東京都立呪術高等専門学校二年転校生早川那由多 (同じ顔の別人)
しおりを挟む

第一章 血の呪霊編
早川那由多①


チェンソーマンキャラ視点→ナユタ
呪術キャラ視点→那由多

悪魔とデビルハンターは呪霊と呪術師表記で統一。


 

 

 

 黒髪のブレザー美少女と、学ランの白髪美青年が古い校舎で向き合っている。一見微笑ましいやりとりだ。

 しかし、呪術師にとっては悪夢のような光景だった。三流は裸足で逃げ出し、二流も震えを止められず、一流すら死を覚悟する──そういうレベルの争いだった。

 

「呪霊如きが舐めた真似しやがって。今すぐ祓う」

 東京都立呪術高等専門学校二年

 最強の呪術師

 五条悟

 

「私は、この学校に通うためならなんでもする」

 東京都立呪術高等専門学校二年

 『元』最悪の呪霊

 早川那由多

 

 

 いつか一人で日本国民全てを殺せる力を手に入れる呪術師と、かつて日本国民全ての命と引き換えでなければ倒せなかった呪霊が、一触即発の殺意を纏わせ対峙していた。

 現在時刻、12時30分。

 クソみたいに平和で、クソみたいに穏やかな天気。

 

 ──本日の喧嘩の原因、卵焼き。

 

 

「止めなくていいの、あれ」

「まったく仕方ないな。悟、やるなら殺さない程度にするんだよ」

「なんで煽った?」

 

 

 夏油傑と家入硝子が教室のすみで昼食後の穏やかな時間を過ごす中、バカ二人は弁当のおかずをとっただの取らないだのというくだらない理由で拳を交えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

1984年11月18日午前10時

 『銃の呪霊』日本に26秒上陸

 5万7912人死亡

 

1997年9月12日午後3時18分21秒

 秋田県にかほ市沖合より12秒間銃の呪霊出現

 同日

 東京都内住宅街に銃の呪霊出現

 討伐

 

戦功者

 ■■■

 ■■ ■■■

 (以下、資料は塗りつぶされている)

 

 

1998年

 ──チェンソーマンブーム 到来

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:五条悟】

 

 チェンソーマンと言えば、誰もが知る国民的ヒーローだ。

 今でこそやや下火となっているが、未だ根強い人気を誇っている。だが銃の呪霊へのカウンターで生まれただの言われて育っていた悟にとっては、生まれる前から背負わされていたよくわからない責務を横から掻っ攫った挙句行方不明になったよくわからない奴、という認識にすぎない。ぶっちゃけあまり興味がない。右を見ても左を見てもチェンソーマン一色──飽きっぽい悟は当時のブームに辟易としていた。

 どの程度かというと、チェンソーマンのファンだと名乗った夏油傑と初対面で喧嘩になったくらいには無い。今でこそ親友だが、趣味は合わないなと思う。

 

 そんなチェンソーマンは実は呪術界では実在自体が疑われているレベルの存在だったりするのだが──過去に一人だけ実在を断言した男がいた。

 名を岸辺。悟が成長するまで最強を自称していたらしいクソジジイ、もとい五条家が雇った悟の武術講師。そいつから突然電話がかかって来たのが今朝のことだ。

 

 

『今日そっちに転校生がくるから面倒を見てやってくれ。まあ、お前なら大丈夫だろ』

「何が?」

『じゃあよろしく』

「死ね」

 

 

 転校生が来る──ごく普通の高校における一大イベントは、何もかもが普通ではない高専においても、ホームルーム前の休み時間の話題を独占するには十分な魅力を持っていた。

 

 

「男? 女?」

「知らね」

「この学年に来るなんて、弱い者いじめにならないといいけどね」

 

 

 意外とノリノリなのが家入硝子。しれっと失礼な発言をかましたのが夏油傑。悟のたった2人の同級生だ。

 

 

「岸辺から久しぶりに連絡が来た。だから多分術師の家系のやつじゃない」

「悟の体術の師匠だっけ。彼のお墨付きなら期待できそうだけど」

「師匠じゃねえ、児童虐待犯だ」

「休憩無し睡眠禁止無下限解いたら即腹パンのチキチキ耐久訓練合宿小学校進学祝い編か………あの話は……ふふ、愉快…いや災難だったね!」

「あ゛〜〜、お前に教えるんじゃなかった」

 

 

 悟が育つまで最強を自称していたらしいクソジジイは、そう名乗るだけのことはあった。悟が小学生低学年の頃のことだ。並の一級呪術師では勝負にすらならない猛攻を岸辺は身体能力だけで乗り切った。そうして悟が体力切れを起こしたところをボコボコに殴ってきやがったのだ。

 今なら間違いなくやり返せる自信があるが、なんだかんだお互い多忙な身故に会えていない。首を洗って待っていやがれ。いやマジで。

 

 くだらない話で盛り上がるうちに、ホームルームの時間になった。カツカツと廊下から二人分の足音が響く。夜蛾先生と噂の転校生だ。

「おはよう。早速だが新入生を紹介する。今日から2年に編入する早川だ」

 

 

「はじめまして」

 

 

 入ってきたのはセーラー服の女だった。身長は硝子よりもやや低い。黒髪長髪、間違いなく美少女と形容されるにふさわしい容姿をしている。

 この学年は皆優秀だった。

 だから。少女の姿を見た瞬間、全員が()()()()に入っていた。

 

 

「授業中だぞ。座れ」

「そいつ呪霊じゃん。夜蛾せんせー、とうとう頭イカれた?」

「自己紹介だ。出来るな?」

 

 

 夜蛾は悟たちの一切の挑発に乗らず、何事もなかったかのように転校生の紹介を続けた。

 少女は無言で頷くと、そのまま五条悟を指さした。

 

 

「わんわん」

 

 

 ──ぐらりと視界が揺れる。

 少しだけ理解が遅れる。五条悟は生まれた時から上位者で、絶対的に見下す側の存在だったから。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()が、自分に対して向けられた事実を一瞬認識できなかった。

 

 

「ふざけんな殺す」

 

 

 元々沸点が高い方ではないが、これほどまでに頭にきたのはいつ以来だろう。全力で膝を顔面に叩き込んだ。

 血が飛ぶ。吹っ飛ぶ。術式順転──

 

 

「やめろ悟」

 

 

 『蒼』の発動を直前で止める。夜蛾は何を考えているのか。

 少女はゆっくりと上体を起こす。鼻血を流しながら自己紹介をした。

 

 

「早川ナユタといいます。この学校に通うためならなんでもします」

 

 

 

 

 

「彼女は討伐対象特別除外指定済人型特級呪霊『早川那由多』。日本で唯一、人間に対して友好的だと認定を受けた呪霊だ」

「名称長すぎ。ギャグかよ」

 

 

 真顔でダブルピースを掲げる特級呪霊は、教室に新しく運び込まれた四つ目の机を我が物顔で占領していた。

 

 

「上からの強い要望でな。『早川那由多』を東京都立呪術高等専門学校は生徒として受け入れることにした」

「頭イカれちゃったんですか?」

 

 

 皮肉の効いた言い回しを好む夏油すら、ストレートな罵倒しか出来なかった。

 呪霊を? 呪術師として? 生徒と認めて入学させる?

 

 

「頭イカれちゃったんですね…」

「夏油、聞こえてるからな」

「私の呪霊操術は」

「禁止だ」

「うわあ…」

 

 

 東京都立呪術高等専門学校二年──彼らは、三人が三人とも唯一無二の才能と特殊性を持った突出した世代だった。

 御三家相伝の無下限呪術と六眼の抱き合わせ、学生にしてすでに特級呪術師の資格を保有する五条悟。非呪術師家庭出身者初の特級呪術師昇格査定中、呪霊操術の夏油傑。ただでさえ使い手の少ない反転術式を他人に作用させることが出来る奇才、家入硝子。そしてここに日本で唯一人間に対して友好的だと認定されたとかいう眉唾ものの特級呪霊、早川那由多が加わった。

 呪霊である。特別討伐除外指定を受けているとはいえ、基本的な扱いは変わらない。おまけに夏油の呪霊操術の使用もなぜか禁止されている。

 つまり──

 

 

「特級呪霊の対応は特級呪術師が担当する。五条悟──上からの御指名だ。『早川那由多』の監視任務。期限は卒業まで」

「ハァッ〜〜〜〜〜!? 嫌だね!」

 

 

 岸辺の電話を思い出す。面倒を見てやってくれとは、単に仲良くしろということではなかったのだ。

 

 

「以上、ホームルーム終わり。一限目は英語だから準備をするように」

「「「いや出来るかこんな状況で」」」

 生徒三人の声が揃う。そんなことで心を一つにしたくなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:家入硝子】

 

 

「エー、ビィ〜、スィー、デー、イー、エフ、ジィ〜〜」

 

 

 件の特級呪霊は大人しく着席し英語の教科書を開いて絶妙な発音でABCの歌っている。硝子たちは夜蛾先生の意図を読みかねていた。

 

 監視をしろなどと言うが、本当にそれだけなのか? 暗に祓えと言うのか、長時間警戒を続ける訓練なのか、本当の本当に頭がイカれてて言葉通り仲良くしろということなのか。

 特級呪霊など遭遇することの方が珍しいというのに。それが人間にしか視えない姿で、制服を着こなして、教科書を開いて真面目に勉強をしようとしている。シュールすぎて笑ってしまいそうだ。

 だがしかし、溢れ出る禍々しい呪力がこの一見無害そうな少女の本質を雄弁に語っていた。六眼でより詳細に視えているだろう五条はさっきからだんまりを決め込んでいる。

 

 気まずい空気を打破せんと声をかけたのは夏油だった。監視を命じられた悟にその気が無いのなら、硝子よりは、自衛ができるだけの力がある自分が探るべきだなどと考えているのだろう。

 

 

「君、本当にこのまま授業を受けるつもりかい?」

「圧死、心臓致死?」

「は?」

「煉獄虐殺拷問…」

 

 

 だがまともな返事は帰ってこなかった。歌うのをやめ、教科書を机の上に置いた。何を考えているのかわからない渦巻いた瞳でこちらを見つめ、顔似つかわぬ──とても呪霊らしい残酷な──単語を並び立てている。呪言ではないようだが、聞いていてあまり気分の良いものでもない。

 

 

「何を言っているのか意味が分からない」

「血・飛・沫、切断眼球ぅ〜」

 

 

 ノリノリでピースサインを見せつけられても、発言が全然ピースじゃない。夏油は肩をすくめ五条と硝子の下に帰ってきた。

 

 

「この距離だし聞こえてたと思うけど、一応報告だ。まともに会話が成立しなかった」

「最初に自己紹介してたのは…」

「低級の呪霊でも、躾ければ決まった言葉を喋るくらいにはできるらしいね」

「もしくは独自の言語体系を確立してるか……」

 

 

 夏油と硝子が特級呪霊の生態の考察で盛り上がる一方で、五条悟は仏頂面を浮かべたまま一言も喋らず、特級呪霊の一挙一動を観察していた。一応真面目に仕事をする気はあるらしいが、貧乏ゆすりをするのをやめてほしい。

 

 

「鏖殺」

「!」

 

 

 三人に近づいてきていた特級呪霊が、五条の手に触れようとして失敗していた。無下限術式だ。無限を現実に顕現させ、相手を永遠に辿り着かせなくすることができる。

 

 

「切断地獄、焼死土葬?」

 

 

 頭、頬、手。一定以上の距離に近づけないのを面白がったのか、早川那由多は無下限に御執心だ。イラついた五条が暴れ出すのではないかと思ったが、無視を決め込むことにしたようだ。

 

 

「五条はどう思う?」

 

 

 五条悟は六眼を持っている。青く独特の光を放つ、天から与えられた才能の一つ。呪力の流れを捉えることに特化した瞳は、相対した者の術式の情報を丸裸にすることができる。

 呪術的な分析において彼ほど役に立つ存在もいない。ぜひ意見を聞きたいと声をかけたのだが、乗り気ではなさそうだった。

 

 

「知らねーよ、頭が弱いだけだろ」

「──いや、そういうんじゃないよ」

「普通に喋れるのかよ!!!」

 

 

 突然流暢になるんじゃねーよ! 五条が反射でツッコミを入れた。

 一連の流れを見た夏油が吹き出し、笑うんじゃねえと五条から睨みつけられる。

 

 

「お前、普通に会話できるならさっきのはなんだったんだよ」

「特級呪霊っぽくて面白いかと思って」

「センス終わってんな」

「悟ほどではないと思うよ」

「あ゛?」

 

 

 夏油に横槍を入れられた五条がキレる。売り言葉に買い言葉、言葉の応酬は徐々に激しくなっていき、夏油はとうとう呪霊を呼び出した。

 さっきまでの一触即発の殺し合いの予感とは違う、いつも通りのただの喧嘩だ。

 

 なんだか少しだけホッとした。図太いと言われがちな硝子だが、案外緊張していたのかもしれない。ようやくいつもの調子に戻れている気がした。

 

 

「早川さん、通うためなら何でもするって言ってたよね。上からの命令じゃなくて、あんた自身にも通いたい理由があるんでしょ?」

「うん」

「それはここじゃなきゃ出来ない?」

「うん」

「そのためにはあの馬鹿──クズ野郎と一緒にいなきゃいけないとしても?」

「おい待てなんでわざわざ言い換えた」

「最初に言った。私はこの学校に通うためならなんでもする」

 

 

 硝子は人よりは医療知識も肉体への造詣も深いつもりだ。早川那由多の一挙一動を観察する。眼球の動きも、呼吸数も、発汗量も、四肢の動きも、嘘をついているようには見えない。もっとも呪霊が人間らしい挙動をするとは限らないのだが、硝子は早川那由多以外の人型呪霊を知らなかったので判断のしようがなかった。

 

 

「あーくそ、毒気抜かれた。おいそこの呪霊」

「早川那由多」

「そうか、木端呪霊。お前今から俺の命令に絶対服従な。じゃねえと絶対監視なんてしてやらねえ」

「……それを、“私”に言うの?」

「そうだよ、分かってて言ってるんだ」

「……君の眼は、術式は見えても、何が本当で何が嘘かはわからないみたいだね」

 

 

 ひくりと、五条のこめかみが震えるのが見えた。こいつはこいつで分かりやすすぎる。隠す気もないのだろうけど。

 

 

「“縛り”じゃなくてお願いなら聞いてあげる。同じクラスのお友達だもの」

「………ふーん、あっそ。なら試させてもらおうかな。起立!」

「うん」

 

 

 那由多は素直に椅子から立ち上がった。

 

 

「返事!」

「はい」

「右手挙手!」

 

「左手上げて!」

 

「片足立ち!」

 

「犬の鳴き真似!」

 

 

「あれ完全に楽しんでるだけだよね」

「元からそういうやつでしょ」

 

 

 あまりにも素直かつキレッキレに命令を聞くものだから、多分ツボにハマっている。「荒ぶる鷹のポーズ!」あ、やった。特級呪霊も荒ぶる鷹のポーズが何か分かるんだ……人生で一番知らなくてもよかった知識だな……

 

 

「私としては悟がいつスカート脱いでとか言い出さないか不安なんだが」

「それは流石に……いや……私の制服勝手にパクって女装してたことあったな………」

 

 

 特級呪霊にどうこうされる、ではなく友人が社会的に道を踏み外さないかという不安とともに夏油と硝子は二人のやりとりを見守った。

 

 

「好きな俳優は?」

「いない」

「俺のことかっこいいと思う?」

「足も長いし、そうなんじゃない?」

「俺のこと好き?」

「あんまり……怒ると怖いから……」

「俺も嫌いだね。初対面で他人を洗脳してくる呪霊なんて」

 ビッと中指を立てる早川さんと親指を下に向ける五条。

 お前ら仲良いな、と思ってしまったのは秘密だ。

 

 

 ──とまあそんなこんなで。異常な経歴の異常な転校生早川那由多がクラスメートに加わったのである。時々五条に術式を使おうとする以外は至極真面目で授業態度も良好。再テストにひっかかったこともない。

 卵焼きを勝手に食べただの、お前が食うのが遅いだの、低レベルな主張が教室を飛び交っている。

 

 

「今日は、まだマシかな」

 

 

 なにせ夏油が完全に傍観モードだ。こいつは冷静そうなフリをして相当喧嘩っ早いので、七対三の確率であのバカ喧嘩に参戦している。もちろん参戦する確率の方が七だ。

 

 

 

 

 

 

 2006年春。懐玉の思い出よりもさらに昔の懐かしい記憶。

 

 これは。

 血の特級呪霊との戦いで死者が出るまでの、私たちの青春の物語だ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

早川那由多②

 

 

 

【side:夏油傑】

 

 

 『早川那由多』は国家から正式に除霊対象から外された唯一の討伐対象特別除外指定済人型特級呪霊だ。

 詳細不明、経歴不明、能力不明。面倒を見るのに流石にそれはないだろう。だが、16歳児たちの圧倒的駄々と、五条家の天才のワガママをもってしても、夜蛾は頑なに早川那由多について最低限の情報開示しかしなかった。

 

 

「あの外見脳筋バカ教師は権力に負けるタイプじゃない。となると那由多の情報を必要以上に知らせてこないのは、夜蛾先生自身の意思ということになる」

「必要最低限の情報すらよこしてきてねえだろ」

「それもそうだが」

 

 

 東京都立呪術高等専門学校、運動場。

 夏油傑と早川那由多は訓練という名目で対峙していた。

 

 

「となると私たちで探るしかないね」

「よろしく」

 

 

 早川那由多は協力的だった。

 平均身長、平均体重。身体能力もごく普通の女子高生並。

 特筆すべき点は無い。もし早川那由多が本当にただの女子高生だったのなら、自分は彼女を歯牙にも掛けなかったろう。

 だが、こいつは()()()()だ。

 

 

「ところでなんでブレザー? 昨日はセーラー服だったろ」

「悟君のせいで、血で汚れたから…」

「じゃあ明日の着替えも用意しとくんだな」

 

 

 傑が手頃な呪霊を呼び出したのは、悟の助言とほぼ同時だった。

 

 さて、何を仕掛けてくるか。

 棒立ちの早川那由多は隙だらけで、逆に不穏だ。

 

 

(何もしないなら、私から攻撃するまでだ)

 

 

 召喚した呪霊のうちの一匹に突撃指示を出す。低級だが、牙に込められた呪力はそれなりだ。当たれば強いの典型だった。

 

 

「あ……」

 

 

 早川那由多は当然回避する。予想通りの動きだ。

 正面から仕掛けられた大ぶりな攻撃を回避したところを、背後からもう一匹の気配を消した呪霊が噛みちぎった。

 

 結果として、早川那由多は何も仕掛けてこなかった。

 傑は華奢な右腕に下級呪霊が牙を突き立てるのを冷静に観察していた。あまりに手応えがなさすぎる。もう二、三ほど策を残していたというのに、最初のフェイントで致命傷をおわせてしまった。

 

 早川那由他の負傷していない方の手が傑の操る呪霊にそっと添えられた。

 

 

「ワダッ」

 

 

 ……何かがおかしい。

 この瞬間、傑は初めて目の前の特級呪霊を心底から警戒した。この呪霊は、攻撃を避けられなかったのではなく、最初からこうして受けるつもりだったのだ。

 呪霊が、呪霊操術の制御下から外れる感覚がする。

 

 

「ワダジバッ、ナユダザマにぃ〜〜〜! 全デを捧ゲマズゥ〜〜〜〜!」

 

 

「──ッ!?」

 

 

 早川那由多に攻撃を仕掛けていたはずの呪霊が奇声をあげる。そもそもあれに言語を解するほどの知性はなかったはずなのに。制御権を完全に奪われ、傑に反旗を翻した。馬鹿な。そう考える間もなく、下級呪霊は自身の存在そのものと引き換えに凄まじい自爆特攻を繰りだした。

 

 爆発と同時に中庭が煙で包まれる。

 凄まじい呪力。得体の知れない現象。

 

 

(だが、所詮それだけだ)

「──へぶっ」

 

 

 渾身の蹴り技が無防備な本体の腹部に直撃する。間抜けな悲鳴と共に那由多は意識を失った。

 

 

 

 

「予想通りの勝敗すぎてつまんねぇ〜〜」

「私もだよ」

 

 

 ひっくり返って気絶している早川那由多は硝子の治療を受けている。呪霊に反転術式が効くかは不明だったが、この様子だと問題ないようだ。

 

 

「………」

 

 

 文句の付けようもない、夏油傑の完全勝利だ。だが無邪気に喜ぶ気にはなれなかった。

 

 呪霊操術が破られた。

 

 負けたわけではない。だが、己の術式に対する絶対の自信が覆されたというのは、夏油傑に決して小さくない動揺を与えた。 

 己の使役する呪霊の支配権を奪われることなど、今まで一度もなかった。今までの早川那由多の言動と悟の発言から、あれの術式は『洗脳』か『呪言』あたりだろうと予想をしていたのだ。だが今回の現象はどちらの術式でも起こせない。圧倒的な呪力差があるわけでも、三者全員の同意があるわけでもないというのに。

 ならば何故。

 

 妙なことはまだある。

 

 

「早川さん、乱暴にしてすまなかったね。腕の調子は大丈夫かな?」

 

 

 食いちぎられたはずの腕が元通りになっている。硝子が治療したわけではない。呪霊らしく呪力で再生したわけでもない。()()()()()()()()()()()()

 

 

()()()()()()()()()

「あっそう」

 

 

 んなわけあるか。

 

 何故。どうして。どういうカラクリだ。今すぐに問い正したくて仕方がない。だが恥も外聞もなく振る舞うには、隣にいる親友の存在は大きすぎた。

 

 

「最後本気だったろ」

「いいや」

「ふーん?」

 

 

 悟はニヤニヤとこちらを見ている。こいつは六眼で那由多の術の本質を見抜いているはずだ。私と早川那由多の相性が悪いことに気づいた上でけしかけたのだろう。我が親友ながら本当に性格の悪いやつだ。

 

 

 

 

 

 手合わせは一時中断し、各自の能力の開示時間となった。こちら側の情報開示は、早川那由多に対する威力向上の縛りの意味もある。

 悟は無下限術式を発動させながら指示を出した。

 

 

「おい、ちょっと攻撃してみろ」

「うん」

 

 

 股間にめがけて振り上げられた早川那由多の足は、徐々にスピードを失い、ぶつかる前に完全に停止した。

 普通ノータイムで股間を狙うか? 

 

 

「……ここまで躊躇なく金的してきた奴はお前が初めてだよ」

「デンジが、男と喧嘩するならタマ以外狙うなって」

「誰だよデンジ」

 

 

 美女が美男の下腹部に触れるか触れないかの位置に生足を寄せている。実際は呪術師と特級呪霊とはいえ、絵面の酷さに傑は爆笑し硝子はゴミを見る目で舌打ちをした。

 

 

「いい加減その状態を解いたらどうだい」

「やだよ、そしたら蹴られるだろ」

「こかっ、股間がっ……ふふふ……」

「ウケすぎだろ」

 

 

 お株を奪うんじゃないと不満げだ。しっこ、うんこ、爆発で笑う小学生男児的感性は五条悟の専売特許だった。

 

 

「ともかく。俺の無下限術式は無限を現実に持ってくることができる。アキレスと亀って知ってる? お前の手は俺のところまで永遠に収束しない」

「それって数学的に証明できる筈だけど」

「うわぁ〜〜〜出たよマジレスする奴! 十人に一人ぐらいいる奴! 大体隠キャオタクくんなんだよねえ! 凡人にも分かりやすく例えてあげてるだけってどうして察せないかなぁ!」

 

 

 五条家には意味不明術式と名高い無下限を何も知らない人にもふわっとニュアンスで伝えるための表現マニュアルまであるらしい。初耳だぞそれ。歴史が長いと本当に何でもあるな。

 

 

「お前の術式が俺に効かないのは無限で命令が完結しない状態を作ってるからだ」

「やはり、私の呪霊から支配権を奪ったのは那由多の術式か」

「支配権。いいねその呼び方。仮称『支配術式』─それがこいつの生得術式だ。発動条件は()()()()()()()()。呪霊操術や冥さんの黒鳥操術あたりと拮抗した際、明らかな下級相手への干渉だと、那由多のが支配権の奪い合いでは有利みたいだな。もしくはすでに誰かに使役されてるシチュエーション自体が那由多の術式の出力を後押ししてる」

「素手で触れるかどうかも条件に含まれているのか?」

「いいや、それは出力を上げる縛りだな。俺に何回も仕掛けてる指差しもだ。本来はやらなくてもいいはず」

「あたり」

「イエーイ」

 

 

 なるほど。しかし……それは、少しズルくないか?

 上級呪霊を使役できる私はともかく、冥さんの黒鳥操術は下級の存在の大量使役が前提だ。それをほぼ無条件で奪い取れるというのは、なんでもありすぎる。多数を使役している相手から一匹分の支配権を奪い取るのが得意なのか? 他にも条件があるのだろうか? もう少し何かありそうな気がする。

 

 

「傑、考え込むことはねーよ。こいつの本質は『操術』じゃないの。多分根本の価値観──見えてる世界が違う」

「それはどういう……?」

「これからそいつを見せてもらうんだよ」

 

 

 悟は二年生に与えられた午後からの任務の概要書類を、那由多に突きつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:早川ナユタ】

 

 

「俺たちなら5分もあれば全員叩き潰せるが、今回はやめだ。お前一人でやれ。特級呪霊の実力、見せてみろよ」

「いいよ」

 

 

 我らが高専二年生たちは、神奈川県元町にやってきていた。

 任務──宗教団体『天使の輪』を隠れ蓑に潜伏中の呪詛師集団の殲滅。

 難易度的にはいつもどおりの、ありふれた内容らしい。

 

 五条悟からの無茶振りはいつも唐突だ。

 今日だってナユタだけが任務の内容を知らされないまま現場に訪れていた。私は盗み聞きが得意だから事前に知っていたが、そうじゃなければただのいじめだ。もっとも彼はナユタの術式がどういうものかを理解していて、あえて知らせてこないだけかもしれないけど。

 どちらにしろ、全力を尽くすだけだ。だって早川ナユタには東京都立呪術高等専門学校に通わなくてはならない理由があるのだから。

 意気揚々と『天使の輪』が保有するビルに向かった。

 

 

「いいのかい? さっきの手合わせを見るに、直接戦闘は苦手なタイプだろう?」

「お前こそいいのかよ。那由多が死ぬかもしれないと思ってるのに、そのまま行かせて」

「その時はその時だ。監視命令を受けてるのは悟だし──たかが呪霊だろ」

 

 

 ひどい。なんて薄情なお友達なのだろう。聞こえていないとでも思っているのだろうか。デンジが恋しい。大大大好きな、無条件に那由多を抱きしめてくれる、この世で唯一尊敬できるお兄ちゃん。

 

 ──お腹すいた。たくさんご飯を食べてたくさん寝て、早くゆっくり休みたい。

 

 さっさと済ませてしまおう。ナユタは入り口に立っていた青年に声をかけた。

 

 

「君、案内してくれる?」

「えっ? 何? 迷子?」

「平和的に、話し合いに来ました」

「え……ああ! ああ入信希望の方ですね。ええ、ええお話しをいたしましょう。ようこそ我が家へ! 我々は罪なき繋がりを愛し絆を育む『天使の輪』の一員──」

「教祖に会わせていただけますか?」

「え、いやそれは……世を捨て、円環の一部となり初めて叶う儀式で、入信前の俗人が謁見できるようなお方では──」

 

 

 ──ああなんて、つまらない人間なのだろう。

 

 

 依存体質。何も考えずルールに従う家畜。社会の上位者から搾取され続けるちっぽけなネズミ。

 私はこの男がこうして管理されているのを見ると、とても安心する。

 心が冷えていくのを感じた。深い深い場所で、目の前の相手を強く見下す自分がいる。普段は無視するその情動を、術式を使用するために直視した。

 

 男の頬に手を添えて、早川ナユタは少しだけ口角をあげ微笑んだ。

 

 

【大丈夫。信じて?】

「ぁ………は……はい………」

 

 

 

 

 にこやかな顔の青年に案内され、ナユタは建物の6階までエレベーターで登っていた。

 

「こんにちは」

「っ、何者だガキ! どうしてここに連れて……いや、その制服は高専生か?」

 身の丈二メートルはありそうな筋肉質な男。呪力の流れを見ればわかる。呪詛師だ。

「残念だったなぁ! 一人で探索中か? よりにもよってこの俺と遭遇しちまうなんてな!」

 男は目の前の子供の()()に気づかないまま臨戦体制に入る。相手を格下だと確信したまま、舌なめずりをして。

 

 

 ──ああ、私が何なのかも分からないんだ……

 

 

 実力に見合わぬ過剰な振る舞いも、社会に対し害しかなさない在り方も。どれもがナユタの軽蔑の対象だった。

 

 

 ──デンジなら、こういう時どうするんだろう

 

 

 いつもなら叱って導いてくれる大切な家族はここにはいない。私を高専に送り出す際、デンジは自立を学ばなければいけないと言った。何が正しくて何が良くないことなのか、その判断を一人でするというのは私にはとても難しいことだ。

 

 だからとりあえず今は、自身の感性に従うことにした。

 警戒する相手の意識の隙間を縫って指をさす。

 

 

【わんわん】

 

「ーーーーーーッ!?」

 

 

 がくんと、呪詛師の身体が崩れ落ちる。四肢を動かすことも呼吸さえもままならない様子でうずくまっていた。

「ガキ、何を……!?」

【伏せ】

「ーーーぁ」

 

 

 四つん這いの大柄な男の背に、ちょこんと腰を下ろす。異質で、どこか倒錯した絵面だった。

 

 

【私に】

 

 

 いつもと全く同じなのに、どこか違和感がある声が響く。

 

 

【私に全てを捧げると言いなさい】

「──ナユタ、さまに、私の全てを、捧げます」

 

 

 静かに笑うブレザー姿の少女は、誰から見ても可愛らしかった。恐ろしいくらいに。

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:五条悟】

 

 

「お手」

ワン!

「おすわり」

ワン!

「伏せ」

ワン!ワン!

「ちんちん」

ワン!ワン!ワン!

 

 

 那由多が呪詛師が占拠するビルを制圧するのに三分もかからなかった。これには那由多の術式の本領を知らなかった傑と硝子はもちろん、手際の良さに悟も少し驚いた。

 

 

「……これが特級呪霊か。当たり前のように悟が支配を弾くものだから危険性を見誤っていたよ」

 

 

 目の前で、人間が犬のように吠えている。キモい。それ以上どんな感想を抱けと。

 

 

「呪言師とも違うんだ?」

「全然違えよ」

 

 

 ──『支配術式』。それが特級呪霊早川那由多の術式だ。

 対象は呪霊、犬猫ネズミ鳥その他色々、そして()()。一対一での命令が基礎となる洗脳や呪言、操術等とは根本から異なり、術師を中心に一対多数の支配体系を築く。『社会』や『組織』の制圧に特化した術式。操術と拮抗したとき、術者ではなく術を向けられた対象が弱者であるかどうかに依存して支配力が変動するのもこの辺りの影響だ。

 発動条件は()()()()()()()()。さらには本来他人に強制されると著しく効果が下がる縛りを、問答無用で結ぶことも可能だという。まさに特級。

 

 同日、15時過ぎ。

 早川那由多に支配された呪詛師たちがペラペラと情報を喋ってくれたおかげで、全ての拠点は制圧済み。想像の3倍早く仕事は片付いた。「はい」か「ワン」しか喋らなくなった呪詛師たちも、一人を除いて全て補助監督に引き渡された。補助監督ドン引きしてたけど。かわいそうに。

 

 そして引き渡されなかった呪詛師がどうなったかというと──

 

 

「ばいばい」

「うん、元気でねナユタちゃん! 季節の変わり目だけど風邪ひかないようにね! これ少ないけどお小遣いあげる。お友達と食べておいでよ」

「うん」

 

 

 などと。親しげに話しかけてくるものだからドン引きを通り越して恐怖すら覚えた。那由多は平然と金銭を受け取り三人の元に戻ってくる。

 

 

「時間まだあるよね。ご飯、行こっか」

「焼肉」

「お〜夏油、ガッツリ系提案するじゃん」

 

 

 まあそんな恐喝を止めるメンツではないのだが。

 

 

「クラスメートの援交で食う肉はなんでも美味い」

「うーん、このクズども最低だな」

「最低なのはこのクソ呪霊の力の方だろ」

 

 

 もう悪いことはしないよ、と宣言した呪詛師未遂の男。前科がなかったのでそのまま解放された。その言葉に嘘はなく、社会にとって良い人であり続けることだろう。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

 射程距離など知ったものかというふざけた術式だ。

 早川那由多は、今はまだ五条悟には力及ばない。だが射程距離の制限がほぼ無視できるとなると、時間と共にどんどん悪質さを増していくというわけで──

 

 

(ま、どうにでもなるか。俺たち最強だし)

 

 

 食べ盛りの男子高校生にとってはそんなものより焼肉の方が重要だ。五条悟は思考を早々に打ち切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

From:お兄ちゃん

To:ナユタ

件名:

——————

晩飯何食べたい?

 

 

 

From:ナユタ

To:お兄ちゃん

件名:Re;

——————

寿司

 

 

 

From:お兄ちゃん

To:ナユタ

件名:Re;Re;

——————

家で作れるものにしろよ

出前は取らねえぞ

 

 

 

From:ナユタ

To:お兄ちゃん

件名:Re;Re;Re;

——————

今日はスーパーに本鮪のサクが入荷してる

 

 

 

From:お兄ちゃん

To:ナユタ

件名:Re;Re;Re;Re;

——————

握れってか

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:家入硝子】

 

 

 早川那由多は特級呪霊だ。特級呪霊は特級呪術師が対処しなければならない。故に女子トイレ使用時などの例外を除いて、基本的に五条悟が監視任務についていた。

 五条が那由多の監視任務から唯一解放されるのは月末のみ。彼女が実家に帰る時だ。

 

 

「一緒に写真撮ってくれない?」

 

 

 那由多が転校してきてから初めて実家(呪霊にもあるんだ…)に帰る日の放課後。写真撮影機能付きスライド式携帯(契約出来るんだ……それも画素数多い結構いい機種を……)を突き出して、那由多は三人に話を切り出した。

 

 

「嫌で〜す。このGLGを捕まえてタダで写真撮ってもらおうなんてお高く止まりすぎなんじゃねえの? 俺にかけられてる懸賞金がいくらかご存知?」

「いくつなの?」

「………さあ」

 

 

 反射で拒絶した五条はさておき、唐突な提案なのは確かだった。

 あれから何度も共に授業を受け、いくつも任務もこなした。出会った当初よりは打ち解けたとはいえ、相手は特級呪霊。気がおけない関係とはいかなかった。

 特に彼女の『支配術式』は一度発動すれば致命的。警戒しすぎるということはないのである。

 

 

「デンジと約束した。友達100人作ってこいって」

「この学校、全学年合わせて生徒20人もいないけど」

「うん。だから値下げ交渉もしなきゃ。でもとりあえずは友達が出来たって報告をする」

 

 

 だから写真を一緒に撮って。やだよ誰が友達だ。違うの? そういう同調圧力、キモ〜! やんややんや。

 そうこう騒いでいるうちに、あっという間に迎えの時間が来た。

 

 東京都立呪術高等専門学校名物の長い長い階段。その一番下に黒い車が止まっていた。

 

 

「うわっ、岸辺だ」

「岸辺って例の?」

 

 

 クズどもが那由多の送迎を担当するらしい男について何やら盛り上がっている間に、硝子は那由多に声をかけた。

 

 

「那由多、最初に会った時に悟に支配の術式を使ったよね。ずっと一緒に過ごしてきたけど、あれだけが『早川那由多』の言動のイメージにそぐわない。どうして?」

「パフォーマンス」

 

 

 即答だった。

 

 

「五条悟に私の支配の力が効かないなら、呪術師の偉い人たちは、安心して監視を任せられると思うでしょ」

「……貴女」

 

 

 ふてぶてしい表情で、那由多はピースサインを掲げた。

 

 

「私は支配の呪霊だから。こういうことは得意なの」

「そうまでして、何が目的?」

「私は」

 

 

 那由多はひらりと学ランのスカートを翻す。

 

 

「私は学校に通いたい。今の生活は楽しいよ」

 

 

 彼女の語る動機は平凡すぎた。能力の悪質さからも特級呪霊という肩書きからも浮いている。

 

 

「また来月ね」

 

 

 どこまでが嘘かどこまでが本当なのか。怪しい雰囲気の中で。那由多は心底楽しそうに笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おいこら待て。何いい感じに終わらせようとしてんだ」

「私たちも着いていくよ。ホラ、家庭訪問さ」

 

「「──えっ?」」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

家庭訪問

 

 

 

【side:五条悟】

 

 

 早川那由多が吹っ飛んだ。

 

 

「「「──は?」」」

「お前ら0点だ」

 

 

 高専の入り口に車を停めて待っていた口元に傷のある男は、悟たち三人に出会い頭にダメ出しをした。

 何が起きたのか、ほとんど視認できなかった。

 那由多は道路の隅で痛い痛いと腹を抱えている。制服がまた汚れたとも嘆いている。意外と平気そう。放置でいいか。

 

 

「特級呪霊の監視任務は、護衛任務も兼ねてんだ。俺みたいな四流に出し抜かれてどうする」

 

 

 そう言って男は手に持っていた瓶を煽る。

 傑はなるほどこれは悟が慕うわけだと納得した素振りをみせる。硝子は那由多に声をかけに行った。

 相変わらず訳のわからない身体能力だ。呪力量が少ないのもあり、六眼ですら動きを追いづらい。

 

 

「……だからって護衛対象ぶん殴るか? 相変わらずイカれてんな、あんた」

「岸辺だ」

「名前忘れてる訳じゃねえよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「うーん、70点」

 

 

 怖いもの知らずの傍若無人小学生をしていた悟を出会い頭に質問攻めにし、機嫌が良いから答えてやれば微妙な採点しやがった奴。

 それが岸辺だった。

 

 

「ま、お堅い五条家にしてはいい感じに育てたもんだ。お前いくつだ?」

 

 

 五条悟は天才だ。大体のことは人並み以上にこなすことができた。お抱えの武術講師を半年前には全員叩きのめし、体術の訓練時間はコロコロを読んで過ごしていた。

 困ったのが教育係だ。流石にこれはどうなんだ、いやしかし実力があるだけに強く叱れない──というかすでに家のどの呪術師より強いので止められない。悩んだ挙句五条家は新しく外部の呪術師を講師役に雇った。

 お付きの使用人があまりにもうるさいので、顔合わせだけはしてやったというのに。なんだこいつは。偉そうな大人は嫌いだ。雑魚のくせに調子に乗っていてウザかったので無下限術式でぶっ飛ばした。

 悟はうん百年ぶりの六眼と無下限術式の抱き合わせだ。目の前の男の呪力量も、術式も、どちらも大したことが無いのが視えていた。

 

 

「はい終わり。これからでんじゃらすじーさん読むから邪魔すんなよ」

「じゃあ小学一年ってことで」

「……へえ、今の避けてたんだ」

「ちょうどいい、入学祝いだ」

「あのさ、俺三年生だよ」

 

 

 こうして始まったのが、休憩無し睡眠禁止無下限解いたら即腹パンのチキチキ耐久訓練合宿小学校進学祝い編(命名:夏油傑)だ。思い出すだけでもムカつくのでこれ以上の詳細は省く。

 

 クソみたいな指導の結果──悟は岸辺を気に入った。本来一ヶ月間だけだった雇用契約を、無理矢理半年に引き伸ばさせた程度には。舐めた態度はムカつくが、媚びへつらう雑魚まみれの日常よりよっぽどマシだったのだ。

 

 以来、定期的に連絡を取っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 岸辺が運転する車に、助手席に悟が、後部座席に傑と硝子と那由多が詰めて座る。

 

 

「なー岸辺ー、後でツラ貸せよ」

「今のお前にゃ正面からは勝てねえよ。来年には定年退職なんだぞ。ったく、少しは労れ」

「呪術師は一生現役だろ」

「後進がこんなのしか育たねえからろくに休めねえ」

「………術式順転」

「待て待て待て」

 

 

 硝子に全力で止められる。今はやめろと。傑は「こっち乗ってく?」とでも言いたげにマンタ型の呪霊をチラ見させてきたが、車がぶっ壊れたら流石に面倒なので引き下がった。露骨につまらなさそうな顔をするんじゃない。

 

 

「で、さっきから気になっていたんだけど……岸辺さん、今、運転されてますよね」

「それがどうした」

「……手に持ってるそれ、水じゃないですよね」

「そうだな」

「さっき飲んでましたよね?」

「あー……どうだっけ……」

「………………」

 

「やめとけ傑。あいつ頭イカれてんだ」

「やっぱり呪霊(こっち)乗ってく?」

「事故ったら岸辺置いて逃げようぜ」

 

 

 

 

 およそ三十分後、悟たちは事故を起こすことなく目的地にたどり着いた。

 那由多の実家は、呪霊と聞いて思いつくあらゆるイメージからかけ離れていた。

 都心から少し離れた立地のマンション、駅近、スーパーまで徒歩2分。ペット可、築七年。その1階に住んでいるのだという。

 

 

「あらナユタちゃん、おかえり。そちらは学校のお友達?」

「うん」

 

 

 管理人との仲も良好のようで、たわいもない挨拶をこなしていた。六眼で確認したが残穢も無い。支配の術式を使わずに構築した関係ということだ。

 早川と書かれた表札の部屋に入る。かなり広い。干しっぱなしの洗濯物。水洗い後に逆さまに置かれた食器類。生活感にあふれていた。

 噂の保護者(デンジ)はまだ帰ってきていないようだ。

 

 早川デンジは大学の教育学部を卒業したばかりの新任教師らしい。今は都内の中学の副担任として多忙な日々を送っていて、今日も帰宅は19時ごろになるのだそうだ。

 

 

「呪術師じゃないのか」

「昔はやってたけど、私と会った頃にはもうやめてた」

「……ふーん」

 

 

 特級呪霊は特級呪術師が対処するのが通例だ。だからこそ悟はこんな面倒くさい監視任務をぶん投げられて辟易としている。

 なのに、早川デンジは呪術師ですらないのだという。

 特級呪霊と同居し、おそらくあの頭の硬い老人どもとも話をつけ、監視のつかない自由な生活を勝ち取っている一般人。属性を盛りすぎにも程がある。一体何者なのか。

 責任感などではない。興味半分、むかつき半分。得体の知れないその男の正体を確かめてやるつもりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──じゃ、これで。お前らがいるならさっさと帰れるわ。

 

 そう言い残して岸辺は早々に帰ってしまった。暇だ。

 だから悟は家探しをすることにした。本棚を物色していると、硝子に何をしているのかと声をかけられる。

 

 

「そりゃあ探すだろ、エロ本」

「他人の家来て最初にすることがそれ?」

「私はこのあたりが怪しいと思うんだが」

「このクズどもが」

 

 

 傑と分担して隠せそうな場所をしらみ潰しに当たっていく。

 

 

「デンジはちゃんとした大人だもん。そういうの持ってないと思うよ」

「あったわ」

「!?!?!?!?」

 

 

 この時の那由多の動揺っぷりと言ったら爆笑ものだった。

 

 

「おおー」

 

 

 なるほど、大人のお姉さんが好みなわけね。三つ編みの姉ちゃんが写っているページに折り目がついているのを女子二人に見せびらかした。

 

 

「意外と王道だね。女子高生の人型呪霊と同棲してるくらいだからてっきりもっとニッチな趣味をしているものだと」

「…………………………………」

 

 

 傑のコメントがトドメだった。

 硝子がトイレに避難する。

 

 殴り合いになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後もグダグダと時間を潰す。時間が経つのはあっという間だった。

 

 

──ガチャリ

 

 

「デンジ……!」

 

 

 玄関から鍵が開く音がした。那由多が駆け足で出迎えに走っていく。面倒くさいが仕方がない。悟は後を追いかけた。

 

 

「おい。勝手に移動するんじゃ──」

 

 

 

 

 玄関で那由多と若い男が強く抱きしめ合っていた。

 

 

「おかえり」

「おう。ただいま」

 

 

 目の前で二人だけで完結した世界が繰り広げられている。

 なぜか、昔見た難解でよく分からなかった映画を彷彿とさせた。

 

 

「もしもーし、この家は客に茶も出さねえの?」

「……あれ? 送迎って岸辺のおっさんじゃねえの?」

「これは友達」

「へえ」

 

 

 男は顔をあげる。ようやく視線が合った。

 こいつが、早川デンジだ。

 

 金髪で背が高い、どこにでもいそうな雰囲気の──討伐対象特別除外指定済人型特級呪霊『早川那由多』の兄。

 六眼に、純粋な人とも、呪霊とも、受肉した呪霊とも異なる妙な呪力の流れが映る。

 

 ──混じっている。

 

 なるほど、こいつはまともじゃなさそうだ。

 

 

「どーも、はじめまして」

「ん、あぁ……こちらこそ」

 

 

 デンジは五条悟に無防備に背を向けて、革靴を脱ぐとスーツをハンガーにかける。

 

 

「まあ、くつろいどけよ」

 

 

 そして洗面所に手を洗いに行く前に、那由多に麦茶を淹れるように声をかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんか食ってくか? 肉料理以外で」

「ステーキ」

「肉料理以外っつったろ。高専は反骨精神が必修科目なのか?」

 

 

 この人数で足りっかなあ、材料買い足して来ねえとなあ、とデンジはエプロンを身につけながらぼやいていた。

 

 

(思ってたより若いな)

(ヒョロいし、俺たちよりガキに見えるわ)

(いや、それは私たちのスタイルが良すぎるだけだから)

 

 

 小声で傑と会話しつつ、冷蔵庫を覗き込む背中に声をかける。

 

 

「はいはい、どうして肉以外なんですかー? こちとら食べ盛りの男子高校生だよ」

「ナユタが肉苦手なんだよ」

「何言ってんの? こいつこの間死ぬほどカルビ食ってたぞ」

「えっ」

 

 

 呪詛師から巻き上げた金で打ち上げパーティーをしたのは記憶に新しい。口元を汚しながら骨つきカルビを平らげる那由多の顔の間抜けさに爆笑した悟はこっそり写メも撮っていた。それをデンジに見せると、マジかぁと心底から驚いた反応をされる。

 

 

「私は食べなかった」

「よく真顔でそんな嘘つけんな。性格終わってんの?」

 

 

 乱闘を再開する那由多と悟をよそに、デンジは焼肉会の様子をしみじみと眺めつづけていた。

 

 

「ナユタ〜、家で肉食いたがらなかったのなんで?」

「私はデンジが肉を食べてるところを見たくない。嫉妬するから」

「……念のために聞くけど、何に?」

「肉に」

「へ……へえ………」

 

「ヤンデレだぁ」

「ヤンデレ特級呪霊だ」

 

 

 悟は傑とヒソヒソ話を装いながら割と大声で那由多をおちょくった。いつもなら不機嫌そうな顔くらいしそうなものを、真剣な表情を崩さない。まじか。こいつマジで言ってるんだ。真性のヤンデレじゃん…ヤバ〜……

 

 

「ん〜、俺はナユタのこと食いたくねえなあ。毎日肉の生活は胃もたれすっから」

「知ってる」

「ま、()()()がいるならそういうことにはならねえだろ。頼りにしてるぜ」

 

 

 デンジは立ち上がり、悟たち三人に向けて軽く手のひらを振り、夕飯の支度を始めた。

 

 

 ……少し話しただけでも感じる。ほとんど直感のようなものだったが、悟は自身の直感を何より信用していた。

 

 

(俺こいつのこと嫌いだわ)

 

 

 悟は中指を立てて返事した。

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:夏油傑】

 

 

「ティラミス、お手」

ワン!

「おすわり」

ワン!

「伏せ」

ワン!ワン!

「ちんちん」

ワン!ワン!ワン!

 

 

 早川那由多は次々集合する犬に芸を披露させる。合計七匹。それぞれスイーツの名前が付けられている。飼いすぎだろと悟が呆れていた。

 

 

「反応薄っすいなぁ……そんなに面白くなかったか? 俺ん知り合いが家に来たときはこれ見せっと大ウケすんだけど」

 

 

 全く同じものを呪詛師(にんげん)相手にやってるのをよく見てます、とは言えなかった。苦笑いでごまかす。

 

 

「同じもの人間相手にやってるのよく見てるから真新しさがねーよ」

(言った)(言いやがった)

 

「ああ……やっぱそんな感じなんだ……」

(そういう反応をするんだ)(そういう反応をなのか)

 

 

 硝子と無言で目くばせする。ツッコミは野暮だ。こういうときは適度な距離から野次馬するのが一番得なのだから。傑は早川那由多が来てから硝子と少し仲が良くなった気がしていた。こんなことを漏らせば悟から『上京して初めてコンパに参加するも都会者の飲み会ノリについて行けない者同士が意気投合、即日ホテルにシューーーーーっ!』などと最悪の例えで煽られるので絶対に言わないが。

 

 

 

 早川那由多が犬に芸をさせている間に、デンジは夕飯の準備を進めていた。冷やご飯を電子レンジで解凍する。そこに砂糖と塩、酢を混ぜれば酢飯の出来上がりだ。

 冷蔵庫のタッパーから取り出した卵焼きと水洗いしたきゅうりを手際よく細切りにしていく。正方形にカットした海苔。マグロ、サーモン、エビ、いくら、醤油、わさび──手巻き寿司の準備が整った。

 

 

「……握り寿司じゃない」

「んなもん作れるか。これで十分だろ」

 

 

 作り置きしていたらしい惣菜も机に並ぶ。足りなければスーパーに買い出しに行ってくれと言われ、了承した。そもそも急な訪問をしたのは傑たちだ。

 早川デンジの料理は美味かった。

 

 

 

 

 ……そろそろ頃合いか。机からほとんど料理が消えたあたりで、傑は箸を置いた。

 

 

「早川デンジ。貴方にずっと聞きたかったことがある」

「んだよ、改まって」

「討伐対象特別除外指定済人型特級呪霊『早川那由多』。日本で唯一、人間に対して友好的だと認定を受けた呪霊──そんな戯言を、本当に信じてるのか?」

 

 

 呪霊操術を使う傑だからこそ、断言できる。呪霊は決して分かり合える存在ではない。

 ……少し話しただけでも感じる。ほとんど直感のようなものだったが、傑は自身の直感を何より信用していた。

 彼は『いい人』だ。

 だからこそ、彼が呪霊を甘く見ているのならそれなりの対応をせねばならない。それが夏油傑の呪術師としての責務だ。

 

 

「ナユタは…」

 

 

 デンジは少しだけ悩んだが、傑の真剣な様子を見て正直に答えることにしたようだ。

 

 

「ナユタは人間に特別友好的ってわけじゃねえ」

「ならどういうつもりで?」

「友好的に()()()呪霊だ」

 

 

 デンジは隣で黙々と手巻き寿司を頬張っている早川那由多の頭を撫でた。

 

 

「他所様に迷惑をかけないように、愛情たっぷりに育てたんだ。だからこいつなら大丈夫だろうって信じてもらえるまでになった」

「もしも、早川那由多が一般人を傷つけて、討つべき悪になったらどうするつもりだ?」

「そんときは……ちゃんと叱ってやらねえとな」

 

 

 平和ボケした考えだ。けれど私が懸念していたような無知故の楽観ではなかった。

 早川デンジは、こんな平和ボケした決断が出来るようになるまで一体どれ程の苦難を超えてきたのだろう。

 

 

「問題行動を起こした時は祓いますが、文句言わないでくださいね」

「お〜やってみろよ。マジでワルになったナユタは強えぞ?」

 

 

「はい! 俺は出会い頭にこのクソガキに支配されそうになりました!」

 

 

 ──悟の空気を読まない告げ口が、真剣な空気を台無しにした。

 

 

「何やってんだナユタぁ!?!?」

 

 

 デンジは激しく動揺しながら那由多の肩を強く揺さぶった。

 

 

「全く……」

「このバカにしては茶々入れるのを我慢した方じゃない?」

 

 

 硝子の辛辣なツッコミが入る。それに関しては同意だ。

 

 

「お前が真面目ちゃんすぎるんだよ。食事の席でする話じゃねえだろ」

「ほへんははい」

「口にものを入れてる時に喋っちゃダメだって教えただろ!!」

 

 

 私たちの会話が次の話題に移っても、早川那由多は叱られ続けていた。教員免許を持っていても、呪霊の教育は難航するらしい。

 

 

「くそッ、お前名字はなんだっ!?」

「どもっ! 五条悟でぇーす!」

「よりにもよって御三家かよぉ〜〜〜〜」

 

 

 うざい笑顔でポーズを決めた悟の宣言に、うぎゃあとデンジはダメージを受ける。頭を抱えて机に突っ伏した。童顔なのも合わせて年下を見守っている気分にすらなる。

 

 

「アポ取るだけでも大変なとこじゃねえか。くそっ、菓子折りも買いに行かねえと……」

「俺が許してるんだから、あんな奴らに謝る必要ねーよ。どうともなってねえし」

「大人にはな、知りませんでしたじゃすまねえこともあるんだよ。ガッコに預けてる間に何かねえかって、家族はすげえ心配なんだから……」

 

「……ごめんなさい」

 

 

 口の中のご飯をしっかり味わって飲み込んだ後、早川那由多は小さな声で謝罪した。

 

 

「大ごとにならなくてよかったけど、次からはちゃんとしてくれよなあ」

 

 

 デンジは、カレンダーをチェックしながら頭の後ろを掻いていた。

 

 夏油傑は自分の責務を果たす人間が好きだ。

 早川デンジは呪術師ではないけれど、今まで出会った中でも数少ない、まともでちゃんとした──尊敬できる大人だった。

 会いに来てよかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 デンジは泊まっても構わないと言っていたが、着替えもないので丁重に断った。

 

 別れ際に、傑はデンジにもう一度質問をした。

 

 

「どうして那由多を学校に行かせようと?」

「俺が学校行って楽しかったから」

 

 

 即答だった。

 

 

「ナユタも行きたがったしな。最初は高専じゃなくて、もっと…こう…普通のとこ探したんだよ。廉直女学院とかいいだろ? 制服可愛いし。

 

 でもあいつ、高専じゃなきゃヤダって言ったんだ。

 

 ナユタは特別だから、普通の人間にも見えるし写真にも映る。色々あって身分証明書とか持ってっけど、流石に呪術高専の生徒にゃ人間じゃないってバレんだろ。友達とかも作り辛ぇだろうし……やめとけっつったんだけど譲らなかった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()って。

 

 だから岸部さんにも久しぶりに連絡とって、いろんなところに頭下げて、無理して入学さしてもらったんだ」

 

 

 早川那由多はキッチンで食器を洗っていた。手慣れた様子で食器を拭いていく。どこに何があるのか、家にどんな食器があるのか把握している手際の良さだ。

 傑は黙って聞いていた。

 

 

「ああくそ、もうしばらく頭は下げたくねえなあ……」

 

 

 どんな苦労があったのか、何を乗り越えてきたのかは分からない。ただこの童顔の男は、本当に私よりも長く生きてきたのだなと実感する。

 

 

「どうして彼女のためにそこまでするんですか」

「家族だから」

「血は繋がってないでしょう」

「一緒には暮らしてるぜ」

 

 

 デンジはニヤリと笑う。

 

 

「ナユタは残酷で、価値観が違って 明日世界を支配するかもしれねェ……でも、俺ん家族だから……ちゃんと育ててやりてえんだ」

 デンジは頭を下げた。

「ありがとうな。ナユタと対等に接してくれて」

 

「──そういうんじゃねーけど!」

 

 

 イラついた様子で悟が会話に割り込んできた。さっきから感じていたが、悟は彼のことがあまり好きではないのだろう。無二の親友だが、趣味が合わないのは初対面の時から知っている。

 

 

「そうか? ナユタはそう思ってるからこんなに楽しそうにしてんだと思ったんだけどな」

「はいマウント〜! お前この小一時間で何回その手の発言した? マジウザいんだけど」

「はいはい、帰ろうか悟」

「また来いよ。歓迎するぜ」

 

 

 

 

 帰り道。三人は傑の呪霊に乗って帰路についていた。時間も遅くすっかり暗くなっていたのでまず一般人に目撃されないだろうと判断したからだ。

 

 

「いい人だったね」

「お前の趣味は理解出来ねえわ。ポジショントークのオンパレードでマジでキツかっただろ」

「悟、どうしてそう斜に構えた捉え方しかできないんだ?」

「当たり前だろ。偉そうにいい人ヅラしやがって。本当に立派な大人なら、世界のためにさっさと那由多を祓ってる」

「……君とは一度『いい人』の定義についてじっくり話し合わないといけないようだな」

「どうした、図星つかれて逆ギレか?」

「はいはいはい今は市街地なんだからやめなよ。そんなことより那由多の話」

 

 

 スパンと、悟と傑の背を叩いて争いを中断させたのは硝子だ。ピンと人差し指を立てて、いつになく真面目な雰囲気で喋り出す。

 

 

「私は那由多の編入の件に2つ仮説を立ててた。

 

①上層部が最悪

 いつもの老害案件。傑以外の呪霊操術か特級呪物あたりで那由多を制御してる。政治的な理由で五条家か高専をめちゃくちゃにするために送り込まれた。

 

②那由多の性格が最悪

 那由多の性格と根性が典型的な呪霊してるケース。高専の呪物狙いか、私たちみたいな将来有望な呪術師を手駒にするために早川デンジと上層部の一部も洗脳して乗り込んで来た」

 

(自分で将来有望って言った…)

「誇張じゃない。特に私は直接戦うのに向いてないから、自衛を最優先しろと夜蛾先生から口すっぱく指導されてる。二人はあまり聞いてないだろうけど」

 

 

 そんなことを言っていたような言っていなかったような。悟も覚えていなさそうだ。だが問題はない。その助言が役に立ったことも、この先役に立つこともないだろう。なにしろ私たち最強だから。

 

 

「ともかく、今日、早川家に行ってどう思った?」

「②! ②! ②!」

「五条ちょっと黙って」

「……確かに、妙だ。六眼なら早川デンジが術式で洗脳されているかどうかは分かるだろうだが──」

「されてなかった。そこは保証する。なんか妙な残穢はあったけど、那由多のじゃねえわ」

「となると②はない。早川デンジが呪詛師でグルって説もあるけど、こんな遠回りをする意味がないし……そして今回聞いた話からして①の線も薄くなった」

 

 

 ──ならば、なぜ?

 ただ学校に行ってみたいというのなら、まだわかる。いや呪霊がおセンチな感情を持つという仮説自体が無茶苦茶だが、三人はたった一月足らずの付き合いの中で早川那由多が非常に人間に近い知能を備えているのを実感していた。人間らしい情緒も持っているのだとすれば理解できないことはない。

 

 

「早川那由多は呪霊のくせに写真にも映るし非呪術師にも見えるのに」

 

 

 数多存在する学校の中で、わざわざ呪術高専を切望したという。その理由は何だ?

 

 三人の間に浮かんだ疑問は、悟の悪ガキ精神を刺激したらしい。

 

 

「入れるしかないっしょ──探りを!」

「直接聞くのは?」

「つまんないから却下」

「ま、特級呪霊を監督してるんだ。警戒しすぎるということはないさ。地道な調べ物も悪くない」

 

 

 まずは職員室に忍び込んで早川那由多の資料を盗むところからだ。あの夜蛾をどうやって出し抜こうかと、夜の空の下、算段を立てていった。

 

 

 

 




ちなみに偉い人と主に話をつけたのは岸辺です
デンジは誠心誠意頭を下げまくりました


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

調査

 

 

 

【side:夏油傑】

 

 夏油傑は自他共に認めるチェンソーマンのファンだ。

 グッズを集めているわけではない。あれをオマージュしたドラマや映画をわざわざ見ることもない。だが毎朝新聞をチェックしている理由の大半は、ここ数年活動を休止しているチェンソーマンが復帰していないかの確認のためだった。

 

 夏油傑は、チェンソーマンに命を救われたことがある。

 

 

 

 傑たちが生まれるよりも前。

 1984年11月14日午前10時、()()()はたった26秒間で5万7912人もの日本国民を殺害した。

 

 ──推定特級複合呪霊『銃』。史上最大規模の力を持つ近年最大の呪霊である。

 

 被害は日本だけに留まらず、全世界で合計120万人以上の被害を出した。

 規格外の呪いは歴史を紐解けば多く存在する。強力すぎる呪霊、悪質すぎる術式、今なお完全に葬り去ることが出来ていない呪物──だが銃の呪霊の特異性は全世界を射程距離に収めた点にあった。アメリカ、ソ連、中国、日本、その他全主要国家に単独で同時多発的被害を出した呪霊はおそらくこいつだけだ。

 

 呪霊は人間の負の感情が生み出すもの。元となった感情の世界観に依存する。だから部屋や地下のような閉鎖空間を好むし、原則生まれた場所から移動することを好まない。施設名や家などの非物理的な認識の境界が重要になってくる──はずだった。

 

 銃の呪霊はその固定観念をぶっ飛ばした。

 国際化社会において、土地と文化の隔たりはもはや絶対的な制限ではない。

 

 現在主流な説は『銃という世界共通の恐怖の概念を楔にネットワークを形成し膨大な呪力を蓄えてなお器を得なかった力の流れが、何らかの原因で一気に凝固し顕現した』というものだ。既存の呪霊とは異なる性質から、新たに推定特級複合呪霊という名称さえ作られた。

 

 全世界を射程圏とする『銃』の呪霊の領域には内外の区別が存在しない。津波のように広がる呪力が死亡者数を大きく上回る規模の人間を飲み込んだ。その結果生まれたのが、術式も持たず呪力も僅かしかないというのに呪霊を視認できるようになってしまった大量の人々だ。非術師でも、余程才能がない場合を除いて直接襲われれば呪霊を目視できるようになるケースは多い。それが平時に顕在化されてしまった。

 

 最悪だった。

 

 見えないものが突然見えるようになった人間が増加し、呪霊全体への恐怖が強まった。疑心暗鬼が強まり、社会はますます不安定になった。

 『銃』の呪霊がどのような条件で人間を襲っていたかは呪術界ですら解明しきれていない。非呪術師にはいっそう不可解に映っただろう。同時刻同じ場所にいたのに、生存者と死亡者がいる。生年月日や性別、出身地、言動。何が生死の境目になったのかが常人には理解できない。

 

 呪術界は最善を尽くした。銃の呪霊の調査に加え、社会全体の負の感情が増大したため力をつけた無関係の呪霊や、ここぞとばかりに活動が活発化した呪詛師への対処も行った。

 しかし結果として、非呪術師は『銃』の悪魔という共通認知を持ってしまったし、その他の呪霊は『銃』の眷属なのだという素人考えが蔓延するのを止めることが出来なかった。

 ……現在、『銃』の呪霊は特級仮想怨霊としても登録されている。

 

 いつまた『銃』の呪霊が現れるかと怯えながら過ごす日々。

 

 そんな暗黒期をうち砕いたのが、()()()()()()()だ。

 

 

 頭部と両腕にチェンソーを生やした、見た目だけなら呪霊に近い国民的ヒーロー。

 正体不明のチェンソーマンは、多くの強い呪霊を倒し、祓い、とうとう『銃』の呪霊さえ打ち倒した。

 その時の世間の浮かれ具合は当時は小学生だった傑も覚えている。

 

 ……そんなチェンソーマンは六年前から行方不明だ。

 銃の悪魔を倒してから、主な活動期間はおよそ三年。以降はめっきり姿を見せなくなった。死んでしまったのだと語る者も多い。もしくは最初から人間でも怪異でもなく、台風や火山のような自然現象だったのだとほざく者すらいる。

 

 そんなもの、全てくそくらえだ。()()()()()()()()()()()()そんなことが言えるのだ。

 

 

 一般家庭出身の傑が呪術の呪の字も知らなかった頃。通学路で通行人が呪霊に食い殺されているところに遭遇してしまった。

 必死に逃げたが所詮は小学生の足だ。簡単に追い詰められてしまった。

 もうダメだと観念した瞬間だ。

 

 

 ──ヴヴンッ……

 

 

 鈍いモーター音が響く。頭部と両腕にチェンソーを生やした異形が突如間に割り込んだ。

 そして、あんなに恐ろしかった呪霊を簡単に二つに切り裂いた。

 

 当時の傑にはそれがとてもかっこよく見えたのだ。

 

 異形には呪術師の仲間がいた。彼らの会話に『銃』という単語が登場する。幼い子供の前で無闇にその名前を呼ぶなと嗜められた異形の男は、傑に振り向いて軽く手を振った。

 歪な顎門、目も鼻もないというのに。ニヤリと不敵に笑ったように見えた。

 

 ──ま、ビビらず待ってろ。『銃』の呪霊は俺が倒してやっからさあ。

 

 

 宣言通り、その一年後に『銃』の呪霊は祓われた。

 ファンになる理由など、それで十分だ。

 

 

 

 

 

 

 

「で、会ってどうすんの?」

 高専に入学してすぐにチェンソーマンの話題を出したのは、彼は呪術師だったに違いないと考えたからだ。一般家庭出身の傑はとにかく情報に飢えていた。だから呪術師家庭の生まれだという()()()()に話しかけた。

「ひとまずは感謝を伝えたい。あの時はろくに礼も言えなかったから」

「お前ぇ、まともすぎィ……0点だァ…!」

「なんだその妙な声色」

「岸辺の真似」

「誰?」

 ……ここから夏油傑と五条悟が入学初日から窓を14枚割り運動場を半壊させた伝説の大喧嘩が始まるのだが、それはまた別の話だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 早川家お宅訪問から帰ってすぐ、悟は帰宅申請用の書類を手に入れ必要事項を記入した。そして朝一番に提出して五条家に顔を出しに行った。

 

 作戦はこうだ。

 まず、五条悟が実家に資料を漁りに行く。一方夏油は高専の資料室に忍び込む──フリをして夜蛾の注意を引きつけている間に硝子がこっそり職員室の『早川那由多』の書類のコピーを取る。以上。

 五条悟と夏油傑は悪名高い問題児だ。だが家入硝子は常に一歩引いたポジションを保ち続けていた。教師からの警戒も薄い。隙を突くには適任だった。

 

 囮役の傑が夜蛾の説教から解放された時には、すっかり夜になっていた。寮の自室では悟と硝子が待ち受けていた。

 

 

「早いね。てっきり帰ってくるのは明日だと思っていたよ」

「あんなカビ臭えとこ、長くいても楽しくねえよ」

「それもそうか」

 

 

 まずは硝子がコピーした早川那由多についての資料に目を通す。名前と生年月日、身分証明書のコピー、改造制服の申請書類から、入学費や寮食費などの領収書。所有する術式の簡素な説明。身辺調査結果。そして呪霊を生徒として入学させる特例についての五条家と内閣府からの承認書類。

 

 

「五条家ぇ? 俺こんな話きいてないんだけど」

「代表は父親になっているね。まあ悟に事前に知らせても首を縦に振らないだろうとでも思われたんじゃないか」

「はぁ〜!? チッ、もうちょっと暴れて帰るんだった」

「こんなのもあったよ」

 

 

 硝子が取り出したのは、記入中の書類だった。

 

 

「何それ」

「那由多の、呪術師の認定試験申し込み書類」

「呪霊のくせにぃ?」

「高専の生徒になったからにはやらなきゃいけないんだって」

「呪霊であることと呪術師であることは両立する……ということか。ルールの穴を突く気満々だな」

 

 

 傑の発言を、悟は一蹴した。

 

 

「知るか。呪霊は呪霊だろ」

 

 

 

 

 早川那由多の高専での扱いを把握したところで、三人は悟が実家から持ち帰った資料にも目を通すことにした。丁寧に紐でまとめられている。

 手分けをして読むつもりだったのだが、初手からつまづいた。どれもこれも年代物の写本だったのだ。

 

 

「達筆すぎて読めない」

「同じく」

「は? お前らこんなのも読めねえの?」

 

 

 傑は硝子とこういうところでこいつの育ちの良さを感じるのは不服だな……と感じていた。しゃーねーなあと悟にしては茶化しもせずに読み上げようとしているのが余計にムカつく。

 

 

「俺が実家から持ち帰ったのは『支配の呪霊』についてだ」

「にしては、随分年代物のようだが」

 

 

 そもそも悟の担当は『早川那由多』が討伐対象特別除外指定済人型特級呪霊として認められるまでの呪術界での経緯を調べることだった。ならばここ数年の情報になるはずだ。だが広げられたのはどれも古そうなものばかりだ。

 

 

「そっちは記録に残ってなかった。あいつら、下手に当事者が生きてっと逆に資料に残しやがらねえの。重要な話は大体口伝だし、口を割らせようにもちょうど家にいやがらねえし……あ゛〜〜〜〜面倒臭え〜〜〜!」

 

 

 不機嫌になり始めた悟を宥め、続きを促した。

 

 

「ここにある資料は『早川那由多』についてじゃない。これは過去に現れた『支配』への畏怖で生まれた呪霊の記録だ」

「なんだと?」

「呪霊はリポップするからな。伝説のポケモンを倒しても、一回マップでてまた入ったら復活してるじゃん? ああいう感じ」

 

 

 仕組み自体は特級仮想怨霊等と同じなのだという。

 

 

「社会に同じ種類の負の感情が存在するなら、何度でも同じ呪霊が生まれる。だから対処のために古い家系にはこういうカビ臭い記録がいつまでも残ってるわけだ。ま、俺たちは最強だから普段は使わねーけど」

 

 

 支配の呪霊。かつての呪いの王や、銃の呪霊に比べて知名度は極めて低く、現存する記録も少ない。僅かな記述から特徴を書き出していった。

 

 ・高い知能を持っている。

 ・積極的に人間を殺すことはない。

 ・下等な動物を支配することができる。

 ・特徴的な円環型の瞳の形をしている。

 

 一見すればプラスの表現ばかりだ。

 だが全ての資料の全ての記述において『最悪』の名を冠し、一刻も早い処刑が推奨されていた。

 理由も合わせて書いておけよと悟と硝子はぼやいている。

 

 ──『早川那由多』は何故高専に来た?

 ──それも自分や悟、硝子のような突出した世代に。

 ──私たちなら、支配の力に対しても自衛が可能と判断されたのか?

