転生したら、敬愛する上官の部下にまたなった件について。PS.上官は精神的に参ってヘラってるんだけど、相変わらず可愛い。 (元ジャミトフの狗)
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転生したら、敬愛する上官の部下にまたなった件について。

 

 

 「大尉、貴方の下で戦えて良かった」

 

 

 

 国家ではなく企業が地域の秩序を司るようになった世界。齢19にして不慮の事故で死んだ俺は、そういう管理社会の下に転生した。

 

 一から言語を覚え直し、この世界の常識を学んだ時には転生前のモラルを忘れた。スラム生まれの孤児にとって、この世界の現実は手段を選んでいられる程の余裕がないからだ。故に俺は人を殺し、他人の家財を奪い、そしてスラムで培った腕っぷしを武器にして大手企業直下の軍隊に志願した。

 

 軍で日銭を稼ぎ、美味い酒と飯を食らう。気が向けばギャンブルにも手を出したし、戦場で昂った体を鎮めるのに風俗に通った事もある。人の亡骸の上に成り立つ、正に糞みたいな生き方だ。

 

 だがそんな生活も、今日を以て終わりを迎える。

 

 経済戦争という名の人間同士の殺し合いで、俺もその罪を贖う日が来たのだ。振り返るに今世の人生はあまり上等と言える代物ではなかったが、それでも能力、人格共に優れた上官のために死ねるのなら幾分か胸もすく。

 

 「―――っ!!」

 

 太刀を一振り。敵兵の鮮血が舞い、首が落ちる。だが予断は許されない。何故なら更に前方で銃器を構える敵兵が跋扈しているからだ。

 

 だが所詮銃など雑兵のための武装である。少なくとも俺にとっては餓鬼の玩具に過ぎない。だから迫りくる弾丸を最小限の動きで躱し、或いは刀剣で弾く。そして敵兵に近づいたら斬る。それを繰り返すだけでいい。

 

 尤も俺は死に体で、敵は無尽蔵だ。力尽きるのも時間の問題だった。何なら俺と共に残って戦ってくれた部下は皆死んだ。

 

 「あー死にそう」

 

 喧しく喚く雑兵の頭部を握りつぶしながら呟く。足元には夥しい量の死体が広がっているが、それ以上の兵隊が眼前で射撃態勢を整えていた。次に一斉射撃をされたら多分死ぬだろう。それが何となく分かる。

 

 申し訳程度に刀剣を構える。しかしそれで精一杯だった。

 

 「……とはいえ」

 

 殿としての役目はしっかり果たせたように思う。今頃大尉は敵の包囲網を辛くも突破した頃合いだろう。だからそうだな、そこそこ満足だ。

 

 「あ」

 

 いや訂正しよう。心残りは確かにあった。

 

 「畜生、見栄を張らず大尉に告―――」

 

 俺の言葉は続かなかった。人は頭部を撃ち抜かれたら、それで御仕舞いなのだから。

 

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 

 「……?」

 

 死を自覚したのに、また眼が覚める。

 

 この奇妙な感覚はこれで二度目だった。しかし今回はどうやら勝手が違う様で、俺はぷかぷかと円柱状の水槽の中で浮いている。

 

 「―――起きたか、この馬鹿者が」

 

 水中にいるというのに声がはっきりと聞こえた。というか、呼吸が出来ないのに生きている。臍の緒が繋がれた赤子でもなし、不思議な心持になる。

 

 だがそんな事よりもだ。

 

 「……だ、た、い」

 

 拙く、そして酷く掠れた言葉遣い。しかしそれでも声を出すことが出来た。感極まって言葉らしい言葉ではなかったとしても、確かに俺は彼女を呼ぶことが出来た。

 

 そう、俺を『馬鹿者』呼ばわりしてくれたのは他でもない。俺がこの世で最も敬愛する人物、ラウラレンティア大尉だった。

 

 ラウラレンティア・ゲッテンハイム。

 

 俺が命を投げ出してまで救い出したかった人。もしこれが死後の世界でなければ、彼女は生きているという事になる。それは本当に、望外に喜ばしいことだ。

 

 「フタジ准尉、いや二階級特進で中尉だったな。良い夢を見れただろうか」

 

 夢よりも嬉しい現実が目の前に広がっている。だが俺の声は届いていないらしく、彼女は背後に控えていた研究員らしき男に指示を出していた。

 

 「暫く待っていて欲しい。すぐに出してやるから」

 

 出してやるというのは、十中八九この水槽からだろう。しかし要領を得ない。隊長の口ぶりから察するに、俺はやはり一度死んだのだろう。二階級特進とは、一部の例外を除いて()()()()という意味なのだから。

 

 研究員の男がパネルを操作した結果、水槽の中で満たされていた謎液体が抜かれていく。しかしどうも身体がかなり衰弱していて、立つことすら儘ならずそのまま壁に凭れかかる。

 

 「当面はリハビリ生活だな。心配するな、私も付き合う」

 

 そう言いながら大尉は水槽の扉を開く。流石に上官の手を煩わすのも気が引けて、貧弱過ぎる体に鞭打って足を前に踏み出す。すると―――

 

 「おっと。無理に動くな」

 

 そっと大尉に抱き留められた。ここで童貞っぽい仕草をしなかったのは、曲がりなりにも軍隊で鍛えられてきたからだろう。いやまぁ、びっくりし過ぎて体が硬直しただけなのだが。

 

 「貴様はいつもそうだ。無茶ばかりして、私に余計な心配をさせる」

 

 すみません、俺はそう返そうとした。しかし出てくるのは壁を引っかいたような掠れた声のみ。とてもじゃないが話せる声帯になかった。

 

 「なんだ何か言いたいのか。まさかあの時、殿を命じた私を恨んでいるのか?」

 

 いやいや滅相もない。大尉の判断に間違いはなく、俺もその合理性を認めて命を捧げたのだ。所詮俺は一兵卒、部隊を預かる大尉に「死ね」と命じられたらそれを実行する覚悟は持っている。

 

 「……だなんて、私は何を言っているのだ。クローン相手に」

 

 マジっすか。俺クローンなのか。じゃあ俺は別に生き返った訳じゃなく、転生した先がたまたま俺(前世2代目)のクローンだった訳か。これはややこしい。

 

 「まぁ良い。貴様を造るのに莫大な予算が投じられている。故に貴様は貴様の存在価値を示さなければならん。明日からリハビリを兼ねた訓練を行うが、分かるな?」

 

 こくりと頷く。すると大尉は「宜しい」と述べる。

 

 「コイツの部屋は」

 

 「はっ。検体αに限っては、第三試験室を自由に扱って頂いて結構です」

 

 「そうか。では我々は―――」

 

 大尉たちが何やら事務的な話を始めたので、俺は周囲を見渡してみた。

 

 室内はまさにレトロフューチャー染みたマッドな研究室といった様相だった。というのも、俺が詰め込まれていた水槽と同じような容器が部屋中に配置されており、当然と言うべきかその中には『俺』が入っていたからだ。

 

 まぁ元々俺が勤めていた企業は中々ブラックなところだった。それは労働環境と言うよりも、人道的な意味である。特に生体工学の分野では他企業に追従を許していなかったと思う。

 

 だから自分と同じ顔がたくさんあるという現実にも驚きはしない。なんなら諦めている。ああ、アイツらならこれ位はやりそうだって感じ。

 

 「ついてこい」

 

 話が付いたのか大尉が俺の前を歩いていく。俺もそれについて行くが、彼女の歩調にはついて行けず転んでしまった。参ったな。明日から訓練がどうこうって言ってたのに、これじゃあ先が思いやられる。

 

 「―――フタジっ!!」

 

 ヒステリックな叫び声が部屋中に響いた。思わず耳をふさぎたくなる程の声量、正直めちゃくちゃ驚いた。

 

 「ああ、フタジ。怪我はしてないか? まだ君は培養液から出たばかりなんだ。傷口から黴菌でも入ったらっ。違う、そうじゃない、私のせいだ。また私が君に無茶を強いたんだ。ああすまない、本当に済まない。君が十分に歩ける状態にないことは考えればすぐに分かる事なのに。どうして私はこうも愚図なんだろう。また君を傷つけてしまった。あれだけ君に教えられてきたというのに何も学べていない。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめなさい。私はやはり君を―――」

 

 やっば。なんかヘラってるんだけどこの人。どうやら俺が死んでからも色々と気苦労が絶えなかったらしい。でなければこの人がこんな醜態を晒すはずがない。

 

 ぶつぶつと繰り言を聞かされては、こちらとしても居た堪れない。なので重い体を引き摺って、彼女の肩に手を置く。

 

 「ふ、たじ?」

 

 「だ、だい、じょ……ぶ」

 

 拙い言葉で告げる。正直声帯がイかれてて喉がしんどいが、大尉をこのままにするのも忍びない。ぶっちゃけた話、すっげぇ特大のギャップ萌えを感じてはいるが。

 

 「……私はお前の、傍にいていいのか?」

 

 もちろんだ。つーか俺、死ぬ間際に顔を思い出すくらい大尉のこと好きなんだけど。むしろこちらから頼みたいくらい。

 

 「もう、死なないでくれ」

 

 当然。死ぬつもりで戦う兵士はいない。

 

 あ。でも、大尉のためならいくらでも命を捧げる事はできる。とはいえそんなことを口にすればまたメンヘラっちゃうと思うので、実際には言わないが。

 

 「……済まない。とんだ醜態を見せた。それに、フタジはもう死んだんだ。姿形が似てるだけのお前に奴を重ねるのは、お前にも奴にも失礼だ。重ね重ね済まなかった」

 

 深く頭を下げて謝辞を述べてくる大尉。こういう誠実で真面目な所が好きだったんだよなぁ。

 

 でも魂は同一人物なんですけどね。それにしても俺の事、結構大事に思ってくれてたんだな。一応俺も下士官として新米だった頃の彼女に色々と叩き込んだから、てっきり嫌われてるもんだとばかり思ってた。

 

 「もう大丈夫だ。だが貴様はここで待っていろ、車椅子を持ってくる」

 

 そう言いながら大尉は立ち上がる。そしてしばらく待っていると、彼女は謎テクノロジーによって浮遊する椅子を持ってきた。

 

 「持ち上げるぞ。いち、に、さんっ!」

 

 割れ物を扱うかの如く、彼女は俺を持ち上げた。戦場では無類の強さを誇る大尉の手は、温かく何より柔らかい。うーん役得だ。

 

 「……クローン体など、奴は怒るだろうか」

 

 車椅子を引きながら大尉は呟いた。よく見れば彼女の腕章は少佐のものになっていた。遅ればせながら、昇進おめでとうございます。

 

 「奴ではない貴様に言っても仕方がないが、私はあの男を好いていた」

 

 マジ?

