芽吹「薬師氏典膳は何者かって?ただの幼馴染よ」 (ቻンቻンቺቻቺቻ)
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薬の章
ストロングゼロ……ヨシ!


 

 そいつを初めて見た時の事はよく憶えている。

 私がまだ片手の指で年齢を数えられる頃の天気に恵まれた休日、父が縁側に出て次の仕事で建てる予定の建物の模型を制作していた時だった。

 

──パパ、その子だれ?

 

 いつの間にか庭に入り込んで父を、いや、父の手元と少しずつ確実に組み上げられていく模型を熱心に見ていた同い年くらいの男の子がそいつだった。

 私の問い掛けに父は手を止めずに一瞬だけそいつを見て、表情を変えずに無愛想な口を開いたのも憶えている。

 

──三丁目の神社の子だ。

 

 大人の足ならば歩いて行けるが子供が歩くには少し遠い場所にある神社、そこはこの日より数日ほど前に宮大工の父が建物の補修仕事で携わった場所だった。そんな場所からなぜ我が家を訪ねてきたのか、一人で来たのか、そもそも名前は、わからない事ばかりなので仕事の邪魔になってしまうかもと思いつつも父に聞いてみたが、父も何もわからないと無愛想に言っていた。

 なので、本人に訊ねてみた。

 

──ひとりできたの?

 

──うん

 

──どうして?

 

──うん

 

──……あなた、おなまえは?

 

──うん

 

 色々訊ねてみたがまるで話を聞いてはいなかった。何を聞いても父の淀みなく動き続ける手元と完成に近づいていく模型から視線を離さずにただ頷くだけ。

 当時の私にはそれがそいつの並みとは言い難い集中力の結果とは解らず、ただ無視されているのだと感じて少し腹を立てたのも憶えている。

 

──ほぅ

 

 私が少し腹立っているのとは反対に、いつもの無愛想に好奇の色を混ぜた父の瞳が私とそいつのやり取りを見ていたのは印象深かった。

 なんなんだこの子は、どうしたものか、と、思考していたのはほんの一瞬。悪戯するでもなく邪魔をするでもなく、何をするでもなくただ父の手元と模型を見詰め続ける男の子。なにか悪い事をしてる訳ではないのだから放っておけばいいかと決めたのはすぐだった。

 いつもよりなんとなく手の動きを遅くした父は自分の手元を見詰め、男の子も父の手元と模型を見詰め、私がその二人をぼんやりと見る。木を削る音や擦る音、時折吹くそよ風に庭の植木が葉を鳴らす音、言葉の無いまま時間がゆっくりと流れる。

 

 父の造る模型が完成に近付いた頃、珍客のそいつとは別に近所の大人が張りつめた雰囲気で訪ねてきた。

 

──薬師神社さん所の子が行方不明だそうでして、楠さんはなにか目撃してはいませんか?

 

──ここにいますよ

 

──えっ? あっ、いた……

 

 これは後から聞いた話だが、その日の朝、神社の境内にてお勤めをしていた人達や参拝に来ていた氏子達がほんの一瞬だけ眼を離した瞬間、本殿をぼんやりと眺めていたはずのあいつが煙のように姿を消してしまい、その場にいた人達が『神隠しか!』と大騒ぎしていたらしい。

 今ではもう私は慣れきってしまったが、神出鬼没なあいつの脱走癖と放浪癖はこの頃から周囲の人達を驚かせて困らせていた。

 

──お家の人達が心配してたよ、帰ろう

 

──うん

 

 大人を一瞥すらせずに頷いたそいつだったが、やはり、この時もただ頷いただけで大人が手を引いても動かなかった。

 そんなそいつを見て無愛想を珍しい苦笑に変えた父、それまでのゆっくりと動かしていた手の速度をさ変えていつも以上に加速した事も印象深くてよく憶えている。

 

──完成だ

 

 ほどなくして完成した模型、実際に建てる予定の物を精密に小型化した物。

 それを見て、ようやくあいつは頷く以外の反応を示した。

 

──!

 

 完成した模型と、無愛想に笑む父の顔のを何度も交互に見ながら明かりの点いた電球のように笑う。

 

──帰る

 

 そして、満足そうな顔で帰宅宣言。呆気にとられる私や近所の大人を置き去りにあいつは軽快な足取りで駆け出して庭を飛び出していった。

 

──あっ、ちょっ、待って! ……って、もういない!

 

 あいつを捜しに来ていた大人が一拍遅れて追い掛けるも、わずか数秒遅れただけで完全に見失っていた。

 

 あいつとの初対面はこんな感じで唐突な事ばかりだった。そして、この日以降も父が縁側で模型を組んでいるといつもどこからともなくあいつは唐突に現れるようになったのだ。もちろん、その度に近所の人達は『薬師神社の坊やが消えた』と騒ぎになっていた。まぁ、それも最初の数回だけでいつからかはあいつが脱走する度に誰かが真っ先に我が家を訪ねて来ては安心するようになっていた。

 

 とにもかくにも、あいつは幼い頃から脱走と放浪の権化で、自由気ままな猫を人の形にしたような奴だった。

 神出鬼没、自由奔放、何を考えてるのかまるでわからない。そう知っていた、知っていたけど毎回驚かされていた。

 

 そして、今まさにまた驚かされている。

 

 

「あ、メヴキ発見!」

 

 微妙に発音があやしい舌足らずな呼ばれ方、不意打ちで現れたあいつは何が楽しいのかニコニコと笑って猫のようなゆるい癖毛を揺らす。

 

「なんで貴方がここに?」

 

 本来ならばこいつが此処にいるはずがない、いてはいけない。ここは防人隊の活動拠点であるゴールドタワーの居住階、大赦の関係者ではあるが、防人隊の関係者ではないはずのこいつがここに現れるのはあり得てはならないはずだった。

 ここは部外者が入ってはいけない場所だ。脱走癖や放浪癖があるのは知っていたが、まさか侵入癖もあったのだろうか。と、考えたあたりで初対面の時もこいつは家の庭にいつの間にか侵入していたなと気付く。

 

「メヴキ確認、ヨシ!」

 

「この人メブの知り合い?」

 

 私からの問い掛けは答えず、暢気に私を指差し確認するマイペースさによって急激な疲労感に襲われて言葉を失っていると、これから一緒に昼食を摂ろうとしていた雀が困惑しながら首を傾げた。

 本当に何が楽しいのか指差ししたままニコニコと笑う視線と困惑と好奇心の半々な視線。どうにもめんどくさく感じる状況、それでも、まずはやらなければならない事がある。

 

「人に指をささない」

 

「ふぎいぃぃぃ……」

 

 自由奔放すぎてしばしば行儀さえも忘れるこいつを叱りつけて頬をつねる。これがこの野良猫みたいなこいつに一番効く薬だ。

 

「! ……訓練一辺倒なメブにまさかの親しい異性!?」

 

 困惑よりも好奇心の割合を大きく増やした雀の煩わしい視線が突き刺さる。

 

「これと? まさか。そういうのじゃないわよ」

 

「いふぁいぃぃぃ……」

 

「でもでも、ほっぺたにスキンシップなんかしちゃってとっても親しげに見えるよ! 違うんだったらむしろどんなに関係なのか余計に気になっちゃうよ!」

 

 口やかましくさえずる雀の瞳にはもはや好奇心の色しか見えず、根掘り葉掘りと聞き出すつもりでいるのがありありと見て取れた。

 非常に鬱陶しいがこれとの関係性を誤解されても面白くないし、隠すような関係でもない。

 

 幼馴染。一言でいってしまえばそんなものだ。

 しかし、なんとなくそう言う気になれなかった。

 

「宮大工をしているパパ……父のお弟子さん候補よ」

 

「…………ちぎれるぅ……」

 

「へー、メブのパパさんのお弟子さん候補なんだ。……そろそろ離してあげたら?」

 

「そうね」

 

 うっかり口を滑らせた部分をわざわざ拾いながら頷く雀。たが、納得しきったとは言い難い表情が見て取れる。

 

「それで、メブ本人とはどんな関係なの?」

 

「ほっぺをチネリ合う仲」

 

「適当な事を言わない! ただの幼馴染よ!」

 

 案の定追及を止めなかった雀にどう答えたものかと思案した一瞬、やや赤くなった頬を手で擦りながら口を挟む幼馴染。

 散々つねった事はあるがその逆は無い。こんな形での誤解は心底勘弁して欲しいので早急に誤解しようの無い言葉で関係を白状しておいた。

 

「んでんで、えっと……メブの幼馴染さんは──」

 

「あっ、僕は薬師氏(やくしじ)典膳(てんぜん)

 

「──あっ、加賀城(かがじょう)(すずめ)です」

 

「これは(くすのき)芽吹(メヴキ)ですか?」

 

「はい、これはメヴです」

 

『メヴ確認……ぃヨシ!』

 

 二人がそろって私に指差し確認。鬱陶しくて溜め息が漏れ出る。

 お調子者のきらいのある隊の仲間と自由人な幼馴染がこんなにも波長が合うとは思わなかった。この二人が邂逅するだけでまさかこんなにもめんどくさいとは。

 

「で、なんで貴方が此処に?」

 

「そうそう、私もそれを聞こうとしてたんだった」

 

 恐らくではあるが、放っておいたら何処までも話を脱線させ続けるであろう二人がふざけているのを無視して訊ねる。すると、典膳がどこか間抜けな表情で思考した後に口を開いた。

 

「どこまで喋っていい事なんだろ?」

 

「守秘義務があるかもしれないって事は大赦の関わる何かで此処に来たって事ね。……なんとなくで侵入してきていたのなら捕まえて外に放り出さなきゃいけないところだったけど穏便に済みそうね」

 

「うん、大赦の霊的医療班で作った薬届けに来たので。あとついでに僕の作った虫除けのお香も。それと、更についでに資料棚の組み立ても手伝ったりとか、書類がいっぱい増えちゃって棚のスペースが足りなくなってたららしいので」

 

「守秘義務をほのめかした直後に急に口が軽くなってる!」

 

 雀が困惑しながらツッコミをしているが、そこそこ長い付き合いのある私としてはこの程度の自由さでは欠片も驚きの感情が沸いてこない。

 

「なんで貴方がここにいるのかは解ったけど、ここはあまり部外者がうろついていい場所じゃないわ」

 

「へー」

 

「軽いなぁ」

 

「大赦のお使いが終わったのなら長居せずに帰るべきよ、ここは女子寮みたいな側面もあるから見咎められても面白くないでしょう」

 

 ここは防人隊の活動拠点、三十二人の中学生女子が寝泊まりする施設でもある。そんな場所に大赦の関係者とはいえ年頃の同じ男子が長居するのはあまり良いことではないだろう。

 

「お腹すいたので」

 

「は?」

 

「お腹がすいたので、ご飯です」

 

「は?」

 

「久しぶりにメヴキとご飯です」

 

「は?」

 

 何が楽しいのかニコニコ顔の典膳。

 たしかに今は昼時で健康的な生活をおくる者なら空腹を感じていてもおかしくはない。しかし、だからといって何故そうなるのか、色々と思考が飛んでしまっているとしか思えない。

 

「棚作りのお駄賃に食堂でのご飯です」

 

「……あぁ、そう」

 

 たしかにここの食堂は防人隊以外にもゴールドタワーに詰めている大赦の職員も利用している、一応は大赦の関係者でここの職員から許可も得ているのならば問題は無いのだろう。

 

「メブにお昼を一緒に食べる親しい異性が……!」

 

「……長い付き合いがあるなら一緒に食事する機会くらいあるでしょ」

 

「そういうものなの? 私に幼馴染といえるような相手はいないからわからないなぁ」

 

 激しい疲労感にのし掛かられながらもおののいている雀が変に騒がないうちになんて事無い事だと言い聞かせておく。

 納得したのかしてないのか、小首を傾げる雀。

 

「メヴキと一緒のご飯は久しぶりなので楽しみです」

 

「ただ同じテーブルに座るだけなのに何がそんなに嬉しいのかしらね……」

 

 本当になにがそんなに楽しくて嬉しいのか、小躍りしそうなほどにニコニコと笑う自由な幼馴染に溜め息を隠せなかった。

 

 

 

 

 "やりたい事"と"やるべき事"は違う。でも、私にとってその二つは同じ事だった。

 勇者。私はそれをやりたくて、やるべきだと思っていた。

 でも、私は勇者をできなかった。

 

 私に勇者の素質があると知り、父や親戚の人達に送り出されたあの日から多くの事をなげうって自身を高めることに費やし、それこそ文字通り反吐を吐くほど努力を重ねた。

 でも、私は勇者に選ばれなかった。

 

 才が無かった訳では無いと思う。才が無かったとしてもそれを言い訳にするつもりも無い。私は全力を尽くして最後の最後まで選考に残り、そして、その座を逃した。

 私は、私の"やりたい事"であり、私が自分に"やるべき事"だと決めた勇者になれなかった。

 

 今でも何故私が勇者になれなかったのかわからない。

 でも、できなくて、選ばれなくて、なれなかったからこそわかる事が一つだけある。

 "やりたい事"も"やるべき事"も、どちらも不足無くやれている人間は毎日に鬱屈とした感情を持たないという事だ。

 

「──って事があって、熱中症対策に缶ビール用意してみました」

 

「わたくしはそういった面で物事を知っているとは言い難いのですが……真面目にお仕事なさってる最中の職人さんにお酒を振る舞うのはあまりよろしく無いのでは?」

 

「酒で手元狂わせながら適当な仕事させる気かってお師さんに怒られましたので」

 

「お仕事中にお酒は……よくない」

 

 思わず頭を抱えてしまいそうになる馬鹿話を大真面目に語る典膳。食堂にて合流した防人仲間で丁寧な口調の弥勒(みろく)夕海子(ゆみこ)と物静かな山伏(やまぶし)しずくが困惑するなり正論を返すなりとそれぞれ反応を示していた。

 

 幼馴染、薬師氏典膳。小規模ではあるが由緒正しい神社の家系に産まれた一人息子。神童(しんどう)だとか依童(よりわら)だなんて呼ばれているある意味での天才であり、多くの神職関係者から神社を継ぐ事と大赦にて勤める事を望まれている男子。うわべだけの特徴を箇条書きにすればまるで凄い人物のような男子だが、実態はもの作りが好きな変な奴。

 "やるべき事"として神職を周囲に望まれ、本人は"やりたい事"として私の父のような宮大工を望む。そして、そのどちらにおいても恵まれた才を持つ。

 そして、その才を十全に活かせるように陰ながら努力を積んでいる。

 

──これを一人で作ったのか

 

──うん、ダメなところを教えてほしいです

 

 いつだったか、父の模型作りを見続けてしばらく経った頃に典膳が自分の作った模型の評価を父に求めた事がある。それは単純な形の小屋を模し、全体の形はどこか歪んでいて指で少し押せば簡単に揺れる、当時の私から見てもわかる程度にはあまりよろしくない出来の代物だった。

 

──具体的にいうならほぼ全部だ

 

 無愛想な父も出来そのものに対しては言葉短かにそう評価していた。

 そして、その後に無愛想ながらも面白そうに言葉を続けていた。

 

──接着剤を使わない組み立てか、俺の真似をしたのだろう。ずっと熱心に見ていたのはやっぱり技を盗もうとしていたのか

 

──ドロボウはしませんです

 

──そうか、盗みはしないか。なら盗まなくていいように少しだけ教わってみるか?

 

 それが父にとって気まぐれだったのか、多くの人が認める父自身の技術を誰かに少しでも継承したいと思ったからなのか、それとも私にはわからないであろう"男同士で通じるナニか"というやつが父と典膳の間にできたからなのか。見ていただけの私にはわからなかった。

 

 ただ、父は『あの熱意は半端者では持ち得ない才だ』と典膳を評し、技を盗もうと熱心な姿を快く思っていたのは確かだった。

 

 熱意、一生懸命とも言い換えれるその姿勢、それこそが典膳の才なのだろう。熱意があるからこそ多くを学ぼうと励み、多くを学ぶからこそその多くが実になる。

 神職関連の事についても熱意をもって励んでいるのだろう、ほんの僅かな空き時間をも利用して難しい顔をしながら古びた雰囲気の書物を熱心に読み込む姿を見る事は多かった。

 

──なにを読んでいるの?

 

──これはひでんの書、家につたわるいろいろが書いてあるです。とてもおもしろいので覚えますので

 

──これ……むずかしい字がたくさんね。読めるの?

 

──読めない字もそのまま覚えて読めるくらいあたま良くなったら内容をおもいだす予定です

 

──? ……?? 読めないのにおもしろいの?

 

──読めなくてもふいんきでわかるところもあるです

 

 実際にそんな勉強方法で祝詞を暗記していたりしたのだから侮れない。どうにも首を傾げてしまうような勉強方法ではあるが、熱意と結果は本物だったはずだ。

 

──そう、でも歩きながら本を読むのは危ないからやめなさい

 

──いっぱい読みたいので! 仕方ないことなので! 読みま、あっ、ぬわー!

 

 そういえば、あの時見事に転んで典膳と共に水溜まりへと落ちた秘伝の書とやらはどうなったのだろうか。由緒正しい神社の家系が伝える書物が一人の間抜けのせいで駄目になってたとしたらなかなかに悲惨な事なのではないだろうか。

 間抜けな言動はともかくとして、目の前の事に対して常に熱心なこの幼馴染は過程の失敗はあれど常に良い結果を掴んでいる。いや、良い結果を掴むまで熱心に挑んでいるというのが正しいのだろう。

 

 これは、普段の言動に隠れてしまいがちだがこの間抜けな幼馴染の唯一尊敬すべき面かもしれない。

 負けてはいられない。

 私は勇者の選考に落ちた、それは事実だ。だけど、それで金輪際勇者になれないと決まった訳ではない。

 

 負けては、いられない。

 

「そういえばさ、薬師氏さんはメブの事を探してたみたいだけどよく見つけられたね。ここ(ゴールドタワー)って意外と広いのに」

 

「手当たり次第に『メヴキを捜してます』って聞いて回ったからすぐに見付けられました」

 

「は?」

 

 手当たり次第? 防人隊も、大赦職員も、出会う全ての人に聞いて回ったという事なのだろうか。

 

「怪しまれたりしたけど僕は元気です」

 

「それは、まぁ、見知らぬ男性がここで人捜しなんてしてたら怪訝に思われましてよ」

 

「なので『大赦からきました、こういう仲です』って言ってこれを見せたらみんなニッコリしながら快く教えてくれた」

 

「っ!?」

 

 言いながら、典膳が取り出したスマホの画面には幼い頃の私と典膳の姿。それだけならまだいいが、写っている格好が問題だった。

 

「七五三……?」

 

「メブにもこんなかわいくてちっちゃい時期が!?」

 

「華美にして可憐。素敵な衣装ですわね。けれども、弥勒家に伝わる衣装も引けをとってはいませんわよ!」

 

「これを会う人全員に見せながら歩いたって言うの!!?」

 

 神主姿で無駄に誇らしげな典膳の横に並ぶ七五三衣装で無愛想な過去の自分、別に恥ずかしい行為をしていた訳ではないし恥ずかしい姿のはずでもないのに他者に見られるのが不思議と猛烈に羞恥心を覚えるそれを不特定多数の第三者に見せびらかされた事実に戦慄する。

 

「神官の家系で大赦の関係者だから不審者じゃないってわかる上に、メヴキとは氏子さんと(はふり)さん*1の関係だって一目でわかる素敵な一枚ですので!」

 

「なるほど、更に言うなれば幼馴染である事も証明できますわね。典膳さんは意外と賢いようですわ」

 

「メブは何をそんなに慌ててるの、とってもかわいく写ってるじゃん」

 

「楠は小さな頃から楠の顔してる」

 

 私の羞恥に理解を示す人も共感する人もいなかった。

 どうにも言葉がでなくてただ額を押さえてしまった。

 

「夏祭りミニマムメヴキと一緒に写ってる写真と迷ったけど七五三のほうが説得力ありそうでした」

 

「へー、ちっちゃなメブの浴衣姿かわいいじゃん」

 

「小さな楠が綿飴片手に典膳のほっぺを引っ張ってる」

 

「こちらの写真では厳かな雰囲気より楽しげな空気の方が目立つようですから、 大赦の一員としてアピールするなら先ほどの写真の方がたしかに有効そうですわね」

 

「軽率に他人の写真を拡散しない!」

 

 気恥ずかしさを誤魔化したい気持ちは否定できない。しかし、それはそれとして常識から外れた行為を注意するために隣の席に座る典膳の頬を引っ張る。

 

「ふぎいぃぃぃ……」

 

「楠と薬師氏、なかよし」

 

「わたくしとアルフレッド*2も気安い仲だとは自負してますけどこのような触れ合いはさすがにありませんわね」

 

「ほっぺをつねる執事がいたら見てみたいよ、いや、むしろ執事そのものっていうかアルフレッドさんとやらを見てみたいなぁ」

 

「……機会があるのならば会う事もきっとありますわ」

 

「盛り上がってますね皆さん、私もご一緒してもいいでしょうか?」

 

 テーブルを囲む皆で好き勝手に口を開く中、不意の方向からの聞き慣れた声に振り向けば小柄で長い蜂蜜色の髪をした国土(こくど)亜耶(あや)の姿。今テーブルを囲んでいる顔ぶれから典膳を抜けばこれでいつも自然と集まってしまう顔ぶれとなる。

 

「典膳先輩がこちらにいらっしゃるのは珍しいですね、お久しぶりです」

 

 にこやかに微笑みながら私の摘まむ頬の先と眼を合わせる亜耶、明らかに親しみを抱いているであろう姿に二人には顔見知り以上の親交があると察して驚く。

 摘まむ力の弛んだ指から典膳の頬がぷにゅんと抜けた。

 

「お久しぶり! おひさしぶり? そんなにおひさしぶりだったかな? 前会ったのいつだっけ?」

 

「えーと、夏の盛りに交流会で花火をした時なので二月くらい前ですね」

 

「二月! 久しぶりだね!」

 

「亜耶ちゃんと薬師氏さんって知り合いだったの?」

 

 私だけではなくテーブルを囲んでいた全員が驚いてる中で朗らかに会話を続けながらそっと席から立った典膳が空いてる席を引き、亜耶も会釈しながら椅子にちょこ

んと座る。そして、話題の間隙に雀が疑問を抱えていた皆を代表するように首を小さく傾げながら問い掛けた。

 

「はい、神職交流会とかでお世話になってるんです」

 

「神職交流会?」

 

 肯定の返事に含まれていた耳慣れない言葉に聞き返す雀。弥勒としずくもそれが気になったのか亜耶への注視を強める。

 

 だが、私はそれよりも気になる事がある。

 自然に動いていたから流してしまいかけたが、たった今、典膳が亜耶のために椅子を引いて座らせた事だ。

 

「はい、余り外に出る機会の無い巫女と大赦の外で勤める神職さん達とで交流して仲良くなりましょうっていう会です」

 

 典膳が、自由奔放かつ言動もどこか幼稚な典膳が誰かのために椅子を引いた。粗暴な訳ではないが気配りや紳士的という言葉からは遠い存在であるはずの典膳が女子のために椅子を引いてあげた。

 まさか、の思いが鎌首をもたげる。

 

「へー、そういうのがあるんだね」

 

 私は典膳が誰かに対して今のようなわかりやすい気配りのある行動をしたのを見たことがない、私自身もされた記憶はない。典膳が今のような気配りをしたのは亜耶が唯一の可能性すらある。

 そうだとするならば、典膳は亜耶にとってなんらかの特別な存在の可能性も出てくる。

 まさか、の思いが膨らむ。

 

「色々な場所に行って色んな物事を見て聞いてをした典膳先輩のお話は私や他の巫女にとってとても新鮮に感じられる素敵なお話なので、皆は交流会で典膳先輩とお話するのを楽しみにしてるんですよ」

 

「典膳さんはお喋り上手なのですね」

 

 私自身はそういった話には疎いと自覚しているが、防人隊の仲間が楽しげに恋愛の話をしているのが耳に入ることがある。同い年である典膳も彼女らと同じように恋愛に興味を持っていてそういった願望を抱えていてもおかしくはない。

 どうにも稚気の強い人間ではあるが、典膳もいわゆる"思春期"とよばれる年齢なのだ。

 

 まさか、亜耶に対して、愛らしい女子である亜耶に対して典膳は男子としてアプローチしているのだろうか。

 

「実はお喋り上手なエリートです」

 

「全然それっぽく見えないけど大赦の霊的医療班の関係者でもあるんだったっけ。医療関係者って表現するとホントにエリートっぽく見えてくる気がするような……しないような……」

 

「お喋り上手はなんとなくわかる、薬師氏は初対面なのに話しやすい……ニコニコしてるし背が小さいから威圧感無い」

 

「交流会のお話だけじゃなくて、巫女が修練を積む施設でちょっと困った事があったらいつも典膳先輩がすぐに解決してくれたりと、巫女の多くは典膳先輩にお世話になってるんです」

 

 ゴールドタワーに招集される少し前くらいにも建て付けの悪くなった引戸を直してもらった。と、嬉しそうに語る亜耶。巫女は細腕のものばかりだから皆毎回その引戸を開けるのに苦労していたからとても助かったらしい。

 

「作るのはできないけど直すならそこそこ程度なので。お師さんの腕を見てればとても勉強になるので!」

 

「すごいんですよ、典膳先輩が(かんな)*3っていう道具でスーッと表面を削ったらそれまで重たかった戸がとっても軽くなったんです」

 

「器用ですわね」

 

 父の仕事を見て盗んだのならば日曜大工に困る事は無いだろう。私にとってそれは驚きなんて無い当然の事だ。やはり、驚くべきは典膳と亜耶の距離感の近さだ。

 仮に、典膳が本当に亜耶に対して恋愛的な意味で強い興味を抱いているのなら、もしかしたら意識して距離感縮めて自己アピールしているのだろうか。そして、対する亜耶もその距離感に忌避の気持ちを抱いているようには見えない。むしろ、好意的に見ている気配すらある。

 

「そういう訳で、巫女はみんな典膳先輩をとても頼りにしてるんです。私も小さな頃からそうですしね」

 

「頼りになる典膳、頼りになる典膳をよろしくおねがいします」

 

「急に選挙街宣!」

 

「小さな頃から……薬師氏と国土も幼馴染?」

 

「年に何度かしか会えてませんが、もしかしたらそう言う関係なのかもしれませんね」

 

 楽しそうにふざける典膳と雀をよそに首をささやかに傾けたしずく。それに対して亜耶が曖昧な言葉ながらもハッキリとした口調で答える。

 何故か、その言葉に私は典膳の見慣れない心配りな行動を見た瞬間よりも驚いてしまった。

 

「あっ、えぇと、"も"って事は典膳先輩と誰かも……?」

 

「メヴキとは五つの頃から付き合いがあるので、お師さんのお仕事を見せて貰う時はいつもメヴキが一緒ですので」

 

「えっ! それじゃあ何度かお話に聞いてたお師さんのお家の娘さんって!」

 

「メヴキです、楠さんちのお家のメヴキをよろしくおねがいします」

 

 大きく眼を開けて驚く亜耶が私と典膳を何度も交互に見る。そして、私も驚きと困惑が冷めやまぬままつられて亜耶と典膳の間に視線を往復させる。

 

「私の幼馴染の幼馴染は私では無くて、私は知らないけど私ではない幼馴染は私を知っていて……?」

 

 亜耶は多少知っていたようだが私はなにも知らなかった。なんだ、なにが、わからないのかがわからなくなってきた。

 そういえば、典膳は昔から独特な感性によって発される不思議な事を言っては周囲を老若男女問わずに混乱させる事があったなと不意に思い出す。 

 たぶんだけど、典膳は周囲の知能を下げる電波を発している。

 

「あ、メブが混乱してる」

 

「どちらも幼馴染でよろしいのではなくて?」

 

 雀の一言に軽い混乱を自覚したので一呼吸の間で思考を落ち着かせようと努める。そして、落ち着きを取り戻したはずの思考で最初に理解したのは、典膳が他者に私の事を話す時は"幼馴染"という言葉ではなくて"師の娘"という迂遠な表現を使っていたという事実だ。

 なにやら妙に腹立たしい。しかし、私もほんの少し前に"父の弟子"と表現していたのでお互い様かもしれない。

 

「何処まで話していいのかわからないからメヴキには大赦での事はあんまり話してなかったかも」

 

「なにやら人間関係がからまってるね」

 

「幼馴染に自分の知らないもう一人の幼馴染がいたのと、幼馴染がよく話題にしていた人物と既に友人だったという事ですわね」

 

「修羅場……?」

 

 好き勝手な事を言いながらも三人も驚きの気配と状況を面白がっている気配を隠せていない。

 

「うん? ……うん、だいたいわかった」

 

「何がわかりましたの?」

 

「紹介します!」

 

「私は薬師氏が何を言ってるのかわからない」

 

 面白がりながらも驚いていた空気が困惑一色に染まるが、その場全員の視線が集まった典膳はそれに構うこと無く言葉を続ける。

 

「こちら、国土さんちの亜耶です。神職仲間で妹分みたいなかわいい子です」

 

「妹、ですか……」

 

 私を見ながらピンと伸ばした指で亜耶へと指差しする典膳。亜耶が嫌ではなさそうな微笑みを浮かべた。

 亜耶への認識が妹分だという言葉が妙に安心感を覚える。これはきっと、典膳が亜耶と恋愛的な意味でお近づきになってしまった結果、典膳の自由さに亜耶が困らせられるという事は無いとわかったからだろう。

 

「こちら、楠さんちのメヴキです。お師さんの娘さんで五つの頃からの付き合いです。人生の半分以上の付き合いです」

 

 満足そうに一度だけ頷いた典膳が亜耶に向き直り、今しがた私にそうして見せたように亜耶へと紹介する。

 

「えぇと、只今ご紹介にあずかりました、国土亜耶です。芽吹先輩、改めてよろしくおねがいします?」

 

「こちらこそよろしくおねがいします……?」

 

 小さな体を丁寧に動かし、整った仕草で一礼する亜耶につられて礼を返す。

 なにがなんだかよくわからない。

 

「なに、この……なんだろうこれ?」

 

「わからない」

 

「礼儀正しいのは良い事ですわ?」

 

 私の頭がおかしくなってしまったのかと疑問に思えるほどなにがなんだかよくわからない。

 しかし、解る事が一つだけある。

 

「人に指をささない」

 

「ふぎぃぃぃぃ……」

 

 幼馴染の行儀の悪さを注意しなければならないという事だ。

*1
「はふり」神に奉仕する人の総称、神職の人を示す。他にも細かい意味をもったりする言葉だがこの作品を読むに当たってそこまで深い知識は必要無いので割愛

*2
「わたくしのアルフレッド……貴方に暇を与えます」

『ふむ、とうとう解雇ですか?』

「言葉を選ばなければそうなりますわね」

『つまり子供同士の口約束で始まったなんちゃって主従関係を終わらせると?』

「そうなりますわね」

『ふむふむ、別に給料の発生しないただのお茶汲み係ってだけだったから別に構いやしませんがね、どうしてこんな急に?』

「弥勒家の娘が召使い相手に色恋沙汰なんて醜聞ですわ」

『む?』

「わたくしのアルフレッド、今から貴方とわたくしは主従ではなく対等という事ですの」

『むむむ?』

「わたくしのアルフレッド、ずっと、貴方をお慕いしていましたわ」

『む』

「従者ではなく、これからは伴侶としてわたくしと共にいていだけませんか……?」

『……勿論さ、愛しい夕海子。これからも君の傍にいるよ』

 

っていう過去も未来も無いし没落した家だとしても自らの血に誇りを持って堂々と気高く在る弥勒ただ1人のために紅茶の勉強を頑張ってお茶上手になったパーフェクト執事アルフレッドもいない、現実は非情なのだ。"弥勒夕海子は没落貴族である"略して"みゆぼ"。大事な事だから繰り返す、現実は非情なのだ。

*3
「鉋」木工用の工具の1種で、主として材木の表面を削って加工する目的で使われる。鰹節みたいな削りカスを出すやつ。削りカスをちぎらずに長く、向こう側が透けて感じるくらいに薄く削れるとカッコ良くて気持ちいい。




 
 
 
 
 
 
 
安芸仮面「今日も来たのですか、薬の補充は昨日分でしばらくは足りるはずですが」
安芸仮面「私個人に届け物?」

ストロングゼロ

安芸仮面「…………??」
安芸仮面「今夜はこれを飲んでから寝ろと……?」
安芸仮面「天才と呼ばれる類い人物の考えは相変わらすよくわかりませんね」

安芸仮面は悲しくてツラい夢も光輝いているけど目が覚めた時に現実がツラくなる夢もみない深い眠りにつきました、久しぶりに良い目覚めだったようです。


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脱皮……ヨシ!

 

 その日の訓練を終えるため、私達はクールダウンのストレッチをしていた。

 

「うわっ、なんか痒いなって思ったらいつの間にか蚊に刺されてる。やだなぁ」

 

「どこかから蚊が入り込んでるようですわね、職員に言って蚊取り線香を点けて貰いましょう」

 

「お嬢様と蚊取り線香、絶妙にそれっぽくない組み合わせ」

 

「虫刺されに悩む方が名家らしくなくってよ」

 

 ふとした雀の呟きに弥勒としずくが反応してお喋りをする。防人としてゴールドタワーに招集されてから幾度と見たなんてことない光景。

 

「そういえば、今年は例年よりも蚊が多かったと聞きますわね。そのせいか涼しくなってきたのにまだ蚊が元気なようですわ」

 

「もう治ったけど、私も先週虫に刺されてた」

 

「かゆい~……。なんで虫刺されって気付いちゃったら余計に痒く感じるんだろ?」

 

「わかる、気付いたらもっと痒くなる」

 

「実は私も虫刺されがありますけど掻きむしるのは優雅ではないので必死に我慢していますの」

 

「しずくと弥勒さんも刺されてたんだ、もしかしてメブも?」

 

 毎度の事ではあるが虫刺され等の小さな事柄でよくもそんなに会話が続くものだと感心していると、思い付いたように雀が問い掛けてきた。

 

「私は不思議とあまり虫に刺されないから、もう十年近く刺されてないわ」

 

「えーー、うらやましいな~」

 

 どれだけ記憶を掘り下げても思い出すのはまだ小さな子供だった頃に虫刺されの薬を父に塗って貰った記憶で、あまりにも記憶が古すぎて虫刺されがどんな感じで痒くて煩わしいのかさえ朧気ですらある。

 

「今年は蚊が多いっていうのは私も聞きはしたけど、蚊が飛んでる所も見てないし微妙に耳障りな羽音も聞いてないわね」

 

 蚊の羽音なんて嫌な高音で耳障りだということしか覚えていない。具体的にどんな音だったかなんて頭のなかで再生できないほどに私は長らく蚊と遭遇していなかった。

 

「遭遇すらしないのは不思議ですわね。私自身に流れる弥勒の血が蚊さえもを魅了してしまうのか、この両手で不埒者を葬る事数知れずでしてよ」

 

「素手で虫を潰すお嬢様?」

 

「血液を無抵抗に強奪され続けるのは名家らしくなくってよ」

 

「もしかして、蚊がメブに恐れをなして逃げ出してるんじゃない? 蚊取り線香や虫除けスプレーよりもメブの方が殺虫効果が強いとか」

 

 冗談めかす雀。人を殺虫剤扱いするとはなかなかにいい度胸をしていると思う、是非ともその度胸を防人の任務に生かして欲しいものだ。

 

「虫が寄ってこない。それはもしかしたら、典膳先輩の影響があるかもしれませんね」

 

「え?」

 

 不意打ち気味に掛けられた言葉に振り向けば訓練を終えた防人達が体を冷やさないように汗を拭くためのタオルを配っていた亜耶の姿。差し出された柔らかいタオルに礼を言いながら受け取り、視線で話の続きを促すと亜耶は言葉を続けた。

 

「典膳先輩のご実家である薬師神社は主にスクナビコナ様をお祀りする神社で、そのスクナビコナ様は神格としてお薬の神様だったり禁厭(きんえん)……おまじないの神様だったりするんです」

 

 そういえば、そんな話を典膳から聞いた覚えがあるような……いや、無かった。近所の人達がそれっぽい事を言っていただけだ、典膳自身は私に家や大赦の事をあまり話さないからだ。

 

「そして、スクナビコナ様のおまじないは鳥獣や虫の害を払うものがよく知られていて、とっても御利益を授かってる典膳先輩と小さな頃から一緒にいた芽吹先輩なら影響を受けていてもおかしくないはずです」

 

「へー、御利益! なんかすごそう!」

 

「典膳先輩は今まで一度も虫に刺された事が無いそうです。この前に少し話した交流会の時も典膳先輩の周りにだけ虫が寄ってこなかったんですよ」

 

「御利益が虫除けスプレーの効果……ありがたいような微妙なような」

 

「虫除けスプレーの形容しがたい鼻の奥でモゾモゾする臭いを感じなくても虫が寄り付かないのなら素晴らしい御利益だと私は思いますわ」

 

 眉唾な話にも聞こえる微妙に不思議で曖昧な話にまたも盛り上がる仲間達。その楽しげな様子を見ながら典膳の事でどうでもいい事を少し思い出した。

 

──今年こそクワガタムシもカブトムシも捕まえますので!

 

──へぇ、そう

 

──メヴキも一緒に行く?