 

 思い出すのは、早川デンジの「対等でいてくれてありがとう」という言葉だ。彼女はいったいどういうつもりなのだろう。

 

 思考が同じところをめぐり、いつまで経っても結論は出なかった。

 

 

「あーーーくそっ! 分かるか!」

「!」

 

 

 悟の声で現実に引き戻される。目線をやると、床に寝転んで匙を投ているのが見えた。

 

 

「考えれば考えるほど、こっそり普通の学校に通えばいいじゃん! なんでわざわざ頭の硬い上層部に存在バラして、交渉してまで高専来てるんだよ!」

「というか通わせる必要もないよね」

「それはたしかに……その通りだ」

 

 

 資料もあらかた確認し、それでもなお早川那由多の考えは読めない。あと残っている調査方法といえば──

 

 

「聞き込み……とか……」

 

 

 

 

 

【早川那由多に関する聞き込み】

 

■夏油傑

「冥さん、少し伺いたいことがあるのですが」

「なんだい?」

「二年の転校生の早川那由多について少し。先輩の黒鳥操術なら何か情報が──」

「ストップだ夏油くん。私は、今年の春から優先的に報酬の高い任務を回してもらっていてね」

「ああ〜……口止め………」

「ちなみに個人的なプレゼントという体なら、100万円から受け付けているよ」

「……いえ、結構です」

 

 

 

■五条悟

「もしもし、岸辺? 聞きたいことあるんだけど」

『今潜入任務中なんだが』

「そんなことより、早川デンジってさあ、どんな奴?」

『お前より呪術師に向いてる』

「はぁ? んだと……あ、おい、切るな!」

 

 

 

■家入硝子

「那由多、聞きたいことがあるんだけど」

「うん」

「なんでわざわざ高専を選──」

「待て待て待て!!!!」

 

「絶対聞いたら素直に答えてくれるでしょ。わざわざ遠回りする意味がわからん」

「つまんないでしょそんなの。推理小説を後ろから読むくらいありえない。というかなんであいつもう学校戻ってきてんの?」

「呪術師の認定試験申し込み書類関係だってさ」

「はぁ〜? 家でやれよ」

「無茶言うな」

 

 

 

 ──結局。

 判明するのは『早川那由多を高専に通わせるための尽力』だけで『なぜ那由多が高専に来たがったのか』は分からないまま連休は終わってしまった。

 

 

 

 

 

 

「おはよう」

 

 

 休み明けに夜蛾と共に教室に入ってきた那由多は、最初に見たセーラー服に近い制服を着用していた。ただし、スカート丈が異様に長い。いわゆるバンカラスタイルである。

 ボンタンスタイルの傑と並ぶとここだけ1960年代だ。

 

 

「こいつペアコーデしてきたのか。傑、狙われてんぞ」

「すまないね、あんまり趣味じゃないな……」

「岸辺のおじさんの不意打ちで……学ラン泥まみれになっちゃってたから……」

「那由多、こういう時はちゃんと怒った方がいいよ」

「ちょっと女子ぃー! 陰湿じゃなーい?」

 

 

 那由多は少し考え込む様子を見せてたあと、男二人に宣言した。

 

 

「デンジは似合うって言ってくれた」

 

 

 瞬間、二人(クズども)の脳裏に浮かぶ兄妹の記憶(やりとり)──

 

 

 傑の思い浮かべた、「似合ってんじゃねーか」とニヤリと笑い那由多の頭を撫でる大人なヴィジョン。

 

 悟の思い浮かべた、「俺ン妹がァ! すっげぇ……ハァ……かわいいぃ〜〜……似合ってるゥ〜〜〜………」と床に突っ伏して感涙の涙を流す兄馬鹿なヴィジョン。

 

 どちらが正解かは、いつかわかるだろう。多分。

 

 

「お前ら静かにしろ」

「「「「はーい」」」」

 

 

 

 

 

 

 

 いつも通りの騒がしいホームルーム。

 いつもと違ったのは、一通りの情報共有が終わった後に夜蛾が傑に声をかけたことだ。

 

 

「──夏油」

「資料室に無断で入った件は、もう十分に話したと思いますが」

「十分かどうかは俺が決めるからな? だが今はその話じゃない」

「なら一体……?」

 

 

 資料を手渡される。かなりの厚さだ。

 

 

「お前の()()()()()()()()が決まった」

「──!」

 

 

 そこには、任務についての情報が記載されていた。

 

 

 

 

———

 

 

 

…………、…………………。

……………………。

 

 これらの特徴より、赤血操術あるいは類似の術式を使用している可能性が高く、対象を特級呪霊と認定。現在加茂家との関連を調査中。

 以下、本件の特級呪霊を()()()()と仮称する。

 

 

 

———

 

 

 

 

 私たちの関係は、ここで大きな転換点を迎えることとなる。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

血と法螺の女①

 

 

 

【side:夏油傑】

 

 

 

「──夏油、お前の特級昇格査定任務が決まった」

 

 

 夜蛾先生の発言に、しんと教室が静まった。

 

 

「特級呪霊が発生した。一刻を争う状況ではないが、この特級がいつ移動を始めるか予想がつかない。最低限の準備を整え次第出発だ」

「!」

 

 

 ようやくだ。やや不謹慎だが、待ち望んでいた任務だった。

 四級呪霊は四級呪術師が、三級呪霊は三級術師が。二級は二級が、一級は一級が処理するのが通例だ。夏油傑は特級への昇格査定中だった。悟から早くしろとせっつかれていたのだが肝心の審査に相応しい呪霊が中々発生しなかったのだ。

 

 

「遅っせえんだよ。傑、さっさと特級になって那由多のお守り代わってくれ」

「夏油を特級に推薦したのは五条だからな。今回は査定役として別の呪術師に要請を──」

 

「私も行く」

 

「──何?」

「私も行く。行きたい」

 

 

 説明を遮ったのは早川那由多だった。

 

 

 

 

 

「だから無理だっつってんじゃん。お前は俺がついてなきゃ外にも出られなくて、これは俺がついてかない任務で──」

「この呪霊は、血を操って、武器を作ったりできるって書いてある」

 

 

 那由多は鬼気迫る様子で続けた。

 

 

「会いたい」

 

 

 悟は私の方を見た。

 早川那由多を連れて行くということは、監視役であり傑の特級呪術師昇格推薦者である悟も連れていかなければならないということ。それでは審査として成り立たない。

 貴重な昇格試験の機会を逃すなど普通はありえない。ましてや特級呪霊の暴れる現場に特級呪霊を連れていくなど。もしも那由多が暴走すれば、特級呪霊を二体同時に相手取らなければならなくなる。そんなことはあってはならない。だからそんな願いは受け入れられるはずがない。

 

 ()()()()()()()

 

 だが生憎──私たちは最強なのだ。

 

 答えなど最初から決まっている。

 

 

「構わないよ」

 

 

 ニヤリと悟が笑う。はぁと硝子がため息をつく。那由多は眉一つ動かさないまま言葉の続きを待っている。それら全てを夜蛾は見守っていた。

 

「なにせ『早川那由多』は特級呪霊。今回発生した血の呪霊とやらと同じくらい、力を入れて挑むべき問題です」

「だが、こいつと行くということは五条もついていくことになる。昇格査定は中断に」

()()()()と言ってるんです」

「……はあ、なら全員で行ってこい。今回同行する筈だった呪術師とは俺が話をつけておく」

「「イエーイ」」

「まったく、こいつらは…」

 

 

 傑と夜蛾のやりとりも、悟の悪ノリも、硝子の呆れ顔も全部無視して、那由多は今回発生した呪霊の資料を見つめていた。

 発生場所は長野県市営牧場。異臭騒ぎにより一般人より通報有、その後『窓』の調査により呪霊の存在を確認。先行して対応した二級術師2名、準一級術師1名は現在音信不通。死亡扱いとなっている。

 現場に残された異常な量の血痕と残穢、凝固した血液により形成された武具の数々。人間のみならず馬、牛、野鳥、その他の生命を無差別に襲う特徴から、対象を『血』の呪霊と推定する──

 

 

「もしかして……デンジの……探してた……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それにしても、那由多の呪術師申請が間に合ってよかったね」

「うん」

「呪霊が呪術師ねえ。世も末だな」

「下っ端の四級だけどね。呪霊としては特級なのに」

「というか今まで何扱いだった訳? ペット? おい、ワンって鳴いてみろよ」

「五条、セクハラだよ」

「残念でした〜呪霊に人権はありません〜」

「それもそうだ」

「このクズどもめ」

「わん」

「那由多もこんなの従わなくていいよ」

 

 

 だべりながら新幹線と電車を乗り継ぐこと三時間。市営牧場までたどり着いた時には正午を過ぎていた。

 夏油傑の特級昇格査定は一時中断。特級呪術師五条悟を代表とした高専二年四名での任務という形式に変更された。

 

 

 

 

【わははは! ワハハハハハ!】

「うわ、マジで赤血操術じゃん。加茂家の不始末は加茂家がつけろよな」

 

 

 ひどい悪臭だった。悟はずっと前から指で鼻をつまんだままで、さっきの発言も鼻声だ。

 牛と熊と小鳥と犬と、老若男女の人間と。数キロ先から臭った死と血肉と糞尿が入り混じりあたり一面を埋め尽くす。女と獣を混ぜ合わせたような無数の手足を生やした奇妙な存在が、血の海の中心でケタケタと笑っていた。

 

 

「あれが特級呪霊…」

「あまりに異様な光景すぎて報告聞いた段階じゃ生得領域かと思ったが、これ全部マジモンの血だぜ。食いしん坊め」

「こんなに食い散らかしてマナーもなっていないようだ」

 

 

 ──闇より出でて闇より黒くその穢れを禊ぎ祓え

 

 

「これ以上一般人に不安が広がる前に片付けるぞ」

 

 

 傑が帳を降ろす。異変に気づいた特級呪霊があたりを見回した。まだこちらには気づいていないようだ。

 

 

(感知能力はそこまで高くないか)

 

 

 傑は硝子を後ろに下がらせた。彼女だけは負傷させるわけにはいかない。万一の時の衛生兵役だ。

 

 

「ま、何とかなるだろ。行くぞ那由多」

「ん…」

 

 

 悟が無下限を展開し、早川那由多を連れて接近する。ただ祓うだけではなく彼女の反応も観察するためだ。

 早川那由多が高専に通いたがったのは、この『血の呪霊』か『赤血操術』に関する情報を調べるために違いない──というのが三人で出した結論だった。悟は今回の任務で確かめてやると意気込んでいた。本来は参加しないはずだった硝子を無理言って連れてきたのも、この連休中に一緒に調べ物をした流れあってのことだ。こいつは案外そういうことを気にする性格なのだ。

 とはいえ特級呪霊は文字通り別格。那由多のせいで勘違いしそうになるが、どれだけコミュニケーションが取れようとも基本的に人類の敵対者。何が起こるかわからない。前衛は二人に任せ、私は硝子の護衛をこなしつつサポートに徹するつもりだった。

 

 早川那由多は一体血の呪霊に何の用があるのだろう? せめて特級呪術師への切符をぶん投げただけの情報は出してくれよと思う。

 傑は巡回用の呪霊を三体呼び出し、この場にいる血の呪霊と早川那由多、この場に存在する二体の特級呪霊に全力で警戒を向けた。

 

 

【なんじゃ、呪術師か】

 

 

 血の呪霊はその場を動かない。一瞥しただけだった。

 

 

「……あ?」

「ごぷ、」

 

 

 それだけだ。

 

 それで、()()()()()()()()()()()

 

 

 早川那由多と五条悟の、腹と、胸と、喉と、額から、いくつもの血の刃が飛び出している。

 

 

 

 

「────悟!?」

「っ……!!」

 

 

 悟はどうにか不意打ちに耐えたらしい。だが致命傷であることは変わらない。これ以上の傷を負わないように傑が呪霊で身体を回収し、硝子は即座に反転術式を使用した。

 悟がなす術もなく一方的にやられるだなんて考えたこともなかった。上手く想像も出来なかった。白い髪に赤い血がつくとこんなに目立つものかと、妙に冷えた頭で傑は思考していた。

 

 早川那由多は即死だった。

 首と胴体が完全に分かれてしまっている。

 

 

(死んだ!? 本当に…こんなあっさりと…!?)

 

 

 ぼとりと落ちた肉の音が妙に生々しくて、悪い夢のようだ。

 硝子は反転術式で他人を癒せる無二の人材で、学生ながら現場経験も豊富だった。命の順位をつけるのにも慣れていた。迷わず手遅れの早川那由多を見捨てて悟の治療を始めることができた。

 ……だからと言って、平気なはずがない。彼女と一番親しく、気を許していたのは硝子なのだから。

 

 

「これ、全部この馬鹿の血だ…」

 

 

 硝子は悟の額から突き出す剣に触れながらつぶやいた。悟が無防備に攻撃を食らった原因を知る。刃が無下限術式を貫通したのではなく、最初から無下限の内側で発生していたのだ。

 

 この呪霊は、他人の血液を操作できる。呪力でのガードすら意に介さない。

 

 

(これが特級……!)

 

 

 不用意に近づかせるべきじゃなかった。舐めていた。舐めていたつもりもなかったが、この程度の警戒では全然足りていなかった。

 あの足し算すらままならそうな幼稚な言動を繰り返す呪霊は、間違いなく現在の夏油傑よりも格上だ。血の通った生き物など奴の前ではゴミ同然。問答無用で弾け飛ぶ。

 

 悟が致命傷に至らなかったのは、無下限術式をすり抜けて傷つく自身の肉体の異常に即座に気付き、内側にも術式を展開したからだ。だがそれは六眼を以ってしても難しい荒技で、硝子曰く逆に内臓の一部を傷つけることにもなったらしい。

 目に見える切り傷以上に悟は傷ついている。回復には時間がかかるだろう。

 

 

【ワハハハハハ! ワシは強い! ワシは強い! 貴様らは雑魚! 雑魚! 雑魚!】

「呪霊風情が。ほざくなよ」

 

 

 ひい、ふう、みい、よ。手持ちの呪霊の中から血の通わないものを手当たり次第に呼び出した。

 

 

(おそらく、この中でこの呪霊と一番相性がいいのは私だ)

 

 

 早川那由多は死に、悟は瀕死、硝子は治療につきっきり。ならば、この呪霊を倒すのは傑の役目だ。もとよりそういう任務だった。

 

 私たちは──最強なのだ。こんな小物に舐められたままでいられるか。

 

 

【なんじゃぁ! カスカスの生き物は嫌いじゃ! つまらん! 血をよこせ!】

「死ね」

 

 

 やつの必殺の間合には絶対に入らない。距離をとりながら呪霊操術で攻撃を仕掛ける。物量作戦で押し潰す。

 

 

【逃げるな卑怯者!】

「っ!? 守れ!」

 

 

 赤血操術の射程圏外を位置取っていた傑に痺れを切らした血の呪霊が、無数の血の刃を形成し射出する。赤血操術の本来の攻撃手段だ。迷わず手持ちの中で最高硬度の外皮を持つ呪霊を呼び出した。

 

 

【──サウザンドテラブラッドレイン!】

 

 

 油断なんてするはずがない。ただ単純に、何もかもが足りていなかった。

 傑の手札をゆうに超える物量が降り注いだ。

 

 

 

 

 

 

 

(まだ、生きている……?)

 

 

 血の刃が直撃する寸前で、傑は横から突き飛ばされた。爆心地から外れたおかげでなんとか防御が間に合い生き延びた。

 

 

(しかし、誰が──?)

【ワハハハハハ! 最強最強ワシ無敵ぃ! 新鮮な血が飲みたいのう! おう、女】

(まずい、硝子が見つかった……!)

 

 

 血の呪霊は愉快そうに硝子に近づいた。硝子は一切反応を返さず、悟の治療に専念していた。自衛手段のない身で、特級呪霊にこれほど接近されて、一切手先を狂わせず施術を続ける胆力は凄まじい。

 ……彼女は逃げられない。頭部の治療をしているのだ。少しでも移動させれば悟は死ぬ。

 

 

(間に合えッ……!)

 

 

 大きく長い芋虫型の呪霊を突撃させた。血が通っているので先程は出さなかったのだが、赤血操術で対処される前に吹っ飛ばせればそれでいい。

 だが、僅かに遠い。届かない。

 

 

【腹が減ったのう、死ね】

「わんわん」

【──ん?】

 

 

 べちょりと、血が飛び散る。

 早川那由多が硝子の身代わりになって死んでいた。──また?

 

 

(とにかく今のうちだ!)

 

 

 事態の把握よりも先に、惚けている血の呪霊を吹っ飛ばす。そのまま追撃を仕掛け、硝子たちのいる場所から少しでも引き剥がす。

 

 

【ぎゃーーーーーーー!? 痛い!!! 何をするんじゃぁああああ!!!!】

 

 

 シチューパイのように陥没し中身が溢れていた早川那由多の頭部が逆再生に巻き戻っていく。綺麗な、いつもの那由多が立っていた。制服だけがズタズタに引き裂かれて汚れている。

 

 

【あれ? さっき殺したような】

「……私は、支配した相手に()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 すまし顔で、とんでもない術式の開示をした。そんなこと聞いてない。

 血の呪霊は微塵も怯まずゲラゲラと笑った。

 

 

【なるほどなるほど。つまり、殺したい放題の食べ放題じゃな!】

 

 

 早川那由多の身体を再度血の刃が貫いた。負傷を厭わず発動した見慣れない術式は血の呪霊に届くことなく飛散した。

 

 

(あいつ、支配した相手の術式も使えるのか)

 

 

 いつかの呪詛師が使っていたものに似ている。ここに来ていくつも披露される隠し球に反応する余裕は無い。傑は呪霊操術ですかさず特級呪霊に連撃を浴びせた。血の呪霊に赤血操術を使用させ力を消耗させるために、肉の身体を持つ呪霊を。攻撃のために、血の通っていない虫、甲殻類、その他あらゆる呪霊を。硝子と悟のいる場所に近づけさせてはダメだ。傑自身も血の呪霊から身を隠した。あの血液操作は強すぎる。位置を気取られれば確実に死ぬ。だが今までの様子からして、感知能力はそこまで高くないはずだ。

 

 早川那由多も傑の意図を察したのか、同様の指針で動き出す。

 血の呪霊に攻撃されれば、自身の不死身さを活かして死にながら攻撃に転じる。血の呪霊が移動しようとすれば捨て身で食い下がる。

 

 

【ガハハハハハハ!! 殺したい放題ぃ〜!! 血は! 暖かいのう!】

 

 

 そして、ここまで規格外の札を以ってしても。血の呪霊にはあと一歩届かない。

 

 

【ワハハハハハハ!!! 命は軽い! 牛も! 豚も! 人も!】

 

 

 あと何人だ?

 あと何人分の肉壁になれる?

 術式で支配した呪詛師に死を押しつけて、押し付け続けて。

 早川那由多の命のストックは後どれだけ残っている?

 

 夏油傑が呪霊を操作し攻撃をしかける。

 早川那由多が囮を引き受ける。

 家入硝子が五条悟を治療する。

 早川那由多が死ぬ。

 

 

 死んで、死んで、生き返って、死んで、死んで死んで首が吹っ飛んで──

 

 

 

 

 

 

 

 

 死ぬ

 

 

 

 

 

 

 

 

 死ぬ

 

 

 

 

 

 

 

 

 呪霊の足を道連れに死ぬ

 

 

 

 

 

 

 

 

 死んでいる

 

 

 

 

 

 

 

 

 生き返る前に死ぬ

 

 

 

 

 

 

 

 赤い死

 

 

 

 

 

 

 

 

 どのくらい時間が経っただろう。

 

 

【ワハハハハハ! ワシの方が強かったようじゃのぉ〜! 頭脳勝ち! ワハハハハハ! はーっはっは!】

 

 

 特級呪霊が()()()()()()()()()を踏み潰した。再生の兆しはない。ストックは随分前に使い切って、尽きた命を誤魔化して、四肢がちぎれてもなお最後まで仕事をこなしていった。

 高笑いをしてはいるが、特級呪霊は消耗していた。彼女の死が呪力を確実に削り取っていた。だが万全でないのは傑も同じ。手持ちの呪霊のストックは残り五分の一を切っていた。

 

 あと一手。あと一手が足りない。あと一手さえあれば──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前は殺す。術式のタネはわかった。不意打ちはもう食らわない」

 

 ──五条悟(最後のピース)が、そろった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ずいぶん格好良くなったんじゃないか? ついでに制服も着替えてくるかい」

「いらねー、那由多じゃあるまいし」

 

 

 血の刃に切り刻まれ穴まみれの制服で帰還した五条悟は、目の前の特級呪霊から目線を逸らさない。純粋な殺意と敵意だけを向けていた。

 

 

【卑怯じゃ! 復活ばっかりで恥ずかしく無いのか! やはり人間は醜いのぉ!】

「知るか、クソ野郎が」

【……あれ?】

 

 

 ようやく異変に気づいた血の呪霊が首を傾げる。五条悟の血液を操作できていない。さっきは瞬殺出来たはずの相手に攻撃を当てることができていない。調子に乗っていた特級呪霊はダラダラと冷や汗をかいてみっともなく逃げ腰になる。

 

 

【降参! 降参! 今の無し!】

「呪霊って頭悪ぃのな」

 

 

 五条悟は、体内での無下限術式の使用を完全に会得していた。

 

 

 流れが変わる。

 

 私/俺たちは最強だ。

 勝てない敵などないのだから。

 

 硝子が遠くからピースサインをしていた。

 

 

 

 

 

 

----------

 

 

 

 

報告

 2006年5月

 長野県北部市営牧場にて発生した血の特級呪霊討伐

 

戦功者

 五条悟

 夏油傑

 家入硝子

 

死亡者

 早川那由多

 

 

 

 

----------

 

 

 

 

 

 

【side:五条悟】

 

 

 ──私はこの学校に通うためならなんでもする

 

 早川那由多は口癖のように言っていた。宣言通り依頼は真面目にこなしていたし、授業態度も真面目だった。

 彼女は今の生活を楽しんでいた。

 

 

「本当に()()()()やりやがって」

 

 

 悟の六眼はあらゆる術式を丸裸にする。早川那由多が他人の全てを支配できることも、支配した相手に死を押し付けられることも、支配した相手の術式を自在に利用できることも、初めて会った時から気づいていた。どれも自己保身の塊のような能力だ。だからこんな馬鹿なことをするとは思いもしなかった。

 

 ──君の眼は、術式は見えても、何が本当で何が嘘かはわからないみたいだね

 

 うるせーバーカ。

 那由多は死んでも消滅しなかった。普通の人間にも見える、写真にも写るという特異性故か。こんなことになった今、それが良かったのか悪かったのか俺には判断できなかった。

 ぐちゃぐちゃで原型をとどめていない那由多の肉片は、補助監督たちが駆けつける前にその場で全て回収した。悟の六眼と硝子の医療知識と傑の呪霊操術による手数を総動員すれば不可能では無い。

 

 傑は思い詰めた表情で、硝子は赤く目を腫らしていた。こいつらこんな顔できたんだなとぼんやり思考する。

 五条悟は、こんな状況になっても微塵も悲しさを感じなかった。むしろ自分の術式がより進化したことへの高揚感の方が大きいくらいで。

 

 

(俺って薄情なんだな……)

 

 

 たかが一ヶ月。たかが呪霊。本当に……たかがそれだけの関係だ。

 

 

「……死んだら意味ないだろ」

 

 

 ようやく絞り出した悟の声に反応するように、肉片がほんの少しだけ動いた気がした。

 

 血が流れていく。

 那由多はそれきり冷たくなった。

 

 

 

 

 




【キャラ紹介】

早川那由多(はやかわ ナユタ)
性別:呪霊(女性型)
年齢:9歳(外見年齢16歳)
好きなもの:家族、ハグ、映画
嫌いなもの:クソ映画、クソ映画を絶賛している時の五条悟
イメージソング:Mr.Children『抱きしめたい』
出典:チェンソーマン最終話等
自分よりも程度が低いと思ったものを支配できる。呪術組は『支配術式』と呼んでいる。デンジの教育と愛情により健やかに育った。でもクソ映画は嫌い。クソ映画の存在は許容できるようになったが、クソ映画愛好家の五条悟は嫌い。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

血と法螺の女②

終わりです


 

 

 

【side:五条悟】

 

 

 特級呪霊の討伐任務の成功と、特級呪霊の監視任務の失敗。

 どちらも代表は五条悟だ。書かねばならない報告書もまた二枚。それらは未だ白紙のまま机の上に放置されていた。誰もいない早朝の教室でどうしたものかと思案する。

 

 

(無駄に早く登校しちゃったじゃん)

 

 

 起きて、服着て、飯食って、那由多の部屋まで行って、叩き起こして、教室までケツ蹴って連れてって、それから──この一ヶ月ですっかり習慣づいてしまった朝の日課は、今は全て不要なものだ。今日こそはゆっくり眠れると思ったのに、目が覚めたのだから仕方ない。二度寝も面倒で教室に直行したが、想像以上に暇を持て余してしまった。

 

 もう白紙で提出しようかなと匙を投げかけた頃、傑が教室へやってきた。早いねと感心される。うるせえ何様だお前。

 こんなに静かな朝休みはいつぶりだろう。特に会話も盛り上がらず、無言の時間が流れる。気まずい。まるでお通夜のようだ。

 

 昨日、早川那由多は殉職した。

 まるで、ではなく本当にお通夜なのだ。

 

 

「……彼女は呪霊か呪術師かという話をしたことがあったろう」

 

 

 ようやく口を開いた傑は、昨日の思い詰めた顔と同じ目つきをしていた。

 

 

「あの時私は呪霊であることと呪術師であることは両立すると言ったが、撤回させてもらう。彼女は──呪術師だったよ。呪霊操術の私が言うのだから間違いない」

 

 

 傑の発言を、悟は一蹴した。

 

 

「知るか。呪霊は呪霊だろ」

「でも同級生だろ?」

「屁理屈やめろや。お前そういうこと言うタイプじゃねーだろ」

 

 

 心なしか、言葉の応酬にもハリがない。不愉快だ。生きている間も死んでからも迷惑をかけまくった挙句、この五条悟の任務初黒星にまでなりやがって。どこまでも図々しい女だった。

 

 

「どうしたクズども。お通夜かよ」

「このタイミングでその発言をするやつにクズとは呼ばれたくないな…」

 

 

 遅れて家入硝子がやってきた。

 目を赤く腫らしていた面影はすっかり消えて、いつも通りの仏頂面をしていた。態度も堂々としている。

 傑の文句はもっともだ。俺も大概薄情だが、こいつもずいぶん冷たいやつ。女って怖えーな。からかってやろうかと口を開いたところで──

 

 

「──は?」

 

 

 硝子に続いて教室に入ってきたのは、見覚えがありすぎる顔だった。

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「お前、なんで生きて」

「本物か…?」

 

 

 悟と夏油が硝子を見たのはほぼ同時だった。お前の仕業か? だからあんなに落ち着いていたのか? 反転術式ってそんななんでもありなの? いやそんな訳ないだろ──

 言葉にはならなかったが、内容は伝わったようだ。

 

 

「私が治療したわけじゃない。流石に死んだらお手上げだ」

「じゃあなんで! こいつは確かに俺たちの目の前で!」

 

 

「っぷ!」

 

 

 ゲラゲラゲラゲラと、動揺する悟と傑を嘲笑する声がする。

 

 

「あはははははははははははははははは!」

 

ゲラゲラゲラゲラ

 

「あーっははははははは!」

 

ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ

 

「あはははははははははは! はははははははははははははは!」

 

ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ!

 

 

「え…マジで? なんで…?」

 

 

 悟の六眼に映る情報は、目の前の少女を早川那由多だと告げている。

 だが悟の理性は目の前の、普段からは想像もできないほど気持ちの良い笑顔で笑いこける女が彼女であるはずがないと叫んでいた。

 

 だって、死んだはずなのだ。彼女に繋がった全ての命は失われ、復活できずに動かなくなった。

 

 

「はあ〜あ、笑った笑った……!」

「お前は誰だ?」

 

 

 早川那由多と同じの見た目の少女は返事をしない。そしてゆっくりと五条悟を指さした。

 

 

「わんわん」

「──殺す」

 

 

 悟の渾身の蹴りが、那由多の満面の笑みに直撃した。

 見下したあらゆるものの支配する生得術式。現状、五条悟くらいにしか弾けない、この世で最も悪質な技。これ以上ない本人証明だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「私は、死を他人に肩代わりしてもらうことができる」

 

 

 ようやく笑い終えていつもの仏頂面に戻った那由多は、鼻血を流しながら蘇った経緯を説明した。

 

 

「あの時は繋いだ先の命が生き返るのが遅れて私も復活できなかった。でもあの後ちゃんと生き返ったから私もこうして元に戻った」

「意味不明だから、もう一度説明してもらえる?」

「私はチェンソーマンと契約してる」

「チェンソー………えっ? えっ?」

「噂の不死身のヒーローとか。 ……確かに、蘇生のタネが那由多じゃなくて繋がった命側にあるなら六眼でも見抜けなかった理由になるな」

 

 

 不死身。そういう術式は実際に存在する。

 にしても、死なないヒーローと死を押し付けられる女とかクソコンボかよ。単体では何の役にも立たない術式が他の術式と組み合わせることで花開くパターンはそこそこあるが、単独でも面倒くさいのがタッグを組んでいるケースはレアだ。ここまでの術式だと、大抵の呪術師は自分勝手にやりたがるものだ。

 

 

「チェンソーマンって、あのチェンソーマン?」

「ポチタじゃないほうだよ」

「知らない情報出てきた……」

 

 

 傑が手で顔を覆う気配がする。そういえばこいつはチェンソーマンのファンだっけ。昔命を救われたことがあるとかなんとかで。悟は興味がないので忘れていた。

 

 ともかく。

 早川那由多は生きている。

 東京都立呪術高等専門学校二年生は、四人とも誰一人かけることなくここにいる。

 それだけ分かれば問題はない。めでたしめでたしだ。

 

 

「それで、まだここに通うのか。また死にかけるかもだが」

「高専じゃなきゃできないことがあるの。私はそのためなら何でもする」

「じゃあ改めて。おかえりだ、早川那由多」

「うん、よろしく」

 

 

 東京都立呪術高等専門学校二年

 『元』最悪の呪霊

 早川那由多

 

 呪術師で、俺たちの友人だ。

 

 

 

 

 

 

 ──それはそうと爆笑してきやがったのがムカつくので、もっぺん殴る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 血の呪霊との戦いは大変な事件だったが、終わってしまえば平和なものだった。夏油傑は未だに特級呪術師昇格査定中で、早川那由多の世話は依然五条悟の仕事のまま。何一つ変わらない。

 

 

「ところで気になってたんだけど、そうまでしてお前が高専にこだわる理由ってのは何よ?」

「なんだ、結局直接尋ねるのか。絶対に当ててやるとはしゃいでたのは悟だろ」

「おおよその目星がついたからな。赤血操術関連だろ?」

 

 

 悟は十数冊もの書物を机の上に乱雑に置いた。どれも手書きで古めかしい。

 早川那由多は驚いたようにぱちくりと数度瞬きした。

 

 

「わざわざもう一回実家戻って、埃臭いうちの倉ひっくり返してやったんだから、これで貸し借りは無しな」

「何それ?」

「だから赤血操術についての文献だよ。当然加茂家には劣るけどうちだって歴史だけは無駄にあるから情報なら──」

「違う」

 

 

 那由多は断言した。

 

 

「私が高専に来たのは、そんなことを調べるためじゃない」

「──はぁ!?」

 

 

 この発言には傑も硝子も驚いていた。詰め寄って理由を問いただす。

 

 

「赤血操術関連じゃないなら、なんでわざわざこんなとこ来たんだよ。お前なら適当な高校に行ったほうが好き勝手できただろ」

 

 

 

「だって、セーラー服もブレザーも、ズボンもスカートも学ランも全部着たかったんだもん」

 

 

 

「…………は?」

 

 

 こいつは、何を言っている?

 

 

「全部の制服を毎日着たい。改造OKどころか、直々にカスタマイズが奨励されて作ってくれる学校は、日本中探してもここだけだった」

 

 

 那由多はひらりとスカートを翻す。きっちりと締められたネクタイが動きに合わせて揺れていた。

 

 

「月曜日はセーラー服」

 

「火曜日はブレザー」

 

「水曜日は学ランを着るの」

 

「木曜日はネクタイに挑戦するんだ。デンジに結び方を教えてもらってね」

 

「金曜日はバンカラで長いスカートを楽しみたい」

 

 

「……私服の高校行けばいいじゃん」

「それは制服じゃないよ」

 

 

 何それ。

 そんな理由で?

 そんな理由で那由多は命を賭けたのか。

 

 

「私にとっては命をかけるに足る理由だよ」

 

 

 早川那由多は微笑んだ。全く理解が出来なかった。

 呪術師はまともな奴から死んでいく。そりゃあ死なないわけだ。こいつほどイカれている女はそうはいまい。

 

 

「んだよそれ〜〜〜〜〜〜!!!」

「まじか……私もてっきり赤血操術絡みかと……」

「それは読む。デンジが読みたがってた」

「うるせえ〜〜! 知らねえ〜〜〜〜〜〜! 誰が読ませるか。五条家の当主になってから出直せ」

「…………わんわん」

「殺すぞ」

 

 

 あーあ、古文書に呪霊の鼻血がついた。あらゆる意味でいいのかこれ。

 まあいいか。

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:家入硝子】

 

 

「ずっと違和感があったんだ」

 

 五条の勘違いから始まった喧嘩を眺めながら夏油は硝子に話しかけた。

 

 

「最初こそ、悟が煽るからだと思ってたんだけどね。那由多は硝子には一度も支配の術式を使わなかった」

「うん」

「そして私にも、呪霊操術で防げるタイミングでしか使ってこなかった。……彼女は最初から、学友を『支配』するつもりはなかったんだろう」

「顔とセリフ一致してないけど」

 

 

 傑は不愉快そうな顔をしていた。

 

 

「そんなに怒ることか」

「悟と比べて、私たちを舐めてるってことだろ」

「そんなことないでしょ。全員、対等に見てると思うけど」

 

 

 家入硝子とは、見下すも何もない関係だ。

 五条悟に対しては、見下そうとして失敗している。

 夏油傑に対しては、見下そうとはしていないがムカつくので呪霊(舎弟)に憂さ晴らしをしている。

 夏油は五条とは扱いが違うことに不満があるようだが、硝子には理解できなかった。那由多は、全員を違う形で対等な友人として見ている。それはきっと悪いことじゃない。彼女のような術式を持っているのなら、余計に。 

 

 

「はあ全く。私もさっさと特級に上がっておもり役を代わってやりたいなー」

「棒読みだねえ。にしても手持ちの呪霊ほとんど消費してなかったっけ。」

「こいつでお釣りが来るさ」

 

 

 夏油の指先から血が滴り、明らかに重力に逆らう軌道で机の上を跳ねる。赤血操術──血の特級呪霊の力だ。

 

 

「取り込んでたんだ? 祓ったって報告したくせに」

「隠し球は多い方がいいだろう」

「は〜、このクズどもめ。怒られても知らないからね」

「その時はその時さ」

「いつか痛い目みるよ」

 

 

 バキリ、夏油の脳天に椅子が直撃した。史上最速の伏線回収──もとい五条がぶん投げた椅子だ。メンゴメンゴ笑、と手を挙げているのが見える。夏油は張り付いたような笑みを浮かべていた。

 呪力でガードしたようなので大事は至っていないが、これはやばい。暴力に訴えるレベルでキレている顔だ。冷静さを装いながらカチコミに行くパターン。案の定呪霊を呼び出しているのを尻目に、硝子は教室から避難した。血の呪霊は流石に使わないようだし、まあ大丈夫だろう。

 

 今日も二年の教室は騒がしい。転校生が来ると聞いた時にはどうなることかと思ったが、まさか余計に面倒になるだけとは。あれが収まるまでどうやって時間を潰そうかなと、硝子は頭を悩ませた。

 

 

 今日の夜が締め切りの報告書は、とっくの昔に教室の床に落ちて足蹴にされている。

 平和だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:早川ナユタ】

 

 

「──デンジ」

「おかえり、ナユタ。何が食いてぇよ?」

「満漢全席」

「んなモン作れるか。中華かぁ、チャーハンにするか」

「うん」

 

 デンジは去年買い替えた中華鍋を引っ張り出し、このマンションを選ぶ理由にもなった高火力コンロの前に立った。包丁はこの間の温泉旅行で奮発して買ったブランドものだ。わがままを言って名前も掘ってもらった。やっぱ切れ味いいよなあ〜などと独り言を呟きながら野菜を切り刻んでいく。洗って干した後の牛乳パックを使い捨てのまな板代わりにして、ニンニクを薄切りした。チューブではなく、形が残っている方が美味しいというのが早川家の共通認識だ。サラダ油をしき、にんにくと玉ねぎの色が変わるまで炒めたタイミングで、買い置きしていた冷凍ミンチを投入した。程よく加熱したところでご飯を入れてほぐし、醤油と塩胡椒、鶏ガラで味付けする。炒めたものをフライパンの端に寄せ、空いたスペースにごま油を追加し、溶いた卵を入れて混ぜ、最後に小口切りしたネギを食感が失われない程度に炒めれば完成だ。

 

 早川家の世界一チョー最高なチョー最高飯である。チョーいい感じにさらに盛り付けて、わざわざ棚の奥からレンゲを取り出して机に並べた。

 

 

「「いただきます」」

 

 

 デンジは優しい。那由多のワガママはきいてくれないけれど、那由多が本当に望んでいるものはできるだけ叶えようとしてくれる。

 

 もくもくとチャーハンを口にかき込んでいると、デンジが手を止めてこちらを見ているのに気がついた。しっかり噛んで飲み込んだ後、どうしたのと指摘すれば気まずそうに話し出す。

 

 

「……ナユタが戦ったって血の呪霊さあ、どんなだった?」

「血みどろで不潔で、私や友達を殺そうとしながら大声で笑ってたのに、負けそうになったら突然様付けで呼んできて媚びへつらったって」

「うわあ……」

 

 

 デンジは時々こういう顔をする。決して楽しいとは思えなさそうなシーンを前に眉を顰めるのに、どこか懐かしそうなのだ。

 

 

「寂しい?」

「あ〜……うん。まあな。でもナユタがいっからさ。毎日が楽しいぜ。それは間違いねえ」

「ならいいけど」 

「……ま、色々あったらしいが無事でよかったぜ」

 

 

 デンジは笑う。

 

 ねえ、昔組んでた血を操れるバディってどんな人だった? この間戦ったみたいな呪霊と似てるの? 受肉してる? それとも人間の呪術師? ()()()()()()()()()()()()

 問い詰めたいことはたくさんある。デンジはナユタより一六年も長く生きているから、私の知らない思い出もたくさんある。そのほとんどを詳しく話してくれない。子供は大人が思うよりずっと聡いから、色々と察してしまうのに。でもこうして過ごす今を心底から大切にしているのもまた本音だと理解できるから、毎回これ以上問い詰められなくなってしまう。

 那由多はデンジが大好きだった。

 

 

「「ごちそうさま」」

 

 

 あっという間に完食する。すごくおいしかった。デンジは料理上手だ。下手だった頃があるなんて想像もできない。

 皿を片付ける。洗い物をして、皿を元の場所に片付けていく。今度食器乾燥機を買おうか。あれ、水道より高い場所に置かないとダメだから場所の確保が面倒くさそうなんだよなあ。そうなんだ。なんてなんでもない会話をして。

 

 犬たちのブラッシングをして、コロコロでフローリングに落ちている毛を掃除する。宿題を終わらせて、制服についた血の染み抜きが終わったら、お風呂の時間だ。冷たい牛乳を一杯飲み干した。明日着ていく良い服を準備して、布団を二つ並べて敷く。身体が冷えないうちに電気を消した。

 

 デンジはナユタを心底愛してくれている。

 だからデンジはナユタを絶対に食べてはくれない。

 

 

 ナユタは、デンジの失恋に嫉妬している。

 

 

「学校は楽しかったか?」

「うん」

「友達とは仲良く出来てっか?」

「うん」

 

 

 抱きしめる。強く強く抱きしめる。同じ強さで、抱きしめてもらう。

 かつて■■■が求め続けていたもの。ナユタが生まれる前からずっと求めていたもの。

 

 

 ──わたしの世界は、他者との対等な関係で満ちている。

 

 

 とても暖かくて、幸せだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

      血の呪霊編 完

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーー

 

ーーーーーーー

 

ーーー

 

 

 

 

 

 暗い森の中。

 現代日本においてなお、人の手の届かない大自然の領域。

 

 二つの影が穏やかな時を過ごしていた。

 

 一方は人に似た形を持ちながら決して人と相容れぬ相貌を。

 もう一方は髪の長い中性的な青年の姿をしている。

 

 体躯も言葉も異なる両者が対等な友人であるように親しげにする様子は、どこか幻想的な雰囲気を纏っていた。

 

 

「『天使の輪』が解体されたんだって」

「■■■■■■■」

「うん。昔話した宗教団体。うっかり見つかっちゃってから、勝手に祭り上げられて……意味分からないし……すごく迷惑だった………」

「■■■」

「でも、あの人たちのこと別に嫌いじゃなかったんだ。キミや漏瑚はくだらないって思うかもしれないけど。うん、そうだね…」

「■■■■■■?」

「……そこで、あいつをようやく見つけた」

「■■■」

「うん」

「■■■■、■■■■■」

「うん、わかってる。………でも、もう決めたんだよね」

 

 

()()

 

 

「ボクは君が好きだ。君と過ごした時間は十年にも満たないし、君にとってはほんの一瞬に過ぎないかもだけど──本当に楽しかった」

 

「でも、それ以上に許せない記憶を覚えてる」

 

「生まれるよりずっと前。たしかに、今のボクとは関係ない話だよ。でも、もう……後悔は二度としたくない………だから……」

 

 

 

 

 

 青年には、()使()()()()()()()()()()()

 

 

「──ボクは、■■■(支配の呪霊)を殺す」

 

 

 

 

 

 

      次回、天使の呪霊編

 

 

 

 

 




【キャラ紹介】
血の特級呪霊
性別:呪霊(女性型)
年齢:生まれたて
身長:3mより長い
好きなもの:血
嫌いなもの:野菜
出典:チェンソーマン
 血液を操れる。
 色々あって夏油傑のポケモンになった。デンジとバディ再結成の日は遠い。


早川デンジ(はやかわ デンジ)
性別:男性
年齢:24歳
身長:180くらい
好きなもの:美味いモン、楽しいこと
職業:廉直女学院教員
趣味:呪霊退治
出典:チェンソーマン
 チェンソーマンになれる。
 生徒とラブっぽいイベントが発生しかけた瞬間にナユタ経由でうっかり死んだ。告白してきた生徒には話を逸らすため悪ふざけしていると思われて放置された上、無事生き返って出勤した翌日には女生徒全員から不誠実だと冷たい目で見られたらしい。
 ナユタに友達が出来たのが普通に嬉しい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二章 天使の呪霊編
北海道旅行①


天使の呪霊編です


 

 

 

【side:早川ナユタ】

 

 東京の奥地にひっそりと存在する呪詛師の収監施設。そこに拘束された者たちが次々と血を流して変死する事件が発生した。事情を知る者はすぐに察した。ナユタが血の呪霊との戦いで大量の命を消費した影響だ。顛末を知ったデンジにナユタはしこたま叱られた。

 

 

「でも、悪い人たちだし」

「それでもだ。わざわざ別ん奴にダメージ肩代わりさせなくても、俺と契約してんだろうが。いいか、悪ぃ奴に遠慮はいらねえ。ぶん殴ってやれ。でもそれだけはやっちゃダメだ」

「どうして?」

「俺は……ナユタに、美味いもん食った時に美味いって思える生き方して欲しい」

 

 

 デンジは不思議な言い回しをよくする。きっと誰かの受け売りではなくデンジが己の人生の中で見出した考えだからだ。

 

 

「きっと、こんなこと続けてたら……ナユタはみんなで食卓を囲めない大人になっちまう」

 

 

 真摯に伝えられた言葉。

 ナユタには共感できなかった。『支配』の呪霊が持って生まれた本能にとっては、当然の行為だったから。ぼんやりとした様子のナユタに、デンジは根気よく言い聞かせ続けた。

 

 

「俺はそうなって欲しくねえ」

「でもデンジに迷惑じゃ」

「そこ気づかえるなら、俺との約束も守れんだろ。偉くて怖い人に頭下げんのに比べたら一回や二回死ぬのがなんだ。──なにせ、俺は不死身だからな」

 

 

 デンジはニヤリと口角を上げる。

 ナユタはデンジが大好きだ。だから出来るだけお願いは叶えたいと思う。素直に頷くと、なら良しとナユタの頭を撫でてくれた。

 

 

「説教なんてつまんねえもんなあ! 今日はもつ鍋にしようぜ」

「また肉料理……」

「ナユタが肉食べれるってもっと早く気づいてりゃなあ」

 

 

 デンジの料理は美味しいので、結局はおかわりをしてしまうのだけれど。

 

 こうして早川那由多は他人に死を押し付けるのを禁止されたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:五条悟】

 

 少し前。

 早川那由多は、人間に死を押し付けることを早川デンジから禁じられた。所詮は縛りではない口約束──けれどこの特級呪霊が馬鹿正直にお願いを守る気質だということを、悟たちはよく知っていた。

 だから、血の呪霊との戦いのようなゴリ押し肉壁戦法はもう二度と使えないのだと那由多は告げた。

 

 

(つまんねえの)

 

 

 雑魚呪詛師を利用した不死身さと複数の術式の同時使用。支配術式での戦法をいくつか思いついていたところだったので、ひどく拍子抜けした。

 何より禁止してきやがった奴の態度にムカついた。

 

 悟は早川デンジが嫌いだ。

 事あるごとに大人の立場を振りかざし、ポジショントークで悦にいる。そのくせ呪術師ですらない。

 そんな奴が、那由多経由とはいえ悟に隠し事をしている。不快さも倍増だ。

 

 

「暇だ……」

 

 

 2006年初夏。今年は気温が上がるのがずいぶん早い。五条悟は机に突っ伏しながら溶けていた。

 

 暇といっても、裏では秘密結社による国家転覆作戦だの、凶悪呪詛師の連続変死事件だの、京都市鴨川周辺で異常発生した特級仮想怨霊による騒動だの、無下限持ちが生まれたらしい五条家分家の虐殺事件だの、二時間映画の題材には十二分なイベントが多発しているわけだが──呪術界ではよくある些事である。直接関わった訳でもなし。学生生活を謳歌する悟たちにとっては教室に未だにエアコンが設置されないことの方が一大事だった。

 

 扇風機で凌ぐにも無理がある。去年は傑の冷気を操る呪霊を借りていたが、そいつは先日遭遇した血の呪霊に潰されてしまった。なんてひどいことしやがる! 許せねえよなあ!

 湿度もひどい。日本の梅雨はどうしてこう不快指数が高いのか。無下限は便利なバリアというわけではない。解釈の拡大次第ではエアコン代わりにもできるのかもしれないが、今の悟には難しかった。

 

 やる気がどんどん失せていく。桃鉄は99年設定で徹夜プレイをしたばかりで「しばらくはもういいかな」って気分だし、デジモンもポケモンも一通りクリアしてしまった。通信対戦は白熱するうち傑が呪霊(リアルポケモン)を持ち出してくるので集中できない。漫画もお気に入りの連載はチェックし終わったし、おまけにジャンプは合併号だ。悟は合併号が嫌いだった。

 

 

「合併号の呪霊がいたら念入りにボコってやる……」

「どうせでんじゃらすじーさんいくらいしか読んで無いんだろう?」

「傑うるせー、それはコロコロだっつの。ジャンプはボーボボだ」

「結局ギャグ漫画じゃないか」

「──今日の議題は聖鼻毛領域(ボーボボワールド)が領域展開か否か」

 

 

 人差し指をピンと立てる。このGLGのとびきりのキメ顔への学友たちの反応は薄い。強引に話を続ける。

 

 

「……」

「ハジケを術式と定義した場合……魂を解放しなければ死ぬってのは術式の必中化じゃないか?」

「その話、長くなる?」

「飽きるの早すぎ」

「最初から興味がないんだよ」

 

 

 傑は我関せずと眉を顰めて考え事を再開した。最近はずっとこんな様子でつまらない。そうめんの食べすぎで腹でも壊したのかな。

 硝子は那由多にそもそも領域展開とは何かという説明をしていた。そうか、こいつ転校生だから一年で習うような基礎の座学すらボロボロなんだった。一通り聞き終わった那由多はふんふんなるほどと頷いた。

 

 

「そっか。デンジが使ってたのって領域展開だったんだ……」

「────待て待て待て待て、マジで?」

「まじで」

 

 

 椅子から転げ落ちるかと思った。

 

 

 

 

 領域展開とは、術式を付与した生得領域を呪力で具現化する技だ。

 術式順転、術式反転、あらゆる秘技の先にある至高の領域に辿り着いた存在だけが成し得る神業。この五条悟ですらまだ会得できていない、歴史を紐解いても使用者は両手の指で数え切れる程度しかいないのに。

 ……それを、呪術師ですらないというあの男が?

 

 

「高校生の時に色々あって使えるようになったんだって」

「その()()の部分を聞いてるんだけど?!」

 

 

 クソ映画以外の何物でもない、らしい。なにも分からん。以前蘇生のタネを明かさせた時にも思ったが、さてはこいつ説明下手だな?

 

 思わぬ方向にぶっ飛んだ昼休みの雑談は、本人に直接尋ねてくれという那由多の投げやりな返事で締め括られた。

 ならばそうさせてもらおうと、悟と傑はドキドキ襲撃計画を立て放課後に実行したが、結局早川デンジの後頭部を陥没させかけただけでなんの情報も得られなかった。初動が悪かったのもあり、お前らに話す筋合いはねえとご立腹だ。後ろからいきなり殴りかかるなというガチめの説教を聞き流す。

 

 

「ったく、突然高専に呼び出しやがってこれかよ。また何かあったんじゃねーかって焦って損したぜ」

「大丈夫、即死じゃなければ治せます」

「そういう問題じゃねえんだけどぉ!?」

 

 

 硝子のフォローになっていないフォローがトドメになったのか、早川デンジは涙目だった。俺の会う女こんなのばっか……と泣き言が聞こえる。女運が悪いようだ。

 

 

「冗談はひとまず置いておいて」

「撲殺未遂を冗談で済ますなよ……」

「早川さんはご存知だったんですか?」

「何が?」

「那由多が高専に通いたがった理由です」

 

 

 俺たち三人を散々振り回した那由多(バカ)の動機について、最初から承知していたとデンジは肯定した。

 

 

「制服で行きたい高校決めんのはよくある話だろ。うちの学校もそういう生徒多いぜ」

「それで高専に行きます?」

「俺も廉直女学院に履歴書出したきっかけは制服が可愛かったからだ」

(この人よく女子校教員に採用されたな…)

 

 

 傑が軽蔑の目を向けた。いいぞもっとやれ。

 ついでのように明かされた、わざわざ那由多が二年に転入してきた理由もろくなものではなかった。そもそもこいつは悟たちと同時期に入学予定だったらしい。だが特級呪霊の高専入学という異例の要求に対し、方々への説得が間に合わなかった。なんとか話がついたのが去年の冬。夜蛾から留年手続きを踏んで新一年として入学することも勧められたが、()()に不利だからとデンジが編入案を推したらしい。なんだそれ。高専を何だと思っているんだ。この特級呪霊(いもうと)にしてこの非呪術師(あに)ありだ。

 

 

 結局、那由多の語るクソ映画だのカラフルな臓物だのの正体を暴くことは出来ないまま、デンジは帰って行った。

 

 

 

 

 

 

 悟は旅行パンフレットを掲げて宣言した。

 

 

「──そうだ、北海道行こう」

「特級の悟が出動要請されるレベルの呪霊の発生報告はないよ」

「マジレスやめろ〜〜」

 

 

 三連休を控えた金曜日。呪術界は絶賛繁忙期だった。環境の変化や気候変動で大衆の負の感情が増大し、呪霊が増加する季節だ。雑魚の尻拭いばかりで嫌になる。灼熱のコンクリートジャングル、名前も知らない虫がウヨウヨしている雑木林、取り壊しが決定した廃ビルの屋上──ここ最近の任務は歴代でもトップのクソさ加減だ。

 快適かつ魅力的な避暑地的スポットには呪霊は滅多に出現しない。そういう場所は人口密度も低く負の感情も抱かせにくいので当然とも言える。呪術師は出張の多い仕事だが、旅行のような楽しさを見出すのには向いていないのだ。

 

 ──要するに悟は娯楽に飢えていた。

 

 

「北海道……乳牛……六花亭の……レーズンサンドが食いてえ……」

「美味しいよね。私も好き」

「おいおい呪霊に味が分かるのかぁ〜?」

「いつにも増してウザいな」

 

 

 悟の独り言に反応したのは那由多だった。硝子が面倒くさそうにツッコミを入れつつ「無視した方がいいよ」と那由多に耳打ちする。やだやだ、もっと構え。

 

 

「というわけで次の連休は北海道で遊び尽くそうぜ」

「つまりサボりか」

「馬鹿いえ、ちゃんと代打頼んだわ」

「うわー、嫌な先輩」

 

 

 悟たちは絶賛ゆとり世代なので土日は休みだが、呪術師はブラックなので休日は存在しない。

 つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 一年坊どもと、冥さんに、それぞれ快く引き受けてもらった。無愛想な方の後輩からは凄まじい目線を向けられ、冥さんからは相応の金銭を求められたが、あくまで『快く』である。

 

 

「今のところ来てるの高くて三級案件、三日くらいならどうにか出来るっしょ」

「はあ、全く……」

 

 

 傑は呪術師としての意識が高いが、決してノリは悪くない。今回の反応は結局折れるパターンだと悟は踏んでいた。こちとら生まれて以来横暴な要求を通し続けてきたわがままのベテランである。舐めないで欲しい。

 

 行き先に北海道を選んだ理由は二つ。一つは単純に涼しいから。もう一つは──

 

 

「北海道に墓があってね。デンジと毎年里帰りするの」

「へえ、実家はそっちなんだ」

「わからない」

「ん〜? どゆこと?」

 

 

 早川那由多の飛行機利用記録が多く残っていたからだ。

 

 那由多も暇だったのだろう。ぽつぽつと身の上話を始めた。

 毎年盆に行く北海道には早川家の墓がある。だがそこで眠っているのは早川デンジの血縁では無いらしい。旅館に泊まるので他に身内がいるかどうかも定かではないそうだ。ではどういう関係なのかと質問したが、那由多の返事は「知らない」と「わからない」が半分以上を占めていた。

 

「お前さ、俺がいうのもなんだけどもうちょっと保護者(デンジ)の事情に興味持てよ」

「……尋ねても教えてくれないから」

「は〜?」

「デンジは、昔の話をしたがらない」

「それで大人しく引き下がってんのお前。ないわ」

 

 早川デンジの素性は謎に包まれている。領域展開ができるという那由多の証言を鵜呑みにしたわけではないが、何かしら切り札は持っている筈だ。特級呪霊である彼女を監督できると上層部からみなされている時点である程度の実力は保証されている。

 その上で非呪術師としてぷらぷら過ごしているのだから訳が分からない。

 

 

「早川……早川ね……やっぱ聞いた事ねえな。呪術師の家系じゃねぇのは確定」

 

 

 だから調べてやることにした。

 『早川家』『早川デンジの素性』『那由多を育てた理由』──桃鉄、デジモン、ジャンプに続く娯楽。丁度良い旅のスパイスだ。

 調べるためだといえばきっと那由多は乗ってくる。硝子も惰性で賛成すれば、週末は旅行決定だ。

 

 

「早川家と、早川デンジと、早川那由多の来歴について調べつつ──あと俺のマルセイバターサンド入手をまとめてこなすわけ」

「絶対最後のが本命だろ」

 

 

 那由多は戸惑っていた。デンジが過去について自分からあまり喋らないということは、教えたがっていないということ。それを勝手に調べるのはどうなのかと言いたげだ。

 

 

「でも……」

「大体さあ、ムカつかねえの? 俺が何質問しても知らないだの分からないだのばっか。お前自身に興味ないんじゃなくて、聞いても教えて貰えないからとかねーわ。お前の兄ちゃん、ちょっと過保護なんじゃねえの?」

「それだけ大切に思っているということだろう」

 

 

 傑の発言を、悟は鼻で笑った。悟自身五条家の秘蔵っ子だが、自分が何も教えてもらえない時は大抵()()()()()()不都合があるからだった。あいつらは歳を食っただけのくせに自分より幼い相手を舐めてくる。

 

 

「支配の呪霊の感性はどう言ってる?」

【……情報の統制は安全管理の基本です。無知は首輪に。力は柵に。罪責と敬愛と恋慕は都合良く動かすための手綱になる。

 早川デンジは……支配の呪霊の管理者として妥当です。人格、実力、共同体への影響力に問題がないのなら、私から言うことは何もありません】

 

 

 

「で、那由多の本音は?」

「ちょームカつく」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「雪まつりだーーーー!!!!」」

 

 二泊三日、北海道旅行、開幕──

 

 

 

 

 

 

 

 

「雪降ってねえじゃん!」

「夏だからね」

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

北海道旅行②

 

 

 

【side:五条悟】

 

 

 北海道旅行、初日。

 空港に着いた直後から、なんだかんだで全員が多少なりうかれていた。

 

 

「しゃけ! しゃけ!」

「おかか!」

「見ろ! コンビニに『とびっこ』おにぎりが置いてる!」

「チェーン店の品揃えからして違うのか……」

「さっさと寿司屋行こうぜ」

「食事の前に、寒い地方に出る系の呪霊を探しても構わないか? 寿司は後味にしたい」

「そんな葛根湯服用感覚で祓う?」

「食前だし別の漢方で例えろよ」

「そういう細かいのいいから」

「はあ、三人ともはしゃぎすぎ」

「「「硝子が一番土産買ってるのに?」」」

 

 

 反転術式の使い手、家入硝子──能力の希少さと直接戦闘能力の低さから、実は高専から外出するのに逐一書類の提出が必要な人材である。旅行の機会は稀有なのだ。

 

 

「想像以上にはしゃいでない? 土産なら俺たちが任務行くたびに買ってるだろ」

「お前らに任せてると甘いものしか買ってこないでしょ」

 

 

 硝子はカニの冷蔵便の手続きを真っ先に終わらせ、ホワイトコーン、鹿肉とクマ肉の缶詰……北海道らしい食品を軒並み制覇していく。凄まじい行動力だ。次はインカのめざめというブランドもののジャガイモがターゲットだと意気揚々と進む後ろを、那由多がいそいそとついて行った。

 一方の悟は早々に目当ての菓子類を確保し終え、ベンチでダラダラと時間を潰していた。売店で購入したカット済みの夕張メロンをつまみ食いする。適当に買った割には美味しい。

 

 

「逆じゃないか?」

「なにが?」

「いや……なんというか……」

 

 

 同じベンチに座って携帯をいじっていた傑がボソリと呟く。要領を得ない言葉を適当に聞き流しながら、ロイズの生チョコレートの箱を開封した。

 

 

「そういうチョイスがだよ……」

「だからなにが?」

 

 

 鮭のルイベを確保して帰ってきた女子勢と合流し、次の目的地へ向かう。

 やはり北海道の名産は美味い。目当てのマルセイバターサンドは格別だが、ついでに購入した花畑牧場とやらの生キャラメルが予想以上の味だったのは嬉しい誤算だ。時は2006年。白い恋人の賞味期限先延ばし問題発覚の影響でお土産界への進出が進み一躍に知名度が上がる、わずか1年前のことである。

 

 

 

 

 

 電車やバスを乗り継いであちこちを巡る。本当はレンタカーを借りると便利なのだそうだが、あいにく全員未成年だ。最初は傑の呪霊に乗ればいいじゃんと軽く考えていたのだが、妙に肌寒かったために没案となった。

 日本唯一の冷帯、北海道。夏の癖に寒いとはさすがである。悟はここに来てから汗を一滴もかいていない。旅行に来た甲斐があったというものだ。

 

 めぼしい観光所を制覇していく。特に、青い池は銃の呪霊が倒された1997年に発見された観光地ということで、幻想的な風景も相まりホラースポットとしても人気があった。何か面白い呪霊でもいないかと期待していたのだが4級程度の雑魚しか見あたらない。現地の呪術師が定期巡回して警戒しているらしい。拍子抜けだったので、人工的な明るい青の水面を背景にとびきりの変顔を披露した写メを仏頂面の方の後輩に送りつけてやった。ちなみに返事はない。

 

 

 牧場で乳搾り体験を満喫した後は、ソフトクリームに舌鼓を打つ。美味い。那由多も口の周りをべとべとに汚しながら食べていた。いつまで経っても食べるのが下手な女だ。

 硝子と傑はどこかにふらりと消えてしまった。ずいぶん時間がかかっている。トイレではないのか。別れる前に何やら言っていた気もするがアイスクリームの味を何にするか悩んでいたので聞き流してしまっていた。

 

 

(──はっ!)

 

 

 瞬間、悟の脳裏に浮かぶ名推理。

 まさか、あいつら付き合ってんの? 昼間っから外でとか飛ばしてんな。

 

 

「二人なら、あっちに行ったよ」

「あ、一応室内は室内なわけ……」

 

 

 那由多が指さしたのは、少し離れた場所にある目立たない外装の建物だ。お土産屋でもレストランでもない。入り口の看板になにが書いてあるかと目を凝らす。

 

 ──『精肉所』

 

 

「牛の解体をしに行った」

「なんで???????????」

 

 

 アイスクリームを取り落とさなかった俺を褒めて欲しい。

 

 冗談半分で予想した色恋沙汰とは全く異なる方向で、妙な展開になっている。

 硝子はわかる。反転術式の使い手である彼女は講義の半分弱が悟たちとは別カリキュラムだ。その大半が人体理解を目的とした生物系の解剖演習。理科室と呼ぶにはいささか本格的すぎる高専の設備は彼女の城である。旅行先に来てまでするなよとは思うけど。なんで傑までついて行っちゃったの?

 

 

「歳をとった牛を加工してソーセージやハムにしてるんだって」

「牛の方の事情を知りたいわけじゃねーんだよ」

 

 

 最初は旅行に反対していた癖に、ちゃっかり俺より満喫しやがって。なんか悔しかったので意趣返しをすることにした。

 

 

「俺たちもするか……」

「なにを?」

 

 

 悟はニヤリと笑って那由多の肩を抱いた。

 

 

()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:夏油傑】

 

 

 傑と硝子が二人の元に帰ったのは数時間後だった。

 

 

「遅っせえ、暇すぎて死ぬかと思ったわ」

「なんだ、ずっとここにいたのか?」

 

 

 悟から非難の声が上がる。予定はあらかじめ伝えていたはずだが、別の観光地で時間を潰したりはしなかったようだ。もっとも北海道は自動車であろうが移動に数時間単位を要する広大な土地。選択肢は狭かっただろう。

 

 

【──、─────! ──!】

(あー、はいはい。うるさいよ)

 

 

 ()()()()()()()()()()()に、適当に返事を返す。

 牧場主との交渉には手間がかかったが、目当ての『牛一頭分の血液』が手に入ったので傑は上機嫌だった。

 硝子の医療知識には随分助けられてしまった。この現代日本で合法的な手段による血液の大量入手はなかなか難しいのである。

 

 

「じゃ、プレゼントお披露目タイムだな」

「私も準備を手伝った」

「は? 準備?」

 

 

 悟のみならず、那由多が満面の笑みを浮かべている。

 嫌な予感がする。

 

 

(これロクな話じゃないパターンだ)

(勝手にやってろ、クズども。私帰っていい?)

(えー、やだ)

 

 

 那由多は基本的に表情の変化が薄い。数少ない例外は相手を嘲笑する時。『嘲笑う』というのは呪霊の本能に近いらしく、人間で例えると三大欲求に近しいものらしい。負の感情を糧とする存在の本能など碌なものではない。この顔を見る時は大抵『常識的に考えて超えてはならない一線を超えた悪ふざけ』が発生している。血の呪霊との戦いの後の死亡ドッキリが良い例だ。

 

 ババーン! とお出しされたのは多種多様な異臭を放つ──汚物。

 

 

「「何これ」」

 

「傑さあ、呪霊操術で呪霊取り込む時さあ、クソみたいな食レポするじゃん。あれがどこまで正確なのか気になったんだよね。というわけでこちらに実物を用意しました」

「イエーイ」

「歴代食レポ抜粋──吐瀉物を処理した後の雑巾(真)、一週間くらい風呂に入ってない人間の下着(真)、そして農家から拝借した肥溜めの底の方にあった固形物(真)でぇーす!」

「好きなのからどうぞ」

「集めるの結構苦労したわ」

「ねー」

 

 

 那由多から箸を手渡された。悟は触るのキモかったから準備するのに無下限使っちゃったー! などと騒いでいる。脳裏に響く件の呪霊の不快な笑い声がいっそう大きくなった。

 硝子が静かに避難するのを見届けた後、傑はにっこり笑って呪霊を呼び出した。

 

 

「お前らが食べろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:家入硝子】

 

 

「私、この絵を知ってる」

 

 

 バスが来るまでの時間潰しに立ち寄った美術館。那由多はとある絵画の前に張り付いて動かなくなった。

 先に進んだ私と夏油が展示を一周見て回った後も同じ場所に居座り続けていたのには驚いた。目を離すわけにはいかないからと付き合っていた五条はあまりのしつこさにイラついている。放り出してしまえばいいのに。なんだかんだ真面目に任務をこなすあたりが、あいつが岸辺さんとやらの採点で100点を取れない理由なのだろう。多分、あれは性格の希少性よりも予想のつかない言動をするかどうかが基準だ。五条はこれでいて結構分かりやすい。

 

 

「以前にもこういった展示に来たことが?」

「初めてだと思う」

「本やニュースで見たの?」

「わからない……でも……『私』はこの絵が好き。玄関に飾りたいくらい」

 

 

 那由多は展示品の前に張られたロープにギリギリまで近づいて、大きな絵画を視界に焼き付けるように鑑賞し続けている。

 螺旋を描く瞳──声が出てはいけない場所から、言葉が発せられていた。

 

 早川那由多は人型特級呪霊だ。

 

 一般人にも見えるしカメラにも映る。食事も排泄もするし、汗もかく。美味しい料理とかわいい洋服が好き。趣味は映画を見ることで、同じ趣味でも嗜好違いの悟とはよく言い合っている。テストはうっかりミスで失点するのが恒例だ。得意教科は歴史で苦手科目は道徳。友人と悪ふざけもする。どこにでもいそうな高校生で、私たちの友人。

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 友人であろうと、否、友人だからこそ、履き違えてはいけない。

 北海道宗教画展示会、作品ナンバー112、■■■の黙示録──この絵は、きっと早川那由多の根源に近い場所にある。

 

 

「こんな馬鹿みたいに大きい宗教画を飾ってる家とか、嫌すぎ」

「……そう? 硝子ちゃんがそう思うなら、貯金してるお小遣いは別のことに使おうかな」

「本気で買うつもりだったんだ?」

 

 

 穏やかに微笑む横顔は、牧場での破顔に比べるとずっと上品だ。けれど硝子は好きになれなかった。自分の学友である彼女の側面ではないからだ。

 学友『早川那由多』と『支配』の特級呪霊。どちらも彼女の本質で、だからこそ早川デンジは必死に教育を試みている。そして、彼女が社会の一員として愛し愛される存在のままでいたいのならば今表に出ている部分は矯正しなければならない。

 

 五条は呆れ顔で那由多の美的センスをこき下ろした。

 

 

「で、支配の呪霊の本音は?」

【家入硝子の感性など些細な問題です。彼女の反転術式は有用ですが、彼女を縛るのなら、情よりも都合の良いものは星の数ほどあります】

「那由多の意見は?」

「友達に部屋可愛いねって思ってほしいから飾るのは別の絵にする」

「でも支配の呪霊の本音は?」

「えっ」

「……」

「……こっ」

「こ?」

「心が二つある〜……」

 

 

 思い詰めた表情でうずくまる那由多を爆笑しながらケータイのカメラに収める五条と、それを止めもせずに失笑する夏油。

 

 

「困らせんなバカ」

 

 

 スパァン、といじめっ子二人の頭部をすっぱたく小気味いい音が鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:五条悟】

 

 

「うわっ、俺が前から気になってたB級じゃん! 今夜これ見ようぜ! ムカつくカップルとうざいナードとやたら霊感のある子役が出るんだけど最後全員内臓ぶちまけて死ぬのが超ウケるんだって」

「クソ映画……」

「それは面白いのか?」

 

 

 今日宿泊する予定の旅館の女将と那由多は顔見知りだった。盆の時期に毎回世話になるらしい。お得意様と友人一行ということで、色々と声をかけられた。こういうの好きだったでしょうと渡された映画のDVDもその一つ。話題作だったが、それはあくまでクソ映画としてだ。クオリティの低い映画を嫌悪する那由多ばげんなりしていた。

 

 早川家の墓はここからかなり離れた場所にあるそうだ。歩けない距離ではないがかなり時間がかかるらしい。だがひとまずは、徒歩で出発することにした。いざとなれば傑の呪霊に乗る。女子勢からは寒さを理由に嫌がられたが、ちょうどいい大きさのものを調伏したばかりだ。

 

 

「そういえばあんたたち、五人連れじゃないのかい?」

「何言ってんの女将さん。ボケてる?」

「こら悟、お年を召していられるんだから些細な記憶違いはスルーするのがマナーだよ」

「あははははは、君たち夕餉の量減らしますね」

 

 

 このおばさん、結構気がキツい。しれっと毒を吐くあたりが悟の教育係のお局とよく似ていた。

 

 

「いやね、さっきも墓の場所を聞かれたものだから」

「さっきも?」

 

 

 この寂れた旅館には先客がいた。セミロングで可愛い顔をした若者。この辺りは目立った観光地もないので一人旅にしては妙だからと、悟たちの同行者だと早合点したようだ。

 

 

「まったく、みんな東京から来たんでしょう? 都会っ子はハイカラだねえ。髪染めたり、変わった服装だったり」

「俺のは地毛だよ」

「染めてる子はみんなそう言うのよ」

「あん?」

「悟、落ち着いて。老人は目が悪いし話もろくに聞かないものだろう。あと数年くらい適当に優しくすればいい」

「本当に失礼だねこのクソガキども!」

 

 

 傑の失言のせいで危うく今日の宿を失うところだった。全く、勘弁してほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【──ようやく、市街地から離れてくれたね】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 北海道旅行もいよいよ大詰め。悟たちは早川家の墓参りをしにきていた。

 デンジは毎年盆に来るらしい。あの女将曰く最初に来たのは約10年前。銃の呪霊が再び世に顕れ、倒された年だ。当時は若い女と黒髪の青年が同行していたそうだ。もちろん那由多ではない。

 次はそいつらの素性でも探ろうかと適当に算段をつける。

 適当に花を買って、お供えを買って、霊園に備え付けられた桶で水を汲みにいくかとなったタイミングで、傑がそれを制止した。

 

 

「待て、妙だ」

 

 

 傑が警戒している。悟は周囲を観察した。

 ──別段おかしなところはない。

 

 

()()()()()()()

「……あ」

 

 

 おかしなところは何もない。残穢も、呪霊も、何一つ存在していない。

 ──負の感情が溜まりやすい筈の墓場が、そんな状態であることがおかしいのだ。

 

 道中ですら、弱い呪霊を目撃した。なのに最も人々が負のイメージを抱くであろうこの場所になにもいないというのは明らかな異常だ。

 

 

「青い池の時みたいに、直前に呪術師が来たとか」

「まさか、ここは呪術師が定期巡回するレベルの心霊スポットじゃないよ。北海道にいくつ墓場があると思う?」

「偶然って可能性は……」

「にしても残穢を残さず処理する理由が」

 

 

 

 

 

 

 ブツリ

 

 

 

 

 

 

 

 宇宙(ソラ )から飛来した種子が、大地に根を張り美しい花を咲かす。

 明らかに異常な状況。明らかに異常な現象。

 だというのに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「わぁ〜綺麗なお花畑!」

 

 

 

 

 

 

 

「…………ってほのぼのしてる場合か! 術式順転──」

「わっ!?」

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 

 

「──『蒼』!」

 

 

 この植物は、精神干渉の術式だ。それもこの場にいるレベルの術師を問答無用で制圧できるレベルの。

 傑が硝子を庇うのを確認しつつ、悟は襲撃者に向け術式を発動した。

 

 術式順転『蒼』──呪力で現実に再現される無下限の『収束する力』が襲撃者に牙を剥いた。だが、周囲への影響を考慮し手加減していた一撃は、刀の一振りでねじ伏せられる。凄まじい切れ味だ。

 

 

「ここは秋葉原じゃねーぞ、コスプレガール」

【首が再生しない……でもまだ地獄にも堕ちてない。どんなカラクリ……?】

 

 

 那由多の首と、首から下を傑がすぐさま回収する。こいつどうせ死なねえもん。防御より襲撃者への攻撃を優先するのは当たり前だ。

 

 

 ──襲撃者は人型呪霊だった。幼さが抜けきらない見目麗しい相貌。天使の輪と羽根がついていて、呪具まで持ってやがる。

 

 間違いなく特級だ。

 

 そして、かなり高い知性を持っている。つい最近戦った血の呪霊よりも。

 

 

「最近、特級呪霊の安売りひどくない? 全然特別じゃないじゃん」

「言えてるね」

 

 

 軽口を叩きながら、臨戦態勢に入る。せっかくのバカンスが台無しだ。

 

 

 

 

 

 ──さあ、仕事の時間だ。

 

 

 

 

 

 




墓場の雑魚呪霊は天使くんが早川家の墓石を洗うついでに掃除しました


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

天使①

【side:夏油傑】

 

 

 最初に動いたのは傑だった。大型の呪霊を呼び出し、すぐさま硝子と那由多(の死体)を離脱させる。

 女子二人を追いかけようとした特級呪霊(コスプレガール)を小型の鳥型呪霊で襲撃したが、回避動作すらされなかった。三級に届くかどうかの呪霊だ。当たってもほとんどダメージは無いだろう。無視して強行を試みる判断は正しい。

 

 ()()()()()()()()()()()

 

 

 

「――命を捧げろ」

【わっ!?】

 

 

 底上げされた呪力が呪霊を取り囲み一斉に弾けた。

 

 かつて那由多が模擬戦で見せた戦術の模倣。

 操術で手持ちの呪霊に命を賭けるという縛りを強制し、極限まで呪力と威力を底上げさせる。力及ばなければどうせ潰されるのだ。損害などあってないようなもの。コストパフォーマンスの高さと不意をつく性能が高いという二点において傑はこの戦法を気に入っていた。

 

 『支配』と『操術』は別物だ。見えている世界が違うらしい。六眼を持つ悟が語るのだから正しいのだろう。

 事実、傑は手持ちの呪霊に己の死を押し付けることなどできないし、那由多も支配下に置いた存在を己の中に格納することなどできない。

 だがこれらの違いを差し引いても、彼女から学ぶところは多くあった。

 

 那由多の見せた『弱小呪霊の強制自死特攻命令』──あれは素晴らしかった。

 使い勝手がよく、対価も低く、何より思いつけばすぐに実践できる程度の難易度というのが良い。

 この戦法を採用したことで気軽に火力が出せるようになった。傑自身が成長したわけではない。ただ発想を転換させただけ。それは夏油傑の呪霊操術にはまだまだ可能性が秘められているという証でもある。

 

 歴史の長い家には相伝の術式のマニュアルが備えられている。戦術としての研究も進んでいるし、今自分がどの程度のレベルなのかも、今後伸ばすべきスキルツリーも明確だ。

 一方の傑は両親ともに非呪術師の突然変異の呪術師。手本らしい手本は無い。環境の差を言い訳にするつもりはないが、呪霊操術の研鑽には難航していた。一つ上の学年の『黒鳥操術』の冥さんと操術について相談する機会はあれど、鳥のみを操る彼女と多種多様な呪霊を使役する傑では戦術が根本から異なってくる。必然的に基礎的な話や小技が話題の大半を占めていた。

 

 那由多とは、術式について議論したことはない。だが彼女の呪霊としての在り方が、言動が、夏油傑に新たな発想を与えてくれた。

 呪霊と人間の持つ術式の差は、本能的理解度だと夏油傑は考えていた。呪霊の術式は在り方に直結しているが、人間の術式は必ずしもそうではない。そして呪霊である早川那由多は最も効率の良い『支配』を本能的に知っている。

 

 たとえば傑は基本的に取り込んだ呪霊の自我を必要最低限まですりつぶしているが、那由多が呪詛師に披露したように知性や人格を残したまま都合の良い行動指針を付与する――なんてことも、将来的には可能だと確信している。もし知能の高い呪霊にある程度自己判断をさせた上で遠隔に展開することができるようになれば、夏油傑の戦術は一気に広がる。

 他にも、彼女が呪詛師の術式を拝借していたように、【夏油─呪霊─呪霊の術式】という指示系統を【夏油─呪霊の術式】と一本化して振るえるようになるかもしれない。己にはまだまだ成長の余地がある。その確信は、漠然とした万能感の源になっていた。

 

 呪霊の特攻攻撃は、それらの試行錯誤の一つだった。戦術として昇華しきれてはいないが、単純火力としては上々。命をかけた一撃というのは呪術の世界では案外馬鹿にできない。格上相手に戦況をひっくり返すことすら可能なのだから。

 

 もっとも――

 

 

「まあ、流石に相手が特級じゃどうにもならないか」

【びっくりした……今の何……】

 

 

 鳥型の呪霊たちの破片を、呪霊の背中から生えた羽根が薙ぎ払う。無傷だった。そりゃそうだ。いくら命をかけようが、特級と三級では勝負にならない。

 時間稼ぎにはなったのでよしとする。

 

 

「あの羽根、あの輪、人間に近い外見──」

「間違いないだろうな」

 

 

 ――特級仮想怨霊『Angel』

 

 日本ではなく海外、特に■■■■教圏において特級指定をされている呪霊。

 三大宗教に密接に関わりすぎていて、政治紛争の種にしかならない。祓うのにも許可と手続きが必要な厄介者だ。高専の講義で触れられた際に、勝手に祓えばいいじゃんとボヤく悟に非呪術師の心の平穏を保つために必要なことだと説いた記憶は新しい。

 どうしてこんな呪霊が北海道の田舎にいるのか。

 

 

「術式――」

【それ、怖いからやめてよ】

 

 特級仮想怨霊Angel――もとい天使の呪霊が呪具を振るう。

 また悟の術式が発動する前に潰された。出力を上げれば押し勝てるかもしれないが、周囲への影響が大きすぎる。悟の術式はとにかく派手だ。非呪術師に目撃されないためにも、一刻も早く帳を下ろさねばならない。

 

 弱い攻撃をいくら続けても羽で防がれる。悟の術式は妙な呪具で対応される。足止めだけなら今のままでも問題ないが、またあの『緊張を弛緩させる植物』を出されても困る。

 接近戦を仕掛けるべきか、遠距離から対応するか、それとも向こうが本気を出していない今のうちに()()()を出してみるか――

 傑が思案していると、悟から手で制止された。

 

 

「傑、あいつに直接触れられるなよ」

「へえ、そんなに」

「ヤバイね」

【……その瞳、ボクの力が分かるんだ】

 

 

 すごいね、とどうでも良さげに呪霊が会話に入ってくる。

 

 

【そうだよ。僕に触られたら寿命を吸われて死んじゃうんだ。だから抵抗しないで■■■(支配の呪霊)を差し出してよ】

 

 

 そしてそのまま術式を開示した。

 術式の性能を底上げするための縛りか、言葉通りの威嚇なのか。後者だとしたら相当舐められている。

 

 

「ジョークにしてはセンスがないな」

「そんなことで俺たちが引くと思ってんの?」

【だよね……はあ……やだな……】

 

 

 特定宗教圏において天使は死の間際に迎えにくる存在としても認知されている。そこから因果関係が逆転して触れた相手を死に導く術式になっているのだろう。神聖さも畏怖も何もない悪質さ。全く、呪霊という存在の底が知れるというものだ。

 

 直接触られるとヤバい。

 悟がああも断言すると言うことは、即死レベルの出力を秘めている可能性が高い。ここは素直に距離を取る。大型の呪霊を呼び出し、上空へと移動した。

 天使の呪霊は傑を追いかけなかった。あの羽では飛べないのか、それとも那由多を追うことに集中しているのか。

 

 

(意図が読めないな。呪霊の言葉に耳を貸すべきじゃないとは分かっているんだが──)

 

 

 早川那由多の影響か、目の前の呪霊が人とほぼ変わらない姿をしているからか、妙に人間らしい仕草をするからか。

 傑はどうにも目の前の呪霊の一貫性のなさにひっかかっていた。わざわざ緊張を弛緩させる呪物を持参した用意周到さと、理性的に見える言動。それらと襲撃計画の杜撰さがうまく結びつかないのだ。

 自分とてその道のプロというわけではないが、もう少しマシな計画は立てられる。

 那由多を殺したいならいくらでも隙はあったはずだ。例えば牧場で襲っていれば守りも薄かった。そも飛行機で襲っていれば逃げ場はなかった。市街地ならば私たちは非呪術師の保護に意識を割かねばならず、より隙を突きやすかっただろう。

 だが実際の襲撃地は郊外に位置する人気の無い霊園。四人が万全のコンディションで連携できる上に暴れやすい──呪霊にとって不利な条件ばかり。

 

 

(まさか、無関係の人間を巻き込みたくないからなんて言い出さないだろうな……)

 

 

 どうにも意図が読めない。

 だが、悠長に構えてもいられない。

 

 悟の斜線上に入らないように気をつけつつ、十分な高度を取った傑は帳を下ろすために呪力を練った。

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:五条悟】

 

 

 ――闇より出でて闇より黒く その穢れを禊ぎ祓え

 

 

 黒い膜があたり一帯を覆い尽くす。呪霊操術で飛行している傑が帳を降ろしたのだ。

 

 

「悟! もう遠慮は必要ない!」

「分かってる!」

 

 

 ……実の所、帳が無いから手加減をしていたわけではない。むしろ存在を完全に忘れていた。口に出すと面倒なので黙っておこう。

 

 傑が『悟が手加減をしている』と誤解した理由は明らかだ。

 

 

「術式順転『蒼』」

【懲りないな、キミ……】

 

 

 まただ。少しでも大きな一撃を繰り出そうとすれば即座に潰される。無限の引力『蒼』。それが成立する前に呪力の起点を断ち切られた。

 天使の呪霊の近くで発動すれば、発生前に潰される。遠くで発生させ過ぎれば当然回避される。発生速度を優先させ威力を抑えれば当たることには当たるが、致命傷には至らない。呪霊のくせに、五条悟対策はきちんと用意してきたらしい。

 

 

(あの呪具、面倒だな)

 

 

 異質な呪力を帯びた剣。特級では無さそうだが──六眼を持つ悟が、こんなものを抜身で持つ奴を奇襲可能な範囲まで近寄らせるはずがない。

 あの呪具は、襲撃直前に()()()()()()()()()

 直接触れた相手の寿命を奪う。奪った寿命を呪具に変換する。ここまでがあの特級呪霊の術式の正体だ。

 

 

(次弾が来ねえってことはあの植物は使い捨て。問題は追加でどれだけの質と数の呪具を生み出せるか)

 

 

 天使は剣と羽を上手く使い分けて悟と傑の連携を捌いていた。呪霊の自爆特攻を交えても即座に対応される。

 傑はストックしていた呪霊の大半を血の特級呪霊との戦いで失ってしまっていた。悟のサポートのための仕込みはうまく行っているが、なかなか使うタイミングが掴めない。

 

 

(ったく、那由多がさっさと生き返らねえせいで制限が増える)

 

 

 死体というのは重い。いくら小柄な那由多でも、硝子一人で運ぶのは無理だ。

 なぜだか目の前のこの呪霊は那由多にご執心のようで。悟が目を離せば即座に追いかけにいくだろう。傑の手持ちに飛行できる呪霊はいても、飛行した上で目の前の呪霊に発見されない呪霊はいない。どうにも二人を戦線から離脱させきれられないでいた。

 

 

 

 

 数度の撃ち合いの後、天使の呪霊は攻撃の手を緩めた。

 

 

【キミたち、北海道には旅行で来たんだ。ずっと見てたよ。仲良いんだね】

「ストーカーかよ」

 

 

 天使の呪霊は悟の皮肉を意に介さない。

 

 

【──で、どこまでが君の本当の記憶?】

「は?」

 

 

 天使の呪霊の目は冷たく、静かだ。深い怒りを抱えていた。

 

 

【胸に手を当てて考えるといい。■■■(支配の呪霊)は、息をするようにありもしない恋愛感情を埋め込んでたよ。君の感じてる友情って、本当に君自身のものかい?】

 

 

 

 

 静寂が場を支配する。

 時間にして数秒だが、体感ではずっと長かった。

 

 

「お前……ふざけんなよ………!」

 

 

 史上最大にムカついた。あの血の呪霊以上に、こいつはふざけた発言をしやがった。

 乾いた笑いしか出てこない。

 

 

(決めた。こいつは今ここで確実に祓う)

 

 

 どいつもこいつも舐めやがって。

 

 

「俺たちが……」

 

 

 あーあーと、上空から傑の呆れた声が聞こえた気がした。冷静ぶりやがって。お前も相当ムカついてたくせに。

 五条悟は青筋を立ててキレていた。

 

 

「あんな()()()()()()()()()()に負けると思ってるわけ?」

【へ?】

 

 

 呪霊は虚をつかれた顔をしている。あーそう、素面で、本気で言ってたわけ。

 目の前の呪霊は、悟たちを那由多個人より()()()()()()

 前言撤回。下調べが甘い。世間知らずにも程がある。

 

 

【勘違いしてるみたいだけど、あれはただの特級呪霊じゃない。かつて日本国民全てを――そして、たくさんの人間を踏み躙った最悪の……】

「そーか、そーだな、そーかもなあ! さてはお前、支配されてた口か。犬の鳴き真似でもさせられたか? あんな未だに口元汚さずに飯も食べられねえ程度の奴にビビって奇襲仕掛けてくる程度の小物だ! そりゃ簡単に支配されるだろうな!」

【──お前】

 

 

 天使が、呪具を強く握りしめる。

 明らかにこちらを見下していた舐めた態度に比べれば少しはマシな顔になったものだ。

 

 

 

 五条悟は冷静だった。

 

 この呪霊に心底ムカついているのは本当だが、そんなことで判断を誤ることはない。

 呪術師は真っ先に感情を支配する訓練を受ける。

 生まれた時から最強であると定められていた『五条悟』は、この程度で術式を乱さない。

 

 

俺たち(最強)を舐めるな」

 

 

 呪力を()()練る。天使が術式の発生前に潰すために呪具を振るうが──頭に血が昇っているのが丸わかりだ。今までとは様子が違うことに気づいていない。

 

 

「──呪霊操術」

「ナイスアシスト、傑」

 

 

 地面に潜んでいた呪霊が奇襲を仕掛け、眼前の天使を拘束する。完全な不意打ちだ。

 おかげでゆっくり狙いを定められた。

 

 呪力(怒り)と、冷静な思考を並列処理する。今なら、多分成功する。

 発動と同時に確信する。万に一つの失敗もない。

 

 

「術式()()──『赫』」

【なっ──!】

 

 

 

 

 

 五条悟は、血の呪霊との戦いで体内での無下限術式の使用をものにした。

 座標指定型の攻撃への対処にしか役に立たない、汎用性の低い応用技だが──その真価は別にある。皮膚の外と中。二重に無限を展開する感覚そのものだ。少しでも制御を誤れば自らの骨と内臓を砕く荒技は、生死の狭間で反転術式の使い方を五条悟に叩き込んだ。

 

 

 反転術式によって生まれた正の力を、無下限術式に流し込む。

 無限のエネルギーの発散。空間が直線上に弾け飛ぶ。

 回避など許さない。

 

 最大出力での一撃が、天使の呪霊に直撃した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:天使の呪霊】

 

 

 遠い昔の記憶。

 生まれる前よりなお古い。

 とっくに忘れてしまった筈だった。

 

 

 僕に言葉を教えてくれた人。

 僕に家を建ててくれた人。

 僕に海の潜り方を教えてくれた人。

 

 みんな、呪霊の僕に優しくしてくれた。

 

 僕が好きになった人。僕を好きになってくれた人。

 

 触らなければいいんだろとハンカチを貸してくれた人。目の前で死なないでくれと手を握ってくれた人。両腕を失って使い物にならなくなった僕の命を助けようとしてくれた人。

 

 僕の大切な──

 

 

【君たちは、同じだ】

 

 

 危険な呪霊と、危険と知ってなお笑って共に過ごすことができる人たち。そんな人たちと過ごす日常はきっと、暖かくて、しあわせな日々だ。

 

 

 それがどれだけ得難い奇跡かを、天使(ぼく)は知っている。

 

 

 覚えている。

 もう二度と忘れたくないと、死の間際に己自身を縛ったから。だから僕は生まれる前のことをほんの少しだけ覚えている。

 

 みんな、死んだ。

 ■■■(支配の呪霊)のせいで。■■■(支配の呪霊)を止められなかった僕自身のせいで。

 

 

 

【どうして】

 

 

 幸せだった。決して満ち足りていたわけではないけれど、大切な日々だった。何に変えても守りたかった。

 

 ──全部■■■(支配の呪霊)が壊しやがった!

