まで歩いていって電灯から垂れた(ひも)を引っ張る。

 室内が明るく照らし出されると、杠葉さんがぽつりと呟く。

 

「右巴ではなく、左巴になっているな。この部屋もやはり不祝儀敷(ぶしゅうぎじ)きか……」

 

「ブシューギジキ、ってなんですか?」

 

「普通畳は合わせ目に四辻(よつつじ)――十字ができないように敷くが、不祝儀敷きはあえて十字ができるように敷く。凶事置きとも言うが……葬式の際など、何か不幸があった時の敷き方だ」

 

「なるほど、十字ができちゃいけないから畳ってなんだか複雑な並べ方になってたんですね、初めて知りました。ですけど、この部屋の畳は見た感じ十字にはなっていなくないですか?」

 

「四畳半の不祝儀敷きは少し特殊だ。中心に半畳を置き、その周りに左回りに畳を置く。昔、切腹するための部屋にこういう風に畳が敷かれていたらしい」

 

「そうなんですか……お祖父さんが亡くなったからこの家を継いだみたいな話でしたけど、だからブシューギジキにしているんですかね?」

 

「いや、もしも葬式の際に不祝儀敷きに変えたのならばずっとそのままにはしておかないだろう。おそらく、海野泰人がこの家を継いだ時にはすでにこうなっていたのだと思う。彼自身は祓い屋ではないしそういった知識なども持っていないようだったから、特に気にしなかったのだろう」

 

 確かにそうかもしれないな。この家を継いだのが私だったとしても、わざわざ畳を敷き直すなんてことはしなかったんじゃないかなと思う。

 畳の状態がとても悪かったりすれば新しい畳と交換したり、いっそのことリフォームを試みたりするかもはしれないが、畳を持ち上げて綺麗に拭いて敷き直すのって結構な手間だろうしな。

 室内をうろちょろと歩き回っていたハッチーが、部屋の奥の壁を見つめて言う。

 

「欠陥住宅じゃな、この家。しょぼい祓い屋が建てたのじゃろうなー」

 

「窓はないですし廊下は鏡張りですし、まあ欠陥住宅といえば欠陥住宅ですよね」

 

「それだけではないぞ。ほれ、ここの壁の真ん中に縦に亀裂が入っておる」

 

 なるほど。言われてよく見てみれば天井から床にかけて、幅1センチほどの隙間がある。

 ハッチーが壁に額をくっつける。

 

「む……さすがに暗すぎて何も見えんのう、この隙間からもしかしたら何か見えるかと思ったのじゃが」

 

 そう言って壁から離れていくハッチーと入れ替わるようにして、私も壁に開いた隙間を覗いてみる。

 どうやら壁の向こうにも部屋があるらしい。何か、大人の男の人くらいの高さの物が部屋の中心あたりに置かれているように見えた。しかし真っ暗闇でもしっかりと見通せるヤマコアイがあると言っても、壁に空いた隙間の幅よりも広い範囲はどうしたところで見えないのでそれ以上のことは何もわからない。

 私は隙間を覗くのをやめて、振り返って杠葉さんに言う。

 

「向こうにも部屋みたいな空間があって、なんか大きな物が置かれてるみたいです」

 

「ふむ、二階の二部屋は直接行き来できない設計なのだろうな。おそらく階段が二本あったのもそのためだろう……なぜそのような造りにしたのかという部分は想像もつかないがな」

 

「じゃあ、一回一階に下りて、もう一つの階段を上がってみますか?」

 

「ああ……ところで、今の一回一階に下りてという発言も冗談なのか?」

 

「えっ!? ち、違います! やめてくださいよ、私がダジャレを言って滑ったみたいな雰囲気になっちゃうじゃないですか!?」

 

「かっかっか! 杠葉はほんとにわからんやつじゃのう!」

 

 杠葉さんが「む……」と呟いて、眉間に深いしわを刻む。自分のコミュニケーション能力の低さを悟って、拗ねてしまったようだ。駄目な人だな、まったく。

 合わせ鏡の廊下に出て階段を下りて、襖が開けっ放しになっていた八畳間からリビングルームに戻り、ガラス戸が開けっ放しになっていたリビングルームから一階の廊下に出る。茶室の襖も開けっ放しだったし、玄関の横開き戸もちゃんと最後まで閉まっておらず20センチほどの隙間が空いていた。

 まあ、点けたら消さない、開けたら閉めないのハッチーに最後尾を任せているので仕方がないと言えば仕方がない。それにどこの部屋に入ったかがぱっと見ただけですぐにわかるし、こういう時限定だが一応利点もある。

 先に見つけた方の階段を上っていくと、やはり先ほどと同じような左右の壁が全面鏡張りになった短い廊下に出た。唯一異なっているのはドアのある方向だ、先ほどは廊下の右手にドアがあったが、今度は廊下の左手にドアがある。あと、細かいところだがドアノブの位置も多分逆だ。先ほどのドアは右に開いたが、こちらのドアは左に開くようになっている。

 

「なるほど、ドアの付け方からして完全に鏡映しになっているのか」

 

 杠葉さんのそんな呟きを背中で聞きながら、今度はそんなに緊張することもなくドアノブをひねる。

 

 ガチャリ、ギイィィィ……

 

 やはり軋んだ音を立てて、ドアが開いた。

 

「えっ……?」

 

 家具が何も置かれていない、がらんとした四畳半の和室が目の前にある。

 畳の敷き方が左巴ではなく右巴になっていて、多分この家では唯一ブシュウギジキになっておらず、中央の半畳に謎の濡れたような染みが広がっている。

 だけど、そんなことよりも気になるのは、だ。

 私が壁の隙間から覗いた時に見た、大きな物体……それが部屋のどこにも見当たらないということである。

 

 私は困惑しながらも、とりあえずまずは灯りを点けないとと思い、部屋の中心辺りまで歩いていって、濡れたような染みを踏まないように気をつけつつ電灯から垂れた紐を引っ張る。

 しかし、うんともすんとも言わない。

 

「……あの、なんか電気が点かないです」

 

 私がそう言うと、杠葉さんが着物の帯に挟んでいた懐中電灯を取り出して点灯させた。

 室内を見回しながら杠葉さんが言う。

 

「畳も鏡映しか……ヤマコが見たと言っていた、大きな物とやらが見当たらないな。死霊やあやかしといったものの気配は感じないが、祓い屋が住んでいた家ともなるとそこはあまり当てにならないか」

 

「えっと、どうしてですか?」

 

「家にどういった術が施されているかわからないからだ。気配を感じないからと言っておかしなものが存在しないとも限らないし、気配を感じるからと言っておかしなものが存在するとも限らない」

 

 なんだかややこしい言い方をするな、頭がこんがらがってしまうぞ。

 とはいえ、簡単に言うとだ。私が壁の隙間から見た大きな何かは妖怪だったかもしれないってことか?

 

「うーん……あれが妖怪だったとしたら、私たちがここの階段を上ってくる前に階段を下りて一階のどこかか、家の外に移動したってことでしょうか?」

 

「さてのう? もしかしたら壁をすり抜けられるのかもしれんし、あの細い隙間を通れるのかもしれんし、なんとも言えんの」

 

「うえ……あの隙間を通れちゃうって、まるでゴキブリみたいですね」

 

「かっかっか! こそこそと逃げ回ったりしおって、まさしくゴキブリじゃなゴキブリ! 食器用洗剤で祓えるかもしれんのう!」

 

 ハッチーが豪快に笑って、大きな声でさっきまでここに居たかもしれない妖怪?を挑発するようなことを言う。もしもそいつが怒って襲ってきたら怖いし、もうちょっと声を抑えてほしい。

 ともあれ、ほかにも気になることがある。

 

「ところでですけど畳のその染み、いったいなんでしょうね?」

 

「んん~?」

 

 ハッチーが部屋の真ん中あたりまで歩いてきて、濡れたような謎の染みがついた半畳を何度か踏みつけて首をかしげる。

 

「なんじゃか変な感触じゃな?」

 

「何? 蜂蜜燈、めくってみろ」

 

「なんか凄いばっちぃもんとか出てきたらヤなんじゃけど……ていっ!」

 

 杠葉さんの命令を受けて、ハッチーが半畳の畳にブスっと指を突き刺してそのまま強引に持ち上げた。

 畳の下には囲炉裏(いろり)のような四角い(くぼ)みがあり、その中に(ふた)がされた高さ20センチほどの白く丸い形の(つぼ)が置かれていた。

 廃墟の畳ならばまだしも、依頼人の家の畳を故意に傷つけたハッチーを見て杠葉さんは眉根を寄せたが、とりあえずハッチーへの叱責は後回しにすることにしたらしい。

 

「明るい場所で中身を確認したい、一階に下りるぞ」

 

「はーい」

 

「わかったのじゃー」

 

 三人で縦に一列になってぞろぞろと歩いていると何だかRPGゲームみたいだなと思いながら、合わせ鏡の廊下に出て狭い階段を下りる。

 一階の廊下に戻ると、杠葉さんはスイッチをオフにした懐中電灯を着物の帯の間に挟み直して、リビングルームの片隅に積まれていた古い新聞紙を何枚か持ってきて玄関の三和土に敷いた。

 そして壺の蓋を開けると、三和土に敷いた新聞紙の上で壺を逆さまにして振る。

 

 壺の中からザバーッと、干からびた人間の指が一、二、三、四、五――全部で十一本も出てきた。

 

「ひえっ!!?」

 

呪物(じゅぶつ)だな」

 

「は、えっ? で、でも、えっ……? 人間? 人間の指ですよね、これ?」

 

「ああ。木乃伊(みいら)みたいに干からびてはいるが、おそらく人の指だろう」

 

「じゅ……十一本って、少なくとも二人分ってことですかね? だって指って十本ですよね、足の指がこんなに長いわけもないでしょうし……」

 

