学園黙示録 DEAD or ALIVE (もちごめ)
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プロローグ


学園黙示録の二時創作です。二次創作、及びオリ主が嫌だという方はバックを推奨します。それでもOKだという方はぜひ読んでいってください。





 

 

 

 終焉は、たった一つの放送から唐突に、そして爆発的に広まった。

 

『全校生徒・職員に連絡します! 全校生徒・職員に連絡します! 現在、校内で暴力事件が発生中です! 生徒は職員の誘導に従って直ちに避難してください!』

 

 突然校内に流れた緊急事態を告げる校内放送。最初は誰もが避難訓練か何かだと思って取り合わなかった。しかし、切羽詰まった教師の声と、スピーカーから小さく、ほんの微かに聞こえてくる悲鳴と放送室を激しく叩く打撃音が、それが訓練でも悪戯でもないことを物語り、校内は一瞬にして静寂に包まれた。

 

 そして──

 

『ギャアアアアアッッ!!! や、やめてくれ! 助けてくれ! 痛い痛い痛い!! ぐわぁぁぁあ!!』

 

 激しく争う騒音と、耳を劈く断末魔が響き渡り、しばらくして静寂に包まれた。付けっぱなしのスピーカーから聞こえてくるのは、「ハァァァ」という呻く獣のような息遣いだけ。

 静かになった校内では物音を立てる者も、動く者すらいない。外で体育を行っているクラスでさえもその動きを止め、蹴り飛ばしたサッカーボールが誰に拾われることなくグラウンドの隅に転がっていった。

時間にしてほんの数秒のことだった。だが、それが1分にも1時間にも感じることができそうなくらいゆっくりと時が流れ、やがて、

 

『キャアアアアアア!!!』

 

 一瞬にして校内は、阿鼻叫喚の地獄と化した。

 

「……これは、一体どういうことだ?」

 

 雪崩のように教室を飛び出していった生徒や教師達。我先にと駆けていく彼らは目の前を遮る人間を蹴飛ばし、殴り飛ばし、突き飛ばして、そうして一目散に正面玄関へと向かった。言うまでもなくどこの教室ももぬけの殻となるが、たった一つ──3年A組では、一人の青年が今起こっている事態に戸惑いつつも、落ち着き払った状態で留まっていた。

 

「……何が起きてるか分からないが、とにかく冴子の所に行かないと」

 

 青年は教室を出て、“彼女”がいるであろう剣道場を目指して走り出した。全速力で、途中ですれ違う人混みを掻き分けながら青年は長い廊下を駆け抜け、階段を駆け下りる。彼の目にはもはや“彼女”しか映っていない。なぜなら“彼女”は青年にとって絶対に失うわけにはいかない大切な存在だから。

 それに、約束したのだ。

 

『何があろうと、命をかけて彼女を守る』と。

 

 数年前のあの日──“彼女”が深く傷ついてしまったあの不幸な事件があった日に。

 

 

 青年の名前は『片桐一真』。藤美学園生徒会長を務め、この全てが終わってしまった世界で生き残りを賭けて戦う者の一人である。

 

 これは、そんな彼の物語。

 

 





主人公設定

名前:片桐一真(かたぎりかずま)
性別:男
Age:18

私立藤美学園に通い、生徒会長を務める青年。文武両道で生徒達に慕われ、また教師達にも一目置かれて信頼されている。剣道部にも所属しており、男子部長を兼任している。女子部長である毒島冴子とは毒島家の剣術道場に入ったのがきっかけで知り合い、それ以来の付き合い。中学生の時に冴子が暴漢に襲われたのをきっかけにお互いの想いに気付き、付き合ってはいないがそれと同等の好き合っている関係になっている。14歳の時に事故で両親を亡くし、親戚の南リカの元に身を寄せる。そのため、鞠川静香とは知り合いで仲もいい。また、宮本麗とは2年生の時に同じクラスで仲が良く、彼女が留年した理由を知っている。紫藤のことは、そういう経緯もあるがもともと個人的に嫌っている。

基本的にはこのような設定です。



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Act,1『World End』

えー、第一話ですが、非常に短くなっております。

言い訳をするなら、この区切りがちょうど良かったから、とだけ言っておきます。

はい、そうですね。さっさと次話に移ります。なるべく早く投稿できるように心がけますが、最近忙しくなってきたので分かりませんね。ですが、読んでくれたら嬉しいです。感想など書いてもらえればもっと嬉しいです。




 某県、床主市。太平洋に面した港町で、人口100万人を超える地方都市である。その床主市の西部に位置する丘陵部には、私立藤美学園高等学校が建っている。進学校というわけではない、普通のどこにでもある全寮制の高校だ。

 その校内にある剣道場では、バシンバシンと竹刀を激しく打つ音が絶え間なく響いていた。道場の中にいるのはたったの二人。どちらもこの学園に通う生徒なわけだが、両者の気迫はもはや常人が到達できる域をとうに超え、滲み出る闘気がさらにその場の緊迫感を高まらせていた。

 両者ともに防具を付けていてその詳しい容姿は分からないが、一人は腰まで届くほど長い紫髪で、起伏の富んだ体型をしていることから女性だということが分かる。そしてもう一人も一見何の特徴もなさそうだが、無駄なく鍛えられた筋肉から男性だということが伺えた。

 

「…………ッ」

 

 間合いを図りながら機を伺い睨み合う二人。すると先に動いたのは少女の方だった。2メートルほどの間合いを一息で詰め、手に持つ竹刀を上段から振り下ろす。対して青年はその一撃を真正面から受けた。バシンと再び打ち鳴らされた爆竹のごとく激しい発破音。同時にビシッという竹の軋む音を聞いて、青年は面の奥で表情をわずかに歪めた。だが青年はそこで少女の攻勢を切り返し、反撃に転じた。二合、三合、四合と続け様に打ち合っていき、再び両者はお互いの間合いを図るために距離を取る。

 

 ──ビィィィィィッ!

 

 その時、竹刀を打つ音とは違う、試合終了を告げるブザーが鳴り響いた。

 

「………ふぅ、引き分けだな」

 

 ブザーを聞いて構えを解いた青年がそう言いながら面を取る。それに続いて少女も面を取った。

 額を流れる汗を拭い、「ふぅ……」と少女は小さく息を吐く。

 

「やはり一真は強いな。全力で当たったつもりだったが、簡単に受け流されてしまった」

 

「っはは、そう言ってもらえるのは嬉しいが、そう言う冴子もまた一段と強くなったな。さっきの一撃なんかはかなり効いたよ。俺じゃなかったら一本だな」

 

 青年──一真がそう言うと、冴子は不満そうに頬を膨らませた。

 

「むぅ……私はどうしても一真から一本を取りたいのだ。他の者には有効でも、一真を倒せぬようではダメだ」

 

 そうして続けて「もう一戦やろう」と駄々をこねる冴子に、一真は苦笑した。凛々しい、クール、大人の女性。校内でそう言われて男女問わず人気がある冴子だが、今の彼女にそんな高貴な品格は微塵も感じない。負けず嫌いな子供がいるだけだ。こんな態度は他の部員の前でも見せることはない。後にも先にも一真の前だけである。

 

「喜んで、と言いたいところだが、残念ながら時間切れだ」

 

 そう言って一真は自分の後方にかけられている時計を顎でしゃくった。時刻は午前8時25分。あと10分ほどでHRを告げるチャイムが鳴る。

 

「む、もうそんな時間だったか。一真との仕合いに夢中になりすぎて気付かなかった」

 

「それは俺もだよ。本当はもう一試合したいところだが、生徒会長が遅刻じゃあ皆に示しがつかないからな」

 

 冗談めいた口調でそう言えば、確かにと冴子も頷いた。二人は制服に着替えて剣道場を後にし、肩を並べて教室に向かう。窓の外では満開に咲いた桜が見えた。鮮やかな桃色の花びらが優雅に宙を舞い、それはさながら舞踏会のよう。

 

「この桜も、そろそろ見納めだな」

 

 感慨深げにそう呟けば、隣の冴子も同じように頷いた。暦で言えば5月も中旬の今日。『晩春』とも呼ばれるこの時期は、色々なものが終わる時期である。文字通り春が終わると6月に入って梅雨になり、暑い夏がやって来る。そしてその時には、満開に咲いているこの桜も跡形もなく散ってしまう。

 

 そう、5月は終わりの季節。

 

 しかし、春や桜と共にこの世界までもが終わってしまうなど、この時はまだ誰も知る由はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、3日後の午後に突然起こった。