 

 

【どうして!】

 

 

 なのにどうして。

 どうしてお前がその名前を騙る。

 どうしてお前が幸せに生きている。

 

 

【どうして……そこにいるのがお前なんだ……】

 

 

 許せない。何もかもが許せない!

 血が吹き出す。全身が熱い。痛くて痛くてたまらない。でもきっと、彼らはこんな痛みすら感じる間もなく死んでいった。怒りが、悲しみが、呪力となって身体を突き動かす力になる。

 

 

【どうして、そこにいるのが………じゃ…ないんだ……!】

「どうした、僻みかよ呪霊く──」

 

 

【──どうしてそこにいるのが()()じゃない!】

 

 

 五条悟の挑発を、天使の叫びがかき消した。淡々とした調子を崩さなかった呪霊が、初めて露わにした激情だった。

 天使の呪霊は泣いていた。

 

 もうどうなってもいい。首を刎ねても死なないなら、死ぬまで切り刻んですり潰す。命を全て奪い取る。自分の力ならそれが出来る。負傷した肉体を引きずって、■■■(支配の呪霊)のいるであろう方角へ突撃する。

 

 

 

「行かせると──」

【10年使用!】

 

 

 本当は使いたくなかった。

 花御と過ごした森で遭遇した自殺者たち。その寿命をほんの少しだけ借りる。

 

 生み出された呪具を、白髪の子供に向かって投擲した。

 

 効果の分からない未知の呪力に、彼は一瞬硬直する。受けるべきか避けるべきか攻撃すべきか──その一瞬の迷いさえあればいい。

 

 視界に、■■■(支配の呪霊)を捉えることができたのだから。

 呪具を追加で生み出して投擲したところで、おそらくこの場にいる誰かに防がれる。だが、座標さえ分かれば問題ない。

 

 

 僕のせいだ。

 僕はいつも判断が遅い。だから何も守れなかった。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 

「本当に、ごめん」

 

 

 背後の白髪の彼。上空の黒髪の彼。■■■(支配の呪霊)のそばで外部と連絡を試みている黒髪の彼女。

 きっととても優しい子供たちだ。かつて呪霊の自分に優しくしてくれたあの人たちのように。

 

 

【ごめんね。巻き込んで……本当に……ごめん……】

 

 

 もう二度と、彼らの死を見たくない。

 みんなを、あの子を、彼を。そして同じく踏みにじられるかもしれない、この子供達を。

 自分が今からする行為は矛盾の塊だ。

 それでも、手遅れになってから後悔するのはもう嫌だった。

 

 指を組み、目を瞑る。それは敬愛な信徒の祈りの形に似ていた。

 美しい、男にも女にも見える羽の生えた存在は、静かに涙を流していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:五条悟】

 

 

 はねが ふる

 

 ひかりが ふる

 

 

 

「マジかよ……!」

 

 

 発動を、止められなかった。

 言語が違えど、文化さえ異なる異邦の呪霊であろうと、たどり着く究極の地点は同じだ。

 

 悟の無下限すら貫通して、何かが削られていく音がする。

 目に見えぬ攻撃。けれど魂が、本能が理解する。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 術式の必中効果――紙面上で学んだだけの理屈が実体験として襲いかかる。

 

 

 

 

 

 

【──Domain Expansion】

 

 

 

 

 

 

 

 これは()()()()だ。

 

 凪いだ海。美しい砂浜。空から降り注ぐ強い日差し。

 ──肌を刺す強烈な死の予感。

 

 これが呪力で具現化された天使の呪霊の生得領域。

 

 

 

 

 

 

【■■■, ■■■, lema sabachthani

 ──Amen】

 

 

 

 

 

 

 

 

 天使とは、命の終わりに降臨する者。

 五条悟、夏油傑、家入硝子、早川那由多の四人は、己自身のこの世に存在できる限界時間──寿()()が削られていく感覚を知った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

天使②

 

 

 

【side:天使の呪霊】

 

 

 

 

 はねが ふる

 

 ひかりが ふる

 

 

 

 

 

「――Domain Expansion

 

 ■■■, ■■■, lema sabachthani

 Amen」

 

 

 

 

 

 懐かしい砂浜で、僕は再び目を開ける。

 

 

「……こんな景色だったんだ」

 

 

 使ったのは、生まれて初めてだった。今の僕が生まれる前を勘定に入れても、初めてかもしれない。

 ベースは生得領域なのだ。どういう世界かは知っていたけれど、こうして物理的な形を伴って現れると、改めて寂しい気持ちになった。だが思い出に浸っている時間はない。

 

 背後で白髪の彼がバランスを崩しよろける。倒れまいと踏ん張る足で砂が擦れる音がした。

 きっと一度に寿命を奪われ過ぎたからだ。自分で選んだ行為の結果なのに、息が詰まるような思いがする。

 

 ■■■, ■■■, lema sabachthani

 呪力により具現化された領域は、必殺の術式を()()必殺の術式へ昇華する。彼は僕に触られないようにするバリアのような力を持っていたけれど、ここにいる限りは意味をなさないのだ。

 人間は僕に数十秒手を触れられただけで数ヶ月の時間を失う。そして今の彼は全身を抱きしめられているようなものだ。

 

 

「ごめんね……」

 

 

 本当は、君たちの命を少したりとも奪いたくない。

 けれど、僕はどんなに頑張っても自分自身の術式をオフにすることができなかった。

 人の世で時たま生まれる稀有な縛り。花御は、呪霊でこれを持つ者を見たのは初めてですと前おきをした上で、どういうものなのかを教えてくれた。

 

 ――天与呪縛。

 自らが自らに課す通常の縛りとは異なる、生まれながらに肉体に強制された縛り。

 

 たとえば呪力の代わりに凄まじい身体能力を。

 たとえば肉体の自由の代わりに莫大な呪力量を。

 そして、自らの意思で術式をオフにできない代わりに、寿命から寿命武器への圧倒的な変換効率を。

 

 五年で二級呪具、十年で一級呪具、百年で特級呪具相当。

 ただの非術師の命からよくこれほどのものをと、漏瑚が珍しくはしゃいでいたのを思い出す。彼には呪物を集める趣味があった。勘弁してほしい。ほんと、いい迷惑だ。

 

 僕は、自分の力が嫌いだった。

 誰かと抱きしめ合うことも躊躇われる身体。そして、どうなるか知っていてなお迷わず抱きしめてくれる人間がこの世には存在するのだという確信。

 己の手の中にある寿命武器は、そんな人たちの命に一方的に身勝手に値段をつけてしまう。

 

 領域内に存在する僕以外の命は四つ。そのうち一つにのみ狙いを定めて、術式の出力を最大にする。ゼロにすることは出来なくても、上げることならいくらでも出来るのだ。

 

 

(死んでいるのに死んでいない。吸い上げてもどこかのタイミングで、ぐるぐると同じ場所を繰り返してる……?)

 

 

 他の三人を領域の外に弾き飛ばすこともできた。だが領域は閉じ込めることに特化した術。内からの攻撃に強くすればするほど、外からの攻撃に弱くなる。

 彼らは、侵入してくるだろう。きっとそういう人たちだ。だから巻き込まざるを得ない。

 それでも、どんどん吸い上げられていく命の時間を見ていることに耐えられず、寿命武器をもう一つ生み出す覚悟を決めた。

 

 

 ……できるだけ、早く片付けてみせる。

 だから、もう少しだけ待っていて。全部終わったら、僕をどうしたって構わない。

 

 

 いつもは天使の輪から生み出される僕の武器が、遠く離れた場所に現れる。そのまま■■■(支配の呪霊)の肉体に突き刺さった。

 

 

 

 

 

 

 

【side:夏油傑】

 

 

 天使の呪霊の領域は、命の終わりを告げる。

 五条悟、夏油傑、家入硝子、早川那由多の四人は、この世に存在できる限界時間――寿命が削られていく感覚を知った。

 

 凪いだ海。白い砂浜。そして、穏やかな世界に付与された殺意に塗れた術式。

 皿の上に載せられた料理の気分だ。今自分が生きていられるのは、あのクソ呪霊の眼中に入っていないからにすぎない。那由多に仕掛けられた寿命を奪い取る術式の余波だけで、傑の指先は震えていた。

 さらに面倒なのが――

 

 

「――、――!」

(何も聞こえない……!)

 

 

 今までにこの呪霊が吸い上げた寿命が可視化されたのだろうか。領域に点在する無数の式神が歌う聞き覚えのある賛美歌に邪魔されて、仲間の声が届かない。連携が、取れない。

 

 

(どうする……?)

 

 

 他人に声を張り付けることができる呪霊はそこまで珍しいものではない。だが今の夏油の手持ちには不在だ。この間の特級呪霊との戦闘での損害は大きすぎた。

 

 死なない程度に手加減した攻撃を繰り返し歌を歌う式神たち。まずはあれを片付けなければ話にならない。

 傑は指先に傷をつける。最良の手段とは思えない。だがそれ以外の方法が思いつかなかった。迷う時間すら惜しい。ここ最近のあらゆる悩みの原因たるそいつを呼び出した。

 

 

(呪霊操術──()()()()!)

【ん〜〜嫌じゃ】

(牛の血をやっただろうが!)

【そんなのワシは飲んでない。そうじゃのお……生きた呪術師の血を、丸ごと一人分飲み干したいのぉ!】

(……っ! 次までに用意してやる! だから命令を聞けッ!)

 

 

 夏油傑の呪霊操術は、取り込んだ呪霊を問答無用で制御下に置く――はずだった。だが血の呪霊は支配に極めて強い耐性を持っていた。特級呪霊だからではない。こいつだけが持つ性質。いや、これを耐性と呼んでいいのかは分からないが。

 縛りを結んでも、結んだ端から記憶を歪めて無効化していく。「そんな約束してない」――こいつは一切の罪悪感なく自身の虚偽こそが真実であると確信するのだ。どういう性格の歪み方をしているんだ。魂の根底から捏造された主張は、呪術の在り方そのものを冒涜する。

 

 ――無知は首輪に? 力は柵に? 罪責と敬愛と恋慕は都合良く動かすための手綱になる?

 

 本当にそうだったらどれだけ楽か。旅行前に那由多が語った戯言を傑は鼻で笑う。支配の呪霊でも、こいつの支配は苦労するに違いない。

 

 天使の呪霊の血液を直接操作できれば手っ取り早いのだ。だが、こいつの使役は常に呪力量で捩じ伏せる直接勝負(綱引き)。下手に力を与えすぎると、叛逆を起こされとんでもないことになる。

 故に鬼札。夏油傑の呪術師としての力量が、ダイレクトに反映される最低最悪の計測器。慎重に見極めて、血の呪霊にその力を振るわせる。

 

 

【イエーーーーイ!!!! ガハハハハハ! 無力な人間が惨めに足掻く様は見ていて飽きんのお!】

(黙って働け!)

 

 

 硝子が地上から手を振り合図しているのが見える。

 傑の血が重力に逆らい、浮かび上がる。意思疎通のために空中に言葉を刻んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:五条悟】

 

 

 温度の感覚が薄れていく。肉体が軋む。頭が痛い。激しい眠気と、なのに眠れないという苦痛。

 何より悟に動揺を与えたのは、目が霞んだことだった。

 五条悟はうん百年ぶりの無下限術式と六眼の抱き合わせ。精密な操作が求められる無下限術式の圧倒的性能は、呪力の流れを捉えるこの瞳があってこそ。凡夫がいくら望んでも手に入らない天賦の才能。――それが、バグっている。

 

 ゲームで例えるなら、デバフ効果。寿命の急激な減少が、肉体に想定外の負荷をかけていた。

 

 悟を無視して移動する呪霊も、周囲を取り巻く式神も、全てが鬱陶しい。だが六眼の補助が不十分な状態で下手に無下限を振るうとどうなるか、少し予想がつかなかった。

 

 

(さて、どうすっかな……ん?)

 

 

 砂浜に赤い血で文字が刻まれる。ようやく、音がまるで聞こえなくなっていることに気づく。この領域の副次効果だろうか。その対策に使う呪霊がこれとは少々贅沢すぎだ。

 

 

『クズども こっちに来い by 硝子』

 

 

 あくまで術者は傑である。アフレコをしている姿を想像して笑った。

 上空から当人が呪霊に乗ってやってくる。悟を拾い、そのまま硝子の方へ連れて行った。

 

 

 

 

 

 那由多の腹に呪具が刺さっている。それを一度引き抜いて追撃を仕掛けようとする呪霊に後ろから蹴りかかった。

 天使の呪霊は前につんのめって吹き飛んだが、大したダメージは入っていない。領域展開にはそもそもバフ効果がある。さっきまでは効果があった攻撃も、今の状態ではかなり軽減されるだろう。

 

 背後の硝子が悟に手を伸ばしてきた。彼女を無下限の指定から外しそのまま触らせると、じわりと正の力が流れ込む。反転術式だ。

 

 

(いいね、かなり楽になった)

 

 

 ただ一人、反転術式の使い手たる家入硝子だけが急激な寿命減少の副作用から逃れていた。術式反転『赫』に成功した悟だが、細かな治療となると流石に硝子に一日の長がある。硝子が悟と那由多と傑の肌に触れ、まとめて反転術式の影響下に置いた。四人同時に治すなど無茶なマネをする。だが無理矢理に不調を誤魔化しているだけで、寿命そのものが奪われていないわけではない。対症療法に過ぎないのだ。

 

 出来るだけ早く倒さなければならない。

 

 

「――! ――――、――!」

【――! …………! ガハハハハハハ!!!!!】

「おお、絶景だな」

 

 

 傑の呪霊が解き放たれ式神を喰らっていく。そして、()()()()()()がその隙間を縫って確実に数を削っていく。

 赤血操術『苅祓』――そのもどき。

 血の呪霊の力と悟の提供した情報をもとに再現された大技だ。やや荒いが形にはなっていた。傑の性格を考えるに、本当はもう少し練度を上げてから披露するつもりだったのだろう。こいつは結構見栄っ張りだ。

 操術系の弱点である術師本体の無防備さを、肉弾戦以外の方法で解決できるという意味でも面白い戦術だった。

 

 雑魚が一掃され、道ができる。仕掛けるなら今だ。

 

 

「術式反転『赫』」

 

 

 最高のタイミングで打ち出された術式は、そのまま正面から切り払われた。

 

 

「……やっぱ『赫』ももう警戒されてるか」

「今更だが、あの呪具はどういう効果なんだ?」

「単純に呪力の流れを切って逸らしてる」

「想像以上に脳筋の対処法」

 

 

 術式の起点を対象の近くに指定しなければならない『蒼』と違い、ただ吹っ飛ばすだけの『赫』ならば、不意をつけばあの呪霊にぶつけることはできるだろう。だが、一度大ダメージを与えたせいかかなり警戒されていた。何度か攻撃を仕掛けるが全て弾かれる。 

 出力を上げることは難しい。硝子がそばで治療をしなければ、悟は繊細な操作が求められる無下限術式を最大効率で回せない。硝子がそばで治療をしていると、巻き込む危険性があるので最大効率で回せない。

 ジレンマだった。

 

 

 領域展開。

 呪術の到達点。

 その領域では、無下限の防御さえ突破し、術者の術式は必ず必中(あた)る。

 

 対処法は、相手の呪力切れを狙うか領域から脱出するか。どれもあまり現実的ではない。

 

 

「悟、領域展開出来るようにならない?」

「…………10分」

「あったら出来るんだ?」

「今にも死にそう…ッ! ってこのストレスが、呪力の流れの核心を掴む後押しをしてくれる予感がする……!」

「問題はあれを前に10分も稼ぐ余裕は無いってことかな」

「それな」

 

 

 それでは呪力切れ狙いと対して変わらないと軽口を叩いている間に、また那由多が死んだ。天使の呪霊が生み出す武器が、那由多に必中(あた)った。

 必中効果は、寿命を奪うだけでなく呪具生成にも及んでいる。それを那由多にしか向けない天使の呪霊はいまだに悟たちを舐めている。ムカついた。あれだけボコられたくせに学習しねー奴。もう一度真正面から潰してやりたいところだが、それをするには近くに人が多すぎた。

 

 ……後者の対処法を成しうる五条悟の奥の手。『赫』よりも確実で、周囲を巻き込む破壊。最悪のケースを想定して、その使用を視野に入れる。

 

 

「ねえどうして」

「あぁ!? なんだって!?」

「どうして助けてくれるの?」

「はぁ〜? この状況で聞くことか?」

 

 

 那由多が死ぬ。生き返る。もはや見慣れた光景だが、生首が喋るとなると少し驚く。那由多と命を共有しているチェンソーマンだったかは、ようやく蘇生を始めたようだ。だから死と復活の間でこんな奇妙な光景が生まれている。

 那由多は質問を繰り返す。あの呪霊の狙いは私だけなのに、どうしてとほざく。今更すぎるだろ。

 

 

「友達を助けるのに理由がいるか?」

「迷惑だとか考えているなら、舐めた考えをしたことを謝罪してくれ。私たちは最強なんだ」

「このクズどもと同意見なのは嫌だけど、私も貴女のこと嫌いじゃないのよ」

 

 

 だから、見捨てるなんて選択肢はない。

 

 青いセリフだ。言ってて小っ恥ずかしくなってきた。けれど紛れもない本心だ。

 少しでも照れれば可愛げがあるものを。那由多はいつもの無表情のまま立ち上がり、下腹部を手で抑えて深呼吸をした。

 

 ……首が、繋がっている。

 天使の呪霊が強く警戒して、身構えた。

 

 

「そっか」

「おい、那由多?」

「ちょっと、離れたら反転術式が……」

 

 

 焦る傑と硝子を悟が無言で制止する。

 急速に練り上げられる呪力。全くを同じものを俺たちはついさっき目撃したばかりだ。

 

 

「なら『ナユタ』も友達のために頑張りたい」

 

 

 目の前の天使は特級呪霊。早川那由多も特級呪霊。

 ……冷静に考えれば、こいつにできない道理はないのだ。

 

 

 

「──領域展開」

 

 

 鎖が擦れる音がする。

 

 

 

 

 

   ■■■■ ■■■■■(マキマ)

 

 

 

 

 

 

「――マジかよ」

 

 

 本日二度目の驚愕。ちょっと、安売りしすぎじゃないの?

 

 無数の貌の無い人影が現れる。不完全で不恰好。天使の悪魔には遠く及ばない未熟な練度。

 だが天使の領域の必中効果を打ち消すには十分だ。

 

 そしてそれは()()()()()()()()()()()()()()()()()という手札を手に入れたということ。

 

 

【なんて……ことを……】

 

 

 特級呪霊は、溢れ出る人影を呆然と眺めている。

 

 

(……なんだ?)

【よくも……ッ!】

 

 

 様子がおかしい。血涙を流す。領域展開のカウンターに驚いているのとはまた違う反応な気がする。

 遠くからじっとこちらを見つめる影。支配の呪霊の生得領域に住まう者たちの一人。

 黒い髪。変形した両腕と頭部。スーツ姿の若い男。天使の呪霊は/俺たちはその正体を知っている──

 

 

「──■■■(マキマ)ァ!」

 

 

 天使の呪霊が今までとは比べものにならないほどの呪力を練り上げた。

 対する悟も、二つの術式を使用する。

 

 

 

1()0()0()()使()()!」

 

 

「三人とも、下がってろ」

 

 

 

 

 収束/吸い込む力──『蒼』

 発散/押し出す力──『赫』

 

 これは五条家の中でもごく一部の人間しか知らない秘技。それぞれの無限を衝突させることで生成する仮想質量。

 失敗は無い。なにせ無から有を生み出す術は、目の前のこいつが何度も手本を見せてくれた。

 呪術なんてのは所詮はズルとズルのぶつけ合いだ。より身勝手な方が勝つのである。

 

 

 

「俺、天才だからやれば大体なんでも出来ちゃうんだよね」

 

 

 

 

 

 虚式――『茈』

 最大出力

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:天使の呪霊】

 

 

 ■■■(支配の呪霊)の領域展開から溢れ出た人影。全く知らない人。見覚えのある人。見間違えようのない人。ささやかな祈りが、願いが、どうしようもなく踏み躙られたのだと気づき、頭が真っ白になった。

 

 激しい怒りに飲まれてもなお、たった百年しか使えなかった。

 

 本来ならば。領域内に引き込んだ時点で天使の呪霊は勝っていた。たかが人間の寿命程度、一瞬で全て奪い取れるだけの力が彼にはあった。

 

 東京の人混みで領域を展開すれば、天使に敵う者はいないだろう。

 百と言わず、千や万の命を使えば史上最悪の武器が生み出せるだろう。

 ……僕が僕である限り、決してあり得ないことだ。

 

 ■■■(支配の呪霊)以外の人間に振るうことができなかった。

 

 だって。だって! そんなことをすれば死んでしまう。

 彼の命も、彼女の時間も、物言わぬ無機物に成り果てる。

 彼らが、彼女が、残酷な人ならよかったのに。仲間思いで、優しい姿ばかりを見せられて、どうして踏み躙れようか。

 

 判断が遅い。迷いが多い。

 天使の呪霊は優しすぎる。だからいつも手遅れになる。

 

 ……今度こそ後悔しないと決めたはずなのに。

 

 

 白髪の彼の、信じられない威力の一撃が、領域を内側から突き破る。

 

 墓石が見える。

 早川家と刻まれた塊。

 あの領域に存在した影ではない、本物の早川アキが眠る場所。

 

 

「あ    ぁ   」

 

 

 あとほんの少し軌道がズレていたら、きっと壊れてしまっていただろう。

 

 巻き込まなくてよかった。

 

 

 

「ア………キ………」

 

 

 

 

 ごめん。

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:夏油傑】

 

 

 特級呪霊の領域が解けていく。

 私たちの勝利だ。

 

 

 死の危険からは解放されようやく息をつく。何事もなかったかのように首が繋がった那由多に、悟は文句をつけていた。

 

 

「お前、領域展開が出来るのになんで血の呪霊との戦いの時に使わなかったんだよ」

「そもそも出来るかどうか分からなかったし……血の呪霊は……支配が難しい。あの時たとえ私の支配が必中になったとしても、状況はあまり変わらなかっただろうね」

「それは……そうだね」

 

 

 那由多の言い分に傑が同意する。血の呪霊を制御するのは難易度が高すぎる。とっさの事とはいえ厄介な縛りを結ばされた。早くどうにかしなければならないが、今はただ休みたい。

 

 

「──さて」

 

 

 夏油傑は天使の呪霊を取り込んだ。

 みんな五体満足で生き残ることができた。しかし目に見えないダメージが大きすぎる。この呪霊に反転術式を覚えさせ、寿命を取り戻さなければならない。

 そんなことできるのか? そもそも、寿命とは可逆性のあるエネルギーなのか? 不安材料は山積みだ。

 ……やれるかどうかではない。やるしかないのだ。

 

 

「結局、何年ぐらい取られたんだ?」

「呪力によるガードの精度差もあるけど……1分間で2〜3年くらいのペースで削られてたな」

「私たち、何分くらい領域に閉じ込められてた?」

「「「「……………」」」」

 

 

 心底計算したくない。

 

 

「傑……今回は……マジで……頼むわ……」

「今日から毎日昼ごはん奢るから……」

「私は死んでも生き返れるから別に」

「ウゼエーーーーーーー!!! 元はと言えばお前のせいだろうが!!!!!!」

 

 命令をろくに効かない血の呪霊に、レベリング必須の天使の呪霊。夏油傑が特級に昇格するのはもう少しかかりそうだ。

 

 

 

 

 全員が全員ボロボロだった。旅館に帰るにしてもこんな血みどろでは何を言われるか。この後の処理を考えると少々憂鬱だ。

 傑は大型の呪霊を呼び出した。徒歩よりはマシだろう。流石に寒いと文句は言わせない。女子二人を乗せたところで、ふと気づく。悟がその場から一歩も動いていない。

 

 

「……あのさ」

「…………おい、悟」

「あとは……よろしく……」

 

 

 悟の身体が崩れ落ちる。眼球が完全に裏返り、目と鼻と口と、耳からも血が吹き溢れる。

 顔面から地面に突っ込むころには完全に意識を失っていた。

 

 

 術式順転『蒼』 28回 (内4回出力最大)

 術式反転『赫』 3回

 虚式『茈』 1回

 

 

 アドレナリンが切れ、負荷が一気に押し寄せた。

 合計35回の術式連続使用が、五条悟の脳味噌を焼ききっていた。

 

 

「「「悟ーーーーーー!?」」」

 

 

 ──いわゆる、オーバーフローである。

 

 

 

 

 

 

 

 

「こらっ! 那由多! 馬鹿の頭を叩くな!」

「落ち着け! テレビじゃないんだ」

 

 

 

 

 




虚式は爆速マスターしたけどオートリジェネ反転術式は使いこなせなかった暫定最強(瀕死)



天使の呪霊
性別:男性型(呪霊)
年齢:10年
好きなもの:休憩
嫌いなもの:人が死ぬこと
出典:チェンソーマン
 直接触れた相手の寿命を吸い取り呪具に変換できる。後に夏油傑らにより『天命操術』と命名される。反転術式で寿命を与得られるようになってくれという切実な願いが込められている。実際にできるかどうかは定かではない。
 能力はチートだが肝心の本人が使うのを嫌がっているため特級呪霊分類の中ではかなり弱い。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

もしも私が

 

 

 

【side:吉田ヒロフミ】

 

 

 吉田ヒロフミは呪術師だ。今回のお仕事は、北海道に待機中の後輩をフォローすること。

 もっとも、才気あふれる若者たちは、ヒロフミの手助けなど必要ないくらいに強い。なにせ学生の身で特級呪霊を倒すくらいだ。

 

 

「俺はさ、呪術師としてというより、大人として呼ばれたわけ」

 

 

 五条家の坊ちゃんと、友人の妹と、その同級生たちに表向きの理由を告げる。

 

 

「君たち見た目は大人びてるけど、身分証明書を求められたら一発アウト。病院への対応にしろ、ホテルを借りるにしろ、何をするにしろ、俺がいた方が都合がいいって判断」

 

 

 北海道で特級呪霊と遭遇したという報告を受けてから現場に急行したのがつい数時間前。

 

 

「俺は呪術師としては三流だからさ、補助監督みたいなものだ。まあ都合よく使ってよ」

「一級呪術師が何を言ってるんですか」

「君たちと比べれば、誰だって三流だ」

 

 

 才気あふれる若者たち。

 しかし、まだ人を殺したことはない。

 呪術師として生きる以上、とっくの昔に覚悟くらい決めているだろうが、それでもその決意を出来るだけ先延ばしにしてやるのが大人の務めというもの。

 

 

「蛸」

 

 

 路地裏の陰から吸盤のついた触手が現れ、目の前の呪詛師の手と足と胴を捩じ切った。

 吉田ヒロフミが北海道に援軍に来た本当の理由は、とある理由でこの地に集った呪詛師の処理だ。こいつはその中でも悪名高い、子供の教育に非常によろしくない極悪人だった。上層部から殺害の許可も出ている。自らの相棒に食べて良いよと許しを与えれば、遺体は墨の中に引き込まれていった。

 

 足音がする。巡回を任せていた高専の二人。ナユタちゃんと、もう一人は夏油傑といったっけ。

 

 

「なんてことを……」

「あーあー、見られちゃったか」

「なんてことをしてくれたんだっ!」

 

 

 夏油傑が冷や汗をかいている。すぐ後ろに控える友人の妹は相変わらず無表情で、何を考えているのかよくわからない。

 

 

「学生が手を汚さないようにって気遣いだったんだけど、余計なお世話だった?」

「そうですね」

「……五条家の坊ちゃんの学年は問題児の集まりって聞いてたけど、そうでもない? まさか呪詛師を殺したくらいで……」

「そういう話じゃない」

 

 

 ズルりと、呪力で編まれた3メートルを超える巨体が顕れる。

 ――特級呪霊。その本体。

 

 

「なっ……!」

【で、ワシのご褒美は?】

「………今日中に与えるから黙ってろ」

【カァ〜〜〜! 嘘つきじゃ嘘つき! 人間はすぐ嘘をつく! 醜い生き物じゃ!】

「お前本当覚えてろよ……」

 

 

 夏油傑は人を殺しそうな顔をしていた。

 もっとも、死にかけているのは彼の方なのだが。

 

 

【本当に楽しみじゃのう! ワシの! ()()()()()()()()()()()()()()()!】

 

 

 全身にこびりつく、特級呪霊の残穢。有象無象の呪詛師などとは格が違う脅威。

 彼は呪われていた。

 

 呪霊憑きの一級呪術師、吉田ヒロフミ。くぐり抜けた修羅場は数あれど、これはちょっと予想外だ。

 

 

「…………えーっと、どういう状況?」

 

 

 ようやく絞り出せた言葉は、それだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:夏油傑】

 

 

 術式の使いすぎ(オーバーフロー)で悟は意識を失った。

 

 すぐそばに家入硝子がいたために大事には至らないだろうという予想は、本人の「いやもう無理、呪力すっからかん」「四人同時に治療とかするものじゃないわ」というリタイア宣言によりあっさり覆された。

 高専経由の任務ではないのだ。補助監督も不在だったため、硝子の判断により公的な手段で救急車を呼ぶことになった。その間に傑は高専に連絡を取る。夜蛾はサボり生徒四人組の現在地を知った時点では呆れた様子だったが、特級呪霊と遭遇したことと悟の容態を伝えると態度を一変させた。病院での待機命令と、北海道滞在延長手続き。その他諸々は任せておけとのことだった。すぐに信頼できる一級呪術師を補助に向かわせるとも。

 

 

「なにがあったんですか!?」

「飛び出して来た鹿と衝突して……」

「鹿に!?」

「たくさんの鹿に……」

「たくさんいたの!?」

 

 

 救急隊員に交通事故と言い訳しかけていた傑は、那由多の口から飛び出した嘘に笑いを堪えるのに必死だった。交通事故じゃダメなのか。動物にしてももっと熊とかあるだろ。後から聞いた話によると公的機関による犯人探しが行われないようにするためというまともな理由があったのだが、その場でのインパクトが大きすぎた。未だに思い出し笑いしそうになる。

 

 

「鹿鹿連呼されるせいで鹿肉食べたくなって来た……」

「しばらく病院食だぞ」

「味全然しねーんだけど。ありえない。クソ不味い。旅行に来て食べる飯じゃない」

「吐瀉物を拭いた雑巾よりは美味しいだろ?」

「傑、結構根に持つよな……」

 

 

 病室のベッドで食事に逐一文句をつけていた悟は、牧場での一件を思い出し顔を歪めた。自業自得だ。

 硝子はタバコ片手に一服している。おいここ病院。

 

 

 病院に搬送されたあと、悟は即座に集中治療室に運び込まれた。ドラマや呪霊退治でしか見たことのない場所だ。なんだかんだ甘く見ていた那由多と傑は、「これ、マジでやばいやつじゃね?」と察し冷や汗をかいた。

 どうしよう、寿命を一気に奪われた影響で回復力が低下してたら。どうしよう、このまま死んじゃったら。どうしよう。一睡もできずに夜を明かす二人を尻目に硝子は爆睡していた。

 悟が通常の病室に移動した今となっては笑い話である。

 

 

「悟くん、意外と繊細なんだ」

「お前がボコスカ頭叩きやがったのがトドメなんだわ」

 

 

 呪力を回復させた硝子が随時反転術式を使用する。医者の見立てよりは早く回復するだろう。命に別状はない。

 お見舞いのメロンをつまみ食いしていた那由多の首根っこを引っ掴み、病室の入り口まで引きずっていく。ようやくサポートの一級呪術師が最寄駅に到着したらしい。名目上は那由多の監視補助だが、本命は別だ。

 

 

 『五条悟が、死にかけている』

 

 

 その情報は、あっという間に日本全土に広まった。

 呪詛師、呪詛師、呪詛師──五条悟という呪術界のバランスブレイカーの存在により息を潜めていた無法者達が、北海道に集結した。今が殺すチャンスだと分不相応な望みを抱いて。

 ……この事実を、悟に知らせる必要はない。今は回復に専念すべきだ。全て私が処理をすればいい。密かに決意を抱いて、病室を後にする。

 

 

「ああ、それから傑」

「なんだい」

 

 

 味の薄い粥と格闘する悟がついでのように告げた。

 

 

「お前、今日死ぬから」

 

 

 

 

 

 

 

 

「は?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏油傑は呪霊操術の使い手だ。

 取り込んだ呪霊を問答無用で制御下に置く筈の術式は――血の呪霊の破綻した性格の前に機能不全を起こしていた。そんな状況で無理矢理命令を聞かせるために結んだ縛りが、呪いとなり傑の命を脅かしていた。

 

 縛りを破れば罰を受けることになる。そして他者と結ぶ縛りの恐ろしいところは、その代償が未知数であることだ。

 真面目な話になるとすぐに茶々を入れるあの悟がマジ顔で「詳細は省くがお前は死ぬ」「楽しい青春だった」「アーメン」などと言い出すあたり相当にまずい……いや完全にふざけてるなあいつ。絶対に許さない。

 

 

(こういう時だけは記憶を歪めないとは、さすが呪霊らしいひん曲がった根性だな)

【は〜? 偉大なるワシに何か文句があるのか? ワシが本気を出せばこの病院は一瞬で血の海じゃが?】

「黙れ」

 

 

 傑の判断ミス、と言い切れないのも苦しいところだ。

 特級仮想怨霊『Angel』との戦い――あの時は一刻を争う状況だった。短期決戦で討伐できたのは傑が早期に意思疎通手段(赤血操術)を確保したのも大きな要因だ。

 

 

 ――【生きた呪術師の血を丸ごと一人分飲み干したいのォ!】

 

 

 正直これ以外の条件で奴が動いたかと言われれば微妙だ。

 

 

 現在時刻午後八時。

 ()()()()()()()()()()()()()()()として目をつけていた呪詛師は、たった今吉田ヒロフミの蛸に処理されてしまった。非常にまずい。

 あと四時間以内に殺しても構わない生きた人間を準備できなければ夏油傑は縛りを違反した罰として――死ぬ。

 

 

「……マジ?」

「マジ」

「えっ…………死ぬの? 代償重くない?」

 

 

 学生に手を汚させるべきではないという彼の配慮は大人として真っ当な行為だった。

 ただ、その真っ当さが傑の命を追い詰めているだけで。

 

 

「事情を教えてくれればちゃんと対応したのに」

「初対面の相手に弱みを見せろと?」

「あはは、正論だ」

 

 

 吉田ヒロフミは軽薄に笑う。

 

 

「そいつ、血の呪霊だろ。祓ったなんて嘘の報告して、こっそり呪霊操術で確保してたなんていけないんだ。だからこんなギリギリの状況になっても大人に相談しないわけだ」

「貴方に何か不都合でも?」

「別に。だけど、知っちゃったからなあ……あと1時間だ。あと1時間以内にどうにかできなかったら、俺から上に連絡する。特級候補を上も失いたくないでしょ。終身刑以上の死刑囚の準備なんてすぐだよ」

 

 

 

 

 ……その後。

 夏油傑は那由多と共に対策を考えたが、どれも結果は奮わなかった。

 

 

 

 

 ある呪詛師たちの拠点では――

 

 

「くっ、私もここまでか………」

「この中で一番偉くて一番悪いことをしたのは誰か教えてくれるかな」

「くっ……私だ! 私が全て指示したのだ!」

「オジキぃ! 違うんです! これは! 俺が彼女と揉めたのが原因で! オジキはそんな俺を助けてくれだだけで! なにも悪くないんですぅ!」

「じゃかやしい! 全部私のせいっつってんだろ!」

「あの」

「パパ〜!」

「なっ、ここから出るなと!」

「パパ大好き」

「どうか、娘だけは! 娘だけはぁ!!」

 

「「………………」」

 

 

「念のため確認するけどさ、君たち本当に呪詛師?」

「何ですかそれ」

「本当にただのヤクザみたいだね」

「うん、帰ろうか」

 

 

 そもそも非術師の集団だったり。

 

 

 

 

 またある拠点では――

 

 

「どうじで私ばっかりこんな目にぃぃぃぃぃぃ…………やめよう………もう、こんな仕事………やめよう………」

 

 傑たちが突入する前に一般人の女性がナイフ片手に呪詛師を全員制圧していたり。

 

 

 

 全てが徒労に終わる。

 こうしてあっという間に1時間が過ぎたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:早川ナユタ】

 

 

 ハズレばかり引いて、あっという間に1時間が経ってしまった。現在時刻午後九時十分。ナユタと傑は、病院の自販機前の椅子で机を挟んで休憩していた。ホットコーヒーでかじかんだ指を温める。

 

 さっさと適当な人間を殺してしまえばいいのに、と『私』は考える。大抵の人間は夏油傑よりも国家に貢献していない。正式な手順をふんで上層部を利用することに、なんの迷いがあるのだろう。

 悪人以外の人間を生贄にするという選択肢がそもそも彼の中に存在していないところは、尊敬するなあと『ナユタ』は思う。

 それとも、まだ人を殺したことがないのだろうか。そういえば呪詛師討伐任務はみんな捕縛した段階で引き渡していた。ナユタの同級生たちはなまじ実力があるので殺すか殺されるかのレベルにまで戦いが発展しないのだ。

 それだけじゃない。きっと夜蛾先生や吉田さんは、若者が出来るだけ手を汚さないように立ち回ってくれている。優しい大人たちだった。

 

 

「支配の呪霊はなんて言ってる?」

【今すぐ戻ってさっきの犯罪者集団のうち比較的呪力量の多い人間に血を分けてもらいましょう】

「使えないな……」

 

 

 傑はダメ元でナユタの『支配の呪霊の感性』にアイデアを求めたが、即時却下された。それが出来れば困っていないと言いたげだ。

 

 

【呪術師として優秀な夏油傑の生存の方が、あの非合法的組織の人間よりも優先されるべきでは?】

「そう言う問題じゃないんだよ。呪術師は弱者を救うためにいるんだ。弱者に生かしてもらうのは、因果関係が逆だろ」

「そういうものなんだ……」

 

 

 夏油傑は理屈っぽい。なんとなくで行動することを好まない。呪術師としての彼なりの信念があって、ナユタはそれを信頼出来るものだと感じていた。

 

 

「……日本に現在特級の名を冠するものがいくつあるか知っていますか?」

 

 

 だからだろうか。こんな話をしようと思ったのは。

 

 

「呪物は変動が大きいが……私が耳にしたことのあるものだけでも二百はあった。呪術師は……悟と、あともう一人いたはずだ」

「呪霊は?」

「不勉強でね、知らないな」

「四十四体登録されていました」

「……過去形?」

「チェンソーマンが十七体にまで減らしたのが今の日本です」

 

 『天使』は海外特級指定の密入国呪霊なので別ですが、と補足する。

 

「銃だけじゃなかったのか」

「なの……かな。私も詳しいことは知らないや。そのうちの一体が(支配の呪霊)でした」

「!」

「そして、今の(ナユタ)が生まれた。当時すでに九体の特級呪霊を討伐していたチェンソーマンと契約して、こうして生きてる」

 

 

 これが、早川ナユタの知る確実な情報の全てだった。

 

 

「……チェンソーマンは、特級呪術師なのか?」

「分からない。悟くんの言葉を借りるなら、私がデンジになにも聞いてこなかったから」

 

 

 私には分からないことだらけだ。だからみんなを巻き込んだ。ナユタは、ナユタが己の過去に興味を示した時のデンジの雰囲気が嫌いで、居心地の良い無知に甘えて来た。けれどそろそろ傷つく勇気もついてきた。

 

 

「だからね。この旅行が終わったら、デンジを質問攻めにする。早川家とどんな関係なのか、アキって誰なのか、天使の呪霊はどうして私を襲って来たのか。怒られても叱られても嫌がられてももういいや。最初に自立を学べって言ったのデンジだもん」

 

 

 夏油傑は黙って話を聞いてくれた。

 

 

「でも、こういうことするの初めてで不安だから――どうか、一緒にいて欲しい」

「……もちろんさ。私だけじゃない。絶対に悟も硝子もついて来てくれる」

「ありがとう」

「家族との喧嘩は、誰もが通る道さ。反抗期というやつだ」

 

 

 嬉しかった。こんな話ができたのは初めてだったから。「下手に面白い言動をしたら悟は一生ネタにするだろうから気をつけたほうがいい」だの「しぶられた時用の実力行使計画はもうある?」だのノリノリで賛同してくれる。

 

 

「あのね」

 

 

 早川那由多は、彼らを好ましく思っていた。

 

 

「──もしも私が悪い呪霊になったら、私のことちゃんと食べてね」

 

 

 ナユタはデンジを愛している。デンジはナユタを愛している。

 だから、デンジはナユタを食べることはないだろう。

 

 ナユタはずっとデンジの失恋に嫉妬していた。

 

 ずっとずっとデンジの口の中に入る夢を見て、抱きしめてもらう暖かさと比べて、やっぱりいいやと結論づける日々。

 満ち足りていたけれど、それだけじゃ今の私にはきっと物足りない。

 

 デンジがいないと寂しかった。入学前は寮生活と聞いて緊張していた筈だ。

 なのに、今は何だか毎日が楽しいのだ。

 

 

「私のことを食べて、傑くんたちの好きに使ってよ」

「それは、監督者としての信用?」

「それもあるけど、(ナユタ)の気持ち」

 

 

 嘘はない。

 

 

「できればあの黒くて丸いのにしないで、そのまま食べて欲しいなあ……」

 

 

 傑がそういえばこいつヤンデレだった、と頭を抱えている。知らない単語だが、碌な意味じゃないだろう。無言で脇腹を叩くが、はいはいと軽くいなされる。

 

 

「そうならないのが一番なんだけどね。一応覚えておこう。悪い呪霊を退治するのは呪術師の仕事だからね」

 

 

 学校、楽しいよ。デンジの言ってた通りだった。

 早くこの発見をデンジに伝えたくてたまらない。

 

 

「デンジ以外に食べられてもいいと思うなんて思わなかった。これが学校に通うってことなんだ」

「絶対違う……」

 

 

 満足げに缶コーヒーを飲むナユタに夏油傑はげんなりしていた。

 

 

 

 

 

 

「じゃあそろそろ頭を下げに行こっか」

「そう……だね……」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

反抗期

 

 

 

【side:夏油傑】

 

 

 午後九時二十分。

 約束より二十分遅い到着だ。

 

 

「おかえり、どうだった?」

 

 

 吉田ヒロフミは、最上階の休憩スペースで待っていた。見送った時と同じ軽薄な笑みで二人を出迎える。結果は言うまでもない。

 夏油傑は反骨精神に溢れた問題児だが、同時に優等生でもある。五条悟の悪ふざけに対しても半分ぐらいは止める側の立場を保っている。ここは素直に頭を下げておこう──

 

 そう考えた瞬間だった。

 

 

「謝罪できたら助けてあげる」

「――は?」

「たくさん、いろんな人に迷惑をかけることへの謝罪がまだだよね?」

「……こいつ」

 

 

 眉間に皺が寄ったのを自覚する。殴り掛からなかったのは相手の主張に正当性があるからだ。ここでキレたら悟と同レベルになる。だが己の優位性を盾にマウントを取る人間は友人同様に傑も嫌いだった。

 背後の那由多がさっさと謝ればいいのにと言いたげな目を向けてくる。こういう時女性は薄情だ。硝子もきっと同じ反応をするだろう。悟がいれば代わりに噛み付いてくれるだろうが、残念ながら不在だ。そもそもこんなところを見られたくない。

 

 吉田ヒロフミはニヤニヤ笑っている。暴力の気配が色濃い顔立ちだ。胡散臭いと評されがちな自分を棚に上げて、心の中でいちゃもんをつけていた。

 

 現在時刻午後九時二十五分。

 五分間の悪あがきを経て、夏油傑は開き直った。

 

 

「……この度はご迷惑をおかけしました」

「うん、じゃあこれあげる」

 

 

 吉田ヒロフミは簡易テーブルの下から長さ1メートルはある大型のクーラーボックスを引っ張り出した。

 中には大量の血液が袋詰めされて入っていた。医療用の輸血パックではない。もっと一つ一つの容量が大きく、手作り感溢れる――

 

 

「あの、これは、」

「血。呪術師まるまる一人分。一滴残らず搾り取った。ついさっき抜きたてホヤホヤだ」

 

 

 まだ暖かいと思うよ、と聞いてもいないのに補足する。

 時計を見る。終身刑以上の死刑囚を準備するだとか言っていた筈だ。それにしては早すぎやしないか?

 

 

「俺、そこそこ顔は広くてさ。快く協力してくれる子が居たよ」

「その言い方だと、死刑囚の血ではないように聞こえるのですが」

「うん、()()()? それは君たちをここから遠ざける方便」

 

 

 人殺し。

 脳裏をよぎる嫌な単語。彼の纏うアングラな気配も合わさり、警戒から一歩下がった。那由多を庇うように位置を取る。

 あからさまに向けられた警戒を受け流し、吉田ヒロフミは大人としての振る舞いを崩さない。

 

 

「ダメだよ、ちゃんと言葉の裏の裏まで考えて動かないと」

「随分といい性格をしていらっしゃるようで」

「俺じゃなくて、夜蛾先生の指示だよ」

「……何? っおい、那由多」

 

 

 一触即発の状況で那由多は平然とクーラーボックスに近づいた。鼻をヒクヒクと動かす。

 

 

「血だ」

「そんなこと見れば分かる」

「チェンソーマンの血」

「…………えっ?」

 

 

 吉田ヒロフミはヒラヒラと手を振る。

 

 

「君を是非助けたいって人からプレゼント」

 

 

 快諾してくれたよと笑っていた。

 

 チェンソーマン。不死身のヒーロー。かつて夏油傑の命を救い、銃の呪霊を倒した人。

 つまり――目の前の男は悪人ではない。

 

 肩の力が抜ける。からかわれていただけだった。

 

 

「どうして、こんな回りくどい演出をしたんですか」

「後輩と仲良くしたくてさ。サプライズ」

「過去最悪の態度ですよ」

 

 

 脳内で騒ぐ血の呪霊を、呪霊操術で呼び出した。すぐさま文句を喚き出す。

 

 

【嫌じゃ! 生きた人間から直接飲む約束じゃ!】

「夏油くん、ホント?」

「……いいえ、縛りの内容は『生きた呪術師まるまる一人分の血』で、飲み方に指定はありません」

「なら大丈夫だね」

【嘘じゃ! 嘘つきじゃ! 人間はすぐ嘘をつく!】

「君の魂がそう確信していても、呪術師側の認識とズレているのなら縛りは成立しない。それともこの血は捨てた方がいい?」

【……】

 

 

 血の呪霊は黙り込んだ。

 

 

【ワシのじゃ……ワシの血じゃ!!!!】

 

 

 身体が軽くなる。解呪がすんだのだ。

 血の呪霊は輸血パックをがぶ飲みしている。ほっと息をついた。騒がせやがって。これが終わったら即刻呪力でねじ伏せてやる。しばらくあの鬱陶しい声も出させない。

 

 

「君の状態が判明した時点でとっくに高専に連絡は取ってたよ。『素直に謝ったなら手伝ってくれ』だってさ。夜蛾先生って優しいね」

「あの教師……」

「安心しなよ。別件でトラブルを抱えてるってくらいしか伝えてないからさ。血の呪霊については今後もナイショにしなよ。一般家庭出身で、呪術界への後ろ盾が少ない君が加茂家と揉めるのはオススメできない。五条悟(おともだち)に迷惑かけたくないならね」

 

 

 報告を誤魔化すのは悪いことだけど、判断自体は間違ってはいないと、吉田ヒロフミは肯定する。血を提供したチェンソーマンにも詳細は伏せているそうだ。那由多の反応から考えても、嘘はない。

 

 

(本当に、知り合いなのか……)

 

 

 夏油傑と同じ一級呪術師──だが、面倒ごとに遭遇した経験はずっと多いのだろう。

 

 

「それと、今の交渉のやり方は真似しないでね。血の呪霊相手だと上手くいったけど、基本的に特級呪霊ってのは知恵がある分プライドが高い。人間如きが交渉の席に立とうとしていると怒って襲いかかってくる可能性がある」

「覚えておきます」

「いくら馬鹿でも呪霊は呪霊。安易な縛りは危険だ」

 

 

 今後気をつけるようにという警告には実感が伴っている。吉田ヒロフミは耳に開けられた大量のピアスを指で弄っていた。

 

 

「俺、呪霊憑きだからさ。こういうトラブルには詳しい方だし、また問題が起きたら声かけてよ。君の呪霊操術じゃあまり起きない問題かもだけど、気をつけてね」

 

 

 吉田ヒロフミは大人だった。夜蛾の『信頼できる一級呪術師』という評価はおそらく正しい。

 ただ、何となく会話のテンポやタイミングが合わない。からかわれるのは好きではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:早川ナユタ】

 

 

「デンジは? 来てるの?」

「うん。今ホテルチェックアウトしたって」

 

 

 呪詛師を制圧し終わった頃、五条悟は退院した。医者も驚きの回復力――もとい硝子の反転術式のおかげだ。

 新千歳空港で生チョコレートの箱を開封する。悟の退院祝い兼、傑の解呪祝いのささやかなパーティ代わりだ。面倒な手続きを大人(吉田ヒロフミ)に丸投げし、学生四人はダラダラ時間を潰していた。

 

 ナユタが傑と呪詛師の対処に駆け回っていた間に、悟と硝子は反転術式について語り合っていたらしい。別行動中の近況報告からそのまま議論が再開した。

 

 

「反転術式って何?」

「今更すぎる」

 

 

 ナユタの疑問に悟が冷ややかに返す。一応説明はしてくれた。

 そもそも呪力は負の力だ。攻撃には応用できても、人間への治療行為には不向きなのだという。そこで生み出されたのが呪力を同時に2つ練り正のエネルギーとして扱う――マイナスにマイナスをかけてプラスにする技術――反転術式だ。

 天使の呪霊との戦いで反転術式を物にした悟だったが、肉体を癒す感覚が掴めず難航していた。他人への反転術式の使用など、どういう挙動なのか見当もつかないらしい。

 

 

「でも、プラスのエネルギーを術式に流すと攻撃にな……る……?」

「赫のことか? あれはエネルギーとして扱うのとはまた違うというか……あー、んーと、そもそもお前ε-δ論法って分かる? 正の実数δが存在するときに、|x−a|<δとなるxに関して、|f(x)−b|<εになるってやつ」

「悟くん頭まだ治ってないの? ボーボボ読む?」

「悪いのはお前の頭だ馬鹿。くそ、絶対理解できない奴に解説するの面倒くさいな……」

 

 

 ナユタは教員免許持ちのデンジから直々に指導を受けている。高校数学に苦手意識はなかったが、今回はそもそも指導要領外の話をされている気がした。

 

 

「私からしたら全員センスないよ」

 

 

 硝子がバッサリ切り捨てる。

 反転術式の奇才にとってはナユタも悟も五十歩百歩だとでも言いたげだ。傑はというと、私は文系だからと早々に理解を投げていた。

 支配と操術は文系で無下限(いみふめい)術式と反転術式は理系、なるほど覚えた。チェンソーマンは何だろう。体育会系?

 

 

「私、呪霊だけど反転術式が効いてたよ。呪力での肉体の再生も出来たことない」

「お前は写真にも映るし例外が多すぎ。心当たりはねーの?」

「うーん……?」

 

「お、術式談義? いいね」

 

 

 うんうん悩んでいると、吉田さんが戻ってきた。飛行機のチケットをそれぞれに手渡す。四人のやりとりをしみじみと眺めた。

 

 

「四人もいるんだよな。俺の在学中は同期も一個上も一個下も誰もいなかったから寂しくてさ。交流会なんて二日とも実質個人戦だった」

「京都校とのやつか」

「そんなことあるんだ」

「呪術界は万年人手不足。とはいえ同級生がいるってのは羨ましいな」

 

 

 吉田さんはデンジと同級生じゃなかったっけ。なにか事情があるのかもしれない。……私は知らないことだらけだ。

 

 

「ところで交流戦は勝ったの?」

「うん」

「団体戦も?」

「うん」

 

 

 話から察するに団体戦は一体多数になっていただろう。

 

 

「「「……」」」

「自慢か? かまってちゃんかよ」

「所詮三流同士のいざこざだ。君たちには『もっと上を目指してもらわねえと』──ってのが岸辺さんの思惑。実は、次の交流戦に試験監督として参加する予定だからさ。活躍を楽しみにしてるよ」

 

 

 悟の煽りはさらりと受け流された。

 京都校との交流戦。はたして『早川那由多』は参加できるのだろうか。私もやってみたいと思った。彼らと一緒ならきっと楽しい思い出になるに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

「──なんだ、元気そうじゃねえか」

 

 

 待合室に人が入ってきた。

 金髪で高身長の男。

 

 デンジだ。

 

 緊張する。無意識に背筋が伸びた。

 

 

「や、昨日ぶり。もう元気?」

「ホテルの朝食のウインナーお代わりする程度にゃな」

 

 

 デンジは吉田さんと大人の話をしている。

 タイミングを伺う必要はない。今だ。今聞けないようでは一生何も分からないままだ。

 

 

「那由多」

「……うん」

 

 皆に促される。事情は昨日のうちにみんなに伝えた。これから何をするのかも。硝子ちゃんはタバコを片手に見守ってくれている。悟くんは仏頂面でデンジを見つめていた。

 

 

「デンジ」

「ナユタ! 無事でよかったぜ。あんま心配させんじゃねえよなァ〜」

「あのね、聞きたいことがあるの」

「……どうしたよ、突然」

 

 

 問い詰めたいことは沢山ある。

 

 昔組んでた血を操れるバディってどんな人だった? 傑くんの契約した血の呪霊と関係あるの? 受肉してる? それとも人間の呪術師? ……デンジが食べたのと同じ人?

 デンジはナユタより一六年も長く生きているから、私の知らない思い出もたくさんある。そのほとんどを詳しく話してくれない。子供は大人が思うよりずっと聡いから、色々と察してしまうのに。でもこうして過ごす今を心底から大切にしているのもまた本音だと理解できるから、毎回これ以上問い詰められなくなってしまっていた。

 

 だけど、今は違う。

 

 今日は途中で逃げ出したりなんかしない。居心地の良い無知に甘えるのはもうやめだ。怒られても叱られても嫌がられたって構わない。早川ナユタは今日から自立してやるのだ。意を決してデンジと向き合う。

 

 後ろにいる友達が勇気をくれた。私は反抗期だ。どんな顔をされても聞き出してやると覚悟は決めた。

 

 

「支配の呪霊が何をしたのか、知りたい。早川アキって誰のこと? デンジと……どういう関係?」

 

 

 デンジは目を見開いた。

 

 

 すごく驚いた顔をして、目を瞑ってうんうん悩んだ。たっぷり数十秒は唸った後にようやく言葉を絞り出す。

 

 

「……悪ぃ、ナユタ」

「お前……」

「俺、お前に甘えてたわ」

 

 

 この後に及んでまだ隠し事かと、デンジにつっかかりかけた悟が手を止める。

 

 デンジは、ナユタに謝罪した。

 

 

「気ぃ、使わせちまったな」

 

 

 どうしよう。どう返事するのが正解なのだろう。

 怒るだろうか、嫌がるだろうか。そんなことばかり考えていて、謝られるなんて思わなかったのだ。

 

 

「そりゃ、知りてえよなあ。俺ん都合で、妹に顔色伺わせて。聞いてこないから教えないなんてのはねえよなあ。なのに……」

「意外と素直じゃん」

「素直も何も、子供に遠慮させてる時点で最悪なんだっつの。ナユタも大きくなったなあ……」

 

 

 悟にクソガキめと追い払う手振りをした後、デンジは膝をついてナユタと目線を同じ高さに合わせてくれた。

 

 

「悪い。俺ァ馬鹿だ。歳ばっか食ってさ。上手にお兄ちゃん出来てなかった」

 

 

 ──ああ。

 私に反抗期は難しい。

 だって、デンジは私のことをいつだって大切にしてくれる。それが分かってしまうから。

 

 

「はあ……アキはすごかったんだなあ……」

「……その人の話も聞きたい」

「いいぜ。なんでも聞け。なんでも答えてやっからよ!」

 

 

 デンジはニヤリと不敵な笑みを浮かべる。ナユタの大好きな顔だ。

 

 ただ、外で話す話題じゃねえなとも言われた。家でゆっくり暖かい飲み物でも飲みながら時間を気にせず話したいと。それまでに考えを整理するからとお願いされた。

 ナユタはデンジの提案を了承した。途中で遮られるのも嫌だったし、デンジはもうなにかを誤魔化したりしないだろうと思ったからだ。

 誤魔化されたらすぐ言えよ、ぶん殴ってやるからと、味方してくれる友人がいる。それだけで、もう迷わずにいられる気がした。

 

 

「何か食いてえもんあっか? 買って帰ろうぜ」

「明太子」

「北海道旅行で寿司でも食いまくったんじゃねえの? 魚卵はプリン体がいっぱいらしいぜ」

「君、栄養バランスを考えられるなんて成長したね。昔は地面に落ちたおにぎり食べてたのに」

「いつの話してんだ」

「また飲みに行こうよ。来週空いてるんだよね」

「なんで追加でプリン体摂取しなきゃなんねえんだ。大体野郎と二人きりで居酒屋なんてゴメンだね」

「君さては最近プリン体って単語覚えたろ」

 

 

 デンジはすっかりいつもの調子で吉田さんと世間話をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 デンジは宣言通り、全てを教えてくれた。

 

 ナユタは知る。

 およそ九年前に、一体なにがあったのか。

 支配の呪霊がなにをして、どうして私が生まれたのか。

 

 血の呪霊との約束。天使の呪霊の正体。早川アキとの思い出。ポチタとの出会い。

 ……そして、■■■(支配の呪霊)との決別。

 早川デンジの失恋――その全貌を。

 

 

 驚きと、納得が入り混じり、不思議な気持ちになる。きっと、まだ受け入れられていない。

 

 デンジは話の最後に友達にいつ、どのタイミングで、どこまで教えるかは自分で考えて自分で決めればいいと締めくくった。

 

 

 ――もう、ナユタには出来んだろ?

 

 

 その信頼が嬉しかったから、渾身のピースサインで返事をした。

 

 

 

 

 チンとトースターの音が鳴る。少し焦げたがまあ良い。

 バターとジャムを好きなだけ塗りたくって、皿に乗せた。

 電気ケトルで沸かしたお湯で、インスタントコーヒーも準備する。

 

 

「質素」

「悟くんは舌が肥えてるから」

「肥えてなくても物足りねえわ」

「これが女子高生の平均的朝ごはんだよ」

「こちとら成長期の男子高校生なんだけど?」

 

 

 寮の自室まで迎えにきた悟くんにも振る舞った。

 散々な評価だが、全部残さず食べてくれた。

 

 

 寮生活も四半期が終わる。

 自炊生活初日。早川ナユタの渾身の朝ごはんだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

    天使の呪霊編 完

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:???】

 

 

 都内、ビジネスホテル。

 一人の男が、いくつもの武具を並べ、手入れしていた。鍛え上げられた筋肉が、ホテルの備え付けの衣服の上からでも見てとれる。()()()()()()()()()()()()()を意に介さず、手際よく作業を続けていく。

 

 携帯電話が鳴る。ワンコールで対応した男は、要件を聞いて額の皺を濃くしていった。

 

 

「……ああ? 領域展開が使える生徒がいるだぁ? 五条の坊じゃなくて?」

『――――――、――』

「ふざけんな、報酬は最低十は上乗せしろよ。ったく、契約成立後に開示する情報じゃねえだろ……」

 

 

 黒髪の男は面倒くさそうに頭をかいた。

 二、三、会話を続けた後に電話を切る。一連の流れを聞いていた相手に声をかけた。

 

 

「まあ、お前の性能を確かめるには丁度良い」

 

 

 ホテルの簡素なベッドの隅で、武器庫代わりに飼っている呪霊と戯れる子供。

 

 

「因縁の五条のガキにも会えるだろうよ」

 

 

 白い髪。長いまつ毛。整った容貌。

 それら全ての印象を上書きする、異形としての姿形。

 幼子の返事から意図を汲み取ることは男には難しかった。

 

 

「……はあ。()()の考えることは分かんねえな」

 

 

 その子供の()()の名は五条■。今や誰からもそう呼ばれることはない。

 つい最近、まとめて殺害されたとある五条分家の生き残り。いや、()()()()だ。

 

 約十年前に発生した海外呪術師による東京襲撃事件で回収された曰く付きの品。特級呪物『阿毘達磨(あびだつま)の眼』――それが、無下限呪術を継承した子供の死体を依代に受肉した。

 陥没した頭蓋骨からは脳みそが溢れ出し、眼球も不安定に飛び出していて、筋繊維でかろうじて繋がっている。剥き出しの粘膜が不規則に音を立てていた。

 

 致命傷にしか見えない傷を抱えて、平然と笑う呪霊の肉塊。

 それが今のこの異形の正体だ。

 

 

「ま、役に立つなら文句は言わねえ。良い拾い物をしたもんだ」

【――ハロウィン!】

 

 

 五条家分家殺害事件の下手人と、その被害者はニヤリと笑う。

 次なる依頼――星漿体殺害計画の実行日は近い。

 

 

 

 

 

 

   次回 懐玉編

 

 

 

 

 




参照:天使の呪霊編 領域展開ー壱ー

【キャラ紹介】
吉田ヒロフミ(よしだ ヒロフミ)
性別:男性
年齢:24歳
好きなもの:仕事
職業:一級呪術師
出典:チェンソーマン
 蛸の呪霊を使役する。呪霊憑き。俗に表現すると雌蛸にモテモテ。姿を表すのは吸盤のついた足の部分に限定される。
 アングラな気配を出しまくるが普通にいい人。学生編でデンジと仲良くなった世界線から来た。後輩に頼られたくてちょいちょい高専に顔を出しているが残念ながら懐かれたことはない。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三章 懐玉編
100点満点の男


 

 

 

 

【side:家入硝子】

 

 

 『早川那由多』は国家から正式に除霊対象から外された唯一の『討伐対象特別除外指定済人型特級呪霊』だ。

 だが、高専内でこの事実を知る者は意外と少ない。

 

 何しろ、早川那由多は人間のふりをするのが飛び抜けて上手かった。

 非術師にも見える、写真にも映る、食事も睡眠もするのだ。それに加えて、呪霊の侵入を拒む高専内に、特級呪霊が、それも生徒として在学しているなどほとんどの人間は想像すらしない。ならば下手に公言にすべきではないという理屈だった。

 六眼を持つ五条悟、呪霊に干渉する術式を持つ夏油傑、人間の肉体に造詣の深いこの私、家入硝子──ひと目で彼女は呪霊であると見抜けた私たち二年生達は例外だ。全員が全員、それぞれ別の理由で、目の前の人の姿をした者が呪霊であるかどうか見分けることを得手としているのだから。

 他の生徒――卒業までの準備期間扱いである四年はそもそも高専に滞在しておらず、三年で唯一正体に行き当たる可能性のある黒鳥操術の冥冥先輩は買収済み。才能はあれどまだまだ未熟な一年たちは、廊下ですれ違う程度の接触では彼女が呪霊であるとは気づかない。

 

 

「──闇より出でて闇より黒くその穢れを禊ぎ祓え」

 

 

 もっとも。

 それは早川那由多自身が、正体を秘匿しようと意識していた場合の話だ。

 

 呪力が練り上げられ、帳が降りる。()()()()()()()があたりを満たす。ここまでされて彼女の正体に気づかない奴は今すぐ呪術師をやめたほうがいい。

 

 

「は……? 呪霊……!?」

 

 

 本来なら『気づかない側』だったはずの庵歌姫が、顔色を変えた。

 那由多の呪力に慣れ過ぎていたクズどもが、ここでようやく自分たちのミスに気づくが、後の祭りだ。

 

 

「な、ななな、何してんのよ!? 硝子、早くそこから離れなさい! 一体、いつから化けて……!」

「あ〜、それは大丈夫ですよ」

「大丈夫じゃないでしょ!? その早川さんは人間じゃないわよ!」

「『その早川さん』だってさ」

「ウケる。いやいや、俺たちが気づかないわけないでしょ。歌姫じゃあるまいし」

「はあ!? どういうこと!? というか敬語!」

 

 

 動揺する歌姫先輩に背後から襲いかかった今回の任務の討伐対象である呪霊を、夏油が呪霊操術で始末する。

 どうすんだこれ、と五条の背を突いたが素知らぬ顔だ。お前が責任者だぞ。

 

 ――2006年、夏。静岡県浜松市。

 私たち二年生が、二日前に音信不通となった先輩方の応援に向かった際の失態だった。

 

 

「これ、永遠の呪霊だ……」

「知ってるのかい?」

「デンジに聞いた。でも、デンジの時は内側でどれだけ過ごそうと外部では一秒も経っていなかったって」

「じゃあまだ成長しきっていないのかもしれないね。庵さんの元気さからして、今回は外部より内部の時間がゆっくり進むパターンのようだ」

 

 

 呑気に会話を続ける夏油と那由多に、歌姫先輩がキレた。冥冥先輩は「あーあ」という顔で、後始末を手伝わないからねと五条に宣告する。

 

 

「いいから説明しろーーーー!!」

 

 

 しろー! しろー、しろー……

 

 涙目の先輩による渾身の叫びが、帳の中でこだました。

 

 

 

 

 

 

 

 

「この中に、帳は自分で降ろすからと補助監督を置き去りにした奴がいるな。その結果がこれだ」

 

 

 夜蛾は一枚の書類を見せつけた。見知った氏名が記載されている。

 

 

「補助監督と庵歌姫から情報の開示要求があった。これはその嘆願書だ。どうしてこんな事態になったか説明しろ」

「この早川那由多(バカ)が勝手に帳を下ろして正体バラしたからです」

「社会秩序を守るためです」

「「この五条悟(バカ)が帳を降ろし忘れたからです」」

 

 

 全員の主張を聞いた結果、夜蛾は五条の上に拳を落とした。

 監視任務についているお前が監視される側にフォローされてどうするんだと。

 

 当人は理不尽だと怒っているが、当然の指導だった。

 

 

 

 

 

 

 

「那由多もさあ、余計なことしなくていいんだよ。そもそも帳って必要?」

 

 

 歌姫先輩を適当にあしらった五条が夜蛾の教育的指導(げんこつ)の痕をさすりながら文句を言う。

 先輩も可哀想に。あんな説明では何もわかるまい。だが情報開示権を持つのは那由多の監視任務の担当者であるこいつだけなのだ。夜蛾は教育の一環ということでよほどのことがなければ介入しないだろう。しばらく続くであろう彼女の混乱に冥福を祈った。

 

 

「別に一般人に見られたってよくねえ? 呪霊見える奴は少ないんだし」

「ダメに決まってるだろ」

 

 

 銃の呪霊の襲撃以来、呪霊を目視できるようになってしまった非術師が激増した。見えない方が多数派とはいえ、レア度はせいぜいAB型の人間レベル。かつてはさらに希少だったらしいが、銃の呪霊の第一次襲撃後に生まれた二年生達には関係のない話だ。

 「限られた人間にしか見えない脅威」や「見えるのに対抗手段がない脅威」は、時に「誰の目に見えない脅威」以上に世間に不和をもたらすものだ。呪霊の発生を抑制するのは何より人々の心の平穏。それを守るためにも一般人の意識を逸らす帳は必要不可欠なのである。

 

 夏油の語りは続く。硝子は、五条が段々それにイラついてきているのを察した。

 

 

「わかったわかった。弱い奴らに気を使うのは疲れるよホント」

「弱者生存。それがあるべき社会の姿さ。弱気を助け、強気を挫く。いいかい、悟。呪術は非術師を守るためにある」

「それ正論? ヒーローオタクはいうことが違うね」

「……何?」

「俺、正論嫌いなんだよね。ヘイ支配の呪霊! どう思うよ?」

【社会秩序を守るために弱者への情報統制は必要不可欠です】

「ウケる、一気に胡散臭くなったじゃん」

 

 

 五条はゲラゲラと笑った。

 

 

 早川那由多には心が二つある。呪霊としての感性と、人の中で教育を受けて育まれた価値観だ。

 道徳の授業で前者が誤爆し三人をドン引きさせたのは記憶に新しい。

 

 Q.呪詛師と穏便に交渉するにはどうすべきか?

