魔物王の道 (すー)
しおりを挟む

序章
プロローグ


 ユーザーの五感と脳を仮想現実に接続し、完全なるフルダイブを現実とする夢の機械――ナーヴギア。

 その基礎設計者でもありVRMMORPG対応初となる専用ゲーム、SAO《ソードアート・オンライン》を開発したゲームデザイナーにして量子物理学者――稀代の鬼才、茅場晶彦を俺が尊敬したのは、当然の成り行きだと今でも思っている。

 普段は体験出来ないファンタジー世界を冒険出来るだけでなく、このフルダイブシステムは医療機材への応用でも効果が期待されており、軍事分野での訓練などの利用も検討されている。

 

 仮想現実に関する技術開発が発展途上だった昨今、その技術を著しく発展させた茅場晶彦を崇拝する人間は多い。

 特に俺達子供にとっては神と言っても過言ではない。

 子供だけでなく、その恩恵を受けた全ての人物が茅場晶彦に感謝と尊敬の念を抱いたのだ。

 

 

 

 

 

 ――そう、このデスゲームが始まるまでは。

 

 

 

 

◇◆◇

 

 浮遊城アインクラッド。

 全百層から成るこの世界の虜囚となり、この世界からの解放条件である全層攻略を目標に第一層から戦い続け、長いようでもう一年にも及ぶ。

 今までの人生と比較してもお釣りが来る程の密度と危険さを含んでおり、閃光の様に瞬く間に過ぎていった一年だった事は否定出来ない。

 

 十二月二十三日の二十三時過ぎ。

 クリスマス当日まで一時間を切ったこの時間帯、俺は別にサンタさんを楽しみに待つ子供ではなく、ただ純粋な疲れから、ホームタウンとして利用している第四十八層主街区《リンダース》に存在する宿屋の一室で心安らかな睡眠を満喫していた。

 アインクラッド内で最近話題になっているクリスマス当日に起こる特別クエスト。

 そのフラグMob――つまりクエスト攻略のキーパーソンになるモンスターの討伐を狙っている攻略組にとっては今からが本番というこの夜にさっさと就寝しているのは、同じ攻略組の単独プレイヤーとして如何なものかと思ってしまう。

 

 しかし、俺の年齢はまだ十一歳。

 十三歳以下のプレイを建前的に禁止しているSAOではぶっちゃけルール違反も甚だしい存在の俺だが、とりあえずは十一歳。

 大好きだけど何処か抜けたり頼りなかったりする父ちゃんと姉ちゃんを反面教師に育ったためか精神年齢が早熟してるっぽいが、何度も言うが十一歳だ。

 

 結論から言えば、時間の進みが現実世界とリンクしているこの世界において、今の二十三時という時間は十一歳児にとって何も不思議な事は無い当たり前の就寝時間と言えるだろう。

現実世界では一年以上も眠っている俺が仮想現実でも寝るというのは少し可笑しい気もするけれど、しっかりと眠気もあるんだから仕方がない。

 最近までは最前線である四十九層から数層下の階で発見された隠しダンジョンに三日間もソロで篭っていた俺にとって、久々のふかふかベッドに心身共々ダイブして身を委ねたのを、いったい誰が責められるだろうか。

 いや、別に責める人はいないんだけど。

 

閑話休題

 

 とにかく、この至福の一時(ひととき)を不粋なメッセージ音で叩き起こされた俺が、ついメッセージの送り主であるフレンド登録者の野武士軍団に殺意を抱いてしまうのは、極々自然で当然の事だと思う。

 今度アイツらを嗾(けしか)けてやろうか。

 

「いや、まあ……今から会うんだけどさ、うん」

 

 緊急事態。今すぐ指定地に来てくれというヘルプを無視する事は流石に出来なかった。

 でも状況説明くらいはしても罰は当たらないと思う。

 欠伸を噛み殺しながら右手を真下に一閃、開いたメニューウインドウのアイテムリストから幾つかの装備をオブジェクト化し、装備フィギアに余すこと無く武器と防具を装着した俺は、あったかぬくぬく空間から肌寒い外へと飛び出す。

 

「目的地は……迷いの森? 地図あったかな」

 

 第三十五層に存在するフィールド・ダンジョン。

 各層への移動を可能とする《転移門》は今いた宿屋から近いため、特筆すべき事も何も無く、あっさりと三十五層主街区《ミーシェ》へと導いてくれた。

 白い壁にレンガの赤い屋根が立ち並ぶ農村の広場に着くと同時に吹いた北風が身も心も凍り付かす。

 五分前はベッドで寝ていた事を考えれば考えるほど空しくなってくる。

 

「まったく……今すぐ来てくれだなんて一方的なメッセージを送りやがって! いったい何だってんだよっ!?」

 

 腰に装備した愛剣と、幾つかの小さな四角い箱の感触を確かめている俺の怒声は、天蓋に映し出された都会では決して見られない満天の星空の下、誰もいない広場に空しく響き渡った。

 

 

◇◆◇

 

 

 各層の数字がそのまま層攻略の適正値となるアインクラッドにおいて、この三十五という数字は、現レベルが64である俺にとって死地になりえなかった。

 最前線が四十九層。

 安全マージンの上積みが十という事を考えても、かなりの余裕が俺にはある。

 メッセージ主であり、同じ攻略組であるギルド《風林火山》のリーダー、クラインのレベルは俺より低い数値の筈。

 それなのに何故こんな雑魚しかいない階層で俺の助けが必要なのか。

 その答えに至るまで、大して時間はかからなかった。

 

「ここが特別クエストのステージってこと? ボスは背教者ニコラスだっけ?」

 

 一ヶ月前に流れた情報を思い出しつつ、俺は地図を片手に迷いの森を疾走する。

 召集地点である不思議な木のある場所は以前偶然訪れた際にマーキングしてあるので、そこまで移動するのは苦にならない。

 鍛え上げられた敏捷値の恩恵を得て、周囲の景色が高速で後ろに流れる。

 エンカウントする筈のモンスターは隣を並走する相棒の常識外れた策敵スキルにより出会う前に回避しているから、例え遠回りになろうとも通常よりも断然速かった。

 

「ああー、成る程。そういうことか」

 

 システムに管理されている聴覚が異音を察知する。

 目的地に近付くにつれ聴こえてきたのは、金属と金属がぶつかり合う衝突音。

 この世界で何度も聞いた鋼の音。

 この森に金属武器を使用するモンスターは存在しないし、何よりも目の前に広がっている一対一のデュエル光景が現状を物語っている。

 戦っているのは風林火山のリーダーにして刀使いのクライン。相手は攻略組最大ギルド《聖龍連合》の剣士。

 ここから推測されるのは、

 

「誰だ!?」

 

 隠蔽スキルを完全習得している俺の接近にやっと気が付いた連合の一人が振り返り、その叫びに驚いた面々が一瞬だけ疾走している俺に集中する。

 こちらを見ず、この好機を最大限利用するのはただ一人、クラインだ。

 

「オラぁあああっ!」

 

 繰り出されたカタナ下位ソードスキル《連閃》の初撃目が隙を作った相手の両手剣を下からの振り上げで弾き、続く速攻の二撃目で相手を袈裟懸けに斬り付けるのと、連合の頭上を飛び越えた俺達がクラインの隣に着地したのは、ほぼ同時だった。

 

「クライン! なんとなく察しが付くけど状況説明プリーズ!」

「キリトがニコラスとタイマン張ってる! その間コイツ等をモミの木に近付けるな!」

「くっそ、あいつら! 次から次へとデュエルを挑みやがって!」

「一回こっきりのデュエルで決着を付けるんじゃなかったのかよ!?」

 

 風林火山のメンバーの怒声を聞きながら思考に耽る。

 やはり予測通り、この騒動は希少アイテムを沢山持っているニコラスの討伐を巡るいざこざだった。

 キリトが単身ニコラスに挑んでいるのは予想外。

 けれどキリトの欲しているアイテムがあの中にあるという噂を考えれば、確定ドロップアイテムを確実に得るために一人で戦う気持ちはよく分かる。

 それでも、

 

「一人で大丈夫なん?」

 

 不安が込み上げてくる。

 ボスモンスターに単独で挑むというのは自殺行為に等しい愚行。

 同じ攻略組のソロプレイヤーの実力は承知していても、この世界に絶対の保障は無いのだから。

 眉を顰め、暗い表情を作る俺とは対照的に、それでもクラインは笑ってみせた。

 

「分かんねえっつーの。でもよ、アイツが死ぬって思えっか?」

 

 俺の乱入に戸惑っている連合――ざっと三十人……いや、既に十人程倒しているみたいなので残りの二十人を牽制しつつ発したクラインの言葉に、俺は確信を持って答える。

 

「全然思わない」

 

 攻略組最強の一角。

 黒の剣士の鬼神ぶりを思い返せば、キリトの心配をする必要など何処にも無い。

 キリトの戦闘センスは折り紙付き。全プレイヤーで五指に入るだろう強さを、あの剣士は秘めているのだから。

 ここまで考え、クラインの発言とニヤケ面が与える気持ちの悪い安心感を感じていると、戸惑っていた連合の面々も次第に落ち着きを取り戻したみたいだった。

 

「……その身長に銀狼《シルバー・ヴォルク》。まさか貴様は……っ!?」

 

 俺の姿と、隣で連合達を威嚇している俺の相棒――体長が60cm程の愛玩銀狼のポチを見て、先程のデュエルでクラインに敗北した剣士が忌々しげな視線を向ける。

 舌打ちにも似た呟きは連合達の下に戸惑いと共に伝達し、直ぐに波紋となって広がった。

 

「手助けの報酬、弾んでもらうから」

「それはキリトに言え。ま、沢山アイテムゲットするだろうし、キリトもケチケチしないだろうよ、シュウの字よ」

「了解」

 

 臨戦態勢に入る俺とクラインを見て風林火山側の士気も高まる。

 右手で漆黒のダガー――固有名《黒羽》を逆手に引き抜き、空いた手で反対側の小さな四角い箱――モンスターボックスを全て解放する。

 瞬間、響き渡るのはポンッという間抜けな音と微かな白い煙。

 主である俺の操作により、残りの相棒達総勢四匹がこの場に顕現した。

 

「やはりユニークスキル《魔物王(ロードテイマー)》か!? 何故、魔物王がこんな所にいる!?」

 

 いったい誰の叫びだろうか。

 憎しみを込めた連合の一人の問いに応えず、フードを取って黒髪黒目の素顔を晒した俺は、自分に出来る最大限の不敵な笑みを相手に見せ付ける。

 

「一人ひとりデュエルをするなんてまどろっこしいのはお終いにしよう」

 

 相手を威嚇しながらメイン・ウィンドウを呼び出す。

 慣れた手付きで指を這わせ、目的の物をクリックした途端。

 半径十五メートル以内にいる全てのプレイヤーの目の前に、新たなウィンドウが出現した。

 

「多人数乱闘デュエル。内容は初撃決着モード。この場にいる全員揃って大乱闘だ」

 

 

 

 

 ――ニ〇二三年二十四日午前〇時五分。これが、HP全損が現実の死を意味するデスゲームに住む俺達の現状だ。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一章
第一話 相棒


 平和な日常が終わりを告げ、全てが始まったあの日から、プレイヤーはだいたい五つのグループに分けられた。

 

 第一層主街区《はじまりの街》で政府からの救助と、誰かがゲームをクリアしてくれるのを待つ死を恐れた人達。

 別にこの人達を否定する気はない。

 誰だって死は恐ろしいし、それ以前に元このグループに所属して宿屋で現実世界の家族を想って泣く日々を送っていた俺には彼らを臆病者と非難する資格はないのだから。

 

 二つ目はこのデスゲームが終わるまで生活する小金を稼ぎつつ、元々のゲーム目的である冒険を楽しもうとするグループ。

 通常以上の安全マージンを取り、攻略されて情報が豊富に集められた階層のみを踏破する彼らは、もしかしたら一番堅実で頭の良い生き方を選んだのかもしれない。

 ちなみに彼らは後に中層・下層プレイヤーと呼ばれるようになるのだが、それはまた別の話だ。

 彼らの存在は、実はかなり重要。

 次層に向うための唯一のダンジョン・迷宮区の攻略にしか頭が無い攻略組は最低限の散策でレベルアップと装備を充実させて次に進むため、層の隅々まで調べる時間が無いのだ。

 だから下層フロアから順に未踏破のダンジョンやクエストを攻略し、沢山の新たな情報をもたらしてくれる彼らの行動は、充分攻略組の益に繋がっているだろう。

 最近では獲得したアイテム類を《はじまりの街》に住む人々に均等分配して統括を行うグループも現れたらしいので、この調子で統治していってほしい。

 

 話は少しそれたかもしれないが、三つ目は鍛冶や裁縫といったスキルを上げたり、アイテムの売買を始める生産系・商人系クラスを希望した者達。

 言ってしまえば彼らは縁の下の力持ち。

 彼らが物資支援し、情報を集め、職人達で独自のギルドを立ち上げてくれたからこそ、俺達の今の活動がある。

 それに彼らは店に売る商品を集める目的でダンジョンに潜ったり素材アイテムを自力で収集する事も多いので、その実力はプレイヤーの中でもトップクラスに位置する場合も少なくない。

 本当に頼もしい人達だ。

 

 四つ目は犯罪者プレイヤーの奴ら。

 食うに困って犯罪禁止コードが存在して安全が約束されている町や主街区以外で略奪を繰り返すアイツらは、ある意味モンスター以上に危険な全プレイヤーの敵だ。

 彼らの手にかかって死亡した者はまだいない。少なくとも表立った情報としては出ていない。

 しかし、それも時間の問題だというのが全プレイヤーの見解である。

 

 そして最後のグループは言わずと知れた攻略組。

 アインクラッドからの脱出を目標に最前線で戦い続けるトッププレイヤー集団。

 その中でもまた少数。ギルドに所属せず単独で活動するソロプレイヤーに、俺は分類された。

 

 

◇◆◇

 

「はぁあああッ!」

 

 これでもかというくらい気合を入れた咆哮を一発。

 斜めに振り下ろされたシルバー・ダガーから淡い水色のライトエフェクトが迸り、目の前で棍棒を振りかぶっていたゴブリンエイプに短剣ソードスキル《フリーガル》が叩き込まれる。

 運良くクリティカル判定を得られた逆手からの斬撃は布切れしか纏っていない猿の化け物を肩から斜めに切り裂き、無数のポリゴン片と化すモンスターを爆散させた。

 

 この忌々しいデスゲームが開始されて二ヶ月と十数日。

 最前線である第八層から二つ下の第六層フィールド・ダンジョン――通称《獣人の樹海》で活動を始めて三日になる俺にとって、棍棒の振り下ろしと横薙ぎの二つしか攻撃パターンが無いコイツの相手で後れを取る事はありえない。

 

「ゴァアアアっ!」

「……っと、隙やり!」

 

 背後に迫ったもう一体のゴブリンエイプが放ってきた横からの打撃をしゃがむ事で回避する。

 その際にレザーローブと棍棒が僅かに接触したがHPの消失は確認されない。

 その事に安堵し、ふっと沸いた恐怖を胸中に押し込みながら、腕を振り切った化け物の懐に入り込む。

 そして相手の胸の中心目掛けて繰り出すのは、最近覚えた短剣スキルの突進技《ウィースバルグ》だ。

 全体重を乗せた一撃がゴブリンエイプに炸裂し、紅いエフェクトを発する刃が柄の部分まで潜り込む。

 相手の頭上にあるHPバーは元々黄色の部分まで減少していたが、今俺の持てる最高技を食らった途端、一瞬の内にHPが削り取られた。

 残存HP――ゼロ。

 

「ふう。これで一先ず戦闘は終了。お疲れさん俺」

 

 戦闘終了を祝福するかのように周囲に散らばるモンスターの幻想的な光を放つポリゴン片に包まれ、獲得アイテムと経験値に目をやる。

 その後、念のため策敵スキルで周囲を窺いながら呟いた俺の耳に軽快なファンファーレ音が響き渡った。

 これは紛れも無いレベルアップした証。

 

「やっとレベル10か……先は長いなぁ」

 

 最初の一ヶ月半を《始まりの街》で過ごした俺は戦闘経験もレベルも何もかもが力不足。

 今も最前線で戦う攻略組との差を埋めるために遮二無二戦いに明け暮れ、やっと到達出来たのがレベル10という境地だ。

 しかし、

 

「流石に突っ走り過ぎ?」

 

 ホームシックを誤魔化すため。

 恐怖に打ち勝つための荒療治として安全マージンも充分に取れていない第六層に踏み込んだけれど、些か命知らずな行為かもしれない。今更ながら恐怖心が込み上げてきた。

 不眠不休でしばらく頑張っていた事だし、少しペースを落とそうと心に誓う。

 

「……目的を果たしてから今後を考えよう。今は少し休憩。お腹空いたし」

 

 ここまでの戦闘で四割減少したHPを全快させるためにポーションを一飲み。

 なんとも表現し辛い味のポーションを飲み干して全快を確認。

 そして恐怖心を空腹による気分の低下と決め付けながら巨木の根元に腰を下ろし、開いたアイテム・ウインドウから買っておいた骨付き照り焼きチキンを取り出す。

 睡眠欲があるこのSAO内では当たり前ながら食欲というものも存在し、俺達プレイヤーは定期的な食物の摂取を心掛けなければ活動に支障を来たすのだが。

 

「ああ、まったく。何でこんなに美味そうなのにマズイんだか。やっぱりNPCが売ってる安物だから?」

 

 そう、このSAO内にある食べ物には『ハズレ』が多く存在する。

 見た目に騙され、こういった地味な洗礼を受けるのも一度や二度じゃない。

 食べる事が唯一の娯楽と言って良いSAOで、この食料問題は全体的に舌が肥えている日本人にとってかなり深刻な問題だった。

 この現状を憂いで料理スキルを上げている人が増加傾向にあるという噂を最近耳にするので、そんな人とは機会があれば是非お近付になりたい。

 

「そっか、もしかしたら先生が料理スキルを上げてるかも。後で訊いてみよう」

 

 ふと、俺がゲームクリアを目指す切っ掛けになった恩人の顔が脳裏を過ぎる。

 彼女とはフレンドリストに登録――つまりメッセージのやり取りができ、ある程度の位置もその気になれば分かりますよという仲良しグループの登録をしているので、後で現状報告も兼ねてメッセージを送ってみよう。

 まあ、今は目先の事に集中しなくてはいけないのだが。

 

(……もう二度と買わない)

 

 はっきり言って肉がマズイ。

 しかし食べない訳にもいかないのでリアルで涙を流しそうになりながら肉を頬張る。

 まるで焼肉にケチャップを掛けたかのような味が口内を満たしながら、周囲の警戒を怠らずに開いたままのメニュー画面を操作する。

 まず初めにやる事はただ一つ。

 それはレベルアップ時に獲得したステータスアップのポイントを振り分けること。

 俺達プレイヤーの基本ステータスはHPを除くと筋力と敏捷値の二つしかない。

 これらはレベルが上がる度にステータスが上昇していくが、それだと各個人でのステータスの差別化が難しいため、SAOではレベルが上がると同時にポイントを幾つか授かり、それをステータスに振り分ける事で自分だけのアバターを創造していく。

 俺は身軽さと素早いヒット&アウェイが売りの短剣使い。

 いつも通り筋力値と敏捷値に3:7の割合でアップポイントを振り分ける。

 そして次の作業の確認に入ると、思わず嬉しさのあまり喜びの声を上げてしまった。

 

「お、スキルスロットが増えてる!」

 

 スキルスロットが増えるという事は、習得出来るスキルの増加を意味する。

 これで俺のスキルスロットは合計三つ。

 今までの二つは短剣と策敵に使っているので、この残りの部分には以前から考えていた隠蔽スキルを選択した。

 攻撃に周囲の捜索、そして自身の隠蔽。中々バランスが良い采配だと自負している。

 これでまた生き残る可能性がほんの少し上昇。

 そしてそのままアイテム・ウィンドウに目を移し、軽く溜め息。

 

「あ~あ、何度見たって増えてる訳無いんだよな……もしかして俺の幸運値って低い?」

 

 視界に入るのは目的のアイテム×9の文字だった。

 俺の今欲しいアイテムの名は《ゴブリンエイプの琴線》。

 それを十個集めて町の薬剤師のお兄さんに渡すとリーヴァス・ダガーという現時点で最強の短剣を獲得出来る、というクエストを現在受理しているのだが。

 しかし、今の所集まったのは九個。あと一つ足りない。

 その一つを求めて現在俺はせっせとゴブリンエイプ狩りに勤しんでいるが、流石に二日以上も残りの一個を巡る運任せのドロップアイテム狙いをしていては嫌気が差してくる。

 しかし諦める訳にはいかない。

 要求筋力値が足りずに装備出来ない可能性があるけれど、ゲットしておいて損は無いと思うから。

 これは攻略組の短剣使いには必須なクエスト。

 絶対に今日中にゲットしてやるという意味を込めて、食事休憩にストップを掛けた。

 ちなみにゴブリンエイプの琴線はクエストのキーアイテムなためどこも品薄であり、商人プレイヤーを片っ端から訪ねても入手出来なかった経緯がある。

 

「暗くなるまでには町に戻りたい。今は十三時だから、ここら辺で活動出来るのは三時間くら――」

 

 メイン・ウィンドウの時計で時刻を確認していたら視界の隅にナニカの接近を告げるカーソルが表示された。

 索敵スキルがナニカの存在を感知したのだ。

 そのカーソル・カラーも確かめずに直ぐ戦闘体勢に入れる辺り、大分俺もこのデスゲームに染まってきているらしい。

 常に警戒を怠らず、いざという時は脊髄反射的に思考と体勢を切り替える。

 まるで一人前の剣士だ。

 もし現実世界に帰還後もこの気構えが抜けなかったらと思うと少し怖い。

 この世界に魂まで染まり、現実世界の楠羽秋人(くすばねしゅうと)が消えてしまったらと思うと、どうしようもなく怖かった。

 

「……って、そんな事考えてる場合じゃないって」

 

 頭をフルフル振って込み上げてきた不安を無理矢理脳から追い遣る。

 そうする事で漸く、俺のいる巨木へゆっくりと近付いてくるナニカに意識を集中させる事が出来た。

 

「……あれ?」

 

 短剣を眼前に掲げながら首を傾げたのには訳がある。

 それは表示されたカーソルの色だ。

 策敵スキルを用いた場合、プレイヤーは緑やオレンジ。

 モンスターの場合はプレイヤーレベルに応じてカラーが違うけれど、自分と同程度のレベルだった場合は薄濃の違いはあるが赤が一般的。

 今回の奴も例に漏れず赤で、だからこそ俺は警戒した。

 なのに、

 

「……黄色になった?」

 

 そう、いつの間にかカーソル・カラーが黄色になっていた。

 どちらかと言えば世間知らずな部類に入る俺だから、ただの無知という事は充分ありえる。

 しかし、やっぱりこんな事態は聞いたことが無かった。

 イレギュラーな展開に知らず知らず心臓の鼓動が速くなる。

 汗まで流れるんだから、このゲームは本当にリアルだ。憎憎しいまでに。

 

「どうする……逃げた方が良い?」

 

 このデスゲームは多分逃げ腰くらいなのが丁度良い。

 保守的な日本人に優しいゲームだとは思う。

 デスゲームに優しいもクソも無いけど。

 しかし、好奇心が揺さぶられる。

 見て見たい気もするし、どんな情報でも出来るだけ欲しいという蛮勇ぶりも魅せてしまう。

 だが危険な事なら回避しなければいけない。

 どちらの案を取ろうか優柔不断な考えが脳内を駆け巡る間に、ついに未知の生物Xが俺の視界に入り込んだ。

 

「……犬?」

 

 乱雑に生えている樹木の陰から出てきたのは、この二日間でも見た事の無いモンスターだった。

 体長は60cmくらいの小型犬。

 銀毛金目のコイツは、実に堂々とした足取りで尊厳を見せ付けるかのように近寄ってくる。

 現実世界にすらこんな生き物はいない。

 そう思える程の神々しさをコイツは備えていた。

 

「なんだよ、お前……本当に敵か? それとも――」

 

 

 ――それとも、何かクエストの一環だろうか。

 

 

 そうだ、そう考えると辻褄が合うかもしれない。

 対峙して一分経つが未だに敵意を見せないコイツが攻撃的モンスターとは思えない。

 たった数歩分の距離しか無い位置まで近付いてきても、コイツのカーソルは黄色。

 もしかしたらクエスト関連のモンスター・カーソルは黄色なのだろうか。

 

「うーん、攻略本にも書いてないし……どうなんだろ?」

 

 元ベータテスターの人――というより、知り合いの情報屋が書いて全プレイヤーに流布した第八層までの情報が満載のガイドブックにも、この事は一切載っていない。

 という事はつまり、現在の展開は誰も経験していない未知との遭遇を意味している。

 

「……なんだよ犬」

 

 こちらに孤高っぷりを見せ付けながら睨み付けてくる、凛々しい愛玩動物。

 コイツは所詮AIシステムの一部に過ぎない。

 しかし、その視線に物欲しそうな意思を感じるのは何故だろうか。

 まさかここまで再現するとは。

 無駄に良い仕事しやがる茅場晶彦に理不尽な怒りをぶつけてしまう。

 

「……はい、あげる」

 

 食べかけのチキンを目の前の犬に与えてみる。

 物乞い犬クエスト(俺命名)と判断した結果だ。

 もしかしたら樹海入り口にある小さな町《ニーヴァ》の片隅で売られていたチキンを買い、この森で食べるのがクエスト発生条件だったのかもしれない。

 そうなら良いなと期待を込めたのが幸いしたのか。

 予想通り、コイツは俺の与えた肉に食らい付いた。

 

「よ~し。これで何かが起こる筈」

 

 夢中になって食べている姿を見て、ついフサフサな銀毛に手を伸ばしてしまう。

 掌越しに伝わってくる毛並みの感触は滑らかで、例えこの触感が偽者と理解出来ても、本物以上にリアルだとしか思えなかった。

 

「こっからどうすんだろ? 飼い主探しクエストにチェンジとか? まあ、俺だったら付ける名前はポチに決定なんだけど……でも金色のカーソルも出ないよなぁ。なあ、ポチ、お前はいったい何――」

 

 クエスト受理を確認しようとして思わずフリーズしてしまう。

 メイン・ウインドウを開いたら、目に飛び込んで来るのは自分のキャラクターデータに現れた『new』という文字。

 不審に思って自分のデータを、ステータスやスキル項目に混じって現れた新しい項目を見て、文字通り俺の目は点になった。

 その項目の名は――使い魔。

 

 

【種族名】シルバー・ヴォルク 

【固有名】ポチ 

【レベル】13

【ステータス】HP900 筋値力68 敏捷値132

【スキル熟練度】索敵200

 

 

「使い魔ぁああっ!? ……って、トータルで見ると現時点で俺より強いんですけど!? 一番高い敏捷値ですら100に満たない俺って何さ!? というより索敵の熟練度高っ! 俺の四倍以上!?」

 

 俺の戸惑いもお構いなしに肉を食らっている、この犬にしか見えない狼型稀少モンスター、シルバー・ヴォルク。

 

 

 

 ――結局のところ勘違いにより感動もへったくれも無かったけれど、これが俺の初飼い馴らし(テイミング)であり、今後二年間一番の相棒となるポチとの出会いだった。

 

 

◇◆◇

 

 頭上にクエスチョンマークが乱舞してから三時間が経過し、その時から俺の状況は激変した。

 もちろん良い方向に向って。

 

「オーケー。そっちの方向に敵がいる訳ね」

 

 原因は言わずと知れた名犬……いや、名狼であるポチのお陰。

 俺の相棒と化したポチの参戦の影響は大きい。

 戦闘では自らの爪と牙で勇ましく戦い、戦闘外でも索敵スキルを駆使して攻撃的モンスターの位置を把握してくれる。

 特に索敵によってバックアタックが無くなったのと、今のようにモンスターとの戦闘を行うかどうかの選択権があるのは凄く助かる。

 ポチが低く唸った方向にモンスターがいるからだ。

 

「ちょっと遠回りになるけど、今モンスターと戦うよりはいっか。その調子でよろしくポチ」

 

 ポチと出会ってからモンスター撃破の効率が上がり、今から十分前に倒したゴブリンエイプから運良く琴線を獲得出来た。

 しかし戦闘が増えるという事は精神力をガリガリ削り、そして回復アイテムの消耗を意味する。

 元々沢山買ってあった回復ポーションだけど、あくまでそれは一人だけの時に充分な量でしかない。

 新たにポチに消費する分も増えたため、最後の戦闘を終えた時点で回復ポーションの在庫がゼロになったのだ。

 HPは全快なので一・二戦ならこなせる自信がある。

 しかし念には念を入れ、現在俺達は敵との戦闘を全回避しつつニーヴァ目掛けて樹海内を駆けているという訳だ。

 

「でも本当、良い相棒が出来た」

 

 そう呟いて自然と笑みが零れた。

 強さやスキル云々は元より、実は仲間が出来たというのが一番嬉しかったりする。

 分類上は今もソロに違いない。

 しかしポチの存在は俺の孤独感を綺麗サッパリ消してくれた。

 諸事情があってソロを選んだ俺だけど、本当は仲間が欲しかったから、ポチの参戦は嬉しくて心強い。

 

「もう直ぐ樹海を抜ける……んだけど、また騒がれるだろうな」

 

 樹海を走り抜け、遠くに見えるニーヴァのバックにある夕日に目を細める俺は、町に入った時の周囲の反応を思い浮かべて少々うんざりする。

 そして、その気持ちを払拭する勢いで心を占める相棒と出会えた喜びを噛み締めながら、その十数分後。俺達は町への帰還を果たした。

 第六層主街区《レグラス》から東に位置する農村ニーヴァは、この第六層の東側一帯を覆っている広大な《獣人の樹海》の入り口近くに存在し、主にプレイヤー間では樹海攻略のための拠点として利用されている。

 第六層が最前線だったのは今から二週間ほど前。

 まだ八割ほどしか攻略が終わっていない樹海は、リーヴァス・ダガー獲得クエストの存在、そして樹海に生息する種類豊富なモンスター達の情報収集とダンジョンの踏破、まだ見ぬアイテムの獲得とレベル上げを目的に、実力に自信のある攻略組以外の中級プレイヤー達が多く集まっていた。

 よって、

 

「おい、ボウズ! そのモンスターどうしたんだ!?」

「どうやって手懐けたの!? それってシルバー・ヴォルクだよね!?」

「何かのクエストか!?」

「ねえ、私達とパーティー組まない?」

 

 

 ――よってまあ、町の入り口で他プレイヤー達に囲まれてしまった訳だ。

 

 

 予想通りの煩わしい展開に辟易し、ポチを抱きながら溜め息を吐いている俺の心中を察して欲しい。

 元々年少プレイヤーとして注目の的だったのに、更に目立つ存在へ昇華してしまった。

 さて、どうやって抜け出せば良いものか。

 まあ、特に隠す程の事でも無いし全部喋るつもりだけど。

 真偽は各々に任せるとして。

 

「別にただ――」

「おい、お前ビーターか?」

 

 肉を与えたら懐かれた、そう言おうとした途端に口を挟んできた不届き者の存在に眉を顰める。

 声のした方を見てみれば、近くに居た背の高い男が俺を見下ろしていた。

 逆立つ黒髪。凛々しいながらも肉食動物のような獰猛さが滲み出る容姿。そして、一番目を引くのは侮蔑の込められた切れ長な双眸。

 周囲を見れば、俺を囲っていた人達の雰囲気も剣呑なモノに変わっていた。

 

「どうせ、コイツを手懐けるか何かのクエストでもあって秘密にしてたんだろ。たくっ、これだからビーター共はいけ好かねぇんだ。自分らだけで情報を独占しやがってよ」

 

 ビーター、この言葉の意味が分からない。

 しかし悪評の類なのは明らかなので、一方的にそう見られるのは誰だって不快だ。

 だからこそ、反論する俺の口調も自然と辛辣なものになってしまう。

 

「ただ肉を食わせたら懐かれただけだっつーの。ビーターとかじゃないし。変な言いがかりは止めてよね、オッサン」

「オッ……っ!?」

 

 オッサンと言われてショックを受けている推定二十代前半。

 いい気味だ。

 

「カーソル・カラーが黄色で、コイツは使い魔って存在らしいよ。それじゃあね」

 

 これだけ教えれば充分だろう。

 宿屋に帰る前にリーヴァス・ダガーを受け取りたいので人壁を越えるため足を動かす。

 それでも肩を掴んでくる奴がいるんだから、本当に空気の読めない奴は嫌になる。

 

「まあ待てってガキンチョ。お前、この三日間ずっと樹海に潜ってたソロだろ? 他に何か情報を……いや、俺達とパーティー組ませてやる。特別に組んでやるよ」

「い・や・だ。魂胆見え見え。だから手を離してよ、オッサン」

 

 俺がソロでプレイする理由は二つある。

 一つは経験値獲得の効率がパーティーを組むより優れているため。

 安全面は保障出来ないものの、こうでもしないと攻略組に入るのに途方の無い時間が掛かってしまうのだから仕方が無い。

 そして、もう一つがコレ。

 子供の俺を利用し、食い物にしようとする汚い大人から身を守るためだ。

 子供だから上手く騙せる、利用できる。そう考える奴らは、残念ながら多分多い。

 生きるか死ぬかのデスゲームになり、形振り構っていられる状態じゃなくなった悪循環が、他者を蹴落としてでも生き抜こうとする人種を増加させる。

 中には善意から近寄ってくる人もいると思う。

 しかし、そうでないと否定出来る判断材料が圧倒的に足りないのも事実。

 今の俺は強く無いし、どんな困難も一人で対処出来る実力が備わるまで、俺はプレイヤーとの接触を出来るだけ抑える事に決めていた。

 これが俺の処世術だ。

 しかし、その対応が。俺のコンセプトが。

 どうもこのオッサンは気に入らないらしい。

 

「この……クソガキっ! てめえみたいなガキはどうせ情報を活用しきれねぇんだ! それを俺達大人が有効活用してやるっつってんだよ! いいから他にも情報を寄越せ!」

 

 現に俺は今のコイツみたいに高圧的な態度を取り、利用しようとする大人達をそれなりに見てきた。

 今回のコイツは、多分ここに来たばっかで情報をあまり得ていない。

 情報を買う金を惜しみ、パーティーを組んでアイテムを得たら何かと理由を付けてアイテム配分を減らすか、何処かに捨てる算段なのだろう。

 もしかしたらSAO初の使い魔持ちである俺を自分の陣営に取り込む事で箔を付けようと考えたのかもしれない。

 どのみち碌なもんじゃない。

 

「少なくとも、アンタみたいな性格破綻者よりは頭が良いって自信があるよ。知識は負けるけど、応用力と発想力って意味で。これでも近所じゃ聡明な好少年で通ってたんだ」

 

 気分的には上から見下し、現実としては下からオッサンを見上げる。

 俺の目付きの悪さと敵意が功を成したのか。

 思わず怯んでしまったという風で、オッサンが一歩後退する。

 敵が引いた分、攻めない馬鹿はいない。

 

「というよりさ、そんな上から目線で情報を渡すとも、仲間になりたいと思うって本気で思ってんの? 俺に噛み付いてもダメ大人ってレッテルを張られるだけだって気づけよいい加減」

 

 こんな挑発染みた反論が出来るのも今この場所が町の中だからだ。

 犯罪禁止コードのある町は通常《圏内》で、モンスターが入ってくる事もなければHPが削られる事も無い。

 だからこそ、俺は現実世界だと勝ち目が無い相手でも強気でいられる。

 この世界では強さが全て。仲間が居らず、たった一人でモンスター達と戦っていた密度の濃い三週間が、俺に絶対の自信を植え付けた。

 《圏外》に出た途端に襲われる心配もある。

 しかしこちらにはポチがいる。

 攻略組トッププレイヤーの隠蔽スキルの熟練度が180くらいと聞いた事があるので、囲まれる前に接近に気付いて逃げられる筈だ。

 あまりにもしつこいようなら軍に依頼して取り締まってもらうのも悪くない。

 得意のマンシンガントークで相手の神経を逆撫でし続けると、ついに援護射撃をする者が現れた。

 

「そのチビっ子の言う通りだな。これ以上評判を落としたくなかったら素直に引くこった。……それによ、こんな子供に当たるなんざお前ェ、死ぬほどカッコ悪いぜ」

 

 顔を真っ赤にして青筋を浮かべていたオッサンと、その仲間と思しき人物二人に囲まれつつあった俺だけど、この野次馬の言葉で状況は一変した。

 「そーだそーだ」という同意者の声が沢山上がったのだ。

 流石に数の暴力には勝てないのか、村八分状態になったオッサン達は苦虫を噛み潰したような表情をしながら、俺に精一杯の憎しみを込めて渋々立ち去っていく。

 次第に野次馬も消え去り、残ったのは俺と、最初に庇ってくれた男だけだ。

 

「ありがとう」

「気にすんな。たくよぉ、ああいう馬鹿を見ると胸糞悪くなるっつーの」

 

 野武士が身に付けるような鎧を身に付け、腰から曲刀を下げたバンダナの男が、そうぼやいて逆立てた髪をガシガシ掻いている。

 

 

 

 ――これが、後に攻略ギルドの一角として名を馳せる《風林火山》リーダー、クラインとのファーストコンタクトだった。

 

 

 

◇◇◇

 

「にしてもシュウの字よ、お前ェ本当にソロで活動してんのかよ?」

「経験値の入りが良いから。俺、早く強くなりたいんだよクライン」

 

 という風に宿屋兼定食屋で風林火山と夕食を共にして大分経つ。

 あのあと情報交換をしようという案に同意した俺達は、クラインの仲間六人と合流してから俺が宿泊している宿屋に移動した。

 クライン達は今さっきニーヴァに到着したばっかりで、手分けして情報収集している最中に俺の騒動を目撃したらしい。

 クライン達の目的は俺と同じで。ギルド全体のレベル上げと、仲間の短剣使いのためのリーヴァス・ダガー入手。

 ちなみに俺はこの宿屋に来る前にクライン達同伴の下、しっかりと薬剤師の家を訪れてダガーを入手していたりする。

 クラインは同時にクエスト受理も行っていたみたいだけど。

 

「君……死ぬのが怖くないのか?」

 

 こう呟いたのは俺と同じ短剣使いのお兄さん。

 メガネを掛けた見る限り温厚そうな人で、クライン達が全員曲刀や片手長剣、槍なんかの武器を使う中で唯一の短剣使いというのも、なんとなく納得してしまう優しそうな雰囲気と風貌をしていた。

 

「……怖いに決まってんじゃん。でもさ、俺は強くなりたい。強くなってボスを倒して、一秒でも早くSAOを攻略してやる」

 

 決意を口にして、ついでに第一層での初戦闘を思い出して苦笑する。

 今だと雑魚でしかない青いイノシシ相手に泣き叫びながらダガーを振るっていた過去を考えると、よくここまで成長したものだと自画自賛してしまった。

 

「お前ェ……攻略組を目指してんのか!?」

「別に悪くないでしょ? クラインだって攻略組入りを狙ってる癖に。差別は良くない」

 

 俺みたいな子供でもフィールドに出て戦闘を行う奴らは小数ながら存在する。

 しかしそれでも最前線に出る奴は早々いない。

 身長が130cmにも届いていない小柄な見た目も驚きと意外性に拍車をかけたのかもしれなかった。

 よって、戸惑いと心配が大半を占めていそうな表情をしている優しい彼等を安心させるため、俺は何でもないように平然とパスタを口に含んだ。

 ちなみに味は珍しく『当たり』の部類。

 

「大丈夫だって。情報収集は欠かしていないし、戦いでも安全第一に考えてる。今はもうポチもいるから生存確率もめっちゃ上がった。ポチの索敵スキルが高くて大助かり」

 

 まさにポチ様々。

 俺の索敵スキルを排除して代わりに識別スキルでも入れようかと思う程、ポチは俺の冒険に欠かせない存在になっている。

 

「そういえばさ、一度スキルを削除して、それをまた再習得って出来るのかな?」

 

 それでも心配そうな顔をしている面々からこの話題を逸らすため、さっき思った事を訊いてみた。

 索敵スキルを排除して別のスキルを入れた後、索敵を覚えたいと思った時に、再習得出来るのかどうか。

 もし出来ないのだとしたら、このままスキルスロットの肥やしにしなければならないだろう。

 考えたくはないが、この先ポチが死亡しないという補償は何処にも無いのだから。

 対してクラインの反応は……正直期待出来ない。

 その証拠にビールっぽい飲み物を片手に苦い表情をしている。

 

「どーだろうな。そんな無駄な事する奴もいねえだろうし、試すほど余裕のある状況じゃねぇからな。もしかしたらキリ……いや、何でもねえ。忘れてくれ」

 

 誰かの事を考え、まるで脳内から掻き消すかのようにビール(酔う事は無い)を一気飲みするクライン。

 悲しげというよりも気まずいというニュアンスが含まれる遠くを見据える目付きは、そのキリ何とかさんとの関係を如実に想像させた。

 仲直り?する事を願っておこう。

 

「ぶっはぁ――で、だ。シュウよ、お前ェは今後どうするつもりだ?」

「うーん……防具も買いたいし、一度最前線に行って装備を新調して回復アイテムを補充してみる。そうしたらここに戻ってもう少しレベル上げって感じ」

 

 この三日間での狩りでお金(コル)も更に貯まった。

 レザーローブとその下に着ているアーマーシャツを初めとした防具の耐久値も下がっているため、そろそろ買い替えか鍛え直し時の筈。

 先生や皆には悪いけど、仕送りはちょっと延期という事で。

 

「じゃあよ、その後で良いから、ここにいるだけでもしばらく一緒に行動しねえか? ああ、パーティーとかじゃなくて、一緒にいるだけで良いからよ」

「……お人好し」

「うるせぇ」

「褒め言葉だって」

 

 本当、クラインは……いや、クラインの行動を咎めもしない風林火山の面々は、全員揃ってお人好しだ。

 一人だとオッサン達に報復を受けるかもしれないから、とりあえずの保護を買って出てくれる。

 勿論情報提供してもらうという打算もあるだろうけど、パーティーを組まず経験値分配を避けさせてくれるだけで、充分コイツらはお人好しの部類だろう。

 

「まあ、シュウ君はリアルラックっぽいですし、一緒に行動するだけでドロップアイテムとかのおこぼれにありつけるかも」

「それに使い魔の力も見れるしな。本当、自分だけのステータスを持ってて羨ましいぜ」

 

 好意的なギルドの人達。

 話していて気持ちの良い連中だからこそ、獣人の樹海捜索の先輩として後輩達の面倒を見るのも吝かじゃないと思ってしまう。

 純粋に先生達以外の人との交流に飢えているという心情もあるのだが。

 俺だって好きでソロをやっている訳ではないのだ。

 信頼出来そうな風林火山との交流を、俺が拒む筈が無い。

 

「りょーかい。それじゃあ買い物終わったらクラインに連絡して樹海内で合流するよ」

「あいよ。これからヨロシクな、シュウの字よ」

 

 クラインだけでなく他の面子ともフレンド登録を交わし、今日のところはポチと連れ立って自分の部屋に引っ込む。

 しっかりと鍵を掛けてから装備を外し、黒のランニングに白の短パンというラフな格好になってから、ポチと一緒にベッドへダイブ。

 うつ伏せになりながら始まりの街にいるサーシャ先生宛のメッセージを打つ俺の手は、どこか軽やかだった。

 

(――ということで、新しい相棒も出来たし、こっちは大丈夫ですよっと。それに――)

 

 

 

 ――それに、信頼出来る知り合いが出来た。

 

 

 

 新しい相棒と信頼出来る友達との出会い。

 それが、俺の機嫌が良い理由だった。

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二話 高みの存在

 三十分前に第八層が攻略された。

 そんな情報が耳に入ったのは、俺が風林火山の薬剤師クエストを手伝って三日が経った昼時ちょっと前の事だった。

 初会合の時から一緒に行動し、周囲からの煩わしい勧誘と質問攻めの盾になってもらう代わりに、こっちは入手したゴブリンエイプの琴線を提供する。

 

 よくよく考えてみれば、筋線ではなく琴線。

 言わば感情の部分を薬の材料にするとか、結構ファンタジーめいた作業の手伝いをしていたんだなと、今更になって軽く実感する。

 一方的に虐殺される展開のどこにゴブリンエイプの琴線に触れるモノがあったのか。

 それはまあ、誰にも分からないし予測出来ない。

 

閑話休題

 

 とにかくギブ&テイクな関係を続け、戦闘でも協力戦を行った結果、俺のレベルも二つ上がって12になった。

 ちなみにクラインは10で他の面子は平均9。

 いくらパーティーを組んでいるとはいえ戦闘期間で一ヵ月半のアドバンテージを持つクラインのレベルを追い抜いた事実は、軽くだが驚愕させるに充分な結果だった。

 ソロプレイでの効率の良さを理解させられる展開だ。

 成長と危険さを天秤に掛けた、まさにハイリスク・ハイリターンなソロプレイ。

 MMOが今回初めての俺でコレだ。

 MMOというものを熟知し、初日からソロで戦い続けて寝る間も惜しんでレベルを上げた場合、いったいどのくらいの数値になるのか。全く想像が付かなかった。

 

「わざわざ見送りなんて良いのに」

「水臭せえこと言うんじゃねえよ。じゃあなシュウ。……生き残れよ」

「そっちも気をつけて」

 

 もう少し第六層でレベル上げを続けるクライン達と、一度最前線を見てから第八層《フリーベン》に狩場を移す俺はここで別れる。

 俺に絡んできたオッサン達とはあの後いざこざも無かったので、楽観的かもしれないが大丈夫と考えての別行動だ。

 顔に似合わず面倒見が良かったクラインと別れるのは後ろ髪を引かれる思いではあるけれど、強くなるまではソロプレイを続けると決めているため、その決心を打ち壊す訳にはいかない。

 別れが名残惜しい。だから半ば吹っ切るかのように大声を出して、俺は新たなフィールドに思いを寄せた。

 

「転移、《カルマ》っ!」

 

 ポチを抱きながら光に包まれる。

 独特の転移感覚を感じて一瞬。第六層主街区の転移門広場から、城下町のような中世風の町並みが拡がる第九層主街区《カルマ》に俺達は降り立った。

 そこは新たな階層ということもあって人で賑わっている。

 多分、人はまだまだ増えるだろう。それこそお祭りが始まる勢いで。

 

「さてと、探検探検」

 

 一応最前線でもレベル上げを行う事を視野に入れているため情報収集は欠かさず行う。

 攻略本の恩恵はもう受けられない。

 これからは自分達で未知の領域に足を踏み入れる事になる。

 それでも俺はなるべくなら情報収集を他人任せにしたくない。

 知識だけ知っているのと、自分の目で確かめて踏破したのでは、情報量に天と地ほどの差があると思うから。

 

「けどまぁ……やっぱり目立つよなぁ……」

 

 街の中央に巨大な城が聳え立つ城下町を歩く度に感じる好奇な視線。

 そして、含まれる羨望と嫉妬の感情。

 この三日間で使い魔の存在は情報屋達の手でアインクラッド中に広まったため、今の俺は一躍時の人状態。

 まさかこの歳でインタビューを受けるとは思わなかった。

 お陰で俺の知名度は鰻登り。

 現に散策を始めて十分以内に四回もパーティー勧誘を受けたので、そろそろ溜まりに溜まったフラストレーションをぶちまけても許される頃合だと思う。

 

「ハァ……お前も大変だな。必要以上に触られたりして」

 

 隣を歩く相棒に話しかけるがコイツはいつもの事ながらガン無視。

 そもそも戦闘や索敵中以外で鳴く姿を見た事が無かった。

 無口すぎて、反応が全く無くて、暖簾に腕押し状態なのが少し悲しい。

 まあ、一緒に居てくれるだけありがたい存在なんだけど、それでもコミュニケーションを取りたいと思ってしまう俺は立派に飼い主をしていると思う。

 

「あれ、よく考えたらクエストを受理したとしても、たった一人でクエストこなせんの?」

 

 自問して直ぐに答えを出す。

 解答は否。

 クエストの殆どは受理した階層内で行われる。

 そのため、もし九層でクエストを受けたら最前線を闊歩する事になってしまう。

 それでは命がいくらっても足りない。

 情報屋である鼠のアルゴにスキルスロットの事を訊ね、その回答を聞いて直ぐに無用な索敵を削除。代わりに入れた《使い魔交信スキル》でより高度な戦闘を行えるようになったとしても、それで最前線を練り歩くほど馬鹿じゃない。

 あと少しだけ探索をして、それから素直に帰ろうと心に決める。

 そしてその矢先、ある騒動をキャッチした。

 

「ん? 何あれ」

 

 石畳の大通りを歩いていると前方に人だかりが見えてくる。

 しかし生憎と気になって近くに寄ってみても、このミニマム身長の所為で騒ぎの中心がお目にかかれない。

 マナーが悪いと思いつつもポチと一緒に野次馬を掻き分け、円を作っている群衆の先頭に出てみる。すると、

 

「おりゃぁあああああああああっ!」

「――っ!」

 

 

 ――一重そうで強固な鎧に包まれた重戦士と地味な服装の片手剣士が戦っていた。

 

 

 

 片手剣士は盾も持たず、黒系で統一された革系防具を着こなした身軽な姿なのに対し、対峙する大柄な男は鉄製の盾と鎧を身に纏う、さながら西洋の騎士を連想させる派手な出で立ち。

 そんな対照的な姿の二人は沢山のギャラリーの視線と歓声に包まれながら互いの武器を打ち付けあっている。

 片手剣が重戦士の盾に阻まれ、お返しとばかりに突き出された片手槍を剣士が身体を捻る事で回避し、再度斬り込む。

 数秒の間に目まぐるしく変わる戦況から目が離せず、打ち合う度に発する火花が戦場を踊る。

 風がうねる事で局地的な暴風を生み出し、二人は互いの全てを用いて勇猛果敢に斬り合い続ける。

 その高レベルなデュエル風景を、俺は息をする事も忘れて見続ける事しか出来なかった。

 その視線に、多大な畏怖と尊敬を込めて。

 

「ねえ、このデュエルってどのくらい続いてる?」

 

 視線を目の前の戦いに固定して、気付けば隣のプレイヤーに話しかけていた。

 周囲の会話を盗み聞きした結果、このデュエルが初撃決着モードという、強攻撃を当てるかHPを半分まで削るかしないと勝負が付かないデュエル方式だということは理解出来た。

 しかし俺が気になったのは、未だにHPが七割も切っていない二人の戦いがどのくらい続いているのかという点だ。

 

「あん? もう五分くらい経つ……っ!?」

 

 俺の質問に律儀に答えてくれたお兄さんがポチの存在に驚いているが、とりあえず無視。

 今の俺は彼らの技術を盗むのに大忙しなのだから。

 重戦士の判断力もそうだけど、それよりも目を引くのは剣士の体捌きと反応速度。

 いったいどんな感覚をしているのか、あの剣士は相手の高い防御の合間を縫って着々とダメージを積み重ねていき、逆にダメージを受けたとしても身体を引くなりずらすなりして、受けるダメージを最小限に留めている。

 どのくらい戦闘経験を積んできたのか分からない。

 剣士の底が知れなかった。

 

「はぁあああっ!」

 

 軽く慄いている間にも事態は急展開を迎えた。

 盾を前方に突き出して剣士の視界を遮った重戦士の右腕が、弓を引くように限界まで引き下がる。

 彼の得物である鉄製の片手槍から迸るライトエフェクトが、間近で見ていた俺の視界を紅く染めた。

 槍スキルに分類される単発重攻撃技《グラファルス》。

 このデュエルに決着をもたらす高速の突きが剣士目掛けて放たれる。

 しかし、

 

「な……っ!?」

 

 

 

 ――しかし、それよりも速く、黒髪の剣士は宙を高く跳んでいた。

 

 

 

 ギャラリーが唖然として見守る中、三メートル程の垂直跳びで必殺の刺突を回避した剣士が盾の上に降り立つ。

 その重さに耐えられず盾が徐々に下がる間、剣士は確かに笑っていた。

 

「はぁあっ!」

 

 気合の入った声と共に重戦士の頭上で回転。

 飛び越える際、オマケとばかりに放たれた容赦無い斬撃が重戦士の後頭部に炸裂。

 スキルを発動した際の技後硬直で動く事の出来なかった彼に、避ける術などある筈が無かった。

 

「ふう……着眼点は悪くなかったけど、近距離で俺の視界を盾で隠すって事は、そっちからも俺の姿が確認出来ないって事だ。次からは気を付けた方がいいぜ」

 

 そう余裕綽々なアドバイスを送って直ぐ、ただでさえ減っていた重戦士のHPが半分まで削られる。

 続いて轟く爆音みたいな歓声。鳴り止まない拍手の応酬。

 そしてデュエル終了と勝利者を告げる紫色の文字列が空中に現れて漸く、俺の刻も動き出した。

 

「すっげぇ! あのラグナードに勝っちまったよ!」

「こんなデュエル初めて見た!」

 

 そんなギャラリーの声も耳には入らない。

 頭の中で今の戦いを記憶に刻み込むのに忙しく、勝利者の名前を目に焼き付けるのに必死だったからだ。

 

(プレイヤー名、キリト。これが――)

 

 

 

 ――これが、トッププレイヤー達の実力。

 

 

 

 鳥肌が立つ程の衝撃が全身を駆け抜け、興奮のあまり身体を震わせながら肩を両手で抱く。

 近いうちに同じ高みまで登ってやるという闘争心と憧憬、そして本当に追いつけるのかという諦念と不安の感情が同時に生まれ、湯水の如く溢れ出す。

 先程の戦いに魅せられ、気付かない内にテンションが高くなっていた。

 多分今のデュエルが印象的だったからこそ、クラインのキリなんとかさん発言も綺麗サッパリ頭から抜け落ちてしまったんだと思う。

 

「くそっ! おら、見せもんじゃねえんだよ! 散れ野次馬共っ!」

 

 敗者ラグナードの苛立ちに当てられ、そそくさと退散する野次馬達に混じってこの場を離れる。

 但し、その方向はさっさと町並みに消えようとしている剣士の方へ。

 

「すいません! ちょっとお話良いですか!?」

 

 腕を掴み、下から見上げる黒髪黒目の中性的な顔立ちに見えるのは戸惑いの色。

 急な事態に目を丸くし、そして少し面倒臭そうな表情を取った後の英雄――キリト。

 

 

――これから続く俺達の長い付き合い、その最初の一ページが綴られた瞬間だった。

 

◇◇◇

 

 好奇心から人に注目される煩わしさを俺は嫌ってほど理解しているつもりだ。

 だからこそ、こうして喫茶店のテーブル席で対面に座っているキリトさんの考えもよく分かる。

 面倒臭さ七割にちょっとばかりの興味本意三割。

 彼の思考を占める割合はこんなところだろう。

 昼飯奢るしお礼もするから話をしようと無理矢理手を引っ張ってきた訳だが。

 さて、いざ対面してみると、どう話を切り出せば良いのやら。

 

(く、空気が重い)

 

 黙々と目の前に並ぶパスタを食べているのも嫌だし、そろそろ現状を打破したい。

 ちなみにポチは足元に伏せている。

 回復ポーションは飲む癖に、こういった食事は使い魔に必要無いらしい。

 ステータスアップのアイテムなら食べるかもしれないけれど、そんな稀少アイテムを拝んだ事は一度も無いので実験の仕様が無かった。

 

「……で、俺と話したいことって何なんだ。噂の銀狼使いさん?」

 

 沈黙を破り、最初に口を開いたのはキリトさんだった。

 少しだけ人を馬鹿にしたような含みを持たせる口調。しかし不思議と侮蔑といった想いは抱かず、不快とも思わなかった。

 まるで今の状況を受け入れ、面倒という気持ちを無理矢理封殺して、目の前の人物との会話に楽しさを見出そうとしているような。開き直ったような感じ。

 キリトさんの表情から読み取れるのはこの程度。

 

「なにその安直で捻りも何も無い二つ名? というより俺を知ってるの……じゃなかった、ええっと、知ってるんですか?」

 

 クライン達には自然とタメ口だった。

 しかし、あのデュエルを見てからの俺は、キリトさんに対して崇拝に似た強い憧憬を抱いているらしい。

 だからこそ通常の態度で接するのは躊躇われた。

 そんな俺の馴れない敬語に苦笑しつつ「素で構わない」と言ってから、キリトさん――いや、キリトは、俺について知っている事を話してくれた。

 

 曰く、SAOで最初の飼い馴らしに成功したラッキーボーイ。

 曰く、どう見ても年齢制限アウトな場違いチビ助。

 曰く、ソロで短剣振り回す命知らずな経験値中毒者。

 曰く、ニーヴァのショタっ子。などなど。

 

 この容姿で、しかもソロだ。

 更にはポチもいるので目立つのは仕方が無いと思っていたが。

 

(最後の二つ名を言った奴、いつか見つけ出してボコボコにしてやる)

 

 この時、ダンジョン内で一人の赤毛野武士が寒気を覚えた事を俺は知らない。

 

「こういうMMOで有名になるっていうのは名誉な事なんだ。もっと喜んで良いんじゃないか?」

「嫌だよ、恥ずかしいだけだって。それに好意的な視線ばっかりじゃないしさ」

 

 不貞腐れるように呟いて、注文したメロンソーダを一口飲む。

 炭酸のシュワシュワ感は充分あるものの、味としてはただのソーダ水に近い。

 思わず嘆息が漏れてしまう。

 それをどう解釈したのか、キリトは同情交じりの微笑を浮かべた。

 

「それは仕方が無いな。ここにいる人達は皆、大小はあるけど自己顕示欲が強い奴らばっかりなんだ。『有名になって目立ちたい』とか、『強くなって人に注目されたい』とか、色々な」

「……つまり、他には無い唯一無二の自分だけのステータスを欲しているってこと?」

「ああ。それにネットゲーマーは嫉妬深いのが多いんだよ」

 

 だから諦めろとキリトは軽く笑う。

 多分、諦めろという言葉は自分にも言い聞かせているのだろう。

 色々な意味で目立つプレイヤーという点では、キリトも相当な位置付けになっていると思うから。

 それほどの力を彼は有している。

 

「――それで、どうして話しかけたのが俺なんだ?」

 

 キリトから発せられる心の奥底を探るような強い眼光。

 プレイヤーを警戒するのは分かる。が、露骨過ぎだし過剰反応ではないだろうか。

 その鋭い瞳に若干の狼狽を覚えてしまう。

 

「……えっと、あのデュエルに魅せられて気持ちの高ぶりを抑えきれずに思わず?」

「……つまり雑談をしたいだけって事か?」

「おそらく?」

「何故に疑問系」

 

 呆れの視線の後に苦笑して、脱力しながら椅子にもたれ掛かるキリト。

 そして乾いた笑みを貼り付ける俺。

 一気にキリトの放つ威圧感が払拭された瞬間だった。

 少し白けた空気が流れるも、その原因を作ったのは間違いなく俺なので、ここは自分から話題提供をするのが筋ってものだろう。

 

「えっとさ、キリトって攻略組の一人? もしそうなら現場の空気とかどんな感じなん?」

「……俺の事を知らないのか?」

 

 この「知らないのか?」がβテスト出身者だという事を知らないのかという意味だと知ったのは、随分後のことだ。

 この時のキリトは当初、ビーターである豊富な知識のお零れにありつこうとする寄生野郎として俺の事を見ていたらしい。

 βテスターの知識は八層までしか無いけれど、それでも今のように第九層くらいまでなら役立つ情報も幾つかあるかもしれない。

 潜った場数が違うので話を聞くだけでも充分有益な筈だ。

 しかし、気持ちは分かるけど些か心外。そこまで図々しくないのに。

 

「あ、ついでに九層に関する情報交換しない? これでも結構調べたんだから」

 

 無邪気な言葉ほど心が洗われる事は無い、というのは後にキリトが言った言葉である。

 少なくともこの時の俺は、歳相応に子供っぽい笑顔を浮かべ、相手の警戒心を殺ぐ雰囲気を発していたらしい。

 毒気を抜かれたとも言う。

 結果として俺はかなりの情報を得る事になる。

 特に城で受けられる女王様のクエストは中々に貴重なものではないだろうか。

 正直、提供した情報が釣り合わない。

 

「……なんか情報がショボくてキリトに申し訳が立たない」

「別に良いさ。それに、正直に言えば大して期待もしていなかった」

「む」

 

 先程とは違う。からかうつもりで言った、完全に悪戯心満載の発言に思わずしかめっ面を作ってしまう。

 大成功と言いたげな意地の悪い微笑も余計に苛立ちを増長した。

 

「じゃあ文句があるっぽいし、何か素材アイテムあげる。攻略組なら結構必要なんでしょ?」

 

 とはいえ反論出来る部分が何処にも無いので物品提供を試みた。

 SAOでは基本的にギブ&テイクなのが不文律と化している。

 借りなんて作るのは真っ平だ。

 するとキリトは今度こそ呆れた表情を見せながら、残りのパスタを頬張った。

 

「……お前な。そんな単純思考だとこの先食い物にされるぞ。義理堅いのは好印象だけど、何事も程ほどにしないと痛い目見るぜ?」

「良いんだよキリトなら。というよりさ、分かってて挑発するような真似をした時点で、キリトも汚い大人の仲間入り」

「うぐっ……子供に言われるとかなりグサッとくるな……」

 

 胸を押さえるジェスチャーから判断するに結構堪えているらしかった。

 それでもしっかりとアイテム要求をするのだからしっかりしている。

 しかし助け合いならまだしも馴れ合いなんかを望んでいない俺にとって、キリトの対応は好ましく思える。

 

「じゃあ遠慮なくいくぞ。ニーヴァを拠点にしていたんなら《ウアラの羽》を幾つか持ってないか?」

 

 ウアラの羽とは樹海に出現する鳥人ウアラがドロップする素材アイテムの名称だ。

 翼があるのに空を飛ばず、俺と同じくらいの身長で鉤爪と嘴を駆使するモンスター。

 攻撃面よりも異様に堅いカラス羽の防御と、隠蔽スキルによる隠密行動が厄介な奴だったと記憶している。

 ポチが参戦する前は、それなりに手強い相手だった。

 

「確かあった筈。えっと、全部で十個ある」

「なら四個で良い。それで見返りは充分だ」

 

 考えるまでも無く交渉成立。

 直ぐにメニュー画面を開いてアイテム・ウィンドウをクリック。

 その中から要求アイテムをトレード欄に移して相手を選択後、ウアラとの戦闘を思い出して感傷に浸りながらOKボタンを押した。

 

「ソレ、鍛冶関係に必要なアイテム? オーダーメイドとか」

「当たらずとも遠からずってところか。《フリーベン》東区の鍛冶屋でウアラの羽採取のクエストがあるんだ。ウアラの羽六個でフェルザー・コートと交換してもらえる」

「えっ、マジ?」

 

 その鍛冶屋なら防具購入のついでに顔を出したのに、そんなクエストの影は見るも形も無かった。

 鍛冶屋というより鍛冶工房。

 見る限り頑固者っぽい男性NPCを思い出して首を傾げてしまう。

 

「多分、その鍛冶屋を五回以上利用する必要があるんだと思う。βテ……攻略本にも無かったから、俺も最近まで知らなかった。防御力はそこそこ高いらしいし、何より隠蔽ボーナスがあるって話だ」

 

 何でもこの情報はまだそんなに広まっていないらしい。

 もし広まれば、獣人の樹海には更に多くの人が集まる事になるだろう。

 ただでさえポチの事もあり、シルバー・ヴォルクのテイムを目指すプレイヤーが殺到しているというのに。

 リーヴァス・ダガーにフェルザー・コート。

 このままだとゴブリンエイプとウアラは狩り尽されてしまうのではないだろうか。

 

「それは確かに助かる。でも、そっか……そういう条件付きのクエストもあるんだ……奥が深いなMMO」

 

 そういった行程を踏まないと起こらないクエストというのを初めて知った。

 こんな事なら姉ちゃんに誘われた時、他のMMOを試しにやってクエスト慣れしておくべきだったと少しだけ後悔しながら、俺も食事を全て平らげる。

 時間が経つのは早いもので、話し始めて一時間以上が経過していた。

 雰囲気的に、そろそろお開きの時間が迫っている事を察する。

 

「教えてくれてありがとう。最後に一つだけ良い?」

「ああ、いいぜ」

「キリトの今のレベルを教えて欲しいんだ。攻略組に入る目安として」

 

 初対面でレベルを訊ねるのはマナー違反。

 それでも重要な事だから自重する気は毛頭無い。

 キリトが眼を丸くして驚いているのを雰囲気で察しながら、俺はキリトの頭上を見つめる。

 そこに表示されているのは緑色のHPバーのみ。

 レベルを目視するのは不可能だ。

 

「……ハァ……俺が攻略組を目指すって言うと、絶対に皆変な顔するんだよなー。そんなにおかしい?」

「そりゃ、だって……シュウみたいな子供が――」

「関係無い」

 

 言葉を途切れさせたキリトから視線を逸らし、残りのメロンソーダを一気飲みしてから改めて視線を戻す。

 自分自身で再確認するように、考えと決意を口にしながら。

 

「年齢なんて関係無い。大事なのは年齢よりも、強くなりたいって意志と、絶対にこのゲームをクリアしてやるんだっていう決意」

 

 年齢なんて関係無い。

 このデスゲームにいる時点で、俺達はただゲームクリアを目指すプレイヤーに過ぎないのだから。

 

「プレイヤーが攻略を目指して何が悪いってんだ」

「……炭酸で涙目になりながら言われても凄みがなぁ……」

「茶々を入れるな馬鹿キリト! 空気読めっ!」

 

 せっかく俺がカッコイイ事を言ったのに色々と台無しにしやがって。KYキリトめ。

 親の仇と思わんばかりに睨み付ける。

 その凄みに当てられ――ではなく、涙目の子供に睨み付けられる事で罪悪感が沸いてしまい、思わず怯んでしまったというのは、俺にとって知りたくも無い情報の一つである。

 

「わ、悪かったって。……しかしなんだ、随分と情報と違うな。噂だと言動も毒舌でマセてる奴って聞いてたんだけど……」

「子供っぽくないっていうのは自覚ある。でも口が悪くなるのは相手による。ナメられたら終わりだから」

 

 ただでさえ俺は侮られ易い。

 ちょっとでも付け入る隙を見せたら終わりだ。

 どんな事に利用され、罠に陥れるターゲットにされるか分からない。

 「あ、コイツなら行けるかも」と思われるだけでアウトなのだ。

 数の暴力にでもなったら目も当てられない。特に三日前の傲慢な大人達みたいな人種は要注意。

 そう思っていると、その顔色から色々と読み取ったらしいキリトが、納得顔で頷いているのが視界に入った。

 

「……成る程な。だから強さが欲しいのか。一人でも生きて行けるように」

「まあ、そんなとこ」

 

 どこか遠くを見ながら空になったグラスの中の氷をガリガリと噛み砕いている俺と、その姿を見て苦笑し、同情するような視線を見せるキリト。

 その後も俺達は別れるまで、ほんの少しだけ情報を共有し合い……訂正、ほぼ一方的にキリトから情報を貰い、昼食を終える。

 その話で分かった事だが。さっきデュエルをしていた相手は同じ攻略組でソロプレイをしているラグナードという高校生である事が判明した。

 西洋甲冑みたいな第八層ボス討伐で共闘した際にドロップ品であるレアアイテムをキリトが偶然手に入れ、その所有権について難癖を付けてきたからデュエルで決着を付けたという事らしい。

 ドロップ品は拾った人のものという取り決めがあったにも関わらずコレだ。

 キリトが言った嫉妬深いの気持ちがよく分かる。

 

「ふーん。キリトも大変なんだ……って、あれ、いつの間にか混んできた?」

 

 今の時刻が十三時という状況もあって喫茶店も大分混み合ってきた。

 という事は、自然と人の目も多くなるという事で、

 

「なんか周囲の視線が気持ち悪い」

「主にお前一人の所為でな」

 

 やはりポチを連れる俺は目立つらしい。

 どうもこの好奇な視線に慣れる日が来るとは思えなかった。

 

「そろそろ俺は行くよ……その前にシュウ、今のレベルは?」

「12」

「そうか、俺は22だ。レベル上げも良いけど、《狂戦士》みたいにならないよう気を付けろよ」

 

 その圧倒的なレベルに唖然としていると、聞き慣れない単語が耳に飛び込んで来た。

 

「狂戦士?」

「そう言われている女性プレイヤーがいるんだ。異常なまでに経験値稼ぎとボス攻略に執着する攻略組の一人がな。そいつみたいに無理はするなよ。……ご馳走様」

 

 キリトは席を立つと出入り口へと歩いて行く。

 気付いたら俺は席を立ち、その細身ながらもどこか強者の雰囲気を纏う彼の背中に声を掛けていた。

 

「あの、さ……ありがとう、色々と教えてくれて!」

「……アイツを見捨ててソロに走ったから……免罪符のつもり、だったのかもな……」

 

 そう呟き、罪悪感に塗れた目をしながら出て行くキリトがとても印象深かった。

 

 

◇◇◇

 

 

 第九層で新しく発見されたクエストや販売されている武具の情報を集め、活動拠点を第八層主街区《フリーベン》に移してから一週間が経過した。

 あのデュエル風景とキリトの強さが忘れられず、日に日に高まる強さへの欲求を抑える事が出来ずに寝る間も惜しんでレベルアップに精を出していた俺は、確かに経験値中毒者という評価を否定出来なかった。

 

 しかし一日平均睡眠三時間からくる過度な戦闘時間と、樹海よりも強いモンスターがいたため沢山入る経験値のお陰でレベルも16に達する事が出来た。

 実質、あともう少しで攻略組を名乗って良いレベルだと思っている。

 ただ、この猛追も段々と期待出来なくなる筈だ。

 レベルが上がればそれに応じて必要経験値も多くなる。

 あとレベルも1・2上がれば、この八層でのレベル上げも大分きつくなると予測出来た。

 だからこそ、この森林型のフィールド・ダンジョンでの活動は今日で終わりという意気込みで臨んでいる。

 

「そりゃぁああっ!」

 

 曲刀の縮小版みたいな反りの強くて蒼い短剣――リーヴァス・ダガーが、ソードスキルのサポートもあって目の前の《サールプラント》を切り刻む。

 二連撃ソードスキルによって二本ある触手を切り落とされ、主な攻撃手段を失ったラフレシアもどきの絶叫が森林内に木霊した。

 その耳障りな音を聴きながら、身体の大半を占める巨大な花の中心に短剣を突き刺す。

 その一撃は元々弱っていたサールプラントの息の根を止めるには充分過ぎる一撃で、見事HPを消し飛ばした。

 しかし、

 

「やっば!?」

 

 爆散する寸前に置き土産として口から排出された紫色の霧。

 一浴びすれば一定時間HPを削っていく厄介な毒の息から身を逸らすため、後方向かって力強く大地を蹴る。

 時間にしてほんの数秒。その僅かな滞空時間を狙うかのように突進を仕掛けてくるのは、見た目は巨大なスズメバチ型のモンスターだ。

 

「ポチ!」

 

 策敵スキルを廃して新たに得た使い魔交信スキルによる指示に従ったポチが、そのスズメバチに横から体当たりをぶちかます。

 ポチの援護で針の直撃だけは避ける事が出来た俺は、黒色で裾の長いフェルザー・コート越しに掠った攻撃でHPが数%消失するのを自覚しながら、着地すると同時に再び大地を蹴った。

 狙いはもちろん、前方でポチに噛み付かれているスズメバチ。

 単発重突進技《ウィースバルグ》のクリティカルヒットをまともに食らい、追い討ちとばかりに叩き込まれたポチの爪撃を受けて爆砕音と共に砕け散ったのは当然と言えるだろう。

 時間にして僅か一分。

 それが今、二体のモンスターを葬るのに要した時間だ。

 

「やっぱり識別スキルじゃなくて使い魔交信スキルにしたのは正解だったか」

 

 自らのAIプログラムに従って独自に動く使い魔に指示を出せるこのスキルは本当に役立つ。

 お陰で戦闘中は自由気ままに動き回っていたポチの手綱を握る事が出来るのだ。

 まだまだ熟練度が低くて指示を聞かない時もあるけれど、今回はちゃんと動いてくれたポチにはグッジョブという言葉を送っておこう。

 リアルだったら松坂牛を与えてしまう程の働きぶりだ。

 

「お、解毒ポーションゲット」

 

 近くに湖もあるこのダンジョンの特色として、出現するモンスターには毒持ちが多い事が上げられる。

 度重なる戦闘でポーションが切れ欠けていたので、切り株の根元にあったトレジャーボックスで補充出来たのはかなり大きかった。

 ちなみにこの宝箱は時が経てば再びダンジョン内にランダム配置されるため、宝箱が枯渇する心配も無い。

 中身もランダム。

 今装備している装備者の敏捷力を+5してくれるヘイスブーツも宝箱からの獲得品。

 実は俺の所有する唯一のレアアイテムだったりする。

 

「ハァ……またか」

 

 唸り声を上げ、小さく一度だけ吼えたポチの頭を撫でる。

 何故かこのポチはフィールドに出ている間は常時周囲を索敵しており、吼える回数と視線の向きで敵の数と方向を教えてくれる。

 かと言ってコレは指示が出来なかった最初の頃からやっている事なので、俺としては狼の野生本能?に従い常時周囲を警戒していると思いたい。

 宿屋内ではただの愛玩動物と化している分際で何を言っているのかと思わなくは無いけれど。

 

「アイツを倒したら帰ろう。もう夜明けが近いし、流石に疲れた」

 

 ポチの索敵スキルで敵を発見し、数が少なかったから自身の隠蔽スキルを駆使してモンスターに近付き、背後から攻撃。

 その後ポチと一緒に畳み掛ける。

 これがポチと出会ってからの基本戦術であり、ソロで生き残るための知恵。

 無茶無謀は最大級の敵だ。

 

「HPはオーケー。武器と防具の耐久値もオーケー。よし、問題無い」

 

 戦闘は沢山こなすが危険は冒さないというポリシーで戦っている俺は、まだ本当の意味で危険を冒すという意味での冒険をしていないのかもしれない。

 現にHPバーも赤の危険域へ達した事も無ければ、敵からの攻撃を受けて死ぬかもしれないという恐怖を味わったのは、第一層で初めて行った戦闘で受けた初撃に対してのみだ。

 HP満タンの状態で受けるフレンジー・ボアの攻撃など、今考えれば死への恐怖になりえない。そう分かっていても取り乱してしまったのだから俺もまだまだ青かった。

 

 

 

 ――だからこそ、この数日後に待っていたあの出来事は、俺が感じる初めての死への恐怖だった。

 

 

 

 

 




原作だとβテストで到達したのは十層までですが、アニメを参考にしてしまったため、この物語では八層まで到達ということになっています。
ご了承願います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三話 家族と女神様

 数千人規模のプレイヤーが住んでいる《はじまりの街》。

 その東七区の川べりの教会前に俺とポチの姿はあった。

 街にある教会の中でも小さい部類に入る教会で、ちょっとした城程のサイズがあるゲート広場付近の教会と比べると、二階建ての教会というのはどうしても小さく感じてしまう。

 約一ヶ月半ぶりの帰還に心を躍らせて先生と皆に会うのを楽しみにしている俺は、ポチと一緒にいても予想以上に寂しかったのかもしれなかった。

 

「ただいまー!」

 

 両開きの扉を蹴破って元気良く我が家に入っていく。

 そう、我が家だ。

 ホームタウンにしている《フリーベン》の宿屋とは別に、SAO内の家族が待つ温かい家。

 ここに居たのは一週間にも満たなかったけれど、それでも俺が「ただいま」を言うくらいには愛着がある。

 正面に見える祭壇も、両脇に並んでいる古ぼけた椅子の行列も懐かしい。

 そして、俺の登場に目を丸くしている祭壇近くで遊んでいた五人の子供達も――。

 

「え~と、先生いる? またはギンやケイン、ミナでも良いんだけど」

 

 ここにいる皆とは面識が無かった。

 おそらく俺が出て行ってから先生に保護された奴らだろう。

 まあ、俺が一番の古株で、その後にギン達三人が先生に保護されて直ぐに俺は教会を出たから、今居る皆は話に聞くだけで大半とは初対面な訳だが。

 

「…………」

『…………』

 

 俺達の視線が混じり合い、果てしなく続く沈黙が痛い。

 しかし、それは唐突に破られた。

 

『モンスターだぁあああああっ!?』

 

 わざわざ説明しなくても分かるだろう。

 そう、ポチを見た初対面の家族達の悲鳴によって、この祭壇フロアは阿鼻叫喚のカオス劇場と化した。

 

「ちょっとストップ! コイツは仲間で俺はここの住人だから! というより先生やギン達から俺のこと聞いてない!?」

 

 やはりサプライズを狙って連絡もせずに来たのが不味かったのだろうか。

 部屋を震わす程の大音声に負けじと、喉を潰す勢いで落ち着くよう声をかけるが効果無し。

 その騒ぎが珍しいのか、又は好奇心を刺激されたのかは定かではない。

 まるで本物の犬のような動きで彼らに近寄るポチの姿には、思わず怒りが込み上げてしまった。

 その接近を察して恐怖がピークに達した面々は、我先にと祭壇右手の部屋へと逃亡する。

 というよりポチ、煽ってどうする。動きが自然すぎて、本当にお前はAIプログラムなのか小一時間ほど問い詰めたい。

 すると、

 

「いったい何の騒――」

『ミナ姉ェ!』

 

 駆け込む前に扉が開き、中から出てくるのは俺より二つ上の女の子。

 髪の両脇を短く紐で括り、茶髪のロングを一本の三つ編みにして背中に流し、俺より身長が高い――これ重要。というより皆、俺より背が高い――少女。

 やっと知り合いに会えた事で俺の顔も自然と綻び、入り口近くに立っている俺を見て、ミナは顔を輝かせた。

 

「シュウちゃん!」

「ちゃん付けは止めろっ!」

 

 群がった子供を押し退けながら嬉しそうに走って来るミナ。

 しかしその途中で椅子に躓いて転ぶのはご愛嬌だ。

 先天的なドジっ子属性持ちをナメてはいけない。

 転んだ拍子にぶつけた額を押さえて蹲っているミナを心配して皆が近寄り、接近に気付いたミナが年上としての威厳を保とうと痩せ我慢している。

 泣き虫臆病の癖に頑張っている様を見て、その見慣れない姿が可笑しくて、俺は久しぶりに心の底から盛大に笑った。

 

(帰ってきたんだよなぁ。一時的なもので、その分レベル上げが遅れるんだけどさ)

 

 それでも、訪れるには充分価値のある温かい光がここにはあった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

「ギンとケインが買い物で、先生と他数名が外?」

「うん。シュウちゃんが帰ってきたってメッセージを送ったから、直ぐに帰ってくると思うよ?」

「だ・か・ら、ちゃん付けは余計」

 

 これは暢気にウーロン茶を飲んでいる俺とミナの会話。

 

「すげー! かっけえ!」

「かわいい! フサフサー!」

 

 そしてこれが祭壇フロアで遊んでいた面々の声だ。

 簡単な自己紹介はもう終えて、ポチの事も説明したので大事には至っていない訳だけど、祭壇フロアの奥にある一階広間は現在お祭りと化している。

 二つある長テーブルではなく、その端に設置された小さな丸テーブルで現状報告をし合った俺とミナは、揃って騒ぎの現状に視線を移した。

 あまりにも五月蝿すぎるために。

 

「なあシュウ! 他にはもう無いのかよ!?」

「シュウくん! ポチちゃん私に頂戴!」

「ああー! ずるいよミミ! ポチちゃんは私のだもん!」

「やかましい! 武器はそれで全部だし、ポチは却下!」

「あの……えっと……もうちょっと静かにね、みんな……」

 

 男供は俺が手に入れたドロップ品達をもっと見せろケチケチすんなと騒ぎ立て、女の子達は愛玩動物を寄越せと群がってくる。

 現在ここにいるのは俺とミナを含めて七人。外出している子供は五人。俺を除くと総勢十一人の子供と先生が教会で暮らしている事になる。

 この一ヶ月で随分と大所帯になったものだ。

 今までの仕送りで足りているか少し不安になってしまう。

 この人数だと食費だけでも馬鹿にならない。お布施をする事で教会を宿屋代わりに使用しているので、その家賃代も足りているか心配だった。

 

「ねえ、金は足りて――」

「シュウが帰ってきたって!?」

「シュウ! 生きてる!?」

 

 ミナに貯蓄を聞こうと思ったら、唐突に勢い良く開かれる扉。

 そこから雪崩れ込んできたのは黒色と鉄色の髪を持つ二人組。

 黒髪でやんちゃそうな少年がギン。細目がケイン。子供達のリーダー格であるミナと同じ最年長の二人だ。

 その後に続くように三人の男達――多分ギンと同年代の新入り達も入ってくる。

 そして、

 

「ただいま、先生」

「おかえりなさい。シュウ」

 

 そして一団の最後尾には、俺の元気な姿を見た所為かうっすらと涙を浮かべながら優しく微笑んでいるサーシャ先生の姿があった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 俺と先生が出会ったのはデスゲームが始まって一ヶ月が経過した頃だった。

 元々俺はゲームも好きだし外で遊ぶのも大好きな、インドア派とアウトドア派を両立させた活発な小学生。

 家にいる時はゲームをするか読書に耽るかのどちらかだった。

 ただ、そのゲームとは世間一般的なテレビゲームの類で、七歳も歳の離れた姉ちゃんとは違いMMOには興味が無かった。

 そう言うのも、MMOはゲームの性質上、長時間ゲームに時間を割けなければ強くはなれず、楽しめないかもしれないというのを姉ちゃんに教えられていたからだ。

 それは外で野球バッドを振り回し、近所の道場で棒を振るって汗を流すという行為を心底楽しいと思っていた俺にはキツイものがある。

 しかし、そんな考えをしていた俺にも転機が訪れた。

 仮想世界に旅立ち、実際に剣を、武器を振るってモンスターを倒せるゲーム世界の革命児。

 ソードアート・オンライン。

 大好きなゲームをしながら身体も動かせるという夢の両立を果たしたSAOに関心を抱き、同時に茅場晶彦を崇拝し始める自分が現れる。

 だから俺は、年齢制限にも引っ掛からず、幸運にもSAOとナーヴギアの購入に成功した姉ちゃんが羨ましかった。

 同時に姉ちゃんの修学旅行の日程とサービス開始日が重なったのは行幸だとも思った。

 ちょっとプレイし、後でデータを消して返せばいい。

 姉ちゃんも俺の気持ちを知ってか「私がいない間はプレイしてみても良いよ。でも、ちゃんと返して貰うからね?」という言葉をお見送り先の玄関で告げられ、俺は嬉々としてSAOにダイブした。

 

 説明に従いアバターを作成。

 現実世界の俺は道場で薙刀を振るっていたのだが、ここには槍はあっても薙刀が無い――槍派生のエクストラスキル薙刀の存在をまだ知らない――ので、どうせデータは消すのだから真剣に選んでも意味が無いと適当に短剣を選択した。

 型が似ている槍を選択しなかったのもコレが理由だ。

 しかし、俺にはRPGのプレイ経験はあれどMMOはよく知らない。

 だからこそ、街で装備を揃えて五分も経たずに始まった茅場晶彦のゲーム説明を受けた時もこういう設定なのかもしれないと最初は思ったし、実際に死ぬと言われても実感が沸かなかった。

 そう、これがデスゲームだと本当の意味で理解したのはチュートリアルが終わって三十分後。

 試しに街の外に出てみて直ぐに遭遇した交戦中のお兄さんが、俺の目の前で無数のポリゴン片と化して消滅した時だ。

 

 獰猛そうな牙に血走った眼つきが印象的の、相手は青いイノシシ《フレイジー・ボア》。

 驚愕と恐怖。

 様々な感情に支配された名も知らぬプレイヤーは、最後まで信じられないという表情をしたまま命を散らしていった。

 その時に感じた負の感情が、消える寸前に交わった視線からダイレクトに伝わってくる。

 命が終わり、何もかも失う人の、絶望と恐怖に塗れた目が未だに忘れられない。

 その散り様は自分自身の死亡を幻視させるほど衝撃的で、ログイン前には存在したモンスターと戦うという闘争心をへし折り、根深い恐怖を植え付けるには充分過ぎた。

 

「あ、ああ……あぁああああああああああっ!?」

 

 正直、この後の事はよく覚えていない。

 どうやってその場から逃げたのか。又は倒す事が出来たのか。どういう経緯を経て宿屋にチェックインしたのか。

 気付いたら街角にあるボロボロの宿屋で震えていた俺に今はもう思い出す術は無い。

 間近で感じた死の恐怖に心を凍らせ、失って初めて気付く家族の温もりを渇望して涙を流す。

 救いなのは精神的ショックから食べ物を食う気になれず、所持金の半分以上を宿屋代に回せた事だろう。

 二日に一回という頻度だったため金が浮いた。

 しかし、何もせず宿屋に一ヶ月も泊まれば所持金も尽きる。

 本当なら何か稼がなくてはいけない。だが、何かをする気にもなれない。

 まるで廃人のように心を失い、姉ちゃんと父ちゃんの笑顔を思い出しながら街角で膝を抱える。

 その時だった。

 

「君……どうしたの? 大丈夫?」

 

 ゲームシステム上、感情表現が豊かになってしまうこの世界では涙が枯れる事は無い。

 もはやデフォルトで涙を流す俺に声を掛けたのは、暗青色のショートヘアで黒縁眼鏡を掛けた二十歳前後の女性。

 それがサーシャ先生だった。

 何を話したかは全く覚えていない。

 しかし途切れ途切れの会話をした後に手を引かれ、連れて行かれた先生の宿屋で共同生活が始まった事だけは覚えている。

 食事と寝る場所を与えてもらい、泣いてしまう時はギュっと抱きしめて慰めてくれる。

 朝も昼も夜も、起きている時も寝ている時も、唐突に泣き出す俺の面倒を見てくれ、親代わり、姉代わりとなって接してくれるサーシャ先生。

 そんな先生の優しさと愛情はボロボロの心を次第に癒し、先生というこの世界での家族を得た事で多少元気になると、俺を叱る厳しさも時々見せてしっかりと教育してくれる。

 リアルでは教育者志望だというサーシャ先生はこの仮想世界でも先生として振る舞い、時には家族として接し、俺の中の初日の恐怖を一時的にでも忘れさせてくれる。

 

 そんな先生と出会って数日後、二人だけの生活にギン達三人が加わった。

 俺以外にも子供を保護しようと決意した先生が初めて見つけた子供達。

 それがギン達だったのだ。

 

「ここはもう狭いし、皆で引越ししましょう」

 

 そして始まる教会での生活。

 ほぼ同年代の友達兼家族を得た俺がいつもの『俺』になるのに、そう時間は掛からなかった。

 ギンやケインと馬鹿やって、ミナが俺を弟扱いして『ちゃん』付けし、俺達のやりとりを見て先生が笑う。

 先生は元々ゲームクリアを目指していたのでモンスターからの収入もあり、贅沢は出来ないけれど飢える事の無い共同生活は楽しかった。

 しかし、俺は知っている。

 ミナが夜な夜なベッドで泣いているのも、俺達に見付からないようにギンとケインが人知れず泣くのも、先生が俺達を不安にさせないように恐怖を押し殺しながら気丈に振舞っているのも知っている。

 それにコレは現実であり仮初でもある非常に不安定な生活、俺達はゲームシステムに支配・管理された仮想体に過ぎない。

 先生に添い寝をしてもらっていた度に人の温もりを思い出し、より家族に会いたくなっていたという理由もある。

 だけど俺はゲームシステムに管理された仮想体ではなく、新たな家族と生身で触れ合い、現実世界で思う存分遊びたい。

 もう家族に会えないかもしれないと不安になるのも真っ平だ。

 皆が時々見せる不安な表情も見たくない。

 

 だから俺は、自分のため、そして新しい家族のために、戦う事を決めた。

 この世界に入る前に抱いていた闘争心を復活させ、自分と先生達の平和な日常を取り戻す。

 きっかけはこんなものだった。

 そんな僅かな英雄願望を抱き、家族の温もりに想い焦がれながら、俺の冒険が始まったのだ。

 

 

 ◇◇◇

 

 

「おい、それは僕の肉だぞ!?」

「隙を見せたアキが悪い……って、俺のパン取ったの誰だ!?」

「ハッハッハ! 油断したソニカが悪いんだよ!」

「ねえ、ポチちゃんってご飯食べたりするのかな?」

「やっぱりお肉? あ、私シチューおかわり!」

「私も!」

「僕も!」

 

 という昼食風景と会話から、現在ここがどんなに騒がしいかを物語っていると思う。

 目の前の長テーブルは正に戦場で、俺と同い年の五人の面倒を見ているギン達三人には少しだけ同情してしまう。

 離れた丸テーブルに座って昼食を食べている俺達と比べれば、この平和で落ち着きのある食事風景が際立って見えた。

 それにしても、先生はやはり料理スキルを上げているらしく、ここの食事は他とは比べ物にならないほど美味しい。

 聞けばミナも料理スキルを上げているらしいので本当にここに住む子供達は恵まれている。

 

「――仕送りは使ってない!? 何やってんの先生!?」

「シュウが心配しなくても大丈夫なのよ? 私だって巡回の合間にフィールドに出て稼いでいるから。それに、心配しなくても大丈夫だって言ったじゃない」

 

 ここで言う巡回とは、先生や皆が一日一回やっている見回りのことを指す。

 毎日一エリアずつ見て周り、助けを求めている子供がいないか探すのが、ここに住む皆の唯一の仕事と言って良い。

 その巡回があるからこそ子供達はここに集まり、こうして笑顔で生活している。

 混乱状態の極みにあるだろう子供にとって、この教会の存在は恐怖を打ち負かす希望になる筈だ。

 

「確かにそうだけどさ。いつ金が必要になるか分からないんだから、ちゃんと持っといてよ」

 

 おそらく、これからも家族は増える。

 そうなると先生一人では全員分の生活費を賄えない。

 その事は先生も分かっている。分かっていて尚、俺の仕送りを使わない大人としてのプライドに不満を持つし、同時に良い先生だとも思う。

 

「その事だけど、シュウに相談……いえ、お願いがあるの」

 

 シチューをすくっていたスプーンから手を離し、真剣な目で俺を見てくるサーシャ先生。

 そのお願いに何となく思い当たる節はあるけれど、残念ながら確証は無い。

 俺も食事の手を止めて怪訝な顔をしていると、今まで空気だった三人が先生の代わりに口を開いた。

 

「俺達も戦いたいんだ」

「だから君が稼いでくれたお金を、僕達の旅立ちの資金として使わせて欲しい」

「少しの間で良い。ついでに戦い方とかも教えてくれないか?」

 

 簡単な自己紹介でリク・カイ・クウと名乗った三人――それぞれが宮崎陸斗、菅原戒、森永空という幼馴染らしい――が、揃って頭を下げてくる。

 先ほど街外へ出ていたのは彼らのレベル上げのためで、先生は俺の時と同じように監督役を務めていたらしい。

 皆の生活費を稼ぎ、攻略組をサポートするために中層プレイヤーになろうと頑張る彼らの頼みを無碍にする筈が無かった。

 しかし、一つを除いて。

 

「良いよ。好きに使って。でも、戦闘指南は無理」

 

 初めて会った時の装備で分かった。

 彼ら三人の中には短剣使いも槍使いもいない。

 武器は片手長剣と両手剣、それにメイス。

 俺では戦闘スタイルが違うので教える事は難しい。

 それでも戦闘における注意やポジション取り等を教えられるかもしれないが、俺は情報以外を教える気は無かった。

 

「俺……このあと直ぐ最前線に行くから。それに人に教えられるほど余裕が無いんだ。ごめん」

 

 腑に落ちない顔をした三人が文句を言わない内に先手を打つ。

 日々レべリングに勤しむ俺には人に構う余裕なんて無い。

 こうしている合間にも攻略組とのレベルや実力差は広がるばかりだ。

 キリトクラスの強さを身に付け、この世界から皆揃って脱出する。

 そのためにも時間を無駄に出来ない。

 例え家族の頼みと言えど、それだけは活動の妨げになる行為を容認する訳にはいかなかった。

 

「そこを何とか――」

「ダメよ、リク。無理を言っちゃ」

 

 それでも食い付こうとするリクを窘めている先生には感謝だ。

 先生も少し納得出来ないのは顔を見ればよく分かる。

 それでも俺の想いと本気を知っているだけに引き下がってくれるのは、そこら辺はやはり大人と言うべきか。

 

「フレンド登録はしてあるから、何かあったら連絡して。あとコレもあげる」

 

 トレード・ウィンドウを表示し、リク達にアイテムを渡していく。

 ハーブルソードを始めとした武器達に、鎧や盾といった防具品。

 どれもドロップ品やトレジャーボックスから獲得したアイテムだ。

 まだ彼らの筋力値では装備出来ないだろう。

 それでもレベルが上がれば装備出来る。

 どうせ装備しない俺には売るしか選択肢が無いので、彼らに装備してもらった方が装備品も幸せだと思う。

 

「それじゃあ俺はもう行くから。ご馳走様」

 

 別れが惜しい。けれど立ち止まる訳にはいかない。

 正面扉に向うと皆が付いてきてくれて、ちゃんと見送ってくれる。

 その事が嬉しく、同時に心配させるのは申し訳ないと思う。

 泣いているミナを見れば余計に罪悪感が込み上げてくる。

 

「シュウ、無理はダメ。危なくなったら逃げるのよ?」

「……行ってきます」

 

 正面から先生にハグされ、照れ臭さを感じながらもしっかりと抱き返す。

 先生の優しさ、周囲にいる皆の声。

 これでしばらくは大丈夫。

 ポチもいるし、この温もりと声援を糧に、また戦っていける。

 疲れたり、ホームシックに掛かったらまた来れば良い。

 他の皆とは違い、俺には帰る家と家族がいるのだから。

 

「シュウ、装備ありがとうな!」

「また帰って来いよ!」

「バイバイ、シュウくん! ポチちゃんもね!」

 

 皆の姿を目に焼きつけ、更にゲームクリアの決意を固めて教会を出る。

 転移門に向って数十分後、現在の最前線――第十層主街区《リートバルド》に俺達の姿はあった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 《ジュエリーラット》。

 高経験値・高金・確定レアドロップ品持ち。

 そんな三拍子が揃った狩られるためだけに存在する宝石鼠の噂が立つのは当然の事であり、俺達攻略組予備軍以上の高位プレイヤーの間で噂が広まるのはかなり速かった。

 デスゲームが始まって三ヶ月。

 現実世界だと二月に入った今、アインクラッドは第九層まで攻略されて全体の1/10攻略に差し掛かっている。

 そして、現在の最前線である第十層のフィールド・ダンジョンに出現するレアモンスターの強さは第一層並みの下の下。

 隠蔽スキルと敏捷力が極端に高い攻撃力皆無なモンスター狩りが流行るのに一日も掛からなかった。

 ジュエリーラットの出現が唯一確認されている地下遺跡型フィールド・ダンジョン《地底街区》は、腕に覚えのある上位プレイヤーで溢れている。

 かく言う俺もその一人であり、教会を出発して三時間、俺は地底街区の南東を探索していた。

 

「ラスト!」

 

 短剣下位ソードスキル《ライドスラッシャー》。

 下からアッパー気味に振り上げられた逆手に握られた短剣は、アンデッド型モンスターの《スカルソルジャー》の顎を正確に捉え、その大人ほどの体格を切り付けながら上空高くに吹っ飛ばす。

 着込んだ鎧をガタガタ揺らして錆びた剣を零れ落とす骸骨は見事な放物線を描き、地上に到達する前にバシャアッという独特の破砕音を響かせて砕け散る。

 先ほどまで騒がしかった周囲は怖いくらい静まり返り、戦闘が終わった後の余韻は地上から吹き込む隙間風と共に訪れ、俺の黒髪を優しく撫でる。

 天井にびっしりと生える光苔の効果で松明要らずの地下世界は、周囲が静かな所為かどこか寂しさに満ち溢れていた。

 

「ほら、ポチ」

 

 コートに隠れたポーチから回復ポーションを取り出し、それをHPが半分近く減っているポチに飲ませてあげる。

 俺の補助を受けてポーションを呷る姿は、いつかテレビで見た動物園の白熊の赤ん坊が哺乳瓶でミルクを飲んでいる光景を連想させ、見ていて非常に和む。

 苔や蔓に覆われた石造りの街中で暫しの癒しタイムを満喫し、休憩も兼ねてポチの毛並みを手櫛でブラッシングする俺の手付きも慣れたもので、心成しかポチも気持ち良さそうに眼を細めているようだった。

 俺の獲得する経験値に比例して自動的に成長するポチの並外れた索敵スキルがあればこその余裕。

 バックアタックを主戦法にしているため右肩上がりの隠蔽スキルも味方し、崩れた廃屋の隅にいる俺に気付くモンスターは早々いないだろう。

 まあ、モンスターかプレイヤーが接近すればポチが気付くのだが。

 例えばこんな風に。

 

「数は一体。今度こそジュエリーラットだと良いなぁ」

 

 呟いて、確率はかなり低いと自己完結する。

 それはジュエリーラットが時間や期間限定で出現する特殊モンスターの疑いがあるからだ。

 第九層が攻略されて二日。

 そしてジュエリーラットが確認されて一日以上が経過してほぼ全ての上位プレイヤーが集まっているにも関わらず、遭遇数は極端に少ない。

 元々この地底街区が第十層地下全域に相当する広大なダンジョンなため遭遇頻度が低いという理由もあるだろう。

 しかし、それでも流石に少な過ぎる。

 それに攻略組クラスのプレイヤーが一気に二つもレベルアップしたというのも中々にパワーバランスを崩壊させるありえない数値だ。

 以上の事から、このモンスターは出現に限りがあるボーナスモンスターという推測が有力化していた。

 現在討伐された数は八体。

 数だとしたらキリの良い十体。時間だとすれば第十層に到達して三日間。

 その間に出るモンスターだと判断し、普段は迷宮区に出入りしている攻略組も地底街区に狩り出していた。

 

「……ポチ、グッジョブ」

 

 震える口を動かし、思わず相棒を褒め称える。

 何故なら、俺達の目の前二〇メートル程にいるからだ。

 金色の体毛に長い尻尾。ルビーやサファイアが直接埋め込まれたような光沢を放つモルモット大のネズミ。

 事前に入手した情報と合致する。ジュエリーラットが俺達に背を向けていた。

 

(くそっ、投剣スキルや忍び足スキルを習得しとけば、あんな雑魚、簡単に倒せるかもしれないのに)

 

 今のレベルは第九層のダンジョンでレベリングに勤しんだ結果18に達している。

 次にスキル追加制限が増えた場合上記の二つのどちらかをスロットに入れる事も視野に入れ、無いもの強請りをしながら、俺は自前のスキルに頼らない忍び足でジュエリーラットに近付いた。

 俺の短剣スキルの熟練度は現時点で約二割五分といった所で、その中でも最大射程・最速を誇るダッシュ技の範囲内に入るまで、あと五メートル。

 その道のりが永遠にも感じられる、信じられないくらい長い距離。

 その道を俺は進む。

 しかし、

 

「あっ!?」

 

 あと少しという所で接近を感知したジュエリーラットは疾走する。

 俺達の手から逃れるために。

 

「ポチ、追え!」

 

 確かにジュエリーラットの足は速い。

 その小さな姿から見失ってしまう可能性も高いだろう。

 しかし、こちらにはポチがいる。

 使い魔交信スキルでジュエリーラットを追うように指示し、走り出すポチを追いかける形で俺も鬼ごっこに参加する。

 あとはひたすら我慢比べ。

 俺達を引き離す方が速いか、ジュエリーラットを沢山ある袋小路に追い詰める方が速いか、二つに一つ。

 当然、負ける気は毛頭無い。

 

「くっそっ! すばしっこい!」

 

 先導するポチに従ってひたすら走る。

 大通りを、小道を、時には建物の屋上から飛び降りたりもした。

 既にジュエリーラットは視界ギリギリにしか見えず、いつ見失ってもおかしくない。

 だからジュエリーラットの位置を正確に掴んでいるポチを見失わないように気を付け、ただ走る。

 

 

 

 ――そう、俺はポチに夢中で、ポチは使い魔交信スキルでジュエリーラットの追跡に集中していたからこそ、俺達は接近したナニカに気付かなかった。

 

 

 

 

「……っ!?」

 

 背後から飛来したナニカが服に防護されていない左掌に突き刺さる。

 システム上痛みは無いが不快感と違和感を与えるそれに意識を向け、突き刺さっているのが赤黒くて細長いピックだと認識した瞬間、引き抜く間も無く俺は転倒した。

 自らのステータスを総動員していたためスピードに乗っていた俺は、急に動かなくなった身体に違和感を覚えつつ盛大に石畳を転がる事になる。

 右手からリーヴァス・ダガーもすっぽ抜け、最初は腹、顔面、背中と続き、HPを数ドット分減少させながら転がり続け、うつ伏せの状態で漸く静止。

 そして俺は転がる合間に確かに見た。

 HPゲージを緑色の点線が囲っていたのを。

 

(麻痺毒……だとっ!? ふざけんなっ!)