 それまで満開だった桜もすっかり花の数を減らし、地面に桃色の世界を創り出している。一真はその光景を教壇に立つ教師の授業を聞きながら寂しげに見つめていた。同じクラスの冴子は今この教室にはいない。彼女は剣道の全国大会出場を決めているので授業免除で自主練習が許されている。去年も全国優勝しているし、学校は彼女に大いに期待しているのだ。

 昼休み後というのは睡魔に襲われやすい。事実、眠そうに目を擦っている者、周りを気にせず大きな欠伸を溢している者、その逆で欠伸を噛み殺している者、既に寝息を立てている者──そんな者達がちらほらといる。かく言う一真もその中の一人で、周りに気付かれないように口元を手で覆い隠しながら小さく欠伸をした。生徒会長という立場にいる一真は堂々と欠伸をしている姿など見せてはいけないのだ。だが正直なところ、別に一真は『生徒会長』という意識はあまり強く持ってはいない。こっちだって眠くなる時もあるし、サボりたいと思う時だってある。ただ、周囲の期待というのはなかなか面倒なもので、そういった感情は抑えなえればならない、というのが先代の生徒会長のありがたいお言葉である。特に一真の場合、いつからか周りの生徒から『完璧超人』などというはた迷惑なアダ名まで付けられて一層ストイックにならなければならないのだ。決して不真面目なわけではないが、非常に面倒である。

 ……と、長々と語ってしまったが、つまり何が言いたいのかというと、こうやってのんびりと現実逃避できるほどに、平和な日常を過ごしているのである。

 

 そう、平和。これはきっといつまでも続くであろう、と。この時は、誰しもが思っていた。

 

 ──だが、“それ”は突然に、途端に、そして一瞬で、全てを終わりへと導いた。

 

『全校生徒・職員に連絡します! 全校生徒・職員に連絡します! 現在、校内で暴力事件が発生中です! 生徒は職員の誘導に従って直ちに避難してください!』

 

 終焉は、たった一つの放送から始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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Act,2『Resolution』

 

 

 

 学園は、もはや収拾のつかないパニック状態に陥ってしまっていた。きっかけは一本の放送から。授業中、突然学園中に流れたその放送からは慌てふためく教師の“暴力事件”の発生を知らせる報告と、その背後からは激しく争う音が小さく聴こえ、そして一度放送が無理矢理打ち切られたと思えば、次の瞬間、甲高い大絶叫が学園を震わせた。教師は放送のスイッチをオンにしたまま襲い来る“何か”と激しく争い、『痛い』『死ぬ』という単語を何度も口にし、耳を劈くほどの断末魔が響いたと思うと、ピタリと物音が聞こえなくなった。

 石のように固まっていた生徒、教師達がその意味を理解した瞬間、学園は一瞬でパニックに陥った。我先にと教室を後にし、外に逃げようと正面玄関に向かう。途中邪魔する者を蹴飛ばし、殴り飛ばし、突き飛ばしながら、正面玄関は瞬く間に人で溢れかえっていった。

 

 一真はその反対方向──剣道場へと続く廊下を、逃げ惑う生徒達の間を縫いながら駆けていた。目的はもちろん冴子である。彼女もこの放送を聞いたはず。一刻も早く合流しなくては。得体の知れない焦りが、一真の足を早めさせた。そして剣道場に到着すると、一真は勢いよくその扉を開け放った。

 

「冴子!」

 

 冴子の名を呼ぶ。しかし返事はなく、気配もない。念のため道場内を探してみると道場の隅に設けてある刀掛けから木刀が一本無くなっていた。おそらく冴子が持っていったのだろう。

 

「早く見つけないと……」

 

 冴子がいないのならもうここに用はない。一真は刀掛けの木刀を一本取って道場を出た。現状を考えて、学園が安全でないことはもはや明白。冴子はまだ校舎のどこかにいるに違いない。

 

「少々面倒だが、しらみ潰しに探して行くしかないか……ん?」

 

 そう結論づけてから、ふと一真は外から悲鳴のような音が聞こえてくるのに気が付いた。いや、悲鳴の“ような”ではなく、悲鳴だ。一真はおそるおそる窓に近づいて、そこから外を見下ろした。

 

「なっ──!!?」

 

 目に映った光景に、一真は自分の目を疑い、言葉を失った。

 

 ──人が、人を喰っている。

 

 例えなどでは断じてない、文字通りの意味。人間が、人間の肉を貪り食っていたのだ。さながらゾンビ映画に出てくるゾンビのように、体の一部が欠落した男子生徒が、女子生徒の(はらわた)を貪っていた。しかも一カ所だけでなく、至る所でそのような惨事が繰り広げられていた。

 

「くっ……!!」

 

 一真は大きな吐き気に襲われて目を背けた。座り込み、荒くなった息を整える。外の光景はあまりに衝撃的過ぎた。

 

「か、会長……」

 

 と、不意に背後から声が聞こえた。一真は咄嗟に木刀を構える。そこにいたのは、一真がよく知る人物だった。

 

「島村……?」

 

 島村祐太。生徒会副会長の2年生で、その聡明な性格から一真が自分が生徒会長を退任した後の後継者にしようと思っていた後輩だ。島村は腕から血を流し、壁をずりながら一真に近づいて来た。

 

「島村! その怪我はどうした!?」

 

「あ、あいつらに噛まれて……肉を、食い千切られました……」

 

「凄い血だ、どこか安全な場所で……そうだ! 保健室に行けば……」

 

 青い顔で力無くその場に崩れ落ちた島村に、一真はすぐに肩を貸す。しかし島村はそれを無理矢理振りほどくと、一真から距離を取った。

 

「ダ、ダメです! 俺に近づいちゃいけません!」

 

「ど、どうしたんだ?」

 

「お、俺、見たんです……あいつらに……〈奴ら〉に噛まれたらどうなるのか……」

 

「……どうなるんだ?」

 

 一真が問うと、島村は絶望した表情を向けた。

 

「〈奴ら〉に噛まれたら、〈奴ら〉になって人を襲う……」

 

 島村の言葉に、一真はしばらくの間何も言うことができなかった。そして何とか喉を振り絞って出たのは、乾いた笑いだった。

 

「は、ハハ……何言ってるんだ島村。人を襲うって……そんな訳ないだろう?」

 

「嘘じゃありません! 俺、友達と二人で逃げてて、友達が〈奴ら〉に噛まれたんです。そしたらしばらくして、そいつはたくさん血を吐いて死んでしまって……でも急に立ち上がって、俺を襲って来ました……!」

 

 そうして、腕を噛まれてしまったと、島村は語った。すると、突然島村が苦しそうに膝をついて咳き込み始めた。

 

「お、おい!」

 

 島村の咳は徐々に酷くなっていき、やがて大量の血を吐き始めた。

 

「グッ……カハッ……! か、会長……あ、あなたにお願いが、あります……」

 

 ヒュー、ヒュー、と虫の息になった島村が、もはや焦点が定まらなくなった瞳をこちらに向けてきた。顔中に汗が噴き出し、口からは血が溢れ出ている。

 

「お、俺を……その木刀で、こ、殺してください……」

 

「──ッ!? そんなことできるわけないだろう! お前をこ、殺すなんて!」

 

 島村とは後輩の中では特に仲が良かった。会長と副会長という役職上話す機会が多かったのもあるが、個人的にも親交があり、食事に一緒に行ったこともある。物静かだが聡明で、内に確かな正義感を持っている、人の上に立つにふさわしい器を持った青年である。そんな青年を、この手で殺すなんてことが一真にはできるはずがなかった。

 だが……

 

「お願いします会長!! 俺は人間のままでいたい!! 〈奴ら〉になんてなりたくないんです!! 〈奴ら〉になって会長や他の人に襲いかかるなんてこと、例え死んでもしたくない!!」

 

 彼の瞳には確かな覚悟──死ぬ覚悟があった。それを無下にすることもまた、一真にはできない。

 

「……分かった……殺してやる。お前が〈奴ら〉になる前に」

 

 だから一真は、彼の覚悟を尊重した。

 

「ありがとう、ございます……」

 

 「あなたに会えて良かった」と、島村は最期まで笑顔を崩さなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハァ……ハァ……ハァ……」

 

 肩を大きく上下に動かしながら、一真は血の付いた木刀を落とし、眼下の島村の屍を見下ろした。彼の頭から流れ出る血がツーと廊下を伝い、一真の上履きに届いて赤いシミを作った。

 

「これが、『殺す』……」

 島村を殺した時の感覚が、未だに手に残っていた。決して気持ちのいいものではない。あるはずない。友と呼べる人間を殺すなど。

 

「……何だってんだよ、チクショウ……!」

 

 この世界は終わりを迎えつつあるということを、一真は改めて実感した。

 