 

 それはライクっすか、それともラブの方っすか? いやいや答えを聞くまでもなく前者だと思うが。ほら、良くあるあれでしょ? 戦友としてって奴でしょ? 俺詳しいから知ってるんだ。

 

 「いやこんな曖昧な言い方は良くないな。恋をしていた、というのが正しい」

 

 マジ?(二度目) 控えめに言ってエンダーじゃん。でもそれだったら、やっぱり殿する前に告ればよかったなー。

 

 いやでも待てよ。

 

 もし俺があの時に「大尉! 好きっス!」と愛を伝えたところで、俺はすぐに戦死した訳で。むしろ彼女に余計な十字架を背負わせなかったと考えればファインプレーだったのでは?

 

 「無駄話は終わりだ。ここが貴様の部屋だ、好きに使え」

 

 そう言って、大尉あらため少佐は俺を『三』と表記された部屋の中を案内する。試験室と言っていた割には、人が生活するのに困らない日用品が一通り揃えられていた。

 

 車椅子から立ち上がろうとすると、「まぁ待て」と少佐に遮られる。

 

 「……そういえば自己紹介がまだだったな。私はラウラレンティア・ゲッテンハイム。階級は特務少佐。これから貴様の直属の上官となる女だ」

 

 ああこれはご丁寧にどうも。全部知ってるが。

 

 「部下を死なせてばかりの出来損ないだが、どうか宜しく頼む」

 

 手を差し出してくる少佐。それが握手だと分かり手を握ると、彼女は静かにはにかんだのだった。

 

 

 

 

 

 




中途半端に終わってしまって申し訳ありませんが、区切りが良かったのでこれで終わります。
地の分で語る事の無かった設定を下記します。興味のある人は駄文&オタク君のくっさい妄想をどうぞ。

ー世界観ー
 国家が解体されて企業が世界の派遣を握るようになった世界。行き過ぎたテクノロジーが核弾頭やその他もろもろのミサイルを無力化させ、闘争は原始的かつ純粋な武力が求められるようになった。皆大好きACを連想すれば世界観としては想像しやすいかと。でもロボットみたいな巨大兵器ではなくパワードスーツみたいな奴が主流なので、どっちかというとMGSの方が近いかも。

ー主人公ー
 本名はフタジ・ミドウ。漢字表記だと御堂弐児となる。前世からの名前をそのまま使っている。
 くっそハードな世界に転生したが、持ち前のバイタリティーで乗り切った。スラム生まれだったからか早々に人殺しを覚えてしまい、それで吹っ切れてからはスラム街でもそこそこ有名な悪党として覚えられるようになる。
 しかし企業からの勧誘もあって企業直下の軍隊に志願。この時で13歳。使い捨ての兵士として最前線に送られたが、初戦から華々しい戦績を残す。それからも激戦区で活躍しまくって昇進、曹長にまで上り詰める。この時で21歳。
 士官学校に相当する教育機関を卒業したヒロインの指導役と知って色んな事を教える。そしてそれはもう色々あって、互いが互いを強く信頼するようになる。またヒロインからの推薦により、士官昇進の道も進みつつあったため准尉となる。
 26歳の時。絶望的な戦局に陥ってしまい、ヒロインを逃がすために殿を買って出る。そして戦死する。因みにこの世界における実力としては『上の下』。

ーヒロインー
 本名はラウラレンティア・ゲッテンハイム。父親がドイツ軍人だったが、国家が解体されてからは企業の兵隊になるべく士官学校を卒業する。
 主人公とは互いに命を救い、救われる関係となる。最初は兄弟みたいな感じだったけど、気づけば夫婦みたいな感じになってた。なお本人たちは無自覚。そのため部下からは優しい目で見守られていた。
 とにかく腕っぷしが強く、この世界における実力としては『上の上』。指揮能力にも優れており、大尉でありながら独立大隊を率いるようになる。因みに得物は槍。
 性格は真面目かつ柔軟。ただしストレスを貯めやすい性質で、主人公が戦死してからは本音で話せる相手がいなくなってくっそメンタルが弱る。それでも任務を着実にこなし、少佐に昇進する。でも時々主人公の事を思い出しては枕を濡らしていた。
 主人公が戦死してから2年後。企業の新たな軍事戦略としてクローン兵を投入しようという頭の悪い計画が立案される。兵士として優れた者にヒロインは主人公を推薦(因みに髪の毛を持ってたのでDNAとかそういう問題は何とかなった)。主人公を推薦した理由は、ヒロインにとって一番優れた兵士と言えば主人公しか考えられなかったので、軍人として真っ当な進言をしたかったから。そうして何とかクローン計画の責任者に就任する事となる。
 中盤あたりでヘラったのは今までの疲労とか懺悔とかが爆発した結果。普段は真面目で強気な人が唐突に何度も謝り始めるの、興奮するよね。興奮しろ(過激派)。というかこのssもあの長文を書きたかったから。
 年齢? 容姿? 何も考えてなかったです。各々で妄想して下され。


ー追伸ー
感想が来ると予定してなかった次話が投降されるらしい。


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敬愛する上官は定期的にヘラるけど、やっぱりなんだかんだ可愛い件について。


感想をいっぱい頂いたので続きました。



 基本的にだが、槍遣いと刀遣いが争えば前者に軍配が上がる。これは感覚的に分かる事実だろう。

 

 槍の間合いは刀剣と比べるまでもなく広範囲であり、“殺しの手段”として突く、薙ぐ、投げると多岐にわたる運用が可能だ。対する刀の長所と言えば切れ味が鋭く、超至近距離における殺傷能力が多少優れているといったところだろうか。

 

 しかしながら、この世界は()()()()現代から数百年先の未来である。

 

 進み過ぎた技術は大量破壊兵器を事実上無力化させ、核の抑止力という仮初の秩序を失った世界は混乱を極めた。数日と持たずに機能不全に陥った国家は文字通りに()()()()()によって解体される。ボタン戦争の時代は終焉を迎えた訳だ。

 

 そうして興ったのが23世紀のルネサンス。重要となる戦術および兵器は先祖返りする。それは戦車や戦闘機、銃器に留まらない。剣や槍、メイスなどと言った古典的な近接武器すら戦略レベルで見直されたのだ。

 

 その結果、企業は強化外骨格(パワードスーツ)という謎テクノロジーを開発した。肉体と言うハードウェアは戦場においてあまりにも心許なく、三次元機動を可能にさせる強化外骨格は革新的な発明だったのである。

 

 さて、ここで話を戻そう。

 

 前述を踏まえてもらえば分かる通り、剣や槍などと言った武器はオーバーテクノロジーにより劇的な進化を遂げた。特にその殺傷能力は群を抜いて優れており、ダイヤモンド程度の硬度であれば容易に破壊する事が可能だろう。

 

 当たれば即死なのだから、強化外骨格も極度の軽量化が進み、その性能は身体能力の向上に重きを置かれた。戦闘ドクトリンも大幅に見直され、戦場の主役は白兵戦を熟す歩兵となる。

 

 そして歩兵に抗し得るは、同じ歩兵に他ならない。一騎打ちすら決して珍しくなくなった戦場で、兵士に一番求められる能力は純粋な武力である。

 

 結論を言おう。槍も剣も決定的な戦力差にはならない。純粋に強い方が勝つ。

 

 で、どうしてこんな話をしているのかと言うと―――

 

 

 

 「……私の勝ちだな」

 

 膝を突く俺に対し、身の丈以上もあるハルバードの穂先を向ける少佐。先の理論で言えば、俺は敗北したという事になる。実際少佐は己の勝利を宣言しており、俺もそれを認めた。

 

 『完敗(がんばい)、です』

 

 肉声の中に機械音が混じった歪な音。

 

 俺の新しい肉体は満足に声を出すことが出来ない。恐らくはクローン技術の弊害だろう。だから俺の喉にはバンド状の声帯補助装置が巻かれており、これにより不格好ながらも最低限の会話は出来る。

 

 「しかし驚いた。得物のみならず戦い方まで奴と同じとは」

 

 まぁ一応、魂もDNAも同じなので。所属する企業が変わった訳でもなし、前世の俺が戦死してから二年の月日を経て、より改良が進んで洗練された我が社の太刀を使わない道理もない。

 

 「……さて、これだけ動ければ上層部も納得するだろう。実戦も近いな」

 

 浮かない表情で言葉を紡ぐ少佐。これだけ想われてれば、如何に恋愛弱者な俺でも分かる。本当に俺って愛されてたんだなぁ。前世で戦死したのが本当に悔やまれる。

 

 『あ゛りがどう、ござい、ま゛す』

 

 敬礼をしながら感謝の意を表する。リハビリを兼ねた訓練は本日をもって終了したからだ。

 

 しかし悲しいかな。俺は誰にも、それこそ少佐であろうとも、転生者であることを悟られてはならない。死んだら転生する、その特性は企業にとって非常に得難い代物である。

 

 もし仮に企業に転生について知られでもしたら、死よりも悍ましい目に遭う事は分かり切っているのだ。実験、吶喊、自爆、想像するだけでも恐ろしい。

 

 何よりそれで少佐を悲しませでもしたら、本当にやりきれない。

 

 「ああ、貴様は良くやった。惜しむらくは少々鍛え甲斐がなかった事だな?」

 

 答礼の後、少佐はそんな可愛い事を宣った。何だか親近感が沸くぞ。

 

 彼女が新米少尉から中尉に昇進した頃、俺も彼女に同様な事を言った気がする。教えたことはスポンジの如く吸収し、言われるまでもなく自分から技術を応用させていく様は舌を巻いたものだ。

 

 そうして気づいたら何時の間にか実力を抜かされ、良き上官となっていた。うん、あの頃が実に懐かしい。

 

 「……妙に既視感を覚えると思ったら、そうか。全く同じことを、私は奴にも言われたのだな」

 

 目を細めながら少佐は思い出を噛み締めた。長年同じ環境にいると、同じ事を考えるらしい。嬉しいような、気恥ずかしいような。

 

 「昔から私は要領が悪くてな。指導役を務めてくれた下士官に、よくどやされたものだ。それが悔しくて、見返したくて、必死だった」

 

 独白を始めた少佐に対し、俺は疑問の念を抱く。というのも少佐がまだ少尉だった頃から、彼女は何事もそつなくこなしていたからだ。決して要領が悪いだなんてことはなかった。

 

