幽霊見える系男子と夏油さん(幽霊) (あれなん)
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【1】お悩み相談室(幽霊限定)

 

 

 

自身が他の人と物の見え方が違うことに気が付いたのは幼い頃だった。

 

 

その日は自分の祖母の葬式だった。祖母の棺桶の横でまだ祖母が立っているのになぜ母親が泣いているのか理解ができなかった。

 

自分と目があった祖母は一瞬驚いた顔をしたが人差し指を立てるジェスチャーをしており、漢字もまだまともに書けない年齢であっても祖母の言いたいことはわかった。

 

幽霊はいろいろなところに立っている。

電柱の後ろ、歪んだガードレールの傍、古ぼけた集合住宅の駐車場。そういうところに立っているのは大方血にまみれてちょっとグロい。

 

人についている幽霊も見かけた。

小さい子供の後ろで転げないかハラハラ見守る男性。終電の車内で立ちながら今にも寝そうな男性の頭を心配そうに撫でる年老いた女性。

 

 

次第に姿だけでなく幽霊の声も聞こえるようになった。

自身の死を悲しむ声や人との別れを惜しむ声に恨む声。自身が見守っている人を励ます声。

 

 

目が合っても幽霊は追いかけて襲ってくるということはあまりない。もし追いかけられても塩を撒いて神社に逃げ込めばどうにかなった。大体が目が合うと驚き話しかけてくる。

 

その情報は僕にとって有益なものだったりする。

自身が幽霊が見えることを嫌がっていない理由の一つだ。

 

 

『そこの通りに変なのいるから、今日は違う道通って』

「ありがとう、美和ちゃん」

 

 

毎日通る通学路でよく話しかけてくる美和ちゃん(幽霊:享年15歳)にそう言われ小声で礼を言って迂回路に変更をする。

 

こう言われるとき、素直に聞いておいた方がいいことは既に経験済みだ。無理矢理進んだときはラリった薬物中毒者に遭遇して鬼ごっこをする羽目になったので、大人しく聞いておくことが吉だ。

 

その御礼として幽霊対象のお悩み相談室をしている。

自分を殺した人に復讐してくれといったものは受け付けないが、墓参りや代筆で手紙を出したりといったことは受け付けている。

 

対価は様々だ。ある幽霊は次の日のテスト問題を教えてくれたし、別の幽霊は自販機の下に落ちた500円玉の存在を教えてくれた。

 

相談室で話を聞いた幽霊の口コミが他の悩める幽霊を呼び、案外繁盛していた。土曜日限定1日3名様ずつ(幽霊限定)。

 

「次の方、どうぞー」

 

幽霊でも個人情報は大切だと思うため、ちゃんと1人ずつ部屋に入ってもらい話を聞く。待っている人は廊下に並んでもらっている。

 

『……ここで、悩みを聞いてくれるって聞いたんだけど本当なのかい?』

 

袈裟を纏った片腕のない男性が入ってきた。最近のお坊さんは随分ファンキーだ。

お坊さんにしては長髪で最近のお坊さんは頭髪自由なのかと思った。頭を丸めなくていいなら将来お坊さんという手もあるなと考えていた。

 

「はい。手紙を出したいなら代筆も可能です。切手代は負担あるいは対価を払っていただくこととなりますが」

 

『対価?どうやるんだい?』

 

「自販機の下のお金の場所を教えてくれる方もいますし、テストの問題を教えてくれる方もいます」

 

男性は少しの間考え込み切り出した。

 

『――君に戦う方法を教えてあげようか』

「あっ結構です。では次の方―」

 

『ちょっと待って!払うから!』

 

「ではあなたのお困りごとはなんですか?」

 

 

『私の悩みは――』

 



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【2】夏油さんのご依頼

 

『私の悩みは――、悩みというか願いかな…手紙を2通出したい』

悟と美々子たちに出したかった。伝えたいことがまだあった。

 

「わかりました。手紙なら便箋を選べます。普通の、ちょっといいの、さらにいいのの3つから選択可能です。それぞれ10円、20円、100円で送料が84円別途掛かります」

 

『便箋代もかかるのかい?ボリすぎでは?』

 

「人件費上乗せしましょうか?」

 

『普通ので』

 

「188円です」

 

『こんな体で持ち合わせがないんだけど。それに自販機の下も見たことないし』

 

「あぁ、それなら2週間僕の手伝いをしてくれたら無料にしてあげますよ」

 

『じゃあそれでお願いするよ』

 

2週間少年を手伝った後、手紙を2通代筆してもらい、投函する約束になった。

 

 

 

 

夏油は自身が死んだあとこんなことになるとは全く想定していなかった。呪霊が見えるため常に視界はエログロ有のホラーゲームさながらであったし、それで自身の世界は完結していた。

 

死んだ後、高専に佇んでいた。職員に見つかり身構えたが、向こうは自分を認識していないようで、顔の前で手を振っても反応がなかった。視界には相変わらず呪霊が映ったが、それと合わせて自分のような存在、所謂幽霊がいることを知った。

 

呪霊のようにその土地に縛られることはないようで自由に動けたことは幸いだった。

次第に幽霊のなかでも友好的なもの、そうではないものがあるとわかった。幽霊になると生前は見えなかった者でも呪霊が見えるようになることも教えてもらった。

 

時々話す幽霊からその話は流れてきた。「幽霊専門で悩みを解決してくれる人がいる」。高専に襲撃を掛ける前に身の回りの整理はしておいたはずだが、こうして時間を置くとあれしておけばよかった、これしておけばよかったと思うことが出てくる。それがどうにかなるのであればとその話に飛びついた。

 

 

 

手紙の対価として少年の近くにいるといくつかわかったことがある。

同じ幽霊でも死に方や最後に思っていたことによって状態が変わる。自殺や恨みを抱えた幽霊はその場に留まっていることが多い。逆に自身の子について後ろから見守っている者もいる。

また、少年のアドバイスにより欠損していた手は自身のイメージによって欠損をする前の姿に変化させることができた。太陽に翳すと透ける手が何とも物悲しかった。

 

 

少年は幽霊は見えるが呪霊は見えない。

その代わりに、幽霊から聞いて、うまく呪霊を避けているようだった。

 

 

「じゅれい?なんですかそれ?」

 

『おや、知らないのかい?君がこの前美和さんからいつもの道を通らないように言われただろう。その道にいた、所謂化け物みたいなものだよ』

 

「へーそんなのいるんですね」

 

『反応薄いね』

 

「自分が遭遇しないならいいかなと。「危うきに近づかず」ですよ」

 

『その幽霊が見える能力を他の人のために使おうとは思わないのかい?』

 

「いやですよ、一歩間違えると精神病棟待ったなしじゃないですか」

 

 

 

 

少年は案外薄情者だ。

 

 

 

 

 

 

 

少年はうまく周囲の人間に溶け込んでいた。

幽霊といっても様々だ。普通の人間のような者、頭半分がない者、手足が欠損している者。

呪霊のようなグロテスクさとはまた一味違うグロさがある。

少年は慣れているのかそんな者を見ても顔色一つ変えない。幽霊と話す時にはスマホを耳にあてて通話しているように装っている。

 

授業中に教師に当てられた少年に出来心で嘘を教えたら、約束の期間が2週間+1日になったのと、次やったら手紙の内容を誘拐犯の脅迫文みたいに定規を使って書くという宣言に二度としないと誓った。

 

 

ずっとついていると少年に興味が出て聞いてみた。

 

 

『…君は幽霊が見えない人になんとも思わないのかい?』

 

「夏油さんは地方病って知ってます?ウィキペディア三大文学の一つとして有名なんですけど」

 

急に話が飛ぶのはこの少年の癖なのかもしれない。

 

『知らないな』

 

 

「山梨の長年原因不明の感染症というか寄生虫の事なんですけど、当時ドイツから輸入したすごく高い顕微鏡を使ってようやく寄生虫が原因とわかって対策が取れたんですよ。

肉眼で見えないので顕微鏡がなかったらもっと被害が出ていたかもしれない。

ある意味人類は新しい目を得たわけです。いまではもっと進歩してインフルエンザの菌さえ見えるようになりました。

1000年も前だと風邪も加持祈祷で治しました。癌もなかった。癌で死ぬ前に別の病気で死んでたからです。今ではちゃんと効果がある薬が処方されます」

 

『――結局のところ、何が言いたいんだい?』

 

 

「ものの見え方なんて如何様にも変わるんですよ。時代とその進歩によって。夏油さんが生前見えていた呪霊は僕には見えない。その代わり僕には生前の夏油さんが見えなかった幽霊が見える。僕と生前の夏油さんでは掛けているレンズが違うんですよ。

そのレンズは突然変わることもある。自身のレンズが取れるかもしれない。もしかするといつかそのレンズが普及して誰でも見えるようになるかもしれない。そんなことを恨んでも嘆いても仕方ないと思いませんか?」

 

 

それもそうかもしれないと夏油は思った。実際死んで幽霊になった者は呪霊も幽霊も見えるようになった。

 

 

 

 

少年の話し方はいつものように淀みなく滔々としている。

その流れで気になっていることも聞いてみた。

 

 

『君、この一軒家に一人で住んでるけど、親御さんは?』

 

「あぁ、それぞれ愛人のところで暮らしてます」

 

『――は?君まだ中学生だろう、そんな子ひとりにしておいて愛人って…』

 

「別にいいんじゃないですか?学校の面談の時には業務連絡入れておくと来てくれてますし」

 

その言葉に絶句する。

 

「そういえば夏油さんはメンインブラックって映画見たことありますか?」

 

 

また少年の話が飛ぶ。話を進めるため首を縦に振った。

 

 

「あの映画では終盤猫の首輪についている宝石のようなものがキーになってくるんです。その宝石の中には銀河があった。もしかすると僕たちもそんな存在なのかもしれない」

 

『…ごめんね、意味がわからない』

 

「簡単ですよ。僕たちが科学だ神の采配だと言っているものが、誰かにとってはビー玉の中の出来事でしかないのかもしれない。

例え人類が核爆弾やらで攻撃し合ってめちゃくちゃになってもそれは銀河や地球自体にとってもただの日常の一コマなんですよ。それこそ僕たちが自由研究で蟻の巣を観察しているような取留めのないようなことです。もっというなら事故で人が死のうが刺されようが地球には痛くも痒くもないし、自分がいなくとも明日は勝手に続いてしまう」

 

 

『で、君の言いたいことは?』

 

「「明日死ぬかもしれないなら好きに生きてもいい」。

僕は幸運にも家族がいないと寂しさを感じる人間ではない。そして両親は血縁上は家族ではあるけれど、また別の人間で別の人格と思考を持ちそれに従って動いている。ある意味利害の一致です」

 

掛ける言葉も見つからずため息を漏らした。

『…でも、その年齢で一人暮らしなんて…何かあったらどうするんだい?』

 

「僕が出会った幽霊の中には一人暮らしで湯船で亡くなってスープになった人もいます」

 

『スープ』

 

「ご遺体を見た人は吐きそうになって憐みますが、本人にしてみれば御飯食べてお酒も飲んで、ゆっくり湯船にも浸かってのんびりしているときに亡くなって、大変満足されていました」

 

『満足』

 

「死んだあとの遺体が綺麗かどうかを気にするのは生きている人間だけですよ。逆に綺麗な体で死んだけれど、最後に看取った家族から恨み辛みを言われ、幽霊になった後で嘆く者もいます。

どちらもどうせすぐに火葬されて骨になる。その間の状態なんて些細なことです」

 

 

 

 

「差出人は夏油傑でいいですか?」

 

『――いや、嘘だと思われるかもしれないから…そうだな…「親友より」で……いや、「元親友より」にして』

 

「わかりました」

少年の少し癖のある丸い字が既に書いてしまった単語の前に4画の漢字を付け加えた。

 

『宛先は…「五条悟様」で』

「はい」

住所は高専の住所を伝えた。

 

内容はまた別の日にと言われ、これまでの経緯と美々子たちの保護について書こうかと考えていた。

 

内容についてずっと迷っている。高専連中に美々子たちを任せていいのか。しかし悟になら任せられるのかもしれないし賭けてみる価値はあると思った。

 



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【3】手紙の投函

 

美々子と菜々子への手紙は案外すぐに書くことができた。

内容が五条悟を頼るようにというものに加えて、野菜もしっかり食べるようになど家庭的なものになってしまったが仕方ない。

 

しかし問題は悟に対しての手紙だった。もともと手紙などまともに書いたことがなく、メールか電話で要件を済ましていたことも原因だ。

はじめて送る手紙にさらに代筆ともなると内容がまとまらないのも仕方がない。少年に便箋を増やすことも可能と言われたが、それは最終手段だ。

 

 

 

 

『そこの端に呪霊がいるから道の真ん中を歩いて』

少年は頷く。

 

 

 

呪霊には幽霊が見えないようで、以前と違い往来で視線を隠す必要がないことは有難かった。少年は自分を信用しているようで指示通りに動く。

 

少年の見える世界は、生きていたとき自身が見ていた世界と違ってひどく物悲しい。

 

果たされなかったことを嘆く声や恨む声がはっきり聴こえる。

ある意味、生きているときに人間が掃き出せなかった心の内の叫びだとも言えた。自分が祓ってきた呪霊も恨みやらが集まってできたものではあったが意味をなさない言葉が多かった。

幽霊であれど人の口から明確に吐きだされる言葉は悲痛に満ちている。

 

案外人間以外の幽霊もいるもので、厳ついその筋を連想させるような男に猫の幽霊が擦り寄ってじゃれているとなんとも反応がしづらい。反対に優しそうな虫も殺せなさそうな女性に何匹もの子猫や子犬の幽霊が牙を剥いて唸っていることもある。

 

 

その光景にも少年は眉ひとつ動かさない。

 

 

 

『もし費用が足りないようであれば』

「もし、費用が、たりない、ようであれば」

少年の筆圧の弱めな字が便箋の中を泳ぐ。

 

少年と過ごしはじめて1週間経過した。

待ってもらっていた悟への手紙の内容も大分まとまり、できたところから書き始めてもらった。

 

美々子と菜々子の養育費として、隠していた金の隠し場所を伝える。慕ってくれるあの子たちには迷惑をかけてしまった。2人の思いに付け込んだとも言えた。戦いに巻き込まず、手を汚させず、幸せになってくれる方法もあったのではないかと何度も考える。

 

 

「とりあえず今日のところはここまでにしましょう。もう便箋の3分の2埋まっちゃいましたが、どうします?便箋追加しますか?」

 

『――いや、残り3分の1でまとめるよ』

 

長く書こうと思えばいくらでも長く書けた。言いたいことは山ほどある。しかしそうしてしまうと終わりがないような気がして便箋1枚にまとめきることに決めた。

 

 

 

 

 

 

少年の手伝いの期間、2週間+1日をいっぱい使って、悟への手紙ができた。

 

念の為、消印で場所がばれないように投函には少し離れたところのポストを使うらしい。

 

 

 

手紙を投函後、少年はなぜかポストに柏手を打ち、手を合わせた。

 

 

『…何してるんだい?』

 

「あぁ、なんとなくいつもしてるんですよ。依頼人の手紙がちゃんと相手に届きますようにって」

 

『そりゃあ住所書いてるんだし届くはずだけど…』

 

「そういう届くではなく。

僕がしているのは本来届けられない言葉を届ける作業です。依頼人はわざわざ僕に対価を用意してまで伝えたい言葉を伝える。 それが相手に届いたとき、相手は泣くかもしれないし、怒るかもしれない。 けれど、その依頼人の思いがちゃんと相手に届いてくれるといいなと思うんです」

 

 

その言葉になんとなく自分もポストに手を合わせた。

 

 

 

『もうちょっと君のことを手伝ってあげるよ』

少年が怪訝な顔をする。

 

「手紙、出したいところがあるんですか?」

 

『いいや、ないけど』

 

「そうですか。では念の為記録はつけておくので1週間につき普通の便箋1通分でどうでしょうか」

 

『それはいいね』

勿体ぶった少年の言い方に茶化して答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

2週間見てきたが少年の食生活は最悪だ。

美々子たちより悪い。コンビニの出来合いのご飯ならまだいい方で、放っておいたら、ウィダー・カロリーメイト・ウィダーで1日の食事を終わらせてしまう。

 

 

『ご飯!ちゃんと食べないと』

 

「たべてるじゃないですか」

朝からウィダーを啜りながら少年は答える。

 

『そんなゼリー飲料、私は食事にカウントしてないんだけど』

 

「認識の不一致です」 

 

『そんなのばっか食べてると体壊すよ』

 

「ヨーロッパのある少年は偏食で4歳から15歳までジャムサンドと牛乳、シリアルとチョコレートケーキだけを食べ185㎝70㎏の体格まで成長しました。医師の診察では至って健康とのことです」

 

『屁理屈捏ねない』

 

 

このやり取りはほぼ毎日ある。

 

 

 

少年は部活にも入っていないようで放課後もぶらぶらするか他の依頼人の手紙を書くかのどちらかだった。

他の依頼人と手紙を書いているときには、少年の指示で1階のリビングに行かされた。個人情報の保護らしい。死んでいる状態で個人情報もあったものではないと思うが。

 

 

 

 

 

 

不意に家のチャイムが鳴る。

 

最新式のモニター型インターフォンを見てみると、懐かしい親友の顔が映っていた。

 

 

 

「夏油さん、そんなところでどうしたんですか?」

 

『いや、これはでなくていい。というかでない方がいい』

 

画面を見ながら少年は言う。

 

 

「お知り合いですか?」

 

『この前出してもらった手紙の相手だよ』

 

「消印のことも考えて遠いポストに入れたのにどうしてわかったんでしょうね」

 

この会話の間にも何度もチャイムが鳴らされる。

終いには玄関のドアをノックし始めた。

 

 

「これはやばいやつですね」

 

