極光大怪鳥ヤタガラス (彼岸花ノ丘)
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北海の大決戦
終わりの始まり


 スマホの画面に映し出されたのは、森の中を撮影した動画。

 この動画もまたスマホで撮影したのだろうか。手ぶれが酷く、眺めているだけで酔いそうなほど。イヤホンから流れてくる音は、落ち葉を荒々しく踏む音とむさ苦しい男の吐息というノイズばかり。お世辞にも質の良い動画とは言えない。中には不快いに思う人もいるだろう。

 止めに、一番の見せ場であろう――――()()()()()()()()()()()()はピンボケで輪郭すら見えない。

 その後はうだうだとこういう生物がどうとか、一際大きなノイズに向けて鳴き声がなんたらとか……字幕ばかり付け足されて、肝心の生き物の姿なんてこれっぽっちも映らない。

 これでよくこの動画に対して『()()()()()()()』なんてタイトルを付けられたものだ。しかも投稿日を見れば二〇二〇年十二月二日との表記が。つまりごく最近に作られ、今朝アップロードされたものである。二〜三十年前のテレビ番組ならば兎も角、今時このクオリティは個人制作だとしても低過ぎる。コメント欄が荒らしばかりになるのも致し方ないだろう。

 率直に言ってクソつまらない。

 

「おーい、百合子ちゃーん。何時まで動画見てんのさー」

 

「昼休み、もう半分終わってるわよ」

 

 そう思いながら動画を見ていた彼女――――山根(やまね)百合子(ゆりこ)は、正面から声を掛けられて、ようやくスマホの画面に向けていた顔を上げた。

 昼休みを迎えた海住(うずみ)高校の一年生教室にて、その高校の生徒である百合子に声を掛けてきたのは二人のクラスメート。

 一人は髪を金髪に染め、向日葵を彷彿とさせる明るい笑みを浮かべている女子。胸の小ささがコンプレックスらしいが、スレンダーな身体付きが男子達に意外と人気な事を当人は知らない。大きな瞳や小さく整った鼻など顔立ちは端正で、眩い笑みもあって非常に可愛らしい。派手な髪色を除けば万人に好まれそうな容姿をしていた。

 もう一人は黒い髪をした、眼鏡女子。不機嫌そうに何時も目を細め、唇をへの字に曲げているが、これが普通の表情だとは当人の言うところ。やや冷淡な印象を受ける顔立ちであるが、しかし美人に属するのは確かで、高校一年としては大きな胸もあってかこちらも男子人気は高い。

 金髪の女子が北条(ほうじょう)(あかね)。黒い髪をした女子が長嶺(ながみね)真綾(まあや)。どちらも百合子の同級生であり、仲の良い友達である。二人に対して百合子の容姿は凡人(と百合子は思っている)レベルなのでそこに嫉妬心がないとは言わないが、なんやかんや一緒にいて楽しい方が多い、気の合う間柄だ。

 友達二人から声を掛けられたとなれば、何時までもスマホなど見てもいられない。画面を伏せるように置いて、友人達と向き合う。

 

「ああ、ごめんなさい茜さん、真綾さん。新作が出ていまして、そちらのチェックをしていました」

 

「新作?」

 

「どうせアレよ。未確認生物とかの動画」

 

「あー、百合子ちゃん好きだよねそういうの」

 

 真綾が呆れたように指摘し、茜は納得したのかこくりと頷く。百合子はまだ何も言っていないのだが、当たっていたので何も言えなくなった。

 百合子は未確認生物が好きだ。

 というよりオカルト全般や、SFっぽいテーマが好きなのである。好きなだけで信じている訳ではないが、休み時間や休日にはついつい動画や記事探しに熱中してしまうぐらいには趣味となっていた。お陰でクラスではオカルト女子と認識されている。オカルト好きなのは間違ってないので、百合子はやはり反論出来ないのだが。

 

「つーか、最近毎日見てるよね。そんなに見るもんあるの?」

 

「そうですね。未確認生物を目撃した、というタイプの動画だけでもここ一ヵ月は毎日五〜六本新作が出ていますよ」

 

「え。そんなに? 真綾ちゃん、なんかそーいうブームでも来てんの?」

 

「私に聞かないでよ。ブームだとか流行りだとかに詳しいのはアンタの方でしょ」

 

「いや、まぁそうなんだけど」

 

 茜はけらけらと笑い、真綾はため息一つ。百合子もへらへらと笑うだけ。

 笑いながら、百合子は少し考える。

 実際、流行っているかどうかでいえば、多分流行ってはいない。百合子の未確認生物好きは最近のものではなく、小学生時代からの筋金入りだ。界隈の『空気』はなんとなく分かり、現時点でそこまで人で賑わっているとは思えない。

 しかし、どうしてかここ一ヵ月……増え始めた、と感じた頃なら半年ほど前から……は動画がやたらと投稿されている。それは百合子がこの目で見てきた事だから間違いない。挙句どの動画も、再生数は一万にもなっていない程度。書き込まれたコメントも「つまんね」だとか「編集の勉強し直せ」とか「釣り乙」だとか……そう言われても仕方ないと思えるほどの低クオリティ作品ばかりだ。普通、ブームとなればそこそこ手の込んだ作品も見られるようになる筈なのに。

 どうしてこの一年でやたらと未確認生物の動画が投稿されるようになったのか? 何故低クオリティの動画ばかりなのか?

 ……違和感はあるが、ろくな考えが浮かばなかった。それに動画を見る側としては投稿数が増えるのは良い事だ。気にするような話ではない。

 それはそれとして、これは話題を共有出来る仲間を増やすチャンスだ。宣伝するなら今しかない。

 

「あ、じゃあオススメの動画見てみますか? 新作で面白いのあってですね、大きな鳥の映像なのですけどクオリティがとても良くて」

 

「「いや、別に良い」」

 

 なので布教しようと試みたが、秒で玉砕。残念ながら友人二人は興味すら持ってくれなかった。

 やっぱり流行ってないな。淡い希望を打ち砕かれた百合子は、がっくりと肩を落とす。ならばこの話を何時までも続けても仕方ない。未確認生物に対する考えは一旦頭の隅へと寄せた。

 

「あ、そうそう。未確認生物で思い出した。明後日の土曜日、映画見に行かない? 最近人気の、ハリウッドのやつ」

 

「……ああ、あれ? 新種の風邪で世界中がパニックになるとかなんとかって」

 

「それそれ! うちのねーちゃんが言ってたけど、すっごい泣けるらしいよ!」

 

「アンタ本当にお姉ちゃんっ子よねぇ。まぁ、暇だから良いけど。百合子も行く?」

 

「ええ、行きますよ。真綾さんは遅刻しないよう、ちゃんと起きてくださいね? 休みの日になると何時も遅いんですから」

 

「普段遅くまで勉強して、休みの日にぐっすり寝て回復してんのよ。アンタ達も勉強してみれば?」

 

「「えー、やだー」」

 

 かくして疑問は忘れ去られ、百合子は友達との会話に意識を向ける。もう、動画の事は殆ど頭にない。代わりにあるのは明後日の土曜日の予定と、勉強への嫌悪感ばかり。

 

「……私は毎日勉強してるから良いけど、アンタ達テスト勉強は大丈夫なの? もうすぐ学期末よ」

 

「「うぐっ」」

 

 尤もその頭は、真綾の言葉で試験についても思い起こさせられる。ついでに茜も。

 百合子はちらりと壁際に目を向けて、カレンダーを確認。十二月に入ったばかりの今日から数えて、二週間後に期末試験だ。

 

「なんでもう十二月なのよー」

 

「全然寒くないから忘れてました」

 

「期末を忘れてんじゃないわよ。確かに暖かいけど。雪も全然降ってないし」

 

「まぁ、元々この町は東北の中じゃ雪は少ない方だけどさ。海沿いだから冬でもそこまで寒くならないし。でも去年の今頃はそれなりに雪もあったと思うんだけどなー。これも温暖化ってやつ?」

 

「或いは一年前の謎の発光物体……まぁ、アレは都市伝説か」

 

「ん? 何々? なんの話ですか?」

 

 映画の話も移り変わり、今度は季節の話題に。その話題もすぐに変わって今度は都市伝説へ。なんとも忙しない話の変わり方だが、百合子達の会話は何時もこんなもの。

 所謂他愛ない会話。時間の無駄と言えばそうかも知れないが、少なくとも百合子は、惜しまねばならないほど自分の時間が少ないとは思っていなかった。

 きっと、今日と変わらない明日が訪れるから。

 百合子ももう高校生。今の世界情勢が色々ときな臭い事ぐらいは知っている。環境破壊の影響と言われている異常気象で、日本でも大きな災害が起きている事も知っている。けれども彼女の周りの世界は平和で、代わり映えがしないもの。事件や事故が起きる気配もない。これからも何事もなく時は流れて、何事もなく大人になって、結婚したりしなかったりしながら、残りの人生を周りの人達と同じように過ごしていく。

 少なくとも百合子はそう信じていたし、友人達もこうして共に語らっているぐらいなのだから似たようなものだろう。或いは教室に居るクラスメートの殆ど、と言うべきか。

 誰もが、何も変わらない明日がやってくると思っていた。それを望む、望まないの違いはあったとしても。

 ――――終わりが来るのは、何時だって突然なのに。

 

「……ねぇ。アレ……」

 

 唐突に、茜がある場所を指差す。百合子と真綾は宇宙人の存在について談義している最中だったが、中身のない話題に執着する気もないので、二人は話をすぐに中断してその指先が示す方を見遣る。

 そこでは一人のクラスメートの男子が、スマホを耳に当てて話している姿があった。百合子だけでなく、茜や真綾とも特段親しくない生徒。百合子としては別段嫌いという訳でもないが、これまで接点がなく、授業中の雰囲気から明るい性格だという事ぐらいしか知らない。故に普段なら彼が何を話していたところで、気にする事はなかっただろう。

 しかし此度の彼は、困惑したような表情をうかべていた。明るい人間だと、よく知りもしない百合子がそう思うぐらいの人物。困惑した顔なんて、初めて見たために関心を抱く。

 

「おい、母さんどういう事だよ。母さん? 母さん?」

 

 その電話は母親からのものだったらしいが、途中で切れたようだ。男子はスマホを耳から離すと、不安げにおろおろし始める。

 

「なんかあったのかな?」

 

「なんかあったんでしょうね。百合子、訊いてみる?」

 

「んー、どうしましょうかね」

 

 真綾からの問いで、百合子は答えに迷った。何分親しくない相手。クラスメートなので声を掛けるぐらい問題も困難もないが、相手の問題にずけずけと踏み入って良いものかとは思う。

 そうこうしているうちに、電話をしていた男子の傍にクラスメート達が集まる。流石は明るいと思われる性格の生徒。友達は多いのだ。だったらよく知らない自分達が野次馬根性で顔を出すのは、不躾というものだと百合子は考える。

 それに。

 

「ん? おっと、ねーちゃんからメッセージ来て……………えっ」

 

 親友がスマホの画面を見た瞬間に唖然とした声を漏らし、眩かった表情が強張り出したら、そちらを優先するべきだろう。

 

「茜さん? どうしたのですか?」

 

「顔色、悪いわよ」

 

「へぁ? あ、いや……な、なんか、ねーちゃんから、変なのが来てて……」

 

「変なの?」

 

 百合子が首を傾げると、茜は自分が見ていたスマホを百合子達の方に差し出してきた。百合子と真綾は共にその画面を覗き込む。

 画面に書かれていた文章曰く――――『学校から出ちゃ駄目』。

 続いて『町で事故が相次いでいる』『一人は危ないから友達と一緒にいて』『何があっても落ち着いて』『うちに帰ってきちゃ駄目』……要領を得ない言葉ばかり。けれども何か、慌てている事、そして危機感を露わにしている事は理解出来た。

 そんな奇妙な文面の最後に書かれていたのは。

 

「大きな、動物が町に出たから気を付けて……?」

 

 大きな動物とは、なんだろうか? クマやイノシシかと百合子は一瞬思ったが、しかしならばそう書けば済む話。何故こんなハッキリしない言い回しなのか。

 まるで、そう説明しないと信じてもらえないと思っているかのような……

 

「ど、どうしたら良いのかな? 私、どうしたら……」

 

「茜、落ち着いて。何も難しい事は書いてないわ。学校から出ないで、私達と一緒にいて、まだ家には帰らない。どれも既にやっている事よ。後は落ち着くだけ。ほら、深呼吸して」

 

「う、うん……」

 

 動揺している茜に、真綾が背中を擦りながら落ち着かせる。深呼吸をしたお陰で少しは冷静さが戻ったのか。右往左往していた茜の動きはぴたりと止まった。

 茜が落ち着いて一安心……したのも束の間、百合子は気付く。

 廊下から、きゃーきゃーぎゃーぎゃーという悲鳴が聞こえてくる事に。昼休みの廊下なんて騒がしいものだが、しかし悲鳴なんて聞こえてくるものじゃない。

 何か、おかしい。

 

「み、皆さん!」

 

 そう考えていた最中、突如として大きな声が教室内に響いた。

 声がした方を見れば、そこにはこのクラスの担任が、廊下へと通じる扉の外枠に寄り掛かるような体勢でいた。担任は体育教師をしている男性で、歳は三十前半と若く、身体も鍛えている。顔立ちや性格も爽やかで、女子人気はそこそこある教師だ。

 しかしその彼は今、喘ぐように息をしていた。外よりは温かいとはいえ、冬にも関わらず汗を流している。扉に取り掛かる姿勢にも力がなく、酷く疲労しているのが窺い知れた。

 

「は、早く、体育館に、逃げ――――」

 

 それでも彼は何かを伝えようと、百合子達生徒に向けて話し始めた

 直後、巨大な『影』が担任を突き飛ばす。

 担任が突き飛ばされた瞬間、ぼきり、と嫌な音が聞こえた。次いでぐっちゃぐっちゃと、生々しい音が聞こえてくる。廊下の悲鳴は一段と大きくなり、代わりに教室内の生徒達は百合子含めて全員が沈黙した。

 そして沈黙は困惑へと変化する。

 担任の代わりに扉から顔を出したのが、()()()()()()だったのだから。

 それでも平穏な日々が終わったのだという事実に気付いた生徒は、まだ少数派に過ぎなかった。



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校内逃走

 一言でいうなら、ネズミ。より正確にいえばドブネズミのような見た目の生物だった。

 けれどもドブネズミであれば、体長二十センチ前後が普通である。勿論栄養条件が良かったり、突然変異などで特別な体質だったりすれば、これよりも大きくなるが……それにしたって倍以上が限度だろう。一メートルを超えるような、モンスタードブネズミなんて自然に誕生する筈がない。

 では、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 疑問と混乱から、百合子の身体は彫刻のように固まり、動けなくなってしまった。茜と真綾、そして他のクラスメート達も同じようで、呼吸すら止まったかのように教室内が静まり返る。

 動くのは、大ネズミだけ。

 

「ヂヂヂヂ……」

 

 廊下側から顔を出した大ネズミは、顎を震わせるように動かしながら鳴く。赤く充血した目はギョロギョロと動き、半開きの口は涎が糸を引いていた。狂気的な雰囲気を纏い、見ている者の心臓を激しく鼓動させるだろう。

 四つん這いの体勢なので、その頭の位置は百合子達の身長よりも低い。しかしそれでも腰ほどの高さはあり、大きな存在感を百合子達に与えた。少なくともごく一般的な女子高生に過ぎない百合子には、挑んだところで勝てるとは到底思えない。

 ただしそれは、本当にこの大ネズミが『動物』であればの話だが。

 

「な、なーんだよこれ。なんのドッキリ?」

 

 クラスメートである男子の一人は、目の前の存在を動物と認めなかった。けらけらと笑いながら、大ネズミを指差す。

 確かに、そう考える方が『合理的』だろう。こんな大ネズミの存在は百合子も聞いた事すらないし、仮に世界の何処かにいたとしても、日本の(東京に比べれば片田舎だとしても)市街地に建つ高校に突然現れる訳がない。そんな馬鹿げた可能性に比べれば、目の前に現れた存在が実は精巧に作られた着ぐるみであり、中にはテレビ局だかなんだかの人が入っていると考える方が自然だ。クラスメート達も男子の言い分に納得して、安堵の笑みを浮かべた。

 対する大ネズミは男子の言葉への返答とばかりに動き出し――――言い出しっぺの男子の首元に喰らい付く。

 

「ごぴっ」

 

 間の抜けた声と共に、噛まれた男子の首があり得ない、あり得てはいけない方へと曲がる。大ネズミはそのまま男子を押し倒すと身体を激しく左右に揺さぶった。男子の身体も容赦なく揺れて……ある時にぶちりと音が鳴り響く。

 それと共に大ネズミは顔を上げる。先程まで見せていた異様な雰囲気は消え、ただの大きなネズミのような顔立ちとなっていた。

 だらんと、口からぶら下がる生首以外は。

 

「キャアアアアアアアアアアッ!?」

 

 誰かが悲鳴を上げた。誰が上げたのかなんて、百合子には分からない。

 けれどもその悲鳴を発端にして、教室内の生徒達は一斉に走り出した!

 

「百合子! 茜! 逃げるわよ!」

 

 百合子達も、真綾に手を引かれる形で走り出す。百合子も茜も何も言わず、否、考えが浮かぶよりも早く、引かれるがまま教室から出た。

 廊下に来た百合子達が目にしたのは、右往左往するように走り回る同級生達の姿。それと……廊下の真ん中で、つい先程百合子達に声を掛けてくれた担任と、その担任の腹に()()()()()()()()()大ネズミ。

 あの大ネズミは、何をしている? なんで担任は廊下に倒れてる? なんで廊下に赤い水がいっぱい溢れて……

 

「ぼうっとしてないでこっち来て!」

 

 真綾が声を掛けてくれなければ、百合子はきっと廊下で棒立ちしていただろう。突然押し寄せてきた大量の情報に、百合子の思考は殆ど止まっていた。

 そんな百合子に比べれば、茜はまだ幾分冷静だった。冷静であるが故に、ヒステリックな声で真綾に問う。

 

「な、なんなの!? ねぇ、何が起きてるの!? あの化け物なんなの!?」

 

「私だって知らないわよ。確かなのは、趣味の悪いテレビ番組ではないって事ぐらいかしら。多分逃げなきゃ私らも食い殺されるんじゃない?」

 

「だ、だったら安全な場所に逃げなきゃ! 先生、さっき体育館に逃げろって……」

 

「本来ならそうしたいけど、これじゃ無理ね」

 

 そう言いながら真綾が視線を向けたのは、廊下を走る他の生徒の姿。

 生徒達はバラバラに走っていたが、明らかに多くの生徒が向かっている方角がある。体育館へとつながる渡り廊下がある方だ。二階にあるこの廊下からでは、生徒達が何処に向かっているのか断言出来ないが……他の目的地は、少なくとも百合子には思い付かない。

 

「逃げるんだったら、体育館の扉とか窓をネズミ共が来る前に閉めなきゃいけない。普通の施錠じゃ不安だから、バリケードも作んないとね。でも他の生徒達は疎らにやってくるだろうから、何処かで遅れてきた生徒を締め出す必要がある。そんな事私達に出来る? 出来ないでしょ? 出来たとしても、その場に集まった連中の少数派だったら駄目だし、締め出された連中が連携して扉をぶち破ってきたら何もかもお終いよ。別の場所に避難した方がマシね」

 

 茜の言葉に、普段よりは少し荒れているが、落ち着いた口調で答える真綾。あまりにも慣れた答え方に、茜はより落ち着きを取り戻し、百合子もヒステリーにならずに落ち着く。

 同時に、親友のまさかの姿に驚きもあって。

 

「……真綾さん、何故そんなに落ち着いていられるのですか?」

 

「アニメと漫画の見過ぎってところよ」

 

 思わず百合子が尋ねれば、真綾は気恥しそうに顔を逸しながら答えた。

 そういえばゾンビサバイバルガイドとか読んでいましたね……緊急時にも関わらず感じられた親友の『普段』の姿が、ほんの少し百合子の心を励ます。

 

「さて、そうは言ったけど何処に逃げるべきか……茜。お姉さんから連絡は来てる?」

 

「えっ、あ、えと……き、来てない。さっきまでので、全部……」

 

「ふむ。大きな動物ってのは、まぁ、あの人食いネズミでしょうね。そして町中にそれが出ているってところかしら」

 

「じゃ、じゃあ、学校の外に出ても……」

 

「安全とは言えないわね。家の中に逃げ込めるなら良いけど、道中じゃ襲われ放題だわ。そんなリスクを犯すぐらいなら学校内の何処か、籠城出来る場所に避難するのが好ましいか。そうね、調理室とかなら水も出るし、火が使えれば暖も取れるから、救助が来るまで隠れるにはうってつけかしら……」

 

 真綾は淡々と状況を分析し、解決案を言葉にする。その言葉を聞くだけで、百合子としては安心した気持ちになれた。このまま真綾に付いていけば、きっと大丈夫だと思える。茜も同じ気持ちなのか、大人しく真綾の後に着いてくる。

 百合子と茜は、真綾に頼りっぱなしだった。教室を出て調理室へと向かう間、大ネズミと遭遇しなかった事もあって冷静になると、百合子はその事実に気付く。申し訳ないという気持ちを百合子は抱き、茜も似たような想いなのか複雑な表情を浮かべた。安心感の反面居心地が悪く、ついそわそわと周りを見回してしまう。

 しかしながらそれ故に、二人は真綾よりは周りが見えていた。

 だからこそ曲がり角の奥から僅かに姿を覗かせていた、真綾が全く気付いていなかった『黒い影』を見付ける。

 

「真綾さん危ない!」

 

「え?」

 

 百合子は反射的に真綾の腕を引く。茜も僅かに遅れて同じく引っ張り、友人二人に引き寄せられた真綾の身体は尻餅を撞くように倒れた。

 もしもそうならなかったら、真綾は今頃、下へと続く階段がある曲がり角から振り下ろされた()()()()()()の一撃を頭からもらっていただろう。

 

「……ぁ?」

 

 呆けた声を出す真綾。百合子と茜も顔を上げれば、曲がり角からゆらりと出てきたモノの姿を目にする。

 それは大ネズミではなかった。

 ニメートル近い身体は甲殻質であり、体毛は一本も生えていない。表面は艷やか、というより脂ぎっているような光沢だ。足は六本も生えていて、特に前足が肥大化。鎌のような構造となっていた。胸部は非常に幅が広く、横幅は百合子達の三倍はあるだろうか。

 一言で例えるなら、前足だけカマキリになったゴキブリか。

 百合子はゴキブリが好きじゃない。一般的な女子よりは耐性があるものの、触れたり、ましてや愛でたりする事はしない。むしろ見付け次第問答無用で殺処分する程度には、嫌悪している。

 しかし目の前に現れた大ゴキブリに対しては、嫌悪感よりも先に恐怖が沸き立つ。

 逃げないと、殺される。

 

「ま、真綾さん! 早く、早く起きてください!」

 

「あ……駄目。腰に、力が入らなくて……」

 

「う、嘘でしょ!?」

 

 尻餅を撞いた真綾を立たせようとする百合子と茜だったが、真綾の足腰には本当に力が入っていない。何度立たせようとしても、がくんとその身体は落ちてしまう。

 冷静に振る舞っていた彼女も、決して恐怖を感じていなかった訳ではなかったのだ。

 真綾は大柄な体躯ではないが、百合子と茜も力持ちではない。同い年の人間一人の身体を抱えた状態では、二人で協力してもあまり速くは動けないだろう。

 

「ギ、チチチチ……」

 

 対する大ゴキブリはどうか。大きくなったゴキブリがどのぐらい素早く動けるかは分からないが、直感的に、百合子には遅いと思えない。普通に走っても、きっと大ゴキブリの方が速いだろう。

 どうしたら良いのか。いや、この状況で何が出来るというのか。百合子が悩んでいる間も大ゴキブリは近付き、ゆっくりと前脚を振り上げ――――

 

「ヂュウウッ!」

 

 背後から現れた大ネズミが、大ゴキブリに跳び付かなければ、百合子達の誰かが潰されていただろう。

 

「ギヂィッ!? ギ、ギギキィィ!」

 

「ヂュウッ!」

 

 大ゴキブリと大ネズミは取っ組み合いの争いを始めた。大ゴキブリもただではやられず、大きな鎌のような前脚で大ネズミを叩く。大ネズミの毛が飛び散り、僅かに赤い液体も撒き散らされたので、怪我を負ったのは確かだ。

 しかし大ネズミは大ゴキブリを離そうとはしない。むしろ短い足でがっちりと抱え込むや、大きな前歯で甲殻に噛み付いた。巨大ゴキブリの体表面には穴が空き、半透明な汁が辺りに飛び散る。

 大ネズミに、百合子達を助けようなんて意思はないだろう。恐らく単純に、より大きな獲物を襲ったというだけ。或いは大ゴキブリから百合子達(獲物)を奪おうという魂胆かも知れない。

 いずれにせよ、今ならば二匹とも百合子達を見ていない。

 

「い、今のうちに逃げましょう!」

 

「真綾ちゃん! ちょっと揺れるけど我慢しててよ!」

 

 茜と力を合わせ、百合子は真綾の身体を引っ張る! 容赦なく暴れる二匹の闘争は、巻き込まれたらそれだけで大怪我を負いそうなものだったが……幸いにも百合子達に尻尾や脚が当たる事はなかった。

 百合子達が離れても、大ネズミも大ゴキブリも彼女達を見向きもしない。百合子達の真似をするように他の生徒達が二匹の横を通ろうとして、不運な生徒が何人か下敷きになったが、それでも奴等は戦いを止めない。

 これ以上ない好機。

 皆が降りていく階段を尻目に、百合子達は脇目も振らず廊下の行き止まりにある調理室へと駆け込むのだった……

 

 

 

 

 

「とりあえず、バリケードは置いといたよ。どんだけ役に立つか分かんないけど」

 

 扉の前に椅子を積み上げた茜が、そう報告した。茜を手伝ってきた百合子も同意するように頷く。

 扉は内側から施錠し、その前には調理室の椅子を置けるだけ置いてバリケードにした。尤も女子の力でも二〜三個ぐらい軽く持てる程度の重さしかない木製椅子なので、何十と積み上げてもどれだけ効果があるのかは怪しいが。机などが動かせれば良かったのだが、調理室の机達はどれも固定されたもの。こればかりは仕方ない。

 腰が抜けて未だに立てない真綾は、扉の情けないバリケードを見ると、調理室の床に座ったままうなだれるように頷いた。ただし失望の対象は出来上がったものではなく、自分自身のようだが。

 

「……ごめんなさい。肝心なところで、足を引っ張ったわ」

 

「何を言ってるのですか真綾さん。真綾さんが引っ張ってくれなかったら、それに調理室に逃げようって提案してくれなかったら、今頃私達全員死んでいますよ」

 

「そーそー。真綾ちゃんは気にし過ぎ。私なんて……パニクって騒いでいただけだし」

 

 落ち込む真綾を百合子達は励ます。百合子のそれは本心からの言葉であり、きっと茜も同じだろう。

 その気持ちは届いたのか、真綾は、こくんと頷いた。

 

「……そうね。三人全員無事だし、これ以上を求めるのは贅沢よね。分かった。この話はこれで終わりにして、次を考えましょう」

 

「次?」

 

「この調子じゃ何時助けが来るか分かんないって事よ。百合子、茜。窓から外を見てくれない?」

 

 真綾に言われて、百合子達は調理室の窓から外を眺める。

 ――――茜からの情報と真綾の話、そして学校という状況から、ろくでもないものが見えるとは思っていた。

 だから声を上げずに済んだと言うべきか、はたまたそれでも息を飲んだと言うべきか。

 調理室の窓から見えるのは、百合子達の暮らす住宅地。

 その住宅地の至るところで煙が上がっていた。横転した車や燃えている家、その横を必死な動きで走り抜ける人らしき姿も目に出来た。よく耳を澄ましてみれば救急車やパトカーのサイレンが聞こえてくる。しかしどれも遠く、そして近くに寄ってくる気配はない。

 お世辞にも、平穏とは言えない状況だ。

 

「……嘘、こんなの……」

 

 同じ光景を目にした茜が、否定の言葉を発す。しかし彼女がどれだけ拒もうと、町から昇る煙とサイレンの音は消えはしない。百合子も唖然としながら眺めるばかり。

 最初から予期していたであろう真綾だけが、淡々とした口ぶりで語り出す。

 

「ま、そりゃそうよね。学校にピンポイントでモンスターが現れる訳がない。町中に溢れ返って、一部がやってきたって考えるのが自然よ」

 

「ど、どう、したら……」

 

「……恐怖を煽るようなものを見せて言うのも難だけど、そこまで心配しなくても良いわ。さっきのゴキブリとネズミの戦いで、どちらも傷を負っていたでしょ? あの程度で怪我するんだから、銃があれば倒せる相手よ。猟友会か、警察か、自衛隊か。誰が来るにしても、駆除は出来る筈」

 

「でも! そんなの何時来るか……!」

 

「だから調理室に逃げ込んだの。水だけでも人間は二〜三週間生きられると言われているわ。仮になくても冬場の今なら四〜五日は生きられると思う。それだけの時間があれば町の害獣駆除も終わるでしょ。私達はその間じっとしているだけ。地震を生き延びるよりも簡単よ」

 

 戸惑う茜に、真綾は落ち着いて、理屈に沿った言葉で説明する。狼狽えていた茜の息は静まり、傍で訊いていた百合子もその言葉に納得して胸を撫で下ろす。

 危険な状況なのは変わらない。けれども地震よりも簡単だと『具体例』を出されると、自分達が生き延びる事が()()()()()()()と思えて一層の安心感につながる。

 そうして百合子がホッと息を吐いた――――まるでその時を狙ったかのように。

 『世界』が、大きく揺れ動いた。



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巨獣の激突

「な、なんですか、この揺れ……?」

 

 百合子は無意識に『違和感』を言葉にしていた。

 大地の揺れ。本来ならば、それは地震と称するのが正しいだろう。いや、地震以外にあり得ない。爆弾の爆発やらなんやらでも大地は揺れるかも知れないが、こんな、何秒も続くものではない筈なのだから。

 しかし、ならばどうして違和感など覚えるのか。自分は一体何が気になっているのか。何かに捕まっていなければ転びそうなほど揺れが強くなった時、ふと百合子の脳裏に疑問に対する答えが一つ浮かぶ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()――――

 次の瞬間、窓から見ていた市街地で巨大な爆発が起きた! 何十メートルもの高さと幅に粉塵が、それと恐らく建物のものであろう瓦礫が舞い上がり、更には窓ガラスが割れそうなほどの爆音が轟く。

 

「きゃあっ!?」

 

「ひぅ!?」

 

「え、な、何? 何があったの?」

 

 爆発を目の当たりにした百合子は驚きから尻餅を撞き、茜は悲鳴を漏らす。その光景を直接見ていない真綾も爆音は聞こえていて、動揺を露わにしていた。

 いや、そもそもさっきのものは本当に爆発だったのか?

 確かに土埃や建物の瓦礫が舞い上がっていた。爆音だって聞こえている。しかし炎は見ていないし、工業地帯なら兎も角、住宅地で家が何軒も吹き飛ぶ爆発が起きるなんて考え辛い。

 何か、別の理由があるのではないか? 違和感から百合子は立ち上がり、また窓際に向かう。既に地震が収まった事を感じつつ、市街地をじっと見た。

 視線を向ける先にあるのは、爆発らしき現象により生じた粉塵。粉塵は校舎からほんの百メートルか二百メートル先という、極めて近い場所で漂っている。どうやら『爆発的現象』はかなり近い場所で起きていたらしい。粉塵は今も濛々と周辺を舞っているが、時間の流れと共に薄れていく。十秒も経たないうちに、その粉塵はすっかり消えてなくなる。

 そして『それ』は、百合子に自らの姿を披露した。

 

「……は?」

 

 思わず、口から出てきたのは否定の言葉。しかし彼女の想いなど無視して、『それ』は存在し続ける。

 全身を覆う灰色の毛。鞭のようにしなる長い尾。短い手足と、愛嬌のある顔立ち……

 ドブネズミだ。耳が長く伸びていたり、黒い毛の束が背ビレのように生えていたり、口からはみ出して見えるぐらい牙が何本も伸びていたりと外観に数々の変化はあるが、それでも一言で例えるならばドブネズミしかない。

 そして何より目を引くのは、その巨大さ。

 周りに残った建物の大きさから推測するに、()()()()()()()()はあるだろうか。学校に現れた個体がニメートルだとすれば、ざっと十倍ものサイズだ。ニメートルの時点でとんでもない大きさだったのに、二十メートルなんてあり得ない。そんな常識的考えを打ち砕くように、超巨大ドブネズミは身動ぎや尾の動きで周りの家々を蹴散らす。一歩動く度に重々しい足音が鳴り、僅かに百合子の身体を揺さぶった。

 夢でも幻覚でもない。間違いなく、この巨大な生物は実在しているのだ。尤も、理性がそれを受け入れられるかどうかは、また別の話なのだが。

 

「何よ……一体、何があったってのよ」

 

 何も言わない百合子の反応が気になったのか。腰が回復したらしい真綾は立ち上がり、百合子の隣に立つ。次いで、声一つ出す前に百合子と全く同じ呆けた表情を浮かべた。

 百合子と真綾は、どちらも現実が受け入れられなかった。どちらも自分の見ているものが理解出来ず、困惑するばかり。

 

「ど、どうしよう!? あんなのが暴れたら、わ、私ら……!」

 

 唯一これが現実だと受け入れた茜は、恐怖に引き攣った声を漏らした。

 

「……落ち着いて。まだこっちに来ると決まった訳じゃないわ。それに、確かに暴れたら校舎も壊れそうだけど、大きさ的に向こうも巻き込まれたらただでは済まない筈――――」

 

 茜の不安を理屈で解消しようとする真綾。けれどもその言葉は、再び起きた地震により途切れる。

 今度の地震は、先程よりも小さなもの。けれども百合子はその事実に安心など出来ない。少なくとも、揺れを感じる程度には近いという事なのだから。

 その予想を肯定するかのように、市街地で新たな爆発が起きた。舞い上がる粉塵の規模は『先程』と同程度。先の爆発よりも距離は遠く、調理室の窓ガラスを揺らす力も弱い。心構えの出来ていた百合子達はもう誰も転ばなかったが……心を覆う暗雲は、より濃さを増していく。

 

【ギ、ギギィヂヂヂヂイィィィ!】

 

 舞い上がる粉塵を蹴散らすようにして姿を現したのは、前脚がカマキリのように肥大化した超巨大ゴキブリだった。

 超巨大ゴキブリの体長も二十メートルほど。ここまで大きいともう空など飛べないからか、翅が普通のゴキブリのような柔らかなものではなく、カブトムシやクワガタムシのような硬質化したものに変化していた。全身を覆う甲殻も、見た目からして頑強さを増している。脚からは棘まで生えていて、見た目の変化はドブネズミ以上に大きい。

 

【ヂュウウゥオオオオオオッ!】

 

 現れた超巨大ゴキブリに対し、超巨大ドブネズミは臆する事なく向き合い、吼えた。四本足で大地をしっかりと踏み締め、全身の筋肉を膨らませて更に一回り大きくなる。

 ゴキブリも六本の脚で大地を踏み締め、ドブネズミを真っ正面から見据えた。翅をぴったりと閉じ、黒い鎧のように纏う姿はまるで騎士。家庭で見かけるものとは雰囲気がまるで違う、雄々しさを感じさせる。

 睨み合う両者は、少しずつ距離を詰めていく。

 百合子には、勿論この二匹の気持ちなんて全く分からない。きっと世界中の誰にも分からないだろう。だが、これから何が起こるかは、世界中の誰よりも確信を持って答えられる。

 戦うつもりだ。理由はなんにせよ、互いの命を賭けて。

 勝手にやれと言いたいところだが、そうもいかない事情が百合子達にはある。

 二匹から校舎までの距離が、たったの百五十メートルほどしか離れていないのだ。

 

「……こりゃ、外に逃げていた方がマシだったかも」

 

 真綾がぽつりと呟いた言葉は、百合子の気持ちをこれ以上ないほど代弁してくれた。茜も同じようで、へらへらと笑う。

 二匹の超巨大生物達は、百合子達の気持ちなど汲んでもくれない。

 

【ギギギギギイィィィィ!】

 

【ヂュウウゥウウゥゥッ!】

 

 二匹は同時に駆け出すや、真っ正面からぶつかり合った!

 最初の体当たりを制したのは、ゴキブリの方。六本脚の分だけパワーがあるのか、どんどんドブネズミを押していく。ドブネズミは踏ん張ろうとするが、動きは止まるどころか加速する一方。

 ついにドブネズミは百合子達がいる学校の校舎に激突。二十メートルもある巨体と接触し、校舎の壁が崩落した。

 

「きゃああああっ!?」

 

「いやああぁっ!」

 

 百合子達にとって幸いな事に、ドブネズミが激突したのは百合子達がいるのとは反対側の校舎の端っこ。直接叩き潰される事はなかったが、崩落の振動で三人の誰もが立てなくなってしまう。調理室には幾つもの窓ガラスがあるが、一部が割れ、雪崩のように室内へと流れ込んだ。幸いにして百合子達が襲われる事はなかったが、もしも傍に居たら、身体中が傷だらけになっただろう。

 ゴキブリはそんな百合子達などお構いなしに、ドブネズミへの攻撃を続行。カマキリが如く大きく発達した腕を振り下ろし、鉄拳をお見舞いする!

 ドブネズミはこれを、顔を逸らす事で回避。校舎に打ち込まれて埋もれた前脚を掴むや、腕の力でゴキブリの身体を真横に投げようとした。ゴキブリは前脚以外の四本脚で耐えようとするが、咄嗟の事で踏ん張りが足りなかったのか、あえなく投げ飛ばされる。転がる動きで家を数軒潰したが、起き上がったゴキブリに堪えた様子はない。

 

【ギギィイッ!】

 

 ゴキブリは再度突撃し、今度は頭突きを披露。ドブネズミの顔面に喰らわせた!

 巨大で硬質な頭部の一撃に、ネズミは大きくその身を仰け反らせる。頭からは僅かに血が飛び、小さくない傷を受けた事が窺い知れた。

 

【ヂュウウッ!】

 

 しかしドブネズミは一切臆す事なく、今度はこちらの番だとばかりに尾を振るう。振られた尾はゴキブリに向かっていたが、鞭のように叩くのではない。

 ゴキブリの肥大化した前脚に巻き付けたのだ。ゴキブリはドブネズミの意図に気付いたようで、なんとか前脚から尾を振り解こうとするが、ドブネズミとて簡単にはやらせてくれない。

 ドブネズミは尾を引き寄せ、ゴキブリを自分の近くへと引っ張る。やがてゴキブリとの距離が縮まるとすかさず跳び付き、その甲殻に噛み付いた。頑強な筈の甲殻は、発達したドブネズミの牙により破られる。更にドブネズミは顎に力を込め、ゴキブリの甲殻を貫いた牙を筋肉へと突き進めた。

 ゴキブリの身体に開いた穴から、無色透明な体液が溢れた。しかしゴキブリがこの攻撃に狼狽えていたのは一瞬。すぐさま冷静さを取り戻し、反撃としてドブネズミに噛み付き返した。

 ゴキブリと違い、ドブネズミの身体は甲殻により守られていない。ゴキブリの顎はドブネズミの身体に深く食い込み、ぶちぶちとその肉を千切る音を鳴らす。これには堪らずドブネズミは尾を離して逃げようとするが、ゴキブリはそのまま逃がそうとはしない。離れようとする背中に対して前脚を振り下ろし、どつくように殴り付ける。

 

【ヂュアアッ!?】

 

 殴られたドブネズミは横転し、住宅地の上をごろごろと転がった。家が特撮番組で使われるジオラマが如く派手に砕け散り、転んだ衝撃を物語る。

 だがドブネズミはこれでも死なないどころか、大きな怪我もしていない。むしろ怒りで表情を歪め、ぶるんと身体を振るって土埃を落とした後、再びゴキブリと力強く向き合う。

 ゴキブリの方も闘志は失せていない。甲殻質の顔に表情などないが、見ているだけで全身がひりつくような覇気を発した。

 両者はまたしても激突する。一撃一撃の衝撃が、町を粉々に砕いていった。

 

「……なんなの、これ」

 

 そしてその光景を目にした百合子は、ぽつりと独りごちる。

 二十メートル。

 人間と比べて明らかに大きなその身体は、しかし特撮番組や映画に出てくるモンスターとしてはちょっと拍子抜けする規模だろう。某白銀の巨人は身長五十メートルもあるし、とある怪獣王なんて百メートル超え、作品によっては三百メートル超えにもなった。そもそも二十メートルなんてブラキオサウルスのような、実在した恐竜よりも小さいではないか。『化け物』と呼ぶにはちょっとばかし小さ過ぎる。

 だが、現実に現れた二十メートル級の生物は、ただ暴れ回るだけで町を壊していく。一人一人の暮らしがある家を雑草のように蹴散らし、そこにいるかも知れない命など気にも留めない。

 大きさなんて関係ない。人の暮らしを虫けらのように踏み潰していくあの生き物達は――――間違いなく『怪獣』だ。

 

「……ねぇ、真綾ちゃん。これから、どうしたら良い?」

 

「……紙で社でも作って祈ろうかしら。もう、これは流石に私もお手上げ。あんなのどうしろってんのよ」

 

「だよねー……」

 

 あまりの傍若無人ぶりに、茜はパニックになる事すら放棄したのか。ぼんやりとした言葉に生気はない。真綾の言葉にも力はなく、生き延びるための作戦も思い付かない様子。

 百合子も似たようなものだ。怪獣達の暴れる姿を呆然と眺めるだけ。校舎に激突してきた時も、そこで暴れていた時も、何も出来なかった。いや、何が出来るというのか? 自衛隊のような武器を装備しているならまだしも、ただの女子高生が怪獣に立ち向かい、勝つのは勿論傷の一つでも与えられる訳がないのだから。出来る事なんてなんもありはしない。

 或いは、今のうちに校舎の外に脱出するという手はあるだろう。しかしそれをするためには、あの怪獣達よりは小さな、だけど人間よりも大きなネズミやゴキブリが行き交う校舎を進まねばならない。自分達はその驚異から生き延びるためにこの調理室に逃げ込んだのに、そこから出てはなんの意味もない。それに逃げた先に偶然怪獣二匹がやってくる可能性もあるのだ。

 未来が分からない人間達には、どうすべきかなんて分からない。百合子達はただ呆然と、二匹の怪獣の争いを眺めるだけ。じっと、何も分からないまま死にたくないという想いだけで見つめ続ける。

 ――――そんな時だった。

 不意に、町で争っていた二匹が動きを止めたのは。

 

【……ギ、ギギヂィィ……】

 

 ゴキブリが怯んだように後退る。今までどんな攻撃を受けても、ドブネズミと互角に戦っていたのに。

 

【チュ、ヂュウゥゥ……】

 

 ドブネズミは怯えるように身を縮こまらせた。今までどれだけ傷付こうとも、ゴキブリと戦っていたのに。

 先程までの激しさは何処へやら。もう二匹に戦う気はすっかりない。けれども警戒は収まらず、むしろどんどん強めているようにすら見える。

 そして二匹の視線は、どちらも空を向いていた。

 空に何があるというのだろうか? いくらドブネズミとゴキブリとはいえ、あれだけ大きければ今更鳥なんかは怖がらないだろう。なら、もしかしたら自衛隊の戦闘機が来たのでは……脳裏を過ぎる希望的な考えに、百合子は思わずドブネズミ達と同じく空を見遣る。

 百合子は誰よりも楽観的だった。

 故に不安げにしている茜や真綾よりも早く、空を見た。そしてだからこそ、誰よりも早くその顔を恐怖で引き攣らせる。

 空から舞い降りてきた『黒い影』を、友達二人よりも先に目にしたのだから……



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君臨

 巨大な翼を広げながら現れたそれは、ゆっくりと、地上に降りてきていた。

 ()()()()()()()()()はあるだろうか。身体の大きさは六十メートルほどと思われ、ドブネズミやゴキブリとは比較にならない大きさを有している。広い肩幅と大きく発達した胸元は、その生物が如何に筋肉質な存在であるかを見るモノ全てに伝えた。

 全身は黒い羽毛に覆われているが、その羽根は光沢を持ち、淡い虹色の光を放っていた。どんな仕組みかは分からないが、光はゆらゆらと揺れるように変化していく。頭部からは二本の長い羽根の束が生えていて、まるで耳のような形を作っている。尾羽は長く、ざっと四十メートルはあるだろうか。しかし硬さがあるのか、長さがあるのに途中で曲がる事はなく、ぴんっと真っ直ぐに伸びていた。また尾羽は他の羽根と違ってやや赤味を帯びている。この赤味も揺らめくように変化していた。

 唯一羽毛に覆われていない脚は、黒い鱗に包まれていた。指は前を向いているものが三本、後ろ向きのものが一本。指先には長くて鋭い爪があり、どんなものでも切り裂いてしまいそうに見える。着地した時に一軒家を雑草か何かのように易々と踏み潰したが、まるで気にした素振りもない。非常に頑丈な足のようだ。

 何かが、違う。

 その生物を目にした時、百合子は直感的にそう思った。何が違うのかなんて分からないが、これまで見てきたどの生物とも感じるものが違う。心に湧き上がるのは恐怖心だけではない。畏怖、尊敬、崇拝……ポジティブな『屈服』の念が自然と込み上がる。死にたくないという感情すらも打ち消すほどの、圧倒的存在感が自我と本能を塗り潰す。

 コイツをなんと呼ぶべきか、百合子にはよく分からない。されど敢えて、見た通りに語るならば……巨大なカラス以外にない。

 ドブネズミとゴキブリの前に現れたのは、両者を圧倒するほどに巨大な『カラス』だった。

 

【ギ、ギギ……!】

 

【ヂュウゥ……!】

 

 ゴキブリとドブネズミが揃って後退りしながら、口を開いて威嚇の仕草を見せる。恐怖心を感じているようだが、されど二匹は完全に臆した訳ではない。むしろ咄嗟に協力体制を取り、巨大カラスに挑もうとしているのが百合子にも見て取れた。

 ところが巨大カラスは、激しく威嚇するゴキブリとドブネズミを前にして表情一つ変えない。なんの威圧感もない(それでも百合子は強烈なプレッシャーを感じるが)顔立ちは、完全に二匹を見下していた。

 その嘗めくさった態度が気に触ったのか、或いは警戒心のない状態を隙と判断したのか。

 

【ギギ、ギ、ギィ!】

 

 突如としてゴキブリが、猛然と走り出した。

 巨大な身体を持つゴキブリだが、俊敏さは殆ど損なわれていなかった。家庭に現れるものとなんらか変わらぬ動きの、巨大さ故に出鱈目な猛スピードで巨大カラスに接近する。

 そして振り上げるは、肥大化した鎌のような前脚。

 同じ体格のドブネズミを転倒させるほどの威力を持った拳だ。直撃させれば大打撃、とは体格差を考えればいかずとも、怯ませるぐらいは出来そうである。離れた場所から眺めていた百合子はそう感じ、恐らくはゴキブリもそう判断しての攻撃だろう。

 されど巨大カラスは、迫りくる攻撃に顔色一つ変えない。ただおもむろに、自らの片足を上げて――――

 ぐしゃりと、その足でゴキブリの頭を()()()()()

 

「……えっ?」

 

 あまりにも呆気ない一撃。百合子は呆けたように声を漏らす。

 ゴキブリは完全に頭を潰され、ぴくぴくと痙攣するだけ。動いてはいるが、もう殆ど死んでいるといっても過言ではない。

 確かに体格差はあったが、それでも巨大カラスと比べて三分の一はある体躯だ。人間からすれば、体長五〜六十センチの動物の頭を一撃で踏み抜くのに等しい。容赦のなさもそうだが、馬力が桁違いだ。

 ところが巨大カラスはゴキブリを踏み抜いても満足した素振りもない。むしろ忌わしげに足を左右に動かし、その頭を念入りに潰す。それこそ人間が虫けらを潰すかのように。

 

【チュ、チュウゥゥ!】

 

 自分と同格の相手が一撃で倒され、ドブネズミは大慌てで逃げ出す。協力体制を敷いたが、元々は争う間柄。敵討ちをする義理はないという事のようだ。

 されど巨大カラスはドブネズミを見逃すつもりがないらしい。

 

【……………ッ!】

 

 巨大カラスは翼を広げると、大きく羽ばたいた。

 六十メートルもある身体だが、翼が二度も羽ばたけば宙へと浮かび上がる。

 同時に生じた爆風が、瓦礫も、未だ無事な家々も纏めて吹き飛ばした。風は百合子達が居た校舎にも襲い掛かり、ドブネズミ達が激突した影響で脆くなっていた箇所が崩れ落ちていく。調理室の残っていた窓ガラスもバリバリと震え、割れていたものは粉々に砕け散った。

 ただ飛んだだけ。それだけで巨大カラスが進んだ道には何も残らない。

 

【ヂュ、ヂュウヂッ!?】

 

 ドブネズミは逃げきれず、ついに巨大カラスの足に捕まってしまった。鋭い爪がドブネズミの身体に突き刺さり、大量の血を滴り落とす。

 それでもドブネズミはまだ死んでおらず、四肢と尾を振り回して暴れる。死にたくないと叫ぶように口を開け、ずらりと並んだ歯で巨大カラスの指に噛み付いた。

 けれども巨大カラスは眉間一つ動かさず。着地した巨大カラスはドブネズミを捕まえた足を持ち上げると、巨大な嘴でドブネズミの頭を掴む。

 そのまま足と共に頭を動かせば、ボギリッと、ドブネズミの首は遠く離れた百合子達にも聞こえるような音を鳴らした。

 もうドブネズミは動かない。巨大カラスは掴んでいたドブネズミを雑に離して落とすと、上機嫌そうに鼻息を吐く。

 

【グガアアアアアアアアアァァァァ!】

 

 次いで上げた『咆哮』が、町中に響き渡る。

 ただの鳴き声である筈のそれは、空気を激しく震わせた。巨大カラスの足下の大地は震えているのか、濛々と粉塵が舞い上がる。ここまでの出来事で脆くなっていた家は倒壊し、道路はめきめきと割れていく。校舎も震えて、みしりと不穏な音を鳴らした。

 そうして思う存分鳴いた巨大カラスは、自分が捕まえたドブネズミの腹に嘴を突き立てる。穿るような動きの後に顔を上げれば、その嘴にはずるりと垂れ下がる内臓があった。その内臓を器用に咥え直して、巨大カラスはごくりと飲み込む。

 どうやら、食事のためにあの巨大カラスはドブネズミを仕留めたらしい。ゴキブリの方に見向きもしないのは、襲ってきたから返り討ちにしただけで、端から食べる気はなかったという事か。

 

「あ、アレは……天敵って、事なの? ドブネズミを退治してくれたんだよね?」

 

「分からない……」

 

 突然現れた存在に、茜も真綾も戸惑っている。茜はドブネズミを倒してくれたとやや好意的に見ているようだが、真綾の顔は険しい。

 次から次へと起きる出来事。もう、何が起きているのかさっぱりだ。百合子の頭ではこれ以上考えられない。しかし確かな事があるとすれば、ドブネズミとゴキブリの親玉 ― かは不明だが ― が死んだという事だ。

 ニメートル程度のネズミ達やゴキブリはまだいる。そして巨大カラスの大きさからして、人間と大差ない大きさの生き物など関心を抱かないだろう。人食いネズミや人食いゴキブリに襲われる可能性は、依然としてゼロではない。

 けれども巨大なドブネズミとゴキブリが居なくなった事で、校舎の倒壊は免れた。校舎が潰れたら生き埋めになって死んでいたところであり、仮に助かっても『籠城』は出来なかっただろう。

 巨大カラスのお陰で、自分達は生き延びた。そう思えば、感謝の気持ちを抱かなくもない――――

 

【……グカカカカ】

 

 そう思っていた時、ふと巨大カラスが鳴き出す。

 百合子達は校舎からその姿を注視する。既に巨大カラスは大きく翼を広げていた。百合子達の事などお構いなしに。

 その時、百合子は自分達の正面にまだ窓ガラスがある事に気付く。

 ドブネズミとゴキブリの争い、巨大カラスの羽ばたきにも耐えた何枚かのそれは、しかしよく見ればヒビが入っている。耐久的にはもう限界を迎えていて、ほんのちょっとの刺激で割れてしまうに違いない。勿論窓ガラスが割れたら危険だからと、百合子達は既に遠く離れた位置に陣取っている。ただ割れただけなら、きっと問題はない。

 だけど、もしも()()()()()()()()()()()()()()()()()なら?

 ――――ヤバい。

 何がかは分からない。けれども危機感を本能的に感じた百合子は、茜と真綾に抱き着くようにしがみつく。茜と真綾が驚くように目を見開いた、

 次の瞬間、巨大カラスはその翼を動かす。

 同時に生まれるのは爆風、否、神風。地上にある家々を根こそぎ巻き上げ、瓦礫を遥か彼方へと吹っ飛ばず。巨大カラスの身体は大空へと飛び上がり、瞬く間に遥か上空へと行ってしまう。雲は巨大カラスが過ぎ去った瞬間に吹き飛ばされて空が快晴に変わり、巨大カラスの姿はあっという間に小さくなった。十秒もすれば人間の目には見えなくなってしまう。

 尤も百合子の場合、そもそも巨大カラスが飛んでいくところを見ていなかった。

 巨大カラスが飛び上がるのと同時に割れた窓ガラスから友達を守るために、巨大カラスに背を向けた状態だったのだから。

 

「ゆ、百合子ちゃん!?」

 

「百合子! なんて事して……」

 

「い、いやぁ、なんか嫌な予感がしまして……あと、背中めっちゃ痛いです」

 

 心配する茜と真綾に笑顔を見せようとする百合子だったが、背中の痛みの所為で顔が引き攣る。

 百合子には勿論自分の背中など見えない。けれども代わりに見てくれた茜と真綾の表情から、かなり酷い事になっているのは窺い知れた。

 窓ガラスからは遠く離れていたが、巨大カラスの巻き起こした風により割れたガラス片が弾丸のように飛んだのだろう。そしてそれが、友達を庇うために向けていた自分の背中に……やった時には本能的だったので考え付かなかった事が、今になって理解する。

 痛さからして、随分と酷い怪我なのだとは思う。()()()()()()()とも思う。

 だけど友達の顔に傷一つ付いていなければ――――今はこれで良いと、無理矢理にでも納得する事は出来るのだった。



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戻らないもの

「こちらが本日分の食事です」

 

 百合子が迷彩服を着た若い男から渡されたのは、アルミ製のトレーに乗せられた食器と食糧だった。

 食糧といっても缶詰が一つと飲み物である水入りの紙コップのみ。食器もコップを除けばプラスチック製のスプーンだけだ。缶詰には『鳥飯』と書かれたラベルが張ってあり、これ一つでおかずも主食も兼ねていると分かる。

 しかし問題は品数の少なさよりも量の方だろう。缶詰のサイズはかなり大きめであるが、それでも学校で食べているお弁当の半分もない。一食分の空腹を満たす事すら出来そうになかった。紙コップの水にしても本当にコップ一杯分でしかなく、こちらも腹を満たすには物足りないもの。

 ましてやほぼ丸一日絶食した後となれば、食事のありがたさよりも物足りなさを意識してしまう。

 

「これだけですか……」

 

 ぽそりと百合子の口から漏れ出た言葉は、彼女の偽らざる本心。

 けれども百合子の隣に居た真綾からは、肘鉄が飛んできた。弱めの一撃なのでちょっと身体が曲がる程度の反応で済んだが、真綾の言いたい事は百合子もちゃんと理解している。百合子としても、今の発言は流石に『ない』と思う。

 

「ご、ごめんなさい……」

 

「いえ……こちらも十分な物資が用意出来ず、申し訳ありません。明日朝までには追加物資が届く手配となっています。ご迷惑をお掛けしますが、ご理解をお願いします」

 

「いえ、大変助かっています。ありがとうございます」

 

 謝る百合子の隣で真綾が一礼。感謝を伝えてから立ち去る彼女の後を、百合子は若い男にへこへこと頭を下げてから、慌てて追い駆けた。

 それから、自分達がついさっきまで並んでいた『行列』とその周りに目を向ける。

 百合子達が居るのは、だだっ広い公園だ。防災公園と呼ばれる類の場所で、災害時の避難場所として使われている。普段はただただ広大なグラウンドがあるだけの、野球少年とサッカー少年に人気の場所。けれども災害時には避難場所として使えるよう、様々な道具がしまわれていた。

 そして今は無数の自衛隊の車両が停まっている。勿論自衛隊員達も大勢居た。

 敷地内に置かれた幾つもの投光器の明かりが道を作り、大きなテントと自衛隊の車両をつないでいる。日が沈んで暗闇に包まれた今の時間帯、投光器がなければテントも車両も見えなかったであろう。そんな光の道には何十人……或いは何百人という数の人が並んでいて、彼等は車両の前に待つ自衛隊員からトレーに乗った食糧品を受け取っていた。彼等に渡されたのも百合子達と同じもの。安堵の色と共に、僅かな不満が滲み出ている。

 尤もそうした顔色は、突如として聞こえてきた破裂音――――銃声と獣のうめき声によって恐怖一色に染まってしまうのだが。トレーごと食糧を放り投げ、しゃがみ込んでしまう人もいるほどだ。

 

「ひぃっ!?」

 

「大丈夫。落ち着いて」

 

 百合子も恐怖で身体が強張るが、真綾がそっと抱き締めてくる。友達の抱擁もあって、百合子はすぐに落ち着く事が出来た。

 それに、銃声の後に『うめき声』が聞こえてきたのだ。ならば銃は()()()()()()訳で。

 

【先程の発砲は、接近する巨大生物に向けて行われました。巨大生物の駆除は完了し、安全は保たれています】

 

 その考えを裏付けるように、防災公園にアナウンスが響く。

 恐怖で震えていた人々も、アナウンスを聞いて安堵の笑みを浮かべた。食べ物を放り投げてしまった人は、水は駄目になったが、缶詰が無事である事を見て一層安堵する。

 百合子も同じ気持ちだ。だからこそ先程漏らしてしまった自分の言葉が、吐き気がするほどに嫌になってくる。助けてくれた相手に悪態なんて、一体自分は何様なのかと。

 ――――巨大化したネズミやゴキブリが現れた日の翌朝。自衛隊が救助に来てくれた。

 最初に来たのはヘリコプターや装甲車などの、武装した兵器の数々。巨大化した生物達と戦うための部隊が次々とやってきて、戦闘を始めた。流石にミサイルやら砲撃やらはしなかったが、町中から銃声が響くのは、現実味のなさから却って恐怖心が湧き出なかった事を百合子は今も覚えている。

 その現実味のなさも、夕方近くになって銃声が校舎内から聞こえるようになれば、流石に薄れてきた。バリケードを張って侵入を防いでいた扉に、ノックと呼び掛ける声があった時には、百合子も茜も真綾も、全員で抱き着いて喜び合った。それでも喜び足りなくて、大急ぎでバリケードを退けた後、入ってきた自衛隊の質問に誰もろくに答えられなかったのがちょっと恥ずかしい。

 かくして百合子達は防災公園まで連れられて……夜を迎えて最初の食事が、缶詰だった訳である。今思えばレトルト食品ではなく缶詰を持ってきたのは、急いでいたので持ち運びが簡単で、またなんらかの『攻撃』があっても損傷し辛いという利点を考えての事だったのだろう。

 そして今、この公園は急速に防御が固められている。銃を持った多数の自衛隊員が次々と応援に駆け付けているし、バリケード(勿論百合子達が作った雑なものではなくて、車も止められそうなものや頑丈なフェンスなどだ)が周りを囲むように立て掛けられていた。明日の朝にはもっと丈夫で、頼もしい防御となっているだろう。真綾が言っていた通り、巨大化したネズミやゴキブリも自衛隊員の装備には敵わないのだ。

 此処ならもう大丈夫。百合子はそう思っていた。

 ……あの巨大カラスさえ来なければ。

 

「百合子、歩ける? 無理なら少し休むわよ」

 

 考え事をしていたら真綾が声を掛けてくる。立ち止まる百合子を、恐怖で動けなくなったものと思ったらしい。

 

「あ。はい、大丈夫でく。ちょっと考えていまして……」

 

「百合子が考え事? それは不味いわ、明日はついに大雪が降るかも」

 

「それ、どういう意味です?」

 

 軽口を叩き、笑みを取り戻す百合子。真綾と共に再び歩き出す。

 食糧を持った彼女達が向かうのは、公園内に建てられたテント群だ。テントと言ってもキャンプで使う三角形のものではなく、深緑色の布で出来た奥行きのあるもの(真綾曰く宿営用天幕というらしい)。テントには如何にも大急ぎで付けましたと言わんばかりのシールが張られ、『あ・01』などの表記がされていた。

 百合子達が向かうのは『さ・42』。中に入れば、中には六つのベッドが置かれていた。そしてそのうちの一つに腰掛けている一人の友人の姿がある。

 茜だ。しかし今の彼女の姿を見て、北条茜だと即座に分かる者は殆どいないだろう。

 何時も明るかった表情は面影すらなく、完全に生気が失われていた。半開きの唇は殆ど動かず、息をしているかも分からない。彼女も百合子達と同様丸一日食事を抜いているので何かを食べさせた方が良いとは思うのだが、同時に、何を与えても口にはしてくれない事が予想される。

 そしてその手には、画面が真っ暗なスマホが握り締めていた。

 

「……茜さん。ご飯、持ってきましたよ」

 

「……百合子ちゃん……うん、ありがとう。でも、食欲なくて……」

 

「一口だけでも良いから食べなさい。アンタが倒れたら、誰が家族の出迎えに行くのよ」

 

 食事を拒む茜に、真綾がそう窘める。迷ったように茜は目を泳がせたが、やがてにこりと笑って「そうする」と答えた。

 茜がこんな状態になっている理由は、家族との安否確認が出来ていないからだ。

 心配のあまり長々と使用していたら電池切れしてしまった茜のスマホのように、茜の家族達のスマホも電池が切れたのか音信不通。隣の市の会社に勤めている父親とはなんとか連絡が取れたが、家に居たであろう母・祖母・姉とは未だ連絡が取れていないという。姉は大学生で、今日は講義がないから絶対家にいる筈だとは茜の弁。

 ……百合子自身は、殆ど両親の心配はしていない。共働きでどちらも隣の県の会社に勤めているからだ。自衛隊が置いてくれたテレビのニュース曰く、巨大生物騒動はこの市とその近隣だけで起きたものらしいので、体調不良などで定時前に帰ってきてない限り両親は無事だと言える。逆に両親は死ぬほど心配してるだろう。親ではない百合子に自分の親の気持ちは中々想像し難いが、茜のようになっているのかも知れない。スマホで連絡が取れれば良かったのだが、教室から脱出する際に置いてきてしまったので、どうにもならなかった。

 ちなみに真綾の方は、全く心配していない。彼女は親との折り合いが色々悪いようで、曰く「くたばれば良いあんなクソ野郎。殺しても死ななそうだけど」との事だ。どれだけ親子関係が悪ければ、そしてどんな親ならこうなるのか、百合子にはちょっと分からない。

 

「まぁ、茜の家って怪獣達が暴れていた場所の反対側だし。そこまで心配しなくても平気じゃないかしら?」

 

「うん……そう、だよね。ありがとう、ちょっと気が楽になったよ」

 

「……別に、事実を言っただけよ」

 

 顔を背ける真綾の顔が、ほんのり赤く染まる。

 百合子が笑い、茜の顔にも笑顔が戻った。食欲もきっと少しは戻ってきたと思った百合子は、持ってきた缶詰を開けようと手を掛けた

 

「茜ちゃん!」

 

 直後、不意に茜を呼ぶ声が聞こえた。

 誰よりも早く反応したのは茜。そして後ろを振り向くや、ベッドから立ち上がり、跳び越えるようにベッドを渡って声がした方に向かう。

 遅れて百合子も視線を向ければ、そこには中年女性と老婆の二人がいた。目に涙を浮かべて浮かべた顔は、何処か茜に似ていて。

 

「お母さん! ばあちゃん!」

 

 茜はその二人に抱きつき、喜びを露わにした。

 

「茜ちゃん! ああ、良かったよ。こんなにやつれて……怪我はない?」

 

「うん! ばあちゃんも怪我はない?」

 

「茜ぇ……あなたが無事で良かった……本当に、良かった……」

 

 泣き崩れる母親に、茜はしゃがみ込んで抱き合う。彼女の目にも涙が浮かんでいた。

 そうして喜びをしばし分かち合った後、茜は一旦母親から離れる。

 

「ところでねーちゃんは? もしかして、何処か怪我をしたとか……」

 

 それから、姿が見えない姉について問う。

 瞬間、茜の母と祖母は表情を強張らせた。喜びに満ちていた顔は消え、悲しみと後悔に満ちたものへと変わる。

 

「……茜。由加は……死んじゃった、の」

 

 やがて母の口から出てきた言葉は、その顔を見ていた第三者なら想像出来たもの。

 しかし茜には想像も出来なかったようで、由加は、凍ったようにその動きを止めた。

 

「……えっと……何? しんじゃったって、なんか大きな怪我? あ、え、ぇ」

 

「家に隠れていた時……窓から、角材が飛んできたの。あの子、外が騒がしいからって窓を見ていて……それで、窓から飛んできた角材が、頭に……な、治そうとしたけど、でも、首が、首……あ、ああ……!」

 

 娘に説明をしようとして、けれども耐えられなくなったのか。茜の母の口からは嗚咽しか出てきていない。祖母はそんな茜の母の背中を摩っていたが、唇を噛み締めて悔しさに打ち震えていた。

 飛んできた角材が頭に直撃して、死んだ。

 その光景を想像してみた百合子は、確かにそれは人が死ぬと思えた。思えたが、しかしそんな死に方、あって良い訳がない。いや、そもそもどんな事が起きればそんな死に方をするというのか。角材なんて、空を飛ぶものではない――――

 そこまで考えて、気付く。

 巨大カラスが飛び立った時、それだけで周りの家々の残骸が吹き飛んでいた。それもちょっと動いたなんてものではなく、遥か彼方へと。何百メートル、何千メートルと飛んだものがあってもおかしくない。

 百合子達が居た調理室には、そうした角材やら瓦礫は飛んでこなかった。しかし運が悪ければ、やってきたかも知れない。角材のような大きなものでなく小さな瓦礫だとしても、コンクリートの塊のように硬くて重いものならば十分殺傷能力がある筈だ。

 自分達が助かったのは、調理室に逃げ込んだからではない。ただただ運が良かっただけ。『アレ』は努力も才能も関係なく、ただそこに存在するだけで人の営みを破壊し、想いも努力も気紛れ一つで潰していく存在だったのだから。

 

「怪獣……」

 

 あの巨大カラスこそが、真の怪獣なのだ。

 

「……百合子も、泣きたいなら泣いて良いわよ」

 

 友人に声を掛ける事も出来ずにぼうっとしていた百合子に、真綾が話し掛けてくる。

 まさかこちらを気遣われるとは思わず、百合子は目をパチクリさせた。

 

「えっと、何に対して、ですか?」

 

「背中の傷。痕が残るでしょ、多分」

 

「……ああ、そっちですか。そうですね、確かにそうみたいです」

 

 尋ねてみたところ真綾から返ってきた言葉に、百合子は目を逸らしながら同意する。

 真綾と茜をガラス片から守るため、百合子は自分の身体を盾にした。

 その時突き刺さった無数のガラスは、無理に取り除くと傷口を広げる恐れがあるからとそのままにしていた。しかし自衛隊の救助後、治療と同時に取り除いてもらえた。服の下にはぐるぐると包帯が巻かれていて、穴だらけの身体を包んでいる。本来ならば病床で休むところなのだが……此度の『災害』では怪我人が多く、致命傷でない百合子は病床を得られなかった。

 それ自体に文句はない。むしろ簡易的とはいえ治療までしてもらえたのだから。

 しかし傷跡を消すところまではしてもらえなかった。

 人命救助が優先なのは当然。大体そこまで大掛かりな医療設備はなく、そうした場所への搬送は重症者が優先される。()()()()()()()な百合子が後回しにされるのは、百合子自身納得出来るし、万が一にも搬送してもらった結果誰かが手遅れになろうものなら寝付きが悪いなんてものではない。

 それでも百合子も女子だ。普段見えない背中側とはいえ、大きな傷跡が残る事に思うところがない訳でもない。男の子との恋愛だって、難しくなるかも知れない。

 それでも目の前で泣き崩れる茜達を見ていると、少なくとも今はこう思う。

 

「でも、二人が無事なのと引き換えなら、安いものですよこのぐらい」

 

「……そう」

 

 正直な気持ちを伝えたが、はたして真綾はどう思ったのか。茜の心は、はたして大丈夫なのか。

 そしてこれから、どうなるのか。

 何もかもが変わってしまった中で、百合子は、ベッドの上に座り込む事しか出来なかった。



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戻りきらない日常

 学校と町が巨大生物達に襲撃されてから、二ヶ月の時が流れた。

 年を越した今も、百合子は襲撃前に暮らしていた町で生活している。家族全員が無事だっただけでなく、家も巨大生物による被害発生区域から離れていたため、生活するのに支障はなかったからだ。

 両親達と共に、家で暮らす。極々普通の共働きサラリーマン家庭かつ極々普通の二階建て家屋であるが、怪獣達を、そしてその『被害』を目の当たりにしてきた百合子は、自分が送っているこの生活が如何に恵まれているかを理解している。理解しているが……では生活スタイルが日々に感謝していると第三者にも分かる、真面目なものかというとそうでもない。

 というのも百合子は割と夜更しするタイプである。なので基本的に朝早く起きるのは苦手だ。挙句学校が怪獣達の所為で滅茶苦茶に壊れてしまったので、今までの平日の日常だった登下校はなくなっている。更に教師と生徒が大勢死んでしまった状況では、青空教室すら出来やしない。何処かの学校に編入しようにも、町そのものが大きな被害を受けた今では手続きもままならず。落ち着きを取り戻すまでは、『不服』ながらも毎日が日曜日状態。そうすると生活スタイルは日に日に乱れていくもので。

 

「百合子、まーたアンタはこんな遅くまで寝てて……」

 

 結果、リビングで掃除をしていた母から呆れた目を向けられてしまうような時間まで、今日()ぐーすか眠っていたのだった。

 

「おはよぉー……ございますぅー」

 

「はい、おはよう。朝ごはん置いてるからさっさと食べちゃいなさい」

 

「ふぁーい……」

 

 母に言われた通り、テーブルの上に置かれた朝食に百合子は手を付ける。無意識にリモコンに手を伸ばし、点けたテレビにはニュース番組が映し出された。

 二ヶ月前まで平日昼間は学校なので、このニュース番組は殆ど見た事がなかった。最初は見慣れない番組に、ちょっと落ち着かない気持ちを覚えたものだ。しかし自宅生活を続けていたこの二ヶ月の間見続けていれば、流石に慣れてくるというものだが。

 ……そう。人間というのは、慣れるものだ。

 どれほど過酷な環境変化であっても、それが『普通』だと理解し、学び、対処方法を考える。勿論その変化が急激かつ大規模であれば学んだり対処を考えたりするのに時間が掛かるし、対処方法を実施する上での弊害も大きくなるが……やがて適応し、それを日常とする。人類の文明はそうやって発展してきたのだ、とは昔に真綾が話していた事。

 そして百合子は友人のその言葉が正しいものだと、テレビを見ながら思う。

 

()()()()()()()についてお伝えします。神奈川県には体長十八メートルのイノシシ型の怪獣が出現し、多くの被害が出ています。現在も駆除は行われていません。また沖縄県に現れた巨大軟体怪獣ナマゴンは、自衛隊と米軍の協力により当日中に駆除されました。ですが戦闘による被害で市街地は大きな被害を受け、被災者が避難所に溢れ……】

 

 淡々と語るテレビのアナウンサー。続いてテレビに、破壊された町並みが映し出される。踏み潰された家、壊された工場。それに自衛隊のテントに並ぶ人の姿――――

 それらを見ていた百合子だったが、突然テレビが消された。ふと横を見れば、母がリモコンを持っていた。

 

「食事中はテレビなんて見ない」

 

「そんな小学生の時のルールを持ち出さなくても……別に平気ですよ。少なくとも私は」

 

 母からの言葉を適当に流し、その手のリモコンを奪ってテレビを点ける。怪獣被害の町並みが映し出された後は、アナウンサーやコメンテーター達がやれ国政だの対策だのと話していた。

 二ヶ月の間に、世界は大きく変わった。

 百合子達の町に出現した巨大生物達が、様々な場所に現れるようになったのだ。東京で十メートル超えのミミズが現れたり、名古屋を化け物ネコが襲ったり。最初は日本だけに現れていたので「流石日本は怪獣の国だな」等と冗談混じりに世界からは語られていたが、二週間も経てば世界中でその姿が見られるようになった。出現数は増加傾向にあるらしく、最初は混乱するように発表していたアナウンサーも、今日ではすっかり慣れたもの。今ではただの大きい生物と区別するため、巨大生物の事は『怪獣』と呼称するのが正しくなっている。既に日常の一つだ。

 無論、日常と化したからといって平和になった訳ではない。毎日数多くの犠牲者が出ているし、経済的な被害も相当なものらしい。外国にも怪獣が現れた事で援助も期待出来ず、輸入品への悪影響から物価も高騰しているとニュースや新聞は報道している。怪獣出現が留まる気配がない以上、今しばらくは情勢の悪化が続くだろう。

 勿論人類も日常に流されるばかりではない。最初は怪獣を嘗めて接近した人や、怪獣など怖くないと強がる人がいて、そうした人達の暴走や救助で大きな被害が出る事もあった。しかし今では殆どの人が怪獣の怖さを知り、適切な行動を取るようになっている。また現れた怪獣達はどれも軍隊の攻撃でしっかり退治されていた。馬鹿げたサイズではあるが、基本的には生物なのだ。銃で撃てば傷が付くし、戦車砲やミサイルを撃てば死ぬ。町で暴れた怪獣はみんな駆除された。

 唯一退治されていないのは、百合子達が出会った以降、人前に姿を現していないあの巨大カラスのみ。

 いや、今や巨大カラスという呼び名ではない。怪獣達には個体認識が出来るよう、様々な名前が与えられた。例えば百合子達の町で暴れたドブネズミが『テッソ』、ゴキブリは『コックマー』と呼ばれている。一般社会で呼ばれるようになった名前や仮称、はたまた妖怪のような幻想種に生物学的特徴など、命名規則は特にないらしい。

 そして、巨大カラスに与えられた名前は――――

 

「百合子、お友達来てるわよー」

 

 考えながらテレビを見ていたところ、百合子は母からそう声を掛けられた。

 友達? 考え込んでいた百合子は、一瞬なんの事が分からず呆けてしまう。が、すぐに状況を理解した彼女は、自らの失態に顔を青くした。

 寝惚けてすっかり忘れていた。今日は茜と真綾と共に出掛ける約束をしていた事を。

 

「……やっば! 約束忘れてました!」

 

「アンタねぇ……中で待っててもらうように言うから、さっさと仕度しちゃいなさい。あと私は今日夜勤だから、遅くなるなら鍵を持ってくのよ」

 

「はーい!」

 

 雑な返事をしながら、百合子は朝食を一気に平らげる。急いで食べたらお腹が随分重く感じたが、休んでいる暇はない。

 洗面台でさっさと歯磨きと顔洗い。寝癖もささっと直すだけ。自室に戻ってパジャマを脱ぎ捨て、服へと着替えたならば準備良し。昨日のうちに用意していた鞄を手に取り、大急ぎで玄関へ。

 

「ごめんなさーい! お待たせしましたー!」

 

「遅いぞー」

 

「遅いわ」

 

 開いた扉の先には、呆れた様子の茜と真綾がいた。

 

「すみません……でも、家の中で待っててくれても良かったのですよ? お母さんに言われたと思うのですが」

 

「まぁ、すぐに出てくると思ってたからね」

 

「ええ。しっかし、また夜更ししてた訳?」

 

「夜の方が色々滾りますからね。仕方ありません」

 

「滾るとか、ドスケベね」

 

「それ、そーいう発想の人の方が余程ドスケベだと思います」

 

 だらだらと話しながら、自然と歩き出した茜の後を追うように、百合子と真綾も続く。語られる会話は本当に他愛ないものばかり。

 まるで二ヶ月前と変わらない会話。あんな怪獣達なんて本当はいなかったかのように、三人は平穏に会話を続ける。

 ――――だが、変わっていない筈もない。

 特に茜は大きく変わった。姉の死を突き付けられたどころか、その姉の葬式すら満足に出来なかったのだから。あまりにもたくさんの人が一度に死んだがために、葬儀場が埋まり、簡易的なもので済ませるしかなかったのである。葬儀というのは立派であればあるほど良いというものではないが……納得の行くものが出来なかったという遺族の心残りが、良いものである筈がない。

 例え今は、ニコニコと笑っていたとしても。

 

「ところで百合子ちゃん、準備はちゃんと出来てるの?」

 

「勿論。ただ遊んで夜更ししていた訳じゃありませんよ。ちゃんと必要な動画のURL纏めましたからね」

 

「前日に頑張らないでコツコツやれば良かったのよ」

 

「ぐぬぬぬぬ」

 

「あはは。まぁ、なんでも良いよ。うん、なんでも良い」

 

 笑っていた茜が、ふと顔を伏せる。顔からは笑みが消え、その瞳には憎悪が宿り出す。

 百合子は知っている。その憎悪の向き先を。

 忘れてほしいとは言えない。自分が同じ立場なら、きっと同じ気持ちに陥るから。だけど一人で悩んで、一人で行ってほしくないから、百合子は茜に付いていく。真綾も似たようなものだ。

 そんな友人二人の見ている前で、憎悪に染まった茜は口に出す。

 

「『ヤタガラス』……アイツを殺せるなら、なんだって……!」

 

 己の願いと目的を。

 大怪鳥ヤタガラス。

 そう名付けられた怪獣(茜の姉の仇)の倒し方を調べる事が、今の百合子達の日常の一つだった。



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怪獣考察

 この日、百合子達が向かったのは市立図書館だ。

 駅近くにある図書館で、周りにはそこそこ大きなビルやマンションが並ぶ。元々はあまり建物のない、開けた地に建てられたらしいが、周りの開発が進む事でビルに埋もれるような形になった……と、百合子は母から聞いた覚えがある。

 図書館自体も三階建てとそこそこ高く、一見してビルのように見える作りだ。中の蔵書も豊富で、調べものをするには打ってつけ。壁面の多くがガラス張りであり、外の様子も丸見えだ。勿論外からもこちらの様子は丸見えだが。

 そして一部の学校が怪獣により崩壊した今となっては、『勉強会』をするのに一番適した環境だろう。

 今日は平日だが、多くの学生らしき人の姿があり、真面目に勉強(一部小説を読んでいたが)をしている姿が見られた。中には百合子の顔見知りの姿もあり、皆、どうにか新しい環境に適応しようとしているのが窺い知れる。

 

「はい、という訳でヤタガラスをぶち殺すための作戦会議を始めまーす」

 

 茜のこの発言も、新しい環境に適応しようとしている結果なのだろう……そう考えようとしたが、彼女の正面で話を聞いていた百合子にはあまり健全な精神状態とは思えなかった。

 図書館の一角に置かれた机と椅子。そこに茜と百合子は着いている。百合子の隣には真綾も居て、そして百合子と同じ事を思ったようで、眉を顰めていた。

 

「言い方が物騒過ぎ。駆除方法とか、退治とか、他の言い方があるでしょうが」

 

「あ、そっか。いやぁ、本音が正直に出ちゃって」

 

「……気持ちは分からないでもないけど」

 

 肩を竦めながらも、真綾はあまり強く否定しない。図書館の椅子の背もたれに身体を預けると、露骨な鼻息を吐くだけだ。

 最愛の姉を失った茜は、カラスのような姿をした怪獣・ヤタガラスに激しい憎悪をぶつけるようになっていた。

 憎しみは何も生まない、復讐は良くないと、世の人々やフィクションのヒーロー達は言う。対象が人間以外の時に言う事はあまりないが、相手の知性や人権の有無は、復讐の正当性を補強するものではないだろう。憎悪や復讐が良くないとされるのは、それを抱く人間の苦しみにしかならないからだ。

 しかし復讐に燃える茜は、生き生きとしている。少なくとも、姉を失ったと知って呆然としていたあの時よりも。

 復讐を諦めろ、憎しみを捨てるべきだと、上から目線で言う事は茜のためになるのだろうか? 百合子には、そしてきっと真綾にも、そうは思えない。それに町を壊されたり、暮らしや将来を滅茶苦茶にされた恨みは百合子にもあるのだ。茜のやろうとしている事に『ケチ』など付けられる筈もなかった。

 

「とりあえず、相手を知る事から始めましょ。という訳で百合子、発表どうぞ」

 

「はーい」

 

 真綾から促された百合子は、持ってきた鞄の中から一冊のノートを取り出す。たくさんのメモが書かれたページを捲り、白紙へと変わる直前のページに目を向ける。

 百合子達のヤタガラスぶち殺し(駆除)作戦は、三人で分業して進められている。

 百合子の担当は動画サイトなどを漁り、ヤタガラスの出現状況を探るというものだ。勿論そうした動画を見て気付いた事、抱いた違和感についても話して良い。専門家でないからこそ、発言と纏め方は自由に行われる。

 

「えーっと、動画サイトには今も怪獣の投稿が相次いでいます。今思えば、ちょっと前の未確認生物ブームは怪獣の出没が理由なのでしょうね」

 

「ああ、そういやあったわね。確かにあれだけ巨大な生き物が、都市部に出現するまで誰にも発見されなかったというのは不自然か」

 

「はい。それで最近の投稿の中には、ヤタガラスを撮ったと思う映像が幾つかありましたけど……逆に過去動画を漁っても、それらしきものは一件、それも私達と出会う数日前に投稿されたものしかありません。ヤタガラスは、本当に最近まで人前に出てこなかったみたいです」

 

「……それで、最近の動画を見て分かった事は?」

 

 過去にはあまり関心がないのか、茜は『今』の状況について尋ねてくる。百合子は自前のノートに目を落とし、その疑問に答えた。

 

「活動範囲がかなり広い事が分かります。東京での目撃例や、鹿児島で撮影された動画もありました。中国や韓国で撮られた動画もありましたから海も渡ったみたいですね」

 

「同一個体とは限らないんじゃない? テッソとかコックマーとか、日本どころか世界中に現れてるじゃん」

 

 怪獣というと一種族一個体のように思えてくるが、実際には『種』と名乗って良いほどには個体数がある。茜が例に上げたテッソなどは、二十メートル級の個体だけでも世界で五十体以上、二メートル級個体については数千体が確認されているほどだ。コックマーはその倍以上の数が確認されており、二種の強さは怪獣の中では最底辺でも、犠牲者数ではどの怪獣よりも遥かに多くなっているらしい。

 ヤタガラスも一個体とは限らない。実は何個体かいて、それぞれ自由に行動しているという可能性もあるだろう。ところが、この可能性を否定する者がいた。

 真綾である。

 

「その可能性は低そうね。ネットで専門家の論文を読んだけど、ヤタガラスは単一個体の可能性が高いらしいのよ。模様や身体部位の比率からの推定だから、確実性は高いわね」

 

「あ、そうなんだ。じゃあねーちゃんの仇を探す手間は省けるね。複数いるなら全員殺してやるつもりだったけど」

 

「……でも一個体だけでも、安心するのは早いわ」

 

 百合子の発表から横入りするように、今度は真綾が語り出す。百合子は特段不平を漏らす事もせず、ぱたんとノートを閉じてから耳を傾けた。

 

「ここ最近、出現する怪獣のサイズが巨大化しているのよ。コックマーやテッソも、一昨日渋谷に現れた個体は三十メートルオーバーの大物。先日新潟には四十メートル級のイノシシ怪獣……確かチョッドーだったかしら。そういうのが現れたそうよ」

 

「……つまり、成長してるって事? 怪獣達全部が? ヤタガラスも大きくなるかも知れないと?」

 

「その可能性は否定出来ないわ。そして大きくなった怪獣の戦闘能力は、見た目以上に向上しているらしいの。ヤタガラスが成長したら、どうなる事やら……」

 

「……………」

 

「そもそも、怪獣とはなんなのか。そこから調べないと駆除も何もないわ。此処からは、私の考察を発表する」

 

 真綾は持ってきた鞄から、ノートの一冊すら取り出さない。彼女は全て記憶しているのだと百合子は理解した。今日話すべき事と、それに付随する情報を。

 真綾の担当は怪獣の生態、そして怪獣とはどんな存在なのかを調べる事だ。その考えを、ある程度纏められたのだろう。

 

「怪獣。日本政府が定めた定義の場合、二〇二〇年十二月一日以降発見された、活動するだけで人類社会に対し危険を及ぼす生命体、とされているわ」

 

「要するに、クマやイノシシと違って、歩くだけで家とかマンションが壊れるようなデカいやつってことね」

 

「そんなところ。昨日までの防衛省ホームページによれば、この二ヶ月で国内では二百体、世界では既に二万体以上確認されている。未確認事例を含めれば、倍じゃ足りないでしょうね」

 

「多い……ですけど、大半は十メートルもないような奴でしたよね?」

 

「ええ。十メートル未満の種なら一般的な軍隊の小銃で撃退可能。そして二十メートルを超えると爆弾が必要になり、五十メートル級だと戦車砲が辛うじて有効。大きいほど外皮が硬くなり、軍事攻撃にも耐性を持つ……そしてその正体は、一切不明」

 

 ぱらぱらと、真綾は鞄の中から取り出した紙を百合子達に手渡してきた。百合子は紙を受け取り、そこに書かれている文字に目を通す。

 書かれていたのは怪獣の『正体』に関する様々な説だった。大きく纏めると以下の三つ。

 一つ、環境変化説。

 これはテレビなどでよく紹介されている、怪獣が出現した原因の一説だ。温暖化や環境汚染など、つまり人間の自然破壊により既存の生物が進化・変異してしまい、それが怪獣として暴れ回っているというもの。

 多くの人々はこの説に納得している。今まで何処かに隠れ棲んでいたと考えるには、怪獣達はあまりにも巨大で、数も多い。しかも現れる怪獣達はどれもネズミやゴキブリなど、既知の生物がそのまま巨大化したような姿をしていた。そのため新種と考えるより、環境変化によりなんらかの突然変異が誘発されて巨大化した……と考えるのは自然に思える。

 しかし真綾は違うらしい。

 

「テレビや新聞など、マスコミが主に主張している環境変化説。要するに既存の生物が進化したという事なんだけど……これはまず考えられない」

 

「え? そうなの? でもどのテレビもこれが一番可能性が高いって……」

 

「巨大化ってのはね、簡単に出来るもんじゃないの。体重を支えるために骨が頑丈にならないといけないし、栄養を血と共に循環させるために強い心臓がないといけない。酸素を取り込む肺も大きくしないといけないわ。これらの突然変異がごく短時間で起きるとは考え難いし、起きるにしても何百種類、何万個体に出るもんじゃないわよ」

 

「そういう、ものなのですか? でも、ならマスコミや科学者はなんでそんな意見ばかり取り上げるのでしょうか」

 

「さぁてね、理由は色々あると思うけど……マスコミの場合は専門的な科学的知識に乏しい人が多い事と、突飛な意見を主張し辛いのがあるでしょうね。ぶっちゃけ、他の説と比べれば一番現実味があるのは確かだし」

 

 自信満々な真綾に対し、百合子と茜は思わず顔を見合わせてしまう。まず考えられないと言いながら、一番現実味があるとはどういう事か? 疑問を抱きつつも、手元にある、真綾が渡してきた紙に目を落とす。次の説を読むために。

 ……確かに突然変異説は現実的ですねと、百合子は思う。

 例えば二つ目の説として紙に書かれていた、()()()()()()説と比べれば。

 

「二つ目の説は、宇宙人が怪獣を連れてきているって話よ。銀色の巨人が出てくる特撮番組みたいに」

 

「なんか一時やたらと取り上げられていたよね。主にネット上だけど」

 

「そうね。というかネットで飛び交う意見の大半は、突拍子のないものばかりだし。だからこそマスコミは突然変異説以外推せないとも言えるわ。普段散々ネットの意見は信用出来ないとか言っちゃってる手前ね」

 

「えぇ……そんなくだらない理由?」

 

「マスコミに限らず、人間が意地を張る理由なんてそんなもんよ。意地を張るなんて行為自体が、そもそもくだらないんだから。ネットで突拍子のない意見が出るのも、大手マスコミへの反発という面は大きいでしょうし」

 

 人類全体に喧嘩をふっかけるような発言をする真綾。ある意味頼もしい真綾の言葉に、百合子は思わず笑みを浮かべてしまう。

 ちなみに宇宙人攻撃説に対する真綾の意見は「ある訳ないじゃん。高度な文明を持つ侵略者が、こんなまどろっこしくて非効率な手法使う訳ないでしょ」との事。百合子もそう思うので、これにはすんなり納得した。

 しかし、そうなると真綾が推しているのは『三つ目』の説なのだろうか?

