夢路を往く双子 (amane067)
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夢路を往く双子

 ある時間を過ぎると辺りが少しずつ暗くなってきて、最後には太陽が地平線の向こう側に沈んでしまう。世界は闇に包まれて、代わりに宇宙の星々が顔をのぞかせる。

 悠久の生を過ごす中でも「夜」を見たことはなかったが、その失われた時間にもしも声があるのだとすれば、ちょうどこんな風なのではなかろうかと思った。

 

 深く、静かに。

 温かくもなく冷たくもなく。

 恐ろしいが優しくもあって。

 何もかもを平等に眠らせる、夜の声。

 

 

 

●〇●〇

 

 

「見ての通り荷物が多くてね。あんたを担いで歩くことができなかったんで、目覚めるまでここで待たせてもらった」

 

 加減はどうだ、と手を伸ばしてくる男性型アンドロイドからポポルは僅かに身を引いた。

 見ると、右足の付け根から膝にかけて丁寧に包帯が巻かれていた。ここは確か斧を持った機械生命体に切り付けられたところだったはずだ。

 

「血は止まっていたが、一応な。いらんお節介を焼いちまったか」

 

 屈んでいる男と、足を伸ばして壁にもたれかかるポポルの間に沈黙が下りる。

 警戒されていることを悟ったのか、見知らぬアンドロイドはポポルの傷口に触れようとしていた手を止め、ぽりぽりと頭をかいた。

 

 割れた窓から差し込む光が部屋に木陰を落とす。狭い部屋に散乱している旧世界の遺物がまだら模様に彩られる。

 蔦の這う壁。埃が溜まった床。ここは、人類が残した廃ビルの一室だ。

 ポポルは二、三度首を振った。気を失う直前のことが記憶回路から抜け落ちていた。機械生命体の群れから逃れようと近くにあった建物に駆け込んだことだけは何となく覚えているのだが。

 

 男は窓の縁に腰掛け外の景色を見下ろした。機械生命体が近くにいないか確認しているのだろう。

 口に咥えているのは、確か「煙草」という名称の人類の嗜好品。好んで毒物を摂取する人類も不思議だが、うまそうに煙を吐き出すアンドロイドというのも奇妙な光景だった。

 時折、男は宙に浮かぶ何かに向かって煙を吹き付けるような仕草をしている。虚空を見上げながら紫煙をくゆらせる姿が妙に様になっていた。

 

 このアンドロイドは何者だ。

 

 何の防御性もなさそうな白いシャツに茶色のコートを羽織った男。装備らしい装備と言えば向かいの壁際に無造作に置かれている木箱くらいで、武器の類は見当たらない。

 

 しかし、煙草も装備もどうでもいいことだった。男には、他のアンドロイドたちとは決定的に違うところがあった。

 それは目だ。白髪の分け目から覗く深緑の右目には、作り物とは思えない生気が宿っていた。普通の者には知覚することができない、何か特別なものを見ているようなまなざし。

 その正体が何なのかは分からない。だが、少なくともこの目は今まで自分たち姉妹が向けられてきた敵意――憎悪をまるで含んでいなかった。

 

 この男は誰だ。

 

 安堵するよりも先にポポルは困惑した。過去に自分たちが犯した罪を考えると――記憶処理が施されているため何があったのかは分からないけれど――他のアンドロイドたちの怒りと憎しみは正当なもので、むしろ身を案じるような視線を向けるこの男がおかしいのだ。

 しかも彼は気を失っている自分に手当まで施したのだという。「変わり者」という言葉で片付けられるようなことではない。

 はっきり言って、異常。

 

「あなたは誰なの?」

 

 ポポルたちが歩んできた道は他人の善意を盲目的に信じられるほど優しいものではなかった。自分の声に疑いの色が混じっていることをポポルは恥じた。

 

「ああ、名乗ってなかったか」森の緑を閉じ込めたような瞳が静かにポポルを見下ろす。「俺の名はギンコという。流れの蟲師をやっている者だ」

「ムシシ……」

 

 記憶領域に何度検索をかけても、やはり「ムシシ」というのは初めて聞く単語だった。

 どう答えたものか思案していると、ギンコは「あんたは?」と尋ねてきた。思わず間抜けな声が出るが、ギンコはいたって真面目に聞いているようだった。

 

「私のこと、知らないの?」

「俺と会ったことがあるのか」

「いえ、ないけれど……」

「奇異なことを言う」

 

 窓枠から下りたギンコは、よっこらせと木箱を背負った。

 

「どうにも往生していてね。暗闇(・・)の中で何とか名前を思い出したまでは良かったんだが、ここがどこだかまるで見当がつかない。妙なからくりたちから逃げ回ってたどり着いた先にあんたが眠っていたから、もしやと思ったが――やはりそううまくはいかんらしい」

 

 達者でな、と壊れた扉を踏み越えて部屋から出ていく男をポポルは黙って見送った。

 普段ならば足を損傷した者を置いて行くようなことはしないのだろう。聞きたいこともあるようだったが、それでもギンコが何も言わずに目の前を通り過ぎたのは、彼がポポルの怯懦を見抜いたからに違いなかった。

 これでいい。ふとした拍子に自分たちのことを知って、あの美しい目に憎悪が満ちるところは見たくなかった。

 

 そこまで思考した後、ポポルは毒を吐くようなため息をついた。

 心の中でまで下手な言い訳をする自分がつくづく嫌になる。少なくとも、目覚めるまで傍にいてくれた者に礼を言わぬ理由にはなるまい。

 

 ポポルは両手でバチンと自分の頬を叩いた。

 

「しっかりしなきゃ」

 

 弱い己を叱咤するように、何度も何度も。

 