 まして、俺が少佐に教えられた事と言えば、白兵戦のイロハ、そして経験に基づく指揮くらいなものだった。どやしたと言っても軍人である以上、それは避けられない訳で。少佐もその程度の事なら当時から弁えていた筈である。

 

 「奴は、私の目標だった。逆境に負けず、機知に富み、何より視野が広かった。そうだな。当時は彼の後ろ姿を見る度に、己の偏狭さ加減に失望したものだ」

 

 お、おう。そんな風に思ってたのか。マジで知らんかった。だが、この流れは良くない気がする。

 

 「今でこそ私は紅葉・鉄血勲章*1を拝命しているが、奴なくしては在り得なかった。そうだ、フタジが敵を引き付けて死んでくれたからこそ、私は敵包囲網を突破し、あの絶望的な状況から作戦を成功させたのだ。分かるか? 私は最愛の人を代償にして、この何の役にも立たない金属の塊を貰い受けたのだよ。お笑い種だろう? 大体、何が最強の軍人だ。部下を犠牲にしてまで生き恥を晒した女のどこが―――っ!?」

 

 少佐はこのように定期的に、しかも唐突にヒスる*2。更に不思議なことに、俺以外の前では情緒は安定しているのだという。もはや無意識の域である。

 

 「―――あ」

 

 少佐の軍帽が落ちる。

 

 俺は少佐を強く抱きしめたからだ。こうすると彼女は落ち着く。これで何度目の抱擁だろう、少なくとも十は越えた気がする。

 

 最初は少佐の弱った心に漬け込むようで後ろめたさも感じていた。しかし情けないことに、俺はこの抱擁以上に良い解決策も思いつかなかった。

 

 「……フタジ、私は、本当に、愚図で」

 

 『少佐(じょうざ)、ワダシは、アルファ、です』

 

 今世の俺に与えられた名前はアルファだ。だからたとえ同一人物であろうと、俺はもうフタジ・ミドウという名を名乗れない。それは保身のためでもあるが、何よりも彼女のためでもあった。

 

 「―――っ。そう、だったな。またか、私は」

 

 俺が抱擁を解くと、少佐は両手で己の顔を強く押さえた。彼女のしなやかな指が頭部を潰してしまわないか不安になるが、これもいつもの流れだった。俺が彼女を抱きしめ、我に返った少佐は自己嫌悪に陥る。危うい予定調和。

 

 新米だったころから、少佐はストレスを溜め易い人だった。しかし俺が死んでからは、余計にその性質が悪化したように見える。

 

 「……すまない。もう、大丈夫だ」

 

 落ち着きを取り戻した少佐は顔面から手を離した。かなり強い力を込めたのだろう。頬や額に爪の跡がくっきりと残っている。

 

 その痛ましい姿を見ながら、俺は彼女を可能な限り支えてやりたいと思った。これは本心だ。しかしそれと同時に、嬉しいという感情が生まれてしまう。

 

 だって、少佐は俺のためにここまで苦しんでくれている。

 

 二年。俺が死んでからもう二年である。それだけの月日を経過して尚、少佐は俺の死をまだ忘れられずにいる。終いには懺悔しながら嗚咽を漏らすのだ。倒錯しているようだが、こんなにも嬉しいことがあるだろうか。

 

 これはヤバい。このどうしようもない愛おしさを少佐に示してやれないのが本当に狂おしい。ああ畜生、転生者である事をめっちゃ暴露してぇ。

 

 「苦労を掛けるな」

 

 拾った軍帽を渡すと、少佐が伏し目がちに言った。

 

 苦労だなんてとんでもない。むしろこちらの方こそ、少佐にここまで大きな十字架を背負わせてしまった事に負い目を感じているのだ。それを清算しているのだと思えば、なんて事はない。

 

 とは言ってもだ。俺が首を振ってどんなに否定しようが、それで真面目な少佐の気が収まる筈もなく。彼女は「……いつか借りは返す」と言って訓練室を後にした。

 

 本当に、真面目で可愛い。()()はクソッタレな世界だが、唯一救いがあるとすれば。それはラウラレンティア少佐に出会えたことだろう。

 

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 

 第三の人生は、まぁそこそこ順風と言えた。

 

 クローン兵の試験配備。少佐率いるニーズヘッグ独立大隊に配属された俺は、上等兵の階級を任された後、その任を与えられる。尤も表向きにはクローン技術は極秘扱いであるため、少佐から直接指導を賜った『期待の新人』として振る舞う必要があったのだが。おかげで気心知れた同僚の前で息苦しいマスクをつける羽目になった。

 

 配属が決まって半年。企業同士の経済戦争は激化の一途を辿っていた。そんな最中、ニーズヘッグの名は戦場に広く知られるようになる。それは少佐のみならず、部隊全体の練度が飛びぬけて優れていたからに他ならない。

 

 しかしそう都合良く物事が進まないのが浮世である。

 

 西暦2274年、11月7日。『KO.bioscience*3』の子会社が反旗を翻す。その報復のためニーズヘッグ独立大隊には粛清の任務を言い渡された。

 

 子会社は軍部を一部掌握していたらしく、想定よりも抵抗は激しかった。とはいえ百戦錬磨の我らの大隊が苦戦する筈もなく。子会社代表を殺害し、後は撤退するのみという所まで来たその瞬間―――

 

 「……フタ、ジ?」

 

 少佐が在りし日の名を零す。何故なら俺と少佐の前に、俺と全く同じ見た目の男が現れたからだ。

 

 だがアレはクローンではない。他でもない俺だからこそ分かる。右頬にある大きな裂傷痕、前世の俺がスラム街で受けた傷跡だ。そして何より頭部の銃痕、まず間違いなく前世の死因である。

 

 しかし何も驚きはしない。クローン技術を実用段階にまでこぎ着けた世界だ。()()()()()()()()()()があっても不思議ではないだろう。

 

 「目標、発見」

 

 太刀を抜きながら、フタジだった男は俺よりもクローンっぽいことを宣った。やはりアレは敵らしい。俺も刀を抜いて応戦しようとすると―――

 

 「アルファと私で迎え撃つ。ホウジョウ、お前が部隊を撤退させろ」

 

 動揺が見られたのは一瞬。少佐は持ち前の切り替えの良さで立ち直り、ホウジョウ中尉に指揮を任せた。

 

 「やれるな、アルファ」

 

 『当然(どうぜん)、です』

 

 少佐に呼応する。得物を鞘から抜き放ち、かつての身体を見据える。全身の筋肉に何かしらの機械が埋め込まれているようで、フタジの肉体は不気味に隆起した。

 

 少佐のハルバードはあまり室内戦に向かない。だから俺を残したのだろう。不利を数で覆す、動揺していながらも合理的な思考は崩さない。

 

 「……いい加減、ケジメを付けたかったんだ。だから、そうだな。お前の方から来てくれるだなんて、やっぱり出来た部下だよ。私には勿体ないくらいに」

 

 悲し気な、それでいて獰猛な笑みを少佐は浮かべる。彼女はハルバードの柄を短くさせ、見た目としては斧か剣の様に変形した。かっこいい。

 

 「行くぞ」

 

 『了解(りょうがい)

 

 二人掛かりだが、卑怯とは言うまいな。

 

 

 

 戦闘をすること23分。元々俺の身体だったとは思えない程度には、(フタジ)は善戦していた。

 

 だがそれもその筈だ。奴の軍服の内にある強化外骨格(パワードスーツ)は、常人では耐えられない出力を出し続けている。具体的に言えば、単純なスピードとパワーは格上である筈の少佐より高い。正直な話、今の俺では敵の動きについて行くだけでも精一杯だった。

 

 再利用技術(ネクロマンス)。亡者の死体をもう一度兵器とする、道徳もへったくれもないテクノロジーである。しかし道徳を捨てた分、その実用性は確かなようだ。

 

 どれだけ負荷を掛けようと、死人であれば痛みを訴えることは無い。経験と戦闘のイロハは体が覚えている。認めたくないが、正に理想の兵士と言えるだろう。

 

 「……だが所詮は人形だな。生前の方がよっぽど手強かったぞ」

 

 そう言いながら、少佐は敵を袈裟斬りに両断した。それで勝負は決した。フタジ・ミドウだった肉塊は機能を停止し、不自然に流動していた体は縮小していく。我ながら酷い有様だった。

 

 「外道な。だがせめて、首だけでも―――」

 

 少佐は身を屈めてミドウの上半身を回収しようとしたその時。俺の耳は不可解な電子音を捉えた。

 

 意識するよりも先に少佐の身体を押し飛ばす。その判断は至極正しかった。

 

 「……ある、ふぁ?」

 

 激痛という表現でさえ生易しい痛み。だというのに、下半身からの感覚が全て消え失せている。だからきっと、()()()()()なのだろう。

 

 「―――あ、嗚呼。なんで、お前、が」

 

 少佐が涙をこぼしている。それで悟ってしまう。多分俺は、助からないのだろう。だって俺の下半身は、()()()()()()で消し飛ばされていたのだから。

 

 「そ、そうだ。急いで血を、血を止めないと」

 

 震える手つきで応急処置を始める少佐。だがその健気な献身は、きっと用を為さない。とめどなく溢れる赤い液体は唯々彼女の手を汚すだけだ。

 

 『……少、佐』

 

 自らの軍服を破り、包帯替わりにしようとする少佐の手を止める。彼女は悲痛な表情でこちらを見る。涙と血が混じり酷い顔だが、それがどうしてか尊く美しいモノのように思えた。

 

 「どうして、お前、私なんかをっ」

 

 どうしてって、そりゃあ好きだからですよ。だから自分の事を卑下しないでほしい。

 

 「嫌だ、死ぬな。死なないでくれ。どうしてお前ばかりいつもっ! まだ()()を返してないのにっ!!」

 

 畜生。視界が掠れてきた。これじゃあ俺なんかのために大粒の涙を零してくれる少佐の顔が見れないじゃないか。頼むからさ、今際の際ぐらい融通を利いてくれよ。

 

 「―――ファ!! ――ぬな!! お願―――っ!!」

 

 薄れゆく意識。もう猶予はない。もう、何も聞こえない。

 

 でもどうしてだろう。今の俺はこれ以上無いほどに満たされている。愛する少佐の胸の中で逝く。悪くない。でも俺は自己中だから、少佐にはあともう一つだけ俺の我が儘を聞いてほしいのだ。

 

 故に最後の力を振り絞って、俺は一つの想いを伝える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――あなたを、愛しています。

 

 

 