 A.親族や恋人の眼球を抉り、それを見せながら諭す。

 

 脅迫ですらない、大人しくすれば治してあげるという支配前提の慈悲。斜め上の解答にドン引きするクラスメートに気づかず、当人は硝子なら元に戻せるでしょと疑問符を浮かべていた。

 『支配の呪霊』なら実行したのだろう――そう思わせるだけの価値観のズレがそこにはあった。

 

 もっとも、三人にとってのクラスメートは『人間社会で暮らす方の価値観(ナユタ)』である。その日の奇行は格好のイジり対象でしかなかった。夏油のフォローも虚しく、珍回答を面白がった五条により不定期開催される『支配の呪霊ならどうでshow』は今や早川那由多の持ちネタと化していた。

 

 那由多を巻き込んだバカの煽り合いは、ますますヒートアップしていった。潮時だ。硝子はいつものように教室から避難した。

 直後鳴り響く、廊下まで聞こえる戦闘音。懲りない奴らめとため息をつく。

 今日はどこで時間を潰そうか。ポケットにライターとタバコのストックがあるのを確認してから硝子は階段を登った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう拗ねない」

「……」

 

 

 二本目のタバコに火を付けるか悩みはじめた頃、屋上の扉が開いた。迎えに来たのは那由多だった。

 彼女は大抵無表情だが、内面は意外と感情豊かだ。いつもよりも僅かにシワのよった眉間は、彼女の気持ちを雄弁に語っていた。

 

 

「五条を置いてきてよかったの?」

「大丈夫に()()()

 

 

 硝子が教室を出てから、夜蛾は新たな任務を伝えたそうだ。

 

 ――『星漿体(せいしょうたい)』、天元様との適合者。その少女の護衛と抹消。

 

 天元は不死の術式を持つ日本呪術界の基盤だ。高専各校、重要拠点、補助監督の使用する結界、全ての底上げを一手に担う存在にして、国外からの呪術師の不法侵入を拒む国防の要。

 だが、不死であっても不老ではない。ただ老いるだけならまだしも、一定以上の老化を終えると術式が肉体を作り替えようとするのが問題だった。

 進化――人でなくなり、意志は消え、より高次の存在となったとき、天元が変わらず人類の味方である保証はない。

 故に五百年に一度、天元との適合者を捧げ、肉体を初期化する必要があるのだ。

 

 その贄となるのが『星漿体』だった。

 

 融合は三日後。天元様直々の指名で儀式当日までの護衛役に我らが二年生が任命された。

 荷が重いと思うがと前置きされた任務だが、特級呪霊相手に連勝を収め、ノリに乗っていた男どもには士気を上げる要素にしかならなかった。

 早川那由多も同様で、張り切って任務の詳細を聞こうとしたところで――

 

 

 『ただし那由多 テメーはダメだ』by天元

 

 

 待機命令を出されたのだった。

 

 

 

 

 

 

「納得いかない」

「妥当な判断でしょ」

 

 

 五百年に一度の、日本の社会基盤の命運がかかった任務である。方々に頭を下げ実現している特級呪霊『早川那由多』の学校生活だが、流石にこのレベルの任務を任されるほど信用されたわけではないらしい。

 何しろ、彼女の術式が術式である。

 仮称『支配術式』――万一『星漿体』が彼女の術の影響下に堕ちてしまった場合、取り返しのつかないことになる。

 

 

 ――上層部は頭が硬くて困るよホント。で、俺が護衛任務してる間の那由多の監視はどーなるわけ?

 ――今回は任務の期限が決まっているからな。お前が不在の間は、高専校内に待機させる。

 ――こいつ、無理矢理脱走するかもよ?

 ――問題ない。そこは帳を応用する。

 

 

 

 

「誰でも出入りできる代わりに、討伐対象特別除外指定済人型特級呪霊『早川那由多』の脱出のみを禁じる帳を高専全体に降ろす、ねえ」

 

 

 要するに、五条悟不在の間の高専からの外出禁止令である。

 

 

「おまけに三日分の、特別課題を出されたと」

 

 

 早川那由多は別段劣等生というわけではない。しかし呪術界での常識に疎く、おまけに二年からの編入のため、一年時の履修範囲をカバーしようとするとテスト範囲がどうしても広大になってしまうのだ。遅れを取り返すための対策としては正しい。

 

 何もかもが妥当な判断。だからこそ、少しかわいそうだと思う。

 この四半期の付き合いで生まれた、友達としての同情だった。

 

 

「ん〜〜……」

 

 

 硝子は、片腕を伸ばし、肩からゆっくりストレッチをした。思えばここ数ヶ月はずっと四人での任務ばかりだった。そのまま流れで打ち上げをしたりして、任務外での交友も増えた気がする。特に那由多は五条と共に行動しなければならない制限があったので、こうして二人きりになるのは初めてだった。

 

 わずか三日とはいえ、あのクズどもと完全別行動というのは妙な気分だ。去年はこれが普通だったはずなのに。

 

 

「せっかく女子だけなんだから、服とか、ランチとか、ショッピングで気分転換できたらよかったんだけどね」

「私は高専から出られないよ」

「ね。面倒だよねえ」

「部屋に飾る絵画を探したかった」

「うーん」

 

 

 絵画以外のインテリアにも目を向けろよと思ったが飲み込んだ。

 高専生は給料取りである。特に私たちは特級呪霊の討伐を短期間に二度も成功させたこともあり、懐はかなり暖かい。なのにそれを使う機会に恵まれないというのはあんまりだ。かといって、顔面はよくとも性格と感性が小学生男児並みの五条を連れて()()()()()()()に行くのも嫌だった。

 男どもがいない貴重な時間に高専内で出来そうな楽しいこと。硝子は名案を思いついた。

 

 

「あ、そうだ。そろそろ新しい制服改造申請でも出したら?」

「! そうする。次は……どうしよう……」

「スーツっぽい制服はどうよ」

「ブレザーと被らない?」

「そりゃパンツルックにするのよ。デザイン考えるの手伝うよ」

 

 

 那由多の機嫌はすっかりなおっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:五条悟】

 

 

 思えば、ここ数ヶ月はずっと四人での任務ばかりだった。傑とコンビでの行動は久しぶりだ。一年生の頃はずっとこうだった筈なのになんだか妙に懐かしい。

 

 

 ――『星漿体(せいしょうたい)』、天元様との適合者。その少女の護衛と抹消。

 

 

 天元の暴走により現呪術界の転覆を目論む呪詛師集団Qとやらを爆速で片付けた悟たちは、『星漿体』天内理子の護衛のために廉直女学院中等部のプールで待機をしていた。

 

 天内理子は、悟が想像するより数倍アグレッシブなのじゃのじゃ口調の少女だった。同化の日が近づき、センチメンタルになっているだろうという予想は見事に裏切られた。

 『最後の日まで、学校に行きたい』などと。

 身の安全を考えれば即時却下されるような要求だというのに、それら全ての要望に応えるところまでが任務だというのだから困ったものだ。

 

 

(那由多といい、天内といい、女子ってのはそんなに学校が好きなのか?)

 

 

 全力で学園生活をエンジョイしている自分を棚に上げて、悟はため息をついた。

 

 隣にいる傑は「誰がお前をパクるんだよ」「うるさい」などと時々呟いている。完全に危ない人だ。おおかた内に飼っている血の呪霊が【それはワシの口調じゃ……パクリか?】などと喚いているのだろう。曰く、呪術そのものを冒涜する史上最悪の性格。制御には苦労をしているらしい。実際はさらに理不尽な騒ぎ方をしていたらしいのだが、声の聞こえない悟には知らぬところである。

 

 

 イライラした様子でこめかみを抑えていた傑が、勢いよく顔を上げた。

 

 

「どうした」

「……悟、急いで理子ちゃんのところへ」

「あ?」

「監視に出している呪霊が、二体祓われた」

「ま、まさかお嬢様の身に何か!?」

 

 

 星漿体の世話係である黒井が血相を変えた。

 

 

 

 

 

 

 ――嫌じゃ! 友達や先生に見られたらどうするんじゃ! 恥ずかしい!

 

 

 などとごね倒し、天内理子が悟たちを遠ざけたのが今日の昼過ぎのこと。

 

 

「だから目の届く範囲で護衛させろっつったのに! あのガキ!」

 

 

 案の定の襲撃である。

 傑の呪霊を祓ったということは、ほぼ確実に呪詛師だ。廉直女学院は警備の厳重さが売りのお嬢様校だそうだが、非術師相手のセキュリティなど何の役にも立たない。

 

 

「この時間は音楽なので、音楽室か礼拝堂ですね」

「レーハイドゥ!?」

「音楽教師の都合で変わるんです!」

 

 

 どこまでも手間をかけさせる。

 

 ここからは時間の勝負だ。

 傑が正体不明の呪詛師の対処を、世話係の黒井が音楽室、悟は礼拝堂の確認をすることになった。

 

 

 

 

「天内!」

 

 

 勢いよく礼拝堂の扉を開く。

 そこには――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――今から最強の大会を開く!」

 

「「「イエーーーーイ!!!!」」」

 

 

 ボコボコにされて無様に倒れ伏す呪詛師に腰掛け、得意顔で点呼を取る教師と、ノリノリで参加表明する女生徒の集団がいた。

 

 

「みんなで順番にこいつに蹴り入れてぇ、一番大きな声出させた奴の勝ちな!」

「せんせー! 優勝賞品はなんですかー!」

「昨日給料日だったかんな。なんでも好きなもん奢ってやるよ」

「太っ腹ー!」

「生キャラメル!」

「靴! 靴!」

「おい、万越えんのはやめろ」

「ちょっと! 教務規定違反ですよ、早川先生! い、いえ、不審者への対処は感謝しますが!」

「ええ〜でもよ〜、午後から散々ぶっ続けで歌わされて、ようやく休憩って時に来やがってさあ。俺たちの休憩時間がパァになっちまった。なのにこのまま何もせず警察に引き渡すだけってのは納得いかねーだろ?」

「そうだそうだー!」

「いいこと言うー!」

「先生ー!」

「「デンジ〜!」」

「やっちゃえー!」

「そこ、大きな声を出さない! はしたないですよ!」

 

 

 勢いよく礼拝堂の扉が開かれた音を聞き、教師と生徒の視線が集まる。悟と目があったデンジはウゲえっと顔を歪めた。それはこちらのセリフである。

 

 

廉直女学院(ここ)の教師だったのか……」

「ええ〜……お前を捕まえんのはやだなあ……」

「誰が不審者のお仲間だボケ」

 

 

 俺は天内(あまない)に用があるんだよ、と指を刺す。肝心の天内は、顔を真っ赤にして恥ずかしがっていた。

 

 

 

 早川デンジ。

 廉直女学院中等部、新人教員。

 

 悟の嫌いな大人の姿が、そこにはあった。

 

 




おまけ
Q.岸辺採点百点の呪術キャラ
A.宿儺、真人、東堂、乙骨


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

旅行のお代は

 えらばれてあることの
 恍惚と不安と
 二つわれにあり


     ――『ヴェルレエヌ』



 

 

【side:五条悟】

 

 

 

 女子校において、男性の扱いは三択だ。

 すなわち――変質者か、マスコットか、アイドルか。

 

 不審者の紙袋の呪詛師が一つ目、早川デンジが二つ目とすれば、このGLGの俺が三つ目に該当するのは当たり前のことだった。

 

 

「「「「きゃーーーーー!!!!」」」」

「何、理子、彼氏!?」

「違っ……! いとこ! いとこだよ!」

「高校生!? 背ェ高!」

「おにーさんグラサンとってよ!」

「おい調子乗んなよ!」

 

 

 渾身のキメ顔で応対してやれば、天内がキレた。

 

 

「困りますよ、身内とは言え勝手に入られては……!」

「不審者が入って行くのが見えて……おれ、理子が襲われないか心配で……」

「「「きゃーーー!!」」」

「ほんと調子のんなよ!!!」

 

 

 ノリノリである。去年ドラマで花より男子を全話視聴した成果を存分に発揮する。傑からは爆笑を、硝子には無と軽蔑を向けられた我が御本尊は、女子中学生には見事大ウケした。

 

 

 

「コラ! 皆さん静粛に! はしたないですよ! ……あとこれ私のTEL番」

「おおーい! 条例違反!」

「うるせえ! 教職の出会いのなさ舐めんな!」

「俺はァ!?」

「コブ付きが何言ってんだ!」

「あれは妹だっつってんだろ!!!」

 

 

 生徒教師の距離が近い、賑やかなクラスだった。この様子じゃ天内がのじゃのじゃ口調でも浮かなかった可能性が高いなと思うくらいには。

 騒ぎに乗じて天内を小脇に抱えた。驚いて何か叫んでいるが意図的に無視する。

 

 

「じゃ、天内連れてくんで」

「待てや、この後国語の授業なんだよ」

 

 

 ――早川デンジは流されなかった。

 ま、そりゃそうか。

 

 

「勝手にすんな。事情を説明しろっつの」

「部外者には教えられないな」

 

 

 肩をつかもうとするのを無下限で止める。

 そばにいるデンジにだけ聞こえるように小声で告げた。

 

 

「呪術師は年中人手不足だってのに。転職するなら手伝うぜ?」

「お前なあ……」

「じゃ、そゆことで!」

 

 

 騒ぐ教師陣とクラスメートを置いて、悟は天内片手に礼拝堂から飛び出した。

 あの拘束済みの呪詛師は放置しても問題ないだろう。むしろあのままあの場に天内を待機させ続け、追撃を喰らう方が危険だ。

 

 

「馬鹿者! あれほど皆の前に顔を出すなと!」

「呪詛師襲来。後は分かんだろ」

「ふん! そのような下賤な者らは貴様らが来る前に先生が……」

「その先生とやらはこの学校の敷地と全生徒の実家全部警備できるのか?」

「そ、それは……」

 

 

 こんな事態だというのに天内が学校に行くのをやめなかった理由には、あの教師の存在もあるのかもしれない。

 

 この男は、特級呪霊『早川那由多』の兄だ。五条悟が学校内での監視を、悟が育つまで最強を名乗っていたシン・陰流の師範代たる岸辺が送迎を担当するレベルの爆弾――それと平然と同居し、しかも呪術界から黙認されている。

 

 

 ――デンジは、領域展開が出来る。

 

 

 馬鹿げた話だ。那由多の言葉を疑うわけではないが、本人の口から明言されたわけでもない。ただ、あの特級呪霊(ナユタ)の監督能力があると上からみなされる程度の実力はあるだろうというのが悟の見込みだった。

 

 噂をすればだ。デンジは少し遅れて追いかけてきた。

 

 

「止まれ止まれバカ!」

「追ってくんなよ。次は国語じゃなかったのか?」

「そうじゃねえ! ()()()()!」

 

 

 天内が訳がわからないという顔をする。そんなことを伝えるために来たのかと悟はため息をついた。

 

 

「そんなもん最初から()()()()

 

 

 もちろん、たった今背後から仕掛けられた攻撃も。

 

 

「んだコレ!?」

「おっさん、奇襲するならダダ漏れの呪力ちったあ隠してから来いよ」

「増えた!? 五人じゃ!」

 

 

 礼拝堂で縛られていたはずの紙袋を被った呪詛師の拳が止まる。悟の無下限術式だ。

 さっさと片付けてしまおうか。悟は掌印を結んで術式を発動させた。

 

 

 ――術式順転『蒼』

 

 

 呪力で生み出された引力が、襲撃者の紙袋男を()()吸い寄せ、潰した。マックス五体で全員本体の分身。なかなかにいい術式だが、五条悟の敵ではない。

 

 

「ず、ズル〜〜! なんだ今の!? ってかおい! 天内大丈夫か?」

「だ、大丈夫なのじゃ!」

「のじゃ?」

「あっ、大丈夫……です……」

 

 

 学校ではのじゃのじゃ口調ではないという主張は本当らしい。聞かれたのが相当に恥ずかしかったのか、八つ当たりで脇腹を叩いてきやがった。地味に痛い。やめろや。

 床に下ろしたのとほぼ同じタイミングで、と場違いな電子音が鳴った。天内の携帯電話からだ。

 

 

「ど、どうしよう。黒井が……!」

 

 

 画面を覗き込む。そこには、天内の使用人である黒井が手と足を拘束されている写真が写っていた。

 

 

 

 

 

「……盗み見とか教師としてどーなの」

「そもそも、お前ら全員不法侵入だからな」

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、お前ら。これ、俺の電話番号」

「この学校でそれ流行ってんの?」

「連絡取れねーと困るだろうが!」

 

 

 デンジと天内の取り合いをくり広げるうちに、傑が合流した。黒井は、傑と別れた直後に非術師による宗教団体『盤星教』に誘拐されたらしい。

 デンジの要求は要するに黒井救出作戦の結果報告をしろとのことだった。あとでゴミ箱に捨ててやろうと思いながら電話番号のメモ書きに手を伸ばしたが、天内がそれを阻止した。デンジの腰に抱きついて、俺と傑から距離を取ろうとする。

 

 

「い、いやじゃ! 取り引きには妾も行くぞ! まだオマエらは信用できん!」

「このガキ、この期に及んでそんなことを……」

 

 

 学校で襲われたばかりだというのに、随分呑気なことを言う。

 

 

「せ、先生! 一緒に行こう!」

「うぇえっ!?」

「先生聞いてないって顔してるぞ」

「いや俺これから国語の授業の補助しなきゃいけねーんだけど」

「だ、だって、だって……黒井が……」

「あとお前も来いよな。出席率やべーぞ」

「う、ううう〜〜〜〜」

 

 

 孤立無縁だ。それでも天内は引き下がらなかった。

 

 

「助けられたとしても、()()までに黒井が帰って来なかったら?」

 

 

 ――まだ、お別れも言ってないのに……?

 

 

「……」

 

 

 きっと、その言葉の何かがデンジの琴線に引っかかった。

 その場にしゃがみ、天内と視線を合わせる。正面から向き合った。

 

 

「天内、お前、次にガッコくんのいつだ?」

「そ、それは……」

「じゃ、学校好きか?」

「………うん」

「ふーん。じゃ、もし偉い人がお前を留年させてやるとか言い出しやがったら、そんときは俺がどうにかしてやるよ」

 

 

 早川デンジは穏やかに笑った。

 

 

「そんじゃ、頑張ってこい」

「――うん!」

 

 

 

 

(ったく、何も知らねーくせに)

 

 

 天内が星漿体であるとは知らずとも、呪術界の関係者だとは気づいているだろう。なのに勝手に決めやがって。こっちが連れて行くとは一言も言っていないのに。もしくはどうせ連れて行くだろうと踏まれているのか。悟はこの男のこういうところが嫌いだった。

 

 

「天内のこと頼んだ」

「もともとそういう任務だよ」

「気持ちの問題だっつの」

 

 

 わいぎゃいする学生を尻目に、早川デンジは早々にその場を去っていく。次の授業があるとか何とかで。歩きながら片手で携帯を操作し、耳に当てる。

 

 悟は目がいい。呪力でものを捉えることができるから、他人が思うよりずっと正確に座標を把握することができる。

 だから電話の会話内容も、悟には全て視えていた。

 

 

 

 

 

 

「久しぶりです、岸辺さん。話があんだけど」

『……、…………』

「ナユタじゃねえ。うちの生徒んことで……」

『……………。…………』

「シン…カゲリュー……? それで忙しいのはわかってっけど……その……天内理子っつうんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「「めんそーれー!」」

 

 

 沖縄旅行 開幕──

 

 先日北海道から帰って来たばかりだと言うのに、こんなにすぐ沖縄にくることになるとは思わなかった。

 女子組に十割自慢で海水浴の写メを送ると、即座に『ゴーヤ、シークワーサー』とだけ返事が返ってくる。苦いのも酸っぱいのも悟の好みでは無い。お土産はちんすこうにしようと決意した。

 

 

「私も黒井も無事だから!」

「ご心配をおかけしました」

『おー、無事でよかった。にしても沖縄なあ〜、お土産になんか買ってきてくれよ』

「……うん」

 

 

 天内はデンジに安否連絡を取っていた。使用人の黒井も知り合いらしく、携帯のスピーカー機能をオンにして会話に参加していた。

 

 沖縄に誘拐された黒井の救出作戦は、沖縄に着いた日の昼には終わっていた。

 特級呪霊相手に連勝を収めたメンツである。非術師の誘拐犯の制圧など、赤子の手を捻るようなものだった。

 

 

「……あのね黒井。お土産、先生に渡してくれる?」

「理子様……」

 

 

 電話を切ったあと、天内は黒井にお菓子の箱を渡していた。クラスメートの分も入っているのだという。ずいぶん仲良しなことで。あの教師の何がいいのだろう。悟には理解できなかった。

 五条悟はデンジが嫌いだ。

 上層部のクソみたいな保身バカ身分バカ血統バカなジジイたちに向ける軽蔑とは違う、シンプルなムカつき。俺には全部分かってますとでも言いたげな大人ヅラが癪に触るのだ。

 そんな内心に気づいたのか、天内が拗ねた様子で突っかかってくる。学園祭でのエピソードだの、廊下で倒れている姿が廉直女学院の風物詩になりつつあるだの、こちらはそんな話一ミリも興味はないのに。

 

 

「先生は! 聖母マリア様みたいに優しくて……」

「──ゴフッ」

 

 

 流石にむせた。ちょうど口にしていた炭酸ジュースが制服にかかりかけて、慌てて無下限で防御する。今までで一番くだらないシチュエーションで術式を使ってしまった気がする。

 

 

「誰が何みたいだって?????」

「ミッション系の学校なんですよ」

「そういう問題じゃなくないですか?」

 

 

 黒井のフォローに傑が無慈悲なツッコミを入れる。それにしたって例えが無茶苦茶だ。今日は一日このネタで天内をいじってやろうと決めた。

 

 

「中学生はほら……視野狭窄だから……」

「無礼なのじゃ! 変な前髪しおってに!」

 

 

 傑の慇懃無礼さも通常運転だった。

 平和だった。同化を明日の夜に控えているとは思えないほどに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

From:お兄ちゃん

To:ナユタ

件名:

——————

今から高専行くけど、なんか持ってきて欲しいもんある?

 

 

 

From:ナユタ

To:お兄ちゃん

件名:Re;

——————

今?

 

 

 

From:お兄ちゃん

To:ナユタ

件名:Re;Re;

——————

もうついたわ

 

 

 

From:ナユタ

To:お兄ちゃん

件名:Re;Re;Re;

——————

今?? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:早川ナユタ】

 

 

 ファッションショー 開幕── 

 

 

バンカラ

 

セーラー服

 

ブレザー

 

ストッキング着用

 

ランドセル

 

白セーター

 

ディズニーコーデ

 

ルーズソックス

 

カーディガン

 

クラT

 

体操服

 

 

 

「がわ゛い゛い゛ぃ〜〜〜〜!!!

 ぐぞぉ〜〜〜〜!!! 俺ん妹がァ! すんげぇかわいい〜〜〜〜〜!!!!」

 

 

 

 

「そろそろいいか?」

「さーせん」

「はい」

 

 

 急遽教室で開催されたデンジとナユタによるファッションショーは、廊下からかけられた夜蛾の冷ややかな声により中断された。

 

 悟と傑が護衛任務に出かけてから三日。課題提出を終わらせ若干の暇を持て余していたナユタにデンジからメールが届いた。

 

 デンジが高専に来る。

 

 授業参観でもないのに。嬉しさのあまり、色々な衣装をかき集め披露した結果が夜蛾の冷たい目である。

 

 

「そういえば、デンジはどうして高専に来たの?」

「あ〜ちょっとな。心配すんな。ナユタん話じゃねえ」

 

 

 北海道旅行ぶりの再会だ。久しぶりに会えてよかったぜとデンジは頭を撫でてくれた。

 これから始まるのは大人の話だ。脱ぎ捨てた衣服をかき集め、一礼をしてその場を去る。

 

 

「早川デンジ、連絡にあった件だが──」

 

 

 夜蛾が本題に入ろうとした時だった。

 空をつんざく、鋭い音が響いた。

 

 

「「「!?」」」

 

 

 ――警報だ。

 

 

 大人達の対応は早かった。

 素早く時計で現在時刻を確認し、どちらが誰に連絡を取るか、何をすべきかの認識のすり合わせを行う。ナユタはその場に留まり、原因が何なのかについて思考を巡らせていた。

 

 

「ナユタ、今すぐ寮の部屋に戻ってろ! 途中で怪しいやつ見かけても絶対近づくんじゃねえぞ。あと、避難してない生徒がいたら首根っこ引っ掴んででも部屋に連れ戻しとけ」

「わかった」

 

 

 二つ返事で了承した。

 夜蛾とデンジの遠ざかる背中を見送り、ナユタも移動を開始する。

 行き先はもちろん寮の自室――ではない。

 

 

「ふふん」

 

 

 早川那由多は反抗期なのである。

 つい最近反抗期チャレンジに失敗したが、高校生なのである。

 

 この警報は、きっと悟と傑のやらかしだ。

 手助けしてあげようと思った。なにせ、三日も課題漬けでくたびれていた。少しは体を動かしたい。

 

 ……それに、二人にはたくさん助けてもらった。学校生活が楽しいのは、いろいろな制服が着れるからという理由だけでは無い。今度はナユタの番なのだ。

 侵入者が呪詛師ならナユタの『支配』ほど役に立つ力はない。反社会的であるという点も術式の出力を後押しするだろう。そもそも私の『呪霊としての感性』は、人間に軽蔑と愛玩の入り混じる感情を向けている。そこに呪力さえ乗せてやれば、すぐだ。

 

 ナユタは女子トイレの個室に入り、さっきは夜蛾に中断させられたせいで披露できなかった新しい制服を取り出した。

 スーツ型の制服だ。硝子のアドバイス通りパンツルックである。

 京都高に似た改造服を着用している生徒がいたらしい。シャツとズボンの在庫がすぐさま手元に送られてきた。ジャケットが届くのが二週間後というのだけが残念だ。

 洗面所の鏡を見ながら服を整える。ネクタイを結べば完璧だ。結び方はデンジに教えてもらった。今では一人でもちゃんと結べる。

 

 

 侵入者はどこだろう。鳥とネズミの耳を支配すればすぐだと思ったのに、妙に静かで、どこからも足音はしなかった。まさか小動物にすら聞こえないほど静かな足音で移動してるなんてことはないだろうし――

 

 

 

 

 

 

    曲がるな

 

 

 

 

 

 

「……?」

 

 

 

 足が止まる。廊下の角から目が離せない。

 別に、何かおかしいところがあるわけではない。

 別に、残穢が残っているわけでもない。

 

 なのに、本能が、予感が、失われたはずの第六感が、あらゆる全てがこれ以上進むべきではないと叫んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

    見るな

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 

 ギィギイと、床板が軋む音がやけに響く。

 普段は気にもならないような音が妙に耳に触った。

 

 

 呼吸が浅くなる。

 どうしてなのかわからない。

 

 寒い。おかしい。

 汗で背中が濡れた。

 

 

 

 

 

 

 

    進んじゃだめだ【行かないと】

 

 

 

 

 

 

 

 脳裏に響く警鐘を全て無視して突き進んだ。

 もはや強迫観念に近かった。

 

 

 

 

 

 

   星漿体護衛任務 3日目

 

      15:10

 

 

 

 

 

 

「……あ」

 

 

 

 

 

 

 曲がり角の先、すぐ足元に黒い塊が落ちていた。

 錆臭い香りがする。

 

 

「えっ………」

 

 

 びちゃりと、思わず一歩引いた足が水音を鳴らす。床を濡らす液体が、血なのか、尿なのか、もっと他の溢れてはいけない液体なのか、私には判断することができなかった。

 

 

 

 

「そ……そっかあ…………」

 

 

 

 

 

 

 家入硝子(ともだち)が、腹を裂かれて倒れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:家入硝子】

 

 

 警報が鳴ってから、硝子の対応は早かった。

 

 なにせ家入硝子は貴重な反転術式の使い手だ。

 将来有望な二年生の中でも私は直接戦うのに向いてないから自衛を最優先するようにと夜蛾先生から口すっぱく指導されていた。

 

 ケータイ、財布、タバコ、ライター。最低限の所持品を持っていることを確認して、屋上のサボり場から立ち去る。

 

 高専には結界が張られている。あの警報音は侵入者のパターンだ。避難のために移動する。寮室あまり警備が厳しくない。侵入者にとってメリットがなさそうかつ、警備がそれなりに整っている解剖室あたりが妥当だろう。

 

 

 

「家入硝子だな」

「えっ?」

 

 

 廊下の角を曲がった瞬間、後ろから声をかけられる。声のした方を確認するが誰もいない。

 

 

「……?」

 

 

 どんと強く押された衝撃で、尻餅をついた。

 再び前を向くと、無言でニヤリと笑う黒いインナーを着た男がいた。知らない顔だ。手には赤く染まった刃物を持っている。

 ――赤?

 

 

「『この呪具で作られた傷は、自然治癒以外じゃ治らねえ』んだとよ」

 

 

 術式の開示だ――いや、呪具にそれは適用されたんだっけ? 那由多がこの三日間で苦労していた範囲だったはずなのに、咄嗟に思い出せなかった。

 

 

 視線を下に向ける。じわりと赤いシミが大きくなっていくのが見えた。

 鉄臭い香りが広がる。

 

 押されたのではない。刺されたのだ。

 

 

「あ〜……」

 

 

 

 油断した。

 

 油断した油断した油断した。

 

 

 私は、家入硝子(わたし)の希少価値を見誤った。夜蛾先生から口すっぱく指導されていたというのに。

 不用意に出歩きすぎたのだ。

 血の呪霊退治。日々の任務。そして何より()()()()()()()。死にかけの五条悟がすぐさま回復したという話は、呪詛師の間でも有名だ。……他人に使用できる反転術式の有用性を、世間にたいして見せつけすぎた。

 

 だから狙われた。

 

 

(あのクズども、何やってんの。こんなの侵入させるなよ)

 

 

 腹が焼けるように熱い。血が流れる。腰から下が別の生き物になったようだ。動物や人間の死体相手には何度も経験した行為を、まさかされる側として実体験することになるとは。

 呪力を二つ練ったが、術として成立する前にかき消されていく。歯車がかけたまま空回りするような感覚。ああくそ、男の発言に嘘は無い。これは本格的にヤバいと納得する頭だけが妙に冷えていた。

 色のついた液体で濡れていくスカートを見ながら冗談を考える余裕すらあった。

 

 

(あーあ、タバコ湿気っちゃったじゃん。箱開けたばっかなのに)

 

 

 ……ああ、でも。

 北海道旅行は楽しかったな。

 

 買って帰ったご飯、まだ食べきれてないのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃ、次は本命だな」

 

 

 

 家入硝子が男の独り言を聞くことはなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む



 

 

 

 

【side:五条悟】

 

 

 時は少し遡る。

 

 

 

 

 星漿体護衛任務三日目。

   15:00

 

 

 

 沖縄滞在を引き延ばし、ようやく高専まで帰ってきた。天内理子を結界内部まで護衛し終えた瞬間だった。

 

 

「──悟!?」

「大丈夫、問題ない。先に行ってろ!」

 

 

 襲撃だ。背後からの一撃に、全く気付くことが出来なかった。今までの呪詛師とは格が違う。万一に備えて天内と黒井の護衛を傑に任せ、先行させる。悟が殿を引き受けた。

 

 

(また刺し傷かよ)

 

 

 すっかり慣れてしまった負傷にちょっぴり虚しい気分になる。二年に進級してから、厄介な敵との戦いが増えた。俺たちは最強なので全然問題はないけれど。

 襲撃者の奇襲により、悟の胸には細い穴が空いていた。致命傷は避けた。しかし痛みを無視して戦うのは難しい。傷口を反転術式で癒せないかと試みるが上手くいかなかった。家入硝子の手際を知っているだけに納得がいかない。結局諦めて、呪力で肉体を強化し力を込め、擬似的に流血量を減らす方針にシフトした。

 

 

「口元に傷がある野郎は体術バカしかいねえのか」

 

 

 凄まじい身体能力だった。天与呪縛のフィジカルギフテッド──岸辺も呪力量が多い方では無いが、この男はレベルが違う。呪力が全く無かった。肉眼でも、六眼で視る呪力でも、得体の知れない侵入者の姿を捉えることはかなわない。体術バカ慣れをしてなかったらもうちょい押されてたかもなと思考する。

 さてどう対処したものか。虚式でまとめてぶっ飛ばすのもアリだが、相手が正面から向かってこないこの状況で乱発するにはちょっと威力が強すぎる。

 

 

「……あれを、やってみるか」

 

 

 実験台が欲しかったところだ。この舐めた襲撃者相手にはふさわしい。

 掌印を結ぶ。呪力を練る。ぶっつけ本番──ではない。

 

 

 

「──()()()()

「はぁ!?」

 

 

 

 五条悟は天才だ。

 手本ならばすでに見た。感覚を確かめ合える友人(ナユタ)がいた。ならばどうしてこの五条悟にできぬ道理があろうか。

 家入硝子あたりに聞かれれば鼻で笑われる理屈だが、すでに二度成功させている。三度目にしてようやくの実戦投入だ。

 

 

「……おいおい、マジかよ」

 

 

 ブラフでもなんでもない、本物の領域展開の兆しを感じ取ったらしい。ようやく焦り顔を見せた男は、体に巻きつけた呪霊の口から人間の子供を吐き出させた。

 

 

「ちと早いが、出番だ()()()

【──ハロウィン!】

 

(……?)

 

 

 白髪の幼子。脳みそが溢れ出し、飛び出した眼球が揺れたまま、満面の笑みを浮かべている。領域展開という呪術の極地を現実に具現化する最中、悟の六眼はそれでも正しく目の前の情報を処理していた。

 あのガキは、無下限術式持ちだ。容姿からしても五条の血筋で間違いない。だからこそ、五条の頂点たる悟への切り札にはなり得ない。どういうことだ。この用心深い男がやぶれかぶれの策を取るとは思えない。真意を見極めようと六眼を凝らし──

 

 

 

     見るな

 

 

 

 反射的に目を逸らす。

 生まれた瞬間からあらゆる情報を処理し続けてきた五条悟だからこそ気づいた異変だった。

 

 この()()は、混ざっている。

 

 禁忌の気配。

 知ろうとする行為そのものがトリガーとなる必殺の術式。

 六眼を持つ悟にとっては、ほんの少し視るだけで致命傷になりうる呪い。

 

 正体不明の能力は、既に発動し終わっていた。

 

 

「──無量空処」

【──ハロウィン!】

 

 

 二つの領域が、ぶつかる──

 

 

 

 

 

 

 

 

(……無下限の領域じゃねえな)

 

 

 二つの領域は完全に拮抗していた。

 何もかもに満たされた無限と、整然と並ぶ無限の蔵書。

 これは、似て非なる『無限』だ。

 

 領域展開は、術式を付与した生得領域を呪力で具現化する呪術の極地である。同じ術式ならば同じ領域が形作られるはずなのだ。

 悟の読みは当たっていた。あの子供の術式は、無下限をベースにしてはいるが、明らかな異物──特級レベルの呪霊が混入した紛い物だった。

 

 

「おい、術式の開示だ。念には念を入れろ」

【ハロウィン】

 

 

 男は、武器庫代わりの呪霊と同じように身体にしがみつく少年に指示を出した。

 

 

「趣味悪いな。一家虐殺の殺人犯と仲良しこよしか?」

【はじめまして五条悟。私は『宇宙』の呪霊の受肉体です】

「普通に喋れるのかよ……」

【警戒する必要はありませんよ】

 

 

 那由多もやっていた冗談だ。特級呪霊の間ではやってんの?

 幼すぎる身体に見合わぬしっかりした口調で子供は術式を開示する。

 

 

【今から貴方は森羅万象を知るのです。全てを理解した者は皆……死ぬまでハロウィンのことしか考えられなくなるのです】

「俺の無下限を突破できたならな。うちの分家筋の、六眼無しの相伝持ち。今年で三つか四つだったか」

【私の肉体の情報としては、正しい認識です】

「そいつ、お前の仇だぞ」

 

 

 悟は侵入者の男を見据える。

 つい最近発生した、五条分家の虐殺事件。第三者の残穢が残っていなかったため身内同士の家督騒動だろうと片付けられた。その犯人はこいつだ。呪力ゼロの特異体質が、あの奇妙な現場を生み出した。

 

 

「家族丸ごと殺した相手にいいように使われて、ムカつかねーの?」

【彼に抱いている怒気はありません。命あるもの、狩り狩られるは自然の流れです。この男のかつての境遇も、今か──】

 

 

 悟は侵入者から目を逸らさなかった。

 

 

【── ら起こることも、また同じ】

 

 

 目を逸らさなかったのに、一瞬で男を見失った。バカみたいな速度の一撃を、すんでのところで弾き飛ばす。

 領域展開は、必殺の術式を必中必殺の術式に昇華する。だが複数の領域同士が綱引きをしている状態ではその恩恵は得られない。無量空処の効果は、襲撃者の男に届かない。

 

 似て非なる二つの領域は、引き起こす結果だけ見れば非常に似通っていた。悟の無量空処は、相手にこの世の全てを与えて情報の完結を許さない。少年のハロウィンは、相手にこの世の全ての情報を与えて処理能力を破壊する。パソコンのマルウェアのようなものだ。どちらも、相手の脳を認識能力を殺す。似通っているが故に、耐性がついている。お互いがお互いへのダメージを通常以上に軽減している。

 ……いや、おそらく向こうが一枚上手だ。情報の洪水がもたらす肌にまとわりつく様な不快さを、相手は一切感じていない。

 

 

【貴方の領域が与える無限の全ては、私にとっての既知にすぎません】

 

 

 この世の全てと、この世の全ての情報。術式の格は無量空処が上だ。だがあの子供に混じった呪物は、五条悟以上にこの世の全ての核心を捉えていた。

 

 

「……色々とさあ、思い返してみたんだけどさあ!」

 

 

 頭が痛い。じんじんする。古傷が痛んだわけではない。硝子の施術は完璧だ。これはストレスだ。

 血の呪霊に天使の呪霊、ムカつく奴らの顔を思い浮かべる。

 

 

「俺が最近戦う敵がさあ!! 全員俺の無下限メタってくるんだけど!!」

「良かったな、モテモテじゃねえか」

「呪霊じゃなきゃちょっとは喜んだわ」

 

 

 ──術式順転『蒼』

 ──術式反転『赫』

 

 同時発動。

 

 

 領域内だからこそ実現できた大技。引力と斥力が生み出す歪な力場を侵入者は完全に読み切った。隙間を縫って接近する男の一撃を『赫』で弾き飛ばす。

 おそらく、このガキは本来は那由多への対策だった。それが悟に流用された。男が新たに取り出した呪具を視る。纏う呪力の異質さからして、こっちが五条悟殺しの本命だ。絶対に近づけさせる訳にはいかない。

 

 

【ハロウィン!】

 

 

 押し寄せる情報の洪水を、無下限術式でせきとめる。目を瞑るのは無しだ。そんな隙をあの男は見逃さない。

 【視】てはならない深淵と、【視】なければ避けられない連撃は、確実に五条悟を消耗させていった。

 

 

 裁く、弾く、空間ごと捻り潰す。

 呪力を追いかけて、振り向いた。

 

 

(──蠅頭?)

 

 

 そこにいたのは襲撃者の男ではなかった。蝿頭──四級にも満たない、微かな呪力しか持たない雑魚だ。つまり()()()()

 

 

(あ、これ、やば──)

 

 

 

 

 

 

 

【side:ハロウィン!】

 

 

 ──数年前のこと。

 五条分家は瀬戸際に立たされていた。数代にわたり、相伝の術式が出せなかったからだ。元々弱まっていた立場は、宗家に無下限術式と六眼を持つ子息が誕生したことで決定的なものとなった。集権的な体制に反発出来るだけの力も無い。

 恵まれた子がいれば。

 神輿になりうる存在さえ生まれれば。

 呪い(いのり)が一人の膨らんだ腹に向けられる。

 

 見られている。

 

 見られている。

 

 見られて──

 

 

「ぎゃァ」

 

 

 父から、母から、夫から、使用人から、屋敷の全てから向けられた期待は、娘を狂気に走らせるには十分だった。

 

 特級呪物『阿毘達磨(あびだつま)の眼』。九年前の海外呪術師による東京襲撃事件の際に回収され、その在り方故に五条の血筋に管理が任された無限(このよのすべて)を内包する呪物。

 何を考えたのかなど、想像するまでもない。一人の妊婦がそれを飲み込む。

 

 ……呪物は総じて毒である。特級ともなれば尚のこと。

 

 予定よりも二月も早い破水。

 死産であった。

 死産の筈だった。

 

 声ひとつ上げぬ赤子が母親を指差し、笑うまではその場にいる全員がそう思っていた。

 

 

【ハロウィン!】

 

 

 (はは)は本当に発狂した。

 

 

 

 

 

 

 脳みそがあふれ出し、眼球はかろうじて筋繊維で繋がっている。誰が見ても致命傷を負った姿のまま平然と子供は生きていた。明らかに人ではなかった。人の胎から生まれた、この世の全てが入り混じりどちらでもありどちらでも無い生き物。

 呪術界の常識に照らし合わせれば即刻処刑されるべき命は、無下限術式の兆しを見せるたびに生き延びた。時々使用人を発狂させ、時々寝て、起きて、必要最低限の物資すら与えられず、まともな教育も受けず、全てを知りながら何も持たない、周囲に流されるままの命。

 

 全ては凪いでいた。全てが既知の世界の中で、その日は訪れた。

 

 屋敷が血の海に沈む。この日が来ることを、少年はずっと前から知っていた。命あるもの、奪い奪われるのは当然の摂理だ。その大きな流れに逆らう意志を持ち合わせていなかった。

 そして、彼と出会う。

 

 

 

 

【一つ、補足をしましょうか】

 

 

 蝿頭を囮に目と鼻の先から放たれた全力のハロウィン。今までとは段違いの出力だ。まともに受ければ間違いなく発狂する。五条悟は最大出力の無下限で受け止める。

 

 その上から二人を刃が貫いた。

 

 特級呪物『天逆鉾(あまのさかほこ)

 その効果は、発動中の術式強制解除。

 

 

【彼は私の大脳皮質で、蝶結びをしてくれたんですよ】

 

 

 二つの無限を打ち消して、刃が斜めに引き下ろされる。喉笛から胸を通って内臓に。足を完全に潰して、機動力を奪っていった。

 領域が破れる。両術師の致命傷により、同時にボロボロと解けていく。

 宇宙の呪霊は腹を潰されて、腕も曲がっていた。それらは森羅万象のほんの上澄みに過ぎないのだと、小さくか細い姿で微笑んだ。

 

 何もない世界で、初めて何かを与えられた。

 奇しくも、それはかつて惚れた女に貰ったものと同じだった。

 

 だから私はあの家を出た。

 だからここまでついてきた。

 だからここでむちゃくちゃになる。

 

 全て、知っていたことだ。

 

 

【とてもかわいいハロウィン!】

 

 

 最後の一撃が、五条悟の額に突き立てられた。

 

 

 

 

 

 

 

「ったく、ここで使い潰したくなかったんだが……五条の坊相手じゃ仕方ねえか。ちったあ勘が戻ったかな」

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:■■■】

 

 

 歩く。

 

 

 彷徨う。

 

 

 見て廻る。

 

 

 どこにいる。

 

 

 捜さなければ。

 

 

 犯人がいるのだ。

 

 

 どうなってもいい。

 

 

 気がつけば外にいた。 

 

 

 私はそいつを許さない。

 

 

 硝子は刃物で刺されてた。

 

 

「あ……】

 

 

 血と、土の入り混じる香りがした。

 

 都立呪術高等専門学校 筵山。

 破壊された鳥居。

 積み上がる瓦礫。

 隙間なく敷き詰められた石畳の上で。

 

 

 

 五条悟(ともだち)が頭を刺されて死んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:夏油傑】

 

 

 高専最下層。国内の結界の最重要拠点。天元様のお膝元──それが薨星宮だ。

 三日間にわたる護衛任務も終わりが近づいている。同化への手順を理子ちゃんに説明しながら、夏油傑は思考する。

 

 星漿体の任務を告げる時、夜蛾は『同化』と『抹消』と言った。それだけ責任感を持てと言いたいのだろう。

 うちの担任は脳筋のくせによく回りくどいことをする。

 早川那由多の件もだ。あの人は悟に監視任務を告げておきながら、必要以上の情報を与えようとしなかった。五条悟と家入硝子と夏油傑が一年かけて交友を深めたように、彼女とも仲を深めて欲しいのだと。思惑に気づいた時にはすっかり友人になってしまっていた。

 早川那由多も、天内理子も、ただの普通の女の子だ。

 その身に課された困難が、非術師よりずっと重いというだけの。

 

 同化を果たせば、彼女は二度と戻れない。大切な人と笑い合う日々も、新たな出会いの可能性も永遠に失われる。

 だから傑はもう一つの選択肢を示す。彼女に会う前から決めていた、親友との約束を。

 

 

「それか引き返して──」

「よう」

「──!?」

 

 

 第三者の声が響く。理子ちゃんを庇いながら振り向く。そこにいたのは見知った姿だった。

 

 

「早川さん……?」

「早川先生!」

 

 

 思わず駆け寄ろうとした理子ちゃんの手を掴み、引き戻す。

 この場所は関係者以外の一切の立ち入りが禁じられている。なぜ彼がここにいる。意図が読めない。対応次第では戦闘になる可能性がある。呪霊を呼び出すべきか、どうか。

 

 

「『それか引き返して』、なんだって?」

「……」

 

 

 さっきの発言を聞かれていた。傑は返答に詰まった。今から提案しようとしていたことは、日本国家への反逆同然だったからだ。まともな大人ならまず止める蛮行だ。

 

 

「ヒロフミが言ってたぜ。一級術師夏油傑の欠点は、大人に相談しないことだってな」

「心外だな。ちゃんと尊敬できる相手にはしますよ」

 

 

 悟との会話を思い出す。

 

 

『星漿体のガキが同化を拒んだ時ぃ? ……そん時は同化はなし!』

『いいのかい? 天元様と戦うことになるかもしれないよ』

『ビビってんの? 大丈夫なんとかなるって。俺たちは最強なんだ』

 

『それと、もしそうなったら……あの教師(デンジ)は、味方だ』

『なんだ、悟はあの人のこと嫌いじゃなかったのか』

『嫌いに決まってるだろうが。でも、天内の味方なのはマジだろ』

 

 

 ……肩の力が抜ける。警戒してしまった自分が恥ずかしい。

 悟が信用を向けたように、理子ちゃんが聖母なんて噴飯ものの例えをしたように、かつて己が直感的に気づいた様に。

 彼は──良い人だ。

 

 

「……だから、話します。理子ちゃん、少しだけ時間いいかな」

「う、うん」

「おお〜……?」

 

 

 俺初めてソンケーされちゃったぜ〜と照れる姿はちょっと情けない。見続けていると尊敬したくなくなってきそうだったので、傑は目を逸らした。

 

 

 

 

 

 

「もっと、みんなと一緒にいたい。もっとみんなと色んな所に行って色んなものを見て……! もっと……!」

 

 

 天内理子が泣く。夏油傑が受け入れる。二人の結論を見届けると、早川デンジは無言で傑たちに航空券を差し出した。全部で五枚。行き先はマレーシアになっていた。

 

 

「なんでマレーシア?」

「ちょうどヒロフミが出張中なんだよ」

 

 

 ()()()()()()()

 傑たちが沖縄にいた一日と少しの間に、どこで何をしていたのかは知らないが、デンジは言い切った。

 あとこれは嘘の身分証な。外国の金はこっち。風邪薬と生理用品も入れといた。ワクチン打っとかねえとすげえ苦しいから到着次第この住所に直行な。出るわ出るわの大荷物。トランクいっぱい分の説明に、逃亡計画がいよいよ現実味を帯びてくる。大人に頼るってのはこういうことよと誇る横顔が、傑のよく知るクラスメートとよく似ていた。

 

 天内理子は普通の少女だった。彼女を守るためなら、何を敵に回したっていいと思う。彼女の未来は私たちが保証する。

 丁度いい。硝子と那由多も引き連れて、楽しい逃避行の始まりだ。

 

 

「帰ろう、理子ちゃん」

 

 

 私たちならなんだって出来るのだから──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パンッ

 

 

 乾いた音が響く。

 

 

 

「──え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:天内理子】

 

 

「──プロフィール、出してねえのお前だけだぞ」

「あ、ああっ! ええっと、すみません……」

 

 

 同化、と書いた項目を慌てて消す。見られなかったかな。恐る恐る机から顔を上げると、先生は怪訝な顔をしていた。

 

 

「ちゃんとプリントあるじゃねえか。なくしたかと思って、新しいの持ってきてやったのに」

「あはは……」

 

 

 よかった。バレてない。

 二年に進級して、クラスの顔触れも変わったからと配られた自己紹介プリント。似顔絵は渾身の出来栄えだ。名前、誕生日、好きなもの。項目はほとんど埋まっている。

 それなのに、たった一つの空白のせいで、放課後になっても提出できていなかった。

 

 

「適当に埋めりゃいいぜ。好きなものとか、自分といえばコレ! みたいなのねえの?」

「妾といえばすなわち天元様なのじゃ!」

「お前ちゃんとクラスで友達いる?」

「いるもん!!!」

 

 

 別にいいのだ。先生は一般人で、きっと天元様の存在すら知らない。妾の尊さが分からないのは仕方ない。

 星漿体(わたし)はとっても慈悲深いのである。

 自己紹介プリントの空欄──『私の将来』。天元様なんて、書けっこないからこうしてずっと悩んでいる。

 

 

「先生こそ、どうして先生になったんですか? 中学の頃から将来が決まってたんですか?」

「俺中学行ってねえよ」

「ごまかすなー!」

「ええ〜……大体なあ、ここに書くのは、『将来』じゃなくて、『将来の夢』なんだっつの。妥当かとか可能性とかほっぽって、気持ちだけ書いときゃいいんだよ」

「──夢?」

 

 

 夢ってなんだろう。

 私は、最初から特別で。生き方はとっくに決まってて。だからその先のことなんか考えたこともなかった。

 なんてことない空欄が、とても大きな壁に見えた。

 

 

「私、将来の夢なんて、ない……」

 

 

 学校に行くのが好きだった。

 私は星漿体で、大切にされていて、誰にも代われないお役目があって。

 だから、外出もあまりできなくて。

 だから、学校に行くのが楽しみだった。

 友達に、先生に、みんなに会えるこの場所が大好きだった。

 

 プリクラを一緒に撮ったゆいちゃん。

 すごくおしゃれで、私のヘアバンドをかわいいねと褒めてくれたはなちゃん。

 アイドルに詳しくて、色々な曲を教えてくれたなつきちゃん。

 ピアノが上手で、学園祭で引っ張りだこだったエリサちゃん。

 

 厳しいけれど、いつも生徒のことを一番に考えてくれる先生たち。

 

 私を見てくれた。

 みんな、私の大切な人。

 

 その全部と、同化の日にお別れする。

 きっと辛いと思う。悲しくてたまらなくなると思う。でも時間が経てば、きっと何も思わなくなる。……両親が死んだ時と同じだ。

 

 

 早川先生は、私が本気で思い悩んでいることに気づいたのか、姿勢を正した。

 だらしがなくて、すぐに調子に乗って、校長室に呼び出されてばかりの男の人。でも、こういう察しが妙にいいから、大人しい子からモテるのは分かるのだ。先生への告白の付き添いをしたこともある。死んだふりで逃げたのは最低だったけど。

 

 一般の学校に呪術界の話は開示できない。だから天内理子は宗教法人の幹部の生まれという設定になっている。何を勘違いしたのか、先生はあれこれと気をつかい始めた。

 

 

「大人の指図ってよ、それっぽく聞こえるもんなんだ。でもそれは大人になってから思い返すくらいで丁度いいっつーか……誰に何言われようと気にすんな」

 

 

 私は大人にならないよ。

 天元様になるの。

 

 

「今のお前の気持ちは、お前だけのもんだ。だから、お前が名付けろよ。ここには好きに書きゃいい」

「ないよ。私に夢なんかない。私の未来は決まってる」

 

 

 だから私の気持ちに名前がつく日はきっと来ない。

 何も知らないくせに、勘違いして馬鹿みたい。でも星漿体ではない『天内理子』を見て、心配して、色々考えてくれるのは嫌じゃなかった。

 

 

「この異性不純行為教師がぁ!」

「ヘブゥっ!!」

「殺す」

「黒井ーーー!!! 違うのじゃ! 先生は! せ、先生!」

 

 

 直後、背後から振り下ろされたモップの取手が先生の頭を叩き割る。下校が遅いことを訝しんだ黒井の凶行だった。

 女に殺されかけるのは慣れてるだなんてカッコつけて冗談を言うところも好きだった。

 

 

 

 

 

 

 私に来年は来ない。

 私は星漿体だから。

 私は……

 

 

 

 

 

 ……先生、あのね。

 

 ホントは、あの時、嘘ついてたの。

 

 

 

 

 

 

 私、先生になりたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──天内?」

 

 

 

 

 




【キャラ紹介】
宇宙の呪霊
性別:男性(呪霊の受肉体)
好きなもの:ハロウィン!
嫌いなもの:ハロウィン!
所属:伏黒甚爾
出典:?
 死産だった子供を依代に受肉した特級呪物。武闘派スパダリ女性と武闘派ヒモ男がタイプでハロウィン!


天内理子(あまない りこ)
性別:女性
好きなもの:学校
嫌いなもの:しいたけ
所属:星漿体/廉直女学院中等部
出典:呪術廻戦
 学校が好きな女の子。クラスメートも、先生も、一緒に沖縄に行った人たちも、みんな好きだった。将来の夢をようやく見つけた。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

君のことが大大大大大好きな八人のデビルマン

 

 

 

 

【side:■■■】

 

 

 五条悟(ともだち)が死んでいた。

 

 信じられなくて、横たわる体を揺さぶろうとして、すんでのところで手を止める。行き場を失った腕が宙を揺れていた。

 そうだ、こう言う時、叩いちゃダメなんだ。

 北海道で教えてもらったことだった。

 みんなに教えてもらって──

 

 ああでも、これって、まだ生きてる人への場合なんだっけ。

 

 

【なんか、どうでもよくなっちゃったなあ……】

 

 

 土と血で汚れた髪

 蒼く光る瞳を直視できず、静かに瞼を閉じさせた。

 

 奇妙なほど残穢はない。

 すぐそばに、呪霊混じりの子供も倒れていた。知らない匂い。その他に痕跡はほとんどない。

 硝子の時と同じだ。血の渇き具合からして、こちらを先に始末したのかもしれない。

 

 考える。

 早■那■■は考える。

 彼らはどうして死んだんだっけ。

 どうしてこんなことになったんだっけ。

 任務のためだ。天元様の、結界を、日本を守る。

 

 

 【行かないと】

 

 

 どうせ星漿体はもう死んでいる。

 これほどの手際だ。今から応援に行っても間に合わないだろうね。

 星漿体が死ねば、天元の肉体は初期化されず、あらゆる結界が無茶苦茶になってしまう。

 社会秩序が乱れてしまう。

 

 

【行かないと】

 

 

 彼らの遺志を継がねば。

 天元の暴走を止めなければ。

 結界を制御しなければ。

 

 

 ……そんなことのためだけに頑張る人たちだっ【行かないと】

 

 

 そうだ、行かないと。

 私にできることを、精一杯頑張ればいい。

 

 下等生物の耳と鼻が私の感覚を広げていく。

 天元までの道を見つけるのは、簡単だった。

 

 

 【行かないと】

 

 

 友達のために。■■■にできることを、精一杯頑張るために。

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:夏油傑】

 

 

「……理子ちゃん?」

 

 

 乾いた音が響く。天内理子の頭部から血が吹き出し勢いよく吹っ飛んだ。事態を理解できないままでいる傑を、今度は早川さんが突き飛ばした。胸元を探ろうとした彼の手の先が切断され、何もない場所をからぶる。目の前で再び血が噴き出す。

 

 

「ァ──」

「っ!?」

 

 

 ようやく正気を取り戻す。夏油は即座に手持ちの中で一番硬い外皮を持つ呪霊を呼び出した。

 

 

「っ、ツぁ゛ァッ!」

「あ? あー、なるほど。呪霊操術か」

 

 

 ギリギリ初撃をしのぎ切った。凶器には呪力が込められていなかった。だから気配に気づけず、ここまで接近を許してしまった。

 ただの刃物の一撃だというのに、受け止めた反動だけで右腕が芯から震える。防げたのは、呪霊は呪力なしでは祓えないというルールのおかげだ。早川さんに庇われなければ召喚が間に合わず腕ごと持っていかれたかもしれない。

 追撃される弾丸も防ぐ。……銃だ。銃の呪霊の顕現以来、全世界で生産が禁止されているはずなのに。

 理子ちゃんを銃撃し、早川さんの腕と首を切り落とした襲撃者は、つい先程目にした男だった。

 

 

「なんでオマエがここに居る……!」

「なんでって……ああそういう意味ね。五条悟は俺が殺した」

「悟は、殺しても死ぬような奴ではないよ」

「北海道の件か? あの五条の坊が瀕死の重症からすぐ回復したってので有名だぜ」

 

 

 面倒くさそうに男は頭をかいた。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()。これで満足か?」

「──っ!?」

 

 

 お前らが同化の前に無駄話をしてくれたおかげで間に合った、などと軽薄な笑みを浮かべている。そうして理子ちゃんの願いを、早川さんの情を、私たちの決意を全て茶番だと踏み躙り続ける。

 

 私たちのせいだ。ここ数ヶ月は四人での任務ばかりだった。私たちが、硝子を外に連れ出しすぎた。……だから彼女まで狙われた。頭が冷えていく。自分でもこんな感情を抱けるのかと驚くほどに、純粋な殺意が全身を満たしていく。

 

 

「そうか、死ね」

「焦んなよ」

 

 

 殺してやる。腹の底から負の感情が際限なく沸いた。

 どうやって薨星宮の場所を特定したかだの、呪力の喪失を代償とした肉体強化の天与呪縛だの、エレベーター前で私たちと別れた黒井さんをどのように手をかけたかだの。聞くに耐えない話を続ける男を黙らせるため、呪霊を呼び出し攻撃を仕掛けた。

 

 宣言通り男の身体能力は凄まじく、生半可な攻撃は意味をなさなかった。牽制も本命も、全ての攻撃が区別なく呪具で叩き落とされる。攻撃の数も質も、この程度では話にならない。弱小呪霊の自爆特攻でフェイントを仕掛ける隙すらない。今の手札の中から、襲撃者を殺すための手段を模索する。

 天使の呪霊は今は使えない。今私たちがいるのは薨星宮、国内の主要結界の基盤だ。天元様を巻き込みかねない領域展開はなしだ。

 

 まずはあの男が体に巻いている武器庫代わりの呪霊を呪霊操術で抑える。呪具の後出しを防ぐのだ。あとは物量で押し切る。簡単に作戦を立てて再び呪霊を呼び出した。

 数度の攻防を経て、呪霊操術の圏内にまで接近する。武器庫の呪霊に手を伸ばす。そして──失敗した。

 

 

「なっ……!?」

 

 

 早川那由多の『支配』とは違い、夏油傑の『呪霊操術』ではすでに成立した主従関係に割り込めないのだと今更知った。そんな無知が、致命的な隙を生む。腕をハジかれ、無防備に急所を晒した瞬間を男は見逃さなかった。新しく取り出した呪具で傑は右肩から胴にかけて斜めに袈裟斬りにされた。……手加減されている。致命傷ではない。それでも意識を飛ばすには十分な傷を刻まれる。

 

 

(ふざけるな)

 

 

 これで勝負はついたと言わんばかりの態度で、襲撃者は理子ちゃんの遺体に近づいていく。

 

 

「ふざ、けるなッ……!」

 

 

 許せなかった。これ以上彼女の尊厳を踏みにじらせてたまるか。

 私はもう一方の特級呪霊を呼び出した。

 

 

(呪霊操術──『血の呪霊』)

【なーんじゃ、ワシに指図す──】

()()()()()

 

 

 屈辱を、恥辱を、全てへの怒りを呪力に変換する。血の呪霊を呪力量で強引にねじ伏せた。夏油傑の呪術師としての力量がダイレクトに反映される最低最悪の計測器。そいつを、今持てる最大の出力で運用する。傷口の血液を凝固させ、止血をする。すでに溢れた血液を圧縮させて男の背中に撃ち出した。

 

 

「あ?」

 

 

 全て回避される。今はそれでいい。回避行動を取らせた隙に、理子ちゃんを守れる位置を確保した。

 悟が持ってきた資料の記述と、硝子に教わった人体の内部構造を思い出しながら自分自身の全身の血液を加速させた。酸素濃度と体温を強制的に引き上げる。目元が充血し、肌に痣が浮かぶ。赤血操術──赤鱗躍動。そのもどき。

 

 

「そいつは、加茂家相伝の……? どういうタネだ」

「オマエが知る必要はない」

 

 

 要はドーピングだ。もっとも、肉弾戦でアレに勝てると思うほど慢心はしていない。目で追えないレベルの敵の動きを、最低限追えるようにするため己のスペックを引き上げる。これで身体能力にものを言わせた不意打ちはかなり防げるはずだ。

 さあ第二ラウンドだ──というところで、違和感に気づく。

 

 

(……?)

 

 

 侵入者は傑を見ていなかった。傑のさらに背後を見つめ、虚をつかれた顔で手を止めていた。

 戦闘中に相手から意識を外すなどあり得ない。

 ……あり得ないことをしてしまう様な異常事態が発生している?

 

 

(……は?)

 

 

 つられて私も振り返る。男の視線の先を確認する。信じられないものを見た。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 

 

 目は虚で、首が据わらず、頭部から血を流したまま直立している。死んでいる。死んでいるのに立っている。心臓から伸びた鎖が、薨星宮の入り口まで伸びている。

 逆光で顔は見えないが、自分のよく知る相手がいた。鎖のもう一方の端が、早川那由多の下腹部に繋がっていた。

 

 

「那由多、なのか……?」

 

 

 少女はにこりと穏やかに微笑んだ。

 

 

()()

 

 

 襲撃者は即座に那由多を始末するために動いたが、たった一言で制圧された。力無く那由多の足元に崩れ落ちた……らしい。

 断言できないのは、それを目で確認することが出来なかったからだ。傑もまた襲撃者と同様に、膝を突き、地面と頬を擦り合わせることとなっていた。

 

 

 どうして、思い出してしまうのだろう。

 

 

 ──もしも、早川那由多が一般人を傷つけて、討つべき悪になったらどうするつもりだ ?

 

 

 かつて己が問うたはずの言葉が目の前に立ちはだかる。

 

 

 ──ま、お前らがいるならそういうことにはならねえだろ。頼りにしてるぜ

 

 

 出会った当初から早川さんに向けられてた信頼とその論拠。……あの侵入者は、誰を殺したと言っていた?

 彼女は、本当に私の知る早川那由多なのだろうか。

 

 

「那由……!」

【傑くん、それ、やめてくれる?】

「──ッ!?」

 

 

 『呪霊操術』が、己の意識の制御から外れる。呼び出していた複数の呪霊も、血の呪霊によるドーピングも、何もかもがかき消える。

 その力を直接向けられたのは初めてだった。

 

 

(こんなものを、悟は平然とハジいていたのか……!?)

 

 

 ──仮称『支配術式』。それが特級呪霊『早川那由多』の術式だ。

 対象は呪霊、犬猫ネズミ鳥その他色々、そして()()。一対一での命令が基礎となる洗脳や呪言、操術等とは根本から異なり、術師を中心に一対多数の支配体系を築く。『社会』や『組織』の制圧に特化した術式。

 発動条件は()()()()()()()()。さらには本来他人に強制されると著しく効果が下がる縛りを、問答無用で結ぶことも可能だという。まさに特級。

 

 それが今、薨星宮にいる全てのものに向けられていた。

 天内理子の遺体を弄び、侵入者を制圧し、夏油傑をねじ伏せた。そしてそのまま、天元様へと──

 

 

【やっぱり、直接支配するのは難しいみたい】

「ふざけるな。何をするつもりだ……!」

 

 

 肉体に呪力を巡らせ、支配術式に対抗する。力の入らない体を無理やり起こした。呪言への対処に近い。抵抗を感じ取った那由多はなぜか満足気な様子だ。

 

 

【天元は日本の主要な結界の要です。しかし、五〇〇年に一度星漿体と同化し進化を止めなければ、国家を守護する行動指針が失われてしまう】

 

 

 『早川那由多』は国家から正式に認められた唯一の『討伐対象特別除外指定済人型特級呪霊』だ。日本で唯一、人間に対して友好的だと認定を受けた呪霊──だった。

 

 

 ──もしも私が悪い呪霊になったら、私のことちゃんと食べてね

 

 

 つい最近かわしたばかりの約束が、生々しく甦る。

 どうして、こんなことばかり思い出すのだろう。私はあの時何と返事をした?