「しっかりしなきゃ。しっかりしなきゃ」

 

 こんなところで足踏みをしている暇はなかった。

 ある日、キャンプのアンドロイドたちを襲った原因不明の病。その治療法を一刻も早く見つけ出さなくてはならない。

 今度こそ皆の役に立たなければならない。

 

「あっ」

 

 立ち上がりかけた足がぐらりと揺れた。全身から力が抜けて、たまらず床に手をつく。ガラスの破片が指の腹に突き刺さる。

 

 ――この役立たずが。メンテナンス特化型のくせに修理も満足にできないのか。

 

 レジスタンスキャンプで受けた罵声がまだ耳の奥で響いている。

 ポポルは耳を塞いだ。しかし頭蓋が軋むほど掌を押し付けても声は止まなかった。当然だ。この声はポポルの内から湧いて出てくる泥のようなものなのだから。

 

 ――お前たちにできるのは壊すことだけか。

 

 あの言葉は(こた)えた。こうして思い返すだけでも足がすくんで、何もできなくなってしまう。

 ひとつ思い出したことがある。運動回路への過負荷による強制シャットダウン、有り体に言えば気を失う直前、最後に聞いていた声もこれだった。一旦こうなってしまったら意識を飛ばすか幻聴が治まるまでうずくまるしかない。

 

 会いたい。デボルに会いたい。会って、力いっぱい抱きしめてもらいたい。普段は自分が諫める方なのに、いざ一人になってしまうとこうも弱い。

 口の端から漏れ出る自分の片割れの名が、あの声に塗りつぶされていく。どれだけ喉を広げても声の大きさはその上を行く。

 

 お前たちにできるのは壊すことだけか。お前たちにできるのは壊すことだけか。お前たちにできるのは――

 

「おい、よせ!」

 

 耳を押さえつけていた両手に強い衝撃が加わり、払いのけられた。

 風の走る音。木々がざわめく声。動物たちの嘶き。今まで遮断していた純粋な「音」が耳の中に流れ込んでくる。

 

 はっと顔を上げるといつの間にかギンコが戻ってきていた。ポポルの手首を掴んでしっかりと押さえつけ、怖い顔をして向き合っている。

 

「すげえ声がしたんで戻ってみれば……自分の頭を潰す気か。なに考えてんだ」

「……ごめんなさい」気が付けばあの声はしなくなっていた。「でももう大丈夫だから」

 いや、とギンコは首を振った。「何があったのか喋ってもらおう。放っておくつもりだったが、あんなものを見ちまった以上このまま立ち去ることはできん」

 

 丈夫そうな見た目に反して非力な男の手は、しかし、抗いがたい熱を持つ手だった。

 

 どうしてアンドロイドがこんなに温かく、そして柔らかく作られているのだろう。自分と同じ色であるはずの瞳が、どうしてこんなにも違って見えるのだろう。彼の口から発せられる一言一言が自分の根源的な部分を揺さぶる。昔壊してしまった宝物とそっくり同じものを見つけたような、どうしようもない錯覚に陥って、喜びと罪悪感に視界が歪む。

 

 ギンコは黙りこくってしまったポポルを見て深い息をついた。

 

「まあ、なんだ。せめてあんたがここにいる理由を聞かせてほしい。もしかしたら力になれることもあるかもしれん」

 

 茶色いコートの右肩のところがうっすらと白くなっていた。そこから袖口にかけて付着した埃が光を受けてきらきらと輝いている。

 人類がいつ戻ってきても良いように保存活動が行われているとはいえ、手入れの行き届かぬ旧時代の建物は当然汚れている。例えば壁に寄りかかったりすれば――ちょうどこういう風になるはずだ。

 ここから出ていく前にはなかった服の汚れに、ギンコは気づいていないようだった。

 

「ありがとう」

 さっきは言えなかった言葉。

 

 二言目のありがとうは声にならず、小さな息が唇を震わせるばかりだった。

 顔を覆ってしまったポポルをギンコはただ静かに見つめていた。

 

 

〇●〇●

 

 

 この表現が正しいのかどうかは分からない。今までそんなことが起きたことは一度もなかったから。

 しかし「睡眠(スリープモード)中に感じる、あたかも現実に生じているかのような映像や音声」を仮に「夢」と定義するのなら、自分の身に起きたことはまさしくそうとしか言い表せない体験だったと、デボルは語った。

 

「それで? いったいどんな夢だったの?」

 

 一人で眠るのが怖いときや甘えたいとき、ポポルとデボルはいつも同じ毛布に包まって眠る。昨日は久しぶりにお酒を飲んで、酔いの回ったデボルが甘えん坊モードに入っていたのだった。一つの枕を二人で共有した姉妹はおでこがぶつかりそうな間隔で寝転んでいるため、相手が引いた分だけ距離を詰めるのも容易だ。

 

 そうしてしばらくお互いを見つめ合う時間が続いたが、やがてデボルは観念したように言った。

 

「笑わないか?」

「笑わないわ。何かのバグかもしれないのだから、治すにしたって症状を詳しく知らなければだめよ」

 

 そう言った時の自分の顔が溢れ出る好奇心を隠しきれていた自信はない。しかし人類の、ある意味究極の精神活動である「夢」を、わが姉が体験したとあっては興味を持つなと言う方が無理な話だった。

 デボルの顔が明るかったのもポポルの遠慮のなさに拍車をかけていた。

 

「猫と仲良くなる夢」

「え?」

 

 ポポルは意味が解らずに首を傾げた。

 恥ずかしそうに頬をかきながらも、デボルは興奮した様子で語った。

 