*1
目覚ましい軍功を上げた兵の中でも、特に活躍した者に与えられる勲章

*2
ヒステリックになるの意

*3
主人公が所属する企業




ー主人公ー
 個体名が『アルファ』のクローン兵士。肉体年齢が18歳であるため数か月の訓練の後、実戦投入される。基礎スペックは『フタジ』だった頃と遜色ないが、反射神経に差異を感じて実は思うように動けていない。それでも一般兵から見たら十分に脅威。
 因みにアルファくん以外にもクローン兵士がいっぱい居る。中には言葉にするのも悍ましい実験を施された個体もいたりする。というかクローン兵が想定よりも優秀な性能を示してしまったがために、無理な運用をされて基本的にロクな最期を迎えていない。

ーヒロイン(ラウラレンティ・ゲッテンハイム)ー
 クローン計画の責任者。そのためクローン兵士がマトモな運用をされていない事も全部知っていたりする。軍人としての責務(主人公をクローンのオリジナルとして具申した事とか)を優先し、死者に鞭打つような真似をしてしまう結果となってしまい酷く心を痛めている。だから主人公の前でヘラる頻度も多くなった。
 因みに強化外骨格は全身タイツ的なぴっちりスタイル。その上にナチスのSS的な軍服を着ている。これエロくない? 
 なお今回の件でついによわよわメンタルがぶっ壊れた模様。自らの油断がクローンとはいえ最愛の人の死を招いた訳だし、仕方ないね。でも一番効いたのは、主人公が死に際に放った愛の囁きな模様。また皮肉なことに、この件をきっかけに中佐に昇進する。

ー死体となったフタジくんー
 再利用技術と書いてネクロマンスと読む厨二技術で復活した死人。なお意識はない。ただ戦闘能力に優れているだけで、主人公の持ち味の一つだった指揮能力は失われている。具体的な戦闘能力は『上の中』あたり。過剰な出力を持つ強化外骨格も装備されてすっごい強いけど、それでも少佐と比べるとやや劣る。因みに主人公と少佐が戦うと、主人公が遅延行為に努めるため1時間以上の長丁場になる。
 子会社が反逆した背景として、再利用技術(ネクロマンス)がクローン技術に採用試験で敗退したというのがある。自らの技術に絶対的な自信を持っていた子会社はもう怒り心頭、短絡的に宣戦布告をした。なおその2日後に鎮圧された模様。

ー追伸ー
 感想をもっといっぱい書いていただけたら、もっとやる気が出るなぁ(チラチラ
 あ、それとちょくちょく感想欄や評価コメントに天才ニキが現れるので採用したいと思います。というか今回の話は正に採用した感じです。そういう訳でアンケートを設けますのでぽちっと押してくださいね!



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三度目の転生をしたら、今度は可愛い上官の愛玩動物になった件について。


めちゃくちゃ伸びてびっくりしてる作者です。
いや本当に、正直プレッシャーがヤバイ。
なんならこのがばがば世界観を考察してくれる読者ニキもいてすっごい嬉しいです。
もっと性癖晒そう? 晒せ(過激派
ビバ、ヤンデレダイスキー!


 

 死んだら転生する。たった一度の人生を懸命に生きる者たちからすれば冒涜にも等しい所業。

 

 だが一つだけ難点を上げるとするならば、生まれ変わる先を自分で選ぶ事ができないという所だろうか。どこまで行っても、人間は親を選べないのだと自覚させられる。いや、そもそも親すら存在しない。何故なら今回も―――

 

 「実験体イータ、準備整いました」

 

 フタジのクローンとして生を受けたからだ。

 

 1度目は事故死、2度目は殿の代償、3度目は愛する人を庇って死んだ。だからきっと4度目もあるのだろうとは思っていた。それがまさかまた同社のクローン体とは、やはりこの世界の企業は始末に悪い。

 

 しかし今回は毛色が違った。

 

 得体のしれない薬液、やたら湿った実験室、痛いくらい締め付けられた拘束具。どうやら今回の『フタジ』はモルモットらしい。

 

 「よろしい。投薬したまえ」

 

 白衣を着た男がそんなことを宣った。すると淡く黄色い薬液が頸動脈に直接ぶち込まれる。これから行われるであろう行為がきっとロクでもない事を予想しつつ、諦観の中で目を瞑った。

 

 激痛、辛苦、倒懸。この世のあらゆる苦しみを一身に受けたような心地になる。そして実際、地獄すら生ぬるい実験を施工されたのだと思う。

 

 だが不思議と受け入れる事はできた。

 

 俺は少佐にあまりにも惨い仕打ちを、それはもう幾度となく繰り返してきた。だから()()はそんな度し難い己への罰なのだと。それが単なる独りよがりだと分かっていても、そうでもしなければ正気を保つ事が出来なかったのだ。

 

 「……なんて素晴らしい。まだ自我の崩壊が起こらないとは」

 

 研究者の男はそう言って更なる投薬を図る。マジでサイコだな、あんまり人の事は言えないが。

 

 この拷問染みた実験の目的は、端的に言うと『最強のワンオフ』を作り出すことらしい。別に盗み聞きするつもりはなかったのだが、聞いてしまったものは仕方ない。その思惑に乗ってみよう、どうせソレ以外にすることは無いのだから。

 

 そうしてどれだけの月日が流れたか。

 

 何度も正気を失いそうになりながら、俺はこの幼い体躯のまま全盛期以上の力を得た。しかしその代償に右腕が壊死したので敢え無く切除。義手で代用するという。

 

 ともあれ、実験は最終段階に至った。

 

 「これで最後だよ。イータ君。これさえ耐えてくれれば実験は成功する、いいかい? 絶対に死んじゃいけないよ?」

 

 狂った表情のまま研究者の男は最後の投薬を行う。

 

 実験のギャラリーも何時の間にか増えていた。そしてその中には、あの少佐もいた。正確には昇進して中佐になっていた。しかも何だか少し顔がやつれている気がする。気のせいではない、その自覚もある。

 

 でもまた会えて嬉しい。そう思いながら、ガラス越しにいる彼女に向けて笑みを浮かべた。

 

 暫くして左目が弾けた。無理な投薬が祟ったのだろう。今更痛みぐらいで泣き叫ぶこともないが、痛いモノは痛い。とはいえどちらかと言うと、少佐を見るための眼球が一つ減った事の方が辛かった。

 

 狭まった視野と何やら騒ぎ始めた研究者の男を煩わしく思いながらも、やはり俺は少佐を見つめ続けていた。駄目だな。もう死ぬ事に慣れ過ぎてこんな状況でも少佐、いや中佐のことしか目に入らない。我ながら正気ではないなぁ。

 

 気づけば、すーっと頭が軽くなっていた。この感覚には覚えがある。過剰出血による血圧の低下、戦場では割とお馴染みの死因だったりする。だからそのまま意識が薄らいでいくのも同時に感じていた。

 

 霞掛かった世界の中。最後に目にしたのは、果敢にもガラスをぶち壊す少佐の姿だった。

 

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 

 「……なぁフタジ。今日は150人も殺したんだ。凄いだろう? その中に一人、異名持ち(ネームド)もいたらしいが、あまり強くなかったな。お前の方がよっぽど強かったよ」

 

 薄暗くどこかほんのりと甘い香りのする室内。俺は毛布に包まる中佐に抱きかかえられながら、彼女と共に21世紀に作成された古めかしいホラー映画を鑑賞していた。

 

 「それでな、また昇進の話が上がったんだ。本当はあまり興味はないけど、部下にいい暮らしをさせるには地位がないといけない。ああ勿論、お前の事も考えてるさ」

 

 よしよしと頭を撫でられる。この小さな体だと彼女の腕の中にすっぽりと嵌ってしまう。正にジャストフィットと言った様相だ。すっごいぬくぬく出来るし快適である。

 

 「それにしても、良く出来た話じゃないか。初めて映画という文化を嗜んでみたが、存外悪くない。とはいえやはり、いつの時代も人間が一番怖いという不文律は変わらないんだな」

 

 俺の頭を撫でる手を止めずに、中佐は映画をそのように評した。そして映画の登場人物が皆死んだ後に、スタッフロールが流れる。すると少佐はリモコンを弄って画面を消した。

 

 「……フタジ。今日も、楽しかったな」

 

 俺が返事をするより先に、中佐は俺を強く抱きしめた。その動作は大切な宝物を扱うかの様に繊細で、それでいて強烈な執着心を感じさせる。

 

 彼女は俺の言葉を求めてはいない。いや、正確には彼女にとって都合の良い言葉しか求めないのだ。だから中佐は『フタジ』でない俺が喋ることを許しはしない。数々のトラウマが彼女を臆病にさせたと言えば、まだ聞こえは良いだろうか。

 

 中佐が未だに俺を『イータ』と呼ばずに『フタジ』と呼んでいる事からも、それは明白である。例によって魂は同一人物だから、俺としては違和感を感じる事はない。ただ一応断っておくと、彼女は俺が転生者である事は絶対に知らない筈である。

 

 だというのに―――

 

 

 「なんだか、とても幸せだよ」

 

 

 どろりと滑りを帯びた言葉遣い。彼女は何処までも腐っていた。

 

 

 

 

 

 拷問が如き日々から数か月。俺は中佐の愛玩動物として日々の生活を送っていた。

 

 中佐とあの研究者の間で如何なる駆け引きがあったのかは、当事者である筈の俺も知らない。ただ次に目を覚ました時には、名実ともに俺は中佐の所有物になっていた。今俺がいる部屋も彼女の私室だ。

 

 「今日の夕飯は豪勢にステーキにしようと思うんだ。私の料理の腕は知ってるだろう? おいしく仕上げて見せるさ」

 

 私服姿の中佐が微笑みながら言った。だから俺もこくりと頷く。さながら犬の様に。

 

 別に言語を使いたくない訳ではないのだ。ただ中佐が俺を愛玩動物として見ているから、俺もその趣向に付き合っているだけの話である。

 

 それに、思いのほか楽しくもあった。前々から狂っている自覚はあったが、この上なく変態でもあったらしい。いや、今更か。

 

 「―――痛っ」

 

 キッチンからそんな声が漏れる。血の匂い、戦場で嗅ぎなれた匂いだ。というか嗅覚が無駄に優れていて、結構離れた位置にいる中佐の流血が分かってしまった。

 

 恐らくは調理中に指を切ってしまったのだろう。彼女にしてはあまり考えられないミスだが、在り得ない話ではない。特にプライベートではちょっとポンコツだったりするのが、ラウラレンティアという女性である。

 

 ここまで分かっていて、何もしないのも決まりが悪い。体の中のナノマシンが勝手に治療してくれるだろうが、それでも応急処置はすべきだろう。俺は救急箱を片手にキッチンに向かった。

 

 「ん? ああ、わざわざ悪いな」

 