『悟のやつ、苛立ってるな。2階の部屋に隠れておいた方が』

 

言い切る間もなく、リビングの背丈ほどある大きな窓が割れた。

床に一面に散乱した窓ガラスの残骸は夕焼けの橙色を反射する。

 

 

「お前が如月青(きさらぎあお)か?」

 

悟が土足で家にあがってくる。ドライアイスを飲み込んだかのような声だ。

 

 

『ちょっと悟、やめろ!!』

 

悟に声は届かない。

 

 

突然のことに身を強張らせた少年の首を掴み壁に強く押し付ける。まだ成長期の少年の白い首は片手でつかめるほど細い。

 

抵抗する少年が悟の手を掴み離そうとするが一向に外れず、気道が塞がれ酸素が足りないのか、少年の顔色が猩々色のわずかに黒を帯びた赤色に変わっていく。

宙に浮かされ、足が自然とばたつく。

 

 

 

次第に少年の手足から力が抜けていっているのがわかる。

 

 

悟の手が少年の首を離した。

 

 

音を立てて床に座り込んだ少年が大きく息を吸い、咳き込む。まるで全力で走ったかのように息が荒い。

 

「おい、この手紙どうした」

 

倒れる少年の傍にしゃがんだ悟の手にはこの前投函した手紙が皺くちゃになって握られている。

 

 

「さっさと答えろ」

少年の髪を掴みあげ無理矢理顔を上げさせた。

 

 

「っ、げ、、げと、うさん、っから…」

息も絶え絶えに少年は口を開いた。

 

「は?傑がこれをお前に出させたっていうのか」

悟のその言葉に少年は大きく頷いた。

 

 

悟は少年の目を見つめる。嘘ではないとわかったのか掴みあげている少年の髪を離すと、近くにあった椅子に大きく音を立てて座った。

 

「なんでお前なんかに傑が頼んだのか、わかるように順序良く話せ」

 

椅子の上から見下ろしながら悟は少年に言った。

 

 

 

 

「――で?簡単にいうとお前は幽霊が見えて?幽霊の依頼を聞いて手紙を出したりして?傑も依頼してきたと」

悟のその言葉に少年は小さく頷いた。

 

 

「幽霊だなんて、そんな話、信じてもらえると思ってるのか?」

悟の声は今だ凍えそうなほど冷たい。

 

「なんか証拠でもあんのか」

 

その悟の言葉に少年はゆっくり立ち上がり、悟を2階に案内した。

 

 

「――これ」

 

少年が悟に渡したのは1枚のルーズリーフだ。丁寧なことにページの上部には「夏油傑」と書かれている。

 

そこには便箋に書く前に、内容を練るために書き出してもらったことが雑に書かれている。綺麗な文章ではない。しかし、高専時代に授業をサボってディズニーやスイパラに行って馬鹿騒ぎしたことなどくだらない思い出話も様々に書き散らされている。

 

 

 

 

悟はそのルーズリーフを立ったまま何度も繰り返し読んだ。

 

 

 

 

 

「――ごめん」

 

悟は読みながら少し頭が冷えたのか、ルーズリーフを少年に返しながら呟いた。

 

 

「あぁ大丈夫です。それより信じていただけましたか」

少年の言葉に悟は頷いた。

 

 

 

「傑がここにいたのか…」

そういうと勝手に少年のベッドに倒れ込んだ。

 

 

 

「いまもいますけど」

 

 

 

「は?」

一気に悟が身を起こす。

 

 

 

 

 

 

『―――、高専の時の悟のパソコンのパスワード「g905883」だったよね。これで信じてくれるかい?』

 

「夏油さんが、こうせんときのさとるのぱそこんのぱすわーどがじーきゅーぜろごはちはちさんだったと言ってます」

その少年の言葉に悟は再びベッドに沈んだ。

 

 

それは高専時代、悟が好きなAV女優蒼井そらのスリーサイズから付けたパスワードだ。こんなの家の奴らには絶対にわかんねぇだろと言っていた。

少年が自分の言葉通りに悟に伝える。

 

 

 

「あーー!!なんでそんなこと覚えてんの!馬っ鹿じゃね!?」

 

ベッドで悟は釣りあげられたばかりの鮮魚のようにのた打ち回っている。

 

 

 

 

 

 

「あの、靴、脱いでほしいんですが」

「あっ…ごめん…」

 

 

 

 

 

 

 



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【4】手紙は確かに届いた

 

 

 

「マジかよ、傑いんのか…」

 

 

悟は1階の割った窓の修理をするように電話でどこかに伝えた後、頭を抱えた。靴は言われてすぐに脱いでいた。

 

 

 

 

「……傑、どんな感じ?」

 

「すごく怒ってます」

 

 

 

確かに怒っている。腕を組んで仁王立ちしている。

色々なことを考えに考えつくしてここ2週間+1日過ごしたのだ。その集大成ともいえる手紙を皺くちゃにされ挙句の果てに、代筆してくれた少年に危害を加えるといった暴挙に怒り心頭だった。存外この少年を気に入っていることも要因かもしれない。

 

その少年の返答に、少年のベッドに寝っころがっていた悟は更に掛け布団にくるまってまんじゅうのように丸まっている。触れることのできる体があるならば、悟のケツの1つや2つ蹴り飛ばしてやりたかった。

 

被害者と加害者が入り混じる3角関係(1名幽霊)という妙な状態に終止符を打ったのは間違いなく加害者である悟だった。

 

 

 

「なんかお腹すいたしどっか食べに行かない?もっと話も聞きたいし」

 

「…口調がさっきと違う」

 

「もともとこの口調だよ。さっきのは完全に頭に血がのぼってた」

 

その言葉にちょっと少年は引いているようだった。確かに先程の暴れっぷりと今とでは二重人格みたいにも見える。

 

 

 

 

 

 

 

入ったのは近所のファミレスだった。4人掛けのソファーの席に案内される。

悟に見えないとわかっていても気分的に少年の横のソファーに座った。

 

 

 

「割れた窓、あと1時間ぐらいで直るって」

 

 

『割れたじゃなくて割ったの間違いだろう?』

 

 

「あー仕事のときより疲れた気がする。あっ、店員さーん、デザートをここからここまで全部」

 

 

『まったくどの口が…こっちの方が疲れたよ』

 

 

 

つい癖で、悟の言葉に返してしまう。たとえ悟には届かないとわかっていても。

 

隣に座った少年がめずらしくくすくす笑った。

 

 

「?」

 

「いや、夏油さんと五条さんの掛け合いがおもしろくて…」

 

「――どうせ傑のことだから「こっちの方が疲れたんだけど」とか言ってるんでしょ」

 

 

「『大正解』」

自分と少年の声が重なった。

 

 

 

 

そんなことしているうちにテーブル一面にデザートが並べられた。

 

 

「好きなの食べなよ」

 

そう言って注文した本人は一番近くにあったパフェを食べ進めている。見る見るうちに吸い込まれていく様はまるで掃除機だ。ある意味やけ食いに近いのかもしれない。

 

少年は一番近くに置かれていたガラスの器に入れられたアイスクリームを手に取った。少年が半分も食べ進んでいないうちにもう悟は5皿完食している。

 

 

「首、…まだ痛む?」

 

「あぁ、大丈夫です」

少年の首には痣がぐるりとついている。肌が白いためよく目立つ。

 

「でも、よくわかりましたね。僕が手紙出したって」

 

「防犯カメラに映ってたからね。でも、消印が違うところだったからちょっと探すのに手こずったみたい」

 

「前は家の近所で出してたんですが、見つかってしまったので、ちょっと工夫してたんですが」

 

『なにそれきいてない』

「あれ?言ってませんでした?」

少年が視線を夏油に向けた。

 

 

「五条さんみたいに怒ってはいませんでしたが、泣かれていたのでなだめるのに大変でした」

 

『まぁ、普通そうなるよね』

 

 

「僕としては、死んだ人間から手紙が届いて、びっくりどころじゃなかったけどね。吐くかと思った。首絞めた張本人が言うのもなんだけど、もうやめといたら?危ないよ」

説得力がありすぎる。

 

『それを利用した側としてはなんとも言いにくいけど、私も悟の意見はもっともだと思うよ』

 

 

 

「やめませんよ。絶対に」

2人の説得に少年は遠い水平線でも眺めているかのように凪いだ瞳をしていた。

 

 

「まーいいや。それはまた後で。で、手紙の内容は本当の事なんでしょ?」

 

「はい」

『そうだね』

 

 

悟は大きくため息をついた。

 

 

「わかった、やるよ。けど、1つ傑に言っておくことがある」

 

 

少年の視線でどこらへん座っているのかわかったようで、視線が一瞬だけ交わった気がした。

 

 

『?、なんだい?』

 

 

「「元」なんて俺は思ってない。今も親友だ」

 

 

 

『――』

 

 

 

 

悟に自分の声が届かないことがこれほどもどかしいとは思わなかった。

 

 

 

 



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【5】少年の家には居候がいる

 

 

結局、夏油は五条についてくことに決めた。

会話さえできず目も合わないが、親友だし美々子たちのことも気になるからと微笑んでいた。少年はいつでも翻訳はできるのでお困りごとがあればまた来てくださいと夏油に告げた。

 

五条たちとはファミレスで別れ、少年は帰路に就いた。割られた窓ガラスは既に直されており、散乱していた破片も既にない。

五条が靴のまま家にあがったためついた靴跡も綺麗に拭きとられていた。

 

 

他に足跡が残っていないかチェックをしている少年に向かって声が掛けられる。

 

 

視線をその方向に向けると、リビングに男がいた。季節外れの半袖姿だ。

 

 

『遅かったじゃねーか。あの袈裟野郎はどっかいったのか?』

 

「伏黒さん、また来たんですか。突然消えたのでもう成仏されたのかと思ってました」

 

『馬鹿なこというなよ。あの野郎とちょっと過去に色々あってな。顔合わせるわけにいかねえんだ』

 

「幽霊になってもそんなこと気にするんですね」

 

『そりゃあ気になるだろ。元加害者と被害者みたいなもんだからな』

 

 

そう言いながらリビングの長いソファに口元の傷が特徴的な男は寝っころがった。

男は不思議だ。他の幽霊のように何かを依頼するわけでもなく、ただ少年の近くにいる。前に少年が理由を聞くと、便利だからと返ってきた。

確かに少年に自身が選んだ馬券を買わせたり、テレビをつけさせたりしている。

 

『――で?あのことはバレなかったのか?』

 

「大丈夫でしたよ」

 

『バレたら、強制的に連行されてただろうな』

 

そういうと男は少年にテレビのチャンネルを競馬番組に変えさせる。男は身を起こし、少年を横に座らせ迷いなく左手を出した。少年もそれに手を重ねる。

 

別に男にそのような性癖があるわけではない。男は少年のカバンから勝手にタブレットを取り出し(・・・・)操作し始めた(・・・・・・)

それができるとわかったのは男が少年に自身が選んだ馬券をネットで買わせようとした時だ。不慣れな少年に教えようと偶々手が触れた。そこに質感をはっきりと感じたのだ。少年が驚いて手をひっこめると感じなくなった。

男と少年で様々に試した結果、少年に触れていると物に触れられることが分かった。男の身体能力は生前と同様で、林檎も握り潰すことができた。ただし相変わらず、少年以外の人間には男の姿は見えなかったし、声も聞こえていなかった。

呪具も持つことはできたが、普通の人間には武器が宙に浮いているように見えるため、往来で戦えないことは不便に感じた。

少年と接触しているときは味覚もあるので時折、少年に通販で買わせたビールを飲んでいる。体のつくりがどうなっているのか不明だが排泄する必要がないのは便利だった。

 

 

 

 

自身が幽霊になるだなんて思いもしなかった。競馬場に行っても券を買えるわけでもなく、珍しく予想が的中しても券もないのだから何の儲けもない。自身の子どもは六眼のガキにくれてやったため見に行く気にもならなかった。

競馬場にも案外幽霊は多い。ギャンブル中毒の奴は死んでも賭け事が好きなようだ。競馬場でよく話すギャンブルで自己破産し首を吊った幽霊から相談所の話を聞き、面白半分で少年の所に行った。

 

少年は男に会った頃はまだ小学生で屁理屈をこねるクソガキではあったが、同居する家族もおらず、男の好きなようにさせてくれたため段々と少年の住む家に居ついてしまった。それにあの能力がある。

少年や他の幽霊は、「幽霊は人間にも物にも触れない」という固定観念があったのか今まで気が付かなかったようだ。確かに男も幽霊になってすぐに近くにいた人に試しに殴りかかってみたがすり抜けたという経験があった。 男にとっては他の奴らが気が付いていないということは僥倖だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

その日も男は朝からソファーに寝っころがっていた。

幽霊に夜も昼も関係ないし、いつ寝ていようとも文句を言うやつはいない。その日は土曜日で少年が依頼人の話を聞くので、男はリビングに追い出されていた。

テレビではありきたりな刑事もののドラマが流されている。開始10分で犯人がわかってしまうほどのチープさだ。これならロードオブザリングでもぶっ続けで流していた方がマシだった。少年の部屋に乱入してチャンネルを変えさそうかなどと考えていた。

 

 

 

『青!!!大変なんだ!私の体が誰かに使われている!!――うわっ!!』

 

飛び込んできた袈裟服の男と目が合う。

 

 

 

 

『…やっべ……』

思わず言葉が溢れた。

 

 

 

 



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【6】夏油は憂える

 

テレビから流れる雑音だけが 部屋を満たす。

息を止めてしまうほどの張り詰めた空気が2人の間に流れた。

エアコンの吐き出す柔らかい風がカーテンを僅かに揺らす。

そんな細やかな変化でも合図としては十分だった。

それは一気に破裂し、夏油も伏黒も目の前の元敵に対し反射的に拳を振るっていた。

 

 

伏黒の上段蹴りが夏油の頭を捉えた。

夏油は体を僅かに(よじ)(かわ)す。

蹴りの姿勢で隙ができた伏黒の顔面に拳を放った。

手ごたえがない。

伏黒は片手を床につき、後方転回をしながら夏油の顔を蹴った。

 

攻守が目まぐるしく変わる。

殴打音もせず、流れるようなその動きは演武の様だ。

 

伏黒相手に術式なしで戦うのは夏油としては避けたい。しかし術式を使えない現在、そんなことを言っている余裕などなく、夏油は伏黒から距離を取る。 どのように次の手を打つか考えながら使えそうなものを探す。

 

『幽霊同士戦っても意味ねえだろ。殴ってもダメージすら入らねぇ…そろそろ満足したか?』

嗤いながら伏黒は言う。

 

『――ふざけたことを()かすな』

夏油は口調を乱した。

 

どちらも矛を収める気はなく、再び姿勢を立て直し、構える。

 

 

 

不意にパタンという物音が聞こえ、両者が視線をその方向に遣った。

 

少年がキッチンの冷蔵庫から水の入ったペットボトルを出し飲んでいる。片手には本日1回目の食事となるウィダーのパックが握られていた。

 

『…何のんびり見てんだクソガキ』

『乱闘してたら普通止めない?』

 

2人は口々に文句を言う。どちらもいい大人だが、半分八つ当たりに近かった。

 

「声は2階にいても聴こえてたんですが、物が壊れる音はしなかったのでまぁいいかと思いまして。今日の依頼人には別の日に来ていただくようにお願いしてお帰り頂いたので見に来たんです。続けていただいて大丈夫ですよ。僕2階に上がっておくので」

 

『…やる気が削がれた』

そういってため息を吐くと伏黒は再びソファーに寝ころんだ。

 

「夏油さんはどうされたんですか?」

少年は話を戻した。

 

『――そう!私の体が誰かに使われていたんだ!』

 

「双子のご兄弟がいた可能性は…?」

 

『自分の体のことは自分がよく知っている。見間違うはずがない』

 

「…わかりました。五条さんに連絡します」

 

 

少年が五条に電話を掛けるとすぐに繋がった。案外暇なのかもしれない。夏油にも聞こえるように少年はスピーカーにしてスマホをテーブルの上に置く。

 

「もっしもーし、青?どしたの?」

 

「…あの、夏油さんが…」

 

「傑がどーしたの?生理中で不機嫌とか?」

 

 

少年の目の前の夏油の額に青筋が浮かんだ。その様子を間近で見てしまった少年は口早に言う。

 

「夏油さんのご遺体が誰かに使われていると言ってます」

 

「――は?」

 

『美々子たちを見に行ったら私がいたんだ。私のように振る舞っていた』

「美々子さんたちを見にいったら夏油さんの体で夏油さんのように振る舞っている者がいたらしいです」

 

「…すぐそっち行くから待ってて」

五条の声は一瞬にして何かを押し殺したようなものに変わった。

 

「わかりました」

 

『俺ちょっと出掛ける』

伏黒がそう言ってそそくさと出て行こうとした。

 

『逃げるなら、私の勝ちということでいいのかな?』

 

『ぶっ殺すぞ』

 

「もう、夏油さん煽らないでください。五条さん来るんですから」

 

『ごめんね青』

夏油は少年にだけ謝ると同時に家のインターフォンが鳴った。五条が言葉の通り飛んで来たようだ。

 

 

伏黒はタイミングを完全に逃してそのままソファーに不貞寝した。

 

 

 

 

「で、どういうこと?傑の体を使っている人がいるの?」

 

「そのようです。双子では絶対にないと断言されてました」

 

『私の死体は硝子に解剖してもらったんじゃないのかい?』

 

「ご遺体を硝子さん?に解剖してもらったんじゃないのかと夏油さんが訊いてます」

 

「――それはしてない」

 

『普通呪術師の死体は解剖される。高専で死んだのになんで硝子がそれをしなかったんだ』

 

「呪術師は亡くなると解剖されるのが通例なんですか?」

 

「そうだよ…で、どこでそれを見たの?」

 