「いや……一つはおそらく……」

 

 と杠葉さんが言いかけて、途中で言葉を濁した。なんというか、杠葉さんにしては珍しい態度だ。

 

「な、なんですか? はっきり言ってくださいよ、そんな怖い物なんですか……?」

「……多分、一人分だ」

 

 それだけ言って、杠葉さんは敷いてあった新聞紙で壺から出てきた十一本の呪物を包み、靴箱の上に置いてあった私のバケツの中に入れた。

 

「ちょっ!? 私のバケツに変な物を入れないでくださいよ!?」

 

「ああ、駄目だったか? 取っ手があるからこの中に入れた方が持ち帰りやすいかと思ったのだが」

 

「絶対駄目です! 早く出してください! そのバケツ、また祓い屋さんの会合とかがある時にはかぶっていかないといけないんですから! 変な物を入れないでください!」

 

「すまない、ヤマコのような大妖(おおあやかし)がこの程度の呪物を気にするとは思わなった……いや、これも人間社会に溶け込むための演技か? まあいいが……」

 

 そんなことを言いながら、杠葉さんが私のバケツから新聞紙に包んだ呪物を取り出して、隣に――靴箱の上に置き直す。

 

「さて、一応家の中はすべて見終わったが、二階の二部屋は鏡映しのようになっていたからな。呪物が片方の部屋だけにあったとは限らないし、先に見た方の部屋の畳の下も確認しておきたい」

 

「確かにのう」

 

「一度確認した部屋ではあるが、念のためにまたヤマコが先頭を歩いてくれ」

 

「あ、はい。わかりました……」

 

 そう答えて私は板張りの廊下を歩き出し、リビングルームを通って八畳間の和室に入り、ぎしぎしと音を立てる狭い階段を上って、鏡張りの短い廊下にたどり着く。

 戸を閉める習慣を持たないハッチーがずっと最後尾を歩いていたはずだが、木製のシンプルなドアはきちんと閉ざされていた。

 

「ハッチー偉いじゃないですか、ちゃんとドアを閉めたんですね」

 

「おお本当じゃ、閉まっておるな。さすがじゃな、わち!」

 

 というか、ドアの周りの隙間から灯りが漏れていないし、ちゃんと電気も消したんだな。

 普段冷光のお屋敷ではいつも電気を消せ戸を閉めろと口やかましい杠葉さんとて、こうして仕事で現場の状況を確認して回るような際にはあえて灯りを点けっぱなしにしたり戸を開けっ放しにしたりもするし、今回だってハッチーに電気を消せだの戸を閉めろだのとは一度も言わなかった。

 だと言うにもかかわらず、これまでお屋敷でどれだけ注意を受けても一向に改善する気配のなかったハッチーが、まさか自主的に電気を消して戸を閉めるなんてな……年寄り妖狐も成長することがあるんだな。

 なんだか感慨深く思いながらドアノブをひねる。

 ガチャリ、ギイィィィ……とドアが開き、私は室内に入って電灯から垂れた紐を引っ張った。

 

 カチッ――カチッ……カチ……

 

「あれ? さっきは点いたのに、なんか電気が点かなくなっちゃいました」

 

「ん、なんじゃろうな? まあわちらは夜目が利くし、杠葉には懐中電灯があるし、何も問題なかろ」

 

「いや、懐中電灯も点かない……スマホも駄目みたいだな、電源が入らない。ヤマコの目が光るから暗すぎて身動きが取れないというほどではないが、近くに何か居るのかもしれないな」

 

「え? もしてかして霊障(れいしょう)とか、そういう感じのやつですかこれ……?」

 

「ふむ、なるほどのう。実を言うとわち、ドアを閉めた記憶も電気を消した記憶もまったくないんじゃけど、それももしかしたらわちら以外の何者かの仕業かもしれん」

 

「それ、部屋に入る前に言ってくださいよ!?」

 

「蜂蜜燈、半畳の畳をはがせ」

 

 杠葉さんに指示されて、「しょうがないのう」と言いながらハッチーがまたもや畳に指を突き刺して、強引に引っぺがす。

 二階のもう一つの部屋と同様に、やはり半畳の畳の下には囲炉裏のような窪みがあり、そこに高さ20センチほどの丸い壺が置いてあった。デザインなどはほとんど変わらないように見えるが、色が違う。さっきの部屋で見つけた壺が白かったが、こちらの部屋の壺は黒かった。

 ハッチーが壺を手に取って立ち上がり、杠葉さんが「下りて中身を確認するぞ」と言う。

 

 また先頭に立って両面鏡張りの廊下に出ると、さっきよりも暗いように感じた。

 気のせいだろうかとも思ったが、一階の八畳間は灯りが点いていたはずなのに、どうしてか階段の下が真っ暗になっていることに気がつく。

 私は振り返って、すぐ後ろにいた杠葉さんにたずねる。

 

「あの、どういうことですかね、これ……?」

 

「偶然に停電した可能性もないとは言い切れないが、おそらく何か居るのだろう」

 

「うむ、ヤマコが見たと言っていたやつかもしれんのう」

 

「私は真っ暗な場所でも見えますけど……杠葉さんは見えませんよね? 大丈夫ですか?」

 

「ヤマコの目の光で薄っすらとは見えるし、問題ない。何か変化があるかもしれないし、階段を下りたらもう一度一階を回るぞ」

 

「ええ……?」

 

 私やハッチーとは違い、杠葉さんには家の中の様子なんてほとんど何も見えていないんじゃないかと思うのだが……しかも何らかの怪異がこの家の中に潜んでいるっぽいのに、仕事とはいえよく落ち着いていられるな。

 怖いので私としてはすぐにでも車に戻りたかったが、何にせよ主である杠葉さんがまだ探索を続けるつもりでいるようなので従うほかない。

 慎重に階段を下りながら、前を向いたまま後ろにいる杠葉さんに聞いてみる。

 

「杠葉さんはその、怖くないんですか? 普通、こんな場所で、急に電気が消えて、懐中電灯もスマホもつかなくなったら怖いと思うんですけど……」

 

「仕事柄ある程度の慣れはあるが、正直に言えば怖い」

 

「え? 怖いんですか?」

 

「両親はあやかしに、妹は呪術師(じゅじゅつし)に殺された。経験がある分、最悪の場合にどういったことが起こるか知っているし、俺が死ねば弓矢(ゆみや)杏子(あんず)も生きられないだろうから怖い」

 

「えっと、意外です。本当は怖いのに、冷静さを保ってるんですか……凄いですね」

 

「取り乱さずにいられるのは、そういう風に作られたからだと思う」

 

「作られた?」

 

「幼い頃、当たり前だが俺はあやかしが怖くてたまらなかった。そんな俺の背に、祖父が毎日魔除(まよ)けの呪言(じゅごん)を書いてくれた。だが、それでもひっきりなしにあやかしに襲われた。当時は祖父を疑わなかったが、なんてことはない。祖父が毎日俺の背に書いていたものは、本当は魔除けの言葉ではなく、あやかしを寄せ集めるための言葉だった。幼い頃からあやかしに襲われる経験を積ませれば優秀な術師が育つかもしれないから、冷光に生まれた人間は皆そうやって鍛えられたようだ。その過程で実際にあやかしに喰われた子供も多くいたはずだが、簡単にあやかしに喰われてしまうような子供はそもそもいらないということなのだろう」

 

「えっと、それはなんと言いますか、ええと……えぐいですね。私、冷光家に生まれなくてよかったです」

 

「当時、蜂蜜燈が俺の背中に書かれた魔除けの呪言を無理やりに拭きとってくる事がよくあった。俺は蜂蜜燈のことを意地悪なやつだと思って嫌っていた。魔除けの呪言があってすら頻繁にあやかしに襲われているだから、消されてしまったらそれこそ死んでしまうのではないかと本気で思っていた。だが、当時は祖父の式神であった蜂蜜燈は俺に真実を伝えられなかっただけで、できる範囲で俺を守ろうとしてくれていたのだと後になって気づいた」

 

「ち、違うわたわけ! わちは杠葉なんてどうでもよかったんじゃ、うぬぼれるでないわうつけ! わちはのう、あのクソ生意気なクソじじいに嫌がらせしてやりたかっただけじゃからな阿呆め!」

 

「なんと言いますか、わざとやってるのかなと思ってしまうくらいのお手本みたいなツンデレですね」

 

「むきいいッ!!!」

 

 いきなりハッチーが奇声を上げて、階段の途中でバゴンバゴンバゴンバゴンッと地団駄(じだんだ)を踏み始める。

 それにしても、意外とって言ったら失礼かもしれないけど、良いところもあるんだなハッチー。ちょっと見直したぞ。

 

 階段を下りきって八畳間の座敷に戻った私は、首をかしげる。

 

「あれ……? 襖が閉まってるんですけど、閉めましたっけ?」

 

「ふん。少なくとも閉めた記憶はないのう」

 

「うぅ……開けるの怖いんですけど」

 

「そうじゃのう、襖の向こうに怖~い顔をした何者かが立っておるかもしれんしのう?」

 

「ひっ!? い、いじわる言わないでくださいよ!?」

 

「ん~? じゃって事実じゃろうが、わちら以外に襖を閉めたやつがおるとすれば、そいつが襖の向こうに立っていても別におかしくなかろ? 別にツンデレ扱いされた腹いせをしとるわけじゃないぞ? わち、そんなこと気にしとらんもん」

 

「めちゃくちゃ気にしてるじゃないですか! あ、謝りますからハッチーが襖を開けてみてください!」

 

「え~? わちじゃって、襖開けた瞬間目の前に怖い顔したやつがおったら嫌じゃしな~? どうしようかの~?」

 

「あっ、あっ!? そうだ、そうでした! さっきスーパーで約束したじゃないですか! ほら、何でも一つ私の言うことを聞いてくれるってやつです! あの権利を使います! 私の代わりにこの襖を開けてください!」