 ――――異常な成分による既存生物の強制変化説を。

 

「ところで、一年前の流星について覚えてる?」

 

「流星? ……ああ、なんかあったね。綺麗な隕石」

 

 茜は同意しながら頷き、百合子は真綾の顔を見ながら思い出す。

 一年前の流星とは、恐らく『グリーンアロー』の事だろう。

 グリーンアローは奇妙な流星だった。普通流星は、地球に突入してすぐに燃え尽きてしまうし、燃え尽きなくても(その場合隕石と呼ばれる訳だが)すぐ地上に辿り着く。秒速数キロもの速さでやってくるため、何もかもが短時間で終わってしまうのだ。

 ところがグリーンアローは地球の大気中を周回した。しかも一周だけでなく、二周も。そうした軌道があり得ない訳ではないらしいが、速度と角度がかなり限定的で、恐ろしく低確率の事象らしい。放っていた光も眩い緑色と、通常の大気圏突入では見られない色合いだ……とテレビでやっていたのを百合子も記憶している。天文学には左程興味がない百合子でも、これぐらい知っているほどには当時盛り上がっていた。

 そしてあまりにも多くの謎を秘めた流星故に、様々な陰謀論が語られている。

 

「通称グリーンアロー。強力な緑光を放つ、小ささの割に長時間燃え続けた事、まるで地球を周回すような軌道、そして砕けた後に見付からない残骸。これまで観測されたどの流星とも異なる特徴から、陰謀論者の中ではUFO説が根強いのだけど、私としては別の説を唱えたいわ」

 

「……なんて説?」

 

「未知の物質で満ちていた隕石。その隕石に含まれていた物質が、地球の生物を巨大化させたかも知れない」

 

 真綾曰く、現在無数に現れる怪獣達の大きさからして、これまで未発見だったのはやはりおかしいという。

 勿論人類は地球上の全ての生物を把握している訳ではない。しかし地球には最早未踏の地と呼べる場所は殆どなく、世界のあらゆる場所に人の目が入った。今や残っている新種は、見た目が似ていた事で区別出来なかったものと、片手に乗るぐらい小さくて発見が困難な生き物ばかり。何メートルもあるような生物が発見される事が、今後ないとは言わないが、ごく少数の事例だろう。

 そんな少数の存在がこの一ヶ月で大量に現れるというのは、やはり異常だ。ましてや人間が暮らす領域にひょっこりと、時には群れを成して現れるなどあまりにも不自然。元々存在していたと考えるよりも、最近になって現れたと考えるのが自然だろう。ならばなんらかの、極端な原因がある筈だ。

 例えば、宇宙より飛来した隕石に生物を巨大化させる成分が含まれていた――――というのが真綾の語る三つ目の説だ。

 

「……だからって隕石説はないでしょ。それならマスコミが言ってる化学物質がなんだとか、地球温暖化がどうだとかって考える方が自然じゃない?」

 

「自然じゃない。地球生命と一言でいっても、生理機能や仕組みはバラバラなんだから。あと地球温暖化や環境汚染と言っても、変化は一律じゃない。世界で同時多発的に同じ現象が起きるなんてあり得ないわ。仮に最近作られた新物質が原因だとしても、殆ど時間差なく様々な生物に変化が現れるとすれば、余程強力な作用である筈。そんな物質、昔なら兎も角今じゃ法律やらなんやらで使い物にならないし、実験段階で問題が判明するわよ」

 

「だからって宇宙からの物質を根拠にするのはどうなのさ」

 

「宇宙からの物質を根拠にしちゃいけない理由はないでしょ? 未知の現象には、未知の原因がある筈。そしてその原因として最も相応しいのが、グリーンアローという訳よ」

 

 反論はある? そう言いたげな真綾に、茜は口を閉ざしてしまう。

 確かに、化学物質による異常や温暖化による適応では、突然の巨大化は説明出来そうにない。するにしてもその問題はもう何十年も前から言われているのだから、もう少し段階を経てもおかしくないだろう。

 宇宙からの未知の物体Xによる既存生物の変化。実に尤もらしい意見だ。

 が、百合子としては納得出来ない。そして茜と違って百合子には、反論が浮かんでいた。

 

「……眠っていた古代種が目覚めた、とかいう可能性の方がありそうだと個人的には思うのですが」

 

 なのでそうツッコミを入れてみる。

 すると真綾はしばし沈黙。反論を考えているのか天井を仰ぎ、顔を顰め、だけどハッとしたように目を見開き。

 

「成程。言われてみればそっちの方が現実的ね」

 

 あっさり持論の弱さを認めたものだから、百合子は思わずがくんっと力が抜けた。茜も同じく身体から力が抜け、倒れそうになっている。

 

「そんなあっさり認めるんかーい!」

 

「より有力な仮説だと思っただけよ。確かにコックマーとかは、外見が共通祖先から分岐したカマキリと似た部分がある。当時はネズミなんていないけど、出現年代が同じである必要はなし。突然変異やなんらかの物質で誕生するより、長年の進化で獲得したものが今目覚めたと考える方が自然か。良くこんな案を思い付いたわね、百合子」

 

「いや、これ怪獣映画とかじゃ基本ですし」

 

「そう言われても、私モンスター映画とかあまり見ないもん」

 

 ぷくーっと頬を膨らませる真綾。可愛らしい反応であるが、今までの話をひっくり返された百合子達にはもう脱力しか出来ない。

 

「ま、私達が解き明かさなくても、そのうち何処かの偉い学者さんが解明するでしょ」

 

「雑な上にこの催し全否定じゃん……」

 

「可能性の話をしてるだけよ」

 

「……まぁ、そうなんだけどさ」

 

 ぽりぽりと、茜は頭を掻きながら顔を背ける。

 

「……ごめんね。こんな事に付き合わせちゃって」

 

 それからぽつりと、茜は零した。

 彼女も分かっているのだ。どれだけ復讐を誓おうとも、ヤタガラスもそのうち自衛隊か何処かの軍が退治してしまうと。これまでの怪獣が、全て駆除されてきたように。

 その意味ではこの研究会が無意味な行いだとは、百合子も思う。憎んだ相手の殺し方を想像するだけの、ちんけな恨みの晴らし方だ。

 けれども、人というのは有意な行いだけで生きていくものではない。親しい者が死んだ時、気持ちの区切りを付けるには無意味な儀式……葬式が必要なのだ。その儀式である葬式が満足に行えなかったがために、茜は代わりの儀式を探している。

 そして百合子と真綾は、その参列者だ。茜のやる事にああだこうだと言う立場ではない。

 

「何謝ってんのよ。面倒臭いならとっくに断ってるわ」

 

 真綾のこの言葉は、嘘偽りないものだろう。百合子も同じ気持ちなのだから。

 

「そうですよ。それに、若い私達の発想が思いがけない発見をするかもですし」

 

「その可能性も、ゼロではないわねぇ。それに復讐から何まで全て人任せにするよりは、余程建設的で健全な考えだと思うわ。だから、アンタのやってる事は間違いじゃないわよ」

 

「……うん」

 

 にこりと、茜は笑みを浮かべた。けれどもその瞳はほんの少しだか潤んでいて。

 その事を茶化そうと百合子が口を開けた時の事だった。

 

【ギョギオオオオオオオオオオオオンッ!】

 

 恐ろしい鳴き声が、図書館を揺さぶったのは……



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再遭遇

【緊急怪獣速報。緊急怪獣速報。付近に怪獣が出現しました。直ちに最寄りの避難所に避難してください】

 

 持っていたスマホから耳障りな警告音と共に、避難を促すメッセージが流れる。

 これは緊急怪獣速報だ。怪獣が出現した際、防衛省から一定範囲の地域に発令される。スマホの場合特定のアプリを入れていないと速報を受け取れないのだが……百合子のスマホだけでなく、真綾と茜、そして周りに居る人々の殆どのスマホが警報を鳴らしていた。

 この緊急怪獣速報、僅か二ヶ月で実用化しただけに精度があまり良くない。だから鳴ったからといって必ずしも怪獣が近くにいるとは限らないのだが……先程聞こえてきた、おぞましい鳴き声が怪獣の居場所を物語っていた。どれだけ不確かだとしても、この速報を疑う理由はない。

 図書館内に居た人々は一瞬キョトンとした後、半ばパニック状態で走り出す。あっという間に出入り口は人が押し寄せ、詰まってしまった。互いに押し合いへし合い、口論ばかりで全く前に進んでいない。

 落ち着いていたからこそ行動が遅れた百合子達は、出入り口に出来た『人混み』を見つめる。

 

「……あれは、しばらくは出られそうにないですね」

 

「というか、何が出た訳?」

 

「それが分からないと迂闊に動けないわよね。テッソやコックマーなら、外より室内の方が安全だし……鳴き声からして別物っぽいけど」

 

 語る真綾の口調は冷静そのもの。しかしその手が小刻みに震えていたのを百合子は見逃さなかった。茜も平静を装っているが、そわそわと身体を揺れ動かしている。百合子自身も、自分の足が貧乏揺すりをしていると、後になって自覚する。

 百合子達にとって、これは二回目の怪獣との遭遇。

 だけど慣れるものではない。慣れる訳がない。自衛隊で駆除出来る強さだとはいえ、一般人である百合子達には相変わらずテッソ(ネズミ)コックマー(ゴキブリ)も脅威なのだ。何時死んでもおかしくないのに、冷静に振る舞える訳がない。

 それでも落ち着いて行動しなければ、一層危険な目に遭う。そして危険は怪獣だけでない。逃げようとする人々に押し潰されたり、踏まれたりする可能性だってあるのだ。

 落ち着いた行動をするには更なる情報が必要である。勿論緊急怪獣速報の開発者もその可能性は織り込み済み。出現怪獣の正体が分かっている時は、画面に怪獣の名前が表示される仕組みとなっていた……あくまでも、正体が分かっているなら、だが。

 

「……未確認種、のようです。ただ大型との表記もありますから、四十メートル以上の個体ですね」

 

 怪獣は今でも新種が次々と現れている。今回のように、全くの未知が現れる事も少なくないのだ。

 

「じゃあ、避難所に逃げた方が良いかしら。小さくて数が多い奴ならこもった方が良いけど、大型ならこんな建物簡単に潰せるし」

 

「何処かに、他の出口はないでしょうか……」

 

 百合子は辺りを見回し、非常口がないかを探す。とはいえ周りが本棚に囲まれていては、ろくに辺りを見渡せない。百合子は席を立ち、壁面の代わりにあるガラスの方へと向かう。

 百合子としては、あくまでも出口を探すのが目的だ。しかし彼女達が居るのは一階部分なので、ガラスの方へと寄れば外の様子は否が応でも見えてくる。

 例えば、悲鳴を上げながら走り去る市民の姿も。

 

「……………」

 

 百合子は無意識に、市民達がやってくる方へと視線を向けた。

 本当にただの無意識だ。しかし冷静に考えたなら、すぐに分かっただろう――――逃げてくる人々の来る先に、人々が逃げなければならないものがいる可能性があると。単に避難所が行く先にあるという可能性もあったが、此度に関しては前者が正解だった。

 ビルが立ち並ぶ間に走る道路に、巨大な『怪獣』がいる。

 百合子には、その怪獣が何かを説明する事が出来ない。体長はざっと()()()()()()はあるだろうか。真綾が話していた先日現れたというイノシシ型怪獣チョッドーすら四十メートル程度なのに、それを一回りどころか二回りも上回っている。ぬらぬらとした頭はアマガエルに似ているが、四本の足はワニのように逞しく、ガニ股で胴体を支えていた。青白い身体は非常に筋肉質で、毛を剥いだ獅子を彷彿とさせる。

 筋肉質な四本足のうち、前足二本が長く伸びて上半身が大きく持ち上がっていた。足先にある指からは長く伸びた爪が五本生え、大地にがっしりと食い込む。臀部からは百メートルはありそうなぐらい長く伸びた尾があり、先端には鋭い槍のような棘が見えた。

 これまで現れた怪獣は、既知の生物が巨大化したような姿をしていた。コックマーのように多少外観が変化しているものもいたが、それでも一目でゴキブリだと思えた。だが、コイツはなんだか分からない。一体何をしてくるのかも分からない。

 一つ言えるのは、コイツはヤバいという本能的直感がある事。

 

【ギョッ、ギョギィ!】

 

 奇怪な鳴き声を出しながら、未知の怪獣は長い尾を振り回した。

 怪獣の周りにはビルや商店が並んでいたが、怪獣は気にもせず、尾を建物に叩き付ける。コンクリートの壁面が裂かれ、窓ガラスが雪のように舞った。切り裂かれたビルの壁はバランスを保てなくなったのか、一部ががらがらと崩れ落ちていく。

 その瓦礫の中に、人影が幾つも混じっているのが見えた。

 

「……!」

 

「百合子? どうし……!?」

 

 呆然と立ち尽くし、声を失っていた百合子に真綾が話し掛けてくる。しかし彼女もガラス窓の傍まで来ると、出掛けていた言葉が途切れてしまった。茜もやってきて、そして怪獣の姿を見て息を飲む。

 

「……どう、する?」

 

「……逃げていく人を見て興奮している様子はないわ。視線も人間に向けていないし、あの長い尾で叩き潰す事もない。つまりアイツは人間に全然興味がないって事。慌てる必要はないわ」

 

「さっすが怪獣生態の担当。頼りになるわー」

 

「茶化さないで。あとこんなの気休めでしかないから……人間に興味がなくても、気紛れに体当たりでもされてみなさい。ビルなんて簡単に崩れるわよ」

 

 真綾は表情を強張らせながら、煽ってきた茜を窘める。しかし茜も本気でふざけている訳ではない。ふざけでもしないと、冷静さを保てないのだ。

 そう、怪獣という存在は気紛れ一つで人の命を奪える。こちらに興味があるかないかなど関係ない……数多の怪獣動画を見てきて、浅はかな生放送配信者が潰されていくところを何度も見た百合子は、それをよく知っていた。

 

「じゃあ、やっぱ逃げる感じ?」

 

「ええ、その通り――――待って。なんか音がするわ」

 

「音?」

 

 真綾に言われ、百合子は外の物音に耳を傾けてみる。

 ……怪獣が瓦礫を踏み潰す音、そして逃げ惑う人々の悲鳴の中に、甲高い音が聞こえてくる。

 飛行機の音だ。そう気付いた時には、飛行機音は凄まじい爆音となって百合子達の耳を刺激する。逃げる人々も五月蝿さに驚いたのか、次々と転んでしまった。

 けれども転んだ人々の顔に浮かぶのは、痛みによる苦痛や恐怖ではなく、期待に満ちた笑顔。

 建物の隙間から見えた空に一瞬映った飛行物体は、戦闘機だった。

 

「! 自衛隊の戦闘機です! 怪獣退治に来たんですよね!?」

 

「……ええ、多分。でも私らはあんまり安心出来ないかも」

 

「……あー」

 

 百合子が喜びながら報告するも、真綾はあまり良い顔をしていない。茜も同じ顔をして、そして百合子も遅れて同じ顔になる。

 怪獣が出現するようになって、人の社会は様々な『適応』を余儀なくされた。

 特に日本で大きな変化を強いられたのが自衛隊だ。かつての自衛隊は市街地での活動が大きく制限されていた。自国民を巻き込むような攻撃など以ての外だと考えられていた訳だが、その結果、自動小銃程度では倒せない巨大怪獣が市街地に現れても為す術なし。ミサイル一発で倒せる怪獣に何も出来ず、数万の死者を出した事があった。

 これを自衛隊の所為だと叫ぶ人達は、叫ばなかった人達に叩かれた。何故なら自衛隊に軍としての力と決断能力を与えなかったのは、主に叫んできた人達だったのだから。自衛隊に力と判断を任そうという声は大きく、国会もあっという間に法整備を終えた。

 今の自衛隊は、必要ならば市街地での戦闘も厭わない。例えそこに市民がいたとしても、だ。

 

「……本棚から離れるわよ! 爆風で倒れてきたら不味い!」

 

「い、意義なし!」

 

 真綾の指示に従い、百合子と茜は本棚から離れた。

 直後、バシュウっという音が三度聞こえてくる。

 それが戦闘機から放たれたミサイルだというのは、続いて聞こえてきた爆音と、図書館内部を揺さぶる衝撃波によって分かった。本棚から離れた百合子達は、ガラス張りの壁面から外の様子を窺う。

 戦闘機達は高い場所を飛んでいたが、ミサイルは凄まじい速さで進み、次々と怪獣の背中にぶつかる。怪獣はミサイルを受けると、呻きながらその背中を仰け反らせていた。攻撃を止めさせたいのか立ち上がるものの、戦闘機は何百メートルもの高さにいるのでどうにも出来ない。

 怪獣が苛立ちを募らせていると、道路からギャリギャリとコンクリートを削るような音が聞こえてきた。何事だと思い百合子はそちらに視線を向けると、道路を巨大な鉄塊が走り抜けていく。

 戦車だ。それも一台だけではなく、四台も現れる。戦車はその砲台を怪獣に向けると、すぐさま発射。衝撃波により図書館のガラスは残らず割れ、それでも減衰しきっていない爆音が百合子達の鼓膜を破りかけた。

 

【ギョギャァッ! ギョギギギギッ!】

 

 戦車砲は全弾怪獣に命中。戦車砲というのは直撃すれば鉄筋ビルを易々と貫通し、周辺を吹き飛ばすほどの威力がある。そんなものを四発も浴びれば、さしもの怪獣も苦痛を覚えるらしい。大きな叫びを上げ、後退りした。

 

「攻撃開始ぃー!」

 

 戦車に続いてやってきたのは十数名の歩兵。彼等は自動小銃を乱射し、怪獣に浴びせかける。大きさからして銃弾など豆鉄砲同然だが、しかし決して無力な武器ではない。銃弾というのは秒速九百メートル超えの鋼鉄だ。肉を貫くそれは、決して大きさだけで威力を測れるものではない。

 更に空からはヘリコプターまで降りてきた。ヘリコプターの装備は機関銃。人間では持つ事も出来ないような大きさのそれが、不運にも当たれば間違いなく大怪我を負いそうなサイズの薬莢をバラまき、怪獣に弾丸を送り込む

 立ち昇る爆炎。途切れる事のない轟音。比喩でなく怪獣映画のような、大盤振る舞いの攻撃だった。

 

「す、凄い! 正に総力戦って感じね! これならすぐに倒れるんじゃない!?」

 

「は、はい! これならきっと……!」

 

 茜は興奮しながら叫び、百合子も同意する。自衛隊の攻撃に巻き込まれるかも知れないという恐怖はあるが、それよりも恐ろしいのはやはり怪獣の存在。その怪獣を倒してくれそうな自衛隊を前にすれば、興奮もするというものだ。

 

「……おかしい」

 

 ただし、真綾だけは違った。

 

「おかしい? えっと、何がおかしいのですか?」

 

「火力の投射が多過ぎる。いくら大型怪獣にはミサイルや戦車が必要だからって、こんな大部隊を送る訳ない」

 

「? そんなに変な事でしょうか? 少しでも早く倒そうとしてるだけなんじゃ……」

 

「法整備で国民を巻き込んだ攻撃も出来るようになったけど、それだって限度がある。体長二メートルのテッソ相手に空爆なんて出来ないように、許可されたのはあくまで駆除に必要な火力だけよ。いきなりこんな、容赦ない攻撃なんてしない。早く倒すためにしたって、もっと段階を踏む筈……!」

 

 段々と口調が荒くなる真綾。

 真綾が何を言いたいのか、百合子には分からない。いや、頭が理解を拒んでいる。

 何故なら怪獣は、自衛隊によりこれまで駆除されてきたのだから。これまでもそうだったのだ。これからもそうであるし、そうでなければ……困る。

 けれども、これは人の道理。

 そして怪獣とは、人の道理を踏み躙るもの。

 

「コイツ、()()()()()()()()()()()()()()()()んだわ! 今の自衛隊の火力じゃ、駆除出来ない!」

 

 真綾の言葉は、怪獣としてはなんて事のないもので。

 

【ギョオォギィアアアアッ!】

 

 けれども百合子がそれを理解出来たのは、怪獣が雄叫びを上げてからだった。

 ハッとしながら、百合子は外の様子を窺う。叫んだ怪獣は未だ四本の足で立ち、倒れる気配はない。

 そして怪獣は、長大な尾を大きく振った。

 尾は元々長かったが、それでも縮んだ状態だったらしい。まるで先端が何かに引っ張られているかのように、するすると伸びていく。百メートルなんて長さは一瞬で超え、何十倍もの長さとなってのたうち回る。

 これでも流石に戦闘機には届かない。だがうねうねと独立した生き物のように動くそれは、戦闘機が放ったミサイルを羽虫を叩くかの如く落としていく。

 続いて尾の先はヘリコプターや戦車にも向かう。ヘリコプターは尾が伸びた時には退却を始めていたが、怪獣が伸ばした尾はこれにすぐ追い付き……ヘリコプターを真っ二つに引き裂く。爆発したヘリコプターの残骸が落ちたり、或いはビルの壁に突き刺さったりした。

 戦車などまるで虫けら扱いだ。怪獣の尾は容赦なく上から叩き付け、鋼鉄の塊をスクラップに変えていく。周りにいた歩兵は、その爆発に巻き込まれて吹っ飛ばされた。

 一瞬、というほど短いものではない。けれどもほんの十秒にもならないような、あまりにも短い時間しか経っていない。

 その僅かな間に、攻撃をしていた自衛隊は壊滅してしまった。

 

「怯むなぁ! 攻撃を続けろ!」

 

 生き延びた歩兵らしき掛け声が戦場に響き渡る。撤退しない辺り、すぐに後続の部隊がやってくるだろう。けれど、それがなんだと言うのか。

 自衛隊を粗方片付けた怪獣は、見た目の上では殆ど怪我など負っていなかった。

 ミサイル攻撃には怯むだけ。航空戦力を撃退する力がある。この二つだけで、人類にとって絶望的だ。少なくとも自衛隊には、倒すための方法がないかも知れないと思わせる程度には。

 怪獣。

 百合子は思い出した。それが本来、人類にとって抗いようのない存在なのだと。勝てる勝てないと考える事すらおこがましい、不条理な破壊の権化。人間に出来るのは、泣き喚きながら逃げる事だけ。

 自衛隊は、きっと最後まで諦めないだろう。しかし自衛隊に守ってもらっている百合子は、諦めの気持ちが込み上がった。きっと自分達は、ここで死ぬのだ。

 そう、怪獣を倒せるのは、何時だって巨大ヒーローか、或いは――――

 

【緊急怪獣速報。緊急怪獣速報】

 

 絶望の浸る百合子の頭だったが、けたたましいアラート音が意識を現実に引き戻した。とはいえその速報はつい先程出たものであり、しかもとうの怪獣は目の前にいる状況。もうちょっと空気読んでくださいよと、悪態の一つでも言いたくなった。

 されどその気持ちは、投げ捨ててやろうとしたスマホ画面に映し出された文字を見て、一瞬で消え去った。

 ――――刹那、音が聞こえてくる。

 いや、音ではなかったのかも知れない。何故ならそれが音だと思った瞬間、びりびりと痺れるような感覚が百合子の全身を襲ったからだ。やがて痺れは身体のみならず、図書館全体を震わせ始めていく。図書館の壁面そのものが激しく震え、危険を感じた百合子は、挫けそうになる足腰を無理やり立たせて茜と真綾の手を引っ張る。

 ガラスが割れた場所から跳び出すようにして、百合子達は図書館から脱出。直後、図書館の一角が崩落を始めた。規模は小さかったので動かずとも平気だったかも知れないが、万一を思うと背筋が震える。

 その間も音のような痺れは大きく、強くなっていく。本能的に動いていた百合子の身体はもう一歩も歩けず、しゃがみ込む。先程まで戦闘を続けていた自衛隊員達もしゃがんで、立てなくなっていた。

 そして最早正面から見据える形となった未知の怪獣は……空を仰ぎ見ている。

 一体何を見ているのか?

 

【グガアアアアアアァァァッ!】

 

 百合子が抱いたその疑問に答えるかのように、その声が町に響いた。

 聞いた瞬間に背筋が震えた。恐怖とも畏怖とも付かない感覚によって。喉は強張って声も出なくなり、目は瞬きもせずに見開かれる。

 忘れもしない、いや、忘れられない存在感。

 百合子がそのような想いを抱く横で、茜の表情も変わった。憎悪と憤怒と僅かな恐怖……様々な感情を滲ませながら、茜は空を睨み付ける。真綾と百合子は驚きに満ちた表情を浮かべながら、茜と同じく空を見て、それ故に彼女達三人は目の当たりにする事となった。

 大空より舞い降りる怪鳥・ヤタガラスの姿を。



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未知との対決

「コイツ……!」

 

 姉の仇を前にして憎悪を強める茜だったが、その身体は次の瞬間には落ち葉のように吹き飛ばされた。

 ヤタガラスが着地した際に生じた暴風の所為だ。茜含めた大勢の人々を容赦なく吹き飛ばしたヤタガラスは、しかしそんな事など気にも止めていない素振りで大地に降り立つ。百合子もこの風で吹き飛ばされ、何メートルも転がされた。

 幸いにも百合子は擦り傷程度の怪我で済んだが、ただ着地しただけでこの有り様。恐ろしいパワーだ。先程感じた身体の痺れは、ヤタガラスが飛行した時に生じた空気の振動が原因なのだろうと百合子は思う。一体どんな速度で飛べば地上にそんな被害を与えられるかは想像も付かないが……相手は怪獣。人の理解が及ぶ存在でない事は、つい先程思い知らされたばかりだ。

 ただ動くだけで人命どころか社会そのものに途方もない被害を出す。ヤタガラスは防衛省の定義通りの、正に『怪獣』だ。

 こんな近くに居たら、命がいくらあっても足りやしない。

 

「茜さん!」

 

「茜っ!」

 

 吹っ飛ばされた茜と合流すべく百合子、そして同じく飛ばされていた真綾は茜の下へと向かう。

 誰よりも遠くに飛ばされた茜は、身体を痛めたのかよろよろとした動きで立ち上がった。すぐに真綾と百合子が左右から肩と身体を支え、この場から離れようとする。

 

「待って! 私は、まだ逃げない!」

 

 ところが当の茜がその動きに逆らった。

 

「何言ってんのよ! まさか敵討ちを今からしようってんじゃないでしょうね!」

 

「そこまで馬鹿じゃない! もしかしたら、もしかしたらアイツが戦うかも知れない!」

 

 真綾が叱責するも、茜は怯まず反論する。

 アイツというのは、先にこの町に現れた新種怪獣の事か。確かに学校やその近くの塾宅地でテッソとコックマーが争っていたように、怪獣同士での戦いは珍しいものではない。ヤタガラスと未知の怪獣が戦う可能性は、ゼロではないだろう。

 そして戦いの中で、ヤタガラスの弱点が露わとなるかも知れない。

 茜は復讐を果たすために、少しでも情報を得ようとしているのだ。ただの激情ならば殴ってでも百合子は、そして真綾も、茜を連れて行っただろう。けれども彼女の本気の想いを、馬鹿の一言で片付けるなんて出来ない。

 仮に片付けたところで、茜は意地でも留まろうとするだろう。百合子と真綾よりも、ずっと大きな想いを力に変えて。それを力で捻じ伏せるのは、かなり難しそうだと百合子は思う。

 

「……流石に此処じゃ危険よ。もう少し離れて、何か飛んできたらすぐ隠れられるよう、あっちのビルの傍まで行くわよ」

 

 同じくそう思ったであろう真綾は、現実的な『妥協案』を出した。茜としても途中で死んだら意味がないのは分かっている。こくりと頷いた茜は、ようやく百合子達と共に来てくれた。

 ビルの壁面に身を隠した百合子達は、頭だけを出して怪獣達を見遣る。距離はざっと二〜三百メートルほど離れただろうか。怪獣達の足下では自衛隊員達が攻撃を続けていたが、ヤタガラスも未知の怪獣も銃弾など気にもしていない。銃撃はただの賑やかしと化し、怪獣達の周りを彩るだけだ。

 

【……クガカカカカカ】

 

 そしてヤタガラスが見ているのは足下の人間ではなく、目の前に立つ怪獣のみ。

 

【ギョギギ……】

 

 未知の怪獣はヤタガラスを前にして一歩も引かない。むしろ強気な態度を滲ませていると、物陰から見ている百合子は思う。

 それもそうだろう。ヤタガラスの体長は六十メートルほど。対する未知の怪獣は恐らく体長七十メートル以上。未知の怪獣の方が一回り大きい。それに身体付きも未知の怪獣の方が屈強であり、力も強そうだ。見た目からして未知の怪獣の方が有利に思える。

 勿論ヤタガラスには空を飛べるという『特技』もある。それを使えば互角以上に戦えたかも知れないが……ところがヤタガラスは地上に降り立った。これでは自分の特技を活かせない。そして翼に変化した腕は、殴り合いが上手いとも思えない。四足の獣との肉弾戦は不利だろう。

 未知の怪獣もそう思った筈だ。そして有利な状況をむざむざ逃すつもりもない。

 

【ギョオオオギギギョオオッ!】

 

 怪獣は猛然と、ヤタガラス目掛けて走り出す!

 先手必勝とはよく言ったもの。迫りくる怪獣を前に、ヤタガラスは飛び立つどころか一歩と動けない。怪獣は一瞬で間合いを詰めるや、大きな前足を振り上げ――――ヤタガラスの頭を殴り付けた。

 まるで爆発音のような、痛々しいを通り越して痛快な打撃音。衝撃波が広がり、ビルの影に隠れていた百合子達をまた転ばせた。もしも人間があんな拳を受けたなら、きっとぺちゃんこ、いや、肉片すら残さず消し飛ぶかも知れない。

 何もかもスケール違いな一撃だ。これぞ正に怪獣。人類が勝てる相手ではないと、本能で思い知らされる。

 そしてこの強烈な打撃を顔面に受けたヤタガラスは、()()()()()()()()()

 ……比喩ではない。まるで、何事もなかったかのように、ヤタガラスは動いていない。

 

【――――ギョオッ! ギョギオッ!】

 

 怪獣は違和感を覚えたのか一瞬硬直していたが、すぐにまた殴り出す。人間の格闘技とは違う、精練されていない、故にどんな格闘技よりも荒々しい鉄拳がヤタガラスの顔を痛めつける。痛めつけている筈だ。

 されどゆっくり持ち上げられたヤタガラスの足は、そんな痛みなどまるで感じた素振りもなく。

 

【ガァッ!】

 

 短い一声と共に、ヤタガラスは怪獣に向けて蹴りを放つ!

 蹴りを受けた未知の怪獣は、あろう事かその巨体が浮かび上がった。自衛隊員達は銃を撃つのを止め、百合子達は呆然と眺めるばかり。蹴られた怪獣自身驚いたように目を見開き、四肢をばたつかせる。

 けれども鳥でないその身に、空中でどうこう出来るような力はない。怪獣は何十メートルも吹っ飛ばされ、背中から道路に墜落。大きな地震を起こすほどの衝撃を撒き散らす。

 ひっくり返った状態の怪獣にヤタガラスは迫ると、片足で怪獣の後ろ足を掴んだ。それからずるずると、いとも容易く怪獣を引き寄せる。怪獣は大慌てで体勢を立て直し、三本の足で地面を踏み締めて逃げようとした。だがヤタガラスはたった一本の足でこの足掻きを無効化。どんどん自分の傍へと寄せていく。

 

【ガッガッガッ……グガアァッ!】

 

 そうして怪獣の胴体を持ってきたら、楽しげに鳴いた後、ヤタガラスは怪獣の身体を踏み付けた!

 瞬間、広がるのは白く濁った空気の波動。

 衝撃波だ。怪獣の鉄拳でも感じられたものだが、ヤタガラスの一撃はその比ではない。何百メートルも離れていたのに、百合子は一瞬意識が飛んでしまうほどの痛みを身体で感じた。

 無論踏み付けられている怪獣は、もっと痛みを感じただろう。踏まれた瞬間身体は大きく反り返り、目を大きく見開いていた。ぱくりと開いた口からは赤黒い血を吐き、ダメージが内臓まで達しているのが窺い知れる。

 されどヤタガラスの攻撃はまだ終わらない。一度目の踏み付けで死ななかった怪獣の背中を、二度三度と踏み付ける。踏まれる度に怪獣は苦悶の声を、そして血反吐を吐く。筋肉に覆われた身体には無数の擦り傷が付き、だらだらと赤黒い血が流れ始めた。

 未知の怪獣は自衛隊の猛攻撃に、怯んでこそいたが耐え抜いていた。驚異的硬さの体表面だったが、ヤタガラスのパワーはそれを勝るらしい。あまりにも出鱈目な力に、その光景を見ていた人間達の誰もが呆気に取られてしまう。

 一方的な暴虐はしばし続き、これでも死なないとヤタガラスはその脇腹を蹴り上げた。怪獣の身体からはベキリと生々しい音が鳴り、蹴飛ばされた身体がビルの壁面に叩き付けられる。衝撃で崩れたビルの瓦礫は雪崩のように押し寄せ、未知の怪獣を飲み込んだ。

 

【ギョオ……オオオオオオオッ!】

 

 しかし怪獣は未だ死なず。

 咆哮と共に瓦礫を吹き飛ばした怪獣は、自分の尾を振り回し始めた。高速で、縦横無尽に飛び交う尾。それは周りにあるビルを、道路を、次々に切り裂いていく。

 全方位を飛び交う切断攻撃。それがついにヤタガラスの身体に襲い掛かる。

 ヤタガラスの身体、いや、羽毛はビルと違って切断される事はなかった。尾が打ち付ける度に金属同士がぶつかったような、甲高い音を鳴らしている。羽毛自体が鎧のように頑丈ようだ。とはいえ衝撃までは緩和しきれていないのか、叩かれる度にヤタガラスの身体が僅かによろめく。

 顔面を殴られようと微動だにしなかったヤタガラスが動くほどの威力。肉体による打撃などあの未知の怪獣にとってはただの通常攻撃であり、尾による連続切断攻撃こそが、奴の『必殺技』なのだ。

 しかも優れているのは威力だけではない。尾の動きは非常に俊敏であり、拳による打撃どころでない間隔でヤタガラスを打つ。さしものヤタガラスもこの攻撃は堪えたらしく、目を僅かに細める。

 或いは、怪獣はヤタガラスの顔を()()()()()()()()()と言うべきかも知れない。

 

「――――ひっ」

 

 百合子の口から漏れ出たのは、恐怖の感情。

 ヤタガラスの目が憤怒に染まる。

 羽毛にすら目に見えるような傷が付いていない事から、大したダメージにはなっていない筈。けれどもヤタガラスの放つ怒気は、傍から見ているだけの百合子を震え上がらせるほどに強い。

 ヤタガラスが最初、どのようなつもりで怪獣を襲ったのかなんて百合子には分からない。けれども緊張感のなさからして、驚異の排除や憎しみなどではなかったのだろう。けれどもその気持ちは今、切り替わった。

 ヤタガラスは、ようやく怪獣を『敵』だと認識したのだ。

 

【ギョアァー! ギョギギギギッ!】

 

 そうと知ってか知らずか。未知の怪獣は笑うかのような声と共に、更に激しく尾を振るう。最早周りのビルは全て崩れ、辺りは瓦礫の山。それでも攻撃は続き、ヤタガラスを滅多打ちにしていく。

 その攻撃の中、ヤタガラスは静かに翼を動かした。

 

「……? あれ……」

 

 その時、百合子は気付く。ヤタガラスの翼が、ほんの僅かながら()()()()()事に。

 はたまた、単に日光が反射しているだけなのか。無意識に正体を見極めようとする百合子だったが、しっかりと見る時間はなく。

 ヤタガラスは自らの翼を、素早く、そして大きく一度だけ振るった。

 その次の瞬間、怪獣の尾の動きが止まる。

 より正確に言うならば――――振り回していた尾が切れて、彼方に飛んでいったというべきだろうが。

 

【……ギ?】

 

 ぽそりと漏れ出た怪獣の声。百合子に怪獣の心など分からないが、今この瞬間に限れば、彼女は怪獣と心が一体化していた。

 何が起きたのか、分からない。

 されど怪獣と違って人間である百合子には、想像を膨らませ、語るだけの知性があった。大きく振り上げられたヤタガラスの翼。それが全ての原因ならば……

 

【ギ、ギギィイッ!?】

 

 妄想を膨らませる百合子とは違い、怪獣は現実を見ていた。自分の一番の武器が、なんだか分からないがいきなり失われたのだ。原因などとんと理解出来ずとも、状況が絶望的に『不利』になったのは察している。

 未知の怪獣はヤタガラスに背を向け、逃げようとした。このままでは殺されるという判断だ。それ自体は正しいと百合子も思う。ヤタガラスの放つ怒気からして、逃げなければ間違いなく殺される。

 逃げたところで殺されるという現実からは、どうやっても逃げられないが。

 

【ガアアァッ!】

 

 逃げる怪獣の背中に向けて、ヤタガラスは翼を再度振り下ろす。

 百合子は再び目にした。ヤタガラスが振り下ろした翼が、眩く光っていた事を。輝きはほんの一瞬。けれどもその一瞬の間に、ヤタガラスの翼は未知の怪獣の背中に届き――――()()()()

 否、切り裂いた!

 逃げ出していた怪獣は、自分が切られた事など気付いていないかのように走り続けた。けれども数十メートルと駆けたところで、その身体が左右に割れる。贓物と血液をバラ撒いた身体は数秒だけ、恐らく左右に分かれた意識と共にもがいたが……すぐに動かなくなった。

 あまりにも、異質な攻撃。

 百合子達のような一般人だけでなく、自衛隊員達すら立ち尽くす。静寂が場を支配した。

 されど人間達の動揺など、怪獣達からすれば眼中にもない事。ヤタガラスは軽く飛び上がると、自らが仕留めた怪獣の上に乗り、真っ二つになった頭の片方を足で叩き潰す。更にはぐりぐりと足を動かして念入りに潰す姿は、あまりにも攻撃的で、ケダモノという言葉すら生温い。

 

【グガァアアゴオオオオオオッ!】

 

 そうして念入りに相手を死に追いやってから、ヤタガラスは力強い鳴き声による勝利の雄叫びを上げ、自らが打ち倒した怪獣の肉を啄み始めた。

 一応ヤタガラスとしては、食べるために未知の怪獣と戦っていたらしい。自分が仕留めた獲物を食べる姿は先程までの荒々しい姿と打って変わり、野生動物と呼ぶにはあまりにも品が良い。自分の身体が汚れないよう静かに、そして優雅に食べていく。食べる部分は内臓や内側にある白い部分……脂質と思しき部分ばかり。栄養価の高いところを好んで食べているが、楽しげに選ぶ様は極めて理性的だ。

 戦い方や反応からなんとなく百合子は思っていたが、ここにきて確信に至る。ヤタガラスは非常に高い知性を持ち合わせているようだ。

 そして高い知性を持つが故に、人間が操る機械がどんなものなのかも学習しているらしい。

 

【……グァ】

 

 食事を中断するや、ヤタガラスは頭上を見上げた。

 空には数機の飛行機が飛んでいる。自衛隊の戦闘機のようだが、未知の怪獣を攻撃していた時よりも数が多い。応援が追加されたのだろう。

 そしてヤタガラスもまた怪獣の一体。都市部にいる以上、攻撃対象である。間もなくミサイル攻撃が始まるのだと百合子は理解し、ヤタガラスも、やられた事があるのか自衛隊機を鬱陶しげに見つめていた。怒りのようなものは感じられないが、だからといって自衛隊機に危害を加えないとは限らない。食事中の人間が周囲を飛び回るハエに殺意など向けずとも、叩き潰す事はするように。

 ヤタガラスはしばし自衛隊機を見た後、おもむろに翼を広げた。食事の邪魔をされる前に、邪魔者を排除しようという腹積もりか。

 

「民間人発見! 避難させます!」

 

 ぼうっと眺めていたところで、ふと人間の荒々しい声が聞こえてきた。

 振り返れば、そこには何人かの自衛隊員がいる。ただし彼等は銃を持っていない。傍までやってきた彼等は百合子達とヤタガラスの間に入るよう陣取り、百合子達の肩を支えて何処かに連れて行こうとする。

 どうやら彼等は戦闘部隊ではなく、巻き込まれた民間人の救助を担当しているらしい。彼等の指示に従えば、きっと避難所まで案内してくれるだろう。

 

「さぁ、もう大丈夫だ。こっちに来て!」

 

「ま、待って! アイツを、まだ――――」

 

 自衛隊員は茜の言葉と抵抗を無視して、容赦なく連れ去っていく。怪獣が傍に居て逃げない人間の言葉など、聞くつもりはないという事か。確かに、あっという間に茜が安全圏へと連れて行かれている点に限れば、とても正しい対処法だろう。

 

「百合子。茜も救助されたみたいだし、私達も行きましょう」

 

「は、はい。そう、ですね……」

 

 傍に居た真綾にも促され、百合子は自衛隊員達に大人しく従う。

 刹那、ヤタガラスが飛び立ったのか、突き飛ばされるような衝撃が百合子の背中を叩いた。今頃航空自衛隊とヤタガラスのドッグファイトが始まってるのかも知れないが……振り返って見る気は起きない。大体見なくとも予想が付く。

 自衛隊が倒せなかった怪獣を簡単に叩き潰した『大怪獣』を、人間が倒せるなんて露ほどにも思えないのだから――――



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使われる禁じ手

 自衛隊に救助された百合子達は、その日のうちには避難場所から出て帰宅出来た。

 未知の怪獣 ― ちなみに後日ガマスルと命名された ― による被害はかなり大きなものだったが、百合子達が暮らしている地域はほぼ無傷。百合子達自身にも怪我はなく、避難所暮らしをする理由は(そして避難所側にはさせられる余裕が)ない。茜と百合子の二人は親の迎えで、真綾は徒自分の足で家に帰った。

 二度も怪獣と出会った百合子は、親にとても心配された。とはいえ怪獣と遭遇するというのは、本質的には町中でクマに鉢合わせるのと変わらない。警報が出ている中に突撃していったなら兎も角、ばったり遭ってしまった事を責めてもどうにもならないのだ。だから親からは叱責なんてなく、精々「アンタは私を心労で殺す気か」と悪態を吐かれる程度。

 かくして百合子達は、存外あっさりと日常生活に戻った。

 それ自体は悪くない、むしろ良かったと百合子は思う。日常に戻れるのが如何に素晴らしいかは、一度目の生還劇から重々承知している事。再び始まった日常に、生きている喜びに、自然と笑顔が浮かぶというものだ。

 尤も、三度目はないだろう。戻るべき日常そのものが、壊れてなくなっているだろうから。

 

「やっぱり、最近自衛隊は怪獣に勝てなくなってるわね」

 

 その手に持った新聞を読みながら、ぽつりと真綾が独りごちる。

 真綾の言葉を聞いたのは百合子だけではない。近くに居た茜も聞き、真面目な顔で聞き返す。

 

「ヤタガラス以外にも、という事?」

 

「ええ。一応言うと日本って予算と人員だけなら先進国有数の軍事国家だから、意外と強いのよ。憲法で雁字搦めだから、足りないものも多いけどね。でも怪獣相手に使う武装としては、それなりに強い筈。そんな日本がボコボコに負けてる状況は、世界的に見れば非常に不味いわ」

 

「……あのガマスル以降、どんどん大きい怪獣が出てきてるもんね」

 

「テッソとかの小さいのが出ない訳じゃないけど、大型化はかなり進行したわね。今じゃ六十メートル級なんて珍しくもないし、八十メートル級も稀に出てくる有り様よ」

 

 ガマスル出現から二週間が経った今日――――怪獣達の大型化はかなり進んでいる。

 ガマスル以前の最大級である五十メートル前後の怪獣であれば、苦戦はしても倒せないほどのものではなかった。ところがガマスル以降に現れる怪獣は、勿論数メートル級の小さなものや三十メートル低土の『中型』も現れたが、六十メートル超えがあり触れる事となる。

 六十メートルを超えるような怪獣には、通常兵器が殆ど通じなかった。戦車砲もミサイルを受けても嫌がる素振りをするだけで、致命傷には至らない。つまりどれだけ攻撃しても足止めが精々。最終的には放置するしかなった。

 怪獣が退治されないというのは、そいつが暴れ続けるというだけの話ではない。交通機関に居座られれば物流が途切れ、その先の地域の生活が困窮する。また自衛隊が戦うには武器が必要だが、そうした武器もまた工場で作ったものの輸送が必要だ。交通網が遮断されたら自衛隊は弾のない銃で戦う羽目になる。これでは巨大怪獣どころか、二メートル級のテッソにすら勝てない。新たな敗北は新たな遮断を生み、加速度的に状況を悪化させていく。

 これが例えば他国の侵略なら、降服すれば命だけは助けてもらえるかも知れない。主権の剥奪やら文化破壊やらで相当酷い目には遭うだろうが、生きてはいける。しかし此度の相手は怪獣。降伏したところで、向こうは頭から齧り付いてくるだけ。

 ただの女子高生に過ぎない百合子達も、日本の行く末に危機感を抱くのも当然だ。

 そう、当然だとは百合子も思うのだが……

 

「……あの、なんで私の部屋で怪獣研究会を始めているのですか?」

 

 何故その話を自分の部屋でしているのだろうか、わざわざこの部屋集合なんて号令を出してまで――――と、ちょっと疑問に思った。

 なので尋ねてみたところ、茜と真綾の表情が変わる。茜はちょっと申し訳なさげに、真綾は憎悪を表に出しながら。

 

「だって私の家、怪獣の事話すとお母さん泣き出しちゃうもん。テレビすら点けられないし」

 

「あ、うん。そうですか、なら、仕方ない、のでしょうか……?」

 

「私はうちにいたくないわ。最近クソ親父が愛人連れ込むようになったから、兄さんの家に居候中だし」

 

「さらりと暗い家庭事情話さないでくれません? あとお兄さんいたのですね」

 

 全く知らない話をぶち込まれて、百合子は当惑。確かに二人の家庭事情を鑑みると、怪獣の話が出来るのは自分の部屋だけだとは思う。勿論近所に図書館があればそちらに行くのだが、その図書館はガマスルとヤタガラスにより破壊されて使用不能。

 此処しか話し合いの場所がない。じゃあ仕方ないですね、と百合子はもう何も言わない事にした。それに怪獣や世界情勢について気になるのは、百合子も同じなのだ。この話し合いを邪険にする理由などないのである。

 

「……分かりました。それなら仕方ありません。話を続けてください」

 

「はい、ありがとう……じゃあ話を戻すけど、日本の自衛隊すらこの有り様。当然世界はもっと悲惨よ」

 

「具体的にはどうなってんのさ」

 

「特に悲惨なのはアフリカ。もう殆ど怪獣は野放しね。殆どのNGOが活動停止。元々仲の良くない部族同士の抗争も激化。戦闘による農地破壊で食糧生産も激減……仮に怪獣騒ぎがあと一〜二年で終息したとしても、正直もう再起は無理かもね」

 

「酷い……」

 

「でもまぁ、対抗策がない分、まだマシかもね」

 

 思わず感情が言葉として出てきた百合子だが、真綾はそれに対し反論、ではないがやや否定的なニュアンスの発言をした。

 怪獣の野放しが『マシ』。怪獣被害者……茜が悪鬼のような表情をするほどの暴言だが、真綾は眉一つ動かさない。

 

「中国やアメリカ、それとロシアでは自国内での核兵器使用があったそうよ。それに比べれば、怪獣が歩いてる方がマシだと思うわ」

 

 それはこの気持ちが、本心からのものだからだろう。

 そして茜も、そう言われると流石に表情が変わる程度には、真綾の言葉に賛同しているらしい。百合子も思わず目を見開き、嫌悪が出てしまっていた。

 

「じ、自分の国の中で核兵器を使ったのですか!?」

 

「ええ。そりゃまぁ、使うわよね。だって通常兵器じゃ倒せないんだから」

 

「そ、そうかも知れませんけど、でも……」

 

「言っとくけど、短絡的にぶっ放した訳じゃないわよ。例えば地中貫通爆弾という、核シェルターもぶち抜く爆弾を使ったりしている。それで結構効果はあったみたいだけど、一部怪獣は倒せなかった。さて、そんな怪獣が大都市や穀倉地帯に向かって爆走している時、どれが効くかなーと考えている暇はあるかしら?」

 

「う……で、でも……」

 

「ないわよね? それに『遺族感情』が黙ってないわ。茜だって、ヤタガラスを殺すために核兵器を使うって言ったら、多分賛成するでしょ?」

 

「……核の前に他の手は試したのか、とは言うと思うけどね」

 

 全面的な肯定こそしていない茜だが、ハッキリと否定もしていない。つまり、それ以外に本当に手がないなら、使っても良いと思っているのだ。

 実際、核兵器は『有効』な攻撃手段だ。七十五年以上前に使われた広島や長崎の原爆と違い、現在の核兵器は主に水爆である。起爆によって核融合を起こし、その熱量で対象を焼き尽くす。中心温度は一億度を超えており、この高温化ではあらゆる物質がプラズマ化して消滅する。つまり、耐える方法は()()()()()。どんな軍事攻撃をものともせずとも、知略を蹴散らすパワーがあろうとも、核兵器だけは絶対に通じるのだ。

 そして怪獣退治に使うのだから、日本が第二次大戦時に投下されたのとは意味合いが違う。人間の生存権を守るために、人間の敵を倒すために、人間以外に使うのだ。核兵器がどれだけ非人道的な兵器だとしても、対象が人間でないなら、理屈の上では使用を阻む理由はない。

 それでも嫌だと百合子は思うが、しかしこれは『感情』だ。怪獣に家族を踏み潰された遺族達からすれば、何がなんでもそいつを殺せというのが抱く『感情』だろう。例え核兵器がどれだけ恐ろしいか、どれだけ忌まわしいかを伝えても、「じゃあ核以外で怪獣を倒してみろ今すぐに」と言われたらお終いである。それが出来ないから、核兵器という禁断の力が候補に上がってくるのだから。

 憎悪は決して止まらない。茜という友人を見ている百合子は、それを胸が痛くなるほど知っていた。

 

「あ、ちなみにヤタガラスへの核兵器使用は既に決定済みみたいね。アメリカが、ヤタガラスが公海上に出てきたのが確認出来たら使用するという話が出たから」

 

「へっ? そんな話、聞いた事ないんだけど」

 

「この話が出たの、昨日の夜だしね。というかそもそも情報源がアメリカの一地方紙だし。割とって言い方したのは、デマかも知れないから。でも、個人的にはあり得ると思っているわ。ヤタガラスは現状、人類が勝てない怪獣すら倒している……本土で暴れる前に撃破するというのは、自然な発想ね」

 

 真綾が言うように、ヤタガラスの強さは圧倒的だ。ガマスルを倒したところを目の当たりにした百合子達だからこそ言えるが、あの怪獣は、確かに核兵器でも使わなければ勝ち目がないように思える。

 むしろ公海上で撃破する、というだけマシかも知れない。ヤタガラスは空を飛べる。つまり自由に海を渡り、アメリカ本土まで行けるという事だ。おまけにその存在は(表向きではあるが)何時も見失っていて、もしかすると今この瞬間、海を渡ってアメリカに向かっている可能性だってある。本気でアメリカを守るつもりなら発見次第……日本本土にいようがなんだろうが核ミサイルを撃つのが正解なのだ。少なくとも、アメリカ人の立場からすれば。

 日本政府が必死になって止めたのか、はたまた流石にそれをすると世界の人権団体の非難が大変な事になると思ったのか。いずれにせよ今は日本が三度目の核攻撃を受ける心配がないと分かり、ほっと、百合子は安堵した。

 

「……せめてその核ミサイルのボタン、私が押したいなぁ。やっぱりヤタガラスへの止めは私が刺したいし」

 

「アンタに核のボタンなんて任せらんないわよ。ヤタガラス見付けた瞬間連打するでしょきっと」

 

「多分するけどさぁ」

 

 そしてアメリカの軍隊や大統領は、きっと茜よりは冷静沈着であろう。例えヤタガラスに大切な家族を殺されたとしても、だ。

 そう考えると、なんだか怪獣よりも核兵器を怖がっているように思えて、百合子は自嘲する。犠牲者の数で見れば、怪獣はもう、核兵器なんて足下にも及ばない驚異だと言うのに。

 ともあれ、日本への核攻撃の心配がなく、ヤタガラスを抹殺する手段もある。その点については安堵があるので、百合子はホッと息を吐くのだった。



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怪獣群団

 ヤタガラスと世界情勢に関する話は、それから一時間と続かずに終わった。いや、終わらされたというべきだろうか。

 

「……じゃあ、もうヤタガラス退治の方法の話し合いは、今日で止めにしようか」

 

 この話し合いの、そもそもの提案者である茜がそのように語ったからである。

 一瞬、百合子はとても驚いた。ヤタガラスへの憎しみをあれほど強く抱いていた茜が、どうしてヤタガラスがまだ生きているうちにそんな事を言い出すのかと。しかし考えてみれば、答えはすぐに明らかとなる。

 ヤタガラスが公海上に出れば、米国より核兵器が使われる。

 勿論それが本当であるという確証はないのだが……ネット上ではちらほらと、その情報が溢れてきた。いずれアメリカ・日本政府から公式な発表があるだろう。そして世界情勢や怪獣との戦局、ヤタガラスの強さを鑑みれば、恐らく核使用に対して肯定的な話になると思われる。

 つまり核兵器の使用という最終手段が取られるようになった事で、もう、自分達が退治方法を考えずともヤタガラスの死は確実なのだ。それはヤタガラスへの復讐を求めていた茜から、『生き甲斐』を奪い取る事に等しい。勿論、復讐を生き甲斐にしているというのはあまりポジティブな印象がしないから、止めてくれるなら嬉しいとは百合子も思うが……しかし姉を失ったと知った時の、何もかも絶望した茜の顔を知っている身としては、生き甲斐を失った友達の心が心配になる。

 ましてや、今の表情がその時の顔に近付いていると思えば、心配するなという方が無理というものだ。

 

「……止める必要はないんじゃないでしょうか」

 

 だからだろうか。考えもなしに、そんな言葉が百合子の口から出てきたのは。

 茜がキョトンとした顔で見つめてくる。無意識の発言を今になって自覚した百合子は、狼狽えながら弁明した。

 

「い、いえ、あの。確かに核兵器でヤタガラスは倒せると思いますけど……でもヤタガラスだって一匹とは限らないじゃないですか。何匹も出てきて、その度に核兵器を使うのは流石に不味いと思うんです。そもそも日本国内じゃ使えない訳ですから、より良い方法を探すのは無駄じゃないと言いますか……」

 

 つらつらと、我ながらよくこんな思い付きで話せるものだと思いながら、百合子は茜を説得する。いや、そもそも何故こんなにも説得しているのか。茜の中では、先の話をきっかけにして区切りが付いたかも知れないのに。

 話せば話すほど、自分の言ってる事の『正当性』が疑わしくなってきて、百合子は言葉が続かなくなる。ついには狼狽えるばかりで、声も出なくなってしまう。

 その場限りの言葉なのを隠せていなかったが、茜はくすりと笑うと、百合子と肩を組むようにくっついてきた。

 

「あはは! そうだね、そりゃそうだ。そもそも核攻撃はヤタガラスが公海に出たらやる訳だけど、アイツがそこまで飛ぶか分からないし」

 

「確かにね。見たところ海鳥ではなさそうだものね」

 

 茜の言葉に真綾も同意。気遣うつもりが気遣われて、百合子はほんのり頬を赤くする。けれども茜に明るさが戻ってきて、百合子の口許には自然と笑みが浮かぶ。

 ――――その笑みを掻き消したのは、スマホから鳴り響く警報だった。

 

【緊急怪獣速報。緊急怪獣速報。付近に怪獣が出現しました。直ちに避難してください】

 

「えっ。また……!?」

 

 ほんの二週間前に怪獣ガマスルと出会ったばかりなのに、またしても近くに怪獣が現れるなんて。そんな驚きから思わず声に出してしまった百合子だが、しかし冷静に考えれば、それもまた仕方ないと思う。

 自衛隊による駆除が出来ないという事は、もう、怪獣の数はろくに減らないという事。そして毎日何体もの新たな怪獣が現れるのだから、基本的にその数は増えていく一方なのだ。遭遇頻度が増していくのは仕方ない。

 世界は変わろうとしている。或いは、もう変わってしまった後なのかも知れない。

 ならば一般人に出来るのは、そこに適応する事だけだ。

 

「今度は何が現れたのかしらね……」

 

「えっと……あ、今回は名前書いてますね」

 

 真綾の疑問に答えるべく、スマホの画面に表示された怪獣の名前を百合子は見る。

 

「レッドフェイスの、()()らしいです」

 

 そしてスマホに書かれていた文字を、友達二人に伝えるのだった。

 

 

 

 

 

 そいつの外観で何よりも目を引くのは、炎のように真っ赤な顔だろう。

 或いはその赤い顔を引き立てる、真っ白な体毛だろうか。臀部にも毛は生えていないのだが、長く伸びた体毛がそこを隠しているため、赤いお尻はあまり見えない。結果、顔の赤さだけがよく目に付く。

 顔付きはニホンザルと酷似していた。とはいえニホンザルと似ているのは顔立ちだけ。二本の長い腕は非常に筋肉質で、豪腕と呼んで差し支えない。脚部もとてつもなく太く、極めて強靭な筋肉があると、見ただけで分かるほど発達していた。普段は四足歩行をしているが、二足歩行も左程苦もなく行えるところからも、足腰の強さが覗い知れるというもの。背筋や腹部の筋肉も盛り上がり、非常に逞しい。そしてこれらは全身を覆う白い毛の上からでも窺い知れる特徴。もしも毛を剃り落としたら、一体どれほど鍛え上げられた肉体が出てくるのか想像も付かない。

 レッドフェイス。現時点では日本にのみ現れているサル型怪獣であり、過去の出現数三体というちょっとレアな種類……此度百合子達の町に現れたのはそんな怪獣だ。

 しかも町に現れた数は()()

 緊急怪獣速報に書かれていた通り、怪獣は群れで現れたのである。今のところ群れは統率の取れた動きはしておらず、自由気ままに歩く程度。それでも拳を前に出す度に家が潰され、邪魔だと思われたのかマンションが崩され……怪獣達はやりたい放題だ。

 

「あれが、レッドフェイス……」

 

 百合子はそんなレッドフェイス達の姿を、町にある高い丘の上から眺めていた。

 此処は避難場所に指定された公園の一つ。平時であればその標高の高さから、麓に立ち並ぶ住宅地と、その向こう側に存在する海も見える場所だ。レッドフェイス出現の一報により、既に大勢の人達と、たくさんの警察や消防が集まっている。百合子の家からは比較的近所であり、混雑する前に来る事が出来たが……そうでなければ麓を見下ろせる公園の縁から、レッドフェイスの姿を観察する事も出来なかっただろう。

 それは百合子の傍に立つ、茜と真綾も同じだ。

 

「体長はどれもざっと六十メートル……自衛隊の戦力で倒せるかは微妙なところね」

 

「そうなの? でも一週間ぐらい前の新聞に書いてなかったっけ? レッドフェイスを関西の自衛隊が撃破したとかなんとか」

 

「ええ。でもあの時の個体は体長五十八メートル。在日米軍も協力してどうにか撃破したけど、壊滅的な被害を受けたそうよ」

 

「五十八メートルでどうにか……それが今回は六体も……」

 

 もしかしたら、此度現れたレッドフェイスは倒せないかも知れない。

 そうなれば当然、百合子達はもうこの町で暮らしていく事は出来ないだろう。いや、住もうと思えば住めるかも知れないが……怪獣が傍に居て、日常生活なんて送れる訳がない。百合子の両親なら、きっと何処かに引っ越そうとする筈だ。

 そして茜と真綾の家も同じであり、けれども何処に引っ越すかはそれぞれの事情次第。

 ――――ワガママなのは承知しているし、もっと他に願うべき事があるのも分かっている。月並みな台詞だが、生きていれば何処かで再会するチャンスもあるだろう。だが百合子にとっては、友達と一時でも離れ離れになる方が辛い。

 どうか、あの怪獣だけは倒してほしい……百合子はそう願った。

 祈りに呼応するように、上空から甲高い音が聞こえてくる。

 

「自衛隊機……!」

 

 顔を上げた百合子は、空に十数機の戦闘機が飛んでいる姿を目にした。

 

「アレは、空爆機っぽいわね。強力な爆弾で六匹纏めて一掃する気かしら」

 

「ちょっと、流石に雑過ぎじゃない? 町も滅茶苦茶になるじゃん」

 

 茜が不信感を滲ませた表情を浮かべる。空爆で怪獣を一掃、といえば聞こえは良い。しかしながらそれは、周辺の家も一掃する事と同義。避難者の生活は跡形もなく吹っ飛ぶし、脚が不自由などの理由から逃げ遅れた人も巻き込む恐れがある。

 手加減しろとは百合子も言わないが、もっとピンポイントな攻撃をすべきではないかとは思う。ところが真綾の意見は、茜とも百合子とも違うものだった。

 

「いいえ、むしろそうすべきよ」

 

「……なんでさ」

 

「怪獣とはいえサルの群れだもの。速攻で潰さないと他の個体が学習して対策を練るかも――――」

 

 真綾は説明しようとしたが、その言葉を最後まで聞き取る事は出来ない。

 真綾の話などお構いなしに、自衛隊による空爆が始まったからだ。

 空爆機から落とされる巨大な爆弾が地面に着くや、巨大な爆炎と粉塵が舞い上がる。爆発の大きさは、ざっと五〜六十メートルはあるだろうか。一発で全身が隠れるほどの爆発に、レッドフェイス達は大きく跳び退くほど驚いた。

 次いで、レッドフェイスの何匹かが空を見上げた。

 

【ブホオゥオウオウッ!】

 

 空爆を仕掛けた空爆機を睨みながら、レッドフェイスの一体が威嚇するように吼える。

 どうやら今し方の爆発が空爆機からの攻撃だと理解したらしい。中々の知性だが、気付いたところでどうしようもない。

 巨大怪獣の撃破こそ出来ないが、それでも空爆は未だに有効な攻撃手段だ。何しろ空高く飛んでいる航空機からの攻撃であり、地上を闊歩する怪獣では決して航空機まで届かない。ガマスルのような一部怪獣は、数百メートルの射程を持っているが……それで落とせるのは精々攻撃ヘリ程度。空爆機が飛ぶ何千メートルもの高さには遠く及ばないのだ。

 そして高い攻撃力は、例え倒せずとも怪獣達にそこそこの痛みを与える。全く痛くないなら無視もするだろうが、痛いものを何時までも無視など出来ない。

 そこに戦車砲という嫌がらせがあれば?

 

【ブボホォ!?】

 

 眼前に戦車砲の直撃を受けたレッドフェイスの一匹は、大きな雄叫びと共にひっくり返ってしまう。

 戦車砲は百合子達がいる避難所とは、直角の方から放たれていた。万一弾が外れても、流れ弾が百合子達のいる避難所には来る事のない角度だ。目を凝らしてみれば、そこにある小高い山に戦車の姿が見える。数は十数両。距離は、ざっと数キロは離れているだろうか。

 これだけ離れていながら自衛隊の砲撃は極めて正確で、動き回るレッドフェイスの顔面に次々と砲弾を当てていく。無数の砲撃と空爆により、レッドフェイス達はかなり鬱陶しそうに顔を歪める。敵意を露わにし、苛立ちを発散するように手足をバタつかせていた。

 すると戦車と空爆機は、そそくさと遠くに離れていくではないか。

 しかし攻撃を止めた訳ではない。戦車は後退しながら砲撃を繰り返し、空爆もちょいちょいとやっている。だが総攻撃といった様子ではない。まるでちょっかいを出すような、こじんまりとした攻撃だ。こういうのも難だが……()()()が感じられない。

 

「成程。倒せばせずとも、誘導は出来るって訳ね」

 

 そんな奇怪な攻撃を、真綾は誘導だと語る。

 百合子もその説明に納得した。町から怪獣を追い出す方法は、倒すだけではない。敢えて挑発し、移動を促すのも立派な作戦だろう。それこそクマやイノシシを山へと追い返すように。

 勿論駆除しなければ、何時かまた人間の町にやってくるかも知れない。遺族感情として納得出来ないのも分かる。けれども町から追い出せたなら、とりあえず家に戻り、避難の準備をする時間ぐらいは稼げる筈だ。

 友達との別れをする準備だって、出来るだろう。

 

「……頑張って……」

 

 その結果に満足する訳ではない。けれどもベターな結末ではある。百合子は奮戦する自衛隊に、小さな声ではあるがエールを送った。

 ――――『妥協』したものすらも、贅沢な望みだと思わぬままに。

 

【ホ……ホォワォオッ!】

 

 レッドフェイスの一匹が、爆発音に負けないほどの大声を発した。

 すると空爆や砲撃に苛立っていた他の五体の動きが、ぴたりと止まる。空爆や戦車砲に顔を顰めるのは変わらない。けれども致死的でない攻撃をじっと耐え、大声を出した一匹の周りに集まる。

 

【ホォオゥ! ホゥホウホォウ!】

 

 仲間達に囲まれたレッドフェイスは、大声で吼え続ける。爆風にも負けない大声を至近距離で聞けばさぞや五月蝿い筈だが、他のレッドフェイス達は騒ぐ一匹の傍から離れようともしない。

 いや、そもそもその一匹の騒ぎ方からして奇妙だ。長々とした叫びだが、同じような声の繰り返しではない、バリエーション豊かな鳴き声だった。ただ感情のまま叫んでいて、こんな声色になるとは百合子には思えない。

 これではまるで――――

 

「指示を、出している……?」

 

 まさかと思った。

 だがレッドフェイス達は、百合子の考えを否定する。

 

【ホァオゥ!】

 

 一際大きな声を出すや、五匹のレッドフェイスが動き出した。

 五匹が向かう先は、戦車がいる山。やはり指示なんてなくて、感情のまま行動しているのか? そう思えたのも束の間、レッドフェイス達は戦車がいない、木々に覆われた山の方へと向かう。

 そこで彼等は山の木々を、まるで草でも毟るかのように抜いた。山の木といっても人工林の杉だ。決して珍しいものではない……いや、珍しければまだ良かったかも知れない。

 長さ十メートルはあろうかという杉の木は、巨大なサルが手に持てば、まるで短い槍のように見えた。

 あり得ない、と考える暇もなく、レッドフェイス達は自分達が抜いた杉に『加工』を施す。加工といっても枝葉を手で削ぎ落とすだけ。けれどもたったそれだけの作業で、彼等が持つ樹木は立派な槍と化す。

 そしてレッドフェイス達は大きく、力強く槍のようになった杉を構えて……

 

【ホアオオオッ!】

 

 渾身の力で、杉を投げた!

 投げられた杉はさながら弾丸のように飛んでいく。一体どれほどのパワーで投げたのか、レッドフェイス達が投げた杉の木はどんどん空へと上がっていった。

 その時、ふと百合子は思い出す。

 それは果たして何がきっかけだったか、或いはネット巡りをしていて偶々目にした情報だったか。人間が出した()()()()()()()()は、凡そ九十八・五メートルだという。百合子達が目にしているレッドフェイス達の体長は約六十メートルであり、人間のざっと三十五倍の大きさ。単純に、身体の大きさと共に槍投げの距離が比例するとすれば……約三千五百メートルまで飛ぶ計算となる。

 対して爆撃機の飛行高度は、一般的には九千〜一万メートル。しかしそれは相手が人間、つまり対空砲などでこちらを狙っている相手に爆撃を仕掛ける時の話だ。怪獣は基本的に遠距離攻撃をしてこないし、したとしても数百メートルまでしか届かない。ならば攻撃精度を高めるため、ギリギリまで低く飛ぶのが『合理的』だ。

 これはあくまでも百合子の想像。全生物最高の投擲能力を持つ人間の記録を怪獣とはいえサルに当て嵌めるのはナンセンスであるし、自衛隊は攻撃を警戒して高高度を維持してるかも知れない。けれどもレッドフェイスのパワーが身体機能の不利を乗り越えるほど高ければ、そして自衛隊がギリギリまで降下していたら……

 悪い予想は的中した。編隊を組んで飛んでいた爆撃機の一機に命中した、杉の木と同じく。

 

「……嘘」

 

 思わず声を漏らしたのは、百合子ではなく茜だった。真綾に至っては口をぽかんと開け、呆けている。

 或いは戦っていた自衛隊達も同様か。仲間が無残にも落ちていく中、空飛ぶ爆撃機達は隊列を崩しもせずにいた。

 レッドフェイス達からすれば、狙い放題のシチュエーションだ。

 

【ホォアアッ!】

 

【ホゥオアッ!】

 

 次々と投げられる杉の槍。それらの殆どは全く当たっていないが、しかし爆撃機達に驚異は与えた。

 『対空砲火』に気付いた爆撃機達は、ようやく四方八方へと散る。爆撃機とはいえ飛行機だけにスピードは速く、あっという間に去っていく。

 残された戦車も砲撃を止めていた。空爆による援護がなければレッドフェイスに叩き潰されるだけ。無駄な戦力消費を抑えるためにも、ここは撤退するしかないのだろう。

 

【ホオオオオオオウッ!】

 

 逃げ帰る自衛隊を見て、指示を出したと思われるレッドフェイスが雄叫びを上げた。その雄叫びに応えるように、他のレッドフェイス達も次々と騒ぐ。街中が咆哮によって震え、舞い上がった粉塵が霧のように満たす。

 そしてレッドフェイス達は、まるで喜びを表すように暴れ始めた。マンションを蹴って砕いたり、一軒家を放り投げて桜吹雪のように使ったり。人間達の営みを、自分達の享楽のために浪費していく。

 まるで支配者であるかのような、傍若無人な振る舞い。

 けれどもその振る舞いに対し、怒りに震える人はいても、悪態や侮蔑の言葉を発した声は、最後まで百合子の耳は聞き取れないのだった。



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占拠された町

 町のど真ん中で、すやすやと眠る六匹の獣。

 百合子達の町を襲った怪獣・レッドフェイス達は、夜を迎えた今ではすっかり大人しくなっている。身体は大きくても根本的には動物なのか、暗くなったらすぐに寝てしまった。町が破壊された事で明かりがないものの、空に浮かぶ満月が彼等を照らす。寝息は聞こえてこないが、月明かりの中でゆっくりと上下する胸の動きから、その熟睡度合いは窺い知れた。

 それと寝顔も。

 町で暴れ回って疲れたのだろうか。その顔に『怪獣らしさ』はなく、熟睡する子供のように穏やかだ。よくよく見れば個体ごとの特徴も発見出来、むにゃむにゃと口許を忙しなく動かしてるものや、死んだように動かないものもいる。五匹に指示を出していた個体の顔にはあまり特徴がないが……ごろごろ頻繁に寝転がる辺り、寝相が良くないらしい。

 観察してみれば様々な個性が見えてくる。正直なところ可愛らしいと――――町を見下ろせる公園の縁にある鉄柵に寄り掛かりながら、彼等の寝顔を見ていた百合子は思った。

 

「こうして寝てれば可愛いのにね」

 

「檻の中なら愛でていられる可愛さよね」

 

 その心を読んだように、何時の間にか傍に来ていた友達二人が話し掛けてくる。

 驚いた百合子はびくりと身体を震わせ、反射的に声の方に振り返る。自分と同じく公園の鉄柵に寄り掛かる茜と真綾が居た。

 百合子はくるりと後ろを振り返るようにしながら、怪獣や友人達以外のものに視線を移す。

 移した先の光景に、百合子は顔を顰めてしまったが。

 百合子達がいる公園……レッドフェイスから逃げた人々が集まる避難所には、何台もの自衛隊車両が集まっていた。給水車やお釜を乗せた車(炊飯自動車というらしい)などが集まり、人々に食事を配っている。テッソ・コックマー襲撃時には缶詰ぐらいしかなかったが、今回は暖かな味噌汁や野菜スープ、そして十分なお米も振る舞われていた。寝場所として提供されたテントも完備され、医療設備も充実。待遇としては、以前よりも遥かに良い。

 強いて劣っている点があるとすれば、付近を照らす投光器の明かりが弱い事。眠っているレッドフェイスが起きないように、万一目覚めてもこちらを目指したりしないようにと、警戒した結果だ。

 怪獣レッドフェイスはまだ町に居座っている。自衛隊が倒せなかったどころか、誘導すら出来ず、挙句爆撃機を落とされてしまったがために。公園で自衛隊からの配給を受け取ってる人々も、顔に嬉しさや安堵はなく、一部は自衛隊に侮蔑混じりの眼差しを向けている有り様だ……彼等からもらった食事を、感謝もなく口にしながら。

 

「見て分かる通り、避難所内の雰囲気は最悪よ。お通夜状態。もしかすると情けない自衛隊相手に暴動が起きるかも」

 

「えっ。そ、そんなに悪いのですか?」

 

「まぁ、確率一パーセントぐらいだと思うけどね。普通の人は暴れたところで意味ないどころか、明日のご飯に困る事も理解しているし。でも一パーセントぐらいの阿呆が、何か画策してるかも」

 

「こーら、不安を煽るんじゃないよ」

 

「可能性の話をしたまでよ。備えあれば憂いなしって言うでしょ?」

 

 ジョークのように言葉を交わし合う真綾達。本当に危険な状態という訳ではないと分かり、百合子は安堵の息を吐いた。

 ……真綾が一パーセントの阿呆と生じた、暴動を起こそうとしているかも知れない人々の気持ちも、百合子は少し分かる。

 裏切られた、という想いだ。暮らしを守ってくれる、助けてくれる。そう信じていた自衛隊が、ボコボコにやられたのだから。勿論彼等は今こうして、寝惚けたレッドフェイスが襲い掛かってくる危険も厭わず避難者に食事を持ってきてくれている。そこに感謝こそすれ、恨んだり罵ったりするのはお門違いだ。

 そもそも期待を裏切られたとして、じゃあ自衛隊以外が対処したらどうなったかといえば……答えは言うまでもない。誰がやっても変わらないのだから、本来なら失望すら誤りなのである。彼等に掛けるべき言葉は、憎悪ではなく労い。

 尤も、人間がそこまで理性的なら、世界に蔓延る問題の幾つかは解決しているだろうが。

 

「まぁ、それでも実際に助けてもらってる人達は大人しいもんよ。むしろ五月蝿いのは外野ね」

 

「外野?」

 

「ネットの掲示板とか、マスメディアは大混乱ね。SNSで過激な自衛隊嫌いが爆撃機撃墜を喜んだら、正義感に燃えた人々が突撃して大炎上。攻撃された側がてきとーな嘘を吐いて、嘘に釣られた人々が参戦して、今度は釣られた人々を攻撃……建設的な議論のない、罵詈雑言が飛び交うばかり。マスメディアは政治の責任を問うばかりで、政府はその責任逃れの答弁ばかり。解決策なんて誰も出しやしない」

 

「う、うわぁ……」

 

「だーれも真面目にこの問題に取り組んでない訳? そりゃ、あくまでも私らの町で起きた事だけどさ」

 

「現実味がないのかもね。怪獣が自衛隊を撃退し、町を占拠するなんて」

 

 真綾の言葉に、百合子は確かにと納得する。彼女自身、未だに現実味が感じられないのだ。自分達の町が怪獣に乗っ取られるなんて。他の避難者達も似たようなものかも知れない。

 ならば例えこの町の住人だとしても、避難所にいない人々の気持ちは、どちらかといえば外野よりだとしても仕方ないのだろう。

 

「……む」

 

「ん? どしたの?」

 

「あ、いえ。スマホにメッセージが……多分親からかと」

 

 百合子はスマホを手に取り、届いたメッセージを確認。予想通り、そこには母からのメッセージが来ていた。

 百合子の両親は避難所に来ていない。レッドフェイス襲撃時、共働きの二人は町の外に出ていたからだ。そして現在町への立ち入りは禁止されており、夜になっても両親は町の外である。故に連絡はスマホのメッセージで交わしていた。

 今回来たメッセージには百合子を気遣う言葉、避難所でのアドバイスなど様々な内容が書かれている。あまりにも基礎的な内容に「私これでも三度目の避難所生活ですけど」とも言いたくなるが、分かっていても言いたくなるのが親心なのだろう。鬱陶しいという想いと、嬉しいという気持ちが重なった、複雑な心境になってしまう。

 ただ一つ、明確に止めてほしい点が一つ。

 ()()()()()()()()()()()()()()という部分だ。

 

「……まぁーだ来ようとしてます。迷惑になるから止めてってハッキリ言ったのに」

 

「あら、羨ましいわね。子供のために他人の迷惑も顧みず、危険を犯してくれるなんて。うちの親なんてメッセージ一つ寄越さないのに」

 

「真綾さん、その話をジョークみたいに言うのは止めてください。どう答えたら良いか分からないので」

 

「あはは、うちの方も百合子と似たようなもんだよ。父さんとばーちゃんがいなかったら、絶対母さん単身でやってきたねこりゃ」

 

 茜はポケットから取り出したスマホを、百合子に見せてくる。画面に映し出されたのは親からのメッセージだが、今すぐ行くの一言の後、音信がしばらく途絶え……「いけなくなりましたごめんなさい」の文字が。

 親というのは、一部を除いて似たようなものらしい。そしてそれは自分達だけではなく、避難所の人々にとっても同じだろう。

 勿論百合子達だって何時までもレッドフェイスの傍に居たい訳ではない。自衛隊の方でも車やヘリコプターを使った避難者輸送が行われていた。しかし少なくとも百合子達の避難所では、これは遅々として進んでいない。何しろ町にある避難所はこの公園だけではないのだ。より危険度の高い地域から順次行われており、比較的安全な百合子達の避難は後回しにされている。しかもヘリコプターなどの空路は音でレッドフェイス達を起こしてしまう可能性があるため、夜間は使えない有り様。車両も音を鳴らさないよう、静かに(ゆっくり)走らせるしかない。

 加えて日本の怪獣被害はレッドフェイスだけではないのだ。自衛隊所属の車両は全国で殆ど出払い、余力は一切ない状態。怪獣が町に居座っているケースは此処だけらしいので、その意味では最優先になってるかも知れないが――――全国に散った車が一晩で集まる筈もなく。

 外から出られず、中には入れず。避難者の親族が不安に駆られ、『暴走』する気持ちは百合子にも分からなくもない。けれどもそれを止めるために自衛隊や警察の人員が割かれてしまうと、避難は一層進まない。正に悪循環だ。

 

「朝になったら、避難出来るかなぁ」

 

「どうかしら。もしかしたら、避難どころじゃないかも」

 

「え? どゆ事?」

 

 茜の言葉に答えた真綾は、しかしすぐには語らず。小さくない息を吐いてから、つらつらと話した。

 

「明日の日の出頃、レッドフェイスに対して自衛隊が総攻撃を行うつもりらしいわ。テレビの速報で流れたって、ネットに載ってた」

 

「はぁ!? 日の出って……私らの避難は!?」

 

「後回しね」

 

「あ、後回しって……」

 

「政府や自衛隊からの公式な説明はないわ。でも深夜零時に会見予定だし、ま、デマではなさそうね」

 

「そ、そんな、なんで……」

 

「どうにも東北地方は輸送路が怪獣に次々と潰れているらしくてね。この町は残り少ない道の一本。あと海沿いにある此処と隣町は工場が多いから、この辺りの物流が途絶えると日本全体の産業が立ち行かなくなる。つまりこの町を占拠されていると、他の戦線に悪影響が出てくるという軍事専門家の話がネットに掲載されていたわ」

 

「だからって、そんな明日すぐになんてやらなくても! 私らが避難して、何日か経った後でも良いじゃない!」

 

「駄目なんでしょ。避難者全員運ぶのに相当時間が掛かるんじゃないかしら。で、それを待っていたら他の戦線の補給が持たない。そろそろ()()()()()()()()()()()()()()って事よ」

 

 真綾の言葉に、茜と百合子は言葉を失った。

 怪獣が現れて僅か数ヶ月。テレビやネットで状況の悪さは理解していたつもりだったが……まさかそこまで追い詰められていたとは思わなかった。

 いや、思いたくなかったと言うべきだろうか。怪獣が出てきても人間の社会はそこまで変わらない、変わるとしても受け入れられる程度の変化で済む……無意識に、根拠もなく、そうなると期待していた。けれども現実は人間の甘さを容赦なく踏み潰し、追い詰めてきている。

 自衛隊や政府の人達はそうした現実を直視していたのだろうか。自分達も見ていれば、何かが変わっただろうか。

 ……多分何も変わらなかっただろう。怪獣達がこんなにもたくさん、そしてこんなにも強くなって現れるなんて、誰にも分からなかったのだから。

 人間の力ではどうにもならない事態。今まで百合子は人間が万物の霊長だとか、人間に乗り越えられない事態などないとは思っていなかったが……こうも突き付けられると、少し気持ちが落ちてくる。なんやかんや自分も ― 恩恵を受けるばかりで未だ発展に寄与などしていないのに ― 自惚れていたのだと痛感した。

 そして気持ちが落ちると、神仏に頼りたくなるもので。 

 

「……ヤタガラスなら、レッドフェイスも倒せるのでしょうか」

 

 思わず、そう呟いてしまう。

 しまったと思った時にはもう遅く、茜が、鋭い眼差しで百合子を睨み付けてきた。

 

「百合子。それ、どういう意味?」

 

「……ガマスルのように、ヤタガラスならあのレッドフェイス達も倒せるかも知れないと思ったからです。すみません、軽率な発言でした」

 

 問われた百合子は隠さずに本心を答える。茜の気持ちを傷付ける言葉なのは事実。

 しかし他にレッドフェイスが倒せる可能性がないのも事実。

 茜は憎悪と、けれども認めなければならない気持ちなどをない混ぜにした、複雑な表情を浮かべた。そっぽを向いてしまったのは、つまるところ反論がないからだろう。

 

「……まぁ、確かにアイツは強いみたいだからね。ガマスルも大してダメージを負わずに倒したし」

 

「どうかしらね。レッドフェイスは群れだし、知能も高い。意外と苦戦するかも……そもそも来るとは限らないけど」

 

 真綾が言うように、ヤタガラスが来なければただの絵空事だ。そんなのは百合子にも分かっている。

 けれども、来てくれたならまたしばらく町で暮らせるかも知れなくて。友達との時間も、少しは長引かせられるかも知れなくて。

 友人が憎んでいる相手の襲来を期待してしまう自分の浅ましさを呪いながら、百合子は眠り続けるレッドフェイス達を眺めるのだった。



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市街地決戦

 早朝六時十五分。

 冬の終わりも近付いてきた時期だが、日が出ていない今は極寒としか言えない寒さだった。霜も降りていて、地面を踏み締めればシャキシャキと音が聞こえてくる。吐く息は白く、露出している頬や手がじんじんと傷んだ。

 これでも例年と比べれば随分暖かなもので、地元民である百合子は外に出ていても、あまり苦ではない。隣に立つ真綾と茜も同じだろう。そして彼女達以外の、公園で一夜を明かした避難者達も。もしかすると、百合子達の背後に立つ自衛隊員達が一番辛く感じているのかも知れない。

 公園の鉄柵に寄り掛かるようにして眺める百合子達の視線の先には、未だ眠り続けているサル怪獣レッドフェイスの姿がある。夜の寒さは彼等にとっても堪えるのか、昨晩見た時よりも身を縮こまらせているように見えた。爆薬よりも寒さの方が彼等を苦しめるとは、自然とはやはり雄大なもののようである。

 尤も、人類が頼れるのは寒さではなく、爆薬しかないのだが。

 

「防衛省の発表によれば、レッドフェイスの傍に大量の爆薬を設置しているらしいわ。近くの基地に備蓄していたありったけの爆弾らしくて、全部吹っ飛ばせばTNT換算で約三百トンとかなんとか」

 

「それ、どれぐらいの威力なの?」

 

「広島型原爆の五十分の一。まぁ、生物相手に使う分には間違いなく過剰よ。多分普通の怪獣で使う量よりも遥かに多いし、寝ている間に喰らわせれば、流石に倒せる……かも」

 

 曖昧な言い方で終わらせたように、どうやら確証はないらしい。

 レッドフェイスは過去に撃破例がある怪獣だ。その時のデータから必要な爆薬の量を計算し、ありったけの爆薬を使えば倒せると自衛隊は判断したのだろう……そう思うのと同時に、百合子の脳裏には『もしも』が過る。本当は倒せないと思っていて、だけど何もしなければジリ貧で国が滅びるから、一か八かの攻勢に出ているのではないかと――――

 

「……成功、すると良いですね」

 

 百合子にはただ、祈る事しか出来ない。

 真綾が調べた政府発表曰く、作戦は日の出前の午前六時半に行われるという。作戦開始と共に爆破が行われ、ここでレッドフェイスを撃破。これでも倒せなかった個体がいた場合、周囲に展開した五十両の戦車と千名の歩兵、十三機の航空機と十二機の爆撃機、更に海上に展開した二隻の護衛艦からの援護射撃を行うらしい。爆破の時点で十分な傷を与えられる筈なので、その後の通常兵器でも撃破は可能との事だ。また爆撃機は安全のため高度七千メートルを維持し、万一撃破された場合も、高度一万メートルまで上昇して戦闘を継続する。

 話だけなら、悪くない作戦だと百合子は思う。真綾も「一番現実的かも。他の地域にも怪獣は出ているから総力戦なんて出来ないし」と話していた。

 しかし怪獣は、そもそも人智を超えた存在だ。果たして計算通りにいくのか? そんな不安を百合子は抱いたが、時の流れは変わらず。

 スマホの時刻が六時二十分を刺した。そろそろ作戦が始まる頃だし、少しでも安全なテント内に戻った方が良いかも――――と思った、その時の事だった。

 レッドフェイスの一匹が、()()()()()()()()()()

 

「……えっ?」

 

 ただそれだけ。それだけの動作で百合子は顔を青くし、避難者達からどよめきが起きる。背後に居る自衛隊員達も慌ただしく動き出す。

 政府発表のレッドフェイス撃破作戦は、寝ている間の奇襲だから効果的なのだ。起きた時に爆破しても、守りを固められてしまうかも知れない。いや、そもそも動き出したら、恐らくは一番効果的な位置に設置されたであろう爆弾の威力が薄れてしまうではないか。

 これで起きたのが一匹だけなら、作戦を強行しても良かったかも知れない。だが一匹が起きるのと共に、レッドフェイス達は次々に目覚める。中には寝ぼすけもいたようだが、仲間にどつかれて目を覚ます。

 まだ起爆すらしていないのに作戦失敗が確定した。しかし百合子の中には絶望感よりも、疑問の感情が色濃く湧き出す。

 何故レッドフェイス達は目覚めた? まだ日の出すら迎えていないのに。元々この時間に起きているのか、それともレッドフェイス達の傍で作業していたであろう自衛隊員が何かヘマをしたのか――――

 様々な可能性を考える百合子だが、答えは『空』から現れる。

 町中に墜落してきた、戦闘機という形で。

 

「えっ!? い、今のって戦闘機!?」

 

 高速で墜落してきたそれをちゃんと目視出来たのは茜だけ。市街地に突っ込んだ瞬間戦闘機は粉々に砕けながら爆散し、今や炎だけがその痕跡を示しているのだから。

 一機だけでは百合子には何がなんだか分からなかった。

 けれども次があった。続々と戦闘機達が空から落ちてきたのである。中には爆撃機まで落ちてきて、市街地を火の海に変えた。

 爆弾は失敗。戦闘機も墜落。人類側は、まだ何もしていないのに無残な『敗退』を繰り返す。

 けれどもレッドフェイス達に愉悦や余裕の感情は見られない。それどころかどんどん警戒心を強めていく。六匹は立ち上がるや、寝起きの身体に覇気を滾らせていった。

 

【ホォオアアアアオオオオオッ!】

 

 そして一匹のレッドフェイスが、空に向けて吼える。

 大地が震えるほどの雄叫び。彼から何キロも離れた場所にいる筈の百合子ですら、その大声で身体がびりびりと震えるのを感じた。こんなものに勝てる訳がないと、力の差をまざまざと思い知らされる。避難所の人間達の多くが自分を上回る力の存在に恐怖し、腰を抜かすように倒れる者も少なくないほど。子供や女性の悲鳴も聞こえ、混乱が場を支配していた。

 だが、夜明け前の空に浮かぶ『奴』は一切怯まない。

 

【グガアアアゴオオオオオオオオッ!】

 

 それどころか更なる咆哮で、レッドフェイスを威嚇する!