「ここの302号室らしいです」

 

夏油に事前に場所を教えてもらいGoogleMapで表示した画面を五条に見せた。それは普通のアパートだった。

 

少年はその情報を五条のスマホに送ると、五条は小さく礼を言ってその場から煙のように消える。

驚いている少年に夏油は悟の術式だから大丈夫といい落ち着かせた。

 

10分と経たず五条は戻ってきた。残穢はあったが既に誰もいなかったらしい。念の為に監視対象に入れておくと五条は言った。戻ってきた五条の様子はおかしかった。口数が少なく、おちゃらけた雰囲気すらない。椅子に腰掛け何かを深く考え込んでいるようだ。

 

しばらくすると五条のスマホが鳴った。五条はそれを操作し、画面を見て一瞬押し黙ったが、少年の方に画面を向け言った。

 

 

「傑が見たのって、こいつで合ってる?」

 

そこには今の夏油と同じように袈裟を纏った男が映っていた。画像はアパートの近くにある防犯カメラのもののようで安物なのか少しぼやけた姿が映っていた。横にいる夏油との違いは額の縫い目だけだろう。

頷く夏油の様子を見て、合っているそうですと少年は五条に返した。

 

少年は見せてもらった画像を見て眉を寄せた。

 

 

「なんか変ですね…」

 

「変ってどこが?腹立つことこの上ないけど」

少年が漏らした言葉を五条が拾った。

 

「体と中身が違う、そんな感じの違和感があります」

 

「そんなことわかるの?」

 

「誰かに恨まれている人で自身と傍にいる幽霊が癒合というか癒着している人は時々見ますが、ここまで入っているのは見たことないです」

 

「癒着?」

 

「簡単に言うとずっと引っ付いているせいで溶けて混ざった状態です。大体そんな人は精神的に不安定になるか、怪我をするか…まぁ大体ろくな目にあわないです」

 

夏油もそれは見たことがあった。もう元の形を保っていない小花柄のワンピースの残骸からかろうじて女ということが判る幽霊が、顔立ちが整った大学生風の男の首にしがみつきながら恨みの言葉を呪詛のように呟いていた。

 

『ってことは、誰かがお前の死体弄ってなんかしようとしてるってことだろ?人気者は大変だな』

 

五条が来てから一言も話していなかった伏黒がソファーから起き上がり、欠伸混じりにそう言った。

 

「夏油さんの体を使って何か益があるんでしょうか?」

 

「傑は特級呪術師で術式もレア度5だったから十分あると思うよ」

 

五条が疲れたように椅子の背もたれに体を預け、だらりと身体を弛緩させている。

 

 

「レア度とかあるんですね…」

少年はちょっとずれている。

 

 

 

 

 

五条はもうちょっと調べてみると言い、風のように去って行った。

残ったのは夏油と伏黒の間に流れる微妙な空気だけであった。

 

『俺は出掛ける』

そう言い残し伏黒も出て行った。きっと競馬場か競輪場だろう。この様子だとまたしばらくは帰ってこないかもしれない。

 

『青、あの男はいつからいるんだい?』

 

「数年前からいますよ」

 

『…ちょっと待って、私がここに来たときもいたってこと?』

 

「いたにはいたんですが、夏油さんの姿が見えた瞬間にどこかに外出されてました」

 

夏油は大きなため息をついた。

 

『あの男に何か(たか)られたときは私に言ってくれ』

 

「?…大丈夫だと思いますけど」

 

『君の大丈夫はあてにならないな。悟からの連絡が来るまでここにいてもいいかい?』

 

夏油は少年と一緒にいて大体考えるのが面倒な時は「大丈夫」で済ませていることに疾うの昔に気が付いていた。

 

「もちろん」

少年は口角を僅かに上げた。

 

 

 

 

 

 

悟からはすぐには連絡はなかった。こんなに心がざわついているにも関わらず、少年が過ごす日常は佇む幽霊を除けば平穏だった。少年から前に聞いたメンインブラックの宝石の話をどこか思い出していた。

 

落ち着かない心に従って、一日中美々子たちが行きそうな場所を歩き回ったり、前に使っていた場所を虱潰しに調べて行ったが何も手がかりはなく空振りに終わる。美々子たちが見つからない焦りと自身の身体(もの)を勝手に使われているという嫌悪感が満ちていた。

 

 

「今夏油さんの体を使っている人って何が目的なんでしょうか」

 

少年は周囲の人とどこか違う。普通であれば気を使って避けようとする話題を本人に向かって火の玉ストレートで投げてくる。

 

『さあね、私の術式を使いたい人は多いだろうけど』

 

「人の体を操るような技を持つ人っていないんですか」

 

『わからないな、術式についてはまだ未解明なことの方が多いんだよ。親から子に受け継がれることもあるけど確実でもないし、突然変異や先祖返りだってあるんだ。だから術式を持つ子どもが生まれる確率を増やそうと必死になってる者もいる』

 

「そうなんですか。蠱毒かスペインハプスブルク家みたいですね」

 

『ハプスブルク家?』

 

「650年近くヨーロッパに君臨した王族ですよ。自分たちの「高貴な青い血」を守るために近親婚を繰り返していました。それが原因でハプスブルク家は5代で断絶します。最後の国王のカルロス2世に至っては遺体を解剖した医師の検死結果では「彼の脳は1滴の血液も含んでおらず、彼の心臓はコショウの大きさで、彼の肺は腐食していた。彼の腸は腐って壊疽していた。」とあるほどです」

 

『…近親婚までは流石にしてないと思うけど』

 

「けれど能力がある者だけで「産めよ増やせよ」をすれば段々と煮詰まってきそうなものですけどね」

 

夏油は呪術界の未来が不安になった。

 

 

 

 



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【7】夏油は煩悶する

 

「結局のところ、犯人の目的ってなんなんでしょうか?」

その日の相談者を見送った後、少年自身の部屋でぽつりと溢した。

 

『前も言ったけど、私の術式目当てでしょ』

 

「いえ、それは過程のひとつでしかないですよ。夏油さんの体と術式を使って何を成したいんでしょうか。繁殖行為をして術式を持つ子供を作りたいとか?」

 

『』

自身の体と貞操をこれほど心配したことはなかった。

カムバック体。

 

 

「あと五条さんが見せてくれた画像って映っているのは夏油さんだけでしたけど、まるで誰かと話しているような感じでしたよね」

 

『写真や映像に映らないもの…幽霊か呪霊と話している…?』

 

「呪霊も写真に写らないんですか?まぁどちらにしても人間以外と夏油さん…区別がつきにくいので画像の夏油さんのことを「偽者さん」と呼びます、は手を組んでいるんじゃないでしょうか」

 

『呪霊と手を組む?何のために』

 

「だから最初の疑問に堂々巡りしてしまうんですよ。仮に話していたのが呪霊とすると、呪霊と偽者さんはなにをしたいんでしょうか。

それに美々子さんたちも彼らと共にいる、その指示に従っているのであれば生前の夏油さんが掲げていた大義と今の偽者さんがしようとしていることはそこまで違わないんじゃないでしょうか。急に大義が方向転換してしまったら従っている人たちは戸惑いますし、空中分解することもある。しかし現時点ではそうなっていない。あるいは偽者さんのことを夏油さんだと思っている?」

 

『それはないと思う。伊達に美々子たちと何年も一緒に過ごしていない。なにか他に目的があるのかも知れない。

…大義か……私は非呪術師たちの抹殺と呪術師だけの世界の創造を目指していた…』

言ってしまってから気が付いたが少年は非呪術師だ。

 

「へーそうなんですか」

 

『反応が軽すぎないかい?成功していれば君も死んでいたのかもしれないんだよ』

 

「まぁその時はその時なので」

 

『…話を戻すけど、つまりまだ美々子たちはその大義を果たそうとしている?』

 

「大義はどうであれ、次に何かしようとする場合、もし僕が偽者さんなら夏油さんがしなかったことをします。同じ手は使えないですし。そこにわざわざ夏油さんの体を使う理由があるんじゃないかと思うんですよ」

 

『私がしなかったこと…』

 

「夏油さんは具体的にどこでなにをしようとしていたんですか」

 

『京都と新宿で百鬼夜行すると宣戦布告しておいて…高専を襲撃……』

ここまで言いにくいことはあっただろうか。

 

「この時代に百鬼夜行とは随分ファンキーですね。

…ところでなんで宣戦布告なんてしたんですか。突然襲撃するからこそ相手に大きなダメージを与えられるのであって、わざわざ準備する時間を与えるだなんてまったく、何考えているんですか」

 

『私の計画にケチをつけたのは君がはじめてだよ。しかも完全に思考が襲撃する側になってるし…高専を襲撃したのはちょっとした目的もあったんだ』

 

「目的?」

 

『ある生徒が持っていたものが欲しくってね』

 

「…その人しかいない時に全員で襲撃かけた方が確実じゃないですか?」

 

『そこまで内部情報知っているわけじゃなかったんだ』

 

「情報は力です。スパイとか使わなかったんですか。戦国時代でも風林火山で有名な武田信玄は歩き巫女という女性の忍び集団を作って全国各地の情報を集めていたんですよ」

ため息交じりにそう少年に言われる。

 

「次は宣戦布告はしないでしょう。あとは呪術師に対しての攻撃…は夏油さんもしていたんですよね。五条さんとは戦ったんですか?」

 

そう言いながら少年はルーズリーフに書き留めた宣戦布告に大きく×印を付けた。

少年にとっては宣戦布告はナンセンスだったようだ。

 

 

『悟とは直接は戦ってない。私に止めを刺したのは悟ではあったけど。悟は呪術界の切り札と言ってもいい。直接ぶつかるのは初めから計画に入れていなかった』

 

「五条さんがそこまで力があることについては皆知っているんですか?」

その言葉に頷いた。

 

「確か五条さん瞬間移動できましたよね。だとしたら、襲撃してもすぐに現場にきてしまう…五条さんとの戦闘をしなくていい方法……拘束、監禁とかどうでしょう」

 

『無理だと思うよ。そんなことしてもすぐに術式で解いてしまうから』

 

「五条さんが切り札であるならば、直接戦う前に使えない状態にしてしまった方が早いんですが」

 

『それは前にも考えたけど、そんなことどうやって…』

 

「人質とか物質(ものじち)とかできそうなものないんですか」

 

『わからないな。…直接本人に聞いた方がいいかもね』

 

 

 

それもそうかと少年は思ったのか悟に電話を掛けた。

 

「もしもし、どしたの、またなんかあった?」

 

「五条さん、何か弱みってありますか?」

少年も大分疲れてきたらしく、単刀直入にそう告げた。

 

「は?」

 

 

 

 

 

 

「で、簡単にまとめるとあの傑の体使っている奴に利用されるかもしれないから僕の弱みがあれば聞きたかったってこと?なんで敵側の考えを読み解こうとしてんの」

 

また何かあったのかと思ったのか悟が飛んできた。

少年からあの質問に至ったまでの経緯を聞き、納得したようだった。

悟の方でも動いていて思い当たることがいくつかあったようでしばらく考え込んでいた。

 

「僕を監禁ねぇ…無理じゃない?」

 

「動けなくしなくてもいいんですよ。ドラえもんにでてきたような四次元ポケットみたいな秘密道具使って帰ってこれなくしてもいいんです。もっともゴルゴンの首のようにその場に留められて手出しができなくなるような道具が理想ですけど」

 

「本人目の前にしてひどくない?」

 

『気にするだけ無駄だよ』

 

「でも偽者さんは確実に五条さんをどうにかする方法を考えていると思いますよ」

 

「道具ねぇ…ちょっと調べてみるよ」

そう言って悟は帰って行った。

 

 

「夏油さんちょっと聞いてもいいですか?」

 

『?…なんだい』

 

「前に夏油さんが襲撃したときっていつですか?」

 

『クリスマスイブ』

 

「…」

少年の何とも言えない表情に何を考えているのかを(さと)った。

 

『…違うから、断じて恋人がいる人たちに嫉妬してたわけじゃないから』

 

「じゃあなんなんですか」

 

『呪霊は負の感情から生まれるって言ったよね。だからそんなイベントがあるときは呪霊も力を増すんだ。だからその日にしたんだよ』

 

「へー」

少年の軽い返事が聴こえた。

 

『本当だって!』

 

「じゃあ次、偽者さんもそんなイベントの時になにかするかもしれませんね」

少年の言葉は棒読みだった。

 



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【8】少年は企む

最近少年は考え込むことが多くなった。

荷物を抱えて戦ったことがあるか聞かれたので、おそらくまともなことを考えていないことはわかる。

 

 

 

ある日、少年が朝から落ち着きがなかった。日曜日なのに珍しく早く起き、前にネットで注文していた大きなリュックを背負って出掛けた。Googlemapを見ながら歩く少年の後を夏油はついて行く。電車に揺られ、繁華街がある駅に着いたが途中で花屋に寄った以外には歩みを止めず段々と人気のない方面に向かって進む。足を止めたのは小さな墓地の前だった。

 

「夏油さんも探してくれますか?伏黒家って墓石に書かれているはずなんですけど」

 

『伏黒って…』

 

あの忌々しい男の顔が浮かんだ。

 

なかなかない苗字のためすぐに見つかる。墓参りをする者がいないのか水鉢は乾ききっており落ち葉が入っている。少年は近くのバケツを拝借し、墓を清めた。花屋で購入した菊を花立にバランスよく活ける。

よしっと一言呟き、リュックの中を漁ったかと思うとマイナスドライバーを出す。少年は墓の下部にある石の板を外そうとドライバーを雑に隙間に捻じ込んだ。

 

 

『!!、ちょっとまって!!頼むから待って!』

 

「なんですか急に…」

 

『それは私が君に言うべき言葉だよ』

 

「?…見ての通りですが」

 

『』

 

この少年はこんなにも非常識だっただろうか。衝撃的すぎて固まっている間にも少年は問答無用とばかりに板を外そうとしている。

 

「あっ…外れた」

 

そういうと少年は外れた石板を横に置き、腕を穴奥に突っ込んで何かを探す。しばらくそうしていたかと思うとずりずりと音を立てて、袋を引きずり出した。

 

「ほんとにあった…」

 

少年は墓荒しを宝探しか何かと勘違いしているのだろうか。自分が義務教育を終えた後に「墓荒しはギリOK」と義務教育の内容が変化したのか。もしそうであるならば日本の未来は暗いどころかブラックホール並みに混沌とするだろう。「他人の物は盗ってはいけない」どころか「他人の墓は荒らしてはいけない」と注意する日が来るとは思わなかった。

 

『…罰当たりにも程がある!』

 

自身の享年から考えても少年より年長者である。ここは大人の意地を見せるべきだ。この少年には注意できるまともな大人が必要だ。

 

「別に遺骨をどうこうしたわけではないので大丈夫ですよ。お墓も綺麗にしたし」

 

そう言いながら墓から出した袋をリュックに詰め込んでいる。

 

『お墓に入っている人たちも怒るんじゃないかな?!』

 

この少年には常識が通じない。幽霊視点からアプローチをするしかなかった。

 

「お盆でもないので誰もいないですよ。仏教的にはお墓はサーバーであって、本人たちはクラウド上にいるらしいですよ。文句があるならたぶん直接言ってくるのでその時対応します」

 

少年の説明に絶句する。少年は仕事を終えたとばかりに石板を戻し、借りていたバケツやらを返すと駅に向かって歩いていく。

 

『今ならまだ戻れるから!返した方が良いって!』

帰り道で必死に説得するが梨の礫(なしのつぶて)だった。

 

 

 

 

『おー見つかったかよ』

相変わらずソファーに寝っころがりながら男が言う。

 

「あったよ、伏黒さん」

 

『――お前が青に妙なことを吹きこんだのか』

 

目の前の男はやはり害でしかない。ちょっと抜けている程度で済んでいた少年がここまで非常識になってしまうとは嘆かわしいことだ。

 

『チッ、うっせえな…』

 

「伏黒さんが言ってたのってこの中にある?」

 

そう言いながら少年は墓荒しでゲットした袋の中身をテーブルに広げた。

 

ナイフに銃、メリケンサックに鎖鎌、多種多様の武具がある。全て呪力が籠っている。

 

『…これは…』

 

「伏黒さんと取引して隠し持っていた道具の場所を教えてもらったんですよ」

 

『テメェも使ってなかった呪具どっかに隠してんだろ?どうせ使えねぇんだから錆びる前に出せよ』

男にそう嫌味混じりに言われる。

 

『…いったい何に使うのか教えてくれないなら私も教えることはできない』

確かに百鬼夜行のとき持ちきれないからと隠したままの呪具はある。

 

「備えあれば憂いなしなので」

少年はこれから紛争地にでも向かうつもりなのだろうか。

 

『…君に扱えるのかい?』

根本的な問題を少年に訊ねる。

 

「無理です。人も殴ったことないですし」

 

『だろうね』

きっと菜々子たちよりも細い少年の腕を見た。

 

『アー、めんどくせえな、おい、くそガキに触ってみろよ』

先程まで黙っていた男が言う。

 

『は?』

少年もわかっていたのか戸惑う様子はない。

恐る恐る少年の腕に触れた。質感がある。驚きすぎて手を離した。

 

『…(さわ)れる……』

 

『むしろ今までよく気が付かなかったな』

男の言葉に呆然とする。

 

「夏油さん、その道具扱えますか?」

 

少年がそう言った。少年の腕に再度触れながら、テーブルに置かれているナイフの柄を握る。生前の感触と同じだ。思わず男に投げた。

男は身を(よじ)(かわ)す。ナイフはそのまま男が寝ていたソファの背もたれに突き刺さった。

 

『!!あぶねえな!』

 

『どうして避けるんだ。幽霊なんだから怪我しないだろう』

 

『ざけんなクソが!』

 