 

 そもそもこのダンジョンに麻痺毒を持つモンスターは存在しない。

 本当はいるかもしれないが、今の所目撃例は無い。

 未だに存在感を発しているピックの事もあるし、これがプレイヤーによる攻撃だという事も明白だ。

 いったい誰がこんな事を。そう考えながらも使い魔交信スキルで追跡中止を命令し、先行していたポチを呼び戻したその時、石畳を歩く振動と音が伝わってきた。

 数は三つ。そして、徐々に聞こえてくる声に聞き覚えがあった。

 

「ヒャッハーっ! 流石は俺の投剣スキルぅ! 見たかよお前ら、一発だぜ、一発!」

「バーカ。こりゃ、この前手に入れたゲーデルの毒牙のお陰だろうが! グルガの手柄はオマケだ、オ・マ・ケ!」

「それにしても、レアモンスターを追いかけてるガキを見つけられてラッキーだぜ! 探す手間が省けたっつーの!」

 

 つまり、ジュエリーラットを追いかけている最中の俺を偶然見つけ、獲物を奪う事に決めた、という事だろう。

 迂闊だった。目的のモノと目の前の幸運に舞い上がり、基本中の基本である警戒を怠ってしまった。

 その結果がコレだ。

 身体が動かず、声を出す事もままならない。

 唯一の救いは《ゲーデルの毒牙》という名称だろう投擲用ピックが使い捨てであり、既にポリゴン片と化して霧散している事だけだ。

 正直、だからどうしたと唾を吐き捨てたくなる状況だけれど。

 

「これでレアドロップと金は俺達のもんだ!」

「ジュエリーラットは俺達が頂いたぁあ! ついでにリーヴァス・ダガーもゲットぉお!」

「あと五分くらいで動けるようになるさ! あばよクソガキ!」

 

 地面とキスしている状態なので見る事は出来ない。

 しかし、ジュエリーラットを追うために足を止めず走り去っていく三人――以前ニーヴァで俺に絡んできたオッサン達の容姿を記憶から引っ張りだし、俺を攻撃したオレンジプレイヤーの名前を覚えるのに、視界なんて関係無い。

 これでアイツらは犯罪者プレイヤーの仲間入り。

 新たなオレンジプレイヤーの名前を情報屋にリークしてやる。

 そう強気の姿勢を見せ、感情を高ぶらせる事で、湧き上がろうとする恐怖心を抑えつける。

 

「……ポ……チ……」

 

 アイツらはジュエリーラットを追うためにポチへの攻撃を控え、俺はポチに攻撃しないよう命令していた。

 アイツらを攻撃させる時間が惜しい。

 今は、一刻も早く態勢を整える方が大事だからだ。

 ジュエリーラットとその場での報復など、とっくの昔に諦めている。

 

「ク……ッソ……がっ!」

 

 転移結晶というアイテムがある。

 一般的なモノは青いクリスタル状で、コレは使用する事によって指定した街へ直ぐに飛んでいける便利なもの。

 転移結晶は高価なアイテムだ。しかし高価なものと言えど命には返られない。

 だから俺達プレイヤーは転移結晶を常に携帯している。

 非常脱出用に準備していた転移結晶を、ここで使わずいつ使うのか。

 使うのに躊躇いは無い。

 躊躇いは無いが、現実が使用を許さなかった。

 

(動け……動けよ!)

 

 腕が動かず、腰のポーチから転移結晶を出す事が出来ない。

 帰ってきたポチに命令してみたけど『攻撃しろ』『スキルを使え』という単純な命令とは訳が違う『ポーチからクリスタルを取り出して手に握らせろ』という複雑な命令をポチが理解出来る筈も無く、ポチは俺の側でいつも通り警戒しているだけだった。

 そして、

 

(……嘘でしょ?)

 

 

 

 ――ポチが唸り声を上げ、直ぐに脅威が姿を見せる。

 

 

 

 数分経ったため徐々にだけど動けるようにはなってきた。

 今の状況に絶望しながら全神経と力を振り絞り、全身全霊を込めて右手をポーチに伸ばす。

 その間に規則正しい足音とナニカを引き摺る音が石畳に反響する。

 その死神の足音が一歩、また一歩と近付いてきても、手を休める訳にはいかなかった。

 

「……て……んい……」

 

 ゆっくりとした足取りで現れたのは、全身に錆付いた鎧を着込み、同じく錆びた大剣を右手で引き摺る巨体。

 身長二メートルの大柄な骸骨剣士《スケルトン・マーダ―》。

 先ほど倒したスカルソルジャーとは訳が違う、地底街区でも上位であり、最強の攻撃力を誇るモンスターの魔の手が迫っていた。

 

「……カ……」

 

 転移先に《カルマ》を選んだのは字数の問題。短い名前を選んだに過ぎない。

 主のピンチを悟ったのか、それともたまたまなのか、その間にポチが単身で化け物に飛び掛かる。

 けれどもそれは横薙ぎの一撃であっけ無く吹き飛ばされてしまう。

 俺と骸骨の距離は、もう五メートルも無い。

 

「……ル……っ!?」

 

 最後の一文字。

 それを口にする事は叶わなかった。

 言葉を発しながら少しでも距離を開けようと倒れたまま上体を起こそうとした俺の行動が裏目に出て、浮いていた腹に容赦無い一撃が襲い掛かる。

 下から振り上げられた大剣の刃先は俺の腹下に潜り込み、その怪力を持って、俺の小さな身体を上空高くに吹っ飛ばした。

 その際、右手から最後の希望が零れ落ちる。

 スカルソルジャーと全く似たような構図なのは何の皮肉か。

 そのまま地面に叩きつけられ痛みは無いものの、衝撃とダメージ判定で麻痺する俺の目に飛び込んできたのは、たった一撃で三割も減少したHPバーだった。

 

(……何で……何でだよっ!)

 

 スケルトン・マーダーなら既に何体も屠っている。

 図体が大きく攻撃力だけのノロマモンスターなど、俺にとっては絶好の的だった。

 当たらない攻撃なんて恐れるに足らず。

 それなのに、この現状が信じられない。

 武器も無く、転移結晶も手元を離れた。極めつけは麻痺する身体。こんな事、完全に想定の範囲外。

 逃げるために必死で状態を起こし、涙でぼやけた視界に現れるのは、横薙ぎに振るわれた大剣。

 

「……っ!?」

 

 またもや腹に叩き込まれた大剣で俺の身体がくの字に曲がった。

 そのまま体験したくもない空中浮遊を味わい、背中から石壁に叩き付けられる。

 錆びているため叩き切るではなく叩き付けられた大剣は装備していたシルバーシャツを破損させ、情け容赦無く俺のHPを削り取った。

 残りHPは半分以下。

 そして再度振り下ろされた攻撃で――HPは一割以下にまで減少した。

 

『グァアアアアアアっ!』

 

 勝利前の雄叫びか。

 スケルトン・マーダーの咆哮は、ただ耳を通り過ぎていく。

 再度立ち向かったポチは大木の枝のように太い腕で殴られる。

 それを確認している暇も、余裕も無い。

 初の危険域に脳が限界を迎える。

 フレンジー・ボアに殺されたプレイヤーの顔。グルガと呼ばれた犯罪者プレイヤー。クライン。風林火山。キリト。ポチ。教会の家族達。サーシャ先生。

 

 

 

 ――そして、一番会いたいと願っている、現実世界の家族。

 

 

 

 麻痺毒が完全に解けるまで、あと三分。

 それが絶望的なまでに長く、背に石壁を預ける形で目の前の死を見ている俺には、振り下ろされた大剣がスローモーションに感じられた。

 走馬灯なんて、見たくもなかった。

 

(……死……い、いや、だ……っ!)

 

 しかし俺の気持ちとは裏腹に、生への渇望を嘲笑うかのような死の一撃が襲い掛かる。

 視界一杯に広がった大剣が俺の顔面を叩き潰す――。

 

 

 

 ――前に、一筋の閃光が化け物の側頭部に炸裂した。

 

 

 

『グァアアアアアッ!?』

 

 先ほどとは毛色が違う叫び声が大通りに木霊する。

 その原因を作ったのは、黄色のライトエフェクトを纏った神速の突き。

 それが細剣スキルに分類される突進技《ソニックリニアー》の一撃だと理解する頃にはもう、颯爽と降り立った女神は次の行動に入っていた。

 起き上がり、雄叫びを上げる化け物に接近。

 ソードスキルに頼らない三度の中段突きは骸骨剣士の反撃を許さず上半身を仰け反らせ、袈裟懸けに振り下ろされたソードスキルによる斬撃は、眩い光と共に胸元へと叩き付けられる。

 その圧倒的な速度で敵を翻弄する彼女に。視認する事も難しい閃光のような一撃に。

 なにより、俺の命を救ってくれた恩人の姿から、眼を離す事が出来なかった。

 

 そして、呆気無く戦闘が終了する。

 あれほど濃厚だった死の気配はモンスターの敗北と共に砕け散り、虚空に消えたモンスターから目を放した彼女は、ゆっくりとこちらを振り返る。

 栗色の長いロングヘア。最前線で売られていた白を基調とした色彩のライトアーマーに、膝丈までのスカート。

 右手に持つ細剣はスケルトン・マーダーを倒したとは思えないほど細い。

 

「君……大丈夫?」

 

 心配するような声色で近寄ってくる彼女を見て、

 

(……いや、そっちこそ大丈夫?)

 

 つい、そんな失礼な事を考えてしまった。

 まだ麻痺の所為で声を出し辛い事が幸いした。

 細剣を仕舞いながら近寄って来る彼女は先程まで死にそうだった俺が心配するほど切羽詰ったような顔をしている。

 なんというか、それでいて少し怖い。

 目尻も上がり、普段なら温厚そうな瞳が切れ長な双眸へと変化しているのは、戦闘中でテンションが上がっていたからだと信じたい。

 しかし、それを差し引いても充分過ぎるほど美人で、背後で煌くモンスター欠片の名残が彼女の綺麗さを強調した。

 

(…………)

 

 ついでに言えば表情は固い。

 それが無ければ充分なほど神々しい絵だっただろう。

 しかし、その悠然と歩いてくる姿も、先程の強さも、心の底から俺を心配してくれている優しさも、その全てが魅力的に思えてくる。

 年齢は多分キリトと同じくらいで、綺麗で強い戦乙女。

 

 

 ――それが後に《閃光》と呼ばれる彼女に抱いた最初の印象であり。同時に十歳の俺が初めて女性を意識し、見惚れた瞬間だった。

 

 

 

 




もうお察しの方もいるとは思いますが、主人公は原作でサーシャ先生に初めて保護された少年、という風に書いていました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四話 新たな出会い

 電光石火。

 そんな言葉が相応しいほど、瞬くまに敵を瞬殺してみせた彼女に言葉が出なかった。

 あまりの驚きに先程まで感じていた恐怖も忘れてしまう。

 絶体絶命のピンチに颯爽と駆け付けた閃光の女剣士。

 スケルトン・マーダーを難無く倒した実力、剣技、上位プレイヤーが放つ威圧的な雰囲気から、彼女は十中八九攻略組の一人だと思われる。

 

 

 ――狂戦士みたいになるな

 

 

 未だ正常に働かない不安定な思考の中、以前キリトに教えてもらった言葉が脳裏を過ぎった。

 確証も無ければ根拠も無い。

 だけど俺は彼女がそうだと直感的に察してしまう。

 モンスターと対峙した時の彼女には、確かに鬼気迫るモノがあったからだ。

 

(でも……)

 

 俺から見れば、狂戦士(バーサーカー)じゃなくて戦乙女(ヴァルキリー)の方が似合っていると思う。

 容姿と気迫を考慮してみても、それしか思い浮かばない。

 

「大丈夫……じゃないよね。待ってて。今、解毒ポーションを出してあげるから」

 

 出現させたウィンドウを右手で操作し、ついでに綺麗なロングヘアを靡かせながら歩み寄ってくるお姉さん。

 しかし、彼女が近寄る前に駆け寄ってくる小さな影があった。

 

「――っ!?」

「待っ、……ち……が……っ!?」

 

 俺の叫びは咄嗟にレイピアを抜いて臨戦態勢に入ったお姉さんに対するものなのか、それともHPを危険域に突入させながらも俺を守ろうと彼女に立ち塞がったポチに対するものだったのか。

 おそらく両方だ。

 痺れて動き辛い身体を無理矢理動かし、震える声で必死に叫ぶ。

 そして、ここには出現しないシルバー・ヴォルクを俺の使い魔と判断した彼女がレイピアを収めたのと、両足と腕に力が入らず前方に向って俺の身体が傾いたのは全くの同時だった。

 舌打ちをする暇も無い。ポチを巻き込むような形で抵抗空しく倒れこむ。

 

 

 ――その時、一陣の風が吹いた。

 

 

「ダメだよ。まだ無理に動いちゃ」

 

 疾風のように走り寄った彼女の敏捷力を見せ付けられ、否応無しにトッププレイヤーとしての実力を見せ付けられる。

 幸いな事に地面とキスする寸前に抱きすくめられ、仰向けにされた俺を秀麗な顔が覗き込んだ。

 ポチはちゃっかり押し潰されるのを回避しており、安堵している彼女の手には解毒ポーションが握られている。

 

「大丈夫。もう怖いモンスターはいないから、落ち着いて」

 

 彼女の言葉はどこまでも柔らかい。

 鉄仮面みたいな無表情と心地良い優しさが同居するという酷くアンバランスな表情だったけれど、その顔はとても綺麗で、失礼な印象を相殺して尚、お釣りが来る程の優しさと美しさが溢れ出していた。

 その女神然とした顔を見て、自然と頬が紅潮する。

 しかし、それは二人羽織に似た体勢でポーションを飲まされている現状と、モンスターに襲われてパニクった子供と看做されて、しかも年長者又は保母さん気分で宥められ、まるっきり弱々しい子供扱いされている事に対する恥ずかしさからくるモノだと判断する。

 

「はい、ゆっくりで大丈夫だから。ね?」

 

 その言葉を無視するように、俺は照れを誤魔化すために荒々しくポーションを呷った。

 先生やミナ、姉ちゃんと触れ合う時とはまた違う、このモヤモヤとした理解出来ない恥ずかしさから湧き出る感情を、俺はまだ知らない。

 

「……助けてくれてありがとうございました」

 

 身体中に浸透しているようだった麻痺の感触が抜け、どう致しましてと言っているような柔和な顔を下から見上げる。

 ついでに頭上にあるHPバーから緑の点線が消えたのも確認しつつ、自由に動くようになった右手をポーチにねじ込んだ。

 そして、中から取り出したのは結晶アイテム。

 但し、色は転移結晶とは似ても似つかないピンク色。

 

「ヒール」

 

 呟くと手の中のクリスタルは直ぐに砕け散り、HPはゲージいっぱいまで満たされる。

 HPを全回復させる回復結晶の効果だ。非常用に準備しておいた自分を褒めて、身近にあった死の足音が遠退いた事に心の底から安堵してしまう。

 それから、

 

「ポチ」

 

 名前と同時に言葉に乗せるのは感謝の想い。

 瀕死の状態で勇敢に立ち向かってくれた相棒に最大級の感謝を捧げ、ポチを抱いてフサフサを堪能しながら回復ポーションを飲ませてあげた。

 美人にもたれ掛かる子供が愛玩小狼を抱きしめる。

 背景が古代遺跡ではなく家の中で、戦闘服や武器が無ければ、かなりほのぼのとした図に見えたに違いない。

 

「ふふ。その子、可愛いね」

 

 いつの間にかお姉さんの両手が俺のお腹に回される。

 先程までの氷のような表情は見事に溶け、どこか満たされるような安らぎの表情を彼女がしている事も、このほのぼの感に拍車を掛けた。

 ポチが回復するまでの僅かな時間に訪れた癒しの一時。

 お姉さんはほのぼの風景を見て、その雰囲気を肌で感じて、どことなくリラックス状態。

 しかし俺が感じているのは全く逆。

 

(うわ、やばっ、何でっ)

 

 この気持ちは、おそらく緊張。

 コート越しに感じる両手の体温。軽量重視で装甲の薄いライトアーマーを飛び越えて、お姉さんの心音が伝わってくる気がする。

 所詮は偽物、しかし、どこまでもリアルな『人』を感じ、俺の心臓は早鐘を打ち付けていた。

 嬉しいのに恥ずかしい。

 今まで感じた事の無い奇妙な体験が身体を支配する。

 

「あの」

「……っ!? ……ごめんね」

 

 驚き、そして少し名残惜しそうにしながら俺の拘束が解かれる。

 その反応を見て、ふと思う。

 この狂戦士と呼ばれるお姉さんは俺と同じなのではないかと。

 ゲームからの脱出を望み、他人任せにするのは嫌で、誰かのゲームクリアを待っていられないから、過酷なレベリングを自分に課して攻略に励む。

 しかし戦い続けるだけの毎日は精神を消耗させて不安になってしまう時があるから、救いを求めようと、この押し寄せてくる恐怖をどうにかしようと、つい安心を得るため人の温もりを欲してしまう。

 

 俺が極限状態に陥っていっぱいいっぱいになった時、助けてくれたのは先生の慈愛に満ちた言葉と触れ合いだった。

 誰だって不安や疲労は蓄積する。

 だから俺は癒しを求めて家族の下を訪れた。

 今、このお姉さんは俺と同じ状態なのではないか。

 攻略と戦闘時に感じる不安。精神の疲れ。それらで磨耗した心を癒すために、助けてもらいたいから、人を求める。

 おそらく無意識だったのだろう。

 自分のしていた行動に驚いているお姉さんからは、どこか同類の匂いがした。

 

(……まあ、だから何だって話だけどさ……)

 

 同じような不安を感じている人なら沢山いる。

 お姉さんも俺も、そんな大勢の中の一人に過ぎない。

 名残惜しい気持ちは分かる。

 人との触れ合いが多大なセラピー効果をもたらす事も体験済み。

 特に子供との触れ合いは母性本能を擽り、女性にとって一番の癒しになる場合がある、というような話をテレビで聞いた事があるので、俺がポチをセラピードックとして扱っているように、お姉さんが俺でメンタルケアを図っていても不思議は無い。不

 本意ながら俺の容姿は姉ちゃんやミナ曰く女性受けする顔らしいから。

 

(だけど……ね)

 

 目先の休息に現を抜かしていられる状況ではない。

 確かに少しの間だけ手を繋いであげる事くらいは出来る。

 しかし、それを自ら行うのは恥ずかしいし、お姉さんの目的や俺の状況を考えると悠長に構えてもいられない。

 今は時間との勝負だからだ。

 ゲーム攻略を第一目標に掲げるプレイヤーとして、戦場にいるからには休息よりも目的を優先するのは当然。

 

「改めて、助けてくれてありがとうございました。俺はシュウ、コイツは使い魔のポチ。本当に、ありがとう」

 

 ポチを抱えた状態で頭を下げている俺に手が乗っかる。

 女性特有の柔らかさと、温かさ。

 ぎこちない手付きで頭を撫でてくるお姉さんの表情は、やっぱり優しかった。

 今の表情と仕草なら、誰も彼女を狂戦士だなんて呼ぶ事は出来ないに違いない。

 

「私の名前はアスナ。偶然君を見つけたんだけど、間に合って良かった」

 

 アスナ。

 この名前は記憶喪失になっても忘れない。なんたって恩人の名前なのだから。

 そして自己紹介も簡単に済ましたアスナさんから発せられる、次第に広がっていくのは、強者としての刺すような空気。

 

「シュウ君。ここには麻痺毒を使うモンスターがいるの?」

 

 アスナさんの目は真剣過ぎて、剣呑さが増して少し怖い。

 しかし、それだけ重要な事だからこそ、愛想については二の次。

 重要な事を見逃さずに情報提供を求めてくるとは、流石は攻略組と呼ばれるトッププレイヤーなだけの事はある。

 

「分からない。でもさっきのはプレイヤーからの攻撃」

 

 悔しさに唇を噛み締め、ああなった訳をアスナさんに説明する

 話ながら予備のシルバーシャツと無くなった愛剣の代わりとして以前使っていたシルバー・ダガーを装備し、そしてフレンド登録してある情報屋のアルゴという人物にグルガとその一味の情報を送りつける。

 その間、話すにつれ心底胸糞悪そうな表情をするアスナさんが印象的だった。

 

「もし会ったら気を付けて。他に何を持ってるか分からないから」

「うん。……それと、シュウ君はこれからどうするの?」

 

 一応今後の行動予定を聞いてくるアスナさん。

 しかし転移結晶を持っているのかとついでに訊ねてくるので、アスナさんは俺が直ぐここから離脱すると決め付けているのは明白だった。

 正直言えば、俺もそうしたい気持ちでいっぱいだ。

 武器強化を繰り返した特製リーヴァス・ダガーは既に喪失したため攻撃力に不安が残るし、トラウマが蘇った俺が、モンスターと対峙して今まで通りに戦えるかも怪しい。

 そう、ここにアスナさんがいなければ、俺はさっさと調整のために最後の転移結晶で下層へ向っていただろう。

 

「アスナさんを手伝う。ジュエリーラットを狩りに来たんでしょ?」

 

 アイツらの中に索敵スキルを習得している者がいなければジュエリーラットがまだ近辺に潜んでいる可能性がある。

 それほどジュエリーラットは素早く、隠蔽スキルは高い。

 あの出来事からまだ五分と少ししか経っていない今ならジュエリーラットが近くにいる可能性は充分だ。

 それは同時にアイツらが近くにいる事も意味しているが可能性は低いと睨んでいる。

 アイツらが言った五分間。

 それは麻痺毒の効果持続時間であると同時にアイツらのタイムリミット。

 武器を奪った相手が動き出す時間帯に、まだ犯行現場付近に残っているとは考えられないから。

 普通ならこれ以上の接触を避けるために逃げる筈。

 武器強化済みのリーヴァス・ダガーを売るだけでそれなりの収入になるから、例えジュエリーラットを倒せなくても引くに違いない。

 確かに殺人を辞さない人格破綻者なら返り討ちにするため残っている可能性もある。

 しかし俺を殺さず麻痺させるに留めたアイツらは、そこまで堕ちていない。

 本音を言えば、堕ちているとは考えたくない、が正しいが。

 

「俺のレベルは18。邪魔にはならない」

 

 攻略組からすればかなり高いとは言えないものの、低いとは言えない俺のレベル。

 実際、ここで活動するには充分なレベルだ。

 それでも賛同してくれないアスナさんを納得させるため、俺は手持ちのカードを口にした。

 

「アスナさん、索敵スキルは?」

「……使えない」

「なら役に立てる。俺じゃなくてポチが、だけど」

 

 ポチを地面に下ろし、自発的な索敵を行う前に初めて俺から索敵発動の指示を出す。

 広範囲な索敵で近くにいるかもしれない標的を虱潰しに探そうという作戦だ。

 そしてポチが反応を示したのは二ヶ所。北東に一匹。南に二匹。

 ここは、

 

「俺はジュエリーラットを見つけて、倒す手助けをするだけ。経験値とかは全部アスナさんにあげる。助けてもらった恩返しがしたいんだ」

 

 向かうのは北東だ。

 隠れ、逃げるのに特化したジュエリーラットが他のモンスターと行動するとは考えにくい。

 隠蔽スキルの使えない又は精度が低い奴と行動しては、隠れる意味が無いからだ。

 

「でも……」

「アスナさん。お願い」

 

 困ったように視線を泳がせるアスナさんを真摯な眼差しで見詰める。

 結局先に折れたのは、この美しい女剣士の方だった。

 仕方が無いというニュアンスを含んだ溜め息を見て、無意識の内に小さくガッツポーズを取ってしまう。

 

「しょうがないなぁ。うん、分かった。お願いします。正直言うと、一人で来たのは間違いだったかなって思っていたところだったの」

「りょーかい。お願いされました」

 

 先程まで怯えていた子供を戦場に駆り立てさせるのは忍びない、けれどこの子の力を借りるのが一番効率が良いのも事実。

 なんて考えが表情に出ているアスナさんは俺達の後を歩いている。

 アスナさんの気遣いは嬉しい。けれどもやはり不満は感じてしまう。

 しかし心情に惑わされず経験値稼ぎに執着する攻略の前準備であるレベルアップに力を入れる姿には好感が持てるし、親近感が沸いた。

 その姿を狂戦士と揶揄する人はいるけれど、その熱意は評価すべきだと思う。

 

(まあ、それでも無理がたたっているのは明白だから、反面教師の意味合いも強いけど)

 

 どちらにしろ彼女を見て学べる事は多いから、短い間でも一緒に行動するのはメリットがある。

 それに、もうちょっと彼女と一緒にいたいという想いもあった。

 

「アスナさん、隠蔽スキルは?」

「ごめんね。それも持ってないの」

 

 なら作戦は決まった。

 隠蔽スキルの使える俺が接近して捕獲。

 それをアスナさんに差し出すというシンプルなもの。

 ジュエリーラットは弱いので俺が攻撃すると一撃死してしまうから、捕獲という選択肢をとるしかない。

 小型で攻撃力が無いモンスターだからこその作戦だ。

 小道や袋小路でも無い限り、アスナさんの方に追い込むのは難しい。

 脳内で作戦やシミュレートをしている間も歩き続ける。

 そして見えてきたのは、

 

「アスナさん、アイツのこと知ってる?」

「知らないわ。あんなモンスターは見たこと無い」

 

 生憎とポチの索敵にかかったモンスターは目当てのモノではなかった。

 朽ちた噴水がある広場内を移動しているのは、大きさが二メートルの金属のような光沢を放つ黒いカマキリ。

 身体との対比が可笑しいくらいの大きさを誇る二対のカマを持つ巨大な虫は、まるで杖を付く老人のように石畳を振動させながら歩いている。

 アンデッド系モンスターが多い地底街区の中で、コイツのようなそれ以外のモンスターは珍しい。

 おそらく情報が広まっていない未知のモンスターを前にして、俺達に緊張が走った。

 しかし、

 

「よし俺一人でやらせて。危なくなったらお願い」

「そんな……っ!?」

 

 レイピアの柄に手を掛けたアスナさんに一言だけ告げて、反論してくる前に一人でカマキリに歩み寄って行く。

 ポチの手は借りない。これはリハビリなのだから。

 あのような恐怖体験をした後でまともに戦えるか。PTSD(心的外傷後ストレス障害)にかかっていないかを確かめるための戦闘。

 もしこれで支障が発覚したとしても、それでも俺の選択は変わらないだろう。

 恐怖を克服するまで戦い続ける、徹底的な荒療治。そうしなければこの先戦っていけない。

 これまでの努力が、旅立ちの日に魂に刻んだ決意が、ゲームクリアに掲げる想いが、全て無意味なものになってしまう。

 そんな展開は死んでもゴメンだ。

 

(今なら俺の安全は約束されたようなもの。チャンスは生かさないと)

 

 もし危なくなってもアスナさんなら助けてくれる。

 確かにアイツは知らないモンスター。

 それでもアスナさんがいるなら二人がかりで何とかなるだろう。

 それに今後攻略組として迷宮区で活動する時、未知のモンスターと戦うのが当たり前になってくる。

 情報無しモンスターとの初戦闘で、これ以上好条件な舞台は早々無い。

 

(それにさ、実力を見せたら同行を納得してもらえるし)

 

 そして何よりよりカッコ悪いところを見せるのは死んでもゴメンなので、普通に闘志が漲ってくる。

 

「勝負っ!」

 

 視線をカマキリに集中してターゲットを自動でロックさせ、対象の名前を視界に表示させる。

 《アイゼン・マンティス》。

 直訳すれば鉄のカマキリ。

 敵が気付いて振り向くと同時に、腰からシルバー・ダガーを引き抜いて地を駆けた。

 俺達が交戦状態に入るのに三秒も掛からない。

 金属を擦り合わせるような奇声を発するアイゼン・マンティスが右の大鎌を振り被る。

 その鋭利な刃物を見て、その場で急停止。

 鼻先数センチ前を大鎌が横一文字に放たれ、強風が前髪を凪いだ。

 

(……くっそっ! 俺の臆病者!)

 

 思わず自分自身を罵倒してしまう。

 振り上げられた鎌を見た瞬間にフラッシュバックしたのは、あの時の一コマ。

 錆に塗れた大剣。巨大な骸骨。失われ、申し訳程度に残った赤いHP。

 急停止したのは狙ってやった事では無い。

 一瞬だが恐怖で足が竦み、突進を躊躇ったため、たまたま目の前を大鎌が通過しただけに過ぎない。

 ダガーを握る手も震えている。息も荒い。たった一度死に掛けただけで臆病になってしまった自分が憎かった。

 命のやり取りという違いはあれど今の自分の不甲斐無さは、現実世界の道場で強面の大人の振るった根や薙刀に平然と立ち向かっていたプライドを深く傷つける。

 

 

 

 ――過去の思い出を糧に引き篭もり、今に絶望して弱音を吐くだけの弱い心は、《はじまりの街》に置いてきたというのに。

 

 

 

「だぁあああああっ!」

 

 俺はこんなに弱い人間じゃない。

 悔しくて流れそうになる涙を堪え、今の自分を否定するために一歩を踏み出す。

 体当たりをする勢いで巨大カマキリの懐に潜り込み、半分以上八つ当たりで、握り締めたダガーを胸元に叩きつけた。

 鮮血の代わりに紅い光が零れ出す。

 その攻撃に怒り、怨敵として補足されたのが雰囲気で分かった。

 恨みの奇声を上げているカマキリは宙を薙いだ右鎌を引き戻しつつ左鎌を大きく振り上げている。

 そんな攻撃を食らってなんていられない。

 左鎌を脳天に叩き込まれる前に、身体を蹴りつけた反動で危険地帯から離脱した。

 

(やれる……やってやる!)

 

 このシルバー・ダガーは第六層でポチと出会う前に購入したもの。

 攻撃力はリーヴァス・ダガーに劣り、今の一撃で削ったHPは全体の一割に過ぎない。

 しかし、だから何だ。

 ダメージは与えられている。なら相手の攻撃を掻い潜り、攻撃を九回以上当てれば良いだけの話。

 ソードスキルを使えば更に倒すのは速くなるだろう。

 

「俺はお前なんか簡単に倒せるんだ!」

 

 最初の一歩を踏み出した後は思ったよりも楽だった。

 湧き上がった恐怖を意地とプライドで消し飛ばし、再度両鎌の攻撃を掻い潜って接近した俺が放つのは、短剣ソードスキルの二連撃技《ラインエッジ》。

 敵の胸に漢数字のニのような光が迸り、衝撃で身体を硬直させる。

 その隙を逃さず、次に放つのはアッパーにも似た斬撃《ライドスラッシャー》。

 その後も続く、ヒット&アウェイが基本スタイルの俺らしからぬ連続攻撃の数々に、アイゼン・マンティスは徐々に命を減らしていった。

 キリトの強さ、アスナさんの連続攻撃の速度に憧れた俺は、もしかしたら他人の影響を受けやすいのかもしれない。

 思い出したかのように再起動したアイゼン・マンティスのHPは、もう二割も残っていなかった。

 

「これで終わりだぁああああっ!」

 

 弱い自分と決別するためと、この戦闘の終わり。

 二重の意味でしっかりと宣言する。

 一度離れて距離を取り、死神の鎌にも似た凶刃が振り下ろされる前に大地を蹴る。

 僅かに土埃が舞い、切っ先が石畳を砕く頃にはもう、敵の懐に俺の姿はあった。

 単発重突進技《ウィースバルグ》。

 得意技を放ち、爆散したモンスターの成れの果てである光の欠片に包まれながら、俺は満足げに勝利の雄叫びを上げた。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 思わぬ敵との遭遇だったが、それが功を成したのか改めて同行を進言してもアスナさんから反対意見は無かった。

 上手く実力を示せた事にホッと胸を撫で下ろす。

 同時に、ちゃんと戦えた事にも安堵した。

 これなら大丈夫。俺はちゃんと戦っていける。俺は強い。

 暗示のように言い聞かせることで自信を身に付け、裏付けのようにモンスターを屠る事で根拠に肉付けをする。

 その後は約十分の散策で二回ほどモンスターとの戦闘を行い、難無くそれを二人で撃破すると共に俺のレベルも上がって19になった。

 そして、ついに大勝負の時が幕を上げる。

 

「……アスナさん。多分、あそこにいる」

 

 ポチが索敵で示した場所は、俺が助けられた場所から北に五〇〇メートルほどの地点。

 俺は目の前にある廃墟を遠巻きに見つめ、側にいるアスナさんが緊張で息を呑む。

 廃墟、そう言ってはいるものの、一〇メートル先にあるモノは家の残骸に近い。

 屋根は無く、全体の1/4ほどしか残っていない石壁が苔に覆われて聳え立っているだけ。

 窓や玄関といった上等なモノも無く、どこからでも入り放題だ。

 当然中は丸見え。それなのに、敵の姿は見えない。

 一分ほどじっと待っていても、モンスターが徘徊する気配無し。

 動かず、丸見えの廃墟の中でボロボロの小さな壁に隠れていられるほどの小さなモンスターなど、体長が一〇センチほどのジュエリーラットしか脳内データに該当する奴は存在しなかった。

 という事は、アイツらは狩りに失敗した事になる。

 オレンジカーソルの者は《圏内》に入る事を避けるので少なくともグルガは当分フィールドや治安の悪い町で過ごす事になる。いい気味だ。

 

「行ってきます」

「気をつけて。無理はしなくていいからね」

 

 頷き合ってからゆっくりと身体を物陰から出し、今までで一番の抜き足差し足で忍び寄る。

 あくまでジュエリーラットで脅威なのは敏捷力と隠蔽スキル。索敵はそこまで高くない。

 あの時ファーストアタックに失敗したのはたまたまだ。

 それは分かっていても、同じ失敗は繰り返したくないので歩みも自然と慎重になる。

 八、六、四メートル。

 近付くにつれ大きくなる心音が耳に絡む。

 緊張で喉はカラカラ。

 それでも足を止めず残り二メートルまで距離を詰めた時、腰までの高さしかない壁の死角から小さな物体が飛び出した。

 

「おっと!」

 

 意識してやった事ではない。

 視界にカーソルが表示された瞬間、半分以上勘で右に跳び、右手を一閃させる。

 予期せぬヘッドスライディングをして石畳を転がって煙を立てた俺の手には、輝く宝石達が散りばめられた綺麗なネズミが握られていた。

 

「って、ヤバい!?」

 

 ジュエリーラットがもがき、暴れ、掴んでいた長い尾が手の中を滑る。

 するり、しゅるり、完全に手から抜ける前に、後方向かって力いっぱい放り投げた。

 

「アスナさん!」

 

 声をかけるまでもなくアーチ状に宙を舞う獲物を閃光が襲う。

 細剣の基本技《リニアー》。

 簡単な、しかし鍛えられた敏捷力から繰り出される最速の刺突は、正確無比な精度で小さな身体を串刺しにした。

 呆気なく命を散らした小動物は光と化し、続いてレベルアップを告げるファンファーレが鳴り響く。

 俺が直接倒した訳ではない。

 しかし、ジュエリーラットを倒せた事に確かな達成感を感じていた。

 しかもそれがアスナさんのためになったと思えば喜びも倍増だ。

 

(やった……この層に来て良かった)

 

 確かにこのダンジョンでの狩りは新たなトラウマと言っても良い。

 それでも彼女との出会いを、この一時的な共闘を、神に感謝したい。

 満足そうな顔を見れば、超貴重な経験値獲得チャンスを逃した事も全然後悔しなかった。

 

「アスナさん、レベルアップおめでと……う?」

 

 急に出現したウィンドウ画面に面食らい、そこに表示されたものを見て驚愕する。

 現れたのはトレード・ウィンドウ。

 一方的に贈られてきたのは夢の中でも拝んだことの無い大金と、聞いたことも無い素材アイテムの数々だった。

 送り主は、

 

「アスナさん!?」

 

 獲得ポイントをスキルに振り分けていると思ったのにウィンドウを開いていたのはこのためだったのかと、口を大きく開けながら呆けてしまった。

 そんな俺に女神のように美しい声が掛けられる。

 その感謝に満ちた言葉が。

 

「お礼だよ。ジュエリーラットを倒せたのは君のお陰だから」

「でも……っ!」

「私は経験値だけで充分。コルやドロップアイテムはシュウ君が貰って。ね?」

 

 それでは恩返しの意味が無い。

 そう咄嗟に飛び出そうになった言葉を無理矢理飲み込む。

 彼女の善意を無駄にするのは嫌だという思いもあるけれど、何より頑固そうな笑顔を見せているのでこの問答がループすると理解させられたから、こっちから折れるしかないのだ。

 正直言えば、このお金で装備を新調出来るし教会に仕送りをしてもお釣りがくるので不満などある筈が無い。

 しかし、これでは恩を返せた気になれないのもまた事実。

 

(つまり、俺が心の整理を付けるしかないのか……ハァ……)

 

 結局、そう結論付けた。

 

「……ねえ、シュウ君。私とフレンド登録しない?」

「え? ……まあ、良いけど……」

 

 唐突な申し出に素っ気無い態度を取る俺。

 けれど心中では喝采を上げているのは内緒だ。

 どう切り出そうか考えていただけに、この展開は望むところ。

 攻略組と交流を持つメリットは大きい。

 情報だけなら金次第で手に入る。しかし迷宮区での注意事項や場の空気なんかは、直に足を運んだ事のある人しか明確に教えてもらえないからだ。

 それに将来的に攻略組に入る者として、入る際にボス戦や会議参加の便宜を図ってもらい、攻略組での暗黙のルールなど、色々な事を訊いて頼れるのが凄く助かる。

 なによりアスナさんと個人的な繋がりを持てたというのが嬉しかった。

 キリトの時は固執しなかったのに、この嬉しい気持ちは自分でも驚きだ。

 

「登録完了。それじゃあ、俺はもう行くから。身体には気をつけて、無茶はほどほどに」

「その言葉、そっくりそのまま返すよ」

 

 ソロで活動する俺と、心を殺して攻略とレベリングに没頭するアスナさん。

 どちらが無理をしているかと訊かれれば、正直、五十歩百歩感が否めない。

 俺達は似たもの同士だ。

 違うのは自分を追い詰めているかいないかの違いだけ。

 しかし精神的な疲労が大きかったのか、最初に比べてアスナさんの表情は柔らかくなっている気がする。

 強迫観念に駆られているような硬い表情は、今の所目立たなかった。

 

「そうだ。ねえ、シュウ君、私達と一緒に行動しない?」

「……遠慮しとく」

 

 

 

 ――それだけを告げて、俺はポチと一緒に走り去った。

 

 ◇◇◇

 

「悪いことしたなぁ」

 

 ポチと並走しながら先程の冷たい反応を思い出して自己嫌悪に陥ってしまう。

 実際、アスナさんと行動するのに問題は無い。不満なんてある筈が無い。

 ソロの道を進もうという決心を揺さぶる魔力が彼女の言葉には込められていた。

 それでも拒んだのは、

 

「私『達』だもんな。アスナさん、どっかのギルドに入ってたんだ……」

 

 索敵や隠蔽を持たないのも、それを担当する仲間がいれば納得出来る。

 よく考えれば分かる事だった。

 一人で行動していたからソロプレイヤーだという固定概念にまんまと踊らされた自分がいる。それが少し情けない。

 

「………………」

 

 モンスター恐怖症を克服した俺に立ち塞がる新たな壁。

 それは対人恐怖症。

 アスナさん以外が誰かにいると理解した瞬間、とてつもない不快感と恐怖心が俺を苛ました。

 先生達家族を始め、クラインやアスナさん達みたいに、心の底から信用出来る人なら良い。

 ボス戦といった大人数の即席混合パーティーを組むのも抵抗は無い。

 周囲の眼もあるし、皆がボス戦に集中するから心配は無い。

 

「でも、それ以外はダメだ」

 

 奥歯を噛み締め、悔しそうに顔を歪ませる。

 他のプレイヤーが怖い。

 アスナさんは無条件で信用出来る。

 しかし、アスナさんが所属するからと言って全てのプレイヤーを信用出来る筈もない。

 もし二人きりでフィールドに出て襲われたら。

 もし変な所に誘い込まれ、そこに本当の仲間である強盗集団が待ち構えていたら。

 考えすぎ。疑心暗鬼にも程がある。それは分かっている。

 それでも俺は、人と接するのが怖くなっていた。

 

「可能性はゼロじゃない……ゼロじゃないんだ」

 

 そう考えるだけで、もうダメだ。

 それ程までグルガ達は厄介なモノを残していった。

 

 

 

 ――チームワークや仲間意識が前提のSAOにおいて、あまりにも致命的な心の傷を。

 

 

 

「……とにかく、後でアスナさんに謝ろう。せっかくフレンド登録したんだから」

 

 俺を勧誘したのは実力を認めてくれたのと、一人で行動する子供が心配だからという意味合いが強いと思う。

 なら、無事に帰れたという報告も兼ねてメッセージを送ると決めた。

 後でメッセージのやりとりが出来る。

 謝罪の内容なのに不謹慎ながら、メッセージを交わす光景を想像したら心の中がポカポカしてくるから不思議だ。

 

「っと、敵は一体か。行くぞ、ポチ」

 

 転移結晶は使わずに地上への出口へ向う俺達の前にモンスターが出現する。

 アスナさんの事を考えてポジティブになろうとした矢先にコレだ。

 KYなモンスターを狩るため威嚇しているポチの唸り声を聞きながら正面を駆ける。

 そして曲がり角から現れたモンスターは――スケルトン・マーダー。

 

「――ッ!?」

 

 恐怖で身体が冷たくなる。

 しかし、それも一瞬。

 恐怖よりも闘争心の方が心の割合を多く占めた。

 惨めな気持ちは情けない弱気は、全てコイツにぶつけて発散する。

 

「リベンジだ、骸骨野郎っ!」

 

 直ぐに敵との距離をゼロまで縮め、小さな身体を懐に潜り込ませる。

 シルバー・ダガーを一閃、また一閃。

 計二回の連続攻撃。

 十字を刻むように放たれたニ連撃ソードスキルの後、骸骨の腕にポチが爪撃をかまし、振り下ろされた大剣が俺の横を通り過ぎた。

 石畳と金属が噛み合う音に、石が砕ける破壊音。

 それをBGMに繰り出されるのは得意技の《ウィースバルグ》。

 その衝撃で二メートルの巨体が後方へ飛び、技後硬直が解けて直ぐ、空いた空間を埋めるように間合いを詰める。

 

「食らえ!」

 

 再び突進技の《ウィースバルグ》をぶち当てる。

 流れるような一連のソードスキル三連発を食らい、スケルトン・マーダーのHPは二割を残して消し飛んだ。

 アイゼン・マンティスと違い、コイツの防御は並に毛が生えた程度しか無いのだ。

 

『グァアアアアアアアアっ!』

 

 化け物が吼える。それが最後の咆哮だ。

 そう意気込みながら横薙ぎに振るわれた剛剣をしゃがんでやり過ごす。

 大きな隙を見せる骸骨に《ライドスラッシャー》を放った瞬間、

 

「……え?」

 

 

 

 ――逆手で振り上げた短剣がスケルトン・マーダーに当たった瞬間、無数の光の欠片となって砕け散った。

 

 

 

(何でっ!? 耐久度はまだ大丈夫な筈なのに!)

 

 武器の整備は怠っていない。

 メイン武器をリーヴァス・ダガーに変えた時シルバー・ダガーの耐久度はMAXまで上げていた筈。

 ソードスキルを叩き込んだ体勢のまま、周囲がスローモーションになるような刹那の時間で思い当たったのは、一つの可能性だった。

 

(まさか……あのカマキリっ!?)

 

 思い出されるのは身体が金属で出来ているような黒いカマキリの姿。

 ここで思いつくのはIfの可能性。

 あの未知のモンスターが、もし触れた武器の耐久度を劇的に落とす厄介な能力を持っていたとすれば。

 そう考えれば、複数のドロップアイテムの中に混じって研磨材があった事も頷ける。

 今更気付いた衝撃的な事実に、舌打ちをせずにはいられなかった。

 

「ポチ!」

 

 シルバー・ダガーは砕け散ったが当たり判定は僅かにあったのか、幸いな事に相手のHPが欠損している。

 引き戻される大剣が俺の腹に叩き込まれる前に、横から跳びかかったポチの爪がスケルトン・マーダーの首を薙いだ。

 爆砕、そして何度聞いたか分からないポリゴン片が飛び散る音を聞き、俺は安堵の表情をしながらその場に座り込む。

 予想外の展開に腰が抜けてしまったのだ。

 

「ポチ、ありが――」

 

 近くに着地したポチに手を伸ばした所で聞こえたのは、背後でナニカが転がる異音だった。

 ゴロゴロ、ズズズという、石畳上を転がって僅かに引き摺る音。

 明らかにプレイヤーの足音でないそれを聞き、ポチに延ばしていた右手を地面に向け、落ちていた石を咄嗟に拾って背後に投擲していた。

 

「くっそ! 転移――」

 

 座りながら身体を180°回転させ、振り向きながら転移結晶をポーチから引き抜いた俺の目に飛び込んできたのは、また見たことも無いモンスターだった。

 その姿を一言で表すなら玉だ。

 大きさはポチよりも更に小さい、全身メタリックな真っ黒玉。

 そこに目や口といったパーツは存在しない。

 色が銀色だったら完全にパチンコ玉なそれは、俺が投げた石が当たる瞬間に身体の一部を風呂敷のような形状に変化させて石を包み込み、無効化する。

 牽制で投げた石の末路見届けた時、俺の言葉は完成した。

 

「――カルマっ!」

 

 一瞬後。

 青い光に包まれて、俺とポチは第九層主街区の転移門へと転移する。

 しかし武器を完全に失い、戦える状態に無かったからこそ緊急脱出した俺は、気が動転していたために三つの事に気付かなかった。

 

 一つ目は、モンスターやプレイヤーといった自分を傷付ける可能性を持つ相手を索敵し、威嚇するポチが、全くの無反応だったこと。

 二つ目は、包み込んだのが防御行動ではなく、アレが黒パチンコ玉の捕食方法だったこと。

 三つ目は、あのモンスターのカーソル表示が黄色だったこと。

 

 

 

 ――そして俺は、自分のスキル覧に現れたとあるエクストラスキルの存在に、まだ気付いていなかった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五話 ユニークスキル

 第九層主街区《カルマ》の転移門付近で荒い息を繰り返している俺に視線が集中する。

 心配している目。何があったのかという興味本位な視線。様々なプレイヤーが俺を見ている。

 しかし特に駆け寄ってくる影は無かった。

 この子供は転移結晶で逃げて来ただけ。なら世話を焼く必要が無いと判断されたからだ。

 余程のお人好し以外、いちいち見ず知らずの他プレイヤーを助けて面倒を見る物好きはいない。

 SAOの基本は相互利益が期待出来るギブ&テイク。

 サーシャ先生やクラインみたいなプレイヤーは希少種に分類される。

 

「武器、買わなくちゃ」

 

 よって俺も薄情な奴らだとは思わなかった。

 逆に今の人間不信具合から、遠巻きに様子を窺うだけのプレイヤーに感謝をするくらい心が荒んでいる。

 一人でいる事に不快感どころか爽快感すら抱いてしまい――そんな自分が嫌だった。

 戦いに明け暮れ、精神が不安定になり、人間不信に陥る。

 以前抱いた最悪の展開に恐怖を感じる。

 SAOを通してどんどん変わっていく自分が怖かった。

 良い変化なら大歓迎、しかし悪い方なら文字通り害悪でしかないのだから。

 

(先生に会いたい……でもっ)

 

 操られるようにゆっくりと立ち上がり、魅惑的な考えを実行する寸前になんとか踏み止まる。

 まだ先生に会って半日も経っていない。

 こんな短時間で訪れたら不審に思われてしまうだろう。

 これ以上心配をかけるつもりもなければ、俺の体験談を聞かせてリク達の冒険に支障が出るのも困る。

 今はまだ、せめて数日は間を置かなければ教会を訪れる事は出来ない。

 

「転移――」

 

 数十秒の思考の末に呟いたのは、最前線の階層だった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 基本的に最前線の転移門がある広場は活気に溢れている。

 何故ならここはアインクラッドで一・二を争うほど物流が盛んな階層。必然的にプレイヤーが多く集まってくるのは自然の流れと言えた。

 即席パーティーの募集をする者。情報収集に励む者。様々な思惑で色々な人が活動している。

 その中でも俺が用のあるのは、最前線で戦う人達に装備品を売る鍛冶職人プレイヤーだった。

 

「やっぱり人が多いなぁ。まだ十層に到達して二日目だから当然だけど」

 

 職人達にしてみれば今のお祭り時が一番の稼ぎ時であり、固定客をゲットする最大のチャンス。

 だからこそ、十六時近い夕暮れ時でも露店が多く開かれている。

 人混みの中を歩く俺とポチ。当然俺達に目を付ける奴らは大勢いた。

 そんな御馴染みなパーティー・ギルド勧誘は一睨みで回避し、嫉妬や羨望の眼差しは徹底的に無視して歩くこと十分。

 ポーションや結晶アイテムをスキンヘッドの色黒商人プレイヤーから買い取った俺は、更に歩くこと五分後、一つの店の前でふと足を止めていた。

 誘われるかのように、まるで夢遊病者のような足取りで歩く俺の視線は、ある一つの武器から外れる事が無かった。

 

「い、いらっしゃいませ!」

 

 耐久値を上げるための砥石に、十個くらいの武器が並ぶシートを敷いただけの小さな露店。

 そこの店主は珍しい事に女性だった。

 ショートヘアの黒に近い茶髪に、そばかすがチャームポイントになっているお姉さん。

 歳は多分アスナさん達と同年代。

 しかし、もしかしたらそれより下かもしれない。

 核心が持てない実年齢よりも幼く見られそうな童顔の店主は、まだ接客に慣れていないのかぎこちなさが目立っている。

 なんというか、身体中がカチコチで色々と余裕が無かった。

 販売を始めて日が浅い。

 もしくは今日が初めてだと当たりを付けた。

 

「それ、見せてもらっても大丈夫?」

 

 片手用直剣、細剣と並ぶ斬撃武器の中に一つだけ混じっている短剣を指差す。

 一目惚れと言って良い。

 一つだけ小さいから、という訳ではない異様な存在感を放つ短剣が気になり、気付けば店の前まで歩み寄っていたのだ。

 

「もちろん大丈夫ですけど……実は、この短剣は筋力要求値が少々高いのですが……」

「大丈夫。見せて」

 

 外見で判断された事が少しだけ癇に障る。

 それでも店側からすれば武器の説明をするのは当然。

 生まれた不満は直ぐに気合で鎮静化。

 

「では、どうぞ」

 

 今までの経験から、大半のプレイヤーが一番初めに関心を抱くのはポチである事を知っている。

 けれど店主さんは極少数の例外に分類されるようだった。

 視線が俺から離れない。

 一挙一動。それこそ深層心理すら暴こうと躍起になって俺を観察する店主さんからは、どこか鬼気迫るモノを感じてしまう。

 自分の製作した武器がどんな評価を受けるのかだけを気にしている店主の眼は、鍛冶屋としての熱意とプライドでぎらついていた。

 そして絶対の自信と僅かばかりの拭いきれない不安が揺らめいている。

 様々な感情が見て取れる視線に晒される中、俺の品定めが始まった。

 少しだけ責任重大。

 しかし、お世辞を言う気は更々無い俺は、勢い良く鞘から短剣を引き抜いた。

 

 

 

 ――不満を抱く筈が無いと確信を持って。

 

 

 

「おぉ」

 

 まず初めに目に付いたのが、夕焼けの光に反射する、まるでルビーで出来ているような紅の直刃。

 視線を下にずらすと柄尻に紅い宝玉が付いた、握り易そうな漆黒の柄が目に飛び込んでくる。

 重いながらも振れない事は無い重量感を腕全体で感じ取る。

 シンプルなデザインに赤と黒の絶妙な配色も俺好みだ。

 刃渡りは二〇センチ。固有名《黒炎》に心を奪われ、感嘆の声が漏れた。

 

(これが職人プレイヤーの製作した武器か。他とは空気……いや、オーラが違う)

 

 プレイヤーの作製する装備品は時として販売品の性能を上回る。

 NPCの店。トレジャーボックス。ドロップアイテム。クエスト品。

 これらでは手に入らないプレイヤーメイドの武具があると聞いている。この短剣もその類に感じられた。

 まだこのデスゲームが始まって三ヶ月。

 プレイヤーメイドの中でも、この短剣はそれほど上位に位置する武器では無いだろう。

 そこまでの武器は現段階で作れる筈も無く、今手に入る金属素材や素材アイテムを考慮しても、おそらく全体で見れば中の下がそこそこの武器までしか製作出来ない筈だ。

 しかし、それでも充分。

 この階層付近では敵無しと思える程の力強さが、まるで極細の針と化して全身を突き刺すような勢いで伝わってくる。

 目の前で「初めて売れるかも……」と呟いて感涙しそうな見た目地味な店主は、鍛冶スキル系統の熟練度が高いのかもしれない。

 

「……如何でしょうか?」

 

 ずっと黙っている俺に最悪の想像をしたのか、自信と不安混じりの微妙に涙ぐんだ眼差しを向け、固唾を飲みながら調子を窺う店主さん。

 ちゃんと武器を持てた事に対する驚きは、とっくの昔に忘却の彼方。

 今はもう武器の事しか頭に入らない。

 そんな目を彼女はしていた。

 

「うん、気に入った。性能や装備具合を確かめさせてもらっても良い?」

 

「はい! その短剣は当店で一番の自信作でして、ここから十層上で売られているだろう装備品と比べても遜色無いと自負しています!」

 

 不安が払拭されたためか饒舌になっている店主さんは、心の底から嬉しいという気持ちを前面に出していた。

 見ているこっちも嬉しくなる程の、向日葵を連想させる明るくて極上の笑みが眩しい。

 

「好きなだけ確かめてください!」

 

 プレイヤーの販売しているアイテムは当然ながら販売している本人が所有権を持つ。

 ちなみに現在敷いているシートは販売時専用アイテムとして市販されているもので、この上に乗っているアイテムはずっと外に出していてもドロップ扱いにならず耐久値も下がらない。

 路上販売では必須アイテムの一つとして数えられている優れものだ。

 使用手順としてはシートをオブジェクト化し、その後にシートの重量制限を越えない数のアイテムをシートに登録する事により、シートの効果を売り物に適用させる、というものらしい。

 その分シートの耐久値はそんなに高くないため数日間の使用が限界らしいが、それを差し引いても有能な道具である事は言わずもがな。

 

 そして一番重要な点は、シートに登録したアイテムを他プレイヤーが手に持っても所有権が移らないという点だった。

 ちなみにアイテムの所有権は基本的に手に持つか拾う事で決定する。

 所有権移行は持っていたリーヴァス・ダガーを例にすると『俺が手放した(地面にドロップした)ダガーをアイツらが奪った(拾った)事で所有権が移行した』という経緯があの流れに隠されていた事になる。

 本来なら装備品の所有権が移るのに一時間掛かり、その間に《完全オブェクト化》という所持アイテムを手元で全てオブジェクト化する方法を取ればリーヴァス・ダガーを転移させられたのだが、俺はまだそのシステムを知らなかった。

 

 閑話休題

 

 そして実際に装備しての試し切りなどを許すと持ち逃げされる可能性があるけれど、それを警戒している職人・商人達は意外と少ない。

 何故なら販売業とは売り手と買い手に信用があってこそ成立するものであり、そもそも盗難とは全ての職人・商人プレイヤーを敵に回す最大級の禁じ手。

 彼らのサポートと恩恵を受けられなくなるデメリットを考慮すれば盗難など愚の骨頂。

 信用を失う自殺行為に他ならないのだから。

 それが分かっているから。店主さんはシートを操作して黒炎の登録を解除すると、素直に短剣を手渡し、攻撃力の上昇値や耐久値等を口頭でも丁寧に教えてくれる。

 

(……え?)

 

 しかし俺にはその説明がこれっぽっちも耳に入っていなかった。

 新規入手欄に黒炎が加えられた事も確認せず、黒炎を握り締めてメニュー画面を開いたまま凍り付く。

 視線はメニュー画面のキャラクターデータに現れた『new』に釘付け。

 この光景に非常にデジャヴを感じつつ、震える手で使い魔欄をクリックした。

 

(種族名、メタルハードスライム……もしかして最後の黒玉!? というより道端に落ちていた石で懐くなよ!?)

 

 可能性があるのは最後に出会った黒玉しか無かった。

 そして、よくよく考えてみればポチが無警戒だった事を思い出し、少しでも冷静さを取り戻せなかった自分に腹が立つ。

 カーソル・カラーを確かめる時間くらいあった筈だ、と。

 

(ってことは、かなりやばい!)

 

 もしあの黒玉が新しい使い魔なら、俺は仲間を地底街区に置き去りにした事になる。

 使い魔だという事はカーソル・カラーで判別可能だからプレイヤーに狩られる可能性は低いだろう。

 しかし俺みたいに気付かなかったり心無いプレイヤーと対峙した場合、狩られる確率は決してゼロではない。

 

(違う、プレイヤー以前に他のモンスターに殺されることだってありえる)

 

 ステータスの敏捷値を見る限り逃走に優れているとも思えない。

 高めの筋力値に武器防御という唯一のスキル、それに見た目が金属構成の身体を考えると、コイツは攻撃よりも防御がメインのモンスターなのは明白。

 なら、攻撃力に乏しい仲間のために逸早く合流する必要がある。

 部下もとい相棒の身を案じるのは、主人どころか仲間として当然の心配と義務だ。

 

「ごめん! ちょっと急用が出来た!」

 

 そう判断した俺の行動は迅速だった。

 何故なら俺は黒炎を預けられたまま、街外めがけて駆け出していたのだから。

 

「ちょ、待ちなさいよ! お代は!?」

 

 一〇メートル離れた所で背後から怒声が響き渡る。

 俺の奇行と店主さんの大声によって周囲の時間が停止したため、切羽詰った返答は難無く彼女の耳に辿り着いた。

 

「緊急事態なんだ! 直ぐに戻ってくるから待ってて! お代は帰ってから払う!」

 

 今は一分一秒でも時間が惜しい。

 代金を払うことを失念していた俺に掛かる言葉は……やはり辛辣。当然だろう。

 

「どんだけ緊急なのよ!? お金くらい払っていきなさいよ、このガキンチョっ! 私の最高傑作を返せー! ドロボー!」

 

 素の口調に戻ったらしい店主さんに心の底から謝罪しつつ、唖然としている人混みの間をすり抜ける。

 今回ばかりは小柄な体型に感謝する俺は五分足らずで街外へと飛び出していた。

 

「急ぐぞポチ!」

 

 第十層の地上部にモンスターは出現しない。

 あるのはどこまでも続く岩だらけの荒野と、北にうっすらと見える上層へと伸びる迷宮区のみ。

 だから俺は主街区から一番近い地底街区に降りる洞窟を目指しながら、安心して手元のウィンドウを操作する事が出来る。

 元々オブジェクト化してある黒炎を装備フィギュアにセット。

 先程入手した結晶アイテムは腰のポーチへ。

 耐久値が下がりつつあるフェルザー・コートをはためかせて荒野を駆け抜けると、次第にぽっかりと大口を開ける不気味な洞窟が視界に入ってくる。

 入り口の大きさが二〇メートル程の洞窟が地下世界への入り口だ。

 

「ああ、大丈夫かな、あいつ」

 

 入り口こそ巨大だけれど長さ自体はそうでもない洞窟内を螺旋通路沿いに降下すれば、直ぐに古代遺跡の入り口に辿り着いてしまう。

 洞窟に入り、薄暗い通路を駆け抜けて光が射し込む出口に到達するのに、鍛えた敏捷力を駆使すれば十秒も掛からなかった。

 

「どこだ……どこにいる俺の使い魔っ!?」

 

 地下世界の地面から天井までの高さは僅か二〇メートル程。

 低い天井に窮屈さを感じるも、直径一〇キロに及ぶ広大な面積は圧巻の一言に尽きた。

 しかし崖下の視界いっぱいに広がる壮大な古代遺跡の姿に感動している場合ではない。

 開きっぱなしのメニューウィンドウから使い魔欄をクリックし、未だに空欄になっている新入り使い魔の名前スペースを叩きつけるようにタップする。

 するとウィンドウ画面の使い魔欄が変化し、数秒後には地図が画面に表示された。

 アルゴから事前に購入しておいた地底街区のマッピングデータだ。

 

「距離は近い……か。ここなら五分も掛からない」

 

 まだ全体の七割といったくらいの所々が虫食いのような空白が目立つ地図上に、たった一箇所だけ光点が表示されている。

 これがメタルハードスライムの現在地であり、俺達の目的地。仕組みとしてはフレンド登録を交わしてあるプレイヤーの現在位置を知る方法に近いのだろう。

 同じ階層にいること前提でテイマーは自分の使い魔の現在地を知る事が出来た。

 使い魔は自分の後を付いてくるため必要性を疑問視していたサポートシステムに今ほど感謝したことは無い。

 転移結晶の範囲に使い魔が漏れた時を想定してのお助けシステムだったのだろうか。

 

「ここから最短の道は……」

 

 本来なら崖下へ通じている坂道を下って遺跡に降りる所だが、今は回り道をする余裕も無いのが現状。

 なら、俺の進む道はたった一つ。

 

「女は愛嬌、男は度胸っ!」

 

 ポチを抱え、崖から助走を付けて飛び降りる。

 いくら崖から地上まで一ニメートル程の高さしか無く、廃墟の屋根に着地すれば七メートルの落下体験で済むにしても、この高さは普通に怖い。

 しかし恐怖さえ我慢すれば最上のショートカットを決行出来る。

 僅かな空気抵抗と滞空感を全身で感じて気持ち悪くなりながら、俺はレンガ造りの屋根に着地した。

 膝を折って衝撃を吸収。落下の勢いを殺さず、勢いを瞬発力に変えてそのまま駆ける。

 舞い上がる砂煙とレンガの欠片が脚力の力具合を示していた。

 

「ポチは索敵スキルを怠らないように!」

 

 言わないでも名狼ポチなら自発的に行うだろう。

 口にしたのは気分だ。

 いや、周囲の警戒を怠り注意力が散漫となったためにグルガ達の凶行を許した過去があるので、口にする事で索敵下にあると安心したい、という臆病心があるのも事実だった。

 敏捷パラメータが許す限りの全力疾走を続け、履いている茶色のブーツが石畳を強く打ち付ける。

 周囲の光景も背後に流れる。切れる風の音が耳元でうねり上げる。

 そしてアイゼン・マンティスとの戦闘跡地である広場を横切った所で風に混じって聞こえてくるのは――荒々しい、ポチの威嚇。

 

「邪魔するなぁあああっ!」

 

 路地裏のような一本道を真っ直ぐ進んで立ち塞がるのは赤い体毛をした犬の死骸。

 《ブラッディーハウンド》の襲撃に怒りを抑えられなかった。

 その怒りに呼応するかのように俺の横を銀色の影が駆け抜ける。

 先行したポチは血まみれ犬に飛び掛り、相手もそれに応じる。

 一瞬後、空中で爪と爪とが交錯した。

 

「ナイス!」

 

 ポチは相手に競り勝ち胴体部分へ一撃を食らわす。

 それにより動きが止まるモンスター。二匹に追い付いた俺の右手が閃く。

 擦れ違う時に《ウィースバルグ》を叩き込まれたブラッディーハウンドは、瞬く間にHPを全損させると音を立てて爆散した。

 

(マジか……)

 

 青い光の残滓が残る中を走り抜けた俺の表情に浮かぶのは、驚愕と歓喜。

 たった一撃で倒せた事に驚くのは当然ながら、圧倒的な力を魅せられて、心の底から湧き上がる高揚感を抑えられない。

 自分が強者になったと錯覚してしまう程の武器性能に惹かれる自分がいた。

 身体中に広がり、心を侵食してくるこの気持ちの名は――愉悦。

 

「ただゲーム画面を見て敵を倒すのとは訳が違う……これがフルダイブシステムの醍醐味ってやつか」

 

 強力な武器を持った事で心的余裕が出来たのか。

 戦闘において初めて敵を倒す楽しさと、圧倒的な力を振るう爽快感が心を満たす。

 数十分前にモンスターを怖がっていた奴と同一人物とは到底思えない。

 不謹慎かもしれない。初めて俺は心の底から戦闘が楽しいと感じていた。

 最初の頃に抱いていた元々の目的を思い出し、達成出来た事に笑みが零れてしまう。

 

「けど、何でだろうな。ホント」

 

 しかし、だからこそ残念でならなかった。

 SAOがデスゲームでなかったのなら、これほど楽しくて素晴らしいモノは無かっただろうのに、と。

 

「……って、馬鹿か俺は、今はそんな時じゃないのに」

 

 調子に乗って力に溺れる者は尤も愚かな人種の一人。

 それに今はありもしない妄想に耽っている場合では無いと、速やかに意識を切り替える。

 途端、ポチの出す七回の鳴き声が消えかけていた目的意識を取り戻した。

 

「数が七ってことはモンスターの可能性は低い。たぶん」

 

 おそらく近くにいるのはプレイヤー。

 この人数だとパーティーを組んでいる集団だろう。

 緊張と焦りで鼓動が速くなり、更に走るスピードも加速する。

 そうして路地裏を走り抜け、十字路を右折した俺の目に飛び込んできたのは、

 

「もしかして――クライン!?」

 

 黒パチンコ玉を囲む、風林火山の面々だった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 逆立った赤毛に後ろ姿でもバンダナを巻いている事が分かる髪型。

 先生を除けば唯一信頼出来る大人達が集まるギルドのリーダーは、俺の驚声を聴いて勢い良く振り返る。

 

「おう、誰かと思ったらシュウじゃねえかっ! 元気だったか!?」

 

 残りの面子も中央にいるスライムから俺に視線を移し、皆が例外無く友人に向ける笑顔を見せてくる。

 別れた時から翳りを見せない笑顔。それを喜ぶ自分がいる。

 

(……うん、大丈夫。大丈夫だ)

 

 彼らに恐怖は感じない。そして戦闘中の雰囲気も感じられなかった。

 武器は抜いているけれど、殺気を帯びているものは皆無。

 一先ず仲間が殺される心配が無い事に安心し、そして合流出来た嬉しさで俺も微笑む。

 警戒心を解いたポチと一緒に近寄る俺に、クラインは足元にいた相棒を掲げた。

 

「こんな所で奇遇だな! お互い積もる話もあるだろうがよ。とりあえず見てくれよコイツをよぉ!」

 

 そう嬉しそうに眼前へ持ち上げるのは俺の仲間である黒パチンコ玉。

 顔が分からなくて判別はし辛い。

 手の中で暴れているのは待ち人である俺に会えた喜びからだと思いたい。

 尻尾があるなら千切れんばかりに振っているだろう仕草を見れば、どう見ても無機物にしか見えない姿でも愛嬌があって可愛い奴と思ってしまう。

 そう思うと、勘違いしているクラインが滑稽で、少し哀れ。

 俺の苦笑交じりの笑いをどう判断したのかは定かでは無い。

 しかし自分に都合の良い解釈をしたクラインは、やはり嬉しそうだった。

 

「見てみろシュウの字! コイツのカーソルは黄色。使い魔だぜ、使い魔っ! まだ飼い馴らしに成功してねぇけどよ、それも時間の問題っつーの? 直ぐに成功してやっから、お前ェも世紀の瞬間をその目で見とけ!」

「あ、うん」

 

 ネタばらしをするタイミングを逃してしまった。

 そしてSAO内でも稀少な使い魔を自分も持てると喜んでいるクラインに真実を告げるのが忍びなく、同時にバラした時の反応が楽しみで、笑いを堪えるのもそろそろ限界に近い。

 オブジェクト化したパンを持つクラインの援護をしたいのか、または単純に俺と一緒に傍観したいのか、手持ち無沙汰に陥った残りの面子は俺の方に近寄ってきた。

 

「おい坊主。なんかアドバイス的なのって無いか? テイマーの先輩としてさ」

「せめて好物が何か知れれば良いんですけどね。シュウ君は何か心当たりがありませんか?」

「リーダー! そんなパンをソイツが食う筈ないじゃないっスか!」

 

 色々と意見を求める者。クラインをからかって笑う者。そんな楽しそうな面子に俺は笑顔で告げる。

 それはもう、面白さを隠しもしない特上の微笑を持って。

 

「ソイツの好物はその辺に落ちてる石ころ。な、クロマル?」

 

 俺の二匹目となる使い魔――メタルハードスライムのクロマルは、口をあんぐり開いて顎を落としているクラインの手から逃れると、地面に落ちてゴロゴロ転がり、俺の足に体当たりをかましてくる。

 そのじゃれている姿?に手を伸ばし、傷一つ無い綺麗な光沢を撫でてひんやりする感触を味わうこと数秒。

 俺の発言がようやく一同の脳に浸透した結果、

 

『えぇええぇえええええええっ!?』

「なん……だとっ!?」

 

 ――ショックで両手両膝を付いてうな垂れているクラインを除く総勢六名の大絶叫が、古代遺跡を揺るがした。

 

 

 ◇◇◇

 

 

「いっそ殺せ! ちっくしょぉ、これじゃあただのピエロじゃねぇか!?」

 

 これは浮かれ顔から一転、自分の道化ぶりに頭を抱えて悶えているクラインの言葉。

 俺を含む風林火山全員が爆笑して例外無く呼吸困難に陥った後、ようやくダメージが抜けた、もしくは今までの流れを全て無かった事にしたクラインは、恨めったらしい視線を俺に向けてくる。

 何度も浴びている嫉妬の視線とは訳が違う、全く不快感を感じない視線を向けるクラインのそれは、もはや特殊能力の類ではないだろうか。

 

「……つ-かよ! 二体目の使い魔とか、どんだけリアルラックが高ェんだよお前ェって奴は!」

「そうですね、僕もちょっと聞いた事がありません」

 

 俺の頬を引っ張るクラインに同意するように頷いている短剣使いのお兄さんの言葉通り、確かに俺も二体以上の飼い馴らしに成功した例を他に知らない。

 実はテイマー自体は少数ながらも他に存在し、その中で俺と同じくらいの知名度を誇っている竜使いの少女もおそらく知らないだろう。

 クロマルの顔合わせも兼ねて、今度その少女の下を訪れるのも良いかもしれない。

 最後に出会って二週間近く経っている。

 それなりに仲が良く頻繁にメッセージを交わす間柄でもあるので、タイミング的にはそう外してもいないと思う。

 

「鬱陶しいなもう! HP減ったらどう責任取ってくれるんだよ!?」

 

 クラインをぬか喜びさせた事に少なからず負い目を感じていたので甘んじて受けていたけれど、流石に許容範囲を超えた。

 ゲームシステム上、痛みは無い。

 しかし煩わしいにも程があるのでクラインの脛を蹴り飛ばして距離を取った俺は、そこでふと、彼の腰に吊り下げている武器に気が付いた。

 

「あれ? クライン武器変えた?」

 

 第六層で別れた時の武器は曲刀。

 西洋ではシミターと呼称される刃幅の広い歪曲した刃を持つ武器を得物にしていたクラインは、現在違う武器を腰に差していた。

 刃に反りがあるのは同じで。曲刀と呼ばれる程の反りは無い。

 そして極端に薄い刀身は、誰がどう見ても――。

 

「それってカタナ?」

 

 誰でも知っている日本を象徴する武器。

 日本刀をクラインは所持していた。

 

「おう、やっと気付いたか。昨日スキル欄に現れてよ。エクストラスキルのカタナだ。この《月下》もプレイヤーメイドで高かったんだぜ」

 

 エクストラスキルとは特別な条件下でのみ発現するスキルの総称。

 このカタナは曲刀スキルから派生する武器スキルで、つい最近所々で聞くようになった新スキルの一つだ。

 他には特定クエストをクリアする事で修得出来る体術スキル。両手槍スキルの派生である薙刀スキルもあったりする。

 

(薙刀なぁ……この情報がもっと早く耳に入っていれば……っ!)