 空から響き渡る大咆哮。レッドフェイスの雄叫びも凄まじかったが、空からの咆哮はそれ以上のもの。圧倒的な大気の震えは、身体が痺れるという域を超えている。

 最早誰もが唖然とするのみ。足腰が砕けようとも、へたり込んでしまおうとも、女子供すらも泣き止み、誰もが声すら上げない。誰もが、恐怖さえも忘れてしまう。

 

「まさか、この声……!」

 

 ただ一人、茜だけが憎しみの感情を抱いていて。

 人々の視線が集まる中、大空から悠然と怪獣――――ヤタガラスが降りてきた。

 

【クルルルルル……】

 

 唸り声を発しながら、ヤタガラスはゆっくりと翼を羽ばたかせながら降下。その周囲を、まるで真っ赤な花吹雪のように何かが幾つも落ちてくる。

 よく見てみれば、それは燃えながら落ちている戦闘機達だった。

 ヤタガラスの攻撃により撃墜されたのだ。しかし自衛隊の攻撃目標はあくまでもレッドフェイスであり、通りすがりのヤタガラスに喧嘩を売るとは百合子には思えない。恐らくはヤタガラスが、自ら積極的に落としたのだ……()()()()()()()()()という記憶を持つが故に。

 人間達の想いと祈りを乗せた決死の作戦は、ただ一匹の怪獣が襲来しただけで破綻した。されど怪獣ヤタガラスは、自分がどれだけの事をしでかしたかなど、興味すらないだろう。その鋭い眼が捉えるのは、地上にいる六匹の怪獣達なのだから。

 

【……ウウゥウウウゥゥ……!】

 

 レッドフェイス達は全身の力を滾らせ、闘志を燃やしていく。数では圧倒的に有利な彼等だが、油断は微塵も見せていない。どうやらヤタガラスの力がどれほどのものか、本能的に察知したらしい。

 歩き出すレッドフェイス達の足下で、小さな爆発が起きる。踏み潰した際の火花で爆発したのか、それとも誤作動でも起こしたのか。いずれにせよレッドフェイス達には傷一つ付かず、彼等は足下の爆発に意識すら向けない。人間の存在など、完全に蚊帳の外だ。

 彼等怪獣達は人間の事など眼中にない。その足下にいる生き物が、この星の支配者だという事に気付いてもいない。人間にとってはあまりにも屈辱的な光景だ。

 或いは、この決戦の舞台の上に自分も上がるのだと意気込んでいた、人間こそが滑稽なのか。

 百合子には、後者のように思えてならない。それほどまでに二種の怪獣の存在感は圧倒的で。

 

【グガアアアアアアアアアアアアアアッ!】

 

【ホォオアオオオオッ!】

 

 自分達の町で激突しようとする怪獣達に、百合子は嫌悪を抱く事が出来ぬまま、その戦いを目の当たりにするのだった。



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一騎当千

【グガアアゴオオオオオッ!】

 

 最初に勢いよく動き出したのは、ヤタガラス。

 大きな翼を羽ばたかせるや、ヤタガラスは猛烈な速さで降下。地上すれすれの位置を飛んで、レッドフェイス達に突撃する。

 これまで見てきたヤタガラスの羽根は淡い虹色の光を放っていたが、日の出前の暗闇の中ではその輝きがなく、ヤタガラスの全体像は漆黒のフォルムと化していた。そのためヤタガラスの姿は極めて見え難い状態だったが……空気の流れと思しき靄を身体に纏い、その存在を示す。

 ヤタガラスはただ飛んでいるだけなのだが、その飛行速度から生じる風は大災害そのもの。通過した場所では家々がオモチャのように舞い上がり、車や電柱が空中でスパークを上げた。あの場に自衛隊員がいたなら……その冥福を祈る他ない。

 そしてヤタガラスは人間の命など気にも留めず、自らの軌跡を残すように直進。そのままレッドフェイス達の群れに、ど真ん中から突っ込む!

 

【ホァオッ!】

 

【ホッホォ!】

 

【オォアッ!】

 

 対するレッドフェイス達は、一匹が指示を出すような声を上げると、二匹が前に出てくる。その二匹は両手を前に突き出し、ヤタガラスを受け止める意志を示した。やはり彼等は互いに意思疎通を行い、戦略的に動けるらしい。

 群れでの行動。人間からすれば恐怖でしかない光景だが、ヤタガラスは止まらない。

 構える二匹のレッドフェイスに対し、ヤタガラスは一切の軌道変更を試みずに激突――――そのまま二匹纏めて押していく!

 

【ホ、ホァッ!?】

 

 これには受け止めたレッドフェイス二匹も困惑。あまりにも圧倒的なパワーに、右往左往している。

 そんな二匹を翼に引っ掛けたまま、ヤタガラスは急浮上。上昇時の爆風で粉塵を巻き上げ、残る四匹のレッドフェイス達を怯ませた。

 大空へと連れて行かれた二匹のレッドフェイスは、ここで自分達がピンチだと気付く。高度は一気に何百メートルにもなり、怪獣達から見てもかなりの高さだ。二匹はすぐさまヤタガラスから離れようとして、

 

【グガァッ!】

 

 しかしその直後、ヤタガラスが一際大きく翼を羽ばたかせた。

 離れようとしていた二匹のレッドフェイスは、当然翼に捕まる事も出来ない。投げ飛ばされるようにレッドフェイス達は放り出され、地上に自由落下以上の速さで落ちていく。

 墜落時の衝撃は凄まじく、数キロ離れていた百合子達にも地面の揺れが伝わってきた。自衛隊の攻撃もものともしなかったレッドフェイス達だが、この高さから落ちると流石に痛いらしい。濛々と巻き上がる粉塵の中で、藻掻くように手足を暴れさせていた。

 

【グガアアァッ!】

 

 ヤタガラスはその苦しむレッドフェイス達の真上に降下。一匹を容赦なく頭を足で掴むと、ギリギリと音が鳴るほどの力で握り締める。

 レッドフェイスは苦しげに暴れた。振り回した手が何度もヤタガラスの足や身体に当たるが、しかしヤタガラスは攻撃を止めようとはしない。このままその頭を握り潰すつもりのようだ。

 仲間を助けようとしてか、捕まらなかった方のレッドフェイスがヤタガラスの身体を殴るが、こちらもヤタガラスは気にも留めない。精々鬱陶しげな眼差しを送るだけであり、レッドフェイスの攻撃は殆ど通じていないようだった。その間もヤタガラスの足は力を増し、レッドフェイスの頭が微かに変形し始めた

 

【ホオオアアアオオッ!】

 

 直後、一匹のレッドフェイスが高く跳び上がりながらヤタガラスに迫る!

 ヤタガラスに挑むのは、仲間達に指示を出していたリーダー格らしき個体だ。振り上げた拳は硬く握り締めており、拳を作っている。ギラギラと燃える眼差しは闘志に溢れ、自分より間違いなく強い筈のヤタガラスを一切恐れていない。

 レッドフェイスはヤタガラスとの距離が縮まったタイミングで、鉄拳を繰り出す。拳の狙いは頭。強力な一撃が、ヤタガラスの脳天に打ち込まれた。

 するとヤタガラスは僅かに顔を顰め、掴んでいたレッドフェイスを放してしまう。

 

【ホ、ホォアアッ!?】

 

 自由になったレッドフェイスは大急ぎでヤタガラスから離れる。折角一匹目を仕留められるところだったのに、邪魔された格好になったヤタガラス。だが、彼はもう逃げるレッドフェイスなど見ていない。

 自分の行動を『邪魔』したレッドフェイスに、鋭い眼差しを向けていた。

 リーダー格らしきレッドフェイスは、更にもう一発の拳を振るう。ケダモノらしい大雑把で、それ故にパワフルな一撃はまたしてもヤタガラスの頭を打つ。

 此度も強烈な打撃だったらしく、ヤタガラスは僅かに仰け反った。とはいえダメージとしてはその程度でしかなく、元の体勢に戻った時、ヤタガラスの目は怒りで激しく燃えていた。

 反撃とばかりに繰り出したのは、巨大な翼だ。

 翼の一撃はレッドフェイスを大きく突き飛ばした。拳の一撃でヤタガラスを仰け反らせたリーダー格の個体だが、やはりパワーではヤタガラスの方が上らしい。ただ一発の翼で二回ほど転がってから、ようやく体勢を立て直す。

 リーダ格の個体の周りに、すぐに他のレッドフェイス達が集まる。司令塔を守ろうとしているようだ。けれどもヤタガラスはそんな彼等の努力を嘲笑うように、今度は空も飛ばずに大地を駆けてくる。好機とばかりにレッドフェイス五匹が跳び付くも、翼にしがみついた個体は翼ごと地面に叩き付けられ、足にしがみついた個体は呆気なく持ち上げられて踏み付けられる。胴体や背中に掴まった個体など、存在すら無視されていた。

 

【ガアッ!】

 

【ゴフォアッ!?】

 

 ヤタガラスは最後まで止まらず、リーダー格の個体まで猛進。全身を押さえ付けられている事など無意味だと言わんばかりに、強烈な蹴りでリーダー格を突き飛ばす! リーダー格はまた吹っ飛ばされ、市街地に土煙が上がる。

 ガマスルよりは善戦しているようだが、レッドフェイスは明らかに苦戦している。ヤタガラスの暴挙は止まらず、六匹の群れは蹂躙される格好だ。様々な種類がいる怪獣。戦いの得手不得手があるのは仕方ないとしても、ヤタガラスはあまりにも強過ぎる。レッドフェイス達が、まるで赤子のようだった。

 

「……やっぱり、数だけじゃダメか……」

 

 レッドフェイス達がヤタガラスを倒してくれると、少しは期待していたのだろうか。茜はぼつりと、悔しげに呟く。

 百合子も、殆ど勝負は決したと思った。六匹のレッドフェイスは一回一回の攻撃で傷を負っているが、ヤタガラスは未だ無傷。しかもレッドフェイスは渾身の力で戦ってるのに対し、ヤタガラスは動きに余裕を感じさせた。数で圧倒しているレッドフェイス達だが、スタミナ勝負に持ち込んでも勝てそうにない。

 今はまだ六匹で協力しているので『善戦』出来ているが、一匹でもやられたなら状況は一気に悪くなるだろう。そして戦いが始まって一分も経たずに一匹失いかけた辺り、そうなるのにさして時間は掛かるまい。

 この対決もヤタガラスが勝つのだろう。茜だけでなく、百合子もそう思い始めた。

 

「……妙ね」

 

 ただ一人、真綾だけが疑問を呈す。

 

「妙って、何が?」

 

「レッドフェイス達のリーダーよ。あの個体だけ、なんでヤタガラスに攻撃が通じたの?」

 

「え? そりゃあ、他の奴よりも力が強いからで……」

 

「見た目、同じ大きさなのに?」

 

 真綾の疑問に茜は答えたが、更なる疑問でその口は閉じる。百合子も、茜と同じく何も言えない。

 レッドフェイス六匹は体長はどれもほぼ同じ、六十メートルほどだ。多少の違いはあるとしても、少なくともパッと見で分かるような差ではない。

 怪獣は身体が大きくなるほど、力もどんどん大きくなる。逆に言えば、身体のサイズが同じなら互角の力の筈なのだ。個体により多少筋肉の量が違うにしても、ヤタガラス相手に鬱陶しがられる程度の力と、仰け反らせるほどの差が生じるとは考え辛い。

 言われてみれば確かに奇妙だ。百合子は抱いた違和感に突き動かされるように、ヤタガラスとレッドフェイスの戦いに目を向ける。

 

【ボギャアッ!?】

 

 まるでそんな百合子に見せ付けるかのように、ヤタガラスは足にしがみついていた一匹のレッドフェイスを蹴飛ばした。蹴られたレッドフェイスは何百メートルと飛ばされ、市街地を激しく転げ回る。

 翼に掴まっていたレッドフェイス二匹も、何度も振り回された事でついに力尽きたのか。投げ飛ばされてしまった。マンションなビルに激突し、瓦礫と粉塵の下にレッドフェイス達は埋もれてしまう。

 残るは胴体にしがみついていた一匹。

 

【ガアアッ!】

 

【ゴハォアッ!?】

 

 残る一匹に対しヤタガラスは膝蹴りをお見舞いする。鳩尾に入った一撃でレッドフェイスは大きく呻き、僅かに離れた隙を突いてヤタガラスは二度目の蹴りを放つ。

 鳩尾の痛みで力が入らなかったであろうレッドフェイスは、そのまま膝を付いてしまった。ヤタガラスはこのチャンスを見逃さない。容赦なく背中を踏み付け、レッドフェイスを地面に這いつくばらせる。

 立ち上がろうとするレッドフェイスの頭を、ヤタガラスは足の爪でがっちりと掴んだ。その時、地平線が眩く輝く。どうやら夜明けの時間を迎えたらしい。

 

【……………】

 

 段々と周囲が明るくなる中、ヤタガラスはしばし地平線の太陽を見つめていた。尤もそれは僅かな時間の事柄だ。太陽を見ていた眼差しは、すぐに自分が踏み付けているレッドフェイスに戻す。

 次いでヤタガラスは、大きく自らの翼を振り上げた。

 直後、ヤタガラスの翼の縁 ― 具体的には腕の骨があるだろう部分 ― が煌々と輝き始める。戦いの推移を見守っていた人々から、困惑によるであろうどよめきが起きた。しかし百合子達三人は息を飲むだけ。何故なら過去に一度、その攻撃は目にしているからだ。

 光り輝く翼による切断攻撃だ。

 ガマスルさえも容易く一刀両断にした技。群れではあっても、レッドフェイス一匹の大きさはガマスルよりも小さい。この技に耐えられる道理はないだろう。

 そろそろ一匹リタイアか。そう思った時だ。

 

【ホオォオオオオアアアアアッ!】

 

 レッドフェイスの一匹が、猛々しい咆哮と共に突撃してくる!

 勇猛果敢なその個体は、恐らくはリーダー格の個体。いきなりの大声を不快に思ったのだろうか、はたまた司令塔を潰せば残りは烏合の衆になると読んでの事か。いずれにせよヤタガラスは振り上げた翼の狙いを、足下の個体からリーダー格へと変更。

 光の軌跡を描きながら、凄まじい速さで翼を振るった。

 

【ァアオッ!】

 

 ところがリーダーは、この翼に反応。素早く両手を構えるや、なんと翼の根本を掴んだ。

 翼は全てが光り輝いていた訳ではない。あくまでも刃のように振った時相手を斬りつけるであろう側の一部だけ。根本の方に光はなく、そこは素手で掴んでもレッドフェイスを傷付ける事はなかった。

 しかもリーダー格の個体は、そこから素早く手を動かし、翼の内側、風切り羽などが伸びている方を掴むと、なんと持ち上げてしまった。もう片方の翼も掴み、両手でヤタガラスの翼を持つ。

 奇妙な事に、ヤタガラスは掴んだリーダー格を怪力で叩き伏せる事が出来ていない。いや、今までならば翼を掴まれたところで、持ち上げられる……動きを変えられるなんて事はなかった。ヤタガラスの身に何が起きたのか。或いは体長七十メートル近いレッドフェイスのリーダー格の本気がこれなのか――――

 

「……あ、れ?」

 

 激戦を眺めていた百合子だったが、こてんと首を傾げてしまう。

 リーダー格の体長は、七十メートル近く。

 恐らく間違いない。六十メートルほどのヤタガラスの傍にいて、そこから十メートルぐらい高いのだ。間違いない。間違いないが、()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。他の仲間と同じ、六十メートル級の身体だったと記憶している。

 自分が今まで勘違いしていたのだろうか? 百合子の考えるもしもは、傍に居る茜と真綾の顔から、違うと判断した。友達二人も、レッドフェイスとヤタガラスの体格差に違和感を抱いている。

 何か、異様な事が起きている。

 その予感が正しい事を、百合子は自らの目で知る事となった。



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拮抗する群勢

【ホ、ォ、オオァオオオ……!】

 

 唸るような声。

 その声と合わせるように、レッドフェイスのリーダー格の身体がメキメキと音を鳴らす。腕の筋肉が目に見えて膨れ上がり、足の長さが急速に増していく。肩幅と筋肉も目視可能な速さで膨れ上がり、更に背中からは、まるで背ビレのような小さな突起物が生えてきた。代わりとばかりに胴体の体毛はパラパラと抜け始め、今まで隠れていた胸筋が露わとなる。

 今までレッドフェイス達は猿らしく四足で動き回り、それに向いた身体付きをしていた。だがリーダー格の身体は、骨格レベルで変化したのではないかと思うほど変貌。二足歩行に適した形となっている。猿というよりも、最早これは巨人だ。

 時間にしてほんの三十秒程度だろうか。それは身体の成長を考える上では、考慮すら必要ないような時間だったが……その常識をレッドフェイスのリーダー格は打ち破る。もう、今の彼はかつての面影すら残していない。

 体長九十メートルという途方もなく巨大な、史上最大の怪獣となったのだから。組み合っているヤタガラスが小さく見えるほどの巨躯が放つ圧倒的パワーを、この場にいる『全員』がひしひしと感じていた。

 

「な、何よあれ!? せ、成長したの!?」

 

「まさか、アレが怪獣がこれまで見付からなかった理由……!? 急速な成長を遂げるから、事前の発見が難しい。それに形態の変化も著しい……!」

 

 成長に対する驚きは百合子だけでなく、茜達、そして共に見ていた避難者達も同じ。真綾は何かを考えていたが、百合子にはそれについて尋ねる余裕がない。

 六十メートルの体躯では押されていたレッドフェイス達。リーダー格は体重こそあったかも知れないが、ぎゅうぎゅうに肉を詰め込まれた身体は窮屈で戦い難かっただろう。それが九十メートルもの巨躯になれば、さぞや大きな力を発揮するに違いない。しかも直立二足歩行となった事で、より肉弾戦に向いた身体付きと化した筈だ。

 たった三分の二の体躯しかないヤタガラスに、果たして勝機などあるのだろうか? もしも百合子がヤタガラスの立場なら、今頃きっと心が折れて、無様な逃げ姿を晒していただろう。

 

【グ、グガ……ガアアアアアァァァッ!】

 

 されどヤタガラスは臆さず、逃げるどころか雄叫びと共に渾身の力を込めて前へと進む!

 すると九十メートルもの巨体を誇るリーダー格の身体が、ずるずると後退を始めたではないか。リーダー格は表情を引き締めて立ち向かう、が、ヤタガラスの動きは止まらない。むしろどんどん押し出す力は加速していく。リーダー格の個体が苦悶の表情を浮かべ、全身の筋肉をはち切れんばかりに膨らませても、ヤタガラスは決して止まらない。

 ついにヤタガラスはリーダー格の個体の身体を、翼の力で押し倒す。

 転倒したリーダー格に対し、ヤタガラスは今までと明らかに気迫が違う、全力の蹴りを放った。リーダー格の個体の巨体がごろんと、マンションや住宅を叩き潰しながら横転。更に体勢を崩される。

 一・五倍の体格差は、ヤタガラスに迫るほどのパワーを生み出した。しかしあくまで迫るだけ。未だヤタガラスの力は、レッドフェイスの親玉を上回っているのだ。

 自分より大きな相手の身体を押すだけでも大変なのに、圧倒する相手との力比べに勝つとは。ヤタガラスの怪力はどれほどの強さなのかと、見ていた百合子は驚きを通り越して呆気に取られてしまう。しかも決して無理した訳ではないようで、ヤタガラスは息すら乱していない。持久戦に持ち込んでもこのパワーが衰える事はないだろう。もしも一対一の戦いだったならば、やはりレッドフェイスに勝ち目はなかった筈だ。

 だが、レッドフェイス達は群れだ。リーダー格の個体は、あくまでも六体の中の一匹に過ぎない。

 

【ホアァッ!】

 

【ホゥオオオオッ!】

 

 残る五体のレッドフェイスが、ヤタガラスに背後から跳び付く! 翼や足にしがみつく事で、その動きの邪魔をしようとした。

 転ばしたリーダー格への追撃を妨げられたヤタガラスは、しかし有象無象に構うつもりはないらしい。精々翼を羽ばたかせてしがみつくレッドフェイスを住宅地に叩き付ける程度で、どんどんリーダー格に接近する。だが群れるレッドフェイス達は執念深くヤタガラスにしがみつき、とことん動きの邪魔をした。

 特に良い働きをしたのは、ヤタガラスの顔に抱き着いた個体だ。狙ったかどうかは分からないが、しがみつき直した際に腕が目隠しとなったのである。

 

【グガッ!? ガ、グガァ!】

 

 流石のヤタガラスも前が見えなくては戦えない。殴られてもしがみつかれようとも取り乱さなかったヤタガラスは、頭にしがみついた個体を落とそうと激しく翼を振るう。それでも離れないと、頭を左右に振ったが、これでもまだ頭にしがみついたレッドフェイスは離れない。

 

【ホォオオアッ!】

 

 その隙に体勢を立て直したリーダー格が拳を放つ! 拳といっても大きく振り上げた手を高速で下ろすだけのサル技。しかし巨大さ(質量)と速度から生み出されるパワーは圧倒的だ。

 鉄拳はヤタガラスの顔面に命中。押し負かしたとはいえ、ある程度拮抗した力の相手からの攻撃だ。更に巨大化と共に増大したであろうパワーに加え、二足歩行に適した体躯は、より腕を振り回すのに向いた構造となっている。此度の一撃の威力は今までの比ではなく、打撃をもらったヤタガラスは大きく仰け反り、口から唾液が溢れる。

 大きな攻撃をもらったヤタガラスは反撃に蹴りと翼を繰り出すが、相変わらずの目隠し状態だ。攻撃の精度は壊滅的で、リーダー格は難なく距離を取る。むしろ攻撃の隙を突かれ、またしても頭を殴られた。

 ヤタガラスは怒りを露わにしながら転がるように暴れ、頭と翼にしがみついたレッドフェイスを振り解く。起き上がったヤタガラスは大きく翼を広げ、刀のように振り下ろしてリーダー格を攻撃。しかし距離があってこれも当たらず、地面に深い溝を作っただけで終わる。

 リーダー格はまたしても拳を振るう。これはヤタガラスも翼を構え、盾のようにして受け止めた。続いて翼を動かせば、リーダー格は拳ごと押し出され、何百メートルと転がされていく。翼のパワーは相当のものらしく、中々リーダー格は体勢を立て直せない。

 このチャンスに追撃を仕掛けようとするヤタガラスだったが……ここでもレッドフェイス五匹が邪魔に入る。足や翼に纏わり付いて、チャンスを潰してきた。

 ヤタガラスは翼を振るい、そこにしがみつくレッドフェイスを傍のマンションに叩き付ける。足下の奴も蹴飛ばし、顔面から踏み付けた。どれも決して弱くない攻撃だが、けれどもレッドフェイス達は離れない。痛みに苦しもうとも、どれだけ力の差を見せ付けられようとも、顔から血が流れようとも、決して臆さない。

 

【ォアッ!】

 

 きっと自分達のリーダーが助けに来てくれると、信じているのだ。

 最早獣というよりもアスリートのように、二足走行でリーダー格は突進。ヤタガラスの胸部目掛けて体当たりをぶちかます! 全速力の突進を胸に受けて、流石のヤタガラスも呻くように口を開いた。

 その開いた口を閉じさせるように、ヤタガラスの頭のてっぺんをリーダー格の鉄拳が打つ! ヤタガラスはすぐに顔を上げたが、そこに追い打ちの二撃目。僅かに、ヤタガラスの頭がふらふらと揺れる。

 間違いなく、ヤタガラスの身体にはダメージが蓄積していた。

 

【ガァアアゴオオオアアアアアアアッ!】

 

 ヤタガラスの方も自分のダメージは自覚したのか。焦りこそないが、苛立ちを露わにするような雄叫びを上げる。

 或いは、気合いを入れ直したのかも知れない。ヤタガラスは雄叫びの後、その翼を、まるで飛ぶかのように羽ばたかせた。すると彼の身体は浮かび上がり、更に横向きに一回転。遠心力により纏わり付くレッドフェイス五匹を振り払う。

 自由を取り戻したヤタガラスは、肉薄したリーダー格に蹴りを放つ。腹に打ち込まれたそれは、衝突時に白い靄……衝撃波が生じるほどのパワーを有していた。しかしリーダー格の腹は分厚い筋肉に覆われていて、ヤタガラス自慢の蹴りも受け止めてしまう。受け止めるといっても攻撃を難なく耐えた訳ではなく、リーダーは数百メートルと吹っ飛ばされたが、大したダメージは負っていない様子。すぐに立ち上がり、ヤタガラスを見据えた。

 高速回転で振り払われた五匹のレッドフェイス達は、リーダー格の傍に集結。リーダー格の個体は悠然とした立ち姿で、ヤタガラスと正面から向き合う。ヤタガラスもぶるりと身体を揺さぶり、気持ちと身体のダメージを一新させたのか。いくらか落ち着きを取り戻した佇まいで、こちらもリーダー格の個体を睨み付ける。

 戦いは一度止まり、互いに睨み合う。距離はざっと五百メートルは離れているだろうか。だが六十メートル超えの彼等にとっては、ちょっと駆け出せば肉薄出来る程度の間隔でしかない。緊張感は途切れず、どちらも闘志を燃やし続ける。

 息を吐けたのは、外野からその戦いを見ていた人間達だけ。

 やはりヤタガラスの強さは圧倒的だと、戦いを目にしていた百合子は思う。リーダー格との体格差をものともせず、六対一という数の不利すら蹴散らす。正に最強の怪獣と言っていいほどの強さだ。一対一ならば、きっとどんな怪獣もあっさりと倒すだろう。

 しかしレッドフェイスのリーダー格も負けてはいない。劣りはすれども拮抗するだけのパワーを持ち、仲間達との共闘でヤタガラスと互角にやり合っている。他の五体も怪我こそしているがまだまだ戦える様子であり、リーダーの頼もしさのお陰か士気も高そうだ。ヤタガラスとまともにやり合う事は出来ずとも、先の目隠しのような方法で援護面では十分活躍するだろう。リーダー格がその援護を受ければ、総合的な『戦闘力』がどれほどのものになるか、百合子には想像も付かない。

 百合子は喧嘩や格闘技に詳しい訳ではない。それでも、直感的に判断するなら……チームで戦っているレッドフェイスの方が有利なように思えた。社会性生物である人間としての贔屓目もあるかも知れないが、そう思わせる程度には奮闘している。

 もしかすると、本当にレッドフェイスが勝つのではないか――――

 

「ん……何……?」

 

 その予感を抱く百合子だったが、それを一番期待しているであろう茜が、疑問の声を漏らした。

 茜が何に違和感を持ったのか、百合子にもすぐに分かった。いや、違和感ではなく混乱と言うべきかも知れない。それが何を意味するのか、百合子には全く分からないのだ。

 ヤタガラスが、大きく翼を広げたポーズを取った事の意味が……



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真の怪獣

 気付けば、朝日は高く昇っていた。

 その朝日を背に受けながら、ヤタガラスは翼を左右に広げる。背筋をぴんっと伸ばし、悠然と光の中に佇む姿は、ある種の美しさすら感じさせた。夜の中では黒一色だった羽毛が日の光を浴びて虹色に輝き出しており、その煌めきもヤタガラスの美しさを引き立てる。

 だが、その姿勢の意味が百合子には分からない。

 動物達は体温を調整するために日向ぼっこをするというが、まさかそれなのだろうか? ぽっと浮かんできた発想は、すぐに理性が否定する。命懸けの戦いの中、いきなり日向ぼっこをするなんてあり得ない。大体あれだけ激しく戦っていたのだから、むしろ体温は必要以上に高いぐらいの筈だ。

 では逆に冷却のつもりか? しかしそうだとしても、やはり戦いの最中、いきなりやるものではないだろう。ガマスルの時ぐらい余裕ならば兎も角、ダメージを与えてきた敵の前でそこまでのんびりするなど考えられない。

 百合子のみならず、人間達は誰もその行動の意味が分からない。いや、人間のみならず怪獣にとっても意味不明なようだ。レッドフェイス達もヤタガラスを見つめながら、表情が人間のように困惑している。

 ただ、怪獣達はただ唖然とするだけではなく、警戒もしているようだ。

 

【……フォオゥッ!】

 

 レッドフェイスのリーダー格が一声上げると、五体は四方へと拡散する。リーダー格は真正面から突撃した。

 そして拡散した五体のレッドフェイスは、それぞれ距離を詰めていった。包囲網を敷き、タコ殴りにするつもりなのか。シンプルながら有効な作戦だ。これだけで止めを刺せるとは思えないが、ダメージを蓄積させればいずれは……

 百合子がそう思ったように、レッドフェイス達もそう思ったのかも知れない。現実で、知的で、堅実であるが故に。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

【……………】

 

 ヤタガラスは沈黙したまま、横から迫るレッドフェイスの一匹に視線を向けた。

 そのレッドフェイスはヤタガラスから三百メートルは離れた距離にいる。リーダー格と比べればずっと小柄とはいえ、六十メートルの巨体は凄まじい速さで突進していた。踏み潰された住宅の瓦礫が埃のように舞い、粉塵がその軌跡をなぞる。

 人間では止める事など叶わない、そう感じさせるパワーの塊を見つめながら、ヤタガラスは広げた翼の先をそっと差し向けた

 次の瞬間、閃光と爆音が辺りに轟く。

 光のあまりの眩さに、離れていた百合子達人間は思わず仰け反る。しかしそれ以上に人間達を怯ませたのは爆音の方。雷鳴など比にならない、空間を引き裂くかの如く音色が轟く。

 この光景に百合子が少し仰け反るだけで目も閉じなかったのは、驚き過ぎてろくな動きが出来なかったというだけ。少しでも反応出来た人々は、ひっくり返るなり腕を顔の前で構えるなり、身を守ろうとしていた。ハッキリ言えば百合子は全くののろまであった。

 故に、百合子だけが目撃する。

 突撃していたレッドフェイスが()()()()に吹き飛んだ瞬間を。ヤタガラスからまだ二百メートルは離れていたのに。

 いや、それだけならば風で吹き飛ばされたとも思えただろう。だが、後ろに吹き飛ぶレッドフェイスの胸部はぶくぶくと膨れ上がり――――

 血肉と爆炎を撒き散らしながら、胸部を『爆発』させた。

 

「……え?」

 

 目の前で起きた光景。瞬きする事もなく見ていた筈の百合子は、されど呆けたように声を漏らす。

 ()()()()()()()を見ていた百合子ですらこうなのだ。避難所に居た人間は、避難者も自衛隊も問わず固まっていた。それどころかヤタガラスに迫っていたレッドフェイス達も、その歩みを止めてしまう。

 胸が爆発したレッドフェイスは、まだ頭は生きていた。尤も最早虫の息。手足はぴくぴくと痙攣し、弾けた胸部から飛び出した贓物は鉄板焼きでもしたかのように生々しい音を鳴らす。けれどもレッドフェイスの顔に浮かぶのは苦悶や恐怖ではなく、困惑一色に染まっていた。それは、痙攣が止まってからも変わらずに。

 殺された側すらも、何をされたか分からない。誰一人として状況が理解出来ない中で、唯一冷静さを崩さないのはヤタガラス。

 残る五匹のレッドフェイスのうち、恐らくは一番近くに居たであろう個体に翼の先を向けた。リーダー格ではない、五匹の(今ではもう四匹しかいない)レッドフェイスのうちの一匹は、恐らくは直感的に危険を察知したのだろう。これまで従順に守り続けていたリーダー格の指示を無視して、背を向けて逃げ出そうとした。

 だが、ヤタガラスは逃さない。

 

【……グァッ!】

 

 短く、されど力強い鳴き声。

 それを合図とするように、ヤタガラスの翼の先から()()()()が走る!

 爆音と共に進む光は、一瞬にして逃げようとしたレッドフェイスの頭を貫通。ぼこりとレッドフェイスの頭は膨らんだのも束の間、爆炎を上げて弾け飛んだ。司令塔を失った頭は数歩走るもバランスを崩して転倒。ごろごろと転がり、町の残骸を吹き飛ばす。

 

【グァアァ……!】

 

 まるで当たった事を喜ぶように、ヤタガラスは軽やかな声で鳴く。

 しかしまた仲間を失ったレッドフェイス達は、完全に硬直していた。何が起きたのかまるで分かっていない。

 人間達も同じである。二回目であれば爆音と閃光に慣れた人もそこそこいる筈であり、だからこそ『それ』を目にした人も少なくないだろう。けれども一人として理性的な振る舞いは見せていない。全員が、呆けたように立ち尽くすのみ。

 多少なりと思考を巡らせられたのは、二度目の目撃者である百合子だけ。その百合子もしばしの間頭が真っ白になり、ろくな考えが浮かばない有り様だったが。

 

「(え? まさか……()()()()?)」

 

 ようやく過ぎったのは、そんな間抜けな言葉だけ。

 怪獣といえば口からレーザー。子供でも知ってるお約束だ。大怪獣ヤタガラスが撃てたとしてもなんは不思議ではないだろう。

 ……そんな訳がない。

 怪獣だって生物だ。生物はレーザーなんて吐かない、いや、吐いてはいけない。レーザーというものは、人類だって大変な工学技術を使わねば成し遂げられないものなのだから。

 されど『怪獣』とは、人智のうちに収まるものなのか?

 

「(ああ、そうなんだ……)」

 

 百合子は全てを理解した。

 これまで無数に現れ、人類社会を脅かしている巨大生物達。恐るべき存在である彼等も、銃で撃てば血が流れ、ミサイルを撃たれれば死ぬ。そんなのは『怪獣』ではなく、ただのデカい動物だ。最近になってようやく死ななくなりつつあったが……紛い物に過ぎない。

 ヤタガラスは違う。他の怪獣と変わらぬ大きさでありながら、圧倒的に強く、体格差などものともしない。「大きいほど強い」という人が見付けた法則を嘲笑い、原理不能な怪光線で怪獣もどき共を撃ち殺す。傍若無人で摩訶不思議。怪獣に必要な要素をしかと揃えたヤタガラスこそが、真の怪獣なのだ。

 怪獣に至れなかった獣達に、ヤタガラスは超えられない。

 

【ホ、ホゥオ――――】

 

 リーダー格の個体が叫ぼうとする。ヤタガラスに背を向けて走り出した事で、逃げようとしているのは明らかだった。

 他のレッドフェイス達も同じだ。果たしてそれは指示通りなのか、それとも指示を無視した結果なのか。残る三匹も逃げるために走り出す。突進時でも見られなかった、全力全開のダッシュ。人間達の家は蹴散らされ、マンションなどは邪魔だとばかりに体当たりで砕かれた。

 唯一動かないのはヤタガラスのみ。いや、動く必要すらないのだ。

 見える範囲全てが、ヤタガラスの射程内なのだから。

 

【グガアアアァッ!】

 

 咆哮と共に翼から放つは強大のレーザー。朝日の照らす世界を塗り潰すほどの、真っ白な輝きが町を包み込む。

 極大レーザーはレッドフェイスの一匹を貫くだけでは飽き足らず、容易くその身体を横に真っ二つにしてしまう。下半身と上半身が離れ離れになったのも束の間、断面が爆発を起こし、頭以外の身体がバラバラになった。

 だがヤタガラスの翼から放たれるレーザーはまだ止まらない。放たれ続ける光の濁流は市街地を薙ぐように振るわれる。レーザーを受けた大地は赤く赤色した次の瞬間、まるで爆薬でも仕込んでいたかのように爆発。五万人が暮らしていた都市を一瞬で炎で満たす。ついでとばかりに逃げるレッドフェイスの一匹も巻き込み、爆炎の一つに変えてしまう。

 燃え盛る炎を前にして、レッドフェイスの一匹がこけた。もうその身体は炎なんて怖くない筈だが、本能的な行動なのかも知れない。走れなくなったその個体は這いずりながらも逃げようとして、けれどもヤタガラスのレーザーが縦一閃に走る。身体が左右に裂けて、苦しむ間もなく弾け飛ぶ。

 残るはリーダー格のみ。

 いいや、ヤタガラスはリーダー格だけを残したのだ。

 

【グガアアアァァッ!】

 

 何故ならリーダー以外の全てを殺したヤタガラスは、翼を広げて、逃げるリーダーを追い始めたのだから。

 

【ホ、ホァアオッ!?】

 

 追われていると気付いたリーダー格は、悲鳴染みた声を出す。彼は気付いてしまったのだ。本当の怪獣にはどんな事をしても勝てないと。逃げるしか助かる道がないのだと。

 そしてヤタガラスは自分を見逃してくれる気など、微塵もないのだと。

 

【ガアァッ!】

 

 ヤタガラスはリーダー格の背中に足蹴を一つ。衝撃で倒れたリーダー格は、背中に乗ったヤタガラスに対し怯えるような身を縮こまらせた。

 ヤタガラスは哀れな怪獣に、慈悲の一つも掛けやしない。何度も何度も、頭目掛けて蹴りを放つ。蹴られた衝撃でリーダー格の頭の体毛や血肉が飛び、元々赤い顔が真紅に染まっていく。今までならここで仲間達が助けてくれただろう。だが、もうその仲間達はいない。

 執拗で無慈悲な打撃は、人間達を恐怖に陥れる。自分達は襲われていない、むしろ町を占拠した怪獣を倒してくれているのに、誰もが身体を震わせる。中には恐怖からか、失神してしまう者まで現れた。

 ヤタガラスの一方的な暴虐はほんの一分ほどだけ行われた。その一分で、レッドフェイスのリーダー格はもう青息吐息といった様子になっている。散々嬲られ、最早抵抗も出来ない有り様。しかしヤタガラスはなんの躊躇いもなく、リーダー格の頭を足でがっちりと掴んだ。それから無理やり頭の向きを曲げていく。口からどろどろと血を吐くリーダー格には、もう藻掻く力すら残されていない。

 べキリッと、百合子達まで届く音を鳴らして、リーダー格の首が折れた。ヤタガラスは掴んでいた頭を放し、それから改めて頭を二度ほど踏み付ける。念入りに、死んだふりなど許さないとばかりに。

 これでもぴくりとも動かないと分かれば、ヤタガラスの攻撃もようやく終わり。

 

【グガアアアアゴオオオオオオオオオッ!】

 

 世界を震わせるほどの大声で、怪獣ヤタガラスは勝利を宣言するのだった。



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変化する世界

 誰もが言葉を失っていた。

 恐怖も、絶望も、憎しみさえも、人々の中から消えている。真の怪獣が誰なのか、怪獣とはなんなのか。それをこの場に居る全ての人が理解したのだ。

 ヤタガラス。

 数多いる怪獣達の一匹としか思われていなかったそれこそが、世界で唯一の怪獣だったのだ。

 

【グガッガァアァー】

 

 尤も、当のヤタガラスは人間達の気持ちなど歯牙にもかけず。嬉しそうな鳴き声を発しながら、自分が仕留めたレッドフェイスのリーダー格の身体に嘴を突き立てた。それから容赦なく、その身体を引き裂き、内臓を啄んでいく。

 やはりと言うべきか、ヤタガラスはレッドフェイス達を食べるために襲ったようだ。ただ思いの外強敵だったのだろう。邪魔な子分達はレーザーで一掃し、狙っていたリーダー格だけは、美味しい肉が燃えないよう素手で倒した……と、百合子はヤタガラスの気持ちを想像してみる。勿論ヤタガラス当人でもなければ、専門家でもなんでもない身からの意見だが、恐らくそこまで外れてはいないだろうと思った。

 ヤタガラスの周りではレーザーによって生じた爆炎 ― そういえば何故レーザーで爆発が起きたのかと百合子は疑問に思う。レーザーとは光エネルギーであり、爆発など起きない筈だが ― により燃えていたが、元凶であるヤタガラスは炎など気にも留めていない様子。実際自衛隊の攻撃をものともしない身体は火が付いても燃えたり焦げたりせず、燃えている木材を踏み付けている足も無傷だ。

 そしてヤタガラスは悠然と、嬉しそうにその肉を貪り食う。内臓を楽しげに引きずり出す姿は狂気のそれだが、やっている事は美味なるものを口に含んだだけ。怪獣も生きている以上食事が必要であり、本能を満たす活動故に楽しいものなのだろう。

 ならば人間の諺である「食い物の恨みは恐ろしい」も、人智を超えるヤタガラスであろうとも使えるかも知れない。

 そう考えれば――――食事中のヤタガラスの頭上に爆弾を投下していく事が如何に愚かしい行為なのかは分かりきっているだろうに。

 

【グガ?】

 

 落ちてきた爆弾はヤタガラスの頭や翼、そして周りに着弾。爆弾の直撃自体は、ガゴンッという鈍い音を鳴らしただけで、ヤタガラスをキョトンとさせる程度の効果しかなかったが……その後起きた爆発は凄まじく、衝撃波が遠く離れた百合子達をも突き飛ばすほどだった。恐らく、本当はレッドフェイス達をぶっ飛ばすための爆弾だったのだろう。

 尤もこれすらもヤタガラスには通じず。濛々と立ち昇る爆炎が晴れると、ヤタガラスは無傷の姿でそこに立っていた。精々羽根がちょっと煤けた程度である。

 しかしヤタガラスが啄んでいたレッドフェイスの亡骸はそうもいかない。爆発で跡形もなく消し飛んだ……とまではいかずとも、かなり激しく損傷していた。特に剥き出しの内臓は酷いもので、ヤタガラスが食べるために引きずり出した部分は全て炭化している。研究サンプルとしてならまだしも、『食べ物』としてはもう使いようがないだろう。

 ヤタガラスが微妙に物悲しそうな顔になる気持ちは、ちょっとだけ百合子にも理解出来た。そしてその気持ちが怒りへと移り変わるのも、予想が出来る。

 

【……………】

 

 かつてないほど激しい怒りを滾らせ、無言のままヤタガラスが見上げた先は大空。

 空に浮かぶ五機の飛行機が『犯人』だというのは、ヤタガラスの聡明な頭脳を以てすれば容易く見破れる事のようだった。

 

【グッ、ガアアアアアアァ!】

 

 激しい怒りの咆哮と共に、ヤタガラスは大空へと飛び立つ。レッドフェイス達に突撃した時よりも明らかに上だと分かる速さは、巨大な衝撃波を四方八方にばら撒く。瓦礫と灰の山と化していた市街地は、この衝撃波で更地に変えられてしまう。仕留めたレッドフェイスの亡骸も、ばらばらと崩れるように吹き飛んだ。

 しかしヤタガラスは最早獲物すら眼中になし。一直線に大空へと向かい、その姿を百合子達の前から消した。飛行機音のような爆音だけが、何時までも空から地上に降り注いでくるのみ。

 ヤタガラスが地上に戻ってくる気配はなかった。

 

「……戦闘機が、引き離してくれたって事?」

 

 先の成り行きを見ていた茜が、疑問混じりの言葉を発す。

 確かにヤタガラスも立派な怪獣であり、ただ通るだけで ― 茜の姉のように ― 多くの人命を奪う厄災だ。市街地から引き離すという意図自体は、助けてもらう側である百合子からすると実にありがたい。

 しかしながらヤタガラスは、獲物を食べ終わるとさっさと何処かに行ってしまう事が多い。日本どころか中国や韓国でも見られたように、兎にも角にも動き回る。わざわざ攻撃して怒りを買わずとも放置すれば立ち去る筈だ。しかもヤタガラスは戦闘機を落とせる怪獣である。貴重な航空戦力の損失を許容してまで、どうして攻撃などしたのか……

 

「……成程。そういう事ね」

 

 百合子達二人が疑問に思う中、真綾だけが納得する。振り向けば、彼女はスマホで何かを見ていた。

 

「何かあったのですか?」

 

「ええ。どうやら日米合同作戦が始まったらしいわ。自衛隊と米軍機がヤタガラスを公海上に誘導――――核攻撃を仕掛けるそうよ」

 

「えっ……」

 

 淡々と語る真綾の言葉に、茜と百合子は凍り付く。だが、すぐにそれも仕方ないと思えた。

 ヤタガラスが放つレーザー攻撃。

 それがどんな代物なのか、どれほどの威力があるかは分からない。しかしそんなのは大した問題ではないのだ。この怪獣がどんな能力を持っているか分からず、更に怪獣が瞬く間に巨大化・強大化すると判明した今、一刻の猶予もない。早く駆除しなければ、本当に手に負えなくなる。

 恐らくは元々計画はあって、此度のレッドフェイスとの戦いが政府や自衛隊の決断を後押ししたのだろう。

 ……さしものヤタガラスも、核攻撃となれば助かるまい。少なくともレッドフェイスの鉄拳程度でダメージを受けているのだから。

 

「これで、ヤタガラスも倒される訳か……」

 

「ご満足?」

 

「……私が手を下せなかったのは惜しいから、八十点ぐらいかな」

 

 合格点なのか、それとも物足りないのか。茜の気持ち次第な回答に真綾は肩を竦めた。

 茜の憎悪が止まるのならば、百合子としては嬉しく思う。姉への気持ちに区切りが付けば、彼女の心は少しずつ日常に戻ってきてくれるだろう。

 ……勿論、事はそう単純ではないが。

 

「しっかし、これからが大変よね。レッドフェイスを倒すために使うつもりだった爆弾は、この戦いでぐちゃぐちゃに潰されただろうし」

 

「あ、そっか。此処らの自衛隊が持ってるやつ、片っ端から集めたんだっけ?」

 

「らしいわよ。つまり周辺部隊は残弾なし。流石に銃弾ぐらいはあるでしょうけど、それじゃあテッソかコックマーの幼体しか倒せないわね」

 

「絶望的ですね……」

 

 真綾の語る言葉に、百合子は気持ちが落ち込んでくる。

 ヤタガラスは倒されたとしても、怪獣達がいなくなる訳ではない。ヤタガラスが最強の怪獣だが、それだけでしかないのだ。これからも怪獣は続々と現れるし、ヤタガラスだって二体目が現れるかも知れない。世界はきっと、変性を続けていく。

 これから自分達は、変わっていく世界の中で大人になっていくのだ。不安がないといえば嘘になる。

 しかし、百合子はすぐにその気持ちを切り替える事が出来た。

 不安になっていても、世界は容赦なく変化していく。なら、諦めて付き従うのが道理というもの。それに人は変わっていけるものだ。自分だって変わっていけるだろう。

 何より――――茜や真綾と共に怪獣を調べていた時は、正直なところ楽しくて。

 

「……うん。色々頑張りましょう。これから先も、ずっと」

 

 自分のしたい事を見付けられた百合子は、しっかりと前を向く事が出来た。

 次いで百合子は公園の柵から身を乗り出し、ヤタガラスが飛んでいった海原の方に視線を向ける。

 遠く、地平線の彼方で、紅蓮の炎が上がったような気がした。



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不滅の翼

 ――――太平洋の深海一千メートル地点。光の届かない暗黒の領域を、一隻の人工物が進んでいた。

 全長百七十メートル全幅十三メートル。スクリューを静かに回しながら、ゆっくりと黒い機体は進んでいく。

 サンフランシスコ級原子力潜水艦……アメリカ海軍が保有している潜水艦である。その最大の特徴は、米国保有の潜水艦の中で最も深く潜れるというもの。此処深海一千メートル地点でも難なく動けるという代物だ。他の潜水艦が一千メートルという深さまで潜れないという訳ではないが、サンフランシスコ級はそのための設計で作られており、安全安定して潜る事が可能である。

 そんな潜水艦の艦長を務める男、ジョージは少々緊張感に欠ける顔付きをしていた。

 

「全く、久方ぶりの実践任務が『死体漁り』とはな。私もモンスター退治の方をやりたかったよ」

 

「現時点では、海だとあまりモンスターが確認されていませんからね。いたとしても、駆逐艦の出番ですし」

 

 ジョージがぼやいた言葉に、傍に立つ副官が同意する。周りの兵士達も笑ってはいないが比較的リラックスした様子だ。

 無論彼等は決して気を緩めていない。深海では小さな油断がそのまま死に繋がるし、乗員する仲間をも巻き込むのだから。ましてやこれは訓練ではなく任務。軍人である彼等が行う任務は、国家を、人民を守るためのものだ。どんな簡単なものでも、気を抜くなどあってはならない。

 しかしそれでも彼等に、悪く言えば『緊張感がない』のは、この任務で自分達が死ぬ可能性が低く――――何より命令自体がかなりの無茶振りだったから。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という指示を聞いた時、艦長であるジョージすらも一体なんの冗談なのかと思ったぐらいだ。

 

「まぁ、上層部や科学者連中がこのような指示を出す気持ちも、分からないでもないがね。私も彼等の立場なら、とりあえず同じ指示を出すだろうさ」

 

「それはそうですが、しかしいくらなんでも無茶だと思います。太平洋から高々六十メートルの死骸を見付け出せなんて」

 

「死骸ならまだマシだぞ。もしかしたら、足の指先しかないかも知れん。強い強い言っても所詮生物だからな……核攻撃を受けてどれだけの残骸が残っているのやら」

 

 副官と言葉を交わしながら、ジョージは自分達に言い渡された任務、そしてその背景を思い起こす。

 怪獣が現れているのは日本だけではない。世界中のあらゆる地域に出現しており、アメリカだって例外ではない状況だ。

 幸いにしてアメリカは日本ほど怪獣被害を受けていない。軍の規模・装備・法が整っており、また第二次大戦以降も度々戦争をしてきた事で兵士の練度が高く、対怪獣戦闘を思う存分に行えたからだ。また民間に銃が行き渡っていたため、コックマーやテッソのような小型怪獣程度ならば軍や警察のリソースを割かずに済んでいる。更に世界最強と評される兵站能力により、あらゆる地域に物資を滞りなく輸送出来る……あらゆる点で日本以上の『戦闘能力』を発揮し、被害を最小限に抑えていた。

 しかしながらそれも、怪獣達に通常兵器が通じている間の話。日本に現れたガマスル級の大型怪獣ともなると米軍でも苦戦は免れず、大きな被害を受けるようになった。どうしても通常兵器では撃退出来ない個体には、核による滅却を行ったが――――自国内での核使用など自爆に等しい。頼り続ける事など出来やしない。

 実に怪獣とは恐ろしい存在だ。

 だからこそ有用な『資源』でもある。科学者や軍部は怪獣由来の素材から新兵器を開発しようとしていた。それは対怪獣の切り札としては勿論、()()()()()の世界秩序を担うためにも欠かせない力になると確信しているからだ。

 そしてヤタガラスは、その研究素材として最も魅力的な怪獣だった。

 どんな怪獣をも寄せ付けないパワー、無敵に等しい防御力、戦闘機すら逃げきれない機動力……全てが最高峰に位置する最強の怪獣。しかもレッドフェイスと戦った時には、翼からレーザーまで出したという。

 是が非でも欲しい肉体。()()()()()()

 米軍によるヤタガラスへの核攻撃打診は、そうした思惑があって行われたのだ。そしてそれは三日前、ついに行われた。攻撃は無事成功。ヤタガラスは五百キロトン級の核弾頭の直撃を受け、その姿を消した。

 核攻撃ともなれば身体の大部分は消し飛んでいるだろう。しかし足先や羽根、骨格の一部などは残っている可能性が高い。今頃海底に流れ着いている、筈。

 そんな何処にあるかも分からないような遺品を探すのが、ジョージ達の任務なのだ。ちなみにジョージ達だけでなく他にも幾つかの部隊が参加しているが、きっと皆、同じ気持ちになっているだろう。

 

「願わくば、道中でサメ怪獣に出会わない事を祈るばかりだな」

 

 冗談めかした言葉を発しながら、ジョージは優秀なソナー担当が報告を上げるのを待った。

 

「か、艦長!」

 

 ただしその報告は、こんな慌ただしい声で行われるとは思わなかったが。

 僅かな困惑。しかし一瞬の時間を挟めば意識は切り替わる。ジョージは総員百五十名の命を預かる、優秀な指揮官へと変化した。

 

「何があった」

 

「そ、ソナーに反応。海底に巨大な、と、鳥のような構造体が……」

 

「何――――モニターに出せるか」

 

 そんな馬鹿な、という思いが込み上がりながらもジョージは指示を出す。

 サンフランシスコ級は海底調査が主な任務であるため、船外の様子を見るために高感度カメラとライトが備え付けられている。ジョージの指示と共にライトは付けられ、モニターの電源も入った。

 そこに映し出されたのは、黒いもの。

 しかしモニターの異常ではない。よく見れば黒いものが、無数の羽毛で覆われていると分かる。原潜が進めども進めども、羽毛に覆われた身体の終わりは中々見えない。

 それでも数十秒と移動した時、ついにカメラは捉えた。

 海底で眠るように横たわる、ヤタガラスの姿を。

 

「……マジかよ」

 

 誰かのぼやきが聞こえた。ジョージも、一般兵という立場なら同じ声を発したに違いない。

 ヤタガラスの身体は、バラバラどころか全くの健在だった。翼や足は折れておらず、身体は真っ二つになっていない。羽毛が剥げたところすらない有り様だ。ハッキリ言って無傷と言って良い。カメラが映し出している頭部も同じだ。嘴は勿論、目もしっかりと閉じていて、恐らくは無傷だろう。

 これは、日本で暴れ回ったのとは別個体なのだろうか?

 ジョージの脳裏を過ぎったのはそんな考え。何故鳥が海の底で偶々倒れているのかと言われたら何も答えられないが、しかし核攻撃を受けて無傷というのと……どちらが現実的なのか、考えるほどに分からなくなる。ジョージは決して頭の鈍い男ではないのだが、この非現実な光景には流石に理解が追い付かない。巡れども巡れども思考がろくな答えを出す事はない。

 賢いジョージは、一旦考えるのを止めた。思考の放棄ではない。謎を解明するには、あまりにも情報が足りないと判断したのだ。そもそも自分達の任務は、海底で見付けた怪獣についてあれこれ考える事ではない。見付けた怪獣の『死骸』を本国へと持ち帰る事である。

 何時終わるか分からない任務の、終わりの時がやってきたのだ。むしろこの状況は喜ぶべきだろう。

 

「……ヤタガラスの回収を行う。とはいえ全身が残っているのは想定外だ。本部と連絡を取り、対応を協議する。我々はしばしこの海域に待機し、海洋生物が怪獣の遺骸を摂取しないよう見張る」

 

「イエッサー」

 

 新たな指示に乗員達は応答し、各々の仕事に尽力する。一時はどうなるかと思ったが、冷静に考えればこれは吉報だ。一部だけでも手に入ればと思っていた身体が、丸ごと入手出来たのだから。これならさぞや研究も進むだろう。

 アメリカに栄光と繁栄あれ。軍人としての気持ちを昂ぶらせながら、ジョージはヤタガラスを映すモニターに視線を向けて

 ()()()()()()()()()()()

 

「……!?」

 

 ぞわりとした悪寒がジョージの背筋を走る。が、その予感が役に立つ事はない。

 次の瞬間、ジョージ達の乗るサンフランシスコ級原子力潜水艦が激しく揺れたのだから!

 

「ぐあぁ!?」

 

「ぬぉ!?」

 

「ぎゃあっ!?」

 

 席に座っていた乗組員が吹っ飛ばされ、天井に叩き付けられた。そう思ったのも束の間、今度は壁に叩き付けられ、床へと戻される。不運な隊員が器材の角に頭を打ち、ごろりと力なく転がった。

 そして今、ジョージは艦長席の椅子に掴まり、宙ぶらりんの状態となっている。

 どうやら潜水艦が()()()()()()()らしい――――あまりにも馬鹿げた推論だが、自分の体勢からそう判断するしかない。百メートル超えの巨船が、僅か数秒でその向きを変えられたのだ。

 

【グガアアアアアアゴオオオオオオオ!】

 

 その犯人は自ら名乗りを上げてくれた。

 ジョージはようやく理解する。

 ヤタガラスは核攻撃の直撃を受け、三日間も海中にいながら生きていたのだ! どうして? どうやって? 何も分からない。分かる筈がない。そんなのは人間の常識外、否、常識的に考えれば起きてはいけない事なのだ。

 されどこれは夢に非ず。

 潜水艦の壁が突然破れた。巨大な『爪』が、水深一千メートルの水圧にも耐えるほど頑強な装甲を貫いたがために。中に大量の海水が流れ込み、あらゆる器材を破壊していく。

 潜水艦は更に左右にぐらぐらと揺れる。ヤタガラスは潜水艦をオモチャか何かと思っているのか。積極的に壊そうとはせず、右へ左へと気ままに動かす。とはいえあまりにパワーが大き過ぎて、潜水艦はどんどん破損していった。警報が鳴り響いていた時間は一分となく、非常灯も消えた。ヤタガラスが飽きて捨てたところで、もう誰も助からない。

 

「あ、あぁ……」

 

 艦長ジョージは、死を自覚した。身体がぶるぶると震え、暗闇の中で目を大きく見開く。

 されどその心を満たすのは恐怖ではない。人智を超えたものと、あらゆる生命を超えたものと、鉄の壁越しにではあれども肉薄した事への『感動』。

 ヤタガラスは、モンスターなどではない。人智を超え、生命を超えたそれを示す名はただ一つ。

 

「怪獣……これが、怪獣……!」

 

 恐怖を通り越した、感嘆の声でジョージは十数メートル先の生命に向けて呼び掛ける。

 その声がヤタガラスに届く事はないまま、全てが海の藻屑となって消えるのだった。



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大怪鳥惑星
日常


 大地を隙間なく覆う草原が、地平線の彼方まで続いている。

 草原といったが、生い茂るのはか弱くて美しい草花などではない。この地に満ちるのはライバルとの生存競争を経て、細くも逞しく伸びた草本性植物達。夏真っ盛りを迎えた今では高さ一メートルを超えるものもあり、ライバル達に光を渡すまいとふてぶてしく葉を広げていた。夏の日差しを浴びて葉も茎もキラキラと輝き、世界を煌めきで埋め尽くす。 

 そんな草原を、一台の軽トラックが駆け抜けていた。

 軽トラックは時速百キロ近い猛スピードを出しており、草原を容赦なく突っ走る。タイヤが草を踏み潰す、或いは吹き飛ばす様は正に文明(自然破壊)の様相。草原には舗装された道などないので軽トラックは地面の凹凸によりぴょんぴょんと頻繁に跳ねていたが、止まらずに跳ね続ける様はむしろ草を蹴散らすのを楽しんでいるかの如し。開発者である人間の傲慢と暴虐ぶりを表すかのようだ。

 尤も、運転手――――『昔』よりも大人びた顔付きとなった山根百合子に、そんな考えはこれっぽっちもないが。

 

「ひぃいいいいい!? 無理です駄目ですお終いですぅぅぅ!」

 

 アクセルを全開で踏み付け、ハンドルを力強く握り締めながら、目に涙を浮かべた百合子は叫ぶ。

 彼女の運転する軽トラックは地面の凹凸で跳ね、昔と比べて大きくなった胸がぶるんと揺れた。分厚くて窮屈な作業服を着ていなかったら、揺れだけで胸の付け根が痛くなっていたかも知れない。

 無論軽トラックが跳ねるのは、百合子がアクセル全開のフルスロットルで走らせているのが原因だ。アクセルから足を離せば、跳ね方はかなりマシなものとなるだろう。しかしそうもいかない事情がある。

 百合子の運転する軽トラックの後ろに、巨大な生物がいるからだ。

 

「フニャアアゴオオオッ!」

 

 そいつは、図太い声を発しながら駆けてくる。

 体長五メートル。百合子が運転する軽トラックとほぼ同等の体躯を有しており、四足で大地を蹴っている。太くて巨大な足が生み出す速さはこちらも時速百キロ近く、軽トラックのスピードにしっかりと追随していた。いや、むしろ段々と距離を詰めてきているほどだ。

 大きな身体には茶と黒の毛が生え、独特な縞模様を作り出している。尻尾は長く、走る時のバランサーとして用いているのか、忙しなく左右に揺れていた。丸い顔立ちはとても可愛らしいが、開いた口の中に見えるのは巨大な牙。もしもあの牙が人間に突き立てられたなら、胸骨など平然と貫き、一撃で命を奪うであろう。正に凶器と呼ぶべき身体的特徴がそこに格納されていた。

 等々細かく語れども、その生物の正体を示す言葉は実にシンプル。

 巨大化(怪獣化)した家猫だ。

 

「百合子ちゃん! もっとスピード出せないの!?」

 

「ですから無理ですってば! これがアクセル全開です! というか何時までもこんなの続けられませんから! トラック壊れますからぁ!」

 

 ()()()()()()()から掛けられた女性の声に、百合子は振り返りもせずに泣き言を断言する。

 断言した通り、百合子は軽トラックのアクセルを全開で踏んでいた。ボタンを押すと謎のジェットエンジンが出てくるような仕組みはなく、これが正真正銘の全速力。それに悪路で跳ね続けていたら、いずれエンジンなどのパーツが衝撃で壊れてしまうかも知れない。

 そして、巨大猫からの追撃から逃れられなければどうなるか?

 

「ギニャアアアアアアッ!」

 

 興奮しきった叫び声と、開いた口から溢れ出す涎を見れば、結果は明らかというものだ。

 

「ちっ……仕方ないか。アサルトライフルじゃあまり効果がないし、とっておきを使うよ!」

 

 荷台側に乗っていた女性が、警告するように叫ぶ。

 揺れる車内の中、その声を聞き取った百合子は荷台で何が起きているのか想像が出来た。荷台に乗る『彼女』は今、大きな武器を弄っている筈だ。その武器に一発の『爆弾』を取り付け、重さ十キロ近い筒状のそれを肩に担いでいるに違いない。

 そうしてしっかりと狙いを定めた上で、引き金を引く。

 百合子が頭の中で思い描いていた、その通りのタイミングで――――強烈な爆音と衝撃が軽トラックの荷台から轟いた。覚悟していた百合子は顔を顰めつつも、なんとか平静を保つ。トラックの運転も狂わない。

 対して巨大猫は、突然の爆音に驚いたのか。バックミラー越しに百合子が見れば、僅かに身体が硬直して身動きが止まっている。

 だからこそ爆音と共に放たれた物体こと、()()()()()()が顔面に直撃するのを避けられない。

 

「ギャニャアオオォッ!?」

 

 RPGは直撃と共に爆発。人間一人ぐらい粉微塵に吹き飛ばす爆風が、巨大猫の顔面で炸裂した。流石の巨大猫もこの一撃には悲鳴を上げる。更には血肉も飛び散り、大きなダメージを与えたのは確かだ。

 

「ニ、ニギィヤアァアアッ!」

 

 とはいえ致命的な傷ではないらしく、ごろごろと地面の上を転がる程度には元気な様子。

 時間が経って痛みに慣れたなら、さぞや激怒して(元気いっぱい)にこちらを追い駆けてくる事だろう。

 そうなりたくなければ、今のうちに逃げるしかない。

 

「今だ! 全速力で走って!」

 

「ひぃええええええ!」

 

 悲鳴と共に、百合子は既に限界まで踏み込んだアクセルを更に強く踏み付ける。

 もうこれ以上速くならない軽トラックを走らせて、百合子達は巨大猫から大急ぎで逃げていくのだった。

 

 

 

 

 

「ぜー……ぜー……」

 

 止めた軽トラックの中で、百合子は息を乱しながら、ハンドルに寄りかかる。

 軽トラックは未だ草原の真ん中にいるが、もう、巨大猫は傍にいない。なんとか振り切ったのだ。追い駆けっこは終わり、一休み出来る状況になっていた。

 そうしていると、さくさくと草むらを踏み付けて歩く音が聞こえてくる。足音は徐々に近付いてきて、やがて百合子が乗る運転席側の窓をコンコンと叩く音が聞こえた。

 

「お疲れー。流石、百合子ちゃんの運転テクニックは凄いね」

 

「そりゃどうもです……」

 

 褒め言葉に疲れた言葉を返しつつ、百合子はちらりと目線を横に向けた。

 ショートで切り揃えられている髪の色は黒。かつては金髪だったが、もうその面影は残っていない。染めるためのお金も時間も余裕もないのが理由だ。

 身体の方も筋肉が付いて、競技選手のよう。タンクトップと長ズボンというラフな格好は、その引き締まった肉体の良さを引き立てている。露出している腕は下手な男性よりもガッチリとしていて、百合子ではもう力ではどうやっても勝てそうにない。RPGを軽々と肩に担ぐところからも、その力の強さが窺い知れるというもの。昔と変わらない点を挙げるなら、成人女性としては平均的な身長と、控えめな胸ぐらいだろう。それを指摘すると拳骨で叩かれるので、百合子は目を向けないよう務めるが。

 ()()()から大きく様変わりした友人・北条茜の姿。百合子がそれをじろじろと見ていたところ、茜はこてんと首を傾げた。

 

「どしたの百合子ちゃん? 私の顔になんか付いてる?」

 

「いえ……茜さんはこの四年でかなり変わったなぁとしみじみ思いまして」

 

「何それ? まぁ、確かに女子高生時代からはかなーり変わったと思うけど」

 

 思っていた事を正直に話せば、茜は笑いながら、今度は自分の番だとばかりに百合子をじろじろと見てくる。

 

「それを言うなら百合子ちゃんの方が変わったでしょ。今じゃ車の運転、私らどころか町の誰よりも上手いじゃない。まさかそんなキャラとは思わなかったでしょ」

 

 それから言ってきたのは、百合子自身その通りだと思う意見だった。

 

「ええ、まぁ、私自身自分がこんなに車の運転が得意で、それに好きだとは思いませんでした」

 

「逆に一番変わってないのは、絶対真綾ちゃんだよね。というかあの子、何か変わった?」

 

「変わってないと言いますか、何もなくてもああなったと言いますか。いや、何もなければ案外普通に結婚してたりするかも?」

 

「ないない。恋愛感情どころか性欲があるかも怪しいじゃん」

 

「いやいや、あの手の子が恋愛すると凄いですよ。昔読んだ専門書に書いてありました」

 

「専門書って少女漫画じゃん」

 

 本人がいないところで盛り上がる、他愛ない会話。けらけらと笑い合って気持ちを一新した百合子は、自分達の『仕事』について思い出す。

 具体的には、軽トラックの荷台に積んだ物資――――重さ数百キロはある肉の安否について。

 

「ところで肉は無事ですか? かなり派手に揺れたと思うのですが」

 

「ロープでちゃんと括り付けてるから大丈夫だったよ。手ぶらで帰った私らがみんなの夕飯にされる展開は避けられたね」

 

「あはは。ですねー」

 

 笑いながら、百合子は軽トラックのエンジンを入れる。

 悪路を走らされた軽トラックは、素直にエンジンを再稼働してくれた。車体が小刻みに揺れ、車体後部の排気口から環境によろしくないガスを吐き出す。

 まだまだ元気に動いてくれそうだ。『相棒』の安否を確かめた百合子は、にやりと笑みを浮かべる。その笑みを見た茜はトラックの荷台に跳び乗り、積み荷である巨大な肉塊の傍に座り込む。

 準備が整ったのをミラー越しに確認した百合子は、「出発進行!」という元気な掛け声と共にアクセルを踏み付ける。もう、先程味わった命の危機など忘れたかのように。

 勿論百合子は忘れてなどいない。ただ、今更気にしていないというだけ。

 これが今の百合子達にとっての、日常生活なのだから。



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新時代の職場

 怪獣災害期。

 ()()()―――−日本の東北地方にて始めて怪獣が確認された日から一年間を、今ではこう呼ぶようになった。怪獣に対する知識が何もなかった事、対処する法案も設備も用意されていなかった事から、最も多くの犠牲者を出した時期である。一説には当時の世界人口の約ニ割、十五億人が命を失ったという。

 それから四年が過ぎた現在、怪獣災害期の名前は過去のものとなった。国連は世界各国と協力して怪獣撲滅を行うと宣言。怪獣と戦う時代の幕開けという意味を込めて、以降の時代を『怪獣大戦期』と呼ぶ事にした。

 ……尤も、そう呼ぶ一般人は殆どいない。

 必ずや怪獣を根絶すると政府や国々は語るが、それが成し遂げられそうな様子は微塵もなし。軍は巨大怪獣を駆除しきれず、今では繁殖まで許している。怪獣は最早野生動物のようにあり触れた存在となり、生活は怪獣なしには考えられなくなった。良くも、悪くも。

 一般人は今の時代を、『怪獣支配期』と陰口のように語る。もう、この星の支配者は人間ではなく、怪獣達なのだ。

 とはいえ人間の支配が終わったからといって、人の営みまでは終わらない。いや、終わらせられない。惨めだろうがなんだろうが、営みの終わりとは死を意味する。誰だって、死にたくないのだ。

 だから、社会は世界に合わせて変化した。

 

「ふぅ。ようやく町に到着ですね」

 

 百合子がしている軽トラックの運転手も、変化した社会では立派な仕事の一つだ。

 軽トラックが走る、コンクリートによる舗装もない土の道。両脇に生える草がフェンスの代わりをしているその道の先に『町』の姿が見えてくる。町といっても大きなビルやマンションなどはなく、一軒家が並ぶだけの市街地だ。

 そして町に入れば、市街地という評価すら改めたくなるように感じるだろう。

 何故なら建ち並ぶ家の殆どが、倒壊した廃墟だからだ。倒壊の程度は様々であるが、部分倒壊よりも、完全に潰れてしまっているものの方がずっと多い。瓦礫が崩れたり、或いは残っている部分が倒れてきたりする可能性もある、危険な場所と言えよう。西に大分傾いた太陽からの光により、静かに舞い上がる粉塵の姿もよく見えた。

 そんな場所でも、人の姿はちらほらと確認出来る。

 

「おーい、茜ちゃん。百合子ちゃん。成果はどうだー?」

 

「いい感じですよー。ノルマは達成しましたのでー」

 

「私ら優秀だからね!」

 

 瓦礫の上に居た男の一人から声を掛けられ、百合子と茜は元気よく返事をした。百合子達からの返事を聞いた男は笑い、大きく手を振る。

 その男は百合子達との会話が終わると、すぐに自分の『仕事』へと戻る。瓦礫の中から大きなコンクリートの塊を持ち上げると、傍にあった猫車へと乗せていくのだ。そして猫車がいっぱいになると、とある場所へと運んでいく。その場所は市街地の最外周部分。既に無数に積み上げられた瓦礫により、高さ数メートル程度の『塀』が出来上がっていた。

 また、瓦礫の中から鉄骨の欠片など金属を見付けると、堀とは別の場所に運んでいく。百合子達が向かうのは、金属が運ばれていく方角。崩れた市街地を軽トラックで走り抜け、瓦礫の山……かつてマンションやビルだった区画の横も通り過ぎる。その後坂道を登っていき、辿り着いたのは開けた公園、だった場所。

 公園だったのはかれこれ四年前。今では無数のテントや施設が並ぶ、ちょっとした『都市部』の様相を呈していた。多くの人や車が行き交い、活気に賑わっている。大半の人は作業着やタンクトップなど動きやすい学校をしていたが、一部は迷彩服を着込んでいた。

 此処は四年前、ヤタガラスとレッドフェイスの決戦が行われた際に百合子達が避難した防災公園。されどその面影は何処にもない。もっと言えば公園自体が四年前と比べて()()している。それはこの四年間で、公園の周りにあった建物を取り壊し、公園自体を拡張した結果だ。全ては公園内に都市機能を持たせるために。

 

「……此処の公園も随分と様変わりしたよね」

 

「なんですか唐突に。まぁ、確かに昔とは何もかも違いますけど」

 

 茜の独り言に、百合子は同意しながら過去と今を振り返る。

 怪獣の存在により社会は大きく変容した。度重なる怪獣の襲撃による経済不安、生活物資の不足による市民のフラストレーションの蓄積、貧困による犯罪増加で警察は人員不足……様々な要因により治安は著しく悪化した。悪化した治安は更なる情勢不安を呼び込み、負のスパイラルを引き起こす。止めなければ国家体制の崩壊という大惨事に、冗談抜きに繋がりかねない。このような時に役立つのは『軍』であり、日本では警察に代わって自衛隊が治安維持に回る事が多くなった。

 そして何より怪獣そのものへの対処。六十メートルを超えた怪獣には核攻撃以外に有効な手立てはないものの、避難のための時間稼ぎなら軍にも出来る。いや、()()()()()()()()()と言うべきか。核攻撃にしても運用するのは軍であるし、ニ〜三十メートルの『中型』怪獣であれば軍もしっかりと役に立つ。むしろ駆除しきれずに増えたからこそ、よりその重要性を増したぐらいだ。

 治安維持に怪獣退治。軍の仕事は怪獣出現前よりも大きく増えた。仕事が増えれば、当然出費も増える。加えて武器などの需要も大きく増える事から、銃弾や砲弾の大量生産設備が欠かせない。『戦争』をするには社会構造そのものの変革が必要になる。

 百合子達が訪れた此処・元防災公園も、そうした変革の結果の一つ。此処は現在、自衛隊が管轄する『軍需産業都市』の一つなのだ。都市といっても居住区にあるのは最低限(ベッド一つ分)のものだけで、他は火薬や銃などの武器工場、配給用食料品の工場があるだけ。しかしそれでも、あらゆる産業が怪獣による被害で立ち行かなくなった今、安定した生産活動が行われている数少ない場所である。今や日本で仕事があるのは、此処のような軍需産業都市ぐらいなものだ。

 百合子と茜が此処で仕事をしている身なのも、時代の流れを考えれば普通の事なのである。

 

「――――おっと、もうすぐ工場ですね」

 

 過去を振り返りながら運転していたところ、とある工場のすぐ近くまで来ていたとやや遅れて百合子は気付く。

 敷地内の駐車場に他のトラックはなく、がらんとした空間が広がっていた。人気もなく、寂しげな雰囲気だ。

 そんな敷地内をしばらく進んでみると、雑多に建てられた施設を目にする。コンクリートで建てられた、横幅数百メートルほどの建物だ。真四角の外観にデザイン性も通気性もなく、兎に角「素早く建物を建てる」という事だけを追求した形。機能性は二の次である。

 百合子が運転する軽トラックは、そんな建物内のとある入口へと入っていく。そこには作業着を身に着けた、初老の男性が立っていた。男性は軽トラックの元にやってくると、百合子達に親しげに話し掛けてくる。

 

「よぉ、お二人さん。成果はどうだ?」

 

「バッチリだよ。ほら、こんなに」

 

 荷台に居る茜が、同じく荷台に乗っている肉の塊を叩く。男はその荷台にある肉の下に駆け寄ると、じっと観察しながら、手に持った書類に書き込んでいく。

 

「ふむ。こりゃテッソの肉だな」

 

 そして積んである肉の『正体』を、見事言い当てた。

 初老の男性が言う通り、百合子達が軽トラックで運んできたのは怪獣テッソの肉だ。それも死体や何処かから買い付けたのではなく……茜が銃器を用い、自らの力で仕留めたものである。

 ではこのテッソの肉をどうするのか? 答えは極めて単純――――()()()()()だ。

 怪獣により破壊されたのは、都市部だけではない。農地や畜産場も攻撃を受けて破壊された。現代社会において農畜産物は主要な食糧源。生産拠点を破壊された国の多くで飢饉が起きた。それが自国だけの問題なら(尚且つ先進国のように金があれば)輸入量を増すという対応も出来たが、怪獣は世界中で現れている。輸入争奪戦は激しさを増し、結局どの国も必要量を確保出来ない有り様だ。

 何処からか食べ物を得なければならない。各国は様々な方法を模索した。例えば山菜の採取、狩猟や漁業、新品種の作成、新農地の開拓……しかし自然から採れる食べ物には限度があり、新品種や農地の開発には時間が掛かる。どの方法も上手くいかない。

 唯一上手くいったのが、大量発生した『怪獣』を食べる事だった。

 無論抵抗は少なくなかった。今まで何を食べきたかも分からない、変な物質を持ってるかも知れない、何より人間を食べていた生き物なんて食べたくない……しかしそんな様々な抵抗も、『飢餓』という目前に迫った脅威を跳ね退けるほどのものにはならず。今でも好まれるものではないが、()()()()としてそれなりに食べられるようになっていた。

 百合子達の仕事は正にこの食料生産に関わるもの。茜が銃でテッソなど弱い怪獣を仕留め、百合子が車でその肉を『食品加工工場』まで運ぶ。怪獣の食肉化に関する仕事と言うと四年前なら実に現実離れしたものに思えるが、実際のところは生産者と運送業というごくあり触れた職業関係だ。百合子達と話している作業着姿の男も工場勤務の身である。

 怪獣を食べてでも、社会を維持する。人間の逞しさは、ある意味では怪獣並と言えるだろう。

 

「あ、そうだ。これ仕留める時の弾もだけど、RPGの弾も補充したいんだ。バケネコに追われて、逃げるために使ったからさ」

 

「む、そうなのか……悪いがまだ次の生産予定がないらしくてな。補充は先送りにしたい」

 

「そうなの? まぁ、まだ弾の予備はあるから良いけど、なんか最近多くない?」

 

「仕方ないだろ。市街地からの()()()()は今じゃ殆どないんだ。銃弾の生産すら遅れ気味なのに、一般人の『護身用』のRPGの生産なんてしてられんだろ」

 

 ……尤も、その逞しさもそろそろ終わりかも知れないと、百合子は漫然と思う。どうにか食糧生産の方法は確立したが、それだけでは足りない。人間の力は文明の力。文明の力を発揮するには様々な物資が必要だが、その物資の生産能力が全体的に壊滅しているのだ。武器を作る力が衰えれば食糧を得られなくなり、食糧がなければ人手を得られず、人手がなければ文明に必要な物資を作れず。悪循環は止まらない。

 銃がなければいくら小型でもテッソを仕留めるなんて人間には出来ないし、RPGがなければ追い駆けてくるバケネコに喰われるのがオチ。自分達の命もそろそろ終わるかも知れない。

 しかし、希望がない訳ではなかった。

 

「ああ、そうだ。お前達、『ユミル』の様子を見てきてくれないか? 他の連中がまだ帰ってきてなくて、頼めるのがお前達だけなんだ」

 

 その『希望』の名を、初老の男は告げてきた。

 百合子と茜は首を傾げ、訊き返す。

 

「『ユミル』ですか? 構いませんけど……」

 

「私も良いけど、なんでまた? 別にあの子なら一人でも大丈夫っしょ」

 

「お偉いさんからの命令だよ。アイツから目を離すなってな。今は協力的でも、いずれどうなるか分からないからって理由だ」

 

「……何それ」

 

 茜は露骨に不機嫌さを露わにした表情を浮かべた。これだけで済んだのは、この男を問い詰めても仕方ないと分かっているからだ。彼は、あくまでも『お偉いさん』の指示を伝えているだけ。

 そして自分達が『大人』になった事で、お偉いさん達の気持ちも少しだけ分かるようになっていた。自分達も『ユミル』がどんな存在か何も知らなければ、お偉いさん達と同じような考えを抱いたかも知れない。

 それに、「目を離すな」ぐらいなら可愛いものだろう。昔に比べればずっと。だから百合子は、そして茜も、腹の中のムカつきを抑える事が出来た。

 

「ま、良いけど。んじゃ、この肉を下ろしたら会いに行くよ。ユミルは何処に行ってるの?」

 

「東の山だよ。何時もの狩場だな、多分」

 

「OK。んじゃ、百合子頼んだ」

 

「はーい」

 

 軽い返事をしながら、百合子はこれから向かうべき場所の道順を思い描くのだった。



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巨人との交流

 深い森の中を、百合子の運転する軽トラックが走っていく。

 森の中は木々の根が縦横無尽に張り巡らされ、軽トラックのタイヤがそれを踏む度に車体が跳ねる。地面そのものが凹んでいる場所もあり、猛スピードで走ればバランスを崩して横転もあり得るだろう。

 故にとろとろと、のんびり走らせるしかない。これは安全のため仕方ない事だ。

 

「おーそーいー」

 

 仕方ない事なのに、荷台に乗る茜が文句を言ってくる。

 軽トラックを運転する百合子は運転席の中で、茜には見えやしないのにぷくっと頬を膨らませた。

 

「別にスピード出しても良いですけど、横転しても知りませんよ」

 

「横転しない程度に加速してよー」

 

「それがこの速さです!」

 

 ぶーぶーと文句を垂れる茜を窘めながら、あくまでも安全運転で進む百合子。樹木の根を慎重に踏み越えていく。

 山に人の手は入っていない。元々はブナ系の雑木林であり、怪獣が出る前までは小学生が虫取りなどでよく登る場所だった。しかし四年前に怪獣が現れて以来、もう子供も大人も立ち入らなくなっている。人が訪れなくなった山道は草に覆われ、本当の自然に還ろうとしていた。

 それを車で蹴散らす事に罪悪感がないかといえば……百合子には少しだけある。なんとなくであって、具体的に何がその理由なのかは分からないが。それでも彼女達には『目的』があるから、軽トラックを走らせる事を止めはしない。

 やがて百合子の運転する車は、山の開けた場所に辿り着いた。伐採の跡地という訳ではなく、大岩が露出していて、植物が根付くのに適していないのが理由だろう。

 お陰で麓の様子がよく見える。

 

「はい、到着しましたよ。おじさんの話が確かならこの辺りだと思うのですが」

 

「んー……あ、あっちにいたよ。ほらあそこ」

 

 軽トラックの荷台から降りてきた茜が麓をしばし見ていると、ある場所を指差した。百合子はその指が示している方へと目を向ける。

 山の麓に位置するそこに、二体の『怪獣』がいた。

 一体は体長六十メートルほどの獣。全身は茶色い毛で覆われていて、横幅三十メートルはあろうかという太い胸板を持つ。蹄を持った四足で大地を踏み締める様は堂々としており、巨大な鼻から吹き出す息も力強い。細長い口からは巨大な牙が二本生えていて、血走った目からその攻撃性の強さが窺い知れた。背中や身体の側面から長さ十数メートルの棘が十本ほど生えており、守りもそれなりに強そうである。

 カリュドンと呼ばれる怪獣だ。イノシシのような姿をした怪獣であり、その食性も基本的には雑食……と言いたいが、実際にはかなり肉食傾向の強い種のようである。六十メートルまで大きくなる個体は稀だが、それなりの目撃例はある、()()()()()怪獣の一種だ。

 そのカリュドンと対峙するのは、同じく体長六十メートルの『怪獣』。

 ただしこちらは二足歩行をしている。身体には体毛がなく、筋肉質な肉体が剥き出しだ。腹部には六つに割れた腹筋が大きく盛り上がり、胸筋は正しく『胸板』という表現が相応しいほど発達している。脇腹部分にある腹斜筋も大きく、波打つような見た目だ。だらんと垂れ下がった前足……いや、『腕』も非常に筋肉質であるが、それよりも目を引くのはそこに生えているもの。手首より先に鱗状のものが生え揃い、手袋のように手を覆っている。

 極めて野生的で、悪く受け取れば野蛮な姿。されど頭部にある二つの凛とした瞳には、確かな知性が感じられた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。何より下半身を獣の毛皮で包むように隠しており、『理性』がある事を物語る。

 その怪獣は、人間に酷似した姿をしていた。

 

「オオオオオオオオオッ!」

 

 人型怪獣は大きな咆哮を上げながら、カリュドン目掛けて突撃する!

 六十メートルの巨躯が駆ける衝撃で大地は揺れ、蹴られた樹木が空を舞う。圧倒的質量とパワーを感じさせる突進だが、カリュドンはこれを前にして動かず。むしろ四股を踏むようにどっしりと構え、人型怪獣を迎え撃つ。

 激突する両者。衝突時の爆音が周りの木々を震わせる中、二体は密着した状態となった。

 

「グ、ヌグゥウウウウ……!」

 

 人型怪獣は唸りを上げるも、その身体が前に進む事はない。

 対するカリュドンは、こちらも余裕とまではいかないが、どっしりと構えたまま。鼻息を荒くしながらその身体の力を昂ぶらせていく。

 

「ブギオオッ!」

 

 そして気合の一声と共に、カリュドンは四肢に力を込めて跳躍する!

 瞬間的に生み出された大きな力は、人型怪獣の身体を突き飛ばした! 人型怪獣は木々が吹き飛ぶほどの勢いで転がり、やがて山の斜面に激突してしまう。

 されどダメージ自体は大きくなかったようで、人型怪獣はすぐにその身を起こした。立ち上がるには至らずとも、上体だけでも起こせば色々出来るのが『人型』の良いところ。

 すかさずやってきたカリュドンの突進に対応出来たのは、人型をしているからこそと言えた。

 

「ブゥギギオオオオオオオッ!」

 

 雄叫びと共に猛進するカリュドン。奴はその口から生えている牙を前に突き出し、人型怪獣に突き刺そうとしている。

 身体を起こした人型怪獣は素早く両手を前に突き出すと、突進してくるカリュドンの牙をその手で掴む! 掴まれた瞬間こそ僅かに前に進んだが、しかし人型怪獣の握力は相当強く、牙が人型怪獣の胸板に突き刺さる前にカリュドンは止められた。

 動きを止められたカリュドンは慌てたように四肢をバタ付かせる。どうにか牙を掴む手を振り解きたいようだが、しかし人型怪獣の手は開かれず、がっちりと掴んだまま。カリュドンは逃げる事も出来ない。

 暴れるカリュドンに対し人型怪獣は冷静そのもの。牙を掴んでいる手から力は緩めず、むしろ更に強くするように握り締め――――

 

「グゥアッ!」

 

 気合いの入った声と共に、カリュドンの牙を捻った。

 カリュドンは、恐らく反射的に、四肢に力を込めた。捻る力に抗わなければ、その身がくるんと回転してしまうのだから。けれども無理な抵抗の結果は、他の代償を生む。

 カリュドンの武器である牙が、二本ともボキリと折れてしまったのだから。

 

「ブ、ブギャアアアッ!?」

 

 カリュドンは悲鳴を上げながら後退り。牙とは本質的には『歯』である。それをへし折られる事の痛みは、人間的には想像もしたくない。

 しかし人型怪獣はカリュドンの痛みに共感するよりも前に、立ち上がり、怯んだカリュドンの眼前へと肉薄。

 渾身の力を込めた拳で、カリュドンの頭を殴り付けた!