「もー落ち着いてくださいよ。夏油さん、もし偽者さんが何か起こそうとするなら、きっと10月から1月の間に起こすと思うんです」

 

『?』

 

「僕が偽者さんなら一度に大勢殺せる時と場を選びます」

それは自分も考えた。だからクリスマスイブに百鬼夜行を行った。

 

『俺なら御三家を襲うがな』

男が茶々を入れる。

 

「一応大義名分があるので、呪術師を大っぴらに標的にはしないと思うんです。また政府や企業は襲われないでしょう。まぁ、個人的な怨恨についてはわかりませんが」

 

『国家の転覆が目当てなら国会とかも襲われそうだけど』

 

「仮に夏油さんが政府機関を襲撃して成功したとしましょう。問題はその後なんです。その政府の役割を夏油さんが担えますか?襲撃後の後片付けやら外交問題やらやることは山ほどでてくると思います。それをするなら今の政府を形だけでも残して裏で操った方が何倍も楽なんですよ」

 

『…』

 

「だから、偽者さんも政府機関の襲撃は考えないと思うんです。

…話を戻しますけど、日本で人口密度が高い場所となると東京都内です。さらに都内で人が集まる行事やイベントとなると、お正月の初詣、お花見、花火大会、ハロウィン、クリスマス、年越しのカウントダウン、あとはスポーツの試合で勝った時ぐらいでしょうか」

その言葉に頷く。

 

「天候に左右される花火大会。直前までどうなるかわからないスポーツの試合。初詣やお花見、クリスマスのように人が何か所にばらけるものは恐らく向こう()も候補に入れないでしょう」

 

「そうなると必然的にハロウィンと年越しのカウントダウンが残ります。どちらも渋谷の交差点が有名ですね。そこに事前に張っていたら偽者さんが現れるかもしれません。まあ何年越しのチャレンジになるかわかりませんし、高専をダイレクトアタックする可能性や平日の満員電車で突然…という可能性も無きにしも非ずですが」

 

『渋谷…でも、行ってどうするんだい?君は戦えないのに…』

 

「夏油さん、偽者さんを一発殴りたくないですか?」

 

『もちろん』

今なら一発どころか殴り殺せる自信があった。

 

「じゃあ行きませんか。僕はそれをお手伝いします」

 

 

 

 

そうと決まれば行うことは沢山あった。

 

使わない呪具を生前に隠していた場所を少年に教えた。

人気のない神社の本殿を少年が漁る。ここは高専の頃に任務で来た神社だ。所謂いわくつきの神社であった。呪霊が祓われた今でも誰も訪れていない。もう取り壊されている可能性もあったが、まだ無事だったようだ。

 

蜘蛛の巣を頭に付け、少年が咳き込みながら奥からスーツケースを出してきた。

 

「夏油さん、これで合ってますか?」

 

『うんそれだね』

少年が開ける。中には游雲にはとても及ばないがまだ使える呪具が詰まっている。武器庫代わりの呪霊も使役していたが、それでも限度があるため戦いの前に厳選し、そこから漏れた物はこうしてまとめていた。

 

少年はそれを墓の時と同様にリュックに押し込んでいる。事前に長さがある呪具があることも伝えていたため、少年は用意周到なことに大きめのバットケースも持ってきたようだ。

 

また少年に触れながら戦うことになるため片手で呪具を操る練習が必要だった。ナイフやら片手で扱えるものは問題なかったが両手で持つような呪具はどうするか困った。一瞬少年をおんぶして…と思い提案したが少年に諭され諦めた。確かに傍から見たら少年が宙に浮いているようにしか見えない。

 

 

 

 

『お前みたいな男はただで動くわけがない。何を青に(たか)ったんだ』

少年がいない隙に男に問う。

 

『集った?馬鹿言うなよ。あのガキから取引持ちかけてきたんだぜ?』

競馬番組を見ながら男が答えた。

 

『…青は何をお前に差し出したんだ』

 

『ビール5ケース』

 

『は?』

 

 

 




pixiv投稿分に追いつきました
今後はpixivと並行して投稿予定です

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【9】少年は待つ

 

「かなり重いけどなんとか入ってよかったです」

 

10月31日早朝。

少年はリュックを背負いバットケースを斜め掛けにした。リュックは普通の学生が通学に使う様なものではなく登山を彷彿させるような大きさだ。少年ほどの体格だと逆にリュックに背負われているように見えた。リュックの中にはかき集めた呪具が押し込められている。

 

少年は学校をサボタージュして朝から渋谷に来ていた。

 

渋谷の交差点が見えるスターバックスでアイスコーヒーと夏油に朝食を摂るよう口酸っぱく言われ、渋々購入したドーナツをちみりちみりと消費している。眉間に皺が寄る。買われたドーナツもここまで嫌そうに食べられるとは思わなかっただろう。

あのいけ好かない男もさっきまでいたがどこかに行ってしまった。できればそのまま逝ってほしいと心から願う。

 

『呪具とビールで取引したって聞いたんだけど本当にそれだけなのかい?』

あの男は生前は金を積めば容赦なく人を殺めた。たかがビールで釣り合うはずがない。生前ならまだしも、今の体では目の前に出されても飲むことはできない。仏壇や墓前に供えられたら何か感じとれるのだろうか。あの参る者のいなさそうな墓を思い出す。

 

 

「――夏油さん、僕に触れながらこれ飲んでください」

そう言って少年は自分が飲んでいたコーヒーをこちらに向けた。

もしかしてと一瞬逡巡したが、僅かな期待で沸き立つ胸を軽く押さえながら、にじり寄るかのように緑色のストローに口をつけた。

 

涙は出なかった。

しかし胸の底まで何かが深く刺しこまれたような気分だ。

スッキリとしている。もっとコクがあるものが自分好みだったはずだ。

甘さも感じた。少年が砂糖を少し入れたのだろう。

ほんの一口分をたっぷりの時間をかけて飲み下す。口内から液体がなくなると深く息を吸った。

瞼を閉じ、まだじんわりと舌に広がる僅かな苦味まで堪能する。

 

死んでから初めて味を感じた。

数ヶ月ぶりに機能した味蕾は、押し寄せるほどの情報の波を脳に伝播させる。

 

きっともう感じることはできないのだと思っていた。空腹も喉の渇きも感じず、食事も用意されることはない。声も届かないのだから食事の評価をオウムのように反復して言い合う行為さえできない。

だから自然と目を逸らし、悟たちが食事を摂る際には側から離れて時間を潰していた。

 

 

「ここのコーヒーおいしいですよね」

 

『…うん…おいしい』

 

「…夏油さんに嘘をつく気は無かったんです」

 

『あの男はこのことを知っていたんだね』

少年は頷く。

だからあの総計数千万越えの呪具とビールで取引ができたのだ。在処を知っていても使うことさえできず朽ちるしかない呪具と味を感じることができる嗜好品ならどちらに傾くかは明白だ。

 

『他に私に黙ってることはない?』

 

「……ありますよ、たくさん」

少年はそういうと、話は終わったとばかりに少年は信号待ちの群衆を眺めだした。

 

その言葉に少しショックを受けていた。少年に失望したということではない。自身の思い出やらを手紙に綴るためとはいえ少年に話しているにも関わらず、少年のことについてはほとんど知らないことに気が付いたのだ。

 

『――屁理屈を捏ねて誤魔化すことと寝汚いこと、食べることが得意じゃないことは知ってるよ』

伊達に数か月少年と一緒にいるわけではない。苦し紛れに出した言葉に少年は口角を僅かに上げた。

 

 

いくら金を払っているとは言え、数時間もカフェに滞在するのは忍びないという少年の妙な拘りから場所を移動することになった。墓荒しはセーフでもこれはアウトらしい。少年の判断基準はよくわからない。

少年と共に群衆を見る。午前中の渋谷はサラリーマンだけでなくどこにいくのかわからない格好の人が多い。

 

少年は度々場所を変えた。百貨店や駅のベンチに広場。少年は座れる場所を見つけることと人ごみに紛れることが無駄にうまい。人ごみの中では少年から目を離すと探すのに一苦労だった。まるで透明人間だ。子どもの迷子防止用ハーネスの導入を検討する必要があるかもしれない。

 

そんなことをしているうちに日が暮れてきた。少年はスマホと共に生きてきた年頃の子どもらしからず、スマホも見ずに人の流れをただ見ている。

段々と人ごみの中に目立つ格好をしている人が増えてきた。秋の訪れを感じる風が吹くこの季節に気合の入った半袖の看護師や警察官の仮装。死んで幽霊になっていてもこの看護師には絶対に注射されたくない。

ドンキホーテで購入したのか安物の生地はテラテラと光を反射する。ゾンビのつもりなのか顔の赤いペイントが目立った。大量の血やら人体の断面を普段見ることがない一般人には新鮮に感じるらしい。死んでから自分の断面を暫く見ざるを得なかった身としては微妙な気分だ。

 

 

「夏油さん、ミニスカナースお好きなんですか?」

 

『は?』

 

「熱心に見ているので…」

 

『』

この後必死に弁明した。

 

 

 



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【10】少年は試す

 

ハロウィンの渋谷は朝の通勤時間帯の比ではないほど人口密度が高い。チューハイの空き缶が道の至る所に転がっている。設置されたごみ箱も目に入らないほど酔っている人間が多いのかもしれない。ポイ捨てした者に対して、捨てた空き缶を660度で熔解(ようかい)し、口に流し込むという刑が科されるならばこの道も綺麗になるだろうか。

 

もう1時間前に警察による交通規制が始まったからなのか車道にも人が出て好き勝手に歩いている。

車道と歩道の間にある防護柵に軽く腰掛けている少年に晩御飯を摂取させるべく説得して(小言を言って)いる時、それは起こった。

 

『――帳が、下りた』

 

「予想が的中しましたね」

 

急に吹いた風にはじめはビル風かと思った。群衆が地下鉄の入口に吸い込まれているのを見てその思いが間違いだと気付く。女性の甲高い悲鳴がいくつも耳に木霊した。

 

『っ!掴まって!!』

驚いている少年の腕を取り、反対の手で柵を掴んだ。

目も開けていられないほどの風だ。風の轟音。街路樹のしなる音。人の怒鳴る声。叫ぶ声。音が満ちる。

 

実際は1分未満の出来事かもしれなかったが、時の流れがひどく遅く感じた。

 

「…びっくりした」

少年は周囲を見まわしたが先ほどまで少年の隣に座っていた人たちの姿はない。辺りは騒然としている。空き缶が軽い音を立てて転がった。

 

『おー、くそガキの予想ドンピシャだったな。今度一緒に馬、見に行かねえか?』

今までどこにいたのか男が軽い足取りで現れる。

 

「伏黒さん、御無事でよかったです」

 

『幽霊に無事も糞もあるかよ』

男は吐き捨てるように言った。それもそうだ。さらに言うとこの男なら地下に吸い込まれても自力でどうにかするだろう。

 

『私としてはどうにかなってくれていた方が嬉しかったんだけど』

 

『あ゛?』

 

「合流できたことですし、予定通りにしましょう」

少年の一声で睨み合いは収まった。

 

 

 

 

「やっぱり僕はでれませんね」

下ろされた帳に手を触れさせ少年は言う。

 

『きっと非呪術師は外に出れないように帳が張られているんだと思う』

 

『で?どうする』

男が少年に次の行動を聞く。

 

「虎穴に入らずんば虎子を得ずというでしょう」

 

『でも中がどんなふうになってるのかもわからないのに…』

中の様子もわからず行くのは危険すぎる。少年は戦う術(術式)を持っていない。自身でそう口にして気が付く。私たち(幽霊)なら問題ない。少年はそのことを既にわかっていたようだった。

 

「ということで伏黒さん」

 

『へいへい』

男がいい加減な返事しながら地下鉄の入口に入っていった。

 

少年は男の後ろ姿を見送るとその場に座り込み、リュックから地図を出した。渋谷駅の構造が書かれている図だ。

 

「五条さんを殺す、あるいは動けなくすることが敵の目的なら五条さんが一番戦いにくいようにするはずです。それにさっきの風で吸い込まれた人がひとりも上がってきていない。吸い込まれた人が地下から出れないようにしている?」

 

『確かに、悟の術式の性質としては人がいると邪魔になって戦いにくいかもしれない』

 

「それなら…さっきのバリア…とばりでしたっけ?それって他に条件変えることができるんですか?」

 

『できるよ。逆に呪術師だけを帳の中に入れないようにすることもできる』

 

「特定の個人に絞ることも可能?」

 

『普通に下ろすよりも大変だけどできるよ』

 

「…これって物って通さないんでしょうか?ちょっと空き缶投げてみてください」

 

『せめて自分で投げなよ』

 

「僕運動苦手なんです。身体測定のハンドボール投げ最高記録は12mです」

 

『』

少年の学校での様子を見ていてある程度分かっていたが、そこまでひどいとは思わなかった。本当に少年を中に行かせて大丈夫だろうか。心配しかない。

 

 

 

『くそガキ、見てきたぜ』

面倒くさそうな態度戻ってきた男が少年に言う。

 

『東京メトロの構内は人でぎっしりだったぜ。あと特級呪霊がなんかしてたぜ』

他の階の状況を続けて言う。少年は男の言葉のままそれを地図に書いた。

 

「これ五条さんに知らせればいいんですけど、電波繋がりませんね」

地図に情報を書き加えたものを携帯のカメラで撮りながら少年は言う。

 

「このバリアの傍で待ってたら五条さん来ませんかね」

 

『悟の前に窓か補助監督なら確認のために来るはずだよ』

 

「?」

 

『悟みたいなのをサポートする人たちのことをそう言うんだよ』

 

「じゃあその人たちに言うしかないですね。ちょっと待ちましょうか」

 

 

『なんでそんな顔してんだ』

妙な顔をする少年に男は聞いた。

 

「だってこんなの完全に「捕まった宇宙人」…」

補助監督たちが来るまで、持て余している時間を使ってどう戦うのか話し合っていると少年がぽつりと零した。夏油と伏黒の間に挟まれ、それぞれ手を繋がれると身長差もあって自然とそうなってしまう。

 

『まぁ、ずっと繋いでるわけじゃないんだから我慢してよ』

 

『誰が好き好んで野郎同士でこんなことするか』

 

「……はい」

少年は小さな返事を絞り出す。

 

少年と手を繋ぐと、少年の背負うリュックの口を開け、呪具を取り出す。百貨店のショーウィンドウには少年の傍で刀とヌンチャクが宙に浮いているのが映った。

 

なぜだかその光景に笑いが込み上げる。

急に笑ったからか少年の目が真ん丸になった。指でガラスの方を示すと言いたいことが伝わったようで、少年も珍しく声をあげて笑う。ちらりと見た男はくだらないとばかりに外方(そっぽ)向いたが、肩が僅かに震えている。

 

緊急事態の最中(さなか)ではあるが、久しぶりの戦闘を前にしたことによる高揚感がそうさせたのかもしれない。ひとしきり笑い合うとなにかの繋がりが生まれたような気がした。

先ほどから指先が微かに震えるのを感じていた。これは恐れからのものではない。武者震いというやつだ。

 

手を繋いでいる少年にも自身の興奮が伝わってしまったようで普段と比べて頬が桃色に染まり饒舌になる。

 

「そういえば、ラグビーのニュージーランド代表であるオールブラックスは試合の前にハカを踊るんですよ。元はマオリ族の戦士が、戦いの前に自分たちの力を誇示し、相手を威嚇する舞踊だったんです。今では一種の名物みたいになってます。

英語では、hakaはbattle cry や war cry と呼ばれることもあります。日本語に訳すと「(とき)の声」。士気を高めるために叫ぶという行為は世界的にも一般的です。日本だと「エイエイオー」というのが有名ですが、ロシア陸軍では「ウラー」、イスラム教では「アッラーフ・アクバル」など時代や国、宗教、団体によって様々なんですよ。そのなんとか師の人たちは戦う前に鬨の声みたいなものはしないんですか?」

 

『なんとか師じゃなくて呪術師だよ…鬨の声…特に聞いたことないな。まあ人によってルーティーン的なものはあるかもしれないけど』

 

 

『うるせぇ黙れ』

男が耳を塞ぎながら言う。

 

「黙りません」

 

『あーもー、糞ダリィ。黙らねえなら俺は帰る』

 

「報酬のウイスキーに今ならおつまみを付けます」

 

『…つまみは俺に選ばせろ。お前にはセンスがねぇ』

 

「いいですよ」

そういうと男は黙った。

 

『報酬ってビール5ケースじゃなかったの?』

気づいたことを訊ねる。

 

「あれは呪具と引き換えの報酬。今回は別です」

 

『ビールだけでなくウイスキーとおつまみまで中学生に(たか)るなんて…』

大人としてあるまじき姿だ。

 

『ウイスキーはマッカランの25年ボトルだからな、買えよ』

 

『がぶがぶ君か大五郎でも飲ませとけばいいんじゃないかな』

語気が強くなってしまうのは仕方がない。この男には大容量ペットボトル入りの焼酎で充分だ。安価な甲類焼酎ならなおよし。そもそも酒を未成年に集ること自体が問題なのだが。

 

「費用のことなら大丈夫ですよ。お気になさらず」

 

『つまみは後でデパ地下で選ぶからな』

少年の言葉に男はここぞとばかりに付け込んだ。

 

「はいはい」

これではどちらが年上かわからない。

 



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【11】少年は訊く

 

19時に帳が降ろされ辺りが騒然となっている中、少年はスターバックスで人の波を眺めていたときと然程変わらない様子で群衆を眺めていた。ひどく凪いだ目だ。

 

『――今度は何やらかすつもりなんだい?』

 

「なんで僕が何かをやらかす前提で話すんですか」

不服そうに少年はそう言うが、これまでの付き合いで何となく嫌な予感がした。

 