「……冴子」

 

 気分が落ち着くと、ますます冴子を探さなければという気持ちに駆られた。ひとまず一真は、島村の遺体を剣道場に運んで頑丈に鍵を閉めた。島村の遺体が他の〈奴ら〉に喰われないようにするためと、彼に対する一真のせめてもの供養のつもりだった。

 

「……すまない、島村。安らかに眠れ」

 

 呟いて、黙祷する。彼の分まで長く生き残ることが、彼を殺した一真がこの世界でできる唯一の償いだ。

 

「俺は、死なない」

 

 死んでなるものか。一真は振り返る。数メートル先に、〈奴ら〉と化した生徒達がよろよろと近づいて来ていた。睨み付ける。もはや一真に一変の恐れもない。

 

「この終わってしまった世界を、何がなんでも生き残る。大切なものを守るために!」

 

 一真は走り出した。戦闘は最小限に、目の前に立つ者だけを排除しながら。

 大切なものを──冴子を守るために。

 

 片桐一真は、この地獄で戦い抜くことを決めた。

 

 

 

 






次回は前半は冴子視点になります。



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Act,3『Affection』

 一真が剣道場に赴き、島村の介錯を行ったちょうどその頃。冴子は屍人が徘徊する校舎の中を、早足でがむしゃらに進んでいた。

 数十分前、あの放送が流れて学園中が大パニックとなった。冴子も自主練習を行っていた剣道場であの放送を聴き、ただならない危険を感じてすぐに制服に着替え、いざという時のために木刀を持って剣道場を出た。

 そこで彼女が見たのは、文字通りの地獄絵図だった。

 

 人が、人を喰っている。

 

 ありえない。これは夢だ。そう思いたかったが、不幸なことにこれは現実だった。

 

「……………っ、」

 

 男子生徒を喰っていた女子生徒が、冴子を見つけるなり襲いかかって来た。まるで万力のような、女子と思えないほどの力で腕を掴まれ、ギシリと骨が軋むと同時に腕に痛みが走る。何とかその女子生徒の腹を蹴って掴む手を払い、冴子は体勢を立て直して彼女の脳天に木刀を振り下ろした。グシャッ、という柔らかいものが潰れた音と、血と一緒に飛び散った脳髄が冴子の表情を不快に歪める。しかし、不思議なことに嫌悪感はなかった。その理由を、冴子は既に知っていた。

 

 それが、毒島冴子の“本質”だった。

 

 他者を物理的に傷つけることに悦びを覚える『加虐主義者』。それが毒島冴子の正体。気づいたのは中学生の頃、部活からの帰宅途中に暴漢に襲われた時のことだった。彼女はその時、明確な“敵”を得、それを打ち倒した時に全身に稲妻が落ちたような快感を覚えた。興奮すら感じた。

 しかし彼女は同時に、それがどんなに異常であるかも理解した。故に冴子はこの日からしばらく、自分に関わる全ての者から距離を取った。友でさえも、家族でさえも、そして、一真でさえも。

 しかしそれでも一真は冴子のそばから離れようとはせず、全てを受け入れてくれた。思えば、一真に対する想いに気付いたのはその時からだった。

 

「一真……」

 

 一真のことを考えると、無性に彼に会いたくなってしまった。早く合流しなくては。しかし、どこを探しても彼はいない。まさか、と最悪の想像が一瞬頭をよぎるが、すぐにその考えを振り払う。彼は自分よりも強い。そう簡単に死ぬような男ではない。

 

「…ん?」

 

 と、そんな思考の海に身を投じていた冴子の耳にどこからか物音が聞こえてきた。音のした方に足を早めると、保健室に辿り着いた。中からは激しく争う音と一緒に小さく女性の悲鳴も聞こえてきている。冴子はすぐに保健室の扉を開け、中にいた〈奴ら〉を制圧した。生き残っていたのは校医である鞠川静香と、2年生の男子。しかし、彼はすでに〈奴ら〉に噛まれた後だった。

 〈奴ら〉に噛まれた者は〈奴ら〉になる。ここに来るまでの道中で知り得たことの一つだ。冴子は力なく床に座り込んでいる男子生徒に歩み寄り、膝をついた。

 

「私は剣道部主将・毒島冴子だ。2年生、君の名前は?」

 

「い、石井……かず……」

 

 男子生徒──石井はゴボッと口から大量の血を吐き出しながら、息絶え絶えに答えた。

 

「石井君、よく鞠川校医を守った。君の勇気は私が認めてやる……だが、噛まれた者がどうなるか知っているな? 親や友達にそんな姿を見せたいか? 嫌ならば、これまで生者を殺めたことはないが……()()()()()()

 

 冴子の言葉に、石井は目に見えて恐怖を示した。当たり前だ。もはや彼に『生きる』という選択肢はなく、残っているのは『〈奴ら〉になるか』か『死ぬ』かの二択のみ。そこに、希望などない。

 

「お……お願い、します」

 

 しかし、全てを理解した石井は、それでも笑顔で冴子にそう言った。親や友を襲うくらいなら、死んだ方がマシだと。

 

「え、ちょっ、何を……!?」

 

 静香も二人のやり取りを理解し、医者として冴子を止めた。しかし、冴子はそんな彼女を手で制した。

 

「校医といえど邪魔しないでもらいたい。男の誇り(プライド)を守ってやることこそが、女たるの矜恃(スタイル)なのだ」

 

 そうして振り下ろされた一閃は石井の頭を打ち割り、一撃で彼の命を終わらせた。

 ズルリと崩れる石井の遺体を見下ろす。この時は嫌悪感が襲ってきた。石井は“敵”ではなかった。“敵”ではない者を殺してしまった。他の──既に〈奴ら〉と化していた者を殺した時は何も感じなかったのに、彼を殺した感覚は嫌に手に残った。

 

「あ、危ない!!」

 

 静香が叫んだ。彼女の視線の先──冴子の後方に〈奴ら〉が近付いて来ていた。

 

「──ッ!?」

 

 それは、ほんの一瞬の油断だった。石井を殺害し、その嫌悪感に襲われて注意が散漫としていた一瞬の隙。音もなく廊下から入ってきた〈奴ら〉と化した男子生徒が、冴子を既に目と鼻の先ほどの距離まで近づいていた。反撃は間に合わず、彼の腕が冴子の肩を掴んだ。万力のような力で締め付けられ、振りほどくことができない。必死の抵抗虚しく、男子生徒が大口を開けて他者の血や肉がこびり付いた歯を見せた。それが何よりも禍々しい凶刃に見えて、冴子はきつく目を閉じた。

 

「一真……!!」

 

 小さく叫んだ彼の名前。

 

「──冴子ッ!!!」

 

 それに答えるように聞こえてきた彼の声。そして、ズカッという何かを叩く打撃音。目を開くと、そこに冴子を喰らわんとする〈奴ら〉の姿は既になく、その代わり、彼女がもっとも会いたかった男が目の前に立っていた。

 

「冴子、無事か!?」

 

 自分を見つけるために校舎中を走り回っていたのだろう。一真は大量の汗を流し、肩を大きく上下させて荒々しい呼吸を繰り返していた。黒の学ランのため分かり辛いが、全身に返り血がかかって制服が変色している。流れる汗が顔にかかった血を洗い流し、彼の頬に赤い線を引いていく。しかし、そんな不快感と疲労感に襲われながらも、一真の瞳は心配そうに冴子を射抜き、彼女の身体に傷が無いことを確認すると大きく息を吐いて脱力し、床に座り込んだ。

 

「よかった、冴子が無事で……」

 

 そう呟いた一真の表情は本当に嬉しそうで、それを見た冴子はとうとう耐えきれなくなって、

 

「──っ、」

 

 座り込んでいる一真に、冴子は思い切り抱き着いた。

 

「冴子……?」

 

「……怖かった。すごく……」

 

 小さく聞こえた彼女の声と身体はカタカタと震えていて、耳を澄ますと微かに嗚咽が聞こえてきた。一真は震える彼女の身体を、強く抱き締め返した。

 

「約束しただろ? 『何があっても、命を懸けてお前を守る』って」

 

 返事はない。しかし、代わりとばかりに背中に回された腕の力が強くなる。

 

「ああ、分かっている。だから信じていたよ、一真のことを」

 

「冴子……」

 

 一真の胸に顔を埋めていた冴子が顔を上げ、どちらからともなくお互いの顔を見つ合う。冴子の顔が徐々に近付き、やがて目が閉じられる。彼女の想いに応えるべく、一真も顔を近づけて──

 

「あらあら、うふふ」

 

「「──ッ!!?」」

 