 

 

【国家の防衛の要としては、あまりに不完全です。より適切に厳重に管理をすべきです】

 

 

 目の前の呪霊は、もはや夏油傑の友人ではない。

 特級呪霊『■■■』。数々の文献に記載されているとおりの、呪術師が倒すべき敵だった。

 

 

【私は今から天元を支配します】

 

 

 ■■■(悪い呪霊)は、宣言した。

 

 

 

 

 

 

 

 

【傑くん、日本の社会秩序を守るために協力してくれますか?】

 

 

 依然、支配の力を使用したまま■■■は傑に語りかける。脅迫ですらない、大人しくすれば力を解いてあげるという支配前提の慈悲。……冗談じゃない。

 

 

「断る。悪い呪霊を退治するのが呪術師の仕事だからね」

【そう、残念。共に務めを果たす仲と思っていたのですが】

「私たちの任務は星漿体の護衛と抹消だ。結界の私物化ではないんだよ」

 

 

「──ベラベラ話してんじゃねえぞ」

 

 

 瞬間、■■■の首が飛んだ。

 ■■■の足元で倒れ伏せていたはずの男の仕業だった。首が飛ぶ。頭蓋を切り裂き、脳を刺す。合計四箇所の致命傷。一切の手加減も油断もない、完璧な仕事だった。

 

 

「俺の肉体は特別性でな。随分法外な出力してるようだが、ようやく慣れた」

 

 

 襲撃者はニヤリと笑う。どういう理屈なのかわからない。あの男、どこまで規格外なんだ。

 だがまだ足りない。

 

 

「今すぐ腕を切れ!」

「……!」

 

 

 宙を飛ぶ級友の生首。()()()()()()()()()()()()

 傑が叫んだ直後には、襲撃者の刃は再び振り上げられていた。だが間に合わない。切断された首と、首から下が、平然と動き出す。下腹部に掌が重ねられる。掌印が結ばれる。螺旋状に渦巻く瞳がこの場にいる全てへ死を宣言する。

 

 

 

【──領域展開】

 

 

 

 能力の大半を良識と常識と教育で縛り続けていた特級呪霊は、深い悲しみを理由にそれら全てを放棄した。

 『元』最悪の呪霊が、最悪の術式を無差別に展開する。

 刺客の男も、天元様も、夏油傑も何もかもを巻き込んで。鎖の擦れる音がした。

 

 

 

 

 

■■■■ ■■■■■(マキマ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「領域展開──!」

 

 

 かつて見たものとは違う、完璧な領域だった。

 空から顕れる包丁を握りしめた巨大な手。地上を埋め尽くす貌の無い人、人、人。ネズミ。犬。鳥。人あらざるもの。四方八方を埋め尽くす無数の影。そのどれもが心底から幸せそうに笑っている。見覚えのある呪詛師。見覚えのない姿。数えるのが馬鹿らしくなるほどの数だ。

 もはや一刻の猶予もない。傑は即座に温存していた呪霊を呼び出した。

 

 

「呪霊操術──天使の呪霊!」

 

 ──■■■, ■■■, lema sabachthani

 

 

 領域展開により威力を底上げされた『支配』をくらえば終わりだ。天元様への影響に配慮している場合ではない。天使の呪霊を呼び出して、領域展開を命じる。高い知能を持つ呪霊だったが、今は意識を最低限まで削り取ってある。命令のままに、領域同士の主導権の奪い合いが始まり、生得領域に付与された術式の必中効果が失われた。

 

 

「が、ァ………?」

「そこの猿! 一時休戦だ!」

「痛ァ!?」

 

 

 ■■■の領域に巻き込まれ、術中にハマりかけていた刺客の男を後頭部を引っ叩く。暴走する那由多の対処に加えてこいつの相手までするのは流石に無理だ。

 力づくで手持ちの天使の領域の効果圏内まで引き込んだ。

 

 

「ガキが、何しやがる!」

「助けてやったんだ。手を貸せ!」

「……あ?」

 

 

 ようやく正気に戻ったらしい。男は周囲の異常な様子に警戒体制をとる。その際奥に居座る那由多を視線に捉えた。

 

 

「これが噂の領域展開できる生徒ねえ……」

「特級呪霊『早川那由多』。支配術式の使い手だ」

「おー、おー。やっぱ人間じゃなかったか。夜蛾正道の呪骸あたりだと予想つけてたんだが、まさか特級呪霊たァな」

 

 

 傑が呪霊を呼び出し、刺客の男が背中合わせに呪具を構える。非常にムカつくことに、■■■は傑を攻撃対象に含めている。ここを脱出しないことにはこの猿と共倒れだ。一時限りの共闘戦線がここに成立した。

 

 無数の式神が私たちを襲う。かつて彼女が支配したことがある存在全てを式神として使役できる領域。大方そういったところだろう。

 雑魚では相手にならないと判断したのか、■■■は一際大きな呪力を練り、術式を発動させる。

 不規則に蠢く有象無象から七つの人影が飛び出した。

 

 

【■■■さーん! 頑張るから見ててねぇ!】

【勝ったらデートしてくれよ】

【はー? 野郎とデートして何が楽しいのさ。女子会しましょ】

【もー、みんな本当■■■さんが好きだなあ】

 

 

 剣、鞭、火炎放射器、槍、刀、爆弾、弓──七つの武器を模した男女が立ち塞がる。

 

 

【──『私のことが大大大大大好きな七人のデビルマン』】

 

 

「「うわぁ……」」

 

 

 キツい。言動がキツすぎる。

 こんなことで理子ちゃんの仇と心を一つにしたくなかった。

 

 

「ハーレム願望か? 領域展開ってのは恥晒しと紙一重なんだな」

「友人の性癖を直視するというのもなかなか精神的にくるね」

「呪霊と友人とか、イカれてん、なっ!」

 

 

 真っ先に突撃してきた弓の女の式神を、男が迎撃する。強敵の処理は男が、全方位への警戒と手数への対応は傑が。自然と役割は分担はなされた。

 

 

「半径20mより私から離れるな! それ以上は洗脳を防ぐ保証はできない!」

「無茶言うぜ」

 

 

 領域展開中の綱引きに、物理的な位置関係がどのように影響するのか夏油傑は理解していなかった。那由多や悟ならば本能的に理解できたのかもしれないが、あいにく傑は術師本人ではない。

 傑の目の前で、音すら置き去りにした衝撃波が生まれる。どうやら七つの式神の中では弓を模した姿の女が飛び抜けた強さを持つようだ。

 かつて岸辺から全人類が集まって素手で殴り合う競技があれば間違いなく一位だと評された女と、天与呪縛が生んだ規格外の肉体を持つ男。奇しくも、時を超えた肉弾戦の頂上決戦が繰り広げられていた。

 不意をついて■■■の背に投擲された呪具を、女が全て叩き落とす。

 

 

【私の女に……手を出すな……】

「まさか俺と素手でやりあえる女がいるとはな。呪霊に頭がヤられてなきゃ口説いてたんだが」

「お前もああなるとこだったぞ」

「げえー、気持ち悪っ」

 

 

 あの女は強すぎる。ほんの少しでもフリーにすればおそらく傑は即死する。あのスピードに追いつける男に対処を任せ、残る六人と有象無象の雑魚に集中する。

 

 

「……はは、笑うしかないな。これが弱い方だと?」

 

 

 残る六人の武器人間たち。一人一人が特級に等しい力を持っている。

 

 ああ、またこうなるのか。特級呪霊には特級呪霊をだ。脳裏に響く無茶な要求を多少受け入れ、超攻撃特化の切り札を呼び出した。

 

 

「呪霊操術──血の呪霊」

【ガハハハハハハッハハ! ワシが最強じゃああああ!!】

 

 

 目の前の武器人間たちの()()()()()()()()()。手と足とツノと乳と、いくつものの玉体を混ぜ合わせた血の呪霊が顕現した。

 

 

「成る程、そいつがさっきの赤血操術もどきのトリックか。どうしてこの技をさっき俺に使わなかった?」

「答える義理はない」

 

 

 ■■■の首も、武器人間たちと同時に飛んだ。領域内の式神が一匹弾けて潰れる。たったそれだけの代償で、■■■は即座に再生する。

 

 

【──『ゾンビの呪霊』】

「ギャン!」

 

 

 調子に乗っていた血の呪霊があっという間に叩きのめされた。血を抜かれようが手足をもがれようが動き続ける無数の兵隊。成る程こいつの天敵だ。

 

 

【ワシはそこの変な前髪の命令を聞いただけじゃ! 何も悪くない!】

「あー、なるほど。調伏しきれてねえわけだ」

「うるさい」

【クズ! 性悪! 性格最悪! これじゃから人間は醜い!】

「黙れ」

【私に従えばキミは祓わないでいてあげる】

【仰せのままにぃー!】

「クソ呪霊が! いいから働け!」

 

 

 このままだと本当に支配権を奪われかねない。血の呪霊の本体を引っ込めて、能力だけの行使に切り替える。

 

 

「おい、あの特級呪霊とやらの術式は本当に『支配』なんだろうな?」

「何を………?」

「この呪具で作られた傷は、自然治癒以外じゃ治らねえ筈なんだよ」

「!」

 

 

 蘇る。

 武器を模した七人の呪霊が蘇る。

 首を、喉を、瞳を、右腕を、左腕を、指を、脊椎を──肉体のあらゆる箇所をトリガーに、癒えない筈の傷を打ち消し五体満足の姿に巻き戻る。『支配』の領分を超えた『不死身』さだ。

 血の呪霊の一撃で巻き返した筈の戦況が振り出しに戻された。

 

 ……まずい。このままでは止められない。

 

 かつて早川那由多だった■■■は、鎖で繋がれた理子ちゃんを引き連れて、結界の最深部へ突き進んでいく。あそこに入られたら終わりだ。

 

 許せなかった。

 この春からの、ほんの少しだけの関係だった。だが間違いなく私たちの青春の一部だった。それを全て裏切られた気がして、強く拳を握りしめる。

 武器人間の攻撃を捌き、防ぎ、受け流す。一瞬でいい。一瞬の隙がほしい。

 

 

「――命を捧げろ!」

【【!?】】

 

 

 小鳥型の呪霊を呼び出して、自殺命令を下す。底上げされた呪力が私のすぐそばで一斉に弾けた。

 かつて彼女が披露し、それを参考に編み出した新たな戦術。

 呪霊を二層に配置し、それぞれに異なる命令を下す。防御と自爆──混沌とする戦場を一旦リセットし、操術使いにとって一番有利な距離を確保するのが目的の技。狙い通りに武器の呪霊達が離れていく。

 

 最初にいた場所に、駆け戻る。領域展開に巻き込まれた遺体を抱き上げ回収する。

 

 

「那由多が、あんなことになっているのに……」

 

 

 夏油傑は己の腕の肉を呪霊に噛みちぎらせた。脳内で喚く呪霊を無視して、流れる血液を、遺体──早川デンジの口に注ぐ。迷わず胸元に手を突っ込んで、()()()()()()()()()()()

 

 

「……どうして、貴方は、寝てるんだ!」

 

 

 

 

 

 

 ──ヴヴンッ……

 

 

 

 

 

 

 鈍いモーター音が響く。

 早川デンジの額から回転する刃が突き出して、異形の顎門が形成される。

 かつて憧れて、今でも尊敬している存在。日本で最も有名なヒーローの名を叫んだ。

 

 

 

「──チェンソーマン!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 デンジは飛び起きた。

 

 

「あ〜〜……」

 

 

 鎖に繋がれる天内と、その先にいる支配の呪霊。襲撃してきたはずの男が味方として協力している。最後に腕から血を流す夏油傑を確認して、意味をなさない声をこぼした。

 

 

「……お前、いつから俺がチェンソーマンだって気づいてたわけ?」

「とっくの昔に」

 

 

 吐き捨てるように答えた。あれで隠し切れているつもりだったのだろうか。

 悟も、私も、おそらくは硝子も、彼の正体にはとっくに察しが付いていた。チェンソーマンと契約している早川那由多の唯一の肉親にして保護者。領域展開ができる謎の男。正体に気づくなという方が難しい。

 私は彼に三度も命を救われた。幼い頃と、北海道での血の提供、そしてついさっき。そうでもなければバカにするなと悟のごとく怒っていただろう。

 

 

「舐めないでください。ファンなんですよ」

「ならサインくらいねだりゃいいのによ。野郎のファンなんざゴメンだが、ナユタん友達ってんならサービスしてやったぜ」

「貴方は、正体を隠していました。それなりの事情があるんでしょう。部外者の私が無闇に暴く理由はない」

「お、お前いい奴すぎねえ……?」

 

 

 場違いな呑気さで、早川さんは「ファンの鑑じゃん……」とつぶやいた。

 

 

「俺ん生徒でも気づいた奴いるけど、学園祭にジャニーズ呼ばなきゃバラすって脅してきやがったぜ」

「可愛げがあるじゃないですか」

「そうかぁ〜?」

 

 

 弓女との攻防で吹っ飛んだ……いや、衝撃を減らすために意図的に強く吹き飛んだ男が立ち上がる。この男はおそらく早川さんがチェンソーマンだと知っていたのだろう。特に驚く様子もなく声をかけた。

 

 

「状況が変わった。共闘だ」

「あ〜……そうだな……」

 

 

 ……彼は、どうやって感情に折り合いをつけたのだろう。チェンソーマンは迷わず襲撃者の男に背中を預ける。そのまま■■■を止めるために突撃した。七人のデビルマンの攻撃を次々と捌いていく。傑はその背中に声をかけた。

 

 

「気をつけてください! この領域は、那由多のことを大大大大大好きにさせます!」

「お前言ってて恥ずかしくねえの?」

「恥ずかしいに決まってるだろ!」

 

 

 傑はキレた。この猿が。さっきから揚げ足ばかりとりやがって。他に的確な表現が思いつかなかったのだから仕方ないだろう。

 

 

「おお〜じゃあなにも問題はねえなァ! だって俺は最初からナユタんことが大大大大大好きなんだからなァァアアアア!!」

 

 

 チェンソーマンは刀の男を真っ二つに切断した。支配の呪霊の領域に住まう式神を次々と切断していく。返り血を撒き散らして突き進み、瞬く間に距離を詰めていく。

 

 支配の呪霊が振り向いた。清潔感のある白のシャツを赤く染めて、風もないのにネクタイがゆらゆらと揺れている。黒のハイウェストのパンツが身体のラインを強調していた。

 

 

「へえ、新しい制服似合ってんじゃねえか。けどよォ、まずは……」

 

 

 洗練された殺仕草。穏やかな微笑み。揺れる三つ編み。

 ■■■の面影を隠さない支配の呪霊を目の当たりにして、早川デンジは断言した。

 

 

()()()ぁぁぁ! お説教の時間だ!」

 

 

 

 

 

 




クイズ:いつから気付いてたでしょう


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

五条悟と式神達一億二千六百十万人斬り

 

 

 

【side:家入硝子】

 

 

 腹が熱い。反転術式がから回る。傷を塞ぐことができない。体の芯が冷たい。反転術式が練れない。血とともに意志が、力が、抜けていく。黒く染まる意識の中で、思考だけが明瞭だった。

 

 家入硝子は狙われた。

 無用心に出歩いてしまったせいで。

 

 大人しく、大人のいうことを聞いていれば、こんなことにはならなかったのに。

 

 

(……ふざけんな)

 

 

 段々向かっ腹が立ってきた。

 

 楽しかった。

 楽しかったのだ。楽しかったらなんなのだ。

 身の安全とやらのために、つまらない日々に甘んじろというのか。

 

 ふざけるな。屈辱を、恥辱を、全てへの怒りを呪力に変換する。

 

 この家入硝子を舐めるなよ。

 

 あの旅行は、学園生活は、私の友達は、何一つ間違ってはいない。

 

 だって、すごく楽しかった!

 

 私は、私の青春を肯定する。

 誰にも間違いだなんて言わせない。

 そのためだけに、なんとしてでも生き延びる。

 

 

 考えろ。死を回避するために、今できることは何だ。

 ……そもそも、死とは何か。

 思い出の中で生きているだなんて話は、今は置いておく。

 生物は、死ぬ。心臓が止まれば死ぬし、血を流しすぎても、臓器が損傷しても死ぬ。ちょっとした傷で簡単に死に至る。いくつもの要素が複雑に絡み合い形成されている肉体が、システム不全を起こすからだ。その余波に巻き込まれて脳がやられる。

 

 結局のところ、脳が死ぬと人は死ぬのだ。

 あらゆる傷は、脳の死への道筋に過ぎない。

 逆に言えば、脳さえ無事なら他がどれだけ傷つこうと問題はない。

 

 あの呪具のせいで傷口が癒せないのなら、それ以外の全てを癒してみせる。

 私ならそれができる。

 

 私は家入硝子(わたし)を全力で生かす。

 反転術式を使用する。肺で酸素濃度を、骨髄の増血機能を、心筋の自己免疫機能を。脳を生かすためだけに、脳以外のあらゆる生命活動を酷使する。

 

 あの五条悟(バカ)が二度も脳味噌をダメにしやがったのを治してきたのだ。やり方はすでにわかっている。

 

 正門での戦いと薨星宮での戦い。そして校舎内の片隅で最も小さな三つ目の戦争が、密かに繰り広げられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:五条悟】

 

 

 五条悟は天才だ。

 大抵のことはできるし、手本があればなお習得は早い。

 

 『蒼』も『赫』も、歴代のどの当主より早く会得した。領域展開も成し遂げた。呪術に限らず、体術も、国語も数学も物理も、IQテストも、格闘ゲームの腕も、なんだって誰より得意だった。

 なのにただ一つ、反転術式による治療だけが成功しない。

 『赫』は使えるというのに。どれだけ人体の構造を学んでも、うまくいかなかった。人生初のスランプに、これでも結構真面目に悩んでいたのだ。

 

 

(あ、これ、やば──)

 

 

 一瞬の攻防。俺は判断を間違えた。何度も味わったはずの死の予感。襲撃者の攻撃はどれもが致命傷に至る一撃だ。ミスったな、と冷静に状況を分析する。

 

 ああ、本当に、やばいなこれ。

 だってここには硝子がいない。無茶をしても、誰も助けてはくれないのだ。

 

 思えば、ここ数ヶ月はずっと四人の任務ばかりだった。

 硝子がいるから限界を無視して全力を出せた。傑がいるから目の前の敵だけに集中して全力が出せた。那由多がいたから……いやあいつは別にたいして役には立ってないな。領域展開も今は自力で出来るし。

 

 まあともかく。

 俺には無意識下で、自分が成し遂げられなくともどうにかなるという甘えがあった。

 

 人生初のスランプの理由を知る。

 原因は、家入硝子(ともだち)の存在そのものだ。

 

 誰かに治してもらえるのなら自力で回復する必要は無い。欠けていたのは危機感だ。

 周りにどれだけ仲間がいようとも、死ぬときは独りだろ。みんなで遊ぶのが楽しすぎたからかな。こんな簡単な真理をすっかり忘れていた。

 

 

 死の淵で、孤独が、五条悟の最後の枷を外した。

 

 

「はは、あはははは」

 

 

 全てを知る。全てを理解する。全ての歯車が噛み合う感覚に浸る。

 天上天下唯我独尊。今はただただ、この世界が心地よい。

 

 ああ──最っ高の気分だ!

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:夏油傑】

 

 

 チェンソーマンは強かった。

 かつて四十四体いた特級呪霊を十七体にまで減らしたという話は本当なのだろう。

 

 チェンソーマンと襲撃者の男は、息のあった連携で七人の武器の呪霊たちを次々に斬り伏せていく。

 

 

「呪霊操術」

 

 

 そしてトドメ役は傑だ。粘液状の呪霊を呼び出し、動かなくなった肉片を片っ端から飲み込んでいく。こいつらは不死身だが、無条件に復活することはできない。チェンソーマンがスターターを引かねばならないように、右腕を、左腕を、指を、口を、脊椎を、目を起点に特定の儀式が必要だ。それさえ封じてしまえばいい。

 

 チェンソーマンが、最後の武器人間と対峙した。爆弾を模した少女だった。

 

 

「……なあ、レゼ。俺、結構頑張ったんだぜ」

 

 

 おそらく■■■の領域は、かつて支配の呪霊が支配したことのある存在を式神として再現している。だから彼女はいつかどこかに存在していた特級呪霊で──きっと早川さんの知り合いなのだろうと思った。

 

 

「学校行くの、楽しかった。大学受験も就活もやったし、今じゃ毎朝ブラックコーヒー飲んでんだぜ? ……こいつは出血大サービスだ。俺の成長をしっかり目に焼き付けやがれ」

 

 

 チェンソーマンはスターターを引っ張った。モーター音が鳴り響き、凄まじい呪力が練り上げられていく。

 

 

()()()()

 

 

 『デンジは領域展開ができる』。那由多の言葉に嘘はなかった。

 

 

 

 

 

    ──超跳腸(ちょうちょうちょう)胃胃肝血(いいかんじ)ィ!

 

 

 

 

 

 「モー娘。じゃん……」などとほざく猿の声は無視をする。

 虹色の臓物。クソ映画空間。かつて耳にした通りの景色が広がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ただでさえ強かったチェンソーマンは、領域展開の血と臓物の海を纏うと、ますます手がつけられなくなった。

 ■■■に肉薄する。天内理子に手を伸ばす。彼女を解放するために、彼女を縛る鎖にチェンソーを振り下ろし──失敗した。

 

 

「固ってえ〜〜〜!?」

 

 

 ただの鎖ではない。支配術式の具現化なのだ。生半可な呪力では切断できない。早川さんは両手のチェンソーを引っ込めて鎖を勢いよく引っ張った。切れない鎖は、理子ちゃんの心臓からまっすぐ■■■に繋がっている。薨星宮の最深部に侵入しかけていたところを力づくで引き戻された。

 

 

【っ──!?】

「じゃ、離したくなるまでゆっくり話し合おうぜ〜!」

 

 

 無茶苦茶だ。無茶苦茶だが──確実に流れは変わっている。意外にも早川さんは■■■への攻撃を一切迷わなかった。切られて、復活して、また切られる。いくら復活出来るとはいえ、痛みはあるようだ。わずかに汗をかき、眉を顰めているのが見えた。

 

 

「ほー、なるほどね」

 

 

 一連の様子を観察していた襲撃者の男は歪な形の呪具を取り出した。

 特級呪物『天逆鉾(あまのさかほこ)』。その効果は、発動中の術式強制解除。

 傑は詳細こそ知らなかったが、その刃が呪力の流れを断ち切るものであることは身をもって実感していた。なるほど、あれならば鎖を切断できるかもと期待する。

 

 チェンソーマンが切り開いた道を辿り、男は特級呪具を振り上げた。そしてそのまま()()()()()()()()()

 

 

「──は?」

 

 

 男は乱暴に彼女の三つ編みを掴み、移動する。領域の端──■■■と天使とチェンソーマン、三つの領域がぶつかり合った結果発生した、境界の裂け目へと。

 

 

「お前、まさか」

「これ以上のタダ働きなんてごめんだね。本当は全身持ってきたかったんだが……。はあ。天元様の結界とやらはお前らだけで頑張ってどうにかするんだな」

「お前マジかよ〜!?」

「おー、マジ」

 

 

 早川さんと夏油傑を小馬鹿にした笑みで男は笑う。切断面から溢れた雫が床を汚す。一時共闘するからと、押さえ込んでいたはずの怒りが一気に吹き返した。

 

 

「お前、は……! 待て! ふざけるな! 逃げるなァァァァ!」

「ああそれから」

 

 

 傑の追撃は全て躱される。ひらひらと手を振る余裕まであるのが憎い。

 

 

「家入硝子は生きてるぜ。他人に使える反転術式とやらの恩恵を失いたくねえ保身バカの老害から目をつけられんのも嫌だったからな。トドメは刺してねえ。今から正規の治療を受ければ助かるかもな?」

「っ……!?」

「ははっ、親に恵まれたな」

 

 

 そう言い残して、そいつは領域の隙間から脱出した。

 

 

(どうする……!?)

 

 

 息が詰まる。呼吸が乱れる。ひどく時間の流れが遅く感じる。

 どうする、どうすべきだ、どうすればいい。

 理子ちゃんの遺体か、硝子の救命か。突然二択を突きつけられて足が止まる。迷う間に領域に空いた穴はどんどん塞がっていく。

 

 冷静に考えれば、一刻も早く硝子を助けにいくべきだ。だがそれは、『理子ちゃんを選ばないこと』を選ぶようなものだ。この三日間の私たちの戦い全てを否定してしまう──

 

 

「お前は今すぐクラスメートんとこ行けェ!」

「っ! それは……」

 

 

 式神の攻撃を捌きながら、早川さんが叫んだ。

 

 

「ずーーっと考えてたんだ。ナユタは俺が一生懸命育てた最高の妹なのに、どうして突然こんなことはじめたのかって。あの野郎の話を聞いてようやく納得がいった」

「……?」

「お前にはあいつが何に見える?」

「それは、■■■──」

「違え」

 

 

 早川デンジは断言する。

 

 

「ナユタはお前らの顔をちゃんと覚えてる。だから、あいつはマキマさんじゃねえ」

 

 

 早川デンジの携帯の待ち受け画面は、早川那由多とその級友たちの自撮り写真だ。那由多はデンジに教えてくれた。これが悟くんで、これが硝子ちゃんで、これが傑くんだと。臭いも声もない、ただの画像を指さしながら。

 

 支配の呪霊は人間の顔の区別がつかない。支配が求めるのは役割のみ。個を尊重することはない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()。それは、彼女が『早川那由多』として学園生活を愛している何よりの証だった。だから、私たちの友情は早川デンジの失恋とは全く別物なのだと寂しそうに笑った。

 

 

「マキマさんは……俺のことなんか一度も見てくれちゃいなかった」

 

 

 彼女がおかしくなったのは、家入硝子と五条悟が死んだと思ったからだ。学友を愛していたからこそ、学友の死でおかしくなってしまった。

 だから家入硝子を助けることはナユタを救うことにもなるのだ。そして回り回って天内理子を支配から解放し、尊厳を取り戻すことに繋がるのだと。二択ではない、両方とも向かう先は同じなのだと、早川デンジは見抜いていた。

 

 

「だが、理子ちゃんの首が……!」

「天内をさあ! 今はナユタが『支配』してんだ! ナユタを反省させたら場所なんざすぐ分かる!」

 

 

 夢のような逃避行は始まる前に潰えてしまったけれど。完全無欠のハッピーエンドなどもはや叶わないけれど。それでもお前たちの青春と矜持をかけた戦いは今なお続いているのだと。

 

 この場は俺がどうにかする。だから早く行け。

 

 彼が有言実行する男だと、ずっと前から知っていた。チェンソーマンは、どんな困難もものともせず乗り越えてしまうヒーローだ。だから彼に憧れた。

 早川デンジに背を押され覚悟を決めた。一度決めたことに対する行動の速さは、夏油傑の美点だった。

 飛行する呪霊を操り、領域の隙間から脱出する。家入硝子を、早川那由多を、天内理子の尊厳を守るために。それを見届けたあと、デンジは再び自分の妹と向き合った。

 

 

「ったく、反抗期デビューにしちゃあ、はしゃぎすぎだぜ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:伏黒甚爾】

 

 

 数ヶ月前のこと。

 その日の仕事は、新しく無下限術式を継いだ子供が生まれた五条分家の虐殺だった。現当主の分不相応な言動が恨みを呼び、そのうち一人が俺のような人間に殺しを依頼した。金払いも良かった。恨みはないが、一人残らず始末しろというのがオーダーだ。使用人を含めて、次々と急所を刺していく。

 暗闇の中、一人、また一人と死んでいく。伏黒甚爾の五感は誰よりも鋭い。仕事をこなすのには、微かな月明かりだけで十分だった。

 

 

「は、ハロハロ……」

「あ?」

「ハロウィン! ハロウィン!」

 

 

 ……その使用人は、甚爾が殺す前から気が狂っていた。血に濡れた刃物を持つ不審者に気付く様子もない。

 何かの術式だろうか。他にも侵入者がいるのかもしれない。報酬で揉めたら面倒だなと気配を探りながら屋敷の最深部へ向かう。こんな厳重に守られて、ターゲットの無下限持ちのガキはさぞ箱入りなのだろうと考えて。

 

 同業に先をこされたのではという予想は杞憂に終わった。

 

 

【ハロウィン】

 

 

 伏黒甚爾の研ぎ澄まされた五感の全てが語る。なにが無下限持ちの子供だ。呪術界の旧家は相変わらずクソばかりだ。

 脳みそがあふれ出し、眼球はかろうじて筋繊維で繋がっている。誰が見ても致命傷を負った姿のまま平然と子供は生きていた。恵まれた術式を持ちながら、必要最低限の物資すら与えられず、まともな教育も受けていない子供の姿に少なからず動揺した。

 呪術師の家で人間扱いされない子供に、嫌な記憶が蘇る。こんな自分を変えてくれた(あいつ)ももういない。

 

 久しぶりの仕事だった。自暴自棄気味だった俺に昔馴染みの仲介屋が声をかけた。断る理由もなかったので引き受けた。

 ……きっと勘が鈍っていた。少年が満面の笑みを甚爾に向ける。

 

 

【ハロウィン!】

 

 

 呪術は生まれ持った才能が全てだ。この呪霊混じりが、今まで五条家で生存を許されていた理由に気づく。

 初めて見る。知識だけは甚爾にもあった、呪術を極めた先にある秘儀。

 領域展開だ。

 

 

【はじめまして、禪院甚爾。私は宇宙の呪霊の受肉体。どうかコスモと呼んでください】

 

 

 

 

 

 

「あー……あいつにどう説明すっかな……」

 

 

 仲介役の男への言い訳を適当に考えながら帰路に着く。宇宙の呪霊の領域の中で結んだ縛りを思い出す。

 気味の悪いガキだった。頭から溢れる臓物がぶらぶらと揺れて鬱陶しかったので乱暴に纏めたが、痛がりすらしない。想定外の拾い物。だが、食らえば終わりの領域展開の対策になるというカードとしては、魅力的だ。

 

 これが少年──コスモとの出会いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 五条悟は生きていた。

 

 覚醒した当代最高の呪術師。

 一人での戦い方を覚えた、孤高の最強。

 そのまま逃げてしまえばよかったのに。違和感を抱えたまま戦いを挑み、負けて死ぬ。呪力の無い猿らしい、無様な最期だ。

 

 

「言い残すことはあるか?」

 

 

(自分も他人も尊ぶことない。そういう生き方を選んだんだろうが)

 

 

 自分とは似ても似つかないガキに、過去の自分を投影した。だからあいつを使い潰した。自傷行為に近かった。なのに結局自尊心を捨てきれずに足元を掬われた。悪いことをしたな、と柄でもない罪悪感を抱き、即座に切り捨てる。

 禪院甚爾(誰も尊ばない生き方)はここで死ぬ。あのイかれた呪霊(コスモ)と共に。

 ただそれだけだ。

 

 ……なのに、同じ年頃の息子を思い出す。どうしてこんなことを言ってしまうのだろう。ああ本当に、らしくねえ。

 五条悟は伏黒甚爾の言葉を最後まで聞いていた。

 

 

「──好きにしろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:五条悟】

 

 

 領域は閉じ込めることに特化した術だ。内からの攻撃に強くすればするほど、外からの攻撃に弱くなる。

 何故なら侵入者にメリットがない。支配の呪霊の領域のように、相手を領域に引き入れた時点で勝ちが確定するとすれば尚更だ。

 

 ──だがここに、例外がいる。

 

 世界が割れる音がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「虚式──『茈』」

 

 

 圧倒的な暴力が領域内を蹂躙した。

 

 

「ぎゃーーーー!? なに、なになに!?」

【……悟くん?】

 

 

 領域を見渡す。

 見慣れた景色だった。手本に数度。無量空処を会得してから二度。無数の式神の視線が集まる。目が合った全てを空間ごとねじ切った。

 六眼は呪力の流れを全て捉えていた。天元を巻き込んだ領域の中で早川那由多が何を目論んでいるのかを理解し、舌打ちする。 

 

 

「お前、そのふざけた真似を今すぐやめろ」

【ふざけた、とは。いったいどういう意味でしょう?】

「今更やめてもどうせ処刑されるとか、ビビってんの? 俺が一緒に逃げてやる。お前らとなら、俺はむちゃくちゃになってもいい」

 

 

 早川那由多と同じの見た目の少女は返事をしない。そしてゆっくりと五条悟を指さした。

 

 

【わんわん】

「──そうかよ。じゃあ、祓う」

 

 

 悟の渾身の術式が、那由多の身体を引き裂いた。

 見下したあらゆるものの支配する生得術式。現状、五条悟くらいにしか弾けない、この世で最も悪質な技。すでに選んだことだと突きつける。決別の表明だった。

 

 

「ぎゃーっはっはっは! いーなー! 俺もビーム撃ってみてえ!」

「その声……お前、デンジか……?」

「んだよ、こっちは気づいてなかったのか」

 

 

 こっちってどっちだよ。ツッコミを入れるのも面倒だ。疲労した脳を反転術式で回復する。新鮮な脳が、明瞭な思考で戦況を把握する。

 早川デンジはチェンソーマンだった。意外な正体だが、そもそもそんなに興味がない。傑あたりなら驚いたかもしれないけど。

 潰す。ねじ切る。撥ねる。また殺す。

 術式の使用回数はとっくに百を超えていた。さらなる術式の使用を迷うことはない。自分の限界はもっと先にある。

 加速度的に自分が強くなっていくのを感じた。

 

 那由多本体は後回しだ。この領域に式神が存在している限り、那由多は即座に復活する。全てを殺し尽くすのが最適解だ。

 その名の通り、那由多の数だけ存在する式神を最大出力の無下限術式で掃除した。

 

 周りへの影響なんて、なにも気にしなくていい。

 全力で力を振るう。生まれて初めて、思いっきり手足を伸ばせた気がする。なんて楽しい。多幸感で脳みそがいっぱいになっていく。

 

 

「ふ、ふふ、はは」

「お前ちょっとキモいぞ……」

 

 

【……邪魔を、しないで】

 

 

 式神を潰され続け、危機感を抱いたのだろう。那由多は切り札らしき存在を呼び出した。

 

 

「──ナユタ、お前」

 

 

 デンジの気配がひりつく。

 黒い髪。変形した両腕と頭部。スーツ姿の若い男。デンジは/俺たちはその正体を知っている──

 

 ()()()()()

 

 

「……それは、笑えねえぞ」

「じゃ、俺がやってやる」

 

 

 銃の呪霊へのカウンターで生まれただの言われて育っていた悟にとっての、生まれる前から背負わされていたよくわからない責務。かつてチェンソーマンに横からかっさわれた役割を、今こそ果たしてやるいい機会だ。これでいて悟は期待に応えるタイプである。

 

 

「虚式──」

【ばん】

「『茈』」

 

 

 この世で最も人を殺した呪霊の一撃が、悟が生み出した仮想質量と拮抗し、掻き消えた。

 

 

(……いける)

 

 

 初撃は余裕を持って迎撃できた。

 少なくとも、勝負として成立する。それが分かっただけでも十分だ。

 

 銃の呪霊は変形した両腕を悟に向けた。世界で最も多く使われた軍用銃と同じ形をしている。数多の派生型があれど、かの象徴となる軍用小銃の基本装弾数は、三十発──

 

 

【ばん】

【ばん、ばんばんばーん】

「っ!? 『赫』!」

 

 

 『茈』で相殺しなければ話にならないような一撃が、銃の呪霊と那由多の二方向から放たれた。片方は『赫』で、もう一方は『蒼』で軌道を逸らす。

 銃はこの世で最も心理的ハードルの低い加害武器である。だからこそ広く、多く、使われて、この世で最も恐れられた。単純威力ではない。高い生産性と普及率を象徴する、射程範囲と連射性能こそが銃の呪霊の真骨頂だった。

 奴の肉体に宿る銃口は三つ。両腕と頭部。単純計算で九十連撃分の概念補助が宿っている可能性が高い。

 

 

(いいね。こうじゃなきゃつまらない)

 

 

 悟は笑いながら虚式を放つ準備をし──

 

 

「──やめろ」

 

 

 銃の呪霊の両腕を、チェンソーマンが切断した。

 

 

「ナユタ、アキがどんな奴か教えたはずだよな。そいつに、これ以上手を汚させんな」

【デンジ……?】

 

 

 早川デンジは怒っていた。誰が何を言おうときっと止まらない。

 ……つまんねえの。

 デンジは銃の呪霊を独り占めする気だ。

 

 

「はあ、仕方ねえから、代わりにお前をひき肉にしてやるよ」

 

 

 銃の呪霊に向けるつもりだった呪力を、再び術式に流し込む。

 那由多の首が吹っ飛ぶ。あまりに見慣れた光景だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい」

 

 

「もうやめろ」

 

 

「もういい。ありがとな」

「………あ」

 

 

 ()()()()()()

 ふと頭が冷えた。さっきから聞こえていた声は、自分に向けられていたのだと遅れて理解する。全力疾走を終えたばかりのような、生ぬるい空気が肌にまとわりつく気がした。そこでようやく自分の肉体を意識する。

 支配の呪霊の領域はとっくに解けていた。どこか浮いたような感覚が終わる。しっかりと地面に足をついて、五条悟は立っていた。

 

 

「あとは、俺がやる」

 

 

 銃の呪霊の姿も無い。デンジが倒したのだ。

 ぐちゃぐちゃに潰れた肉塊に沈む呪霊と、早川デンジは向き合った。

 

 

【あ……】

 

 

 右腕が高く振り上げられる。そのままチェンソーが振り上げられて──

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:早川ナユタ】

 

 

 べちりと鈍い音がした。

 デンジが手のひらでナユタの頬を叩いていた。

 

 

【あ……?】

「このっ、何やってんだこのバカ!」

 

 

 ドロドロとチェンソーが溶けていく。人間の姿に戻っていく。くすんだ金髪と、三白眼が露わになる。

 

 

【あ、ああ……」

 

 

 思い切り叱って、思い切り怒って、本気の本気で心配して──デンジはナユタを抱きしめた。

 

 

「う、うう………うわあああああああああああんん!!」

 

 

 ナユタは泣いた。とても暖かかったから。

 悲しくて辛くてたまらなかった。もう止まれないのだと、突き進むしかないのだと思っていたから。どうしていいのか分からなくなって、何もかも投げ出して衝動に身を任せてしまった。

 けれど、そんなことになっても止めてくれる人がいる。抱きしめてくれる人がいる。この感情にどんな名前をつければいいのか分からない。ただ、胸がいっぱいになって涙が止まらない。

 

 ナユタは残酷で、価値観が違って 明日世界を支配するかもしれないだけの──早川デンジの家族だった。

 

 

 場違いな電子音が響き、一通のメールが届く。差出人は夏油傑。家入硝子が一命を取り留めたという、病院からの連絡だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:五条悟】

 

 

 チェンソーマンが天内理子を抱き寄せた。

 

 

 ── 先生は! 聖母マリア様みたいに優しくて……

 

 

 その光景を見て、天内の馬鹿みたいな言葉を思い出した。

 彼女の死体には、首から上がない。酷い状態だというのに、悟の目は乾いたままだ。

 

 

(……ごめん、天内)

 

 

 ひどく疲れていた。だがいつまでも休んではいられない。べそべそと泣く那由多を宥めながら、デンジと悟は今後の相談をはじめた。このままではまず間違いなく早川那由多は国家転覆罪で秘匿死刑に処されてしまうからだ。

 

 

「どうするつもり? 流石にこれは頭下げるだけじゃ無理でしょ」

「うーん、そうなんだよなあ。だからとりあえず……逃げる!」

 

 

 デンジは指をピンと立てた。

 マレーシア逃避行 開幕──

 

 

「……なんでマレーシア?」

「その説明、またしなきゃダメ?」

 

 

 デンジはマレーシア行きの航空券を取り出した。ずいぶん準備がいい。

 

 

「五枚もあるならまだ余裕あるよな」

「お前は来んなよ」

「行かねえよ」

 

 

 正門での戦い。襲撃者の男の遺言のうちの、片方を思い出す。聞いてやる義理は無いが、こいつに押し付けるくらいはやってやろうと思った。

 

 

「高専の正門前に、死にかけのガキがぶっ倒れてる。荷物にならなきゃ回収してってよ」

「ええ〜……」

「あ?」

「わーったよ。連れてきゃいいんだろ」

 

 

 五条家のガキに受肉した無下限メタの呪霊など、厄介ごとの種にしかならない。しばらくは忙しくなるだろう。ほとぼりが冷めるまで国外で大人しくしておいてほしいというのが悟の本音だった。

 

 

「……それからこれ」

「まだあんのかよ〜!?」

 

 

 薨星宮を立ち去ろうとするデンジの背中に声をかけた。

 自分でもかなりハイになっていた自覚がある。その上で、ここに来る途中で見つけたそれをきちんと回収して持ってきた判断力は流石だと自画自賛した。

 こいつらはしばらくは日本に帰ってこない。今のうちに渡しておくべきだ。悟はデンジに紙袋を押し付けた。

 

 

 

 

 

 

 

「で、何これ」

「ちんすこう雪塩味」

 

 

 

 

 

 

 




前話クイズ答え

夏油
血の呪霊編直後からすでにかなり怪しんでいた。北海道で確信、伏黒パパがデンジの急所より先に腕を狙ったのでさらに確信。

家入
1章直後に那由多に直接聞いた。

五条
気づいてないです。



領域展開:超跳腸・胃胃肝血
使用者:チェンソーマン
効果:超テンションが上がってなんか行ける気がしてくる
 チェンソーマンの領域展開。カラフルな臓物とクソ映画空間が広がっている。チェンソーマンが食べたモノで構成されている。ポチタが使うともっとヤバい効果が付与されるらしいが、デンジには使えない。あ〜? これが正解だよなあ!?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ワシの名は

 

 

 

 

 ──天内のこと頼んだ。

 ──もともとそういう任務だよ。

 ──墓を、作ってやらねえと。遺体もなしにじゃ、きっと黒井も納得できねえだろ。

 

 

 早川デンジは、毎年北海道に墓参りに行っている。

 その言葉は、重かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:夏油傑】

 

 

 

 『盤星教』の拠点は都内に複数存在する。だが理子ちゃんの頭部が持ち込まれた場所を特定するのに、時間はかからなかった。

 硝子を病院に運び込み、容態が安定するまで付き添った。準備が整い次第病院を出発する。メールに送られてきた座標の建物に、彼らはいた。

 床にこびりつく血痕。穏やかな笑みで喝采を送る信徒に囲まれた悟が、赤く染まる布を抱いて待っていた。

 

 盤星教、時の器の会。純粋な天元様のみを信仰し、星漿体を不純物として排除することを望んだ非術師たちの宗教団体。

 

 彼らの望み通り、天内理子は死んだ。彼女の夢も、心も、何も知らないくせに。その死を心底から喜ぶ集団が、ひどく歪に見えた。

 

 皆殺しを提案する悟を私は制止した。この場にいる教徒は皆一般人だ。呪術界の事情を知る首謀者はすでに逃亡している。そんなことをしても意味がないと。

 

 

 ──意味ね。それ、本当に必要か?

 ──大事なことだ。特に術師にはな。

 

 

 一般教徒達の拍手に紛れ、いつものように声が響く。

 

 

【ははは、醜いのお。クソみたいな顔じゃ】

 

 

 ……そうだな。

 そう思ってしまった『私』を夏油傑は飲み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

----------

 

 

 

 

報告

 2006年8月

 星漿体護衛任務

 

責任者

 五条悟

 夏油傑

 

 

負傷者

 家入硝子

 

 

死亡者

 天内理子

 

 

秘匿死刑対象者 逃亡

 早川那由多

 

 

 

 

----------

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、悟が予想していた通り呪術界は大混乱に陥った。

 特級呪霊『早川那由多』の暴走。天元の結界を揺るがす大事件の犯人が行方をくらませている。責任者の早川デンジの姿も無い。星漿体事件の関係者である私も悟も繰り返し取り調べを受けることとなった。

 数少ない彼らの明確な味方である岸辺からは、何も知らないで押し通せとの連絡が来た。意外だったのは、あの悟が黙って指示に従ったことだ。

 事態が進展したのは約一ヶ月後。早川デンジがインドで目撃されたとのこと報告が入ったのだ。もはや彼らは日本にはいない。ようやく半ば軟禁状態での取り調べから解放された。

 

 

 

 

 私たちは真っ先に硝子の見舞いに行った。自然治癒でしか治せないという呪具でつけられた傷の治療だ。呪術に特化した高専内の設備では不十分とのことで、彼女は傑が連れて行った病院にそのまま滞在していた。

 すでに意識は取り戻している。だが退院にはまだ時間がかかるらしい。

 

 

「ようサイヤ人。また死にかけてからパワーアップしたんだって?」

「うるせー」

「ついでに金髪に染めたらどうだ?」

「しねえわ」

 

 

 個室の窓を開け悠々とタバコを味わう不良患者の姿に息を撫で下ろす。

 ようやくあの事件は終わったのだと。終わってしまったのだと、実感した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 家入硝子は一命を取り留めた。

 一命を取り留めるだけが全てではないということくらいはもう理解できる年齢だった。

 

 

「呪術師から空き巣に転職でもする?」

「……勝手に部屋に入ったのは、すまなかった」

「入ったの『は』、ね。人のもの盗み見てる方の謝罪が欲しいんだけど?」

 

 

 あれからさらに数ヶ月が経った。

 高専の寮。硝子の自室で、対面する。立ち話もめんどうだしベッド座っていいよ、という言葉に甘え、腰を下ろす。

 

 あの日、家入硝子を病院に連れて行ったのは傑だった。容態が安定するまで付き添ったのも傑だった。だから看護婦の会話を聞いてしまった。『かもしれない』程度の、彼女が受けただろう致命的な傷跡を。

 そして今日、『かもしれない』を確証に変える診断書が彼女の部屋から見つかった。

 

 家入硝子は反転術式を拒む呪具で腹部に大怪我を負わされた。生き延びるために、脳以外のあらゆる生命活動を酷使した。

 それは、ある種の縛りだ。

 狙い通り生き延びはしたが、代償はあまりに重かった。そして、彼女の苦悩を男である自分が真の意味で理解できる日はきっと来ない。

 

 

「……すまない」

「なんでお前が私より落ち込んでんの」

「……自力で、治療出来ないのか?」

「んー、やろうと思えば、ワンチャン?」

「ならどうして……」

()()()()()で、賭けに出れる身の上じゃないんでね。縛りで失ったもんだし。別に日常生活に支障があるわけじゃないよ」

 

 

 こんなことなわけがあるか。ならばどうして隠していたんだと。言いたいことは山ほどある。私が、私たちが彼女を連れ回した。だから狙われた。ならば、私達が責任を持って守らなければならなかった筈なのに。

 全てを硝子はばっさり切り捨てた。

 

 

「それでも最終的に選んだのは私。まあ今回のは……うん、今後の戒めにでもするわ」

 

 

 そんなもの、本当なら要らない筈なのに。本当なら背負わなくてもいいはずなのに。

 

 家入硝子の才能が、彼女をこんな目に合わせている。

 どうして、この世界はこんなにも優しくないのだろう。

 

 

「……すまない」

「ん」

「何これ」

「新作のアイシャドウの欲しいやつリスト。どっかの誰かさん達が大ミスしたせいで高専からあんま出られないから、代わりに買ってきてよ」

「ああ、もちろんさ。……おい、どうして笑ってる?」

「デパコス売り場にお前が並んでるところ想像してた」

 

 

 あの日以来、家入硝子が危険な現場に行くことはなくなった。今後もきっとないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 那由多が盾となり、悟が突破口を開き、私がカバーをして、硝子が治す。

 

 今は全て悟一人で出来る。

 

 私たちが少しずつ積み上げていった自信や工夫、そういったものを、悟は全て吹き飛ばした。

 

 

 

 悟は最強に成った。

 

 

 

 もう四人で任務に出ることはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 呪霊を祓う。取り込む。祓う。

 あの日見た、非術師の歪な喝采が忘れられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ── 一年後。

 

 

 早川那由多から初めて連絡がきた。硝子の電話に表示された名前を見て、その場にいた全員が手を止める。

 

 

「今どこにいるわけ?」

『モロッコ』

 

 

 相変わらず海外をぶらぶらしているらしい。卒業までに帰りたいけど、間に合うかわからないとこぼしていた。なにせ彼らは絶賛指名手配中だ。

 あちらの近況報告が終わると、今度はこっちの番だ。丁度悟の無下限のオート判別処理の練習をしていたところだったのでその説明からはいる。あれより強くなったんだ……と感慨深げだ。

 

 

『あとは……同時に二箇所に存在する練習だね』

 

 

 何を言っているんだお前は。那由多はしごく真面目に無茶振りした。

 

 

「俺お前が何言ってるのか分からねえよ」

『出来ないの…!? 五条悟なのに……!?』

「はぁ!? 出来るわ!!」

 

 

 このレベルの挑発に乗るくらいだ。悟も久しぶりの会話を結構楽しんでいるのかもしれない。

 

 

「傑……どうやったら同時に二箇所に存在出来ると思う……?」

「悟なら頑張ればいけるでしょ」

『ハロウィン!』

「見捨てんな!」

「本気で言ってるよ、私は」

「よし、もう一度死にかけろ。こいつ、復活する度に強くなるサイヤ人だからいけるでしょ」

「いけるか馬鹿」

『五条悟なのに……』

「お前もう黙れ」

『ハロウィン』

 

 

 わいぎゃいと軽口の応酬が続く。悟は本格的に頭を悩ませ始めた。一年前は当たり前だったはずのやりとりだった。

 五条悟は最強だ。だからなんだってできるだろう。投げやりな嫌味を言ってしまった自分も、それが嫌味だと受け取られない状況にも、なんだか距離を感じてしまった。

 

 

『……?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 呪霊を祓う。取り込む。祓う。

 何のために?

 

 非術師を守ろうとする自分と、非術師を見下す自分。本音が、心が二つある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 携帯電話が鳴る。つい最近目にしたばかりの番号だった。

 

 

「早川さん?」

『お〜繋がってよかった。機種変してたらどうしようかと思ったぜ』

「お久しぶりです。でも、国際電話は通話料が洒落になりませんよ」

『お前、相変わらずいい奴すぎるよな……』

 

 

 初めてそういう気を使われたと早川さんは涙ぐむ。

 

 

『今一人か?』

「ええ。何か問題でもあったんですか? 悟を呼んで……」

『いや、いい。えーっとさあ……』

 

 

 那由多が夏油傑の調子が悪そうだからと、相談をしたらしい。同年代に言いづらいことがあればと告げられる。彼女の遠回しな気づかいに笑ってしまった。悟や硝子はかなり図太い。案外あいつが一番繊細なのかもしれない。

 

 悩み。思い当たるものはたくさんある。というかたくさんありすぎて悩んでいる。

 だが早川デンジに相談すべきものと言えば、一つだ。

 

 

「九十九由基に会いました。」

『俺のことを殺そうとしてきた女じゃん……』

「仲悪いんですか」

『いや、別に……』

 

 

 彼女の語る、呪霊を退治する必要のない世界を作るための原因療法。その手段の一つとして挙げられたのは私もよく知る存在だった。

 

 

 ──呪霊は倒したところで復活する。そのマラソンゲームを終わらせた成功例が、君のよく知る早川デンジと『早川那由多』だ。

 

 

 彼らは教育という手段を以って、最悪の呪霊を無害化した。ただ、これを全ての呪霊に適用するのはコスト的にも現実的ではないと締め括られたのだけど。

 呪霊を祓い続けた先には何がある。終わらない戦いに一区切りをつけて、多大な戦功を残しながら呪術師から足を洗ってしまった彼の話を聞いてみたかったのだ。

 早川さんはあー、うーんと悩んでいる。きっと電話の向こうでは百面相をしていることだろう。この兄妹はこういうちょっとした仕草がよく似ている。

 

 

『難しいこと考えてんな……俺が16ん時はマキマさんのおっぱい触りたいとかマキマさんとセックスしてえとかマキマさんの犬になりてえとかんなことばっか考えてたぜ』

「ははは……」

 

 

 欲に忠実な人だったらしい。

 早川さんは、あの時はいっぱいいっぱいで、世界だの社会だののためという大義はなかったと答えた。

 

 

『そういうのは俺より岸辺さんとかに聞けよ。俺ぁもう呪術師じゃねーしな』

「でも、貴方は銃の呪霊を倒したじゃないですか。私はずっと……チェンソーマンのファンでしたよ」

 

 

 彼が有言実行する男だと、ずっと前から知っていた。チェンソーマンは、どんな困難もものともせず乗り越えてしまうヒーローだ。だから彼に憧れた。

 

 

「そういえば、特級術師に昇格したんですよ」

『お〜おめでと』

「お祝いに、銃の呪霊を倒した時のお話を伺ってもよろしいですか」

 

 

 ファンとして、モチベーションになるので。冗談めかして続けたが早川さんの反応は鈍かった。

 

 

「……?」

『それ、どーしても聞きたいか?』

「……いえ、言いたくないのであれば」

『いや、いいぜ。ナユタがさあ、自分のせいでお前が特級に上がるの遅れたって結構落ち込んでたんだ。代わりに今後もナユタと仲良くしてくれよ』

「それは縛りですか?」

『そー思われんのはショックだよ……』

 

 

 特級になったってことはそーいう任務に着くかもだし、変な知り方をするくらいならと彼は結論づけた。

 支配の呪霊に関しては、那由多の口から直接聞いてくれやと前置きをして説明を始めた。

 

 ──そこからの話は、信じられないものばかりだった。どこかの陰謀論じみた国際政治の裏側。相手が彼でなければ信じなかったかもしれない。

 銃の呪霊は、夏油傑が生まれる前に倒されている。ただし死後も肉体は消失せず、各国家が肉片を保有し他国への牽制にしている。

 ……銃の肉片を取り込んだ呪霊がその身を強化することは有名だ。そして多くの呪術師が奴に関係する戦いで未だに命を落としている。

 

 

「なぜ、そんな話をほとんどの呪術師は知らずに……」

『セーキョーブンリとかブンミントーセーとかそういうのだろ、多分。俺もあんまり知らねえや』

「では、貴方の倒した銃の呪霊は……」

『受肉って分かる?』

「呪霊が生きた人間、もしくは死体に取り憑く現象」

『銃の呪霊と、銃の呪霊が受肉した奴と、二回バトルがあった』

 

 

 ……ふと、点と点が繋がった。

 

 天使が呼んだ『アキ』の名は。

 早川家の墓に入っているのは。

 早川さんと同じ苗字を持つ人は。

 那由多の領域にいた銃の肉体を持つ男は。

 

 彼は、()()()()()()()()()()()

 

 だから彼は那由多にも、私たちにもあまり過去を話したがらない。

 聞けなかった。でも気づいてしまった。

 

 チェンソーマンは日本で一番有名なヒーローだ。

 あの日見た、非術師の歪な喝采が忘れられない。

 何も、知らないのに。

 

 早川デンジは、毎年北海道に墓参りに行っている。

 きっと大切な家族だったのだろう。

 

 彼は、誰のために。政治のため? 国家のため? 

 ──その大半を占める非術師のため?

 どうして。

 

 

『──聞いてる?』

「あ……は、はい。あの……」

『何?』

「辛く……なかったですか……?」

 

 

 彼の返答を黙って聞いた。

 彼は良い人だ。

 なのに、どうしてそんな決断をしなければならなかったのだろう。

 

 ……憧れが、裏返っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後輩の灰原が死んだ。

 銃の肉片を取り込んだ呪霊に殺された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2007年 9月

 ■■県■■市(旧■■村)

 

 そこで見た、守るべきだと思っていた存在の醜さと、虐げられている術師の子供たち。

 怯える少女たちを呼び出した呪霊を使いなだめ、喚く老人どもを外へ誘導する。

 

 

「おい」

 

 

 傑は、こんな声が出せるのかと自分でも驚いていた。心底から殺意を抱くことなど、初めてではない。けれど今己の口から出た声は、妙に乾いていて、ざらついていた。

 

 

【ワハハ、さっきの子供の顔! ガハハ! ガハハハハハ!】

「この小屋にいる者以外全てだ」

【ん?】

 

 

 傑が選ばなかった方の本音と決別するのに、血の呪霊(こいつ)ほどふさわしい呪霊もいまい。

 

 夏油傑の呪術師としての力量が、ダイレクトに反映される最低最悪の計測器。

 制御に苦労していた呪霊の、一切の制御を放棄する。

 

 

「この村の非術師(さる)の、血を全て飲み干せ」

【………二言はないな?】

 

 

 虚をつかれ静かになった血の呪霊は、直後にニヤリと口を歪めて笑った。

 一度決めたことに対する行動の速さは、夏油傑の美点だった。

 

 

「……好きにしろ」

 

 

 

 

  ──血の海が、生まれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 父さん、母さん。久しぶり。

 うん、ちょっと顔が見たくなって。

 

 

「■■■■、■■■?」

「■■、■■■■■■■■」

 

 

 それじゃあね。

 

 

 

 

 

 

 

 

「──呪霊って、美味しいの?」

 

 

 まだ私たちが友人ではなかった頃。ただの特級呪霊でしかなかった彼女からそう尋ねられた。

 やたらと長い肩書きに、危険極まりない術式。浮世離れをした佇まいに反して、俗っぽい趣味を持っている。腕いっぱいに抱えられた駄菓子もその一つ。

 呪霊の味など、誰にも教えたことはない。深く追及されたこともなかったし、わざわざ自分から主張するようなものでもなかったからだ。下手に知られて同情を買うのもごめんだった。

 だがこいつは所詮呪霊だ。意地を張る必要も何もない。黒く丸めた呪霊を取り込んだ後、気まぐれに疑問に答えてやった。

 

 

「クソみたいに不味い。吐瀉物を処理した雑巾みたいな味がする」

「ふうん……」

 

 

 自分から尋ねたくせに、反応は薄い。妙に残念そうな顔をする。

 

 

「どうせならもっと明るい所で食べればいいのに。ドブみたいにまずいものでも、愉快なものを見ながらならいちごジャムみたいだってデンジが言ってたよ」

「別に美味しく食べたいわけじゃないさ」

「私だったら、美味しいものしか食べたくないなあ……」

「君の感想は聞いてないんだよ」

 

 

 デンジって誰だよというツッコミを入れる気力もない。

 

 

「口開けて」

 

 

 ……不意打ちだった。

 食べかけのチュッパチャップスが口に入れられる。ぬるくて甘いコーラの風味が口に広がった。ひどい後味が残る不快感が少しだけマシになる。

 

 

「あげる」

 

 

 ヤンデレ特級呪霊のあだ名を欲しいままにする彼女がなぜ呪霊の味に関心を示したのか、今なら理解できる。だが当時の私には意図が読めず、警戒を強める理由にしかならなかった。

 間接キスだと、照れることもない。あいつは人間ですらないのだから。

 

 

「結局呪霊の味だろうが……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 こんなことを思い出すとは、案外感傷的になっているのかもしれない。

 硝子と悟と別れの挨拶を終えてから一週間後。北海道新千歳空港で、目当ての海外便の到着時刻と携帯の表示を見比べる。

 再会の時を待つ。売店で買ったばかりの飴をポケットの中でいじりながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:早川ナユタ】

 

 

 空港の休憩所に、彼の姿はあった。

 

 

「や」

「傑くん久しぶり」

「あれ、聞いてない?」

「ううん、知ってる」

 

 

 デンジたちが今後の手続きのために離れた隙をついて、彼は来た。

 

 

「デンジは、こういう時攻撃を迷わないよ」

「じゃあ、見つかる前に帰らないとだ」

 

 

 つきものが落ちた顔で笑っている友人──夏油傑は、先日民間人百人余りを虐殺し呪詛師になっていた。国家転覆未遂の犯人と、大量殺人の実行犯。お互いひどい肩書きになってしまった。

 

 

「術師だけの世界を作るんだ」

「じゃあ私、死んじゃうね」

「君は術師だろ」

 

 

 彼と過ごした時間は半年にも満たない。なのに、そう思ってくれるのは嬉しいけれど。同時にもう止められないのだなと実感した。

 

 私には心が二つある。人を見下し愛玩する支配の呪霊の感性と、みんなとの生活の中で育った『早川ナユタ』の価値観。

 でも、そんなことは別に特別でも何でもないのだ。誰もが自分の中にいくつもの本音を持っていて、それに折り合いをつけて生きている。そして選んだ本音通りに少しずつ変わっていく。

 彼は選んだ。

 

 

「傑君の選んだ道は、きっとたくさん人が死ぬだろうね」

「死ぬのが人か、猿かの違いにすぎない。それとも私を止めるかい?」

「……わからない」

「これから日本国家の秩序を乱すかもしれないよ」

「すでに乱してるよ」

 

 

 わざわざ支配の呪霊の感性を煽るような言葉選びで、夏油傑は笑っている。

 かつてナユタが暴走した時とは違う。彼はもう、一線を超えてしまった。子供の過ちではなく、そういう大人になるのだと決めてしまった顔だ。

 

 

「これ、返すよ」

「何これ」

「チュッパチャプスコーラ味」

「……」

 

 

 彼は、ひどく生真面目だ。だからこんなものまで用意している。私はそれを受けとった。簡素な包装用紙を開封し、口に含む。甘い。

 きっと、次会うときは殺し合いだ。だから級友としての言葉を届けられるのは今が最後になるだろう。

 何が正解なのか、自分一人で考えて決めるのはひどく難しい。たった数ヶ月の学校生活の思い出を論拠に、ナユタは夏油傑の背中に声をかけた。

 

 

「……君に、伝えておきたいことがある。急いだほうがいい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 早川ナユタは思い出す。かつて北海道で彼と交わした約束を。

 

 

 ──もしも私が、悪い呪霊になったら、私のことちゃんと食べてね。

 ── 一応覚えておこう。悪い呪霊を退治するのは呪術師の仕事だからね

 

 

 あの約束は、きっと叶うことはない。

 遠ざかる姿を眺めながら、飴玉を転がした。

 

 

「もう、悪い呪霊にはなれないなぁ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:夏油傑】

 

 

「天内理子のこと……まだ、大切……?」

 

 

 空港を立ち去ろうとした傑を、早川那由多は引き止めた。時間稼ぎだろうか。そんな邪推は、振り返って彼女の表情を見た瞬間に消え失せる。

 

 

「……」

「あの子には本当に申し訳ないことをしたと思ってる。だから、伝える。傑くんが一番あの子のこと気にしてそうだから。天内理子の墓の場所、知ってる?」

「何を……」

「私は、下等生物の耳を借りることができる。だから聞こえたの。君が嫌がりそうなことが、もうすぐ起きる」

 

 

 早川那由多は、出会ったばかりの頃と同じ潜め眉で告げた。

 

 

「……急いだ方が、いいよ」

 

 

 空を飛ぶ呪霊を呼び出した。すぐさまその場所へ向かう。罠の可能性は考えなかった。早川那由多は米粒のようなサイズになっても、ずっとこちらを見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 都内最大の霊園の一画。悟が金に物を言わせて購入した、彼女だけが眠る場所だった。

 かつて、見逃したはずの一般人がいた。

 かつては殺すべきではないと、守るべきだと思っていた/思いたかった猿だった。

 

 

「■■■■■■■■■■■、■■■!」

「■■■■、■■■■■■■!」

「オマエら、何をしてる」

 

 

 その信者は、残党は、猿共は、理子ちゃんの、墓を、死体を、骨を、何を。

 

 ──なんて、醜い。

 

 すでに一度越えた一線だ。再び越えるのに迷いはない。

 悲鳴が聞こえる。耳障りだ。必要以上に残酷にいたぶった。

 

 

「これ以上、彼女から、何も奪うな」

 

 

 小さな木箱(理子ちゃん)を取り返す。

 殺す。殺す。一匹も逃さない。

 駐車場の方にもまだいる。金を受け取りこんなことを黙認した警備員も殺す。ぐるりと霊園を歩き回り、一人残らず殺していく。

 

 

 

 最後の猿をなぶり殺すため、新たな呪霊を呼び出した。

 猿共はひどく怯えていたが、傑を見ていなかった。傑のさらに背後を見つめ、あり得ないものを見る目をした。

 

 

(……は?)

 

 

 つられて私も振り返る。猿共の視線の先を確認する。……信じられないものを見た。

 

 

 

 ()()()()()()()()()()

 

 

 

 いくつものツノを生やし、ニヤリと笑う。骨しか入っていなかったはずの箱が開き、血と肉を纏った姿で立っている。そのまま歩いて、天内の墓に供えてあった花を口に含んで、眉をひそめて吐き出した。

 

 

 

「お前は……何だ?」

【オウオウオウ! なんじゃその顔は!】

 

 

 馬鹿な。なぜお前がそこにいる。猿にすら見える、肉の体を持っている。

 それの肩を強く握る。幻ではない。

 

 

【冷た! 何をする!】

「なぜ、オマエがそこにいる」

【好きにしろとそう言ったはずじゃろ。ウヌは嘘つきか?】

「あ、ああ……そうか……」

【顔色が悪いのォ。そうめんの食べすぎか? ワシの分まで食べるとは許せんのう……】

 

 

 いっそ、私を襲って来ればいいのに。大義名分さえ与えてくれない。

 あの子と同じ顔で、あの子と同じ声で、生きて、動いて、あの子が絶対にしない振る舞いを繰り返す。

 

 目の前の少女が血の刃を生み出した。最後の猿が、息絶える。

 天内理子を踏み躙ろうとした猿を、天内理子の姿をしたそいつが踏みにじる。

 

 

【ふふふ、ワシは機嫌が良い。特別にいいことを教えてやろう】

 

【血は、暖かくて、心地いい】

 

【ワシの名は──】

 

 

 夏油傑の腕を掴んで、血と臓物の海に触れさせる。暖かかった。そうじゃろうと少女は得意げに笑う。あの子ならば絶対にしなかっただろうことだ。

 

 

 どうして。

 どうしてこの世界は彼女達に優しくないのだろう。

 

 ニコリと歯を見せて笑う姿だけが、あの時と同じだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー、あー、皆さんお待たせしました。それでは手短に」

 

 

「今この瞬間からこの団体は私のモノです。名前も改め、皆さんは今後私に従ってください」

 

 

「困りましたね。そうだ! 園田さん、よろしければ壇上へ。そう、アナタです!」

 

 

「おやどうなさいましたか? まるで死人でも見たような……生首? あはは」

 

 

「さ、自己紹介を」

 

 

【オウオウオウ! こいつ、頭にボタンがついておるぞ! はー? 自己紹介ぃ? ワシに指図をするなよ。えー……】

 

【ワシはぁ、セイショータイのぉ……】

 

【……】

 

 

()()()()()()()!】

 

 

【今宵のワシは血に飢えておるぞ!】

 

 

 

 黒い三つ編みが揺れている。せっかく用意してやった台本を投げ捨てて、少女は園田という名の男を殺す。

 場が静まる。笑い声だけが響いている。逃げようとした者は皆すり潰した。

 

 

 

「──私に従え、猿共」

 

 

 猿は嫌い。これが私の選んだ本音だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

    懐玉編 完

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:早川ナユタ】

 

 

 結局、早川ナユタが呪術高専に戻ることはなかった。

 日本国内を転々とし、大学は帰国子女枠で滑り込んだ。デンジは非常勤講師枠で仕事を続けながら、ナユタたちのために頑張ってくれた。本当に頭が上がらない。

 

 家入硝子は医学部に進学した。ズルで二年で医師免許を取るつもりらしい。今までずっと無免許で治療を行っていた方が問題なので、一刻も早く取得して欲しいと思った。

 五条悟はなんと教育学部に進んだ。教育実習は何をどう企んだのかわざわざデンジのいる学校を指定したらしい。世界を六回くらい救ったわだの真顔で言っている。飲み会の度に回数が増えたこの戯言は五条悟にしては真偽の判別が難しく、詳細は謎のままだ。

 デンジはある日ふらふらの状態で朝帰りした。仕方がないので血を飲ませてあげたのに、うーうーうめきながら寝落ちした。「俺、高専に異動になっかも……」なんて言い残して。

 

 そして早川ナユタは──

 

 

 

 

 

 

 2017年、春。

 都内のとあるオフィスビルの一角。

 電話の音と怒号が部屋いっぱいに広がっていた。

 

 

 

「バカ!」

 

「グズ!」

 

「ノロマ!」

 

「使えねえ!」

 

「やる気あんのか!」

 

「ゴミ」

 

「取材ってのはなあ! 相手への敬意がなきゃダメなんだよ!」

 

「オマエにゃそれがねえ!」

 

「口先だけかてめーは!」

 

「やる気がないなら帰れ!」

 

 

「……帰ったら怒るくせに」

「なめた口を聞いてんじゃねえぞ早川ァ!」

 

 

 

 ──社畜になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    次回 最終章 純愛編

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 決別の日から、長い時が流れた。

 

 これは。

 血の特級呪霊との戦いで死者が出るまでの、私たちの青春の物語だ。

 

 




・チュッパチャプスコーラ味
ゲロの後味にぴったり。
デンジはあの時の飴を未だにクッキーの空き缶の中に大切に保管している。ナユタはちょっと引いてる。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

最終章 純愛編
100点満点の少年


 

 

 

 

【side:乙骨憂太】

 

 

 

 ──約束だよ。

 ──里香と憂太は、大人になったら結婚するの。

 

 

 サイレンの音が響く。

 乾いたアスファルトの上を、水で溶かしてない、チューブからそのまま出した絵の具みたいな赤がずうっとまっすぐ伸びている。

 

 その光景を覚えている。

 彼女の顔を。彼女の声を、彼女の何もかもを覚えている。

 

 

 祈本里香は乙骨憂太を愛していた。いや──愛している。今でも、ずっと。すぐそばで。

 

 

 

 

 

 

 

 

    純愛編

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれから九年がたった。

 

 2017年。

 東京都立呪術高等専門学校。

 乙骨憂太 入学初日。

 

 

【ゆう゛たを    いじ めるなあああ ァあ】

「やめて、来ちゃだめだ里香ちゃん! やめて、やめてってば!」

 

 

 人体がひしゃげて潰れる音がした。

 

 

 

 

 ──祈本里香。

 幼い頃、肺炎で入院していた病院で出会った女の子だった。憂太と、憂太の妹と、彼女と三人でいつも一緒に遊んでいた。優しくて、可愛くて、大好きだった。結婚の約束だってした。彼女からもらった指輪は、今でも肌身離さず首から下げている。

 

 彼女は死んだ。即死だった。僕の目の前で、トラックにはねられて頭が潰れて死んだ。

 

 

【憂太   大人になだらあああ 結婚 するるるるるるるるるるるん゛】

 

 

 あの日からずっと、乙骨憂太は祈本里香に取り憑かれている。

 

 

 友達が怪我をした。

 両親が怪我をした。

 妹が大怪我をした。

 

 憂太を傷つける人も、優しくしてくれる人も、いじめようとする人も、助けようとしてくれる人も、みんな等しく血を流すことになる。

 

 悲しみを乗り越えて友達を作っても、すぐに里香ちゃんが終わらせた。

 憂太に告白をしてきた隣のクラスの女の子は、次の日から学校に来なかった。

 

 うずくまって、自分の肩を抱いて、何もかもから逃げ回る。死んだように生きていた。新しく関係を築くことに怯えていた。 

 もう誰も傷つけたくなかった。だから引きこもって、誰にも会わず死んでしまおうと思った。

 

 

 ──でも、一人は寂しいよ?

 

 

 先生の言葉に、言い返すことができなかった。

 乙骨憂太は普通の生活に憧れていた。それがたとえ望んではいけないものかもしれなくても。

 

 

 

 

 だから僕はまだこうして息をしている。勇気を振り絞って、教室の扉を開けたのに。

 

 

「あ、ああ、ああぁっ………!」

 

 

 死んだ。死んでしまった。

 とうとう僕の目の前で、僕のせいで、里香ちゃんが人を殺してしまった。

 

 衝動的に自殺しようとして、罰が欲しくて、自分の首を握りしめる。その腕を里香ちゃんが掴んで強制的に引き剥した。泣いた。叫んだ。とっくに枯れたと思っていたのに。首はもう締め付けていないのに、涙と鼻水で息ができない。苦しくなってむせて、それに気づいた里香ちゃんが動きを止める。

 

 

【ゆぅた 辛い?】

「僕、は」

 

 

 辛かった。今すぐ消えてしまいたいくらいに。

 肯定すれば死体が増えるだけだ。でも里香ちゃんに嘘はつきたくない。沈黙以外の選択肢が見つからない。どうすればいいのか分からなくて俯いた。

 

 

「──ってな感じで! 彼のことがだーい好きな里香ちゃんに呪われてる、特級被呪者の乙骨憂太くんでーす! みんな、よろしくー!」

「……え?」

「うっわ、また死んだ。やっぱなんか変なフェロモンでも出てるのか?」

「しゃけ」

「教室汚しやがって。私らに片づけさせる気じゃねえだろうな」

「えっ、え!? えええ!?」

 

 

 反応薄くない!? 人が一人死んだんだよ!? どうして教室の掃除の話題に夢中なの!?

 これからクラスメートになる二人(と一匹)と、目隠しの担任の平然とした態度に憂太は激しく動揺した。

 

 もう一度死体を観察する。

 上半身と下半身が分かれ、中から内臓と骨が飛び出している。黄色がかかった白い部分がきっと骨だ。夢でも幻でもない。間違いなく、死んでいる。死体を目の前にして、日常会話が繰り広げられている。

 

 

「え、ええ〜……?!」

 

 

 呪術師って、こんなにも死に慣れてしまう仕事なのだろうか。うまくやっていける気がしない。五条先生がクラスメートを順番に紹介していくのを、床に蹲ったままぼんやり聞いていた。

 

 

「憂太、気にしない気にしない。大したことないから」

「あるだろうが……」

「おっ、口悪い! いいね、呪術師するならそのくらいの気合いがあった方がいい」

 

 

 五条先生は無駄に長い足でうずくまる乙骨をまたぐと、死体の胸元をまさぐった。輪のようなものに指を引っ掛けて、思い切り引っ張る。

 

 

 ──ヴヴンッ……

 

 

 目を疑った。ノコギリの刃ようなものが現れて、次の瞬間にはドロドロに溶けていく。ちぎれていたはずの上半身と下半身が元に戻る。金髪の男が大きな悲鳴をあげた。

 

 

「痛ってええええ!!」

「オハヨー! 後で血みどろの床掃除、よろしくね」

「俺の出会う女がさあ! みんな俺んこと殺そうとしてくるんだけどぉ!? いつまでこうなわけ!?」

「一生じゃない?」

「嫌だぁ!」

「い、生き返った……!?」

 

 

 里香ちゃんに握りつぶされていた男の人は、五条先生が胸元を引っ張ると同時に息を吹き返した。低いモーター音が耳に残る。何が起きたのか分からない。たしかに、死んでいたはずなのに。

 

 

「里香ちゃんのことも、彼のことも、直接見てもらったほうが早いと思ったからね。デモンストレーションさ」

「俺、んなことのために死んだのかよ〜!?」

 

 

 徐々に頭が動きだす。

 里香ちゃんが握りつぶしたはずの人は、目の前で、しゃべって、動いて、立ち上がって──

 

 

「い、生きて、生きてる、よかったァァああああ」

「うわあっ!? やめろ! 抱きつくんじゃねえ! 男にくっつかれても嬉しかねえんだよ!」

 

 

 生き返った彼を抱きしめる。暖かい。鼓動が聞こえる。生きている。

 ──里香ちゃんは、人を殺したわけじゃなかった! 訳が分からなくて、けれど安堵で胸がいっぱいになって、さっきとは違う意味の涙が止められない。

 

 

【ゆう゛た を 泣かせたああぁぁぁぁぁああ】

「ギャアアアアアア!!」

「里香ちゃん!?」

「ギャアアアアアアアアアア!?」

 

 

 また死んだ。生き返った。あ、また死んだ。早く泣き止まなければと思ったのに、一度決壊した感情はなかなか落ち着いてくれない。

 一旦ちょっと離れようか〜、と五条先生に誘導され廊下に避難した。

 深呼吸をして、なんとか泣き止むことに成功する。教室の中はまだ騒がしい。

 

 

【ゆ うた】

 

 

 里香ちゃんの声が聞こえる。廊下の冷たい空気に触れて、かなり冷静さを取り戻せていた。床に体育座りをしてため息をつく。僕が笑っているのを見て、里香ちゃんは静かに消えていった。

 

 

「あ……結局教室にいたパンダが何なのか聞きそびれたな……」

 

 

 事態が落ち着いた後、彼は不死身なのだと教わった。

 東京都立呪術高等専門学校──日本にただ二つだけの、呪術を教える教育機関。そこには憂太が想像したことのないような不思議な力を持つ人たちが、たくさんいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「これで一年も四人になったねー」

「ここは呪いの祓い方を学ぶ場所であって、呪われてる奴が来る場所じゃねーだろ」

「真希は頭硬いなー、呪いそのものだって通ったことがあるくらい、由緒正しい学園だよここは」

「適当ほざいてんじゃねーぞバカ目隠し」

 

 

 呪具使い、禪院真希。

 呪言師、狗巻棘。

 不死身の彼。

 そして特級被呪者の僕、乙骨憂太。東京都立呪術高等専門学校一年のメンバーだった。相変わらずパンダの説明は無い。突っ込むに突っ込めないまま会話は進んでいった。

 

 

「なあ、お前らも掃除手伝ってくんねえ?」

「お前が汚した床だろ」

「ツナ」

「俺もちょっとパス」

「なー、いい加減清掃員雇おうぜ〜」

「やだよ、汚すの早パイ先生だけじゃん」

「お前が俺んとこにヤバいのばっかよこすからだろうが!」

 

 

 不死身の彼は、雑巾とバケツを装備し床の染みと格闘していた。拭けば拭くほど広がっていく跡。なるほどあれは強敵だ。

 

 

「って、先生? えっ?」

「デンジは生徒じゃねえぞ」

「え、先生!?」

「お〜 よろしくな」

 

 

 じゃあ一年が四人って……パンダが人にカウントされてたの!?