「ゾンビ映画やパニック映画でよく「そんな行動取るわけないだろ」って行動をとる人、いるじゃないですか。外にゾンビが溢れてるのにわざわざ外に出たがる人とか。俗にいう死亡フラグってやつですね。あれも(あなが)ち間違いじゃないんだなと思って」

 

外に出ようと怒鳴りながら帳を叩き続けている者。電波が届かないにも関わらずスマホを触り続ける者。恋人が先ほどの風で地下鉄の入口に吸い込まれた男性はちょっとの間、地下に続く階段の前をうろついていたが決意を決めたのか下りて行った。武器さえ持たずに。

 

帳の中に入ってくる者は多くいた。何も知らない一般人。探るような視線に窓かと思われる者もいたが、その者は帳の外に出ることができないようだ。帳の外にでることができないなら意味がない。

注意深く帳の中に入ってくる者を眺める。すると喪服のような真っ黒いスーツを纏った者が現れる。補助監督だ。慌てて少年を呼ぶ。

 

「…あの、ホジョカントクの人ですか?これ、五条さんに渡してください。どこに何があるかマッピングしている地図です。「如月青から渡された」と伝えていただけると五条さんならすぐに判ると思います。クイ?の場所も記しています」

 

補助監督は一瞬迷ったようだが、それを丁重に受取ると帳の外に出て行った。

 

「じゃあ、行きましょうか。夏油さん」

 

『えっ?補助監督待たなくていいのかい?』

 

「僕がなんで待つ必要があるんですか。時は金なりですよ」

そう言うと少年はそこら辺をぷらぷらしている男を呼びに行った。

 

 

 

 

 

「まず、伏黒さんが見つけてくれた…トバリのクイを壊しに行きましょう。地下で閉じ込められている人たちを早く外に出さないと」

 

方針が決まれば行動は早い。男が1人で状況を確かめに行った際に、駅に一般人を閉じ込める帳の杭の場所も発見していた。それを壊す。男によるとホーム以外の地下層階にも呪霊がいるらしい。呪霊を祓いながら杭のところまで行く必要がある。

念の為にそれが叶わない場合のことも考えていたがその心配は杞憂だった。初めは男も私も少年と手を繋いで慎重に対応していたが、段々とコツを掴んできたのだ。

 

何しろ呪霊には少年が1人で歩いているようにしか見えない。呪霊が少年を襲おうと近づいたときに、男か自分がそれを祓えばいい。

反対に少年には才能がないのか呪霊の姿を捉えることはできないため、騒ぐことも恐怖でパニックになることもなかった。少年からすると急に腕を引かれたり、その場にしゃがむように言われたりと意味不明だっただろう。

手に持つナイフを呪霊の脳天に突き刺し、雑に切り捨てた。呪霊の血や肉片が通路に飛び散りタイルを濡らす。

 

一緒にいる男はもっと雑で、少年を俵担ぎし、時には宙に放り投げと好き放題している。呪霊が見えない少年からすると予測不可能なジェットコースターだ。実際、少年は酔ったようで顔色が悪い。

少年の気分の悪さと引き換えにB5階以外の呪霊は祓い終える。幽霊とはいえ天与呪縛のフィジカルギフテッドと特級呪術師だ。少年から離れられないという縛りはあるが、2人がかりで当たれば造作ない。

 

帳の杭を守っていたのは1級呪霊だった。

男は少年を小脇に抱えると生来の高い身体能力を活かした軽やかな動きで攻撃を躱し、鋼鉄のように重いダメージを何度も与える。

少年の背負うリュックから武器をいくつも取り出すとその呪霊に突き立て串刺しにする。杭を蹴り壊すと帳が上がる。自身らを阻む壁がなくなったことに気が付いた一般人は一目散に地上に上がろうと動きはじめた。

 

粗方片付くと次の行動を話し合う。一般人が押し合いへし合いをしながら次々に出てきているためB5階の副都心線ホームに行くのは避けた方がいいと提案するが、少年はそこに行こうと言い出した。

 

「だって、わざわざ一般人をそこに集めていたんですよ。なにか目的があるんだと思うんです。もしかしたらまだ偽者さんもそこにいるかもしれません」

そう言われると反論の余地はない。

一番の問題はどう行くかだった。駅からは人の流れができており、それに逆らって中に入ることは難しそうだ。

 

『あーグチグチうっせぇな。さっさと行けばいいんだろ』

 

そう言って男は少年をひょいと担ぐとそのままホームに降りて行った。案の定、人の頭を踏みつけている。突然頭を踏まれた人からは悲鳴に近い声が聴こえた。

ホームにはもう一般人はまばらだ。大半はもう外に出たらしい。無事にホームに着くことはできたが少年は圧迫された鳩尾を擦っていた。

 

 

丁度線路に辿り着いたときには既に悟がおり、線路で呪霊たちと対峙している。

 

「ねぇ、回りくどいことしてないでさっさと出てこいよ。夏油傑!」

人がホームに詰めかけていたときよりも動きやすくなったらしい。悟が目から樹木を生やしている特級呪霊を容易く祓い、言う。

 

その瞬間に悟の方に向かって四角い箱が転がされる。見たことがないほど俊敏な動きで少年はホームドアを乗り越えるとその箱から悟を庇うようにして、男に言う。

 

「伏黒さん!それどっか投げて!!」

 

その少年の言葉に素早く反応した男は、片手で少年の腕を掴み、転がってきたそれを明かりも届かない線路のトンネルに向かって投げた。硬い物がコンクリートにぶつかる音がトンネルの中で反響する。音の遠さからかなり離れた場所に転がっているのだろう。

 

「なんで…」

 

「いや、C-4かと思って……あ、C-4っていうのはアメリカの軍をはじめ世界各国で使われているプラスチック爆薬の一種で…」

 

「そーじゃなくて…そもそもなんでここにいんのよ…」

悟としても少年がここにいることは想定外だったようだ。自身の髪をかき混ぜる。

 

「あーあ、大失敗だな。帳ももう上がってるみたいだし。……まさか私が生きていることを知られていたなんて。

――どうしてわかったのか聞いてもいいかい?」

 

ホームの陰からその声は聞こえた。現れたのは自分だった。以前と同じ袈裟姿。ただその額に付けられた縫い目だけが違う。自分の体で、そして似た口調で言葉を紡ぐその男が憎くて憎くて仕方がない。

 

「情報提供者がいてね」

 

「それが誰なのか聞かせてくれるかな」

 

「――僕たちです!」

急いで少年の口を塞ぐが時すでに遅しで、偽者と特級呪霊の視線が集まった。

 

「……君が?」

呪力も一般人と変わらない少年に視線を遣り、不快そうな表情を露わにする。

 

「あの…偽者さんに聞きたいことがあって…」

 

「偽者…もしかして私のこと?」

こんな状況下で何を聞きたいのだろうか。偽者は片眉をあげて少年の言葉の続きを求めた。

 

「えっと、…その……」

少年が口篭もるなんて天変地異の前触れだろうか。そのことに焦れたのか偽者が急かす。

 

「…偽者さんはこの1年でお子さん作られましたか?」

 

は?

その場の全員の反応が一致する。

 

「いえ、お子さんができていなくても…繁殖活動、つまりどこかの女性と性行為、えぇっと…子作りを、その、セックスをされたか、できれば相手と頻度もお聞きしたいんですが…」

最悪だ。感じていた嫌な予感はこれだったのか。

 

『こんな時にそんなこと聞かない!』

 

「そんなことじゃないですよ。だって僕が偽者さんの繁殖の可能性を伝えた後、夏油さんずっと株とFXについて調べてるじゃないですか」

少年に知られていた驚きで思わず口を閉ざしてしまう。

 

「夏油さんのことだから子どもがいた場合の養育費の心配されているんでしょう?だったら直接偽者さんに聞いて確認した方が早いですって」

少年はそう言って再度偽者に繁殖行為の有無を聞いた。

 

「…してないけど」

偽者も混乱しているようだ。しかしその偽者の言葉に更に少年は追撃をかける。

 

「健康な20代成人男性が1年間ずっと自家発電…?ありえない…」

使っている動画サイトはFC2かPornHubか、あるいは性的対象が人間ではないのかと続けて少年は訊ねる。

 

なんで聞いているだけで吐きそうになるんだろうか。痛まないはずの胃がキリキリしてきた。悟と男は繁殖行為について少年が切り出した時点で腹を抱えて笑っている。他人事だと思いやがって。

 

「――さあね」

頼むから答えてくれるな。

 

 



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【12】夏油は蹴る

偽者が少年に言う。

 

「――で、本題はなに?」

 

「さっきのが本題ですけど…」

 

「は?あんなくだらないことのためにここにきたってこと?」

 

「そうですが」

 

「……君、頭大丈夫?」

 

「大丈夫です」

 

偽者の方がまともなことを言っている気がする。普通の呪術師なら爆心地とも言えるこの場所に赴くとなれば自分の命を賭す覚悟をする。まさかこんな質問をするためだけにくるとは誰も思わない。

 

自分がやったことならまだしも、自分がやらかしてもいないことでどうしてここまで苦しめられているんだろう。フレンドリーファイヤーもいいところだ。少年の背に触れ、腹立ち紛れに爆笑し続けている悟の脛を蹴る。術式でそれは阻まれたが、急に訪れた軽い衝撃に悟は周囲に視線を遣る。

 

「あー、笑った笑った。笑いすぎて腹が痛い。

―――青、とりあえず君は端っこで大人し…」

頭を切り替えた悟が青に指示しようとした瞬間、電車が入ってくる。

 

少年を担ぎあげホームの隅に降ろすと少年は入ってきた電車をじっと観察している。電車から降りてきたのは人間ではなかった。

 

「…あれは……人間ですか」

少年にも見えるということは呪霊ではない。悟と一緒にいた時に耳にした魂の形状を変えられた改造人間だろう。

 

「…元、人間だね」

 

「夏油さん、伏黒さん、お願いをしていいですか。この人たちはこのままではきっと、ダメだ」

 

その少年の言葉は十分想定内だった。返事もおざなりに少年のリュックに手を突っ込み、呪具を取り出す。戦うべく武器を構えたがそれもすぐに必要ではなくなる。一般人がホームにもういないのだ。そこは悟の独壇場とも言えた。単眼の特級呪霊の頭を捥ぎ取り、握り潰す。

 

瞬きの間に辺り一面が血の海になったことに少年はぽかんとし、男は舌打ちをする。この改造人間の騒ぎで、偽者と継ぎ接ぎの特級呪霊は逃げたようだ。やはり逃走の(すべ)を持っていたらしい。

 

 

「――では、僕たちは用事が済んだので。お疲れ様でした」

 

「ハイ、オツカレサマー!なんて言うと思った?」

 

改札の方向に歩き出そうとした少年のリュックの取っ手を悟は掴む。

 

「?、なにかありました?」

 

「ありすぎて困るほどあるんだけど」

 

「僕のこと気にするよりも他の人のところに向かった方がいいんじゃないですか」

 

「他の術者たちも僕ほどじゃないけど実力はあるから、ちょっとぐらい時間はあるさ」

 

「で、何が聞きたいんですか?」

 

「まず、どうやってここまできたの」

 

「夏油さんたちに連れてきてもらいました」

 

「いやいやいやいや、傑、今幽霊じゃん」

 

『――青、悟に無下限術式を一瞬でいいから解くように言って』

 

「五条さん、夏油さんが一瞬でいいからムカゲンジュツシキ?解いてほしいらしいです」

 

「?、いいけど。…………イッタ!!!!」

その瞬間を狙って悟のケツを全力で蹴り上げる。めちゃくちゃいい音が鳴った。過去最高の音だ。

 

「この蹴り方は…傑!……エッ?ナンデ?!」

ケツの蹴り方で判断されるのもどこか腹が立つが、理解させるのには一番早い。高専時代の嫌になるほどやった罰ゲームがこんな時に役立つとは思わなかった。

 

「いい大人がなにしてるんですか」

 

『長々と説明するよりもこうした方が早いんだよ』

 

「僕、傑を怒らせるようなことしたっけ?待って、まさかさっき笑ってたときに何か衝撃があったのって、傑が原因だったりする?」

 

「そのまさかですね」

 

「……幽霊になっても攻撃できるもんなの?」

 

「ある一定の条件下に依ります」

 

「ふーん…あとでもっと詳しい話聞くから、地上に出て待っててよ」

 

「大して話すことないんですけど…」

その少年の返事を聞くこともなく悟はどこかに行ってしまった。きっと偽者たちを追うのだろう。

 

ふと気になったことを少年に訊く。

『さっきの改造人間、幽霊になってないんだね』

 

「すぐに幽霊になる人もいれば、何日か経って幽霊になる人もいます。人によっては死んだ場所だったり、一番思い入れが強いところだったり、現れるところもまちまちですね」

 

『……改造人間になった人たちは魂の形状を変えられてるらしいけど、もとの姿に戻れると思う?』

 

「そもそも「もとの姿」っていうのも微妙なところなんですよ。整形した人が幽霊になっても整形後の姿だったりします。もしかしたら僕が見えている幽霊と「魂」はまた別のものかも知れません。

夏油さんだって片腕生えたでしょう?幽霊はきっと本人がしっかりと思い描ければその姿になれる。それには記憶が不可欠です。っと、言ってるそばから、ほら」

 

少年が指差した先には呪霊によってその魂を歪められた人間の幽霊が現れた。少年はそれに近づき、話しかける。

 

「僕は、あなたの手伝いをしたい。困ったことがあったら今から言う住所にきてください」

そう言って少年の家の住所を言った。改造人間の幽霊はぼんやりとその場に立ち竦んだままだ。

 

『なんでそんな曖昧な言い方するんだい。治せるって言った方が来てくれるんじゃない?』

 

「治すことは記憶を思い出させること。その記憶には恐怖も苦痛もある。その恐怖を誰しもが乗り越えられるわけではない。だから思い出させることが幸せ、きっと治る、なんて簡単に言ってはいけないんですよ」

 

『……』

 

「――で、そこの方はどうされました?」

ホームの柱の陰に隠れるように立っている男に少年は話しかける。駅の地縛霊の類いかと捨て置いていたが、話を聞いている様子にそうでないと判断したらしい。

 

『俺の保険は無駄だったな』

 

「保険?」

 

『いや、こっちの話だ。お前は幽霊が見えるのか』

 

「そうですね」

 

『なら、俺が伝える情報を呪術師側に伝えてくれ』

少年が首を縦に振ると、男は話し出した。呪詛師の情報、位置、そして自身は高専の生徒であったがある目的のために呪詛師と内通し、死んだこと。死んだ後の事を考えて保険をかけており、その保険がうまく作動するかどうか確認するためにここにいたこと。

 

話し終えると、元生徒はその場を立ち去ろうとするが少年は声を掛けた。

 

「今暇ですか?」

 

『――は?』

 

「この状況下では耳と目は多い方がいい。もし手が空いているなら手伝ってください」

 

少年はその生徒にやってほしいことを伝え、半ば強引に承諾を取る。移動しようとする生徒に少年が訊ねた。

 

「あ、そういえばあのC-4もどきの使い方ってわかりますか?」

 

 

 

 

 

『…ウワッ』

小さな叫び声が聴こえ、視線を向けるが、そこで暇そうにしていたはずの男の姿がない。少年もそのことに気が付いたのか、2人で目を合わせる。

 

「伏黒さんが消えた?」

 

『……成仏したんじゃない?』

 

「とても成仏できるような雰囲気じゃないんですけど…」

少年の言葉はもっともでここには血で赤く染まったタイルと肉片しかない。

 

『そういう性的嗜好かもしれないよ』

やられたらやり返す。それは全てに通ずる絶対的なルールだ。

 

「伏黒さんはヘマトフィリア(血液性愛)だった…?まぁ、性的嗜好は千差万別ですもんね。ヘマトフィリアはバンパイアイズムと混同されがちなんですが、吸血行為の有無で分けられます。エリザベート・バートリー、ジル・ド・レ、ペーター・キュルテンもヘマトフィリアあるいはバンパイアイズムだったかもしれないといわれています」

 

『そうそう、きっと見たかった景色が見れて思わず雲の上に行っちゃったんじゃない?』

 

ホームドアに垂れ下がる小腸の一部を見ながら返した。

 

 



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【13】少年は背を向ける



パパ黒酔わないから酒が苦手らしいんです。(たぶんそうだろうなとは何となくわかってたんですが…)
追記するのも面倒なので番外編として書くかもしれませんがとりあえずパパ黒が酒好きになった流れを載せておきます。

少年に触れることが判明したパパ黒。どんなことができるのか模索しているとき、少年の父親が家に残していったビール(賞味期限が5年近く切れてるやつ)を飲んでみたら、相変わらず酔わないけれど、久しぶりに感じた味と喉越しに衝撃を受けそれから癖になりました。
※少年の家に味が付いているものが酒の他にはウィダーとカロリーメイトしかなかったことも原因だったりします。




 

 

 

「……すみません、夏油さん」

 

『どうしたんだ急に』

少年が素直に謝るなんて、次は何をやらかしたんだと身構える。

 

「いえ、夏油さんに偽者さんを殴りたいかなんて聞いたにも関わらず、その時間を取れなかったので…」

 

『そんな暇なかったからしょうがないよ。別の機会に持ち越しだね』

まさかのフレンドリーファイアーでそれどころではなかったとも言える。

 

「はい…」

 

少年と地上へ上がりつつ、これからどうするか訊ねた。

 

「トバリの中って携帯使えないんですよね。情報を集めてもどう伝えれば効率的でしょうか」

 

『うーん、帳の外の補助監督同士では連絡を取り合ってるはずだけど、帳の中且つ、ここまで広範囲となるとねえ…叫んでみれば?』

 

「僕、大声だせませんよ。交通機関が止まってるので、その分静かなのは救いです、が…」

 

『?』

 