 一転、耳朶を打ったその声に二人はすぐに離れた。離れてから、壊れたブリキ人形のように角ばった動きで声のした方を見やれば、そこには満面の笑みを浮かべている静香の姿が。

 

「あ、私のことは気にしないでいいから、続けて続けて♪」

 

 いや、無理だから。一真と冴子はそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静香が逃げるためにいろいろ準備をしている間、一真と冴子は廊下の警戒に当たった。時折近付いてくる〈奴ら〉を軽くいなして倒しながら、二人はこれまでの情報交換を行う。

 

「……そうか、お前も生きてる人を……」

 

「……ああ」

 

 冴子は暗い顔で俯き気味に頷いた。保健室内のとある場所に目を向ければ、そこにはシーツを被せられた男子生徒の遺体があった。石井という名の2年生で、静香を守るために犠牲になったそうだ。

 

「彼には、感謝だな」

 

 校医の鞠川静香は一真の姉──といっても義姉だが──の親友で、そのツテで一真とも良好な付き合いがある。結果的に石井は、静香の命の恩人だった。

 

「そう言う一真も、同じように?」

 

「ああ、島村をな……」

 

「島村……確か、生徒会の副会長だった……」

 

「ああ、冴子も何回か会ってるはずだ」

 

「そうだな………()男子(おのこ)だった。少なくとも、こんなところで死ぬべきではない存在だ」

 

 冴子はそこで言葉を切って、

 

「石井君も島村君も……何故、生きるべき者が死に、私のような者が生き残っているのだろうな?」

 

 悲しそうに呟いた。手にはまだ、石井を殺害した時の感覚が残っている。頭蓋を叩き割る音、飛び散る鮮血。それらは不快感と罪悪感に変わり、冴子の心を押し潰さんする。

 

「自分を責めるな、冴子。お前は悪くない」

 

「……一真はいつもそうやって、私の味方でいてくれるのだな」

 

 あの事件の時もそうだった。かと言ってそれが嫌ではなく、むしろその逆でこれ以上ない位に嬉しかった。一真がこうして味方でいてくれることで、どれだけ心が救われたことだろう。

 

「当たり前だろ」

 

 一真は呟く。その顔に柔らかな笑みを浮かべて、

 

「俺はお前のことが──好きなんだから」

 

 再び、冴子の心を暗い闇の淵から救ってくれるのだった。

 

「お待たせ〜」

 

 状況にそぐわない呑気な間延びした声が届く。必要最低限の薬や応急道具が入った白い小さなショルダーバッグを肩にかけた静香が、笑顔と共にやって来た。

 

「さて、これで逃げる準備は整ったわけだが……これからどうする?」

 

「一先ずは、この学園から脱出することが最優先だろう」

 

 冴子の言葉に頷いて、一真は静香に目線を送る。

 

「静香さん。確か静香さんは車通勤だったよな? それを使って逃げよう」

 

「あ、そうね! それがいいわ!」

 

 静香はポンと胸の前で手を打ち付ける。しかし、すぐに「でも……」と肩を落とした。

 

「車のキーは、職員室にあるのよね……」

 

「職員室か……」

 

 一真は小さく舌打ちをした。ここは一階で駐車場が目と鼻の先の正面玄関とはかなり近い場所だが、職員室は二階にある。普段ならば大した距離ではないのだが、歩く屍共が蔓延る今では、この短い距離が命取りになる場合もある。しかし、かと言って学園から安全にかつ迅速で脱出するには、足の速い車が理想的だ。

 

 ともすれば──

 

「……仕方ない。面倒だが、職員室までキーを取りに行こう。俺が前を歩くから冴子は後ろを頼む」

 

「承知した」

 

 一真達は職員室を目指して保健室を後にした。最前を一真、最後を冴子、二人の中間に静香が立って、彼女を守るように進んでいく。真正面に立ち塞がる〈奴ら〉だけをいなしながら、もうすぐ職員室に辿り着くというところで、一真達は異変に気付いた。

 

「この音は……?」

 

 パンッ、パンッ、という乾いた破裂音が三人の耳に届く。銃声のようにも聞こえるが、火薬による爆発音というよりはガスによる破裂音に近かった。

 そして、その音が伝えるメッセージは『生きている誰かが〈奴ら〉と戦っている』ということ。

 

「行くぞ冴子!」

 

「ああ!」

 

 次いで聞こえてきた少女の悲鳴に、一真と冴子は即座に音のした場所──目的地でもある職員室に向かった。後ろから置いてけぼりにされた静香が「待ってー!」と慌てて追いかけて来るが、事態は一刻を争うので悪いが構っている余裕は無かった。多少の心配はあるが、職員室はもうすぐそこだし、この辺りに〈奴ら〉の気配は無いので大丈夫だろうと判断した。

 

 職員室の前に辿り着くと、そこには四人の生徒がいた。職員室前には小太りのメガネの男子と、桃色の髪をツインテールに纏めている女子。そして一真達と反対側の廊下にいるのは、一真達とほぼ同時に現場に到着したもう一グループ。金属バッドを持った男子と、モップか何かの柄の部分を持った栗色の髪の少女。

 小太りの男子の手には自作と思しき釘打ち銃が持たれていた。相当腕がいいようで、彼の周りには額に釘を撃ち込まれ再び元の死体に戻った〈奴ら〉が転がっていた。

 しかし、ツインテールの少女は違った。彼女はこの場にいる人間の中では最も危機的な状況にあった。彼女の目と鼻の先に〈奴ら〉と化した男性教師が迫っており、彼女は工具室から持ち出した電動ドリルで抵抗している。

 

「右は任せろ!」

 

「麗!」

 

「左を押さえるわ!」

 

 その後の行動は自分でも驚くほどに早かった。反対側のもう一グループに即座に合図を送り、群がる〈奴ら〉の中に飛び込んだ。一真は冴子と共に右側にいる〈奴ら〉の制圧を開始する。数は四体。

 

「二体ずつだ!」

 

 一真の言葉に冴子が頷き、少し離れた位置にいる二体との距離を詰めた。その勢いのまま一体の脳天に木刀を打ち込んだのを見届けてから、一真も戦闘を開始する。目にも留まらぬ速さで一体の頭蓋を叩き割り、迫るもう一体に対して木刀を横に一閃する。一閃された木刀は首を捉え、骨を砕き肉を裂いた。首の皮一枚繋がり、取れかけの首をぶらぶらと揺らしながらそれでもその状態で立ち尽くす〈奴ら〉の胸部に、一真は木刀を突き立てる。

 

「さっさと倒れろ」

 

 言葉と同時、トンと弱く木刀を前に突いて身体を押す。首を斬られ、もはや抵抗力の無くした〈奴ら〉はそのまま床に崩れ落ちた。

 

「排除した」

 

 べったりと付着した〈奴ら〉の血を横薙ぎに払いながら辺りを見渡す。他の〈奴ら〉も全て倒されていた。

 

「高城さん、大丈夫!?」

 

 栗色の髪の少女と静香が、襲われていたツインテールの少女──高城に駆け寄った。彼女は全身に返り血を浴びていたが幸い怪我は無かったようだで、それを見届けてから冴子は順繰りに全員を見渡した。

 

「鞠川校医は知っているな? 私は毒島冴子。3年A組だ」

 

「同じく、3年A組の片桐一真」

 

「……小室孝。2年B組」

 

「去年、全国大会で優勝された毒島先輩ですよね? わたし、槍術部の宮本麗です」

 

「あ、えっと……び、B組の平野コータ、ですっ」

 

「よろしく」

 

 冴子がそう言って微笑むと、平野と小室は頬を赤くした。『美女』や『大和撫子』などと呼ばれて校内での人気が非常に高い冴子の笑顔は、彼らにとって相当輝いて見えたようだった。

 と、苦笑いしている一真の元に、宮本が近付いた。

 

「片桐先輩、お久しぶりです」

 

 宮本はそう言って、深々と頭を下げる。一真は、はあ、とため息。

 

「やめてくれ宮本。確かに今は学年は違うけど、“元クラスメイト”なんだから、去年と同じ言葉遣いでいいよ」

 

 宮本は、本来なら一真と冴子と同じ3年生である。しかし、“とある事情”で宮本は留年してしまったのだ。彼女の名誉のために言わせてもらえば、彼女が留年したのは決して成績が芳しくなかったとか素行が悪かったとか、そういう理由ではない。もっと複雑で深刻な事情によるものだ。

 

「そ、そう? なら、そうさせてもらうわ。──久しぶり、片桐君」

 

「ああ、久しぶり。無事で何よりだ」

 

 笑顔の宮本に、一真もまた笑顔で返した。

 

「何さ、みんなデレデレして……」

 