 

「しょうがないのー……そい!」

 

 スパァンッと音を鳴らしてハッチーが勢いよく襖を開け放つも、灯りの消えたリビングルームには何の姿もなかった。

 

「かっかっか! せっかくの権利を無駄にしてしもうたのう、ヤマコ?」

 

「う……。で、でも別にいいです、開けるのが怖かったのは事実ですもん」

 

「まあのう。さっき杠葉も言っておったが、元祓い屋の家ともなると妖力やらが感じ取れんように細工されていたりもするからのう。実際、わちはヤマコが壁の隙間から見たというやつの気配を感じんかったし……はてさて、何があるやら」

 

「リビングも真っ暗になってますし、やっぱりスイッチを押しても電気がつきませんね……」

 

「そんなことよりもじゃ、よく見よヤマコ。またドアが閉まっておるぞ?」

 

「うっ……で、でも、リビングから廊下に出るドアはほら、すりガラスがはめ込まれていますからね。開ける前にドアの向こうに何かいないかどうかは確認することができますから、別に問題ありませんよ」

 

「じゃけど、廊下の電気も消えとるっぽいし、もしもドアの前に立っとるやつがおったとして、そいつが黒っぽい色をしとったとしたらじゃ……すりガラス越しではおるのかおらんのか、よくわからない可能性もあるんじゃないかのう?」

 

「えっ……?」

 

「せっかく持っとったわちへの命令権はもうつこうてしもうたからの~? ここから先の扉はぜ~んぶ、杠葉に先頭を任されとるヤマコが開けるしかないじゃろうな~」

 

「うっ、うえぇ~……!」

 

「おーおー、泣いても許さぬぞ? わちをツンデレ扱いした罪は重いからのう?」

 

「ううっ、やっぱりめちゃくちゃ気にしてるじゃないですか!」

 

 ガチャリ、ギイィィィ……

 

「ひゃいっ!? い、今の音って……」

 

「多分だが、二階のドアの音だ。蜂蜜燈、一応確認するが……」

 

「閉めた記憶はないのう。どちらの部屋のドアもこんな音がしとったが、今の音は前から聞こえた気がするのう?」

 

「開けっ放しになっていたドアを閉めたのだとすれば、軋むような音が先にして、最後にガチャリという音が鳴るはずだ。今聞こえた音はドアを閉めた音ではなく、開けた音だと思う……もしも二階の部屋から何者かが出てきて階段を下りてくるとすれば、この先の廊下で鉢合わせる可能性があるな」

 

「そうじゃのう。ヤマコ、おふざけはおしまいじゃ。どの程度の妖力を持った相手なのかもわからんというか、そもそもあやかしなのかそうでないのかさえわからん状況じゃからな。一応真面目に行くぞ」

 

「えう……わ、私、なんにもふざけていませんでしたけど……」

 

「ああもう、なんでもいいから泣き真似をやめてしゃんとせんか。実際ヤマコは最強の大妖(おおあやかし)じゃからな、敵の正体がわからないくらいでいちいち慌てたりせんのじゃろうが、祓い屋じゃろうがなんじゃろうが杠葉はただの人間じゃ。わちらが気を引き締めておかんと、わちらはともかく杠葉が死んでしまうじゃろうが」

 

「……やっぱりハッチー、杠葉さんのこと大好きですよね?」

 

「ぬあああああああッ!!! じゃーかーらー!!! おふざけはやめにせいと言うたじゃろうが!!?」

 

「ぴえっ――!!?」

 

 背後から呪物だという例の壺が飛んできて私の後頭部にヒットした。

 妖力が込められた攻撃だったのでスイちゃんオートガードが発動して無傷で済んだが、これを投げてきたのが杠葉さんだったら私は死んでいたかもしれない。

 ハッチーが床に転がった壺を拾い上げて、私に言う。

 

「ほれ、(はよ)う行かんか。もう一つの壺は靴箱の上に置きっぱなしじゃからな、急がんと奪われるかもしれん」

 

「あ、あう……」

 

 どうしよう、めちゃくちゃ怖い。

 正体不明のよくわからないやつがちょうど階段を下りてきて、廊下なんて狭い場所で鉢合わせてしまうかもしれない。

 でも、杠葉さんに先頭を任されてしまったし、行くしかない……。

 

 ――あっ、いいことを思いついた。

 

 私は廊下へと続く扉の前に立ち、ドアノブにそっと手をかけた。

 リビングから玄関まで、廊下はずっと一直線だ。ならば多分、目をつむっていても何とか歩けるはず。

 意を決して扉を開けると、私は前に向かってぶんぶんと両腕を振り回しながら、目をつむってまっすぐ歩き始める。

 

「私はブルドーザー私はブルドーザー私はブルドーザー……」

 

 ブルドーザーしながら進んでいくと、突然床が一段低くなった。

 おそらく玄関の三和土に下りたのだろうが、焦って転びそうになってしまい、玄関の戸にブルドーザーパンチを当ててしまう。

 バゴオオオオンッと爆発したような轟音が鳴り響いた。

 

 おそるおそる目を開けると、戸が二枚とも吹っ飛んで粉々になっている。

 ハッチーが靴箱の上に置かれた白い壺の横に、手に持っていた黒い壺を並べて置きつつ言う。

 

「おお、さすがにこれは報酬から修理費を差し引かれそうな気がするのう」

 

「う、うええっ……お金、ないのにぃ……!」

 

 私が泣きべそをかいていると、階段をダダダダダダダダダダダダッと物凄い勢いで駆け下りてくるような物音が屋内から聞こえてくる。

 何か来る――!

 

「ほう? 隠れておればよかったものを、このわちに勝てると思うたのか? 誰じゃか知らんが生意気じゃッ!」

 

 急に怒り出したハッチーが廊下を駆け戻っていく。

 上半身が白っぽくて下半身が黒っぽい、着物のような服を着た背の高い人型が階段から姿を現す。顔には目や口といったパーツが存在せず、ただ白くてツルツルとしているだけだ。

 

「どらあッ!」

 

 ハッチーが掛け声とともにいわゆるヤクザキック――前蹴りを放ち、謎の人型の下腹部を思い切り蹴りつける。

 仰向けに倒れた謎の人型が、しゃがれた声で言う。

 

「ぁ……ぁ……いだい……痛い……」

 

「知るか死ね! おらあッ!」

 

 ハッチーが謎の人型の股間を踏みつける。

 

「ごっ……いだ……やめで……」

 

「やめるか死ね! おらあッ!」

 

 ハッチーが謎の人型の股間を二度(ふたたび)踏みつける。

 

「おっ……い…………夜は明るいからとても――」

 

「急にわけわからんこと言うな死ね! おらあッ!」

 

 ハッチーが謎の人型の股間を三度(みたび)踏みつける。

 

「虫が鳴く……海は……」

 

「おらあッ!」

 

 ハッチーが謎の人型の股間を四度(しど)踏みつける。

 

「ヒに……」

 

「おらあッ!」

 

 ハッチーが五度目の踏みつけを放つとドゴオンッと音が鳴って、海野邸の廊下の床に穴が開いた。

 謎の人型は四度目の踏みつけで消滅してしまったようだ。

 

「ふう、ふう……わちの勝ちじゃ、かっかっか! わちに楯突(たてつ)くからこうなったのじゃぞ? 雑魚は雑魚らしくおとなしく逃げ隠れしておればよかったのじゃ! かっかっかっかっか!」

 

「あの、その床の穴も修理にお金がかかりそうですけど……?」

 

「うっ……払うのは杠葉じゃろ? わちは困らん!」

 

「めちゃくちゃ怒られると思いますけど」

 

「ぬぐぐっ……!」

 

 怒られるのを警戒してか、ハッチーが引きつった顔で杠葉さんを見やるが、当の杠葉さんはというとまったく別のことを考えているようだった。

 

「四発……」

 

「杠葉さん、どうしたんですか?」

 

「……大抵のあやかしは蜂蜜燈に蹴られたら、一発で消滅してしまう。だが、今のやつは随分とかかった」

 

「えっと、つまり今のやつって結構強かったんですか?」

 

「何もしてこなかったようだし、強いのかどうかはわからないがな。だが、何か特殊な力を持っていたのかもしれない。この家の状況からしても、どうも人工的に造られたのではないかという感じがする」

 

「ふむ……でも、消えちゃいましたし確かめようもなさそうです」

 

「そうだな」

 

 私の言葉に頷いて、杠葉さんは電気のスイッチをパチパチといじる。すると、玄関の電灯が点いた。今のやつのせいで電気がつかなくなっていたのだろうか?