「拡声器なんてどうでしょうか?」

 

 

渋谷駅は世界第4位の乗降者数を誇り、1日の平均利用者数はJR、私鉄、地下鉄を含めると約250万人だ。だからこそ電車の遅延やらなんやらがあると一気に人が溢れかえる。その際、情報の伝達をするため、拡声器を使う駅員の姿をきっと思い出したのだろう。

 

無人となった副都心線の駅員室から拡声器を拝借した少年は、地上に出ると使い方を確認しはじめた。

 

《あー、あー、あー、マイクテスト、マイクテスト》

増幅され少しぼやけた少年の声が辺りに響く。

 

《……伏黒さーん、今日の報酬は伏黒さんのお墓にお供えしておくのでよろしくお願いしまーす。おつまみは適当に選んでおきまーす》

少年が空に向かってそう言う。

 

『それわざわざ拡声器で言う必要ある?』

 

「いや、大して言うことが思い浮かばなかったので、とりあえず伏黒さんに業務連絡をと、思いまして」

 

『今わかってる副都心線の状況言ったらどうだい?』

 

《えーっと、副都心線、渋谷駅の地下のトバリは上がってまーす。閉じ込められていた人は外にでてまーす》

 

「……あとなんか言うことありますか?」

 

『美々子たちもここにいると思うんだけど…』

 

《迷子のお知らせをしまーす。美々子さーん、菜々子さーん、夏油さんがお待ちでーす。偽者さんじゃなくて本物の方でーす。お心当たりの方はこちらまでお越しくださーい》

 

『迷子案内のアナウンスになってるし…』

 

 

暫くすることもなく、拡声器で美々子たちを呼んだため動くわけにもいかず、ぼんやりと過ごす。呪術師たちはまだ戦っているようで地鳴りや堅い物同士がぶつかる衝撃音が至る所で聞こえた。

 

 

 

「ふざけんな、ツマミは俺が選ぶっつったろ」

背後から声を掛けられ、振り向くと男が視界に映る。

 

「伏黒さん……成仏されたんじゃ、どこで体拾ってきたんですか」

 

「誰が成仏なんてするか。身体のことは知らねぇ。急に引っ張られたと思ったら体があった」

 

『――なんでお前が体を手に入れてるんだ』

 

「ハッ!ざまぁみろ」

 

「あれ、伏黒さん、夏油さんのこと見えるんですね」

 

『あっ、ほんとだね』

男は露骨に嫌そうな顔をした。

 

「おいくそガキ、カード寄越せ。ツマミ買ってくる」

 

『身体を手に入れて真っ先にすることってそれ?他にすることあるだろ』

 

「もう済ませた」

 

「伏黒さん、これカードです。暗証番号は…」

 

「知ってるからいい」

 

「おつまみは1万円以内でお願いします」

 

「へーへー」

男は渡されたカードをひらひらさせながら百貨店の方に歩いて行った。

 

『――行っちゃったけど、こんな状況だとデパ地下営業してないんじゃない?』

 

「十中八九臨時休業になってますね」

 

『…知っててカード渡したの?』

 

「はい」

何ともいえない気分になった。

案の定10分もしないうちに男は額に青筋を立て戻ってくる。

 

「お前知ってたろ、百貨店閉まってるって」

 

「そうですね。というかトバリ中の店のほとんどは営業してないと思いますよ。あ、これ自販機で買っておきました」

 

男が機嫌悪く戻ってくるのを見越していた少年は、男が行っている間に、すぐ傍にあったビジネスホテルに忍び込み自販機で買ったビールを渡す。用意周到だ。

 

男はそれを受取るとその場でプルタブを開けた。

「夏油さんも飲みますか?ビールとチューハイどちらがいいですか」

 

『……ビール』

 

こんな状況で酒を飲むなんてどうかしているが、不完全燃焼ともいえる気持ちを紛らわせることができるものが必要だった。

 

全員が行儀悪く地面に腰を下ろす。一息で缶の半分を飲み干すとため息が出た。浮き輪の空気を抜いたときのような細く長いため息だ。

 

少年は呪具を山ほど詰め込んだリュックをおろし、大きく背伸びをしている。やはり重いらしい。

 

「……私たちのこと呼んでたのって、あんた?」

制服を纏った2人が現れる。怪我もない様子にどこか安心した。片手に持っていたビールの存在を思い出し慌てて隠す。

 

「そうですね。僕…というよりも夏油さんがお呼びです」

 

「ッ!、嘘つくな!!夏油様はもういない!」

 

「知ってたんですか?あの偽者さんが夏油さんじゃないってこと」

 

「馬鹿にすんな、わかるにきまってる!!」

 

「手紙出したんですが、読んでくれましたか」

 

「………読んだ、読んだけど…」

そう言った菜々子は体を震わせ眉を寄せた。

 

「…「幸せになってほしい」って書いてませんでした?」

 

「――私たちにとって夏油様は全てだった!あんな奴に夏油様の体を好き勝手されてるのに、それを見ないふりして幸せになんてなれないッ!絶対!」

 

「…なるほど、つまり美々子さんたちは夏油さんの体を返してもらうために仕方なく偽者さんと一緒にいたんですね?」

少年を睨み付けながら2人は頷く。

 

「あー、よかったよかった。おふたりが偽者さんに騙されてたらどうしようかと思ってました。よかったですね、夏油さん」

 

「……アンタ頭おかしいんじゃないの」

菜々子たちからすれば空虚に向かって話しているように見えるだろう。

 

「ちょっとそっち行ってもいいですか?」

 

「っ!、近づくな!」

呪具を構える2人に少年は近づくと両手を挙げ、背を向けた。少年の意図が自然とわかる。少年と背中合わせになって2人の頭に掌を置いた。懐かしい感覚だ。

 

昔から何度もこうしてきた。初めて会った時も、褒めた時も、叱った後も。

触れた時、一瞬驚き固まっていたが、しばらくそのままにしていると段々と肩を震わせ身を小さくする。2人が構えていた呪具がアスファルトに当たり、軽く音を立てた。脆いガラスに触れるようなゆっくりとした速度で小さな手が伸びてくる。それを強く握り返した。

 

堰を切ったように聞こえ出す嗚咽に、声を掛けることもできずただそのまま手を握りつづけることしかできない。聞こえていた啜り泣きが小さくなる頃、少年は背を向けたまま口を開いた。

 

「僕、もう一度偽者さんに会おうと思うんです。夏油さんの目的も達成できてませんので」

 

「――あんた、何が目的?」

 

「だから、夏油さんが…」

 

「そうじゃない。そんなことしてアンタにメリットなんてないじゃん」

 

「メリットなんてはなからないんですよ。手紙を出したときも切手代と便箋代は僕負担でしたし」

 

「…じゃあなんで」

 

「――僕自身のためですよ」

 

 



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【14】夏油は想像する

 

 

 

少年はその続きを語らなかった。言う必要がないとばかりにさっさと話を切り上げ、美々子たちにこれからどうするのかを訊ねる。

 

「あいつを探して夏油様の身体を取り戻すに決まってんでしょ!」

 

『駄目だ、危ない。青、菜々子たちに大人しくここにいるように伝えて!』

 

自分と菜々子たちの板挟みになっている少年はちょっと嫌そうだ。そう言い合っているとサラリーマン風の幽霊が声を掛けてくる。

 

『あの、袈裟を着た男…見たんですけど…あとちょんまげの人から伝言が…』

 

少年は駅にいる幽霊に片っ端から袈裟服を纏った偽者の目撃情報を募っていた。報酬は相談室で悩みを無償で受けることだったが幽霊相手には案外効果があったようだ。

 

「伝言?どんな内容ですか?」

 

『「連中は虎杖に指を大量に食べさせることも計画していたようだ」と言っていました。すみません…誰の指なのか聞き取れなくって…』

 

「大丈夫です。有難うございます。夏油さん……イタドリという方は」

 

『違う』

 

「まだ何も言ってないじゃないですか」

 

『指フェチでも、カニバリストでもないし、それを食べさせようとしている方もそういう行為に快楽を得ているわけじゃない』

 

一時期、悟についていたので悠仁が術師にめずらしい根明で性格も良いことを知っている。そんないい子を、そして残された自分の身体を再び少年の餌食にするわけにはいかなかった。

 

『十中八九、宿儺の指のことだね』

 

「スクナの指?」

 

「…あっ!」

 

突然、少年の声を遮るように声を発した菜々子に全員の視線が集まった。

 

「今、持ってる。1本だけだけど…」

 

菜々子がポケットから封印されている宿儺の指を出し、見せる。

 

『ッ!なんでそんな危ないもの持ってるんだ!!早く捨てなさい!』

 

菜々子と美々子の前に仁王立ちになり言うが聞こえていない。

 

「へー、スクナの指って、本物の指のことなんですね。ツァーリ・ボンバや神の杖のような兵器の別名かと思ったんですけど」

 

『ある意味兵器だね。宿儺が受肉すると日本どころか世界が滅亡するかもしれないレベルの。だから呪術界はそうならないように必死なんだ』

 

「なんでそんな危ないものが存在してるんですか。活火山の火口からその指投げ入れた方がよくないですか」

 

『ロードオブザリングじゃないんだから…。そんなことは試し済みじゃないかな。それでも封印するしかなかったんだ』

 

少年の家で相談室が開かれている間、ぶっ続けで流されていた映画を思い出した。全3部、9時間18分の超大作だ。そろそろ魔法学校を題材にしたシリーズに変えてほしい。

 

「…とりあえずその指預かってもいいですか?」

 

「いやよ。なんでアンタに預ける必要があんの」

 

「夏油さんが指を持っている菜々子さんを見て死にそうな顔をしているので」

 

少年がそう言うなり菜々子は指をサッと少年に押し付けた。死んでいるのに死にそうな顔というのは少年なりのブラックジョークだろうか。

 

「…よし、じゃあ行きましょうか」

 

『行くってどこに?』

 

「偽者さんのところですよ」

 

「私たちも一緒にいく!」

 

『2人はここにいなさい!…青、君も悟にここにいるように言われてただろう』

 

「菜々子さん、美々子さん、夏油さんが断固拒否しているので諦めてここにいてください。五条さんは地上にいるように言ってただけなので大丈夫ですよ。移動したとしても地上にいることには変わりがない」

 

『屁理屈捏ねない』

 

「あの偽者さんの今までの行動から察するに、おそらく夏油さんの身体以外にも身体を用意していると思うんです」

 

『……』

 

「人って自身が追われているとわかったら、人目に付かないように引きこもるか、常に移動する生活を送るかのどちらかの行動をとります。もし外出するとしても人ごみに紛れやすい格好をするでしょう。あるいは整形をする人もいるかもしれません。

偽者さんはそれとは反対ですよね。あの袈裟姿では人ごみに紛れようとしても自然と人目を集めてしまう。C-4もどきの使い方を聞いたときに、封印対象者を半径4m以内で1分留めておく必要があるってあの男の人がいってたでしょう。その1分も実際の時間でなく、対象者の脳内時間での1分だと。

夏油さんの顔を使って五条さんを封印する。偽者さんが顔を弄らなかったのはこのためでしょう。その手が使えなくなった今、夏油さんの外見は不要なんです」

 

『……』

整形された自分の姿を想像してみたら吐きそうになった。

 

「ッ?!、夏油様の顔を弄る?!そんなことしたらアンタ殺してその顔剥いで晒してやるから!!!」

 

「いやだな、別に僕が夏油さんの顔をどうこうするわけじゃないですよ。仮定の話ですって」

 

『――話を戻すけど、つまりはこの機会を逃せば、雲隠れする可能性や別の身体に移る可能性があるってこと?』

 

「そう言うことです。夏油さんの能力ってレアなんですよね。だとしたら外見は別として夏油さんの身体をどこかに捨てることはないと思います。ほとぼりが過ぎるまで塩漬けされる可能性はありますが」

 

少年の塩漬けという言葉に菜々子たちは絶句する。少年はなぜ菜々子たちが動きを止めているのかわからないようで追い打ちをかけた。

 

「あぁ、塩漬けって言っても単なる比喩で、本当に塩に漬けるわけではないですよ。まぁ、日本では戦国時代以降討ち取った相手の首を切り落として持ち帰る際に、腐敗を防ぐために塩漬けにしてました。大塩平八郎が塩漬けされたことは有名ですね。

ヨーロッパでも第一次世界大戦の頃まで戦地から遺体を引き上げる際には塩漬けして輸送する方法を採ることもあったそうです。でもさすがに日が経つと腐りますし浸透圧でしわしわになります。そうなると身体を使うどころではなくなるので、大方冷凍保存されるか生命維持装置を付けられて置いておかれるかのどちらかじゃないですかね。前者は現在の技術では人体を冷凍すると水分が膨張して、細胞膜を破壊する可能性があるのでお勧めしません。後者は床ずれすることがあるので誰かに定期的に体勢を変えてもらう必要がありますがまだ現実的ですね。何からの特殊能力があるなら別の話ですけど」

 

『……もう勘弁してやって』

 

菜々子たちがムンクの叫びのような顔をしている。

 

「……おい、アンタか、俺のこと呼んでたのは」

 

息を切らせやってきた高専の生徒が少年に声を掛けた。その顔を見て、ようやく問題に気が付いた。そう言えばこの子も伏黒という苗字だった。

 

「?、お呼びしてませんが…」

 

「伏黒って呼んでただろ。「墓にお供え」なんて言ってたせいで、他の奴らに俺が死んだと思われてる。誤解を解いてくれ。顔を合わせるなり念仏唱えられるなんて、縁起でもない」

 

「……伏黒さーん!」

少年がベンチに寝そべり酒を飲んでいる男の方を向いて叫ぶ。

 

「あ゛ぁ?」

「なんだ?」

 

2人の声が重なり、声を発したそれぞれが互いの顔を見合う。

 

「……ご親戚ですか?」

 

少年のその声に弾かれるように男はその場から逃げだした。

 

「……とりあえず、えぇっと、そこの方の生存情報をアナウンスしましょう。お名前をお聞きしてもいいですか?」

 

「――伏黒 恵」

 

「わかりました」

 

《えー、マイクテストマイクテスト、先ほどアナウンスした情報に修正がありまーす》

 

《伏黒恵さんは無事でーす、先ほどアナウンスした伏黒さんは、伏黒恵さんではなく別の方でーす》

 

「……これでいいですか」

 

「…ああ」

 

なんとも言えない空気が残った。

 

「あ、伏黒恵さん、もし五条さんに会うことがあれば、如月は偽者さんを追跡中ですって伝えて頂いてもいいですか?こればっかりは拡声器で言うわけにはいかないので」

 

「は?」

 

「私たちも行く!」

 

『駄目!』

 

「……すみません、お待たせしました。袈裟服の人がいたところに連れて行ってもらってもいいですか」

 

言い合いをしているのをスルーして、待ちぼうけをくらっていたサラリーマンの幽霊に少年は頭を下げて言う。

 

「なんだお前…」

 

何もない所に話しかけだした少年に恵はちょっと引いている。

 

 

 



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【15】少年は分けたい

 

 

 

少年と2人で歩く。しかし足音と影は1つしかない。菜々子たちとはつい先ほどわかれたばかりだ。胡瓜に驚いた猫のように逃げた男が戻ってくるのを待った方が良いと諭しているにも関わらず、それを聞こうともしない。

 

「そう言えば、この指ってこれ以上細かくできないんですか」

 

少年はそう言って菜々子たちから回収した宿儺の指をまじまじと観察している。

 

『できないと思うけど…細かくしてどうするの。呪いの塊だし食べたら死ぬよ』

 

「それって脅しじゃなくて本当に死ぬんですか」

 

『猛毒だね』

 

術師にとっては常識だが、少年は非術師だ。知らないのだから疑っても仕方がない。

 

「見た感じ単なるミイラにしか見えませんね、でもこれをイタドリさんという方は召し上がったんですよね」

 

『偶発的に起こった事故だよ。誰も好き好んで食べる訳ないでしょ』

 

「1366年に学者の陶宗儀という人によって書かれた「輟耕録」という随筆の中では、手足を怪我した人がミイラを食べるとたちどころに治ると記されていました。16世紀からはヨーロッパでも薬として使用されていましたし、江戸時代には大名の間で人気でした。時代と場所によっては物の捉え方も変わるんですよ。ジュジュツシの中でもトライしてみようと思った人っていないんですか?」

 

『術師なら一目見てヤバいとわかる代物なんだ。それに宿儺の指だけじゃなくて普通の呪霊でも食べれば即死だよ』

 

「……それって、毒物検査で引っ掛かりますか?」

 

嫌な予感がする。

 

『…非術師が使う検査ではわからないと思うけど』

 

「粉末にしてメルカリで売ればひと財産築けそうですね」

 

『メルカリ』

 

「0.1㎎10万円とかで」

 

『…欲しがる人いる?』

 

非術師にとって役に立つどころか害にしかならないものだ。まだ獄門彊の方が使い道がある。

 

「人間全員が聖人君子なわけないじゃないですか。教師でも悪口は言うし、政治家でも賄賂を受け取って失脚した人は何人もいる。人間生きているといつの間にか恨まれることも嫌われることもある」

 

『それはそうだけど…』

 

「”姑や夫の食事にだけ塩多めに振っている人向けの商品”として売り出せば薬事法にも引っかからないはずです。値段も少し高めにしておけばいたずらに使われることはないと思います。キャッチコピーは”餅や塩より確実に早い”」

 

『キャッチコピーからして殺意が高い』

 

「合法的にできるならやりたい人もいるんですよ。…もしかしてこれ防腐液とかに漬けたことありますか?」

 

『たぶん自然乾燥だと思うけど…』

 

呪いを解くために護摩でガンガン炙られたことならありそうだ。

 

「じゃあ科学的にはタンパク質の塊ですね。成分表示的にも問題はなさそうで何よりです」

 