 

 この情報が耳に入った時、俺は真剣に両手槍に鞍替えしようかと頭を悩ませた。

 今から戦闘スタイルを変えるのは大変。

 短剣の癖が染み付いているため間合い等の勘を取り戻すのも一苦労。

 それに俺の筋力値では短剣以上に重い武器を装備するのは厳しいという悲しい理由もあったため、お蔵入りになった計画だけれども。

 

「いやー、ホント、待ってたぜこの時をよ」

「へぇ、おめでとう。目的が叶って良かったじゃん」

 

 おうよ、と鞘からカタナを引き抜くクラインは、本当に嬉しそうな表情でうっとりした眼差しを薄紫の刀身に向けている。

 元々侍に憧れているクラインは、このSAOにログインした時点で極めるならカタナだと決めていたらしい。

 何でも『漢なら黙って刀。侍は漢の夢』という信条を持っているようで。

 薙刀を愛用していた俺と壮絶な討論会を酒場で繰り広げたのは記憶に新しかった。

 

「スキルか……そういえば」

 

 スキルの話題で思い出した事が一つ。

 それは先程レベルアップした時の獲得ポイントをステータスに振り分けていなかったという点だ。

 アスナさんと出会い、別れてから、まだ二時間程しか経っていない事実に少し驚きながらメニューウィンドウを呼び出す。

 そしてポイントを振り分け、ついでにスキルの熟練度数を確かめようと画面を開いた俺は――後のアイデンティティーとなるスキルと対面を果たした。

 

「ねえ……クライン」

「あん?」

 

 震える声を漏らした俺の視線と、クラインの怪訝そうな視線が交差する。

 俺の声の質からナニカが起きたと判断したメンバーも、ポチ達と戯れるのを止めた。

 その只ならぬ雰囲気が漂う中で俺が口にしたのは、

 

「――《魔物王》ってスキル知ってる?」

 

 未知のスキルの名前だった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 魔物王。

 明らかに異質なスキル名にクライン達も言葉を失った。

 しかし、一番驚いているのは俺だ。

 数時間前に確認した時点では存在しなかったスキル。

 もし以前からあったのなら気付かない俺は脳外科にでも行った方が良いだろう。

 そう自虐してしまう程の存在感を放っていた。

 

「しゅ、出現条件は!?」

「さあ? 何だろ……やっぱりコレもエクストラスキルなん?」

 

 MMO初心者な俺に当たり前だと頷く廃人の人達。

 ここ数時間の内に発現したもので。今までの大まかな行動なども全員に説明してから、俺達は大通りのど真ん中で長いシンキングタイムに突入。

 ポチが警戒しているからこそ、こうして思考の海にダイブしていられるのだ。

 魔物王という名前。

 そして俺の今までの行動から考えると、

 

「おそらく出現条件は二体以上の飼い馴らし成功、というところでしょうね」

「やっぱり?」

 

 風林火山の参謀的存在の短剣使いさんも俺と同じ推理だった。

 そう、他に何かこれといったイベントは無かったので、この説が濃厚。

 飼い馴らしイベントは小型モンスターにのみ発生するイベントであり、その小型モンスターを殺し過ぎている場合には発生しないと言われている激レアイベントだ。

 初対面のモンスター相手に飼い馴らしイベントが発生する確率は〇.一パーセント以下、下手したらそれ以下とも言われているため、二体目の使い魔所持など早々起きないだろう。

 つまり確かめる術が現時点で存在しない。

 これは面倒な事態だ。

 

「このスキルの存在はまだ内緒にしといて。……お願い」

「……そーだな。今はそっちの方が良いだろ」

 

 これ以上有名になって嫉妬の対象になるのはゴメンだという意図を正確に察してくれたクラインに、風林火山の人達も同意の言葉を述べてくれる。

 本当、持つべき者は友達だ。

 しかしその見返りとして、クラインはどうしても気になる事を訊いてくる。

 

「でもよ、そのスキルの効果くらいは教えてくれんだろうな? このままじゃ気になって夜も眠れねぇ」

「そんな精細な神経してるとは思えない……って馬鹿、手を出すなよ! クラインってば体術スキル修めてるだろ!? 手が光ったぞ手が!?」

「はン! 生意気なガキにお仕置すんのが大人の役目なんだよっ!」

「お仕置きの程度を考えろ馬鹿! オレンジになる気か!?」

 

 このまま口喧嘩に発展しそうになった俺達は周囲の面々に取り押さえられた。

 説教を受けたのは俺も同じだけれど、主に大人なクラインが『子供相手にマジになるな』と皆から説教を受ける事になる。

 正座をしているクラインを尻目に、左手でクロマルを撫でながら魔物王スキルをワンクリック。

 ポップアップメニューからヘルプを選択し、現れた説明文に意識を集中させた。

 

 

【このスキルを選択することで、プレイヤーは任意発動技以外で以下の効果を常時受ける事が出来ます】

 ・飼い馴らしイベント発生確率の上昇

 ・飼い馴らし可能な小型モンスター32種に中型モンスター28種を加えた、飼い馴らし可能モンスターの増大

 ・飼い馴らしイベント中の成功補助

 

 

 俺はSAOに存在するスキルには大別して二種類あると考えている。

 ソードスキルのように任意発動するものと、忍び足スキルのような常時発動しているスキルだ。

 そして片手用直剣の初期スキルである《スラント》のように魔物王スキルにも初期から使用出来る技があった。

 その名は《意思伝達》。

 以上の事から、このエクストラスキルは二種類の中間に位置するスキルだと判断出来る。

 

(意思伝達……名前からして使い魔交信スキルと同じような感じだよな、きっと)

 

 もしかしたら魔物王とは複数ある使い魔専用スキルを複合したスキルなのかもしれない。

 その考え通りなら、これはかなり儲けもの。

 これ一つで専用スキル全てを賄えるのなら存分に自分自身の強化に努める事が出来る。

 しかしこのままでは憶測の域を出ないので、今の使い魔交信スキルを破棄して魔物王スキルをスロットに入れる案は一先ず保留。

 レベルが19という事もあり、20に達してスキルスロット上限が増えてから魔物王スキルの意志伝達を確かめる事に決めた。

 予想通りなら使い魔交信を破棄して別のモノを入れれば良い。

 

(ここまでスキルの変動が激しいプレイヤーもいないんだろうな)

 

 優柔不断ではない。

 単に巡り合わせの問題だと言い聞かせる。

 説教が終わった面々に、俺はスキルの詳細を話した。

 

「ほう……なんかよ、もういっそのこと、武器を短剣から鞭にでも変えた方が良いんじゃねぇか?」

「魔物使いだからなのかサーカス団をリスペクトしてんのか分かんないぞ、それ」

「まあ、キャラ付けなら既に充分だもんな、ニーヴァのショタっ子」

「そのあだ名は止めろクライン!?」

 

 レアスキルを手に入れた俺に冗談と嫉妬の混じった悪口を浴びせてから、しっかりと秘密を約束してくれたクラインを殴る俺。

 その後にこれからどうするのかを訊ねてくるが、答えをもう用意していた。

 

「しばらく地底街区にいる。早くレベルアップしたいし、クロマルとのコンビネーションや武器の性能も見ないといけないから」

「だったらよ、完全に日が暮れるまで一緒に行動しようぜ。お前ェもジュエリーラットを狩りに来たんだろ?」

 

 やはりクラインに誘われる分には不快感や恐怖を感じない。

 ポーションを売ってくれた商人プレイヤーには平常心を保ち、勧誘をしてきた奴らには恐怖を感じてしまった俺の心。

 おそらく俺のこの不安定な心は、長期間一緒にいる可能性があり、あちらから近寄ってくる見ず知らずの大人プレイヤーに対してのみ反応するのだろう。

 だから自分から近寄って行った商人には何も感じなかったし、黒炎を売ってくれた高校生くらいの店主さんには――。

 

「――やばい、忘れてた。早く街に戻らないと……」

 

 クロマルとの合流と魔物王スキルという衝撃的な出会いがあったため、綺麗サッパリ頭の中から彼女の事が消えていた。

 もしこのまま忘れて数時間経っていたらと思うと目も当てられない。

 主街区を出てから一時間くらいしか経っていないので直ぐ戻れば許してくれるだろう。

 そうだと思いたい。

 

「ごめんクライン! 用事を思い出したから直ぐに帰る! 縁があったらまた会おう!」

 

 簡単な挨拶を一方的に告げてから、ポチを侍らせてクロマルを両手で抱えた俺は全力疾走。

 陸上選手も真っ青なスピードでモンスターとのポップを回避しつつ主街区に戻る。

 

 

 そんな俺を待っていたのが、額に青筋を浮かべ、腕を胸の前で組んで仁王立ちをしていた店主さんだったのは言うまでも無い。

 

 




本来なら《神聖剣》と《二刀流》以外のユニークスキルは90層からの解禁らしいのですが、この話では違います。
ご了承願います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六話 決意

 人生初めての土下座を実行に移して数十分後、俺と女性店主――リズベットは《リードバルト》の酒場で少し早めの夕食を摂っていた。

 迷惑料込みの決して安くない黒炎の代金を支払わせ、更に夕食まで年下にたかろうするリズベットは本当に容赦が無い。抜け目が無いとも言う。

 しかし下手したら情報屋に窃盗犯としてリークされ、更には軍に捕まって《はじまりの街》にある黒鉄宮の牢獄に投獄されていた可能性を考えれば、俺を信じて待っていてくれたリズベットに夕食くらいご馳走するのは当然の事かもしれなかった。

 そう自分を納得させて料理を飲み食いすること数十分。

 現在はというと、

 

「じゃあ何よ、あんたってば《ルビークリスタル・インゴット》や《レインボーダイヤ》を持ってるって言うの!?」

「ちょ、声がでかいっ!」

 

 何故俺がポンと大金を支払えたのかという質問から、ジュエリーラット討伐の話をしているところだった。

 

「あ……ごめん」 

 

 プレイヤーの所有する稀少アイテムは基本的に秘密。

 所持している事が明るみになれば不要なトラブルを招きかねない。

 だからリズベットは自分の迂闊さに気付き、声のトーンを落としてみせた。

 バツが悪そうに視線を逸らし、その表情にうっすらと影が射す。

 そこまで気にする事は無いと思いつつ、彼女の気持ちを高揚させるため、鍛冶屋として無視出来ない妙案を提示した。

 

「もし欲しいなら売る。他の素材アイテムと一緒に」

 

 使い道の無い稀少アイテムを所持していてもメリットは少ない。

 俺にはMMO廃人特有のコレクター精神も無い現実主義者。

 奪われる可能性を考えればさっさと売却したいのが正直な気持ちだった。

 そう考えれば、鍛冶屋のリズベットに素材アイテムを売るのは妙案と言える。

 

「ありがたい話なんだけど……今はちょっと厳しいのよね」

「金が無い? 黒炎を売った分があるのに」

 

 黒炎を売った金はあるけれど、これは当面の生活費と商売をするための大切な軍資金。

 確かに欲しいが、武器製作スキルの熟練度の関係で今は使用出来ない――高確率で失敗する――素材をアイテムリストの肥やしにする金銭的余裕は無いという事らしい。

 このSAOというゲームは限り無くリアルに近い仮想現実。

 当然、装備品を製作するためには専用の工房が必要であり、未だ専用工房を持たない貧乏鍛冶屋のリズベットは《はじまりの街》にある貸し工房を複数の職人プレイヤーと共同で使用する程の貧乏だった。

 

「大変だったのよ。つい最近まで資金稼ぎや素材収集、スキルの熟練度上げに奮闘して、いざ商売を始めようと思ったらライバルが多いし、工房の使用料が馬鹿高いのなんのって。共同で借りているから譲り合い順番争いのオンパレード。やんなっちゃうわよ」

 

 これを作った茅場は精根が腐ってると乙女にあるまじき暴言を吐くリズベットは、実に男前な飲み方でジョッキのコーラを呷った。

 主街区には空き家が沢山あり、プレイヤーにも購入出来るよう売りに出されている。

 その家をリフォームすれば個人商店や鍛冶工房を作りたい放題、使いたい放題な訳だけど、残念ながら購入出来るのは大分先だ。

 なにせ家はアインクラッドで最も高価な代物の一つ。

 それまでは、せめて一人で工房を借りても赤字にならないレベルまで達しなければ競争から抜け出せない、と愚痴る彼女は想像以上にストレスが溜まっているらしい。

 まるで上司への愚痴を同僚から聞いているサラリーマンの心境で相槌を交えながら対応している俺は、椅子の横で物置と化しているクロマルを撫でながら心の中で溜め息を吐く。

 ちなみにポチはいつも通りテーブルの下で伏せている。

 一人ではなくリズベットがいるためか不用意に近付いてくるプレイヤーがいないのが救いだ。

 

(二匹目の飼い馴らし成功に関してはアルゴに伝えてあるけど……リズベットが一緒にいる間に噂が広まっていると祈ろう、うん)

 

 わざわざ俺に訊ねる必要が無い程メタルハードスライムの飼い馴らし方法が広まれば、少しはうざったい質問も消えると思うから。

 クロマルを仲間にした時点で群がるプレイヤーは増大すること確実だったので、このくらいの情報が広まっても大勢に影響は少ない。

 もちろん魔物王についての情報は伏せた。

 

「ちょっと、聞いてるのガキンチョ?」

「聞いてる。それとガキンチョは止めろ」

 

 酔っ払いかアンタは、という言葉を寸での所で飲み込んだ俺は人間が出来ていると思う。

 人の金で更に飲み物を注文し、更には口調が生意気だと頬を抓ってくる彼女とは正反対だ。

 

「だったらさ、持ってる素材アイテムは今後も全て格安で売るし、ジュエリーラットのドロップアイテムは全て渡すから、今後も俺の武器の面倒を見るってのはどう? 武器強化の際に使用する素材アイテム費用はそっち持ちで」

 

 SAOに存在する武器には強化試行可能数というモノが定められている。

 簡単に説明すれば武器を強化出来る回数は武器ごとに決まっており、強化に応じた素材アイテムを用いる事で武器の性能を高められるという事だ。

 この強化の成功率はアイテム数とプレイヤーの腕に掛かっている。

 出来るだけ最上の素材を使用限界数いっぱいまで使って武器を強化していきたいと考えている俺にとって、優れた鍛冶屋とのパイプは必須だ。アイテムを無駄にしないためにも。

 

「全額負担は無理よ。せめて半額……いえ、三割引き」

「オーケー。交渉成立」

 

 流石に全額負担は却下されたが元々要求が通るとは思っていなかったので、この程度が落とし所。

 あえて無茶な要求をする事で本命の印象を安くして要求するのは、誰にでも出来る詐欺師の手段だ。

 それが実戦で証明され、内心満足している俺を、リズベットは鶏肉もどきを頬張りながらジト目で睨む。

 それは、俺の真意を探ろうとする目。

 

「やけに気前が良いわね。ジュエリーラットのドロップアイテムっていえばランクは全てA。売れば一財産になるのよ?」

 

 甘い話には裏があるを地でいくSAOにおいて疑心暗鬼な眼差しを向けるリズベットの対応も至極当然。

 もしジュエリーラットが期間限定の出現Mobであり、ドロップアイテムが他では入手出来ない代物ならば、その稀少度は今後も跳ね上がる。価値など計り知れない。

 しかし、そんなこと俺には関係無かった。

 

「先行投資とでも思っといて。今後もリズベットには武器を見てもらいたいから」

 

 これは嘘偽りの無い正直な気持ち。

 そう思えば大金や稀少アイテムも惜しくない。

 それに最高ランクであるSでない事からも、おそらくドロップアイテムは今後もどこかで入手出来るだろう。

 他の素材と違って《ジュエリーラットの○○》という名称でない事も根拠の裏付けであり、そして個数限定の超稀少アイテムが十層という下層で手に入るとも考えにくい。

 あるとしても需要の高くて消耗品である素材アイテムではなく、何か装備品といった形で残す筈だ。

 なら、今は優れた鍛冶屋の確保を優先したい。

 

(リズベットみたいなプレイヤー、逃してなるもんか)

 

 攻略において最も必要なのは優れた装備。

 その核となるのはプレイヤーメイドとドロップアイテム。

 運任せのドロップアイテムを全面的に頼る事が出来ず、自分の生命線をなるべくなら大人に頼りたくない俺からすれば、中・高校生且つ信用に値しそうなリズベットは是非とも欲しい人材だった。

 俺が彼女の腕に惚れ込んだという理由が一番ウエイトを占めている訳だが。ともかく、そんな打算的な心情を察する事も無く純粋に喜んでいるリズベットには今後も腕を上げてもらいたい。

 

「商売初日にして固定客ゲット! こりゃあ、幸先良いわ」

「あ、やっぱり初めてなんだ」

 

 なんでも今までは、昼間は軍主催の雑魚敵討伐パーティーに参加して安全にコルを稼ぎ、レベルも上げる。

夕方以降は貸し工房で槌を振るってスキルの熟練度上げと、武器製作過程で入る経験値を利用してレベル上げに勤しむ毎日。

熟練度上げに武器修復で得た金で生活費と材料費を遣り繰りするという毎日を三ヶ月も続け、漸く今日、初めて商品を販売してみたという訳だ。

 

「任しときなさい。あんたの武器は責任持って、あたしが面倒見てあげるから!」

 

 今夜は飲み明かそうと満面の笑みで料理をNPCに注文するリズベット。

 ここの支払いが俺持ちだという事をそろそろ思い出して欲しい。

 

「ああ、それと、レインボーダイヤとかはちゃんと代金を支払って買い取るわよ。まあ、出来ればローンでお願いしたいんだけど」

「え? 別に良いって。言ったでしょ、先行とむぐぅっ!?」

 

 言葉の途中で白身魚のムニエルっぽいナニカをフォークごと口に突っ込まれ、中断させられる俺。

 限り無く味の薄いムニエルもどきを粗食する原因を作った張本人の顔は、どことなく赤かった。

 

「……正直言っちゃえばさ、嬉しかったのよ。あんたに褒めてもらえて」

 

 初めて武器を買ってもらえた喜び。

 最高傑作に対する惜しみない称賛。

 認められた力量。

 そんな誇れる武器を製作出来た達成感。

 武器が戦闘で役に立ったという事実。

 今日だけでどんなに嬉しい事があったのかは分からない。

 使用者の称賛する声と笑顔は大金にも勝らない代金。鍛冶屋冥利に尽きるとリズベットは締め括った。

 

「だから、これはお礼よ。まあ、お得意様へのサービスって思ってちょうだい」

「………………」

 

 はにかみながら告げるリズベットは、もう心の芯まで鍛冶屋と化している。

 心の有り様に仮想体が侵食し、現実世界の自分が塗り潰される事に危機感を覚える俺だが、今の彼女を見れば良い影響を与えている事も否定出来なかった。

 死神からの誘いが強く、不自由な生活を強いる世界。

 しかし新たな出逢いと現実では体験出来ない喜びを与え、人として成長させる幸福な世界。

 本来なら相反入れない二つが交わるという矛盾が内包される。

 

(ホント、嫌な世界だ……まったく)

 

 トラウマを幾つも刻んでも完全に嫌いに成りきれない世界は、本当に厄介この上ない。

 

「そういう事だから代金は払うわよ。その代わり、リズベット武具店の宣伝を忘れずに」

「あ、うん、了解」

 

 色々と考えていたため歯切りが悪い返答だったけれど、リズベットに不審がられる事は無かった。

 

「でも、知り合いか」

 

 フレンド登録している人達を頭の中でリストアップする。

 教会。風林火山。鼠の情報屋。テイマー少女。女神様。

 自分のコミュニティの狭さに軽く絶望するも、理由があるだけに仕方が無いと割り切る。

 それに充分過ぎるほど他プレイヤーと交流を持ってしまったと考えている自分もいた。

 我ながら寂しいとは思う。けれども、教会の家族以外であとフレンド登録するのは二・三人に留めておこうと考えているのも事実。

 コミュ障上等。

 広がりすぎた交流の輪は対人トラブルを招きやすいのだから。

 

(紹介するにもリク達にはまだ早いし、宣伝するとしたら他の面子。……ああ、そういえば――)

 

 

 

 ――アスナさんにメッセージを送らなければ。

 

 

 

 無事に帰れた事の報告。新たな仲間のクロマル。リズベット武具店。

 話したい事は沢山ある。

 

(くっそ……ああ、認めてやるさ。茅場晶彦)

 

 アスナさんに出遭えた事に関してだけは、神様と茅場晶彦に感謝していた。

 すると、どことなく玩具を見つけた子供のような声が耳に入る。

 

「ほほー。どうやら気になる子がいるみたいじゃない。ガキンチョの癖に生意気な」

「…………え?」

 

 たっぷり十秒経ってから間抜け顔を晒した俺は、正面に座ってニヤけているリズベットを見る。

 その気色悪い笑みは、クラスメイトの女子がたまに見せる、俗に言う恋バナをする時の笑みと同種の香りがした。

 否定が遅れたためか。

 勘違いは取り返しの付かない所まで進んでしまう。

 

「誰に紹介するか考えてくれていたんでしょうけど、その嬉しくて楽しそうな顔を見れば丸分かりよ。良かったわね。話すきっかけが出来て」

「…………はあっ!? 何でそうなる!? アスナさんはそういう人じゃないって!」

 

 ここまでくればリズベットが何を勘違いしたのか分かる。

 全くもってありえない。アスナさんはそういう対象ではない。

 

「アスナ『さん』……年上ときたか……やっぱりマセガキね」

「だから違うって!」

 

 からかう馬鹿者に水でもぶっかけてやろうかとコップを握った時、彼女は頬杖を付きながら割りと真剣な目でこちらを見てくる。

 その迫力に気圧され、思わず半身ほど下がってしまった。

 そしてリズベットは少し間を空けてから口を開く。

 聞き分けの無い子供を納得させるような口調は、やっぱり癪だった。

 

「じゃあさ、あんたはそのアスナさんと話したり触れ合ったりした時に、妙な恥ずかしさやドキドキを感じた事は無かった?」

「……………………あっ!」

 

 その時、脳裏に電流が走った。

 思い出されるのは解毒ポーションを飲ませてもらった時。

 その光景を、心情を思い出し、再び頬が紅潮するのが自分でも分かってしまう。

 動悸を抑える事も失敗した。

 

「…………確かに、あった。でもそれはっ!」

 

 アスナさんは俺にとって命の恩人。ヒーロー。女神様。

 彼女のファンになったと言っても良い。

 ファンなら憧れの人と仲良くなりたいと思っても不思議じゃないだろう。

 俺がアスナさんに抱くのはそういう気持ちの筈だ。

 納得する理由を見つけ、無自覚の理論武装を終える。

 

「自覚無しか……まあ、今はそれで良いかもしれないわね」

 

 その呟きは小さ過ぎて俺の耳に入る事は無かった。

 その後リズベットはしばらくの間黙りこくって何かを考え始める。

 時計の長針が五回ほど回って周囲の喧騒だけが酒場に響く中、ついに両腕を組んで閉じていた両目を開いたリズベットは――これ以上無いってくらい優しい双眸をしていた。

 それはもう不自然な程に。

 

「ねえ、そのアスナさんと仲良くなる方法、知りたくない?」

「是非」

 

 その警戒心を煽る目について言及する前に悪魔の囁きを聞いてしまい、些細な事は綺麗サッパリ忘れてしまう。

 現実世界では姉ちゃん以外の異性との交流が無かった俺にとって、女性と仲良くなる方法は、ある意味SAO内の情報よりも価値のある代物だったのだ。

 その後三十分に亘り女性との接し方、注意事項、何が好印象を与えるか。そういったレクチャーを受け続ける。

 そんな第一回目の初級編授業を終えた俺は、

 

「……師匠って呼んでも?」

「オーケー」

 

 大した恋愛経験も無い自称・恋の伝道師の術中に、まんまと嵌っていたのだった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 ピラミットのような石造りの迷宮区内を照らしていた青いライトエフェクトが静まった時、もうそこに敵は存在していなかった。

 アスナさん、クロマル、師匠といった面々と出逢って四日が経った今日、迷宮区デビューを果たした俺の足取りは軽く、大した疲れも無く散策を続けていた。

 その強固な身体を敵に晒し、身を挺して俺への攻撃を防いでくれるクロマルの参戦は非常に助かる。

 お陰で回避を気にせず力任せの特攻を仕掛けられる場面が増え、ヒット&アウェイ以外の戦法も可能としたのだから。

 回避に回す時間が減ったため攻撃の手数を増やせた事も大きい。

 

「あとはやっぱりコイツの働きも大きいか」

 

 それに黒炎の存在も忘れてはいけない。

 流石に迷宮区よりもモンスターレベルの低い地底街区のように一撃で敵を倒せる事は無かったけれど、大体は三撃、ソードスキルも使用すれば二撃で倒しきれる。

 プレイヤーメイドの中でも現時点でトップクラスの性能を持つのは明らか。入手出来たのは運が良かったと言わざるを得ない。

 あれから何度も試してみても、黒炎以上の武器は未だに作れないと師匠もボヤいてたのが黒炎の名刀ぶりを物語っているだろう。

 ポチの索敵にクロマルの防御力、隠蔽スキルを駆使した黒炎のバックアタック。

 正に、鬼に金棒。

 

「強いんだけど……俺の実力じゃない気がするのは何故だろう」

 

 両脇に従える使い魔達と、通路の燭台に灯っている火で刃をより紅くさせている短剣に視線を移して、そっと溜め息を吐く。

 もし二匹がいなくなり、黒炎が手元に無い俺など、中層プレイヤー以下の実力しか残らないのは自覚している。

 攻略組クラスの力を手にいれたのは幸運の要素が強い。

 しかし、今の俺は魔物王。

 使い魔の力は俺の力という幼稚なジャイアニズムで無理矢理士気を上げ、開き直る俺だった。

 

「クロマルはまだ大丈夫。ポチもオーケー」

 

 地底街区でのレベリングで一昨日の内に20レベルまで達した俺は、使用可能になったスキルスロットに躊躇いも無く魔物王スキルを入れた。

 やはり俺の推測は正しく魔物王スキル《意思伝達》で使い魔に簡単な命令を下せたので、使い魔交信スキルはその数秒後にこの世から抹消されたのは当然の結末だ。

 短剣、隠蔽、魔物王、そして使い魔交信の代わりに入れた《耐毒》スキル。

 これが俺の習得しているスキルであり、生命線の数々。

 

「あと習得したいのは投剣や体術ってところか。あったら戦術の幅が広がりそう」

 

 ソロプレイに必須な索敵はポチが、防御スキルである武器防御はクロマルが補っているため、あと必要なのは上記の二つか戦闘補助。

 もしくはパーティーに一人居れば便利と言われる罠解除や鍵開けといった盗賊(シーフ)プレイヤー寄りのスキルくらいしか魅力的な候補が無い。

 今回はグルガの件があったため耐毒スキルを優先したけれど、次回からは補助系スキルを習得していこうと思う。

 

「アスナさんはどんなスキルなんだろ」

 

 訊いてみたいがスキルの検索はマナー違反というジレンマに苛まれながら探索を続ける俺。

 その後もアルゴから買ったマッピングデータを頼りに未踏派の区間を重点的に歩き、危なげ無く幾つかの戦闘をこなしていく。

 アンデッド系と金属生物系モンスターを倒し、通算二〇個目になる師匠へのお土産素材を獲得した直後の事だった。

 いつも通りポチが唸り声を上げる方向から、ブーツが石畳を踏む反響音が響いてきたのは。

 

「プレイヤーが一人に使い魔が二体。やっぱりシュウだったのか。ソイツが噂の新しい使い魔なのか?」

「………キリト?」

 

 通路の曲がり角から現れたのはキリトだった。

 黒色革製防具を好むのは相変わらずのようで、以前見た時とは若干の違いがあるものの革製防具に身を包む姿は健在。

 元から警戒はしていなかったのか、右手に持つ業物っぽい片手剣――九層のクエストで手に入れた《クイーンズ・ナイトソード》――はダラリと垂れ下がっている。

 その姿を見て、俺も構えていた黒炎の切っ先をキリトから外した。

 

「久しぶり。息災でなにより……だっけか。こういう時に言うのって」

「難しい言葉をよく知ってるな」

「これでも読書家の一面もあったんだよ、俺は」

 

 感嘆の込められた声を掛けられながらその場で立ち止まる。

 立ち話には適さない場所なのは承知していても、多少の話をするくらいの余裕が俺達にはあった。

 

「迷宮区にいるって事は、もう攻略に入るって考えて良いんだよな? レベルはどのくらいになった?」

「一昨日20になった。キリトは?」

 

 この問いに対するキリトの答えは驚くべき数値だった。

 流石はソロの攻略組。レベルが常軌を逸している。

 最後に会ってまだ二週間程しか経っていないのに。

 

「……30? ここ十層だって本当に分かってる? 何そのデタラメな数値……」

「ジュエリーラットを三匹仕留めた。もう当分、レベルアップは望めないだろうな」

「三匹!?」

 

 現在第十層ではある噂がNPCから流れている。

 それはジュエリーラットが生息域を変えたという噂だ。

 これはおそらくジュエリーラットの出現が終了した事を示唆する内容で、おそらく上の階層でまた姿を見る事になるだろう。

 倒されたのは結局十匹。約1/3をキリトが一人で倒した計算になる。

 

「うわ、容赦ねー。自重しないキリトさん半端ないッス」

「……俺も、流石にやり過ぎたと反省してる」

 

 譲り合い精神の欠片も無い、全く自重しないその貪欲さに呆れてしまった。

 偶然出会い頭に遭遇して仕留められた幸運もさる事ながら。まるでジュエリーラットの出現を予見していたかのように偶然習得していた索敵からの派生である《追跡》スキルを習得していたのも、とても大きな幸運だ。

 追跡スキルはエンカウントしたモンスター種とフレンド登録してあるプレイヤーの足取りを追跡する事が出来る。

 熟練度が高ければ高いほど対象の移動ログを足跡という形で過去まで遡り、視覚情報を用いて知ることが出来た。

 この技能を持ってして、キリトはつい乱獲行動に走ってしまったのだ。

 

「シュウ、この先にはボス部屋しか無いぞ」

 

 ジト目で見る俺の視線に耐え切れなかったからこその話題転換。

 しかしそれは、俺を驚かせるには充分過ぎる一言。

 

「ボス部屋!?」

 

 キリトの言葉に驚き、思わず薄暗い通路の先に目を向けてしまう。

 当然その先に部屋は見えなかった。同時に思わず納得してしまう。

 だからキリトは引き返してきたのだ。

 一人で挑む馬鹿は攻略組に存在しない。

 というより、そんな命知らずはSAO初期にもう死んでいる。

 

「ボスは見た?」

 

 ボス部屋に入らなければ戦闘は起きないと聞いた事がある。ボスは部屋から出ないからだ。

 だからボス部屋の外から中を除く事で姿は確認出来る。

 情報を持ち帰るためにもキリトが確認している可能性は高いだろう。

 姿さえ確認出来れば相手の攻撃手段を予測し、作戦も立て易くなる事くらい攻略組のキリトは分かっている筈。

 子供の俺でも思い付くことなのだから。

 

「ああ、手が六本ある大型骸骨だ。それぞれの手に武器を持ってる」

「うぇ。手が六本か……面倒そう」

 

 予想以上に厄介そうなモンスターで、その姿を少しだけ想像する。

 剣や斧を持った巨大骸骨を連想して震えるのはただの武者震いだと思いたい。

 思考の海にどっぷり浸かる俺を見るキリトの目は、ナニカを諦め、決意している目だった。

 

「やっぱりボス戦に参加するつもりなのか?」

「勿論。当然」

「よりにもよって即答かよ」

 

 そう、俺が戦うのは確定事項。

 今の震えが恐怖だろうと武者震いだろうと関係無い。

 戦うために重ねてきた努力を、あの夜に抱いた攻略への決意を無駄にするのは、絶対に嫌だ。

 

「ハァ……やっぱり本気なんだよなぁ。そこまで好戦的にならなくても良いだろうに」

「舐めるなっつーの。それに好戦的じゃなくて、必要だからやってるだけ。心配なのは分かるけど子供扱いは無しの方向で」

 

 少し怒りを乗せてキリトを見上げる。

 そんな俺に悪かったと笑うキリトが罪滅ぼしに提示したのは、少々意外な提案だった。

 

「なら、今からやる事は一つだ。このままじゃ少し不安だからな」

「何が?」

 

 レベルは充分足りている。何百と戦闘を重ねて経験も積んだ。装備も万全。情報収集にも余念は無い。

 他に何をすれば良いのか分からなかった。

 戸惑う俺を見てキリトは告げる。

 それはある意味当然の事であり、人間不信状態の俺では絶対に思い付かない大切なこと。

 

「集団戦での心得。連係プレイの練習に決まってるだろ?」

 

 

 

 ――すなわち、チームワーク。

 

 

 

「……なるほど」

 

 確かに、少しだけ不安だった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 唐突に始まった個人レッスンは迷宮区を出るまでの一時間、休む事無く続けられた。

 特訓と呼ぶにはあまりにも足りない僅かな期間。

 しかし、それでも特訓の成果は絶大。

 キリトの指導が的確だったという理由もある。しかしそれでも特筆すべきは俺の吸収力の良さだ。

 真綿に零した水のように、その柔軟な脳はキリトの技術を瞬く間に吸収していく。

 また一歩高みに昇れたと考えれば、口元が自然と緩んでしまった。

 

「なんて事だったらどんなに良かったか。ハァ」

 

 

 

 ――以上、俺の脳内妄想劇場。またの名を現実逃避とも言う。

 

 

 

「シュウの動きは悪くない。悪くは無いんだぞ。ああ、悪くない」

「そのフォローは俺の心を深く抉る」

 

 石造りの出口に射し込む夕日に目を細め、溜め息を吐きながら揃って肩を落とす。

 得物を鞘に戻して荒野を歩く俺の表情は晴れなかった。

 

「……あれ、誰に送ってんの?」

「アルゴっていう情報屋だ」

「キリトもアルゴの顧客だったのか」

 

 ダンジョン内でメッセージは送れない。

 だからキリトは迷宮区から出た途端、馴染みの情報屋へマップデータとボス情報を送っている。

 アルゴを介して攻略ギルドへ情報を流布するつもりなのだ。

 

「それにしても……あーあ、俺って不器用なんだな」

 

 メッセージを打っているキリトを横目に悔しさから唇を噛み締めた。

 キリトが認めてくれたように俺の動きは悪くない。

 単独で敵と戦う力は充分。風林火山という多人数での共闘を経験したので邪魔になるような動きもしない。

 しかし、言ってしまえばそれだけ。

 それは仲間に干渉しないというだけで本当の意味での共闘では無かった。

 

(スイッチかぁ……なんて厄介な技術なんだ……)

 

 スイッチとは便宜上そう名付けられた技術の名称。

 強力な敵や仲間と共闘する時に必要な技術だ。

 その実態はプレイヤー間の位置取り変更テクニック。

 攻撃の際に互いの武器が邪魔をし合わないように位置を譲り合い、矢面に立って戦っているプレイヤーと後方に控えているプレイヤーが位置を交換する技術。又はソードスキル発動後の技後硬直の穴を埋めるために仲間が追撃する戦法。相手の学習AIに負荷を掛けてミスリードを誘い、戦況を有利に働かせる。

 後者はもとより、俺は前者がかなり苦手だった。

 

「まあ、こればっかりは仕方が無いんじゃないか? シュウの戦闘スタイルを考えれば尚更、な」

 

 気にすんなと頭をポンポン叩くキリトの気遣いが心に響いた。

 今はその優しさが大槍と化して俺の心を抉っている。

 余計顔を顰め、苦虫を噛み潰すような顔をする俺をフォローする姿からは、年上としての優しさが滲み出ていた。

 

「……でもさ、仕方が無いで済まされるレベルの問題じゃないんでしょ?」

 

 スイッチを行うとき、戦っているプレイヤーの基本戦法はインファイトに限られる。

 後方にいる仲間の方へ敵を送らないため。不必要に敵を動かして場を荒らさないため。

 足を地面に固定し、相手の攻撃を武器で防御しつつ応戦、交換の際は強攻撃を叩き付けて相手が衝撃で動けない時を狙い、素早く仲間と位置を交換する。

 このスタイルが必然的に求められた。

 

(キツイってやっぱり)

 

 相手の攻撃を武器で受け止める。

 それはヒット&アウェイを信条にし、主な防御手段が全敏捷力を駆使した全力回避しか存在しなかった俺にとって未知の領域。

 そもそも耐久性の低い短剣で攻撃を何度も受け止めろというのが無理難題。

 風林火山やアスナさんとの共闘ではスイッチなど使用せず、各々が一対一に持ち込んでの各個撃破に努めていた弊害がここで浮き彫りになった。

 

「やっぱりスイッチが出来ないとボス戦に参加出来ない?」

「確かに色々と厳しいのは事実だろうな。……でも、よくよく考えてみればシュウなら大丈夫だろ、問題ない」

 

 気休めなら結構。

 そう不満顔を晒す俺を笑い、キリトは黙って俺の横を指差す。

 

「シュウは一人じゃないんだろ?」

「あ、そっか」

 

 気付けば簡単な事だった。

 一人でダメなら他で補えば良い。

 それは俺の持論でもある。

 先程は訓練の意味もあってポチ達を参戦させずに二人でスイッチの練習をしていたため気付かなかった。

 そう、俺には信頼できる頼もしい相棒がいた。

 

「クロマル……だったか? ソイツと一緒に攻撃を防げば問題ない。それに、後は逆の発想だ」

「逆?」

 

 今問題になっているのは俺の防御性の無さ。

 ならば、

 

「防戦に回らなければ良い。攻撃される前に攻め続けろ」

 

 なんとも俺好みの妙案を出すキリトの強さは、パラメータに左右された強さだけではない。

 この柔軟な発想と閃きが、彼を攻略組と言わしめる理由の一つだと実感した。

 強く、優しく、他の人には無いナニカを持つ黒の剣士。

 人を惹き付けるナニカを持つ、俺が目標にしている攻略組の一角。

 

「まあ、シュウなら大丈夫だろ。期待してるぜ、魔物使いさん」

「任せといて」

 

 まさかの経験・筋力値不足でボス戦参加が危ぶまれていた俺は、冷や汗を拭いながら安堵の息を溢す。

 不安は消え去り、今心を満たすのは絶対の自信。

 目標とする人物に認められたという事実は、これ以上無いと思うくらい気持ちを高揚させた。

 

「……あ、そういえばコレ、返さないと」

 

 自然に腰元へ武器を収めていたけれど、この武器が俺の物でないことを唐突に思い出す。

 黒炎は攻撃力が在り過ぎて特訓にならないという事もあり、ワンランク攻撃力が下の短剣をキリトから借りていたのだ。

 刃渡りは黒炎と同じくらいの長さ。

 相違点は全身が群青色なのと、柄を握った際に指と手の甲を守るように鍔の一部が下へ伸び、楕円盾となっている点。鍔に僅かながら盾補正が入っている短剣の名称は《スクトゥム・ダガー》。

 攻防一体のトレジャーボックス品は、スイッチの練習をする上で最上の相棒だった。

 その別れを少し名残惜しく思う。

 その顔色を察したのか、短剣を差し出す俺に、キリトはゆっくりと首を振った。

 

「それはやるよ。俺からの攻略組デビュー祝いだ」

「そんな!? 流石に悪いって!」

 

 この一時間で更に打ち解ける事が出来たキリトに、これ以上貸しを作る訳にはいかない。

 わざわざスイッチの練習に付き合ってくれて、更には明日の正午に開かれる攻略会議への出席にも便宜を図ってくれるキリトに迷惑を掛けたくなかった。

 しかし、どうやら俺の考えはよく表情に出るらしい。

 キリトの言葉は素っ気無い態度ながらも気遣いの色が見て取れる。

 

「それにシュウが強くなってくれれば俺達も助かるんだ。強いプレイヤーは何人いても困らない。あと――」

 

 

 

 ――それで誰かの命を守れるなら惜しくない。

 

 

 

 キザったらしい台詞だ。

 しかしキリトが言うと様になるのだからアラ不思議。

 正真正銘の強者が言う台詞だからこそ貫禄があり、重みすら感じてしまう。

 何かとお節介を焼いてくれるキリトの顔を見て、ある想いが脳裏に住み着く。

 

「どうした?」

「……いや、なんか兄ちゃんみたいだなって……」

 

 最初の頃はさておき俺にスイッチを仕込んだ辺りから、キリトは俺を子供扱いしなくなった。

 年下の子供だから世話を焼くのではなく、攻略組の先輩として、対等な立場から面倒を見てくれる。

 周囲の人達は大半が過保護だ。

 その最たる例はサーシャ先生とアスナさんで、その姿勢は普段俺を『ガキンチョ』『チビ弟子』と称する師匠にも窺える。

 程度の差はあれ、それは風林火山でも変わらない。

 

(キリトだけなんだ。対等に扱ってくれるのは)

 

 しかしキリトは俺を一人の剣士として扱ってくれた。

 子供扱いしない姿は今も元気に槍や薙刀を奮っているだろう、兄貴分である道場の人達を連想させるのだ。

 

「キリトって兄弟いる?」

 

 思わず訊いてしまってから、直ぐに自分の迂闊さを恥じた。

 現実世界について――それも家族について訊ねるのはSAOで最大禁句の一つだ。

 

「ごめんっ、今の質問は忘れて」

「……いや、別に構わないさ。いるよ、妹が一人」

 

 歳は一つ下。

 ゲームの類はやらない剣道少女で、自分のようなゲーマーとは違う優秀な妹。

 妹さんの事を話すキリトの顔は悲しそうで、どこか寂しげ。

 

「……おそらく俺は、シュウと妹を重ねていたんだ。ここ数年、兄貴らしい事を何もしてやれなかったから」

 

 妹さんの代わりとして面倒を見る事で自己満足に浸る。そうする事で慰みにしていた、という事だろう。

 今の状況では過去の接し方を後悔しても妹さんに何もしてあげられないのだから。

 そして一度語り出したキリトの独白は止まらない。

 

「最初の時だってそうだ。仲間と一緒に強くなる事を選んだアイツを置き去りにして、βテスターとしての知識を生かす事で他プレイヤー全員を見捨てる選択をしたから……罪悪感から少しでも逃れたくて……あの時、シュウの役に立とうと思ったんだっ」

 

 MMOとはリソースの奪い合い。

 モンスターの出現数には限りがあり、一度出尽くすと再出現に時間が掛かる。

 俺達はその限られた時間と資源を共有しながら自己強化に努めているのだ。

 βテスト参加者としてスタートダッシュを決行し、テスター以外のプレイヤーが来る前に最も効率の良い方法で敵を狩り、経験値を荒稼ぎする。

 キリトのレベルアップの影にはレベル上げに苦労し、そのレベルの低さから死んでしまった者がいるかもしれない。

 あくまで他プレイヤーの事は気にかけず、自分の強化に努める利己主義者。

 だから自分はビーターと呼ばれる存在だと、最後にキリトは自嘲した。

 その独白を聞いて生まれるのは、

 

「……そんなの気にすること無い。自分の知識を最大限利用する事のどこが悪いんだよ。それに弱々しいキリトなんてキリトじゃない」

 

 僅かに燻っていた怒りに火が灯る。

 それは理想を勝手に押し付ける行為だろう。理不尽な気持ちだというのは承知済み。

 それでも俺は、泣く一歩手前まで表情を歪めているキリトを見たくなかった。

 目標にしていた人の背中が脆くて弱いと、その人を目標にしていた俺まで弱くなる気がしてしまうから。

 

「生きるために必死に考えて、強くなる努力をする事の何が悪いんだっつーの」

 

 キリトのようなβテスターを罵倒するのはただの嫉妬。弱者のやっかみに過ぎない。

 情報の開示なら既に攻略本(ガイドブック)という形で行っている。

 不幸中の幸いとも言うべきか。執筆者であるアルゴの善意のお陰でキリトの罪は帳消しにされている筈だ。

 俺自身も打算で動く利己的な部分があるからか、キリトの考えを否定する気にはなれなかった。

 

「それにキリトは強くなった分、ちゃんと攻略に貢献してる。今回だって情報をタダでアルゴに渡した。ちゃんと責務は果たしてる」

 

 これが自分の安全を買うだけの自己強化なら、それは批難されるべき振る舞いだと思う。

 しかしキリトは常に最前線に立って死と隣合せの冒険を三ヶ月も続けている。文句を言われる筋合いは無い。

 だからキリトは胸を張って攻略に励めば良いと思う。

 まあ、それでもジュエリーラット三体はやり過ぎ感が否めないが。

 

「……あとさ、俺だってそうなんだ。誰かと誰かを重ねて、それで何とか頑張っていけてる」

 

 キリトが俺と妹さんを重ねたように、俺も先生を家族の身代わりとして見ている。

 キリトを責める資格が無ければ、否定する事も出来はしない。

 

「だからさ、俺は早く現実世界に戻りたいんだ。皆をちゃんと個人として見て、接していきたいから。いつまでも代用品にするのは嫌だ」

「……そうだな、俺もスグと話したい事が沢山ある」

 

 スグ、とは妹さんの事だろう。

 物思いに耽るキリトの邪魔をしたくないので尋ねるような事はしない。

 お陰で乾いた風が吹く音と歩く音しか聞こえない無言の行進となってしまったが、特に嫌だとは思わなかった。

 今は、湧き上がってきた気持ちを整理するのにお互い必死なのだから。

 

「シュウ」

 

 しばらくお互い無言で歩き《リードバルト》が見える頃に漸く、キリトが無言関係に終止符を打つ。

 その瞳に新たな決意を宿して。

 

「強くなろう。力も、心も。こんなゲームに負けずに、早くクリア出来るように」

「当然」

 

 そのためにも、ボスは俺達の踏み台。

 こんな所で苦戦する訳にはいかない。いや、苦戦する筈が無い。

 俺の戦闘技術と掛け替えの無い相棒達に敵はいない。

 この層での戦闘経験に基づく理論武装。

 絶対の自信。持てる力を駆使して大型骸骨を粉砕するイメトレを続けながら、俺とキリトは帰還への道のりを進む。

 

 

 ――その自信が、粉々に打ち砕かれるとも知らずに。

 

 




迷宮区近くの村のクエストでボスの情報って手にはいるんですね
この情報、次から生かしたいです


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七話 攻略会議

 やはり一筋縄ではいかない。

 それが攻略会議で抱いた第一の感想であり、二つ目の感想は面倒な奴らだ、という不満。

 場所は《リードバルト》にある高級宿屋。

 そこの大部屋を貸し切って即席の会議場を設けたまでは良かった。

 各ギルドの代表者二・三人に、俺達ソロプレイヤーを含めた総勢二十人がこの場にいるため、とても窮屈に感じるのも想定の範囲内。

 椅子が入らないため床上に円陣を組んで座っている訳だけど、俺の左隣にキリト、そして真正面にいるアスナさんの美顔を自然な形で拝見出来るこの配置は好都合。

 不満を抱くなんて馬鹿げた事は絶対にありえない。

 しかし、

 

「やはり子供が来るような場所ではない」

「そうだな、万が一ボスを見て錯乱されても困るし」

 

 しかし、この展開は不都合だ。

 

(結局、歳や見た目で判断されるのは俺の宿命なんだよなぁ。途中までは上手く行ってたのに)

 

 作戦自体は比較的スムーズに決まった。

 今回ボス戦に参加するのは総勢三十二人。

強敵と対峙するに辺り《レイド》と呼ばれるパーティーの連合を組むわけだが、その上限が六人パーティ×八チームの計四十八人であることを考えたら、少し少ない。

 内訳は軍五人、アスナさんのいるグループ四人、他ギルドが三つ(合計十四人)、そして俺達ソロプレイヤー九人。

 これらを五人ずつ総勢六グループに分け、一グループがボスの腕一本を担当。残りの二人が遊撃隊員と化してボス本体を狙う。

 これが作戦の全容であり、問題はソロプレイヤーをどこのグループに振り分けるかを決める時に発生した。主に俺の扱いの所為で。

 

「だから言ってるだろ。シュウのレベルはこの面子と比べても遜色無い。実力は俺が保障するって」

 

 キリトが弁護してくれるも、俺の参戦に難色を示している大多数のソロ達に軍と他ギルド三つと――つまり、ここにいる七割近くが俺の参戦に不満を抱いている訳だ。

 特にキリトと一人を除いたソロプレイヤーの反発が強い。

 お陰で会議は最終段階に入ってから平行線を進んでいる。

 そして一番の原因は、

 

「こんなチミっこいんが戦える訳ないやろ!」

 

 橙色の髪を毬栗のように尖らせている軍の攻略班最高責任者、キバオウ。

 そして同意するように隣で頷く、

 

「そうだ。子供は戦う必要無い」

 

 青色の髪をしたギルド《ドラゴンナイツ》のシミター使い、リンド。

 βテスターを否定する立場にいる者として、そして子供を戦わせるという事に嫌悪感を抱いてる。

 キバオウに関しては解放軍という庇護すべき対象を戦わせるという行為に忌避感を抱いてるのかもしれないが。

 とにかく彼等の強い反対が、事態をここまでややこしくしている原因だった。

 

(悪い、シュウ)

(いやいや、キリトの所為じゃないって)

 

 隣に座るキリトと目を合わせ、互いに視線で会話を成す。

 ソロやギルドの人達が俺の参戦を渋るのは真っ当な理由として二つある訳だが。

 彼等はその理由とは関係無しに私情を挟んで俺を拒んでいる。

 その一歩も譲らない頑固な姿勢。彼等が攻略組の実質的なトップ的立ち位置にいること。それが多くの反対意見を率いている。

 その本心が、彼等と同じでは無かったとしても。

 

「まあ。彼等の疑問は一先ず置いておいて、他の人達の主張には、私も同意見だ」

 

 キバオウの副官という人も彼の敵愾心に困っているようで。

 僅かに俺に対し謝罪の視線を向けながら、それでも公私混同しない進行役として会議の続きを促す。

 第一層から今まで一応軍が主体となって攻略を進めているからだ。

 

(……まあ、俺を参戦させたくない気持ちは分かるけどさ)

 

 この会議中何度目になるか分からない溜息を胸中で吐き出し、軽く目を閉じる。

 彼等の気持ちは分かっている。

 使い魔がいる俺は他の皆と連携を取り辛い。周囲に纏わりつく二匹の使い魔が密集地帯で邪魔になるかもしれないからだ。

 という事は俺の振り分けられる場所は必然的に自分のペースで個人プレイが行える遊撃ポジションであり、この面子の中でも高レベルで戦闘能力が高いキリトも遊撃に決まっていた。

 つまり、二つある席が既に埋まっている状態。

 キリトがいるため倍率が高くなった遊撃ポジションを狙っているソロが、経験値獲得システムの所為で俺まで遊撃に入る事を容認出来ないでいた。

 

(師匠の言葉じゃないけどさ、もし茅場晶彦がここまで考えて経験値の分配について考えていたんなら、本当に精根が腐ってるって。ホントに)

 

 パーティープレイでの経験値分配はモンスターにダメージを与えた量と攻撃を防御した回数に比例して経験値獲得量が増加する。

 攻撃役と防御役でも経験値収得のチャンスは多いが、やはりずっと攻撃出来る遊撃側の方に軍配が上がる。

 つまりスイッチを行いながら戦う六グループよりも、常に攻撃を仕掛けられる遊撃の方が経験値の入りが良い。

 更にラストアタックボーナスという最後の一撃を与えた者にレアドロップ品の当たる確率が高くなるシステムもあるため、自己強化に熱心なソロはそれが気に食わなかった。

 レベル上げにストイックなのは個人的に美点だと思うがTPOくらい弁えてもらいたいというのが正直な気持ち。

 混乱の原因である俺がTPO云々を語るのは間違っているのかもしれないが。

 

「確かにキリト君の言うように、ソロプレイを続けて今まで生きていられた事からも、この子の実力が確かなのは否定出来ない。噂が本当なら使い魔達も有能だろう。……しかし私の記憶違いでなければ、君は教会に保護された子供の一人だった筈だ」

 

 副官にそう訊かれ、咄嗟に打ちそうになった舌打ちをギリギリ堪える。

 軍とは普段《はじまりの街》の治安・生活環境保全に務めているギルド。

 ボス戦時には軍内でもトップクラスの面子で構成された戦闘部隊を出撃させて攻略ギルドの仲間入りを果たすものの、本職は見回り警察みたいなものだと言って良い。

 という事は、軍には俺の無気力泣き虫時代を見られている可能性がある。

 これではメンタルの強さに疑問を抱かれても仕方が無かった。

 

「あ、そういえば俺、四日くらい前にこの子が転移門付近で震えていたのを見たぞ」

 

 更に攻略ギルド《双頭龍》のリーダーである両手剣使いが追い討ちをかける。

 この発言は会議出席者の心を一つにするには充分過ぎた。

 比較的俺の参戦に肯定的だった人からも「止めとけ止めとけ」といった視線を向けられる。

 それがアスナさんにも見られるので、仕方が無いにしてもかなりショック。

 俺の味方は推薦者であるキリトに、

 

「俺からすれば、見たところ大丈夫そうに見えるがな」

 

 大柄の黒人で、スキンヘッドがよく似合う斧使いのソロ――エギルと、

 

「アンタはどう思うんだ?」

「確かに四日前までの精神面については疑問視しなければならないが、今はどうかと訊かれれば話は別だと私は思う。それに、ここまで一人で行き抜いたという事実を蔑ろには出来ない。そのところ、諸君はどう思うだろうか?」

 

 

 

 ――今まで静観に徹していたこの男だけ。

 

 

 

「……そりゃあ……まあ、アンタの言葉にも一理あるっちゅうか……」

 

 決して大きな声でも、威圧的な口調だった訳でもない。

 ただ言葉を発しただけで、あのキバオウが軽く萎縮してしまっている。

 発言したのはアスナさんの右隣に座るホワイトブロンドの髪を持つ男。

 一目見てカリスマ性に溢れていると思わせる白衣の似合いそうな男の言葉は、水面に石を落とした時のように波紋となって俺達の心に伝わり、事態を一先ず鎮静化させる。

 赤いローブに身を包むアスナさんのボス――ヒースクリフは冷静沈着な面持ちで、それでいて少し面白そうに口元を緩ませながら、俺に視線を向けていた。

 そして沈黙した状態を見逃すほど、俺は甘くない。ここぞとばかりに切り込みを入れる。

 

「……まあ、四日前に地底街区から緊急脱出したのは本当。でもさ、誰だって武器が一つも無い時に未知のモンスターと出逢えば、どんなにメンタルが強い奴でもパニクると思うんだ」

 

 そこに至るまでの経緯を語る必要は無い。

 四日前の件はこれで納得させる。というより、納得してもらうしかない。

 そして勝負はここから。

 

「それとさ、皆が俺の参戦を認めない理由は実力が分からないからでしょ? ……まあ、それ以外の理由もあるっぽいけど」

 

 前者の言葉は俺の身を案じてくれている人達。後者の言葉は経験値とドロップアイテムの分配に文句がある者達へ。

 僅かに視線を逸らす幾人かに冷めた視線を送ってから、改めて皆の顔を見渡す。

 

「ドロップアイテムはいらない。結晶アイテムだけ貰えれば良い。それ以外は好きにして」

 

 言葉にならない驚きが全員から漏れる。

 隣にいるキリトすら、呆気に取られた表情で俺を見ていた。

 このような自己犠牲野郎は今まで見た事が無いだろう。

 

「実力の方は今から証明する。だからさ、誰か一対一で勝負しよう。結果はそれを見てから判断して」

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 SAOとはどこまでもリアルを追求した世界だ。

 朝も昼も夜もあれば、天候さえも日によって違う。

 異世界と称しても良いほどの仮想現実。

 そして今日の天気は生憎の曇天。

 正直、験担ぎをするならば晴天を希望したい所だった。

 

「で、勝算はあるのか? ボウズ」

「まあまあ。……ありがと、さっきは庇ってくれて」

 

 デュエル場所までの移動中。俺の頭に手を置きながら訪ねて来たのはエギルだった。

 身長差はざっと六〇センチ以上。

 俺はこの高レベルの斧使いにして商人だというプレイヤーの顔を見上げる。

 強面に見えるかと思えば、愛嬌のある優しい双眸をしている黒人の男性。

 マジマジと顔を見れば、俺は数日前にこの人からポーションを買っていた事を思い出した。

 

「あっ、あの良心価格のおっちゃんか」

「おう、思い出したか。あの時は、まさか攻略会議で再会するとは思わなかったぞ」

 

 はっはっはと豪快に笑って頭を叩くエギル。

 力加減がきちんとされているので不快感は無いけれど、それで注目を浴びる事になって顔が熱くなる。

 只でさえ俺達は揃いも揃って豪勢な装備を身に付けているので移動中も目立っているというのに。

 

「なんだシュウ。この悪徳商人とも知り合いだったのか?」

「え、もしかして格安だったポーションはカモを釣るためのエサ!?」

「んな訳あるか!? おいキリト、いたいけな子供にホラを吹き込むんじゃねえ!」

 

 そう冗談を言い合っている所で俺達は目的地である大きな広場――転移門がある中央広場に到着する。

 何もこんな衆人観衆の前で腕試しをする必要は無いと思う。

 この場所を提案したヒースクリフは、見た目に反して茶目っ気があるのかもしれない。

 

(いい迷惑だっての)

 

 心の底からそう思う。

 

「私達が立会人になろう。存分にやってくれたまえ」

 

 十四時を回った時間帯だからこそ、この広場は多くのプレイヤーが行き交っている。

 よって、この広場を利用する者は例外無くトッププレイヤーが集合している光景に気圧される訳だ。

 中央に転移門しか存在しない半径二〇〇メートル程の広場。

 石畳が隙間無く敷かれた広場には人が集まり、俺達を囲むように人壁を形勢していく。

 若干距離が空いているのは、トッププレイヤー達が近寄りがたい雰囲気を醸し出しているからだろう。

 

「アスナさん。ポチとクロマルをお願い」

「……シュウ君」

 

 俺達三人よりも更に後ろ。攻略組の最後尾を歩いていたアスナさんにポチとクロマルを預ける。

 彼女は納得出来ないという表情をしつつも、それでも一応二匹を預かってくれた。

 

「まさかシュウ君が攻略組に入ろうと思っていたなんて……」

「だからジュエリーラット狩りをしてたんだよ。見てて。ちゃんと勝ってくるから」

「シュ――」

 

 アスナさんが何かを言う前に踵を返し、俺は対戦相手と審判のいる方へ逃げ出した。

 アスナさんが何を言いたいかは表情を見ただけで分かってしまった。

 だから俺には、少なくとも今だけは、逃げ出すしか無かったのだ。

 戦闘前に心を揺す振られたくなかったから。

 

「ルールは初撃決着モード。異論は?」

「無い」

「さっさと初めっぞ」

 

 立会人と審判――必要かどうか分からないけど――を買って出てくれた副官に即答。

 黒炎を抜いた俺と、対戦相手である盾と片手短槍使いの重戦士――ソロプレイヤーのラグナードは、距離を開けるために左右へと歩いて行く。

 使い魔を連れずに一人で歩く俺。

 そしてガチャガチャと青銅鎧を鳴らすラグナード以外、観客の中に身動きをする者は存在しない。

 まるで品定めをするような、又はただ単に興味本位な視線が俺に纏わり付く。

 ただの野次馬とは訳が違う、正真正銘の攻略組。

 そのような強者から見られている事を今更ながら思い知らされ、口内がカラカラに乾いている事に気付き、俺はやっと緊張していると自覚した。

 

(初めての対人戦……落ち着け俺)

 

 ここまでは計画通りだ。

 感情論に身を任せて「ワイ自ら引導を渡してやる!」と意気込んでいたキバオウではなく、参戦に不服を唱えていたラグナードを予定通り指名出来た事も大きな成果。

 

(ラグナードがソロの中でリーダー的存在なのも嬉しい誤算。箔を付けるには充分)

 

 ラグナードはソロの中でもキリトに次ぐ実力者。攻略会議においてそれなりの発言力も持っている。

 それはラグナードが個人主義者の多いソロプレイヤーでも我の強いタイプで。

 言ってしまえば不都合な事態に直面し、自分が納得いかなければ是が非でも意見を通そうとする人だから。

 他のソロ達はそんなラグナードと対立するのが面倒なのか、又はラグナードが勝ち取る権利がソロ達に都合が良い場合が多いためか。

 余程の事が無い限りラグナードの主張=ソロ達の総意にしている節がある。

 会議中に限定すれば、ラグナードはソロ達の暫定的なリーダーなのだ。

 思い切り面倒事を押し付けられている哀れな操り人形臭がするけれど、本人が気付きもしないし不満も無さそうなので、これはこれで世の中上手く回っていると思う。

 

「あとは俺の実力を見せるだけ」

 

 ラグナードさえ納得させられればソロの意見は封殺出来る。

 それにドロップアイテムも結晶アイテム以外いらないと公言したので、実力を認めさせれば俺の参戦に不満を持つ奴はキバオウ以外にいないだろう。

 誰だって強者がボス戦に参加すること事態に不満は無い。その分だけ自分の死亡率が低くなるのだから。

 死亡率低下と経験値・アイテム分配での不利益を考えれば、前者の利益に天秤が傾くのは当然。

 アイテム放棄をした事で、俺が経験値を皆より多く貰うのも納得してくれる。所詮経験値など幾らでも挽回出来るのだから。

 俺の獲得アイテム放棄はそのための手打ち料。

 

「容赦しねえぞ。てめえみたいなガキは前線に出ないで中層プレイヤーに満足してれば良いんだよ」

「嫌だ。俺は攻略組に入るんだ」

 

 分け前が減る事を嘆いているのか心配しているのかサッパリ分からない。

 しかし、ラグナードの都合なんて知ったことかと気合を入れた。

 俺の決意を阻む者は粉砕する。容赦しないのは俺の方。

 一触即発な空気に包まれ、交差する視線が火花となってぶつかり合う。

 デュエル開始を告げるカウントが進むにつれ緊張が走り、俺達は戦闘態勢に移行していった。

 ラグナードは楕円形の青銅盾を掲げつつ槍を腰の位置で引き絞り、対面する俺は腰を落として突っ込む体勢を整える。

 そしてカウントがゼロになり、黄色いライトエフェクトがデュエル開始を告げた瞬間、俺は大地を蹴り出していた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 俺がラグナードを指名した理由は二つ。

 ソロ達を納得させ、他プレイヤーに実力を見せるのとは別にある理由。

 それは、

 

「即終了だ、チビガキっ!」

 

 

 

 ――それは、ラグナードが槍使いだったからに他ならない。

 

 

 

 速攻を仕掛けて一〇メートルの距離を一気に縮めた俺に放たれたのは、高速の刺突。

 所定の位置から動かず、腰だめに槍を構えていた事からも初撃は突きだと予測出来るが、それでもラグナードの一撃は予測を遥に上回るスピードと攻撃力を備えている。

 軌道が読めてもそう避けられるものでは無い。

 鍛え上げた筋力値寄りのビルドがあってこその一撃。

 

(予測通り!)

 

 そう、キリトとのデュエルを見てある程度の実力を把握し、得物の間合いを事前に知っていなければ避ける事は出来なかっただろう。

 ソードスキルも使わないのは彼の慢心。

 槍が動くと思った瞬間に急停止。

 狙い通り、片手槍は眼前一〇センチの空間を貫いていた。

 

「俺をナメるな、ラグナード!」

 

 黒炎を振り上げて切っ先を上空に弾く。

 鋼の衝突音が開幕の合図として響き渡った。

 

「な!?」

 

 大きく弾かれた槍を握るラグナード。ポチを抱き、クロマルの側に立つアスナさんとキリト。胸の前で腕を組んでいたエギル。そして、品定めをしていた観客達。

 全員が驚愕し、目を丸くしている。

 たった一人だけ僅かに驚くだけに反応を止めた男がいたけれど、それに俺は気付かない。

 その男が、ナニカを決意した事も。

 

「はぁあああっ!」

 

 打ち上げられた槍の下へ潜り込み、更に距離をゼロへ縮める。

 接近する俺を阻むように掲げられた縦長の楕円形シールドの隙を突くため、身体は深く沈むことになった。

 

「こ、の……チビガキが!」

 

 スライディングでシールドの下を掻い潜り、擦れ違う際に太ももを切りつけられたグラナードが激昂する。

 しかし、それでも振り向き様に槍を振り下ろす冷静な姿からは、トッププレイヤーとしての実力が垣間見えた。

 風がうねり、空間が鉄槍に引き裂かれる。

 正確に頭部へと叩き込まれる武器を目の前にすれば、普通なら武器で受け止めるなり距離を取るなりするところ。どのみち何らかの対処をしなくてはならない。

 そして俺の回避行動は更にラグナードとの距離を詰めることだった。

 

(大丈夫だ。ちゃんと戦える)

 

 再度接近を試みながら頭を下げて一撃を回避。

 そんな俺の心を占めたのは多大な安堵の気持ちだ。

 プレイヤーからの攻撃にも臆する事無く立ち向かえた事を確認出来たのは僥倖だろう。

 グルガの件でプレイヤーからの攻撃にトラウマが発動しないか不安だったが、どうやら杞憂に終わったらしい。

 

「この野郎! ちまちま動きやがって!」

「そんな攻撃じゃ当たらないっての!」

 

 槍の長所は相手の射程外から攻撃出来る点にある。

 それは短槍でも変わらない。短槍でも二メートル近い長さがあるからだ。

 よって陸上戦で無類の強さを誇る長物も懐に入ってしまえば長所が弱点になる。

 棍・槍・薙刀、長物を専門に扱う道場に入り浸っていた俺は、それを経験から学んでいた。

 得物は慣れ親しんだ薙刀ではないけれど、長物の相手は慣れている。

 簡単に槍の間合いや攻撃を予測出来たのもこの理由が大きい。

 だから接近さえ出来てしまえば初心者の槍使いなんて相手にならなかった。

 彼は猛攻に対して盾で斬撃を防御する事だけに専念している。

 接近を許した時の対処法。槍の根元付近を持つなり柄尻で打ち払うなり、接近戦に対応しない時点で杜撰としか言い様が無かった。

 

「いい気になるなよ魔物使い!」

「なら攻撃の一つでも当ててみろ!」

 

 盾でのパッシングを右にずれて回避し、突き出された無防備な左腕を黒炎が捉える。

 放ったのは順手に握った短剣の振り下ろし。

 言葉にすれば陳腐な攻撃でも、俺の手札で高速の部類に入る単発攻撃技《ラピッドファスター》は、黄色い剣尖と化してラグナードの左腕を切りつけた。

 

(くそっ……浅いっ!)

 

 跳びながらの不安定な攻撃と相手が僅かに左腕を引いたからか。生憎と強攻撃の判定は貰えなかった。

 中途半端に終わった俺の渾身の一撃は、彼のHPを合計で三割削るだけに止まる。

 槍が相手だったこと。突き、振り上げ振り下ろしといった攻撃しかせず、足払いを初めとした『払い』の技に慣れていないこと。

 この二つの幸運があってこその無傷攻防。

 

(ここがゲームで良かった! 現実だったら全部鎧に阻まれて勝ち目が無いっ)

 

 これがリアルでの戦闘なら鎧への攻撃などダメージにならない。

 強固な鎧の上からでも当たり判定さえあれば微弱ながらダメージを与えられる、ゲーム特有のダメージシステムだからこそ、この攻防は成り立っていた。

 少年と青年。短剣と槍。

 身体能力と得物に歴然とした差がある状態で、俺は戦闘経験というアドバンテージを生かしてラグナードを圧倒している。

 しかし、

 

「調子に乗るなぁあああああっ!」

 

 

 

 ――しかし、その差を埋める反則技(ソードスキル)がこのゲームには存在した。

 

 

 

(まず……っ!?)

 

 技後硬直は二秒にも満たない。確かに短い時間。

 けれども、それだけあれば技を放つには充分だった。

 《ラピッドファスター》で勝負を決める気だった俺の眼前を紅いライトエフェクトが染め上げる。

 キリトとの戦闘でも見せた紅いエフェクトは光の奔流と化し、突き出された矛先と共に放たれた。

 切りつけられたと同時に盾を放り捨て、短槍を弓のように引き絞った体勢から放たれた重単発攻撃技《グラファルス》が脇腹を抉り、俺は後方へと飛ばされる。

 

「ガハっ!?」

 

 痛みは無いにしても石畳に叩き付けられた衝撃で酸素が口から零れ出す。

 不幸中の幸いにも、切り付けられた状態という不安定な体勢で繰り出された《グラファルス》が強攻撃に判定される事は無かった。

 しかし、ただでさえ革製防具という脆弱な防御力しか持たない俺のHPは七割を残して欠損している。

 たった一撃。それだけで状況はイーブンに持ち込まれ、覆されようとしている。

 これが攻撃力と、覆す事の出来ないレベルの差。

 

「オラぁああああっ!」

「く、っそ!?」

 

 ゲームシステム上、片手短槍と呼ばれるだけに、その武器を両手で装備する事は出来ない。

 右手を槍、左手を盾と装備フィギュアに設定している時点で、その行為にあまり意味は無い。

 しかし仮想体の動きを決定付けるのはパラメータのみでは無かった。

 それは思考と反応速度。

 パラメータと同じで重要な意味を持つ個人の力。

 それがランダム要素として動作補正に影響を与えていた。

 

(まずいっ!?)

 

 元々このゲームは現実世界での実際の反応速度諸々も微弱ながら仮想体の動きに反映されている。

 俺達の動きは全て脳から直接送られる信号を元に形成されているからだ。

 仮想体の『右に避ける』『剣を振り下ろす』といった行動は、若干のタイムラグがあるにしろ、現実とそう変わらない速度で命令が伝達されている。

 つまり、反応速度を初めとした個人の思考・対応能力がSAOでは重要な要素の一つになっていると言って良い。

 この要素にパラメータ補正が加わり、仮想体の動きは成り立っている。

 よって、根っこの部分は各個人の能力が大きく関わっているSAOでは、ラグナードが本能的に取った行動は充分価値のあるものだったのだ。

 

(くそっ!)

 

 片手短槍を両手で握って攻撃するという無意味な行為。

 しかし、明らかに速度と重さが増した振り下ろしの一撃を後転でギリギリ回避した俺からは、舌打ちと戸惑いの感情が滲み出ていた。

 片手と両手。力が入り速度が増すのはどちらかと訊かれれば後者に軍配が上がるその行為は、力を入れるという想いを現実の脳内で強固なものとし、本来なら筋肉へ伝達される多くの信号を仮想体へと送り込む。

 そのイメージはナーヴギアに搭載されているNERDLESシステムの力で大量の情報を処理し、電子信号化する事に貢献。

 通常量以上の電子信号を仮想体へ転送した。

 動作によって脳内イメージを固定する事で仮想体の動きを良くするシステム外スキル《動作支援(アシスト)》。

 この行動が後にそう呼ばれる事になるのは、そう先の事では無い。

 

「オラオラオラ! さっきの勢いはどうしたチビガキっ!」

「頭でっかちは言う事もテンプレ過ぎてつまらないっつーのっ!」

 

 後転の直ぐ後に放った突きは槍に弾かれて不発に終わる。

 幾度目かの衝撃エフェクトが武器間で飛び散り、遠心力を駆使した短槍の柄による打ちつけは身体を捻ってギリギリ回避。

 今この瞬間、攻めと守りは完全に入れ替わった。

 三段突き、振り下ろし、振り上げ。嵐のように猛威を奮うラグナードの攻撃を半ば経験頼りに回避していく。

 動き辛くなっていた一番の要因である盾を捨てた事で身軽になったラグナードの攻撃は速かった。

 同時に厄介ですらある。

 彼の戦法が盾を生かしてのカウンターだった内に決着を付けたかった俺からすれば、強がっていてもこの状態は詰みに等しい。

 しかし、だからといって負けを認めるほど諦めが良い俺ではない。

 

「こ、の……野郎!」

 

 放たれた連続突きの一つが肩を掠り、HPが更に減損する。

 そしてこの時が俺にとって唯一の好機。

 技を放った後はどんな相手にも隙が生まれるもの。

 ラグナードの動きに合わせて身体を突き出し、両手で握った黒炎を力の限りラグナードの胸に突き立てた。

 

「……くっそおぉおおおっ!」

 

 それでも俺の渾身の一撃はHPを半分まで削る事が出来なかった。

 俺のビルドは筋力よりも敏捷力に重点を置いたため、ラグナードの防御を貫くほど重さが備わっていなかったのだ。

 やはりソードスキルでなければ、俺の力では強攻撃判定を貰うことが出来ない。

 せめてラグナードよりもレベルが上なら。あの強固な鎧と鍛えたパラメータから生まれる防御力を貫通出来る攻撃力が備わっていたなら。もしソードスキルという戦闘補助が無かったのなら。

 あらゆる『たられば』を思い、心の中で罵倒する。

 

「あっぶねえなオイ、そらよ!」

 

 攻撃を食らい、それでも耐えてみせたラグナードは槍を横薙ぎに振るう。

 回避を余儀無くされ、このあと防戦一方に追い込まれてしまった俺のHPも、数十の絶え間ない攻撃に晒されれば捌ききれずに数値を減らしてしまう。

 ラグナードも三ヶ月を生き抜いた戦士の一人。

 受け身の時ならいざ知らず、攻撃に出ている状態で俺の接近をそう易々と許しはしない。

 例え接近出来ても直ぐに槍を振るわれて距離を取らざるを得なくなる。

 槍と短剣。攻撃範囲に差があり、身体能力でも劣る俺が、これ以上隙を突ける場面は終始訪れなかった。

 

「あ……」

 

 青い光を纏った振り上げの一撃が黒炎を握る右手を大きく上空へと弾く。

 呆然とし、そして諦めたような気持ちが零れてしまう。

 その一瞬後、いつの間にか片手に戻っていたラグナードの一撃が振り下ろされた。

 

「今度こそ終わりだぁあああっ!」

 

 それが斜めの振り上げから振り下ろしまでの動作を一気に行う二連撃槍スキル《リーズランサー》だと理解した時には、青い閃光は俺の身体を袈裟懸けに切り裂いていた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 肩で息をし、大の字で広場に横たわる俺を覗く顔があった。

 柔らかそうな白銀の体毛が全身を包んでいる。今更考えるまでも無い、ポチだ。

 ゴロゴロという音も聞こえ、なにより左手に触れている金属の冷たい感触がクロマルの存在も告げている。

 

(負けた……でも)

 

 空は相変わらず分厚い雲に覆われているけれど、何故か俺の心は澄み渡っている。

 悔しい。しかし全力を出せた事に悔いは無い。

 こう自分と向き合ってみると、意外とスポーツマン精神を持っている事を思い知らされてしまう。

 すると、サッパリとした気持ちで横になる俺を抱き起こす人物がいた。

 

「シュウ君、大丈夫っ!?」

 

 いつぞやの時のような体勢で抱きかかえられる。

 その女神のような声で更にリフレッシュをしながらアスナさんを見上げれば、当の本人はラグナードを睨みつけていた。

 美人に睨まれてギクッと怯み、肩身の狭そうな顔をしているラグナードを気の毒に思う。

 アスナさんの過保護ぶりを再認識するシーンだった。

 

(……いや、まあ。確かに嬉しいけどさ、うん)

 

 最近、友人というポジションから別のナニカとして見られている気がしてならない。

 それはそれで嬉しいと思うが、やはり少しだけ複雑だ。

 

「ホラ、シュウ」

「うわっと!? ……ありがとう」

 

 飛んできた回復ポーションを片手でキャッチ。

 栓を開けながらキリトにお礼を言って中身を飲み干す。

 これで数秒後には俺のHPも全回復するだろう。

 

「お礼ならこっちに言え。商人エギル様の驕りだ」

「聞いてないぞキリト!? ……まあ、ポーションの一つで目くじらを立てるのもアレだが……」

 

 二人の漫才風景を見て笑みが生まれた。

 笑っているキリトの頭を小突いているエギルのやり取りが、少しだけツボに入る。

 

「アスナさんもありがとう」

「あ、うん……どういたしまして」

 

 後ろ髪を引かれる思いでアスナさんの手から放れ、一人で立ち上がる。

 名残惜しそうに自分の両手を見詰めている辺り、もう少し触れ合っていたいと思ったのは俺一人ではないらしい。

 スカートの埃を払ってから、アスナさんも立ち上がった。

 

「えーっと……」

 

 周囲を見渡しても攻略組の人達は口を開かない。

 気まずい空気が流れる中、その雰囲気を絶ったのはこの男だ。

 

「てめえは……何でわざわざボス戦に参加すんだよ?」

 

 発言したのは俺の目の前にいる男――ラグナード。

 それは攻略組を代表してなのか。全ての人が俺の解答に耳を傾けようとしている。

 

「そんなん決まってんじゃん。早くこんなデスゲームをクリアしたいからだよ」

 

 むしろそれ以外に理由があるのか問い質したい。

 皆を助けるために。この世界からの脱出以外に目的は無い筈だ。

 

「俺達が強さを求めるのはこのゲームからの脱出が目的だからじゃないの? 強くなったから、皆を助けてあげたいから、こうやって自発的に集まってボスに挑むんじゃないの?」

 

 視線が絡みつく。

 俺の一言一言を吟味するような視線は、攻略組だけでなくただの通行人からも感じられた。

 

「攻略組は皆の希望なんだ。俺だって第一層が攻略されたって聞いて、凄く嬉しかった。帰れるかもって、家族に会えるかもって思えて、本当に嬉しかった」

 

 俺が戦うきっかけはこの世界で出来た家族のため。

 しかし、街に出て、人と接し、キリトやアスナさんといった沢山のトッププレイヤー達の話を聞けば、新たな想いも生まれてくる。

 

「そのボス戦で一人死んじゃったらしいけど、その人だって皆を助けたくてボスに挑んだ筈だって思えた」

 

 その第一層ボス戦で死亡したパーティーリーダーの名前はつい最近になって知ることが出来た。

 キバオウがキリトを嫌悪し、ビーターと蔑む理由。

 その原因となった勇敢な人の名前を。

 

「俺は攻略組に入るって決めた。皆を助けて、現実世界に帰ってからちゃんと接していきたい、って思ったのが理由の大半だけど。その死んじゃったディアベルって人だけじゃなくて、今まで死んだ全ての人の『皆を助けたい』って願いを引継ぎたいって気持ちもあるんだ」

 

 

 

 ――だから俺は、攻略組に入ってゲームを終わらすって決めた。

 

 

 

 そう締めくくり、広場には静寂が訪れる。

 形容しがたい空気が流れ、発言し辛い雰囲気が支配する。

 すると、リンドが戸惑いながら独り言のように問いかけた。

 

「じゃあ……もしかしてドロップアイテムもいらないって言ったのは……」

「その装備品が誰に行っても戦力アップになるなら別にいっかなって」

 

 そして、何故プレイヤーの一部が俺を眩しいものを見るかのような目で見ているのか訝しげに思っていると、俺の頭にポンっと掌が乗せられる。

 

「さあ、まだ文句のある奴はいるか?」

 

 頭に手を置いた張本人であるキリトは一瞬だけ俺を見た後、なにやら自虐めいた微笑を浮かべてから周囲を見渡す。

 反対意見は起こらない。負けはしたけど、俺の実力は充分に認められたという事だろうか。

 

「ラグナード、お前はこれでもシュウの参戦に反対か?」

「……チッ、んな訳ねえだろ。生意気なチビめ」

 

 キリト、そして最後は俺に向かって言葉を呟き、ラグナードは放置していた盾を拾うと広場を後にしてしまう。

 それに《双頭龍》や《聖剣》といった主だったギルドメンバーも続き、攻略会議はその場解散の空気となる。

 全員が立ち去る前に、キリトは最後に――リーダー的二人に話しかけた。

 

「……キバオウ、リンド、聞いただろ。コイツは、ディアベルの思いも汲んで参戦を決意したんだ。俺を許せないのは分かってる。けど――」

「んなもん、わざわざ言われんでも分かっとるわい」

「…………」

 

 キバオウは振り返らない。そしてリンドは何かを堪えるように震えている。

 解放軍攻略班の長は俺の覚悟と志を知り、ディアベルの意思を継いでここまで戦ってきたリンドが、同じ志を持つ俺の参戦を否定する筈が無かった。

 

「ボウズ……精々、頑張るんやな」

 

 それだけを言い残し、キバオウは副官を連れて今度こそ立ち去る。

 少し遅れ、リンドも仲間達と一緒に去って行く。

 こうして、俺にとって初めての攻略会議は終わりを迎えた。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

「それで、話って?」

 

 そろそろ日が暮れ始めるという時間に会議が終わり、広場でその場解散になった後に声を掛けてきたこの男を睨む。

 俺を見下ろす眼は威圧的且つ静寂さを秘めており、思慮深そうな真鍮色の眼が俺を見詰めている。

 どこか得体の知れない彼の眼が、少しだけ怖い。

 

「そう邪険そうにしないでくれ給え。別にとって食おうという訳ではない」

「言っておくけど、勧誘ならお断りだよ。俺は特定のグループに所属するつもりはない」

 

 はっきりした拒絶の意志に虚を突かれた男――ヒースクリフは右手を口元に持っていくと、実に様になっている姿で物思いに耽始める。

 数秒後、学者を連想させる面立ちをしている男が発する声に宿るのは、純粋な疑問。

 

「参考までに教えてもらいたい。何故、私が君を勧誘するつもりだと分かったのかな?」

「今までの勧誘野郎と同じ眼と雰囲気をしていた。……まあ、マスコット目的とかじゃないっぽけど」

 

 ここまで分かってしまうのが悲しく、最近すっかり癖になってしまった溜め息を胸中でたっぷりと吐き出す。

 こんな技能よりも役に立つ能力が備わって欲しかった。本当、慣れとは恐ろしい。

 

「なるほど、経験則か。認めてはいるが、どこか確証も何も無いオカルトめいたモノだと勝手に思っていたのだが、そこまで分かるとなると少し興味深い」

「もしかして、本当に学者か何かしていた?」

 

 それなら凄い嵌り役だと思う。

 俺の呟きが聞こえたのか。微笑を見せるヒースクリフからは、はっきりと面白がっている雰囲気が察せられた。

 俺の質問には答えなかったが。

 

「実は最近ギルドを設立してね。是非とも君には、五人目のメンバーになってもらいたかったのだ。実力、頭脳、観察眼。全て申し分ない」

「…………」

 

 俺が長物の相手に慣れていたこと。そしてどういう意図でラグナードを指名し、アイテム放棄を宣言したのか、全てこの男にはバレていたらしい。

 知らず知らずの内に、無意識下でヒースクリフに対する警戒を強めている自分がいた。

 この洞察力は油断なら無い。

 良い意味でも、悪い意味だとしても。

 

「君にもメリットはある筈だ。どこかのギルドに所属すれば生存率は格段に上がる事だし、なによりボス戦で割りを食う事も無くなる」

 

 最後の言葉はアイテム分配を指しての言葉だろう。

 俺がギルドに入れば結晶アイテム以外も分配される。

 確かに旨味は十二分にあるお誘いだ。先程の言葉に偽りは無いが、それでも強力な武器は惜しいという気持ちが燻っているのも事実。

 しかし、それでも俺は首を縦に振らない。

 そんな頑なな態度を示す俺をまだ諦めていないのは顔を見れば分かる。

 この男は見た目に寄らずかなり頑固な性格らしい。

 

「それに君は、アスナ君と随分と仲が良いらしい」

「え………………嫉妬?」

 

 ……この男に会ったのは初めてだ。それでもこの脱力しきった姿は中々レアなような気がしてならない。

 映像として記録しておけば後にプレミアでも付くんじゃないだろうか。

 とりあえず、子供の相手は難しいと言いたげな顔は止めてもらいたかった。

 

「……君も察していると思うが、うちの副団長は少し攻略にかける熱意が強すぎていてね」

「だからストッパー役が欲しいってこと? ガス抜き要因として」

「その通りだ。君といる時は彼女もかなりリラックス出来るらしい」

 

 アスナさんに余裕が見えないというのは俺達の中で共通認識となっていたみたいだ。

 まるで憑かれたように碌な休息も取らずに攻略を進めるアスナさんは、現在ヒースクリフにとって一番の懸念材料。

 いつ壊れるか分からない危うい存在。

 脅迫観念に駆られているアスナさんの心を癒し、攻略の足並みを揃えるためにも、ヒースクリフは俺を欲していた。

 たった一人でジュエリーラットを狩りに行っていたのもギルド内での活動時間を超えての勝手行動だったらしい。

 

(とりあえず、アスナさんに悪い印象は抱かれていないってのには安心した)

 

 この素敵な情報は、後で師匠にも伝えて会議の議題にしなければ。

 そう、この場ではどうでも良い――俺にとっては大事な――ことを考えている内に、目の前の男が真剣な眼差しを向けている事に気付いて背筋を正す。

 

「それで、どうだろうか?」

「……それでも、俺はアンタのギルドには入らない」

 

 アスナさんのフォローなら別にギルドに入らなくても可能だ。

 現に俺はこれから夕食を共にし、しっかりとアスナさんの心的ケアをするつもりでいた。

 最初にヒースクリフを睨んだ理由が、せっかくのご一緒タイムに水を差されたからというのは内緒。

 

(まあ、確かに惜しい気持ちはあるけどさ。アスナさんと一緒に行動とか夢のよう)

 

 常にアスナさんと一緒にいられると思った瞬間に気持ちが高揚したのは否定出来ない。

 しかし、それでも俺は、あの時に抱いたプレイヤーに対する恐怖を忘れてはいなかった。

 

(でも……無理だって、やっぱり……)

 

 話をするだけで分かってしまった。

 この男は今後も沢山のプレイヤーを勧誘し、ギルドを大きく、そして強くしていくだろう。

 今のような少数ギルドではなくなってしまう。

 人が増えれば様々な思惑が生まれ、沢山の問題も浮上してくる。

 強力なギルドになればなるほど、他からのやっかみも増えてくる。

 将来トラブルの溜まり場になると分かっている場所に身を置こうだなんて思えない。

 

「それじゃあ、もう行くから」

 

 早々に話を切り上げて出口で待っている女性の姿を視界に捉える。

 一緒にいられないのなら、彼女と語り、触れ合う時間を大切にしていきたいと切に思う。

 踵を返し、さっさとこの場を離れる事にする。

 そんな俺に掛けられる言葉は、別れの言葉でも、勧誘の言葉でも、予想内にあった何れのものでもなかった。

 

「――君は、誰も持っていないスキルを一つ保有している筈だ」

「……なんのこと?」

 

 気付いた時にはもう遅い。

 足を止めて話を聞く姿勢をとってしまった時点で、この男の推測に確信を抱かせてしまった事を舌打ち交じりで後悔する。

 

「隠さなくても良い。君が《魔物王》というユニークスキルを所有している事は見当が付いている」

「ユニークスキル?」

 

 エクストラスキルの中でもまた異質。

 ゲーム上で一人にしか習得が許されない唯一無二のスキル。

 それを保有していると、この男は言ったのだ。

 

「何で……何でコレがユニークスキルだって分かった?」

 

 魔物王の存在がバレている事よりも、最初にユニークスキルについての疑問が思い浮かぶ。

 俺の知る限り、現在ビーストテイマーの数は俺を含めて五人。

 その中で二匹以上の飼い慣らしに成功したのは俺だけ。

 これがユニークスキルだと判断する事は現時点で不可能だ。

 

(まさか……嘘でしょ……)

 

 

 

 ――とある考えが脳裏に浮かび、知らずの内に足が緊張で震えだす。俺の推測が正しければ、この男は――。

 

 

 

「このゲームには沢山の情報源が存在する。私はつい最近、あるNPCからそういうスキルがあると聞かされただけに過ぎない。その、初めて二匹以上の飼い慣らしに成功した者へ与えられるスキルの情報を」

 

 俺の考えを封殺するように、ヒースクリフは静かにそう告げる。

 まるで俺の考えを完璧に読み尽し、予め解答を用意していたような気がするのは、俺の気の所為だろうか。

 そして、もし彼の言っている事が本当なら、それはそれでヤバイ。

 クライン達への口止めが全て無意味になってしまう。

 エクストラスキルであってほしいという期待は木っ端微塵に打ち砕かれた。

 

 

 

 ――単純にもこの説明で納得してしまい、先程抱いた仮説をありえないと勝手に判断した事を後に悔やむ事になるのは、また別の話だ。

 

 

 

「安心したまえ。どうやらこの情報は一人にしか与えられない限定的なものらしい。私以外に魔物王の存在を知る者はいないだろう。情報屋にも伝えていない」

「……ねえ、ひょっとしてエスパー? 何で考えている事が分かるん?」

「そして君はこうも考えるだろう。何故ここで、このような話題を出すのかと」

「だから何で分かんのさ……」

 

 読心や心眼等のスキルの存在を疑ってしまうのは当然だと思う。

 ありえないと分かっていても、それ程この男の読みはずば抜けていた。

 まるで化け物を見るような目をしている俺の眼差しにも微笑で答えるヒースクリフは、手元で自分のメニューウィンドウを操作している。

 しばらくして俺に見せ付けてきたスキル欄には、

 

「《神聖剣》?」

 

 指差す所に、そのようなスキル名が表示されていた。

 聞いたこともなければ名前からどんなスキルか想像するのも難しい。

 話の流れからして、おそらくコレもユニークスキルの類なのだろう。

 しかし、これでヒースクリフの目的は曖昧ながらも理解出来た。

 

「そっか、だから魔物王の存在を黙っていて欲しいんだ」

「話が早くて助かる」

 

 ヒースクリフの狙い。それは宣伝と掌握。

 SAOで最初のユニークスキル使いとなればヒースクリフの知名度は跳ね上がる。

 その有名人が率いるギルドともなれば他のギルドからも一目置かれるようになり、攻略会議でも軍以上の発言権を得て、更には攻略の手綱を握る事も夢ではない。

 アスナさんを始めとする強力なプレイヤーが配下にいるし、ギルドとしての実力も申し分なく、この男は妙なカリスマ性に溢れているのだから。

 ようはビックネームで他プレイヤーから畏怖されるようになり、攻略組全体でのリーダー的ポジションに落ち着きたいのだ、この男は。

 ネットゲーマーとは強力なプレイヤーを勝手に畏怖もしくは崇拝し、無意識に従ってしまう節のある生き物だから。

 そのためにもユニークスキル使いの二番煎じはどうしても避けたい。

 だからヒースクリフは自分が神聖剣を晒す前に魔物王の情報が公開される事を恐れた。

 

(本当なら俺にも見せたくなかったんだろうな)

 

 それは苦渋の決断だったのだろう。

 俺は言うまでも無く子供だ。

 だから考え無しに魔物王の事を色々な人に教えてしまう可能性がある。そう判断したから、ヒースクリフは身を削ってまで釘を刺したに違いない。

 俺の見た目と年齢は、この男の警戒レベルを無意識の内に下げていた。

 例え聡明だと理解していたとしても、こうしてヒースクリフはミスを犯してしまっている。

 きっと、本人が一番疑問に思っている事だろう。

 何故、こうも考えたらずな失敗をしてしまったのか、と。

 

「安心してよ。元々俺は魔物王を言い触らすつもりは無いから」

 

 そうとは知らず、俺の決断は彼の失敗をカバーしてしまう。

 これ以上やっかみを受けてたまるか、という意思の込められた言葉に、ヒースクリフは安堵の息を零した。

 

「礼を言おう。ありがとう、シュウ君」

「貸し一つだから」

 

 それに俺にはヒースクリフのような願望は無く、攻略ペースが適切なら文句無い。

 この男なら上手く攻略組の手綱を握ってくれるだろう。

 確証は無い。それでも攻略に関してのみは信用に値する男だと思えた。

 少なくともキバオウよりは適正がある気がする。

 

「これ以上アスナさんを待たすのは悪いから、もう行くよ」

 

 紳士は女性を待たすべからず。

 師匠の言葉に思い返し、今度こそ俺はヒースクリフに背を向けた。

 

「シュウ君、攻略組プレイヤーとして、明日は共に頑張ろう」

「……こちらこそ、よろしく」

 

 これで話は本当に終了。

 両脇に使い魔二匹を侍らせて、俺は早足でアスナさんの待つ広場出口へと走っていく。

 彼が小さく呟いた、勧誘はまだ諦めないという発言は聞かなかったことにして。

 

 




血盟騎士団っていつ作られたんでしょうね。
原作の最初の方が不明な状態なので、もしかしたら既に差異が幾つか生まれているかもしれません。
システム外スキルの考察も甘いし支離滅裂かもしれません……精進します。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八話 決戦直前

 どうにも予想外な展開になってしまった。

 時刻は早朝七時。誰も居ない鍛冶工房で作業着のツナギに着替えながら込み上げてくる欠伸を噛み殺しつつ、あたしこと――リズベットはそう思う。

 第一印象は最悪の一言に尽きた。

 なんたって商売初日にあたしの最高傑作を奪っていった張本人。好感を持てる訳がない。

 あと一分でも謝罪が遅ければ、あのガキンチョを窃盗犯として軍や情報屋にリークしていただろう。

 鍛冶屋を営むあたしにとっての第一歩。

 大事にしていた商売初日の最後を踏み躙ろうとしたあのガキンチョは、それほどの事をしたのだ。 

 

「……それがまさか、こんなことになるなんてねー」

 

 嫌っていたガキンチョが、よもや鍛冶職人仲間も含めて一番の友人になろうとは。世の中分からないものである。

 再会後の夕食で僅か五分も経たない内に親交を深められたというのも、今思えば凄い事だと思う。

 武器や技術を褒められ、人柄を認められただけで悪印象が好印象に変わるなんて我ながら現金なものだ。

 

「まあ、話してみれば中々面白いガキンチョだったしね」

 

 何より物事に真っ直ぐで、ある意味純粋なところは信用出来る。

 何でそんなに強く成りたいのか。あたしの問いにゲームを攻略するためだと即答し、心意気を語る少年の言葉は、そう判断するに値するほどあたしの心を響かせたのだ。

 売り手と買い手。鍛冶屋と顧客の垣根を越えてまで世話を焼いてあげようと思うなど、出逢った当初からは想像出来ない。

 そう過去を思い返していると、

 

「師匠、おはよう」

 

 大きく伸びをしている時に、まだ声変わりも果たしていない高い声が工房に響いた。

 鍛冶系統のスキルを習得していない癖にあたしをそう呼ぶ人物は一人しかいない。

 背後を振り返り、入り口に立っているチビ弟子を視界に納める。

 

「おはようさん。ガキンチョは朝から元気ね」

 

 そこにいたのは少年だった。

 女性が少ないSAOでも更に稀少な漸く年齢が二桁になった正真正銘の子供。

 黒のズボンに銀色の滑らかなシャツ。裾の長い漆黒のコートは隠蔽ボーナスの付いた《フェルザー・コート》。

 一三〇センチにも届いていない小柄な身長に、歳相応に可愛らしい子供特有の丸っこい容姿。

 ほっぺや肌なんて女の私が羨むほどプニプニでスベスベ。

 短い部類に入るざっくばらんに切り揃えられた黒髪は、少し鋭い目と耳を僅かに覆い隠している。

 可愛らしいあどけなさを残しながら、生意気そうなイメージを植え付ける双眸。

 その筋のお姉様方にしてみればお持ち帰り衝動に駆られてしまうショタっ子は、初めて訪れた工房内を見渡しながら二体の仲間と共に私のいる工房隅に歩み寄ってくる。

 興味津々に炉や金床やらを見渡す姿を見れば、十歳という年齢通りの姿に見えない事もない。

 性格や思考が十歳児どころか同い年以上と思えるくらい、マセている少年だけれども。

 

「師匠、なんかその台詞はオバサンくさ――」

 

 失礼千万な台詞を完成させる前に小さな頭へ拳骨を落とす。

 この街が犯罪禁止コードに守られていなければHPを幾らか欠損していただろう。

 思わずマズイと思ってしまう程の衝撃音が空気を震わした。

 

「……現実だったらタンコブ出来てる」

「やかましい。ほら、さっさと黒炎を出しなさいよ」

 

 片手で頭を撫で、ボソっと呟きながら空いた手でウィンドウを操作するチビ弟子は少し涙目。

 その姿にあたしの僅かながらの嗜虐心が燻られるが、これから仕事なのだと心を保つ。

 自分でも知らない一面を発見させるなど、ある意味魔性の少年だ。

 

「それじゃあ、お願い」

「はいはい、新品同様にしてあげるわよ。……それにしても、うん、あんたはやっぱりその口調の方が良いわね」

 

 この子の敬語口調を元に戻したのはあたしだ。

 チビっ子曰く、師と仰ぐからには礼を持って接するのは当たり前、という気構えがあったらしい。

 訊けば道場に通っていたらしいので最低限の礼儀は身に付いているのだろう。

 

(はぁ、難儀なもんよね。子供ってのは)

 

 黒炎を取り出しているこの子供は、その素振りを見せないだけで礼儀を弁えている。

 それでも敬語を使わず生意気な態度を取るのは、周囲にいる大半が大人だからだ。

 いい大人もいれば悪い大人もいる。その判断が付かないから全てを拒絶するしかない。

 弱みを見せたら食い物にされる。だから対等な関係を望むために一歩も引かない、接し方も相応の態度で臨む。

 臆病なまでに慎重すぎる自己防衛法が、この子から子供らしさを奪っていた。

 

(ま、元々の性格もあったんでしょうけど)

 

 しかしそれでも、本当は子供っぽい部分が沢山あるはず。

 だいぶ打ち解けたとはいえ未だに見せる事の無い姿に少しばかり落胆する。

 もっと接していれば、あたしにもいつかそういう一面を見せるのだろうか。

 

「――さあ、いっちょ頑張ろうかしらね!」

 

 なら、更に信頼を得るためにも、この子の安全を守るためにも、今は仕事に集中しよう。

 何事もこれから。あたし達の関係は始まったばかり。

 この後の付き合いに期待しながら受け取った最高傑作を鞘から引き抜く。

 窓から零れる朝日に照らされ、紅の直刃はいつにも増して輝いていた。

 作った本人ですら自画自賛してしまう程の業物に少しだけ見惚れてしまう。

 

「直ぐ終わるけど、暇だったら中を見学してる?」

「あー。どんな風に研ぐのか興味あるから見ときたい。やっぱりダメ?」

 

 決して邪魔にならない位置に立って、シュウはあたしの手元を覗き込む。

 これから行うのは研磨作業。耐久度の低くなった武具を新品同様に研ぎ上げる、武具製作以外でのもう一つの仕事。

 こんな朝っぱらから工房で研磨作業に励むのも、これから迷宮区という戦場へと赴く小さな弟子のために専属鍛冶師としての責務を全うするためだった。

 

「別に面白いもんでもないわよ?」

 

 実際、研磨作業には武具製作のような派手さは無い。回転砥石に一定時間刀身を当て続けるだけだからだ。

 その工程に特別なテクニックは必要ない。

 それでもあたしは鍛冶屋としてのプライドと、懐いてしまったチビ弟子の視線があるため、懇切丁寧に黒炎を研いでいく。

 回転する砥石の上で刃を滑らせ、根元から切っ先までを丁寧にスライドさせる。

 その行程を何度か繰り返し行うと接触面からはオレンジ色の火花が踊りだす。

 それに伴って輝きを取り戻す紅の刀身は、研磨が完了した頃には新品同様の輝きを発していた。

 

「はい、終了!」

「ありがとう、師匠」

 

 手渡された黒炎を嬉しそうに眺めるあたしのチビ弟子。

 この子に限らず、顧客の満足そうな顔を見た時が鍛冶屋をやっていて良かったと思える瞬間。

 それでも他の客より嬉しさを前面に出しているので、本当に世話の焼き甲斐のある子供だと思う。

 この顔もまた、知らなかったこの子の一面。

 

「そうだった。師匠、昨日の夜はアスナさんと一緒に食事した」

「ほほー。どうだった?」

 

 この子から度々報告される内容に期待して眼を輝かせる。

 人の恋路が気になってしまうのは女の性だ。

 ただ変に助言をして事態を掻き回し両者の思いを踏み躙るような行為はしたくないので、あたしがするのはシュウの話を聞いて感想を言ってあげる事だけ。

 女性と接する時の心構えや注意事項は既に伝え終えている。

 聞いた知識を生かすも、あたしの感想をどう判断して今後に生かすかはチビ弟子次第。

 あたしから『あれこれこうしろ』と命令した事は無かった。

 そして嬉しそうに昨夜を語る姿を見れば、その食事がどうだったかなど訊く必要も無い。

 

(ふむふむ。仲はやっぱり良さげみたいね。まあ、当然だとは思うけど)

 

 女性の面から言えば、男というのはぶっちゃけて言えば警戒の対象。

 ただでさえ女性プレイヤーが少ない現状では下心から接触を図る輩はかなり多い。

 現にあたしもそういった数人に声をかけられた事がある。

 ハラスメント行為に対する処置が女性有利な申告制として設定してあるSAOだけど、慎重になるに越した事はない。

 どんなに優しそうな男でも絶対の信頼を置けない限り、あたし達から警戒心が拭える事は絶対に無いだろう。

 だからこそ、そんな心配をしなくても良い子供は女性プレイヤーにとって癒しに近かった。

 現にあたしもシュウのお陰で人恋しさを誤魔化せている。

 

(問題は、そのアスナさんがこの子を完全に弟扱いしていて、この子もまだ恋愛感情を自覚していないって所かしらね。なーんか、好きな相手って気持ちもあれば、大好きな姉と一緒にいたいって気持ちも若干あるっぽいし)

 

 おマセさんで子供っぽくない計算高いガキンチョ。

 しかし、こちらの対応次第では礼儀をちゃんと弁え、敬うところは敬意を持って接してくる。

 母性本能を擽る容姿もポイントが高い。

 性格は色々と思う所は多々あるが基本的に悪くない。

 頭の回転が速いのも充分評価出来る。

 ガキっぽさや下品な部分が無いのも美点。

 性格がひん曲がっていない限り、シュウを嫌う女性はいないだろう。

 

(あれ? もしかして……)

 

 意外と良物件かもしれない事に今更ながら驚いてしまった。

 内容を聞きつつそう自己分析している間にも、シュウの夕食話は終わりを迎える。

 少しだけ、渋面を作りながら。

 

「どうしたのよ。楽しかったんでしょ?」

「楽しかったけど……アスナさんが色々と煩くて」

「あー、なるほどね」

 

 疲れたように頭を振るシュウには悪いが、そのアスナさんの気持ちを察し、気付いたら何度も頷いていた。

 うるさく言われたのはボス戦についてだろう。

 人の命に差は無い。それでも子供と大人では、未来ある子供の命を優先してしまうのが人というもの。

 危険な戦いに小学生を連れて行く事に何も思わない人なんていない。

 それが、大事にしている子供なら尚更のこと。

 

「…………師匠も反対?」

「反対ってより心配よ。あんたまだお子ちゃまだし」

「だから師匠。俺を子供扱いし――」

「子供よ、子供。大人の判断が出来るってのは認めるけど、あんたはまだランドセルを背負ったガキなのよ」

 

 下手な大人より度胸も覚悟もあるのは、おそらくあたしだけでなく他の人も認めていること。

 シュウは強い。危険な目に遭って死に掛けても、それでも前に進んでいける強さを、立ち直る意思と覚悟を持っている。

 この強さがあれば滅多な事で挫けない。生きる道を諦めないと信じられる。

 それでも、

 

「意思が強い=心が強いって事にはならないの。あんたの心は、本当は不安で一杯。それを鋼の意思で押さえ込んでいるだけ」

 

 シュウが強いのは意思や覚悟であって、心自体はあたし達とそう変わらない。

 十歳という若さで仮想世界に放り出された不安。死にそうになり、大人の悪意に晒された恐怖。

 きちんと割り切り、信頼出来る人達でメンタルケアを図っても、これらの感情は心の中に蓄積され、確実にこの子を蝕んでいる。

 言わばこの子の心は粘土細工と同じ。

 直ぐに傷付き、それでも直ぐに修復出来る。ダメージを受けても立ち直るのが早いだけ。

 このまま心をすり減らせば後に待っているのは身の破滅。

 そう思えてならないから、又は無意識の内に察しているから、この子を心配する大人は多い。

 

「自分より年下の子供を心配するのは年上の務めなのよ。腹が立つかもしれないけど、皆の心配を無碍にする事だけはすんじゃないわよ」

「……師匠だってまだ子供の癖に」

「生意気に口答えなんてすんじゃないわよ馬鹿弟子」

 

 だからシュウの中にある『自分を認めない、口うるさい大人達』というイメージを修正しつつ、再び頭に拳骨を振り下ろす。

 あたし達の気持ちを少しで良いから理解してもらう。子供だと侮って忠告しているだけではない、と。

 

「気持ちは分かるけど、もうちょっと大人を頼りなさい。あんたの不安な気持ちくらいなら、誰だって受け止めてあげたいって思ってるんだから」

 

 粘土細工のように心が脆いのが弱点なら、その分いくらでも継ぎ足して頑丈にしてあげられるのも粘土細工の美点。

 その心を強くするのもまた大人の務め、ひいては師匠であるあたしの役目だ。

 

「………………はい」

「よろしい」

 

 頭を押さえながらこちらを見上げているが、思考の海にどっぷり浸かっている顔を見れば今までどう考えていたかが分かる。

 激情していた表情は消え、舌打ちでもしそうな程に歪める表情からは罪悪感が見て取れる。

 気遣いを気付けなかった事に対する自責の念がシュウを襲う。

 だからあたしは暗い雰囲気を吹き飛ばす勢いで、笑い顔を見せ付けながらチビ弟子の頭をぐりぐりと撫で回した。

 

「さあ、まだ時間に余裕があるんでしょ? お茶にするわよ」

 

 口元を弓のように引いて『へ』文字を作り、ムッとした顔を作りながら睨んでくるシュウに笑い、部屋隅にある休憩スペースまで移動する。

 木のテーブルに椅子が二組。着席したことで軋む音を聞きながら、パパっとお茶の準備を開始する。

 NPCの店から購入したティーセットを出した所で、正面に座ったシュウがお茶請けを出した。

 

「紅茶に煎餅って……」

「味は緑茶っぽいんだから良いじゃん」

「でもその煎餅って見た目に反して甘菓子じゃない」

 

 湯気の立つカップと深皿に目を向け、揃って溜め息。

 三ヶ月経っても、あたし達の記憶から懐かしい味が消えることは無い。

 醤油やマヨネーズの味が恋しくなる。

 

「料理と言えば、あんた情報屋から美味しい店の情報を買ったの?」

「アスナさんとの食事なんだからそのくらいやって当然」

 

 どれだけ食事を楽しみにしていたのだろうか。やることがマメだ。

 まあ、エスコートするように仕込んだのはあたしなのだけれども。

 

(……もしあたしにショタコンの気があったら、案外ヤバイ事になってたかもしれないわね)

 

 煎餅を齧る子供を改めて観察する。

 将来有望な幼い紳士。同年代だったらと思うと良い意味で怖くなってしまう。

 友人で弟分で子分で癒し要因。

 うん、どれだけ考えても関係がこれ以上発展しそうにない。

 その事にかなり安心した。

 

「あれ。その新聞って……」

「ああ、気付いた?」

 

 テーブルに置いてあった新聞の見出しを訝しげに見て段々と青褪めていくシュウに、あたしは悪戯が成功した子供のようにニシシと笑う。

 元々この新聞を見せるためにこの子をここまで誘導してきたのだ。

 