 

「スマホの電源も入った。とりあえず黒い壺の中身も確認してみるか」

 

 そう言って杠葉さんが先ほどと同様に玄関の三和土に新聞紙を広げて、蓋を外した壺を逆さまにした振り、中身を出す。

 どうやら怒られないようだと判断してか、ハッチーもやって来て様子を眺めていた。

 また壺の中から干からびた人間の指のような物が十一本出てきて、杠葉さんがぼそりと言う。

 

「こっちは女か……」

 

「えっ、指だけ見て性別が分かるんですか?」

 

「いや……」

 

 と、杠葉さんがまたもや言葉を詰まらせた。

 そして、かぶりを振って言う。

 

「大体の状況は確認できたし、対処法もいくつかは思いついた。とりあえず最後に庭と六道宮とやらを見て、今日は一度帰って明日の明るい時間にまた来るとしよう」

 

「は、はい……わかりました」

 

 なんだかあからさまに話題を逸らされたが、きっとそれだけ壺の中身がヤバい物だということなのだろう。

 杠葉さんが新聞紙に包んだ呪物をそれぞれ壺の中に戻して、ハッチーに持たせる。私も忘れないようにバケツを手に取り海野邸を出た。

 

 実際に見てみると六道宮とやらは大したものではなかった。高い竹垣に囲われた、子供だましな小規模の迷路という感じである。出入口が六つもあるため、どこがスタートでどこがゴールなのかがわからないのが何となく気持ちが悪いという程度だ。

 杠葉さんから「一応中を見てこい」と言われて一人で歩き回ったが、特に何事も起こらなかった。

 両脇に壺を抱えたハッチーと一緒に六道宮の外で待っていた杠葉さんがたずねてくる。

 

「何か感じたか?」

 

「いえ、特には……昔お母さんと行った温泉宿の大浴場で、露天風呂に行く間の道がこういう竹の壁で目隠しされてたっけなあと思い出したくらいで、何も変なことはなかったですね」

 

「山田春子の母親と……? いや、お前の本当の母親とか? そういえば妹もいたしな、母親がいてもおかしくはないのか……?」

 

「え? あ、いや、えーっと、んー」

 

「……まあ、いい。話は後だ、車に戻るぞ」

 

「あ、はい! 結局この迷路は放っておいても大丈夫なんですか?」

 

「例えば壁をどけて地面を掘り起こせば、また別の呪物などが出てくるかもしれないが……それはそれで、何か出てきた時にまた依頼してもらえばいいだろう」

 

 和風な造りの庭園を歩きながら、私は杠葉さんに聞いてみる。

 

「あのー、冷光家の普段のお仕事ってどんな感じなんです?」

 

「先祖の代から繋がりのある家々を定期的に訪ねて、結界を維持したり、家の守り神とされているあやかしの様子を見たりといったことをしている。名家、旧家などと呼ばれるような家はあやかしとのかかわりがある場合が多く、守り神として変な物を祀っていたり、先祖が大妖と厄介な契約を交わしていたり、そうした契約を反故にして恨まれていたりと家ごとに事情は様々だ」

 

「へー。実はアンコちゃんから結構あくどいことをしているとかって聞いたんですけど、なんか普通な感じですね」

 

「ああ、あえてあやかしを祓わないことはよくあるな」

 

「え、なんでですか?」

 

「本当に問題を解決してしまったら仕事がなくなってしまうからな。依頼人には自分を狙っているのがとても強力な大妖で、祓い屋として名の知れた冷光(うち)でも一時的に追い払うのが精いっぱいだと思わせておけばいい。うちに見放されたらお終いだと思い込めば、うちとの繋がりを最優先で維持しようとする」

 

「杠葉は客の家にそこらの木っ端(こっぱ)妖怪が集まってくるように細工をしておいて、集まってきたやつらを定期的に祓いに行ったりもしておるぞ!」

 

「なるほど、それがアンコちゃんの洋服代になってるわけですか……」

 

「昔はそうじゃったかもしれんけど、アンコはアンコで結構金持ちなんじゃぞ」

 

「え? 杠葉さんの弟子って儲かるんですか?」

 

「杠葉の弟子はたぶんぜんぜん儲からんけど、アンコは……なんじゃっけ、ぶいちゅーば? しとるからな。いつもヤマコが帰った後に部屋で何時間か仕事をしておるが、結構儲かっとるみたいじゃぞ?」

 

「え、そんなことしてたんですか? よく知りませんけど、なんか動画を配信するやつですよね」

 

 動画配信って難しそうだし、そんなことができるアンコちゃんはやっぱり眼鏡をかけているだけあって凄いんだなと感心しつつ、海野邸の玄関の前まで戻ってくる。

 飛び石に濡れたような足跡がついていた。

 

「んん……? これ、さっきまでありませんでしたよね?」

 

 びしょ濡れの人が家の中から外に向かって裸足で歩いて行ったように見える。足のサイズはそれほど大きくなさそうなので、この足跡をつけた者が人間であれば女かもしれない。

 特に緊張した様子もなく、杠葉さんが当たり前のように言う。

 

「部屋も呪物も二つずつあったからな、さっきのやつ以外にもまだ何か居たのだろう」

 

「え、どうするんですか?」

 

「外へ出て行ったのならば戻ってこられないようにすればいいだけだ、それならそれで特に問題はない」

 

「そうじゃな。わちらについてくるなら叩きのめせばいいだけじゃし、そもそも冷光(れいこう)の屋敷には結界が張ってあるから入れんじゃろうしな。よその家に行ったなら行ったで、後でそこの住人からも依頼が入るかもしれん。そうなれば倍儲かるわけじゃな。まあ、倍儲かってもわちには報酬なんてないわけじゃが……」

 

 そう言って肩を落とすハッチーだが、何だかんだと杠葉さんやアンコちゃんに色々と買ってもらっているような気がしなくもない。

 ただハッチーが欲しがる物が食べ物ばかりなので、形として後に残らないだけなのではないだろうか?

 

「とりあえずあとは明日だ、一旦戻るぞ」

 

 そう言って車に向かって歩きだした杠葉さんの背を、私は両脇に壺を抱えたハッチーと一緒に追いかけるのだった。




ゆーちゅーぶで見るとなぜか凄く簡単そうに見えちゃうんですよね、わりとどんなことでも。
そんなわけで、コロナ禍を言い訳に美容室にずっと行かないでいたら髪が腰まできちゃっていい加減洗ったり乾かしたりもめんどくさいし重くてうざいし辛かったので、道具一式をわざわざ通販してそろえてセルフカットに挑戦してみました!
その結果、肩のあたりで切りそろえようと思っていた髪がなぜかジャスト耳の下くらいの長さになりました……これまでの人生で一番短いのでは?ってくらいの短さになっちゃいました……。
しかも、もう外でれねーよってくらいヤバイ、なんか爆発したみたいな頭になっちゃったんで一年くらい引きこもろうかなとか本気で思いかけましたが、帽子をかぶったりしてなるべくごまかしつつ、ダメ元で行きつけの美容室に行ってきました……。
んで、もうすでに短すぎるしこれ以上は絶対に短くしたくないんだけど、できる範囲でどうにか良い感じにしてくださいいいって美容師さんに泣きついてどうにか見れる感じに直してもらい、ついでにもうどうにでもな~れってテンションでめっちゃ脱色してみました。
なんか最終的には意外とこれはこれでアリだなって感じに落ち着きましたけど……とにかく、ゆーちゅーぶで簡単そうにセルフカットしてる人たちは邪悪!!!(八つ当たり)


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帰り道

 そんなこんなで一度冷光(れいこう)のお屋敷へと戻り、アンコちゃんに貰った着物から毛玉の浮いた黒いパーカーとよれよれの黒いジーンズに着替え直して、弓矢(ゆみや)ちゃんとバッケちゃんの寝姿を観察したりもして。

 結局、帰路(きろ)についたのは日付が変わるちょっと前だった。

 アンコちゃんが「車でお家までお送りしましょうか?」と言ってくれたが、見るからに眠たそうな顔をしていたし交通事故に遭ったら怖いので遠慮しておいた。朝から家事や育児に加えて杠葉(ゆずりは)さんのマネージメント業務までをこなして、夜は小さい子たちを寝かしつけてから動画配信をしているアンコちゃんは多忙だからな。基本的に車の運転は上手なのだが、そうは言ってもドジな人だしいまいち信用し切れないところがある。

 杠葉さんは大妖(おおあやかし)だと思っている私のためにわざわざ車を出してくれたりしないので、結果として私はいつもよりもだいぶ遅い時間帯だったがいつもと同じように徒歩で帰っていた。

 

 ふと空を見上げて何だか今日はやけに星が多く見えるなーと思ったが、どうやら新月らしい。ただでさえ街灯もろくにない(冗談みたいな話だけど、地図で確認してみたところ大体五百メートル間隔で街灯が設置されているようだ。そもそも私が居候している祖父の家なんて一番近くの街灯まで二キロメートル以上も離れているし、この辺りは本当に街灯が少ない。)山道なのに、月明かりすらないので真っ暗だ。暗闇でもなぜかよく見えるヤマコアイがなかったら、ちゃんとした懐中電灯がないと歩けないだろう。

 

「それにしても、この山道もだいぶ歩き慣れてきたなあ」

 

 最初の頃は一度歩いただけで足が棒になっていたのにな。最後の上り坂に至る頃には、足の親指がぴくりとも動かなくなっていたはずだ。それが今や、それなりに疲れるとはいえ普通に歩けてしまうのだから驚きである。

 もう六月といってもまだこの辺りはそれなりに涼しいし、運動していると結構気持ちがいい。

 歩きながら深呼吸をする。

 

「ふう……夜の匂いがする」

 

 などと気取ったことを言っていると、道路脇の茂みがガサッと音を立てて揺れた。ちなみにここらの道には歩道なんてものはなく、車道の左側は崖で右側は山林だ。

 気にせずに歩き続けていると、十秒に一度くらいの頻度で茂みからガサッという音が聞こえてくる。どうやら何か動物が私について来ているらしい。とはいえこういうことは結構頻繁にあるし、最初の頃は怖くも感じたもののもはやあまり気にならなくなった。

 

「んっ……?」

 

 何だか急に尿意がこみ上げてきて、歩みは止めずにどうしようかと考える。いくら人目がないからといって、さすがにそこらの道端でいたすというのはありえない。私の美少女力が下がってしまう。

 だけど、確か少し行った先に熊が頻繁に出ることで有名な、土日の昼間ですらまったく人がいない寂れた公園があったなと思い出した。

 それからまた数分歩き、現れた細い横道に入って、ほとんど水が流れていない川の上に架かったぼろぼろの橋をおそるおそる渡ると、木製の長方形の建物が見えてくる。公園に設置された公衆トイレだ。

 つい先日まで私は公衆トイレの右側が女子用だと思い込んでいたのだが、よく見ずに右側に入ったら男子用で、びっくりして外に飛び出したところを冥子(めいこ)ちゃんにめちゃくちゃ笑われたという事件があって以降、ちゃんと表示を確認するように心がけている。あとになって調べてみたところ、元々国内の公衆トイレは右側が女子用で左側が男子用のものが多かったようだが、海外では基本的に逆になっているらしく、近頃は外国人観光客に配慮して右側が男子用で左側が女子用の公衆トイレが増えてきているらしい。

 そこまでするんだったらもう道路も右側通行にしちゃえばいいのにな、なんてことを思いながらトイレに近づいて男女の表示を確認すると、やはりぼろいだけあって右側が女子用だった。

 トイレに入ると真っ暗だったので、入ってすぐのところにあった電気のスイッチを押す。

 

「あれ……?」

 

 パチパチパチと、換気扇っぽいスイッチまで押しまくってみたが電気がつかない。

 んん……? だけど、電気がつかないってありえるのか?