『ちょっと待って、本当に売り捌くの?』

 

「そうですが」

 

さらりと流す少年に唖然とする。やはり少年に持たせた方が危険だった。良心というものが欠片もない。

 

『日本全土を呪われた地にするつもり?』

 

「別にいいじゃないですか。アメリカには”卵は1つの籠に盛るな”という諺があります。リスクは分散させておいたほうが吉です」

 

『リスクじゃなくて呪いを分散させてどうするんだ』

 

「危ないからまとめて封印しておくのって個人的に好きじゃないんです。危険や帰責をそこに押し付けている気がして。ほら、死刑に対しての議論と同類ですよ」

 

話が飛躍しすぎてついていけない。

 

「別に死刑に反対も賛成もしているわけではないんですが、スイッチを押すのが刑務官の仕事っていうのがしっくりこないんです。国民の法律で裁き、刑を下したのだから息の根を止めるのも国民全員でするべきじゃないのかと思いまして」

 

『息の根』

 

「裁判を見に行ったことがある人って少ないんです。刑務所なんて忌避している人さえいる。それなのに凶悪事件が起これば容疑者をさっさと死刑にしろなんて意見も出る。それを言った人は言いっぱなしで死刑判決が出ただけで満足をして頭の中から綺麗さっぱり消してしまう。臭い物に蓋をして綺麗なものだけ見ようとする。

それなら全員に責任を分配させるために18歳以上の国民全員に死刑執行のボタンを持たせて、毎日12時に同時に押させる方が健全な気がします」

 

『それが非現実的であることは流石にわかるよ、俗世間から距離を置いてた私でも』

 

「あぁ出家されてたんですよね」

 

『出家じゃない』

 

「家出ですか」

 

『違う。…兎も角、責任云々は置いておいて、宿儺の指を粉にして全国に分散できる算段があるの?買い手が各都道府県に均等にわかれるとは思えないけど。売れない場合ずっと手元に置いておくつもり?』

 

「売れなくても粉にさえできれば最終的に海に散骨という手段があります」

 

『散骨じゃなくて投棄だね』

 

「日本の海域を流れる黒潮は南極環流やメキシコ湾流と並んで世界最大規模の海流なので上手く全世界に散らばってくれると思うんです。

散骨の文化は主流ではありませんでしたが昔から存在しました。淳和天皇が自分の骨を砕いて山に撒くようにと指示したこともあります。江戸時代の檀家制度の強化によって散骨は更に数を減らしていましたが、最近では時々あるそうですよ」

 

『新手の世界規模のテロ?』

 

流石にそんな危険な方法は思いつかなかった。非術師がいない世界を作ろうとはしたが、決して死海を作るつもりはない。

 

「散骨です。まぁ、粉にできないのでこんな議論しても意味がないんですが」

 

『……宿儺の指が頑丈でよかったって初めて思ったよ』

 

少年が口を閉じ、ぴたりと足を止めた。

 

「……着きましたね」

 

そう言うと一息ついて、少年は白い囲いの中に入っていく。

工事途中でコンクリートがむき出しとなっているためかどこか硬質な空気が漂っている気がした。

 

「―――こんばんは、偽者さん。また会いましたね」

 

少年のその声に、偽者が振り返り目を細めた。

 

 



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【16】少年は笑う

※菜々子の術式捏造(宿儺の「写真機で撮影した被写体をどうこうするもの」発言を参考にしています)
※偽者の渋谷事変での動き捏造

偽者さんの動き追っていたんですが、結構うろちょろしているんですよ…(19:00渋谷に帳が降りる→21:15東京メトロ副都心線渋谷駅B5 21:26→22:01東京メトロ渋谷~明治神宮駅→23:36宇田川交番)
Google先生と一緒にずっと考えていたんですが、すぐに帳の外には出ないだろうなと思いましてこうなっております。



 

 

 

 

伏黒は隠れていた。隠れると言ってもこそこそ物陰に隠れるような真似をしているわけではない。当人比だ。店員がいないコンビニでビールやハイボールを呷っている。

 

寝そべっていたベンチから飛び起きた際にビールを溢してしまい、風が吹くたびズボンが冷たい。生来暑がりではあるが、服が水気を含みべっとりと張り付く感覚は酷くイラつく。なので近くにいた呪詛師の頭をカチ割るがそれで服が乾くわけでも暖を取れるわけでもなくむしろ返り血が飛んできたため気分は更に落下した。

それでも見つかりたくない相手に見つからないようにするという理性はまだ有る。抱えきれないもやもやとした感情を発散するため、時折呪霊やら見覚えがある顔をぶっ殺したり蹂躙したり血祭りにしたりしながら隠れていた。

 

そうしてもうそろそろいいかと思い戻ってみれば人っ子一人いなくなっていたのであの糞ガキどもの薄情さに全身を怒らせる。怒りにまかせてベンチを蹴り飛ばしたせいで周囲にいた奴らの視線が集まったことも腹立たしい。探しに行ってもいいがそこまでしてやる義理もない。

かなり歪んだベンチに再び寝そべろうとしたとき、大きな破壊音とよく知った顔を見つける。思い出すだけでもイヤな気分になるあの禪院家のご当主サマだ。

 

「―――いいとこにサンドバッグいんじゃねェか」

 

 

 

 

 

「よかった。まだここにいてくれて」

 

少年のその声に偽者は顔を上げ目を細めた。一緒にいた特級呪霊たちとは別行動をとっているのかただ1人佇んでいる。足元には作業員”だったもの”だろうかいくつかの赤い水溜まりがあった。

 

「…どうしてここにいるとわかったんだ?」

 

「有志の方々の情報提供のおかげですよ。 状況によっては無駄に終わりそうだったので大まかにしか推測してなかったですが、想定していた場所の1つにいらっしゃったので助かりました。

先程の様子から察するに、直接五条さんと戦うことはしたくなさそうでしたので、どこかに隠れてやり過ごす、あるいはそのままどこかの道を強行突破するつもりだと思ったんです」

 

コンクリートに静かな少年の声はよく響いた。

 

「事を起こすと決めた時、きっと地図を確認したでしょう。どこから入ってどこで戦うのか、そしてどうやって逃げるのか。地の利はあればあるほど有利だ。目的が果たせてもそうでなくともきっとその場に留まることはしない。移動なら線路を使えばいい。渋谷駅を選んだ理由の1つでもありますよね。幾つか線が乗り入れているので選び放題だ。通常の地図に載っていない場所も一応調べておいたんです。他にも駅員専用の通路や、下水道、廃線にここのような工事中の場所も」

 

都内の多くの駅ではオリンピックに向けて工事が始まっている。特に主要な駅では大規模な工事が行われていた。それは渋谷駅でも例外ではない。工事用のライトはLED特有の白っぽい眩さで辺りを照らす。コンクリートや配線が剥き出しのところも多く、まだ完成には遠いだろう。

 

「…五条悟どころか他の術師も見当たらないけど。君、戦えるの?」

 

「いいえ、全く。なんで皆さん僕がなにかジュツシキ?を持っていると思うんでしょうか。僕、50m走20秒台なんですけど」

 

「君はおもしろいね。術師でもないのに不思議な力を持っている」

 

時間があるのか、あるいはいつでも殺せると思って余裕があるのだろう偽者が訊く。

 

「僕はむしろ偽者さんの体がどうなってるのか気になります」

 

「―――見たい?」

 

「はい」

 

そう言うと偽者は額の縫い目を開いた。

 

「おーー、すごい。傷が癒合してないということは頻繁に開け閉めされてるんですか」

 

人の身体に何してくれるんだと言う怒りよりも、少年のドアの開閉について訊くような気軽さに絶句した。

 

「それに切り離されてる前頭部と頭頂部、よく腐らないですね。夏場大変だったでしょう」

 

「それは秘密。で、追いかけてきてどうするんだい。私はてっきりDMM云々言ってた時、何かしようとしてるのかと思っていたんだけど」

 

「DMMではなくてFANZAですね。今年の8月に名称変更したので」

 

『今それやめて』

 

瓶の隅に執拗くこびりつくいちごジャムのような、ほんの僅かになってしまったプライドで口を動かす。数か月前から少年をイヤイヤ期が到来した子どもなのだと思い込むことしていた。自己暗示を掛けなければ確実に教育的指導をしていたし、もしこれが反抗期なら疾うの昔に後頭部を掴んで地面に叩きつけていたことだろう。自身の頭を洗脳することを考え付いた時は生前死後合わせても1,2を争うほど頭が冴え渡っていた。

その自己暗示は今まで立派に効果があった。ロードオブザリングの間にアウトレイジを流されたときも白昼堂々の墓荒しも温かく見守ってきた。しかし今日は流石に無理だ。隙があれば地べたでもいいから座って休みたいほど精神的に参っている。先ほど命の水(ビール)をほんのちょっと、500mlだけ飲んだが回復には至っていない。おかげでこんな少年の軽いジャブにも這う這うの体を晒している。

 

「……まぁいい、取敢えず、」

 

偽者は呪霊を出す。少年の言葉を見事にスルーした偽者に思わず拍手しそうになった。どうやら面倒くさい人間の対処法を知っているようだ。

その身体から”本体”を引き剥がし100円均一のタッパーにでも移した後に弟子入りしてやってもいいかもしれないと思ったが、タッパーを振りまわして極意を吐き出させた方が早いことに気が付く。そんなことを考えている時点でもう完全に血迷っているのかもしれない。

 

偽者は呪霊を(けしか)ける。少年に当たる前に呪霊の鋭く尖った爪を呪具で弾き、その刃を腹に深々と差し込んだ。抉るように刃を回転させ上へと進む方向を定める。研いでおいた刃は魚の内臓を取り出す時のように呪霊の腹を裂く。切っ先に臓腑が触れ時折感触が変わる。ぶつりぶつりと断つ感覚が手に伝わってきた。

 

縦に一直線に入った線から一気に青々とした血液と内臓が零れ落ち床に撒かれる。

 

「すみませーん、最後に1つ聞きたいことがあるんですけど」

 

偽者は少年の力を測っているようだ。先ほどのものより強い呪霊を出しながら偽者は片眉を上げる。青い血と臓腑が織りなす光景の中で淡々と話す少年は異様に映るかもしれない。

 

「……ジュレイ以外のものを見える人に会ったことはありますか」

 

「呪霊以外?」

 

「例えば――――幽霊、とか」

 

「興味がないな。君、本当に何しに来たんだ?敵意も向けてこない、攻撃してくると思ったらそうでもなくただ迎撃するだけ。そのくせに私を追いかけてきてそんなくだらない質問をする。目的はなんだ」

 

「目的。……目的ですか、うーん……時間稼ぎって言ったらどうします?」

 

偽者の動きが止まる。

 

「―――やった!」

 

息を切らした菜々子たちが奥から現れた。

菜々子が構えたスマホが偽者の姿を捕らえる。動きの止まった偽者に声を上げた。

 

「…開門」

 

美々子がそう告げ、獄門彊を偽者の足元に転がす。一旦別れる前、宿儺の指と獄門彊を交換させておいたのは正解だった。まだ美々子と菜々子の方が常識的な使い方をしてくれる。硬質な音が一面に響いた。

偽者の足元に亀裂が入り盛り上がる。コンクリートの中に呪霊を出したのだろう。偽者はまんまと菜々子のスマホの画角から逃れた。

 

「…この身体を返してほしくないのか?」

 

偽者の言葉に菜々子たちは唇を噛み、少年の口角は仄かに上がっていた。

 

 

 

 

 



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【17】伏黒は嗤う

 

 

 

獄門彊は開いている。誰も動こうとせず、沈黙が耳に痛い。

 

 

「あ、そうだ。ホントの最後の最後にもう1つだけお聞きしたいんですが」

 

「……まだあるのか」

 

同感だ。右京さんでもここまでしつこくはない。こんな状況でまだ訊くことがあるのかと偽者も少々、いや大分うんざりした顔をしている。

 

「いいじゃないですか、どうせ死ぬんですし。冥途の土産に教えてほしいんです」

 

「じゃあ、何?」

 

「僕、偽者さんは繁殖が目的だと思ってたんです。けど先ほどその事実はなかったとおっしゃられていたので、余計に目的がわからなくなりまして…」

 

”繁殖”と言われるとどこか実験用のラットになった気分になる。

少年の言葉に偽者は溜め息混じりで面倒くさそうに答えた。

 

「―――呪霊について君は何を知ってる?」

 

「人間の負の感情で発生するものだとこの前教えてもらいました」

 

「正しくは非術師が発する負の感情だよ。だからこそ私は人類を1つ上の段階に進める。非術師も術師も呪霊も超えた、新しい人間の可能性に到達させること、それが目的だ」

 

「……つまりは人間を進化させたいと。それなら五条さん封印する必要なくないですか?」

 

「その可能性は混沌の中で起こる。平安時代のような呪術全盛の世のようになるんだ。だから五条悟は少々邪魔でね」

 

「”進化”で”平安時代のような呪術全盛の世”……進みたいのか戻りたいのかイマイチわかりませんね」

 

『しっ!』

思わず咎めた。

 

「そもそも呪霊が生まれることが原因なんですよね。それなら別に偽者さんが考えているような方法を取らなくても可能じゃないですか」

 

偽者は不愉快そうに眉を顰め、続きを促す。

 

「非術師が負の感情を発することによって呪霊が生まれる。それならば物理的に負の感情を発さないようにすればいいんです」

 

『どういうこと?』

 

「ロボトミー手術って知ってますか」

 

嫌な予感しかしない。

 

「左右のまぶたの裏からアイスピックのような器具を刺しこんで、手探りで前頭葉をかき切る手術です。

モニス医師はこれで1949年にノーベル生理学医学賞を受賞しました。手術自体10分程度で終了するため重篤な精神病患者や痴呆症の患者などに施術され、患者の中にはケネディ大統領の実の妹もいます。その後多くの患者が症状の軽減と引き換えに感情や意欲といった人間性をも失ったため非難を受け、現在では公式的には行われていません」

 

「それがなに」

 

「つまるところ、日本国民全員に施術すればいいんですよ。日本精神神経学会はロボトミー手術を自主規制しているだけで禁止してるわけではない。今現在においても”治療行為” として健康保険の対象なんです」

 

少年の言葉はK点を軽々と越えて行った。思わず少年から半歩距離を取る。

 

「…何言ってるかわかってる?」

 

尤もだ。

 

「偽者さんが今日のように呪術師と呪霊を戦わせるように仕向けるより、約10分で完了する手術の方が呪術師の数も減りませんし早いと思いますよ。単純計算で1人がぶっ続けで手術しても1日144。日本で1番人口が少ない自治体は伊豆諸島の青ヶ島村の167人。つまり28時間、1日と4時間ですべてが完了するんです。執刀する人の数が100人いれば20分も掛かりません」

 

『そんなことしたら社会が回らなくなるだろう!?』

 

「どのみち平安時代に逆行するんでしょう?社会も糞もないじゃないですか。さようなら水洗トイレ、おかえり樋箱(おまる)。節水もできて随分とエコですね」

 

遂にどちらが敵かわからない事態になってきた。

 

「……別に文明を平安時代に戻すという意味ではない」

 

『そうそう!ちゃんと使える奴は生かしておく予定だったし!』

 

つい11ヶ月前、非術師皆殺し計画を企てた責任者としても反論する。

 

「しかしどう転んでも労働生産性が減少することは確実です。かといって文明の利器は手放す予定はないと。そうすると呪術師の皆さんで農業、畜産はもちろんインフラの整備・保守をしてもらうことになります。年単位で見れば居住地の経年劣化問題、現在あるダムやらエネルギー施設の保全も考えておかないといけません。何か資格はお持ちですか?」

 

中学の時に取った英検3級で太刀打ちできるだろうか。

 

 

数秒何とも言えない沈黙が続いたが、話をしても無駄だと思ったのだろう偽者が何体もの呪霊を出す。それに呼応するように呪具を構え、少年は空気が変わったことに気が付いたのかやっと口を閉じた。

 

 

 

 

 

 

ふと思い出して怒りを再燃させることはよくある。決して許したつもりはないがそれより先に優先させるものがあったというパターンだ。他者にとってなぜ今頃になってそんなことをと思うだろうが、当事者の怒りの炎が鎮火していない時点で現在進行形だったりする。

”復讐なんて死んだ奴は望んでいないだろう!”などという寒々しいクソのような台詞はドラマや三文小説で散々使われてきた。死んだら皆聖人になりこれまでの行いを悔い改め、全てを赦すと生きている奴はなぜかそう思うらしい。伏黒は1度死んだのでよくわかる。死んでも腹立つものは腹立つ。

 

伏黒はいけ好かない男(夏油)から脳筋だ短絡的だなんだと言われるが案外そうではないと自負していた。星漿体の仕事の時にはちゃんと計画を立てており、競馬もしっかりと馬の状態を見て賭けている。

しかし時には流れに身を任せ瞬時の判断と直感に頼ることも大切だ。糞ガキ(少年)の給食や研修で作ったかっちかちの米とシャバシャバのカレーを代打として平らげるべく周囲の目を窺う時、あるいは今のように目の前にいけ好かない奴がいるときだ。さぁ、ぶっ殺してやろうと思い切り地面を蹴った。

 

呪胎から変態した呪霊に周囲の呪術師は振り回されている。遂には術師たちは呪霊の領域展開に巻き込まれた。このまま放っておいてもいいが獲物を横取りされているようで向かっ腹が立つ。

外からでもブッ叩けば中に入れるだろと思っていると運よくぽっかりと穴が開いた。その場で軽く跳躍し、リズムをつける。静かに細胞1つ1つに酸素を行き渡らせると一気に跳んだ。

 

領域の中は青い海が広がっていた。皆突然現れた伏黒に戸惑っている。丁度伏黒の傍に武器を持った女がいた。その武器が目に留まり流れるように女から拝借する。手に馴染むそれに懐かしさを覚えつつ構えた。