「『――魔物使いが大演説! 全ては私達のために――』ですってよ。昨日、沢山の人前で良い事言ったみたいじゃない」

「うぎゃぁあああああああ!?」

 

 引っ手繰るように奪い取ってくしゃくしゃにしたその新聞は職人プレイヤーが製作したものだ。

 《執筆》スキルで新聞を作り、アインクラッドでのニュースをプレイヤーに伝えてくれる。

 攻略に役立つ情報は少ないけれど、身近なニュースを伝えてくれるこの新聞を楽しみにしている人は多い。

 私もその内の一人で、宿から工房に向う最中にある道具屋で無料配布されている号外新聞を読むのが日課と化していた。

 

「そりゃ真昼間から最前線の転移門広場でデュエルをしたら注目浴びるっての」

「うわぁ……せ、背中が痒い。めっちゃ恥ずかしい……ッ!?」

 

 この子の攻略に掛ける心意気はもう誰もが知っている。

 訊けば昨日の夜から沢山のメッセージが届いたらしい。

 お世話になっている教会の人達や友達だという竜使いのように称賛するものもあれば、曰く似非野武士野郎のようにからかいメールもあったとか。

 頭を悩ませている姿を見るに、昨日の夜から散々な目に遭っているようだ。

 

「でも参った……まさか記者が偶然通りかかったなんて……あぁ、あんなこと言わなきゃ良かった」

「何言ってんの。結構良い事言ったんじゃない」

「問題はそこじゃないんだよ」

 

 机に突っ伏しながら指差した箇所には会話文が記されている。

 レアドロップ品が手に入らなくても誰かが攻略に生かしてくれるのなら惜しくないという、利益を捨てた献身的な姿勢。

 アイテムの拾得権利を放棄してまで純粋にボス攻略に挑む姿は好印象な訳だが。

 その部分に不安があるらしい。

 

「こんな大々的にアイテム放棄宣言したのがバレたら、絶対に俺を食い物にしようとする奴等が出てくる」

「……なるほど、ね。そんな風にも捉えられる訳か」

 

 例えばダンジョン内で臨時パーティーを組んだ場合。

 危機を脱した後のアイテム分配で割を食う可能性が出てくる。

 あくまでアイテム放棄を宣言したのはボス攻略においてのみ。それ以外では普通にアイテム要求をするつもりが、このままだと正統な要求をしても難癖を付けられ兼ねない。

 シュウの心意気を、優しさを勘違いして突っ掛かる者の出現は容易に想像出来た。

 

「まあ……身から出た錆びだから頑張るけど。……あ、そうだ。研磨代払わないと」

 

 話題を逸らしたいのか。

 あたしでも忘れていた事柄を思い出したチビ弟子は、くしゃくしゃにした新聞を脇に置いてからトレード・ウィンドウを表示させる――前に、あたしは右手でその動作を遮った。

 

「まだ良いわよ……ボスを倒してから払いに来なさい。それまで待ってるから」

 

 相場の半額以下で素材アイテムを沢山譲ってもらっているので、このくらいのお祝いをするのも吝かではない。

 それにこう言えば励みにもなるだろう。

 それなのに、何故か渋い顔を作っているシュウの心情が理解出来なかった。

 チビ弟子はジト目であたしを睨みながらフリーズ中。

 

「師匠……死亡フラグって言葉知ってる?」

「……あ」

 

 今から強敵と戦う相手に『待っている』発言。

 確かにこれは待ち人が帰ってこない有名なフラグだった。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 薄暗い通路を歩く度に空気の重さが増していく。

 回廊内のデザインも不気味なものに変化し、モンスターをあしらった彫刻が俺達を見詰めている。

 この先に待ち受けているボス部屋が発するプレッシャーもあるが、目的地に近付くにつれ増していくプレイヤーの剣呑な雰囲気も空気の重さに一役買っているみたいだった。

 

「キリト、あの銅像ってもし売れるとしたらいくらになると思う?」

「……緊張感無いな、シュウ」

 

 迷宮を進む攻略組パーティーのど真ん中を歩いている俺にキリトがツッコミを入れる。

 本来ならアスナさんも交えて話をしたい所だけれど、残念ながら迷宮に突入して直ぐにアスナさんは話しかけられる雰囲気では無くなったので、俺の話し相手は専らキリトただ一人。

 エギルも今は前の方を歩いて警戒している。

 辛気臭い雰囲気の中、普段通りに振舞っていられるのは俺達だけだった。

 

「ダメ?」

「褒めてるんだよ。自然体なのは良い事だろ」

 

 キリトの言う通り緊張や恐怖といったものは感じていなかった。

 それも、万全の状態で挑んでいるという自負。

 そして何よりキリトやアスナさん、ついでにラグナードも含めた頼もしい人達が一緒に居るという安心感が自然体でいさせてくれるのだ。

 それに所詮ここは十層に過ぎない。

 俺のレベルが適正レベルを大きく上回っている事実と、今までの戦闘経験も強大な自信へと繋がっていた。

 

「あ、前方から敵! 数は一体!」

 

 俺が隊列のど真ん中を歩くのはポチの索敵範囲を効率良く利用するため。

 前後からの襲撃を防ぐために班を分け、余りが遊撃隊員として真ん中を陣取る。

 これが俺達の隊列。

 鉄壁の布陣で突き進む俺達に無謀な突撃をかますモンスターには心の底から同情してしまう。

 

「スイッチ!」

 

 襲撃者である骸骨槍兵――《ボーンランサー》の突きを盾で防ぎ、《グラファルス》を剥き出しの上半身に叩き込んだラグナードが吼えた。

 後退するラグナードと擦れ違うように前進する影は二つ。

 ダッシュ力の上乗せされたアスナさんの連続突きが両肩を貫き、タイミングをずらしたエギルの巨大な斧が腹部を破壊する。

 ポチが察知してから十秒、そして遭遇してからの戦闘時間は五秒にも満たない。

 たったそれだけの時間で襲撃者は命を散らしていった。

 

(上手い……これがスイッチなんだ)

 

 相手の攻撃を防ぎ、生まれる隙を狙って強攻撃を叩き込み、衝撃で硬直している内に交代する。

 モンスターは急な攻撃パターンの変動に対応仕切れないという特徴もあるが、今回は更に磐石を期すために二撃目で両肩を攻撃して動きを阻害し、後続の三撃目で本命を与えるというテクニックを披露してみせた。

 攻防のバランスの良い者が起点を作り、スピード系プレイヤーが下地を作ってからパワー系がトドメを刺す。

 一切の無駄が無いお手本のようなスイッチ。

 それをあっさりとこなす技量に魅せられ、軽く嫉妬を覚えてしまう。

 

「シュウなら直ぐ出来るようになるさ」

「……頑張るよ」

 

 こんな会話をしている間にも行進は続けられ、最後の戦闘から数分後。

 ついに、

 

「これが……迷宮区の最奥」

 

 ゴールであるボス部屋への巨大な両開き扉が、俺達の眼前に聳え立っていた。

 

「よっしゃ、皆は最後の点検に入るんや! 準備ぃ出来次第、直ぐに戦闘を開始するでぇ!」

「各自、万全の状態で挑んでくれ!」

 

 ここまで来ればモンスターは出現しないため安心して装備点検を行う事が出来る。

 トップ二人の号令で各々が装備点検を始める中、索敵指示以外の行動をとっていない俺は完全な手持ち無沙汰。

 よって、もう既に何度も行っているイメトレで時間を潰す事にする。

 そんな時だった。とある人物が俺に近寄ってきたのは。

 

「シュウ君、やっぱりボス戦に参加するのを考え直さない?」

 

 歩み寄ってきたのはアスナさんだった。

 その顔は不安で満ちている。

 それを見て思うことは一つだけ。

 

(やっぱり過保護だ。心配してくれるのは分かるけど)

 

 思わず嘆息してしまう。

 昨日の夕食時から、果ては就寝前のメッセージ、そして今朝も考え直しを要求するメッセージが何通も届いた。

 俺の参加にボス戦パーティーで未だに難色を示しているのはアスナさんだけだというのに、彼女はまだ諦めていない。

 やはりもっと早い段階で攻略組に入るつもりだと宣言した方が良かったのだろうか。

 会議に参加する俺を見て目を丸くしていたのは、今でも記憶に刻まれている。

 

「索敵のお陰で比較的簡単にここまで来られただけでも充分だよ。だから、ね?」

「心配してくれるのは嬉しいんだけど……やっぱり頷けない。ごめんなさい」

「でも――」

「――その辺にしといたらどうだ?」

 

 アスナさんの訴えを遮ったのは、隣で黙って会話を聞いていたキリトだ。

 何処と無く怒っているように見えるのは気の所為ではない。

 中性的な面構えから放たれる鋭い眼光がアスナさんを射抜いている。

 

「シュウも覚悟を決めてボス戦参加を決意したんだ。心配するアンタの優しさは評価するけど、それ以上はただのお節介だぜ」

 

 怒気の含まれた口調に気圧された感はあるけれど、アスナさんも負けてはいない。

 怯んでしまった面持ちを一瞬で消し、その優しげな双眸を細め、直ぐにキリトを睨み付ける。

 眼力は彼だけでなく俺までも半歩退かせる程の凄みがあり、二人揃って嫌な汗が流れ出す。

 不機嫌さを隠しもしない彼女の目は据わっていた。

 絶対零度にも似た冷たいオーラが周囲の空気を極端に下げる。

 

「……じゃあ、君はシュウ君が参戦する事に、全面的に賛成しているの? こんな危険な戦いに……十歳になったばかりの子供が参戦する事を認めろって言うの?」

「全面的に賛成している訳じゃない。でも、だからって俺達には止める権利が無いだろって言ってるんだ」

 

 売り言葉に買い言葉という訳ではない。それでもお互いが段々とヒートアップしていくのを側にいて感じる。

 正直、このまま進むとマズイ。共闘前に喧嘩など馬鹿らしいにも程がある。

 

「ねえ、あのさ。二人ともちょっと――」

「権利は無いわ! それに、危険なのはボス戦に限った事じゃないって事も、シュウ君が本気だって事も良く分かってるっ! ……それでも、不安なのよっ!」

「なら過剰な説得はシュウの覚悟を踏み躙る行為だってアンタも分かるだろっ!?」

 

 キリトの言葉には心に突き刺さるモノがあったのか。アスナさんは苦虫を噛み潰したような顔をして、キリトから僅かに視線を逸らす。

 それで納得出来れば苦労しない。そう考えているような目をしているアスナさんと、少し言い過ぎたかなと考えていそうなキリトに皆が注目し始めた。

 

(ヤバっ、そろそろ本気で収拾しないと)

 

 争いの火種たる俺からすれば『俺のために争わないで』といった感じ。

 まさかリアルでこの言葉を使う羽目になろうとは思わなかった。

 世の中どうなるか分からない。

 

「あの、アスナさ――」

「頭では分かってる。シュウ君の力だってこの目で見てる。強いのは百も承知よ。でも……何も攻略組になること無いじゃないっ……」

 

 

 

 ――中層プレイヤーでも充分助けになる。

 

 

 まるで血を吐くように呟いた姿に、思わず言葉を失った。

 一層からボス戦に参加してきたアスナさんだからこそ、ボスの強さ、そして危険さは身に染みて分かっている。

 その経験が、俺がいつかボス戦で死ぬという最悪な未来予想図を消し去ってくれない。

 豊富な経験が彼女の不安をよりいっそう煽っていた。

 心配してくれるのは心の底から嬉しい。そう断言出来る。

 しかし、

 

「ア――」

「不安なのは分かる。でも、俺達に出来るのはシュウを信じる事だけだ」

 

 俺の言葉を遮るキリト。

 話し始めたキリトに耳を傾けるアスナさん。

 他の人達も傾聴姿勢に入っているが、一体何なのだろうこの空気は。

 それに俺をスルーし過ぎだと思う。当事者そっちのけの空気を醸し出すなと物申したい。

 俺でも思わずカッコいいと思ってしまうキリトのイケメンパワーが炸裂しそうな、そんな嫌な予感が立ち込めてくる。

 色々な意味でヤバイ。

 

「シュウは死なない。もちろん俺達だって死なない。当然、アンタだって死なない。……どんなに考えても不安は消えない。だから俺達は、そう強く信じる事しか出来ないんだよ」

 

 この世界にいる限り死という恐怖は消えたりしない。

 それでも自分は死なないと言い聞かせ、自分の力を、そして仲間の力を信じ続ける。

 呪詛のように繰り返し行う自信の上塗り。

 そうやって未来を信じ、俺達はクリアを目指して明日へと突き進むしかない。

 そうキリトは語る。

 

「だから――」

「アスナさん、俺を信じて!」

 

 これ以上キリトに語らせると妙なフラグが立ちそうなので先手を打つ俺は間違っていないだろう。

 それにここから先は俺が話さなくては意味が無い。

 俺自身の口から言うのが大切であり、筋というもの。

 

「約束する。俺は絶対に死なない。それにアスナさんの事だから、もし危なくなったら守ってくれるんでしょ? 俺だってアスナさんを助ける。だから――」

 

 お互いを信じ合う。

 そうすれば、

 

「――二人で信じよう。俺達は死なない。危ない時は助け合う。俺達に勝てるモンスターなんていない。そうでしょ? だから大丈夫」

 

 見ず知らずの大人には絶対に言わない台詞。

 いつの日か、他の大人にもそう言える時が来れば良いと思う台詞を、アスナさんの心に響かせる。

 暗い影が心を覆う中、アスナさんの両手を握り、不安でいっぱいの彼女をジッと見た結果。

 

「……うん。そうだよ。シュウ君は死なない。死なせたりなんて絶対にしない。私がシュウ君を守る」

 

 

 

 ――そう、素敵な顔で微笑んでくれた。

 

 

 

 切羽詰ったような余裕の無い表情をしている姿からは想像出来ない程の、まるで天使の笑顔。

 おそらく、こっちのアスナさんが素なのだろう。

 初めて本当の笑顔を見れた気がして、俺も自然と笑みを作っていた。

 

「だからシュウ君も私を守って。一緒にゲームをクリアしようね」

 

 力無く握られるままだった両手に力が漲ってくる。

 今のアスナさんに不安は無かった。

 自信と信頼。未来を望む心が不安を押し潰したのだ。

 

「……ハァ、シュウ。その助け合いに俺は入って無いのか?」

 

 脱力した感じで頭をポンポン叩いてくるキリトは不敵に笑ってみせると、俺とアスナさんの繋いでいる手に空いた手を重ねた。

 そして、とても大きな手も重ねられる。

 

「ま、子供を助けるのも年長者の務めって奴だ。それに顧客を大事にするのが俺のモットーなんでね」

 

 見る者を安心させる包容力のある笑み。

 斧を肩に乗せる山賊チックなエギルも加わり、次第に高まっていく周囲の熱気を肌で感じる。

 

「――では、私も自分自身の力を。そして仲間を信じて戦うとしよう」

 

 声の主は真紅の鎧に身を包み、レアドロップ品である盾と剣を掲げた。

 ヒースクリフに呼応するように武器を掲げた皆の間でも士気が高まる。

 

「そうや! ワイ等は死なへん。この戦いでも、そしてこれからも……永遠にや!」

「勝つぞ、皆!」

 

 芝居がかかったような台詞だが効果は覿面だった。

 俺達の雄叫びが回廊を響かせ、迷宮を震えさせる。

 ある意味、これは洗脳に近かったのかもしれない。

 それだけ皆は狂ったように自分の生存を信じて疑わず、暗い未来は思考の片隅に追いやっている。

 天井知らずに高まる圧倒的な士気。

 このテンションを維持したまま、俺達はボス部屋に雪崩れ込む事になる。

 巨大な両開き扉が錆びた音を立てながら開かれた。

 

 

 これが、俺の本当の意味での、最初の一歩。

 攻略組の一角として後に名を馳せる魔物王の物語は、ある意味ここから始まったのだ。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九話 攻略戦

 部屋には闇が満ちていた。

 三〇人以上が入っても充分なスペースを確保出来る程の大広間。

 その端々では青白い炎が燭台にゆっくりと灯っていく。

 部屋の中央に一際大きい火柱が出現した時、俺達は動き出した。

 

「戦闘開始、散開するんやっ!」

 

 事前に決められていたグループで纏まり、全員が火柱向かって走り出す。

 盾持ちや両手剣、斧といった防御力や筋力寄りのビルド持ちが前に立ち、それ以外が少し後ろで控える。

 アスナさんは後ろに控え、エギルやヒースクリフは前に出ていた。

 

「来るぞ……っ!」

 

 キリトが叫ぶと同時に火柱が掻き消える。

 中から出現したのはキリトの証言した通りのモンスターだった。

 ただ、

 

『グォ、グォアアアァアアァアアッ!』

 

 その姿が想像以上に巨大。

 そして音撃とも言える耳を劈くような咆哮。

 最初に足が震え、その被害は全身に伝播する。

 

「……《The Frenzyskull》……狂乱する骸骨……これが……」

 

 名前に定冠詞が付くのはボスの証。

 縦にも横にも巨大で、目の前で六本の腕を巧みに操作する骸骨の頭上にあるカーソルからは確かにそう読み取れた。

 話で聞くのと現実では大分誤差がある。

 例えば身長が五メートルくらいというのも事前情報から知っていたが、実際に目にすると小山くらい大きいと錯覚してしまう程、その身体は途方も無い大きさに見えてしまう。

 俺以上の大きさを誇る剣、戦斧、メイス等の凶器達。

 全身を覆う、酸化した血のように赤黒く、禍々しい甲冑。

 極めつけは兜の下から覗く紅い双眸の不気味さと全身を包む醜悪な気配。

 全てが想像の遥か上をいっていた。

 

「シュウ!」

 

 フレンジースカルの猛攻を防ぐ面々に混じり、がら空きの脇腹に横薙ぎの剣尖を放ったキリトの怒声が耳を打つ。

 もう既に戦闘は始まっている。HPを減少させている者もいた。

 それなのに俺は最初の位置から一歩も動いていない。

 

(くそっ、呑まれた!)

 

 醜態を晒している事に気付き羞恥と怒りで目の前が赤くなる。

 ボスに圧倒された俺と勇敢に立ち向かった皆。覚悟を決めたつもりだった。

 それでも、

 

「今行くっ!」

 

 実力の差を実感して落胆している暇など無い。

 ポチやクロマルと一緒に戦場へと駆ける。

 その間も金属を打ち付け合う戦闘音が響き渡り、色鮮やかなライトエフェクトが戦場を彩った。

 そして一瞬でボスとの距離を詰めた俺に繰り出されたのは大剣と鉄斧。

 空間が裂け、死が濃厚になる、一太刀浴びれば致命になりえる絶大な一撃。

 しかし、その脅威に晒されても俺は足を止めたりはしない。

 ただ真っ直ぐ。速度を殺さず死地へ飛び込んでいく。

 

「シュウ君!」

「さっさと行け、チビガキ!」

 

 

 

 ―――俺には、頼れる仲間がいるのだから。

 

 

 

「ナイス!」

 

 右から横薙ぎに振るわれた大剣はアスナさんとヒースクリフが、左から振り下ろされた鉄斧はアスナさん達と即席パーティーを組んでいるラグナード達が完璧に防ぐ。

 殺意と死が充満する戦場を潜り、更に脚へと力を込めた。

 

(俺達だけじゃ無理だけど……皆が一緒なら!)

 

 六本の腕を二人ずつで各々防ぎ、そこに俺とキリトが加わって攻撃する。

 巨体と言っても数メートルに過ぎないフレンジースカルの周囲は密集地帯と化していた。

 連携を少しでもミスれば周囲の仲間の邪魔をしてしまう。それほどの密集。

 だからこそ、普段はコンプレックスになっている身長の低さが今回ばかりは好きになれそうだ。

 

「食らえ骸骨っ!」

 

 瞬く間に急接近。

 二匹の相棒をとりあえず待機させてから石畳を踏んで跳び上がる。

 更にボスの膝を足場にして胸部の高さにまで跳んだ俺の右手が青いライトエフェクトに包まれた。

 まるでアイスピックで氷を穿つように、逆手に握られた黒炎を力の限り叩き付ける。

 短剣単発重攻撃技《グランエッジ》の輝きがフレンジースカルに解き放たれた。

 続いて、同じく飛び上がったポチの爪撃。

 しかし、

 

(堅い!?)

 

 俺達の渾身の一撃は四段あるHPバー。

 その一番上を数パーセント減少させただけに過ぎなかった。

 いくら今回のボスが今までと比べて高い防御力を持っていたとしてもショックを隠せない。

 そう、俺はボスを甘く見ていた。俺と同等以上のレベルと装備を持つ人達が数十人集まって、漸く相手を出来る化け物なのだ、コイツは。

 

「心配するな! 攻撃役は君だけではない!」

 

 胸元を蹴り上げ、不安になりながらアスナさん達の頭上を飛び越えて距離を取った俺に、両刃剣を盾で弾き返したヒースクリフが声を張り上げた。

 地面に着地し、再びボスのHPを見れば、その緑色のバーが俺の時の三倍近い勢いで減少している。

 反対側で攻撃をしているキリトの攻撃だ。

 それに、

 

「食らえ、骸骨野郎っ!」

「せぁああああああああッ!」

 

 片手槍単発重攻撃技《ガルディアス》。細剣二連撃技《ダブルスプラッシュ》。

 重さを伴う紅の刺突と閃光のような連撃が巨大な腕を襲う。

 腕担当の人達もただディフェンスに努めているだけではない。

 武器を防ぐ際に余裕があれば腕を斬り付け、ちゃんとダメージを与えている。

 次第にダメージは積み重なり、上段のHPバーは消滅した。

 

(……弱いな、俺……)

 

 強くなったつもりでいた。

 パワー不足なのはスピード系+短剣使いプレイヤーとしての宿命。それは分かっていても力量不足感が否めない。

 しかし今は弱音を吐いている場合ではないと、弱気は脳内から振り払う。

 強者としての自信は打ち砕かれたが、たったそれだけで落胆している暇など無いのだから。

 

「シュウ、蹴りだっ!」

 

 一度ボスから距離を取っていたキリトが見ていなかったら、もしかしたらヤバかったかもしれない。

 何度目かの突撃最中に巨体の片足が下がったと思った瞬間。接近する俺にカウンターの要領で超重量の蹴りが放たれた。

 

「クロマル!」

 

 瞬時に応じたのは戦闘中に関わらず側を離れなかった二体目の相棒。

 丸い身体が粘土細工のように溶け、その流動感の溢れる姿は水銀を連想させる。

 広がったメタルボディが眼前を覆った。

 ポチを片手で抱きながら、即席盾に黒炎を持ったまま手を添える。

 瞬間、今まで感じた事の無い重圧が襲い掛かる。

 

「こ、の、クソッタレっ!」

 

 メタルハードスライムは非常に堅い。

 それでもクロマルに多大なダメージを与える攻撃に晒され俺のHPも減少する。

 少しは持ちこたえたものの、勢いに負けてエギル達のいる方へ蹴り飛ばされた。

 しかし宙を舞う中、俺は確かに見た。

 地面を踏みしめているフレンジースカルの片足へキリトが単発重攻撃技を放つのを。

 

「今や! この気を逃すんやないでぇ!」

 

 片手で俺とポチを見事にキャッチしたエギルに感謝の言葉を送ると同時に、キバオウの合図で手の空いている沢山の人達が体勢の崩れたボスに殺到する。

 この気を逃さず各々がソードスキルを放ったため、部屋中が様々なライトエフェクトで満たされた。

 凄まじい光量に目を細める。

 地獄の番人のような出で立ちの怪物の絶叫が迸り、HPバーもついに最後の段に突入する。

 その時、耳障りな金属音が部屋中に響き渡った。

 皆の攻撃に耐え切れず、ボスの身体を覆っていた甲冑がバラバラに崩れ落ちたのだ。

 

「エギル、肩借りる!」

「おお、ぶちかましてやれ!」

 

 やることはさっきと同じだ。

 両手斧スキルのダッシュ技に入るため前屈姿勢だったエギルの肩を足がかりに、俺とポチは高くに跳躍。

 突撃をかますエギルを眼下に九回目となる《グランエッジ》と、銀狼による爪撃を胸元に叩き込むべく力を溜める。

 スイッチを駆使して背後の人と後退する面々に混じって宙を舞った俺は、最大威力の技を放つためにスキルを放つモーションに入った。

 そして、

 

「皆、ボスから離れろっ!」

 

 反射的に回避行動を促していた。

 まるで電流の走ったような第六感と言っても良い嫌な予感が全身を蹂躙する。

 寒気を覚えた瞬間、俺は悲鳴にも似た叫び声を上げていた。

 外気に晒された腐食色の骨達が不自然にピクピク動くのが、どうしても不吉な気がしてならなかったのだ。

 

『ガゥアアァアアアァアアッ!』

 

 そして俺の観察眼と第六感は正しいことが証明される。

 それは、もはや跳ねたとした表現出来ない。

 肋骨を初めとする沢山の鋭い骨が一斉に外側―――つまり俺達のいる方へ飛び散った。

 

「うわぁあぁああぁあッ!?」

「ぎゃああああぁああッ!?」

 

 リンチにも似た俺達の独壇場が阿鼻叫喚な地獄絵図と化す。

 クレイモア地雷の如き散弾骨の攻撃に晒され、近くにいた殆どの者が盛大に吹っ飛ばされる。

 ポチも、そしてクロマルも例外ではない。

 スイッチ後でボスから距離を置いていた人達以外は全員大ダメージを受ける事となった。

 それは《グランエッジ》を中断して防御体勢を取った俺にも言えること。

 ただ唯一違うのは皆よりも防御体勢に入るのが速かったためか、部屋隅まで飛ばされる事態には陥らなかった事のみ。

 

「皆、無事!?」

 

 HPが黄色の注意域に達したまま辺りを見渡す。

 上体を起こして周囲を見れば攻撃を仕掛けていた者全員のHPがイエロー又はレットゾーンに踏み込んでいた。

 ポチもそうだし、クロマルなんて赤の危険域だ。

 死者がいないのが幸いだとしても被害は甚大。

 その事態に、知らずの内に下唇を噛み締める。

 

(お前達はそこで待機!)

 

 使い魔の分まで回復させる時間が無い。

 魔物王スキル《意思伝達》で二匹を壁際に張り付かせる。

 後は俺の回復を―――。

 

「シュウ、前だ!」

「え……」

 

 これなら下手に堪えず素直に吹っ飛ばされた方が得策だったかもしれない。

 壁際で倒れた状態のキリトの注意で前方を見れば、骨を失ったためスリムになったフレンジースカルが、メイスを、両刃剣を、そして鉄斧さえも、俺一人を殺すためだけに振り下ろす所だったのだから。

 

「―――ッ!?」

 

 形振り構っていられない。

 立つ時間も惜しんで床を転がり、メイスが俺を叩き潰す前に危険地帯から脱出する。

 局地的な地震を起こす勢いでメイスが床を砕き、破片を撒き散らしながら地面を陥没させた。

 まだ脅威は去っていない。

 時間差で襲い掛かる二つの凶器を避ける術を、俺は持ちえていなかった。

 

(やばっ、死―――)

 

 

 

 ―――全てを切り裂き、押し潰す大斧が、視界一杯に広がった。

 

 

 

 けれど神様は俺を見捨てていなかったらしい。

 細剣単発重突進技《ソリッド・ティアー》が腕の側面に炸裂し、斧の軌道が顔横スレスレにズレる。

 暴風で外套と髪が吹き上がり混乱の極みにあった頭でも、黄色の閃光と化して捨て身の技を繰り出した人が誰かは理解出来た。

 また助けてもらった。そして、この男にも。

 

「無事かね?」

 

 冷静沈着な声が俺の頭をクリアにする。

 落ち着きの払った声がここまで人を安堵させる事を初めて知った。

 盾を掲げて最後の両刃剣をたった一人で防いだヒースクリフは、落ち着いた表情で俺を振り返る。

 二人とも運良く散弾攻撃から逃れた数少ない人達だ。

 

「平気! ありが……アスナさんッ!?」

 

 死が遠ざかったとしてもそれは一時凌ぎに過ぎない。

 生存の喜びを感じる暇も無く駆け出して、技後硬直中のアスナさんに体当たりをかます。

 もつれながら地面を転がる俺達は、確かに地面を砕く戦槌の破壊音を耳にした。

 もう少しでアスナさんも一撃を受ける所だったのだ。

 生憎と僅かに掠ったため無傷という訳にはいかなかったけれど、アスナさんを守れた事が少し誇らしい。

 

「シュウ、一旦下がれ!」

「さっさと回復しやがれチビガキ!」

 

 俺達の横を二つの影が疾走する。

 漆黒の男が、青銅の重戦士が、

 

「子供だけに任すのは気が引けるんでなっ!」

「あんのボウズ一人にええカッコさせる訳にはいかへんのやっ!」

 

 巨躯の戦斧使いと山賊みたいな暫定リーダーも突撃する。

 そして、

 

「敵も消耗している! 畳み掛けろ!」

『おぉおおおおおおおおッ!』

 

 真紅の盾剣士に鼓舞されて残りの面子も雪崩れ込む。

 おそらく回復結晶を用いたのだろう。ポーションでは決してありえない速度でHPを全回復させた者達がボスを引き付け、俺とアスナさんから遠ざけてくれる。

 切り裂き、叩きつけ、押し潰す。

 怯む事無く叩き込まれる彼等の攻撃は壮絶の一言に尽きた。

 

「ありがとう、アスナさん」

「どういたしまして。それに、こっちもありがとう」

 

 壁際まで下がり危ない時は助け合うという誓いを果たした俺達は、少し笑い合うと手持ちの回復アイテムでHPの全回復を図る。

 まず回復結晶でHPが全回復してから二匹の相棒を手元に呼び寄せ、二匹にも回復ポーションを使用。

 そのまま戦況を見ながら壁際で数十秒を過ごし、お互いの回復が終了すると戦場目指して走り出す。

 防御力が異様に高いヒースクリフが守りを、攻撃的なキバオウとラグナードが攻撃の要を担当した結果、ボスのHPはもう僅かしか残っていない。

 どうやらあの散弾染みた攻撃は一度きりのものらしい。

 甲冑を無くしたためか防御力も格段に落ちている。

 だからアレは、あの怪物の最後の悪あがき。

 

『グ、グォアアアァアアァアアアァアッ!』

 

 片刃剣、両刃剣、鉄斧、野太刀、戦槌、メイスの複合剣技。

 そうとしか表せない凶器の乱舞は、乱雑な軌道を刻んで攻撃者達に放たれる。

 その巨体を独楽のように回転。縦横無尽に駆け巡る攻撃の嵐に、殆どの者が再度壁際まで吹き飛ばされた。

 残ったのは、

 

「スイッチ!」

 

 まずは先行していたアスナさんがたった一人で片刃剣と両刃剣を盾で弾き飛ばしたヒースクリフとスイッチを交わす。

 凶悪な巨体に黄色のライトエフェクトを纏った細剣を連続で叩き込んだ。

 轟くような雄叫びを上げるフレンジースカルのHPが目に見えて減少する。

 今度は俺の番。

 

「エギル、ラグナード!」

「行け、シュウ!」

「呼び捨てにすんなチビガキ!」

 

 その筋力値を活かしてギリギリ踏み止まったエギルの両手斧単発攻撃技《ダウンレイグス》とラグナードの《グラファルス》が鉄斧と戦槌を真っ向から迎え撃つ。

 

「く、うぉおおおおおぁああああああッ!」

「ま、けるか、よぉおおおおぉおッ!」

 

 力と意地の鬩ぎ合いは二人に軍配が上がった。

 両脇に並んで立つ二人の間を走り抜け、俺も突進技である《ウィースバルグ》を右足に放つ。次いで間を置かないポチの爪撃が決定打になり、ボスの体勢が僅かに崩れる。

 そして、

 

「せぁあああッ!」

 

 あの嵐を単身で捌き、避けきった黒の剣士の片手剣単発技《ホリゾンタルレイヴ》が胴部を強襲。

 横一文字に放たれた斬撃は骨を砕き、剣に込められたエネルギーをライトエフェクトと共に放出する。

 その衝撃で六本腕の半分が見当違いの場所を叩き、地面を奮わせた。

 しかし、

 

『ゴ、オォアアアァアアアアアァアッ!』

 

 滅茶苦茶に振るわれた残りの半分は周囲を巻き込み、相棒二匹にアスナさんとヒースクリフをまとめて弾き飛ばす。

 

(くそっ……よくもやってくれたな骸骨野郎っ!)

 

 ポチは掠った程度で、そしてクロマルはその耐久力の高さから消滅を免れる。

 幸いにも二人のHPは全壊しておらず、俺とスイッチを行った時点でエギルとラグナードは回復のため一旦退避している。

 死者がいない事に安堵しながら右足に力を入れて急ブレーキ。

 突進技で前方に移動しかけた重心を無理矢理引き戻し、現実ならアキレス腱断裂も辞さない負荷を掛けてボスへ再度肉薄した。

 

「シュウ、スイッチだ!」

「了解!」

 

 練習では何回もミスった高等テクニックの要求に少し躊躇いを覚えるも、直ぐに弱気は消し飛ばす。

 先程みたいに突っ込むならまだ良い。

 しかし敵に強攻撃を当てて硬直させるタイミングと、後続の攻撃するタイミングを合わせるのがかなり苦手。

 共闘経験が少ないだけにタイミングがイマイチ分からない俺は、見極めが甘くて敵の反撃を許し、練習時は何度もキリトには迷惑をかけた。

 けれども、

 

(今なら出来る!)

 

 

 

 ―――何故か、そう確信が持てた。

 

 

 

「はぁああああああっ!」

 

 後方で構えるキリトの気迫を肌で感じる。見守られる視線を一身に集める。

 自分のためだけではない。全員の未来を切り開く渾身の《ウィースバルグ》が炸裂した。

 狙いは左足。

 先程の攻撃も相まって機動力を殺がれたフレンジースカルが前のめりに傾くのと、剣を振り被ったキリトのタイミングが重なる。

 キリトが技を放つ寸前に身動きを封じさせた事を自画自賛しながら、黒炎が赤い光の残滓を撒き散らした。

 

「こ、なくそっ!」

 

 巨体の横をすり抜け、数瞬の硬直が解けると同時に反転。

 力を溜め、一気に床を踏み切った。

 その剣に青い光を溜め込むキリトを援護するために。

 

『グォア、ガァアアアアアアッ!』

「はぁああぁあああぁあああッ!」

 

 一際大きな雄叫びが二つ、戦場を揺るがした。

 六本の手に握られた無骨な凶器が左右と真上から迫り来り、弾丸のように直進したキリトの腕が振り下ろされる。

 武器に押し潰される寸前、刹那のタイミングでギリギリ身体下に潜り込み、青い光と化した刃が破壊の限りを尽くす。

 腹の中心から股下にかけて縦一文字に切り裂き、巨大な両足の隙間を縫って衝突を免れたキリトが次第に失速。

 左手を前に、右手は上段に構えて鋭く振り下ろす単発重突進技《ディールストライク》を放ち終わったキリトが立ち止まった時、俺の剣技も完成した。

 

「これで、終わりだぁあああぁああッ!」

 

 キリトと擦れ違うように床を駆け、その極限まで赤く染まった黒炎をフレンジースカルの背後に突き刺す。

 生まれるのは迸る紅の閃光と断末魔。

 三度放たれた《ウィースバルグ》は俺達が見守る中、かつてない強敵を一欠片も残さず爆散させた。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 歓声。勝利の雄叫び。

 それに混じる幾つかのレベルアップ音に耳を傾け、眼前に出現したウィンドウを見ながら、尻餅を着いたまま勝利の余韻に浸る。

 成功もあった。失敗もあった。想う事も沢山あった。

 たった数十分の戦闘が今までに勝る勢いで様々な経験を与えてくれる。

 充分、益に繋がった意味ある死闘。しかし、その益とは視界中央に表示される加算経験値と入手アイテムの類では無い。

 仲間と思える人達との強固な絆。

 人間不信の俺が良かったと思えるコレこそ、この戦闘で得た一番の宝だ。

 

「お疲れ」

 

 右手に感じるフサフサな毛並み。左手に感じるひんやりとしたメタルボディ。

 相棒達を労いながら二匹同時に抱きしめる。

 ポチの追撃が無ければ巨大骸骨の体勢を崩す事も叶わず、パワー不足に極みが掛かって更に皆の足を引っ張った。

 クロマルがいなければもっと大ダメージを受けていた。

 俺にとって影の功労者は間違い無くコイツ等だ。

 

「どうだったかな。初めてのボス戦は」

「……ヒースクリフ」

 

 俺を見下ろすユニークスキルを持つ男は、真鍮色の双眸で俺を見据える。

 眼差しを受け、少し肩を竦めてみせた。

 

「怖かったし疲れた。……でも、勝ったら嬉しい、凄く」

 

 込み上げてくる高揚感と達成感は衰えを知らない。

 疲れと、張り詰めていた緊張が解けて腰を抜かしていなかったら、小躍りするくらい喜んでいる。

 

「あと、ありがとうございました。助けてくれて。お陰でこうして生きていられる」

「なに、借りを返しただけに過ぎない。それに貴重な幹部候補を失うのは、私としても避けたかったのでね」

「まだ諦めていないのか……」

 

 なんだか命の恩人を敬う気持ちも消失してしまう。

 この執着心さえ無かったら文句無しに良い人認定されるものを。

 

「そういえば、神聖剣は使わなかったんだ」

 

 話題性を生むためにはピンチの状況で晒すのが一番効果的。

 散弾攻撃で晒さなかったのは、単に実戦で使えるレベルではないという事だろうか。

 しかし彼は質問に答えず、その何もかもを見透かしたような眼差しと微笑を浮かべてから無言で立ち去っていく。

 その男と入れ違いにこちらへ来るのは、俺が信頼する二人。

 

「シュウ」

「シュウ君」

 

 兄ちゃんみたいな黒の剣士と、俺の女神様。

 その戦友二人が歩み寄ってくる。

 

「キリト、アスナさん」

 

 漸く立てるようになり、両手を上げる。

 キリトは左手を、アスナさんは右手を上げ、気持ちの良い爽快なハイタッチ音がボス部屋に反響した。

 そして背後を振り返る。

 

「エギルとラグナードもサンキュー。ナイスアシスト」

「ああ、お前さんが無事でなによりだ」

 

 エギルの温かくて大きな手が頭に乗せられ。指の隙間からラグナードが舌打ちしながら視線を背けているのが見える。

 その奥では、キバオウを主体に攻略組全員が勝どきを上げていた。

 

「あ、そうだった。アイテム分配忘れてた。公平にダイスロールで良い?」

 

 コルや結晶アイテムは均等に分け合い、装備品の類はドロップアイテムを獲得した幸運な人のもの。そういう厳格な取り決めが俺達の間にはある。

 アイテムは結晶系以外いらないと公言した手前、正直未練は残るが分配しなくてはならない。

 しかしアイテム欄をスクロールして獲得アイテムをオブジェクト化しようとした手を止めたのは、アスナさんだった。

 その優しい双眸は俺を見つめ、ゆっくりと首を左右に振る。

 

「……ガキ、装備品は拾った奴のもんだ。貰っとけ」

 

 思わず俺はキョトンとした目で発言者を見てしまった。

 見れば俺だけでなくキバオウを含めたプレイヤー全員がラグナードを見ていた。

 中には悪いものを食べたり偽者だったりバグだったりを疑う者まで出てくる始末。

 いつの日かキリトとレアアイテムを巡ってデュエルをした我が侭とは思えない。

 

「え……でも俺、そんなに役に立ってないし……」

「そんな事無いよ」

 

 聖母みたいな微笑を見せるアスナさんの言っている事が良く分からなかった。

 盛大に首を傾げている俺に補足説明してくれるキリトの顔は呆れ顔。

 

「散弾攻撃を察して注意を促してくれなかったら、多分もっと事態は深刻になっていた」

「彼が最後の一撃を放てたのも、シュウ君のお陰だよ。トドメを刺したのもシュウ君」

 

 

 

 ―――役立たずではなく、立派な攻略組の一員。

 

 

 

 最後にエギルがそう締め、他の人もそうだと呼応する。

 皆が例外無くそう認めてくれたから、俺にも正当なアイテム分配権利がある。

 今まで一人前の剣士と見られなかった事が多いためか。

 その評価がどうしようも無く嬉しくて、認められたのが心地よくて、熱くなった目頭を必死に裾で拭う。

 それでも生暖かい視線が消えそうに無かったため、一つ爆弾を投下させて有耶無耶にしようとする俺は結構策士だと思う。

 

「でも盾の類はいらないから、やっぱり誰かにあげる! 幸運な奴は俺に感謝しろ!」

 

 そう言いながらオブジェクト化して出現させるのは青の光沢を放つ逆三角形の手楯。

 おそらくレアアイテムの類である《フォルティスシールド》に多くの視線が集中し、先程の賑やかさが嘘のように沈黙した。

 互いを牽制し合う視線と目配り。血走った瞳に荒くなる息遣い。

 空気の変わった現状と意地汚い男達に、隣にいるアスナさんも呆れたようだった。

 

「決め方はダイス。一番大きい数字を出した人に贈呈」

 

 この瞬間、ボス部屋は先程とは違う熱気に包まれた。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

「……シュウ君、私達は先に進みましょう」

 

 総勢二十九人による壮絶なダイスロール大会を冷やかに見詰めた後、アスナさんは俺の手を取ると大扉を開いて前へと進んだ。

 俺とアスナさん、そして部下に大会参加を命じたヒースクリフの前にあるのは、上へと伸びる長い階段。

 この先にある上層の主街区にある転移門をアクティベートすれば、その層への転移ルートが開かれる。

 そのアクティベートまでが攻略組の仕事。本来なら名誉な行為そっちのけで別の事に集中している面々は放っておいて、俺達三人は長い階段を進んだ。

 

(上層に出たら先生へ生還の報告。その後は師匠の所に行って研磨代を払わないと)

 

 今後の行動を考えるだけで楽しい。

 笑顔になるのを抑える事が出来なかった。

 

「シュウ君」

 

 手を繋いだアスナさんが僅かに振り向き、視線を合わせる。

 その顔は、女神すら霞む程の煌びやかな笑顔。

 

「お疲れ様、頑張ったね」

「―――ハイ! アスナさんもお疲れ様!」

 

 その労いに、俺も最大級の笑顔を持って応える。

 

 

 

 

 

 

 ―――俺の攻略は、こうして始まったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 




これで一章的なものは終了です。

ここまでお付き合いくださり誠にありがとうございます。
読者の皆様方には多大な感謝を。
もし誤字や脱字、そしてご意見やご質問などがありましたら、ご連絡くださると助かります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二章
第十話 モンスターボックスⅠ


 このデスゲームに囚われてから半年以上が経過した。

 現実では丁度六月の初め頃。そろそろ梅雨に突入しようかという時期でも、俺達は変わらず剣を振るってアインクラッド攻略に励んでいる。

 この世界は現実と四季が同期しており天気や気温も気候パラメータに支配されているが、大抵は現在の季節を参考に天気諸々が設定されている。

 よって今までは珍しかった雨もぼちぼち増え、肌に感じる湿気も日に日に増している気がしないでもない。

 相変わらずこの世界は無駄なほど高いクオリティの上で成り立っていた。

 

「……ハァ……」

「急にどうしたのよ?」

 

 それでもまだ気温的には穏やかな日が多く、また今日も清々しい晴天が天蓋に映し出されていても、俺の心には分厚い雲がびっしりと埋め尽くされている。

 場所は転移門に近い広場の南東。時刻は昼を少し過ぎた頃合。

 隣で開店準備に駆られている鍛冶師――リズベット師匠が品物を並べる手を止めて、クエスチョンマークを頭上に浮かべていた。

 あの十層での死闘から約四ヶ月あまりが経ち、現在の最前線は二十九層、つまりここだ。

 最初の頃は攻略のペースも手探り状態で行き当たりばったり感が否めなかったが、二十五層攻略戦での一件で軍が弱体化。

 それに伴い実質最強ギルドに上り詰めたヒースクリフ率いる《血盟騎士団(Knights of the Blood)》がまとめ役になり、今ではより徹底して偵察隊等の情報収集を用いてから、緻密な作戦を立ててボス戦に望んでいる。

 そのため戦死者数もグッと減ったのは大変良い事だ。

 けれどもそれとは別に新たな問題が俺に重く圧し掛かっていた。

 

「周囲がもう本当にうるさくてうるさくて……」

「そりゃあんたねぇ、周囲が騒ぐのも無理は無いでしょ」

 

 茶色や灰色が大体の生地面積を占めている作業着に紺色の前掛けエプロンを着けている師匠は、疲れたようにぐったりしている俺に同情の視線を送った後、顔を正面に戻す。

 例の如く絨毯のような露店販売用の敷物が敷かれた上には、伏せの状態で丸くなっているポチ。販売品に混じって置物のように直立不動のクロマル。そして、

 

 

 

 ――番犬のように店前に座っている豹の姿があった。

 

 

 

「前代未聞の三匹目の使い魔。色々と勘繰られるのは当然よ、と・う・ぜ・ん」

「まったく、他人事だと思って師匠は……」

 

 からかうような発言には思わず鼻を鳴らす。

 そう、武器強化の素材集めをするために潜った階層で、俺は一昨日三匹目の飼い慣らしに成功していた。

 二十七層の中型モンスター。赤黒い体毛に鋭利な眼光を発する一対の金眼。ピンと立つ耳と刃物のような爪牙は、間違いなく肉食動物の証。

 ただでさえ色々と目立つ俺が《レッドパンサー》を、それも今までにはない体長一メートル以上の中型モンスターをテイムした事もあって、ついに情報屋が動き出した。

 まだ魔物王とは感付かれていない。それでも似たようなエクストラスキルを俺が所持していると睨んだ者達は、こぞって俺を質問攻めの嵐に放り込んだ。

 その中には馴染みの情報屋も含まれており、大金を積まれ口八丁で手玉に取られ、うっかり喋ってしまう所だったのはよく覚えている。

 寸前で気付いて誤魔化した所、当人の目の前で舌打ちをかました鼠の姿までもハッキリと脳裏に焼き付いていた。

 

「でもね、やっぱりこれだけは納得出来ないわ」

 

 商品を並べ終わった師匠が片手を腰に当て、余った方で俺の鼻をぐいっと人差し指で押してくる。

 その剣幕に胡坐をかいたまま思わず後退してしまう。

 直ぐに詰め寄られてしまったが。

 

「何で……何でそいつの名前がタマなのよ!?」

「だって猫科だよ師匠。どこに不満が――」

「大有りよ!? 猫科だからって体長一メートル以上の豹に付ける名前じゃないわよ!? イメージってもんがあるでしょうがっ!」

 

 師匠は熱の篭ったツッコミをしながらビシっとタマを指差す。

 その姿に自然と欧米並みの大袈裟リアクションを取ってしまい、分かりやすい青筋が彼女のこめかみに浮かび上がった。

 

「その反応が滅茶苦茶ムカつく……ッ!」

「ダメだな師匠、全っ然ダメ」

 

 師匠は分かっていない。確かにタマは豹だ。

 それも二十七層でも強い部類に入る中型モンスター。

 それでも今のように胸元に頬ずりしてくる愛らしい姿は飼い猫も同然。

 タマ以上に適切な名前なんて無い。

 そう力説して見せると童顔な鍛冶師は片手で両目を覆い、大量の溜め息を量産しながら天を仰ぐ。

 疲れが周囲に伝播しそうな程の疲労っぷりは、少し珍しい。

 

「まったく、このガキンチョは……それにしても、中型モンスターまでテイムするなんて凄いわね、アンタの《魔物――」

「師匠ストップ!」

 

 うっかり口を滑らしそうになった師匠に飛び掛り、無理矢理口を塞ぐ。

 周囲の販売人や通行人は会話を聞いていないのか、『ハハ、仲が良いこって』という優しい目をしているので問題ないだろう。

 問題なのは、うっかりと最大秘密を洩らしかけた師匠の発言なのだから。

 

「静かにしてよ師匠! それはトップシークレットなんだから」

 

 最後の部分だけは耳元で囁くように呟く。

 そう、師匠は魔物王スキルを知っていた。

 とあるアイテムの情報を二十八層で入手し、それについての相談を持ちかけた際、話の流れから教えてしまったからだ。

 未だに極一部しか知らない秘蔵のスキル。

 それはある意味信頼の証とも言い換えられるが、教えてしまったのは早計だったのかと少しばかり後悔の念が浮かぶ。

 もしバレるとしても情報屋に売るのではなく今のように言葉にし、もし誰かに聞かれて噂でも流された日には泣くに泣けない。

 メリット無しで生命線のスキル情報を渡してなるものか。

 

「場所を考えてよ師匠。『うっかり洩らしちゃった、てへ?』なんて事になったら困る」

「――、――――!」

 

 あからさまに『教えたのは間違いだったか』という視線を浴びせる事で自責の念に耐え切れず視線を逸らした師匠だが、次の瞬間、俺の拘束を振り切り、凄い剣幕で怒鳴り声を上げた。

 

「……わ、悪かったわよっ! そしてとっとと降りなさいよこのエロガキ!」

「え? ……あ、ごめん師匠、うん、本当にごめんなさい。だからその笑顔でトンカチ振り被るのはマジで勘弁してください!?」

 

 どんな体勢、どんな風に口を封じていたかは知るべからず。

 とりあえず、師匠が俺を子供扱いしていなければハラスメント行為で即牢獄行きとだけ言っておく。

 ワザとでない上にきっかけは師匠だとしても、やはり男の立場というのは弱いもの。

 しかも師弟関係にあればそれが顕著で。とにかく平謝りしなければ俺の命は無かったかもしれない。

 顔を真っ赤にして殺人鬼の目をしている師匠は、眼前に鍛冶用の《ブルーアイアン・ハンマー》を突き付けた。

 

「無自覚なセクハラかましてる余裕があるんならさっさと宣伝に行ってきなさい!」

「………………師匠、俺って二時間前まで二十八層ボスの巨大狼と死闘を繰り広げて――」

「だ・か・ら?」

 

 普通なら文句無しの言い分に絶対零度の視線を向ける師匠。

 容赦が無い。本当に自重する気が無い。

 乾いた笑みを貼り付かせる俺に師匠が渡すのは、紐で繋がれた手作り感が溢れる二枚の板だ。

 身体を前後で挟むように首から吊るせるようになっている板には、シンプルながらも目立つ文字で『魔物使いのシュウ御用達! リズベット武具店!』という宣伝と、露店の位置情報が板の右下に記載されている。

 街開きが起こる度に毎回こんな客寄せピエロを演じていれば、俺の名前が一段と世間に伝播するのも、そして街開きの風物詩と化すのも当然だった。

 毎度の事ながら心の中で涙を流す。

 反抗的な目付きをする俺に、師匠は笑顔のまま指を折って何かを数え始めた。

 

「格安価格での武器強化。無料で行う研磨作業。相談サポート。さっきのセクハラ。他には――」

「うぐっ……師匠の鬼! 鬼畜、外道、悪徳職人っ!」

「ふっ、褒め言葉よ」

 

 そのドヤ顔に神経が逆撫でされるも、そう弱みを突かれると嫌とは言えない。

 いつ如何なる時でも研磨をタダでやってもらい、超良心価格で武器強化をしてもらう。

 その分素材アイテムを沢山提供しているとしても、装備品やプライベートでも多大な恩がある師匠の言葉は絶対だ。

 そういう逃れざるヒエラルキーが形成されてしまっている。

 素直に通常料金を払う方がマシだと思ってしまう程、彼女の言葉は絶対服従強制命令権を持っていた。

 分かってやっているのだから師匠は歴とした悪女である。もはや詐欺に近い。

 そんなのだから同い年の異性の友達が出来ず、年齢=彼氏いない歴の悲しい青春を送っているのだと邪推してみる。すると、

 

「なーにを考えてんのかしらねー? このガキンチョは?」

「ごれんらふぁい……らふぁらはらしふぇ!」

 

 俺でも反応出来ない、確実に動作システムの限界を超越したと思ってしまう動きで、女性らしい柔らかな両手が俺の頬に伸びていた。

 鍛冶屋兼メイス使いとして完全な筋力値寄りのビルド、そして高度な読心まで披露するのだから性質が悪い。

 その戦闘技術は兎も角ステータスだけなら攻略組に近い実力を持つお陰で両手を引き剥がすのも一苦労。

 最近、このように俺をいたぶる時の師匠の笑みに寒気と危機感を覚えてしまう。

 親しみを込めた悪口や冗談を言えるほど仲が良くなった事を喜ぶべきか。理不尽な暴力の捌け口と化している現状を悲しむべきか。

 正直なところ、判断が付かなかった。

 

「たくっ、ほら、さっさと宣伝してきなさい。そんなに嫌なら別にアンタが着けなくても良いから」

「…………あ、そういえばそうだ」

 

 よく考えれば俺以上に目立つ奴がここにいる。体格的にも問題ない。

 タマを呼び、その胴体を横から挟むように板を引っ掛けた。

 そして取れないように腹の下で糸を結べば準備万端。

 こうするとパッと見て文句無しの凶暴認定を受けるレッドパンサーの姿も、随分と可愛く、そして親しみやすくなった気がするので不思議だ。

 

「ほら、早く行ってこい! 今日はあんたの生還祝いで美味いものを奢ってあげるからっ!」

「アイ・マム!」

 

 ダンジョンに潜り、夕方になったら二・三日に一度の頻度で師匠の下を訪れて武具の整備を行い、夕食を共にする。更に数週間に一度の頻度で先生達の所に帰る。

 それがここ数ヶ月で恒例化してきた日常サイクル。

 

「晩飯か、何を奢ってくれるんだろ」

 

 早くも浮かれながら、お祭り状態の二十九層主街区《ユートフィール》の街並みを走り出した。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 タマに看板を掛け、一時間前に開かれたばかりの街で晒し者になる俺は、宣伝をしつつも情報収集を忘れていなかった。

 目ぼしいクエスト。出現するモンスター。手に入る装備。

 この弱肉強食の世界を戦い抜くために必須の情報は時として商売にもなりえる。

 コレを機にアルゴへ恩を売るのも視野に入れつつ情報を漁る俺だが、実は目的が存在した。

 

「《マジックダイト・インゴット》。絶対に手にいれてやる」

 

 前層のサーカス団のNPCから入手した金属素材の名前を口ずさむ。他のプレイヤーには反応せず俺だけに友好的な態度を取った事からも、おそらくビーストテイマーが直接出向くのが情報を入手するためのフラグだったのだろう。

 そして、同時に入手したとあるアイテムの存在。それが俺の関心を煽る。

 その目的目掛けて情報収集に徹すること数十分。

 漸く、値千金な情報にありつく事が出来た。

 

「じゃあ、ここがマーカスさんのお宅?」

「ええ、そうよ。主人とここに住んでいるわ」

 

 中世ヨーロッパ風な街並みの《ユートフィール》。

 その北側にある工房の密集地域にその家は存在した。

 薄汚れた煙が僅かに漂う、煤けた一軒屋。

 その玄関先で妙齢の夫人と対話する。

 この家は贔屓目に見ても綺麗とは言えない。しかし、ずっと探していただけにゴールであるここは宮殿にも勝らない豪邸に見える。

 鍛冶屋のマーカス。

 それがこの層――いや、おそらくアインクラッドで唯一、マジックダイトの製鉄に成功したNPCの名だ。

 

「……何かお困りですか?」

 

 なにやら困り顔な夫人の頭上にあるのは金色のクエスチョンマーク。

 これがクエスト発生の証であり、今口にした台詞は幾つかあるNPCクエスト受諾フレーズの一つ。

 どうやらマーカス邸かと尋ねるのがクエスト発生フラグだったらしく、僅かに皺の目立つ手を頬に当てながらご夫人は語り出した。

 

「実は、主人がもう何日も帰ってこないの。怪我でもしていなければいいのだけれど……

 やっぱり不安で。ボウヤ、主人を探してきれくれないかしら?」

 

 これがNPCだというのは分かっている。

 しかし大事な人の安否を気遣う姿は現実と比べて大差無い。

 改めて思う。気味が悪いくらい、この仮想世界はリアルだと。

 

「分かった。任せて」

 

 クエストログのタスク更新が視界左端に表示されたのを確認。

 嬉しそうに顔を輝かせる夫人の依頼を承諾した。

 

「確か主人は洞窟に行くと言っていたわ。悪いけどお願いね、ボウヤ」

 

 頭を撫でられ、NPC相手に若干の恥ずかしさを感じながらもマーカス邸を後にする。

 ポチを抱えて二匹の動物を両脇に侍らす俺は、大通りへ出るための狭い路地を歩きながら今までに入手した情報を整理していた。

 

(洞窟……多分だけど、《光結晶の洞窟》の事だよなぁ)

 

 聞き込み中に出てきたダンジョン名を思い出す。

 その中でも一番有力なのは主街区の西にある洞窟型ダンジョンだった。

 というより情報収集した結果、ダンジョンは迷宮区と光結晶の洞窟を除けば東にある森林型ダンジョンしか現段階で確認されていないため、他に選択肢が無い。

 探索中に出会った商人のエギルからポーションの類を買っていたので準備は万端。

 タマの背にある看板をアイテムストレージ内に収納し、俺達は街の出入り口を目指す。

 

「そうだ。師匠にも一応報告しないと」

 

 マジックダイトは師匠も欲しがっていたので職務放棄?しても許されるだろう。

 そう考えながら師匠にクエストの旨をメッセージで伝え、その数分後に夕方までに帰って来いと母親的小言を言われてウィンドウを閉じる。

 その時だ。

 メッセージ確認で注意が散漫していたため、俺は曲がり角から出てくる影に気付かなかった。

 

「うわっ」

「きゃっ!」

 

 相手は女性だった。

 肩上で切り揃えられた黒髪と右目下にある泣きぼくろが特徴的な、高校生くらいの女性プレイヤー。

 プレートアーマーの上から黒のマントを羽織っている彼女の目はぶつかった衝撃で閉じられているが、目を開ければおそらく穏やかで優しげな双眸を見せてくれるのではないか。

 お姉さんの発する雰囲気が、なんとなくそう予見させた。

 

「え、あ、えっ?」

 

 そして硬い石畳に尻餅を着いたお姉さんの目尻にはうっすらと涙が溜まっている。

 女性を泣かすな。

 師匠に教えられた三大禁止事項の一つに抵触してしまった事実は、俺を狼狽させるには充分だった。

 

「だ、大丈夫っ!?」

 

 直ぐに立ち上がって手を差し出す。

 ポチを地面に放り出す結果になったけれど、今回ばかりは勘弁してもらいたい。

 幸いにも――《圏内》なので当然だが――お姉さんに怪我は見当たらない。

 

「うん、大丈夫。君こそ大丈――きゃっ!?」

 

 目を開け、俺の方を見た途端に悲鳴を上げて後ずさる彼女。

 いや、正確には俺ではなく隣を見て怯えていた。

 直立すれば俺とほぼ同じ大きさの、中型モンスターであるタマに視線を向けて。

 

「あ、コイツは俺の使い魔だからっ!? お姉さんを襲うことも無ければ獲って食う事も――」

「サチ! どうかしたのか!?」

 

 必死に宥めようと奮闘している所に響く男性の声。

 曲がり角の陰になっていて見えなかったが、どうやらお姉さんは誰かと一緒に行動していたらしい。

 なにやら走っている振動音が石畳を伝わってくる。

 

(……あれ? この声って)

 

 とても聞き覚えのある声が引っ掛かり、曲がり角から顔を出した。

 

「なんだ、やっぱりキリトだ」

 

 いつもの皮製防具に黒コートの出で立ちではなかった。しかし何度も共闘を重ねた兄貴分を見間違うほど記憶力は死んでいない。

 膝下まで裾のある彼女と似たような黒マントを着込み、付属のフードですっぽりと顔を隠した不審者ルックのキリトは、彼女に追い付いて俺を視界に納めると驚き混じりに足を止めた。

 表情は陰になっていて良く見えない。

 おそらく、きっと、多分。かなり驚いていると思う。

 

「シュウ!?」

「へえ。お姉さん、キリトと知り合いなんだ」

 

 フードを取って驚きの声を上げたキリトは酷く驚き、そしてバツが悪そうな表情を見せながら顔を背けた。

 最近最前線でたまにしか見かけなくなったのと何か関係があるのだろうか。

 数時間前のボス戦時にキリトのレベルを訊いてみたが明らかにレベルアップのペースが落ちている。

 ボス戦くらいにしか顔を出さず、攻略に消極的な態度が少し気がかり。

 もしかしたら攻略組を止めるつもりなのだろうか。

 

(……なんてね。無い無い)

 

 ありえないと、ふと思った可能性を瞬時に破棄する。

 一緒に強くなりゲームをクリアするという約束を反故にするとは到底思えないから。

 しかし、最近は極短時間、それも夜にならないと前線に出てこないキリトの事情を知らない俺からすれば、そう考えるのも仕方の無いことかもしれない。

 

「……いったい何があったんだ?」

「曲がり角でぶつかっちゃって、それでタマを見て驚いたんだよ。お姉さんも、驚かしてごめん」

 

 そんなキリトと俺を交互に見て、今まで黙っていたお姉さんが徐に口を開く。

 

「キリト……この子と知り合いなの?」

「あ、ああ。コイツはシュウ。魔物使いのシュウって言えばサチも分かるだろ?」

 

 逡巡、サチと呼ばれたお姉さんはシンキングタイムに陥るも、唐突にハッとした表情を作った。

 どうやら俺の事はかなり広まっているらしい。まあ、色々とネタに成りやすいから当然かと嘆息する。凄く不本意だ。

 表はポーカーフェイス、内面で号泣していると、納得した顔でお姉さんは何度も頷いていた。

 

「そっか、この子が噂の看板チビっ子なんだ」

「チビっ子……看板チビっ子……」

 

 ニーヴァのショタっ子に続き抹殺対象が増えた瞬間。

 一体誰なのだろう、この馬鹿なあだ名を付けている愚か者は。

 

 

 

 ――このとき、どこかにいるカタナ使いがクシャミをした事を、当然ながら俺は知らない。

 

 

 

「でも、キリトって顔が広いんだね。攻略組の子とも顔見知りなんて」

「顔見知りも何もキリトは俺と……現実世界でも知り合いなんだ。近所に住んでる兄ちゃん」

 

 俺と同じ攻略組。そう言おうとした途端キリトの眼光が鋭くなり、剣呑さが五割増す。

 そして何やら懇願も混じっている奇妙な視線を向けられため、即座にでっち上げた嘘を口にする。

 多分、攻略組という情報は伏せてくれっていう意味だと思ったからだ。

 膝を曲げて俺と視線を合わせるサチさんの後ろでホッと息を吐いているのを見る限り、推測は当たりっぽい。

 それならフード付きのマントで姿を隠すのも頷ける。顔見知りである攻略組との遭遇を恐れての変装だ、きっと。

 

「……そういえば、よく君はこの不審者っぽい人がキリトだって分かったね」

「え、だって声と動きがキリトだったから」

「不審者って単語にツッコミは無しか!?」

 

 ボス戦、そして迷宮区でもたまに共闘を重ねる俺がキリトの声と動きを見間違う筈が無い。それでもこの見極めは普通技能では無かったらしく、だからなのか、とっても凄いよとサチさんに称賛された。

 戸惑いを覚えると共に照れくささも感じてしまう。

 少なくとも褒められて悪い気はしなかった。

 

「そんなことよりさ、サチさんとキリトの関係は?」

 

『そんなこと』発言で更に落ち込むキリトはほっといて、先程から気になっていた事をサチさんに尋ねてみる。

 デート、という雰囲気では無いような気がしたからだ。

 当然の質問に、サチさんは嬉しそうに顔を綻ばせた。

 

「キリトはね、私と同じギルドなの。《月夜の黒猫団》って言うんだ」

 

 聞いた事の無いギルド名だった。

 少なくとも攻略ギルドではない。現時点で、という単語が頭に付くけれど。

 しかし俺はサチさんの説明を少し聞き流し、別の事を意識してしまう。

 

(キリト……ソロプレイヤー止めたんだ)

 

 それが正しい選択だと分かっていても、同じソロがどんどん消えていっている今を考えると少し寂しさを感じる。

 あのラグナードですら血盟騎士団に加入し、他のソロ達も《双頭龍》や《聖剣》、《ドラゴンナイツ》などのギルドが合併した《聖龍連合》に加入している。

 このデスゲームではソロ活動時のメリットなど大して無い。

 挙げられるのは経験値の入りが良いのと、アイテム類を一人占め出来ること。

 後は俺みたいに対人トラブルを防ぐ目的ぐらいしか良い点はない。

 現にゲーム開始時の死亡率はソロプレイヤーが圧倒的に多いのだから、安全面は全く考慮されていない捨て身の生き方。それがソロだ。

 

(一人で行動するよりも仲間を作って団体行動する方が良いに決まってる。そりゃそうだ)

 

 スキルだって仲間がいれば渇々にならず安全だってある程度保障される。

 キリトみたいに高レベルなら他の人達とレベリングの足並みを揃えても今のレベル差をある程度まで維持出来るだろう。

 そう考えればキリトがギルドに所属するのは全然アリだ。

 

(そっか、だからか)

 

 これでキリトのレベルリング効率が落ち気味なのも合点がいった。

 

「シュウ君、確か君もソロなんだよね? ……良かったらどう? 君もギルドに入らない?」

「…………え?」

 

 その勧誘は不意打ちだった。

 反射的に身体を引き、戸惑いと恐怖が混じった視線を彼女に浴びせ、軽く表情を曇らせてしまう。

 グルガの件から数ヶ月が経った今、俺の人間不信は少し回復の兆しを見せている。

 とりあえず近寄って来た大人を問答無用で拒絶する事は無くなった。

 聞くところによれば《月夜の黒猫団》はサチさんの所属するリアルでのパソコン部の部員+キリトという構成らしく、高校生という事もあって多少は信頼出来るだろう。

 

 

 

 ――それでも、迷う事は無かった。

 

 

 

 

「……ごめん、俺はソロのままプレイするから」

「……うん、そっか。無理に誘ってごめんね」

 

 謝罪の意味も込めらた手で頭を撫でられながら、込み上げてくる罪悪感を無理矢理無かったことにする。

 俺が選択するのは独りの道。

 黒猫団がいつか攻略ギルドの仲間入りをするとしても今はただの中層レベルのプレイヤーが集まったギルドと同義。つまりキリト以外の面子の実力は俺より下。

 そして俺のレベルは41。

 他の人に構っている余裕が無い俺は、ギルド全体のレベルアップに時間を費やす暇なんて無かった。

 そういうのはキリトみたいな最強野郎の仕事なのだ。

 

(……それに大丈夫だ、俺はやっていける)

 

 独りであって独りではない。プレイヤーの仲間はいなくても、絶対に裏切らない仲間がいる。繰り返し行う自己暗示にも似た確認で不安と迷いを消し去った。

 そう、魔物王たる俺は、たった独りでもパーティープレイを可能とする。

 ボス戦以外でパーティーを組むメリットは殆ど無い。ボス戦や何らかの理由が無い限り、パーティーやギルドを組む事は無いだろう。

 そのように閉鎖的な考えを抱いている間に、キリトはウィンドウに表示されている時刻を確かめていた。

 この微妙に暗くなってしまった空気から抜け出すためにも。

 

「サチ、そろそろ時間だ。ケイタ達も待ちくたびれるぞ」

「あ……本当だ。結局、買い物の筈がただの街見物になっちゃったね」

「掘り出し物も無かったしなぁ、こればっかりは仕方が無いだろ」

「うん。でも、また南通りのアイスを食べたいな」

「そんなに食ってると太るぞ」

「ぶー、残念でした。この世界ではそんな事はありえません」

 

 仲睦まじく談笑している姿を見せ付けられ、思うことは一つだ。

 

(完全にただのデートじゃん)

 

 そう思う俺の脳は正常稼働中。

 このまま二人がゴールインすればアスナさんファンクラブの人々は拍手喝采で二人を祝福するだろう。

 自覚無しだと思うものの、キリトと話す時のアスナさんはどこか嬉しそうだから、アスナさん狙いの攻略組プレイヤーはキリトを危険視しているのだ。

 どうやら第一層攻略戦の辺りから色々と交流があるらしく、アスナさんがキリトに恋心を抱いても不思議じゃない。

 

(……ハァ……)

 

 二人が付き合う。

 そう思うと心の中のモヤモヤが増量し、表現出来ない痛みが心を蝕む。

 

 アスナさん――血盟騎士団に所属し、《閃光》の二つ名を持つプレイヤーの憧れにして、命の大恩人。

 

(師匠はずっと初恋初恋って馬鹿みたいに騒いでるけど、実際どうなんだろ)

 

 アスナさんと接する内に自己を見詰め直し、整理する時間も増えてくる。

 それでも結論は出てこない。

 なにせ誰かを好きになるなど人生でも未体験ゾーン。どんなクイズよりも難解で、全くの専門外。

 これが本当に恋だとしても、他にも憧れや友情など、様々な要素が複雑に絡み合ってくる。

 人生経験漸く二桁の俺には、まだ良く分からなかった。

 

「じゃあな、シュウ」

「またね、シュウ君」

 

 こんなどうでも良い事を考えている内に二人はギルドメンバーと合流する事に決めたらしい。

 キリトはウィンドウを出してメッセージを書いていた。

 

「うん、キリトもまた。サチさんも、ぶつかってごめん」

 

 最後に彼女に頭を一撫でされ、ポチ達を連れて踵を返す。

 ――まさか、彼女とはもう会えないとも知らずに。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 ユートフィールの西門は大通りを抜けた先、広場の中に存在した。

 まだ当然ながらお祭り騒ぎが抜けず所々で陽気な声が響き、心地良い喧騒が街を満たす。

 人通りが多いから、という理由もあるが、なるべく一目に触れずにいたかったため、少し迷いながら迷路のような裏道を通っている時だ。

 背後に気配が生まれた。

 

「シー坊、こんな所で奇遇だナ。オネーサンは嬉しいゾ」

 

 両脇を乳白色の民家に囲まれた路地裏。

 背後からの声に脊髄反射で反応する。

 《軽業》スキルまで駆使した壁を利用した三段跳びは一瞬で彼女との距離を空け、着地と同時に思わず臨戦態勢を取ってしまった。

 度重なる情報屋やプレイヤーの魔の手に晒され、思いのほか敏感になっていたらしい。

 

「アルゴ! いったいどっから沸いた!?」

 

 

 対峙するのは馴染みの情報屋。

 語尾が特徴的で、どこかコケティッシュな鼻声っぽい口調に全身を覆う灰色の外套。

 頭をすっぽりと覆うフードから覗く巻き毛は金褐色で、最も特徴的なのは、頬にペイントされた左右の三本線。

 小柄でコソ泥や浮浪者を連想させる外見とオリジナリティ溢れる髭メイクから《鼠》の二つ名を持つアルゴは、両手を目元へ持っていく。

 それはどこからどう見ても、過剰反応した俺を見て泣いているようにしか見えない。。

 

「随分な反応だナ。シー坊はオレっちの事が嫌いなのカ? 友達だと思っているのはオネーサンだけだったのカ……」

「自分の行いをよーく振り返ってみろ。それに友達って単語には『飯の種』とか『金のなる木』とかってルビが振ってあるんじゃない?」

 

 ジト目を送れば案の定。

 悲観染みた声から一転、「よく分かったナ、にひひ」と楽しそうな笑い声が返ってくる始末。

 相変わらずな女を捨てた一人称と笑い声を量産するアルゴは、疲れたように嘆息している俺に笑いながら近寄ってきた。

 流石に今度は逃げたりしない。それでも僅かに身構えているが。

 

「で、何でストーカーの真似事なんてしてんの?」

「どうやら誤解があるようだナ。オレっちがシー坊を見かけたのは本当に偶然だゾ? まあ、後で顔を見に行こうとは思っていたけどナ」

「……何度も言ってるけど、俺は別に特別なスキルなんて持ってな――」

「ところでシー坊。ある耳よりな情報があるんだケド、気にならないカ?」

 

 人の興味心を擽る強引なカットイン。

 普段の口調なのにどこか極秘性や怪しさを含んだ声は、俺の興味を引くのに充分だった。

 怖いもの見たさ、みたいなモノだと自己分析する。

 嫌な予感しかしないのに、どこか気になってしまう不思議な雰囲気。

 この空気を出せるかどうかが情報屋としての適正を示しているのかもしれない。

 

「………どんなん?」

 

 このタイミングで話を繰り出すということは十中八《魔物王》を見返りに求められる。

 

(…………ハア、しょうがないか)

 

 度重なる質問の嵐に、「あいつは何かレアスキルを持っている」というプレイヤー達の決め付け。

 なら情報次第では散々ぼったくって教えてやるのも考慮に入る。

 どうやら俺は意外と隠す事に疲れ、辟易しているらしい。

 この先ずっと探られるぐらいなら皆が話題に飽きるまでの数日間を堪え忍んだ方がマシ。

 よく考えれば嫉妬ややっかみには馴れている。それならユニークスキルだという情報を隠した上で魔物王の習得方法をアルゴに流して貰った方が良いかもしれない。

 二体以上の使い魔を獲得など、よほど運が神がかってない限り検証不可能なのだから。

 その事を今更ながら考えさせられる。

 

「漸く興味を持ってくれたナ」

 

 もったいぶるアルゴに不満の眼差しを向け、眉間にも皺が寄る。

 先程の意趣返しか知らないが、かなり時間を掛ける彼女に文句を言う直前、彼女の口から発せられたのは。

 

「――――《モンスターボックス》というアイテム入手に関するクエスト情報、知りたくないカ?」

 

 

 

 

 ――それは、今の俺が一番知りたい情報だった。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十一話 モンスターボックスⅡ

 光結晶の洞窟。

 その名の通り赤、青、緑、様々な光を発するクリスタルが至る所に点在する洞窟は《ユートフィール》の西門を出て直ぐの岩石地帯を一時間ばかり闊歩して、その最奥でぽっかりと大口を開けてプレイヤーを待ち構えていた。

 入り口の両脇には巨大なクリスタルが聳え立ち、鮮やかな色彩を放つ光は優しさも含んでいるため目を傷めるような強烈さは感じない。

 洞窟から吹き込んでくる冷たい風を全身で受け、俺達はダンジョンの入り口に立っていた。

 

「さーてと、どこら辺にいるんだか」

 

 足首より少し上までを覆うカジュアルな革製ブーツ。

 敏捷力補正の付いた《ヴェーチェルライ》のつま先でトントンと地面を叩き、大きく伸びをする。

 この四ヶ月で俺の装備もかなりの変化を見せていた。

 まず、今着ているのは六層クエスト品の《フェルザー・コート》ではない。袖口が大きく裾の長さは膝下までの、どこぞの魔法使いが着るようなフード付きの灰色ローブ。

 《グレイブル・ハーミット》は現在手に入る防具では最上に位置するレアドロップ品だ。

 二十六層の《幻惑の森》に出現する錫杖を持った人型レアモンスターがドロップするコレを、商品集め中に偶然ゲットしたエギルから購入出来たのは幸運だったのだろう。防御力が高いだけでなくフェルザー・コート以上に隠蔽ボーナスが付くのも嬉しい誤算。

 そしてインナーシャツの上に着ている淡い紫色の服は《ミスリルウェア》。

 履いている黒革の長ズボンは《ナイト・オブ・ブラックレザー》。

 指ぬきの手袋は《グローブシーフ》。

 どれもこれも現在手に入る物では最上級品の装備を手に入れた経緯を思い返しながら、俺は右手に持つ愛剣《黒炎+27》に視線を向けた。

 

「コイツには一番お世話になってるよ、ホントに」

 

 五つある武器プロバティの内《正確さ》と《鋭さ》に重点を於いて強化してきた自慢の相棒。《強化試行可能数》の許される限り強化を続け、三回の失敗を経て強化可能限界値に達したのは二週間前。

 二十七層ではまだコレで頑張れた。しかし二十八層ではキツくなり、この二十九層では更にキツくなっている。

 洞窟に来るまでの戦闘で火力不足の現実を痛感した今、黒炎を見る度に複雑な心境に陥ってしまう。

 

「今までありがと」

 

 太陽の照り返しで刀身が紅く光り、まるで返事をされたようで。

 寂しさを帯びた笑みが生まれる。

 分かっていたことだ。下層の武器を限界まで強化してもいつか通じなくなる事くらい。

 もう代わりの武器はとっくの昔に準備して、何回かの強化も終えている。

 それでも愛着のある武器を変える行為に踏ん切りが付かなかったが、どうやら現実逃避の時間は終わりを迎えるようだ。

 数日中に武器を変え、どうせなら有終の美を飾る戦闘をしよう。

 そう新たな決意を胸に灯し、洞窟への第一歩を踏み出した。

 

「そういえば初めてか。ダンジョンに一番乗りするのって」

 

 今まで踏み込んできたダンジョンは迷宮区を含み、ある程度マッピングされた状態で冒険していた。

 今のトッププレイヤー達は迷宮区を目指して次の街へと旅立つか。アルゴによれば目ぼしいクエストは殆どが森林系ダンジョンの方に集中しているため、光結晶の洞窟へ向かう人は今の所いないらしい。

 それでも何人かはこちらに流れてくるだろうが、まだ街開きが起きて数時間しか経っていないので少ない筈。

 もし既に洞窟へ入り込んでいる人がいるのだとしても先着順で言えば一・二位を争う速さの筈だ。

 

「でもすっげー。これが現実にあったら観光名所入り間違い無し。アスナさんにも見せてあげたいくらい」

 

 天井、地面、岩壁。至る所に生えている虹色の結晶達に目を奪われる。

 迷宮区のような人工感溢れる迷路ではなく、剥き出しの地面に岩土の壁という自然系のダンジョン。安全マージンも充分取れて頼もしい仲間もいる俺は、未知のダンジョンでも《嗅覚再生エンジン》から送られる自然の匂いを満喫し、幻想的な光景を楽しむ心的余裕がある。

 そしてダンジョン内という事も少し忘れ、とりあえず道成り進むこと五分。

 肌がチリチリするような第六感が働くのと、ポチの索敵網に敵が入り込むのは同時だった。

 

「……さっそく襲撃。空気読めっての」

 

 ポチが威嚇する方向は横幅が一〇メートルくらいある通路の先に見える曲がり角。

 数は二。

 黒塗りの鞘から愛剣をゆっくりと抜き出しながら、その場でジッと身構えた。

 少なくとも、俺は。

 

「あ、こらタマ! 待てってばっ!」

 

 獰猛な鳴き声と地面を蹴る音が隣で起こる。曲がり角から敵が姿を見せる前にタマは駆け出した。

 ポチやクロマルとは違い、戦闘中のタマは俺の言う事を聞かない時がたまにある。

 それは俺のレベルが低いのか、それとも魔物王の熟練度の問題か。理由は沢山思い浮かぶので断定出来ない。

 その野生感溢れる好戦的な態度に黒髪を掻き毟る。

 

「ああ、もう。ポチは右の奴! クロマルは俺に続け!」

 

 例え最前線でもタマなら数分は持つだろうから、三人がかりで一匹をまず仕留める。

 ポチが先行して走り、クロマルは俺の邪魔にならない一定の距離を保ちながら後を追う。数秒も経たない内に、洞窟内での初戦闘が勃発した。

 

「まずは一体!」

 

 曲がり角から出て来たのは体長一メートル程の狼が二頭。

 ただ二十八層のフィールドダンジョン《狼ヶ原》で相手にしたような獣ではなく、全身がガラス細工のような光沢を放つ紫水晶。

 《アメジストウルフ》。

 ユートフィールでの情報収集で耳にした単語が記憶の海から浮上した。

 

(見た目からして毒系統の技は無い。考えられるのは、爪と牙、それに何本か背中から突き出しているクリスタルの……やっぱり!)