「この前資材集めに遠出した時、ちょっとした小川があったろ」

「そこが夢の舞台?」

「そうそう。それで川のすぐ傍の木陰にさ、毛玉みたいなのが転がってたんだよ。近づいて手に取って見たらもぞもぞ動いてさあ! びっくりして手を離したら――」

「猫だった、と」

 デボルはこくりと頷いた。「その子がすごく可愛くてさ。目が大きくて、綿みたいに真っ白の毛がふわっふわで、にゃんにゃんって鳴き声がもう――ああ、ポポルにも見せてやりたかったな」

 

 猫。食肉目ネコ科の哺乳類。その愛らしい見た目から人類にはペットとして親しまれていた。一説には人類に可愛がられるように進化したともいわれるその動物は、記録でしか姿を知らない筈のアンドロイドまでも魅了してしまうらしい。

 

「馬鹿なこと言ってるのは分かってんだけどさ、その……」デボルは視線を彷徨わせながら、言いにくそうに口をもごもごさせていた。

 ポポルはくすっと笑って言った。「ええ、今日の資材集めの時にそこへ寄ってみましょうか」

「いいのか? 採集地点とは少しずれてるのに」

「私もその猫を見てみたいわ」

 

 夢と同じ場所に行ったところで猫がいないのは分かりきっていることだった。この壊れた地球では、巨大化した鹿やイノシシはいても、猫が発見されたという報告はない。詳細な記録を調べたことはないが、おそらく絶滅しているのだろう。

 

 しかしそんなことはどうでもよかった。

 

 キャンプのアンドロイドたちを襲った集団性の不具合は、水が地を這うように、瞬く間に全体へと広がっていった。初めは軽い倦怠感だけであるのが、段々と手足が動かなくなってきて、さらに症状が進むと言語野に支障をきたす。最終的には強制的にスリープモードに陥り、生きながらにして目覚めることができなくなる。

 原因が分からぬままいたずらに時ばかりが過ぎた。今では程度の差こそあれポポルとデボル以外の全員に症状が見られ、このままではキャンプが壊滅するのも時間の問題だった。

 当然ポポルとデボルへ注がれるまなざしは日増しに剣呑なものへとなっていった。それでもデボルは笑顔を絶やさず、彼らに献身的に尽くしていた。浴びせられる言葉に傷ついていない筈はないのに。

 

 デボルの夢に現れたという猫の幻が、ほんの一時でも彼女を慰めてくれたのなら。それだけで涙が出るほどありがたかった。

 そしてできればもう少しだけ、今度は二人で穏やかな夢の続きを見られたら。

 

 資材集めの帰り道、デボルが夢に見たという場所にたどり着くと、木の陰に身を隠すようにして、純白の毛玉が一つ転がっていた。

 二人が声も出せずにいると、その毛玉は四本の脚を生やしてそろりと立ち上がった。

 前脚を投げ出し、胸を土につけ、背を弓なりに反らせて伸びをしたそれは、アーモンド型の瞳をこちらに向けて優雅に尻尾を揺らしながら、ただ一言「にゃん」と鳴いた。

 

 

〇●〇●

 

 

「あるところに大層腕の立つ研ぎ師がいた」

 

 ポポルの話が一段落すると、ギンコは片膝をついて土に触れたまま(ひと)()つように語り始めた。

 

「その男は夢を見ることで村に訪れる吉事や災いをことごとく言い当てた。水脈の場所、崖崩れ――男の予言は一度も外れることがなかった。予知夢で何かを言い当てる度に男は村の人間から感謝され、尊敬を集めた」

 

 ギンコはまだ顔を上げない。踊るように揺らめく木の葉の影が、見事な白髪を無遠慮に踏みつけている。

 彼の手が触れているところはちょうど白猫が蹲っていたあたりだ。

 

「男の家を(おとな)った蟲師は蟲下しの薬を処方した。だが、男は数度飲んだきり、薬を飲むことをやめた。村を襲った大津波を予言することができなかったからだ。男はその津波で娘を失った」

「その蟲師というのは、もしかしてあなた?」

 

 ギンコはポポルの問いには答えなかった。

 

「ある晩、男は悪夢を見て飛び起きた。妻や村の者が皆、瞬く間に苔のようなものに覆われて、泥のように崩れ去る夢だった」

「……」

「そして次の日の朝、その夢は現実のものとなった。家族と仲間の身体が腐り落ちた後、男はたった一人、誰もいなくなった村で蟲師が訪れるのを待ち続けた」

「――まさか」

 

 生物の身体を一瞬のうちに苔で覆い、腐らせる病など聞いたことがない。男の夢の通りになったと言うが、それではまるで――。

 

「男は夢を見た。蟲はそれを現世(うつしよ)に再現した。どちらが悪いという話ではない。宿主も、蟲も、(ことわり)に従って己の生を全うしたに過ぎない」

「あなたの言う“蟲”という存在が、私にはまだよく分からないわ。昆虫や羽虫とは違うのよね」

「蟲とは、俺たちとは異なるもうひとつの命の形だ。多くのものに様々な形で影響するが、奴らはただ、在るように在るだけ」

「いのち」

 

 ポポルは噛み締めるようにその言葉を復唱した。己が命を持たぬ身だからだろうか、その言葉は得体のしれない異物のように腹の底に残り続けた。

 

「蟲はここにもいるの?」

「ああ」ギンコは膝をついたまま、傍らに立つポポルをちらと見上げて再び目を逸らした。「というかさっきから、細長いのがずっとあんたの脚に巻き付いている。かなり際どいところまでな」

「えっ」

 

 ポポルは急にうすら寒いものを感じて脚を振るが、当然赤いズボンの生地の他には何も見えない。

 それでも今、ここに命があったのだ。そう思いながら膝のあたりを触ると、そこには微かに熱が感じられるような気がした。

 