水に足が取られるが問題ない。単純な話だ。右足出してすぐに左足を出せば沈まない。

 

三節棍を振り空気を薙ぐ。呪霊の攻撃を往なし、空中に浮く呪霊の目に三節棍を突き刺した。深々と刺さったそれを更に押し込み、頭の風通しをよくしてやる。領域が解け、力を失った呪霊もろとも地面に落ちた。ずるりと三節棍を頭から引き抜き、ついでとばかりにこちらを警戒しているサングラスの男たちを蹴り飛ばす。土煙が舞う。わざと残した1人の男に声を掛けた。

 

「ヨォ、糞ジジィ」

 

「地獄から戻ってきたか…甚爾」

 

感動的な再会に髭が特徴的な男はまともな言葉も出ないようだ。

記憶の彼方ではあるが相手のやり口(術式)は大方わかっている。やられる前にやればいい。

 

伏黒の視界から男が消える。

男の手刀は伏黒の首の皮1枚分掠った。火傷にも似た感覚を覚え嗤う。

 

「オイオイ、もう引退した方がいいんじゃねェか?」

 

「――ぬかすな」

 

男は瞬時に距離を取ろうとするが、伏黒が一気に距離を詰めた。突き出される腕を掴む。男の逆の手刀が届くより伏黒が男を蹴り上げる方が速かった。顎に蹴りをまともに食らった男は一瞬よろめく。その隙を見逃すわけもなく伏黒は拳を振りかぶった。

 

 

先程まで瓦礫の崩れる音が響いていたが、随分と周囲は静まり返っている。男を殴りまくっている間時折邪魔をしてきた奴らは遠く彼方の瓦礫に埋もれている。何発か食らわせたが恐らく死んでいないだろう。辛うじて人の形を保っている禪院家の当主を投げ捨て、伏黒はヤンキー座りで男たちから掏った財布の中身を数えていた。

 

 

 

「なーんでお前まで生き返ってんだよ」

 

耳障りな声が聞こえ目を遣る。嫌そうな顔をした五条が空中から伏黒を見下ろしていた。どうやら伏黒がこれまでの鬱憤を晴らしていた間に呪霊どもは五条によって一掃されたらしい。目が合いこいつもぶっ殺してやろうと思ったが、向こうには厄介な術式がある。流石に準備なしではきつい。さっさととんずらしようとしてポケットに突っ込んだままのクレジットカードに気づく。伏黒が指先に軽く力を入れるだけで瞬く間にその役割を放棄するであろうそれに溜め息を吐いた。

 

「オレも協力してやったんだから文句言うな」

 

「協力?禪院家の当主襤褸雑巾にしてくれてありがとうって?」

 

「オイ、それよりあの糞ガキの方気にした方がいいんじゃねェか。あいつ偽者のところ行くって言ってたぜ」

 

「糞ガキ?」

 

「屁理屈捏ねる糞ガキだ」

 

「…青のことか。1人で行くとか馬鹿でしょ」

 

「知るかオレに言うな」

 

遠くからこちらに向って誰かが叫ぶ。

 

「……五条先生!」

 

「おー恵、元気?ぼっろぼろじゃんウケる」

 

伏黒はその声に弾かれるようにすぐ傍の総合ディスカウントストアに並んでいるものを掴んだ。こんな季節でなければこんなもの並んでいなかっただろう。ハロウィン万歳。念の為それで顔を隠し、走り寄ってくる者の首の頸動脈に一撃入れる。この間1秒の早業だ。

 

「えっ……何してんの」

 

「…………何してんだろうな……」

 

五条がやや引いている。しかし、伏黒が1番自分の行動にドン引きしていた。

 

 

 

 

 



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【18】五条は呵う

※獄門彊の当作品での取扱方法
A「開門」→A「閉門」 成功
A「開門」→B「閉門」 失敗

※B5Fの時に偽夏は獄門彊を回収しようとして閉じています。しかし逃げる方向と逆方向に位置していた&顔を晒してしまった以上五条にもう不意打ちはできないと判断しその場からの脱出を優先しました。一か八かで回収用に呪霊も放っていましたが五条によって改造人間と同様瞬殺されています。




 

 

 

床は呪霊だったもので山ができ、辺りは呪霊の血で濡れている。軽い音を立てて持っていた呪具が壊れた。山ほど持ってきた呪具はもう半分を切っている。

雑魚ばかりとはいえこのままでは厳しい。獄門彊はまだ閉じていない。皆その範囲に入らないように注意を払っていた。

偽者を挟むように菜々子たちも呪霊と戦っている。しかし美々子はさきほど呪霊に吹き飛ばされ昏倒し、菜々子も体力の限界が近いのか少しずつ押されだした。できれば2人と合流したい。それは少年も同意見らしかった。

 

少年の襟首を掴み呪霊の放つ斬撃を躱す。壁を足場にそのまま呪霊の懐に入った。顎裏から一気に脳天に向かって短刀を突き刺し抉る。蛙が拉げた時のような音が短剣を通して伝わってきた。このまま獄門彊の傍を通れば最短距離で2人の元に行ける。しかし、偽者がその機をみすみす見逃すとは思えなかった。

菜々子たちに数体の呪霊が襲い掛かるのが見える。

 

『ッ!、菜々子、避けるんだ!』

 

空気を薙ぐ音が響く。菜々子に襲い掛かった呪霊の頭が吹き飛ぶ。胴体から離れた呪霊の頭が鞠のように床を転がる。頭を失ったことに気が付いていない身体は拍動に合わせて血を噴き出す。その身体を男は蹴り倒した。

 

「――伏黒さん、よくこの場所わかりましたね」

 

「匂いを辿った」

 

『犬かな』

 

「黙れ」

 

「伏黒さんが来てくれて助かりました」

 

形勢逆転とまでは言えないが目の前の呪霊に集中できるため大分楽になる。

男は呪霊を次々殺していく。三節棍で呪霊の胴体を薙いだ。

 

『……ちょっと待て!それ私の呪具(游雲)!』

 

「ハァ?元々俺のだろ、が!」

 

苛立ち紛れに男は偽者に攻撃を仕掛ける。三節棍を力任せに叩き込んだ。偽者は呪霊を次々に出し盾代わりにするが、男はそれらを軽く往なす。分が悪いと判断したのだろう偽者は呪霊に乗り、逃げの姿勢を取った。男がそれを追う。

 

身体置いて行け。その一心で2人に負けじと少年を小脇に抱える。突然一面が目を開けていられないほど明るくなった。轟音と共に屋根やコンクリートが塵と化す。粉塵が立ち込め少年と菜々子の咳が聞こえる。

 

「―――テメェふざけんな!オレまで消し飛ぶとこだったじゃねェか!!」

 

「めんごめんご!ちょーっとずれちゃった。次はきっちり中てるから安心して」

 

「ブッ殺す」

 

先程の紫の光はやはり悟の術式だった。2人のやり取りを聞きながら沖縄のハブとマングースの戦いを思い出した。

 

「なんであの2人あんなに仲悪いんですか」

 

『元被害者と元加害者だから』

 

「どっちがどっち」

 

『どっちもどっち』

 

「なるほど」

 

何がわかったのかは不明だが、少年は言い合いをしている悟に声を投げ掛ける。

 

「五条さんはこっちこないでください」

 

「えッ、僕汗臭い?もしかして反抗期きちゃった?」

 

「C-4もどきが開いてるんです」

 

「そっかぁ、あーよかった…って全然よくないんだけど。早く閉じてよ」

 

「それが…開けた美々子さんが気を失っていまして」

 

「殴ってでも起こせ、できねェなら俺がやる」

 

『あの子殴ったらお前を殺す』

 

「まぁ僕最強だから大丈夫でしょ」

 

「いえ、念の為離れてください」

 

「えーそんなに信用ない?僕がやればちょちょいのちょいなんだけど」

 

「五条さんの場合、無意識でも青春アミーゴしてしまうと1発アウトなので」

 

「青春アミーゴ」『青春アミーゴ』

 

意味は分かるが外聞が悪い。というか大分気恥ずかしい。

 

『君、その世代じゃなくない?』

 

「再放送で見ました」

 

粉塵に塗れてゆらりと影が現れる。偽者は脇腹を少し失い、右腕を力なく垂れ下げていた。あちこちから血を滴らせているがまだ生きている。自然と舌打ちが出た。

 

「………五条悟…なぜ躊躇しない、お前の親友だというのに」

 

「ガワが傑でも、中身が違うなら僕の親友じゃないさ。

それになにその艶髪。傑は自然乾燥派なんだよ。自分からドライヤーなんてするわけないだろ。一見几帳面に見えるけど結構雑だから。自室は綺麗にしてたけど任務で疲れて風呂入らずにそのまま寝たり、箱ティッシュ買うの忘れて寮の便所からケツ拭く紙パクって自室で使ってたし」

 

せめてトイレットペーパーと言ってほしい。

 

「汚ねェな、部屋に虫湧くだろ」

 

「そうそう!そのケツ拭く紙にGの卵ついてた時はもうホントスッッゴかった!夜中に叫ぶから全員飛び起きてさぁ」

 

「寝てる間に虫食ったからそんな触角(前髪)生えてんのか」

 

『青あの2人止めろ』

 

思い出したくもない記憶が掘り返される。人を擁護したいのか貶したいのかわからない。それに悟のように、風呂入った後着替えを忘れたことに気づいて寮内を全裸ダッシュする奴には言われたくない。

 

「お2人とも、夏油さんがもう止めてほしいそうですよ」

 

悟と男は少し顔を見合わせ、悟は懐かしの野々村議員の真似をし、男は舌を出しこちらに中指を立ててくる。高専時代はする側だった。久しぶりにされる側になって改めて思う。クッソ腹が立つ。

 

『誰だあいつら引き合わせたのは』

 

「わかりません」

 

『嫌がらせにも程がある』

 

近くにいたならばあの中指をへし折っていた。ここでは敵の敵は味方ではなく、”昨日の友は今日の敵”らしい。昨日どころか2時間も経っていない。

 

偽者は多くの血を流しながらもしっかりと立っている。偽者は憎らしげに言う。

 

「――――私の身体が欲しくないのか」

 

「………その言葉だけ聞くとかなりヤバい…」

 

一瞬間が空いて悟と男が噴き出した。確かにAVの中でしか聞いたことが無い。自分の顔と声がその言葉を紡ぐのを見ても羞恥心が刺激されることはなかった。今日1日で大分耐性がついたらしい。自らの目覚ましい成長ぶりに涙が出そうだ。

 

「五条さん、できればで結構なんですが、もし偽者さんを消し飛ばすなら半分ぐらい残しておいてください」

 

「えー…半分かァ……縦、横どっちがいい?」

 

「縦でお願いします」

 

「下半身でいいだろ」

 

悪逆非道とはこいつらのことを言うのかもしれない。

 

 

視界の端で菜々子が気を失った美々子を必死に起こす。美々子が薄く目を開き言葉を交わしているのが見え、安堵の息を漏らした。ジェスチャーで逃げるように指示するが、菜々子たちには幽霊は見えないため伝わらない。

 

偽者が大量の呪霊を出す。先ほどの比ではない、視界が全て呪霊で埋まる程の量だ。呪霊に紛れて逃げる気なのだろう。低級が殆どだが数が数だけに煩わしい。術式が使えないため1体ずつ地道に祓うしかない。祓っても祓ってもきりがない。菜々子たちの姿を捉えるどころか声さえ掻き消された。

 

 

「ッ!美々子さん!ちょっと待ってくださ…」

 

呪霊が見えない少年には美々子たちが何をしようとしているのかわかったらしい。制止の声を上げる。その声は呪霊の声に掻き消された。

 

空間が僅かに揺れる。

 

「―――開門」

 

少年が言葉を発するより偽者の方が僅かに早かった。

 

 

 



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【19】偽者は哂う

 

 

男の三節棍が薙ぐたび呪霊の肉片が壁に飛び散る。肉の塊は重力に従いすぐに床に落ちるが、液体は名残惜しそうに糸を引いた。時折こちらの方に向かってくる呪霊を切り捨てつつそれを眺める。相討ちしてくれたらいいのになという言葉は胸に留めておいた。

 

獄門彊を開けているのが偽者に変わるとどこか緊迫感が増す。念の為距離を取らざるを得ない。

男も封印されるのは流石に困るらしい。男の苛立ちが頂点に達したのか、獄門彊に向かって走る。耳を聾する轟音が木霊し、砂塵と化したコンクリートが視界を奪った。不愉快さを感じ手で扇ぐ。天井の大きな穴から獄門彊を蹴り飛ばしたらしい。床には大きく抉れた跡だけが残されている。

 

『……あれ反則じゃない?』

 

「ルールがないので判断できません」

 

少年の言葉にもどこか納得できない。

破砕音や殴打音が鼓膜を揺らす中、映画館に足を踏み入れた時のような甘い香りが漂ってきた。

 

「――― デキタテノポップコーンハイカガ?」

 

「いりません」

 

「なーんでそんなノリ悪いんだよ。傑ならノッてくれるのに!」

 

悟のその言葉に少年は怪訝な顔でこちらを見てくる。必死に首を横に振った。怪我を負っていた美々子たちを安全地帯に連れて行くよう頼んだが、その帰りにどこからか拾ってきたらしい。

 

「どこで拾ってきたんですかそれ」

 

「欲しいなら取ってきたら?…ってかなにこの状況」

 

そう言いながらポップコーンを貪る。

 

「伏黒さんが「雑魚は引っ込んどけ」とおっしゃっていたので低みの見物をキメていたのですが」

 

「”高み”じゃないところが青らしいね」

 

「伏黒さんの拳が掠っただけで瀕死になる自信があるので」

 

偽者が男の打撃を躱しながら叫ぶ。

 

「なぜのうのうと生きている非術師の為に術師が身を削る必要がある!?あんな醜悪な生き物になぜ尽くす!?」

 

「”醜悪”?」

 

ぽろりと言葉を溢した少年を偽者は強く睨み付けた。

 

「外回りと称してラブホやビジホでデイユースを利用する会社員不倫カップルとかですかね」

 

『そういうことじゃない』

 

悟が腹を抱えて笑う。はずみで食べていたポップコーンが気管に入ったのか咽ていた。

 

「別にいいんじゃないんですか。呪術師かどうかは別にして生来人間は醜い生き物です。それに誠実さを求めるほうがどうかしてる」

 

偽者は少年を糾弾するのは無理だと判断したのか男との戦いに専念しだした。賢明な判断だ。

 

「随分冷めてんね」

 

「むしろ愛とか情とか形のないものを信じることができる人が羨ましいですね。……そう言えば単なる興味なんですが、五条さんさっきのビームみたいなやつ、小さくできますか」

 

「?、できるけどどれくらい?」

 

「イメージは魔貫光殺砲」

 

「!!!OK!やる!!!」

 

『なんでそれでやる気を出すんだ』

 

「魔貫光殺砲だからなんかぐるぐるしてるやつもいるよね!!!」

 

「別にそこは無くていいんですけど。ただウォータージェットみたいに集中させたら貫通力が現状のものより飛躍的に上昇するんじゃないかと思いまして」

 

「いやいやいやいやそこは拘るべきでしょ、ライトセーバーとかと並ぶ男のロマンじゃん!僕片腕失ったらコブラと同じサイコガンつけてもらう予定だし。まぁそんなことないだろうけど。あー、どうしよっかなー。これをこうして、いやそれだと……あっ」

 

悟が捏ね繰りまわしていた術式が手から滑り落ちる。それは眩い光を放ち男たちの方向に向かっていった。魔貫光殺砲というよりかめはめ波に近い。

 

「――――!!、ッ!」

 

『あー、惜しい』

 

「ごめーん、わざとじゃないから許して」

 

「誰が許すか」

 

「―――伏黒さん!」

 

「!」

 

男は少年の声に弾かれるように偽者の攻撃を避けた。

1度失敗したがそれでも諦めていないらしく、悟は再び捏ね始めた。

 

「魔貫光…いや違うな、魔か…これもちょっと違うか……魔貫光殺砲!!!おぉ!それっぽいものできた!ヤッバ!!超カッコイー!!!やっぱ僕って天才!!」

 

「テメェわざとだろ」

 

「あ、バレた?もう飽きちゃったしサクッと領域展開して終わらせていい?」

 

「領域…?」

 

「術式を付与した生得領域を呪力で周囲に構築して…って言ってもわかんないか……つまり自分が思い描く世界を結界の中に現実に創り出す必殺技みたいなもの」

 

「オレがやるっつってんだろ!」

 

「自信過剰でしょ」

 

「ウッセェ!!!黙れ!!!……あっ」

 

「あっ」『あっ』

 

男の足が偽者の脊髄を捉えた。強かに打ち据える。偽者の身体から一気に力が抜け、地面に転がる。首は奇妙にねじ曲がりどれほどの力を受けたのか窺えた。

 

「……マァ、いいだろ」

 

『いいわけあるか!私の身体が!…』

 

「頭と身体が繋がっていてよかったじゃないですか」

 

到底慰めとは思えない言葉を少年が掛けてくる。

 

横たわる偽者に少年が近づく。脈の確認でもするのだろうか。どう考えても死んでいる。首の骨が折れ頭が不自然な角度に傾いていた。

 

「念には念を入れるべきだと思いませんか」

 

止める気は疾うに失せている。

 

『ここには私以外まともな奴はいないのか』

 

「えっ?」

 

『……えっ?』

 

聞こえていなかったかと思いもう一度言うが少年の反応は変わらない。

微妙な空気が流れた。

 

「――――っ!」

 

地に伏せていたはずの偽者が少年の肩を掴む。眼を大きく見開き、歯茎を露わにしたその笑みは自分の顔にも関わらず他人のように思えた。

 

 

 



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