 

 見事に予感的中。走り寄る俺達を迎え撃ったのは先の尖った小さな紫水晶達。

 前屈体勢を取り、固定砲台と化したアメジストウルフの背中からバラ撒かれた結晶弾が、もう直ぐそこまで迫っていた。

 

「ふん! そんなの当たるか、ってのっ!」

 

 このSAOは自立型ゲームバランサー機構《カーディナルシステム》に管理されており、リアルさを追及した結果、全てのモンスターは攻撃箇所に視線を向けるという本物顔負けの動作を再現している。

 よって視線からある程度の攻撃予測を立てる事も可能。

 次々に射出される弾丸を紙一重で避け、時には黒炎で弾き、時にはクロマルにガードしてもらいながら敵との距離を詰める。

 視線から攻撃箇所を予測するシステム外スキル《見切り》はプレイヤーだけでなくモンスターにも適応されるのだ。

 そして耳を劈くようなガラスの割れるみたいな悲鳴が洞窟内に鳴り響く。優れた敏捷力を持って弾丸を掠める程度に留めたポチの爪撃がアメジストウルフに炸裂した。

 

「ナイス、ポチ!」

 

 敵の注意がポチへと向く。お返しと言わんばかりにポチへ向って噛み付き攻撃をかまそうと背を向けた瞬間、黒炎の切っ先が水晶狼の背中を抉った。

 密着する俺達の間に放たれる青色の閃光。

 短剣突進技《ランドソニック》の直撃を受け、敵のHPが見る見る内に減損していく。

 あと、もう少し。

 

「クロマル!」

 

 ポチ、俺に続く第三撃。

 本来なら攻撃スキルを持たないクロマルが盛大な体当たりをかます。

 スキル特有の金色に光るライトエフェクトを身に纏った突撃は、鉱物系モンスター共通の高い防御力を突破し、HPを確かに削り取る。

 魔物王攻撃技《グレイヴアタック》。

 現段階で戦闘外使い魔でも戦闘に参加出来る攻撃手段。

 射程は四メートルと短いが、それでも速攻と呼ぶに相応しい速度での攻撃を使い魔に行使させる事が出来る。

 スキルによる攻撃なため、ちゃんと決まれば体当たりという捨て身技でもHPが欠損する事は無い。

 そしてクロマルの体当たりをまともに受けて悶絶している敵に、これからの攻撃を避けるのは不可能だ。

 

「これで終わりだ!」

 

 青い閃光を迸らせながら瞬く間に右手が動き、起き上がろうとする狼に死の三角形を刻む。

 短剣三連撃技《トリプルバイト》。

 高速の三連閃はアメジストウルフを蹂躙し、背後からポチの爪撃が三本の裂線を生んだ。

 

「次!」

 

 弾け飛んだ敵の残骸と周囲の淡い光。

 目が眩むような光の粒の中を疾走する。

 視界に表示される経験値とドロップアイテムには目もくれず、次なる敵にカーソルを合わせた。

 同時に仲間達三匹の身体が金色のライトエフェクトに包まれる。

 

「突撃!」

 

 魔物王連続突進技《パレード》。

 先程の《グレイヴアタック》よりも威力は弱い。それでも使い魔全員に同じような体当たりを強いるそれは、間を空けない質量の暴力と化して敵の動きを阻害する。

 タマが、ポチが、クロマルが。金色の流星となってアメジストウルフに雪崩れ込んだ。

 衝突音。鮮血のように飛び散る赤いエフェクト。轟く悲鳴。そして、クリスタルの輝きを塗り潰す紅の閃光。

 短剣単発重突進技《ゲイルストライク》。

 疾風の如く大地を駆けながら力を溜め、衝突の瞬間に全力で短剣を突き出し、即座にエネルギーを解放。

 切っ先は敵の口内に潜り込み、鋭い爪が頬を掠める。

 光の奔流が収まりHPが一割削れた途端、アメジストウルフは甲高い悲鳴を残しながら爆散した。

 こうして十秒も経たずに最後の敵を狩り終えた俺達は未知のダンジョンを更に進む。

 何処かにいる、鍛冶屋のマーカスを探すために。

 

「待ってろよ、迷子のNPC!」

 

 戦闘後の余韻を感じながら気合を一発。

 幸先の良い戦闘に満足する。

 

 

 

 ――そう、この時の俺は、このクエストをまだ甘く見ていたのだ。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 世の中そう上手くいかない。

 あの全てが始まった日にも感じた事を再度思った。

 

「……直ぐに見付かると思ったんだけどなぁ。分かりやすい所に居ろっての、半永久行方不明者め」

 

 つい、朝食時には相応しくないこんな愚痴を零してしまった。

 第二十九層が解放されて四日目の早朝。

 まだ太陽が完全に昇りきっていない時間帯にも関わらず暑いくらいの陽射しを振り撒き、『梅雨はどこ行ったんだよ』と暴言を吐いてしまう程の、少し白さが残る雲一つ無い晴天がアインクラッド全土を照らしている。

 現在の心境とは逆天気な世界に理不尽な怒りを向けるのも致し方ないだろう。

 そのご機嫌斜めな俺を呆れながら見るのは、体面に座っている大切な人の一人。

 

「なによ、まだ見付かんないの?」

「……イエス」

 

 頬杖を着き、ご愁傷様と言いたげな表情をしながら、行儀の悪い手付きで朝食を口に運ぶ師匠。そして不貞腐れながらフォークをサラダに突き刺す俺。

 イライラオーラを周囲に振り撒き、普段と比べて十倍増しに空気が悪くなる。

 自分達の他に客がいないのが幸いしたが、やはり辛気臭い光景に参ったのは一緒に食事をしている人物だ。

 

「ほらもう、ちょっとは落ち着きなさいっての」

 

 マーカス探しに進展が無くて苛つく俺を宥めようとソーセージを差し出してくるので、サラダを飲み込んでからフォークにパクついた。

 主街区東側の片隅にある宿屋は端から見ても潰れる寸前のオンボロ宿屋といった風だが、料理は今までと比べるとップクラスで当たりの部類。

 口内に広がる肉の旨味とジューシーさは客のニーズに充分応えているだろう。

 美味しい料理と気遣いのお陰で少し溜飲が下がったのを雰囲気で察してから、ホッとした様子で師匠は口を開いた。

 

「そんなに探しても見付からないんなら他の人に任しても良いんじゃない?」

 

 あたしは特に急いで無いし、と付け加えてから残りの食事を平らげる師匠の提言には、正直言えば心を動かされた。

 昨日フィールドボスである大蜥蜴が倒されたので、開通した迷宮区や最寄の村のクエスト等、非常に気になる事が多々あるのは事実だ。

 この鍛冶師のクエストは一人しか受けられない類のもの。クエスト受理を破棄すれば別の誰かが受けるだろう。

 俺達はそれを待てば良い。そっちの方がずっと楽だし時間だって有意義に使える。

 けれども俺には悠長に待てない理由があった。

 

「そりゃそうだけど……やっぱり、出来るだけ早く欲しいんだ」

 

 結局《魔物王》を対価に様々な情報をアルゴから買った俺は、現在とても《モンスターボックス》を欲している。

 《モンスターボックス》。

 マジックダイト・インゴットを用いて作られる箱は使い魔専用の収納箱。

 使い魔を携帯出来るようになるアイテムの存在、そして手に入れるのにマジックダイトが必要になるという所まで情報を得ていた俺は、肝心のマジックダイト入手後にどうすればモンズターボックスを入手出来るのか知らなかった。

 どうやら前層のサーカス団に所属する猛獣使いに話しかけると、マジックダイトや複数のアイテムと引き換えにモンスターボックスを渡してくれるらしい。

 その情報は十三層の農村で入手したらしいので、確かに今後自力で知る可能性は凄く低いだろう。

 よってアルゴには素直に感謝している。

 

「『新スキル発覚! その名も《魔物王》』か。ついにバレちゃったわね」

 

 二日前の号外新聞のタイトルを口にする師匠は残りの水を一気飲みし、それでも足りないのかテーブル上に置いてある水差しを手に取った。

 ゴクゴクと豪快に飲み干す様は、とても姉御という形容がよく似合っている。

 

「でもさぁ、まさか光結晶の洞窟に鍛冶師がいないなんて思わなかった。くそっ、紛らわしい」

 

 想像以上に洞窟が狭く、そして武器製作や強化に必要な新素材を手に入れるために職人の雇ったプレイヤー達が大勢押し掛けたからこそ、たった三日で洞窟内の探索は終わってしまった。

 それでもマーカスが見付からないのだから怒りのボルテージが少しずつ溜まっていく。

 今日からは仕切り直し。アルゴから買ったのは同層にある《濃霧の森》のマップデータで、今日からの活動地点がそこだ。

 地図無しで洞窟内を歩けるほど隅々まで散策した今、もはや森の中に隠しダンジョンがあるとしか考えられない。

 荒野を模した見通しの良いフィールドや町中よりは、まだ森林型の方が可能性があると思えるから。

 

「そう。……まあ、死なないように頑張りなさい」

「……あれ、今日の仕事は?」

 

 食事を終え、励ましの言葉を俺に浴びせてから二階の自室に向かおうとした師匠は、階段を上り途中で足を止める。

 今気付いたが、振り返った師匠の目には隈が出来ていた。ついでに目も据わっている。

 完璧に女を捨てている表情を見せつける師匠は、掠れた声で、そして凄く億劫そうに声を絞り出した。

 

「満腹になって、更には久しぶりに休憩した所為か疲れがドッと押し寄せてきたのよ。……流石に寝ないと……死ぬ……」

「もしかしてアレから一睡もしてないっ!?」

 

 二十九層が解放されて一番歓喜したのは何を隠そう職人プレイヤーの人達だろう。

 主街区の北区に密集した、職人のためだけに用意された高性能な設備達。

 ハンマーや裁縫針といった職人の必須アイテムも店に充実。

 何よりモンスターがドロップする素材アイテムが今までの層に比べて種類が多く、またドロップ率も軒並み高い。

 職人のメッカという異名で呼ばれ始めたユートフィールに職人の誰もが浮かれていた。

 師匠も当然その一人だ。

 俺以外にも顧客が付き始めた師匠は資金が潤沢し始めた事もあって前々から独立を考えており、街開きでユートフィールの全容を知った途端、即座にホームをユートフィールに移し、専用工房をNPCから借り付けた。

 時間に縛られる事も無く好き勝手に一人占め出来る工房での作業は楽しいらしく、また新たに多くの金属系素材アイテムが登場したため武具製作のバリエーションも広がり、新しい玩具を手に入れた子供の如くハイテンションな師匠が不眠不休で暴走するのにそう時間は掛からなかった。

 

「……あ、そうだった。すっかり忘れてたわ」

 

 眠気に負けて自然と落ちる瞼を堪え、ウィンドウを出現させる師匠。

 手摺りに肘を付きながら気だるそうに操作し始めて数秒後、俺の眼前にトレード・ウィンドウが出現した。

 送られてきたアイテムの名称は《黒狼牙+12》。

 ブラックシリーズ――俺命名――の一つで、新しい相棒。

 その劇的な変化に目を丸くする。

 

「あれ、でもこれって……」

「我ながら一回も失敗無しってのは運が良かったわ、ホント。強化素材集めだって苦労したんだから」

 

 記憶にあるのは+7という試行回数。

 毎回強化成功率を上げるために強化素材をフル投入すれば、経費や素材集めだって大変だった筈だ。

 知り合いの商人や職人から素材をかき集めた師匠には本当に頭が上がらなくなる。

 これが工房を借りる際に資金提供をした恩返しという事は分かっても、費用と軍資金を考えれば師匠の支出の方が激しい。

 直ぐにトレード欄に金額を入力し、かなりのコルを師匠に送った。

 そして師匠への好感度は青天井に上昇。

 

「流石だ師匠! よっ、実力ナンバーワンの美少女鍛冶師! 愛してるっ!」

「はいはい、あたしも大好きよー」

 

 最大級の感謝とノリが入り混じった発言におざなりな対応をした師匠は、今度こそ「頑張んなさい」と手を振ってから二階に消える。

 二日前の昼頃から「漲ってきたぁああ!」とテンションMAXで叫びながらハンマーを振るう姿には色々と思う事が多々あれど、その甲斐あって新しい武器がグレートアップしたのだから文句は無い。

 それでも趣味と仕事に情熱を注ぎ過ぎてはいけないというお約束を再認識。

 師匠の間違った姿は反面教師として記憶に刻み込まれる事だろう。

 真似しちゃダメ、絶対。

 

「……でもまあ、やっぱり何事も程々が丁度良いってことか。感謝感激だけど、ああならないように気を付けよう」

 

 しかし巷では経験値中毒者の異名を持つ俺も同じ穴の狢かもしれないことに、結局気付く事は無かった。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 《濃霧の森》はその名の通り濃い霧が支配する森だ。

 二十九層の東を陣取る巨大な森。

 主街区から一時間ほど歩けば到達するこの森の視界は途轍もなく悪かった。

 まるで雲の中を歩いていると錯覚すら起こす霧が纏わり着く。

 五メートル先も見えないほど視界が悪ければまともに探索を行う事も出来る筈が無く。プレイヤー達は全員、主街区で売られている《霧払いの珠》を使って何とか探索を進めていた。

 

「うわ、深っ」

 

 頭上に青白い珠を浮かばせて半径二〇メートル内の視界を確保し、原生林の中をひたすら歩くこと二時間。

 学校で例えれば最初の授業が始まる時間帯に、俺達は森林内にあった崖淵へと立っていた。

 深い、とても深い崖。しかし崖下にも霧が満ちているため本当は浅いかもしれない。

 それでも試しに拳大の石を落としてみても、参考にはならなかった。

 

「これってこの珠が無かったらアウトでしょ。下手したら気付かずに落ちる」

 

 下から風が吹き上がり、ローブの裾が翻って幽霊が出てきそうな不気味な風音に冷や汗が垂れる。

 アンデッドはまだしも、実は俺は幽霊の類があまり得意では無いのだ。

 何と言うか死体系ではなく、霊体みたいな実態が無いのが苦手。

 ゾンビ系映画は見れてもホラー映画を見れないのと似たような理由だ。

 実は昔観たテレビ番組がトラウマだったりする。

 

「えーと、ここが森の南東だから……くそっ」

 

 マッピングデータから現在の位置を参照。

 未探索の場所を重点的に探したが行き止まりらしく、仕方が無く引き返そうとしたその時。

 耳入るのは、何千と聴いた相棒の唸り声。

 敵の存在を察知した瞬間にポチを見て方向を確かめてから襲撃に備える。何度も踏んできたプロセスを無意識に行う。

 それでも俺はポチの方を見て、今までにはない戸惑い顔を晒してしまった。

 

「え、その方向って……」

 

 ポチが睨んでいる方向は目の前に広がる原生林でも無ければ左右でも無い。

 背後の崖。それも崖下に向ってポチは唸り声を上げている。

 それが意味するのは、つまり――。

 

「崖下に道がある?」

 

 でなければ索敵網に引っかかる筈が無い。

 下へ降りる方法がある。

 この世界を生き抜いた経験が、その情報がアタリだと告げていた。

 

「とはいえ降りるって言っても一体どこから降りれば良いのやら」

 

 とりあえず崖沿いをひたすら歩く。

 その間にもモンスターの襲撃が止む事は無く度々爬虫類型のMobと戦闘をこなし、レベルを1上げていく。

 都合三回目の襲撃を生き延びて直ぐの事だ。

 一〇センチほどの雑草が生い茂る崖淵で金属製の何かを踏んだのは。

 

「お、よっしゃ!」

 

 しゃがんで確認してみると、そこにあったのは金属製の杭だった。

 短くて太く、地面から飛び出している先端が輪になっている。

 登山などで使われる年季の入ったハーケンを見つけ、思わず歓声を上げた。

 

「問題は深さだよなぁ。果たしてこれで足りるのか……」

 

 両手にオブジェクト化した長いロープの束を見て首を傾げた。

 プレイヤーにはアイテムを持てる限界重量が定められており、それはプレイヤーのステータスやスキルに依存している訳だが、今オブジェクト化したのは二十層のダンジョンで使用したロープだ。

 長さ三〇メートルのザイル。

 不安を覚えながら登山用に使われるロープの先端フックをハーケンにセットした途端、今まで見た事の無い変化が起きた。

 

「破壊不能オブジェクト……変化したってこと?」

 

 淡い光を発し、その光が収束した途端に浮かび上がった文字を読み上げる。

 プレイヤーの所有権を離れてゲームシステムの一つとなったザイルを考えるに、このロープを使ったのは正解だったようだ。

 おそらく複数あるロープ候補の一つだったらしい《レッドロープ》の先端は、崖下に広がる霧の海へと消えていった。

 

「よし、そんじゃさっそく下へと降りて……あ」

 

 念のため両手で引っ張り強度を確かめてから崖下へ身を乗り出そうとして、ふと思う。

 

「……ポチ達どうしよう」

 

 正面に座り、つぶらな瞳で「置いていかないでくれ」と言わんばかりの目で俺を見ている相棒達。

 ポチやクロマルは運んでやれそうなのだが、問題は中型モンスターであるタマだ。

 この巨体を持ちながら降りるなど論外。かといって切り立った崖にはタマが体重を預けられそうな凹凸が無いので自力で降りる事も不可能。

 そして安全エリアでもないこの場所に長時間放置するのもありえない。

 少しだけ全員一緒に降りられる方法を考え、数秒後、静かに溜め息を吐いた。

 

「もったいないけど仕方ないか。……お前たちはここで待機」

 

 《意思伝達》で命令してから身体を宙に投げ出す。

 崖淵を蹴り、数メートルを一気に下りてからロープをしっかりと掴み、振り子の原理で身体を叩きつけるようにしながら岩壁に着地。

 そして再度足を離す。

 現実では命綱無しには絶対に真似出来ない方法で下降して地面に着地したのは、下り始めて一〇秒後の事だった。

 

「無事到着っと……って、そういうことか」

 

 ブーツがボロボロのロープが踏んでいる事で事態を納得する。

 マーカスが行方不明になった背景が如実に想像でき、その芸の細かいストーリー設定に感嘆してしまった。

 そして横幅が数十メートルの崖下を見渡して敵がいないのを確認してからアイテム・ウィンドウを開く。

 百近いアイテムが列挙される中、目当てのモノにカーソルを合わせて作業をする。

 そのあと初めてのロッククライムに悪戦苦闘しながら、数分かけて三〇メートルを上りきって皆の元へと返り咲いた。

 

「ただいま」

 

 待っていた皆を見渡してから手元を操作。

 アイテム・ウィンドウを開いて右手に握られるのは、一つの結晶アイテム。店では買えない稀少アイテムの一つだ。

 まだ一度も使用したことのないアイテムに興奮を覚えると共に、しょうもない理由で稀少アイテムを消費する事を悲しく思う。

 泣く泣く、断腸の思いで、そのアイテムを使用した。

 

「コリドー・オープン」

 

 起動言語を口にした事で手中の《回廊結晶》が砕け散る。その代わりに出現したのは青い光の渦。

 一度行った事のある地点を記録し、任意の場所に移動出来る転移門を開くクリスタルは、見事に役目を果たして俺達を崖下へ誘ってくれた。

 

「……マーカスを見つけるまで絶対に帰らない」

 

 この一度の探索でマーカスを見つけなければ割に合わない。これで何も無かったのなら赤字も良いところだ。

 迷宮区の宝箱かモンスタードロップでしか手に入らない回廊結晶の在庫は無いので、この一度きりのチャンスで隅々まで探索するしかない。

 瞳にメラメラと決意の炎を燃やし、予想外の出費に辟易している所為か。

 出現する《ダストリザード》や《スカーヴァイパー》といったモンスター達は鬱憤晴らしの八つ当たり対象でしか無かった。

 この姿をアスナさんやキリトが見たのなら苦笑いを浮かべるに違いない。

 自分でもどうなんだと思うほど怒りの咆哮を上げながら探索すること数十分。

 目の前に人ひとりが入れるくらいの洞窟を見つけ、漸く少しだけ溜飲が下がった。

 

「どこだマーカス! さっさと出て来いコラぁあああっ!」

 

 ここまで手間を掛けさせてくれたNPCの名を叫ぶ。

 入り口は狭いが中に入ると十倍以上のスペースがあり、歩く分には不自由しない。

 岩壁には所々に松明が掛かっているため光量は充分。

 ツルツルで手触りの良い立派な鍾乳石と石筍が立ち並ぶここは、洞窟というよりも鍾乳洞と呼ぶのに相応しいのだろう。

 外よりも冷え切った外気が肌を刺激し、ローブの襟元を手繰り寄せた。

 

「うわ、雰囲気あるなぁ……」

 

 どうやら敵も出現せず通路も一本道なため、探索は拍子抜けするほど簡単なものだった。

 そして、

 

「あ」

 

 そして俺達はついに探し人と対面を果たす。

 巨大な岩に背を預け、力なく手足をだらけさせる五十代前後の男を発見し、全速力で駆け寄った。

 

「ちょっとオッサン! もしもーし」

 

 その憔悴した姿を見れば、散々手こずらせてくれた憎き相手でも怒りを僅かに鎮火させてしまう。

 それでもやはり恨みは消えないのでかなり強めに頬をビシバシ叩き、むりやり意識を浮上させた。

 

「み……水、を……飲み物……を……」

 

 薄汚れた作業着を着た髭面の男がか細く呟く。

 唇が乾き、掠れた声を聞けば、長時間水分を取っていないのは見て明らかだった。

 

「オーケー。ちょっと待ってて」

 

 即座に手持ちの飲み物をオブジェクト化。

 しかし昼食用に購入しておいた飲料水の入った小ビンを差し出すが、水を欲していたマーカスは一向に受け取ろうとしない。

 こちらを見ず、うわ言のように「水を」と呟くマーカスは、身体の陰になっていた右手をゆっくりと前に突き出した。

 

「……これで、水、を……」

「ああ、そういうこと」

 

 震える手で小さな水筒を手渡され、面倒臭い事態に頬が引き攣るのを抑えきれない。

 そして通路の奥を指差してから、マーカスは直ぐに意識を手放した。

 おそらくこの鍾乳洞の奥に水場があり、そこの水を汲んで来いという意味だろう。

 本当に、未だ嘗て無い程、とてもとても面倒なクエストだ。

 

「…………水場って、ここ?」

 

 鍾乳洞内を更に十分ほど歩いて開けた場所に出た訳だが、その光景に圧倒されてしまう。

 ちょっとした広場が丸々入りそうなほど広い最奥には、

 

「これが地底湖ってやつか。……って、日が射しこんでるし地底じゃないかも」

 

 眼前に広がる澄み渡った湖は神秘的な雰囲気を醸し出していた。

 それは何千、何万年という年月の積み重ねを感じさせる巨大な鍾乳石と石筍の数々。天井の切れ目から射し込む陽射しの帯達が、地底を優しく包み込んでいるからこそ。

 俺もそうだが神聖さを漂わせる湖にポチ達も心を奪われているようだった。

 しかし、その束の間の感激も直ぐに驚愕へと変わることになる。

 

「……は?」

 

 

 

 ――ポチが低い唸り声を上げて直ぐ、湖の中央に巨大な水柱が立ち昇った。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十二話 モンスターボックスⅢ

 俺はこの感覚を何度も何度も味わってきた。 

 肌を刺激する威圧感に身体中が震え、心の奥底に封印した恐怖が湧き上がってくる感覚。

 それと同時に燃え盛る闘志。

 冷静と興奮が同居し、際どいバランスを保つ感情。

 突如出現した怪物の咆哮に全身の毛が逆立つ。

 天井に到達する勢いで立ち上った水柱の余波を受け、全身を冷たい水で濡らしながら、俺の視線はこちらに近寄ってくる巨体の頭上に釘付けだった。

 

「……Lake the guardian」

 

 明るいエメラルド色の鱗に覆われた巨体は推定八メートル。

 殺気に塗れ、視線だけで死を連想させる金色の眼光。

 獰猛にして凛々しさも見せる縦長の顔に、恐竜のように所々が隆起した背。

 そして茨のように強固な棘が生え茂る尾。

 以前テレビで見たコモドオオトカゲという世界最大の蜥蜴に酷似したイベントボス《湖の守護者》は、ゆっくりとした動作で陸地を目指す。

 鰐のように泳ぎながら水の軌跡を刻む巨体に付随する小さな影は、おそらく手下。

 つまり二体の強敵が俺達に迫っている事になる。

 

「どうする……どうしよう……」

 

 ポチとタマが野生本来の姿を見せ付ける最中に様々な可能性が駆け巡る。

 生まれては霧散し、浮上しては弾け飛ぶ。

 接近される間、限られた時の中で行う取捨選択。

 引くか戦うかの選択を強いられる。

 過剰なアドレナリン分泌で時間が引き延ばされたと錯覚するほど集中し、無限に広がる可能性の大河から掬い取った未来への選択は――。

 

「まずは確認」

 

 敵が陸地に到達するまで後数秒。

 一刻の猶予も無い確認期間を有効に使うべく、手持ちの愛剣を二の腕に振り下ろす。

 ザシュッという聴きなれた斬音が響き、自傷行為とはいえ生まれた不快感に顔を顰める。

 それでも俺は赤い線が入った左腕をポーチの中に突っ込んだ。

 

「ヒール」

 

 左手に掴まれた桃色の結晶は役目を終えて砕け散る。

 回復結晶を使用するというまたしても予想外の出費を悲しむ暇も無く、俺の心に安堵の火が灯った。

 結晶無効化エリアでないのなら、最悪の場合は転移結晶で離脱出来る。

 俺の心は決まった。

 

「ハァ、皆が知ったら馬鹿にされるかも」

 

 ここまでの苦労。探索経費。愛剣の最後を飾るには相応しい強敵。経験値とドロップアイテムへの期待。そして何より、あの憔悴したまま気絶した鍛冶屋のマーカス。

 こんな事を思うのは馬鹿らしい事なのかもしれない。

 自分の命を天秤に掛けるのは正気の沙汰ではないのかもしれない。

 それでも俺は、機械にプログラムされたNPCだと分かっていても、あのまま放置したいとは思わなかった。

 これは同じくプログラミングされたAIであるポチ達と長く接しているからこその感情移入だ。

 ゲームであっても遊びではない。

 あの茅場晶彦の言う通り、彼等の命はゲーム内でのみ保障された命だが、仮初でも命は命。

 この世界で全うに生きている。

 ここまで苦労させられた恨みは茅場晶彦に対してであり、マーカスではない事に今更ながら気付かされた。

 以上の理由から、俺には撤退の二文字などありはしない。

 

「来るぞ」

 

 油断無く短剣を構えながら知人の顔を思い浮かべる。

 アスナさんの困ったようで怒ってもいる顔。師匠の呆れた顔。先生の激怒顔。

 色々な顔をする人達の中で、確実に称賛してくれるだろう人物の顔が浮上し、笑みが零れる。

 憧れでもある黒の剣士の「よくやった」という幻想の笑みに勇気付けられ、俺は笑顔で、迫り来る脅威目指して駆け出した。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 この地底湖の主である巨大蜥蜴《レイク・ザ・ガーディアン》。

 その取り巻きであり、主を小型化させた形状の《チャイルド・リザード》。

 水を浸らせ、劈くような雄叫びを上げる怪物達との戦闘が開始される。

 

「ポチとタマはちっこいのを攻撃! クロマルは俺と一緒に来い!」

 

 《意思伝達》で指令を下す。

 二メートル近い体長の蜥蜴と二体の相棒が衝突する横を駆け抜けた。

 咆哮と咆哮。爪撃と爪撃。

 生存を賭けた決死の一撃が飛び交う。

 

「まずは一発目!」

 

 鋭利な刃物のような爪が生え並ぶ巨腕。

 それが横薙ぎに振るわれる前に四足歩行の巨大蜥蜴に接近し、数瞬遅れた巨大な手が宙を薙ぐ。

 爪撃の届かない内側へ潜り込み、頭上で風斬音を聞きながら肉薄。

 肉食恐竜のような顎が開く前に、その下顎に短剣を突き出した。

 短剣強攻撃技《スパイラルエッジ》。

 螺旋を描く蒼穹の奔流が轟音を響かせる。

 大きく顔を仰け反らせ、その下に潜り込んだクロマルの《グレイヴアタック》が炸裂して漸く、守護者は大きく上体を仰け反らせた。

 二段あるHPバーの内、数パーセントが削られる。

 仮にも高威力の剣技と突進技を食らい、たったの数パーセント。

 見た目通りの頑丈な鱗に舌打ちが零れる。

 それでも俺は、黒炎を振るい続けるしかない。

 

「クロマル!」

 

 体長三〇センチの相棒を呼び寄せ、小脇に抱えながら右横に跳ぶ。

 仰け反った体勢を正し、太い前足が地面を打ち付ける前に大蜥蜴の側面へと移動した。

 巨体のモンスターは死角が多く存在する。

 特に四足歩行の生物は小回りが利かないので側面の方が戦いやすい。

 大蜥蜴がこちらを見失っている内に短剣三連続技《トリプルバイト》が外鱗を削る。

 

(あっちは?)

 

 明るい青色の閃光が視界を染める中、なんとか左側を盗み見る。

 少し離れた所で蜥蜴に噛み付き、爪撃を叩き付ける相棒達の残存HPを確認した。

 

(ポチ達はまだ大丈夫。こっちを片付けるまで子分を引き付けてくれれば上等)

 

 それでも二匹は消耗しているため魔物王単発技《回復》で一匹ずつHPを回復させる。

 回復量は一〇秒で一割。

 しかし全員同時に回復は出来ず、その間に他の魔物王技は使用出来ないため状況判断能力が試されるスキルだ。

 すると、四度目のソードスキルを放った途端、大蜥蜴は今までに無い機敏な動きを見せた。

 

「防げクロマル!」

 

 俺がいる方とは反対側へと身体をずらし、連動して巨大な尾が振るわれる。

 引き摺っていた棘だらけの巨尾が地面を削りながら強襲。

 長さは体長と同じぐらい。直径の太さで言えば俺と同じぐらいの大きさがある尻尾との接触は、自動車の衝突事故を連想させた。

 

「く、そっ!?」

 

 重い衝撃に身体が痺れを訴える。

 気付けば風呂敷のように体表面積を広げたクロマルごと宙を舞っていた。

 通常Mobの攻撃なら耐えてみせるクロマルを用意に吹っ飛ばす怪力は、イベントボスだからこそ。

 低空を弾丸のように飛ぶ俺達は直線上で戦っていた者達を巻き込み、敵味方関係無く周囲へ散らす。

 地面を転がり、それでもクロマルと黒炎は手放さない。

 目線を上げ、俺のHPが三割ほど欠損している事を確認。

 クロマルに防御してもらってこの威力だ。クロマルがいなかったら半分は持っていかれたかもしれない。

 

「……って、見境なしか!?」

 

 うつ伏せになりながら上体を起こし、直ぐに《意思伝達》を使用。

 七割ほどまでHPが削られているポチとタマの肉食コンビを壁際まで下がらせた途端、二匹の居た場所を紅のライトエフェクトに包まれた大蜥蜴が猛然と通過した。

 自らの子分を突進に巻き込みながら。

 

「ホント、危ないっての!」

 

 《回復》をクロマルに使いながら抱え上げ、地響きを立てながらリザード族専用突進技《プレスダッシュ》を放ってくる大蜥蜴の射程から離脱する。

 死に物狂いで横に跳んで再度地面を転がるのと、寝ていた場所を大蜥蜴の顎が噛み砕いたのは同時だった。

 そしてこの展開を待ち望んでいたかのように。器用に直立した姿のシルエットが背後から迫る。

 

「たくっ、次から次へと!」

 

 先ほどの突進に巻き込まれたのが痛かったのか。

 HPをレッドゾーンに突入させたチャイルド・リザードが肉薄し、背後から獰猛な爪を振り下ろした。

 振り向いてから迎撃しても間に合わない。しかし、そんな時に身体を張って守護してくれるのがクロマルだ。

 《回復》分を相殺されたが金属製の身体は爬虫類の爪を弾き返し、決定的な隙を生み出してくれる。

 仰け反った身体目掛けて一歩を踏み込む。

 直後、敵の懐から眩い紅の閃光が迸った。

 

「総攻撃!」

 

 全体重を乗せた高速の刺突。

 短剣突進技《スティルレイザー》を食らってひっくり返る敵に相棒達が殺到する。

 俺自らがチャイルド・リザードにカーソルを合わせてターゲットとして固定。

 《パレード》による連続攻撃をその身に受け、目障りな子分は欠片となって四散した。

 

 

 ――そして、湖から二体目のチャイルド・リザードが出現する。

 

 

 

(げっ、まさかアイツを倒さないと無限に出てくるんじゃ――くそッ!?)

 

 敵は考える余裕を与えてくれない。

 突如鳴り響く地響き。背後に生まれる威圧感。それは、死の淵へと誘う絶大な脅威が接近している事を意味していた。

 

「全員退避っ!」

 

 新たに出現した蜥蜴目掛けて駆け出した二匹を《意思伝達》で止め、即座に大蜥蜴の直線通路から逃がす。

 抱えていたクロマルをポチ達の逃げた壁の方へ投擲し、左手をポーチに突っ込む。

 中から回復ポーションを取り出しながら《軽業》スキルの跳躍力をフル発動。

 背面飛びの要領で数メートルも跳躍した俺の下を大蜥蜴が通過した。

 

(アイツの攻撃パターンは、遠くに離れたら突進。正面から近付いたら腕を横薙ぎに振るうか、大きな口で噛み付き。側面側には回転での尻尾アタックってところ?)

 

 元々モンスターにプログラムされた攻撃パターンというのはそれほど多くない。

 宙で一回転しながら体勢を整え、口で栓を抜いてからポーションを一息に煽る。

 生命力とも言えるHPがゆっくりと元に戻るのを実感しながら地面に着地。

 全身をバネに変え、膝を曲げ、着地の勢いを脚力に上乗せ。

 こちら目掛けて突進しようと急ブレーキを掛けている大蜥蜴目掛けてダッシュする。

 

「皆はチャイルド・リザードに集中!」

 

 《回復》を掛けている間は他の魔物王スキルを使えない。

 つまり《意思伝達》で伝えた命令も解除され、使い魔達は思い思いの行動を取ってしまう。

 《回復》の連続使用でHPを八割ほどまで回復させた面々の内の二体は、俺が《意思伝達》を使用する前からチャイルド・リザード目指して飛び出していた。

 クロマルも俺の方へ全速力で転がっていたのだが、今回は《パレード》の使用と一人の方が立ち回りし易いという事情もあり、ポチ達の方へと向わせる。

 完全なタイマン。捨て身に近い特攻は覚悟の上だ。

 

「勝負だトカゲ!」

 

 その気合に怪物が応える。

 悠然と待ち構え、音圧を浴びせる咆哮に晒されても、俺の足は止まらない。

 右手を斜め下へ伸ばし、斬り上げ体勢に入る。

 大蜥蜴まであと八メートル。

 そのままダッシュ技に入ろうとした俺は――。

 

「にょわ!?」

 

 

 

 ――横に跳んで全力回避を余儀無くされた。

 

 

 

「トカゲの分際で水なんて吐くなよ……って、またか!?」

 

 艦隊から射出される特大の砲弾染みた水弾をギリギリ回避した俺を待ち構えていたのは、既に轟音を響かせている尻尾の攻撃。

 空気が震え、豪風を生み出す大質量の薙ぎ払い。

 左右に逃げ場無し。下も同じ。

 なら、

 

「上!」

 

 ならば上に回避するしかない。

 限界を突破する勢いで力強く大地を蹴る。

 ブーツの靴底が棘尾に引っ掛かり、ガリガリ削れる音がした。

 刹那のタイミングに肝が冷え、寿命が数年縮まる思いで大蜥蜴を真下に捉えた俺の右手が黄色の閃光を放つ。

 《グランエッジ》と同じモーション。

 それでも威力は段違いの上位互換技《レイジングバイト》が大蜥蜴の背に降り立つと同時に解き放たれる。

 エメラルドグリーンの背に黒炎の切っ先が埋没する。

 怪物の絶叫が鼓膜を震わせ、黒炎を引き抜くのと入れ違いに、同じ場所へ赤い輝きを帯びた左拳が振り下ろされた。

 体術スキルの基本技である《閃打》より強力な攻撃技《レインデッド・インパクト》。

 覚えたての剣技達を惜しげも無く披露し、幸運にもクリティカルを引き当て、やっと上段のHPが全壊する。

 ポチ達の方も順調に敵のHPを削っているが、彼等のHPもイエローに到達していた。

 

「あと半分! ……あれ、あの鱗――ッ!?」

 

 《回復》を使用し、大きな背中の一点に集中していた時だ。

 背中に乗る俺を振り落とそうと躍起になっていた大蜥蜴が直立する。

 山脈のように隆起している部分に手が届かない。

 重力に逆らえる筈も無く。そのまま地面へと叩き落され、不運にも、眼前一杯にモーニングスターに酷似した棘が落とされた。

 胸元に一撃を食らい、棘尾の直撃を受けて身体が跳ねる。

 直立した反動で振り上がった尻尾の先端が強打したのだ。

 ただの攻撃で終わった一撃は二割のHPを奪っていく。

 そして、振り向き様、怪物の双眸が俺を捉える。

 その目が笑っているように見えたのは気の所為なのか。

 巨大な顎が開かれ、特大の水弾が放たれた。

 未だ宙を漂う俺に避ける術は無い。

 

「――ッ!?」

 

 直撃。

 多大な水圧を前面で、岩壁への衝突を背面で受け、声にならない悲鳴を上げる。

 全身に伝わる衝撃は強制的に《行動不能》に陥らせ、数々の激戦を潜り抜けた相棒が右手からすっぽ抜けた。

 スタン状態の俺のHPは半分以上が欠損している。

 

「げほっ……くそっ」

 

 スタンの時間は僅か数秒。それが永久のように長い。

 《プレスダッシュ》で突撃してくる大蜥蜴の攻撃を避けられるかは際どかった。

 だから俺には、願う事以外なにも出来ない。

 

「動け動け動け動け――動けぇえええっ!」

 

 その強い祈りが通じたのか。幸運にも敵が踏み潰す前に死地からの脱出に成功する。

 無我夢中で飛び退き、頭を壁に激突させた間抜けな大蜥蜴の側面ギリギリを疾走した。

 

(ミスは許されない!)

 

 右手を下に一閃。

 メニィーウィンドウを呼び出し、下部にあるショートカット・アイコンを力強くタップ。

 瞬間、今までに無い鉄の重みが俺に勇気を与えてくれる。

 曲刀のように反りが強い大振りの刃。

 柄も黒で統一され、牙を模した黒銀の刃が深々と脇腹に突き刺さる。

 

「はぁああああっ!」

 

 逆手の状態で《黒狼牙》を斜めに振り下ろし、そのまま走り抜ける短剣ダッシュ技《フリーガル・グレイス》は、敵の巨体に紅いラインを刻んでいく。

 スキルMod――片手用武器スキルの熟練度を上げる度に選択出来るボーナス効果の内、大幅に作業を省略して瞬時に武器を入れ替えられる《クイックチェンジ》で刃渡り三〇センチの大型ダガーを取り出し、尾の付け根部分まで斬り付けてから距離を取る。

 大蜥蜴が壁から身体を引き抜き、乱暴に離れる際に巻き込まれるのを防止する目的もあるが、一番の理由は手から離れてしまった愛剣を回収するためだ。

 

「……今のは緊急事態だからノーカン!」

 

 本当なら《黒狼牙》で攻撃を続けたい所だが、これは俺の意地だ。

 ポーションを飲み干して回復しながら《クイックチェンジ》で武器を変更。

 改めて黒炎を握り直す。

 相手の攻撃パターンは大体把握出来た。

 《プレスダッシュ》と水弾のコンボ、そして尻尾の薙ぎ払いに気を付ければ、とりあえず一撃で死ぬ恐れは無いだろう。

 インファイトに持ち込めば小回りの利くこちらが有利なのも証明済み。

 それに、攻略の糸口らしき物は既に見つけている。

 あとは黒炎との思い出を作るため、目の前の強敵を粉砕するのみ。

 

「クロマル!」

 

 暴れている大蜥蜴に近付きたくないのでポチ達の方へ視線を向け、HPがレッドゾーンに到達していたクロマルを呼び戻す。

 イエローゾーンのポチ達は《回復》で間に合う。

 基本的に使い魔は一番近いモンスターに攻撃を仕掛けるので、大蜥蜴を近付けない限り、ポチ達はずっとチャイルド・リザードと戦い続けるだろう。

 チャイルド・リザードのHPは残り三割。

 出来ることなら、三体目が出てくる前に決着を付けたい。

 

「そら、俺もお前ももう一踏ん張り!」

 

 ポーションを飲ませてから再度チャイルド・リザードの方へとクロマルを放り投げる。

 そして、第六感が警鐘を掻き鳴らす。

 タマとポチを交互に《回復》させながら、背後から放たれる水弾を地面スレスレまで前屈する事で回避。

 振り向き様にそのまま疾走した。

 

(あ……危なかった、マジでっ!)

 

 高水圧の砲弾が髪を数本巻き込みながら背後へ流れ、遥か後方の水面に着弾。

 局地的な雨が降る中、俺はもう横薙ぎに振るわれた巨腕を飛び越え、宙を舞っていた。

 

「まずは一撃!」

 

 この層で購入出来る武器の威力を遥かに上回る《黒狼牙》の剣技を受け、残りのHPを八割ほど残した大蜥蜴の背に降り立つ。

 先程と同じ流れで《レイジングバイト》を放つが、体術スキルは使わない。

 その代わり、黒炎を引き抜きながら不安定な背を走る。

 障害物と化している盛り上がった背に足を取られないよう最小限の動きで避け、目指すのは首の付け根。

 そこにある、一部分だけ色の違う深緑の鱗目掛けて黒炎を振り上げる。

 

「これでどうだ!」

 

 先ほど降り立った時に見つけた箇所へ短剣三連撃技《トリプルバイト》を叩き付けた瞬間、怪物の口から発せられるのは苦痛に満ちた痛々しい咆哮だった。

 戦闘開始直後の倍以上の勢いで、HPがゼロに向けて減少した。

 やはりこの鱗が弱点だったのだ。

 

「っと、これも予想通りだよ!」

 

 そしてこの大蜥蜴には一定時間背に乗られると直立するようプログラムされているらしい。

 先程は不意を突かれたが今度は違う。

 直立し始めて直ぐに地面へと着地。

 ついでに目の前の空間を押し潰すように叩きつけられた尾の先端にソードスキルを叩き込む。

 短剣突進技《ラピッドウェーブ》。

 威力はそう高くないが効果持続時間が長い突進技は、黄色の波線を空中に引きながら尻尾を切りつけ、システム補助を受けた動きで疾走し、流れるような動作で脇腹へ向う。

 本来なら大群の間をすり抜けながら何回かの辻斬りを行う剣技は、威力が無い分スピードが速い。

 最後の締めに全エネルギーを脇腹へと叩き付け、漸くHPは残り半分となった。

 その直後だ。

 大蜥蜴の前足に紅のライトエフェクトが纏わり付き、そのまま前足を振り上げたのは。

 全身に悪寒が奔る。

 

「皆、離れろ!」

 

 《軽業》スキルを用いた特大のバックステップで場を離れ、瀕死のチャイルド・リザードにトドメを刺そうとしていた皆は《意思伝達》に従って壁際向けてダッシュする。

 それでも大蜥蜴の着地は轟音を響かせ、大地を伝った衝撃波が襲い掛かった。

 

「くそっ、まだこんな技がっ!?」

 

 元々接近し過ぎていたため安全圏に逃げ損ねた俺に《行動不能》の脅威が襲い掛かる。

 身動きの取れない現状にもどかしさを覚え、攻撃に巻き込まれたチャイルド・リザードが粉々に砕け散った時。

 再び水弾の追い討ちが始まった。

 

「皆、頼む!」

 

 ポチが、タマが、クロマルが横を駆け抜ける。

 連続突進技の《パレード》と高圧水弾の正面衝突、結果は相殺。

 水弾が爆散すると共に、ポチ達もHPを削りながら四方へ吹き飛ばされた。

 これでポチ達のHPは全員がレッドゾーンへと突入。

 そろそろ《回復》では追い付かなくなってきたので、もう皆に頼る訳にはいかない。

 三匹目のチャイルド・リザードが湖から出現した時、スタンの解けた俺は正面にいる大蜥蜴を目指してダッシュしていた。

 

「いくぞ怪物!」

 

 もう何度目になるか分からない急接近を狙う俺に迫るのは、やはり横薙ぎに振るわれる巨腕だ。

 その攻撃を見るのはこれで三度目。

 なら、タイミングを合わせられる。

 短剣単発重突進技《ゲイルストライク》。

 それを、一度急停止して眼前を通り過ぎた巨腕の二の腕に叩きつける。

 眩む程の紅い光に目を焼かれ、それでも俺は攻撃の手を休めない。

 浮かび上がった巨腕の下を潜り抜け、恐竜のような顔に接近。

 その眉間にドロップキックを――体術スキル強突進技である《蒼電脚》をぶちかました。

 俺の使える剣技でも五指に入る高威力の技達をまともに受け、残りのHPは約三割。

 なら、

 

「ラスト!」

 

 定位置へと引き戻されている最中の巨碗を足場に、更に高く跳ぶ。

 逆手に握られた黒炎の柄尻に左手を沿え、黄色のライトエフェクトを纏う刃は、差し込む太陽の光で更に輝いていた。

 

「これで終わりだぁああぁあああっ!」

 

 システム外スキル《動作支援(アシスト)》を受けた単発重攻撃技《レイジングバイト》が弱点箇所を穿つ。

 一際大きい咆哮が鼓膜を震わせると同時に勝利を確信した。

 命を燃やし尽くして盛大に四散した大蜥蜴の名残は、勝利を祝福するダイヤモンドダストの様で。

 とても綺麗で、とても幻想的だった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 《レイク・ザ・ガーディアン》を倒して数分後。

 主を失った蜥蜴が爆散すると同時に足から力が抜け、光の粒に包まれながらソードスキルを放った体勢で崩れ落ちた。

 かつて無い程の疲労に身体が悲鳴を上げ、途切れ途切れながらも荒々しい息を吐きながら四つん這いになる。

 しかしそれでも身体は止まらない。

 顔面を強打しないよう体重を横に移動させ、激戦を繰り広げた地底湖の岸辺に大の字で寝転がった。

 

「ハァ……ハァ……勝った、疲れたぁ……」

 

 死闘を制した嬉しさよりも、生き残った安心感と疲れがドッと込み上げてくる。

 天井から垂れ下がる鍾乳石を意味も無く見詰める。

 それから溶接されたようにぎっちりと握られたままの黒炎を眼前に翳した。

 

「ありがとな、相棒」

 

 何回も紅刃の角度を変え、陽射しに照らされる輝きを楽しむ。

 その度に今までの思い出がフラッシュバックし、いつの間にか寂しさの混じった笑みを浮かべていた。

 ついに、この愛剣を手放す時が来たのだ。

 積もりに積もった思い出を走馬灯のように思い返し、最後にさっきまでの死闘を思い返しから、最後の勇姿を記憶に刻み付けた。

 今までありがとう。そう、感謝の念を込めて。

 

「皆もお疲れ」

 

 最後の別れを告げてから黒炎をアイテムストレージに収納。

 新しい相棒を装備フィギアにセットしてから上体を起こす。

 両脇を小狼と豹に挟まれ、胡坐を掻いた膝の上に黒玉が乗った。

 俺の愛すべき使い魔達は例外無く満身創痍。

 半分近く減っているHPをポーションで癒し、三匹を力いっぱい抱きしめた。

 

「早く水を持って行きたいけど……ちょっとタンマ」

 

 マーカスには悪いけれど、もう少し休憩時間が欲しいと思っても罰は当たらない筈だ。

 少なくとも今さっき上がったレベル分のステータスポイントを振り分け、ドロップアイテムの確認はしておきたい。

 

「えーっと、ボスがドロップしたアイテムは……《クロスレイク・アミュレット》?」

 

 倒した直後は文字を読む余裕が無かったので、まじまじと見るのは初めてだ。

 説明書きを読み、頭を振ってから二度見する。

 どうやら読み間違いではないらしい。

 その驚くべき効果に興奮し、ウィンドウに手を走らせた。

 

「敏捷力が+20って……こんなアイテム初めて見た」

 

 首から垂れる細いシルバーチェーン。その先に付いた空色の十字架を眼前に掲げる。

 アクセサリーを着けるのが初めてなので恥ずかしさを感じながら、マーカスから受け取った小瓶をオブジェクト化した。

 子供の手に収まるくらいの小さな小瓶を湖に漬け、そのまま蓋の部分をタップ。

 水を入れるためにオーケーボタンを押し、濁りが一切無い透明な水を小瓶に満たした。

 そして、

 

「おっちゃん、持って来たよ、水」

「お……おぉ!」

 

 差し出した小瓶に目を輝かせ、マーカスは引っ手繰るように奪った後、がぶ飲みという表現が正しい姿で一気に喉を潤す。

 見る見る内に顔色が良くなり、青褪めた頬に赤みを帯び始めた。

 結果として、マーカスが完全復活するのに一分と掛からない。

 初老と呼ばれるかどうかの瀬戸際という男性は、先程の憔悴姿が嘘のように元気良く立ち上がった。

 

「ぷはぁっ、助かったぞボウズ。ありがとうな」

 

 笑顔で礼を言われ、こちらもそれ相応の表情で応える。

 これでクエスト達成という意味もあるが、マーカスが元気になった事も嬉しかったからだ。

 

「ボウズ。そういえば湖の化け物はどうしたんだ?」

「倒した」

 

 そう即答し、驚愕した表情で見詰められること数十秒。

 よくよく考えれば、別にアイツを倒さなくても水さえ取ってこれればクエストは達成出来たのかも知れない。

 無事に倒せ、更には貴重なアイテムまでゲット出来たので万々歳なのだが。

 新たな選択肢が浮かび上がった途端、どこか腑に落ちない思いになってしまうのは何故だろうか。

 

「……そうか。なら今度からは湖で水を確保出来るし、発掘作業も出来るってことか。倒してくれてありがとうな」

 

 隣にあった籠とツルハシを持ち、早速マーカスは地底湖の方へと歩いて行く。

 曲がり角に消える手前で立ち止まり、振り返ったマーカスの顔は、やはり若々しい笑顔だった。

 

「ボウズ、礼がしたいから、後で俺の家に来てくれ! 本当にありがとうよ」

 

 そして、今度こそマーカスは視界から消える。それを俺達は見届け、

 

「……いや、一旦帰りなよ、あんた」

 

 職人魂を持った男だと褒め称えず、仕事中毒者な姿に呆れ声を洩らすのだった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 あの後マーカスの家に寄り、お礼として《マジックダイト・インゴット》を十個も受け取り、崖下に出てくるモンスターのドロップアイテムである《魔鉱石》を渡せばマジックダイトと交換してくれる、という情報をアルゴに送ってから数時間が経っている。

 ついでに《モンスターボックス》を受け取るために二十八層に行ってから、昼飯を食った後に宿屋で爆睡。

 夕焼け空で《ユートフィール》が朱色に染められる頃に目覚め、俺は宿屋の一室をノックしていた。

 

「師匠、いるー?」

 

 俺と師匠は同じ宿に泊まっているため訪れるのは容易い。

 俺の部屋よりも数段ランクが上の部屋を取った主は慌てた声色を見せるも、直ぐにオーケーを寄越した。

 クエスト達成の報告をするのが嬉しく、少しハイテンションになっている俺は勢い良く扉を開く。

 

「やったぜ師匠! ついにマジックダイトをゲットだ……ぜ……」

 

 俺が借りている六畳一間風呂付部屋とは違い、師匠の部屋は日当たりも良く、それでいて倍以上に広い。

 タンスにクローゼットが一つずつ壁に並び、木製の丸テーブルと椅子が二つ。そして清潔感の溢れる白いシングルベッド。

 夕日が宿屋を照らす中。そこに師匠の姿はあった。

 但し、茶色の髪は明るいピンク色。着ている服は赤色のパフスリーブにふわふわの赤いフレアスカート。腰に巻くのは純白のウエストエプロン。

 地味な作業着や茶色のエプロンを愛用していた人とは思えない、今までの地味イメージを払拭する女の子らしいウエイトレスっぽい服装をしている人物は、間違いなく師匠だ。

 そして、その隣にいる同色の髪色をしたロングヘアの女性にも度肝を抜かれる。

 師匠は少し恥ずかしそうに。そして隣にいる人の顔は、悪戯の成功した子供みたいに顔を綻ばせていた。

 

「アスナさん!? ……って、アスナさんも師匠も不良ギャルになった!?」

「髪染めたから不良って、いつの時代の価値観よ、それ」

 

 両肩を落としてぐったりしている師匠の隣にいるのは間違いなくアスナさんだ。

 血盟騎士団の副団長にして、俺の紹介で知り合った師匠の親友。

 その容姿と心優しい性格から攻略組のアイドル的存在になるも、戦闘やボス戦時には攻略の鬼と化す困った人。

 KoBのシンボルカラーである赤色を所々に散らし、銀製のプレートアーマーに動き易い赤色のスカート。剣帯から吊るされる細剣。

 普段通りの姿がそこにはあった。あくまで服装に関しては。

 

「……二人揃ってイメチェン? アスナさんは当然として、師匠にもそんなオシャレを気にする女の子っぽいとこあったんだ……」

「よし、そこの馬鹿弟子は歯を食いしばれ」

 

 神速の域で距離を殺してきた師匠の拳で眼前に星が散らされる。

 人に折檻をする時に攻略組以上の敏捷力を見せるのはいい加減やめてもらいたい。

 そのまま両頬を伸ばすというコンボ技に繋げようとした師匠を後ろから羽交い絞めにして阻止するアスナさんは、やっぱり俺の女神様だった。

 

「名付けて、リズ改造計画。どうかな、シュウくん?」

 

 アスナさん曰く、師匠も女の子なんだからオシャレしろ、そっちの方が客寄せにもなるし、何より童顔の師匠に今の服装は似合わない、という事らしい。

 戦闘時には見る事の出来ない柔らかな笑顔に、えっへんと得意気に胸を張るお茶目な姿。

 《狂戦士》と呼ばれていた頃が懐かしく思えるのは、彼女の心境に変化があったからだろう。

 攻略熱心なのは変わらず。戦闘時や部下の前では別として。

 アスナさん本来の優しさや年頃の女の子らしい振る舞いを徐々に見られるようになり、「君のお陰だ」という言葉をKoBの団長様から頂いた時を、昨日の事のように覚えていた。

 

「違和感あるけど似合ってると思う。流石アスナさん、プロデュースも完璧」

 

 未だに俺を殴ろうとしていた師匠は動きを止め、そのまま顔を頬を紅く染めながら背中がむず痒いのを我慢するような仕草をする。

 師匠から手を放したアスナさんは前方へ回り込み、勇気付けるように肩をぽんっと叩いた。

 

「ほらね。言ったでしょ、リズ。似合ってるんだから大丈夫だって」

「うぅ……でもアスナ、やっぱり恥ずかしいから元に戻して――」

「第三者の意見に従うって言い出したのは誰だったかなぁ?」

 

 問答無用と笑顔で語ってから、アスナさんは俺の方を振り向いた。

 

「シュウくん、私はどうかな?」

 

 目線を合わせるために膝を曲げ、枝毛が全く見当たらない艶やかな髪の一房をつまみ上げ、期待するように訊ねてくる。

 正直に言えば、非常に言い難い。

 それでも一人の友人として、ファンとして。

 言うべき事はきちんと伝え、現実を見せなければならないだろう。

 

「……アスナさんは前の方が似合ってる、絶対、確実に、断言出来る」

 

 ピンク色のアニメめいた長髪よりも今まで通りの栗色の方を支持する人は多い筈だ。

 特に夕日や月明かりに照らされたアスナさんの髪は神秘的なほど美しいため、個人的にも前に戻してもらいたかった。

 その素直な発言で盛大に落ち込んだ後、アスナさんはカスタマイズ用のアイテムを使って元の髪色に戻す。

 残念そうに天井を仰いだ後にこちらを見て、俺は思わずフリーズした。

 アスナさんの笑みに、師匠と同じ、人を玩具のように見る空気を感じたからだ。

 そして俺の直感は正しかった。

 

「そうだ。この際だし、シュウくんもどこか弄ってみる?」

 

 楽しそうにこちらへにじり寄り、それにより一歩後退。

 更には師匠まで面白そうに同意するので困ったものだ。

 

「いらないって。服なんて普段着用とパンツが数枚あれば充分。アイテム容量を無駄に圧迫するのは勘弁して」

 

 持ち運び出来る量にも制限があるため無駄な事は出来ない。

 宿屋のタンスやクローゼットなどに預ければ問題ないが、いつも清潔を保っていられる服を何十着と持つ意味がよく理解出来なかった。

 ここら辺はやはり性別の違いだろう。

 女性の考えている事がよく分からなくなるのは姉ちゃんで経験済みだった。

 ファッション関連の話題に巻き込まれると碌な目に合わないというのも含めて。

 

「それじゃあ勿体無いよ。大丈夫、シュウくんもきっと気に入るから」

 

 頑なな拒否。徹底抗戦の構えにも怯まずに、巷で大人気のカリスマ裁縫師にメッセージを送ろうとしたアスナさんだが、俺から発せられる本気の悲鳴を師匠は感じ取ったらしい。

 貸し一つと言いたげな視線を送ってから、話題を逸らしてくれた。

 

「そういえば、折角《マジックダイト・インゴット》が手に入ったのに、何で《モンスターボックス》はまだなのよ? あんたの事だから直ぐに貰いに行くと思ってたのに」

「……行ったけどダメだった。まだアイテムが足りない」

 

 俺の背後で寛いでいる相棒達を見て師匠は疑問の声を上げた。

 そう、俺はアルゴから貰った情報で一つ大事な事を忘れていたのだ。

 モンスターボックスを受け取るためには、マジックダイトだけではダメだという事を。

 

「マジックダイトが一つと、あとテイムしたモンスターの素材アイテムが必要なんだって」

 

 つまり俺は《シルバー・ヴォルグの毛皮》、《メタルハードスライムの核》、《レッドパンサーの爪》を入手しなくてはならない。

 レッドパンサーはまだしも他の二種は出現自体が珍しいレアモンスターなため手に入れるのは一筋縄ではいかないだろう。

 エギルの店に入荷するのを待つのは少しもどかしさを感じる。

 

(あとでシリカにもメッセージ入れとこう)

 

 俺と同じテイマー少女と、その相棒である小龍の姿を思い浮かべる。

 彼女は《フェザーリドラ》のピナを溺愛しているのでわざわざ収納する事は無いと思うが、テイマーという事もあって念のため伝えておこうと思う。

 受け取ったマジックダイトの内、今師匠に渡したのは六個。

 一つ余分なのはシリカのためだ。

 魔鉱石を採りに行くのは彼女のレベルだと危険なため、これを高額で売ってやるのも吝かではない。

 そう腹黒い事を考えている間にアスナさんと師匠は話を進め、いつの間にか一緒に夕飯を取る約束を交わしていた。

 愛剣の研磨ついでに遊びに来たアスナさんは元々そのつもりだったらしいのだが、即座に夕飯の話を持っていた師匠には、是非グッジョブという言葉と最大の感謝を視線に込めて送っておこうと思う。

 そして、夕飯を食べるのは一八時と決まった。

 現在の時刻は一五時三〇分。

 なら、

 

「じゃあさ、師匠。その前にちょっと風呂貸して。夕飯を食べに行く前に入るから」

 

 俺の部屋にも風呂はあるものの、それはとても小さいバスルーム。

 シャワーを浴びるための設備でしかない。

 その点この部屋は湯船を想定した造りになっているので、今回はこちらに入りたかった。

 

「そりゃあ別に良いけど。……まったく、だからもうちょいランクが上の部屋を借りなさいって言ったのに」

「今日は特別。今までの疲れを湯船で取りたいんだよ」

 

 日本人なら一日の疲れを湯船で癒したいと思うのは当然。

 金を節約するため普段はシャワーで我慢するが、今回のクエストやボス戦が色々と大変だったため、今日ばっかりは風呂でゆっくりしたかった。

 ちなみに夕飯時に首に掛けているアミュレットの話題になり、そこからイベントボスに一人で挑んだ事がバレて《閃光》様からお説教を食らう事を、俺はまだ知らない。

 許可をくれた師匠に感謝し、バスルームへ向けて踵を返そうとした時。

 またまた嫌な電波を受信する。

 師匠の顔は、不気味なほど面白そうにニヤけていた。

 

「なら、そうね。折角だし、あたしも一緒に入っちゃおうかなー。二日も工房に篭もりっぱなしだったしー?」

 

 にししという擬音まで聞こえてきそうな意地の悪い笑み。

 それを見て俺は――かなり拍子抜けしてしまう。

 

「え、別に良いけどさ。二人だと狭くない?」

「…………あんた、変なとこは歳相応におこちゃまなのね」

 

 からかい甲斐の無い奴、と呟いて、師匠はつまらなそうに頭を振る。

 裸の付き合いという言葉がある通り、日本人なら特に不思議ではないスキンシップにいったい何を期待していたのだろうか。

 勝手に失望したような視線を送る師匠を訝しげに見て、今度こそ俺は二人に背を向ける。

 すると、

 

「じゃあ、私と一緒に入ろっか?」

 

 そんな、女神様の言葉が背中に掛けられた。

 俺も、師匠も、おそらくこの部屋全体の時が停止する。

 彼女の慈愛に満ちた声が耳を伝わり、脳が理解した時。自分でも変だと思うぐらい狼狽している自分がいた。

 何というか、楽しそうだけど滅茶苦茶恥ずかしい。

 今まで気にした事も無ければ、感じた事の無い感覚だった。

 この気持ちは良く分からない。それでも一つだけ分かるのは。

 師匠とアスナさんでは、一緒に入ると仮定した時に、何か大きな違いがあるという事のみ。

 

「お、俺は一人で入るからっ!? アスナさんは師匠の話し相手になってあげて! うん、それが良い! 絶対にそうするべき!」

 

 気付けば早口に拒絶し、さっさとバスルームへと消える俺。

 即行で装備フィギアにセットされている衣服を取っ払い、ポチ達と一緒に湯船へと飛び込む。

 風呂に身を沈める快感と全身に伝わる温かさを楽しむ余裕も無く。

 俺は紅く染まった頬を温水と湯気で誤魔化す事しか出来なかった。

 あの部屋から逃げるようにバスルームへ駆け込み、僅か五秒での早業。

 だから俺は――、

 

「……ハァ、ちょっとだけリズが羨ましい。シュウくんと打ち解けられて。あの子、私に対して他人行儀なところがあるから」

「……あー、確かにそうとも解釈出来るし、強(あなが)ち間違いじゃないか。でもまあ、とりあえず仲良くなりたいなら裸の付き合いじゃないスキンシップにしときなさいよ。……マセガキの精神を崩壊させないためにも、ね」

 

 

 

 

 ――残念そうに呟く《閃光》と面倒臭げに眉間の皺を揉む鍛冶師の会話を、終始知る事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 




軽業スキルってこんな扱いで良いのでしょうか?
アニメでアスナやシリカが軽々しく跳躍するのは軽業スキルのお陰だと思っているのですが。

そして戦闘描写が相変わらず難しい……なんだか文章がぶつ切りのイメージです。もっと滑らかに躍動感の溢れる描写にしていきたい……精進します。

次回から。また月日が経ちます。
誤字や誤用を発見。他にも意見や指摘、質問や感想等がありましたら、連絡くださると嬉しいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十三話 七日の金魚Ⅰ

 現実世界で夏に突入した所為か。このアインクラッドも日に日に増して暑くなってきているようだ。

 天蓋に映し出された太陽は本物顔負けの仕事を発揮してプレイヤー達を熱帯地獄に叩き落している。

 そんな、今後も暑くなる事を考えれば辟易してしまう八月上旬。

 今回の事件は日が落ちても気温下降を見せない熱帯夜に届いた一通のメッセージが発端だった。

 

「明日の朝九時に二十二層のコラン、転移門付近に集合? 何でまた」

 

 それは俺の家族でもある中層プレイヤーのリクからのメッセージだった。

 割と頻繁に家族とはメッセージのやり取りをしているのでメッセージ自体に不思議は無いが、その『家族全員集合』の文には思わず首を傾げてしまう。

 

 二十二層は迷宮区とイベント以外にモンスターも出現せず、街も主街区一つしか無くてフィールドダンジョンの類も皆無。

 直系八キロの広い階層でも探索がスムーズに進んだため、僅か三日で攻略してしまうという前代未聞のタイムレコードを叩き出した階層だ。

 お陰で俺達攻略組には影の薄い忘れ去れた階層でもある。

 

 キンキンに冷えたコーラを一気に飲んでから、御代わりを貰うため食堂を行き来するNPC店員を呼び止めた。

 

「シュウくんは『七日の金魚』を知らないの?」

 

 追加注文を頼み終わった途端、意外だというニュアンスを含ませたソプラノボイスを発した人物は俺の対面でアイスティーを飲んでいた一人の女性――いや、少女プレイヤーだ。

 飴色というよりはアンバー色に近い茶系の髪をツインに括り、保護欲を駆り立てる年齢相応に幼い容姿は良く整っており、未来の美人が約束されている。

 十二歳という年齢を考えても割りと小柄で、黄系で統一された装備から覗く手足は雪の様に白く、それでいて細い。

 現実世界なら貧弱と言わざるを得ない姿の少女でも中層プレイヤーの中で頭角を現してきた有望株なのだから、本当、見掛けによらないとはよく言ったものである。

 

「うん、その言葉。そっくりそのままシュウくんに返すよ」

 

 ブルーベリータルト用のフォークを口に銜えながらジト目を向ける美少女プレイヤーの名はシリカ。

 教会の家族を除けば俺と一番歳の近いプレイヤーであり、ある意味俺の同類でもある少女だ。

 

「うっさいやい。それでさ、その『七日の金魚』ってなに?」

 

 七日の金魚。

 それは二ヶ月程前から中層以下プレイヤーを中心に広まった情報の一つだった。

 シリカ曰く、二十二層の湖で七日の日になると特定モンスターが釣れるというもの。

 二十二層にモンスターが出現しない事もあって一ヶ月前は中層のみならず本来なら《はじまりの街》に引き篭もっている下層プレイヤー達もそれなりの数が二十二層に押し寄せたらしい。

 その事を聞いて、俺の抱いた疑問は一つだけ。

 

「そいつって強いの?」

 

 これでも攻略組の一人。最前線が三十二層に対し今のレベルは44。

 最強とは往かずとも上から数えた方が早いぐらいには強いという自負がある。

 しかしリクが俺を誘ったのは用心棒代わりかと思ったが、どうやら真相は違うらしい。

 シリカは小さく首を振った。

 

「すっごい弱いよ。数もそれなりに釣れるからレアモンスターでもないと思う」

 

 なら人が集まる理由はこれしかない。

 多分、かなり美味しい食材アイテムなのだろう。

 その味を思い出したシリカのキラキラした瞳が俺の推測を裏付けた。

 

「代わりにね、凄く美味しいんだよ。食材ランクが最低Bなのも納得出来るぐらい」

 

 SAO内のアイテムには全てランクが施されており最高はSランクな訳だが。

 今シリカの言ったBランクとはそれなりに高いカテゴリに入り、しかも最低がBだ。

 否応にも期待してしまう自分がいる。

 美味しい料理は娯楽の少ないこの世界で数少ない楽しみなのだから。

 

「個体によってランクが違うってこと?」

「うん。鮮度が違うみたいなんだ。あたしはBランクの物しか食べた事が無いけど、中にはAランクの個体も釣れるんだって」

 

 つまりモンスター討伐でも無ければ、レアモンスター狙いの悪人を撃退する用心棒でも無く、

 

「なんだ、ただのピクニックか」

 

 今思えば先生や非戦闘プレイヤーの皆も連れてくる時点で考えるべき事だったのだ。

 

「そうだと思うよ。だからシュウくんも明日は攻略もお休みだね」

 

 正直に言えばかなり拍子抜けだった。

 背もたれに体重を預けてから手足を伸ばし、心の限り脱力する。が、

 

(……あー。ちょい地雷踏んだかも)

 

 そんな俺の姿を微笑ましく、それでいて憂いの帯びた表情で見るシリカを見て、僅かに言葉を失った。

 その顔を俺は知っている。

 その意味は、寂しさ。

 現実世界に住まう家族を懐かしく思う気持ち。

 どうしようも無い切なさ。

 込み上げてくる不安と恐怖を押し殺している表情。

 昔の俺を見ているようで、その顔が酷く癇に障った。

 

「じゃあシリカも一緒に行く?」

 

 だから俺は、気が付けば自然とシリカを誘っていた。

 家族を欲する気持ちが痛い程よく分かるから。

 何より友達のそんな顔は見たくない。

 

「……良いの?」

「もちろん」

 

 一拍遅れての返答に即答する。

 恐る恐る確認してくる小さな声が可笑しくて。俺は笑いながら頷いた。

 その小馬鹿にするような笑みに対してシリカは露骨に頬を膨らませてムッとするので、その姿がまた笑いを誘う。

 鳴りを潜めていた俺の嗜虐性が表に出てくるような仕草だ。

 何となく師匠が俺を苛める気持ちが分かって少し悔しいのは内緒。

 

「一人ぐらい増えたって変わんないし。シリカと同年代の女子もいるから友達になれるよ、きっと」

 

 シリカは俺とよく似ている。

 低い年齢に戦闘スタイル。そして大人に囲まれながら行う冒険など、何もかもが。

 しかもシリカは美少女だ。

 パーティ勧誘など俺以上に沢山、それこそ毎日のように来て引っ張りだこの状態。

 マスコット代わりならまだしも下心を持つ大人から何度も誘われているのだろう。

 だから気を休める時間が圧倒的に足りなかった。

 どうも気兼ねなく接せられるプレイヤーは俺以外にいないらしい。

 それでもこのゲームに負ける事無く戦っている心は、他の大人達にも見習わせたいほど強く、美しいと思う。

 そんな彼女にはシンパシーを感じるし、好感が持てる。

 少なくとも、この顔を綻ばせて喜んでいる少女を何かと気に掛け、肩を持ってしまうほど気に入っている自分がいるのは確かだった。

 

「やったね、ピナ。明日はシュウくんと一緒にピクニックだよ!」

 

 自身のパートナー。テーブル上でナッツを啄ばんでいる無二の親友に話しかけるシリカは本当に嬉しそうで、そのツインテールも元気良く上下に揺れていた。

 立ち上がりながらピナの両脇に手を差し込み、高い高いをしながらその場でくるくる回る少女。

 大袈裟な奴、という感想を抱くも。

 俺の視線はシリカの腰にある黒い小さな箱に釘付けだった。

 

「……あーあ。折角《モンスターボックス》をあげたのに使わないんだもんなー。手に入れるの苦労したのに」

「だって、あんな窮屈そうな所にピナを入れるなんて可哀想だよ」

 

 シリカに同意するように小さな蒼い飛竜――《フェザーリドラ》のピナが長い首でコクコク首肯している。

 そう、シリカは俺と同じビーストテイマー。

 そんな所も含めて俺達は似た者同士だった。

 

 そしてビーストテイマーの先輩である俺を訪ねてきた時の事を懐かしんでいると、シリカは着席してピナを下ろした後、代わりに足元で寝ていたポチを抱き上げて唇を尖らせている。

 

「それにアレは『あげた』じゃなくて『売った』だよ。うぅ……シュウくん、普通に高額を提示するんだもん」

「何言ってんの。破格だよ、破格。アレでも友達割引だったんだから感謝しろ」

「もう、攻略組のシュウくんと一緒にしないでよ。でも……ふふ、友達かぁ」

 

 そう呟いて嬉しそうにはにかむシリカに、不覚にも心臓が高鳴った。

 何だか男性プレイヤーがこぞって勧誘する気持ちが分かる気がする笑みだ。

 素でこれなのだから、ある意味彼女は魔性の女。有望性大。男を誑かす悪女という意味で。

 

「悪女じゃないよ!? シュウくんはあたしをどういう目で見てるの!?」

「直ぐ調子に乗る思い上がりの馬鹿女。『私が誘ってるのにどうして断わるの!?』は今でも記憶に――」

「ああー!? あの時の事はもう忘れてっ!」

 

 それは初めて出会った時の事。一緒にパーティを組むのを拒み続けた結果シリカが叫んだ言葉だった。

 忘却の彼方へ吹っ飛ばしたい黒歴史を指摘され、シリカは顔を真っ赤にしながら頭を抱えた。

 あの傲慢な態度は今でも互いの記憶に残っているのだ。

 

「うぅ……」

 

 もう一度説明したが、今自分の恥を思い出して悶え苦しんでいるシリカは中層プレイヤーの間で大人気だ。

 元々女性プレイヤーが少ないSAOでも保護欲を駆り立てられるマスコット系の美少女であり、数少ないビーストテイマー。

 容姿も相まって彼女は俺以上に人気者だった。

 

 ちなみに、このままシリカを生贄にして自分の知名度を下げたいと密かに考えていたのは良い思い出である。

 

「まあ、仕方がないんじゃない。まだ子供なんだから調子に乗ったりするよ、うん」

 

 人は直ぐ調子に乗る生き物だ。

 人気があってチヤホヤされれば少し傲慢な態度を取るようになってもおかしくない。

 特に十二という年齢の子供なら尚更の事。

 甲斐甲斐しく面倒を見たり助けてくれる大人が沢山現れれば、自分の望みは何でも叶うと勘違いしても仕方が無い。

 俗に言う、若気の至りというやつだろう。

 顔を真っ赤にして恥ずかしがり、自分の過ちを反省しているシリカをフォローするためにもう一度言っておく。

 所詮、子供なんだから仕方が無い、と。

 

「あたしよりも年下のシュウくんに言われたくないよっ!?」

「ちょ、声でかいって! ボリューム落として落として」

「ピナぁ……シュウくんは相変わらず意地悪なんだよ」

 

 唯でさえ俺達は人目を引くのにシリカが大声を出したため余計に目立ってしまった。

 しかもシリカは涙目。まるで俺が泣かしたようで周囲の目が若干痛い。

 そして涙目シリカを変な目で見ている輩がいるので精神衛生上ここから直ぐ移動した方が良いかもしれない。

 

「ほら、もうデザート食ったし帰ろうよ。打ち上げはこれにて終了」

 

 思い立ったが吉日。

 椅子から飛び降りてから自身の腰へと手を伸ばす。

 指先に触れるのは小さな箱。《モンスターボックス》だ。

 側面の中央にあるボタンをタップし、表示されるウィンドウの実行ボタンを押した途端。

 ポチはポンッというコミカルな音と煙を立てて箱の中へと収納される。

 その見慣れぬアクションに周囲の人々が目を丸くするも、流石に一ヶ月以上も使っていれば好奇の眼差しに晒されるのも慣れっこだ。

 

「シュウくんはホームに帰っちゃうの?」

「あー、どうしよっか」

 

 俺のホームタウンは師匠と同じで二十九層の《ユートフィール》。

 転移門を使えば八層主街区《フリーベン》から一瞬で移動出来るとしても、今から帰るのは些か面倒に思えてしまう。だから、

 

「明日も一緒に行動すんだし今日はこっちに泊まる。部屋空いてるかな」

「え、お金が勿体無いし、この前みたいに泊まっても大丈夫だよ?」

 

 シュウくん、小さいからベッドにも余裕があるし、という発言で、近くで聞き耳を立てていた大人達の時間が停止したのを、俺達は終始気付かなかった。

 

「い・や・だ。もうこの前みたいのは勘弁」

 

 ピナはシリカの親友にして精神安定剤。

 俺が先生を心の支えにして恐怖と寂しさを克服したように、シリカはピナと一緒にいる事でこのゲームと戦い続けてきた。

 それでも、人というのは群れなくては生きていけない。ウサギは寂しいと死んでしまうという話は、ウサギよりも人間に当て嵌まる事だと俺は思う。

 だから久しぶりに人と一緒にいる事で安心感を得たいのだとしても、この前の二の舞はゴメンだ。

 はっきりと拒否する俺に、シリカは顔をリンゴのように真っ赤にさせた。

 

「あ、あれはその……ビックリしちゃって……ごめんなさい」

 

 以前《モンスターボックス》を売った日はその後のお喋りも盛り上がり、それこそ『今夜は徹夜だぜ!』のノリでベッドに横になりながら色々な雑談を交わした俺達は、結局二人揃っていつの間にか寝てしまっていた。

 

 その翌日。

 防音の施された部屋に感謝する程の絶叫で叩き起こされ、尚且つベッドから蹴り落とされて目の前に火花が散ったあの件は、今でも深く記憶に刻まれている。

 抱き枕にした覚えもされていた覚えも無いのに、一方的に刑罰を受けるのは今思い出しても理不尽だ。

 しかし、シリカの言葉にも一理あるのは確かだ。

 

「でも確かに装備を新調したから金欠なのは確かなんだよなぁ。……よし、今回はちゃんと寝袋使おう。男女七歳にして云々っていうのを先生に教わったから」

「……もしかしてシュウくん。あの事を誰かに話しちゃったのっ?」

「ほら、早く部屋に帰ろうよ。唯でさえ今日はシリカのクエストを手伝って疲れてんだからさ。もう十時過ぎてるし」

「お願いだから質問に答えてっ!?」

 

 そのまま俺達は食堂を兼ねた宿場の一階を後にして、ガヤガヤ騒ぎながらシリカの部屋を目指して階段を上がっていく。

 

 余談だが、この会話を聞いていた男性プレイヤーは血の涙を流したり壁パンチならぬテーブルパンチをかましたり、女性プレイヤーは『若いわねー』みたいな表情をしていたとか、していなかったとか。

 

 ちなみにこの後俺は『お客さんを床で寝かすなんて真似は出来ない』と主張するシリカと対立し、数時間に及ぶ討論の末に二人揃って寝袋――シリカは持っていなかったので俺のを貸し出し――に包まって床に寝るという未来が待ち受けている事を知らなかった。

 

 

◇◆◆

 

 

 二十二層は美しい針葉樹に包まれた森林地帯だ。

 南岸には今いる主街区《コラン》。北岸には迷宮区。

 中央では巨大な湖が幅を利かせ、その周辺には大小沢山の湖沼が景観の美化に貢献している。

 モンスターは出現せず主街区も農村がモチーフになっているためか、こののどかで静かな場所はプレイヤー達の憩いの場として認知されていた。

 時刻は八月七日午前八時五〇分。

 日本の田舎を連想させる街の中央に位置する転移門広場は、現在――、

 

「人混みヤバっ」

 

 釣り人と化した沢山のプレイヤーでごった返していた。

 目深く被った《グレイブル・ハーミット》のフード越しに見える人達は軽く見積もっても百人以上。

 最前線近くで見かけた姿もあれば、明らかに《はじまりの街》引き篭もり組と思える人の姿もある。

 どうやら先月とは違い金魚の噂は上層にも広がっているようだ。

 ここまで様々な人達が一堂に会すのを見るのは、あの『始まりの日』以来。

 

(でも、あの時とは全然違う)

 

 しかしあの時と違うのは、皆の顔が不安と恐怖に彩られているのではなく笑顔に溢れていること。

 今この時だけは、皆は死の恐怖を忘れている。

 和気藹々とした姿は幸福感に満ち溢れている。

 その中に、先生達の姿は見えなかった。

 

「シリカ、とりあえず先生達はまだ来てないっぽいから。どっか適当で目立たない場所に移動しよう」

「頑張ろうね、ピナ! よーし、沢山釣るぞー!」

 

 ふと横を見上げれば俺と同じように灰色のローブで姿と表情を隠したシリカが意気込んでおり、それに応える様にフードの中からピナが飛び出す。

 両拳を掲げて気合を入れている少女と、その周囲を踊るように飛ぶ小さな竜の姿は見ていて微笑ましくとても絵になる光景だ。

 ……完全に俺の気遣いをご破算にしている訳だが。

 そして馬鹿竜に怒鳴ろうとするも、当然、

 

「うお、シリカちゃんじゃん!」

「ここで会えるなんてラッキー!」

 

 

 注意する前に周囲の人達が顔を隠したシリカの存在に気付いてしまう。

 ビーストテイマーの中でもフェザーリドラを連れているのは一人しかいない。

 しかも被っていたフードが肌蹴ているので特定なんて簡単。それも、中層以下プレイヤーが多く集まるこの場所では特に。

 最初に気付いた太っちょと細身の太細コンビを皮切りに、沢山のプレイヤーがシリカへ群がっていく。

 

「なになに、君も金魚を釣りに来たの!?」

「なんだったら一緒に釣りに行かない? 俺、こう見えて釣りスキル高いんだぜ」

「おいおい、お前らなんかより俺達と一緒の方がシリカちゃんも楽しいに決まってんだろ!?」

「なによ、同じ女同士なんだから私達の方が良いに決まってるわ!」

 

 困り果てるシリカもお構いなしに彼等は勧誘を続け、次第にそれはシリカ争奪戦へと変貌する。

 それに巻き込まれたくなかった俺はさりげなく距離を取り、しかも鍛え上げた隠蔽スキルも駆使して離れる事を決意。

 まるで熊と遭遇した時の対処法の如くジリジリと後退し、視線はオロオロしているシリカから離さない。

 そしてトンズラをかます寸前で、騒動の原因が俺の左腕に飛びついた。

 

「あ、あの! 私、今日はシュウくんと一緒に行動するので、その、ごめんなさい!」

「うわ、この馬鹿っ! 俺の名前出すなっ!」

 

 計画をぶち壊してくれたシリカを引き離そうとするも中々に力強く。

 漫画ならシーンという擬音がデカデカと張り出されているだろう静まり返る周囲に、俺は額に手を当てずにはいられない。

 小さく「あっ」と呟くシリカにツッコミを入れる気にもなれなかった。

 

「――シュウ?」

 

 スペル違いで名前が重複する事はたまにある。

 しかし俺は自分で言うのも悲しいが話題に事欠かない有名人。

 それこそ二つ名はプレイヤー内で最多。

 攻略組としての知名度も割と高い方。

 彼等が俺に気付くのも時間の問題だった。例えフードで顔を隠していたとしても。

 

「シュウってあの……」

「その低い身長。もしかして《魔物王》のシュウか!?」

「そういや使い魔収納アイテムをゲットしたって噂聞いたぞ。じゃあお前も一緒にどうだ!?」

「そうそう、シリカちゃんと一緒に君も――」

「ああ、たくっ、シリカの馬鹿! そんでお前は身長で判断するなっ!?」

 

 身長を指摘した細身の男の尻を蹴っ飛ばしてから右手を小さな箱――横一列に並ぶ箱の中で三番目をタップする。

 ポンッというコミカルな開閉音に白い煙と共に現れたのは赤毛の豹。勇猛果敢なうちのエース《レッドパンサー》のタマだ。

 ピナやポチならいざ知らず見た目獰猛な強面顔のタマの出現に周囲が驚き、戦慄いている間に、シリカの手を引きながらタマの背に跨った。

 

「タマ、GO!」

 

 滑らかな赤毛の背中に手を添える。そしてアスリートのように鍛え上げられた流線系の腹を足で挟んで身体をホールド。

 俺の後ろへ片側に両足を出す横向きの体勢でシリカが座り、その肩にピナが停まった途端、自慢の脚力を披露するタマは颯爽と広場から飛び出した。

 

「シュウくん、速い、速いよっ!」

 

 風圧が顔を打ち、背景が背後へと流れるスピードは流石の一言。

 その初めての速さに驚くシリカは俺の腰にしがみ付くが、恐怖を感じている顔ではなかった。

 これはジェットコースターに乗る子供が見せる無邪気な顔だ。

 しかし、

 

「……あれ? シュウくん、どんどんスピードが落ちてるよ?」

 

 失速するタマに比例して怪訝な顔を見せるシリカ。

 そして振り向く俺の目は冷やかなもの。

 

「いや、流石に二人分の重量は運べないから」

 

 俺だけでギリギリなのにシリカも加えて長時間駆けられる筈もなく、疲労に満ちた吐息を量産するタマを労ってから素早くモンスターボックス内に戻し、民家に立て掛けてある木材の影に二人と一匹で潜り込む。

 息を潜め、その側を十数秒後に大勢のプレイヤーが駆け抜けていく。

 次第に地響きが遠のいて人の気配が薄れてゆき、面倒事が去った事に安堵の息を零してから隣を見た。

 冷や汗を掻き、視線を泳がせているシリカの事を。

 

「しょーがない。リクに頼んで現地集合にしてもらおう。誰かさんの所為で」

「……ごめんなさい」

「シリカ、後で正座。何のためにピナも隠せるゆったりローブを貸したと思ってんの」

 

 目立つのが嫌なのでローブを被って正体を隠す事にした俺達。

 それでもなるべくピナを収納したくないという優しさを買って大きめのローブを貸したのに結果は見ての通り。

 隣で落ち込んでいるシリカを尻目に、俺は予定変更のメッセージをリクに送るのだった。

 

 

 ◇◆◇ 

 

 

 リク達が釣り場に選んだのは最東端にある湖だった。

 直系はおよそ一五〇メートル。

 昨今の日本では中々見られない澄んだ淡水に、湖畔に青々と繁る針葉樹林が夏の陽射しを遮ってくれる。

 青空を映し出す水面は宝石のようにキラキラと輝き、風が吹く度に零れる葉擦れの音が優しく耳朶を打ち、ざわめく水面と共に清涼を運んでくる。

 今日はアインクラッドでも特に暑い日。

 それでも木陰に腰を下ろす俺達は確かに涼しさを感じていた。

 偶然見つけたとリクの言っていたこの場所は街から離れているためか人気も無い隠れスポットみたいで。静かな空気が実に心地良く、疲れた心を癒してくれる憩いの場だ。

 

「…うぅ……」

 

 そして景観が素晴らしいからこそシリカの表情は現状にそぐわぬものとなっていた。

 その原因は俺なのだが容赦はしない。

 

「……シュウくん……この正座っていつまで……」

「皆が来るまで」

 

 ポチやピナといった使い魔四匹が元気に湖畔で戯れる間、シリカは泣きながら律儀に正座を続けている。

 現実と違い足は痺れずとも気分的に苦痛を感じているのだろう。

 もしかしたら、こんなのどかな風景の中、ピナと戯れる事が出来ないのを嘆いているのかもしれない。

 潤んでいる涙目姿には正直かなり罪悪感を覚えるが心を鬼にする。

 これも教育だと割り切って。

 

(……にしても、今のシリカを写真に撮って売ったら幾らになんだろーなー)

 

 記録結晶でこの姿を写真に撮ってアルゴ経由で捌けば幾らに化けるか打算していた時だ。湖畔を駆け回っていたポチが西を向いて唸り声を上げる。

 瞬間、空気が張り詰めたのは俺の所為。

 モンスターの出現しない安全地帯でもここは仮にも《圏内》の外。プレイヤーの襲撃は常に注意しなくては生きていけない。

 ピリピリと、近寄り辛い雰囲気を発する警戒態勢の俺に目を白黒させるシリカを放っておいて、《黒狼牙+22》の柄に手を掛け、この湖畔へ通じる唯一の一本道を睨み付ける。

 

「おーい!」

「悪いシュウ。遅れたー!」

 

 そして聞き覚えのある声に安堵し、詰まっていた息をそっと吐いた。

 道の奥から姿を見せるのは発案者であるリクを先頭にした家族達。

 最初の頃より増えて総勢十八人となった彼等は、和気藹々とした騒がしい姿で湖畔へと歩いてくる。

 俺を除けば稼ぎ頭である中層プレイヤーの片手長剣使いで、さんばらに切り揃えられた茶髪のリクは、爽やかな笑みを浮かべつつ大きく手を振っていた。

 その後ろには眼鏡で海色のショートヘアを見せる両手剣使いのカイに、逆立った水色の短髪に長身のメイス使いのクウが続く。

 現実では幼馴染にしてクラブサッカーチームに所属している三人は俺達の方へ駆け寄る。

 年齢に反して三人揃って背の高いイケメン面を存分に見せ付ける彼等は、俺の嫉妬に塗れた視線を浴びながら遅れた事を謝罪。

 そして俺の隣で正座している少女を見てからフリーズする。

 わなわなしながら口の開閉を繰り返す三人にシリカが首を傾げた途端、

 

『りゅ、竜使いシリカぁっ!?』

 

 三人の驚愕した声が湖畔に響き渡った。

 すると、いきなりな大声に耳を押さえていた俺はリクに腕を掴まれて遠くへと連行されてしまう。

 その身のこなしとスピードは攻略組も真っ青な早業だ。

 

「ちょ、何でここにシリカちゃんがいるんだよっ」

「昨日誘ってみた。ダメだった?」

 

 中層のアイドル《竜使い》の名前は当然リク達の間にも広がっている。

 少し遅れて後から着いてきたカイとクウも話に加わり、顔をつき合わせながら女子禁制のザ・男子トークが始まった。

 

「ちょっとしたサプライズ。どやぁ」

「でかしたシュウ! なんつー羨ましい人脈してんだコノ野郎は!」

「いや、グッジョブだよ。ホントに。ナイス判断」

「こんな所まで攻略組かコノヤロー!」

「ちょ、誰が上手いこと言えとっ」

 

 リクは俺の肩に腕を回してそのままヘッドロック。

 カイが背中をバシバシ叩き、クウが頭をぐりぐりと撫で回してくる。

 こういった手荒い称賛は男ならではの友情表現なのだろう。

 この手のノリは嫌いじゃない。野球でホームへ生還した時に受ける気持ちの良い歓迎に似ているから。悪い気は当然しない。

 シリカの参加を黙っていた甲斐があったというものだ。

 彼等がシリカのファンである事を知っていたから。

 

「ほら、シュウ。お友達が困ってるわよ?」

 

 鼻高々にドヤ顔を披露していると耳当たりの良い優しい声を背後から掛けられた。

 それは女性のもので、この声に何度助けられたか分からない。

 世話になった恩師の名前を訊かれた時、真っ先に答えるだろう相手。

 あのままでは廃人になってしまったかもしれない俺を救ってくれた命の恩人。

 暗青色のショートヘアが健在のサーシャ先生は、腰に手を当てながら困った子を見る目で俺に視線を向ける。

 まったくしょうがない子ね、という風に眉根を寄せているが口許の緩んでいる姿を見れば、俺との再会を喜んでくれているのは凄く良く分かる。

 それが、筆舌し難いほど嬉しい。

 だから、

 

「おはよう先生」

「おはよう、シュウ」

 

 だから、俺も笑顔で先生に笑いかけるのだ。

 そのままのノリで一度先生と抱擁を交わし、にやにやとした表情を見せるリクとクウを睨み付けてから、元いた木の根元へ向う。

 普段なら俺よりもポチ達の方へと歩み寄ってしまう家族達は、全員漏れなくシリカを囲って質問攻めにしていた。

 

「はいはい、シリカが困ってるから自己紹介は順番に。それで、シリカ。あの人がサーシャ先生」

 

 挨拶しながら人の垣根を越えてゴールに辿り着く。

 救いの主を見つけたと言わんばかりの笑みで出迎えてくれたシリカは、背後の先生に視線を移すと直ぐに頭を下げた。

 

「は、始めまして! あたし、シリカって言います。シュウくんとはお友達で、その、よくしてもらっています!」

 

 先生はそのガチガチに緊張した挨拶に柔和な笑みを更に深めた。

 その包容力のある笑みからは先生としての貫禄が滲み出ている。

 これが大人の余裕というやつなのだろうか。

 

「始めまして。私はサーシャ。この子達の保護者で、皆からは先生って呼ばれてます」

 

 よろしくね、と微笑んでからシリカの頭を一撫で。

 恥ずかしがりながらも素直に受け入れ、擽ったそうに首を縮めるシリカの顔は赤く、連動して何人かの顔が赤くなったのを俺の観察眼は見逃さない。

 ついでにシリカに見惚れたギンの脇腹を小突くミナには微笑ましいものを感じてしまう。

 これが俗に言う青春ってやつだ、きっと。

 

「はい、よろしくお願いしま――」

「はいはい! 俺、リクって言いまーす! ギルド《三界覇王》のリーダーです!現実ではコイツ等とはサッカーやってて、ポジションはFW。今後ともよろし――」

「僕はカイ。この短絡馬鹿な幼馴染二人のブレインをやっていて。ちなみにポジションは――」

「俺はクウ。まあ、頼りないコイツらを守る兄貴分ってとこなんで――」

「「邪魔すんな馬鹿っ!」」

 

 ……幼馴染の挨拶を遮り、出し抜き、第一印象を良くしようと画策する彼等に友情は果たしてあるのだろうか。

 シリカの対面というベストポジションを奪い合うリク達のやり取りは、そのままプロレス技の掛け合いに発展し、それを見る皆はもう慣れっ子で、笑い、煽り、果ては呆れている。

 その見慣れた光景に着いて行けず呆然としているシリカだったが、その戸惑い顔は次第に笑い顔へと変化していった。

 

「面白い人達だね」

「喧しいし調子の良い奴等だけど……うん、ムードメーカーなのは確か」

 

 シリカと同い年。

 最年長であるギン達が皆のまとめ役なら、同じく最年長であるリク達はぶっちゃけて言えばお笑い担当。

 その評価に恥じることなく笑いを振り撒く彼等に先生の鉄拳制裁が下るまで、俺達は笑い続けた。

 

 

 

 

 




敬語じゃないシリカの口調がここまで難しいとは。少しシリカとは分かり辛いかもしれません。申し訳ないです。
今思えば貴重な敬語キャラだったんですね。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十四話 七日の金魚Ⅱ

 SAO内の釣りとは一にスキルで二に釣り道具。

 いくら良い道具を使っても《釣り》スキルが高く無ければ釣果率アップは望めない。

 それでも、例えスキルが無くても一定の確率で目的の魚――《ゴールドフィッシュ》を二十二層のどこでも釣れるのは茅場晶彦の優しさだろう。感謝するのは癪だし、そんな気遣いが出来るならデスゲームをなんとかしろと罵倒したいが。

 

 コランで売っている一番安い竿と餌、スキル無しの条件下で釣りに励めば五〇〇匹に一匹の割合で金魚は釣れる。

 SAO内の釣りに待ち時間は無く、数十秒で釣れるか餌を取られてしまう事から逆算すれば、《釣り》スキルの無い俺やシリカでもだいたい三時間に一匹は釣れる計算だ。

 エサは一番安くてポピュラーなミミズ十匹セットが五〇コル。勿論値段が高いほど釣果率は上がる。

 しかし俺とシリカはゲーム性を高めるため同じ条件で釣りに挑んでいた。

 幸いな事に食事代を浮かせるため《釣り》スキルを覚えている教会家族が多く、釣りを始めて三時間になるがもう数十単位で金魚を釣っているからこその遊び気分。

 そして今、皆合わせて合計で四〇匹目の金魚が針に掛かった。

 

「フィーッシュ!」

 

 仕掛けがピクピクと二・三度浮き沈みを繰り返し、竿先が湖へ引き込まれる程に強く沈んだ瞬間に竿を上げる。

 釣り糸がピンっと張り詰めて竿が大きくしなるのも一瞬。直ぐに目当ての魚型モンスターが天高くに放られた。

 釣れた魚は確かに黄金色。

 しかし体長は三〇センチ以上で小さな足っぽい鰭が幾つも腹にあれば金魚と呼んで良いのか疑問に思えてくる。目もギョロっとしていて牙もそれなり。

 深海魚っぽい奴は奇声を上げ、頭上に緑色のHPバーを携えながら急降下してくる魚は中々に不気味。幼稚園児クラスが見たら絶対に泣く光景である。

 

「いやそれにしても、見た目は全然金魚じゃないよね、とッ!」

 

 体術スキル基本技《閃打》。

 ぶっちゃけただの正拳突きを金魚の顔面に叩き込み、水切りの要領で盛大に水面を跳ね飛ぶ金魚は瞬く間に爆散する。

 直ぐに眼前に浮き出るウィンドウには過去最低の獲得経験値1が表示され、《ゴールドフィッシュの肉》がアイテムストレージへ収納された。

 レベル1のプレイヤーでも一撃死させられる金魚にソードスキルまで放つのは完全なオーバーキル。しかし一撃で簡単に葬れる金魚を豪快に吹っ飛ばすのは気分爽快。自然とテンションが上がってしまうのも無理は無かった。

 

「ハッハッハ! これで五匹目ー!」

 

 ハイテンションで高笑いする俺の隣で餌の交換をするシリカの目はジト~っとしたもので、小ぶりの口から零れるのは溜め息である。

 

「……何でシュウくんはそんなに釣れるんだろ」

 

 最初はミミズに触るのにも抵抗があり一々俺を頼っていたシリカも、今では慣れた手付きで餌を付けて仕掛けを静かに湖へ落とす。

 直ぐに反応があって竿を上げても、そこにあるのは餌の取られた釣り針のみ。

 再度彼女の口から溜め息が零れた。

 昼までに何匹釣れるかの勝負で敗北の兆しが濃厚になってきた事に今更ながら危機感を抱いているようだ。

 

「俺のリアルラックを甘く見たなシリカ。俺に確率勝負を挑むのが間違いだった事を思い知るがいい」

「うぅ……思わず納得しちゃった自分が憎いっ」

 

 しかし気合と意気込みでどうにかなる程このデスゲームは甘くない。

 いくらリアルラックの高いシリカも俺に遠く及ばないのは《魔物王》の有無が証明している。

 おそらく全プレイヤーで一・二を争う幸運値を持つ俺に釣り勝負を挑むのが愚の骨頂だったのだ。

 そして、

 

「皆、そろそろご飯よ!」

 

 

 

 ――今、第一回金魚釣り勝負が幕を閉じた。

 

 

 

「これで五対三。俺の勝ち」

 

 三時間で一匹釣れるかどうかで合計八匹。一匹で二・三人分になるので充分な量だ。

 釣りをしていた皆が次々と先生やミナ達、料理スキル持ちの元へ集まる。

 負けたショックから立ち直れずに両手両膝を付いていたシリカも肩に停まるピナに慰められ、漸く顔を上げた。

 ちなみにポチ達は非釣り人の子供達と一緒に遊んでいる。

 ジュエリーラット並みの最弱モンスターとはいえ金魚はモンスター。

 デザインも相まって怖い人には怖いのだ。

 

「罰ゲーム、何を命令しよっかなー」

「お、お手柔らかにお願いします」

 

 負けた方が何でも言う事を聞く。

 テンプレながらもこれほど恐ろしい罰ゲームは存在しない。

 強制命令権を得たまま口許を引き攣らせるシリカの手を引いて先生達の下へ急いだ。既に料理が皆の手に渡っていたからだ。

 ピクニックシートや朽ちた倒木など思い思いの所に座った皆は昼食の合図を待ちわびている。

 そしてシリカの好感度を上げようとスタンバっていた三界覇王のメンバーに短時間で彼女に懐いた兄弟達は、貢物を持って群がった。

 

「シリカちゃん、これ、シリカちゃんの分! 一番美味そうな焼き魚!」

「リクのよりこっちの方が美味いぜ!」

「まあ、好きな方を貰ってあげて。はいこれ、飲み物は麦茶で良い?」

「シリカ姉! おにぎりもあるよ!」

「カレーも!」

「あ、ありがと……きゃっ、ちょ、そんなに食べられないよ!?」

 

 沢山の料理を押し付けられたシリカはここでも人気者。

 主に男子から隣に座れと引っ張りだこにされるも、結局は一番仲良くなったミナに助けられて女子グループと一緒にシートへ座る。

 彼女の横を確保出来なかったリク達が「ガッテム」と胸中で叫んでいそうな顔芸を披露するのを肴に、俺は鍋や飯盒の所でスタンバイしている先生へと近寄った。

 アスナさんと師匠用に二匹だけ金魚をキープして、残りを先生にあげる。

 

「シュウは何を食べる?」

「当然全部で」

「言ったからには残しちゃダメよ」

 

 寸胴鍋の中から漂うカレーの匂いが食欲を誘い、鰻の串焼き感覚で串に刺さったゴールドフィッシュの切り身からは脂が滴り落ちる。

 ピクニックというよりバーベキューに近いメニューだし統一性も皆無だが、沢山ある料理全てが美味そうなのだから文句無い。

 両手一杯に昼食を受け取った俺は、ギンやリク達のリーダー格が集まったシートに腰を下ろした。

 

「皆、ご飯は行き渡った? それじゃあ――」

『いただきまーす!』

 

 先生の許しを得た俺達は昼食を開始。

 外に出ている事もあってテンションの高い俺達はいつにも増して騒がしく、戦場という例えが適切なほど料理争奪戦を勃発させる。

 しかし、慣れとは恐ろしい。

 最初は呆然として食の進まなかったシリカも今では立派な仲間入り。

 ミナと一緒に焼き魚争奪戦に参戦しているのを見る限り見事に毒されている。流石は食べ盛りの子供達だ。

 焼いてあった魚、おにぎり、カレー、その他諸々のおかず達は見る見る内に数を減らしていった。

 

「……凄い。予想以上だ、コレ」

 

 噛み応えのある食感、それでいて綺麗に噛み切れ、口内で解れる毎に充満する旨みとジューシー感は神に感謝するほどに美味い。

 牛肉ステーキの如き脂の乗ったジューシー感は予想以上。

 今まで食べた料理の中では断トツの味に自然と手が震え始める。

 食材ランクBも納得。塩で味付けをしただけでこの味だ。

 だからこそ、

 

「ああ、醤油が欲しい」

「だよなー」

「塩焼きも美味しいけどね」

 

 この意見にギンとケインも同意する。

 調味料の不備で食材を生かせないのはゴールドフィッシュに対しての冒涜だ。

 普段食材に拘りを持たない俺でもそう思えてくる美味さを秘めている。

 焼き魚も確かに美味い。

 けれどもこれだけ身に脂の乗った魚なら刺身もまたとんでも無く美味い事だろう。

 イメージではマグロの大トロにも勝らない味に違いない。

 

(頑張れ……頑張ってアスナさん)

 

 だから調味料開発に勤しむアスナさんには是非頑張ってもらいたい。

 醤油完成の時は是非ともゴールドフィッシュを持参しようと思う。

 そのまま焼き魚に舌鼓を打ち、先生の作ったカレーにミナが握ったおにぎりで腹を満たした。

 

「で、ポチ達は相変わらずと」

 

 ポチやクロマル、タマといった使い魔組も女子グループやこちらを行ったり来たりして食い物のお零れに預かっていた。

 使い魔は食事を必要としない。けれども食料を渡せばしっかりと食べる。

 愛玩動物のポチが焼き魚をハグハグと食べる姿は女子に、タマが豪快に焼き魚に齧り付く姿は男子に大変人気があった。

 

「……クロマル、泣くなよ。俺はお前が大好きだから」

 

 仄かに哀愁を漂わせながら足元に転がってきたクロマルを抱き上げ、頭?を撫でながらオヤツ用に入手しておいた《メタルライト・ストーン》――本来は《重金属作製》用アイテム――をクロマルに食べさせる。

 俺は平等に愛情を持って接しているのだ。

 そんな風に胡坐の上に収まったクロマルに鉱石を食べさせ、片手間にカレーを完食した俺に話しかけたのは、ギンだった。

 

「なあシュウ。あの子も戦えるんだよな」

「そりゃあ、ね」

 

 カレーを食べるギンの目はミナ達と談笑しているシリカに向けられている。

 実際シリカは俺と同時期ぐらいに戦い始めたプレイヤー。

 俺とレベル差があるのは潜った修羅場の数と戦闘時間の違いからで、少なくとも活動拠点の第八層をソロで潜れるだけの実力はもっている。

 外見と実力は必ずしも一致しない事を証明する少女を見る目は暗く、それでいて自虐めいた笑みを浮かべてカレーをがっつくギンに違和感を覚えた。

 

「どうしたん?」

「いや……あんな女の子でも戦えんのにさ、俺は街に引き篭もってるだけで良いのかなって」

 

 ギンの呟きにケインも食事の手を止める。彼等は厳しい言葉を使うならドロップアウト組。

 死を恐れ、誰かがクリアするまで引き篭もる事を決めた者達。

 庇護されて当然の子供なのだから《はじまりの街》に引き篭もるのは当然、と考えるのは簡単だ。誰も責めたりなどしない。

 しかし彼等は自分自身を責める。

 守られるだけで良いのか。人任せにして良いのか。

 自責の念が心を蝕む。

 俺みたいな前線で戦う年下がいるから、余計に。

 ギンとケインはその事をずっと考えていた。

 

「何事も適材適所。ギン達が皆をまとめてくれてるから、僕達は安心して冒険出来るんだよ。先生だってギン達のこと頼りにしてるんだから」

「そうそう。今俺達みたいに数日間単位で消えられたら先生も困っちゃうぜ」

「ま、それでも思うところがあるんなら俺が稽古付けてやるよ」

 

 自責という名の暗い闇に覆われた心。

 そこに光を射したのはカイを筆頭にした三界覇王の面々だった。

 定期的に仕送りをしているとはいえ比較的好き勝手に行動し、最古参としての監督責任を放棄して教会の事を全部ギン達に任せている俺ではなく。

 普段から生活費を稼ぐために冒険し、皆との時間を共有している彼等だからこその温かみが言葉に込められていた。

 

(流石はムードメーカー組。俺なんかが慰めるよりもよっぽど言葉に深みがある)

 

 頻繁にメッセージを交わすとはいえ数週間に一度の時間共有ではやはり親密度は下がっていく。

 それは俺ではなくポチ達の方に関心を示す皆を見れば分かるだろう。

 家族とは思っていても、俺が主に話すのはギン達リーダー格と三界覇王の彼らが殆ど。表ではなく心の深いところでどんどん疎遠になっているのを自覚する。

 しかし、寂しい気持ちに負けて攻略をやめる気は無い。

 今回みたいな休みは例外で、頻繁に教会へ帰る時間があるのなら少しでも長くダンジョンに潜る事を選択する。

 俺は今の生活ではなく、現実世界での未来ある明日を望むのだから。

 家族意識や友達意識を芽生えさせるのは現実に帰還してからでも充分。

 未来を手に入れてから大事に育めば良い。

 この休暇は、そういう意味でも気持ちを再確認する良い機会になった。

 

「なーに辛気臭い顔してんだよ。もっと楽しくやろうぜ」

 

 ギンとケインはこの場にいない。

 まとめ役の責務を果たすため発生した喧嘩の仲裁に出向いてしまったから。

 俺の気持ちを知ってか知らずか。

 食事を終えたリクが背後からヘッドロックをかましてきた。

 陰気な空気を吹っ飛ばすように。

 

「で、お前はシリカちゃんとどーなんだよ、そこんとこ」

「あ、それ。俺も気になる」

「シュウも年頃だからね。そこら辺はどうなの?」

 

 恋バナが好きなのは女性限定ではないらしい。

 気分はすっかり修学旅行の夜のお喋り。円陣を組むように顔をつき合わせる。

 興奮しているのか鼻孔を膨らませているリクとクウを冷やかに見て、冷静を装いながらも目がマジなカイに少し引いてから、先生も交えてミナと談笑しているシリカを見た。

 時には笑い、時には焦って、時には赤面する。

 両手を振って何かを否定しているシリカは俺の視線に気付いて小さく首を傾げるが、何でも無いとアイコンタクトを送ってから三人に視線を戻す。

 