 

──いかない

 

 

──今年もダメでした……

 

──そう、器用な癖に虫採りは下手なのね

 

 

──鈴虫とコオロギの音をいっぱい聞いてみたいです

 

──え? 毎日そこら辺で鳴いてるじゃない

 

──近付くと全部黙ります

 

──大人はいっぱい寄ってきて難しい事話すのに虫はウンともスンとも言わないのね

 

 記憶にある限り典膳はとことん虫と縁が無いのだ。それこそ、亜耶の言うとおり神様の御利益とやらが介在しているのではと信じれるほどにだ。

 

「そういえばさ、スルーしかけたけど御利益たっぷりってどういうこと?」

 

「さぁ? なんか凄いらしいけど詳しく知らないわね」

 

 首を傾げながら私に視線を寄越した雀。私達が幼い頃から大人達は典膳を『神童』やら『依童』などと呼んで大切にしていたのは知っているが、私から見た典膳は典膳でしかなくてよくわからないのでそう答えた。

 

「国土さんのように巫女のような何かでいらっしゃるのでしょうか?」

 

「えぇと、どこまで喋っていい事なのか難しいです」

 

 典膳の癖に秘匿されるべき何かを抱えているのだろうか、今まで特に気にした事は無かったが隠されていると知ってしまったせいか無性に典膳の秘密とやらが気になってきてしまった。

 

「ご近所さん達は『神童』とか『依童』ってよく解らない呼称で典膳を呼んでたわ。その辺りはご近所中が知ってたみたいだから大丈夫なんじゃないかしら」

 

「あっ、大々的に公表されはいないのでしょうけど、厳重な秘匿もされてないみたいですね」

 

「公然の秘密というやつですわね」

 

 典膳の秘密は呼称を調べれば全部知れる程度の秘密だったらしい。この微妙さが実に典膳らしい気がした。

 

「率直に言えば、典膳先輩はその身に神様を降ろされたお方なんです」

 

「は?」

 

「あっ、神様をまるごとじゃなくて、ほんのちょっと端っこだけみたいな感じではあるらしいです」

 

「は?」

 

「体も神様が少しだけ干渉したものらしいですね」

 

「は?」

 

「もしかしたら、典膳先輩のために神社を新しく建てて御神体として祀られてたかもしれないお方です」

 

「は?」

 

 まるでいみがわからない、言葉はちゃんとわかったけどが理解がちょっと斜め上でいくえふめいになってる。

 

「え? 神様が少し入ってて体も少し神様? え? もしかして、薬師氏さんってすごくスゴい人……人? だったりする? 私、この前フレンドリーに接してたけど実はとんでもなく失礼してたの? え? やばいやつ? 末代先まで祟られ……むしろ、私が末代に?!」

 

 雀も目を丸くして混乱している様子で、言葉を発してはいないが弥勒もしずくもひどく驚いているのが見えた。そして、直後に三人が一斉に私を見た。

 

「そんなに見られても何もわからないからなにも言えないわよ」

 

 神様云々なんてまったく知らずに今まで接してきたのだ、知らずにいてもなにも不都合なんて無かったし周りの大人に咎められた事もない。典膳は典膳として認識していたので今更神様だなんだと言われてもよくわからない。典膳はどうあってと典膳だ。

 あぁ、そうか、別に今まで問題無かったし典膳はしょせん典膳なのだ。肩書きがどうであろうと何が変わる訳でもないし別に困る事も無いのか。

 

「考えてみたら典膳は典膳だから特に何がある訳でも無いわね」

 

「え? それでいいの? 祟りとか無いの?」

 

「接し方で祟りがあるならこれでもかって典膳の頬をつねった私は今頃どうにかなってるわよ」

 

 露骨に安堵の息を吐く雀。対して今度は亜耶が少し目を丸くさせた後になにやら納得したように微笑みながら頷いた。

 

「典膳先輩が芽吹先輩の事が好きな理由がなんとなくわかりました」

 

「は?」

 

「やっぱりそういう関係だったの!!?」

 

「実は恋愛関係……?」

 

「これは驚きですわね、でも祝福させて貰いますわよ」

 

 瞬時にざわめく三人、気のせいか離れた場所にいた防人達の意識も私達に向けられたのが感じられた。いや、思い思いにお喋りしていた防人達の声が途絶えた上にストレッチを終えて自室に戻ろうとしていた防人も足を止めてこちらを横目で見ていることから気のせいではないらしい。

 

「典膳先輩は恭しく接されるのではなくてなんでもない普通の人として扱われる方が喜びますから、ずっと普通のお友達として接している芽吹先輩の事が好きなんですね」

 

「友達……ラブじゃなくて、ライク……?」

 

「あー、そっちかぁ。ちょっとビックリしちゃった」

 

「え? ……あっ、すいません。なんだか紛らわしい言い方をしてしまったみたいですね」

 

 瞬時に気の抜けた空気に変わり、周囲から感じていた視線も一呼吸の内に霧散する。

 

「さすがに私も驚いたけど、そもそもアレは迷子になってるか部屋にこもって難しい本を読むか怪しい植物を擂り潰してるかしかしないような奴だし、そういう関連の事は頭に無さそうな奴だったわ」

 

「迷子が日常茶飯事ですの?」

 

「アレの迷子癖は酷くて、山にある地元の人にも知られてなかった祠の中に閉じ込められてるのを発見された事もある奴ですよ」

 

「えぇぇ~、それってもう迷子じゃなくて一種のホラーじゃない?」

 

「迷子? ……それ、迷子……?」

 

 ご近所の人達があの日も『また典膳くんが迷子になっておられる』と笑いながら周辺一帯を捜して歩いていたのを覚えている。さすがに陽が暮れてきた頃まで捜しても見付けられて無かった時は大人達が焦りや心配の表情をしていたが、たまに薬師神社で見掛けていたお姉さんが典膳を山から連れて帰ってきた時には『今回は少し胆の冷える迷子だったな』と大人達は皆笑っていた。なので、あれも迷子としてカウントしても問題無いのだろう。

 

「楠のご近所さん達は感覚がちょっとおかしい」

 

「そうかしら?」

 

「何があっても動じなさそうなご近所さん達ですわね、懐が広いのでしょうね」

 

「蓋がされてる廃井戸の中で迷子になってた典膳が見付かった時はさすがに誰もが動揺してたわよ」

 

「あっ、その話は私も典膳先輩から聞いたことあります。うっかり吸い込まれて蓋を閉められちゃったらしいですね」

 

「吸い込まれて!!? なにそれ! 誰が蓋を閉めたの! やっぱりホラーじゃん!!」

 

 亜耶の言葉にぎょっとした雀が大袈裟におののく。吸い込まれたというのは私も初耳なので驚いてしまった。

 

「交流会で怖い話を皆で話してた時に教えてくれたので、ちょっと作り話もまぜてるのかもしれませんね」

 

「どちらにせよ井戸に落ちてたのは本当ですのね」

 

 はぁー。と、あきれたようにも感心してるようにもほうけているようにも見える気の抜けた吐息を吐く弥勒。華美に整った容姿と真反対なとぼけた仕草なのに、それが違和感なく似合っているように思えた。

 それはともかくとして、亜耶の言うように典膳がなにやら神々しそうな秘匿されてない秘密を抱えている神秘的で凄い人物だとしてもしっくりこない。なにせ、典膳の迷子ネタや鼻で笑えてしまうエピソードはちょっとやそっとじゃ語りきれないほどの量があるからだ。

 

「虫が寄ってこないのと井戸に落ちてた話で思い出したけど、蛭が大量発生してた小さな沼に手作りの殺虫剤を投げ込もうとしたら足を滑らせて頭から落ちてた事もあったわね。沼底の泥に顔をめり込ませて溺れてたわ」

 

「薬師氏のエピソードは一つに対して情報量が多い」

 

 翌日には蛭のほとんどが姿を消していたのは御利益とやらの力なのか殺虫剤の効果なのか。たしか、その沼は今では大きな鯉やタニシの生息している子供の遊び場になっていたはずだ。

 

「日常的に大ケガしてそうな事故に遭ってますわね、今の本人が元気なようなので問題は無いのでしょうけど」

 

「今のお話は私も聞いた事のないお話でした。よろしければ他にも典膳先輩のお話を聞かせて欲しいです」

 

「典膳の話なんて大概が迷子の話か失敗談よ? それでいいなら話せるけど」

 

 是非に。と、喜ぶ亜耶と興味津々な三人。別に話なんて減るものでもないので食堂で空腹を満たしながら色々と話をする事になった。

 

 


 

 

 本人のいない場での失敗談にわずかな後ろめたさを覚えつつも聞く側がそれなりに盛り上がってしまっていたのはしばらく前の話。その数日後にあった一回目の結界外調査に心が折れて除隊した数人の穴を埋めるために補充された者達の極々最低限の訓練が完了し、これから二回目の結界外調査が始まろうとしていた。

 

「総員戦闘準備!」

 

 神樹が築いた結界の壁上、安全祈願の祝詞を唱えた亜耶と仮面の神官が見守る中でスマートホンを取り出して操作、若草色の防人装束を身に纏う。

 

「今回も密集陣形でいくわ、二回目の隊員は不馴れな隊員のカバーを意識するように!」

 

 了解の返事を返す隊員達から感じるのは緊張の気配。強張ったような表情の者が多いが気が抜けているよりは断然良いだろう。この先はいわば死地でもある、一切の油断は許されない。

 機敏に動く防人達が号令を合図に陣形を整える、それを確認して大きく息を吸った。

 

「任務中の欠員は許さないわ、総員出撃──」

 

「ふに゛ゃ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!」

 

「──は?」

 

 準備万端、いざ出撃しようとした所で何処からか耳に届いた情けない悲鳴に出鼻を挫かれた。

 つい反射的に雀へと視線を向けてしまったが、雀もきょとんとした表情で周りから向けられる視線にキョロキョロと視線を返していた。

 

「え、私じゃないよ?」

 

「雀さんの他にこれほど情けない声を出せる人がここにいらっしゃるとでも?」

 

「たぶん、下から聞こえた」

 

 弥勒の言葉にそこそこの精神的ダメージを受けてそうな情けない顔をした雀をよそに、しずくが壁のふちにしゃがんで壁面を覗き込む。数人の防人達も同じように覗き込み、直後にしずくを含めた全員がわかりやすい焦燥の表情で私へと振り向いた。

 

「薬師氏が崖にぶら下がってる」

 

「は?」

 

「え、典膳先輩が?」

 

 しずくの言葉にほんの一瞬だけ理解が追い付かなかった。瞬きを二度ほどしてようやく理解が追い付いたと同時に体が勝手に動いて亜耶や仮面の神官がそうしているのと同じように壁面を覗き込んでいた。

 

「あーっ! あーっ!」

 

 目に映るのは悲鳴をあげている典膳。わけがわからない。

 植物組織の壁を三割ほど降りた位の場所で細い根を両手で掴みながらぶら下がる典膳の切羽詰まった叫びがやけに耳に響く。

 なんで典膳がこんな場所で冒険小説のクライマックスさながらな命の危機に陥っているのか、まるでわからない。

 ほんとうにわけがわからない、頭がどうにかなってしまいそうだ。

 

「えぇぇ!? 典膳先輩?!」

「薬師氏さん……!!?」

 

 亜耶と仮面の神官が驚愕の悲鳴をあげて身を強張らせる。亜耶と同じように動謡する仮面の神官の姿に、もしかしてこれが神官の素なのだろうか。と、空転しがちな思考が少し逸れた。

 

「ど、どうしようメブ! あのままじゃ落ちちゃうよ! この高さから落ちたら怪我じゃ済まないよ!」

 

「どうするって、決まってるじゃない」

 

 正直な所、半ば混乱気味な自覚がある。しかし、私はそれでもこの防人隊の隊長なのだ、間違った指揮をするわけにはいかない。

 

「私の隊で犠牲が出るなんて許さない、見捨てるなんてありえない、救助するに決まってるでしょ」

 

「メブ! 薬師氏さんは防人隊じゃないよ!」

 

「楠、ちょっと混乱してる」

 

「ですが、見捨てるなんてあり得ないのはまったくもって同意ですわ!」

 

 この場は瀬戸内海にそびえる結界の起点である壁の上、植物組織しかないここに救助の道具なんて存在しない。四国の端よりさらに外にあるここにレスキュー隊を呼んでも到着まで時間がかかってしまって典膳が先に転落してしまう事もあり得る。

 事は緊急、迅速な救助が必要だ。

 ならば、私が自力で即座に助ける他無い。

 

「典膳! すぐ助けるから耐えなさい!」

 

「メヴキ!? えっ、なんでメヴキ!!?」

 

 壁上から身を乗り出して叫ぶように声をかけると、典膳もこちらの存在に気付いたらしい。周囲の声に気付いて視線を向けれるだけの余裕はあるようだ。

 防人装束を後押しがある今なら身体能力は人類の限界をはるかに越えている、多少の無茶でもゴリ押しでどうにかできるはずだと勘で判断。

 

「助けるって、どのように助けるつもりですの?」

 

「直接行って捕まえてきます」

 

「なるほど、強行突破ですわね! 無論、この弥勒夕海子も力を貸しますわ!」

 

「え、つまりどういうこと?」

 

「ノリと、勢い……?」

 

 困惑してばかりの防人隊に待機を指示し、弥勒と二人で身体能力任せにほぼ垂直で起伏だらけの壁面を典膳目掛けて滑り降りた。

 

「あっ、別に手が離れてもすぐ下に乗れるだけの足場がありましたので、特に命の危機でもありませんですね」

 

「……お騒がせな方ですわね……」

 

 危険を冒してまで迅速に駆けつける必要は無かったらしい。

 無駄に焦りを抱いた苛立ちを飲み込みつつ弥勒と二人で典膳の両肩を担ぐように持ち上げ、脚力任せに壁上へと強引に跳んで戻ることにした。

 

 

 

 

 事情聴取された典膳曰く、海沿いを散歩してたら不思議な色合いの丸太舟が浮かんでいたので乗ってみた。波に揺られてたらいつの間にか眠ってしまい離島に流れ着いていて、そこでぶらりと散策して見つけた脱皮に難儀していた蛇を手伝った後、もう一度丸太舟に乗って帰ろうとしたら壁まで流れ着いていたとの事。そして、壁伝いに明石海峡大橋まで行けば陸地に帰れるだろうと考えて壁を登っていたらうっかり手を滑らせてずり落ちかけていたらしい。私達が聞いた情けない悲鳴はその時に発されたものなのだろう。

 話の最初から最後までおかしい所だらけだ、聞いているだけで自分の知っている常識が崩壊するかのような錯覚すら覚える。一番おかしいのは侵入癖をこじらせて誰の所有物とも知れない舟を極々自然に泥棒している事なのだが、これを典膳のご両親が知ったらどう思うのだろうか、あの夫婦は揃って気の弱い人達なのできっと泣いてしまうかもしれない。

 

「ふい゛い゛ぃぃぃ……」

 

「うへぇ……防人装束のパワーアップ込みでほっぺをつねられてる。真顔メブの容赦の無さがすごい」

 

「薬師氏の迷子は情報量が多い」

 

 事故や致し方無い事情があるかもとひとしきりの話を聞いたが、結局はいつもの迷子が更に度を越していただけなので頬をつねってねじる。憎いわけでも怪我をさせたい訳でもないのである程度の加減はしている、これなら泣くほど痛い程度で済むだろう。

 

「話に聞いていた典膳先輩の冒険を間近で見られる機会があるとは思いませんでした」

 

 亜耶が嬉しそうにしているがこれは断じて冒険ではないと思う、これはただの徘徊だ、認知症老人のそれに近いモノだ。

 

「致し方ない事情で本来ならば立ち入りを禁止されてるここに現れた事はわかりました」

 

 先程の動揺していた面影無く無機質に声を放つ仮面の神官。この頭がおかしくなりそうな理由を"致し方ない"で済ませていいのだろうか。

 

「ですが、私はこれから薬師氏様に厳重な注意をしなければなりません。理由はわかりますか?」

 

 いや、無機質のようではあるが、声色にひそかな怒りを感じられる。仮面の神官の邪魔をするべきではないだろうと問い掛けられた典膳の頬を離した。

 

「っス。高所では親綱(おやづな)*1安全帯(あんぜんたい)*2かけて確実な安全対策を実施するべきでしたので」

 

「高い所が危険なのはそうですが、本題はそれじゃありません。今回のように自力での帰宅が困難な場合は大赦へとすぐに連絡するように指導されていたはずです」

 

 仮面の神官が放った言葉にとある事実を認識してしまい、眩暈がしそうな気分になる。

 帰宅が困難なら連絡しろと指導されていたという事はつまり、典膳の迷子癖は大赦も認識しているが迷子になる事そのものへの対策はできず、迷子になってからどうにかするしかないと判断しているらしいと言うことだ。

 最近知った典膳の秘匿されてない秘密が本当ならば、実は典膳は大赦的にそれなりに重要人物のはず、現に仮面の神官も典膳に対して『様』と付ける程度に畏まっている様子だ。それなのに迷子対策を諦められているという事は典膳の迷子癖はもうどうにもならないのかもしれない。

 それと、泥棒行為をスルーしているのはどうかと思う。

 

「楠、凄い顔してる」

 

「これから結界外調査なのにその前から疲れたわ、気を引き締め直さなければいけないわね」

 

「うへぇ、アクシデントが強烈すぎて今から結界の外に出なきゃいけないの忘れてた」

 

 消沈する雀。消沈したいのは私だってそうだ。しかし、そうも言っていられない事をこれから成し遂げなければならない。

 仮面の神官が典膳に懇々と説教しているのを尻目に、アクシデントで少し気が弛んだ雰囲気の防人隊へと語気強く号令をかける。

 

「なにやら全体的にほどよく緊張がほぐれてますわね」

 

「薬師氏のおかげ?」

 

 典膳の"おかげ"なのか、それとも"せい"なのか、どちらにせよ私がやることは変わらない。

 今回も欠員無くお役目を遂行するだけだ。

*1
「親綱」とても頑丈なロープ。工事現場で働く人命を守るために、柱と柱の間等にたるまないよう設置される。プロレスラーみたいに寄りかかってビヨンビヨンすると楽しい

*2
「安全帯」フック付きの命綱。前述の親綱等に繋げて転落事故を防ぐ。クレーンに引っ掛けて空中散歩すると楽しい




 
 
 
 
 
 
 
安芸仮面「ところで、ここまで漂流してきた丸太舟はどちらに?所有者への返却と破損していたら弁償もしなければなりません」
安芸仮面「え?壁と接したらめり込んで絡んで一体化?え?」
亜耶「たしかに壁から見下ろしても舟らしきものはどこにもないですね」
安芸仮面(仮面の裏でIQが溶けた表情をしている)

冒険途中で立ち寄った離島で1000回目の脱皮を遂げた白蛇が神になったようです。肉の身体が朽ちた時に神樹の元へと合流するでしょう。


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息継ぎ……ヨシ!

 

 今回の御役目も犠牲無く遂行する事ができた。危機的状況もあったが、それを覆す想定外もあったからだ。

 

──このデカブツが、ナマスにしてやるぁぁぁっ!!

 

 防人番号『九』、山伏しずく。平時において自己主張の少なくおとなしい気質な彼女に迫った命の危機は、目を疑う程に攻撃的な豹変をした彼女自身によって覆された。

 彼女のそこからの戦いぶりは凄まじかった。縦横無尽に駆け回る獅子奮迅、個としての強者。防人隊の戦い方である群に徹していては披露される事のなかっただろう戦闘力だった。

 事情を知っていた仮面の神官が言うには普段は私達のよく知る"しずく"の人格だが、何か命の危機が迫るなどのきっかけでしずくの内にある"しずく"とは違う攻撃的な人格が表出するらしいという事だ。

 

──あ? なんだテメェ

 

──薬師ですので、しずくさんの手当……しずくさん? とにかく怪我を診せてください、手当てしますので

 

──うるせぇ、ほっときゃ治る、触んな

 

 ゴールドタワーに帰還する私達を迎えた典膳の手を払い除けて拒絶していた姿から、おとなしい"しずく"とはまるで違う人格だという事がよくわかる。普段のしずくならば例え相手が非常に鬱陶しくともあんな拒絶の仕方はしないだろう。

 

──メヴキも手当て

 

──かすり傷よ

 

──小さな傷でもバイ菌が入ったら怖いので!

 

──傷の洗浄はもう済ませてるわ、先に報告を済ませてくるから他に手当てを必要としてる人を優先しなさい

 

──絶対に手当てするので! 報告さっさと済ませてください!

 

 そういえば、大赦関係者ではあるが防人との関係はほぼ無いであろう典膳が何故ゴールドタワーに待機していて、あまつさえ医務の職員と供に簡単なものとはいえ医療行為を行っているのだろうか。ゴールドタワーに詰めている大赦職員や医務の職員に咎められてる様子は見受けられないので、不思議ではあるが問題は無いのだろう。

 典膳は簡単な怪我や体調不良の手当てが非常に上手く、ちょっとした擦り傷ならば癒える途中に感じる傷口の痒みすらも感じさせないし傷痕も残さないような処置をしてみせる。かすり傷とは言え傷口が膿めば面倒だし典膳が治療したがっているのならば丁度良いだろうと典膳を探すために防人達が集う夕食時の食堂を進む。

 

「薬師氏さん、だったっけ? 手当てするのスゴく手際良かったね」

「エリートですので」

「医務の人がやたらと腰を引かせてたけど、君はいったい何者なの?」

「エリートですので」

 

 探さなくても防人隊の数人に質問責めされていた典膳はよく目立っていたのですぐに見つけられた。

 

「今更だけど、もしもがあったら責任取れないからに医師免許を取るまで軽いものでも他人に医療行為をしないってご両親と約束していたはずじゃないのかしら」

 

「うぐ……。でも、出来ることがあるのに何もしないのもちょっと違うと思うので……」

 

 別に責めている訳でも無いのに肩を縮める典膳。そんな殊勝な態度を取れるのならば結界の壁上で仮面の神官に説教されている時にもそうするべきだったであろうに。むしろ、常にそうしていて欲しいくらいだ。そうすれば頭のおかしくなりそうな理由で迷子になる事もないだろう。

 典膳の腰掛ける隣の席に私も腰を降ろしてお役目中に擦り剥いた右膝を典膳に差し出す。これは星屑の突進から隊の仲間を庇った時についたかすり傷で、痛みは少ないが煩わしいのでこれからやろうとしている事への集中を妨げるかもしれない。

 

「言われた通り手当てを受けに来たわ」

 

「うん、最大限の手当てを約束しますので。それと、その右肘もちゃんと診せてほしいです」

 

 煩わしいだけな膝の擦り傷よりもさらに軽傷な右肘だったのだが、典膳はこの怪我とも言えないような怪我も見逃すつもりはないらしい。庇うような仕草はしていなかったと思うのだが、よくも袖の内側にあるこれを見抜けるものだ。

 

「エリートですので」

 

 何故見えない箇所の怪我が解ったのかと問えば典膳の傍らに置かれていた行李箱の引き出しを開きながらのこんな言葉。

 よくよく見覚えのある小さな引き出しがたくさんついている行李箱、もしかしなくとも典膳の私物だろう。これもまた見覚えのある使い込まれた背負子に括られているそれは、私達防人がお役目に出動して別れた後に自宅から持ってきたのだろうか。慣れた手つきで薬やらなにやらを典膳が取り出していく。

 

「臭い薬ね、何を使ったらこんな匂いになるのかしら」

 

「天然素材しか使ってませんので」

 

 食事時の食堂で放っていい匂いとは思えないが周囲の誰も気にした様子は見えず、むしろ、典膳を質問責めしていた防人達なんかは興味深そうに視線を寄越していた。

 

「私達に使ってたのと違う薬?」

 

「これは大赦医療班謹製の薬じゃなくて僕の特製ですので」

 

「……安全なの?」

 

「何度も自分で試しましたので」

 

 他者に使っても大丈夫だと胸を張れるだけの自信を得る事ができるほど自分に試したらしい。そんなに怪我をする機会があるのもどうかと思うが、日中に見た命懸けの迷子の事を考えれば日常的に怪我をしていても不思議ではない。

 

「この薬と適した処置なら多少の怪我なら絶対に傷痕を残させない自信があるけど、オリジナルな配合の薬は塗られる側が怖がると思って使いませんでした。でも、さっき使ってた大赦製の薬は万人の体質に合うように試行錯誤された一級品ですので」

 

「お気遣いどうも、で、いいのかな?」

 

「誰かに塗るのは気が引けるような物なのに、それを遠慮無しに塗られる私に気遣いは無いのかしら」

 

 丁寧に洗浄された膝の擦り傷に薄く塗り広げられる柿渋色な謎の薬、触られる感触はあれども薬を塗布する際の滲みる痛みはほとんど無い。

 

「もしも、傷痕が残れば責任取りますので。それに、たぶんこっちの薬の方がメヴキの体質に合うので」

 

「どう責任取るつもりだってのよ……。この後激しい動きをするかもしれないからそのつもりで処置してちょうだい」

 

「かしこまり!」

 

 きりりっ。と、擬音が付きそうな顔で返事をした典膳が行李箱から包帯を取り出し、迷いの無い手つき薬を塗った傷口を覆う半透明なシートの上からするりするりと巻いて固定していく。

 ただ巻くのではなく、口では上手く説明出来なさそうな少し複雑な巻き方。うんうんと満足そうに典膳が頷いたのを合図に何度か膝を曲げて伸ばしてと繰り返すが、動きを阻害する窮屈さは無く、かといってズレたりほどけたりするほど弛くも無い仕上がり。

 

「たかだか擦り傷なのに包帯を巻かれるとなんだか大袈裟な見た目になるわね」

 

「次は肘を処置しますので」

 

「これこそ絆創膏でも貼っておけば済むでしょうに」

 

「絆創膏よりも機能性よくて効果あるし傷痕残さない自信あります」

 

「当たり前でしょ、自信無しに謎の薬塗ってたのなら頬をつねるじゃ済まさないわよ」

 

 いや、そもそも自信が有ろうが無かろうがよく解らない薬品を傷口に塗られるのを受け入れているのは我ながら少し頭が足りないのではないだろうか。と、ほんの一瞬だけ考えたが、得体の知れない薬品を怪しむ気持ちよりも、なんだかんだ典膳本人への信頼が大きく勝っているからこそこうして怪我の処置をさせてしまっているのだろうと思い至る。

 典膳は自分が本気で打ち込む事で嘘は吐かない。それは、本気で仕事に打ち込む職人である私の父と同じだ。

 薬の神様を祀る神職である典膳はたとえ怪しい薬だろうが薬を作る事にも本気なのだ、父と同じように本気の事で誰かを裏切らないと私は確信していた事に今更ながら気付く。

 そもそも、幼い頃から私のちょっとした怪我のほとんどは典膳が処置していた。信頼だのなんだのは今更すぎる話だ。

 

「どう?」

 

「見た目が大袈裟なの以外は上出来ね」

 

「ふふふ、処置完了……ヨシ!」

 

 肘も膝も動かす事にわずかな支障さえ無く、煩わしい痛みもまるで怪我そのものが消えて無くなったかのように感じられない。

 

「激しい運動をしないのなら包帯は要りませんので、シートはテーピングで固定しても可です。よほど汚れたりしなければ丸一日貼りっぱなしにして回復を促進させます。薬はお肌の再生の促進と痛みを薄れさせるものです、明日には傷の表面に薄皮が再生してるはずですのでそれ以降はこのシートを定期的に交換するだけです」

 

「ほんとに何をどうしたらこんな薬になるのよ」

 

「古来より伝わる薬草とモイストヒーリング*1の融合ですので」

 

 やっぱり意味がわならない、理解の外にある。だけど、なんとなくスゴい事はわかる。

 

「礼を言うわ、これで少しやりやすくなった」

 

「どういたしま! 何かするの?」

 

「ちょっと喧嘩を売るだけよ」

 

「???」

 

 個であり、孤高の強さを誇る猛獣。それを獣の理である力によって説得して人の群に繋ぎ止める。

 私にはもう一人の山伏しずくと喧嘩して勝利する必要がある。

 

 

 

 

──勝負あり、ね

 

──俺の負けだ

 

 私はもう一人のしずくとの戦いに勝利した。ギリギリでの勝利、もう一度同じ戦い方をしろと言われても再現できないだろう偶然を重ねての勝利だった。

 対等の装備、対等の条件、互いに紙一重の瞬間を凌ぎ合う接戦。時に銃剣、時に蹴撃、正々堂々と使える手段全てを応酬する激戦だったが、私はそれを制した。

 

「何はともあれ、これでお二人はもうお友達ですね。仲良しです」

 

 防人の装束を解除し、戦闘の疲労に床へと座り込む私と"シズク"の手を取って無垢に笑む亜耶。最初は防人隊の方針に反する暴れん坊に言うことを聞かせるつもりで始めた戦いだったが、胸の内を言葉にして叩き付け合いながら全力でぶつかり合った結果、終わってしまえば亜耶の言うとおりシズクに対して友達と自信をもって言えるような感情が胸に芽生えていた。

 不思議な事もあるものだ。と、当初の予定よりも上手く行き過ぎた結果に口角か曖昧に上がる。

 

「喧嘩とお話は終わりましたか」

 

「あ、典膳。そういえばいたわね」

 

「俺が言うのもなんだが扱いがぞんざいじゃねぇか?」

 

 喧嘩を売る宣言の直後から、あわあわとした雰囲気でここまで着いてきていたのをすっかりと忘れていた。雀も弥勒も途中で何処かへといったようだが何故典膳がここにいるのか、いや、考えるまでも無い事だったか。

 

「手当てしますので、怪我を診せてください」

 

 昔からこの幼馴染みはこうだ、怪我に気付けば意地でも放置させない。お役目から帰還した直後のように傷口を洗っとけばどうにかなるような怪我でも全力の手当てを施そうとする。

 シズクとの手合わせの最中、山ほどあった危うい場面のほとんどはなんとか無傷でくぐり抜けたが、最も危うかった場面で脇腹に銃剣を掠めた時の傷に典膳は気付いているのだろう。

 

「拒否権は与えませんので」

 

 とんでもなく渋い物を食べた後に鼻にも渋い物を詰め込まれたような顔で強く言う典膳。有り体にいって、面白い顔をしている。

 

「診るって言ったって、肘や膝じゃあるまいしここで脱げと言ってるのかしら」

 

 さすがに典膳相手とはいえ異性の前でそんな大胆な露出をしたいとは私も思わない。拒否の意を伝えれば典膳の渋い顔が更に渋く面白くなる。

 

「事は緊急かもしれないので、そろそろムリヤリ診ますので」

 

「ムリヤリってお前、国土と大差無い程度のナリで訓練を受けた防人相手にそんな事できんのかよ。そもそも緊急って……うおっ!? 楠! 脇!」

 

「え? ──は?」

 

 急に声を荒らげたシズクの声に釣られて負傷した脇腹を見てみれば赤い染み。最近頻度を増している気がする自分の間抜けな声が出てしまった直後に服の内側から血が滲んで歪な模様を描いているのだと理解した。

 

「きっと大事な話だったから、我慢して待った」

 

「あ、あーっ! あの踏み込んだ時の怪我か!」

 

「芽吹先輩、今から医務室に向かうよりも典膳先輩に一度診て貰った方がいいんじゃないでしょうか?」

 

 血の滲んだ箇所を見て驚いた亜耶が狼狽するように典膳へと視線を向け、直後に深く息を吸って自身を落ち着かせてから私に提案する。その様子から、亜耶も手当ての事に関して典膳の事を深く信頼しているのだろうと理解を得た。

 きっと、典膳は私の知らない所で、亜耶という典膳にとってのもう一人の幼馴染みの知れる場所で、私が知るように誰かの怪我を手当てしていたのだろうと知る。

 

「ほら、はやく」

 

 傍に寄ってきた渋い顔の典膳が背負子で持ち歩いていた行李を開けつつ私を急かす。慌てるシズク、提案する亜耶、雰囲気にながされるとはこの事だろうか、下着や肌を見られたところで所詮典膳か、という気持ちもそこそこにあったせいか、堪えきれない溜め息を吐きながら服を捲り挙げた。

 

「……っ」

 

「うわ、結構血が出てんな。これ大丈夫なのか?」

 

 顕になった傷口に亜耶が息を飲み、シズクが少しだけ声を震わせる、心配させてしまっているらしい。殺し合うつもりも怪我をさせる事を狙った訳でもない、しかし、それでも互いに本気で武器を向けあったのならばこうなりうる事は解っていた、だから、新しくできた友人には変に罪悪感を抱かないでいて欲しいが難しいだろう。

 

「血を拭うよ」

 

 消毒なのだろう、アルコールの臭いがする液体で手を清めた典膳が私の脇をタオルで拭う。たった一拭き、それで肌に乗る赤色を取り除き、肌の色一色の状態にしてから典膳が顔を寄せて睨むように傷口を見る。

 所詮は典膳、されど異性。そんな至近距離まで顔を近付かれるのにはやはり羞恥心を呼び起こされる。が──

 

「お、おい。どうなんだよ、なんとかなんのか」

 

「救急車を呼んだ方がいいんでしょうか?」

 

「…………」 

 

 無言、渋い顔だったはずの典膳がいつの間にそうなっていた眉間に皺を寄せた真顔で傷口を視線で刺す。シズクの声も、亜耶の声も聞こえてないかのような一直線の視線。私はこの視線を知っている。

 自分と対象しか無い集中力、その瞬間に自身の全てを捩じ込む全力、幼い頃からずっと見てきた視線だ。

 

 父と同じ、職人の眼。

 

 典膳は今、意識の全てをこの傷口に向けている。

 異性の肌とか下着なんてまさしく眼中に無いのだろう、こんな眼で見られて羞恥心なんて抱きようがない。呼び起こされかけた羞恥心は典膳の眼に刺し潰されていた。

 幼い頃から何かに夢中になっている時の集中力が強い事は知っていた、でも、典膳がこの眼をしているのを見るのは今この瞬間が初めてだ。いつの間にこの眼をするようになっていたのやら。

 呆れたような、安心したような心情を自覚していると、ぷつ、と、拭われた傷口からすぐに赤い滴が盛り上がり、すう、と、一筋の帯を描いて滴が垂れ下がる。

 

「なぁ、どうなんだよ」

 

「典膳先輩……?」

 

「うん、傷は長いように見えるけど深いのは極々一部の米粒以下ですので、縫うほどの傷じゃないし痕も残させませんので」

 

 血の流れかたで傷の深さを見極めたのだろうか、露骨な安堵の顔で綻ぶ典膳にシズクと亜耶も安堵の表情を見せた。

 

「あ、メヴキの手当てが終わったらその痛そうな足も診るからキレ芸のしずくもその長い靴下脱いどいて欲しいので」

 

 父は典膳がこの眼をするようになったのを知っているのだろうか。典膳に『お師さん』と呼ばれ、実際に大工道具の使い方を少しだけ教えていながらも『師とは呼ぶな』と師弟関係を否定する父だが、それでも典膳が何かを上達する度に無愛想な口を弛めて面白そうにするのだ。もしかしたら、典膳のこの眼を見て面白そうな無愛想の笑みを浮かべたかもしれない。

 

「うげ、なんで足が痛むのが解るんだよ」

 

「エリートですので。牽制で蹴られたやつがかなり良い感じで当たってたのをちゃんと見てました」

 

 シズクと言葉を交わしながらも私の傷を手当てする典膳の手に迷いも淀みもなく、表情を柔らかくしたままだが典膳の眼はそのままに私の傷を見続ける。

 

「あー、うん、確かに対決が終わったら座り込みたくなる位に痛んでいたけど上手く隠せてたと思ってたのによ……牽制の一撃で負けかけたってバレてたのはかなり恥ずかしいな」

 

「私にはお二人の対決は早すぎて細かい動きは解らなかったんですけど、典膳先輩はお二人の動きが全部見えてたんですか?」

 

「エリートですので。もっと凄く動いて怪我を増やすのにそれを誤魔化す人を診るにはそれくらい見えないとダメです」

 

 もう一度手を消毒した典膳が血をもう一度丁寧に拭き取り、先程膝と肘とに塗った薬とは違う薄緑色に透明な薬を容器から指で掬っておもむろに、しかし、繊細な力加減で傷口を軽くなぞる。

 くすぐったくて鼻から変な音色の呼吸音が僅かに鳴ってしまったが、典膳とシズクの声に紛れたのか誰もそれを耳にした様子は無かった。

 薬のついた指が傷口を通り過ぎ、また直後に血が滲んできたが肌を滑り落ちる事は無く、薬によって瞬間的に止血された事を知る。

 

「装束の後押しがある防人よりも激しく動くって人間技じゃねぇな、何者なんだよそれ」

 

 会話が途切れる。私の傷に注視する典膳が今日一番の慎重さを感じさせる手の動きで僅かに血に滲んだ薬を拭き取り、血の滲んでこない傷口の上に先程膝と肘に貼ったシートと似た物を貼り付けた。

 

「勇者」

 

 典膳が短くこぼす。

 

「……あ?」

 

「……は?」

 

「僕は薬師として負傷の多い先代勇者達の治療に携わっていましたので」

 

 静かに、噛み締めるように落とされた言葉に衝撃を受ける。シズクもかなり驚いているらしく、荒々しい口調で動かす口を半開きに止めて丸くした眼で典膳を見ていた。

 また言葉を途切らせた典膳が服を捲り上げていた私の手に触れて服を降ろさせる。そして、私に背を向けて固まるシズクへと向き直った。

 

「メヴキは勇者になりたいんだよね」

 

──私は勇者になるんだ!