 不死身の彼──デンジはどう見ても自分と同い年くらいにしか見えない。雑巾を絞って立ち上がった。五条先生も年齢不詳気味だし、呪術師にはアンチエイジング効果でもあるのだろうか。

 

 

「そういやバタバタしてたせいで憂太にきちんと紹介してなかったね」

「悟のせいでな」

「死んだ早パイのせいだよ」

「ああ゛!?」

「ジャーン! この度呪術高専に赴任した早パイ先生でーす! 先生としてはベテランだけど高専歴は君らとほぼ変わらないから気楽に早パイって呼んであげてね!」

「お前それマジでやめろ!! お前がそういう態度なせいで俺が生徒に舐められてんだよ!!」

「えー、目の前で何度も死んでおいて今更じゃない? あ、この人こう見えて僕より七つ年上なの。教育実習の時の学校にいてさあ。『早川』足す『先輩』で略して早パイ」

「せめて生徒の前では早川先生って呼べよ」

「オッケー早パイ」

「おい!」

 

 

 早川先生が五条先生目掛けて投げつけた血みどろの雑巾は、ぶつかる直前で空中に静止する。摩訶不思議現象に、他のクラスメートが驚く様子はない。それもやめろと怒る彼に、憂太は声をかけに行った。

 

 

「えっと……早川先生……?」

「お前……いい奴だな……」

「はあ」

 

 

 名前を呼んだだけで、早川先生は涙ぐんだ。苦労しているのかもしれない。

 床掃除の手伝いを申し出ると、彼は「マジで、やりぃ〜」と喜んだ。こっちは泣かないんだ。この人の情緒はよく分からない。

 普段なら逃げ出していただろう。だが、彼が殺しても死なない男だという事実が、そして死や痛みをコメディに変えてしまう彼の才能が、僕に安心を与えてくれた。

 

 

「あの……さっきはすみませんでした。里香ちゃんが」

「別にいいよ。女に殺されかけんのは慣れてっし。けしかけやがった悟は許さねーけど」

「それです」

 

 

 早川先生に話しかけた、一番の目的を切り出した。

 

 

「あの、ありがとうございます。里香ちゃんを女の子って呼んでくれて」

 

 

 憂太は頭を下げた。本心からの言葉だった。

 祈本里香は僕の幼馴染だ。優しくて、可愛くて、大好きだった。結婚の約束だってした。彼女からもらった指輪は、今でも肌身離さず首から下げている。

 特級過呪怨霊の姿に、人だった頃の面影はない。なのにあの姿を見て、彼は迷わず女性扱いをした。

 

 

「……そんなことで?」

「そんなことなんかじゃありません。僕は……すごく嬉しかった」

「ならいいけどよぉ〜。じゃ、バケツの水交換してきてくれる?」

「は、はい! 先生!」

 

 

 学ぶのは五教科ではなく呪術。何もかも普通の高校ではないけれど、間違いなく乙骨憂太の憧れた『普通の生活』がここにはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 祈本里香ほど強力な呪いを倒すことはできない。教育することも難しい。ならば、解呪が望ましい──というのが五条先生の判断だった。解呪のためには、まずは呪いを一番安定する物体に憑かせるのが一番良い。

 

 

 ──理解できないものは支配できない。だったら理解できるようになるまで格を落とすのが手っ取り早い。()()()()()のお墨付きの案さ。

 

 

 刀に里香ちゃんの呪いを込めて『支配』する。それが憂太に与えられた課題だった。

 

 乙骨憂太が高専に転校してから数ヶ月が経った。刀を扱えるようにもならないといけないと、同時に呪霊退治の課題と体術の勉強も始まった。こんな独特のカリキュラムにも少しずつなれて来た。

 今日は午後から課外実習だった。つまり呪い退治のお仕事である。本日の同行者は二年の先輩らしい。急いで正門に向かう。そこには五条先生と早川先生がいた。

 

 

「僕は期待してるんだ。デンジと那由多、今まで単独でしか戦ってこなかった二人が同時に戦線に立った時に生まれる可能性にね」

「だからナユタは呪術師になんねえっつってんじゃん」

「えーそうかなー。そういうの本人に聞いてみないと分からなくない?」

「お前、押しが強えからあんま会わせたくねえんだよ……」

 

 

 内容はよく分からなかったが、難しそうな話をしている。

 あまり会話を盗み聞きするようなことになっても良くないだろうと、少し離れた場所から声をかけて挨拶した。

 

 

「おー憂太。お前相変わらずいい奴だな……こいつなんて初対面で中指立ててきやがったのによ」

「ちょっとー! 生徒同士を比較するのはどうかと思うなー!」

「お前はもう大人だろうが! というかお前を受け持った記憶はねえ!」

 

 

 五条先生、良い人なのは間違い無いけど自由奔放だもんなあと同情する。早川先生はいくつか会話を交わした後、憂太と入れ替わりで校舎の方へ帰っていった。

 

 

「早川先生、大変だな……」

「まさか。振り回されてるのは僕の方だよ」

 

 

 何を言っているんだこの人は。

 

 

「なんたって、彼は百点満点だからね」

「百点……? この間の吉田さんの話ですか?」

「正確には彼を採点したのはその師匠だけど。憂太も稽古つけてもらったでしょ」

「あの人かぁ……」

 

 

 数日前の稽古を思い出す。憂太を出会い頭に殴りつけてきたのは、両耳に大きなピアスをいくつも開けたおじさんだった。

 

 

 

 

 ──どうして俺の後輩たちは特級呪霊に好かれちゃうのかな。まあいいや。俺吉田な、よろしく。

 

 

 遅れて痛みの走る頬を抑える。ほら早く構えてと促され、慌てて必死に逃げ回る。

 みんなに助けを求めるが、すっかり観戦モードに入っていた。おかげで悪い人じゃなくてちゃんとした正規の指導者だと気づけたのだけど。

 吉田さん──狗巻くんよりさらに上の一級術師だという彼はとんでもなく強かった。右、左、かと思えば足払いが仕掛けられる。全く勝てるビジョンが浮かばない。怖くて、怖くてたまらなくなって、防戦一方のまま手合わせは終わった。

 

 

「いいね、将来有望だ」

「……へ?」

「あれだけ脅かしたのに、キミ全然怖がらないんだもの。流石特級なだけはある」

「は? 何言ってんだヒロフミ。こいつビビりまくりで逃げてただろ」

 

 

 手合わせをずっと見ていた真希さんが会話に割り込んだ。いつにも増して威圧的だ。それらを平然と受け流し、吉田さんは言葉を続けた。

 

 

「ビビってたね。でもそれは『俺』に対してじゃないし、『里香ちゃん』にですらない。『里香ちゃんが俺を殺すこと』を怖がってただろ」

「……? そんなの、当たり前じゃないですか……」

「抜き身の刀を全力で振り下ろすのにも迷いがなかった。うん、いいね。すごくいい。──キミ、100点満点だ」

 

 

 吉田ヒロフミは笑った。最後まで何を考えているのかよく分からなかった。

 

 

 

 

「僕が知る限りじゃ、100点は憂太が二人目だ」

 

 

 憂太、才能あるよ。褒め言葉が続けられたが実感が湧かない。こちらとしては殴られるだけで終わった訓練なので居心地が悪い。

 

 

「あの師弟の採点は、強さより呪術師向いてるかどうかが指標だからね」

「はあ……」

「そして、一人目が早パイ先生だ。100点はレアだよ〜? この僕が直々に高専にスカウトするくらいには。わざわざ二つも縛りを結んでね」

 

 

 縛りってなんだろう。高専にきてから経った数ヶ月。一般家庭出身の憂太にとって、呪術界はまだまだ知らないことだらけだ。そもそもの意味がわからない単語を使って説明されても困る。五条先生はこういうところがある。

 

 

「そのうちの一つとは今から会えるよ。憂太も仲良くできるんじゃないかな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──現場に二年の先輩がいるから合流して行ってね。

 

 

 と言われて来たはいいものの。待ち合わせ場所の喫茶店にそれらしき学生服の姿はない。もっとわかりやすい目印を教えて欲しかった。

 

 

「ブラックコーヒーでーす」

「えっ……? いや、注文してないです……」

「あ、もしかして苦手だった? ミルクと砂糖いっぱい入れる?」

「えっ、ええっ!? あの……」

 

 

 エプロン姿の店員の女性が、憂太の隣に腰を下ろした。

 ヘイヘイ詰めて詰めてー! なんて明るく声をかけられるとどうにも断りづらい。

 

 

(だ、だめだ……)

 

 

 近い。近すぎる。おそらく年上。悪い人ではなさそうだが、これはとても良くないパターンだ。しばらく高専にいたせいで油断していた。

 特級過呪怨霊『祈本里香』の出現は誰にも予想ができない。憂太に危害を加えた者には問答無用で攻撃するが、それ以外の場合にだって現れるのだ。

 

 彼女は、乙骨憂太の妹ですら傷つけた。『距離の近い女性』はご法度だ。

 

 

【──ゆう゛た】

 

 

「ダメだ! 里香ちゃん!」

「お?」

 

 

 乙骨は勢いよく席から立ち上がった。ピッチャーが床に落ちて割れる。ひっくり返ったコーヒーで学ランが汚れるのも構わずに、転げるように店から逃げ出した。

 

 

「はっ、はあ、はっ、ああ……」

 

 

 全力で走った。高専に転校してからたくさん体を鍛えてきたけれど、それでもクタクタに疲れてしばらく動けなくなるくらいの距離を進んだ。

 多分もう大丈夫。あの店員の人が里香ちゃんに襲われることはない。

 

 ──目の前に大きな影が映った。

 

 

「う、わっ!?」

「あはは、ビックリしてるー!」

 

 

 後ろから上着を被せられた。さっきのはその影だ。

 慌てて振り返ると、さっきのカフェ店員がいた。してやったりと愉快そうに笑っている。

 

 

「追いかけてきたの……!?」

「コーヒーかかっちゃったでしょ。着替えなよ。上着なら貸してあげるからさ。それとも脱がせてあげよっか?」

「は!? えっ、待って、自分でするから手を伸ばさないで!」

 

 

 さっきのカフェでの様子といい、パーソナルスペースが無い人なのだろうか。里香ちゃんが今にも出てきてしまいそうな気がして、慌てて距離をとった。

 憂太の学ランは白いので染みが目立つ。五条先生が勝手にカスタマイズしたらしい。親切心からの行動のようなので強く言い返せなかったが、一人だけ色違いなのはちょっと恥ずかしい。

 濡れた学ランを簡単に畳む。シャツの上から、彼女の持ってきた黒い上着を着た。シンプルだが縫合がしっかりしている。安物ではなさそうだ。それに加えて──

 

 

(す、すごく……いい匂いがする……?)

 

 

 少なくとも憂太の衣服からはしない香りだった。

 

 

「あの、これ、もしかして……」

「サイズ合わなかった? 私のだよ。えー、人の借りるのダメなタイプ?」

「いや……。その、ありがとう」

 

 

 今のところ、里香ちゃんは静かなままだ。多分、大丈夫。大丈夫だよね? 親切を無碍にはしたくなくて、ありがたく借りることにする。

 あまり話したことがないタイプだ。つまり、経験則が活かせない。どんな対応をしたら里香ちゃんが出てくるかの予測がつかず不安だった。

 

 

「じゃ、行こっか。マスターにも早抜けするって言ってきたし」

「行こっかってどこに……?」

「なんだ、デンジ先生から聞いてないの?」

 

 

 黒髪の少女はエプロンを脱いで、肩にかけていた鞄にしまう。代わりに取り出したのは渦巻きのボタン。高専生の証だ。

 

 

「私レゼ。君の一個上の先輩だよ。今回の任務、一緒に頑張ろうね」

 

 

 五条悟が早川デンジを高専に勧誘する際に結んだ二つの縛り──その一つ。

 

 二級術師、レゼ。名字はない。

 これが彼女との出会いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《〜今日のナユタin職場〜》

「出来ました」

「都内の喫茶店の特集記事だぁ? コーヒー特集?」

「………」

「ボツ!」

「どうしてですか……」

「お前何年目だぁ!? そんなことも分からねえのか!」

「…………分かりました」

「わかってねえからこんなゴミ持ってくるんだろうが!」

「……」

 

 ナユタの上司が机を蹴り上げる。鈍い音が響き、新入社員の男が肩をびくつかせた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

突然

 

 

 

 

【side:レゼ】

 

 

 何も覚えていなかった。

 

 目の前には、金髪と銀髪の男の人。診察台のような場所に横にさせられているのだと遅れて気づく。

 

 

「──だれ?」

 

 

 それはきっと、彼が望んでいた言葉ではなかった。

 でも彼は怒らなかった。穏やかに笑って私に問いかける。

 

 

 ──学校に通わねえか? ()()がやじゃなきゃだけど。

 ──うん。

 ──そうか、わかった。

 

 

 金髪の方の彼は、何かを噛み締めるように瞼を閉じる。再び開いた時には強い決心が宿っていた。

 

 

 ──いいぜ、俺ァ今日から高専の教師だ。

 ──交渉成立だね。

 ──頼んだぞ。

 ──言われなくとも。若人から青春を取り上げるなんて何人にも許されないからね。

 

 

 それが私の最初の記憶。

 早川先生と五条先生との出会い。

 

 あれから一年がたった。

 私は二級術師レゼとして、今日も学校に通っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:乙骨憂太】

 

 

 今回の現場は川沿いの高速道路の高架下だ。いつからかホームレスの溜まり場となったそこは、ホームレスたち自身や、近隣住民たちの負の感情の受け皿になってしまったらしい。二級呪霊の出現が確認されている。避難誘導は行ったが、場所が場所なだけにまだ人が残っているかもしれないということで、人命救助と死体回収も任務に含まれるとのことだった。

 

 

(死体回収……)

 

 

 ここにいるのはみんな知らない人たちだ。でも出来れば生きていてほしいと思う。僕に助けられるのなら力になりたかった。

 

 

「呪霊に会う前に、私の戦い方を伝えとくね」

 

 

 帳を降ろす。そう前置きをして、レゼ先輩は手のひらを見せる。パチパチという音を鳴らす小さな火が生み出された。花火みたいだ。

 

 

「わあ、綺麗……」

「『焔硝呪法(えんしょうじゅほう)』──それが私の術式。自分の身体の一部を媒介にして、爆発を起こせるの。髪とか、爪とかね」

 

 

 威力は込めた呪力や媒介の質量に依存するらしい。今見せているものは、皮膚のほんの端っこを使ったのだそうだ。

 

 

「というわけでおまじないでーす。刀貸して」

「?」

 

 

 促されるまま刀を渡すと、柄の部分に何やら細工を施された。よく見ると髪の毛が数本結びつけられている。

 

 

「これって……」

「使わないに越したことないけど、念のためね。じゃ、倒しに行きますか!」

 

 

 レゼ先輩は首を傾げてにんまり笑う。親しげに肩を組んできた。やっぱり距離が近い。けれど、そういう人だと分かってしまえばもう驚くこともない。

 きっと、呪霊退治に不慣れな憂太を気遣ってくれているのだ。これは彼女の優しさだ。なんだかとても嬉しくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 本命の呪霊は中々見つからなかった。小さな呪霊を処理しつつ道なりに進んでいく。大通りは一通り見て回ったので、次は柱の奥の方の探索だ。

 いままで一緒に任務をした真希さんや狗巻くんと比べて、二人に比べてレゼ先輩はとてもお喋りで、おまけに聞き上手だった。出会って間もないというのに、予想以上に会話は盛り上がった。

 

 

「へーそれで高専に来たんだ。珍しいね」

 

 

 里香ちゃんのこと。里香ちゃんの解呪のために呪いを支配する練習をしていること。一年のみんなとの生活。そして高専に来た動機。

 会話をしながら、憂太自身も半年にも満たない新しい生活を振り返る。思い返せばあっという間だった。

 

 

 

「ふーん、それが憂太くんの夢なんだ。大好きな女の子のために一生懸命頑張るとかかっこいーじゃん。憂太くんみたいなコ、好きだな」

「レゼ先輩は……何かしたいこととか、あるんですか?」

「ないよ」

 

 

 即答だった。

 なんだか意外だ。真希さんが言っていた通り、そして憂太自身が嫌というほど実感している通り、呪術高専は目的もなくやっていけるほど甘くはない。狗巻くんと同じ二級術師である彼女は、どうして呪術師をしているのだろう。

 

 

「……どうして呪術高専に来たんですか?」

「知らない」

「えっ? 知らないって……」

「私、記憶喪失なんだよね」

「記憶喪失……って、ええ!?」

 

 

 そんなの、ドラマや映画でしか聞いたことがない。結構な一大事だと思うんだけど、初対面の僕にそんなに軽く教えていいことなのかな。困惑していると、君だって里香ちゃんの話してくれたじゃんと笑い飛ばされる。

 

 

「記憶なんてなくても困んないよ。早川先生と五条先生わかるでしょ。あの二人が後見人というか保護者みたいな仕事は大体こなしてくれてるみたい」

 

 

 僕が彼女だったらどう感じるだろう。もしも目の前のレゼ先輩を、みんなを、里香ちゃんを忘れてしまうなんて。

 ……嫌だ。そんなの耐えられない。

 どうして平然と笑っていられるのだろう。何が、彼女をそんなに強くいさせるのだろう。僕の不安や心配を見抜いたのか、レゼ先輩はニヤリと笑う。

 

 

「ここに来る前のこと何も覚えてないけど、毎日が楽しいの。だからきっと、私の夢はもう叶ってるんだ。こうして毎日学校に行って……義務教育を受けて……必要最低限の生存のためには不要な会話をして……敵でも競争相手でもないお友達や後輩ちゃんとゆっくりお喋りができる。それって素敵なことでしょ?」

「それは……そうかも」

「おっ、分かってくれますかー!」

 

 

 乙骨憂太は普通の生活に憧れていた。生きてていいと思えるような自信がほしくて、東京都立呪術高等専門学校へやってきた。

 レゼ先輩とは事情は違うけれど、彼女の気持ちは何となくわかる気がする。

 

 学校生活は楽しい。みんなのことが好きだ。

 だから頑張れる。

 

 

「そうだ! 憂太くん、私がキミの夢を一緒に叶えてあげる!」

「え?」

「ちょうどいいや。君が私の目的になってよ。好きなコのために頑張る後輩のために、一肌脱いであげようじゃないか」

 

 

 彼女は、優しい人だ。

 もちろん、憂太自身が誰よりも里香ちゃんの呪いを解きたいと願っている。でも彼女の親切心にも応えてみせたいと思ったのも本当だった。

 

 

「……というわけで、夢を叶える一歩のために、ちゃちゃっとアレを倒しちゃいますか!」

「っ! はい!」

 

 

 刀を抜く。レゼ先輩が振り返る。その先に目当ての相手がいた。

 

 ──呪霊だ。

 今までのより、ずっと強い。いくつもの長い足を持っていて、クワガタ虫のような姿をしている。

 

 前衛が憂太、後衛がレゼ先輩。事前に打ち合わせした通り、彼女の術式の射線に入らないように気をつけながら攻撃を仕掛けた。壁を走り、大顎による斬撃を回避する。呪霊の刃が床を砕き静止した一瞬を狙い、胴体に向けて刀を振り下ろした。

 

 

「えっ、うわっ、硬っ!?」

 

 

 全力の一撃は、いとも容易く弾かれる。反撃をすんでのところで躱し、レゼ先輩の力を借りてなんとか追撃を凌いだ。

 

 

「『焔硝呪法(えんしょうじゅほう)』──」

 

 

 引き抜かれた数本の黒髪が呪霊を掠めた瞬間、大きな爆発が起きる。さっきの小さな火花とは比べ物にならない。これがレゼ先輩の実力だ。一つ二つ、三つ。すごいや、と息を呑んで見守る。

 だがこの呪霊は、それさえも凌ぎ切った。無傷だ。

 

 

「ウッソ、強すぎ。ちょっとタイムタイム」

「レゼ先輩!」

 

 

 先輩と呪霊の間に割って入り、振り下された刃を勘で防ぐ。致命傷は受けずにすんだが、まとめて吹っ飛ばされた。なんとか受け身を取る。受け身は体術の訓練で真っ先に身につけた技術だ。練習通りうまくできた。痛みがあるのとないのとでは成長のスピードが段違いだと──真希さんの言っていた通りだ。

 

 

「事前に受けてた報告より強いな〜。カッコつけてただけにハズかしいけど、撤退も視野に入れとこう」

「待って、あそこに人が……!」

「!」

 

 

 吹き飛ばされて宙を飛んでいる時に見えたのだ。首を伸ばして確かめる。間違いない、物陰に足が見えた。人だ。この角度からでは無事かどうかは分からないが、もし生きているのなら奇跡だ。こんなに近くに呪霊がいて、まだ襲われていないのだから。

 ……ここで僕たちが撤退すれば、きっとその奇跡は潰えることになる。

 頑張るんだ。助けるんだ。逃げずに今ここでこいつを倒す。でもどうすれば──

 

 レゼ先輩が後ろから憂太の肩を抱き、耳元で囁いた。見て、と呪霊の刃の根本を指さした。

 

 

「継ぎ目があるでしょ。硬い外皮と外皮の隙間。あそこに君の刀を刺して」

「えっ」

「憂太くんならできるよ」

 

 

 あの呪霊は、積極的に移動する様子はないけれど、四肢の動きは凄まじく速い。その隙間を縫ってあの小さな的を狙えと彼女は言う。

 

 

「それとも、自信無い?」

 

 

 思い出す。ここに来た日に聞いた言葉を。僕がこの場所で頑張ろうと思えるようになったきっかけを。

 

 

 ──祓え。呪いを祓って祓って祓いまくれ! 自身も他人も、その後からついてくるんだよ!

 

 

「自信は、ないや」

 

 

 僕の恩人。真希さんの言葉に背を押され、刀の柄を握りしめた。

 

 

「だから、成功させるんだ。自信はそれから手に入れる!」

「ヒュー、かっこいいじゃん!」

 

 

 乙骨憂太は普通の生活に憧れていた。誰かに必要とされたい。生きてていいって思いたい。

 だから、絶対に負けられない。

 

 

【    がんば れ】

「頑張る!」

 

 

 声が聞こえる。大好きだった人。ずっと憂太のそばにいる人。憂太が高専で救いたい人。彼女に応援されている。奮起できない理由があろうか。

 憂太は再び駆け出した。レゼ先輩の補助を受けてクワガタ型の呪霊に接近する。彼女に任された。できると信じてくれた。その期待に応えるんだ。つかを逆手に持ち替えて、胴体と足の隙間に根元まで深く突き刺した。

 

 呪霊は悲鳴を上げた。痛みにのたうちまわり、目的もなく暴れ周囲のものを破壊する。刃を横に引く余裕など無い。憂太はあっという間に振り落とされてしまった。

 

 

「う、わ、ああああっ!」

 

 

 刀から手が離れる。弾き飛ばされる。

 ──だがそれでいい。

 

 憂太がコンクリートの柱に叩きつけられるのと同時に、レゼ先輩が術式を発動した。

 

 

「『焔硝呪法(えんしょうじゅほう)』──!」

 

 

 彼女がとある花火の名を呼ぶと、呪霊は内側から弾けて潰れた。憂太の刀に仕込まれた髪が、関節部起点に内側から攻撃を仕掛けたのだ。

 ぼとりと肉片が床に落ちる。もう二度と動かない。呪霊は少しずつ端から溶けて消えていった。僕らの勝利だ。

 

 

「か、勝った……」

「ありがと、憂太くんのおかげだよ」

「そんなことありません。レゼ先輩がいなくちゃ、どうしようもなかったです。でも……レゼ先輩の応援に応えられてよかった」

「アハハ、なんじゃそれ。あんな全力で突撃したくせにぃ。君みたいな面白いコ、初めて」

 

 

 床に落ちた刀を回収する。あんな爆発に巻き込まれたのに、傷一つついていない。五条先生がくれただけあって、すごく頑丈だ。

 とにかく命の危険は去った。よかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうだ、生存者!」

「爆発にもあの呪霊の悪あがきにも巻き込まないように気をつけたから、無事だと思うよー」

 

 

 さっき見かけた人影のもとへ急ぐ。レゼ先輩の言葉通り、怪我をした様子はない。ほっとした。意識はあるようなので声をかけるが反応が薄い。白髪の男性はどこかぼんやりとした様子で憂太の目を見つめ返した。

 

 

【見えるんだ?】

「え?」

「どしたの憂太くん、その人大丈夫?」

【──うわ、キモっ】

 

 

 レゼ先輩を視界に入れた途端、突然そんなことを言い出した。少しムッとする。先輩のことをそんなふうに言う人間にあまりいい印象は抱けない。

 

 

【君、魂と肉体の動きが一致してないのかな。人間ってそんなこともできるようになるんだ。演技? 生まれつき? それとも訓練で身につくもの?】

「……なにが言いたいの?」

【いや、面白いなと思って。本っ当、気持ち悪いね!】

「はあ……」

 

 

 不躾にジロジロと観察される。ちょっとおかしい人なのかもしれない。髪色のせいで老人だと思い込んでいたが、かなり若そうだ。身長も高い。刀をしまうのはもう少し後にしようと決めた。

 

 

「貴方、誰ですか」

【うーん……さあ?】

「は?」

 

 

 その男は両手を上げ、大袈裟な仕草で笑った。

 

 

【自分探しというかさ。生まれたてだから、社会勉強中というか……名前もまだないよ。僕……いや、俺?】

「はあ……?」

【仲間っぽいのにも声をかけられたんだけど、俺って肉体の形は君たちに近いでしょ? どう生きるか悩んでたんだ。それで探してる奴がいてさ。俺と似た見た目らしいんだけど……】

 

 

 ──肉体の形?

 この人はなにを言っているのだろうか。質問しようとして、流石に飲み込む。この手の話はデリケートだ。

 彼の顔には()()()()のような縫合痕があった。

 

 

「あの……」

【ああ! そうだね。挨拶がまだだった。助けて貰ったもんね】

「違う。その前に、さっきのレゼ先輩への発言を謝罪してください」

「ちょ、憂太くん?!」

 

 

 だがそれとこれとは話が別だ。さっきから失礼すぎる。距離の詰めかたが急なのは同じでも、レゼ先輩と比べるのもおこがましい。

 

 

【さっきの話? 過ぎたことだろ。ねちねちしつこい男はモテないよ?】

「僕じゃなくて、レゼ先輩に謝ってください」

【……ふーん? まあいいや。仲直りの時は握手するんでしょ。本で読んだよ。ほら、()()()()()()

 

 

 乙骨憂太は日本生まれ日本育ちの純日本人だ。握手の習慣はなかったが、行為の意味くらいは分かる。だが、流石にこの不審者にレゼ先輩を触らせるのは嫌だった。警戒を続ける彼女に代わり、憂太はニヤニヤと笑うその青年の差し出した手を握り返──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自動車が目の前に突っ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──え?」

 

 

 

 

 少し遅れて、煙と瓦礫の香りが漂いだす。

 

 今、何が起きた?

 

 血の跡がべっとりと床に残っている。

 車輪が人間の頭蓋を巻き込み、数メートル引きずったからだ。

 

 レゼ先輩は、優しい人だ。

 不慣れな僕に気づかってくれた。奮起した僕の背を押してくれた。僕の頑張りを無駄にしないようにと無茶をしてまで助けてくれた。夢を応援してあげると、笑ってくれた。

 

 

 ──頭が潰れて死んでいた。

 

 死体が二つ転がっている。

 

 

「あ、ああ……?」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 見覚えのある事故。見覚えのある喪失。

 目の前の全てが乙骨憂太の精神を激しく揺さぶった。

 

 いやだ。

 嫌だ嫌だ嫌だ!

 腹の奥深くからドロドロとしたものが溢れ出す。

 吐きそうだ。

 息ができない。

 

 もう、二度と──

 

 

 バタンと車の扉が乱暴に開く音がする。

 

 

【おい、そこのウヌ、こっちじゃ】

「あ……ああっ……」

 

 

 しんじゃった。しんじゃった。レゼが、どうして、嫌だ嫌だ嫌だ!

 どうしてこんな突然、予想なんてできない無茶苦茶なタイミングで!?

 死んじゃダメだ!

 

 憂太は呆然としたまま腕を引かれ、事故を起こしたばかりの運転席に誘導される。

 

 

(この子、学生……?)

 

 

 手を引いた少女はそのまま反対側の扉から出ていく。うまく頭が働かない。その一部始終を憂太はハンドルを握りながらぼんやりと眺めていた。

 

 黒い三つ編みの少女は、運転席に座る憂太を指さした。

 

 

【この……人殺しがア!!】

「──うん?」

 

 

 うん?

 

 

 え?

 

 

 徐々に現実に引き戻される。帳が上がっている?

 少女の大声に呼び寄せられ、次々と人が集まってくる。え? ちょっと待て、ちょっと待ってほしい。待ってください。

 

 野次馬の声が聞こえる。

 まだ学生じゃない? 無免許運転かしら。即死だわ……

 

 

「違っ、えっ、きょっ、えっ、ええ、はあ!? えっ、あぁ!?」

【まさか人のせいにするのか……!?】

「違、僕じゃ」

 

 

 違うんです! 違うんです! 違っ、違うって、まって里香ちゃん警察の人には手を出さないで、まって、違います薬物とかそういうのじゃ、あっ里香ちゃん来ないで! 幻覚症状じゃないです、ああ、あああ!? 銃刀法違反!? いやっ、それはそうなんだけど、待って、違っ、あっ、伊地知さん助けて! 待って! どうしてええええ!?!?

 

 

「ええええええええ!? 違います! 違うんですううう!!」

 

 

 

 

 ──この日、乙骨憂太は生まれて初めて警察の取調室に入ることとなる。

 

 

 なお、監視カメラがばっちり現場を録画していたため憂太はすぐさま解放された。監視社会万歳、法治国家万歳である。

 鮮やかな手際で憂太に罪をなすりつけていった制服姿の少女は、未だ捕まっていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

《今日のナユタ 〜in職場〜》

「『怪奇! 高校生無免許交通事故、存在しない2人目の被害者!?』──舐めてんのかお前」

「……」

「いや、うちゴシップ記事作ってるわけじゃないんだわ。読者層考えろやボケ」

「何でもいいから面白いもの探してこいって言ったくせに……」

「何手をブラブラ振ってんだ」

「蠅頭がいたので……」

「は? とうとう気が狂ったか」

「狂ってないです」

「帰れ!」




レゼ
性別:女性
好きなもの:学校
嫌いなもの:
所属:高専二年/二級術師
 身体の一部を媒介に爆発を起こす『焔硝呪法』の使い手。
 記憶喪失。学校が好きな女の子。車に轢かれた。


性別:男性型(呪霊)
年齢:生まれたて
好きなもの:探し中
嫌いなもの:探し中
 つぎはぎ顔の人型呪霊。自分探しの途中。性格が悪い。車に轢かれた。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

宣戦布告

 

 

 

 

【side:?】

 

 

【俺って、車に轢かれても死なないんだ……】

 

 

 知らなかった。だって人身事故にあったこととかなかったから。新しい発見だ。

 

 生意気なガキに痛い目をみせてやろうという俺の企みは、()()突っ込んできた自動車によって何もかもむちゃくちゃになった。あんなの誰にも予測できないでしょ。不意打ちを食らった自分は何も悪くない。

 あまりの急展開に呆気に取られ思考が停止する。瓦礫の隙間で呆然としている間にひき逃げ犯は逃げてしまった。どんどん事態は大事になっていく。何だか急に面倒臭くなって、残穢を残さないように気をつけながら現場を立ち去った。偉そうな口を叩いたガキが罪をなすりつけられて動揺している顔が面白かったのでひとまずよしとする。

 

 呪霊は呪力無しでは祓えないのだと、単眼の呪霊が言っていた。だから俺は無傷だったのだろうか。思い浮かべた仮定を即座に否定する。あの感触は、呪力がこもっていた。運転手は術師だ。

 

 魂の形を変えれば肉体の形も追随する。生まれてまもない俺が知覚する数少ないこの世の真理から、もう一つ仮説を立てた。

 

 

(魂の形が揺るがないのであれば、いくら肉体が損傷しようと問題がない……?)

 

 

 魂の形と肉体の形の関係性。分からないことがたくさんあって、結び目を解くように一つずつ感覚を掴んでいくのが心地よい。自分は何もかもが不確定で、未熟だが、それは成長の余地に等しいのだと確信する。なんだか愉快で、喉を鳴らした。

 だけど一個だけ決めた!

 

 

【あいつ、殺したいなぁ〜!】

 

 

 瓦礫の隙間から見えた黒い三つ編みを思い出す。俺を車で轢いておきながら、一度もこちらを見ることのなかった女。頭にいくつものツノを生やした、受肉を果たした混ざり物。人と呪霊、どちらでもあってどちらでもない。あいつのおかげで俺は『快』と『不快』からさらに一歩踏み込んだ情緒を学んだ。

 これは()()だ。胸の内に芽生えたこの感情は、きっと俺を次のステージへ導いてくれる。

 

 

【ただ殺すのはやだな……うーん、でもあれが何やったら嫌がるのか全く想像できないんだよなあ……】

 

 

 重要なのはタイミングだ。

 俺が何なのか、誰の味方かなのはまだ決めない。――でも、あの女は敵。これだけは揺るがない。

 

 そうと決まれば、早速準備だ。まずは居場所を突き止める。それからたくさん観察して、ゆっくり作戦を練ろう。

 また一つ、己の本質を自覚する。俺は、他人を嘲り、踏み躙り、侮辱することが大好きだ。生まれたての悪意に浸る。心のままに笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:伏黒恵】

 

 

 伏黒恵には義理の姉がいる。

 伏黒津美紀。典型的な善人で、いつも笑っていて、いつも綺麗事を言っていた。誰よりも幸せになるべき人だった。

 なのに津美紀は呪われた。原因不明。あの胡散臭い白髪の男ですら『何も分からない』と言うことしか分からない呪いに犯され、今も病院のベッドで眠り続けている。

 世界は不平等だ。決して優しくない。そんな現実を少しでも公平に正すために呪術師は存在する。少なくとも、伏黒恵はそう在ると決めた。

 

 

「一つだけ、彼女をどうにかできる()()()()()()手段に心当たりがある」

 

 

 恵と津美紀の後ろ盾である男――五条悟はある可能性を提示した。今の恵には手に余るかもしれないなどと、意味のない前置きをして。覚悟があるかという問いに、二つ返事で了承した。姉を救う手段が少しでもあるのなら、挑まぬ理由はない。

 初めから会わせるつもりだったのだろう。そいつは直後に俺の家に連れられて来た。

 

 

「な……っ」

「君の父親の置き土産さ。上手に使うといい」

 

 

 隠しもしない禍々しい気配に、反射的に身構えた。白い髪を後ろで二つ括りにしている男。身長は恵よりやや高い。脳みそが溢れ出し、飛び出した眼球が揺れたまま、満面の笑みを浮かべている。

 受肉した呪霊だ。それも、今まで見た中で一番強い。

 冷や汗をかく俺を無視して、五条悟は説明を続けた。

 

 

「見た目でわかると思うけど、五条(ウチ)の血縁。こいつの無限は、無下限術式の亜種みたいなものでね。単純な戦闘だと僕の下位互換なんだけど、こいつの本領はそこじゃない」

 

 

 この受肉呪霊の頭の中には、無限の知識が詰まっている。つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 六眼でも分からなかった伏黒津美紀の呪い。手がかりがあるとすれば残るはここしかないと五条悟は告げた。それが取り出せるかどうかは恵次第だとも。

 

 

「僕は嫌われちゃったからどうしようもないんだよねえ。こいつ死ぬのも全然怖がらなくて、脅しも効かないからさあ」

【ハロウィン!】

「禪院の顔面と武闘派スパダリ女性と武闘派ヒモ男が好きなんだって」

【ハロウィン! ハロウィン!】

「食べることと寝ることとセックスとオシャレと観光も好きなんだって」

「適当言ってませんか」

「えー、僕って五条悟だよ?」

「何一つ信用できる理由にならないんですが」

【ハロウィン】

「まあこいつ、四大欲求に忠実だから上手くコントロールしなよ。あ、これ次の課題ってことでヨロシク」

「数一つ多いですよ」

「食欲、性欲、睡眠欲、観光欲」

「……」

「もー! ツッコミが遅いよ! ノリ悪いぞ!」

(どうしてこの人こんなにテンションが高いんだ……)

 

 

 ――本当は恵が高専に入学するまで僕預かりだったんだけど、乙骨憂太(べっけん)で忙しくなっちゃってさー。世話、任せた!

 

 

 そう言い残して、五条悟は立ち去った。後に残されたのは、恵と、得体の知れない呪霊混じりのみ。

 なんだかんだ言っていたが、要するに――面倒ごとを押し付けていきやがったのだ。あの人は。

 

 

【ハロウィ〜ン!】

「お前ふざけてんのか……」

 

 

 とはいえこれを放置するわけにもいかない。

 津美紀を救う知識を秘めているというのも、おそらく本当だ。あの人はいい加減だがそういう嘘はつかない。

 一人で過ごすに広すぎるアパートの一室は、今や無駄に長い図体に占領されていた。ふらふらとどこかへ出かけようとする首根っこを引っ掴んで引き戻す。無限の知識とやらを引き出すにも、そもそも会話が成り立たない。どうしろというのか。

 

 

(……いや、目標が分かっているだけ、状況はマシだ)

 

 

 どうにもならないと感じるのは、自分が未熟だからだ。

 五条悟(あの人)がムカつくのは大前提だが、それは努力を放棄する理由にはならない。己の術式『十種影法術』と要領は変わらない。調伏し、使役する。違うのは相手が式神ではなく呪霊ということだけ。

 

 

「……お前、名前は?」

【ハロウィン?】

「……」

 

 

 俺は、俺のできることをするだけだ。どうしたものかと恵は頭を悩ませた。

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:五条悟】

 

 

 五条悟の青春は夏油傑と共にあり、夏油傑の喪失により終わりを告げた。

 あの日、悟は傑と戦うことが出来なかった。今ここで倒しておくべきだと確信していたのに、無防備に晒された背中を攻撃することが出来なかった。その理由に名前をつけることなく、ただその事実のみを抱えて生きている。

 

 ()()()()()()である夏油傑は、最悪の形で呪術高専に帰ってきた。僕の生徒にふざけた思想を吹き込んで、ふざけた態度で、ふざけた宣戦布告をする。

 

 

「お集まりの皆皆様! 耳の穴かっぽじってよーく聞いて頂こう! 来たる12月24日! 日没と同時に! 我々は百鬼夜行を執り行う!」

 

 

 東京新宿と、京都。二箇所に千の呪いを解き放ち、非術師を鏖殺すると、そう宣言した。

 

 かつての青春から、十年の月日が流れた。僕らは大人になった。変わらないところも、きっと沢山ある。だが、あの頃とは決定的に違う。悟はもう、夏油傑と戦うことを迷わない。

 

 

「ん〜〜〜………」

「……」

 

 

 早川デンジが頭をかきながら遅れて現場にやってくる。夏油傑の宣戦布告を聞き、悩ましげな顔を浮かべている。

 戦力としてはありがたい。だが彼がこういう顔をするときは大抵ろくでもないことを考えているのだと、悟は経験則的に知っていた。

 

 

「その……やめねえ?」

「そんな要求を受け入れるとでも?」

「じゃあ、日をずらさねえ?」

「「「じゃあ!?」」」「おかか!?」

 

 

 一年たちがデンジの無茶苦茶な主張に思わずツッコミを入れた。

 

 

「いやだって……クリスマスじゃん……」

「まさか……早川先生……」

 

 

 憂太がはっとした表情で左手の薬指の指輪に触る。ほらみろ。包帯で外からは見えないのをいいことに、悟は呑気な先輩教師を睨みつけた。

 

 

「へえ、それはおめでとうございます。で、お相手は呪術師で?」

「いや、最初の職場ん時の先輩」

「じゃあダメだ。予定通り百鬼夜行は決行する」

「んでだよ!! くそっ! お前んこといい奴だと思ってたのによぉ〜!!」

「いい奴は非術師虐殺したりしないんだよ」

「そりゃそうだけどさあ!」

 

 

 とうとうツッコミを入れてしまった。こいつがいると緊張感が薄れる。悟は若干イラついていた。

 かつて、五条悟は早川デンジが嫌いだった。大人の権利を振り翳す、子供のことなど何も分かっていない奴だと思っていたからだ。

 今では別に好きでも嫌いでもない。この男もそれなりに苦労してきたのだなと察するに留まるのみである。

 

 

「よし分かった」

 

 

 ただ、こういう時のノリは今でも嫌いだった。

 

 

「八時だ……! 夜の八時までに! 新宿で! プロポーズ出来る様にぃ! 全部終わらせてやるよ!!」

 

 

 早川デンジは、しごく真面目に宣言した。多分、本人的には真剣なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:乙骨憂太】

 

 

 レゼの死は、憂太の精神に大きな影を落とした。

 

 

「大丈夫か、オマエ」

「……うん、大丈夫だよ。ありがとう」

 

 

 嘘はついていない。自分でも驚くほど調子が良かった。だが、ここしばらく眠りが浅いのも本当だった。真希さんに心配をかけてしまったのが申し訳なかった。

 今まで以上に必死に訓練に打ち込んで、夜遅くベッドに倒れ込む。目を閉じる。思考が止められない。くたくたに疲れているはずなのに、怖いくらいに目が冴えていく。

 

 僕のせいだ。

 僕があの車に気づけなかったから彼女は死んだ。僕が迷ったから犯人を逃した。僕がもっと上手く出来ていれば。あの時流されてしまわなければ、もっと、もっと――

 

 後悔は淀みとして積み重なり、徐々に輪郭を得ていく。乙骨憂太が生まれて初めて抱いた他人への攻撃性。その全てを里香ちゃんは肯定した。良くない、ダメだ、そう思えば思うほど負の感情は肥大化していく。

 レゼ先輩の欠員を埋めるため参加した京都交流戦は、東京校の圧勝で幕を下ろした。まだだ。これではまだ足りない。

 真希さんが、狗巻くんが、パンダが、みんなが憂太を気づかった。そう思ってくれる友人がいるのが嬉しくて、なのにそんな彼らに見合わない自分が嫌になる。

 ――もう二度と間違えないでみせる。それ以外に、憂太が憂太を許せる理由が見つからなかった。

 

 

【なー、ゲトー。ワシは腹が減ったぞ】

 

 

 だからその姿を目にした瞬間、すでに刀を抜いていた。

 

 

【誰じゃ、お前】

 

 

 黒い三つ編みを揺らした制服姿の少女が、ペリカン型の呪霊から身を乗り出している。頭からはいくつものツノを生えていた。

 

 

【思い出した! あの時のガキじゃ! 命の恩人への礼がないのう!】

「……お前は、何を言っているんだ?」

 

 

 先輩の仇は、友人に無礼な口を聞いた袈裟姿の男の仲間の一人だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「天内の墓を暴いたのは、やはりお前だったのか」

「正解!」

 

 

 夏油傑は顔を歪めてニヤリと笑う。都内の三大墓地の一つを血の海に沈め、彼の名を呪術界に改めて知らしめた二度目の虐殺事件。だがその結果生まれた彼女の存在を呪術界が正式に認識したのは、今日が初めてだった。

 十年前の星漿体事件の詳細を知る者は、驚愕と嫌悪で顔を歪めた。

 

 

「狂ったか、夏油……!」

「正気ですよ。昔も今も、ずっとね。ほら自己紹介だ。出来るだろう?」

【えー、ワシに命令する気か?】

「クレープ買ってあげないよ」

【……オウオウオウ! よく聞け! ワシの名はリコ!】

 

 

 高らかに名を宣言する。

 星漿体『天内理子』の死体に受肉した血の特級呪霊。その娘は、この場にいる全員から、ありとあらゆる理由で恨まれ、憎まれ、憐れまれていた。

 

 

「……パワー?」

 

 

 ただ一人、早川デンジだけが、別の名を呼んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 間違いない。あいつだ。あいつがレゼ先輩を轢き殺した。刀を持つ手が震える。一挙一動を見逃さず、殺意を向ける。

 

 

「二ヶ月前の都内の高架下で起きた交通事故にうちの生徒が巻き込まれてる。無免許運転犯の監視カメラ映像を見た時からそうだとは思ってたけど、やっぱりお前が受肉させてたか」

「え、何リコ、そんなことしたの?」

【知らん。こいつは嘘つきじゃ】

「やったのか……」

 

 

 自由にさせすぎたなと夏油傑は嘆く。全てが白々しかった。

 

 

非術師(さる)はどうでもいいけど、呪術師は傷つけちゃダメだって教えただろう」

【くだらんのぉ! 命は皆平等に軽いというのに。人も、呪術師も、犬も猫も呪霊もな!】

 

 

 乙骨憂太はすでに動いていた。振り下ろされた刃に反応出来たのは、同じく特級の名を冠する夏油傑ただ一人。無尽蔵の呪力を纏った一撃が、防御のために呼び出された有象無象の呪霊をまとめて引き裂いた。

 

 

「すごいね。随分な挨拶じゃないか」

「どけ。あいつは殺す。死ね」

【ぎゃあああ!? ゲトー! こいつ頭がイカれておる! 人殺しじゃ】

 

 

 再度刀を振り下ろす。真希さん達が叫ぶ。今は聞く必要はない。

 

 

【ぎゃあああ!?】

「随分恨まれてるようだが」

「殺す」

【ゲトー! ゲトー!!】

「すまないね、君を不快にさせるつもりはなかった」

 

 

 少女は袈裟姿の男の後ろに身を隠した。慈悲は不要だ。こいつは殺す。

 

 

「ッ、やめろ憂太!」

 

 

 怯えて逃げようとするその女の痕跡を、この世から一片たりとも残さず消し去るために、憂太は愛する人を呼び出した。

 

 

「――来い、里香」

【ゆ う゛たあああ あ゛あああああああああ】

 

 

 

 

 2017年12月17日、特級過呪怨霊『祈本里香』、二度目の完全顕現――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 呪術とは、所詮ズルとズルのぶつけ合いだ。

 極めれば極めるほど、当たれば勝ちの勝負になる。故に全ての攻撃を必中化する領域展開は究極の技足りうるのだ。

 夏油傑は、呪術戦を熟知していた。呪いの女王を相手に出し惜しみをすることはない。

 

 

「『天命操術』極ノ番 ――千年使用」

「!」

 

 

 祈本里香の胴体を、巨大な槍が貫いた。その威力に、そしてその言葉に、その場にいる全員が驚愕する。

 

 

「術式開示といこう。私の術式は『呪霊操術』という。()()()()()()()()()()()()()()()を取り込み、使役することができる。こいつはその一つだ。

 特級仮想怨霊『Angel』。日本ではなく海外指定の呪霊なんだがそのあたりの説明は今はいいか。ともかくこいつは、直接肌に触れることで、相手の寿命を吸い取り――」

 

 

 夏油傑は折本里香すら貫いた槍を指さした。

 

 

「――呪具に変換できる。大体百年で特級呪具相当かな?」

 

 

 百年で特級。ならば千年の年月が圧縮された槍にはどれほどの力が秘められているのか。

 なにより底知れないのは、夏油傑は虐殺を二度起こし、宗教団体を隠れ蓑に潜伏を続けていたことだ。蒐集の機会は十二分すぎる。寿命のストックがどれほどのものか、誰にも予想がつかなかった。

 

 

「動くなよ。戦うつもりはない。今日は宣戦布告だけしに来たんだ」

「このまま見逃がすとでも?」

「従ってもらうさ。なにせこちらには人質――いや、寿()()()がある」

 

 

 夏油傑は指を三本立てた。

 

 

「五条悟と家入硝子の寿命約三十年分。イコール、呪術界の勢力図三十年分の時間だ。君らも私も今年で二十七。そろそろ、やばいだろ?」

 

 

 ――かつて、五条悟は天使の特級呪霊と戦った。勝利は納めたが、奪われたタイムリミットは、未だ取り戻せてはいない。高専側の呪術師達がざわついたのを見て、夏油傑はニタリと笑う。

 

 

「もちろん百鬼夜行には『天使』も出す。勝ったことのある相手と舐めるなよ。あれが街中で領域展開をすればどうなるかは――」

 

 

 

 

 

「……何をしている」

 

 

 決して大きくはない声に、全員が動きを止めた。

 乙骨憂太は、最愛の人が串刺しにされたというのに気にも留めなかった。それが、彼女にとってなんの意味もないことだと本能的に知っていたからだ。特級過呪怨霊『祈本里香』が、背を貫く千年分の寿命武器を逆手に掴み――砕く。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()

「おお怖い。同じ呪霊を操るものとして親近感を覚えるよ」

「お前と、里香ちゃんを一緒にするな」

「だが、そろそろ帰る時間なんだ。彼女たちと竹下通りのクレープを食べる約束をしていてね。じゃあね悟。硝子と那由多にもよろしく!」

 

 

 夏油傑は呪霊をさらに呼び出した。仲間を引き連れ、去ろうとする。逃げ、ようと――

 ふざけるな。僕の持つ刀に小さな亀裂が走った。

 

 

「――憂太、ストップ。流石に市街地に出るのは無しだ」

 

 

 ――視界いっぱいに広がる、青い瞳。憂太は後ろに吹っ飛ばされた。あの女の姿が、袈裟姿の男が遠くなっていく。

 見覚えのない顔だが、憂太は彼を良く知っていた。五条先生だ。目隠しを外し、異質な光を放つ両目を見開き立ち塞がる。

 

 

「退いてください」

「ダメだよ」

「怪我をさせたくありません」

「あはは、そんなこと久しぶりに言われたよ」

 

 

 どうして。殺すのはあの女だけだ。問答の時間すら惜しかった。

 どうか、邪魔をしないでほしい。僕はもう間違えたくない。里香ちゃんの呪力を刀に込めて、五条先生の術式を叩き潰した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

()()()

「よそ見してんじゃねえよハゲ。自分が何してるか分かってんのか!」

「がッ――」

 

 

 身体に僅かに負荷がかかった瞬間、地面が空へ、視界がぐるりと反転する。パキリと骨が割れる音がする。敵を排除するために練り上げた呪力を、すんでのところで四散させた。彼女を傷つけるつもりはない。

 攻撃の主は真希さんだった。憂太を後ろからはがいじめにしているのはパンダだろう。

 

 

「どうしたァ! もう終わりかよ! 黒くてピカピカ光って、綺麗だったのによォ〜!」

「退いてください」

「落ち着けっつってんだよ」

「落ち着ける訳が――!」

 

 

()()()()()()()

「……え?」

 

 

 早川先生は、頭部と両腕を異形へと変形させている。表情を窺い知ることはできない。けれど、オレンジ色の外皮の下で彼がどんな顔をしているのか、直感的に理解した。

 

 

「んだよ、俺のこと信じてくれねえの?」

 

 

 そんなことない。だって先生は里香ちゃんを女の子として扱ってくれた人だ。僕は彼を信頼している。

 だから、きっと本当だ。

 レゼ先輩は生きている。

 

 

「よ、良かったぁ……」

 

 

 腰が抜ける。憂太を力ずくで拘束していたパンダは、今度は身体を支えるために重心を移動させた。

 目が熱い。刀から手が離れる。乾いた音とともに、里香ちゃんは姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:五条悟】

 

 

 夏油傑は退散し、祈本里香の暴走も止まり、当面の危機は去った。いい感じに話がまとまりかけたところで、悟は憂太の肩に手を置いた。念には念を。拘束のためだった。

 

 

「それから憂太、この間言ったこと覚えてるよね」

「へ?」

 

 

 今日は沢山のことが起こりすぎた。懐かしい旧友との再会。百鬼夜行の宣戦布告。

 そして、特級過呪怨霊『祈本里香』の二度目の完全顕現。

 

 

 ――里香は出すな。

 ――もしまた全部出したら、僕と憂太処分(ころ)されちゃうから!

 

 

「……あ」

 

 

 どうやら思い出したようだ。上層部からのお怒りの言葉を受けての伝言だった。当時は軽い調子で伝えたが、老害どもは本気だ。

 そして、対夏油傑人員として配備された複数の呪術師が祈本里香の完全顕現を目撃していた。もはや言い逃れは不可能だった。

 

 

「おめでとう! 君と僕、死刑です!」

「ええええええええ!?」

「マジかよ〜!?」

 

 

 憂太とデンジの間抜けな悲鳴が上がる。続いて一年たちの苦情の声も。僕への酷い罵倒を繰り返しながら、憂太を庇う発言が続く。みんな仲良くなったみたいで先生は嬉しいです。

 もっとも、事情が事情である。今回の騒動を暴走ではなくコントロールできる証だという方向性で押すことも出来そうだし、何より夏油傑に対抗できる手段として彼は貴重な戦力になりうる。あとは大人の頑張り次第だ。

 

 

 まあ何とかなるか、あっはっはと茶化した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ごめーん、ダメだった!」

「ふざけんなバカ目隠し!」

 

 

 

 

 

 

 

【今日の那由多 〜in職場〜】

「は!? 取材中止!? お前舐めてんのか!?」

「流石に会社の顔見知りに死なれると寝覚が悪いので……」

「竹下通りのクレープ屋のどこに命の危険があるってんだ」

「百人殺した殺人犯が来るから……」

「とうとう狂ったか」

「狂って無いです」

「帰れ」

 




夏油は嘘つき


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

決戦前夜

 

 

 

 

【SIDE:乙骨憂太】

 

 

「はーい、チキチキ祈本里香解呪アイデアコンテストはぁじめぇるよー! エントリーナンバー一番! はい真希!」

「何はしゃいでんだ目隠し野郎」

「もー! ノリ悪いとモテないよ」

 

 

 真希さんの振り上げた呪具が五条先生の無限により防がれる。不愉快そうな舌打ちが聞こえた。

 いかにもといった怪しい札や鎖でいっぱいの封印部屋でコメディなやりとりが繰り広げられている。絶対に攻撃を喰らわない教師と、死んでも蘇る教師しかいないクラスだ。生徒のツッコミは日に日に暴力的になっていくが、平然と処理される。近頃は里香ちゃんの大暴れすらギャグの文脈で処理されることが増えてきたのだから、今更驚きはしない。だが改めてすごい学校だなあと憂太はちょっと感動した。

 最悪の呪詛師、夏油傑が呪術界への宣戦布告をしてから一日。緊急拘束された憂太は封印部屋に軟禁されていた。

 一晩明け、先生たちとクラスメートのみんなとようやく会えた時はホッとした。一人は寂しい。そう感じている自分を再認識する。

 

 

(なんだか、懐かしいなあ)

 

 

 死にたがっていた頃の自分がこの光景を見たらどう思うだろう。友達がいて、先生がいて、とても賑やかだ。憂太は一人じゃない。

 何より、レゼ先輩が生きてる。元気だといいな。元気でいて欲しい。そう願った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「まあ僕への処分はどうでもいいよ。僕、最強だから強行は無理だし。問題は憂太だ。元々あった死刑の保留が取り消されちゃったんだよね」

「どうにかしろよ」

「めっちゃ頑張ったよ。こう見えてもわがままのプロだよ僕は」

「見た目通りじゃねーか」

「しゃけ」

 

 

 かつての秘匿死刑が中止になったのではなく、保留扱いだったとは知らなかったが、もはや些細な問題だ。特級被呪者『乙骨憂太』は処刑が確定してしまった。

 

 

「死刑が止められないなら、いっそ逃げるってのは?」

 

 

 提案したのはパンダだった。早川先生が身を乗り出してノリノリで賛同する。

 

 

「マレーシアか……!」

「海外逃亡はもういいよ。逃げるのは最後の手段ね。前例がいるせいで絶対警戒されてる」

「絶対?」

「絶えぇっっっっ対。ね、早パイ」

「マレーシアは……」

「早パイどれだけ行きたいの」

「俺ん妹のチョコ……」

「あれはブランド名が同姓同名なだけだろ」

「こいつなんか怒ってねえ? コワ〜」

 

 

 早川先生に妹がいたとは初耳だ。憂太もリカちゃん人形を見かけるたびにちょっと懐かしい気持ちになるので共感した。どんな名前なんだろう。今度検索してみよう。

 とにかく逃げるのはあまり良い手ではないそうだ。呪詛師夏油傑との戦いを控えた今、信頼できる人間は皆多忙で、逃亡を手引きする人員を捻出することは難しいらしい。

 

 

「じゃあどうすんだよ」

「憂太のやることは変わらない。死刑宣告が出たのは特級被呪者の憂太なんだから、死刑日までにそうじゃなくなればいい」

 

 

 つまり祈本里香を解呪するのだ。憂太の目標は揺るがない。

 

 

「あくまで最終目標はね。死刑執行日に関してはグレートティーチャー五条がどうにか先延ばししてみせよう。ただ、もう一つ問題がある。呪詛師夏油傑の討伐作戦に、憂太の参加が直々に指名された」

「……それの何が問題なんですか?」

「新宿で夏油一派と直接ドンパチしろって命令じゃないとこかな」

 

 

 五条先生は地図を広げた。東京都内にいくつもの赤い丸がついている。品川のあたりを指差して、憂太に出動命令が出てるのはここだと説明する。

 

 

()()()()()の協力のおかげで、夏油傑が隠れ蓑にしてた新興宗教の都内の拠点は判明してる。ただ向こうもそれはわかってるから宣戦布告後は他の場所に潜伏してる」

「じゃあどうして」

「ぶっちゃげると、一般信者の皆殺し命令だね」

「……へ?」

「祈本里香を制御できないのなら、制御できなくても問題ない場所で暴れさせて有効活用しろってこと」

「は!? へ!? な、何でそんなこと……」

 

 

 まさか人殺しの命令を受けるとは想像していなくて、動揺した。真希さん、狗巻くん、パンダの顔を順番に見る。みんな一斉に首を横に振った。やはり、呪術師全体で見てもまともな命令ではない。

 

 

「呪術のお勉強だ。『主従契約』の話をしよう。憂太って、赤信号無視するタイプ?」

「え、そんなことは……」

「すごく急いでても?」

「は、はあ……」

「あはは、めっちゃぽいね」

「おいデリカシー」

 

 

 パンダのツッコミは、おそらく里香ちゃんの死因が交通事故だからだろう。彼は細かいところに気が回る優しい人だ。人じゃなくてパンダだけど。

 五条先生はツッコミを無視して解説を続けた。

 

 

「『なんとなく従う』『破っちゃいけない気がする』――この感覚は呪術における基礎で、主従契約もその延長線上にある。夏油の呪霊操術はこれが成立してない自然発生した呪霊しか取り込めない。『祈本里香』だって憂太と形式上は主従関係だよ」

「主従って、そんなんじゃ……」

「信頼とか、愛とか、倫理観、道徳心って呼んでもいい。全部ひっくるめて『呪い』だよ。でもまあ判定が大雑把ってのは、その通り。やばい例だと、最悪の名を冠した呪霊が昔これを悪用して、日本の総理大臣経由で全日本国民の命を掌握した」

 

 

 早川先生が眉を顰めた。

 

 

「ウケるよね。思いついてもやらないでしょ、こんな荒技。例えば日本の交通ルールを守ったり、日本円を使って買い物をしたり、税金を納めたり。日常生活そのものを『国家への主従関係の了承』とみなして強制的に縛りを結んだ大事件があったの。これ、オフレコね」

「今はその最悪の呪霊とやらじゃなくて、あの呪詛師の話だろ」

「はいそこ焦らない〜」

「真希、抑えろ抑えろ!」「おかか」

「これの小規模版を、夏油傑はできるかもしれないってこと。あの男は、新興宗教の教祖として潜伏してたからね」

 

 

 つまり、内閣総理大臣が国民の命の使用権を持つように、教祖は信者の命の使用権を握っている可能性が高いのだそうだ。なんだか途方もない規模の話だ。

 

 

「みんなも見たと思うけど、上は『天使』を警戒してる。本来は、直接接触するか領域に引き摺り込むかした人間からしか寿命を奪えないけど、契約者が寿命を捧げた場合にどう処理されるかは不明。上はいけると考えてる。夏油の組織は信者数せいぜい数千人程度だけど、『布施をしたことがある』『呪霊がらみの相談をしたことがある』程度の縁を結んだ人間もカウントできるかもしれない」

「それって……」

「はい数学の授業! 憂太! 50年×1万人は!」

「えっ!? ええっ、えっと50万年」

「それって100年分の寿命武器何本分?」

「……5000個分」

「やべえな」

「しゃけ」

「ヤバいだろ」

「そう、ヤバい。まあ僕は平気だけど、戦線は間違いなく壊滅するね。もしかしたら負けるかもーって上はビビってんの」

 

 

 呪霊操術の一番の強みは手数なのだそうだ。呪具を無数に生み出す『天使』の能力と組み合わせれば、千の呪いを千の特級呪具で武装させることも理論上は可能。呪具で弱点を補う呪霊の厄介さを語る先生の声は妙に実感がこもっていた。

 

 

「そんなに便利な能力なら、もうすでに呪具に変換してんじゃねーの?」

「それはない。夏油が今回の戦争の先を見越して動いてるなら、せっかく育てた組織を使い潰しはしない。もっとも追い詰められれば使うかもしれないから事前に潰してしまおうってのが上の考えさ。……で、話は戻るけど」

 

 

 五条先生は憂太をまっすぐ見据えた。目元を隠す包帯越しだというのに、強い視線を感じた。

 

 

「憂太、何も悪いことしてない一般人、殺せる?」

「い……嫌です! 無理無理無理!」

「だよねー!」

 

 

 じゃあどうするか。五条先生の提案はシンプルだった。

 

 

「サボる。全力でストライキする。利用されてるだけの一般信者を無理に殺す必要はない」

「……それっていいんですか?」

「サボるとどうなるでしょう」

「偉い人たちが、怒る……?」

「殺しに来るかもね」

「過激すぎない!?」

「呪詛師のテロへの対処をおっぽってまでするか?」

「どうかなー。というかね、憂太にとにかくストレス与えて()()()()()()()、処刑の大義名分を確かなものにしたいっぽいんだよね。僕が確実に憂太のそばを離れる貴重なチャンスに、ちょっかいをかけに来るバカがいないとは限らない」

 

 

 パンダの疑問に五条先生は即答した。上は魔窟、内輪揉めダイスキ。ふざけた話し方だが、意外なことに真希さんが同意した。嘘は無いということだ。怖い。

 

 

「新宿の件は、僕と早パイたちで全速力で片付ける。目下、憂太を含めた一年の課題は、僕らが救援に来るまでの間、品川での拠点殲滅任務を命令違反扱いにならない程度にごまかしながら耐えること。ちなみにここをミスるとみんな死刑でぇっす」

「茶化すなバカ」

 

 

 真希さんのツッコミはまたしても先生の術式で防がれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「それと、他の学年は別行動だけど、一人だけ助っ人を連れてきた」

「あ」

 

 

 皆が首を傾げる中、部屋に入ってきたのは、知っている姿だった。

 黒い髪。ノースリーブのシャツ。ハイウェストの短いズボン。乙骨憂太は彼女との再会を待ち侘びていた。

 

 

「レゼ先輩!」

「ん、久しぶり〜」

 

 

 傷一つなかった。あの時の事故は嘘だったかのようにピンピンしている。早川先生は嘘をついていなかった。

 

 

「ユウタくん、私のために怒ってくれたんだって? 優っしい〜!」

 記憶にある通りの距離の近さだった。真希さんたちも顔見知りらしく、三者三様の反応で出迎えていた。

 レゼの生存が乙骨たちに知らせられなかった理由は単純、超重要機密事項だからだと先生たちは説明した。とある事情ですぐに回復していたのだが、事故の目撃者が多すぎて「たまたま無事でした」という言い訳が通らなかったそうだ。

 

 

「僕が言うのもなんだけど、レゼが生きてるって咄嗟によく信じたね」

 

 

 完全に頭が潰れてたのにさと五条先生はケラケラ笑う。真希さんとパンダはデリカシーがなさすぎると顔を顰めていた。たしかに、疑問に思うことはたくさんある。けれど――

 

 

「早川先生のこと信じてるから。嘘ついたりしない人だって」

「そりゃどーも」

 

 

 紛れもない本心だ。

 乙骨憂太は、この場にいる全員を尊敬している。彼らの気持ちに応えたいと思う。だから、精一杯頑張りたいと思う。

 クリスマスまでは残り一週間も無い。上層部の横槍にも備えて、訓練をこなさなければならない。

 

 

「というわけで憂太、これ」

「え?」

「昔渡した刀にヒビ入ってるでしょ。祈本里香の呪力を一度に込め過ぎ。新しいのあげるから」

「あ、そういえば……」

「ちなみにこれは八億円だから今度は壊さないように」

「八億!? は!? えっ!?」

 

 

 壊してしまった方の呪具が一体いくらだったのか、怖くて聞けなかった。憂太を励ますように、五条先生は声をかける。

 

 

「憂太には昨日見せた力を自在に引き出して、制御できるようになってもらう。怒り方を覚えなさい。そうすればもう怖いものはないよ」

 

 

 そして、長い長い作戦会議をそう締めくくった。

 

 

「さーて! 見事に話をまとめたこの五条悟を一番的確に誉めた子には僕から豪華プレゼントが! はい! イケメン!」

「満員電車で無限使って一人悠々とスペース確保してそう」

「ブッブー! 基本的に伊地知の車で移動するので電車に乗りませーん」

「おかか」「ムカつく」

 

 

 パンダの次は真希さんが。狗巻くんも便乗する。誰一人真っ当な褒め言葉を向ける生徒はいない。

 憂太が笑う。みんなが笑う。レゼ先輩が笑う。

 死刑宣告なんてとんでもない事態になっているというのに、憂太は今の生活を楽しいと感じた。

 早川先生はその様子を見守っていた。ずっと。

 

 

 

 

 

 

 

【SIDE:五条悟】

 

 

 悟はキレていた。

 生徒の手前ある程度は取り繕ったが、パンダあたりには気づかれていただろう。あの呪骸は、製作者に似たのか些細な情緒に妙に鋭かった。

 

 

 特級被呪者乙骨憂太の死刑が確定してしまった。死刑執行人は五条悟である。

 

 

 上はとにかく五条悟をコントロールしたがっている。無理難題を押し付けられたり、人質まがいの人員配置を強要されたりするのはいつものことだが、今回はレベルが違う。自分の生徒を殺せとあの老害どもはのたまった。

 そもそも憂太が処刑を免れていたのは、究極的には『まだ死者を出していないから』だ。危険極まりないだけの可能性でしかないから、五条悟(さいきょう)が安全弁になってやれる。

 だが、もしも本当に暴走してしまったら? 一線を超え、多くの死者を生み、これからも被害を拡大させ続けるような存在に成り果ててしまったら?

 ……その時は、殺すしかない。

 呪術界に溢れる悲劇の一つとして、責任を持って処分する。かつてチェンソーマンが『銃』の受肉体にしたように。これから五条悟が夏油傑にするように。

 

 五条悟は大人になった。もう、個人を世界よりも優先することはない。ただ一人のために、一緒にむちゃくちゃになっていいとも思えない。

 あの臆病を拗らせた年寄りどもも、その程度は見抜いている。だから祈本里香という不発弾を抱え続けるリスクをさっさと消してしまうために、いっそ暴走させてしまうことで五条悟のケツを蹴るつもりなのだ。

 

 クソだ。クソの集まりだ。今すぐまとめてくびり殺してやりたい。腹の底から湧き出る本音を飲み込んだ。そんな手段は選ばない。そう決めたから、五条悟は教師の道へ進んだのだ。

 

 

 生徒たちはタイムリミットに向け訓練に励んでいる。

 新宿の迎撃作戦の指揮は夜蛾がとっている。伊地知には百鬼夜行対策の裏方処理と並行していくつか仕事を割り振った。

 残る家入硝子と早川デンジ――数少ない信用のおけるメンバーで、今後の方針を話し合っていた。

 

 

「岸辺は?」

「領域対策できる門弟連れて京都方面警備するってさ。ユウタ関連のフォロー頼むのは流石に難じぃだろ……あのさあ、岸辺さんもさあ、もう七十だぜ? ニャーコ……ニャンボちゃんが動物病院に入院したりでバタバタしてんだ。優しくしてやれよ」

「呪術師は生涯現役でしょ」

「お前……」

 

 

 早パイが百点満点な(まともじゃない)くせにまともそうな発言をする。ムカついたので圧をかけたが動じる様子はない。完全に正面から受け流された。硝子も我関せずと喋り始める。悟相手に萎縮するような奴はこの場にはいないのだ。

 

 

「で、どーすんのあの子。禪院真希の攻撃で顎の骨折れたって聞いたからわざわざ診察したのに無傷だし、無駄足もいいとこだよ。自力で回復してたんでしょ? 反転術式方面伸ばした方が良かったんじゃない」

「憂太は直情型だ。それも百点満点級のネジの外れ方をしてる。上の狙い通りにやらかせさせないためにも、小手先の技術より感情コントロール習得が最優先だ」

「ふーん」

 

 

 憂太の暴走を目撃した多くの人間は、感情を抑える訓練をさせるべきだと考えるだろう。だが、それは下策だ。

 呪術師にとって感情とは、抑えつけるだけのものではない。呪力の出力を底上げするために、時には激情を抱くことも必要だ。その点、憂太は優秀だ。時間の猶予が無い今、あの才能は彼の武器にしていくべきだ。

 

 

(意図的に感情を爆発させる練習――我ながら良い案だと思ったんだけど、難航してるかあ)

 

 

 試しに五条悟絶賛のクソ映画を見せたり、罵倒の得意な――本人に言ったら怒られたが――真希に思う存分野次らせてみたり、早パイイチオシの妙に難解でよくわからない映画を見せたり、あらゆる方法を試したが憂太は落ち込むばかりでうまく感情を爆発させることができなかった。

 一週間で憂太が里香を完全に制御できるようになれば理想だったのだが、無理は言うまい。第二案として、上の処刑命令をのらりくらり躱しつつ、制御できる可能性を示すしかない。

 特級過呪怨霊『祈本里香』の恐ろしさは、正体不明であることだ。特別な血筋でもない普通の少女の呪いがあれほどの規模に育った理由がわからない。故に上は恐れている。

 

 

 ――正体がわからないのであれば、わかるまで格を落としてやれば良い。

 

 

 かつての学友の言っていた通りだ。正体がわかれば、どうにかできる気がしてくるものだ。そう思わせるためにも、『乙骨憂太』自身の才能を見せつける。傑の宣戦布告時に披露したような研ぎ澄まされた怒りによる呪力制御法を自分の意思で引き出せるようになれば、憂太の当面の命の危機は去る。大抵のトラブルに対処できるし、戦力になるのではと欲を出した中途半端な保守派を抱き込める可能性も出てくるからだ。

 本人の自己申告と、吉田ヒロフミの採点結果。そして今回の祈本里香完全顕現。どれも確証と呼べるものではないが、ここまで判断材料がそろえば嫌でも気付く。

 

 

「伊地知の報告待ちだけど、僕の勘が正しければ間違いなく原因は憂太側にあるね」

 

 

 乙骨憂太は最強(ぼく)に並ぶ術師になる。予想ではなく確信だ。

 だが、それはあくまで未来の話。現時点では可能性に過ぎない。彼が保護対象であることに変わりはない。

 傑との決着と、可愛い生徒たちの保護。五条悟は一人しかいないというのに、両方同時にこなさなければならないのだから大変だ。

 時間も、人員も、何もかも足りない。自分一人が強いだけではダメなのだと気づいた日から、自分以外を強く育てるために奔走してきた。なのに、育てるためには一人では手が足りないのだから、とんだクソゲーだ。

 

 

「硝子もそろそろ自衛手段身につけなよ。また死にかけても知らないよ」

「私がいる位置まで敵が侵入してる時点で負け戦だろ」

「言うじゃん」

 

 

 ため息をつく悟に、硝子はコーヒーを差し出した。早パイはブラックで、悟は角砂糖を八個入れる。

 

 

「あー……まあ、お前も頑張ってんじゃねーの」

「というわけで助っ人を呼びます」

「どういうわけで!?」

 

 

 悟の目論みに気づきわーぎゃー騒ぎ始めた早パイの声を無下限術式で遮り、電話をかけた。懐かしい番号だ。二コール目には繋がった。

 

 

「やっほー、久しぶり」

『……、………』

「んーん、違う違う。呪術師になれって勧誘じゃなくて、取材のお誘い」

『……………、……』

「同窓会だよ。懐かしいだろ」

 

 

 

 

 

 

 

【SIDE:リコ】

 

 

 ワシの世界は単純明快。

 ワシと、飲んでも良い血と、飲んだらゲトーが怒る血でできている。

 

 

「ちょっと、どこ行くつもり? 残穢残して夏油様に迷惑かけたら許さないからね」

【ナナコはうるさいのお、ワシに救われた恩を忘れたか?】

「存在しない記憶の話をするな!」

「奈々子……これに何言っても無駄……」

 

 

 ナナコとミミコは、飲んだらゲトーが怒る血だ。

 ゲトーはリコにゲロ甘い。そりゃあもう。まあ、ワシはこんなに可愛いのだから仕方なかろう。都内で好き勝手に行動しても、術師を害さない限りゲトーが怒ることはない。人間を害するのは呪霊の本能だ。基本的に人間以外は襲わない。巻き込むことはあれど、積極的に狙うことはないのだそうだ。馬鹿らしいと思う。わざわざ区別をするなんて、愚か者のすることだ。命は軽い。犬も猫も人も、呪霊も、血が通っているのなら全て同じだろうに。

 都内の動物病院で、思うままに血を啜る。ゲトーから仲良くするように言いつけられているナナコとミミコが渋々と言った様子でついてくる。やれ臭いだのなんだのと。ワシは風呂は週一派じゃ。さらに大きくなった文句を無視して次の動物に手をつけた。

 

 ワシは自由だった。

 

 

【ニャーコ……?】

 

 

 猫がいた。壁に沿うように並べられた檻の一つに入っていた。

 

 

【ワシの猫じゃ】

「いや違うでしょ」

【貴様はニャーコじゃ!】

「いやニャンボって名札ついてるじゃん」

【ガハハハハハ! ヨボヨボじゃのう! 骨と皮ばかりで食い出もなさそうじゃ】

 

 

 たかが猫だ。今にも死にそうで、震えているのが愉快だった。

 だから、生かしたのだって気まぐれだ。

 

 

「にゃーん」

 

 

 命は軽い。犬も人も、呪霊も、ミミコもナナコもゲトーもワシも。

 格子越しに、猫はリコの手に擦り寄る。

 暖かかった。

 

 

 

 

 

 

 

【SIDE:伏黒恵】

 

 

【こんにちは、伏黒恵】

「お前……喋れたのか……」

 

 

 五条悟から呪霊混じりの男の世話を押し付けられてから二ヶ月がたった。

 何の予兆もなかった。少なくとも恵はそう感じた。

 津美紀の見舞いに病院へ寄った後、帰宅した。一日中寝て起きて食事をしてファッション誌を読み漁るだけの居候の存在をできる限り無視しながら学校の課題に手をつけていた。

 

 

【――ハロウィン】

 

 

 だから何が目的なのか、見当がつかない。

 白く、どこまでも広がる呪力で編まれた世界。当の術者は机に座り静かに本のページをめくっている。背後に並ぶ大量の書物は、おそらく無限の知識の具現化だ。

 

 生得領域だ。

 

 術者が生まれながらに持つ世界。領域展開か、別の手段で引き込まれたか。いずれにせよ、自力での脱出は困難だ。

 術式は付与されていないようだが、奴の掌の上であることに代わりはない。いや、むしろ何もしてこないことが不気味で恐ろしい。まともに死ねればマシな方かと覚悟した。

 

 

【12月24日、新宿京都百鬼夜行。その裏で、伏黒津美紀に術をかけた存在が動いています】

「――!?」

 

 

 与えられたのは、喉から手が出るほど欲していた情報だった。だが何故急にそれを教えたのか、意図が掴めない。信用に足る情報なのかの判断もできない。どうすればいい。何が最善だ。必死に思考を巡らせる。

 

 

「……何が望みだ」

 

 

 恵を殺さずにいる時点で、この呪霊混じりの男がある程度人間に友好的であるのは確かだろう。

 特級呪霊は開いていた本を閉じ、本棚に片付けた。椅子から立ち上がり、頭蓋からはみ出した内臓を手で弄びながらこちらへ近づいてくる。

 奴の要求は、何から何まで、全く理解できなかった。

 

 

【私とセックスしてくれませんか?】

「……は?」

()()()

 

 

 言い直された。肩に手をかけられる。顔が近づく。反射で印を組む。

 

 ――この日、伏黒恵は史上最速の玉犬召喚に成功した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

社畜日記④

 

「おい、早川はどこだ! まさか定時で帰りやがったのか!?」

「取材です」

「は? あいつが? 嘘つくんじゃねえ」

「えっ!? いや、本当ですって!」

「舐めてんのかてめェ!」

「ええええええ!?」(転職しよ……)




■ナユタ チョコララジア
 2017年秋、マレーシア クアラルンプールのISETANで第1号店をオープン。アジア産のカカオを使用している。美味しい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

再会

 

 

 

 

【side:伏黒恵】

 

 

【じゃあ、私の大脳皮質を蝶結びしてくれませんか】

 

 

 何一つ共感できない代替案により、取引は成立した。

 領域はすでに溶けた。恵が洗面所で二回手を洗って居間に戻った後も、呪霊混じりの男は嬉しそうに結び目を眺めて続けていた。玉犬の牙による負傷を痛がる様子もない。

 

 置き土産ってどういう意味でだ。禪院の顔が好きってそういう意味でか。もうこれ以上は下がることがないだろうと思っていたクソ親父の株が急下降していく。ついでにこんな危険人物を未成年の家に押し付けていった五条悟(あの人)への株も連動して下がっていった。津美紀に直接会わせないで正解だった。

 

 とはいえ得られた情報は有益だった。

 この呪霊は『百鬼夜行の裏で津美紀に術をかけた存在が動いている』と言った。『呪い』ではなく『術』である。短い証言だったが、この情報には想像以上の価値がある。

 呪霊の等級分類は術師に比べアバウトだが、二級と準一級の間には明確な差が存在する。『術式を持っているか否か』だ。

 津美紀の昏睡状態には、最低でも準一級以上の呪霊もしくは術師が関わっている。

 

 

(おまけに「百鬼夜行を企んでる」じゃなく、「裏で動いてる」と言いやがった)

 

 

 新宿京都百鬼夜行の予告は、恵も知らされていた。十二月二十四日は絶対に新宿付近に近づくなと、五条悟(あの人)にしては真面目な様子で厳命されたのだ。

 だが、あの呪霊混じりの男の証言を信じるなら、今回の襲撃の主犯である最悪の呪詛師『夏油傑』は津美紀の昏睡とは関係がない。あるとしても、実行犯ではない。

 恵が考え得るあらゆる可能性よりも、ずっと面倒なことが起きているのだ。一刻も早く大人に相談すべきだ。だというのに肝心の五条悟(あの人)には連絡が取れなくなっていた。ギリギリ日没前だが、百鬼夜行対応で既に帳の中にいるのだろう。副次作用として携帯電波が遮られるのだと、知識として知っていた。

 

 性犯罪未遂呪霊(バカ)を連れて新宿に急行する。流石に帳の中には入れない。周辺を手当たり次第に散策する。

 どうする。どうする。これだけの事件だ。補助監督も複数待機しているはずだ。早く見つけて情報を伝えなければ、手がかりを取り逃がしてしまうかもしれない。恵は五条悟(あの人)以外の呪術師の連絡先を知らなかった。

 

 

【ハロウィン!】

「いい加減離れろ!」

 

 

 腕にしがみつく男をひっぺがす。ベタベタとひっついてくる()()に気づいてから辟易としている。こんなこと知りたくなかった。

 呪霊混じりの居候は、しつこくある方向を指差した。あまり騒がれて注目を集めるのも避けたかったので、仕方なく振り向く。

 

 

【げーーー! このお菓子……草の味がする! ()()()! これ、食べてぇ、………野菜はきらいじゃ……大地の味がするぅ………おい、どこに行った!?】

「……!? おいお前、今なんて言った?」

【んー?】

 

 

 現在進行形で発生している大事件の主犯の名を呼んだのは、黒い三つ編みの少女だった。頭からいくつものツノを生やしている。被り物ではない、本物の異形。バカがそばにひっついていたせいで見落としていた。この女も混ざりものだ。

 そいつは恵たちの存在に気づくと、食べかけの抹茶味のクレープを通行人に押し付けた。

 印を組み、玉犬を呼び出す。日は沈んでいるとはいえ今夜はクリスマスだ。人通りも多い。帳も降りていないこの場所で戦闘を開始すれば、確実に一般人を巻き込むことになる。

 

 

(どうする──!)