「いや、別になんもないって。シリカはただの友達。というより妹みたいなもの?」

 

 俺がシリカに抱いている気持ちを言葉にするなら『妹』という表現が一番的確。

 共通点が多い所為だろう。

 最初の出会いは決して良いものでは無かったが、結局は同じビーストテイマーで年齢と性別から苦労していそうな彼女を放っておくことが出来ず、何だかんだ言って度々相談に乗っていた。

 そこに煩わしさは感じない。

 話すのは楽しく、からかい甲斐もある少女。

 ピナと一緒に一喜一憂する姿は見ていて微笑ましさを感じる手の掛かる可愛い妹分。それがシリカだ。

 そう一人で納得してうんうん頷いていると、額を軽く小突かれた。

 

「僕達の中でも一番の末っ子が何言ってんだか」

 

 正面に座るカイの目も、言葉も、完全に呆れ気味。

 

「ハァ……そーだよなぁ、シュウってまだまだお子様だもんなぁ」

「俺みたいな男の魅力に欠ける子供に恋愛事なんてまだまだ早いもんなぁ」

 

 両手を肩の辺りまで上げて掌を空に向けるリクとクウのポーズは、俗に言う欧米リアクション。

 その言葉と仕草に思わず鼻を鳴らした。

 

「たった二つ年上なだけで威張んな! 俺にだって気になる人……ぐら……い……」

 

 そうして脳裏に再生されるのは一人の笑顔だった。

 初めてボス戦に挑んだ時、お疲れ様と微笑んでくれた笑みは、戦闘スタイルに関わらず《閃光》の異名が相応しい程に煌びやかなものだった。

 優しくて、心配性で、時折見せる負けず嫌いな所が子供っぽくて可愛らしい、攻略組のアイドルスター。

 SAO内で五指に入ると言われる容姿端麗性格美人の完璧女神様。

 言葉を詰まらせて顔を赤くする俺を怪訝に思ったのか。

 三人はヒソヒソと内緒話を開始する。

 隠しもしない大声を内緒話に加えて良いのかは甚だ疑問に思えるが。

 

「ちょっと、見てくださいよリクの奥さん。軽いジャブにこの子ってばマジ反応ですわよ」

「そうですわねクウの奥様。これはもう大尋問会を開くしかありませんのことよ」

「まあ、この馬鹿な二人はほっといて。シュウはいったい誰が好きなの? 僕達の知ってる人?」

 

 厄介な事に三人はかなり興味を抱いていた。

 鼻息荒く迫ってくる姿には鬼気迫るものが感じられる。

 

「いや、そんな人いないから。うん、全然。まったく、これっぽっちも」

「まったまたぁ! ほら、俺等の仲だろ!? 言っちまえって」

「いーえーよー。俺等も教えるからさー」

 

 いくら首を横に振ってもリクとクウが執拗に迫ってくる。

 頭をパシパシ叩き、頬をぐりぐり突いてくる。

 更には彼等のニヤケ顔が酷く癇に障り、思わず右腰に手が伸びた。

 カチッという鍔鳴り音は予想以上に効果があったらしく、詰め寄っていた三人は直ぐに俺から距離を取る。

 充分及第点な反応には彼等の成長を嬉しく思う反面、かなり忌々しい。

 

「おお、良いよ、その反応。常に周囲を警戒するのは良い事だから。怖いのはモンスターだけじゃないからね……くそっ」

 

 柄から手を離して盛大な舌打ち。気持ち的には地面に唾も吐いている。

 途端、激昂した彼等に再度詰め寄られた。

 余程ビビったのか顔面蒼白なのは鼻で笑ってやる。

 

「おまっ、ちょっとからかったくらいで短剣抜こうとするなよ!? いつからそんな沸点低くなったんだ!?」

「兄貴分に向ってマジ攻撃とかドン引きだっつーのっ!」

「最悪オレンジになるのに馬鹿か君は!?」

「俺はソロだから最悪二・三日オレンジになっても全然オーケー」

 

 オレンジカラーのプレイヤーは《圏外》設定のされた街に入るとガーディアンに叩き出されてしまうため、例えツッコミ程度の攻撃でも武器を用いるのは本来なら忌避すべき。

 当然、人としても他人を意味無く傷付けるのは許されるべきではない。

 だからコレは軽いジョークだ。

 ずっとアイテムストレージの肥やしになっていたレベル1の麻痺毒効果を有する短剣を素早く装備フィギュアにセットし、掲げながら三人に近寄るのも、全てジョーク、ただの冗談。

 小波のようにうねうねしている緑色の刀身、なんとも健康に悪そうな低威力のドロップ品を見たリク達は露骨に顔色を悪くした。

 

「大丈夫、今なら軽い麻痺毒くらわして湖に突き落とすだけで許してあげるから」

 

 三人は命を第一に考えているビルド構成なため敏捷値よりも筋力値、つまり耐久性に重点を置いている。

 レベル差が倍以上あっても攻撃力の低い短剣なら黄色の注意域にも達しない。

 その事は当然彼等も分かっている。

 だからここでの正解は、自分は本気であると威圧的な笑顔で近寄って彼等を驚かすこと。

 一歩近寄る度に顔面蒼白で後退するリク達が滑稽で、どんどん溜飲を下げていく。

 一歩、また一歩。

 近寄る度に湖側へと追いやられる三人も見れた事だし、そろそろ許してあげようと口を開こうとしたその時だ。

 

「コラ、ダメだよシュウくん。そんな危ないことしたら」

 

 やけにお姉さんぶった口調が耳に入る。

 同時に耳へと掛かる吐息が妙に擽ったく、ここまで漂うペパーミントの香りが頭の中をクリアにした。

 背後から両脇に手を差し込まれて無理やり拘束。

 背中に感じるプレスト・アーマーの固い感触を飛び越え、心臓の動悸が微かに伝わってくるほど、俺達の距離は近い。

 その身長差から爪先立ちを余儀無くされて無理やり背後を振り向けば、そこには推測通り呆れ顔100%のシリカの姿が。

 更には俺の顔面に着地したピナによって視界までも黒く染められる。

 しかし視界ゼロの状態でも、リク達の口ぶりから彼等がどんな顔をしているかは簡単に想像出来た。

 

「流石シリカちゃん、もっとやってください! 僕等の安全のために!」

「この反抗期気味な末弟に鉄拳を!」

「そんでシュウ、お前みたいなリア充は爆発しちまえ!」

 

 元々俺とシリカでは筋力値にかなりの差があるので、俺が本気を出せば彼女は長時間拘束する事は出来ない。

 しかし本気を出す前に密着状態にある事を今更ながら照れを感じたらしく、拘束が緩んだ隙に力強く大地を蹴る。

 ピナも振り落とし、調子に乗っている三人に近付こうとするも、彼等は既に退散した後だった。逃げ足だけは本当に速い。

 今では先生の近く(絶対安全圏)でしってやったりと言わんばかりにアカンベーをしている。

 それを見て再び怒りが込み上げるが直ぐに先生の鉄拳制裁を食らっていたので、ざまあみろと舌を出してから《ナミングダガー》を収納した。

 腰に出現した黒狼牙の重みを確かめてから背後を振り向く。

 

「……で、こっち来てどうしたん?」

「飴、シュウくん達もいるかなって思ったんだけど……」

 

 あはは、と乾いた笑みを浮かべて苦笑いするシリカの手には小さな飴が乗せられている。

 俺達四人に渡す筈が一人になってしまったので、彼女の抱いた気持ちも何となく分かった。

 憧れのアイドルプレイヤーとの接点を自ら潰すとは愚かな連中だと、俺の中の小悪魔が喝采を上げてる。

 

「ああ、その匂いって飴だったんだ」

 

 SAOの《嗅覚再生エンジン》は現実顔負けの精度を誇るため匂いというものにプレイヤー達はそれなりに敏感。

 カレーを食べた後なら誰だって口臭は気にするものだ。体臭は無く、時間が経てば口臭が自然と無くなるにしても、口臭を気にするのはエチケット。

 先程の清涼感が溢れてスースーする匂いは、シリカの舐めている飴から発せられるものだった。

 

「ありがと」

「どーいたしまして」

 

 可愛らしいエメラルド色の包みを剥がしてビー玉みたいな飴を口の中に放り込む。

 《はじまりの街》に売られている安物の嗜好品でも、このデスゲームでは珍しく見た目と味が一致する菓子だった。

 久しぶりに食べる飴の食感。

 口の中でコロコロ転がして楽しみながら近くの大岩に飛び乗り、皆が固まっている場所を見て、自然と眼も温かくなる。

 同い年の家族がポチやタマ、そして珍しくクロマルにも群がって共に遊び。

 ギンとケインは年長者らしく喧嘩の仲裁。喧嘩両成敗と言っているのがここまで聞こえた。

 ミナは女子数人と一緒に近くで群生している花を愛で、先生はリク達と共に何かを話している。

 

(久しぶりだなー、こんな雰囲気)

 

 戦場とは程遠い長閑で温かい日々がここにはある。

 心に拡がるポカポカとした温かみが心地良い。

 モンスターと死闘を演じ、痛みはないとはいえ、殺し殺されの殺伐とした生活に明け暮れた所為で忘れていた日常に、荒んだ心も潤いを取り戻す。

 本来なら俺は――いや、全てのプレイヤーは、こういった日常を現実世界で享受する筈だった。

 

(頑張ろう。頑張ってさっさと皆で帰るんだ)

 

 この皆の生活を守り、それを現実世界に紡ぐため。そのために俺は戦っている。

 皆の姿を見ていると戦う気力が湧いていった。

 これで一ヶ月は頑張れる。

 そして楽しそうに、嬉しそうに顔を綻ばせたシリカの笑みも貴重な糧。

 

「シュウくん、今日は誘ってくれてありがとう」

「友達出来た?」

「うん!」

 

 同じく大岩に座って手の触れ合うほど近くに座っているシリカは満面の笑み。

 もう既にミナと一緒に観光名所となっている四層の花畑に行く約束をしていると言うのだから、少し驚く。

 四層の話はたまに聞くので俺も今度アスナさんを誘ってみようと思う。

 

「金魚は美味しかった?」

「美味かった。ヤバかった。想像以上だった」

 

 歴代一位に堂々とランクインする味を思い出して涎が落ちる。

 今の俺はとてもだらしのない顔をしている筈だが改めようとも思わない。

 軽く引いているシリカも許してしまう寛大な心が生まれてくる。

 お腹を休ませたら釣りを再開し、ランクAの金魚を釣る事を固く心に誓った。

 

「――そうだ、そういえばシュウくんに訊きたい事があったんだ」

「なに?」

 

 しばらく皆のやり取りを眺めていると、シリカがそう訊ねてきた。

 しかし彼女はいざ訊ねようとすると口の開閉を繰り返し、金魚のように口をパクパクさせている。

 顔色から重い内容で無い事は察せられるが、訊ねるには些か勇気のいる事なのか。

 それとも重くは無いものの訊ね辛い事なのか。

 

「シュウくん……楽器スキルを取ってるの?」

 

 答えは後者。

 習得スキルの詮索はマナー違反だからだ。

 

「シュウくん、演奏とかする人には見えなかったから、ちょっと不思議だなって思ったの。あ、話したくなかったら話さなくても良いからねっ!?」

 

 何故シリカがこんな事を訊ねたのか。

 それは昨日受けたクエストの内容が原因だった。

 そのクエストとは通称《レギスの楽器職人》と呼ばれているもの。五層の南東にある農村レギスが舞台で、近くの森に出現する樹木型モンスター五種がドロップする木材アイテムをそれぞれ一つずつ渡せば好きな楽器を作ってくれる。

 この製作される楽器の売却価格が中々高価で、モンスターのドロップ率の高さからてっとり早い金儲けの方法かもしれないと一時期話題を生んだ事を覚えている。

 まあ、討伐に必要なモンスターの中で一匹だけ稀少モンスターが居る事が直ぐに発覚し、最後の一種を集めるのが酷く困難であることが広まってから廃れてしまったクエストなのだが。

 実はこのクエストを俺は一週間ほど前にクリアしたばかりであり、手に入れた純白のオルガンは宿の自部屋に置いてある。プレイヤーの持つアイテム制限は数量ではなく重量に影響されるからだ。

 だからプレイヤーの殆どは重たいアイテムは俺みたいに部屋に置くか、又は直ぐに売却するかでアイテムストレージを圧迫しないように注意していた。

 《限界重量拡張》スキルが存在するが無い物強請りをしても仕方が無い。

 

 閑話休題

 

 とにかく趣味スキルも習得せずに戦闘系スキル一辺倒だった俺が楽器を欲していた事をシリカは疑問に思ったのだ。

 ちなみにシリカが俺を頼ったのは、稀少モンスターである《ホワイトライト・ウッド》がどうしても見付からず、ポチの《追跡》スキルを頼ってのこと。

 お陰で昨日は長時間森林内を探索し『一週間に一度遭えるか遭えないか』と呼ばれる異常に少ないポップ率の化け物樹木を半日で見つけ出している。

 《追跡》スキルが有りでもこれはかなり運が良い方だ。

 

「楽器スキルを俺じゃない。楽器スキルを習得してんのは先生。リアルだと音楽の先生志望だから」

 

 それは先生と出会ってしばらく経った頃に聞いた話だ。

 現実世界の事を訊くのがタブーだというルールも知らなかった泣き虫時代。

 知らなかったとはいえ無邪気や好奇心を理由に行った往き過ぎた質問にも、先生は嫌な顔一つせず質問に答え、構ってくれた。

 あの一時は今でも大事な宝物の一つである。

 

「今度、先生は誕生日だからさ。楽器をプレゼントしたら喜ぶかなって思ったんだ」

 

 本当はピアノとか渡したかったが今回はそれに近いオルガンで我慢してもらう。

 俺はレアな楽器。

 リク達は現段階で最高級の調理道具。

 ギン達は小遣いや街内で無限ドロップされるアイテムを収拾し、売った金で衣類を購入する。

 カリスマ裁縫師のアシュレイさんを紹介してくれたアスナさんには感謝だ。

 

(……紹介を頼む代わりにさんざん着せ替え人形にされたけど、ハハ)

 

 そう一ヶ月も前から準備を進めていたサプライズパーティーの頑張りを脳内で再生していると、隣では何やら大きな瞳をウルウルさせている者が一人。

 誰だかは説明するまでもない。

 

「あたし……あたし、感動しちゃった!」

 

 全身で『泣ける、感動した!』と叫ぶシリカの放つ尊敬の眼差しを一身に浴びる。

 本来ならきちんと想いを受け止めて天狗になるなり謙遜するなりする筈が、その勢いには興奮だけでなく狂気めいた者を感じで思わず仰け反った。

 後退した分、身体を前に。

 ああ、さっきのリク達はこんな気持ちだったのかと少し反省していると、女子特有の柔らかくて、温かい小さな手がわしゃわしゃと黒髪を撫で付けた。

 

「シュウくん、良い子だねぇ。よしよーし」

「子供扱いすんな! シリカの癖に!」

 

 無駄にお姉さんアピールするシリカの笑顔と生暖かい視線が果てしなくムカつく。

 乱暴に手を払って睨み付けても年上目線を止める気配は皆無。

 柔らかな笑顔が止む事は無かった。

 

「でも、シュウくん達も良い子だけど、サーシャ先生も良い人だよね。シュウくんが大好きなのも分かっちゃった」

 

 ふと、その笑顔を前方に向けるシリカ。

 先程とは質を変えた笑みと視線には憧憬の気持ちが芽吹いていた。

 先生と何を話したのかは生憎と把握していないが、笑って、照れて、仲睦まじく談笑していた姿を見れば、シリカもまた先生の温かさに触れた事は訊かなくても分かる。

 

「先生を嫌いな奴なんて俺等の中にいないよ」

「そうだよね。先生、凄く良い人だもん」

 

 先生に出会わなかったら今頃俺達はどうなっていたことか。

 何度励まされ、何度助けられたか分らない。

 母であり、姉であり、恩師でもある俺達の先生。

 自分の事で手一杯な中、本来なら弱者として放置されかねない俺達を率先して保護してくれた恩は計り知れない。

 そんな珍しいほどのお人好しだから《はじまりの街》で噂が広まるのも早かった。

 子供を保護する優しい保母さんがいると。

 

「だからかな、俺等だけじゃない。先生に好意的な人は多いんだ」

 

 そこには先生が数少ない女性プレイヤーだからという俗的な理由もあるだろうが好意は好意。

 先生は飛び抜けた美人ではないけれど子供の世話をする姿は女性としての魅力を際立たせ、家庭的で包容力のある姿は男の琴線に触れるものがあった。

 並み以上の容姿で面倒見の良い性格美人。惚れぬ要素がどこにある。

 知る人ぞ知る有良物件としてサーシャ先生は意外と人気者なのだ。

 そしてそれが問題でもある。

 

「お陰で最近は先生と仲の良い男がいるって話なんだよなー。いや、本気で先生が好きってんなら良いんだけどさ、もし先生を悲しませるような事したらタダじゃおかない。……ギン達と親衛隊でも結成して悪い虫がくっつかないようにするべき? それとキバオウにでも頼んで教会近辺の巡回ルートをもっと徹底してもらうべきか。でも借りをつくんのもなぁ。あとは――」

 

 先生を守りきるのは凄く難しい。

 メリットとデメリットを比較し、ひたすら検討。

 実現可能かどうかを頭の中でシミュレートし、時には口にして考えていると、俺は隣から注がれる意味深な視線に気が付いた。

 

「……なんだよ、シリカ。その生暖かい視線は」

 

 にやにやとした表情に、何かを言いたくてうずうずしている口許。

 面白い事があったような。意外なものを見るような。そんな視線。

 俺のジト目に真っ向から対抗するシリカは、一泊置いてから徐に口を開いた。

 クスクス笑いを隠しもせずに。

 

「シュウくん、大好きなお姉ちゃんを取られるのが嫌で拗ねてる子供みたいなんだもん。なんだか可愛くって」

「違うわ馬鹿っ!」

 

 この紅潮する顔は怒りからくる興奮の所為だ、きっと。

 負傷判定が出る寸前の威力と速さで額にチョップをされたシリカが頭を押さえて泣き顔を晒す。

 今日一日で何度シリカの涙目を見たか分からない。

 更には両手を振り挙げて猛獣になった気持ちでガオー!と脅せば、シリカはピナを連れて一目散に退散。

 ミナ達の方へ逃げ去るのと入れ違うようにこちらへ来たのは、呆れ顔を前面に押し出す先生だった。

 

「まったく、女の子に手を出すのは最低よ?」

「うぐ……ッ!? あ、あんなのは俺達にとって普段通りのやり取りなんだよ、先生。からかってからかわれて、ってな感じ、うん、ホント」

 

 先生だけでなく姉ちゃんにも日々言われていたこと、それは『女の子を守るのが男の子の役目』という言葉。

 そして師匠の場合だとそれプラス『傷付ける奴は死刑、男は私みたいに可愛い女の子にご奉仕するべし』なんて自意識過剰で身も蓋も無い言葉も付け加えられる。

 第一回目の『女性の扱い方初級編授業』を思い出させる発言は、これからからかうのを自重しようと頑なに思うには充分な効果があった。

 師匠から今度シリカを紹介しろと言われている手前、師匠とシリカが対面する日がきっとくる。

 その時に告げ口されたら俺に待っているのは死あるのみ。

 今から師匠の鉄拳制裁に怯えてガタガタ震えている間に、先生はシリカの座っていた場所に腰を下ろした。

 

「――良い子ね、シリカちゃん」

「……最初は生意気だったんだけど。でもまあ、良い奴なのは確か」

 

 果たして最近は誰かを褒めるのが逸っているのだろうか。

 何だか今日は誰かを善人認定する言葉を沢山聞いている気がする。

 無難な、それでいて興味があっただろうシリカの事を話題に出した先生は、咎める気ゼロの、一応教育者としての体裁を保ってますという表情で、俺の鼻にデコピンをかました。

 

「あ、それ。シリカちゃん困ってたわよ。シュウがその事で苛めてくるって」

「苛めてないって」

 

 どうやら女子グループの昼食時の話題は俺とシリカの関係だったらしく、その間シリカの感情表現が豊かだったのは先生達の玩具にされていたのが原因らしい。

 そして今、新たな玩具に狙いを定め、先生の瞳が意地悪そうに怪しく光る。

 

「ふふ、やっぱり好きな子は苛めちゃうお年頃?」

「なーに言ってんだか」

 

 だが俺はシリカと違う。

 伊達に師匠やクラインといった人をおちょくるのが大好きな人種と付き合っていない。

 馬鹿げた発言には付き合わず弱みも見せない反応に、先生はあからさまに肩を落とした。

 

「相変わらず冷静に返しちゃって、からかい甲斐の無いわね。シリカちゃんとは大違い」

 

 つまらなーい、と子供みたいなアヒル口を作って不貞腐れる。

 こういった時折見せる子供らしい姿も、普段の頼りがいのある教育者顔とのギャップで魅力的に感じてしまうのだろう。

 見せ付けるように大きな溜め息を吐く先生。

 しかしその息は、直ぐに安堵する類のものへと変化した。

 

「でも、ちょっと安心しちゃった。シュウにもギン達以外に気の許せる同年代のお友達がいたのね」

 

 先生は俺の交友関係を大体把握している。

 それはつまり教会家族を除けば俺のフレンドリスト登録数が10ちょっとである事も、シリカに次いで年齢が一番近いのがキリトである事を知っているという事だ。

 親しい人が少なく、しかも殆どが大人でキリトとも五歳ぐらい歳が離れている。

 ギン達は友達だが友人よりも家族意識の方が強い事を考えれば、同年代の純粋な友達というのが貴重な存在であると先生は考えているみたいだった。

 

「まったく……私から見れば、ただの歳相応な子供なのにね。こんな子が攻略組だなんて」

 

 ギン達と語らい、遊び、冗談を言い合う。

 先生の前だと気を抜けるため、先生にとって俺はただの子供という認識が強い。

 だからだ、強敵を屠り続ける攻略組としての姿と流れる噂にギャップがあり過ぎて、前線での俺が異常な状態としか感じられないのは。

 攻略組の人達、例えばヒースクリフみたいな『知り合い以上友達未満』の人から見たら、俺は生意気で精神年齢の高い子供らしくない子供に見える。

 これがアスナさん達みたいな親しい人物になれば、その印象に『子供らしいところがちゃんとある』がプラスされる。

 そして泣き虫の俺を見ていた先生からすれば、ゲームクリアのために無理して頑張っている子供に見えていた。

 

(現実世界でもたまに言われてたけど、ここに閉じ込められてから沢山聞いてるな、それ)

 

 師匠達に何度も言われてきた言葉。こうして見ればただの子供、と。

 先生とそれ以外の人達では同じ言葉でも抱いた気持ちにだいぶ差がある。

 最初の一ヶ月を知っているだけに先生が俺に抱く戦死の心配はアスナさんの比じゃない。

 現に中層ならまだしも攻略組を目指すと宣言した時は猛反対の大喧嘩に発展した。

 

「…………ごめん、先生。でも俺は攻略組をやめない」

「分ってる。シュウって呆れるぐらい頑固なんですもの。説得はもう諦めました」

 

 心配で、本当にどうしようもないほど心配で、一日一回の巡回では《蘇生者の間》で俺の生死を確認するのが日課で、数日かけてダンジョンに潜る以外では毎日送られてくる生存と現状報告のメッセージを読んで、やっと安心して眠れると言っていた。

 多大な心配を掛けている事に自覚はある。後ろめたさも感じている。

 表情を曇らせる俺に微笑む先生は、気丈に見せても涙の零れる一歩手前の表情を隠しきれていなかった。

 証拠に声も震えている。

 

「私が……いいえ、皆がシュウの事を常に心配している。その事だけは忘れないで」

 

 実際この刺された楔はかなり効果がある。

 そう言えば俺は無理を出来ない。俺が死んで、誰が悲しむのかを知っているから。

 

「ただ、口を酸っぱくして言うけど、無理は絶対に駄目。命を大事に。ちゃんと休息は取ること。良いわね? ――疲れたら、いつでも帰ってきて良いんだから」

 

 もし俺が死んだら先生は自分を責める。

 何でもっと俺を引き止めておかなかったのか。何で攻略組に入ることを許容してしまったのか。

 先生だけじゃない。アスナさんや師匠、キリトやクライン、エギルだって。

 俺に関わった人は皆がショックを受けるだろう。

 俺が年下の子供だから、余計に。

 

「――はい」

 

 俺は死なないという先生の信頼を裏切る事は出来ない。

 死なない決意をより固めた所で頭を片手で抱き寄せられる。

 今度こそ安心したような微笑を見せる先生は右手で俺の側頭部を優しく撫で、体重を預ける先生から優しい温もりを感じ取る。

 接触する頬からじわじわと拡がる温かみは心地良い。

 しかし、この温かい一時も直ぐに終わった。

 空気がしんみりしてしまい、何やら遠くから感じる視線がむず痒いため、直ぐに話題を変える羽目になった。

 

「それにしても、シュウも隅に置けないわね。噂のアスナさんや師匠さんだけじゃなくて、あんな可愛い子とも仲の良い友達だなんて」

「……先生だって最近親しくしてる人がいるって聞いたけど? 確かクロノスさんだっけ」

「ちょっと待ちなさい! 何でシュウが彼を知っているの!?」

 

 子供ネットワークを侮った先生は未だかつて無いほど狼狽している。

 ここまで赤面を披露してあたふたする姿は珍しく――脈有りな反応が癪だ、かなり。

 

(…………ギン達と緊急会議だ)

 

 まずは相手の情報をアルゴから仕入れる事から始めよう。

 このあと俺は教会に戻らず前線に戻る事が決定しているので会議するのは今しかない。

 背後であたふたしている先生は放っておいて、俺は釣りを再開しているギン達最年長グループと合流するために走り出す。

 

 

 

 ――こうして俺の休暇は瞬く間に過ぎ去っていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十五話 魔物王Ⅰ

 息をする様に剣閃を生み、モンスターと死闘を果たし、死神の足音を間近に聴く。

 朝から晩まで闘い続ける生活に慣れるのは早く、それを当然の如く受け入れるようになって、もうどのぐらい月日が経つのだろうか。

 

 ただの小学生だった楠羽秋人に侵食した魔物王のシュウという、もう一人の自分。その存在を平然と受け入れて違和感を抱かなくなり、自分を形成する心の在り様を占める割合が後者に傾いた時期は、今となってはもう思い出せない。

 怒涛の勢いで過ぎていった日々と容赦無く襲い掛かったモンスター達の猛攻が忘却の彼方へと押し遣ってしまった。

 つまり何が言いたいのかと言うと。そう、今までの日々を思い返し、改めて見詰め直すほど、俺達は長くこのデスゲームに囚われているという事を指摘したい。

 

 二〇二三年十一月七日。

 現実では紅葉する木々も落ち着きを見せて、段々と落ち葉を散らして行く季節に差し掛かり、寒空の下、デスゲーム開始一年を経過しても、俺達は闘争と攻略の日々を繰り広げていた。異界に近い仮想現実から、本来の世界である現実世界への帰還を目指して。

 

「…………」

 

 順調に気温が低下して着々と冬の足音を聴く最中。俺は最前線である四十六層からかなり下、十四層の森林型ダンジョンにいた。最早見慣れた光景である森林内を探索するのは師匠のお使いで稀少金属鉱石の採取に来たからだ。森林の奥にある岩場から1/100の確率で手に入る鉱石を難なく手に入れた俺のラックも相当なものである。この俺の運の良さを頼った師匠の判断は正しかったと言えるだろう。

 

 冬場でも数少ない熱源である日光は届かない。冬なんてこれっぽっちも感じさせない針葉樹林が繁る森林内は寒く、御馴染みであるフード付きローブ《ブラック・オブ・ウィザード》だけでは暖が足りず、最近は首にも同色のマフラーを巻いて寒さを凌いでいる。

 

 毛糸のマフラーはミナが俺のために《編物》スキルで編んでくれたものだ。手編みというのがまた身体だけでなく心もポカポカにし、ついでにギンに嫉妬されたのは良い思い出。

 そして髪色も弄らず黒色のままで、また相変わらずブラックシリーズの短剣を装備している所為か。最近の俺は専ら《チビキリト》やら《二代目黒の剣士》などの渾名を頂戴し、おそらく全プレイヤーの中でも最多と思われるほど多くの称号を獲得していた。

 偶然装備の色が重なったとはいえ、彼のトレードマークを奪うのも忍びないのでそろそろこの中二病ルックを卒業しようかと思わなくも無い。

 そしてホクホク顔で帰還していた俺の顔は、現在とても引き攣っている。友好的な笑みを作ろうとして失敗した、そんな崩れた笑み。

 それはというのも、帰還中に偶然出会った目の前の男が原因だったりする。

 

 歳は二十代前半。背はすらっと高く、女性ならうっとりする様な笑み――今は苦笑しているが――を浮かべる、甘いマスクが特徴的な男。

 黒縁の眼鏡と思慮深い双眸が知的な一面を見せ、中指でくいっと眼鏡を上げる仕草なんかしたら、とてもとても様になっているだろう。

 そんな彼の服装を一言で例えるのなら外国の聖職者だ。墨を塗りたくった様な色をした法衣。首から下がる金のロザリオ。聖書の代わりに腰から吊っているのは出縁型メイス。

 どこのコスプレ野郎だ。無神論者の癖して。

 

「やあ、シュウくん。奇遇だね、こんな所で」

「……全くもって」

 

 優男の見た目に反して張りのあるバリトンボイスの持ち主の名は、クロノス。

 中層では名の知れたメイス使いであり、夏から顔を合わせる頻度が増大した先生の彼氏。

 

 

 そう、彼氏である。

 

 

 先生を嫁に欲しけりゃ俺を倒してからにしろとデュエルを申し込み、即座に先生の拳が頭部に炸裂して三時間耐久説教コースに突入したのは、今でも理不尽だと思っている。

 

「はは、そんなに嫌そうな顔で睨まないでほしいなぁ」

「睨んでない。元々俺は目付きが悪い事に定評があんの」

 

 

 そう言ったらクロノスはまた『ははは』と笑う。その大人の対応が酷く癇に障る。

 俺の気持ちを察してか、足元のポチも不機嫌そうな顔をしている様に思わなくも無い。

 

「一人で来たの?」

「いや、元々はあるパーティに入れて貰っていたんだけどね、彼等は用事があるからって先に帰ったんだよ」

「一緒に戻らなかったんだ」

「まだ目当ての物は手に入れてなかったからね」

 

 目当ての物?と首を傾げると、クロノスは柔和な笑みを更に深める。

 その表情に宿るのは、優しさ。

 

「《ソフトバードの肉》だよ。サーシャさんがそれでシチューを作りたいって言っていたから。新レシピ、らしいよ」

「ソフトバードの肉? そんなDランク食材、わざわざ現地調達しなくても売ってるでしょ」

「店で買うよりも、好きな人には自力で獲った物を食べてもらいたいって気持ち。シュウくんなら分かると思うけど?」

「うぐっ」

 

 意中の人が自分の獲って来たものを笑顔で食べ、喜んでくれる。

 捕獲する手間が掛かれば掛かるほど、苦労を体験するからこそ、その笑顔を見た時の喜びは倍増して心が幸福感で満たされる。

 アスナさんで想像したら思わず頬が弛んでしまう。

 悔しいがクロノスに共感を覚えてしまった。本当、悔しい事に。

 

「うん? どうしたのかな」

「別に。なんでもない」

 

 どうやら悔しさを感じた時にクロノスを睨みつけるのはデフォルトと化しているらしい。

 指摘されてから初めて気付き、視線を勢い良く逸らす。

 しかし、先生がソフトバードの肉を欲しているとはとても良い事を聞いた。

 偶然にも幾つか所持しているのでクロノスが渡す前に先生にあげようと思う。

 

 内心でほくそ笑みながらクロノスの隣を通行。

 ポチを侍らせながら、後ろを見ずに手を振った。

 

「じゃあ、俺はもう行くから。頑張って」

「おや、てっきりシュウくんも手伝ってくれると思ったのに。ちょっと期待が外れたかな」

「俺は俺で忙しいの。早く帰んないと頬を引っ張られる」

 

 流石の師匠もそこまで横暴とは思えないが、今後決して無いとは言い切れないのが俺と師匠の関係を表している。

 これは、きっと姉が弟にちょっかいを出す行為に近いのだろう。

 それは挨拶代わりに、そして対話が途切れた時。師匠はスキンシップやその場繋ぎに頬を引っ張るかヘッドロックをかけるのがマイブームになっていた。

 クラインに相談したら『姉弟なんてそんなもん』という言葉が返ってきたので、姉ちゃんからヘッドロックなんてされた記憶の無い俺は、世間一般では希少種に分類されるかもしれない。

 

 閑話休題

 

 ここから森林を抜けるまで一時間弱。

 順調に行けば夕方までに教会に寄れる。

 その行程を開始する前に顔だけで少し振り返る。

 

「それにさ、俺が手伝って食材獲っても嬉しくないでしょ? あとクロノスなら十四層如き一人でも楽勝なんだから、俺が一緒にいる必要は無い」

 

 クロノスは名の知れた中層プレイヤーだ。そのレベルは35。

 当然攻略組には及ばないものの中堅所では指折りの実力者である彼なら、二十層も下の階でソロ活動をしても危険は少ない。

 

 そして彼の実力は教会の警護という面でも発揮される。

 

 デスゲームが開始されて一年。その長い期間はオレンジギルドという犯罪者集団を生み出すのに充分な期間だった。

 既に何人もの人達が盗難被害に遭い、その被害はゆっくりだが増加傾向にある。

 まだ故意に殺人を犯すギルドは存在しないが、それも時間の問題ではないかという心配がプレイヤー達の間で広がりつつある昨今。

 そのような情勢の中、人格者で周囲の人望もある実力者が週四で教会に通うのは凄く安心出来る。

 例え安全が確保されている主街区内だとしても、警戒し過ぎて悪い事は無いのだから。

 お陰で俺は安心して攻略に励んでいられる。

 

「シュウくん」

 

 振り返った状態で停止している俺を呼ぶクロノスは、常に笑顔を絶やさない男だ。それ以外の表情を見た事がないくらいに。

 その顔が、少し真剣実を帯びていた。

 知的な双眸が僅かに細められ、口許も引き締まっている。

 

「ちょっとお願いがあるんだ。今夜、メッセージを送っても良いかな?」

「…………良いよ」

 

 真剣な表情は緊張を生む。

 いったい何をお願いするのだろう。

 先生至上主義者の彼なら先生絡みの可能性が高い。が、誕生日会なら三ヶ月前に終わっている。

 いや、プレゼントぐらい年がら年中贈っていても不思議じゃない。

 性格的に貢がれるのを好まない先生が、そのプレゼントを受け取るかは別だが。

 

 という風に、おそらく先生にプレゼントを送りたいので適当な物のリサーチか、もしくはプレゼントを取りに行くのを手伝ってほしい、みたいな内容だと勝手に想像する俺だった。

 

「そう。ああ、良かった」

 

 俺が断わると思っていたのか。

 クロノスは少し不安だった表情をいつもの柔らかい笑みに変えた。

 

「引き止めて悪かったね。気をつけて帰るんだよ。君に何かあるとサーシャさんは勿論、教会の子供たちも悲しむ」

「そっちも気をつけて。……死んで先生を悲しませたら許さないから」

 

 

 ――そして、そのなんと無しに俺が言ってしまった言葉が、心の中に燻っていた感情を爆発させるトリガーとなった。

 

 

「っ……そんじゃ」

 

 俺は何から逃げ出したいのだろうか。

 置き去りにするクロノスから。心の奥底で燃え盛る感情から。

 全てから逃避する様に森林内を駆ける。

 この、心を締め付けて醜い感情を糧に燃え盛るモノの正体は――嫉妬。

 

 認めたくなかった。考えたくなかった。

 しかし一度自覚すればとめどなく溢れる黒い感情を抑えきれない。

 

 クロノスは善人だ。強く、人格者であり、人望もある。

 先生もクロノスに恋をしている。教会の皆だってクロノスの事を『兄ちゃん』『クロ兄』と呼んで慕っている。

 

 

 

 

 自分とは違い、先生はおろか家族全員と仲の良いクロノスが、唐突に湧いて出てきた癖に先生の心に居座る男が、俺は気に食わなかったのだ。

 

 

 

 

 クロノスが死んだら皆が悲しむ。

 皆が泣く。

 ――もしかしたら、俺が死んだ時以上に。

 

「くそっ」

 

 そう考える自分をナイフでめった刺しにしたい衝動に駆られる。

 死んだ時、どちらをより悲しんでくれるかなど。そんな卑屈な事を考える自分が心の底から憎かった。

 それにクロノスは、最近では教会にも多額の寄付をしているらしい。

 教会には金銭集めのために結成した中層ギルド《三界覇王》がおり、暇を見てはフィールドに出て狩りに勤しむ先生もいるので、家族の暮らしはかなり豊かになっていた。

 

「……ハァ……ガキだなぁ、俺って」

 

 そして、これもまた俺がクロノスに嫉妬する要因である。

 

 豊かになったのは喜ばしい事だ。

 貧乏より金持ち。質素な食事より豪勢な食事。そっちの方が良いに決まっている。

 しかし、こっちはもう大丈夫だから攻略の役に立ててくれ、自分の安全を買ってくれと、今まで手付かずだった仕送りを先生に突き返された時、言葉にならない疎外感を感じたのもまた事実。

 

 先生に悪気は無い。リク達だって悪くない。当然、クロノスだって悪い訳ではない。

 けれども俺がクロノスに嫉妬してしまうのは、好き勝手にやっている俺が唯一家族に貢献出来ていた金銭援助を奪われた所為というのも少なからずあるのだろう。

 

 クロノスの登場で俺の存在がより薄くなる。心の中から外へと追いやられてしまう。

 今まで築いてきた絆がボロボロと崩れていく音がした。

 

「あーあ……俺ってこんな嫌な奴だったのか」

 

 倒木を飛び越えながら嘆息する。

 黒い内面を否応無しに自覚させられた俺は、このモヤモヤを置き去りにするように、走るスピードを更に速めるのだった。

 嫉妬と恐怖。それらを全て忘れたいがために。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 結局、教会には寄らなかった。

 それどころか嫉妬を破壊衝動に転換した様に。ホームタウンには真っ直ぐ帰らず適当に森林を散策し、目に付く雑魚Mob達に散々当り散らしてしまった。

 一撃死させられるモンスターにソードスキルまで使用するのはオーバーキルも甚だしいが、約三時間の暴走は余計虚しさを助長するだけだったので、被害に遭ったモンスター達も堪ったもんじゃなかったに違いない。

 

 そしてホームタウンの二十九層主街区《ユートフィール》に逃げ帰った俺は、現在八層主街区《フリーベン》を訪れている。

 それはというのも夕飯を摂らず不貞寝に走りそうだった俺を晩飯に誘った友人が居たからだ。

 ちなみに師匠は今頃、俺が持ち帰った金属鉱石のお陰でテンションをMAXにしながらハンマーを振るっているに違いない。

 

「ふーん。だからシュウくん、そんなに不貞腐れてるんだ」

「くそっ、そのニヤニヤ顔が果てしなくムカツク!」

 

 喧騒に包まれる宿屋の一角。一階の食堂隅でテーブルが叩かれ、乗っている食器諸々と共に大きく揺れる。

 

 ハンバーグを食べる手を止めてクスクス笑うシリカを目にし、俺はつい愚痴ってしまった事を後悔していた。

 テーブルの隅でナッツを頬張っている彼女の使い魔もクスクス笑っている様に見えるのは、きっと俺の被害妄想なのだろう。たぶん、きっと。

 気持ち的には射殺すつもりでシリカを睨みつけても、それは彼女を楽しませるだけだった。

 

「あはは。だって、いじめっ子のシュウくんをからかう絶好のチャンスなんだもん」

「……えーえー、そーですよー。俺は先生達の心を鷲摑みにしているクロノスに嫉妬してるガキですよー」

 

 案外、一度開き直ってしまえば色々と楽になるらしい。

 森林内に居た頃よりも黒い感情が鳴りを潜め、張り合うのは可笑しいが自分の事もしっかり見てもらい、むしろコレを気に俺も皆とより親しくなろうとポジティブに考える。

 割と俺は単純な性格だった様だ。

 やはり一人で溜め込まず、それがからかい目的だったり頼りにならない人物でも、一度誰かに思いの丈をぶつけると、多少なりとも心的余裕が生まれてくるみたい。

 ……それでも目の前で笑うツインテールにはデコピンをかましたくなるほどむかっ腹が立つのだが。

 

 既に食事を終えた俺は、今は食後のデザートならぬ食後のジュースを楽しんでいた最中。

 もうすっかりグラスは空になって氷だけの状態になっているところで、それでもストローでズーズー吸って盛大な音を立て後、両手を枕に顔を伏せる。

 そんな俺に、シリカは優しげな視線を向ける。

 その上から目線のお姉さん的雰囲気に俺の怒気が高まったのは言うまでも無い。

 

「もう、拗ねない拗ねない。ほら、これ。すっごく美味しいよ」

「そんなもんで心のモヤモヤが晴れたら苦労しない」

「……とか言いつつ食べる気満々だね」

 

 眼前に突き出されたフォークに刺さっているのは、肉汁を垂らすデミグラスハンバーグの一切れ。

 両腕に顎を乗せながら口を開くと、シリカは呆れながらもそれを口に放りこんでくれる。

 確かにこのハンバーグは美味かった。決してデミグラスの味はしない。薄い塩胡椒で味付けをしたような、かなり質素な味になっている。

 けれどもしっかり『肉』と判断出来る料理は貴重だ。

 薄い味付けだがこの料理は充分俺のニーズに応えている。

 

 だから俺はもっとハンバーグが食べたく、ついでに雛鳥に餌を与える母鳥の様な目をしているシリカの表情が気に入らなかったから、未だ目の前にあるフォークを素早く奪い取った。

 俺の早業に目を丸くする暇も与えない。

 シリカがまだ母性本能むき出しの微笑を浮かべている間にフォークを順手に握り、勢い良く残りのハンバーグの真ん中に突き刺す。

 その残り少なかった塊が口の中に消えるのに一秒と掛からない。

 モグモグと咀嚼して肉の旨みを堪能しみながら、漸くハッとした表情で自身の手と皿を交互に見るシリカの反応を楽しんだ。

 

「あー!? それあたしのなのに! 全部食べるなんて!?」

「ふんっ、俺をからかった罰だ」

「やっぱりシュウくんはいじめっ子だよ!?」

 

 周囲から注目されるのも構わず立ち上がり、シリカがバンバンとテーブルを叩いて抗議する。

 その衝撃でテーブル上下にいるピナとポチも落ち着かない様であった。というより、普通に迷惑行為である。

 それでも相手にせず残りの一欠けらも飲み込んだ俺に疲れたのか。シリカは力無く椅子にへたれこんだ。

 どうやら腹自体はそれなりに満たされていたらしく、追加注文をする様な事はしない。

 そして、沈黙が下りた。

 

「シリカは明日どうすんの?」

 

 その沈黙を破るべくベタな質問をした俺に涙&ジト目を向けるシリカは、少しばかり悩む素振りを見せた。

 憤りを覚えても律儀に答えるのがシリカらしい。相変わらず良い子である。

 

「うーん……明日はお休みにしようかなぁ。最近はずっとダンジョン通いだったから、明日はピナと一緒に一日中ゴロゴロするつもり」

「太るよ」

「残念でした。ゲームの中だから太りません。まったく、そういう事を直ぐに言うんだから。シュウくんはデリカシーが無さすぎるよ」

「シリカに気を使っても疲れるだけじゃん。そりゃあ、アスナさんが相手なら石橋を《レイジング・クラッシュ》で叩いてから渡るぐらい慎重になるけど」

 

 戦槌単発重攻撃技《レイジング・クラッシュ》。

 タメがある分、威力も大きい。

 攻略組クラスが撃てば俺のHPもイエロー域に達すること請け合いの技を引き合いに出した所、シリカは不機嫌さを隠しもせずに頬を膨らませる。

 そんなに下手な例えなのかと思っていると、どうやらそれとは違う部分に憤りを感じている様だった。

 

「……シュウくんって、いつも引き合いに『アスナさん』を出すよね」

「む、何か問題でも……あっ」

 

 その時、俺の脳内でスパークが弾けた。

 

「もしもし、シリカさん」

 

 思わず彼女を呼ぶ声も下手に出たものとなる。

 嫌な予想に、背中が汗を掻いていた。

「もしかしてさ、女の人と二人っきりの時に別の女の人の名前を出すのって……失礼だったりする?」

「ふーんだっ。今更気付いても遅いんだから」

 

 どうやら俺の予想は当たっていたらしい。

 以前、そんな話を姉ちゃんから聞いた事があった。

 つまりそれは、シリカだけでなくあの人にも多大な不快感を与えてしまっていたのではないだろうか。そう思うと、視界がぼやけてくる。

 頭を抱えて苦悩する俺に、何やら慌てた声が降りかかった。

 

「え、あのっ、シュウくん、どうしたの? その、あたしは別に毎回『アスナさん』と比較されるのを怒ってる訳……じゃないけど、でも……その、そんなに気にしなくても大丈――」

「まずいって俺。何度も何度もアスナさんと二人っきりの時に師匠や先生、シリカの名前出してんじゃん。うわ、どうしよう。アスナさんに凄い失礼なことしてた……って、そういや師匠もそういった事を以前言ってた!? あー、もう、俺の馬鹿っ!」

 

 実際は俺の先生達の話をアスナさんは楽しんでおり、そもそも嫉妬を抱く様な感情を俺に向けていなかったらしいのだが、当然、この時の俺はそんなことまで考えが行き届かない。

 そして、この時に見せたシリカの冷たい眼差しも、周囲で聞き耳を立てていた客達の溜め息声も、俺は終始気付く事は無かった。

 

「………………うん、シュウくんはやっぱりシュウくんだよね。ハァ、心配して損したよー、ピナぁ」

 

 そう脱力しきった表情のシリカがピナを抱えてしばらくした後、本日の夕食会はお開きとなった。

 ポチをモンスターボックスに収納し、シリカに別れを告げてから、肌寒い風が吹く外に身体を投じる。

 フードを被って襟元をより締めてから、寄り道もせずに数ヶ月もお世話になっている《風鳥の夜鳴き亭》に辿り着き、ベッドに転がる。

 そして襲い掛かる睡魔に身を任せる寸前で、メッセージを告げる着信音が鳴り響く。

 

 

 ――幸い、ライバルからの連絡でも、心がざわめく事は無かった。

 

 

 どうやらシリカのお陰で上手くガス抜きが出来たらしい。

 今度さりげなくお礼をしようと思う。

 そしてクロノスからのお願いは、俺の予想通りの内容だった。

 

「――四十層に洞穴型ダンジョン? へえ、そんなのあったんだ」

 

 それは四十層で新しく発見されたダンジョンの宝石を採るのを手伝ってほしいという内容だった。

 どうやら一般にはまだあまり出回っていないらしい。

 彼もそのダンジョンの噂を聞いただけのようだ。それでもそのダンジョンで採れる現物は見たらしく、是非とも手に入れて先生にプレゼントしたいとのこと。

 その愛情溢れるメッセージにテメェは爆発しろと舌打ちをかましつつ、そのお願いを叶えられるか考えてみた。

 

 クロノスのレベルは35で、俺は60。

 レベルより二十も下の階層で、更にポチやタマの助力もあり、クロマルをクロノスの護衛に回せば、たった二人でも問題は無いと思う。

 いざとなれば転移結晶もあるし、クロノスの実力は高い。レベルが五しか離れていないのなら実力差を埋めるのも可能であり、俺の使わない装備品を貸しても良い。

 

「それにクロノスと行動すんのも気持ちの整理には良いかも」

 

 それに目的の宝石には俺も興味がある。

 出来るなら先生だけでなく、マフラーのお礼にミナの分や、当然アスナさんの分。そしてシリカ用に採って来るのも良いだろう。

 あと余裕があれば師匠の分も採ってきたい。

 クロノスのお願いを拒否する理由は何処にも無かった。

 

「おっけー。それじゃあ明日は十四時ぐらいに四十層の転移門広場に集合っと」

 

 そうメッセージを送ってベッドに横になる。

 ダンジョンの地図や情報も、実際に会ってからクロノスに訊ねれば良いだろう。

 今はそう怠慢になってしまうほど眠たかった。

 

「ふわぁ……明日は忙しくなりそうだなぁ」

 

 予定を午後にしたのは午前中に《黒羽》の強化素材集めをしたかったからである。

 迷宮区の方はとっくにボス部屋までのマッピングを終えており、今は有力ギルド達がボスの情報を集めている最中。

 俺みたいなソロはボス戦の招集が掛かるまで行動に余裕があった。

 欠伸をしながら電灯を消し、カーテン越しの月明かりを楽しみつつ、ゆっくりと目を閉じる。

 

「クロノス、か。…………あ、まさかアイツ、その宝石で婚約指輪を作るつもりじゃないだろうな!?」

 

 明日、会ったら即問い詰める。

 そして推測通りなら一発ぶん殴った後にしょうがないから祝福してやる。

 そんなしょうもない考えに耽りながら、秋の夜は過ぎていった。

 

 

 

 

 

 




第五話のタイトルを魔物王からユニークスキルに変更しました。

はい、お久しぶりです。
まだこの作品を覚えていらっしゃる方がいるのかどうか分かりませんが、漸く更新できました。
今後のこと(更新停止とかではありません)で思うことがあるのですが、それは活動報告に載せておきましたので、気が向いた時にでも覗いてくれたら幸いです。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十六話 魔物王Ⅱ

 第四十六層。

 つまり現在の最前線は、今もっとも熱く実力者達が集まる階層である。

 それはというのも、巨大な森林の中でぽっかりと口を開けた場所にある、全長三〇メートルほどの巨大なアリ塚が原因だった。

 周囲を崖に囲まれ、そこに空く巣穴から出現する巨大アリはポップ率が高く、群れて容赦無く襲い掛かってくる。攻撃力が高い割にHPと防御力の低い典型的なパワーファイターは立ち回りさえ気を付ければ効率良く経験値を稼げる場所として認知されていた。

 

 迷宮区のマッピングもあと少し、今日か明日にはボス部屋も見付かると思われる現在、暇な攻略組は一パーティ一時間という協定を結んでまで日夜アリ塚に通いレベリングに励んでいる。

 一度俺も一人で挑んでみたが、正直言って死にかけた。

 

 アリ達の攻撃力は高い。クロマルは別としてプレイヤーよりも防御の劣るポチやタマなら、下手をしたら三発も攻撃を受ければ死んでしまう。故に挑むのは俺とクロマルのみ。

 万が一にも彼等を失う訳にはいかないからだ。

 

 心の底から信用出来ないグループに混じるはずもなく、また借りも作りたくない。《風林火山》なら入れてくれるだろうが迷惑を掛けたくない俺は、必然的にソロでアリ達に挑む必要があった。

 

 結果は敗退。

 

 ただでさえ防御力の低い俺はアリ達に囲まれてフルボッコにされたら即ゲームオーバー。

 普段より緊張を強いられた戦いは精神的な消耗が激しく、それは肉体の疲れにも繋がる。

 結局、三〇分ほどで崖上まで敗走する事になった。どうやらアリ塚はソロで挑む狩場ではないらしい。

 あんな奴等を一時間も相手に出来る黒の剣士は色々と間違っていると思う。

 本当に規格外だ。

 

「うわ、なんかすっごい久しぶり」

 

 さて、攻略組の大半が情報収集かアリ塚で順番待ちの列に並んでいる頃。俺はアリ塚から一キロほど離れた森の中に居て、久しぶりの現状に期待感が膨れ上がっていた。

 それは目の前をプカプカ浮遊している妖精型モンスターが見惚れる程の微笑を浮かべているからだ。

 

 体長は十五センチほど。

 腰まで伸びる艶やかな髪は山吹色。肌は白く手足は細い、正に人形の体躯。

 微かに発光する身体を包むのは花や葉っぱで出来たワンピース。

 蔦で出来た腰紐には小さな短剣が括ってある。

 そして背中から生える二対の羽は背景が透けて見えるほど薄く、微かに葉脈みたいな筋が見えた。

 

 《サンリーフ・フェアリー》。

 

 それがこの稀少モンスターの名前であり、そして妖精の頭上に浮かぶカーソルは黄色。

 五ヶ月ぶりの使い魔イベントだった。

 

「これで四体目。また騒がれるんだろうなぁ」

 

 これは、所謂嬉しい悲鳴というやつなのだろう。今後を思えば鬱になるが新しい仲間は実に喜ばしいこと。このチャンスを逃すつもりは毛頭無い。

 

 使い魔イベントはシンプルだ。

 モンスターの好物を与えて餌付けをすれば主従関係が成立する。

 たまたまそのモンスターの好物が手元にあるか。運よく餌を与えられるか。この二つの壁を突破した幸運の持ち主のみが頼れる仲間を得る事が出来る。

 そしてその餌は一般には知られていない。唯一のヒントはその階層で手に入るアイテムであるという事のみ。

 だからプレイヤーは勘と運を頼りに餌を与える必要がある。

 

 けれども俺には、そのハンデを補う反則的なスキルが存在した。

 

「えっと……餌、餌」

 

 魔物王の戦闘外効果は三つある。

 一つは飼い慣らし可能モンスターの増大。二つ目はイベント発生率の上昇。そして、三つ目がコレだ。

 

「お、あったった」

 

 メインウィンドウのアイテム欄をスクロールさせていた俺は、赤く点滅しているアイテムを見つけて一安心。

 

 これが魔物王の三つ目の効果。

 飼い慣らしイベント中の成功補助。その名も『アイテム指示』だ。命名は俺。

 ご覧の通り使い魔イベントが発生した時、そのモンスターの好物を赤く点滅する事で教えてくれる。

 

 タマの飼い慣らしの時に初めてこの効果に気付いて以来、俺は訪れる町で可能な限り多くの種類の食べ物を買うよう心掛けていた。

 苦節五ヶ月。アイテムストレージを圧迫する食べ物達に四苦八苦していた俺の苦労も漸く報われる時が来たようだ。備えあれば憂いなしと心の中で呟いて、存在を主張している《ミル花の蜜》をオブジェクト化。

 小さな小瓶の蓋をタップすると人差し指に蜂蜜色のライトエフェクトが纏わり付く。

 それをサンリーフ・フェアリーに近付ける。

 可憐な妖精が頬を綻ばせたのは見間違いじゃない。

 小さな両手が人差し指を挟み込む。それから指先に口を近づけ、嬉しそうに舐め取った。

 

「おし、テイム成功!」

 

 ウィンドウのキャラクターデータに『new』の文字を発見してテイムの成功を確信。

 こうして俺は四体目の頼もしい相棒を得る事になった。

 そして次にやる事は決まっている。

 

「あとは名前か。……サンリーフ・フェアリーって言ったら妖精、葉っぱ、こいつは女の子。女の子って言ったらシリカやミナ、ミナって言ったら教会の皆、サーシャ先生、姉みたいな人、姉ときたら妹」

 

 周囲を踊るように飛び回っている妖精を見ながら名前を考える。

 俺が生まれる二十年ほど前に流行ったゲームらしい方法で連想していると、ふと古い記憶が浮上した。

 

「そういや、いつだったか妹さんを『スグ』って言ってたっけ」

 

 もう十層での決意表明から十ヶ月近く経つ。

 月日が経つのは早いもの。感慨に耽りながら、命名の取っ掛かりを得たような気がした。

 

「サンリーフ、太陽と葉っぱ。『スグ』、スグ葉――――スグハ。お、なんか良い感じ」

 

 右手を前に突き出すと、俺の意図を読んだのか。新しい仲間は体重を感じさせない体運びで優しく腰掛ける。

 そして彼女の名前を呼ぶ――その寸前、

 

(……もしコレが妹さんの名前だったらどうしよう)

 

 流石に実在する人の名前をそのまま付けるのは憚られる。

 このクソッタレなゲームをクリアして現実世界に帰還後、その妹さんと対面する時がくるかもしれない。

 名前がスグミという可能性があるも、もし仮に妹さんの名前がスグハなら気まずく思ってしまうのは必死。

 なら、

 

(スーちゃんにしとこう。うん、スグハのスーちゃん。これに決定)

 

 そしてスーちゃんと呼びかけて頭を軽く撫でると、サンリーフ・フェアリーのスーちゃんは擽ったそうに首を竦める。

 そのままスーちゃんのステータスを見ながら今後のフォーメーションを考えつつ、改めて今日の予定を組み直した。

 十四時からはクロノスと洞穴探検。

 ウィンドウ端の時刻を確認すれば、そこには現在一〇時五〇分とある。

 幸いな事に《マジックダイト・インゴット》の在庫は師匠の所に幾つかある。なら、スーちゃん用のモンスターボックスを作るために改めて必要なのは、サンリーフ・フェアリーのドロップアイテムのみ。

 

「一先ず帰ろう。エギルに会わないと」

 

 幸いな事に《黒羽》一回分の強化をするぐらいの素材は集め終わっている。

 新しい仲間という嬉しい誤算に胸を弾ませ、俺は四十六層主街区《ラングイス》に向った。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 主街区《ラングイス》は四十六層の中心にある街だ。

 街から見て東から南一帯は森に覆われ、西と北には荒野が広がる。

 ちょうど両極端な印象を受ける自然の境界に位置するこの街に戻ってきたのは、あと数十分で太陽が真上に昇る時間帯だった。

 南門を潜ってからポチをモンスターボックスに収納し、目深く被ったフードの中にスーちゃんを隠して向うのは、四門の一つである東門に通じる大通り。

 

 路上販売という特性上、店を構えるのは当然人の往来が激しい場所になる。

 今はアリ塚の所為で《深淵の森》に行く人達が沢山いるため、転移門広場付近よりも南か東門に店を構える商人達が多かった。

 東門に近付けば近付くほどCPUに混じってプレイヤーが増えてくる。

 その殆どは《ラングイス》から出る事の無い最前線の武具とアイテムを買い求めた中層プレイヤーの人達だが、中には勿論この階層を練り歩くだけの実力を持った猛者達も混じっている。

 

 そして、コレが有名税というやつだ。

『最前線を歩く黒尽くめの子供=俺』という方程式が成り立っている今、例えフードで顔を隠しても誰だか一目でバレてしまう。

 周囲に視姦されながら足を速めた。

 そして殆ど小走りで最早見慣れた中世ヨーロッパ風の街中を進み、やっと浅黒い肌をした巨漢を見つける。

 

 見上げる程のガタイの良さにスキンヘッド。

 お前は何処のマフィアか用心棒だとツッコミを入れたくなる巨体と強面の癖に、その第一印象を相殺して尚お釣りが来るほどの澄んだ優しい目が特徴の男。

 それがボス戦にも頻繁に参加する一線級の斧使いにして、善良な商人プレイヤー。

 人は見かけじゃないの体現者。

 俺が信頼する数少ない大人、エギルだ。

 

「おう、いらっしゃい」

 

 露店商売用の灰色の絨毯、《ベンダーズ・カーペット》の上で胡坐を掻きながら、クロノスよりも深いバリトンボイスでこちらに挨拶をしてくるエギル。

 彼は商人だ。よって彼の目の前にはポーションや結晶アイテムの類。そして目玉商品らしきアイテムが鎮座している。

 当然、売り物がコレだけのはずがない。

 スキルと筋力パラメーターによる水増しのお陰で重量限界が抜きん出ている結果、表に出ていないだけで俺の倍以上のアイテムが、彼のアイテムストレージには保管されているのだ。

 立て看板にある『何でも揃えます』の言葉は伊達じゃない。

 エギルの宿泊している宿にはどのくらいのアイテムが収められているのか。一度見てみたい気もする。

 

 とりあえず俺は客足の遠のいているエギルの前に屈み込み、片手を上げて挨拶に応えた。

 実にフレンドリーな挨拶だ。

 

「午前中に顔を出すなんて珍しいな。普段は夕方以降の癖して」

「ちょっと予想外のイベントがあってさ」

 

 形の良い眉根を寄せて疑問顔を作るエギルも肌蹴させたフードの中を見て納得。

 俺の頭の上にうつ伏せで寝そべっている妖精と巨漢の視線が交錯する。

 ヒューという、無駄に上手い感嘆の口笛が耳に届いた。

 

「こりゃまたなんとも。流石は《魔物王》だな」

「スーちゃんって名前だから今後もよろしく」

 

 そう紹介すると、エギルはフードの中を覗きこみながら『よろしくな』と顔に似合わない愛嬌のある笑みを浮かべる。強面とのギャップが激しいからこその愛嬌だ。

 

 エギルとは十層の攻略戦からの付き合い。彼は俺の事を知っているし、その情報には魔物王やモンスターボックスも含まれている。

 だからエギルは俺が訊く前に欲している物を正確に理解し、悪びれた表情で首を振った。

 

「悪いな、シュウ。《サンリーフ・フェアリーの鱗粉》は現在品切れだ」

「あ、やっぱり?」

 

 サンリーフ・フェアリーは《深淵の森》に出現するレアモンスター。その小ささと機動力を売りにプレイヤーに急接近、斬りつけ、刃に塗ってある麻痺毒で三秒ほどスタンさせる厄介な戦法を取る。

 攻撃力が極端に低いのが救いで、他のモンスターと一緒に出現して場を荒らす嫌らしいモンスター。

 見た目に反してアクティブな妖精として知られるのがサンリーフ・フェアリーである。

 そして、その妖精の目撃例は少ない。

 そうなると必然的にドロップアイテムも市場に出回らなくなり、エギルの反応は半ば予想した通りだった。

 だから落胆は少ない。ほんのちょっぴり、小指の爪程度の小さいがっかり感を覚えるだけで。

 

「それにしても、《シルバー・ヴォルグ》、《メタルハード・スライム》、《サンリーフ・フェアリー》。悉くレアもんばかりテイムするな、お前さんは」

「俺も時々自分の運が恐ろしい」

 

 四体中三体がレアモンスター。

 悪い事があったぶん良い事が起こり、その逆もまた然り。

 正負の法則と呼ばれる運勢の綱引きゲームを信じている俺からすれば、この幸運続きはいつの日かしっぺ返しを食らう様な気がして少し不安になる。

 いや、このデスゲームに巻き込まれている時点で運勢は最下層に落ちているので、この程度ではまだまだ運が凶側に傾く事は無いだろう。

 そういつものポジティブ思考を続けながら、ついでに不足していたポーションの類を購入し、他の商品にも目を通す。その間に世間話を挟みながら。

 

「でもさ、エギルもいつまで路上販売なんてやってんの?」

 

 頑丈そうなランタンを手に取りながら訊ねると、エギルは大仰に肩を竦めた。

 

「気に入った物件が無いんだからしょうがいない。それに話に聞くお前さんの師匠だって似たようなものなんだろ?」

「あー、うん」

 

 ゲーム開始から一年。そろそろ攻略も折り返し地点に差し掛かる時になって、商人や生産職プレイヤーの中には自分の店を持つ者達が出始めている。

 その相場は数百万コル。

 一軒家を数百万で購入出来るのは現実と比較すれば安い気がするも、このゲームに長く居る俺達からすれば『足元見るな!』と声を大にして罵倒したくなる金額だ。

 エギルも、そして師匠も将来は自分の店を持つつもりでいるが、どうやらソレはまだまだ先の話になりそう。

 

 その後も俺達は雑談を交わす。

 どうやら気付かない内にかなり話し込んでいたらしい。

 正午を告げる鐘の音を聴き、情報交換という名のお喋りに終止符が打たれた。

 

「じゃあねエギル。入荷したら教えて」

「おう。毎度あり」

 

 鱗粉を手に入れたら互いに連絡する約束を取り付けてエギルの元を去る。

 お昼時ということもあってか東門の近くは更に賑わってきた様に感じた。

 

「商売の邪魔になるから離れたけど、まだまだ待ち合わせまで時間があるんだよなー」

 

 師匠を鍛冶場から引っ張り出して昼食に誘うべきか、それとも《ラングイス》で適当な食堂に入って一人で食べるか。

 この四十六層が開かれて早五日。

 今までの食事はダンジョンや迷宮内で食べていたので、そろそろこの街の食事を堪能するのも良い気がするし、スーちゃんの顔合わせを師匠とするのも良いかもしれない。そう、どっちにするか頭を悩ませている時だった。

 

「お、あの後姿はもしかしてっ」

 

 目に飛び込んで来たのは人混みの中をすらすらと歩く白と赤の外套に、顔をすっぽりと覆う同色のフード。

 その姿勢の良い凛とした歩き方にも、どこか湖畔を連想させる静かで美しい雰囲気にも覚えがある。

 後姿でも俺が間違えるはずが無い。

 普段はコンプレックスの小ささを生かして人混みの隙間を縫う様に歩く。

 たった数秒で相手に追いつき、腰の近くの外套を引っ張った。

 

「アスナさん見っけ」

 

 気休めかもしれないが昨日完全習得した隠蔽スキルも駆使したドッキリは功を成した様だ。

 相手は――命の恩人にして俺の憧れ。その閃光の如き速さと美しさで強敵を屠る最強の女戦士。

 全プレイヤーでも五指に入る美少女にして皆のアイドル。

 容姿も性格も完璧美少女の《血盟騎士団》副団長のアスナさんは、声を掛けたのが俺だと認識した途端、太陽よりも輝く笑顔を見せてくれた。

 

「シュウくん!」

 

 その反応が凄く嬉しい。胸の内がポカポカしてくる。

 思わず赤面し、見惚れてしまう程の煌びやかな笑顔。

 なんだかもう、この笑顔があれば三日間はぶっ通しで戦える気がした。

 今の俺ならボス戦だって一人でこなしてみせる。

 

「アスナさんはこれからアリ塚?」

 

 互いに目立つ身。

 アスナさんのフード姿が『目立ちたくない』と訴えているので大通りの端に寄ってから訊ねてみる。

 その問いに対し、アスナさんは残念そうに苦笑した。

 

「本当はもう少し外に居たかったの。でも『君はいい加減休め』って怒られちゃった」

 

 どうやらアスナさんはアリ塚と迷宮周辺を往復する生活を送っていたらしい。

 ギルド仲間に順番待ちの列に並んでもらい、順番が来るまでは迷宮に潜るか、又は周辺の村でクエストをこなしボスの情報をゲットする。

 今はその帰りで、ひと眠りする前に昼食を摂る場所を物色していた最中なのだと、僅かに口を尖らせながら説明してくれた。

 

 ああ、そんな生活を休み無しで連日行うのが実にアスナさんらしい。

 これでもマシになったとはいえ時折《狂戦士》の片鱗を垣間見せる人である。

 お陰でアスナさんは休みに限り仲間から微妙に信用されていない。

 今回も送り迎えと称した見張り役の部下を置き去りにしての単独行動で、そんなやんちゃな部分も魅力的に思えるのだから相変わらずのカリスマ性だ。

 

 決して、この印象は俺のフィルターが曇っている訳ではない。ないったらない。

 

「シュウくんはこれからアリ塚か迷宮区?」

「午後の用事の前まで《深淵の森》で強化素材集めをするつもりだったんだけど……ちょっと予定外の事があって」

 

 先程のようにフードをずらしてスーちゃんを紹介。アスナさんは予想通り吃驚した表情を作る。

 そして、その美顔は直ぐに笑みを形作った。

 

「うわぁ! この子ってサンリーフ・フェアリーよね? ――シュウくん、良いなぁ」

 

 可愛いは正義。

 そう訴える笑みを浮かべながら膝を落とし、俺と視線を合わせるアスナさん。

 その体勢のまま手を伸ばし、ゆっくりと優しい手付きでスーちゃんの頬を撫でる彼女は、やっぱり女神並に綺麗だった。

 この可愛いモノを愛でる慈愛に満ちた笑顔を見た者は老若男女関係なく落とされるに違いない。

 綺麗と可憐を両立させる反則的な笑顔だ。

 

「そうだアスナさんっ、《サンリーフ・フェアリーの鱗粉》持ってない?」

 

 アスナさんがフードの中のスーちゃんを撫でるという事は、その女神然とした笑顔と間近で接する事を意味している。

 火照る顔を誤魔化すために声を大きくして訊ねると、アスナさんは撫でるのを止めてメインウィンドウを表示した。

 

「えーっと、ちょっと待ってね……あ、一つだけあるわ」

「本当!?」

 

 思わぬ展開に驚いてしまう。アスナさんと偶然出会った事に天の采配を疑わずにはいられない。

 やはり俺のリアルラックは一部でバグ扱いされるほど高い様だ。今なら俺をバグキャラ扱いしたクラインに同意してやる。

 

 アスナさんは細剣使い。そして彼女が使用するのは師匠の鍛えた最上級の一振り。

 鱗粉を貰う代わりに細剣の強化素材を幾つか提示する。

 その提案にアスナさんは頷いた。

 そして、

 

「そうだなー。じゃあ、それにあと一つだけお願いを聞いてくれたらあげよっかなぁ」

 

 からかう様に言葉を焦らすアスナさん。

 名案を思いついたといわんばかりの表情は、どこはかとなくニンマリという擬音が聞こえてきそうな笑みに変わる。

 思わず唾を飲み込んだ。

 

「お昼、一緒に食べ――」

「喜んで」

 

 言葉を言い切る前に何度も頷く。

 ニンマリとした笑みは師匠の得意技。よって似たような笑みに反応して第六感が警鐘を鳴らしていたが、どうやら杞憂に終わった様だ。

 

 この俺がアスナさんからの昼食の誘いを断わるはずが無かった。

 

 

 

 




流石に更新が遅いので頑張ってみました。
キリが良いのでここで切ります。

あまり更新の速さに拘ると展開や文章が雑になりそうなので、気をつけていきたいと思います。

……それにしても、七千ちょっとの文章量だと凄い違和感があります。書いていて物足りなさが凄いです。
このペースで書き続けたら魔物王がⅦぐらいまでいきそうです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十七話 魔物王Ⅲ

 三十七層主街区《リーウェン》。

 大小様々な水路が至る所に張り巡らされ、多くの橋が架かる水の街。イタリアのヴェネチアがモチーフらしい水路の街に俺とアスナさんの姿があった。

 

 周囲に水が溢れている所為か《リーウェン》は他の場所より肌寒く感じる。風は冷たく、また《ラングイス》と比べ周囲が閑散としているので気持ち的にも寒かった。

 多分この視覚的な寒さが《リーウェン》に人が少ない一番の理由だろう。海辺が寒いのと同じ理屈で、やはり水の近くはより肌寒い。

 そして人影の大半がNPCという大通りは、少し寂しかった。

 アレだけ人目を避けておきながら、いざ静かな所を歩くと人恋しさを覚えてしまう。つくづく人というのは群れないと生きていけないのだと、改めて認識する。

 

 俺もあの忌々しい《地底街区》での事件が無かったのなら。せめて年齢がシリカぐらいまであったのなら。今頃どこかのギルドに所属して、信頼出来る仲間達と共に笑い、喧嘩し、和気藹々と攻略に勤しんでいられたのだろうか。

 

(一人ももう限界……なのかもなぁ。そろそろ)

 

 あのアリ塚での経験がソロ活動の限界を予感させる。

 無視出来ない新たな問題が俺を苦しめた。

 使い魔の実力は主人のレベルに比例して強くなるが、その力がプレイヤーを超える事は無い。

 この先、あのアリ以上に攻撃力が高く、早く、防御も堅い。完全な上位互換のモンスターが出てきた時、俺はあの時の様にクロマル以外を安全な場所に閉じ込め、殆ど自分一人で対処するのか。

 自問して、無理だと即答する。しかし、

 

 

 ――ポチ達を死なせたくない。

 

 

 本末転倒だとは分かっている。

 しかし死ぬ可能性が高いモンスターを相手にさせるのが心情的に辛くなっていた。

 ボス戦はまだいい。他にもプレイヤーがいるのでポチ達を下がらせて回復させるだけの時間を作れる。

 しかし、それ以外の戦闘は――、

 

 使い魔蘇生の手段が分からない以上、無理はさせられない。

 そもそも蘇生出来たとしても死なせたくなんてない。

 

 

 ――このままじゃいけない。

 

 

 そうは思っても、未だに誰かとパーティを組む事に忌避感を抱く。

 ボス戦以外でパーティを組まない攻略組ソロプレイヤーなど俺や黒の剣士くらいのものだ。

 エギルだってフィールドに出る時は知り合いのパーティに加入している。

 俺もそろそろ不安を押し殺し、積極的に大人達と向き合うべきなのだろうか。

 いや、そうしなければ、この先ポチ達を死なさず攻略組などやっていけない。

 

 攻略組ソロプレイヤー《魔物王》のシュウ。

 その終焉の足が近付いている様な気がした。

 

「シュウ君?」

「え、あ、なんでもない」

 

 隣を歩くアスナさんに首を傾げられてしまった。

 フードで顔が見えずとも俺の不安を敏感に察したらしい。

 そのまま心配そうに口を開かれる前に、慌てて話題を逸らした。

 

「そういえばアスナさん! 今から行く場所ってどこ? 俺、十四時に四十層に行かないといけないんだけど」

 

 時刻は十二時三十分。転移門にさえ行ければ四十層に行くのは直ぐなため余裕があるが、それも店の混み具合による。

 俺の用事を失念していたアスナさんは、ハッとした表情をして小さく謝罪した。

 

「あ、そっか。じゃあ今から行く所が混んでいたら近くの別の所でご飯にしようね。あそこなら、多分空いていると思うから」

「『混んで』いたら? ……やっぱりあそこか」

 

 実は、わざわざ《ラングイス》から飛び出して《リーウェン》に来た時点で薄々は感じていた。

 街を移動してまで『女』のアスナさんが行きたい場所。

『男』である俺を誘った理由。

 これだけの情報が集まれば推測も可能だ。

 

「アスナさん、今から行く所ってもしかしなくても《ストロベリーハウス》?」

 

 内心は冷や汗もの。正直あまり行きたくない店だった。

 しかし世界も神様も意地悪で捻くれモノ。

 情け容赦無く人間に試練を課すいじめっ子。

 俺の期待を裏切り、アスナさんは吃驚しながら頷いた。

 そして直ぐに俺がこの推測に行き付いた訳を察する。

 

「シュウ君、あの店のこと……って、そうよね。わたしもリズに教えてもらったんだから。知っていてもおかしくないわ」

 

 驚かすつもりだったのだろう。

 うわ、わたしってば馬鹿だ、と呟きが聞こえた所で件の店が見えてくる。

 

 ストロベリーハウス。

 それは一部で拡がり始めたNPC経営の喫茶店。別名《リア充の巣》。

 外装や店内の装飾がファンシーでショッキングピンクというのも男にとって痛いが、大半の男にとって一番の苦痛は、この店がカップル御用達の店だからだ。

 

 このゲームでの男女比は悲惨な事になっている。当然、その貴重な女性と縁の無い敗北者達は涙を溜めて嫉妬の想いに駆られながら、この店を訪れるカップル達を祝福し、妬みもする。

 場所は知らずとも名前を知っている者は多い。

 噂になって一週間ほど。クラインみたいな独り身には縁の無い異世界。

 そんなストロベリーハウスの扉を二人で潜る。

 十個ほどのテーブル席にカウンター席が五つという小規模な店はほぼ満員で、その男女比は半々。全員が仲睦まじそうにハートを乱舞させている。

 幸いな事に二人だけの世界を作っているバカップルが多く、俺達は目立たないまま一番奥の空いていたテーブル席に辿り着く。

 店内にはテディベアやアンティーク人形が溢れ、テーブルクロスはハート模様。

 居るだけで精神がガリガリ削られる装飾は健在。

 軽く見渡せば俺以外の男達の目は死んでいた。俺も一緒にいるのがアスナさんで無かったのなら即死しているだろう。

 そして、その乙女チックな装飾にはアスナさんも少し引き気味で、親近感が湧いて嬉しく思う。

 そこは師匠と同じだ。師匠も終始背中が痒そうな表情で料理とデザートを食べていた。

 

 自分はもう決めているのだろう。

 両肘を着き、身体を乗り出すようにして、アスナさんは俺の顔を覗き込む。

 

「シュウ君は何を食べたい? 何でも頼んで良いよ、ここはわたしの奢りだから」

「ちょっと待って。悪いよそんなの!」

「誘ったのはわたしだよ。それに、本当はここ、来たく無かったでしょ?」

 

 全てお見通し。謝罪の念が含まれる笑みに頬が引き攣った。

 身長差があるので向かい合って席に座るまでは顔色から判断出来なかった筈だ。

 それなのにアスナさんは店に入る前から俺の気持ちを察していたらしい。

 

「シュウ君の事なら何でも分かるよ」

 

 フードを外したアスナさんに習い、俺はフード取ると素早くローブの前を肌蹴、その中にスーちゃんを放り込む。

 もうアルゴにサンリーフ・フェアリーのテイム情報を送ったとはいえ、無駄に騒がれてアスナさんとの楽しい一時を台無しにしたくないからだ。

 

 アスナさんはいつもの様に女神然とした微笑みを浮かべながらパーティの参加申請を送ってくる。意図を正確に察した俺は当然の様にオーケーボタンをタップ。

 それからNPCのマスターに料理を注文してから、アスナさんはゴメンねというニュアンスを含ませた顔で語り出す。

 

「声とか、あと雰囲気かな。そうじゃないかなって思ったんだ。無理に誘ってゴメンね。リズから装飾が凄いって聞いていたけど、まさかここまで凄いとは思わなかったの。男の子にはちょっとキツイよね」

「いや、アスナさんと一緒ならどこでも良い! 大丈夫!」

 

 この少女趣味満載のファンシーさはアスナさんにとっても予想外だったらしい。ついでに店を一人で切盛りしているマスターがボディビルダーも真っ青な男性だった事も。

 茅場晶彦の遊び心かもしれないが、これはこれで立派な精神攻撃である。

 

 謝罪するアスナさんに、咄嗟に首をぶんぶん左右に振ってから、コップのお冷を一気飲み。飲み干したコップに、アスナさんは静かに水を注いでくれる。

 嬉しそうに、はにかみながら。

 どうやら俺の必死な思いが伝わったらしい。

 もう再び謝罪をするような、蒸し返す真似はしなかった。

 

「あ、もう料理が来たね」

「現実でもこんくらい来るのが早かったら良いのに」

「そうね。この前なんて十分近くも待たされたもの」

 

 NPCの店は基本的に料理が運ばれてくるのが早い。作る行程を省いて料理をオブジェクト化しているからだろう。

 中にはアスナさんの証言通りそこら辺のリアルさを出すためにあえて遅くする店もあるらしいが、幸運にも体験した例は無かった。

 マスターは慣れた手付きで料理を置く。

 秋の味覚ドリア。そしてクリームたっぷりカルボナーラ。

 店の名前に反して随分とまともな料理がテーブルに並んだ。

 

「シュウ君はいつリズと来たの?」

「六日くらい前。その前日にはアルゴと行って。今から三日前はシリカと一緒に来た。だから今回で四回目」

 

 アスナさんに訊かれたので女性の名前を出すのもノーカンにしておく。

 

 目に痛くて気恥ずかしい装飾もアレだが、俺がもう行きたくない理由がコレだった。

 なにせ、もう四回目。デザートが美味くともいい加減飽きてくる。

 まあ、アスナさんと一緒なら例え地獄だろうと天国に等しいので問題無いが。

 フォークでパスタをくるくる巻いていたアスナさんは、特に最初に来た人が意外だったらしく目を丸くした。

 

「アルゴさんとも一緒に来たの?」

「そう、情報料の代わりにデザート奢る羽目になった。それでこの店の事を知って、師匠に話をしたら案内しろって」

 

 まさかこの一週間で四回もこの店を訪れる羽目になるとは思わなかった。

 そしてクロノスが先生を誘っていなかったのなら、ギン達がお小遣いでミナ達を誘っていなかったのなら。もしかしたら今日で五回目か六回目という恐ろしい結果になっていかもしれない。

 

 アスナさんは良い。先生だって問題無い。

 しかし、師匠とシリカは一緒に行ってくれる男が俺以外にもいなかったのだろうか。そう思ってしまう。

 ちなみにアルゴはストロベリーハウスの情報を聞いて直ぐ俺と出会ったから除外する。彼女の場合、ある程度信頼出来る男なら誰でも良かったのだろう。

 もしかしたら好きな人がいて、その下見のために俺を誘ったという背景があるかもしれないが、自分の想像ながら少し可笑しい。

 そんな乙女チックなアルゴは似合わない様な気もするし、一度見てみたい気持ちになる。

 

「まったく。師匠もシリカも男友達が居なさ過ぎ。俺以外に誘える奴はいないのかっての」

「ア、 アハハ……シュウ君、それ、わたしにもグサグサ刺さってるよ」

 

 アスナさんの渇いた笑みというのも珍しい。

 蕩けたチーズとキノコの味に舌鼓を打ちながら、その珍しい表情を脳内メモリーに保存。眼福と同時に料理も堪能する。デザートが売りの店なのに普通の料理も中々の味だ。

 この期間限定のドリアは師匠と来た時に食べたものだが、やはり美味い。

 もう既に半分近くを食べ終えて水を飲むが、

 

「でも、シュウ君って実はかなりのプレイボーイなんだね」

「ぶーっ!?」

 

 このアスナさんの一言で盛大に噴出す事になった。

 

 水が気管に入ったらしくゲホゲホと咽る。こんな動作不良まで再現するSAOのリアルさ、ひいては茅場晶彦に文句を垂れていると、アスナさんは慌ててナプキンを持ち、口許を丁寧に拭ってくれた。

 しかしその『予想通りのリアクションをありがとう』と言っているみたいな悪戯っ子の笑みには、少しだけカチンとくる。

 こんな風にジョークを言い、からかい合う程にはフランクな関係に落ち着いているのは嬉しいが。コレはコレ、それはそれ。

 きちんと報復しなければならない。

 

「げほっ、ごほっ、……俺でプレイボーイならモテモテのアスナさんはどーなんだ、って話だよ。この前だってプロポーズされたんでしょ?」

「ぶっ……!? な、何でシュウくんが知ってるの!?」

 

 今度はアスナさんが噴出す番だった。

 乙女にあるまじき噴出しも、顔を赤らめて慌てるアスナさんも可愛らしい。

 ただ大声とこのやり取りで人目を集めてしまい、二人揃って身体を縮ませることになる。

 顔を見合わせ、クスっと笑い合った。

 

「もう、シュウ君の所為で恥を掻いちゃった。……それで、どこでシュウ君は結婚を申し込まれた事を知って……まさか」

「たぶん、アスナさんの想像通り」

 

 情報提供者である師匠はボスよりも恐ろしい存在と戦わなくてはいけない様だ。

 仄かに狂戦士の雰囲気を醸し出すアスナさんはそれなりに怖かった。

 人殺しに近い目でフォークを持つ姿がこれだけ恐ろしいとは。

 とりあえず、そのフォークの向けられる先がパスタで一安心。

 残りのドリアを飲み込んでから、剣呑な目付きで食事を再開したアスナさんを宥めにかかる。

 

「でも大変だったねアスナさん。その男、しつこかったんでしょ」

「そう、そうなのよ! もう何回も何回もお断りしたのにテープレコーダーかってぐらい同じことを繰り返してっ」

 

 どうやら薮蛇だったらしい。言葉のチョイスに失敗する。

 アスナさんは愚痴を叫んだ後、勢い良く纏めたパスタを口に放り込んだ。

 その荒れた姿でも上品さが損なわれていないのだからまた凄い。

 

(あーあー、ドジったなぁ。アスナさん、怖い)

 

 なんとなく、胸元に隠れていたスーちゃんに触れる。

 この怒れる女神様に、怯えない様に。

 アスナさんはパクパクとパスタを食べながら愚痴を続けた。

 

「それでね。あまりにもしつこかったから、つい剣を抜いて実力行使に出ちゃったんだ。そうしたら顔面蒼白で『俺のアスナさんはこんな乱暴じゃない!』なんて虫唾が走るような事を口走るし――今思い出しただけでも腹が立ってくるわ」

 

 自分の理想を押し付けるなと憤り、二つ名通りの素早さで抜刀。気付いたら男の首に愛剣を突きつけていたらしい。

 《圏内》だからどんな攻撃を受けてもHPが減る事は無い。流石のアスナさんもデュエルを挑んで体育会系も真っ青な実力行使に出る事は無かった。

 それでも男の恐怖は相当なものだった事だろう。

 アスナさんの逆鱗に触れて嫌われたことは同情の余地も無いのだが、その時に味わった恐怖を思えば如何に不届き者といえど同情を禁じえない。

 それほど、怒ったアスナさんは怖いのだ。

 

「とにかく。少なくともわたしは、外見じゃなくて中身を好きになってくれる人じゃないとお付き合い出来ないわ。ちゃんとわたしの事を理解してくれて、わたしも理解してあげたいって想える人。そんな人が居たら良いなぁ」

 

 ハァ、と。溜め息を溢すアスナさんは、最後の一口を咀嚼してから、また溜め息。

 アスナさんも本来なら高校生。いや、高校生云々を言う前に、女の子なのだから恋愛事には興味があり、また素敵な出会いに憧れを抱く。

 

 こんな生きるか死ぬかの世界だからこそ恋愛は大切だ。

 生きる目的、糧は、多いに越した事は無い。

 その時、俺の中のナニカが叫んだ。今がチャンスだと。

 ……何がチャンスなのか、いまいちよく分からないのだが。

 

「お、俺、アスナさんのこと好きだよっ!」

 

 席を立ち、気付けばそんな事を叫んでいた。

 店内中に広がる程の声量。当然、店の中はおろか順番待ちをしているカップルも何事かとこちらに集中する。

 店内は静まり返っていた。

 

「――え、あ、そのっ、これは違うっ! いや、違わないんだけど、ああ、もう!」

 

 漸く脳が機能し始め、瞬時にパニックに陥る俺。

 顔から火が出るとは正にこのこと。

 感情が色濃く表情に出るSAOだからこそ、比喩表現無しに顔が真っ赤に染まった。

 ニヤニヤ、ジロジロといった笑顔と視線に晒されながら着席し、頭を抱える。

 目をぱちくりさせていたアスナさんの顔を直視出来ない。

 いっそ殺して欲しい程の羞恥に悶え苦しむ。

 

 すると、天使みたいな愛らしい声で、名前を呼ばれた。

 ゆっくりと伏せた顔を上げると、当然そこにはアスナさんの顔が――女神みたいに美しく、どこまでも柔らかい微笑みがあった。

 

「ありがとう。元気付けようとしてくれて。わたしもシュウ君の事は大好きだよ」

 

 男女関係無く見惚れてしまう微笑を携え、アスナさんは俺の頭を撫でてくる。

 そして、見惚れたのは俺も例外ではない。

 更に面と向って大好きと言われてフリーズしている俺は、アスナさんの慈愛に満ちた手の感触を楽しむ事も出来ず、ただ破裂しそうなほど高鳴っている心臓の音だけを聴いていた。

 だからこそ俺は、彼女の大好きに込められた愛情の形を――その友愛や姉弟愛とも呼べる形の愛に、無意識で落胆していた事にも気付かなかった。

 

 周囲が微笑ましいモノを見るような目をして再び自分達の世界に引き篭もった後も、アスナさんは変わらず俺の頭を撫でている。

 されるがまま、ただなんとなく、徐々に復活してきた脳で、黒歴史確定の記憶の封印処理をしていると、マスターが新たな料理を携えてこちらのテーブルに歩いてくる。

 

 それは、この店でのある意味メインディッシュ――チョコパフェだ。

 大きさは普通。しかし充分な程にチョコとフルーツ、アイスが盛られたデザートは、男女のペアでしか注文出来ない裏メニュー。

 アスナさんを始めとした女性達はこのパフェを求めてこの店を訪れるのだ。

 撫でる手を引っ込めたアスナさんは、代わりにスプーンを握る。

 その瞳を期待に輝かさせながら。

 

 そして一口食べれば、零れるのは感嘆の声。

 

「うわ……このチョコ、凄い」

「…………甘さを上手く控えてるよね、それ。他のフルーツとも相性抜群」

 

 このデザートは男女のカップルにのみマスターが口頭でオススメしてくる。

 では、AIであるマスターが何で『ペア』だと判断するのか。

 そこで関わってくるのが先程のパーティ申請だ。

 マスターは男女ペアのパーティにのみパフェを勧めてくる。

 これが結婚だったのなら客足は遠のくに違いない。マスターの経営戦略に脱帽。

 

 閑話休題

 

 とにかく、パーティとは互いに一定以上の信頼関係がないと成立しない。

 経験値、獲得金の分配。HPバーや状態異常の簡易視覚化。

 多数の恩恵が得られるが、それは一歩間違えれば諸刃の剣。もし人柄を見誤れば致命的なしっぺ返しを食らうことだってありえる。

 マスターは、パーティを組んでいる男女=信頼関係がある=恋人同士の可能性高し。という暴論に近い考えでカップル判定をしているのだろうか。

 

 そんな事を考えながら美味そうにパフェを食べるアスナさんを眺め、ついでに再び《ミル花の蜜》をオブジェクト化し、コートで隠しながらオヤツをスーちゃんに与える。

 痛覚以外の触覚が再現されている所為か、舐められる感触が少し擽ったかった。

 

 それからまた目の保養であるアスナさんの食事風景を眺めていると、不意に、彼女と視線が交錯する。

 スプーンを銜えながらきょとんとして、その後は何を察したのか、クスっと笑った。

 

「はい、シュウ君。あーん」

 

 そして目の前には、チョコに塗れたバニラアイスと、バナナの欠片が。

 

「い、いいよ、俺はっ」

「でも『一口食べたい』って顔してるよ」

 

 しかしアスナさんは声を裏返す俺もお構いなしにスプーンを近付ける。

 それは違う。激しく違う。そもそも俺はもう三回も食べた事があるので見るだけでお腹いっぱい。

 いくら美味くともこんな頻繁に食べたいと思うほどパフェに入れ込んでいない。

 それにこのパフェは値段も馬鹿にならないのだ。

 

 しかし、アスナさんから差し出された料理を拒否など出来ない。再び頬を紅潮させながら、素早くパクつく。

 そのパフェは今まで食べた事がないほど、また昨夜シリカから貰ったハンバーグよりも美味しく、気恥ずかしかった。

 

 その後は二回目のお裾分けをやんわりと断り、再び雑談に興じていく。

 ここがカップル御用達の店で、しかも先程のやり取りもあった所為か。話題は自然と恋愛沙汰という恥かしい内容になっていた。

 男には少々ハードルの高い内容だ。いったい何処で選択を間違ったのだろうか。

 まあ、内容は殆どアスナさんの愚痴を聞くだけなのだが。

 

「ふーん、モテるのも大変なんだ」

「本当、男なんて大体の人が下心ばっかり。心の底から信頼出来る男の子なんてシュウ君しかいないもの」

 

 もう残り少ないパフェをガツガツ食いながら、そんな嬉しい事を言ってくれる。

 そしてこの発言で、クリームソーダを飲む俺の脳裏にアスナさんと交流のある男性プレイヤーの名前が列挙された。

 

「ヒースクリフは?」

「もちろん団長は信頼しているけど、それでも心の底からって言える程親しい訳ではないの」

 

 一度食べる手を休め、丁寧にナプキンで口許を拭うアスナさんは、ヒースクリフについて話し出す。

 

「こうやってシュウ君みたいにプライベートでもお話して、遊んで、お食事とかもして、その人となりを知れば話は別なんでしょうけど……団長と仲睦まじくお食事をしている未来なんて想像出来ないわ」

「た、確かに」

 

 それは最早ゲームのバグを疑う異常事態だ。

 明日の新聞の一面を飾ること間違いなし。それで笑顔なんぞ撮れた時には一財産ぐらい稼げるかもしれない。

 とりあえず、無意識の内に安堵していた。

 

「ラグナードやエギルは?」

「彼はただの同じギルド仲間。エギルさんとはたまに会えば立ち話をするぐらいかしら」

 

 哀れな槍使いには今度会った時に飲み物の一つぐらい奢ってやるのも良いかもしれない。

 多分、盛大に胡散臭そうな顔をして拒否すると思うが。

 そして、

 

「じゃあキリ――」

 

 そして、信頼する黒の剣士の名前を呼ぼうとして、言葉が詰まる。

 今、この名前を口にするのが辛かった。

 

 

 ――二ヶ月前の出来事を思い出してしまうから。

 

 

「……どうかしたの?」

「何もないよ、うん。何でもない」

 

 動揺を隠そうとして、見事に失敗。

 動機が早くなる。冷や汗が垂れる。笑顔がわざとらしく、強張ったものになる。

 アスナさんの鋭い視線が、俺を射抜いた。

 

「――やっぱり、彼が何かしたの?」

 

 どうやら現在の俺とキリトの関係に感づくものがあったらしい。

 俺の事なら何でも分かるの言葉通り、アスナさんは鋭かった。

 慌ててフォローに入るが伝わるかは怪しい。悪いのは俺だというのに。

 

「何も無い! キリトは何も悪いことしてない!」

 

 今から五ヶ月前。

 キリトの所属していたギルド《月夜の黒猫団》は壊滅した。

 その詳しい経緯は知らない。けれどもキリトが自分を責めている事ぐらい分かる。

 しかしクラインから、彼等はレベルも充分に足りていないのに前線近くの迷宮に入り、罠に掛かってキリト以外が全滅したらしい、という事は聞き及んでいた。

 

 その中には一度だけ会ったサチさんも含まれている。

 

 たった一度。時間にしたら五分も経っていない。

 そんな俺でも彼女が死んだと知り、胸が締め付けられて、言い様の無い喪失感を味わった。

 