 と、そんな二人と小室達を見ていた高城が小さく吐き捨てた。「はあ?」と小室が返す。

 

「何言ってんだよ、高城」

 

「バカにしないでよ! アタシは天才なんだから、その気になれば誰にも負けないのよ!」

 

 気が動転しているようで、癇癪を起こした子供のように怒鳴り声をあげる高城。「アタシは、アタシは……」と段々と声が尻すぼみになてっていき、目尻にはジワリと涙が滲む。

 

「もういい……充分だ」

 

 そんな彼女の肩に手を置いて、冴子は語り掛けた。子をあやす母のように優しく、安心する声音を聞いた高城はとうとう耐えきれなくなって。

 

「う、ううっ……」

 

 堤を切ったように溢れ出る涙を止めることはできず、高城は子供のように──子供らしく大声で泣きじゃくった。

 『〈奴ら〉は音に反応する』

 それは彼女自信が証明した事実で、いけないと分かっていても涙と声が止まらない。

 

 屍人達の呻きが木霊する地獄と化した校舎の中を、少女の泣き声がしばらくの間駆け巡った。



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Act,4『Escape』

 

「……よしっと。とりあえずはこんなモンか?」

 

「ええ、そうですね」

 

 机やイス、コピー用紙の束に機材や未開封のダンボールなど、とにかく重い物で職員室の出入り口を塞いだ。外から高城の泣き声に釣られてやって来た〈奴ら〉の呻き声が聞こえてくるが、このバリケードが破られる可能性は低いだろう。

 

「……皆、疲れ切ってますね」

 

 出入り口を固め終えた後、呟いた小室の言葉に一真は頷いた。見れば、皆一様に疲れた表情で適当な場所に座り込んでいた。静香なんかは、自分のデスクにぐだーっと突っ伏している。無理もない、と一真は思った。

 

 唐突に終わりを迎えた世界。

 

 いつ自分が死んで〈奴ら〉の仲間入りしてもおかしくない状況下に置かれ、逃げるために〈奴ら〉と戦った。体力的にも精神的にも辛い。束の間とはいえ、休息するだけの余裕ができたのはまさに僥倖と言えるだろう。

 

「鞠川先生、車のキーは?」

 

「あ、えっと、確か私のバッグの中に……」

 

 問い掛けた小室に、静香が顔を上げてデスクの脇にかけていた自分の鞄を漁り出した。

 

「静香さんの車じゃ、全員は無理だろ?」

 

「うっ、そ、そう言えば……」

 

「部活遠征用のマイクロバスはどうだ? 壁の鍵掛けにキーがあるが……」

 

 平野が窓から駐車場を見下ろした。

 

「バス、あります」

 

「それはいいけど、どこへ?」

 

「家族の無事を確かめます。近い順に皆の家を回るとかして、必要なら家族も助けて、その後は安全な場所を探して……」

 

「安全な場所か。そんな所が本当にあればいいが……ん?」

 

 一真は、備え付けられてあるテレビを見て固まっている宮本に気が付いた。

 

「どうした、宮本?」

 

「な、何なのよ、これ……!」

 

 固まったままの宮本の代わりに、冴子が近くにあったリモコンを手に取ってテレビの音量を上げる。映っているのは緊急報道をしているニュース番組だった。

 

『……全国各地で頻発するこの暴動に対し、政府は緊急対策の検討に入りました。しかし、自衛隊の治安出動については与野党を問わず慎重論が強く……』

 

「暴動ってなんだよ、暴動って!」

 

 小室が声を荒げた。冴子はリモコンを操作してチャンネルを変えた。次に映し出されたのはとある県の放送局が流す緊急報道で、女性リポーターの後ろではストレッチャーに乗せた遺体を運ぶ救急隊員と警官の姿が映し出されていた。

 

『……ません。すでに地域住民の被害は1000名を超えたとの見方もあります。知事により、非常事態宣言が──』

 

 ここまで女性リポーターが読み上げたところで、現場の状況が一変した。突如銃声が鳴り響き、現場は騒然とし始める。

 

『は、発砲です! ついに警察が発砲を開始しました! 一体、何に対して……!』

 

 と、カメラが銃を構える警官の視線の先を映し出した時だった。ストレッチャーに乗せられ、死体袋に入れられていたはずの遺体が次々と起き上がった。立て続けに鳴り響く銃声、乱れるテレビ画面、マイクに拾われる女性リポーターの悲鳴。その悲鳴が断末魔に変わるとプツリと現場の映像が途切れ、『しばらくお待ちください』というメッセージが映し出された数秒後に映像がスタジオに強制的に戻されてしまった。

 

『……何か問題が起きたようです。こ、ここからはスタジオよりお送りいたします。どうやら、屋外は大変危険な状況にあるようです。可能な限り自宅から出ないよう注意して下さい。中継が復旧次第、改めて現場の状況を現地キャスターに報告していただきます』

 

「それだけかよ……どうしてそれだけなんだよ!」

 

 ドンッ、と小室がデスクに拳を強く打ち付けた。彼の言葉に答えたのは、高城だった。

 

「パニックを恐れてるのよ」

 

「今さら?」

 

「今だからこそよ」

 

 洗面所で血に塗れた顔を洗い、いつの間にか眼鏡を掛けていた彼女は、その眼鏡をくいと指の腹で持ち上げる。

 

「恐怖は混乱を生み出し、混乱は秩序の崩壊を招くわ。そして秩序が崩壊したら……どうやって動く死体に立ち向かえるというの?」

 

 高城の説明の差中に、冴子が再びチャンネルを変えた。アメリカ国内の放送で、全米でもこの異常事態は発生しているようだった。否、日本やアメリカだけではない──世界中で、この地獄が起きているのだ。

 

「世界中で〈奴ら〉が……」

 

「朝、ネットを覗いた時はいつも通りだったのに……」

 

 一連の放送を見終えると、やはりというべきか、全員の顔が絶望に青ざめられていた。冴子の手が、一真の制服の裾を弱々しく掴んだ。

 

「信じられない……たった数時間で、世界中がこんなことになるなんて……」

 

 宮本が縋り付くように小室に歩み寄る。

 

「ね、そうでしょ? 絶対に安全な場所、あるわよね? きっとすぐいつも通りに──」

「──なるワケないし」

 

「そんな言い方することないだろ、高城っ」

 

「パンデミックなのよ、仕方ないじゃない!」

 

「パンデミック……?」

 

 高城の言葉に小室は首を傾げる。

 

「感染爆発のことよ! 世界中で同じ病気が大流行してるってこと」

 

「インフルエンザみたいなものか?」

 

「1918年のスペイン風邪はまさしくそう。感染者が6億以上、死者は5000万人になったんだから。最近だと新型インフルエンザが大騒ぎになったでしょ?」

 

「どちらかって言うと、14世紀の黒死病に近いかも」

 

「その時はヨーロッパの3分の1が死んだわ」

 

「……どうやって病気の流行は終わったんだ?」

 

「色々考えられるけど、人間が死に過ぎると大抵は終わりよ。感染すべき人がいなくなるから」

 

 しかし、死んだ者はみんな動いて襲ってくる。感染の拡大が止まる理由は無いに等しい。

 

「あ、これから暑くなるし、肉が腐って骨だけになれば動けなくなるかも」

 

「どれ位でそうなるのだ?」

 

「夏なら20日程度で一部は白骨化するわ。冬だと何カ月もかかるけど、でもそう遠くないうちには……」

 

「だが、動く死体なんてのは医学の対象にはならない。腐るかどうかなんて分かったものじゃないな。……下手をすると、永遠に活動を続ける可能性もある」

 

 誰かが息を飲む音が聞こえた。分からないことは増える一方だ。

 

「家族の無事を確認した後、どこに逃げ込むのかが重要だな。ともかく、好き勝手動いては生き残れまい」

 

 そうして、生き残るために出された結論。それは、チームを組むこと。

 

 休息は終わり、一真達は立ち上がる。その手には自家製の釘打ち銃が、金属バッドが、モップの柄が、木刀が握られている。

 

「……出来る限り、生き残りも拾っていこう」

 

「……ああ」

 

 出入り口を塞いでいたバリケードを撤去し、出る準備を整える。外から聞こえてくる〈奴ら〉の呻き声に、七人の間に緊張が走った。

 

「行くぞ!」

 

 一真の合図と同時、職員室の扉が開け放たれた。一番近くにいた数体の〈奴ら〉を平野が釘打ち銃で倒す。円状の陣形で高城と静香を護衛するように武器を持つ者が周囲を囲み、無用な戦闘は避けながら立ち塞がる者だけを排除して進んでいく。

 

 目指すは駐車場。

 