 いくら寂れた公園のぼろいトイレとはいえ、こういうところって市とかで管理しているんじゃないのか?

 いやでも、そう頻繁に見回りをしてチェックしているわけではないんだろうし、暗くなってからこの公園を訪れる人なんて滅多にいないだろうから、こういうこともありえるか。ちょうど海野(あまの)さんの家で電気がつかなくなったりっていう現象を体験してきたばかりだから、ちょっと敏感になっているのかもしれないな。

 何にせよ私にはヤマコアイがあるので暗くても問題なく用は足せる。

 気を取り直して歩き出し、洗面台の前を通って手前の個室に入る。ぼろい公衆トイレなので和式便所だろうと思ったが、洋式だった。

 さすがに断水まではしていないよなと思いつつも念のために用を足す前に一度レバーを下げてみて、ちゃんと水が流れることを確認してから便座にトイレットペーパーを敷いて、その上に腰を下ろす。

 

 した……した……した……

 

「ふぇ!?」

 

 公衆トイレの外を、何かが歩き回っているかのような物音がする。

 動物だろうか?

 さすがにこんな時間に、こんな場所に人間がいるとも思えないし……いないよな?

 変質者だったらどうしよう?

 いやいやいや、一回落ち着かないとまずい。

 いざという時に慌てないように、脳内シミュレーションしておくべきだ。

 もしも熊や猪といったヤバいタイプの動物だった場合は、とりあえず逃げる。邪視(じゃし)は本当に追いつめられるまでは使うべきじゃない。どういう影響が出るかわからないから、そのせいで逆に襲われる可能性もある。

 もしも人間で変質者だった場合は、よくわからないな……でも、スイちゃんパワーで殴り殺しちゃったら大問題になるだろうから、やっぱり追ってきたりするようなら邪視するしかないだろう。

 もしもそれ以外――怪異だった場合は、うん……スイちゃんパワーで粉砕しよう。

 何にしても、とにかく個室から早く出ないとヤバい気がするが、こういう時に限っておしっこが止まらない。当然水音もしてしまっているし、外を歩き回っている何者かにも聞こえてしまっているはずだ。まず間違いなく私の存在は知られているだろう。

 何者かが個室のドアの前まで来てしまったら、逃げようにもスイちゃんパワーでトイレの壁をぶち破りでもしない限りもうどうしようもなくなってしまう。というか、そもそも怖すぎる。

 外を回っていた足音が、ちょうど公衆トイレの入り口辺りでぴたっと止まった。

 それと同時に私のおしっこも止まったが、トイレの水を流すのも、個室のドアを開けるのも怖い。何者かが、足音を忍ばせてすでにこの個室の前までやって来ているかもしれない。ドアの下の隙間から足が見えないか覗いてみようかとも思ったが、さすがに公衆トイレの床に這いつくばるのは不衛生だし気が進まない。

 

「うー……杠葉さんに電話して、ハッチーを派遣してもらおうかな……?」

 

 ハッチーは夜にはあまり寝ず、昼寝をよくするタイプだから多分まだ起きているだろう。

 だけどなあ……ハッチーを呼んだら、間違いなくまた『お礼』を求めてくるはずだ。もう今月はほんとにお金を使いたくないのに……。

 

「さっきだって、一回なんでも言うことを聞いてもらえる権利を使ってハッチーに(ふすま)を開けてもらったら、結局何もいなくて損したし……今回も結局何もいなくて、ハッチーを呼んだらまた損するだけかも……」

 

 うん、何だかそうなりそうな気がするぞ。

 こうなったら勇気をだしてドアを開けて、何もなかったかのように普通に帰ろう。怪異とか、こういうのは気にしないが一番良いと思う。

 なるべく音を立てないように気をつけつつ、個室の鍵を開ける。

 

「え……えいや!」

 

 掛け声とともに勢いよくドアを内側に開く。

 すぐ目の前に上半分が白くて下半分が黒い着物を着た、真っ白い肌をしたのっぺらぼうが立っていた。

 のっぺらぼうが指のない、おせんべいのような手を伸ばしてくる。

 

「ひゃっひう!?」

 

 ダンッと音を立てて思い切りドアを閉めた。やつに指があったら指を挟んでいたかもしれない。

 さっき海野邸でハッチーが踏んづけまくって消滅させたやつにそっくりだったが、サイズ感がだいぶ違ったと思う。さっきのやつはかなり背の高い男性くらいの大きさだったが、今いたやつは私よりも少し背が低いくらいだった。

 ど、どうする? スイちゃんパワーでドアごとぶち()くか?

 でも法律とかはよくわからないけど、壊しちゃったら当然弁償しないといけないんだよな?

 トイレのドアがいくらするのかは知らないけど、お金ないぞ……黙っていれば私がやったとはバレないだろうけど、それはそれでなんか罪悪感に苛まれそうだし……。

 迷った末に、私はもう一度ドアの鍵の部分をつかみ、覚悟を決めて内側に引っ張る。

 

「ちょいやー!」

 

 と叫んで、ドアが開いた直後に正面にスイちゃんパワーを込めたパンチを放つも、謎ののっぺらぼうの姿はすでにない。

 

「う……ど、どこ行った? いなくなられても、それはそれで怖いんだけど……」

 

 ぼそぼそとそんなことを言いながら個室を出て、女子用トイレの中をきょろきょろと見回すが特に異常はなさそうだ。

 私は手も洗わずに急ぎ足で外に出て、来たときに渡った橋をもう一度渡って街灯のない道路に戻った。

 後をつけられたら嫌だなと思ったが、打てる手はないしどうしようもない。時折後ろを振り返ってみたりはしたが、変な物は見当たらなかった。

 怯えているせいか冷や汗が止まらず、さっきまでの心地よさが嘘みたいだ。

 先ほどまでと比べたら街灯が増えてはきたが、それでもだいたい百五十メートル間隔くらいなので街灯と街灯の間は真っ暗である。

 

 ――たったったったった……

 

「うひゃいっふ!!?」

 

 後ろの方から、人間が小走りしているかのような足音が近づいてくる。

 こんな時間にこんな山道を歩く人なんてそうそういないはずだが、絶対にいないとも限らない。たぶん、誰かがランニングしているだけなのだとは思う。

 しかし足音はどんどん近づいてくるのに、背後を振り返っても遠くにある街灯以外に灯りが一切見えない。

 ヤマコアイを持たない普通の人が、この真っ暗闇の中を懐中電灯もなしに出歩くだろうか?

 怖くなった私はとっさの判断で道路沿いの山林に入り、太めの木の裏に隠れた。

 息を殺して、謎の足音が通り過ぎていくのをじっと待つ。

 

 たったったったっタッタッタッタッタッタッたったったったった……

 

 私が隠れている木の前を足音が通り過ぎていき、離れていった足音が完全に聞こえなくなってからさらに二十秒ほど待って、それからようやく息をつく。

 結局足音の主が人間だったのか、そうでなかったのかはわからなかったものの、どうやら隠れていた私の存在には気づかなかったようだ。

 安堵しつつ道路に戻り、足音が行った先に――つまりは私がこれから帰る方向に視線をやる。

 さっきトイレで見たあいつが路上に立ち止まり、こちらを見ていた。

 

「アヒュッ――」

 

 なんだかうまく息が吸えないし、お腹がすごく痛い。視界がちかちかとする。

 あいつはそれなりに離れた場所に立っていて、風もないのに鼻を()くような()げ臭さを感じる。

 鼻からすーっと液体が垂れてきた。

 

「あれは人の子が――おなごが見てはならぬもの。目を(つむ)るのです、お前さま」

 

 鈴を転がすような声――スイちゃんの声が直接頭の中に響いてきて、私は言われた通りに目を閉じる。

 その瞬間、まぶた越しにもはっきりと見えるほどの、翠色(すいしょく)の強烈な閃光が走った。

 光は一瞬で消えたようだが、色だけがまぶたの裏に焼きついて残っている。

 

「あ、あの……スイちゃん? もう目を開けても大丈夫ですか?」

 

 声に出して(たず)ねてみるが、反応がない。寝ていて夢を見ている時以外、普段はスイちゃんが返事をしてくれたことがないので、反応がなくて当たり前といえば当たり前なのだが……さっきはスイちゃんの声がしたし、目を開けてもいいのか不安になるな。いや、駄目なら駄目と言うだろうし、多分目を開けても大丈夫なんだろうけど……。

 そんなことを思いながら、恐々とまぶたを開く。

 辺りを見回しても、もうあいつの姿はどこにもない。

 

「スイちゃんが助けてくれたみたいだけど……あいつ、もしかしてほんとにヤバいやつだったのかな?」

 

 でも、スイちゃん光線(ビーム)で消滅したんだよな、多分。

 呪物(じゅぶつ)が二つあったから変なのも二体いたのかも、みたいなことを杠葉さんが言っていたけれど、一体はハッチーが踏み殺したし、今ので二体目も消滅したわけだから、これで安心なはずだ。