 こちらの存在を認めた中佐が、左薬指を差し出してくる。

 

 俺が傷の処置をしようとすると、彼女は「そうじゃない」と言わんばかりに傷口を押し付けてくる。それでようやく「指を舐めろ」という意思表示である事を理解した。

 

 「……ん」

 

 躊躇いはなかった。俺は舌先で中佐の指を舐める。背徳的な気分になりつつも、努めて舌は休ませない。

 

 口の中に溢れる鉄分。とてもではないが飲めたモノじゃない。ハッキリ言ってしまえば、不味いと言えるだろう。でも吐き出すことだけはしなかった。だって中佐は期待している。

 

 「いい子だ」

 

 血を全部舐めきったら、唐突に頭を撫でられた。

 

 子ども扱いされてるようで少し気に食わないが、事実この肉体は幼子そのものなので文句は言えない。何より惚れた弱みである。彼女のすること為すことが一々愛おしくてたまらないのだ。

 

 あ、でも傷口を舐めたままにするのは普通に汚いので消毒する。ついでに治療キッド(キット?パッド?)を貼って、応急処置は完了である。

 

 「ありがとう」

 

 別に大した事はしていない。でも中佐にお礼を言われると嬉しいのは事実。小さくはにかむ中佐につられて、俺も笑みを浮かべて見せる。

 

 「さて、肉を焼くから向こうで待ってくれ。今日は期待していいぞ」

 

 そう言って中佐は調理に戻った。先ほどミスを犯したとは思えないほどの手際良さ。その事実に僅かばかりの違和感を感じつつも、俺はその違和感を敢えて無視したのだった。

 

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 

 中佐にペットのように愛でられる日々は思った以上に退廃的だった。

 

 軍務に明け暮れて毎日出社する中佐。だが彼女は絶対に2日以上家を空ける事はなかった。しかも2時間に一回は連絡を入れてくれるので、寂しさとは無縁の生活だった。

 

 しかしどうも落ち着かない。多分、中佐の隣にいる時間が極めて少ないからだろう。

 

 前世も、そのまた前世も。俺は常に彼女の傍にいた。それが当たり前の生活だった。時には互いの背中を預けて死線を潜ったこともある。

 

 このまま二人で腐りきって、どろどろに融け合う生活も悪くないと思う。だがそれは些か刺激に欠ける。というか、いい加減『俺』を見てほしい。

 

 「ふ、たじ? これはどういう」

 

 仕事で疲れて就寝中だった中佐の上に圧し掛かる。どうせガキの体躯である。常日頃鍛えている中佐にとっては重りにもならないだろう。

 

 「俺は、フタジじゃないよ」

 

 ひょっとすると今世でまともに喋ったのは、これが初めてかもしれない。

 

 「何、言ってるんだ。お前はフタジだ。顔も、声も、全部一緒で」

 

 明らかに動揺した様子の中佐。全部同じ、それはそうだろう。なんせこの体はフタジ・ミドウのクローンなのだから。同じになるように設計された使い捨ての兵器だ。

 

 「でも俺はクローンだ」

 

 「……違う」

 

 「違わない。イータという名前もある」

 

 「―――違うっ!!」

 

 暴れようとする中佐の身体を押さえつける。()()()()()()()()()()()

 

 怠惰な生活が長引いて忘れていたが、確かこの肉体は『最強のワンオフ』を目的にデザインされたのだった。強化外骨格(パワードスーツ)なしでこれだけのパワーが出るとは。

 

 中佐はしばらく抵抗を続けていたが、それが無意味と悟ると途端に大人しくなった。瞳からは生気が失われ、その内「ごめんなさい」と謝罪から切り出した。

 

 「……君が、初めて微笑んでくれた時、脳裏に彼らの顔が思い浮かんだんだ」

 

 中佐の言う彼らが誰かは分からない。フタジやアルファ、もしかすれば俺の知らないクローンの事かもしれない。だとしたら少しだけ嫉妬する。

 

 「皆、私のために死んでくれた。でも違う。死ぬべきだったのは、私の方だった」

 

 そんな事はないだろう。むさ苦しい男と妙齢の女性。どちらが生きるか死ぬかだなんて、結局はその時の状況に依る。そしてあの時の判断は今でも合理的であったと考える。

 

 「ねぇ、辛いよ。辛くてどうしようもないんだ。手首を何度切ったか覚えてない。ロープで首を括ろうともした。でもそんな事をしてしまったら、何のためにフタジとアルファが命を投げ出してくれたのか分からなくなる。はは、酷い話だろう? 自らの油断が招いた死を都合良く解釈してばかりで、自害する度胸すらないんだ」

 

 いつものヒステリックな声音ではない。どちらかと言うと、懺悔と言うべきか。中佐は胸の奥底で抑えていた冷ややかな想いを暴露する。だから俺は黙って耳を傾けていた。

 

 「……もう、嫌なんだ。なんでフタジもアルファも、こんなどうしようもない女を命懸けで救ってしまったんだ。早く私も楽になりたい。早く私も、二人の所に、いきたいよ」

 

 瞳一杯に涙をため込んで吐露する言葉は、あまりにも切実だった。彼女が真面目で、融通が利かないのは分かり切っていた事なのに。どうして俺は前世の最期であんなことを言ってしまったんだろう。こんなの唯彼女を縛り付ける呪いでしかない。

 

 しかし自分の不用意な一言が中佐を根本から刻んでいるのだと思うと、酷く倒錯的な快感を覚える。或いは愉悦、と言えるだろう。

 

 「……すまない。君を二人と、重ねていた」

 

 知っている。そして今、合点もいった。これは俺の撒いた種であるとも。

 

 「もう、どうにでもしてくれ。そうだな、君の望む事なら何でもしよう。君を傷つけた研究者を殺せと言うのなら、なるべく残虐な手法で殺して見せる。いや、そもそも私が目の前で死ぬべきなのかな?」

 

 勝手に話を進めていく中佐。俺の反応が怖いのだろう。何を言われるか分からない。もしそれが拒絶の言葉であったら、きっと彼女の心は今度こそ壊れる。

 

 だから俺が言うべき言葉は―――

 

 「逃げないで下さい。貴女のすべき事はそんなことじゃないでしょう?」

 

 「……え?」

 

 「俺を見て下さい。俺は中佐を愛しています。なら中佐は?」

 

 俺の言葉が信じられなかったのだろう。目を大きく見開いて驚愕の表情を中佐はつくる。

 

 「実験体として使いつぶされる筈だった俺を救ってくれたのは貴方だ。俺はもう貴方なしでは生きていけないのに、当の本人から死にたいだとか、辛いだとか言われる気持ちが分かりますか?」

 

 ここまでくれば諸共である。死んだら転生する事にかこつけて、俺は随分と彼女を傷つけてしまった。どうしようもないのは俺の方で、罰を受けるのは俺で然るべきだ。

 

 「俺は貴方の言うことならなんだってします。きっと、その二人も俺と同じ気持ちだったんじゃないかな」

 

 ま、事実そうなのだが。ぞっこん度合いで言えば俺も中佐に負ける気はない。互いが互いを依存しているのなら、結末は決まり切っている。

 

 俺の言葉に感銘を受けたのか、はたまた絶望したのか。中佐は「どうして」と言葉を零し、だがその先を続ける事はなかった。ただ静かに頷いて―――

 

 

 「……私と一緒に、堕ちてくれるだろうか?」

 

 

 中佐は欲望のまま快楽の海に溺れる事を選んだのだった。

 

 

 




ー主人公ー
 実験体イータとして三度目の転生を迎える。ついに本性を現した感じ。というかメンヘラなのは主人公の方じゃなかろうか。
 『最強のワンオフ』とかいう頭の悪い計画の検体。そのおかげで体は少年でありながらも既にヒロインに迫るスペックを誇る。なお負荷のかかりまくる投薬を何度もされて右腕と左目が破損。でもまぁこの世界の技術なら義手も義眼も性能凄いので問題なし。というか、右腕を色々改造したらビームソード出したりガトリング銃になったりして、ロマンが広がりそう。

ーヒロインー
 アルファ君が死んでからはより一層仕事に励みようになる。感情という感情が死んで、殺戮マシーンと化していた感じ。主人公IN以外のクローンは機械的な反応しかせず、それを造ったのが自分だと実感させられて自己嫌悪に何度も陥る。感情は失っても心までは失くせないので、凄まじい速度で摩耗が進む。
 そんな最中に出会ったのがイータ君。実験中のイータ君にニコッとされてコロッと落ちる。そんでもって計画責任者としての権利を遺憾なく行使して主人公をペットにする。多分、戦場に出したらまた死んじゃうと思ったからじゃないかな。
 最後の「墜ちてくれるか」発言で、ようやくフタジ君とアルファ君の死から吹っ切れた感じ。その代わり依存先がイータ君に変わっただけなので、イータ君が死んだら今度は絶対立ち直れない。立ち直ったというよりも、腐り切っただけなのかもしれない。


アンケートを取っておきながらおねショタにならなかったことをここにお詫びします。
でも自分がこの話を書き始めたころは愛玩動物の方が票があったんや(言い訳
次回で終わらせるつもりです。ハッピーエンド(当社比)の予定。



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最終話

 共依存を自覚したところで何かが劇的に変わるという訳でもなく。俺たちの時間はただ緩やかに進んでいった。

 

 とはいえ中佐が戦場で活躍する中、俺だけが家に籠っているのはバツが悪い。何なら中佐が仕事をしてる間は、大抵研究所でこの体の性能試験ばかりしているので普通にしんどい。共にいる時間を増やすためにも、俺は彼女にこう進言したのである。

 

 「一緒に戦いたいです」

 

 「ダメだ」

 

 俺の言葉は即時両断された。無論、ほかならぬ中佐にである。訳を聞くと―――

 

 「お前がいると私が鈍る」

 

 と、割と普通に正論を返された。実際、俺と中佐の関係は外に口外できるほど健全ではない。公私混同に起因した油断のせいで、目の前で部下(アルファ)を失った彼女としては当然の主張であると言える。

 

 「それに、私も歳だよ」

 

 どこか遠い目でそんなことを宣う中佐。よく見れば彼女の若々しくも傷だらけの右手は小さく震えていた。

 

 「もうですか?」

 

 「ああ。戦場にいられるのも、あと1,2年が良いところらしい」

 

 この世界の戦争の花形は歩兵である。だが良く考えてみてほしい。人体に多大な負荷をかける強化外骨格(パワードスーツ)や自然治癒力と免疫力を異常に高めるナノマシンの装備を義務付けられた兵士が、果たして長命になり得るのか。

 

 答えは否である。

 