 

 

 

 2017年 12月24日 

 京都・新宿百鬼夜行開戦

 新宿南 代々木駅方面 帳外部

 

 

 

 

 いつまで経っても臨戦態勢すらとらない女に、警戒しながら問いかけた。

 

 

「お前は誰の仲間だ?」

【勝ってる方】

 

 

 

 

 

 

 

【side:三輪】

 

 

 京都・新宿百鬼夜行開戦

 同時刻 京都駅 北口方面 帳外部

 

 

 

 

 はねが ふる

 

 ひかりが ふる──

 

 

 呪詛師夏油傑の手札のうち最大の警戒対象である特級仮想怨霊『Angel』が領域を展開した。即座に警備中の術師全員に情報が通達される。京都地区の総責任者である岸辺の指揮のもと、即座に防衛作戦は手際良く進行していく。

 

 呪術師としての経験の浅い三輪にできることはほとんどない。今回の事件対応は領域対策が出来ることが最低条件なのだそうだ。ただでさえ少ない術師の中でも選りすぐりのエリートが集結した。シン・陰流の簡易領域が使用できるということで補助人員として待機していたが、正直場違いだと思う。同じ高専の東堂くんは帳の中に突撃してしまったし、とにかく肩身が狭かった。

 

 

「あのー、岸辺さん。本当に大丈夫なんですか? だって、呪霊なんですよね?」

「三輪、そのリアクションは0点」

「ええー!?」

 

 

 唯一の顔見知りは岸辺さんだけだ。新入りの自分が師範代と仲良くおしゃべりとはなんとも珍妙な状況だが、気まずさには変えられない。隙を見計らって声をかけたというのに、バッサリ切り捨てられてしまった。

 今のはシン・陰流門下生の間で有名な岸辺式採点だ。ミーハーな三輪ははしゃいでいた。

 

 

「いいか、もう一度説明する。絶対に戦闘はするな。『天使』の特級呪霊目当てで来る()()()()()()を監視してる術師達のサポートに徹しろ。具体的には非常時の伝達役」

「……でも、よく取付けられましたね。未確認の特級呪霊の居場所を特定して、接触して、作戦に組み込むなんて。流石伝説の男……! 意味不明! 超ぶっ飛んでます!」

「そうか」

 

 

 ──十二月二十四日、京都における特級呪霊『天使』への三十分の接触を許可する。

 ──2017年が終わるまで、シン・陰流の呪術師への一切の敵対行為を禁ずる。同様にシン・陰流の呪術師側からの敵対行為も禁ずる。

 

 

 師範代たる彼だからこそ結べた大規模な不可侵条約。一般人への攻撃を阻止する縛りまでは結べなかったとぼやいていたが、三輪からすれば何もかもが理解の範疇外で、どう反応すべきか分からなかった。

 単独で秘境に飛び込み、とんでもない相手ととんでもない縛りを結んでとんでもない作戦を実行にこぎつけた。かの伝説ほどの実績と影響力がなければ立案する前に上層部に潰されていただろう。

 

 爆発音が、三輪たちが待機する帳の外部にまで響く。戦闘はすでに始まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:レゼ】

 

 

 2017年 12月24日 日没後

 京都・新宿百鬼夜行開戦

 品川──

 

 

 呪詛師夏油の潜伏先の一つである品川拠点作戦は、つつがなく完了した。一般信者たちの中に呪術師はいない。学生とはいえ呪術師として活動している五人にとっては楽な仕事だった。異変があればすぐに対応できるように一箇所に集めて見張る。形式上だけでも脱会させられないかと、アレやこれやと書類手続きを勧めてみるが、当然進捗は芳しくなかった。主従契約を破棄させる力を持つ呪具自体は存在するらしいけれど、信者全員をカバーできる規模となると現実的ではないそうだ。

 残るは上層部が茶々を入れてこないかの警戒だ。むしろこちらが今回の作戦の本命とも言える。巡回のためレゼ&真希コンビと、棘&パンダコンビでチーム分けをした。中距離型と近距離型で、お互いがカバーしあえる組み合わせだ。

 

 

「いーねさっきの。青春って感じ」

「盗み聞きですか」

「聞こえちゃったのさ。むしろそれとなーく憂太くんと二人きりにしてあげたこと褒めて欲しいな〜」

「殴りますよ」

「満更でもないんじゃん?」

 

 

 憂太くんと真希ちゃんの身の上話はとても初々しく爽やかだった。こっそり見守っていたつもりだがバレたようだ。それほど本気で隠れたわけでもないので適当に茶化す。

 真希ちゃんはそれはそれは刺々しかった。パンダくんが気を遣って私にチーム分け変更打診のハンドサインを送ってくる程度には厳しい対応だ。先輩ということで敬語は使ってくれているが余計に距離を感じてしまう。

 

 

「真希ちゃんさ、私のこと嫌い?」

「……演技くさいんですよ、先輩は」

「そう?」

 

 

 禪院真希は天与呪縛で一般人並みの呪力しか持たない代わりに、常人を遥かに凌ぐ身体能力を持っているらしい。肌感覚まで強化されているのだろうか。

 レゼは白髪の男からの嘲笑を思い出した。

 

 

 ──うわっ、キモ

 ──魂と肉体の動きが一致してないのかな。人間ってそんなこともできるようになるんだ。演技? 生まれつき? それとも訓練で身につくもの?

 ──本っ当、気持ち悪いね!

 

 

 どいつもこいつも、勘が鋭くて困る。悲しそうな表情を浮かべながら、心の内ではどこか冷静な自分が状況を俯瞰していた。

 

 

「──!」

「おう、来たな」

 

 

 打撲音が響く。ゴリゴリと硬いものが削られる音と、液体が床にぶちまけられる音。物騒な気配がどんどん近づいてくる。

 

 本当に上層部が干渉しに来たのか。五条先生はああ言っていたが正直半信半疑だったというのに。ここまでされるのはひょっとすると五条先生が各方面から目の敵にされているのがメインの理由なのではとさえ思う。もっとも、彼がそれだけ嫌われる程の立ち回りをしていなければ、レゼも憂太もこんなに呑気に学校生活を謳歌してはいなかったのだろうけど。

 

 憂太くんと別行動をとって良かった。人を殺す程度、私はどうということはないけど、彼はきっと悲しむから。

 向こうがその気なら遠慮はしない。真希ちゃんは呪具を構え、私は髪を引き抜き呪力を練った。

 

 予想通りの襲撃だった。

 予想通りに帳が降りた。

 予想通りに、人が死んだ。

 

 

「「!?」」

 

 

 想定外だったのは、襲撃犯が上層部からの差金ではなく、呪詛師夏油傑だったことだ。

 見知らぬ術師の死体を乗り越えて、そいつは近づいてきた。

 

 

「君たちは生徒だね。内部抗争とは余裕じゃないか。一瞬私の狙いがバレてたのかと思って焦ったよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 真希ちゃんの奇襲は片手で受け流された。私の追撃も余裕を持って呪力で防がれる。

 操術系の弱点である近接戦でさえ、圧倒的な実力差が存在していた。

 

 

(これが()()呪詛師……!)

「いい術式だ。肉体を媒介にしているのかな。遠距離で使いこなすのには苦労しただろう──まあ、関係ないけどね」

 

 

 無数の蝶が現れる。呪霊操術だ。一匹一匹は大したことがないが、数が多い。たった二人では対処しきれない。

 

 

()()()!」

「棘!」

 

「──命を捧げろ」

 

 

 瞬間、呪霊達が凄まじい威力で爆発した。狗巻棘の呪言で呪霊の動きを鈍らせなければ、あっという間に取り囲まれて致命傷を負っていただろう。ありがたい増援だ。

 

 

「無事か! 真希! 先輩!」

「お前ら何こっち来てんだ!」

「言ってる場合か!? なんで夏油傑がここにいるんだよ!」

「ツナ!」

「素晴らしい! 素晴らしいよ! 仲間のために駆けつけたんだろう!? なんて感動的なんだ!」

「なんだこいつ!?」

 

 

 パンダくんが私を抱えて後方へ退避させてくれた。短く礼を伝えて構え直す。真希ちゃんは自力で避けたようだ。

 前衛二人に合わせて後方から支援する。

 

 

(ダメだ、押し切られる……!)

 

 

 夏油傑は強かった。強すぎた。日本にたった四人しかいない特級術師。五条先生がぶっ飛んだ規格外なら、こいつは()()()()()()()()()()()。勝てるイメージが少しもわかない。分厚い壁を感じる。もっと強力な一手がなければ話にならない。

 

 

「……」

「しゃけ?」

「うん、大丈夫。サポートお願い」

 

 

 思い出せ。最適な動きを、戦い方を。かつて骨の髄まで叩き込まれた、人の殺し方を。

 足の裏に呪力をためて、爆破する。右と左の中指の爪を犠牲に加速して、顔面に飛び蹴りを叩き込んでやった。

 

 

「っ、──!」

「レゼ先輩、近接苦手って言ってなかったっけ!?」

「動き方は今思い出した」

「なにそれ!?」

「けほっ、その武術……軍仕込みかな? 日本のじゃないな……アメリカ……ソ連! あたりだな」

 

 

 肘を爆破する。反動で拳を加速させる。腕がもがれる。都合がいい。後輩ちゃんが慌てている。心配をかけてしまったかな。問題ないと告げて、人体の二十%分の爆破をお見舞いする。

 まだ足りない。あの呪詛師には届かない。中途半端な攻撃は、呪霊の肉壁に阻まれる。

 

 

「あああああああああ!」

 

 

 近づく。近づいてみせる。こいつは今ここで倒さなければならない。

 私が過ごしている『普通の生活』を、きっといくつもの悲劇と奇跡の上に成り立っているこの平穏を、守らなくてはならない。

 私は、この学校に通うためならなんだってする。

 

 

()()()

 

 

 棘くんが喉を潰しながら呪言で呪詛師を足止めする。パンダくんが支え、真希ちゃんが繋ぐ。この隙は絶対に逃さない。絶対に繋げて見せる。

 

 『焔硝呪法』──嘘の生徒として嘘の名前で登録した私の力。爪や髪を媒体に、爆発を起こすことができる術式。もっと効率の良い使い方を、ずっと前から知っていた。肉を、骨を、全ての臓器を代償に捧げ──呪詛師の男に抱きついた。

 

 

 

 

 レゼは、不死身だ。

 頭が潰れようと、腕が吹き飛ぼうと、何もかもを忘れてしまっても、肉体だけがこの世に留まり続けている。

 

 母国語は多分日本語じゃない。目の前の男の推測を信じるなら、ロシア語の方が馴染みがありそうだ。レゼって名前も、しっくりこない。本当はもっと違う名前だった気がする。

 

 憂太くんは怒っていたけど、あのツギハギ男の発言をレゼは否定できなかった。

 

 何もない。何も覚えてない。それらしい演技で取り繕っている。私は嘘ばかりだ。

 そんなの、私が一番よく分かってる。

 

 

 ──学校に通わねえか? ()()がやじゃなきゃだけど。

 

 

 でも、先生が日本語で話しかけてくれたから。レゼと呼んでくれたから私は今ここにいる。そしていつか夢に見ていただろう大切な『普通』手に入れた。

 だから私はレゼを選んだ。これから私はレゼになる。

 

 

 ──自信は、ないや

 ──だから、成功させるんだ。それから手に入れる!

 

 

 私はレゼ。

 みんなと一緒に学校に通ってる、呪術高専のレゼ。

 私は嘘だらけで、こんな楽しい生活に見合っているかなんて分からない。

 だから自信はこれから手に入れる。いつか彼が魅せてくれたように。

 

 

 狙うは呪詛師の首ただ一つ。

 訳の分からない思想を語る悪人に邪魔をされてたまるか。

 

 これは、私たちの青春と矜持をかけた戦いだ。

 

 

「っ、これは、素晴らしいね!」

 

 

 全身を捧げた一撃だ。相手も無傷では済まない。火傷を負った手のひらで、埃を払っている。──油断、している。

 命懸けの一撃を、潰したと思い込んで慢心している。その隙こそが狙いだった。

 レゼは不死身だ。再生した新しい手と足で、呪詛師の後頭部目掛け必殺の一撃を繰り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──なるほど、すでにピンを抜いていたわけだ」

「え?」

 

 

 意識の外からの一撃のはずだった。

 腕が切り落とされる。粘液状の呪霊が腕を、首を、絡めとる。体を動かすことができない。

 不意打ちは不意打ちとして成立していなかった。完全に予測されていた。なぜ。

 

 

「どう……して……」

()()()()()()()()()、私といえど少しはダメージを負っていたかもしれないね」

「な……」

「経験の差というやつだよ」

 

 

 男は無傷だった。

 狗巻棘が切り開き、パンダが支え、禪院真希が繋いだ全ては、容易に潰された。

 巨大な呪霊が現れ、物量で押し切られる。新しく手札を切る程度で、決着のつく勝負だった。

 

 

「私は今猛烈に感動している! 呪術師が呪術師を! 自己を犠牲にしてまで! 慈しみ! 敬う! 私の望む世界が! 今ここにある!」

 

 

 ()()呪詛師。

 知恵を巡らせ、創意工夫を重ね、完璧な連携で挑み、命を捧げた程度では埋められない圧倒的な差が、そこにはあった。

 

 

「──さて、次は本命だな」

 

 

 狂気じみた演説は、次の瞬間には消え失せた。表情の抜け落ちた顔で足をすすめる。

 私たちが男の独り言を聞くことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 補助監督たちの死体に手を合わせ終わると、その女性は静かに門を潜った。

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:乙骨憂太】

 

 

 

「遅いな……」

 

 

 正体不明の帳が降りるや否や、一緒に待機してたパンダと狗巻くんは飛び出していった。お前はここで待っていろと、憂太に強く言いつけて。誰かが信者の人たちを見張っていなければならない。それに一度は納得した。

 

 

 ──爆発音が響く。

 

 

 何が起きているのだろう。

 ただ待つというのは、もどかしい。

 

 

 信じている。

 

 

 ──ねえ、憂太くん。お願いがあるの。

 

 

 信じている。

 

 

 ──もし、命がけで戦わなきゃいけないぐらいのことがあったら、

 

 

 信じている。

 

 

 ──私のこと、見ないで。

 

 

 別れる前のやりとりを思い出す。

 どうして、レゼ先輩はあんな顔をしていたのだろう。

 

 

 

 

「やあ!」

「は……?」

 

 

 帰ってきたのは、友達でも、先輩でも、上層部の人たちでもなかった。

 夏油傑──今、新宿で先生たちと戦っているはずの呪詛師だった。

 

 

「えっ、な、どうして……」

「ああ、ここにいたのが分かった理由? 君たちに落ち度はないよ。残穢の処理は完璧だった。でも残穢以外にも人間の痕跡はたくさんあるものだ。何のために宣戦布告をして、君と接触したと思う?」

 

 

 夏油傑は一匹の呪霊を憂太に見せつけた。憂太の匂いを覚えさせたのだと、追跡手段について解説を続ける。

 

 

「今回の百鬼夜行とか全部ね、君に憑いてる『祈本里香』を奪うためのブラフだよ。本当に申し訳ない。呪術界の未来のために死んでくれ」

「……みんなは、」

「心配しなくていい。私は呪術師は殺さないよ。()()()()()()()()()()

「──そうか」

 

 

 呪詛師からは、血の香りがした。

 

 狗巻くん、パンダ、レゼ先輩。

 

 ──真希さん。

 たくさん苦労してきた筈なのに、何でもないように笑った人。呪霊が見えないからと落ちこぼれ扱いをしてきた実家を見返してやるんだと、強くまっすぐ立ち続けていた人。

 ああなりたいと、憧れた。

 

 それを、こいつは、この男は、二度も侮辱し傷つけた。

 

 部屋の壁に亀裂が走る。信者の人たちが逃げ惑う。柱が、天井が、音を立てて剥がれていく。

 

 

 ──怒りを制御しなさい。そうすれば、憂太に怖いものはないよ。

 

 

 これは、どんな映画を見ても抱けなかった感情だ。だってどの作品も僕の大切なものを傷つけたわけじゃない。どうしてこんなものを見せられているのだろうとずっと困惑していた。

 

 今なら、わかる。

 先生は間違っていなかった。

 

 僕は、こいつをぐちゃぐちゃにしたい。

 

 かつて五条悟が死の淵で掴んだように、呪力の核心を知覚する。

 激情こそが乙骨憂太のトリガーだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:夏油傑】

 

 

 想定よりも多く配備されていた呪術師を手早く処理しながら、哀愁に浸る。

 

 決別の日から、十年が経った。

 猿は嫌い。非術師は皆殺し。術師だけの優しい世界を作ってみせる。

 夏油傑は選んだ本音通りの大人になった。

 

 

 新宿京都百鬼夜行。勝てるかどうかは五分五分だった。

 ミゲルに25万年分の寿命武器を与え、京都で『天使』の領域を展開し、一般人から寿命を補充する。

 ミゲルは強い。夏油傑をして、五条悟の足止めが可能だと判断させる程に。運が良ければ撃破すら可能だと踏んでいた。

 

 だが、まだ足りない。

 

 五条悟は、死の淵まで追い詰めれば必ず強くなって帰ってくる男だ。その理不尽さを、私は誰より近くで見てきたのだ。殺せば、必ずそれ以上の暴力を以ってねじ伏せられることとなる。

 

 

(一対一の戦いにおいて、君に勝てる者はいないだろうね)

 

 

 五条悟は最強なのだから。

 だが、私たちが今しているのは多数対多数の戦争だ。勝ち筋ならばいくらでもある。いくらあいつが強くとも、たった一人では複数の場所を同時に守ることはできない。

 五条悟という戦力が、新宿や京都という小さな戦場で勝ったところで、大局的な勝利は手に入らない。

 

 そしてそれは夏油とて同じ。

 途方もない夢を叶えるために、夏油傑は馬鹿みたいな戦争(ブラフ)を仕掛けたのだ。

 仮の目的を与えてやる。そうして相手を都合よく動かしてやる。学生時代は常に迎撃する側だった。まさか将来襲撃を仕掛ける側の経験として活かされることにとは思わなかった。

 片方の目的は既に果たしている。あとは呪いの女王たる『祈本里香(無限のエネルギー)』が手に入れば、もはや悟すら障害にならない。私の夢は目前だ。

 

 

「まさか、千年分の寿命武器が容易く破壊されるとは思わなかった。是非手に入れたい」

「ぐちゃぐちゃにしてやる」

 

 

 乙骨憂太は激昂した。抜刀し、かつてリコに向けたように今度は夏油に殺意を向ける。

 経験の少なさを補って余る呪力量。格闘センスも悪くない。迷いもなく判断が早いのも素晴らしい。

 

 だが夏油と戦うにはまだ足りない。

 

 例えば、位置取り。

 例えば、フェイントの掛け方。

 場所を変えて正解だった。彼は攻めあぐねている。コントロールを放棄した単純な呪力でごり押しするには、彼の大切なお友達が近すぎる。

 

 

「素晴らしい。君は今、呪術師の友人を心配しているね? 巻き込まないように手加減している。ああ、本当に素晴らしい。これこそ私の求める世界だよ」

「黙れ」

 

 

 変幻自在の無限の呪力が練り上げられていく。あれをまともに受ければ、特級術師である己とてただではすむまい。祈本里香の全力は既に目撃している。警戒するに越したことはない。だから、馬鹿正直に受けてなんかやらない。

 

 

「だけどね、私の理想の世界にこの猿は不要なんだ」

 

 

 乙骨憂太と夏油の間に、呪霊が割り込む、牙の隙間から血が滴る。意識を失った禪院の落ちこぼれの(さる)だ。

 振り下ろされかけていた刀が止まる。自力では間に合わなかったのだろう。祈本里香に物理的に止めさせていた。

 

 

「っ──!」

「おや、止めるのかい? そのやり方は肉体への負担が大きいから控えたほうがいいよ」

「真希さんに触るな」

 

 

 乙骨憂太の判断は早かった。呪霊に突撃し、人質を奪還する。あの猿にそこまでする価値は夏油には見出せないが、鮮やかな手際には百点満点を与えたくなった。

 ごほうびだ。二級呪霊を呼び出し、命令を下す。術式を持っていないだけで呪力量だけは段違いのそいつに命令を下す。

 

 

「──命を捧げろ」

「里香っ、守れ!」

 

 

 もう遅い。

 巨大な呪力が、呪霊の命そのものと引き換えにさらに数十倍に膨れ上がり弾けた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。貫通力に特化した、暗殺特化の戦術だ。

 乙骨憂太は強い。だが対人戦闘の経験が足りなさすぎた。不意打ち、騙し、フェイント、嘘、人質──意地の悪い戦い方を知らない。

 

 

「……?」

 

 

 煙がはれる。目の前に広がる赤。広がる血と臓物が、逆再生で元に戻っていく。ありえない現象なのに、懐かしくてたまらない。

 

 

 

 

 

「──よかった」

 

 

 

 

 

 

 スーツ姿の女性が、乙骨憂太たちの肉壁になっていた。

 

 

「君たちが頑張ってくれたおかげで、定時退社で間に合った。うちの会社の偉い人たち、急用で有給取らせてくれないんだもん」

 

 

 夏油傑は知っている。目の前のスーツ姿の女の正体を。

 人のふりをして、人のように生きている。日本で唯一、人間に対して友好的だと認定を受けた呪霊にして、社会に適合した成功例。五条悟、家入硝子に並ぶかつての学友──

 

 

「誰ですか……?」

「君と話がしたくて。まずは好きな子の名前を教えてくれる?」

「──早川那由多!」

 

 

 忘れるわけがない。

 あの頃と寸分違わぬ潜め眉で、彼女は立ち塞がった。

 

 

「久しぶりじゃないか。何をしにきた?」

()()

 

 

 

 




1000人の虎杖悠仁
25万年分の呪具
1000万体の呪霊

クソデカ呪術廻戦



【キャラ紹介】
岸辺さん
 シン・陰流の伝説の師範代
 このクロスオーバーのMVP。デンジを呪術師の世界から遠ざけたり、ナユタを高専に通わせる手伝いをしたり、幼少期の五条悟の武術指導をしたり、天元支配未遂騒動の後始末をしたり、シン・陰流の後進指導をしたり、特級呪霊のコミュニティに単身踏み込んだり、ニャンボちゃんの体調不良にショックを受けたり、死ぬほど忙しい日々を送っている。引退したいけど若者が死ぬのを見る方が辛いのでまだ現役をやっている。

三輪ちゃん
 シン・陰流の期待の新人
 岸辺に対して、口に傷があるしピアス開けまくりだし何考えてるかよくわからないしシン・陰流の先輩はみんな恐れ敬ってるしで最初は怖がっていたが、携帯の待受がニャンボちゃんなことに気づいてから爆速で打ち解けた。良い子。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

兄・妹・チェンソー

 

 

 

 

【side:夏油傑】

 

 

「誰ですか……?」

「君と話がしたくて。まずは好きな子の名前を教えてくれる?」

「──早川那由多!」

「は……へ……? 好きな子……? なゆた……早川先生の妹!?」

「私のこと、知ってたの?」

「はい、美味しそうなチョコの名前だって」

「どんな紹介?」

「久しぶりじゃないか。何をしにきた?」

「取材」

 

 

 シャツにズボン。チェスターコートを羽織り、長い黒髪を後ろで一つに纏めている。服装は違えど、呪力は変わらない。見間違えるはずがなかった。

 写真にも映るし食事も好む。代謝機能まで備えている。特級呪霊にして呪術師にして社会人、例外中の例外の元学友──早川那由多は、夏油から視線を外さず警戒を続けたまま乙骨憂太に話しかけた。

 

 

「私の上司曰く──『取材には相手への敬意がなくてはならない』。観察だけで記事を書いても意味がないらしいの。聞く側に『私』を認識してもらわなければならない。そうじゃなきゃ失礼なんだって」

 

 

 那由多の腕が呪霊に噛みちぎられて弾け飛ぶ。即座に再生する。相変わらず馬鹿げた不死身具合だ。

 

 

「私はずっと君を見ていた。でも、それは取材じゃないと叱られてしまってね。だから君の好きな人の名前から順番に、君の口から直接聞かせてほしいの」

「今はそんなことをしている場合じゃないんです」

「だめ?」

「助けてくださってありがとうございます。でも、退いてください」

「私はどかない。お友達を助けるのが先でしょ?」

「……!」

 

 

 乙骨憂太の判断は早かった。反転術式を使う気らしい。急所は避けてあるので、今から治療すれば死にはしないだろう。

 

 

「もっとたくさん助けてあげる。代わりに、後で話を聞かせてね」

 

 

 戦線を離脱する乙骨憂太の背を見送る。どうせ逃げられないのだ。術師の出入りに制限をかける帳をこの施設全体に降ろしている。

 それよりも問題は目の前の相手だ。条件指定をすり抜け帳の中に侵入した人型の呪霊。

 

 

「呪術師を辞めたって聞いたけど」

「辞めたも何も、進学しただけだよ。今は記者をしてるの」

「高専を出たくせに非術師(さる)に混じって一般企業に就職するなんて珍種だよ」

「別に呪術師が嫌だったわけじゃない。楽しかったよ。人助けも、悟くんと硝子ちゃんと傑くんとの学園生活も」

「私もだよ。だがそれを上回る()()があるのさ」

「じゃあ、私は憧れかな。記者の仕事は呪術師より楽しそうだったから」

 

 

 手加減は不要だ。仮に乙骨憂太を始末したとして、特級過呪怨霊『祈本里香』と主従関係を結ぶ前にこいつの支配術式に割り込まれてはたまったものではない。

 

 私も彼女も、すでに自分の本音は選んでいる。

 呪力を練る。呪霊をけしかける。

 那由多は迫り来る有象無象を指さして迎撃した。

 

 壁が割れた。那由多は中庭に突っ込んだ。迷わず追撃する。それは、いつかの模擬戦の再演だった。

 呪霊が那由多の四肢を噛みちぎる。負傷を厭わず、那由多が手を添える。支配術式を使用している。──だが何も起きない。支配権は以前変わらず、夏油の優位は揺らがない。

 

 

「君、弱くなったな」

「傑くんは強くなったね」

 

 

 かつて薨星宮で見せつけた力は見る影もない。

 支配の力は見下した相手にしか使えない。適切な教育と、人間社会での長い生活が、彼女を無害化させていた。相性上は優位なはずの呪霊操術から、支配権すら奪えない。虫や鳥、ネズミを特攻させる程度では呪霊の軍団に傷一つつけられない。冥さんの黒鳥操術のような出力すら、今の早川那由多は発揮できていなかった。

 呪霊に噛みちぎられた肉体が再生する。不死身性による肉壁としての立ち回りだけが彼女に残された手札だった。

 正直、単純な強さだけならここに来るまでに遭遇した高専の生徒たちが上だ。だが武器人間と違い、彼女の復活には物理的なトリガーが存在しない。ゴキブリのようにしつこく蘇って、足止めを仕掛けてくる。

 

 

「悟くんは、あれから七回死にかけて七回復活して勝てる気がしないくらい強くなっちゃったよ」

「あいつまだそんなサイヤ人みたいな生態やってるのか」

「あれに殺される前に、やめない?」

「やめない。足止めの策くらい立てたさ。信頼できる家族に25万年分の寿命武器を持たせてある」

「……馬鹿なの?」

「女子には分からないかなあ、こういうロマンは」

「それも職場でやったらセクハラだからね」

「えー」

 

 

 肉体は再生しても、衣服や器物は元に戻らない。服は血と泥にまみれ、髪留めも既に外れている。腕時計も文字盤ごと破壊した。

 一方の夏油は、ほぼ無傷である。数少ない負傷も、レゼという少女と乙骨憂太によるもので、那由多からの攻撃の痕はない。

 

 

「時間稼ぎが目的ならもう少し隠しなよ。そう何度も時計を確認するんじゃない」

「いや、早く戻らないと、上司に怒られちゃうから……トイレに行くふりをして、定時で抜けてきたから……」

「本当に何をしているんだ」

 

 

 それは俗に言うブラック企業というやつではないのか。高校退学後、新興宗教の教祖にジョブチェンジを果たした夏油はまともな進学と就職を経ていない。それでも、彼女の職場の労働環境があまり良くないことは察せられた。

 

 

「まったく、猿にいいように使われて喜ぶ君の気持ちが分からないね」

「喜んではないかな」

「ほう。では何故?」

「社会人だから。自立しなきゃ。もうデンジに金銭的な負担かけられないし。ちゃんと税金も払ってるし毎年選挙にも行ってるよ」

「呪霊のくせにやりたい放題だな」

「国民の義務を果たしてるだけだよ。傑くんこそどうなの」

「宗教法人は原則非課税なのさ」

 

 

 軽口の応酬は、十年のブランクを感じさせない。

 

 

「しかし、君が社畜になるとは思わなかった。再会を祝して、その職場私がめちゃくちゃにしてあげようか」

「やだよ。どこかの誰かさんのせいでもう悪い呪霊にはなれないんだもん」

「そんな約束覚えてないな」

「律儀にチュッパチャプス返してくれた奴がよく言うよね」

 

 

 那由多は下腹部に手を添えた。

 

 

【領域──】

「おっと、それは無しだ。面倒すぎる」

 

 

 呪霊の牙で腕をもぎ取り、咀嚼させる。

 領域展開が出来ると知っている相手を前にして、流石に掌印を結ばせるほどの隙は与えない。

 

 那由多は不死身だ。彼女にとって死は終わりではない。彼女を止めるのは難しい。

 だが夏油は呪霊操術の使い手だ。どれだけ人間に友好的であろうと呪霊は呪霊。私の力で取り込める。そうすれば二度と反逆を起こされることはない。それがどういうことなのか、意味は理解しているつもりだ。彼女も負ければどうなるか知った上でここまでやってきた。

 肉体の再生が鈍い。甲虫型の呪霊に拘束され、抜け出せないでいる。

 

 

「……詰みだな。何か、言い残すことは?」

 

 

 那由多は無言で指を刺す。悪あがきかと思い迎撃の準備をしたが──ふと、手を下ろした。穏やかな顔で微笑んでいる。

 

 

「何を……?」

 

 

 乙骨憂太はまだ遠い。反転術式を使用して、大切なお仲間の救出に勤しんでいる。加勢は来ない。

 だが、諦めたわけではないだろう。早川那由多は欲張りな女だ。生存を諦めるような奴ではない。

 在学中はついぞ一度も聞くことのなかったその言葉を、早川那由多は呟いた。

 

 

「──たすけて、お兄ちゃん」

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:早川デンジ】

 

 

 2017年 12月24日

 新宿。

 

 

「大変です、五条さん! 帳の! 外に!」

 

 

 硬直状態が続く中、伊地知が慌てた様子で報告をする。

 

 

「避難区域外で、呪霊が暴れてます! 一般人を巻き込んで、大混乱が発生しています!」

「へえ、そう来たか」

 

 

 五条悟は冷静だった。

 そもそも、夏油傑が百鬼夜行を宣戦布告した理由は、縛りのためだと予想されていた。千の呪霊を二箇所に同時展開するためには凄まじい出力と呪力制御が求められる。だから時間と規模を事前に予告したという理屈だ。──それが、外れた。向こうの方が一枚上手だったらしい。

 

 補助監督からの報告を受け、指示があるまで待機する。

 新宿のビルの屋上で、デンジはこれから戦場になる場所を見下ろしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 デンジには夢が沢山ある。そのうちの一つが、かつて自分の相棒だった血の呪霊『パワー』との再会だった。途方もないことだ。

 呪霊は何度でも生まれ変わる。死ぬたびに、地獄と呼ばれる場所と、現世を行き来する。迎えにいくことも考えたが、地獄の呪霊を利用するには人間の生贄が必要だ。そうまでするのはちょっと気まずい。というか再会を素直に喜べなくなる気がするのでやめた。

 仮に再会できたとしても、課題は山積みだ。凶悪かつ最低最悪の血の呪霊を、どうにか愛しい相棒にまで戻さなければならない。

 一人で出来るだろうか? パワーは、やばい。ナユタ一人ですら手一杯で、うまく面倒を見切れていない今の自分がアイツと再会したとして、ちゃんと約束を果たせるだろうか。無理な気がした。アキは偉大だ。アキがやっていたように──今度はアキ抜きで、パワーをパワーに戻さなければいけない。

 どうすればいいか。いろいろな人に相談して、いろいろなものを見た。

 

 都合の良い方法なんて思いつかなかった。だから考えて考えて──

 

 

 

 

 

 教育学部を卒業する。早川デンジは社会人になった。

 

 何かになりたくてこの道を選んだわけではない。むしろ何も分からなかったから教育学部に進学した。かつての生徒から将来の夢を聞かれた時も、次世代を育てるのだというしっかりした夢を持っていた後輩と会話した時も、微妙に居心地が悪かったのを覚えている。

 

 大人になって、出来ることがどんどん増えて、やらなければいけないこともずっと増えた。

 ナユタがちゃんと育っていることに気づけず、不安にさせてしまったことすらある。先生も、お兄ちゃんも、俺にはとても難しい。

 

 頑張ってはいるつもりだ。ちゃんと成長できているだろうか。もしも今のデンジをアキが見たら、何と言うだろう。

 

 遠い昔。アキとパワーと過ごした日々が、ただのデンジを早川デンジにした。デンジはもう、あのころのアキより一回りは年上だ。

 

 

「あいつらにとっての夏油傑が、俺んとってのマキマさんでアキか……あのガキがなあ………俺も年取ったなあ……」

 

 

 呪霊の影に潜む子供を見つけてしまった。リコを名乗る血の呪霊と、夏油傑らと共に宣戦布告に来ていた女子高生たちだ。年齢は十五程度か。奇しくも、デンジがマキマさんやアキたちと出会った年齢と同じ年頃だった。

 

 

「やっぱ責任感じちゃうよなぁ〜」

 

 

 夏油傑は(ナユタ)の同級生である。ナユタの友達になってくれた子供。礼儀正しく真面目で、デンジも何度も顔を合わせている。

 

 アキに、少しだけ似ていると思った。

 真面目で、面倒見が良くて、責任感が強くて、身内に甘くて、他人のために頑張ることができる。

 よく見れば全然違うのに、面影を見てしまうのだ。

 

 彼が一般人を虐殺し呪詛師になったと聞いた時、信じられなかった。

 夏油傑はいい奴だった。なのにおかしくなってしまった。多分、真面目すぎたのだ。

 生徒からはデリカシー無し男などと罵倒されるデンジだが、これで案外繊細なのだ。時々食欲が失せることさえある。具体的には夏みかんや油そばを目の前にした時だ。平然と替え玉を注文する悟を見て、メンタル強え〜……と慄いた経験は数知れず。

 

 

「自惚れてるわけじゃねえよ? でも、あん時俺ァ間違いなくあいつを止められるかもしれない立場にいただろうなと思って、結構引きずってたワケよ」

 

 

 誰に伝えるでもなく独白を続ける。

 デンジは食べることが好きだ。なのに、夏油が今もどこかで悪いことをしていると思うと、罪悪感やら焦燥感やらで美味い飯を美味いと感じられない瞬間がある。そいつは良くない。

 

 

「だから考えたんだよ。どうやったらあいつを止められるかって。考えて考えて──思いついた。」

 

 

 顎に手を当てて、ピンと指を伸ばす。

 早川デンジは最高にワルな顔をしていた。

 

 

「今からお前らを人質に取る」

「は?」「なに言って……」

 

 

 制服を着た少女たち──美々子と奈々子は、何が起きたか理解していなかった。

 スターターを引っ張り、チェンソーマンに変身する。金髪の方のガキを抱えてビルを駆け下りる。衝撃で取り落とされたスマートフォンがアスファルトにぶつかり、割れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:五条悟】

 

 

「キャアアアアア!?」

「奈々子!?」

 

 

 硬直状態を打ち破ったのは、早パイだった。序盤は血を節約すると宣言したくせに、早速チェンソーマンに変身している。回転する刃の隙間から、痛々しい液体がこぼれ落ちている。

 

 

「じゃあさあ! 俺、今から夏油んとこ行っから!」

「待っ、まって!」

「オラァ! どけぇ! こいつを殺されたくなかったらよォ! ぎゃーっはっはっは!」

「そんなことで我々が手を緩めるとでも?」

「ん〜〜〜、憂太が暴れてた時、夏油傑はこいつら庇ってたぜ。大事なんだろぉ?」

 

 

 お前は平気でも、あいつはどうだろな。

 

 

「……!」

 

 

 早パイは、呪詛師の女の発言を一蹴した。素直に上手いと思った。相手の動きが一瞬止まる。

 あの男の真に恐るべき点は、不死身さでも戦闘力でもない。

 観察眼である。

 粗暴な言動とは裏腹に、勝機に繋がる手掛かりを決して見落としはしない。

 夏油傑の率いる組織は団結力はあるが、人間である以上それぞれに意思があり思惑がある。その内情をあの短期間で把握したのだ。何をしでかすか分からない男が、何もかもを観察している。相手にとってこれほど恐ろしいことはない。

 早パイの予想はおそらく正しいし、夏油傑本人が不在という答え合わせが出来ない状況が十二分すぎる時間を稼いでくれた。

 呪詛師共も馬鹿じゃない。すぐに頭を切り替えて攻撃をしてくるだろう。だがあの困惑は戦場において致命的な隙だ。

 

 

「待っ──!」

「ぎゃーっはっはっはっはぁ! じゃあな!」

 

 

 即断即決、無茶苦茶かつクレバーに。これが呪霊が恐れる百点満点のネジの外れ方である。

 壁を、ビルを踏み台に、縦横無尽に駆け回る。チェンソーを振り上げる。

 早パイは、そのまま帳の外へ飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 帳を解く。もはや意味を成していなかったからだ。外は、伊地知の報告通りそりゃあもうひどい状況だった。呪霊を人間に受肉させでもしたのか、実体を持つ異形があちらこちらで暴れ回っている。新宿駅周辺を隔離していた意味がないくらいの惨状だ。やりすぎだろと、脳内に思い浮かべた特徴的な前髪の戦犯にヤジを飛ばすがどこ吹く風だ。

 

 

「待て! 奈々子を……離せ!」

 

 

 黒髪の制服姿の少女が人質をとりデンジを呼び止めた。呪詛返しならぬ人質作戦返し。拘束されているのは、呪力のほとんどない一般人の女だった。年は四十くらいだろうか。

 面識はない。だがその顔を悟は知っていた。

 

 

「美々子!」

「あー……」

「いいから! 返せ! どうせ一般人は傷つけられないんでしょ……!」

「んーっとぉ……流石にこれで死なれると寝覚が悪ぃからさあ……」

「なら、さっさと奈々子を!」

「殺すのは無しな!」

 

 

 デンジが話しかけていたのは、呪詛師の少女ではなかった。

 

 

「あ、あのぉ、貴女、この騒ぎの犯人です、よね……?」

「猿が喋るな!」

 

 

 人質の女は、それを返答とみなしたらしい。そのまま思い切り──少女の爪先を踏み潰した。

 

 

「ッづァ!?」

「おお〜」

 

 

 脛と膝に続けて二撃。鮮やかな手際に思わず感嘆をあげる。拘束が緩んだ隙に手首を捻り脱出し、肩から下げていたサイドバッグの紐で首を絞め返していた。

 完全に形勢は逆転していた。

 

 

「がっ、あ゛、あぁっ……!」

「美々子!? お前ら、美々子を! ふざけんな!」

「ストップストップストップゥ! そいつ十五歳だってさぁ!」

「へ……? はあ……きゃああああ!?」

 

 

 

 女は、そばを通った呪霊に腰を抜かしていた。へなへなと崩れ落ちる。なんでテロリストの呪詛師は平気で雑魚呪霊がダメなんだよ。意味分かんない。ウケる。

 

 

「……早パイさあ、お相手は一般人って聞いてたんだけど?」

「一般人だよなァ」

「どうしてごんなっ、ご、あぁっ、あああ………」

「電話するまで新宿に来んなっつったじゃん」

「お、お、お父さっ……父の……デイケア施設の送迎があってえ……」

「お前まだんなことしてんのぉ……」

 

 

 彼女の名は東山コベニ。早パイが八時までに百鬼夜行を終わらせると宣言した理由である。

 これで一般人名乗るのは無理でしょ。ゴリゴリの天与呪縛の武闘派女じゃん。真希よりもアングラな、人殺しに特化した体捌きに悟は学生時代戦った男を思い出した。

 

 

「さっさと那由多のところ行けば」

「お〜そうするわ」

「行カセルト思ウノカ?」

「きょっ!? きゃ、は!? 何!? なんでえ!!」

 

 

 早パイとコベニとかいう女を逃しながら、振り下ろされた呪具を無下限で防ぐ。ジリジリと術式が削られていく。掌に焼けるような痛みが走る。発生している現象自体は、祈本里香の攻撃を受けた時と同じ。単純に呪力スケールが大きくて、無限で情報を処理しきれていないのだ。

 ──強い。

 あれは、僕でなければ対処しきれない。不死身だが火力に欠ける早パイでは相性が悪すぎる。

 夏油傑は、千の呪いを千の特級呪具で武装させるのではなく、ただ一つの究極の武装を最も信頼できる仲間に預けていた。秘められた命は、千か、万か、それとも──

 

 

(面倒そうな術式もいくつか付与されてるな。ったく、どいつもこいつもあの手この手で無下限術式対策しやがって。モテる男は困るね)

 

 

 まあ、大抵の困難は一週間地獄に閉じ込められた挙句闇の()()と遭遇した時に比べれば些細なことだ。根本からちぎれた指を、即座に反転術式で再生させる。

 

 夜蛾の指揮の下、呪術師たちが呪霊の各個撃破のため動いていく。呪詛師拘束よりも、一般人の被害を抑える方針にシフトしたらしい。僕もさっさとこのボビーオロゴンもどきを処理しなければ。こいつが、新宿に来た夏油一派の最高戦力だ。

 二撃目の攻撃を防ぐ。六眼に再生妨害の術式が映った。さっきは付与されていなかったので、何か条件がありそうだ。両目に巻いていた包帯を外し、無下限術式の出力を上げる準備を整える。

 

 

「ドウシタ特級、反撃シナイノカ?」

「調子に乗るなよ。この僕を足止めできると思い上がってる、お前の根性に驚いてたのさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:夏油傑】

 

 

「──たすけて、お兄ちゃん」

 

「ぎゃーっははっはっはァ!!!!!!!!」

 

 

 

 

 異形の顎門。血と臓物とモーター音があたり一体を覆い尽くす。

 帳を突き破り、その異形は降り立った。

 

 

 

「──助けにきたぜ、ナユタァァァァ!」

 

 

 

 即座に那由多を始末するために手を伸ばし──直前で止まる。

 

 

「夏油様!」

「っ、!?」

 

 

 奈々子が人質に取られていたのだ。

 

 

「大切な子を傷つけられたくなかったらあ! 大人しくするんだなぁ!」

「ヒーローの風上にもおけないな……!」

「テロリストに言われたかねえんだよ! 投降しろ投降〜!」

 

 

 ぎちぎちと肉を挟みながら回転するチェーン。

 モーター音をかき鳴らし、不敵な笑みを浮かべる。

 

 

「そんじゃまあ──()()()()()()()()()()!」

 

 

 早川デンジ。

 不死身のヒーローチェンソーマン。

 かつて憧れた姿が、夏油の前に立ち塞がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:伏黒恵】

 

 

 時は、少しだけ遡る。

 

 

【ハロウィン!】

【ハロ……ウィン……? ガハハハハハ! 知っておるぞ! ワシの領地じゃ! 別荘をいくつも持っておった!】

 

 

 ツノを生やした女は、血を凝固させ金槌を形成すると迷わず恵の頭部に振り下ろした。判断の速さは脅威だが、体術に長けているわけではなさそうだ。余裕を持って回避する。

 無下限もどきに、赤血操術もどき。この調子ではいつか己の十種影法術もどきを使う呪霊も出てきそうだ。御三家はやばい、と心底からぼやく五条悟(あの人)の発言はあながち間違っていないのかもしれない。

 玉犬に加え、蝦蟇を呼び出し拘束を試みる。うげえ、と舌を出して身を捩り抵抗する。肌から新たに生み出された刃が、舌を切り裂いた。

 

 

【変態じゃこいつ! どっか行け!】

【ハロウィン?】

「待て!」

【ハロウィン!】

 

 

 拘束が難しいなら、血を多く使わせて消耗を狙うか、意識を奪うかだ。津美紀を救う手がかりを逃すという選択肢はない。背を向けて逃げ出した女に向け、玉犬に攻撃命令を下す。

 

 

 

 

 

「にゃー」

 

 

 

 

 

 道の真ん中に置かれた黒いカバンの中から鳴き声が響いた。猫だ。檻の隙間から、白地に黒の斑模様が見える。毛質は柔らかく、赤い首輪をつけていた。

 

 

【ニャーコ……?】

 

 

 少女は足を止め、急カーブする。覆い被さるようにして、玉犬の爪から猫を庇う。ばっくりと背中が割れ、赤い血が滴り落ちた。喉が潰れたような悲鳴が上がる。

 

 

「?!」

【痛い痛い痛い! 何をする貴様ァ!】

「それを……庇ったのか……?」

【はー? 何を言うておる……たかが猫じゃろ……】

 

 

 その、たかが猫のために大怪我を負った女は不思議そうな顔を浮かべていた。

 玉犬に待機命令を出す。流血沙汰に気がついた通行人がざわつき始めた。スマホを取り出している奴もいる。刺さる視線を無視して女に近づく。警察や救急車を呼ばれたら面倒なので、場所を移動しなければならない。

 浅く呼吸を繰り返す呪霊混じりの少女は、朦朧とする意識の中でカゴの中の猫に触れていた。猫も、少女から流れる血を舐め寄り添っている。

 恵の中の敵意はほぼ消失していた。多分、こいつは津美紀を襲った犯人ではない。ハロウィン野郎の例を見るに、彼女にも情状酌量の余地があるかもしれない。事態が収束次第五条先生に連絡を取って──

 

 

(……いや、待て)

 

 

 ふと違和感に気づく。おかしくないか?

 この猫はこの女にとっての明らかなウィークポイントだ。そんなのが、どうして、カバンの中に檻ごと雑に詰められた状態で道に放置されて──

 

 

【──どうしたら君が嫌がるだろうって考えたんだ】

 

 

 第三者が、現れる。

 

 

【それがさあ、全っ然ダメ! このツノ馬鹿女、すぐ記憶を都合よく歪めるんだもん。普通に殺しても、俺の気は晴れない】

【誰じゃ……ウヌなど知らん……】

【ほらこれだ】

 

 

 白髪で、顔にツギハギの痕がついている。目立つ容姿をしているのに、通行人は誰一人この男の存在に気づかない。

 

 

【お前は無敵だったけど──調子に乗りすぎ。怖いものがないんじゃなくて、怖さをまだ知らないだけだったのにさ。だから勘違いして、引き際を見誤るんだよ】

 

 

 自分の魂の形だけではない。他人の魂の形を弄ぶことこそが、己の在り方の本質だと、人型の呪霊は語る。手のひらで少女の顎を掴む。

 

 

【──()()()()

【        え  ぁ  】

 

 

 少女の体が形を変える。

 肥大化した肉が、ねじれ、絡まり、変色し、意味の無い音を発する。合成映像のような変化に、一瞬何が起きたのか理解できなかった。

 

 

「は……!?」

【あ    ぁああああ  ぁああ゛】

【いえーい! 大成功! ほーら、ご飯だよ! 口開けろ】

 

 

 ツギハギ男が猫の入った籠を片手で掴み、高く放り投げる。肉塊が、粘液の糸を引きながら大きく口を開けた。

 

 

【ぁ    あああ   ?】

「にゃあ」

 

 

 猫が、肉に飲み込まれる。

 あの少女が、身を挺して守ろうとした存在の声が途切れる。

 新宿に意味のない鈍い音が響く。今何を飲み込んだのか、飲み込んでしまったのか、理解しないままに。うごめいている。

 ゲラゲラと、嘲笑う声が響く。

 

 

【あー、楽しかった! 健気でかわいいね。よく噛めよ】

「お前、は」

【ねえ、君たち術師でしょ。ちゃんと呪霊は退治しないとダメじゃん。何和解ムード出してんだよ】

 

 

 さっき少女に向けた問いは、この相手には不要だ。

 ──こいつは、敵だ。

 

 悲鳴が上がる。野次馬をしていた通行人たちが、道路の真ん中に突如現れた異形に腰を抜かして逃げていく。血を流して倒れる。変異し、別の通行人を襲い出す。恐慌状態が連鎖する。

 人が多すぎる。恵にこんな場所での戦闘経験はない。最善の戦法が分からない。帳は降ろすべきか。いや、そもそもあれには掌印と詠唱が必須だ。十種影法術で両手を使う自分に、あれを降ろす余裕はない。

 

 

【じゃ、第二ラウンド、はじめよっか】

 

 

 ツギハギの呪霊が嗤った。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ビーム・ビーム・ビーム

 

 

 

 

【side:東堂葵】

 

 

 新宿・京都百鬼夜行

 京都駅 大階段

 

 

 東堂葵は、一級呪霊どもを薙ぎ倒した先でとうとう目当ての特級呪霊に遭遇した。

 穏やかな光景に反し、生得領域に付与された術式は殺意に溢れている。第一波に巻き込まれた人々はすでに息絶えていた。

 これがかつて、あの五条悟から寿命を奪った海外指定の特級仮想怨霊の実力か。なるほど凄まじい出力だ。簡易領域がなければ、己もすでに事切れていただろう。

 

 

【――百年】

 

 

 『天使』の脅威は寿命を吸い上げるだけではなかった。光の輪から、寿命武器が顕れる。

 たった数人分の命を代償に、一振りで並の術師を纏めて制圧しうる特級呪具が生み出された。破格の変換効率だ。

 もっとも体術は上の下程度。呪具に付与された術式を使われる前に始末するのが最善だ。ある程度の寿命の喪失は必要な犠牲と割り切り、接近戦を仕掛け――繰り出した必殺の一撃は、別の特級呪霊に防がれた。

 

 

■■■■、■■■■■(人の子よ、退きなさい)

「チッ」

■■■■、■■■■■■■■■(私はただ、友人を助けたいだけ)

 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■(貴方まで手にかけるつもりはありません)

 ■■■■■■■■■■■■■(ですが彼を祓うというならば)

 ■■■■■■■■■■■■■■■■(貴方は三対一の戦いに挑むことになる)

 

「――!」

 

 

 

 ぼこりと壁に突起が発生する。東堂葵の判断は早かった。道路の向こう側に散らばる寿命武器の残骸を指定し、即座に手を打ち鳴らす。数瞬後、さっきまで己がいたはずの場所は灼熱の溶岩で埋め尽くされた。

 

 ―― 不義遊戯(ブギウギ)

 呪力を纏った二つの対象の位置を入れ替える力を使い回避する。発動条件は手と手を合わせること。シンプルかつ応用性能も高い東堂葵の術式である。

 こっちの単眼野郎は俺を巻き込む気だったな。不意打ちを回避されたからか、不快そうな顔をする特級呪霊が視界に映る。

 

 

【まったく、なぜ儂がこのようなことを……】

【■■■、■■■■】

【言われずとも分かっておるわ!】

 

【──千年】

【【「!」】】

 

 

 今度は手を()()打ち鳴らす。己と呪霊どもをまとめて砲撃の射線から外した。千年分の熱線は、少しでも擦れば致命傷となることだろう。

 こいつらは強い。だが、決して人間の味方ではない。全く厄介な戦力を雇用したものだと、あの老獪の顔を思い浮かべる。岸辺一級術師は、未登録の特級と縛りによる協力関係を結び、前代未聞の共闘作戦を立案した。

 

 特級仮想怨霊『Angel』と、新たに現れた特級呪霊二体。人智を超えた災害と災害が、都心のど真ん中でぶつかり合う。対象の脅威レベルを直接確認し、改めて今回の任務の目標を設定する。

 これは、双方の争いの余波による被害を最小限に抑える撤退戦だ。未登録の特級呪霊二体を、必要があればサポートし、不要な被害を生むようならば妨害し、戦況をコントロールしなければならない。

 怪獣映画のごとき戦場で、ただの人間に出来ることがどれだけあるだろう。だが、この東堂葵に恐れはない。己の為すべきを全うするだけである。

 

 

「相手にとって不足なし!」

 

 

 それに高田ちゃんだって頑張る男の子は素敵だと言っていた。今が勝負どころだと、気合を入れ直した。

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:花御】

 

 

■■■■■■■(貴方がいないと)

■■■■■■■■■■■■■■■■■(火力勝負でどうにもならないのですよ)

【全く、これだけの量の人間を虐殺していなければ儂が手ずから消し炭にしておったわ!】

 

 

 『天使』の術式は人間の寿命を呪物に変換する。シンプルな力だが、真の恐ろしさはその変換効率にある。 五年で二級、十年で一級、百年で特級――人間が人生全てを捧げても届かぬ領域の価値を、彼は一瞬で作り出す。

 貴方ほど市街地(ホームグラウンド)での戦いに強い呪霊はいない。

 

 

(けれど私は、これほどの力を持ちながら無闇に振るうことを好まない、優しすぎるが故に誰より弱かった貴方を好ましく思っていました)

 

 

 天使の呪霊の恋も愛も友情も全ては無残な結末を迎えた。復讐相手も別の者に倒された。全て終わってしまった物語だった。

 それでも彼はまたこの世に生まれた。

 古い繋がりは断絶してしまっても、新しい出会いがあった。それはかつてのものと決して同一ではなく、かつての悲しみを埋めることもない。

 植物の命を奪う私と人間の命を奪う彼。呪霊らしくない呪霊たちのたった十年の交友だった。長い生におけるほんの一瞬に過ぎない。そしてそれは、彼を救いたいと想うのに十分な時間だった。

 だから花御はここにいる。呪術師たちに存在を知られることになろうとも、彼のためにやってきた。

 

 漏瑚が懐から布の包みを取り出した。

 特級呪物『義指心中立(ギシシンチュウタテ)』――女の小指の形を模った、彼の呪物コレクションが一つ。室町時代の遊郭で堆積した、真実の愛を騙る遊女たちの負の感情が産んだ呪物だ。その効力は『契約の破棄』。厳密には、限られた条件下において過去の契約そのものを偽造であったと仮定し、現在の主従関係を打ち消すというものだ。

 これこそが、呪霊操術に囚われた天使を救う、私たちの切り札だった。

 

 

■■■■■■■■■■■(私の友人を返してもらう)

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:夏油傑】

 

 

 ぎちぎちと肉を挟みながら回転するチェーン。戦場に乱入したチェンソーマンは、私の奈々子を拘束していた。

 

 

「大切な子を傷つけられたくなかったらあ! 大人しくするんだなぁ!」

「ヒーローの風上にもおけないな」

「テロリストに言われたかねえんだよ! 投降しろ投降〜!」

「だが甘い。殺すのではなく、傷つける程度の覚悟ではね」

 

 

 夏油は、彼を消耗させ奈々子を解放させるためにとある呪霊を呼び出した。

 

 

「呪霊操術――『永遠』の呪霊」

「ひっ!?」

「なああああ!?」

 

 

 巨大な肉塊が二人を飲み込んだ。――直後、ひび割れ瓦解する。ふらつく奈々子を優しく抱きとめた。

 

 

「夏油様!」

「お疲れ奈々子。()()()、よく頑張ったね」

「んだよ、もう終わりかぁ〜!? 懐かしいもん出しやがって!」

「ふむ、内部時間は大体一日くらいかな」

 

 

 永遠の呪霊は、空間を歪めることができる。外界時間では一瞬だったが、取り込まれた二人は長時間の戦いを経た筈だ。チェンソーマンは肩で息をしている。明らかに疲労していた。

 

 

「大切な子と二人きりにさせるなんざ、乱暴じゃねーの〜?」

「そこは信頼しました。流石チェンソーマン」

「うげえ、厄介ファンはもうごめんだぜ……」

「夏油様! これっ!」

 

 

 こっそり抜き取ったのだろう、奈々子は早川デンジのスマートフォンを夏油に差し出した。品川拠点の位置に印が付いている。夏油の居場所を那由多が特定し、那由多の居場所をスマホ経由で早川デンジが把握した、という流れらしい。

 端末はカバンごと破壊したはずだったが、複数個持ち歩いていたのか。下手に言及すると社会人の常識云々と演説を始められそうなのでスルーした。

 

 

「奈々子、疲れているところに無理をさせるようで悪いが、今すぐここから離れるんだ。呪霊を護衛につけさせる」

「私も戦えます!」

「分かってくれるね?」

「でも……っ、はい」

 

 

 奈々子の術式は非常に優秀だ。しかし愛用のカメラ無しに彼らを相手取るのは厳しい。他人の道具で戦線に出させる無茶はさせられない。彼女も自覚はあったのだろう。すぐに引き下がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 奈々子を乗せた呪霊が小さくなっていく。私が彼女を逃す間に、チェンソーマンは那由多を拘束する呪霊を切り裂いていた。

 

 

「悟が言ってたこと、ようやくわかったぜ」

「へえ?」

「俺とナユタが同時に戦場に立った時に生まれる可能性ってやつだ」

 

 

 何を仕掛ける気だと警戒を強める。硬い外皮を持つ呪霊と、精神干渉に耐性を持つ呪霊、防御に特化した個体を呼び出し、周囲を固めた。

 那由多の傷は完治していた。早川さんは腕のチェンソーを引っ込め、那由多の手を取り立ち上がらせる。

 

 

「つまり、こういうことだ」

 

 

 そしてそのまま――肩車をした。

 

 

「……うん?」

「俺がナユタ背負ってぇ! 俺が倒れたら! ナユタが俺んスターター引っ張る!」

 

 

 流れるように攻勢に出た彼らを呪霊の壁で遮る。夏油傑の差し向ける数の暴力を意に介さず、チェンソーマンは突き進む。

 

 

「んで俺がナユタんこと守る! 完璧な連携だなあ!」

「そうか?」

「これが兄妹のぉ! 絆ん力だぁああああ!!」

「違うんじゃないか?」

 

 

 いい歳して何をしているんだ? どう考えても二度手間だろ。重いし、邪魔だし。第一それは悟の発想じゃ出てこない。おそらくあいつが言ってたのは、こう、もっと縛りを活用して……能力を共有するというか。

 言いたいことは山ほどあったが、的確な表現が思いつかない。自信満々の仲良し兄妹は二人揃って誇らしげだ。

 

 

「ぎゃーっはっはっはぁ! 俺らん絆が大したことないってんならぁ! 止めてみやがれええええ!!」

「そういうことじゃない!」

 

 

 チェンソーマンは止まらない。那由多を担いで呪霊を次々と切り倒していった。悔しいことに、見た目は間抜けだが、そこそこ意味のあるフォーメーションだ。

 なにせ、那由多に手が出しにくい。あいつは不死身なのでヘッドショットも意味がない。

 祈本里香の支配権を確実に奪うには特級呪霊『早川那由多』の調伏は必須だ。チェンソーマンの火力と機動力は、彼女の拘束難易度を跳ね上げさせた。

 

 

 加えてもう一人。

 

 

(乙骨憂太――治療を終えたか。他人への反転術式使用すら容易に成し遂げるとは、流石だな)

 

 

 背後からこちらを見つめる気配に気づかないふりを続けて立ち回る。乱戦における位置取りは経験がものを言う。安易に割り込ませるつもりはない。

 

 乙骨憂太は底なしの呪力を制御しきれていない。味方を巻き込めない彼の性格からして、下手な共闘は足の引っ張り合いにしかならない。単独で戦う方が彼は強いのだ。

 向こうが攻めあぐねている間に、先手を撃つため牽制用に小型の呪霊を――

 

 

 

「――()()

 

「ギャアアアアアア!?」

「っ、そう来たか」

 

 

 無限の呪力が全方位に放たれる。呪言だ。乙骨憂太は夏油が展開する全ての呪霊を、チェンソーマンごと皆殺しにした。

 呪言は対呪霊特化の術式だ。タイミングを合わせて呪力でガードすれば、術師にとってはそこまでの脅威ではない。だが完全に不意をつかれたチェンソーマンは血反吐を吐いてひっくり返った。すかさず那由多がスターターを引っ張り復活させる。

 

 

「何しやがる!?」

「先生なら大丈夫だと思ったので……」

「悪気ゼロかよ〜!?」

「狗巻君なら、きっと先生たちだけを避けることも出来ました」

 

 

 復活するとはいえ少しは躊躇しろよ、とツッコミを入れようとしたところで那由多からの冷たい視線に気づく。そういえば私たちも学生時代は平気で彼女ごと攻撃していた気がする。妙な校風が受け継がれてしまったようだ。

 

 

「お仲間の治療は終わったらしいね」

「レゼは?」

「無事です」

「ならよかった」

「あの爆弾の武器人間は、やはり貴方の仕業だったか」

 

 

 焔硝呪法の使い手だった彼女の正体を、夏油傑は知っている。かつて那由多の領域で見た特級呪霊の化け物の一人だ。名前を聞いた時点でまさかとは思っていたが、記憶に残る通りの戦法を使って来たので驚いた。どんな経緯で今更高専の生徒として通っているのか。

 

 

「レゼはさ、学校に行けない女の子だった。それを知ったのもずーっとあとだ。親と子供くらい歳離れてからで……でも、俺はあん時俺に泳ぎ教えてくれたレゼが好きだった」

「彼女のような子供を二度と生み出さない、そのための大義と言えば乙骨憂太を引き渡していただけますか?」

「するわけねーだろ。憂太だって大事な生徒だ。俺ぁこいつらを守るためだったら死ぬ以外どんなことだってしてやるぜ」

「そう、残念」

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏油は特級呪具『游雲』を取り出した。乙骨憂太が攻撃を迷わない以上、これ以上雑魚をぶつけても意味がないからだ。

 

 

「……他勢に無勢だな。三体一か」

「投降する気になったか?」

「うん、じゃあ、仕方ない」

「へ?」

 

 

 帳を、解いた。

 市街地に向け、呪霊を解き放つ。

 

 

「なっ、おまっ、まさかっ」

「本体がガラ空きだよ」

「お、おおっ!?」

「っ……!」

 

 

 遠方に意識を逸らした隙をついて、呪力を込めた一撃を食らわせる。全員まとめて吹き飛ばした。

 『遊雲』は特級呪具で唯一術式が付与されていない純粋な力の塊だ。十メートル、二十メートル、勢いよく移動する。特級術師の手にかかればこの程度の威力は容易く生み出せる。

 正義のヒーローと甘ちゃんには厳しい、市街地戦の始まりだ。

 

 

「ひ、きゃあああ!? 何あれ!?」

「あっ ああああ!?」

「化け物ぉ!?」

「助けてぇえええ!」

 

 

 あちこちから悲鳴が上がる。周囲の非術師(さる)を巻き込み、道が、ビルが、街路樹がひび割れる。

 

 

「待て待て! おまえ、これは無しだろ!」

「人質作戦をしておいてよく言うね」

 

 

 予想通り、早川デンジは防戦一方となった。那由多の小動物によるサポートも、一般人を守るための運用に全て割りさかれた。このまま市街地防衛に行ってくれればありがたいのだが、そこまでの甘さは期待していない。

 

 

「チェンソーマンだ……」

 

 

 誰かが呟く。

 その声を皮切りに、思い出したように人々はその名を呼んだ。

 

 

「チェンソーマン!」

「助けてくれ」

「死にたくない」

「チェンソーマン…」

「お兄ちゃんが」

「かあさん」

 

 

 四方八方から響く嘆きと祈りに、夏油傑は軽蔑の眼差しを向けた。いつか見た喝采を思い出す。ガリガリと脳味噌の容量が削られるような感覚が不快だ。

 

 

「醜いと思わないか。何も知らない非術師(さる)どもが、今の今まで忘れていたくせに、何も知らないくせに、都合よく貴方を使い潰そうとしている」

「知らねーよ! 俺ぁな! 顔のいい女からの声援ならなんだって大歓迎なんだよ!」

「……今夜プロポーズするとか言ってなかったか?」

「それはそうとしてモテてえだろぉ!」

 

 

 そんな軽口を叩きながら、老若男女の区別なく、チェンソーマンは身を挺して民衆を守る。そこまでの価値など、こいつらにはないと言うのに。

 一方の乙骨憂太は私の陽動に見向きすらしなかった。真っ直ぐに夏油傑だけを見据え追撃する。だが、一般人を気にしていないと言う訳ではなさそうだ。打ち合う度に刀に込められた呪力が増していく。お前さえ殺せば全て解決するとでも言いたげだ。単純な世界を生きているようで羨ましい。私の大義を懇切丁寧に語ったというのに聞く耳を持たない。

 

 

「知らないよ! 何が、お前をそこまでさせてるのかなんて知らない。でも僕は、僕が生きてていいと思うためにオマエを殺さなきゃいけないんだ!」

「自己中心的だね」

「だから――」

「憂太ァ!!」

 

 

 一般人を追い払ったチェンソーマンが叫び、何か決意をした様子の乙骨憂太の言葉を遮った。彼が何をする気だったのか、おそらく彼は気づいていた。

 那由多の支配した鳥が間に割り込む。回避のために夏油は乙骨憂太と距離をとった。

 

 

「生きてていいって自信が欲しいっつってたな。本当にそれだけか?!」

「先生……?」

「パンダと! 狗巻と! 禪院と! レゼと! たった半年の学校生活で満足かぁ!?」

 

 

 乙骨憂太は、初めて動揺した表情を表に出した。僕は、と呟いたきり沈黙し、瞳を揺らがせている。

 

 

「……」

 

 

 攻撃の手を止める。意図が読めない。

 

 

「は……初詣に行きたい!」

「はぁ?」

 

 

 葛藤の末彼の口から出たのは、特級術師同士の殺し合いの場にはあまりに不釣り合いな、幼稚な願望だった。

 

 

「してえよなあ!」

「本当はクリスマスパーティもしたかった! よりにもよってなんでこんな日に来るんだよ!」

「里香とはぁ!?」

「し、したい! 里香ちゃんと色々したい!」

【憂太 ぁ……?】

「花火とか、海とか、……あと、水着! 水着も見たい! 五着……十着くらい見たい!」

「他にはぁ!?」

「結婚式もしたい!」

「いいなあ!」

「美味しいご飯を作ってあげたい!」

「そんでえ?」

「ハネムーンで世界一周したい!」

「それからあ!?」

「友達にいっぱい自慢したい!」

 

 

 祈本里香が震える。呪いの女王の愛が、街を覆う。全世界を襲ったかつての呪いのように、有象無象に本能的な死を悟らせる。極限状態の中で、本来なら呪霊に気づけない筈の非術師(さる)の目にすらその玉体を晒していく。

 そして、一世一代の告白は成された。

 

 

「ずーっと、ずーっと一緒にいたい!」

【憂太ぁ…… あ ぁああ あ゛っ】

「愛してるよ」

【大大大大大大大大大大大好きだよぉ!!】

 

 

 

「彼女だって本当はいっぱい欲しいよなあ!」

「――不誠実だぞ」

「あ、はい……」

 

 

 突然ゴミ以下を見る目を向けられた早川デンジは黙る。デンジはデンジ、乙骨憂太は乙骨憂太で譲れない一線があった。

 

 一息置いて、気を取り直した様子でチェンソーマンは刃を掲げる。乙骨憂太も額の汗を拭い、再び構えを取った。

 

 

「……じゃ、()()()

「……はい!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、話は終わった?」

「ちゃんと待ってくれるあたり、いい〜奴だよお前は。その優しさをちったあ広く向けてやれよ」

「断る」

「だよなあ」

 

 

 夏油とて、ただ黙って見ていたわけではない。よほど鈍くない限りわかる。彼らはこれ以上被害を広げないため、短期決戦を仕掛けるつもりだ。ならばこちらも相応の手段で迎え撃つ。その準備をしていた。

 

 

 特級被呪者 乙骨憂太

 特級過呪怨霊 呪いの女王 祈本里香

 地獄のヒーロー チェンソーマン

 元最悪の呪霊 早川那由多

 

 それに対するは

 最悪の特級呪詛師 夏油傑、ただ一人。

 

 多勢に無勢を許さない、戦況をひっくり返す切り札を呼び出した。これこそが呪霊操術の真骨頂。無限の手札を、最高火力のために組み合わせる。

 

 4000以上の呪霊を一つにまとめてぶつける、呪霊操術極ノ番『うずまき』。現存する十七の特級呪霊が一つ、特級仮想怨霊『化身玉藻前』。そして――

 

 

「それは……!?」

「本当は、隠しておきたかったんだけどね」

 

 

 呪霊操術により夏油の体内に格納されていた、推定複合特級呪霊。この九年間で回収した肉片と、呪術高専内に封印されていたのを強奪した分――合計約40kg。かつて日本の公安が保有していた量をはるかに超える断片に、夏油傑は呪力を注ぐ。

 

 

「呪霊操術――『銃』の呪霊」

 

 

 

 

 

 

 

 

 1984年11月14日午前10時、そいつはたった26秒間で5万7912人もの日本国民を殺害した。被害は日本だけに留まらず、全世界で合計120万人以上の被害を出した。こいつの特異性は全世界を射程距離に収めた点にあった。アメリカ、ソ連、中国、日本、その他全主要国家に単独で同時多発的被害を出したのはおそらくこの世でこいつだけだ。

 『銃』の呪霊は、広大な射程距離を持ちながら、射程に収めた人間を皆殺しにはしなかった。そういう縛りがあるのだ。同時刻同じ場所にいたのに、生存者と死亡者がいる。生年月日や性別、出身地、言動。何が生死の分かれ目になったのかは後から調査でもしない限り分からない。

 

 要するに、『銃』は条件付きの広範囲殺戮を可能とする呪霊なのだ。

 

 ――全世界の、全ての非術師を殺す。

 

 銃の選別型広域殲滅能力と、私の呪霊操術によるコントロール、ここに祈本里香という無限のエネルギーが揃えば、私の夢は絵空事ではなくなるのだ。

 所詮、この世にたった一人しかいない五条悟に、この殺戮は止められない。

 

 その力の一端を、今ここで一度披露する。

 

 

 

 

「『銃』の呪霊よ、『私の教団のすべての信者の寿命』と、『天使の呪霊が蒐集した、五条悟と家入硝子を除く、全ての寿命』を与える。チェンソーマンと乙骨憂太を――殺せ」

 

 

 肉片が供物により形を結んでいく。黒い筒型の手と頭部。この世で最も人を殺した近年最大規模の呪霊が、薬莢を纏い、顕現した。

 

 

「……愛してるよ里香。一緒に、あれを倒そう」

【憂太ぁああああああ!!】

「す、すげえ……! イケてる………!」

「静かにしてください」

「はい」

 

 

 乙骨憂太が祈本里香に愛を囁き、全ての力を引き出した。凄まじい呪力が刀に込められていく。

 だが、それでは足りない。

 祈本里香は無限の呪力を秘めているが、乙骨憂太という生きた非呪者を介する以上、一度の攻撃で運用できる呪力には限界値が存在する。

 うずまきへの対処だけならば、叶ったかもしれない。だが『銃』の呪霊は別格だ。伊達に単独で世界をひっくり返してはいない。例え全盛期の数パーセントの出力だろうが、あの程度なら単純な物量で押し勝てる。

 そんな私の目算を見透かしたように、沈黙を貫いていた那由多が笑った。

 

 

「どいつもこいつもビーム出しやがって! ズルだろズル!」

「お兄ちゃん」

「んだよ」

()()()のこと、ちゃんと見ててね」

「……おー、いいぜ」

 

 

 那由多がまっすぐ指をさす。目の前で練り上げられる三つの呪力。術式順転、術式反転。()()()()()()()()()()()()()

 

 

「それ、は」

 

 

 夏油傑はそれが何なのか知っている。たった三年、されど三年。一番そばでそれを見続けてきた。

 

 あれは無下限術式だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 昔、加速度的に強くなる悟に対して那由多は言った。

 

 

 ――あとは、同時に二箇所に存在するだけだね。

 

 

 彼女の発言は冗談ではなかった。強者故に対策を取られる側であり続ける彼の、()()()()()()()()()()()()()()()を突こうとする敵が現れることに、ずっと前から気づいていた。

 その対策が『教育』だと思っていた。次世代の成長に希望を託す、長期的かつ確実な手段。半分正解で、半分間違いだ。それは解決法の一つだが、彼ら自身が自己研鑽を怠る理由にはなり得ない。

 

 彼女の支配術式は、支配した相手の術式を利用することができる。まさか、悟を? 浮かんだ仮定を夏油は即座に否定した。論拠は私の思い出の中に腐るほどある。

 術式の解釈を広げたのだ。もっと広く。もっと自由に。

 術式の徴収ではなく共有を。出力、手数、戦術、政治――かつての■■■よりあらゆる点で劣る早川那由多が、彼女だけの学生生活で掴んだ彼女だけの可能性。ただ一つの頂点をつくらず、共に秩序を守る仲間としての枠を用意した。

 

 

「私は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 すまし顔で、とんでもない術式の開示をした。

 

 那由多の鼻から血が垂れる。目と、口と、耳の穴からも。想定外の負荷に脳みそが焼き切れている。それでも迷うことなく呪力を練り続けた。死ぬほどの痛みなど、彼女にとっては慣れ親しんだ代償に過ぎない。唾液と血の入り混じる泡を口の端からこぼそうが、術式を構築する手は止まらない。

 

 五条悟(さいきょう)の術式による負荷は、那由多の限界をとうの昔に超えていた。脳の過剰使用(オーバーフロー)だ。

 

 無下限術式は原子レベルに干渉する緻密な呪力操作が求められる。彼女は不死身だが、一度死んで復活するまでの空白は間違いなく術式を暴発させる。しかし目の前で練り上げられる二色のらせん模様は、稚拙ではあれど乱れは無かった。

 

 彼女が借りているのは無下限以外にもう一つ。

 

 

(――硝子!)