 ポケットティッシュを取り出して鼻をかむと、べっとりとした血がついた。

 スイちゃんが助けてくれなかったら本当に死んでいたかもしれない、スイちゃんには感謝しないといけないな。お金がないから今月はスイーツもケチろうと思っていたけど、さすがにここは奮発してお礼をしておかないとヤバいかもしれない。いつかまたこういうことがあった時にスイちゃんが助けてくれなかったら困るというか、死んじゃうからな。

 

 なんだかまだ心臓がばくばくしていたが、もうヤバいやつは消滅したんだし怖がることはないんだと自分に言い聞かせて、ふたたび歩きはじめる。

 その後は特に何事も起きぬまま、無事に居候先である祖父の家に到着した。

 玄関の横開き戸を閉める。

 戸に()め込まれたガラス越しに、ぼんやりと白く光っている物が見えた。

 (くら)の裏からあいつが、真っ白いのっぺらぼうの頭がこっちを覗いている……ついて来ちゃってんじゃん。

 怖いし気にはなったがスイちゃんに見ちゃいけないと言われたのを思い出して、今度はすぐに視線を外して、私は回れ右をして急いで階段を駆け上がる。平時ならばまずは一階にある洗面所で手洗いうがいをして、それから寝ている祖父を起こさないように静かに階段を上って自分の部屋へと向かうのだが、そんな余裕なんてなかった。

 自室として宛がわれた和室の襖を開けると、布団にだらしなく寝そべってアイパッドで動画を見ていた冥子ちゃんが私を見上げて、「あらおかえりなさい、(ねえ)さま」と言ってくる。

 私は布団にダイブして冥子ちゃんの背中に抱き着く。

 

「わっ!? なに、どうしたの!?」

 

「あばばばばばばばっ……な、なんか変なのがっ、変なのがうちまでついて来ちゃいました!」

 

「ええ? なんかとか変なのとか言われても、何が何やらさっぱりわからないのだけれど……言われてみれば外に妙な気配を感じるわね」

 

 私は冥子ちゃんの背中をぎゅっと抱きしめながら、今日あった出来事を話して聞かせた。

 

「ふむふむ、なるほどね」

 

 と冥子ちゃんが頷いて、それから私に訊ねてくる。

 

「で、どうして姉さまはそんなに慌てているの? 確かにそれなりの妖力(ようりょく)を感じるし、そこら辺にいるあやかしよりは強いのかもしれないけど、姉さまからしたら取るに足らない小物じゃない?」

 

「だから、息ができなくなって、鼻血が出てきて、死んじゃうんじゃないかと思って……」

 

「でも、見なければ多分大丈夫なんでしょ? 目を瞑って引っぱたけばいいじゃない」

 

「見なきゃ大丈夫なのかもはしれませんけど、スイちゃん光線(ビーム)から逃れたみたいですし、目を瞑って引っぱたこうとしても避けられちゃうかもしれないじゃないですか! というか、理屈抜きにとにかく怖いんですよ! だってのっぺらぼうですよ、のっぺらぼう! のっぺらぼうに家を知られちゃって、ついて来られちゃったんですよ!? お、お風呂で頭を洗ってる時とか、トイレに入ってる時とかに家の中に入ってきたら、ぜったい心臓止まっちゃいますもん!」

 

「痛い痛いっ、痛いわ姉さま、そんなにぎゅうぎゅうと締めつけられたら冥子が先に死んでしまいそうよ! 怖いのはわかったからとにかく離してちょうだい!」

 

「い、一緒にお風呂に入ってくれるって約束してくれたら、離してあげてもいいです……」

 

「え~?」

 

「だ、だって私、あののっぺらぼうがいなくなったのを確認できるまでは一人でお風呂に入れません!」

 

「うちのお風呂狭いじゃない、二人で入れるかしら? それに、冥子はもうお風呂入っちゃったもの」

 

「お願いします、なんでもしますから!」

 

「ん~、それじゃ、来月のお給料で冥子にこれを買ってくれるなら、のっぺらぼうがいなくなるまで一緒にお風呂に入ってあげようかしら」

 

 そう言って冥子ちゃんは私の腕の中で身をよじり、こちらを向いてアイパッドの画面を見せてくる。

 さっきまで女の子が一人で心霊スポットらしき場所に行ってる動画を見ていたのに、いつの間にかネットショップの商品ページが開かれていた。

 

「えーと、ピコラ、コンパクトソファーベッド……ごまん、はっせんえん?」

 

「今月はもうお金がなさそうだから、来月でいいわよ? ()()()のおやつ代まで使い込んでしまったら、あとが怖いし」

 

「うっ……、お布団とおざぶ(座布団)じゃダメなんですか?」

 

「昔はそれでよかったんだけど、冥子、最近までずっと海外にいたのよ。結構長くベッドや椅子のある生活をしていたから、床に座ったり寝たりするのがしんどくなっちゃったのよね。本当はソファーとベッドは別々がいいんだけど、でもこの部屋は狭いでしょう? だからソファーベッドにしようと思って」

 

「う~」

 

 当たり前のことだがさすがにじいじ(祖父)に一緒にお風呂に入ってもらうわけにもいかないし、冥子ちゃんに一緒に入ってもらうことができなければ一人で入るしかなくなってしまう。

 もしかしたら、明日にはあののっぺらぼうが居なくなっている可能性もなくはないが……色々と怖い思いをしたり、山道を歩いたりで結構汗をかいてしまったから、たとえ今晩だけだとしてもお風呂に入らずに寝ることを思うとかなり憂鬱だ。

 

「どうする?」

 

「一旦タイムです! ちょっと杠葉さんに電話してみます!」

 

 私は冥子ちゃんを解放して布団の上に座り、ポケットからスマホを出して冷光家に電話をかける。

 数回のコール音のあとにアンコちゃんが電話に出た。

 

『はい、冷光です』

 

「あ、私です、ヤマコです。杠葉さんに代われますか?」

 

『はーい、今呼んできますので少々お待ちくださいねー』

 

 そう言ってアンコちゃんが受話器を置き、クラシックか何かのメロディ(詳しくないのでよくわからない)が流れ始める。なんだか聞いていると凄く眠たくなってくるな。

 数十秒ほどして、謎のメロディがプツッと途切れて杠葉さんが電話に出る。

 

『ヤマコか? なんの用だ?』

 

「今、帰り道でさっきののっぺらぼうのちょっと背の小さいやつに追いかけられまして、そいつがうちまでついて来ちゃったみたいで、今も多分すぐ外にいるんですけど、どうしたら――」

 

 いいですかね? と続ける前に、杠葉さんが『ふむ』と頷く。

 

『そうだな、念のために明日また海野の屋敷を確認する必要はあるが、そいつがヤマコについて行ったのならばもう問題はなさそうだな。よくやった』

 

「ほへ?」

 

『報告ご苦労だった』

 

 その一言を最後に一方的に通話を切られた。

 わざわざ助けに来てくれるとまでは期待していなかったが、どうやら杠葉さんにはアドバイスをくれる気すらもないらしい。

 私はスマホを枕元に放り投げて、薄ら笑いを浮かべてこちらを見ていた冥子ちゃんと目を合わせた。

 

「うーわかりました! 来月そのソファーベッド買いますから、お風呂お願いします!」

 

「ふふ、交渉成立ね! ならさっそくお風呂に入っちゃいましょう、姉さまったら汗くさいわ」

 

「だって、いっぱい汗かきましたもん……主に冷や汗だった気がしますけど」

 

 そうこぼしつつ冥子ちゃんと一緒に立ち上がって、パジャマを持って一階にある洗面所に向かう。

 持ってきたパジャマをカラーボックスの上に置き、脱いだ服を洗濯かごに入れて浴室に入った。

 浴槽の湯を追い炊きしつつ、シャワーから熱めのお湯を出して浴びる。

 

「二人で洗い場にいると狭苦しいし、冥子はもう綺麗だから湯舟に入ってるわね」

 

「はいどうぞー」

 

 シャワーも浴びないままに冥子ちゃんがお湯に浸かって、気持ちよさそうに目を閉じる――って、ん?

 

「ちょ、目を閉じないでくださいよ!? ちゃんと私のこと見ててください、怖いじゃないですか!?」

 

「え~? いくらなんでも、そののっぺらぼう?が家の中に入ってきたらわかるわよ……」

 

「寝ちゃうかもしれないじゃないですか!? ダメです、ダメです! もう冥子ちゃんはお湯に浸かるの禁止です! 湯舟の縁に座って足湯しててください! これはちゃんとした取引があった上での一緒にお風呂なんですから、ちゃんと私の指示に従ってください!」

 

「はいはい、わかったから……姉さまったらもう、どうして顔と指がないだけのあやかしがそんなに怖いのよ?」

 

「それだけでも十分怖いですけど、それだけじゃないんですってば! 息ができなくなって、鼻血が出たんですよ!? ぜったいにヤバいやつですよ!」

 

「も~、めんどくさいから冥子がそいつを消し飛ばしちゃおうかしら」

 

「えっ、やってくださいよ! もしも今夜中にやってくれたら、一緒にお風呂も私がこの怖さを忘れるまでのあと数日くらいで済むと思いますよ?」

 

「え? 今夜中にそいつを消し飛ばしても、あと数日は一緒にお風呂に入らなくちゃならないの……?」

 

「そりゃそうですよ、五万八千円も払うんですから! あ、今から頭を洗いますから、できるだけまばたきをしないで、集中して私のことを見ていてくださいね!? もしもドアのすりガラスの向こうに何か居たりしたら、すぐに教えてくださいね!?」

 

「はぁ、もう……わかったから、落ち着いてちゃんと洗いなさいね」

 

 そんな風に冥子ちゃんが請け負ってくれたので、安心してゆっくりと丁寧に頭を洗う。

 しかし、頭を洗い終わって振り返ると、冥子ちゃんは私に背を向けて浴室の壁を見ていた。

 