 

 私に顔を向けないまま紡がれる言葉、それによって対決の最中に放った私自身の言葉が去来する。

 

「そうよ」

 

 問われた事に対して率直な肯定。衝撃に思考が鈍っていたせいなのか、言葉が反射的に私の口から飛び出ていた。

 またも、途切れる言葉。典膳はそのままシズクの赤くなったふくらはぎを確認し、行李箱から取り出した小さな袋を叩いてから布で包んでシズクの手に持たせながら赤くなった部位に当てさせる。

 

「冷てっ」

 

「なんで宮大工になったのかと聞いたときのお師さんと同じ眼をしてたので、つまりはそういう事なんだろうと解ります。誤解無いように最初に言うけど、反対はしませんので」

 

 白い布に今まで使った薬とはまた別の薬を塗り、馴染ませるように揉む典膳。

 典膳は父になぜその問いをしたのか、父はなんと答えたのか、父はどんな眼をしていたのか、私はどんな眼をしていたのか、私は今どんな顔をしているのか、典膳は今どんな顔をしているのか、何を思っているのか。

 付き合いの長いはずの幼馴染みが初めて私に見せる雰囲気に戸惑う。

 

「勇者のお役目も、防人のお役目も、とても大変なものです。僕には手伝う事さえできません」

 

「あの三人を知ってたのか」

 

 頷いた典膳がシズクのふくらはぎに薬を馴染ませた布を当て、されるがままに大人しくしているシズクに包帯を巻いて薬を塗った布を固定する。

 

「僕は治す事だけができます、それ以外できません。失った物は何も取り戻せません」

 

 常では無い雰囲気。怒っているとも、悲しんでいるとも違う、波紋立つ水面のような雰囲気。こんな典膳は初めてだ。

 

「……お前…………」

 

「手足を失えば戻せません、命を失えば取り戻せません。死体は薬を飲めないし、死んだ肉に薬は効果ありませんので」

 

 典膳の顔が見えているだろうシズクが何かを言い掛けてから口をつぐむ。何を言おうとしたのかなんて想像がつかないが、シズクの表情に欠片も攻撃性の気配は無かった。

 

「僕の薬は奇跡の産物、でも、なんでもできる万能の魔法じゃない」

 

「……あ? うわ、まじかよ、嘘みたいに痛みが引きやがった」

 

「失わない限り、怪我なら僕がいくらでも治します」

 

 信じがたい物を見たような顔で手当てされた脚を見るシズク、驚いた勢いのまま立ち上がって脚を上げて下げてと繰り返す。最初はおそるおそるゆっくりと、何度か確かめるように繰り返して速度を上げていく。

 

「つまり、勇者になるために頑張るのなら、怪我をするのはともかく……いや、怪我もホントはダメだけどそれよりも色々と失わないようにも頑張って欲しいです」

 

 言いながら、ゆっくりと私へと向き直った典膳。

 その表情は、諦めにも消沈にも似た不安の表情に見えた。

 典膳のそんな顔は初めて見た。あまり見ていたい表情ではないと感覚が囁いた。

 

「勿論そのつもりよ、私の隊で犠牲は許さない。それは、私自身も含めてる」 

 

──俺は二年前、その勇者って奴らを間近で見てた。その一人が死んだ姿だってみた

 

 対決の中で聞いたシズクの叫び。勇者だって人間だ、死ねば死ぬ、極々当たり前の事。

 防人だって人間だ、それも、勇者とは違って消耗を前提に運用される部隊だ、勇者よりも死傷率は遥かに高い。

 典膳は先代の勇者達を知っていたらしい、きっと、今の私達にしたように負傷の度にせっせと手当てしていたのだろう。お役目での関わりとはいえ、仲も良かったのかもしれない。

 

 だが、一人が死んだ。

 

 もしかしたら、心配させてしまっているのかもしれない。

 普段は神隠しもかくやな迷子になって周囲を心配ばかりさせてる癖に、随分と身勝手だなと思わなくもない。

 

 だけど、普段は何が楽しくて笑ってるのかわからない程に微笑み続けている典膳がそんな顔をしているのがどうにも落ち着かない。

 だから、きっと典膳が欲しがっているだろう言葉をくれてやることにした。

 

「私は死なないわ。防人をしてても、勇者になっても」

 

「期待してますので」

 

「すげぇな、あんなに痛かったのにもう治ってるじゃねえか。たしかにこりゃ奇跡を自称するだけはあるな」

 

 いつものと同じようで、いつもとどこか違う静かな微笑み。その背後でシズクが手当てされたふくらはぎをおもむろに叩いた。

 

「~~~~ッッ! 痛ぇ! 治ったんじゃなかったのかよ!」

 

「キレ芸のしずくに塗ったのは僕が作ったのじゃなくて大赦製の薬ですので、痛みを感じてなかったのは冷却された事で痛覚が一時的に鈍化してただけですので」

 

「ハァ!? 奇跡の薬とやらを塗れよ!」

 

「緊急でもないのに体質を把握してない人に手作りの薬はリスクが高いですね」

 

「この痛さは緊急だろ!」

 

「痛いだけでは死にませんので。そもそも、塗った瞬間に治る薬なんて摩訶不思議な魔法です、そんなものありませんので」

 

「奇跡も魔法も似たような物だろうが! ってかお前、楠と比べて俺に塩対応過ぎねーか?!」

 

「キレ芸のしずくは叩くと音が鳴るオモチャみたいで楽しそうと思ってたけど間違いじゃありませんでした」

 

 叫ぶシズクとどや顔の典膳。いつの間にやら雰囲気が騒々しいものへと変わっていた。

 

「勇者の事とか色々聞きたいのに、しばらく治まりそうにないわね……」

 

 溜め息。ふと気付くと、傍に何か言いたげな顔の亜耶が近付いてきていた。

 

「典膳先輩は普段お役目の事を何も話さないんです。それが例えどんなことでも、です」

 

「そうね、私はつい最近まで大赦にちょっと出入りしてる程度の認識だったくらい何も知らなかったわ」

 

「それを話してまで心配している事を伝えたのは、きっと、本当に心配されてるからなんじゃないかって……。芽吹先輩は、典膳先輩にとても大切に思われてるんですね」

 

「そうね、そうかもしれないわね」

 

 ほんの少しだけ悪いとは思ったが、悪くもない気分だった。

 

*1
「モイストヒーリング」別名を閉鎖療法または湿潤療法とも言われ、患部を湿ったまま密封する傷ケア方法。正しい知識と正しい方法でやらないと逆に治りが遅くなったり傷跡を残すかもしれないから気を付けようね




 
 
 
 
 
 
 

防人ちゃんA「責任取るって……?!!」

防人ちゃんB「軽く流されてるの草はえますね。これはおそらく幼馴染み関係という普通の友人とは違った心理的距離感の近さ故の弊害で薬師氏さんにそういった事を連想しないのと楠さんの青春を擲って自身を高めるストイックさによる恋愛事への興味の薄さが相乗して発生した塩対応と思われますがこれを越えて楠さんの乙女回路をうまくキュンキュンさせた場合に発生するだろうデレは例えどんなに小さくともそれまでの平坦な反応とのギャップで高効率の破壊力が期待されますから是非ともその瞬間は目撃したいのが本音ですが私の信条として他者の恋愛的幸福は当事者達のみで完結すべきで余計な茶々入れや出歯亀する者は死んで然るべきだと思うのでこれからの進展に期待しつつ遠くからそっと見守りたいところゲホッうっヒュヒー」

Aちゃん「ちゃんと息継ぎして」

Bちゃん「スゥー……要約すると私達に地獄のような訓練を課す鬼隊長が乙女してるのが見たい」

Aちゃん「さっきの薬師氏さんが言う責任ってそういう意味だったとも限らないじゃない?」

Bちゃん「スゥー……違うそうじゃない大切なのは真実じゃなくて観測している私達にとってどう見えたかとそこからどうなって欲しいかっていう願望がスゥー大切でその願望こそが熱意として私達の胸の奥にあるナニか魂とも言える部分がようやく鼓動を打つことができるのスゥー人が人として生きるのに大事なのは三大欲求だなんて言われてるけどそれだけじゃ足りなくて獣と変わらないから私達人間はロマンへの欲求に萌え滾るべきなのお願い解ってスゥー乙女してる鬼隊長が見たい」

Aちゃん「ちゃんと息継ぎできてえらいね」

Bちゃん「乙女してる鬼隊長が見たい」


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呼吸……ヨシ!

 

 日課である早朝の走り込みを終えて少し早目の朝食を摂りに来た食堂、まだ他の防人隊員が誰も無しに静まったがらんどうな空間で何故か典膳が味噌汁を啜っていた。

 

「なんで朝一番から典膳がここで朝食を食べているのよ」

 

「怪我は手当てして終わりじゃないので、手当てした人達の予後観察にきました」

 

 配膳された朝食のトレイを典膳の正面に置いて訊ねればなんて事無いように告げられる用件。そのまま着席して会話を続ける。

 

「学校はどうしたのよ」

 

「ニボシ出汁の効いたお味噌汁がおいしいです」

 

「……サボったのね」

 

「エリートには学校で習うあれそれより優先されるべき事があるので、仕方ない事なので」

 

 悪びれる様子も無く茶碗に半分残したご飯へと半分残していた味噌汁を掛けて啜るように食べる典膳。食事の前半を白飯、後半を猫まんまで楽しむこの食べ方は典膳の幼い頃からの癖みたいなものだ。

 

「朝ごはんを済ませてから希望する人達の予後を診ます、許可は得てますので。むしろ、ここの医務さんとか職員さんには喜ばれてます」

 

 防人は消耗前提の運用、しかし、いたずらに消費するつもりは無いという事なのだろうか。それについての真偽はわからないが、信頼する相手が怪我を診てくれるというのならば念のため程度でも診せておくのもやぶさかではない。

 

「学校サボってるとはいえ来てしまったものは仕方ないわね、でも、用事が済んだら遅刻してでも学校行きなさいよ」

 

「その件については前向きに検討させていただきますので方針が決まり次第報告させていただきます」

 

 用事を済ませてもここにとどまって学校に行く素振りを見せないなら頬をつねって追い出すと決めつつ朝食を摂る。なるほど、ニボシ出汁が実にいい感じな味噌汁だ。

 典膳と二人のテーブル、付き合いも長いせいか今更多くを語る事も無い私達は特に会話をする事もなく静かに食事を続ける。何が楽しいのか、やはり典膳はニコニコと機嫌よさそうに猫まんまとおかずを交互に口へと運んでいた。

 そして、互いに完食が近付いた頃に「そういえば」と、前置きして昨日のシズクと典膳のやり取りが途切れなかったので聞きそびれた事を聞いてみる。

 

「勇者の事を知っていたのよね、どんな人達だったのかしら」

 

 どんな人物が勇者を勤めていたのか、それを知れば私が勇者に何故選ばれなかったのかを知ることができるかもしれない。そして、勇者になるためのヒントになるかもしれない。そのための質問。

 

「うーん……。僕は口が軽いと自覚してるのでうっかり秘密にしなきゃいけない事も喋っちゃいそうな話は勘弁してほしいので」

 

「そう」

 

 質問をしたが、答えが帰ってくるとは思っていなかったので落胆は無い。典膳は十年近く大赦関連の事を話さずにいたのだ、雑談の中の軽い質問で答えるだなんて期待してはいなかった。

 

「でも……」

 

 ほんの少しでも何か話す気があるのだろうか。と、ほんの少しだけ湧いた期待に視線が典膳へと引き寄せられる。

 そして、懐かしむような、寂しいような、誇るような、典膳に似合わない少しだけ大人びた表情に少しだけ呆けてしまった。

 

「あの三人は友達です」

 

 断言してから残りすくない猫まんまを美味しそうに口に掻き込む典膳。その表情はいつの間にかなにが楽しくて笑ってるのかわからないニコニコ顔。

 

 付き合いは長いはずなのに、最近は幼馴染みの知らない一面をよく目の当たりにしている気がする。いや、幼い頃とは変わった部分を見付けていると表現した方が正確なのだろうか。

 

「ふぃー」

 

 完食した器の前で満足そうに腹部を撫でる典膳を視界に収めつつ私も最後の一口を咀嚼しつつ考える。

 幼い頃から知ってる間柄だからなのか、それとも、背の低さや普段の稚気を感じる言動のせいなのか、いつまでも子供みたいだと錯覚していたが実はそうじゃない部分も多くあるのかもしれない。

 典膳だって私と同い年の中学生で、私と同じように様々な経験を得ている。私が勇者候補として二年ほど訓練を受けていた間の会う機会なんて無かった時期に典膳は少しだけ変わっていたのだろう。

 

 変化、いや、成長と言う方がもっと正確なのだろうか。と、同い年の典膳相手にこんな風に考えてしまうのはきっと、典膳の周囲にいた大人達がご両親も含めて甘過ぎる上に放任的だったせいで私が事あるごとに頬をつねってやらないといけなかったからだろう。非常に遺憾ではあるが、ある意味では典膳の監督役のような立ち位置だった私は典膳に対して変に姉貴分ぶった思考ができてしまっているのかもしれない。

 

 だからこそ、変化したのか成長したのかよく分からない典膳に自分でもよくわからない感慨を僅かにでも抱いているのだろう。

 

「ごちそうさまでした」

「ごちそーさまでした」

 

 私が完食したのと合わせて食後の挨拶。

 

「で、診るんでしょ」

 

「もちろん」

 

「走り込みで汗を流した時にあのシートを剥がしてしまって、医務室に代わりの物を貰いに行こうとしてたから丁度いいわね」

 

「メヴキは怪我しても動き続ける回遊魚」

 

 鼻で深く溜め息を吐く典膳が一度立ち上がって私の座る隣まで移動してくる。ここでさっさと診るということなのだろう。

 

「傷口は洗った?」

 

「直接傷口に触らず石鹸の泡を当てるように撫でる、でしょ。散々言われ続けたから覚えてるわよ」

 

「それならヨシ!」

 

 防人になる前、勇者の選抜に参加するよりも前は怪我をする度に典膳に手当てされては同じ事を言われ続けていたのだ、忘れようがない。たしか、傷口を刺激し過ぎないようにしつつ清潔を保つための方法だ。何故そうしなければいけないのかは忘れてしまった。

 

「確認して問題なさそうなら貼り治すので、見せて欲しいです」

 

 テーブルの下から背負子に載せた行李箱を引き摺り出した典膳。顔はニコニコとしているように見せ掛けて目が仕事中の父と同じそれへと変わっていた。

 

「それじゃあ、頼むわよ」

 

 今着用しているの防人の制服でワンピースの形をしている。脇腹を見せるには大きく裾を捲し上げなければならないが、相手は典膳だし中にはスパッツも着用しているから問題無いなだろう。

 アルコール臭のする液体で手を清めて典膳が準備を終えたのを見計らい、制服の裾を捲り上げた。

 

「あら……?」

 

 直後、食堂の戸が開かれて弥勒が現れて私達を見るなり動きを止めて固まった。

 

「おはようございます、弥勒さん」

「片手間で失礼ですがおはようです」

 

 珍しく挨拶を返す事もなく口を開いては閉じてと言葉に困っているような弥勒。それを特に気にする様子もなく傷口を確認した典膳が手早く昨日と同じ種類のシートを貼り付ける。

 

「ヨシ!」

 

「もう終わったの? 相変わらず手際は良いわね」

 

「エリートですので。この傷は化膿の様子もないしこれならすぐに治りますので、次は肘と膝です」

 

「あぁ、そういえば擦り剥いてたわね、些細な怪我過ぎて忘れてたわ」

 

 裾を降ろして肘と膝も典膳に診せる。これらも問題は無かったらしく手早くシートを貼り直されるだけに終わった。

 

「確認ヨシ! 明日からはここの医務さんに診て貰いつつシートを交換して欲しいです。きちんとケアしてればメヴキの予想してるよりも早くキレイに治りますので」

 

「そう、早く治るに越した事はないしそうさせて貰うわ」

 

「はぁー……。なるほど、状況はだいたい把握しましたわ」

 

 沈黙していたかと思えばどこか重みを感じる溜め息を吐いた弥勒が私達の正面にある席へと腰を降ろし、いつになく真面目な表情をしながら私達を見据えて口を開く。

 

「芽吹さん、典膳さん、食器を下げたらもう一度そこにお座りなさい」

 

「え」

「???」

 

 どこか険を帯びていた声に戸惑うも、有無を言わせない雰囲気に流される。

 

「私は弥勒家の者として、一年長く乙女をしている先輩として、このままでは道を踏み外しかねない後輩のお二人にきつく言い付けなければならない責務がありましてよ!」

 

「は?」

「?????」

 

 どうやら私達はこれからお説教をされるらしい。

 

 

 

 

 曰く、信頼している相手でも乙女が軽々にあられもない姿で肌を晒すのは良くない。仕方ない理由で肌を晒すにしても、もう少しマシな方法や格好があるはずだ。それに、確かな信頼があるにせよ異性である事には変わりないのだから警戒と言わずとももう少し慎み深くあるべきだ。

 曰く、些細な怪我でも心配で仕方ない程に大事に思う相手に人の目があるかもしれない場でみっともない姿をさせるのは良くない。正当な理由でそれをさせるにしても、場を選ぶべきだ。相手の品位を下げかねないし、恥をかかせてしまうかもしれない。

 いつもの丁寧な口調でのお説教を要約するとこうだ。

 丁寧に何がどうして悪いのを本気でお説教され、正論しか言われてない気がするので『はい』としか言えなかった。

 

 普段は先輩後輩として接するよりも同じ防人の仲間であり隊長と隊員として接するのが多いせいか、先輩として間違えた事をした後輩を叱る弥勒が普段との差異で自分よりもよっぽど大人な人間に見えてしまった。

 

──今のてめえは他人の芝生を見てヨダレ垂らしてるガキ。

 

 ふと、昨日の対決の中でシズクにぶつけられた言葉を思い出す。

 もしかしたら、弥勒がとても大人なのではなく、私自身が子供じみているからこそそう見えてしまっているのだろうか。典膳に対して子供じみていると内心で思っていたが、私もそう変わらないのだろうか。

 少し、自分を顧みて改めるべき所があるのかもしれない。が、ちょっと考えただけでは何もわからなかった。

 

 それはそれとして。

 

「っス。心を入れ換えて頑張るんでよろしくオナシャス」

 

「急にキビキビし始めましたわね」

 

「っス。弥勒パイセンまじリスペクトっス」

 

 なぜか典膳が弥勒になついた。

 叱られて急激になつく思考の推移が本当によくわからない。

 

「っス。メヴキに対してだけじゃなくてほぼ他人な自分にも心から言葉を尽くしてくれるパイセンまじやべぇっス。パイセンの名家な心意気を感じましたっス」

 

 基本的に誰が相手でもマイペースを崩さずにいる典膳だが、ヘタクソな丁寧語を使っている事と年齢の差を意識している事から弥勒の事を先輩として典膳なりに敬っていることが解る。

 解るが、典膳への予備知識が無ければ逆に相手を舐めてかかっているかふざけているようにしか見えない。普段を自由に振る舞い過ぎてる弊害だろう。

 

「ふふふ、弥勒家たる者たとえ貧に窮しても心は錦でしてよ」

 

 幸か不幸か弥勒とこの状態の典膳はそう悪くは無い相性らしく、弥勒が満更でもなさそうに笑っていた。

 

「あれ? 薬師氏さん来てたんだ」

 

 朝食を摂りに来た人が食堂に増えてきた頃、ひょっこりと現れた雀が和気藹々と会話している典膳と弥勒に気付く。そして、自室に戻るタイミングをなんとなく失っていた私の隣の席に腰を降ろした。

 

「手当てした怪我人の予後を診にきたらしいわ、後で医務室に待機して医務の人と一緒に希望者の検査をするみたいよ」

 

「へ~、そうなんだ。……今更だけどそういう医療に関係する事って免許とかそういうの必要なんじゃないの? 私達と年が変わらない薬師氏さんってそういうのあるのかな」

 

「……たぶん無いわね」

 

 無免許医師、いわゆる闇医者は犯罪だ。幼い頃から典膳にちょっとした手当てなどを任せていたからか私にとって典膳の手当ては当たり前の出来事だったが、一般常識でいえばかなり黒に近い行為をしているかもしれない。

 

「エリートですので特定の条件を満たすなら許可されてます。その他は許可されてないので手当てや調薬をしても秘密にしてますので安心して下さい」

 

「えぇ、許可されてない場合でもやってるんだ……」

 

「あっ、これは秘密ですので!」

 

 実に口が軽い。重大な秘密に触れかねないからと大赦関連の話題を口にしたがらない事に改めて納得してしまう。

 

「防人隊への手当てと調薬は許可されてるし、どちらかと言えば手が空いてるなら協力して欲しいとまで言われてます」

 

「あら、そうなんですの。てっきり防人隊に芽吹さんが所属してるからなんとなく協力していただいてるのかと思ってましたわ」

 

「っス。ここの医務とか安芸さんにお願いされてるっス」

 

「なにその不思議な体育会系な口調、弥勒さんとの間に何があったの?」

 

「っス。弥勒パイセンまじリスペクトっス」

 

「弥勒の威光が人を惹き付けてましてよ」

 

「ホントに何があったの??」

 

 会話の途中に聞き覚えの無い名が出てくるも、三人の軽快な話の流れによってそれは何者かと問う間を失ったまま別の話題へと移り変わる。

 

「っス。弥勒パイセンの高貴な輝きが眩しいっス。溢れ出るオーラがまじパネェっス」

 

「さすが、エリートを自称するだけあって典膳さんは人を見る眼が養われてらっしゃいますわ」

 

「輝きに眼を焼かれて視力失ってるんじゃない? 大丈夫? ちゃんと相手が見えてる?」

 

 典膳と雀の波長が合って軽快にお喋りできるのは以前に知っていた、典膳と弥勒の人間的な相性も悪くないのも今しがた知ったばかりだ、雀と弥勒も防人として共に行動する事が多いからか遠慮の無い会話をする仲だ。そして、そんな三人はそれぞれ会話を好む性質だ。

 この三人が揃えば間隙無い軽妙なお喋りがとめどなく続くのは一種の必然なのかもしれない。

 

「視力が減衰してるだけならまだしも失ってたらさすがに薬では治せないので」

 

「視力を向上させる薬なら作れるとおっしゃいますの?」

 

「っス。視力減衰の原因が何かにもよるけど一時的な回復に加えて減衰以前よりも視力を向上させるくらいならイケるっス」

 

「それ回復じゃなくてドーピングなんじゃない?」

 

「自分で試した時は飛んでるトンボの脚の本数を数えれるくらいに視力が向上しましたので」

 

「自分で試した!? 軽い感じでマッドサイエンティスト疑惑が浮上しちゃった!」

 

「昆虫の観察をしたかったがための苦肉の策でしたので」

 

「それで、脚は何本でしたの?」

 

「っス。六本でしたっス」

 

「気になるのそこなの!? っていうか昆虫の脚はみんな六本だよ! 数えなくてもわかるよ!」

 

 一部聞いてるだけで頭痛がして言葉がでなくなりそうな話題というのもあるが、会話のリズムそのものが早くて私には会話に交わる事が難しい。

 

「薬の効果が強すぎて父の頭皮の侘しさがよく見えてしまうハプニングがありましたので、将来の僕の頭皮が心配です」

 

 幼い頃の記憶にある典膳の父は当時から微妙に切ない有り様だった。勇者の選抜に外れてから防人になるまでの間にも会う機会があったが、その時にはもうかなり悲しい有り様になってしまっていた。

 実は典膳が自由過ぎるせいでのストレスによって気の弱い典膳の父は頭皮にダメージを負い続けているのではと私は邪推している。

 

「頭皮の事は遺伝すると聞きますわね」

 

「頭の寂しさは薬でどうにかならないの?」

 

「頭皮の孤独とはつまり毛根の喪失……失ったのなら戻せませんので……それは薬の領分じゃありませんので……」

 

 典膳の重い声色に一呼吸程度の沈黙が生じる。そして、諦めたように笑う典膳が苦笑いしながら口を開いた。

 

「ハゲにつける薬はありませんので」

 

「ハゲは不治の症状なのですわね」

 

「そんなに深刻な雰囲気でいう言葉なのそれ?」

 

 なんとなく、ただなんとなく程度ではあるが、典膳の諦めたように笑う顔に小さな衝撃を受けていた自分がいることに驚いていた。

 




 
 
 
 
 
 
 
防人ちゃんA「あ、薬師氏さんがまた来てる。いつの間に弥勒さんとあんなに仲良くなってるし」

防人ちゃんB「ハウッ!!コヒュッコヒュッカヒュッコヒュッコヒュッハヒュッ──」

Aちゃん「うわなにそれ過呼吸?唐突すぎてこわい」

Bちゃん「──カヒュッハヒュッ三角関係ハヒュッカヒュッ──」

Aちゃん「うん、そうだね。事実がどうとかじゃなくてどう見えたのたどうなって欲しいかの想像が大切なんだよね。はい、ちょっとだけ息を吸ったらゆ~っくり吐いて」

Bちゃん「スゥ……ふぅ~~──」

Aちゃん「ちゃんと呼吸できて偉いね」

Bちゃん「会話に混ざれなくてちょっと寂しくてちょっと嫉妬しちゃう鬼隊長かわいい」


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帰り道……ヨシ!

 

 三度目と四度目の結界外調査も負傷者は発生してしまったが、誰一人として犠牲を出さずに完遂する事ができた。

 そのどちらもお役目を終えてゴールドタワーに帰還すると典膳が待ち構えていて、負傷者の誰にも有無を言わせずに丁寧かつ迅速な手当てが施されていた。そして、それぞれ翌日にはもう一度ゴールドタワーを訪れた典膳によって誰もが予後を確認されている。

 

 いつの間にか典膳の出現がゴールドタワーの日常になっていた。

 防人達の誰もが診察以外の時にも唐突に現れる典膳を受け入れていたのだ。

 

 ゴールドタワーに詰めている大赦の職員が典膳を丁寧に接して大赦から信用を得ている姿を見ていたり、防人隊にとって癒しの存在である亜耶が典膳を信頼している姿を見ているのもあるだろうが、なによりも、任務の度に負傷者が発生する防人達はそれらに対して全力で真摯に手当てを施す典膳のその姿勢と腕前を見ていたからこそ信用が築かれたのだと思う。

 

 典膳が防人達全員からの信用を確かな物にした事の要因として一番大きな事、真摯な姿勢と腕前。それを皆が解りやすく目にしたのはやはり、三度目の出撃の後のとある出来事だろう。

 

 当時、サンプルの回収に成功して帰還途中だった私達防人は運が悪かったのか大規模な星屑の集団に遭遇して後を追われながらの撤退を試みていた。結論から言えば撤退は成功、しかし、その過程で一人の防人が星屑の攻撃に大きく防人装束を破損させながら転倒、灼熱の大地によって顔を含めた多数の箇所に火傷を負ってしまっていた。

 私達防人達は危険な地に赴いて任務を果たす時、誰もが無傷ではいられない事を身を以て知っているし、それぞれが負傷を大なり小なり覚悟している。そんな私達が目を背けたくなるような火傷を顔に負ってしまった彼女は半ば混乱、半ば自失の状態で静かに涙を流しながら身体を他の隊員に支えられながらの帰還だった。

 彼女は同姓の私から見ても綺麗だと感想を抱くような白く透き通った肌をしていて、防人の厳しい訓練を受けていてもその白さを保とうと美容によくよく気を使う女子だった。

 それなのに、誰もが痕が残るかもしれないと想像してしまうような負傷を顔に負ってしまったのだ。その心中はどれだけ悲しく辛く絶望的だったのだろうか。

 

──貴女の肌はまだ死んでいません、治せます

 

 たった一言。多数の負傷者の中から最も心を痛めていたであろう彼女を一目で見抜いた典膳が小柄な身体で駆け寄り、力無い彼女の両手を強く握りながら告げた言葉だ。

 

 瞬間、空気が変わった。

 根拠なんて何も解らない。なのに、きっとあの瞬間に誰もが安心した。

 

──生きてるのなら、誰が諦めようとも僕が治します。僕を信じて僕の薬を貴女に使わせてください

 

 彼女はただ、小さく頷いた。

 即座に典膳はその場で調薬しながら手当てを施した。

 

 顔の火傷が癒えていく過程は丁寧に巻かれた包帯で見ることはできなかったが、日を追う毎に暗い雰囲気だった彼女が明るい雰囲気に変わっていく事で誰もが順調な回復を察していた。

 そして、数週間を経た現在、彼女の顔は元の白く透き通る肌を取り戻してる。

 

 素人目で見ても痕が残るだろうと察してしまうような負傷を仲間が負い、それを痕なんて残さず綺麗に治してみせた。

 そんな典膳を信用しない方が難しいだろう。

 他の職人やお客さんからの信用を腕前一つで勝ち取っていた私の父、それと同じ事を典膳は成し遂げてみせたのだ。

 

 だが、それはそれとして。

 

「ふぎぃぃぃ……」

 

「防人に今怪我人はいないわ、典膳が今ここにいるのはただ学校をサボってるだけでしょう」

 

 不必要なサボりをしている典膳の頬はつねるべきだと私は思う。

 

「うわ、痛そう。ってか見てるだけで頬っぺた痛いよ」

 

「痛いぃぃ、死ぬぅぅ……」

 

「痛いだけじゃ死なないわ、貴方自身の言葉じゃない」

 

「ブーメランが薬師氏に刺さった」

 

「これでいて薬学において四国で一番と大赦が認める人物なのだから不思議ですわね」

 

 午前の訓練を終えて昼食を摂りに訪れた食堂、そこで呑気に味噌汁を啜っていた典膳の頬をつねって引っ張って捻っているといつもの顔触れが集まってくる。

 

「あの、芽吹先輩……」

 

「どうかしたの亜耶ちゃん?」

 

 いつもの顔触れがいつもの騒々しい雰囲気を作っている中、おずおずと声を掛けてきた亜耶に視線を向ける。目に映る亜耶は案ずるような困ったような顔で私と典膳の間に視線を往復させていた。

 

「典膳先輩を見つけるなり芽吹先輩は訳も聞かずに頬っぺたをつねったように見えたのですけど、ここにいる理由を聞いてからでも良かったんじゃないでしょうか……? もしかしたら、何か用事があって学校をお休みしてここに来ていたかもしれませんし」

 

 たしかにそうだ、失敗した。と、自分の過ちに気付きながら典膳の頬を放す。

 亜耶の言う通りに何か理由があって典膳が来ていた可能性を考えていなかった、理由も聞かずにいつもの徘徊癖でここまで来ていたと勝手に決めつけて折檻していた自分が恥ずかしくなる。

 もしもそうだったのならば、私はとても酷い仕打ちを典膳にしていたことになる。そうだとしたら、誠心誠意謝罪をしなければならない。

 

「その……今更だけど典膳はどうしてここに……?」

 

「散歩してたらお腹が空いたので」

 

「へぇ、そう」

 

「んごぉぉぉ……!」

 

 鼻をおもいっきり摘まんで上に引っ張った。

 

 

 

 

「そういえばさ、メブと典膳くんが最初に会ったのはいきなり典膳くんがメブの家の庭に生えたからって聞いてたけど、あややと典膳くんは最初にどうやって会ったの?」

 

 来てしまってるからにはもう仕方ない、まずは昼食を済ませてしまおうと皆で同じテーブルを囲んでいると、いつの間にか典膳への呼称の距離感が縮まっている雀が好奇心の伺える表情で亜耶と典膳の二人に問い掛けた。

 

「えぇと、まだ小さな頃に前にちょっと言った交流会の時が初めてでしたね」

 

「あの時はたしか皆で百人一首してましたので」

 

「途中からは保護者として参加していた大人の神官さん達の方が熱中してたのを覚えてます」

 

「頭の中で仮面な人達が激しく札を取り合ってる姿を想像してしまいましたわ」

 

「すごく、シュール」

 

 未だに鼻と頬を仄かに赤くしている典膳を中心に和気藹々と言葉が交わされる。典膳はなんて事ないことを語るように、亜耶はとても楽し気に、聞き手側もそれぞれ性格が現れている反応をしながら会話が弾む。

 

「それで、その場の皆さんがそれぞれ熱中している時にふらっと典膳先輩が一人でどこかに行こうとしてるのにたまたま気付いて私がなんとなく追いかけたんです」

 

「出た、噂の脱走癖!」

 

 雀が囃し立てるような相槌を打つ声を聞きながら私は少し、いや、けっこう驚いてしまった。

 典膳の脱走癖は基本的にその場の誰もが気付かない内に発揮されるもので、私も今までその瞬間に気付く事は中々にできていないものだ。それなのに、当時初対面だった亜耶が脱走に気付けたらしい。

 巫女としての直感みたいなものなのだろうか?

 

「それで、典膳先輩と少し歩いた先で怪我をして動けなくなってる小さな黒猫さんを見付けました」

 

「怪我した仔猫が一匹、親猫とはぐれてしまったのでしょうね」

 

「当時の私は怪我をしている猫さんがかわいそうで助けたいと思って、ども、どうすればいいのかわからなくて泣く事しかできなかったんです。だけど……」

 

「だけど?」

 

 華奢な眉を寄せて悲し気に話していた亜耶に小さく首を傾げたしずくを含めた全員が視線で話の続きを促す。すると、表情を一転、ふわりと破顔した亜耶が言葉を連ねた。

 

「典膳先輩が『かんぜんに理解したので、友達になってもらいますので』って言いながらササっと黒猫さんを抱っこしたと思ったら交流会の会場に連れ帰ってパパっと手当てしちゃったんです」

 

「へー! ……あれ? 典膳くんって当時何歳だったの?」

 

「メヴキに会った次の年だから六つの頃ですので」

 

「動物相手とはいえ六つの頃には既に通り魔的医療行為をしていた薬師氏」

 

「何を完全に理解したんですの?」

 

「っス。あの時は不思議で綺麗な青い鳥を追いかけて助けが必要な仔猫を見付けましたっス」

 

「青い、鳥さん……ですか? あの時に黒猫さん以外の動物がいたのに私も気付いてませんでした」

 

「また情報が増えた、薬師氏のエピソードは情報量が多い」

 

 呆れたように、理解に苦労しているようなしずく。雀も弥勒も頭上に疑問符を浮かべたような顔をしているし、私自身も新たな情報に戸惑う。

 

「青い鳥はきっと仔猫を助けるために手当てできる人間を呼ぼうとした幸せの青い鳥で、幸せの青い鳥に助けられた仔猫はこれから幸せになる運命なんだと理解しましたっス」

 

「あら、ロマンチックな事をおっしゃいますわね、そういうのは素敵だと思いますわ」

 

「手当てされた黒猫さんも今では大赦の巫女達が寝泊まりする宿舎に入り浸って毎日機嫌良さそうにのんびりとしているので、幸せになる運命だというのは間違ってなんじゃないかって思います」

 

 亜耶が言うには保護されて宿舎に居着くようになった黒猫は幼い巫女達の善き遊び相手、つまりは典膳の言うとおり『巫女達の友達』になっているらしい。亜耶自身もゴールドタワーに来る前はよく撫でさせて貰ったり猫じゃらしで一緒に遊んでいたとの事。

 大切な思い出としてそれらを嬉しそうに語る亜耶につられてこの場の全員がほっこりと頬を弛ませた。

 

「そういえば、少し気になったのだけど」

 

 間隙なく転がる話題が一段落した所で典膳に向けて口を開く。皆の視線が集まったのを肌で感じた。

 

「青い鳥を追い掛けて脱走したらしいけど、そもそもその青い鳥っていったい何なの?」

 

 典膳の話を聞いただけではただ仔猫を助けさせるためだけに現れ、典膳を追いかけた亜耶を含む典膳以外の誰にも目撃されないまま典膳を先導し、気付けば話の中心から外れていた"幸せの青い鳥"なる不思議な存在。そんな存在を典膳は何故追い掛けたのだろうか。

 

「ただ青いだけの鳥なら野山に入って探せば見付けられなくもない位には珍しくないじゃない。何が"不思議な"だったのかしら」

 

 なんとなく。と、言われてしまえばそれまでの問い掛けでしかないが、自分でも妙に思えるほどにその青い鳥というのが胸の内の何処かに引っ掛かっていた。

 

「メブはロマンが足りないなぁ、仔猫を助けようとした素敵な鳥がいたって事にしたら面白いじゃん」

 

「でも、たしかに青い鳥が何者なのかは気になりますわね。青い鳥なんて目立つでしょうに、近くにいた亜耶さんが気付いてなかったのは不思議ですわ」

 

「言われてみれば、私も青い鳥が少し気になる」

 

 私に集まっていた視線が典膳へと移される。私が問い掛けるまで青い鳥の不思議さを皆が気にしていなかったのは、典膳の言動がいちいち摩訶不思議だからそれの不思議さが相対的に薄く感じられていたからかもしれない。

 集まった視線に典膳が少しだけ考え込むように虚空を見て沈黙。やがて、開き直ったように口を開いた。

 

「僕はそれらに遭遇する時はそういうモノだとそのまま受け入れてるから確かな言葉では説明できませんので、それでも良いならちょっと話せます」

 

「えぇ、メルヘンな話から急にオカルトな話になりそう。でも、やっぱりちょっと気になるかも」

 

「そんな匂わせ方をしておいて何も話して貰えなかったら余計に気になって夜も眠れませんわ!」

 

 どう説明しても胡散臭いので、と、典膳にしては珍しい勿体ぶったような前置きに対して皆が話の続きを催促する。

 

「七つまでは神の内、僕は七つの誕生日を迎えるまで他の人には見えないし聞こえない不思議なモノを見たり聞いたりしてましたので」

 

 初耳だ。

 しかし、思い返せば五つの頃に出会った典膳は当初何も無い所をぼんやり見ている事などが間々あった。そんな仕草もあってか私は典膳の事を当時から野良猫のようだとの印象を抱いていたのだ。

 まぁ、納得できなくもない。

 

「例の神童だのっていうのと関係してるのかしら」

 

「うーん、そういうモノだと受け入れてたので確固たる原因はわからないので、でも、たぶんそうかも」

 

「薬師氏は不思議なモノが見えてたから他の人には見えてない青い鳥も見えた?」

 

「それもたぶんそう。あの青い鳥は鳥だけどお姉さんで凛々しくて優しくて、でも今は非力なそんな不思議さんでした」

 

「説明まで不思議になってきましたわね」

 

 またも頭上に疑問符を浮かべる弥勒。私や弥勒もしずく理解が追い付かずに小首を傾げていた。

 

「で、結局その不思議な青い鳥は何者なのよ」

 

「たぶんだけど、通りすがりの神様や精霊とかの霊的なサムシングだと思いますので。自己紹介をし合ってないし今の僕には何も見えないし聞こえないのでホントの事はもうわかりません」

 

 前置きで話が脱線して当初の答えが未だあやふやだったのであらためて問い直してみたが、結局の答えもあやふやなものだった。

 

「霊的な何かかぁ……。それじゃあさ、不思議系な典膳くんには見えたけどなんかそういうのが見えそうなイメージのある巫女のあややにはなんで見えなかったの?」

 

 頭上に疑問符を浮かべながらも好奇心は尽きないのか質問を重ねる雀。それに対して典膳は感覚的な事を伝えために言葉を考えているのか難しい表情をしながら口を開く。

 

「あの時の亜耶も見ようと思えばたぶん見えたかも」

 

「え、そうなんですか?」

 

「でも、あの時の亜耶はお家から離れたばっかりで寂しい気持ちがたくさんだっただろうから不思議に気付けるだけの心の余裕が無かったかも」

 

「精神状態で見えるかどうかが変わるんですの?」

 

「っス。勇者のシステムも防人のシステムも精神状態で起動の可否が変わるし、心の状態次第でそういう事もあるかもって感じっス」

 

「曖昧で感覚的ですわね」

 

「でも、たしかにあの時の私は周りに年の離れた人ばかりだったのがちょっと不安で寂しくて、交流会でとても仲良くしてくれた典膳先輩がフラっと何処かに行こうとしてたのでもっと寂しい気持ちになってしまってましたね」

 

 あ、お父さんとお母さんに会えなくてちょっぴり寂しかった気持ちが強かっただけで、周りの人達はとても良くしてくれてました。と、慌てたように補足する亜耶。交流会が終わった後はよくよく懐いてくれた黒猫がいたから全然寂しくなくなったとも嬉しそうに補足していた。

 そんな亜耶の言葉にもしやと思いつつ典膳へと視線を向ける。

 

「友達は寂しさや退屈への特効薬ですので」

 

 自信満々に胸を張る姿。なるほど、猫に対した放った『友達になってもらう』とは亜耶のための言葉だったらしい。典膳なのに随分と洒落た事をしたものだ。

 

「それにしても綺麗な青い鳥かぁ、私も見てみたいなぁ」

 

「探せばこの四国の何処かにはいると思いますので、本気で探せば逢えるかもしれません。僕は仔猫の時を含めて三回逢えました」

 

「意外と遭遇してる」

 

 珍しいもの見たさなのか、好奇心の感じ取れる雀の呟きになんて事無いように典膳が答え、それにしずくが少し驚いた表情を見せる。

 

「二回目は他の霊的なサムシングに呼ばれたから追い掛けてみたらそれがちょっとイジワルだったみたいで、行き着いた先で迷子になって帰れなくなってた時に顕れて人のいるところまで先導してくれました」

 

「仔猫を助けた薬師氏への恩返し……?」

 

「やっぱりオカルトよりもメルヘンっぽいかも」

 

「呼ばれたから追ったのに迷わされるのはかなりオカルトでホラーですわよ」

 

「三回目は風で倒れた公園のゴミ箱を戻して散らばったゴミを集めてるのを見つけたのでお手伝いしました」

 

「神秘的な何かから急にボランティア感が出てきた!」

 

「猫さんを助けたりゴミ拾いをしたり、とっても善い鳥さんなんですね」

 

 ほっこりと笑う亜耶につられて全員が同じようにほっこりと笑う。

 話題の一区切りでそれぞれが手元の飲み物を口に含んで喉を潤していると、いつも通りの声色で典膳が新たに口を開く。

 

「それにしても驚きました」

 

「私は十年近い付き合いのある幼馴染みが実はお化け的な何かを見てましたと打ち明けられて驚いてるっていうのに打ち明けた本人が何を驚いてるって言うのよ」

 

「それです」

 

「は?」

 

 何が"それ"なのか、または斜め上な発言をしようとしているのではとあるかもしれない混乱に備えるつもりで典膳の眼を真っ直ぐに見据えて耳を傾ける。

 

「人には見えない聞こえないものを僕だけが見て聞いていた、そんな証明しようの無いことを全然疑わないでそのままそっくり受け入れてる事です」

 

 何を考えているのか何も考えてないのか、丸い眼を瞬きさせながらの真顔で言いのける典膳。

 きっと、微妙な浅さで考えての発言なのだろう。

 

「やっぱり、典膳はどうあっても典膳ね」

 

「え?」

 

 薬学に精通してようが寂しさを抱えている小さな女の子のために洒落た事ができようが、やはり、典膳は典膳なのだ。

 言葉を飾らずに率直な表現をするならば、典膳はちょっとお馬鹿なのだと私は幼い頃から知っている。

 

「私達は神樹の結界の外で星屑だなんて化物相手に戦ってるのよ、ちょっとよく分からない物が見えてるだけの人間程度なんて驚きはするけど疑う方が難しいわ」

 

「……!」

 

 丸い眼を更に丸くする典膳。

 どうにも間抜けな表情に見える。

 

 私達は不思議な力で不思議な相手に命懸けの戦闘を何度も繰り返している。

 自分達だってある意味では不思議な存在に片足を突っ込んでいるし、亜耶のような巫女達は神樹からお告げを授かったりしているというのに、ちょっと何か見えてる程度の不思議を何故疑うのか、それに気付かない典膳は少々考えが浅いと思わざるを得ない。

 

「たかだか不思議なモノが見える程度よりも眼を離したらすぐに迷子になる典膳の迷子癖の方がよっぽど摩訶不思議だわ、なんで毎回誰も気付かない内に消えてるのよ」

 

 私が思うに一番不思議なのは典膳の普段の言動そのものだ。

 しかし、不思議だけど疑う事は無い。

 

「話せない事は話さない、嘘や誤魔化しをするくらいなら沈黙する、言葉にする時は必ず正直。この十年近くで典膳自身が培った信用じゃない。なんで私がそんな典膳の言葉を疑うのよ」

 

「……えへへ」

 

「なんで笑ってるのよ……」

 

 問われた事への答えを返せばへらへらと笑い始める典膳。

 何がそんなに楽しくて面白いのか、典膳の笑いのツボはやはりまったくもってわからない。

 

「楠、男前」

 

「え?」

 

「要約すると典膳くんだから信じるって事でしょ、メブの発言がイケメン過ぎるよ」

 

「信じてない相手に怪我の処置なんてさせないでしょう、今更過ぎるわ」

 

「世の中の幼馴染み関係というのはこうも信用し合うものなのでしょうかね……?」

 

 曖昧な表情で首を傾げる弥勒に対し、幼馴染みだから信用するのではなく信用を培った典膳だから信用している。と、単純な説明をするとなにやら生暖かい視線を返された。

 

「芽吹さんと典膳さんだからこそ、という事ですわね」

 

 その通りではあるが、なにかニュアンスが違う気がする弥勒の言葉。

 どうにもよく分からないが、へらへらと笑い続ける典膳以外の全員から表現し難い生ぬるくて得体の知れない視線を貼り付けられた。

 




 
 
 
 
 
 
 
幸せの青い鳥さん(どうにもこの孤独な黒猫を見捨てるは忍びないが肉の身体無き私にはどうする事もできん……)

鳥さん(む? 目が合ったな。この少年、私が見えるのか……ふむ、上手くいくか解らんが少し頼まれて貰おうか)

鳥さん(……あぁ、よかった。もう心配は無いだろう)

鳥さん(くくく。誰に面影を重ねたのやら猫一匹、思いの外喜びと安堵の気持ちが強いな)

鳥さん(何事にも報いを。聡い少年よ、この報いはきっと返そう)


鳥さん(少年!私が言うのもなんだがよく解らない相手にホイホイと着いてくのは危ないぞ!?親御さんに知らない人に着いていってはいけないと教わってないのか!!)