 前線で常に戦い続ける兵士の健康寿命は、戦死を除いて三十代中盤と言われている*1。そして恐れながら、中佐の年齢は三十路も手前である。覚悟していた事だが、いざ本人の口から聞くと些か堪えた。

 

 「何、別に今すぐ死ぬという訳ではない。だからそんな可愛い顔をしてくれるな」

 

 優しい手つきで俺の顎に触れる中佐。彼女は「何てことはない」と言わんばかりに振る舞うが、それでも寿命に差し掛かった兵士がどうなるのかは俺も知っている。

 

 「来年からは士官学校の教官として後方勤務になる。一緒に過ごせる時間も増えるぞ」

 

 「……そう、ですね」

 

 兵士として戦えなくなった人間の晩年は基本的に寝たきりになる。そして静かに、眠るような衰弱死を迎えるのだ。

 

 遺憾ながら、この世紀末な世界ではある意味恵まれた死と言えるだろう。しかしソレをどこか物悲しく感じてしまうのは、平和だった日本という国を知っているからか。

 

 「嬉しいな。大切に想われてるのが分かるよ」

 

 未だに憂鬱な気分を切り替える事が出来ない俺。対する中佐は穏やかな笑み湛えながら告げた。

 

 立場が入れ替わったような心持になる。肉体に精神が引きずられているのか、少しばかり俺の心には余裕がなかった。ちょっと油断すると俺の方がヘラりそうだ。

 

 「私は幼少の頃から戦場で死ぬつもりだった。でもね、そんな私を心から慕ってくれる人間が三人もいた。その事実だけで本当に十分なんだよ」

 

 何か悟ったような語り口調だった。その横顔からも彼女が満ち足りている事を理解できてしまうから、俺はもう何も言えなかった。卑怯だと、そう思ってしまう。

 

 「ありがとう、イータ。君のお陰で私は幸せだ」

 

 心の底から述べられた感謝の言葉。でもどうしてだろうか。この胸の内に燻るどす黒い感情は一向に収まる気配がない。

 

 「その言葉はまだ早いですよ。幸せに上限なんかないんですから」

 

 何故か悔しいと感じる。自分でも良く分からない感情から目を逸らしながら、生意気にも俺はそう宣うのだった。

 

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 

 中佐の宣言通り、俺たちは共にいる時間が増えた。

 

 歴戦の将兵たる彼女は指導員としても大変優秀だったため、平日は特に忙しそうにしていた。それでも日帰りは当たり前で、夕飯は一緒に食べる機会も多かった。

 

 また国境が無くなって数多の文化が衰退したこの世界でも、富裕層向けに娯楽施設は残されている。それはストレス発散のためでもあるのだろうが、やはり娯楽産業は儲かるのだろう。映画館や水族館、遊園地などの施設は少数ながら運営されている。

 

 中佐と俺は暇を見つけてはそうした娯楽施設に足を運んだり、或いは美味しいご飯食べたりして、思いつく限り()()()()()過ごし方をした。たまに色欲に逆らえなくなって惰性な一日を送りもしたが、それを含めてもあまりに幸せで、目が眩むくらい充足した日々だった。

 

 

 

 だが時間は残酷である。

 

 

 

 中佐が教導官として後方勤務を務めるようになってから、既に4年の月日が経過していた。

 

 「イータ、そこにいるか?」

 

 まず初めに中佐の足が動かなくなった。車椅子生活を余儀なくされたと思ったら、今度は視力を徐々に失っていった。そして症状が悪化した今では、呼吸も独力で出来なくなりつつある。

 

 あっという間に、中佐は要介護者となった。現在の彼女は病院のベッドで寝たきりになっている。故に俺も病院に住み込みで彼女の介護を行っていたが、多分その生活も長くないだろう。

 

 「はい。俺はここにいます」

 

 手を握る。もう感覚さえ希薄になった彼女の手を、強く、握りしめる。

 

 「……あっという間だったなぁ」

 

 何も見えていないだろうに、彼女はこちらを向きながら告げる。その声音が文句のつけようがないくらい満ち足りていた。だから俺も「そうですね」と、とびっきりの笑顔で言葉を返す。

 

 「先生から言われたよ。私の命日は明日でもおかしくないらしい。この様だ、言われるまでもないがね」

 

 くすりと笑みを零す。何がオカシイのだろう。俺には分からなかった。

 

 「こうしていると、奴の気持ちが分かる気がする。誰かに看取られるのは、とても幸せな事なんだって」

 

 呵々と愉快そうにする中佐。とても分かる。同意に値する。ソレは前世で噛み締めた俺の幸福だ。しかし同時に―――

 

 「分かるよ。残される者にとっては苦痛でしかないし、ただただ寂しい」

 

 彼女は俺の心の内を代弁すると同時に、手を握り返してくれた。

 

 信じ難いことに彼女はこんな思いを二度も経験しているのだ。本当に信じられない。そりゃあ心だって腐ってしまうだろう。正直に白状すると俺は将来のことを考えたくない。その程度には、堪えている。

 

 「浅ましい私を許してくれ。君が苦しんでいてくれることに至福の念を覚えている」

 

 俺は即座に「構いません」と返答した。

 

 だってそれならお互い様である。彼女の心を玩んだのは俺が先で、だから謝罪をする必要はない。そうだ、中佐が謝る理由なんてどこにもないのだ。むしろ俺の方がよほど―――

 

 「……なぁ。そろそろ聞かせてくれないか」

 

 唐突に、何の脈絡なく告げる。何を言っているのか全く分からないのに、なぜか雷にでも打たれた心持になる。それは俺が彼女に対して多大な後ろめたさを感じているからに他ならない。

 

 「聞かせてくれって、一体何を―――」

 

 「違う。違うんだイータ。そうだな、そんな玉虫色の答えを聞きたい訳じゃないんだよ」

 

 いつしか彼女と共に鑑賞したドラマか映画のセリフだ。彼女もふと思い出したように言ったから、きっとそうなのだろう。中佐は「ちょっと違ったかな」と悪戯っぽく笑ってみせた。

 

 「でも君は私に何かを隠してる。そうだろう?」

 

 確信を持った声色。俺は何と言えばいいか分からず、口を閉ざしてしまった。

 

 「もし言いたくないのなら良いんだ。別に話さなくても構わない。少なくとも私は気にしない。だが後悔だけは、どうかしないでくれ」

 

 言外に「これが最後だ」と言われた気がした。もし俺がこの場をほんの一瞬でも離れたら、彼女はいなくなる。そんな気がする。だから多分、()()()()なのだ。

 

 瀬戸際に立っている。俺は自らの『転生者』という特異性を、そしてソレに乗じた罪を打ち明けるべきか。

 

 言えばいい。全部吐露してしまえばいい。彼女のいなくなった世界で生きるのは辛い。だから後先を考える必要なんてないのだ。だがもし全てを告白した末に、彼女に嫌われたらどうしようと、この期に及んでそんな女々しい思考が脳裏をよぎる。

 

 「―――君が私を失望しなかったように。私も君を嫌うことは無いよ」

 

 まるで全てを見据えたかのような発言だった。全く本当に。俺はこの人に一生かなわないのだと自覚させられる。

 

 

 

 

 

 「中佐。いえ、大尉。俺は―――」

 

 

 

 

 

 意を決した。そして全てを伝える。

 

 彼女は驚きの表情を見せてくれたが、それだけだった。ただ「好きな人の人生を、三度も独り占めしたんだなぁ」と呟き、穏やかな面持ちで逝った。

 

 「……おやすみなさい」

 

 これ以上無いほど端的に別れを告げる。筆舌に尽くし難いほどの喪失感。だが最後の最後で、義理やしがらみを全部清算したように思う。だから、これで良かったのだ。

 

 そう言い聞かせなければ、押しつぶされそうだった。

 

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 

 ラウラレンティア・ゲッテンハイムが死んだ。

 

 その一大ニュースは世界で瞬く間に広まった。彼女は『KO.bioscience』の最大級の戦力として多くの勢力に認知されており、また同企業が衰退したと判断した敵対組織は迅速な侵攻を推し進めた。しかしながら、新たに実戦投入されたLシリーズのクローンがこれを撃退する。

 

 Lシリーズ。即ちラウラレンティアのクローンである。フタジ・ミドウのクローン*2と比べ、些か兵器の慣熟訓練に時間を要するものの、その性能は遥かに優れている()()()

 

 情報が不確かな理由は、単に俺が『KO』の人間ではなくなったからである。転生が云々と誰が聞いてるかもわからない病室で告白したツケである。まして元々は実験体だった身の上だ、中佐の庇護がなくなった俺が狙われない理由がなかった。

 

 企業から追われることと引き換えに俺は自由の身になった。だがソレに違和感を覚えるのは、隣に彼女がいないからだろう。2年が経過した今でもそこに変わりはない。

 

 不安は自由の眩暈だと述べたのは、確かプロイセンだったか。それとも別の哲学者だったか。なんにせよ、正にその通りだと思う。

 

 

 

 「目標を捕捉」

 

 

 

 かつては肥沃な土地として知られた荒野にて。感情をそのままくりぬいたような声が響く。

 

 何となくいつかは相見える気がしていた。しかしこうも想像通りだと笑えてくる。俺の目の前には、彼女と瓜二つの顔の女兵士が立っていたのだ。

 

 「―――本当に、業が深い」

 

 鹵獲した刀剣を抜く。最低限の整備しか出来ていないから、武器も義手も義眼も何もかもガタが来ている。だからこそ、正直に言えば勝機は薄い。

 

 だがこの命は彼女に与えられたものである。だからそう容易くくたばっては面目が立たないし、死んでも死にきれない。死の間際でさえ、全力で暴れて見せる。

 

 「投降しろ。悪いようにはしない」

 

 彼女の声で彼女の様な事を宣う。それが何だか面白く思えて「冗談」と苦笑い混じりに答えた。

 

 「こういうご時世だ。我を通したいのなら、アンタは武器を取るべきじゃないのか?」

 

 「ふむ、それもそうか。だが後悔してくれるなよ」

 

 ハルバードを構えた女兵士は不敵に微笑んだ。それにしても不思議な気分だ。顔も声も全部同じなだけで、決して()()ではない女にこうも懐かしさを覚えるのは。

 

 「―――っ!!」

 

 戦いに言葉は不要だ。ただこの一時だけは、俺も彼女も正真正銘の()である。故に通じる物があって、感じ入る物がある。そんな奇跡もあるのだと、否が応でも思い知らされるのだ。

 

 

 

 

 

 「……また会えて嬉しいよ、フタジ」

 

 

 

 

 

 