 一撃一撃が大気を震わせるほどの威力。カリュドンは大きくよろめき、後退りしていくが、人型怪獣はその手を緩めない。何度も何度もカリュドンの大きな頭を殴り、ついに体勢を崩したカリュドンの脇腹に蹴りを放つ。ボキボキと生々しい音を鳴らして、カリュドンは蹴飛ばされた。

 

「ブ、ブギ、ブギィ……!」

 

 蹴飛ばされたカリュドンは、身を翻して逃げようとする。奴は察したのだ。自分が、自分よりも強い生き物にケンカを売ってしまった事を。

 相手が草食動物だったなら、逃げようとするカリュドンは見逃してもらえたかも知れない。しかしカリュドンにとって不幸な事に、この人型怪獣は、人間と同じく雑食性だった。

 

「グウゥゥ……!」

 

 唸るような声を出しながら、人型怪獣は逃げようとするカリュドンの後ろ足を掴む。足を掴まれたカリュドンは呆気なく転び、ずるずると引きずられてしまう。その間カリュドンは必死に前足二本で前に進もうとするが、人型怪獣の力には全く叶わない。

 手近なところまで引き寄せた人型怪獣は、カリュドンから一旦手を離す。次いで素早くカリュドンの頭の方へと移動すると……大きく足を上げた。

 次の瞬間、人型怪獣はカリュドンの頭を踏み付ける。

 一度目の打撃でカリュドンは潰れたような声を漏らす。二度目の打撃でカリュドンの口から赤い血肉が飛び散った。三度目の打撃になるとついに目玉の一つがぽんっと飛び出す。

 それでも人型怪獣の攻撃は終わらない。何度も何度も踏み付けた。踏み付けて、踏み付けて、踏み付け続けて……その間人型怪獣の顔には『笑み』が浮かんでいる。心から楽しげに、カリュドンを痛め付けていた。

 そんな猛攻も、二桁目の踏み付けを行ったところで一旦止まる。人型怪獣はしゃがみ込むと、カリュドンの頭を掴んだ持ち上げ、じろじろと観察を始めた。カリュドンの頭は度重なる猛攻ですっかり変形していて、目玉は二つとも飛び出している。怪獣の生命力はかなりのものだが、こうなっては流石に生命活動も続くまい。

 カリュドンの死は明白だ。

 

「オオオオオオオオオオオオオオオオッ!」

 

 その死を確かめた人型怪獣は、勝利を告げるかのように雄叫びを上げた。山中に、いや、山の向こうにまで届くような、力強い叫び。

 

「おーい、『ユミル』ー!」

 

 その叫びと比べれば、茜が出した声など弱々しいものだろう。

 とはいえ山彦が聞こえる程度には大声だ。人型怪獣――――ユミルの耳にも届いたようで、彼はくるりと茜と百合子のいる方を振り向く。

 体長六十メートルの巨大怪獣が、こちらを見てきた。本来なら恐怖を感じるところだ。ましてや、地鳴りのような足音と共に駆け寄ってきたなら尚更である。

 しかし百合子達は恐れない。

 

「アカネ! アカネ! オレ、エモノ、ツカマエタ!」

 

 何故ならユミルは、()()()()()()なのだから。

 ユミルと百合子達が出会ったのはかれこれ二年前。自衛隊に連れられて町までやってきた時に顔を合わせた。当時からユミルは人間に対し好意的で、怖い想いをした事もない。打ち解けるのに一ヶ月も掛からなかった。

 今のユミルはこうして山の中で暮らしているが、今でも人間に対して好意的だ。呼び掛ければ答え、気が向けば会話をしてくれる。何かの拍子に怒れば地団駄で地震ぐらいは起こしてくるが、それだけで済ませてくれる優しい心の持ち主だ。大きいからといって臆する必要もない。

 手を伸ばせば触れそうなところまで接近してきたユミルに、茜も百合子も友達を相手するような気軽さで話し掛けた。

 

「だねー、見てたよ。カリュドンを捕まえるなんて、ほんと強いね」

 

「オレ、ツヨイ! ツヨイ!」

 

「ですね。でも戦いながら笑みを浮かべるのは、なんというか怖いから止めた方が良いですよ」

 

「? エモノ、ツカマエル、ウレシイ。ワラウ、ナゼ、イケナイ?」

 

 百合子が呈した苦言に、ユミルは首を傾げる。戦いの中で獰猛な笑みを浮かべていた彼だが、それは単に食べ物が得られる嬉しさから出たもの。別段その性質は残虐でもなんでもないのだ。

 他の野生動物も表情筋がないから感情が分からないだけで、きっと獲物を食い殺す時には満面の笑みを浮かべている事だろう。それが表立って見えるのがユミルというだけ。なら、それを戒めるのは『個人的見解』以外の何ものでもない。

 

「……いえ、気にしないでください。私の勝手な感想ですので」

 

「オマエ、イツモ、ムズカシイハナシ、スル。アカネ、ヤサシイノト、チガウ」

 

 ユミルはにこにこ笑いながら、間違いなく本心から言っていると思われる感想を述べた。無邪気な言葉に、百合子も思わず笑ってしまう。

 

「ま、なんでも良いでしょ。それよりユミル、獲物を仕留めたなら工場に持っていこう。早く持っていかないと、美味しくなくなっちゃうよ」

 

「ソレ、コマル! ウマイニク、タベタイ! アカネ、タベサセタイ!」

 

 茜が指摘すると、ユミルは大急ぎでカリュドンの亡骸の下に向かう。横たわる巨体は、人間の力では到底持ち運べないものだが……ユミルにとっては軽いものらしい。いとも容易く持ち上げ、肩に乗せてしまう。

 そうしてユミルは、カリュドンを運びながら歩き出した。向かうは、百合子達の暮らす町がある方角だ。

 

「んじゃ、私等も行こうかね」

 

「ですね。不本意ながら、見張りですし」

 

 茜に言われ、百合子は同意。軽トラックに乗り込むと、ユミルと共に町へと戻る。

 ユミルは町にとって、とても大切な存在だ。その身一つで怪獣を征伐し、その肉を自分達に分け与えてくれる。ユミルからすれば食べきれないところを渡してるだけかも知れないが、それだけでも百合子達一般人類数千人分の食糧になるのだ。彼がいなければ、今の生活すら成り立たないのが実情だろう。

 それほど恩義のある存在を、怪獣だから、なんて理由で警戒するのはどうなのか。

 ……百合子だって、その指示を出してきたお偉いさん(自衛隊)の気持ちは分からなくもない。ユミルの力は圧倒的であり、今の弱りきった自衛隊を再起不能にするぐらいは可能だろう。何かの拍子に暴れたなら、一体どれほどの人間が命を落とすか。『安全保障』を担う自衛隊としては、そうした万が一の展開にも備える必要があるのだ。

 しかし百合子は一般人。自衛隊ほどシビアな考え方など出来ないし、助けてもらったら信用だってしてしまう。それにユミルの言動を思えば……

 何より、百合子の考えとして疑い自体を持ちたくない。

 ()()()()()()()ユミルを疑うなんて、それこそ、人間らしさの放棄のように思えてならないのだから……



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怪獣学講演

 怪獣。

 出現初期は正体不明の存在だったその生物について、四年間で様々な事が分かってきた。例えばテッソは多種多様な有毒物質に強い耐性があるため化学攻撃は効果的でない、コックマーの関節はどれだけ巨大化しても強度に変化はない、バケネコは鼻の強度が脆くて六十メートル級個体でもRPGで打撃を与えられる……一般人や自衛隊に重視されているのは「どうやれば怪獣を倒せるか」という知識であるが、そうした知識を得るための生態に関する『基礎研究』も念入りに行われていた。

 その基礎研究として判明したものの一つに、怪獣の『起源』もある。

 怪獣の正体は、元々は()()()()なのだ。テッソの正体はドブネズミが巨大化したものであるし、コックマーはクロゴキブリが突如として大型化したもの。レッドフェイスが元々ニホンザルだった事や、ガマスルがウシガエルから生まれた事も分かっている。そしてこの発見の根拠は、怪獣の亡骸から採取した遺伝子。どの怪獣も、既存の生物と殆ど遺伝情報が一致しているのだ。

 それは人型怪獣ユミルにも当て嵌まる。彼の体毛を一本採取して、遺伝子解析を行えば、彼の正体を探るのは難しくない。

 

「結果から言えば、ユミルは間違いなく人間よ。年齢は十五歳。まだまだ育ち盛りの子供ね」

 

 その検査をした本人――――真綾は力強い口調で、目の前の椅子に座る百合子に対してそう断言した。

 今、百合子がいるのは真綾の『自宅』だ。自宅といっても一軒家ではなく、自衛隊所属のとある施設にある一室だが。

 広さは奥行き五メートル、幅三メートルほどの小さなもの。その小さな部屋の中には無数の本、それも専門的で分厚い書物が積み上がり、一層狭苦しいものとなっている。来客である百合子も椅子に座るだけで、テーブルも何もない。出されたお茶菓子は膝に乗せ、コーヒーカップはソーサーと共に手に持っている状態だ。

 ちょっとは部屋を片付けなよ、とも思う百合子だが、されど真綾の立場を思えばそれも仕方ないかも知れない。百合子や茜も仕事が忙しい身であるが、真綾はもっと大変だと思われるからだ。

 何しろ彼女は今、怪獣研究の第一線で働いている身。学問に対する貪欲さ、そして能力の高さが評価された結果だ。今の真綾は正にこの国の、人類の命運を左右する仕事に就いている。仕事をしながら、という条件を付けなければ、こうして話をする暇もないだろう。

 

「そうですよねー。真綾さんがやった仕事だから信じてますけど、やっぱりユミルさんは人間ですよね」

 

「何よ今更そんな質問してきて。わざわざ私の仕事場に来るぐらいだし、なんかあったの?」

 

「なんかと言いますか、うちのお偉いさんから指示があったのですよ。ユミルさんをちゃんと監視しろって。そういう情報、知った上で言ってんのかなぁと。ぶっちゃけ愚痴を言いにきました、今日は休みですし」

 

「アンタ時々物凄く図々しいわよね。まぁ、そのお陰で今も親交があるわけだけど……勿論自衛隊上層部は知ってるわよ、もう何年も前から。というか知ってるからこそ言うんでしょ。人間なんて地球で一番信用出来ない生き物じゃない」

 

 自衛隊上層部に同意するようで、恐らくおちょくっている真綾の言葉。それを聞けた百合子は、ほんの少し溜飲が下がり、自分が持つコーヒーカップの中身に口を付ける。

 芳醇な香りのコーヒーだ……豆ではなく、タンポポの根で作った代用品だが。それでもコーヒーのような嗜好品が飲めるのは、今の時代ではかなり裕福な身だけであろう。少なくとも一介のトラック運転手に過ぎない百合子に買えるような代物ではない。

 高校時代の友人の中で、一番の出世頭である真綾だからこそ用意出来るものだ。

 

「はあぁぁぁ……コーヒー美味しいぃぃ」

 

「今じゃこれもすっかり貴重品よねぇ。必要は発明の母とは言うけど、ここまで美味しいタンポポコーヒーが飲める日が来るとは思わなかったわ……で? ユミルの話はそれで終わり?」

 

「あ、そうですそうです。本題はここからです」

 

 真綾から問われて、百合子は一旦カップをソーサーの上に置く。じんわりとコーヒーの温かさを感じながら、『本題』を切り出した。

 

「いえ、最近ちょっと疑問に思ったのですけど、なんで怪獣ってあんなに大きくなるのですか? 遺伝子的には怪獣になる前の生き物と同じなんですよね? 遺伝子が同じなら、元の種類と何十倍も大きさが異なるなんてあり得ないと思うのですが」

 

「……成程。確かにそうね。身体の大きさは遺伝的要因が大きいと言われているし、餌や気温などの環境面の影響を考慮しても二倍程度が限度。ヤマメとサクラマスの関係みたいに、生育環境の違いで身体の大きさが大きく異なる種もいるけど、それらは元々そういう体質だからこその話。普通なら、百合子の言う通りよ」

 

 百合子の疑問に対し、肯定しながら、より専門的な答えを真綾は返す。つまり百合子の疑問自体は間違っていないという事だ。

 その上で、真綾は答える。

 

「その疑問の答えは最近まで謎だった訳だけど、最近になって一つの答え、らしきものが見付かったわ」

 

「答え、ですか?」

 

「実は怪獣の遺伝子には、共通する変異があるのよ。個体差レベルの違いでしかなかったのからこれまでは無視されていたけど、昨今の研究で意味のある差だと立証されたの」

 

「えっと、つまり突然変異が起きている、という事でしょうか? あれ、でも突然変異って……」

 

「お察しの通り。いくら突然変異だからって、体長数十センチの生物が二十メートルになるなんてあまりにもおかしいわ」

 

 突然変異というのはフィクションの世界で色々便利に使われているが、実際にはそこまで劇的なものではない。突然変異はあくまでも()()()()()()()()()()だけなのだ。そして身体の大きさというのは、一つの形質で決まるものではない。大きな身体を支えられる太い骨、それを動かすための筋肉、エネルギーを生み出す消化器官……ちょっと大きくなるだけなら無理も利くが、何倍何十倍もの身体となれば様々な形質の獲得が必要だ。

 これで出現した怪獣が一体だけなら、数億年に一度の奇跡といっても良いのかも知れない。たが、たった一年の間に何百体も出現するのは明らかに異常である。確率はゼロではないかも知れないが、限りなくゼロに等しいのは確か。ならば、理由があると考えるのが自然である。

 何より。

 

「ユミルの年齢は十五歳。出生届も戸籍もある一般人だった彼が、四年前に突如巨大化した……後天的な原因で遺伝子が変化した可能性が高いわね」

 

 ユミル――――本名、山田雄一の存在が、真綾の説明の正しさを裏付けていた。

 

「ユミルさんから話が聞ければ、謎も解けたかも知れないですけど……」

 

「巨大化に従って、知能が低下しているから仕方ないわ。今じゃ元々の名前すら忘れて、識別名だったユミルを名前だと思い込んでるし。まぁ、最悪人間を餌だと認識するまで知能が下がる恐れもあった訳だから、会話可能な程度の知能が残ってるだけマシね」

 

「なんでそんな事になってしまったのでしょうか……」

 

「さぁてね。他の怪獣ではむしろ脳の肥大化が見られて知能が向上してるのに、何故人間の怪獣であるユミルの知能は低下したのか。ユミルだけの特徴なのか、他に理由があるのか。彼を解剖しない限り、謎は解けないわね」

 

 人間の中で怪獣化したのはユミルだけ。彼だけが経験した、特殊な出来事があったのかも知れない。だが知能が低下した彼は、過去の事などすっかり忘れていた。

 怪獣本人から話が聞けたなら、怪獣の謎を解き明かす上で大きな一歩となったのは間違いない。百合子は科学者ではないが、その発展の機会が潰えた事は、一人類として惜しいと思う。

 或いは、科学者ではないからこそ惜しいなどと思うのか。

 

「ま、謎を解く方法は会話だけじゃないわ。今私がしてるのは怪獣の体内にいる細菌の研究なんだけど、どうも今まで発見されてこなかった、未確認種みたいなのよ。この細菌が怪獣化を引き起こしてる可能性もあるわ。脳の肥大化や知能低下にも関係してるかも知れないし、調べ甲斐があるわね」

 

 本当の科学者である真綾は、そんな事に何時までも執着せず、新たな謎に挑んでいるのだから。

 

「……凄いですね、真綾さんは本当に」

 

「? 何よいきなり。褒めても何も出ないわよ」

 

「出さなくて結構です。このコーヒーだけもらえれば」

 

 ずずずっとわざとらしくコーヒーを啜り、百合子はほっと一息吐く。真綾は肩を竦めてから、同じくコーヒーを啜った。

 

「……ところで、茜はどうしてるの?」

 

 次いで真綾は、もう一人の友人について尋ねてくる。

 それ自体はなんらおかしな話ではない。親友の近況を知りたいという、ごく自然な考えだ。

 けれどもその考えを口にする時、人は憂いや心配を顔に出すものだろうか?

 小さな違和感を覚えながらも、百合子は真綾の疑問に答える。

 

「茜さんですか? 昔から変わりありませんよ。相変わらず猟師として働いています。メキメキと腕前を上げて、今じゃ工場で一番信用されている若手ですよ」

 

「……それは、アレよね。何時かヤタガラスを倒すために努力してるのよね」

 

「ええ、まぁ。最近は聞いてませんけど、今でもそうなんじゃないですか?」

 

 百合子がトラックの運転手になったのは、単に技術に優れていて、就職に有利だったからというだけの理由だ。しかし茜は違う。

 茜は今でも、ヤタガラスに憎悪の感情を抱いている。大切な姉を奪ったヤタガラスを何時が殺すために、今でも自分に出来る事をやっていた。

 その努力の一つが、怪獣狩りの猟師への就職。ヤタガラスを自分の手で殺すためには、怪獣という存在の殺し方を熟知している方が良い。そうした経験が積めて、尚且つ就職が容易そうなのは何処かと考えた時、生産者である猟師が候補に挙がった。

 ヤタガラスの強さに比べれば、体長数メートルのテッソやコックマーの強さなど文字通り虫けらのようなものだろう。だがそれらも立派な人食い怪獣。武器も持たずに挑めば為す術もなく喰われ、油断すればどんな英雄も一撃で噛み殺す化け物だ。武器の扱い方、殺されるという恐怖への抗い方、瞬間的な判断力……様々な能力を鍛えるのに打ってつけの相手なのは間違いない。

 何時かヤタガラスに一矢報いる、そのための『キャリアアップ』を行う……それこそが茜が猟師に就職した理由だ。

 

「そうよね、そういう話だったわよね……はぁ」

 

 それは親友である真綾もとうの昔に知っている話なのだが、どういう訳か真綾は大きく項垂れた。何か問題があるのだろうか? 百合子は首を傾げる。

 不思議がっていると、真綾の方から説明をしてくれた。

 

「……これは、国の機密情報なんだけど」

 

「へ? 機密なんて話して良いのですか?」

 

「良い訳ないでしょ。これはアンタ達が親友だから話すの。言いふらすと私の首が飛ぶから、心の奥にしまっといてよ」

 

 念押しされ、百合子は息を飲む。真綾がこれほど強く言うのだ。なんらかの事情があるのは間違いない。

 だからこそ百合子は、しかと耳を傾ける。親友が、自分の将来を危険に晒してでも伝えようとしている事を聞き逃さないために。

 やがて真綾は万が一にも外に漏れ出ないよう、小さな言葉で伝えた。

 

「近々、自衛隊はヤタガラス討伐作戦を行うらしいの。そこで恐らく、茜を新隊員としてスカウトすると思うわ……貴重な即戦力としてね」

 

 この世で最も危険な、怪獣退治の情報を――――



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戦いへの誘い

「近々、自衛隊がヤタガラス討伐作戦をするらしいね」

 

 食肉工場の食堂で食事中、チラシをひらひらと扇ぐように揺らしながら茜がそう打ち明けてきた。

 食堂の席に座り、野菜炒め(白菜とテッソ肉が主な食材だ)を食べていた百合子は、口の中身を噛むのを止めてキョトンとしてしまう。一瞬、何を言われたのかよく分からなくて。

 次いで、その話が一週間ほど前から真綾から聞いた話だと分かって、やはり驚きは生じなかった。無反応に近い状態が何秒か続いたところで、茜が眉を顰めながら尋ねてくる。

 

「……なんか、随分淡白な反応ね。もしかして知ってた?」

 

「へ? あ、いえ、その……なんか驚いてしまいまして。なんで今更そんな作戦をするのかなーっと」

 

「まぁ、今更といえば今更だよね。アイツは人間なんて全然興味ないだろうし。一応自衛隊が配布したチラシには作戦の目的が書いてあるけど」

 

 情報源である真綾の行いは極秘情報の漏洩。いくら親友相手とはいえ知られてはならないと百合子が咄嗟に誤魔化せば、茜はそれで納得してくれたらしい。百合子は「ふーん」と相槌を打ちながら、茜が渡してきたチラシを受け取る。そしてそのチラシを読みながら一度ヤタガラスそのものについても思い返す。

 ――――ヤタガラス。

 世界に出現した怪獣は何百種にもなるが、ヤタガラスはあらゆる意味で別格の存在だ。どんな怪獣にも負けない圧倒的な身体能力を持ち、この四年間で無数の怪獣を殺してきた。自分より遥かに巨大な怪獣も、何十という数の群れを作る怪獣も、本気すら出さずに蹴散らしていく。今やその『悪名』は人間だけでなく怪獣にも知れ渡っているらしく、もうヤタガラスを襲おうとする怪獣はいない。ヤタガラスを前にした怪獣は無様に逃げ、それすら叶わず殺されるのみ。

 そして人類にとっては、核攻撃から生存した唯一の生命体である。

 四年前にアメリカが行った核攻撃。一度は撃破したと思われたが、ヤタガラスは海中から悠然と復活してみせた。最初は別個体が現れたと思われ再度核攻撃が行われたが、二度目以降は海に落ちる事すらなし。出力を上げてもヤタガラスは止まらず、ついに攻撃者であるアメリカに上陸し、米国の主要都市と米軍に致命的打撃を与えた。

 どんな怪獣も屠ってきた米軍を跪かせた、唯一無二にして最強無敵の怪獣――――それがヤタガラスである。

 

「(そのヤタガラスを倒したい理由、ですか)」

 

 現在もヤタガラスは日本に暮らしている。詳細な生息域は公表されていないが、日本の何処かなのは間違いない。今も、日本の空を自由に飛んでいるのだろう。

 とはいえヤタガラスは怪獣を獲物にしていて、人間には殆ど興味を持たない怪獣だ。食事や移動の邪魔さえしなければ、特に怒りを買うという事もない。巻き添えなどを除けば比較的無害な怪獣なのだ。いないに越した事はないが、ちょっかいを出すにはあまりに強過ぎる。

 そんなヤタガラスを何故わざわざ倒さねばならないのか? その理由は、ヤタガラスが日本という国を急速な滅びに向かわせている元凶だからだ。

 怪獣が現れたのは陸地だけではない。海にも魚型怪獣が出現し、海の交易路を破壊していた。海軍による征伐も間に合わず海路は殆どが封鎖。物資の移送に世界中で支障が出た。

 陸は駄目、海も駄目。しかし人類にはまだ、空が残されている。

 空だけは、怪獣の手から逃れていた。空飛ぶ怪獣は殆どいなかったからだ。勿論四年前にレッドフェイスが木を投げて爆撃機を落としたように、絶対的な安全はないが……それでも陸路や海路に比べれば遥かに安全な道のり。コストが高いとか一度に運べる量が少ないなど問題は山積みだが、物資を運ぶ道があるのは確か。物が手に入らないという事態だけは避けていた。また軍事的な面で見ても、比較的安全かつ高威力の攻撃が行える空軍が安全に使えるのは怪獣駆除を進める上で見逃せない。そのため日本以外の国の怪獣被害は、決して小さくはないし段々と追い詰められてはいるものの、まだマシな状況だ。

 しかしヤタガラスがいる日本は違う。

 日本だけは、空を怪獣に奪われていた。しかもヤタガラスは自衛隊の攻撃を覚えているのか、或いは単純に自分以外の輩が空を飛んでいるのが気に入らないのか、飛行機を積極的に落とそうとする性質がある。戦闘機だろうが旅客機だろうがお構いなし。そのため日本では空路が使えなくなっていた。

 これが致命的だった。日本は資源が乏しい。正確にいえばむしろ大抵の資源は採れるのだが、近代化と共に採りやすいところは粗方掘り尽くした状況になっている。残っているのは採算が取れない、質が悪い、技術的難易度が高過ぎるなどの問題がある資源ばかり。採算は度外視するにしても、質の悪さと技術的問題は如何ともし難い。そのため怪獣との戦いを続けるには資源の輸入が必要なのだが、空はヤタガラスに支配されていて使えない。海も怪獣だらけで進めない。陸路はそもそも大陸につながっていない。

 あらゆる補給線が寸断された状態なのだ。物資がなければ武器は作れない。物資がなければ工学機器も作れない。技術が衰退すれば機器のメンテナンスすら出来なくなり、武器の質も落ち、食糧も取れなくなって、人が減って、技術が失われ……日本は終わりなき負のスパイラルに入っていた。更に空軍という軍事的オプションが、ヤタガラスが生息する周辺では使えない。怪獣退治も滞り、被害は拡大するばかり。このままでは日本という国は遠からず消滅する。

 ヤタガラスは特別な怪獣だが、しかし全ての元凶という訳でもあるまい。ヤタガラスを倒しても、怪獣の出現は止まらないだろう。だが空路が開かれれば、他国との交易が出来る。法外な値段を付けられようとも、ちゃんとした物資が届く。それは文明を再建する一歩となる筈だ。

 故に、ヤタガラスは倒さねばならない。

 

「つー話らしいよ。まぁ、前々から言われていた事だけどね」

 

 チラシに書かれている文面を読み上げた茜は、最後にそう話を纏めた。

 百合子は、しばし口を閉ざす。

 チラシに書かれていた内容を疑っているのではない。日本の状況が危機的なものなは真綾も話していた事であるし、前々からテレビやらニュースやら噂話やらで言われていた事だ。『ヤタガラスを倒す』目的自体に裏はないだろう。

 百合子が疑問に思ったのは、どうして今なのか、という点だ。

 

「……尚更訳が分かりません。四年前ですら倒せなかったのに、今回はどうやって倒すつもりなのですかね? 武器も何もろくなものがないのに」

 

「さぁ? なんの策もないとは思わないけど、チラシには特に書いてないね。機密事項ってやつなんじゃない?」

 

 疑問を呈する百合子に、茜は雑な答えを返す。実際、茜は何も知らないだろう。怪獣と毎日戦っている彼女だが、その職種はあくまでも猟師。自衛隊の内部事情に詳しい訳ではない。

 反面、百合子は真綾から少しだけ『作戦』について聞いていた。なんでも対ヤタガラス用の新兵器を開発したとかなんだとか。とはいえ真綾が知っているのもこの程度で、しかもその新兵器がどれほど凄いものなのかも不明。そもそも核兵器が効かないヤタガラスに対し、どんな兵器なら通じるというのか。

 正直なところ自衛隊にどの程度勝つ気があるのかも分からない。いや、もしかしたら勝つ気なんてなくて、『口減らし』が目的ではないか……そんな陰謀論めいた考えまで過ぎった。普通に考えれば、働き手が足りない現状で口減らしをする余裕などないのに。

 仮に勝てたとしても、ヤタガラスの強さを思えば犠牲者数は相当出るだろう。勝つにしても負けるにしても、作戦に参加すればそれだけで命が危険に晒される。

 だけど。

 

「……それでも、茜さんは作戦に参加したいのですか?」

 

「うん。この時のために頑張っていたんだから」

 

 百合子が尋ねれば、茜は迷いなく答えた。

 思っていた通りの答え。百合子はちょっと荒い鼻息を吐き、僅かながら乱れた鼓動を鎮めようとする。

 親友が危険に飛び込もうとしている。百合子としては勿論引き止めたいところだ。しかし茜は、家族の復讐に燃える彼女は、例え親友の言葉であろうとも止まらないだろう。

 

「ま、チラシにあるのはあくまでこういう作戦をしますってだけで、募集要項やらなんやらはないんだけどね。今のところ私には関係ない話だなー惜しいなぁー」

 

 ケラケラと茜は笑っているが、内心は憎悪で煮えたぎっている。きっと、募集の二文字を見付けていたら、こうして話をする前に決めていたに違いない。

 ならば、その自衛隊から声を掛けられたなら?

 

「北条茜さんでよろしいですか」

 

 食事と会話をしていた百合子達の隣に、何時の間にかやってきた者がいた。

 気配を感じなかった、等と言えるほど百合子は気配に敏感な訳ではないが、しかし実際何も感じなかった状態での声掛け。驚くように振り返ると、そこには一人の若い男性が立っていた。

 男性は迷彩服を着た身。その身体は鍛え上げられた屈強なもので、一朝一夕で作れるものではない。端正な顔立ちをしているが、よく見れば頬や目許に傷があり、数々の修羅場を潜り抜けてきた事が覗い知れる。

 正規の自衛隊員だ。茜は、何故自衛隊員が自分に声を掛けてきたのか分からず、こてんと首を傾げる。

 対して百合子は、真綾から話を聞かされていた。自衛隊員が即戦力を求めている事を。自衛隊そのものがかなり危機的な人手不足である事も。

 だから、彼等が掛けてくる言葉は分かる。

 

「は、はい。そうですけど……」

 

「はじめまして。私は自衛隊第十七旅団所属の藤堂と申します。単刀直入に要件を伝えます。現在、我々自衛隊はヤタガラス討伐を進めています。ですが現状自衛隊員の数が足りず、作戦を確実に遂行するのが難しいのが実情です。そこで現在臨時の隊員のスカウトをしているのですが、あなたが非常に優秀な猟師であると聞きまして」

 

「わ、私がヤタガラス退治に参加出来るのですか!? やります! やらせてください!」

 

 自衛隊員こと藤堂の説明もまだ途中だと言うのに、真綾は食い気味に答える。説明していた藤堂は一瞬困惑した表情を浮かべたが、やがて彼女の必死さから何かを察したのだろう。

 

「……分かりました。後ほど書類等をお送りしますので、免責事項等をよく読んでから、サインをお願いします」

 

「そのサインをすれば良いんですね。分かりました!」

 

 誘う側としてはあまりにも丁寧な藤堂の言葉も、茜は聞き流すように答えるだけ。

 百合子は、それを眺める事しか出来ない。

止めたと声を掛けたところで茜は止まらない。

 百合子は何時だって眺める側だ。命を掛けようとする親友を止める事が出来るほど、ドラマチックな立場ではなかった。せめて共に行ければ助けも出来るが、いくら人手不足とはいえ、怪獣相手に逃げる事しか凡人を招くほど自衛隊も節操なしではあるまい。

 無力な自分が悔しくて、百合子はきゅっと唇を噛む。

 

「あ、えと、あなたは山根百合子さんでよろしいでしょうか?」

 

 そんな物思いに割り込むように、藤堂は今度は百合子に話し掛けてきた。

 まさか自分に声を掛けてくるとは思わず、百合子は唇を噛んだ、少しばかり変質的な面構えでキョトンとしてしまう。更に百合子は首も傾げ、目をパチパチと瞬かせながら藤堂を見るばかり。

 

「あなたについても、臨時隊員として協力をお願いしたいです」

 

 ましてや茜と同じくスカウトされるなんて、万が一としても考えておらず。

 驚きのあまり、百合子は危うく椅子から転げ落ちそうになってしまった。なんだか全身がギクシャクして動き辛い中、なんとか百合子は口を開けて疑問を伝える。

 

「えぁ? え、私ですか!? え、なんで!?」

 

「あなたの運転技術は非常に高く評価されています。ヤタガラス討伐作戦では大量の物資及び人員の運搬が必要であり、また一般怪獣の襲撃や悪路を走る事から、優れた運転技術の持ち主も必要です。あなたには、戦略物資の運搬をお願いしたい」

 

 頼めますか? 視線でそう語る藤堂に、百合子は思わず声を詰まらせる。身を仰け反らせ、椅子に座ったまま後退りした。

 本音を言えば、断りたい。

 そして断る事は可能だ。どれだけ追い込まれていようとも、日本は未だ民主主義の国であり、法治国家であり、自衛隊は志願制。どれだけ切羽詰まっていようが、百合子を無理やり作戦に参加させる事は出来ない。

 怪獣と立ち向かうのは怖い。確かに怪獣の肉を運ぶ仕事をしている身だが、戦っているのは何時も茜であるし、それにテッソやコックマーは怪獣というより猛獣の類。銃を持てば勝てる相手だし、いざとなったらトラックで轢き殺す事も可能だ。

 ヤタガラスは違う。正真正銘の怪獣だ。銃も戦車も核兵器も通じない、超越的生命体。そんなものを相手に戦うなんて、命の保証などないも同然だ。どうせ送られてくる書類にも、命の保証はうんたらかんたらと書いてあるに決まってる。

 死ぬのは怖い。惨めだろうが国が滅ぼうが、死ぬよりはマシだと百合子は思う。

 だが。

 ――――親友を一人で行かせるなんて、出来ない。

 

「……分かり、ました。前向きに、検討します」

 

「ありがとうございます。後日、書類を送らせていただきますので、免責事項等をよく読んでください」

 

 百合子の返答を聞き、藤堂は深々とお辞儀を一つ。感謝を伝えながら立ち去っていく。

 姿が見えなくなったところで、百合子は小さくため息を吐く。

 

「……なんか、ごめんね」

 

 そうしていたところ、茜から謝罪の言葉が来る。

 謝られるとは微塵も思っていなかった百合子は、呆けたように動きが止まる。ややあってどうにか動き出したが、やはり謝られる理由が分からず、首を傾げてしまう。

 

「えっと、なんで謝るのですか?」

 

「だって百合子ちゃん、きっと私が参加するからOK出したんじゃないかって……」

 

「あ、そこは気付くのですね」

 

「気付くよ! 私だって、一応大人なんだからそれぐらい分かるよ!」

 

 ぷんぷんという擬音が聞こえてきそうな怒り方。それがなんとも可愛らしくて、百合子は思わず笑みが溢れる。

 こんな彼女を一人にしたくない。

 人が命を賭ける理由なんて、結局のところこんなものに過ぎず。

 

「良いんですよ。参加したいから参加する……茜さんと同じです。それだけじゃ、理由として足りませんか?」

 

 にっこりと笑いながら、百合子は茜と共にヤタガラスに挑む事を決心するのだった。



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作戦開始

 ヤタガラス討伐作戦の決行は、作戦実行を通達するチラシが配られた一ヶ月後となった。

 その一ヶ月のうちの前半二週間で、百合子達の生活がどう変わったかといえば……実のところ大きな変化はない。元々『優秀な人間』としてスカウトされた訳で、むしろその生活スタイルを崩さないよう念を押されたぐらいだ。強いて普段と違うところを挙げるなら、作戦参加に関する『免責事項』等が書かれた書類にサインした事だけ。その免責事項も「命の保証はしないよ」程度のものだ。

 遺族年金も出るというので、万が一の時にも時には親が食べていくだけのお金は得られる。尤も当の家族からは辞退してほしいと懇願もされたが……時代が時代である事、百合子がもう大人である事から、どうにか認めてもらえた。最後に、ぎゅっと抱き締めるという条件付きで。

 そうして前半二週間は普通に過ごした。変化が起きたのは後半の二週間から。

 そこからは作戦の内容について、本格的に教わる事となった。といっても自分の役割と作戦地点の地形について学ぶぐらいだが。茜のように実際に戦う者はそれなりの訓練や作戦の学習もしていたようだが、百合子は運搬係。作戦時に使用する車の乗り心地を確かめる程度だ。

 かくして一月という時間は瞬く間に流れ――――ついに作戦当日の十四時。

 

「……壮観だなぁ」

 

 車の中にて、百合子はぽつりと呟く。

 百合子がいるのは、地元の町から百十数キロほど離れたとある山奥。生えているのはスギやヒノキなど木材として使われる木々ではなく、ブナ科の植物ばかり。木々の枝はうねるようにあちこちに伸びていて、正に自然の産物といった様相だ。尤も原生林などではなく、何十年か前まで人が手入れをしていた里山らしいが。

 生息している怪獣は精々テッソか小柄なレッドフェイスぐらいで、平穏で穏やかな地。されどこの山こそが、ヤタガラスの根城だという。長期間滞在している事はないが、夕方になると高確率で戻ってきて、ここで眠りに就くらしい。怪獣がいないのはヤタガラスを恐れての事か、はたまたヤタガラスが食い尽くしたのか。

 いずれにせよ、これからヤタガラスに攻撃しようとしている人間達にとっては、横やりが入らないのは好都合だ。

 

「この戦いは我々が住まう日本を守るというだけではない! 人類と怪獣の戦いにおける、大いなる一歩となる!」

 

 車内にいる百合子にも聞こえるぐらい大きな声で、マイク越しに叫ぶ五十代ほどの男性がいる。迷彩服を着ている身体は肩幅が広く、そして強面。如何にも軍人らしい男だ。

 彼が今回の作戦を指揮する人物だ。階級は陸将……陸上自衛隊のトップ。百合子はあくまでも『民間協力者』なので彼の部下や配下という訳ではないのだが、此度の作戦に参加する以上、彼の命令は全てにおいて優先される。軍隊の指揮系統の基本的に上位下達なのだ。

 そんな陸将の彼の正面には、何千という人々が並んでいた。誰もが迷彩服姿で、背中に銃を背負い、真っ直ぐ陸将を見つめている。

 彼等こそがこの戦いの主役である歩兵達。人数は三千五百人。生粋の自衛隊員は半分ほどで、残りの半分は優秀な猟師などからスカウトしてきたらしい。

 この歩兵達の中の一人に、茜の姿がある、筈だ。

 

「(せめて作戦前に、話ぐらいしたかったですけど……)」

 

 人数があまりに多く、百合子には人混みの中から茜の姿を見付けられない。

 仮に見付けたところで、陸将の話が終わるのと共に作戦が始まるのだから、大した意味もないのだが。

 

「総員! 作戦を開始せよ!」

 

 陸将の掛け声と共に、茜がいるであろう三千人以上の歩兵が動き出した。

 歩兵達の後を追うように、後ろから戦車がぞろぞろと向かう。何十、或いは何百もの数だ。履帯が木の根を踏み潰す音があちこちから鳴り響き、さまがら大合唱のようである。

 四年前まで、日本の鉄需要は輸入によって賄われていた。怪獣の出現、そしてヤタガラスによる空路の封鎖により、今や鉄は希少品。その希少な鉄をふんだんに使った戦車をこれでもかというほど投入している。これが失われたなら、いよいよ小さな怪獣相手にすら対処出来なくなるだろう。此度の作戦に対する自衛隊の本気が窺い知れた。

 そしてその戦車の後ろを走るものは――――

 

「(なんでしょうか、アレ)」

 

 例えるなら、巨大な剣を担いだ車、だろうか?

 『剣』らしき金属の塊の長さは二十メートルほど。車体の倍近い長さがあり、転倒しないようにするためか車体は戦車のように横幅が広い。車輪もキャタピラを採用しており、安定性を重視しているのが窺い知れた。

 あれが件の新兵器だろうか。奇妙な出で立ちは「何かしてくれそう」という期待感は持てる……が、何をしてくれるかはさっぱり分からない。剣はあっても砲台は見られず、どんな攻撃をするのか見当も付かなかった。

 まさか本当に剣よろしく斬る訳じゃあるまいしと百合子は思うが、考えても考えても答えは出ず。そうこうしているうちに新兵器は戦車に続いて進んでいく。

 やがて戦車も歩兵も新兵器も森の奥へと消えていき……百合子達の乗るトラックが残される。

 残されているのは百合子だけではない。トラックは他にも何百台と存在していて、そのうちの半分以上がこの場に残っていた。

 百合子達の任務は、戦いが始まってからしばらく経ってからが本番だ。戦いが始まれば銃弾や砲弾が次々と消費されていく。だからといって傍に物資を山積みにしていると、攻撃などが直撃して吹き飛んだ時、一瞬で攻撃手段を失う事となる。現場には少量の物資を持ち込み、状況に応じて適時運んでいくのが最適だろう。

 百合子の役割は、物資を必要とする場所に荷台に積んだ物資を届ける事。

 その時が訪れるまで、百合子はじっと待つのであった。

 ……………

 ………

 …

 茜達が出発して、どれだけの時間が経ったのだろうか。

 車内に搭載されている時計に百合子は目を向ける。時刻は十八時を回っていた。夏なのでまだ辺りはほんのり明るいが、それでももう何十分も経てば完全な夜が訪れるだろう。攻撃開始が十七時からの予定なので、かれこれ一時間は過ぎている事になる。そして遠くの方からは爆音が幾つも聞こえてきているので、攻撃は既に始まり、激戦が繰り広げられている筈だ。

 しかし百合子は未だヤタガラスを見ていない。何しろ百合子の役割は通信が入り次第、作戦エリアまで物資を運ぶというもの。今はまだ連絡がないため、『安全』だというエリアにて待機中だ。安全圏から危険な怪獣の姿が見える訳がなかった。

 とはいえ周りで同じく待機していたトラックは、続々と出発している。いずれ百合子の下にも連絡が届くだろう。勿論その前にヤタガラスが倒されたなら百合子の出番はなくなるのだが、史上最強の怪獣がそんな簡単に倒されてくれる筈もなく。

 

「(……怖いなぁ)」

 

 胸のうちで、気持ちをぽろりと零す。

 言うまでもなく、怖いのは連絡があり次第向かうという行為そのもの。最前線、というほど近くではないらしいが……怪獣ヤタガラスの機動力を思えば、最前線も最後尾も大して変わらないだろう。ヤタガラスに近付くのは、やはり怖い。

 そして茜の安否。

 大切な親友は今、前線で戦っている筈だ。戦闘時の作戦がどんなものかは、運搬係に過ぎない百合子には教えてもらえなかった。だがヤタガラスと直にやり合うのだ。相当危険な目に遭っているに違いない。いや、或いはもう……

 危険な場所に出向く親友の傍にいたい。

 その気持ちは本心からのものだが、しかし気持ちだけで寄り添えるほど現実は優しくない。結局は立場に応じて居場所が割り振られ、都合良く傍にはいられないのが大人というもの。

 自分の無力さへの嫌悪で、百合子はトラックのハンドルに顔を突っ伏した。

 瞬間、車内に置かれた通信が大きな音を鳴らす。

 

「ひゃあっ!? え、あ、通信……」

 

 それが自分宛てに掛かってきた通信だと理解して、百合子の中からセンチメンタルな気持ちは消えた。ここからは大人の時間。それに最前線で戦う茜を助けるという意味でも、補給物資はちゃんと届けなければならない。

 鳴り響く通信機を前に、一回深呼吸。意を決して通信機のボタンを押した。

 

「は、はい。こちら山根百合子」

 

【山根車、ポイントBに移動。物資を引き渡せ】

 

「りょ、了解」

 

 百合子が通信に出ると、淡々とした声で指示がある。

 指示を理解した旨を伝えた百合子は、車内に積んである地図を一度開く。ポイントBはここから西に進んだ方の山のてっぺん。多少伐採して道を作ってはいるが、まだまだ木が生い茂る場所であり、慎重な運転を求められる。百合子の技術でも油断をすれば崖から落ちかねない。

 未だ恐怖心は心の奥底で燻っているが、大人の精神力でそれを抑え付けて、百合子はトラックを走らせた。

 森の中をトラックで進むほどに、爆音が大きく聞こえてくる。戦っている場所に物資を届けているのだから当然なのだが、その当たり前の事実が百合子の胸をきゅっと締め付けた。なんとなく落ち着かず、運転が覚束なくなりそうで怖い。

 やがて木々の少ない道に出た。所謂崖っぷちであり、危険な道だったが……開けている方から爆音が聞こえてきて、ふと、百合子はそちらに視線が向く。

 百合子は反射的にトラックを止めた。このままでは()()()()をしてしまうと、本能的に察したがために。

 ――――そこには、見慣れた怪獣の姿があった。

 思い返せば自分がその怪獣を直に見たのは、これでかれこれ四度目になる。最後に見てから四年の月日が流れたが……百合子の記憶にあるものと何から何まで変わらない。

 体長六十メートル程度の、怪獣としては決して大柄ではない、けれどもどんな敵をも寄せ付けない無敵のボディ。

 黒く、けれども虹色の光沢を放つ羽毛に覆われ、その巨体を軽々と空まで運んでしまう二枚の翼。

 隙間なく鱗が生えていて、恐竜を彷彿とさせるほど、太く頑強な足。

 

【グガアアゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!】

 

 そして地平線の彼方まで轟く大咆哮。

 大怪獣ヤタガラス――――百合子が目を向けた先には、最強の怪獣が君臨していた。

 全てが記憶にあるのと同じ姿だった。されどその身に纏う威圧感が、四年前とは比較にならない強さと恐ろしさだと感じるのは何故か? 少し理由を考えれば、答えはすぐに導き出せた。

 足下に転がる、幾つもの金属の塊。

 一見して正体不明のそれは、戦車の残骸だった。徹底的に踏み潰され、破壊し尽くされている。中の人間がどうなったかは……考えるまでもない。

 流石に全ての戦車が破壊された訳ではないようで、未だ砲撃を続けている戦車もあった。砲撃はどれも正確でヤタガラスの顔面や翼に命中している。更には山の中腹からの砲撃……恐らく迫撃砲だと思われるものもどんどん放たれ、ヤタガラスに当たる。自衛隊の猛攻は極めて正確で、一発も外れていない。が、ヤタガラスは気にも留めていない様子。痛がる素振りすら見せていなかった。

 確かに六十メートルを超える怪獣には、通常兵器の効きが悪いものだ。しかし顔面、特に目玉に当たっているのに痛がりも痒がりもしないのはどうしてなのか。真の怪獣というのは、目玉までも頑丈なものなのか。

 そんな疑問を見ている百合子が抱いてしまうぐらい、ヤタガラスに戦車砲は通じていない。しかしながら鬱陶しいとは感じたようで、ヤタガラスはくるりと頭の向きを変えた。

 

【グガアァッ!】

 

 その怒りを露わにするかのように、ヤタガラスは鳴き声一つ。更に翼を大きく広げた。

 それと共に嘴の先が光り輝き、一閃の光が放たれる。

 忘れる筈がない。かつてレッドフェイス達を一撃で葬った、生物が使える訳がない力……レーザー光線だ。

 人類ですら開発出来ていない大出力のレーザーは地面に当たると、巨大な爆炎を起こす。強大な衝撃波と閃光が撒き散らされ、それと共に金属の欠片も高く舞い上がる。この現象がどのような原理によるものか百合子には分からないが、その破壊力の強さは見ただけで察せられた。

 そんなレーザーを、ヤタガラスはあちこちに撃ち込んでいく。薙ぎ払うように撃つ時もあれば、マシンガンのように連射する事もあった。自由に撃ち方を変え、自衛隊の戦車を、迫撃砲を跡形もなく破壊する。爆発時に周りの木々に引火したのか、幾つもの場所から火の手が上がった。もう殆ど日が沈んで暗くなり始めた頃だが、周りで燃え盛る炎がヤタガラスの身体を煌々と照らす。

 四年前、そのレーザーを見た時に百合子はそれがヤタガラスの『必殺技』、或いは奥の手なのだと思っていた。何しろ生物体ではどう考えても不可能で、人類の科学でも成し遂げられない攻撃なのだから。なんの苦労もなく放てたら、それこそ出鱈目である。

 されどヤタガラスにとってレーザー攻撃は、どうやら通常攻撃の一つでしかないらしい。まるで息をするかの如く閃光を放ち、何もかも焼き尽くしていく。ヤタガラスは戦車砲を受けても身動ぎ一つもしない。即ち人間が繰り出した兵器など虫けら程度にしか思っていない筈なのに、その虫けらを潰すのにインチキ技を使っている。

 何もかもが規格外。人間の手に負えるような存在ではない。

 自衛隊は、何をトチ狂ってこんな『怪獣』に勝てると思ったのか――――

 

「(……ん? 何か、奥にあるような?)」

 

 考えながら眺めていると、ふと、ヤタガラスの背後にある残骸が目に付く。

 金属の残骸であるのは確かなのだが、どうにも戦車のようには見えない。潰されているので正確な大きさや形は分からないが、戦車よりもずっと巨大なようで、何やら『剣』のような印象を受ける。

 恐らくあれは、先程少しだけ見た新兵器の残骸だ。

 自衛隊もトチ狂って突撃した訳ではない。新兵器がヤタガラスを打ち倒せると踏んで挑んだのだろう……が、結局粉々に破壊されている以上、見積もりが甘かったと言うしかない。そして新兵器もヤタガラスには傷一つ付けられなかった以上、最早戦闘を続行する事になんの意味があるというのか。

 百合子がそんな疑問を抱いた時、トラックに置かれた通信機が鳴り出す。仕事をサボってヤタガラスをぼうっと眺めていたと今思い出した百合子は、慌てて通信機のスイッチを押した。

 

【作戦中止! 中止だ! 早く逃げ】

 

 するとこちらが名乗るよりも前に、狼狽した叫びが通信機より返ってきた。しかもその叫びは ― ヤタガラスが何処かに向けてレーザーを撃ち込んだ瞬間に ― 途中で途切れ、後はノイズが鳴るだけ。

 作戦前の『練習』では、まずは受け手が名乗るようにと教わった。こんな、いきなり作戦中止を叫ぶようなパターンは教わっていない。突然の『アドリブ』に百合子は困惑から身を強張らせる。

 されどすぐに、恐怖が身体を支配した。

 作戦中止。早く逃げろ。

 その二つの言葉が意味する事は明白であるし、『新兵器』らしき残骸を見た時にも感じた事。これ以上の作戦続行は無意味。被害を減らすためにも撤退しろという訳だ。

 そうと決まれば逃げるしかない。幸いにして百合子はトラックに乗っている。徒歩で逃げるのに比べれば、こっちの方が遥かに有利――――

 

【グガァ】

 

 その考えが吹き飛ぶほどの悪寒が、今し方聞こえてきた鳴き声と共に百合子の全身を駆け巡る。

 無意識に百合子は声がした方へと振り向く。するとどうした事か、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それも、かなり怒っている様子で。

 自分は何もしていない、と百合子としては弁解したい。が、ヤタガラスからすればトラック(戦車)ぐらいの大きさをした金属の塊は、痛くも痒くもないが鬱陶しい攻撃をしてくる輩という認識なのだろう。仮に話が通じたところで、百合子もこの攻撃作戦に参加している身なのだから弁明しようがない。

 不味い。

 そう思った百合子はトラックのアクセルを踏み締める。しかし翼を広げたヤタガラスから逃げ切れるとは、どう考えてもあり得ない話であり――――

 ヤタガラスの背後から現れた()()()()()がいなければ、百合子の命運はここで尽きていたであろう。



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巨人と怪鳥

 二本の腕が、ヤタガラスの喉を締めるように巻き付く。太い足も胴体を抱え込み、動きの拘束を狙っていた。

 ヤタガラス越しの姿故に、全身が見えている訳ではない。しかし百合子は、『彼』がそこにいるのが分かった。何故? どうして? 疑問は幾つも浮かんでくるが、それはこの際どうでも良い。

 大事なのは彼――――ユミルがこの場に現れ、そしてヤタガラスに攻撃を仕掛けた事だ。

 

【オマエ! アカネ、イジメタ! ユルサナイ! ユルサナイ!】

 

 ユミルは大声で吼えながら、ヤタガラスの首を更に締めていく。野生の闘争心を剥き出しにした敵意は、純粋な殺意へと昇華。窒息によりヤタガラスの命を奪おうとしていた。

 だが、ヤタガラスは違う。

 ヤタガラスはキョトンとしていた。突然の奇襲攻撃を喰らいながら、奴はなんのダメージも受けていない。首を締められても苦しそうにはせず、むしろ首を少し回して、背後に立つユミルをじっと見るだけ。

 大きく翼を広げたヤタガラスは軽く跳躍するや、翼を羽ばたかせて空中でくるりと一回転。

 その遠心力だけで、ユミルは呆気なく振り解かれてしまった。とはいえそれはユミルが非力なのではない。巨大なユミルの身体を乗せたまま、なんの苦もなく飛び上がったヤタガラスの力が異常なのだ。

 

【グァッ……ヌウウゥッ!】

 

 吹き飛ばされたユミルは燃え盛る森の上を転がり、やがて山の斜面に叩き付けられた。が、すぐに立ち上がる。炎の上を通ったが、やはり怪獣の身体は頑丈らしく、ユミルの身体には焦げ目一つ付いていない。

 起き上がったユミルは強靭な脚力で大地を蹴り、人間よりも素早いと思える『動作』でヤタガラスへと接近する。激しい怒りと敵意を露わにしながら。

 

【……ガァッ】

 

 だが、ヤタガラスに危機感を抱かせる事すら出来ない。

 短く鳴いた後、ヤタガラスは足を前へと突き出すようにしてユミルを蹴る。駆け抜けていたユミルはその蹴りに対し腕を交差させて受け止めようとしたが、ヤタガラスのパワーの方が圧倒的に上。ユミルはまたしても蹴散らされ、土煙と木々の破片を撒き散らしながら大地を転がる。

 

【グ、アアアアアアッ!】

 

 そうして転がりながらも、ユミルは反撃として掴んだ土を投げ付ける。その土は、果たして狙ったものか百合子には分からないものの、ヤタガラスの顔面に命中した。

 人類が繰り出した兵器でも傷一つ付かないヤタガラスであるが、『目潰し』には顔を顰める。痛がった様子はないのでダメージはない様子が、視界を塞がられる事は鬱陶しいのだろう。その顔には明らかな苛立ちが募っていた。

 再び立ち上がったユミルがまた土塊を投げ付け、それが顔面に当たった瞬間――――ヤタガラスは怒りを爆発させる。

 

【グガアアアアアァァァッ!】

 

 咆哮を上げながら、ヤタガラスは片翼を大きく振るう。

 ただそれだけの動きで周辺にある森、いや、山そのものが震えるほどの爆風が引き起こされた。風は木々を木の葉のように舞い上がらせ、戦車の残骸も纏めて飛ばしていく。

 そして風が向かう先にいるのはユミル。

 ユミル目掛けて、無数の『ゴミ』が襲い掛かる! ユミルもまた『怪獣』であり、これまで人間に攻撃された事こそないが……大きさから推測するに、通常兵器程度ならば耐えられる頑丈さがある筈だ。ただの暴風で飛ばされたゴミであれば、ダメージとなるほどの衝撃は受けまい。

 されど此度の風はヤタガラスが生み出したもの。自然の限界を無視した爆風は、飛ばしたゴミに現代兵器以上の破壊力を宿す。しかも今まで辺りを照らしていた火災も爆風により消え、戦場が夕刻の薄暗さに閉ざされてしまう。『飛翔体』の姿は殆ど見えず、ユミルは金属や木々を避けるどころかろくに防ぐ事も出来ず。強烈な打撃を受けたその身は、大きく体勢を崩した。

 そこをヤタガラスは見逃さない。

 よろめくユミルに対し、ヤタガラスは悠然と接近。おもむろに足を前へと突き出して、ユミルを蹴飛ばして横転させてしまう。転倒したユミルはすぐに起き上がろうとするが、それを許すほどヤタガラスは甘くない。立とうとすれば脇腹を蹴り上げ、守ろうとすれば背中から踏み付ける。傍若無人な攻撃でユミルを追い詰めていく。

 

【グォ、オ、オグルァッ!】

 

 ユミルも大人しくやられはしない。雄叫びを上げて身体に力を入れ、ヤタガラスが蹴り上げるよりも早く立ち上がる。次いでヤタガラスがユミルを蹴るために上げていた足にしがみつき、今度は自分が押し倒してやるとばかりに大地を蹴った。

 されど、ヤタガラスは動かない。

 片足立ちでいようとも、ヤタガラスはユミルの力を難なく受け止めたのだ。

 

【グガッ、ガッ、ガッ】

 

 なんだお前それで全力かぁ? ――――そう言わんばかりの、軽薄な鳴き声をヤタガラスは出す。鳥類故に表情筋などない筈の顔も、心なしかユミルを小馬鹿にしているようだ。

 形勢逆転のつもりが、何も変わっていない。ユミルは驚いたように目を見開き、歯を食い縛って渾身の力を出そうとする。しかしこれでもヤタガラスをよろめかせる事すら出来ない。まるで大人と子供の力比べのようだ。

 それでもユミルが何時までも諦めずにいると、ヤタガラスの表情が変わる。嘲笑うものから、苛立ったものへ。最初は小馬鹿にしていた虫けらが段々鬱陶しくなってきたのかも知れない。

 

【……グガアァアッ!】

 

【ゴアッ!?】

 

 一声鳴くのと共に繰り出した蹴りは、ユミルの身体を大きく跳ね上げた。何万トンあるかも分からない巨躯が地面に落ちれば、小さな時間を引き起こす。それでもまだ勢いは失われず、ユミルは再び地面を転がされてしまう。

 結果的にヤタガラスから離れ、体勢を立て直すチャンスを得たユミル。だが今度は上手く立ち上がれない。今まで何度も蹴られていたが、此度の強さはかなりのものだったのか。或いはここまでの戦いで身体にダメージが蓄積しているのか。

 今や老人のように動きが鈍いユミルだったが、ヤタガラスの頭に容赦の文字はなかった。

 ヤタガラスは前に突き出すように、翼の先をユミルに差し向ける。その翼の先は、徐々に小さな発光を始めた。

 ヤタガラスはレーザーを撃つつもりだ。ヤタガラスにとっては通常攻撃に過ぎないそれは、しかし体長六十メートル超えの巨大猿レッドフェイスを容易く貫通する威力がある。ユミルがどれだけ頑丈かは分からないが、これより繰り出される大出力レーザーに耐えられるとは思えない。

 ユミルも嫌な予感がしたのだろう。わたわたとした動きで、立ち上がるのも後回しにして這いずるように逃げようとする。だが光の速度で放たれる攻撃の前では、どんな速さの逃走も無意味。

 哀れ、ユミルは最強の怪獣の一撃で、あえなくその命を散らす……百合子はそう考えていた。

 ところがである。

 

 ――――ぷすんっ。

 

 ヤタガラスの翼から、なんとも間の抜けた音が鳴ったのだ。

 なんだ? と百合子が思ったのも束の間、放っていた翼の先の光まで消えてしまう。さながらガスが切れたコンロのように。

 

【……ガァ?】

 

 自分の翼の『異常』に、ヤタガラスは首を傾げる。今まで光っていた自分の翼の先を覗き込むという、割と危なっかしい事までやっていた。しかし不思議がっていたのは短い間だけ。

 やがてヤタガラスは首を動かし、西の空を見つめる。

 見つめるといってもそこには、少なくともこの戦いを遠目に見ているだけの百合子には、何もないように思えた。精々太陽が殆ど沈んで、微かな朱色が滲んでいるだけ。その朱色も、眺めているうちに消えてしまう。

 太陽が完全に沈んで夜になると、どうした事か、ヤタガラスの身体から力が抜けた。身体自体が虹色に発光しているため、その様子はハッキリと見える。今までユミルに向けていた敵意も段々と薄れていた。

 ヤタガラスの心境など、怪獣ですらない百合子に読めるものではないが……感じた雰囲気を一言で例えるなら、()()()、といったところか。

 

【……ガァッ】

 

 そんな印象を裏付けるかの如く、ヤタガラスは大きく翼を広げると、大空に向けて飛び立ってしまう。

 巨体が一瞬で天空に旅立つほどのパワーにより、暴風が周辺に吹き荒れた。けれども百合子の乗るトラックがひっくり返るほどではない、本当にただ強いだけの風。夜空に浮かんだ黒い身体はやがて見えなくなり、目視で行方を追い駆ける事は叶わない。

 人間である百合子は、トラックの中でぼんやりとするばかり。何が起きたのか、どうしてヤタガラスの翼からレーザーが出なかったのか、どうしてこの場から飛び去ったのか……百合子には何がなんだか分からない。いや、果たしてこのどれか一つでも分かる人間がいるのだろうか? 科学者でもなんでもない、ましてや自分が天才だなんて一度も思った事がない百合子だが、そう思ってしまうぐらい頭がこんがらがっていた。

 確かな事があるとすれば、ただ一つ。

 

【ゥ、ウゥ……】

 

 呻きを漏らすほど痛めつけられながらも、ユミルが五体満足で、ヤタガラスとの戦いを生き延びた事ぐらいなものだった。



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サイカイ

 ヤタガラス駆除作戦を行った日から、一週間の時が流れた。

 百合子は今、十日間に渡る長い休暇に入っている。自衛隊の作戦に協力したとの事で、努めている食品工場から特別休暇が渡されたのだ。元々食品工場は自衛隊が管轄しているもの。それぐらいの融通は利かせてくれた。

 そんな休みの日の一日を使って、百合子は市内のとある病院を訪れた。

 病室内の廊下や部屋は壁紙が剥がれていたり、怪しげな染みがあったりと、お世辞にも綺麗とは言い難い。しかしながら大きさは立派なもので、四年前に百合子が通っていた高校よりもずっと広いだろう。染みだのなんだの汚れはあっても埃は見当たらず、清掃も行き届いていると思われる。廊下では看護師や患者らしき人が歩いていて、頻繁にすれ違うところから、そこそこ賑わっているらしい。経営は順調と見るべきか。さぞや医療設備も整っているに違いない。

 そんな病院であるが、実は一般人が利用する事は出来ない。自衛隊直営の病院であり、基本的に患者は自衛隊員のみだ。エボラ出血熱のような致死的伝染病の流行など、市民生活に大きな影響が出る時は開放されるらしいが、少なくとも自衛隊が管理するようになったここ三年の間に、そうした対応が取られた事は一度もない。

 ただし今この時に限れば、自衛隊員以外の利用者も相当数いる。

 

「(えーっと、病室は三〇二号室ですね。多分三階の部屋でしょう)」

 

 紙に書かれた文字を頼りに、百合子は病院内を進む。三〇二という部屋番号から訪れた三階には、予想通り三〇〇番台の部屋が幾つもあった。

 他の部屋の番号から、目当ての部屋の場所を推察しながら百合子は進む。三〇二号室は、特段苦もなく見付ける事が出来た。部屋の前に掛けられているネームプレートによれば、個室ではなく四人部屋のようである。百合子は静かに扉を開け、ネームプレートに書かれていた名前の位置から、ベッドの場所を予想して出向く。

 ベッドを囲うカーテンを開けてみれば、予想通りそこには親友――――茜の姿があった。桃色の病院服を着ていた茜は、百合子の姿を見て目を大きく見開く。

 

「百合子ちゃん!?」

 

「はーい、お見舞いに来ましたよー。元気そうで何よりです」

 

「わ、私よりも、百合子ちゃんも無事だったんだ!」

 

 百合子の顔を見た途端、茜は驚き、興奮した様子を見せる。身体を起こすだけでは飽き足らず、ベッドから降りようとまでしてきた。

 尤も、身体が痛むのか降りきる前に茜の動きは止まったが。百合子は茜の傍に駆け寄り、ベッドから降りないよう彼女の肩を掴む。

 

「ああ、動かないでくださいよ。まだ怪我は治ってないでしょうに」

 

「だっ、だって、無事かどうか分からなかったから……良かった、本当に、良かった……!」

 

 茜は感極まったようにぼろぼろと泣き出す。それはこっちの台詞ですよと百合子は言いたかったが、口を閉じ、優しく親友の背中を擦る。

 そう、安否を喜ぶのはこちらの台詞。

 物資運搬の道中で呆けていた百合子と違い、茜は文字通り前線でヤタガラスと戦っていた。その過程で多くの自衛隊員と志願者が命を落としたし、落命こそ避けたが大きな怪我を負った者も少なくない。

 百合子が人伝に聞いた話では、茜も手足にかなり酷い怪我をしていたと聞く。幸いにして命に関わるもの、そして後遺症が残るものではなかったようだが、しばし安静にしなければならないらしい。だからこそ、ベッドから降りようとして痛みで固まった訳だが。

 

「ほら、あまり起きてると身体に障ります。今は寝ていてください」

 

「うん……」

 

 百合子が窘めると、茜は大人しく布団の中へと戻る。横になった彼女に茜は微笑みかけ、茜も笑みを返してくれた。

 だが、その笑みは段々と曇っていく。

 

「……なんか、ユミルが来てくれたんだって? 私、その時にはもう怪我で気絶してて、人伝に聞いただけなんだけど」

 

「あ、はい。そうですね。彼が来てくれなければ、私も逃げられたかどうか……あ、ユミルさんは無事ですよ。ちょっと怪我したようですけど、骨折とかはないみたいですし」

 

「そう、なんだ。良かった……」

 

 ホッと、安堵したように茜は息を吐く。怪獣とはいえユミルは人間だ。ましてや助けてくれた相手が無事と分かれば、安堵もするだろう。

 ちなみにユミルがあの場所に来ていた理由は、散歩をしていたら茜の姿を見付けて、後を追い駆けたからとの事。長期休暇のうちの一日を使って、百合子が自らユミルに尋ねて聞いた話である。『大人』からするとあまりにも気ままな理由であるが、実年齢十五歳、精神年齢それ以下の男の子としてはさもありなん。それにこういうのも難だが、ユミルの知性で嘘を吐くのは難しいだろう。恐らく本当にそのような経緯なのだ。

 百合子は薄々察していたが、ユミルは茜の事が大好きなのだ。茜も恐らく、彼の好意には気付いている。だからこその安堵かも知れない。自身への好意で一人の『人間』が命を失うところだったのだから。

 そして、そのような危険をユミルにさせてしまったそもそもの原因は……

 

「……私達、負けたんだね」

 

 茜の口から、受け入れなければならない事実が語られた。

 百合子は一瞬表情を強張らせる。その問いは想定していた筈なのに、唇と喉が震えて上手く声に出せない。

 仕方なく、百合子はこくりと頷く事で茜の問いに答える。

 ――――自衛隊によるヤタガラス駆除作戦は失敗に終わった。

 作戦に参加しなかった一般人にも、既にこの話自体は通達されている。入院している茜達の耳に入っているのは、ごく当然の事だろう。百合子としても今更それを隠せるだの誤魔化せるだのとは思わない。

 むしろ、百合子は茜に訊きたいと思っていた。

 

「……茜さんは、まだヤタガラスを倒そうと、考えているのですか?」

 

 これから、どうしたいのかを。

 百合子からの質問に、茜はしばし口を閉ざす。言いたくないなら言わなくても良い……そう伝えようとして、百合子は気付く。

 茜が、ベッドのシーツを強く握り締めている事を。悔しさを露わとするかのように。

 ……自衛隊がヤタガラスに負けた事に対する世間の反応は様々だ。自衛隊に失望したと嘆く者、戦力の低下した自衛隊が自分達を守れるのかと不安になる者、最初から分かっていたと達観する者……十人十色な反応が得られる。何分「自衛隊が負けた」という話こそ公開されたが、被害や負け方などの詳細は伏せられたままなのだ。与えられた情報の少なさ故に各々が勝手にイメージを膨らませる事となり、だからこそ多様な反応が起きる。

 逆に、作戦に参加した者達の反応はどれも同じだ。そしてそれは百合子の親友である茜であっても変わらないらしい。

 ヤタガラスと対峙したものは、誰もがヤタガラスに対して一つの念を抱く。

 絶望と達観だ。

 

「……私、最初はね、凄くやる気だったんだ。ここで姉ちゃんの仇を討てるって。難なら映画のヒーローみたく、相討ち覚悟の攻撃だってしてやるつもりだったんだから」

 

「はい。茜さんはそう考えているなと思っていました」

 

「……あ、怒ってる?」

 

「そりゃ怒りますよ。私達親友を置いていこうだなんて、怒るに決まってるじゃないですか」

 

「ですよねー。私も怒るだろうし」

 

 悪びれているのか、そうでもないのか。笑いながらも複雑な感情を感じさせる茜の言葉に、百合子は何も言えなくなる。

 しばらく茜は一人でへらへらと笑っていたが、その笑いは少しずつ弱まり、やがて止まってしまう。そして茜は身体を震わせ、自分自身を抱き締めるように腕を回す。

 百合子は茜の傍に寄り、ベッドの隣で腰を下ろす。茜が自ら話し始めるまで待つために。

 茜の身体は何時までも震えていて、話し始めた言葉も、凍えるように震えていた。

 

「アイツと向き合って分かった……アレはどうやっても、勝てない相手なんだって」

 

「……………」

 

「RPGを顔面に撃ち込んだのに、あいつ、こっちの事なんて気付きもしなくて。私の後ろにあった、戦車に向けてレーザーを、う、撃って、わた、し、その爆発で……」

 

「茜さん。落ち着いて」

 

「怪獣なんて何匹も殺してきた。命の危険だって何度も味わった。だけどアイツは違う、アイツは駄目だ。勝てる訳ない、殺されるみんな殺される殺される殺される殺される……!」

 

「茜さん!」

 

 百合子は咄嗟に、茜を抱き締める。

 感情が暴走していた茜は、百合子が抱き締めてもしばらくは独りごちるように喋り続けた。けれどもやがて声は止まり、震えも収まると、茜は百合子の腕にしがみつく。

 百合子は、一層強く茜を抱き締めた。一人で何処かに行ってしまわないようにと祈りながら。

 

「茜さん。大丈夫です……誰もあなたを責めたりなんてしません。私は、あなたの味方ですから」

 

「……うん」

 

「あ、勿論真綾さんもですよ。そういうようにって伝言、頼まれていましたからね」

 

「あはは。伝言で済ませる雑さといい、こっちの行動を読んでるところといい、アイツは変わらないなぁ」

 

 真綾からの言伝に、茜の顔に笑顔が戻る。親友が笑ってくれた安堵した百合子も、優しく微笑んだ。

 

「失礼します。北条茜さんはいらっしゃいますか」

 

 その微笑みは、不意に背後から聞こえてきた声によって終わりにさせられたが。

 百合子は茜から離れつつ、反射的に声が聞こえてきた方へと振り返る。

 すると病室の入口に立つ一人の、若い女性の姿が目に入った。顔立ちの雰囲気から判断するに年頃は二十代前半と、百合子達と同じぐらいか。とはいえ表情の凛々しさは、彼女に立派な風格を与えていた。迷彩服を着込んでいる身体は女性としてはかなり大柄で、尚且つ手足は非常に引き締まったもの。過酷な訓練をしてきた身だと、素人である百合子にも一目で分かった。

 恐らく茜や百合子のような一時的な協力者ではなく、本職の自衛隊員だろう。やってきた女性の正体をそう判断した百合子は、だからこそ首を傾げる。

 何故、その自衛隊員が自分達のところにやってきたのか?

 

「えっと、私が北条茜ですけど……」

 

 同じ疑問を茜も抱いたのか、やや戸惑いを見せながらも返事をする。

 女性自衛隊員は茜に向けて敬礼。自己紹介を始めた。

 

「私は陸上自衛隊所属、穂波(ほなみ)青葉(あおば)と申します。療養中に大変不躾ではありますが、自衛隊本部より要望を伝えに参りました」

 

「要望、ですか?」

 

 茜は首を傾げる。自衛隊が自分にどんな要件があるのか分からないと言いたげだ。茜本人に心当たりがないのに、親友とはいえ他人に過ぎない百合子が分かる訳もなし。

 

「あなたに、再び参加してほしいのです――――ヤタガラス討伐作戦に」

 

 だから青葉がそんな事を言うとは露ほども思わず、百合子と茜は揃って呆けてしまった。

 我に返るのが早かったのは百合子の方。そして百合子の心の奥底から湧き上がったのは、怒りの感情だ。

 

「ちょっとあなた! いきなり何を言うんですか! この子、ヤタガラスの戦いで……」

 

「待って、百合子ちゃん。話は最後まで聞こうよ。私は大丈夫だから」

 

 しかしその怒りは、茜の落ち着いた言葉で止められる。百合子は話の続きを途切れさせ、出ようとしてくる言葉を飲み込むためにもごもごと口を動かし……小さくないため息を一つ。

 百合子は茜の手を掴み、ぎゅっと握り締めた。茜も握り返しながら、青葉の話に耳を傾ける。

 

「……それで、どうして私に参加してほしいのですか? ヤタガラス討伐作戦は失敗しましたし、私は確かに作戦に参加しましたけど、何か目覚ましい戦果を出した訳でもないのですが」

 

「北条さんにお願いしたいのは、戦闘への参加ではありません。とある人物が作戦に参加するよう、交渉をお願いしたいのです」

 

「交渉?」

 

 茜はオウム返しで尋ねる。百合子にも、青葉の意図が分からない。戦闘ならまだしも、交渉とはどういう事なのか?

 疑問を抱く二人に、青葉はハッキリとした言葉で告げた。告げたが、それが理解に結び付く事もなし。

 

「ユミル――――人間の怪獣に、我々の作戦に参加するよう、要請してほしいのです」

 

 青葉の、自衛隊の要望が、あまりにも突拍子のない話だったのだから。



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光の壁

「先日の戦闘で、ヤタガラスに関する秘密がかなり解明されたらしいわ」

 

 とある公共食堂にて。今のご時世ではすっかり高級品となってしまったラーメンを食べながら、白衣姿の真綾がそのような話を切り出した。

 真綾の奢りで同じくラーメンを食べていた私服姿の百合子と茜(茜は昨日退院したばかりだ。今日はそのお祝いも兼ねている)は、麺を摘んでいた箸の動きを止める。それからキョロキョロと、昼時故それなりに人で賑わう……高価なラーメンを食べているものはおらず、雑穀で作った粥ばかりだが……食堂内を見渡してから、二人揃ってずいっと身を乗り出してその話を始める。

 ただし最初は、窘める形で。

 

「ちょっとちょっと。いきなりそんな話して良い訳?」

 

「ヤタガラスの情報って、機密とかじゃないんですか?」

 

「機密情報だったらこんな場所じゃ話さないわよ。別にヤタガラスの全てがトップシークレットなんて訳じゃない。生態機能ぐらいなら普通にネットでも公開されてるわよ」

 

 まぁ、ネットを使えるぐらいインフラが整ってる人が稀だけど――――最後に一言そう付け加えて、真綾はラーメンを一口食べる。確かに百合子達一般人にとって、インターネット環境はかなり縁遠いものになってしまった。コストを問わなければスマホ端末の部品は日本で作れるが、材料の『原料』ともなるとやはり輸入に頼り気味であるため、ヤタガラス達怪獣の出現以来価格が高騰している。百合子も今使っている携帯端末は、通話とメッセージ機能しかない極めて単純な(その分頑丈で省エネと良いところも多い)代物だ。ネットで公開されている情報なんて知る由もない。

 真綾は立場上、そうしたものに触れるのが容易だ。こんなところからも、自分達と親友の経済的な『格差』を百合子は思い知る。尤も百合子や茜は、そこに嫉妬するようなタイプではないのだが。

 

「なら良いですけど……いや、良くないか。茜さんは先日大変な目に遭ってるんですから、もう少し配慮してですね」

 

 それよりも百合子が言いたいのは、ヤタガラスとの戦いで心に傷を負った茜への配慮。ヤタガラスを思い起こすような事を言わないでほしいものだ。

 

「何よ、別に平気じゃないの? 自衛隊から『再打診』された話、受けたって聞いたわよ」

 

 されど真綾は、この問題と顛末についても把握しているようで。

 真綾の言う通りだ。茜は自衛隊からの再打診……ヤタガラスと戦うようユミルを説得するという作戦に合意した。

 正確には、ユミルの気持ちを確かめた上での説得だ。ユミルがヤタガラスと戦いたくないなら、無理強いはしない。そしてその時は茜も、姉の仇を取るのは諦めるという。

 だけどもしもユミルがヤタガラスにもう一度挑むなら、茜はその手伝いをしたいと語っていた。

 彼女はまだ諦めていないのだ。姉の仇を討ち取り、復讐を果たす事を。百合子としては、もう親友に危険な目に遭ってほしくないのが本音だが……親友のしたい事を、激情を、引き止めるのもしたくない。

 だから百合子に出来るのは、ふてくされるように頬を膨らませるのが精々。

 

「……うん。私は大丈夫だよ」

 

 そして当の茜は、気丈に振る舞う。

 茜本人が大丈夫と言うのだから、今更百合子が何か言える事もない。真綾はこくりと頷き、ちゅるりと麺を啜ってから、話の本題に入る。

 

「そもそも、自衛隊は何故ヤタガラス討伐作戦を始めたと思う?」

 

「え? それは、ヤタガラスを倒せると考えたから……?」

 

「その通り。だけど実際には倒せなかったどころか、部隊は呆気なく壊滅。何故だと思う?」

 

 疑問を呈する形で問われたので、百合子は麺を啜りながら考えてみる。

 言われてみれば、奇妙な話だ。自衛隊というのは自殺志願者の集団ではない。勝てない勝負に突っ込んで、戦力を大幅に減らすなんて間抜けはまずするまい。ましてや此度の作戦は民間人を招集してまでして戦力を補充している。失敗時の批判、権威の失墜は相当のものになる事は容易に想像出来た筈だ。ならば少なくとも、自衛隊としては勝算を見出していた作戦だったと言える。

 ところがその勝算はあえなく潰え、敗走を余儀なくされた。

 これを「自衛隊が馬鹿だから」で片付ける人間は、その馬鹿な自衛隊と同じ失敗をするだろう。失敗には原因がある。自衛隊が勝てない勝負に挑んだのには、()()()()()()()()()()があったと考えるべきだ。馬鹿かどうかは、その原因を知らないうちに語れるものではない。

 無論、一般人に過ぎない百合子や茜が自衛隊の内部事情なんて知る訳もなし。真綾の問いには分からないと答えるしかない。真綾もその答えは予想していたようで、すぐに話の続きをしてくれた。

 

「実はね、ヤタガラスは物理攻撃に弱い可能性があったのよ。そういう研究データが上がっていた訳」

 

「え? そうなのですか?」

 

「例えばバンカーバスター……核シェルターをぶち抜くための爆弾だけど、米軍がこれを寝ているヤタガラスにぶち込んだ時があったんだけど、この攻撃はそれなりにダメージを与えたらしいわ。まぁ、羽根一枚落とさなかったし、その後米空軍はボッコボコにされたけど」

 

「駄目じゃんそれ」

 

「あと、怪獣による攻撃。これもそこそこ通じているみたいだったわ。九十メートル級の一撃でようやくって感じだけどね」

 

 他にも……等々「物理攻撃が有用」と言うデータを真綾は語っていく。その話の真偽などは百合子にはよく分からないが、真綾がソースとして挙げたものだ。一旦は正しいものとして信じる。

 強いて百合子も見たものがあるとすれば、四年前に目の当たりにしたレッドフェイスとの戦いか。あの時のヤタガラスは、最も大きなレッドフェイスの攻撃にはそれなりによろめいていた。核攻撃にも耐える身体が巨大生物の拳程度で怯むというのは、成程、よくよく考えれば奇妙な話だろう。

 

「これらのデータから、自衛隊は新兵器を開発したの。巨大な刀剣状の兵器。それでヤタガラスの身体を切り裂くって訳ね」

 

「あ、その新兵器なら私も見たよ」

 

 真綾の説明に茜がそう答える。輸送部隊だった百合子もちょっとだけ見た、あの謎車両の事だろう。剣のような見た目と思っていたが、本当に剣のように使っていたらしい。

 しかしながら、その作戦は失敗した訳で。

 

「でも、新兵器は通じなかった訳ですよね? テストとかしてなかったのでしょうか」

 

「あら、テストはしたんでしょ。この前の作戦で」

 

「……私らは捨て駒という訳ですか」

 

 悪態混じりに吐いた言葉に、真綾は「多分ね」と同意する。

 私達の命をなんだと思っているんだと、正直百合子としてはかなり嫌悪感が湧き上がった。しかしながら『現実的』に考えた場合、なんらかの形での試験運用が必要だ。そして試験とはいえ実戦での効果を確かめるにはそれなりの規模の作戦展開が必要で、そのために訓練を積んだ自衛隊員を使うのは()()()()

 先の戦いは勝てれば勿論それで良いが、負けても後に活かすつもりではあった。無駄に命を賭けた訳でないと分かれば……戦いを生き延びた百合子としては納得こそ出来ないが、口を閉ざすぐらいには我慢出来た。

 

「それで? テスト結果は?」

 

 むしろ肝心なのは、茜が尋ねたように何かを得られたのかどうか。ここで何も得られなければ、それこそ先の戦いで死んだ人々は犬死となってしまう。

 

「結論から言えば、新兵器の効果は殆どなかったわ。計算結果に反してね」

 

「……計算結果通りなら、上手くいったと。なんで計算と違う結果になったのさ」

 

「実は先の作戦には、もう一つ調べたい事があったのよ。ヤタガラスの防御力に関して、ある論文が海外から出ていてね」

 

「論文?」

 

 首を傾げる百合子と茜に、真綾は淡々とした口調で話す。

 曰く、論文によるとヤタガラスの身体を覆う羽根は、()()()()()()()()()()()

 光沢というのは、端的に言えば光の乱反射だ。そして光の反射は、構造や位置が変化しなければ同じものが返ってくる。つまり観測者と対象、それと光源が止まっていれば、光沢は一枚の絵のように何時までも変化がないのだが……ところがどうした事か、ヤタガラスの身体の光沢は、まるで水に溶け出す絵の具のように常時揺らめく。そんな事は本来ならばあり得ない。

 更にもう一つ奇妙な点がある。ヤタガラスの羽根には、殆ど熱反応がないという。昼でも夜でも、真夏の直射日光下でも外気温と全く変わらない。

 これは明らかにおかしい。そもそも黒さとは何かといえば、それは外から降り注いだ光エネルギーの反射がないという事だ。黒さの指標に『吸収率』を使うのはそうした理由である。しかし吸収した光エネルギーは、別に何処かに消えてしまう訳ではない。エネルギー保存の法則に従い、ちゃんとこの世に残り続けている。ただし、光とは違う形に変化しているが。

 具体的には熱だ。黒いものを日差しの下に出すと熱くなるのは、吸収した光が熱エネルギーに変化した結果である。ヤタガラスへの羽根は奇妙な虹色の光沢こそあるが、色としては黒一色。光エネルギーを取り込んでいるからこそその色であり、ならば昼間は表面温度が上がるのが自然。

 ところがどうした事か、ヤタガラスの羽根からは放熱が殆ど観測出来ない。研究者達は四年間、様々な観測を行った。だがどの観測でも熱の放射は検知出来ない。そうなると当然、エネルギーの放射はないという事になってしまう。エネルギー保存の法則によってそれはあり得ない筈だ。取り込んだエネルギーが消える事はないのだから。

 しかしそれこそが思い込みだったのではないかと、一人の若い科学者が気付いた。柔軟な脳の持ち主であるその科学者は、発想を逆転させてみたのだ。

 熱の放射が観測出来ない理由は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と。

 

「じゃあ、溜め込んだエネルギーは何処にいったのか? 植物よろしく基礎代謝を賄うためじゃないのは確か。だってアイツ、物凄い量の怪獣を食べているんだもの」

 

「……あ! まさかレーザーって……」

 

「それも使い道の一つと考えられているわね」

 

 レーザーとは即ち大出力の光エネルギー。羽根で吸収した光を束ねて吐き出せば、強力な攻撃となる。

 無論それを成し遂げるためには、とんでもなく高度な機構が必要だろう。具体的な説明が付いたものの、それはヤタガラスの非常識さを浮かび上がらせるだけ。人間が勝てるとは到底思えない。

 それに百合子は、レーザーは使い道の一つという答え方をした。つまり他の使い方があるのだ……間違いなく、話の本題である『ヤタガラスの防御力』に関わる形で。

 

「もう一つの使い道。これは論文内でも完全に憶測と書かれていたけど、ヤタガラスは()()()()()()()を展開している可能性があるわ」

 

 光子フィールド。如何にもSF映画に出てきそうな名前に、百合子と茜は互いに顔を見合わせる。

 実際これは論文中に出てきた造語だ。曰く、高密度の光の素粒子、光子を充填する事で物理的強度を得るというもの。光子はヤタガラスの羽根の表面で膜のように展開されており、熱や光などを遮断……正確には受け流すとの事だが……してしまうという。

 ヤタガラスに何故核攻撃が通じないのかは、未だ解き明かされていない。中心温度が数億度に達する核の炎に耐えられる物質など、この世に存在しないからだ。しかしこの光子フィールドの存在を仮定すれば、説明が付く。核爆発により生じた『光』がヤタガラスの防御力を強めてしまったのだ。しかも理屈の上では光が強ければ強いほど防御力が増すのだから、核出力をどれほど上げたところでヤタガラスの守りは突破出来ない。眼球など羽根に覆われていない柔らかな場所に通常兵器が通じないのも、光子フィールドの薄い膜があるのだと予想される。

 

「勿論、ここまでなら『こういう原理なら説明が付く』ってだけの話よ。証拠は何もないし、生物がシールドを張るなんて誰もが否定していた。でも」

 

「貫ける筈の新兵器が全く通じなかった」

 

 茜が話の続きを予想すれば、真綾は「そういう事よ」と答える。

 

「後はユミルとの戦いでの記録ね。自衛隊の方で撮影していた動画があるんだけど、実に興味深かったわ」

 

「……ユミルの事助けないで、撮影なんてしてたんだ」

 

「ま、助けるだけの余裕もなかったでしょうけどね。アレ、ユミルが勝手にやってきて、勝手に暴れたってのが実情みたいだし」

 

 真綾が呆れたように語り、事情を知っている百合子はちょっと苦笑い。若気の至りとはよく言ったものであるが、彼のお陰で助かったようなもの。それを嗜めるというのは、少々居心地の悪い事だ。

 話が逸れかけたところで、真綾は咳払い一つ。話を元に戻す。

 

「兎も角、自衛隊が撮影した動画で、ヤタガラスの撃とうとしたレーザーが不発で終わった時があったのよ」

 

「え。あのレーザーが不発に?」

 

「そう。それからヤタガラスは西の空を見て、太陽が沈んだ事を確認していた。挙句ヤタガラスはユミルに止めを刺さず、飛んでいった……ここから一つ、言える事がある」

 

「えっと、ヤタガラスは太陽の光がないと、レーザーが撃てないという事でしょうか……?」

 

 思い返せば四年前、無数のレッドフェイス達と戦っていたヤタガラスも、日の出まではレーザーを撃とうとしなかった。あの時は必殺技だから使うタイミングを見定めていたのかと思っていたが、先日の作戦で人間相手にバカスカ撃ち込んでいた事を思えば事実は異なる。

 単純にエネルギー源である光がないから撃てなかった。そう考えるのが自然なのだ。

 

「以上の理由から、ヤタガラスが光子フィールドを纏っているという論文は有力なものとなりつつある。本当は羽根の一枚でも手に入れば良いんだけど、アイツ、全然羽根が生え変わらないのよねぇ」

 

 肩を竦めながら話を纏めると、真綾はラーメンをまた啜る。麺が伸びてきた百合子と茜の分と違い、真綾の方はもう殆ど食べきっていた。

 伸びてきた麺を啜りながら、百合子は考える。

 正直、百合子には未だ信じられない。生物がフィールドだかシールドだかを張るなんて、いくらなんでも滅茶苦茶だ。自然な存在だとはとても思えない。

 しかしながら相手は最強の怪獣ヤタガラス。あらゆる怪獣を踏み潰し、蹂躙してきた正真正銘の大怪獣。今更常識だの自然だのを例に挙げる事のなんと虚しい事か。現実に通じていないのだから、それを否定するのはただの願望だ。

 問題を解決するには、まずは現状を受け入れる事が肝心。そして現状さえ受け入れれば、存外解決策というのは見付けられるものなのである。

 

「……もし本当に光子フィールドとかいうものがあるのなら、昼間に戦うのは自殺行為ですね」

 

「そうね。わざわざ相手の得意な時間帯で勝負してやる必要はないわよね」

 

「それにいくら夜でも、核兵器なんて使えない」

 

「言うまでもないわね。光が駄目だって話なんだから、それをやるのはただの間抜け。出来れば普通の爆弾も遠慮したいところ」

 

 おさらいをするように百合子、そして茜が語れば、真綾はそれを肯定していく。

 使える攻撃は光を発しない物理が基本。それも生半可なパワーでは駄目だ。そして夜間でも自由に動かせる機動力を持ち、ヤタガラスの攻撃を受けても簡単にはやられない耐久力が必要だろう。

 即ち――――

 

「夜に怪獣対決に持ち込む。そしてその怪獣に、ユミルを使いたい……と」

 

 自衛隊の『目論見』に辿り着いた茜は、大きなため息を一つ吐いた。

 

「だから私に説得を頼んだ訳か。唯一人間と友好的な怪獣を確実に仲間とするために」

 

「そーいう事ね。まぁ、悪い話ではないと思うわよ。ヤタガラスを倒したからといって、協力的なユミルを始末しようなんて奴はそういないでしょうし」

 

 真綾の語り口は穏やか。それは事態がどう転んでも構わないという気持ちの現れか、はたまた茜の悩みを少しでも和らげようと考えての事か。

 果たしてその言葉は、茜にとってどれだけ励みとなったのか。複雑な感情を滲ませるその顔を見る限り、あまり効果はなかったのだろう。

 けれども茜が何かを言う事はなく、残りのラーメンのスープを、言葉を押し流すように飲み込むだけだった。



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復活の英雄

 ヤタガラス討伐作戦が失敗してから、二週間の時が流れた。

 四年前に自衛隊が完膚なきまでに負けたと報道されたなら、国民は少なからずパニックになっていただろう。しかし現代の日本国民にとって、怪獣に軍隊(自衛隊)が敗北する事など珍しくもない。最強の怪獣ヤタガラスであれば尚更だ。

 最初こそ混乱もあったが、たったの二週間で社会は何時も通りの空気に戻っていた。諦めと達観による結果であっても、社会がスムーズに動くのは良い事だろう。

 そうして普段通りに動き始めた社会では、当然仕事がある。ヤタガラス討伐作戦に参加した百合子も特別休暇が終わり、普通の社会人生活に戻った。長期休暇後の仕事というのは何時もより妙に疲れたりするものだが、数日も働けば元の調子を取り戻すだろう。

 等と思っていた矢先の事。

 

「……何故に私はこのような状況に置かれているのでしょうか」

 

 車のアクセルを踏みながら、百合子はぽつりと言葉を漏らす。

 百合子は朝の山の中でトラックを走らせていた。それ自体は、まだよくある事だ。百合子の仕事は猟師達が仕留めた怪獣の肉を、町の食品工場まで運ぶ事。この山のように怪獣が棲んでいる地なら、こうしてトラックで入るのはよくある。

 

「だ、だってぇ……なんか、こう、不安で……」

 

 トラックの荷台に茜が乗っているのも、よくある事だ。尤も普段の彼女は、こんな弱気な物言いはしないのだが。

 しかしそれよりも『普段らしからぬ』ところは――――荷台部分にもう一人、自衛隊員の青葉がいる事だろう。

 何故青葉が一緒にトラックに乗っているのか? それは百合子達がこれから行おうとしている事が普段の仕事こと怪獣狩りではなく……ユミルにヤタガラス討伐作戦の協力を依頼するためだ。

 

「山根さん、お手数お掛けして申し訳ありません。ですが北条さんからの要望でして……」

 

「あ、いえ。そういう訳ではなく……茜さん、どうしたんですか? 私がいてもユミルの説得には、なんの役に立たないと思うのですが」

 

「それは、そう、かもだけど……」

 

 百合子が尋ねても、茜はどうにも情緒不安定で、答えに覇気が足りない。

 とはいえそうなってしまうのも、分からなくもない事だと百合子は思う。

 茜はこの四年間、ヤタガラスへの復讐のために様々な努力をしてきた。四年という時間を長いと見るか、短いと見るかは人によって違うだろうが、二十一歳の百合子達にとっては決して短くない時間だろう。本来なら高校や大学での生活に使われていた筈の期間を、復讐に費やしたのだから。

 それだけの時間と青春を費やしたのに、いざ本当のヤタガラスと戦ったら完膚なきまでに打ち砕かれた。

 一体どれほどの精神的打撃を受けたのか。百合子には想像も付かないが、茜の精神が弱っているのは確かだ。一人でいたくない、友達と一緒にいたいという気持ちになるのも仕方ないだろう。

 或いは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……着きました」

 

 考え込んでいても、車を走らせればいずれ目的地に辿り着く。

 百合子がトラックを止めたのは山頂部分。木々が疎らになり、視界が開けた場所だ。今日の天気が快晴という事もあって、地平線に並ぶ山々の姿もよく見える。

 そして山の麓で一人、腹筋をしている巨人――――ユミルの姿もあった。

 

「(って、なんで腹筋してるんですか?)」

 

 目許を擦って見直すが、やはり山の麓に居るユミルは腹筋をしていた。一秒一回というかなりの速さで、延々と腹筋をしている。更に彼の眼差しは極めて真剣なもの。どう見ても遊びや暇潰しでしている様子ではない。

 こうした真剣な運動は、『トレーニング』と呼ぶものだろう。

 人間として考えれば、トレーニングを行う事自体は不思議ではない。腹筋なんかは正に自宅でも出来るトレーニングであり、「毎日百回やってます!」なんていう人もいるぐらいだ。しかし『怪獣』だと思えば、筋トレに励むなんて中々に珍妙な行為。

 百合子としては、ユミルの事は人間として見ていたつもりだったのだが……本心では怪獣と思っていたようだ。自分の心の奥底を自覚させられて少し居心地が悪く、百合子は声を詰まらせてしまった。

 

「……すみません。彼は何をしているのでしょうか?」

 

 唖然としていると、青葉からも質問が飛んできた。よりユミルに詳しい百合子達なら何か知っていると考えたのかも知れない。

 とはいえ問われたところで急に何かが閃くという事はない。ユミルの腹筋なんて初めて見たのだから。考え込んだところで答えが出てこないなら、本人に尋ねるのが一番だろう。幸いにして彼は、尋ねればすぐに答えてくれるぐらいには素直で純朴だ。

 

「えっと、分からないので聞いてみます。おーい、ユミルさーん!」

 

 百合子が大声で叫ぶと、ユミルは腹筋していた動きを止めた。顔をこちらに振り向かせた彼は、颯爽とした動きで山を登り、あっという間に百合子達の下までやってくる。

 

【オハヨウ! ヒサシブリ!】

 

 百合子の顔を見るや、ユミルは笑いながら挨拶をしてきた。

 百合子は驚いた。ただしそれはユミルが急接近してきたからではない。彼の身体が、たった二週間見ていないだけで大きく変化していたからだ。

 元々筋肉質だった身体は、更に屈強なものとなっていた。腹筋も胸筋も腹斜筋も、全てが一回り大きくなっている。身長も僅かに伸びているような気がした。写真を持って比較している訳ではないので確かな事は言えないが、感覚的にはかなり成長していると百合子は確信する。

 僅か二週間、会わなかったうちに。

 

【? オマエ、ドウシタ?】

 

「え。あ、えと、随分身体を鍛えたなぁっと思いまして……」

 

【ウン! ガンバッタ!】

 

 やってきたユミルが不思議そうに首を傾げて尋ねてきたので、百合子はおどおどしながら思っていた事を伝える。するとユミルは力こぶを作りながら、楽しげに答えた。

 成程、頑張ったのですか。

 一瞬すんなりと納得しかけて、けれども「そうはならないでしょうよ」と脳内でツッコミ。しかしユミルが嘘を吐くとは思わない。彼は一般的な人間と違い、とても素直な性分だからだ。ユミルとしては本当に『頑張った』だけなのだろう。

 ならばこれは、怪獣という存在そのものの特性と考えるべきか。

 

「えっと、おーい、ユミルー……」

 

【! アカネ! ミテミテ!】

 

 トラックの荷台から降りてきた茜を見ると、ユミルは大興奮。両腕に力こぶを作り、胸も張って胸筋を見せ付ける。鍛え上げられた肉体を見せ付けられて、茜も少々戸惑い気味だ。

 

「す、凄いねー……というか腹筋なんて、誰に教わったの?」

 

 思わず、といった様子で、茜はユミルに尋ねる。

 

【オッサン! コウスルトツヨクナルッテイッタ! オレ、ツヨクナッタ!】

 

 するとユミルは嬉しそうに笑いながら答えてくれる。

 オッサンというのは、恐らく茜や百合子と同じ食品工場の従業員だろう。狩りのために偶々立ち寄ったのか、はたまた自衛隊(上司)から監視を命じられたのか。いずれにせよ出向いたその人物は、ユミルに強くなる方法として腹筋を教えた訳だ。よもやここまで強くなるとは思わなかっただろうが。

 それに、新たな疑問も一つ浮かんでくる。

 腹筋はユミルが自発的にやっている事。誰かに強制された訳でなければ、やらないと困る事でもない。そしてユミルは腹筋をトレーニング、即ち自分が強くなるための手段とちゃんと理解している。

 何故ユミルは、強くなろうとしているのか?