鳥さん(あーっ!!言わんことではない!変な領域に迷わされてるではないか!!多くの地の神が神樹に合流したこの御時世に何故そうも簡単に神隠しに遇うんだ!!)


黒猫の報いは歩いても飛んでも泳いでも行けない場所からの帰り道を案内される事で返されました


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人生……ヨシ!

 

 防人隊にとって五度目の任務、西暦の時代に近畿地方と呼ばれていた地域に向かうための通路を築くために巫女である亜耶を連れての結界外行動。

 防人隊に危険な任務が有った後に毎回どうやってか察知してはひょっこりと現れた典膳が手当たり次第に手当てするのが恒例になっているのだが、それが今回は珍しく出撃前に現れ、結界の外に出る全員の無事を祈って亜耶と共に祝詞をあげていた。

 

 二人の神職、亜耶の鈴のようなソプラノと典膳の笛のようなアルトが合一し、幻想的な音色が陽炎のように空間を揺らす。

 

掛巻(かけま)くも(かしこ)神樹(しんじゅ)産土大神(うぶすなのおほかみ)大地主神(おおとこぬしのかみ)大前(おほまえ)(かしこ)(かしこ)みも(まを)さく──」

 

 煌めく陽光が私達を包む、穏やかな潮風が頬を撫でる、何処かで鳴いていた海鳥が嘴を閉ざして沈黙を呼ぶ。

 神の童と巫女が祈りを奏上する。

 自分の呼吸する音色さえ遠い場所にあるのに、世界のあるがままが肌を通って心の臓まで届くような錯覚。

 

「──捧奉(ささげまつ)りて乞祈奉(こひのみまつ)らくを(たいら)げく(やす)らげく聞召(きこめし)て、神樹(しんじゅ)(たか)(ひろ)(いか)しき恩頼(みたまのふゆ)()り──」

 

 以前にもこんな心地を覚えた事があった。あれはたしか、私が七つになった日に薬師神社へと七五三のお参りをしに行った時だ。

 その時も今のように典膳が舌足らずながらも難しい言葉遣いの祝詞を唱えていた。

 

──典膳がお祈りするの?

 

──うん。メヴキは特別だからぼくがします

 

──特別?

 

──ともだちなので

 

 友達同士だから神社の子が祈祷するというのもあるのか。と、当時は適当に納得していた。

 周囲の大人達はそれを咎める事も訝しむ事もしていなかった。むしろ、ありがたい事だと喜んだり、羨むようは眼で私を見ていた節があった。

 神童、薬師氏典膳。神樹にとってとても重要な神の一柱より多大な恩寵を授かって産まれ、神の欠片をその身に宿している者。そんな神の近くに在る存在が自らに恩寵を授けている氏神へとたった一人の今後の生涯が善き物である事を祈り願う。

 最近になって知った事実と合わせて過去を振り返ると、もしかしたら私は少し凄い事をされていたのかもしれない。

 

──ぼくは明日七つになるので

 

──そういえば、一日違いの誕生日なのよね

 

──だから、これがさいご。

 

 あの時は典膳が七歳を目前にして突拍子の無い行動を辞めるように心機一転の宣言だと思った。でも、その後も典膳の迷子癖等の頭がおかしくなりそうな訳の解らない言動は続いていた。なので、しばらくは何に対して最後だと宣言したのか解らなくて首をひねっていた。

 後日に直接聞いても『もう終わりましたので』としか答えが帰ってこなくて余計に首をひねる事になっていたのを憶えている。

 

──神童様がお祈祷してくれたのは芽吹ちゃんだけだったねぇ

 

 そんな言葉を近所のお婆さんから聞いたのは何時だったか、その言葉を聞いてからは典膳が誰かのために祈祷して祝詞を唱えるのをあの時が最後にしていたのだと思っていた。

 

 しかし、今、防人の三十二人と巫女一人のために典膳はあの時のように祝詞を唱えている

 結局のところ、典膳の言った"最後"とは何に対しての言葉だったのだろうか。

 

「──禍神(まがかみ)禍事(まがこと)なく、身健(みすこ)やかに心清(こころきよ)く──」

 

 社を囲む鎮守の木々が祝福を葉を奏で、鼻にを香った花が私に重さを与え、肺を満たした空気が私を世界に縫い付けてると錯覚した七つになったあの日と同じ。

 神童が、いや、典膳が心を籠めて祈る。

 ただそれだけ。だけど、不思議な安寧がここにある。

 

「──(まも)(めぐ)(さきわ)(たま)へと(かしこ)(かしこ)みも(まお)す」

 

 今回は護衛対象である非戦闘員の亜耶を連れて結界の外へと出る難易度の高くて過酷な任務だ。安心できる要素なんて何一つ無いはずなのに、任務開始の直前であるこの瞬間に心を安寧させてしまうのは気の弛みかもしれない。

 神樹の方角へ二拍と一拝、典膳と亜耶が祝詞を終えたと同時に自覚したそれを正すために頬の内側を少しだけ噛んで気付け薬がわりとする。

 

 錯覚が全てまやかしと消え、心がゆるやかな現実からただの現実へと戻る。

 

「メヴキ達の指示をよく聞いて、気を付けて欲しいので」

 

「はい、気を付けて行ってきます」

 

 小柄な典膳が更に小柄な亜耶へと念を押すように言い聞かせる。共に神職の衣裳を身に纏い、それがよくよく様になっている二人は双方無垢を感じる似た雰囲気をしているせいなのか、なんとなく程度に兄妹に見えなくもない。

 

「なんか、凄く納得しちゃったなぁ」

 

「何がかしら」

 

 背後から聞こえた雀の声に振り返って意図を問う。すると、気付いたら口から言葉が漏れていたと言わんばかりな表情を見せた雀が続けて口を開く。

 

「祝詞を唱えてる時の不思議で厳かな感じで典膳くんもそう言えば神職だったなぁとか、私にとっては最近できた友達だけどあややにとっては幼馴染みのお兄さんなんだなぁって」

 

「そうね、私も似たような事を今考えてたわ」

 

 作法に則った動作の拍や拝、それを物心ついた頃より巫女として修練を積んできた亜耶と一切のズレ無しに合わせて動き、祝詞を唱えるにも息継ぎや声の抑揚まで欠片の狂いさえ無く同一にこなす。それだけで典膳も神職としてしっかりと修練を積んでいるのが容易に察する事ができる。

 そんな典膳に対して亜耶はとても素直だ。亜耶は普段から誰に対してもそうではあるが、典膳に対してはより一層に素直なように見えるし、接し方にも敬意とそれ以上の親しみの雰囲気を感じられる。

 この2つが合わさり典膳と亜耶が神職の兄妹のように見えていたのだろう。

 

 亜耶はなぜ、交流会とやらで年に数度会えるだけ相手だった典膳にこれほどの大きな親しみの感情を向けているのだろう。と、少しだけ気になり、それは任務開始前に考えるには気が逸れすぎているだろうと自戒するも、思考の片隅にある無意識の部分で勝手に思案が続く。

 

 理論立てて推測した訳ではない。そんな事もあるかも知れないという程度な形の無い思考が無意識の中に混ざる。

 

 先日聞いた亜耶が典膳に初めて会った時の話、亜耶が親元から離れて寂しい思いが強い時に典膳からとても良くして貰ったらしい。それによって、当時はふらっと姿を消そうとした典膳の背中を思わず追ってしまう程に懐いていたのだろう。

 そんな相手が寂しさへの特効薬として傷付いた仔猫を癒して友達になれるようにはからってくれた。

 なるほど、そんな相手を嫌う方が難しいはずだ。

 いつだったか言っていた通り、亜耶にとって典膳は本当に頼れるお兄さんなのだろう。

 

 ふと、意図しないまま典膳と視線が重なり、そのまま視線が絡んで互いに見合う。

 無意識の中に混ざっていた形のない思考が霞んで薄くなる。

 

「何か言いたいことがあるのかしら」

 

 視線を絡めたまま私へと歩み寄ってきた典膳に問う。

 口から言葉を出す変わりに今まで考えていた事はなんだったかさえも忘れていた。

 

 絡んだ視線はほどけず、何を考えてるのか微妙に解りにくい顔の典膳が何を思っているのか微妙に解りにくい声色でまっすぐに言葉を吐く。

 

「武運無くとも、成果無くとも、欠けの無い帰還を期待してますので」 

 

「……これから出撃する隊の隊長相手に随分と消極的な言葉を吐くのね」

 

 逃げ帰ってきてもいい、任務を失敗してもいい。裏を返せばそう取れてしまうような言葉だ。

 全力で事に挑む相手に『成功を必要としてない』などと言うのは侮蔑であり、気の短い人物ならばそれだけで殴り合いの喧嘩に発展しかねない行為だ。例えるならば、自分の仕事に誇りを持っている職人さんに『お前の仕事なんてどうでもいい』と言い捨て、その職人さんがその瞬間までに積み上げてきたもの全てを否定するかのような行為だ。喧嘩を売ってるとしか思えない。

 

 だが、典膳の言葉に裏なんか無い。

 私は典膳はいつも伝えたい事そのものだけを言葉にすると知っている。

 

「私以外にそんな事を言ったのなら頬をつねられるだけじゃ済まないわよ」

 

 典膳の顔が微妙に解りにくい表情から少しだけ悄気たような表情へと変わる。

 

「こう言う以外に言葉が見つからなかったので……」

 

「そうなんでしょうね。典膳だもの」

 

 典膳だから思った事しか、真実しか言葉にしない。

 欠けの無い帰還。つまり、犠牲無く、取り返しの付かない大怪我もなく、誰もが指先少しでさえの欠損無く生きて帰って来て欲しいと典膳は願っているのだ。

 微妙に解りにくい表情と声色。だけど、私にはどんな感情でその表情と声色なのかが解る。その表情も声色も、シズクとの対決にて脇腹を怪我をした時に見たばかりだ。

 

──色々と失わないようにも頑張って欲しいです

 

 不安。典膳はこれから危険な任務に赴く私達に士気を下げる要因になるような顔を見せないように真顔を取り繕いつつ、それでもただひたすらに私達全員を心配し案じているのだろう。

 

 死ぬな、生きて帰って来い。心の奥底の深い所からそう願ってくれる心配性で小心者の幼馴染。私はそんな幼馴染を心配性だと笑ってやるつもりは無いし、小心者だと馬鹿にしてやる気も全く無い。

 ただ、多少ながらも怪我をして帰還するであろう防人隊の手当てに全力を尽くしてくれると信用している幼馴染に礼の先払いとしてきっと欲しがっているであろう言葉をくれてやる事にした。

 

「私の部隊に犠牲は許さない。言われるまでもなく欠けなんてあり得ないわ、任せておきなさい」

 

「! ……期待してますので!」

 

 解りやすく表情が明るいものに変わる、声色も明るいものに変わる。

 なんだかそんな様子が少し面白い。少しだけ頬が弛んだのを自覚し、すぐに気の弛みだと自身に戒めて口元を引き締める。

 

「総員、戦闘準備! 護衛対象を中心に円形密集陣形!」

 

「「「「「「「了解!」」」」」」」

 

 なにがなんでも犠牲は許さない。いつも心に抱いているその目標をいつも以上に意識しながら結界の外へと足を踏み出した。

 

 

 

 

 数度の小規模な戦闘を制し、亜耶を連れた防人隊は問題なく予定していた地点へと到達した。

 人を殺す怪物が山のように跋扈する灼熱の大地に不釣り合いな清い祝詞が唱えられ、地面に落とされた神樹の種を起点に紅い大地が緑の植物に上書きされていく。

 幻想的で超常的な光景に誰もが目を奪われた。甦る緑の光景に心さえも奪われていたのかもしれない。

 

 だから、気付かなかった。

 

 蠍の名を冠する人類の天敵、スコーピオン・バーテックスの接近。

 数珠を連ねたような尾の一振でシズクの小さな体を宙に弾き飛ばし、幻想に奪われていた防人達の心を過酷な現実へと引き戻したのだ。

 

 泣き喚く雀、安否が不明なシズク、尾の一振で蹴散らされる護盾隊、防人隊がほんの一瞬で追い詰められる中でスコーピオンが振り回す尾の危険へと無防備に晒け出される亜耶。

 スコーピオンの尾針がまっすぐに亜耶へと狙いを定めた。 

 

──欠けの無い帰還を期待してますので

 

 思考よりも早く、体が動いた。

 体が動くと同時に、決意が胸中で反響する。

 

 犠牲は許さない。

 

「死なせない!!」

 

 自分の体ごと亜耶を押し倒す。濃厚な死の気配のせいか間近に迫ってくる尾針が細部まで観察できるほど緩慢に動き、同じく鈍く動く私と亜耶が緑の茂る地面へと羽毛が落ちるような鈍さで倒れていく。

 私達が倒れきり尾針の先から身をどけた直後、何もかもが速さを取り戻して伏した私達の上を掠めるようにして尾針が空気を貫いた。

 致死の一刺しを回避する事はできた。しかし、スコーピオンの攻撃は一度では終わらない。尾を引き戻して私達へと尾針を向けるスコーピオンの姿に、地に伏して続けての回避行動へと移れない体勢になってしまったのは失敗だったと悟る。

 

「怖い怖い怖いこ゛わ゛い゛ぃ゛ぃ゛っ!」

 

 またも死の気配を感じたと同時に盾を構えた雀が泣き言を叫びながら間に入り二度目の尾針を引き付ける。型破りな素早い動きで尾針を躱した雀が三度目四度目と難度も軽快で奇天烈な挙動で引き付け続ける。

 

「あーっ! 死ぬ! 次は死ぬ! 次こそ死ぬ! あーっ! あーっ! もう無理! あーっ! そいやぁ! 助けてメブゥ゛ゥ゛ー! あーっ! これ死んだ! あーっ! 死ん、でなぁーーい! あーっ!」

 

「雀さん、すごい……!」

 

「感心するのは後! ここから離れるわよ!」

 

「あーっ! 置いてかないでぇぇ!!!! あ゛ぁーーっ!!!!」

 

 雀の泣き言とは裏腹な軽業が頼もしい、この雀なら亜耶をこの場から離れさせる時間を稼いでくれるだろうと確信。すぐに二人で立ち上がってスコーピオンの尾が届く範囲から離れる。

 

「銃剣隊、狙い! 撃って!!」

 

 ひとまずの安全圏で隊列を乱された防人達を集合させて反撃。雀を狙って振り回される尾を狙うのは難度が高いので顔のような部位への一斉射撃。

 大きく身体を損壊させたスコーピオンが動きを鈍くさせる。

 

「やりましたわね! 芽吹さん、追撃してあれを私達の手柄にしてしまいましょう!」

 

「いえ、危険な追撃は無しで撤退します! 損耗せずに全員での帰還こそが一番の手柄です!」

 

 動きが鈍ったスコーピオンから眼を離さずに後ろ向きでの全力疾走で隊列に戻ってくる雀を確認しつつ指示を飛ばす。誰からの反対意見は無く、誰もが納得したように頷いていた。

 

「置いてくなんてひどいよメブ~! 怖かったよぉぉ~~っ!」

 

「雀なら時間を稼げると思ったし雀にしか任せられなかったのよ」

 

「無茶振りだよぅ!」

 

「撤退準備! 私が殿に立つわ!」

 

 目や鼻から汁を流して腰にしがみついて震える雀を無視して更に指示を飛ばす。

 指揮権の移行、亜耶を厳重に護衛する陣形、訓練通りに滞りなく行われたそれを確認してすぐに防人隊と亜耶を走らせる。

 走らせたが、私以外にも二人の防人がここに残った。

 

「撤退の指示を出したはずですが」

 

「殿こそ戦いの華、その誉れはこの弥勒夕海子にこそふさわしいですわ! 芽吹さんに独り占めなんかさせませんわよ!」

 

「この状況で誉れだの手柄だなんだと言ってる場合じゃ──」

 

「それに、シズクさんを救助なさるつもりなんでしょう、より確実な犠牲ゼロのために人手が欲しいのではありませんこと?」

 

「──っ!」

 

 自信に満ちた不敵な笑みで私を見る弥勒。現段階で想定できる様々な状況は私と要救助が予想されるシズクだけではかなり厳しいので援護に残ってくれた弥勒の存在が非常にありがたい。

 

「助かります……。雀は早く隊列に戻りなさい、あなたまで過度な危険を冒す必要は無いわ」

 

 残っていたもう一人の防人である雀に隊列へと戻るように促す。すると、私の腰に回していた腕に一度力を込めた直後に震えを止めて立ち上がり、決意と少しの自棄が見て取れる瞳で私と視線を合わせた。

 

「怖いけど放っておけないよ。それに、一番危ない所に行くなら盾が必要でしょ。シズクが意識を取り戻さなかったら退路を開く人とシズクを担ぐ人とそれの盾になる人が必要じゃん」

 

 身を守る、安全を確保する、この二点において天才的なセンスを有する雀がこうも言い切るのならばこの殿は三人以上で事に当たらなければ非常に難しいものなのだろう。

 自他共に認める怖がりの雀が恐怖の感情に耐えてまで協力してくれる事に驚き、それ以上に頼もしさをおぼえる。

 

「とても助かるわ。でも、ここに残ったからにはさっきみたいな無茶振りにまた付き合って貰うわよ」

 

「残った事に後悔しっぱなしだけど尚更後悔してきた……」

 

「無茶振り、どんと来いですわ! 無茶を通して無理を踏み越えてこそ誉れあるというもの。それでこそ、弥勒の勇名が轟きますもの!」

 

 対照的な態度の二人を背後に迫り来るスコーピオンを睨み付けて銃剣を握り締める。巨体は破損を物ともせず、目に見える速さで再生しながら私達へと悠然に接近を続けていた。

 続けざまに弾き飛ばされたシズクが倒れているのを遠目に確認。ここからでは状態の正確な確認はできないが、尾針で貫かれた訳ではない事と辛うじて見て取れる胸部の上下に呼吸がある事から死んでない事を確信する。

 把握した状況を脳内で整理、それぞれが行うべき行動を判断、それを指示するために口を開くより先に弥勒が言葉を放つ。

 

「それに、典膳さんにも芽吹さんのフォローを頼まれてしまいましたから、頼ってくる後輩のお願いを聞くのも弥勒の者として当然の事ですわ!」

 

「は?」

 

 誰が、誰に、誰の事を頼んだと?

 

「典膳さんは見る目が有りますわね! この弥勒夕海子を頼れる人間だと認識していらっしゃるのですから!」

 

「あ、やっぱり弥勒さんも典膳くんにメブのフォロー頼まれてたんだ」

 

「は?」

「え?」

 

「ある程度の親交がある防人の人……まぁ、ほぼ全員が典膳くんに似たような事言われてるみたいだよ」

 

「は?」

 

 典膳が、防人のほぼ全員に、私の事を?

 理解すると同時に頭が痛くなるような錯覚を覚える。日常的に迷子になってはご近所中の人に探索されて保護されるを繰り返していた癖に典膳は私の保護を防人隊に頼んでいたのか。

 何様のつもりでの頼み事だったのかやら、私の事を案じるよりもまず自分の振る舞いを直せやら、例えようのない羞恥やら、とにかく色んな思いが混ざって頭痛の気配を感じる。

 

「え? その口ぶりからすると、もしかして、雀さんもですの?」

 

「私は逆にメブに私をもっと守ってくれるように典膳くんからも言って欲しいってお願いしてた側だから」

 

 頭痛がしてきた。誰か私をこの頭痛から守ってくれないだろうか。

 瞬間的に脳内に浮かんだ怪しい頭痛薬を手に持ってニコニコと笑う典膳の姿、無性に腹が立ったので頬をつねって鼻を引っ張った姿を想像しておいた。

 

「……無駄口はそこまでにして。私と雀でスコーピオンに接近して注意を引く、弥勒さんはシズクの状態を確認して──」

 

「このエビ野郎! よくもやりやがったな、みじん切りにして蹴り潰してすり身にしてやらァァ!」

 

「──確認は不要みたいね。間違ってもスコーピオンが本隊に追い付かないように妨害しつつ撤退するわよ」

 

 気を取り直して二人に指示をしている最中、いつの間にか復帰していたシズクがほぼ再生の終えていたスコーピオンへと飛び乗って荒々しく銃剣を突き刺す。

 状況は最悪ではないらしい。むしろ、シズクがほぼ万全の状態で動けるのならば殿としての役目をまっとうしつつ無理なく撤退ができそうだ。

 

「シズクが無事なら私は必要ないよね! 先に撤退──」

 

「全員で! 妨害しつつ! 撤退するわよ!」

 

「──ふえぇ、さっさと本隊と一緒に戻ってればよかった……」

 

 泣き言を漏らしながらも雀は元気よくスコーピオンの周りを走り回って役目をまっとうしていた。

 

 

 

 

 殿に残った四人の連携が訓練以上に噛み合っていたと感じたし、直感が冴え渡っていたのかスコーピオンの攻撃の多くを上手い具合にくぐり抜ける事ができていたし、スコーピオンの尾を切り付けた時も想像していたよりも刃の通りが良くて想定よりも迅速に切り落とす事ができた。

 思いの外スコーピオンへの妨害行動は過酷ではなかった。と、いうのは気のせいだろう。

 

「さすがにぶっ飛ばされた直後に暴れ過ぎたな……全身ガッタガタだ……」

 

 右を見る。全身くまなく負傷だらけのシズクがげんなりとした顔で私と並走している。

 

「わたくしは、まだ、ぜんぜん、いけますわよ……」

 

 左の数歩分後ろを見る。負傷だらけでくたびれた様子の弥勒が上品さとかけ離れている酷く疲労した顔で足を引き摺るように走っている。

 

「私は無理! もう無理! 後十秒続けてたら死んでた!」

 

 数歩分真後ろを見る。顔を涙と鼻水と鼻血に濡らした雀が元気良く泣き言を喚きながら走っている。体力にはまだ少しだけ余裕がありそうだが、灼熱の大地を何度も飛んで跳ねて滑り込んで転がってと繰り返していたせいか全身くまなくボロボロになっている。

 

「もうひと頑張りよ。本隊は既に結界の中にいるから、後は私達が帰還すればお役目完了になるわ」

 

 私自身の状態を確認する。スコーピオンの攻撃が直撃する事は無かったものの、回避行動の際に灼熱の地面を転がったり星屑からの不意打ちなどで多少の負傷を負っていた。

 そう、不思議な事に多少の負傷だけしかない。

 

──芽吹さんが雀さんみたいな変態的回避を!? わたくしも負けていられませんわ!

 

──バカ、止せ! あんなキモい動きなんてやろうと思ってすぐにできる動きじゃねぇ! しくじって串刺しになるオチが目に見えてる!

 

──私の事をなんだと思ってるのさぁーー! あ……あ゛ぁ゛ぁ゛っ!!

 

──なんで身動きできない筈の空中なのに宙返りができてそのまま直撃しそうになった尻尾の上に乗れるんですの……?

 

 不思議な事と言えば、スコーピオンの攻撃に対しての私は自分でも驚く程に直感が冴え渡っていた。いや、直感とは少し違うのかもしれない。

 最初に亜耶をスコーピオンの攻撃から庇った時の世界が緩慢に感じるような錯覚、それが戦闘の最中に頻発して圧縮された時間感覚の中の私は余裕を持って攻撃の軌道を正確に見極める事ができ、それによって最低限の動作での最適な回避行動を行う事ができていた。

 しかし、その一種の達人的な見切りとも言えるそれはスコーピオンの攻撃にのみ発揮され、星屑の不意打ちなんかにはまるで発揮されなかった。

 

──虫が寄ってこない。それはもしかしたら、典膳先輩の影響があるかもしれませんね

 

 不思議、蠍、虫、虫刺され、さまざまな単語が脳内で弛く繋がっていつの日にか聞いた亜耶の言葉を思い出す。

 虫の害を祓うまじないの神、その欠片を身に宿す天膳の祈り、虫除けの加護。

 一瞬だけ"もしかして"と思いはしたが、直後に"まさか"とその思考を捨てる。

 

 私達防人は幻想のような力を神々に借りて戦うが、その戦いは紛れもなく現実で死と紙一重の過酷なものだ。

 在るか無いかもわからない不思議を頭の片隅にでもおいて拠り所にするのはきっと危険な事で、それは防人隊全てを預かる隊長としてそれを頼りにする事は隊の仲間を不確定の危険に晒してしまうという事だ。

 だから、これは今回だけの偶然とだけ記憶に刻んでおけばいい。

 今回だけの、私だけの、偶然だ。

 

「やっと着いた! 生きて帰ってこれた!」

 

 結界の境目を抜ける瞬間に雀が歓喜する。その声に結界の内側にいた防人達と亜耶の視線が集まった。そして、ただ一人、負傷した防人の手当てをしていた典膳だけが自らの手元から視線を逸らさずに集中を続けている。

 実に典膳らしい。と、無意識の内に呆れにも似た苦笑が漏れていた。

 

「お役目完了、今回も全員帰還。さっさと手当てを済ませてゴールドタワーに帰りましょう」

 

 直後、防人の一人に包帯を巻き終えて手当てを終えた典膳が私達に視線を寄越し、すぐに猫のような眼を更に丸くする。

 

「この場で手当てできる怪我については全て済んでますので。急いで移動します」

 

「私達の手当てがまだじゃない。それに、何処に移動するって言うのよ」

 

「病院に決まってますので。その全身怪我だらけと軽度とはいえ火傷だらけを簡単な手当で済ませるようとするのはちょっと引きます。しかるべき検査を受けてほしいので」

 

「は?」

 

 比較的負傷が少ない私を含め、殿の私達は自分達が思ってるよりなかなか酷い有り様だったらしい。手当てしたがりの典膳がここまで言うのならば早めに病院へと向かう方がいいのだろう。

 

「とても大事な事を言い忘れてました」

 

「何かしら?」

 

「欠員無く、欠損無しの帰還、お疲れ様です。さすがメヴキ、期待してた通りです」

 

 怪我に対しての何かかと思えば労いの言葉。満面の笑みで言われたこの言葉はやはり、何一つ虚飾のない本心からの言葉なのだろう。

 

「ふふ、任せておきなさいと言った以上当然の結果よ。それに、犠牲無しは私だけの成果じゃなくて頼もしくて心強い仲間がいるからこそよ、防人全員での成果だわ」

 

 かなりギリギリな状況の連続ではあった。しかし、だからこそ私の指揮に迅速かつ正確に従って行動した防人達や独自の判断で私の援護をしてくれた雀と弥勒、挫けない闘志と根性のあるシズク、恐怖に負けず自分の足で退避行動ができた亜耶、それぞれの頑張りが今回のこの結果に繋がったのだ。

 防人隊の全員が心底から頼もしくて心強い。

 この成果で褒められ労われるべきは私一人だけではなく防人隊の全員なのだ。

 

「わかってますので」

 

「そう、わかってるのならいいわ」

 

「でも、それでも……ありがとう」

 

「何のお礼なのよ」

 

「皆で生きて帰ってくれて、ありがとう」

 

 どれほどの思いを籠めた言葉なのか私には解らなかったが、決して軽い思いでの言葉では無いとだけは確信できた。それほどまでに、典膳の猫のような瞳は深い感情を灯していた。

 

 私の隊に犠牲は許さない。その決意が更に強くなった気がした。

 




 
 
 
 
 
 
 

防人ちゃんA「軽いものばかりとはいえみんな怪我ばっかりだからまるで野戦病院みたい、薬師氏さんがとても忙しそう」

防人ちゃんB「とても急いで手当てをしてくれるけどそれでも絶対に丁寧にしてくれるのマジで推せる」

Aちゃん「綺麗に治ったのにまたちょっと火傷しちゃったね、大丈夫?」

Bちゃん「前ので体質を把握されてたから私に使う分は典膳さんのオリジナル調薬にしつつ大赦製の薬を節約して他の人に回せたからセーフ。この場では使える薬が限られてるから我ながらナイスアシスト、これはポイント高い」

Aちゃん「セーフとはいったい……あ、楠さん達も大怪我無く帰還したみたい」

Bちゃん「あぁ~~、推しと推しの仲が良い姿を見ると心が洗われる~~」

Aちゃん「そっか、人生が楽しそうでいいね」


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美肌……ヨシ!

 

 全身の打撲、擦過傷、火傷、それぞれの一つ一つは軽傷ではあるが、その数の多さによって私達は念のために入院する事となった。

 典膳が言うには皮膚というのは生命を維持するのにとても重要な機能が多く備わっているらしく、健康で無傷な状態の皮膚が少ない状態というのはとても危ない状態になりかねないらしい。私達の怪我はそこまで危険な状態ではないが、皮膚が健康な状態に回復するまで清潔で異変にすぐ対応できる病院で安静にしていた方がいいとも言っていた。

 安静。つまり、訓練とお役目は無し。大赦からも休息を指示された私達は病室で静かでも退屈でもない日々を過ごしていた。

 

「調子はどうか見に来ましたので」

 

「毎日来たところで前日から急激に治る訳でもないでしょうに」

 

「小まめな確認……ヨシ!」

 

「病院では病院のやり方があるから任せているんでしょう? 確認してどうするってのよ」

 

「順調な回復に安心するだけです」

 

 今日も今日とて見舞いにくる典膳。自宅からそこそこ離れてるここまで通うのは面倒だろうによくも飽きないで続けていられるものだと呆れを越えて感心してしまう。

 

「でも、この病院は大赦の系列なのでちょっとだけ口を出せたりしますので。まぁ、それはよほどの事がない限りしませんけど」

 

「病院にも関わってる大赦の手広さはともかく、病院にも口を出せるって典膳くんって実はスゴく偉い人なの?」

 

 同室のベッドに腰掛けながらミカンの皮を剥いていた雀がなにやら興味を抱いたのか、気軽な口調で会話に混ざってくる。

 亜耶から以前聞いた話では、典膳自身を御神体とした神社が作られかねないという存在ではあるらしいし、大赦の職員や仮面の神官からも丁寧な扱いをされているのを少なくない頻度で目撃しているので、雀の問い掛けに肯定が返っても驚きはするが困惑しながらも納得してしまうかもしれない。

 ただ、典膳の普段の言動を知る身としては、この自由の擬人化にある程度の発言力や権力を与える組織には正気を疑う視線を送らざるを得なくなるとも思う。

 

「僕は別に偉くないので、ただちょっと特別だっただけですので」

 

「? ……よく解りませんですわね」

 

「っス。おいしいケーキの入った箱は丁重に扱われるってだけっス」

 

「なんとなくわかったような、わからないような……。薬師氏はやっぱり不思議」

 

 雀と同じようにベッドに腰掛けながらティーパックの紅茶を楽しんでいた弥勒と窓辺に立ってぼんやりと外を眺めていたしずくも会話へと混ざる。

 

「そういえば病院うんぬんで思い出したんだけどさ、顔にひどい火傷をした人を典膳くんの薬で治してたけど、数は多いけど軽傷ばかりの私達がなんで入院なの? 逆じゃない?」

 

「わたくしも実はそれが少し気になってましたわ」

 

 話題が一区切りしたかと思えば雀からの更なる話題提起、好奇心を刺激されたらしい弥勒が間髪入れずに会話に乗る。お喋り好きとお喋り上手とその二人に波長が合う言動が騒々しい人間、三人が揃ってしまっているので今日も静かでも退屈でもない時間が始まってしまうのだろう。

 

「っス。いわゆるケースバイケースっス。みんなの怪我は常に医者がいる病院で万全にケアするのが最適で、あの火傷は心が落ち着ける環境で僕の薬が最適でしたっス」

 

「あの火傷は病院のお医者様では治せなかったんですの?」

 

「っス。ハイかイイエで言うならイイエですけど、完全に痕を残さないかどうかは賭けの部分もありましたっス。でも、もしもの場合でも整形手術とかで時間はかかるけどある程度ならどうにかはできたかもっス」

 

「でも、薬師氏の薬で綺麗に治った。すごい」

 

「お医者さんでも治しきれなかったかもしれないのをキレイに治したのってよく考えなくても凄い事だよね」

 

 言葉を返そうと口を開いた典膳がそのまま停止し、何かを考えているのか目線をわずかに上へと向けて停止した後に再起動して会話を続ける。

 

「念のために言っておきますけど、これは別に僕の薬が医者より優れてるって訳ではないですので。むしろ、医者というのは日々勉強を繰り返して技術と知識を更新し続けてる存在そのものが万能薬みたいなスーパーエリートですので」

 

 一度言葉を区切り、典膳がこの場の全員を一度見回す。

 

「僕の作る薬はいわゆる霊薬、奇跡の産物、どれだけ成分を調べても検出されない何かが含まれます」

 

「物質じゃないけど存在してるって事?」

 

「はい、おちゅんさんは微妙にかしこいですね」

 

「微妙に褒められた」

 

「形は無くとも存在するもの……。それは! 愛ですわね!」

 

「……っス。えぇと、まぁ、っス……」

 

「否定の意味を含んでそうな歯切れの悪い肯定ですわ!?」

 

 いつの間にか渾名で呼ばれるようになっていた雀が微妙に喜び、張り合うように知ったような事を言った弥勒が勝手に登った梯子を外されたような顔になる。

 

「僕の薬が含むのは加護、元々含む成分の効果はそのままに成分以上の治癒を人体に与えますので。そして、これは元より加護を授かっている人間ほど効果を増しますので」

 

「えぇと、つまり……神様パワーが神様パワーで更にドン……みたいな?」

 

「今日のおちゅんさんは冴えてますね」

 

「ははぁ~ん、完全に理解しましたわ。防人は神樹の力を借りて戦う、つまり、そこら辺のあれそれがどうにかなってなんかいい感じで薬が効くのですわね!」

 

「八割くらい適当な理解」

 

「っス! だいたいそんな感じのいい感じっス!」

 

 得意気に胸を張る弥勒にしずくが呆れたような視線を向け、典膳が面白そうに囃し立てる。

 神の加護に深く触れた人ほど典膳の薬は効果を発揮する。神官や巫女はもちろん、神に愛される特別な人、神の加護を借りて身に纏う防人、それらは科学では解明できない力で本来の薬効や治癒力を越えて回復するらしい。

 

「当時お子様だった僕が勇者専属薬師のお役目を任されたのもこれが理由ですので。勇者のちょっとした怪我なんて勇者も僕も安芸さんもドン引く勢いで治りましたので」

 

「ドン引く勢い……?」

 