「それにしても」ギンコは立ち上がって遠くの方に目をやった。「すげえな、こりゃ……」

 

 ギンコの視線の先には植物に浸食されつつあるビル群があった。大型の機械生命体よりも太い木の幹がコンクリートの構造物を食い破り、幾重にも巻き付き、枝を伸ばしている姿は確かに圧巻だ。しかもこの光景が廃墟都市全体に広がっているのだから、上空から見れば緑の海に呑み込まれているように見えることだろう。

 

 そうは言っても、植物の巨大化現象は今に始まったことではない。砂漠や夜の国から来たのであれば見慣れていなくとも納得はできるが、そもそもギンコが一番驚いていたのはビルが人類によって造られたものであることだった。植物の繁殖やそれに伴う生態系の変化については「そりゃあこれだけ立派な光脈筋が通っているからな」と理解を示していた。

 

 ちろちろと流れる水の流れを跨ぎながら、二人は土と草とコンクリートの地面を歩いていく。時折ギンコはしゃがみこんで、そこに生えている植物を採取しては木箱に収めていた。そんなものを何に使うのかと問うと、彼は蟲下しの薬に使うのだと答えた。人間や獣ならいざ知らず、アンドロイドに解毒剤でもあるまい。

 

 デボルの待つキャンプまではあと十分もかからない。このまま彼を姉の待つキャンプに案内して良いのかという不安はあるが、自分たちの力だけでは手詰まりなのも事実だった。周辺のキャンプはもとより、アネモネというアンドロイドがリーダーをしているかなり遠くのキャンプに問い合わせても、治す方法は見つからなかった。

 

 病はポポルとデボルが身を寄せるキャンプでのみ蔓延していた。

 

 ――待て。どっちか片方は残れ。どうせ今回のこともお前らのせいに決まってるんだ。二人で原因を探しに行かせて、そのまま逃げ出されちゃたまらねえ。

 

 ポポルは一刻も早くキャンプに戻らなければならなかった。こうしている間にも、一人残ったデボルがどんな仕打ちを受けているか分かったものではない。それにポポル自身、デボルと離れていることにこれ以上耐えることができなかった。

 

「ねえ、ギンコ」ポポルは大破したトラックの陰で薬草を摘んでいるギンコに声をかけた。「さっきの話の続きだけど、皆が不調なのは、やっぱり蟲という存在が関係しているの?」

「まだ何とも言えんな。あんたらが見たという白い猫は、研ぎ師の男に寄生していた蟲――夢野間(いめののあわい)のしわざだろうが……」

 厳しいことを言うようだが、とギンコは続ける。「夢野間(いめののあわい)がもたらした現象に対して打てる手立ては見つかっていない。仮に蔓延している病が夢によってもたらされたものであるとしても、俺にできるのはあんたの姉に対する処置だけだ」

 

 ポポルは暗澹たる気持ちになった。デボルからキャンプのアンドロイドを襲った不具合に関する夢を見たという話は聞いていないが、どれだけ調べても原因が分からない以上、蟲のせいである可能性は高いのではないか。もしもそうであった場合、寝たきりになった者を治療することは永遠にかなわないばかりか、不具合の原因がデボルにあったと知った時のレジスタンスたちの反応は想像に難くない。ギンコは「宿主も、蟲も、(ことわり)に従って己の生を全うしたに過ぎない」と言っていたが、そんな理屈を彼らが聞くはずはなかった。

 

「ただ」ギンコは緑色の右目でじっとポポルの顔を見上げた。「病が蟲のしわざだとすると、あんたが夢の影響を受けていないのは気になるところだ」

「え――」

 

 その時、遠くから男の声が響いてきた。声のする方を見ると、男性型アンドロイドが大声で呼びかけながらこちらに手を振っていた。方角はちょうどキャンプのある方だ。声の内容までは聞き取れないが、大方ポポルがいつまでも帰ってこないことに業を煮やしたレジスタンスの一人といったところだろう。

 ポポルが自分に気づいたのを認めると、アンドロイドはさっとビルの陰に姿を消した。

 

「あんたの仲間か?」ギンコはいつの間にか木箱を背負い直してポポルの横に立っていた。

「仲間……どうなのかしら。分からないわ。でも、あなたはもしかしたら不快な思いをするかもしれない」

「なんだ、嫌われてんのか」

「ええ、でも仕方がないことなの。私たちは……それだけのことをしたのだから」

「いや、どちらかと言えばあの男は――」

 

 何かを言いかけるが、つかの間思案するように黙り込んだギンコは代わりに別のことを言った。

 ポポルがその意味を問う間もなくギンコは歩き出す。その足取りは何かに追い立てられているように急いでいた。

 

 

〇●〇●

 

 

「……これは」

「どうして……確かに先日までは……」

 

 ポポルたちが視線を送る先には、水を片手にどんちゃん騒ぎをするアンドロイドたちの姿があった。そこには病人らしき者はおらず、談笑したりトランプゲームに興じていたりと、めいめい遊興の時を過ごしている。

 数日前の殺伐とした雰囲気とは明らかに異なる空気にポポルが戸惑っていると、昆虫の目を思わせるゴーグルをつけた男性型アンドロイドが歓談の輪から外れ、つかつかと歩み寄ってきた。

 思わず身構えるポポルだったが、そのアンドロイドが「お疲れさん」と言いながら差し出したのは水の入った金属製のジョッキだった。

 

「ずいぶん遅かったな、ポポル。あと少しで捜索隊を出すところだったぞ」

 

 デボル以外の者に親しみを込めて名前を呼ばれたのはいつぶりだろうか。あまりの態度の変化についていけず、ポポルが声も出せずにいると、男は不思議そうに眉を寄せた。

 