 

「私からも、一つ質問してもよろしいでしょうか」

 

 その疑問は、茜と共に荷台に乗っていた青葉も抱いたのだろう。

 ユミルは始めて見る青葉を不思議そうに見つめた。が、元より人懐っこい彼の事。初対面の人にも物怖じなどしない。

 

【ナンダ? オレニヨウカ?】

 

「はじめまして。私は陸上自衛隊所属、穂波青葉です。よろしくお願いします」

 

【リクジョ、ジエイ……ウゥ、ナマエナガイ】

 

「……私の名前は本題ではありません。あなたは、何故身体を鍛えているのでしょうか。その鍛えた肉体で、何をしようと考えているのですか」

 

 単刀直入で無遠慮な問い掛け。しかしだからこそ、ユミルにも分かりやすい質問を青葉はぶつける。

 無邪気なユミルは、その問いに堂々と答えた。

 

【アノトリ、ヤッツケル! オレ、モウマケナイ!】

 

 彼の回答に、百合子と茜は身体が強張った。ただしそれは、彼の言いたい事が分からなかったが故の反応ではない。分かったからこそ思わず止まったのだ。

 アノトリというのは、きっとヤタガラスの事。もう負けないとは、二度目の勝負をした時には勝つつもりだという事。

 人間達が協力を申し出る前に、既にユミルはヤタガラスへのリベンジを誓っているのだ。トレーニングはそのためのもの。彼はまだ、ヤタガラスに敗北してその心が折れていない。それどころか一層闘志を燃やしているように百合子には思えた。

 その姿は百合子にとっても眩く見える。純粋な闘争心故の、野性の美しさとでも言うべきだろうか。

 ましてや心が折れた者には、その美しさがどれほど綺羅びやかに見えるのか。

 

「……ユミル。一つ、訊いても良い?」

 

【? ナンダ? ナニヲキキタイ?】

 

 茜の言葉がよく聞こえるようにするためか、ユミルは身体を乗り出し、耳を傾ける。青葉が後退りする傍で、茜は気持ちを整えるように深呼吸。

 

「私達がユミルの手伝いを、ユミルのリベンジに協力したいって言ったら……ユミルはどう思う?」

 

 そして話の『本題』を切り出した。

 百合子、いや、茜達の目的はユミルに自衛隊と協力してくれるかを尋ねる事。ヤタガラスを倒すために力を貸してくれるかの確認であり、約束を取り交わす事。

 少なくとも今のユミルは、ヤタガラスと戦う事そのものは嫌がっていない。だけどもしかしたら、一人でやりたいとは考えているかも知れない。それを無理強いするのは、茜には出来ない事だろう。

 だけど、百合子は思う。

 ユミルは純粋で無邪気だ。しかし純粋さや無邪気さというのは、()()()()()()()()()。野生のライオンが群れでヌーを仕留める事に罪悪感など抱かないように、チンパンジーが群れのリーダーが手負いでも容赦なくその地位を奪うように、人間が『不公平』や『卑劣』と呼ぶ事など自然界では綺麗事に過ぎない。

 そしてユミルは人間であるのと同時に怪獣(ケモノ)だ。

 

【ウレシイ! アイツ、イッショニタオス! アカネモイッショ!】

 

 ユミルは協力を受け入れた。なんの迷いもなく、それこそ当然のように。

 純粋にヤタガラスを倒したい。負けた事にくよくよしないし、そのために使える手段はなんでも使う。

 憎しみも怒りもない、純粋な闘争本能故の決断。それは茜の心にどう響いたのだろうか。そう思い百合子が覗き込んでみたところ……茜は微笑んでいた。前向きに、悔いも恐怖もなく。

 そして茜は、握り拳を前へと突き出しながらこう宣言する。

 

「うしっ! 一緒に、頑張ろうか!」

 

【ウンッ!】

 

 ユミルも拳を突き出して、優しく二人は拳をぶつけ合う。契約書も明確な言葉もないが、確かにそこで『約束』が交わされた。

 きっと、世界で始めて出来た怪獣と人間の『混成討伐チーム』。

 青葉は拍手でそれを歓迎し、ユミルと茜は笑いながらそのチームの誕生を喜ぶ。全ての人が喜ぶとは限らないが、これからの新しい時代を切り開く道の一つとして、多くの人々が好意的に受け取るに違いない。そんな歴史的瞬間。

 ただ一人百合子だけは、元気になった親友がまた命を賭けるという状況に、複雑な気持ちを抱くのだった。



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新たな力

 山中を何台ものトラックが走っていく。所謂トレーラーと呼ばれるタイプの大型車種で、荷物を入れる場所であるコンテナ状の『ボディ』を有していた。

 トラックはやがて開けた場所……木々が切られているのではなく、まるでへし折られるようにして除去された……に来ると、綺麗に整列して並ぶ。するとそのトラックに群がるように無数の迷彩服姿の人員こと、自衛隊員達が集まってくる。

 自衛隊員達はトラックのボディを開くと、中から大きな金属製のパーツを取り出した。パーツの長さは十五メートル近く、数十人掛かりでどうにかこうにか運んでいく。

 そうして運んできたパーツを、待機していた重機が受け取る。重機といってもショベルカーなどではなく、巨大なカニのハサミのようなものが付いた腕状のマシン。マシンは掴んだパーツを持ち上げると、他のマシンが持ち上げたパーツと近付けて、接合した。これを何度も何度も繰り返していくと、『パーツ』でしかなかった金属の塊が、段々とある種の形を帯びていく。

 出来上がったのは、巨大な腕輪付きの『刃物』だ。長さ二十メートル、幅は三メートルほど。厚みが十数センチとあるため人間スケールでは鋭利とは言い難いものの、全体として見ればかなり薄い……突き立てればものを切り裂く働きがあるのは容易に想像出来る。

 その刃物を()()()持ち上げたのは――――巨人怪獣ユミル。

 

【ウゥ? コレ、ウデニハメル?】

 

「そーだよー。こんな感じにね」

 

 そのユミルの問いに答えるのは、彼の傍に立つ茜だった。茜は身振り手振りで彼に腕輪付き刃物の装着方法を伝え、ユミルはそれを真似しながら腕に付ける。

 腕輪はガチャンッと音を鳴らすと、ユミルの腕にぴったりと嵌まった。ユミルはそれを高々と掲げ、降り注ぐ日差しを浴びさせて煌めかせる。彼の瞳も、同じぐらいキラキラと輝いていた。

 さながらその姿は、オモチャの剣を買ってもらった幼稚園児といったところ。実際退化しているユミルの精神年齢を思えば、存外的外れな印象ではないだろう。しかしながらその腕に装着したものは、決してオモチャなんかではない。

 それは対ヤタガラス討伐のための自衛隊新兵器――――強化重合金ブレードという名の武器なのだ。

 

「(名前だけなら、特撮番組とかに出てきそうなそれなんですけどねぇ)」

 

 そんな新兵器の装着光景を見ていた、トラックの運転手こと百合子(人手が足りない、且つ事情を知ってるとの事で参加を要請された。給金の良さが決め手だったのはここだけの話)は、ぼんやりと自らの抱いた印象を脳内で呟く。

 腕に装着した剣……このような武器の正式な名前はジャマダハルというらしい。インドで使われていた武器だそうだ……で敵を切り裂き、大ダメージを与える。見た目重視なそれはフィクションならば魅力的だろうが、実戦でそれを使うのは最早滑稽だろう。ジャマダハルが使われていたインドでも、銃の普及と共に衰退し、今では儀礼や装飾として存在するだけ。最早武器ですらない。普通の相手なら、銃やミサイルを持ってくる方が良い。

 しかしヤタガラス相手であれば別。

 強力な化学反応により破壊力を生み出す現代兵器では、どれもこれも光を発してしまう。現時点では仮定とはいえ、ヤタガラスは光エネルギーで防御力を高める力があるのだ。ミサイルや榴弾は使えず、巨大な質量をぶつけるのが正しい。

 そもそも何故ユミルに装備させるのかといえば、それは機動兵器だと素早さが足りないため。ヤタガラス討伐作戦に投入した新兵器は、機動力不足からろくにヤタガラスに当てられず、当てても反撃で踏み潰されて終わったという。ユミルに装備する形で使ってもらえば機動力の問題は解決する。ちなみに新兵器をジャマダハルの形にしたのは、ユミルの格闘戦スタイルに合わせた結果だそうだ。

 一見してジョークや悪ふざけのように見えるスタイルが、合理性を突き詰めた結果だと思うと、百合子としてはなんだか不思議な気持ちになる。

 

【ンフフ〜。カッコイイ! オレ、キニイッタ!】

 

 対してユミルは大はしゃぎ。何度も拳を振るい、装備したブレードを自由気ままに振り回す。オモチャをもらって喜ぶ子供のようで、ちょっと微笑ましいなと百合子は思う。

 この後の作業について、百合子が聞いている限りでは、ブレードの使用感を確かめるらしい。数値上はユミルにぴったり合うサイズで作られているし、ユミルも気に入っている。しかし実戦で使った時の感覚までも良いとは限らない。こればかりは実際に使ってみなければ分からないものだ。

 とはいえ試しでヤタガラスに打ち込む訳にはいかない。試験用の巨大な『巻藁』を使う予定だ。そしてそれを運ぶのは百合子達輸送係の役目。

 そろそろ戻ろうかなと、百合子はトラックのエンジンを始動させようとした……その時の事である。

 不意にユミルがその動きをぴたりと止めた。

 

「……ユミルさん?」

 

 ユミルの不可解な動きが気になり、車の発進を一時取り止める。

 ユミルはじっと一点を見つめていた。百合子はその視線を追ってみたが、そこには森の木々が並んでいるばかり。しかしそれは百合子の背丈が小さいがために、その先の光景が見えていないだけの事だ。六十メートルの身長を誇るユミルには、その先にある『モノ』の姿がよく見えているに違いない。

 

【……キテル】

 

 百合子のそんな予想は、ユミルのこの一言が裏付けた。

 何か危険が迫っている。本能的な予感を抱いた直後、大きな警報が辺りに鳴り響く。続いてぶつんっとスピーカーのスイッチが入る音が聞こえ、最後に人の声が辺りに響く。

 

【警報発令! ジゴクイヌがこのエリアに接近しています! 総員退避!】

 

 それは避難を促すための命令だった。

 が、『怪獣』の方が速い。

 

【ゥルオオオオオンッ!】

 

 大咆哮と共に、ユミルが見ていた方の木々が爆発でもするかのように吹き飛ぶ! 木屑による粉塵が舞い上がるが、『そいつ』は何時までも粉塵の中に隠れたりはせず。

 濛々と舞い上がる煙を吹き飛ばし、現れたのは漆黒の体毛に身を覆っている獣。二つの耳はぴんって立ち、凛々しい顔立ちは正に肉食獣と呼ぶべき様相である。開いた口からは鋭い歯が何本も伸び、どんな怪獣の肉でも切り裂きそうだ。大地を踏む四本の足はどれも太くて逞しく、ふさふさとした毛に覆われた尻尾も力強い。

 しかし何より気を惹くのが、八十メートルを超えているであろう体躯。怪獣の中でもここまで大型化する種類はそう多くない。引き締まった身体付きは、捕食者として完成した美しさがあるほど。

 これは犬が怪獣へと変化した存在――――ジゴクイヌだ。様々な犬種が存在するが、百合子達の前に現れた個体は体型からして和犬だろうか。尤も、仮にゴールデンレトリーバーだとしても、人間の事など餌か虫けらとしか思っていない奴等ばかりだが。

 そして此度に関してはユミルという、もっと大きな獲物にしか眼中にない様子。

 

【グヌゥッ!】

 

 跳び掛かってきたジゴクイヌに対し、ユミルは咄嗟に腕を出して防御に移る。その判断は正しく、ジゴクイヌの巨大な顎はユミルの喉笛を狙っていたが、防御した事で牙は腕の方に食い込む事となった。

 しかし致命傷こそ避けたが、腕に刻まれた傷は決して小さくない。傷痕からはかなりの出血があり、ユミルの顔を苦悶で歪ませる。

 ジゴクイヌの攻撃はまだ終わらない。噛み付いた状態のまま前足二本をユミルの肩に乗せ、後足二本で大地を踏み締めた体勢で押し始めたのだ。二足歩行での力比べ。押し負けた方はそのまま倒され、馬乗りになった側の一方的な攻撃を許す事となる。

 人間の怪獣であるユミルは、二足歩行こそが普段の立ち姿。だから元々四足歩行の動物であるジゴクイヌよりも、身体の作りとしては有利である。それにここ数週間は腹筋などのトレーニングに励み、屈強で逞しい肉体を得ていた。だがジゴクイヌはユミルよりも二十メートル以上大柄な身体だ。単純なパワーではジゴクイヌが圧倒的に上。多少の不利など物ともしない。

 十数秒と持ち堪えたものの、ユミルはついに押し倒されてしまう。大質量が地面に墜落した衝撃で、百合子が乗っていたトラックが僅かに浮かび上がった。

 それほどの衝撃を全身で受けたが、ユミルが気にするのは自分の上に跨ったジゴクイヌの方のみ。

 

【ガルルガルゥルルルル!】

 

 ジゴクイヌはユミルの腕に噛み付いたまま、頭を左右に振り回す。ユミルは守りを緩めないためか腕を動かさないようにするも、それはジゴクイヌの頭……ひいてはその口にある牙に力が入るのと同じ事。

 一際大きくジゴクイヌが頭を引いた時、ユミルの腕の肉が牙によって深々と切り裂かれた。骨まで見えそうな傷跡だが、ユミルはその腕を庇いはしない。いや、庇う余裕もないと言うべきか。ジゴクイヌの猛攻は素早く、そんな『余計な事』をしていては、喉笛に噛み付こうとする動きに対処出来ないのだろう。

 怪獣同士の戦いの優劣など、専門家でない百合子に判断出来るものではない。しかし直感的な印象では、ユミルが圧倒的に不利なように思えた。

 このままでは恐らく、ユミルの方が負けてしまう。

 

「(って、何時までも見ている場合じゃないです! 逃げないと……!)」

 

 戦いをついぼんやり眺めていたと、今になって気付く百合子。避難指示も出ているのだから、無理してこの場に残る必要もない。ユミルを一人にするのは心配だが、自分が残っていても何も出来ないどころか邪魔にしかならない。

 幸いにして此処には自衛隊員もたくさんいる。ヤタガラス討伐作戦の要であるユミルを見殺しにはしない筈だ。八十メートル級のジゴクイヌにRPGや戦車砲程度が通じるとは思えないが、顔面に喰らわせれば煙幕ぐらいにはなる。援護があればきっと逆転も可能な筈。だからここは自分の安全を優先すべき――――

 そんな考えを抱いたのも束の間、ふと車窓から見えたものにより百合子は固まってしまう。

 茜だ。ユミルの傍に居た彼女は、逃げ出す素振りすら見せていない。むしろ倒れる形で遠くなったユミルに、近付こうとしているようにすら見えた。

 このままでは茜が危ない。

 親友の身が危険に晒されていると思った瞬間、百合子の身体は逃げるという行動を忘れた。むしろトラックを前進させて茜の下まで向かおうと、無意識にアクセルを踏もうとしてしまう……尤も、百合子が茜の下に辿り着く事はなかった。

 それよりも前に、ユミルが動き出したからだ。

 

【グ、ゥウオオオオオオ!】

 

 ユミルは獣染みた咆哮を上げながら、片腕を振るう!

 僅かな隙を見付けての一撃か。普通の人間なら痛みで気絶しそうなぐらい腕がボロボロになっていたが、それでもまだ反撃のチャンスを窺っていたユミルの闘争心には百合子も驚く。しかし如何に無防備な脇腹を狙った一撃とはいえ、体格差を考えれば大ダメージとはなるまい。

 せめてユミルの上から退くぐらいに怯んでくれれば、形勢を立て直せそうなのだが……素人の百合子はそう考えていて、

 

【ギャインッ!?】

 

 まさかジゴクイヌが悲鳴のような声と共に転がるように離れるとは、思いもよらなかった。

 予期せぬ展開に百合子は凍り付くように固まってしまう。それはユミルに駆け寄ろうとしていた茜も同じである。

 それどころかジゴクイヌに悲鳴を上げさせた、ユミルまでもが同様の反応を見せていた。ユミルは目を白黒させながら、ゆっくり、ジゴクイヌを殴り付けた自分の拳に目を向ける。

 ユミルが見た自身の腕には、巨大な『刃』が装備されていた。

 自衛隊が開発して強化重合金ブレードだ。ブレードは真っ赤に染まっており、傍目にも血だと分かる。ボタボタと滴り落ちている血の量からして、相当深く突き刺さったのが窺い知れた。

 そう、ブレードは確かに貫いたのだ――――通常兵器では恐らく打倒不可能な、ジゴクイヌの身体を。

 

【ゥ、ゥウウグルルルルルル……!】

 

 ジゴクイヌはまだ戦意を失っていない。闘争心を燃やした唸り声を上げ、ユミルを威嚇している。だが、身体が震えていて、更に足下に血溜まりを作っていた。どう見ても深手だ。

 その状態をみすみす逃すほど、怪獣ユミルは甘くない。

 

【……オオオオオオオオオオオオオッ!】

 

 雄叫びと共に、ユミルが跳ぶ!

 防御よりも素早さ・奇襲を意識した動き。自分の威嚇が全く通じていないと理解したジゴクイヌは身を翻そうとするが、既に手遅れだ。

 

【オォガアアアアッ!】

 

 ユミルはジゴクイヌの上に跨ると、力強くブレードを装備した腕で殴り付ける! 激突する度に肉を切り裂く生々しい音が鳴り響き、ジゴクイヌは大きくその身を仰け反らせる。ただではやられまいとばかりに鋭い爪のある腕を振り回すジゴクイヌだが、上に跨ったユミルには届かず。

 そしてついにユミルの一撃は、ジゴクイヌの首に突き立てられた。

 

【ギャヒッ……!?】

 

 甲高い声で鳴いたジゴクイヌの身体が、ぶるりと痙攣する。ユミルはその震えを全身で感じている筈だが、力を弛めず、更に奥にブレードを食い込ませるように突き出す。

 しばらくして突き立てた拳をユミルが引けば、ジゴクイヌの首から噴水のように鮮血が噴き出した。ジゴクイヌは白目を向き、力なく倒れ伏す。

 ジゴクイヌから降りたユミルは、恐る恐るジゴクイヌの頭へと近付き……止めの踏み付けをその頭にお見舞い。ベキベキと鈍い音とさを鳴らして、ジゴクイヌの頭が変形した。怪獣の生命力は凄まじいが、頭を潰されて生きていけるほどインチキでもない。ジゴクイヌの生命活動は、完全に停止したのだ。

 そしてそれは遠目に見ていた百合子よりも、足の裏で直に感じられるユミルの方が革新している事だろう。

 

【オオオオオオオオオオオオォ!】

 

 ユミルは勝利の雄叫びを上げた。森の彼方まで響きそうな、勝者に相応しい咆哮だった。

 身体が痺れるほどの声量に、百合子は呆然と立ち尽くす。対して親友の茜は、元気に跳ねながらユミルに近付いた。

 

「ユミル凄い! 凄いよ!」

 

【オレスゴイ! ツヨイ!】

 

 はしゃぐ茜に釣られるように、ユミルも両手を上げて喜んだ

 途端、がしゃんという音が鳴る。

 なんだと思って百合子は音が聞こえてきた、ユミルの足下に目を向けた。茜とユミルもそこに目を向ける。

 三人が見た場所にあったのは、バラバラになった金属のパーツ。

 ユミルが腕に装備していた強化重合金ブレード、の残骸だ。先がぐしゃぐしゃに潰れているし、真ん中でパッキリお割れてしまっている。素人目で見ても、完全に壊れているのが明らかだった。

 どうやらユミルとジゴクイヌの戦いがあまりに激しく、強化重合金ブレードの強度が足りなかったらしい。

 

【……コワレタ!】

 

 尤も壊した当人であるユミルは、全く気にしていなかったが。道具というのは使えばいずれ壊れるもの。そう割り切っているのだろう。

 逆に茜の方はかなり狼狽えた素振りを見せる。

 

「えっ!? こ、これ、壊して大丈夫……」

 

「問題ありませんよ」

 

 不安がる茜に声を掛けたのは、迷彩服を男。

 この現場に来ていた自衛隊員の一人だ。中年らしい顔立ちから判断して、それなりに高い地位にいる身だと思われる。

 男は笑顔を浮かべていて、本当に怒ってはいないようだ。あくまで、百合子が見た印象の話だが。

 

「元々試験用のパーツです。実戦使用に耐えられるかどうかを確かめるのも、今日の作業で行う予定でした」

 

「は、はぁ……でもここまでバラバラなのは……」

 

「実戦の結果ですから問題ありません。それに、ヤタガラス相手に使う時はもっと過酷な使い方をするのですよ?」

 

 自衛隊員からの言葉で、茜はハッとしたように目を見開いた。

 そう。強化重合金ブレードは対ヤタガラス作戦のための秘密兵器。

 八十メートル級のジゴクイヌは間違いなく強い怪獣だ。しかしヤタガラスは、かつて九十メートル級の怪獣とその子分達を同時に相手して、さしたる苦戦もなく打ち倒した事がある存在。ジゴクイヌに本気で打ち込んだ程度で壊れる剣が、ヤタガラス相手に通用するものか。

 この結果はむしろ、極めて『良い』ものと言うべきだ。ならばユミルを責めるのは、お門違いどころか愚策というものだろう。

 そして次は、もっと良い武器が送られてくるに違いない。人は失敗を糧にして、前に進んできた生き物なのだ。

 

「(少しずつ、ヤタガラス打倒に向けて進んでいるのですね……)」

 

 人類の歩みを目の当たりにし、人の強さを百合子は感じる。

 何時かヤタガラスに届く日が来るのではないか、怪獣のいない元の世界に戻る日が来るのではないかと、ほんの少しだけ、心の奥底で思えるようになっていた。



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描く未来

「聞いたわよー。最近、ユミルが新兵器をぶっ壊したって」

 

 真綾の仕事部屋(研究室)に遊びに来ていた百合子は、にやにやと笑う真綾からそう言われた。

 ユミルが強化重合金ブレードを実戦で破壊してから、早一週間。噂話は真綾の下までしっかり届いていたようだ。出されたタンポポコーヒーを飲みながら、本当はちゃんと分かっているとは思うが、百合子は真綾の認識を訂正しておく。

 

「……確かに壊しましたけど、あれは不可抗力です。怪獣退治に使った結果ですし」

 

「知ってる。普通の怪獣相手にすら使い捨てじゃ、ヤタガラス相手じゃ使い物にならないわね」

 

「……なんだ、知ってるじゃないですか」

 

「まぁね。噂話は調べた上で語るようにしてるもの。一応科学に携わる仕事してるんだから、それぐらいはしないと」

 

 全てを分かった上でおちょくる。真綾がそういう人物なのは、高校生の時から知っている事だ。相変わらずですね、と心の中で呟きながら百合子は肩を竦めた。それからコーヒーを一口飲んで、ほっと一息。

 

「ところで今日はなんの用で来た訳? まぁ、用がなくても歓迎はするけど」

 

 しばし話が途切れると、真綾はそのように尋ねてきた。

 割と用もなく来る事もある百合子なので、真綾としては特に理由もない問い掛けなのだろう。そうは思っていても、此度はちゃんと理由があって訪れた百合子は、心を読まれた気がして少しドギマギしてしまう。その目的もやましい事ではないというのに。

 またコーヒーを一口。苦味が頭をスッキリさせてくれる。息を整え、気持ちを落ち着かせてから、百合子は世間話のように答える。

 

「別に大した用ではないんですけどね。仮にと言いますか、ヤタガラスが倒されたら世の中はどう変わるのかなーと思いまして。それでお茶ついでに専門家の意見でも窺おうかと思いました」

 

「専門家ねぇ。私はヤタガラスじゃなくて怪獣全般の研究者だし、そもそも私なんて趣味人程度なもんだと思うけど」

 

「私からすれば十分専門家ですし、趣味人の働きで私よりたくさんお給料もらっているのは色々癪です。給料分の仕事はしてください」

 

「アンタに講義するのは私の仕事じゃないわよー」

 

 軽く会話を交わし合った後、真綾は少し考え込む。ヤタガラス討伐後の世界など想像もした事がないのか、はたまた百合子にも分かりやすいよう言葉を考えているのか。

 多分後者だと、親友をよく知っているつもりである百合子は思った。こちらのためにしている行いを邪魔してはならないと、真綾が話し出すのをじっと待つ。

 

「……断言は出来ないけど、怪獣情勢が悪化する可能性もゼロじゃないわね」

 

 やがて語られた答えは、百合子としては少し予想外の結果だった。

 

「え? そうなのですか? でもヤタガラスがいるから、日本は空輸や空軍の運用が難しいんですよね? ヤタガラスがいなくなれば武器の輸入とか空軍の攻撃がやり易くなって、普通の怪獣との戦いが楽になると思うのですが」

 

「その説明をするには、まず怪獣の生態系的特徴を挙げないといけないわね」

 

「生態系的特徴?」

 

 百合子が首を傾げると、真綾は既に頭の中で纏めていたであろう説明を始めた。

 怪獣とて生き物である以上、何かを食べて生きている。

 小さな怪獣であれば、獲物に選ばれるのは普通の……例えばただの人間など……生物だ。しかし体長二十メートルを超えるぐらい大きくなった怪獣の殆どは、人間など見向きもしなくなる。それは大きくなった怪獣にとって、普通の生物では小さ過ぎて獲物として非効率だからだ。大きな生き物は、もっと大きな生き物を襲うのが効率的である。

 結果として大きな怪獣は、自分と同じぐらいか少し小さな怪獣を獲物として好む。

 

「怪獣が怪獣を食べる。そうする事で怪獣全体の個体数が抑制され、生態系が安定する……まぁ、怪獣とか関係なく、普通の生物でも言える話よね」

 

「ええ、そうですね。でも、それとヤタガラスがどう関係するのですか? 確かにヤタガラスは他の怪獣を食べますけど、別にヤタガラス一匹倒したからどうなるとは思えませんが」

 

「ヤタガラスが普通の怪獣ならね」

 

 勿体ぶった前置き。百合子の意見を軽く否定してから、真綾は次の説明を始めた。

 

「実はね、ヤタガラスは普通の怪獣よりも大食らいなのよ」

 

「はぁ。えっと、具体的には?」

 

「同じ体格の怪獣と比較して、大体百倍ぐらいかしら。二百倍って論文もあるけど、私としては百倍説の方がより正確だと思うわね」

 

「……はい?」

 

 さらりと語る真綾。だが、百合子は思考が僅かに停止していた。

 普通の百倍も大食い。

 言葉にすれば陳腐にも聞こえてくるが、現実として考えればあまりにも異常だ。確かにヤタガラスはとても強く、その分筋肉が多いなら基礎代謝も高くなるだろうが、だとしても非効率過ぎる。大体普通の百倍もものを食べたら、胃袋が破裂してしまうのではないか?

 一瞬で湧いてくる数々の疑問。それは真綾にとって想定済みのものだったのか、疑問への答えは百合子が尋ねるよりも前に語られた。

 

「正確に言うなら、一般的な怪獣が少食なのよ。身体の大きさや身体能力から考えられる基礎代謝から逆算して、大体五十分の一ぐらいの食事量しかない」

 

「……いやいやいやいや、それ逆になんかおかしくないですか? 百倍大食いなのは燃費が悪いで一応説明出来そうですけど、五十分の一で良いのは効率的とかって問題じゃない気がするのですが」

 

「その通り。エネルギー効率が良いだけじゃこうはならない。大体生物ってのは三十六億年の間ずーっと進化の中で効率化を進めてきたのよ? 完璧とは言えないにしても、かなり省エネな身体となっている。それより何十倍も効率的なんて、あまりにもインチキよ」

 

「えっと、つまり何かトリックがあるという事ですか? でもどんな……」

 

「私が研究テーマとしている、怪獣に特有な腸内細菌。どうもアレが手品のタネみたいなのよ」

 

 真綾曰く、怪獣の腸内で採取された新種の細菌は、水と二酸化炭素から糖を合成する力があるという。

 それだけなら植物と同じだが、この細菌は更に窒素も混ぜ合わせ、タンパク質まで作ってしまうらしい。つまり息をするだけで身体を作る材料が一通り得られる。更にその合成に必要なエネルギーは周りの熱から賄われている可能性が高く、高温になるほど活性が高まるらしい。

 現在はこの細菌を利用して合成食糧が作れないかの研究も進められているようだが、今の本題はここではない。肝心なのは、この細菌の働きにより怪獣は()()()()()()()()()()()()()()という事だ。

 

「正確にはミネラル、つまりカルシウムとかマグネシウムは身体相応に必要なんだけど、逆に言えばそれ以外はわざわざ食べなくて良い。食べた獲物のほぼ全てが身体を作る材料となり、ミネラルを十分補給出来たなら何も食べなくても成長していく……怪獣ほどの巨大生物が大発生するのも、何十メートルもの巨体となるのに数ヶ月も掛からないのも納得ね。餌は空気中にあったのだから」

 

「そんな……あれ? なら、なんでヤタガラスは大食いなんでしょうか?」

 

「さぁ? 腸内細菌が上手く働いてないかも知れないわね。メカニズムを解明出来れば殺虫剤ならぬ殺怪獣剤が作れるようになるかもだし、人体に投与して点滴代わりにするのもありね。ああ、それと怪獣の養殖が出来るようになるかも」

 

「怪獣を養殖してどうするんですか……まさか生物兵器とか?」

 

「そういう使い方もあるでしょうけど、個人的には家畜化が目的。ほら、何も食べなくても育つなら、家畜として最高じゃない?」

 

「人間、というか科学者は逞しいですねぇ……それはそれとして。なんでヤタガラスを倒すと怪獣情勢が悪化するのかは、なんとなく分かりましたよ」

 

 通常の怪獣の百倍も食いしん坊。ヤタガラスはさぞやたくさんの怪獣を殺している事だろう。ヤタガラス一匹が死ぬという事は、怪獣百体分の捕食者がいなくなる事に等しい。今まで食べられていた怪獣が、一気にその数を増やすかも知れない。

 それにヤタガラスは非常に獰猛だ。自分より大柄な七十メートル級ガマスル、数で負けていた六十メートル級レッドフェイスの群れにも、自らの意思で挑むほどに。他にどんな怪獣を襲っていたか百合子は知らないが、大体似たようなものだと考えるのが自然。

 七十メートル超えの怪獣には通常兵器はほぼ通じない。六十メートル級でもかなりの苦戦を強いられる。ヤタガラスを倒せば、それらの怪獣が食われる事はなくなり、増え放題となるだろう。

 勿論ユミルがヤタガラスを倒せたなら、他の怪獣だって倒せる筈だ。しかし次の戦いは終わりなき闘争。数で攻めてくる怪獣達に、ユミル一体でどうにか出来るのか? いや、最悪ユミルがヤタガラスと相討ちになろうものなら……

 

「……悪い方に考えると、なんか、凄く間違った事をしている気がしてきます」

 

 先日はヤタガラスを倒せるかも知れないと『希望』を抱いたのに、今度はそれが『不安』になる。あまりにも振れ幅の大きい自分の心象の変化に、百合子は苦笑いを浮かべてしまう。

 

「人間の活動なんてそんなものよ。あとこう言うのも難だけど、怪獣情勢の悪化は私の勝手な予想。もしかしたら大した変化なんてないかも知れないわ。ニホンオオカミが絶滅しても、シカによって日本の山全てが禿山とはならなかったように」

 

 生態系は複雑だ。一つの種の絶滅が予想外の大打撃を与える事もあれば、目に見えた変化を起こさない時もある。複雑に関与し、変化していく関係を完全に予測する事など、今の人間には無理な話。

 結局、ヤタガラスを倒した後に世界がどうなるかは分からないという事だ。良くも、悪くも。

 

「ま、そんな心配をする前に、そもそもヤタガラスを倒せるのかどうかってのが問題だと思うけどね。負けたらユミルを失うだけよ」

 

「いやまぁ、そうなんですけどね」

 

 真綾が言うように、こんな心配はヤタガラスを倒せたならの話。現時点で言えるのは新兵器を使ったユミルなら普通の怪獣ぐらいは倒せるというだけだ。

 未来の事など分からない人間に出来るのは、より良くなると信じた行動を取る事だけ。そして真綾が話してくれたような危惧は、自衛隊だって科学者から聞いている筈。リスクを飲み込んだ上で、この選択をしたのだろう。

 そしてリスクを承知でヤタガラスを倒さねばならないほど、自衛隊は切羽詰まっている訳だ。なんとも絶望的な状況だが……やらねばならないというシチュエーションは、『後ろめたさ』を消すのに役立つ。どんな結果になろうとも、そうするしかなかったと言い訳出来るのだから。

 

「……うん。少しだけ気が楽になりました。ありがとうございます、真綾さん」

 

「楽になるねぇ。むしろ暗い話をしたぐらいだと思うんだけど……ま、私も正直ヤタガラスの討伐は成功してほしいわね。腸内細菌、羽根、身体能力の秘密。知りたい事は山ほどあるんだから」

 

 最悪の可能性を語りながらも、自分の研究を進めるために真綾は楽しげにヤタガラス討伐を願う。極めて自分の欲望に正直だ。

 そして百合子はそんな親友の楽しげな姿が好きだ。復讐のためとはいえ、生きる気力をまた取り戻した親友の事も大好きだ。

 ヤタガラス討伐作戦に協力する理由をしっかりと胸に刻んでから、百合子はコーヒーの残りを飲み干すのだった。



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リベンジマッチ

 大人になると、月日の流れが早く感じるものだ。

 小学生か中学生か、兎も角幼い頃に百合子はそんな話を聞いた覚えがある。聞いた時は ― まだ幼いのだから当然だが ― 実感など沸かなかったが、二十歳を超えて大人となった今となってはよく分かる。一年という言葉を聞けば長いと思うが、実際に過ごしてみれば瞬く間に過ぎ去ってしまう。

 そう、一年などあっという間だ。仕事をして、休みの日にだらけたり遊んだりしていたら、すぐにその時は訪れる。

 それは例え人類の今後を、良くも悪くも左右するであろう時であっても、だ。

 

「(ついに、この時が来ましたか……)」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、一年の月日が流れたこの日――――百合子はあの日と同じくトラックの中に居た。

 その間百合子達の身に何かあったかといえば、特段そんな事もなし。世界の危機だろうが人類の命運が掛かっていようが、人の社会は何事もないかのように進んでいく。何時も通りの仕事をし、これまで通りの生活を送り……精々自衛隊直々の仕事の依頼があった程度だ。

 真綾の方はこの一年で何か大きな『発見』をしたと、百合子は手紙で知らされたが……手紙が来た頃から仕事が忙しく、詳しい話を聞きに行く事は出来なかった。手紙曰く世紀の大発見らしいので、仕事が一段落したら聞きに行きたいと考えている。

 ……成否に関わらず、今日を生き延びる事が出来ればの話だが。

 

「(……凄い光景ですね)」

 

 トラックの窓から、辺りを見回す。

 今の時刻は夜十一時。しかも街灯などない真夏の森の中であり、今日の天気は朝からずっと曇りという状況だ。百合子のトラックがいる場所は木々が伐採されて開けた土地となっているが、夜と曇りの二つが合わさり肉眼では景色が見通せない暗さに満ちている。普段であればトラックのライトを点けるところだが、それは()()()()()()()ため出来ない事だ。

 代わりに今の百合子は『暗視ゴーグル』を装着している。緑一色の『景色』は極めて見辛いが、暗闇と比べれば遥かに良好な視界だ。これのお陰で百合子は自分の乗るトラックの周りに並ぶ、無数の物体を視認する事が出来た。

 百合子が乗るトラックの横にずらりと並ぶのは、同型車種の大型トラック。数はざっと二十両ほどだろうか。トラックの前方にはそれと同じぐらいの数の自衛隊の戦車も並んでいた。更に戦車の傍には、大きな銃を携行した歩兵が何百人といる。歩兵達も暗視ゴーグルを装備していて、何やらSFの世界からやってきた人物のようにも見えた。

 暗視ゴーグル越しでも圧を感じるほどの大部隊。昼間に見たならば中々壮観な光景だったに違いない。しかもこのような部隊は一つだけでなく、百合子がいる場所とは数百メートル離れた別の山にもあるという。聞いた話では、全部で五つの部隊があるそうだ。

 合計百両の戦車に、数千人の歩兵部隊。比喩でなく、今の日本の軍事力の総力を結集させたのだろう。

 されどこれでも、展開した部隊の中心に位置する麓にて佇む怪獣――――ヤタガラス相手では、不足なんてものではないだろうが。

 

「(いよいよ始まるんですね。ヤタガラス討伐作戦の本番が)」

 

 ヤタガラス討伐作戦が今日この時間に行われるのには、相応の理由がある。

 まず最低限の条件として、ヤタガラスが持つ無敵の守りこと光子フィールドをどうにかしなければならない。そこて光エネルギーの供給がない、夜間に実施される事となった。また朝から曇り空であれば日中の光エネルギー供給も少なく、夜間の光子フィールドが極めて薄い可能性が高くなる。

 本当なら、更に日照時間が短くて日差しの弱い冬場にやるべきなのだが……冬場は大量の燃料需要があり、戦車を動かすと凍死する市民が出かねない。そのため寒さを和らげる必要のない、温かな時期に行わねばならなかった。

 かくして今日、気温・日中の天気の条件を満たし、夜間に作戦決行という運びとなったのだ。

 

「(しかしあれ、多分寝てますよね……)」

 

 暗視ゴーグル越しに見えるヤタガラスの姿は、明瞭とは言い難い。しかしそれでも、頭を垂れているように見える姿勢は、睡眠を取っているとしか思えないものだった。

 人間が包囲しても、安眠を妨げる事すら出来ない。ヤタガラスにとって人間の存在など、耳許を飛び交う羽虫以下という訳だ。虫けらが何をしていても興味などないし、それが自身を害するものなら、後で対処すれば良いと考えている。

 正に強者の余裕。英雄譚であればその余裕を(時には姑息とも言われるような)知略で突き、打ち倒すところだが……真の強者は知略など力で踏み潰す。ヤタガラスはそうやって人類の叡智を全て打ち砕いてきた。ヤタガラスの振る舞いは驕りでも過信でもない、本当の余裕だ。

 果たしてその余裕を、今日こそは崩せるのか。

 ――――否。今日こそ崩すために、日本は、人類はこれまで尽力してきたのだ。そしてそのための秘策は、間もなく此処を訪れる。

 百合子がそう考えていた時に、ずしん、という振動が背後からやってきた。

 

「(ついに来ましたね)」

    

 百合子は振動が伝わってきた背後を見るため、車窓から身体を乗り出す。

 森の木々より遥かに巨大な、高さ六十メートルはあるだろうシルエット。仮に暗視ゴーグルがなく、全身が暗闇に包まれていたとしても、存在感はひしひしと感じられた事だろう。

 その巨大な身体を、金属の装甲が覆っていた。鎧のように胸部や腹部などの致命的な部分を守っており、しかし動きを妨げないよう蛇腹のような細かなパーツも付いている。六十メートルの身体に合わせて作られた『特注品』は、その身体にぴったりと合っていた。

 更に腕には鋭い刃こと、ジャマダハル型の武具が装備されている。二枚の刃を接合して作られたそれは、鋭利と呼ぶにはやや太く、だからこそ突き刺された時の傷口が凄惨な事になるのが想像出来る。

 頭にも大きな、兜のようなものが装備されていた。ただしこちらは細長いアンテナが二本伸びていて、目元を覆うゴーグルのようなものもある。防具というよりも器材といった様子だ。とはいえ金属で出来ているそれは防御力皆無というものではなく、それなりには身を守るのに役立つだろう。

 騎士のように固めた全身。それでも人型の、一年前と比べて倍近く筋肉で膨れ上がったシルエットだけで『彼』だと判断する事が出来る。

 人間の怪獣・ユミルだ。

 そしてそのユミルの傍には、彼の友達にして百合子の親友――――茜の姿がある。周りには迷彩服姿の自衛隊員の姿もあり、彼女の事を守っているようだ。

 

「(茜さん……)」

 

 心の中で呟いた百合子の声。それが聞こえたかのように、茜は百合子の方を見て、身体を車窓から出している百合子と目が合う。昔ならここで手の一つも振っただろうが、二人とももう仕事をしている社会人。目と目で会話を交わせば、それで十分だ。

 そうして親友とのコンタクトを取った後、トラックの運転席の傍にある通信機が着信音を鳴らす。あちこちから響く虫の声に紛れて聞こえないなんて事がないよう、音量を大きくしてから受信のボタンを押す。

 

【こちら、作戦司令本部。作戦開始時刻の前に、本作戦に参加してくれた戦士達に感謝を伝えたい】

 

 通信機から聞こえてきたのは、本部からの言葉だった。

 

【五年前、日本に怪獣が現れて以来、自衛隊は多くの怪獣と戦ってきた。国民を守りきれなかった事も、多々あった】

 

 五年前。それが百合子の人生を大きく左右したのは間違いない。もしも怪獣が現れなければ、きっとトラックの運転手の仕事は、少なくともまだしていなかっただろう。才能があって、運転が好きだとしても、大学や専門学校への進学を目指しただろうから。

 

【その中でもヤタガラスとの戦いは、敗北の連続だった。敗北しかなかった。その結果が、日本と他国との断絶だ】

 

 仮に怪獣があちこちに出ていても、ヤタガラスがいなければ、やはりトラック運転手にはならなかったかも知れない。社会が追い詰められるまでの猶予が伸びれば、苦しくなったとしても、今まで通りの暮らしが出来たかも知れないのだから。

 

【最早日本社会の体力は限界だ。資源は底を突き、燃料も残り僅か。来年は、今の生活すら続けられないだろう】

 

 そして今のトラック運転手という仕事も、来年には出来なくなるかも知れない。トラックを作る鉄も、トラックを動かすためのガソリンも、もう日本には殆ど残っていないのだ。

 全てはヤタガラスが原因。

 ヤタガラスが邪悪だとは言わない。それは人間が、人間を襲うクマを悪魔と呼ぶような身勝手さと同じだから。しかし人を襲ったクマを、人間への罰だといって野放しにするのは正しくない。人間を守るためにも、戦い、倒さねばならない。それはヤタガラスが相手でも同じだ。

 『今』の生活を守るため、『これから』もこの生活を続けるため、人類の敵を倒さねばならない。

 

「(私に出来るのは、その手伝いぐらいですけど……精いっぱい、頑張りましょう!)」

 

 一人類として、この作戦に参加している友達も守るため、百合子は決心を新たにする。

 そしてその想いは、この場にいる誰もが抱いた事だろう。

 

【総員、健闘を祈る――――作戦開始だ!】

 

 通信が終わるのと同時に、第二次ヤタガラス討伐作戦の開始時刻を迎えるのだった。 



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開戦

【オオオオオオオオオオオオオッ!】

 

 作戦開始を告げる本部の言葉と共に、ユミルが咆哮を上げて駆け出す。目指すは麓で優雅に眠っている、ヤタガラスだ。

 とはいえユミルは作戦本部の号令により動き出した訳ではない。彼に指示を出しているのは、ユミルと共に百合子の近くにやってきた茜。人間好きだが自由奔放な彼に『命令』を出せるのは、ユミルが特別大好きな茜だけだったからだ。

 六十メートルもある身体のユミルは、山の斜面を猛烈な速さで駆け下りていく。『鳥目』ではないユミルだが、その視力は普通の人間よりちょっと良い程度。本来なら夜の山を全速力で駆け下りるなんて真似は、人間より頑丈なので危険とは言わないが、転ばずにやるのは中々難しい。ユミルの身体は一年前より倍近く筋肉が付いていたが、それでもやはり困難だろう。

 そんな彼が今容易く山を下りられる理由は、頭に付けている兜にある。目許を覆うゴーグル部分は、百合子が装着している暗視ゴーグルと同じ働きがあるのだ。つまり幅数メートルの超巨大暗視ゴーグルという訳である。これで暗闇の中でも、動きは殆ど制限されない。

 ユミルは難なく麓まで到着。ヤタガラスまであと二百メートルほどの距離まで迫った。ヤタガラスは、まだ起きる気配もない。

 

【オォガアアアアッ!】

 

 そのヤタガラスに対し、人間であるのと同時に怪獣でもあるユミルは、なんの躊躇いもなく拳を振るう。

 そしてユミルの放った拳は、ヤタガラスの脳天を直撃した!

 拳といえどもその腕に装着しているのはジャマダハル型装備こと、重合金ブレード。しかもこの重合金ブレードは、一年前にジゴクイヌを貫いたものよりも大きく強化されていた。ブレードの基礎や素材に怪獣由来の成分を用いる事で、これまで人類が開発してきたどんな合金よりも強固な金属を生み出せたらしい。

 人間の兵器ではヤタガラスを苛立たせる事が精々。しかしヤタガラスと同じ怪獣由来の素材であれば、最強といえども同じ怪獣であるヤタガラスに傷を与えられるのではないか。そのような期待を人類は抱いていた。

 だが、それを蹂躙してこその『怪獣』だ。

 

【……クカァァァァァ……】

 

 ヤタガラスが鳴く。唸るようでも、苛立つようでもなく、呆れ返ったため息を吐くように。

 ユミルが繰り出した拳と重合金ブレードは、確かにヤタガラスの頭に命中していた。ヤタガラスの頭は命中前と比べて大きく位置をずらし、それなりのダメージとなった事が窺い知れる。

 されどあくまでも『それなり』だ。致命的なダメージは受けていないと、戦いの素人である百合子でも、なんとなくだが察せられた。恐らくヤタガラスにとっては、「目を覚ますのに丁度良い」ぐらいの一撃だったに違いない。

 とはいえヤタガラスが、深夜に叩き起こされた事を感謝する訳がない。

 次は、ヤタガラスの反撃の番だ。

 

【ガアァッ!】

 

 百合子が本能的に理解したところで、ヤタガラスが動き出した! 短くも怒気のこもった声と共に、巨大な足がユミルを襲う!

 ユミルは腹を正面から蹴られ、大きく吹き飛ばされた。身体が柔らかな怪獣であればこれだけで死に至るほどの、強力な打撃。鍛え上げたとはいえ生身でこれを受けたなら、ユミルは大きく怯んだであろう。

 されどここでも装備が役立つ。

 ユミルの身体を覆う鎧にも怪獣由来の素材が使われているのだ。それは日本に現れた怪獣の中では特に頑強な甲羅を持つ亀型怪獣・シェルドンより得られたもの。ヤタガラスが惨殺したと思われる亡骸から甲羅を得て、成分を練り込むようにして鎧を作り上げた。

 無論ヤタガラスが惨殺したというところからも分かる通り、ヤタガラスの力であれば破壊可能な強度だろう。しかし簡単には壊せない筈であるし、数発だけでも受け止めてもらえれば身を守るという役割は十分に果たせる。決して無駄な装備ではない。

 ユミルも蹴りのダメージは殆ど受けなかった。そのため彼は、即座に反撃へと転じる事が出来る。

 

【ゴアアッ!】

 

 素早く跳び上がるや、ユミルは渾身の蹴りをヤタガラスの顔面に喰らわせた!

 人間の場合、キックはパンチの三倍の威力があるという。あくまでも理論値的な話であるため正確性に欠けるが、つまりそれだけ強いという事。人型をしているユミルのキックも同様に、パンチの数倍の威力があってもおかしくない。

 それを物語るように、蹴りを受けたヤタガラスの頭が大きく仰け反った。

 

【……! グガアアアァッ!】

 

 続いてヤタガラスは怒るように翼を振るう! 翼の一撃はユミルを直撃し、彼の身体を何百メートルと突き飛ばす。ユミルは山の斜面に叩き付けられ、その動きを阻まれた。

 ヤタガラスは翼を広げる。恐らく飛ぼうとしているのだと百合子は感じた。高速で接近するためか、はたまたそのまま体当たりでも喰らわせるのか。なんにせよ、ユミルに追撃を仕掛けるつもりなのは明白。

 しかしそれをむざむざ許す人類ではない。

 百合子がいる場所に同じく停車していた戦車が、突如として砲撃を始めた! 轟く爆音。鼓膜が避けそうな爆音に身体が思わず萎縮する中、百合子は暗視ゴーグル越しの景色を凝視する。

 砲撃を始めたのは百合子がいる場所の戦車だけではない。ヤタガラスをぐるりと囲うように配置された、他四箇所の戦車も砲撃を始めていた。爆音が四方八方から響き渡り、攻撃の苛烈さを物語る。更に歩兵達も銃撃を始め、ユミルの援護を行う。

 ここで戦車達が撃ち出しているのは、爆発する榴弾ではなく、貫通を目的にした徹甲弾だ。ヤタガラスに命中した砲弾は爆発を起こさず、砕けた破片である灰色の粉塵を撒き散らすだけ。歩兵達が持つ銃も対物ライフルであり、爆発ではなく貫通力重視のもの。兎に角爆発が起きないよう、装備を選択した結果である。

 

【ガッ……グガガガガ……!】

 

 果たしてその結果は、なんとヤタガラスが苛立つように翼を攻撃に対し盾のように構えたではないか。

 つまり自衛隊の攻撃に対し、ヤタガラスが()()()()()()()と思った事に他ならない。これまで自衛隊の攻撃など、苛立つだけで全く気にも留めなかったヤタガラスが、である。

 それはこの作戦の前提である、光子フィールドが弱まっている証だ。加えて最強の技であるレーザーも撃たない。

 夜ならば光エネルギーが足りなくて、ヤタガラスは力を発揮出来ない……その推論が確信に変わる。とはいえ今なら自衛隊でも倒せるようになったという訳ではあるまい。砲撃を受け止めた翼は無傷であり、余波を受けた身体にも傷は見られないので、恐らく擦り傷ほどにも感じていないだろう。そしてここで核兵器を使っても光子フィールドが再展開されるだけ。結局人間の力だけではヤタガラスは倒せそうにない。

 だが、ここにはもう一体の怪獣がいる。

 

【オオオオガァッ!】

 

 ユミルだ。自衛隊の攻撃に気を取られているヤタガラスに対し、ユミルは再び重合金ブレードを装備した拳を振り下ろす!

 ヤタガラスは迫りくる拳に、一瞬、苛立つように嘴を揺れ動かす。次いで自衛隊の攻撃を塞ぐのに使っていた翼を、今度はユミルの攻撃を塞ぐのに使った。怪獣の攻撃にも防御姿勢など殆ど取らなかったヤタガラスが、ユミルの攻撃を防御したのだ。

 きっと作戦に参加した人々は歓声を上げただろう。百合子と同じように。しかしヤタガラスはただ頑強さだけで最強の怪獣として君臨した訳ではない。

 ユミルの拳を翼で防いだ後、ヤタガラスはその翼を大きく動かした。ただし今度は突き飛ばすようではなく、横に薙ぎ払うように。

 防御の硬さは光子フィールドが源でも、数多の怪獣を叩き潰した怪力は肉体由来のもの。ヤタガラスは易々とユミルを横へと突き飛ばし、自分のすぐ傍で転ばせた。これなら立て直す時間も与えない。

 

【ガアッ! グガアァアァッ!】

 

 倒れたユミルに対し、ヤタガラスは何度も踏み付ける! 踏み付け攻撃はユミルの胸部に集中して行われ、その一撃に一切容赦はない。

 

【ゴゥッ!? グ、ウグァッ……!】

 

 踏まれる度にユミルの口から苦悶の声が漏れ出ていた。怪獣の素材から作り出された鎧も、ヤタガラスの打撃を完全には受け止めてくれないようだ。

 無論鎧がなければ、これだけで致命的な打撃となっていただろう。鎧のお陰で呻くだけで済んでいる。だがその鎧は踏まれる度に大きく歪み、百合子の耳に届くような歪な音を響かせていた。恐らく、もう長くは持たない。

 このままでは鎧を踏み抜かれ、ユミルは致命的な打撃を受けてしまう。そうなれば人類に打つ手はない。決定的な敗北だ。

 自衛隊もそれをみすみす許しはしない。

 

【総員、衝撃に備えろ!】

 

 車内の通信機から響く声。その声から事前に通達されていた作戦を思い出した百合子は、慌てて耳を塞ぐ。

 次の瞬間、空から轟音が轟く。

 自衛隊の航空機だ。その飛行高度はかなり低く、雲に覆われた夜空にほんのりとシルエットが浮かび上がる。恐らく一千メートルもないような高さを飛んでいるのだろう。この高さでは空を飛べるヤタガラスどころか、普通の怪獣が投擲したものが届いて撃ち落とされかねない。非常に危険な飛び方だ。

 しかしそれも仕方ない。

 何故なら航空機がこれから仕掛ける攻撃は、無誘導弾頭による攻撃。コンピュータによる照準があるとはいえ、自由落下に任せて落とすだけ。軌道が逸れれば仲間であるユミルどころか、散開している自衛隊地上部隊を爆撃しかねない。おまけに夜にも拘らず、照明で対象を照らす事も出来ないのだ。可能な限り接近し、照準のズレを最小限に抑えるためには目標までの距離を縮めるしかない。

 ヤタガラスは頭上を飛ぶ航空機を一瞬気に掛けたが、それよりもユミルの方が驚異だと判断したのだろう。頭上を取られたところで気にもせず、ユミルへの攻撃を続けた。確かにその判断自体は正しい。航空機(羽虫)が落とす弾頭では、ヤタガラスに致命傷は与えられるとは思えないのだから。

 だが、人類とて虫けらで甘んじるつもりはない。

 航空機は無数の物体を落としていく。それは高い密度と高度を有す、()()()()()()()()だ。自由落下による運動エネルギーだけで対象を貫く最新兵器。

 ヤタガラスの脳天に激突したそれは、ヤタガラスの体勢を僅かながら崩す事に成功した! ヤタガラスは目を見開いていて、小さくないダメージを受けた事を物語る。

 効果が確認された。ならば手を緩める理由はない。航空機は続々と自由落下型徹甲弾を落としていく。

 

【ガッ……グガァッ!】

 

 度重なる爆撃は、極めて正確にヤタガラスの脳天を打つ。爆炎の生じない純粋な質量攻撃が、ヤタガラスの意識を空へと向けさせた。

 

【グ、ヌゥオオオオオオオオオオッ!】

 

 その僅かな隙を突いて、ユミルは身体を力強く起こす!

 空を見ていたヤタガラスは、ユミルの行動に僅かながら反応が遅れた。踏ん張るのが間に合わず、大きく突き飛ばされてしまう。とはいえヤタガラスにダメージを与えた訳ではない。ヤタガラスは翼を羽ばたかせて体勢を直しつつ、再度突撃しようとする。

 が、ヤタガラスとユミルの間に航空機が落とした弾頭が着弾。舞い上がった粉塵が二体の間に満ちた。ヤタガラスがどの程度夜目が利くから分からないが、ユミルの背丈ほどに立ち昇った煙は煙幕代わりにはなったのだろう。ヤタガラスは飛ぼうとした動きを止めて、むしろ僅かながら後退していく。

 そしてユミルはヤタガラスが攻撃を躊躇っている間、体勢を立て直していた。暗視ゴーグルを装備しているユミルにも煙幕の向こうは見えないが、しかしユミルには遠くから戦いを眺めている茜達人類がいる。ユミルの知能が高くないので簡単な話でしか状況を伝えられないが、それでも見えない部分を把握出来るのは戦いにおいて非常に有益だ。

 それは、ヤタガラスも分かっているらしい。

 

【ガァッ!】

 

 力強い声と共にヤタガラスは翼を振るう。

 すると強烈な突風が起こり、煙幕のように漂っていた煙を吹き飛ばしてしまった。露わになるユミルの姿。しかし既に臨戦体勢を整えていたユミルに動揺はない。

 仕切り直すように、ユミルとヤタガラスは正面を向き合う。

 思えばユミルの一撃は不意打ちから始まった。だからヤタガラスと真っ直ぐ向き合うのは、これが初めての事。

 もしも戦いが始まる前にメンチの切り合いをしたならば、ヤタガラスはユミルをどう見ただろうか? 怪獣でもカラスでもない百合子に、ヤタガラスの気持ちを読む事など出来ないが……恐らくろくな関心を向けなかっただろう。睡眠中だったとはいえ、ユミルが殴り掛かるまで寝ていたぐらいなのだから。

 しかし今のヤタガラスは違う。ユミルをじっと、鋭い眼差しで睨み付けている。敵意と闘争心を剥き出しにした姿は、ユミルを敵と認めた証だ。

 ここからが本当の勝負。ユミルもそれを理解しているに違いない。

 

【ゴォアアアアアアアアアアアアアッ!】

 

 故にユミルは世界が震えるほどの咆哮で自らの気合いを入れ直し、

 

【グガアアゴオオオオオオオオオオッ!】

 

 ヤタガラスはその咆哮さえも掻き消えるほどの声量で、雄叫びを上げるのだった。



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ヒトの総力

 ヤタガラスとユミルが再び動き出したタイミングは、ほぼ同時。両者共に、一切の躊躇なく相手に突撃していく。

 ユミルは見た者を魅了するほど美しい、徒競走の選手のようなフォームで走る。それはこの一年間で自衛隊の協力の下、速く走るための方法として学んだものだ。しかもアスリートを凌駕する強靭な筋力のお陰で、ユミルは人間以上のスピードで四肢を動かす事が出来る。音速の壁を突き破った彼の身体には、無数の白い渦(ソニックブーム)が飛び交い、触れたものを切り裂く超危険存在と化していた。

 対するヤタガラスも空を飛ばす、大地を駆けていた。しかし翼を大きく広げて走る様は、正に空飛ぶ鳥が走る姿。お世辞にも上手な走り方とは言えない、やや不格好なフォームだ。動きもぎこちなく、おまけに体幹も左右に揺れる有り様。

 両者が同じパワーであれば、美しいフォームが勝つに決まっている。その方が効率的にエネルギーが使われ、より大きな力を生み出せるからだ。多少馬力が勝る程度でもやはり押し勝ち、かなり劣勢でも互角に持ち込めるだろう。

 だが、ヤタガラスのパワーは桁違いだ。

 

【ゴファッ!?】

 

 美しく効率的なフォームで正面衝突したユミルは、不格好な走り方で激突してきたヤタガラスに力負け。あたかも後転するかのようにひっくり返ってしまう。

 ヤタガラスはこの隙を突いて馬乗りになる……かと思えば、そうしない。馬乗りになっても簡単にはユミルが纏う鎧を砕けない事、更には空や周りから邪魔が入る事を学んだのだ。

 だからヤタガラスはユミルを蹴飛ばした。

 転んだ体勢から立て直そうとしたタイミングでの、追撃の蹴り。胸の辺りを蹴られたユミルは大きく仰け反り、また転ばされてしまう。ヤタガラスはそこにまた蹴りの一撃を入れ、何度も何度もユミルを蹴飛ばした。

 激しく動き回る状態では、航空機による弾頭投下は外したり誤爆したりする可能性が高くて使えない。代わりに戦車と歩兵が攻撃していたが、しかしヤタガラスの身体は光子フィールドがなくても頑強だ。苛立たせる程度の効果では、ユミルへの追撃を止めさせるには足りない。

 

【ガァッ! ガッガッガッ!】

 

 一方的に痛め付ける事が楽しいのか、ヤタガラスは笑うように鳴いた。攻撃を止める気配はなく、延々とユミルを嬲る。

 ヤタガラスのパワーは圧倒的だ。一撃一撃は致命的ではなくとも、こうも連続で喰らえばダメージも蓄積するというもの。止めなければ不味い。

 それを一番分かっているのは、蹴られている当人であるユミル。

 

【グ……グヌァッ!】

 

 転がる中でユミルは地面を掴み、土塊をヤタガラス目掛け投げ付けた!

 無論、いくらユミルの怪力が強くとも、ただの土塊をぶつけたところで戦車砲ほどの威力は出せない。だが土塊が顔面にぶつかれば、目潰しぐらいには働くだろう。

 これまで百合子が見てきた限り、ヤタガラスは顔面への攻撃も毛ほどに感じた事もなかった。だから目にも光子フィールドは展開されていたのだろう。しかし暗闇によってそのフィールドが消えた今、目潰しは有効な攻撃手段となったらしい。ヤタガラスはほんの一瞬、その身を仰け反らせる事となった。

 身体が仰け反っていては蹴りも上手く放てない。この隙を突いてユミルは自ら転がり、ヤタガラスから一度距離を取る。

 

【ガアァッ!】

 

 しかしそうはさせないとばかりに、ヤタガラスは大きく跳躍。広げた翼をさながら剣のように振るい、ユミルに打ち付けようとする!

 ユミルは拳に装備した重合金ブレードを構え、翼の一撃を受け止めようとした。されどやはりパワーが違う。またしても大きく吹き飛ばされ、転ばされてしまう。今度は蹴られる前に体勢を立て直し、ユミルは跳んでヤタガラスから離れた。されど消耗が大きいのか、着地後のユミルは肩で息をしている。

 ヤタガラスを戦う気にさせた。その時点で間違いなく、ユミルはきっとこれまでヤタガラスが戦ってきたどの怪獣達よりも『奮戦』していると言えるだろう。

 だが、ではヤタガラスに勝てそうかといえばそうは見えない。

 不利な点は二つ。一つはヤタガラスのパワーがユミルを圧倒している事。何しろヤタガラスのパワーは、自分の一・五倍以上の体格差を誇る陸上性怪獣よりも上なのだ。互角の体格のユミルでは、どれだけ鍛え上げたところで及ぶものではない。力で劣れば体勢を崩されたりして上手く攻撃が出来ず、一方的にやられてしまう事もあり得る。

 二つ目は機動力。

 

【グアッ! ガァ!】

 

 ヤタガラスはユミルの傍で飛び上がるや、空中で弧を描くように飛翔。ユミルの背後に回ろうとしてきた。ユミルもさせるかとばかりに身体を捻るが、ヤタガラスの方が数段早くて間に合わない。

 パワーの強い奴は動きが鈍い。ゲームや漫画ではそんな傾向があるが、現実は逆だ。パワーがあればその分身体を動かす力も強く、よってスピードも速くなる。

 ヤタガラスの速さはユミルを大きく凌駕していた。更にヤタガラスは自分のスピードをちゃんと理解していて、非常に精密な動きが出来ている。素早くて細かな動きが出来るとなれば、追う側としては非常に厄介だ。

 ユミルの抵抗も虚しく、ヤタガラスはユミルの背中側に回り込む。次いでヤタガラスは足の爪を立てながらユミルの肩を掴み、強引に引きずろうとした。ユミルはこれも踏ん張って耐えようとするが、やはり力の強さではどうにもならない。ユミルは押し倒され、大地にごりごりと擦り付けられてしまう。

 

【ウグァ、ガッ、グウゥゥゥゥ……!】

 

 暴れ回るユミルだったが、振り解く事は出来ず。ヤタガラスは一度大空に舞い上がり、ぶんっとユミルを放り投げる。空を飛べないユミルは地面に墜落し、痛みで藻掻くように四肢をバタ付かせた。

 人類の叡智により、ヤタガラスの無敵の防御は剥がした。

 だが逆に言えば、剥がせたのは防御だけだ。攻撃力でもスピードでもユミルは大きく劣っている。剥がした防御力だって、どうやらユミルより優れているようだ。何もかもが負けている状態での勝負。なんの秘策もなしに勝てる訳がない。

 ただし人類側もこうなる可能性は考慮していた。ヤタガラスが怪獣と戦った時のデータから、ユミルと力と速さが上回っている事は明白だったのだから。硬さについても過去夜間に戦っていた事があったため、それなりに自信があるのも分かっている。

 だから人類とユミルは『秘策』を用意した。

 とはいえ秘策は簡単に繰り出せるものではない。使用には時間が掛かるし、ヤタガラスの動きを止めねば当てる事も困難だろう。故に秘策のための秘策も用意した。

 それは百合子達が運転する、トラックの中にしまわれている。

 

【輸送部隊、プランBを初める】

 

 通信機より、作戦本部からの指示が飛んできた。プランA……ユミルが装備した新兵器でヤタガラスを打ち倒すのは無理だと、自衛隊の作戦本部も思ったのだろう。

 プランB開始を告げられても、百合子達運転手がする事は何もない。何故なら百合子達の仕事は、プランBを行うために必要な道具をこの地に運んでくる事。或いはヤタガラスが攻め込んできた時、積荷を守るために全力で逃げ出す事だ。荷台から荷物を下ろすのは、自衛隊員の仕事。

 百合子は自衛隊員が、自分のトラックが運んでいた荷物……巨大な鎖を運び出す光景を見る。

 出てきた鎖は自衛隊員が何十人も協力して運び出す、長大な代物。その割に太さは普通の鎖と同程度の、精々数センチしかない。また鎖の先、それと等間隔で真横に向かって伸びる四角い突起物が付けられている。

 運び出された鎖は、付近に止まっている一台の車両の下へと運び込まれた。その車両はキャタピラこそ持っているが、砲台らしき部分は幅広く、戦車とはかなり外観が異なる。

 トラックから運び出された鎖は、車両の後ろに持ち込まれる。自衛隊員はそこでなんらかの作業を行うと、鎖を車両の中へと入れていく。

 自衛隊が秘策の準備を進めていく中、ユミルの動きにも変化があった。

 

【ウゥウウウゥゥ……!】

 

 唸るように、ユミルはヤタガラスを睨む。

 ヤタガラスが攻撃を仕掛けても、ユミルは後退してこれを受けようとしない。仮に攻撃を受けても反撃はせず、回避を優先していた。

 つまるところ、ユミルは逃げに徹していた。

 今までどんなに攻撃されても、積極的に攻めに転じていたユミル。その動きの変化は、賢い生物である人間には『怪しい動き』のように思えた。怪しさから、迂闊な攻撃は危険だと判断するだろう。

 ヤタガラスも賢い生物だった。

 

【……クカァァァ……】

 

 今まで一方的に攻撃していたヤタガラスは、不意に動きを止めた。ユミルを警戒するように、じっと睨み付けながら、僅かに距離を取る。

 圧倒的強さを持ち、残虐としか言いようがない戦い方をしていたヤタガラスだが、同時に警戒心も強いらしい。自分の力に対する自信はあっても、過信はないようだ。普通ならば非常に手強い相手と言えるだろう。

 だが、プランBを行うためにはその方が向いている。

 

【捕縛網射出!】

 

 トラック内の通信機から、作戦本部の指示が聞こえてくる。

 それと同時に、自衛隊が鎖を入れていた車両の砲台が火を噴いた! 同時に大きな、拡散するものが撃ち出される。暗闇の中でその正体を目視確認するのは難しいが、しかし作戦を知っている百合子は例え見ずとも詳細を理解していた。

 投網だ。鎖で編まれた投網が放たれたのである。

 この網を作る鎖もまた怪獣由来の素材で作られたもの。その強度は生半可な怪獣では破る事も出来ないほど優れている。百合子が運んできた鎖を運んだ自衛隊員達は、車両の裏でその鎖を編み(鎖の横に等間隔で並んでいた突起で結合可能な作りだ)、巨大な網を作り出した。車体はそれを広げるように撃ち出すためのもの。

 無論鎖で出来ているとはいえ、網では物理的な破壊力はあまり期待出来ない。だが網とはそもそも攻撃ではなく、捕縛のためのもの。元より目的は対象を捕まえる事だ。

 そして此度その対象となったのは、ヤタガラス。

 

【グガッ!?】

 

 ユミルを警戒していたが故に、投げられた網への反応が遅れたらしい。ヤタガラスは躱す事も出来ず、特製の投網を頭から被る。

 ヤタガラスは網を破ろうと藻掻くが、鎖で出来ているとはいえ網の構造上多少は伸縮自在な代物。刃物のように鋭いもので切り裂くなら兎も角、力で引き千切るのは中々難しい。それでもヤタガラスの怪力ならば、どうにか出来てしまうだろうが……時間は掛かる。

 ヤタガラスが苦戦している間に、第二、第三の網が放たれた。ヤタガラスはそれら投網を視認したが、既に捕縛されている状況では避けようがない。三つの網を被り、ますます未動きが封じられたヤタガラスは苛立つように吼えた。

 さて、ここまではあくまでも捕縛だ。しかもどれだけ頑強でもヤタガラスならいずれ破るだろう。この網は、プランBのための前準備に過ぎない。

 プランBの開始を、恐らく通信越しの茜から伝えられたのか。ユミルはヤタガラスから距離を取る。ヤタガラスはユミルの行動に何か違和感を覚えたのだろうか、離れていく彼に鋭い視線を向け続け……

 刹那、爆音と衝撃波が、ヤタガラスの背中から鳴り響いた。

 

【カッ……!?】

 

 ヤタガラスは目を見開き、口を大きく開けて、驚愕の色を見せる。それは人類が遭遇してから、ヤタガラスが始めて見せた表情だった。

 ヤタガラスの背中側では、濛々と灰色の粉塵が舞い上がっている。火などは吹き上がっておらず、徹甲弾のような質量体が撃ち込まれたというのが察せられた。しかし百合子の周りの戦車は今、砲撃をしていない。散開している他の戦車部隊も同様だ。空を見ても航空機は飛んでおらず、ヤタガラスを攻撃出来るものは、百合子の目に映る範囲には存在しない。

 一体何が起きたのか? 百合子は、そして自衛隊員達はその正体を知っていた。

 ――――『神の杖』と呼ばれる兵器だ。

 これは端的に言えば、宇宙空間から巨大な金属塊を地上へと射出する兵器。金属塊には火薬も核燃料も積んでいないが、秒速数十キロというスピードで撃ち出される。質量×速さの二乗が運動エネルギーの算出方法。秒速数十キロを誇る金属の塊は、ただそれだけであらゆる砲弾を凌駕する威力と化す。その純粋な運動エネルギーで対象を破壊するのだ。

 四年前までそれは、アメリカが極秘理に開発している超兵器だと、都市伝説や陰謀論として語られるものに過ぎなかった。このような兵器を持つ事は宇宙条約で禁止されているし、そもそも威力が設置の苦労に対してそんなに強くないという致命的欠点がある。そんな面倒な兵器を使うぐらいなら、ミサイルを飛ばす方が安価で精密で確実だ。故にアメリカも四年前には、まだ保有していなかった。

 だが、ヤタガラスの存在がこの兵器に現実味を与えた。

 核兵器の通じない超常の生命体。そんなものが現実に出現した事で、新たな兵器の開発が必要となった。そこで注目されたのが神の杖。質量攻撃を行う性質上光が発せられず、威力はただの徹甲弾よりも遥かに強い。対ヤタガラスとしてはこれ以上ない適任兵器だったのである。

 米国からしても、大陸間を飛翔する事が出来るヤタガラスは脅威。米国も倒すための協力は惜しみなかったという。四年前の二大技術大国が開発を進めた結果、僅か一年で開発・打ち上げに成功。静止軌道上を漂う衛星は、攻撃タイミングが来る時までじっとしていて……今、ついにその出番を迎えたのだ。

 

【ゴ……ガッ……!?】

 

 神の杖が直撃して、ヤタガラスは大きく前のめりに動く。これまでにない、明らかな苦しみだ。

 それが演技ではないと物語るように、ぼとりと、ヤタガラスの背中から何かが落ちた。

 誰もがそれを注視した。ユミルだけでなく人類も、そしてヤタガラス自身も、ヤタガラスの背中から落ちたものを見つめる。

 それは一枚の羽根だった。

 ヤタガラスの身体から一枚の羽根が抜け落ちた――――言葉にすればただそれだけの事である。だが、それを目の当たりにした百合子は声を詰まらせ、そしてトラックの周りに居る自衛隊員達は歓声を上げた。

 何故ならそれは、今までどんな攻撃にも傷一つ追わなかったヤタガラスが、始めて傷付いた瞬間なのだから。

 

「(ほ、本当に、本当にこれは勝てるのでは……!)」

 

 人類が、いや、『怪獣』も含めて始めて得た成果。それは百合子達人類に、ヤタガラスに勝利するという具体的なビジョンを示す。

 冷静に考えれば、羽根がただ一枚抜け落ちただけであり、勝利には未だ程遠いだろう。だが、千里の道も一歩からと言うように、塵も積もれば山となると昔から言い伝えられているように、どんな小さな傷でも重ねていけばやがて致命傷へと至る。

 確かに今の装備だけでは、このまま致命傷まで持ち込むのは難しいかも知れない。余裕も殆どない。けれども勝利の道筋が見えたなら、更に知恵を絞れば新たな道も見えてくる筈だ。そして人類は、何時だって知恵と工夫で、不可能だと思える問題を解決してきた。

 人類はヤタガラスを倒せるのだと、誰もが思い始めた。

 

【……………】

 

 そうして人類が希望で満たされていく中で――――ヤタガラスは黙していた。

 黙して、じっと見つめるは自分の羽根。たった一枚だけだが、ユミルと人類のタッグにより抜け落ちた羽根。

 自分が傷を付けられたという、確かな証。

 ヤタガラスはまるで考え込むように、しばしの間動きを止めていた。だが、やがてゆっくりとユミルの方を見遣る。ユミルも腕を構えてヤタガラスと改めて向き合う。まだまだユミルの闘志は折れていない。

 対するヤタガラスはどうか。恐らく始めて受けたであろうダメージ。果たしてヤタガラスは怒り狂うのか、狼狽えるのか、泣き喚くのか、混乱するのか。トラックに中で百合子は、暗視ゴーグルに映るヤタガラスの姿を凝視し―――ー

 恐怖で背筋が凍り付いた。

 ヤタガラスは静かだった。怒りの咆哮も、困惑の慟哭も、恐怖に染まった悲鳴も、何一つ上げない。激しい動きも何もなく、傍目にはその場に立ち尽くしているように見える。

 だが、その顔にはこれまでにない覇気が宿っていた。

 ヤタガラスの顔が向いているのはユミルだ。地上を駆け回る矮小な人間など眼中になく、ましてやトラックを運転たしている百合子になどこれっぽっちも意識していない。なのに百合子は全身が強張るほど恐怖し、冷や汗が流れ出てくる。

 嫌な予感がした。そしてその予感の答えは、殆ど間を置かずに明らかとなる。

 ヤタガラスの身体が、煌々と輝き始めるという形で……



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破滅の光

 ヤタガラスが光っている。

 百合子は思わず暗視ゴーグルを外した。暗闇の中で世界を見るためのゴーグル。それがなんらかの不調を起こしたのではないかと考えた……否、()()()()がために。

 だが、そうではなかった。

 ヤタガラスは本当に光り始めていたのだ。最初はほんのり全身が輝く程度だったが、時間と共にどんどん強くなり、今や直視が難しい有り様。ユミルもあまりの眩しさからか、腕を構えて光を遮ろうとしている状態だった。

 一体、何が起きている?

 誰かがヤタガラスを光で照らしているのか? 一瞬そんな考えが百合子の脳裏を過ぎったが、すぐにあり得ない事だと切り捨てた。此度の作戦はヤタガラスが光子フィールドを、光の防壁を纏っているのだという前提で進められている。だから曇りの日の真夜中に作戦を始めたし、戦車もトラックも照明は点けず、爆撃機は撃墜の恐れがある超低空を飛んだ。作戦を確実に成功させるために、人類側は光を徹底的に排除したのだ。

 ならば自然の光か? 否である。未だ空には暗雲が満ちているし、仮に月明かりがヤタガラスを照らしたとしても、煌々と輝くほどの光量はあるまい。星の光でも同様だ。そして作戦開始からそれなりに時間は経ったが、まだ午前一時にもなっていない。日の出には早過ぎる。

 何より、空に浮かぶ雲が照らされているのだ――――明らかに地上側から。

 ならば考えられる可能性は一つだけ。

 

「(ヤタガラスが、自分で光っているのですか……!?)」

 

 それは、全ての前提を覆す真実。認めたくないとどれだけ思えども、そんな思考すら掻き消さんばかりにヤタガラスの光は強くなっていく。最早ヤタガラスの姿は人間の目では殆ど見えない……まるで真実を拒むものには、何も見えやしないと窘めるかのように。

 ヤタガラスは未だ手加減をしていたのだ。夜間に光子フィールドを展開していなかったのは、きっと自ら光り輝くのが疲れるからに過ぎない。逆に言えばやる気になれば何時でも展開出来たのに、今まではやる気にすらならなかったという事。

 その意味では、神の杖は良い仕事をしたと言えよう。ヤタガラスを本気で怒らせた、初めての事例なのだから。しかしその怒りの代償は、あまりにも大きなものとなる。

 

【……………】

 

 光り輝くヤタガラスは、静かに大空を見上げた。

 雲に覆われて、空の様子は何も見えない。けれどもヤタガラスの鋭い眼差しは、確かに何かを捉えていると百合子は感じた。しかし今の空には航空機も飛んでいない。何かがあるとすれば……

 

【ガアッ!】

 

 考えていた百合子の前でヤタガラスは鳴く。短く、されど大気と大地を震わせる咆哮。

 或いは、世界を震わせたのは『閃光』の方か。

 レーザー光線だ。光り輝くヤタガラスの顔の先から、一閃の光が放たれていた。百合子は幾度となくヤタガラスのレーザー攻撃を見てきたが、此度のものは何時もと違う。何しろヤタガラスを束縛していた鎖で出来た網が、レーザーの余波だけで砕け散ってしまうほどの威力だ。見ているだけで全身に鳥肌が立ち、恐怖が心を支配する。

 そして本能的に確信した。あのレーザーにより、唯一ヤタガラスに傷を付けた兵器……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

【……グカアァァァァァ】

 

 邪魔者を排除したと、ヤタガラスも確信したのだろう。レーザーを撃ち終えるのと共に、ヤタガラスの視線は正面に立つユミルへと戻された。自由を示すかのように翼を広げ、背筋を伸ばした姿勢は強者の風格を見せつせる。

 ヤタガラスはユミルとやり合うつもりだ。ヤタガラス的には「準備運動は終わりだ」と思っているのかも知れない。本気の戦いをしようと、気持ちが切り替わっている。

 対するユミルは、身体が震えていた。

 彼は今になって思い知ったのだ。周りにいる人類と同じように。

 『人類』はヤタガラスに勝てない。何をしても、どうやっても……アレは人類の想像力の遥か上を行くのだから。

 

【……そ、総員、攻撃を再開しろ!】

 

 しかし一部の人類は、まだ勝負を諦めていなかった。作戦本部から攻撃開始の指示があったのである。

 それはヤタガラスの力で心が挫けそうになっていた人々にとって、縋りたい一言だった。続けて通信機からは「あんなのはただの苦し紛れに過ぎない」や「光子フィールドは復活したがそのために莫大なエネルギーを使っている筈だ」、「打撃を与えて消耗を促せば何時が消える」という言葉が次々と流れてくる。多くの自衛隊員達がその言葉に勇気付けられたようで、銃撃と砲撃が力強く始まった。

 ――――冷静に、客観的に考えれば、そんなのはただの思い込み、或いは願望に過ぎないと分かる。ヤタガラスが人類の前であのような発光現象を起こしたのは初めてで、一体どんな力なのかも分かっていないのに。大体光子フィールドが消えたところで、神の杖が落とされた今、どうやってヤタガラスに傷を付けるというのか。

 それでも撃ち出した弾丸と砲弾は、物理法則(現実)に従って真っ直ぐヤタガラスの下へと向かう。寸分狂わぬ精密射撃。自衛隊の攻撃は、全てヤタガラスを直撃する筈だった。

 ところがどうした訳か。命中する筈だった砲弾が、ヤタガラスに触れる直前に()()した。

 

「……は?」

 

 呆けたような声を、百合子は漏らす。

 自分でも、何を言っているんだと思う。放たれた砲弾が着弾せずに消えるなんて、そんなのは物理法則に反しているではないか。

 しかし自衛隊がどれだけ攻撃を続けても、まるで現実を突き付けるように砲弾はヤタガラスの着弾前に消えていく。小さくて見えないが、きっと弾丸も同じように消えているのだろう。

 何が起きているか分からない。分からないが……直感的に思う事はある。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「っ!」

 

 百合子はその直感を信じた。いや、元々直感を信じやすい性格だと言うべきか。加えてそのお陰で、自分や友達の命がなんとかなった事もある。

 百合子はトラックのアクセルを踏み締め、車を動かし始めた。

 

「お、おい! 待て、待機――――」

 

 命令を無視して移動しようとする百合子を、自衛隊員が引き止めようとしてきた。規律を重んじる『軍隊』としては、勝手な行動は戒めなければならない。自衛隊員の行動は極めて正しい。

 正しいが、それは人の世の正しさ。人類が支配者顔をしていた五年前なら世界の理でも、怪獣が支配する今の世界で、人の正しさなど踏み潰されて終わるもの。そして百合子の直感は、人よりも怪獣()に近い。

 どちらを優先すべきか、百合子の中では明白だ。

 

「逃げてください! このままだと、全員死にます!」

 

 百合子は叫ぶのと同時に、トラックを問答無用で走らせる。

 果たして百合子の叫びが届いたのか。他のトラックも次々と走り出し、この場から逃げようとする。自衛隊員達は引き止めようとするが、一部その自衛隊員までもが逃げ始めた。一人が逃げるとまた一人が逃げ、戦車も何両か後退を始める。

 これで作戦があと一歩で失敗したら、きっと百合子にその責任がおっ被せられるだろう。社会的に殺され、町ではろくな暮らしが出来ないに違いない。或いは投獄もあり得るか。

 しかしそんなものは百合子の足を止めるに足りない。百合子の本能は、確実な敗北を予感していたのだから。

 そしてその予感は正しいものだった。

 

【ガアアアアアッ!】

 

 ヤタガラスが吼えた、刹那の事である。

 ヤタガラスの全身から光の『波動』が放たれたのだ。さながら、これまでヤタガラスの身体を覆っていた光が解き放たれたかのように。波動はゆっくりと全方位に広がり、淡い虹色の輝きで世界を満たしていく。

 率直を言えば、サイドミラー越しに見ていた百合子はその光景を美しいと思った。例えるならば虹が地上に現れ、優しく全てを照らしているかのよう。もしも天国が実在するならば、きっとこのような光に満たされているのだと思えた。至近距離であの光を見ていたら、無意識に触りに行ったかも知れない。

 されど実態は、その光は天国を満たすものではなく――――天国へと送るものだったが。

 広がっていく光は、拡大する過程で様々なものを飲み込んでいく。山の木々、斜面、砲弾や網の残骸……それらも光に飲まれたが、次の瞬間、まるで塵へと変化するように砕けていくのだ。そして最後には塵さえも砕け、痕跡すら残さず消えていく。

 あの光はあらゆるものを滅ぼす、破滅の輝きなのだ。

 光は何百メートルと広がり、山の斜面どころか山をも乗り越えようとしてくる。一足先に逃げた百合子とトラックはどうにか難を逃れた、が、動かずに戦い続けた戦車は光に飲まれる。戦車の分厚い装甲すら簡単に粉砕され、中に居た、或いは逃げようとした人間諸共消し飛ばす。そこには天国らしい慈悲はなく、消えるという結果のみがあるばかり。

 そして光が襲い掛かるのは、ヤタガラスの正面に立つユミルも同じだった。

 

【ギィギャアアッ!?】

 

 ユミルが悲鳴を上げながら、吹き飛ばされる。その身に纏う鎧がボロボロに崩れ、内側にある筋肉までもが消された。肋骨が露わとなり、腕も太さが半分ほどになってしまう。

 僅か一撃。

 たった一撃で怪獣・ユミルの身体が、半分近く()()()()()()()。いや、様々な怪獣素材で作られた、最高の防具を装備した上でこの被害だ。もしも生身だったなら、ユミルさえも普通の人間と同じように消し飛んでいたのではないか。

 本気を出したヤタガラスにとっては、怪獣も人間も大差ないという訳だ。

 

「(だ、駄目です……この戦いは、もう本当に終わりです!)」

 

 強まる危機感。だがその気持ちが大きくなるほどに、百合子は逃げようとする想いよりも、大きくなる想いを自覚する。

 茜の存在だ。彼女はユミルに指示を出すため、この付近に来ていた。車両や戦っていた自衛隊員達と比べれば後方だとしても、指示を出す都合戦いが見える位置には居た筈。

 彼女を連れていかなければ。そんな使命感にも似た気持ちから、百合子は辺りを見渡す。

 ここですぐに茜の姿を見付けられたのは、幸運と言えただろう。

 

「茜さん!」

 

 茜の姿を見付けた百合子は、トラックから降りて友の下へと駆け寄る。

 茜の傍には二人の自衛隊員がいた。自衛隊員達は茜を守るためかヤタガラスから離れるよう、茜を運ぼうとしているようだ。

 ところが当の茜は身を捩り、二人の拘束から逃れようとしていた。それも必死に、目に涙を浮かべながら。

 

「百合子ちゃん! 車を出して! ユミルを、アイツを助けないと!」

 

「駄目です! ヤタガラスへの接近は自殺行為です! 見たでしょうあの攻撃を!」

 

 百合子の姿を見るや茜は叫びながら前に進もうとして、自衛隊員二人に止められる。必死に藻掻く彼女だが、二人掛かりで止められてはどうにもならない。

 茜はユミルを助けようとしている。

 彼が最も好いていたのが茜だ。その好意を向けられて、茜も彼を好いていた。危機に陥る彼を助けたいと思う理由など、それで十分だろう。

 そんな彼女を見て、百合子は掛ける言葉を失う。百合子にとって茜は大切な友達だ。同時に、百合子もユミルの事を大事な仲間だと思っている。

 茜もユミルも助けたい。けれどもユミルを助けるためには茜を危険に晒す事となり、茜を安全な場所に連れて行くのはユミルを見捨てる事に他ならない。

 どちらかを選ばねばならず、どちらも選べない百合子はその場で動けなくなってしまう。茜の方も、どれだけ暴れても自衛隊員達を振り解く事は無理だと察したのだろう。

 

「……ユミル! ユミル早く逃げて!」

 

 彼女に出来るのは、ユミルに向けて大声で叫ぶ事だけ。

 

【ガ……ァ……ガ……】

 

 そのユミルは苦しそうに呻きながら、ゆっくりと立ち上がる。

 身体の半分が消滅し、内臓やら骨やらが露出していた。顔面もぐちゃぐちゃで、おそらく目は見えていない。全身からだらだらと血を流しており、恐らく、この場から逃げたとしてもそう長くは生きられそうにないと百合子は思う。

 そこまで酷い状態であるが、ユミルから闘志は失われていない。

 ユミルは股を開き、腰を落とし、拳を構えた。ゆらゆらと揺れる体幹に力強さはないが、戦う意思はひしひしと感じられる。茜が必死に逃げるように訴えているが……彼から逃げようという素振りも気持ちも、百合子には伝わってこない。

 何故そこまでして戦うのか? 人間に言われたからか、それとも大好きな茜を守るため? 理由を考えようとした百合子だったが、はたと気付く。

 一年前、ユミルは自らの意思で身体を鍛え上げていた。

 その後人間が申し出た協力を受けたが、それは自分の目的を達成するのに役立つから。最初から彼は、自分の目的のために行動を続けていたのだ。

 ヤタガラスに今度こそ打ち勝つと。

 自分の身体がボロボロになっても、或いはボロボロだからこそその目的を果たそうとしている。何が彼をそこまで掻き立てるのか、百合子には分からない。怪獣としての意地か、人類としてのプライドか、ユミル個人の執念なのか……

 その答えが分かる時は、訪れないだろう。

 

【ゴアアァアァアアッ!】

 

 ヤタガラスに向けてユミルは駆ける。ボロボロの身体を庇わず、渾身の力で拳を振り下ろす。茜が何かを叫んだが、ユミルの雄叫びに紛れて何も聞こえず――――

 ヤタガラスの身体から放たれた二度目の輝きが、彼の身体を今度こそ跡形もなく消し飛ばすのだった。



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偽りの獣共

「……正に人類は詰みに入ったって感じね」

 

 真綾の放り投げた新聞が、ばさりと音を立てて床に積まれた本の上に乗る。

 元々汚らしい真綾の仕事部屋が更に汚れるところを前にして、しかし百合子は何も言わずに押し黙った。ただ静かに、俯くばかり。出されたタンポポコーヒーにも手を付けない。

 そんな百合子の姿を見て、真綾もため息を吐く。自分の分のコーヒーを一口飲んでから、百合子に話し掛けてくる。

 

「……安全圏でぬくぬくしてて、現場に出てもいない人間がこういうのも難だけど、あまり気にしない方が良いわよ。あなた一人がどうこうしたところで、何も変わらなかったでしょうから」

 

「それは、勿論分かっています。私なんてしがない運転手でしかない訳で、私がうじうじしても何も出来ないって事ぐらい。でも……」

 

 言葉を途切れさせ、百合子は再び俯く。真綾の二度目の言葉は、しばしの間来ない。

 一週間前に行われた二度目のヤタガラス討伐作戦は失敗に終わった。作戦の要であるユミルと神の杖(攻撃衛星)、更に自衛隊の戦力の大半を失う形で。

 得るものがないどころか、人類が生きていくために欠かせなかったユミルという存在まで失った。最初こそ自衛隊は ― 作戦失敗自体は公表したが ― ユミルの死を隠そうとしていたが、ユミルの存在は百合子達が暮らしている町では周知の事実。自衛隊員そのものが激減していた事も合わさって、五日と経たずに真実は暴かれてしまった。

 それに対する世間の反応は、達観。

 やはりヤタガラスには勝てないと思い知り、このまま怪獣に滅ぼされるのだという想いは日本人の多くに根付いていた。暴動やデモが起こらなかった訳ではないが、片手の指で数えられる程度。諦めの空気が強化された程度であり、少なくとも現状大きな問題にはなっていなかった……長期的にはこの方が大問題になるだろうが。憎悪と怒りに満ちた社会は安定がないもののまた立ち上がれるのに対し、諦めに満ちた社会はそのままゆっくりと死んでいくだけなのだから。

 しかし百合子にとって、そんなのは大した問題ではない。勿論日本社会の終わりは問題だと思うが、百合子はあの作戦でトラック運転手としての仕事はちゃんとしていた。自衛隊員達も真剣に、死力を尽くして戦っていた。その上で負けたのだ。全力を出した結果の敗北であるなら、それは所謂運命というもの。納得出来る訳でも受け入れる訳でもないが、仕方ないとは百合子も思う。

 だが……

 

「……茜さん。ユミルさんの事で、大分落ち込んでいるみたいで……私が、この作戦に参加しないよう引き止めていたなら……」

 

 ユミルは最初からヤタガラスにリベンジする気満々だった。茜が、自衛隊が話を持ち込まずとも、たった一人でヤタガラスに再戦を挑み――――恐らく本気を引き出す事も出来ずに負けただろう。

 だから茜がした事は、そこらの有象無象の怪獣と同じ死に方をする筈だったユミルに、より奮闘した死に方を与えた程度のものでしかない。罪悪感を覚える必要なんてないもの。

 しかしいくら百合子がそう言っても、茜は聞き入れない。茜自身が自分の所為だと思う限り。

 

「……茜については、時間が解決してくれる事を祈るしかないわね。私もカウンセラーという訳でもないし」

 

 ま、あんまり何時までもうじうじしてるなら私が直に引っ叩いてやるわ――――そう言って真綾は荒々しく鼻息を吐く。そこは普通カウンセラーとか紹介しない? 科学者の割に脳筋な親友の意見に百合子は思わず苦笑い。

 とはいえ時間を置く、という点に関しては同意する。こちらが下手に気を遣って何度も顔を合わせていたら、ゆっくり考える時間もないだろう。

 

「そうですね。しばらくはそっとしましょう……えっと、自分の事ばかり話してしまいましたね。今日は真綾さんの話を聞きに来たのに」

 

 気の持ちようを変えるように椅子に座り直しつつ、百合子は話題を変えた。

 そもそも百合子が真綾の下を訪れたのは、真綾が話したい事があるといってきたのが始まりだ。第二次ヤタガラス討伐作戦の前から来ていた話……怪獣に関する大発見をし、話をしたいというもの。

 果たして真綾はどんな話をしたかったのか? 怪獣の専門家でない百合子にあまり専門的な話が理解出来る自信はなかったものの、興味があるのは確か。だからこそ真綾の下に来たのだ。

 真綾は少し考えるように部屋の天井を仰ぎ、それからぽつりと話し始めた。

 

「……まず、最近の研究について。ヤタガラスの遺伝子解析が行われたわ」

 

「遺伝子解析?」

 

「アンタ達が参加した駆除作戦で、羽根が一枚抜けたでしょ? アレのお陰でようやく遺伝子が採取出来たのよ」

 

 真綾に言われて過去を振り返れば、確かにそんな時があったなと思い出す。惨敗だと思われた作戦だったが、全く何も得られなかった訳ではないらしい。

 割には合わないですね、と思いつつ、百合子は真綾の話に意識を戻す。

 

「遺伝子が採取出来たって事は、ヤタガラスの正体が何か分かったって事ですかね?」

 

「ええ、その通り。遺伝子の比較が行われて、正体はすぐに分かったわ」

 

 なんだと思う? そう言いたげな真綾の視線だが、百合子はカラスなんてハシブトガラスとハシボソガラスぐらいしか知らない。さぁ、という気持ちを伝えるべく肩を竦めた。

 

「答えはね、()()()()()()()()、よ」

 

 すると真綾は答えをすぐに語った。

 語ってくれたが、百合子は固まる。その答えの意味が、よく分からなかったがために。

 

「……え?」

 

「ヤタガラスの遺伝情報は、日本に生息するどのカラスとも異なるものだったわ。つまりヤタガラスは、カラスじゃない」

 

「え? え、いや、でも怪獣って、既存の生物が巨大化した存在じゃ……」

 

「もっと言うとね、前に話したと思うけど、怪獣には共通した変異があるの。でもヤタガラスの遺伝子にはそれがない。つまり他の怪獣と、なんの共通点も見られないのよ」

 

 つらつらと語る真綾。彼女は段々興が乗ってきたのか、更に話を続けた。

 

「そもそも、ヤタガラスが空を飛べる事自体がおかしいのよ」

 

「? カラス、じゃないとしても、鳥なら空を飛べるものでは?」

 

「空を飛ぶってそんな簡単なものじゃないのよ。身体の軽量化は当然として、それでいて骨は一定の強度を保ち、運動量の大きさから呼吸効率も上げないといけない。飛行時の方向感覚も必要だし、身体に合わせた飛行のフォームがある。翼や翅を動かすには大きな筋肉が必要。そしてこれらの機能は、長い進化によって獲得したものよ」

 

「……つまり?」

 

「怪獣化による巨大化で、どの生物も飛行能力を失う。コックマーが分かりやすいわね。空飛ぶ昆虫であるゴキブリが、巨大化と共に飛べなくなるんだから」

 

 更にと、言葉を前置き。一息入れるように真綾はコーヒーを含み、口の中を潤す。

 

「そしてヤタガラスの光子フィールド。夜間、太陽がない時でもヤタガラスは自力で発光し、光子フィールドを再展開していた。つまりアイツは夜の戦闘を想定した身体をしてるの。まるで自分の弱点を理解しているみたいに。こんなの、ただ巨大化しただけじゃ得られないし、得たとしてもちゃんと働くとは限らない。何十何百何千という世代を経て、淘汰を繰り返さないと無理」

 

「……つまり、それって……」

 

「ヤタガラスは、他の怪獣と違って歴史を積み重ねてきた一つの種という事よ。怪獣の定義次第ではあるけど、ある意味、一番野生動物に近い存在でしょうね」

 

 真綾の口から語られた言葉に、百合子は答えを返せない。どんな言葉を言うべきか、それが思い付かない状態だ。

 ヤタガラスが歴史を積み上げてきた種という事は、元々地球にはあんな生き物がたくさんいたのか?