「紙で指を軽くスパッとした傷なのですが、目で見て解る速さで傷口が閉じて表皮がもぞもぞ再生しました。あまりの不可思議現象な光景に体に変な負担をかけてしまうのではと疑惑が出ましたので、勇者の些細な怪我で僕の薬を使う事が禁じられました」

 

 首を傾げていたしずくが困惑に眉を寄せる。雀と弥勒も同じように困惑の表情をしていたし、私もきっと似た表情をしているのかもしれない。

 しかし、似た表情だとしても私の困惑の理由は三人の困惑の理由とは違うのだろう。

 

「珍しいわね、典膳がお役目の事を口にするのは」

 

 うっかり話してはいけない事も話しかねないほど口が軽いのを自覚している典膳がこういった事を話すのはとても珍しい事だ。それも、勇者に関わったお役目の事や自分が具体的にどう特別なのかを話すのは私が知る限り初めてのはず、話題の始めに考え込むような仕草をしていたし何か理由があってこれらを話したのではないかと訊ねてみる。

 

「僕は決して医者より優れた存在という訳ではない、って事を説明したかったので。積み重ねた人の知識と技術の塊である医者と奇跡の霊薬を発生させる現象、比べる事も混合して見るのもできればしないでくれると嬉しいなと思います」

 

「あぁ、そういう事。随分とそれらしい事を言うのね」

 

 人を治療する医者、人を治療する典膳、結果は似通うが決して同じではない。そんな典膳の言葉にようやく意図を知ることができ、さっきまで感じていた困惑が消えてひたすらに納得の思いが胸に満ちる。

 

「なんかメブが言葉以上の事を理解したような雰囲気」

 

「言葉通りにしか理解してないわ」

 

 言葉通りで普通の事だ。

 多くの先人達が研究し、追求し、築き上げた知識と技術。それを学んで糧として自らの頭と腕で覚えた医者。それらが優れてないはずがない、手の届く場所に奇跡の産物があるからと軽んじられていいはずがない。

 理不尽に人を治療する典膳は、奇跡という理不尽無く人を治療する術を磨き続ける医者という存在に敬意を抱いていて、敬意の対象を誰かに安く見られたくないのだ。

 

「研鑽を良しとして励む人を敬う。腕を競う職人でも学び続ける医者でも変わらない、人として普通の事よ」

 

「そういう事ですので」

 

「薬学も神職としての事も研鑽を重ねる典膳を褒めただけで、誰も医者を安くなんか見ないわ。変な深読みしてないで素直に褒められときなさい」

 

 つまるところ、これまでの典膳の話は特別として生まれたが故に裏技で良い結果を出しているという謙遜のようなものだ。

 典膳自身が研鑽に励んでない訳でもないし特別性に頼りきってる訳でもないだろうに、謙虚が過ぎるのではと思わなくもない。

 

「……えへへ」

 

 ほんの一瞬だけ眼を丸くした典膳が照れ臭そうにはにかむ。そんな典膳を見た三人が生ぬるいような曖昧な表情で私を見た。

 

「三人共、なにか言いたい事がありそうな顔ね」

 

「言葉以上の事というか、メブは典膳くんの言葉の真意を正確に理解できるって感じなのかな」

 

「言葉に含まれるニュアンスを把握している……いや、齟齬が無い、とも違いますわね。でも、私達三人には通じにくかった何かを芽吹さんは深く考えずともすぐに理解できたのはたしかですわね」

 

 理解もなにも言葉通りでしか無いと思うが、三人にとってはどうやら少しだけ違うらしい。どこか腑に落ちないような不思議で曖昧な空気が病室に漂う。

 

「楠と薬師氏は考え方が少し似てる……?」

 

「私が典膳と? まさか」

 

「あー、職業意識っていうか、役目に対してストイックな所は似てるかもね」

 

「物事に対して真面目ですものね」

 

 しずくのぽつりと落とすような呟きを否定するも、雀が食い付くように納得して弥勒もすっきりしたような表情で頷く。

 私としては不真面目であろうとしたことは無いが、意識して真面目に振る舞った事も無い。私はただやるべき事である防人の役目とやりたい事である勇者になるために必要な事を不足の無いように行動しているだけだ。そうしたいからそうしているだけなのに"真面目"と評されるのは何かが違う気がするも、病室の中で腑に落ちない表情をしているのは私だけだった。

 

「僕はお師さんから道具の使い方以外にも色んな事を教えて貰いましたので、お師さんの娘さんなメヴキとは考え方が似通う所もあるかもしれませんので」

 

 先ほどまではニコニコとはにかんでいたのにいつの間にか何もない所を眺めて何か思考にのめり込んでいた典膳が口を開く。

 

「研鑽を良しとして励む人を敬う。さっきのメヴキの言葉だけど僕はこれをお師さんの普段の振る舞いから教えて貰いましたので、お師さんの職人的な姿勢がメヴキにも僕にも影響してるのかもしれません」

 

「人としてそうあるべき尊い事だと私も思いますけれども、普段これを意識してるかと自分を思い返すと自信を持って頷くのは少しだけ気が引けますわね」

 

 典膳の言葉に三人が感心したように声を漏らす。私にとっては言葉にするのも今更とも言えるほど人として当たり前の思考だと思っていたが、どうやら三人にとっては何か感じ入るものがある言葉に聞こえたらしい。

 

「真面目と褒めてくれましたが、お師さんから学んだやると決めたら半端はしない姿勢がそういう風に見えたのかもしれませんので」

 

「パパさんでありお師匠さんでもある同一人物から色々教わった二人だからちょっと考え方が似てるように見えたのかな」

 

 納得したようにうんうんと頷く雀。私自身も典膳の言った言葉に思い当たる節が無いわけではないので、先程は『まさか』と切って捨ててしまったが少なくはない納得の念が胸に沸いてしまった。

 

「お師さんは多くの事を言葉ではなく実際の行動で見せて教えてくれましたので、だからこそ僕にとって"師"なのです」

 

「背中で語る……?」

 

「まさしくそれです」

 

「なんかテレビのドキュメンタリー番組で見る職人さんのイメージ通りって感じだね」

 

 父の話で盛り上がり始める病室。微かに照れの感情が沸きはするが、尊敬する自分の父が好意的に語られるのがそれ以上に誇らしく思える。

 

「お師さんは残念ながら話上手ではないし口数も少ないですが、その分本当に伝えたい事は必ず言葉短にでも口にしてくれますのでお話からもたくさん学びました」

 

「言葉が軽くないタイプの人なんだね」

 

「なんかカッコいいから真似しようと思ったけとお喋りで口が軽い性分は変えられませんでしたので無理でした……」

 

「わかる! 意識して黙ってようとしても長くもたないいんだよね!」

 

「でも、口が軽くとも嘘は絶対吐きませんので!」

 

「典膳さんは芽吹さんのお父様をとても尊敬してらっしゃるのですね」

 

 お喋り二人が共感し合っている横でしみじみと呟く弥勒、普段の丁寧なようで喧しい口調とは違う雰囲気に私を含めた全員の視線が集まる。

 

「見て学んだという事はつまり、その人を良く見ているという事、その人から学ぼうとする強い意識がなければできることではないはずですわ。芽吹さんのお父様は子供心にでもこの人から学びたいと思えるような立派な方なのでしょうね」

 

「っス!」

 

 弥勒の言葉に満面の笑みで強く頷く典膳。

 父がこれほどまでに褒められるのは間違いなく嬉しいのだが、そろそろ照れの感情が上回ってきた。どうにか別の話題に話を逸らせないだろうか。と、少し話題を考えてから口を開く。

 

「話を戻して悪いのだけど、私達の怪我を典膳の薬で治すのは何故最適じゃなかったのかしら?」

 

「あ、私もそれ気になるかも。神様的なパワーでどうにかなるなら入院もいらないんじゃ? 軽い怪我ならだいたい問題無く治っちゃうんでしょ?」

 

「たしかに、気になる」

 

 私の振った話題に雀としずくも興味を示し、自然な流れで典膳が説明を始める。話題を逸らすのは上手くできたらしい。

 

「僕の薬は奇跡の産物、でも万能の魔法じゃない」

 

「前にも言ってたわね」

 

「損壊した皮膚を治すのにその質量を人体の何処から調達するのかと考えてみて欲しいので、奇跡は現象であって質量を持ち得ないのです」

 

「ちょっと話が難しくなってきましたわね」

 

「皮膚の削れた所にいきなり皮膚を発生させるには同じ量の皮膚の材料が必要で、質量保存の法則に則って考えたら解ると思いますので」

 

「……しつりょー……ほぞん?」

 

 典膳が唱え出した呪文の意味が解らない、典膳はいったい何を言っているのだろうか。

 私だけが解っていないのかと一瞬だけ思ったが、どこか舌足らずに首を傾げたしずくやキョトンとした表情の雀、難解な顔になっている弥勒の様子から誰も理解していないらしい。

 

「怪我が治るという現象は医学で解明された様々な人体のメカニズムにより成り立ちますので、それを──」

 

「典膳……あなた、もしかして頭が良いのかしら?」

 

「──薬で無理に……え?」

 

「何を言ってるのかまるでわからないわ」

 

 解らなさ過ぎて理解しようにも頭が痛くなりそうな有り様だと告げると、典膳が愕然とした表情で私達を見回した。

 

「中学生の勉強する範囲の知識を前提にした説明のはずです……?」

 

「最低限の授業はあるけど私達防人は基本的に訓練ばかりよ、世間一般の平均とはどれだけ違うかは解らないけど深い知識はあんまりないわ。それに、私と弥勒さんとかは勇者選抜で他の防人より二年ほど多く義務教育から離れてるわ」

 

「わ、わたくしはそこそこいい感じな理解がで、できてましたわよよ」

 

 猫のような目を更に丸くして震え声の弥勒と私に視線を往き来させる典膳。

 

「もっと噛み砕いた説明を考えるので十秒ください」

 

「……無理して説明しなくてもいいわよ」

 

「どんな処置をされてるのか理解させて安心して貰うのも薬師の務め一つですので」

 

 やると決めたら半端はしない。典膳的には私達にしっかりと理解させる事は父から学んだ姿勢をまっとうするにあたって大事な事なのだろう。

 五秒ほど何もない所を眺めて難しい顔をしていた典膳が口を開いて説明をやり直す。

 

「無理にたくさんの怪我を治すと新しく再生した皮膚や肉の分だけおっぱいが減るかもしれませんので」

 

「えぇぇ……」

 

 雀が露骨に嫌そうな声を漏らす。

 

「科学や医学で解明できない奇跡による超回復という現象、それが体に一切の負担が無いと言い切れませんし、そのせいで寿命が減ったりなんてのも可能性的には否定できませんので」

 

「長生きする予定ですのでそれは困りますわ」

 

 弥勒が眉尻を下げた困り顔をする。

 

「つまり、自然に治る怪我で傷痕もほとんど残らないような怪我ばかりの場合、それらを僕の薬で無理に治すより病院でしっかりとケアしながら治したほうが最適の場合が多いのです」

 

「さっきより解りやすい」

 

 しずくが納得したように頷く。

 

「私は今までに結構な回数を典膳から手当てされたけどアレはどうなのよ、その分の肉や脂肪が減って寿命も減ったのかしら?」

 

 そして、新しく生じた疑問を私が問う。

 

「僕の記憶にある限りメヴキのこれまでの怪我は些細な怪我なので大した影響は無いと思いますので、今回は怪我の面積がちょっとだけ広いので焦らず治して欲しかったので」

 

「そう」

 

 私の記憶にある限りでも今回のような全身怪我だらけの事態を手当てされた憶えは無い。よくよく理解できたし納得もできた。

 難しい言葉を使わずに解りやすい説明ができる典膳は本当に頭が良いのかもしれない。と、やり遂げた笑みの典膳を見て感心の念を抱く。

 

「メブなら多少寿命が減ったとしても百年生きそう」

 

「どういう意味かしら」

 

「ついでに補足すると、防人隊全体のコレまでの怪我と手当てした後の経過を観察するに、今のみんなくらいの負傷量くらいが病院でのゆっくり治療が最適だと判断されますので」

 

 つまり、今の私達より軽傷ならば超回復させても影響はほぼ無しの見込みで、これよりも重傷ならば傷痕が大きく残ったり命の危険もあり得るので超回復を視野にいれるべきらしい。

 私達の負傷は軽度と重度の間にある絶妙な状態という事だ。

 

「質問ばかりになってしまいますけど、雀さんのようにこれ以上減るお肉が無い場合、その超回復が発生したらどうなってしまうんですの?」

 

「自然な流れでわりと酷い暴言! たしかにほとんど無いけどさ!」

 

「っス。寄せるお肉が無い場合やその他人体の限界以上での超回復は試した事が無いから解らないっス。試したくもないっス」

 

「私にだって寄せればお肉あるよ!」

 

「雀、うるさいわよ」

 

 納得がいかないと口やかましく囀ずる雀をよそに典膳が説明を続ける。

 

「たぶんですが、傷の治癒はされるとは思いますが色んな悪影響が想定されます。その想定の内、最悪の場合が発生してしまっては取り返しがつかないので僕の生涯の内に限界を越える回復を促すために薬を使用する事は絶対に有り得ませんので」

 

「最悪の場合? 何があるってのよ」

 

「まさか、胸が抉れてマイナス方向に……!!?」

 

「加賀城、もう胸の話は終わってる」

 

「死。もしくは奇跡による損傷箇所の代替です」

 

 典膳の言葉に口喧しく囀ずっていた雀が引き攣ったように息を止めた。

 薬も過ぎれば毒となる。と、淡々と言った典膳は一度だけ自分の手の平を猫の瞳で一瞥してから説明を促す私達の視線に応える。

 単純な想定ですので。と、前置きした典膳曰く、怪我を治すには肉や脂肪、つまりは栄養が必要。栄養が無いのに無理な回復をすれば体の無事な場所から栄養を奪う事になる。すると、結果的に怪我の治った箇所と栄養の足りないその他全身が最後に残る事になる。という話らしい。

 

「重度の栄養不足は死に至る危険があります。それに、望まぬ奇跡で臓器からさえもたんぱく質……お肉の元を寄せてしまった場合なんて想像もしたくないですので」

 

「え、怖……こっわ! 内臓が減ったり小さくなるかもしれないの!? 内臓小さくなってどんな事が起こるか解らないけど猛烈に怖い!」

 

 再度口喧しくなる雀。鬱陶しくはあるが、よく解らないけど恐ろしそうというのは同意できる。

 

「まぁ、そんなにお肉が不足するような怪我なんてそれこそ手や足をまるごと失ってしまった場合とかに限られるのでこんなパターンはほとんどあり得ないですので。それに、元々人体は薬を使った程度でニョキッと手足が生えるような生き物じゃないですし、内臓を分解して手足にするような生き物でもないので発生しようがないです。そんなのは魔法ですので」

 

「奇跡だけど魔法じゃない、薬師氏が前にも言ってた」

 

「極少の可能性を引き寄せるのが奇跡なら、可能性も過程も無視して欲しい結果を得るのが魔法。僕が勝手に決めた定義ですが、僕の薬は前者ですので」

 

 どれだけ優れていても発生する可能性がゼロならばその結果を得ることができない。典膳の薬は治癒という過程を前提に傷痕を残さず、後遺症も残さず、最短での回復という結果を引き寄せているとの事。

 それでも十分に魔法のように思えると言ってみたが、典膳の薬が無くともこういった結果を得られる可能性が無くはないと返された。

 

「勇者のちょっとした切り傷がもぞもぞと再生したのは神様パワーが強すぎた神の御業という例外ですので、神の御業という超極少の可能性が発生したという事です」

 

「へー、怪我しても元に戻る神の御業、勇者様なら神の御業で手とか足でも生えたりするのかな。……胸も大きくなったりとか」

 

「絶対にそれはさせません、それこそが最悪です」

 

 羨むように放たれた雀の何気無い一言。それに対し、解りやすい説明を一生懸命考える講師じみた雰囲気だった典膳が即座に否定の言葉を吐き、同時に強い拒絶の雰囲気を纏う。

 

「胸を大きくするのは典膳くん的に禁忌だった……!」

 

「え? 大きい事は良い事ですので」

 

「シリアスの気配を感じたと思ったら気のせいでしたわね」

 

「身長をもっと伸ばして大きくなりたいものです」

 

「あ、そっち? 私は弥勒さんほどって贅沢は言わないけどメブくらいは欲しいなぁ」

 

「僕もメヴキくらいは欲しいですね、誰と話す時でも見上げ続けるのは少し首が疲れますので」

 

「加賀城と薬師氏で小さい同盟が締結」

 

「私はしずくを盟主に推薦するよ」

 

「不名誉な同盟の不名誉な役職、辞退したい」

 

「背も体型も、そんなに大きさなんて気にするものかしら?」

 

 何気無くこぼした言葉、小さい同盟の二人が勢いよく振り向いて怒りと悲哀の眼で私を見た。

 少しだけ気圧されそうな気がしたけど、欠片も迫力の無い二人なのでやはり気のせいだった。

 

「どちらも持つメブにはこの虚しさはわからないよ……」

 

「僕には作れない背を伸ばす薬……心底欲しいと思いますので……」

 

「薬学において四国で一番と称される典膳さんにも作れないのなら、背を伸ばす薬はこの四国には存在しないのではなくて?」

 

「っス。全盛期の僕はなぜ背を伸ばす薬を求めなかったのか、非常に後悔してるっス」

 

「全盛期の過ぎ去った十四歳……?」

 

「ついでにいうと胸を大きくする薬も作れませんので」

 

「後でコッソリと作ってもらえないか頼もうと思ってたけど夢が潰えちゃった」

 

 小さい二人が深く重たい溜め息を垂れ流す。

 私にはよく解らない事で落ち込んだ二人だが、一分も経たない内に立ち直って弥勒を巻き込みながら姦しくお喋りを楽しみ始める。

 

 今日もやはり、静かでも退屈でもない入院生活だった。

 




 
 
 
 
 
 
 

防人ちゃんA「前は少食だったのに最近はよく食べるね」

防人ちゃんB「火傷治療してた頃に栄養たくさん摂ってって指示を受けてて、ダイエットを意識し過ぎないようにバランス良く食べるようにしてたらこれが平均になっちゃった」

Aちゃん「……前以上にお肌が綺麗になった気がする」

Bちゃん「回復力を含めた体の機能を万全にするために体を冷やさないようにして十分な睡眠も確保するようにって指示をされて、それが癖になって今も続けてるの。そのおかげか体の外も中もすごく調子良くなったよ」

Aちゃん「…………胸も……」

Bちゃん「たぶん、成長期。でも、典膳さんが言うには健康的な睡眠は成長や美肌を促すって言ってたから何か関係があるかも」

Aちゃん「…………わたしももっと健康的な生活する……」

Bちゃん「そっか」

Aちゃん「元から綺麗だったのに更に綺麗になるの羨ましい」

Bちゃん「……綺麗になれても……一番それに気付いて欲しい人が別の人に夢中で、その人にとって私はその他大勢の中の一人だから意味ない……」

Aちゃん「!?」

Bちゃん「推しと推しが仲良しなのが嬉しいけどつらい。首を突っ込まない信条を曲げたくなる」

Aちゃん「!!?……!!!!??!?」



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お腹一杯……ヨシ!

  

 打撲、擦過傷、火傷、私達が負っていたそれらは傷痕を残さずに完治した。

 典膳に手当てを任せた時よりも体感できる程度にはゆっくりとした回復だった以外は特に何も問題は無かったが、強いて言うならば休養の期間が入院当初に予想していたよりも長かったせいか少し体が鈍ってしまったくらいだろう。だけど、この程度の鈍りなら日々の訓練ですぐに取り戻せるはずだとは思う。

 

──楠さんって、勇者様みたいだよね

 

 そんな褒め言葉を防人の仲間達から貰った回復祝いのパーティーは数日前。その日の夜、パーティーの時から自分でもよく解らない感情を抱えていた私はその感情を整理するために夜のゴールドタワーを散歩し、その最中で鉢合わせたしずくとの腹を割った会話にによって不定形だったよく解らない感情を"この防人隊を率いて勇者になる"という確固たる思いに整理した。

 

 勇者になる。私のやりたい事で、やるべき事だと定めた誓い。

 犠牲ゼロ、私の隊に犠牲は許さない。私のもう一つのやりたい事で、やるべき事。

 いつの間にか、別の事だと思っていた二つのやりたい事が切っても切れない近い思いになっていた。

 

「楠、調子いい」

 

「しずくこそ髄分と調子良さそうに見えるわよ」

 

 退院後に復帰した防人としての訓練、その中の一つである銃剣術の模擬戦でしずくと技の応酬を繰り返す。

 攻め気の強いシズクとは違ったしずくの瞬間的な判断力に優れた細やかで丁寧な動作による堅実な強さがよくよく発揮されていて、攻勢に出てイメージ通りの動きができていても一本をとるには常に一手、いや、半手が足りずに攻めきれずにいる。

 互いに休養による身体の鈍りはとれているようだ。

 

「っ!」

 

 決め手を打てないまま技の応酬が続く中、また半手足りずに一本を取れなかった私の僅かな隙を狙ったのであろうしずくにしては珍しい大きく踏み込んだ一手に意表を突かれて息を飲み、辛うじて間に合った受けにより軽く体勢を崩される。

 

「なんの!」

 

 あとほんの少し打撃が強ければ完全に体勢を崩されてそのまま一本取られていただろう。しかし、崩れかけた身体を流れにのせて翻し、しずくに対して模擬銃剣を突きつけた。

 この模擬戦、私の勝ちだ。

 

「……参った」

 

「惜しかったわね」

 

 負けを認めたしずくが追撃の一手を打とうとしていた手を戻す。肩を上下に揺らして荒い呼吸をする姿からこの模擬戦に全力を尽くしていた事がよくわかる。

 

「後ほんの少し威力があったら押し切られて私が負けてたわ」

 

「……シズクだったら楠の受けを崩せたかもしれない」

 

 野性的な身のこなしで見た目以上のパワーを発揮するシズクなら咄嗟に出した不完全な受けを強引に押しきれた可能性はたしかに否めない。もしも、この一戦がしずくではなくてシズクとの模擬戦ならば勝敗は逆だったかもしれない。

 

「やっぱり、シズクみたいにはいかない」

 

「しずくとシズクでは気質が大きく違うもの、同じように動こうとしても噛み合わないんじゃいかしら」

 

 控え目な気質の通り堅実に立ち回るしずく、野性的な気質の通り強力に攻め立てるシズク。二人が互いの真似をしあっても何処かで思考と動きに差異が出てそれが隙に繋がるだろう。実際に今の模擬戦でもそれが勝敗を別けていた。

 

「同じ身体なのに、シズクみたいなパワーが出せない」

 

「それは立ち回り方が違うだけだと思うわ。今の模擬戦だってしずくの最後の打ち込みの時にすぐに追撃できるように後先をしっかり考えた一振りだったけど、シズクは次の余力もその一振りに注ぎ込んでそれでもダメなら流れた身体のまま次の一手をその場で構築していたと思うわよ」

 

 しずくとシズクの立ち回り、それらのどちらが優れているという話ではない。堅実に立ち回れば安定し、野性的に立ち回れば勢い次第でどうとでもなるだけだ。

 だが、隊を指揮する立場である私個人の考えで言うのならば、他者が合わせる事の難しい野性的な立ち回りよりも、無理をせず安定している堅実な立ち回りの方が組織の一員としては優れているのではと思う。

 

「私の時にもシズクみたいな活躍ができたら防人隊の負傷率を減らせるかも」

 

「別にしずくがシズクに劣っている訳ではないわ、隊員それぞれが得意分野を最大限生かして連携する事の方が集団としてはより強固になるはずよ。しずくの立ち回りはその点ではシズクよりとても優秀だと思うわ」

 

「それでも、やっぱりパワーが欲しい」

 

 私の言った理屈を理解してくれてはいるのだろう。しかし、何か思う所があるのだろうか少しだけ眉尻を下げたしずくが自身の引き締まってはいるものの細身な二の腕を指で摘まんだ。

 体質の問題なのか他の防人と同等以上の訓練を積んでいるのにも関わらずしずくは防人達の平均よりもやや細身だ。私としずくとの身長差はほんの数センチ程度の差でしかないが、筋肉の量が眼で見てすぐにわかる程に差があり、その分発揮される純粋な力の差も大きい。

 それを身体の動かし方や技術で補って私とこれほどの接戦をしてみせるしずくも、勢いで私の受けを強引に崩せるシズクも尋常ではないほどに優秀だ。と、評価せざるを得ない。

 

「体質で筋肉が付きにくいのは仕方無いわ。無い物ねだりするよりも日々の研鑽を続ける方が有意義よ」

 

「……体質」

 

 無いものは無い。だからこそ、私達は持ち得る全てを十全に活かすために日々の研鑽を重ねて技能を熟していくべきなのだ。つまり、力量が伸び悩んでも悩んで迷ってる暇があるならその時間も研鑽に注ぎ込んで更なる上達をしてしまえば最終的には全部解決できる……気がする。と、私は考えている。

 なにやらパワー不足に頭を悩ませているようだが、悩んでるのと同時進行で研鑽を重ねても無駄にはならないはずだ。と、言いながら再度の模擬戦に誘ってみる。

 

「楠は……カツオ。弥勒の言ってた通り」

 

 なにやら脱力感のある曖昧な表情でそんな言葉を返された。

 

 

 

 

「ぅうえぇぇ……もぅむり、疲れすぎて倒れちゃうよメブー。ちょっと休憩しよぅよぉ~」

 

 雀がひどく情けない震えた声で休憩をせがんでくる。その声に訓練室の壁に掛けてある時計を見てみると、訓練を始めてからそこそこに長い時間が経っている事に気付いた。

 護盾の習熟を更に高めるために互いに盾を構えて正面から衝突し合って耐えて往なしてと繰り返す訓練をしていたはずなのだが、全力でかかっても大半を雀に綺麗に受け流されてしまい、一度たりとも真正面から弾き飛ばす事ができなかったのが面白いやら悔しいやらで時間を忘れる程に集中していたようだ。

 

「メブが手加減してくれないからもう腕も足も腰も震えてきてるよぉ~」

 

 震え声で泣き言を重ねる雀が全身をわざとらしくふらふらと動かして疲労をアピールしてくる。こんなにも情けない姿なのに、その実は防人隊で『壱』番を預かる私からの全力での衝突を受け流し続けてみせた多大なセンスの持ち主なのだから侮れない。

 私の『壱』番とは防人隊の隊長であり、最も優れているという証だ。最強と言い換えても大きく外れた表現ではない。そんな私からの攻撃を凌ぎ切った雀はやはり、防御において防人隊で最も優れているという事の証明に他ならないと雀本人は気付いているのだろうか。

 たぶん、気付いてないのだろう。

 雀は自己評価を下にみる癖がある。

 

「たしかに少し熱中し過ぎてたかもしれないわね、十分ほど休憩にするわ」

 

「やっと休憩だぁ~」

 

 情けない声を出しながらヘロヘロと歩いていく雀。向かう先は訓練室の壁際に腰を降ろした典膳と大きなクーラーボックス。

 典膳が訓練中にひょっこりと現れる時はいつも手製のスポーツドリンクを差し入れに持ってきてくれるのだが、雀はそれをあてにして水分補給しようとしているのだろう。

 集中が途切れたとたんに疲労と喉の渇きを自覚してしまった私も典膳の差し入れにあやかろうと雀の後を追う。あのスポーツドリンクを飲んだら気のせい程度にはその後の訓練の調子良くなる気がするのだ。

 

「あぁ~、うるおうぅ~~」

 

「はいコレ、メヴキの分」

 

「助かるわ」

 

 壁に背を預けて喉を潤している雀を横目に典膳から飲料を受け取る。今更な疑問だが、典膳はそこそこの頻度でゴールドタワーに現れているのだが学校はどうしているのだろうか。サボり過ぎで出席日数が足りずに現級留置にならないのだろうか。

 

「わたくし達もいただいても?」

 

「っス。もちろんっス!」

 

 銃剣の訓練を続けていた弥勒としずくも休憩を挟む事にしたらしく、示し会わせた訳では無いがいつもの顔触れが集まって訓練室の端に並んで腰を降ろす。ちょっとした偶然というやつだろう。

 それぞれが汗を拭いつつ一息、季節の巡りによって冷えてきた空気が激しい運動で上昇した体温を和らげる。

 

「薬師寺に聞きたいこと、ある」

 

 この顔触れが揃っているのに珍しくお喋りの無かった空間にしずくの控え目な声がポツリと落ちる。

 口数の少ないしずくが沈黙の中で自分から会話を始めるのを少し珍しく思いつつ、私の隣に座る典膳の更に隣にいるしずくへと無意識に視線を向けていた。そして、しずくが典膳の隣に腰を降ろしていた事になんとなく気付いた。

 きっと、雑談ではなくて言葉通りに知りたい事があったからそうしたのだろうと、目に映るしずくの真面目な表情に悟る。

 

「薬師寺は身体づくりに詳しいって聞いた」

 

「薬師をするにあたって必要な知識の延長としてある程度は知ってる程度ですね」

 

「力強い身体をつくりたい。だから、どうすればそうなれるのか教えて欲しい」

 

 まっすぐに典膳を見るしずくの言葉にどこか納得を覚える。先程の模擬戦の時から察してはいたが、根本的なパワー不足を悩んでいたらしきしずくは自分の体質の不利を越えて筋肉量を増やそうと考えたらしく、そのために典膳を頼ったらしい。

 

「? 防人隊に教導しに来ている銃剣や盾の師範さん達ではなくて何故僕に?」

 

「技術についてならそっちの方に聞く。でも、身体の事なら薬師氏に聞いた方が良いと思った」

 

「あー、それなんとなくわかるかも。身体の事なら典膳くんに聞けば理由を含めて解りやすく答えてくれそうな気がする」

 

 猫のような瞳に疑問の色を浮かべた典膳にしずくが率直に答え、それに対して雀が深く同意しながら相槌を打つ。

 

「典膳さんがこのゴールドタワーに出入りしている内に築いた信頼の現れですわね」

 

 華美で派手な笑みではなく、どこか大人びた静かな笑みで典膳としずくを見た弥勒。楽しんでいるのではなく、喜ぶような、嬉しがるかのような雰囲気を纏う弥勒は何を思ってそうしているのか、極々稀に見る大人っぽい弥勒の事は私にはまだ難解だった。

 

 それはそれとして、信頼。

 真摯に一切の妥協を認めずに怪我人と向き合う典膳の姿は防人の誰もが目にしているし、その全てを良い結果にしてきたのも誰もが知っている。今更典膳に対して不信の念を向ける防人はいないだろう。それほどまでに、典膳は実績を積み上げている。

 さらに、以前に酷い火傷を負った防人の一人が治療の際に典膳の指示に基づいた生活をし、完治した今もそれを続けて負傷前よりも健康と美容を増したのは防人の中でもよくよく知られた話だ。

 典膳の専門とする分野は薬学ではあるが、身体の不調や悩みを典膳に対して訊ねる者がいてもなんら不思議は無いのだろう。

 

「身体を鍛えれば、シズクはもっと強く戦える。そうなったらきっと、負傷率が減る。……犠牲ゼロも、もっと確実になる」

 

 一度言葉を区切り、口調も声色も変わらないまま真面目な雰囲気を強めたしずくが言葉を繋げる。

 

「わたしも、楠と同じ。犠牲はイヤ」

 

 犠牲ゼロ、私が私にやるべきことだと定めた目標の一つ。

 私と同じ目標を目指していると口にしたしずくに熱く燃えるような雰囲気は欠片もなく、どこか切願しているような姿に見えた。

 片手間に聞くべきではないと判断したのだろう。訓練に励む防人達の異変や負傷に気付けるように訓練室全体を見回せるように座っていた体勢を変え、ただ一人しずくだけを見るように座り直す。

 

「? ……?」

 

「僕がちゃんとお話を聞きたいだけなので、どうぞ続けて」

 

「あ、うん……」

 

「ゆっくりでいいですので、思っている事を教えてほしいです」

 

 戸惑うしずくと視線を絡ませる典膳が柔和に笑む。

 模擬銃剣同士が打ち合う音、盾が衝突する音、踏み込みの振動、防人達の裂帛の声。訓練室に響くそれら全てがどこか遠くにあるかのような沈黙の中、二つ三つと呼吸が往復した後にしずくが一言ずつ慎重に言葉を連ねる。

 

「最近ずっと考えてた、いや、もしかしたらずっと考えてたのかも。でも、任務でたくさん実感して、ようやくまとまった」

 

「うん」

 

「犠牲は、死は、なにも残さない。()()()()だけしか残さない」

 

「うん」

 

「私はそうなりたくないし、そうさせたくない。だから、少しでもできること、したい」

 

 日常会話のような自然さで、しかし、怪我人に手当てを施す時のように丁寧に。ただ一人しずくを見ながら相槌を打つ典膳。

 やると決めたら半端はしない。私の父より学んだという姿勢の通りに本気でしずくと向き合っているのだろう。

 

「死を見据え、考え、自分なりの答えを見つけ、そのために一歩を踏み出す。静かなしずくのその全ては尊いものだと僕は思います」

 

 これは、典膳のこの言葉は決して祝詞ではない。

 しかし、一言一句丁寧に言葉を奏でる典膳の姿はまるで、祈るようで、凪いでいるようで、どこか重さのある言葉遣いだった。

 

「僕も、誰かの死を厭う者です。もしかしたら、静かなしずくと似た思いを辿って似た答えに至ってるのかもしれません」

 

「…………みのわ……?」

 

「……友達との別れは、死は、嫌なものです」

 

 ほんの一瞬だけ躊躇うように息を呑んだしずくが静かに告げた名に、典膳が鼻で深く長い溜め息を吐きながら寂し気な表情を見せた。

 三ノ輪(みのわ)(ぎん)。しずくの同級生であり、典膳が友達と呼んだ少女でもあり、お役目の最中に命を落とした先代の勇者だ。

 

「死は終わりではない、なんて賢ぶった言葉なんて嘘です。死ねばその人の命は終わりです」

 

「うん」

 

「尊い犠牲、なんて言葉も嘘です。犠牲なんて無い方がよっぽど尊い。死を美化するよりも他にやることがあるはずです」

 

「うん。私も、そう思う」

 

 話す側、相槌を打つ側は逆だが、先程の焼き増しのように切願する言葉と丁寧な相槌が交わされる。

 同意し合う典膳としずく。あくまでこれは私の感覚でしかないが、二人は言葉には現れていない感情の深い部分で賛同し合っているように思えた。

 

 二人の感情を繋いでいるのはやはり、今しがたしずくの口から聞いた先代勇者の死が大きな要因なのだろうか。

 私達防人は自分達に迫る危険として死を実感している。しかし、それだけだ。幸運な事に私達防人はまだ誰も犠牲になっていない、身内の誰かが理不尽に命を奪われたという話も聞いたことも無い。私を含めた防人隊の多くは今まで生きてきて死を間近に迫ったものとしてしか知らない。

 だけど、典膳としずくは死という事象を発生してしまった出来事として知っている

 

 負傷が多かったらしい先代勇者達の専属薬師として役目を受け、幾度も手当てしながら友人と呼べる仲になった相手の死を経験した典膳。

 直接的な関わりは少なかったらしいが、同級生だった先代勇者の死を経験し、両親の心中をも目の当たりにしたしずく。

 

 死に重いも軽いも無い、全てが取り返しのつかない事だと思う。

 だからこそ、二人が知っている死という現象は間違いなく二人の心に痕を残す重大な事だったのだろう。と、実体験という意味で死を知らない私にそれだけは推し測る事ができた。それほどまでに、死を口にした二人の言葉に重みがあった。

 

()()()()()()()、僕の大切な友達が教えてくれた言葉です」

 

「? ……むくい?」

 

「僕は、死を知りながらも怯えずに立ち向かうことを決めて、僕を頼ってくれた勇気ある同志に報いたいので」

 

 普段は稚気に溢れた言動ばかりの癖にどこか包容力を感じさせるやわらかな笑みを浮かべる典膳。それに対し、しずくが困ったように薄く微笑む。

 

「同志……えぇと、手を貸してくれるのは嬉しい。けど、大袈裟」

 

 犠牲を厭み、それを無くしたいという切願を同じくしているという意味での同志なのだろう。

 犠牲ゼロを目標に掲げているのは私も同じだが、私がこれを掲げ始めた切欠は不条理への怒りや隊の仲間への情け、自分が研鑽にて積み上げた物への誇り、そして、私を勇者に選ばなかった大赦に私の実力を証明して認めさせようとする思いなどが入り混じったがためにだ。それに対し、二人はただ純粋に死に対して立ち向かう思いで犠牲を無くしたいと志しているのだろう。

 

「大袈裟だとしても、僕を頼ったからには僕の全力に付き合って貰いますので」

 

 言葉にすれば同じ犠牲ゼロだが、きっと中身は違う。

 とても近いが、どこか遠い思いなのかもしれない。

 

「えぇ……でも、助かる。ありがとう、薬師氏」

 

 典膳が同志という言葉を使った真意が私のこの推測通りだなんて保証はない。何か深い感情で通じ合っていたように見えたのもそういう印象を私が抱いただけにすぎない。

 たしかめた訳じゃない、私の知る典膳としずくならそういう事も有りそうだというだけだ。それでもこれらはそう間違ったものでは無いのではと私は思っている。

 

「あれ? 身体を鍛えても戦衣での身体強化がパワーの大部分だからあんまり意味無いんじゃ……?」

 

「……ぁっ」

 

 典膳としずくの話が纏まった直後、ふと思った事がつい口から出てしまったらしい雀の言葉にしずくが一瞬の間を置いてから目を丸くする。そして、すぐにしずくの眉尻を下がって迷子の子供のような表情へと変わり、曖昧な空気の沈黙が訪れる。

 言われてみればたしかにそうだ。任務の際に防人の身体能力は防人専用のアプリに大きく依存し、元の身体能力がどれだけ高くなったとしても強化によって増すパワーと比べれば誤差にしかならない。これでは幾ら身体を鍛えようともあまり意味が無いのではないだろうか。

 

「いやいや、おちゅんさんが懸念する事はありませんので、志を抱えて身を鍛えるのは防人として活動するにあたってとてもプラスに働きます」

 

「……え?」

 

「そーなの? なんで?」

 

 朗らかに笑みながら沈黙を払い消した典膳に視線が集まる。もちろん、私もどういう事なのかが気になって典膳へと視線を向けていると、弥勒が自信に満ちた笑みを浮かべながら口を挟み始めた。

 

「ふふふふ……わたくしは答えを聞かずとも理解してましてよ。目標に向けて努力をしたという事実が自信やモチベーションに繋がるという事ですわね!」

 

「……っス。まぁ、そういう事もあるっス」

 

「否定してないだけの曖昧な反応!」

 