「そいつは誰だ?」

 

 男が指さしているのは、ポポルの横で注意深くキャンプの様子を観察しているギンコだ。

 

「彼はギンコといって……皆の不具合について心当たりがあるらしいから来てもらったのだけど……」

「なーんだ。それならもう治っちまったよ」

「治った……あれだけ調べても原因が分からなかったのに」

 目を見開いているポポルを見て、男は意外そうに言った。「あれ、まだデボルに会っていないのか? あいつが体内のウイルスを駆逐するワクチンを開発したんだ。今は少し疲れたってんで奥で休んでいる。お前たちがいつも寝ているところにいると思うから会って来いよ」

 

 男は「せっかく来てもらって悪かったな。まあゆっくりしていけ」とギンコに言い残すと、再び仲間たちのところへ帰っていった。

 

「とにかくあんたの姉に会ってみんことには何も分からんだろう」

「ええ……そうね」

 

 ポポルたちはデボルに会うために歩を進めた。キャンプ内で誰かとすれ違うたびにポポルは声を掛けられた。敵意や憎しみではなく、親しみを込めて。今までとはうって変わった周囲の態度にポポルは戸惑いを隠せず、挨拶もそこそこに急ぎ足でデボルのところへと向かった。

 

 デボルは資材置き場の扉に寄りかかるようにして蹲っていた。抱えた膝に顔をうずめているため表情を窺うことはできない。

 

「デボル、ただいま」

「ポポル!」

 

 デボルは勢いよく顔を上げてポポルのことを凝視した。頭からつま先まで、目の前の妹が幻覚でないことを確かめるように眺め、それからようやく顔を歪ませた。

 

「よかった……本当によかった。もう何日も連絡がつかなかったから」

「ごめんなさい。機械生命体に襲われて、しばらく気を失っていたの」

「いや、いいんだ。無事ならそれで……」

 

 両手で顔を覆ってしまったデボルを、ポポルは膝をついて包み込むように抱きしめた。よほど悪い予感に苛まれていたのだろう。デボルの顔は青ざめ、身体は可哀そうなほど震えていた。

 見ると、彼女の傍らにはポポルの枕が転がっていた。少しでも寂しさを埋めるために使っていたのだと思うとたまらなくなって、ポポルは姉の乱れた髪を撫でて頬を寄せた。少しでも自分の熱を感じてもらえるように、ポポルはいっそう強くデボルの身体を抱きすくめた。

 ひとしきりお互いの無事を喜びあった後、デボルは初めて自分たちを眺めている他人の存在に気づいたようだった。

 

「ああ、デボル。彼はギンコといって……」

 無造作に積み重ねられた鉄骨に腰かけていたギンコは、並んで座る姉妹の方に身を乗り出して言った。「お前さんが見たという猫の予知夢が気になってね。ここまで妹さんに案内してもらったんだ」

「予知夢――確かに、そういう言い方が自然なのかもしれない。皆の不具合の原因が分かったのも、実は夢の中なんだ」

 

 夢。

 デボルの口から発せられたその言葉に、ポポルは冷や水を浴びせられた心地がした。再会は喜ばしいことだが、問題はまだ解決していなかった。

 

 努めて平静を装いながら、ポポルは尋ねた。「原因は何だったの?」

「ああ、それがさ。今時驚くぐらい単純なつくりの論理ウイルスだったんだよ。有効なコードでワクチンを作って投与したら、一発で治った。何で今まで分からなかったんだろうな」

「論理ウイルス……」

「あんたは(くだん)の病のことも予知できていたのか」と、ギンコ。

 デボルは少し考えるそぶりを見せたが、やがてかぶりを振った。

「いや、そんな夢は見てない。あのウイルスに感染したやつはみんな、手足が動かなくなって、何もしゃべれなくなって、最後には死んだように眠る。いくら話しかけても叩いても、二度と目覚めない。あたしとポポルは皆が苦しんでいるのに何もできないんだ。夢の中であんな怖い思いをしたら忘れるはずがないよ」

 

 ほのかに鉄の臭いを含んだ風が、キャンプのアンドロイドたちの楽しげな声を運んでくる。ポポルがそれとなくデボルの方を窺うと、彼女は心地よさげに髪の毛を揺らしながら、仲間たちの声に聞き入っていた。その横顔は、とても嘘をついているようには見えなかった。

 デボルは論理ウイルスこそが皆の病の原因だったと言った。先ほどのレジスタンスの証言とも合致している。

 しかしそれは、二人で散々調べつくした可能性だった。何の特殊性もない論理ウイルスが今更見つかることなどあり得ないはずだ。

 

 でも、とデボルは続けた。「今回のは本当にいい夢だった。不具合の原因が分かって、皆に喜んでもらえて、ポポルが帰ってきて――全部、夢の通りだ」

 

 ポポルは痛みを覚えたようにきつく目を瞑った。百歩譲って原因が本当に論理ウイルスで、デボルがそれを駆逐するワクチンを作り出し、皆の不具合を治せたとしても。自分たちを取り巻く憎悪のまなざしがそう簡単に消え去るとはポポルには思えなかった。

 

 過去に別の個体が起こした事故によって、デボル・ポポルタイプは迫害の対象となった。再びの暴走を防ぐために記憶消去処理を施されていることにより、何があったのかを知ることはできないが、他のアンドロイド達の様子からよほどのことがあったのだと想像することは容易だった。だからこそ、理不尽と思うほどの仕打ちを受けても二人で手を取り合って耐えてきたのだ。それが私たちに課された罰なのだと己を納得させながら。

 