 にわかには信じ難い。それにヤタガラスが普通の生物だとしたら、もしかしたら他にもヤタガラスのような存在がいるかも知れないではないか。正直なところそれは信じられないというよりも、受け入れられない……感情的な気持ちを抱いてしまう。

 唖然とする百合子。だが、真綾の話はまだ終わらなかった。

 

「――――さて、ここからが本題なのだけど」

 

「え? 今のが話したかった事じゃないんですか?」

 

「当たり前でしょ。私はヤタガラス討伐作戦前に、大発見をしたから話したい事があるって伝えたんじゃない。ここまでの話は全部、ヤタガラスの羽根が抜け落ちてからの発見でしょ」

 

 呆れたように真綾に言われ、確かにその通りだと百合子も思う。思うが、故にますます混乱した。

 真綾はわざわざこの話を先にした。それは、この話を先に持ってくる方が良いと判断したからだろう。つまり、ここまでの話は『前座』だという事。

 これからの話は、今の話よりもずっと大きなインパクトがあるものなのだ。

 

「……何を、見付けたのですか」

 

 百合子は恐る恐る、絞り出すような声で尋ねる。

 真綾はコーヒーをまた一口。それからしばし口を閉ざしていたが、ゆっくりと、言葉を紡ぎ出す。

 

「私の研究が、怪獣の腸内細菌についてなのは前に話したわよね?」

 

「ええ、覚えています。怪獣の体内にしかいない種なんでしたっけ?」

 

「その通り。で、細菌を形態だけで分類するのも中々大変だから遺伝子解析をしたの。ちょっと時間が掛かったけど、結果が出たわ」

 

「へぇ。じゃあ、なんの仲間かぐらいは分かったのですか?」

 

「ええ、分かったわ……地球生命の仲間じゃないって」

 

 真綾の答えを頭の中で反芻しながら、百合子もコーヒーを飲む。

 しかし口にコーヒーを含んだ直後、百合子の思考が止まる。

 今、真綾は――――()()()()()()()()()()()と言ったのか?

 

「……どういう、意味です?」

 

「そのままの意味よ。細菌から採取した遺伝情報は、地球に生息するどの細菌のデータとも一致しなかった。というかそもそもDNAじゃなかったし」

 

「つ、つまり、その……」

 

「怪獣の体内にいた細菌は、地球由来のものじゃない」

 

 百合子が声を詰まらせる中、真綾は躊躇いなくその『事実』を言葉にする。

 そして彼女の話はまだ終わらない。

 

「私達人類は、ヤタガラスだけが特別な怪獣と思っていた。だけど事実は逆だった」

 

 特別とは、数の少なさではない。

 特別とは逸脱したもの。本来あるべき形と異なり、奇怪なもの。溢れかえり、最早日常になろうとも、特別は隠せない。

 だから真綾は、告げた。

 

「ヤタガラス以外の怪獣が特別だったのよ――――地球外生命体により作られた、地球にいない筈の生き物なんだから」



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ファイナルウォーズ
励まし誘拐


 居住区に建つ、一棟のボロアパート。

 今にも崩れ落ちそうなほど古びたそのアパートの二階にある一室の扉の前に、百合子は立っていた。

 百合子の表情は暗い。泣きそうなぐらい目尻を下げ、唇を軽くとはいえ力を込めて閉じている。その手には缶詰や瓶など、食料品の入った麻製バッグを握り締めていた。着ているのは仕事で使う作業着ではなく、お出掛け用の清楚な色合いのチュニックと、膝丈まであるスカート。生地は麻で作られた安物だが、デザインや色合いが工夫されていて、それなりに可愛いと百合子は思う。二十三歳にもなって子供っぽい格好かもと思うが、好きなものは好きだから仕方ない。

 ……百合子は一度、扉の前で深呼吸。暗かった表情を意図的に笑みへと変えたところで、目の前の扉をノックした。

 

「茜さん、百合子です。ご飯持ってきましたよ」

 

 そして要件を扉の向こう側……この部屋の住人にして、百合子の親友である茜に向けて呼び掛ける。

 大声、というほど大きな声は出していない。しかしそれなりに強く扉は叩いたし、声だって室内に届く程度には出したつもりだ。

 ところが、部屋の中から返事はない。慌てて動くような物音も聞こえなかった。

 反応がない事に、百合子は小さなため息を吐く。しかしこれは『想定内』だ。こんな有り様だから、百合子は食べ物片手に此処を訪れている。

 百合子はスカートのポケットに手を入れ、そこから一本の鍵を取り出す。鍵を目の前の扉の鍵穴に入れて回せば、カチャリと音を鳴らし、扉が開かれる。

 百合子は扉を通り、室内へと進む。部屋の中は電気も点いていない状態で、薄っすらとだが埃が舞っていたりと、まるで数日間留守にしているかのような状態になっていた。

 笑顔にした顔を顰めながら、百合子は更に奥へと進む。と言っても所詮ボロアパートの一室だ。中にあるのは1Kの小さな部屋であり、扉の直ぐ側にあるキッチンを抜ければ最奥の部屋に辿り着く。

 そして部屋の隅に置かれたベッドの上で膝を抱えている、茜の姿を見た。

 

「もー、茜さんったら。起きてるならちゃんと返事してくださいよ」

 

「……ああ、百合子ちゃんか。ごめんね、ボーッとしてて……」

 

「知ってます。もう何ヶ月通ってると思ってるんですか……あ、これ別に責めてる訳じゃないですからね?」

 

「うん、大丈夫。ありがとう」

 

 茜は顔を上げてニコリと微笑む。

 ……昔ならば元気で眩く、色惚けた男の一人二人を軽く悩殺したであろう笑み。しかし目許に隈を作り、やつれた今の顔では、悩殺どころか心配されてしまうだろう。以前は短く切り揃えていた髪は長く伸び、もう少ししたらセミロングになりそうな状態だ。ただし髪質はボロボロで、麗しいとはお世辞にも呼べないが。

 そんな茜の姿から逃げるように百合子は視線を反らし、壁に掛けてあるカレンダーを見遣る。

 カレンダーが示すは、三月。

 しかしこれは嘘だ。百合子が最後に訪れたのが先週で、その時にはもう三月最終週だった。つまりこのカレンダーは本来一枚捲られていないといけない。

 ため息を吐きつつ、百合子は壁にあるカレンダーの下へ。部屋の主である茜の許可を得ずにカレンダーを破り、正しい月である四月に変えた。更に部屋の床に落ちていた赤ペンを手に取り、今日こと第一日曜日の部分に赤丸を付ける。

 

「もう、大丈夫だって言うならカレンダーぐらい捲ってくださいよ。四月になってから何日経ったと思ってるんですか」

 

「えへへ……申し訳ねぇ」

 

「本当に申し訳なく思うなら、月が変わる度に言われないようにしてくださいよ……キッチン借りますね」

 

 呆れたような口振りで窘めつつ、百合子はキッチンの方へと足を運ぶ。

 そうして茜に背中を向けた状態で、物思いに耽る。

 茜が部屋に閉じこもるようになってから、七ヶ月以上の月日が流れた。

 七ヶ月前に起きた事――――ヤタガラス討伐作戦の失敗、そして親しかった怪獣ユミルが死んだ事は、茜の心に大きな傷を残した。今でも彼女は塞ぎ込んでいて、用事がなければ部屋から出ようともしない。一応食事ぐらいは自分で取っているが、缶詰やら白米のみやらと、兎に角栄養バランスが悪い食べ方ばかり。このままでは半年どころか一月も身体が持たないからと、こうして毎週日曜日に百合子は訪れ、食事や部屋の掃除などの世話をしているのだ。

 とはいえ何時までもこの生活を続ける訳にはいかない。なんらかの事情で百合子が突然来れなくなる可能性はあるし、何より、今の食事は国からの配給と、茜がこれまで貯蓄してきたお金でやり繰りしている。そして七ヶ月間塞ぎ込んだ今の茜は、怪獣狩猟という仕事をしていない。ヤタガラスとの戦いで心が折れて、ヤタガラスどころか怪獣自体を目にすると精神的に不安定になってしまうからだ。

 今の茜は休職中という扱いだ。しかし怪獣達の繁栄により多くの産業が突発的に壊滅した今、失業状態の市民は非常に多い。『休職』で働いていない者がいると知られれば、相当の憎しみを向けられるだろう。無論、その判断を下した職場にも、だ。いくら茜が優秀なハンターで、休職中は給料も出ていないといっても、果たして何時まで職場がこの状況を許してくれるのか……

 

「(まぁ、生活の先行きが不透明なのは私にも言える話なのですが。あと何年、いや、何ヶ月この生活を続けられますかね)」

 

 ヤタガラス討伐作戦の失敗は、徐々に日本全体を蝕んでいる。総動員した戦闘機と戦車は破壊され、神の杖も再起不能(バラバラ)。ユミルという友好的な怪獣さえも喪失した事で、人類は怪獣達の増殖をいよいよ抑えられなくなってきた。

 ヤタガラスの旺盛な食欲も、怪獣個体数抑制の大きな一要素でしかない。人類が減らそうとしていた分がなくなれば、どんどん怪獣の数が増えていくのは明らかだ。実際には怪獣同士の食い合い、餌不足などでそこまで爆発的に増えるものではないが……増加傾向にあるのは間違いない。

 そして何より、人間には戦う力がないので怪獣の襲撃を止められない。ヤタガラスの影響で物資の空輸を使えない日本では鉱山や炭鉱を採算度外視で掘っているが、戦う力がないので怪獣がそこを襲撃すれば放棄するしかない。兵器を作るにも資源がなければ作れず、立て直しも叶わなくなる。

 今は備蓄でやり繰りしているが、いずれ住宅地すら守れなくなるだろう。銃などの狩猟道具はどんどん劣化し、怪獣狩猟が出来なくなって人口を支えられず、人手が減った事でますます生産性が落ちて道具が作れなくなり……

 恐らく、そう遠からぬうちに日本社会は完全に崩壊する。就職難や貧困どころでない、文明の外へと放り出される時が来るのだ。百合子のような心身共に健康な身でも、果たして『貧しい』で住むような暮らしが出来るかどうか。

 そして茜は、心が疲弊している状態で、生きていけるだろうか?

 

「(……やはり、そろそろ荒療治をしてでも、社会復帰させた方が良さそうです)」

 

 七年前……怪獣が現れる前であれば、心の傷に荒療治など以ての外だった。十分ではないかも知れないが様々な支援があるし、こう言うのも難だが、二十〜三十代なら仕事なんて選ばなければ少なからずある。ゆっくり、何年も掛けて心を癒やせば良かった。

 だが、今の時代はそれを許さない。仕事は健康な若者にすらなく、支援なんて不十分とすら言えないほどのもの。流石に原始時代ほど苛烈ではないにしても、()()()()()()()()()()()()()という程度には劣悪だ。

 その考えには百合子も頷く。いや、頷いた。

 だから『彼女』に荒療治を頼んだ。尤も、彼女の姿は何処にもないが。

 その事に、ふと茜も気付いたらしい。

 

「あれ? そういえば、今日は真綾も来るんじゃなかったっけ?」

 

「ああ、そうですね。準備があるから少し遅れてくると、今日連絡がありました」

 

「準備? ……なんか嫌な予感がするな」

 

「奇遇ですね、私もです」

 

 もうすぐ十年になろうという付き合いだ。互いの事はよく知っている。真綾という人間は優秀で、常識的で、真面目であるのだが……どうにも思い切りが良い。いや、決断力が高いのは悪い事ではないが、常人なら躊躇する事でも『合理的』なら躊躇わないタイプなのだ。そんな彼女がわざわざ準備してくる時というのは、何かと大事になりやすい。

 百合子も、真綾が何をするつもりなのか聞いていない。心当たり……茜の心の治療のためだという心当たりはあるが、それ以上の事は百合子も知らなかった。

 そもそも真綾は科学者ではあるが、医者ではない。医療知識は百合子達三人の中で一番豊富だろうが、専門家でない以上所詮は素人だ。ましてや精神的に参っている人の治療、つまりカウンセラーの真似事など出来るのだろうか。

 ……言うまでもなく、カウンセラーがいるならそちらに任せるべきなのだ。しかし怪獣による被害で、『精神』という曖昧なものは社会的に排除されてしまった。或いは気合いと根性、大和魂で乗り切れという精神論が台頭した所為かも知れない。精神病の薬や治療に物資を投じるぐらいなら、気合いと根性で身体を動かして働け。そうすれば心は健康になりつつ物資を生み出せる……こんなのは物資不足を誤魔化すためのものでしかないというのに。

 だからこそ自分達が茜を助けようと、百合子達は考えた。例え素人考えの荒療治になろうとも、だ。真綾も同じ気持ちだろう。

 

「(まぁ、真綾さんの事ですから、きっと本とか読み漁って専門的知識を得ているでしょう。なら、そんなに心配する事ありませんよね)」

 

 親友の論理的思考はよく理解している。故に百合子は、自分達がこれから行おうとしている事に大した不安など抱かない。

 それよりも自分なりの方法を試そう、具体的には美味しくて温かな料理を出すというやり方で――――百合子はそう思いながら、とりあえず肉粥(怪獣肉と磨り潰した米を材料にした料理)を作ってやろうと、茜の家のキッチンから小鍋を探そうとした

 そんな時である。

 外からパラパラと、ヘリコプターの飛行音が聞こえてきたのは。

 

「……ヘリ?」

 

「別にヘリなんて珍しくもなくない? 最近は特にさ」

 

 百合子がぽつりと声を漏らしたところ、茜はそのような意見を述べる

 去年までなら大型の怪獣退治に出向く自衛隊ヘリなんて殆どなかった。というのもヘリコプターは確かに航空戦力ではあるのだが、戦闘機ほど速くもなく、高度も取れない。そのため大型怪獣に撃破される恐れがあり、火力や生産性、燃料消費の面でも戦闘機と戦車のチームの方が効果的だったからだ。勿論テッソやコックマー程度には燃費・安全面で有効なため、小型怪獣の退治にはよく使われていたが……大型怪獣相手では無駄死にするだけだと『温存』される事が多かった。

 しかし去年夏のヤタガラス討伐作戦で情勢が変わった。ヤタガラスの手により虎の子の戦闘機と戦車を破壊された事で、今や怪獣退治に使える兵器はヘリぐらいしか残っていないのである。そのため大型怪獣が現れた際には、残されたヘリを総動員して戦うしかない状況。成果については「やらないよりマシ」な程度なのが、なんとも悲しいところだが。

 ともあれそうした事情から、ヘリが飛ぶ事は今やさして珍しくない。珍しくないのだが……どうにも違和感が百合子の胸でざわつく。小鍋を探す手を止めてまでして考えて――――ふと気付く。

 ヘリコプターの飛行音が、どんどん近付いている事に。

 

「……なんか、さっきから近付いてません? このヘリコプター」

 

「そういやそうだね。なんだろ、近所に大きなテッソでも出たとか?」

 

 茜も異常さに気付いたようで、思い付きであろう可能性を述べる。しかし百合子だけでなく、茜自身それはあり得ないと思っている筈だ。住宅地にもテッソやコックマーなどの怪獣はいるが、それらの怪獣は定期的に人間が狩っていて、大きなものは殆どいない。何しろ()()()()()()()()()()()()()()、人間はわざわざ危険な山や森に怪獣狩りに行くのだ。大体自衛隊の戦闘ヘリが出撃するような怪獣が現れたなら、まずは避難警報が鳴る筈。

 だからこのヘリコプターは住宅地ではない、何処か遠くに向かうのが道理なのだが……どうした事か、音の接近は終わらない。いや、終わらないどころか、茜の部屋の窓がバリバリと音を立てて揺れるほどの風が起きてきたではないか。

 つまり、このアパートのすぐ近くにヘリコプターが着地した事を意味する。補足すると、茜が暮らすこのアパートの傍に軍事施設はない。

 

「……百合子ちゃん。私、今すっごい嫌な予感してるんだけど」

 

「奇遇ですね、私もです」

 

 百合子と茜は互いの顔を見合い、こくりと頷き合う。そして二人揃って部屋の外へと跳び出す。

 外に出たところ、アパートの前にある空き地にヘリコプターが一機止まっていた。ヤタガラス討伐作戦に参加した際、多少兵器について勉強した事もあって、そのヘリコプターが所謂武装ヘリであると分かる……分かるが、何故武装ヘリが近所の空き地に着陸しているのか。確かにその空き地はかなり広いが、周りには住宅が多数あり、こんな場所に降りれば風圧や騒音でそれなりに迷惑だというのに。

 一体これはなんなのか。答えを知るべく百合子と茜はヘリコプターに近付いてみる。

 すると扉が開いて、中から白衣姿の女性――――百合子達の親友・真綾が現れた。

 

「ん。目の前にいるのが件の子らよ。後はよろしく」

 

「ラジャー」

 

 ちなみにヘリコプターには真綾以外にも、鎧のような防弾チョッキを着ている男性が数名居たが。着ているものからして明らかに筋肉質な彼等は、迷いなく百合子達の下にやってくる。

 そしてこれまた迷いなく、百合子達をお姫様抱っこの要領で抱き上げた。あまりにもスムーズな行いに、百合子も茜も抵抗する意欲すら湧かない。

 ただ、ヘリコプターに乗せられそうになれば、流石に疑問ぐらいは抱くもので。

 

「ちょ、どういう事ですか真綾さん!? なんでこんなヘリとか男の人達とか……」

 

「何って茜に荒療治を施すためだけど?」

 

「だからどんな荒療治をするのかって聞いてるんです! 私は精々叱咤激励とかそんなものかと思って……!」

 

「何言ってんのよ。やるなら本格的にやらなきゃでしょ」

 

 そういうと真綾は不敵に笑う。

 そして実に堂々とした態度で、こう答えるのだ。

 

「茜をヤタガラスに合わせる。自分のトラウマがどんな存在なのか知り、理解すれば、恐怖も絶望も挫折も乗り越えられる筈よ」

 

 体育会系思考と理系思考が見事に合体した、荒療治以上の何かをするのだと……



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強制説明

 バラバラと鳴り響くプロペラの音色が、耳をくすぐる。

 窓から外を見れば、一面の森林が大地に広がっていた。春を迎えて若葉が生い茂り、美しい新緑で世界を染めている。飛び立つ鳥の群れが、風景に彩りを添えていた。

 景色としては悪くない。悪くないが……シチュエーションが悪過ぎる。

 これからヤタガラスの暮らす森に接近するという、地球上で最も危険であろうシチュエーションが。

 

「な ん で ヤタガラスの下に向かうんですかぁ!?」

 

 ヘリの座席に座ったまま、百合子は目の前にいる真綾に向けて問い詰めていた。

 尤も百合子にいくら問われても、真綾は何処吹く風。気にも留めていないどころか、何を憤っているのか分からないと、その惚けた表情が語っていた。

 

「ヘリに乗って既に四時間超え。昼食も食べ終わってから尋ねるなんて、余程動揺していたのね」

 

「ええ、動揺し過ぎて今の今まで完全に人形状態でしたよ……それより、理由を説明してください! いくら真綾さんでも、理由なしに拉致られるほど私は大人しくないですよ!」

 

「理由があれば拉致られてくれる辺り、ほんと百合子は友達が大好きよね……ま、良いけど。なんでって言われたら、これが今の私の仕事だからよ。この前ようやく怪獣研究のためにヤタガラスを直接観察する許可が下りたの。調査期間は約二週間。百合子と茜にはそれを手伝ってもらうわ」

 

「……荒療治って言ってましたけど、つまりヤタガラスについて知れば、ヤタガラスへの気持ちの整理が出来るとお考えで?」

 

「ええ。憎しみも怒りも恐怖も絶望も、相手を理解してないから抱くものよ。相手を知れば分かり合える、とまでは言わないけど、そういう気持ちもマシになる、かも」

 

「かもじゃないですか!」

 

 荒療治が過ぎる。そういう気持ちを込めて改めて責めるが、真綾はやはり気にしない。

 その自信の一番の根拠は、間違いなく荒療治を受ける側である茜が、存外平気そうな態度をしてあるからだろう。

 

「……まぁ、荒療治としては、悪くないかもね。実際、ちょっと前に頼んではいたからね、私をヤタガラスの研究に同行させてって。流石に今日やるなんて聞いてなかったけど」

 

 ましてや肯定的な返事までする始末。

 責めてる側である筈の百合子の方が、これには言葉を失ってしまった。

 

「悪くないって……それに、頼んでいたってどういう事ですか?」

 

「あの作戦が失敗してから、ずっと考えていたの。私のしてきた事って、なんだったのかなって……考えて、考えて、でも答えなんて出なかった」

 

「そりゃ、答えなんて出ないでしょうよ。ヤタガラスについて全然知らないんじゃ、答えなんて出しようがないわ」

 

「ほんとにね……」

 

 呆れるような、自嘲したような、そんな笑みを浮かべる茜。

 復讐を誓った相手の事を、よく知ろうとするものだろうか?

 勿論復讐を遂げるための情報――――相手の行動パターンや弱点に関するものは積極的に得ようとするだろう。だが、それ以外の情報は? 例えば相手の『正しさ』を理解しようとするだろうか?

 しないだろう。そして弱点や強さばかりを調べたところで、そんなのは表面的なものでしかない。倒して何があるのか、倒せなかったらどうなるのか……何も分からない。

 だから失敗した時に、時には成功したって、何も残らない。

 

「出来事に意味を見出すのは人間の得意技であり、美点であり、欠点でもあるわ。本来、自然に意味なんてないもの。誰が死のうと、何が滅びようと、それは結果でしかない。結果に意味を求めたって、期待通りになるとは限らないのに」

 

「うん、そうだね………ヤタガラスについて知れば、私は、今までされてきた事、してきた事に、納得出来るようになるかも知れない。そりゃ、そんな保証は何処にもないけど、でも――――」

 

「意味というのは、知識がなければ与えられないわ。そして目的通りの役に立たなくても、新しい生き方を教えてくれたり、或いは世界に彩りを与えてくれる。あなたの得た知識は誰で……例えヤタガラスであろうと奪えない、人だけの力となるわ」

 

 真綾と茜は語り合いながら、その意思を確認していく。

 二人のやり取りを見ていた百合子は、自分が少し恥ずかしくなってきた。二人ともちゃんと前に進む事を考えていた。対して自分はどうだろうか? 未来をちゃんと考えていたのか? ヤタガラス調査に同行させると聞いて、脊髄反射で反対していたのではないか?

 茜のためを思うなら、彼女をヤタガラス調査に向かわせるという方法を――――

 

「(いや、流石にこれは駄目でしょ)」

 

 納得しかけて、百合子は顔を横に振った。いくらなんでも危険が過ぎるし、精神的負担も大き過ぎる。茜がそれを考えるのは構わないが、真綾がそれを荒療治に使おうというのは少々頭のネジが外れかけてると言わざるを得ない。

 そもそも、ヤタガラスというのはそう簡単に会いに行けるものなのだろうか?

 

「ところで真綾さん。ヤタガラスって、私達が会いに行っても問題ないのでしょうか? 研究ってなると、私達素人が参加出来るものではないと思うのですが。というか調査期間二週間とか言ってますけど、私ふつーに明日も仕事なんですが」

 

「うん、それは大丈夫。人員不足にかこつけて私があなた達二人を捩じ込んでおいたから。百合子達の職場は自衛隊直轄というのもあって、その辺の融通は利かせてもらえたわ。いやー、書類の改竄とか初めてしたけど、案外バレないものね」

 

「捩じ込むのは良いですし仕事の都合も付けてくれたのは感謝しますけど、せめて事前説明をですね……って、え、改竄?」

 

 さらっと語られた真綾の言葉。まさかと思いながら百合子が問い返すと、真綾は不敵に笑い返す。

 そして直後に、思い詰めたような表情を浮かべた。

 

「このヘリの面子になら、話しても問題ないわ。改竄の協力者だから。協力って言ってもやり方を教わったぐらいだけどね」

 

「な、なんでそこまで……」

 

「茜のため、なんて言っても信じないわよね。柄じゃないし」

 

 真綾は肩を竦めながら笑う。彼女は手段を選ばない性格であるし、信頼する友達にはさらっと機密情報を流したりするが、れでも基本的には合法または手順通りに物事を進めるタイプだ。ズルをしても後々面倒になるだけだと知っているからである。

 正攻法で出来るのなら、多少時間が掛かっても彼女は遠回りを選ぶ。無理なら無理で、安全な方法を念入りに探る。書類の改竄なんて、如何にも危険な方法をやるとは考えられない。

 そして真綾は理由もなしにそんな事をする輩ではない。ならば必ず、理由がある筈だ。

 

「理由は二つ。一つは時間がないから。ヤタガラスに負けて人類側、というより日本の戦力はほぼ壊滅状態。このままだと遠からぬうちに日本社会は完全に滅びる」

 

「そう、ですね。なんとなく、そうなる予感はしています」

 

「お陰でこっちの研究予算が削られてね。だから予算があるうちに、ヤタガラスのデータをちゃんと取りたい。他の人が調べた論文はあるけど、こういうのってやっぱ研究目的によって重視するポイントも違う。私の欲しいデータは、私が集めるのが一番なのよ」

 

「……そういえば真綾さんの研究って、怪獣の腸内細菌でしたよね。つまりヤタガラスのデータって……」

 

「体内の様子を探れるならなんだって構わないけど、現実的なのは糞ね。出来れば出したてほやほやが良いわ。一応ね、ヤタガラスの糞は既に他の研究者が見付けて、研究されてるの。そこに私の研究対象……怪獣化を引き起こしてると思われる細菌が存在しない事も、明らかになってる。でもその糞って出されて数日後の、干からびた奴なのよね。菌だって生き物だから、干からびた奴だと大部分死んでる訳だし。だから新鮮なのを採りたいのよ」

 

「糞採りって…… 」

 

「糞は素晴らしいわ。糞を調べればその生き物が何を食べたか、どんな行動パターンなのか、何を好むのか、必要な栄養素はどんなものか、様々な事が手にとるように分かるんだから」

 

 けらけらと心底楽しそうに笑いながら、真綾は糞について語る。科学的に面白い話をしているつもりなのだろうが、どう足掻いても糞の話。百合子は苦笑いを浮かべた。

 しかし笑顔はここで終わり。小さくため息を吐いた後、真綾の表情が明確に強張る。

 

「……もう一つの理由は、私の直感」

 

「直感? 何か気になるの?」

 

 茜からの問いに、まぁ根拠も何もないけどね、と真綾は答えながら頷く。

 茜は「ふーん」と一言呟くだけで、それ以上の追求はしない。百合子も特段詳しく訊こうとは思わない。

 ただ、百合子は ― そしてきっと茜も何処かで ― 真綾から『とある話』を聞かされている。だからその直感に一つ、心当たりがあった。

 怪獣達の腸内に存在する細菌が、地球外由来の存在である事だ。

 まだ推論の段階であるものの、遺伝子が地球上のどんな生命とも異なるのだ。ほぼ間違いはあるまい。そうすると一つの疑問……何故地球外の細菌が怪獣の体内にいるのか、という謎が浮かんでくる。或いは何故地球外細菌達は怪獣化を引き起こしているのか、という根本的疑問だ。

 それが本能ならばまだ良いが、もしも怪獣の誕生になんらかの思惑があるなら……

 

「(考え過ぎ、だとは思うけど)」

 

 地球外生命体とはいえ、所詮は細菌だ。複雑な思考を持つようなものではあるまい。

 しかしそれでも考えてしまう。この怪獣出現騒動が、その細菌達の思惑により起こされたのではないかと。怪獣が出現してから早七年。どんな思惑かは分からないが、怪獣の数が十分増えたとして、そしてその思惑が人間にとって不都合なものなら……

 ……猶予はもうないかも知れない。

 

「博士、目標地点に到着しました」

 

 三人が沈黙していると、ヘリコプターのパイロットからそのような言葉を掛けられた。

 やや思い詰めた顔をしていた真綾は、けろっと笑ってみせる。問題など何もないと言わんばかりに。

 

「幾度となく仕掛けた自衛隊の攻撃により、ヤタガラスは航空戦力に相当の嫌悪感がある。ヘリのまま近付くと撃ち落とされる危険があるわ。でも人間にはあまり関心がないから、生身でならそれなりに安全に近付ける」

 

「だから、目標地点……ヤタガラスから少し離れた場所に降りて、歩いて近付く訳ですね」

 

「その通り。ヤタガラスの縄張り内に他の怪獣は殆どいないから、ま、それなりには安全よ。それなりにはだけど」

 

「強調されたら余計怖いんだけど」

 

 呆れ顔になる百合子と茜。だが真綾は思わせぶりな笑みを浮かべるだけ。

 そうこうしている間にヘリは着陸。

 窓の外から見える景色は、森のすぐ傍。この森の何処かにヤタガラスがいるのだろう。他愛ない会話はこれで終わり、という訳ではないが、森の中というのは油断して良い場所ではない。ヤタガラスが支配する、人の手から離れた大森林ならば尚更だ。

 パチンッと頬を叩いて気合い充填。

 シートベルトを外した百合子は、力強い歩みで外へと出るのだった。

 

 

 

 

 森の中を進む、百合子達三人組。

 ヘリで移動していた時間は凡そ四時間。空には太陽が高く昇っていて、地上を煌々と照らしていた。尤も、大森林の中では、爽やかな春の日差しも大半が遮られているが。お陰で地上はそれなりに薄暗い。とはいえ芽生えたばかりの若葉越しに差し込む光は、雅で風情ある印象を感じさせてくれる。これはこれで自然の美しさであり、精神的な癒やしを与えてくれるだろう。

 社会人として日々仕事に精を出す百合子にとって、休みの日は週に二日もない。そんな貴重な休みの一日を、この爽やかな森で過ごすのも悪くないと百合子は思った。

 ……此処がヤタガラスの縄張りでなければ、の話だが。

 

「……あ、あわわ……あわわわわ……」

 

「分かりやすく狼狽えてるわねぇ。ヘリの中じゃあんだけ気合い張ってたんだから、堂々と構えなさいよ」

 

「そーだよー。私ですらこんな平気でいるんだからさ」

 

 右往左往する百合子を窘める、真綾と茜。声を掛けられて百合子はびくりと身体を震わせながら振り返り、反発するように顔を顰める。

 

「だ、だって……私達、武器を持ってないじゃないですか。しかも私達をヘリに連れ込んだ人達は一緒に来てくれないですし……」

 

 百合子が言うように、今の百合子達は一切武装していない。猟銃どころか拳銃すら持っていなかった。これではもしも怪獣と鉢合わせたら、例えコックマーの幼体でも為す術もなく殺されてしまうだろう。

 しかしそれを指摘しても真綾は顔色一つ変えない。それどころか呆れるように肩を竦めていた。

 

「さっき言ったじゃない、ヤタガラスの縄張り内に怪獣なんていないわよ。喰われるわ殺されるわ追い出されるわで。あとアンタ達を運んだ人達は機材の運搬とか遠くからの観測とか、他の仕事があるんだから私らの護衛なんて無理よ」

 

「そ、そうですけどぉ。でもでもだって……」

 

「大体猟銃で倒せる怪獣なんてテッソとコックマーの幼体ぐらいじゃない。しかも群れてる事が多いし。まともに戦ったら命がいくらあっても足りないでしょ」

 

「しかも銃ってそこそこ重いからね。逃げる時に背負っていたら、遅くなるし、スタミナも持たないし」

 

 百合子が捏ねる駄々に対し、真綾と茜は合理的に正論を述べていく。確かにちゃんと考えれば、武装しない方が生存率が高いようだ。

 武器があると安心するのは、人間が武器によって自然を克服してきたからだろう。しかし安心と安全は、決して = の関係ではない。時には安心出来ない状況が安全という場合もあるのだ。

 ……勿論理屈だけでは安心出来ないから、安心安全の問題というのは色々面倒な訳なのだが。

 

「ま、駄目なら駄目でそれまでよ。どーせ人間何時か死ぬんだから、深く考えない方が幸せよ」

 

「出来れば死ぬのは遅い方が良いです! そりゃ覚悟すればまだマシですけど、今日いきなり連れてこられてそれは無理ってもので――――」

 

「ストップ。静かに」

 

 キャンキャンと文句を垂れる百合子だったが、その言葉を遮ったのは茜。小声のようで、だけど芯の通った声は耳にハッキリと残る。

 ごくりと、百合子は思わず息を飲む。

 百合子は茜と何年も仕事……怪獣狩猟を行ってきた。百合子がしていたのはトラックの運転手であるが、それでも危険な目に遭ったのは一度や二度ではない。そしてそうした危険を事前に教えてくれるのは、基本的には茜である。

 先の茜の声色は、丁度嫌な予感がした時に使うもの。今は仕事中ではないが、声色の『意味』は変わらない。

 百合子は口を閉ざし、周りの音に意識を集中させる。

 すると、ずしん、ずしんという音が聞こえてきた。

 音はかなり遠くから響いているようで、音量としては小さい。しかし重厚感のある音色で、小さくて腹の底が揺さぶられるような感覚に見舞われる。そしてその音は、どんどん近付いてきているようだった。

 そのまま百合子達が立ち尽くし、動かずにいると、今度はメリメリと木々をへし折るような音も聞こえてきた。何かを引きずるような鈍い音も聞こえてくる。

 やがて、それは木々の隙間の奥に姿を現す。

 巨大な鳥の足という形で。

 

「ようやく見付けたわ……!」

 

 真っ先に反応したのは真綾。彼女は好奇心を滲ませた声で独りごちるや、なんの躊躇いもなく現れた足目指して駆け出した。

 百合子も真綾の後を追おうとした、が、すぐにその足を止める。

 茜が足腰を震わせながら立ち尽くしていたからだ。一瞬、どちらの下に向かうべきかと百合子は考えたが、すぐに決断は下せる。一人にしたらいけないのは、より元気のない方だ。

 

「茜さん! 大丈夫ですか!?」

 

 百合子はすぐに茜の下へと駆け寄る。茜はなんとか笑い返そうとしたが、表情は強張っていてぎこちない。

 当然だろう。例え全容が見えていなくても、アレがなんであるかを想像するのは容易い。トラウマとして胸に刻まれているなら尚更だ。

 見に行きたいと頼んだのが茜自身だとしても、その判断が必ずしも適切だとは限らない。ましてや此度は色々な事情が重なって、まだ精神的に回復しきっていないタイミングでの出来事だ。無理をしているのではないか……

 その考えが顔に出ていたのか。茜は首を横に振ると、「大丈夫っ」と声を張るように答えた。

 

「元々、覚悟はしてたんだ……予定より早まっただけで、やりたい事には変わりない。真綾ちゃんを追うよ!」

 

「……分かりました。駄目だって思ったら、ちゃんと言ってくださいね!」

 

 茜はこくりと頷くと、すぐに走り出す。

 百合子もその後を追うように走る。幸いだったのは、まだ春の季節で森の中が明るく、そして典型的な理系である真綾は大して足が早くない事。もたもたと走る後ろ姿は、追えばすぐに見えてきた。

 そして真綾が立ち止まった姿も。

 百合子達はさして時間も置かずに、真綾の傍に辿り着く。そこは木々のない開けた場所……いいや違う。木々は薙ぎ倒され、地面の上に横たわっているのだ。そして『巨大な何か』が引きずられた事で、倒された樹木は左右に退かされるように押し退けられている。

 ただ通るだけで示す、圧倒的なパワー。されどその力を百合子は幾度となく見てきた。人間のみならず怪獣すらも虫けらのように踏み潰す、真の大怪獣。

 だからだろうか。その後ろ姿を間近で見ても、左程大きな恐怖心が湧かなかったのは。

 

「ヤタガラス……」

 

 百合子が思わずその名を呟く。

 大怪獣ヤタガラスが、百合子の眼前を悠然と歩いていた。



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大怪鳥観察

 大怪獣ヤタガラス。

 体長六十メートルと決して巨大な部類ではないが、人類側の兵器を尽く打ち破り、核兵器を難なく耐え、あらゆる怪獣達を平伏させた真の怪獣。

 人智を、人智以上の存在さえも超えた超生命体が、百合子達の前を悠々と歩いていた。その歩みはすぐに止まり、次いでヤタガラスは高々と顔を上げる。

 

【グァッ、ガッガッガァー】

 

 ヤタガラスは何やら楽しげに鳴いている。光子フィールドを纏い虹光に輝く黒翼をバサバサと羽ばたかせ、喜びを全身で露わにしていた。飛ぶつもりのない軽い羽ばたきだったが、これでも百合子達を軽く突き飛ばし、転ばせるほどの風圧を生み出す。ちょっとした仕草一つで、常軌を逸した存在だというのがよく分かる。

 それにしても一体何を喜んでいるのか? 答えは恐らく、その足で踏み付けているモノだろう。

 手足を持たない長大な身体を持つ蛇怪獣……オロチだ。体長二百メートルと長さだけなら最大クラスの怪獣である。決して身体能力が高い訳ではないが、それでも自衛隊の兵器ぐらいなら割と問題なく耐える、そこそこ強い怪獣だ。

 尤もそこそこレベルではヤタガラスに傷も付けられないだろうが。

 

【グァッ、グァッ、ガー】

 

 嬉しそうに、ヤタガラスはオロチの肉を啄む。ぶちぶちと肉を引き千切る生々しい音色が響き、ずしん、ずしんと、啄まれる度に浮かび上がるオロチの身体が大地を打つ。

 傷付く度にオロチの身体からは鮮血が溢れ、大地に流れ落ちていく。血の量からして、恐らく死んでからそう時間は経っていない。つい先程仕留めたばかりのようだ。

 先の上機嫌ぶりからして、ヤタガラスはオロチが好物なのだろうか。ヤタガラスに訊いてみなければ確かな事は分からないが……こうも嬉しそうなのだから、きっとそうなのだと百合子は思う。

 

「ふむふむ。ヤタガラスがオロチやサラマンダーのような爬虫類怪獣を好むって論文は、どうやら事実みたいね。だとするとあの研究も真実味を帯びるわね……」

 

 真綾はヤタガラスの姿を見つめながら、その場に座り込んでメモを取り始める。何をメモしているのか、百合子の立ち位置からはよく分からないが、素早いペンの動きからして他人ではろくに読めない癖字が綴られているのだろう。覗き込む気力すら百合子には湧いてこない。

 すっかり研究に夢中な様子だ。彼女の研究内容はヤタガラスではなく、ヤタガラス含めた怪獣の腸内細菌なのだが、それはそれとしてヤタガラスそのものへの興味もあるのだろう。恐らく今声を掛けても聞かないし、身体を揺さぶっても無視すると思われる。

 一体何しに来たのやら、と百合子は眉を顰める。が、よく考えれば真綾の仕事に同行しているのは『自分達』の方だ。真綾は親友の頼みを聞いたに過ぎない。

 ヤタガラスを複雑な面持ちで眺めている茜に声を掛けるべきは、自分の方だと百合子は思った。

 

「……どう、ですか。その、気分とかは」

 

「そうだなぁ……思ったより冷静な自分に驚いてる感じ。前に戦った時は、憎たらしくて仕方なかったのに」

 

 尋ねてみると、茜は淡々とそう答えた。

 答え方や表情に感情の揺れはない。隠していたり、或いは無理していたりする訳ではなさそうだ。

 少しだけ安堵した百合子は茜の傍で、彼女と同じようにヤタガラスをじっと見つめる。今度は茜の方から、ゆっくりとした言葉遣いで話してくれた。

 

「……ヤタガラスにねーちゃんを殺された時、思ったんだ。吹き飛ばした瓦礫に巻き込まれて死ぬなんて、そんな、虫けらみたいな殺され方はあんまりだって」

 

「……ええ、そうですね」

 

「でもさ、考えてみたら私達だって虫を踏み潰したり、見た目が悪いとかって理由で雑草を毟ったり……それで虫とか雑草に親の敵とか言われたら、どうすんのかな。犬とかだったら戸惑うだろうけど、でも蚊とか蝿なら、多分潰すんだよね。何言ってんだこの虫けらって、考えもせずにさ。そう思ったらなんか、自分が何やってんのか分かんなくなって」

 

「……………」

 

「自分達の復讐は正しくて、自分達に向けられる復讐は正しくない。何言ってんだろうね、私……」

 

 茜はそう言うと顔を俯かせ、膝を曲げてしゃがみ込む。

 ……最初こそ落ち着いていたが、考えているうちにまた気持ちが掻き乱されたのだろう。

 当然だ。彼女の気持ちはまだまだ落ち着いたとは言い難い。そもそもその整理を付けるために、ヤタガラスについて知ろうとしているのだ。いきなり何もかも悟ったような事を淡々と言い出したら、そっちの方が遥かに心配である。

 少しずつ、慣れていくしかない。

 幸い、ヤタガラスはこちらに興味などない。観察はいくらでも出来るだろう。今回は真綾の仕事に同行という形であるが、調査期間は二週間もあるのだ。長い時間ではないにしても、何度も観察と思案を繰り返せばそのうち気持ちも落ち着いて、きっと何かを得られるだろう。

 

【ンガッ、ガァー】

 

 ……暢気に食事をしている姿から、何が得られるかは分からないが。

 

「……あの、真綾さん。真綾さん」

 

「あん? 何よ、今いいとこなんだけど」

 

 つんつんと肩を突いて真綾に尋ねると、彼女は眉を顰めながら反応してくれた。「何がいいところか分からないから尋ねたんです」と言葉で前置きし、「親友をほったらかさないでください」と心の中で呟きながら百合子は真綾に問う。

 

「よく知らないのですけど、食事してるところを見て何が分かるのですか?」

 

「色々よ。例えばヤタガラスの口の中には歯がなくて、千切った肉は丸呑みにしている。オロチの鱗も纏めてね。でも糞にオロチの鱗が混じっていた例はないのよ。ペリット、つまり未消化物として吐き出されているのが定説なんだけど、ヤタガラスのものと思われるペリットは確認されていない。だから私の仮説ではヤタガラスは強力な消化酵素で全部分解してると思うのよね。それが正しければ怪獣特有の腸内細菌、私はXと名付けたけど、これがヤタガラスの糞から発見されない、もっと言えば他の怪獣の内臓を食べて感染しないのは、消化されて跡形も残らないからで……」

 

 つらつらつらつら、真綾の口からは丁寧かつ早口で質問の答えが返ってきた。

 成程、科学者にとってはとても面白いらしい。ある意味とても分かり易い答えに、百合子の顔に笑みが戻る。

 改めて、百合子はヤタガラスの姿を見た。

 ヤタガラスは食事に夢中な様子だ。オロチを何度も何度も啄み、その肉を食べている。が、よくよく見るとその食べ方は奇妙だ。同じ場所ばかりを突いていて、何やら、オロチの身体に穴を開けようとしているように見える。

 その印象は正しかったようで、やがてオロチの身体に断面が惨たらしい穴が開いた。穴の直径はざっと縦二十メートル、横五メートルほどだろうか。自らが開けた穴をヤタガラスは満足気に見下ろすと、そこに嘴を突っ込む。そこでぐっと力を込めたように身体を強張らせ、次いで頭をゆっくり引くと……オロチの腹からびろびろと伸びる臓器、恐らくは腸を引っ張り出した。

 

【ガァー、グァッガー。ガッ、ガー】

 

 長大な身体に見合った長さがあるオロチの腸を咥えたまま、ヤタガラスは嘴をくるくると回すように動かす。するとオロチの腸はヤタガラスの嘴に巻き付き、大きな団子のような塊となった。

 その大きな団子を、足を使って嘴から取り外す。そして大きな団子状に纏めた腸を嘴で咥えると、舌の上で転がし、ごくんと飲み込んだ。丸飲みでは味も食感もないと百合子的には思うのだが、ヤタガラスなりには堪能出来たようで、嬉しそうに翼をバサバサと動かす。踏ん張らないと人間すら吹き飛ばしそうな暴風が巻き起こった。余程美味しかったのだろうか。

 

【……グァー】

 

 ところが腸を食べ終わったら、急にテンションが下がった様子。オロチの残りに肉も食べ始めたが、食べ方は随分と大人しい。大人しいといっても怪獣オロチの頑強な身体を引き千切り、細切れにしてしまうのだが、もう上機嫌な鼻歌もない。

 どうやら大好物なのはオロチの腸であり、オロチの肉自体はそこまで関心がないようだ。そしてヤタガラスは好物を最初に食べるタイプらしい。ある程度食べたところで飽きてしまったのか、半分以上残ったオロチの身体をびよびよと引っ張って遊び始めた。千切った肉をぺちぺち(ずしんずしんと言う方が正しいが)と地面に叩き付けて、音を楽しむような仕草も見せる。

 こうして観察してみると、意外と仕草が可愛らしい。仕留めた獲物を食べ残して弄ぶ姿は一見して残虐にも思えるが、しかし人間の幼児だって食欲がなくなると食べ物で遊ぶものだ。犬や猫でも、与えたおやつを放り投げて遊んだりする。生き物というのは余裕があれば遊ぶもので、最強の怪獣ヤタガラスの余裕については言わずもがなだ。

 大怪獣だのなんだの言われているが、本質的にはやはり野生動物らしい。

 百合子は動物がそれなりに好きだ。動物達が見せる様々な姿も大好きである。そして今のヤタガラスは怪獣というよりも動物。もっとその可愛らしい姿を、自由に生きる姿を見てみたいなと、そう思いながら一層目を見開いて観察しようとした

 途端、ヤタガラスと()()()()()

 

「……え?」

 

 思わず呟いてしまう言葉。

 直後、百合子は一気に血の気が引いていくのを感じた。腰が抜けそうになるのを気合いで堪えたが、それ以上は動けない。

 何故目が合ったのか。それはヤタガラスが、僅かに顔を傾け、こちらに目線を向けているからだ。しかし何故こっちを見ている? ヤタガラスにとって人間なんか、兵器を使ってきても脅威でないような存在なのに。いや、確かに驚異ではないが、食事の邪魔ぐらいは散々してきたではないか。ヤタガラスは知能もそれなりに高い。だとすれば兵器を操っていたのが人間だとバレていて、自分達をこのまま叩き潰すつもりなのではないか――――

 

「百合子。落ち着いて」

 

 恐怖の心が一気に膨れ上がったのは、その言葉を掛けられた瞬間。

 されどすぐに、この言葉が真綾のものだと気付いた。次いで手が握り締められていると気付き、目を向ければ茜がこちらの手をかっちりと握っているのが見える。

 茜が百合子の手を掴んでいたのだ。自身も震えているのに、とても力強く。

 百合子は息を飲み、そして深く吐く。

 冷静に、改めて見てみれば、ヤタガラスが見ているのは百合子達ではなかった。正確に言えば百合子達がいる方角。それも顔を動かす途中で固まったような、微妙な角度である。こちらの姿は見えているにしても、人間で例えれば炉端の石や虫が視界に入っているだけ。気にも留めていない。

 そもそもヤタガラスは大好物のオロチを食べている最中。食事の邪魔さえしなければ、わざわざ虫けらの相手をしようとはするまい。

 

「(そ、そうですよね。私達なんてヤタガラスからすれば虫けら。見えてるとしても、認識しているのかすら怪しい訳で)」

 

 落ち着いて考えてみれば、次々と思い付く自分達が狙われない理由。どれもこれも確証というよりも印象であり、根拠と呼ぶには薄弱なものであるが……推論も数を重ねればそれなりに確実なものとなる。もう、百合子は自分達がヤタガラスに狙われるという、身の程知らずな考えは抱いていない。

 だが、安心は生まれなかった。

 抱いていた恐怖が薄れると、その隙間を埋めるように新たな感情――――疑問が湧き出す。ヤタガラスが自分達を見ていないとして、では、何がヤタガラスの顔の向きを変えさせたのか?

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

【……………】

 

 ヤタガラスは何も語らない。ただ静かに、緩やかに空を見上げた。

 ヤタガラスから目を離す事は危険だろう。奴は飛ぶ気もないような羽ばたきで、人間を軽々と吹き飛ばすのだ。もしも一際強く羽ばたいたなら、近くに倒れている樹木やオロチの亡骸が、自分達の方に飛んでくるかも知れない。そんな時に余所見なんてしていたら、避けられる筈だったものにも直撃してしまう。

 だが、ヤタガラスが何を考えているのかを知らねば、もっと恐ろしい目に遭う。

 そんな予感があったから、百合子はヤタガラスから、ヤタガラスが見ている空の方へと視線を移す。ただそれだけの仕草で、何がヤタガラスの意識を惹き付けたのかは明らかとなった。

 そう、原因は理解した。しかし百合子にはさっぱり分からない。それが『何』であるかが。

 青空の中煌々と光り輝く緑色の閃光なんて、百合子は全く知らないのだから……



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侵略者降臨

 今日の天気は晴れで、今の時刻は昼間を少し過ぎた頃。天頂で春の太陽がキラキラと輝き、空を眩い青さで染めていた。

 昼間の空で星を見ないのは何故か? 答えは簡単だ。太陽の明るさが、星の光を掻き消してしまうからである。星は夜と変わらず空で輝いているのだ。

 逆に言えば、空に太陽がある限り星というのは見えないもの。優れた観測機器があれば話は別だが、つまりはそうした特殊な道具を用意しなければ無理だという事である。

 ならば、今空に輝いている緑色の光は、なんなのか?

 

「なん、ですか……星……?」

 

「いえ、星じゃないわね。比較的太陽系に近き星が超新星爆発を起こしたなら、昼間でも肉眼で観測可能だと言われてるけど……アレは、何か違う」

 

 思わず百合子が呟けば、真綾が解説をしてくれた。が、彼女も正体を解き明かすには至らない。星ではないと語るが、ではなんなのかが続かない。

 

「ま、まさか、アレ隕石なんじゃ……」

 

 星以外の可能性を示せたのは、茜だった。

 言われてみれば、空の光はどんどん強くなっているように見えた。単に発光現象が強くなっているのかも知れないが……どんどん近付いているようにも見える。

 もしもアレが隕石だとすれば、ヤタガラスが警戒心を向けるのも頷ける。大きさ次第だが、隕石は生命の大量絶滅をも引き起こす大災厄。ヤタガラス以上の脅威だ。核兵器の直撃にも耐えるヤタガラスではあるが、巨大隕石のエネルギー量はその核兵器を大きく超える。しかもそのエネルギーの多くは光ではなく物理的な衝撃だ。ヤタガラスにとっても決して油断出来ない相手だろう。

 勿論、人間にとっても脅威であるのは言うまでもない。

 

「……隕石、こっちというか、ヤタガラスに向かって落ちてません?」

 

「そう見えるわね。直径とかは分からないけど、燃え尽きる様子もないし……直撃したら、大きなクレーターも出来そうね。つーか緑の発光って、隕石としてどうなのかしら」

 

「……つまり、ヤタガラスの傍にいる私達ってば全滅?」

 

 茜が言うように、隕石が直撃すれば百合子達人間など跡形も残らず消し飛ぶだろう。そして真綾が言うように、安定した光の強さからして燃え尽きる様子もない。

 クレーターの大きさ次第では、今から逃げても間に合わない可能性がある。なんでこんな事に、と思わなくもないが、旅先で災害に見舞われた事に理由などある筈がない。そしてそこに「前世の行いが〜」等と理由を与えて悪事をするのが悪徳宗教というものだ。因果応報という言葉は、全てに当て嵌まるものではない。理由のない理不尽や不幸も世の中にはある事を理解しなければ、それこそ因果応報な結果が待っている。

 ――――等という考えが百合子の頭に続々と浮かんできたが、こんなのはいわば現実逃避。逃れられない災禍に思考停止しているだけだ。

 のんびり思考停止している場合ではない。そして諦める必要もない。隕石なら空中で砕ける事もある筈。それに何処か安全な場所に身を隠せば、衝撃波ぐらいは防げるかも知れない。

 何より、此処にいる大怪獣は黙って隕石を受けるつもりなどないようだ。

 

【……グガアアアアァァァァァァ……!】

 

 地響きにも似た唸り声と共に、ヤタガラスが動き出した!

 ヤタガラスは大きな翼を広げて構える。ただし空に向けるのは頭だけ。両足を大きく広げてどっしりと構え、四十メートルはある尾羽を地面に叩き付けた。足だけでなく尾羽でも身体を支え、此処から一歩も動かないという意思を示す。

 そして体表面を覆う虹色の輝きが、揺らめく動きを激しくした。

 ヤタガラス体表面を包む揺らめく輝きは、光子フィールドが展開されている証。その揺らめきが激しくなったという事は、光子フィールドの出力などが大きく変化したのだろうか。

 これまで百合子は、ヤタガラスが戦った際の姿を何度も見てきた。しかしこれまでこんな変化を見せた事はない。ヤタガラスや怪獣学者ならば何か分かるかも知れないが、百合子は所詮ただのトラック運転手。見ただけでは何が何やら分からない。

 怪獣研究者であり、ヤタガラスの論文も読んでいる真綾に聞けば何か分かるかも知れないが……残念ながら問い質す時間はなかった。

 

【グガアァッ!】

 

 一際大きな叫び声と共に、ヤタガラスの嘴の先から大出力レーザーが放たれた!

 百合子はこれまで幾度となく、ヤタガラスのレーザー攻撃を見ている。いずれも大気を切り裂き、鼓膜を破りそうな爆音を轟かせるほどの威力を有していた。だが、此度の一撃はこれまで見せてきたどのレーザーよりも強力なものだと、百合子は本能的に感じる。

 それを証明するかのように、放たれたレーザーは真っ直ぐ、ヤタガラスが見上げている空に力強く伸びていく。引き裂かれた空からは稲光が飛び交い、昼間の大地を真っ白に染め上げた。

 そしてレーザーが向かうは、空で輝く緑色の光。

 光速で飛んでいくレーザーは一瞬にして緑色の輝きに接触する。眩い光が四方八方へと飛び散り、まるで花が咲くように拡散していた。間違いなく緑色の輝きと衝突しており、あの輝きは超新星爆発のような、遥か遠方の出来事ではないようだ。やはり隕石の類なのだろう。

 なんにせよヤタガラスのレーザーが直撃した。空爆すらものともしない怪獣を一撃で貫く威力……いや、その威力を遥かに上回る大出力の攻撃だ。隕石の硬さなど百合子は知らないが、ヤタガラスのレーザーを受ければ粉々に砕けるに違いない。

 そう、その筈なのだが。

 

「(……あれ? 砕けない……?)」

 

 ヤタガラスがどれだけレーザーを撃ち込んでも、隕石こと緑色の輝きは砕けない。

 

【ガ……ガアアアアアァァァァァァ……!】

 

 ヤタガラスは全身に力を滾らせ、更にレーザーの力を強める。しかしそれでも緑色の輝きは砕けない。

 いや、それどころか緑色の輝きは、ヤタガラス目掛けて突き進んでいるような……

 

「百合子ちゃん! 真綾ちゃん! 兎に角逃げよう!」

 

 呆然とヤタガラス達を眺めていたところ、茜が服の袖を引っ張りながらそう訴えてきた。

 言われて我に返る。そうだ、こんなところで立ち尽くしている場合ではない。

 幸いにして、先程感じた印象通りならば隕石はヤタガラス目掛けて落ちている。ならばヤタガラスから離れれば、隕石の落下地点からも離れられる筈だ。少しでも距離を取れば、衝撃から逃れられるかも知れない。

 

「真綾さん! 逃げましょう!」

 

「……あの輝き……まさか……」

 

「真綾さんっ!」

 

「何してんのよ真綾ちゃん!」

 

 未だ緑色の輝きを見上げていた真綾を茜と共に引っ張り、百合子はヤタガラスから駆け足で逃げる。

 幸いだったのは、ヤタガラスのレーザーにより緑色の輝きは明らかに()()していた。地上に近付いてくる速さは格段に落ちている。お陰で百合子達が数百メートルと離れるまで、空から輝きが落ちてくる事はなかった。

 隕石と思われる輝きを目に見えて減速させたという事は、ヤタガラスのレーザーの威力が隕石落下に匹敵するほどという事。なんとも出鱈目な威力だが、その出鱈目を受けても隕石はまだ形を崩さない。隕石というのはそれほどまでに頑強なものなのか? 疑問は残るものの……いよいよ光はヤタガラスの至近距離まで迫る。

 

「伏せて!」

 

 茜が頭を押さえるのと共に、百合子達三人は地面に倒れるように伏せた

 瞬間、全身が痺れるほどの爆音と、身体が浮かび上がるほどの衝撃が百合子の身を襲った。

 

「きゃあっ!?」

 

「ぐぅっ……!」

 

 思わず百合子は悲鳴を上げ、茜も呻く。真綾に至っては息が詰まったのか声も出ず、浮いた身体が地面に落ちた後、酷く咳き込んでいた。

 百合子は真綾の背中を擦りながら、爆音が轟いた方を見遣る。

 するとそこには、濛々と白い粉塵の舞い上がる景色が見えた。爆発による粉塵だろうか……そう思ったのも束の間、粉塵の一部が広がるようにしてこちらに迫っている事に気付く。

 

「け、煙が来てます! 息止めて!」

 

 この対処で正しいかは分からない。しかしそのまま吸い込むよりはマシだと思った行動方針を叫び、百合子は息を止めて目も瞑る。

 やがて粉塵は百合子達の下に流れ込んだ。もしもこの粉塵が高温に熱せられていたら、百合子達はそのまま焼け死んでいただろう。だが此度押し寄せてきた粉塵は、かなり熱くなっていたが、火傷するほどのものではない。目や口を開けていたら危なかっただろうが、しっかり閉じていたので大きなダメージは受けずに済んだ。

 しばし熱さに耐えていると、熱は段々と下がっていく。身体に打ち付けてくる風の感触もなくなった。

 もう、大丈夫だろうか。恐る恐る百合子は目を開けて……

 

「……え?」

 

 その直後に、呆けた声を漏らす。

 未だ漂う粉塵。されどかなり拡散したようで、向こう側を見通せる程度には薄くなっていた。無論、中に佇むヤタガラスの姿も見えている。

 ヤタガラスは激しい闘争心を露わにしていた。

 これまた、今まで百合子が見た事もないような……七ヶ月前にユミル及び自衛隊との戦闘で見せた時の覇気を、明らかに上回るようなもの。無論その覇気は矮小な人間である百合子には向けられていない。ヤタガラスは百合子とは直角の、全く無関係な方向を見つめている。だがそれでも覇気の『余波』を受けて、百合子の身体から力が抜けてしまう。身体が、本能が、完全に抵抗を諦めていた。

 お陰で、というのも難だが、逃げようとする気持ちも湧かない。百合子は自然とヤタガラスの見ているものが気になり、視線を追うようにその方角に目を向ける。

 そうすれば、ヤタガラスが見ている『存在』が百合子の目にも入った。

 

「(なん、ですかアレ……怪獣……!?)」

 

 ヤタガラスの前にいたのは、怪獣、らしき存在。

 そいつは緑色の奇妙な発光を放っている。形は一見してクラゲのように、三角形の傘……傘の全長はざっと五十メートルはあるだろうか……を持ち、傘の下から長さ九十メートル以上の触手を六本伸びていた。しかしクラゲと明確に異なる点として、六本の触手に囲まれた中心部に下向きの、傘部分よりもかなり細長い三角形の突起が生えている事が挙げられる。そしてその突起には、一つの巨大な目玉が備わっていた。触手の先が針のように鋭く尖っているのも、クラゲとは違う点だろう。

 何より奇妙なのは、このクラゲ染みた怪獣が空を飛んでいる事だ。

 クラゲ怪獣はふわふわと宙に浮いている。ヤタガラスも空を飛ぶが、あくまで鳥らしく羽ばたいていた。詳しい理屈は兎も角として、羽ばたいて起こした風により空を飛ぶのは自然なものだろう。だがこのクラゲ怪獣は一体どんな原理で浮遊しているのか。風も何も起こさず、まるで反重力でも使っているかのように浮いているのだ。耳を澄ませても音は何一つ聞こえてこないので、ジェットエンジンのように物質を噴出している訳ではないらしい。まさか、本当に反重力飛行をしているのか?

 いや、そもそもコイツはなんの怪獣なのか?

 一見してクラゲの怪獣にも思える。だがクラゲは海の生き物だ。陸上では息なんて出来ないし、しかも軟体だから陸上だと自重を支えられなくて潰れてしまう筈。ましてや空を飛ぶなんて、何もかもがおかしい。

 大体この怪獣は何処から現れたのだろうか。先程まで此処にはヤタガラスしかいなかった。なのに隕石が落ちた後、突然現れた。

 これでは、まるで……

 

「ま、真綾さん。アイツは……」

 

 思わず百合子は傍にいる真綾に尋ねる。

 真綾は、百合子以上に呆けた顔になっていた。ぶつぶつと何かを呟き、思案を巡らせている。

 思わず真綾とは逆方向にいる茜の方を見てしまう百合子だったが、茜も呆然とした様子。結局三人揃ってただ立ち尽くすばかり。

 

「まさか、アイツが……アイツか……!」

 

 やがて何かに気付いたような言葉を漏らすや、真綾は百合子に掴み掛かってきた。

 気迫のこもった瞳に百合子は思わず怯む。だが真綾は全く気にも留めない。ただただ自分の感情に従って動くばかり。

 されど真綾が口から吐き出す言葉は、きっと今まで考えていたもの。

 故にこの言葉は、きっと筋の通ったものなのだ――――例えどれだけ荒唐無稽でも。

 

「コイツは宇宙怪獣……コイツこそが、地球に怪獣を生み出した張本人よ!」

 

 そう信じる百合子であっても、真綾の言葉の意味を、すぐには理解出来なかった。



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前哨戦

 宇宙怪獣にして怪獣を生み出した張本人。

 文字にして十八字でしかない短い文章。しかしこの一文だけで、百合子が思考停止に陥るほどの情報量が含まれていた。

 

「どういう、事、ですか……?」

 

 突然の話に思わず尋ね返す百合子。だが真綾はその質問に答える事をせず、百合子の肩を掴んでいた手を離す。そしてその目を百合子から、ヤタガラス達の方に向けた。

 

【……カルロロロロロ……】

 

 唸るような声を出すヤタガラス。その目が放つ眼光は、人間どころか怪獣すらも怯えさせるであろう鋭さがある。

 だが、クラゲ怪獣は怯まない。

 それどころかふわふわと浮いている身体から、どんどん強烈な覇気を放ち始めた。これまで百合子は様々な怪獣を見てきたが、ここまで強烈な迫力は殆ど……それこそヤタガラス以外には感じた事がない。

 気配だけで実力を計るなんて、ましてやプロの格闘家ですらないただのトラック運転手がそれを語るなんて、おこがましいというものだろう。だがそれでも百合子は直感的に理解する。

 このクラゲ怪獣の実力はヤタガラスに匹敵する、と。

 

【グアガアアアアアアアアアッ!】

 

 ヤタガラスが雄叫びと共に走り出す!

 大きく身体を傾けるや、クラゲ怪獣に喰らわせたのは体当たり。自分より一・五倍も大きな猿型怪獣すら押し返す、どんな怪獣をも上回るパワーの一撃だ。無数の触手があるとはいえ、互角の体格であるクラゲ怪獣に勝てるものではない。傘の部分に打撃を受けたクラゲ怪獣の身体は一気に何十メートルと押し出される。

 ヤタガラスは更に前進。このまま勢いに任せてクラゲ怪獣を押し倒すつもりか。そうなれば馬乗りになったヤタガラスの圧倒的優勢となる。やはり最強の怪獣には誰も敵わないのだ。

 ――――相手が、普通の怪獣であるのなら。

 

【ルゥルピルルルルルル!】

 

 クラゲ怪獣が吼える。有機的とも電子的とも取れる、奇怪な、地球の生命では出ないような叫び声。それと共に身体に力を込め、ヤタガラスの体当たりを受け止めようとした。

 するとどうした事か、ヤタガラスの動きが止まったではないか。ヤタガラスも驚いたように目を見開き、更に力を込めるが……クラゲ怪獣の身体は動かない。

 

【ルピルウゥゥゥ……!】

 

 クラゲ怪獣は大地に降下し、四本の触手で土を踏み締める。残る二本の触手は前に伸ばし、ヤタガラスの翼に巻き付けるようにして組み合った。

 組み付かれた事でヤタガラスは距離を取れなくなってしまう。だが、そんなのは問題にならないだろう。そもそもヤタガラスは後退する気配を見せていないのだから。前へ前へと、ひたすら力を込める。

 しかしクラゲ怪獣も同様だ。ミチミチと生々しい音が聞こえるほど触手に力を滾らせ、こちらも前進しようとしている。

 翼と触手で組み合った両者は、どちらも一歩と退くつもりがない。怪獣達の屈強な肉体が、空気が震えるほどのパワーを発し、せめぎ合う。拮抗は果たして何分続いたか……実際にはほんの数秒しか続いていなかったが、そう思ってしまうほど緊迫した空気はやがて破られた。

 ヤタガラスが後退するという形で。

 

「えっ!? や、ヤタガラスが、力負けしてる!?」

 

「嘘!? そんな、だって――――」

 

 これまでどんな怪獣にも力で負けた事のないヤタガラスが、明らかに押されている。その事実を前にして、これまでヤタガラスの優勢しか知らなかった茜と百合子は思わず動揺してしまう。

 されど、今まで優勢しか経験してこなかった筈のヤタガラスは、百合子達よりも冷静だった。

 力負けしていると気付いたであろうヤタガラスは、その身体を素早く捻ったのだ。更に前に進むのも止める。前に進もうとしていたクラゲ怪獣は、押していたとはいえそれなりに拮抗していた力を失い、つんのめるように前に出てしまう。

 そのタイミングに合わせて、ヤタガラスは蹴りを放つ!

 用いた技は所謂膝蹴り。肉薄した状態での蹴り故、大振りで威力のある一撃には出来なかったのだろう。されどバランスを崩した状態での一撃は、守りを固めて受けた一撃よりも大きなダメージとなった筈だ。クラゲ怪獣は大きくよろめき、ヤタガラスの翼に巻き付けていた触手を離す。

 

【ル、ピルルルルルルルッ!】

 

 が、即座に反撃を試みた!

 クラゲ怪獣はぐるんと身体を回転。更に右側にある触手三本を束ねて腕のようにするや、ヤタガラスの顔面に叩き付ける! さながらそれはラリアットが如く一撃だ。

 夜間、光子フィールドがない状態でも、ヤタガラスには戦車砲も怪獣ユミルの拳も殆どダメージとならなかった。だがクラゲ怪獣が繰り出した鉄拳は、ヤタガラスの身体を大きく突き飛ばす。

 それはつまり、クラゲ怪獣のパワーがユミルなど比較にならないという事。しかも光子フィールドの上から突き飛ばすほどだ。いくら物理攻撃で相性が良いとはいえ、一体どれほどの力ならそれが可能となるのか、百合子には想像も出来ない。

 

【グ……グゥガアアァァァァッ!】

 

 だからこそ、なのだろう。その打撃はヤタガラスの怒りを煽った。周りの空気がびりびりと震えるほどの雄叫びを上げ、突き飛ばされたヤタガラスは翼で殴り返す!

 全身全霊の大振り。加えてヤタガラスの翼は煌々と輝いていた。かつてガマスル相手に見せた技と同じものだろう。当時の百合子には何が何やら分からなかったが……ヤタガラスについて多少なりと知った今ならば、それがどんな技が理解出来る。

 恐らくこれはレーザーと同様に、光の力を用いた攻撃。

 レーザーは光エネルギーを一直線に撃ち出す技であるが、これは光エネルギーを翼に纏っているのだろう。原理的にはレーザーと同じく高エネルギーにより対象を焼き、その結果として相手を切断するのだ。根拠は特にないが、百合子の本能はそう解釈した。

 レーザーとこの技が『強い』かは分からないが、少なくともこの翼に光を纏う方は、翼の動きにより自由な攻撃が行える。遠距離戦が全く出来ない代わりに、近接戦闘ならば間違いなくレーザーよりもこの技の方が便利だ。

 クラゲ怪獣の、傘の下にある目玉がぎょろりと蠢く。ヤタガラスの速さに反応するとはかなりの反応速度であるが、しかしそれでもヤタガラスの翼の方が数段速い。クラゲ怪獣は回避が行えず、翼の直撃を受ける。

 

【ピルキィイイッ!】

 

 クラゲ怪獣は大きく突き飛ばされ、転倒。受けた一撃の威力は凄まじかったようで、そのまま何百メートルと吹き飛ばされた。流石にこれは痛かったのか、クラゲ怪獣はじたばたと触手と身体をのたうち回らせていたが、やがて起き上がる。

 その身体に、目立った傷は見られない。

 ……百合子は思わず目を擦る。しかし改めて見ても、やはりクラゲ怪獣の身体に傷らしい傷は見当たらない。強いて言うなら土埃が付いて、ちょっと色がくすんだ程度だ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「(……待って。それって、まさか――――)」

 

 過る悪寒。だが、言葉にする前に事態は動き出す。

 自分の攻撃が通じなかった事を理解した、ヤタガラスが大技を練り始めたからだ。

 

【クガアァァ……!】

 

 煌々と輝きを増すヤタガラスの翼の先。しかも両翼同時だ。

 クラゲ怪獣は放たれる光に何か嫌な予感がしたのか、一度距離を取ろうとしてか浮かび上がり、一気に数百メートルと離れていく。普通の怪獣相手ならば距離を取るのは、守りを固める意味では悪くない手だ。

 しかし相手がヤタガラスとなれば、そうもいくまい。

 二つの翼でしっかりと狙いを定めたヤタガラスは、クラゲ怪獣目掛けて両翼から二本のレーザー光線を撃つ!

 今まで一度に一本ずつ放っていたヤタガラスのレーザーだが、実は二本同時に放つ事も出来たらしい。放たれた光線の具体的な出力を、人間の目視で測る事は不可能だが……二つのレーザーはどちらも、これまで百合子が目の当たりにしたどのレーザーと比べても眩しさや轟音が見劣りする訳ではない。むしろ力強い部類に入るぐらいだ。

 どうやら普段放っているレーザーを二分したのではなく、普段放っているレーザーを二本撃っているらしい。単純計算で何時もの二倍もの威力。そして光速で飛ぶ大出力レーザーを躱す方法などない。

 空飛ぶクラゲ怪獣の身体に二本のレーザーが直撃。超高出力の光エネルギーが謎の怪獣を貫く――――筈だった。

 

「……嘘」

 

 思わず、百合子は否定の言葉を口にする。

 そう、こんなのは嘘であり、起こるべきではない。ヤタガラスのレーザー攻撃は圧倒的で、人智を超えた力なのだ。どんな怪獣も一撃で貫き、宇宙空間に漂う間抜けを葬り去る神の槍。耐えられるモノなどいる筈がない。

 されど考えてみれば、「ヤタガラスの攻撃に耐えられるものなどない」というのもまた人智である。そして怪獣とは人智を超えるもの。ならばどうして『怪獣』が人間の予想通りに倒されるというのか。

 クラゲ怪獣もまた怪獣である。

 ならばヤタガラスのレーザー攻撃が弾かれても、真の怪獣であればなんらおかしくないのだ。

 

【……ピピリルルルルルルル……】

 

 レーザーはクラゲ怪獣の体表面で弾かれ、四方八方に拡散しながら飛んでいく。クラゲ怪獣は特段苦しんでいる様子はなく、また受けている場所が赤熱するなどの変化も見られない。

 苦し紛れや悪足掻きなどではない。問題なくクラゲ怪獣はヤタガラスの攻撃に耐えていた。まるで、ヤタガラスのような光子フィールドでも展開しているかのように。

 

【グ……グ……!】

 

 これまであらゆる怪獣を、宇宙に浮かぶ神の杖すらも撃ち落としてきたレーザー。それを耐える敵にヤタガラスの表情が強張る。されどヤタガラスはまだ諦めない。翼から放つレーザーはどんどん輝きを強め、発射音である稲妻が如く轟音を大きくしていく。弾かれたからといって諦めず、更に出力を高めて打ち破ろうとしていた。

 だが、クラゲ怪獣はそれをみすみす受けるつもりはないらしい。

 クラゲ怪獣の六本の触手がうねる。触手の先端、鋭く尖った部分をヤタガラスの方に向け――――バチバチと、稲光を迸らせた。

 まさか、と百合子は思う。唖然とした表情を浮かべる真綾と茜も、同じ事を思ったに違いない。

 されど人間の浅はかな願望を、怪獣は打ち砕く。

 

【ピルルルゥルルウゥッ!】

 

 クラゲ怪獣の叫びに合わせ、六本の触手から『光線』が放たれた!

 六本の光線にヤタガラスは目を見開く。だがそれだけ。それ以上の動きなど、光の速さで迫る攻撃を前にして行える筈もない。

 クラゲ怪獣が放った六本の光線はヤタガラスの胸部を直撃。これまで後退りはすれども、大きくその身体が吹き飛ばされた事などないヤタガラスが、あまりにも呆気なく転倒させられた! 転倒した衝撃で翼の向きが変わり、レーザーはあらぬ方角、地平線の先から頭を覗かせている山の方に飛んでいく。流れ弾を受けた瞬間赤々とした『傷』が山に刻まれ、直後爆薬でも仕込んでいたかのような大爆発が起きた。

 やはりヤタガラスのレーザーは普段通りの、或いは何時も以上の出力を秘めている。それを二本も受けながら、クラゲ怪獣は平然としていたのだ。

 

【グガッ……!? ガッ、グァ……!】

 

 ヤタガラスが倒れてもクラゲ怪獣のレーザーは止まらない。むしろ六本の触手から放たれるレーザーはその力を増し、ヤタガラスの身体を大地に束縛する。

 ヤタガラスの身体には光子フィールドが存在する。故に光エネルギーが生じる攻撃は通じない。クラゲ怪獣のレーザー攻撃でも同じ筈だ。

 されどどうした事か。ヤタガラスの表情はどんどん苦しげなものに変わる。レーザーを止めた翼を必死に動かし、何度も立ち上がろうとして、脱出を図っているようだ。しかしクラゲ怪獣のレーザーは刻々と威力を強め、抗おうとするヤタガラスの動きを阻む。立とうとした傍から転ばされ、中々体勢を立て直せない。

 そうしてレーザーを受けていると、ヤタガラスの身体に異変が起き始める。

 クラゲ怪獣のレーザーもヤタガラスの体表面で弾かれ、四方八方に飛んでいる。飛び散る光に紛れてしまい、ヤタガラスの姿はハッキリと見えている訳ではないのだが……百合子の目には微かに、痙攣するように震えているように見えた。

 例えるならそれは、火山噴火などの衝撃でガラス窓が震え、割れる間際の動きに似ている。

 まさか、光子フィールドが()()()()()なのか?

 人類のあらゆる兵器を用い、怪獣と協力して、弱点であろう物理攻撃に特化し、そして破るどころか弱ったタイミングを狙っても、勝てなかった無敵の守り。それが、よりにもよって光り輝くレーザーで破られるというのか? どれほどの力を持ったレーザーならばそんな事が出来るのか。或いは、レーザーに見えるだけで全くの別物なのか。

 謎は深まるばかり。一つ確実に言える事は、クラゲ怪獣の攻撃は間違いなくヤタガラスを追い詰めている。

 

【ガ……カ……ク、ァ……!】

 

 でなければ、ヤタガラスの口からか細い声が漏れ出る筈がなく。

 

【ク……ァァァアアアガアアゴオオオアオオオオオオオオオッ!】

 

 ここまでの怒りを吐き出すかのような、おどろおどろしい叫びを上げる訳がないだろう。

 怒りの咆哮と共に、ヤタガラスは再度レーザー攻撃を行う。ただし今度は二つの翼からではない……二つの翼と嘴の先、合計三ヶ所からの攻撃だ!

 しかもどのレーザーも、これまで百合子が見てきたどの一撃よりも力強い。轟く爆音だけで身体が吹き飛びそうだと感じるほどだ。恐らくクラゲ怪獣のレーザー攻撃を受けている間、その光の力をずっと溜め込んでいたのだろう。そして光子フィールドか溜め込みが限界になったところで、一気にその力を開放しただと思われる。

 最大出力のレーザー三本。これが直撃すれば、さしものクラゲ怪獣も大きく体勢を崩す。空中浮遊が仇となり、ぐるんとその身が後ろ向きに一回転してしまう。

 言い換えれば最大出力のレーザーを受けても、やはりクラゲ怪獣は怪我らしい怪我をしていないという事。しかし、ではこの攻撃が無駄かといえばそんな訳もない。

 クラゲ怪獣が空中大回転した事でレーザーの軌道が逸れた。自分を押さえ付けていたものがなくなれば、ヤタガラスは素早く立ち上がり、そして翼を広げられる。

 

「! ヤバ……」

 

 何度もヤタガラスと出会ってきた百合子達は本能的に危機を察知。三人同時にヤタガラスに背を向け、走り出す。

 果たして人間達の全力疾走は、どれだけ意味があったのか。翼を広げて数秒と経たずにヤタガラスは飛び上がり、周りに吹き荒れた爆風で三人全員があえなく吹き飛ばされてしまった。

 

「きゃっ!? う、く……!」

 

 幸い、或いは数秒未満でも走ったお陰か、吹き飛ばされて地面を転がりながらも、百合子に大きな怪我はない。素早く左右を見回し、アカネと真綾が無事な事も確かめる。

 矮小な人間三人を余所に、ヤタガラスは大空のクラゲ怪獣へと突撃。鋭い爪を持った足を前へと突き出し、クラゲ怪獣に掴み掛る!

 

【ピルルルルッ!? ピィルルルルルルルルルッ!】

 

【ガァッ! グギャア! ガガアアァッ!】

 

 掴まれたクラゲ怪獣は触手をのたうって暴れるも、ヤタガラスは決して離さない。深々と爪を突き立て、身動きを封じたところで何度も嘴で突く。

 クラゲ怪獣もただやられるばかりではない。触手を伸ばし、ヤタガラスの翼を掴んで飛ぶのを邪魔する。だがヤタガラスはこれを逆に利用。落ちていく中でしっかりと体勢を整えたまま墜落し、クラゲ怪獣を踏み付けるように着地した。クラゲ怪獣はヤタガラスの下敷きとなり、今度はこちらが身動きを封じられる。

 

【ガァッ! グガアァッ!】

 

 執拗に、激しく、ヤタガラスは嘴でクラゲ怪獣を突き刺す。レーザーなしの肉弾戦に、今度はクラゲ怪獣が追い込まれていく。

 

【ピ……ィイイイイキイイイイイイイッ!】

 

 クラゲ怪獣は絶叫を上げたが、今更そんなものでヤタガラスが止まる事はない。むしろヤタガラスの攻撃は一層苛烈化していった。クラゲ怪獣の触手パンチなど、全く気にも留めていない有り様だ。

 そして止めを刺さんとばかりに、ヤタガラスは一際大きく身体を仰け反らせる。

 この戦いにもいよいよ決着が付くのか。クラゲ怪獣はヤタガラスに匹敵する強さと防御力をどうやって手に入れたのか、そもそもコイツは一体何モノなのか。何一つ分からないままだが、死骸を調べればそれらの謎は解けるかも知れない。尤も、ヤタガラスがその死骸を食い荒らしたり、腹立ちまぎれにレーザーで焼き払ったりしなければだが――――

 百合子の気持ちは、ヤタガラスの勝利を確信していた。事実、このままいけばヤタガラスは勝っていたに違いない。

 そう、このままいけば。しかし現実には邪魔が入る。

 体長六十メートルの猿型怪獣……レッドフェイスが、この戦いに乱入してきたがために。

 

【ホォアアアオオオオオッ!】

 

 咆哮と共に現れたレッドフェイスは、がっちりと組んで一つにした拳をヤタガラスの頭に振り下ろす!

 突然の攻撃にヤタガラスは思わず振り返り、顔面でその鉄拳を受けた。衝撃波が発するほどの打撃だったが、所詮はレッドフェイス。ヤタガラスにダメージを与えるほどのものではない。精々ヤタガラスの顔を(恐らく苛立ちで)顰めさせた程度だ。

 それでも、意識を逸した事に違いない。

 

【ピルルルルルルルルッ!】

 

 そしてその隙は、クラゲ怪獣が突くには十分なものだった。

 ヤタガラスの攻撃の手が弛んだ、そのほんの一瞬にクラゲ怪獣は触手を三本ずつ束ね、二つの拳を作り出す。その拳で成すは鉄拳制裁、ではなくヤタガラスを突き飛ばす事。

 後ろのレッドフェイスに気を取られていた事もあり、ヤタガラスはクラゲ怪獣の拳への反応が遅れてしまう。踏ん張ったり躱したりする事は出来ず、受けた打撃により突き飛ばされてしまった。

 この千載一遇のチャンスをクラゲ怪獣は逃さない。

 これまで見せた事がないような速さでクラゲ怪獣は急速浮上。一気に高度数百メートルの高さまで移動してしまう。ヤタガラスは即座に鋭い眼差しで睨むが、クラゲ怪獣は気にも留めない。傘の下にある巨大な瞳で見下ろすが、その無機質な瞳に悔しさや怒りなどの感情を感じる事は出来ないだろう。

 

【ピキィイイイイイイイイイイッ!】

 

 強いて感情的だったのは、去り際に残した、甲高くて不気味な捨て台詞(鳴き声)だけ。それだけ叫ぶと、クラゲ怪獣はそのまま何処かに向かって飛んでいってしまった。

 逃げ出した、と言うべきなのか。

 無論ヤタガラスも空を飛べる。だからそのまま飛べば、クラゲ怪獣を追う事は可能だ。

 

【ホゥオオォウッ!】

 

 だが、今はレッドフェイスが邪魔している。翼にしがみつき、その動きを阻んでいた。

 ヤタガラスのパワーを思えば、レッドフェイス一匹がしがみついていても、難なく飛べるだろう。されど生憎、ヤタガラスはそれを許してくれるほど甘くない。

 

【グガァアアアッ! ガアゴオオオッ!】

 

 ヤタガラスは怒りの咆哮を上げながら翼を振るい、レッドフェイスを振り解く。投げ飛ばされるようにレッドフェイスは飛ばされ、地面を転がる。

 倒れたレッドフェイスにヤタガラスは即座に肉薄。レッドフェイスは怯えたような表情を見せた後、後退りしたが……ヤタガラスは許してくれない。

 

【ガァッ!】

 

 怒り狂った雄叫びと共に、ヤタガラスはレッドフェイスの顔面を踏み付けた!