「弥勒さんのその根拠無しなのに自信満々で適当な事を言えるのはすごいなぁって思うよ」

 

 特に意味もなく登った梯子を外されて勝手にショックを受けている弥勒に雀が生暖かい感心の視線を向ける。そして、典膳が気を取り直したようにしずくへと視線を向け直してから口を開いた。

 

「防人システムによる強化が有っても戦衣を着るのは生身の身体、どんな人間もスタミナが無制限なんてありえませんので。身体を鍛えてスタミナを強化すれば全力で動ける時間はそれだけ増やすことができます」

 

「そうね、スタミナがなければ防人として活動するのはとても不利だわ」

 

 四国を囲む結界の外に出ればそこは無限にも思える星屑が跋扈する領域だ、どこかに腰を降ろして休めるような環境ではない。一度任務を開始すれば無補給無休憩で動き続けなければならないのが当たり前な防人にとってスタミナはあればあるほど有利に働く。

 

「わたくしも前回の任務で殿を請け負った時に嫌と言う程実感しましたわ。体力が切れると移動するのも苦痛でしたもの」

 

「身体を鍛える事と生活習慣や食生活でスタミナは向上できます。それらのアドバイスなら僕にもできますし、お手伝いもできますので」

 

「頼もしい」

 

 しずくに期待の視線を向けられている典膳が自信に満ちた笑みを浮かべながら言葉には続ける。

 

「それと、肉体的なスタミナと精神的なスタミナは互いに影響しあうもので、肉体が疲れにくくなれば精神も疲れにくくなるものです。防人のシステムは精神状態で起動の可否が変わるというのは勿論知ってると思いますが、タフな精神であれば神樹との霊的回路も安定しやすくなりますので」

 

 神樹との霊的回路が安定すれば神樹から借りられる霊的な力も安定し、僅かな差ではあるが不安定な霊的回路よりも防人システムによる強化も多少ながら向上するらしい。身体能力を防人システムに大きく依存する防人にとって誤差のような違いでも見逃せない大きな差になりうるだろうとも典膳は解説していた。

 

「これらをよくよく理解し、身体を鍛えてスタミナの向上を自覚すれば揺るぎない自信に繋がります。自信がつつけば精神的なスタミナもまた向上し、時には気合いで肉体的な疲労を誤魔化したりもできたりするかもですので」

 

「明確な目的を持って研鑽を重ねるだけで色々な事が関わって多くがプラスになるのね」

 

「その通りですので! 今日のメヴキは理解が早いですね」

 

「へー、精神的なスタミナかぁ。……あれ? さっきの弥勒さんが言ってた自信に繋がるって間違ってなかったんじゃ?」

 

「その通りですので」

 

 納得したように頷いた雀がそのまま小首を傾げ、典膳がなんて事ないように平然と言い放つ。それによって弥勒が難しい物を見たような顔になった。

 

「では、何故先程はあのように曖昧な感じに……?」

 

「っス。パイセンをこうやってからかうためっス」

 

「まぁ、意地悪はよろしくなくってよ」

 

 悪戯な笑みに嗜めるような言葉を返す弥勒だが、その表情はやれやれと言わんばかりな微笑みだった。

 

「それで、身体を鍛えるにはどうすればいい?」

 

「適度な運動は防人の訓練をしているからヨシとして、さっきもちょっと言った普段の生活習慣や食生活を気を付けるだけでかなり変わるはずです。スタミナそのものもこれらで劇的に変化するのはよくある話です」

 

「生活習慣と、食生活……」

 

「しずく達の生活習慣と食生活に身体を鍛えるのあたってマイナス要素が無いか確認して、そこから改善してプラス要素を増やしていくべきですので」

 

 身体を鍛えるのに無理をしてはかえって身体を弱めてしまう。焦ってトレーニングを増やすのは禁物だと説明する典膳。その言葉に納得したのか、しずくは小さく頷いていた。

 

「無理はとにかく禁物です、身体は大事に使えば死ぬまで使える一生物ですので。万が一にでも無理が無いように今日の訓練が終わったら細かい所をゆっくりお話して一緒に考えていきましょう」

 

「ありがとう、薬師氏。とても、助かる」

 

 話が一段落し、そういえばと壁に掛けてある時計を確認してみれば休憩を終えると定めていた時刻。あまり長く休憩をしても身体が冷えて怪我の元になりかねないので立ち上がって休憩を終える事を行動で示す。

 

「え、あ……もう十分経ってた、また地獄が始まる……」

 

「大袈裟ね。身体が冷えきったら無理な訓練になるわ、一生物を壊したくないなら軽いストレッチして訓練再開するわよ」

 

 げんなりとしている雀に訓練再開を促していると、一瞬だけ場の雰囲気に揺らぎを感じたので無意識に訓練室全体を見回していた。

 訓練に励んでいる防人達にも私達以外の休憩をしていた防人達にも特段変わった様子はみられなかったが、訓練室で見掛けるには珍しい人物を見付けて雰囲気の揺らぎに納得する。

 

「あ、ロボット神官。訓練室で見掛けるのは珍しいね」

 

 雀もその教師役も兼ねている女性神官に気付き、訓練室に出現した事を珍しく思ったのか声を漏らしていた。

 

「あれ? なんかまっすぐこっちに向かってきてない? え、なんか怒ってる? 怒らせちゃった?」

 

「薬師氏様、こちらにいらっしゃいましたか。携帯電話が繋がらなかったので探しました」

 

 ロボット発言が不味かったのかな、どうしよう。と、あたふたしていた雀だが、私達のいる場所まで小走りで近寄ってきた女性神官が典膳へと声を掛けた事に安堵の息を吐いていた。

 

「こんにちは安芸さん。ケータイはさっきうっかり落としてウンともスンとも言わなくなっちゃったので後で修理をお願いするつもりでした。それで、なにかありましたか?」

 

「……落ち着いて聞いて下さい」

 

 にこやかに神官へと挨拶した典膳だったが、安芸と呼ばれた神官の無機質なようでどこか緊迫感のある声によって瞬時に表情が引き締まる。

 

「御両親が倒れられました、このままでは危ういとの事です」

 

「──えっ」

 

 神官の発言に空気が凍り付く。

 典膳の両親という見知った相手が倒れたと聞いて驚きの声が漏れ、直後に典膳よりも先に私の方が驚きと戸惑いの声を漏らしていた事によって二重に驚いていた。

 

「原因と、容態は」

 

 驚きや戸惑いの声も無く問う典膳。

 

「大赦直轄の病院に運ばれたようですが、未だ原因は不明です。容態は衰弱と聞いています」

 

「あぁ、うん、そっか」

 

 常の典膳には無い落ち着きのある声色と雰囲気。淡々と交わされる神職達の緊迫した空気に側にいた防人の私達は眼を丸くして沈黙する事しかできなかった。

 眼を閉じながらの深い一呼吸、その後にゆっくりと眼を開けた典膳が稚気の一切無い声で神官と会話を続ける。

 

「最先端の機器と技術がある病院の検査で何も解らなかった。と、いうことですね」

 

「はい」

 

「……安芸さん、お願いがあるのですが」

 

「はい、車は既に用意させています」

 

「ありがとうございます」

 

 礼を言いながら立ち上がった典膳が壁際に置いてあったいつもの背負子に括られた行李箱を慣れた動作で背負う。そして、ひどく申し訳なさそうな顔でしずくへと向き直った。

 

「急いで行かなければいけないので、今日はお手伝いできなくなってしまいました。申し訳ないです」

 

「……ぁ、うん」

 

 稚気のあふれる顔ではない。集中しきった職人の顔でもない。きっと、この場の誰もが初めて見る姿で、私も初めて見る典膳の姿。

 猫の瞳に冷たい憂いを携えた、湿り気を感じさせるようなポジティブではない顔。

 何を思ってその顔をしているのか、少なくとも両親を案じているだけではないのだろう。

 

「……典膳」

 

 何を言おうとした訳ではない、気付けば名を呼んでしまっていた。

 静かに向けられた慣れない視線にひどく落ち着かない心地を覚える。

 

「僕は依童でこの手は()()()()、肉の病に非ぬ医学では知れない魂の病にこそこの手は本領を発揮します」

 

「……え?」

 

「これがあるからこそ僕は霊的医療班のエリートですので、きっとなんとかなります、しますので。僕の父と母の事を心配しないのは無理でも心配しすぎないでください」

 

「……そう、それじゃあ、気を付けて行ってきなさい」

 

 典膳の口ぶりからして自身の眼で両親を診て何かしらの処置をしに行くのだとは理解できた。だか、そんな典膳にどんな言葉を口にするべきなのかわからないまま、頭になんとなく浮かんだ言葉をそのまま発していた。

 ほんの一瞬だけ猫の瞳を丸くした典膳がささやかに口角を上げて口元だけ微笑む。

 

「うん、いってきます」

 

 一言を置き去りに踵を返した典膳が足早に訓練室から出ていき、神官もそれについて立ち去っていく。

 私達は何も言わず、ただその小さな後ろ姿を見送るだけだった。

 

「……それじゃ、軽くストレッチしてから訓練を再開するわよ」

 

「! ふえぇ……」

 

「弥勒、私達も」

 

「もちろん! 目標のために努力する後輩に協力するのは弥勒として至極当然の事でしてよ!」

 

 なんとなく壁際が寂しくなった訓練室。いつものように訓練を続けはしたが、何故か何かが物足りなく感じた。

 

 

 

「国土さんは、奉火祭にて捧げられる巫女の一人に選ばれました」

 

 

 翌日、私達は不条理極まりない言葉を耳にした。

 




 
 
 
 
 
 
 
防人Aちゃん「訓練の後にたべるうどんおいしい」

防人Bちゃん「…………」

Aちゃん「箸が止まってるね、考え事?」

Bちゃん「……ちゃんと理解してるつもりだったんだけどなぁ」

Aちゃん「なにが?」

Bちゃん「私はこれまでに何人もいただろう手当てした怪我人の内の一人だってこと」

Aちゃん(あっ、薬師氏さんの話かな)

Bちゃん(まっすぐ眼を合わせて、落ち着いた声を誠実に話をして、良い未来を約束してくれる。でも、それは典膳さんにとって私が特別だったからじゃない。誰に対しても誠実だからこそ、私にもあの眼で安心させてくれたんだ。さっきも訓練室で山伏さんと何かを話していた時だってあの時私にしてくれたようにそうしていた、あれが典膳さんにとっての当たり前なんだ)

Aちゃん「ご飯冷めちゃうよ」

Bちゃん(誰に対してもまるで特別みたいに接する典膳さんにとって特別な相手っていうのはきっと鬼隊長みたいに遠慮無しに頬っぺたを引っ張って叱り付けてくるような相手で、典膳さんが受動的になるような相手なのかもしれない。鬼隊長の他にも凄く独特なマイペースの弥勒さんにもなんとなく程度に接し方が違うように見えるし、まるで妹みたいな国土さんにも接し方が違う……あ、今なんか扉開いた気がする……!)

Aちゃん「まずはお腹一杯になった方が考え事もまとまるんじゃない?」

Bちゃん(血の繋がらない兄と妹……幼い頃からお互いを大切に思っているけれども時を経て成長するにつれて兄や妹へ向ける身内への愛情に異性へと向ける恋が混ざり始めて身体も大人になり始めると些細な仕草とかにもドキッとして妙な意識をし始めたり……兄なのに、妹なのに、でも血の繋がりは無いし、一歩を踏み出したいけど相手はきっと兄妹として接してるだろうからって自分の思いに蓋をして……かぁ~っ、タマんねぇな!白飯3杯はイケる!!)

Aちゃん「急にめっちゃ箸が進んでる、考え纏まったの?」

Bちゃん「うん、ご飯おいしい」

Aちゃん「そっか、よかったね」

Bちゃん「うん、おいしい」


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出汁……ヨシ!

 

 前回の任務で結界の外に植えた種は神樹の種。それによって発生する緑溢れる大地を結界外の小規模な陣地として橋頭堡のように扱い、西暦の時代に近畿地方と呼ばれていた地の霊山への道のりを確保、やがて辿り着く霊山で大規模な儀式をするのが大赦の目的だった。

 だけど、頓挫した。

 天の神への反抗計画、結界を境目に不可侵を条件とした講和の違約、これらが天の神の怒りに触れて結界の外に燃え盛る炎の勢いが急激に増し、更には天の神が四国へと直接顕現する気配さえ出てきた。これにより、時間を掛けなければ成功しない霊山への道のりの確保が残された時間の少なさによりほぼ不可能になってしまったのだ。

 

 事を急いで杜撰に計画を進めた大赦にも、人間を滅ぼそうとする天の神にも、頭の芯が熱を帯びる程に怒りを覚える。

 

 計画していた大規模な儀式は頓挫、迫る天の神の怒りによる滅びを回避するために大赦は別の儀式を計画した。

 巫女を天の神へと贄に捧げて赦しを乞う、奉火祭。

 その贄に捧げる六人の巫女の内の一人にに亜耶が選ばれたと聞いてからずっと、私はひたすらに感じていた怒りに加え、体が重く感じるほどの無力感に全身を蝕まれた。

 相反するような二つの思いが思考を妨げ、一度に多くの情報を得てしまって煩雑に絡まる脳内の整理が一向に進まない。

 

──国土さんは、奉火祭にて捧げられる巫女の一人に選ばれました

 

 亜弥が犠牲にならざるをえない、もちろんそれは腹立たしい。それだけではなく、他に五人も犠牲になる。名も顔も知らない巫女達だが、だとしても、それらが犠牲になると聞いて『はいそうですか』と聞き流せるほど私は人間として薄情ではない。

 

──神樹様の、みんなの、お役に立てることがうれしいんです

 

 犠牲を許容し、巫女達にその役目を与えた大赦が腹立たしい。そして、それ以上に抗うこともせずに犠牲を受け入れている亜耶にやるせなさを覚える。亜耶以外の五人もそうなのだろうか、だとしたら、尚更にだ。

 

──犠牲を厭う典膳さんがこれを聞いて納得しているとは思えませんわね

 

──典膳先輩は今、御両親に付きっきりですから……

 

 苦虫を噛み潰した表情の弥勒と儚い笑みで目を逸らした亜耶のやり取り。それにより、まさかと思ってしまうような想像をしてしまった。

 典膳の両親が倒れたのは意図された事で、大赦にとって特別な典膳を治療に専念させる事で何をやるかわからない典膳の動きを封じたのではないかと。典膳に何ができるかなんて私には解らないが、少なくとも何もできないなんて事はないと私は思っている。

 私の知る典膳はいつだってやりたい事をやるためにやりきるまで行動する人間だ。犠牲を厭う典膳が亜耶を犠牲にさせないために何かしらをするというのは考えなくても解る事だ。そして、色々と特別扱いされてる典膳が奉火祭の妨害に動いては大赦としても厄介だとされて典膳が治療以外の事をできないように封じたのではないかと嫌な想像をしてしまった。

 神に仕える神職がそんな悪どく卑劣な事をするだろうか。と、馬鹿な想像を否定する自分がいる。だけど、生贄を是とする集団が悪計を躊躇うのだろうか。と、考えてしまう自分もいる。

 

 どれだけ想像しても所詮は想像。

 そんな事よりも私は他にもっと考えるべき事があるはずだ。

 

 そもそも、今考えるべきは何故そうなってしまったのかではなく、ましてや何が悪いのかではない。どう物事を解決すべきかだ。

 仮面の神官から奉火祭の話を聞いてから煩雑になっていた思考が一本に纏まっていく。

 私がやるべき事は一人で自室に籠って考え込む事ではない、考えるだけでは何も変わらない。行動を起こすべきだ。

 

 一本に纏まった思考が真っ直ぐで強固な芯へ。

 私が今まで生きてきて築き上げた自意識という基礎*1に載る犠牲を許さない志という土台*2、その上に亜耶達巫女を助けるという思考の芯が柱*3としてそびえ立つ。

 

 奉火祭はまだ執り行われていない。

 まだ誰も犠牲になってない。

 犠牲ゼロはまだ終わってない。

 

 いてもたってもいられない。

 気付けば私は自室から飛び出していた。

 

「雀!」

 

「わっ! 黙ったままではいないだろうとは思ってたけど予想外の勢いで来た!」

 

 まずは雀の部屋に飛び込んでみればミカンを食べていた雀が肩を跳ねさせる。机の上に幾つか並んだミカンの皮と飛び込んだ瞬間に見えたをぼんやりと空中を眺めていた姿から何かを長考していた事がうかがえる。

 しかし、申し訳ないがそれを中断して付き合って貰う。

 

「展望台に集合! 他の隊員にも伝達!」

 

「え!? ……えっと、今のところ誰に集合呼び掛けて誰に呼び掛けてないの?」

 

「雀一人だけよ、残りの内半分は任せたわ!」

 

「ふえぇ、了解……」

 

 半分を任せる。ただそれだけしか言ってない指示としては不十分なはずの言葉だが、雀にならそれだけでも不足なく指示として機能する。

 自己評価も大赦からの評価も高くはないが、雀の直感的な判断力と機転は一流だ。こうやってまた廊下に飛び出した私が向かった方角をしっかりと把握してその反対側すべての部屋にいる隊員達に余すことなく伝達事項を伝えてくれるだろう。

 任務、訓練、休息、そのほとんどを共に過ごしてきた雀に対して私はそこまでできて当然だと信頼している。

 

 雀は私にとってこの防人隊で最も信頼できる盾だ。私が防人として何かをするならば決して欠かす事のできない仲間だ。

 平時においては私の全力を凌ぎきって実りのある訓練をできる数少ない相手であり、有事においては私のみならず防人隊全ての命運を守りうる盾。防人隊を1つの建物と例えるならば、雀はまさしく壁*4、建物の内にある人や物のみならず建物の部材全てを守ると信を置ける壁だろう。

 

「弥勒さん!」

 

「……急ぎの要件でもノックはするべきですわよ」

 

 飛び込むように扉を開けて呼び掛ける。丁度ティーカップを傾けていた弥勒が微塵も慌てずに細い喉を動かした後に嗜める言葉を返してきた。

 

「あ、すいません」

 

「素直でよろしいですわ。それで、考えは纏まりましたのね?」

 

 ソーサーにティーカップをゆっくりと置いた弥勒が私に視線を据えながらの問い掛け。語尾に疑問符を付けてはいるが、表情はどこか確信をもっているかのような確固としたもの。

 弥勒はどうやってか私が今しがたまで何かを考えていて、なんらかの結論を出したと確信しているのだろう。

 

 誰かが何かを思考して何かに至った。それを平然と見抜く、私には同じ事をできる気がしない。

 普段は猪突猛進な言動なのに、弥勒は私とは大きく違う思考の広さと物事に対して広い視野を持っている。恐らくは、私が少なくない頻度で弥勒に感じる()()()()()はこれが由来なのかもしれない。

 もしかしたら、これらを聡明と表現するのが適しているのかもしれない。

 

「はい、半分だけですが」

 

「半分?」

 

「私一人で考えてても何も変わらない。ってだけです」

 

「ふふふ、それで皆を集めている。という事ですわね」

 

 これだ、弥勒は今私が答えた言葉以上の事を理解していた。

 言葉は悪いが普段はお馬鹿っぽいのに、ここぞという時に弥勒は誰よりも迷わずに答えを見ている……気がする。確信できないのはきっと普段の言動がお馬鹿っぽいのと、それ以上に私がまだまだ人間として未熟だからなのかもしれない。

 聡明。いや、人間ができている。とも表現できるのだろうか。

 

「私達は防人、単独では星屑にさえ敗北しかねない弱い人間。ですが、三十二人集まればバーテックスとだって戦えますももの。皆で集まれば考えの残り半分も見つかるかもしれないですわね」

 

「はい、協力して貰えますか?」

 

「勿論! 頼りにしてくる後輩に応えるのは弥勒家の者として当然の事ですわ!」

 

 自信に満ちた笑み、堂々とした振る舞い、快諾。実に様になっている。

 

 聡明や人間ができていると表現がうつろったが、今また別の表現が脳裏をよぎった。

 器が大きい。これだ、これがきっと弥勒を表現するに最も相応しい表現だ。

 

「家とかではなくて、先輩で隊員な弥勒さんを頼りにしているのですが」

 

「それはそれで嬉しいですわね、存分に力を貸しますわよ」

 

 器が大きく、迷わず、高く広い視野を持つ。とても頼れる相手だ。もしかしたら、人間関係が上手とは言えない私よりも弥勒のような人間こそが多くの人を纏めるリーダーに相応しいのかもしれない。

 防人としては残念ながら実力が弥勒の人間性に追い付いておらず、成績のみで言えば私の方が大きく秀でているからこその現状。もしも、成績がまるっきり同じだったのならば弥勒が防人の隊長に選ばれていても不思議ではない。

 

 ふと、頭の中で何かが噛み合うような感触。

 私ともう一人、成績が同等の二人が最後に残った勇者の選抜。選ばれたのが私ではなかったのはそういう理由だったのかもしれない。

 本当にそうなのかなんて今となっては確かめる方法なんてないし、確かめる気もない。今の私には他にやるべき事がある。

 

「ありがとうございます。それじゃあ、展望台に集合で」

 

 弥勒へと礼と伝達を伝える。これが今するべき事で、これからする事に繋がる事だ。

 

「えぇ、ティーセットを片付けてすぐに向かいますわよ」

 

 やはり、堂々とした余裕のある笑み。

 先ほど雀を壁と例えたが、弥勒を建物で例えるならば屋根*5だろう。防人の誰よりも高く広い俯瞰的な視野を持ち、年長者として後輩達に手を差し伸べる事を躊躇わない。実力以外は高みにいる尊敬されるべき頼れる人間だ。

 

 思っていても口には出さない、調子に乗らせると面倒くさいからだ。

 尊敬してはいるが、それとこれとは別の話だ。

 

 伝えるべき事は伝えたので他の隊員にも伝達するべく

へ次の部屋へと向かう。少し離れた先の廊下で期待通りに雀が防人達に伝達してまわる姿が視界に入った。

 

「しずく、入るわよ」

 

 逸る気持ちでドアノブへと延びかけた手で扉をノックし、一度呼び掛けてから扉を開く。その先には飾り気の少ない簡素な部屋で膝を抱えて座るしずくが閉じていた目蓋をゆっくりと開く姿。

 眠っていたという訳ではないだろう、姿勢の落ち着きと気配からしてただ目蓋を開けてなかったたけだという事はわかる。

 

「楠……ちょうど、話がしたいと思ってた」

 

「そう、奇遇ね」

 

 絡み合う視線、小さく開かれた口から紡がれる言葉は控え目ながらも強い意思を感じられた。

 

「私が思うに、お互いにしたい話は同じ内容なんじゃないかしら」

 

 何も言わず首を縦にも横にも振らないしずく。ただ視線が絡み合う。

 無反応のようで、無反応ではない。しずくの瞳に灯るたしかな意志が私に何かを訴えている。

 

 最初に会った頃と比べて随分と変わった。と、しずくの瞳にそんな感想を抱く。

 防人としてゴールドタワーに集められた頃のしずくは自我さえ希薄に思えるような意思表示の少なさで、自分の考えを口にする事は非常に稀だった。しかし、口数は少ないままだが最近ではこの瞳のように自分の意思を表す事が増えた。

 

「一応確認しておこうかしら」

 

 意思表示は増えたがそれでも口数は少ない。そんなしずくが自発的に相談という行動を起こし、自分の目標のために典膳へと助力を求めていた姿は記憶に新しい。

 それほどに本気の思いなのだろう。とても強い思いなのだろう。

 しずくもまた、犠牲を認めたくないと足掻く一人だ。

 

「亜耶や他の巫女を助けたい。そういう話をするつもりだったのよね?」

 

 犠牲ゼロ、私としずくはこれに至った経緯は違えども同じ目標を胸の芯に抱える仲間だ。だからこそ、不条理な犠牲が発生すると聞いて黙ってはいられないという事を共感しているはずだ。

 

「……国土はいい子、死なせたくない」

 

「私もそう思うわ。だから、どうにかするために手を貸して」

 

 言葉での返事は無い。しかし、しずくの瞳に灯る意志が更に輝き、力強い頷きが返された。

 

 心強い。根拠なんて何もないのに、不条理なんてどうにでも打ち砕けるという自信が湧いてくる。心底から同じ思いで共に戦ってくれる戦友の存在が私の意志と精神をを更に強いものへと補強してくれる。

 

 共に挑める仲間の存在がこんなにも支えになるなんて、勇者に選抜されるためにただがむしゃらな研鑽を重ねていただけの私は知らなかった。

 

 柱だ。しずくもきっと柱だ。

 防人隊を率いる隊長の私が柱だとするのならば、同一の志で共に戦ってくれるしずくもまた柱のはずだ。

 強く頑丈な柱は何本あったって良い。()が強いのならば()はより内部を守る役割を果たせる、()が頑丈ならば屋根(弥勒)は更に高く広く在れる、(同志)が増えたのならば建物全体(防人隊)をより隙無く支える(率いる)事ができる。

 

 典膳の協力を得て更なる実力向上をするであろうしずく(同志)には大きな期待しかない。

 

「展望台に集合するように防人全体に呼び掛けてる。そこで亜耶を助ける協力を求めて、そのまま解決策を話し合うつもりなのだけど」

 

「すぐに、行く」

 

 意志の瞳を携えて立ち上がったしずくと共に部屋を出て、肩を並べるようにして展望台へと向かう。私としずくが展望台に着く頃にはほとんどの防人が集まっていて、その後には数分も待たずに全員集合が完了していた。

 集まってくれた皆が揃って私へと視線を向ける。誰もが集められた理由を気にしているのだろう。

 

 一つ大きく息を吸い、誰の耳にも届くように声を張る。

 

「今回の大赦の決定に、私は納得してない! みんなはどうなの!? 亜耶や他の巫女達が犠牲になる事に納得しているの!?」

 

 真っ先に雀が、継ぐように弥勒が、続々と防人達が否の声を上げる。ここにいる全員が亜耶を犠牲にする事を納得していなかった。

 

 それならば、話は早い。防人の皆にはとことん付き合って貰おう。

 犠牲ゼロはまだ終わってない。

 

 

*1
「基礎」建築物や大きな装置の一番下にすえ、全重量を支えるもの。一般的な住宅を外から見て一番下にコンクリートの部分があるやろ?それだ。コレが適当なら上に載る建物全部がダメになる、傾くしカビるしなんなら家が地盤に沈む。

*2
「土台」建築物の最下部に設えた材木、基礎の上に水平に据えられて柱を直接支えて建物の全荷重を受け止める。コレが適当だと台風とかで家が基礎だけ残して吹っ飛ぶしコレが無ければ柱が立たない。

*3
「柱」垂直に立てて建築物を支える物。コレが無ければ壁なんて作れないし屋根も作れない、家の体裁が成り立たない。“大黒柱”なんて言葉があるだろ?説明がいらない位に大事な物として有名。

*4
「壁」建物の内外を仕切る板、説明いらないだろこれ。雀の胸はまさしく壁、平面。ちゅんちゅん、かわいいね♥️

*5
「屋根」建物にの最上部で居住空間を覆う部位。説明するまでもないだろ、屋根わからんやついるのか?1度でいいですので屋根より高い身長になってみたいですね……




 
 
 
 
 
 
 
防人C助(奉火祭かぁ……)

C助(ヤだなぁ)

C助(このままあややがそうなっちゃったら、きっと私は一生この気持ちのままなんだろうなぁ)

C助(私だけじゃなくて、防人皆の何かがダメになる気がする。なんていうか、こう、どうしようもない程にダメになる……気がする)

C助(でも、たぶんこのままで終わらないはず)

C助(メブ、ショックを受けてたみたいだけど落ち着けたかな)

C助(そろそろかな?もうちょっとかな?様子を見に行った方がいいのかな?部屋に行ったら邪魔かな?どうしよ)

C助「このみかん、酸っぱいなぁ」
 

 
防人Cずく(死んでしまったら、もう()()()()()にしかならない。良い人も、悪い人も、その先はなにもない)

防人Cズク(……あぁ、そうだな)

Cずく(なにもないから、話す事もできない。死なせたくなかったのか、一緒に死にたくなかったのか、他の何かだったのか、()()()()()になってしまったから確かめることもできない)

Cズク(Cずくを産んだアイツらが何を考えてたなんかもう誰にもわからねぇ、死んじまったからな。だけど、国土はまだ生きてる、だろ?)

Cずく(うん。国土はみんなの役に立てるのが嬉しいって言っていた、頑張るとも言ってた、でも、死にたいとは言ってなかった……。生きたいのかもしれない、本当は死にたくないのかもしれない)

Cズク(このままだったら一生わからないままになるようなモノをまた抱えるハメになる)

Cずく(それもある。でも、それ以上に──)

防人Cずズ((たた単純に死なせたくない、生きてて欲しい))

Cズク(やれること、やるつもりなんだろ?)

Cずく(うん……!)



C級お嬢様「……なるほど」

C級「……」

C級「…………」

C級「………………」

C級(カツオ出汁で紅茶をいれても全然美味しくないですわ。先ほどの私は何を考えて好きなものに好きなものを足すとヤベーくらい好きなものになるなんて発想をしてたのやら)

C級「……また一つ賢くなってしまいましたわね」


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遺憾の意……ヨシ!

 

──先日、結界の外に埋めてもらった種を、回収してほしいのです。

 

 亜耶を助けるためにはどうすればいいのか。それを一晩中相談しあった翌日に私達は新たな任務を与えられた。

 神樹の種は神樹の恵みの結晶。霊山で儀式をする計画を凍結させたのならば結界の外に陣地を作る理由は無く、神樹の恵みである種を神樹に返して神樹の力を少しでも無駄にしないようにしなければならないらしい。

 

 命懸けで種を植えに行って負傷までしていたのに、それら全てが無駄だったのだろうか。

 ここ最近は腹立たしい事ばかりな気がする。

 

 行き場の無い腹立たしさに溜め息を吐き捨てていたとしても、熱気を増した灼熱の大地や名の通りに星の数程にいる星屑は容赦をしてくれる訳ではない。犠牲無く帰還するために私達は迅速に種を回収しなければならない。

 今までの訓練と任務の経験を最大限生かし、時折迫り来る星屑を蹴散らしつつ私達は前回の任務で種を植えたら時よりも幾らか背丈を伸ばした草が繁っている場所に辿り着いた。

 

「やっと着いたぁ……」

 

「何へばってんだ、護衛対象の国土がいなかった分前回よりも全然楽勝だったじゃねぇか。いや、この増した熱気の分はちょっとやりにくかったけどよ」

 

「わ、いつの間にかシズク様になってる!」

 

「様を付けるな鬱陶しい。今回はほぼ最初から俺だったぞ」

 

「え……それじゃあ今まで普通に団体行動できてたってこと? シズク様なのに?」

 

「俺をなんだと思ってるんだ? つーか、様付けをやめろ」

 

 周囲の警戒ついでにじゃれ合う首輪付きの猛獣と喋りたがりな小鳥の声を耳にしつつ、緑色に茂る大地の中心で慎重に神樹の種を探す。

 最初にこの地に植えた時は灼熱を放つ大地に落とすように植えていた事からある程度は頑丈なのは解っているが、それでも防人システムの後押しがあるパワーでは傷付けたり潰してしまうかもしれないので急いでいても慎重にならざるを得ない。

 

「なかなか見付かりませんわね」

 

「この辺りのはずなんですが」

 

 四つ這いになって生い茂る草を掻き分けて種を探すも中々見付からず、傍で周囲の警戒をしていた弥勒がそれに焦れたのか私と同じように神樹の種を探し始める。

 

「もしかしたら、緑地が熱気で焼けたせいで歪に形が変わってしまって、中心だと思ってたここが実は中心ではないなんて事があるかもしれませんわね」

 

「……そうだとしたら種を探すあてが無くなりますね、人海戦術でひたすら草を掻き分けるしかなくなりますよ」

 

 弥勒の言葉に二人で眉をしかめながらも念入りに草を掻き分ける。念のために一度探した場所ももう一度丁寧に探すが見付かる気配が無い。

 

「チッ、雑魚が何匹か寄って来やがったか。楠と弥勒はそのまま探してろ、俺達で対応する」

 

「助かるわ」

 

「わ、私も種探しがいーな~……」

 

「盾を欠かしてどう身を守れってんだ、護盾隊を守る銃剣隊を守るのがテメーの役割だろうが」

 

「ふえぇぇ」

 

 数匹の星屑が接近してきたものの、お喋りしつつもしっかりと周囲の警戒を続けていたシズクと雀がすぐさまそれを感知。滞りない連携が防人番号二番の指揮により発揮されて危なげなく迎撃される。とても頼もしいかぎりだ。

 しかし、神樹の種を探す私達は一向に成果を上げられずにいた。

 

「こんなに探したのに見付からないって事は、やっぱり歪に焼けて中心がずれてるのかもしれませんですわね」

 

「人海戦術に切り替えましょう。……第一班から第四班までは種の探索! その他は周辺への警戒!」

 

 指示の声を張り上げるとすぐさま周囲を警戒していた隊員達が了解の意を示し、指示通りの動きに移る。想定外の事態にもこうして戸惑いなく対応できるのは訓練の賜物だろう。

 私と弥勒も徹底的に探したこの場からすこし離れた位置に移動して再度四つ這いで念入りに草を掻き分け始める。

 

「すごくどうでもいい事言っていい?」

 

「隙あらば口を開くなお前……。まぁ、聞くけどよ」

 

 そこかしこで草を掻き分ける擦れた音が立つ中、少し離れた場所で種を探していた雀とシズクのお喋りが耳に届く。

 二人は口を動かしていても任務に対しての集中が疎かにはならないのは解っているので咎める事はしない。

 父の仕事仲間にも作業場にラジオや音楽プレイヤーを持ち込んで何かしらを聞き流しながら仕事をした方が集中できる人がいたし、二人にとっては、いや、たぶん雀にとっては適度に口を動かしていた方が過度に怖がるような思考をしなくなる分集中できるのかもしれない。

 

「四つ這いになってる弥勒さんって、なんかエッチだよね」

 

「なっ!?」

 

 前置き通りにどうでもよさそうな口調で語った雀。

 直後に弥勒が四つ這いだった身体を起こしてお喋り雀へと体ごと振り返る。

 

「あー、それなんとなくわかるかもしれねーわ」

 

「お二人とも、いきなり何を言いやがってますの!」

 

 心底どうでもよさそうに相槌を打つシズク。

 弥勒がいつもの上品な気がする言葉使いを微妙に崩壊させながら吠えた。

 

「いや、だってほら、隣で同じ体勢だったメブは『押忍!』って感じだったのに弥勒さんはなんか、こう……エッチじゃん」

 

「肉付きがなぁ……。見た目だけならお嬢様だからな」

 

「肉! 見た目だけ!?」

 

「うるさいですよ、口を動かしてる暇があるなら手を動かしてください」

 

 度が過ぎない程度にお喋りするだけなら注意する気は無いが、手を止めているのならば注意せざるを得ないので口やかましく荒ぶる弥勒を諌める。すると、さも遺憾だと言わんばかりの声色でまたも弥勒が荒ぶり始める。

 

「ですが! 弥勒家の者として見た目だけ呼ばわりされて黙ってはいられませんわ!」

 

「お喋りするのは過度でない限り止めませんが手は動かして下さい、今優先するべきは弥勒さんがエッチかどうかじゃなくて種を確保してからの迅速な帰還です」

 

「ぐぅ、確かに優先すべきはそれですわね……」

 

 納得はしてないが理解はしているのだろう、ぐうの音を漏らしつつも草を掻き分けての種の探索を再開する弥勒。しかし、体勢は先程と違って四つ這いではなくこじんまりとしゃがむ体勢。

 

「エッチなのはともかく、プロポーション良いのは素直に羨ましいなぁ」

 

「羨ましいってんなら例のアイツみたいに薬師氏が推奨してる健康的な生活ってのをしてみりゃいいんじゃねぇのか。アイツもここ最近で弥勒並みになってるしな」

 

「あー、すごいよね。弥勒さんは派手でなんかエッチって感じだけど、あっちはしっとりとお上品にエッチな感じでキレイだよね」

 

「好き勝手言ってくれやがりますわね……」

 

 すぐに大人しくなった弥勒をよそにお喋りを続ける二人。ちらりと視線を向けても種の探索が疎かになってる様子は無いので放っておく。

 私はエッチではありませんわ。と、弥勒が不服そうに呟きながらも種の探索を続けていた。

 

「言葉こそはからかうような物ですが、遠回しに綺麗だと褒められてるだけなのに何がそんなに気に喰わないんですか?」

 

「その遠回しな表現が余りにも遠回し過ぎですわ……!」

 

 恥ずかしがるような、歯噛みするような、怒っているようにも照れているようにも見える弥勒に対し、純粋に疑問に思った事を問うと正も負も入り交じったままの表情での返答。

 エッチ。その単語が弥勒にとって少しばかり受け入れがたい言葉だったらしい。

 見た目だけお嬢様呼ばわりされていたのは受け流せるのだろうか。

 

「まぁ、よくよく考えれば今現在弥勒家が没落しているのは事実ですもの、これに反論の余地は有りませんが私が復興させればすぐに返上できる汚名ですわよ」

 

 ふんす。と、鼻息荒くいずれ見返す意思を示す弥勒。どこまでもポジティブなこのメンタルはやはり素直に凄いと思う。

 

「……それに、あんな話題でも今はあのお二人に口を動かさせておく方が都合が良いかもしれませんもの、あのお喋りを叱り付けて中断させるのはよろしくありませんわ」

 

「え?」

 

 鼻息荒く意思を示したかと思えばすぐに声を絞ってそっと私だけに聞こえるように告げた弥勒。その意図がまるで解らず、私は小さく戸惑いの声を返すしかできなかった。

 

「いつも以上にいつも通りなお二人のお喋りは皆にとって良い影響を与えてるようですもの」

 

「……えぇと?」

 

 いつも以上にいつも通り。言われてみれば確かにその通りだ。

 雀は口やかましい程にお喋りな質ではあるが任務中に口を開く時は弱音ばかりのはず。それなのに、今のお喋りでは心底どうでもいいと言えるような他愛ない事しか口にしていない、ゴールドタワーでなんとなくのお喋りをしているかのようだ。そんな雀に合わせるシズクも任務中とは思えないほどに日常の中にいるかのような堂々とした雰囲気をしている。

 しかし、それが何故させておくべきお喋りなのかが私には解らなかった。

 

「国土さんの件で皆が不安や苛立ちを覚えてる中でこの命懸けの任務ですもの、皆さんはここまでの道のりで既に精神的な疲労をしていたようですわね。隊列が乱れるという程ではありませんでしたが、それでも浮き足立っている雰囲気がありましたわ」

 

「え……!? そう、なんですか……?」

 

「よろしくない状況の中でも一欠片の笑いが有れば多少は気が晴れるし、どっしりと構える者がいればそれを頼りにして心を楽にできるものですもの。今のあのお二人の振る舞いはまさしくそれですわね」