「なんでそういう意地悪するんですか!? 信じられないです! ほんとに! これは取引ですよ!? わかってるんですか!? わかってないでしょう!? ちゃんとやってくれないならソファーベッドもなしですよ、なし!」

 

 恐怖と焦りから早口になって怒鳴る私に、冥子ちゃんが後ろを向いたまま声をかけてくる。

 

「ねえ……」

 

「なんですか!? 言い訳ですか!?」

 

「のっぺらぼうって……もしかしてこんな顔だった?」

 

 そう言って、浴槽の縁に座っていた冥子ちゃんが両手で顔を覆いながらゆっくりとこちらを向く。

 そして、いきなりバッと顔から両手を外した。

 

「うひょおああッ!? ――って、のっぺらぼうじゃないじゃないですか!? お、驚かさないでください! なんでそうやって意地悪ばっかりするんですか!? 泣きますよ!?」

 

「ふふ、ごめんなさい。姉さまの反応が面白いから、ついふざけたくなっちゃった。あら、姉さま? ほんとに涙が出てる」

 

「ううう、冥子ちゃんが意地悪するからですよ! ばか!」

 

「ごめんなさい姉さま、そんなに怒らないでよ? かわいい妹のかわいい冗談じゃない」

 

「かわいい冗談なんかじゃありませんでした!」

 

 私はぷんすか怒りながら浴槽の湯に体を沈める。

 冥子ちゃんが体を反転させて浴槽の中に細い(あし)を入れてきて、足の裏で私のお腹をぷにぷにと踏む。

 

「やめてください」

 

「だって姉さまのお腹かわいいんだもの」

 

 くそう、冥子ちゃんの脚ほんとに綺麗だな、お腹も私と違ってぷにぷにしてなさそうだし……私もそこそこの美少女であると自負しているが、スタイルでは冥子ちゃんに敵いそうもない。

 私はお腹の上から冥子ちゃんの足を退()かして、ちょっと悔しい気持ちで浴室から出る。

 濡れた体をタオルで拭いパジャマを着て、ヘアオイルをつけた髪をドライヤーで乾かす。ちなみにヘアオイルはホワイトリリーのフレグランスだ。正直を言うとホワイトリリーの匂いを私はよく知らないのだが、冥子ちゃんが気に入っているのでこれを使っている。

 なお、ヘアオイルは共用だが化粧水は別々だ。私はアロエを使ったわりとぬるぬるする化粧水を使っているのだが、冥子ちゃんはぬるぬるしたりベタベタするのが嫌いで、ネット通販でしか買えないカモミールの化粧水をわざわざ取り寄せて使っている。祖父の家に居候している私の部屋にさらに居候している超居候の身でありながら、なんともわがままなやつである。

 冥子ちゃんと並んで歯を磨いて、電気を消して洗面所を出る。

 台所に行き、フタ付きの大きいタンブラーに水道水を()んで一杯飲み、ふたたび水道水で満たしてからフタを閉める。寝ている間にトイレやらでちょっと起きてしまったときに、喉が乾いていることが多いので部屋に持っていくのだ。

 階段を上りながら、すぐ後ろにいる冥子ちゃんにお願いする。

 

「あの、トイレに行きたいんですけど……怖いのでドアの前で待っててほしいです」

 

「プフッ――いいわよ」

 

「今笑いました? 笑いごとじゃないんですよ、ほんとに死にかけたんですよ? 息ができなくなって、鼻血が出てきて――」

 

「わかったから、もう百回は聞いたから」

 

「わかってないから笑うんじゃないですか! わかってたら笑えませんってば! まったくもう、冥子ちゃんはあの恐怖を体験してないから……」

 

「多分だけど、そののっぺらぼうって呪詛(じゅそ)を振り撒くようなタイプでしょう? だとしたら、冥子や()()()には効かないと思うわ。だって、冥子たちは(たた)りそのものだもの」

 

「じゃあ外にいるのっぺらぼう、冥子ちゃんがやっつけてきてくださいよ」

 

「面倒くさいけど、毎日姉さまと一緒にお風呂に入ったりする方が面倒くさいからやっつけてあげてもいいわ。じゃあ、今からちょっと探してくるわね」

 

「今はダメです、絶対にダメです! もしも冥子ちゃんがのっぺらぼうを探しに行った隙に、のっぺらぼうが私を殺しにやってきたらヤバいじゃないですか! 今晩はずっと私といてください、のっぺらぼう退治は私が学校に行ってる間とかにしてください! 今からトイレに入りますけど、絶対にドアの前を離れちゃダメですからね!? 絶対ですよ!?」

 

「もう、姉さまうるさい。おじいちゃんが起きちゃうじゃない」

 

「うっ……と、とにかく。一瞬でも、ちょっとの距離でもドアの前から離れたらもう絶交ですから」

 

「はいはい。でも、冥子が動いていないってどうやって確かめるの?」

 

「私がトイレに入っている間、冥子ちゃんはずっと歌っていてください。そうしたらドアの前にちゃんといるってわかりますから」

 

「それ、もしもおじいちゃんが起きちゃったら冥子、夜中に廊下で歌ってる頭のおかしい子だと思われちゃわないかしら?」

 

「どうせ一分二分ですから大丈夫ですよ、じいじが起きたとしても朝には忘れてますよきっと。それにですね、そうでもしないと私、トイレに行けないで漏らしちゃいますよ?」

 

「もう……じゃあ歌っててあげるしドアの前から一歩も動かないでいてあげるから、早くおトイレ入ったら?」

 

「約束ですよ? 冥子ちゃんのこと信じてますからね?」

 

「それって、信じてない時に言う言葉だと冥子は思うのだけど……」

 

 冥子ちゃんがぼやくのを背中で聞きつつ、私は二階のトイレに入ってドアを閉めた。

 ドアの外から、冥子ちゃんの歌声が聞こえる。

 

『森の木陰でドンジャラホイー……』

 

 私は安心して便座に座り、目をつむる。

 

『今夜はお祭り夢の国ー……』

 

 ギシ――

 

「……ん?」

 

 ギシッ――

 

「え?」

 

 冥子ちゃんはドアの前でずっと歌っている。

 にもかかわらず、誰かが階段を上ってくる足音がしている。

 普通に考えればじいじが、なぜか廊下で歌いだした冥子ちゃんの様子を見に来たんだろうと思うところだが……どうしてか、そんな風にはまったく思えない。

 

「め、冥子ちゃん? なんか、階段の方で音が――」

 

『アホーイホーイヨー……』

 

「いや、私がトイレに入ってる間ずっと歌っていてほしいって確かにお願いしましたし、ドアの前から一歩でも動いたら絶交だとも言いましたけど! さすがに緊急事態じゃないですか!? え、大丈夫なんですか!?」

 

『のっぺらぼうかはわからないけど、何か入ってきちゃったみたいね』

 

「そんな落ち着いて言うことですか!?」

 

 とりあえずすっきりしたので、急いで拭いてパンツとパジャマのズボンをまとめて穿()き、水を流してドアを開けようとする……が、ドアが少しも開かない。

 

「えっ!? ドアが開きません! 助けてください、冥子ちゃん!」

 

『ドアが開かないのは冥子がドアの前にいるからだと思うわ。でも、弱ったわね。冥子は姉さまがトイレにいる間は、ドアの前から一歩も動けないから……』

 

「こんな時にまでふざけないでください! ヤバいですって、なんか階段上がってきてましたもん! どいてくださいー!」

 

『だって、どいたら絶交なんでしょう? 姉さまと絶交なんて嫌よ、冥子』

 

「私が悪かったですから! だいたい絶交なんてするわけないじゃないですか、一緒の部屋に住んでるのに――うわっぷ!?」

 

 不意にドアが開いて、ドアに全体重をかけていた私は前のめりに倒れる。

 

「いたた……もう、急にどかないでくださいよ、転んじゃったじゃないですか」

 

 と、文句を言いながら顔を上げるが、冥子ちゃんの姿がどこにも見当たらない。

 

「あれ? え? 冥子ちゃん? どこ? どこですか? え? なんで、やだ――」

 

「プフッ」

 

 開ききったトイレのドアの裏側から、冥子ちゃんが()き出す声が聞こえてきた。

 よく見ると、トイレのドアの下の隙間から冥子ちゃんの足が覗いている。

 

「も、もう! ほんとに冥子ちゃんは……! ふざけないでくださいよ、心臓止まるかと思いました」

 

 怒りながら私がトイレのドアを閉めると、にやにやと笑っている冥子ちゃんが姿を現す。

 

「だって今の姉さま、からかうと楽しいんだもの。冥子は、そんなに面白い反応をする姉さまが悪いと思うわ」

 

「私は悪くありませんし面白い反応もしていません!」

 

「プフッ!」

 

「その笑い方やめてください! っていうか、階段の音はなんだったんですか? のっぺらぼうほんとに入ってきたんですか? 今どこにいるんです? あ、じいじ大丈夫かな……?」

 

「姉さまに憑いてきているようだから、おじいちゃんは大丈夫なんじゃないかしら? でも、心配なら冥子がおじいちゃんについていてあげてもいいわ」

 

「うっ……冥子ちゃん、私がぜったいに一人になりたくないのを知ってて意地悪を言ってるでしょう? でも、実際じいじのことも心配ですね……お布団をじいじの部屋に運んでみんなで寝るのがいいかもしれませんけど、そうするには階段を下りないといけないんですよね……」

 

「何かが家に入ってきた感じはするけれど、今は姿を隠しているみたい。階段で足音が途絶えたからといって、階段にいるというわけではないと思うわ」

 

「うー……まあ、今のところは電気も消えていませんしね。じゃあじいじの部屋にお布団を持って行って、みんなで寝ます?」

 

「冥子は構わないわよ」

 