 

 ――キリトの痛みなんて想像も出来ない。

 

 

 それでも俺は、このデスゲームでも余裕と不敵な笑みを忘れない、一緒に居て勇気と安心感を与えてくれるキリトの暗い表情を見たくなかった。

 だから、今から二ヶ月前に言ったのだ。

 キリトは悪くない。実力の足りなかった彼等の所為。

 聞けばアラームトラップ――ダミーの宝箱を仲間が開いたために結晶無効化エリアに閉じ込められ、モンスターが雪崩れ込んできたのだから、彼等を助けられなくても仕方が無い。

 そう捲くし立てる。

 元のキリトに戻って欲しい一心で慰めの言葉を掛け続けた。

 

 キリトの心中もギルドでの振舞いも知らず、上辺だけを知った風な身勝手で軽い言葉が、どれだけ彼の心を抉っているかも知らずに。

 

 《――お前に何が分かるッ!?》

 

 それでキリトが怒るのも当たり前だ。

 詳しい事情を知らない第三者が憶測で軽々しく語って良い内容ではなかった。

 あの時の怒声も、初めて見た怒りの表情も、その全てが記憶に住み着いて離れない。そして怒鳴ってから八つ当たりだと気付き、自己嫌悪に陥っているキリトの表情も。

 

 それ以来、俺達は疎遠になった。

 

 ボス戦で共闘しても基本的に会話が無い。

 何かと理由を付けて、お互いに顔を合わせる事すら避けるようになった。

 そんな俺達にアスナさんやクライン達が気付かないはずがない。

 それでも言及してくる事は無かったが、流石にアスナさんは我慢の限界に来ていた様だ。

 このチャンスを逃さないと目が訴えている。

 俺は話しにくい事を訊ねられる前に、露骨に話を打ち切った。

 

「あ、もうこんな時間だ。それじゃあアスナさん、俺はそろそろ」

「…………うん。その用事、どんなものか訊いても良い?」

 

 潔く諦めてくれたアスナさんには感謝の言葉も無い。

 その心配顔が心苦しいが、これは俺達の問題だ。

 俺もこのままで良いとは思っていない。きっと、キリトも同じ気持ち。気まずくて話が出来ないだけだ。

 何かきっかけさえあれば直ぐにでも解決出来る。

 だから俺はアスナさんを安心させるために笑顔を見せ、明るく話すのだ。

 

「四十層の岩石地帯で洞穴型ダンジョンが発見されたんだって。そこに紫水晶を捜しに行くんだ。クロノスと一緒に」

「確かシュウくんの先生の恋人さん、だったよね?」

「あー、うん」

 

 昨夜改めてクロノスを認めたとはいえ、思わず言い淀んでしまう。

 なんだか二人揃って話題の選択をミスっている気がする。

 どうやら今回は、話せば話すほどドツボに嵌るみたいで。

 アスナさんは、渋面を作る俺の顔を見て苦笑い。

 

「まだ嫌いなんだ?」

「嫌いじゃない。でも好きでもない。……ちゃんとクロノスは認めてるけど、これが嫉妬だって分かってるけど、まだ納得出来ない」

「シュウくん、先生のこと大好きだものね。やっぱり寂しい?」

「………………うん」

 

 これでクロノスの性格が悪かったりしたら話は単純だった。

 きっと俺やギンを筆頭に全力で悪い虫を排除しに掛かっただろう。

 

 知的なイケメン。性格も文句無し。リアルでは現役東大生。

 最低限、皆を守れる実力も持っている。

 なにより、心の底からサーシャ先生を愛している。先生のためなら何を犠牲にしても構わないくらい、盲目的なまでに。

 

「クロノスは良い奴だよ。明らかに煙たがってる俺にも優しいし、よく気にかけてくれてる。……まあ、俺に『攻略組は危険だから止めた方が良い、子供なんだから大人に任すんだ』って何度も言ってくるのはウザったいけど!」

 

 そして言葉にはしなかったが、遠回しに心配性の先生を引き合いに出すのは卑怯だ。

 

 曰く、先生はいつも俺を心配している。

 曰く、いつ俺が死んでしまうかと思うと夜も眠れない状態。

 曰く、本当は俺が中層以下で大人しくしている事を望んでいる。

 

 そんな事は分かっている。分かっているに決まっている。

 それを耳にタコが出来るほど聞かされてみろ、今まで一度も当り散らさなかった俺の我慢強さを褒め称えたいぐらいだ。

 その我慢も、今回で爆発してしまったが。

 

 アスナさんは愚痴を聞いてもらった立場からか、今度は俺の愚痴を黙って聞いてくれている。

 

「ねえ、アスナさんも俺の立場だったらウザったいって思うでしょ!? 先生の気持ちだって分かってるし、俺だって罪悪感があるっつーの!」

「うーん……私はクロノスさんの気持ちも凄いよく分かるから、ノーコメントです」

「……あ、そういえば最初はアスナさんも過保護な母親かってぐらいしつこかったもんね」

 

 クロノスとアスナさんは同じ穴の狢。

 いや、今ではもうあの時の自分を黒歴史認定し、こうして悶え苦しむほど自分の身勝手な押し売りを嘆いているので、クロノスと同類扱いするのは失礼だろう。

 今度はアスナさんが露骨に話を逸らした。

 

「で、でも、そんなダンジョンがあったなんて知らなかったな、わたしっ!」

「俺も初めて知った。アルゴも知らなかったんだって」

 

 最低限の情報ぐらいは知っておいた方が良いと思ったためアルゴと連絡を取り合った結果、逆にしっかりと情報収集を頼まれてしまった。

 ダンジョンマップや出現するモンスターの分布は高値で売れる事だろう。

 なにせ攻略されてから数ヶ月経つまで誰にも気付かれなかった隠しダンジョンなのだから。

 

「宝石採れたらアスナさんにもプレゼントするから期待して待ってて」

 

 そして俺はアスナさんとの会話に後ろ髪を引かれつつ――ドタキャンの誘惑に靡かれながら、まだ食事途中のアスナさんと別れて四十層に向う。

 代金は、アスナさんの奢り。

 アスナさんもかなり頑固な所があるので折半は早々に諦めている。

 そして、

 

「さて、と。とりあえず彼からはゆっくり詳しく話を聞かせて貰わなくちゃ、ね。――流石に、もう限界だから」

 

 俺を見送ってくれた慈愛に満ちた双眸は、鋭利な刃物の如く鋭さを増す。

 ドス黒いオーラを発しながら剣呑な眼でメッセージを打ち、黒の剣士とコンタクトを図るアスナさんがいた事を、俺はまだ知らない。

 

 ついでに『直接会って話がある』という文を読んで無駄に緊張し、そんな心的余裕が無いはずなのに妙にドキマキしてしまった思春期男子が、狂戦士と対面数秒後に青褪める事になったのを、俺は一切知らないのだった。

 

 




ちょっと現実逃避がてら執筆してます。
そして、おかしい。今回で四十層に行くはずだったのに……アスナとの会話は5000文字ぐらいで終わらせるつもりだったのに。

少しじっくり書き過ぎ、いらない部分があったかもしれません。
テンポも遅いですし、かといって早すぎると読者の皆様を置き去りにしてしまう……。何度も思うことですけど、小説って難しいです。


次からやっとシリアス?になると思います。正直、日常パート的なのは苦手です。


誤字、感想、意見などがあったら、連絡してくださると助かります。テンションとモチベーションも上がります。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十八話 魔物王Ⅳ

 第四十層には渇いた砂と岩石が蔓延る荒野が広がっている。

 やせ細った大地からは申し訳程度に雑草が生え、点々と潅木が群生する。

 西部劇の舞台、またはサバンナに似たフィールドが、この四十層で一番の特徴だった。

 主街区もそれに相応しい街並みで例えるなら西部開拓時代のアメリカ。

 その街を出て三十分ほどの場所を俺達は歩いている。

 いや、歩いてはいない。何故なら今は、

 

「クロノス!」

 

 

 そう、戦闘の真っ最中なのだから。

 

 

「ラスト一本! きっちり決めろ!」

 

 魔物王スキル《意思伝達》で指示を出しながら叫ぶ。

 それと同時に正面で痙攣している三メートルの大蜥蜴に黒い影が迫った。

 その長身痩躯の信教者が持つ《パウンドフォース》が赤いエフェクトに纏われる。

 戦槌単発技《バーストクラッシュ》。

 筋力補正の付くレアドロップ品を装備した似非聖職者――クロノスの一撃は充分な威力だった。

 膨大な破壊エネルギーを内包する紅のメイスが大蜥蜴の脳天に振り下ろされ、爆発にも似た衝撃音とエフェクトを撒き散らす。

 爆散する大蜥蜴。降り注ぐ虹色のポリゴン欠片。そして、眼前に浮かび上がって獲得品を告げるウィンドウ。

 今、一つの闘いが幕を閉じた。

 

「いや、噂には聞いていたけど凄いね、この子達は」

「でしょ? お陰でだいぶ助かってる」

 

 たった今巨大蜥蜴《ファラングル・リザード》を撲殺したクロノスは、メイスを肩に担ぎながら感嘆した表情でポチ達を――とりわけ新参者であるスーちゃんを褒める。

 

 あれから泣く泣くアスナさんとの繋がりである臨時パーティを脱退し、それから直ぐにクロノスと合流して臨時パーティを組んだ俺は、彼のレベルアップも兼ねながら目的地である洞穴型ダンジョンを目指して進行を続けていた。

 パーティプレイでの獲得経験値は敵に与えたダメージ量に比例するので、攻撃役は専らクロノスが担当。

 ポチで索敵し、クロマルが俺達を守り、タマが予備戦力として後方に控える。使い魔の与えたダメージも俺の経験値判定に入るからだ。

 そしてこのクロノス支援の布陣で一番貢献しているのはサンリーフ・フェアリーのスーちゃんだった。

 太陽葉の妖精固有の麻痺攻撃で相手をパラライズ状態にし、その三秒の間にクロノスが攻撃。麻痺が解けたらスーちゃんが再び攻撃し、彼女とスイッチをしてクロノスが叩く。

 幸いな事に彼女の麻痺攻撃に耐性を持つモンスターはいなかった。やはり各階層のモンスター毎に力関係というものでもあるのだろうか。

 先程のような巨大蜥蜴を始め、《体術》や《強奪》スキルを持つ蜥蜴人間を見敵必殺してきた。

 MVPは間違いなくスーちゃんのものである。

 この約一年にも及ぶ戦闘で魔物王スキルを完全習得した今、俺は自分勝手な行動に走りがちな使い魔達を完全制御下に置く事が出来た。

 

 指示通りにヒット&アウェイを繰り返したスーちゃんを指の腹で撫でてから進行を再開した。

 俺の横をクロノスが歩き、その反対側にはタマが。見晴らしの良い場所なので効果はあまり無いが前方ではポチが索敵を行い、スーちゃんが俺の肩で休憩。

 クロマルは器用にもタマの背中に乗っている。

 重量感のあるメタリックボディに反しクロマルは軽い。この程度の重さは苦にならない様だ。流石は俺を背負って一分近くを走れるタマである。

 

 クロノスの言った様に頼もしい仲間達に囲まれながら、俺とクロノスはフィールドを歩き続けた。

 

「そういやさ、そのダンジョンのマップは無いの?」

「残念ながら、ね。出現するモンスターなら聞きだせたんだけど……いや、力不足ですまない」

 

 そう謝罪するクロノスに仕方が無いと首を振った。

 

 クロノスがそのダンジョンの存在を知ったのは偶然だ。

 たまたま綺麗な紫水晶を友人に見せびらかしているプレイヤーを酒場で発見し、問いかけた所、その場所を教えてもらった。しかし彼が教えてくれたのはそこまで。

 貴重なマップデータから他の情報はオプション料金だったらしい。

 元々その場所を教えてもらうだけで大金を支払っていたクロノスに、これ以上情報を買う金銭的余裕は無かったのだ。

 しかもその金欠理由が教会に寄付をした後だと言うので貧乏野郎と皮肉を言う事も出来ない。

 

 おそらく、俺を誘ったのはマップデータが手に入らなかった事も関係しているのだと思う。

 レベルが足りていないというのもあるが、流石に一人で未知のダンジョンに挑む蛮勇さは持ち合わせていなかったのだ。

 日常的に未開地を練り歩き、かつ信頼も出来る実力者をアドバイザーに欲していたクロノスは、実に堅実的で慎重と言わざるを得ない。

 無駄なプライドも持っておらず、また冷静に物事を判断できる彼には好感が持てた。

 だから俺は先生のためにも、クロノスとの仲をより良い関係にするためにも、粉骨砕身の気持ちで役目を果たす。

 

「ま、そこにいるモンスター次第だけど、多分俺達だけでもなんとかなるでしょ。万が一ダメそうだったら素直に退散。それで良い?」

「勿論。すまないけど、場慣れしているシュウくんを頼らせてもらうよ」

 

 今のクロノスは俺の貸した装備で適正レベルを誤魔化している状態。

 その胡散臭さが満載の法衣は拘りがある様で脱がなかったが、中に仕込んだシャツやブーツは、しっかりと俺の貸した強力な非売品達である。

 クロノスに貸したのは最前線のドロップアイテム。

 対する俺のは四十二層のボス戦で入手したユニーク品《ブーツ・オブ・サイレント》。

 二種類のブーツで荒野を歩く。

 

「それにしても、なんだか機嫌が良いみたいだね」

「……クロノスの気の所為でしょ。俺は至って普通だよ、ふつー」

 

 平然と心中を読み取られて動揺したが、正直誤魔化しきれた自信は無い。

 

 アレだけ俺に攻略組を辞める様に言っていた男が俺を頼っているという事実は優越感に浸らせると同時にチャンスでもあった。

 ここで実力を見せて心配する必要が無いほど頼もしい姿を見せれば、あの煩わしい善意の押し付けも止めてくれるかもしれない。

 これはあまりにも俺に都合の良い考えだ。けれどもありえる未来でもある。

 輝かしい希望に機嫌が良くなるのも当然だった。

 

「僕としては、本当は大人しくしてもらいたいんだけど、ね」

 

 ……どうやら俺の心は読まれやすい様だ。

 いや、この場合はクロノスが鋭すぎるのだろうか。エスパーを疑う察しの良さが憎らしい。

 苦虫を一ダースほど噛み潰した表情をする俺に、眼鏡の奥から、真剣な眼差しを向けられる。

 何度も見た目だ。だからこの後の展開も容易に想像出来た。

 

「シュウくん」

「却下。何度も言わせないでよ」

 

 クロノスが何を言うかは分かっている。そして、俺がどう言ってクロノスの提案を却下するのかも、彼はよく分かっている。

 俺達の会話に言葉はいらない。それを必要としない程このやり取りを繰り返してきた。

 自分の意志を込めた互いの視線が交じり合う。

 

「――どうしても?」

「どうしても」

 

 互いに相手を睨み合う。

 そこからの沈黙は長かった。

 まるで先に視線を逸らした相手が負けだと言うように、周囲の警戒をポチに任せた俺達は、足も止めず荒野の真っ只中で主張を押し付け合う。

 

 それからしばらくして、この無駄に長い緊張を強いた戦いは終わりを告げた。

 先に溜め息を吐き、諦めたのは、クロノスの方だった。

 

「そっか……分かった。もう言わないよ」

 

 肩を竦めたクロノスからは清々しさが感じられた。

 憑き物が落ちた顔。

 嘆息しつつも爽やかさ一切損なわれていない笑み。

 

「クロノス」

 

 そんな彼に今度は俺が真剣な表情で訊ねる。

 

 

 

 

 

 ――自分の気持ちとケリを着けるために。

 

 

 

 

 

「先生のこと、好き?」

「ああ、好きだよ。正直、ここまで誰かを好きになる日が来るとは思わなかった」

 

 呆れる程の即答だった。

 その時の顔、口調、全てから悟る。

 

 ああ、この人は本当に先生の事が好きなのだと。

 

 先生の事を語るクロノスの表情は今までに無いほど誇らしげで輝かしい。

 好きな人の事を話すのが嬉しい。

 そう言っている顔だ。

 

「子供と接する時の、サーシャさんの笑顔が好きだ。子供を保護し、笑顔を守ると言っていた、あの優しくて強い心が好きだ。聞いていて心が温かくなる、あの慈愛に満ちた声が好きだ。教育者として子供を導いている姿は、本当に美しくて、眩しくて、好きだ」

 

 自分の事で精一杯なのに、搾取される対象を保護する気高い精神。

 何人もの子供達を心身共に守ってきた彼女の手腕。

 それを可能とする優しい心。

 その全てが愛しく、力になりたいと思わせる。

 先生は色々な意味で魅力的な女性だ。

 クロノスの評価を俺は全面的に肯定した。

 続く、不謹慎な彼の発言も。

 

「攻略組のシュウくんは怒るかもしれないけど、僕はこのデスゲームに感謝しているんだ。彼女と出会えたからね」

「……その点だけは、俺も同じ。茅場晶彦に感謝してる」

 

 結局、俺とクロノスも似た者同士だった。

 先生を好きになって、先生のために何かしてあげたい。

 

 同族嫌悪、だったのかもしれない。

 

 身の内を曝け出すクロノスの顔は、男なら誰しもがカッコいいと思える漢の顔。

 

「僕は、彼女を守るよ。彼女の笑顔も。当然、教会の子供たちもね。彼女の大事な人は、僕にとっても大事な人だ」

「そう」

 

 力の篭った声に立ち止まる。

 彼は本気だ。今まで以上に充分なほど伝わってきた。

 なら俺が言う事は何も無い。

 

 俯き、立ち止まった俺に訝しげな視線を向けるクロノスは、

 

「――っ!?」

 

 

 盛大に股間を蹴られ、その場で飛び上がった。

 

 

「ふんっ」

「な、ななななっ!?」

 

 この世界では少し衝撃を貰うのみで正真正銘の痛覚というのは存在しない。

 そうでなかったらこうして吃驚顔をしていられないはずだ。普通ならもっと悶絶している。

 痛くはないが、男なら例え無痛でも冷や汗を掻いて当たり前。

 カーソルがオレンジにならないギリギリの力で蹴りを入れた俺は、不機嫌面で鼻を鳴らし、男の性でかなりビビっているクロノスを指差した。

 

「誓え、クロノス! 絶対に先生を悲しませない。絶対に先生を守る。絶対に兄姉達の期待を裏切らない。絶対に――絶対に、先生を幸せにしてみせるって! 約束しろ!」

 

 たかがゲームでのお付き合い、結婚システムに、俺の発言は随分と重いものだろう。

 しかし、そんなものは関係無い。

 このゲームから脱出した暁には結婚を前提にお付き合いする気のクロノスにとっては、このぐらい重みでも何でもないのだ。

 

 俺の気持ちを察したクロノスは戸惑い顔から一転。

 厳格な表情で、スッと背筋を伸ばした。

 

「ああ、誓うよ。――だから、安心してほしい」

「なら良し」

 

 これでは完全に娘を嫁に欲しいと言いに来た彼氏とそれを認めた父親の図。

 我ながら偉そうだと思う。

 胸を張ってふんぞり返る俺に、クロノスは力無く笑った。

 どうやら脱力している様だった。

 

「はは、でも……なんだか不思議な気分だ。シュウくんが子供や弟分じゃなくて彼女の父親みたいに思えてきた」

「先生の父ちゃんの代わりに俺が目を光らせるのは当たり前。寄り付く男の選別ぐらいしないと」

「……前から何度も思っていたけど、シュウくんは本当に十歳児とは思えないね」

「あともうちょいで十一になるんだ。いつまでも子供じゃないよ」

「いや、十歳と十一歳にそこまで差なんて無いから」

 

 苦笑いでツッコミを入れてくるクロノスにそっぽを向き、笑う。

 

 

 ――そう、俺は笑っていた。

 

 

 クロノスの言葉に嘘は無い。

 その真摯な眼差しは、胸を打った彼の言葉は、俺の信頼を得るのに充分だった。

 なら俺はクロノスを認め、先生との仲を祝福しようと思う。

 あの夜、自身に言い聞かせた事を強固なものにする。

 

 先生を大切に思い、幸せにしてあげたいと思う気持ちで言えば、俺とクロノスは全く同類。同志だ。

 俺よりもクロノスが先生を幸せに出来るのなら俺の醜い嫉妬なんて殺すべき。

 我慢して二人の門出を見守るのが、先生の良き理解者として俺が出来る唯一のこと。

 

 そう無理やりに納得する。この無理やりもいつか本心に変わる時がくる。

 そんな覚悟で二人の仲を祝福したのに、心に住まう闇が取っ払われたのは直ぐの事だった。

 

「でも、そうか。あともう少しでシュウくんは誕生日なのか。だからサーシャさんは新しいレシピの開発に勤しんでいたんだね。食べてもらいたい人がいると言っていたから」

「え?」

 

 折角再開した歩みを再び止める。

 空気が読めるのかモンスターの襲来も無い。

 呆然と立ち尽くす俺と、何でもないように教えてくれるクロノスの温度差が酷かった。

 

「サーシャさんは、いつも君のことばかりを話しているよ。君との思い出話とか、色々と聞かせて貰った」

 

 食事の時、巡回の時、そしてデートの時。

 先生は頻繁に俺の事を話題に出していたらしい。

 それを微笑ましいと思うも、大人気ないがその度に心に刺さるモノがあったと、苦笑しながらクロノスは言った。

 

「まったく、君が一番、サーシャさんに愛されているよ。正直、嫉妬した」

 

 

 その時、俺は初めて知った。

 クロノスも俺と同じだった事を。

 同時に理解する。

 今までの無意味な感情を。

 

(……そっか、比べる必要なんて無かったんだ)

 

 俺と先生の間にあるのは家族愛。対してクロノスと先生の間にあるのは男女の恋慕。

 元々愛情の土台が違う。互いに向ける感情が、想いが違うのだ。

 同じ愛情でも比べられる類ではない。

 なら、先生が与えてくれる愛に違いが出るのも当たり前。

 俺とクロノスの扱いに違いが出るのも当たり前だ。

 

 先生の愛に差なんて無かった。

 嫉妬なんて感じる必要も無かった。

 

 俺に向けてくれる愛も、クロノスに向けている愛も、当然、他の教会家族に向ける愛も、全てが限度一杯の、彼女にとって最大級の愛だったのだ。

 その想いに優劣なんて無い。

 

(それにクロノスが俺に嫉妬……ハハ、なーんだ。ピエロじゃん、俺)

 

 俺が抱いていた感情をクロノスも感じていた。

 隣の芝は青く見えるが、なんとも醜くて馬鹿馬鹿しい想いだったのか。

 何故か心がスッと軽くなる。

 

(俺が子供だったんだよな、結局。度し難いぐらいに)

 

 自覚すれば後は楽だ。

 今なら返還されたお金も資金援助をつっぱねられた事も素直に受け入れられる気がする。

 

 俺は先生に助けられ、保護を受けた。

 言ってしまえば俺は先生の子供。そして先生は親。

 それなら子供の稼いだお金に手を付けたくない気持ちも分かる。

 本気で資金援助をごり押しするなら《三界覇王》の三人みたく、何度も何度も先生を説得し、突っぱねられてもその都度お金を渡すべきだったのだ。

 一度返還された程度で絶望し、諦観した俺の心が弱かっただけ。

 先生とクロノスに不満を抱くなど、逆恨みもいいとこ。

 

(そうだよ。そんな子供の寄付より、将来は結婚まで考えてる彼氏の寄付を受け取るのは当然だ。相手は大人なんだから)

 

 その事に、今やっと気付かされた。

 本当の意味で理解した。

 

 大人のプライドを尊重してやれるぐらいには、俺も大人になったのだろう。

 

 俺とクロノスでは役割が違う。

 わざわざクロノスと張り合う必要なんて無かった。

 お互い違う側面から先生を愛し、支えていけば良いのだ。

 

(あー、なんかスカッとした。なに悩んでたんだろ。やっぱ黒歴史確定だ、これ。――けど、楽しみだな、誕生日)

 

 そして俺のために料理のレパートリーを増やし、誕生日会も開いてくれるらしい事に、頭が可笑しくなるほど嬉しくなる。

 ちゃんと先生は俺の事を気に掛けてくれている。

 先生の心に俺は住んでいる。

 それが、本当に、心の底から嬉しかった。

 

「なんだか、初めて見た気がするよ。君の笑顔」

「ふーん。なら今後はもっと見れるんじゃない?」

 

 俺は今、心から笑っているのだろう。

 顔がニヤケるのを抑えきれない。未来への期待を抱かずにはいられない。

 なにより俺は、今度こそ本心から、クロノスと笑い合えそうなのが嬉しかった。

 もう彼を嫌う必要も、原因も無いのだから。

 

 上機嫌にクックと笑う俺を見て、クロノスも魅力的な甘い笑みで応えた。

 

「でも、漸くシュウくんに認められて僕も嬉しいよ。いや、サーシャさんにプロポーズする前に、君との蟠りを消すのが、僕が自分に定めたルールだったから。本当に良かった。早速、指輪を用意しないと」

「…………ふーん、そう」

 

 前言撤回。

 この胸に燻っている感情に従うのなら、クロノスを全面的に肯定する日はまだ遠いらしい。

 やはり俺は結構嫉妬深い様だ。

 けれど今の感情をアスナさんや師匠が知ったのなら、きっとこう言ってくれるだろう。

 ドロドロとしたものでなく、子供らしい可愛げのある嫉妬だと。

 

 しかし、やはりこの宝石採取は指輪作りの一環だった。

 なら帰ったらやる事は決まっている。

 

(とりあえず街に戻ったら一発ぶん殴ってやる)

 

 それから指輪の用意に協力する事を心に決めた所で、俺達は目的地の中間に差し掛かった。

 

「この下?」

「ああ、情報だとそうらしいね」

 

 荒野を歩いた先、俺達の前を塞ぐのは切り立った崖だった。

 この崖は四十層を横に横断している巨大なものだ。

 本来なら東に一キロ行った所にある吊り橋を渡って北上し、迷宮区へと向う道。その道をあえて外れて俺達は進んでいた。

 

 この崖下の渓流を遡った所に目的のダンジョンがあるらしい。

 下を覗き込んで深さを確認。高さはおよそ二〇メートルと推定。

 それでも下の様子がよく分からないのは、沢山の大岩が渓流側に立ち並び、沢山の死角を生んでいるからだ。

 これではモンスターがポップしていても索敵が無ければ不意を突かれるかもしれない。

 不意打ちを心配しながら降下作戦の計画を立てる。

 

 その間、クロノスはオブジェクト化したロープを近くの潅木に結んでいた。

 ロープの重量制限は軒並み高く、また耐久度も高い。

 特に今クロノスが結び付けたのはエギルクラスの巨漢でも数人分を支える事が可能なものだ。

 その登山用のロープの端を握って隣に立ったクロノスは、その先端を崖下に放り投げた。

 長さは充分足りている。

 

「さて、僕が先に降りて安全を確かめてくるよ」

「《索敵》も無くてレベルも足りてない奴がなーに言ってんだか」

 

 先に降りる気だったクロノスはきょとんとしている。

 大丈夫かと言外に告げる目にしっかりと頷き、ポチ達をモンスターボックスに収納した。

 ただ当然、まだモンスターボックスを作りに行く暇が無かったのでスーちゃんだけは周囲を飛んでいるが。

 いつかみたいに回廊結晶を使わなくて良いのは本当に嬉しい。

 

「俺が先に降りるよ。縄が切れないように見てて」

「はは、シュウくんの体重なら心配ないけどね」

 

 クロノスがロープを支えるのは気分的なものだろう。

 確かに、木が支えるだけよりは安心感がある。

 

「スーちゃん、こっちおいで」

 

 崖を背にロープを握り、手招きしたスーちゃんを垂れ下がったフードの中に収納。

 可愛く顔だけ出すのにほっこりして、大地を蹴った。

 その時にパラパラと砂が零れる。

 そして、いつぞやの時と同じ降り方を取ったのは失敗だったらしい。

 あまり勢いをつけると砂が舞うため、仕方なく俺はゆっくりと崖伝いに下へ降りて行った。

 半年近く前、初めて崖下りをした事を思い出す。

 

「なんだかデジャブるな。マーカスのクエを思い出す……ッ!?」

 

 

 

 

 

 それは唐突だった。

 

 

 

 

 

 不意に揺れたロープに回想が中断。

 ロープにしがみ付きながら崖の出っ張りに足を乗せ、揺れに耐える。

 治まったと思ったら再度揺れる。

 三度、四度。何度も何度もロープが大きく揺れる。

 

 断続的に揺れるロープはまるで、張り詰めたロープに何かを叩き付ける様で――、

 

「ちょ、クロノス!? 何この揺れ!?」

 

 頭上を仰ぐ。

 まだ降り始めて数秒だから五メートルほどしか降りていない。

 今思えば、ここで状況確認のために止まらず、直ぐに崖上へと引き返していれば、この後あそこまで苦労する事は無かったのだ。

 

 俺の文句が聞こえたクロノスは顔を出す。

 彼の顔は、いつもと同じで笑顔だった。

 

 今ではもう、寒気を覚えるしかない、氷の笑顔。

 

「クロノ――ッ!?」

 

 クロノスが頭を引っ込め、再度の衝撃がロープを襲った途端、耐久値がゼロになったロープは淡いポリゴン片を撒き散らしながら砕け散る。

 当然そうなった後に待ち受けるのは自然落下。

 混乱する中、気づけば宙に投げ出されていた。

 

「くっ、なんだってんだよ!?」

 

 手を伸ばすが崖に届かない。黒羽を引き抜き、崖に突き刺して失速させようとするも、全ては遅すぎた。

 

「がはっ!?」

 

 そもそも十数メートルの高さでは行動する時間が無い。

 大岩の頂上に背中を打ちつけ、衝撃で空気が吐き出される。

 一瞬、頭の中がスパークした。

 痛みは無いがその衝撃は全身を駆け抜け、思考を停止させるには充分だった。

 

 リアルなら背骨や脊髄の損傷は確実な落下。

 全身を強打し、宙で一回転しながら地面を転がる。

 砂埃が舞った。身体中が汚れた。

 なにもこんな汚れまで再現しなくても良いのにと、こんな時に変な事を考えていた。

 

「ハァ、ハァ……HPは?」

 

 大の字で仰向けに倒れながらHPを確認。

 幸いHPには余裕があった。おそらく多く見積もっても三割ほどしか削れていない。

 その事に安堵し、そして頭上を飛び回っているスーちゃんも確認出来て、ホッと息を吐いた。

 

「…………縄が砕けた。耐久値が低かった?」

 

 たまたま耐久値が低かった。

 そうに違いない。そうに決まっている。あの揺れは、きっと関係無い。

 

 

 ――この必死な理論武装の裏には現実逃避が含まれていた。

 

 

 だって、そうだろう。

 折角クロノスの事を認められそうだったのだ。

 それなのに何故疑わなければならない。

 何故、あの憎きグルガみたいな大人達と同列に貶めなくてはならない。

 

 震える口で必死に言葉を紡ぐ。

 何度も大丈夫だと言い聞かせ、身体を起こす。

 力無く右手を真下に一閃し、メニューウィンドウを出現させ、回復ポーションをオブジェクト化。栓を抜く。

 そして、

 

「……え?」

 

 

 

 

 

 風切り音を耳が捉えると共に、背後に小さな衝撃が伝わった。

 

 

 

 

 

 手が動かなかった。身体が動かなかった。

 なにより、何故スーちゃんの身体に細いピックが突き刺さっているのだろうか。

 

「ぁ、え?」

 

 声が上手く出ない。手からポーションが零れ落ち、糸の切れたマリオネットの様に身体がうつ伏せに倒れた。

 

 この現象は知っている。この不自由さ。込み上げる不安。

 何より、HPバーの枠に掛かる緑色の点線に見覚えがあり過ぎた。

 

「な……んで……」

 

 スーちゃん、そしておそらく背中に刺さっているだろうピックに思考が停止する。

 地面に伏して動けないスーちゃんは元より、《耐毒》スキルを習得している俺が動けない理由。

 そんなもの今更考える必要も無かった。

 なぜなら、

 

「ハッハー! なんだか懐かしいなぁ、クソガキぃ!」

 

 

 

 

 ――絶望の声と足音が、背後から近付いているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十九話 魔物王Ⅴ

一部スマフォで書いた部分があり、文最初の一文字空けがうまくいっていない部分があります。

余裕が出来たら直しますのでご了承願います。


 その声を忘れた事は無かった。

 あの悪夢を思い出さない事は無かった。

 何度も何度も夢に出て、思い出して、その度に不安定になる心を必死に押さえつけた。

 最大級のトラウマ。俺がソロプレイを続ける一番の原因。

 あれから表立っての目撃情報が無くて油断していた。

 プレイヤーの生死を示す《生命の碑》で斜線が引かれていないから生きているのは知っていた。またの遭遇を危惧しなかった事は無い。

 なのに、何故、

 

「クックック、アーハッハッハッ!? 待ってた、待ってたぜぇ、この時をよぉ!」

 

 何故、こんなタイミングでグルガと遭遇してしまうのだろうか。

 

 髪色は以前の黒とは似ても似つかない金。おそらく変装のために変えたのだろう。趣味の悪いロングの髪が死ぬほど似合わず、貴公子とは程遠い姿は下品の一言。

 しかし獰猛さを見せ付ける肉食獣染みた雰囲気は健在。

 その不愉快な切れ目や口調は侮蔑以外の感情を向けるに些かの躊躇も無かった。

 六層の農村《ニーヴァ》で見た時とは似ても似つかない髪形。十層の《地底街区》で攻撃された時と同じ下卑た声。

 

 笑い声が近付いてくる。足音は三人分。

 俺の《耐毒》を貫通する高レベルの毒とポチの索敵を逃れたスキルと装備。

 アイツ等の実力は十ヶ月前とは比べ物にならない。

 まごうことなく、相手は強敵だ。未だ嘗て無いほど最悪な。

 

「よぉ、久しぶりだなぁ、クソガキ」

「……グ……ガ……」

 

 砂利を踏んでいた足音が止む。

 その声に生理的な嫌悪感を抱くからか、グルガの声は渓流の音に負けず意識の中に入り込む。顔側にしゃがんだグルガは俺の髪を掴み上げ、顔を覗き込んできた。

 下衆な表情を更に歪めたグルガの目に宿るのは、狂喜。

 瞬時に悪寒が全身を駆け巡り、硬直させた。

 

「お、覚えていてくれたのか? でもな、名前はハッキリ言おうぜッ!」

「――ッ!?」

 

 麻痺しているにも関わらず衝撃はしっかりと伝わるらしい。

 つま先が腹に突き刺さる。

 身体が宙に浮き、視界がグルガから憎いほど蒼い空へと切り替わる。

 一割未満の、ほんの僅かに減少したHPバーが視界に入った。

 それだけで俺の心は凍り付いた。

 

 ゴツゴツした地面に打ち付けられ、自分でも分かるほど顔が苦痛で歪んだ。

 肉体的な痛みは無い。ただ無力な自分と暴漢達が狂いそうになるほど腹立たしい。

 嗤いながら近寄ってくるグルガを睨み付ける事しか出来なかった。

 

「まったく、辛かったぜぇ。いつの間にか指名手配だからな。テメェだろ、リークしたのは。お陰ですっかり日陰モンだ」

「……じご……じと、くだ……」

 

  挑発の笑みを浮かべた途端、今度は爪先蹴りが頬に突き刺さる。

 

 グルガ達オレンジプレイヤーの情報は広まるのが早い。

 可能なら記録結晶で写真を、ダメでも人相書が世間に流布される。

 そのお陰で表立った行動が出来なくなったグルガ達は悲惨な生活を送ってきたらしい。

 本当、心の底から思う。ふざけるな、と。

 そしてまだ悪魔の所業は始まったばかりだった。

 

「おーい、グルガ。このサンリーフ・フェアリーはどうするよ?」

 

 それは、俺にとって人質を取られたのと同義。

 グルガに意識を取られて気付かなかった。

 いつの間にか近くに寄っていた取り巻き二人。

 その内の一人がマチ針みたいなピックの突き刺さったスーちゃんの襟首を掴み、眼前に掲げてゆらゆらと揺らしている。

 身体に刺さったピックが痛々しかった。その青ざめて痙攣している表情に不安がこみ上げてくる。

 

 握っている片手剣。卑しい目。嗤う口許。

 その全てが不吉な未来予想を押し付けてくる。

 

「は……な、せ……ッ!」

 

 意気込んでも手足は動かない。視線だけで相手は倒れてくれない。

 どこまでも無力。どこまでも理不尽。

 しかし諦められるはずが無い。彼女はもう俺の大事な仲間だ。守るのは主人たる俺の役目。そんな俺の努力を、希望を、

 

「あン? ……チッ、確かそいつ、麻痺毒使うんだったな。ンなもんさっさと始末しろ」

「あいよ」

 

 そんな俺の気持ちを、大事な者の命を、こうして奴等は嘲笑うのだ。

 

「待……っ」

 

 うつ伏せに転がされ、再度髪を掴まれて強制的に見上げる形になる。

 俺は、その小さな身体が宙に放り出されるのを見ている事しか出来なかった。

 絶望に染まる表情を血の様に赤いライトエフェクトが染め上げる。

 単純な袈裟斬り。しかし威力は中級に恥じない破壊力を持つ。

 片手剣単発技《レイジング・エア》が妖精の身体を強襲した。

 

 小さな身体に刻まれる紅の軌跡。

 切られた挙句地面に叩きつけられ、その身体が跳ね上がる。

 防御姿勢も取れずクリティカルヒットした彼女のHPは赤の危険域に達していた。

 

「お、一発じゃ無理か、なら――」

「や……やめ……スーちゃ……」

 

 感心した声を出したのは片手剣の金髪男ではなく、その横で岩に背中を預けながらふざけたショーを見物していた斧使いの男。

 その筋骨隆々の巨漢をのっさりと上げ、背負っていたバトルアックスをゆっくりと持ち上げる。

 その所作は、まるで薪割りをする樵の様でいて、

 

「――これなら、どうよ!?」

 

 そして罪人の首を切り落とす処刑人の様であった。

 

「……あ……あぁッ……が、あぁああッ!?」

 

 それは、まるで声ならない獣の慟哭。

 自分でも何を言っているのか分からない。

 ただ、喉を潰す勢いで叫びながら、淡いポリゴン片と化して砕け散るスーちゃんからは、いつまでも目が離せなかった。

 仲間になって一日も経っていない。ポチ以外は対面すらまだだ。

 僅かな期間しか一緒にいなかった小さな妖精。

 

 その妖精と肩を並べて歩く時は――もう二度と訪れない。

 

 その事に気付き、悲嘆の叫びはより高く崖下に響き渡った。

 一点を見詰めて涙を流す俺の耳元にグルガの囁きが届くのは、それから直ぐの事だった。

 

「なーにショック受けてんだか。たかがゲームの駒だろ、アレ」

 

 気付いた時、俺はがむしゃらに右手を振り回していた。

 今はその愉悦に溢れたクソッタレの顔をぶん殴りたくて仕方が無い。

 そして幸いにも裏拳気味に振り回した右手はグルガの顔に吸い込まれ――否、寸前で顔を逸らして回避された。

 

「くっ!」

「おっと、麻痺が解けんのが早ぇな。もしかしてテメェ、あの時のがトラウマで《耐毒》スキルを上げてんのか?」

 

 グルガの左手が俺の後頭部に伸びる。

 背中に片膝を乗っけられて身動きを封じられる。

 それでも起き上がろうとした俺は、無様にも横面を地面に叩きつけられた。

 こめかみを捕まれ、頬を地面に押しつけられているため半分しか視界が利かない。

 スーちゃんを失った悲しみと怒りで込み上げた涙が視界をぼやけさせる。

 その時、短剣の刃が少し見えた。

 黒羽よりも小さい、刃渡りは十センチ程度の小さな短剣。

 波の様にウェーブを描く刀身からは毒々しい色の液体が零れ落ちている。

 背中に刺さり、今はもう消えている麻痺効果付きのピックと同じ、麻痺効果のある高レベルの短剣である事を瞬時に把握した。

 

「……して……や……る……っ!」

「出来たら良いな。頑張れよ」

 

 首の辺りに不快な衝撃を感じた途端、また俺の身体は錆び付いた人形みたいに動かなくなる。

 恨みの言葉を平然と受け流すグルガは取り巻き二人を手招きした。

 殺人者三人が俺を取り囲む。

 

「さて、まずは身包みを剥がないとな。流石に攻略組をそのまんまってのは怖くていけねぇ」

 

 そう言うや、グルガは俺の外套を捲るとベルトに着けていたポーチを強奪する。これで中に仕舞っていた結晶アイテムと回復ポーションは失われた。

 その間残りの二人は、俺の右手を使って俺のメニューウィンドウを出現させている。

 他人のウィンドウは開けないが、俺の手を使う分には問題無い。

 

「おい、どこだ?」

「えーっと、《可視モード》は多分そこら辺だ」

 

 自分のウィンドウ画面は自分にしか見えない。そう保護フィルターが設定されている。

 そしてウィンドウに表示されているアイコン位置は全プレイヤー共有。

 だから自分のウィンドウと照らし合わせて他人にも視認出来る《可視モード》を探し当てた二人は、自由の利かない俺の手を操り、そのモードをオンにするのだ。

 

 俺のウィンドウが暴かれる。

 プライバシーも何もあったもんじゃない。

 身の内を曝け出すに等しい行為を強要されるのは遺憾であり、屈辱。

 

「おお、持ってる持ってる! すっげぇ!」

「全部でいくらだよコレ!?」

 

 俺の力無き罵倒はそれ以上の歓喜の言葉に掻き消される。

 アイテムストレージを眺める三人の目は醜悪な光を発し、爛々と輝いていた。

 

「ふざ……っ!?」

「おいガキ。やっかましいからちょっと黙ってろ」

 

 罵倒しようと口を開けば殴られ、蹴られ、三人そろってカーソルをオレンジに変えた面々は、そのアイテムを奪い取るべく、装備品以外の全てをオブジェクト化するボタンを押させようとする。その時、

 

「――まったく、何をしているんだか」

 

 呆れた口調のバリトンボイスが耳に届いた。

 

 ゆっくりとこちらへ歩み寄って来るのはカソックに身を包む似非修道士。

 知的な風貌。優しくて、爽やかな笑み。

 そして、ロープを攻撃し、俺を突き落とした男。

 

「ク……ロノ……ス……」

 

 彼の姿を確認したグルガ達が気さくに手を上げるので、やはりクロノスはコイツ等とグルなのだろう。

 

 何故、今になって。

 どうしてこのタイミングで。

 

 漸く信じられた矢先に裏切りに遭った俺は、どうしたら良いのか分からなかった。

 

 グルガは麻痺が切れるのを恐れたのか、三度俺の肌をナイフで傷付けると、立ち上がってクロノスと対峙する。

 

 その際、クロノスの眉根が不機嫌そうに寄ったのを、確かに見た。

 彼の表情には明らかな侮蔑が宿っていた。

 

「シュウくんを無駄に痛めつけるのは感心しない。アンタの目的はシュウくんへの復讐のはずだ。この子を殺せればそれで良いと言ったのは誰だった?」

「ク……ロノス……」

 

 俺を殺す。

 クロノスは俺を売ったと自ら認めた。

 今まで認めていたクロノスが。今後も積み上げていく筈の信頼の絆が。

 それが修復不可能なほど崩れていった。

 目元から、いつのまにか涙が零れていた。

 

「おいおい。こちとら色々とやんねぇと腹の虫が治まんねぇんだよ」

「そんな事は知らない。依頼された身ならそのぐらい守ったらどうだい? それにアンタ達には大金を払っているんだ。それ以上欲張るな」

 

 そしてクロノスは語る。

 俺のアイテムは全て換金して教会に寄付する。だからグルガ達に分配する余裕は無いと。

 一瞬、クロノスが何を言っているのか理解出来なかった。

 俺を殺す理由なんて物盗りくらいしか思い浮かばない。

 それが何故教会への寄付に繋がる。

 

 その時、俺の脳裏にある考えが思い浮かんだ。

 もしかしたら俺は勘違いしていたのかもしれない。

 騙されたと思っていた。コイツも教会の皆を、サーシャ先生を騙して近づいたのだと思っていた。

 

 しかし、もしそれが嘘じゃなかったとしたら。

 

「ク、ロ……な……んで……」

「ゴメンね、シュウくん。でも君が生きているとサーシャさんの悩みは消えないんだ」

 

 クロノスはいつもの笑みを浮かべていた。

 それは愛を知った者だけが作れる笑み。

 本当に守りたい人がいるからこそ、作る事の出来る覚悟の眼差し。

 先生の事を語るクロノスに嘘は無い。先生を第一に考え、本当に愛している。

 

 だからこうして、先生の抱く最大の不安材料を消しにきた。

 

「ずっと君の事を心配している。それはもう、本当にずっとね。見ていて痛々しいよ」

 

 先生を愛するクロノスだからこそ、その笑顔が仮面である事を見抜けないはずが無かった。

 空元気。不安を押し殺し、気丈に振舞う優しい教育者の笑み。

 そう、先生はそういう人だ。不安は絶対に隠そうとして、俺たちに心配を掛けないように努めている。

 

「だからね。彼女の不安は排除しなくてはいけない。君なら分かってくれるだろう? 君も僕と同じで、サーシャさんが大好きなんだから」

 

 だからクロノスは俺を排除したくてこの凶行に及んだ。

 全ては先生の心の安寧を図りたいがために。

 

「攻略組を諦めてくれたら話は簡単だったけど、君の決意は固かった。あんなに何度も説得したのに……理解してもらえなくて残念だよ、本当に」

 

 そうか、だからクロノスは執拗に俺の説得に掛かっていたのだ。

 今更ながら理解する。そして、もう遅い。遅すぎた。

 

 この一年で到達した階層は四十六層まで。

 今後も強敵が立ちはだかり、最初の頃に比べて徐々に攻略ペースが落ちている事を考えたら、まだクリアするには二・三年掛かる。

 

 そんな長い期間、ずっと先生に不安を強いるのか。

 張り詰めた心で生活させるのか。

 数年も不安に駆られる彼女を見たくない。

 ゴールの見えない道を歩かせる訳にはいかない。

 ならばいっそのこと、その原因を早い段階で摘んでおこう。

 

 俺が死んだら先生は悲しむ。

 きっと、俺が戦う事を容認し、止めさせられなかった自分を責める。

 もしかしたら心が壊れ、自殺を図るかもしれない。

 

 しかしクロノスはそうならない確信が、またはそうさせない自信があった。

 

「君が死んだと知ったら確かにサーシャさんは悲しむ。けど大丈夫だ。僕や教会の皆がしっかりフォローするから。君もサーシャさんの強さは知っているだろ?」

 

 

 ――君の死を乗り越えて生きていける。なら、早く君を排除するのは最終的にプラスになる。

 

 

 そう笑顔で言ってのけるクロノスは、傍から見ても狂気に支配されていた。

 愛は盲目とはいうが、その所為でここまで倫理観の外れた者は見た事が無い。

 あのグルガ達ですら平然と先生への愛を語る姿におぞましいものを感じたのか、ゆっくりと距離を取り始めている。

 悲しみは時間と愛する人達が癒してくれると結論付ける先生至上主義者は俺に笑いかけた。

 まるで安心させる様に。

 それは志を同じくする理解者に向けられる、信頼の証だった。

 

「だからね、シュウくん。心配しなくて良いよ。約束どおり男同士の誓いは守る。僕が彼女を幸せにしてみせる。期待には応えるさ。君に認めてもらった事だしね」

 

 

 

 

 

 おそらくクロノスには俺を騙していたつもりは無かったのだろう。

 

 

 

 

 

 平常通りの思考能力で俺を排除する結論を導き出し、道端の小石を退ける感覚で実行したに過ぎない。

 彼に狂っている自覚は無い。殺される俺がクロノスを恨むとは一片たりとも思っていない。

 先生のためなら命を投げ出すのは当然で、志を同じくする俺ならきっと同意してくれる。

 多分立場が逆なら、クロノスは自ら命を絶っていたかもしれない。

 

 俺は、先生達は、この男の異常性を丸っきり理解していなかったのだ。

 

 愕然とした面持ちで、信じられないものを見るような目でクロノスを見る俺に、彼は小さく安堵の息を溢した。

 

「ああ、しかし計画通りに事が進んで一安心だ。まったく、昨日彼等と打ち合わせをした直後に君と出会ったのは冷や汗ものだったよ。もし話を少しでも聞かれていたら失敗は確実だったからね」

 

 つまり昨日用事があるから先に帰った一団とは、このグルガ達だったのだろう。

 街中で殺しの計画を立てるよりもフィールド・ダンジョン内の方が人目に付き難い。もしかしたら彼らと会っている所を他のプレイヤーに見られたくないからクロノスが提案したのかもしれない。

 そして、本人にとって密会はソフトバードを狩るついでの些細な出来事に過ぎなかった。

 

 オレンジになりたくないからグルガに依頼した卑怯者は、俺と最後の別れを告げた気でいるのか、納得顔で立ち上がった。

 

「相談に乗ってくれてグルガさん達を紹介してくれた《彼》には改めて礼を言うとして。――さあ、後は苦しまないように一撃で……ッ!?」

 

 ――そして背後からグルガに斬り付けられ、その長身を地面に横たえさせる。

 信じられない。何故、自分は身動き取れず地面とキスする羽目になったのだろう。

 そう驚愕に目を見開き、クロノスは下手人を見上げた。

 

「わりぃな、クロノスさんよ。こっちにも事情ってのがあるんだよ」

 

 今まで俺達のやり取りを傍観していたグルガは、その下卑た嗤いをクロノスにも見せ、ついでと言わんばかりに俺も毒ナイフで傷付け、更に麻痺状態に陥れた。

 同種の笑みを貼り付ける取り巻きもクロノスを囲い、明らかに彼は狼狽姿を露見させ、初めて恐怖の眼差しを向けた。

 

「……なに、を……」

「アンタには感謝してるぜ。フィールドでは常にシルバー・ヴォルクがいるから不意打ちが効かねぇ。こうでもして使い魔を収納させ、更には人気の無いフィールドに誘き寄せてくんなきゃ、コイツを麻痺らせるなんて無理だからな」

 

 そして何度か暴行を加えられて分かったが、少なくともグルガのレベルは俺と比べてそう高くない。

 おそらくクロノスよりも低いだろう。多分取り巻き達も似たようなレベル。あの武器が持つ毒だけが実力に不釣り合いなほど強いのだ。

 そんな実力しか無い自分達では、強力な使い魔を侍らせる俺を、例え不意打ちといえど討ち取れる気にはなれなかった。

 多人数で攻めておきながら頻繁に麻痺させるのも、俺の実力を恐れている証拠。

 街中でも警戒を怠らなかった俺を殺すには、こうでもしなきゃ達成出来ないに違いない。

 

「だからよ。これは手伝ってくれた礼だ」

 

 そこからは見るに耐えない暴力の応酬だった。

 感謝を込めて苦しまないよう最大攻撃を何度も何度も浴びせられ、恐怖に錯乱するクロノスが弾け飛ぶのに十秒も掛からなかった。

 断末魔が響く中、最後に声無く呟いた人名が、誰を指していたのか。

 それを一生知る事は叶わない。そもそも二度と合う事も無い。

 愛に狂った一人の男は、実に呆気なく命もろとも身体を散らした。

 

「さあ、邪魔者はいなくなった。あとは楽しい楽しいショーの始まりだぜ」

 

 幻想的なまでに綺麗な《人だったモノ》を浴びながら、こちらを振り返るグルガ。

 クロノスの次は、当然俺の番。

 しかしグルガ達の行動は分からないことだらけだ。

 

「なに、が……ねらい、だ……ッ! ころ、すなら……さっさと……できる、だろッ!」

「そうしたいのは山々だけどよ。言ったろ、こっちにも事情ってのがあるんだよ。――おい」

「オーケー」

 

 斧使いが《完全オブジェクト化》をクリックし、膨大なアイテムがオブジェクト化され、辺りに散らばる。予備の武具。大量の食料。野外道具。多種多様なアイテムが砂利の上に散乱する。

 続いてグルガ達は俺の装備も外しに掛かった。

 

 愛剣の《黒羽》。

 黒いローブ《ブラック・オブ・ウィザード》。

 ボス戦で入手したユニーク品《ブーツ・オブ・サイレント》

 防寒性に富んだ《ホットウェア》と《ホットズボン》

 手を保護する《ファントム・グローブ》

 手編みのマフラー。

  どんどんアイテムが収納される。

  そして、四角い三つのボックスにも手が掛けられた。

 

「ポ、チ……みん……な……」

 

 装備は全て剥がされ、今身に付けているのは質素な黒シャツと短パン。宿で過ごす普段着。

 流石に《衣服全解除》までされる事は無かったが、屈辱的なことに変わりはない。

 例の如く手を勝手に動かされ、無理やりモンスターボックスを開放。

 そして現れる毎にグルガのナイフがポチ達を切り裂き、その身体を地面に横たえさせる。

 ポチも、タマも、その力を発揮する前に無力化された。

 ただ、一つの例外を除いて。

 

「うん? おい、グルガ! こいつ麻痺が効かねえ!?」

「チッ、ならいい、始末しろ! 二匹いりゃ充分だ!」

 

 もともと防御性能に優れるクロマルは耐毒性能に富んだモンスターの一体。

 幸運にもクロマルは毒牙から逃れ、しかもその高い防御力から大したダメージも負っていない。

 これは、チャンスだ。

 反射的にクロマルの近くにいた取り巻きその一、その軽薄な笑みを浮かべる金髪男に憎悪の眼差しを向ける事でターゲットカーソルを合わせる。

 

(食ら……っ)

 

 魔物王上位突進技《ブル・パレード》を顔面に叩き付け様として、しかし寸での所で踏み止まった。

 攻撃性能が皆無のクロマルでは突進させても致命傷を負わせる事は出来ない。

 幾分か怯ませる事が出来ても直ぐに捕獲される。

 クロマルの足は遅いのだ。

 その際、怒りを買えば惨たらしく殺されるかもしれない。

 なら、例え僅かな望みであっても、クロマルには逃げ切ってほしい。生きてほしかった。

 

「にげ……にげ、ろ……ッ!」

 

 しかし、

 

「はっ、馬鹿かよ、こいつ! 自分から殺られに来たぜ!」

 

 何故あれほど忠実だったクロマルは、《意思伝達》を無視して俺の方に近寄ろうとするのか。

 《魔物王》を完全習得した俺の命令に逆らうクロマル。

 執拗に剣で斬り付けられ、戦斧で叩かれながらも、クロマルは必死に俺へと近付こうと頑張っている。

 それはまるで、主人たる俺を助けようとしている様に見えた。

 

「い、いい、から……ッ! お、れは……いい……からッ!」

 

 俺の事は放っといて逃げて欲しい。

 助けようとしてくれるのは本当に嬉しい。嬉しくて涙が流れてくる。

 様々な光に彩られるソードスキルの嵐に遭い、その命を刻々と削っていても、一向に逃げる気配は見せなかった。

 緑の安全域から黄色の注意域、そしてHPは赤の危険域に到達する。

 

「クロ、マ――ッ!」

 

 俺の言葉はクロマルには届かなかった。

 クロマルの前を阻み、死に体だったクロマルに容赦無く振り下ろされたのは、不気味なほど赤黒い細身の刃。

 いつの間に装備をチェンジしたのか。切るだけでなく突き刺す事にも特化していそうな両刃の剣はクロマルの防御力を突破し、その固いボディを刺し貫く。

 身体が停止。一瞬後には四散する身体。

 何度も見てきた死亡プロセス。

 それが仲間のものになると、幻想的なポリゴン片がこうも不気味で歪んだものに見えてしまう。

 

「たくっ、手間取らせやがって」

 

 クロマルを刺し殺したグルガは舌舐めずりをしながらこちらを振り向く。

 再び装備を毒ナイフに切り替え、歯が砕けるほど強く噛み締める俺の前に、再びしゃがみこんだ。

 

「さーってと。おいガキ――やっぱり、生きたいか?」

 

 最初、その言葉が理解出来なかった。

 生きたいか。そんなの生きたいに決まっている。

 俺は自殺志願者ではないのだ。

 

「お前の態度次第じゃ、もうしばらく生かしてやっても良いぜ」

 

 グルガの言葉が深く耳に浸透する。

 不意に沸いて出た希望に心が揺れるも、同時に疑問と不安が重く圧し掛かった。

 俺を生かすメリットなどない。

 現にクロノスは、俺に復讐するのがグルガの目的だと言っていた。

 なら、これは上げて落とす作戦に違いない。

 

 しかし実態は、俺の予想を超えて更に酷い悪魔の提案だった。

 

「テメェの手で、残りの二匹を始末しな。そうすりゃ助けてやる」

 

 頭が真っ白になった。そして直ぐ、血管が切れて憤死するほどの激情に支配される。

 俺がポチとタマを殺す。何の冗談だ。笑い話にもならない。

 

「へっへ、まあ、そうすりゃ見逃してやっても良いぜ」

「………………」

「さあ、どうす――」

 

 だから俺は、気付けば必死に頭を動かし、その近づけた汚い面に唾を吐き掛けていた。

  最大の侮辱を与えるために。

 

「バ、カが……あたま……わる……いな……」

 

 どうせ自ら殺しても、コイツ等が約束を守るはずがない。

 ならせめて、コイツ等の手に掛かるより俺自らの手で介錯した方が、ポチとタマは幸せかもしれない。

 しかし、俺はその方法を取ろうとは思わなかった。

 

「――お、っさん」

 

 

 何故なら、俺がコイツ等の言いなりになるのはポチ達も我慢ならないと思うから。

 

 

 おそらく、俺はここで死ぬ。

 ポチ達も死ぬ。

 身体が言う事を効かなくて一矢報えないのなら、せめて心だけでも抵抗する。

 奴等を楽しませる様な事はしない。

 盛大に侮辱し、嘲笑い、死んでやる。

 

 改めて俺は、コイツ等に屈しない決意を抱く。

 

 そして狂った様に笑い声を上げるグルガに蹴られ、その身を強く大岩に打ち付ける事となった。

 

「ハハ、アーッハッハ! ――おい、その二匹を始末しろッ!」

「おうッ!」

「待ってましたぁッ!」

 

 大岩を背に崩れ落ちながら前方を見ると、そこには剣と斧の刃に切り刻まれる仲間の姿があった。

 しかし、よくやったと言っていそうな強い眼光を二人分受け、ふと笑みが浮かび上がる。

 そんな俺が袈裟懸けに切り裂かれたのは、直ぐの事だった。

 

「直ぐには殺さねぇッ! 通常攻撃でたっぷり甚振ってから殺してやるよ、このクソガキがぁあああああああああッ!」

 

 その宣言通り攻撃は長く続いた。

 防具は装備していないので元々のレベル差だけで持ちこたえる。

 手加減している嬲り殺しの一撃はゆっくりとHPを削り取った。

 

 おそらくこのままでは後一分程で俺は死ぬ、

 死ぬのは怖い。気丈に振舞っているが直ぐにでも身体が震えそうになる。

 

 しかし、実は希望がまったく無い訳でもなかった。

 それは殆ど奇跡に近い確率だ。俺も確信は持てない。

 けど、生き残れるのなら当然生きたい。

 生きて――ポチ達の仇を取りたい。

 

 最後まで諦めない。

 

「あ、おい、グルガ。甚振る前にもう一度麻痺らせた方が良いぞ!」

「そうだな。速く《インフェクサー》に持ち替えろ!」

 

 

 もう、ポチ達の姿はどこにも無かった。

 

 

 岩に腰掛ける取り巻き達は今までの麻痺時間を参考にして、頭に血が昇って冷静な判断が出来ていないグルガにアドバイスをしてくる。

 しかしここで誤算だったのは――俺にとっては幸運だが――《耐毒》の熟練度。

 全てのスキルに該当するが新技や新たな効果を発現するのは大体がキリの良い数字だ。

 暇を見つけては宿屋でわざと麻痺系統の効果を及ぼす飲料物を飲み続けた結果、《耐毒》の熟練度は五九九。

 そして《耐毒》の効果は毒系統の異常状態の無効化と通常時に比べて速い段階での症状回復。

 幸いな事に高レベルの毒を受けて俺の《耐毒》スキル熟練度は六〇〇の大台に乗っていた。

 

 つまり――、

 

「な……ッ!?」

 

 

 ――つまり、麻痺が解けるのが今までより少し早いということだ。

 

 HPは残り45。

 殴られ、蹴られ、切られ、地面に叩き付けられた身体。

 倒れた状態から瞬時に起き上がり、ウィンドウを開いたまま驚愕するグルガの懐に素早く潜り込む。

 今手元に武器は無い。防具らしい装備も無い。

 それでもこの身があればグルガを吹き飛ばす事ぐらいは容易だった。

 

「こ、の、クソ野郎ぉおおおおおおおおおッ!」

 

 瞬間、グルガの腹部から眩い閃光が迸る。体術スキル《ヘビー・ボム》の輝き。

 懇親のボディブローはグルガの身体をくの字に曲げ、殴り飛ばす。

 それに追走しながら右手を下に一閃。

 出現したウィンドウの《クイックチェンジ》をタップして予備の《黒羽》を装備。

 まだ全てのアイテムを収納しきれておらず、登録してある武器が敵の懐に入っていないのが幸いだった。

 《疾走》スキル全開。素足のままで地を駆ける。グルガが落ちる寸前で短剣三連撃技《トリプル・エッジ》を叩き込んだ。

 

 とにかく今はコイツ等を倒し……いや、殺したくて仕方が無い。

 ポチ達と同じ目に合わせなくては俺の気持ちは治まらない。

 怒りで視界が真っ赤に染まり、しかし頭の中は異様なほど静かで、冷たい。

 

 

 ――反逆の狼煙はグルガの悲鳴で幕を開けた。

 

 

「クソッ! おい、速く援護しろお前等!」

「あ、ああッ!」

「このガキがッ!」

 

 ギリギリ生き残ったグルガが俺から奪った回復結晶で全快する間、取り巻き達が時間を稼ぐ。

 脳天を叩き切る降り下ろしの片手剣と、時間差で右側から襲い掛かる斧の一撃。共に青と黄色のライトエフェクトを纏う技を受けたら死は免れない。今の俺はたった一発でも受けたら即死する。

 

  (関係ない!)

 

 けれども今は死への恐怖よりも怒りが勝った。

 半身になって攻撃に備える。鼻先一センチの部分を刃が通り過ぎ、屈んだ瞬間に頭上を斧が通過する。

 相手の隙を逃さず、屈んだまま片足を軸に一回転。

 半径一メートルに円状の衝撃波が迸る。

 二人まとめて足払いをかける右足が黄色の光を帯びていた。

 体術中級技《旋回脚》。

 堪らず仰向けに倒 れこむ取り巻き達。当然、彼等が体勢を立て直す隙は与えない。

 

 短剣五連撃技《ラピッド・スレイヤー》

 短剣熟練度が八〇〇を超えた時に覚えた高速の五連撃のうち、最初の降り下ろしと切り返しの二連撃を倒れている片手剣使いに。繰り返し行われる同じ動作とトドメの突きを斧使いに叩き込む。

 圧倒的なレベル差。上級スキルに加えクリティカルヒット。

 二人のライトアーマーが砕ける時、それは彼等の戦意が砕けるのと同義だった。

   

「ひゃわっ!?」

「あ、うわぁああああッ!?」

 

 回復する手間を惜しんで二人は逃げ出す。

 一つは上級とはいえたった二発で彼等のHPは半分削れた。

 更にメイン防具は破壊され、新たな防具を装備する時間は得られないと判断したのだろう。

 逃げるのは賢明と言えた。

 

「あ、テメッ、この待ちやがれ! おい、戻れ!」

 

 転移結晶を使う余裕が無いほど恐慌状態に陥った二人に叫ぶグルガ。

 しかし、それが決定的な隙を作った。

 グルガが正面を向く頃にはもう接近を終えている。

 ソードスキルは使わない。自らの力のみで、グルガの腹を再度殴り付けた。

 

「ーーガハッ!?」

 

 衝撃でグルガの目が見開かれる。

 あの二人は逃したがコイツだけは逃がさない。

 簡単には殺さず徹底的に恐怖と後悔を刻み込み、八つ裂きにする。

 そうしないと、俺はもう自分を保てない。

 

「こい、卑怯者」

「くそっ、くそくそくそくそくそぉおおぉおッ!」

 

 追撃は仕掛けずグルガが立ち上がるまで待ち、空かさず挑発。

 俺の殺気と何時でも距離を詰められる体勢から逃げ切れないと悟ったグルガは両手剣を手に斬りかかってくる。

 上段からの切り下ろしを半身になって避ける。刺突は下から打ち払い、横薙ぎの一閃を短剣の腹で止める。

 決して俺からは攻撃せずにグルガの攻撃を全て防御。精神的に追い詰める。

 そうして幾合かの打ち合いを経て、堪え性のないグルガに限界が来るのは早かった。

 

  「ナメんじゃねぇぞクソガキぃいいぃいっッ!」

 

 距離を取ったグルガの身体が沈む。スタートダッシュを図るような体勢から瞬時に攻めに転換。限界まで引き絞った剣を、踏み込んだ体重に乗せ一気に突き出す。

 両手剣突進技《ソニック・ブレイズ》。

 

(それを待ってた)

 

 極限まで高まった集中力のせいか、知覚のバグか。この時俺は凄まじいスピードで接近してくるグルガの行動が手を取るように分かっていた。

 突き出された剣が攻撃判定を発生させる前に紅いライトエフェクトを撒き散らす黒羽を剣の腹に真横から打ち付ける。

 耳をつんざく金属の破壊音は、思いの外周囲に響いた。

 システム外スキル《武器破壊》。

 一度だけキリトが戯れに見せてくれた超高等技。

 耐久値の下がった武器の構造上脆い部分に強攻撃を加えることで、任意に武器を破壊する技。

 グルガの武器は見た目からして細い。加えて耐久力に優れたクロマルや、ランクの高い黒羽と何度も打ち付けあった。

 耐久値が著しく下がっていた武器の末路としては当然の結果だ。

 

 武器を失って呆然自失しているグルガの足を払い、仰向けに倒れる奴の腹に踵を落とす。

 地面で跳ね返るグルガの頭を蹴り飛ばし、奴のHPを確認。

 細心の注意を払ったのでまだ二割程度しか削れておらず、もっといたぶれると知って口角が吊り上がった。

 

「ひぃっ!? わ、悪かった! 悪ガァッ!?」

 

 上体を起こし、尻餅を着いたまま後退るグルガの顔に飛び膝蹴りが突き刺さる。

 

 

「お前だけは絶対に許さないッ!」

 

 簡単に殺さないよう痛め付ける俺を見たら、きっと色んな人が悲しむに違いない。

 

「待っ、待ってくれ! もう手を出さねぇからっ!? お前の前に二度と現れねぇよ!だ 、だから……だから!」

 

 殴り、蹴り、投げ飛ばし、切って、突き刺す。

 死の恐怖で泣きわめくグルガを大岩に追い詰める。

 この時、グルガのHPはもう残り一割を切っていた。

 背後の岩が邪魔で後退る事も叶わない。

 これで最後。弓の様に引き絞った黒羽から紅のライトエフェクトが迸る。 

 グルガの悲鳴が耳障りだった。

 今さら命乞いをしても許してやらない。ポチ達は命乞いをする暇も無く不条理な暴力に散っていった。

 だから同じことをする。因果応報。

 

「ひぃっ、死……死にたくねぇええぇえぇえッ!?」

 

 そして俺は刃を突き刺した。

 

 

 

 

 

 ――グルガの頬から僅か一センチ横を。

 

 

 

 

 容赦は、しないつもりだった。

 それなのに、

 

「――――もう、うんざりだ」

 

 何もかもが嫌だった。

 こんな空しい敵討ちも、こんなクズと関わるのも。

 

 何より、直前になってこんなクズの命乞いに躊躇ってしまい、殺せなくなってしまった弱い心が嫌だった。あんな事をしたのに、死にたくないという気持ちが分かってしまったから。

 

 誓ったはずなのに、ポチ達の仇を討つと。

 誓ったはずなのに、少なくともグルガはこの手で殺すと。

 

 それなのに、俺の手は殺意に反して動いてくれなかった。

 

「命乞いするなら……謝るくらいならこんなことすんなよッ!? 何で俺に逆恨みすんだよッ!? 何でそんなにクズなんだよッ!? 何でポチ達を殺したんだよッ!? 何で俺達がこんな目に遭わなきゃなんないんだよッ!?」

 

 犬歯を剥き出しに怒鳴り散らす。

 行き場の無い怒りを抑える事が出来なかった。

 一度弱音を吐いたら、あとはもう吐き出すだけ。心の堰はとっくに切れている。

 湯水の如く溢れ出るドロドロの気持ちを、ぐちゃぐちゃになった心を、どう保てば良いのだろう。

 

 短剣を引っ込め、代わりに怯えるグルガの横を左手で殴りつける。

 先程の一撃のダメージも、蓄積していたのか。どうやら破壊可能オブジェクトだった大岩は体術スキルの一撃に耐え切れずガラガラと崩れ落ちた。

 

「ひ、ひぃいっ!?」

 

 これで完全に戦意を失ったグルガは一目散に逃走する。

 先に逃げた二人の後を追うようにフラフラの足取りで懸命に走る背中に、俺は一瞥もくれず、その場で憤怒と悲嘆を叫ぶ事しか出来なかった。

 

「もう、嫌だッ! うんざりだッ! ふざけんなッ! 邪魔すんなッ! 消えろ、消えろッ! 二度と俺の前に現れるなッ! もうッ……もう……消えてよ……頼むから……」

 

 感情に身を任せた怒声が勢いを無くす頃には、グルガの姿は既に離れていた。

 転げそうになりながらも無様に逃げる背中が遠ざかる。

 今はもうグルガの事よりも大事な仲間達を失った喪失感が。

 激情が萎んでいく虚しさだけが、心中で渦巻いていた。

 

「ポチ、クロマル、タマ、スーちゃん……何で……何で、こんなっ」

 

 手から黒羽が零れ落ちる。

 膝から崩れ、両手を着きながら涙を流す。

 今までの思い出が脳裏にフラッシュバックし、嗚咽が込み上げてくる。

 そして、俺は、

 

 

 

 

 

「――Suck、白けさせやがって」

 

 

 

 

 

 その声に、死を予感した。

 

 

 

 

 そして直ぐにこの世のものとは思えない絶叫が迸り、何かが――人間を構成する全てのモノが砕ける音が木霊する。

 俺が視線を左に、グルガの逃げた方に向けた時、ソレはもう終わっていた。

 

「わざわざ俺自ら面接してやったってのに、この体たらく。完全に無駄足だった」

 

 たった今、霞む勢いで大型のダガーを煌かせた男の声からは徒労の色が窺える。

 全身から不気味な気配と共に滲み出るのは落胆の色。

 人を切り刻み命を奪っておきながら、あろうことか漆黒のポンチョに身を包む男からは、まるで積み上げていた積み木を無造作に壊された様な苛立ちの声が上がる。

 人を殺めた事に関して欠片も罪悪感を覚えず、まるで面倒な作業だったと言いたげな雰囲気は、言い様の無い絶望を抱かせるには充分過ぎた。

 

 

 ――アレは、本当に俺と同じ人間なのだろうか。

 

 

 どこまでも冷たく、どこまでも不吉。

 平然と命を刈り取る死神。

 張りのある艶やかな美声に背筋が凍る。

 たった一声。それだけで俺の身体は、心は、恐慌状態に陥ってしまう。

 お陰で俺はゆっくりと歩み寄る長身痩躯の殺人者に反応出来ないでいた。

 その目深くフードを被るポンチョの男が砂利を踏む度に、俺の心は震え上がる。

 グルガの発した死の気配、殺人者の香り。それが児戯に見えてしまうほど桁違いの恐怖、悪寒。

 

 その恐怖の体現者の後ろから――偶然にも先の二人の逃げた先から――影が増え、最凶の短剣使いに追歩した。

 

「『相手を、殺す、だけじゃない。俺達を、楽しませろ。そうすれば、合格』。……くだらない、余興、だった」

「まったくだ。あそこは相手の手を掴んででも、無理やりガキ自身の手で使い魔を始末させるべきだってのによ。……少しは見込みがあると思ったんだがな」

 

 血の通った人間とは思えないおぞましい会話を続ける二人。

 ポンチョ男が不気味なら、新たに現れた人物もまた異質。

 襤褸切れみたいな布を纏い、髑髏を模したマスクの目は赤く発光している。

 短剣使いよりも死神みたいな黒色の男は、いちいち言葉を区切る特徴的な口調で喋りながら、血の色をした不気味な針剣を無造作に揺らす。

 刺突に特化したあの剣は、人を切り刻んだ大型ダガーとは別の恐怖を植え付けた。

 俺の心境を知ってか知らずか、二人は世間話をする様な気楽さで歩み寄ってくる。

 

「さっき逃げた馬鹿共はどうした?」

「始末、した。不備は、ない」

 

 ああ、その髑髏マスクの言が正しいのなら、あの逃げた二人も既にこの世にいないのだろう。

 余計、焦燥を味わう事になる。

 早く逃げなくちゃいけない。あの二人は危険だ。

 生存と防衛本能が何度も警鐘を掻き鳴らす。

 それでも俺の身体は、動いてくれなかった。

 

「アレは、どうする」

「ああ、アイツ等が執着していた奴は……Wow、これはこれは。世に名高い《魔物王》様じゃないか――」

 

 吐き気がするほど白々しい台詞を死神は口にする。

 脳を蕩けさせ、容易く人の意識に侵入し、犯す声は、その美しさ/不気味さを持って俺の心を更に縛り付け、見えない杭で体を地面に縫いとめる。

 俺を王族として扱う様な恭しい口調とは裏腹に、その内にはゾッとするほどの恐怖が込められている。

 死神の反応は、新たな玩具を発見した無邪気な子供。

 平然と残酷な事をやってのける死の使者。

 ヒュー、という、その心境を物語る口笛には薄ら寒いものを感じた。

 

 そして、その大仰な仕草はまるで喜劇の主人公。

 または観客に応える様に、ショーを披露するマジシャンの様に。

 悪のカリスマは一人のエンターテイナーとして呟いた。

 

「――イッツ・ショウ・タイム」

 

 

 

 

 

 

 

 




今後はしばらく携帯からの投稿になるかもしれないので
ここ最近の更新スピードは保てそうにありません。
更新意欲は高いままですが、どうかご了承願います。

誤字の報告、感想、ご意見、評価、etc.
何かあったらご連絡頂けると大変嬉しいです。

今後もこの作品の応援を宜しくお願い致します。





目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十話 魔物王Ⅵ

 確かに、空気が死んだ。

 周囲が闇に包まれ、全ての音が掻き消された無音の世界に迷い混んだと錯覚するほど、不気味な程に静かだった。けれども不幸中の幸いは、その世界も永くは続かなかった事だろう。

 次第に闇は晴れ、そして消える世界に比例するように、そいつはゆっくりと禍々しい気配を放ちながら俺の意識に入り込む。

 そいつの登場は計算外。一切考慮されていない埒外にあり、黒ポンチョを目視した瞬間、悪寒と表現することすら生温く感じる恐怖が全身を貫いた。渓流沿いに吹く風が、本来なら感覚的なものである筈の死臭を運ぶ。不可避の絶望を叩き付けてくる。

 見た目だけなら右手でエストックを弄び、大岩に背を預けて傍観の姿勢を取る髑髏マスクの方がおぞましい。けれども吐き気を催すほどの雰囲気を放ち俺の足を恐怖で縫い止めるのは、間違いなくゆっくりと歩いてくる黒ポンチョの方だ。

 一瞬たりとも視界に入れたくないのに、奴から目を逸らせられない。全身から吹き出す冷たい汗が服を濡らす。あの男の愉快気に緩まった口許を見れば見るほど、その右手に持つ血色のダガーに蹂躙されるビジョンしか思い浮かばない。

 フードの影に隠れて辛うじて見える口許は、確かに楽しそうに嗤っていた。

 

 

 

 ――秋人。強くなったね。父さん、ちょっと危なかった

 ――ふんっ、余裕綽々にガードしてる人に褒められても実感ないっつーのっ!

 

 

 

 ふと、ワシャワシャと頭に乗っけられた、父ちゃんの大きな手の温もりを思い出した。

 

 

 

 ――姉ちゃん、今日のご飯は? あとお願いしたコーラ頂戴

 ――今日はお鍋だよー、でも秋人、今じゃないとダメ? ちょっと料理に使いたいんだけど

 ――コーラを料理に使う……って、これコーラじゃなくて甲羅……

 ――希望通り美味しいお鍋を作るからもうちょっと待っててね

 ――あー、うん。楽しみにしてるよ……スッポン鍋

 

 

 

 ふと、優しくて、天然だった姉ちゃんのほんわかとした笑顔を思い出した。

 

 

 

(……何で……何で今、おれ……)

 

 

 ――何故、こうも無性に父ちゃんと姉ちゃんに逢いたくなるのだろう

 

 

 二人の顔が見たかった。二人の声が聴きたかった。

 大きな手を頭に置かれ、背後からぎゅっと抱き締められて温もりを感じたかった。

 懐かしさに視界がボヤける。普段以上に寂寥感が込み上げて胸が締め付けられた。

 

「……ッ!?」

 

 じゃりっという黒ブーツが砂利を踏む音を聞き、声にならない悲鳴を上げて遠ざかっていた意識を覚醒させる。頬を伝っていた涙にも気付かなかった。

 これも一種の走馬灯なのだろうか。もしくは現実逃避。死への恐怖が無意識の内に平和だった頃を求めたのかもしれない。

 実際には数秒にも満たない時の最中、永遠にも似た感覚で思考の迷路をさ迷っていたようだ。

 それも、目の前の《死》を意識してしまった瞬間に現実へ引き戻されたが。

 そして改めて現実を受け入れた途端、感情が噴火した。

 

(……何だよ、ふざけんなよ、折角……折角終わったと思ったのに、何でっ!?)

 

 声無き悲鳴で不条理を嘆く。

 

 今までの悪者達とは次元が違った。

 目の前のソレを見ただけで膝が笑う。頬を伝う汗を拭う手が小刻みに震える。カチカチと鳴り出す歯を止めようとして失敗する。

 殺気じゃない。敵意でもない。

 悠然とこちらに歩み寄る男が内包するのは、ただの悪意に満ちた遊び心。

 それは子供が持つ残酷な性分に近いものがあった。

 

 ――目の前に蟻の巣があるから水を流してみよう

 ――蝶がいるから翅を千切ってみよう

 

 純粋で無邪気故の残酷さ。溢れ出る好奇心からくる無意識の搾取。

 

 その子供特有の衝動を、あの男は理解しながら自重せずに行っている。

 大人の頭脳を駆使し、明確なる悪意を持って子供の特権をより残酷なものへと昇華させる。

 人の皮を被った底知れぬ恐怖。息をするだけで不幸をバラ撒く者。

 このSAOのせいで箍の外れた狂人からは、戯れに昆虫の足を毟る子供以上に性質の悪い愉悦の昂りを感じた。

 

 初対面である筈なのに、あの男は常軌を逸した印象を植え付けた。

 勝てない。それを本能で理解する。

 

(……ダメだ……ダメだダメだっ! このままじゃ死ぬ! どうする……どうしたら……)

 

 人間とは現金なものだ。

 今俺の脳を占めるのは仲間を失った悲しみでも無く、ただ《死にたくない》という生への欲求だったのだから。

 一度は諦め、再び掴み取った命。

 復讐に駆られた精神は一先ず落ち着きを見せ、代わりに嘔吐する寸前まで込み上げてくる悪寒と恐怖、一気に積もったストレスに過呼吸を引き起こす一歩手前まで、精神が不安定になるのを自覚する。

 だから俺は再度の精神安定を図るため、一度掴んだ命を絶対に手放したくないため、沸き立つ生存本能に従いただ生き残る道を思案。この生への渇望/執着心が瓦解しそうな精神を繋ぎ止める。

 一向に治まらない悪寒を骨の髄まで味わいつつ、混乱する頭を最大限働かせて現状把握に取り組んだ。

 

(か、かくにん、確認だ。……こんな時だから冷静にならないとっ)

 

 震える身体を叱咤して意識を無理やり相手に向ける。

 敵は二人。強者特有の重圧感と装備から見るに実力は攻略組クラスと仮定。

 闇をそのまま貼り付けた様な艶消しのポンチョでは下の装備は伺えないが、金属製防具特有のガチャガチャといった音がしないことから、相手は革や布製防具を好むスピードタイプの可能性が濃厚。不安定な足場で接近を悟さなかった足運びから推測するに、非金属製防具装備者のみが習得可能の《忍び足》スキルを所持しているかもしれない。

 

 そして髑髏男が襤褸切れの下に纏うのは軽金属のライトアーマーだ。得物は刺突特化のエストック。軽量装備と得物から推測するに相手はスピードタイプと確定。

 

 二人の殺人鬼は共にスピードタイプ。つまり足で逃げきるのは確実性に欠けてしまう。この砂利道を裸足で駆けても、十秒もせずに捕まってしまうだろう。

 闘争にまみれて培った経験が、実力も装備も最凶最悪だと警鐘を鳴らしていた。

 

 対して俺の装備は予備として用意していた《黒羽》に普段着、そしてただのアクセサリーと化しているモンスターボックス。ブーツすら無く、いつぞやのクエスト途中に手に入れた敏捷力UPのアミュレットすら持っていない現状ではスピード勝負に持ち込まれたら勝ち目は薄い。

 アイテムどころか所持金も全て無くした今、現在身に付けている物だけが戦略物資の全て。

 何より今のHPは残り45。回復手段は無し。相手にとっては撫でる程度の攻撃で儚く散る程の命しか残されていない。

 将棋の飛車角落ちどころの話では無かった。完全な無理ゲーだ。

 

(闘っても勝てない。逃げることも出来ない……くそっ!)

 

 圧倒的な危機的状況に唇を噛み締めた。

 

(でもっ……まずはなんとしてもあそこに辿り着かなきゃ始まらない!)

 

 視線を、残り十五メートルまで近付いたポンチョ男から左に逸らす。

 そこに点在すのは《完全オブジェクト化》で周囲にバラ撒かれたアイテム達だ。

 流石の取り巻き達も俺を殺す前に悠長に物品漁りをするつもりは無かったのか、まだ幾つかのアイテムが無造作に放置されている。

 残念ながら結晶アイテムの類いはグルガに奪われた物が全てで、今やそれはポーチごと既に消滅している。取り巻き達が生き生きと収納した装備品達にストレージの肥やしになっていた武具、果ては所持金の全てまで、三人の命と共に散ってしまった。

 もしくは黒ポンチョ達がグルガ達を殺害する前にアイテムと所持金を強奪しているかもしれないが、取り戻せるなど高望みはしていない。実は装備品に限り他者に奪われても手元に戻せる方法があるのだが、実行に移した瞬間に殺されるのは明白だ。その手法を取る余裕も無い。

 

 よって、あそこにあるのはグルガ達が興味を示さなかった食料が大半。しかしポーチに入りきらなかったポーションも幾つか顔を覗かせている。

 なんとか隙をつくってあそこまで辿り着ければ回復出来る。そう、まずはHPを回復させなくては、逃げるにしろ最後まで抵抗するにしろ、全てはあそこに行かなくては始まらない。

 ここから二十メートルは離れた大岩の直ぐ傍。

 あそこまで行ければ――、

 

「……ッ!?」

 

 しかし一か八かで駆け出そうとした瞬間、先手を打つように死神の凶刃が牙を向いた。瞬く間に十五メートルの距離を殺してみせた黒ポンチョの刃が喉元に迫る。

 それは禍々しい気配を放つ紅の一閃。

 血の様に赤黒い刀身が宙を裂く。

 

「く……ッ!」

 

 その横薙ぎの紅閃を回避出来たのは殆ど偶然だった。急な接近に恐怖し、反射的に上体を仰け反らせた際に踏ん張りが利かず、そのまま転倒。首を閃断する筈だった凶刃は鼻先スレスレを通過する。あと数ミリで鼻先を削がれていた。

 

(やばっ!?)

 

 死に物狂いで横に転がり瞬時に体勢を整えた途端、第六感が緊急回避を促してくる。屈んだ体勢のまま足をバネに後方へと跳び去った直後、強烈な蹴りが今いた空間を薙いだ。

 

「――ほう、流石は攻略組の魔物王様。なるほどねぇ」

 

 思考を蕩けさせる冷やかな美声に、人を馬鹿にした様でいて称賛もしている口笛が耳朶を打つ。追撃の姿勢も見せず考え事に耽る男から視線を逸らさず、荒い息を繰り返した。危なかった。何もかもがギリギリのやり取りにドッと冷や汗が吹き出した。

 

 歯を食い縛って崩れそうになる足に力を込める俺に、男は陽気に笑いかける。

 

「――よし、ここは一つゲームでもしようじゃないか。死ぬほど楽しいゲームをな」

「……げー、む?」

 

 逃げる算段を付けていた所に、この提案。訳が分からず混乱する俺に黒ポンチョは愉しそうに首肯する。髑髏男は俺達のやり取り――先程の宣言通りショーを見物するつもりなのか。大岩に片膝を立てて腰掛け、観客に徹していた。

 

「――ざけんなっ」

 

 その姿が、態度が、提案が、

 

「ふざけんなっ!」

 

 俺の感情を刺激する。

 彼等の存在から一挙一動に至るまで、その全てに我慢なら無かった。

 恐怖や混乱よりも、今ばかりは俺自身忘れていた積もりに積もった怒気が勝ったのだ。

 

「何なんだよ……何なんだよさっきからっ!? いきなりやってきて、いきなり攻撃してきて、いきなりゲームとか言いやがって! 何なんだよお前達は!? いったい何が目的なんだよ!? 」

 

 疑問と、それに付随する怒りが爆発する。俺とこいつ等は初対面だ。グルガやクロノスと違って関わりなど欠片も無い。それが何故、こうも一方的に理不尽な目に遭わされなくてはならない。

 しかも登場時の会話から察するに、おそらくこの二人がグルガ達を焚き付けた張本人であり、もしかすればクロノスの言っていた《彼》もこの男かもしれない。

 グルガの実力に不釣り合いな毒ナイフといい、全てを観察していたような台詞と登場のタイミング。

 

 その全てが、こいつ等が事件の黒幕だと示していた。

 

 勢いに任せて死神に噛み付く。そうでないと再び恐怖がぶり返してしまう。

 黒羽の切っ先を突き付けながら、今までの鬱憤を晴らす意味も込めて喚き散らす。

 すると男は綺麗に笑った。

 聴くだけで自意識や不安を無くすような、妙なカリスマ性を帯びた笑い声だ。

 

「目的? おかしな事を言う。俺達は真っ当に、このゲームをプレイしているだけだぜ?」

 

 それは今日で何度目になるか分からない、理解不能な言動の一つだった。

 全身が強張ったのがよく分かる。

 

「ゲームをプレイ? まっ、とう?」

 

 普通に声を出そうとして失敗する。

 辛うじて絞り出した、実に細々とした呟き声に、男は『ああ、そうだ』と優雅に首肯する。

 その両手を広げながら美声を紡ぐ姿は、舞台に上がった一流の役者より様になっていた。

 

「ネトゲの面白さ、VRMMOの醍醐味ってのは何だと思う?」

 

 男は問い掛け、自らプレイ要素を言い連ねる。

 モンスターを狩る。クエストをクリアする。武具を製作する。ダンジョンに潜る。美味い料理を食べて、飲んで、仲間や友人と騒ぎ遊ぶ。そして、

 

「フィールドで他プレイヤーを襲撃する。アイテムを強奪する。トレインしたモンスターを押し付ける。そして――」

 

 相手を殺す。

 俗にプレイヤーキル、PKと呼ばれる行為。

 確かに、それも楽しみの一つだ。中には公式でPKを認めるゲームも多数存在する。あくまで、従来の一般的なMMOに限り。

 

「システムでPKが禁止されていないってことは、このゲームでも肯定されているって事だ。ほら、真っ当にゲームをプレイしているだろ?」

「そんな……だってコレはただのゲームじゃない! 死んだら現実でも死ぬんだぞ!? それが分かっててPKするなんてどうかしてる……狂ってる」

「そうか?」

 

 その時、何故か俺は抱いていた恐怖を一瞬忘れてしまった。

 疑問を口にする男の美声はどこまでも静かで、混乱する子供を宥める様に優しかったからだ。

 

「けどよ、死ぬなんて茅場晶彦が言っているだけなんだぜ? 本当に、たかがゲームで人が死ぬと思うか? 茅場晶彦がそこまでイカれていると思えるか? 本当に殺す事に、奴に何のメリットがある?」

「それ、は……」

 

 確かにそれは、俺が今まで疑問に感じていた事だった。

 あの始まりの日、茅場晶彦は言っていた。これは大規模なテロや営利目的の誘拐ではなく、この世界を観賞するためにのみ世界を作ったと。

 死ぬとは言ったが殺すのが目的だとは一言も言わなかった。

 

 言い淀む俺に、男は見惚れる程の笑みを深める。

 

「なあ、よく考えれば分かるだろ? わざわざ殺人を犯すメリットが奴には無い。HPの全損はただ単にコレ以上ゲームで遊ぶ資格は無いっていう、まあ、一種のペナルティみたいなもんさ。このゲームに何らかの決着が着くまで、ゲームオーバーになった奴等は別空間に隔離されているんだろうよ」

 

 一人でも犠牲者を出せば罪状の重さは跳ね上がる。

 逮捕された事を考えれば殺人を犯すなど最も愚かな行為だ。

 

 男の美声は、正に毒だった。

 聴き手を惑わし、容易く意思を溶かして全身に回る洗脳の言葉。

 自意識の保てていない俺に、男は内心で口角を吊り上げる。

 

 あと、一息。

 

「上手い手段だ。彼の制作者様のありがたい御言葉のお陰で、俺達は本気でゲームに取り組んでいるんだからな。現実での死ってのは、そのための嘘だ」

 

 斯くして毒は全身に回りきった。

 威圧し、怖がらせる素振りは一切見せず、友好的に歩み寄る。

 男は語る内に予定を変更していた。

 あとはいつもみたいに言葉巧みに誘惑し、自我を惑わせば、他の奴等の様に心の枷を外し、禁忌に走らせる事が出来る。

 

 

 

 

 

「で、その推測の証拠は?」

 

 

 

 

 男は、ふと歩みを止める。

 問い掛ける俺に、明確な強い意思を感じ取ったからだ。

 この時の俺を第三者視点で見たならば、その目は強い眼光を発していたに違いない。

 

「……残念ながら無いが、けどよ――」

「――ならさ、そんな仮定の話、ああそうですかって納得する訳無いじゃん。少なくとも、俺はお前と違って楽観的じゃない」

 

 そう、そうなのだ。

 八割以上同意仕掛けていたが、男の言葉もまた茅場晶彦の言と同じで根拠も、そして確証も無い。

 しかし、否定する材料は存在した。

 このSAOはどこまでもリアルを追求した仮想世界。並々ならぬ制作者の拘りが感じられる第二の世界。現実に近付けるからこそ――ここでの死が現実になっても不思議は無く、それ処かむしろ死なない事に疑問を抱くほどリアルな世界。

 その事を無意識に理解していたから、俺達はこんなにも必死に生き抜いてきた。

 

 だから、

 

「俺は……俺は、お前の話なんか信じない! 仮に本当に死ななくても、人の想いを踏みにじって絶望に浸らすことに快感を覚える奴の言葉なんかに惑わされない! 例えお前の言っている事が正しくても、お前みたいな奴に殺されるのは真っ平御免だ、くそったれのクズ野郎!」

 

 ああ、うっかり騙されるところだった。

 少なくとも俺は目の前の性格破綻者よりも、業腹だが茅場晶彦の方が信じられると思う。

 現実での生死があやふやでも、狂喜に満ちた計画殺人という行為自体に多大な忌避感が募る。

 誰が、あいつの言葉なんかに賛同してやるものか。

 最後の最後、僅かに残った正義感と反骨精神がギリギリの領域で踏み止ませた。

 

 そして、指を突き付けられ全否定された男は――、

 

「…………Suck」

「ッ……!?」

 

 

 

 その小さな罵りの言葉に、封印した筈の恐怖が高らかに産声を上げた。

 

 

 

 男の言には、今までの優しさや温かさは欠片も感じられない。あるのはただ、思い通りにならなかった事に対する不満と苛立ち。その感情は、原因たる俺に向けられた。

 

「無駄に感情的になったガキほど面倒なものはねぇな。場合によっては、お前もこっちに引き込めるかと思ったがよ」

 

 子供という立場はそれだけで犯罪行為の隠れ蓑になる。予定を変更し、これからPK行為の正当性を説き、更には法的に殺人罪が適応されない事を論理的に説明するつもりだった男から、はっきりと得体の知れない悪意が迸る。

 

 体感的に、この場の気温が零度以下まで低下した気がした。

 本当なら、賛同する意思を見せて尻尾を振るのが賢い生き方なのだろう。

 取り入る方が生存確率がだいぶ上がる。

 

(そんなもの……そんなもんはクソ食らえだ!)