*1
因みに平均寿命は四十代前半とされる。

*2
通称、Fシリーズと呼ばれている。




賛否両論あるかとは思いますが、バッドエンドフラグをへし折って問答無用にハッピーエンドにしたいという願望があったのです。許してくだせぇ。


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IFルート:死がふたりを分かつまで

お久しぶりです。
ちょっとリハビリがてらの短編です。


 硝煙と血潮の匂いが入り混じった戦場。けたたましく鳴り響くは銃声と剣戟の調べ。足元には夥しい数の亡骸が所せましと転がっている。

 

「これで100人」

 

 刀剣から滴る血液を振り払う。既に部隊はほぼ壊滅しており、その指揮を任された俺も今や風前の灯火とでも言うべき有様だった。対する敵兵の数は、ざっと見渡しただけでも優に百は越えている。

 

「畜生、死にたくねぇ」

 

 喧しく喚き散らす兵士の首を圧し折りながら呟く。

 

 口では生に執着するような発言をするも、請け負った任務は死んでもその任を全うせねばならない。死ねと命じられて、命を張れない軍人なんぞ物の役にも立たないのだから。

 

 任務の名は後備え、或いは殿(しんがり)か。ただこれは撤退戦ではない。本隊が包囲網を食い破るための必要な措置だ。加えて言えば、諜報部の無能が招いた苦肉の策でもある。ただ間が悪かった、それだけのことだ。

 

「ああ、でも」

 

 殿とは、死亡率の高い役割である。理屈は単純だ。本隊を守るために、後方から攻め立てる敵を食い止めねばならないのだから。しかもそれでいて援軍は望めない。これぞ正に貧乏クジ、死は免れないだろう。

 

 しかし、しかしだ。守る対象が己が敬愛する上官とくれば、やる気も幾分か上がるというものだ。少なくとも、このなけなしの命を捧げるに値する任務である。遠い昔、戦国の世で歴戦の武将たちが不遇な役目である殿を『誉』としたのにも納得する。

 

「これで200人」

 

 迫りくる弾丸と砲弾の雨を弾く。向こう見ずに飛び掛かる兵士は叩き切る。体はとうに限界を通り越しているが、それでも五体は驚くほど快適に動いてくれる。こういうのを火事場の馬鹿力というのだろうか。

 

「――――っ!!」

 

 殴って隙を作り、斬って殺す。土を蹴って躱し、返す刀でまた殺す。傍から見れば舞にすら見える作業を百も二百も繰り返す。だが殺せど殺せど数は減らない。

 

 近接武器の欠点。どれだけ上手く立ち回ろうとも、刀で殺せる人数は限られている。戦いが長引けば刃が潰れて切れ味も鈍る。数百年も昔であれば爆撃機がすべてを灰にしてくれたのだろう。しかしこの時代では特異点を迎えた超技術によって、そうしたボタン戦争という形式が廃れてしまった。爆撃機よりも戦車、戦車よりも銃器、そして銃器よりも刀剣が戦を支配するのだ。

 

 故に、数は暴力に成り得る。最新の強化外骨格(パワードスーツ)を装着していようが、銃に撃たれたら人は死ぬ。同様に血を流し過ぎてもやはり死ぬ。俺の知る現代日本から200年の月日を経てもなお、その事実に変わりはない。

 

「―――この、化物がぁっ!!」

 

 威勢よく銃を乱射する敵兵士。だがその次の瞬間には首を切断され、物言わぬ骸と化した。

 

 殺人にも手慣れたものだ。と言うよりも、殺しの技術を磨かなければ生きていけないのが戦場である。残酷なようだが、殺される方が悪い。

 

 とはいえ、いくら化け物と揶揄されようとも。ナノマシンや強化外骨格といったオーバーテクノロジーをどれだけ身に纏おうとも。この身はどうしようもなく人間である。だから死ぬときは割と呆気なく死んだりするのだ。

 

「……痛っ」

 

 既に左腕は機能不全、ぴくりとも動かない。ちょっと気を緩めれば小鹿の様に足が震えるし、視界もどこか霞んでいるような気がする。有体に言えば、死に体だ。

 

 だが後備えの責は全う出来たように思う。

 

 無線によれば大尉率いる大隊は包囲網を突破したらしい。後は当初の作戦通り敵将を打ち取るだけだが、それも最早時間の問題である。となれば、俺がここで踏ん張る必要はない。さっさと退却するに限る。その筈なのだが―――

 

「死ね、死ねよ! この糞野郎がっ!!」

 

 名も知らぬ兵士から罵声を浴びせられる。

 

 戦場の狂気がそうさせるのか、周囲を見渡せばどいつもこいつも血走った眼つきをしていた。戦意は燃え上がる炎の様に昂るばかりで。ともすればどうあっても、俺を生かして帰す気はないようだ。

 

「はは、流石にやり過ぎたか」

 

 敵兵も人の子である。仲間を殺されたら憤慨するし、仇討ちに燃える。ましてやその仇が瀕死の重体とくれば、そりゃあ無理を押してでも殺したいだろうさ。俺だってそうする。

 

「―――っと」

 

 がくりと、膝が落ちそうになった。

 

 一瞬の硬直。その隙が許されるほど、戦場は甘くはない。

 

 凶弾が額に吸い込まれる。脳裏をよぎったのは、たった一人の女性である。

 

 もし次があるのなら、その時は自分の想いを彼女に告げたい。自然とそう願っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――いや、次なんて、()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 

 死を覚悟したが、前世みたく自覚はしていない。だから目が覚めるというごく普通の動作に、何ら疑問を持つことはなかった。ただあるがままを受け入れ、静かに瞼を開ける。

 

「……ん、ああ」

 

 不意に額を触れた。何やら硬質のプレートが埋め込まれているようで、触り心地はあまり宜しくない。率直に言って異物感を覚える。

 

 だがコレのお陰で死を免れたという事は分かる。意識が途切れる寸前に、頭から何かが飛び散っていた気がするし。だから俺がこうして生きているのは、奇跡という他ない。担当医にはどれだけ礼を尽くしても足りることはないだろう。

 

 生を実感したところで鉛のように鈍重な身体を起こす。

 

 すると小さな息遣いが聞こえた。はてとそちらに視線を移すと、彫刻かと見紛うほどの美人さんが足を組みながら就眠している。

 

 

 ラウラレンティア・ゲッテンハイム。俺がこの世で最も敬愛する上官である。或いは意中の人とも言う。

 

 

「そうか、そうか」

 

 ほうと安心のあまり息をつく。

 

 彼女が生きていることに。そして、それは即ち作戦は成功したという事だろう。その証拠に――

 

「少佐、か」

 

 肩の階級章を見やれば、彼女が昇進していることが分かった。なんなら真新しい勲章も身に着けている。過酷な激戦を潜り抜けた末に、英雄的な活躍を成した女兵士。メディア部門の連中が黙ってなさそうだ。

 

「……出世しなければ」

 

 少佐の階級章を見ながら漠然と思う。上官が昇進して少佐となった。それは結構。喜ばしいことである。だがこれからも彼女の副官として活動するには、俺自身も相応の階級に身を置かねばならない。

 

 なんせ今の俺は准尉、一介の士官候補生だ。さっさと士官過程を熟して尉官の階級を得なければ彼女に置いていかれてしまう。今更他の指揮官に下る気は毛頭ない。となれば昇進は割と急務だったりするのだが。

 

「―――なんだ、起きていたのか。良い夢は見れたか」

 

 俺が将来の展望に思考を巡らしていると、いつの間にやら少佐は目覚めていた。俺が「はい」と頷くと彼女は「そうか」と言葉を漏らす。その表情は深い安堵の色を帯びていた。

 

「問題は」

「はい。お陰様で何も」

 

 信じがたいことに、俺の身体は十全以上に動作する。腕も足も培養した代物を移植したのだろうが、まぁ動くのであれば何でもいい。今回ばかりは本社のハイテクに感謝感激である。

 

「生きてて良かった」

「互いに」

「何を言う。お前たちが守ってくれたんだ」

 

 面と向かって言われるとこそばゆい気持ちになる。なんというか、生きてて良かったと思うし、命を張った甲斐もある。しかし―――

 

「私の部隊は」

「お前以外は全滅した」

「…そうですか」

 

 意識が明確に残っていた時点で俺の部隊は壊滅していた。故に彼女の宣告も分かり切っていたし、先の問い掛けも単なる確認に過ぎない。殿を引き受けるとはそういう事だ。ただ分かっていても、心は濁る。

 

「お前には悪いが、告別式は既に終えている。すまないな」

「いいえ、少佐殿が謝るような事では」

 

 俺は間髪入れずに言葉を返す。しかしそうなると疑問が残る。

 

「私は一体どの程度の期間眠っていたのですか?」

「まるまる一月だ。このお寝坊さんめ」

「これはとんだ失礼を」

 

 茶化すような彼女の言葉に、思わず苦笑いを浮かべる。だがなるほど、己が身体がこれ以上なく愚鈍なるはそのような事情があったからか。

 

「――よくぞ、よくぞ生き抜いてくれた」

 

 気づけば、少佐は目尻に涙をため込んでいた。その感極まった様子を見て、俺は少なからず面食らう。

 

「……今でも、私は思うのだ。もっと他に良い方法はなかったのかと。貴様らに死ねと命ずる以外に、何か別の選択肢があったのではないかと」

 

 本当は言葉にするつもりなど無かったのだろう。しかし少佐は、ラウラレンティア・ゲッテンハイムは口にせざるを得なかった。後悔を、己の無力を。誰かの所為にすれば少しは楽になるだろうに、彼女にはそれが出来ない。

 

 ああ、だから俺は彼女を愛おしく思うのだ。現実では合理性の塊の癖して、その本質は何処までも純粋で甘っちょろい。まったくもっていじらしい。

 

「あの地獄の様な状況において少佐殿は最適な指揮を執られたと、小官は愚考します」

 

 だが、そもそもな話だ。我々が無数の敵部隊に囲まれたのは、諜報部の過失に端を発する。敵部隊数、布陣、兵装。事前に知らされた何もかもが誤りだった。もはや敵に対する幇助を疑うレベルの仕事ぶりに、怒りを通り越して呆れを覚えた記憶がある。

 

 そんな最中にあって、少佐は俺たちを切り捨てることで作戦を成功させた。果たしてそれを悪と断じる事が出来るだろうか。

 

「合理を突き詰めれば、幾許かの犠牲は必然的でした。そして兵の仕事は命を懸けて作戦を遂行することです。故に貴女は、そして我々は立派に自らの職務を成し遂げた。私はその事を甚く誇りに思います」

 