 生き残りを懸けた逃走劇が、始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──キャアアアアッ!!!」

 

 二階から一階へと続く階段を降りていると、そんな少女の悲鳴が聞こえると共に、〈奴ら〉に取り囲まれている数人の生き残りを発見した。一真達は静かに、無駄のない動きで〈奴ら〉を制圧。生き残りを救出し、彼らを連れて一階に降りた。階段を降りるとすぐ目の前は正面玄関だが、ここで一つの問題が発生した。

 

「……やたらといるな」

 

 階段の踊り場から正面玄関を見下ろして、一真は小さく舌打ちをした。正面玄関は混乱が起こった際、特に人間が集中した場所だ。その時に〈奴ら〉が現れたようで、今までとは比べ物にならない数の〈奴ら〉がそこには蔓延っていた。

 

「見えてないんだから隠れることはないのに……」

 

「じゃあ高城が証明してくれよ」

 

「う……」

 

 小室の反論に高城が押し黙った。『〈奴ら〉は音に敏感』、『〈奴ら〉は目が見えない』等の情報は彼女が職員室に来る前に実験して得たもので確かな事実ではあるが、だからと言ってやれと言われて素直にやる者は相当肝が据わっている。

 それに、正面玄関には音を出しやすいものが多い。人数も考えると、静かに進むことは不可能だろう。となると強行突破しか方法がないわけで、誰かが〈奴ら〉の注意を引く必要がある。

 

 そう、誰かが。

 

 それはあまりにもリスクが大きく、危険しかない。

 

 そんなことを、後輩にも静香にも──冴子にもやらせる訳にはいかない。

 

「……俺が行く」

 

「一真……!?」

 

「そんな! 片桐先輩が行くよりも、僕が行った方が!」

 

「いや、小室は残って皆を守れ。ここは素直に先輩に任せておけ」

 

 こんな時だけ先輩風を吹かせるなんて嫌な先輩だな、と場違いなことを考えて一真は心の中で自嘲する。

 

「一真……」

 

 冴子は今にも泣きそうに表情を歪めていた。その顔は暗に『行かないで』と告げている。一真は、冴子のその長く綺麗な紫色の髪に手を置いた。

 

「大丈夫、俺は死なない」

 

 その一言だけ。あまりに簡素で呆気ない言葉だが、冴子の表情はその一言で和らいだ。そして、笑顔に変わり、

 

「すぐに戻って来てくれ」

 

「ああ」

 

 笑顔で返す。階段を一段、また一段と降り、正面玄関に辿り着く。後方で平野が申し訳程度に援護の体勢に入ったが、あの釘打ち銃も音が出るので下手に撃てないだろう。しかし、その気持ちだけでもありがたい。平野の気遣いに感謝しつつ、一真は〈奴ら〉の群れの中心へと歩を進めた。高城の言ったとおり、やはり〈奴ら〉は視覚が無い。周りの〈奴ら〉は、立ち尽くす一真に見向きもしていなかった。しかし、その内の一体がこちらに向かって来るのを視界の隅で確認し、一真は身体を硬直させた。全身に冷や汗が伝う。向かって来るそれは、やはり一真のことは見えていないようで一真のすぐ真横を通り過ぎるだけだった。声に出さない程度に盛大に安堵の息を溢す。後ろの方でも、誰かが息を吐いたのが聞こえた。

 

(あとは、こいつらをこの場から引き離すだけ……)

 

 足元に無造作に転がっていた上履きを拾い上げ、正面玄関から離れた場所に投げる。遠くまで飛んでいき、床に落下した上履きは小さな──しかし断末魔すら聞こえなくなって静寂に包まれた校舎内においては大きな音を響かせた。その音に釣られ、正面玄関を彷徨っていた〈奴ら〉が次々と離れていく。

 今だ。一真は階段に振り返り、合図を送った。合図を確認した小室達が他の生徒を引き連れて降りて来る。一人ずつ静かに外へと誘導し、ようやく校舎から外へと脱出できたと、誰もが安堵した。

 

 その油断が、命取りとなった。

 

 ──カァァァン………!!

 

『──ッ!!?』

 

 途中で拾った生き残りの男子生徒の一人が持っていた刺股。それが玄関の戸口にぶつかり、大きな音を生み出してしまった。

 外の〈奴ら〉、中の〈奴ら〉。その全ての視線が、一斉に一真達に向けられた。

 

「「──走れっ!!」」

 

 一真と小室が叫んだのは、ほぼ同時。二人の叫びを聞いて、全員がマイクロバスのある駐車場に一目散に駆け出した。

 

「なんで声出したのよ! 黙っていれば手近な奴だけ倒してやり過ごせたかもしれないのに!」

 

「あんなに音が響くんだもん、無理よ!」

 

「話すより走れ! 走るんだ!」

 

 正面に立ち塞がる〈奴ら〉だけを排除しながら、一真、冴子、小室を先頭に駐車場を目指してひた走る。何とかバスまで辿り着いたものの、途中で二人の犠牲者を出してしまった。

 

「静香さん、早くキーを!」

 

「わ、分かったわ!」

 

 静香がバスのドアを開け、高城たち非戦闘員が先に乗り込んだ。バスの車窓から平野が援護射撃を開始する。

 

「一真、全員乗った!」

 

 冴子の言葉に頷いて、一真達もバスに乗り込む。

 

「………てくれぇっ!!」

 

 ドアを閉めようと手を掛けたその時、一真達の耳に声が届いた。すぐに周囲を見渡すと、50mほど離れた所から別の集団がこちらに向かって走って来ているが見えた。数にして六人。その内の一人、先頭を走っているのは……。

 

「あいつは──紫藤か……!?」

 

「──ッ!!?」

 

 一真の言葉に、宮本が表情を強張らせた。紫藤達の姿を確認した小室がエンジンを掛けた静香を止める。

 

「静香先生、もう少し待って下さい!」

 

「でも前にも来てる! 集まり過ぎると動かせなくなる!」

 

「踏み潰せばいいじゃないですか!」

 

「この車じゃ何人も踏んだら横倒しよ!」

 

「くっ……!」

 

 大きく歯噛みし、彼らを助け出そうと小室がバスを飛び出そうとした時だった。宮本が、小室の肩を捕まえる。

 

「あんな奴、助けることない!」

 

「麗!? なんだってんだよ一体!」

 

「助けなくていい! あんな奴、死んじゃえばいいのよ!!」

 

 バスを出して! と、宮本は静香に告げた。静香は本当に出していいのかあたふたと狼狽える。

 

「静香さん、彼らも拾っていく。まだ出さないでくれ」

 

「片桐君!? 何で、どうして!? 片桐君も知っているでしょう!? あいつがどんな奴か!!」

 

 静香を制止した一真に、宮本が食って掛かる。一真の胸倉を掴み上げ、恨みの篭った瞳を向ける。

 

「ああ、そんなことは分かってる。忘れるはずないだろう。だが、もう少し冷静になれ宮本。あそこにいるのは紫藤だけじゃない」

 

「──ッ」

 

 宮本がハッと目を見開いた。彼女の気持ちは痛いほど分かる。この中の誰よりも知っている。一真と冴子が所属していた3年A組の担任、紫藤浩一。彼がどんな人間で、かつて宮本に──彼女の家族に一体何をしたのか。

 一真に諭され、ようやく宮本も一旦の落ち着きを見せた。しかし、納得はしていないだろう。口論の間に紫藤は他の生き残りの生徒達と共にバスに乗り込んでいた。

 

「静香さん、今だ!」

 

 ドアを閉め、運転席の静香に告げる。静香は大きく頷くと、アクセルを思い切り踏み込んだ。バスは瞬く間にその速度を上げて発進し、閉ざされた校門目掛けて一直線に走り抜ける。

 その進路を大勢の〈奴ら〉が塞いでいたが、それでも止まるわけにはいかない。

 

「……もう、人間じゃない……」

 

 静香は深呼吸して呟いた。自分に言い聞かせるように、迷いを吹っ切るように、同じ言葉を繰り返す。

 

「人間じゃない!!」

 

 アクセルを思い切り踏んでバスを更に加速させた。速度メーターが100キロを振り切り、あたかも巨大な弾丸の如く、眼前の〈奴ら〉を次々と撥ね飛ばしていく。衝撃が車内まで響き、一真達は近くの手すりにしがみ付いた。激突の影響で少しスピードが落ちたが、静香はすぐに再びアクセルを踏み直してスピードを先ほどよりも速くしていく。巨大な弾丸と化したマイクロバスは、閉じ切った鉄柵門をいとも容易く突破し、一真達はようやく学園からの脱出に成功した。

 