 蟲という超常の存在でもなければ、自分たちの身に起こっていることの説明がつかないとポポルは思った。

 

 頑張ったら喜ばれて、帰らなかったら心配されて、皆に優しく受け入れてもらえる。この現実はまるで、都合の良い夢の続き。

 

「古来より、未来を見通せる者は一定数いた。むろんそういう奴らの大半はペテンだが、ごくまれに本物も存在する。しかし、それにしたところで超常の力が働いているわけではない」

 

 何を言い出すのだろう。蟲という言葉も使わず、えらく遠回りな言い回しをするギンコをポポルは訝しげに見た。

 

「まあ、そうだろうな。超能力なんて非科学的なものあるわけがない」デボルは納得するように頷いた。

「予知の正体は、正確な予測だという説がある」ギンコは自分の側頭部をトントンと指さしながら言った。「ここが発達しすぎているがゆえに、自分の経験や身の回りに起こる様々なことを計算し、極めて精度の高い予測を導き出してしまう」

「似た話を聞いたことがあるな。確か、ラプラスの悪魔とか言ったか」

「ただ、この現象の厄介なところは本人がその能力を制御できないということだ。任意の対象に能力が使えず、また計算も無意識下に行われるために、本人すらも『予知』であると誤認してしまう」

「ちょっとギンコ――」

 

 ギンコはあらかじめ聞いていた話とまるで違うことを言っていた。思わず声が出るポポルだったが、ギンコの目線に遮られて口をつぐんだ。

 

「この現象を放っておくと今よりも頻度が増えていき、予知の内容も大規模なものになっていく。自覚はあるんじゃないか」

「……でも、夢のおかげで皆を助けることができたんだ。確かに夢の内容は猫の居場所から論理ウイルスの発見になったけど……別に悪い事じゃないだろ」

「あんたは超能力という言い方をしたが、ある意味それは当たっている。予知能力は明らかに人智を超えているものだからだ。それだけの力を行使するには、当然脳にかかる負担も大きいものになる。今はまだ何ともなくとも、近い将来あんたは夢から醒めることができなくなるだろう」

 

 ギンコは傍に置いてあった木箱の扉を開け、引き出しの一つから何かを取り出した。ポンと上に放られたその物体は放物線を描いてデボルの手のひらに収まった。覗き込んで見ると、それは白い粉を包んで三角形に折りたたまれた紙を紐で束ねたものだった。

 

 それを定期的に飲むことで予知夢を抑制することができる、と言うギンコをじっと見た後、デボルは横に座っているポポルに視線を移した。

 

「ポポルはあいつのことを信用してるのか?」

「それは……」

 

 ポポルはギンコのことを信用すべきかどうか決めあぐねていた。

 ギンコはビルが人間によって建てられたものであることを知らなかった。機械生命体のことも初めて見たという。人類の為に日々戦っているはずのアンドロイドが、ここまで何も知らないうことが果たしてあり得るのか。

 “蟲”という存在のこともやはり信じきることができない。ギンコが自分たちに嘘をつく理由もないが、あまりにも非科学的すぎるのだ。

 ギンコが無知なのも、そのくせ話すことに妙な説得力があるのも、彼の気が触れていると考えればすべてつじつまが合う。

 

 それでも。

 

 ギンコの瞳は、変わらず森の緑を湛えていた。廃墟で出会ったばかりの頃は戸惑ったけれど、今なら分かる。蟲という不思議なものを見るあの目は、確かにポポルたちのことも見ているのだ。デボル・ポポルタイプのアンドロイドではなく、目の前の二人のことを。

 

「信じてみたい」それは、胸の奥から零れるように出た言葉。

「そっか」

 

 デボルは静かに立ち上がり、ギンコのもとへ歩み寄った。

 

「おまえは、あたしのいないところでポポルを助けてくれたんだよな。礼を言わせてほしい」

「別に何もしてねえよ」

「そう謙遜するなって。他人のことを滅多に信用しないポポルが、あんな顔をするんだから。それで……おまえの言うとおりにすればあたしは治るんだよな」

「ああ、治る」ギンコはデボルを見上げて力強く言った。「少し前までは治療法がなかったんだが、今は完全に絶つことができる」

「予知夢ってのは得した気分になれたんだけどな。でも、ポポル一人残して私だけ寝ているわけにもいかない」

 

 どうかあたしを治してください、とデボルは深々と頭を下げた。

 

 

〇●〇●

 

 

 ギンコが新しい薬を調合し、ポポルがその手伝いをするという名目で、二人は今デボルから離れた位置にいた。そこはビルとビルの間にできた細い通り道。先ほどまでいたところよりもさらにキャンプの奥であり、表の話声はほとんど聞こえなくなっていた。

 

 木箱を下ろしたギンコは壁に寄りかかって言った。「恩に着る。恐らく俺の話だけでは信じてはもらえなかっただろう」

「あなたを信じたいって言ったのは私の本心よ。だから、どうか本当のことを言って」

 

 キャンプに入る前、ギンコはポポルに「話を合わせてほしい」と言っていた。初めからギンコは自分が蟲師であることを隠し、ポポルに語っていたのとは違う内容を話すつもりだったのだろう。

 

「どうしてデボルには蟲のことを伝えなかったの?」

「どうもこのあたりは、蟲の存在が俺のいたところよりも認知されていない――もっと言えば、受け入れがたいものであるらしい。それはあんたと話しているとすぐに分かった」

 

 ポポルは戸惑いがちに頷いた。信じたいと言った手前きまりが悪いが、蟲という存在は今まで当たり前だと思っていた常識を根本から覆すものだ。今でこそこの世にはそういうものもあるのだと受け入れつつあるが、最初から無批判に認めることなどできはしない。

 