 

 そのような方法は取らない。犯罪行為を認めてまで生きる訳にはいかない。

 奴を少しでも肯定すれば、悪逆卑劣な犯罪に散っていったポチ達を裏切る事に繋がるのだから。

 

 もう惑わされない。そう敵意満々の視線で告げる俺。対して男は、一つ舌打ちを打ってから語りだす。初めは、俺への肯定。

 

「ああ、お前の言う通りだ魔物王。確証も無いのに死んでも大丈夫だなんて、あんな戯れ言で納得する奴は馬鹿を通り越してそれ以下のナニカだ。思考停止にも程がある」

 

 奇しくも男も俺と同じ考え。そしてベクトルは違うが男も一種の狂人だからこそ、シンパシーの様なものを感じ理論的ではない確信を持たせた。

 

「茅場晶彦は紛れもない狂人だ。そんな奴に常識だのメリットだの、そんなもんを期待し、推測する方が間違ってる。理由なんて無い。だからこそ、ゲームオーバーになった奴の脳を焼き切っても、なんら不思議はない。むしろ、だからこそ頭をレンジで沸騰させられるって話が現実味を帯びてくる」

 

 先程の安心させる意見とは違い、今度はこちらの恐怖を煽る様な発言が目立つ。

 それこそが、奴の狙い。

 不機嫌だった口許が、愉快そうに吊り上がるのが見えた。

 

「つーことは、だ。どういう事か分かるか?」

「…………何がだよ」

 

 嫌だ、聴きたくない。

 絶対に録な事じゃない。

 

 しかし、

 

「この世界での死が現実での死を意味するんなら――お前、今からやるゲームに勝たないと本当に死んじまうな」

「……っ」

 

 けれども、耳を塞ぐ事なんて出来はしなかった。

 消えかかった死への恐怖を再度煽り、恐慌する俺に溜飲を下げた男は最初の頃に話を戻した。

 

「いいか、三分だ」

 

 そう言って、男は空いた手で指を三本立てた。

 

「三分間、俺達はお前に攻撃しない。その間に、お前は一ダメージでも俺に与えてみろ。三分後、見事俺のHPが一ドットでも削れていれば見逃してやる。あの馬鹿共がお粗末だった分、楽しまなくちゃな。アイテムを貰っただけだと割に合わねぇ」

(くっ。こいつ……ッ!)

 

 名案だと、そう最悪の遊び心を見せる男にとって、俺の命など暇潰しの道具程度にしか価値が無いことが嫌というほど伝わってきた。右手の大型ダガーをだらりと下げながら仲間にカウントを指示する男には、余裕はあっても油断は無い。否応なしに伝わる実力差に、ガリっと奥歯が軋んだ。

 

 相手が約束を守る保証など何処にも無い。なら、ここは一か八かの賭けに出る。話ながら逃げる算段を付けていた。幸いなことに渓流を背にしている今なら――、

 

「ああ、一つ良い忘れていた」

 

 しかし、俺の考えなど浅はかで無駄な抵抗でしか無かった。

 

「もし逃げようとしたり、知り合いに救援を求めるような事をしたら、その時点でゲームは終了だ。例えば、その川に飛び込むとかな」

「くそっ!」

 

 行動を読まれていた事に悪態を吐く。

 《圏外》に指定されているフィールド下で水に潜る場合、プレイヤーは一定のHP消費を対価に潜水をする事が出来る。残りHP45の身では完全に諸刃の剣だが、渓流の勢いと完全習得した《隠蔽》を駆使すれば姿を眩まし、その隙に助けを呼ぶなり逃げ出すなり出来たかもしれない。

 

 その作戦が、木っ端微塵に打ち砕かれた。

 

「――さあ、ゲーム・スタートだ。Good-Luck」

 

 そして戸惑う姿にもお構いなしに、俺にとってのデスゲームが開始される。

 男は俺から十五メートルほど距離を置いて出方を窺っている。得物を構えてすらいない。髑髏男はウィンドウの時刻表示でカウントしながらニマニマ笑っている。

 完全に遊んでいた。

 

「……オイ」

「メッセージじゃない、黙って見てろ」

 

 男の剣呑な呟きに気丈に振る舞ってから、手元に視線を戻す。メッセージを打てば手の動きで分かるからか。それとも助けを呼んでも到着前に俺を始末して逃走する自信があったからなのか、男は警戒する素振りは見せてもそれ以上咎めなかった。

 

(ありがたい)

 

 最初の関門を突破出来た事に安堵しつつ作業に集中する。メニュー画面の深い階層に潜り、目当てのボタンを八つ当たり気味に力強くタップした。

 

 その項目は《所有アイテム完全オブジェクト化》。

 既に所有アイテムがオブジェクト化されていてもやる理由。それは装備アイテムの所有者権限にあった。

 他者に装備可能アイテムを手渡すか拾われたりした場合、そのアイテムの所有者情報が上書きされるまでに掛かる時間は五分と短い。しかし、それが装備フィギュアに登録されていた武具となると、時間は一時間に延長される。

 その間は、例え敵に奪われアイテムストレージに埋もれていても、どこにあろうと俺のアイテムとして認識される。

 一見無意味に見える完全オブジェクト化は、手元に装備を引き寄せ――、

 

「え、そんな……何でっ!?」

 

 装備は手元に現れなかった。アイテムを貰っただけだと割に合わない、そう言っていたにも関わらずだ。呆然としていると、途切れ途切れの掠れた声が耳に入る。

 

「俺が、殺す前に、奪ったのは、貴様の装備品以外、だ」

「だとよ。残念だったな」

 

 奴等は、こうなる事を想定していた。だからこのタイムゲームを持ち出したのだ。気付けば、唇を強く噛み締めていた。そして、

 

「――三十秒、経過」

「くそッ!」

 

 無情に告げられる時間経過に悪態を吐き、無我夢中で駆け出す。目指すは少し離れた所にあるアイテム群だ。意図が分かったせいか男達も邪魔しない。

 鍛えた俊敏性を生かして散らばったアイテムの元へ辿り着いた俺は、刻一刻と迫るタイムリミットに戦々恐々としながらハイポーションの小瓶を発掘して瞬時に飲み干す。次第に命が回復していく感覚に浸り、浮かれる余裕も見せないまま、猛然と黒ポンチョの男目掛けてダッシュした。

 

(やる……やってる、死なない、死んでたまるかっ!)

 

 このゲームに勝てば見逃すと奴は言った。例え勝利出来ても約束を守るとは思えないが、万に一つ、億に一つはあるかもしれない。現状ではゲームに乗るしか無いのだから、全身全霊を込めてアイツを倒す。

 

 それこそ一ダメージどころか致命傷を負わせ、あの時のグルガの様に心を折って退散させてやる。恐怖の代わりに、闘争本能を持って心を震わせる。その意気で飛び出した俺の右手が黄色のライトエフェクトに包まれたのは直ぐの事だった。

 

 短剣上位ダッシュ技《ミラージュ・ファスター》。

 緩急をつけた動きで敵を惑わし、すれ違い様に高速で三連撃を放つ技。トップスピードから一瞬だけ減速、コンマ数秒以下で急速し、また減速するのを繰り返し目を欺く。手が霞む勢いで宙を踊る刃は袈裟懸けと降り上げのラインを一瞬で刻み、すれ違った瞬間、瞬時に逆手に持ち替えた刃が無防備な背中を襲った。

 人間には不可能の速さで繰り出す最速の連続攻撃に、男はその場から足を動かす事も出来なかった。

 

 

 

 

「Wow、速い速い」

 

 

 

 

 ――否、足を動かす必要が無かった。

 

 

 

「……そ、んな……アレを防ぐなんて……」

 

 称賛の言葉も耳には届かない。先程の攻防が信じられず目を見開く事しか出来なかった。

 あの瞬間、男は俺の動きに惑わされず正確に姿を追い、最初の二連撃を完璧に受けきり、背後からの一撃を身体を僅かに逸らす事で完全に避けきってみせた。

 

 しかもソードスキルも使わずにだ。

 

 男とは十メートル程の距離を置いて立ち竦む俺に、掠れた声が届く。

 

「あと、二分、だ」

 

 瞬間、

 

「あ…………うぁああああぁあああぁッ!?」

 

 予想に違わぬ圧倒的な実力差に精神の均衡が保てなくなり、獣の様に雄叫びを上げながら無我夢中で突撃をかます。我武者羅に繰り出したソードスキルが相手に当たる筈もない。冷静さに欠けた単調な一撃を、男は難無く防いでいく。

 降り下ろしの一撃は大型ダガーの刃に阻まれ、数々の連続技もその都度ダガーが閃き、互いの間で火花を散らすだけに止まる。《体術》スキルによる攻撃も、男の回避能力の前には意味を成さなかった。相手は一度もソードスキルを使わずに攻撃を回避する。

 それは更なる絶望をその身に刻ませる。

 避けられた技は周囲にあった大岩を打ち砕き、瓦礫を量産して広場を作りながら不発に終わっていく。

 

 残り一分、五十、四十、三十、ニ十。刻一刻と迫る終焉の時。

 その中、

 

(これがラストチャンス!)

 

 俺は虎視眈々と仕掛けるチャンスを窺っていた。自暴自棄になったと見せ掛けて単調な攻撃を繰り返したのも全ては最後に賭けたため。そして慎重に仕掛けた伏線が功を成す時がきた。

 

「チッ……」

 

 初めて男は驚愕の顔を露呈させた。顔面目掛けて蹴り上げられた瓦礫を鬱陶しげに手で払い、叩き落とした時には、既に俺は男の背後に回っていた。しかも相手は姿が見えないことに動揺したのか、瓦礫に足を滑らせて僅かに体勢を崩している。その隙は逃さない。

 

 短剣上位連続技《スター・クリムゾン》

 紅く煌めく刃は袈裟懸けに振り上げられ、直後逆袈裟に降り下ろされる。そのまま瞬時に逆袈に振り上げ、横一文字を敵に刻み、ラストは袈裟懸けに降り下ろす。紅色に染まる星を描いた。

 だが、しかし、

 

「残念だったな」

 

 時間にして僅か二秒にも満たずに閃いた刃を振り向き様に防いでみせるのだから、本当に人間離れした反射神経と超絶技術だ。火花を計五つ散らし、金属音を五回響かせ、黒羽からは紅い光が失われる。迎撃したせいで男の右腕は後方まで伸ばされ、対して俺は勢い良く刃を降り下ろした事で前屈姿勢みたく上半身が傾いている。

 

 だから男は、俺が笑っている事に気付かなかった。

 

「これで終わりだぁああああああああっ!」

 

 降り下ろした勢いを止めず逆らわずに上体を捻り、左足を浮かせる。ハイキック気味に放たれた渾身の回し蹴りが、急な体勢での迎撃着後で動けない男の脇に襲い掛かった。

 

「どうだ! 一撃入れたぞ馬鹿野郎ッ!」

 

 反射的に左手を挟まれたが蹴りを殺しきれていない。HPを数ドット分減少させて三歩後方によろめいた男から距離を取りつつ、現実を突き付ける。残り時間は十二秒。余裕を持って俺の勝ちだ。

 

「……くっくっく、なるほど」

 

 男は、笑う。

 心底楽しみ、感心した様に笑い、一撃を入れた俺を褒めてくる。

 そして残り時間が二秒になった時、

 

「だがしかし――惜しかったな」

 

 

 ――HPが、自動で回復した。

 

 

 

「あ……」

 

 茫然自失というのはこの事を言うのだろう。髑髏男のタイムアップ宣言にも反応を見せず、満タンまで緑のゲージで満たされたHPバーを呆然と見詰めていた。

 

(そうだ……何で俺は……)

 

 俺は馬鹿だ、大馬鹿だ。

 その場で笑うだけだから油断していた。

 一撃を叩き込む事に夢中になり失念していた。そのスキルの存在を。

 

「戦闘時……回復スキル……」

 

 十秒毎に一定量のHPを回復させる高等スキル。

 そして愉快に嗤う男の口許。左方から聴こえる笑い声に確信した。

 足を滑らせたのはわざとであり、元々軽くだが一撃は貰うつもりだったのだ。

 俺は、まんまと掌で踊らされていたのだ。

 実力も、頭脳も、その全てが俺の遥か上を往く。

 

「さて、三分だったが……Wow、残念ながら俺のHPは満タンだ」

 

 心を凍り付かせる美声にビクッと肩が震え、次いで手から黒羽がこぼれ落ちた。

 カランッという音を魂の抜けた表情で聴きながら膝から崩れ落ち、正座する様に項垂れ、両手が力無く垂れ下がる。

 

 

 

 ――今度こそ、心が折れる音が聴こえた。もう、立ち上がる気力も湧いてこない。

 

 

 

「ぁ……ッ!?」

 

 直後、涙で濡れる視界を紅の閃光が染め上げ、同時に両肩と胸に衝撃を受けて吹き飛ばされ、後方にあった大岩に当たり背を預ける形で停止する。

 同じ短剣使いだからこそ分かる。あれは敵を横一文字に切り裂く短剣上位技《ラインダスター》だ。

 装備とレベル差から見る見る内にHPが減少し、その減少は全損する僅か手前で停止する。

 その様を、俺は両手足を投げ出しながら他人事の様に眺めていた。

 死神が一歩ずつ近付く度に寿命が縮まる。それでも、もう逃げる気力も無かった。

 

(…………そういえば、前にもこんなことあったっけ)

 

 男の姿が巨大な骸骨剣士と被る。あの時はそう、女神様が助けてくれた。

 

(……アスナさん……逢いたいなぁ)

 

 アスナさんだけではない。当然ながら父ちゃんと姉ちゃん、サーシャ先生に教会家族、師匠、シリカ、クライン、風林火山の皆、そして――、

 

「仲直り……出来なかった」

 

 呟きはソードスキルの輝きと効果音に掻き消される。

 

 短剣上位技《グランファル・エッジ》。

 三秒というチャージ時間を経て短剣にしては絶大な破壊力を繰り出す高威力技。目の前でダガーを振り上げる男の手元に紅い光が集い、ついに臨界を迎えた。そして、無情にも凶刃が降り下ろされ――、

 

 

 

 ――降り下ろされる直前、ガツンッという衝撃音を耳にした。

 

 

 

 

 発信源はダガーの根元。そこに重たい衝撃音のした通り、何か黒くて細い物体が青い光を帯びてぶつかっていた。

 

(あれは……ピック?)

 

 記憶違いでないのなら、あれは投擲用の使い捨てピックで、知り合いが使っていた筈だ。

 投剣スキルの一撃で技を解除された男は憎悪を込めて悪態を吐いた後に頭上を見上げ、直ぐにその場から跳び退く。直後、同じピックが何本も男がいた場所を貫いた。その内の一発は、見事相手の頬を掠めてHPを減少させている。投擲した人物は、後にこう語っている。上手く当たって良かった、と。

 

(誰だろ)

 

 そう疑問に思い頭上を見上げようとして、影が射した。その影はどんどん大きくなり、それに応じて聴こえてくる雄叫びも大きくなる。ああ、男が迎撃せずに逃げたのは、誰かが近くに飛び降りているからだったのだと、なんとなくそう思った。それなら警戒して距離を置いても不思議はない。

 

 その人物はピックを投擲しながら崖を飛び降りたらしく、また黒くて細長い槍を所持していた。あれの名は確か《シャドウ・オブ・ニードルランス》。二十九層のボスドロップ品にして、長さが三メートル程のユニーク品。名前に相応しい彼の人物が手に入れた槍。

 

 そこまで考え、その姿を目にした途端、先程とは違う意味で涙が溢れた。

 

 二十メートルの高さからから飛び降りた人物は頭から地面に突っ込み、激突する前に端っこギリギリまで握った槍の矛先を強く地面に突き刺す。

 刺した瞬間に当然身体は減速し、そのまま慣性に逆らわず、勢いを殺さぬまま両手を放し、限界まで身体を丸めて宙返りをし、そして着地。

 その僅かな間に目の前の黒剣士は手元のウィンドウを操作して《クイックチェンジ》をタップ。槍の代わりに業物の片手剣を背中に出現させている。

 

 強引に無傷のまま二十メートルを飛び降りた男は黒髪で中肉中背。けれども黒コートの裾をはためかせている背中は大きく、絶体絶命のピンチに颯爽と駆け付けた彼――俺にとって永遠のヒーローで、兄貴分で、友人でもある黒の剣士キリトは、

 

 

 

 

 

「お前達――シュウに何をした」

 

 

 

 

 

 燃え上がる激情の業火に身を委ね、勢い良く剣を抜き放った。

 

 

 

 

 

 

 




短くまとめるつもりがかなり長くなりました。添削の力が欲しいです。
短くする詐欺ですね。そして予定をオーバーして申し訳ありません。
あと何度推敲しても誤字脱字が無くなりません……何故でしょう。恥ずかしいけど音読までしているのに……
PoHさんの口調がいまいち分からない。こんなので良いのでしょうか。
日に日に執筆作業がより難しくなっている気がします。

今後は、なんとか一ヶ月以内には更新したいと思ったりしてます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十一話 魔物王VII

 

「呆れた。あなたが全面的に悪いんじゃない。慰めようとしてくれた子供に当たるなんて最低ね」

 

 これが俺とシュウとの間に何があったのかを問い質した、彼女の率直な感想だった。否定出来ないし、するつもりもない。

 

「はい、仰るとおりです」

 

 今の鬼神の如き表情を見て自然と敬語口調になる俺を誰がヘタレと罵れよう。彼女の冷徹な視線と批難の言葉を浴びる度に、まるで細剣に滅多刺しにされる様な痛みに襲われた。

 

 四十六層主街区《ラングイス》の宿屋、その一室で繰り広げられる光景に、メッセージ着信後直ぐに感じていたドギマギ感は欠片も無かった。

 

 テーブルのセットと粗末なベッドしかない簡素な部屋の中央で正座する俺を、血盟騎士団の副団長様は胸の前で両腕を組みながら剣呑な表情で睨み付けている。

 なまじ彼女――《閃光》のアスナは女性プレイヤーでも五指に入る美少女であり、またトップクラスの実力者。そしてトップギルドの副団長という立場からか一般人には真似出来ない覇気と凄みが感じられた。

 

 お陰で彼女が俺の部屋に突撃して来て早一時間。自業自得とはいえ生きた心地がしなかった。彼女の容赦無い辛辣な言葉と自己嫌悪で、既に心のHPはゼロどころかマイナスゲージに突入している。

 

「……あの……アスナさん?」

 

 すると《狂戦士》時代を彷彿させる雰囲気を見せるアスナに第三者から声が掛かる。今は室内にいるので武装を解いてラフな格好でいる男性。赤い剣胴着のような和服を来ている野武士面の赤毛侍――ギルド《風林火山》のリーダーであるクラインは、苛立つ獣を刺激しないよう慎重に言葉を選んでいた。さながら新人の猛獣使いを見ている気分だ。

 

「その……キリトも反省している事ですし、どうかそこら辺で勘弁してやっ……いや、すんません、何でもないです」

 

 俺にとっての援護射撃はアスナの一睨みで封殺される。でしゃばってすみませんと部屋の隅で縮こまるクラインを役立たずと自分を棚にあげる反面、仕方ないかと諦める自分がいて、心の中で嘆息する。

 

(けど……俺もつくづく愚か者だな。何も成長してない)

 

 そう胸中で呟き、そっと自嘲めいた笑みを浮かべる。

 あの時の事は今でも鮮明に思い出せた。

 必死に慰めようとしてくれたシュウに八つ当たりをした自分の愚かさ。そして、悪くないのに泣きそうな顔で謝罪を口にしたシュウの表情。

 あの顔が脳裏を過る度に自分を罵倒し、そして心が掻き毟られる。俺は現実世界にいた頃から何も変わっていなかった。

 一度関係がギクシャクしただけで逃げ続け、後ろめたさに縮こまる。妹にしていた所業を悔いている癖に、同じ過ちを犯している。誰かに叱咤されて漸く行動に移せる愚者。

 

 シュウはよく俺を英雄扱いしてなついてくれているが、俺の本質、器などこの程度だ。

 

(言い訳出来ないほどカッコ悪い。……俺、あいつの兄貴分なのに)

 

 シュウは俺を英雄視して自身の理想を押し付けてくるきらいがあるが、それを重石に感じたことは一度もない。むしろ兄貴分としてそうでありたいと見栄を張る自分がいる。それは現実世界では果たせていない『立派な兄でいたい』という願望からくる想いだった。

 

(しっかりしろ、それで……シュウにちゃんと謝るんだ)

 

 正座している膝の上で拳が握られる。様々な決意の炎が燃え盛っている。心の奥底に燻っていた火種に薪をくべたのは彼等の言葉だ。

 

 

 

 《なぁ、お前ェよ、早いとこ話した方が良いんじゃねェのか? なんつーか、二人とも見ていて痛々しくってよぉ》

 

 

 

 

 先ほど背中を押してもらったクラインの言葉が甦る。

 

 

 

 

 《あなた、何であんな顔をシュウくんにさせて平気でいられるの?》

 

 

 

 

 アスナの言葉に後頭部をぶん殴られた様な衝撃を受けた。

 

「…………なに?」

 

 無意識にアスナを見ていたらしい。彼の副団長様は整った眉根を寄せて訝しげなジト目を向けてくる。

 反射的に視線を逸らしてしまった。

 

「いや、ごめん、わざわざ来させちゃって。……あと、ありがとう」

 

 小さくモゴモゴとお礼を口にした途端、俺は地雷を踏んでしまった事を悟る。アスナの顔が見る見る内に赤くなり、身体はワナワナと震え、怒髪が天を衝いた。

 

「な、なにお礼なんて言っているのよ!? わたしはあくまでシュウくんのために一言あなたに文句を言いに来たの! あなたを励ますつもりなんて欠片も無いわよ!」

 

 第三者が聞けばツンデレとも捉えられかねない発言をし、激昂するアスナ。そして突如。たじたじになっていた俺の視界を黄色のライトエフェクトが塗り潰した。

 それが細剣基本技《リニアー》の動作だと思考が追い付く頃には、既に名剣の切っ先が眉間から僅か数センチの所をポイントしている。

 その初動作、技を放つ気配すら立てずに一瞬で全てを終える速さは、正に閃光の如く。

 そして強く真の通った意思を瞳に宿しながら、審判が下される。

 

「もし……もしまた無意味にシュウくんを悲しませたら、絶対にあなたを許さない」

 

 怒気で震える口調からはシュウに対する慈愛が感じられる。その真剣味を帯びた目に射抜かれ、察した。

 ああ、この人は本当にシュウが大事なのだ、と。

 その強く綺麗な姿に思わず見惚れてしまう。

 そして、俺もアスナと同じ気持ちだった。

 

「ああ、その時は多分、俺も自分自身を許せなくなる」

 

 細剣の切っ先を掴んでずらし、立ち上がる。

 鋭い眼光を放つ美しい目を、真正面から見詰める。

 実際には数秒の出来事だが、それが永久にも感じられた。

 

「…………ハァ、まったく、初めからそうしていれば良いのに」

 

 俺の覚悟と本気を察したアスナは深い溜め息を吐いてから愛剣を鞘に戻し、漸く緊張で張り詰めていた空気が弛緩した。

 どうやらこの裁判官様は俺に弁解のチャンスを与えてくれるようだ。

 

「よーし、そんじょまぁ、キリトは早速シュウの字にメッセージ送って、そんで早いとこ謝りに行っちまえ」

「そうだな」

 

 絶対に口にはしないが、こういう部分はクラインに感謝している。楽観的でお調子者の癖に、その大人の気遣いと空気の読める上手さに何度助けられた事だろう。

 瞬時に温かい場へと変化した自室で、クラインに微笑ましく見られながら右手を縦に一閃。

 呼び出したメインウィンドウからフレンドリストをクリックした所で、アスナの声が掛かる。

 

「あ、言っておきますけど、今直ぐシュウくんと会うのは無理よ。あの子、四十層で新しく発見されたダンジョンに行っていると思うから」

「四十層の未踏破ダンジョン? ……初耳だな」

 

 事実聞いたことが無かった。

 攻略組の一員として比較的情報通だと自負しているが、特に情報屋という訳でも無いので全く知らない情報というのはよく耳にする。

 けれども何処か引っ掛かった。四十層は荒野と岩石地帯で形成されたフィールド。岩石地帯といってもそこにある岩は極端なほど大きい訳ではない。森林型に比べれば当然見通しは良い方だ。

 そこで、急にダンジョンの発見。

 疑問に思ったのかクラインも首を傾げていた。

 揃って訝しげな表情をする俺達にアスナも賛同している。

 

「そうね。わたしも知らなかったわ。まあ、アルゴさんも初耳だったみたいだから当然かもしれないけど」

「……待ってくれ」

 

 この俺の言葉は、自分でも驚くぐらい強張っていた。その予想外の声色にアスナも眉根を寄せている。

 

「なによ?」

「知らなかった……あのアルゴが知らなかったのか? 噂すらも?」

 

 アルゴはプレイヤーでも一・二を争う情報屋だ。フレンドリストの限度一杯まで人脈を伸ばし、それこそ全層から膨大な情報を収集している。

 彼女に協力的なプレイヤーは多い。

 そのアルゴが新しいダンジョンの情報を入手出来なかった。

 それもアスナがシュウに聞いたところによれば、その情報を持ってきた噂の恋人も酒場で打ち上げをしていた一団の話を偶然耳にしたから知ったようだ。

 つまりその一団は秘密保持などこれっぽっちも考えていない。恋人だけでなく他の人も耳にしただろう。

 それなのに未踏破ダンジョンの発見なんてトップニュースが拡散しないのは少し不自然に思えた。

 

 この僅かな時間で俺の言いたい事に気付いたアスナの顔も強張っている。

 

「……でも、アルゴさんだって万能じゃないんだから、少しくらい知らない情報があっても不思議は無いと思うわ」

「まあ、確かにその通りなんだけどな。…………だけど、情報屋は一人じゃない。アルゴの性格とプロ意識を考えれば、最悪他の情報屋を頼ってでもダンジョンについて探る筈だ。アルゴはシュウの事を気に入っているし。なのに欠片も情報が無いってのは……」

 

 嫌な予感か立ち込める。

 希望的観測の入った意見を述べたアスナも、段々とその綺麗な顔を青白くさせている。

 

「とりあえず確認してみよう」

 

 一旦メッセージの打ち込みをキャンセルした俺は、フレンド登録者の追跡機能を呼び出した。

 ダンジョン内にいる者にはメッセージを送れなければ、また位置追跡も行う事が出来ない。だから逆説的に位置追跡が可能なら、シュウはまだダンジョンに到達していない事になる。

 幸いな事に四十層の一ヶ所でフレンドマーカーが点滅していた。

 

「まだそのダンジョンには着いてないみたいだ」

「この場所は……崖下かしら? ほら、四十層を横断している長い崖の」

「ああ、みたいだな。近くを渓流が通ってる。……ここら辺に未踏破ダンジョンがあるのか?」

 

 二人でウィンドウを覗いて意見を出し会う。そして、目を見開いたクラインの大声は悲鳴に近かった。

 

「なっ、ちょっと待ってくれ! そいつは……そりゃちょっと妙だ……」

「クライン?」

 

 顔を覆う様に手をやったクラインが真剣な顔で思考に耽っている。それはまるで必死に何かを思い出そうとしているようだった。

 しばらく部屋に沈黙が下り、考えの纏まったクラインが漸く喋り出す。

 

「いやな、ほら、以前シュウが崖下でダンジョンを見付けた事があっただろ?」

「二十九層のアレか」

 

 クラインが戸惑いながら口にしたのはマジックダイトのクエストでシュウが発見した洞窟だ。

 そこにいたイベントボスは一度限りのポップだったが取り巻き達は違かったらしく、子分達の高い出現率と高経験値からレベル上げの狩場として暫く賑わっていた。

 そんな例があったからだ。風林火山が迷宮区探索の息抜きに崖下を探索したのは。

 

「だからよ、今回も何かあるんじゃないかって、一度そこら辺を探索した事があるんだ。渓流沿いに端から端まで……怪しいとこなんて一つも見当たんなかったぞ」

 

 その情報に俺達は、最悪の予想しか出来なかった。不安と焦りで口が乾く。喉がカラカラになる。

 特に戸惑いが激しいアスナの声はひきつっていた。

 

「でも! 時間差や期間限定で開かれるダンジョンかもっ!」

「……確かにアスナの言葉にも一理ある。その可能性だってゼロじゃない。けど……」

「何かありそうな感じはしなかったぜ。うちの斥候が言ってるんだ。探索のプロが言うんだから間違いない」

 

 そう、攻略組のだけあり風林火山の面々は高レベルプレイヤー。《識別》や《罠解除》といった盗賊系必須スキルを完全習得している人の言葉を疑うほど、流石の俺達も疑心暗鬼に陥っていない。

 つまりその場所には数か月前の段階でダンジョン開放の兆候は見られなかった。

 

「二人とも、何か街で新ダンジョンの噂を訊いた事は?」

 

 俺の問いに当然二人は首を振った。

 

「流石に噂話すら無しにいきなりダンジョンが開放されるのは変だ」

 

 少なくともこの一年で一度も無かった。この先もあり得ないと断言出来ないが可能性は低い。

 俺達に緊張が走る。

 

「アスナ、シュウは一人なのか?」

「……いえ、確か先生の恋人さんと二人で行くって言ってた」

「確かクロノス……つってたっけか? そのリア充野郎の名はよ」

 

 その情報を持ってきた人物と二人きり。クロノスの噂はシュウから何度も聞いたため人柄は分かっているつもりだが、やはり直に会っていない人物など心から信用出来ない。

 なら、これからするべき事は一つ。

 

「俺――シュウの所に行ってみる」

 

 追跡画面を消去し、装備フィギアを展開。私服から装備品をオブジェクト化してから扉の方へ歩み寄る。

 そんな俺に続く影があった。

 

「わたしも行くわ。何だか凄く……酷い胸騒ぎがするの」

「俺ァ、念のため仲間と合流してからにするぞ」

 

 

 

 

 それも、二つ。

 

 

 

 

「アスナは分かるとしても、お前も来るのか? 杞憂で済む可能性もあるんだぞ」

 

 いつの間にか侍装備に戻っていたクラインに一応訊ねる。一種のお約束という奴だ。

 大事な友人のピンチ、それも弟分の危機かもしれない時に黙っていられる男ではない。

 俺の小馬鹿にするような冗談半分の問いに、予想通りクラインは鼻で笑ってみせた。

 

「はんっ、そん時ゃ心配し過ぎだったって笑い話にして、皆で新ダンジョンを探検すれば良いだけの話じゃねェか」

「そうね。その時は折角だし、あなたとシュウくんの関係修復を手伝ってあげるのも吝かじゃないわ」

 

 クラインも、アスナも、当然俺も。折角の休日が潰れるのを嘆くどころか、時間をもて余していた事に感謝した。そうでなければ取り返しのつかない事になっていた可能性もある。

 そのまま三人で転移門広場まで走り、クラインは仲間の所へ。俺達二人は四十層へと転移した。

 

 胸騒ぎは未だ止まない。それどころかどんどん強くなっている。西部の開拓村に吹き抜ける冷たく乾いた風が、不吉な気がしてならなかった。

 

「シュウはまだあの場所から動いていない。死ぬ気で走れば十分も掛からず――」

「五分」

「……了解」

 

 宿屋を出た辺りからアスナの表情は変化していない。そこに温かみは感じられず、あるのは鉄仮面を被っているような冷たい氷の美貌。

 感情の抜け落ちた表情をしている彼女の纏う雰囲気は《狂戦士》時代を超越するほどで。まるで彼女の周囲だけ異界に呑まれている様だった。

 それは彼女のファンらしきプレイヤーが声を掛けるのも躊躇う程の鬼気迫る空気。

 

(……アスナの代わりに俺が冷静にならないと)

 

 焦る気持ちを圧し殺し、俺の分までアスナには焦ってもらう。その代わり、心はクールに。

 状況分析と把握に徹してこそ道は開かれる。

 幾多もの死闘がそれを学ばせてくれた。

 

「遅かったら置いてくぞ」

「誰にものを言っているの?」

 

 告げるや否や、彼女は一陣の風と化した。地面が爆発したと錯覚するほどの強いスタート。粉塵が舞い、土煙から顔を背けている内に、彼女の背は遠くなっている。

 ウィンドウの追跡画面を表示したまま急いで白と赤の団服を追いかける。ものの一分も経たない内に主街区を飛び出し荒野を駆けた。

 途中でエンカウントするモンスターを時にはやり過ごし、またはアスナと協力して瞬殺する。この煩わしい戦闘で唯一得した事はアスナに追い付けた事だろう。

 やはりスピード命の細剣使いのだけあって敏捷力は俺よりも遥かに高かった。

 結果として、俺達は三キロを四分弱で走破する事に成功する。限界を通り越して燃え尽きる寸前までいった走りだった。

 そして、シュウのいる崖下の真上に辿り着いた俺達は、目撃する事になる。

 

 底知れぬ悪意と狂喜に魂を売った最凶最悪の者達。

 慟哭と絶望に沈む一人の少年の姿を。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 何故ここに、とか。どうやって知ったのか、とか。美味しいところを持って行き過ぎだ、とか。

 様々な疑問と言葉の波が押し寄せ、瞬時に溺れさせる。しかし、混乱を上回る喜びが心を満たしてくれた。

 来てくれた。駆け付けてくれた。

 もう、恐怖はない。

 

 闇に覆われていた世界に射した眩い光。

 

「キリト……っ」

 

 涙で霞む視界に現れた黒の剣士は、正に絶望を祓う聖なる光そのものだった。

 

「シュウ」

 

 激情に駆られながらの言葉は思わず背筋を強張らせる程の凄みがあったが、同時に安堵の気持ちも含まれている様だった。

 油断なく武器を構えながらチラッとこちらを一瞥し、激しく舌打ちするキリト。当然、俺に対してではない。

 この騒動の仕掛人達に対し、キリトは侮蔑する気持ちをこれっぽっちも隠していなかった。

 

「あとは任せろ」

 

 頼もしい発言。そして後ろ手にハイポーションを放られる。一秒にも満たない先程の確認で、俺のHP残量と装備に気付いての事だった。

 小さな小瓶を両手でキャッチ。そのまま栓を抜こうとして――、

 

「させ、ない」

 

 起伏に乏しい小さなぶつ切りの呟きが左手側から聞こえた。キリトと二人で瞬時に左側へ視線を走らせる。そこには今まさに飛び出そうと身構えていた髑髏男の姿があった。

 

 緊張が走る。しかし、

 

「いい、勝手にやらせろ」

 

 黙ってこちらを見物していた男の底冷えする冷たい声が髑髏男をその場に縫い付けた。

 

 死と絶望を具現化したような漆黒のポンチョ。対峙するだけで気力を消耗させる威圧感。そして、底見えぬ悪意。

 だらりと下げたままの右手には血色のダガーが握られ、フードにから微かに見える口許は忌々しそうに歪められている。

 何に対して憤っているのか。そんなものは見て明らかだった。

 

「……ホント、良いタイミングで現れたな黒の剣士。何でバレたのかねぇ」

 

 口調はおちゃらけているものの怒気が迸っているのが分かる。それは、楽しい遊びに水をさされた子供の怒りに似ていた。

 

「――お前達……こんな子供を食い物にして、何も感じないのか?」

 

 俺のHPが全開するまでの時間稼ぎ。そのための話題としてキリトが提示したのがコレだった。

 その問い掛けに、黒ポンチョの隣へと移動した髑髏男は答えない。ただ抑揚の無い声で含み笑いをするのみ。

 そして漆黒の狂人はその顔に歪んだ笑みを張り付ける。

 

「あーあー、悪かったな。次からは、ちゃんと大人を狙ってやるよ」

「お前ッ」

「例えば――」

 

 馬鹿にした笑みと返答に激昂するキリトに、この男は、

 

「――テメェとかな、黒の剣士。まあ、俺から見りゃ中坊はガキだけどよ」

 

 そう言って、大型ダガーの切っ先をキリトに向ける。

 男は全身で語っていた。今のキリトは、俺という餌に掛かった大魚なのだと。

 

 髑髏男も鞘から赤い針剣を引き抜き、俺も膝を落としてどっしり構えつつ、《黒羽》を握る手に力を込めた。

 

 

 

 震える手を誤魔化すために、力強く。

 

 

 

 そして隣に立ったキリトが俺の頭に手を乗せ、わしゃわしゃと乱暴な手付きで髪を揺らす。

 

 俺の心境に気付いて元気付けようとしてくれているのがそ手に取るように分かった。

 

「一つ訊く」

 

 俺の見上げる視線を無視して、キリトはそう言う。

 その瞬間、ここにいる全員が悟った。このキリトの言葉が、俺達の最後の会話になると。

 

「約一年前、二層で《強化詐欺》の手引きをしたのはお前だな」

「強化詐欺?」

 

 まだゲームが始まって間もない時、第一層が攻略されて直ぐの頃。一つの攻略ギルドが武器の強化詐欺を行い、高レベルの武器を騙しとる事件が発生したらしい。

 その事件を解決に導いたのがキリトとアスナさんで、詐欺を行っていた人物は黒ポンチョの男にやり方を教わったと言っていたそうだ。

 そう簡単に説明されて納得する。

 俺の惨状を差し引いて考えても、キリトのこの警戒は異常だと思えていたのだ。

 

「ほう、こりゃ驚いた。まさかそんな昔の事を知っている奴がいるとはな」

 

 黒ポンチョも単純に驚いている。その姿に反省の色は無い。

 キリトの目が刃の様に鋭く細められた。

 

「……お前が何を考えてネズハ達に吹き込んだのか。そして何でシュウを狙ったのか。そんな事を訊くつもりは無い。耳が腐る」

 

 口を開く度に剣呑さが増す。殺気が沸き立つ。キリトも、黒ポンチョも、髑髏男も、自重する気配は見られない。

 

「お前は……お前達は危険だ。ここで捕まえて《黒鉄宮》に叩き込む。逃がしはしない」

「ハッ、逃がさない、か。正義の味方とは似合わねぇな。――オレンジプレイヤーの分際でよ」

「逃げられ、ないのは、どっちか。試して、みるか、黒の剣士」

 

 そう、今のキリトはカーソルをオレンジに変えている。そして、それは俺も同じだった。

 デュエル以外でプレイヤーを傷付けたらカーソルは犯罪色のオレンジになる。

 オレンジプレイヤーを攻撃し、殺害しても、その人のカーソルは緑のまま。だから目の前の犯罪者二人はグルガ達を殺害しても緑のままだし、俺もグルガを痛め付けてもカーソルに変化は無かった。

 

 しかし俺は先程のゲームで黒ポンチョに一撃を入れ、キリトは投剣が仇となった。

 

「知っての通り《圏内》にオレンジが入れば憲兵に叩き出されちまう。追い詰められているのがどっちか、しっかり理解するのをオススメするぜ」

 

 だからキリトはこの場で戦う事を決め、俺に転移結晶で逃げるよう促さない。そして、あいつ等の口振りと表情を見れば嫌でも分かる。

 キリトの登場とオレンジ化は全くのイレギュラーだとしても、万が一俺を転移結晶で逃がさないために、先に攻撃を加えるよう誘導したのだ。

 ゲームなんてふざけた方法で。

 

 どこまでも策を張り巡らす悪魔の頭脳に戦慄した。そして、ついに――、

 

「――なあ、オイ。そろそろ始めねぇか?」

 

 唐突に、それが開戦の合図となった。

 そして彼等が始動する、その刹那。

 

 

 

 

 

 

 

「そうね。わたしも待ちくたびれたわ」

 

 

 

 

 

 一瞬の出来事だった。

 

 気付いた時には、彼等の背後の渓流から飛び出していた女神様が、黄色のライトエフェクトを撒き散らす怒涛の七連続技を流星群の様に繰り出していた。

 

 

 

 




次話でラフコフとの戦闘は終了する予定です。長くなってしまい申し訳ありません。

そしてお気付きになられている方もいらっしゃると思いますが、カンピオーネ!の中編連載を始めました。
全五話、五万文字以内を目安に完結させるつもりです。
またこの執筆は魔物王の息抜き・筆休めにしか執筆しないので、かなり不定期になります。あくまで魔物王を優先しているため。

良ければ、カンピオーネ!の二次小説『トリックスターな魔王様』の方もお楽しみ頂ければ幸いです。

誤字や脱字の発見、感想やご意見、お待ちしております。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十二話 魔物王VIII

 それはまさに一瞬の出来事だった。

 疾風怒濤。

 荒々しくも美しさを兼ね揃えた怒濤の七連続突きを例えるのなら、そう呼ぶのが相応しい。

 二つ名通り閃光の様に素早い刺突の数々に空気が弾ける。視界を色鮮やかなライトエフェクトが埋め尽くし、何重にも重なりあった衝撃音を響かせた。

 

 一瞬だけ見えたずぶ濡れの姿に、怒り狂っていても透き通る様な美声。キリトだけでなく彼女も駆け付けてくれた事が嬉しく、また積もりに積もった恩を考えれば心苦しくもなる。奇襲を仕掛けたアスナさんに言葉が出なかった。

 

 そしてアスナさんの襲撃に合わせて跳び出す辺り、これはキリトにとって作戦通りなのだろう。

 敵の注意がアスナさんに向いた隙を突き、黒の剣士は地を蹴った。

 

「シュウっ! ここから北上した所にアスナが降りてきたロープがある筈だ! お前はそれで逃げろ!」

 

 ――これは後に聴いた話だが、丁度俺が黒ポンチョに殺られそうな所で辿り着いた二人は、即座に俺を助けつつ敵の注意を引き付ける役と、少し北上した辺りから密かに崖下に降りて奇襲を仕掛ける役に別れたらしい。

 そこでキリトが引き付け役なのはロープを使わなくても今すぐ助けに向かえると断言したからであり、アスナさんが渓流から飛び出したのは、《隠蔽》スキルの無い身で少しでも敵に発見されず近付きたかったからだ。

 本当ならアスナさんが引き付け役をするのが正しいのだが、その時はもう俺にトドメを刺されそうな場面で、悠長にロープ伝いに降りられる時間は無かったらしい。

 

「っ……分かった」

 

 悔しさに満ちた声を絞り出した時。キリトは黒ポンチョと、そしてアスナさんは髑髏男と既に交戦していた。

 

  「ハァアアアアアァアアッ!」

 

 キリトは猛々しい雄叫びを発しながら剣を振るってい る。それは力強く、重い、そして信念の宿った強烈な剣撃。鉄色の線を引く袈裟斬りの一閃が黒ポンチョに迫る。

 けれども、その一撃が功を成す事は無い。

 後方への軽いステップ。それだけで剣先はフードを掠めるだけに止まり、致命的な隙を生む。

 地面を割る寸前で剣を止め、同じラインをなぞる様に剣を斬り上げようとしたその時、男は剣先を踏みつけて地面に固く縫い止める。体重をかけ、キリトの武器を封じたのた。

 その直後、敵の右腕が鞭の様にしなる。

 キリトを切り裂くにはその程度の隙で十分。無防備な所に死神の嘲笑と斬撃が襲い掛かる。

 鮮血色のライトエフェクトを帯びる肉厚の刃がキリトの左肩に食い込む――いや、

 

「なめるなッ!」

 

 切り裂く寸前、大型ダガーを握る右手首に右フックが突き刺さっていた。拳が黄色の光に包まれている事からもあれが《体術》スキルの攻撃である事が窺える。その衝撃でダガーの軌道がズレ、また黒ポンチョの体勢がぐらつく。

 その隙を逃さず、キリトは左の二の腕を浅く斬られながら剣を足元から引き抜いた。

 

「Suck……ッ」

 

 憎しみの篭った舌打ちを溢し、返すダガーで首を薙ごうとする黒ポンチョ。

 けれどもキリトは殴った反動を利用しながら一度距離を取り、急所への一撃を回避。頬を掠める程度にダメージを押さえている。

 互いに殴られ、斬りつけられ、それでも両者は武器を手放さない。瞬きした次の瞬間には再度衝突して空気を震わせる。

 互いが剣を振るうたび至る所に赤い負傷ラインが刻ま れる。

 相手の攻撃を馬鹿正直に得物で防ぐことはしない。 防ぐ暇があるのなら身体を強引に捻ってでもダメージを最小に抑え、その分一歩を踏み込んで剣を振るう。

 幾重にも重なって見える剣戟の嵐。

 それを生むのは超絶的な回避技術と冷静沈着な思考、死と隣り合わせの紙一重を続けられるクソ度胸。

 少しでも気を緩めれば即座に終わる、絶技にも等しい超攻撃的なインファイトの応酬が繰り広げられる。

 

 そして、

 

「セアァアアアアアァアアアアッ!」

「シッ!」

 

 アスナさんと髑髏男。

 両者の間で火花が、光が弾け、衝撃が木霊する。近付いただけで切り刻まれる程の鬼迫が空気を揺るがす。

 互いの攻撃を読み尽くして先手を撃ち合うキリト達とは違い、アスナさん達はシンプルだ。

 ただ速く、ただ鋭く。

 圧倒的な手数の多さで敵を刺し貫く。

 羽の様に軽いレイピアと針の様に鋭いエストックの応酬は熾烈を極め、互いの刺突攻撃を空中で迎撃し合う。

 コンマ数秒の遅れ、数ミリの精度の違いで死を招く氷上の攻防を続ける二人。どちらも信じられない集中力と胆力だ。

 

 霞んで見える神速の応酬と駆け引き。

 命を賭けた死闘が戦場を震撼させる。

 

(強い、想像以上に、あいつらは強いっ)

 

 チラリと見ただけだが、アスナさんのカーソルはオレンジに変化していなかった。ということはつまり、あの不意討ちでも敵は直ぐに対応してみせたということだ。

 もしかすれば直前で奇襲を察知して、それも含めて『そろそろ始めねぇか』と言ったのかもしれない。

 水の中でとはいえ《索敵》の範囲内なので不思議は無かった。

 

(――いや、違うっ、奇襲が分かるなら一発受けてアスナさんをオレンジにしてから迎撃する筈だっ)

 

 予想だにしない奇襲だからこそとっさに反応して防いでしまった。つまりそれは敵のプレイヤースキルが恐ろしく高い事を意味している。あのアスナさんの連撃、それも奇襲による一撃をとっさに防げる奴が非凡の筈がない。

 

「くそっ!」

 

 二人を置いていく事に戸惑いを感じる。しかし装備もろくに整っていない俺では一度の被弾が致命傷になりかねないし、何より戦闘に付いていけず連携も儘ならない。俺が乱入しても足手纏いになった挙げ句、二人が俺を気にする結果、後手に回って防戦一方になるのなオチだ。

 

 だからここは戦線離脱が正解。けれども理解と納得は別だった。それでも俺には無様に守られ逃げる事しか叶わない。だから、やるべき事をやる。

 

(待ってて二人とも! 直ぐに応援を呼んでくるから!)

 

 悔しさをバネに決意を灯し、俺は既に背を向けて駆け出していた。衝撃による痺れはあれど根本的な痛覚が存在しないからこそ、裸足でもこの砂利道をダッシュ出来る。

 背後で響く剣戟が止むことはない。盛大に砂利を飛ばしながら全速力で戦場を脱する。

 そして円形に拡がってい空白地帯から元の岩石群に飛び込み、

 

 

 

 

 

 ――大岩の影から、緑液に濡れた小さな刃が飛び出した。

 

 

 

 

「――ッ!?」

 

 右の視界に異物が入り込む。ドロッとした瘴気と殺気に蹂躙される。

 全身の毛が粟立ち、駆け巡る悪寒に戦慄しながら反射的に左へ飛び退く。

 先程まで頬のあった場所を緑刃が通過した。

 仰向けのまま走り高跳びの様に回避し、そのまま片手を地面に着いて小さくバク転。着地する。

 

 そして、改めて襲撃者に目を向けた。

 

「なッ!?」

 

 思わず驚愕の声が漏れる。

 《隠蔽》と《忍び足》の達人は、黒ポンチョや髑髏男に負けず劣らずの異形な出で立ちだったからだ。

 全身を黒で統一したレザーパンツとレザーアーマー、そして鉄鋲の打ち込まれたブーツ。ここまではまだ良い。問題は顔をすっぽりと覆った頭陀袋みたいなマスクだ。

 まるでホラーやパニック映画、もしくはスナッフビデオに登場する趣味の悪い殺人者の姿は、なまじ頭陀袋なんて被っている分、それがまた犯罪者臭を増幅させていた。

 

「うわっほー!? すげぇ、すっげぇ! 今のを避けたぁ!?」

 

 子供みたく無邪気そうで甲高い声。その声に薄ら寒い恐怖を感じる。称賛の声に似つかわしくない、頭陀袋に空けられた穴から覗く粘りっこい視線が、更に恐怖を煽った。

 

(気付かなかった、何で……そっか、ポチがもういないから……)

 

 冷静な様でいて、実は急な襲撃と喪失感に思考が麻痺しかけている俺は、大岩を背にしたまま、その場に立ち尽くしている。

 それ程までに精神的ダメージが大きく、また自分の短絡思考が許せなかった。

 敵が二人だと決めつけていた。狡猾なあいつらが予備戦力を置いているくらい、簡単に予測出来そうなものなのに――。

 盛大に顔をしかめて渋面を作る俺とは裏腹に、頭陀袋は笑っている。

 

 しかし、

 

「はは、すっげえけど! ――――ムカつくよなぁ」

 

 変化は劇的だった。

 小さな呟きに乗せられた殺気が粘菌みたく絡み付く。全身を汚染される不快な感覚に寒気をえ、肩がビクッと上下する。

 その僅かな隙、一秒にも満たない全身の硬直を、この頭陀袋は見逃さない。

 重そうなブーツにも関わらず一切の足音を消した無音の疾走は、瞬時に俺との距離を殺し尽くす。その小さなナイフを紅色に染め上げ、頭陀袋がマスクの中で『ニィ』っと嗤った。

 

「くそっ!」

 

 少し遅れ、その短剣の高位技を迎撃するのは、同ランクの高位短剣スキル。

 紅と蒼。対極する光を撒き散らしながら袈裟斬りと横薙ぎの刃が衝突する。肩を斬りつける寸前だったナイフをギリギリのタイミングで打ち払い、火花と同時に緑色の飛沫が飛び散る。

 その液体を見て確信した。あのナイフは危険だ。おそらく一掠りだけで勝負が着いてしまう。毒攻撃はそれほど恐ろしい、多大なアドバンテージを取れる脅威。

 

 

 

 

 

 一太刀で、また地面を這いつくばる恐怖と屈辱に駆られてしまう。

 

 

 

 

 

「ハァアアアアァアアァアアアァアアアッ!」

 

 込み上げる恐怖を誤魔化す咆哮。

 攻撃を弾かれた事で右手が打ち上がっている頭陀袋の、その大きく隙の出来た脇腹に蹴りを入れる。同じく技を放ち終わった直後だっため体勢は不安定で、それは元々オレンジだった頭陀袋を遠くまで蹴り飛ばす程の威力は無い。しかし、体勢をぐらつかせる事ぐらいは出来る。

 軽くだがくの字に折れる相手を尻目に、軸足一本で立ってT字を作っていた俺は、蹴り付けた反動を利用して倒れ込み、前転。

 素早く上体を起こしたら《軽業》の許す限りの大跳躍で瞬時に跳び退き――岩石群の入り口から、戦闘の余波が生んだ円形の空白地帯へと逆戻った。

 

「シュウ!」

「シュウくん!」

「大丈夫!」

 

 背中に掛かる心配声に対応する余裕は無いし、それは二人も同じこと。

 彼等を気にする余裕は無い。

 それ程までにプライドを汚された頭陀袋の放つ怒気は醜悪だった。

 

「――――ブッ殺してやる」

 

 その呟きを耳にした瞬間、相手の足元が爆ぜた。そう誤認する程の砂利を巻き上げ、それでも恐ろしい程の小音で頭陀袋が距離を詰める。

 敵はソードスキルを使わない。

 むしろ同じ短剣使いとして下手にスキルを使うと攻撃パターンを予測されかねないからこそ、余程の隙が無い限りスキルの発動は悪手に繋がる。

 少なくとも敵は先程みたいなオーバーアクションをする暇が無いと認識を改める程度には、俺の実力を上方修正したらしかった。

 

「ただじゃ殺さねぇぞ! 動けなくした後でたっぷり遊んでから殺してやるッ!」

「ホンットに見た目通り趣味悪いなッ!」

 

 振るわれるナイフを《黒羽》で受け止め、いなし、時には地面を転げ回ってでも強引に回避する。

 乱雑でいながら急所を攻め立てる攻撃に冷たいモノを感じながら、俺は攻めきれずにいた。

 

(どうするっ、どうすればいい!?)

 

 甘いのかもしれない。けれども俺は、殺意を向けてくる相手でも、例え正当防衛だとしても、殺そうとは思えなかった。

 おそらくグルガに放った最後の攻撃が運命の別れ道だったのだ。

 悪行を重ねたであろうグルガ。それでも彼が死にたくないと叫んだ通り、悪人だって死にたくない筈だ。

 そう考えると躊躇ってしまう。何より、俺が人殺しなんて犯したら悲しむ人が多すぎる。

 

 こいつを殺しても嫌な気分だけが残り、大切な人も不幸になる。この頭陀袋を殺す価値など無い。

 けれども俺は早くこの場を離れて応援を呼ばなくてはならない。

 

 だから、ここでの最善手は、

 

(なんとかしてこいつの武器を奪う! 逆に麻痺させて動きを封じてやる!)

 

 そして脱出する。おそらくこれが俺にとっての最善。

 相手が《耐毒》を習得していない事を祈るのみ。

 そう覚悟したからか、集中力が高まったようで少し相手の動きが見え易くなった気がした。

 

 体格差を利用してコソコソと相手の攻撃を避けながら、脳血管が破裂する勢いで思考を回転させ続けた。

 

(それによく考えれば、キリトは『応援を呼べ』じゃなくて『逃げろ』って言った)

 

 それはつまり、既に応援を呼んでいるのではないのか。

 希望的観測が含まれるが、俄然やる気が込み上げてくる。絶望なんて必要ない。欲しいのはただ希望のみ。

 

 俺はポチ達の分まで生き残る義務がある。

 

「負けてたまるかぁああああっ!」

 

 首を掻き切る寸前だった斬撃を力強く弾く。今までに無い火事場の馬鹿力的な強さに面を食らい、頭陀袋が驚くのが感じられた。

 

 これが、反撃の狼煙。

 

「そらぁ!」

 

 大きく後方へと弾かれ右腕にほくそ笑み、がら空きの右脇に回し蹴りを叩き込む。

 体術中位近距離技《廻震脚》。

 ここで短剣スキルより体術スキルを選択したのには訳があった。

 これは主観的な部分もあるが、斬撃よりも打撃系の方が衝撃が大きいと感じたからだ。現実でも刃物で斬られるのとハンマーで殴られるのでは後者の方が衝撃を受ける。

 だから打撃系の物理ダメージの方が、衝撃で得物を取り零す期待値が高いのだ。

 

「こ、の……クソガキがっ!」

 

 しかし、俺の渾身の右踵が脇腹を抉る様に突き刺さっても、頭陀袋はその場に踏み止まった。やはり靴装備の無い裸足では威力も攻撃力も、何もかもが足りない。

 なら、レザーアーマーに守られていない別の柔い部分を狙えば良い。

 素早く右足を引き戻す事で振り下ろされた凶刃を回避。敵は前のめり気味になるほど力強く振り下ろしたのが裏目に出る。

 今度は頭陀袋の鼻っ柱をへし折るつもりで、その顔面に左ストレートを叩き込む。

 

 

 

 

 

 ――いや、叩き込もうとしたのだ。

 

 

 

 

 

「シュウッ!」

 

 聴こえてきたキリトの叫び声は注意と悲鳴の二つの意味を持っていた。その意味を理解したのは左腕に生じたた違和感と同時だった。

 ドスッと感じた衝撃。ブチブチと神経を削られる様な不快感。

 串状で螺旋を描いたピックが左手首を貫通し、拳は大きく狙いを逸れ、頭陀袋の左肩上を虚しく通過した。

 恐る恐る左を――驚愕の目でキリトの方を見れば、こちらを見ずに投剣モーションを終えていた黒ポンチョの姿があった。

 

「この、野郎!」

「これで勝負あったな、黒の剣士」

 

 あろうことか黒ポンチョは、あの激戦の中でも此方の状況を把握し、頭陀袋を援護してきた。

 そう、キリトから一撃を貰うのを覚悟して。

 

 しかしそれが敗北を告げる決定打になるのなら、致死に至らないダメージなど安いものだった。

 HPが漸く半分削れて黄色の注意域に達し、それでも冷酷に嗤う黒ポンチョと、敵を袈裟懸けに斬り裂きながら苦虫を噛み潰しているキリトの姿が目に焼き付いた。

 

 そして、

 

「ワーン、ダウーン」

 

 愉しそうに宣言する頭陀袋の言葉通り、攻撃を空かした俺は地面に倒れた。伸びきった左腕をナイフで斬られ、高レベルの毒は直ぐに全身を犯す。

 ゴツゴツとした小石の感触を右頬に浴び、指先すら動かす事が出来なかった。

 

 横向きで見えるのは、大きく目を見開き、直後に射殺す様な鋭い視線で敵を睨み付けるキリトとアスナさん。カーソルはオレンジと緑。共にHPは六割ほど欠損している。

 そして、二人と向き合いながら残酷に嗤う黒ポンチョと髑髏男。カーソルは緑とオレンジ。HP残量は半分と四割。

 そして視界の端には半分ほど削れた自分のHPバーが浮かんでおり、鉄鋲が満載の黒ブーツが視界を半分埋めるほど近距離に見えた時、背中に衝撃を受けて息が詰まった。

 

「ヘッド、ヘッドぉ! 今すぐ俺が嬲り殺しにして良いっすよねぇ!?」

「まあ待て、そう焦るんじゃねぇよ」

「えー!? 生殺しは酷いっすよヘッドぉ!」

「俺が手ェ出さなきゃもっと面倒だったろうが。決定権は俺にある」

「そんなぁ!?」

 

 一人は俺を踏みつけ、もう一人の死神達は陽気に嗤う。もう剣戟は鳴らず、死闘も起こらない。

 俺の捕獲で、その必要は無くなった。

 

「さて、それじゃあお待ちかねのイッツ・ショウ・タイムと洒落こむかね」

 

 黒ポンチョと髑髏男が、共に得物をキリトとアスナさんに向ける。二人の手に武器は無く、名剣二振りは地面を転がっている。

 俺が人質になったせいで武装解除されたのだ。

 そのまま二人は倒れている俺から少し距離を取ったところに移動、纏められ、その見張りを髑髏男一人で受け持つ。

 油断無くエストックの切っ先が二人に向けられているが、警戒の度合いがキリトに対してかなり多いのは、素手でも戦える体術スキルの有無だろう。

 それは落とした剣を回収する事よりも、二人から目を逸らさず常に戦闘体勢でいる事が、二人の脅威度を表していた。

 両手を上げて降参のポーズを取らされている二人の前に、敵のリーダーが歩を進めた。

 

「さてさて、どうやって遊んだもんか」

「……まさか伏兵がいたなんてな。俺の《索敵》でも発見出来ないって事は、よほどコソコソ隠れるのが得意なんだな」

 

 キリトの安っぽい挑発に憤る頭陀袋を、黒ポンチョは手を上げて抑える。この危機的状況下でも不敵な笑みを溢すキリトを、黒ポンチョは愉快げに見下ろした。

 

「強気だねぇ、黒の剣士。その生意気さがどこまで続くか……ッ!?」

 

 そのまま防具の解除を命じようとしていた黒ポンチョは言葉を詰まらせ、そしてあからさまな舌打ちを溢す。状況を察した髑髏男、頭陀袋がそれに続き、キリトの不敵な笑みが深まった。

 

「――言っておくが、俺達も救援が二人だけなんて、一言も言ってないぜ。お互い様だったな」

 

 この瞬間、唐突に理解した。

 《索敵》スキルを持つ者の索敵範囲内に、新たなプレイヤーの存在を感知した事を。

 その証拠に、

 

 

 

 

 

「キリトぉッ! アスナさんッ! シュウッ! 助けに来たぞぉ!」

 

 こうして、崖上から似非野武士の声が聴こえてくるのだから。

 

 

 

 

 姿は見えないが影は捉えられる。

 集まったのはクラインだけではない。十人近くもの人が崖上に立っていた。

 強烈な怒気と殺気を放つ死神達に、アスナさんは絶対零度の視線を向ける。

 

「渓流に飛び込む前、もう救援メッセージは送っておいたわ」

「いくらお前達が実力者でも、俺達と攻略ギルドを相手に無事で済むか?」

 

 形勢は逆転した。

 キリトとアスナさんのHPは、とてもではないが一撃で削りきれるものではない。全損させようとしても二人は当然抵抗するし、その間に次々とロープを伝って降りてくるクライン達が加勢してしまう。

 

 いくら強くても数の暴力には叶わない。直ぐに屈辱を与える事に心が先走り、HPの全快を怠った彼等では、例え善戦出来たとしても万が一がありえる。

 

 今、沈黙を保つ黒ポンチョの脳内では、全面抗争のメリットとデメリットが計算されている筈だ。人質は生きているからこそ価値がある。俺を殺して二人を暴れさせ、ついでに風林火山と戦うか。それとも俺を解放して逃げるか。

 

「もう一分もしない内に仲間が降りてくるわよ」

「見逃すのは不本意だが、一度しか言わない――――シュウを解放しろ」

 

 敵意で燦々と瞳を燃やす二人に、敵のリーダーは、

 

「――――コリドー・オープン」

 

 世界を凍らせる殺気を撒き散らしながら、少し離れた場所に《回廊結晶》を起動させた。

 途端、俺の身体が起き上がり、背中に衝撃を受けて前方へと突き飛ばされる。

 ザシュッという肌を裂く効果音と共に一割を残して減少するHPを見て、俺は漸く解放されたと同時に背中を斬られたのだと悟った。

 

「てめぇッ! ぜってー殺してやるぞ!」

 

 再び倒れた俺に捨て台詞を吐いてから、頭陀袋のオレンジプレイヤーは何処かに繋がっている回廊結晶の放つ光の中に飛び込んでいく。それに敵意満々のまま髑髏男が続き、回廊結晶の効果が切れる直前に、今まで二人をダガーで脅していた黒ポンチョが光の前に立った。

 この解放された時点で、アスナさんは俺に向かって駆け出しているし、キリトは距離を置いたまま黒ポンチョと向き合っていた。

 

「このツケは必ず払わせる。期待して待ってな、黒の剣士。必ず貴様は――俺自ら血祭りに上げる」

 

 そしてダガーをホルスターに収めて光に飛び込む直前、左手が宙を一閃した。一言、プレゼントだと言い残しながら。

 

「シュウ!」

「シュウくん!」

 

 黒ポンチョが素早く腰に手を回した瞬間に、察したキリトは俺目掛けて駆け出し、少し遅れたアスナさんは恐慌に駆られながら足を速めた。

 

 倒れる俺の額を穿つために螺旋状のピックが飛来する。もう消えかけている光に飛び込んだ黒ポンチョの熟練度と先程の投擲ダメージを考えれば、残り一割のHPでは耐える事が出来ない。

 今だ麻痺状態で動かない身体のまま他人事の様に迫り来る死を見詰めていると、ふと、視界が真っ黒に染まった。

 

(俺、死んだのか……いや、違う……これはっ)

 

 頬全体に感じるライトアーマーの冷たい感触。心を満たす温もり。香る優しい匂い。

 脅威が去ってから、漸く俺はアスナさんに庇われ、その胸に抱かれていたのだと気が付いた。

 

「シュウくん……大丈夫、もう大丈夫だよぉ……」

 

 胸から膝の上に頭を移動され、改めてアスナさんの顔が視界に入り込む。彼女が泣いているのは、その声と俺の頬に零れる雫から分かっていた。

 くしゃくしゃに顔を歪めながら額と額を合わせ、俺の無事と体温を改めて感じ取ったアスナさんは、漸く安心出来たのか嗚咽を漏らしながら静かに泣く。

 至近距離にあった泣き顔が離れて元の位地に戻り、頭をゆっくりと撫でられていると、今度は左の掌からピックを無理やり引き抜いているキリトの顔が視界に入った。

 どうやら俺を守るために背中を無防備に晒したアスナさんを、左手で遮る事で守ったらしい。

 

「良かった。お前の命が無事で」

 

 柔和な笑みを溢しながら小さく呟いたキリトの声が、心に深く浸透した。

 そう、俺はまたギリギリの所で命を拾った。幾重もの絶望の果てに希望を掴み取った。

 しかし、

 

「……アスナ、さん」

 

 しかし、失った命が多すぎた。命を拾ったという自覚が、より喪失したものを際立たせ、心を引き裂く。忘れていた、考えないように封印していた悲しみが解放される。

 駆け付けてくれたクラインが気を利かせて解毒結晶を使ってくれたお陰で、身体中の震えと嗚咽。吐き出してしまう恐怖と悲しみを抑える事が出来なかった。

 

「アスナ、さん……怖かった、ホントのホントに怖かった……」

「うん……うんっ」

 

 涙がアスナさんの太股を濡らす。溜め込んでいた感情が吐き出される。

 

「仲良くしようと、思ったんだ、出来るって思えたんだ……なのに、殺されそうになってっ、クロノス、殺されて、ポチ達も、みんな殺されてっ!」

 

 視界がボヤける。自分で何を言っているのか分からなくなる。ただ、頭を撫でてくれる手は温かく、優しかった。

 

「せんせいっ……せんせいに、何て言えば良いんだろっ……クロノスのことで、ぜったいに自分を責めるっ! せんせい、優しすぎるからっ!」

 

 クロノスの企み、心を見抜けなかったこと。そんな彼を心から愛していたこと。

 サーシャ先生は優しいから、絶対に引け目を感じて自分を責め立てる。泣き顔も、俺に謝罪する姿も見たくなかった。

 

「ポチも、クロマルもっ! タマやすーちゃんもっ! みんな……みんな、死んじゃったっ、死なせちゃったっ! ひとりに、なったっ!」

 

 もう、一番の相棒達とは会えない。空虚を埋めるため、なにかを求める様に手をさ迷わせると、冷たくなった手をアスナさんが握り返してくれた。

 

「ア、スナさんっ……あすな、さんっ」

「うん、わたしはここにいるよ。わたしも、キリトくんも、みんな――――みんな側に、いるよ」

 

 身体を起こされる。背中と後頭部に手を回され、存在を主張するように力一杯――それでいて優しく抱き締められる。

 人の温もり、優しさが、胸一杯に広がった。

 もう、我慢する事が出来なかった。

 

「あ……うわぁああああ、あぁあああああぁああッ!」

 

 

 

 

 

 ――俺は涙と声を枯らすまで、アスナさんの胸の中で叫び続けた。

 

 

 

 

 

 




PoHさんが投剣や索敵を所持しているのは想像です。持っていても違和感が薄いかと思いチョイスしました。
長かった鬱展開は終了です。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十三話 魔物王Ⅸ

 

 それは酷く懐かしい感触だった。

 優しくて、甘くて、温かい。毎日感じていた安堵感。その感覚が失せたのはいつの頃からだろうか。

 決まっている。このクソッたれなデスゲームをクリアすると決めた日。家族のいる家を出て旅立った日だ。久しぶりに一人で過ごす夜、宿屋の中で人知れず泣いたのを今でも覚えている。

 最初の頃は何度も教会に戻ろうと考え、その度に自らの心を震え上がらせ、弱気を誤魔化すために戦いへ身を投じる。無謀とも言える死と隣り合わせのレベリングは、モンスターへのトラウマを治すためのショック療法も兼ねていた。

 

(……何でこんな事を思い出してんだろ)

 

 酩酊感にも似た頭の靄が、今が夢の中である事を教えてくれる。ゲームの中なのに夢を見るのかと、夢の無いツッコミが思い浮かんだ。

 それを証明するように過去の記憶が流れ、話に聞く幽体離脱の如く真上からそれを俯瞰する。足もとでリプレイされる光景に映るのは俺だ。

 恐怖から逃げ出して以来、先生監修の下、初めて遭遇したフレンジーボアに震えながら襲い掛かる俺。

 周囲から奇異の目で見られる俺。初めて宿に泊まって泣きべそを掻く俺。初めてのレベルアップに喜ぶ俺。初めてクエストを受けて森へと突入する俺。

 そして、初めての相棒を得た俺――、

 

 

 

 

 意識が浮上する。

 ゆっくりと瞼を開くが最初は何も見えなかった。視界は悪く、周囲は暗い。しかし身体を包む温かさは脳を溶かすほど心地よく、柔らかい。優しい匂いが鼻腔を満たす。

 テーブルや棚といった最低限の家具しか見当たらない八畳部屋。これだけ見ると自分の借りている部屋みたいだが、その乳白色の壁に掛かっている物だけは自分の部屋に無いものだ。

 暗闇に慣れてきた瞳が映すのは額縁に飾られた沢山の写真。その例外なく笑っている皆の写真が、ここが教会にある先生の寝室である事を教えてくれる。

 しばらくして、暗いのは今が夜だからで、そして身体の自由が利かないのは――サーシャ先生に抱きしめられているからだと気が付いた。

 視線を上げれば先生の寝顔がある。彼女の左手が俺の左手を優しく包み、右手は後頭部に添えられている。まるで子供をあやす様な仕種だが――この感想は間違っていない。

 先生にこうされるのも久しぶりだ。悲しい時、泣いていた時、いつも先生はこうやって慰めてくれた。

 

(また先生の世話になっちゃったか)

 

 申し訳なさで苦笑する。

 そのまま何となく先生の頬に手を伸ばそうとして、一つ疑問が脳裏を過った。

 先生に慰められていたという事は、俺はまた泣いていたという訳で。何故こんな事になっているのか考えようとして――、

 

(あっ)

 

 

 

 何で忘れていたのかと疑問に思う程、本当に呆気なく記憶が蘇った。

 

 

 

(そうだっ、みんな……みんな、死んでっ)

 

 消失感、死への恐怖。その全てが怒涛と溢れ、押し寄せた。

 身体中が震えて喉が引き攣る。嫌な汗が噴き出した。

 しかし、

 

「シュウ? ……シュウっ、目を覚ましたのね!? 大丈夫っ、大丈夫よ」

 

 身動ぎに反応して目覚めた先生が、力強く抱きしめてくれた。

 胸に抱かれながら嗚咽を漏らす俺を、先生はずっと抱きしめてくれる。

 俺が落ち着くまで、ずっと、ずっと。

 

 

 

 午前三時過ぎ、《はじまりの街》にある教会の中での出来事だった。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 先生の寝室にランプの火が灯る。淡いオレンジ色の光が室内を満たし、その火を見つめていると安らぎを齎してくれる。

 俺が落ち着くまで数十分も背を撫で続けてくれた先生は、今は飲み物を持ってくると言って退室している。待つ間は更に落ち着きを取り戻すのに充分な時間だった。冷静に考えれば考えるほど、腑に落ちない事が出てくるからだ。

 

「十一月九日午前三時半。まだあれから半日足らず? そんな馬鹿な」

 

 メニューウィンドウの時刻を見て驚愕する。次いで自身のカーソルに目を向ければ、そこにあるのは緑色のカーソルだ。そしてクエストログを見たらきちんとカルマ回復クエストを達成したと書いてあるのだから訳が分からない。

 

 カルマ回復クエスト。それはオレンジカーソルを正常なグリーンに戻すためのクエストで、そのクエストを達成するまでに掛かる時間は平均でおよそ二・三日程度。一度受ければ懲り懲りと思うほど面倒くさいクエストとして知られている。

 このクエストは各層のフィールドに立て看板の形で置いてあるので、NPCに話しかけずとも看板をタップさえ出来ればクエストのウィンドウが出現する。あとは承認項目を押してクエストを受諾すれば良いだけ。これなら例え意識が無くとも第三者が手を動かせば勝手にクエストを受諾出来る。

 問題はモンスターの討伐が必須であるこのクエストを、どうやって俺がクリアしたかだ。

 

 クエストの内容は各層に出現する指定されたモンスターの討伐。そのモンスターが超低確率でドロップする《悔恨の魂》を手に入れて看板の元へ届ければ、その場でクエストはクリアとなる。

 このクエストを受けている間、プレイヤーはいくらモンスターを倒しても経験値やコルは手に入らない。しかも二・三日掛けて漸くドロップされるかもしれない激レアのアイテムは任意の交換やドロップも出来ない非売品。

 これが『リスクのみで面倒くさいクエスト』と呼ばれる所以なのだが、そのクエストを意識の無い俺が達成出来た事に首を傾げた。

 

「ある程度HPを削ったモンスターを誘導して、二人羽織り的なノリで意識の無い俺に倒させる? ……違う、ありえない」

 

 そんな面倒な事をするぐらいなら素直に俺が起きるのを待ってから戦わせた方が絶対に早い。案外一匹やそこらで幸運にも《悔恨の魂》を手に入れた可能性も無きにしも非ずだが、流石にそれは現実的ではないだろう。

 

「……でも俺の運ならありえる? いやでもなぁ……うわー、ちっとも分かんない」

 

 ガシガシと苛立たしげに髪を掻いた所でドアがノックされる。

 軋んだ音を鳴らす木製のドアがゆっくりと開かれ、入室してきたのはお盆にホットミルクとティーカップを乗せた先生。そして、その後ろに続くのは――、

 

「シュウくんっ!」

 

 先生の後ろに立つのは女神様。俺をここまで運んでくれて、そして心配したため教会に泊まっていたアスナさんだった。

 プレートアーマーを外して帯剣もしていないが《血盟騎士団》の赤と白の団服のまま飛び込んできたアスナさんは、涙目のまま突撃してきて身体を抱きしめてくる。

 先生とは違い、こちらはかなり力強い。つまりそれは、俺がそれだけアスナさんを心配させた証。息苦しいが甘んじて受けていると、ふいに拘束が解かれた。

 どうやら見かねた先生がアスナさんを優しく窘めたらしい。アスナさんはバツが悪そうな顔をして、謝罪しながらゆっくりと離れていった。

 

「えっと、アスナさん。俺は大丈夫……うん、大丈夫だから、あのあと何があったのか教えて」

 

 ――俺は今、しっかりと笑顔を見せているのだろうか。

 チクリと胸を刺した痛みを耐え、アスナさんに微笑んで見せる。

 安物の椅子に着席した俺の前に、先生は無言でホットミルクを置き、自分達の前には紅茶を置いてから対面に着席。その隣にアスナさんも腰を下ろした。

 

「うん。でも、その…………辛いと思うけど、シュウくんも何があったのか教えて欲しいの。今はまだ、話せる所までで充分だから」

 

 それから俺達は長い時間を情報交換に費やした。

 クロノスの企み。俺の殺害を依頼されたグルガ達。そして、クロノスを煽り、グルガ達に入団テストを敷いた脚本家達。

 話すのは辛かった。しかしあの黒ポンチョ達はしっかりと世間に晒さなければまずい事になる。半ば義務感。心を凍らせて淡々と話す俺の言葉をアスナさんは神妙な面持ちで聞き続ける。

 そして俺は、話す間は先生の顔を見る事が出来なかった。

 結局クロノスの事はそのまま伝えた。――上手く誤魔化す方法も思い浮かばなければ、機転を利かす余裕も無かったのだ。

 

(……先生)

 

 所々で言葉を詰まらせながらの拙い説明。俺のカップは空で、アスナさんの紅茶が冷たくなった頃、漸く長い話が終わった。そうして初めて先生に視線を向ける。

 

 

 

 ――先生は、泣いてなどいなかった。

 

 

 

 事前にアスナさんから大体の話を聴いて予測を立てていたのかもしれない。あの崖下で呟いた『泣き顔を見たくない』という言葉を伝えられていたのかもしれない。

 肩を震わせ、目尻に涙を溜め、膝の上の両手が白くなるほど握られていても、先生は涙を流さない強い人だった。

 

 クロノスは先生を愛していて、先生もクロノスを愛していた。

 酷く歪んで純粋な想いだが、その想いに嘘は無い。互いの愛が真実だったが故に彼の取った行動が重く圧し掛かる。

 非は無くとも騒動の原因となってしまった先生の複雑な心を察する事など出来はしない。今は何を言っても逆効果。慰めの言葉を送っても泣かせてしまうだろう。先生が堪えているのだ。それを俺から壊すことなど出来なかった。

 だから今は、落ち着くまでそっとしておくのが吉。

 

「大変……だったね」

 

 話を聴き終えたアスナさんはたっぷり十秒沈黙後、それだけを口にする。それ以上は何も言わない。しかし言葉と表情から垣間見える憂愁から大よその気持ちは読み取れた。

 

「今度はアスナさんの番。どうやってこんな短時間でカーソルを緑に戻したの?」

 

 これ以上の気遣いや辛気臭い雰囲気は不要。今必要なのは明るい雰囲気。そのためにも極力『気にしていない』とアピールするため、見ようによっては素っ気ない態度で話を変えた。

 そして気持ちを察してくれたアスナさんは目尻を下げ、苦笑しながら語り出す。

 その想像もしていなかった裏ワザを。

 

 泣き疲れて気を失った後、アスナさん達は俺の処置に困ったらしい。

 本当なら事情説明も兼ねて俺を教会に送り届けたいが、生憎とカーソルはオレンジなので《圏内》指定の主街区には入れない。かといって外にいると黒ポンチョが再び襲撃してくるかもしれないし、何より精神的に不安定な俺を早く保護者の下に送り届けたい気持ちがある。

 直ぐに目を覚ますのなら問題ない。しかし十何時間、果ては何日も目覚めなかったのならどうするか。

 逡巡した後、とある可能性を思いついたのがキリトだった。

 

 

 ――《悔恨の魂》の交換も、任意のドロップも不可。なら《強奪》させれば良い。

 

 

 モンスターの中には《強奪》という、所持アイテムを奪いその所有権を瞬時に移動させるスキルを持った奴もいる。そいつに《悔恨の魂》をワザと奪わせ、そのモンスターを俺が倒せば《悔恨の魂》を回収出来るのではないか。

 確証は無いが、俺の事情を抜きにしても検証する価値はある。

 

 そして、その作戦は成功した。

 

 物量作戦で少しでも《悔恨の魂》入手率を上げるため、クラインを始めとした《風林火山》の半数がわざとオレンジに身を落とし、キリトと共にカルマ回復クエストに挑む。

 残りのメンバーは黒ポンチョ達の事を情報屋にリーク。念のため《軍》に見回り強化――特に教会周辺を重点的にするように――を促し、クエスト中の彼等に必要物資を届けるなどのサポートに徹する。

 そして幸運にも作戦開始から十時間足らずで一人が《悔恨の魂》を入手した。

 後は簡単だ。その人は装備品と《悔恨の魂》以外を全て仲間に預けた状態で四十層に出てくる《強奪》持ちのモンスターにワザと攻撃され、《悔恨の魂》を奪われた後に二人羽織り状態の俺に倒させる。元々低い敵のHP。二十近いレベル差があれば、仮にも攻略組である俺の攻撃が三発もあれば事足りた。

 

(ホント、よく思いつくし実行しようって気になるよ)

 

 交換とドロップだけでなく《強奪》も不可の可能性があった。それどころか例え奪われてもクエストアイテムが消滅してしまったり、回収出来ない可能性もあった。

 けれども心配を余所に作戦は実を結んだ。

 そうして皆の手助けで緑に戻った俺はアスナさんに背負われながら教会に届けられたのが二時間前。おそらくキリト達は今もフィールドに出て自分のためにクエストを頑張っている。

 

「……皆がまた助けてくれたんだ」

「うん、後でお礼、言わなくちゃね」

 

 キリトだけでなく、もうクライン達に対しても足を向けて寝られない。

 その人情味にささくれ立った心が洗われる気がする。無償の優しさが泣きたくなるほど嬉しかった。

 それに教会周辺の警邏を強化すると約束してくれた《軍》にも感謝だ。

 

「シュウくんは――これからどうするの?」

 

 しばらく沈黙が下りた後、意を決したアスナさんが単刀直入に訊ねてくる。今の彼女は、友人では無く血盟騎士団の副団長。作戦の指揮を取るリーダーの一人として問いかけている事を声の強張りから察する。

 

 その真剣で鋭い眼差しに、言葉を窮した。

 

「はっきり言うわ。今のシュウくんは――」

「……力不足だって言いたいんでしょ?」

 

 微かに顔を強張らせるアスナさんに苦笑する。それはきっと、泣いているような自嘲気味の苦笑だったと思う。気まずそうに表情を伏せるアスナさんに、更に苦笑した。

 今の俺のレベルは60。所持するスキルは《片手用短剣》《魔物王》《隠蔽》《耐毒》《体術》《軽業》《識別》《疾走》。

 ボス戦では主に取り巻き達の相手を担当していた。プレイヤーを超えたモンスターならではの敏捷力を駆使したポチ達による速攻。《魔物王》の上位連続攻撃技は他のグループの追随を許さないほど迅速に露払いを行なってきた。

 もしくはボスに接近し、弱点部位を攻撃して戦況を有利に進めるのも俺の仕事だった。

 弱点部位を持つボスは大抵の場合、プレイヤーを接近させないように散弾や触手などで弾幕攻撃を仕掛けてくるか、もしくは手の届かない頭部などに弱点を持つ。本来なら遠距離から投剣で弱点部位を攻撃するところ、俺は身長の低さや身軽さを最大限生かし、攻撃の間を縫って自力で接近。時には巨体によじ登って直接攻撃を行なってきた。

 直線軌道の攻撃が多い投剣だと弾かれる場合が多いからだ。

 けれどもそれは防御に優れたクロマルが手元にいたからこそ、周囲の反対を押し切って実行に移せた無茶無謀。盾を持ちながらでは決して行なえないコンパクトな動きが可能だったからこその作戦。クロマルも《武器防御》スキルも持たない軽量装備の俺では、もうこんな無茶を通す事も出来ないだろう。

 

 今までの様な露払いも行なえず、無茶も通せない俺に、いったい何の価値があるというのか。

 そう思うと、より深く自嘲の笑みがこみ上げる。心とは裏腹に俺の声は明るかった。

 

「決定力不足だからダメージディーラーも無理。軽量装備で耐久も無いからタンクも無理。ポチ達がいないから今までみたいに効率良く取り巻きも狩れない。ボス自体を攻撃する遊撃も、俺である必要性は無い。はは、攻略組の名前も返上かな、こりゃ」

 

 俺より攻撃力の高い奴はいくらでもいる。

 今回の件もそうだが、つくづく自分一人では何も出来ない事を痛感した。沢山の人や仲間に助けられなければ何も出来ない子供。

 そんな俺が街を出たのは――間違いだったのかもしれない。こんなに色々な人に迷惑を掛けるなら、最初から――、

 

「……シュウくんが休んでいる間にね、アルゴさんに訊いてみたの」

「アルゴに?」

 

 身の内を悟られないよう表情を凍らせる。普通を装う仮面を被る俺を刺激しないよう、言葉を選んでいるアスナさんは一度視線を外した。しかし黙っていても仕方が無い。例えそれが悪い話でも近い内に耳に入る。それが分かっているから、直ぐに調査結果を教えてくれた。現時点で使い魔を蘇生する手段は発見されていないと。

 

「――そっか。うん、ありがとう、アスナさん。調べてくれて」

 

 

 

 ――その時、すとんと、心の中で何かが落ちる音がした。

 

 

 

「……シュウくん?」

 

 それは今まで張り詰めていた糸がぷつんと切れた音だったのかもしれない。それは燻っていた炎が鎮火した音だったのかもしれない。

 諦めた笑みを浮かべる俺に、アスナさんはあからさまに狼狽していた。

 ポチ達と戦えないのだから、俺はもう攻略組に復帰出来ない。強者ですらない。

 

 

 

 ――なら、俺はもう戦う必要は無い。

 

 

 

 そう思い、心が軽くなった時。初めて俺は心の変化に気が付いた。

 

「それに俺……もしポチ達が居ても、もう無理かもしれない」

「……え?」

 

 アスナさんを直視出来ない。その戸惑いに満ちた声に応える事が出来ない。

 カタカタと震える肩を押さえる俺は、とても弱い。そして身の内を語るのが、敗北宣言にも等しく、怖かった。

 

「なんだかさ、嫌なんだ、凄く。……大人も、戦うのも、外に出るのだって、凄く……凄く、怖い」

 

 ぎゅっと瞼を瞑っても黒ポンチョ達の姿が消える事は無く、死への恐怖が和らぐ事は無い。大人の悪意、死への恐怖など理解しているつもりだった。しかしアレは、まだまだ片鱗。地獄の淵に過ぎなかった事を思い知る。

 その点ここは外とは違う。教会に居るのは家族だけで、誰も手荒な事は出来ない聖域。

 そこを飛び出し、卑劣で穢れた大人が蔓延る世界へ今まで通り立ち向かう。ポチ達――信頼できる仲間のいない俺が、たった一人で。

 

(無理だっ、そんなの……っ)

 

 一人では戦えない。

 ポチ達の死は、大人や弱い心への抵抗や反逆心をへし折り、手段までも奪ったのだ。

 

 それを認めるのが怖い。

 

「……っ、ごめん、アスナさん。もう寝る、おやすみなさいっ」

 

 気付けば椅子を倒しながら立ち上がっていた。今は何もからも逃げたかった。仲間を失った事実からも、心が折れてしまった事からも。そして、手を伸ばしかけたアスナさんからも。

 

 ベッドに飛び込んで布団を頭から被る。アスナさんや先生からの溜息――失望する声を恐れ、強く耳を塞いだ。

 しばらくして部屋の中から気配が消える。数は二人分。遠ざかる気配に身を起こし、そしてドアノブが捻られる音に慌てて横になった。

 どうやらアスナさんを部屋に送った先生が戻ってきたらしい。

 この部屋は先生の物なのだから当然だ。

 

「シュウ、まだ起きてるわよね」

 

 そう断定する先生はベッドの中に潜り込む。背を向けて狸寝入りを続ける俺に、きっと苦笑している事だろう。

 そして先生は、先程のように覇気の無い声とは違う。芯の通った心に響く声を紡ぎ出す。

 

「ありがとう、シュウ。――生きて、戻ってきてくれて」

 

 それは慈愛に満ちた優しい想い。

 心の奥深くまで浸透した声に、背を向けたまま目を瞠った。

 

「あなたまで死んでしまったら、流石に私も立ち直れないもの」

 

 思わず肩越しに振り返る。そんな俺を迎えるのは、横になったまま泣き笑いを浮かべる先生。今にも溢れそうなほど目尻に溜る真珠の様な涙を見て、不意に泣きたくなった。

 表情が歪むのが自分でも分かる。

 

「それと……ごめんなさい」

「っ、何で先生が謝るんだよ。悪いのは――」

「だって、あの人はわたしの恋人だったんだもの」

 

 謝罪を咎めようと声を荒げ、その途中で口を噤む。声を失うほど先生の顔は美しく、同時に儚い。これが愛する者が出来て、裏切られ、失った女性の表情。

 こんな顔をさせたクロノスを改めて恨んだ。

 

「先生……」

「この世界を出られたら結婚しようって、あの人はそう言っていたわ。今はもう、例え言われても嬉しさなんて欠片も感じないでしょうけど……それでも、ね」

 

 先生が言った『今は』。つまり前は嬉しかったということ。

 当然だ。先生にとっては未だに信じがたい出来事なのに違いない。彼女の記憶の中に住むクロノスは、正真正銘、絵に描いたような理想の男性だったのだ。その姿勢を最後まで失わず純粋で歪んだ愛を貫き通したクロノスを、先生は忘れきれない。

 それでも俺の言葉を信じて、事実として受け止め、前を向こうとしている強い女性。

 それが俺達の保護者で、母親で、姉で――サーシャ先生だ。

 

(……ここだけはクロノスと同意。先生はやっぱり強い)

 

 今の目を見れば分かる。先生は恋人を失った事実を乗り越えて行ける。それだけの強さが瞳に宿っている。

 俺とは、違う。

 

「でも、謝られても困るのはシュウの方よね。だから、謝るのはこれ一回だけ。ごめんなさい」

「……それで二回目」

「ふふっ、そうね」

 

 眩し過ぎて、自分の弱さを比較されるようで、先生の笑顔を直視出来ない。自然とぶっきら棒な態度になり視線を逸らす。

 そう、そしてそうすると、まるで拗ねた子供をあやす様に。先生はこうして胸に抱いてくれるのだ。子供を安心させるために。

 

「慌てる必要は無いわ。例え前線に戻らなくても誰も文句は言わないし、私が言わせません。ずっとここに居ても良いのよ。引き籠り上等じゃない」

 

 背中を擦ってくれる先生の優しさに視界が滲む。胸元が濡れるのも構わず、先生はずっと抱きしめてくれた。

 先生は優しい。そして教育者として厳しい顔も持っている。

 

「でも、その代わり。朝になったらもう一回、アスナさんとお話すること。彼女、かなり心配していたんだから」

「……うん」

 

 最後に軽くあの時の態度を咎められ、俺の意識は温かいまどろみの中に溶けていった。

 

 

 ◇◇

 

 

 舞台は早朝。まだ朝靄が漂う、涼しい季節らしく澄んだ空気が満ちる秋の朝。

 教会前に二つの影ある。

 俺とアスナさんだ。

 

「ごめんね、アスナさん」

「何で謝るの? 変なシュウくん」

 

 見送りに来た俺に対し、アスナさんは可憐にクスクスと笑う。

 昨日の拒絶した態度は気にしていない。そう彼女の笑顔が物語る。口元に手をやって上品に笑ってから、その笑みが元に戻らぬ内に手を腰にやり、微かに屈みながら視線を合わせてくれた。

 その気遣う所作の一つ一つに慈しみを感じる。俺を元気づけるため、普段通りに接してくれているのだ。

 

「じゃあ、シュウくんはしばらくお休みって事で良いのかな」

「うん。それでお願い。キリトやクライン達には、後でメッセージを送るから」

「リズはどうする?」

「あー……それも俺から言う」

「はい、了解しました」

 

 おどけた風に敬礼をするアスナさんに、俺も敬礼で返す。

 彼女の装備は血盟騎士団の団服。その腰には白く輝く細剣が吊るされている。対して俺の腰には何も無い。服装も上下黒の簡素な私服。

 そこに落差を感じた。

 この姿の差が、強者と弱者を隔てる壁に思えて仕方が無い。

 

 背を向けて戦場へと向かうアスナさんに、悔しくて唇を噛みしめた。

 

「――そうだった、ごめんねシュウくん」

「アスナさん?」

 

 遠ざかる筈だった背中が戻ってくる。慌てて戻ってきたアスナさんは右手を振り下ろしてウィンドウを出現させると、目の前で操作を行った。

 そして、

 

「……あ」

 

 

 

 そして、目の前に出現したトレードウィンドウに言葉を失う。

 

 

 

「キリトくんがあの場所で見つけたの。それでね、私からシュウくんに渡してくれって」

「あ……あぁ……」

 

 アスナさんの言葉が耳に入らない。それほど俺の目はトレードウィンドウに表示された四つのアイテムに釘付けだった。

 

 《ポチの心》

 《クロマルの心》

 《タマの心》

 《スーちゃんの心》

 

「そうだ……何で、何で俺……」

「シュウくん?」

 

 ――彼等は、死んでも俺の傍に居てくれる。

 それにここで立ち止まるのは、俺だけの負けではない。俺の所為で死なせてしまった相棒達の敗北にも繋がる。彼等との再会がその事実を叩きつけた。

 今までの苦労や想いを諦めて教会に閉じ籠るというのは、そういう意味だ。

 彼らの前でカッコ悪い姿を晒して良いのか。このまま腐っていくのが俺――魔物王の姿なのか。

 

 違う。地べたを這いずってでも、歯を食いしばってでも今まで通り抗うのが俺だ。

 それがポチ達に見せて、示してきた俺の生き様。

 お前達の頼りになる相棒なんだと、牽引してきた魔物王の在り方。

 

(ポチ達はもう戦えない。姿も見れない。でも、ここに居る。確実に)

 

 一緒にいる。一人じゃない。

 それを一つの支えとして今まで戦ってきた。

 ――そして、これからも。

 

「アスナさん、お願いがあるんだ」

 

 それでも外に出るのは、やっぱり怖い。

 大人と接するのが怖い。安心している筈の先生を心配させるのが怖い。

 

 けど、それよりも、

 

(無様に腐っていく方が、怖いっ!)

 

 オーケーボタンをクリックして相棒達をストレージに収める。

 それだけで、ちょっとは強くなった様な気がした。

 その事が少し可笑しくてほくそ笑む。

 目を丸くしていたアスナさんは、次第に嬉しそうに顔を綻ばせていった。

 

「訊かせて。そのお願い」

「お願い、アスナさん――――ヒースクリフに会わせて」

 

 

 

 ――鎮火した筈の闘志が、燻る音がした。

 

 

 

 




予定より少し遅れましたが、なんとか更新です。
お待ちの皆様方、大変お待たせしました。

『何も一話で完璧に立ち直らせる必要は無いか』

そう思いつくのにだいぶ時間が掛った二十三話です。


そしてカルマ回復クエストは完全に独自設定です。特にアイテムを《強奪》させるあたり。
おそらく普通は、ああいったアイテムは売買や譲渡不可だと思います。
……ネトゲの経験が無いのが裏目に出ました。
最初は普通にトレードさせようとして『……そもそもこういうアイテムってトレード出来るのか?』と疑問に思ったのが年明けの寸前です。
早いとこ主人公を復活させなければ物語が破綻してしまうので、正直苦肉の策でした。
『トレード可能ならラフコフだって回復用のプレイヤーを飼えるし良いかな』と思ってしまったばっかりに……完全に思考停止をしていました。

賛否両論の方法だと思いますが、他に意識の無いプレイヤーのカルマを回復させる手段が思い浮かびませんでした。ご了承願います。

長々と失礼しました。
皆さん、明けましておめでとうございます。
……もう遅いですね、はい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。