 普段からして並の怪獣を容易く殺すパワーを持つヤタガラス。此度は怒りによって更に力が増しているのか、レッドフェイスの顔面は一瞬で砕かれ、頭の中身が撒き散らされる。しかしそれでもヤタガラスの怒りは収まらないらしく、残った死骸を蹴り付けて浮かばせた後、翼から放ったレーザーで胸部を射抜く。レッドフェイスの亡骸は爆散し、跡形もなく消え去った。

 哀れと言うべきか、はたまたケンカを売る相手を間違えたと言うべきか。戦えばこうなる事ぐらい、分かっていそうなものなのに。

 

「(……なんで、レッドフェイスが襲ってきたのでしょうか?)」

 

 そもそもこの辺りの森には怪獣がいない筈だ。ヤタガラスが殺し尽くしてしまったがために。

 怪獣の速力を用いれば、ヤタガラスでなくてもかなり遠くから大して時間も掛からずやってこれるだろうが……そうして遠くから来て、いきなりヤタガラスを襲うものか? 大体何故ヤタガラスを襲ったのか。あれではまるで――――

 抱いた謎を考えてしまう百合子だったが、事態は人間の都合など構わず動いていく。

 レッドフェイスを綺麗に片付けたヤタガラスは、再び翼を広げた。邪魔するモノはもういない。あと一歩まで追い詰めた……獲物か敵かは分からないが……相手に止めを刺すためか。ヤタガラスは再び大空へと飛び立つ。

 周りには暴風が吹き荒れ、ヤタガラスはあっという間に空の彼方へ。巨大なヤタガラスの姿は一瞬で見えなくなってしまった。風で飛ばされた百合子はへたり込んだ姿勢のまま呆然とその光景を眺めていたが、ヤタガラスが立ち去った事に安堵を覚える。

 

「百合子! 茜! ヤタガラスの後を追うわよ!」

 

 なのに真綾がとんでもない事を言い出したものだから、そんな気持ちは一瞬で吹っ飛んでしまった。

 ヤタガラスを追う? 頭の中でその言葉を反芻し、思考し……仰天して百合子は思わず立ち上がる。どう考えてもそれは自殺行為だからだ。

 茜もまた同じ事を思ったのだろう。困惑から固まる百合子と違い、茜は真綾を狼狽えながらも問い詰める。

 

「な、何言ってんの! そんなの自殺行為だよ!?」

 

「ええ、そうね。でもね、命を懸けてでも見に行かなきゃいけない。見届けなかったら、間違いなく死ぬまで後悔するわ」

 

 茜に言われても、真綾の意思は変わらない。それどころか決意に満ちた言葉を投げ掛けられ、百合子達の方が気持ちが揺らぐ。

 一体何故? 疑問で固まる百合子達に、真綾はこう告げるのだ。

 

「私の予感が正しければ、この戦いは……地球の命運を左右するものになる。例え何も出来なくても、それを見なければ、知らなければ、人類に未来はないわ」

 

 人の手に負えない、恐ろしい何かが始まろうとしているのだと……



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追跡中

 バラバラと音を立てて飛ぶ、ヘリコプター。その中に、百合子達三人は乗っていた。

 操縦を行うのは、百合子にとっては面識のない男性。真綾曰く部下兼後輩の元自衛隊員だそうで、ヘリコプターの操縦は自衛隊員時代に身に着けたものらしい。これまでに戦闘ヘリを用いて様々な怪獣と戦い、時には勝ち、負けた時でも機体と共に生き延びてきた猛者だという。

 尤も、そんな彼でもヤタガラスの『追跡』は初めてのようだが。

 真綾が言うには、ヤタガラスには発信機が備え付けられているらしい。発信機は羽根と羽根の間に入っており(夜間のうちに自衛隊が頑張って撃ち込んだらしい)、そのため表面に展開されている光子フィールドの内側で守られている。クラゲ怪獣との戦いでも壊れてはいないようで、今も機能は喪失していないようだ。そしてその発信機の信号を捉えるためのレーダーが、このヘリコプターには備わっている。

 これで追跡に問題はない。そう、追跡する事は全く問題ないのだが……追跡という行いそのものが大問題だ。 

 

「って、なんで私達ヤタガラスを追わなきゃなんないんですかぁー!?」

 

 何故ヤタガラスをわざわざ追跡するのか、その理由を百合子は知らないのだから。

 隣に座る茜も同意見なのだろう。睨むような、或いは困惑するような、なんとも言えない複雑な顔で真綾を見ていた。

 二人の親友に、言葉の有無は兎も角として問われ、真綾は小さくため息を吐く。とはいえそれは何も知らない百合子達に呆れているからではあるまい。恐らくは、乱れていた自分の気持ちを落ち着かせるための行いだ。

 事実、真綾はため息からやや間を開けた後、重たい口調で話を始めてくれた。

 

「まず、大前提として、これは私の推論よ。それも推論に推論を重ねた、結構なトンデモ理論」

 

「……でも、真綾ちゃんは正しいと確信している訳だ。その推論が」

 

「ええ。そしてもし正しければ、これは地球の命運を左右する。人類じゃないわよ? 地球の命運。そこ、間違わないでね」

 

 念を押すように、地球の、という部分を強調する真綾。

 地球の命運。

 なんともスケールの大きな話だ。大き過ぎて百合子にはいまいちピンと来ない。しかしわざわざ「人類じゃない」というぐらいなのだから、本当に地球そのものに関わる話、と真綾は思っているのだろう。正直怪獣出現という事態も地球に多大な影響を与えた筈(人類文明が壊滅すれば環境負荷は減るだろうし、怪獣ならばクマなどの頂点捕食者を食べてしまうだろう)だが……真綾はそれ以上の事態を想定しているように見える。

 真綾は一体何に気付いたのか。何が起ころうとしているのか。百合子は真綾の話を聞き逃すまいと、しっかり耳を傾けた。

 やがて真綾は語り出す。彼女の思い描く推論を。

 ただしその話は、未来からでも今からでもなく、過去から始まるのだが。

 

「……グリーンアローって覚えてる?」

 

「グリーンアロー? ……なんでしたっけ。聞き覚えがあるような、ないような」

 

「私も思い出せない。なんだっけそれ?」

 

「今から大体七年前、つまり怪獣が出現する一年前に観測された隕石よ。緑色に発光しながら落ちてきたからそう呼ばれているやつ」

 

 真綾に言われ、百合子は少し考え込み……ふっと思い出す。そういえば怪獣が現れて少し経った、けれどもまだ自分達が女子高生だった頃、真綾がそんな事を話していた。まだまだヤタガラスどころか怪獣について何も知らず、茜の復讐心もあってヤタガラスについて『自由研究』を行い、そして発表し合った時の事だ。

 あの時真綾は興味深い話をしていた。

 怪獣出現の一年前に観測されたグリーンアローは、通常の隕石とは異なる、数々の特徴を持つ。そしてグリーンアローにはある特殊な物質が含まれていて、地球降下時にそれらの物質は撒き散らされ、生物の怪獣化を引き起こしたのではないか……というものだ。

 あの時は百合子の「そんなのより古生物が復活したと考える方が自然じゃありません?」という意見により取り下げられた。だが最近になって様々な新事実が明らかとなった。ヤタガラス以外の怪獣は既知の生物が変化したものである事、怪獣の体内には未知の細菌がいる事、その細菌が地球外からのものである事……それらの情報を考慮した今ならば、こうも考えられる。

 グリーンアローが運んできたのは未知の物質ではなく、未知の細菌だったと。

 

「そして今回、グリーンアローと同じく緑色に輝く隕石が現れ……十中八九、中から怪獣が現れた。あのクラゲみたいな怪獣が宇宙から来た事、グリーンアローと関係があるのはほぼ間違いない」

 

「つまり、あのクラゲ怪獣が地球に怪獣を生み出した張本人?」

 

「私はそう考えているわ。なんでそんな事をしたのかは分からないけどね。目的なんてなくて、単に常在菌が剥がれ落ちただけかも」

 

 自分の考えを否定する可能性を述べながらも、真綾の顔は真剣そのもの。少なくとも彼女自身は、自分の可能性が正しいと信じている。

 百合子としても、宇宙怪獣なんて、などと否定的な意見を言うつもりはない。実際あのクラゲ怪獣は隕石衝突後に突然現れたのだ。あれだけ大きな身体なのだから、森の中にこっそり身を潜めていたと考えるよりは、空から堂々と落ちてきたとする方が納得がいく。

 そして、真綾が言う地球の命運というのも、百合子にはなんとなく察せられた。

 

「……目的がなんであれ、怪獣を生み出すような存在です。もしかするとアイツが現れた事で、更にたくさんの怪獣が、世界中に出現するかも知れません」

 

「ええ。現時点ですら人類は怪獣を全くコントロール出来ていない。更に大量の怪獣が現れたら、それこそ人類文明全体の危機……そして地球生態系の危機よ。奴の目的は皆目検討も付かないけど、グリーンアローと同じ光を放つものが、偶々地球に立ち寄っただけとは考え辛い。何かある筈なのよ、星々を渡るのに見合う目的が」

 

 真綾はそう言うと、再びため息を吐く。

 ……真綾の考えは、百合子も理解した。日和見なんてしている場合ではないという事も。しかしあの宇宙怪獣が何かを企んでいたとして、それを見届けなくては対策も何も考えようがない。

 そしてヤタガラスはその宇宙怪獣の後を追っている。

 地球を護るため……ではないだろう。だが、ヤタガラスは怪獣化の原因と思われる遺伝子も細菌も持たない、唯一無二の純粋な地球怪獣だ。怪獣出現を引き起こした可能性がある宇宙怪獣(余所者)に、嫌悪感のようなものを抱いているのかも知れない。宇宙怪獣も、自分とは関係なしに存在するヤタガラスに敵意や嫌悪を抱いていた可能性がある。

 恐らく、両者は再び激突するだろう。

 その時こそが地球の命運が決まる時かも知れない。どちらが勝ち、どのような結末になろうとも、それを知らなければ人間は対策を行えない。ヤタガラスの後を追うという選択も、科学者である真綾としては当然のものかも知れない。

 ……科学者である真綾としては。

 

「……で、なんで私達を連れてきたのですか?」

 

「え? いや、だって一人でヤタガラスに接近とか不安じゃない。私達親友なんだし、死ぬ時は一緒よ」

 

「強制的な一蓮托生は止めてくれません?」

 

 あんまりにも身勝手な理由にツッコミを入れる百合子だったが、真綾は楽しそうに微笑むだけ。反省はしていないようだ。

 とはいえ百合子も本気で嫌がっている訳ではない。むしろ真綾が一人で行こうとしたら、意地でもそれに付いていこうとしただろう。茜が心配だという理由でヤタガラス討伐作戦にまで参加してしまうぐらい、百合子は友達のためなら身体を張ってしまう人間なのだから。

 我ながら度し難いなと思いつつ、百合子は肩を竦めながら笑った。茜も、特段口は挟まなかったが、百合子と似たような笑みを浮かべている。

 

「――――さてと。とりあえず新怪獣が現れた訳だし、自衛隊に連絡しないとね」

 

「あ、そこは連絡するんだ」

 

「そりゃそうでしょ。というか宇宙怪獣なんて訳分かんない奴が私一人の手に負える筈ないから。あらゆる分野の専門家を集めて、走力を結集させなきゃ駄目でしょ」

 

「あー、まぁ、そうか。凄い天才一人がやってくれる訳じゃないのか」

 

「天才って一言でいっても、何事にも専門はあるし、考え方や発想の方法も違うわ。ある程度結果が予測出来るなら兎も角、全く未知の存在の解析を一人で任せても、解決出来る保証はないのよ」

 

 淡々と語りながら、真綾はヘリコプター内に置かれていた通信機を取り出す。周波数を合わせているのか、メモリをきりきりと弄っていた。

 

「そういえば、あの怪獣はなんという名前になるんですかね」

 

「名前ねぇ。なんかある度に宇宙怪獣だのクラゲ怪獣だの言うのも難だし、確かにヤタガラスみたいな名前は付けておきたいよね」

 

「マレビドス」

 

「……はい?」

 

「だからマレビドス。発見者権限としてその名前を付けるつもりだから、よろしく」

 

 目の前で起こる、怪獣の名前が決まる瞬間。あまりにも呆気なく名前が決まり、百合子と茜は呆けたように固まる。

 そうこうしているうちに、真綾が耳を当てた通信機からぷつぷつと微かな音が聞こえてきた。どうやら自衛隊と繋がったらしい。自衛隊といっても真綾の職場である、怪獣研究部門にだろう。

 

「もしもし、長嶺です。新怪獣発見の報告をしたく……え?」

 

 その通話先に連絡していた真綾だが、話が終わるよりも前に呆けた声を漏らす。

 しばしその呆けた顔でいた彼女は、やがて熱心に通信機の向こうに耳を傾ける。通信機の先では何やら長い話があり、それを聞く度真綾は頷く。

 一通り話を聞き終わったところで、真綾は自分の要件である新怪獣マレビドスについて報告。マレビドスを追ってヤタガラスが動き出した事も伝えた。それから何か、話し合いを続けて……通信機を切る。

 真綾は、小さくないため息を吐いた。

 しばし黙っていたが、やがて俯き、またため息を吐く。何か嫌な事でも言われたのか? と思ったのも束の間、唐突に真綾は天井を仰ぎ、げらげらと笑い出した。一通り笑うと、またため息を吐く。

 

「……成程。どうやら、偶々来たって可能性はなさそうね」

 

 最後に何か、気付いたかのように呟く。

 

「……何か、あったのですか?」

 

「ええ、あったわ。私としては割と決定的な……マレビドスが怪獣出現の原因だという、確定的な出来事が」

 

「確定的な、出来事?」

 

 真綾の言い分に、百合子と茜は首を傾げた。

 普通、誰それが犯人だと言うのならば、必要なのは物証だ。起きた事から犯人を探すのは推測と変わらない。科学者である真綾ならそれは分かっている筈である。

 しかし真綾が聞かされたのはあくまでも情報。それで確信に至るとは、一体真綾は何を聞かされたのか? 百合子が茜共々困惑していると、真綾は落ち着いた口調で、自分が聞いた事を教えてくれた。

 そして百合子達は知る。

 

「世界中で怪獣の活動が活性化。世界中で怪獣と人類の戦いが巻き起こっているわ」

 

 終わりが、始まろうとしているのだと……



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空中の決戦

「世界中で怪獣との戦いが……!?」

 

「な、なんの冗談よ、それ……」

 

 真綾から告げられた言葉に、百合子と茜が戸惑いながら尋ね返す。

 いっそ冗談だと言ってくれたなら良かったのだが、真綾は神妙な面持ちを浮かべるのみ。それだけで、先の言葉が一切偽りのないものだと百合子は理解する。

 

「言葉通りよ。世界中で多数の怪獣が暴れ回っている。現時点で自衛隊が把握している限りだと、アメリカ、中国、ロシア、EU諸国……未確認情報だけど、アフリカや中南米でも出てるみたい」

 

「そんな……! か、勝ち目は……」

 

「ないわ。怪獣達が疎らに襲ってくる状態でも、どの国もギリギリなのよ。一斉に暴れ出したらどうにもならない。核保有国なら撃破は出来るでしょうけど、自国の大部分を放射能汚染塗れにするのを躊躇わない国がどんだけあるのやら」

 

「どうして、一体何が……まさかさっきの宇宙怪獣が!?」

 

 叫ぶように、茜がもしもを口にする。

 その発言に根拠は何もないだろう。だが、今までなんの統率なんてなかった怪獣達が、突如として同時に暴れ出したのだ。そこには何か原因があると考えるのが自然であり、そして原因となり得るものは、現状宇宙怪獣マレビドス以外にない。

 マレビドスは何を企んでいるのか。まさかマレビドスは宇宙人が送り込んだ侵略兵器で、今はその作戦が進行しているのではないか……

 本来なら「マレビドスが犯人の可能性が高い」で思考を止めるべきだろう。だが百合子の頭の中には次々と推論が浮かんでくる。推論に推論を重ねる愚行が止まらない。

 無意味な思考を止めてくれたのは、『大怪獣』だった。

 

「長嶺博士、少しよろしいですか?」

 

「ん? 何かしら?」

 

「実はヤタガラスの動きが奇妙で……」

 

 ヘリコプターのパイロットから呼ばれ、真綾が座席から乗り出すように動く。百合子と茜も、なんとなくその動きを追って、座席越しにパイロットが示したものを見る。

 パイロットが視線で指し示していたのは、操縦席の横に置かれたレーダー。

 そこには白い点が一つ、ピコピコと光っている。恐らくはヤタガラスに装着された発信機の信号なのだが……白点は何故かぐるぐると回転するような動きをしていた。その回転も不規則かつ歪な動きであり、ちゃんと飛んでいるとは言えない。

 ……百合子的には、白点が随分近い位置にあるのが気になる。衝動的に窓から周囲を見渡してみたが、辺りに広がるのは森と青空ばかり。ヤタガラスもマレビドスも見当たらない。近くにいる筈なのに見えないという状況が、却って不安を煽ってくる。尤も、真綾も茜もパイロットも、そこにはあまり関心がないようだが。

 

「確かに、妙な動きね。旋回してる感じじゃないし、何かしらこれ……」

 

「これまでに観測されたヤタガラスのどの飛行データとも異なります。当機の上空四千メートルほどの高さで停滞していますし、何をしているのか……」

 

 予想外の動きに、真綾とパイロットは首を傾げる。プロ二人が困惑する状況。それだけ未知の行動らしい。

 ただ一人、茜だけは何かに気付いたようで。

 

「これ、取っ組み合いのケンカでもしてんじゃない?」

 

 なんの気なしといった様子で、そう言葉にした。

 真綾とパイロットは互いの顔を見合う。果たしてその瞬間、二人は何を考えていたのか。生憎百合子には分からない。

 ただ、『同じ事』は考えていたのだろう。

 

「全速で後退!」

 

「了解!」

 

 真綾が説明もなしに伝えた指示を、パイロットは間髪入れずに実行したのだから。

 百合子達の身体に圧が掛かるほどの勢いで、ヘリコプターは一気に後退していく。しかし百合子は文句など言わず、窓から外を覗き見る。

 後退を始めてしばらくは、何も見えなかった。だが数十秒と経つと、やがて空に黒と緑の点が見えてくる。その点は、最初は小さくてろくに見えなかったが、刻々と大きく……正確に言うなら()()()()きていた。

 果たしてどれだけ近付いてきたのか。ハッキリとはしてないが、微かにでもその『姿』が見えるようになった時、百合子は血の気が引いた。

 空から落ちてきているのは、ヤタガラスとマレビドス。

 ヤタガラスがマレビドスを、その足で捕まえていた。マレビドスも触手でヤタガラスに絡み付こうとしていたが、ヤタガラスの翼の羽ばたきはその触手を弾き返す。

 それでもマレビドスは諦めずに触手を伸ばすが、不意にヤタガラスはマレビドスを解放。突如自由になったマレビドスは驚いたのか、僅かながら触手の動きが鈍り、身体が大きく傾いた。

 その隙を突いてヤタガラスは大振りの蹴りを放った。体勢を立て直そうとしていたマレビドスは防御を取れず、蹴りの直撃を受けて大きく突き飛ばされていく。

 

【グガアアアアアァッ!】

 

 マレビドスが攻撃不能になった一瞬の隙に、ヤタガラスはその場から離れるように飛ぶ。ただしそれは逃げるためではない。

 大きく弧を描くように飛び、助走を付けてから相手に突っ込むためだ!

 

【ピルルルゥ……!】

 

 迫りくるヤタガラスに対し、マレビドスは怯まず向き合う。

 しかし大きく助走を付けたヤタガラスは、まるで小鳥のような俊敏さで飛んでいる。マレビドスへと突撃するスピードも、六十メートルの巨体とは思えないもの。

 振り上げた足の一撃の威力たるや、受けたマレビドスの身体が大きく『く』の字に曲がるほどだった。

 

【ピッ、ルゥイイッ……!?】

 

【グガァッ!】

 

 マレビドスはこの一撃で怯み、突き飛ばされる……が、ヤタガラスは即座にマレビドスを足で掴んだ!

 そして身体を仰け反らせるような動きで、マレビドスを空へと投げ飛ばす! 更にすかさず構えた翼を光らせるや、二本のレーザーをマレビドスに撃ち込む!

 マレビドスは六本の触手を盾のように構え、レーザーを受け止める。しかし既にマレビドスと戦っているヤタガラスにとって、それは想定内の結果だ。驚きなどせず、ヤタガラスは次の行動を起こす。

 レーザーと共に、真っ直ぐ飛ぶという行動だ!

 

【ピ、ル!?】

 

 レーザーの輝きに紛れたヤタガラスの突進に、マレビドスは最後まで気付かず。強烈な頭突きを受けて、マレビドスは大きく突き飛ばされた。

 マレビドスも空を飛べるが、どうやら空中戦ではヤタガラスに分があるらしい。少なくとも百合子が見ているここ数十秒の間は、ヤタガラスが一方的にダメージを与えているようだ。

 マレビドスとしてもこのままでは負けると思ったのだろう。

 突き飛ばされたマレビドスは方向転換。地上目掛けて急降下を始める。最初の戦闘では自分がやや優勢で戦えていた事から、戦いの場を地上に移そうという考えか。

 

【グガアアゴオオオオオオオオオッ!】

 

 ヤタガラスはそれを許さない。

 逃げ出すマレビドスに向けて、翼からレーザーを撃つヤタガラス。マレビドスは回避も行わず、背中にレーザーを受ける。尤も、やはりマレビドスには殆どダメージはないようだが。しかし直撃時の衝撃は多少あるのか、マレビドスの体勢がぐらぐらと揺らぐ。

 そして一際大きなレーザーを、マレビドスが僅かに右に傾いた瞬間を狙ったようなタイミングで、マレビドスの右端辺りに撃ち込んだ。揺らいでいたマレビドスの身体は、その一撃でぐるんと大回転。バランスを崩した事で上手く飛べなくなり……

 最後まで立て直せなかったマレビドスは、木々に覆われた地上に墜落した。飛んでいた速度のまま落ちた所為か、爆薬でも炸裂したかのような土煙の柱が生じる。人間が作り出した飛行機から、きっと衝撃で粉微塵に砕け散っているだろう。

 それでも、やはりマレビドスは傷を負っていない。這い出すように触手をくねらせながら、再び浮かび上がる。

 が、今度はヤタガラスが落ちてきた。

 

【ガアアッ!】

 

【ピルキァッ!?】

 

 落下するような速さで降下したヤタガラスは、マレビドスを上から踏み付ける。マレビドスはその衝撃で再び地上に墜落してしまう。

 マレビドスの思惑通り地上に戻ってきてしまったヤタガラスだが、しかし上を取る事が出来た。ヤタガラスは鋭い爪の付いた足で踏み付け、更に嘴で執拗に突く。クラゲ型をしているマレビドスには前後左右なんてなさそうだが、奴の傘の下には『目玉』があった。その目玉は今地面の方を見ているので、恐らく俯せの状態で倒れているのだろう。触手の動きがどうにもぎこちないのはそれが理由か。

 それでも六本の触手はどうにかヤタガラスに巻き付くが、ヤタガラスは気にも留めず。何度も何度も踏み付け、何度も何度も嘴で突いて、マレビドスを痛め付ける。

 しかしそれでもマレビドスの身体には、やはり傷も付かない。

 

「あの頑丈さ……恐らくアイツにも防御フィールドがあるわね。それもヤタガラスに匹敵するぐらい、或いはそれ以上に強力な」

 

 異常なまでの頑強さを前にして、百合子と共に戦いを見ていた真綾はその可能性をついに言葉にした。

 状況だけで判断すれば、なんらおかしな考えではない。それに人類はヤタガラスという前例に出会っている。防御フィールド持ちの怪獣が二種もいるなんてあり得ない、等というのは人類側の勝手な希望というものだ。とはいえ、だからすんなりと受け入れるというのもまた難しい。人間の『常識』とはそれほど堅固なものである。

 だがヤタガラスは違う。

 敵が自分と同じような、強力な防御能力を有していると気付いたのか。打撃を与える手を一度止め、しばし考え込み……ゆっくりとその顔をマレビドスに近付ける。

 そして煌々と、嘴の先を光らせ始めた。

 至近距離からレーザーを撃ち込むつもりだ。光エネルギーであるレーザーは大気中で減衰し、威力が落ちていくもの。至近距離でお見舞いすればその分威力も増大していく。距離を詰めた状態で放った際の威力は、これまで放ってきたものの比ではないだろう。しかもヤタガラスは相手の上に乗った状態であるから、一点集中でこのレーザーを撃ち込める。自由に動ければ危険だと思ったタイミングで身体の動きでレーザーを逸したり、当たる場所を変えて耐えたりも出来ただろうが、身動きが封じられてはそれらの対処は不可能。

 これで倒せる、という保証はない。だがマレビドスの慌てたような身動ぎを見れば、それなりに『有効』らしい。鳥であるヤタガラスに表情筋などない筈だが、心なしかその顔には笑みが浮かんでいるように見える。

 これで止めとするつもりか。ヤタガラスのレーザーが一気にその輝きを増した

 瞬間である。

 

【ピィキイイイイイイイイイイイッ!】

 

 マレビドスが叫ぶ。

 遠くから見ている百合子達人間の身体を揺さぶるほどの、途方もないパワーを宿した叫び。しかしその叫びは悲鳴だ。逃れられない現状への逃避反応に過ぎない。

 現実は悲鳴なんかじゃ変えられない。情緒的な人間ですら思い知った事を分からぬ怪獣に、ヤタガラスは容赦するつもりなど一切ないだろう。嘴の先の輝きは変わらぬ勢いで強くなり――――

 

【ッ!】

 

 ヤタガラスはレーザーを撃ち出した。

 ただし、マレビドスがいない方に向けて。

 ヤタガラスがレーザーを撃った方角は自身から見て右方向。当然そのレーザーはマレビドスを撃ち抜かず、空中を光の速さで真っ直ぐに進み、

 ()()()()()()()犬型怪獣ジゴクイヌの額を撃ち抜いた。

 

【……ッ!?】

 

 ジゴクイヌの体長は約八十メートル。怪獣としてはかなり大型であるが、ヤタガラスのレーザー光線に耐えるほどの防御力はない。脳みそごと撃ち抜かれたジゴクイヌは白目を向いた、瞬間に頭が爆散。身体の司令塔である頭脳が失われた身体は力なく倒れ伏す。

 突然現れたジゴクイヌへの攻撃。それを行った結果として、折角溜め込んでいたレーザーのエネルギーは尽きてしまった。ヤタガラスは即座に力をまた溜め始めた、が、それには時間が掛かる。

 マレビドスが身体に力を溜め込むのに、十分なほどの時間が。

 

【ピ、ルルルルリリリリッ!】

 

 今度は悲鳴とは違う、力のこもった雄叫び。それと共にマレビドスは浮かび上がり、ヤタガラスから逃れようとした。

 突然浮上された事でヤタガラスも体勢を崩し、転倒するような形でマレビドスに振り解かれてしまう。羽ばたく事でヤタガラスは一度宙に浮かび、難なく体勢を立て直したが、それでもマレビドスは遠くまで逃げてしまった。

 これでもヤタガラスの飛行速度ならば難なく追い付ける。が、それは即座に追い駆けたらの話だ。今のヤタガラスにそれは出来ない。

 

【グルルルルル……】

 

【ゴルルルル……】

 

 ヤタガラスの周りを、無数のジゴクイヌが包囲していたからだ。

 一体何処から現れたのだろうか。ジゴクイヌの数は、百合子がざっと数えたところ約十体。体長はどれも八十メートル超えで、中には百メートルに迫るほどの巨躯の持ち主もいた。自衛隊の怪獣駆除能力が壊滅した結果、獲物となる怪獣が豊富になり、巨大な個体が多数生まれたのかも知れない。なんにせよ、今の日本社会であれば、この十体だけで難なく殲滅させられるだろう。

 

【……………】

 

 それだけの戦力を前にして、しかしヤタガラスは怯みもしない。ただ苛立った眼差しでジゴクイヌ達を睨むばかり。

 ヤタガラスの強さを思えば、この程度の数の差などものともしないだろう。時間稼ぎぐらいにはなるのでマレビドスは遠くに逃げてしまうだろうが、追えばきっとすぐに距離を詰められる筈。

 だが、百合子達人類が気にしているのは、そんな些末な事ではない。もっと根本的な、即ちこの状況が生じた『原因』だ。

 

「真綾ちゃん、これってやっぱり……」

 

 茜が震えた声で真綾に尋ねる。

 真綾はしばし黙っていた。言葉を選ぶように、口許をまごつかせていたが……やがてゆっくりと話し出す。

 

「マレビドスの奴が操ってるって考えて良いわ。恐らくこの状況も、奴がジゴクイヌを差し向けた結果ね。時間を稼ぐつもりか、それともヤタガラスを弱らせる事が目的かは分からないけど……」

 

「そんな……なら、アイツは……!」

 

「少なくとも怪獣の誕生は意図的であり、なんの目的意識もなく地球に立ち寄った訳ではなさそうね。恐らくマレビドスは細菌を介して、怪獣達の思考をコントロールしてるんだわ。問題はこの力が自然に備わったものか、或いは人為的に与えられたか。それ次第で奴の目的も見えてくるんだけど……」

 

 ぶつぶつと真綾は語り続けたが、もう茜も百合子もその話を聞いていない。

 そう、最早マレビドスの目的など良いのだ。

 重要なのはマレビドスが怪獣を操る事。世界中の怪獣を操れるのならば、マレビドスはこの世界を操れるようなものである。文明も自然界もマレビドスには逆らえない。怪獣という名の恐ろしい力により、従属を強いられる。マレビドスはその気になれば、この星を自由に支配出来るのだ。

 その支配から逃れられるのは、地球上で唯一無二の『真の怪獣』であるヤタガラスのみ。

 マレビドスの目的は分からない。だがもしも地球を支配しようとしているのなら、マレビドスにとってヤタガラスは決して受け入れられない存在だろう。そしてそのために使えるものはなんでも使う筈。例えば、近くに偶々いたレッドフェイスを差し向けたり……今のようにジゴクイヌ達を集めるという方法も有効である。

 ジゴクイヌ達の本心がどうかは分からない。だがどうやらマレビドスの命令には逆らえないらしい。闘争心を露わにしたジゴクイヌは、ヤタガラスに道を譲ってはくれまい。

 ヤタガラスもそれを理解しているのか、ただただじっと佇むのみで。

 ジゴクイヌ達が咆哮を上げて突撃してきても、ヤタガラスは驚いた素振りすらも見せなかった。



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群がる偽獣

 最初に行動を起こしたのはジゴクイヌ達だった。五体が一斉に、ヤタガラス目掛けて突進する。

 しかし今回現れたジゴクイヌは十体。残る五体は動きを取らず、ヤタガラスをじっと睨み付けている。ヤタガラスの動きに対応して仲間の援護に入るつもりのようだ。ジゴクイヌは犬が怪獣化した存在。普段は単独で生きているが、『親玉』から群れで倒せと指示があれば、チームを作る事は難しくないのだろう。そして本能的に、団体で戦う事は得意な筈。

 八十メートル級のジゴクイヌとなれば、本気で暴れれば一体でも一つの国を滅ぼしかねない。いや、ここまで大きい個体の撃退には核兵器が不可欠な時点で、大多数の国家では為す術もないというのが正確か。ヤタガラスはその核すら通じないが、強大なジゴクイヌがこれだけ集まれば苦戦するかも知れない――――

 等と百合子は一瞬思ったが、実に甘い見通しだったとすぐに思い知らされる。

 

【……クアアァァァ】

 

 ヤタガラスが小さく唸るや、構えた両翼の先が光り始めた。

 レーザー光線でジゴクイヌ達を射抜くつもりか。これまで見せてきた威力を思えばジゴクイヌも難なく一撃で倒せるだろう。しかしヤタガラスの翼は二枚だけ。一度に倒せるジゴクイヌも二体まで。二匹犠牲になったところで残りはヤタガラスに組み付ける……とジゴクイヌ達も考えていたに違いない。

 そうでなければ、ヤタガラスが広げた翼から放たれたレーザーがどのジゴクイヌ達も射抜かなかった事に、キョトンとした表情を浮かべる事などありはしない。

 

【グ、ガアァッ!】

 

 そしてヤタガラスが翼を広げたまま()()()()()()()()()した時、驚愕したように目を見開く事もなかっただろう。

 驚きに染まるジゴクイヌの顔。だが、その顔が恐怖で歪む事はない。ヤタガラスが一回転するのと共に、放たれ続けていたレーザーも一回転しているのだ。全てを切り裂く光はヤタガラスの動きに合わせて高速で横切り、地上に立つ全てのジゴクイヌを撫でていく。無論、その撫でる力に耐えられるものは一匹もいないのだが。

 身体が上下に分断され、断面で爆発を起こしながら崩れ落ちるジゴクイヌ達。爆発しといて無事とも思えないが、仮にその衝撃に耐えたところで脳も心臓も肺も既に真っ二つだ。ジゴクイヌ達は即死だったようで、悪足掻きどころかバラバラになった脚が痙攣するので精いっぱい。

 九体のジゴクイヌが大地の上に横たわり、動かなくなった。

 ……そう、九体だけ。

 残る一体、体長百メートル近いジゴクイヌは、大きく跳躍してヤタガラスのレーザーを避けていた。

 

【グルルアアアアッ!】

 

 猛々しい咆哮は仲間の仇を取ろうという意思の表れか。はたまたマレビドスに操られて異常な闘争心を得た結果か。

 いずれにせよ何一つ恐怖していないジゴクイヌが、ヤタガラスの頭上に迫る。体格差は一・五倍以上。体格相応のパワーがヤタガラスに迫り……

 

【グアァッ!】

 

 しかしその攻撃をむざむざ受けるほど、ヤタガラスは甘くない。

 翼からは未だレーザーが放たれている。ならばその翼を、素早く差し向ければ良い。そうすればジゴクイヌの身体は光に撫でられ、綺麗に右と左に分けられる。そして切られた断面が、熱膨張かはたまた別原理か、ぶくりと膨らみ……爆発を起こして粉微塵に吹き飛ぶ。

 反撃すら出来ぬまま、十体のジゴクイヌは葬り去られた。しかしヤタガラスは勝利の雄叫びすら上げない。今のヤタガラスが意識しているのは、自分と互角の存在であるマレビドスだけ。

 ジゴクイヌ達の死骸を啄む事すらなく、ヤタガラスはその場から飛び立とうと翼を広げる。

 後ろを飛んでいる人間達のヘリコプターなど、気付いてもいないのだろう。

 

「ヤタガラスを追って! 今のアイツは人間なんて興味ないから安全な筈よ!」

 

「了解」

 

 真綾の指示にヘリコプターのパイロットは従う。ヘリコプターは前進を始め、飛び立ったヤタガラスの後を追い始めた。

 空を飛んだヤタガラスは、何時ものような高高度ではなく、地上数十メートルの低さで飛行していく。マレビドスが低空で飛んでいたため、その痕跡(臭いか何かがあるのだろう)を辿るためか。速度も比較的緩やかである……それでもヘリコプターが全速力でやっと追えるようなスピードなのだが。

 撒き散らされる爆風により、周りの木々のみならず、ジゴクイヌの亡骸も吹き飛ばされる。レーザーにより粉微塵にされた身体は、衝撃で細切れになりながら転がっていく。赤黒い染みが大地に広がっていった。

 

「……酷い」

 

 ぽつりと、百合子は思わず独りごちる。

 ヤタガラスが繰り広げた一方的戦いの結果について? 確かに酷い惨状だ。ジゴクイヌ達は生きたまま切り裂かれ、粉砕し、その亡骸は啄まれる事もないまま放置された。後はコックマーやテッソなど小型怪獣が食べに来るか、バクテリアにより分解される(腐る)だけ。あまりにも、死に方として惨たらしい。

 だが、ヤタガラスはあくまでも襲われた側だ。反撃した結果であり、それを非難するなどあまりにもおこがましい。そもそも結果がどれだけ惨たらしくても、所詮は人間的価値観からの物言いだ。獣であるヤタガラスからすれば、意味すら分からぬ言い分だろう。

 何よりこの『惨状』に元凶がいるとすれば……あの宇宙からの来訪者の方だ。

 マレビドスの実力はヤタガラスとほぼ互角。だとすれば他の、自分が操れる怪獣達ではヤタガラスに敵わないと分かっていた筈。にも拘らずジゴクイヌを差し向けたからには、マレビドスは最初からジゴクイヌ達を使い捨ての時間稼ぎにするつもりだったに違いない。

 自分以外の命を、道具としか思っていない。

 他の動物も似たようなものかも知れない。だから善悪で判断するのは間違っているが、しかし一つだけ百合子にも言える事がある。

 あんな奴に地球の全てを良いようにされるのは、真っ平御免だ。

 

「(そうは言っても、止められるとしたらヤタガラスだけなんだろうけど……)」

 

 マレビドスの力は圧倒的だ。ヤタガラスと同じくレーザーらしき技を使い、ヤタガラスに匹敵するパワーを持ち……何よりヤタガラスの攻撃に耐える防御力を持つ。

 特に防御力が厄介だ。マレビドスの防御がヤタガラスと同じ光子フィールドによるものだとすれば、核兵器の直撃にも耐える可能性がある。そうなれば人類側は勿論、昼間では怪獣でも勝機どころか傷一つ与えられないだろう。攻撃は最大の防御、などと昔の人は言っていたが、あくまでも人間と同程度かそれ以下の敵にしか当て嵌まらない話だったか。

 唯一その無敵のフィールドにダメージを与えたものがあるとすれば、ヤタガラスの大出力レーザーだけ。

 つまりマレビドスを打ち倒せるものがこの地球にいるとすれば、ヤタガラスだけという訳だ――――

 

「……………」

 

 そこまで考えて、百合子はふと隣に座る親友・茜の方を見遣る。

 茜は決して馬鹿ではない。マレビドスがどれほどの脅威であるか、ちゃんと理解している筈である。そしてヤタガラスへの憎しみはあるが、ヤタガラスの力や影響を客観的に評価する事も出来る。

 姉の仇が、地球を守るただ一つの切り札。

 それを理解した時の気持ちは、どんなものなのか。百合子には想像も出来ないが、決して笑顔で「後はヤタガラス(お前)に任せた!」なんて言えるものではあるまい。

 彼女の胸の内には今、どれだけドロドロとした気持ちが渦巻いているのか……

 

「あの、茜さん――――」

 

 何か伝えたい言葉があった訳ではない。けれども何も言わないなんて事はしたくなくて、百合子は口を開いた

 

「皆さん! 捕まって!」

 

 直後、ヘリのパイロットがそう叫ぶ。

 なんだ、と思う間もない。ヘリコプターは急停止し、更に右方向に機体を傾ける。強烈な慣性で身体の自由が利かず、それどころか中身が外に出てきそうな感覚を覚えた。

 幸いにしてその時間は左程長く続かなかったが、百合子の気持ち悪さはそこそこ長引く。とはいえ文句を言ってやろう、なんて気にはならないが。パイロットは元自衛隊員であるプロ。理由もなくこんな危ない運転をする筈がない。

 逆に言えば、理由があるからこんな、もしかしたら墜落したかも知れない運転をしたのだろう。

 百合子にはその理由が、大したものではないなどと楽観視は出来ない。

 

「な、何が、あったんですか……?」

 

 おどおどと、百合子はパイロットに質問する。

 しかし彼は答えてくれない。

 いや、答える余裕がないのだ。目の前のものを観察するのに必死であるがために。一時でも、一瞬でも目を離さないとばかりに、彼は双眼を大きく見開いていた。

 パイロットに代わり答えたのは、パイロットと同じく前を見据えている真綾だった。尤もちゃんとした説明はなかったが。

 

「……前、見てみれば分かるわよ」

 

「前、ですか?」

 

「何よ、これ以上一体何があるっての……」

 

 真綾に言われるがまま、百合子と茜はヘリコプターの窓から正面を見る。

 それだけで、どんな長い説明よりも遥かに早く、そして正確に状況を理解する事が出来た。

 ヤタガラスはもう空を飛んでいない。地面に着陸して急停止したのか、ブレーキ痕のように森が抉れていた。豪快な自然破壊をした奴は、じっと、百合子達と同じく前を見据えている。

 視線の先にあるのは、無数の影。

 怪獣達の影だった。それは良いのだが、問題は数であろう。何しろ現れた怪獣は一体二体ではない。十体二十体でもない。数えきれないほどの……一体何百体いるのか、もしかしたら何千体もいるのではないかと思うほどの大群だ。種類も一つではなく、ジゴクイヌやレッドフェイス、コックマーにテッソなど、無数に見られる。圧倒的な大群だ。それこそ日本中から集まっているのではないかと思うほどに。

 何故こんなにも大量の怪獣がいるのか? 少し考えてみれば答えはすぐに分かった。それ故に百合子は固まってしまい、茜は喘ぐ魚のように口をパクパクさせているのだろう。  

 真綾は百合子達三人の中では冷静だったが、精々自分の考えを話せる程度。語る口振りは忙しない。或いは端から聞かせるつもりの話ではなく、自分の考えを纏めるためか。

 

「……私は、今までこの戦いはヤタガラスとマレビドスの戦いだと思っていた。差し向けられる怪獣達は付近にいる奴だけで、役目は時間稼ぎや手助け要員程度……でも、どうやらそれは甘い考えだったみたいね」

 

 野生生物の生息密度は、一般人が思うほど高くない。野生での食べ物というのは決して潤沢ではなく、生きていくのに十分な量を確保するにはそれなりの『面積』が必要だからだ。例えばニホンジカの場合、一平方キロの範囲に十〜二十頭生息していれば比較的高密度と言える。ましてや鹿よりも遥かに巨大な怪獣は、鹿よりも更にたくさんの餌が必要だ。しかも鹿は草食動物であり、そこら中に餌があるにも拘らずこの生息密度である。肉食性が多い怪獣は、更に生息密度は低い。

 こうした情報を、百合子は食品工場に就職する際(今や大切な食べ物である怪獣の『資源管理』を行うため)研修として学んだ。真綾曰く怪獣は同じ体重の動物と比べ、数十分の一の餌で十分生きていけるらしいが……それを差し引いても、五十メートルを超える怪獣は数平方キロメートルの範囲に一体いるかどうか。数百キロもの範囲を見渡して、ようやく数百体と確認出来る低度だろう。

 なら、数千体の巨大怪獣を集めるにはそれこそ日本中に呼び声を届けなければならない。

 マレビドスにはそれが出来る。いや、どうして呼び声が日本だけに留まると言い切れるのか。そうだ、世界中で怪獣が暴れ出しているのならば、マレビドスの力は地球全土に及ぶのだ。そうであるなら世界中から怪獣を呼び寄せられる筈。集まってこないのは、単純に遠くて間に合わないだけ。

 既に地球の怪獣はマレビドスのもの。全ての怪獣が、マレビドスの手下となっている。

 ヤタガラスがこれより相手にするのは、地球に蔓延る怪獣大軍団。繰り広げられる戦いは、最早野生の闘争とは言えない。互いの総力をぶつけ合い、殺し合い、奪い合う……百合子が知る限り、その惨事を示す言葉はただ一つ。

 そう、これより始まる戦いはこう呼ぶべきだ。

 

「怪獣、大戦争……」

 

 さながらその独り言が開戦の合図であるかのように、ヤタガラスの行く手を遮る怪獣達が一斉に動き出すのだった。



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怪獣大戦争

【ゴガアアアアアアアア!】

 

【ホオォアアォ!】

 

【キョギョッギイィイイッ!】

 

 ジゴクイヌ、レッドフェイス、ガマスル。かつて百合子が目にした事のある怪獣三体が最前線を突っ走る。

 いずれも体長九十メートルはあろうかという巨躯の持ち主。駆け抜けるだけで足下の木々が吹き飛び、爆撃でもしたかのように土煙が舞い上がる。ただ走っているだけなのに、人間では決して止められないと確信するパワーを発揮していた。

 そして彼等の後方には何百もの数の怪獣が、同じく土煙を上げながら突進している。体長十数メートル程度の小さなガマスルやレッドフェイスの群れ、バケネコまでもが大群で駆け抜けている。他にも様々な、中には何年も怪獣狩りに同行していた百合子でも見た事がないような種までいる始末。

 個々の戦闘力がどうだとか、相性がなんだとか、そんな『瑣末事』を考えるのが馬鹿らしくなる数の暴力。どんな猪突猛進の阿呆も、数多の怪物を打倒した伝説の勇者であっても、この光景を前にしたら腰を抜かしてしまうに違いない。

 ヤタガラスもその場に立ち尽くす。

 ただし人間と違い、奴の立ち姿に恐怖の文字は影も形もないのだが。

 

【グガアァッ!】

 

 ヤタガラスは光り輝く翼の先を、迫りくる怪獣軍団に差し向けた。

 刹那、太陽光よりも眩い閃光が放たれる!

 ヤタガラスの得意技ことレーザー光線だ。どんなに反射神経が良く、そして素早く動ける身体があろうとも、光の速度で飛ぶ(着弾まで認識出来ない)レーザーからは逃れられない。

 レーザーは直線上に並ぶ怪獣達を纏めて射抜く。それでも足りないとばかりにヤタガラスは翼を動かせば、薙ぎ払われた何百もの怪獣が一瞬で焼き切られ、そして切断面で起きた爆発によって粉微塵に吹き飛んだ。バタバタと巨体だった肉片が大地に散らばり、積み上がっていく。

 だが、怪獣達は怯まない。

 マレビドスに操られていて正気を失っているのか、はたまた最初から自分以外の怪獣の生死などどうでも良いのか。恐らくは両方の理由で、怪獣大軍団は前進を続ける。仲間の死骸を蹴飛ばし、踏み付け、乗り越えて進むのみ。

 ヤタガラスも彼等に一切の慈悲を与えない。レーザーは翼から絶え間なく撃たれ、右に回り込むものがいれば右に、左から攻めるものがいれば左に薙ぎ払う。偶然か作戦か怪獣が両側から攻めようとすれば、二つの翼からレーザーを放って怪獣達を焼き払う。レーザーが地面に着弾した際に生じた爆風で、小さな怪獣もゴミ屑のように吹き飛ばされている。

 数で攻める怪獣達だが、大凡戦いと呼べるようなものではない。最早殲滅戦……否、掃討戦だ。普通の掃討戦と違うのは、一体しかいない方がそれを行っている点だろう。

 ただ、それでも怪獣達は少しずつ前線を押し上げていた。

 理由の一つは、前線に出てきたとある怪獣だ。

 

【ングァアアア】

 

【ンヌァァァ……!】

 

 少々間の抜けた声を出しながら進むは、体長八十メートルの身体がすっぽり収まるほど大きな『甲羅』を持った爬虫類型……正確に言うなら亀型怪獣。

 甲羅を支えるための太くて逞しい脚はスピードこそないものの、一歩歩む度に大地が揺れる。丸みを帯びた可愛らしい頭をしているが、その口の中には鋭い肉食獣の歯が並んでいた。甲羅から出ている首から頭に掛けて小さな鱗が生えていて、守りは完璧だ。

 これはシェルドン。その甲羅はユミルの防具にも使われたほど、最高峰の防御力を誇る怪獣である。数メートル級の幼体でも人間が携行出来る大きさの兵器ではダメージにならず、五十メートルを超えた個体ですら核兵器以外の効果はないと言われている。動きこそ鈍いし攻撃性も怪獣としては高くはないが、『倒せない』という意味ではヤタガラスに次ぐ危険度を誇る怪獣だ。

 ヤタガラスの大出力レーザーはシェルドンの甲羅もぶち抜く。だが、それは数秒間照射し続けた上での話。一瞬薙ぎ払うだけでは流石に倒せず、数秒だけとはいえヤタガラスの攻撃を集中させる効果がある。その数秒に他の怪獣達が接近してくるのだ。薙ぎ払えば纏めて倒せるとはいえ、迎撃の手数が減れば徐々に距離を詰められるのは必然だろう。

 そして二つ目の理由は、ヤタガラス自身が作り上げた亡骸の山だ。レーザーで射抜かれた怪獣達は爆発して粉々になっているが、しかし全身跡形もなく消し飛んでいる訳ではない。そこそこ巨大な肉塊となって散らばり、そこら中に積み上がっている。怪獣達はこの肉塊を盾にして、前に進んでいるのだ。味方の遺体を盾にするなど人間的には嫌悪が募るが、ケダモノである怪獣に人間の倫理観など通じない。

 しばしヤタガラスはレーザーを撃ち続けたが、ふと前線の動きは止められないと思い至ったのか。一旦レーザーを止めた。

 

【ガァッ!】

 

 そして翼を広げ、大空に飛ぼうとする。

 ヤタガラスは空を飛べる。宇宙細菌により巨大化した他の怪獣達には決して真似出来ない、ヤタガラスだけが持つアドバンテージだ。例え囲まれようが、空に逃げてしまえば脱出は用意である。

 既に、足下まで来ている輩がいなければ、という前置きは必要だが。

 

【グ、ガッ!?】

 

 空に飛び立とうとしたヤタガラスだが、その動きが僅かに鈍る。

 ヤタガラスが即座に視線を向けた足下には、コックマーとテッソがいた。それも二十メートル級の大型個体ではなく、一〜二メートル程度の小型個体が何百匹も。

 無論怪獣とはいえ人間と大差ない大きさの生物の力など、ヤタガラスからすれば虫けら同然だ。しかしその虫けらが何百と集まり、互いに食い合う事もなく一致団結して群がれば、力と重さで動きを阻むぐらいは出来るのだ。

 とはいえ所詮虫けら。どれだけ群れようとヤタガラスの意識を一瞬引き寄せるのが精々。ヤタガラスが苛立って攻撃してくれば『足止め』という意味では最良なのだが、ヤタガラスもそこは見抜いている。一瞥しただけで終わらせ、再び空に向かおうとした。それが出来るという自信がヤタガラスにはあり、そして実際可能なのだろう。

 だが、最良ではなくともテッソ達はほんの一瞬足止めする事が出来た。

 そのほんの一瞬の間に、怪獣ガマスルが三体ヤタガラスに迫っている! 迫るガマスルの大きさは約七十メートル。巨大であるが、しかしこのガマスル三体でもヤタガラスのパワーには敵うまい。

 ガマスル達もまともに戦うつもりはなかった。その代わりにしたのは、何百メートルと伸びる尾を繰り出す事!

 

【グ、グガァ……!】

 

 ヤタガラスが気付いた時には既に遅く、ガマスルの細長い尾が翼に巻き付く。ヤタガラスはなんとか翼を羽ばたかせるが、巻き付いたガマスルの尾が邪魔をして、普段ほど早くは動かせていない。

 それでもヤタガラスには自分の身体を浮かばせるだけでなく、尾を巻き付けた三匹のガマスルを引きずるほどの力が余っていたが……流石に動きはかなり鈍る。そしてこの鈍った動きこそ怪獣大軍団が待っていたもの。

 

【ホオアアッ!】

 

【ホゥオウオウオウオウッ!】

 

 猛々しい咆哮と共に駆け寄るのはレッドフェイスの群れ。彼等は力強く跳躍し、低空に引き留められたヤタガラスに飛び掛かった!

 一匹が翼に、一匹が脚に、一匹が背中に……続々とレッドフェイス達はヤタガラスにしがみつく。五本指でがっちりと羽根などを掴み、簡単には落とされないという意思を見せる。

 

【ガァアゴオオオッ! グガアァッ!】

 

 次々とやってくるレッドフェイス達を力で振り解くヤタガラスであるが、集まってくるレッドフェイスの数の方が多い。群がるレッドフェイスによりヤタガラスの頭以外が埋まると、流石にもうヤタガラスも羽ばたけない。

 ついに、ヤタガラスが墜落する。

 

【ガ……グガ……!】

 

 大地に落とされ、ヤタガラスは怒りを露わにする。されどどれだけ怒ろうがレッドフェイスは決して離れない。

 更に続々と新たな怪獣が集まり、ヤタガラスの上に乗ろうとしてくる。ヤタガラスは蹴り上げ、翼を振るって蹴散らすも、多勢に無勢とはこの事。あっという間に怪獣達の山に埋められてしまう。

 ヤタガラスが埋もれても、怪獣達の大集結は止まらない。いや、むしろここからが本番なのだろうか。怪獣達は数の力で生き埋めにする事で、ヤタガラスを窒息させる作戦かも知れない。いくら光子フィールドが核兵器すら耐えても、窒息まではどうにもなるまい。例え攻撃力が足りずとも、ヤタガラスを倒す術はあるのだ。

 やがてヤタガラスの上(だと思われる。もうヤタガラスの姿は外からは見えない)に数百メートルはあろうかという怪獣の山が積み上がる。しばしの間はもごもごと怪獣の山は動いていたが、やがて動きはなくなってしまう。

 

「まさか……」

 

「問題ないわ、百合子」

 

 戦いの行く末を離れた場所に浮かぶヘリコプターの中から見ていた百合子は、最悪の『まさか』を考えて震える。しかし真綾の言葉がその不安を取り除いた。

 

「ヤタガラスは海中に数日間沈んだ状態から復活した事があるのよ。この程度の酸欠、なんら問題ないわ」

 

 怪獣達の作戦を根底から否定する言葉によって。

 まるでその言葉に呼応するかの如く、ヤタガラスの上に出来上がった山が再び動く。

 山を作る怪獣達は必死に抑え込もうとする、が、山の動きは止まらない。それどころか徐々に動きは大きくなり、群がった怪獣達は明らかに浮かされている。

 怪獣達は必死の形相を浮かべた。なんとしても押さえ付けようとしている。だが、無意味だ。

 真の怪獣は、既に全ての準備を終えていた。

 

【グガアアアアゴオオオオオオオオッ!】

 

 ヤタガラスの絶叫と共に、怪獣達の山は吹き飛ばされた!

 吹き飛ばしたヤタガラスは空高く飛び上がる。よく見れば翼の下側……風切羽と呼ばれる羽根の末端から無数の光が伸びていた。どうやらレーザーを翼の後方から撃ち、ジェットエンジンのように推進力を得て加速したらしい。

 自分を押さえ付けていた輩を投げ飛ばすと、ヤタガラスは一気に五百メートル近い高さまで飛び上がる。折角作った山を崩されて、今や怪獣達は地べたに這いずるばかり。ヤタガラスに見下されていると気付いた怪獣の何体かが慌てて逃げ出すが……ヤタガラスはそれを許すつもりなどないようだ。

 翼を大きく広げたヤタガラス。するとその翼全体が、煌々と輝き始めた。元々ヤタガラスの身体は虹色に輝いているが、此度の光は明らかにその比ではない。まるで、レーザーを放つ時のような――――

 恐らく、ここで全ての怪獣達は気付いた。尤も、気付くのが早かろうが遅かろうが、なんの意味もない。

 ヤタガラスの翼から降り注ぐ、雨よりも濃密な無数のレーザー光線から逃れる術などないのだから。

 

【ホ、ホブギャッ!?】

 

【ギャキィンッ】

 

【チュ、ヂュブジュ!】

 

 降り注ぐレーザーを浴び、怪獣達が次々と弾け飛ぶ。何十どころか何千という数の光が絶え間なく降り注ぎ、地上を這うあらゆる命を消し飛ばす。

 自慢の足で、或いは仲間を囮にするように転ばせて、逃げる怪獣もいた。だが無意味だ。地平線までの距離は高ければ高いほど遠くなる。人間の身長程度でも四〜五キロはあるのだ。五百メートルもの高さまで飛んだヤタガラスが認識出来る地平線は、数十キロはあるたろう。如何に怪獣が素早くとも、数秒でその先まで逃げるなんて出来ない。

 ヤタガラスの翼からレーザーの雨が放たれていた時間は、ほんの数十秒。

 しかしその数十秒であらゆる怪獣が爆散し、地上は血と炎と肉片で染め上げられる。命の気配は一瞬で失われ、周囲何十キロもの範囲が焦土よりも悲惨な状態に化してしまう。

 やがてヤタガラスはレーザー連射を止め、地上へと降下。着地時に僅かながら地面が歪んだのは、高熱により大地が溶解したのか。しかし光子フィールドに守られているヤタガラスは、灼熱の大地に苦もなく立ち続ける。

 

【グガアアアアゴオオオオオオオオオッ!】

 

 世界中に響き渡りそうなほど大きな咆哮を上げるヤタガラスの身体には、傷一つ付いていなかった。

 大したダメージも負わず、数千数万の怪獣すらも一瞬にして滅ぼす力。それを神の力と呼ばず、なんと称すれば良いのか。遠目で見ていた百合子は、もう笑うしかなかった。

 茜さえも、口許を引き攣らせながら笑っていた。

 

「……ははっ。私達人間って、こんな化け物にケンカ売ろうとしてたんだ。なんつーか、馬鹿というより、間抜け?」

 

「一瞬でも勝てると思っていたのが恥ずかしくなりますね……」

 

「うん。ほんと……ああ、でも、()()()()

 

 ぽつりと、茜の口から漏れた言葉。

 百合子は驚きから思わず茜の方を振り向く。しかしその言葉に一番驚いたのは、どうやら茜自身のようだった。彼女は大きく目を見開き、パクパクと口を喘がせる。

 そして茜は、静かに俯いてしまった。

 

「……………」

 

 百合子は声を掛けようとして、けれども寸前になってその言葉を引っ込める。

 宇宙怪獣マレビドスに対抗出来るのはヤタガラスだけ。

 だからヤタガラスが怪獣軍団を撃退するのは『良い』事だ。もしもヤタガラスが負けたなら、地球はマレビドスに支配され……どんな事になるかは分からないが……恐らくろくな状況にならないだろうから。

 けれども茜にとってヤタガラスは姉の仇。その仇が無事な事を喜ぶのは、()()()()()()()()()

 ……結局のところ、人間の復讐心なんてものは個人の感傷に過ぎず、世界の巡り方にはなんの関係もないというだけ。『世界』と人間は、決して同じ立場ではないという、当たり前の話だ。けれども人間はそれを受け入れられないし、すんなりと受け入れてしまう者は、些か人間味が欠けるというもの。大体世界のために私情を捨てろというのは、果たして正しい事なのか。

 外野がどうこう言える話ではないし、どう考えるのが正しいと言えるものでもない。茜なりの答えを茜自身が見付けるしかないのだ。

 口を閉ざした百合子は、茜から顔を逸らす。とはいえ百合子もまた人間。不合理だとは自覚するところだが、自分の沈黙に居心地の悪さを感じてしまう。

 その気持ちから逃げるように、真綾に話し掛ける事とした。

 

「ヤタガラス、勝てましたね」

 

「正直安堵したわ。アレが勝てなきゃ、比喩でなく宇宙生物に地球が侵略されるところだった訳だし」

 

「……ところで、今になって気になったのですが、どうやってヤタガラスは海中で息をしていたんですか? 今回も怪獣団子をやられた時も窒息自体はしていたと思うのですが」

 

「さぁ? 現在有力なのは、光エネルギーで水を分解して酸素を得ているという説ね。植物が光合成の時にやってるプロセスの一部と同じ。案外光合成ぐらいなら出来るかも」

 

 仮説だけどね、と言いながら真綾は肩を竦める。

 今回怪獣達が仕掛けた窒息作戦も、ヤタガラスからすれば克服可能な環境だったのだろうか。とはいえ此処は海ではなく地上であり、窒息も空気を『物質』で押し出すもの。周りには空気だけでなく水もない。

 だとすると、体内の水分を分解して酸素を得たのだろうか?

 生物体の水分というのは、例えば人間が汗という形でだらだらと流せるように、健康体なら多少の余裕があるもの。しかし使い過ぎれば当然脱水に陥り、命に関わる。

 地上に降りて勝利の咆哮を上げた後、ヤタガラスが苦しそうに項垂れているのはそれが理由か。

 

【……グガアァァァァァ……!】

 

 呻くような鳴き声を上げた後、ヤタガラスは再び飛び上がる。

 ただしその飛ぶ方角は、怪獣大軍団と接触する前まで進んでいた方……マレビドスが逃げた方角ではなく、ほぼ直角な別方向だったが。

 

「あれっ!? ど、何処に向かうのでしょうか……」

 

「さぁてね。多分湖とか川がじゃないかしら? さっきの様子だと相当消耗していたみたいだし」

 

 真綾の淡々とした物言いに、僅かに込み上がっていた百合子の不安が晴れる。マレビドスから逃げたのではなく、体力回復のために水を飲むのなら、まだヤタガラスは戦うつもりなのだ……無論、水を飲んだ後に飽きて帰るという可能性もあるが。

 

「博士。ヤタガラスを追いますか?」

 

「……いえ、ヤタガラスが目指していた方角にしましょ。ヤタガラスがマレビドスを追うなら、その方角に進めば何時か合流出来る。念のためレーダーはこまめに見てね」

 

「了解」

 

 パイロットの質問に真綾はそう答え、パイロットは指示通りにヘリコプターを飛ばす。

 怪獣達はマレビドスに操られ、ヤタガラス目指して進んでいる筈。最終的に合流予定とはいえ、現時点で別行動を取っているのなら、しばらくは襲われたり戦いに巻き込まれたりする事はない。

 しばしの安息だ。百合子は、自分が何かした訳ではないのだが、妙に疲れた気がして息を吐く。少しの間気を休める事が出来そうだ。茜も考える時間を得られて、考えが纏まるかは兎も角、少しは気持ちの整理が付くだろう。

 一つ、気になる事があるとすれば。

 

「(真綾さん、なんか難しい顔してますね……?)」

 

 ヤタガラスの勝利を目にした親友の表情が、何故か優れない点だけだ……



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読めない思惑

 ヘリコプターのプロペラ音が、機体の中にいる百合子達の鼓膜を震わせる。

 中の防音性もあるが、もう何時間も乗っていて音に慣れたのもあるだろう。単調なプロペラ音に今や不快感はなく、むしろ眠気を誘うメロディーとなっていた。

 ヤタガラスが何処か ― 川や湖に向かったと思われるが所詮推論に過ぎない ― に行った後、特段動きは起きていない。精々、ヤタガラスを目指しているであろう怪獣の群れを何度か目にした程度か。こんなヘリコプター一機では怪獣に襲われたら一溜まりもないが、怪獣達は百合子達が乗るヘリには見向きもせず。どうやらマレビドスの指示に「ヘリコプターを落とせ」はないようで、行程は極めて安全なものだった。

 環境だけでいえば居心地は悪くない。昼寝でもしたくなる状況だ……普段ならば。

 

「(な、なんか空気が悪い……)」

 

 しかしそんな気が起きないぐらい、百合子の周りの雰囲気は良くなかった。

 良くないといっても、嫌悪という訳ではない。ただ、茜は俯いてばかりで、真綾は何やら真剣に考え込んでいるのかチリチリとした雰囲気なのである。ヘリのパイロットも、ここで居眠りなどしたら全員であの世行きなので、しっかり気を引き締めている様子。

 女子高生時代なら兎も角、社会人となった今、この状況下でぐーすか寝るのは少々憚られるだろう。真綾も茜もそれを気にする性格ではないが、百合子は(他人がやるのは構わないが)気にする性質なのだ。

 なので百合子は居眠りも出来ない。いや、居眠りしたい訳ではないので、眠れなくてもなんの問題もないのだが……起きていると沈黙が辛い。

 誰かと話したくて堪らなくなった百合子は、真綾に声を掛けてみる。

 

「ま、真綾さんっ。あの、えと……」

 

「ん? なぁに?」

 

「え、えーっと、いや、先程から何か考えているみたいでして……何を考えているのかなーと」

 

 『考えなし』に話し掛けた百合子は、問われて混乱のあまり、衝動的にそんな質問をしてしまう。とはいえ真綾はそれに怪訝な表情を浮かべたりしない。淡々と、訊かれた事に答える。

 

「ちょっとね、マレビドスの思惑について考えていたわ」

 

「思惑、ですか?」

 

「そう。なんでマレビドスの奴は、ヤタガラスから逃げ回るのか……その理由を考えていたの」

 

 真綾の考えに、百合子は首を傾げる。

 ヤタガラスとマレビドスの戦いは、互角ではあるもののヤタガラスが押していたと百合子は感じている。地上戦ではヤタガラスがやや不利だったようにも見えたが最終的に逆転しているし、空中戦に至ってはかなり一方的な戦いだった。恐らくそのまま戦えば、どちらの戦いでもヤタガラスが勝利していただろう。

 人間のようにプライドがあるなら兎も角、怪獣(動物)にそんなものはあるまい。だから形勢を立て直すために、或いは敵わないと悟って逃げ出すのは、不思議な行動ではない筈だ。

 

「えっと、それの何がおかしいのでしょうか? 私達が見たどの戦いでもマレビドスが負けそうになっていたのですから、逃げるのは当然かと」

 

「逃げ方がおかしいのよ。いえ、戦い方そのものと言うべきかも知れないわ。怪獣を自由に操れるのに、どうしてマレビドスはその怪獣達と共に戦わず、逃げているのかしら? チームで挑めば、恐らくヤタガラスをかなり追い詰める事が出来る筈なのに……」

 

「はぁ……そうかもですけど、でも怪獣ですし、単にチームで戦うと考えるだけの知能がないだけでは?」

 

「いいえ、そんな筈はない。さっき、怪獣達がヤタガラスに窒息作戦を敢行したでしょ? どうして怪獣達はヤタガラスに()()()()()()()()()って知ってたのかしら?」

 

 尋ねられて、百合子は言葉に詰まる。言われてみれば確かにそうだ。人類の科学力を用いて、ようやくヤタガラスの防御力の高さは解明された。人類がこの宇宙で最高の知性だとは言わないが、しかし猿や犬の化け物よりは間違いなく賢いだろう。だから化け物達……地球の怪獣達は何故ヤタガラスが強いのか、理屈なんて知りようもない。

 にも拘らず怪獣達はがむしゃらな波状攻撃ではなく、大群による圧迫という『知的』な攻撃をしてきた。まるで光子フィールドの存在を理解しているかのように。

 ここから考えられる可能性は一つ……マレビドスが戦い方を教えたのだ。どんな方法を使ってかは分からないが、世界中の怪獣を操れるぐらいだ。テレパシー的な力で情報を伝えてもおかしくない。

 しかしそうなると、マレビドスはヤタガラスの能力の『対処法』……少なくとも原理を理解している事となる。自分と同じような能力だとしても、対処法を理解するにはそれなりの知能が必要だ。それを他者に伝えるならば尚更であろう。

 

「人間並とまでは言わないけど、マレビドスがかなり知能の高い怪獣なのは間違いない。なのにどうして仲間を頼らないのかしら? 仲間を頼るという発想がないにしても、戦力として見るぐらいはしそうなものじゃない」

 

「……そう、ですね。確かにそうかも……」

 

「まぁ、単純にそんな事考える余裕もなかったって可能性もあるけどね。百合子が言うように、私達が見てきた戦いはどれもヤタガラスが押していた訳だし」

 

 自らの意見に対し、否定的な可能性を言葉にする真綾。言い回しは如何にも飄々としているが、彼女の顔は強張ったまま。自分で言っときながら、楽観的な可能性は低いと思っているらしい。

 或いは、安心出来る要素がないと思っているのか。

 マレビドスについて、人間は何も知らない。宇宙から来たというのも推定でしかなく、細菌をバラ撒いたというのも真綾の推論だ。怪獣を操ってるというのも状況証拠からの予測。仮定に仮定を重ねたようなものばかりで、確かな事は何一つ分からない。

 ヤタガラスのような防御フィールドを展開しているという『情報』だって、ヤタガラスのレーザーを弾いた光景からの想像だ。もしかしたら単にマレビドスの皮膚が物凄く頑丈なだけなのかも知れない。

 

「……マレビドスって、一体どんな怪獣なのでしょうか」

 

 頭の中に湧き出す無数の疑問。自分が如何に何も知らないのかを思い知らされた気がした百合子は、思わずそんな呟きを漏らす。

 

「何よ、改まって。何か分からない事でもあった?」

 

「分からないと言いますか、何も知らないじゃないですか。ヤタガラスのレーザーも防ぐ丈夫さとか、触手から出したレーザーとか、原理も分からないでしょう?」

 

「ま、確かにね。そもそも本当にレーザーなのかも断言は出来ないし」

 

「え? レーザー以外に、あんな見た目の攻撃ってあるんですか?」

 

 百合子は物理学などに詳しい身ではない。ただ、マレビドスが触手から放っていた光線は、どう見てもレーザーだと思う。

 逆に、他にどんな攻撃ならばあのような光線が放てるのだろうか?

 

「例えば、ビームね」

 

 その答えとばかりに、真綾は語る。

 語るが、百合子には親友が何を言いたいのかよく分からず。思わず首を傾げてしまう。

 

「あの、ビームとレーザーって何が違うのですか? どっちも同じものだと思っていたのですけど」

 

「全然違うものよ。レーザーは光に指向性を持たせて放ったもの。対してビームは、粒子の運動と向きを揃えて撃ち出したものよ」

 

「……すみません。もっと簡単にお願いします」

 

「つまり、ビームってのは粒子ならなんでも良いの。水鉄砲みたいなものよ。電磁波ビームなんかもあるけど」

 

「はぁ……」

 

「ま、細かい違いは気にしないで良いわ。要するに別モンだって分かれば十分」

 

 結局百合子があまり分かっていない事を察したのか、そう言って説明を打ち切る真綾。申し訳ないと思う百合子だが、真綾の性格上、理解してないといけない情報はちゃんと説明してくれる。こうして流すという事は、話の本質とは無関係なのだろう。

 その考えは正しかったようで、以降の真綾の話を聞くのに、大した問題はなかった。

 

「果たして何を撃ってんだか。ヤタガラスのレーザーみたく、放射線をバラ撒くような奴じゃなければ良いんだけど」

 

「えっ。や、ヤタガラスのレーザーって、放射線を出してるんですか……?」

 

「正確には着弾時にね。ヤタガラスのレーザーが着弾すると、強力な光エネルギーで物質の原子核が崩壊して、その際に飛び出した中性子が周りの原子核を破壊するのよ。で、崩壊時に熱エネルギーが生成されて、それが水やらなんやらを気化させる形で爆発が起きてるんだけど、その時一緒に中性子線もバラ撒かれてる訳」

 

「つ、つまり、何度もレーザーを見てる私達って、がっつり被爆してるんじゃ……」

 

「してるわよ。でも直ちに影響はない水準だから気にしなくていいわ。影響があるとすれば年取ってからだけど、こんな世の中じゃ六十とか七十まで生きられるか怪しいし」

 

 平然と答える真綾だが、百合子はそこまで割り切れない。一般人にとって放射線というのは、とても恐ろしいものなのだから。

 

「なんにせよ、マレビドスの攻撃をちゃんと観測をしないと確かな事は分からないわ。心配する気持ちも分かるけど、事実が判明するのに数年は掛かるでしょうね……それまで地球が地球生命のものであれば、の話だけど」

 

「笑えない事言わないでくださいよ」

 

「これもまた可能性の話よ。最悪は何時だって想定しておいた方が良いわ……ま、私はその最悪を乗り越えるつもりでいるけどね」

 

 ニッコリと、自信満々で不敵な笑みを浮かべる真綾。

 不安がっている自分を元気付けるため? 一瞬そう考えて、けれどもすぐにそれはないと百合子は気付く。真綾はそこを誤魔化すようなタイプではないのだ。悪い事があるなら悪いと言うし、良い事があるなら良いという。

 少なくとも親友に対して彼女は嘘を好まない。だから今の言葉は間違いなく本心からのものだ――――それを理解した百合子は、同じく不敵に笑い返す。

 次いで、ちらりと横目に見てみれば……茜がそっぽを向いていた。こちらから顔を隠すように。

 だけど百合子は見逃さない。茜の頬がほんのり弛んでいる事を。まるで今までの話を全部聞いていて、真綾の気持ちに気付いて自然と頬が弛み、悩んでいる手前それを隠そうとしているかのように。

 こういうのも難だが、子供のようで実に可愛らしい。何より、面白い。

 

「……ぷ、ぷくく」

 

「くくくく」

 

「……何さ二人とも、いきなり笑い出して」

 

「「べっつにぃー?」」

 

 百合子と真綾の声がハモる。するとみるみるうちに茜の顔色が赤くなった。怒りではなく、ちょっとした気恥ずかしさで。

 沈黙していた空気が一転して、賑やかなものへと変わる。

 その賑やかさは、百合子達の乗るヘリが荒れ果てた都市部に辿り着くまで、だらだらと続くのだった。



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決戦場

「なん、ですか……これ……」

 

 百合子達がヤタガラスの追跡、そして彼が向かっていたであろう方角に進み始めてから早数時間。太陽が沈んで茜色に染まる大地をヘリコプターから見下ろしていた百合子の口から、唖然とした声が出てくる。

 飛び続けていたヘリコプターが辿り着いたのは、とある『都市』。いや、だった、という過去形を付けるべきだろうか。そこは見るも無残な姿となっていたのだから。

 多くのビルが倒れ、瓦礫の山と化している。かつて多くの車両が走っていたであろう道は瓦礫で埋まり、恐らく陸路では、ただの人間だと奥まで進む事は出来ない。残っているビルも少なくないが、それらのビルの壁面には無数のツル植物が茂り、緑色に染め上げていた。

 当然ながら人気は全くない。それどころか動物の姿も気配もない有り様だ。これだけ荒廃していればクマやタヌキなどの獣がいそうであるし、鳥や虫なら人間が暮らしていても見られる筈。上空高くから見下ろしているのにそうした生き物が全く見付からないのは、奇妙さと同時に不気味さを感じさせる。

 この都市は何かが奇妙だ。いや、それ以前に此処は何処なのか。

 

「此処、何処かしら?」

 

「座標から判断するに、東京と思われます」

 

 百合子の抱いたそんな疑問(傍に座る茜も困惑した表情を浮かべているので同じ気持ちだろう)を真綾も抱いたらしく、ヘリの操縦士に訊いたところそんな答えが返ってくる。

 真綾はその答えに「あー東京なのね」と大した感情もなく答えたが、百合子と茜はそう簡単に割り切れない。二人は大きく目を見開き、百合子よりも早く我を取り戻した茜が動揺した口振りで問い詰めた。

 

「と、東京って、どういう事!?」

 

「どうもこうもそのままの意味よ。かつての日本の首都、東京。東京って言っても広いんだから、怪獣に破壊された場所だってあるわよ。この破壊の規模だと相当大きな怪獣が暴れたっぽいから、撃退出来なくても不思議じゃないし」

 

「それは、そう、だけど……」

 

 真綾に淡々と言い返され、茜は言葉を失ったように黙る。百合子としても何も言えない。確かに東京と一言でいっても、色んな地域がある。怪獣は首都だろうがなんだろうが構わず襲うから、東京で暴れ回っていてもなんらおかしくない。そしてその後破壊された都市が放置されているのも、今の日本の惨状を思えば致し方ないだろう。

 理屈の上では真綾の言う通りだ。けれどもそれだけで納得出来るほど、人間というのは合理的な生き物ではない。自分の国の首都、最も発展した都市が壊滅している姿を見るのは、精神的な動揺を誘った。

 百合子は一度深呼吸を行う。吐息の熱が外へと出れば、乱れた気持ちも少しは落ち着く。ここで自分が慌てふためいたり狼狽したりしたところで、起きてしまった現実は何も変わらないのだ。

 それよりも気にすべき事が別にある。

 

「……ヤタガラスは、此処を目指していたのですよね?」

 

 百合子達は、何も廃墟と化した東京の観光に来たのではない。ヤタガラスが目指している場所に先回りするべく進んだ結果、此処に辿り着いたのだ。

 そしてヤタガラスが目指しているのは、宇宙怪獣マレビドス。

 だとすれば、もしかすると此処にいるのかも知れない。地球の怪獣の殆どを自由に操れる、宇宙からの脅威が――――百合子の懸念を肯定するように、真綾はこくりと頷いた。

 

「ええ。あくまで発信機が示してるルートからの予測だけど、恐らく此処で間違いないわね」

 

「なら、いるんだね。あの宇宙怪獣が」

 

「その可能性が高いわ。さて、万一遭遇したらどうなる事か。なんやかんや私らが遭遇した時は何時もヤタガラスがいたから、そっちに気を取られてこちらへの反応とか皆無なのよね。だからどうなるか予想も出来ない。もしかしたら、こっちを見付けるやあの触手で襲い掛かってくるかもね」

 

 落ち着き払った口振りで、恐ろしい可能性を言葉にする真綾。もしマレビドスに襲われたらどうなるかなど、説明されずとも想像が付く。百合子と茜はぶるりと背筋を震わせる。

 話を聞いていたヘリコプターの操縦士も恐怖心が込み上がったらしく、身体を僅かに身動ぎさせた。とはいえ流石は元自衛隊員。メンタルは百合子達よりも遥かに丈夫なのか、はたまた最初からその可能性は織り込み済みか。恐らく両方の理由で平静を保つ。

 尤も、そんな彼でも――――ヘリコプターの真横を横切るように空から巨影が現れた時には、跳ねるように身体を震わせたが。当然百合子達はそれ以上に動揺し、百合子と茜は悲鳴を上げてしまう。

 

「きゃああああああっ!?」

 

「ひぁっ!? や、ヤタガラス!?」

 

「いえ、違います! これは――――」

 

 混乱する百合子達の叫びに答えたのは操縦士。

 ヤタガラスではないという事は……百合子の頭を過る無意識の考え。それが確信に変わったのは、本能的に窓から地上を覗いた時。

 ヘリコプターの真下に広がる廃墟に、緑色に光り輝くものが佇む。

 体長凡そ五十メートル。傘のような巨体と、その下から生える三角形の身体と六本の触手。そして下側に生える身体に備わる一つ目……数時間前に見たものとなんら変わらない姿がそこにあった。

 マレビドスだ。

 空から降りてきたマレビドスは、そのまま廃墟の上に着地。すれすれの低空を飛ぶのではなく、瓦礫を砕いていたので間違いなく地面に降りている。触手からも力を抜き、だらんと垂れ下がらせた。百合子の勝手な推測であるが、休憩中らしい。

 しかし眠っている訳ではなく、百合子達が乗るヘリコプターを、マレビドスはその一つ目でじっと見ていたが。

 

【……ピルルルルルルル……】

 

 唸っているのか、はたまたただの吐息か。意図が理解出来ないからこそ、マレビドスの声に百合子は背筋が凍る想いになる。

 幸いにしてマレビドスが百合子達の乗るヘリに襲い掛かる事はない。しばし見ていたが、その視線もやがて逸らされた。

 どうやらマレビドスは百合子達(正確には乗っているヘリコプターの方だが)にあまり興味がないらしい。ヤタガラス並の怪獣に攻撃されたらヘリなんて一溜りもないので、興味を持たれたかった訳ではないが……攻撃されないとそれはそれで百合子的には気になる。

 単なる気紛れか、なんらかの理由があるのか。一般人に過ぎない百合子がどれだけ考えても答えは出てこない。だが、怪獣研究の専門家ならば何か分かるかも知れない。

 

「襲い掛かって、きませんね……真綾さん」

 

 百合子は親友に、それとなく話を振る。

 ところが真綾は中々話し出さない。マレビドスの真意について考察してるのか、と思う百合子だったが……あまりにも反応がない。真綾の性格的に、分からないなら分からないとちゃんと答える筈なのに。

 何かがおかしい。茜もそれを思ったようで、百合子と自然に目を合わせる。勿論それで答えが得られる訳もないので、百合子は恐る恐る真綾の肩を指で突いた。

 

「はっ! 気を失っていたわ」

 

 すると真綾は即座に理由を口走り、百合子と茜を脱力させる。ついでに操縦士も。

 

「……そういやアンタ、高校時代にコックマーと鉢合わせた時も腰が抜けていたよね」

 

「あら、懐かしい思い出ね。そうねぇ、昔から頭でっかちで、いざって時に役立たずなのよねぇ私」

 

「自虐されても反応に困るのですが……」

 

 ふざけているのか真面目なのか。いまいち判別が付かない反応に困りつつ、百合子はこほんと咳払い一つ。改めて、真綾に尋ねる。

 

「あの、真綾さん。マレビドスなのですけど……」

 

「うん、襲ってこないわね。どうやら私達を餌とか敵とは思ってないらしいわ。だとすると、侵略兵器ではなさそうね」

 

「え? ……あー、そっか。侵略者なら兵器かも知れない奴を野放しにしちゃ駄目か」

 

「その通り。敵陣地なのは間違いないんだから、とりあえず目に付くものは攻撃しとけば良いのよ。でもそうしないって事は、少なくとも効率的な侵略をしようとは考えていないのでしょうね」

 

 真綾の推論に百合子は成程と思い頷く。とはいえ、そうなると今度は何故マレビドスが地球に来たのかが分からない。それに怪獣化を引き起こしたのは何故なのか。単純に身体の中の細菌が漏れた結果なのか、それともなんらかの意図が……

 真綾とて「侵略兵器じゃない」という半端な答えでは納得するまい。何か可能性を閃いていないか、もしそうなら推論でも構わないから教えてほしい。

 故に問おうとした百合子であるが、その声は出す前に途切れた。

 

【グガアアアアアアアアゴオオオオオオオオオオオオオオォ!】

 

 空高くから、ヘリコプターを震わせる雄叫びが轟いたがために。

 この星の命運を賭けた戦いが、いよいよ始まろうとしていた……



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最後の激突

 誰もが思わず空を見る。人間のみならず、マレビドスさえも。

 しかし人間の目には、空を仰いでも声の主の姿は見付からない。夕刻で空が暗くなっている所為か、どれだけ凝視しても影も輪郭も捉えられない。だが先の大声があるのだ。間違いなく『奴』は空にいる。

 その予想が正解だと語るのは、茜色の空に突如現れた閃光。

 

「ま、不味い! 退避します!」

 

 ヘリの操縦士はそう叫ぶや、真綾の許可も得ずに機体を全速力で後退させる。

 直後、落雷を彷彿とさせる光が空から落ちてきた! 轟音も響き渡り、ヘリコプターの機体を震わせる。

 だがそれは雷ではない。雷は直進しないし、何より何秒にも渡って続くものではないのだから。

 レーザー光線だ。人類では到底敵わない、圧倒的破壊力を宿した破滅の光。狙いは極めて正確で、マレビドスの身体目掛けて飛んでいく。

 光の速さで迫るレーザーはマレビドスの身体を直撃。されどマレビドスの身体にも防御フィールド(あると考えねばならないほど優れた防御力)が存在する。直撃したレーザーは四方八方に飛び散り、辛うじて倒れていないビルや瓦礫に命中して爆発を起こす。マレビドスの身体には届かない。

 ダメージを受けていないマレビドスは、六本の触手を空に向けた。触手の先端は煌々と光を放ち始め……六本のレーザーを撃つ。

 マレビドスの放つレーザーは、空から降り注ぐ光線の元へと飛んでいき――――命中を示すように、空で一際強く光を放った。

 

【グガアアゴオオオオオオオオオオッ!】

 

 されど空の怪獣は墜ちず。

 咆哮と共に空から黒い影が、翼を広げたヤタガラスが飛んでくる! レーザーは未だ嘴の先から放たれたまま。そして目指す先にいるのはマレビドス。

 マレビドスはヤタガラスの意図に気付いたのか、触手からのレーザーを強める。だがヤタガラスは止まらない。そのまま一直線に、マレビドスのレーザーを翼で切り裂きながら降下。

 減速なんてしないまま、ヤタガラスは体当たりをマレビドスに喰らわせる!

 

【ピルルリルルッ……!】

 

 体当たりの衝撃でマレビドスが体勢を崩す。転倒まではいかないが、大きく傾いた身体では反撃など出来まい。

 その隙を突いて、ヤタガラスはぐるんと回転して回し蹴りを放つ! 巨大な傘部分に足蹴を受けて、マレビドスは大きく吹き飛ばされた。傾いたビルに激突し、瓦礫と粉塵を撒き散らす。

 ただの怪獣ならばこれだけでしばらく再起不能になりそうだが、しかしマレビドスはヤタガラスに匹敵する化け物。この程度では僅かに怯むだけ。

 

【ピルァ!】

 

 触手を三本伸ばし、マレビドスはヤタガラスの翼を掴んだ。ヤタガラスは羽ばたいて暴れるが、マレビドスの触手は離そうとしない。

 それどころか渾身の力を込めて、ヤタガラスを大きく投げ飛ばす!

 投げられたヤタガラスは大地の上を転がった。瓦礫を吹き飛ばし、道路を残骸へと変えていく。しかしヤタガラスは怯まない。素早く羽ばたいて体勢を立て直すや、ヤタガラスは両翼の先からレーザーを二本撃つ!

 マレビドスはレーザーを受け、反動からか少しだけ後退り。その僅かな間にヤタガラスは大地を蹴り、前に向けて飛び立った。

 二度目の突進。

 今度は頭から突っ込み、強烈な頭突きをマレビドスに喰らわせた。マレビドスは大きく後退する、が、自分だけが転んてなるものかと言わんばかりに触手を伸ばす。巻き付いたのはヤタガラスの足。僅かにヤタガラスの顔が引き攣ったが、対処は間に合わない。

 

【ピルルルッ!?】

 

【グギャガァッ!?】

 

 マレビドスが転倒するのと共に、ヤタガラスの足が引っ張られる。二体はほぼ同時に転ぶ格好となった。

 どちらもこの体勢は不味いと判断したのか。起き上がり、下がるのを優先。両者が同じ判断をした結果、一気に二百〜三百メートルほどの距離を開ける。

 互いに睨み合うヤタガラスとマレビドス。互角の戦いを繰り広げた二体には、少なくとも今は退くつもりなどないらしい。ここまでの戦いを見ていた百合子はそう感じた。

 しかしヤタガラスの方は、一旦退かねば不味いのではないかとも思う。

 

「(そろそろ日が沈みます……!)」

 

 空は暗く、地平線の茜色も黒ずんできた。恐らくあと十数分で完全な夜が訪れるだろう。

 ヤタガラスの光子フィールドやレーザー攻撃のエネルギー源は、全身の羽根に取り込んだ光だ。その光の源は様々だが、一番はやはり太陽光だろう。

 夜を迎えたヤタガラスの身体からは、光子フィールドが消滅ないし薄れる。それは人間側が行った駆除作戦からも明らかだ。夜になるとヤタガラスの力は大きく落ちてしまう。それこそ人間やただの怪獣でも、多少なりとダメージを与えられるほどに。

 マレビドスも光子フィールドを纏っているのなら、条件は五分だろう。しかしもしも光子フィールドとは違う、別種の防御方法を採用していたならば、夜になっても力が衰えないのではないか……

 百合子が抱く懸念。されどその懸念を吹き飛ばすように、ヤタガラスが『変化』する。

 自らの身体を、眩く光らせる事で。

 

「あれは――――」

 

「ヤバい! 全速後退!」

 

 百合子がその輝きについて触れる前に、真綾が指示を出す。操縦士はその言葉に従って後退し、ヤタガラス達の姿はどんどん遠くなる。無論その分戦いの様子は見難くなるが、致し方ない。

 ヤタガラスが放つあの輝き方は、恐らく以前ユミルと人類相手に見せたもの。触れたものを尽く消し去る、消滅の光だ。

 

「あ、あ、ぁ……!」

 

 その印象が正しい事は、恐怖に引き攣った茜の顔と声も物語る。

 百合子は怯える茜を抱き寄せつつ、ヤタガラスを見遣った。こちらの事など気にも留めず、光を放ち続けるヤタガラス。光はどんどん強くなり、太陽すらも超えていく。

 やがてヤタガラスの周りにある瓦礫達が、塵のように砕けて消えた。

 思った通り、ユミル相手に見せた力と同じものだ。触れたもの全てを消し去る光。さながらファンタジーが如く一方的な技だが……科学者である真綾は現実的な解釈を行えたらしい。淡々と語り出す。

 

「成程……光分解ね。論文は読んだけど、こうして目にすると非常識さが分かるってものね」

 

「光分解?」

 

「強い光エネルギーが分子の結合をぶっ壊して起きる現象よ。日の当たる場所にものを置いてると、色が変わったり脆くなったりするでしょ? あれは紫外線によって分子構造が壊された結果。ヤタガラスの光エネルギーはあまりにも強過ぎて、触れた瞬間に何もかもが分解されるのよ」

 

 真綾が語る理屈に、百合子は納得するように頷く。尤も、細かな理屈や非常識さをここで理解する必要はないだろう。要するに、比喩でなく本当に触れたらアウトという事だ。

 恐らく、人間の力では真似すら出来ない必殺技。これにはマレビドスもたじたじなのではないか……地球の生命である百合子としてはそう期待する。

 だが、『怪獣』マレビドスは人間の淡い希望など汲んではくれない。

 ヤタガラスが放つ強烈な光を僅か数百メートル先で受けながら、マレビドスは平然としていた。消滅する様子どころか、苦しんだり抵抗したりする仕草もない。それぐらいの攻撃、端から想定内だと言わんばかりに。

 しかし全く変化がなかった訳ではない。

 マレビドスはその身体から、()()を放つようになっていた。放つといっても攻撃している訳ではなく、四方八方に飛び散る形であるが。さながら高ぶらせた力を抑えきれず、溢れさせるように。

 あの電気がマレビドスの守りの正体なのだろうか――――素人である百合子でもそう思うぐらいだ。科学者の真綾は更に多くの事を理解しただろう。

 だからこそ、彼女はその目を大きく見開いて驚きを示す。

 

「まさか、アイツ発電能力を持ってるの!? だとしたら空を飛ぶのは磁気浮上で、触手から放っているのは荷電粒子ビーム……そんな馬鹿な、一体どれだけの強さがあれば……ううん、それよりも問題は……」

 

「あ、あの、真綾さん? どうしたのですか? マレビドスについて何か分かったのですか?」

 

「……ええ、分かったわ。ヤタガラスにとって非常に不味い事実が」

 

 百合子が恐る恐る尋ねると、真綾は落ち着いた……いや、達観したような声で答える。

 真綾の様子のおかしさに、ヤタガラスの姿に恐怖していた茜も困惑した目を向けた。真綾は自分の気持ちを落ち着かせるためか、深々と息を吐き、語り出す。

 

「恐らく、マレビドスは電気を生み出す力がある。ヤタガラスが光エネルギーを用いるようにね」

 

「電気、ですか?」

 

「そう。そしてマレビドスは電気の力でフィールドを展開している。強力な電磁波を展開してシールドのように振る舞わせているのよ。恐らくローレンツ力、磁気によって物体の軌道を捻じ曲げているんだわ。光エネルギーであるレーザーが届かないのは、強力な磁力で吸着された大気分子やイオンが壁のように展開されているからかしら」

 

 早口で、捲し立てるように語られる真綾の推論。難しい理屈は分からないが、どうやら電気の力でも防御フィールドを展開出来るらしい。

 しかしただ防御フィールドを展開出来るだけなら、条件はヤタガラスと互角の筈。ならば一体何がヤタガラスにとって不味いのか?