 心の底からそう思う。戦場は狂気に満ちている。誰もが死ぬ可能性を孕み、それ故に文字通り必死の覚悟を持って殺し合う。

 

 裏を返せば、戦場は純粋と言える。そして生き残った者は死者を弔う事が許されるのだ。誰かの意志を受け継ぎ、誰かの未練を代わりに履行することが出来る。

 

「後悔も、己が無力も、口にすることは決して罪ではありません。ただ我々大人はそれらを呑みこみ、糧としなければならない。分かりますね」

 

 問いかけると、少佐は「分かっている」と頷く。軍帽を深く被り直したから、彼女の表情は窺い知れない。だが想像はつく。

 

 なんだか懐かしい心持になる。いつの日か、彼女がまだ新米の少尉だった頃の話だ。ちょっと腕が立つからと、中々に生意気だった彼女を兵士の先達として何度諭したことか。今でこそ立派な指揮官だが、昔はかなりのやんちゃ坊主だったのである。女性を坊主呼ばわりするのも失礼な話だが、そうとしか表現できないので良しとする。

 

「……昔を思い出した」

「はい。私もです」

「フタジ、お前にはいつも世話をかけるな」

「貴女のためならいくらでも」

 

 軽口のつもりで、しかし本心からの言葉を贈る。すると彼女は途端に顔を赤らめる。

 

「そう、か。それは、なんだか、嬉しいな。うん、すごく」

 

 その笑顔が何よりも尊く見えた。

 

 やはり俺は少佐の事が心底好きなのだと、改めて思った。だって死の間際で思い浮かんだのは、彼女の顔だった。あろうことか告白すればよかっただなんて、そんな小さい未練を抱えたまま死にかけたのである。

 

「少佐殿、結婚を前提にお付き合い願います」

 

 故に、そのような世迷言を口にする。してしまった。

 

 もはや無意識の域だった。ただ胸の内にあるのは、もう二度と後悔をしたくないというただその一心のみ。こうして生きて再開してしまったら、自らの欲求を発露しない訳にはいかなかった。

 

「――え?」

 

 当惑する少佐。無理もない。俺も頭がおかしくなっている。勢いだけでこんな告白をしている。恥を知れ、この愚図が。

 

「も、申し訳ありません。今のは――」

「うるさい」

 

 がばりと、強い衝撃が腹部に走る。()()が勢いよく抱き着いたからだ。しかし直接目にしているというのに、その事実はとても認め難かった。だってこの場にいるのは俺と少佐の二人だけで、誰かが俺に抱擁したのだとすればそれは――

 

「馬鹿者、小娘を勘違いさせて楽しいか」

 

 その返答はあまりにも予想外だった。勢い任せの吐露によって、どうしようもない程の責任が生まれてしまったのだ。故に、もう引き返せないのだと悟る。

 

「勘違いなどではありません。決して」

「そうだな。お前はよく冗句を言うが、人を傷つける冗談は絶対口にしない。そうだろう?」

 

 俺も彼女もどんな顔をしているのか分からない。少佐は俺の胸に顔を埋めて、そのままだ。俺の胸は馬鹿みたいに早鐘を打ちまくっている。だから、少し恥ずかしい。

 

「もう一度、言ってくれないか」

 

 ラウラレンティアは言う。最後通告、或いは逃がさないという意志を感じた。

 

「勿体ぶった言い回しはできかねます。故に手短に」

「かまわん」

「好きです。愛しています。結婚してください」

「はう」

 

 何やら可愛らしい鳴き声が聞こえた。だからという訳ではないが、俺は彼女の頭をさながら猫にそうする様に撫でる。

 

「返事は如何に」

「む、この期に及んで断ると思うのか」

「可能性としてはあり得るかと」

「意地悪」

 

 口を尖らせ、頬を膨らませる事の何と愛らしい事か。彼女が元から有する凛々しい顔つきが、()()()で彩られる。それがどうしてか傑作に思えた。

 

「これは失敬。それで?」

 

 返事を催促すると、恨めしい目つきのまま彼女は体を起こす。そしてこちらに吸い寄せられるように、その端正な顔を近づけて―――

 

「これが答えだ。満足か?」

 

 初々しい口づけ。たった一度の小さなキス。羞恥で朱色に染まった頬。それが彼女に出来る精一杯だと理解できるから、どうしようもない程の幸福で満たされる。

 

「はい。本当に、幸せです。少佐殿は――」

「プライベートでは相応の呼び方がある筈だ」

 

 先の仕返しと言わんばかりの様子で告げる。実際、俺に対する報復としてはこれ以上ないくらい効果的だった。

 

 なにせ、今更階級以外で呼びかける事に抵抗を感じる。それこそ名前でなんて。暫しの思考の後、己の導き出した結論はなんとも情けない代物だった。

 

「……ラウラ、レンティアさん」

「なぜ敬語になる。お前の方が年上だろうに」

「僅かに、羞恥が勝ります」

「どうだか。つい数年前は随分な呼び方をしてくれたじゃないか」

 

 一体いつの話か。確かに彼女が新任少尉だった頃に、俺は指導役として相応の仕事をしてきた。具体的に言えば「糞餓鬼」だの「阿婆擦れ」だのと。およそ妙齢の女性、しかも上官を呼ばわるにはあまりにも不適格な呼称だった。しかし同時にそれは現場で叩き上げられた軍人としての責務、指導官としての役割を果たすためでもあった。

 

 だから、うん。そういう意味で言えば、後悔はなくとも後ろめたさはある。当時は何度「あ、これは嫌われたな」と思った事か。

 

「……すまない、冗談が過ぎた」 

「しかし」

「聞け。昔は多少なりとも憎らしく思っていたが、今はこれでも感謝しているんだ。未熟だった私を見捨てず限界まで扱き、最後まで面倒を見てくれたお前がどれだけ得難い部下だったか。今なら分かる」

 

 望外な評価だった。そして彼女が指揮官として、人間として成熟した傑物になったのだと今更ながら理解する。その事実が嬉しい反面、一抹の寂しさを覚えた事に驚く。心境としては、巣立つする子を見送る肉親とでもいえば良いのだろうか。 

 

「そんな顔をしてくれるな。抑えが効かなくなる」

 

 慈愛に満ちた表情。しかし頬を撫でる手つきが妙に淫らだ。つい先程まで、接吻の一つで頬を染めていた者とは思えない程に。

 

「キスの一つが限度だった生娘が良く言いますね」

「構わんぞ」

 

 何が、とは聞かなかった。ただ俺が墓穴を掘ったのだという事は分かる。

 

「お前のためなら私は何だってしてやれる」

 

 何かが変わった。彼女の纏う雰囲気が、もしくはその大きく見開かれた目つきが。まるで何かの病を患ったかのように、少佐を取り巻く空気が重くなる。

 

「この想いは、本当は墓場まで持っていくつもりだった。だって相手にされないと思った。それこそお前にとって私は単なる小娘に過ぎないんだと、お前に相応しい人間は私ではないんだと。そう思っていた。思い込んでいた」

 

 春を謳う鳥の様に、万感の想いを吐露する。

 

「あはは、でも違った。お前はこの甲斐のない、人殺ししか能のない女を好いてくれた。それが本当に、たまらなく嬉しい。この争いの絶えない血みどろ世界で、こんなにも尊い感情があるのだと。ならもう、自分の気持ちを偽る必要がないじゃないか。うん、だからね。私はお前のためなら何だって出来る。ふふ、違うな、何でもしてあげたいんだ。だって私の身体も心も、ぜんぶお前だけのものになったのだから。そうだ、フタジ、お前が望むので有ればキス以上の事だって――」

 

 眼前の女性はひたすらに言葉を紡ぐ。それは究極の奉仕とも言うべき宣言であり、また幼児が両親と逸れた時の様な必死さがあった。

 

 元々、彼女は精神が決して強い部類の人間ではなかった。正確に表現すると、ストレスの発散が少々不得手であった。故に休暇中に酒を酌み交わす事で己が愚痴の聞き手となり、自惚れでなければ彼女の心労の捌け口を引き受けていた。多分、今まではそれで十分だったのだと思う。

 

 しかし遂に限界が訪れた。言いようのない焦燥感が彼女を蝕む。その原因を、当事者たる俺はほんの少しだけ理解できる。

 

「ああ、これはすまない。どうも興奮してしまったらしい」

 

 我に返ったのか、それとも一頻り言葉を紡げて満足したのだろうか。どちらでもいい。俺のすべきことに変わりはない。

 

「謝罪の必要はありません。寧ろ、謝るべきなのは私の方でしょう」

 

 顔に疑問符を張り付ける少佐、やはり愛らしい。だが、純粋だからこそ思いつめる。そして彼女を追い詰めたのは、他でもない俺が為した不徳によるものだろう。

 

「貴女の想いに気づけなかった己の愚鈍をお許しください。しかし、その上で一つ忠言が」

「……何だ」

「何も与えるだけが愛ではありません。私も貴女と同じように、自らを捧げたいのです。だからそうですね。俺にしてほしい事、実はあったりしませんか?」

 

 恋はするもの。愛は与えるもの。前世において、母は俺にそう説いた。

 

 だがそれは少々不公平だ。恋をしたのであれば、相手にもしてもらいたい。愛を与えたのであれば、相手からの愛を期待したい。そう思う事は果たして間違いか。道理の話をするのであれば、母の言葉はこの上なく正しい。

 

 しかし人間の心情というモノはままならないのだ。

 

「……ラウラと、呼んでほしい」

 

 戸惑いがちに彼女は、ラウラは告げる。そういえば、この話が拗れ始めたのは名前の呼び方からだったか。

 

「はい、ではこれからはラウラと。もちろん私的な時間でのみに限りますが」

「構わない。あとは、抱きしめてほしい」

「はい、苦しくありませんか」

「もっと強く」

 

 ラウラの要求に、一つ一つ丁寧に応える。華奢な様に見えて筋肉質な身体を、要望通りに強く抱擁する。その拍子で、彼女の軍帽が床に落ちた。これで彼女の顔がよく見える。

 

「俺からも、一ついいですか」

「なんだ。なんでも言ってくれ」

「キスしましょう」

 

 また君の顔が朱色に染まった。感情を言葉で表現することは難しいが、表情は感情を雄弁に語る。だからホッとする。少なくとも悪感情を抱いていない事だけは分かるから。

 

「目、閉じろ」

「いやです」

「バカ」

 

 二人は幸せなキスをしてハッピーエンド。それは死がふたりを分かつまで続くだろう。だから、これこそがとある俺たちの幸福な結末だった。

 

 




という事で、今回の話は1話で生きることを諦めなかった主人公のIFルートでした。


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