 

 当たり前の事を語るように私がまるで気付いてなかった事を語る弥勒。それに対して驚きながらも戸惑うしかなかったが、もう状態は安定しているので心配は無用だとも語られる。

 

「……全然気付いていませんでした」

 

「隊列の最前に立って進み続けていたのだから当然ですことよ。私も隊列の中で行動していたから気付けただけですもの」

 

 隊員達の気がそぞろな状態ならば何か小さなきっかけで大きく隊列が乱れる事態になっていたかもしれない。個々が強くはない私達防人がそうなってしまえば集団という強みを著しく喪失して星屑にさえも苦戦する事になってしまう。そうなれば、任務の達成どころか犠牲の無い帰還さえも難しい。

 見逃したままでいるには危うい事を見逃していたという失態に対し、胸中で深く自省する。

 

「そう深刻な顔をするような事ではありませんわ。むしろ、芽吹さんは些事を気にして隊列をしきりに見回す事は避けるべきです」

 

「え……?」

 

 一連の会話に困惑と驚きをしてばかりだ。

 胸中に湧いた感情のままについ弥勒の顔を見て、たまに見る大人びた表情の弥勒にまっすぐな視線を返される。

 

「一番先に立って強くまっすぐに前へと進む、芽吹さんという防人の隊長はそれでいいのです。貴女が人の上に立って駒を動かすボスではなく、人を率いて進むリーダーであるからこそ皆がその背中に続くのです」

 

 つまり、どういう事なのだろうか。

 この大人びた顔の弥勒と相対した時、自らが幼いと感じてしまう私には難しい言葉だった。

 

「犠牲ゼロ。それを成し遂げ続けるためには芽吹さんは堂々と突き進む強い姿であればいい。その姿があれば所詮は少し訓練を受けただけの女子中学生の私達はその背中を道標に生き足掻けるという事ですわ」

 

 没落すれども名家の末裔。人を率いる、上に立つ、そういった人間がどう振る舞うべきかは学んでいる。組織に平均される心の動きも勿論。と、当然の事のように語った弥勒が言葉を続ける。

 

「そう難しい顔をする事でもありませんわ、芽吹さんは今まで通りであればいいのです。些事は今のシズクさんや雀さんのように誰かが必ずフォローに入って勝手に解決されますもの」

 

「フォロー……? 雀とシズクが?」

 

「シズクさんはあれでも険しい雰囲気に鋭敏のようですので真っ先に違和感を感じていたみたいですわね。例の如く直感的におちゃらけるべきだと判断してそうな雀さんに合わせて会話を弾ませようとしてるように見えますわよ」

 

 いつも以上にいつも通りな二人の会話は隊全体へのフォローであり、私が隊を問題なく率い続けるためのフォローでもあったという事らしい。

 知らず知らずの内に私は助けられ、支えられていたのだろう。もしかしたら、私が気付いてなかっただけで今までもそうだったのかもしれない。

 

「怖がりな雀さん自身もお喋りしてる時は気が紛れてる様子ですし、あのままにしておくのが誰にとっても好都合という事ですわ」

 

「そう、なんですか……。勉強になります、ありがとうございました」

 

「ふふふ、わたくし自身もこうやってお喋りする事で落ち着きの無かった気を落ち着かせていただけですわ。さぁ、はやく神樹の種を見つけて皆で帰還いたしましょう」

 

 自分も落ち着くため。そう言いつつもやはりどこか余裕のある大人びた微笑みを一度浮かべた弥勒が私と合わせていた視線を手元に戻して草を掻き分け始め、その様子に私もいつの間にか種の探索から集中が逸れていた事に気付く。

 そして、弥勒との会話をする前はあんなにも様々な事に腹を立てていたのに、会話を終えてから少しだけ心が凪いでいるのにも気付いた。

 

 なるほど、私も皆と同じように心をを乱していたらしい。先程までの状態よりも今の方が任務に集中できるだろう。

 もしかしたら、弥勒はそれもわかっていて気が紛れるように話掛けてくれていたのだろうか。真偽の程は解らないが、どちらにせよ弥勒のおかげでコンディションを好転させる事ができたのは事実だ。

 戦術や戦闘、成績という意味ではなくもっと別の所にある何か、上手い表現が見当たらないがしいて言うならば人間という意味で私はまだ弥勒には敵わないと思った。

 思ったが、口には出さない。口に出してしまえば弥勒の大人びた雰囲気が消しとんで鬱陶しい調子の乗り方をする気がしたからだ。

 

「それにしても健康的な生活かぁ……。でも、見たいテレビ番組とか夜遅いのばかりだし、オヤツのミカンも気付いたら何個も食べちゃったりしちゃうしなぁ……」

 

「録画して後で見るなりついつい食べ過ぎないように買い置きしないとかやりようはあるだろ」

 

 精神が乱れていたと自覚したからにはもっと落ち着く必要があるかもしれない。弥勒や他の隊員達と同じように種を探しつつもお喋り雀とそれに付き合う首輪付きの猛獣の話を聞き流して適度に気を抜くようにしてみる。

 

「それに、やっぱり個人差はあるだろうから健康的な生活ってやつで私もそうなれるとも限らないし」

 

「やらない言い訳ばかりだな。でも個人差か……栄養管理ガチガチで早寝早起きしつつ鍛練ばかりで運動不足は有り得ない楠が『押忍!』って感じの肉付きってことは個人差はあるんだろうな」

 

 『押忍!』な肉付きとはいったいなんなのだろうか。

 

「例の人も元からかなりキレイなプロポーションだったし、現状がこれな私がやっても大して意味無さそう」

 

「元がダメダメなら逆にめちゃくちゃ伸び代あるって事も有り得るんじゃねーの? やらずに諦めたらなんにもならねー……いや、まて、元が良ければの理屈で言うなら弥勒が薬師氏流健康生活をしちまったら……?」

 

「え? ……ヒエッ!」

 

 シズクの言葉に一度理解が遅れたような声を漏らした雀が一呼吸の間を置いてひきつった短い悲鳴を漏らす。同時に周囲のそこかしこで気配がざわめき、複数の視線が動いて弥勒に集まるのを感じた。

 

「え、え……? なんですの?」

 

 弥勒も注目された事に気付いたのか困惑しつつ周囲を見回す。しかし、誰もが何も言わない沈黙だけがここにあった。

 

「ダイナマイト弥勒……」

 

 沈黙を穿つ雀の震える呟き。

 おののくように声を詰まらせながらもシズクが続く。

 

「も、もしかしたら俺達はとんでもねえモンスターの誕生を目撃できるのかもしれねーな」

 

「でもそれって大丈夫なのかな? ぷくーっと膨らんだ結果、パーンと破裂したりしない?」

 

「なるほどな、ダイナマイトモンスター弥勒」

 

「よくわからないですがお二人にからかわれているのは解りましたわ。そこにお直りなさい、弥勒式デコピンでお仕置きしてさしあげますわ」

 

 種の探索を止めて立ち上がった弥勒がジャブを放つような手首のスナップに曲げた中指を親指から弾く動作を合わせて素振りする。弥勒の動きから察するに弥勒式デコピンとは指先のみを命中させるパンチのようなデコピンなのだろう、狙った場所に当てれるのならばとても痛そうだ。

 

「い、痛そう! 防人パワーでそんな事されたら頭がパーンってなっちゃうよ!」

 

「なるほどな、ダイナマイトヘッド雀か」

 

「さぁ、覚悟なさりなさい!」

 

 ぎゃー! たすけて! とは雀の悲鳴。

 逃げろ! ダイナマイトにダイナマイトされるぞ! とはシズクの楽しそうな笑い声。

 お待ちなさい! とは逃げた二人を追いかけ始めた弥勒の声。

 

 笑いがあるのは良い事なのだろう、良くはない状況でも堂々としているのも良い事なのだろう。しかし、これはたぶん駄目だ。任務を疎かにして鬼ごっこを始めるのは論外のはずだ。

 

「ハァ……あっ」

 

 さすがにこれは注意しなければと溜め息混じりに口を開こうとしたと同時に神樹の種を見つけて意識が三人から手元へと戻る。ほんの一瞬だけ俊巡した後に種の確保が優先だと判断し、仮面の神官から持たされていた専用の容器に神樹の種を収納する。そして、今度こそ注意しつつ帰還の指揮を執ろうと立ち上がって顔を上げた。

 

 ぎゃー! 助けてメブー! とは雀の切迫した悲鳴。

 さすがにこれは相手してらんねぇ! 逃げようぜ! とはシズクの焦燥がよく解る大声。

 飛んで火に入る夏の虫、手柄にしてさしあげますわ。弥勒式ヘッドショットでパーンですわよ! とは立ち止まって射撃姿勢になる弥勒の無駄に自信満々な声。直後に、アイツらの何処に頭があるってんだ! と、叫んだシズクに首根っこを捕まれて引き摺られながらこちらへと向かってくる。

 

 そんな三人の向こう、神樹の種を回収した事により植物が消えて灼熱の大地となった背景に浮かぶ三体の大型バーテックス。どうやってかあの巨体で周囲の警戒をしていた防人達の監視網をくぐり抜けてかなりの接近をしていたようだ。

 

「総員撤退! 殿に第一班を配置する撤退陣形!! 種の回収は今終わったわ、四国に帰還する事を最優先に行動しなさい!!」

 

 全ての隊員達からの力強い応答。気の弛みがあった直後ではあったが、皆はしっかりと意識の切り替えができているようだ。

 

「第一班って……私達じゃん! 考え直してよメブぅぅ!!」

 

 この雀の悲鳴は直感的に他の最善を見付けた故の拒否反応ではなく、ただの泣き言なので気にしなくて良いだろう。他に最善があるなら雀は既に行動を起こしているはずだ。

 

「泣き言叫べる元気があるなら余裕だろ、頼りにするからな!」

 

「あ゛あ゛あ゛! これ絶対酷使されるやつだぁぁぁ!」

 

「殿こそ戦の華! すべてをこの弥勒の手柄にしてさしあげますわ!」

 

 今回の任務、ここからが正念場だ。

 犠牲ゼロ。今回もこれを果たすために隊列の最後尾に立った。




 
 
 
 
 
 
 
防人Aちゃん(しっとりとエッチ。わかる)

防人Bちゃん「遺憾」

Aちゃん「…………」

Bちゃん「誠に遺憾」

Aちゃん「…………あっ、種見つかったみたい」

Bちゃん「誠に遺憾なお気持ちです」

Aちゃん「げ、バーテックス! ムスッとしてないで逃げるよ!」

Bちゃん「私がエッチだとしても推し同士の絡みになんら影響が無いから無価値、無駄。推し同士の絡みでエッチになれよ」

Aちゃん(不機嫌な理由そっち?エッチって言われたからじゃなくて?)

Bちゃん「まぁ~じでもっと濃厚に絡んで、こっちは飢えてるの」

Aちゃん「変な事言ってないで逃げるよ!」

Bちゃん「至極まっとうな怒りですよこれは。なにせオタクっていうのは基本的に自分の肉体でドキドキするような生き物ではなく──」

Aちゃん「バカみたいな事言ってないで逃げるよ!」





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アルフレッド……ヨシ!

 

──一切の反撃は考えず、逃げることだけに専念して!

 

 過去の任務までにバーテックスと遭遇することはあった。

 撤退しながら戦う苦しい戦いだって何度もあった。

 任務の最中に負傷者が発生する事なんて山程あった。

 

──お前は俺に勝ったんだ。そして俺はお前に従うって約束した。だったら、お前の目標は俺の目標だ。犠牲ゼロにするんだろ? それを、俺もしずくも望んでいるんだ!

 

──弥勒さん!

──犠牲、ゼロに……するんでしょう……

 

 しかし、大地を揺らすバーテックス、爆撃をするバーテックス、地中を潜航するバーテックス、その三体のバーテックスと同時に追い立てられながら完全に意識を喪失している重傷者を抱えながらの撤退戦。これほど迄の苛酷な状況は初めてだった。

 

──何やってるんだよお、メブうう! こんなところで死んじゃダメだよおおお!

 

 苛酷だった、苛烈だった、なにもかもが紙一重に命を拾うギリギリの状況続きだった。

 

──人を舐めるな! 神の使いごときが、人間の邪魔をするなあああ!

 

 それでも、私達は防人は誰も犠牲を出さずに灼熱の大地から帰還する事ができた。

 

 神樹の種の回収は成功、任務は達成された。

 だけど、今回も犠牲ゼロを達成できるかはまだわからない。任務の最中にシズクを庇って重傷を負った弥勒が危険な状態のまま目を覚ましてないからだ。

 

「弥勒さん、丸一日起きなかったね」

 

 集中治療室のガラス越しに眠る弥勒を見ながら小さな負傷だらけの雀がいつもより張りの無い声で呟く。その言葉にスマホの時計を見てみると、たしかに昨日の任務を終えてから丁度丸一日が経過している事に気付いた。

 

「そうね」

 

「いっつもあんなにうるさいのに、身動きも無しであんなに静かに寝てると、なんか、こう……なんだろ……」

 

 言葉にできないのか、したくないのか、表情ではありありと不安を示している雀が言葉を濁す。

 気持ちはわからなくもない。でも、私達は回復を信じて祈り、待つしかなかった。

 

「…………」

 

 ガラスの前に立って眠る弥勒を何も言わないまま見続けるしずく。自分も少なくない負傷を負っているのにも関わらずそうし続けているしずくの表情は、唇を横一文字に結んだ暗い表情。

 不安、だけではないのだろう。もしかしたら、責任のようなものを感じているのかもしれない。

 弥勒の負傷は窮地に陥ったシズクを助けるために負ったものだ、シズクがもっと強く在れるかは自分がどれだけ身体を鍛えられるかにかかっていると考えていたしずくは、シズクが追い詰められてしまった事に自分の肉体を鍛えきれていなかったからだと考えているのかもしれない。

 

「しずくも怪我は軽くないはずよ。心配なのは解るけど座ってなさい」

 

「……うん」

 

 その場から移動する気配を見せないまま、どこか上の空な返事。

 やはり、自分の責任だと思い詰めてしまっているのだろうか。それはそれとして、立ちっぱなしでは怪我で弱った体から更に体力を失くし、余計に怪我の治りを遅くしてしまうかもしれない。腰掛けていたベンチから一度立ち上がり、動く気配を見せないしずくの手を引いて私が座っていたベンチに座らせる。

 

「座ってなさい」

 

「……うん」

 

 繰り返される「うん」の二文字にふと典膳を思い出す。あれも何か思考にのめり込んだり物事に集中し始めたら今のしずくのように何を言っても「うん」の二文字しか返さなくなる。こういう集中力は何かしらの才能がある人間に共通してしまうものなのだろうか。

 しずくは体格の差によって生じる不利を埋める判断の速度と身体を動かすセンス、典膳は言わずもがな四国で一番と称されるほどの薬学知識。二人は分野が違えども間違いなく才能を持つ人間だ。

 

「典膳……」

 

 意図した訳ではないが、口から小さな呟きが漏れる。

 もしも、典膳がこの場にいたのならば弥勒事は無いはずだと私は信用している。

 しかし、典膳はこの場にはいない。

 

「典膳くんがいたらなんとかしてくれたのかなぁ」

 

「無い物ねだりしても仕方ないわ。あっちもあっちで大変な状況らしいもの」

 

 私の呟きを耳で拾ったのか、一度私に視線を寄越した雀も小さく呟く。

 典膳は今、医者に対応できない何かで倒れたらしい両親を治療しているし、携帯電話も破損しているらしくて連絡する事もできない。どうあっても頼れる状況ではない。

 

「でも、やっぱりいてくれたらなぁって思わずにはいられないよ」

 

「……そうね」

 

 きっと、防人の誰もが同じように思っているだろう。

 防人で負傷した事の無い者はいない。全員が典膳の手当てを受けた事があり、全員が薬師としての典膳の頼もしさを知っている。

 

 ──生きてるのなら、誰が諦めようとも僕が治します。僕を信じて僕の薬を貴女に使わせてください

 

 生きているのならば必ず治す。典膳はそう宣言して実際にそうしてみせる事を防人は誰もが知っている。

 一向に目を覚まさないが弥勒は生きている。典膳ならばきっと、不安と重い空気に満ちたこの場を『僕を信じて、任せて下さい』の一言で安心させて、弥勒の意識も取り戻してくれると信じている。

 しかし、それはここに典膳がいるのならばの話だ。今、ここに典膳はいない。

 

 だからこそ、私達は弥勒の回復を信じて祈るしかない。

 

「……いつだってあっという間にどんな事も手当てを済ませるのに、今回に限ってどうして手こずってるのかしらね」

 

 呟きが重い沈黙の中に沈んで消える。

 ただひたすらに祈る時間だけが続いていく。

 

 今この時間ほど、典膳の手当てを求めたのは過去に無い。

 

 

 

 

 弥勒の意識を取り戻さないまま三日目。身動きさえない姿を何十時間も見続けていると、このまま目を覚ましてくれないのではないのだろうかという嫌な想像が心に重くのし掛かってくる。

 

「メブ、ずっと寝てないんでしょ、ちょっと顔色悪いよ」

 

「ちょっと程度なら大丈夫よ、こんなんでどうにかなるほどヤワな鍛え方してないわ。」

 

「弥勒さんが目を覚ますまで休まないつもり? 少しだけでも眠りなよ、弥勒さんが目を覚ましたらすぐにメブも起こすからさ」

 

「この通りベンチに座って休んでいるわ。それに、私が寝る代わりに弥勒さんが寝てるから問題無いわ」

 

「寝てないせいかメブがちょっとおかしくなってる」

 

 人間はちゃんと寝ないと死んじゃうんだよ。と、とても困ったように言って仮眠をすすめてくる雀だが、私はここから離れる気は無い。私が今ここから離れたら、これまで犠牲ゼロを目指し続けていた精神が嘘になってしまう気がするからだ。

 

 だから、ただひたすらに信じて祈り、待つ。

 待って、待って、待ち続ける。

 

 せめて栄養はもっとしっかりと摂って欲しいと雀が用意してくれたゼリー飲料を昼食代わりに胃へと流し込んでいると、ふと、弥勒を案じて回復を待つ防人達によって重くなっていた集中治療室前の空気がざわついたのを肌で感じた。

 

「え、薬師氏さん」

 

 なんだ。と、考える前に誰かの驚く声。

 思考するより早く、反射的に身体が跳ねるようにベンチから立ち上がって求めていた人物の姿を探して周囲を見回す。そして、幼い頃からよくよく見慣れた小柄な姿を廊下の先に見つけて思わず全身に力が籠る。

 

「典膳!」

 

「メブが握り潰して跳ねたゼリーが目に! 目にぃ!!」

 

「うわ、パイセンが大変だって聞いて駆けつけたら患者が増えてしまったようですね」

 

 急にはしゃぎ始めた雀をそのままに典膳へと駆け寄り、狭い両肩を掴んで確保する。今この瞬間に得意の脱走癖と迷子癖を発揮させて何処かへ行かせないようにするために全力で握り続ける。

 

「痛たたたた。肩が潰れる、もう一人怪我人増えるぅぅ……」

 

「典膳! 弥勒さんを診て!」

 

「ふえぇん、ゼリーが目に沁みるぅ!」

 

「診る、診ますので放してぇ……肩外れるぅ……!」

 

 診る。と、そう口にしたのならば典膳は確実に診て自分にできる最大の手当てを弥勒に施すだろう。典膳は自分の言葉を嘘にしないために迷子も脱走もそれまではしないはずだ。

 言質を得たので典膳の肩から手を離す。そして、そこでようやく気付いたのだが、至近距離で覗く典膳の顔色がいつもより青白くて目元にも隈が浮いていた。

 

「典膳、あなた顔色悪いわよ」

 

「メヴキもけっこう悪いですので、パイセンの後でメヴキも診ます」

 

「ちょっと寝てないだけよ」

 

「丸三日寝てないのは……ちょっととは言わない」

 

「メヴキ、ちゃんと寝て」

 

「ひぃぃん、目を洗ってくる~」

 

 私の言葉にの後にボソリとこぼしたしずくの呟きに典膳がとても渋い表情を見せて珍しく強い口調で私を嗜める典膳。その背後をなにやら元気な雀がふらふらと歩いて何処かへと消えていく。

 

「私は鍛えてるからあんまり問題無いわ。あなた自身はどうなのよ、医者の不養生は笑えないわよ」

 

「ちょっとだけとても頑張っただけですので問題無しです。修羅場の合間にきちんと仮眠をとってたので無敵です」

 

「とてもじゃないけど、無敵の顔色じゃない」

 

「ふっふっふっ、いやいや、今の僕は無敵ですので」

 

 心配と困惑が入り乱れる声色のしずくの言葉に対し典膳が不敵な笑みを浮かべ、背負っていた小さなショルダーバッグへと手を入れたかと思えばすぐに何かを取り出した。

 

「疲れをごまかすドリンク~~!」

 

 典膳の小さな手に握られている物は、コンビニやドラッグストアで見かけるやけに高い缶飲料。意表を突かれる意外な物を目の前に出された事で反応に少し困ってしまう。

 

「……私はそういうのを飲んだ事は無いけど、効果あるのかしら?」

 

「効果の体感は個人差がありますので」

 

「つまり?」

 

「僕にとっては糖分とカフェインの作用で頭をシャッキリとさせたような気分になります」

 

「気分?」

 

「健康的な睡眠と栄養の摂取をしてた方が元気になれますね。根本的な疲労回復の効果を実感した事はありませんので、今の僕は眠たいはずなのに眠気が何処かへと旅立った不思議な感覚に陥ってます。今の僕は絶好調にトランス状態になれますね」

 

「医者の不養生が窮まってるじゃないの、ちゃんと寝なさい」

 

「薬師氏もちょっとダメになってる」

 

 今しがたまでは弥勒に対しての不安と心配で重い空気になっていたのだが、典膳の発言により別の意味で不安の重い空気が集中治療室前に満ち始める。

 弥勒を診ると典膳は言ってくれたが、この状態の典膳に人を診療させて良いのだろうか。不安しかない、大丈夫なのだろうか。

 

「トランスしてる僕の霊的医療は素面の時よりモリモリですので」

 

「何がモリモリなのよ」

 

「できる気がするっていう勢い」

 

「楠、私はこの状態の薬師氏に任せるより先に少し仮眠をして貰った方がいいと思う」

 

 両親の治療はよほどの修羅場でかなり疲労しているのだろうか、医に関する事でこれほど頼りない典膳は初めてだ。

 しかし、私達の不安を小さく笑って流した典膳はここに駆け付けるまでに弥勒の主治医と連絡を取り合ってある程度の状態はある程度把握していると言い、後は実際に自分の目で診て詳細な把握をするだけだと重ねて笑う。

 事前にできうる範囲の準備をして事に臨む。こういう所は父が仕事に対する姿勢とよく似ていると感じてしまい、それによってやっぱり大丈夫なのではと自分の中で手のひらが返ったのを感じた。

 

「そういう訳で、パイセンを診ます」

 

「そう、それじゃあ、頼むわよ」

 

 フンス。と、意思強く鼻息を鳴らした典膳が通りすがりの看護士を呼び止め、看護士に呼ばれて駆け付けた弥勒の主治医が畏まった雰囲気で典膳と言葉を交わし、その後すぐにサイズの合ってない白衣を借りた典膳が集中治療室の中へと入っていく。

 

「典膳くんって本当に病院でもなんか凄そうな感じなんだね」

 

「私も驚いてるわ」

 

 いつの間にか戻ってきていた雀が一連のやり取りを見た後に感心したように、それ以上に驚きながら口を動かす。

 私も同じような気持ちだ。典膳にある程度の発言力や自由にできる権限を与えているなんてとても正気とは思えない。そんな病院が患者や怪我人の命を預かっているのだと思うと、とても微妙な気持ちになってしまう。

 微妙な気持ちのままガラス越しに弥勒を診る典膳を見る。弥勒に繋がれた機器を見たり、身動きの無い弥勒の手首や首筋に手で触れたり、典膳の小さな背中に隠れてよく見えなかったが懐から取り出した何かを弥勒の額に当てたり、幾らかの診察行為と思われる事をした後に主治医とまた言葉を交わす姿が見えた。

 

「あ、終わったみたいだね」

 

 頷き合った典膳と主治医が集中治療室から退室し、廊下へと戻ってくる。そして、主治医は典膳に一礼してからすぐにこの場を去っていった。

 後に残ったのは、渋い目付きになっている典膳と防人達だけ。

 何故そんな表情になっているのか、もしかして、弥勒は典膳にとっても難しい状態なのだろうかという不安が沸いてくる。

 

「それで、どうなのよ」

 

「僕にできることはもう何もありません」

 

「え」

 

 重かった空気が典膳の一言で凍りつく。誰かの息を飲む音が鳴り、背筋が震えそうになるほどに血の気が引くのを感じる。

 何もできることはない。それはつまり、どんな処置をしても意味が無いという事なのか。弥勒が助かる術は無いと典膳が認めてしまったという事なのだろうか。

 

「そ、それって、どういう意味なのよ」

 

 声の震えを自覚しつつ問いかける。

 典膳がそれを認めて諦めてしまっては、誰が弥勒を助ける事ができるのか。私は典膳以上に信用できる医療関係者を知らない。そうなっては、これ以上は本当に祈るしかできなくなってしまう。

 

「それは……ふぁぁ~~」

 

「ふあぁ?」

 

 唐突に放たれるとても間延びした典膳の吐息。いや、あくび。

 瞬時に凍りついていた空気がどこか間抜けな空気へと変貌した。

 

「おっと申し訳ない、安心したら急激に眠くなってアクビが出てしまったので。状態は良好、これならパイセンは早ければ今日にでも目を覚ましますね」

 

「それじゃあ、さっきのできることはないって」

 

「問題無い相手に処方する薬はありませんので」

 

「へぇ、そう」

 

 できることはないとは何もしなくても問題無いという事で、渋い目付きはただ眠気を堪えていただけらしい。

 非常に紛らわしい。完全に典膳の落ち度という訳ではないが、頬をつねってやりたくなる。が、それ以上に弥勒の状態は良好だと典膳の口から聞けた事による安心感が勝り、身体中から重苦しい緊張が抜けて典膳の頬に手を伸ばす事さえもが億劫になる。

 

「そーいう訳で、やれる事をやって安心したので僕はもう帰りますふぁぁぁ……。両親の状態も安定しましたけどまだ他に調べたい事がありますので」

 

「そんなにフラフラで大丈夫なの? 少し仮眠してから帰った方が……あ」

 

 立ちながら眠ってしまいそうなほどアクビを繰り返す典膳を引き止めていると、弥勒の負傷により一時的に頭から抜けていた事柄が脳内に戻ってきて私の言葉を途切れさせた。

 奉火祭。それに亜耶が捧げられようとしている事を典膳は知っているのだろうか。

 

「? どうしました?」

 

 渋い目付きながらもまばたきを繰り返して眠気に耐えている典膳が不自然に言葉を途切れさせた私の目を覗き込む。この暢気な様子からして典膳は何も知らないのだろうと察する事ができた。

 そもそも、私達が奉火祭を知る直前から典膳は寝る間を惜しんで両親に付きっきりだったらしいし、携帯電話も破損していて誰かと連絡を取る手段も無かった。何か事件があったとしてもそれを早急に知る事ができない状況だったはずだし、ここ数日の事は何も知らないのだろう。

 

 奉火祭に捧げられる亜耶達巫女をどうにか助ける手段を未だに私達防人は得る事ができていない。どれだけ話し合ってもなにも光明は見えなかった。しかし、薬師としてだけではなく、神職としても研鑽に励み続ける典膳ならば何か思い付いてくれるかもしれない。

 眠気の限界と忙しさで大変な様子だが、亜耶を妹のように可愛がっている典膳にとっても無関係ではいられないはずの事なので知らせない訳にもいかないだろう。

 

「奉火祭、って知ってるかしら?」

 

「え、メヴキの口から奉火祭だなんてディープな単語を聞くとは思いませんでしたので驚きでちょっと眠気が引きましたね。もちろん知ってますが、それがなにか?」

 

 眠たげな渋い目付きからいつもの丸い目付きへ、そのまま二度三度とまばたきをしながら典膳が小首を傾げる。

 

「大赦がそれをしようとしてて、亜耶がそれに捧げられる対象に選ばれたのよ」

 

「! ……っ!!?」

 

 最初に丸い眼をさらに丸く大きめ見開き、そのまま険しい目付きへと変わっていく典膳。何か言葉を発しようとしてるのか口を開くものの、そのまま言葉を放たずに数度閉じては開くを繰り返す。

 

「それで、亜耶達巫女を犠牲にさせないための方法を探しているのだけど何か良い方法を──」

 

「あっ、あぁ~~……ははは……。そういう事でしたか、なるほどなるほど」

 

「──知らない……あるの!? すぐに教えて!」

 

 私の話を遮って何かに気付いたように声を漏らして深く息を吐く典膳。その姿に妹分が犠牲になるかもしれない状況への緊迫感は無く、むしろ、余裕すらも感じさせる態度に状況を打破できるのではという期待が大きく膨らむ。

 

「はは、してやられましたようですね……。役立たず極まれり、それどころか邪魔者でしたか。ははは」

 

「て、典膳?」

 

 呆けたように、諦めたように、ともすれば、何かが壊れたようにヘラヘラと笑みを浮かべる典膳。

 ここ最近で付き合いの長い幼馴染の今までに見たことの無い顔を幾つも見てきたが、この笑みほど似合わない顔は初めて見たと感じるほどに典膳の笑みはどこか異様さを滲ませていた。

 最初に笑みを浮かべた時は余裕の現れかと認識したが、この典膳らしからぬ笑みはむしろ典膳の胸の内で何かが張り詰めているからこそなのかもしれない。と、私の勘が告げていた。

 

「三◯◯年続くこの世界の在り方を享受する者の一人である僕が今更全部台無しにするとでも考えたんですかね。そもそも、奉火祭せざるを得ない状況で僕に何ができるというのやら」

 

「薬師氏……?」

 

「…………え、なに」

 

「ち、ちょっと、典膳、どうしたのよ、大丈夫なの?」

 

 異様さを感じ取った私だけではないらしく、しずくが典膳の顔を覗きこんだり雀が腰を引かせたり、他の防人達も緊張を感じているのか周辺に先程までとは違う重さのある空気を纏い始める。

 

「大丈夫かって? 大丈夫ですので。亜耶はもうしばらくすれば戻ってくるんじゃないですかね、パイセンの目が覚めるが先か亜耶が戻るのが先かって感じですね」

 

「何を根拠に……。じゃなくて、貴方、ちょっと普通じゃないわよ」

 

「僕が普通の人間だった事はありませんよ。それよりも、亜耶について確認してみますか? あっ、ケータイ壊れてるんだった……電話番号を暗記してても意味ないですね」

 

「確認って、どうするつもりなのよ」

 

 何処かに連絡をしたいなら私のスマホを使うかと聞くと、頷かれたので何も言わずにスマホを手渡す。

 

「ありがとう。ちょっと通話したいので病院の迷惑にならないように外へ行ってきます」

 

 そう言い残した典膳が立ち去り、誰もが互いに顔を見合わせてばかりな奇妙で居心地の悪い沈黙の中で数分ほど待つと、先程の似合わない異様な笑みとは違ういつもの笑みに眠気と疲労を重ね塗りした顔の典膳が戻ってくる。

 

「亜耶は既に御役目を解かれてここに向かっているそうですので」

 

「えっ」

 

「あっ、忘れない内にこの借りたスマホ返しますね。僕はもうすごく眠くてどうしようもないので寝ます。なんかもう、とんでもなく疲れました」

 

 言いながらさっきまで私が座っていたベンチに靴を履いたまま仰向けに寝そべって目蓋を閉じる典膳。行儀が悪いと軽く頬をつねってやらなければならないような暴挙ではあるが、そうも言ってられないような体調のようなので頬に延びかけた手が止まる。

 

「えっと、あややが戻ってくるって」

 

「典膳が言うのならそうなんでしょうけど……」

 

「詳しい説明が欲しいけど、薬師氏はもう寝てる。はやい」

 

 典膳が言うのならば本当の事なのだろう、典膳はこんな事で混乱を招くような嘘を吐く人間ではない。

 居合わせた他の防人達も困惑しながらもそわそわと互いに言葉を交わしたり顔を見合せて落ち着かない様子だ。

 

「典膳くんは誰に電話を掛けて確認したんだろ、その相手に詳しい事を聞けないかな?」

 

 困惑しきりの中で取り敢えずベンチで寝息を立てる典膳の靴を剥ぎ取って床に置いていると、背後から雀の思い付いたような発言。状況の把握が行き詰まっていた中で、私の思考に一切浮かんでなかった事柄に気付くのはいつも弥勒か雀だ。

 

「発信履歴に残ってる番号は知らない番号ね」

 

「大赦の、偉い人……?」

 

「ちょっと掛けてみるわ」

 

 典膳が断言したのならば亜耶への心配は必要無いはずだが、それでもやはり詳細を知る相手から話を聞いておきたい。秘密にすべき事には気を付けてる典膳が履歴を消さずに電話番号を残している事から、仮に私が間違いなどででも電話を掛けても問題無いと判断している相手なのだろうし、試しに電話を掛けない理由は無い。

 

「さすがメブ躊躇が無い……あっ!」

 

 先ほどの典膳と同じように通話のために病院の外へと向かおうとしたが、雀の急な驚きの声に足が止まる。何があったのかと視線を向ければガラス窓に貼り付くように集中治療室を覗き込む姿。

 まさか。と、思いながら私もガラス窓に貼り付くようにして中を覗き込む。

 見えたのは、白いベッドに眠っていたはずの弥勒が薄く目蓋を開いてぼんやりと虚空を見ている姿。

 

「弥勒さんの目が開いてる!」

 

「っ! 医者、呼んでくる」

 

 雀の歓喜にいち早く反応したしずくが医者を呼びに走り、遅れて防人達が私と雀と同じようにガラス窓に貼り付くようにして集中治療室の内部に注目する。

 長時間の眠っていた直後でまだ意識が完全に定まってはいないのだろうが、間違いなく目を覚ましている弥勒の姿に誰もが喜びの声を放つ。

 

 弥勒が回復した、犠牲にならなかった。その喜びによる感情の奔流が私の思考を全て押し流し、安堵の息がとめどなく溢れてくる。

 

「医者、呼んできた。すぐ来るって言ってた」

 

 軽い足音の駆け足で戻ってきたしずくの言った通り、医者や看護士もすぐに駆け付けてきて集中治療室へと慌わただしく入っていく。

 

「解っていても無事に目を覚ましてくれると安心感はひとしおですね」

 

「! 典膳、起きてたの?」

 

 安堵に浸りながらガラス越しに弥勒の様子や医療機器の確認をしている医師を達を見守っていると、背後からの聞き慣れた声。振り返ると、靴を履き直している典膳の姿が目に映る。

 

「寝てましたよ。寝ながら見落としていた事に気付いたので起きました」

 

「見落とし?」

 

「……この事は僕が確認しておきますので、メヴキはパイセンの回復を喜んでいて欲しいですね」

 

 ほんの一瞬、言葉を探すように沈黙した典膳が微妙に疲れの抜け切らない笑みで私と視線を交わらせる。

 数分程度の仮眠だけでは疲労は全然癒えてないのだろう。そんな体調のままでいったい何を確認しにいくのだろうか。

 

「メブー! 治療室に入って弥勒さんとお話しても良いってお医者さんが言ってたよ!」

 

 睡眠を欠いてでも急ぐほどの大事な事なのか、もう少しくらい仮眠した方がいいのではないか。そう言う前に雀が病院という場にはそぐわない程度には大きな声で私を呼ぶ。

 

「ほら、パイセンの所に行ってあげてください。僕はもう行きますね」

 

「そう、気を付けなさいよ。睡眠不足での注意散漫で事故だなんて笑い話にもなりはしないわよ」

 

 弥勒が眼を覚まして亜耶達も戻ってくる、それなのに典膳がうっかり事故にあってしまってはせっかくの犠牲ゼロが台無しだと言うと、典膳はほんの一瞬だけぎこちない笑みを浮かべる。そして、犠牲は少なければ少ないほど良いと同意の言葉を私に返しつつ、集中治療室からの喜びの声が漏れ聴こえてくるこの場から足早に去っていく。

 

 弥勒が眼を覚まし、亜耶も無事に戻ってきた。

 

 そして、その後仮面の神官から()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と聞かされ、典膳が確認を急いでいた事はこれだったのではと直感した。

 

 




 
 
 
 
 
 
 
C級お嬢様『アルフレッド』

イケメン有能執事Aさん『紅茶ですね、用意は整っております』

C級『アルフレッド』

Aさん『えぇ、お嬢様好みのお茶菓子も勿論用意しております』

C級『アルフレッド』

Aさん『はい、お嬢様がお望みならば僭越ながら同席し、ティータイムの間はただの友として話相手になりましょう』

C級『……アルフレッド』

Aさん『おや、何か不満かな?』

C級『まさか、貴方に不満はなくってよ。ただ、名前を呼ぶだけでなんでもわかってしまう貴方が少し不思議で』

Aさん『執事をしている時は君の意思に僕の全て捧げているからね』

C級『有能過ぎて逆に恐ろしいですわ』

Aさん『そして、今みたいに執事じゃなくて友として君の傍にいる時は君の幸福に全てを捧げてるのさ』

C級『まるで夢みたいに都合の良い有能さですわね』

Aさん『そう、これは夢なのさ』

C級『え?』

Aさん『君の本当の友と幸福はこんな夢の中には無い。体は癒えた、目覚めの時だよ』

C級『アルフレッド、何を言って──はっ!? そういえば任務はどうなりましたの!? 他の皆さんは無事なんですの!!?』

Aさん『現実では君が一番重傷だったのにまず仲間の心配なんだね、そういうところが愛おしいよ。それじゃ、さようならだ愛しい夕海子。君の幸福を夢の中から祈っているよ』

C級『────!』

C級「…………?」

C級(なんでしょうね、九割九分忘れてしまったけどなんかめっちゃ良い夢見てた気がしますわ~)


アルフレッドなんて都合の良いイケメン有能執事なんて現実にはいない。現実は非常なのだ。
弥勒夕海子は没落貴族である、略して"みゆぼ"はこれにて完結。



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毒の章
幸福ふたつ


 

 心停止、無呼吸、低体重、小さく未発達な両腕の麻痺。そんな状態で僕は信心深い両親のもとに産まれたらしい。

 辛うじて生きている、でも、次の瞬間にはもう死んでいるかもわからない。多くの人が最善を尽くし、それでも母の胸に抱かれて母乳を飲めるようになれるかわからない、初めて母に抱かれるのは死んだ後の話になるかもしれないし、そう誰もが想像していたほどに僕は死の淵にいたと聞いている。

 

 奇跡が起きたらしい。

 神の御業という奇跡だ。

 

 ほとんど生きていない、辛うじて死んでないだけだった赤子。それなのに、翌日の日の出頃には元気に泣きながら細く小さな両腕を振り回していたらしい。

 

──その身に少しだけ、宿されてます。

 

 当時の巫女が僕の事をそう言ったらしい。薬師氏の家が代々管理する神社の祭神の極々一部が僕に宿り、それが僕を生かしたとされている。

 なぜ僕に宿ったのか、僕を生かしてどうしたいのか、誰もが何もわからないけど僕は神の御業で生かされた。

 

 神ではない、神の宿った依童(よりわら)

 人ではない、人の外が混ざった神童(しんどう)

 

 この命は神秘の産物。そのせいか、僕には只人には認知できない存在を認識することができた。

 この身も神秘の産物。そのせいか、僕の周りには僕を通して神への信仰を示す人ばかりだった。

 

 僕に極々一部を宿した神の名はスクナビコナ、薬の神。その影響か、僕は前提となる知識を得た上で知りたいと求めたのならば、連なる紐を引き寄せるように薬の知識を思い出し続けた。

 動かないはずの僕の腕が動くのは薬の神が代わりの物を貸し与えてくれたから。その影響か、僕の手はスクナビコナが得意とする調薬や禁厭において微かな狂いも無く正確に動く。そして、その手先の器用さはそれ以外の事にも遜色無く発揮する事ができる。

 

 僕は神ではない。だからなのか、神々やそれ以外の何かを認識する事はできても齟齬の無い十全な意思の疎通をする事はできなかった。でも、それらはいつも僕を見守っていてくれた。特に、僕に多くを貸し与えてくれている神様は僕の瞳を通して世界を見て、僕のみならず僕の周りにある人の営みを見守ってくれている。

 僕は人ではない。だからなのか、友達はずっといなかった。誰もが僕に遠慮した。大人も、老人も、年の近い子供も、皆が僕に気を使い続けた。両親でさえも、自らの信仰や神職としての立場と親子という関係の複雑さで悩み続けている様子だった。

 

 神々に囲まれながらも神に非ず、人の中に在りながらも人の外。何処かに僕と同じ場所に在ってくれる誰かや何かがいないだろうかと薄い期待のまま歩き回る毎日だった。

 探しはしていたけれど、幼心に人とも神とも言えない僕は全てから外れたままに生き続け、いずれ死んでこの身に借り受けてる神の一部を返すだけの生涯を送るのだろうかという虚無にも似た気持ちを常に抱えていた。

 

 そうはならなかった。

 

 楠芽吹。僕の最初の友達で今も交友が続く幼馴染。

 彼女との出会いは鮮烈で衝撃的で痛かった。

 

 当時、老朽化の進んだ薬師神社の修繕に訪れた職人の仕事を僕の瞳を通して見た神が喜び、ただの技術それだけで神を喜ばせてみせたその人に僕が興味を持って探しに行ってみたのが出会いのきっかけだ。

 

──ひとりできたの?