 そんなわけでまずは私のお布団一式を三つに折りたたみ、それを冥子ちゃんと二人で持ってじいじの部屋へと向かう。

 階段を下りる時はかなり緊張したが、何もいなかったし、何事も起こらなかった。

 一階に下りてじいじの寝室の(ふすま)を開けると、室内は真っ暗だった。これは霊障(れいしょう)とかそういったものではなく、ただ単にじいじが灯りを消して寝るタイプの人だからである。

 

「うー、真っ暗だと怖いんですけど……」

 

「そう? 姉さまは冥子と同じで、真っ暗でも目が()くでしょ?」

 

「見えはしますけど、暗いとおばけが出そうですしやっぱり怖いですよ。電気つけたらじいじが起きちゃいますかね?」

 

「すぐに豆電球にすれば平気じゃない?」

 

 と冥子ちゃんが言うので、私は電灯から伸びた(ひも)(じいじが布団に横になった状態でも電気を消せるように、かなり長くなっている。)のなるべく高いところを握って、手早くカチカチカチッと三回引っ張って豆電球を()ける。

 じいじはまったく起きる気配がない。

 すでにのっぺらぼうにやられて死んでいたりしないよなと不安に思い、じいじの顔の前に手のひらを差し出す。

 ……うん、ちゃんと息をしてるな。

 

「何をしているの、姉さま?」

 

「え? 念のために生きてるかどうか確認してたんですけど……」

 

「見なきゃ大丈夫なら、寝ていれば危険はないんじゃないかしら?」

 

「ですけど、起こされるかもしれないじゃないですか」

 

「冥子たちがすぐ横で布団を敷いたりなんだりしていても、おじいちゃん全然起きる気配がないけれど……」

 

「確かに」

 

 とにかく私のお布団を敷き終えて、今度は冥子ちゃんのお布団を取りに二階の自室へと戻る。

 やはり階段を上る際は緊張したものの、のっぺらぼうが現れることはなかったし、電気が消えることも足音が聞こえることもなかった。

 先ほどと同じように冥子ちゃんのお布団を三つに折りたたみ、二人で一緒に持ち上げる。

 自室の電気を消して襖を閉めて、お布団を運びながら慎重に階段を下りる。階段を上ってくる足音が聞こえたときには生きた心地がしなかったが、そのあとに階段を下りてまた上って何事も起こらなかったので、さすがに今回はあまり緊張もしない。

 前にいる私は後ろ向きに歩くことになるため、時折進行方向(うしろ)を振り返ったり、お布団を高く持ち上げて足元を確認しなければ危ない。

 階段のちょうど真ん中の段あたりでお布団を持ち上げて足元を見ようとしたら、お布団の下にのっぺらぼうがいた。

 

「ヒュッ――」

 

 不意打ちをもろに食らった私は、反射的に後ろに飛び退()いてしまい――結果として、階段から落下した。

 

 

◆◇◆◇◆◇< 冥子視点 >◆◇◆◇◆◇

 

 

 姉さまが階段から落ちてしまった。

 ()()()ならばたとえ飛行機から落ちても死にはしないだろうが、姉さまは人間なのでちょっと心配だ。

 しかし、すでに落ちてしまったのだからもはやどうしようもない。

 とりあえず逃げられる前に、のっぺらぼうの白くてツヤツヤとした顔を手でつかむ。

 特に力を込めることもしなかったが、冥子が触れただけでのっぺらぼうはあっけなく消滅してしまった。

 多分、姉さまが本気で(にら)んだら、息ができなくなったり鼻血が出たりすることもなく呪いにも打ち勝てたのではないだろうか?

 そしてどうでもいい部分ではあるが、姉さまの話ではのっぺらぼうは上半分が白くて下半分が黒い着物を着ているということだったけど、元は真っ白い長襦袢(ながじゅばん)だったのではないかと思う。下半分が黒く見えたのは大量の血液を吸っており、それが酸化していたからだ。あののっぺらぼうは元々は人間だったのではないかと思うのだが、指がなかったし拷問でもされたのかもしれない。顔がないのもたとえば眼球をくり抜かれて舌を抜かれて、まぶたや口を縫いつけられたりなんて目に遭っていたのだとすれば頷ける話ではある。実際のところはわからないが、多分それに近い目には遭ったのだろう。面倒くさいから初手で消滅させてしまったけど、裸にして()()()()()()()()()()()()調べてみてもよかったかもしれない。呪いは冥子のルーツでもあるから、邪道であれば邪道であるほど興味がある。

 っと……いけないいけない。そんなことよりも、今は姉さまの安否を確かめなくちゃ。

 階段に落とした布団を踏み越えて、階段の下に仰向けになって倒れている姉さまの様子を見に行く。

 

「姉さま、大丈夫?」

 

 そう訊ねてぺちぺちと頬を叩くと、姉さまがむくりと起き上がり、()()()の声で言う。

 

「階段から落ちたのは、先月に続き二回目です」

 

「そうなの?」

 

「わらわは、春子(はるこ)の部屋は一階にした方がよいと思うのですよ、愚妹(ぐまい)さま」

 

「確かにそんなにしょっちゅう階段から落ちていたら、そのうちに死んでしまいそうよね」

 

「春子はドジで脆いのですから、階段を下りるときはお前さまが下にいなければなりませんよ、愚妹さま」

 

「次からは気をつけるわ。冥子は人間よりずっと長く生きてるけど一度も階段から落ちたことなんてないし、お年寄りとかならともかく、ほんとに落ちる人がいるだなんて思わなかったのよ」

 

「…………」

 

「姉さま? 難しい顔をして、どうかしたの?」

 

「わらわは何度か階段から落ちたことがありますよ、愚妹さま」

 

「プフッ――」

 

 思わず噴き出してしまい、()()()に睨まれる。やはり姉さまとは異なり、()()()の目には迫力がある。

 

「あまり時間がなさそうなので、手短に言いますが」

 

 と、()()()が話し始める。

 

「先週頂いたハーゲンダックアイスクリームのショコラトリュフ味と、おととい頂いたプリンの上にホイップクリームが載っているプークリンとやらはとても美味でした。春子にまた食すように伝えてくださいね、愚妹さま。わらわの愚昧な愚妹でも、それくらいはできるでしょう? それさえもできないのでしたら、お仕置きですよ、お仕置き」

 

 

◆◇◆◇◆◇< 春子視点 >◆◇◆◇◆◇

 

 

 目を開けると、すぐ目の前に冥子ちゃんの美貌(びぼう)があった。

 

「あら、目が覚めたのね姉さま? 頭は大丈夫?」

 

 心配そうな表情をした冥子ちゃんが聞いてくるので、ぶつけた後頭部を撫でて確かめてみる。

 うーむ、()れてるな。

 

「たんこぶになってて触ると痛いですけど、とりあえずは大丈夫そうです。あれ……でも、私なんで立ってるんでしょうか? たしか階段から落ちたと思うんですけど――って、そんなことよりものっぺらぼう! のっぺらぼうが布団の下から覗いてたんです! どこ行きました!?」

 

「のっぺらぼうは冥子が退治してあげたわ、軽く触っただけで消し飛んじゃった」

 

 そう言って冥子ちゃんは胸を反らし、得意げな顔をする。

 

「えっ、ほんとですか!? じゃあもういないんですよね、安心していいんですよね?」

 

「ええ、安心して! 冥子が姉さまのために退治してあげたから!」

 

「め、冥子ちゃん……! ありがとうございます~!」

 

「ふふ、困った姉を助けるのは妹の仕事でしょ? それにしても来月が待ち遠しいわね、早くソファーベッドを使ってみたいわ」

 

「あっ、ベッドといえばですけど、そういえば冥子ちゃんのお布団を運んでる途中でしたよね? とりあえずじいじの部屋に持って行っちゃいましょうか?」

 

「もうのっぺらぼうはいないけど、おじいちゃんの部屋で寝るの?」

 

「すでに私のお布団を持って行っちゃってますし、疲れてて眠たいんで今晩はじいじの部屋で寝て、明日またお布団を運び直せばいいかなって思ってるんですけど」

 

「いいんじゃない? じゃあ運んじゃいましょうか」

 

 そんなこんなで冥子ちゃんのお布団もじいじの部屋に敷いて、私たちはじいじを真ん中にして川の字になって寝た。

 ちなみに、じいじの「なんだァこりゃあ……?」という不機嫌そうな声で目を覚ますことになった。




私は滅多に人なんて通ることのない山奥に住んでいるんですけど、今月頭くらいに郵便物をチェックしようと思って玄関を開けたら一昔前のHAKUEIに似た顔(マスクで口は見えませんでしたけど)のロン毛のイケメンがいて声をかけてきたんですよ。
苺を売りに来てるって言うから買ったんですけど、かなり良心的な価格でしたし食べたら苺にしては凄く美味しかったです。
……いや、実は加工していない苺ってあんまり好きじゃなくて、一粒味見しただけなんですよね。でも母が食べるだろうなと思ったので、ちょっと多めに買って洗ってヘタを取ってポリ袋に入れときました。
一昔前のHAKUEI似のイケメンに完全にときめいちゃっていたので正直何を売りつけられてもお金が足りれば買ってしまっていた気がしますし、変な物を売りつけてくるような悪い人じゃなくて助かりました!
ほんとは「V系バンドやってるんですかー?」とか聞いて仲良くなりたかったんですけど、緊張しちゃって話を膨らませられずにラインさえも交換できなかったのが心残りです……過去に戻ってやり直したい!
ちなみにPenicillinの曲はあんまり詳しくないんですけど、知ってる中だと(HAKUEIがエロいので)理想の舌が好きです!
当時よくあったラストのサビでボーカルがセリフっぽく歌詞を呟くやつ好きなんですけど、最近はほとんどなくなっちゃいましたね……やっぱりダサいって意見が多いんでしょうか?
紙一重でギリギリかっこいいんじゃないかと私は思うんですけど!


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