「……どうにかだな……」

 

 マイクロバスの速度が徐々に落ちていくのを肌で感じて、小室が大きく息を吐いて座席に体重を預けた。彼に触発されたわけではないが、他の者からも安堵と脱力の吐息が漏れ出す。

 

「助かりました。リーダーはやはり片桐君ですか?」

 

 そんな中で紫藤が立ち上がり、ゆっくりとした足取りで一真に歩み寄ってきた。一真はわずかに表情を歪ませるが、それを気取られないようにポーカーフェースを決め込んだ。

 

「……そんなものはいません。俺達はただ、生き残るために協力しただけです」

 

 本当は、彼に敬語を使うのも憚られる。

 

「それはいけませんねぇ……生き残るためには、リーダーが絶対に必要です。全てを担う、リーダーが……」

 

 耳に纏わりつくような彼の声も、邪悪に歪んだ彼の顔も。何もかもが、一真にとって気に食わない。

 

 学園を脱出した一真達。しかし安心するにはまだ早いと。

 

 一真は一人、拳を固く握り締めた。

 

 



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Act,5『Divide』


ほとんど次話の繋ぎのようなものなので、短いです。




 

 

「だからよォッ! このまま進んでも危険なだけだってば!」

 

 それは、蔓延る〈奴ら〉と、〈奴ら〉から逃げ惑う人々が次々と視界に映っては消えていく街中を走っていた時の出来事だった。安堵と疲労に包まれた車内で、後からバスに逃げ込んで来たいかにも柄のワルそうな男子生徒が荒声を上げた。

 

「大体よォ、なんでオレらまで小室達に付き合わなきゃならねえんだ!? お前ら、勝手に街に戻るって決めただけだろ! 寮とか学校の中で、安全な場所を探せばよかったんじゃないのか!?」

 

 〈奴ら〉の血がこびり付いた木刀を持ってきた手拭いで拭きながら、一真はその男子生徒の言葉に耳を傾ける。どうやら小室のことを知っているようだが、言っていることは正論に見せかけたただの暴論で、一真にはそれがただの“子供のわがまま”のようにしか聞こえなかった。

 

「そ、そうだよ……このまま進んでも危ないだけだし、どこかに立て籠もった方が──」

 

 と、根暗そうな男子生徒が彼の言葉に賛同した所で、静香が急ブレーキを掛けた。立ち上がっていた不良の男子生徒は、慣性の法則に従って前のめりに倒れ込む。

 

「いい加減にしてよ! こんなんじゃ運転なんか出来ない!」

 

 普段怒らない人ほど怒ると怖いとはよく言ったものだ。いつも温厚で穏やかな物腰だった静香の怒声に、不良の男子生徒も言葉を詰まらせてしまった。

 

「……ならば聞くが、君はどうしたいのだ?」

 

 一真の隣に座っていた冴子が鋭く指摘する。このバスが校外に脱出するために使われるということは考えなくとも分かっていたはずだ。それを承知の上で街に行くことを拒否しているのならば、そうせざるを得ない確かな理由があるのか、または大した理由など最初からなく、ただ単にこちらの言うことに従うのが気に入らないだけのどちらかだろう。

 

「くっ………こ、こいつが気に入らねえんだよ!!」

 

 そしてどうやら、この不良は後者であるようだった。小室を指差し、子供のわがままのように彼を敵視する。もはや論外だ、と一真は溜息を吐きながら目頭を押さえた。

 

「何がだよ……? 俺がいつお前に何か言ったよ?」

 

「ンだとてめえっ!!」

 

 小室の態度に業を煮やした不良が彼に殴り掛かった。しかしその瞬間、宮本が不良の腹にモップの柄を思い切り打ち込んだ。槍術部で優秀な成績を納めている彼女の一撃は不良を黙らせるには十分で、不良は胃液を撒き散らしながら通路に倒れる。

 

「………最低」

 

 冷たい目で不良を見下し、小さく呟いた宮本。彼女の表情は、突然車内に鳴り響いた拍手によって更に険しく歪められた。

 

「実にお見事! 素晴らしいチームワークですね、小室君、宮本さん!」

 

 今まで後部座席で一人静観に徹していた紫藤は、拍手をしながら悶える不良を跨ぎ、芝居がかった口調で二人に賞賛の言葉を送る。

 

「……しかし、こうして争いが起こるのは私の意見の証明にもなっていますねぇ。やはりリーダーが必要なのですよ、我々には」

 

 結局のところ、紫藤はそれが目的だった。この争いを利用して、コミュニティーを纏める者──リーダーの必要性を証明することが。

 

「……で、候補者は一人きりってワケ?」

 

「私は教師ですよ、高城さん。そして皆さんは学生です。それだけでも資格の有無はハッキリしています」

 

 単純に『大人』と『子供』というジャンルで分けられるのであれば、静香という選択肢もあった。しかし、『教師』と『学生』というジャンルで分けられると、該当者は必然的に一人に絞られる。何故なら静香は『教師』ではなく、大学病院から臨時に派遣された『医者』だからだ。

 ……というか、こう言っては静香に失礼だが、仮に『大人』と『子供』で分類されたとしても、静香をリーダーにするのは流石に躊躇われる。何というか、オーラがリーダーに向いていない。もしかしたら、紫藤はそこまで考えていたかもしれない。

 

 閑話休題。

 

 紫藤は、芝居がかった口調でスラスラと言葉を紡いでいく。彼の父は、紫藤一郎という床主市の有力な代議士だ。口先と狡猾さにおいては、父親譲りの才能を持っていた。

 

「どうですか、皆さん? 私なら問題が起きないように手を打てますよ?」

 

 紫藤の“演説”が終わり、一瞬の静寂の後に車内から拍手が湧き起こる。拍手をしているのは紫藤について逃げてきた生徒と、一真達が救出した生徒達。このバスにいる者の過半数が、紫藤に賛同した。

 

「と、いう訳で。多数決で私がリーダーということになりました」

 

 紫藤は執事のように恭しくお辞儀をした後、唐突に小室達に振り返る。その顔はやはり、邪悪に歪められていて。

 もはや、宮本には耐えることが出来なかった。

 

「………ッ!!」

 

 通常の出入り口は静香が操作しないと開閉が出来ないので、宮本は助手席から外に飛び出した。

 

「麗!?」

 

「イヤよ! そんな奴と絶対一緒にいたくなんかない!! 」

 

「……行動を共に出来ないというのであれば、仕方ありませんね」

 

「何言ってんだ、あんた……!」

 

 わざとらしく嘆くように天を仰ぐ仕草をした紫藤を睨み付けて、小室も宮本の後を追って外に飛び出した。去って行こうとする宮本の肩を掴んで引き止め、そのまま口論に発展していく。幸い近くに〈奴ら〉の影は無いが、危険はどこに潜んでいてもおかしくはない。

 危険なのは、何も〈奴ら〉だけとは限らないのだ。

 

「ッ!? 小室、宮本、今すぐそこから離れろ!!」

 

 いち早く“それ”に気付いたのは一真だった。すぐに助手席に駆け寄り、外の二人に伝える。そして二人が一真の方に目を向けると同時、けたたましいクラクションの音が二人の耳を劈いた。

 大型バスが、二人目掛けて猛スピードで突進してきていたのだ。車内はすでに〈奴ら〉の地獄と化しており、停まる気配を見せることはあり得ない。バスに気付いた小室と宮本は、すぐに近くのトンネルに避難した。制御を失った大型バスは、乗り捨てられていた軽トラックと激突し、踏み越え、その車体を大きく空中に投げ出した。そして着地に失敗し、盛大に横転したバスはその衝撃で大爆発を起こし、一真達のいる場所と小室達のいるトンネルを塞いでしまった。

 

「小室! 宮本! 無事か!? 無事なら返事をしてくれ!!」

 

 一真はすぐにバスを飛び出し、燃え盛る轟炎に近付いた。炎の勢いが強過ぎて向こう側が見えない。

 

「──警察で! 東署で落ち合いましょう!」

 

 と、火の手が弱い場所の辛うじて向こう側が見える隙間から、小室が顔を覗かせた。どうやら無事らしい。

 

「時間は!?」

 

「午後5時に! 今日が無理なら、明日のその時間で!」

 

 その言葉を最後にバスの残骸が音を立てて崩れ落ち、唯一の隙間を埋め尽くした。火の手は依然強いままその範囲を拡大している。そして、その火の海から身を起こす〈奴ら〉。このままここに留まっているのは危険だろう。一真はすぐさまバスに戻った。

 

「一真! 小室君たちは!?」

 

 バスに戻り、小室達の安否を訊いてきた冴子達に二人の無事と、やむなく別行動になってしまったことを伝える。

 