「それに、夢野間(いめののあわい)の宿主となった者が真実を知ると、自分の生み出したものの大きさに耐えられなくなる。あの娘には蟲のことを隠しておいた方が良いと思ったんだ」

「……やっぱり皆の不具合は蟲のせいだったのよね」

「それなんだが」ギンコは火のついた煙草を持った手をくるくると回した。「逆なんじゃないかと思うんだがね」

「逆?」

 

 意味が分からずポポルが聞き返すと、ギンコが「あんたの姉が夢を見ていないという以上、病の原因は俺にも分からんが」と前置きして説明を始めた。

 

「今回の場合、夢野間(いめののあわい)がいなければ病を治療することは不可能だった。ここに来る前に説明した通り、この蟲は宿主の夢の内容を現実に再現する。つまりあんたの姉は、夢を見ることによって病の正体を解明したのではなく――」

「理解可能なものに作り変えた……」

「そうだ。この際、もとの病の正体はさして重要ではないのやもしれん」

「でも、仮にそうだったとしても」ポポルはまだ手放しで喜ぶことはできなかった。「皆の様子があんなに変わっているのは? 私たちは今まで各地を転々としてきたの。一つ所に落ちつけたことは一度もなかった。不具合を治療したくらいで、今更……皆が私たちに好意的なのは、デボルがそういう夢を見たからじゃないの?」

 

 不具合を治療することだけでなく、皆に喜んでもらえたことも夢の通りだとデボルは言っていた。病の原因を簡素な論理ウイルスに作り変えたように、仲間たちの認識をも都合の良いように操作してしまったのではないか。

 

 そんな懸念を口にすると、ギンコは半ば呆れたように言った。「お前たち姉妹はなぜそこまで嫌われているんだ。言っちゃなんだが、病を治してやって感謝されないっていうのは尋常じゃねえぞ。俺の見た限りでは、あんたらがそこまで悪い奴らには思えんが……双子は忌み子だとか、そういう話か」

「それは」ポポルは首を振った。「私たちにも分からない。当時の記録は消去されているから」

「記録はなくとも記憶はあるだろう」ギンコは僅かに目つきを変えて言った。「まさか、何も憶えていないって言うんじゃないだろうな」

「ええ。私たちには過去の記憶がない。分かっているのは、昔何か大きな事故があって、私たちがそれに関わっているということだけ」

 

 ――そうだね。貴様たちは記憶を消されている。

 ――そうだね。貴様たちは何も覚えていない。

 

「おいおい……それじゃああんたらは、わけも分からず迫害されているのか」

「でも、仕方がないの。うまく言えないけれど……」ポポルは握りこぶしを胸にあてた。「憎しみのこもった目を向けられるといつも、このあたりから鉛の塊のようなものがせり上がってくる。決して吐き出せず、喉のあたりに留まり続ける。それはとても息苦しいのだけど、頭はどこか冷えていて、これは私たちへの罰なんだって理解できる。私たちは二人で、いつか私たちが犯した罪を償うべきなんだって――」

「馬鹿を言うな。自分たちが何をしたのかも知らねえのに、何をどうやって償うってんだ」

 

 ――じゃあ、教えてあげようか。

 ――じゃあ、思い出させてあげようか。

 

 ポポルははっと顔を上げた。そこには先ほどまで壁に寄りかかっていたはずのギンコの姿はなく、代わりに赤い衣装を着た二人の少女がポポルの方に足を向けて両脇に寝転んでいた。お腹の上に手を置いて仰向けになり、長い黒髪を惜しげもなく地面に広げて目を瞑っている様子は、安らかに眠っているようにも、また死んでいるようにも見えた。

 

「あなたたちは、だれ」

 

 ポポルの警戒をよそに、少女たちはけたたましく笑いだした。可憐な容姿からは想像もつかないほど邪悪な、聞く者の神経を逆撫でするような笑い声。

 少女たちは一切の反動をつけることなく、まるで人形が糸で吊り上げられるように起き上がった。

 

 アンドロイドではない。だが、ただの機械生命体でもない。一切の光を宿さぬ、底なしの穴ぼこのような目が自分を見上げているのを見た瞬間、ポポルは直観的にそう感じた。

 

 赤い少女たちはほとんどポポルに息がかかるような距離に立っていた。ギンコと話していたのは建物の壁の狭間であったため、左右から挟み込まれると距離を取ることもできない。

 

〈罪に塗れた赤毛の双子〉

〈罪を忘れた双子の姉妹〉

「……さい」

〈貴様たちの周りにはいつもニクシミが溢れているね〉

〈貴様たちの周りはいつもゾウオで溢れているね〉

「うるさい!」

 

 言うが早いか、ポポルは目の前の整った顔に拳を叩き込み、もう一方の腹を力いっぱい蹴った。甲高い声で発せられる声の一つ一つが頭の中に反響して耳障りだった。

 

「おまえたちは誰だ! ギンコをどこへやった!」

 

 少女たちは倒れかけたが、そのまま地に伏すことはなく不自然な体勢で静止した。しばらくそうしていた後、少女たちの華奢な身体は思い出したように動き出し、映像データを逆再生するような動作で元の姿勢に戻っていく。

 

〈私達は貴様が知りたがっていることを知っているよ〉

〈私達は貴様の罪を知っているよ〉 

「何を言って……!」

 

 ポポルの手にはいつの間にか剣が握られていた。先ほどまでどこにもなかったものがなぜ急に出現しているのか、そのことに気を回す余裕もなく、ポポルはただ己の感情に従って剣を振り下ろそうとする。

 

〈また壊すの? 人類にとっての最後の希望を壊したように〉

 