 

──うん

 

──どうして?

 

──うん

 

──……あなた、おなまえは?

 

──うん

 

 最初は職人が庭で勤しむ作業を見学している時に現れては何かどうでもいい事を聞いてくる女の子がいるなというだけの認識だった。

 当時、僕は近所に住む老若男女誰にも僕が外れた存在だと認識されて外れた扱いをされているのを自覚していて、僕がどんな存在か知らない遠くからの来訪者なども知ってしまえばすぐに外れた存在として接してきた。

 だから、僕に対して普通に接していたその女の子もすぐに僕を外れた存在として遠慮と気遣いしかない扱いをするようになるのだろうと決め付けて、興味の対象である大工仕事の見学を優先しておざなりな反応しかしなかった。

 

 僕のその決め付けはまったくもって的外れで、当時の僕が名前を知ろうともしなかったその女の子は特別だった。

 

──いいかげん「うん」しか言わないのはやめなさいよ

 

──うん

 

──もうおこったわ

 

 その人の元に足を運んだのが五度目の頃、熱にも似た頬への痛み。

 きっと、僕はこの日の衝撃を生涯忘れる事はないだろう。

 

──ふぎぃぃ!?

 

──ふん、「うん」のほかにも「ふぎぃ」とは言えるのね

 

 その人の元へ行けば必ず現れて何かを話しかけてくる女の子。その程度の認識しかしていなかったし、他の誰とも同じように離れていくのだろうと思っていた女の子がその日も現れ、幾らか話しかけてきた後に僕の頬をこれでもかとつねって捻る。

 故意に誰かから痛みを与えられる。それまでそんな経験は皆無だった僕にとって肉体的な痛みがどうでもよくなるほどに心に衝撃を与えてくれた。

 

──なにを言っても顔もみないで「うん」しか言わない、そんなのムシといっしょよ。ムシはわるいことなのよ。

 

──ほっぺいたい……その程度のことは知ってますので

 

──しってて悪いことするのはもっと悪いことだわ!

 

──ふぎぃ~……!

 

 無遠慮に、対等に、真っ直ぐに。当たり前の事のように僕を叱り付けて鼻息を強くする女の子。

 神々のように上から見守るのではなく、何処か遠くから見るのでも何かの隔たり越しに見る他人でもない、目線を同じくしてくれる相手は不機嫌な顔でそこに現れて怒りの心を僕に向けてくれていた。

 

──しんどーっていうのは大事にされるべきらしいけど、大事にされてても悪いことは悪いことよ!

 

──! ……ぼくが()()って知っててそう在ってくれるのですか?

 

──わたしにはあなたがほかの人となにが違うのかぜんぜんわからないわ、痛くて泣きそうになってるふつうの子供じゃない

 

 たしかに痛くて泣きそうになってた。でも、それ以上に泣きたくなるほど嬉しい出逢いだった。

 女の子は周りの大人から僕がどんな存在かを聞かされて知っていた。それなのに、女の子は僕をただ対等な子供として扱ってくれた。

 

──ぼくは典膳、君の名前を教えて欲しいので

 

──わ、きゅうにニコニコしだした。へんなの

 

 無知だからではない、誰かにそうしろと指示されたからでもない、他に何か目的があってそうした訳でもない。理由の無い対等。当時の僕はその初めての対等に心が震え、そう在ってくれる女の子の事が知りたくて堪らなくなった。

 

──わたしはめぶき

 

──め()き!

 

──め()き、よ。なんかへんだわ

 

 この時、僕はずっと心に感じていた虚無にも似た気持ちを感じていなかった。この虚無にも似た気持ちは“寂しさ”だったのだと気付いたのはこの瞬間だった。

 僕は物心ついた時からずっと寂しかったらしく、芽吹はその寂しさを消し飛ばしてくれた。

 

 神々の庇護によってようやく日常の全てが成り立つこの世界で、誰もが神々に深い感謝と信仰を抱きなから生きるこの世界で、神々と深い縁で繋がりながら産まれた存在がただ対等に接してくれる友を得る事がどれだけの奇跡か。友であってくれる芽吹への感謝は尽きる事無いだろう。

 

 この日から僕の人生は幸福ばかりが続いていった。

 

──ネコさん、かわいそう……

 

──すごい、もうこんなに元気に!

 

──ありがとうございます、てんぜんさん!

 

──え、年上? じゃあ、てんぜんおにいさんですね

 

 

 偶然と言えばそれまで、僕が何かと知る前の出逢い方によって動物のお医者さんという印象が強かっただけなのかもしれない。

 だとしても、神に与えられた才をふるっただけの僕を頼れるお兄さんとして慕ってくれる亜耶という妹分に恵まれる事もできた。

 

 兄や姉、もしくは弟や妹がいたら最初から虚無に似た寂しさなんて無かったのだろうかだなんてもしもを考えていた事もあったが、僕という息子を育てる心労だけで頭皮が日々侘しくなっていく父の姿に生涯一人っ子なのだろうとぼんやりと諦めていた僕にとってこの出逢いは心踊るものだった。

 似合ってないと自覚はしつつも、たまに亜耶と会う機会があれば背伸びしてついついお兄さんぶってしまう事もあった。

 でも、そうする事で亜耶に喜ばれると僕にも喜びの気持ちが沸き上がって幸福な気持ちになれた。

 

 幸福で幸福で、とにかく幸福だった。

 齢五つの頃に芽吹という特別な友を得て、次の年には亜耶という妹分に出逢い、気付けば物心がついた頃からずっと感じていた虚無感なんて忘れてしまっていた。

 

 この幸福のおかげで、僕は日々近付いてくる喪失も乗り越えられるという自信を持つことができた。

 

 七つまでは神のうち。簡単に説明するならば人の子という存在は齢七つになるまでは神に近い存在という意味だ。

 裏を返せば齢七つになってしまえば神から遠ざかって正しく人となるという事でもある。

 

 僕は神童だ。でも、神ではない。

 人と人の間に産まれ、神の欠片が混ざった体を持つだけの存在だ。

 齢七つになって神から離れるのは僕も同じで、僕は神童としてのほぼ全てを喪失する事になる。それを僕は誰に教えられるでもなく漠然と理解していた。

 

 神から離れて人に近付く事になる。それならばきっと、父も、母も、他の誰かも、今までよりは僕を一人の人として接してくれるかもしれない。

 と、淡い期待を抱いたりはしたがそんな事は特に無かった。

 

 僕以外の誰も、僕が神童の終わりを迎えた事を理解しなかった。

 僕以外の誰にとっても、僕は神から離れても只の人になることはあり得ない事だった。

 僕が神から離れても、僕の中に神の欠片が在り続ける限り、誰にとっても僕は神への信仰を示す道標にしかならなかった。

 

 変わった事と言えばそれまで見えていた神々やそれに類する存在が見えなくなった事と、求めれば求めた分だけ無尽蔵に手に入り続けた薬学の知識が求めても手に入らなくなり、新たな知識を得るためには幾百の勉強と幾千の研究をしなければならなくなったという事だ。

 ほんの少し、神との繋がりが遠ざかれば僕は神性にたずさわる者としても薬学者としても無才だったらしい。きっと、僕が神童としてではなく普通に人の子供として普通に育つ事ができていたのならばただの非力なチビだったという事がよくわかる。

 齢七つになる前と変わらない部分として僕の薬には加護が含まれるという事があるが、そんなものは感じる事ができなくなっても僕の中に在り続けている神の欠片の影響だ、僕自身の才ではない。

 

 才を失い、僕という存在を見守ってくれている神々を認識する視界を失う。僕の認識していた世界は急激に狭くなったけども、決して虚無ではなかった。

 芽吹。

 亜耶。

 世界が狭くなったからこそ彼女達の存在が際立ち、僕の生きる日常を幸福で彩り続けた。

 

 狭くとも幸福な世界。この頃からの数年間、僕はそれが楽しくて仕方なくて、自分がどんな存在で何をすべく産まれたのか、なぜ薬の神に才を与えられていたのかも考えもせずに遊び呆けてばかりだった。

 

 

 齢十二、僕はさらなる幸福を得る。

 

 

 ここから先は、特別ではあったけれどもどうしようもなく無能で愚かな僕の、惨めで滑稽な過去の記憶だ。

 



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出会いみっつ

 

 神樹館小学校、その保健室。そこに呼び出された僕は同じ年頃の女の子三人と対面していた。

 

「呼び出されてここに来るまでに色々と状況を説明されましたが、確認のために君からも直接お話を聞かせて貰いますので」

 

「あ、はい」

 

 三人の内の一人、肩まで伸びた淡いセピア色の髪を後頭部で一纏めにした女の子へと問い掛ける。

 

「バーテックスが分泌した液体をお腹いっぱい飲みました?」

 

「…………」

 

「…………」

 

 女の子の快活な雰囲気に反した答えに困ったような沈黙。対して、僕は視線で正直に答えるように促す。

 

「えぇと」

 

「飲みました?」

 

「……はい」

 

 飲んだか、飲んでないか。僕のこの単純な質問に対する答えは同じく単純な飲んだ、飲んでないでしかあり得ない。誤魔化すような雰囲気を見せたセピア色の女の子に重ねて質問をすれば、僕の求めていた単純な答えがやや躊躇いがちに返された。

 

「……飲みましたかぁ」

 

「…………やっぱり、マズかったっすかね? でも、あの状況じゃあれ以外に方法が──」

 

 セピア色の女の子の快活な叱られてる子犬のような雰囲気に、肩身をすぼめる仕草から緊張や不安を感じている事が解りやすい。それは、今のこの診察の場においては少しだけよろしくない状態だろう。

 どうにかしてリラックスを促し、自然な状態に近付いて貰えないかと思考を巡らせる。

 

「美味しかったですか?」

 

 思考した結果、少し問診を脱線させてみる事にした。

 

「──無かった……え? 不味かったっすね、最初はサイダーで後からウーロン茶に変わる不思議な不味さでした」

 

「なるほどなるほど、興味深いですね」

 

 味覚というのは動物が生きる上で必要な栄養を効率よく摂取するためや害のある食べ物を区別するために発達したものとされている。その味覚が天の神性から分泌された液体を不味いと感じ取ったのは、地の神性の加護を強く授かる勇者としてはある意味で正常な反応なのかもしれない。

 これについて深く研究してみたいと好奇心が沸きかけるものの、天の神性の分泌液を入手する方法なんて無いので泣く泣く好奇心に蓋をして診察に集中し直す。

 

「あの、三ノ輪さんは大丈夫なんですか?」

 

 ここからどう話題を転がしてみようか、今しがた脳裏によぎった味覚の話題で蘊蓄でも垂れ流してみようかと思考していると、診察に同席して貰っていた夜色の髪の女の子が心配そうに僕へと問い掛けてきた。

 

「それをこれから始める診察で判断しますので」

 

「これから? 今の問診は」

 

「問診というよりは好奇心故の質問ですので」

 

「えぇ……」

 

「あの微妙な沈黙にちょっとだけドキドキしたのに好奇心かーい」

 

「クイズ番組の正解発表みたいなドキドキ感だったんよ」

 

 夜色の女の子の問い掛けに答えていると、セピア色の女の子がすぼめていた肩を落として浅く息を吐く。そして夜色の女の子とは別に同席していた麦色の髪をした女の子が面白そうに口を開いた。

 どうやら、僕がどうこうする前に上手い事空気がゆるくなり、診察相手であるセピア色の女の子の緊張もほぐれたらしい。

 

「言い感じに緊張も弛んだみたいなので診察を始めます」

 

「一応は意味があったお喋りなのかしら?」

 

「リラックスは大事ですので」

 

「いやまぁ、たしかになんか気は抜けたっすけど」

 

 夜色の女の子が小さく首を傾け、僕が意識して微笑みを強めればセピア色の女の子が更に緊張を弛めた雰囲気で頬を指先で掻く。この二人は今の些細な仕草の自然さからしてそれなりに緊張を抜く事ができているらしい。

 麦色の女の子は対面してから緊張の変移が見えないからよく解らない。最初から緊張していないのか、それとも自然体を繕うのが上手いのか、どちらの状態であっても特に驚きは無い。事前に渡された資料で断片的に知った彼女は、家柄的にも課されている役目的にも肝が据わってても据わったフリが上手くても不思議ではないからだ。

 

「あ、そういえば僕に対して丁寧語はいらないですよ、僕は別に偉い人間でもなんでもないただの薬師兼霊的医療師なだけで貴女達と同い年ですので」

 

 これから行う診察のためには自然体に近ければ近いほどやり易いので、緊張が抜けてきたついでに少しだけ硬い話し方も弛める事はできないだろうかと試みる。

 

「同い年……年下かと思ってた」

 

「肩書きがなんか凄そうなんですけど」

 

 夜色の女の子にはまだ硬さを感じるが、試みに対して素直に言葉遣いから硬さを抜いてくれたセピア色の女の子。僕が年下に見えていたのは身長差がそう見せていたのかもしれない。

 それはさておき、年下だと思っていた僕に丁寧な言葉遣いを心掛けていたのは初対面の相手への礼儀に気を付けていたからなのだろうか、それとも今も保健室の隅に待機している付き添いの霊的医療班の大人に僕が丁寧に扱われていたのを見てそれに合わせていたからなのだろうか。どちらにせよ普段からの行儀の良さがなんとなく察せられる。

 

「よくわからないけど霊的医療師って響きが凄そうだもんな」

 

「ファンタジーでカッコいい響きだね」

 

「特殊で不思議な技能を持つ人だというのはおおまかに理解できますね」

 

 ただ、やはり解らないのは、今もゆるやかに微笑み続けている麦色の女の子が最初からあるがままな自然体にしか見えず、そのある意味では超然的な姿が彼女のありのままなのか、そう見えるように振る舞っていらからなのかだ。

 もしかしたら、大赦の紹介とはいえ子供でありながら医者じみた行為をしている僕の事を警戒とまではいかずとも訝しみ、何かを疑う事をしなさそうな印象な二人の代わりに敢えて一歩引いた状態になるようにして冷静に状況を見ようとしているのだろうか。ゆるやかな雰囲気ではあるが実は切れ者だという噂を聞いた事もあるし、そういう事も有り得なくはないかもしれない。

 もしも本当にそうだとしたら、完全に僕を信用しきるよりも自分の意思で異議を唱えたり不明だと感じた事をすぐに質問してくれるだろうし、そういう意識をもってくれている存在というのは互いの認識のズレを失くす上でありがたい存在になってくれるだろう。

 

「まぁ、僕のこの肩書きなんて飾りですので。それに、凄さで言えば勇者の方が凄いので」

 

 実際に僕の薬師だの霊的医療班だのという肩書きはほとんど飾りみたいなもので、普段の僕は大赦の老人達や巫女達の健康に関する相談を受けてるだけの子供でしかない。その相談で調子を好転させる人がほぼ十割なのは事実だけど、これに関しては僕自身が凄いのではなくて僕に宿る神の欠片によって得た知識と加護が凄いというだけで、僕自身はその神の欠片が収まっている器だとういだけだ。僕そのものが肩書きに釣り合っているわけではない。

 

「勇者というのはこの四国の命運を左右する特別な人の肩書きですので、凄さも特別さもとんでもないですね。……さて、まずはでこれをどうぞ、開けてみてください」

 

 言いながら持参した行李箱から和紙を折り畳んで作った手の平ほどの包みを取り出し、それをそのままセピア色の女の子へと手渡す。そして、差し出されたからなんとなく受け取ってみたというのが雰囲気でわかるセピア色の女の子が包みから中身を取り出して

 

「なんだこれ?」

 

「紙で作った人形に見えるけど……」

 

 セピア色の女の子が自らの手の平に載ったそれを見ながら首を傾げ、横からそれを覗き込んだ夜色の女の子も同じように首を傾ける。

 

「あ、私同じのを厄払いで使うのに見たことあるんよ。このお人形さんに悪いモノを預けてよっこいしょって遠いところに運んで貰うんだって」

 

 似た仕草をする二人を見て微笑みを深めた麦色の女の子が間違っていない説明を口にする。一目見ただけでは何も考えてなさそうなふんわりとした雰囲気ではあるが、それなりに物知りだという事が伺える

 

「その通りですね。でも、今回の使い方はちょっとちがいます、これに状態を写して確認してみますので、それをおでこにくっつけて下さい」

 

「へー、これをおでこに。これでいいのか?」

 

「いいですね、そんな感じです」

 

「ふむふむ、レントゲン写真みたいな使い方って事なのかな?」

 

 特に何かを疑う様子も無く額に紙人形を当てるセピア色の女の子。それを横目に見た麦色の女の子が簡単な質問を僕へと向ける。

 どうやら、他二人の代わりに質問をして認識を擦り合わせるように努めてくれるかもしれないという先程の予想と期待は外れていないようだ。

 

「賢いですね、まさにそれです。要点を押さえるのとわかりやすく例えるのがお上手ですね」

 

「えへへ、褒められちゃった」

 

「どんぐらいつけてればいいんだ?」

 

 微笑みから嬉しそうなはにかみに変わる麦色の女の子をそのままに、額に紙人形を当てた変な姿を晒すセピア色の女の子が問い掛けてくる。

 

「もういいですよ、ぶっちゃけおでこにつけなくても素肌で触った時点でほぼ完了です」

 

 たった今セピア色の女の子にさせた事というのは実は儀式もなにも無い簡易的なまじないのような診察方法で、理科の実験に例えるならばリトマス試験紙で酸性やアルカリ性を確かめる程度の単純なものだ。

 この検査において紙人形がリトマス試験紙の役割をしているのだが、女の子に何か大きな霊的異常が発生しているのならばこの紙人形に目で見て解る変化が起きるようになっている。つまり、検査対象のセピア色の女の子が最初これに触れて何も変化が無かった時点で大きな異常は無いという確認は終わっていたのだ。

 

「おでこの意味は?」

 

「おでこに変なのをつけてる変な姿が見たかっただけですので」

 

「えぇ……」

 

「似合っててカッコよかったんよ」

 

 それっぽい事をさせて実は何も意味の無い事だった。そんな肩透かしで更に気を抜いて貰えないかという試みだったが、気の抜けた曖昧な表情で肩を落とした姿からしてそこそこ程度には効果があったらしい。

 

「そんな訳で、用済みになったそれを回収しますね」

 

 燃えるゴミに出しても処分できそうな物ではあるけれども、おまじないや儀式に使う特殊な物なのでしかるべき処分の方法がある。と、説明すれば特に疑問を感じたような素振りを見せずに僕へと紙人形を差し出すセピア色の女の子。僕はそれを自分の肌で触れないように新たな和紙を手の平に載せ、その上に置いて貰うようにして紙人形を回収する。

 紙人形。形代と呼ばれるこれは麦色の女の子が言ったように厄払いなどに使う物で、人からこの形代へと厄や穢れを移して身を清く軽くするための物だ。そして、霊的医療ではこの厄や穢れが移る特性を利用して対象が厄や穢れを溜め込んでないか、つまりは良くない状態になってないかを検査するのに使ったりもする。

 

 普通の霊的医療師ではそれだけの物だ。しかし、僕にはもう少し特殊な事がこの形代で行う事ができる。

 

「むむ……おやおや、これは……少しの間集中しますね」

 

 さも、たった今何かに気づいたかのように手の平に載る形代へと顔を向けるようにしつつも視線は形代から逸らす。そして、そのまま何かを確認するために集中している演技をしながら呼吸を止めた。

 

 僕は七つになった日に霊的な何かを見たり聞いたりする事ができなくなった。しかし、それでも僕は神の欠片を宿す神童で、何も感じることのできなくなった今でも神の欠片は僕の瞳を通して僕の周囲を見守り続けている。

 これから行うのはそんな状態を利用した裏技、何も見えない僕が見えない何かがそこにあるかどうかだけを確認するための方法だ。

 

 無呼吸、酸素の遮断。それでも続く生命活動による体内の一酸化炭素の増加。端的に言うなれば、窒息。そして、それによって陥る意識消失の寸前に陥るトランス状態。この自我が遠退く瞬間、僕は擬似的に齢七つの頃よりも無垢で薄弱な思考を手に入れる。

 

 この一瞬、僕の瞳は神の欠片が見ている物へと、霊的な存在はそこにあるが形は何もない場所へと視線が誘導される。

 

「……ぷはぁ…………」

 

 限界を越えないために肉体が反射的に呼吸を再開する。

 遠退いていた意識が明瞭に復帰する中で自分の視線が何処に向かっていたのかを確認。

 

「うわっ、なんか急に顔色青いし呼吸荒いぞ。大丈夫か?」

 

「霊的な特殊スキルの反動ですね、深呼吸すれば落ち着きますので気にしないで下さい」

 

 トランス状態の直前と同じく、僕の視線は形代に向けているようで何もない空間に向かっていた。つまり、簡易的な検査では調べきれず、優れた霊的な感覚が無ければ察知できないような細かい異常もセピア色の女の子の状態を写したこの形代に写されて無かったという事だ。

 

「特殊スキル……ファンタジー味が増してきたな。いや、本当に大丈夫なのか?」

 

「もちろんですので」

 

 意図的な窒息によって蒼白になってしまった顔色を心配されながらも呼吸を整える。

 

「さて、それじゃあちょっとだけ難しい話をしましょう」

 

「え、難しい話? なんか特殊なスキルを使う必要があったみたいだし、やっぱり何か悪かったのか……?」

 

 呼吸が平常に戻りきり、支障無く診察を続けられる状態に復帰できたと同時に再度行李箱に手を入れる。そんな僕の言葉にセピア色の女の子が僕の言葉に僅かばかり驚き、そのまま少しだけ不安そうな表情へと変えた。

 

「タヌキです」

 

 言いながら、僕が行李箱から取り出して机の上に置いたのは手乗りサイズな狸の置物。

 

「さんたたにたんたうたたどんたのとたっぴたんぐたたたはなにたがたすたきたですか?」

 

「はぁ?」

 

「? ……???」

 

 不安の顔から呆けた顔へとまた表情を変えるセピア色の女の子。夜色の女の子もまた、真面目な顔から思考の混乱が容易く察する事のできる愉快で不思議な表情へ。表情豊かな二人の様が面白い。

 それはそれとして、状況の変え方が突飛過ぎてついてこれなかったらしく、話を進めるためには早々なネタばらしが必要なようだ。

 診察の一部として急な状況の変化に対する反応を見るためにやった事なのだが、スベったギャグを説明させられるような状況に似ている気がしてそこはかとなく虚しい気持ちが沸き上がってくる。

 

「えへへ、えっとね。きたたつねたがたさいきたんたたたのまたいたぶーたむたなんよ」

 

 僕の内心と同じく虚しい沈黙が満ちた一瞬後、少しだけ間延びした麦色の女の子のネタに対してノリノリな発言が楽しげに沈黙を塗り潰す。

 一歩引いた立ち位置に身を置いていると予想していた相手がここで踏み込んでくるのは予想外だったので軽く驚いてしまったが、せっかくネタに対してノッてくれたのだから勢いのままにもう少しだけネタの応酬を試みる。

 

「いいたたですたね、ぼたくたはたやたまたもたりたのたわたかためたがたすたきたですた」

 

「たたほんたたとはたたほかたたにもたたすたきたなたのたがたたたあるけたたたどおきたたたものたにたあたわたせたてたたきつたたねってたこたとたにしたたてたるんよた」

 

「なたたんと! うたわたさのたごたたたれいたじょたうたはうたわたさどたたおたたりたにふたんたいきをたたたうたらたぎたるたおりたこたたたうたさんたですねた」

 

「たてれたるんたよた」

 

 会話が一区切りし、呼吸一つに満たない沈黙。

 ネタの応酬のまま視線が交わっていた僕と麦色の女の子がどちらともなく小さく噴き出して笑い合う。

 

「たたたたたたたたたた」

「たたたたたたたたたた」

 

「二人が壊れた……!」

 

「いや、ちょっと待ってくれ鷲尾さん。二人はなんか会話が成立してるっぽいぞ」

 

 驚きと困惑の入り交じる夜色の女の子がこの状況に対して何をどうすればいいのかまるで解らない様子を晒す横で、セピア色の女の子が顎に手を当てながら考え込む。

 

「ふふふ、ヒントはこの狸さんなんよ」

 

 麦色の女の子による助け船。

 一瞬の沈黙。

 

「あ~……()抜きかぁ」

 

「え、狸? つまり……?」

 

「『た』を抜いてお話しましょうって暗号だよ」

 

「その通り、ちょっとした頭の体操ですね」

 

 狸とはたぬき。つまり、()抜き。ネタをばらしてしまえばそんな子供騙しな言葉遊び。しかし、事前に説明なくいきなりこれを始めてみるとこんな簡単な事なのになかなか理解が追い付かなくなる人もそれなりにいたりする。

 狸の置物と発言の中で不自然に多い『た』で即座に気付いてネタに気付き、()というネタに()で返して見せた麦色の女の子。最初は状況の変化に追い付かず混乱しかけたが、会話の成立に気付いて後は()()()という単純な事に気付くだけになっていたセピア色の女の子。終始訳が解らないと言わんばかりの表情をしていた夜色の女の子。これだけで全てを計れるとは欠片も思ってはいないが、思考の柔軟さは概ねこの順番なのかもしれない。

 

「ちょっと考えたらわかったけど、それでも乃木さんの順応のはやさと一瞬で相手の言葉から『た』を抜き合うのはスゴいな」

 

「やってみたら案外簡単にできるものですので」

 

「いやいや、内容はちょっとした頭の体操だとしてもそれで普通に会話できるのはレベル高いって」

 

「それはまぁ、これでもエリートですので」

 

「凄いんだけど、凄さを無駄遣いしてる気がするわ」

 

 セピア色の女の子の呆れとも感心とも言えるような吐息を吐きながらな言葉に答えれば、まだ色濃く困惑を残したままな夜色の女の子が呆れの色も強い反応。それを軽く聞き流しながら回収したまましまいそびれていた紙人形を丁重に和紙で包み治して行李箱へと納める。

 診察のための問診及びコミュニケーション、道具を使った検査とその道具の回収、これで今回の診察の七割は終了。残り三割も滞りなく済ませるために一度姿勢を正して三人へと向き直る。

 僕が向き直った事で何かを感じ取ったのか、セピア色の女の子と夜色の女の子も合わせて姿勢を正すのが目に写った。

 

「さて、自己紹介が遅れましたね。僕は薬師氏典膳、この通りスーパーエリートをやってます」

 

 済ませなければならない残り三割の内の一割、自己紹介。

 本来ならばまずは最初にするべき事ではあるけれども、今回は型に嵌まった効率的な言動をするよりも相手の予想を裏切り続けてその反応も見たかったので行うのが今になってしまった事だ。

 

「これはこれはご丁寧に、私は三ノ輪(みのわ)(ぎん)。ほら、二人も」

 

 僕の唐突な自己紹介に対して真っ先に反応したのは診察対象であるセピア色の女の子。かしこまりつつもフレンドリーな雰囲気を崩さずに名乗り、他の二人がそれに続くように促す。

 

「え、あ、はい。鷲尾(わしお)須美(すみ)です。銀と同じく勇者のお役目をしています」

 

 次に続いたのが夜色の女の子。ほんの少しだけ慌てた雰囲気を出したが、直後にこれまでの困惑や呆れの顔とはまるで別な凛とした顔になっていた。

 

乃木(のぎ)園子(そのこ)です~」

 

 最後に麦色の女の子。今に至るまで自己のペースを崩した様子の無かった彼女はこの瞬間も自己のペースを保ったままだった。

 

「銀さんと須美さんと園子さんですね、よろしくですので」

 

 三ノ輪銀、鷲尾須美、乃木園子。この四国を守る三人の勇者。

 事前に渡されていた資料で僕だけが一方的に名前も顔も知っていたが、こうやって互いに名乗り合うまでは名前を呼ばなかったのはなんとなくそれが礼儀に反する気がして躊躇われたからだ。

 

「では、診察の結果を発表したいと思います」

 

「話題があっちこっちに飛ぶわね」

 

「ドゥルルルルルルル」

 

「口でドラムロール……クイズ番組のノリで診察されるのは初めてだな」

 

「ドキドキワクワクするんよ」

 

「の、前に。須美さんと園子さんから見てこの問診の間、銀さんになにか違和感を感じたりしましたか?」

 

 クイズ番組のノリと言われたからという訳ではないが、結果をじらすように話題を変えて第三者である二人に話を振る。それに対して、二人は特に違和感を覚えた様子もなく言葉を返してくれた。

 

「う~ん? 特に変な感じはしなかったかなぁ」

 

「いつも教室で見るような元気な三ノ輪さんのように思えましたけど」

 

「はい。実はこの質問までが診察でした」

 

「あー、つまり?」

 

 二人の返事に頷けば特に大きな反応を見せる事なく説明を求めてきた銀。多少なりとも困惑や驚きの反応をされると予想していたが、これまでのコミュニケーションの間に色々と慣れてしまったのかもしれない。

 

「僕は普段の銀さんを知らないですからね、肉体面と精神面の両方を見るためには普段の銀さんを知る人の意見も参考にしたかった訳ですので」

 

 済ませなければならない残り三割の内のもう一割。それは、診察相手の普段の様子を知る第三者から情報を得る事。

 今回の診察相手である銀が僕の診察を受ける理由として、バーテックスという神性の怪物が分泌した安全確認の難しい液体を経口接種してしまったので肉体と精神の両方の面で検査をするためという物がある。

 肉体の面では先ほどの紙人形で霊的な検査をしたが、普段の銀を知らない僕では精神の面での異変を見付けるのは困難なので普段の銀を知る二人に意見を求める方法で簡易的な検査を試みたのだ。

 

「色々な状況に対する銀さんの色々な反応を引き出すためにボケ倒してましたので、そういう理由でも無ければさすがに診察中にボケませんので」

 

 分泌液を接種した前後で明らかな違和感がある。理解の追い付かない状況に対して過度に苛立つ。状況の変化に対して何かしらの反応ができないほどに思考が鈍化している。バーテックスの分泌液が何か霊的な異常を発生させるものだったとして、過去の事例からこういった異常があるかもしれないと推測していたが、現状でこれらは確認できなかったのでひとまずは安心なのかもしれない。

 

「全部計算尽くしのお喋りだったとは、やりおる」

 

「てっきりちょっと変な人かと思ってたわ」

 

 感心するような園子と困惑のような苦笑を見せる須美。そんな二人をそのままに、最後に残った一割を済ませるために再度姿勢を正して相手に不安感を与えないための笑顔も作って銀へと向き直る。

 

「精神、肉体、どちらの面から見ても異常は今のところ発見できず。だけど、数日ほどは周囲の人も銀さんの様子を見て何か些細なものでも異変を感じ取れたらまた診察兼お喋りをしましょう」

 

 最後に済ませるのは診察の所見をわかりやすく相手に伝える事。そして、相手が抱えている疑問や不安を解くこと。そのために、ただ真っ直ぐに銀の顔を見て表情や瞳の動き、些細な仕草から疑問や不安の気配を探す。

 

「数日?」

 

「精神、心というのはとても繊細ですので。今この瞬間が平気でも小さな見逃しがあったとしたらそれが後から何か影響を与え始める事も可能性としては無くはないですので」

 

 銀の表情も瞳も仕草にも不自然な動きは無かったが、抱いた疑問がそのまま口から出たような呟き。それに対し、何故そうなのかという理由を最大限難しい言葉を使わないように答える。

 言い淀まず、自信を持って、聞き取りやすい口調で。

 自分の所見を録に説明できず、自信も持てず、説明が耳に入らない医者を誰が信用できるだろうか。僕は医者と名乗れる存在ではないけれども、それでも医に携わる者として関わる相手を不安にさせない義務がある。何も知らない人がこの場の光景を見たら子供同士の戯れに見えるかも知れないが、それでも僕は本気で診察相手に向き合っているつもりだ。

 これはごっこ遊びなんかではなく、失敗の許されない本物の診察行為なのだ。

 

 やると決めたら本気で。僕はそうやって生きてるつもりだ。

 

「大袈裟じゃないか?」

 

「後から不調になるくらいなら大袈裟の方がよっぽど良いとは思いますので。僕の診察を受けるからには些細な事でも妥協なんてする気はないしさせないのでそのつもりで」

 

「おぉ、あんなに変わり者みたいな雰囲気だったのに真面目に話始めたらギャップのせいか物凄く本気が伝わってくる。……ヨシ、わかった。それなら私も自分から周りの人にしばらくは私に注意してくれって頼んでみるよ」

 

「いいですね、深刻に考えずに気楽に調子をたしかめる感じていれば問題ないはずですよ。そんな訳で、今回の診察は終わりです」

 

 自分の状態に油断無く向き合う。そう言いのけた銀はポジティブな笑みを浮かべていて、疑問を残してる様子でも不安だから注意を払おうとしている様子にも見えない。その様子に、今日この場で僕がやるべき事の全てが済んだと判断、小さく息を吐きながらの肩の力を抜く。

 

「さてさて、スムーズに診察が進んだから時間に余裕がありますね。今後も僕が貴女達の診察に関わる事も有り得ますし、お互いを知るためにもう少しお喋りしたいのですが」

 

 今まで大赦より訓練を課されていた勇者達だが、今回の初陣による診察まで同じく大赦の所属である僕との接点は無かった。しかし、こうして大赦が一般的な霊的医療班ではなく僕の診察を勇者に受けさせたのは、敵の攻撃が不明過ぎるから同じく一般の範疇に収まらない僕を利用したというだけではないはずだ。

 たしかにバーテックスの分泌液を経口摂取しただなんて前列のない難しい事態ではあるが、似た事例として星屑の肉を食べた初代勇者の例もあるし、今回の診察は一般的な霊的医療班でも対応可能なものだ。

 確固たる証拠のない推測ではあるが、大赦は今後も勇者の消耗を最大限回復させるために僕を霊的医療班として勇者の専属にしようとしているのかもしれない。おそらくは、今も部屋の隅で待機している霊的医療班の一人は経験の薄い僕が問題無く診療できるかという事と、勇者達との人間的な相性が悪くないかを見るためにそうしているのではないだろうか。

 

 まぁ、だとしてもそんな事は些事だ。

 僕はどんな時も誰が相手でも薬師として霊的医療班として真摯に診察相手と向き合うだけだ。

 

 僕は傷と病を治療する薬師兼霊的医療班。彼女達は負傷が避けられないであろう戦いに赴く勇者。

 同じ大赦の所属であるし、今後も関わりはあるだろう。その時のために、今できる事を少しでもしておくべきだ。

 

「それじゃあね、えっと……みなに楽しく話しよふ」

 

「え、なんて?」

 

「唐突に古語!?」

 

「それならば、和歌にも詠み合ふや?」

 

「……大和撫子にて負けられず、受けて立たむ!」

 

 お喋りを提案すれば乗り気な園子の斜め上な発言に困惑する二人。斜め上に合わせてみれば須美が鼻息強く食い付いてくる。

 先ほどまでは困惑してばかりな印象の須美だったが、実は結構濃い性格をしているのかもしれない。

 

「……私にもわかる言葉で話してくれよ」

 

「おけまる水産! とりまテンアゲしてきたいんでよろたんウェーイ!」

 

「うぇーい! テンアゲうぇーい!」

 

 困ったような、ほんの少しだけ拗ねたような銀に合わせて古語とは真逆の言葉遣いをしてみればそれにまた園子が合わせてくる。

 もしかしなくとも、園子もかなり濃いのだろう。

 

「だめだ、わかりそうで微妙にわからねぇ! 主に二人のテンションがわからねぇ!」

 

「桶? 天揚げ? ……???」

 

「鷲尾さんが宇宙の不思議に触れてしまったような顔に!?」

 

 バーテックスの分泌液をお腹いっぱい飲みこんだという濃いエピソードを持っているのに、他二人が濃いせいでこのお喋りがお開きになるまでツッコミに回り続ける銀が相対的に普通なキャラになり続けていた。















またしばらく消息を絶つので気が向いたら感想(迷子のお呼び出し)をしてくれたら嬉しくなります
嬉しくなるだけです

そういうことだ
んほぉ


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