 

 

 ()()()()が、彼女の死を食い止める。死からの復活ではなく、死なないための延命治療。だから無下限術式は途切れない。発動を一度も止めることなく、見知った術式は完成する。

 

 早川那由多は首を刎ねられても死なない。

 ありえない光景に慣れすぎたせいで、目の前の現象を見誤った。

 彼女は最初からずっと家入硝子の反転術式を借りていた。彼女は死から復活していたのではなく、反転術式による真っ当な手段で回復していただけだった。誰にも死を肩代わりさせることはない。だから平然とチェンソーマンはここまでやってきた。

 

 那由多が盾となり、悟の無下限術式が突破口を開き、硝子の反転術式が治す。

 そしてチェンソーマンが隙を補う。

 目の前で構築されるのは、かつてほんの数ヶ月だけ存在した、私たちの闘い方そのものだった。

 

 

 五条悟の全力の十分の一にも満たない未熟な一撃が、銃の呪霊の攻撃を引き受ける。ここに、完全なる拮抗状態が生まれた。

 

 乙骨憂太が語る純愛と、夏油傑が殉ずる大義。

 そして早川那由多が体現する友情。

 

 

 

 

 

 

 

「―― 虚式『茈(ばん)』」

 

 

 

 

 

 

 

 

 全てが、弾けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:早川ナユタ】

 

 

 月が美しい夜だった。瓦礫の隙間で仰向けに倒れ、ぼんやりと空を眺める。

 硝子ちゃんのおかげで、いち早く回復することができた。彼女はすごい。反転術式の理屈は、ナユタには未だにさっぱり理解できない。

 乙骨憂太とデンジは意識を失い、地に伏せている。夏油傑は逃げてしまった。やはり彼は強い。この場にいた誰よりも上手だった。

 

 だが、もうすぐ最強がここに来る。逃げられはしない。

 

 早川那由多の青春の体現たる『術式の共有』は、相手からの了承がなければ使えない。虚式の使用許可が下りた時点で、新宿での決着はついている。

 

 痛む身体に鞭打って、寝返りをうつ。

 意識を保っているもう一人の女の子に話しかける。

 

 

「祈本里香」

【ぁ   あああ  誰 ?】

 

 

 早川那由多は支配の呪霊だ。乙骨憂太と祈本里香が、どちらから支配(あい)した関係かなど、一目で見抜いていた。

 刀に呪いを込める訓練も何も、そもそも彼には必要なかった。

 

 折本里香が乙骨憂太を愛しているように。

 乙骨憂太は最初から祈本里香を支配(あい)していた。

 

 でも、それは彼が自力で気づくべきことだ。告げ口をする気はない。

 ならば、私から言うべきはただ一つ。

 

 

 

「君の純愛に敬意を払って、取材をさせてほしいの」

【        いいよ  】

 

 

 

 

 

 やったぜ。

 

 

 

 

 




乙骨がやろうとしてたこと:自分の命と引き換えにした呪力の制限解除


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

正しい死

 

 

 

【side:五条悟】

 

 

 今度は迷わなかった。

 この手で、全てを終わらせた。

 

 五条悟の、たった一人の親友はその生涯を終えた。

 高専での生活は楽しかったと。けれどこの世界では心の底から笑えなかったのだと言い残して。

 

 

「……?」

 

 

 悟が夏油傑にとどめを刺したのと、同時だった。

 

 足元でネズミが死んでいた。

 鳥が、一斉に飛び上がり、堕ちる。

 体内から突き出した刃に全身を切り刻まれて死んでいた。

 振り返る。膨れ上がりつつある気配を観測する。

 

 

 ――馬鹿な、この距離で?

 

 

 目の前の死体から流れ出る赤い血の水面に、僅かに波が生まれる。

 その呪力を、五条悟は知っている。

 なにせそいつのせいで、己は生まれて初めて死にかけた。

 

 血の呪霊。

 現存する十七の特級呪霊が一つ。性格は最悪で、すぐに記憶を歪めて、縛りも支配も操術も全てを無視して我を通す、血の通うあらゆる生き物にとっての天敵だ。

 

 天内理子の肉体に受肉したそいつは、白か黒かの線引きをはっきりさせることを好む生真面目な友人が抱えた唯一の矛盾だった。

 大切な子。最低の呪霊。尊厳を踏み躙ってしまった相手。意思を尊重すべき相手。家族。仇。加害者。被害者。共犯者にして観測者。

 十年の月日に情は存在したのだろうか。彼と彼女の関係を適切に示す言葉は、きっとこの世界にはまだ存在していない。確かめる術も、たった今己の手で消した。

 

 

 ただ一つ、確かな事実がある。

 

 

 夏油傑は、 血の呪霊(アマナイリコ)に好きなだけ血を飲ませておきながら、決して自由はさせなかった。

 あれ以来ずっと、()()()()()()()()()()()のだ。

 

 

 

 

 

 

 

【ガハハハハハ! ワシの時代! ワシの時代! ワシこそ真の最強なんじゃぁ〜〜〜〜!!】

 

 

 

 

 

 傍若無人の化身が叫ぶ。

 

 ――僕らの、青春が終わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:伏黒恵】

 

 

 新宿は地獄と化した。

 白髪のツギハギ男が触れた人間が変形し、化け物に改造された者たちが他の一般人に襲いかかる。被害はねずみ算式に広がり、到底単独で抑え切れるものではなくなっていった。

 

 

【ハロウィン!】

【ああ ぁぁああ はろ   あ   はろはろウィ……】

【へえ! 君も魂に干渉できるのか。面白いね】

 

 

 ハロウィン男が指さした改造人間が、次々と行動不能に陥る。すかさず十種影法術の式神で取り押さえた。一人で戦うよりはいくらかマシだが、この程度では焼け石に水だ。

 ツギハギの特級呪霊が直接攻撃を仕掛けてくることはなかった。殴り合いは苦手なのか、余裕ぶっているだけなのか。どちらにしろ早期決着を狙うべきだ。恵はさらにもう一匹式神を召喚した。

 

 

【……ゲトー?】

「……!」

 

 

 その時だ。

 玉犬に拘束されていた肉塊が顔を上げる。ツギハギ男に形を歪められてしまったおさげ姿の少女だった。

 異変の予感に全員が警戒を向ける。悲鳴が響く戦場で、沈黙する三者の視線が一つに集まる。意味のある言葉など発せられないように歪められたはずの魂が、本来の形を取り戻していく。

 

 ツギハギ男の腹から赤黒い剣が突き出した。大してダメージを食らった様子はないが、ひどく困惑した顔をしていた。

 それよりももっと異様な光景が目の前で繰り広げられていた。玉犬を退避させる。歪められた魂が溢れ出る呪力で覆われる。ねじ曲げられる。外部からの干渉など知ったことかと、理不尽な速度で魂の代謝が進み、主導権を取り戻す。

 

 

【え、ええ……なにこれ】

【ガハハハハハ! ワシの時代! ワシの時代! ワシこそが真の最強なんじゃぁ〜〜〜〜!!】

 

 

 またツノが増えた。

 二対、三対と頭部を覆っていく。腕も二対に。脚は恵の身長よりも長く。肋骨が開き、髪が伸び、それに比例するように呪力が際限なく膨れ上がっていく。いったいどれほどの力を蓄えればここまでに至るのか。

 およそ十年間、人間社会に保護された特級呪霊が無辜の人々を搾取し続けた結果がここに顕現した。

 

 

【……やってらんなーい。俺、帰るね】

「お、おい……!?」

【ニャーコ? ……どこじゃ……どこに隠れた?】

 

 

 ツギハギの特級呪霊の判断は早かった。イレギュラーによる戦況の変化をいち早く理解し、肉体を細く伸ばして用水路の溝の隙間へ逃げこんでいく。どうやら他人だけではなく自分の形も自在に変化させられるらしい。

 特級呪霊を二体同時に相手取るなど不可能だ。これ以上暴れるつもりがないのなら、引き止める理由はない。問題は突然復活し呪力を膨らませ続ける少女への対処だ。

 

 

「おい、お前っ! 意識が戻ったのか!」

【……おい、ゲトー! なぜじゃ! どこじゃ……嫌じゃ……!】

 

 

 変わり果てた姿の少女には、知性はあったが理性の色がなかった。錯乱した様子で、頭を揺らし、あたりを見回している。

 ギロリと金色の瞳が向けられた。ついさっき和解したはずの、猫を思いやる子供の面影を残した明るい色だった。なのに背筋に冷たい死の予感が走る。

 

 

【──ハロウィン!】

 

 

 伏黒恵は突き飛ばされた。そして、そのまま、後ろに倒れながら、一部始終を全て目に収めた。

 血の刃が二ヶ月間共に過ごした彼の全身を内側から引き裂いた。白髪が赤く汚れて、花弁が散るように広がっていく。庇われたのだと気づくのに、一秒も掛からなかった。

 

 通行人が、鳥が、ネズミが、補助監督が、駆けつけた呪術師が、そして()()()が。あの女の目に入った生き物は、次々と内側から弾け飛んだ。自分を含む、あれの視界から外れた僅かな命だけが、被害を逃れている。

 距離など関係ない。呪力によるガードすら意に返さない。

 理不尽の権化がそこにいた。

 

 

 この世は不平等だ。

 だから自分は不平等に善人を救うと決めていた。

 

 クソ親父の置き土産は、欲に忠実で、加減が効かず、他人を慮ることはなく、犬か猫の方がよほどまともなのではないかと思うほどにはた迷惑な男だった。伏黒恵の価値観においては例え目の前で死にかけていたとしても救出の優先度は低いような奴。

 

 そいつに庇われた。

 一切の迷いなく、硬直していた伏黒恵を突き飛ばしてあっけなく地に伏せた。笑っている。嬉しそうに、楽しそうに、恵の無事を確認して。血が流れる。串刺しの体が、僅かに震え──動かなくなる。

 俺はまだ、あいつの名前さえ知らない。

 

 

 彼は、伏黒恵が救うべき人間だった。

 

 

 目の前でまた一人、一般人の首が飛ぶ。形を歪められた改造人間の全身がズタズタに引き裂かれる。悲鳴が、怒号が、数多の人生を踏み躙り蹂躙していく。新宿が血と臓物の海に沈む。

 何もかもが手遅れだ。そして、これからますます悲劇は膨れ上がる。

 

 

「……ごめん、津美紀」

 

 

 どうして俺は、いつも気付くのが遅いのだろう。

 

 覚悟を決めた。

 あの少女は、責任を持って自分が殺す。どうすべきだったのかなんてわからない。だが己の判断の積み重ねが、今の惨状を生み出した。無抵抗のまま死ぬわけにはいかない。これは、伏黒恵が命を賭して挑まなければならない戦いだった。

 あの化け物に対する唯一の勝機。自らの命を引き換えとした切り札を使うために、両腕を前に突き出した。

 

 

布瑠部由良由良(ふるべゆらゆら) ──」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ストップだ、伏黒恵」

 

 

 ヒールの音が響く。白衣を羽織った女性が近づいてくる。何故俺の名前を知っているのだろう。津美紀の病院の医者だろうか。その女は、近づかないように警告しようとした恵の肩を抱き、唇の前に指を出して静かにするように指示を出した。

 

 

「君が命をかける必要はない。あの子は死んでない」

「誰だ……?」

「家入硝子だ。反転術式は分かるか?」

 

 

 女は恵の同居人を物陰まで移動させていた。そのまま手のひらをかざすと、内側から内臓を突き破る血の刃が、徐々に輪郭を失い、肉体に戻っていった。負の感情である呪力とは異なるプラスのエネルギーが、あいつの肉体を癒していく。

 

 

「君の友人は生きてる。私が治す。この家入硝子を舐めるなよ」

「いや、だから誰ですか」

「キミ、ノリ悪いって言われない? 会ったことあると思うんだけど」

 

 

 ヒールに白衣。長い髪。気怠げな瞳に怯えは無い。

 ようやく彼女の正体を思い出した。津美紀が意識不明に陥った時に、五条悟(あの人)がツテで呼んだ医者の一人。

 家入硝子。五条悟の同期の友人にして、反転術式で他人を癒せる奇才である。

 

 

「君たち、大人に黙ってここに来ただろう」

「説教ですか」

「別に。ただね、今ここで君たちが死ねば、それは……子供の過ちで終わってしまうだろう。だから、生きのびる手伝いをしてやる。あの時は馬鹿なことをしたと、結果オーライだったと笑うことすら出来ないなんて、つまらないと思わないか」

 

 

 誰もが怯えて逃げる戦場には似合わない、子供っぽい笑みだった。彼女は確かにここにいるはずなのに、ここにはないものを見ているような、そんな目をしている。

 

 

「本当は高専で待機しておくはずだったんだけど、旧友から連絡があってね。呪詛師侵入の兆しあり、注意されたし──なんて言われちゃ、おちおち引きこもってもいられない。だからこっちに来た」

「……新宿はもっと危険ですよ」

「おいおい、私はこれでも替えられない人材ってやつだ。一人で出歩くわけないだろう。彼に護衛を頼んだよ」

 

 

 振り返る。そこには、血の呪霊の視界に身を晒しながら一滴の血も流さず悠然と歩く姿があった。

 

 

「今度はしくじるなよ、五条」

「誰に言ってんの」

 

 

 五条悟。伏黒恵の後見人にして、当代最強の呪術師である。

 少しだけ息を吐く。切り札を出す必要がなくなった。

家入硝子が呪霊混じりの友人の治療を始めた横で、恵はようやく握りしめた拳を降ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:五条悟】

 

 

 呪力の大元まで、そこまで場所は離れていない。隠す素振りも見せない血の呪霊の元へ悟は即座に駆けつけた。

 無下限術式を応用して新宿に戻った時点で、現場は血の海に沈んでいた。四方八方、どこを向いても視界のどこかが赤い染みで汚れている。ここまで酷い戦場は、自分も目にするのは初めてだ。

 

 

 血の呪霊は、視界に入る者全てを無差別に攻撃していた。相変わらずの法外な能力を再び六眼で観察する。

 そして、長年の疑問が解けた。

 こいつの生得術式は間違いなく赤血操術だった。赤血操術は術者自身の血液のみを操る技だ。なのにかつてあいつの術は無下限を突破し直接悟の血を操った。

 あの呪霊は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。自分の領域内だとみなしている。だから操作そのものを防ぐことは誰にもできないのだ。

 術式の解釈を広げるにも程がある。どういう性格をしていればそんな考え方ができるのか。

 そんな暴論を押し通すからこそ、認識したすべての血液に奴の術は必中(あた)る。徹底して身を隠さなければ、勝負すら成り立たない。

 まさに夏油傑の鬼札としてふさわしい。血の通う人間である限り決して勝てない、特級の名に恥じぬ化け物だ。

 

 とはいえ五条悟の敵ではない。

 

 遭遇と同時に仕掛けられた血液操作は、体内の無下限術式使用により即座に無効化される。血管の保護は完璧、血液凝固による血栓リスクにも対処済みだ。

 高校生の自分にすら倒せたのだ。今なら間違いなく瞬殺できる。

 

 問題はそこではない。

 

 悟には()()()()()()()()()()()()()()()()がある。

 

 

 

【ゲトー? ゲトーの臭いがする……】

 

 

 

 金色の目玉が五条悟の姿を捉える。五条のことは覚えていたのだろう。その瞳が一瞬恐怖に染まり、やがて敵意に満たされる。

 かつてのように、怯えて屈服してくれれば楽だったのだがそう上手くはいかないようだ。

 

 五条悟がデンジの身柄を高専の監視下に置くために結んだ縛りは二つ。

 一つは、レゼに義務教育と人権を与えること。

 もう一つが、血の呪霊と早川デンジを生きた状態で引き合わせることだった。

 

 

「恵、ちょっとおつかい頼まれてくれる?」

 

 

 この無茶苦茶な戦場で、これ以上被害を増やさないよう立ち回りつつ、あれを決して攻撃することなくこの場に留めなければならない。下手な強敵との戦いよりも、余程面倒な時間になりそうだ。

 

 

「鵼って壊されてないよね」

「? はい」

「連れてきて欲しい馬鹿がいるから、よろしく。詳細は硝子に!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【どこじゃ! どこじゃぁ! どこにいる!】

 

【ゲトー! ニャーコ!】

 

【ニャーコをどこへ隠した!】

 

【だって、こんなに近くからニャーコの匂いがするんじゃ!】

 

【ウヌは嘘つきじゃ! ウヌからゲトーの血の匂いがする! どこじゃ! ゲトーは、ワシのじゃ!】

 

 

 

 

 

 

 

「──悪ぃな、悟。俺んために無理させて」

「僕のこと舐めてない? そういう縛りでアンタを高専の教師に勧誘したんだから、当然のことだろ」

 

 

 恵が彼を連れて戻ってくるまでそう時間はかからなかった。

 連戦に次ぐ連戦にすっかり疲労しているだろうに、平然とした顔で血の呪霊に向かっていく。

 

 

「よう、久しぶり。ったく、相変わらずだなお前は」

【なんじゃあ貴様! ワシはウヌなんぞ知らん!】

「……ああ、そーだろうな。だから……」

 

 

 男は胸元から伸びるスターターを勢いよく引いた。

 

 

「これは契約だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:早川デンジ】

 

 

 思い出す。

 

 

 かつて結んだ約束を。

 

 

 かつて共に過ごした家族の名を。

 

 

 早川アキが死んだ。

 ──俺が殺した。

 

 パワーが死んだ。

 ──俺が殺した。

 

 父親が死んだ。

 ──俺が、殺してた。

 

 

 大切だと思ったものの全ては、好きだった人の手により与えられ、好きだった人の手により奪われた。

 

 

 

 

 ──俺ぁもういいんだ、パワー。ウマいもんたくさん食えたし女といちゃいちゃもしたし一緒にみんなでゲームもできてお前と一緒に寝て。借金地獄ん時のオレからしたらさ、ホント夢みたいな生活ができたんだ。だからもういい、もう生きてもいい事ないしな。パワーもいないだろ?

 ──アホアホアホアホ、アホー そんなイジけるくらいワシが恋しいか!?

 ──恋しいよ

 

 

 愛していた。

 本当だった。

 たった一年足らずの、『デンジ』を『早川デンジ』にしてくれた大切な思い出だ。

 

 

 ──デンジ、血の呪霊を見つけに行け。見つけてどうにか仲良くなって血の呪霊をまたパワーに戻してくれ。そうすればまたデンジのバディになれるじゃろ?

 

 

 彼女はデンジに頬擦りした。暖かかった。愛おしかった。

 

 

 ──これは契約じゃ。ワシの血をやる、かわりにワシを見つけに来てくれ

 

 

 

 

 

 二十年前の約束を、果たすときだ。

 

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 チェンソーの音が響く。

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:天内理子】

 

 

「帰んぞ、天内」

 ──帰ろう、理子ちゃん

 

 

 かつて聞いた言葉。かつての思い出。かつての青春。

 もう二度と戻らない、大好きだった時間を思い出す。

 

 抱きしめる。抱きしめられる。とても暖かかった。

 

 

「デ……せ………、わた…………」

 ──ありがとう。好きだよ。

 

 

 うまく、伝えられただろうか。それすら、もうわからない。

 

 2017年12月24日。

 天内理子は死んだ。もう二度と蘇ることはない。

 

 きっと、「正しい死」だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 世界は彼女に優しくなかった。

 

 縛られ、弄ばれ、踏み躙られ、暴かれ、利用され、手を汚し、幾度と形を変え、陵辱され続けた。

 

 天内理子は死んだ。

 かつて、早川アキが死んだように。

 たくさんの人が死んでいくように。

 

 それが許せないと憎んだ人がいた。

 そういうものだと受け入れた人がいた。

 そして、変えてみせるのだと足掻き続ける人がいる。

 

 

 優しくない世界は、それでも続いていく。

 繋がり巡り廻るのだ。これからも、ずっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

「にゃーん」

 

 

 死体の山の中に、ひしゃげたカゴが落ちている。

 血で汚れた老猫が、退屈そうに首を伸ばして鳴いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──よかったの。血の呪霊との再会を諦めて。

 

 ──諦めちゃいねえよ。でも、リコはちょっと人を殺しすぎた。俺はよくてもみんなは許さねえだろ。だから待つ。何度でも、何度だってパワーに会いに行く。

 

 ──欲張りだね

 

 ──なんたって約束したかんな

 

 

 

 

 

 

 

 

────────

 

 

【新宿京都百鬼夜行 関東方面 報告】

 現場:新宿駅周辺、品川北部周辺

 

 戦功者

  五条悟

  乙骨憂太

 

  早川デンジ

  ……

  ……

  ……

  ……

  ……

  ……

  狗巻棘(準一級昇格)

  レゼ(準一級昇格)

  ……

  ……

  伏黒恵(二級昇格)

  ……

  ……

  ……

  ……

 

 

 死亡

 主犯

  夏油傑

 

 被害者

  ……

  ……

  ……

  天内理子

  ……

  ……

  ……

  ……

 

────────

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:五条悟】

 

 

 血の呪霊は倒された。

 俺たちの青春が、終わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「涙とか、出てこなくてさ」

 

 

 どうしてこの男に明かしてしまったのだろう。

 

 全てが終わった後の霊安室。

 主犯の男/唯一の親友の目の前で。

 悟はデンジに声をかけた。

 

 

 かつて、五条悟は早川デンジが嫌いだった。大人の権利を振り翳す、子供のことなど何も分かっていない奴だと思っていたからだ。

 今では特別好きでも嫌いでもない。

 この男もそれなりに苦労していたのだなと察するに留まるのみである。

 

 それでもこうして隣にいるのは、五条悟よりほんの少しだけ早く、このクソッたれな呪術界をぶっ壊そうとしていた先輩として一定の信用とほんの少しの尊敬を抱いているからだ。本人にきっとその気はないのだろうけど。

 

 

「別に、それがお前の普通なんだろ」

「那由多が死んだって勘違いした時、硝子ですら泣いた。あいつがだよ?」

「知るか。人それぞれだ。だけど、少なくとも俺ん時は……初めて()()()のは二週間後だった」

 

 

 早川デンジは語る。

 かつて夏油傑に告げ、五条悟も書類上の情報としては把握している、彼自身の過去を。

 

 

「直後はなーんも考えられなくて、そこからはずっと書類とか……手続きとか……お金とか口座とか名義とか……バタバタしてて。で、ようやく落ち着いて、寝て起きて食ってまた寝て……何かしなくちゃって思ってゲームしまくったりするんだけど、なんか……面白れえはずなのに……あんま分かんなくて……ある日気づくんだ。何やっても、もう返事が来ないって。もう二度と叱る声も、飯食ってる時の音もしねえ。

 

 ()()()()()()()()

 

 

 それは学生時代に知った名前だった。ずっと前に亡くなった、早川デンジの家族だ。かつて、銃の呪霊は早川アキの肉体に受肉した。市街地で暴れ回っているところを、被害を広げないために自ら手にかけたのだと聞いている。

 突然こんな話を始めた意図が掴めない。黙って先を促した。

 

 

「野菜も袋売りじゃなくて一個ずつ買えばいいんだって気づくまでに2回くらい腐らせて…それで……高い出前とっても誰も叱ったりしなくて……何も分かんねえんだ。脳みそにずーっとモヤがかかった感じがして……美味い飯のはずなのに「美味い」以上の感想も出ねえ……気づいたらゲロ吐いてた。そういう生活が半年くらい続いた。まあそっからも色々あったけど……あ、いや、俺ん話じゃなくて……まあ……その……なんだ」

 

 

 ぼりぼりと頭の後ろをかく。少し気恥ずかしそうに、誰よりも真剣に告げる。

 

 

「お前は、ちゃんと頑張ってっからよ。しばらくゆっくり休め」

 

 

 言葉を丁寧に選び、長々と要領を得ない話を続けた割には、早川デンジの結論はシンプルだった。

 とりあえず、妙な同情ではないのは確からしい。

 

 

「いやあ、そういう訳にはいかないでしょ。だって僕は五条悟だよ? 引く手数多の特級呪術師なんだから──」

()()()()

 

 

 彼の名は早川デンジ。現在日本に滞在する、たった三人の領域展開の使い手の一人。男手ひとつで特級呪霊の妹を育て切った、不死身のヒーロー、チェンソーマン。

 

 

「これから三ヶ月間、お前がやらなきゃならねえ事は全部俺が引き受ける。だから休め」

 

 

 もしかしたら、それはいつかの彼自身が言って欲しかった言葉なのかもしれない。

 

 五条悟はいつも生き残る側で、数多の人々の願いを受け止め、死者の遺言を聞く側の人間だった。それはきっと、これからも変わらない。

 だから、引き受けるなんて言われたのは初めてだった。

 五条悟がこなす任務を代わるのなら、相応の箔が必要だ。のらりくらりとかわしてきた特級術師の座に就き、今後は立場相応に行動を制限されることになる。

 全部分かった上での宣言だった。彼は、決意表明も兼ねて過去を明かしていた。

 無茶でも何でもないのだろう。彼はやると言ったらやる。だから悟の親友はこの男のファンだった。

 

 

「お前にゃレゼとパワーの恩があっからな。()()同士、持ちつ持たれつで行こうぜ」

「………本気?」

「ま、なんとかなんだろ」

 

 

 ニヤリと笑ってピースサインを掲げる。

 それがあんまりにも同級生のふてぶてしさに似ていたから、悟は心の底から笑った。笑いすぎて涙が出た。久しぶりのことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 0巻/純愛編 完

 次回、エピローグ

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エピローグ
僕らとクソ映画


 

 

 

 

2017年 12月24日 

 呪詛師夏油傑による『新宿・品川・京都百鬼夜行事件』発生

 

2018年

 著者『早川那由多』によりチェンソーマンを題材としたノンフィクション本の出版

 呪術界は、百鬼夜行被害及び社会的混乱収束のため、重要機密用語、住所、個人名の秘匿を条件に状況を黙認

 

  ──チェンソーマンブーム 再来

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:早川ナユタ】

 

 

 早川那由多は、チェンソーマンの本を出版した。

 

 卑怯と言うなかれ。コネは立派な財産だ。そう開き直れるくらいに大人の面の皮は厚いのである。

 とはいえ楽な仕事ではなかった。チェンソーマンが関係する事件を時系列ごとにまとめて、参考資料を明記するだけでも膨大な作業が要求された。原稿中で僅かでも言及する全ての人物に対して、実名を公表するかどうかを問わず本人もしくは遺族の許可を得た。改稿回数はゆうに千を超え、サービス残業の合計時間など正直確認したくない。

 『呪霊』は『悪魔』に、『呪術師』は『デビルハンター』に。少しずつ表現を変えてまとめていく。本人許可の出た乙骨憂太と祈本里香の純愛のみ実名表記での出版となった。

 渾身の力作は、第二次チェンソーマンブームの引き金となった。飛ぶように売れ続け、増刷が追いつかないほどだ。己の苦労が報われたことと、兄の素晴らしさが世間に知らしめられたことへの誇らしさでたまらなくなる。

 脱稿明けから続くハイテンションで、早川ナユタはスキップをしながら会社への道のりを進んでいく。

 

 

 ──もしも私が悪い呪霊になったら、私のことちゃんと食べてね。

 ──覚えておこう。悪い呪霊を退治するのは呪術師の仕事だからね

 

 

 かつての約束。二度と叶うことは無い願いを思い出す。

 

 私は、楽しかった。

 途中で途切れてしまったけれど、みんなが笑って終われた時間ではなかったけれど、あの青春は一生の宝物だ。

 辛くて悲しいことが沢山あった、本当に楽しい地獄だった。

 

 

 

 あれから十年が経った。

 

 海外では色々なものを直接この目で見聞きした。

 日本に帰ってからのキャンパスライフも楽しかった。

 呪術や呪霊とは関係ない友達もたくさんできた。

 憧れた通りの仕事にもつけた。

 

 支配の呪霊である■■■は、対等な関係に憧れていた。

 支配の呪霊であるナユタは、対等な関係を愛している。

 

 だから、相手を尊敬して記事を書くのだと語る今の上司に憧れて、呪術師ではなく記者の道を選んだのだ。

 

 呪霊の私がこうしてただの人間として生きている。

 どれだけの努力の上に成り立つ奇跡なのだろう。

 だから、私は、それだけで満足……

 

 ナユタはふっと笑った。酸いも甘いも噛みしめた顔だった。

 

 

 

 

「そんなわけないだろ!! 休ませろ!! パワハラ暴言野郎!!」

「うるせえぞ早川ァ!!」

「訴えてやる!!」

 

 

 

 

 ──それはそうとして数々のブラック労働環境にムカついたので会社都合での退職願を叩きつけた。

 

 労働裁判編 開幕──

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏油傑は死んだ。早川那由多はもう悪い呪霊にはなれない。

 故に、法的手続きという人間による人間らしい人間のための真っ当な手段を以って、職場をむちゃくちゃにして帰ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『早川那由多』には見えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

「チェンソーマン! チェンソーマンだ!」

「チェンソーマン !」「カッケぇーー!」

「付き合って〜!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー、えーっと、しばらく、家に帰れなくなった……」

「お金は月々振り込んでくれるんだよね……? ならいいやぁ」

「お前そういうとこあるよな〜……」

「後こいつらの世話も頼みてえんだけど」

「誰がこいつなんかに!」「夏油様の仇!」

「ひっ!?」

「ビビんなよ、お前の方が強いだろ」

「猿が!」「ふざけんな!」

「ひっ、あっ、そ、そういってもぉ……」

「お前そういうとこあるよな〜……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ニャンボちゃん……」

「お、お酒の飲み過ぎは体に良くありませんよ! 岸辺師範、もう七十歳超えてらっしゃるんですよね!?」

「ニャンボ……ちゃん……無事で……」

「にゃーん」

「よかった……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ところで、私は君が無様に負けて襲撃者に侵入を許したせいで、子供の産めない体になってしまったんだが」

「……いつの話?」

「十年前。夏油は気付いてたぞ」

「めっちゃ罪悪感煽ってくるじゃん」

「何か言うことは?」

「えっ」

「…………」

「責任をとります……?」

「冗談だ。お前の取る責任などいらん」

「じゃあ何で言わせたんだよ! っていうかどこからが冗談!?」

「見て分からないの?」

「六眼はそういうんじゃないんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 『早川那由多』には見えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

「「「あけましておめでとう」」」「しゃけ!」

「それにしても死刑取り消しになってよかったじゃねーか」

「これだけ完全制御できるようになったとこ見せりゃな」

「あー! おっこつだ!」「りかは?」

「デビルハンターだ!」「おっこつ!」「愛してるよのおにいちゃーん!」

「は、ははは、ははは……」

「おう、大人気だな」

「よっ! 日本一有名なカップル」「高菜!」

【ゆ う゛たぁあ  あああ あああああ】

「えへへ、照れるなぁ」

「おっと想像以上に図太いぞこいつ」

「真希! 大丈夫! いけるいける! 望みはまだある!」「とびっこ! とびっこ!」

「殺すぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺、あの里香ちゃんにロッカーに詰められたことがあるんだぜ!」

「す、すげえ……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「いいね、君百点──」

「どんな女がタイプだ?」

「点数伝える前に攻撃されたのは初めてだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 『早川那由多』には見えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おう、お前らが来年の一年か」

「伏黒と……そっち脳みそ飛び出てるけど大丈夫?」

「しゃけ」

【ハロウィン!】

「というか彼、呪霊じゃ……?」

「一応俺の指示は聞きます。五条先生曰く『どうしてかな? 顔が似てるからかな』だそうです』

「クソ適当じゃねえか」

「……で、お前、名前は?」

【ハロウィ〜ン!】

「はあ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

【僕は……なんてことを……】

【■■■■■■■】

【花御は優しいね……でも……】

【ぶふぅー】

【貴様ら揃いも揃って鬱陶しいわ! 話を聞け! 呪術師共に存在が知られた以上、今までとは身の振り方が変わってくる! 気をつけろと言っておるのだ!】

 

 

 

 

 

 

 

 

【あーあー、暇だなあ。あの女もう死んじゃったし、単眼の呪霊も最近見かけないし】

「──君が新宿の改造人間騒動の犯人だね。どんな女がタイプかな?」

【あんた、誰?】

「九十九由基」

 

 

 

 

 

 

 

 

 『早川那由多』には見えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、あの、レゼ先輩……すみませんでした……」

「……見ないでってお願いしたのに」

「あの時は反転術式を使うために……仕方なく……」

「仕方なかったら、先輩のハダカを見るのかあ。このエロガキめ」

「違っ、そういうんじゃっ、あっ、待って里香ちゃん! 違う! 違うんだって!」

「私が術式で服燃やすたびに、こっちを見る気だなー?」

「違うって里香ちゃん!! あの、レゼ先輩ちょっと面白がってますよね?!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「爺ちゃん! お見舞いきたよー!」

「いらん! 帰れ!」

「ひでえ!?!」

「部活があんだろうが! サボるな!」

「だーかーらぁー! オカ研は五時前には終わんの!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 『早川那由多』には見えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

【ガハハハ! 実は! ワシが! 世界最強の呪いの女王だったんじゃぁぁぁ!】

 

 

 

 

 

 

 

 

 『早川那由多』には見えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

「──、─────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『早川那由多』には見えていた。

 

 

 夏油傑の呪い(いのり)も、家入硝子の尽力も、五条悟の決断も、その結末も全てが見えていた。

 

 ナユタの世界は、対等な関係で満ちている。とても暖かくて、愛おしい。

 

 

 

 ……だけど、それを脅かす者がいる。

 ナユタは昔よりずっと弱くなったけれど、小動物の耳ならば今でも借りることができる。

 夏油傑の死体を、夏油傑の望まぬ形で利用しようとする存在がいることに、私だけが気づいていた。

 

 これは、大きな事変の小さな結末だ。

 

 

 『早川那由多』には見えていた。

 だから──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:五条悟】

 

 

 休暇初日。こうみえてワーカーホリック気味の悟は、三ヶ月という史上最長の自由時間を完全に持て余していた。

 とりあえず朝八時から映画館を梯子して映画を見て見て見まくることにした。洋画も邦画も、良作も駄作も区別なく。繋ぎのつもりだった幼児向けの映画が、予想以上に構成も演出もしっかりしていたのには驚いた。確かに保護者も見るものなあと一人で納得する。思えばこうして趣味に没頭するのは久しぶりで、とても充実していた。

 いざ次の作品を見に行こうとしたところで、ポケットから響く不快な電子音に足を止めた。私用のスマホに、見間違いでなければ元後輩であり()()()()()()()はずの伊地知の名前が表示されている。

 

 

『もしもし! 五条さん!』

「何のために僕が仕事用の携帯持ち歩いてなかったと思う?」

『ひっ、す、すみません! でも、一刻も早く伝えなければと思ったので……!』

「くだらない話だったら後でマジビンタな」

 

 

 あの野郎、初日からミスってんじゃんと金髪のムカつく顔を思い浮かべる。新宿の後始末か、それとも上が何か文句をつけてきたか、それとも憂太関連か。考えないようにしていた問題を次々思い起こす。

 だが、伊地知の報告は全ての予想を裏切る内容だった。

 

 

『夏油傑の遺体が盗まれました』

「──は?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 すぐさま高専に足を運び、詳細を聞き出した。

 遺体紛失事件の第一発見者は伊地知だった。真っ先に悟に連絡をしたため、他にこの事実を知る者はいないと説明した。その判断に免じてマジビンタは保留してやることとする。

 他言無用を厳命し、迷わずある場所を目指す。

 犯人を特定するのは簡単だった。現場には見覚えのある残穢がべっとりとこびりついていたからだ。

 

 

 

 

「あのさ、どういうつもり?」

「……にゃあォ」

 

 

 悟が()()()()()のマンションに着いた頃にはすっかり夜になっていた。

 

 

「本当なら討伐任務が組まれる事案だよ。僕一人で来たのは、那由多のことを友人だと思ってるからだ。でも、今回ばかりは気が長くないんだよね」

「……先に言っておくけど、デンジは関係ないよ」

「言い訳は後だ。傑をどこにやった」

「こっち」

「誤魔化さないのはいいことだよ」

 

 

 那由多は悟を部屋に招き入れた。

 玄関で靴を脱ぎ、差し出された来客用のスリッパに履き替えた。明るい色の風景画が飾られた廊下を通り抜ける。

 キッチンからは空腹をくすぐる香りが漂ってくる。丁度夕食を食べていたらしい。

 

 

 

「ここにいる」

 

 

 那由多はリビングを指さした。

 

 

「はぁ? どこに……」

 

 

 なんの変哲もない、食べかけの生姜焼きが置かれている四角いテーブル──

 

 

 

 

 

 

「──お前ッ!!」

 

 

 自分でも、こんな裏返った声が出るとは思わなかった。

 この時ほど己の六眼を恨んだことはない。いや、一目で気づけたことに感謝すべきなのだろうか? どちらにせよ情報を処理しきれない。

 

 

「食べることは、傷つけることじゃないよ。全部一緒に背負うんだもの」

「ふざけんな」

 

 

 技巧も術式も何もない、衝動的に振われた手は那由多の襟を締め上げた。苦しそうな息が漏れる。

 

 

「ふざけっ、ふざけ……なんで……」

「失礼だね」

 

 

 とても、美味しそうな香りがする。

 早川那由多が微笑んでいる。

 

 そこに悪意はなく、敵意はなく、ましてや肉欲があるわけもなく。

 死を冒涜する一切の邪悪は存在しなかった。

 その凪の感情に名前をつけるのならば、確かにこれが一番ふさわしいのかもしれないと、思ってしまった。

 ……そう、思わされてしまった。

 

 

 

()()()()

 

 

 

 愛ほど歪んだ呪いはない。

 憂太にそう語ったのは他でもない僕だ。いくつもの呪いを見届けた人生の中で結論付けた、この世の真理の一つだった。知っていたはずだった。なのにどうしてこんなにも動揺しているのだろう。

 

 

「私はずっとデンジの口に入る肉に嫉妬してた。食べることは愛だから」

「だからって、お前、よくも……!」

 

 

 顔色ひとつ変えず平然と自供を続ける那由多を、壁に叩きつけた。血が飛び散り、壁紙が裂け、ヒビが入る。遠慮はいらない。こいつはこの程度では死なないし、死んでもすぐに蘇る。実際、顔色一つ変えなかかった。

 友人だと思っていた。大切な仲間だと思っていた。たとえ呪霊だろうが、誰が何と言おうが、『早川那由多』だけは例外だと信じていた。それが俺たちの積み上げてきた青春だった。

 

 それがこんな形で否定されるなんて、どうして予想できたろう。

 

 確かに、呪術師の死体は死後呪いに転じることを防ぐため適切に処理しなければならない。それを他人任せに出来ないという気持ちは分からなくはない。素人である彼女にできることは限られているため、理論上は間違っていない対応である。

 だが倫理的に大アウトだ。こんな手段、およそまともな人間が導き出していい結論ではない。

 

 

「お前、イカれてるよ……」

 

 

 夏油傑が、丁寧に調理され薄切りになって食卓に並んでいる。

 早川那由多は親友の遺体を食べていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 大の大人三人が居座るにはやや狭いリビングで、『ミミズ人間2』のブルーレイが再生されている。今のはかなり本物っぽかっただの変色具合の再現が微妙だの小道具に細かい突っ込みを入れる声と、役者の演技やストーリーにあれこれ意見を述べる声がふと止まる。悟の箸がさっきから少しも動いていないことに気づかれたのだ。彼女たちは二人揃ってため息をついた。

 

 

「どうした。女子より少食とか、老けたか?」

「僕はお前らより繊細なの」

「おかわり」

 

 

 東京都立呪術高等専門学校二年同窓会は、今日も大いに盛り上がりを見せている。参加者は硝子と那由多と悟と()。記念すべき第七回目のメニューはヤバ鍋だ。そうとしか形容できないものを皆で囲んでいた。食欲をそそる香りが部屋中に広がっている。そう感じるたび、悟は居心地の悪さに負けそうになった。

 美味しいものしか食べたくない──というのが早川那由多の信条らしい。この十年で彼女の料理スキルは格段に成長していた。自分も準備は手伝っているが、主な指示は彼女が出している。

 那由多が鍋から肉を一切れつまみ、口に入れ、咀嚼した。

 

 

「傑くんってこんな味かあ……」

「そういうこと言うのやめない?」

()()、代わろうか?」

「は!? 食べるけど!?」

「おい、吐くなよ。無駄になる」

「ゲロは食べたくないなあ……」

「もうやだ……」

 

 

 悟は身を投げ出してフローリングに横になり、腹を抱えて丸まった。

 ヤバい。今日のメニューは一段とヤバい。なんたって()()()()。天ぷらにしようとか言い出した女子組を必死に止めた結果がこれだ。

 

 

「やるじゃないか夏油、最強の呪術師にボロ勝ちするとは」

「つまり最強の呪術師に勝った傑くんに勝ってる私たちは……」

「真の最強、だな。ふふ」

「ブラックジョークが過ぎるだろ」

 

 

 この二人以外の発言なら虚式をぶっ放していた自信がある。那由多はともかく硝子まで平気で食べているのが悟には信じられない。僕は、自分がここまでセンチメンタルだったことに驚いている。

 

 

 

 ──妙な気を効かせるな。私に処理を任せておけばよかったものを。らしくないことをするからこういうことになる。

 

 

 僕と那由多の一触即発の状況を仲裁したのは硝子だった。様子のおかしい伊地知に事情を吐かせ、すぐさま駆けつけたらしい。

 そして、誰より怒っていたのも硝子だった。僕が彼女に傑の遺体の処理をさせようとしなかったことにも、那由多が勝手に独断行動を取ったことにも、ひどく腹を立てていた。どいつもこいつも全部一人で片付けようとしやがってと。だったらどうすればいいんだと投げやりに問えば、みんなで決めれば良いと正論が返ってくる。そしてそのまま悟ではなく那由多の味方につきやがった。二対一。夏油傑の遺体の処理方法は『食べる』に決定してしまった。

 

 

「…………マジで?」

 

 

 その場で黙々と生姜焼きを食べだす二人についていけず、呆然と立ち尽くした。

 夏油傑。道を違えてしまったけれど、たった一人の親友だった。敵として相対したなら迷わず術式を発動できるだろうに。なにがどうしてこうなった。

 意を決して向き合った後も、何度もかつての思い出が甦り箸が止まった。僕は何をしているのだろう。

 

 工夫を凝らされた手料理をたっぷり食べる生活を送っておきながら、悟は一週間で五キロ痩せた。なんて画期的なダイエット! 最悪だ。

 

 一度冷蔵庫の中を早パイに見られた時は肝を冷やしたが、「なるほどな」の一言でスルーされてしまった。何が? 何がなるほどなの?

 

 

「全部終わったら寿司でも握ってやるよ。満漢全席でもいいぜ。肉料理以外ならなんでも」 

 

 

 それ以来、史上最悪の気配りが定期的に差し入れられるようになった。ミキサーと鍋、大皿、鋏、やたら刃渡りの大きい包丁に砥石。ニンニクや香草、調味料にレシピ本。

 彼の過去の発言の数々を思い出し、もしかして経験者なのではと思い至りかけたところで、それ以上の詮索をやめた。世の中には暴かない方がいい真実というものもある。

 

 

 ひとまずは、こちらを見つめる黒い目玉をどうにかして打ち倒さなければならない。深呼吸する。口を開ける。噛み締める。意を決して味わった。──超美味い。ウケる。後味にと用意されたコーラ味のチュッパチャプスの出番は今のところ無さそうだ。

 

 

 

 

 

 ──こうして。

 およそ三ヶ月間まるまるかけて、僕らは夏油傑とひとつになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【side:夏油傑】

 

 

 夏油は爆笑していた。

 涙が出るくらい、心の底から笑った。

 親友だった奴の意外な繊細さと、愛するクラスメートたちの馬鹿みたいな図太さを指差して。

 

 スクリーンに映る最低最悪の同窓会は、最高のエンターテインメントだった。

 

 あー笑った笑った、と目の端を拭う夏油の背に声がかけられる。

 その男に会うのは初めてではない。けれど、目が合うのは初めてだった。長身のスーツ姿の青年。伸ばした黒髪を後ろで一つ括りにし、ピンと立てている。

 へえ、意外とイケメンじゃないか。どうでもいいけど。

 

 

「面白かったか?」

「最高のクソ映画だったよ」

 

 

 エンドロールが流れる。そろそろ行かなければならない。

 

 

「あいつらの話、色々聞かせてくれ」

「私もぜひ聞きたい。貴方の名前は何度も耳にしたからね」

「あと、妙にお前に怒ってる子が先に来てたぞ」

「……それって三つ編みでヘアバンドをつけてる女の子だったりする?」

「よくわかったな」

 

 

 名残惜しいが時間だ。客席から立ち上がる。次の観客が来るまで、しばらく上映は中断だ。

 

 

「直伝の最強の大会を開くって張り切ってたぞ」

「最強の大会……?」

「なんだ、お前知らないのか」

 

 

 じゃあ直接会ってからのお楽しみだな、と男は愉快そうに肩を揺らした。

 

 

「まあ、色々あったようだが、気楽に行こうか」

 

 

 夏油傑はその生涯の幕を閉じた。後に遺恨を残すことはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「「ごちそうさま」」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  チェンソーマン×呪術廻戦

 

 『東京都立呪術高等専門学校二年転校生早川那由多』

 

  完

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

設定
設定集等 ※最終話読了後閲覧推奨


 

 

 

 

 これにて完結になります。

 「夏油傑の生姜焼きが食べたいなあ」という動機から執筆を始めたクロスオーバーですが、当初の目標通り無事完結できてよかったです。

 ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

 せっかくなので個人的にメモしていた世界観のすり合わせやプロットなどのメモを置いておきます。

 

 

 

 

 

 

《目次》

①執筆について

②キャラについて

③道具、術などについて

④その他

⑤このクロスオーバー世界のその後

 

 

 

 

 

 

 

 

《①執筆について》

■執筆時期

2020/12/26〜2021/2/16

呪術:単行本14巻

チェンソーマン:第一部公安編終了時点

 

 

■初稿

 デンジと虎杖世代を同年代設定にして、公安退魔特異四課が交流戦に参加する話を書き始めたが、マキマと五条とメロンパンを同時に処理するのが難しすぎたため没に。

 年表を確認して『チェンソーマン本編』→『懐玉/玉折』→『0巻/呪術本編』で十年スパンなことに気づいて面白かったので今の形に。

 

 

■世界観

 呪術世界ベースに悪魔が呪霊として存在している。銃の事件のせいで、命の危機に瀕した時にはギリ呪霊が見えるレベルの人が全員常時呪霊が見えるようになっている。呪術師が増えたわけではないのに呪霊は増えた。

 地獄は存在しているが呪術界でメジャーな知識ではない。

 

 

■敵共通モチーフ

 「前世代の事情で次の世代の青春を邪魔する人達」。記憶のないパワーと行動原理が地続きではないハロウィンのみ例外処理。

 

 

■ライブ感

 プロット段階では登場/生存しなかったはずのキャラがやたら生えた。ハロウィンが一番わかりやすい。あと4人いる。

 

 

■各話タイトルネーミング

 一章二章は呪術っぽいタイトルでチェンソーマンキャラの敵と戦う。

 三章四章はチェンソーマンっぽいタイトルで呪術キャラの敵と戦う。

 

 

■「」と【】

 人間の発言は「」、呪霊の発言は【】で統一。

 

 

■全4章構成(プロット)

全体テーマ『世代交代』

サブテーマ『学校/食事』

 チェンソーマンも呪術廻戦も、とある愛や死の終わりが色々な形で影響を与えている様子が丁寧に描かれるのが好きだったので、デンジ世代→さしす世代→乙骨世代に時間経過させると最初から決めていた。

 また、チェンソーマンが第一部を経て学校へ通う普通の生活にたどり着く物語であること、呪術廻戦が若人の青春を得難い大切なものとして描いている物語であること。また両作品ともに食事シーンを表現として多用していることなどからサブテーマを決定。

 

 

■1章 血の呪霊編メモ

 青春入門編:ナユタ、さしすと友人になる

小テーマ『各キャラ紹介』

壱:導入/予言のナユタ/岸辺/「〜までの青春の物語だ」

弐:那由多の呪術ナイズされた設定開示。夏油強化フラグ/天使の輪

参:デンジ登場/夏油傑の対那由多への認識変化

肆:クロスオーバーした世界観の説明

伍:血の呪霊戦(※作中ではパワーと呼ばせない)

陸:ゲラゲラ/制服/ナユタとデンジとの現在の関係/天使始動

 

■2章 天使の呪霊編メモ

 青春基本編:ナユタ、青春する

小テーマ『友達になった距離感提示』

壱:楽しい日常回/ハロウィン伏線/領域展開伏線

弐:楽しい日常回/心が二つある/天使襲撃

参:五条悟にキレさせたかった/赫/領域展開

肆:パワーと契約伏線/虚式/アキ天

番外壱:ヒロフミ出してえ〜〜/厄介パワー/「もしも私が悪い呪霊になったら、私のことちゃんと食べてね」/向かい合うチェの例の構図

番外弐:反転術式/ナユタとデンジの関係変化

 

■3章 懐玉編メモ

 青春応用編:ナユタ、やらかす

小テーマ『クロスオーバーした結果生まれた変化の答え合わせ』

100点満点の男:マキマ衣装(制服)伏線/デンジ顔見せ回

旅行のお代は:クロスによる行動変化の清算開始

夢:無限ハロウィン戦/最近俺の戦う敵が全員俺の無下限メタってくるんだけど/天内理子の夢

君のことが大大大大大好きな八人のデビルマン:チェンソーマン初変身

五条悟と式神達千二百六十一億人斬り:家入の意地/五条完成/予言のナユタオマージュ/沖縄土産と日常回帰

ワシの名は:夏油視点/『この世界は彼女たちに優しくない』/コーラ味のチュッパチャプス/もう悪い呪霊にはなれない/リコ爆誕/「〜までの青春の物語だ」伏線回収

 

■4章 純愛編メモ

 青春解答編:ナユタ、大人になった

小テーマ『死と尊厳と純愛とインフレ』

100点満点の少年:乙骨登場/完全に次世代に映った表現としてしばらく視点を次世代キャラ縛り

突然:突然

戦線布告:ハロウィン現状/五条悟視点

決戦前夜:乙骨/五条悟/パワーとニャーコ/ハロウィンセックス

再会:京都新宿百鬼夜行/パワー伏黒遭遇/京都/品川拠点襲撃/早川那由多登場「好きな女の子の名前を教えてくれる?」

兄妹チェンソー:那由多VS夏油傑/初デンジ視点→ナユタ合流「お兄ちゃんを遂行する!」/無為転変

ビーム・ビーム・ビーム:呪霊組VS天使戦/夏油傑VSチェンソーマンVS乙骨市街地戦/銃/大義/純愛/友情/インタビュー/里香解呪失敗

正しい死:家入硝子の青春への眼差し/天内理子とパワーとの決着/五条悟笑い泣き

僕らとクソ映画:ナユタ労働裁判編開幕/生姜焼き! 映画館!/夏油傑泣き笑い

 

 

■死亡回数モルペコ

 五条悟が手癖でたくさん死んだ。プロット上で死なないはずの場所でもたくさん大怪我していた。同じ回数だけ復活して強化された。

 

 

■デンジ視点

 学生組と距離を出すために、一〜三章では縛られてた。四章で学生組が成長して同じ大人になったので解禁。

 

 

■突然

 これねじ込んだせいで想定より二話増えた。

 

 

 

 

《②キャラについて》

■早川那由多

 主人公。『予言のナユタ』の参考比率が大きい。チェンソーマン学生編が始まるまでに完結できなければこのSSはエタる予定だった。

 実は一章開始時点が一番強い。精神的に成長するにつれ、人間としては強かになったが、支配の力は弱体化していた。最終章後はチェンソーマンのノンフィクション本の印税の権利をめぐり会社と裁判を続けている。

 美味しいご飯とお兄ちゃんが好き。

 

 

■早川デンジ

 前作主人公ポジション。学園生活、受験、就職などを経て大人になり、相応の落ち着きを得たが、百点満点野郎なことに変わりはない。

 ブラックコーヒーと妹が好き。

 

 

■五条悟

 岸辺採点は70点の最強。最終話の展開は最初から決めていたので、そこから逆算しての70点設定だった。

 爆速でレベリングした結果懐玉編時点で領域展開ができるようになった。チェンソーマン側の要素分強化されているはずなのに強くなっているようには見えない不思議。

 俺が最近戦う敵がさあ!! 全員俺の無下限メタってくるんだけど!!

 

 

■五条→デンジの嫌悪

 一般人か無能な呪術師か有能な呪術師かという枠組みの中で生きてきたところに、呪術師として有能くさいのに呪術師せずに一般人してる例外として現れ、なんだこいつと訝しんでいるところに大人ヅラをされ、反骨精神が合わさり嫌いになった。「職務放棄野郎が何偉そうにしてんの?」系の感情。

 デンジがそれなりに苦労をしていることを知ったのと、本人が大人になったことなどで自然消滅した。

 大人五条と大人デンジ、大人五条と子供デンジ、子供五条と子供デンジの組み合わせでの出会いなら爆速で仲良くなってたと思われる。

 

 

■夏油傑

 真面目すぎるので、岸辺採点だと20点の人。

 作中で『血』『天使』『永遠』『銃』などをゲットした。呪術師家系ではないので術式のマニュアルがなく、独学での限界を感じていところで『支配』の力の使い方を知り、ちょっと強くなった。

 線引きがはっきりしているタイプなので一章では早川那由多をクラスメート扱いしていなかった。二章からは身内扱い。

 幼少期に公安編のチェンソーマンに助けられたことがある。とてもマナーがいいファン。

 

 

■夏油のファン設定

 チェンソーマンいたら絶対好きだろうなと思って……

 もうちょっと突っ込むと『ヒーローへの憧れ≒呪術師の理想』の類似構造から。

 

 

■家入硝子

 クロスオーバーによる変化というより、結果的に五条・夏油らと同行する機会が増えて心情的な変化が大きい人。五条悟にサイヤ人というあだ名をつけた張本人。那由多という女子の同級生が出来たのが普通に嬉しい。那由多と一番仲がいい。物理的な戦闘力は低いが怒った時の行動力は同期と遜色ない。

 最終話が綺麗に纏まったのは彼女の采配のおかげといっても過言ではない。

 

 

■理子ちゃん

 尊厳が大変なことになり続けた人。

 親と死別→人柱予定の生活→銃殺→斬首→拍手→墓荒らし被害→血の呪霊受肉→加害者生活→ 無為転変→大虐殺

 現在は最強の大会の参加者募集中。

 

 

■リコちゃん

 クロスオーバーの結果受肉した人その1。生まれる前のことは一切覚えていない。

 壊滅的な性格の悪さにより『支配』も『呪霊操術』も『縛り』も『無為転変』も忘れて魂レベルの記憶改竄をしてくる。ずるい。夏油のことは割と好き。

 

 

■天使

 海外指定の特級仮想怨霊。チェンソーマン原作で死亡し、即リポップして、花御たち呪霊組と十年間ほど仲良く過ごしていた。例外的に公安編での記憶が残っている。天与呪縛で能力をオフにできない。能力はアホみたいに強いが、本人が使いたがらないので実質最弱の特級呪霊。

 

 

■伏黒甚爾

 五条たちが強化イベントを積んだ分、しっかり対策してきた人。

 自分も他人も尊ぶことない生き方を選んだ証として、コスモを呪具扱いで連れ回し、使い潰した。結局自尊心を捨てられなかったこともあり、コスモを無駄死にさせたと若干申し訳なく思っている。

 肉弾戦はクァンシとほぼほぼ同じくらいの強さ。彼女と戦う場合、決定打になりうる呪具が無いまま耐久戦に持ち込まれるとかなり厳しいが、そもそもそんな状況に持ち込まれた時点で即時撤退を選ぶ性格なので負けはない。

 この世界線の学生編でデンジと戦ったことがある。

 

 

■コスモ

 クロスオーバーの結果受肉した人その2。

 死産だった五条家の男児を依代に受肉した特級呪物。五条織という名前だったらしいが本編では誰にも呼ばれない。生得領域の外ではハロウィン以外の言葉が喋れない。精神干渉技には完全耐性を持っている。彼が伏黒パパを禪院甚爾呼びするのは、オガミ婆の降霊術で禪院呼びなのと理屈は同じ。

 クァンシとは女女だったので、パパ黒と組ませることを決めた段階で男になった。

 武闘派スパダリ女性と武闘派ヒモ男がタイプでハロウィン! 伏黒甚爾には全く気づかれていなかったが、性的な好意を寄せていた。

 

 

■伏黒恵

 次世代メンツその1。原作前なので相応の強さ。百点組との対比で判断速度はやや遅め。最終的にハロウィンにとても絆されているが、彼と同居を続けるのは色々な意味で危ないのでやめたほうがいい。

 

 

■乙骨憂太

 次世代メンツその2。純愛編前篇の語り部。

 一度決めたことへの思い切りが良すぎる激情家タイプの百点満点。デンジへの好感度は高いがパワーへの好感度は最底辺なのでリポップした血の呪霊との再会時に死ぬほど揉めた。

 レゼのことは同級生三人と同じくらい大切に思っている。

 

 

■祈本里香

 解呪に盛大に失敗したが特に気にしてない。早川那由多とは特級呪霊ガールズ同盟を組んだ。ピンポイントでデンジをやたら殺す。

 

 

■レゼ先輩

 次世代メンツその3。記憶喪失なのでチェンソーマン原作より弱い。何も覚えていないし、戦闘技能以外のことをこれから思い出すこともない。

 デンジのことは実の父親のように慕っている。

 

 

■岸辺

 このクロスオーバーのMVP。シン・陰流の伝説の師範代。デンジを呪術師の世界から遠ざけたり、ナユタを高専に通わせる手伝いをしたり、幼少期の五条悟の武術指導をしたり、天元支配未遂騒動の後始末をしたり、シン・陰流の後進指導をしたり、特級呪霊のコミュニティに単身踏み込んだり、ニャンボちゃんの体調不良にショックを受けたり、死ぬほど忙しい日々を送っている。引退したいけど若者が死ぬのを見る方が辛いのでまだ現役をやっている。

 

 

■三輪ちゃん

 シン・陰流の期待の新人。岸辺に対して、口に傷があるしピアス開けまくりだし何考えてるかよくわからないしシン・陰流の先輩はみんな恐れ敬ってるしで最初は怖がっていたが、携帯の待受がニャンボちゃんなことに気づいてから爆速で打ち解けた。良い子。

 

 

■ 吉田ヒロフミ

 一級術師。高専のOB。上も下も同期も軒並み任務で死んだ中で普通に生き残った実力者。この世界におけるチェンソーマン学生編でデンジと友達になった。

 初対面の野薔薇から女殴ってそうと偏見を向けられた。

 

 

■?

 まだ真人ではない名無しの呪霊。新宿でアホみたいな数の被害者を出した。そのせいで各所から目をつけられた。リコには突然車で轢かれ、今は九十九さんのケツに敷かれている。

 

 

■呪霊組

 このクロスにおける漏瑚は元は根源的恐怖の悪魔だったが『比尾山大噴火』の畏怖をチェンソーマンに食われた影響で大幅に弱体化し現世に生まれた的な設定があったりなかったりしたが言及タイミングを逃し一ミリも触れられなかった。残念。

 

 

■早川家の犬

 マレーシア逃避行中は岸辺さんが世話してた。

 

 

■マキマさん

 このクロスオーバー中で伏せ字ではない状態で彼女の名前を呼ぶのはデンジだけ。特級術師。総理大臣経由で日本国民全員と縛りを結んでいた。

 仮に存命だとして、対五条悟戦を想定した場合、一番彼に優位を取れる戦法は「日本国民すべての命を人質にする」なので、そもそも戦闘が発生しない可能性が高い。

 

 

 

 

《③道具、術などについて》

■パワーバランス

 闇、チェンソーマン(ポチタ)、両面宿儺、マキマさん、五条悟(本編時点)あたりをトップ層として調整。

 

 

■術式開示理由づけ

 岸辺先生「呪術戦にも流行り廃りがある。二十年前(チェンソーマン時代)は初見殺し重視が普通だったが、最近(呪術時代)は相手を仕留め損なわないよう開示する奴が多いな」

 

 

■チェンソーマン組の術式

 技名を叫ぶのがカッコいい呪術廻戦と叫ばないのがカッコいいチェンソーマン側で一番事故ったところ。呪術っぽい設定はあるけど術式開示をしない/呪術キャラ側が仮称で名付ける/伏せ字などの手段で誤魔化された。『支配術式』『天命操術』『焔硝呪法』等。サウザンドテラブラッドレインはサウザンドテラブラッドレイン以外の何者でもない。

 

 

■支配術式

 見下した相手を支配し操ることができる。支配した相手の術式を使用したり、自分の死を押し付けたりすることもできる。領域展開をすることで、今まで支配したことのある存在を死者含め再び使役できるようになる。

 二十五話における術式の借用の使用条件は

 ①術者が対象者を対等な相手だと認識している

 ②対象者が術者に対し借用前に了承する

 ③術者の主観において反社会的行為目的では無い

 の三つ。

 

 

■■■■■ ■■■■(マキマ)

 那由多/マキマの領域。外観は予言のナユタより引用。名称については、物語のノイズになりそうだったので伏せ字になった。支配したことのある相手を式神として使役できる。那由多の場合は、全盛期のマキマとほぼ同じ力が振るえるようになる。マキマの場合はあまり領域展開のメリットはない。

 

 

■焔硝呪法

 黒色火薬の原料である硝酸カリウムの古名より。爆裂呪術とかじゃないのはそっちの方がかっこいいと思っただけなので特に意味はない。打ち上げ花火関連の細かい技名もノリノリで作った(例:紅光露、菊先紅蜂、等)けど本編では呼ばれない。本当の術式名はロシア語らしい。

 

 

■天命操術

 夏油傑により命名。操術と呼ばれているが、奪うことしかできない。極ノ番は寿命武器生成。五年で二級呪具、十年で一級呪具、百年で特級呪具相当。上限はない。寿命武器の性能は、元の人間の才能や呪力には一切左右されない。

 

 

■寿命武器

 この作品に登場したのは『術式発生前にオート迎撃してくれる刀(複数同時攻撃に弱い)』『治癒妨害の槍(一度死んでからの復活の妨害は出来ない)』『里香ちゃんにぶっ壊された槍』『ミゲルの25万年武器』など。

 天使くんの天与呪縛バフがないと1000〜10000倍ほど寿命変換効率が落ちるので仮にうずまきなどで術式のみを抽出すると死にスキルになる。

 

 

■Domain Expansion『■■■, ■■■, lema sabachthani』

 天使くんの領域展開。外観は天使くんの故郷から引用。名称については、呪術の領域展開は仏教用語引用なので、聖書から引用。伏字部分の理由は、チェンソーマン世界で神の概念は既にチェンソーマンに食べられているくさいため。直接肌に触れなくても寿命を奪えるようになるが、天使くん的にはデメリットでしか無いので二章で初使用となった。

 

 

■赤血操術もどき

 パパパパワーの術式。正真正銘の赤血操術。ただし他人の血液だろうが「その血、ワシの(領域)じゃないか?」で必中操作をしてくる。ズル〜……。

 

 

■無下限呪術もどき

 コスモの術式。無限の情報を相手の脳に流し込み、ハロウィンのことしか考えられなくさせる。物理現象に干渉できないので、双方への干渉可能な無下限呪術の下位互換という扱い。ただしまともな精神構造で彼のような使い方は出来ない&五条悟は殴ったほうが早いと考えがちなのでオンリーワン状態。

 

 

■ハロウィン

 コスモの領域。森羅万象を知った者はハロウィンのことしか考えられなくなるのです。ハロウィン。

 

 

■超跳腸・胃胃肝血

 チェンソーマンの領域。超テンションが上がってなんか行ける気がしてくる。つまり勝ち確bgm領域。チェンソーマンが食べたモノで構成されている。ポチタが使うともっとヤバい効果が付与されるらしいが、デンジには使えない。あ〜? これが正解だよなあ!?

 

 

■呪霊憑き『蛸』

 蛸を使役できる。墨か暗闇で隠れているところからしか足を呼び出せない。仕組みはパパ黒の持ってた万里ノ鎖に似ている。

 

 

■呪霊操術

 原作外の使い方として、弱小呪霊に全てを捧げさせ本来以上のスペックを出させたり、呪霊を格納出来るのを悪用して銃の肉片を大量に持ち歩いたりしていた。銃の肉片が体内にあると、他の銃の肉片がある方角が分かるらしい。

 

 

■強制的に気分を和ませる花畑

 呪術本編に登場したやつ。花御が天使くんに餞別で一個くれた。

 

 

■阿毘達磨の眼

 元ネタは『阿毘達磨俱舍論』。仏教の教義体系を整理・発展させた論書。

 宇宙の呪霊の眼。この世の全てを内蔵しているためか、宿儺の指ほどではないが受肉対象をかなり選ぶ。ハロウィンの元になった胎児は無下限術式持ちだったので適応した。

 

 

■義指心中立

 元ネタは遊女が客と偽物の小指で嘘の契りを交わしたというエピソード。一度だけ契約破棄ができる呪物。漏瑚のコレクション。契約破棄したい相手が男性である場合にしか効力を発揮しない。

 登場が唐突になりそうだったので、事前に「主従関係の契約破棄ができる呪物自体は存在する」という前振りがなされた。

 

 

■伏黒甚爾が家入硝子を刺した呪具

 元ネタは特にない。自然治癒以外で治らない傷を作る短剣。伏黒パパが家入硝子対策で使った。本来は再生が早い呪霊を倒すために使う。二級呪具。

 

 

 

 

《④その他》

■ナユタが二年に転向してきた理由

 そもそも年齢的に五条世代と同時入学予定だったが、方々への説得が間に合わなかった。一年留年しても良いと言われたが、進学と就活で不利というデンジの意見により編入という形になった。高専は中途入学者(乙骨など)は元が何年生だろうと一年からスタート説があるがこの小説では編入は普通という設定を採用。

 

 

■握り寿司と満漢全席

 デンジは2007年時点では作れなかったが2017年時点にはマスターしてしまった。欲望に果てはない。

 

 

■勘違い1

 五条はデンジがアキを食べたと思っている。

 

 

■勘違い2

 デンジは伏黒が両面宿儺に切ない片思いをしていると思っている。

 

 

■ 夏油の問題の部位

 「平等に三等分」「何を?」「まんじゅう二つを三等分する切り方とかなんとかってやつなかったっけ」「ググれ」「いっそすり潰すか」「というかこれセクハラじゃない?」「今更」「解剖で見慣れてる」「最悪」「独り占めしたいの?」「その言い方やめろ」などの相談の後、感性が小学生のままの最強が二つの博多通りもんを三等分にして横にチンコの落書きを添えてお茶請けに出しそれが既にベロンベロンに酔っ払っていた女性陣に大ウケ、最終的に何一つ調理作業が始まらないまま全員寝落ちし、延長戦に突入した。

 

 

■二章病院での、自販機の前の椅子

 あ! あれはチェンソーマンあるあるの向かい合わせに座った二人のうち片方が死ぬ構図!

 夏油傑と早川那由多はここで「もしも私が悪い呪霊になったら、私のことちゃんと食べてね」という約束を交わした。

 

 

■「聖母様みたいに優しくて」

 サン・ピエトロのピエタ。小説でこの手の構図オマージュするのは難しいなと思った。

 

 

■心が二つある〜

 ちいかわをよろしくお願いします。

 

 

■写真に映る呪霊

 人間に友好的な呪霊。人の形に近いことが多い。具体的にはナユタ(とマキマ)と天使。ちなみに真人は映らない。

 

 

■ホラースポットとして有名な青い池

 実在する観光地。1997年に発見された。残念ながらこの世界において銃の呪霊出現年度のあらゆる事物はホラースポットになってしまっている。

 

 

■呪霊の味

 本編だと夏油は誰にも話してないけど那由多がガンガン尋ねるせいでいつのまにか周知の事実になっていた。

 

 

■岸辺採点

 百点満点は乙骨と東堂と両面宿儺と真人。

 

 

■五条悟が那由多を勧誘してる理由

 単純に信頼できる人員が欲しいというのと、下等生物経由の情報収集能力と、本人の政治力を見込んで。学生時代よりも弱体化してるので、戦闘に関してはそんなに期待してない。

 

 

■品川

 夏油たちが大暴れした結果、新宿品川京都百鬼夜行になってしまった。

 チェンソーマン人気復活と同時に、最新の事件現場である品川で『憂太さん』にあやかり告白するのが若者の間でブームに。復興のため自治体も人気にあやかった結果、学生のデートスポットとして定着した。

 

 

■特級術師(チェンソー側)

 デンジ、サンタクロース、クァンシ、マキマ

 

 

■特級呪霊(チェンソー側)

 チェンソーマン、血、天使、四騎士、デビルマン、宇宙、未来、台風、闇、地獄、他

 

 

■1997年東京 海外呪術師襲撃事件

 ドイツからは『傀儡操術』のサンタクロース、中国からは最古の呪術師クァンシ他、複数の海外呪術師らによる東京襲撃事件。当時の特級術師マキマと一級術師岸辺らを中心とした防衛作戦が行われた。

 夏油傑の百鬼夜行以前は一般人被害者数ダントツ一位の歴史的大事件だった。

 

 

■このクロスオーバーにおけるチェンソーマン学生編

 色々あった結果デンジはチェンソーマンであることを隠すようになった。

・デンジ、教育学部への進学を決意

・ナユタ、チェンソーマンの領域展開を見る

・ヒロフミ、デンジと友人になる

・禪院甚爾、デンジらとニアミス

・チェンソーマン、悪魔の悪魔を食べる

 等

 

 

■三章後に五条悟が死にかけたクソみたいな事件一覧

 ①五条悟VS映画の呪霊:映画館に行ったら死にかけた

 ②五条悟VS銃の肉片666kg:全編アクション、一番予算がかけられてそうなバトルだった

 ③五条悟VS三匹のポチタ:デンジが心臓抉られて死んだと思ったらポチタが三匹見つかった

 ④五条悟VS反逆のハロウィン:武闘派スパダリ女性不足と武闘派ヒモ男成分の不足が原因

 ⑤五条悟VS闇の悪魔 ぶらり地獄旅番外編:サイヤ人方式で復活後殺しきれなかった初の事例になった

 ⑥五条悟VS飢餓の騎士:勘弁してくれ

 ⑦チェンソーVS五条悟:最終的に縛りを二つ結んで最終章純愛編へ

 ⑧五条悟VS25万年ミゲル ←new‼︎

 

 

 

 

《⑤このクロスオーバー世界のその後》

■今後の展開

 高専組(五条&虎杖世代)と、地味に五条悟と家入硝子の寿命を奪ったままの天使(呪霊陣営)と五条悟の手綱を取りたい上層部(呪術界)とオリチャー発動中のメロンパン(メロンパン)と無為転変で天使に反転術式を習得させられることもあり全陣営から狙われている真人(九十九一派)が入り乱れる乱戦が始まる。なお両面宿儺はマイペースに伏黒恵を推している。

 

 

■各キャラその後

ナユタ:チェンソーマンの独占取材本で有名に。フリーのライター。趣味で呪霊を退治している。

デンジ:五人目の特級呪術師に。乙骨とミゲルと共に海外へ。

血の呪霊:どこかでいずれリポップする。まだパワーではない。

天使の呪霊:呪霊組とワイワイしている。五条と家入の寿命をストックし続けているので各方面から狙われてる。

ニャーコ/ニャンボ:長生きする。

岸辺:まだ引退できない。

三輪ちゃん:岸辺さんの直弟子になった。

コベニ:プロポーズは延期になったけど月々生活費振り込んでくれるなら良いや…って思ってる。

ミミナナ:コベニの下で保護観察中。コベニが強いのか弱いのか分からなくて混乱している。

五条:体重はすぐ戻ったけど、しばらく生徒に焼肉は奢らなくなった。

家入さん:三ヶ月の間に五条と付き合って即日別れてを二、三回繰り返した。

乙骨:日本一有名なカップルになった。海外でリポップした血の呪霊と遭遇しデンジと大いにもめる。

祈本里香:解呪RTAを盛大に失敗した。毎日が楽しい。

レゼ:今日も学校生活が楽しい。いずれ特級術師になる。

?:九十九さんのケツにしかれている。

九十九由基:呪霊の原因療法が出来るかもしれない可能性を見つけてハッピー。

吉田ヒロフミ:京都交流戦関係で高専に来る。

東堂:特に変わりなし。

メロンパン:狙ってた身体が生姜焼きになっちゃったのでオリチャー発動中。

伏黒甚爾:ハロウィンのせいで風評被害がすごい。

伏黒恵:宿儺にも気に入られたせいで特級呪霊専門のフェロモン体質疑惑が生まれた。

虎杖:テレビっ子なのでチェンソーマンに詳しい。

野薔薇:コスモのファッションセンスが良いのでよく買い物に連れて行く。

ハロウィン:一年トリオに割り込み4人組になる。

理子:最強の大会した。

夏油:最強の大会やられた。

アキ:最初から最後まで死んでた。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。