 目の前の少女は一切の回避行動をとっていなかった。が、その口から発せられた言葉が見えない壁となって、ポポルの剣を押しとどめる。

 

〈貴様たちの罪を知りたくはないの?〉

〈償いの方法を知りたくはないの?〉

 

 耳を貸してはならぬと頭では理解していても、少女たちの言葉がポポルの心ににじわりじわりと染み込んでいく。

 ポポルとデボルが犯した罪。消された過去。身体の奥深くから際限なく湧いて出てくる罪悪感の源。彼女たちはそれを知っているというのだ。

 

〈真実を知って、貴様はどんな選択をするんだろう――〉

〈その選択は、貴様たちにどんな結末をもたらすんだろう――〉

 

 雑草の生えた地面が、ひび割れた壁が、空の青が、赤い少女たちが、自分以外のすべてのものが硝子の結晶のようになって、バラバラと崩れていく。抗いがたい引力がポポルの身体を下へ下へと、その先にある真実へと引きずり込んでいく。

 

 

 気がつくと、ポポルは机にうつ伏せていた。

 椅子から立ち上がって頭を振り、辺りを見回す。

 その部屋には色彩というものが存在せず、机も椅子も、積み上げられた本も、花瓶に活けられた花さえも、すべてが薄い灰色だった。

 妙な既視感を引きずりながら、ポポルは空いた扉から部屋の外へと足を踏み出していった。

 

 

〇●〇●

 

 

「――ポポル、ポポルってば」

「……デボル……」

「ごめん。スリープモードから無理に起こしちゃって。でも、さ。ポポル泣いてたから」ポポルの顔を覗き込んだデボルの瞳は、心配そうに揺れていた。「何か悪い夢でも見たのか? 顔も真っ青じゃないか」

「もう、大丈夫」

「大丈夫なもんか。今日は休ませてもらおう。最近はメンテナンスの仕事を回してもらえるようになったから仕事もそんなにないし……それに、そんな顔で出て行ったら皆も心配する」

「本当に大丈夫だから」

 

 ポポルはゆっくりと上体を起こした。個室に備えつけられたベッドが僅かに軋む。

 

 先程まで自分の頭を預けていたものを指さしてポポルは笑みを浮かべた。「ほら、ちょっと前から枕を変えたから」

「新しい枕にしたから夢見が悪くなったってことか? まあ確かに人類にはそういうこともあったっていうけど……ポポル?」

 

 ポポルはデボルから視線を外し、部屋の隅に転がっているものを見つめた。静かにベッドから降り、“それ”に向かってゆっくりと近づきながら、ポポルは二週間ほど前にこのキャンプを訪れたギンコの言葉を思い出していた。

 

 ――夢野間(いめののあわい)という蟲は、通い路を通って夢から出てきて、宿主が見る夢を現実に再現する。日に晒されれば消える弱々しい存在が、なぜ外に出て来たがるのかは分からない。だが、宿主が目覚めている間蟲たちが眠っている場所はすでに判明している。

 

 腰をかがめておそるおそる手を伸ばし、暗がりで埃をかぶった“それ”を拾い上げる。

 

 ――枕だ。一説によると、「(まくら)」の語源は「(たま)(くら)」であるらしい。生きている内三割近くも頭を預けている場所だ。そこに魂が宿ると考えられていたんだろう。そこは夢野間(いめののあわい)の巣であると同時に、夢と(うつつ)をつなぐ通路となっていた。

 

「ねえデボル」ポポルは振り向いた。「今の枕、やっぱり私には合っていないみたい。せっかく二人で新しいものにしたけど、私は以前の枕を使うことにするわ」

 

 ――悪いが、あんたの姉が使っている枕はこちらで回収させてもらう。薬も念のため出しておくが……

 

「あれ。古い方の枕、まだ捨ててなかったのか。あたしのは捨てたって聞いてたから、てっきりポポルのも……でも、残しといてよかったな」

「一つ……お願いがあるんだけど」

「なんだ?」デボルは微笑んで言った。「ポポルからお願いなんて珍しいな。何でも言えよ」

 

 ――通い路となっている枕を使わずにいさえすれば、蟲は断てるはずだ。

 

「今日、一緒に寝てくれない?」

 

 

〇●〇●

 

 

 その後、赤毛の双子はいつも床を共にするようになったという。

 身を寄せ合い、大昔の人間たちについて楽しげに語らいながら、一つの枕に頭を預けて。

 二人は穏やかな時間を過ごしているように見えたが、何故か妹の方は、次第に心を病んでいったという。

 ある日、双子は周りの者が仲裁に入るほどの大喧嘩をした。

 それを見た者は言った。

 

「姉の方は顔を覆ってその場に泣き崩れ、妹の方はそれを見て心底嬉しそうに笑っていた……一人で背負わなくてよくなったのが、嬉しくて嬉しくてたまらなかったのだそうだ」

 

 双子が寝台の上に服と枕を残して姿を消したのは、その翌日のことだった。

 二人の衣装は、互いを抱きしめるように重なり合っていたという。

 

 

〇●〇●

 

 

〈正体が分からない脅威に出会った時、アンドロイドは最もニクイもののせいにする。それによってクツウを、キョウフを紛らわす……面白かったね〉

〈ザイアクカンが、非合理的な選択をさせる……面白かったね〉

〈でも、論理ウイルス消されちゃったね〉

〈絶対に見つけられないと思ったのにね〉

〈双子へのニクシミも無くなっちゃったね〉

〈絶対に無くならないと思ったのにね〉

〈蟲って何だろう〉

〈あの男は誰だろう〉

〈もっと遊びたいね〉

〈そうだね……もっと遊びたいね〉

 




最後まで読んでくださり、本当に、本当にありがとうございました!


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