 

「宇宙空間では、常に防御フィールドを展開しないといけない。隕石や小さなゴミとかが超音速で飛び交っていて、守りを固めないといけないのがその理由。だからマレビドスは、宇宙空間では常に防御フィールドを展開してきた筈。そして宇宙の旅が一日二日で終わるとは思えない。何年も、何十年もフィールドを展開し続けている筈よ」

 

「……何十年も……」

 

「対してヤタガラスにその必要はない。地球上なら周期的に太陽光が降り注ぐんだから。なら、何日も光子フィールドを展開する力は必要ない。必要ないなら持たない方が得。だって無駄な力を持つぐらいなら、繁殖能力や飛行能力を強くした方が良いんだから。エネルギー効率的にね」

 

「……つまり、ヤタガラスのあの状態は……長続きしない?」

 

「確かな事は言えないけど、多分間違いないわ。長期戦になったら、ヤタガラスが負ける」

 

 断言する真綾。

 人間達が抱いた不安を余所に、第二ラウンドの開始を告げたのは、ヤタガラスの雄叫びだった。



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死闘

【ガアアアアアアッ!】

 

 咆哮と共に飛び立つヤタガラス。全身から放つ太陽光が如く輝きにより光の軌跡を残しながら、マレビドスに向けて直進する。さながら大空に向かって飛ぶ時のような、圧倒的な速さによる突撃だ。

 

【ピルルリルルリルルルル!】

 

 マレビドスもこれに臆さず立ち向かう。全身から稲妻を轟かせながら、六本の触手を広げた体勢で突進。真綾の予想通りならば磁気の力で浮かび、ヤタガラスに負けじ劣らずのスピードを出す。

 両者共に躱すという考えはないのか。猛烈な速度で飛んでいる二体は、そのまま正面から激突する!

 ぶつかり合った衝撃が広まり、瓦礫の山や朽ちたビルを崩す。だが怪獣二体は止まらない。激突時の反動で離れるどころかそのまま肉薄。取っ組み合いにもつれ込んだ二体は肉弾戦の応酬を始めた。

 

【グガァ! ガァッ! ガアァッ!】

 

 ヤタガラスは猛々しい叫びを上げながら、マレビドスを嘴で突く。いや、『突き刺す』という方が正確か。光り輝く嘴は、近付くだけで光分解を起こす状態だ。生半可な物質では防御すら出来ないだろう。

 しかしマレビドスはこれに耐える。嘴が当たる度にバチバチと電撃が迸るが、マレビドスの身体を覆う緑の発光は消えない。

 

【ピルリルルルルルル……!】

 

 ダメージがなければ反撃など造作もない。マレビドスは触手を伸ばし、ヤタガラスの顔面に絡み付かせた。

 マレビドスは顔面に絡ませた触手を大きく引き寄せるように動かし、ヤタガラスを横に薙ぎ倒す。ヤタガラスはその力を止めきれず、ごろごろと大地を転がされてしまう。

 ヤタガラスは翼を羽ばたかせながら体勢を立て直し、再びマレビドスと向き合う。しかし再突撃の前に、マレビドスの方が近付いてきた。

 

【ピルアァッ!】

 

 そしてマレビドスは束ねた触手で、ヤタガラスの顔面を殴り付ける!

 殴られたヤタガラスは大きく身体を傾けた。が、その勢いを利用して翼を力強く振るう!

 今度はマレビドスが、自分がヤタガラスを殴った時以上のパワーで打撃を受けた。マレビドスはヤタガラス以上に仰け反り、ごろんと後ろ向きに転がっていく。

 しかしマレビドスは触手を伸ばし、ヤタガラスの足に絡ませようとする。足を引っ張って転ばせるつもりだ。されどその技は以前見せたもの。ヤタガラスも何をされるか予想していたらしく、掴まれそうになった足を即座に上げて、空振りした触手を踏み付けた!

 

【ピルィッ!?】

 

【グガァゴオオッ!】

 

 掴むどころか踏まれてマレビドスが呻く。そして身体が僅かながら強張った隙にヤタガラスは跳躍しながら肉薄、マレビドスの顔面に両足で掴み掛かる。勿論ヤタガラスが飛べば踏み付け状態は解除されるが、取り戻した自由を生かして逃げる時間はない。

 ヤタガラスはマレビドスの顔面に肉薄し、鋭い足爪を突き立てて掴んだ。更にヤタガラスは足に力を込め、マレビドスの傘部分を握り潰そうとする。マレビドスの電磁フィールドはこれに耐えるが、しかし両足で掴まれて身動きが取れない。マレビドスは六本の触手をがむしゃらに動かしてヤタガラスを殴るが、ヤタガラスは微動だにせず。

 むしろダメ押しとばかりに、ヤタガラスはマレビドスの頭に噛み付く!

 ヤタガラスの嘴に歯など付いてない。されど怪獣の肉すら引き裂く顎の力は立派な武器だ。両足と顎、三つの力を加えられたマレビドスの頭が、僅かに歪み始めた。電磁フィールドの守りが、ヤタガラスの力に負け始めたのである。

 

【ピ、ルル、リル、ルリリ……!】

 

 圧迫される苦しみを示すように、マレビドスが呻く。身体を捻じり、触手を暴れさせて抵抗する。しかし足と顎の力で組み付くヤタガラスは、そんなものでは離れない。

 ならばとマレビドスは触手を伸ばし、ヤタガラスの身体のあちこち……翼や足、尾翼や首に押し付ける。

 全身を触手で触られたヤタガラスだが、それでも噛み付き圧迫攻撃を止めない。当然だろう。マレビドスは何時も触手を何本か束ねて攻撃していた。つまり触手一本の力では到底パワー不足だという事。その力を分散させてはヤタガラスを退かすなんて出来やしない。いや、そもそも押し付けるような触手の使い方ではダメージなど受けようがない。精々優しく突き飛ばす程度だが、マレビドスにヤタガラスを大事にしようなんて意図がある筈もなし。

 ならば一体何をするつもりか? 答えはすぐに明らかとなった。

 マレビドスの全身から迸る、ヤタガラスの輝きすらも掻き消すほどの稲妻によって。

 

【グガアァッ!?】

 

 マレビドスが全身から繰り出した電撃により、ヤタガラスは吹き飛ばされた。光子フィールドのみならず光分解の力で身を守っているにも拘らず、その衝撃を受け止めきれなかったのだ。電撃そのものも光り輝き、ヤタガラスの光子フィールドの糧となっている筈なのに。

 マレビドスが触手をヤタガラスの身体に押し付けたのは、触手からも放つ電撃で攻撃するためだったのだ。しかしながら核すら耐え抜くヤタガラスを押し退けるとは、凄まじい威力。恐らく並の怪獣ならば一秒と持たず、跡形もなく消えているだろう。

 当然周りのビルや瓦礫が耐えられる筈もない。ヤタガラスの体表面で弾け、拡散するように飛んでいった電撃の一つがビルに当たると、ビルの壁面がまるで塵のように粉々になって消し飛んだ。瓦礫の山など当たった瞬間に貫通し、そのまた向こうの、もっと奥の瓦礫も貫かれる。どれだけ大質量のコンクリートが行く手を阻もうと、雷撃は難なく突破していく。

 そしてビルを消し飛ばす電撃は、あくまでも命中後に拡散した余波に過ぎない。

 マレビドスは自らが放つ電撃を束ねて、ヤタガラスに向けて撃ち出した! 吹き飛ばされて仰向けになったヤタガラスは躱せず、雷撃は脇腹に命中。ヤタガラスは翼を広げ、足をバタつかせて踏ん張ろうとするが……力及ばず、押し出されるように地上を滑る。

 

【グ……グカ……グガアアアアアゴオオオオオオオオオオオオッ!】

 

 それでもヤタガラスの闘志は消えず。守りを固めるのではなく、両翼からレーザーを撃ち出す!

 放たれたレーザーはマレビドスの頭に命中。されどやはりレーザーは弾かれ、何処かに飛んでいくだけ。マレビドスは微動だにしない。

 ヤタガラスは電撃により何百メートルと飛ばされ、ついに廃ビルの一棟に激突。衝撃で崩れてきたビルがヤタガラスに降り注ぎ、その身体を生き埋めにする。今のヤタガラスは全身から強烈な光を発し、近付くもの全てを光分解するので、ビルの瓦礫は瞬く間に分解されて消滅した。だがヤタガラスや雷撃と触れなかった部分は消えず、爆音と共に粉塵を撒き散らす。ヤタガラスの姿は煙に塗れて見えなくなる。

 尤も、その時間は僅かなもの。煙を貫くほど強烈な光を放つや、ヤタガラスが翼を広げた体勢で飛び出してきた! 目指すはマレビドス。

 

【ピルルルルルルルルッ!】

 

 マレビドスはこれを触手六本分の電撃で迎え撃つ。

 マレビドスの電撃は多少曲がりながらも、ほぼ真っ直ぐに進んでいた。雷などが曲がるのは、空気分子にぶつかった際一度止まる事で起きている現象。しかしマレビドスの電撃はあまりにも出力が高い。電撃が空気分子を吹き飛ばしてしまい、結果真っ直ぐ飛ぶ……と人間の科学者なら説明するだろうか。

 それでも僅かながら曲がってしまうのだから、遠距離戦や高速戦闘では外れてしまう事も多いだろう。加えて威力の大きさからして、エネルギー消費も激しいに違いない。故にマレビドスはこれまで正確かつ高速、そして消耗の小さな光線を使っていたのだろう。しかし本気のぶつかり合いで手加減など無用。得意な地上戦に持ち込み、距離も詰めたところで必殺技を使った訳だ。

 

【グ……グ、ガアアアアアアアアアアアッ!】

 

 マレビドスが放った電撃を正面から受け、一瞬持ち堪えたものの、ヤタガラスは押し負けてしまう。大地を激しく転がり、衝撃で地上に地震が起きる。

 転がされた距離は、ざっと五百メートルほどだろうか。電撃が止まってもしばし転がり続けた後、広げた翼を手のようにして踏ん張りヤタガラスは止まったが……今まで即座に行っていた反撃がない。それどころか深く項垂れ、息を荒くしている。

 明らかにヤタガラスは消耗していた。

 核兵器ですらも耐え抜いた守りを、本来ならば更に強化してしまう光を放つ攻撃で追い詰める。マレビドスが地上戦に誘導しようとしたのも頷ける……マレビドスは地上での戦いならば、絶対的な自信があったのだ。初戦はヤタガラスに押されていたように見えたが、あんなのはただの様子見で、奥の手を隠していた。

 そしてもう、手加減はない。

 

【ピルルルルルル……】

 

 弱ったヤタガラスにマレビドスは少しずつ近付く。間違いなく優勢であるが、そのゆっくりとした接近の仕方に油断や余裕はない。むしろ強い警戒心を感じさせる。

 マレビドスは最後まで気を抜くつもりなどないという事だ。油断しているなら隙を突いて大きな一撃を与えられるかも知れないが、そうでないなら逆転は極めて難しい。

 地球最強の怪獣も、広い宇宙から見ればまだまだ格上がいるという事か。しかしヤタガラスはその現実を認めるつもりがないらしい。激しい闘志を露わにしながら、マレビドスを睨み付ける。翼を地面に付けた四つん這いの、勇ましさよりも弱々しさを感じさせる体勢でありながら、全身から放つ光はその強さを増していく。

 マレビドスはヤタガラスから少し離れた、仮にヤタガラスが破れかぶれの突撃を仕掛けても対処可能な距離で止まる。そしてその場で全身を覆う緑の光を強めていった。

 近付かず、遠くから止めを刺すつもりか。

 この一発で全てが決するとは限らない。だが決しなければ何度でもマレビドスは雷撃を放つだろう。ヤタガラスが力尽きるまで、いや、跡形もなくなるまで。

 

【ピィイイルルルルルルルルッ!】

 

 マレビドスは容赦のない攻撃を、弱りきったヤタガラスに向けて放った

 

【グガアァッ!】

 

 直後、ヤタガラスが自らの翼を交差させて構える!

 防御の体勢か。そう周りに思わせたのも束の間、今まで全身から放っていたヤタガラスの七色の輝きが失せた。

 ついに無敵の守りが消えてしまったのか。しかしそう思わせたのも一瞬の事に過ぎない。

 マレビドスの放った電撃はヤタガラスが構える翼に命中した――――直後、その攻撃が()()()()()()のだ! さながら鏡に反射するかのように!

 どうやらヤタガラスの方はまだ奥の手を隠していたようだ。跳ね返された電撃は、綺麗にマレビドスに返った訳ではない。幾つかに拡散し、殆どがマレビドスとは関係ない方に飛んでいく。だが一本だけはマレビドスの下に戻り、その身体をど真ん中から穿つ!

 

【ピルキィ!?】

 

 反射された雷撃を受けて、マレビドスは悲鳴と共に横転。さしもの宇宙怪獣も自分の攻撃が当たると痛いらしい。大きな呻きを上げてひっくり返る。

 見事一矢報いたヤタガラスであるが、こちらも無傷ではない。雷撃を受け止めた翼はぶすぶすと黒煙を上げ、羽根の縁がボロボロになっていた。マレビドスの攻撃を受ける直前、ヤタガラスの身体から七色の光が消えている。恐らく光子フィールドを解除したのだろう。反射攻撃を行うには光子フィールドが邪魔であるが、直接羽根が攻撃を受けるため負担も大きいに違いない。

 だからこそ今まで温存してきた訳だ。そして限界までタイミングを見計らった甲斐はあったらしい。

 

【グガアアアゴオオオオオオオッ!】

 

 傷付いた翼を羽ばたかせ、ヤタガラスは目の前の敵に突撃する!

 

【ピ、ルルッ――――】

 

【グガアァッ!】

 

 ヤタガラスの接近に気付き、起き上がろうとするマレビドス。だがヤタガラスの方が遥かに速く、マレビドスに肉薄した。そして全体重を乗せてマレビドスを押し倒す。

 倒れたマレビドスは慌てふためいたように暴れる。よく見てみれば、今までその身を包んでいた緑の輝きが酷く薄らいでいるではないか。

 どうやら自身の電撃は、電磁フィールドを破りこそしなかったが、相当大きなダメージを与えたらしい。あともう少し、大きな打撃を受けたら破れてしまうほどに。

 ヤタガラスは果たしてそれを見抜いたのか、はたまた単に怒り狂っているだけか――――恐らく後者だと思わせる激しい憤怒を撒き散らしながら、ヤタガラスはマレビドスの触手の一本に噛み付く! そのまま一気に身体を仰け反らせ……

 ぶしゅりと生々しい音を立てて、マレビドスの触手が千切れた!

 

【ピルルリィルルルルッ!?】

 

 触手の一本が千切られ、マレビドスが悲鳴を上げる。残り五本の触手をのたうち回らせているが、それはヤタガラスを押し退けるには足りない。

 今度は顔面に迫ってきた触手目掛け、ヤタガラスは喰らい付く! マレビドスの纏う光は徐々に強さを取り戻し、今度は身体を仰け反らせるだけでは切れない。ならばとヤタガラスはマレビドスを踏み付け、マレビドスを押し退けるようにしながら仰け反った。二つの力を合わせれば、あっという間に二本目の触手も千切れ飛ぶ。

 触手を失ったところで、致命的な傷ではないだろう。しかし六本のうち二本も失えば、攻撃の手は三分の二しか残らない。束ねて繰り出すパンチも最大威力が三分の二まで落ちる。格闘戦の戦闘能力が落ち、この後の戦いに大きく響くだろう。

 ヤタガラスも傷を負っているが、その身は再び光を放ち始めている。こちらは致命的な戦闘能力の低下を起こしていない。

 まだまだ戦いは続くだろうが、マレビドスの力は大きく落ちた。ここまでの地上戦ではマレビドスに分があったものの、三分の二まで落ちた戦闘能力では流石にヤタガラスに劣るだろう。ヤタガラスの勝利が大きく近付いたのは確かだ。

 このままヤタガラスが押し切れる。それが現実味を帯びてきた……そう感じたのはヤタガラスや人間達だけでなく、マレビドスも同じだろう。

 そして怪獣に、人間のようなプライドなんてない。

 

【ピ……ィイイイイキイイイイイイイイイイイイィイイイイッ!】

 

 だからマレビドスは一切の躊躇いなく叫ぶ。これまで何度も見せてきた、怪獣達を呼び集める雄叫びを。

 また怪獣を呼ぶつもりか。マレビドスの鳴き声からそれを察したのは、科学文明を操る人間達だけではない。何度もその光景を目にし、そして身を以てその『厄介さ』を体験したヤタガラスも同じだ。

 

【グァアア……!】

 

 ヤタガラスは押し倒していたマレビドスから一度離れる。追撃を諦める形であるが、背後などから不意打ちされるよりはマシとの判断か。次いで翼を広げながら、身構えるような体勢を取った。全方位を警戒する動きだ。

 最早奇襲は通じない。そう言わんばかりの反応だが、マレビドスはゆっくりと起き上がるだけ。諦めた様子や、逃げようという素振りは見られない。

 何かを企んでいるのか?

 誰もがマレビドスの真意を読めない中、マレビドスの背後から迫る影がある。視線を向けてみれば、それは二体の怪獣……ガマスルだと分かった。

 体長はどちらも凡そ八十メートル。人類にとっては絶望的な戦力であるものの、ヤタガラスにとってはレーザー一発で消し飛ばせる有象無象に過ぎない。いや、それ以前に今のヤタガラスは消滅の光を纏っているのだ。ガマスルでは触れる事すら叶うまい。

 勿論ちょろちょろと動き回り()()()()振る舞えば、それはそれでマレビドスへの援護になるだろう。しかしながら触手二本分の働きをしてくれることはあるまい。なのにどうしてマレビドスは、勝利を確信したかのように悠然としているのか。

 答えは、間もなく明らかとなった。

 

【ピルァッ!】

 

 マレビドスが力強く唸るや、一本の触手を伸ばす。

 ただし伸ばす先は、ヤタガラスではなく呼び寄せたガマスルの一体に向けてだが。

 

【ギョギアッ!?】

 

 マレビドスが振るう触手の先は針のように鋭い。ガマスルの皮膚を貫き、深々と突き刺さる。

 何故自分で呼び寄せた怪獣を、自分の味方になってくれる怪獣を、自分の手で傷付けるのか? ヤタガラスすら困惑した様子だが、マレビドスの行動はこれだけでは終わらない。

 突き刺した触手が、どくん、どくんと、鼓動するように波打ち始めるのだった。



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脅威覚醒

 仲間に対し突き刺さり、鼓動のように波打つ。

 触手の繰り出した行動に、この場にいた誰もが困惑する。ヤタガラスすらその異様な行いに驚いたのか、顔を顰めている有り様だ。されど触手の持ち主であるマレビドスはそんな事などお構いなし。次々と新たな『結果』を引き起こす。

 触手の突き刺さったガマスルの身体が、どんどん痩せ衰えていったのだ。触手に狙われなかった方のガマスルは人間にも分かるぐらい顔を恐怖で染め上げ、ガタガタと震えるばかり。どうやらこんな目に遭わされるとは、考えても(聞かされて)いなかったらしい。

 やがて触手が刺さった方のガマスルは動かなくなる。それでも触手の脈動は止まらず……段々とガマスルの身体は萎んでいった。眼球と皮膚が干からびていき、骨が浮かび上がってくる。

 最早骨と皮しかないというほど乾いたところで、マレビドスはガマスルの亡骸を無造作に投げ捨てた。巨体故に干からびてもそれなりの質量があり、ガマスルの亡骸が落ちた際に土煙が舞ったが、生きていた頃と比べて明らかに弱々しい。

 

【……ピィルルルルルルルルル】

 

 ガマスルの体液を吸い尽くしたマレビドスは、上機嫌な声で鳴いた。

 続いて触手を二本掲げる。その二本の触手はヤタガラスが引き千切ったものであるが、今や断面が蠢き、ぼこぼこと盛り上がりながら再生していくではないか。

 時間にして僅か数秒。ヤタガラスが動く暇もなく、二本の触手はすっかり元戻りに。ダメージなどないと言わんばかりに、触手は大きく、力強く動き回る。

 それに心なしか、身体の方も大きくなったような……

 

【……グカアァァ……!】

 

 ヤタガラスもこれには流石に動揺したのか、後退りするように動く。対するマレビドスは前に進む。今までの戦いで受けたダメージなどないかのように。

 戦いは再び膠着状態に陥る。とはいえマレビドスはすっかり回復しているのに、ヤタガラスは消耗したまま。戦局は間違いなくヤタガラスが不利だ。ヤタガラス自身も理解しているらしく、激しい闘志を露わにしながらも突撃していかない。

 ヘリコプターで空高く、遠くから戦いを眺めていただけ百合子達も、ヤタガラスと同じく動揺していた。

 

「嘘……傷が、あんな一瞬で治るなんて……」

 

「そ、それよりさっきのは何!? なんでアイツ、仲間を殺したの!? というか、あれじゃまるで……」

 

 体液を吸い取っているみたいじゃないか。

 茜の口からその言葉は出ていない。だが百合子は茜がそう言おうとしていた事を察した。何故なら百合子自身もそう感じたからだ。

 どうしてマレビドスはガマスルから体液を奪ったのか? 答えは、明白だろう。傷を癒やすためのエネルギーを補給したのだ。二体のガマスルは戦力ではなく、餌として呼ばれたらしい。その事実を告げられる事もなく。

 マレビドスもまた怪獣を喰う怪獣という訳だ。

 それ自体は決して不思議な話ではない。ヤタガラスだって怪獣を積極的に食べるし、他の怪獣も怪獣を食べている。地球では今や怪獣の食物連鎖が出来上がっているのは周知の事実。マレビドスの強さを思えば、巨大な肉塊(高エネルギー源)である怪獣を食べる事はむしろ自然だ。

 そう、自然な筈

 なのにどうして、怪獣研究者である真綾は驚愕したように目を見開いているのか?

 

「あの、真綾さん? どうかしたのですか……?」

 

「……分かった」

 

「? 分かったって、何が、ですか?」

 

「マレビドスが地球に来た目的よ! ああクソッ! やっぱりそれが目的か! 不味い、本当に不味いわこれ……!」

 

 思わず百合子が尋ねると、真綾は叫びながら自身の頭を掻き毟る。突然の行動に驚く百合子だったが、それと同時に全身が冷えていくような悪寒に見舞われた。冷静な真綾が取り乱すのだから、本当に『不味い』状況なのだと思ったがために。

 一体何が不味いというのか。直感的にではあるが、百合子はそれを訊かねばならない気がした。茜も同じように感じたようで、真綾の事を真剣な眼差しで見つめている。

 

「……一体、なんなのですか? マレビドスが地球に来た理由って……」

 

 恐る恐る百合子が尋ねると、真綾は一旦口を噤む。

 次いで深く息を吐いたのは、自分の中にある気持ちを整理するためか。やや間を開けてから真綾は語り出す。

 

「マレビドス、正確にはその前に地球に落ちてきた隕石グリーンアローが、怪獣化を引き起こす細菌を連れてきた。仮説だけどそれが正しいとしましょう」

 

「う、うん。状況証拠しかないけど、それしか考えられない、よね?」

 

「まぁ、色々やってるからね、アイツ……」

 

 グリーンアローと同じく緑色の発光をしながら宇宙より降下。更に地球の、怪獣化細菌を持っていないヤタガラス以外の怪獣を自在に操る力を見せ付ける。ここまでやっておきながら、マレビドスが怪獣出現に関わってないとは考えられない。

 しかし今までは、それ以上の事は分からなかった。状況証拠しかないのだから。いや、今でも状況証拠しかない。マレビドスの千切れた触手一本すら、人類はまだ入手すらしていないのである。

 だから真綾の言葉は全て推論。憶測であり、物証次第でいくらでもひっくり返る浅い考えに過ぎない。

 そう分かった上で。

 

「その仮説を正として、もう一つ仮説をぶっ立てる。マレビドスの目的が、地球を自分達の『牧場』にする事なのだと」

 

 真綾が告げた可能性に、百合子と茜の二人は同時に声を詰まらせた。

 

「牧、場……あの、家畜を育てるための……?」

 

「ええ、その牧場。あ、一応言うと牧場ってのは知的生命体の特権じゃないわよ。身近な例だとアリとアブラムシの関係は正にそれ。アブラムシを天敵から守る代わりに、甘い汁をもらう。人間が家畜相手にやってるのと大差ない行動ね」

 

「自然界にあるのは分かったけど、でもそれをマレビドスがやってるとは限らないじゃん。今のところ怪獣の世話をしてる様子なんて見せてないし」

 

「そうね、確かに世話はしていない。でも、牧場化は既に完了してるわ」

 

「牧場化が、完了している?」

 

 真綾の言葉の意味が一瞬分からず、百合子はキョトンとしてしまう。だがその意図に気付き、ハッと目を見開いた。

 真綾は淡々と、落ち着き払った声で説明する。

 ――――マレビドスの作戦はこうだ。

 生物が豊富な惑星を見付けたら、そこに|怪獣化細菌を乗せた隕石を落とす。隕石は大気圏突入時の影響でバラバラに砕け、乗せていた怪獣化細菌は惑星中にばら撒かれる。

 やがて地上に降下した細菌は、呼吸や食事を通じて様々な生物の体内に入り込むだろう。全てが全て成功するとは限らない。他の星の生物でも免疫の仕組みは持ち合わせているだろうし、その抗体や体質的な抵抗力(例えば人の鎌状赤血球。この赤血球はいわば奇形で貧血を起こす要因となるが、マラリアに対して抵抗力を有す)には個体差や種族差がある筈だ。恐らく大半の怪獣化細菌は宿主から駆逐され、死んでいく。

 しかし上手く宿主に適応出来た個体は、その宿主を怪獣化させる。

 怪獣化した生物の強さは圧倒的だ。大きくなれば火薬兵器ぐらい平然と耐える。宇宙生物がどれだけの強さを持つかは、地球しか知らない人類には分からないが……ヤタガラスのような『特別』な存在を除いた、一般的な動物と同程度だと仮定すれば、その強さは圧倒的を通り越してインチキそのもの。しかも怪獣化細菌が栄養を作り出すので食糧も僅かで良い。

 怪獣化した個体はほぼ確実に生き残り、子孫を残す。怪獣達はどんどん繁殖していき、やがて既存の生物の代わりに地上を支配していく。

 そうして怪獣が十分に増えたところで、マレビドスは降り立つ。

 どんな怪獣が栄えていようと構わない。惑星元来の生物が生き延びていようと問題ない。怪獣化細菌を持つ怪獣はマレビドス(とって自由に操れる手足であり、餌にするのも自由、戦力にするのも自由。マレビドスが降り立った瞬間、その星はマレビドスのものになり……食べ放題の餌場となるのだから。

 

「その独自の生存戦略により、マレビドスは繁栄してきたんでしょうね。地球が狙われた理由は、生物がいるからってだけじゃないかしら」

 

「……アレがやってきたのは、ただの偶然って事ですか」

 

 運悪く異星生物の侵略に遭った。言葉にするとなんとも不運で理不尽な出来事だと、百合子には思える。怪獣達に命を奪われた人々もただ餌場として利用する過程での巻き添えと思うと、怒りや悲しみなどの感情で胸がぐちゃぐちゃに掻き乱されてしまう。

 しかし考えてみれば、理由がない悲劇なんてあり触れたものだ。人間に踏み潰されたアリ、車に轢かれたトカゲ、畑を耕す鍬で切断されたミミズ……彼等に死んで当然な理由なんてない。人間だけが理由のない悲劇から逃れられるなんて、そんなのはただの傲慢というものだ。

 しかし、これが悲劇ではないと冷静に考えれば……何が問題なのか、分からなくなる。

 

「えっと……その場合、何が不味いのでしょうか? ヤタガラスが仮に負けたとしても、単に生態系の頂点が入れ替わるだけのような気がするのですが」

 

 マレビドスが侵略兵器ならば、ヤタガラスが勝たねば地球は異星人のものとなっていただろう。そうした理由ならば、何がなんでもヤタガラスに勝ってもらわねば困るところだった。

 しかしマレビドスの目的が怪獣を食べる事なら、ヤタガラスを倒したところで頂点が入れ替わるだけ。マレビドスは所謂『外来種』なので、地球生物であるヤタガラスが勝つ方が良いのは確かだろうだが……負けても怪獣を食べる怪獣は存在し続ける。何も変わらないかも知れないし、むしろ積極的に怪獣を食べてくれるお陰で人間の怪獣被害が減るかも知れない。

 悪い事が起きると決まった訳じゃない。ところが先の真綾の「不味い」という物言いは、何か確信めいたものを感じさせた。一体真綾は何を危険視しているのか、どうして断言するのか、百合子には分からない。

 真綾も説明を怠るつもりはなかった。百合子だけでなく茜も首を傾げている姿を見て、自身が抱いた懸念を伝えようと口を開く。

 尤も、真綾よりも早く説明してくれるモノがいた。とても分かりやすく、どんな能天気だろうと一瞬で現実を直視するぐらいハッキリと。

 マレビドス自身だ。

 

【ピルルゥゥゥ……】

 

 不意に、マレビドスが視線を動かす。その巨大な単眼が見たのは、自分が呼び寄せたもう一体のガマスル。

 ガマスルは視線に気付いた瞬間、身体を震わせる。腰砕けになり、逃げようと身を仰け反らせてもいる。

 だが、ガマスルの脚は勝手に前へと進む。

 

【ギョ、ギョオギィ!? ギョギギイィイイイィィィィッ!】

 

 ガマスルは叫ぶ。だが叫ぶだけだ。彼の脚はどんどんマレビドスの方へと歩み寄るばかり。彼自身の意思を無視するように。

 マレビドスはそんなガマスルに、触手を突き刺す。無論それで終わる事はなく、最初に犠牲となったガマスルと同じように体液を吸い始める。

 ガマスルは暴れない。さながらお座りをする犬のように行儀良くへたり込み、大人しく吸われていた。だが表情筋を持たない両生類的なモノにも拘らず、その顔には恐怖と絶望が浮かんでいる。待ち受ける運命に対し、悪足掻きすら出来ない悲壮に満ちていた。

 恐らく怪獣達の身体は、自分の意思とは無関係に動かされている。

 追跡中などにヤタガラスという勝ち目のない敵に怪獣達が突撃したのも、密集して窒息させるという極めて知的な作戦を行えたのも、マレビドスが無理やり怪獣達を動かして行わせたのだろう。さながらゲームの駒のように。ヤタガラスに立ち向かった怪獣達はいずれも闘志を滾らせていたが、内心もそうだったかは怪しいところだ。

 ――――真綾が感じた危機感とは、『これ』の事ではないと百合子は思う。

 だが本能的に理解する。この生物を生かしていてはいけないと。人間の勝手な価値観での物言いだが……コイツに支配されたなら、尊厳どころか生き方すらも全て奪われてしまう。身体という檻に心を囚われ、ただマレビドスに栄養を補充するための餌として使われる。

 生き物の世界に善悪なんてない。どんなに惨たらしい生き方をする生物でも、進化と淘汰により獲得した素晴らしい力だ。だが、それを分かった上で、マレビドスはあまりにも邪悪だと百合子は感じてしまう。

 そして邪悪さは、加速していく。

 

【ピ、ルル、リ、リギイィイ……!】

 

 めきめきと、マレビドスの身体が張り詰めていく。

 五十メートル程度だった傘は七十メートルほどに膨張した。触手は倍近い太さへと変わり、表面に鱗のような構造物が浮かび上がる。全身を包む緑色の輝きは強さを増し、その身体に力を滾らせていく。目玉も肥大化し、それを守るかの如く目の周りに小さな棘が無数に生える。

 そして傘の背面部分が、大きく盛り上がり始めた。

 いや、盛り上がるというのは不正確だろうか。盛り上がった肉はどんどんと伸び、細く、鋭くなっていく。しかもそれが等間隔に六本もあるのだ。やがて伸び終わった時、そこにあったのは盛り上がった肉ではない。肉食動物の爪が如く上向きに曲がった、六枚の背ビレだ。

 

【ビギリルィイイ……!】

 

 漏らす声はより力強く、そしておぞましいものとなっていた。

 面影はまだ残している。だがかつての、不気味ではあっても『クラゲ怪獣』なんて愛嬌のある印象を抱いた時とはまるで違う。獰猛で恐ろしい、正真正銘惑星外からの怪獣と化す。

 マレビドスは成長したのだ。ガマスル二体の栄養、或いは百合子達が見てないところで食べてきた怪獣達を糧にして。

 

「……さっきまでのマレビドスが幼体である可能性は高いと思っていたわ。一般的に生物は自分よりも小さなものを獲物とする。それは単純に安全だからというのもあるし、小さな生き物の方が資源が豊富だからとも言えるわね」

 

「……マレビドスは怪獣としてはあまり大きくなかった。怪獣という餌が豊富なら、もっと大きくなる筈」

 

「生物進化の基本ね。加えて天敵がいないなら、繁殖してどんどん数が増えていき、最後は飽和する。獲物や異性を奪い合う、同種間競争の始まりよ。そうなった時、強いのは何時だってデカい方なんだから」

 

 真綾が語る仮説。茜が協調するように言葉を続け、真綾もそれを否定しない。

 天敵がいない生物はどんどん大きくなるもの。その巨大化が止まるのは、餌が足りなくなった時だ。怪獣という豊富な食料資源を得たマレビドスが、ほんの五十メートル程度の大きさで収まる理由がない。今は七十メートル程度で止まっているが、これすらも成長途中だという可能性が高いだろう。普通の怪獣でも百メートル近い大きさになる事を考えれば、その生みの親であれば何百メートルもの大きさになってもおかしくない。

 もしもそんな大怪獣が繁殖したなら? 怪獣を自在に操る力を用いて、効率的な怪獣養殖でも始めたなら……

 人類だけでない。地球の生命そのものが、本当に食い尽くされるかも知れないのだ。

 しかしマレビドスと互角にやり合えるのは、地球最強の怪獣ヤタガラスのみ。そのヤタガラスも互角だったのは、マレビドスが成長する前の状態での話である。おまけにヤタガラスは疲労困憊なのに、マレビドスは餌を食べてすっかり回復していた。

 

【……グガアアゴオオオオオオオッ!】

 

 それでもヤタガラスに退く気はない。地上戦は分が悪い事など気にもせず、一片の迷いもなくマレビドスと向き合う。

 マレビドスもまた、力を得たからといって油断しない。これまでと変わらず、激しい闘志を纏ってヤタガラスを見つめる。

 変わったのは片方の力の大きさだけ。ならばどのような結果になるかは、考えるまでもない。

 そして百合子が考えた通りの戦いが、繰り広げられる事となる――――



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圧倒する宇宙

【ビルガァッ!】

 

 先手を打ったのはマレビドス。再生した分を含めて六本の触手がヤタガラスの方を向くや、眩い閃光を放つ。

 閃光の正体は電撃だ。ここまでヤタガラスを何度も苦しめた攻撃だが、此度のものは今までよりも遥かに太い。

 高出力故に大気分子を突き飛ばしているからか、電撃は殆ど曲がらずヤタガラスの方へと直進。ヤタガラスは自ら光り輝いて光子フィールドを作りつつ、二枚の翼を前に出して盾のように構えてこれを受けた

 

【グガアアアッ!?】

 

 が、数秒と持たずに押し倒される。

 雷撃はヤタガラスを押し倒しても終わらず、そのままヤタガラスを転がすように押していく! ヤタガラスも構えた翼で電撃を受け止め、どうにか直撃だけは避けようとするが……それも十秒と経たずに崩れ、無防備となった胴体に受けてしまう。

 

【ガギィアアアオオオオオオオ!?】

 

 数百メートルと雷撃に突き飛ばされ、ヤタガラスが悲鳴とも雄叫びとも付かない鳴き声を上げた。周りには倒れかけた廃ビルがあり、その鳴き声による震動で次々と倒れる。

 マレビドスにも傾いた廃ビルの一つが襲い掛かった、が、マレビドスはこれを触手を一本振るうだけで対処。倒れてきたビルは呆気なく押し返され、轟音と粉塵を撒き散らす。それらは傍にいるマレビドスにも襲いかかった。

 だがマレビドスは音と煙に興味も持たない。その巨大な単眼で見るのはヤタガラスのみ。

 マレビドスは電撃を止めると、倒れたヤタガラスに躙り寄る。ここで距離を詰められるのは不味いと判断したのか、ヤタガラスは翼を広げ、素早く空へと飛び立つ。逃げるつもりはなさそうだが、マレビドスの頭上を取るように飛んでいた。空はヤタガラスの得意な戦場。少しでも不利な要素を潰そうとしているのだろう。

 されど今のマレビドスにとっては、それすらも小細工。

 

【……………ピィ……ルルルギィアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!】

 

 猛々しい叫びを上げるや、マレビドスが掲げた六本の触手の先から光線が迸った!

 ただし光線の数は六本ではない。触手の先は僅かに開いていて、そこから無数の光線が放たれる! さながら蜘蛛が巣を張るように、大量の光線が空を覆い尽くす。

 逃げ場がない上に、全身の至るところを撃ち抜く光線の散弾。しかも見た目の太さからして、威力は今までの比ではない。

 ヤタガラスにとって光線技は、自身の光子フィールドを強化してくれる力だ。その力で熱核兵器にも耐えている。恐らく純粋なレーザー()ならば、どれだけ高出力であろうともヤタガラスは難なく耐え抜くだろう。

 だがマレビドスの光線はレーザーではないと、真綾は予測した。予想通りなら荷電粒子砲……光速に匹敵する速さまで加速した粒子による『打撃』だ。生半可な出力では為し得ないが、光の強さ以上の威力を持たせる事は可能であろう。

 荷電粒子砲ならば、ヤタガラスの光子フィールドを激しく揺さぶる事が出来てもおかしくない。

 

【ガッ、アァ……!?】

 

 無数の光線に撃たれたヤタガラスは、苦悶で顔を歪め――――落ちていく。

 そして大地に足からではなく胴体から着地。こんな降り方ではバランスも取れず、ごろごろと地上を転がってしまう。

 端的に言えば、それは墜落と呼ばれる落ち方だ。

 人類のあらゆる航空戦力を、宇宙空間に浮かぶ衛星すらも落としたヤタガラスが、為す術もなく落ちる。これだけで人類側に言葉を失わせるのには十分な光景だった。

 ヤタガラスは地上を転がりながらも、なんとか体勢を立て直そうとする。しかし何度も失敗して横転。何百メートル、いや、一キロ以上の距離を転がってしまう。

 

【グガァアアッ……!】

 

 どうにか止まったのは、瓦礫の山に身体を打ち付けてから。核爆発を彷彿とさせる勢いで舞い上がる粉塵が、激突の威力を物語っていた。

 濛々と立ち込める瓦礫と煙がヤタガラスの姿を覆い隠す。それでもヤタガラスの全身から放つ、太陽が如く眩い光があるので存在は確認出来る……と思ったのも束の間、その光がチカチカと明滅を始めた。まるで、寿命が近い電灯のように。

 今まで絶え間なく輝いていた光が明滅する。ヤタガラスがどのような存在であるか、詳しく知らなくとも意味ぐらいは分かるというもの。苛烈な攻撃を受け続けてダメージが蓄積し、光子フィールドや光分解の力が維持出来なくなっているのだ。

 

【グ……グガアアアアゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!】

 

 されどヤタガラスは未だ退かず。翼を羽ばたかせて粉塵を吹き飛ばし、勇猛果敢に姿を現す。明滅していた全身の光も、一際強く、そして途切れる事なく輝かせた。

 しかし臆さないのはマレビドスも同じだ。

 マレビドスは猛然と地上すれすれを飛行。ヤタガラスに正面から迫る! 迫りくる強敵にヤタガラスは即座に大地を踏み締め、自らも前へと突き進む!

 両者共に逃げる気どころか躱すつもりもない。二体の大怪獣は正面からぶつかり合う!

 

【グギガアァッ!?】

 

 突き飛ばされたのはヤタガラス。これまでどんなに体格が上回る怪獣にも力負けしてこなかった彼が、マレビドスの体当たりには抵抗すら儘ならなかった。

 しかしヤタガラスにとってこれは既に想定内の展開か。突き飛ばされた勢いを利用してぐるんとバク転。その勢いを乗せて、光り輝く尾羽を振るう!

 光り輝く尾羽はさながら剣。否、事実それは剣なのだ。光分解の力を纏った尾羽により敵を切り裂く――――生物というよりもロボットや兵器染みた攻撃だ。

 油断して直撃を受けたなら、今のマレビドスにも小さくないダメージを与えられたかも知れない。だがマレビドスは即座に触手を二本構え、この攻撃に備える。強い煌めきを放つ緑色の電磁フィールドは、ヤタガラス渾身の一撃を受け止めてしまう。

 自慢の攻撃を止められて、ヤタガラスも僅かに動揺したのか。その身体がほんの一瞬強張った、その隙を突くようにマレビドスが触手を振るう。たった一本の触手だったが、目にも留まらぬ速さで放たれたそれは衝撃波を纏うほどのパワーを宿していた。

 

【ガッ!?】

 

 殴られたヤタガラスの身体が、空中で回転する。横向きの回転に抗おうと翼を広げるも、受けたパワーが大き過ぎるようですぐには止まれない。

 マレビドスは新たに触手を伸ばし、ヤタガラスの足に巻き付けた。突然動きを止められる格好となったヤタガラスは地面に落ち、巻き付いたままの触手はヤタガラスの足を引っ張る。地上で引きずられ、ヤタガラスは全身を使って暴れるが、マレビドスの触手を振り解くには至らず。

 マレビドスは触手と共に高々とヤタガラスを持ち上げるや、地面目掛けて勢い良く振り下ろす。

 ヤタガラスを遥かに上回るパワーからの叩き付けは、大地を激しく震わせた。辛うじてだが光子フィールドを纏っているにも拘らず、ヤタガラスは打撃で苦しそうに喘いだ。それでもマレビドスは手を抜かず、何度も何度も、ヤタガラスを大地に叩きつける。

 

【ピルァァっ!】

 

 最後は止めとばかりに、身体を捻るほどの大振りでマレビドスはヤタガラスを投げた。

 最早、何百メートルなんてものではない。何キロもの距離をヤタガラスの身体は飛ばされ、止まったのは遥か彼方まで転がってから。廃ビルと瓦礫を幾つも突き崩し、都市全体を包みそうなほどの粉塵を巻き上げた。

 舞い上がる土煙の中で、ヤタガラスの放つ光がチカチカと明滅する。だが、それも長くは続かない。

 ついに光が消失した。

 それと共に周囲が暗闇に包まれる。これまでヤタガラス自身が光り輝いていた事で照らされていたが、その光がなくなった事で本来の暗さ――――宵闇が戻ってきたのだ。夜を昼間のようにしてしまうヤタガラスの圧倒的パワーの産物であったが、底なしと思われた力もついに尽きたらしい。

 

【ピルルルルルルルルルルル……】

 

 マレビドスもそろそろ戦いを終わらせるつもりのようだ。バチバチと全身から稲妻を迸らせながら、触手で粉塵を払いつつ、自らが投げ飛ばしたヤタガラスの方へと向かう。

 いよいよ地球の命運を賭けた戦いが、決着を迎えようとしていた。人類、いや、地球生命全体にとって都合の悪い形で。

 少なくとも空からここまでの戦いを見ていた百合子は、そう思っていた。このまま指を咥えて眺めている場合ではない。

 

「ま、真綾さん! なんとか……なんとか出来ないのですか!?」

 

「無理ね。自衛隊は日本中で暴れている怪獣の対処に追われ、こんな廃都市に戦力を回す余裕なんてない。それに航空戦力は昨年のヤタガラス討伐作戦で壊滅して、こっちに短時間で来れる兵器なんて皆無。そもそも来たところで、今のマレビドスには小蝿ぐらいにしか感じないでしょうね。戦局を変えられるもんじゃない」

 

「そ、そんな……なんとか、なんとかしないと……」

 

「……外来からより環境に適した生物が侵入した時、その生物の存在に適応出来なかった種が絶滅するのは必然。かつて南米は有袋類が支配していたけど、北米から入り込んだ有胎盤類によって殆どが絶滅した。生き延びたのはオポッサムの仲間だけ。異星からの侵略でも、同じ事が起きているだけよ」

 

 対処法が思い付かない故か、真綾の言葉は落ち着いたもの(達観気味)。勿論彼女はそれで思考を放棄するような性格ではないと百合子は知っている。知っているが……諦めなければ解決するほど現実は甘くない。南米の有袋類達だって、最後まで生きるのを諦めなかった筈であるように。

 人間、ヤタガラス、そして地球の生命とて滅びる時は滅びる。駄目な時は何をやっても駄目なものだ。今回がその時だとしても、なんらおかしくない。

 無意識に強張らせていた百合子の手から、力が抜ける。息も吐いて、身体から力が抜けた。真綾の言葉に対する反論は何も思い付かず、自然と視線はヤタガラス達の方を向いていた。全ての決着が、望まぬ結末が訪れるのを受け入れたがために。

 

「……まだだ」

 

 ただ一人、茜だけが百合子達と違う考えを言葉にする。

 

「……茜。まだって言うけど、私らに出来る事なんて」

 

「そうじゃない。私らじゃないの」

 

「私達ではない……?」

 

 一体何を言いたいのか。茜の真意が掴めず、百合子と真綾は共に眉を潜める。

 だが、その説明を求める必要はなかった。

 『世界』を満たそうとする淡い光が、人間達の浅はかな考えを打ち砕いたのだから……



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決着

 最初、百合子はそれを優しい光だと思った。

 決して眩しくない、青と緑と紫の色が混ざり合った輝き。とても美しい輝きだったが……その光は空から降りてきている。

 百合子は殆ど無意識に空を見上げ、そして驚愕で目を見開いた。

 空で、光の帯が揺らめいている。

 それは小さな揺らめきではなく、辺り一帯を覆い尽くすのではないかと思うほど巨大なもの。揺れる姿はまるで竜が泳いでいるかのようであり、雄大な光景に百合子の思考は驚きと感動に塗り潰されてしまう。本能的な衝動に突き動かされ、ただただ呆然と眺めるばかり。

 百合子の人生で、これほど美しい景色は見た事がない。されどそれがなんであるかを、百合子は知識としては知っていた。

 

「オーロラ……」

 

 無意識状態に陥っていた百合子は、その現象の名をぽつりと口に出す。

 オーロラ。それは本来、南極などの極地で見られる自然現象だ。日本の北海道でも観測された事はあるらしいが、此処は真綾達曰く東京である。オーロラが自然発生するものだろうか。

 或いは、オーロラを発生させているものが近くにいるのか?

 

「……………ひっ」

 

 唐突に、百合子の顔は青ざめる。

 不意に猛烈な悪寒が全身を駆け巡った。身体の奥底から恐怖心が込み上がり、全身が

ぶるぶると震え出す。

 そして百合子は空に向けていた顔を、無意識に下げた。本当に、なんの意識もしていなかったのに――――何故か地上の一点を見つめる。

 そこに佇む、大怪獣ヤタガラスの姿を。

 

【クアァァァァァ……】

 

 ヤタガラスはその身体を淡く光らせ、二本の足で大地に立っている。輝きの強さは光分解の力を纏っていた時よりも遥かに弱々しく、その光に包まれている身体もボロボロだ。多くの羽根が傷付き、口から漏れ出る吐息も荒い。足の鱗は剥げていて、全身の至るところから血が流れている。

 これだけの傷を受けたとなれば、もう立っているのがやっとではないか。百合子が勝手に抱いたイメージを肯定するように、ヤタガラスの身体はふらふらと左右に揺れている。正直、人類が総力を結集させて挑めば、結構あっさり勝てるのではないかとも思ってしまう。

 だが、本能的に察する。見た目に騙されて襲い掛かれば……こちらが瞬く間に滅ぼされてしまうだろう、と。

 何故なら、ヤタガラスの瞳は力を失っていなかったから。

 今まで以上に激しい、破滅的な感情をその目に滾らせているのだ。近付く事はおろか、こちらを視認する事すら許さないと言わんばかりに。

 

【ピ、ル……?】

 

 その異様な眼光は、これまで優勢を誇っていたマレビドスの足さえも止める。或いは強いからこそ、ヤタガラスが放つ力の異様さを感じたのだろうか。

 マレビドスは身構え、ヤタガラスの行動に備えるような素振りを見せた。体力面では圧倒的な優勢に立っているのだから、慌てず騒がず、落ち着いて防御を優先した方が良いという判断か。実際ヤタガラスの身体はボロボロで、大した攻撃は出来そうにない。仮にマレビドスに大ダメージを与えるような一撃となれば、身体への負担も相当大きい筈だ。無事に耐え抜けば問題ないし、ダメージを受けたところでヤタガラスも無傷では済まない。下手に攻撃するよりも守りを固めるというのは、極めて合理的な判断と言えよう。

 そう、常識的に考えれば。

 それが全ての間違いだというのに。

 

【……クアアアァァァァァァァァ……!】

 

 ヤタガラスが唸る。唸るだけで、身動ぎ一つ取っていない。

 だが段々とヤタガラスの身体を包む光が、少しずつ、けれども着実に強くなっていた。最初は淡かった輝きが、今では少し眩く感じるほど。

 そして強くなる光は、ヤタガラスが身体に纏うものだけではない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()も同じだ。

 最初は優しさを感じるほど淡かった光は、今ではかなりハッキリと見える。ゆらゆらと湯気のように揺らめきながらも、ヤタガラスの方へと流れ込んでいるようだった。

 空のオーロラと言い、ヤタガラスへと流れ込む光と言い、どれも派手な現象ではない。しかし異様な出来事ではある。何が起きているのか、どうすればこんな事が起きるのか、百合子にはさっぱり分からない。

 分からないなら訊くのが一番。そしてこんな謎現象の正体が分かるとすれば、科学者である真綾だけか。

 

「真綾さん、アレは一体――――」

 

「嘘」

 

 なので尋ねようとしたところ、真綾からの返答は嘘吐き呼ばわり。

 だがその言葉は、百合子に向けたものではないだろう。真綾の視線はずっと正面を、ヤタガラスの方を見ているのだから。

 困惑する百合子。茜も戸惑いを見せる中、真綾は頭を抱えながら叫ぶ。

 

「嘘……嘘、嘘よ!? 流石にそれはあり得ない!」

 

 現状を否定する言葉を。

 真綾は常に冷静沈着、という訳ではない。予想外を前にするとしょっちゅう固まり、思考停止している。それでも現実を否定した事は一度もない。予想外は予想外として受け入れ、恐れる事なく自分の考えを変えるのが真綾という人間だ。

 そんな真綾が取り乱している。それだけで百合子、それと茜は、今起きている事態が異常と呼ぶのも生温い状況なのだと理解した。理解はしたが……何が起きているのかさっぱり分からない。

 

「真綾ちゃん、落ち着いて。何が起きてんの?」

 

 茜が宥めるように声を掛け、真綾の感情を鎮めようとする。真綾は茜の方を見ると、唇を噛み……大きく息を吐いて頷く。

 

「……恐らくヤタガラスは今、光を集めているんだわ」

 

 やがて真綾は、呟くような小声でそう告げた。

 しかし分からない。ヤタガラスは光を自在に操り、様々な力を見せてきた怪獣だ。今更光を集めるぐらい、造作もないのではないかと百合子は思う。

 

「……それが何か? 光を集めるなんて、ヤタガラスになら簡単なんじゃ」

 

「いいえ、簡単どころか不可能よ。少なくとも人類が知る限りの方法では」

 

 その考えを言葉に出せば、真綾は間髪入れずに否定した。しかも人類の知る限り……つまり理論的に無理だと。

 

「光っていうのはね、空間を直進するの。あらゆる力を無視して。光を波ではなく光子、つまり素粒子と考えても、質量も電荷もないから引き寄せる事は無理なのよ」

 

「え? でもブラックホールは光を吸い込むって聞いた事あるんだけど」

 

「あれはブラックホールの重力が、周りの空間を曲げて、その曲がった空間に沿って光が進むからよ。光自体はなんの影響も受けていない」

 

 だが、ヤタガラスは明らかに光を自分の方に集めていると真綾は語る。

 そう確信する根拠はオーロラらしい。オーロラは太陽風などに含まれるプラズマが地球の大気にぶつかり、大気分子がそのエネルギーを発光(放出)して起きる現象だ。通常このプラズマは地磁気の影響で逸れていき、最終的に南極や北極などの極地に落ちていく。これがオーロラが基本的に極地で発生する理由である。

 そしてプラズマは、レーザーなどの照射で大気分子に大量のエネルギーを与えれば、人為的に発生させる事が可能だ。

 ヤタガラスは宇宙空間を飛び交う、あらゆる光を自分の下に集めているのだろう。その収束した光エネルギーが上空の大気をプラズマ化させ、プラズマが周りの大気分子にエネルギーを渡し、大気分子がエネルギーを放出して光る……それが今、この地でオーロラが生じている理屈だと真綾は語った。

 無論これはあくまでも予想だ。目の前の現象から推論し、その推論から推論した、あまりにも脆弱な理論。だが、それでも現実の説明は出来ている……光の引き寄せ方が全く分からない事以外は。

 

「(今までの非常識さとは、違う……)」

 

 生物がレーザー光線を撃つ事も、核兵器に耐える事も、一応の説明は出来た。されど此度のヤタガラスが起こしている現象は、根本的な部分で『理屈』に沿わない。今までの「技術が足りない」から出来ないのとは違う、理解すら及ばない力。

 正に人智を超える力だ。

 その力は、()()()()()()()()()()()()力の持ち主であるマレビドスの目にはどう映ったのか。

 

【ピ、ピル……ピルルルルルルルル……】

 

 マレビドスが後退る。なんらかの危機を覚えたように。

 果たしてヤタガラスはその動きをどう感じたのか。警戒と見たのか、はたまた逃げるための動きと受け取ったのか。

 いずれにせよ、ヤタガラスはそれを許さない。

 

【グガアアアアゴオオオオオオオオオッ!】

 

 ヤタガラスが激しい咆哮と共に、大きく広げた翼を振るう。

 それと共に放たれたのは、虹色に輝く帯のような光だった。

 ヤタガラスの翼から放たれた光の帯、いや、七色の『オーロラ』はマレビドスの身体を撫でるように通り過ぎた。直後、キラキラとした煌めきがマレビドスの体表面で煌めく。マレビドスもこの輝きが何か分からないのか、戸惑うように巨大な目を見開いた

 次の瞬間、煌めきが炸裂した。

 煌めきがその強さを、範囲を爆発的に増した様子はそうとしか表現が出来ない。一体どんな物理現象が起きたのか、全く理解出来ない。

 炸裂した閃光は、物理的な衝撃を引き起こしてマレビドスに襲い掛かる。成長してからはビクともしなかったマレビドスの身体が、この閃光には耐えきれず吹き飛ぶ!

 

【ビルギアァッ!? ピ、ルルルルル……!?】

 

 突然の、成長して強化された電磁フィールドですら受け止められない攻撃に、マレビドスは明らかな動揺を見せる。体表面を覆う緑の煌めきはゆらゆらと揺れ動き、不安定さを表していた。

 ただ一撃でマレビドスの防御が揺らぐ。凄まじい破壊力の攻撃に、マレビドスは思ったのだろう。「このままでは不味い」と。

 

【ピ、ピルルルルルルルッ!】

 

 故にマレビドスはヤタガラスに背を向けて、一目散に逃げ出した!

 たった一発で不利を悟り、おめおめと逃げ出す……人間からすれば情けなく思える姿だが、極めて有効な戦術だ。生きて体勢を立て直せばまた勝負を挑める。無数の怪獣を引き連れた大群団で挑むのも良いし、或いはもっと大きく成長すれば先の攻撃も平然と耐えられるかも知れない。生き延びればマレビドスの勝機はまだある。そしてその判断は、早ければ早いほど良い。

 逃げるマレビドスの背中を、ヤタガラスは鋭い眼差しで睨む。マレビドスが成長して強くなるところを見たのだから、逃せば不味いと本能的に理解しているのだろう。とはいえボロボロの翼で飛んでも大したスピードは出せまい。ましてや先手を取って逃げ出したマレビドスに追い付くのは恐らく不可能だ。

 だからヤタガラスは、別の方法でマレビドスを捕まえようとする。

 例えば前に翼を前に伸ばすや――――空から稲妻のように光を落とす事で。

 

【ピッギィイイイイイイイイッ!?】

 

 空から落ちてきた虹色の光がマレビドスの全身を包む。

 宇宙空間を飛んでいる光を集め、攻撃に転じたのか。今まで繰り出したどんなレーザーよりも強烈な一撃を受けたマレビドスは悲鳴を上げ、それと共にガリガリと削り取るような音が鳴り響く。電磁フィールドを削り取る音なのか。空から降り注ぐ虹色の輝きを受けたマレビドスの身体から、段々と湯気が立ち昇り始める。

 光の柱は凡そ数秒で消えたが、痕跡は大地にハッキリと刻まれていた。直径百メートルはありそうな大穴が、ぽっかりと開いていたのだ。穴の底は見えず、一体何千メートルと続いているか想像も出来ない。穴の縁は赤熱しており、どうやら穴は、土が蒸発して出来たのだと窺い知れた。

 果たして人類が核を投じても、こんな真似が出来るだろうか? 百合子にはとてもそうは思えない。いや、火山の噴火や隕石の衝突があってもこうはならないだろう。人智どころか自然すら及ばない、破滅的な力だ。

 どうにかマレビドスはこれに耐えた、が、全身が焼け爛れていた。じわじわと傷は再生していたが、完全な再生を遂げるには時間が掛かるだろう。それに傷を負ったという事は、電磁フィールドはボロボロで使い物にならない状態の筈。先の光をもう一度受けたなら、恐らくただでは済まない。

 ならば、生き残る術は逃げる事だけ。

 

【ピ、ピィルリルルルルルルッ!】

 

 マレビドスはがむしゃらな動きで逃げ出そうとする。本気で動き出したマレビドスのスピードは圧倒的。今まで以上の速さで、瞬く間にヤタガラスから離れていく。

 ここで背中からレーザーを撃ち込もうと、上から虹色の輝きで押し潰そうと、マレビドスは自身のパワーで強引に抜け出して逃げるだろう。

 遠目で見ている百合子達人間にも伝わる必死さ。ここまで必死だと最早情けないとは思えない。いや、人間からすれば恐怖すら感じるぐらいだ。流石にこれはどうやっても止められない――――

 そう思ったのは、人間だけかも知れない。いや、人間以外も同じように思うと考えるのは傲慢だろう。ましてや超常の力を宿したヤタガラスが、人間と同じ考えをする筈がないのだ。

 

【グガアアアアアアアアアアッ!】

 

 それを証明するように、ヤタガラスは新たな技を繰り出した。

 大きく両翼を広げ、咆哮と共に無数のレーザーが光り輝く全身から放たれる。威力は凄まじそうなものだが、しかしレーザーで背中を射抜こうが、傘を焼き切ろうが、マレビドスはきっと逃げてしまうだろう。いくら数多く撃とうと、レーザーでは止められない。

 普通のレーザーであれば、だが。

 ヤタガラスの放った無数のレーザーが、()()()()()()と曲がる。

 

【ビッ!? ピルリギィイイッ!?】

 

 曲がったレーザー達はマレビドスをぐるりと包囲。いきなり目の前に『攻撃』が現れたマレビドスは流石に止まり、曲がるレーザー達はその範囲を狭めてマレビドスに襲い掛かる。全盛期の電磁フィールドならば恐らく問題なく耐えたのだろうが、先の光の柱で身体にダメージが入るほど電磁フィールドは削られていた。レーザーを受けたマレビドスは悲鳴を上げ、その場に墜落する。

 今の攻撃は、物理学に詳しくない百合子にもおかしさが分かる。光は直進……真綾曰く空間に沿って進むものだ。その光がまるで生きているかのように曲がるなんて、一体どんな方法を使えば成し遂げられるのか。

 

【ガアアアァァァァァ……!】

 

 墜落したマレビドスを見たヤタガラスは、翼を羽ばたかせて空を飛ぶ。動きは決して速くない。これまでの戦いで受けた傷が、その動きを鈍らせているのだろう。

 だが空から降り注ぐ光を浴び、纏う輝きの強さはどんどん増している。

 今や太陽よりも眩しいぐらいに。

 

【ピ、ピル、ビギッ!?】

 

 這いずりながら逃げようとしていたマレビドスだが、空から降りてきたヤタガラスに踏まれて呻く。更に踏まれた場所はじゅうじゅうと音を鳴らし、身体が焼けていた。

 このまま焼き殺すつもりか。されどマレビドスも無抵抗に終わるつもりはないらしい。

 

【ピルルルルルルルルルッ!】

 

 素早く六本の触手を伸ばし、ヤタガラスを取り囲むように配置。すかさず電撃を放ち、ヤタガラスに浴びせかける!

 全方位至近距離からの電撃。これまでに幾度となくヤタガラスを吹き飛ばしてきた攻撃を受け、此度のヤタガラスも僅かに身体を仰け反らせた。

 しかし、本当に僅かだけ。

 一瞬仰け反った後、ヤタガラスはすぐに体勢を立て直し、一層強くマレビドスを踏み付ける! マレビドスの攻撃が効いていないのか? 人間だけでなく恐らくマレビドスにもそう思わせる動きだが、そうではないとすぐにこの場にいる全員が気付かされた。

 ヤタガラスの身体から、僅かに湯気と放電が放たれているのだ。感電し、身体にダメージを負っているのは間違いない。しかし攻撃を受けても、感電しようとも、その目の闘志と怒りは燃え盛るばかり。

 痛みを感じていないだけなのだ。異常な興奮状態故か、或いは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……

 

【グガアァァァァァァァ……!】

 

 マレビドスの攻撃を微動だにせずに耐えたヤタガラスは、そのマレビドスの頭を足で掴む。鋭い爪を突き立てるだけで飽き足らず、全身から放つ光の帯がマレビドスの身体をがりがりと削るように回り続ける。

 

【ピ、ピルルルルル!? ピルルルゥ!】

 

 ついにマレビドスは悲鳴を上げながら、触手をヤタガラスから離れるように広げた。さながら無抵抗を示すように。

 人間的な視点で見れば、命乞いのポーズ。

 或いは本当にそのつもりかも知れないと、遠くから眺めている百合子は思う。マレビドスには怪獣を操るだけの知能があるのだ。言葉がないだけで、強いモノに平伏するだけの頭があってもおかしくない。

 しかしその平伏は形だけだろう。大きくなって力を付ければ、コイツは間違いなく『主君』を裏切る。百合子は本能的にそれを直感した。

 コイツの話を聞いてはならない。

 ――――尤も、怒り狂っているヤタガラスには、本心からの言葉すらも通じないだろうが。

 

【グガアアアアアアアアアアッ!】

 

【ピ、ピキ、ギ……!?】

 

 助けを求めるマレビドスの頭を、ヤタガラスは更に強く掴む。マレビドスがどれだけ請おうとも、瞳に宿る怒りは消えない。

 ヤタガラスは最初から許すつもりなどないのだ。例え相手が自分の奴隷になろうとも。

 

【ピ、ピルリィイイイギギギギギギッ!】

 

 マレビドスも自分の行為が無駄であると悟ったのか。雄叫びを上げながら、マレビドスは三本ずつ束ねた触手を振り上げた

 直後、ヤタガラスはマレビドスを蹴り上げる!

 突然蹴られたマレビドスはそのまま空高く、数百メートルと上がっていく。マレビドスも驚いていたようだが、しかしヤタガラスから離れられた事に気付いたのだろう。空中でくるりと身を翻し、真っ直ぐ空に向かって飛んでいく。

 このまま宇宙まで逃げるつもりか。

 マレビドスならそれが出来る。磁気浮上で飛行する宇宙怪獣ならば、空気を押し出して進むヤタガラスと違い、宇宙空間まで跳び出していける筈だ。というより宇宙怪獣なのだから自力で星の外に行けない筈がない。

 ヤタガラスは逃げ出すマレビドスをじっと見つめるばかりで、追おうとはしない。マレビドスは成長した上で、命懸けの全速力を出している。傷だらけの身体では追い付けないと考えているのか。

 だが、未だ逃すつもりはないらしい。

 

【……………】

 

 翼を広げながら、ヤタガラスはマレビドスの背中を見つめる。

 それと共にヤタガラスの発光が、一層強さを増していく。太陽よりも眩かった光は、最早直視どころか目を逸らしても沁みるほどに強い。

 逃げようとしていたマレビドスも思わず振り返る。そして嫌な予感を覚えたのか、そのまま更に加速して逃げていき――――

 

【グガアアゴオオオオオオオオオオオッ!】

 

 ヤタガラスが叫んだ。

 瞬間、ヤタガラスの全身から光が放たれる!

 全方位に向けてではない。一直線に伸びる、巨大な光線のように放たれた! その光線はマレビドスの動きよりも遥かに速い!

 

【ピルギ……!?】

 

 光の直撃を受けて、マレビドスが呻く。その姿は瞬く間に光の中に飲まれた。

 マレビドスは藻掻く。光から逃れようと必死に。されどヤタガラスの放つ光はそれを許さない。意思を持つように、ぐにゃりとその向きを変えていく。

 ついに光線は綺麗な曲線を描き、大地へと叩き付ける!

 マレビドスの足掻きも虚しく、その身体は極大の光線と共に地上へ。星の外どころか内に向かって落ちていく!

 最早マレビドスの姿は地上にいる誰にも確認出来ない。

 

【ピ、ピギィヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?】

 

 けれども世界中に響き渡るような、マレビドスの断末魔がその身に起きた惨事を教えてくれて。

 放たれる光の消失と共に地下より溢れ出す、天に届かんばかりに巨大な七色の爆炎が、ヤタガラスの勝利を伝えるのだった。



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新しい陽光

【グ、ガ……カ……………】

 

 マレビドスを打ち破ってすぐに、全身から光を失ったヤタガラスはその場に倒れ伏した。

 見ればその身体は、あちこちから湯気を立ち昇らせている。全身を覆う黒い羽根は焼け爛れ、まるで抜け落ちてから何ヶ月も経ったかのようにボロボロだ。目も血走り、口からは沸騰した涎が零れている。

 なんの手当ても行わなければ、そのまま死ぬのではないかと思えるほどの重体。恐らくマレビドスを撃破したあの姿……宇宙から光を集め、空だけでなく自身の身体からも極光(オーロラ)を生み出すあれは、正に諸刃の剣なのだろう。だからこそギリギリまで温存していたのだ。

 結果的にマレビドスは倒せたが、ヤタガラスの命も危険な状態である。そして怪獣の……野生の世界に、傷付いたものの治療を行うような存在はいない。

 

「……これが、ヤタガラスの最期かもね」

 

 真綾の口から出た可能性を、百合子は否定出来なかった。

 

「……助かる可能性は、ないのでしょうか」

 

「ないとは言いきれない。核兵器に耐えるどころか、光を人間が知らない原理で曲げるような奴なんだからね。脱皮してピカピカの新しい身体が出てきても驚かないわ」

 

 冗談めかした物言いだが、まず無理だと言いたいのだろう。

 最強の怪獣は、最強の怪獣のまま永遠となるのか。そうなった場合、世界はどう変わるのか。怪獣を生み出した元凶は倒されたが、だからといって怪獣を生み出した原理……宇宙細菌は消えていない筈。これからも世界は怪獣が暴れ続ける。ヤタガラスがこれまで喰い殺してきた怪獣達は、果たして日本にどんな影響を与えるのだろう……

 分からない事だらけで、不安は大きい。けれども今の百合子にとって、一番気に掛かるのはそこではない。

 

「(茜さん……)」

 

 倒れて動かなくなったヤタガラスの姿を、じっと見つめている親友の方だ。

 仇が倒れたところ見て、茜は何を思っているのだろう。自分なりの答えを見付けられそうになっていた時となれば、尚更心を大きく掻き乱された筈。なんと声を掛けたら良いのか。

 百合子は考えを巡らせたが、答えは出てくれず。逃げるように視線を逸して真綾の方を見たが、真綾も茜から目を逸らしている。誰も、親友に掛ける言葉が見当たらない。

 百合子達はただ、時間が過ぎていくのを待つ事しか出来なかった……

 

 

 

 

 

 ヤタガラスが地に伏して、一夜が過ぎた。

 明けた今朝の天気は快晴。雲一つない、爽やかな青空が広がっている。

 降り注ぐ春の日差しを浴び、都市が光り出す。その光は廃ビルや瓦礫を覆う植物達の煌めき。人工物が自然に飲まれる光景はなんとも物悲しいが、同時に心惹かれる美しさもある。抱く感情はそれぞれ違うにしても、目の当たりにした人間の多くは、きっとこの景色を延々と眺めてしまうだろう。

 ただ、今に限れば景色よりも目を引くものがあるのだが。

 

「これが、ヤタガラス……」

 

「ようやく、超至近距離で顔を拝む事が出来たわね」

 

 百合子が思わず漏らした言葉に、真綾がそう語りながら相槌を打つ。

 百合子達のほんの十数メートル先には、ヤタガラスがいた。

 昨晩繰り広げたマレビドスとの戦いの後に倒れ伏してから、ヤタガラスはぴくりとも動いていない。念のため百合子達は交代で仮眠を取ってヤタガラスを監視していたが、少なくとも目視で捉えられる動きは一度もなかった。今も至近距離で見ているが、呼吸で胸が動く事もない。

 恐らく、本当に死んでいるのだろう。

 

「……やっぱり、死んでしまった感じでしょうか」

 

「そうなんじゃない? ひょっとしたら、とは思っていたけど、流石に脱皮はあり得なかったみたいね」

 

 マレビドスに止めを刺した一撃は、ヤタガラスにとって相当危険な技だったのだろう。一か八かの勝負を仕掛け、耐えられずに死んだというのは……マレビドスの強敵ぶりを思えば、仕方ない結果だ。

 大怪獣ヤタガラスに自己犠牲の精神はない筈だ。自分の生存やテリトリーを脅かすライバルと戦い、残念ながら共倒れになっただけ。そんなのは野生の世界ではあり触れた話だろう。大きな獲物を捕まえたは良いが口に詰まってしまい、エラ呼吸が出来ず窒息死した魚のように。

 だからヤタガラスの死に、大した意味などない。いや、そもそも物事に意味を持たせるのは人間だけだ。逆に言えば、人間はヤタガラスの死に意味を持たせようとしてしまう。

 百合子達と共にヤタガラスを見つめている、茜のように。

 

「……私さ、ヤタガラスを殺そうとしていたじゃん」

 

「……そうですね」

 

「結局それは失敗した訳だし、昨日の戦いを見た感じ何をしたって勝てないと思うけど。でもなんかの拍子にヤタガラスを倒していたら……人類にマレビドスが倒せたと思う?」

 

「……それは」

 

「無理ね。ヤタガラスには夜間の戦闘力低下という明確な弱点があったけど、マレビドスにそれはない。何か弱点はあったかもだけど、奴の戦術的な行動からして、それを調べる時間的猶予はなかったでしょうね。それに世界中の怪獣を操れるマレビドスに、組織力で挑む人間は相性が悪いわ。アイツと肉薄するには、単体でずば抜けた戦闘能力がないと無理よ」

 

 茜の言葉に百合子が返事に詰まる中、真綾はなんの迷いもなくそう答えた。

 反射的に、百合子は真綾を睨む。その物言いは、人間がヤタガラスに勝っていたら、マレビドスに地球は食い尽くされたと肯定する事なのだ。

 世界は人間の思い通りに動くものではない。そんな事は茜も分かっているだろうが、だとしても自分の行いが原因で地球を滅ぼしたかも知れないとなれば、誰だって傷付く。ましてや地球を救った存在が、大切な姉を奪った仇ならば……

 茜のメンタルを大事にしたい百合子としては、真綾の物言いは許せない。真綾ならば百合子の気持ちは理解しているだろう、が、気にも留めていないのか。真綾は肩を竦めるだけだ。

 

「……うん。そっか、そうだよね」

 

 茜も、傷付いたというよりは納得したように見える。

 親友だからといって、心の全てが見透かせる訳ではない。茜の求めていた答えは真綾の語った、ハッキリとした『現実』なのだとすれば……答えに躊躇った自分が、酷く不誠実だと百合子は思ってしまう。

 そして求めていたとはいえ、現実の辛さに打ちのめされたかの如く項垂れた茜に、掛ける言葉も見付からない。

 

「そ、それにしても、凄い人ですね。百人ぐらい集まってるかも」

 

 居たたまれない気持ちに耐えられなくなった百合子は、別の話題を振る。

 逸した百合子の視線に映るは、ヤタガラスの身体に群がるように集結する人々。全員が迷彩服を着ている点以外は、歳も性別もバラバラだ。彼等はヤタガラスの身体に対し、ピンセットのようなもので一部を採取しようとしたり、クレーンの鎖を巻き付けたり、様々な『作業』を行っていた。

 彼等は自衛隊員と怪獣研究者だ。ヤタガラスの『死体』という貴重な研究素材があると真綾から知らされて、今朝になってようやく到着した。彼等はこれからヤタガラスの身体を持ち出し、研究するつもりらしい。とはいえ大きさが大きさなので、まずは持ち出しやすいように解体から始めるらしいが。

 

「私が聞いた話だと、今の時点で百五十人以上集まっているらしいわ。遅れて到着する部隊を含めれば、四百人以上が集まるそうよ」

 

「地球を守った怪獣も、死ねば標本箱行きか」

 

「アインシュタインの脳みそだって、死んだら標本にした挙句輪切りにすんのが人間よ。怪獣の扱いならこんなものね」

 

「なんつー諸行無常……」

 

 地球の救世主に対するあんまりな扱いに、茜も苦笑い。

 とはいえヤタガラスの身体には、人間の知らない秘密が山ほど眠っている。その身体を解明すれば怪獣対策や、ヤタガラスという存在への理解も進むかも知れない。

 あらゆるものを糧にして、前へと進む。それが人間達が文明を発展させるためにしてきた事。今までがそうだったように、これからもそうであるというだけだ。

 ……と、真綾は顔で語っている。心が読める訳がないのであくまでも百合子の想像だが、ほぼ確実に的中しているという確信はあった。

 

「(まぁ、確かにその通りだとは思いますけどね。ヤタガラスが死んだからって、人間がそれに付き添って心中する訳じゃない。私達はこれからも、ここで生きていくんです)」

 

 ヤタガラスがいなければ、人間の明日はなかっただろう。けれどもヤタガラスと共に、明日を終える必要もない。

 ヤタガラスが結果的に守ってくれた『明日』を、しっかりと生き抜いていく。都合の良い考え方かも知れないが、それが自分達人間の出来る事なのだと百合子は思う。

 この星でこれからも生きていく。その意思を伝えるように、百合子はヤタガラスを前から見据えて―――−

 

「……ん?」

 

 ふと、疑問を覚える。

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「……あの、真綾さん? ヤタガラスの身体が、なんか光り始めてるような」

 

「あん? あー、光子フィールドが再生してる感じね。羽根に光を蓄積する構造があると考えれば、晴れていたら勝手に光り出すのは自然な事だと思うわよ。しかしそうなると、解剖は夜まで待たないと駄目かも。腐ると標本としての価値が落ちるから困るわねー」

 

 思わず真綾に尋ねると、返ってきたのは特段危機感のない答え。成程、確かに生来持っている構造由来のものだとすれば、輝きが戻ってくるのは当然の出来事だろう。

 が、それならそれで気に掛かる。

 百合子は何度もヤタガラスを目撃してきた。昼間に光り輝く姿も見ているし、夜の輝いていない姿も見ている。ヤタガラス研究者よりも詳しい、なんて驕り高ぶった台詞は吐かないが、それなりには詳しいつもりだ。少なくとも写真しか見た事がないような連中よりは知っている。

 だからこそ一つ、疑問点に気付いた。いや、或いはずっと感じていた違和感と言うべきか。

 

「ところで、なんでヤタガラスの光子フィールドって常に揺らめいているのでしょうか? 近くで見た感じ、羽毛が波打ってる訳じゃないようですけど」

 

 その違和感を言葉にしてみると、真綾はまるで引き攣るように表情を一瞬強張らせる。

 次いでじぃっと、真綾はヤタガラスを見つめた。首を傾げたり、目を擦ったりもしている。それからしばし考え込んで……百合子と茜の手を掴む。

 

「うん。念のため離れましょ、念のために」

 

 やがて告げてきたのは、口調は冷静なれど不安を煽る言葉。

 百合子と茜は僅かに迷ったものの、親友の言葉に反発などしない。二人揃ってこくりと頷き、三人同時に大股開きで走り出す。

 傍から見れば滑稽を通り越して奇怪。百合子達の動きに気付いた自衛隊員や研究者が訝しげな顔になるのも仕方ない。尤も、彼等も百合子達が走り出した理由をすぐに察した。

 ヤタガラスがゆっくりと、その顔をもたげた事で。

 

「へ? わ、わああああああっ!?」

 

「や、ヤタガラスが動いた!?」

 

「逃げろ! 早く!」

 

 ヤタガラスの動きに気付き、傍に居た人間達は一斉に逃げ出す。

 百合子達が先に逃げていた事ですぐに動き出せた……のかは分からないが、全員が迅速に動いた事でヤタガラスの傍からあっという間に人はいなくなる。お陰で、起き上がったヤタガラスが力強く地面に付いた翼の下敷きとなる者はいなかった。

 

【グ、グガァァァ……!】

 

 ヤタガラスは口を開き、か細く、けれども重々しい唸り声を漏らす。

 声はハッキリ言って弱々しい。未だ項垂れたような体勢であるし、身体を覆う光微かなもの。

 だが、間違いなくヤタガラスは生きている。

 マレビドスの戦いで力尽きたと思っていた大怪獣は、一晩の眠りを経て再び目覚めたのだ。

 

「……成程。どうやら光子フィールドの形成には、単に構造だけじゃなく、ヤタガラス自身の関与も必要なのね。考えてみれば当然で、構造によるものなら表面が動かない限り色彩の変化はない筈。でも光子フィールドに包まれていたら、風などで羽毛の表面が波立つ事すらあり得ない。なら光子フィールドが揺らめいて見えるのは、光の軌道を捻じ曲げる力で光子を流動させた結果と考える方が自然だわ」

 

「れ、れれれれ冷静に判断してる場合じゃないですよぉ! 早く逃げないと……」

 

「そうなんだけど、いざヤタガラスが動き出したと思ったらまた腰が、こう、すとーんっとね?」

 

「ええええええぇーっ!? また抜けたんですかぁ!?」

 

「アンタ、デスクワークのし過ぎで身体が老化してんじゃないの!?」

 

 ヤタガラスを前にして腰が抜けたと申告する真綾に、茜から強烈なツッコミが入る。とはいえそこで茜を置いて逃げ出さず、引きずって連れて行こうとする辺りが茜らしいが。百合子も逃げず、真綾を引きずる手伝いをする。こんな事をしてもヤタガラスからは逃げられないが、飛び立った時に少しでも離れていた方が『マシ』だ。

 幸いにしてヤタガラスが空へと飛ぶ事はなかった。どうやらまだまだ体力が回復しきってはいないらしい。息は荒く、俯いたような状態のまま。

 それでも身体に滾る力は、少しずつ強さを増している。光子フィールドの輝きも刻々と増強くなっていた。もう、回復はすれども倒れはするまい。たった一晩ぐっすりと眠っていただけで、完全復活したようだ。超常的な生命力と言わざるを得ない。

 この怪獣について、常識なんてものは当て嵌まらない。分かっていたつもりであるが、人類は改めて思い知らされた。

 

【……………】

 

 尤も、ヤタガラスはそんな小さな人類など眼中にもない。ゆっくりと身体を起こし、ついに立ち上がる。

 そして、一点をじっと見つめた。

 ……ヤタガラスが人間など大して気にしてないのは、今更だ。しかし眠りから目覚めたばかりで、一体何を見ているのだろうか? 疑問を抱いた百合子の視線は、無意識にヤタガラスと同じ方へと向いていく。

 答えはすぐに明らかとなった。されど百合子の脳はそれをすぐに理解出来ない。

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「……な、ん、ですか、あれ……」

 

 思わず、百合子は呟きながらそれを指差す。

 声に出せば真綾と茜はその方を見てくれた。そんな百合子達の動きを見て、同じく空を見上げた自衛隊員や科学者もいたが、誰一人として百合子の疑問に答えてはくれない。

 広げるは漆黒の翼。

 身に纏うのは真っ黒な羽毛でありながら、その身体は虹色の光で輝いている。長く伸びた尾を持ち、悠然とした羽ばたきで巨大な身体を浮かせていた。そしてその顔にある双眼は鋭く、獰猛さと力強さを目の当たりにした生物全てに思い知らす。

 誰が見ても、それはヤタガラスだ。百合子達の知るヤタガラスは、未だ地面に伏せているというのに。

 しかし、何より気にすべき点は――――

 

「(な、なんか、二羽、いるんですけど……!?)」

 

 空飛ぶヤタガラスが複数いる事だろう。

 何故大怪獣ヤタガラスが二羽もいるのか。突然突き付けられた情報に、百合子はぼんやりと立ち尽くす事しか出来ない。それどころか自衛隊員や科学者達さえも棒立ちするだけ。

 ゆっくりと、震えながらも最初に声を発したのは、真綾だった。

 

「……ヤタガラスが一般的な怪獣と違う、地球で進化してきた生物だって話は前にしたわよね」

 

「は、はい。ちゃんと覚えてます」

 

「つまり、地球のどの時代かは分からないけど、ヤタガラスという種が繁栄した時期が存在する筈。現代ではなさそうだけどね、あれだけアグレッシブに活動するなら、とっくに発見されているだろうし」

 

 これが何を意味するか分かる? そう尋ねてくる真綾に、百合子は言葉を詰まらせた。だが少し考えてみれば、一つの可能性を思い付く。

 ヤタガラスは、現代で栄えていた種ではない。

 ならば何時栄えていたか? 当然過去の、少なくとも現代文明を築く前の時代だろう。つまり数千年、数万年……もしかしたら数千万年前かも知れないほどの昔。それだけの大昔の生き物が、どうして現代に現れたのか?

 可能性があるとすればただ一つ。

 

「……なんらかの方法で、休眠していたのですか。何万年、何十万年、或いはそれ以上の月日を」

 

「そんな! いくらなんでも……」

 

「今更常識を語るなんてなしよ、茜。むしろその方が理に適ってる。大型動物は個体数の増殖速度が遅い。一度食べ尽くしたら、元の数に戻るまで数千年、数万年と掛かるわ。だったら一度食べ尽くした後、ぐーすか眠って個体数の回復を待つ方が良いと思わない? それに、そう考えれば何故現代になってヤタガラスが現れたのかも説明出来る」

 

 巨大生物が繁栄したら目覚めて、その生物を食い尽くすまで活動し、滅ぼしたら眠って次の時を待つ。

 ヤタガラスがそのような生態を持っているとしたら、怪獣の出現は正に『獲物』の出現と言えよう。怪獣の数がまだ少なかったのか、或いは気の早い個体だったのか。ともあれ百合子達の知るヤタガラスだけが最初に目覚め、活動していたのだ。

 そしてヤタガラスの死闘が切っ掛けとなったのか、また新たな個体も目覚めた。

 

「ヤタガラスがどれだけいるか分からないけど、数百羽と現れるかも知れない。それも世界中でね」

 

「……怪獣大戦争どころの騒ぎじゃないね。今度は核兵器も効かない怪獣が、大空を飛んでくるんだから本当にどうにもならない」

 

 たった一匹で日本から空路を奪い、自衛隊を壊滅させ、アメリカ軍にも被害を与えた大怪獣ヤタガラス。それが群れで現れるなど、悪夢を通り越して最早ジョークだ。間違いなく人類文明は間もなく崩壊する。

 しかし希望もあるのではないかと、百合子は思う。

 

「でも、それならヤタガラスが怪獣を全て食べ尽くすかも知れませんよね? そうしたら、また地球は平和になるかも……」

 

 ヤタガラスが獲物を食い尽くしては休眠するという生態があるとして、怪獣達がその例外になるとは思えない。恐らくヤタガラスは怪獣を好き放題に食べまくるだろう。

 怪獣達は凄まじい繁殖力と成長速度を持つ(それこそ一年も経たずに体長数十メートルの怪獣が幾つも現れるぐらいに)ため、ヤタガラスが大食漢でも中々食い尽くす事は出来まい。しかし最強の怪獣ヤタガラスには天敵がいないため、どんどん数は増えていく筈だ。最後は怪獣の『生産力』を上回り、食べ尽くすのではないか……

 

「まぁ、可能性はあるけど、何年掛かるか分かったもんじゃないわ。世代交代ぐらいはしそうだし、三十年は必要かも知れないわね」

 

「うぐ……」

 

 残念ながらその希望的観測は、かなり見込みのないものらしい。真綾にバッサリ切り捨てられてしまった。

 

「それに、アレ、見てみなさいよ」

 

 そして追い打ちを掛けるように、真綾はある場所を指差す。

 彼女が示したのは、百合子達がよく知る、地上に立つヤタガラス。

 ヤタガラスは激しい闘志を露わにしていた。怒りと呼んで差し支えない激しい感情は、それを見ているだけの百合子達の背筋を凍らせる。だがヤタガラスが見ているのは百合子達人間ではない。

 空を飛んでいる、二羽のヤタガラスだ。

 

【グ、グガアアアゴオオオオオオオオッ!】

 

 ヤタガラスは激しく吼える。お世辞にも友好的な感情を感じさせない、猛々しい咆哮だ。

 空飛ぶヤタガラス達はその咆哮を受けて、特段気にした素振りも見せない。むしろ、遠目なのであくまでも百合子の印象であるが……嘲笑うように目を細めているようにも見える。

 その顔が、堪忍袋の緒をブチ切ったのか。

 

【グガアアアアアアアアアアアッ!】

 

 怒り狂った叫びを上げながら、ヤタガラスは空にいる二羽のヤタガラスに向けて飛び立つ。間違いなく、荒々しい事を起こすために。

 二羽のヤタガラスも退かない。嘲笑う目付きは消え、獰猛さと狂気を宿した瞳に変わる。こちらも荒事上等と言わんばかりだ。

 

「どうにもヤタガラスは縄張り意識の強い動物みたいね。まぁ、大食漢の肉食動物ならそれが当然だと思うけど」

 

「……えっと、そうなると……?」

 

「ヤタガラスの数が増えて高密度化すると、仲間同士の争いが勃発する。それが次の休眠を促進するかも知れないし、個体数の『間引き』として機能するかも知れない。もし後者なら、許容する個体密度次第じゃ怪獣の繁殖力と釣り合うかも」

 

 肩を竦めながら語る真綾。それはつまり、もしかするとヤタガラスは永遠に地球を支配するかも知れないという事だ。

 しかもヤタガラス同士の戦いがあちこちで、絶え間なく起きる可能性もある。自然も怪獣も、そして人類文明も、何一つ例外なく滅茶苦茶にされるだろう。

 きっと今日までの七年間すらも比にならない、大きな変化が地球全体で起きるのだ。

 

「……あっ、ははははは! ははははは!」

 

 百合子がそう思っていたところ、不意に茜は大きな声で笑い出す。

 気が触れたのかと思ってしまうような大笑い。しかしそんなネガティブなものではない。

 吹っ切れたような、大笑いだ。

 

「うん。なんかもう、うじうじ考えるのは止めだ! 私はアイツが憎くて憎くて仕方ない! 何時かその面……ぶっ飛ばしてやる!」

 

 そして堂々と、復讐を諦める気がない事を言葉にした。

 ――――それは自分では叶えられない夢だと、きっと茜は分かっている。

 分かった上で『将来』に何かを残したいのだ。ヤタガラスが支配する事になる世界で、人が生き延びていくための方法……或いはそのヒントを見付け出すための礎になるという形で。

 

「ようやくマシな顔付きになったわね。前向きな研究なら、私も手伝うわよ」

 

 真綾は茜の気持ちを後押しする。彼女が言うように、今の茜は前向きだ。感情の本質が変わらなかったとしても。

 百合子も同じ気持ちだ。前向きな彼女を手伝うなら、喜んで手を貸す。

 そう、この新しい世界でも。

 世界は変わった。怪獣達に支配された世界から、ヤタガラス達に支配された世界へと。

 一体どんな世界になるのだろうか。

 ちっとも分からない。しかし今までだって、分かっていたつもりになっていただけだ。未来の事は分からないのが当然なのに、明るいものだと信じていただけ。つまり絶望を突きつけられたようで、実際には何一つ変わっていない。

 だから全力で生きるのみ。全力で、前を向くだけで良いのだ。人間以外の生き物は、そうやって日々を生きてきているのだから。

 そう考えれば、百合子は『今』の自分が何をすべきかもすぐに理解出来る。

 

「そんな進路希望言ってる暇があるなら、さっさと逃げますよ! どう考えても此処にいたらヤバいです!」

 

「おうよ! 未来に向かって脱出だ!」

 

「いや、それ自爆する時の……」

 

 百合子の言葉に、親友達はそれぞれの反応を示しながら走り出す。

 新時代の幕開けを告げるように、大空から七色の破壊光線が地上に降り注ぐのだった。



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