「静香さん、ここはもう進めない! 戻って他の道を進もう!」

 

 運転席の静香にそう告げて、来た道をUターンして急いでこの場から離れた。目指すは床主市警察・東署。紫藤と彼に取り入れられた生徒達が文句を言うことは無かったが、怪しく吊り上げられた紫藤の口元を見て、一真は一抹の不安を覚えるのだった。

 

 



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Act,6『Airport』


本当、お久し振りです。今まで投稿できなくてすみませんでした。それしか言葉が見つかりません。

これからも頑張りますので、応援よろしくお願いします。




 

 

 床主市洋上──『床主国際洋上空港』

 

『床主管制塔、こちら089便。離陸準備完了した』

 

『089便、こちら床主管制塔。そのまま滑走路上で待機せよ」

 

 けたたましくジェットエンジンを噴かしながら、操縦室から管制塔へと無線が飛ぶ。管制塔は操縦室からの通信に応え、「待機」の指示を飛ばす。このまま飛行機を飛ばすには、この空港はあまりにも危険すぎた。

 

『我々には──“問題”が生じている』

 

 そこには、まるで滑走路を塞ぐように“死体”が歩き回っていた。皮膚をダラリと垂らし、骨の飛び出た足を引きずり、血肉の脂がついた歯を剥き出しにしながら、虫の羽音のような呻き声を上げて当てもなく彷徨う“彼ら”の姿に、操縦室の機長たちや管制塔に詰める職員たちは皆一様に息を飲む。

 

「嫌なニヤけ面。なんか見覚えのある顔ねぇ……」

 

 滑走路から遠く離れた壁上で、そう呟く女が一人。黒い戦闘服と防弾チョッキに身を包み、うつ伏せに寝転がる彼女の手には、黒光りする無骨なスナイパーライフルが一丁。

 

「俳優だよ。床主市にロケに来ていた」

 

 そんな彼女の呟きに、隣にいた白キャップの男が律儀に答えた。彼は大きなスコープに片目を覗かせながら、傍らの女に告げる。

 

「距離450。俯仰角−6。左右の風ほぼ無風。修正の要なし。射撃許可……確認した」

 

 その瞬間、ズガンと発砲音を響かせて、女の構えたライフルが火を噴いた。射出された弾丸は真っ直ぐ伸びていき、飛行機の進路を塞いでいた一体の“死体”の眉間を正確に貫いた。

 頭を吹き飛ばされた“死体”がその衝撃で宙を舞い、地面に叩きつけられる前に続けざまに放たれた弾丸が他の“死体”を貫いていく。そして、最初の一体が地面に倒れた時には、進路から“死体”が一掃されていた。

 

「お見事! 化け物どもは全滅だ」

 

 その光景を測定スコープで見ていた男は、その鮮やかな手際に賞賛を送る。

 

「ふーーっ」

 

「……何やってんだ?」

 

 滑走路上の障害を排除したことを管制塔に報告し、緊急車両が死体処理に駆け付けて行くのを見届けていた男は、ふと自分のパートナーが防弾チョッキの隙間に手を入れて胸を揉んでいるのに気付き白い目を飛ばした。

 

「朝から寝転びっぱなしだったのよ。痺れちゃった」

 

 だからって異性の目の前で胸を揉んでいい理由にはならないと思うが、彼女のこのような奇行はよくあることなので男は深く考えるのはやめた。そして、ニヤリと笑みを作って、

 

「俺が揉んでやろうか?」

 

「あたしより射撃が上手いなら揉ませてあげても良いわよ、田島?」

 

言われて、男──田島は肩を竦めた。

 

「おいおい、無茶言うなよ。全国の警官でベスト5に入るあの南リカに射撃で勝てるか」

 

「なら諦めて」

 

 まあ、最初から期待はしていない。任務終わりのちょっとしたコミュニケーションのつもりだった。リカもそれが分かっているから、田島の発言に特に気分を害することなく穏やかに笑っていた。

 

「……にしても」

 

 軽いジョークで場が和むのも束の間、田島は再び滑走路を見渡して表情を険しくした。

 

「船でしか来られないはずの洋上空港にまで出るとはな」

 

 二人が排除した“死体”は、あくまで飛行機の進路(ランウェイ)を塞いでいた者だけだった。数にしてほんの数体。滑走路には、まだ数百体ものに“歩く死体”が蔓延っていた。

 

「立ち入り規制はしているんだろう?」

 

 世界各地に“歩く死体”が溢れて数時間。陸地から離れた太平洋上に造られたこの洋上空港は、本土と比べ安全な場所のはずだった。しかし、最初の一体が現れたのを皮切りに感染は一気に拡大。たった数時間で安全だった洋上空港は死地と化してしまった。

 では、何故そうなってしまったのか?

 

「要人とか、空港の維持に不可欠な技術者、彼らの家族──その中の誰かが“なった”のよ……」

 

 考えられる原因はそれしかない。今となっては確かめる術はもう無いが。

 

「今はまだ良いけど、いつまで保つか」

 

 生存者よりも“死体”の数の方が多くなってしまったこの地の寿命は最早長くない。それでもまだ空港として機能しているのは、リカと田島──二人が所属するSAT部隊がテロ対策のために派遣されていたからだった。彼らがいたからこそ、“死体”で溢れたこの空港を迅速に制圧して安全を確保することができたのだ。

 

「しかし、弾も無限にあるわけじゃないしな……」

 

 問題があるとすれば、それだ。テロ対策のためとはいえ、揃えてあった装備弾薬は必要最低限だけである。このまま“死体”が溢れ続ければ、いずれ弾薬も尽きてしまう。

 この死地で戦闘の手段を無くすことは、すなわち“死”を意味する。

 

「逃げるつもり?」

 

 田島の不安を見透かすように、リカは言った。

 

「そのつもりはない。まだね」

 

 田島はそんな彼女の言葉に即答する。逃げるという選択肢は、正直にいえば彼の頭の中にあった。なんだかんだ言っても、結局大切なのは自分の命。いずれ崩れると分かっているこの場所にいつまでもいるほど馬鹿ではないつもりだ。戦う術が無くなれば、田島は真っ先に逃げるだろう。

 しかし、それは“今”ではない。

 少なくとも今は弾薬もあるし、戦える人間もいる。

 そして何より、空港にはまだ何百人と守るべき人々がいる。

 彼らがここから安全な場所に飛び立つまでここを死守するのが自分の使命だと田島は思っている。

 だから、まだ逃げない。

 逃げるのは、彼ら全員をここから脱出させた時だ。

 

「……あたしは街に行くわ。いずれは……」

 

 その言葉で、田島は思考を元に戻してリカに視線を向けた。リカはいつの間にかジャケットを脱ぎ捨てており、白いシャツから大きく盛り上がる乳房が、その浅黒く焼けた肌と相まって妖艶な魅力を漂わせていた。

 

「男でもいるのか?」

 

 しかし、そんな彼女の妖艶な肢体を見ても田島は別段劣情を催すことはない。何故かと問われれば、「慣れてるから」としか言いようがないのだが。

 それはともかく、彼の問いにリカは「うーん……」と煮え切らない答えを返した。

 

「半分正解、かしら?」

 

「はあ?」

 

 その答えに少々の驚きも込めて田島は声を上げた。

 彼女の言っていることの意味がよく分からない。

 半分正解ってどういうことだ? 彼女とタッグを組んで長く経つが、男ができたなどという話は聞いたことがない。そもそも、男よりも強い彼女と付き合おうだなんて男がそもそもいるのだろうか? 少なくとも自分は無理だ。胸は割と本気で触りたいと思うが。

 

「……なんか失礼なこと考えてない?」

 

「まさか」

 

 キッと鋭く睨みつけられたので両手を振って否定する。

 

「ったく……言っとくけど、違うわよ? 半分正解ってのは、助けたい人が二人いて、一人は女友達で、もう一人が一緒に暮らしてる親戚の男の子なのよ」

 

「あー、そういうことか……無事だと良いな」

 

「ええ、そうね。まあ、男の子の方はしっかりしてるから無事だと思うんだけど……心配なのはもう一人なのよね」

 

 良い大人のくせしてどこか抜けている“彼女”のことを考えると、心配で心配で仕方がない。願わくば、“彼”と一緒にいること祈るばかりである。

 

(ホント、無事でいなさいよ……静香、一真)

 

 リカは空を見上げた。地上の地獄とは大違いの雲一つない青空に、ようやく離陸した飛行機が飛行機雲を描いて空の彼方へと消え去っていった。

 

 





ちょっと短いですが、場面転換ということでここで切らせていただきます。


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